蒸気機関車の歴史

このエントリーをはてなブックマークに追加
1鈴木
"蒸気機関車を熱く語り尽くす"スレが久しく中断してるので、ちょっと補完の意味もあります。
広い視野でよろしく。

参考 : 2008年まで長寿を誇った
"蒸気機関車について熱く語ろうスレ"と"蒸気機関車を熱く語り尽くす"スレ
http://www9.plala.or.jp/Hatsukari/ の中の↓
http://www9.plala.or.jp/Hatsukari/link/index.html

年表
1804年、Richard Trevithickは車両そのものににエンジンを搭載して自走する車両(機関車)を試走。
    高い圧力を使う蒸気エンジン、非復水式、排気利用の缶通風、等を確立した。
1829年、Stephenson父子のロケット号は、高速長距離旅客交通の基を確立した。
    それ以前のは、それ以前は構内をノロノロ走る運搬用機関車
1897年、GarbeとSchmidtにより、炎管式過熱機関車が作られ、過熱機関車時代になる。
1949年、米国Baldwin社、蒸気機関車製造を終了、通算約70,000台。
1970年代末?、中華人民共和国の蒸気機関車新製が終わり、世界的に交通機関としての用途が無くなる。
2鈴木:2009/06/22(月) 12:11:16 ID:tfa/jYkP
【鉄法・ダージリン】海外現役蒸機【ヴォルスティン・ハルツ】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/ice/1171291156/l50
↑海外機関車実動情報はこちらへ

復活蒸気機関車の情報交換しよう Part31
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/train/1243092955/l50
↑日本機関車実動情報はこちらへ

蒸気機関車最後の10年を語るスレ part7
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1224909962/l50
↑蒸気機関車の想い出はこちらへ


http://www.tcsn.net/charlied/
↑各種弁装置のアニメーション解説
http://dialspace.dial.pipex.com/steam/internat.htm
↑世界の現存機関車レポート
http://www.steamindex.com/people/engrs.htm
↑技術者列伝(英国中心)
http://www.railroad-crossing.com/vd/261somonauk640x480-20.wmv
↑4-8-4力走例
3名無しの車窓から:2009/06/29(月) 15:40:10 ID:p0wOVGnJ
衆議院議員 阿部知子氏「議会工作をしてまで人の死を望んだ下劣な国会議員達」/阿部知子の「ニッポン再生」
http://www.choujintairiku.com/abe/abe090626.html
4鈴木:2009/06/29(月) 21:49:46 ID:4LIGAWbK
>>3 その国会の話と蒸気機関車との関連性を先に説明して下さい。

例えば↓は国会に於ける鈴木(仙)委員のC53問題追求記録
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/016/0016/01607230016023c.html
のように。
5こぶた1号:2009/06/30(火) 07:42:20 ID:Sei6iBFs
ごぶさたしてます。
スレ建て乙です。
6鈴木:2009/06/30(火) 08:06:34 ID:Kc5uX8Mm
おや? 休止中の蒸気機関車本スレのベテランでは?
7名無しの車窓から:2009/07/05(日) 00:53:55 ID:fSm55I6o
フランスの蒸気機関車のサイトで画像が沢山拝めるサイト
ご存知ないですか?
8鈴木:2009/07/05(日) 02:24:13 ID:zAiYh2mD
>>7 私の場合だと。
http://cnum.cnam.fr/CGI/gpage.cgi?p1=279&p3=8XAE570.2%2F110%2F452%2F441%2F442
↑、1900年パリ博覧会参加機関車の図が80形式程度。
P279からP432まで載ってます。(当時印刷されたページ表記とネット画像のページは異なる)

http://bbretelle.free.fr/Trains/html/Nord_mixte.htm
↑、良質な絵葉書がかなりある。

http://www.vonscheven.net/AAAEnglishPostcardsRealPhotoLocomotivesFrance.asp
↑、ここにも若干

http://pagesperso-orange.fr/roland.arzul/nord/231.htm
↑、NORD集

http://www.martynbane.co.uk/2003Trips/AlsaceLorraine/museum.htm
↑、博物館写真。細部の写真が圧巻

http://www.lrpresse.fr/trains/viewtopic.php?t=23719&postdays=0&postorder=asc&start=60
↑、この掲示板は鉄道一般で、最近は良い話題がほとんどない。過去の話題では国有化以前の機関車写真も多かった。
古い投稿を探せばかなりあるのだが、一晩がかりになり、大変面倒な作業です。

http://plansetdocstrains.free.fr/listing.php
↑、「0557 -- sncf - cours de locomotive a vapeur.zip、15.5MB」
"Locomotivees a Vapeur Materiel & Traction"
画像ではないが、1944年SNCF教科書。高校理科をマスターしてれば面白いのでしょう。
私はマスターしてないが、鰻の蒲焼の臭い嗅いでるだけでも楽しいです。
9鈴木:2009/07/05(日) 03:06:03 ID:zAiYh2mD
>>8
最下段のURL内のダウンロード物件を訂正します。
↑、
×「0557 -- sncf - cours de locomotive a vapeur.zip、15.5MB」

○「0561 -- sncf - locomotives a vapeur - materiel et traction - mai 44.zip 6.52 MB」
  "Locomotivees a Vapeur Materiel & Traction"
   でした。
10鈴木:2009/07/05(日) 11:13:27 ID:TBUB+I7q
http://www.lrpresse.fr/trains/viewtopic.php?t=19958
↑、フランス掲示板ですが、久しぶりにNORD投稿が上に上がって来てました。
歴史的に重要な物として、
http://www.lrpresse.fr/trains/album_mod/upload/grandes/bf775e5883789c05417ce0036806335f.gif
↑、は世界初のde Glehn 複式4気筒機。
この1両だけは第1動輪と第2動輪を結ぶサイドロッドが無いです。
車軸配置をあえて書けば、2-2-2-0か1AA。
高速用機関車にサイドロッドは邪魔と考えたからです。
11名無しの車窓から:2009/07/05(日) 13:53:16 ID:fSm55I6o
>>10
おお〜ありがとうございます。

http://www.martynbane.co.uk/2003Trips/AlsaceLorraine/museum.htm

Nord Pacific 3.1192, の色がすばらしい
12名無しの車窓から:2009/07/06(月) 01:27:11 ID:wFXy/lu3
>>10
ありがとうございます。貴重な資料ですね。
13名無しの車窓から:2009/07/06(月) 20:00:54 ID:iusVXo3N
1号機関車のオリジナルの塗色はどのような物だったんでしょうか?
深緑(いわゆるEngine Green)に塗られていたのは間違いないと思うのですが、Vulcan Foundryの写真を見ると一色だけではなく
ライニングの枠の内側はより明るい色が使われてるように見えます。

http://www.enuii.org/vulcan_foundry/photographs/locomotives/no%20614%20Imperial%20Japan%20Railway%20first%20loco%201871.jpg
14鈴木:2009/07/06(月) 21:50:53 ID:l+K24e6z
私の考えですが、明治の英国輸入機は1号機関車に限らずほとんどが、塗り分け有りと思います。
輸入直後の黒白写真で塗り分け有りは確認出来ますが何色かははっきりしません。
現在参考になるのは、下記の浮世絵の類だけです。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kazuya22ai/22/okajiyouki-2.html#三代広重
浮世絵もいい加減なものもありますが、それなりに細かく写生したものもあります。
ただ浮世絵は下絵作者と彩色作者が別なので、参考程度、になるのですが。

結局色合いは解らないままですが、
後代の機関車も塗り分けの証拠となる白黒写真だけは沢山残ってます。
Peacock社製碓氷峠向けラック機などはっきり解ります。
また、1923年のNorth British社製国鉄ED17でさえ、白黒写真による濃淡で確認できるだけですが、
出荷時は塗り分けが有ります。
1513:2009/07/07(火) 12:43:18 ID:PKnPF1NT
>>14
ありがとうございます。個人的には孟斎芳虎の描くバーチカルボイラーの機関車が気になります。
それなりに説得力のある描写なので、資料を目にする機会があったのでしょうか?
16鈴木:2009/07/07(火) 20:52:17 ID:Ept+uTmj
バーチカルボイラー機はおそらく、
外国機の版画か絵葉書をそのままパクったんじゃないでしょうか。

http://www.mizui-hanga.com/2005-10/f0510_gallery001.html
↑はとても印象的な高輪の機関車風景ですが、機関車そのものの姿は米国の高速旅客機関車そっくりです。
17鈴木:2009/07/09(木) 02:13:13 ID:tblg7qU/
色の話では「ロシアンブルー」もよく解らないです。
19世紀末のロシアの製鉄技術が高く、そこで作られた「Russian bleu」なる青い色の薄鉄板が世界的に有名だった。
米国製の偽「ロシアンブルー」鉄板まであったらしい。
で米国の機関車の缶胴の外側に美観のためにかなり使われました。
無塗装、青色です。(無塗装で錆びないのだろうか?)
http://members.fortunecity.com/gknowles/proto/ep/ep.htm
↑の1875年Baldwinのボイラー外板は製造時ロシアンブルーだったらしいのだが、現状は多分ペイント塗りと思われます。

時期的には日本が輸入したBaldwin機の一部に使われていた可能性もあるのですが。
1990年頃米国の機関車保存組織の以来で日本の製鉄会社が再現して作った(試料のような小片か?)話を聞いたこともあります。
18名無しの車窓から:2009/07/09(木) 05:34:18 ID:HxJbNsqJ
>>17
鉄板表面の酸化皮膜、俗に言う「黒皮」ですかね。
SS400などは、確かにわずかに青みを帯びていますね。
S45CとかSM材などになると、赤みを帯びています。
19名無しの車窓から:2009/07/09(木) 22:23:56 ID:h5f7nPuL
冶金や化学の知識が無いので残念ながら具体的な製造法は解らないのです。

John White著、"Americn Locomotives-an Engineering History"には使用例の説明があるそうです。未見ですが、
「finish was often a grey silver, but also available in the shade of green or brown」と書いてあるそうです。
一般的に1870年〜1900年頃までの使用だったらしいのですが、
http://www.northeast.railfan.net/images/erie5014a.jpg
↑の1914年頃製2-8-8-8-2はですが、確か最終期の使用例と思います。
なお昨日「Russian bleu」と書きましたが「Russian Iron」の方が正しい用語かも知れません。
20名無しの車窓から:2009/07/10(金) 01:30:13 ID:Id5D7rYa
>>18
銃砲の分野では銃身に化学処理を施すことをブルーイングと呼ぶそうです。
当初は化学処理によって青色になった事が由来だそうです。
もしかしたら関係があるのかもしれませんね。
21鈴木:2009/07/11(土) 00:16:33 ID:+BoGBkbQ
>>20
落ち着いて考えれば、
銃身も
機関車のロッドも塗装してないですね
22鈴木:2009/07/26(日) 23:53:05 ID:8Cwpki32
http://www.flickr.com/photos/8793648@N06/2588176859/
↑オーストラリア(New South Wales)の形式D57、4-8-0。メーカー不明。
グレスレー式3気筒のテコが非常に目立ちます。
23名無しの車窓から:2009/07/27(月) 07:33:50 ID:JWAetB6B
24鈴木:2009/07/27(月) 11:01:48 ID:lGoEObWQ
>>23
ありがとうございます。
車軸配列は4-8-2 でしたね。
25名無しの車窓から:2009/07/29(水) 23:11:20 ID:UctTLkoV
ポーランドの蒸気機関車に関するサイト

http://www.locomotives.com.pl/

旧チェコの蒸気機関車に関するサイト

http://parniloko.vlaksim.cz/

デンマークなど北欧諸国の蒸気機関車に関するサイト

http://www.brimalm.com/
26鈴木:2009/08/09(日) 02:29:16 ID:KSbdZoV8
10年前までは私は
3気筒機関車という物は総て、気筒弁室前方にグレスレー式テコが付いてるものと思ってました。
しかしその後、3気筒機関車は弁装置も各気筒ごとに3つ付けてるのが歴史的に先達であることを知りました。
さらにその後、グレスレー式のように弁装置を2つで済ませるのは合成弁なる物の一種で、グレスレー式より
先にドイツが始めたことを知りました。
日本国鉄がグレスレー式しか採用しなかったので、私も世間知らずでした。
27名無しの車窓から:2009/08/10(月) 23:46:19 ID:WdRwQ1OD
C62やD51は我が国日本が世界に誇れる蒸気機関車の名機であり近代機でもある
28名無しの車窓から:2009/08/17(月) 05:32:48 ID:vMiG2Oyv
29名無しの車窓から:2009/08/17(月) 06:04:25 ID:vMiG2Oyv
30鈴木:2009/08/17(月) 23:02:42 ID:28iXqtRz
>>29の流線型はニュージーランド国鉄、J型、4-8-2。
1940年頃North Britishで30台製造。
動輪径、1372mmφ
英国製では珍しいベーカー弁装置。
全軸ローラーベアリング装備。
過熱器と弁室を結ぶ蒸気管はランボード上に少しカバーが見えるが、
カバー内部は蒸気管が屈曲してる。何故屈曲してるのか不明です。

>>28のニュージーランド国鉄、Ka型、4-8-4も同様な蒸気管カバーが写ってます。
31鈴木:2009/08/18(火) 13:11:44 ID:D/7uFALa
>>30
J型、4-8-2の正面図
http://lh3.ggpht.com/_aEmgu_TVv6c/SooQ8faXTBI/AAAAAAAAKAw/hTTe-xdYkXw/s512/img839.jpg
図の左で蒸気管がクランク状に屈曲してます。(途中に安全弁?)
32名無しの車窓から:2009/08/24(月) 19:46:01 ID:X1dbLWah
「World railways of the nineteenth century: a pictorial history in Victorian」という洋書ですが
Google Booksのプレビューを見た所、19世紀の蒸機の精細な銅版画が多数収録されています。
かなり資料的な価値が高いのではないでしょうか。

http://books.google.co.jp/books?id=ESnBiR7vLPQC&as_brr=3&source=gbs_navlinks_s
33鈴木:2009/08/25(火) 10:52:54 ID:UqF80hFU
>>32
高額な本なので私は買えませんが、良い本と思いました。取りあえず
http://books.google.co.jp/books?id=ESnBiR7vLPQC&printsec=frontcover&source=gbs_v2_summary_r&cad=0#v=onepage&q=&f=false
からBaldwin機関車関係から、枝葉末節なこと書くと

45p, PLATE25, 下段絵図、Horatio Allen's 2-2+2-2
これは米国史上最初の関節機関車と言われてるようですが、
その構造は全く解りません。火室は1個(又は2個)、缶銅は4個までは解ってますが、
日本の米国史本でも、多分著者は理解しないまま適当な解説してます。

46p, PLATE26, 右段下から3番目絵図、「Baldwin 4-2-0 engine of late 1830's」
は2軸先輪も動輪としたものでしょう。

47p, PLATE27, 中段右絵図、「0-6-0 freight locomotive」
はBaldwin フレキシブル動輪と思いますが、これは私が良く解らない構造です。
47p, PLATE27, 下段図、「6-2-0 express engine」
は第3先輪と動輪の軸重比率を運転手が調節出来る機関車
34名無しの車窓から:2009/09/04(金) 16:02:56 ID:JyuJ4il/
>>33
紀伊国屋書店の通販サイトでは古書が比較的安く売られていますよ。
35鈴木:2009/09/04(金) 23:04:46 ID:FIyPcT/K
>>34 本を買わないのは金が全然無いのが理由です。

http://books.google.co.jp/books?id=ESnBiR7vLPQC&printsec=frontcover&source=gbs_v2_summary_r&cad=0#v=onepage&q=&f=false
内で PLATE27の上段の木製キャブ付き、「1840s Baldwin」、4-4-0の
弁を動かす棒が上下2本ありますが、弁体が上下二段重ねになったもの。
確か上段はカットオフ調節弁で下段は前後進決定弁のはず。
この方がスチブンソン弁より、効率が良いはずなのですが、構造が複雑過ぎたので機関車用としては1850年頃にはすたれました。
36名無しさん:2009/09/05(土) 14:46:32 ID:tyR0EEhO
フランスの蒸気機関車関連スレ

http://loco-diffusion.fr/
37名無しの車窓から:2009/09/20(日) 08:31:06 ID:gnWQy73O
>>22
アングロサクソン系の機関車の合成梃子が露出しても平気なのは、燃焼室が
あって排気膨張室がないんでよく燃えて煤が出ず、高締め切り比で運転
するので(煤が出たとしても)、吹き飛ばすからですかね。
38鈴木:2009/09/21(月) 22:35:31 ID:OWpvhv2e
>>37
燃焼室と「よく燃えて煤が出ず」の関係は今ちょっと解りません。
39名無しの車窓から:2009/09/25(金) 15:37:46 ID:xXdYaKg3
>>37
排気膨張室が無い上に高締め切り比で運転するので煤が吹き飛ばされちゃうからでしょう
40名無しの車窓から:2009/09/26(土) 09:55:22 ID:VX4C2ZS/
だから8200は...
41名無しの車窓から:2009/09/29(火) 15:18:36 ID:vcK/42D4
ここ数日間調べたんですがどうしても見付からなかったので質問させてください
パリで初期の頃(1837〜1844)に走ってた蒸気機関車ってどのタイプなんですか?
主に外見や走行性能的な部分を知りたくて調べてたのですが
どのタイプが走ってたのかすら分からない状況です
42鈴木:2009/09/30(水) 04:54:10 ID:Jpbewwou
>>41 パリ限定となると解りません。 フランスとしては以下。
1837〜1844ならかなりの機関車がフランスにあったはずだが総合的には解りません。
Rbert Stephenson社製のMarc Séguin設計のSt. Étienne鉄道の
多煙管、機械式誘引通風、リターン煙管、垂直気筒の0-4-0は1828年製だからまだこの時期走っていたと思います。
1838年、André Köchlin 社(アルストム社の遠い親類)は2-2-2、外側台枠、内側気筒を自作してます。

1839年のフランスの機関車買い入れ例として、
英国製のスチブンソン社、フェントン社、キットソン社、Mother-Dixon社、以上各2台。シャープ社5台。
フランス製は1840年に5台組み立て(かなりの部品が英国製)の例が挙げられてる。
これらは適当に挙げたもので、裏づけは取ってませんから。
機関車の構造と言っても、1840年くらいまではロバートスチブンソン社の技術進歩イコール機関車一般の進歩な気がします。
43名無しの車窓から:2009/09/30(水) 10:40:03 ID:NYI1S+bA
詳しい説明ありがとうございます

ある作曲家の記事を書いていまして
その作曲家が蒸気機関車を描写した「エチュード鉄道」というピアノ曲を作曲してるんです
その関係で調べていたのですが、その曲の発表年度が1844年で
恐らく1842-1844年辺りの作曲なので
作曲家本人はこの頃に始めて乗ったんだと推測してます

鈴木様の解説から推測すると
1839年買い入れの辺りが有力だと思うので
そこらへんの型を調べてみます
44鈴木:2009/09/30(水) 11:11:00 ID:SzG4P769
>>43 例えば
http://www.enuii.org/vulcan_foundry/photographs/pictorial_loco_list.htm
↑の中のバルカン社「1842 #176-178 2-2-2, std gauge, Rouen Railway (piston valves) 」
http://www.enuii.org/vulcan_foundry/photographs/locomotives/no%20176-178%20Rouen%20Railway%20fitted%20with%20piston%20valves%201842.jpg
「ルーアン鉄道」はフランスの鉄道じゃないか? と思うのですがどうでしょうか。
45名無しの車窓から:2009/09/30(水) 12:47:55 ID:NYI1S+bA
ありがとうございます

ルーアン鉄道が開通したのが1843年5月9日(パリ〜ルーアン)みたいですね
1837年8月24日にはサン=ジェルマン鉄道(パリ〜ル=ペク)が開通してるみたいですが
作曲時期的に前者の鉄道に乗ったと考えるのが自然ですね

ここまで特定出来るとは思いませんでした
本当にありがとうございます!
46鈴木:2009/09/30(水) 14:06:15 ID:2lwci+f6
http://www.zeljeznice.net/forum/viewtopic.php?p=161580&sid=f2a3b641e111f934f73a8349d674b352
↑はクロアチア語の機関車掲示板ですが
http://i204.photobucket.com/albums/bb287/mkrema2/RailBuilders/WilliamBuddicom1.jpg
↑はParis ? Rouen鉄道の風景です。

http://www.flickr.com/photos/mark_vogel/2893153297/in/set-72157607621293878/
↑はBuddicom製、Paris ? Rouen鉄道。Mulhouse博物館での保存機ですね。
47名無しの車窓から:2009/10/01(木) 12:49:27 ID:J2bftRL0
何から何までありがとうございます
なんか記事書いてるうちに自分も鉄道が好きになってきました
ミュルーズ国立鉄道博物館に行きたい・・・
48鈴木:2009/10/05(月) 02:06:42 ID:oS3duJV7
お手軽検索によれば
http://www.youtube.com/watch?v=sXbNJcOZV5o
↑が"練習曲、鉄道"な気がします。見当はずれだったらごめんなさい。音楽の素養は無いもんで。
↑が正しいと仮定した話ですが、"鉄道"の作曲者Alkan氏はこの時代の有名人ジョルジュサンド女史や音楽家ショパン氏と親交があったそうです。
つまりショパンは機関車を知ってたんだ、と今日知りました。
49名無しの車窓から:2009/10/26(月) 20:16:16 ID:duvf4l70
4100・4110からE10ってなんかD50・D51すっ飛ばして
いきなりD52にいったような感じがする。
D51量産始まったころに1E1のタンクでもつくっときゃな。
50鈴木:2009/10/27(火) 13:12:44 ID:2OAuckf5
部内事情に詳しくないのですが、
4110,0-10-0 の内2両は戦後、三菱炭鉱向に新造の気がするのですが。

幹線電化方針(福島〜米沢は1946年11月着工、出典"私の蒸気機関車史下"p254)が確定してるときに
なんで唐突にE10(1948年完成)を作ったのか? は知りません。
D52の缶の部品使って、何か創作したいと思った?
51名無しの車窓から:2009/10/28(水) 01:31:51 ID:AwJ+wOIZ
戦時中の酷使で4110がもう限界だったのでしょう。
それにしても貨物機は余ってただろうに。新車の枠だって制限があった時代のはず。

D51のタンク機化改造なんかあったら面白かったかも。従台車をホギーにして・・・。
52名無しの車窓から:2009/10/28(水) 21:17:48 ID:eOdT76xT
今となっては、D51ベースにデカポッドにしても良かったような。

>>51
>D51のタンク機化改造なんかあったら面白かったかも。従台車をホギーにして・・・。

どこかの架鉄サイトで見た。
53名無しの車窓から:2009/10/30(金) 19:08:55 ID:eCMnC/hh
日本の蒸気機関車がどういうふうに製造されるのかよくわかる資料はあるかな?
ボイラーから動輪まで製造行程を詳しく知りたい
54名無しの車窓から:2009/11/13(金) 16:28:36 ID:/4ttiFXF
>>49 >>50
4110は昭和初期の不況の時に余っていたため一部廃車。
そのあと戦争で輸送量が急増して逆に機関車不足になるも増備はせず、
矢岳はD51、板谷は9600の応援で間に合わせた。
板谷峠は線路有校長が短く、D51が使えなかった。
戦後E10を作ったのは、4110の老朽化が進んでいて、
もし電化工事が遅れたら運行不能になる危険があったため5両だけ製造。
機関車の製造は禁止されてたが、これだけはGHQに許可をもらった。
三菱の4110は1920年代に美唄鉄道用に3両製造されたもので、戦後ではない。
以上長くなりましたが。
55鈴木:2009/11/13(金) 21:04:42 ID:w591Mp8a
>>54
調べたところ
三菱美唄のは
1919年製、1926年新製及び

1951年中古購入(1914年製〜1917年製)でした。
お話のとおり「戦後ではない」です。
失礼しました。
56名無しの車窓から:2009/11/14(土) 12:03:43 ID:NB3v7mGC
蒸機が去って気動車が来たが、あえなく廃線になった。
http://ioo.mitsu-hide.com/railcar.htm
57名無しの車窓から:2009/11/15(日) 11:08:21 ID:En9kJ5Qt
フランス蒸気って、煙室よりもシリンダーが後にずれているのが多いのは、
どんな理由からでせうか?
58鈴木:2009/11/16(月) 09:14:42 ID:tyllWmH6
>>57
4気筒機関車の場合じゃないでしょうか?
もし外側気筒を国鉄C64のよう第2動輪を主動輪とするなら、内側気筒に関しては
1、外側気筒と同じ前後位置とする場合、内側気筒は高く持ち上げて斜めに置かないと第1動輪と干渉する。
2、外側気筒と同じ高さ、水平気筒としたければ、内側気筒だけをぐんと前方に置き第1動輪を主動輪とする(deveided drive)。
お話のフランス機の場合2、が多いと思います。
この場合煙突の位置は外側気筒でなく内側気筒に近付きやすいです。
http://picasaweb.google.co.jp/suzukikotaro02/20090201#5297352767453745714
http://picasaweb.google.co.jp/suzukikotaro02/20090201#5297352737926195714
↑はフランスではないが、同様な理由で煙突がずれたスイス4気筒機です。
59名無しの車窓から:2009/11/23(月) 07:32:18 ID:Dg9+3MFD
単式3気筒で第1動輪が主動輪あるいは分割駆動で中間気筒が第1動輪と
リンクしてそういう形態になっているのありませんか。
60鈴木:2009/11/23(月) 13:55:18 ID:ZBukTitm
>>59
質問条件が読み取りにくいのですが、
【単式3気筒で、しかも第1動輪が内側気筒の主動輪】
なのだけを考えると、取りあえず下記は全部それです。

1853年、Robert Stephenson社製、York, Newcastle and Berwick 鉄道向け、1A1(非分割駆動)。
1902年、プロイセン系の2-6-0T(分割駆動、多分) http://de.wikipedia.org/wiki/Preu%C3%9Fische_T_6 
1909年、Reding鉄道(米国)の4-4-2(分割駆動)。
1914年、世界最初の合成弁3気筒(非分割駆動) 4-6-0、ドイツVulcan製
などの他まだあると思いますが、この条件でいいのですか?
61鈴木:2009/11/23(月) 13:58:48 ID:ZBukTitm
>>60 訂正です
×1902年、プロイセン系の2-6-0T
○1902年、プロイセン系の2-6-2T
62名無しの車窓から:2009/11/23(月) 17:52:19 ID:U2IkIIm4
ありがとうございます
63名無しの車窓から:2009/11/29(日) 08:20:58 ID:jqAeZYEM
>>58
どうもです。
映画とかでも良く見かけたので、仏蘭西では4気筒機もそんなに特殊じゃなかったんですかね。
64鈴木:2009/11/29(日) 20:56:55 ID:nex/2KTm
古いデータしか無いですが、1904年、フランス4気筒複式の使用及び注文中の台数です。
Ouest鉄道Sauvage技師によるもので、DeGlehn式以外の4気筒も若干含まれてるはずです。
 2動軸機
Nord 96台
Ouest 62台
Etat 10台 (米国製ボークレン式6台を含む)
PO 33台
Midi 58台
PLM 165台
Est 34台
 小計 458台

 3動軸機
Nord 105台
Ouest 60台
Etat 30台
PO 40台
Midi 75台
PLM 290台
Est 212台
Ceintre 15台 (タンデム式)
 小計 827台

 4動軸機
Nord 20台
PO 12台
Midi 12台
PLM 246台
Est 2台
 小計 292台

総合計 1577台

なお、古いフランスには2気筒単式で煙突位置がずれてるものもあります。
65名無しの車窓から:2009/12/23(水) 09:06:14 ID:g+Np0bmL
右側先行は必然性あり?ロコモーションかなんかのをそのままひきずっている?
66名無しの車窓から:2009/12/23(水) 14:08:58 ID:Qj2JbqN5
馬車や運河での船舶の運行を引きついているとか?
67鈴木:2009/12/23(水) 20:22:23 ID:48L6xlQ7
>>65は 2気筒蒸気機関車の左右動輪のクランク角度差90度に関して、
D51等で前進(煙突を前にして走る)時に、
非公式側(右側)クランクが公式側(左側)クランクより90度進んだ形で動輪を組み立てている
事を言いたいんじゃないかと思います。
で、>>65の問いが上の通りとすると、
ロコモーションは「右側先行」ではないです。2つの気筒が左右でなく、前後に並べてあるから。
http://www.sdrm.org/history/timeline/locomotion.jpg
68名無しの車窓から:2009/12/24(木) 19:16:00 ID:C7My8x/4
武士道精神がなかったんだろう(w
69鈴木:2010/01/05(火) 00:55:03 ID:alVgeXVn
70鈴木:2010/01/16(土) 00:43:50 ID:1mpLSHVu
http://www.drehscheibe-foren.de/foren/read.php?17,4629248
↑、ヘンシェル博物館の写真らしいです。
1951年、製造番号28313と28314 , 機関車番号42 9000 と 42 9001 の2両の製造直後写真
排気蒸気&排気ガスによる給水予熱器を備えている。
Bild 1. 色は黒ではない、とたけけ書いてある。
Bild 3. 右端の人物はクロスティ式で有名なCrosti氏
Bild 6. 排気蒸気&排気ガスを缶の横っちょから吹き上げた状態。
71名無しの車窓から:2010/01/19(火) 20:53:56 ID:qH+I9y0k
HOの42で迷彩色のやつがリリプットから出ていますが、
そのフランコ釜も、軍用のが存在したんですか?
72鈴木:2010/01/20(水) 21:46:39 ID:xwUTJplf
>>71
ヘンシェル博物館の写真は1951年、とありまして、
この時期のドイツが迷彩色の蒸気機関車作る可能性はほとんど無いと思います。
73名無しの車窓から:2010/01/21(木) 19:14:54 ID:PSAbqhYr
>>72
ありがとうございます。
そうですか、戦後でしたか・・・
74名無しの車窓から:2010/01/23(土) 22:43:29 ID:uNkvr3UT
>>70
こういう、煙突がボイラー真ん中から後あたりにある機関車って、
トンネル通過時の煤煙とかどうだったんだろ?
75鈴木:2010/01/24(日) 22:04:13 ID:O93q3zVa
>>74
煙突の位置が煙室から火室付近に変わっても、
運転手のトンネル内環境変化にあまり影響しないと思いますが、調べたわけではないので解りません。
どうだったんだろ?

平野を高速で飛ばす場合は煙が運転室にまつわりつかないから除煙板不要か?って、
火室に除煙板付ける人はいなさそうですね。
76名無しの車窓から:2010/01/25(月) 06:03:33 ID:nGUM82IA
77鈴木:2010/01/25(月) 13:52:25 ID:6eUCegAV
>>76
ありましたか!
軽率なことは言わない方がよいですね。
78名無しの車窓から:2010/01/25(月) 17:12:24 ID:Eki4qi/k
>>77
LOCOLOCOのページにDB42.90のデフ付きの写真が載っているが、
製造後まもなく付けたということか?
ttp://www.dself.dsl.pipex.com/MUSEUM/LOCOLOCO/francocrosti/francocrosti.htm
79鈴木:2010/01/25(月) 21:51:15 ID:5NzqCNMv
>>78
確認しました。
高速走行中に、クロスティ式予熱器を使わない運転が必要な時があれば、煙室付近の
除煙板が役に立つはずですが、
写真の除煙板の理由は私には解りません
80名無しさん:2010/03/04(木) 23:04:33 ID:9jVl41o+
英国LNER鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.lner.info/locos/locos.shtml

英国グレード・ウエスタン鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.greatwestern.org.uk/index-st.htm
81名無しの車窓から:2010/03/05(金) 21:16:44 ID:RrLCsCvR
>>79
ひょっとしたら、あの煙突の位置でもデフの効果があるのかもしれません。
まさか、ドイツ人が意味の無い物を付けるとは思えませんが・・・
82名無しの車窓から:2010/03/06(土) 11:22:42 ID:XZygNiSw
>>81
つピストン尻棒
83名無しさん:2010/03/06(土) 15:50:04 ID:1XfRM3L9
英国の鉄道界は英国内で取れる石炭が混じりけの少ない高カロリーの良質の石炭だったので、狭い火室の機関車でも十分な出力が出せた。
しかし、これらの英国の蒸気機関車にドイツ国内や日本国内で取れる混じりけの多い低カロリーの石炭を使ったら半分くらいの出力しか出なかったんじゃないか?
84名無しの車窓から:2010/03/06(土) 17:36:55 ID:dnuArYsj
英製の石炭ってそんなに上等だったのか。
85名無しさん:2010/03/06(土) 23:01:48 ID:1XfRM3L9
ええ、そりゃもう。
86名無しの車窓から:2010/03/06(土) 23:26:56 ID:7FU/h27T
87鈴木:2010/03/07(日) 00:05:41 ID:ycOz4vHH
英国炭の中でも特にボイラー用に優秀と認められた、ウェールズ炭の中でも高品質商品の説明
Wales.-Steam Coals.
They are more generally known on the market as Admiralty coals,
for the reason that they are the coals from which the Admiralty authorities
draw for consumption on warships.
The three glades mentioned are the cleanest and finest burning coals obtainable.
They are free from clinker, very low in ash and volatile mater and exceptionally high in carbon.

