>>173・
>>166・
>>143・
>>32 富田は論理的論理的言ってるが…
(仲本の言うところの「論理という名の屁理屈」?)
言葉は先に手段としてあって
後から文法ってもので整理したんだから、
言葉ってそれほど論理的とは思えないんだよな。
論理だけで割り切るのは無理があるっていうか。
でもそれは俺が日本人だからそう思うだけで、
フランス語なんかはたとえ文法が後からついてきたものであっても論理的なんだろうか?
英語のどこが論理的なんだよ、例外多すぎ
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/english/1292228603/l50 精神疾患は甘えか否かを議論する 26
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/utu/1352170725/63-64=
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/utu/1352170725/63-64 ↑ 論理的なフランス語と音楽的なドイツ語
63 :「超」勉強法:2012/11/06(火) 19:34:10.00 ID:PsD36x6g
講談社『「超」勉強法』(野口悠紀雄)69ページ コーヒーブレイクより。「ドイツ語とフランス語」
↓
ノーベル平和賞の受賞者、アルベルト・シュバイツァーは、アルザス・ロレーヌ(ドイツ名、エルザス・ロートリンゲン)地方の生まれである。ここはドイツとフランスの国境地帯なので、両方が母国語になる。
シュバイツァーは、この二つの言語を比較して、面白いことをいっている。フランス語は論理的で、ドイツ語は音楽的だというのだ。
フランスは平野の国であるから、人は危険が近づくのを目でみる。このため、目が発達し、美術が発達した。そして、フランス語は、見晴らしのよい平野のように明晰な言葉になった。
外交文書でフランス語版を正本とするのは、誤読のしようがないためである。
これに対してドイツは、森の国である。南ドイツの黒森(Schwarzwald)で木に登ったリスは、そのまま地上に降りることなく北海まで行けたほどだ。
見通しのきかない森で危険を察知するのは、音による。そこで、ドイツ人は耳が発達し、音楽に秀でた民族となった。ドイツ語は、森の中の迷路のように不明解である。しかし、音楽的な響きは素晴らしい。
まったくその通りだと思う。ドイツ語では、接頭語や接尾語が加わると、元の言葉と随分違う意味になったりする。森の妖精のようだ。
半面で(あるいは、それゆえに)、特に女性の話すドイツ語は、非常に美しい。
それを堪能するには、モーツァルトの「魔笛」を聞くとよい。ここでは、台詞がドイツ語で語られている。「夜の女王」の台詞を始めとして、実に素晴らしい。