嘘で固めた南京大虐殺

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1名無しさん@お腹いっぱい。
現在でもなお誇張され続けている中共の反日プロパガンダ。
世紀の捏造「南京大虐殺」の真実を検証しましょう。
2名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/14(木) 22:48:38 ID:5l6KXsauO
今どき南京大虐殺を信じてるバカなんてネット以外で見たこと無いwww
3名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 06:48:30 ID:z9f67qLs0
普通のアメリカ人は皆信じてるよ
4名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 09:56:36 ID:Dql3yx2A0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模な略奪・暴行・虐殺事件。


大辞林

ナンキンだいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。




広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 10:19:42 ID:jV3CWa1cO
南京大虐殺はないが

会津大虐殺はガチ
6名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 12:35:08 ID:DK20yQJr0
南京で虐殺があったとして、日本軍のものかどうか証拠もないのにな。
北京語が公用語じゃないころのかの地では、中国人同士で会話が成立しないことも当たり前。
身内を殺した人間が「知らない言葉をしゃべっていた」からアジア系外国人=日本人だなんてのは証拠にもならん。
1937年12月から二ヶ月弱の間のことを指定した証言でもなけりゃあ、証言ですらない。

当時の日本軍は、国民党とだけの戦闘をしていたわけではないことからもわかるように国民党の力が弱くて群雄割拠の時代だったんだからな。
どこぞの軍閥による虐殺があってがあってそれを日本軍の所為にされたらたまらん。

今の日本でもドイツ人とイギリス人の区別がつくか? さらに、アメリカ人、カナダ人だって区別はつくまい。
当時の中国人は総じて軍オタで装備から日本軍だと一目瞭然だったとか言うのかいな。

当時では、日本のことを外国だと思っていなかった中国人すらいるというのにな。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 13:03:59 ID:Dql3yx2A0
『現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した事件。
軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中支那方面軍
松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後も「敗残兵狩り」
と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,いわれのない虐殺・
略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を20
万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚子江)
一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっかになっていた
といわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,たちまち全世界に
知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。

8名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 13:05:11 ID:Dql3yx2A0
『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。こうして政府お
よび軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおらず,当時国民政府のあった南京
を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成
立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作戦(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全
土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば
,南京だけで4万2,000人以上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人
・子供であった。

9名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 13:06:09 ID:Dql3yx2A0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日本は12月13日に中国
の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩
りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内とその周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になっ
たと推測されている。(笠原)
10名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 13:07:02 ID:Dql3yx2A0
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺
された中国人は数万人とする説から43万人とする説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強
な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・
虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らか
にされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害された中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとし
ている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。


11名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/15(金) 21:43:19 ID:0kLZpimRO
事典に書いてある事は全て正しいニダ(`∀´)
12名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 00:15:24 ID:mftLtC7P0
>>9
笠原が書くとこうなるのか。しかし、20万人虐殺説の根拠がどこにも無いのは周知の事実。
既に過去スレで、肯定派は何度も何度も論破されている。

「中国のプロパガンダに関わる項目は、百科事典であっても信用するな」ということだなw

13名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 14:11:17 ID:fya38dtq0
ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。日本軍
による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの蛮行は同年11月の
杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為の一部であった。中支那派遣
軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベルの将校たちが命令をきかず、大規模
な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上」現象、つまり、まず既成事実をつくって上層
部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例である。この大量殺戮については多くの証人がおり、また中
国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残されているにもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過
小視し続けてきた。一部の者は残虐行為が行われたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷なら
びに中国国内で開かれた各種法廷への提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって
殺された人の数を確定することは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少な
いほうでは日本の軍事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると、
殺害された人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け、また無数の
食料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ月間の蛮行の凶暴性は、
ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が本件あるいは同種の犯罪を理由に
処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任を負わされて処刑されたことは歴史の大
いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさかのみややすひこ。上海派遣軍司令官)や中島今
朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)などの下級将校のほうが直接的責任ははるかに大きい。

14名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 17:31:49 ID:d683guK60
>>12
じゃあ、今、重ねて論破したら?
15名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/16(土) 22:04:18 ID:e/uZ915q0
20万はあくまで推測と書いてあるがなW
16名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 07:40:13 ID:+640+yW60
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺
された中国人は数万人とする説から43万人とする説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強
な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・
虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らか
にされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害された中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとし
ている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 09:49:19 ID:rcVX4bsK0
>>15
大体シナすら主張したことのない20万に拘る奴等って基地外だろ
シナは極東軍事裁判でも30万と言っていたが減らされて20万になっただけだ
幾ら30万が嘘だとばれたからって「それでも20万は殺されたニダ」ってのは見苦しいぞ朝鮮人
18名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 13:35:29 ID:+640+yW60

ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。
日本軍による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの蛮
行は同年11月の杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為の一部
であった。中支那派遣軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベルの将
校たちが命令をきかず、大規模な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上」現象、
つまり、まず既成事実をつくって上層部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例である。この
大量殺戮については多くの証人がおり、また中国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残されている
にもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過小視し続けてきた。一部の者は残虐行為が行わ
れたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷ならびに中国国内で開かれた各種法廷への
提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって殺された人の数を確定するこ
とは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少ないほうでは日本の軍
事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると、殺害された
人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け、また無数の食
料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ月間の蛮行の凶
暴性は、ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が本件あるいは同
種の犯罪を理由に処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任を負わされて処
刑されたことは歴史の大いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさかのみややすひ
こ。上海派遣軍司令官)や中島今朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)などの下級将校の
ほうが直接的責任ははるかに大きい。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/18(月) 21:36:49 ID:Kh6q6H3/O

馬鹿のコピペがループし始めた。早くもネタ切れかよ。

こいつ、論破されてさぞかし悔しかったんだろう。ざまあみろ、低能
20名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 05:23:29 ID:fzV1KCnx0
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和
十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損
害を被った。十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられ
ていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏
切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友
の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強
姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の
入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委
員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。犠牲者数については中国側の
公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二
月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。この事件は「シカゴ・デ
イリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十
八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は
敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者
として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

21名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 13:49:20 ID:Mjy5jOCA0
でっち上げの罪で処刑された松井大将や谷中将はさぞ無念であったろう。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 13:54:55 ID:MetxdHxL0
原爆並みの被害者数をいちいち銃や刀では容易じゃなかろうに
23名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 13:56:56 ID:fzV1KCnx0
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。1937年(昭和12)8
月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被っ
た。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上
海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸
脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍
兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つとい
う郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火な
どの非行が常態化する状況となった。12月13日,南京占領に際しては,17日の入城式に備え,徹底的
な掃討を行い,投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し,多数の一般市民をその巻添えにし,略奪・
強姦・放火を重ねた。さらに12月22日,佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任,中国兵の狩出しと処
刑を続け,38年2月初めに及んだ。犠牲者数について中国側の公式見解は30万人とするが,戦闘行為
による戦死者を除き,上海から南京への進撃途上から38年2月初めまでの期間をとれば,10数万人から
20万人前後に達するとみられる。この事件は〈《シカゴ・デイリー・ニューズ》〉(1937年12月15日付),〈《
ニューヨーク・タイムズ》〉(1937年12月18日付)などによって報道され,国際的非難を浴びたが,日本
では厳重な報道管制を受け,日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同
裁判の結果,松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され,南京での裁判で第6師団長であった谷寿
夫中将らが処刑された。                 

(平凡社『世界大百科事典』「南京大虐殺」)
24名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 18:20:38 ID:IRa3U87nO

論破された肯定派は、悔し紛れに中共のプロパガンダを泣きながら貼りまくる
25名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 18:48:02 ID:fzV1KCnx0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。


26名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 22:11:05 ID:IRa3U87nO
じゃあ、そろそろ南京事件の欺瞞について語ろうか
27名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/19(火) 22:50:02 ID:vPLg7oUM0
age
28名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 07:13:24 ID:j2nvAIHn0
大辞林

ナンキンだいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対
して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以
上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 12:24:04 ID:fKUAak850
数字及び事実の捏造は連中の常套手段 
30名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 18:24:09 ID:j2nvAIHn0
南京大虐殺があったことはアカデミズムの世界ではとっくに証明済み。世界の常識です。
南京事件否定本というのは海外の学者の間では「日本にはこんな馬鹿がいる」
というサンプルとして取り上げられているのが現実です(『南京事件と日本人』笠原十九司著より)
31名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 19:43:00 ID:5q65YhlOO
馬鹿のコピペパワーが落ちてきたな
32名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 20:39:11 ID:j2nvAIHn0
広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一
般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 21:14:30 ID:j2nvAIHn0
米国下院決議「日本の学校で使用されている新しい教科書には「慰安婦」の悲劇その他第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪を軽視しようとするものがあり、」

欧州議会決議「 日本政府はその性奴隷制度の全貌をすべて明らかにしたことはなく、日本の学校で使用される教科書は、‘慰安婦’の悲劇やその他の第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪を最小化しようと試み」


34名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/20(水) 21:48:51 ID:j2nvAIHn0
一九三七年十二月に起こった南京虐殺について、私は自分が専門家であるとは
思いませんが、この事件に関する一方の議論とそれに反対する側の議論との両方に
 詳しい本紙ニューヨーク・タイムズの歴史の専門家たちを、私は信頼しております。

彼らに調べさせた所、彼らは、この今回の広告の中で取り上げられている
「事実」なるものは、大多数の学者たちが従来書いている、南京虐殺は
本当に起きていたのだという長い間認められてきた見解を変えるほどの
ものではないと裁定致しました。

例えば、彼ら専門家たちは、(歴史家たちによって以前から承認されている)
この都市の人口に対し疑問を投げかけるということは、殺害された個人の数に
疑問を投げかけるのと同じようなことで、私どもの専門家の見解によれば、
当時の厖大な人的損害を矮小化するものであると指摘しています。

従いまして、公認された諸事実に疑問を投げかけるようなものだと
私どもには思えるこのような広告を掲載することは、お断り申し上げたいと思います。
この広告に書いてあるような供述(報告)が、もし信頼できる新聞や雑誌に、
新たに発見された証拠として載せられているのであれば、是非お知らせください。

                                                  敬具
                      スティーヴ・ジェスパセン
                      ニューヨーク・タイムズ 広告審査部長

35名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 12:38:16 ID:K9a6hdgXO

アイリス・チャンが自殺したのはなぜか?
36名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 12:43:23 ID:K9a6hdgXO

答:鬱病

レイプオブナンキンに関する質問に答えられず鬱病になった。

当然。レイプオブナンキンは、事実に基づかない作り話なのだ

37名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 17:48:12 ID:gKPZNvjK0
>>36
と、言うlことにしたいんだな
コピペゴキブリ吉田
だからお前はゴキブリなんだよ
現にうつ病(単極性障害)で苦しんでいる世界中の人に謝れ
38名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 18:26:09 ID:K9a6hdgXO
寝言言ってないで、南京大虐殺30万人の証拠があるなら出しなさい。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 20:25:45 ID:gKPZNvjK0
>>38
お前がうつ病の苦しさも知らないで噛みついたことが許せんのだ
自殺念慮で一度苦しんでみるがいい

うつ病で自殺した人間をあざ笑う、お前の人間性は最低だ
40名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/21(木) 21:46:40 ID:+MxaBOBnO
うつ病の原因は自分が吐いた嘘。
この嘘のせいでどれだけの日本人が迷惑したことか・・・
41名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/22(金) 03:04:22 ID:MTQxO9PwO
鬱病云々はいいから真実を追い求めようよ。
やっぱ史料批判じゃね?
42名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/22(金) 07:33:41 ID:c1p8LHYaO
南京大虐殺30万人の証拠を出しなさい
43名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/22(金) 20:03:14 ID:k7wMsKO/0
嘘だというならその証拠を出しなさい
それと>>40は他人の不幸をあざ笑うのはやめなさい
44名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/22(金) 21:38:21 ID:DSRGsmZIO

証拠が無いから嘘だと言ってるのに、嘘だと言う証拠を出せってバカですか?
45名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 10:00:23 ID:QYcCdolV0
『現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した
事件。軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中
支那方面軍松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後
も「敗残兵狩り」と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,
いわれのない虐殺・略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚
子江)一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっか
になっていたといわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,
たちまち全世界に知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。


46名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 14:48:26 ID:n/MNZ/FW0
9月からロシアで暮らしているものです。
今週号のロシアの新聞「アルグメント イ ファクト」(論拠と事実)に面白い記事が
載ってたので、拙い訳ですけど紹介しますね。
もし、スレ違いなら指摘してください。

『南京でのジェノサイドは共産国家陣営による作り物だった!!』
ソ連邦崩壊後、様々なソ連時代の公文書が日の目を見ていることは読者の皆さんも
良くご存知であろう。さて先日、ウラジオストークで開催された極東地区歴史学会で
「南京ジェノサイド」に関する面白い公文書が紹介された。
(中略)
「南京ジェノサイド」の証拠として中国が挙げている写真の一部が、ウラジオストーク市
近郊の都市トルストゥイ・フイにあった「ソ連人民芸術局極東撮影所」で撮影されたことを
示す公文書が発見された。この公文書を発見したのは、ロシア科学アカデミー
極東戦史研究所のアーラヤ・ピズダ氏である。ピズダ氏の発見した文書によれば、
「南京ジェノサイド」の証拠として中国政府が公表している写真の一部は
上記の撮影所で撮影されたもので、ブリヤード人やシベリアのマイノリティー
など日本人そっくりの人を日本兵役で出演させ、「中国人にひどいことをする
日本人」という構図の写真を撮ったそうである。この研究所の副所長で
日本海の向こう岸にある町新潟の大学で教鞭をとったこともある親日家の
イヴァン・ドラチョク氏は「冷戦時代は西側陣営に失点を与えるために
こういうおかしな協力もソ中間で行われていたようだ。しかし、今は
そんな時代ではないし中国に協力する謂れもない。また、これに関心のある
日本の歴史家の皆さんを是非お助けしたいと思う」と語った。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 15:03:43 ID:QYcCdolV0
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京
入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多く
の市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 15:05:07 ID:QYcCdolV0
さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の
「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強
姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するま
で、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を
問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十
万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「
まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、
いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。

49名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 17:01:01 ID:CKO6vbQy0
9月からロシアで暮らしているものです。
今週号のロシアの新聞「アルグメント イ ファクト」(論拠と事実)に面白い記事が
載ってたので、拙い訳ですけど紹介しますね。
もし、スレ違いなら指摘してください。

『南京でのジェノサイドは共産国家陣営による作り物だった!!』
ソ連邦崩壊後、様々なソ連時代の公文書が日の目を見ていることは読者の皆さんも
良くご存知であろう。さて先日、ウラジオストークで開催された極東地区歴史学会で
「南京ジェノサイド」に関する面白い公文書が紹介された。
(中略)
「南京ジェノサイド」の証拠として中国が挙げている写真の一部が、ウラジオストーク市
近郊の都市トルストゥイ・フイにあった「ソ連人民芸術局極東撮影所」で撮影されたことを
示す公文書が発見された。この公文書を発見したのは、ロシア科学アカデミー
極東戦史研究所のアーラヤ・ピズダ氏である。ピズダ氏の発見した文書によれば、
「南京ジェノサイド」の証拠として中国政府が公表している写真の一部は
上記の撮影所で撮影されたもので、ブリヤード人やシベリアのマイノリティー
など日本人そっくりの人を日本兵役で出演させ、「中国人にひどいことをする
日本人」という構図の写真を撮ったそうである。この研究所の副所長で
日本海の向こう岸にある町新潟の大学で教鞭をとったこともある親日家の
イヴァン・ドラチョク氏は「冷戦時代は西側陣営に失点を与えるために
こういうおかしな協力もソ中間で行われていたようだ。しかし、今は
そんな時代ではないし中国に協力する謂れもない。また、これに関心のある
日本の歴史家の皆さんを是非お助けしたいと思う」と語った。

50名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 21:15:29 ID:iAyzIXyT0


670 :可愛い奥様:2010/10/22(金) 19:55:44 ID:cTTejQa+0
9月からロシアで暮らしているものです。
今週号のロシアの新聞「アルグメント イ ファクト」(論拠と事実)に面白い記事が
載ってたので、拙い訳ですけど紹介しますね。
もし、スレ違いなら指摘してください。