世界的に好評だそうで。
「three glades」とは上位3商品。「Best Cardiff steam」「superior seconds」「second Cardiff large coal」。これ以下にも下位6種くらいあるそうです。
volatile(揮発分)が少ない方が優位なのか? は知りません。
88名無しの車窓から:2010/03/08(月) 20:01:41 ID:Z3gSeCox
>>84
コンウォール炭を前提に設計されたGWRの保存機が、ニューカースル炭かなんかを喰わされてエンコした
事件があったはず。
89名無しさん:2010/03/17(水) 18:42:20 ID:EvmEp7bA
今度は蒸気機関車にとっての背骨に当たる台枠についての話でもしましょうか。
米国では鋼材をリベットでつなぎ合わせた棒台枠(後に一体鋳造の棒台枠に)、英国などの欧州諸国では鉄板から作った板台枠が主流でした。
90名無しの車窓から:2010/03/17(水) 21:15:33 ID:q2queRpv
台枠かぁ・・・

英国機なんか台枠内側にシリンダー納めたりしてるし。
ナローゲージでは、いわゆる外側台枠とかもあるし。
91名無しの車窓から:2010/03/17(水) 22:40:49 ID:sarzU+7P
日本ではC51までは板台枠。C53以降が棒台枠だったかな。
棒と言っても、分厚い鉄板を切り抜いて骨組みを残したもので、棒を組み立てたわけじゃないけど。
92名無しさん:2010/03/18(木) 00:16:49 ID:McINKUpJ
第二次世界大戦中にナチスドイツ管轄化だったオーストリアで作られたドイツ国鉄52型もオリジナル版(ドイツ製)の一体鋳鋼による棒台枠ではなく、板台枠で作られたって!
93名無しの車窓から:2010/03/18(木) 05:39:58 ID:wu1mF3+z
もっと変った台枠ないですか?
94鈴木:2010/03/19(金) 00:34:37 ID:GPixDQVp
一番古い頃は木材の梁の表と裏に鉄板をネジ留めしたものが多かったようです。交通博の開拓使の台車と同じ組み立て。
19世紀米国の棒台枠は主要部分を棒材から溶接(鍛造と言うのか?)で組み立てて、
主要部分(動輪部分)と気筒&先台車部分は貫通ボルト留めが多かった気がします。
1893年のシカゴ博覧会ではドイツのクルップ社が機関車用鋳鋼フレームを展示して注目されてます。
American Steel 社は1896年に鋳鋼フレーム生産を開始し、1899年時点でやっと195台の機関車が採用してます。
米国の左右台枠&煙室サドル&気筒弁室の一発鋳造はいつ頃から可能になったか、1910年代末? 資料紛失。
米国と言うか世界の一発鋳造の最大はペンシーの6-4-4-6の外側4気筒一発鋳造。

変わった台枠と言うと、二重フレームは?
古い英国に多かったが、外側台枠と内側台枠を併せ持つもの。
内側気筒機の動輪軸クランクは折れやすいのだが、
その車軸が万一折れても左右輪はアサッテの方に行かず、内外フレームの間に残るから、転覆は防げるというもの。
95名無しさん:2010/03/19(金) 01:05:55 ID:Fgn0AzBZ
米国で作られた1D2型&1E2型の大型機はシリンダー部分も含めて一体鋳鋼で作られていたってさ。
96鈴木:2010/03/19(金) 01:21:13 ID:GPixDQVp
レイルウェイ・ガゼット誌,1927年,3月に
米国Commonwealth Steel社の
0-8-0台枠&気筒&煙室サドルの一体鋳造写真がありますね。
1910年代末は間違いで、1927年頃が最初かも知れません
97名無しさん:2010/03/19(金) 20:18:39 ID:Fgn0AzBZ
ドイツから日本へ輸出された日本国鉄8850型の棒大枠は厚さ10センチの厚い鉄板を裁断して作ったって!
98鈴木:2010/03/19(金) 20:56:51 ID:jhqs6fGQ
>>97
ガス火で窓抜きするやつですね。
99名無しの車窓から:2010/03/20(土) 17:49:02 ID:Ss/N++8H
今でこそレーザー加工機があるけど、あの当時100mmの鉄板をガスで切るなんて・・・大変だぞ。
100鈴木:2010/03/20(土) 19:46:28 ID:iqNCe9+Q
>>100
「あの当時100mmの鉄板をガスで切る」のが
「大変」と言う事は「不可能」と言う意味で言われてるのか? 解りませんが

8850の台枠はガス火でとにかく切ってると思います。
101名無しの車窓から:2010/03/20(土) 23:32:29 ID:2EXruQUY
そんなの普通に考えても、大変=不可能では無いでしょう。
不可能なら出来ないと書くでしょう?普通。
102名無しさん:2010/03/20(土) 23:38:25 ID:hLEQgc2q
今年はフレデリック・ショパンの生誕200周年記念の年なのでポーランドの蒸気機関車に対するコメントを求めます。

同じドイツでもプロイセン国鉄の蒸気機関車のほとんどは板台枠でしたが、バイエルン州鉄道の蒸気機関車(例、パシフィック機のS3/6)は鍛工製の棒台枠でしたよ。
103鈴木:2010/03/21(日) 00:02:22 ID:jl5G6Isq
1、バイエルンは1901年にBaldwinから棒台枠の4-4-2を完成品で買ってます。
2、バイエルンと関係の深いMaffei社は1904年に4-4-2を作ってるが、これについて、
  「この棒台枠はBaldwinから買ったもの」と、川上幸義氏は書いてる。
3、1908年バイエルン鉄道のMaffei製4-6-2の台枠は、その後Maffei社が
  棒台枠を米国の棒材組み上げ式でなく
  ドイツで開発した厚板切抜き式に切り替えたものかも知れない。
104鈴木:2010/03/21(日) 00:05:26 ID:jl5G6Isq
あ、>>102氏は「鍛工製」と書いてますね。私の「厚板切抜き」推定は出典がはっきりしないので、
間違いかも知れない。
105名無しさん:2010/03/21(日) 00:05:58 ID:YU/Xaq0q
そうでしたか鈴木さん、ありがとうございます。

ところで同じバイエルンのS3/5、S3/5Hは日本国鉄8850と同様第一動輪に主クランクがついていましたね。
106鈴木:2010/03/21(日) 01:15:57 ID:jl5G6Isq
バイエルンのS3/5、S3/5H、は
http://de.wikipedia.org/wiki/Bayerische_S_3/5
↑で見ると確かに第一動輪に主クランクがついていますね。
107鈴木:2010/03/21(日) 10:00:03 ID:+HA9Bh6j
Maffei関係を調べてたら
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:Joseph_Anton_von_Maffei_06.jpg&filetimestamp=20090629141500
偶然国鉄4100形がありました。
108名無しの車窓から:2010/03/23(火) 07:37:52 ID:8qJAvADZ
>>105,106
主クランクという呼び方は初めて聞いたよ。主動輪ではないの?
109名無しさん:2010/03/23(火) 14:16:33 ID:9MmNqmi4
あ、そうでした。主動輪でした。
110名無しの車窓から:2010/03/24(水) 11:00:18 ID:kNcHQUe5
111鈴木:2010/03/24(水) 16:43:55 ID:ywrqJB0t
>>110
ありがとうございます。
C&Oタービンの内部写真がC&O歴史協会のサイトにあったはずだが見つからない状態です。
C&Oタービンの話ではありませんが、ご提示のフリッカーの中に
http://www.flickr.com/photos/jarchie/sets/72157622357624721/
↑があり、その中に

http://www.flickr.com/photos/jarchie/3966180761/in/set-72157622357624721/
↑がありました。日本が敗戦でヒーヒー言ってる1949年頃、米国の鉄道博覧会写真ですが、
UPとCP(後のSP)線路がつながって大陸横断鉄道が完成(ミシシッピー川鉄橋を省く)した時の再現ショーと思われます。
そして、歴史写真にはほとんど写っていないはずの支那人の労働者役が出演してます。
以下私の推測ですが、米国での対日感情が悪く、東アジアの正義国民として支那人役が出演してるんじゃないでしょうか。
勿論CPの建設に多くの支那人労働者がかかわったこと自体は歴史的事実です。
http://cprr.org/Museum/Chinese.html
112名無しの車窓から:2010/03/25(木) 08:35:33 ID:y+3Z7fxC
113名無しの車窓から:2010/03/25(木) 08:52:22 ID:y+3Z7fxC
>>111
>C&Oタービンの内部写真がC&O歴史協会のサイトにあったはずだが見つからない状態です。
簡単に見つかったのだが....。
http://www.cohs.org/repository/Archives/cohs/web/cohs-20553.jpg
http://www.cohs.org/repository/Archives/cohs/web/cohs-20554.jpg
http://www.cohs.org/repository/Archives/cohs/web/cohs-20555.jpg
http://www.cohs.org/repository/Archives/cohs/web/cohs-20558.jpg
114鈴木:2010/03/25(木) 17:23:43 ID:jt2FK4Lo
>>113
はい、この写真なんですが、過去の記憶では
C&O歴史協会のサイト内に、C&Oタービンの専門ページが一項目あり、
白黒、カラー写真を取り混ぜて説明文付きで提示してた気がするのですよ。
115鈴木:2010/03/25(木) 17:31:59 ID:jt2FK4Lo
>>112
ご提示の写真は
http://www.dself.dsl.pipex.com/MUSEUM/LOCOLOCO/chesturb/chesturb.htm
↑の中に在るものと思われます。
この写真は運転室後壁を写したものですね。
C&Oタービンは国鉄C11がバック運転するような状況なので
116名無しの車窓から:2010/03/26(金) 08:48:13 ID:esWq0piJ
ttp://www.youtube.com/watch?v=6R_6vRYigGo

CSD 498。軸配置4-8-2、3気筒。
この機関車は機関車左側にふたつのエキセントリックロッドを持っています。
これはワルシャート式3組といえるんでしょうか。
映像からの判断ですが、台枠内側に伸びる釣りリンクを見出しました。
おそらく、中央気筒用の加減リンクが備わっている?

60163なんかもワルシャート3組ですが、これはどのように中央気筒の弁を動かしているのでしょう
車軸に偏心輪を取り付けているのですか?
117鈴木:2010/03/26(金) 10:25:21 ID:3Ztg0dYd
>>116
御推測のとおり、左第3動輪のエキセン棒は中央気筒の弁制御用で
当然中央気筒台枠内側に専用の加減リンクやラップ&リードレバーを持ってるはず。
Alco(グレスレー式)に対抗して3気筒を作ったBaldwinはこれと同じ3気筒独立弁駆動方式でした。
フィリピンかどこか東南アジアに輸出例があったはず。


「60163」とはどういう機関車なのか解りません。
118名無しの車窓から:2010/03/26(金) 11:03:22 ID:8GVp43ND
60163ってトルネードじゃない?
最近新造されたエゲレスの機関車
119鈴木:2010/03/27(土) 00:14:23 ID:DZzArNgw
120名無しの車窓から:2010/03/27(土) 23:59:13 ID:Poq6xaGu
おそらくそれがリターンクランクに相当するものでしょうか

121鈴木:2010/03/30(火) 00:30:50 ID:vyzyt3mM
因みに下記は以前出した写真だけど、
http://www.martynbane.co.uk/images/alsacelorraine/Museum/231EInsideBigEndsMay312003.jpg
ドグラン4気筒複式は、4つの弁駆動装置を持ってるから、
内側気筒の「リターンクランクに相当」も(ワルシャートの場合)ちゃんと台枠内側に2個持ってます。
122名無しさん:2010/04/11(日) 10:01:56 ID:NB5bniMy
南アフリカ共和国の蒸気機関車のサイト

http://www.sarsteam.co.za/steam_overview.php
123名無しさん:2010/04/11(日) 19:07:31 ID:NB5bniMy
124名無しさん:2010/04/15(木) 15:41:28 ID:OL2dFuHg
旧ユーゴスラビアの蒸気機関車のサイト

http://www.miniaturna-zeleznica.com/stevilcenje.htm
125鈴木:2010/04/16(金) 00:47:30 ID:Mk8YcRkg
>>124 はクロアチア語の機械翻訳でかなり読めますね。
1、http://www.miniaturna-zeleznica.com/36.htm
  ↑、Hanshel社(製造番号16584) 2-10-0、3気筒、
  http://www.miniaturna-zeleznica.com/galerije/36/index.html
  ↑、中央弁は1914年から始まったドイツ式合成弁
  合成の仕掛けが弁室前方でなく、第1動輪と第2動輪の間にある。
  1945年形式30-113。 1947年形式36-014 。
  Ljubljana Museum保有
    http://picasaweb.google.co.jp/suzukikotaro02/2008101#5255104803312482658
    http://picasaweb.google.co.jp/suzukikotaro02/2008101#5255104803312482658
    ↑、ボイラーの形状は違うが同じ1400mm動輪のプロイセンG12、3気筒の例

2、http://www.miniaturna-zeleznica.com/97.htm
  ↑、Floridsdorf社ラック機関車
  http://www.zeljeznice.net/forum/viewtopic.php?t=8343&postdays=0&postorder=asc&start=30
  ↑、多分この機関車 
126鈴木:2010/04/16(金) 00:54:59 ID:Mk8YcRkg
127名無しさん:2010/04/16(金) 14:36:24 ID:m2cl6t8T
鈴木さん、旧プロイセンのG12型(後の独国鉄58.10〜21型)は敗戦後、フランスなど周辺諸国の賠償金代わりとして製造されたものも含めて1924年までに全部で1518両も作られたそうですよ。
128鈴木:2010/04/16(金) 21:43:15 ID:XL/gqO3U
「ドイツが第一次大戦敗戦の賠償として供与に合意(合意が何%遂行されたかは不明)した機関車は対ベルギーだけで、2000両」とあります。
(出典、月刊the Locomotive、1925年11月号)
フランスに対しても似たような台数と想像されますが、総計台数は掴めません。
フランスはドイツ製合成弁機関車を評価し、その後さらに金を払って追加注文した気がする(出典忘れ)。
http://www.trainsofturkey.com/w/pmwiki.php/Steam/56901
↑の中の
http://www.trainsofturkey.com/w/uploads/Steam/est_5015_la_turque_audun_1927.jpg
↑は動輪径1250mmなのでG12とは違うと思いますが、
フランス西部鉄道で使われてるドイツ製、2-10-0、3気筒、合成弁です。
129名無しさん:2010/04/20(火) 14:36:12 ID:Y0VlxWFr
鈴木さん、その機種は一度トルコに輸出されて、その後フランスに転売された機種みたいですよ。

http://www.trainsofturkey.com/w/pmwiki.php/Steam/56901
130鈴木:2010/04/26(月) 11:43:57 ID:2Jecl+4S
http://pub.ne.jp/KC57/
KC57氏による弁装置の解説が始まってます。
131名無しの車窓から:2010/05/03(月) 10:57:48 ID:rh78f0dL
【民主党】の実績(たった7カ月でこれだけ実現)
●国家公務員の天下りあっせんを全面禁止
●子供手当支給
●生活保護の母子加算復活
●記者会見オープン化
●父子家庭に児童扶養手当支給
●公立高校生授業料無償化
●密約解明
●私立高校生年12〜25万円助成
●社会保障費年2200億円削減方針撤回
●基礎的自治体に事務事業の権限と財源を大幅に移譲
●医師不足に悩む救急や外科、産婦人科、小児科医などの診療報酬引き上げ
●国と地方の協議の場を設置
●全ての国直轄事業における負担金制度を廃止
●非正規労働者の雇用保険への適用条件を緩和
●原則として製造現場への派遣を禁止
●先進国では常識の農家へ戸別所得補償制度実施
●バリアフリー改修、省エネ改修工事などを支援
●分娩の公的助成
●肝炎患者のインターフェロン治療の自己負担限度額を月7万円→1万円
●自殺者が政権交代後減少中
民主党を誤解している皆様、考え方を変えてください。
132鈴木:2010/05/04(火) 19:37:02 ID:0ZaSPuR2
蒸気エンジンの弁を考えるのに、蒸気機関車のエンジンを例にとるのは、
本当は理解しづらいんですよね。
もっと原理的に、給気弁と排気弁を別個に動かす(自動車の内燃エンジン似ている)方法、
で説明する方が、入門者の場合に限っては解りやすいはずです。

機関車のスライド弁にせよ、ピストン弁にせよ、
機構を簡略化する目的で給気排気兼用弁を使ってるが、
理解しようと勉強する人にはこのシカケが逆に解りづらいです。
133C56隙:2010/05/08(土) 17:28:14 ID:tJqUxAFf
鈴木様&皆々様方。以下の件について私、C56隙と申します。土曜日の暇つぶし報告と疑問点について。

C56の後進時の速度制限について、具体的にどのようなものであったのか判りませんでしょうか?

後進に備えてテンダーの両脇を斜めに落としたC56ですが、現実にはテンダーは進路誘導の役目を果たしきれず厳しい速度制限が課せられたといいます。
しかし三江北線では後進の運用が昔から蒸気末期まであったと報告されています。
本日、三江北線について復刻版時刻表で調べました。山陰線江原から浜原終点まで50.1キロ。
単線で交換待ちや貨車の入れ替えもあることでしょうし、混合列車ではなく貨物専用の列車があった場合は知る術がありません。昭和17年のものですのでC56であることは確実です。
全7往復の上下旅客列車の所要時間で2グループに分けられました。速達グループは110分で走るところ、鈍足グループは140分前後を要しています。上下とも4本が速達、3本が鈍足です。
このグループの中間に当たる到達時間の列車が一本もありません。しかも到着時刻を追うと速達下り列車は鈍足上り列車になって折り返す運用が認められます。
これは不自然なことで、速度制限も絡めて機関車の向きが固定されていたと推察できます。しかし、ここで問題になるのは速達列車と鈍足列車の数が合わないという致命的な要素が・・・・!

昭和17年の三江北線の推定運用:大きな鍵括弧<>付きは速達列車(C56前進方向と推定) 奇数は浜原行き上り列車。 偶数は江原行き下り列車。
1日目: <浜田より前進方向で三江北線へ直通(301)5:03-6:48> →(304)7:16-9:26 →<(305)9:59-11:46> →(308)13:00-15:23 →<(309)16:26-18:11> →(312)18:20-20:03  →<(313)20:42-22:27>
2日目: <(302)4:41-6:28> →(303)6:51-9:03 →<(306)9:36-11:24> →(307)12:20-14:44 →<(310)15:30-17:19> →(311)18:25-20:44 →<(314)20:55-23:06 浜田へと直通>

どこが致命的かわかりますか?日付が変わる闇夜の浜原終点でC56の向きが変わっているんです!w。時刻表にない貨物列車が一往復あると助かるのですが。
朝、浜田方面から直通する列車と夜、浜田方面へ直通する列車はいずれも速達列車に含まれているところは説得力あるんじゃないかと思います。
さて、評定速度において110/140≒8割程度のスピードダウンをもたらしたらしい、後進方向の速度制限。
評定で8割ということは実際の制限はもっと厳しかったはずです。確実なところを誰かご存知ではないでしょうか?
134鈴木:2010/05/08(土) 18:40:37 ID:TtGnNgIR
>>133
残念ながら個々の機関車の運用実態は全くシロートなんで他の方にお任せします。
135C56隙:2010/05/08(土) 21:00:54 ID:tJqUxAFf
どうもです。
制限速度の類は、運転規則として局単位の通達を探さなくちゃ出てこないものなんですかね?
各線各区間ごとに形式別列車重量別に定められているような気がします。何橋梁は制限いくつとか。現代でも線路際の速度制限票を見ているとそんな気がする。
こういうのは運転に詳しい人から見れば一般常識なんだろうな。

C56背面運転区間ではそれに対応した速度制限標識が立っていたのだろうか?そういう類の標識が充実し始めるのは最近の話だろうか。

136名無しの車窓から:2010/05/09(日) 13:17:37 ID:WySeCVxI
ぐぐったら、日本の鉄道運転規則では炭水車つきの蒸気機関車の
推進運転時の速度制限は45km/hだそうです。
そのでんでいくとたぶん旧日本国有鉄道運転取扱基準規程も
そうだったのでしょう。板違い失礼。
137鈴木:2010/05/14(金) 08:30:33 ID:3pdJVr5q
スチブンソンやトレビシックが鉄道を発明したと勘違いする人もなかにはいるかも知れない。
荷車を使って道路で思い物を運べばぬかるみにはまるし、車輪自体も傷む。
道路を全面舗装強化すれば良いが、それよりも安い方法として、
車輪の通過するごくせまい部分だけ頑丈に舗装し、走行車輪はこの部分から逸脱しないようにすれば良い、
というのが鉄道の発明であり、初期には木や石、後には鉄が使われた。
http://www.ilsingtonparish.co.uk/tramway.htm
↑石の線路跡。
英国が多量の石炭を運ぶためにこの方法を採用したのは、機関車の発明より100年古い。
機関車発明までの100年間、石炭荷車と馬を使い、炭鉱から船着場までの短距離を運行していた。
(長距離運行は水運)
大きな炭鉱では大量の馬を必要とするが馬の餌代もバカにならなかったと言われている。

蒸気機関車の発明がスチブンソンでないのは確かで、トレビシックなのは確かかも知れない。
ワットが発明した大気圧蒸気エンジン(1気圧以下使用)に対して、
トレビシックは高圧エンジン(1気圧以上使用)による小型強力エンジンを実用化し、
これによって鉄道車自体に搭載可能な蒸気エンジンの道が開けた。
(ワットは爆発の危険を理由に終生高圧エンジンに反対した)
138鈴木:2010/05/14(金) 09:43:09 ID:3pdJVr5q
蒸気機関車発明にはもう一つ問題があり、それは
鉄の動輪は鉄のレール上では粘着力が持てない、という思い込みだった。
実際この思い込みがあったから、初期の蒸気機関車から
1、http://www.catskillarchive.com/rrextra/odcuri.Html
http://www.catskillarchive.com/rrextra/odcuri01.jpg
↑、Bruntonの機関車(構想だけかもしれないが)があったし、
2、William Chapmanの鎖を手繰る機関車は実際に製造された。
(レール中央に固定鎖を置いておき、車載エンジンでこの鎖を巻いて手繰ってはしる、動輪は無いが巻き取り機がある機関車)
3、http://www.locos-in-profile.co.uk/Articles/Early_Locos/Blenkinsop_loco.jpg
↑、John Blenkinsopのラック機関車も未だこの思い込みに影響された。
因みにこの機関車のラック駆動の特許はBlenkinsopだが、ボイラー関係は高圧エンジンの難しさを考えてトレビシックの協力を仰いでいる。
なお、Blenkinsopのラック機関車は使用期間20年を数え、歴史上最初の商売採算の合う機関車、という名誉位置を占めます。
これ以前の機関車はトレビシック製を含めて、実験や見世物程度の実力しか出せませんでした。

あと一つの問題として、そもそも蒸気鉄道のエンジンは車載でなく、線路脇に大型エンジンを定置し、ケーブルカー式に引くべきじゃないか?
という考えがあった。
この考えは、リバプール&マンチェスター鉄道の頃までもくすぶっていて、同鉄道も本線の勾配にケーブル区間があった。
当時1%以上は無理と考えられていた。
「locomotive engine」の元来の意味は
「定置エンジンでなくてエンジン自体が移動するもの」という意味です。
139鈴木:2010/05/14(金) 10:50:30 ID:3pdJVr5q
初期の機関車(リバプール&マンチェスター鉄道より古い機関車)は旅客用機関車ではない。
総て貨物用機関車であり、実はそれ以下の産業用機関車とか構内用機関車に近いです。
速度は10km〜20km/h程度だが、唯重い石炭貨車を安価に引くものです↓
http://www.locos-in-profile.co.uk/Articles/Early_Locos/Middleton_Painting.jpg
また自社の鉱山から船着場まで連絡すれば良いのだから、完全に独立した鉄道施設内しか走りません。
従ってゲージは各社まちまちであり、馬力鉄道時代からの技術伝統とか、英国内各地域別伝統によりゲージは使われてます。

人間交通はこんな低速短距離列車に便乗するほど暇ではなく馬車に乗った方が早いです。

初期の機関車鉄道は前述のように、構内用機関車程度だったのですが、
リバプール&マンチェスター鉄道というかなり長距離な馬車鉄道を敷設する計画があった時、
ジョージスチブンソンはこの動力に「蒸気機関車をも使用」を売り込み、認められます。
この鉄道は人間も運ぶ必要があるので、高速性を要求され、
ここで初めて馬車鉄道並に早い機関車鉄道が実現されます。
140鈴木:2010/05/14(金) 16:12:39 ID:oxLmqE9Q
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%9B%BD%E9%89%84%E5%89%8D%E9%80%B2%E5%9E%8B%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
↑、ウィキペディアに拠れば中国の前進型の最終製造は1988年、と書かれてます(総数4708両)。
私は>>1
「1970年代末?、中華人民共和国の蒸気機関車新製が終わり」
と書きましたが訂正します。
蒸気機関車は19世紀に由来のローテクなので
内燃エンジンや電気モーターが作れない環境なら、これはこれで十分使えるのです。
141名無しの車窓から:2010/05/15(土) 09:57:45 ID:MOkMD4Q0
>>133
「レイル」(月刊時代)に寺島京一氏の「ポニーは後ろに走れない」ってタイトルで
C56の逆行時に第3動輪が脱線しやすいことが指摘されてましたよ
142名無しの車窓から:2010/05/16(日) 18:07:19 ID:d53nFuei
ここは海外板だじょ。
143名無しさん:2010/05/20(木) 19:41:05 ID:XIgzLXZW
日本国鉄のC56は第二次世界大戦中に東南アジアへ全160両中第1号機〜90号機の90両がタイやビルマなどのインドシナ半島方面へ赤紙を貼られて出征しましたよ。
144名無しさん:2010/05/20(木) 19:56:12 ID:XIgzLXZW
ドイツの旅客用蒸気機関車のサイト

http://www.dbtrains.com/en/locomotives/epochII
145鈴木:2010/05/20(木) 23:28:13 ID:4e4EOixZ
東南アジアの話関連で、C56等、日本製機関車持込以前に走ってたハイテク機関車。
ビルマ。 勾配用にマレーとガーラット
タイ。 Baldwin製3気筒(2-8-2、4-6-2)、Hanover製3気筒(4-6-2)
マレー。 NorthBritish製4気筒ポペット弁(4-6-2)
フィリピン。 Kitson製メイヤー(2-6-6-2T)、Baldwin製3気筒(4-6-2)
インドネシア。 Alco製及びHonover製マレー(2-8-8-0)、Werkspoor製4気筒複式(4-6-2)、Honover製(2-12-2T)
146鈴木:2010/05/21(金) 11:52:22 ID:gQZLVsXm
>>145 「Honover」は間違いでした。
長く書けば↓
「Hannoversche Maschinenbau AG HANOMAG, vormals Georg Egestorff, Hannover-Linden」
「ハノーバー 機械 株式会社 ハノーバー、元ジョージ・エゲストルフ、所在地ハノーバー、リンデン」
147名無しの車窓から:2010/05/22(土) 21:21:59 ID:vBeLOEX0
タイのHannover製3気筒(4-6-2)の弁装置は何でした?
148鈴木:2010/05/22(土) 22:04:33 ID:11PIXP6M
世界で生産された蒸気機関車の総台数はどのくらいだろうか?
大雑把にでも解ればいいのだが、それでも中々むずかしいです。
米国に関してだと
Baldwinが70,000台以上(会社別では世界一と思われる)
Alcoが70,000台以上だが、Alcoは元々1901年に8社が合併して誕生した会社であり、この7万台は合併以前の8社の累計2,3000台をも含んでます。
そして米国の総生産台数は以上2メーカーと、他の群小メーカーと、鉄道会社自身が自作した台数、
を加えて175,000台の台数となります。
この内、輸出分は37,000台。

ドイツに関しては
http://www.werkbahn.de/eisenbahn/
↑のメーカー表からかなり把握できるはず。(まだ合計してないが)
Borsigなどは最終メーカーNoが16352となってるが、この中には機関車全体でなくボイラー単体での販売もごく僅かながら含まれてるかも知れない。
Henschelは最終メーカーNoが34357となってるが、この中には電気機関車もかなり含まれてる。

英国に関してはメーカーも鉄道会社自作分も多いし困難です。
ピーコック社が7,000台製造したのははっきりしてるんですが。
↓ http://www.enuii.org/vulcan_foundry/photographs/pictorial_loco_list.htm
バルカンファンドリーは6,280台のようです。
149鈴木:2010/05/22(土) 22:09:30 ID:11PIXP6M
>>147
http://white.ap.teacup.com/kotaroooo/356.html
ワルシャート装置、3セットです。
150名無しの車窓から:2010/06/05(土) 11:29:39 ID:TGxG1IGa
ここって炭水車についてもおk?

日本の戦時形機関車から採用された船底テンダー、
ルーツはアメリカの"Vanderbilt tender"であってるかな。
円筒形のタンクに炭庫を載せたようなやつで、南ア蒸機にも時々見られる。
完全に無台枠というわけではなく、端部にそれぞれ台枠らしきものアリ。
戦後のドイツも船底テンダー(Wannentender)を採用しているが、
これも端部に台枠らしきものが。
採用機関車はBR52が特に目立ち、戦時の粗悪な炭水車の改装と思われる。
一部BR38(元プロイセンP8)も採用していた模様。これは老朽化のため?
その他の新形式は通常の台枠つき平底タイプのよう。

テンダーは基本的には死重なので、どのように軽量化等がされたのか気になるところ。
また、国鉄にしてもC59の直線形状、なぜ背の高さを抑えていたのか?
というのも興味あります。
どうなんでしょうか>鈴木氏
151鈴木:2010/06/05(土) 15:50:53 ID:GGxHZaa/
日本の機関車は詳しくないんです。工学とかも苦手です。
回答にはなりませんが、以下でお茶を濁させて貰います。

バンダービルト以前の円筒形テンダーは在ったのか? と探しましたが、取りあえず見つかりません。
http://de.wikipedia.org/wiki/Schlepptender
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:52_4867_HEF_Wannentender_21092008.JPG&filetimestamp=20080922205324
↑のページ中ほどに拠ればバンダービルトテンダーは1901年 Cornelius Vanderbilt III の特許による、と書いてあります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cornelius_Vanderbilt_III
↑バンダービルトIII氏略歴、主な発明は円筒形コルゲート火室と円筒形テンダー
最初期の部類は1901年、Baldwin製、Illinoi Central鉄道、4-6-0、バンダービルト火室付き機関車。
バンダービルトテンダーは全長に渡る主台枠が有るように見える(はっきりしない)、2軸ボギー×2。

http://steam-locomotives-south-africa.blogspot.com/2009/04/coligny-town-centre-sar-class-19d-no.html
↑はNorth British、1948年製

http://hu.wikipedia.org/wiki/M%C3%81V_In
↑はハンガリー国鉄工場製4気筒複式

http://parovoz.com/newgallery/pg_view.php?ID=901&LNG=EN#picture
↑はソ連、完全な円筒形でなく半円(船底形?)。油燃料

http://www.onlinemodels.co.nz/Ab.htm
↑はニュージーランド。

http://www.cornelissen.de/images/vanderbilt_vor8.gif
蛇足で↑Cornelius Vanderbilt元祖鉄道王はこの漫画
152名無しの車窓から:2010/06/05(土) 16:49:02 ID:TGxG1IGa
>>151
回答どうもです。

主台枠はちょっとボケてたかも。
おそらくドイツはネジ式連結器のバッファのバネを収めるためのものか。
バンダービルトは中梁を底部に貫かせて強度を確保するためかもしれません。
国鉄でも一部がそうしているようです。
153鈴木:2010/06/05(土) 18:03:44 ID:GGxHZaa/
http://www.google.com/patents?id=CldFAAAAEBAJ&pg=PA1&dq=Vanderbilt&source=gbs_selected_pages&cad=1#v=onepage&q=Vanderbilt&f=false
↑は1904年付けですが、vanderbiltテンダーの特許が有りました。
154名無しの車窓から:2010/06/06(日) 10:14:58 ID:Vl5wPY/K
>>150
ヴァンダービルトテンダーは台枠に円筒形水タンクを載せたモノ
一方船底型テンダーは応力外皮構造(モノコック)で水槽自体が強度部材という
本質的な違いが有ります
ルーツは独の戦時型BR52(1942年)でしょう
155名無しの車窓から:2010/06/06(日) 10:29:11 ID:Vl5wPY/K
>>150
>テンダーは基本的には死重なので、どのように軽量化等がされたのか気になるところ。

英でやってた走行給水などはテンダー軽量化に有効な手段と思われ

>また、国鉄にしてもC59の直線形状、なぜ背の高さを抑えていたのか?

テンダーは一般的にエンジンよか重心が高いのであまり背を高くするのはイクナイと思われ
156鈴木:2010/06/06(日) 12:10:47 ID:Y5g2FIVD
>>151で書いた
ドイツwikiにリンクしたのテンダー写真
http://de.wikipedia.org/w/index.php?title=Datei:52_4867_HEF_Wannentender_21092008.JPG&filetimestamp=20080922205324
はバンダービルトでなく「Wannentender(浴槽)」テンダーの間違いでした。(陳謝)
>>154氏の説明が明確です。
157鈴木:2010/06/07(月) 23:26:31 ID:xPUbt+/7
http://www.drehscheibe-foren.de/foren/read.php?17,4839089
円筒形テンダーをつけた4-8-4
158名無しの車窓から:2010/06/16(水) 10:05:20 ID:AmXMHYx9
>>1
中華人民共和国の蒸気機関車新製が終わり...は1996年。
159鈴木:2010/06/16(水) 10:17:43 ID:LIogVAv7
>>158
ウィキペディアの前進は1988年最終製造と書いてあるので、
迂闊にも中華人民共和国の蒸気機関車は1988年最終製造と書いてしまいましたが、

「蒸気機関車新製が終わり...は1996年」
の出典のようなものはありますか?
160名無しの車窓から:2010/06/21(月) 17:25:17 ID:faX+YYUX
http://baike.baidu.com/view/860911.htmは「上游型蒸気機関車」の解説ですが、
このなかに、「在1988年我国幹線蒸汽机車停産後,仍継続生産至1996年」とあります。

つまり、1988年、幹線型蒸気機関車(建設型、前進型)の生産停止後、
上游型はなお継続して1996年まで生産された、という内容です。
他の出典でも、96年に生産停止と書かれているのですが、
実際には99年に生産停止が正しいと思います。

http://www.wikilib.com/wiki?title=%E4%B8%8A%E6%B8%B8%E5%9E%8B%E8%92%B8%E6%B0%A3%E6%A9%9F%E8%BB%8A&variant=zh-cn
現に、遼寧省で今でも使用されている上游型1771号機,1772号機は
1999年9月に唐山機車で生産されています。
http://1st.geocities.jp/hokuman_hailaer1/tentetsuki/china/loco/sy.html
161鈴木:2010/06/21(月) 17:56:33 ID:FWc6I4nC
>>160
ありがとうございます。1996年とで、本線用大型機を作っていたとは驚きです。
(1990年代とかは、仮にあるとしても、産業用小型機関車程度と思ってましたので)
162名無しの車窓から:2010/06/21(月) 22:35:22 ID:faX+YYUX
すみません。補足です。上游型蒸気機関車は本線用ではありません。
支線用、入れ替え用です。と言っても1500馬力でD51くらいの力はあります。
低速なら貨車50両以上牽引することもできます。

満鉄ミカロ型にほとんどそっくりのコピー機が最近まで作られていたという事実に驚きました。
163鈴木:2010/06/21(月) 23:09:58 ID:FWc6I4nC
>>162
図体が大きく、先輪もあるので、本線用と思ってました。
164名無しの車窓から:2010/06/25(金) 22:37:18 ID:PjwOhAUA
>>160
中国語版wikiでも「1999年製造の1772号機を最後に生産終了となった」と書かれていますね。
http://zh.wikipedia.org/zh/%E4%B8%8A%E6%B8%B8%E5%9E%8B%E8%92%B8%E6%B1%BD%E6%9C%BA%E8%BD%A6

話題は変わりますが、初期のキャメルバック(ウーテン火室採用前)の火室周りが良く判る写真です。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Baltimore_and_Ohio_4-6-0_camelback_locomotive_%28Howden,_Boys%27_Book_of_Locomotives,_1907%29.jpg
165鈴木:2010/06/26(土) 10:19:37 ID:epmY1egj
>>164
米国で家庭用ストーブ程度しか商品価値が無い、無煙炭を機関車で使うために開発された
Winans型火室。
大きな火床面積を確保するため、後方に延ばしてる。
後のウーテンより、この方が火室の熱変形に強いと思われたのではないでしょうか(推測)
引張力のテンダーへの伝達は火室側面の帯板が担当してるように見えます。
このような例は初見でした。
166150:2010/07/10(土) 22:37:31 ID:0/X3+wAG
>>153-157
亀ですが、情報どうもでした

中国蒸機に関して。前進型の原型って燃焼室がなかったらしいのですが、
やっぱり特に燃焼とか効率とか考えずにとにかく国産を急いだってことなんでしょうか
167名無しさん:2010/07/15(木) 14:30:47 ID:IZTDX/Ay
中国国鉄前進型に燃焼室が作られたのは従輪に軸重を軽減したかったか、もしくはD52を大量生産していた太平洋戦争中の日本みたいに制作費を安く上げるために(煙管を短くするために)燃焼室をつけたと思います。
168名無しの車窓から:2010/07/20(火) 21:32:51 ID:9a3+3UDz
>>166
前進型の原型は設計の古い露西亜釜なので燃焼室梨です

>>167
燃焼室は内火室の形状が複雑になるのとステイの本数が増えるので製造費は却って高くなります
169鈴木:2010/07/21(水) 00:09:41 ID:g2a9D2vt
前進とか詳しくないが、調べると
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%9B%D0%92
↑のWikiページ(ロシア語)はこのЛВがシナの前進型の原型、と言ってますね。
1952年製、台数522。
形式図では燃焼室は確かに無いです。

http://www.kurogane-rail.jp/zh2/qj276.html
↑に拠れば、シナ前進は、火床は第5動輪を避けて、後退させ従輪上に置くことで缶中心高さを低くしてる。
しかしこの長さのままで燃焼室が無かったら苦しそうですね。
一方ソ連のЛВは、火床は第5動輪上に置き、缶中心高さを高くしてしまってるが、その分火室管板を前進することで、
煙管長さを短く出来た(5150mm)ので、燃焼室を設置する必然性が多少減ったんじゃなかろうか?と是れは自問。

なお、ソ連製で燃焼室設置は
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%98%D0%A1
↑のИС、1932年製、649両他、若干の例があります。
170名無しの車窓から:2010/07/26(月) 00:23:37 ID:magRn452
現在、英国で新たな蒸気機関車開発の計画が進行中です。
The Class 5AT Advanced Technology Steam Locomotive Project
http://www.5at.co.uk/
171名無しさん:2010/08/02(月) 15:47:12 ID:TLZVPhXB
ポーランドの大型蒸気機関車はどうよ?
172名無しの車窓から:2010/08/28(土) 04:51:11 ID:5JkDnRJJ
ttp://www.picturechina.com.cn/bbs/thread-20575-1-2.html
1955年の豊沙線の開業時に撮影されたと思しき写真です。
中国接収後の9600形が写ってます。
173鈴木:2010/09/05(日) 19:54:01 ID:eOaJbuGp
http://www.sjtu.edu.cn/newsnet/jd85display.php?id=8999
C51に見えるが果たして正解か?
174鈴木:2010/09/16(木) 00:20:19 ID:GjoLOb9A
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:COLLECTIE_TROPENMUSEUM_Een_exprestrein_met_een_viercylinder-compound_locomotief_met_oververhitter_en_voedingsvoorwarmer_en_daarachter_een_tender_TMnr_10007612.jpg
インドネシアの1067mmゲージ、4気筒複式(オランダ製)
この機関車は戦後に至るまで長く活躍してた、と思います。
175名無しの車窓から:2010/09/16(木) 16:32:17 ID:kLPBoZU8
>>173
正解
176鈴木:2010/09/16(木) 23:17:36 ID:TI3jrzYC
>>175
ありがとうございます。
ピクトリアル、1956年6月号に拠れば、C51支那向けは16両。
「C5128」の銘板を付けたまま上海-南京線で使われてる写真が出てます。
177名無しの車窓から:2010/09/17(金) 12:57:52 ID:BXshp0k1
>>174
よく見つけましたね。

http://www.internationalsteam.co.uk/ambarawa/locos/C5317.htm

1920〜1922年に蘭Werkspoolで20両製作、動輪直径1600mmとのこと。
戦後の形式は奇しくもC53、ジャワ島アンバラワの鉄道博物館に展示してあるとか。

http://keretapi.tripod.com/history.html

を読むと、独立前の最速記録はこの旧1000形ではなく
もっと古い700形(後のC50、現存せず)によってもたらされ、
この4気筒機は失敗とみなされ単式2気筒に改造された、
と読めるように思いますが、あっていますか?
178鈴木:2010/09/17(金) 15:08:17 ID:p+Fc+doW
>>177
>この4気筒機は失敗とみなされ単式2気筒に改造された、
>と読めるように思いますが、あっていますか?
長文英語を全部読んだわけではないのですが、
「In fact, the 1000 class (・i>duizendjes・ was considered a failure, and had the Depression not intervened, the class would have been rebuilt into 2-cylinder simples.」
仮に↑の箇所だとすると、文の後半は
「この形式は2気筒単式に改作されていたらなぁ(仮定法祈願文)」
じゃないでしょうか?(実際には改作されてない) 私の英語は凡庸ですが。

http://www.internationalsteam.co.uk/ambarawa/locos/C5317.htm
↑は現今の展示状態です。70年代まで使用と書いてありました。
179鈴木:2010/09/17(金) 15:38:25 ID:p+Fc+doW
>>178のURLは直前既出でした。失敗。

http://picasaweb.google.co.jp/suzukikotaro02/20090318#5517764698699749746
↑にインドネシアの4気筒図を出しておきました。
180名無しの車窓から:2010/09/17(金) 18:15:27 ID:BXshp0k1
>>178
どうもありがとうございました。
狭軌なのに長く4気筒のまま使われたとは驚きです。
もし保存機を見れる機会がありましたら
下回りをよく観察したいものです。
181鈴木:2010/09/17(金) 23:42:46 ID:p+Fc+doW
http://www.trainweb.org/nzsteam/a_4-6-2.html
まぁ、↑も1067mmゲージ、4気筒複式だし。
182名無しの車窓から:2010/09/20(月) 21:54:53 ID:u1KS6jHg
http://www.lrpresse.fr/trains/viewtopic.php?f=5&t=35080
世界各国のアトランティック機を紹介、写真や図面多数。
183名無しさん:2010/09/27(月) 18:35:20 ID:Bstp5fGC
ペンシルヴァニア鉄道の蒸気機関車のサイト

http://prr.railfan.net/diagrams/PRRdiaglams.html?sel=ste&sz=sm&fr=

サンタフェ鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.railroadingonline.net/railroads/atsf/drawings/index.shtml
184名無しさん:2010/09/27(月) 18:51:31 ID:Bstp5fGC
185鈴木:2010/09/27(月) 22:44:40 ID:J4fsWAbb
>>184
このペンシーの2-10-4は形式J。1942年Altoona工場で初号機完成。
http://prrsteam.pennsyrr.com/images/j1_6454.jpg
歴史っぽく言うなら、1942年Altoona工場で初号機完成。台数は約57台です。

第二次大戦中の特例で他社の設計図が使用出来、
ペンシーはC&Oの2-10-4、形式T-1を基にこのJを作りました。
ペンシー標準と違い、非ベルペア火室、ベーカー弁、なのはその為。
http://www.rr-fallenflags.org/co/co-s3004lba.jpg
↑は基になったC&O、T-1

これらの組立図は多分"Locomotive Cyclopedia"に載ってるんじゃないだろうか?(不明)
1/87の精密外観図に関してなら
ペンシー、Jは
"The Locomotive Cyclopedia, volume 1"(最初に挙げたサイクロとは全然違う本)
C&O、T-1は
"Model Railroaders"の1970年代に載ってた。

なお、ペンシーは戦後、Jより大きな2-10-4をサンタフェから借りました。
http://www.columbusrailroads.com/prr%20santa%20fe.htm
http://www.columbusrailroads.com/photogallery/v-don-4-PRR-5022-CLMB.jpg
↑はペンシーの転車台に無理やり乗せたサンタフェの油焚き2-10-4
186名無しさん:2010/09/28(火) 00:11:57 ID:HCssRmhh
鈴木さん、米国で製造された初期の2-8-4型、2-10-4型機関車は動輪直径が160cmと小さかったために振動が大きく、あまり成功しなかったみたいですね。
納得のいく2-8-4型、2-10-4型が開発されたのはチェサピーク&オハイオ鉄道が175cmの大動輪を取り付けた2-10-4型蒸気機関車を開発してからといわれていますよ。
カナダの2-10-4型蒸気機関車の動輪直径は160cmしかなかったけどこっちの方はあんまり問題にならなかったみたいですよ。
中国国鉄は2-10-2の前進型を試しに2-10-4型に改造して試運転してみたら粘着重量が軽くなりすぎて空転ばっかりしたため、失敗に終わったらしいですよ。
187名無しの車窓から:2010/09/28(火) 00:15:53 ID:8BAd1p0Q
そういえばペンシーは火床が深くできる2-10-2よりもむしろ2-10-0をたくさん作ってますね
やはり従輪への軸重移動を嫌ったんでしょうか。
188名無しさん:2010/09/28(火) 00:24:57 ID:HCssRmhh
ペンシーの2-10-0は2-10-2などの従輪がちゃんと付いた機関車と違い、乗り心地が最悪で乗り続けたらぎっくり腰になるくらい乗り心地が悪かったみたいです。
それでも使い続けた本当の理由は粘着重量がきちんと確保できたからだと思います。
189鈴木:2010/09/28(火) 01:39:46 ID:s/lTu0jk
皆さん米国機に詳しくてタジタジです。

私が調べた年代順の主な動輪径は
1、Texisas & Pacific鉄道、Lima製、1925年、63in.(1,600mmφ)
2、C&O鉄道、Lima製、1930年、69in.(1,753mmφ)
3、サンタフェ鉄道、Baldwin製、1938年、74in.(1,880mmφ)
4、ペンシー鉄道、Altoona製、1942年、70in.(1,778mmφ)
です。

ウィキペディアさんの2-10-4記事は下記↓です。かなりの形式があるようです。
http://en.wikipedia.org/wiki/2-10-4#Railroads_that_owned_Texas_types
190鈴木:2010/09/28(火) 01:43:54 ID:s/lTu0jk
ウィキペディアに拠ればペンシーの2-10-4の台数は125台とあります。
>>185に書いた「約57台」は取りあえず訂正します。
191名無しの車窓から:2010/09/28(火) 23:27:59 ID:8BAd1p0Q
アメリカの2-8-4や2-10-4の殆どは従台車にブースターを付けている
……という偏見を持ってたりするんですが、正しいでしょうか
192鈴木:2010/09/29(水) 03:23:24 ID:JI8E4s4d
Locomotive Cyclopedia 1930年版の代表的機関車表を見ると、ブースター付きは
2-8-4、10形式の内9形式
2-10-4、3形式の内2形式
で確かに多いですね。
主なメーカーはFranklin Railway Supply社とBethlehem Steel社の2社だから、
広告か社史等で、この2社の製造数が解れば掴めると思いますが。

因みにブースターの有無を問わない米国の製造総台数は異説(やや少ない台数)もありますが、
2-8-4、750台(総て米国向け)。
2-10-4、450台(内30台は輸出向け)。
と、私はふんでます。
意外と少数です。
193名無しの車窓から:2010/09/29(水) 23:07:08 ID:mVNXAqnF
>>192
毎度ながら情報どうもです。
ブースターはマレーを嫌う保守的な鉄道会社が利用してたイメージです(脳内ソース)。
非関節式のハンデを少しでも埋めるための苦肉の策……とはいえ、中々合理的ですね
D51なんかもストーカエンジンを改造して取り付ければよかったかも
194名無しさん:2010/10/08(金) 14:45:14 ID:ySwpEuFC
世界で一番両数の多いミカド式(1D1型)機関車は1位がインド国鉄のWG型(2450両)で2位がフランス国鉄の141R型(1341両)みたいですね。
米国の鉄道界で一番両数の多いミカド式はUSRA(米国政府指定)の軽量級ミカドの1266両(レプリカ機含む)だそうですから。
195名無しさん:2010/10/08(金) 14:52:52 ID:ySwpEuFC
しまった!伝説の数字として軍国時代の日本が中国に導入したミカイ型機関車は2500両作られたという説があります!
2位が中国国鉄の建設型で3位が中国国鉄の上遊型だったと想います。

世界で一番多い1D1型機

伝説の数字:中華民国&満州国鉄ミカイ型:2500両以上?
1位:インド国鉄WG型:2450両
2位:中国国鉄建設型:2000量弱
3位:中国国鉄上遊型:1944量?
4位:フランス国鉄141R:1341両
5位:米国政府指定(USRA)軽量級ミカド:1266両(レプリカ機含む)
196名無しの車窓から:2010/10/10(日) 17:29:30 ID:0XT/1JXL
D51が総数1184輌だから、これにミカイも併せると……
資源小国の割に世界的に見てもかなり頑張ってたんだな。
197名無しの車窓から:2010/10/11(月) 01:21:23 ID:pRCl6iPG
歴史的には3気筒よりも4気筒の方が多く作られた……
狭軌鉄道に慣れると「えっ」てなります
198名無しさん:2010/10/12(火) 00:53:53 ID:LDvNfQOr
世界で一番たくさん作られた3シリンダーの蒸気機関車はドイツ国鉄の44型(ドイツ本国で1752両、ナチスドイツ管轄化のフランスで226両)みたいですよね。
199鈴木:2010/10/12(火) 01:37:27 ID:FUL2jKUs
http://de.wikipedia.org/wiki/DRG-Baureihe_44
↑ですね。
Wikiのページ中ほど
「 Die DB übereignete der französischen Staatsbahn SNCF als Reparationsleistung mindestens 291 Maschinen. 」

「DBはSNCFに対して賠償(第一次大戦)として少なくとも291台を引き渡した」
と読めるんじゃないかと思い、第一次大戦直後のフランスがドイツ3気筒を欲しがったんじゃないか?と想像してます。
200鈴木:2010/10/12(火) 01:41:35 ID:FUL2jKUs
あれ? ドイツ44型初年度生産が1926年?
第一次大戦後8年もたってまだ賠償やってたなんて、
>>199の書き込みはちょっと自信無くなってきました。
201名無しさん:2010/10/12(火) 12:21:59 ID:LDvNfQOr
ドイツ国鉄44型の1926年の試作機と1937年になってからの量産機は全くの別物だと思います
 
独国鉄44試作機 使用圧力14kg/cm シリンダー内径600mm×660o(3)

独国鉄44量産機 使用圧力16kg/cm シリンダー内径550o×660o(3)

1932年には使用圧力20kg/cm&複式4シリンダーの独国鉄44型の高圧力の試作機が2両作られました。
202名無しさん:2010/10/12(火) 12:28:14 ID:LDvNfQOr
ドイツが第一次世界大戦敗戦後にフランスに引き渡した3シリンダー機はプロイセンのG12(ドイツ国鉄58・10〜21型機)だと思います。
ほかにも敗戦国ドイツはフランスに賠償金の代わりにバイエルンのS3/6型気(ドイツ国鉄18.4〜5型機)ウェルテルブルグ州鉄道のC型機(18・1型機)が数量送られたという記録が残っています。
203名無しの車窓から:2010/10/12(火) 21:50:00 ID:tPCbI0w6
では44型に関してウィキペディアの対フランス賠償291台は
読み違えと言うことですか?
私も詳しいわけでは無いのですが。
204鈴木:2010/10/13(水) 21:57:17 ID:+lOtrW2I
>>203は鈴木です。
その後調べましたが、
フランスの大鉄道のPLMとPOの機関車表にドイツの44型2-10-0は見られませんでした。
と言うことは私の誤認かも知れません。
205名無しさん:2010/10/13(水) 22:00:55 ID:ka2iXoGC
第一次大戦後、ドイツ国鉄58.10〜21が大量に配属されたのはフランス東部鉄道みたいですね。
206名無しの車窓から:2010/10/13(水) 22:15:31 ID:HgpkArr1
既出?
ttp://www.ndl.go.jp/exposition/data/R/503r.html

ド・グレンかな
207鈴木:2010/10/13(水) 22:33:38 ID:+lOtrW2I
>>206
De Glehn の第一号機。
カプリングロッドが無いという点で、Webbの3気筒複式と似てます。
208名無しさん:2010/10/18(月) 15:05:05 ID:elUbZM+J
鈴木さん、米国の鉄道界で一番多く導入された大型マレー式機関車は4-6-6-4のチャレンジャー型(全252両)でその次に両数が多かったのはサザン=パシフィック鉄道の4-8-8-2のキャブ・フォワード型機関車だそうです。
209鈴木:2010/10/18(月) 16:48:40 ID:pljBUr7R
4-6-6-4の台数は
http://www.steamlocomotive.com/challenger/
に拠れば
「The Union Pacific Railroad would buy a total of 105 "Challengers"
and eight other railroads would use the other 147 of the total 252 that were built.
The Baldwin Locomotive Works built 27 of the 4-6-6-4s. The American Locomotive Company built the rest. 」
で252両。

"Model Railroader Cyclopedia1 Steam Locomotive"
に拠れば「230 or so」(230両程度と言う意味?)とありますね。
輸出機、鉄道会社以外の所有機、改造機などで数え方が変わってくるのかなぁ
210名無しの車窓から:2010/10/19(火) 00:49:31 ID:B6dnJak7
211名無しの車窓から:2010/10/22(金) 01:50:06 ID:38yMVkx7
>>199
ドイツ語はさっぱりですが、SNCFが出来たのは1938年ですから賠償云々は第二次大戦後の話ではないですか?
212鈴木:2010/10/22(金) 08:01:39 ID:oHPfFfHC
>>211
そういう可能性もあります
213名無しの車窓から:2010/11/05(金) 00:40:34 ID:0Z6e5D+X
鈴木へ伝言

268 :KC57 ◆KC57/nPS5E :2010/11/04(木) 22:48:47 ID:oHyrcA++P
正確に引用しないでそういうこと言う子は死ねです。

だそうです。
214名無しの車窓から:2010/11/06(土) 02:28:11 ID:ezY4qpEU
>>213
正確な引用もしないでそういうこと言う子は死ねです。
215名無しの車窓から:2010/11/06(土) 14:37:24 ID:XxpzKl7X
>>213
涙目糞馬力乙wwwwww
216名無しの車窓から:2010/11/10(水) 21:38:45 ID:aRn1E0yi
>>215
タコ弁当乙。
217名無しの車窓から:2010/11/10(水) 21:40:46 ID:qe6p9ed+
まーた、糞馬力が荒らしてやがんのか。
218鈴木:2010/11/28(日) 18:16:33 ID:4Mntvz69
219名無しの車窓から:2010/12/11(土) 23:34:16 ID:frqMkiLB
220名無しの車窓から:2010/12/14(火) 23:17:59 ID:0afzAO/j
満鉄マテイの写真、小さいながら発見……

ttp://www.age.ne.jp/x/dec/2600_mansyu/for-asia/08_sinkyo_matei141214_01.html
221名無しの車窓から:2010/12/15(水) 22:41:26 ID:8l51gp15
明治村の蒸気機関車の運行が19日で終了するらしい。
ttp://www.gifu-np.co.jp/news/kennai/20101212/201012120931_12406.shtml
222名無しの車窓から:2010/12/15(水) 22:51:36 ID:ZJ7WWEdl
明治村のSLと電車19日で休止 製造100年、再開未定
愛知県犬山市の野外博物館「明治村6件」の園内を走る、
136年前に日本初の鉄道として利用されたSL(蒸気機関車)
と100年前に製造された電車が、老朽化の調査のため19日限
りで当分の間運行を休止することになった。休止後、劣化状況を
点検するが、運行再開は「未定」(同村)という。いずれも、約1世
紀にわたり時代を走り続けてきた貴重な「明治の証人」。その雄姿は子どもからお年寄りまで、幅広い年代の人に親しまれてきただけに、休止を寂しがる声が広がっている。
 SLは2台。「12号」は1874(明治7)年にイギリスから輸入され
、日本初の鉄道となる新橋―横浜間で「陸蒸気」と呼ばれた。191
1年に尾西鉄道に移り、同社が名鉄に合併した後も57(昭和32)年まで使われていた。「9号」は1912年に富士身延鉄道がアメリカから輸入、後に日本鋼管鶴見製鉄所で使われた。客車は明治末期に製造され、秋田県の羽後交通雄勝(おがち)線を走っていた3両。
 電車は2両。1895(明治28)年に日本初の市内電車として開業
した京都市電で使用されたもので、1910年から11年にかけて製造された。
 1965(昭和40)年オープンした同村が、明治時代の乗り物を体験する動態展示物や園内の移動手段として、京都市電は67年、SLは74年から利用を始めた。線路はそれぞれ約800メートルで、乗り継げば村内を横断できる。
 休止後の見通しは、立っていない。安全運行が求められるた
め、同村では、「建物の補修とは大きく異なる。部品一つ一つを、期限を決めずに徹底的に調べる。もう一度走らせたいが、調べてみないと分からない。今後の維持が可能かも含めて、状態を見て判断したい」としている。

223名無しの車窓から:2010/12/16(木) 09:03:27 ID:YILtrRjX
ttp://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/infolib/user_contents/kiyo/111C0000001-60.pdf

蒸機とあまり関連性はなさそうだけど、>>218の論文と同じ作者の。またもすごい力作
224名無しさん:2011/01/04(火) 21:27:38 ID:1ozuZFHL
ヨーロッパの蒸気機関車のサイト

http://www.uqp.de/kopka/europa/motiv.htm
225名無しの車窓から:2011/01/05(水) 18:42:29 ID:IdyeWP2K
フランスの科学技術誌のアーカイブだが蒸気機関車の図面が多数含まれてる。
少々使い勝手が悪いがオンラインにしては大きな解像度の画像が見られるのでお勧め。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb328414188/date#
226鈴木:2011/01/05(水) 19:58:06 ID:0I+QBt+t
Portefeuille économique des machines, de l'outillage et du matériel
の雑誌名で1856年から1914年まで出てますね。
科学技術一般雑誌でも、当時に於ける機関車は工業先端技術だから期待できます。
取りあえず↓
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5688739d.image
1898年2月、p17(左段),p18(右段)、通巻506号、
北部鉄道、4気筒複式、4-4-0、

1898年の目次は12月号の↓のようです。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5711502t/f250.image.pagination
左下に「Locomotive」欄があります。
227名無しの車窓から:2011/02/03(木) 20:52:15 ID:NBXlbcT2
228鈴木:2011/02/04(金) 11:52:13 ID:Be0aq7AI
http://keretapi.tripod.com/steamroster.html
インドネシアに関しては、↑にほとんどの形式が載ってるから便利例えば

http://www.flickr.com/photos/42309484@N03/sets/72157625688438201/detail/?page=11
↑のE10 67 は表の中で、
E1061-67 1967年 Nippon Sharyo 製造番号2486-2492
日車最終期の蒸気機関車となります。

http://www.flickr.com/photos/42309484@N03/sets/72157625688438201/detail/?page=3
↑のC53は戦後まで活躍した4気筒複式。
SS 1001-1012 C5301-12 1920年 Werkspoor社(アムステルダム) 製造番号392-403
229名無しの車窓から:2011/02/04(金) 19:17:13 ID:N3m6hPYr
丁寧なレスどうもです
いつもながらお詳しくて敬服しますです

日本の車両メーカーが最後に作った蒸機って、確か三菱が
アルゼンチンの産業鉄道向けに作ってましたよね。
ポルタのリビルトで有名な2-10-2
230鈴木:2011/02/04(金) 22:12:54 ID:79m+jGu5
>>229
http://www.martynbane.co.uk/modernsteam/ldp/rfirt/santafes.htm
↑の新三菱重工製、アルゼンチン向け、750mmゲージ、2-10-2は1955年頃です。
その後日車がマレーや「E10」をインドネシアに輸出したはずです。
その後1970年頃川崎(実際にはかなりの部分を協三が担当?)が、カナダの1号機関車のレプリカを輸出したが
この辺になると、鉄道用と言うより観賞用に近くなります。
231名無しさん:2011/02/05(土) 21:23:03 ID:wXXi4ruZ
英国の蒸気機関車のサイト

http://www.railalbum.co.uk/
232名無しさん:2011/02/05(土) 23:22:08 ID:wXXi4ruZ
ポーランドの蒸気機関車のサイト

http://parowozy.net/parowozy/
233名無しの車窓から:2011/02/10(木) 01:20:39 ID:oiUUs/KT
>>230
E10って日本のE10と同じ奴?
234名無しの車窓から:2011/02/10(木) 02:18:22 ID:h6PGDiX6
>>233
>>228の0-10-0ラック式タンク機。とりあえずリンク先見れ
ちなみになんでC53やらE10やら妙に馴染みのあるような形式があるのかというと
日本統治時代に形式称号が改定されたから
235鈴木:2011/02/10(木) 03:30:50 ID:XFK/jPnr
インドネシアのE10は>>234の通りラック式です。
戦前のEsslingen(もしくはスイスロコ製)の戦後増備分で日車がコピー製造。
図面は日車の社史か何かにあったはず。
236名無しの車窓から:2011/02/25(金) 18:05:35.60 ID:jLFxOETq
インドのニルギリ登山鉄道向けにオイル焚きのラック式蒸機が新造中。
http://www.thehindu.com/business/article1102920.ece
237鈴木:2011/02/25(金) 20:42:41.15 ID:DVnJlnFl
238名無しの車窓から:2011/02/26(土) 13:24:47.00 ID:s4xpFr07
その「ラック式」とは、アプト式のような軌道の間の無限歯車を指すものではないですよね?
239名無しの車窓から:2011/02/26(土) 13:49:05.02 ID:ZUEbASp4
アブト式はラック式の中の一形式だよ。
240名無しの車窓から:2011/02/26(土) 13:54:40.40 ID:s4xpFr07
あ、自己解決パターンだ・・
インドネシアE10の写真の軌道の間に歯車がないもんだから勘違いしたけど
この機関車は車輪の間に歯車を持ってる、てことでFA?
241鈴木:2011/02/26(土) 15:05:55.60 ID:r/c/gF1b
http://keretapi.tripod.com/steamroster.html
↑のインドネシア表で「E10」の検索をお勧めします。
https://lh5.googleusercontent.com/_aEmgu_TVv6c/TWiPQyeVj9I/AAAAAAAAKSM/oFC893k-l-I/s800/img592.jpg
写真は↑。4気筒複式。高圧気筒=粘着、低圧気筒=歯車。
5%勾配に投入されたラック機(多分アブト式と思う)
4気筒とも同一寸法(450φ×520)。歯車直径は975φ。
メーカーはスイスロコとエスリンゲンだが、写真はスイスロコ製。
製造は1922年頃。

インドのニルギリ登山鉄道のは
https://lh5.googleusercontent.com/_aEmgu_TVv6c/TWiVuZMTV7I/AAAAAAAAKTU/ASk1dtyhl4s/img593.jpg
多分↑のスイスロコ、1925年頃製のコピーじゃないかと思うのですが、調べてない。
アブト式です。
242名無しの車窓から:2011/02/27(日) 00:31:42.86 ID:Gl2H++zd
アプト式はラックギアを3枚並べたタイプ。
243鈴木:2011/02/27(日) 01:52:59.67 ID:/jO4sfX1
アブト式以前に↓Riggenbach式(第1号はリギ鉄道、1871年)なるラックレール方式があった。
http://spz.logout.cz/uzke/de_zugspitz/zugspien.html