『南京でのジェノサイドは共産国家陣営による作り物だった!!』
ソ連邦崩壊後、様々なソ連時代の公文書が日の目を見ていることは読者の皆さんも
良くご存知であろう。さて先日、ウラジオストークで開催された極東地区歴史学会で
「南京ジェノサイド」に関する面白い公文書が紹介された。
(中略)
「南京ジェノサイド」の証拠として中国が挙げている写真の一部が、ウラジオストーク市
近郊の都市トルストゥイ・フイにあった「ソ連人民芸術局極東撮影所」で撮影されたことを
示す公文書が発見された。この公文書を発見したのは、ロシア科学アカデミー
極東戦史研究所のアーラヤ・ピズダ氏である。ピズダ氏の発見した文書によれば、
「南京ジェノサイド」の証拠として中国政府が公表している写真の一部は
上記の撮影所で撮影されたもので、ブリヤード人やシベリアのマイノリティー
など日本人そっくりの人を日本兵役で出演させ、「中国人にひどいことをする
日本人」という構図の写真を撮ったそうである。この研究所の副所長で
日本海の向こう岸にある町新潟の大学で教鞭をとったこともある親日家の
イヴァン・ドラチョク氏は「冷戦時代は西側陣営に失点を与えるために
こういうおかしな協力もソ中間で行われていたようだ。しかし、今は
そんな時代ではないし中国に協力する謂れもない。また、これに関心のある
日本の歴史家の皆さんを是非お助けしたいと思う」と語った。

このあとに詳細が載っていますが、全部訳す元気ないのでごめんなさい。
それと(中略)のところには、いわゆる「南京虐殺」についての中国側の公式
見解が書かれてますが、皆さんご存知でしょうから略しました。

51名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 23:31:44 ID:rK6UZ2pZ0
松島やよりさん(故人)の面白映像
http://www.youtube.com/watch?v=kBMJ0UC0DTk
52名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/23(土) 23:35:46 ID:rK6UZ2pZ0
松島やよりコント わかりやすい編集版
http://www.youtube.com/watch?v=-riwTVNA7HM&feature=related
53名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 00:40:00 ID:q7SeHJgT0
>>48
南京陥落後、南京を守備していた日本軍は4000人にも満たなかったんだが。
南京戦で戦った他の部隊は転戦して、南京に入城した部隊自体も少なかったし、
長く留まる部隊もなかった。

笠原が「7万人が南京で殺戮に興じた」と言い張るなら、それが何処の師団の第何連隊の
第何部隊であるか、余すところなく記す義務がある。何か根拠があるから言い張れるんだろ?
史実に基づいて語られなければ、この程度の作り話は誰にでもできるのだ。

現実に、アイリス・チャンがとんでもない作り話を世界に広めたし。


54名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 00:44:43 ID:q7SeHJgT0

南京で「民間人を虐殺した」と証言した元日本兵の経歴をたどると、

「南京戦当時、13歳だった」
「召集後、内地で終戦を迎え、外地で兵役についた履歴なし」
「所属部隊は、南京戦に参加していない」

こんな連中ばっかりだ。


55名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 01:08:31 ID:q7SeHJgT0


★ドイツ軍退役将軍ウーレ・ウエットラー

「純粋に軍事史的見地から調べた結論から言うと、兵士の訓練度、司令官の質、全ての面で
日本軍の優秀さは群を抜いていた。民間人に対する対応も、占領軍であるにも関わらず、
実に礼儀に富んだものであった」


こんな礼儀正しい軍隊が、民間人を大虐殺するなど、常識的に考えてありえない。


56名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 08:34:37 ID:rwD3itG0O
証言からなる南京戦史をググり出来れば実物を見るべき。

ウヨ共は外国のプロバガンダだから嘘とのたまうが加害者の日本兵側が虐殺を証言した史料

南京事件に関しては被害者(中国)&加害者(帝国兵)&第三者(外国メディアや国際委員会)が主張しており規模に異論はあれ事件自体の否定は極めて困難
57名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 10:05:15 ID:cSn+jQam0
>>55は、中卒携帯無職コピペゴキブリ吉田が
名越二荒之助の本から引っ張り出してきたものなので
まったくの創作です。注意w
58名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 11:37:40 ID:03R8solp0
>>57
よし!俺も援護射撃してやるよ!

南京大虐殺や従軍慰安婦等の諸問題で活躍し、
朝日新聞記者にもシンパの多かった
VAWW-NETジャパン代表
松島やよりさん(故人)
^^^^^^^^^^^
の、主張。
http://www.youtube.com/watch?v=kBMJ0UC0DTk

の、わかりやすい編集版。
http://www.youtube.com/watch?v=-riwTVNA7HM&feature=related

ネトウヨ渡辺昇一と金美齢は死ねバウバウ!
59名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 11:46:35 ID:03R8solp0
ところで>>57ね〜
>>55は携帯じゃないよ?むしろ>>56が携帯。
だからって「>>56がチミだ!」とは言わんがね。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 12:00:43 ID:03R8solp0
訂正>>58
 × 松島やより
 ○ 松井やより
   ^^^^^
失礼をお詫び申し上げます。
61名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/24(日) 23:33:07 ID:xz+myUBPO
普通は犠牲者が出て事件になるのに、南京事件の場合は事件をでっち上げてから犠牲者探しをしたので、今もって犠牲者が誰か全くわからない。
もちろん犠牲者数も全くわからない。
62名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 08:07:09 ID:IKFtcWUKO
全く解らない×

犠牲者の定義や範囲と時期に主張の違いが見られる。

でっち上げで数合わせをしてるのはトンでも幻派の小林よしのりとかだろ。

小林の主張

南京の30万説は原爆と釣り合わせる為にでっちあげた!

しかし東京裁判時には原爆の死者は10万前後。明確な嘘を付いてるね釣り合わせるなら10万だろ
63名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 08:09:35 ID:IKFtcWUKO
>>61の明確な嘘は東中野と同様。裁判によって被害者と証拠採用された人間は居る。
この板にも東中野裁判スレがある。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 12:06:40 ID:IEYeOGmK0
>>39
鬱であったことを、鬱病を笑っているわけじゃない。
なにをやっても、鬱病になってしまえば許されるのか? というだけのことだ。
鬱病になるようなことをみずからすすんでやったことを笑っただけのことだ。

>>54
虐殺した本人だと“自白”しておられる殊勝な方は、当時の軍法なり刑法なりに照らし合わせてC級戦犯としてなり通常の犯罪者として実刑をかしてほしいと願い出るまでのことくらいはやってもらいたいものだ。「時効だ」などと言わないで。
自白すれば許されるなんてもんじゃあるまい?
講和条約が結ばれても日本の「罪は消えない」と言うような輩は、なんでこっちの罪は消えたと思うんだろうか。
刑すらも実執行されていないのに。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 12:20:20 ID:IEYeOGmK0
>>55
>こんな礼儀正しい軍隊が、民間人を大虐殺するなど、常識的に考えてありえない。

虐殺をしなかった証拠にはならんけど、ね。
洋の東西を問わず、占領軍兵というのは傍若無人に振舞うから上官を悩ませていたのは確かだからね。
日本軍が特殊に見えることはあっただろうね。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 12:41:43 ID:p3/6AtIO0
こんな礼儀正しい軍隊が、民間人を大虐殺するなど、常識的に考えてありえない。

↑まさにこれだよねー南京の真実とかいう大層な映画も史実的な新証拠や新証言は0で
 処刑された後方待機の臆病軍人共を持ち上げて雰囲気的に虐殺0を主張してるだけw
 つうか南京の真実の二部って確かまだだよな?クソウヨから資金を集めて水島は製作
 に専念してるんだろう?製作資金は全部水島の贅肉になったのか?三部構成だったよなw  
67名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 14:10:57 ID:Fl8W48ae0
>>64
>鬱病になるようなことをみずからすすんでやったことを笑っただけのことだ。

やはりお前は最低の人格だ
自殺した人間を貶めているのだから最低だ
自覚がないなら人間の屑だ
きっと占領当時の南京にも、お前のような日本兵がゴロゴロしていたんだろう
68名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 14:18:44 ID:U290Cqwf0
その当時にでも発表されない限り、60年もたった今では死者数が
30万人とか100万人とか1000万人とでも、なんとでも言える
チャンコロは底抜けにアホなのでそれに全然気付かないだけ
69名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 17:12:51 ID:p3/6AtIO0
アホウヨが被害者0と言い張るのも底抜けにアホだから出来る事。
理性の欠片でもあるなら。被害者&加害者&第三者の証言に一致が多く見られ裁判で処刑された被告の臆病軍人共も否定しなかった
略奪事件を無罪などと雰囲気やコピペ&とんでも本だけで信じたりしない。

>>67

>>68>>64のようやks野朗が武器を持ち占領軍として補給物資が無い状態で自活せよと一週間野放しにされれば
略奪行為に及ぶのは想像に硬くない。どんな国や軍隊にも善人も居るが確実にks野朗も存在する良い例だ。
かくてバカウヨは自ら南京大虐殺に繋がってもおかしくない「下種さ」を照明してる。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 20:55:34 ID:o9MNG/AIO
このスレ政治板にあったよね。
けっこう続いてたが、いつの間にか消えてた。
71名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 22:06:03 ID:hYRCqXQO0
論破されたのでこっちへ逃げてきたのです
アホですね(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)(笑)
72名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 22:09:56 ID:clqZuSxt0
このスレの辞書コピペ連投野郎は
他の2chの南京事件系スレやヤフー掲示板でも貼ってあったな。
気持ち悪い公開オナニーを見せるなよ。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/25(月) 22:23:50 ID:o9MNG/AIO
最近の肯定派はコピペしか貼れなくなったけど、もう反論のネタは尽きたのかな?
74名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 01:00:50 ID:WGDPGrBpO
>>72
コピペされた出版社も、
恥を晒すな〜売り上げが落ちる〜
と戦々恐々としているだろうなwww
75名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 01:15:22 ID:zfViR8K90
南京戦前後での、蒋介石の300回余りの記者会見の中で、「南京虐殺」なるものがまったく
語られていないこと。蒋介石が語らなかったのは「知らなかったから」、と言えるか?
常識で考えれば、「南京虐殺が無かったから語りようが無かった」と見るべきだろう。

同じことは毛沢東についても言える。毛沢東は多くの書簡を残しているが、南京虐殺について
触れた書簡はひとつも無い。知っていたのにあえて触れなかったのか?それは違うだろう。
「南京虐殺が無かったから書簡に書きようが無かった」と見るべきだ。

76名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 12:21:54 ID:VB3whRLv0
>>67

へー。
どんなエゴで罪を犯そうが、自殺さえすれば許してもらえるし、その犯罪すらもなかったことになるんだ。

「とにかくあいつは悪いことをやったんだから、その罪の内容が多少違っていようが瑣末なことだ」

って、対象をつるし上げるなら、どこかの国の検察とかわらんな。
一方的な“被害者様”がわだけの証言だけで活動執筆なんかするから(悪意があろうがなかろうが)質問攻めにあえばその整合性に自分で苦しむことになるんじゃないか。
調査をしようというなら、多角的にやらにゃあだめだ。
「日本軍が蛮行を犯すわけがない」などというところからはいっていくのも当然だめだが。
むしろ、やつめが編纂した「レイプ……」が穴だらけだから、
本当に日本軍が虐殺行為をしていたにしても、その立証が難しくなっちまった。
奴は、肯定派からこそ恨まれるべきなんだがなぁ。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 12:23:31 ID:VB3whRLv0
それから、何某という南京虐殺の実行犯は、名乗り出るだけじゃなくてちゃんと刑に服してください。
名乗り出れば許されるというものではありません。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 17:08:46 ID:ZK3ophVF0
>>75

大嘘。2chコピペとウヨブログ、そしてカキコだけで得た知識だな。

中国共産党刊行雑誌『群集』第1巻第4期(1938年1月1日)「短評」欄

敵軍(日本軍の暴行は最近開始されたものではなく、「九・一八」以前にすでに各種の残虐事件が引き起こされ、我が民衆が虐殺された。

蒋介石 日本国民に告ぐ 

また日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附けを行つた余勢で、わが方の遠くに避難出来なかつた無辜の人民および負傷兵士に対しても
大規模な屠殺が行はれた。(以下抜粋)

あるひは数十人を一室に集めて油を注ぎ火炙りに処し、殺人の多少を以て競争し、互ひに冗談の種としてゐる。

アホウヨは相変わらず嘘も100回繰り返せば真実に!という作戦しか出来んのね。俺が提示した史料名で
ググッてみ。お前はTV討論とか編集のきかない場だったらボコボコになるぞ。あとこの大嘘ツキの>>75に出来ることはノーソース
での捏造認定or中国人最低コピペで中国人全てが嘘つきのような印象を与える作戦に出るだろうなw
79名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 17:54:53 ID:WGDPGrBpO
>>78
>蒋介石 日本国民に告ぐ

書簡でこんな呼び掛けするわけないだろ。
おまえ自身の頭に問題がありそうだな。
80名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 19:10:26 ID:Ao4f5nSz0
南京で虐殺はあったよ、確かに。

だがそれを「有史以来未曾有の大虐殺」とばかりに言う現代中国人は
自分達の過去を知らないとしか言いようがない。

別に日本軍を正当化する気はないが、あの程度の虐殺なら
中国史上に溢れかえってる。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 20:26:05 ID:opxH7CvR0
>>76
論点をずらすな
俺はお前が鬱病患者(しかも自殺した)をあざ笑った行為を
鬱病患者として許せんだけだ

もう一度言う
すべての鬱病患者に謝れ
82左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/26(火) 21:13:21 ID:aIsOIQ+yO
>>81
キサマはうつ病だけでなく知的障害も患ってるようだな、ギャッ、ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!!!
83左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/26(火) 21:25:57 ID:aIsOIQ+yO
>>80
> 南京で虐殺はあったよ、確かに。

見たのかよキサマはwww
84左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/26(火) 21:38:45 ID:aIsOIQ+yO
>>69
>被害者&加害者&第三者の証言に一致が多く見られ

虐殺された被害者がどうやって証言するんだこのボケwww
イタコでも呼んだんか?
85左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/26(火) 22:00:53 ID:aIsOIQ+yO
しかしここは低能反日蛆虫どものデタラメ発言満載だなwww
見つかんないと思ったんだろうけど残念でしたwww
86名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/26(火) 22:42:14 ID:on8NYHy00
日頃人権を叫んで止まないアホサヨたちは、今回のノーベル平和賞については
貝のように固く閉ざしたままですからね
所詮あいつらも偽善でしかない事を暴露したわけで
87名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 01:33:08 ID:isTBuoVe0
>>79

蒋介石に言えよ。事実そういう史料が残ってるんだからなwいかにバカウヨといえどググル事位できるだろう?

蒋介石 日本国民に告ぐ
↑これコピペしてググッてねw

>>84

被害者の家族や目撃者そして被害者自身が死なない内に他者に伝えるケース等がある。日本軍は推理小説に出てくる
完全犯罪者ですかwそれを聞き取ったのが国際委員会の面々であろう。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 12:27:09 ID:/4Yh1plO0
>>81

「そりゃあ、そんなことしてれば鬱病にもなるよな」
と言うことは、鬱病患者を冒涜してることになるのか?
「そんなふうに働いていれば、過労死もするわな」
と言うことは、過労死した人間を冒涜しているのか?
「そんな包丁の使い方をすれば、指くらい切るわな」
と言うことは、調理が稚拙な人間を冒涜したことになるのか?

更に、死ねばどんな嘘を生前に流布していても許されるのか?
どこかの国の検察のような操作をしていても許されるものなのか?