Riggenbach式に携わっていたRoman Abt氏が開発したのがアブト式。
Riggenbach式と違って
1、歯の列が2列又は3列で千鳥状に並んでるのでスムーズ
2、歯を切った帯板を二三枚ネジ止めしてるだけなので、敷設が簡単。
Abt式の第1号は多分ドイツのハルツ鉄道で、ここは歯列3枚でした。
国鉄の碓氷峠はハルツ鉄道のコピーなので歯列3枚です。

http://indiaadvices.com/Images/N/nilgiri-mountain-railway/Nilgiri-Mountain-Railway-a.jpg
↑、ラックレール用板が2枚のNilgiri鉄道の例

「abt式」の日本語表記は「アフ "ト式」と「アフ °ト式」の二種。
文部省と国鉄(だったかな?)の体面争いで二種に分かれてしまい、検索に不便。
244鈴木:2011/02/27(日) 02:01:08.91 ID:/jO4sfX1
>>243 のリーゲンバッハ写真は間違いにつき訂正します。
↓Riggenbach式はこれが正しいと思います。
http://en.wikipedia.org/wiki/Rack_railway#Riggenbach
245名無しの車窓から:2011/02/27(日) 23:33:46.96 ID:HvVEkD6X
http://www.youtube.com/watch?v=ERpDE4BhOjw

多分ペルーの3気筒機関車
246名無しの車窓から:2011/02/28(月) 20:07:57.48 ID:tbGFb0wX
弁装置は後置きのグレズリー式で砂
メーカーは何処だろ?
247鈴木:2011/03/01(火) 02:12:39.87 ID:QlG0+9fz
Baldwin Builders No.58884 a 1925 3-Cylinder meter gauge Pacific 4-6-2 runs often on the tourist steam railroad ABPF in ... Added to queue Engatando a locomotiva 338
248鈴木:2011/03/01(火) 04:45:15.54 ID:u91I8fGT
http://www.revistaferroviaria.com.br/memoriaferroviaria/locomotivas_sp/pages/Campinas_338.htm
多分この機関車。
機関車百科事典1930年版によれば、
「Baldwinは1925年に1mゲージ3気筒4-6-2をブラジルに2台輸出(写真等無し)」と書いてあるのが、
該当するんじゃないだろうか。
249名無しの車窓から:2011/03/04(金) 00:03:08.90 ID:+7TjWIgQ
探しているのですがよく分からないドイツの蒸気機関車について、ご存知の人
教えてください。
独立のシリンダを複数装備した急行用と思われる試作機があったとモノの本や
模型も見た事があるのですが、形式も詳細も失念してしまい、画像が見たいの
と、当時のエピソードが知りたいのです。
動輪が少し小さく、各動輪が連結棒で繋がっておらず空転が多かったとか
最高速度については少し低かったとか聞いたことはあります。
250249:2011/03/04(金) 00:04:10.51 ID:+7TjWIgQ
よろしくお願いします
251鈴木:2011/03/04(金) 02:31:09.14 ID:OLbeSAdp
http://2008-deep-blue.tea-nifty.com/blog/2009/10/19-1001-ek-verl.html
↑の本(未見)が一番詳しそうですね。
新製時の資料は、今探したが見つからないので、その後の話。

ドイツ敗戦時に車庫で発見され、米国が研究用に米持ち帰り、同時に
敵国技術展示大会として米国で一般公開した。
http://imagebase.lib.vt.edu/browse.php?folio_ID=/trans/nss/loco/for
http://spec.lib.vt.edu/imagebase/norfolksouthern/full/ns1660.jpeg
↑米国での写真
研究用として持ち帰ったが、蒸気機関車終焉の時代で、結局大して研究しなかった。

http://www.flickr.com/photos/dmclean2009/3828297586/
1951年頃未だ米軍の訓練用として残ってたようだ。その後まもなくスクラップ。
252名無しの車窓から:2011/03/05(土) 00:16:00.08 ID:GsqOz1Rh
スレチですけど、ちょっと教えて下さい。
どなたか台湾台東線のLDT100形蒸気機関車の
寸法データを知っている方おりますでしょうか?
ぜひ模型化したいのですが、現地に行く金もなく・・・。
253249:2011/03/06(日) 23:56:47.80 ID:oYF535/w
>>251さん
素晴らしい資料をありがとうございます。
設計上、最高速を出す機関車ではなく中速域の使用を中心とした機関車だ
とか、駆動輪が連携していないので空転するとそこだけに蒸気が使われて
しまうのが大きな問題とか、断片的な情報は入っていたのですが、形式名
が分からず難儀しておりました。ハイスラーも研究してたのですね。
本当にありがとうございます。
なんかすごくカッコいい機関車ですねえ
254249:2011/03/07(月) 00:02:47.83 ID:CHWkSzWo
>>251、鈴木さん
3つ目のアドレスの中にコンデンシングロコが写っていませんか?
255鈴木:2011/03/07(月) 02:58:20.63 ID:yeK1Z/Z4
http://spec.lib.vt.edu/imagebase/norfolksouthern/full/ns1657.jpeg
↑コンデンス式(52-2006)も米国が研究用に持ち帰りました。
http://www.kondenslok.de/frame.htm?/hen_dt5.htm
ドイツ語の長文ですが↑の下の方「USA, USTC」以下に米国拉致機の事が書かれてます。
米国に拉致する直前、米軍占領下のドイツに於ける当機の鮮明写真(運転手は米兵)がドイツの掲示板に出ていたのですが、
いつの間にかURLがつながらなくなってしまいました。

今解らないのは、拉致機関車の資料がNolfork & Western鉄道に残されてるのは、
Nolfork & Western鉄道がドイツ機関車拉致に深く関わった証左なのか? です。
既にあらかた蒸機→ディゼルに舵を取ってる米国で、
最後まで頑強に蒸機にこだわったのはNolfork & Western鉄道だったからです。(自社が炭鉱持ってたから燃料費タダ)
256249:2011/03/07(月) 04:19:19.29 ID:CHWkSzWo
貴重ですね。適切な言葉も無いです。ありがとうございます。
満鉄もコンデンシングのミカクを試作し、効果は高かったそうですが
正面の写真一枚が残るのみだそうで。前面写真は保存してあります。
257鈴木:2011/03/07(月) 04:54:13.19 ID:yeK1Z/Z4
台湾台東線のLDT100に詳しい人は出ないみたいですね
私も詳しくないが、日車製?
だとしたら、日車の図面集には入ってないのでしょうか?
http://homepage3.nifty.com/762mm/taitousen3.html
http://homepage3.nifty.com/762mm/img8801.jpg
↑1942年頃らしいのだが
258鈴木:2011/03/07(月) 05:53:45.52 ID:yeK1Z/Z4
米国送付直前のコンデンス機の貴重な写真があったドイツの掲示板を探してるのだが、
見つからない。この掲示板はちょっと古くなると、投稿が別のURLになってしまう。

http://www.drehscheibe-foren.de/foren/read.php?17,4897999
上はそのドイツのしょむない掲示板を探してる内ついでに引っかかったもの。
南アフリカが、
戦後ヘンシェルから買ったコンデンス機と、コンデンス廃止後の姿が出てます。
259名無しの車窓から:2011/03/07(月) 06:49:15.01 ID:nxbtdx3S
260鈴木:2011/03/07(月) 07:14:50.68 ID:+XeEVjE/
>>259
ゲッ!。驚きました。ドイツ掲示板と同じ写真が多数含まれてます。
ありがとうございます。
私はネットの知識無いから、端からドイツ掲示板を人力で3時間探して、今ダウンしたところです。
ご提示サムネイルの中から↓
http://griffincunningham.net/Griffin/MAIN/DSC00859.JPG
↑は52 2006の機関車番号が確認出来(所属は既にAllied Forcesに書き換えられてる)、これが米国に送られる直前の写真です。
http://griffincunningham.net/Griffin/MAIN/DSC00811.JPG
↑はコンデンス機のポンプか何かに凍結防止カバーを付けた状態と思います。

ご提示のサイトは米軍鉄道部隊の記録サイトですね。
ドイツ掲示板への投稿者はその鉄道部隊の関係からより鮮明な元写真を手に入れてていたんじゃないかと思います。
261名無しの車窓から:2011/03/07(月) 20:06:09.67 ID:Pn1diDVs
>>251のサイト・・・
蒸気モーターというより小型高速蒸気機関とでも言うべき?それとも書籍にそう書いてあったのかな
262名無しの車窓から:2011/03/07(月) 23:57:07.10 ID:K/q8vmZg
>>257
回答ありがとうございます。

機芸のナローゲージモデリングという古い本に載ってて、
1942年日本車両製、朝鮮鉄道900形と同形、
軌間762mm、動輪900mm、他車輪570mm、全長約14mとまで分かるのですが、
これだけのために、日車の図面集を買う勇気もなく・・・。
263鈴木:2011/03/08(火) 01:07:12.25 ID:VIDoYn1P
私は朝鮮や台湾の知識は無いのですが、
鮮鉄、900なら、日車の車両史、旧外地編に組み立図が載ってます。

台東線のLDT100と言うのは、台東線のLD50(LD501-LD507)と同じじゃないんでしょうか?
同書には別に「台東線のLD50」の組み立て図が載っていて、しかも
「台東線のLD50は鮮鉄、900と同じである」と書いてあるので。
台東線のLD50図は、大部分の寸法数値は字が小さくて、判読が大変です。
煙突高さ=3200, 缶中心高さ=1900
軸距離は判読間違える可能性があるので、図書館で閲覧してご自分で調べた方がいいと思います。
264鈴木:2011/03/12(土) 10:29:36.64 ID:Nh7lMDNp
http://histoire.trains-en-vadrouille.com/viewtopic.php?f=159&t=51183
色々流線型が写ってる。
フランスの鉄道歴史=蒸気機関車掲示板。
画像の右端が切れて表示されるのが多いのは困るが、
フランスの蒸気機関車写真探すには役立つんじゃないだろうか。
265名無しの車窓から:2011/04/07(木) 13:57:13.24 ID:exRsz5fY
http://www.douglas-self.com/MUSEUM/LOCOLOCO/russ/russrefr.htm
で紹介されているソ連の対向ピストン機ですが、鮮明な写真がありました。

http://parovoz.com/newgallery/pg_view.php?ID=296313&LNG=RU#picture
8001(1948年製造、蒸気ディーゼルハイブリッド)
http://railfanclub.spb.ru/photo/displayimage.php?album=25&pid=5479#top_display_media
ОР23-01 (1949年製造)
266鈴木:2011/04/09(土) 01:20:45.62 ID:4aTWJ2Rb
この機関車は
Паровоз ОР23-01
でググルとご提示済みのと同じ写真ですが、他にも出るようですね。

http://www.paravozoff.ru/articles/show/84
↑はこの機関車についてロシア語で若干解説してます。
1つの気筒内に於いて2つのピストンが対向して動いてる、と書いてます。
http://scado.narod.ru/catalog/r_p_or23.htm
↑にも若干。設計者はН.А.ТурикとМ.Н.Аникеев

図は見つからないが要目は
動輪、1500mm
気筒径、520mm
ピストン行程、645mm
缶圧、17kg/cu
蒸発面積、324u
過熱面積、184u
火床面積、8.2u
最高速度、90km/h
267名無しの車窓から:2011/04/13(水) 12:39:21.81 ID:u9YPmU8F
240年前の今日、Richard Trevithickが生誕したそうだ。
今日のイギリスのGoogleのトップページのロゴ↓
http://www.google.co.uk/logos/2011/trevithick11-hp.jpg
さすがは鉄道の国、英国だな。日本は普通のロゴだが。
268名無しの車窓から:2011/04/13(水) 15:30:58.50 ID:V4EXwqcY
グッドデザイン
269名無しの車窓から:2011/04/15(金) 22:57:52.77 ID:npcT0Qab
南三陸町の蒸気機関車が津波で流されてる
http://www.youtube.com/watch?v=CtdaYHqSXk4
http://www.youtube.com/watch?v=6gIXj9eMob4
270名無しさん:2011/04/18(月) 14:45:19.95 ID:+dDHUU+M
世界の蒸気機関車の金字塔的名機

1:オーストリア国鉄170型(1897年 1Dn2v)
2:プロイセン国鉄P8→後のドイツ国鉄38形式(1906年 2Ch2)
3:バイエルン州鉄道S3/6形式(1908年 2C1h4v)
4:パリ=オルレアン鉄道3501〜3590型(1909年 2C1n4v→2C1h4v)
5:ロンドン=ノースイースタン鉄道A4形式(1935年2C1h3)
6:日本国鉄C11形式(1932年 1C2h2t)
7:日本国鉄D51形式(1936年 1D1h2)
8:ユニオン=パシフィック鉄道「ビック・ボーイ」(1941年 2DD2h4)
9:ソ連国鉄P36形式(1950年 2D2h2)
10:中国国鉄前進型(1956年 1E1h2)


271名無しの車窓から:2011/04/18(月) 21:04:07.88 ID:buk3Mdzn
6から10はないないw
272鈴木:2011/04/18(月) 22:18:35.96 ID:oKcfaJL2
>>267
A. トレビシックの勲功は、
1、ワットの大気圧エンジン(1気圧)に対抗して、高圧エンジン(せいぜい3気圧?)の実用化。
大気圧エンジンは概ね3階建てビル程度の大きさになるが、高圧エンジン開発によって小型エンジンが可能になる。
これに拠ってエンジンの車両積載が可能になった。
同時に缶爆発の危険も背負った(溶け栓は彼が最初かも知れない)。
付帯的にエンジン排気の空中捨て(排気利用缶通風は彼の発明かどうか未確認)の機関車での優位性確定。
2、小型車載エンジンにより貨車を引く事の実際証明(以前は線路脇固定エンジンとチェーンで貨車を引く案が強かった)

B. トレビシックの出自はジョージスチブンソン(炭鉱労働者)より裕福だったが、蒸気機関車は3〜4台作ったのみで破産、
南米逃避するも食いつぶし、ジョージの息子ロバートスチブンソンに、みっともなく拾われて英国に帰れた。
南米では気圧の低い高地の鉱山エンジン技術に従事。帰国して見ると故国では既にスチブンソン機が活躍していた。

C. トレビシックの息子フランシスは名門ロンドン&ノースウエスタン鉄道技師長。
https://picasaweb.google.com/suzukikotaro02/20080601#5208376211251101970
英国標準ゲージ確定の際ブルネルゲージ(約7ft.)と争って1435mm高速機関車開発に意を注ぎ、
結果として英国標準ゲージ=1435mmとなった。
孫達は世界各地で機関車技術に携わった。

D. 日本にはトレビシック直系のひ孫の人がいて、英国トレビシック協会の会長をしていた(鉄道ピクトリアル、1971年4月)。
273名無しの車窓から:2011/04/23(土) 10:57:34.68 ID:71tQegM4
8900→C59
この間に下回りがどう劣化したんでしょうか?
274名無しの車窓から:2011/04/23(土) 22:19:59.80 ID:54lOUEFm
馬力は早く次スレ立ててくれ
275名無しさん:2011/05/14(土) 00:34:37.81 ID:KJD4gMb5
フランスの蒸気機関車のサイト

http://carot.chez-alice.fr/fer/fer.html
276名無しの車窓から:2011/05/16(月) 00:01:52.29 ID:hev0pvra
シャプロンの4-8-0、今でも通じるかな?
277名無しの車窓から:2011/05/27(金) 20:50:47.33 ID:3lFDmSP9
278名無しの車窓から:2011/05/29(日) 21:32:13.28 ID:gWwr6XUK
http://www.martynbane.co.uk/modernsteam/ldp/argentina/arg.htm

L.D.ポルタの処女作。
斜め読みしたが、
2 high pressure cylinders, 360mm diameter
crank axle had crank settings of 135°.

インドネシア4気筒よりもシリンダ・ボアが大きい。
279鈴木:2011/05/31(火) 02:30:21.86 ID:psuVCpjG
>>277
Gölsdorf氏の映った映画は初めて見ました。
ゲルスドルフ氏の事績は
  欧州に於ける5動軸機の開発(米国ではもっと古くからあった)
  複式機関車の単複切り替えをカットオフ量で強制的に決めてしまう
  ゲルスドルフ式過熱器(余り温度が上がらなかった)
  ゲルスドルフ式弁駆動装置(ベーカー式に近い)↓
   http://foto.arcor-online.net/palb/alben/64/811364/3335316236643263.jpg
あたりですか?
280名無しの車窓から:2011/06/17(金) 22:29:29.04 ID:v4RvHEzP
オーストラリアの急客機
http://www.youtube.com/watch?v=zpEweSAHXdg

気合の入った力走が燃える
281名無しの車窓から:2011/06/21(火) 18:43:33.41 ID:oA+s1oAf
大英図書館の蔵書を電子化 グーグル、25万冊
http://www.47news.jp/CN/201106/CN2011062101000054.html

対象が1700年〜1870年とあるので、蒸気機関車の関連資料の電子化に期待。
282鈴木:2011/06/22(水) 03:08:02.89 ID:vb58aY3r
1870年と言うとロケット号から40年たってるのですが、まだ古い、という感じがありますね。
マレー氏の複式は未だ登場してない。
勾配用フェル式機関車は既にあったような? 
狭軌用蒸気機関車の実用化(フェスティニヨル鉄道、約2ft.ゲージ)はしてたと思う。
ラムスボトム氏(ラムスボトム安全弁、走行中の水補給装置)は含まれてるはず。
巷ではスチブンソン弁やワルシャート弁やライディング弁やハックワース弁でワァワァ議論してるようだが、数式とか私にはむずかしい。
ジョイ弁のジョイ氏は1870年、と言うと未だかも。
米国関係では無煙炭使用機関車がこの辺りだった気がします。

日本の国会図書館も、デジタル化は進んでるんだが、
画像で再現してるんで、活字とか印刷が潰れちゃって判読出来ない箇所もあります。
283名無しの車窓から:2011/06/22(水) 17:08:21.74 ID:An802mtA
そういえばグーグルの電子化した図書ってもう閲覧出来るの?
284名無しさん:2011/06/24(金) 21:33:46.02 ID:ggWqrw+Y
285名無しさん:2011/06/24(金) 21:51:44.15 ID:ggWqrw+Y
286名無しの車窓から:2011/06/24(金) 22:04:49.72 ID:CQdjauqK
http://krc.gr.jp/library/jpmodernsl/jpmodernsl.pdf

タイトルで釣られ、執筆者の名前で噴いてしまった
287名無しさん:2011/06/24(金) 22:51:00.96 ID:ggWqrw+Y
288名無しさん:2011/06/24(金) 22:53:04.12 ID:ggWqrw+Y
289鈴木:2011/06/26(日) 02:48:50.07 ID:IbalUsui
>>288
URLだけの丸投げはできるだけなさらないように、エロサイトとの判別が出来ません。
見解も是非書くようにお願いします。

この雑誌に関する私見はいつか別スレに書いた気がします。
発行元はドイツでなく、オーストリアのウィーン。
1941年〜1945年がupされないのは、著作権の関係か?戦時中で内容がお粗末だったからか? 不明です。

内容は当時の、ファン向けと言うよりはプロ向けだが、
今現在のプロはこんな物読む必要ないから、今現在はファン向けと言えるでしょう。
結局(オレみたいな)ファンは捨てられた新聞のゴミ漁りかよ?とも思えてくる。
でも面白いのはしょうがない。
記事はオーストリアがやや多いが世界一般の機関車もかなり対等に扱われてる。
日本関係の記事は膨大な目次の中に2、3在った気がします。

同様な雑誌はドイツやフランスにも在ったと推測してるが、目下確認出来てません。
290名無しさん:2011/06/26(日) 15:23:40.46 ID:FAOna8Vp
鈴木さん、そのオーストリアが第二次世界大戦に巻き込まれてからのこの雑誌の内容は企業の広告ばっかりだったんです。
291鈴木:2011/06/26(日) 18:55:14.12 ID:rm/mV8y4
>>290
そうだったんですか?
知らなかったです。ありがとうございます。
292名無しさん:2011/06/27(月) 00:00:34.93 ID:rde0yvdx
1940年以降のバックナンバーが存在しないのはオーストリアが大戦に突入して編集者達が招集されたか雑誌作るにも印刷する紙が手に入らなくなったかの理由で雑誌そのものが休刊になったからだと思います。
293名無しの車窓から:2011/06/27(月) 02:33:23.45 ID:b9agabj+
さて、真っ正面から対立してますがはたして。
294鈴木:2011/06/27(月) 02:44:37.29 ID:B3RzSh+B
>>292
ウーン、ミステリーですね。
オーストリアの大型図書館に行けば解るのかも知れません。

因みに1940年以降のオーストリアのめぼしい機関車は
 1941年、2-12-2T、ラック粘着機、ウィーン機関車(Froridsdorfs)製
 1947年、0-4-4-0T、擬似ハガンス機、クラウス製、ボスニア向け
 1951年、ギーセル式長方形排気ブラスト開発
があったと思います。
295名無しの車窓から:2011/07/02(土) 00:08:43.87 ID:0jjAdjjF
米国以外では、ローラーベアリングはどの程度普及していたんでしょうか?
先進国の途上国向けの輸出機なんかには結構付いてそうですが
296鈴木:2011/07/02(土) 02:50:20.83 ID:ZgAyAdfr
http://www.google.co.jp/search?as_q=SKF+Locomotive&um=1&hl=ja&biw=872&bih=575&tbm=isch&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&as_epq=&as_oq=&as_eq=&as_sitesearch=&safe=images&as_st=y&tbs=ic:gray
「SKF locomotive」で検索かけたのが上記のページ。
かなりのSKF写真があるが、
この内良質な鉄道車両写真は、"SKF車両専門サイト"からのコピーと思われる。
で、今その肝心な"SKF車両専門サイト"のURLを紛失中。満鉄の流線形タンク機なんかが含まれてたと思います。
297名無しの車窓から:2011/07/02(土) 09:57:09.25 ID:0jjAdjjF
英国機ではブラック5の一部、ペパコーンA1の一部、BR7の殆ど、BR8ぐらいしか知りません……
どれもTIMKENだったと思います。

コンロッドのローラーベアリングは世界でも少数派なかんじ……
298鈴木:2011/07/02(土) 14:52:54.80 ID:nsqxzj5i
車両用ローラーベアリングの発信地が余り詳しくありません。
SKF(スエーデン)、Timken(米国)でOK?
これ以外にも貢献したメーカーはあったんでしょうか?
299名無しの車窓から:2011/07/02(土) 16:38:34.44 ID:0jjAdjjF
確か坂上茂樹氏が鉄道車両のコロ軸受けについて論文書いてたような気がしてきました
300名無しの車窓から:2011/07/04(月) 23:42:17.84 ID:A1Gc5wK2
今週はBSアーカイブスでSL特集
ttp://www.nhk.or.jp/archives/bs-archives/next/index.html
301名無しの車窓から:2011/07/09(土) 01:29:49.46 ID:Sum8la9+
英国機を中心に、19世紀中〜後期に製造された古典機の写真多数。
ttp://www.flickr.com/photos/hisgett/sets/72157626617067470/
302名無しの車窓から:2011/07/09(土) 09:37:30.39 ID:VGKZ9xw2
宮崎駿が泣いて喜びそうだ
303名無しの車窓から:2011/07/24(日) 23:00:41.31 ID:+LILJZL/
http://www.ndl.go.jp/jp/data/endl.html

国会図書館のデジタルライブラリ。
森彦三の機関車工学とかも読めるよ
304名無しの車窓から:2011/08/03(水) 00:07:00.32 ID:PTuSStHC
http://books.google.co.jp/books?q=editions:STANFORD36105001411201
機関車関連の記事で有名なEngineering誌がGoogleブックスで読めますね。
現在のところ1867年〜1890年の号が閲覧可能です。
305鈴木:2011/08/03(水) 00:58:24.69 ID:6fjJMy17
>>304
グレート サンクスです。
取り合えず1868年前半の内蒸気機関車関係は
3月、p239、"Locomotive for the Grand Trunks Railway of Canada"
3月、p265、"Tank Locomotive Engine with Hudson-Bissel Trucks"
3月、p283、"Railways and their Management" (フェアリー氏投稿)
5月、p414、"Locomotive Tank Engine for Lima" (ホーソン社製4-2-0T)
6月、p548、"Locomotive for Nova Scotia" (Fox, Walker社設計4-4-0)
6月、p577、"Locomotive Engine "Problem"" (2-6-0)
6月、p618、"Locomotive for the Madras Railway" (0-6-0)
6月、p628、"Counterweighting Engines" (内側気筒動輪のバランス)
以上の他に米国客車関係記事がチラホラ
306鈴木:2011/08/03(水) 01:11:34.83 ID:6fjJMy17
>>303
レス遅れてすいません。
森彦三の機関車工学は私も大部分デジタルライブラリからプリントして持ってますが、
印刷再現がゆるいので、弁装置の図解の読み取りがむずかしく、
ほったらかしたマンマです。
問題は当時の本の印刷の低レベルです。
森彦三の機関車工学の本自体はその後かせ現在に至るまでの
日本で出版された蒸気機関車本の中では最も優れてると思います。
何しろトレビシックの指導下最初の国産機製造に係わった人ですし。
307鈴木:2011/08/04(木) 19:56:42.09 ID:xLJImV7z
このEngineering誌は例えば45巻(1888年上巻)は
http://books.google.co.jp/books?id=rJlDAQAAIAAJ&printsec=frontcover&dq=editions:STANFORD36105001411201&lr=#v=onepage&q&f=false
↑だが、
そのp139(2月10日号)に
"Tank Locomotive : Imperial Railways of Japan"
の正面図と少々の説明文がある。

googleでは
p138とp139の間に割り込む形で
この2-4-2Tの大判組み立図を提示してる。
組み立図にページは無いです。

本機は"私の蒸気機関車史"に説明されてる
これはナスミス社、製造No.300-303、で
1886年に官鉄へ納入され
実際には日本鉄道で69, 71, 73, 75 として使用された分と考えられます。
日本最初のジョイ弁??
ナスミス社製造No.302はどっかで静態保存されてるかも知れない。
308名無しの車窓から:2011/08/07(日) 00:41:45.49 ID:8HfCNQTq
ttp://ktymtskz.my.coocan.jp/asakura/e0.htm

朝倉希一
「・・・それにつけても汽車に関する知識を普遍化して、正確な認識のもとに、
汽車の改良に関する適切な世論のできることを望ましく思うのである・・・」

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \・・・
309名無しの車窓から:2011/08/08(月) 00:36:52.49 ID:acDFVFE2
お前が言うな、という奴ですな
310鈴木:2011/08/08(月) 02:54:09.52 ID:hATSvFCl
>>308
upされてる一部を読んだだけなので断定はしないが、
久保田氏ほどは国鉄マンセーをしていない印象でした。
3気筒(C53)には言及していないのだろうか。
311名無しの車窓から:2011/08/08(月) 20:10:05.92 ID:FqhaLflK
主任設計技師を勤めた9600に対しては謙遜してんのか責任感じてないのか分からん
どこか他人事のような・・・。設計実務は太田がやったからもしかして実感が湧いてない?

まあ朝倉(島子もそうだが)は汽車の設計の仕事だけをしていたわけじゃないし、技術屋人生の中の一幕に過ぎないってことなのか
312名無しの車窓から:2011/08/09(火) 21:59:17.87 ID:wIvvShHk
ttp://commons.wikimedia.org/wiki/File:JHR_Dampfsonderzug_Wadi_Rum-Aqaba.jpg

ヨルダンの機関車。
各部のディティールから見て日本の輸出機っぽいね
313鈴木:2011/08/09(火) 23:21:20.20 ID:ed0VUkLh
>>312
http://www.internationalsteam.co.uk/trains/hejaz06.htm
↑でしょ。

http://www.internationalsteam.co.uk/trains/hejaz.htm
内に
「82 4-6-2 Nippon 1610/1953 」
と書いてあります。

朝日新聞"世界の鉄道 '62"にはNo.83を日本で撮影したややボケた写真がある。
重油焚きと記されているが、現在もそうなんだろうか?
314名無しの車窓から:2011/08/10(水) 00:29:24.35 ID:unArEvr7
まさか排気ナントカ室はついてないと思いたいが
海外向けということなら国鉄機では試せなかった技術(ロングラップ弁とか)試したのかな?
315鈴木:2011/08/10(水) 02:14:10.45 ID:XAx9EmeT
ヨルダン機に関して以下の2点は真偽の保障が全く出来ないが、
1、日本車両製としたら、日車のナントカとか言う図面集に図が載ってはいないだろうか?
2、本機はヨルダン以外の他国注文の注文流れだったような、気もする(資料無し)。だとするとアヤ付きだから、
日車のナントカとか言う図面集に載ってないかも。
316名無しの車窓から:2011/08/11(木) 11:26:16.91 ID:OZnAKwcc
ここで質問しても良いでしょうか?