目立つような取材や広報をすれば様々な質問攻めにもあう。
自分では気付かなかったこともでてくるし矛盾点もあらわれる。
それに気づいたときに、
「すいません、私の調査不足でした。そのことについては関係者に謝罪もしますし、追って調査の報告もします」
とさえ言ってしまえば、病んでしまうほどの悩みなんぞなにひとつなかっただろうにな。

誰かの所為で鬱病になったわけでもあるまい。
大気感染するというのならその限りでもないが。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 17:53:06 ID:2t30Pv9N0
>>88
「鬱病で自殺して死んだ、ざまあみろ」
というのは立派に冒涜してると思うがな

そんなにアイリス・チャンの著書が日本人に精神的損害を与えたとでも言うのなら
お前が原告団でも組織して
遺族と出版社相手に「精神的苦痛を被ったから損害賠償しろ」とでも言って
裁判でも起こしたらどうだ
2ちゃんなんかで似非正義漢づらして、人の死をあざ笑っているより
よほど男らしいと思うがな
90名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 17:55:14 ID:2t30Pv9N0
>>88
ああ、お前が鬱病というものについて
全然知らないと言うことだけは良く分かった

勉強してからものを言え
91名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 18:34:15 ID:pf0pJR+D0
実際チャンの所には抗議の電話がジャンジャンかかって来たんだっけ?
92名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 18:59:31 ID:ioehPicsO

アイリス・チャンのもとには、証拠提示を要求する書類が殺到した。

証拠は無いし、かと言って嘘とは言えないし、黙殺も出来ないし。

という訳で、鬱病になって自殺しましたとさ、チャンチャン。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 19:07:16 ID:ioehPicsO

アイリス・チャンが鬱病になったのは自業自得。

別に、鬱病の人を誹謗中傷している訳じゃ無いよ、念のため。

アイリス・チャンも「全部嘘っぱちでした」とゲロすりゃ、鬱病はたちまち全快して死なずに済んだのさ
94左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/27(水) 19:26:39 ID:GldVVtWUO
俺はアイリス・チャンにはある意味同情するねw
中共という反日巨悪のデタラメプロパガンダの一端を任わされた、無知で哀れな末端工作員の悲しい末路であったとwww
95名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 20:13:29 ID:2t30Pv9N0
>>93
お前も鬱病についての勉強不足
何年も苦しんでいる人間がゴロゴロいる現実を知れ
そう簡単に治るもんじゃない
96名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 20:15:12 ID:2t30Pv9N0
ここに来るとネトウヨという連中が
日本の癌であることが良く分かるよ
人間として最低だ
97左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/27(水) 21:32:32 ID:GldVVtWUO

反日嘘つき糞野郎がよく言うぜwww
人間以下の蛆虫キムチのクセしやがってwww
98名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 22:16:38 ID:qkUMyVrc0

肯定派は若干1名か。孤立無援で罵倒を繰り返すだけとは空しいね。

99名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/27(水) 23:49:19 ID:ioehPicsO
肯定派は何度も何度も論破されるヘタレ
100名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 10:42:34 ID:aj8IgsPvO
そのヘタレの示した史料を一切検証せず反証も反論も出来ない故にいつまでも史実は覆らない。

麻生太郎に聞いて見れば南京事件は嘘だと思いますか?ってね。

気に入らん意見にキムチや反日と言えば史実が動くのか?こんな板でまで工作啓蒙活動するネウヨの方が余程反日だろw
101名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 11:12:03 ID:y+RUpPO10
>>100
>そのヘタレの示した史料を一切検証せず反証も反論も出来ない故にいつまでも史実は覆らない。

ヘタレの示した史料でまともに検証に耐えられたものってありましたっけw
「当時11歳の奇跡の軍人」とか「実在不明な仮名の証言」とか「南京に出征していない人物の日記」とか
「タイムマシンを使わないと実行不可能な戦闘詳報と称するシロモノ」といった物が存在したと思いますがw
そういったものを根拠に「史実」と主張しているなら笑えますがw
102名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 17:26:30 ID:IJ23C8BpO
肯定派っていうのは社会のゴミだな
103名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 20:20:41 ID:u4afYR/D0
まともな学究は、こんなネトウヨの巣窟と化した
ネタスレなんかに来ないよ
お前らは裸の王様
104左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/28(木) 22:08:33 ID:/ETQueU5O
まあこの2chでも南京事件については長年議論が続いていたが、正直なところ肯定派の反論のネタはもう出尽くしたという感じだなw
あとは捨て台詞を吐いて逃げるか、バカの一つ覚えのようにコピペを貼りまくるか、他に打つ手はございませんwww
105名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/28(木) 22:17:08 ID:IJ23C8BpO

2chで論破されて尻尾を巻いて逃げ出した肯定派など、所詮世間から受け入れられることはない。

せいぜい、傷を嘗めあって惨めにいきていくんだな。

ざまあみろ、バーカ

106名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 00:21:10 ID:qBh4RBYl0
>>101

それらは不確かな証拠の一部かもしれん。ソースがあればご提示願おうか?
中国側の被害を少しでも大きくしたいプロバガンダというのも当然ある訳だ。かといって
そのプロバガンダがあったから事件そのものが消失する訳ではない。

幻派の主張は現在は日本国内の旧軍美化の靖国史観論者が持ってる訳だが前者は
今の所は東中野の敗訴&田中正明の日記改竄等の行いのせいで国内もとより世界的に一切認められていない。
作る会ですら。中国側の被害規模の主張には疑問が残るに留まってるのだが?
上記について>>101はどう考えるんだ?
107名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 00:29:22 ID:qBh4RBYl0
俺が虐殺事件を否定しないソースとしては

加害者の日本兵自身が証言した「証言による南京戦史」 大阪毎日新聞 鹿児島沖縄版1938年1月25日の100人斬りインタビュー
被害国の指導者の記した上にも上がってるが 共産党誌の「群集」蒋介石の「日本国民に告ぐ」
第三者の国際委員会の「ラーべの日記」ニューヨークタイムズの「ダーディンの記事」
108名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 09:43:36 ID:51WS2GBpO
ウヨのカキコは加工画像や捏造コピペが出所で多くはゴー宣。元を正せば捏造日記の田中が出所。

ソース不提示でキムチだのシナだの反日だの言えば論破した気になるからね。
論破というなら論敵が自分の論の過ちを認め論旨を変えて論破となる。
少なくともウヨ学者崩れ共は日本国並びに国際的には南京虐殺という論を論破には至ってない
109名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 14:01:38 ID:olhBMOlGO

南京大虐殺とやらの証拠を出してみろ
110名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 15:13:53 ID:BaTvTuXT0
>>107
えっお前?
「ラーべの日記」とか「ダーディンの記事」はウソだらけって事が既に論破されてるのかに
そんな物を根拠にしてるわけ?
お前の頭の中はウジでいっぱいだな(ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
111名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/29(金) 18:33:11 ID:MQqe9sfu0
>>110
ネトウヨが焦っております
お前がもう一度論破したら?
112左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/10/29(金) 21:45:05 ID:uT8HuCzfO
>>107
「証言による南京戦史」では、支那兵に対する不法殺害の可能性として3000〜13000人と結論づけてるな。
キサマが出した資料なんだから、当然これに同意するんだろ?
113名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 00:25:13 ID:GdaFu7j50
証言による南京戦史は、「身内に聞いて答えてくれたものの中で分かった範囲」
でしかないから、それで全部って意味で捉えるのはどうかと
114名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 01:59:36 ID:mQJfpJRt0
>>110

またノーソースで嘘だらけと認定し、そして何処が嘘だらけなのかも示さない。お前の根拠は
僕の好きな最強正義日本軍は悪い事は絶対にしない!!←だけだろwそんなんでは被告側が罪を
認めて結審した裁判はとてもひっくり返らんぞ。

感情の虫の貴様に質問だ。実際に虐殺行為を認めた松井石根に関してはどう考える?またウヨが支持する
作る会も虐殺の規模に疑問を挟むだけで虐殺事件そのもは否定しない事はどう思ってるの?
そして虐殺犯を庇う事がどうして愛国やウヨの誇りに繋がるのかも教えてくれないか?
115名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 02:10:34 ID:mQJfpJRt0
松井石根の口述書から抜粋  (松井の口述であり当然松井自身が自身の口頭で話したもの)
1947年11月24日極東軍事裁判

 予の南京占領に関する周到なる配慮に係わらず、占領当時の倥惚たる状勢に於ける一部若年将兵の間に、忌むべき暴行を行いたる者ありたるならむ
 予は南京を去る40哩の蘇州に於いて病臥中にて、予の命令に拘わらず、之等非行の行われたることにつき之を知らず、


まぁ略奪事件は知ってたが私は命令してないし病気だったから簡便して下さいって感じだな。当の松井自身が
虐殺行為が0とは主張してない。病気の私に責任は無いと責任逃れに徹してる。ウヨがいうように明らかに捏造だという証拠が
真実に山積してるなら何故松井は捏造であると弁明しなかった?どうせ死刑になるんだし何言っても良い心理状況だろ。

誉高き皇軍にそのような穢れたる行為一切無し!天皇陛下万歳!!と何故松井は言わなかった?無い頭で考えてみよう。


116名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 04:29:48 ID:Fvn0LrwmO
>>87
「書簡」は毛沢東だったな。

蒋介石の「日本国民に告ぐ」は単なるプロパガンダ。
それは「黄河決壊事件」や「長沙大火」が国民党の仕業であることからも明らかだ。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 04:43:19 ID:Fvn0LrwmO
>>114
>作る会も虐殺の規模に疑問を挟むだけで虐殺事件そのもは否定しない事はどう思ってるの?


つくる会が「南京事件」を教科書に載せているのは、
そうしなければ、教科書検定に合格しないからで、決して認めているわけではない。
P199の脚注にはこう記述されている。
「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。
なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている。」

なお多数の死傷者が出るのは戦場では当たり前であり、
不法行為や猟奇的残虐行為を認めていないことは明らかだ。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 14:26:21 ID:wb7u8jQC0
>>95
そもそも、鬱病にならなけりゃ治す必要もないわけだが。
収集した証拠だけで執筆してれば、証拠の提示提出を求められたときに即応できるわけだ。
諸事情で嘘の執筆をしてしまったなら、鬱病になる前にゲロっちゃえばいいわけだしな。
嘘をつくこと、嘘の執筆を強要、脅迫されてたっていうなら同情の余地もある。情状酌量というヤツだな。

兎にも角にも、病気になれば許されるというもんではない。

鬱病がどうこういう問題ではない。
南京での事件の有無はともかく(俺はリアリティがないと思っているが)、提出できる証拠もないまま執筆したことは失敗だ。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 20:29:35 ID:Ql0RfmVh0
私はどちらかというと南京事件については否定的です。
なぜなら、あったという証拠が捏造ばかりで、決定的な証拠は何もないからです。
本当にあったという証拠があるならとっくに出ているはずなのに、
まだ決定的な証拠がないということはやはりなかったのではないでしょうか?
詳しい方がいらしたら教えてください。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 20:41:51 ID:GdaFu7j50
>>119
すさまじいまでの、南京関連スレでの常連否定派臭がするw
「俺様がそれを認めない限りお前の負け」の無敵くん戦術で
否定派が世間に無視され続ける鬱憤を晴らそうとする哀れなオナニスト
121名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 20:46:04 ID:OG+YKWa00
>>118
お前って人の行いについて「許す」「許さない」を決められるほど偉い人間なの?
何か言論を興すとき、お前にいちいちお伺いを立てなきゃいけないの?
ネトウヨのそういう傲慢な所が人間の道を外してると言いたいね
だから「鬱病で自殺して死んだ、ざまあみろ」と平気で言えるんだよ
122名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 20:54:10 ID:Ql0RfmVh0
>>120
何を言ってるのかさっぱりわかりませんが、そうやって人を誹謗中傷して楽しいですか?
あなた方はとても下品な人達なんですね。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 21:10:29 ID:OG+YKWa00
>>122
事実を指摘されてageてファビヨるネトウヨ君

あ、最近では幻派でも「数万人」って言ってるんだけどね
124名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 21:28:34 ID:Ql0RfmVh0
>>123
南京事件に否定的と言っただけでネトウヨ認定ですか?
議論もクソもあったもんじゃないですね。
まあ、あなたが証拠を出せないことだけはわかりました。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 22:22:24 ID:GdaFu7j50
普通の人はまとめサイトがいくつもあるから、普通はそっちを見ます
わざわざここでの質問を繰り返す人間は、無敵くんごっこが目的ですw
126名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 23:00:46 ID:WkQgwNO0O
>>119
君は鋭いね。
否定派とは言うなれば合理主義者。
だから、証拠はないけど「あった」という肯定派の主張は受け入れられない。
「あった」というなら、きちんと証拠をあげて立証してくれというのが否定派の立場。
しかしこんな当たり前の話をしただけでネトウヨ認定されてしまうんだから、肯定派がいかにいい加減な連中かよくわかる。
「なかった」なら、証拠などもともとあるわけないんだからね。
127名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/30(土) 23:04:50 ID:QXUCld1T0
肯定派のまとめサイトを見る人はいますが、それを根拠に「南京大虐殺はあった」と主張する人はいませんw
正確には「南京大虐殺」のレベルが「数万の軍人のみ」になってしまうので「大虐殺」と主張できなくなってしまうからですw
現実に「南京大虐殺」で民間人の虐殺を証明できた肯定派は存在しませんw

ちなみに、
「強姦」は虐殺ではありませんw
「略奪」は虐殺ではありませんw
「軍規の乱れ」は虐殺ではありませんw
「戦死」は虐殺ではありませんw

日本軍が「組織的に」「計画的に」「数万〜数十万の民間人」の殺害を「命令」して「実行」した根拠は存在しませんw
肯定派の主張は「南京大虐殺とは数万の軍人が死亡した事だ!」ということでしかありませんw
128名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 01:54:41 ID:5WydJ3NL0
東京裁判での松井大将への判決文読んでも、略奪や強姦も
南京で起こった不幸な出来事として、松井へ司令官としての責を問うているわけだから
それらを含めたものが南京大虐殺なんだが、確かに字面だけみると虐殺じゃないものが入ってる事に
違和感を感じる人がいても仕方ないかもしれん

まあ、だから南京事件と呼称する人もいるんだがな
129名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 02:01:48 ID:5WydJ3NL0
>>126
> 否定派とは言うなれば合理主義者。

否定派とは言うなれば歴史捏造主義者

> だから、証拠はないけど「あった」という肯定派の主張は受け入れられない。
> 「あった」というなら、きちんと証拠をあげて立証してくれというのが否定派の立場。

何が何でも、無かった、証拠は無いと親の敵とばかりに喚き散らすのが否定派の立場
30年以上もそんなこと続けてますが、さっぱり信用されませんw
彼らの言う「証拠は無い」は、単に「俺様が認めなといったら認めないって言ってんだよ!!!」
でしかないと見透かされているからです

130名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 02:15:20 ID:y5bGYu0T0
>>121
飛躍しまくってるな。
新聞が誤報をしたその内情が、
「取材を徹底しなかった」
「証拠の裏をとっていなかった」
「この方が読者にうけると判断した」
で許されると思える方が異常だろう。人語を理解するいじょう、な。
偉いもなにもあるもんかよ。

実は「レイプ……」が小説で、執筆もそのようにやってたのに、編集者の意向で勝手に、というなら多少は同情もするが。
それでも、別のチャンネルで小説だということをアナウンスする責任はある。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 04:53:53 ID:34XbcXj50
証拠が無いこともだが、
捏造された証拠が出回っていることも問題なんだが。
仮に本当にあったとしても、それで信用しろというのは虫がよすぎる。
捏造の撤廃。捏造の理由を明確にしてから。
写真でも、被害者と加害者のモデルがひっくりかえたりしてるのあるしね。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 11:51:10 ID:99of5XJ50
日本マスゴミが必死で報道しない映画

http://www.youtube.com/watch?v=2nyFYPzaSeY

ご先祖様、かっけーっす!!

中国は手段を選ばない。ノーベル平和賞を取った同胞すら逮捕し、隣人のチベット人を殺害する。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 13:28:19 ID:wPXtSj+70
シナチクにとって捏造は十八番
134名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 17:22:10 ID:cCssVIU80
>>130
俺は
「鬱病で自殺した、ざまあみろ」と平気で口にする
ような奴の品性を問うているんだがな

そっちについてはだんまりかw
135名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 17:40:15 ID:hN6pF4lHO
本題そっちのけで人格攻撃に必死のブサヨw
136名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 17:46:03 ID:cCssVIU80
>>135
自分自身の品性につては等閑に伏して置いて
そういうことをいうわけだな
これが右翼の手口というわけだ
137名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 18:06:53 ID:OCyRJYY50
>>134
だから言ってんじゃん。
病気(鬱)になったなら許されるの?
死んだんだから許されるの?

恋人が殺された。その被疑者容疑者が犯罪を気に病んで鬱病になったら許すかい?
それもチャンは鬱病をうつされたのかい? 自分で鬱病になるようなことをやったんだろう?
鬱病になったら許さにゃならん、と言えるほどのものなのか?