国鉄の計画蒸気機関車KE50に関してのことなんですが。
317名無しの車窓から:2011/08/11(木) 13:50:42.94 ID:4Cm6Lmpj
>>315
日射の何とか、にはヨルダン ヘジャズ鉄道向けのタンク貨車の
説明文の中で「パシフィックタイプの蒸気機関車(タイ向けを転用し
オイル焚きにした番号81〜85)とともに納入」…と書いてある。
318鈴木:2011/08/11(木) 17:28:28.03 ID:u2oWOZdc
>>316
別に構わないんじゃないでしょうか。
国鉄の計画蒸気機関車の話が好きな人も居るかも知れないし。

>>317
ありがとうございます。多分それと思います。
典拠が見つからなかったもので。
319名無しの車窓から:2011/08/11(木) 19:39:10.28 ID:tFOCyUsR
>>317
それじゃあタイのD51そっくりパシの弟分ってことなのか

ttp://orion.math.iastate.edu/jdhsmith/term/sljdhjr.htm
これの80のようだ。
動輪径がインチで表されてるけど、およそミカイの径と一致
単なる偶然か使いまわしか
320名無しの車窓から:2011/08/11(木) 23:25:07.82 ID:4Cm6Lmpj
>>318

タイ向けの図面は昭和15年作図のが「日○…図面集」の
P166(機関車)、P167(テンダー)に載ってます。
短納期のため戦後製も戦前製と同じ設計によったが、
機関車のバルブギヤーの構造とテンダーの溶接構造化が
主な変更点である、との注記があります。
動輪径1372mm、過熱面積40.7平米、
全伝熱面積(蒸発面積と過熱面積の和)175.2平米などが
>>319 の数値とほぼ一致します。

図面と写真とでは、デフの有無、スポーク先輪(従輪は見えない)、
飾り煙突などの相違があります。

www.k4.dion.ne.jp/~dampf-lh/b~r~preserve11Hjz81-84.html
にはヨルダン大学に静態保存中の84号機のテンダーの写真もあり
重油専用となっていますが、見た限り図面と酷似しています。
321鈴木:2011/08/12(金) 21:18:18.95 ID:scIUktv2
敗戦後の日本がとても貧しい国で、何も売るものが無かった時、
機関車の輸出は外貨稼ぎで貢献したのだが、
今ではほとんど忘れなけりですね。
322名無しの車窓から:2011/08/13(土) 11:36:30.39 ID:F0VmOI/s
>>316の質問は何なの?
323名無しの車窓から:2011/08/13(土) 16:31:49.14 ID:ZvwlPVl+
多分これから入るレスを先取りしておくと
詳しくはキャンブックス「幻の国鉄車両」を嫁
324名無しの車窓から:2011/08/14(日) 00:17:05.13 ID:QhH1EI7j
KE50といえば思い出されるのが、戦前のEL用のジャンパ栓。
戦後には改良され、80系電車などの放送回路に使われた。

板違いなので、sage
325名無しの車窓から:2011/08/16(火) 16:21:25.70 ID:JY+pD6gE
KE50は実現したとして、足回りはどうせ史実のE10よろしく4110の劣化版だったろうし、
1250mm動輪は軸焼け頻発で現場からの声は「?」になると思われ
326316:2011/08/17(水) 20:03:29.44 ID:J8bp4YLu
遅くなりました。


>>322

>>323氏も紹介されている書籍の記事によると、KE50はD52とほぼ同じボイラーを用いた
より強力な機関車として企画されたようなのですが、しかし>>325氏のご指摘されたように
動輪直径がD52よりも小さくなっています。
しかしその一方、同じ記事の中で動輪直径が1250mmと表記されている箇所と
1400mmと表記されている箇所があります。

というわけで、3つの疑問が生じました。

質問1は
・1250mmと1400mm、どちらが正しいのか

質問2は
1250mmが正しいとした場合、D52やD51といった貨物用主力機関車との共通運用に差し支えるのではないか

質問3は
1400mmが正しいとした場合、D52とほぼ同じボイラーで成立するのか

というものです。

よろしくお願いします。
327名無しの車窓から:2011/08/18(木) 10:12:21.28 ID:yO9KWFnU
>質問2
動輪軸重を同一とするならば,E型機では粘着牽引力がD型より増加しますので,
粘着が見劣りする事は無いと思われる。
また1250mm動輪であっても,運用が重量貨物であれば常用速度はせいぜい
50km/h程度であり,軸焼け等のトラブルの可能性は低い。従って共通運用は
可能かと言えば可能でしょう。機構が違うので現場は嫌がるね。

E10のように投入線区と運用次第で期待はずれになる可能性も多分にありますが。。。

>質問3
ボイラ長との兼ね合いで,動輪軸重の配分が難しくなりそうです。

以上,私見です。
328名無しの車窓から:2011/08/18(木) 14:24:01.50 ID:VzOHCQ9d
>>326
A1.
諸元表中の1400mmは誤りで本文中と形式図中の1250mmが正しいです

A2.
共通運用が前提なら当時の情況であえて異形式とする必要はありません
329名無しの車窓から:2011/08/18(木) 19:26:04.28 ID:H86UOxWT
>>326
>>323本の筆者考察によるとKE50が現れなかった分史実のD52が無理をしたものと考えられるとのこと

>質問3
まともな重心設計をするなら煙管長6000mmになってC59戦前型のような駄目灌に
当然所期の目標を達成できず失敗に終わると思われ
330名無しの車窓から:2011/08/19(金) 17:00:16.52 ID:6DEEkmZz
>>328
A2の意味は,「共通運用なら,あえて異形式を生産する意義は無い」,という意味ですよね。

>>329
煙管は伸ばさず,燃焼室を1m位確保する方法なら行けるかも。ダメですか?
まあ,この時点でD52とは違うボイラになってしまいますが。
331名無しの車窓から:2011/08/19(金) 20:16:40.67 ID:4hE//sG2
>>330
KE50の缶は平たく言えばD52の缶より煙管が500mm長いだけのもの
もう1mも取ったらまた蒸発で熱を取られすぎて蒸気温度が上がらないとか
別の問題が発生すると思う
332名無しの車窓から:2011/08/19(金) 22:22:24.91 ID:SH0oRX1w
>>329
あのー、D52のボイラー(甲乙)は燃焼室1mなんですけど
333名無しの車窓から:2011/08/19(金) 23:42:11.72 ID:4hE//sG2
>>332
いちおー知ってて書き懇談ですけど・・・
1400mm動輪*5ならこれぐらいだろうとあてずっぽで
334名無しの車窓から:2011/08/20(土) 04:09:59.13 ID:IlbH0KF3
日本の在来線で5動軸だったら、フランジが無い動輪もできてたでしょうね
335名無しの車窓から:2011/08/20(土) 06:43:05.88 ID:s76hY2Jo
ところが4110はオールフランジ付き
336名無しの車窓から:2011/08/20(土) 08:16:15.00 ID:PHWSJ844
>>335
えっ!
337名無しの車窓から:2011/08/20(土) 22:11:11.84 ID:s76hY2Jo
両端動軸が横動するからいいの。
338名無しの車窓から:2011/08/20(土) 22:16:40.00 ID:LwwM3Tjx
原設計は第3動輪のみフランジレスだった気が
後年取り付けられたみたいだけど
339名無しの車窓から:2011/08/21(日) 02:10:12.10 ID:XosZsy/F
そういえば日本のD型機にも第4動輪が横動するのありましたっけ?
外国のは知らんけど…
340名無しの車窓から:2011/08/21(日) 09:55:36.36 ID:yOYi1qv1
9600もD51・D52もしますがな
D51・D52は規程のがれに1mmだけですけど
341名無しの車窓から:2011/08/23(火) 23:04:22.97 ID:xgsarHhM
ttp://en.wikipedia.org/wiki/South_African_Class_Exp_1_4-6-2

わずか一両のみだが、1907年の3気筒"複式"機
ゲージは3ft 6in
グレズリーがどうこうするよりずっと早い!
342鈴木:2011/08/24(水) 02:13:17.75 ID:5PiHRONa
3気筒の歴史はこんな所かな? と。

1847年、最初の3気筒、ロバートスチブンソン社製、4-2-0
1882年、最初の複式、L&NW鉄道、2-2-2-0、Webb式
1892年、最初のドイツ機、エスリンゲン社製、0-10-0、クローゼ式
1892年、最初の米国機、スミス設計、エリー&ワイオミング鉄道、多分2-6-0
1889年、最初のフランス機、2-6-0、NORD鉄道、
1914年、最初の合成弁、バルカン社(ドイツ)製、4-6-0
1918年、最初のグレスレー弁(合成弁)、GN鉄道、4-6-0
間違ってたらよろしく。

なお最狭軌3気筒は
1927年、3ft.ゲージ、コロンビア政府鉄道、ベルリナ社(独)&サンピエル社(ベルギー)、4-6-2
と思われます。
343名無しの車窓から:2011/08/24(水) 21:14:31.77 ID:f8VM6zxD
> 1927年、3ft.ゲージ、コロンビア政府鉄道、ベルリナ社(独)&サンピエル社(ベルギー)、4-6-2

これはアウトサイドフレームですか?
だとしたら3ft6inないしメーターゲージよか楽ではないでしょうか
344名無しの車窓から:2011/08/24(水) 22:07:19.30 ID:EA5ogYJ9
>>343
コロンビアの蒸気機関車を調べてみると、外側台枠が主流のよう
多分推測の通りになっていると思う
345鈴木:2011/08/25(木) 01:15:09.63 ID:QriYCMJR
>>343
外側台枠です。
南米のFerocarril del Pacifico鉄道。

Berliner Maschinen Fabrick(Schwarzkopff、ドイツ)製は
機関車番号48
内側弁を動かす元の動きは、第3動輪右(外側)と内側クロスヘッドから

Heine-St.Pierre(ベルギー)製は
機関車番号47
内側弁を動かす元の動きは、外側気筒弁の後ろで水平に動く合成弁

http://www.banrepcultural.org/blaavirtual/publicacionesbanrep/boletin/boleti5/bol21/momento.htm
↑のページ後半に解説あり(スペイン語)
同鉄道はその後、3気筒4-8-0(メーターゲージ?)をBerlinerから買った。

設計はDewhurst技師(英人)。彼は戦後、Newcomen Society(英国産業史研究会)の幹部になった。


3気筒で内側台枠で、最狭軌と限定すると、
タイのハノーバー製メーターゲージがあります。 ↓
https://lh3.googleusercontent.com/--OixYbdKV2g/R-IMHU-bCoI/AAAAAAAACTc/FxVrys54hkg/s720/File1428.jpg
https://lh3.googleusercontent.com/-ewT2_y8NwQg/R-IMGU-bCmI/AAAAAAAACTM/IBJR2OvHhfM/s720/photo.jpg
タイは他にBaldwin製3気筒メーターゲージも買った。
346名無しの車窓から:2011/08/25(木) 07:06:48.12 ID:gR39lnVp
>>345
タイはハイテク機関車多いな
日本が持ち込んだC56やC58がかすむかすむ・・・
347名無しの車窓から:2011/08/25(木) 10:24:24.71 ID:7lSmh/1r
でもハイテク機はサンプル輸入程度にとどまって
主力にはならなかったのでしょう?
進取の気性にはひともく置くとしても。
348氷上の名無しさん@実況厳禁:2011/08/25(木) 13:24:27.13 ID:f5l0Nhyu
工場長のお弟子さんでっか?
349鈴木:2011/08/25(木) 17:49:58.77 ID:0zzoXRnp
アジアの「ハイテク」に関しては
タイには他にレンツポペット弁の0-10-0(ハノーバー製)があった。
マレーシアにはグレスレー3気筒の4-6-0があったし、4-6-2回転ポペット弁もあった。いずれもNorth British製。
フィリピンにはBaldwin製4-6-2、3気筒があった、キットソンメイヤー式2-6-6-2もあった。
支那にはAlco製巨大2-8-8-2があったし、SKFベアリング機もあった。
インドにも回転ポペット弁(カプロッチ式?)があった。
要するに日本国鉄の影響の無い場所なら、どこにでも「ハイテク」があったわけだ。

これらの物の中には試験機で終わったものもあるでしょう。
しかし、試験機はいずれ誰かが作らなければならないものだし、
試験機10台作れば1台くらいは当たるわけどしょ。

問題は自から、高くつく試験機作るより、
他人が試験した物の内いいものだけを選んで作れば、
進歩は5年遅れても金はトクする、と考えていた事でしょう。
この固い商売方法が有利か不利かは私にも判断つきません。
350名無しの車窓から:2011/08/25(木) 19:56:16.13 ID:gR39lnVp
>>347
某国の場合
マレー:
まとまった数を導入するも大して使いこなせず

3気筒:
劣化コピーで大量生産するも使いこなせず
オリジナルは大した問題がなかったものの
散々パクった割にああだこうだ言って入れ換え用に回す

国産志向の有無もあるっちゃあるが
いちおう海の向こうの国はしっかり使っていたわけで・・・
351名無しの車窓から:2011/08/27(土) 17:09:57.76 ID:rHfHMBbB
>>342
ttp://thierry.stora.free.fr/english/pgal_hist.html
フランス最初の3気筒は多分1887年の2-6-0
352鈴木:2011/08/28(日) 04:36:29.38 ID:vQmpuTO2
>>351
1899年頃のパリ博覧会で展示されたので、「1899年」と書いてしまいましたが、
製造(実際は既存機の試験改造と聞いてる)はお話のように1897年が正しいようですね。
この博覧会でNORD鉄道は
タンデム4気筒複式とde Glehn4気筒複式とこの3気筒複式を出品したのだが、
結局de Glehn4気筒複式が標準となり、この3気筒はこれで終りになりました。

https://lh4.googleusercontent.com/-kuhB7LDjgJY/TllAAsmgLCI/AAAAAAAAKUY/C3h3lctz2lY/s720/img887.jpg
↑ですな。
気筒下にある中央気筒弁は原理は「Meyer valve gear」と似てるがもっとややこしい二重弁で、
カットオフ制御は前後にずらすんじゃなくて、左右にずらすものであり、「Bodmer式」と書く本もある。
正確な動作説明は私は解りません。
353名無しの車窓から:2011/09/04(日) 01:51:28.44 ID:4YbeKtol
>>352
Sauvage式でしょうか? 標準的な機構にはならなかった割に
その3気筒機は長らく使われ続けていたようですね

英国ではミッドランド鉄道の4-4-0がLMS統合後もたくさん・・・
354鈴木:2011/09/04(日) 02:29:49.25 ID:mWrIC5kr
>>353
この機関車は確かにEdouard Sauvage氏製作です。
長らく使われたかどうかは解りません
355名無しの車窓から:2011/09/04(日) 05:01:51.22 ID:s/wegNUG
スレチかもしれませんが、
華北交通で使用されていたC51の戦後の姿をご存知の方いらっしゃいませんでしょうか。
356355:2011/09/04(日) 05:08:57.35 ID:s/wegNUG
失礼、先のスレのは華北じゃなくて華中鉄道でした。

C51に限らずほかの日本機の消息も気になります。9600の成れの果ての画像(海南島)は見たことあるのですが……。
357名無しの車窓から:2011/09/04(日) 07:31:02.06 ID:2R+ljbAN
>>355
米誌Trainsに小さな写真が載ってたが何せ当時は竹のカーテンの中だったもので

>>356
9600の一部はメーターゲージに再改軌され昆明あたりで使われてた
華北のC12の一部はベトナムに渡って最後は製鉄所で使われてた
ともに20世紀末に現地で写真撮った人が複数居ます
358名無しの車窓から:2011/09/04(日) 10:32:50.00 ID:mWrIC5kr
日本機に詳しくないし大した情報も無いが、
1、1956年6月p6、"悲劇の機関車"、今村潔(筆)
  2ページ量で国鉄→支那の機関車各形式について書かれてます。
  その中で「内閣情報局発行の写真週報に供出機の船積および現地の写真を発表」というクダリがあります。
  また今村氏の記事中にC5128の正面写真が小さいながらあります。
2、https://lh3.googleusercontent.com/-j-lPFQNJC7U/TmLUkI4IFmI/AAAAAAAAKUk/qWuj_UNWiP8/img888.jpg
  揚子江フェリーか? 9600そっくり
3、香港の鉄道ファンクラブ公式サイトの歴史ページにC51の上半身の鮮明な写真があったがURL亡失。
  学生運動がC51占拠してワッショイやってるような写真だった。
4、9600は支那の博物館で静態展示されてるので、良い写真がかなりHPで見られる


支那は各国製造の機関車の展示会の趣があり、私自身はそっちに興味が。
思いつくだけでも、
米、英、独、ベルギー、チェコ、ポーランド、仏、日本、支那があり、さらに
ソ連もあったんじゃないだろうか?
359名無しの車窓から:2011/09/04(日) 11:48:49.07 ID:mpfkkCT0
>>172に豊沙線の開業記念列車を牽くKD5の写真がある
360名無しの車窓から:2011/09/04(日) 16:50:42.15 ID:s/wegNUG
>>357〜359
早速ありがとうございます。
博物館に保存されてる9600の写真を見てきましたが、中国仕様のキューロクもあれはあれでなかなか……w

私は以前、樺太帰りのD51が保存(放置?)されてた北海道某所に住んでいまして、
日本で走ってたD51とは違う趣のそれを何度も見るうちに海外仕様になった日本国鉄のカマに興味を持ったのですが、
樺太然り中国然り、なかなかそれらの写真に巡り合えなくて(台湾のC12なんかは有名ですけどね)歯がゆい思いをしていたところでした。

>ソ連もあったんじゃないだろうか?
ソ連製の中国機というと友好型とかがあったような……。
361名無しの車窓から:2011/09/04(日) 19:01:15.43 ID:x9mr+gb7
1945年〜1949年、蒋介石政権下の支那に於いて、最も台数が多いのは日本製と思われます。
貢献度の順に
1、MK-1、2-8-2、日本名ミカイ、500台以上
2、MK-6、2-8-2、日本名ミカロ、旧満鉄と合計で359台
3、PF-6、4-6-2、日本名パシロク、100台
4、C-5、2-8-0、(1067mm版はD96)、日本名9600、数100台
「以上の内、9600型のみは強度に難があり、幹線に不向き」と或る中国人技術者が言ってます。
ま、元国鉄機はゲージ拡幅改造機だから、ハンデは背負ってるか?

1949年時点で最も期待されたのは国連援助の2-8-0、米国製、160台。何と言っても新しいし。
362名無しの車窓から:2011/09/05(月) 20:19:19.94 ID:1+bzieZ4
>>361
原設計で既にヤバい9600のバランシングで標準軌化なんぞしたら・・・ガクブル
まー元は狭軌だったし、仕方ないとは思うなあ
363鈴木:2011/09/05(月) 23:37:26.46 ID:e4ERWjMQ
>>361
他は何もせず、単にゲージだけ変える場合、
9600の如きクロスカウンターバランスの場合、カウンターウェイトを
ずらす角度も、重量も、変えなければいけないはず。
と言う意味なんでしょうか。

もっともクロスカウンターバランスの計算法自体私は解ってないので、
示唆して頂いても無駄かも知れませんが。
364鈴木:2011/09/06(火) 05:18:13.01 ID:giOjCItu
>>363訂正します。
×>>361
>>362
365名無しの車窓から:2011/09/06(火) 08:11:56.85 ID:3xySoycC
>>362
標準軌化したところで運転速度が狭軌と同等以下であれば問題梨

>>363
9600は動輪が小さくロッド類が重いため回転部質量を釣り合せるのが精一杯で
往復部質量は全く釣り合せることが出来なかったと武士道博士の回想にあります

あとクロスバランス量はゲージが広くなるほど小となるから理論上は兎も角
実用上は支障ないはず
366鈴木:2011/09/07(水) 23:06:38.40 ID:Y3PhwQxq
>>365
もし動輪が小さ過ぎて、バランスウエイトの設置場所が無い場合、
バランスウエイトを動輪面だけに付けるのでなく、
足りない分は台枠内側の車軸に取り付ける例が米国にありました。

>クロスバランス量はゲージが広くなるほど小となるから理論上は兎も角実用上は支障ないはず
なるほど、ありがとうございます。
367名無しさん:2011/09/08(木) 17:40:36.52 ID:W0ImZfYf
米ペンシルヴァニア鉄道の蒸気機関車

http://en.wikipedia.org/wiki/PRR_H6

http://en.wikipedia.org/wiki/PRR_H8
368名無しの車窓から:2011/09/08(木) 18:18:54.95 ID:HSM97Lk8
>>355-360
確かttp://homepage2.nifty.com/QJSYJ/Book.htmの中にある「中国蒸汽机車」によればC51は解放後SL9型になって1980年代末期まで使われたと書いてあったはず
今は出先なのでもう一度帰ってから確認して見ます
なんか浜松工場で改軌したと中国語で書いてあった

他にもどう見ても中国のプレートではなく鉄道省(日本の)のナンバープレートを付けた写真が何枚かあった
369368:2011/09/09(金) 04:07:01.48 ID:+gFPxIzd
帰宅して例の本を確認した所
(日)9600→(中)KD5・KD55
KD5216 382 KD55538 539 583の写真と79626のプレートを付けた日本時代の写真が記載
(日)D50・9900→(中)JF16
日本時代の9903?のプレートを付けた写真が記載
(日)C51・8900→(中)SL9
日本時代の28921のプレートを付けた写真が記載
浜松工場で改軌と記載
(日)C12→(中)PL51
写真の車両は日本時代のプレート(C12121)と正太鉄路の表記が両方記載
(日)9050→(中)KD51
日本時代の9070のプレートを付けた写真が記載
(日)2920→(中)PL52
写真の車両は日本時代のプレート(2921)と正太鉄路の表記が両方記載

正体不明の車両?
8620型と思われる日本のプレートを付けた車両がMG型(写真の車両のプレートは78625)となっているが8620の中国供出車両は無かったはず?
当該車両は戦後九州にいたはずが例の本では華北交通にいたと記載
何故か台湾のDT650の解説の形式名称がDT650とJF51の両方記載

ISBN7-113-04148-5
中国鉄道出版社(2001年)
370名無しさん:2011/09/09(金) 21:25:13.50 ID:mkuPrxSu
英ベイヤー・ピーコック社の蒸気機関車のサイト

http://www.martynbane.co.uk/extras/bp-catalogue/slides/page12.html
371名無しの車窓より:2011/09/10(土) 16:17:33.02 ID:qHAdBRDa
↑ コレはカタログの各ページをスキャンしたものです
372鈴木:2011/09/10(土) 20:59:16.69 ID:a6XSgFYp
Peacock社は最初から機関車メーカーとして設立。1855年、初号機製造。
設立時の重要メンバー、
Charles Frederick Beyerはシャープ社出身。
Richard PeacockはManchester & Sheffield鉄道出身。
工場はGorton。英国だが、場所知らない。

1889年の従業員数は1866人
(Neilson社3275人、Dübs社2017人に次いで3位。

最終製造蒸気機関車は南アフリカ向けガーラット(2ft.ゲージ)、製造番号7862あたり、1958年だろうか?
その後1962年頃まで僅かなディゼル機を製造。

いくつかの技術
1、英国の割にはラック機関車を多く作った。
  ドイツ、ザクセンのHerman Ludwig Langeの持つラック機構の特許を持っていたから。
  Beyerが以前、ザクセンで仕事をしていて、その縁らしい。
2、スエーデンの特許を使ってユングストロームタービン機(復水式)を1両試作。
  オーストラリアの乾燥地向けを狙ったが試作に終わった。
3、ガーラットの英国内独占製造権を持ち、多数作った。
  他の欧州大陸製ガーラットを数で圧倒している。
4、ガーラットの付属品だが「セルフトリミングテンダー」なる奇抜な回転式石炭前送り装置
373名無しの車窓より:2011/09/11(日) 07:05:57.98 ID:0eoG1X0N
ゴートンはマンチェスターの東郊
374鈴木:2011/09/11(日) 10:03:20.41 ID:JBOu98Fb
>>373氏 どうもです。
Manchester, Sheffield & Lincolnshire 鉄道運転手出身のPeacock氏は
この鉄道で1854年まで技師長をしてたのですが、
このSheffield鉄道の筆頭工場がGorton にありました。
この工場は自社鉄道用機関車も製造してました。

もしかしたらSheffield鉄道の工場の一部がそのままPeacock会社として独立したのかも知れませんが、
これは裏づけを持たない私の想像です。
なおPeacock会社のGorton工場は1966年閉鎖。
375鈴木:2011/09/11(日) 10:06:14.28 ID:JBOu98Fb
>>374
「もしかしたらSheffield鉄道の工場の一部がそのままPeacock会社として独立したのかも」
↑は私の考え過ぎですね。
376名無しの車窓より:2011/09/11(日) 16:52:17.94 ID:0eoG1X0N
MS&LRはのちグレイトセントラル鉄道となりますが主工場は依然としてゴートンです
BPのゴートン工場はこれと本線を挟んだ隣接地にありました
377鈴木:2011/09/11(日) 17:08:36.69 ID:m9eyzUJT
>>376
ありがとうございます。
英国の多数の鉄道会社が次第に少数に統合されて行く道筋は中々解りにくいです。
グレイトセントラル鉄道と言えば、有名な都市通勤用3気筒機作った鉄道で
やっとさ解ります。
http://en.wikipedia.org/wiki/GER_Class_A55
378名無しの車窓から:2011/09/13(火) 18:10:26.74 ID:Jlu0Z5eP
鉄道総合板の蒸機スレが立ちましたね

蒸気機関車の技術を語ってみる。Part02
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/train/1315879439/
379名無しさん:2011/09/13(火) 18:50:27.00 ID:LJCSlwvn
ニューヨークセントラル鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.rr-fallenflags.org/nyc/nyc-eng.html
380名無しの車窓から:2011/09/14(水) 22:26:39.49 ID:bq2t3Uyu
馬力か・・・
まぁ、波長がある人も居るみたいだから、余計なことは言わんが
381名無しの車窓から:2011/09/16(金) 19:40:56.40 ID:XB6x8DSO
名前欄名無しさん、メール欄ageで延々リンクを貼り続けてる奴は何がしたい?
せめてコメントつけて貼れば話題の振りようもあるんだが
382名無しの車窓より:2011/09/16(金) 21:33:36.19 ID:9X7g41U+
383名無しの車窓から:2011/09/17(土) 23:12:09.10 ID:OwHrSvCr
>>381
保守だべ。空あげよりゃあマシか。
384鈴木:2011/09/18(日) 21:05:53.62 ID:XFRQa9Qk
では、私も保守代わりに。ドイツの掲示板から、パキスタン旅行写真。
http://www.drehscheibe-foren.de/foren/read.php?17,5512860
http://farm7.static.flickr.com/6084/6047342016_bec825e14a_b.jpg
↑日本車両製と注釈あり

http://www.drehscheibe-foren.de/foren/read.php?17,5532349
http://farm7.static.flickr.com/6080/6059637775_8e5b904722_b.jpg
↑これはひどい濁り水。こんなの缶に給水していいんだろうか?
385鈴木:2011/09/19(月) 09:09:52.01 ID:Yib9jKaC
http://www.youtube.com/watch?v=ihCHzS4jT_M
米国、ペンシー、4-4-4-4の動画。
圧巻は後半2/3あたりで、貨車を引いてくる4-4-4-4の前部台車がスリップする様子。
速度は45km/hあたりか?
この速さでのスリップは、油漬けにした弁駆動箱の油漏れじゃないか?とも思うけど、
判定は出来ない。
386名無しの車窓より:2011/09/19(月) 11:24:50.56 ID:g0LjQCYq
>>385
砂撒き管が見えないんですケド

>前部台車が
台車とは主台枠から独立した車軸保持部を指す
387鈴木:2011/09/19(月) 13:32:06.32 ID:Yib9jKaC
>>386訂正
×前部台車が
○前動力部が

砂撒き管が見えない理由は解りません。
388名無しの車窓より:2011/09/19(月) 14:41:28.31 ID:g0LjQCYq
3両出てきたうちの前2両には見えるんですケドね
389名無しさん:2011/09/21(水) 15:54:28.50 ID:CEVBkDlJ
シカゴ、ブリンストン&クインシー鉄道の蒸気機関車の図面が見つかりました!

http://home.earthlink.net/~vnlbeck/index.html
390名無しさん:2011/09/25(日) 00:16:56.02 ID:CNLYbLtC
米サザン鉄道の蒸気機関車のサイト

http://southern.railfan.net/images/archive/southern/steam/steam.html
391鈴木:2011/09/29(木) 02:40:03.83 ID:37lEXDmn
ロシアあたりはどうなんだ? と時々気になります。情報が出て来ないのは、
1、大した物作ってない。
2、ソ連時代の共産党秘密主義のため、資料が無い。
3、キリル文字の国なので、さすがの欧米人でも資料読む気がしない。
あたりが仮定される。

ただし、1、に関しては必ずしも当たらない、新しい技術に真っ先に挑戦はしてます。
1、複式の導入はかなり早かったと思う。
2、オイルバーニングは最古参で南部の石油生産地を中心に蔓延した。
3、シュミット過熱器の採用はドイツ(プロイセン鉄道)を別にすれば、ベルギーとロシアが最も早い。
4、単流(ステュンプ式)の最初の機関車はロシア製。
5、実際の機関車の性能測定は最古参国の一つ。
6、復水式はヘンシェル社の模倣とは言え、1000台を越す機関車が稼動したはずで、
  本場のドイツとどっちが数が多かったのか?というほど。

過熱器に関しては
"der Ingenieur" Kiew, 1911年10月号
   "zum Studium von Lokomotive-Überhitzer" LomonosofとTschetschot筆
"der überhitzte Dampf bei Lokomotiven von großer Leistung" Odessa 1911年、Farmakowsky著
"Überhitzer" Nischni-Nowgorod 1910年、Neumayer著
上の3つの資料があるらしいのだが、いずれもロシア語本であり、上記はそれをドイツ語で名前だけ紹介してるのであり、
どこかのネットでサワリ部分を探すだけでも困難だ。
"der Ingenieur"のロシア語翻訳は"инженерных"だがその通りの雑誌名だった保障は無い。
そして内容はおそらく私にはむずかしい専門的な工学書と思われるがそれでも見たいものです。
392名無しの車窓から:2011/09/29(木) 22:00:27.58 ID:zE2vi4fx
ttp://en.wikipedia.org/wiki/NZR_G_class_%281928%29

6気筒ガラットは英国本土以外にも存在
しかもNZというならケープゲージのはず
393名無しさん:2011/09/29(木) 23:59:42.39 ID:KfKuZTQf
旧ソ連の鉄道界は全体的に路盤があまり頑丈でなかったらしく、1930年で許容軸重は20トン(ローカル線では最大17トン)終戦直後は保線が最悪で許容軸重は最大18トンしかなかったそうです。
そんなわけで旧ソ連は米国のように巨大な機関車を作ることが出来なかったみたいですよ。
さらに転車台(ターンテーブル)の長さが最長で30メートルしかなくて、試作機として導入したソ連製の1DD2型機関車、ガーラット式機関車は試運転後、すぐにスクラップにされたそうです。
394名無しの車窓から:2011/09/30(金) 07:02:32.27 ID:ilWt72mC
Trackside Publications社からロシアの蒸機を扱った英語の書籍が数巻出ていたと思います。
既に絶版のようですがもしかすると過熱器に関する記述が載っているかも知れません。
395鈴木:2011/10/01(土) 01:49:34.54 ID:vaPZZQRY
ロシアの機関車に関して以下いずれもロシア語なので、機械翻訳が必要だが
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7%D0%BD%D1%8B%D0%B9_%D0%B0%D0%BB%D1%84%D0%B0%D0%B2%D0%B8%D1%82
↑はウィキだが取り付き易い
上で書かれている"ガーラット"や"1DD2"も含まれてる。
http://scado.narod.ru/rail/r_0p.html
↑は写真が無いが貨物用機関車の表で台数入りです。
http://dic.academic.ru/dic.nsf/ruwiki/1309514
↑はФД 型と ИС型の説明だが文末、
Литератураの欄に参考図書が7冊挙げられてる。

Trackside Publications社は調べたが、現在は南米の機関車が中心なようで、
これはこれで非常に興味が湧きますね。
396名無しの車窓から:2011/10/01(土) 13:50:25.57 ID:1S+xrROw
ソ連は戦後のどさくさに紛れてパシナを何両か持ち去ったらしいけど
自国の機関車と比べてどう思ったのだろう?
397鈴木:2011/10/02(日) 02:10:17.85 ID:6XEHmd+d
>>396
http://scado.narod.ru/rail/r_0pp.html
に拠る限りロシアはパシフィックは下記の1形式しか無いようです。
ЛП (Л)型 2-3-1 1914 - 1926年 66台
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9F%D0%B0%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%BE%D0%B7_%D0%9B_(%D0%BF%D0%B0%D1%81%D1%81%D0%B0%D0%B6%D0%B8%D1%80%D1%81%D0%BA%D0%B8%D0%B9)
もっともこれらが試作機や他国からの奪取機まで全部網羅してるのかは、不明ですけど。

パシナがソ連の本線を走った記録は見つかりません。
ソ連を走るためには改軌が必要です。
ドイツの2-10-0はおそらく100台以上が1435mm→1524mmの改軌を受けてるから、
出来ない事もないだろうけど。
以下は出典無き推測に過ぎないが当時は屑鉄と雖も貴重品だったらスクラップ? 
或いは工場の据え置きボイラー化?
398鈴木:2011/10/02(日) 02:12:11.74 ID:6XEHmd+d
>>397訂正
×ドイツの2-10-0はおそらく100台以上が1435mm→1524mmの改軌を受けてるから
○ドイツの2-10-0はおそらく1000台以上が1435mm→1524mmの改軌を受けてるから
399名無しの車窓から:2011/10/02(日) 11:47:46.48 ID:uJVanW0q
あれ、でもソ連時代のシベリア鉄道ルポとかには
満鉄型客車が良く登場してたから、鉄道車両もそれなりに逼迫していたのでは?

標準軌の専用線とかのどっかには有りそうだし
400鈴木:2011/10/02(日) 12:42:38.23 ID:6XEHmd+d
>>399
まあ、そういう事も無いとは言えませんね。
401名無しの車窓から:2011/10/02(日) 13:24:14.70 ID:uJVanW0q
>>399
>標準軌の専用線とかのどっかには有りそうだし    は、
>標準軌の専用線とかもどっかに
のまちがいです
実際に使用された可能性が高いとは思ってないですよ
鉄道車両として活用したとしても、
中共や北朝鮮に供与してやるという形で
現地でそのまま活用するのが最も手っ取り早いはずだし
402鈴木:2011/10/02(日) 14:38:54.54 ID:6XEHmd+d
話の発端は>>396
>ソ連は戦後のどさくさに紛れてパシナを何両か持ち去ったらしいけど

の可否ですから。
ソ連は満州は支那の領土と認めてるのであり、
パシナを持ち去ったったとしたら、ソ連領土内に持ち込んだという話の可否になります。
403名無しの車窓から:2011/10/02(日) 16:54:17.72 ID:T83bd/jQ
ソ連にとってパシナは
・軌間拡幅改造しなけりゃ使えない
・軸重が24トン程度と大きすぎる

物珍しいから土産にしたのか?!
まあ、パシナを持ち帰ったのかどうか、真実は藪の中ですが
404名無しの車窓より:2011/10/03(月) 18:26:40.92 ID:9v6lyMsA
>>396
満鉄社員の永田龍三郎氏が終戦直後に某機関区でピカピカに磨き上げられたパシナを見て
おそらく戦利品としてスターリンへの土産にソ連へ持ち去られるものと推測したってのが
そのハナシの始まりと思われ
分解してモスクワに運んだか、途中で屑鉄に化けたかは不明

>>399
台車交換すりゃいい客車と機関車と一緒にするな!
405名無しの車窓から:2011/10/05(水) 20:48:32.60 ID:IvnWU+DI
北満鉄路を買収した際には広軌の機関車を改軌して使ったという話はありますね。一部はソ連領への侵攻に備えて広軌のまま保管したとか。
パシナは使いどころが限られるし数両の異端車をわざわざ改軌して使ったとは考えにくいかな。戦利品のトロフィー扱いで展示とかならあったかもしれんが。
406名無しの車窓から:2011/10/06(木) 00:51:56.55 ID:eAuwGJvE
旧ソ連にパシフィック機が少なかったとあれば、
リバースエンジニアリングのタネ車にした、という線は消えますものね。
むしろその頃のソ連にとってはすでに、パシナには技術的に
目新しいものではなくなっていたのかな?
407鈴木:2011/10/06(木) 02:53:11.28 ID:rwbm9qlS
ソ連は未だ冷戦が本格化しない、
1945年から1947にかけて米国から1000台の2-10-0を買ってるから欲しけりゃ4-6-2も買える。
また周辺国にはドイツ、ポーランド、チェコ、ハンガリーなど
パクりたければパクれる1435mmの4-6-2は沢山在るんじゃないでしょうか?