お前が言っているのをひとことで著すと、
「鬱病は免罪符だ!」
なんだが、それに気づいているか?
政治判断のように正解のないむずかしい舵取りに失敗したというもんじゃなく、“証言の裏を取らなかった”というていどの簡単なことを怠ったんだぞ!
その簡単なことのために名誉を汚された人がいるかも知れない、ということだ。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 18:24:44 ID:OCyRJYY50
そうだ言い忘れた。
鬱病だろうがなんだろうが、一生懸命さのかけらもなかったチャンを罵倒することになんの問題がある?
俺たちの先祖をコケにしたのに。

調べれば『不透明な部分も多くて断言できないことばかり』ってすぐにわかっただろうにな。
そういう一生懸命さのかけらもなかったんだよ。チャンには。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 20:28:55 ID:hN6pF4lHO
>>136
そういうことって、単に事実を言ったまでだが?
悔しかったら証拠の一つでも出してみたら?
できるもんならねw
140名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 21:27:27 ID:cCssVIU80
> ID:OCyRJYY50
あえて言っておく
お前馬鹿じゃないの?
自分や自分の利害関係人に損害が及んでる訳じゃないのに
何をそんなに必死になってるわけ?
だから言ってんじゃん
お前自身が精神的苦痛を負わされたというなら
同志を募って、原告団でも組織して
遺族と出版社相手に出版の差し止めと損害賠償の請求でもしろよ
こんなとこで必死に似非正義漢ぶっていても
何にも得るものなく
「こんな馬鹿が必死なんだから、さぞかし面白い本なんだろう」と
悪い意味で注目を集めるだけだぜ
141名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 21:35:01 ID:N1iXp0Mg0
『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育
出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。
こうして政府および軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおら
ず,当時国民政府のあった南京を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,
中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作

(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。
その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,南京だけで4万2,000人以
上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供で
あった。
142名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 21:38:26 ID:cCssVIU80
> ID:OCyRJYY50
まあ、自分のやったことの意味が良く分からないというのなら
メンヘル板にいって
鬱病スレで「鬱病に鳴って自殺した、ざまあみろ」と言ってくるんだね
みんな親切に教育してくれると思うよ
143名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 23:15:02 ID:74T8WVxD0
レスを全部読んでみたが
@「自ら撒いた種で鬱病になって自殺したのは身から出た錆」というのが
 「鬱病になって自殺した、ざまあみろ」に変換されているのはおかしい。

Aもしも、@によって相手の人格に問題があるかのごとき印象付けを
 戦術として使っているのだとしたら、それはそれこそ卑劣なことだ。

B大虐殺否定派を「ネトウヨ」とひとくくりにしているのもおかしい。

@〜Bを短絡させると、
「ネトウヨは虐殺を否定するのみならず、鬱病を馬鹿にし自殺者に唾する人格破綻者」
さらに短絡させると「虐殺を否定するネトウヨはキチガイ」
となってしまうのだが、
それはかなり主観の混じった評価に基づく印象操作でしかないし、主観的評価の短絡でしかない。
いずれにせよ、「事実としての虐殺の有無に関する考証」とは一切関係ない話だな。
144名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 23:27:01 ID:N1iXp0Mg0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本
,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城
内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京
の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日
本は12月13日に中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘
を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,
敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女
性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内と
その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。(笠原)


145名無しさん@お腹いっぱい。:2010/10/31(日) 23:42:54 ID:p4vtiJhb0
百科事典に載ってるから真実だというキチガイが一匹おりますな
そんなもの根拠となった史料も何も提示してないから
ただの記事でしかないのに
本当にキチガイには困ったもんだ
146名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 00:10:16 ID:qqNkgaZb0
また上海から南京まで追撃される中国軍に従軍していた『ニューヨーク・タイムズ』のティルマン・ダーディン
通信員は、1989年10月号の『文藝春秋』においてインタビューに答え、「(上海から南京へ向かう途中に日
本軍が捕虜や民間人を殺害していたことは)なかった」と断言し、「私は当時、虐殺に類することは何も目撃
しなかったし、聞いたこともありません」と述べていることが伝えられている。
147名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 01:39:02 ID:d4iQfRuw0

蒋介石自身も、「南京で日本軍による大虐殺があった」という非難を、300回に及ぶ記者会見で一度もしていない。

蒋介石は馬鹿か健忘症だったんですかね?


148名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 09:01:14 ID:JyqI4Vhw0
>>147
>蒋介石自身も、「南京で日本軍による大虐殺があった」という非難を、300回に及ぶ記者会見で一度もしていない。

それ一度もソースみたことないんだけど、出してくれる?
149名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 09:05:12 ID:JyqI4Vhw0
>>147
>蒋介石自身も、「南京で日本軍による大虐殺があった」という非難を、300回に及ぶ記者会見で一度もしていない。

それ一度もソースみたことないんだけど、出してくれる?
150名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 09:21:48 ID:G0WmWX810
三百回の記者会見
 このことは東中野教授が台北の国民党党史舘で発見した「極機密」の印が押された『中央宣伝部国際
宣伝処工作概要』に書かれている。『南京事件ー国民党極秘文書から読み解く』(東中野修道著・草思社
)に詳しく紹介されている。

 「1937年12月1日から38年10月24日まで、漢口で行った記者会見ではー参加者は一回平均50
数人であった。会見は合計300回開いた。

 「各集会に参加した外国人記者と、外国駐在公館の職員は毎回平均35人であった」
 と書かれているように、南京戦を挟む1年足らずの間に300回の記者会見を開いた。しかし、この三百
回の記者会見において、国際宣伝処はただの一度も「南京で日本軍が市民虐殺を行った」だとか「捕虜の
不法殺害を行った」だとかいう発表をしていない。また外国人記者から、「南京虐殺」に関する質問が出た
という記録もない。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 09:56:20 ID:JyqI4Vhw0
>>150

ソースは「東中野」でいいのかな? 

>蒋介石自身も、「南京で日本軍による大虐殺があった」という非難を、300回に及ぶ記者会見で一度もしていない。
>1937年12月1日から38年10月24日まで、漢口で行った記者会見

1)蒋介石は1937年に重慶にいってるぞ、ほぼ毎日空路漢口まで行って記者会見したのか?

http://www.toho-shoten.co.jp/toho-web/search/detail?id=333328&bookType=ch
蒋介石的陪都?月(1937−1946)
?儒弟
重慶。本書は、蒋介石が重慶の地で過ごした抗日戦争時期から国共内戦初期の記録



2)この三百 回の記者会見において、国際宣伝処はただの一度も「南京で日本軍が市民虐殺を行った」だとか「捕虜の
不法殺害を行った」だとかいう発表をしていない。

この部分は一次史料の記述じゃなく東中野先生の作文
152名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 10:51:19 ID:JyqI4Vhw0
確かウヨさん達の主張では
A)国民党の蒋介石は「南京で日本軍による大虐殺があった」という非難を、300回に及ぶ記者会見で一度もしていない。
B)当時欧米のマスコミでは報道されなかった。

のはずであるから
これでどうやって国民党宣伝部が南京大虐殺をデッチ上げたのか俺に教えてくれ
153名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 14:43:58 ID:23332wgrO
>>152
でっちあげたのはアメリカ。東京裁判で原爆を批難されたための対抗策。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:09:00 ID:JyqI4Vhw0
>>153

じゃあお前は国民党がでっち上げたという東中野本はうそを書いたと思ってるわけだな。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:24:16 ID:Mn6cK7cr0
なんにせよ
肯定厨は30万人も虐殺されたというその当時の史料を絶対に出せるわけがないから
言葉尻をとらえて姑息なまでに粘着するだけ(笑
156名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:27:24 ID:JyqI4Vhw0
>>155
出た
遁走ウヨのお約束、30万人wwwww
157名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:30:57 ID:Mn6cK7cr0
はあっ?
南京大虐殺記念館は堂々と30万人を出してますが?
http://www.tanken.com/gyaku.html

なんか反論してみなよアホサヨちゃん(笑)
158名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:34:13 ID:JyqI4Vhw0
>>157
いつ俺が南京大虐殺記念館の見解を指示したんだ?
スレ番だしてみ
できなきゃお前のねつ造決定、謝罪と賠償だな
159名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:38:16 ID:Mn6cK7cr0
とうとうアホサヨは反論できず訳の分らん事を言い出しましたと(ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ
160名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:39:15 ID:zi0aYBqJ0
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大
量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占
領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人とする
説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を
拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物
資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗
残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦
後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らかにされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害さ
れた中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとしている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:46:25 ID:d0eaPFVV0
>>140
おまえさぁ、このスレッドに書き込んでいる自身の否定になってるって気づいてる?
あの出版によってお前は利益を得たのか?
執筆出版を非難されて被害をこうむったのか?
どちらでもなければこんなトコに書き込むんじゃないよ。

死んでざまをみろとは言わない。
が、病気になろうが死のうが失態が許されるものではない。
証言の裏を取ることなどたいした手間ではない。検品もしない納品など許されないように、だ。
もしも故意に検品をしなかったとしたらなおさらだ。
政治判断のように、正解のないギャンブルのような判断であればまだしも、証言の裏を取ることなど当たり前の行為だ。やらないことが正しい、などということはないからな。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 15:54:10 ID:vRKd4Lyz0
>少なくとも20万人以上であったと推定されている。

その当時の南京市の人口は20万人しかいなかったのに、どうやって20万人以上も殺せるんだ?
百科事典ってのは検証もせず出鱈目しか載せてないゴミでしかないってのがよく分るね。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 16:01:37 ID:JyqI4Vhw0
>>162
ウヨの足し算
市民20万+支那兵0万=20万
164名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 16:17:07 ID:zi0aYBqJ0
ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。
日本軍による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの
蛮行は同年11月の杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為
の一部であった。中支那派遣軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベ
ルの将校たちが命令をきかず、大規模な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上
」現象、つまり、まず既成事実をつくって上層部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例であ
る。この大量殺戮については多くの証人がおり、また中国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残さ
れているにもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過小視し続けてきた。一部の者は残虐行
為が行われたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷ならびに中国国内で開かれた各種
法廷への提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって殺された人の数を確
定することは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少ないほうで
は日本の軍事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると
、殺害された人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け
、また無数の食料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ
月間の蛮行の凶暴性は、ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が
本件あるいは同種の犯罪を理由に処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任
を負わされて処刑されたことは歴史の大いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさ
かのみややすひこ。上海派遣軍司令官)や中島今朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)な
どの下級将校のほうが直接的責任ははるかに大きい。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 16:23:07 ID:vRKd4Lyz0
百科辞典なんか検証もせず、そして根拠となった史料も出さず
編集者の推測だけで書いてるから論外
166名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 16:44:01 ID:23332wgrO
>>154
それは戦後の話。最初に南京をでっちあげたのはアメリカ。中国はそれに乗っただけだ。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 19:19:07 ID:zi0aYBqJ0
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和
十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損
害を被った。十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられ
ていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏
切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友
の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強
姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の
入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委
員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。犠牲者数については中国側の
公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二
月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。この事件は「シカゴ・デ
イリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十
八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は
敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者
として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

168名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 19:36:40 ID:r0jOL4al0
江口圭一みたいなチャンコロの忠犬のような、クソ売国奴の本なんかクズ以下

ID:zi0aYBqJ0はキチガイのクソサヨ売国奴
169名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 20:43:57 ID:sjIo1F7l0
>>161
ふん、2ちゃんでお山の大将気取りがやっとのヘタレ野郎だって
自分で証明して楽しいか
「在特会」とか「主権」とかあるんだから
お前も「アイリス・チャンに謝罪と賠償を請求する市民の会」でも
立ち上げたらどうだい

>>143
>@「自ら撒いた種で鬱病になって自殺したのは身から出た錆」というのが
> 「鬱病になって自殺した、ざまあみろ」に変換されているのはおかしい。
なぜ?「ざまあみろ」という気持ちなくして「自業自得だ」とつきはなせるのかい

>Aもしも、@によって相手の人格に問題があるかのごとき印象付けを
> 戦術として使っているのだとしたら、それはそれこそ卑劣なことだ。
うつ病という病気についてよく知りもしないで、自業自得と切って捨てているからだよ
うつ病という病気はな「セロトニン」「ノルアドレナリン」「ドーパミン」といった脳内神経伝達物質が
過小になることによって発症する脳の病気だ
いつでも、どこでも、誰でも鳴る可能性のある普遍的な病気で再発率も高く
予後も良くなく、その意志がなくとも自殺念慮が起きる恐ろしい病気だ
だから著者であることと、病気になったことの間には何の因果関係もない
それなのに「自ら撒いた種で鬱病になって自殺したのは身から出た錆」
すなわち「ざまあみろ」と切って捨てるのは、二重の意味で人間としてどうかと思う
うつ病の苦しさというものをまるで理解していない人間に、したり顔でこんなこといわれれば
患者としては激怒したくなるね

>B大虐殺否定派を「ネトウヨ」とひとくくりにしているのもおかしい。
君が自分を右翼だと思っていないだけだ
「自由主義史観」=「どう見ても右翼です」
170名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 20:50:34 ID:r0jOL4al0
・国民党の『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』には、国際宣伝処が1937年12月1日から、38年10月
24日まで、南京戦を挟む1年間の間に300回の記者会見を外国人記者を集めて開いていることが詳しく
書かれている。1回平均の参加者は50名と記されている。その目的とするところは「彼らを使ってわが抗
戦宣伝とすること」と書かれている。
 したがって、日本軍の悪を針小棒大に発表することは当然である。しかるにこの300回の記者会見に
おいてただの一度も南京で「日本軍が市民を虐殺した」とか「捕虜の不法殺害をした」とかは言っていな
い。またそうした質問が記者から出されたという記録もないのである。
171左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/01(月) 21:09:07 ID:ugs9VBWWO
「松井閣下にはまことに申し訳ないことをした」と、蒋介石は言ったそうなw
by田中w
172名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 21:19:43 ID:JyqI4Vhw0
>>171

そんな与太話はどうでもいいが、蒋介石が日本で借家した時の保証人が
松井大将ってのは誰が言ったんだろ?
173名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 21:20:40 ID:zi0aYBqJ0
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。1937年(昭和12)8
月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被っ
た。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上
海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸
脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍
兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つとい
う郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火な
どの非行が常態化する状況となった。12月13日,南京占領に際しては,17日の入城式に備え,徹底的
な掃討を行い,投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し,多数の一般市民をその巻添えにし,略奪・
強姦・放火を重ねた。さらに12月22日,佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任,中国兵の狩出しと処
刑を続け,38年2月初めに及んだ。犠牲者数について中国側の公式見解は30万人とするが,戦闘行為
による戦死者を除き,上海から南京への進撃途上から38年2月初めまでの期間をとれば,10数万人から
20万人前後に達するとみられる。この事件は〈《シカゴ・デイリー・ニューズ》〉(1937年12月15日付),〈《
ニューヨーク・タイムズ》〉(1937年12月18日付)などによって報道され,国際的非難を浴びたが,日本
では厳重な報道管制を受け,日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同
裁判の結果,松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され,南京での裁判で第6師団長であった谷寿
夫中将らが処刑された。                 

(平凡社『世界大百科事典』「南京大虐殺」)
174名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 21:25:10 ID:r0jOL4al0
 「南京で大虐殺があったといわれてますが、南京の様子はどうでした?」の阿羅の質問に、元東京朝
日新聞記者・橋本登美三郎は次のように答えています。
 〈 南京での事件ねぇ。私は全然聞いてない。

 もしあれば、記者の間で話に出てるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは話をするし、それが仕事だからね。
 噂として聞いたこともない。朝日新聞では現地で座談会もやっていたが、あったのなら、露骨でないにしても、抵抗が
 あったとか、そんな話がでるはずだ。
 南京事件はなかったんだろう。 〉

 橋本は第16師団司令部(師団長・中島今朝吾中将)と同道、南京に入城します。送り込まれた朝日新聞記者は約15
人、その「指揮役」が橋本で、「第一線にいる記者の書いた原稿は私のところに集った」と答えています。そういえば、当
時、上海にいた朝日の細川 隆元もテレビ等で南京事件を明確に否定していました。
 鈴木明によれば、橋本は守山義男記者(後出)ら6人とともに新年を城内で迎えました。なお、橋本登美三郎は田中
(角栄)内閣時代の自民党幹事長、その前の佐藤(栄作)内閣では官房長官・建設大臣という要職に就いています。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 21:37:19 ID:JyqI4Vhw0
うそつきの阿羅本を信じるウヨ
176名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 21:47:30 ID:zi0aYBqJ0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。
177左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/01(月) 21:49:04 ID:ugs9VBWWO
>>175
さすがにインチキ写真のバ笠原にはかなわんなwww
178名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/01(月) 21:50:41 ID:JyqI4Vhw0
5対1位で笠原の勝ち
179左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/01(月) 21:56:33 ID:ugs9VBWWO
>>178
バ笠原インチキ大会優勝おめでとうwww
180名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 00:38:49 ID:szuOk7YO0
バカサヨクがひた隠しにする真実


当時南京には外国人や外国人記者が多数いたのに誰一人虐殺ニュースを配信していない

蒋介石が外国人に向けて300回も記者会見を開いて日本の悪口を言っていたのに南京虐殺について一言も言及していない

1927年に起きた本物の南京虐殺について
181名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 03:58:36 ID:KrosQ1Df0
広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一
般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 08:19:32 ID:6+oKiLK9O

要するに、辞書や百科辞典にある「南京大虐殺」は根拠の無いデタラメだから、信用しないで下さい、って言いたい訳だな

183名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 08:31:52 ID:KrosQ1Df0
『現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した
事件。軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中
支那方面軍松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後
も「敗残兵狩り」と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,
いわれのない虐殺・略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚
子江)一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっか
になっていたといわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,
たちまち全世界に知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。


184名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 12:58:59 ID:6+oKiLK9O

コピペ馬鹿頑張れ!
今日中にあと4つ貼り付けなさい。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 13:07:28 ID:1fRBx3Ze0
>>163
兵隊を殺すことは虐殺とは言わない 

バカ丸出しだなおまえ
186名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 15:05:14 ID:KrosQ1Df0
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京
入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多く
の市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 15:06:41 ID:KrosQ1Df0
さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の
「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強
姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するま
で、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を
問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十
万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「
まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、
いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。

188名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 20:20:18 ID:UR9Qhm400
アフリカのルワンダで3ヶ月間に約100万人がナタやクワや棍棒で殺されるという
ルワンダ虐殺が1994年に勃発しました。
よく南京大虐殺否定派(←「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーとかなり被っています)が
「そんなに殺せる訳ないだろ」と未だにほざきます。
しかし例え南京大虐殺の殺害人数を30万人と(過大に)見積もっても南京大虐殺というのは
(嫌な事実ですが)殺害人数規模では不思議でもなんでもないのです。
(南京大虐殺否定派(←櫻井やら西尾やら藤岡やらの自称知識人)がいかにものを知らないお馬鹿な人間の集まりかわかろうというものです。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 20:39:54 ID:j0R8DYXeO
>>188
ルワンダは、長期間かつ広範囲で多数派が少数派を惨殺した事件であり、
全く比較にならない。
190名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 20:55:09 ID:UR9Qhm400
でも「ナタやクワや棍棒」で3ヶ月で100万人殺せるんだぜ
もっと近代的な武器で武装した日本軍なら
もっと短い時間でできるだろうさw
191名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 20:57:34 ID:Xk6W613V0
>>169見ておまえが脳の病気ということだけはわかった。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 21:42:51 ID:7bS7GUo50
>>169
と、2ちゃんのお山の大将が言われております。

その誰でもかかるような病気になったからって、お粗末な取材や執筆活動、まして出版が赦されるはずはない。
あえて言う。自業自得だ。
出版がもとで、不名誉を抱いたまま死んでいった多くの人間がいる。ことの真相が明らかになっていないいじょう、冥府で詫びよとまでは言わん。
しかし、明確になっていないからこそ死因はどうあれ自業自得だ。鬱を煩おうが癌であろうが肺炎であろうが、だ。
くどく言うが、政治的判断の失敗でならここまでは言わん。しかし、証拠をきっちりそろえるなどということは、それが生業の人間なら誰でもやっていることなのだから。
193左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/02(火) 21:57:42 ID:lYYIn0PBO
まあ、鬱病になる原因は様々だろうし、中には気の毒な人もいるかもしれない。
しかしアイリスの場合はどう考えても自業自得だろwww
194名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 22:24:28 ID:KrosQ1Df0
『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育
出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。
こうして政府および軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおら
ず,当時国民政府のあった南京を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,
中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作

(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。
その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,南京だけで4万2,000人以
上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供で
あった。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/02(火) 22:36:35 ID:JFZbgoa40
南京大虐殺の虐殺数

●49人(板倉由明「本当はこうだった南京事件」=小林よしのり「戦争論2」より孫引き)
●1万5千人(2000年1月に開催された「20世紀最大の嘘『南京大虐殺』の徹底検証」研究会の1見解)
●8万4千人(日本軍発表の遺棄死体数。小学館の百科事典による)
●15万人(現地の慈善団体が記録に残した埋葬数の合計。小学館の百科事典による)
●30万人(中国側の公式見解)

さあ、本当は何人でしょう?
まさか、中国のプロパガンダを信用するお馬鹿さんはいないでしょ、今の日本には。



196名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 00:16:15 ID:kFUalqCj0
>>190
>もっと近代的な武器で武装した日本軍なら
>もっと短い時間でできるだろうさw

近代的な武器(小銃・機関銃)には銃弾が必要ですw
南京では何人殺害されて何発の銃弾が使用されたんでしょうかw

ttp://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=68803&page=9&genre=sougou
昭和47年(1972)にイスラエルのロッド空港で無差別テロがありました。
空港ロビーで自動小銃を乱射した実行犯は日本赤軍の3名、その中の生き残り(この場合、死に損ない、と言った方が適切なのかも知れません)が、かの有名な岡本公三です。
この時使用された銃はソヴィエト製AK-47、弾薬は7.62x39mm M1943です。
発射弾数は現場に残された薬莢により合計約435発と推定されます。
犠牲者(死亡者)は26名でした。
全く無防備、無抵抗、しかも全然予期しない人々に向かって一方的に銃を発射したこのケースでの致死命中率は6%です。
これは私の知る数字の中での最高値で、状況が状況とはいえ異常に高い数値です。
参考までに付け加えておきますと、この26名の中には病院に担送されてから死亡した方も含まれます。

ちなみに一師団の射耗弾薬数は約60万発w

第百十四師団『戦闘詳報』
附表第二其一 射耗弾薬概数調査表 昭和十二年十二月十五日 末松部隊
品目      三八銃実包
戦闘前の携行数 二、九五九、六五〇
受数          二二〇、三二〇
射耗数         五九一、九二五
残数        二、四九四、九七〇
補填を要する員数  四六四、六八〇
摘要 本表射耗弾薬は金山衛上上陸以後南京に至る間の射耗弾薬とす
197名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 02:00:27 ID:pGUza+j50
>>196
「殺傷率」で言えば0.03%〜0.4%らしいがw
http://www.ch-sakura.jp/oldbbs/thread.html?id=68803&page=9&genre=sougou
因みに、戦闘間での数字としては第二次大戦時の各国軍の統計に0.03%〜0.4%というものがありますが、これは飽くまでも「殺傷率」です。
常識をまるで持ち合わさないどこかの誰かさんの為に説明しますと、この数字が示すのは「兵士が銃器を使って相手に傷を負わせる確率は、1万発撃って3回から1千発撃って4回の間」ということになります。
念の為断っておきますが、これは飽くまでも「殺傷率」であって「致死率」ではありません。
198名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 05:17:36 ID:yogUVqPh0
馬鹿の否定派が何か言ってるよw
199名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 05:36:28 ID:yogUVqPh0
>>197
お前、以前もその馬鹿みたいな理屈で、弾薬が足りないとかほざいてたよなwww
たぶん同一人物だろうw
常識で考えれば、戦闘によるキルレシオと、処刑によるキルレシオが全然違う事くらいわかりそうなもんだが
戦闘でのキルレシオであくまでも押し切って、またお得意の「じゃあこれより高いキルレシオを証明してみせろ!」
なんて、相手に究極の証明を求める姑息な戦術だろ、どうせw


今回は掃討戦において、どれだけ弾薬を消耗し、殺した敵兵は何人だったか
実際の資料でサクッと論破しておこうw

第7連隊戦闘詳報
「12月13日から12月24日までの南京城内掃蕩成果表」より抜粋

1、 消耗弾  小銃 5000発
         重機関銃 2000発
2、 刺射殺数(敗残兵) 6670


はい、見ての通り、弾薬使って殺したのが刺射殺数の半数だったとしても、キルレシオ50%近くいくんだなあ

これは至近距離でほぼ確実に命中させなければありえない数字だが
掃討戦とはいえ、内実はほぼ無抵抗の敗残兵(或いは間違えられた市民)を
処刑して回ったんだという事がわかりますな


馬鹿の否定派は、南京とは全然別の資料を持ってきて、自分に都合よく解釈してふんぞり返るが
実際の南京での掃討戦は、上記の通りですからw
200名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 09:51:16 ID:mMXhO8Do0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本
,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城
内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京
の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日
本は12月13日に中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘
を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,
敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女
性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内と
その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。(笠原)




201名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 10:46:46 ID:zuLvBo8W0
>>218 だからネタ投下って言ってるジャン。

それを 脊髄反射で 根拠もなく否定するも 肯定するも
別にかまわないさ。



その反応が面白いんだからww。

>資料提示するだけで自分は検証しないで他人まかせってのは人としてどうかと思うね

おいおい 批判するにも資料も出してない輩が何を言ってんだ?
お互い様じゃねーよw

出典は軍神(小説) あとがきの引用元も若干抽出して書いた。
それで この言い様は いいねw

俺も使わせてもらうわ。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 11:50:23 ID:mMXhO8Do0
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大
量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占
領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人とする
説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を
拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物
資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗
残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦
後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らかにされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害さ
れた中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとしている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。



203名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 17:59:05 ID:xTqPEZgY0
>>192
ネトウヨの傲慢さと卑屈さが良く分かるレスだな
お前が立ち上がって「不名誉」に対する賠償を請求しろよ
そこまで怒ってるなら

>>193
「中には気の毒」じゃない、うつ病患者は「全部気の毒」だ
人の書いてることを何も読んでいないな
たとえネトウヨの言い分が全部正しくても
(そんなことは天地がひっくり返ってもありはしないがな)
「気の毒」なものは「気の毒」だ

まあ、お前を見てるとネトウヨの非人道性が良く分かって楽しいよ
204名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 18:18:06 ID:mMXhO8Do0
ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。
日本軍による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの
蛮行は同年11月の杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為
の一部であった。中支那派遣軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベ
ルの将校たちが命令をきかず、大規模な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上
」現象、つまり、まず既成事実をつくって上層部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例であ
る。この大量殺戮については多くの証人がおり、また中国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残さ
れているにもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過小視し続けてきた。一部の者は残虐行
為が行われたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷ならびに中国国内で開かれた各種
法廷への提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって殺された人の数を確
定することは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少ないほうで
は日本の軍事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると
、殺害された人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け
、また無数の食料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ
月間の蛮行の凶暴性は、ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が
本件あるいは同種の犯罪を理由に処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任
を負わされて処刑されたことは歴史の大いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさ
かのみややすひこ。上海派遣軍司令官)や中島今朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)な
どの下級将校のほうが直接的責任ははるかに大きい。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 18:40:12 ID:BtImtYI40
虐殺が日本軍のもの、日本兵によるものという証拠までがないというのはどういうことなんだろうなぁ。

1、同国人をそこの軍隊が襲うわけがない、という思い込み。
2、中華民国は清朝崩壊以降から徹頭徹尾戦国時代で、平和だったのは租界や租借地だけだったという事実が知られていない。

なんてのが、南京で虐殺がおこなわれた=日本軍によるものという論法に結びついていると思うんだ。
証拠写真、ってのをみても日本陸軍の戦闘服でないのもあるわけで。
戦後におこなわれた調査がどこまで公正だったかというのも、疑わしくなってくる。
極東裁判の材料のために答えを誘導したという可能性だって否定できまい。

被害者が、日本軍に襲われたという認識があったのかが疑わしいということだ。
証言者が被害にあったのは、本当に1937年12月13日から半年間のあいだのことだったのか。
証言者はそこまで記憶があっての証言だったのか。
まさか「自分たちの知らない言葉を使う人間が加害者だった」などということで=外国人(日本人)なんていうおそまつな証言内容でなんじゃなかろうか?

じっさい、日本軍が日中戦争のさなかに戦ったのは国民党軍だけじゃない。敗走逃げまくっていた八路軍も有名だが、他に大小名もない軍閥がいくらでもあった。
中国国内軍閥連合と日本軍の戦争ではない。中国国内の各軍閥どうしの戦闘に日本も参戦することになって、三つ巴どころか、五つ巴にも六巴にもなっていたというのが実情だ。

被害者数がころころ変わることに対して「数が問題なのではない。虐殺があったことが問題なのだ」という連中がいるのも解せない。
証拠というのはそういう簡単なものではない。立派な法治国家の裁判でそんなことを言い出せば『推定無罪』でシャンシャン、である。
出勤電車の中でおこなわれたスリを捕らえて「犯罪には違いがない」と痴漢や傷害罪で訴えることが大問題であることと同じ。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 18:45:01 ID:84iE76eh0
日本刀で300人斬ったとか自慢してる厨2日本兵が居るんだから20万の日本兵が皆こいつだとしたら
20万×300=六億人は日本刀だけでも殺傷可能だろうwネトウヨ供良かったね旧軍最強じゃん誇れよw
207名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 18:52:10 ID:rOfXWhZa0
>>203
>「気の毒」なものは「気の毒」

気の毒なうえで、『自業自得』なんだが?
家族や恋人を惨殺した奴が、気をやんで鬱病にでもなったら『気の毒だ』って赦してやれるという“心の広さ”を示すことができてから言うことだ。
おまえの言っているような主張はな。

鬱病は免罪符じゃない。
加害は加害であり、病気は病気だ。別のファクターである。
業というのは仏教からの言葉であり非科学的なものである。
故に“自業自得”なのだ。で、チャンの“業が深い”のはその著書そのものが証明するように疑いのない事実だ。

それこそ、浄土宗の思想では“死後の世界で阿弥陀如来は総てをお赦しになる”のだから現世で恨まれようが蔑まれようが赦されなくても、我慢しなさい。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 18:56:30 ID:rOfXWhZa0
>>206
>厨2日本兵

二人の将校が厨なのではなく、捏造新聞記者の記事のひとり歩きなんだが?
活字になったらそれは真実、と“ムー”や“飛鳥”なんかも信じちゃうクチ?
209名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 19:01:20 ID:rOfXWhZa0
>>207
>我慢しなさい。

いい加減な取材をしないでしっかり取材し、しっかりとした執筆をしていれば、鬱病になったとしても満場一致の同情もうけられたんだろうけどな。
“正義をおこなえば世界の半分を怒らせる”というアラブの諺にあるように、正しいことをやってもおおよそ恨まれるが、

失敗して誉められることはないわな。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 19:12:53 ID:mpcGRVZSO

南京大虐殺30万人を主張したアイリス・チャンは、
主張の根拠を提示できず、鬱病になって自殺した。
馬鹿な奴だ


南京大虐殺という与太話には、証拠など全くない。
鬱病になったのは自業自得であり、同情の余地は皆無である
211名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 19:36:36 ID:mMXhO8Do0
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和
十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損
害を被った。十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられ
ていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏
切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友
の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強
姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の
入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委
員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。犠牲者数については中国側の
公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二
月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。この事件は「シカゴ・デ
イリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十
八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は
敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者
として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

212名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 20:30:15 ID:xTqPEZgY0
>>210
よう、中卒携帯無職コピペゴキブリ吉田
今は「まぼろし派」でさえ数万人の犠牲者は認めてるんだぜ
与太話をしているのはお前の方

お前が路上生活者なのはよく知っているが
俺はお前に「自業自得だ」なんて言うつもりはないぜ
すくなくとも「人」に対しては公正であろうとしているからな

たとえそれがゴキブリと呼ぶにふさわしい所行の主であったとしてもな
213名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 20:39:44 ID:ZWFgavod0
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/

李登輝元総統が明確に否定   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。


 今回の氏の発言は、この誤ったイメージを覆す際の有力な材料になる可能性が高い。
すでにこの模様は日本会議が録画録音しており、今後日本会議サイドから詳細な発表が行われる見込みだ。

214名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 20:41:05 ID:xTqPEZgY0
>>207
>その著書そのものが証明するように
疑いのない事実というものは存在しない
すくなくとも、公式にはな

>家族や恋人を惨殺した奴が
すり替えの上に詭弁だな
まず、怒っているのはお前であって俺ではない
そしてお前はそんなむごい目に遭わされたわけではない

お前は害を加えられたという
それはお前と、アイリス・チャンの間の一対一の関係でしかない
「自業自得」という普遍的な言葉を使いたいなら
お前さん自身が訴訟なりなんなりして
アイリス・チャンが「公共の敵」であることを証明して見せるべきだ

それともすでに「公共の敵」として処断されているのかね
そうじゃないだろう、だったら君がやりたまえ
215名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 20:59:09 ID:URWuLbEdO
>>190
その論法を使えば何でも証明できる。

横須賀には世界最強のアメリカ第7艦隊がいる。核も装備しているらしい。
従って、横須賀大虐殺はあった!
216名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 22:12:03 ID:kFUalqCj0
>>199
>掃討戦とはいえ、内実はほぼ無抵抗の敗残兵(或いは間違えられた市民)を
>処刑して回ったんだという事がわかりますな

抵抗していようが無抵抗だろうが、降伏も投降もしていなければ単なる「交戦中の敵兵」ですが?
「掃討戦」の意味を知っています?
217左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/03(水) 22:18:42 ID:CLTrKYSdO
国民党の総統が無かったと言ってるんだから、バカチョンがいくらあったと言い張っても無駄だなwww
218左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/03(水) 22:35:43 ID:CLTrKYSdO
>>203
コテを見てくれたらわかると思うが、俺は左翼を自認しているんだが、ネトウヨって誰?
219名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 22:40:34 ID:kFUalqCj0
>>199
>掃討戦とはいえ、内実はほぼ無抵抗の敗残兵(或いは間違えられた市民)を
>処刑して回ったんだという事がわかりますな

南京戦史によれば、日本軍の掃討戦で敗残兵が一人も殺されず、間違えられた市民が100%と仮定しても全部で1万6千人程度にしかならないんだがw
ちなみに偕行社は犠牲者を「戦死者」「準戦死者」「不法行為」に分類している。
摘出された便衣兵は「戦死者」扱い、巻き添えを食った一般市民は「準戦死者」扱いで虐殺ではない。
虐殺に相当するのは「不法行為」のみ。

ttp://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking11.pdf
「戦死者」
@南京防衛線で戦死した者
A退却、逃亡の際、射撃を受けて死亡した者
B敗残兵狩りで射殺された者
C便衣兵で摘出され処刑された者