因みに5ft.ゲージの最高西進到達地点はベルリンのポツダム。
ただしこれはスターリンがモスクワから直通でポツダムに来る際、一時的に敷設された。(1ヶ月後撤去)
「ベルリンまではロシアンゲージだから、ソ連の東欧支配は正当」を主張するため。
408名無しの車窓から:2011/10/11(火) 19:36:00.70 ID:snmUuCFX
ソ連の急客機は4-6-4を試作しただけで、
本格的な量産は2-8-4や4-8-4の4動軸機が中心だったので、
4-6-2にはあまり興味なかっただろう。
409名無しの車窓から:2011/10/12(水) 00:16:47.05 ID:bXr8bhNz
旧ソ連ではドイツから接収したBR52の復水器のついた炭水車を使用した車両を走らせていたらしい。
410名無しの車窓から:2011/10/12(水) 15:31:10.59 ID:hLkUrdRd
>>409
それってもしかして、炭水車だけ使って残った機関車の部分はポイですかね?
411名無しの車窓より:2011/10/12(水) 21:17:34.85 ID:jhs3ioP4
テンダーだけじゃ用をなさないだろ
412名無しの車窓から:2011/10/14(金) 23:41:24.02 ID:ZzVEBSp/
>>411
復水器のついた炭水車を、自国の釜のテンダと振り替えてつかったんじゃないの
国土が広いソ連だと給水に難がある地域もあるんだろうし

改軌に手間がかかるエンジン部は活用が難しそうだけど

日本国鉄も運用線区の特長からか
貨物機の8-20テンダと旅客機の12-17テンダを振り替えてた例が結構あったでしょ
413名無しの車窓から:2011/10/15(土) 02:19:06.02 ID:0oQ5VPpT
>>410
コンデンシングロコは排気を復水する=大気に捨てない=ドラフトを起こせない
→仕方ないのでタービンを積んで通風起こす

よって単純にテンダ振り替えただけじゃ復水できまへん
414鈴木:2011/10/15(土) 03:41:02.62 ID:pyO8wr3n
http://www.izmerov.narod.ru/bmz/bmzhist2.html
http://www.izmerov.narod.ru/bmz/photos/so_k_ob.gif
http://www.izmerov.narod.ru/bmz/photos/tender2.gif
上にはソ連機が1700km無給水走行と書いてあるが、ちょっとどうなのかな? と思う。
私が一般に聞いた話は1000km無給水可能なので
415名無しの車窓から:2011/10/15(土) 04:10:47.11 ID:rJlKsTt9
>>413
するとサウンド的には珍しいけど面白みに欠けそうですね?
416名無しの車窓から:2011/10/15(土) 10:42:22.19 ID:0oQ5VPpT
>>415
ttp://www.youtube.com/watch?v=fHjAT2_7ALY

自分で確認するよろし
417名無し:2011/10/15(土) 20:41:15.25 ID:e5Q5xzA0
418名無しの車窓から:2011/10/15(土) 22:57:33.86 ID:rJlKsTt9
どうも。
珍しい音ではありますよね。
今度は暇なときに蒸気タービン機関車の音も探してみたいです。
419鈴木:2011/10/16(日) 01:30:32.53 ID:Q9xei8Qb
http://www.drehscheibe-foren.de/foren/read.php?17,4887421
この人は南アフリカのコンデンス→非コンデンスの時期を写してます。
420名無しの車窓から:2011/10/16(日) 11:52:16.60 ID:6haRGVBD
>>418
スウェーデンの蒸気タービン機関車の動画がありました。
ドラフト音が途切れず連続しているのが分かります。
http://www.youtube.com/watch?v=ZsrzUjcHeAs&feature=related
421名無しさん:2011/10/17(月) 15:59:42.54 ID:/kSzJw4P
テレ朝の「世界の車窓から」に旧ドイツ国鉄52型蒸気機関車が出ていましたよ!
今日の放送でも出ると思うけど。
422鈴木:2011/10/18(火) 01:43:29.15 ID:SZrq5+Q4
http://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%A2%D0%B5%D0%BD%D0%B4%D0%B5%D1%80-%D0%BA%D0%BE%D0%BD%D0%B4%D0%B5%D0%BD%D1%81%D0%B0%D1%82%D0%BE%D1%80_%D0%9F11
↑がソ連のコンデンステンダーの代表です。
ロシア語の機械翻訳では思わぬ間違いが生じる危険があるが、一応、
台数1438台。コンデンス能力は外気温40度Cで14t/hと読んだ。
1940年より順次廃止、とある。
ここには書いてないが、シベリアの寒冷地ではアチコチ凍結してうまく作動しなかったようです。
423名無しの車窓から:2011/10/18(火) 22:08:47.68 ID:MTR9iUVl
つまり、52形がどうこうの前から復水は行われていたということね
424鈴木:2011/10/19(水) 01:35:37.98 ID:BZEygdDe
>>423
1827年、ハックワースは既に復水機関車を提案か?実際製作か? してるらしい。
これは排気を予熱器に導くもの。
最初の本格的復水機関車はArmstrong, Witworth(英)社製1A1機関車、1台だが
普及はしなかった。
その後トラムロコにはそこそこの台数があったはず(都市公害防止の見地から)。
425名無しの車窓から:2011/10/19(水) 02:15:36.53 ID:rCuFYgak
スレチかもしれませんが、日本の鉄道で、英国流の標識灯(機関車前面のランプの位置と数で列車種別を表すやつ)が
使われていたのはいつ頃まででしょうか?(明治時代の写真ではそれらしきものが写ったりしているものが見受けられるのですが……)
426鈴木:2011/10/19(水) 05:00:31.85 ID:BZEygdDe
書き忘れたが、Armstrong, Witworth(英)社製1A1復水機関車は1847年頃です
427鈴木:2011/10/22(土) 23:48:39.16 ID:QisfFEBW
>明治時代の写真ではそれらしきものが写ったりしているものが見受けられるのですが
>>425にレスが無いので、素人ながら書くと。
ボイラー上の小ランプとエンドビーム上の左右小ランプ、計3つあれば、即
ランプの位置と数で列車種別を表してる、と考えていいのか良く解らない。
C51のようにボイラー上の大型電気灯とエンドビーム上の左右小ランプは
列車種別を表していない、と考えていいのか良く解らない。

4600、(1912年、大正1年)製0-6-6-0
は、小ランプとエンドビーム上の左右小ランプ。
9600、(1913年、大正2年撮影)0-6-6-0
は大型電気灯とエンドビーム上の左小ランプ、右ランプ掛けのみ。
8800、(1935年頃、大正14年頃撮影)4-6-0
は大型電気灯とエンドビーム上の左小ランプ掛けが在るが小ランプは右に付けたり左に付けたりしてる。

夜はともかく昼間は看板でも立てていたのだろうか(米国では旗を立てる例があった)?
428鈴木:2011/10/24(月) 00:24:37.53 ID:W41ypAgi
以下復水式機関車に関して、私なりのメモ。
復水式には2種あり、
1、一部復水式機関車
2、100%復水式機関車
で、1、は A、時間的に時々復水になるものでトンネル等で煙害防止のため
       B、排気の一部を予熱器などに注入するもの
そこで、1、は考察の対象外として、2、のみ考える。

2、は定置式蒸気エンジンや、船舶では普通にあるが、機関車は重量が障害になって非常に少ない。
この内トラムロコにはかなりの機関車数があったが、よく解らないので省く。
1) 最初の本線用本格的復水式機関車は1910年、の
  Reid-Ramsey式タービン電気機関車(ノースブリティッシュ製)↓
  http://www.aqpl43.dsl.pipex.com/MUSEUM/LOCOLOCO/reidrams/reidrams.htm
  この後いくつかのタービン復水式機関車が出るが概ね、熱効率の向上≒燃費向上を狙ったもの。
2) 1924年、アルゼンチンのKnudsen技師は給水困難地区の克服のため、
  スエーデンのユングストローム(Ljungström)式タービン復水式機関車(Nydqvist社製)を購入。
  http://www.kondenslok.de/Bilderhtm/ar2.htm
3) 1927年、アルゼンチンは前記タービン復水式機関車の保守の困難等で、
  ヘンシェル社製レシプロ復水式機関車を購入。
  しかしこの後アルゼンチンはコンデンス機関車に懲りてディゼル化に進む。
4) 1935年、ロシアはディゼル化困難に直面し、ヘンシェル社製レシプロ復水式機関車を導入。
  南部での比較の結果ディゼル止めてレシプロ復水式機関車の道に進む
  ロシアのコンデンス機製造は1400台以上なのでドイツより多いかも。【続く】
429鈴木:2011/10/24(月) 00:24:58.73 ID:W41ypAgi
【続き】ロモノソフ技師(元ソ連技師、1930年頃西側亡命)の1945年説明に拠れば
「レシプロ復水式の値段は普通のレシプロ式の1.4倍、但しロシアは量産したのでもう少し安いはず
ディゼルは普通のレシプロ式の3倍」だそうです。(DLのこの値段は高過ぎる気もします)
コンデンス機のテンダーは重量も値段も機関車本体に近い。
ユングストローム式タービン復水式機関車は数台製造した後、タービン非復水式機関車に方針変更したのは
製造価格の問題と思われる。
定置式エンジンのコンデンスの主目的は燃費向上だが、
機関車の場合の利点は給水を減らす事とそれにより缶の汚れを減らす事だけ。
缶の汚れを減ら事は機関車を洗缶の為に休車にする回数が減るから稼働率向上に役立つ。
参考リンク
http://www.kondenslok.de/frame.htm?/galerie.htm
【終り】
430鈴木:2011/10/28(金) 13:41:41.46 ID:hBKe0wtf
機関車をルームランナーのようなローラー台に乗せて動輪を回し、直近で観察したり、測定したりする機械の歴史。

番号、 場所(国)、 設置年、 注
1、  Kief(ロシア)、 1881年、 カップリングロッドをはずし主動輪のみを浮かせた 
2、  Purdle大(米)、 1891年
3、  Kauakauna(米)、 1894年
4、  Purdle大(米)、 1894年、 2、が焼失したので新設
5、  Chicago(米)、 1895年
6、  Columbia(米)、 1899年
7、  Swindon(英)、 1904年
8、  Putiloff(ロシア)、 1904年
9、  St.Louis(米)、 1904年、 ペンシーが博覧会用に作った
10、 Altoona(米)、 1906年、 9、をペンシーに移設
11、 Illinois(米)、 1913年
12、 東京大井(日)、 1913年
13、 Iowa(米)、 1914年
14、 Alexander(ロシア)、 1924年
15、 Esslingen(独)、 1924年、 ロシアの設計、ロシアに移設
16、 NorthBritish(英)、 1924年、メーカー用の簡素なものか?
17、 Esslingen(独)、 1927年
18、 Grunewald(独)、 1930年
19、 Virty(仏)、 1933年
20、 LaGrande(米)、 1945年
21、 Moscow(ロシア)、 1948年
22、 Rugby(英)、 1948年

その他簡素なものは、キットソン社その他にもあった。
ローラー台の最高馬力記録はAltoona(米)、Q2型4-4-6-4の8000馬力、90km/h、カットオフ40%時
431 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/10/29(土) 11:14:40.65 ID:7NWXa+7g
>>430
試験台は確か満鉄も持っていたような気がします
432 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/10/29(土) 12:06:35.75 ID:7NWXa+7g
ttp://www.shincho-live.jp/ebook/railmap/kanto_daishinsai/index.html

関東大震災で受けた鉄道の被害
被災した大正期の機関車の写真も。
433鈴木:2011/10/29(土) 12:15:19.36 ID:OogIU4Ar
満鉄は大連に計画、とまで聞いてますが、
実際作ったかどうかは私は調べてません。私の無知かも。
434氷上の名無しさん@実況厳禁:2011/10/29(土) 20:04:50.76 ID:fbTkb6gd
沙河口に造ってパシナとか計測してますがな
435名無しの車窓から:2011/10/29(土) 20:22:14.16 ID:y3WGeceD
>>434
では私の無知だったという事で。
436名無しの車窓から:2011/11/12(土) 23:04:36.57 ID:mhpZlOkb
>>420
初めて見た ドラフトしない蒸気機関車
437 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/13(日) 07:43:40.44 ID:oh0d3+Gx
>>436
ドラフト起こさないとまともに蒸気上がらないから・・・
一般的なレシプロ式蒸気機関車のブラストが動輪一回転につき4回起こるのに対して
タービン式は連続してるだけな
438氷上の名無しさん@実況厳禁:2011/11/13(日) 09:24:40.56 ID:o4JTLewn
436はドラフトとブラストを近藤してるんだとオモ
439鈴木:2011/11/13(日) 11:41:35.86 ID:RNcsvnpe
英和辞書に拠れば
1、draft, draught 隙間風(の通り道)、通風(装置)
2、blast ひと吹き、突風、炉への通風
ややこしいから私も時々解らなくなる。

機関車関係では
1、は缶の通風、それも自然通風でなく人為的強制通風、しかも機関車の内99%はblastを使用する方法。  
2、は蒸気エンジンの排気に残存る圧力で燃焼ガスを吸いだす(draftする)方法。トレビシックの頃発明されたらしい。
だと思う。
440鈴木:2011/11/13(日) 11:52:09.08 ID:RNcsvnpe
https://lh4.googleusercontent.com/-hFeMVmzv1kQ/Tr8pL5yVETI/AAAAAAAAKV0/iu8CouTpcpk/s556/img905.jpg
↑はユングストロームタービン一号機の煙室上部に設置された蒸気タービン扇風機
タービンブレード直径120mmφだからファン直径は300mmφくらいか?
10,000回転時に40馬力と説明されてる。
煙室内設置のタービン扇風機式は高温と煙室内粉塵の為、保守に苦労する、と聞いてます。
441名無しの車窓から:2011/11/13(日) 13:31:52.26 ID:gjsTqvOX
他所で散々迷惑かけておいてここで人格者ぶってんじゃねえぞ鈴木。
空気読まない奴に空気嫁と言われる筋は無いからな。
442鈴木:2011/11/14(月) 04:11:23.13 ID:8PEusDWa
ノフォーク&ウエスタンは米国では最後まで蒸気機関車にこだわった鉄道。
自社か系列会社の炭鉱があった為。
http://www.youtube.com/watch?v=LF-6FKD0pr0&feature=related
↑は先頭マレー×2台、後ろマレー1台、各機補助テンダー付きの石炭列車走行ビデオ。
おそらく2-8-8-2(複式マレー)+2-6-6-4(単式マレー)+2-8-8-2(複式マレー)で運行してるんじゃないかと思うのだが、
画面でははっきりとは確定できません。

米国の巨大マレーの歴史の後半は、その低速が嫌われて複式が減り、単式が増えていった。
しかし、このノフォーク&ウエスタンの2-8-8-2(複式マレー)は最終製造が1952年なので、
おそらく最後の米国の巨大マレーと思われる。
(単式をマレーとは言わない、と言う説もあるでしょうが、厳密な話はご勘弁)
443名無しの車窓から:2011/11/14(月) 07:37:10.77 ID:he3uIz/f
他所では厳密さを押し付ける癖にここではご勘弁w
444鈴木:2011/11/14(月) 09:30:34.14 ID:8PEusDWa
>>443
単式はマレーじゃない、と言いたいんだったらどうぞ。
445名無しの車窓から:2011/11/14(月) 11:26:05.53 ID:he3uIz/f
そういう呼び名は様々な約束事が同時並立していたんじゃないでしょうかね。
これは規格なんでしょうかね。
どうやって聞き手に判らせれば良いんでしょうかね。
446名無しの車窓から:2011/11/14(月) 16:23:09.39 ID:CB4EorYY
>>420
http://www.youtube.com/watch?v=iK4pFfWbGpc&feature=related
連房なしの蒸気タービン機関車
447鈴木:2011/11/14(月) 23:08:05.09 ID:8PEusDWa
>>446
「連房なし」という意味はわかりませんが、下記のレシプロ機じゃないでしょうか?
http://www.skanskajarnvagar.se/lok/lok2.htm
1907-1920年製台数130台のE型0-8-0を1935-1951年にE2型2-8-0に改造、と機械翻訳で読めます。
本機は棒台枠、内側2気筒、ピストン弁、ワルシャート式。
https://lh4.googleusercontent.com/-T-N-5YhGvtE/TsEf9QlZOtI/AAAAAAAAKWM/N9-a8H51kCw/s800/img906.jpg
1904年、先輪無し時代の略図は↑です。
448鈴木:2011/11/14(月) 23:23:27.15 ID:8PEusDWa
>>447また間違えた
×1904年、先輪無し時代の略図は
○1914年、先輪無し時代の略図は



449名無しの車窓から:2011/11/14(月) 23:26:02.09 ID:TP5EVQ1f
おや、実物の呼び名が同じものを指して複数あることはスルーするんですね?
実物には厳密な話をしない癖に模型では厳密さを要求してやまない件については?
450名無しの車窓から:2011/11/14(月) 23:47:57.93 ID:TP5EVQ1f
UIC式なんて表記法があるんですってね。国際組織が定めた表現法。
こりゃアメリカ式なんて使ってちゃまずいんじゃないでしょうかね。
アメリカ式といえば同じ軸配置に複数の呼び名がありますよね。北部にちなんだ名前はいやだとか言う類の。
そういうのは全て邪道なんですよね?ユーザーである鉄道会社をいたずらに混乱に陥れる、という。

さて、〔判り易い〕って何でしょうかね。
451名無しの車窓から:2011/11/14(月) 23:53:02.44 ID:O/YJfDHu
必死だなw
452名無しの車窓から:2011/11/14(月) 23:55:21.45 ID:CB4EorYY
http://www.youtube.com/watch?v=lZegXQxYy8g&feature=watch_response
これ見た後だったんで主連棒なしのギヤ駆動と勘違い
叉 この動画も良く見たら主連棒が外してあった・・・
453名無しの車窓から:2011/11/14(月) 23:55:58.76 ID:TP5EVQ1f
鈴木から安住の地を奪うぐらいのことなら朝飯前さぁw
454名無しの車窓から:2011/11/15(火) 00:34:30.60 ID:PzIM5P6C
せいぜいひとりで頑張れw
455名無しの車窓から:2011/11/15(火) 01:10:32.66 ID:2kviDG9F
変なのが湧いてるな
456名無しの車窓から:2011/11/15(火) 08:30:46.46 ID:exbVje0j
タコ弁当じゃね?
457名無しの車窓から:2011/11/15(火) 20:48:23.57 ID:uW5WEl0F
まぁ、自分の主義主張で好き勝手に居座ることが大好きな鈴木がここにいる以上、まったく同じことをする私を追い出すことはできないよね。
巻き込まれた皆さんは災難だね。心より同情申し上げる。
458名無しの車窓から:2011/11/15(火) 22:11:39.26 ID:l00gwTTY
好きにすれば。どうせ過疎スレだし。
459名無しの車窓から:2011/11/20(日) 08:26:20.21 ID:CqIDlJm9
満鉄パシナは軸重や機関車重量が性能の割りに重過ぎだからな、ドイツ国鉄01初期形と
同じ最高速度120km/hくらいで、ポーランド、チェコ、ハンガリー
辺りの2000mm動輪の蒸気機関車と大差なさそうな感じだし。
それなのに軸重24トンは、人民中国も
パシナのコピー機関車を特快旅客機関車で製造すらしなかったし。
460名無しの車窓から:2011/11/20(日) 12:50:47.83 ID:UAGiDatH
>>459
DRG 01 (6800mm煙管タイプ)
機関車重量 112 t
平均軸重 20.1 t
火床面積 4.49 m2
缶最大内径 1900mm ,ストレート

満鉄パシナ
機関車重量 119.2 t
平均軸重 23.9 t
火床面積 6.25 m2
缶最大内径 2130mm ,テーパードコニカルボトム(第一缶胴内径1960mm)

7トンを重過ぎると捉えるかどうかかな
パシナの缶はアメリカ流儀で二流のドイツとは段違いの性能
なお、部材は舶来物のニッケル鋼板製で重量増加を抑えていた
満鉄は高速回転のノウハウに乏しかったので
結局01と大差ない性能に甘んずる結果になったものと思われ
461名無しの車窓から:2011/11/20(日) 13:22:54.71 ID:UAGiDatH
>>459
中国が作った旅客用機関車は軽量の満鉄パシロを基とした人民型のみ
中国大陸の輸送需要は貨物>>>>>旅客な上
共産主義国なので競争原理もなし。旅客サービスは二の次
急行旅客用は満鉄から引き継いだので十分。だから作らなかったという単純な話ね
462名無しの車窓から:2011/11/20(日) 14:50:00.09 ID:CqIDlJm9
ドイツ国鉄の場合、やはり第一次大戦の敗戦と
ベルサイユ条約による技術停滞が致命的ハンデだからな。
しかし、性能や技術でみたら普通に戦前日本レベルでも
頑張ればドイツ01形やドイツ03形のコピー機関車くらいなら造れそうな
感じが満鉄、鮮鉄向きでメカニカルストーカー追加して。
463名無しの車窓から:2011/11/20(日) 16:17:21.94 ID:UAGiDatH
>>462
01が2気筒に後退したのはワグナーの戦争体験を反映してるため。技術停滞じゃない
実際ドイツはベルサイユ条約の裏でこそこそ軍事転用可能なもの含めて技術を温めてたじゃん
停滞って言っても、それなら戦前並みのカマは作れるってことでしょ?
464名無しの車窓から:2011/11/20(日) 16:55:10.92 ID:CqIDlJm9
ロシア=ソビエト連邦の蒸気機関車の技術はどれ位の
技術的レベルだろうか。蒸気機関車の大量生産では1流みたいで。
技術的にはアメリカや西欧列強の後追いだが、中国の蒸気機関車
や東欧の蒸気機関車に技術影響残したし。
軸重が18t〜20t、ローカル17t……条件悪そうだな。

フィンランドの蒸気機関車に日本型に外観似た機関車が
あったようだが。
465KC57 ◆KC57/nPS5E :2011/11/20(日) 20:07:36.22 ID:5Z6g2RyH
>>459
話が見えないので、何をもって性能と言ってるのかとか数字付きで言ってもらえまいか?
466名無しの車窓から:2011/11/20(日) 20:56:51.62 ID:UAGiDatH
>>464
過去れす嫁
467名無しの車窓から:2011/11/20(日) 22:36:01.07 ID:LRM8twRS
>>464
外見だけならオーストラリアの蒸機もどことなく日本型っぽい
468名無しの車窓から:2011/11/21(月) 08:17:00.38 ID:CDCDHaAW
外見が一番似てるのはフィンランドとかあの辺の釜だな
あとスペインにD51に良く似たミカドがあったけどな
469名無しの車窓から:2011/11/21(月) 20:34:49.92 ID:wcg4CNF0
>>467
    __
,.-'" ̄     ̄¨ー 、
            `¨ー、
               ヽ、
                ヽ          ____
                 ヽ      ,,.-'" : : : : : : : : :`¨ー 、
                  ヽ   ,.-": : : : : : : : : : : : : : : : : :`ヽ、
                   i,.-'": : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽ、
                   /: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :.ヽ
   _/_    _/_     /: : : : ::/\: : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : : :ヽ
    /   ヽ   /   ヽ   /: : : : ::/   \: : : : : : : ::',ヘ:: : : : : : : : : : : :i
  /  _|    /  _|    l: : : : :/     ─ 、: : : : : ', ',:: : : : : : : : : : : l
   (_ノヽ   (_ノヽ.   l: : : : :l/       >、: : :', ',: : : : : : : : : : :リ
                    l: : : : :l /¨ヽ    /  ≧キ', ',: : : : : : : : : :,'
  |   \.   |   \.   ',: : : ::l  fハ      {:::::::}  !: : : : : : : : :,'
  |     |    |     |   ',: : : :l  tij        ¨´  l: : : : : : : : 〈
  レ         レ        ヘ: : :',            /,イ: : : : : : : :゙ニ=-
                      /ヽ: :',    __,,..-‐─;  /' /: : テ: : : :l´
                r‐、 ./ /: : : :>、 ヾ、   ノ  ,,.-'7::/ `ヾ、:\
                l  ヽ-==i: : / `> 、__,,.ィ'  /'"l      ̄`
                f´ヘ \   l::/    ハ   ,,..l      l===ぃ
                .l   ',.  \彳   / i,,.-': :/     ヽ/: :ヘ
                ∧.  ',   `ヽ  /  j: : ::i/     /: : : : : ヘ
              / ヘ      ヽ,/  ./: :∠..-‐─/: : : : : : : /\
470名無しの車窓から:2011/11/22(火) 20:56:00.92 ID:QW0SaiTa
>>462
空飛ぶハンバーガーとかは逆立ちしても無理だったけどね。
ドイツは国策として内燃機関の技術開発に注力してたというのは有ったんじゃないかな。一方その頃フランスはマジノ線掘るかたわらで蒸機の効率向上に心血注いでましたみたいな。
471名無しの車窓から:2011/11/22(火) 21:01:47.20 ID:QW0SaiTa
日本みたいと言えばインドネシアでしょ。戦時中の改番の結果だけど。
箱根のマレーも昭和の改番を受けてたらCC50とかになってたのかね。
472名無しの車窓から:2011/11/23(水) 01:41:17.49 ID:p0Cby9D2
日本じゃEF50なんてのみたいに、F50だったんじゃないっすかね。
そんな妄想マレーの作例がちょっと昔のTMSに載ってたな…
473名無しの車窓から:2011/11/23(水) 12:30:54.26 ID:LtSmLVA7
それもそうか。16輪が有ったとしてDDにしたらディーゼルと被っちゃうしね。
474名無しの車窓から:2011/11/24(木) 06:39:04.56 ID:ddDjJDCI
F50…フォッカーみたいだな。F100には乗ったけど。

インドネシアの機関車はCCでも電気式ディーゼルは形式が200番台ですた。
スレ違い御免。
475名無しの車窓から:2011/11/26(土) 09:56:09.25 ID:xjG0sJ/E
斎藤晃先生の蒸気機関車シリーズ3部作という電波本があった、久保田博の
蒸気機関車シリーズも日本マンセーが電波だが。
斎藤晃先生の蒸気機関車シリーズだと、やはりドイツ国鉄蒸気機関車
01、03、辺りは凡作扱いしていたそうな。
476名無しの車窓から:2011/11/26(土) 14:15:30.17 ID:515gMmo/
実際凡作なんだから仕方ないじゃん
477名無しの車窓から:2011/11/26(土) 19:29:19.23 ID:YIN/1WTC
石炭の手焚きはやはり体力だからな、体格が小さいアジア系は
不利だな、白人の体格や体力やパワーにはかなわないわな。
478鈴木:2011/11/26(土) 20:43:52.77 ID:Rf3uYSQW
>>477
米国も日本も労働規則で1時間2t以内と思いましたが。
ただし日本の2tは戦後米国占領下の指導で決めたものかも。
また、日本独特の伏せショベルで2tは米国の両手ショベルで2tより体力が必要と思う。
479名無しの車窓から:2011/11/27(日) 00:19:59.50 ID:FGqLlHxR
>>478

なおさら体格小さい上に、体力やパワー面で日本を始めアジア系民族は不利だわな。
白人の体格のデカさと体力とパワーは半端ないからな。
石炭の手焚きの体力や持久力勝負ではモロに人種や民族の差がでる。
480名無しの車窓から:2011/11/27(日) 00:28:25.06 ID:cYqgieF+
だから何?
白人コンプなら他に相応しい板が2chには色々あんでしょ
481名無しでGO!:2011/11/27(日) 08:15:06.05 ID:EIsf+HB9
体小さいから乗る客車も小型軽量で機関車の出力も小さくて済み
結果投炭量も少なくて済むじゃん
482鈴木:2011/11/27(日) 10:56:46.53 ID:Mhrc1vEF
体格が大きければ、食料飲料も大食いになる。
無補給で100km歩くのに必要な食料や水も体格の大きな人は多量にかつがなければならない。

1910年頃のプロイセンのガルベ氏(日本の鉄道役人が心酔した)の米国機批判は、
「米国機の馬力はドイツより強いが、それは巨大な鉄の塊とそれを動かすために必須な膨大な石炭消費に依拠するものである。
機関車重量当りの馬力、石炭1t当りの馬力を見ればドイツ機に劣る」
と言うものだった。
ガルベの言い分が正しいかどうかは、数字と計算で検証する必要があり、
私には計算能力は無いので正しいか否かは解らないが、一考する程度の余地はあると思う。

補足だが、ガルベの発言は、
過熱機が普及したドイツプロイセン 対 
過熱機が普及しないか、もしくは過熱温度の低い過熱器を採用する米国
を比べての発言です。
483名無しの車窓から:2011/11/27(日) 12:08:32.87 ID:FGqLlHxR
うーん、それだとフランス蒸気機関車の四シリンダー複式が
一番効率高い事になるけど、ドイツでも北の平野ばかりで凡作なプロイセンではな。
南で山がちなバイエルンやザクセン、バーデン、ウィルテンベルクの
四シリンダー複式機関車やオーストリアハンガリーの蒸気機関車とか。
白人でもやや体格小さいラテン系民族の蒸気機関車、特にフランス機関車
イタリア機関車が日本に来なかったのは。
もっともマレー式機関車でも使いこなせず、ガーラット式とか四シリンダー複式
とか三シリンダーグレスリー式ですら使いこなせない日本は
先端技術や複雑な機械を扱う能力が苦手そうなイメージするが。
よく新幹線を実用化できたのが奇跡か魔法しか思えないわな。
484名無しの車窓から:2011/11/27(日) 12:14:45.51 ID:OqUixhe7
ガルベちゃんてアメリカを知らなかったのかな?
485名無しの車窓から:2011/11/27(日) 12:15:47.56 ID:EIsf+HB9
つヒント「武士道」
486名無しの車窓から:2011/11/27(日) 12:20:20.87 ID:EIsf+HB9
>>485>>483

>>484
ガルベちゃんはシュミット君と一緒にこさえた過熱式機関車を自慢したかったんじゃね?
487名無しの車窓から:2011/11/27(日) 17:48:35.91 ID:cYqgieF+
そういや黒船が来たあたりで外人が飛脚の飯に肉がないと驚いて肉を食わせたところ
逆に仕事にならなかったという逸話が・・・
単純なスタミナなら野菜ばかり食べていた当時の日本人も負けていなかったと思われ
まあ、戦中の国民総栄養不足状態なら推して知るべしだが