「準戦死者」
@個別に投降したが、殺された者
A戦場に残留して中国軍に協力したため、あるいは巻き添えを食って死亡した一般市民
B便衣兵狩りのそば杖をくって死亡した者

「不法行為」
@集団投降捕虜、個別投降捕虜で収容後、殺された者
A無抵抗、善良な市民で殺された者

「不法行為」に限定すれば1万6千人からさらに少なくなるなw
220名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 22:44:48 ID:yogUVqPh0
自称左翼w
221名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 22:49:27 ID:yogUVqPh0
>>216
>>219
まあとりあえず、>>196の殺傷率とかいうものが、どんだけアホらしいものか
>>199を見れば一発でわかるというものだよw

「戦闘の殺傷率はこんなに低いんだ!だから弾はもっとたくさんいるはずなんだ!」

こんな子供だましで否定論を振りかざそうなんざ、いかにも低脳否定派って感じだなw
敗残兵や捕虜の殺害と戦闘中の殺傷率なんて比べても意味ありませんからw
残念でした
222名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 22:54:11 ID:yogUVqPh0
おっと失礼
殺傷率は>>197だなw
まあそれでも>>196も「弾はもっとたくさんいるはずなんだ!」という主旨にはかわらんだろうがw
223名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:00:50 ID:kFUalqCj0
>>221
>敗残兵や捕虜の殺害と戦闘中の殺傷率なんて比べても意味ありませんからw
>残念でした

つまり、南京大虐殺とは「敗残兵や捕虜の殺害だ」とw
そうなると最大値は南京戦史の1万6千人になりますがw
「不法行為」に限定すればさらに少なくなるw
大虐殺にしては随分ショボイなw
224名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:07:52 ID:yogUVqPh0
南京戦史の犠牲者見積もりは、身内に甘すぎるからなんとも
幕府山の2万弱も含まれてないしな
民間人の殺害は、捕虜みたいに数えたわけじゃないから実態がわからん
日記や証言に残るものから規模感を掴むしかないな
数万くらいならありえそうかという感じだが、まあこれは勘でしかないんで
225左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/03(水) 23:25:13 ID:CLTrKYSdO
>>220
俺は社会主義者で反政府なのでどう考えても左翼ですw
ただ物事は是々非々で考えているので、ろくに証拠もないインチキ南京事件は普通に否定しますw
226名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:25:53 ID:kFUalqCj0
>>224
>幕府山の2万弱も含まれてないしな

幕府山はちゃんと含まれているようだが?
・「南京戦史」による、日本側資料からの推測、()は準拠史料
1.雨花門外歩六六の第一大隊…約600名処断(歩六六第一大隊戦闘詳報)
2.幕府山山田支隊…約3000名処断(推測)
3.玄武湖東方―下関、太平門歩三三…約2000名処断(歩三三戦闘詳報)
4.獅子山歩三三第二大隊…約200処断
5.難民区東方歩二〇第四中隊…328名銃殺
6.難民区歩七(掃討)…約6500名処断(第九師団作戦記録概要、歩七戦闘詳報、戦一第一中隊戦闘詳報)
7.馬群付近歩二〇第十二中隊、第三機関銃中隊…約200名銃殺
8.和平門東西歩三八、歩三三…約400名処断
9.南京近郊歩三十旅団…約2000名処断
10.その他の諸隊(推定)約1000名処断

合計…約1万6千名
(1と2と8と9、及び10についてはハッキリせず、様々な異説がある。)
例として
1は1657名というのが、日本側の公式史料に準拠した数字である。
2は元々の数が1000〜2000(戦史叢書、両角手記)、8000(「ふくしま・戦争と人間」)
1万3500(栗原証言)、1万4777(山田日記、朝日新聞)約1万5000(飯沼日記)まで幅広く見解が分かれ
捕虜の逃亡があったかどうかで、更に仮説における人数が分かれる。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:31:46 ID:kFUalqCj0
>>224
>民間人の殺害は、捕虜みたいに数えたわけじゃないから実態がわからん

日本軍が民間人を兵士と誤認して殺害したのなら戦果として戦闘詳報に記録されますが?
>199
>2、 刺射殺数(敗残兵) 6670

戦果が戦闘詳報に記録されていないという根拠でもありますか?
228名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:34:01 ID:mMXhO8Do0
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。1937年(昭和12)8
月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被っ
た。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上
海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸
脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍
兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つとい
う郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火な
どの非行が常態化する状況となった。12月13日,南京占領に際しては,17日の入城式に備え,徹底的
な掃討を行い,投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し,多数の一般市民をその巻添えにし,略奪・
強姦・放火を重ねた。さらに12月22日,佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任,中国兵の狩出しと処
刑を続け,38年2月初めに及んだ。犠牲者数について中国側の公式見解は30万人とするが,戦闘行為
による戦死者を除き,上海から南京への進撃途上から38年2月初めまでの期間をとれば,10数万人から
20万人前後に達するとみられる。この事件は〈《シカゴ・デイリー・ニューズ》〉(1937年12月15日付),〈《
ニューヨーク・タイムズ》〉(1937年12月18日付)などによって報道され,国際的非難を浴びたが,日本
では厳重な報道管制を受け,日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同
裁判の結果,松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され,南京での裁判で第6師団長であった谷寿
夫中将らが処刑された。                 

(平凡社『世界大百科事典』「南京大虐殺」)
229名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:37:57 ID:yogUVqPh0
>>226
いや、いまさらそんなもん持ち出されても
幕府山の3,000人をカウントしていることくらい知ってるよ
幕府山事件は小野賢二の研究から2万弱を殺害したのは確実なので
自衛発砲説を採用している南京戦史ではお話にならない
230名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:40:33 ID:ZWFgavod0
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/

李登輝元総統が明確に否定   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。


 今回の氏の発言は、この誤ったイメージを覆す際の有力な材料になる可能性が高い。
すでにこの模様は日本会議が録画録音しており、今後日本会議サイドから詳細な発表が行われる見込みだ。

231名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:42:39 ID:yogUVqPh0
>>227
あのな、そのうち何人が民間人で、何人が元兵士かどうやって分けるんだよ

それからどこまで敗残兵として殺したと認識して、詳報に載せたかまではわからん
まあ見つかってる戦闘詳報や日記に残ってる数だけでも
全部足すと14万くらいになっちまうから、相当民間人が紛れ込んでカウントされてそうだってのは想像できるけどな
232名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:53:04 ID:mLQpP1+O0
>>229
空想小説が何の役に立つんだw
小野賢二の“小説”には捕虜を殺害した事は書いてあっても、捕虜を殺害した理由は書かれていないw
233名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/03(水) 23:59:26 ID:kFUalqCj0
>>231
民間人と思われる者も「元兵士」として処置されたので戦闘詳報に記載された、
つまり日本軍が処置したのは全て「敗残兵」という認識ですが。
そのうち何人が民間人で、何人が元兵士か区別するのは肯定派の仕事ですがw
234名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 00:12:55 ID:0ueYwGmG0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。

235名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 00:14:26 ID:EzWvI2ii0
>>232
空想なのは自衛発砲説
当時の日記に自衛発砲説に沿ったものは無い
そして小野賢二の研究を頭ごなしに否定する以外に方法が無くなった否定派w
哀れw

>>233
> そのうち何人が民間人で、何人が元兵士か区別するのは肯定派の仕事ですがw

はあそうですか
まあ、いちゃもんつけるだけが否定派の仕事なのは知ってますがねw
236名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 00:34:43 ID:y/C69Kmw0
>>235
小野賢二の『小説』も当時書かれたものではありませんがw
237名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 00:39:10 ID:EzWvI2ii0
>>236
小説じゃねえよw
兵士たちの日記を集めた資料集だ
238名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 00:55:00 ID:kMIFJ2Kv0
日記を書いた兵士の存在が不明な資料集w
いつ誰が書いたのか分からない“日記らしきもの”が資料www
小野賢二の“空想小説”は戦前に出版されたのかよwww
戦後に出版したならただの二次史料。
日記のオリジナルを誰も確認できないのだから“空想”どころか“妄想小説”と言っていいなwww
239名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:05:36 ID:EzWvI2ii0
大寺日記は実名で内容も殺害数もほぼ他と整合性がとれている
お前ら否定派以外、他の日記も匿名であることをもって、でっち上げだとしている人はいないよ

自衛発砲説が本当だとするなら、それを裏付ける日記を否定派が発掘してきなよw
イチャモンつけるだけが仕事の否定派さんw
30年以上イチャモンつけ続けても相手にされない哀れな否定派w
240名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:07:15 ID:0ueYwGmG0
大辞林

ナンキンだいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対
して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以
上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:17:17 ID:y/C69Kmw0
「大寺隆陣中日記」の内容はコレw

「十八日 今朝は昨日に変る寒さ、夙は吹く、小雪は降る。
 整列は○八三〇。後藤大隊長、矢本中隊長の訓示の後、各分隊に分かれる。午后は皆捕虜兵の片付に行った、
オレは指揮班のため行かず。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昨夜までに殺した描虜は約二万、揚子江岸二か所に
山のように重なっているそうだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
七時だがまだ片付隊は帰って来ない。
十九日 午前七時半、整列にて清掃作業に行く。揚子江岸の現場に行き、折重なる幾召の死骸に驚く。
今日の使役兵師団全部。石油をかけて焼いたため悪臭甚だし。午后二時までかかり作業を終わる」

捕虜の殺害を実行したわけでもなく、他人から伝聞で様子を聞いただけw
何の証明にもならないがw
で?今度は「大寺が殺害を実行した」とか「大寺が殺害を目撃した」とでも捏造するのかw
242名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:20:49 ID:EzWvI2ii0
でたw伝家の宝刀「伝聞」
これを言えばなんでもかんでも信憑性が無くなると思ってる低脳否定派www

仮に2万殺したってのが嘘情報だとして
なんで同じ部隊の人間に、そんなわけのわからん嘘を皆でつかにゃならんのだよwwwww
否定派アホスwwww

そんな認識力だから、お前らのいう事はトンデモにしか聴こえなくて
30年以上も碌に相手されないんだよ馬鹿w
243名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:33:12 ID:y/C69Kmw0
>>242
戦場に2万の敵兵の死体が存在するのがそんなに不思議か?
死体が存在する事と虐殺がどう関係あるのか説明してみろw
244名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:36:44 ID:EzWvI2ii0
」昨夜までに殺した描虜は約二万、揚子江岸二か所に」

否定派アホスwwww
日本語読めないwww
245名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:40:43 ID:0ueYwGmG0
広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一
般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
 
246名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:42:37 ID:u1hyGADg0
嘘情報というより肯定派お得意の誤認とか勘違いとか聞き間違いとかいう「可能性」を考えないのかよw
247名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 01:46:32 ID:u1hyGADg0
>>244
「反乱した捕虜」は殺されるだけだなw
まさか捕虜は反乱を起こそうが、士官を殺そうが、逃亡しようが殺されないなんて思っていないよなw
大寺日記の内容でどうやったら殺された理由まで判断できるのやらw
否定派の目には見えないが肯定派の目には見える特殊なインクで書かれているんだろうなw
248名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 07:02:10 ID:0ueYwGmG0
『現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した
事件。軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中
支那方面軍松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後
も「敗残兵狩り」と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,
いわれのない虐殺・略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚
子江)一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっか
になっていたといわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,
たちまち全世界に知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。


249名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 07:25:43 ID:EzWvI2ii0
>>247
あのな、とりあえず今は自衛発砲説の3,000人は嘘だって話をしてんだよ馬鹿
小野賢二の研究で2万弱が殺されたのは確実っていってんの
自衛発砲説では2万弱が死んだ事実はどこにもでてきませんw
250名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 08:07:45 ID:VYrHxxdwO
>>208

向井と野田が家族に宛てた手紙や帰国後の100人斬り講演は?さらに同僚の日記などから敗残兵や捕虜の殺害数競争は明らかなんだが?

マスコミが捏造した!気に入らん史料は捏造!自身に聞こえの良いものは真実かw
勿論マスコミが過大に報道したのも罪だが。マスコミの捏造だけで100人斬りが作られた確たる証拠があるなら裁判やり直して無罪証明しな
251名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 08:17:22 ID:6OUFNIxK0
http://hanausagi.iza.ne.jp/blog/

李登輝元総統が明確に否定   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。


 今回の氏の発言は、この誤ったイメージを覆す際の有力な材料になる可能性が高い。
すでにこの模様は日本会議が録画録音しており、今後日本会議サイドから詳細な発表が行われる見込みだ。

252名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 08:23:47 ID:2ds0qASQO
コピペ馬鹿が1人だけ浮いている。

因みに、大寺日記の記載から読み取れるのは、
「揚子江の岸に処刑したシナ兵2万人の死体があったらしい」
ということだけであり、本人が数えた訳では無いので数値は怪しい。
その上、処刑されたのが便衣兵なら、合法処刑であり非難の理由は無い。

そして、民間人大虐殺など一言も触れていないのが重要だ。
南京大虐殺30万人は間違いなく大嘘だ。

253名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 08:34:56 ID:EzWvI2ii0
なんだかよくわからんが、とりあえず自衛発砲説は支持しないのだな、ってとこだけわかった
254名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 09:05:35 ID:0ueYwGmG0
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 09:06:20 ID:0ueYwGmG0
一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京
入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多く
の市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の
「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強
姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するま
で、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を
問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十
万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「
まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、
いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。


256名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 11:49:17 ID:2VN3wSxj0
歴史修正主義の跋扈が凄い
何もなかったわけじゃないw

実際後に海軍のテストパイロットになった奴が南京から川下を哨戒飛行中
死体が続々と流れてきてるのを報告して自伝に書いてるよ?
ベルリン陥落時のベルリンがどうなったか考えれば日本軍だって軍規はみだれるよ?
257名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 12:38:25 ID:QUb08cHH0
だって、国民党の全貌を知る立場にあった元総統がなかった明白に否定してるんだよボケ!!!

>実際後に海軍のテストパイロットになった奴が南京から川下を哨戒飛行中
>死体が続々と流れてきてるのを報告して自伝に書いてるよ?

これがなんで日本軍がやっと言えるわけ?
アホと違うか
死ねよボケ!!!!
258名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 12:56:53 ID:0ueYwGmG0
『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育
出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。
こうして政府および軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおら
ず,当時国民政府のあった南京を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,
中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作

(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。
その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,南京だけで4万2,000人以
上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供で
あった。

259名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 14:08:53 ID:TVKs4K340
>>258


>日本軍は三光作戦(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開,
>その典型が南京事件である。

いい加減な本だな、三光は南京戦よりずっと後なのに
260名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 14:19:52 ID:2VN3wSxj0
>>257
じゃ国民党軍が住民を殺したとでも?
死ななきゃならないのは歴史修正主義のお前だと思うぞ?
何もなかったわけじゃない。南京攻略作戦後日本軍の軍規が乱れていた時がある。
大虐殺自体がプロパガンダでも戦争で綺麗な戦争はない。

太平洋戦争中の辻政信の行動とかもお前に取って正義だと言えるなら
まあしょうがないとおもうけどな。
261名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 14:34:37 ID:0ueYwGmG0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本
,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城
内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京
の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日
本は12月13日に中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘
を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,
敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女
性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内と
その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。(笠原)


262名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 17:11:34 ID:3VA5yJFF0

国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に思いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。


 今回の氏の発言は、この誤ったイメージを覆す際の有力な材料になる可能性が高い。
すでにこの模様は日本会議が録画録音しており、今後日本会議サイドから詳細な発表が行われる見込みだ。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 19:28:54 ID:0ueYwGmG0
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大
量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占
領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人とする
説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を
拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物
資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗
残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦
後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らかにされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害さ
れた中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとしている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。

264名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 19:53:32 ID:wxhtQx/k0
月刊WiLL:2010年12月号

総力大特集140ページ 恫喝中国に屈するな!
■西村眞悟
その傲慢、腹に据えかねる

■小林よしのり
本家ゴーマニズム宣言
http://web-wac.co.jp/magazine/will/201012w

小林が上記のゴー宣で指摘しているが、東シナ海や南シナ海でうごめく中国漁船は、
日中戦争当時、南京等で暗躍した便衣兵そのもの。
小林は、尖閣問題に絡んで『暗黒大陸中国の真実』ラルフ・タウンゼント著を引用しながら、
あの頃とまったく変わらない中国人の本性をうまく描いている。
西村氏の論文も、孫文を支援した内田良平による文献などを引用しながら、中国人の
変わらぬ本質を抉り出している。また、幣原外交の失敗を分析して、対中融和姿勢を
決して取ってはならないと主張。
われわれ日本人は、現在から過去を学び、そして、新たに過去から現在を学ぶべき。