>>483
ガルベの主張は低学歴の(馬鹿にする意図は無い)シュミットを信奉していた所為かイミフな希ガス

新幹線は島子の強いリーダーシップ、あくまで今まで積み重ねてきた技術のみを使っていたこと(舶来の先端技術はナシ)
世界銀行からお金借りちゃってもう後に戻れなくなったこと・・・等があると思われ
488名無しの車窓から:2011/11/27(日) 20:49:24.80 ID:loLxeQDN
新幹線はじめ戦後の民生技術の躍進は戦前なら軍や軍事産業に流れてたような優秀な人材が回って来たというのもでかいのでは?
弾丸列車とか失礼ながら失敗臭しかしないし。
489名無しの車窓から:2011/11/27(日) 21:46:25.28 ID:cYqgieF+
>>488
んだねえ。鉄道省の振動に対する知見ったらないし
松平技師がいなかったら速度を出しても自励振動で脱線・・・
まあ、客車列車の上に電気・蒸気とも固定台枠の機関車だからそこそこ出るかもしれんね
490名無しさん:2011/12/01(木) 20:51:26.00 ID:BN4TlbQM
ペンシルバニア鉄道の蒸気機関車のサイト

http://broadway.pennsyrr.com/Rail/Prr/Rosters/steam_class.html
491鈴木:2012/01/03(火) 06:39:01.92 ID:R7WiuatQ
http://www.lrpresse.fr/trains/album_mod/upload/grandes/083bec27ecf7e683ddbc6b9502c7271e.jpg
第二次大戦中に米国が海外に送る機関車の船積みと思える。
蒸気ドームの部分で機関車を持ち上げるのだろうか?
492名無しの車窓から :2012/01/03(火) 17:58:00.68 ID:z+AGbVvV
>>491
そーです
(ビーム先端で煙室先端と軽く結合)
こりはSNCF 141Rのようですケド
クラスS160(2-8-0)も同様です
理由は
ボイラーに竪剛性を依存していること
蒸気ドームが重心近くにあること
蒸気ドームが耐圧強度部品であること
台枠の引掛け部分を省略できること
などです
493名無しさん:2012/01/16(月) 21:30:07.33 ID:QAs/Xg/s
BRAWA社の鉄道模型のサイト

http://www.brawa.de/produkte/hO/lokomotiven.html
494名無しの車窓から:2012/01/17(火) 17:26:16.79 ID:L4bFqI8n
ttp://www.camdenmin.co.uk/new-items-after-booklist-65/monorails-of-the-19th-century-p-3497.html
Monorails of the 19th Centuryという本が出たみたいですね。
サンプルページを見るとBoyntonやLarmanjatの蒸気モノレールが載っていて中々期待できそうです。
495鈴木:2012/01/18(水) 06:57:16.86 ID:BdYKiQGN
>>494
>サンプルページを見るとBoyntonやLarmanjatの蒸気モノレール

面白そうな本ですね。
http://theboweryboys.blogspot.com/2010/07/cable-cars-trolleys-and-monorails.html
↑Boynton 電車もあった。
http://jfvfrosario.no.sapo.pt/Larmanjat/Larmanjat.htm
↑Larmanjat、ポトガルで営業運転した例。脱線が多そうだ。

この本に出てるかどうか解んないが、
蒸気機関車モノレールで一番成功した、ラーティギュ式での蒸気機関車の開発は、
有名なマレー氏がやった。
496鈴木:2012/02/02(木) 00:40:48.53 ID:W5bNYM2Q
こんなのがあります。カプロッチ弁動画
http://www.youtube.com/watch?v=pIK5mnd_h_U
497名無しの車窓から:2012/02/23(木) 16:09:54.42 ID:u2rqikZZ
当時の海外文献(Engineering等)でパシナの図面が載ったのは有りますか?
498鈴木:2012/02/23(木) 23:05:48.03 ID:H2oZ9VSz
>>497
Engineeringのような高級雑誌? には無いと思います。
それ以外の海外雑誌でも今の所確認できません。
Railway Gazette, 1936年 1月
にかろうじて形式図に毛が生えた程度の図が見えるだけです。

ただし、1930年代のEngineering誌は、既に機関車の記事などほとんど相手にしてないから(交通機関では船飛行機自動車ばかり)、
何か別の鉄道技術専門雑誌を漁れば載っていないとも限りません。
499名無しの車窓から:2012/02/24(金) 07:45:07.30 ID:RqsrbuaG
有難うございます
500鈴木:2012/02/24(金) 14:05:26.08 ID:DFq1xx39
既出かも知れないが一般人が最も簡単に読める
戦前の機関車技術専門雑誌は
http://anno.onb.ac.at/cgi-content/anno-plus?apm=0&aid=lok&zoom=2
おそらく↑で、オーストリアで発行された"die Lokomotive"なるドイツ語雑誌だが、
ここにも、パシナの図面は無いはずです。
501名無しさん:2012/03/04(日) 01:39:22.09 ID:6ylwjQ3g
米国シーボード・エアライン鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.rr-fallenflags.org/sal/sal-steam-bk.html

502名無しさん:2012/03/04(日) 21:50:40.01 ID:6ylwjQ3g
ウエスタン=パシフィック鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.wplives.com/diagrams/locomotives/1948/index.html

ユニオン=パシフィック鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.rr-fallenflags.org/up/up-stmbk.html
503名無しの車窓から:2012/03/05(月) 04:11:33.77 ID:a/wv7Epw
http://5at.co.uk/index.php/home/alias.html
残念ながら5ATプロジェクトは無期限活動休止になってしまったようです。
504名無しさん:2012/03/16(金) 14:01:17.50 ID:BQGqOMDp
イリノイ=セントラル鉄道の蒸気機関車のサイト

http://donsdepot.donrossgroup.net/dr1331.htm

http://orion.math.iastate.edu/jdhsmith/team/slindex.htm
505KC57 ◆KC57/nPS5E :2012/04/03(火) 19:37:37.79 ID:PJQH9N9F
下段、リンク切れてしまってますな・・・
506名無しの車窓から:2012/04/07(土) 15:36:37.17 ID:XVWCnJMB
今年からNHKで放送されるトーマスCG版にヒロと言う名前の日本型ミカドが出てくるが
どこから来たんだろこのカマは?
まさか3ft6inを英国で標準軌に改軌したのか?
507名無しの車窓から:2012/04/07(土) 17:49:50.87 ID:rWU/t8rP
考証は不粋でしよ。よく真っ黒な機関車で出られたものだ。
508名無しの車窓から:2012/04/07(土) 18:24:11.27 ID:aXeMHrlf
昔日本からやってきて森で忘れられたという設定は、戦時供出を連想させるな。
D50が標準軌に改軌されて大陸に送られたこともあった。

ヒロはヒロヒトのヒロか?w
509名無しの車窓から:2012/04/09(月) 08:32:36.98 ID:BueXwS3s
南方→終戦後接収→戦利品として英本国へ輸送後、戦勝式典か何かで展示(ミカド=天皇=日本の象徴なので晒す目的で)→展示後払い下げ→今に至る

そもそも南方に送られたD51がいないが(海南島はいた気が)。

英軍や独軍でも巡り巡って現地に帰化したカマが多かったけど
その後どうなったんだろう(特に一次大戦時に供出された英カマとか)。

510名無しの車窓から:2012/04/09(月) 12:19:18.65 ID:r5iQTj+U
ドイツの052ではソ連経由で中国に車籍を得た奴がいたそうな。
511鈴木:2012/04/09(月) 23:01:01.71 ID:wTKhWWu6
米国が「戦利品」としてドイツの2-10-0だのコンデンス機だの各軸駆動機を持ち帰り、
公開展示した事実はあるが、
それは敵国の優秀な技術に関心があった事も理由。
要するに憎き敵国ドイツの機関車に一般米国人は多少とは言え興味があったんじゃないかな?
日本から持ち帰る代表となるとD51(1000台 ! )かC53(3気筒 ! )なんだろうが、この場合一般英米人の関心は果たして如何に?

ドイツの2-10-0は2000台以上がソ連に捕獲された。
http://scado.narod.ru/rail/r_pt.html
↑の表の中の↓
「ТЭ (52)   1-5-0 1943 - . * 2171  Германия 」
が根拠。
これらの大半は1524mmにゲージ変換。
1960年代になって、使い古しのそれを数100台、1435mmに再変換し、東ドイツにあげたか、売ったか、したと聞いてます。
形式「ТЭ」の「T」は「トロフィ=戦利品」の意味らしい。
512名無しの車窓から:2012/04/10(火) 12:40:33.82 ID:j26Gvc6u
ゲルマニヤ…
513名無しさん:2012/04/11(水) 14:49:10.87 ID:oZnWhcyb
ノーザン・パシフィック鉄道の蒸気機関車のサイトが見つかりました!

http://research.nprha.org/Steam%20Diagrams/Forms/AllItems.aspx

514名無しの車窓から:2012/04/18(水) 19:17:37.17 ID:ZjV1Z88O
はじめまして
ドイツの流線形機の塗色について教えてください。
模型と実機で黒、グレー、赤があるようですが、どういう風に色を塗り替えて
いたのでしょうか?
BR19.1001を模型で購入したいのですが、色が3種類あるのでどれを買おうか
悩んでいます。
新製当時は黒だったようですが色がどのように変わって行ったのか知りたいです。
BR19.1001の塗色変更の歴史が不明で有れば他の流線形機の塗色の話でも構い
ません。
ドイツ機の知識は無いのですが独立駆動の特殊機に憧れて欲しくなりました。
よろしくお願いします。
515名無しの車窓から:2012/04/19(木) 00:06:10.50 ID:GX/4Ot16
>>511
資料には、「東ドイツ」ではなく「東欧」の1435mmゲージ国と書いてあったので訂正します。
516鈴木:2012/04/19(木) 10:48:55.37 ID:ufQInwXQ
>>515は鈴木です。
>>514
販売する模型屋さんのカタログなり、模型雑誌の製品解説欄にあるのでは? と言う程度しか私には解りません。
あと外国の機関車の話の場合「BR」と形式名だけで何の機関車か解る人は少ないんじゃないでしょうか。
私の場合も一々googleで調べました。
出来れば画像も出してくれれば、答えられる人が出てくるかも知れません。

>独立駆動の特殊機に憧れて欲しくなりました
もし米国のディゼル機開発が遅れてれば、米国製模倣機も出現してたかも知れない、という夢もありますね。
B&Oが構想絵図だけ出していたような気がするが資料不明
517名無しの車窓から:2012/04/19(木) 19:09:47.51 ID:mtoCNvqQ
>>514
EK-Verlagが19 1001の本出してますよ。
塗装のことがどこまで載っているかわかりませんが、
「EK Verlag 19」でググるとこの本買った人のブログ(日本語)が引っ掛かるので丁寧にお願いすれば教えてくれるかもしれません。
518名無しさん:2012/04/27(金) 13:56:40.44 ID:ItjWsr/l
イリノイ=セントラル鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.illinois-central.net/steam/steamindex.html

ニッケル・プレートロード、リーディングカンパニーなどの米国型蒸気機関車のサイト

http://www.alphabetroute.com/

519名無しさん:2012/05/11(金) 14:00:05.37 ID:ZpSPubnr
フランス東部鉄道の蒸気機関車のサイト

http://ec64.pagesperso-orange.fr/Dessin%20locomotives%20EST.PDF
520名無しの車窓から:2012/06/09(土) 02:24:04.14 ID:Ab2NEHwU
BR19は赤は国威高揚、ベルリンオリンピック用の塗装でしょ
戦争始まると余裕がなくなって足回りカバーを外して地味グレイ塗装に
順番としては 黒、赤 グレー 戦後に黒だと思う
521名無しの車窓から:2012/06/18(月) 02:06:07.74 ID:EPAxtmxl
522KC57 ◆KC57/nPS5E :2012/06/23(土) 01:40:59.47 ID:h6nlJOOT
>>521
http://bbs.hasea.com/attachments/month_1203/forumid_22/20120319_acf96c9acb2937e91455OmJ8V1O4O11W.jpg

これ瀋陽での写真のようだけどいつごろなんだろうか、切り文字残ってるし。
523名無しの車窓から:2012/06/24(日) 02:38:45.46 ID:GwaE5KV+
>>522
さすがにこの写真は解放前の写真じゃないかな?
解放後は緑皮塗装になってGW95000とSY95001(古い中国鉄道の書籍に豊台にGW?SY?95001が置いてある写真有り)

別件ですが珍しい車輛色々
毛??専用列車らしい(解放前は優等列車用車?)
ttp://bbs.hasea.com/attachments/month_1203/forumid_22/20120303_62da9dfc6050a797f375KaJCjKfBnIHN.jpg
ttp://bbs.hasea.com/attachments/month_1203/forumid_22/20120303_752fcffbd74cc3aea7e8a1jdB185zDDd.jpg
ttp://bbs.hasea.com/attachments/month_1203/forumid_22/20120303_7c60998df9a2681b09d6Tss9xzgeMaaG.jpg

国鉄の旧客によく似た車輛
ttp://bbs.hasea.com/attachments/month_1203/forumid_22/20120306_b9ae507602d8b34abd22M32wamWhzX0z.jpg

これも解放前製造の機関車?
ttp://bbs.hasea.com/attachments/month_1203/forumid_22/20120302_6a018ad44988497b32ba6M2Y83hbG7gb.jpg


各車輛の最終目撃日の一覧
ttp://www.railography.co.uk/info/cn_steam/lists/locos/class_index.htm
524名無しの車窓から:2012/06/24(日) 21:32:30.57 ID:vpwbcZWy
     _______                     __
    // ̄~`i ゝ                    `l |
    / /        ,______   ,_____    ________  | |  ____ TM
   | |     ___ // ̄ヽヽ // ̄ヽヽ (( ̄))   | | // ̄_>>
   \ヽ、   |l | |    | | | |    | |  ``( (.  .| | | | ~~
      `、二===-'  ` ===' '  ` ===' '  // ̄ヽヽ |__ゝ ヽ二=''
                         ヽヽ___//   日本
         ________________  .__
         |総選挙は参院の任期で決まる     .| |検索|←をクリック!!
          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  . ̄ ̄
         ◎ウェブ全体  〇日本語のページ

   KC57の正体はここでw
   http://saninninki.blog.fc2.com/
525名無しの車窓から:2012/06/24(日) 21:57:30.93 ID:DUQzne61
C56とC12のような兄弟関係にある蒸気機関車、ドイツの先輩のほかにイギリスに末っ子がいたんだね。
http://en.wikipedia.org/wiki/LMS_Ivatt_Class_2_2-6-2T
http://en.wikipedia.org/wiki/LMS_Ivatt_Class_2_2-6-0
なぜか戦後生まれ。どれぐらいの部品が共通であったのか不明。イギリスのことだから参考になる書物があるんでしょうね。
526名無しさん:2012/06/25(月) 15:49:34.16 ID:fyw2pyJQ
英国の蒸気機関車のサイト

http://www.brdatabase.info/classes.php?type=S
527名無しの車窓から:2012/06/27(水) 23:58:45.51 ID:nlff4mPu
>>525
国鉄3380形蒸気機関車でググれ
528名無しの車窓から:2012/06/28(木) 00:20:28.37 ID:dPTcUaSx
>>527
それはイギリスの蒸気機関車でしょうか?不勉強なもので。
529鈴木:2012/06/29(金) 00:33:20.77 ID:dho1aAMD
>>528
>527の言うとおり「国鉄3380形蒸気機関車」でググレば
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%843380%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A
↑が出るようです。
見たところ「イギリスの蒸気機関車」とは書いてないようです
530名無し野電車区:2012/08/18(土) 23:55:37.56 ID:jrCtTgw6
スウェーデンの蒸気機関車のサイト

http://www.svenska-lok.se/damp_main.php?s=19&n=SJ-anglok
531名無し野電車区:2012/08/29(水) 23:09:26.46 ID:UxcmOV+Y
チェコの蒸気機関車のサイト

http://www.parniloko.wz.cz/

532名無しの車窓から:2012/09/16(日) 10:44:47.76 ID:CG9OZEe4
トーマスに出てくるヒロって可倒式自動連結器装備してたんだな
しかしトーマスの世界にはBR最後のカマ・モーニングスターもいるのになんであれが「鉄道の英雄」認定されたんだ?
533名無しの車窓から:2012/09/16(日) 15:27:48.56 ID:PPKtQhSY
語呂だろ。HIRO→HEROとかの。着想はHIROSHIMAに由来?
534名無しの車窓から:2012/09/17(月) 20:48:43.99 ID:ziisNQF3
ドラマのHIROだろ。
535名無しの車窓から:2012/09/18(火) 21:30:27.05 ID:VCFhRU4q
安田大サーカスのHIROは歳の差婚するらしいしな
536名無しの車窓から:2012/09/25(火) 22:56:24.28 ID:XiQ5jpgt
こらこらトーマスのスレじゃないんだからネタを書くなネタを
537名無しの車窓から:2012/09/27(木) 19:22:42.84 ID:1mbUkJ4S
>BR最後のカマ・モーニングスター
すごいどうでもいい事だけど、Eveningstarでは。

しかし、全廃の8年前に蒸機を新製するってどうなんだ……。既存機がロートル揃いだったていう事情はあるとしても。
538名無しの車窓から:2012/10/03(水) 21:28:37.31 ID:7U+v7Suy
室蘭本線電化用のDD51の中にもそれくらいしか使われなかったのがあった
539名無しの車窓から:2012/10/03(水) 23:30:39.01 ID:aEsTpx9E
平行世界から来た人でつか?
540名無しさん:2012/10/04(木) 15:34:36.45 ID:OXv+kpeI
英国最後の蒸気機関車9F型(2-10-0)が蒸気機関車廃止5年前まで製造された理由は当時導入し始めたディーゼル機関車が故障が多すぎて足手まといになっていたからじゃないですか?
元LNERのA4型(マラード号)は英国内で蒸気機関車が廃止になる日まで稼動し続け、運転手の間では当時のディーゼル機関車より使い勝手が良かったと言われています。
541名無しさん:2012/10/04(木) 15:56:19.50 ID:OXv+kpeI
ルーマニアの蒸気機関車のサイト

http://www.railwayfan.ro/aburi/html/150_000.html
542名無しの車窓から:2012/11/20(火) 18:16:57.98 ID:hbG6Azrn
Steam Railmotor 93
http://www.youtube.com/watch?v=VdI9mNW-xd8
http://www.youtube.com/watch?v=osxrz2mW0zA

UKの保存鉄道かな。機関車じゃないけど蒸気機関が動力源てことで。
543鈴木:2012/11/21(水) 00:12:59.80 ID:if1Un7ti
蒸気気動車の動態保存は珍しいですね。
欧米のは縦型缶(英国GW)だの、エンジン車体側固定&ボギー動力台車だの色々あったようです。
544鈴木:2012/11/23(金) 23:57:10.68 ID:0Brcwk0X
http://www.lostbulgaria.com/?p=5083
ブルガリアの気動車らしい
タテ型缶?
545名無しの車窓から:2012/11/27(火) 16:53:29.33 ID:FqONV7BU
>>542
GWRの蒸気動車ですね。
2月に行った時に乗りました。
546名無しの車窓から:2013/01/10(木) 17:19:56.69 ID:lsmvy5hx
150 years old and still running late: London's Tube celebrates landmark anniversary
547鈴木:2013/01/10(木) 23:29:51.97 ID:yavYM8Xy
何で地下鉄? と思ったが、150年前は地下鉄も蒸気機関車ですね。
開通当時は4ft. 8-1/2in.と7ft.(別説7ft. 1/4in.)のデュアルゲージと思った
548名無しさん:2013/01/31(木) 12:33:46.31 ID:rp+DI3MA
549名無しさん:2013/03/22(金) 13:51:17.35 ID:yeXGaV6l
550鈴木:2013/03/25(月) 22:19:36.92 ID:gqBmeFv4
http://www.train-photo.ru/details.php?image_id=100821
ソ連、復水テンダー。
CO17-635は改番に依り→CO19-635らしい。
だとすると、1936年、ブリヤンスキ工場製。撮影は1937年12月とある。

この復水テンダーはヘンシェル社のコピー。
側面の蓋は全閉状態だが夏には開くものと思われる。
復水テンダーは試用の結果、寒冷地の凍結が多く、
結局ソ連南部に集めて使われたらしいのだが、この写真はモスクワから何kmのあたりか解らない。
551名無しさん:2013/03/26(火) 15:24:21.77 ID:Bmbiv6ux
552名無しの車窓から:2013/08/24(土) NY:AN:NY.AN ID:rxz8cPMe
NHK教育を見て42592倍賢い申告モレ
http://hayabusa2.2ch.net/test/read.cgi/liveetv/1377333097/
553名無し野電車区:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:cKklZQ0p
サンタ=フェ鉄道の蒸気機関車のサイト

http://www.kansasmemory.org/item/221763/

セントルイス=サンフランシスコ鉄道の蒸気機関車のサイト

http://condrenrails.com/Frisco/Locomotive-Diagrams-47/index.html
554名無し野電車区:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:cKklZQ0p
ロジャース社の蒸気機関車のサイト

http://archives.org/stream/rogerslocomotive00roge#page/88/mode/2up
555名無し野電車区:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:cKklZQ0p
556名無しの車窓から:2013/09/26(木) 00:37:08.88 ID:w5em62/2
以前、鉄道創世記を扱ったNHK出版の分厚い本にメルヘル号という初期の機関車があったが、
どなたか詳細をご存知ですか?後年、TMSのミキストにも掲載されていました。
557名無しの車窓から:2013/09/26(木) 00:40:43.04 ID:w5em62/2
記憶が正しければ以下の本に掲載されていたと思います。
世界の鉄道 出版社: 日本放送出版協会 (1978/06)
558鈴木:2013/09/26(木) 23:31:33.25 ID:m9yeKIfI
「メルヘル号」?
知らない機関車ですが、何処の国の機関車でしょう?
当然英国製?
しかし英国製の輸出機関車は輸出先の言葉で名乗るから英語名とは限らないし。
559名無しのよそ者:2013/09/27(金) 01:00:53.26 ID:clIM4x8v
きっとそれはロバート・スティーブンソンが1814年に作ったブルヘル号の事でしょう。
ブルへル号はピストンの動力を2つの歯車を介して2軸の動輪に動力を伝えていた機種です。
後に作ったロコモーティヴ号ではピストンからの動力を直接動輪に伝える形式に改良しましたけど
560鈴木:2013/09/27(金) 02:03:07.73 ID:mWaP7yGk
>>559
>ロバート・スティーブンソンが1814年に作ったブルヘル号の事でしょう。

ありがとうございます。
ロバート・スティーブンソンは1814年には未だ親父の仕事を継ぐか決めてなかったと思ったので、
ジョージ・スティーブンソン(親父)が作った可能性は無いでしょうか。
取りあえず「ブルヘル号」が近い気がするので、調べてみます。
561鈴木:2013/09/28(土) 03:32:08.26 ID:Z41jWN0b
機関車名の横文字綴りはBlücher。
プロシャの将軍の名前に由来。(当時英国の仮想敵国はフランスだから、フランスの敵ドイツの名前を付けたんだと思う)

http://en.wikipedia.org/wiki/Killingworth_locomotives
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Blucher_engine.jpg
↑ですね。1814年頃、ジョージスチブンソン第一作らしい。

動輪クランクの左右位相差は0度だが、前後位相差は90度。
動輪前後は現在の機関車の如くサイドロッドで連結してる。
排気ブラスト装置はあるらしい。
Killingworth炭鉱(ジョージは炭鉱関係ポンプ等を修理する叩き上げ技師)で使用。
Killingworth炭鉱のゲージは4ft. 8in. (1423mm)。
このゲージが後に少々広げられたが1435mmゲージの元祖。
562鈴木:2013/09/28(土) 03:37:05.66 ID:Z41jWN0b
>>561
横文字綴りが表示できなかった。
「Blucher」の「u」の字が本当はドイツ文字の「ウムラウト付きのU」ね
563名無しの車窓から:2014/02/12(水) 03:54:09.44 ID:gi/BJPrX
ありがとうございます。
564名無しの車窓から:2014/02/13(木) 02:37:16.81 ID:cHgr621k
阿里山のシェイ作ったLima、今は陸軍の戦車工場になって
M1のアップグレードやっているんだな。

蒸気動車除いて、シングルドライバーロコの最後はどの辺の時代に
なるんだろ?
バルト三国の近代シングルドライバーを見てふと思った。
565鈴木:2014/02/13(木) 15:55:07.71 ID:CQ7CeC0P
>>564
1950年に機関車製造に行き詰まったBaldwin社は
Lima社と合併してBaldwin Lima Hamilton 社になった。
その後は知りませんし、
Limaが現在戦車の仕事をやってる事も初めて知りました。
566名無しの車窓から:2014/02/18(火) 00:13:50.05 ID:qxY0T9iM
567名無しの車窓から:2014/02/18(火) 00:35:22.50 ID:qxY0T9iM
すみません、打ち間違いました
http://modelyh0.com/lokoatlas/lokopara.htm
568名無しの車窓から:2014/02/18(火) 21:28:20.85 ID:qxY0T9iM
ポーランドの蒸気機関車のサイト
http://parowozy.net/parowozy/ty23
569名無しの車窓から:2014/04/10(木) 07:13:05.41 ID:MeaQFdu2
┌────────┐
│鈴木はもう来るな!!!│
└─∩───∩──┘
570名無しの遠吠え:2014/04/14(月) 16:10:30.86 ID:IusbhbyP
ドイツ国鉄の44形(3シリンダー1E形)とポーランド国鉄のTy51形(2シリンダー1E形)どちらが好きですか?
571鈴木:2014/05/04(日) 22:39:08.87 ID:HQyN2OcZ
円筒火室について1:
http://kraken.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/1-8250-e74f.html
上記は現在、日本の蒸気機関車の図面提示にかけて、最もすぐれたサイトと思います。
円筒型の火室自体は機関車以前の定置ボイラーに沢山あったのですが、
ここではロケット号以来、機関車ボイラーの定番として確立した(何と言う名前か?)ステイボルト式火室に対する、
波板使用円筒形火室について書きます。
これに関して私が知る最も古い物は

@1888年、「Kiaudit and Pohlmeyer's locomotive boiler」なる物で
「Kiaudit」はSchulz,Kiauditなる製鉄社で円筒形定置or舶用ボイラーを作っていたドイツ人、
「Pohlmeyer」はプロシア鉄道の技師です。
機関車そのものは通常火室機から円筒火室に改造された0-6-0機の略図があります。
この火室をつけた機関車は計4台製造。

Aこの考えを発展させたのがLentz氏。
1892年時点でLentzボイラー機はドイツ、その他の国で計12台。
Lentz火室は円筒後部がかなり垂れ下がってるのが特色。
「Lentzボイラー」の名前で機関車用円筒火室一般を呼称する場合もあるようだ。
572鈴木:2014/05/04(日) 22:40:27.37 ID:HQyN2OcZ
円筒火室について2:
B米国ではバンダービルト型テンダーの発明であるVanderbilt氏が
1899年、NYC, 4-6-0に自社工場で円筒火室を装着。(Vanderbilt家はNYC他を所有する大富豪)
「Vanderbiltボイラー」の名前で機関車用円筒火室一般を呼称する場合もあるようだ。
その後1901年頃までに
NYC, 2-6-0、UP, 2-8-0、Rochecter鉄道, 2-8-0、サンタフェ, 4-6-0、
SP, 4-4-2、BアンドO, 2-8-0、イリノイセントラル, 4-6-0、等が採用。
最後のイリノイ4-6-0は最初のバンダービルト型テンダー付きバンダービルト火室機関車。
米国の一連の流行は1910年頃には終焉したように思われるが、これは推測です。

C英国では
1902年、ランカシア鉄道の0-8-0が円筒火室を採用。
1912年、2ft.ゲージの0-6-0Tがバグナル社で作られた。
フランスその他の国にもありそうだが、今は確認出来ません。

円筒火室に対する私なりの疑問は
火室が小田原提灯状になってるので、
定置缶では問題ないが、揺れの激しい機関車缶では
提灯の真ん中辺が垂れ下がってくるのではないか? と言う事。
特に提灯の下面は灰の掻きだし口で支えられてるが、
提灯の上面は、何にも支えられてない。(円筒火室の話終わります)
573鈴木:2014/05/04(日) 23:29:00.16 ID:HQyN2OcZ
574名無しの車窓から:2014/05/11(日) 01:18:29.98 ID:Rh/BUmqw
925 名前: 鈴木 投稿日: 2014/05/10(土) 06:31:43.22 ID:C0P1L2fS
>>924
類が友を呼ぶような蟹股クルクル会を主催するのはオタクの自由です。
頑張って「主催者権限」とやらを、権力気取りで振り回してきて下さい。
575鈴木:2014/05/14(水) 23:46:29.75 ID:QchZWVUE
円筒火室の底部だけ水ジャケットが無い、つまり底部だけは吹き抜けの
火室もあった。
焚き口から見た断面図は三日月状で、その下部が三日月の「欠けた部分」になる。
普通の円筒火室は外板(円筒)と内火室板(円筒)が同心円だが、
この火室に於いては内火室(円筒)の中心線が著しく低くなてるわけ。

正しく円筒火室とは言えないが、ステイボルトはほとんど必要ない。
普通の円筒火室に比べて火床の幅を大きく取れる長所がある。
ネットで探したが図が見つからない。

1876年か1877年、「Kaselowsky-Schwartzkopff」の名称の缶が、
ロシアの鉄道でアンスラサイト炭用に使われた、とある。
(出典、Die Entwicklung der Lokomotive, 第1巻、p350)
出典本には火室の図がある。

缶の名称の「Kaselowsky」はロシア人の名前か? 「Schwartzkopff」はドイツのメーカーのはず。
この缶を搭載した実際の機関車の写真も図も軸配置も今の所不明です。
576名無しの車窓から:2014/05/16(金) 21:53:15.40 ID:sPQjb8N/
>>565
ALCOが大戦中M4戦車の量産に携わった際にLimaその他数部門を
軍需メインに転換して、その流れで軍事産業側に残った。
大出力内燃機関とトランスミッションの扱いは、機関車メーカーは
手慣れているからね。
577鈴木:2014/05/16(金) 22:34:38.54 ID:HMANm3xs
どこかの聞きかじりの記憶だから、間違ってると言われればそれまでだが、
戦時中の米国政府の生産統制で、
ボールドウィンとアルコは蒸気機関車中心(ライマもか?)、
EMDはディゼル機関車中心、と決められた。
それが戦後の蒸気→ディゼル転換時に、
ボールドウィンやアルコの没落につながった
一番劣勢なのがボールドウィンで、ライマと合併したが結局終焉、.....と。
間違ってたら失礼。
578鈴木:2014/05/19(月) 01:43:54.79 ID:WnuvJ91g
>>577 訂正
このK4sの動輪が本当にScullin Steel社製 通称スカリンディスクか多少の疑義が生じた。
穴が少な過ぎるから、間違いの可能性もある。
念の為間違いない
スカリンディスクの例の図はこれ↓
http://svc.2chan.net/dat/r/src/1400431210766.jpg
出典、Railway Gazette, 1934年、5月

http://sbiii.com/rr1.html
のページの下の方に依れば、ボックスは鋳物なのに、スカリンは溶接、と説明してるようだ。
579鈴木:2014/05/19(月) 01:56:28.35 ID:WnuvJ91g
>>578は誤爆失礼
580名無しの遠吠え:2014/06/10(火) 16:00:40.25 ID:pze6xL0Y
英国の鉄道界にウェッチングハウス式(名前間違っていたらごめん)の空気圧縮機を使ったブレーキシステムが蒸気機関車廃止の日まで導入されなかった本当の理由は英国鉄道の車両限界。
英国鉄道の車両限界は幅2.69メートル×高さ3.9メートルと日本の車両限界より狭く、シティー・オブ・トルール号などの太いボイラーの横っ腹に空気圧縮機を取り付けることが物理的に不可能だったからだ。
実際にSNER鉄道のマラード号やLMS鉄道のロイヤル・スコットといった花形旅客機関車にはブレーキのための空気圧縮機がついていない。
実際に英国の鉄道会は蒸気機関車最後の時期まで空気圧縮機を使わない真空式のブレーキシステムが使われ続けたのだ。
581名無しの車窓から:2014/06/10(火) 21:03:06.58 ID:didp3uKf
アメリカ式の空気圧縮機を使わなければ済む話だし、アメリカの機関車でも煙室の前に圧縮機を置いた形式が複数見受けられるが?
http://www.steamlocomotive.com/2-6-6-2/co1308.jpg
http://www.gngoat.org/gn_steam_20.jpg
下の写真はまさに、太すぎるボイラーの横に圧縮機を取り付けられないので煙室の前に置いた例だよな。

イギリス人ってバカなの?
582名無しの車窓から:2014/06/11(水) 01:42:03.93 ID:mKfoVqKI
一応イギリスには理由がある。
(1)輸送単位が小さかった
(2)私有貨車の所有者の反発が原因で、貨車の貫通制動化が遅れた
(3)路線が極めて平坦だった
(4)アイルランド以外車両の国際運用が大してない

車両限界云々は後付けじゃないかなぁ。
空気制動ユニットのポン付けなんか煙室横以外にもいくらでも
積めるし、路線条件や制動頻度の厳しい地下鉄は空気制動化を
躊躇しなかったから。