【コラム】中国の『偽装トロール漁船』を警戒せよ [09/11/03]
http://www.unkar.org/read/yutori7.2ch.net/news4plus/1257252945
巡視船攻撃で逮捕の中国漁船員は「海上民兵」 民間人に偽装した武装集団
http://plaza.rakuten.co.jp/masarusoma/diary/201010290000/
尖閣狙う中共の海上民兵…“漁船群”後陣に覆面軍艦
http://dogma.at.webry.info/201009/article_3.html
265名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 19:54:53 ID:wFYIcHxqO
>>260
実際に「黄河決壊事件」では、100万近い住民を虐殺し、日本軍のせいにした。
すぐばれたがな。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 20:09:30 ID:3VA5yJFF0
国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に重いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。


 今回の氏の発言は、この誤ったイメージを覆す際の有力な材料になる可能性が高い。
すでにこの模様は日本会議が録画録音しており、今後日本会議サイドから詳細な発表が行われる見込みだ。

267名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 21:10:49 ID:uuwyr6IKO
どこソースだよw
268名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 21:33:59 ID:2ds0qASQO
日本会議はなかなか良い仕事をしている。
南京大虐殺などシナのプロパガンダに過ぎない。

何故なら、大虐殺の証拠が全く無いからだ。
肯定派とは、シナが創作したSFを事実と思い込む低能児なのだ。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 21:53:31 ID:/pThsd/B0
>>252
>その上、処刑されたのが便衣兵なら、合法処刑であり非難の理由は無い。

残念。便衣兵ではありませんw

朝日新聞 1937年12月17日朝刊 [南京にて横田特派員16日]
 両角部隊のため烏龍山、幕府山砲台附近の山地で【捕虜】にされた一万四千七百七十七名の南京潰走敵兵は(略)それが
 皆蒋介石の親衛隊で軍服なども整然と統一された教導総隊の連中なのだ

整然と統一された軍服を着用しているので正規兵ですw

上村利道日記
 (二十一日)N大佐ヨリ聞クトコロニヨレハ山田支隊俘虜ノ始末ヲ誤リ大集団反抗シ敵味方共ニMGニテ撃チ払イ散逸セル
 モノ可ナリ有ル模様

俘虜と書かれているので俘虜の資格を有していた事になります。つまり戦時犯罪を犯していない正規兵です。無知乙w
270名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 21:57:26 ID:HJfjsV5S0
>>269
こんな短い文なのに読解力皆無なんだなw
ちゃんと

>大集団反抗シ

って書いてあるじゃないか。
そりゃ捕虜が大集団で反抗したら、銃撃されても何の不思議もないよな。
271名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 22:05:51 ID:EzWvI2ii0
李登輝元総統は、台湾生まれの台湾育ち
南京事件とあまり関わりがないと思うが

西山雅規の「そんな発言がありました」って報告だけでは発言の有無も含めて真意がわからんし
誰かの発言だけで真実が確定するのなら、当時軍務に着いておられた皇族である三笠宮殿下が
戦後一貫して「南京大虐殺はあった」と発言しているのだから
その発言のみを以って根拠としても良いことになるんだが
272名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 22:23:47 ID:3VA5yJFF0
アホサヨは本当にお行儀悪いね


この間10月23日から27日は日本会議の台湾研修視察団と合流しました。取り急ぎ三つ程ご報告させて頂きます。

初めに10月25日午後に日本会議の方々と共に、元・総統の李登輝さんとお会いしました。

 其の時、私は「中共政府が言っているような南京大虐殺なるものはあったのでしようか、」と質問させて頂きました。
この答えは明確に「無い」と頂きましたので此処にご報告させて頂きます。詳しい事は日本会議が録音、録画を撮っ
ていたので後日紙面に公表されると思います。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 22:35:38 ID:EzWvI2ii0
そもそも保守系団体の日本会議の報告がどこまで信頼できるのかってものあるが
まあ結局、資料ではなくそういう発言だけしか、否定派はまともに出せるものが無くなったと見ていいのかなw
274名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 23:11:47 ID:y/C69Kmw0
「軍人」が死んだ例しか出せない肯定派に言われてもなあw

つ>127w
>ちなみに、
>「強姦」は虐殺ではありませんw
>「略奪」は虐殺ではありませんw
>「軍規の乱れ」は虐殺ではありませんw
>「戦死」は虐殺ではありませんw
>
>日本軍が「組織的に」「計画的に」「数万〜数十万の民間人」の殺害を「命令」して「実行」した根拠は存在しませんw
>肯定派の主張は「南京大虐殺とは数万の軍人が死亡した事だ!」ということでしかありませんw
275名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 23:27:12 ID:/pThsd/B0
>>270
もともと処刑するつもりで連行したが、反抗されたから機銃掃射しました。だから合法ですかw
馬鹿だろお前w 処刑が始まるか処刑が行われると感じた時点でそりゃ反抗するだろw
276名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/04(木) 23:57:09 ID:Sn3+alSl0
>>275
>もともと処刑するつもりで連行したが

正真正銘のアホだなw
どこにそんなこと書いてあるんだw
肯定派の捏造の証拠がまた明らかになったね。
277名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 00:10:06 ID:VbMmbLUG0
>>275
>馬鹿だろお前w 処刑が始まるか処刑が行われると感じた時点でそりゃ反抗するだろw

栗原証言によれば、反抗した捕虜に日本兵が殺されたので射殺されているんだがw
それとも「処刑が行われると感じたら反抗してもいい!」とでも?
反抗するのは自由だが、その結果、射殺されても文句は言えないよなw
278名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 07:10:57 ID:erzHeBZd0
ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。
日本軍による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの
蛮行は同年11月の杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為
の一部であった。中支那派遣軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベ
ルの将校たちが命令をきかず、大規模な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上
」現象、つまり、まず既成事実をつくって上層部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例であ
る。この大量殺戮については多くの証人がおり、また中国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残さ
れているにもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過小視し続けてきた。一部の者は残虐行
為が行われたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷ならびに中国国内で開かれた各種
法廷への提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって殺された人の数を確
定することは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少ないほうで
は日本の軍事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると
、殺害された人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け
、また無数の食料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ
月間の蛮行の凶暴性は、ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が
本件あるいは同種の犯罪を理由に処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任
を負わされて処刑されたことは歴史の大いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさ
かのみややすひこ。上海派遣軍司令官)や中島今朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)な
どの下級将校のほうが直接的責任ははるかに大きい。

279名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 08:34:42 ID:Tyx2q/ld0
国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に重いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。

この間10月23日から27日は日本会議の台湾研修視察団と合流しました。取り急ぎ三つ程ご報告させて頂きます。

初めに10月25日午後に日本会議の方々と共に、元・総統の李登輝さんとお会いしました。

 其の時、私は「中共政府が言っているような南京大虐殺なるものはあったのでしようか、」と質問させて頂きました。
この答えは明確に「無い」と頂きましたので此処にご報告させて頂きます。詳しい事は日本会議が録音、録画を撮っ
ていたので後日紙面に公表されると思います。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 09:28:14 ID:erzHeBZd0
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和
十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損
害を被った。十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられ
ていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏
切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友
の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強
姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の
入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委
員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。犠牲者数については中国側の
公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二
月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。この事件は「シカゴ・デ
イリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十
八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は
敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者
として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。



281名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 09:59:28 ID:qwqEu5bY0
初めに反日ありきのアホサヨ出版社の辞典なんか全然意味ねえよボケ!!!


国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に重いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。

この間10月23日から27日は日本会議の台湾研修視察団と合流しました。取り急ぎ三つ程ご報告させて頂きます。

初めに10月25日午後に日本会議の方々と共に、元・総統の李登輝さんとお会いしました。

 其の時、私は「中共政府が言っているような南京大虐殺なるものはあったのでしようか、」と質問させて頂きました。
この答えは明確に「無い」と頂きましたので此処にご報告させて頂きます。詳しい事は日本会議が録音、録画を撮っ
ていたので後日紙面に公表されると思います。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 15:03:46 ID:RyFMhqIxO
またしても肯定派がボコられているw
283名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 19:47:33 ID:hBPozR4b0
台湾生まれ台湾育ちの李登輝元総統が何を言おうとも
当時軍務に就かれていた昭和天皇の弟君である三笠宮殿下が
南京大虐殺を認めている事実は重いです
284名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:05:43 ID:xH9KrglNO
>>283
それは伝聞を評価しただけ。
三笠宮殿下が直接虐殺を指示したのではないから何の意味も無い。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:16:38 ID:GtbPMLs90
ずっと事典のコピペを繰り返してる奴がいるけど
政治工作の成果を自慢したいわけ?
286名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:18:45 ID:9Atg18O00
>南京の総司令部では、『満州にいた日本の部隊』の実写映画を見ました。  それには、広い野原に中国人の捕虜
>が、たぶん杭にくくりつけられており、また、 そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていまし
>た。ほんとうに目 を覆いたくなる場面でした。これこそ虐殺以外の何ものでもないでしょう。

三笠宮はこう発言してるだけで、南京大虐殺そのものは全然肯定していない。
問題のある捕虜の処刑はアメリカでもイギリスでも当たり前にやってるから
三笠宮は馬鹿なのでそれらの事実を知らないかすっ呆けてるだけ。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:34:23 ID:hBPozR4b0
10日の報道(北京=時事)によると昭和天皇の弟、三笠宮が、'98年に来日した江沢民中国国家主席(当時)に対し、
宮中晩餐会の場で日中戦争に関し「今に至るまでなお深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」と伝えて
いたことが9日、中国の公式文書でわかった。
 これは、7月末に出版された江氏の外遊記録『世界をさらに美しくするために』で、三笠宮はその中で、戦争中に
軍の参謀として南京(江蘇省)に駐屯し、旧日本軍の暴行を目撃した経験に言及ししている。
 中国の対日関係者によると、三笠宮は自ら江氏に歩み寄り、話しかけた。
 公式の発言ではないとはいえ、戦争を体験した皇族が中国最高指導者に遺憾の意やお詫びより強い「謝罪」と
伝えたことが明らかになったのは初めて。
 外遊記録によると、三笠宮は98年11月26日に開かれた宮中晩餐会で「旧陸軍軍官として南京に駐屯した。
自分の目で日本軍の暴行をみた。今に至るまで深く気がとがめている。中国の人々に謝罪したい」表明。
さらに「歴史の真相を始めから終わりまで若い皇族に伝え、日中両国民の世代を超えた友好実現のために
努力しなければならない」と述べた。
 三笠宮は37年の南京大虐殺後の43年〜44年、参謀として南京の総司令部に勤務した。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:36:31 ID:hBPozR4b0
昭和天皇の末弟・三笠宮崇仁(たかひと)著 
『古代オリエント史と私』(学生社、八四年六月刊)所収の
「一 なぜ私は歴史に関心をもったか」。
 その中で三笠宮は「皇族の身位令」による義務で「軍人への道を進むことになり」、四三年一月、
「支那派遣軍総参謀に補せられ、南京の総司令部に赴任したときに、日本軍の残虐行為を知らされました」
「ごくわずかしか例があげられませんが、それはまことに氷山の一角にすぎないものとお考え下さい」
と前置きして、次のように書いています。
 「ある青年将校――私の陸士時代の同期生だったからショックも強かったのです――から、
兵隊の胆力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突きささせるにかぎる、と聞きました。
また、多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験を
している映画も見せられました。
その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州を調査するために国際連盟から派遣された
リットン卿(きょう)の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。
 『聖戦』のかげに、じつはこんなことがあったのでした。」(十六〜十七ページ)
 いずれも驚くべき事実です。日本軍の残虐行為は「南京事件」だけではなかったのです。
これが日本軍の中国侵略の実態だったのです。
 三笠宮は、「今も良心の呵責(かしゃく)にたえないのは、戦争の罪悪性を十分認識していな
かったことです」とものべています(十四ページ)。

「わたくしが上海地区へ視察に行ったとき、日本軍の上海附近上陸以来ちょうど六年たっていたが、
ある第一線の師団長はしみじみとつぎのように述懐しておられた。
 「われわれが戦っている相手の中国軍と、日本軍に協力してくれている中国軍と比較すると、相手の
ほうが一般民衆にたいする軍紀が厳正です。
 われわれは正義の戦をしているはずなのに、軍紀のゆるんでいる軍隊を助けて、軍紀のひきしまって
いるほうの軍隊を討伐することに、つくづくと矛盾を感じます」と。
この言葉はその当時のわたくしの心境にぴったりとあっていたのでいまだに忘れられない」
  (三笠宮崇仁『帝王と墓と民衆』(光文社 1956)より)
289名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:54:58 ID:9Atg18O00
>>287-288
だからな、これが南京での虐殺行為だという事がどこにも書かれてないだろ?
アホと違うか
死ねよボケ!!!!
290名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 20:57:51 ID:hBPozR4b0
ちなみに李登輝元総統のはどこぞのメルマガかなんかでそう受け答えがあったというだけの段階だが
いつごろ詳細がわかるのかね

それはそれで情報待ちなんだが
291名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 22:23:37 ID:Ylu4k0KMO
>>284
>それは伝聞を評価しただけ。

李登輝も伝聞を評価しただけだろアホw それに李登輝は中共政府の言っているような南京大虐殺はないと答えたに
過ぎず、中共の主張にはプロパガンダの要素が含まれているというごく当たり前の認識を示しただけだ。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 23:03:00 ID:erzHeBZd0
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。1937年(昭和12)8
月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被っ
た。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上
海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸
脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍
兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つとい
う郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火な
どの非行が常態化する状況となった。12月13日,南京占領に際しては,17日の入城式に備え,徹底的
な掃討を行い,投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し,多数の一般市民をその巻添えにし,略奪・
強姦・放火を重ねた。さらに12月22日,佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任,中国兵の狩出しと処
刑を続け,38年2月初めに及んだ。犠牲者数について中国側の公式見解は30万人とするが,戦闘行為
による戦死者を除き,上海から南京への進撃途上から38年2月初めまでの期間をとれば,10数万人から
20万人前後に達するとみられる。この事件は〈《シカゴ・デイリー・ニューズ》〉(1937年12月15日付),〈《
ニューヨーク・タイムズ》〉(1937年12月18日付)などによって報道され,国際的非難を浴びたが,日本
では厳重な報道管制を受け,日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同
裁判の結果,松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され,南京での裁判で第6師団長であった谷寿
夫中将らが処刑された。                 

(平凡社『世界大百科事典』「南京大虐殺」)
293名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 23:27:36 ID:I98Po8cbO
>>291
だから「南京大虐殺」は無いでいいんだろ?
それとも李登記が否定している「南京大虐殺」以外の「南京大虐殺」があるのか?
294名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 23:30:35 ID:VbMmbLUG0
>>287-288
まったく、トリミングと捏造の見本だな。
これだから肯定派は性根が腐ってるというか。

ttp://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/hogaku-kenpo.htm
三笠宮崇仁殿下(84歳)は00年6月15日東京・文京区のホテルで開かれた日本画家,平山郁夫さん(70)の古希の祝いに出席し,
挨拶で平山さんが,日中の文化交流に貢献していることに関連して,「戦時中,中国での日本軍の残虐行為を間近にして,身の縮む
思いをしました。そのことを昭和天皇に報告したという経験もあります」と話した。
なお,三笠宮殿下は1943(昭和18)年から1年間,南京の総司令部に赴任した経験があり,1984(昭和59)年に出版した自叙伝
『古代オリエント史と私』の中では,自分が見聞きした日本軍の残虐行為について「私(三笠宮)の同期生の青年将校から、兵隊の胆
力を養成するには生きた捕虜を銃剣で突き刺させるに限ると聞きました。多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に
連行し、毒ガスの生体実験をしている映画も見せられた……」
……「これは氷山の一角に過ぎない」などと書いている。
(2000年6月17日付『東京新聞』)

三笠宮が参謀として南京にいたのは1943年〜44年。
1937年の南京事件とは何の関係もない。
さらに
『同期生の青年将校から聞いた』→伝聞w
『【満州】での映画を見た』→南京と全く関係ない場所の【映画】www

『伝聞』と『映画を見た』のが南京事件とどんな関係があるのか説明してもらおうかw
295名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 23:41:56 ID:hBPozR4b0
まったくどこがトリミングと捏造なんだか

そしてお得意の伝聞かw
伝聞と言えば皆が信憑性を疑ってくれると思っている低脳否定派w

大寺日記の件でもそうだが、仲間にわざわざそんな嘘をつく理由はなんだよw
三笠宮殿下の同期が、なんでわざわざ虐殺の嘘をつくんだよw
そして三笠宮殿下は現地にいながらそれを全く見抜けないマヌケ呼ばわりwww
おまけに映画で現実と混同しているメンヘラ呼ばわりwww

三笠宮殿下に同期が、大寺氏に同じ部隊の人たちが嘘をつく合理的理由はありませんw
どうかんがえても、殿下が観た映画は実験記録映画ですw

マヌケは誰が見ても否定派でした
本当にありがとうございましたw
296名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/05(金) 23:43:31 ID:hBPozR4b0
否定派「あれも嘘、これも嘘、俺が嘘と言ったら嘘なんだよ!!!!」


こんなことを30年以上もやってりゃ、カルト化して当然w
在特会や幸福実現党みたいな連中ばかりが残るのは当然wwww
否定派哀れwwwwwwwwwwwwwwwww
297名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 00:00:04 ID:U+4yq6jq0
>>293
>それとも李登記が否定している「南京大虐殺」以外の「南京大虐殺」があるのか?