国鉄も問題が無かった訳でなく、勾配の多いロンドン都市圏を
通過する貨物列車には死重積んだブレーキバンやら制動用補機を
連結していたりするし。
戦後の時点で貫通制動完備の貨物列車の編成荷重の制限が
650tというのを聞いてこりゃひでえと思った。
583名無しの車窓から:2014/06/11(水) 21:21:00.89 ID:wV8iaQ+Q
そうでしょうに。車両限界が理由だなんてありえない。
584名無しの車窓から:2014/06/13(金) 09:05:00.79 ID:yHSJlAze
北朝鮮の最新の技術を集めたホープ機関車
その名も先軍赤旗一号前面に赤旗のエンブレム!我らが日本共産党の
新聞赤旗と一緒に前進!大躍進!続けています!
585名無しの遠吠え:2014/07/06(日) 00:30:03.17 ID:UCblDeY1
メルクリンの鉄道車両の図鑑
http://www.marklinfan.net/nino_carbone.htm
586名無しの遠吠え:2014/07/07(月) 18:37:25.92 ID:xes9RpuM
もしプロイセンのS10が過熱式ボイラーのほかに内側高圧シリンダー&外側低圧シリンダー&全ての主連棒が第一動輪を駆動という形で量産されていたら・・・。
587名無しの車窓から:2014/07/11(金) 16:56:10.71 ID:0PSh9Snf
注目される前にヒソーリと消えていたであろう
588名無しの車窓から:2014/07/13(日) 19:06:23.68 ID:YZUvmi/e
韓国の機関車と演歌
http://www.youtube.com/watch?v=T9qgH9l0lg0
589鈴木:2014/07/14(月) 21:53:32.42 ID:9mfj4R7+
朝鮮語は読めないが、
日本車両、1943年製、ミカサ244 ?
http://blog.goo.ne.jp/dalpaengi/e/46fcf013baada6a9dd9fc618449f6485
590名無しの車窓から:2014/07/19(土) 23:31:26.18 ID:Jj3wC8v3
’80年代までは毎年5/5に不遇児童を招待して鮮鉄蒸機牽引の列車を走らせてた
そうだけどついに見ずじまい。
末期にはDLの後補機がついてた。
591名無しの遠吠え:2014/08/05(火) 20:33:14.63 ID:gjtgz/C9
ブルックス社の蒸気機関車のサイト
https://archives.org/stream/cataloguedescrip00broorich#page/84.mode/2up
592名無しの遠吠え:2014/08/05(火) 20:38:43.98 ID:gjtgz/C9
593名無しの車窓から:2014/08/05(火) 23:49:28.84 ID:olPLwQgS
今の相場がスタートしたのは5月21日の安値以降ですので、
そこを始点に考えてみます。





推奨8月銘柄 http://syoukenshinpou.blog13.fc2.com/blog-entry-19258.html




**銘柄とは 
594名無しの遠吠え:2014/08/10(日) 19:02:05.88 ID:uSeMm24n
フランスのパリ=リオン=地中海鉄道の複式4シリンダーのミカド式機関車(1D1h4v 全部で810両導入された)は主な職場の亜幹線区のターンテーブルの長さが短くてアメリカみたいなボギー台車の長い炭水車をつなげられなかったって。
フランスの複式4シリンダーのパシフィック機にはほとんどの機関車にフルサイズのボギー式炭水車が付いていたのに、もったいないよね。
595鈴木:2014/08/10(日) 20:17:22.45 ID:ZzVKhka1
http://ec64.pagesperso-orange.fr/Vapeurs%20PLM.htm
 ↑ の ↓ ですな。 多分
141 1001-1012 141A 1 à 12 141A 12 1914
141 1013-1129 141B 1 à 117 141B 117 1916-18
141 1130-1380 141C 1 à 680 141C-D 680 1919-34

この約800台が総て複式4シリンダーなのかどうかは私には知識がないけど。
596名無しの遠吠え:2014/08/11(月) 00:44:31.25 ID:7ua1+K9A
鈴木さん、141A&141B&141CのPLMのミカド式3兄弟。
この3機種は重さの誤差や前伝熱面積と加熱面積の違いはあっても基本的な高圧&低圧シリンダーのサイズを筆頭に基本的な設計はほぼ同じ基準だったみたいですよ。
ただし、141Cのグループはもともと煙管長6メートル&青銅製の火室だったのが燃焼室の付いた鉄製の新しい火室&煙管長が5メートル半に短縮され、熱効率が良くなる様に改造された機種が141E、141Fに改番されていますね。
597鈴木:2014/08/11(月) 22:08:34.74 ID:Ey6iUA2G
>>596
そうなんですか。私は詳しくないので。
http://svc.2chan.net/dat/r/src/1407762058963.jpg
汚い図だが、これですな。
1914年頃製PLM, 2-8-2, 4気筒。
煙管長さ、6m
内火室、銅製。

http://commons.wikimedia.org/wiki/Category:Steam_locomotives_of_the_Compagnie_des_chemins_de_fer_de_Paris_%C3%A0_Lyon_et_%C3%A0_la_M%C3%A9diterran%C3%A9e#mediaviewer/File:Hugh_llewelyn_141F.282_(5376101798).jpg
私は↑見て逆転ロッドが1本に見えたから、単式なんじゃなかろうか? と単純に思っただけです。
多分誤認でしょう。
598名無しの車窓から:2014/08/13(水) 13:31:17.28 ID:nyNyX2jQ
>>596
この鈴木、有名な荒しなので相手にするとあなたも同類と見做しますよ。会話は控えて下さいね。
このスレは監視下にあります。
599名無しの車窓から:2014/08/16(土) 15:51:00.09 ID:QfbT6HNo
自作自演乙
600名無しの遠吠え:2014/08/22(金) 15:56:39.19 ID:w2rtn4C3
ドイツ国鉄(1920〜45年)の01型初期車&03型はなぜ先台車にプロイセン国鉄P8型で使われた車輪直径1000ミリ&ホイールベース2200ミリの立派な台車を使わなかったんでしょうねえ?
601鈴木:2014/09/02(火) 23:41:12.00 ID:N29b0UwO
http://s00.yaplakal.com/pics/pics_original/9/4/5/1879549.jpg
多分一番良くできた写真と思われる
ソ連
4-14-4
602名無しの車窓から:2014/09/03(水) 19:31:13.17 ID:boIDVxxl
14ってすげぇっすなw
603鈴木:2014/09/04(木) 00:42:33.76 ID:SWTT2F2h
http://scaletrainsclub.com/board/viewtopic.php?f=42&t=4126
お好きな人はロシア掲示板でも。
604名無しの遠吠え:2014/09/04(木) 21:31:31.24 ID:Ik//OIvt
イタリアの蒸気機関車のサイト
http://larotaia.org/loco-a-vapore-2/index.html
605名無しの遠吠え:2014/09/11(木) 22:48:14.58 ID:uSHXC4Fb
606名無しの車窓から:2014/09/25(木) 20:55:02.61 ID:obLy++3a
模型改造してて思ったが、
9600って、ドイツの56型のパクリなのかね?
あの煙突と蒸気溜の形といい、軌道変更対応構造といい、
知れば知るほど、設計者があんまり考えないで
そのままコピーしたように思えてきた。
原型の方は性能うんぬんより軍事的要求であの形に設計したようだが
それを知らずに適当にまとめちゃったってオチ?
607名無しの遠吠え:2014/09/26(金) 22:20:50.80 ID:O2CziVJa
ドイツ国鉄の56型(プロイセンG8.2)は1917年に導入したG12(ドイツ国鉄58.10〜21)の縮小版だと思いますね。
初めはG12と同様の3シリンダー式(プロイセンG8.3型)で作ったけれど思うように出力が出なかったのでノーマルな2シリンダー式のG8.2(ドイツ国鉄56.20〜29型)が本格採用になってトルコに送られたものも含めて900量以上も製造されましたね。
608名無しの遠吠え:2014/09/26(金) 22:26:36.45 ID:O2CziVJa
609鈴木:2014/10/02(木) 08:43:15.18 ID:6M7n4N2W
>>608
出ませんけど。

http://www.locomotives.com.pl/
↑から入れば好みの写真も含まれてますけど。
610名無しの遠吠え:2014/10/03(金) 15:21:37.93 ID:MqGtgbUj
それは申し訳ありません。
611名無しの遠吠え:2014/10/31(金) 15:30:14.81 ID:/SA9fSpc
鈴木さん、米国の鉄道業界では労働基準法との兼ね合いで火床面積が50平方フィート(約5u)の本線用大型蒸気機関車は自動給炭機の設置が法律で義務付けられていましたよ。
612鈴木:2014/10/31(金) 20:51:36.39 ID:HpkMd8RM
>>611
それらしい話は聞いた事があります。50平方フィートかどうかは知りませんけど。
50平方フィート=4.65uですね。

戦後米軍が官鉄を管理した時、火夫の過大作業軽減のため、
C62にストーカーを付させた。
しかし、手持ちの資料ではD52火床面積=C62=3.85uで、米国規則の4.65u狭い。
という事は、火床面積が狭いC62が過酷であるという事は、
日本の炭質が米国より悪かったのだろうか?
と、これ以上は私には解りません。

なお火夫の作業が過大の場合、火夫を2人乗せる解決策もあり、
これは戦前日本の官鉄でもやってました。
613名無しの遠吠え:2014/11/01(土) 21:16:08.35 ID:DWL4FHf5
やはり敗戦直後の日本国内は質の悪い石炭しか手に入らなかったらしく、自動給炭機を取り付けなかったら十分な出力を出せなかったからだと思います。
614名無しの遠吠え:2014/11/04(火) 22:17:27.00 ID:6qWcCi8d
615名無しの遠吠え:2014/11/08(土) 00:43:36.98 ID:4m3Ws1t4
ギリシャに輸出された米国製の1D1型機関車
https://archive.org/stream/railwaylocomotiv28newyuoft#page/406/mode/1up
616名無しの車窓から:2014/11/11(火) 04:46:48.47 ID:CvpwaIrl
>>613
ただストーカーの信頼性が絶望的に低くて、集中運用できる区
以外はもて余したり外すケースが多かったな。
信頼性の高いスクリューコンベアとジョイントを作るのは
結構大変。

あと石炭消費量で乗務員の技量を評価する風土も抵抗を招いた
一因か。
機力投炭だとどうしても無駄が出る。

石炭の質を考えると、世界の蒸機がどの程度の品位の石炭を
焚いていたのか気になるな。
617鈴木:2014/11/12(水) 07:53:53.24 ID:Awh+2YM6
先輩の満鉄では戦前日本製ストーカーを使っていたのだが、満鉄のは故障がなかったのか気になります。

石炭の質で解らないのは無煙炭(Anthracite)。
ボイラー用石炭として最も高品位なのは英国ウエールズの無煙炭だった。これはAnthraciteだと思う。
そして英国機関車は全部ではないにしろ、普通の狭火室でこれが使われていた。
一方、
米国では、19c.中頃Anthraciteはペンシルバニアに豊富にありながら、
ボイラー用石炭としては不適格のため低価格だった。
その低価格Anthraciteを機関車で使用するために、
ロスワイナンス氏の細長火室やウーテン氏の幅広火室の開発など火床面積拡大を目的とした苦労を経て、
やっと機関車に使用可能になった。
英国の無煙炭と米国の無煙炭は違うのだろうか?
618門外漢です:2014/11/12(水) 17:51:40.69 ID:h7o5Jhxo
「蒸気機関車の200年」の本は持っていませんが、いくつか見つけました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A1%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%AF%E5%BC%8F%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A

Wikipedia 「キャメルバック式蒸気機関車」より
>ウーテン式火室は、細かく砕かれた無煙炭を燃やすのに適している。
>この無煙炭は下等無煙炭や無煙炭廃棄物とも呼ばれ、
>この機関車が登場する以前は、商業的に価値がなく、値段も非常に安かった。


http://explorer.road.jp/us/railroad/lackawanna/scranton/
http://explorer.road.jp/us/railroad/lackawanna/phoebe.html

USAのラカワナ鉄道では、無煙炭が使われていたとか。


日本だと無煙炭は着火が難しくて蒸気機関車には用いられなかった、
と聞きました。
いっぽう、軍艦では日露戦争の時には英国から無煙炭を買っていたとも。

戦後の南鮮?では石炭は無煙炭しか産出されていなかったといいますが、
それが同地の重油焚きの普及を促した…かは知りませぬ。

既出でしたらご容赦ください。
619名無しの遠吠え:2014/11/12(水) 22:37:30.87 ID:V0S1/RNq
ウェスタン・メリーランド鉄道のデカポッド機関車のサイト
https://archive.org/stream/railwaylocomotiv40newy#page/157/mode/1up
620鈴木:2014/11/13(木) 22:08:43.70 ID:kVSI8A1p
米国東部の無煙炭を機関車で利用するためには、
広い面積の火格子を必要としたのですが、そのためにウーテン火室より先に開発されたのが、
Ros Winans氏の機関車で、狭い火室で前後に細長い物です。
http://home.comcast.net/~phstakem/rr/winans/WINANS5.JPG
↑ 火室の上に60°に飛び出してる砲身のような物は火室前方に投炭するためのパイプ。
http://home.comcast.net/~phstakem/rr/winans/wengines.htm
↑ この総てが細長火室かどうかは不明だが、Ros Winans氏の機関車一覧表
http://lh4.ggpht.com/_WgFUv6ShVco/RuQ1NVoCmhI/AAAAAAAADYY/VNjIISwpMMU/s800/BOMuseum-Tour-NewShop-217.jpg
↑ 修復中
これらはウーテン式よりずっと早く消滅しました。
Ros WinansはB&O鉄道の専属工場に近い状態だったのが、
B&Oとの関係が断絶後、ロシアでの機関車製造に転身。

無煙炭は着火や火力の微調整に難があるので機関車での使用は少ない。
しかし、英国の無煙炭使用機関車については不明。

>>618
既出ではないからご安心を。
621鈴木:2014/11/13(木) 23:38:44.82 ID:kVSI8A1p
https://archive.org/stream/locomotiveengine14hill#page/304/mode/2up
ノリス製4-6-0。1847年製とある。
サイドロッドが上下2本の丸棒組み合わせで長さ調節可能。
ノリス社はオーストリアにも工場を持っていた。
オーストリアではこのタイプのサイドロッドを別名「ノリス式」と言った。

歴史上2本の丸棒サイドロッドの最後の機関車は1911年製。
オーストリアの2-12-0の第5、第6動輪間サイドロッドに使われた物と思う。
勿論この時点ではノリス社はとっくの昔になくなってる。
http://schienenfahrzeuge.netshadow.at/db/details.php?image_id=53603&mode=search
取りあえずこの写真しかない。
第5、第6動輪間サイドロッドの様子は明瞭でない。
622鈴木:2014/11/14(金) 16:33:10.67 ID:gNn6FKhs
>>621 :鈴木 訂正
オーストリアの2-12-0は
「2本の丸棒サイドロッド」は間違い。
上下2つを組み合わせて3箇所で結合してはいるが、断面は丸棒ではないです。
http://white.ap.teacup.com/kotaroooo/img/1189350848.jpg
http://white.ap.teacup.com/kotaroooo/img/1189350985.jpg
623鈴木:2014/11/14(金) 22:06:06.18 ID:gNn6FKhs
http://images.zeno.org/Roell-1912/I/big/Ro06140c.jpg
事のついでにオーストリア、2-12-0。
設計、Gölsdorf。 台数、1台。
平面図見ると、第5〜第6動輪サイドロッドが異様に外に飛び出してる。
624名無しの車窓から:2014/11/15(土) 00:51:01.74 ID:Vs+Sl8cv
>>617
アメリカの場合、家庭用燃料炭や船舶炭の余りの粉炭に近い
無煙炭をそのまんま使いたかったニュアンスがあるように思う。
目が細かく粘結性の弱い無煙炭でも火床が吹き抜けない
ボイラを模索したらこうなるかと。
今じゃ整形して練炭にするところだけど。

ボイラ炭でも、機関車と船舶や据置では求められる特性が違うね。
鉄道だと振動とドラフトの中で良好な火床を形成することを
求められる代わりに給炭や灰捨ては用意だから、無煙炭よりは
高品位の粘結炭が好まれる傾向がある気がした。
625鈴木:2014/11/15(土) 08:46:15.66 ID:wxNwe48B
http://www.billspennsyphotos.com/apps/photos/photo?photoid=179696958
ペンシルバニア鉄道、Seneca号。 Ross Winans 製。
「0-8-0」と書いてあるのは製造時0-8-0だが、撮影時は2-6-0に改造済みらしい。
外火室後部が角ばってるように見える。

下記の表
http://home.comcast.net/~phstakem/rr/winans/wengines.htm
には
「#131 Seneca 4/1856 0-8-0 c 19 x 22 44 58,500 」
と書かれてる。
626鈴木:2014/11/16(日) 01:10:49.06 ID:i3v20/kz
機関車用として世界で最も多かったのは瀝青炭 (bituminous coal)と言われる物だと思います。
米国東部で初めに最も使われたのは薪。沢山の森林があったから。
しかし薪は取り尽くしていくと価格が上がる。
そこで石炭使用が注目されるのだが、私の推測では、この時点ではbituminous coalは無いか希少で、
一方Anthraciteは大粒か小粒か解らないが普通に在った。
この時点で既に、舶用や定置用にAnthraciteが実用的に使われていたのかどうかは解らない。

http://www.amazon.co.jp/History-American-Locomotive-Development-1830%C2%961880/dp/0486238180/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1416067034&sr=1-1&keywords=american+locomotive+its+development
の第七章Fuelを見てるのだが、長文なので拾い読み。
最初期の親指トム号はAnthracite焚きだったが、
この当時散発的に作られたAnthracite焚きは薪焚きに比べて不調だった。
他に英国からの輸入機は石炭焚きがあった。
1860年には90%が薪焚き
1870年には50%が薪焚き
鉄道会社で石炭焚き開発に最も熱心だったのは、BアンドO鉄道。
等々。
627 【東電 78.8 %】 :2014/11/20(木) 13:02:59.22 ID:luYf7TaD
>>624
そうそう、なるほどね。キミの言いたいことはわかった。よく頑張ってるやないか!
…ということはね…


神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。

http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em


キミの今後に期待してるよ。その調子でね。
628門外漢:2014/11/20(木) 13:34:41.32 ID:HT3L5dZ7
Wikipedia の「キャメルバック式蒸気機関車」の項には

>低質な無煙炭を大量に投炭して燃焼させると、不純物が溶解してクリンカーを形成し、
>火格子の目を詰めて火室内の通気を悪化させた。

ともあります。
629鈴木:2014/11/21(金) 22:35:46.74 ID:ZSM16/io
せっかくだから、1881年、レディング鉄道4-4-0(自社製)のウーテン火室
https://lh5.googleusercontent.com/-R_CpvuarL3U/VG8vcCVRDRI/AAAAAAAAKig/P00zM60B6qo/s912/1.jpg
https://lh3.googleusercontent.com/-awP5VTsSlSQ/VG8vk3qssSI/AAAAAAAAKio/icftfQqGg_4/s640/2.jpg
火格子が水管になってる。
火格子は缶胴最底辺より少し高くなってる。
630鈴木:2014/11/21(金) 23:26:35.42 ID:ZSM16/io
http://en.wikipedia.org/wiki/Anthracite
「The invention of the Wootten firebox enabled locomotives to directly burn anthracite efficiently, particularly waste culm」
「ウーテン火室は無煙炭機関車を可能にした、特に低質炭の」
とあるのは、>>624の意見に近いですね
631名無しの車窓から:2014/11/26(水) 17:14:46.07 ID:QBbYXyAi
スレ違いですが

http://erojr.home.cern.ch/erojr/content/models/kando/kan_his2.htm

単相交流集電で、回転相変換機を介した多極非同期電動機駆動の機関車、
V40 というのが、第二次世界大戦前のハンガリーで造られたそうです。

三相交流集電による三相非同期電動機駆動なら
1903年のドイツでの試作高速電車や、スイスの登山電車でも例がありますが…
632鈴木:2014/11/26(水) 18:17:14.64 ID:FNvHjAP4
電気は全然解らないけど、
http://www.railfaneurope.net/pix/hu/electric/V40/pix.html
これですか?
633631:2014/11/26(水) 19:04:17.26 ID:QBbYXyAi
>>632
どうも。それです。
634鈴木:2014/11/26(水) 22:09:02.64 ID:FNvHjAP4
635鈴木:2014/11/26(水) 22:24:33.89 ID:FNvHjAP4
ハンガリー機関車探してるついでに、
http://hu.wikipedia.org/wiki/MÁV_TIVa
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/0e/M%C3%81V_TIVa.jpg/1024px-M%C3%81V_TIVa.jpg
の鮮明写真が見つかった。
後のエンゲルス式の発端みたいなやつだが、Fink式。
Fink式は1台だけだと思ったらこれ見ると4台もあったようで、一応は成功だったのかも知れません。
手元の資料では「Haswell-Wien」製とある。
Haswellは非常に早い時期に4気筒バランス式4-2-0機関車を作ったオーストリアの技師に関係するものと思います。
636鈴木:2014/11/26(水) 22:32:10.92 ID:FNvHjAP4
637鈴木:2015/01/21(水) 10:43:12.55 ID:zf/EJRJn
https://www.youtube.com/watch?v=ANFlnrZMoMA&feature=youtu.be
これ火の粉がひどい(上映時間5分)。
よく沿線火災を起こさないものだ。
客貨車がオール木造車だった昔は留置した客車の火災がかなりあった、と
米国の何かの本で読んだ記憶があります。
638名無しの車窓から:2015/01/23(金) 04:01:46.70 ID:P7R2JWhc
8200=C52の前面が開放されていて弁装置の連動てこがむき出しになっているのは
粉塵が入るのが嫌われて後に蓋を付加されたというのだけれど、
それではアメリカの3シリンダ機では同じことが問題にならなかったのか?
UPの9000型保存機を見ると、やっぱりむき出しのままだけど
639鈴木:2015/01/24(土) 00:41:02.95 ID:CMJkHhsI
>>638
Alcoのグレスレー式は少なくとも製造時は全部カバー無しだったと思います。

http://www.australiansteam.com/5711.htm
オーストラリア製のこれ(D57?)なんかも、カバー無しですね。

日本国鉄を別にすれば、私の知る範囲では、
グレスレー氏の(1924年)LNER、4-6-2はカバーは無いが上面は板で覆われてるように見える。
グレスレー氏の(1938年)LNER、2-6-2も同様。
グレスレー氏のは基本的に上面が高目のエプロンでカバーされているのかも知れない。
あと、1928年、North British製、4-6-2、メーターゲージ、マレーシア向けが、
箱型のカバー付き3気筒グレスレー機です。

カバー付きの理由は私には解りません。
640名無しの車窓から:2015/01/29(木) 20:59:59.96 ID:+Zh8+/co
>>639
thx その蒸機、すんごくカッコイイ

カバーを付けてしまうと風が入らなくなって発熱の問題が発生しそう
641名無しの車窓から:2015/01/30(金) 05:23:56.62 ID:bfFdR56s
>>626
無煙炭は品位が高い(=燃えカスが少ない)一方でコークスに
加工できず製鉄に使えないので、アメリカじゃ鉄道用に
押し付けられたんだろうな。

逆に日本じゃ産出量の大半が瀝青炭で、無煙炭が採れなかったから
高価で需給が厳しかった。
日本の広火室蒸機は瀝青炭でも低カロリーで灰分の多い常磐炭を
消費するための工夫だったな。

火室回りの工夫はイタリア機が面白いね。
642名無しの車窓から:2015/01/30(金) 07:13:24.46 ID:Aef1qNqv
ペンシーのデュープレックスは、素直に4-8-4を買っておけば望み通りのものが手に入ってたのに、
NYCと違うもの欲しさに変なものをこしらえちゃってm9(^Д^)プギャー
ってわけですかい?
643鈴木:2015/01/30(金) 15:58:29.46 ID:nHmBYEYb
>>642
NYCの何と比べてるのか解らないが、
ペンシーのT-1型デュープレックスの意図に関しては、
「スチブンソン的機関車をこれ以上高速で走らすとしたら、
1つしかない動力群を2つに分割して、各ピストンやロッドの個別重量を減らし、
もって振動を減らす」
という事と思います。
確かBaldwinの提案と思います。

全機落成時には、ディゼル機が主力になってしまっていたために、活躍の場が無かった。
これは、PRR社の愚かなな見込み違いですか? と言われれば、
現在の我々から見ればそうと言えない事も無いが、当時の状況下では将来の予測が出来なかった事なのでしょう。

私の推定だから明確な根拠は出せないが、
1945年時点欧州(西側)ですが、ディゼル機の値段は蒸気の2倍くらいではないでしょうか。
644鈴木:2015/01/31(土) 16:04:36.18 ID:F2nWmzrD
偶然だが、T-1型デュープレックスの多分1/48模型写真が今日、米国型ファンに依ってupされた。
http://livedoor.blogimg.jp/dda40x/imgs/6/c/6cfa7b16.jpg
実物論議は別として模型外観が美しい。

https://www.youtube.com/watch?v=ihCHzS4jT_M
は同機の動画。時間2:09。
速度は40km/h程度と思うが、1:22の時点で、前部動力群がスリップ開始してる。
T-1型デュープレックスは中高速走行中のスリップという欠点があった、とも言われ、
又、そういう事は無かった、という人も居る。
真偽は不明。
645名無しの車窓から:2015/02/05(木) 22:12:47.32 ID:Vkf0DjPB
ただでさえ軸重が重いのに、空転しまくりじゃレールを傷つけて保線に嫌われそうだな
646鈴木:2015/02/06(金) 08:40:13.38 ID:JdU0rIPx
レシプロ機関車の振動を減らすために、
動力群を2つに分割する考えはペンシー以外にBandO鉄道もやってる。
http://sbiii.com/rrpix/geomersn.jpg

さらに沢山の動力群に分割するとすれば、各軸駆動という事になる。
これはドイツで行われた。
V19.1001
http://www.ebay.com.hk/itm/Prestige-Dampfer-BR-19-Streamline-steam-locomotive-DRG-Brawa-40133-AC-Wechselstrom-mit-sound-decoder-/390515203051
http://im1.shutterfly.com/media/47b7ce11b3127ccec228e8a4c29f00000010O08AatWLJm2auQe3nw4/cC/f=0/ps=50/r=0/rx=550/ry=400/
URLが長過ぎるが勘弁
647名無しの車窓から:2015/02/09(月) 21:31:25.42 ID:LQvdnsem
ここの一番下に、シャプロンの外側4気筒複式機関車っていうのがあるんですけど
どういう構造なのかなこれ

ttp://thierry.stora.free.fr/english/chapelon_plans.htm
648鈴木:2015/02/10(火) 00:57:02.79 ID:JaoyTB/K
>>647
1936年、P.O.鉄道が計画した幹線各停もしくは支線用。
1941, 1944年、コルペット社がさらに設計をつめた。
元ネタは"Les projets d'avenir en traction a vapeur de la S.N.C.F." 雑誌"Chemins de Fer" 1945年12月号にあるらしい(未見)。
以上の出典はChepelon著"Locomotive a Vapeur"の英語版の、英国人が付け足した余分な巻末付録より。
本機は実現しなかったと思う。

提示されたネットを見る限り、
複式4気筒で、正面図で解るとおり、高、低、低、高、とすべて外側左右に並べてる。
高圧は第2動輪、低圧は第1動輪に連結され180°位相をずらしてる。

これに似た気筒配置は単式4気筒ではあるが
Henry F. Shaw設計、 Hincley社製造がある↓
https://www.fimfiction.net/group/1425/the-guild-of-equestrian-railroaders/thread/145715/obscure-locomotives
http://www.douglas-self.com/MUSEUM/LOCOLOCO/balanced/hfshaw1.jpg
649名無しの車窓から:2015/02/10(火) 01:27:32.30 ID:lLAPR3ho
>>648
返答、ありがとうございます

このタイプの気筒配置で単式ならアメリカが好みそうな気がします
650鈴木:2015/02/10(火) 02:01:11.79 ID:JaoyTB/K
651名無しの車窓から:2015/02/10(火) 21:14:58.94 ID:lLAPR3ho
これ、カップリングロッドが二本あってクランクでつないである!
652鈴木:2015/02/11(水) 19:20:42.15 ID:g+YXxVII
図面として計画された4気筒バランス式機関車で、最も古い物としては既に
1834年にBodmer氏が、車軸配列1A、4気筒式の図を残してる。
両側の2つの気筒を、中心線をずらさずに一致させた状態で、前後に並べた物。

初めて実際に作ったのは
1861年にオーストリア国鉄ウイーン工場。技師John Haswellによる。
機関車名は"Duplex"
http://en.wikipedia.org/wiki/Locomotive_Duplex
両側の2つの気筒は上下に並べられてる。
John Haswellは著名な技師で、バランス機以外にも色々作ってると思う。
653名無しの車窓から:2015/02/11(水) 20:57:48.86 ID:lkEnfjj6
ボーグレン複式がそれなりに普及したのだから
これも普及してもよさそうな気がしますが

クランクがあっても、横動するとぶつかたりしたのかな?
654鈴木:2015/02/13(金) 00:48:43.47 ID:6wA3IUqh
固定台枠の4気筒バランス式(因みにボークレン4気筒は非バランス式)は、
フランスで普及し量産されました。

http://www.zeno.org/Roell-1912/A/Lokomotive
「Frankreich besaß Ende 1911 bereits weit über 4000 4zylindrige L. 」
多分文字化けするが、
「フランスは1911年末には既に4000台以上の4気筒機を所有した」
と読めると思う。 (この文では「L.」はLokomotiveの略語)

4000台というのは随分多いが本当だろうか? その通りだとしたら、
この内かなりの部分がde Glehn複式4気筒バランス式と私は推測してます。

なお、de Glehn複式4気筒機関車は研究用に、
ドイツ、米国(ペンシー)、英国(Great Western)が各1〜3両買った。
655名無しの車窓から:2015/02/28(土) 22:10:21.11 ID:cN8f7BBz
20世紀初頭の蒸気機関車の書籍
https://archive.org/stream/locomotivesof19000lakerich#page/n5/mode/2up
656名無しの車窓から:2015/03/02(月) 22:26:04.05 ID:cyxOsRF2
フランスの蒸気機関車を記した鉄道雑誌のサイト
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/cb343654271/date.r=Railway+Locomotive+.LangFR
657鈴木:2015/03/03(火) 17:00:03.76 ID:h5WMGOaf
>>656
いいもの知ってますね。
この雑誌は19世紀末から少なくとも1930年頃までは発行されていたと思った。
このネットコピーで一発で見たいページを見つける方法には未だ慣れていないが、

例えば、ベルギー人、Lionel Wiener氏に依る、
"関節機論"="Les Locomotives Articulees"はこの雑誌で連載された。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k6477125f/f283.image.r=Railway%20Locomotive
多分その後、戦前単行本として発行され、
さらに1970年頃英訳本を模型雑誌屋のカームバック社が1970年頃再版した。
私は洋書屋のイエナでも売っていたから持ってる人もいるかも知れない。
658鈴木:2015/03/03(火) 17:03:47.85 ID:h5WMGOaf
>>657 些末な事だが訂正。
×私は洋書屋のイエナでも売っていたから持ってる人もいるかも知れない。
○洋書屋のイエナでも売っていたから持ってる人もいるかも知れないが、私は買い逃した
659名無しの車窓から:2015/03/04(水) 18:42:19.80 ID:AJRx599k
660名無しの車窓から:2015/03/05(木) 14:12:05.25 ID:adqTVD/4
イギリスにミカドが流行らなかったのは何故なんだぜ?
661名無しの車窓から:2015/03/05(木) 19:07:39.00 ID:kYm7i3lE
ミカドに限らず、炭質が良かったお蔭で火室が狭くて良かったからだと思うぜ?
662名無しの車窓から:2015/03/07(土) 13:01:11.10 ID:97dMh3qu
スペインのどうなの?フランコのおかげで遅くまで残ったんで小改良なんか
蓄積されなかったんですかね。フランスの隣出しみなさんお好きなシャプロン
の影響とかは?
それよりも広軌なので気筒数なんか増やせそうですね。
663名無しの車窓から
経済の混乱で改良どころの話じゃjないでしょう。
維持するので精一杯だったのは、その末期の写真集で察しが付くかと。