犠牲者数30万人じゃない虐殺もあるだろw 4万だって虐殺だアホw
298名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 00:44:03 ID:cRgwncoh0
>>295
>大寺日記の件でもそうだが、仲間にわざわざそんな嘘をつく理由はなんだよw

嘘ではなく、伝聞のさらに伝聞、誤認、言い間違い、聞き間違い、日時の間違い、場所の間違い等だった場合も考えられるんだがw
そういう事が一切なく、仲間に聞いたことが100%正しいとなぜ判断できるんだw
それこそ肯定派お得意の「可能性は否定できない」というやつだがw
299名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 00:46:41 ID:2/kucFjh0
と、もはや誰も耳を貸さないような論法をがなりたてるばかりの否定派

ますますカルト化が進むなw
いや、これ以上のカルト化はもう無理かw
300名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 01:07:00 ID:cRgwncoh0
カルトねえw
データの数字を意図的に無視した、感情や思い込みで決め付けるほうがカルトだと思うがねえw


3、データベースによる解明
この数十年、乱立したままの内外諸情報を争点別にデータベース化した上で再検分する手法を考案したのは、『南京事件の核心』(二〇〇三)の著者 富沢繁信である。
画期的な新資料が見つかったわけではないが、既存の情報を数量化しただけでも、定着したイメージがかなり変わることをこの作業は立証した。
たとえば中国軍が実施した清野作戦(焼却、破壊など)に関する海外報道が
三八件、ラーベ日記に一六件あること、中国人便衣兵などの難民区への潜伏を報じる外国文献が七五件もあることがわかった。
 一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、強姦は二四三件(うち目撃一七)、だったのは意外で、「強姦は一晩で千件」
とか「日本兵による放火がなかった日は一日もない」というティンパーリーの記述は誇大に過ぎたことが明らかである。

「南京事件」(p301〜302) 秦邦彦著
301名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 01:15:53 ID:2/kucFjh0
感情や思い込みで無かったと決め付けるのと
数万〜20万の被害者がいる日中歴史共同研究と
どちらが世間に相手にされているか一目瞭然ですが何か?w
302名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 01:37:14 ID:cRgwncoh0
南京事件そのものが世間から相手にされていませんがw
必死になってるのは支那畜からエサをもらって尻尾を振ってる犬だけw
否定派が片手間程度に調べた資料にさえ、肯定派はまったく反論できない現状がすべてを物語るw
303名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 01:42:23 ID:2/kucFjh0
反論できない、論破した
一体後何百年言い続けたら事実になるんでしょうなあw
304名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 01:49:54 ID:CfwAUvr90
>>303
南京では虐殺があったんじゃなかったのかよw
何か反論してみろw
>300
>一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、
>強姦は二四三件(うち目撃一七)
305名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 01:57:20 ID:2/kucFjh0
>>304
もう30年以上も肯定派は反論し続けて、否定派がさっぱり相手されないのは確認済みなんだから
勝者の特権としてお前らを馬鹿にするだけで充分なんだわw
ぶっちゃけ何もしなくても自爆していく否定派は無様www
勝利宣言しているのに逆にカルト化する否定派は哀れwww
306名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 02:21:19 ID:JQTtxs7P0
肯定派の主張w
1980年代  民間人30万人
1990年代  軍民30万人
2000年代  軍民20万人
2010年現在 軍民数万人

教科書の記述w
【教科書検定 古い資料根拠に合格 著者らは後に記述修正】
ttp://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/a1b8c65950e4931aad7a5d733839cf57
≪「南京犠牲者20万人以上説が最有力」≫
 南京事件の犠牲者数をめぐる日本国内の学説は「二十万人以上」が最有力−とする記述が高校教科書検定で合格したが、文部科学省が根拠として示した五人の “大虐殺派”学者の著書は古い資料で、
ほとんどの学者が犠牲者数を下方修正していることが産経新聞の調べで二十九日分かった。
四万人説の“中間派”やゼロだとする“まぼろし派”からも批判の声が上がっている。(教科書問題取材班)
 ■諸説配慮が…
 南京攻略をめぐっては、戦闘による死者は万単位あっても、民間人の大量虐殺はなかったことが判明しつつあるが、今回検定を合格した高校歴史教科書十九種類のうち四種類が中国政府の政治的宣伝
である「三十万人」や「二十万人」という誇大な数字を記述している。
 実教出版の日本史Aは南京大虐殺記念館の犠牲者表示を「30万人以上」として検定をパスしたが、実際は「300000」で、「以上」の文字はない。
 三省堂の世界史Aは検定申請段階で「20万人以上とする説が有力」とし、諸説を配慮するようにとの検定意見を受けて「さまざまな説があるが、そのなかでは20万人以上とする説が有力」と書き換えて合格した。
 ■1人は10万説
 二十万人以上説が最有力との記述をパスさせた理由について文科省は「日本や東アジアの近現代史を専門とする学者の中で、二十万人以上説をとる人が相当多い」として、
▽洞富雄元早大教授(平成十二年死去)
▽藤原彰一橋大名誉教授(十五年死去)
▽笠原十九司都留文科大教授
▽吉田裕一橋大教授
▽江口圭一愛知大名誉教授(十五年死去)
−の五人を挙げた。
 さらに根拠資料として五人の著書を示したが、産経新聞が調べた新しい文献では、
 笠原、吉田、江口の三氏は、この十年ほどの間に十万−二十万人に下方修正している。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 笠原氏は一橋出版の世界史A教科書(今回の検定の対象外)を執筆しており、南京事件の犠牲者について「大量の」とし数値を避けている。
 洞、藤原両氏も、もともと戦死者を含めて二十万人以上としており、不法殺害を二十万人以上とする歴史学者はいない。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 02:28:23 ID:JQTtxs7P0
産経新聞 13年4月3日(火)
「つくる会」など8社合格 ・文部科学省 教科書検定結果を発表
 「南京事件」については、日本軍に殺害された中国人の人数を「十数万人」「約二
十万人」などと具体的に記述していたのは現行の六社から二社になり、ほかは「多
数」などと変更した。

新日本婦人の会(2005)
「南京大虐殺」はすべての社が書いているが、1社をのぞいて具体的な犠牲者の数を示さなくなった。

新しい中学校歴史教科書についての資料
ttp://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/2000kyoukasho%20siryo
・南京大虐殺についての記述も大幅に後退している。まず、「南京大虐殺」という名称を使っていた4社中2社が
「南京事件」に変えている。本文で3社が「虐殺」という用語を使っていたが、すべて「殺害」「殺した」に変わって
いる。また、現行本では6社が犠牲者数を書いているが、それを残したのは2社で、他は「大量に」「多数の」「大
ぜいの」「多くの」に修正している(1社はわざわざ「犠牲者数については定説がない」という脚注をつけている)。

【神奈川】必修日本史教科書、「南京大虐殺」についてなど自虐的記述ほぼ削除 29日に最終案[9/28]
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1285609496/

20万人→10万人へ下方修正w&具体的な記述は6社→2社→1社&自虐的記述ほぼ削除w
30年の間に随分変化しているようだなw
308名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 03:20:22 ID:2/kucFjh0
>>306
> 肯定派の主張w
> 1980年代  民間人30万人
> 1990年代  軍民30万人
> 2000年代  軍民20万人
> 2010年現在 軍民数万人

はい、否定派がまたしても嘘をつきました
もっとも分かりやすい嘘は「民間人30万人」の部分です
南京軍事法廷ですら「軍民30万」であるのに、純粋な民間人30万など肯定派の主流足りえた事はありません

こうやって否定派は嘘、おおげさ、紛らわしいを繰り返して今に至るわけです

在特会や幸福実現党のごときカルトばかりが否定派に与しているのは
似たもの同士なんでしょうwww
309名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 03:28:15 ID:2/kucFjh0
>>307
つくる会ってのは、否定派側の連中
そいつらが無理矢理南京大虐殺を否定した教科書を作ろうと暗躍したが
結局失敗におわっている

そりゃそうだ
学校教育で否定論のようなトンデモを扱うわけにはいかないからなあw

産経新聞は必死に否定派が優勢になっているかのように書いているが
実際はあまり変わらないように見える
まあその辺は主観なんでどうとでも言える

しかしね、今年はあの日中歴史共同研究で数万〜20万という数字が
政府の研究会見解として発表された
恐らくだが、今後の教科書はこれを機軸に作成される事になるだろう




否定派ざまあwwww
310名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 05:08:42 ID:EgYPfe9B0
 ・歴史を振り返ると、日中戦争の犠牲者の数は、日本人の常識では理解し難い変遷を巡ってきた。
日本が、戦いに敗れたことをもって犯罪国家とされて裁かれた東京裁判で、中華民国軍政部長を務めた
何応欽が中国の人的被害の数を「軍人320万人、民間人不明」として出している。しかし、何応欽は
その後両方あわせて570万人だと訂正した。一方、内戦を経て中国共産党が中華人民共和国を樹立すると、
日本軍による人的被害の数は2,168万人へと飛躍的に増えた。
 320万人から570万人へ、さらに2,168万人へと想像を越えて増えた犠牲者の数はとどまるところを知らず、
前述のように、95年5月には3,500万人に、約1,400万人の増加について、江沢民も中国政府も何の説明
もしてはいない。

 「王明が実権を握った1937年の12月を、毛沢東は非常な苦々しさをこめて後年たびたび振り返っている。
一方、これとは対照的に、、まさしく同じ時期に起こった大事件でありながらも毛沢東が長い人生の中で一度も
言及しなかったことがあるー南京大虐殺だ。推定で三十万人近い中国の民間人や捕虜が日本軍によって
虐殺された事件であり、抗日戦争において同胞に降りかかった最大の悲劇であるにも拘らず、当時もその後も
毛沢東は南京大虐殺にいっさい言及していない」(マオ)
 毛沢東が南京事件に就いて語らないのは、南京事件の実態が大虐殺とはほど遠いものだったからですよ。
軍服を脱いで潜んでいた数千人の中国軍人を捕まえて来て銃殺したというのが実態でしょう。

 戦闘中のことで、しかも犠牲者の数がたかだか数千人であれば、毛沢東にとっては問題とするに足らない。
ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/nikkajihen1.html
311名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 07:51:09 ID:bKNzOwqlO
>>309
つくる会が「南京事件」を教科書に載せているのは、
そうしなければ、教科書検定に合格しないからで、決して認めているわけではない。
P199の脚注にはこう記述されている。
「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。
なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている。」

もちろん、多数の死傷者が出るのは戦場では当たり前であり、
不法行為や残虐行為を認めていないことは明らかだ。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 07:55:34 ID:LjP3uMIX0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。

313名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 08:10:25 ID:d7MV51y70
初めに反日ありきのアホサヨ出版社の辞典なんか全然意味ねえよボケ!!!


国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に重いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。

この間10月23日から27日は日本会議の台湾研修視察団と合流しました。取り急ぎ三つ程ご報告させて頂きます。

初めに10月25日午後に日本会議の方々と共に、元・総統の李登輝さんとお会いしました。

 其の時、私は「中共政府が言っているような南京大虐殺なるものはあったのでしようか、」と質問させて頂きました。
この答えは明確に「無い」と頂きましたので此処にご報告させて頂きます。詳しい事は日本会議が録音、録画を撮っ
ていたので後日紙面に公表されると思います。

314名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 17:21:04 ID:U+4yq6jq0
>>313
>>291

 李登輝も伝聞を評価しただけだろアホw それに李登輝は中共政府の言っているような南京大虐殺はないと答えたに
 過ぎず、中共の主張にはプロパガンダの要素が含まれているというごく当たり前の認識を示しただけだ。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 17:41:14 ID:LjP3uMIX0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。

316名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 18:19:41 ID:PeUKJOIk0
初めに反日ありきのアホサヨ出版社の辞典なんか全然意味ねえよボケ!!!


国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に重いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。

この間10月23日から27日は日本会議の台湾研修視察団と合流しました。取り急ぎ三つ程ご報告させて頂きます。

初めに10月25日午後に日本会議の方々と共に、元・総統の李登輝さんとお会いしました。

 其の時、私は「中共政府が言っているような南京大虐殺なるものはあったのでしようか、」と質問させて頂きました。
この答えは明確に「無い」と頂きましたので此処にご報告させて頂きます。詳しい事は日本会議が録音、録画を撮っ
ていたので後日紙面に公表されると思います。
317名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 18:47:17 ID:2/kucFjh0
>>316
だからそれ、いつ詳細がわかるんだよ
「そう言ったんだよ!」ってどこぞの右派が言ってるだけじゃ、まだ怪文書レベルにしかなんねーんだよ
318左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/06(土) 21:49:47 ID:/WhtENOiO
蒋介石も無かったと言ったそうなby田中
319名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 22:35:54 ID:O5FCbVDu0

蒋介石政府は、300回余りの記者会見で南京虐殺なるものに全く触れていない。
これは事実。

毛沢東は、数多くの書簡を残しながら、南京虐殺なるものに全く触れていない。
これも事実。

つまり、南京虐殺なるものは中共が作り出したプロパガンダに過ぎないのである。
南京虐殺の証拠はどこにもない。


320名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:02:08 ID:r1gXuPiB0
突然容喙して申し訳ない。
肯定派の虐殺人数を聞いてみたい。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:09:04 ID:cRgwncoh0
>>308
>もっとも分かりやすい嘘は「民間人30万人」の部分です

「南京地方法院検察処敵人罪行調査報告」
陳光虞・主席検察官は、第2回会議(1946年9月1日)で、次のように述べたというのです。。
 「敵によって惨殺された者は29万5885人だという確かな数字を得ていたが、その後、救済総署がわれわれの調査に加わって
被害死亡者の家族に救済の手をさしのべることになった。
これによって新たに数百戸の《人民》が救済かたを申請して来、9万6260人追加という統計を得た。
したがって、被害死亡者総計は39万人余りにのぼり、
一般的には被害死亡者は少なくとも50万人以上にのぼると見積られる」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今度は「南京防衛隊が20万人以上存在した」とでも主張するかw

『日本帝国主義の南京における大虐殺 』(南京大学歴史系編著)1979(昭和54)年発行
〈 1937年12月13日、日本侵略軍は南京を侵略占領し、南京の 《人民》 に対して6週間におよぶ人事を絶する悲惨な大虐殺をおこなった。
無辜のわが同胞で、集団殺戮に会い、死体を焼かれて痕跡をとどめなかった者は19万人以上に達し、また個別分散的に虐殺され、
死体が慈善団体の手で埋葬されたものは15万人以上、死者総数は 《計30余万人》 に達した。)

《人民》が《計30余万人》だそうだがw
322名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:10:03 ID:2/kucFjh0
>>318
それも否定派の田中以外何のソースもないんだよなあ

>>319
そういう分かりやすい嘘をつくんじゃないよ

蒋介石政府は当時国連で、南京で日本による暴行があったとアピールしている
毛沢東も共産党の機関紙『群集』で、「南京市における大暴行」と記している


>>311
つまり否定派のつくる会が無様に敗北ってことだろ
失敗にはかわりないわw
323名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:23:55 ID:r1gXuPiB0
>>322
確かに蒋介石は国連でアピールしてるけど、記者会見で触れてないのは嘘ではなかったはず。
しかもその主張が「2万人の虐殺と数千人の女性に対する暴行」で、「日本非難決議」も
採択されなかったんじゃ?
324名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:36:47 ID:r1gXuPiB0
>>322
確かに蒋介石は国連ではアピールしてるけど、記者会見で触れてないのは嘘ではなかったはず。
しかもその主張が「2万人の虐殺と数千人の女性に対する暴行」で、「日本非難決議」も
採択されなかったんじゃ?
325名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:37:58 ID:r1gXuPiB0
↑誤爆申し訳ない
326名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:46:06 ID:2/kucFjh0
中国代表が非難決議を提訴したわけじゃないから、そりゃ採択はされないだろ
それより前に、日本が中国を侵略していると提訴して、それに伴う都市爆撃の非難決議を既に可決している
国民党としては侵略行為そのものを提訴して、それに対するアクションも国連が起こしているのだから
とりあえずそれ以上の非難決議など意味が無いだろう

それから当時の南京は日本占領下
2万人というのは漏れ伝わってくる情報を元にそう主張したもの
国民党の手に南京が戻ってきたのは8年も後だ

否定派は個別の事件でいちいち非難決議を採択しないと、無かった事にできると思っているらしい
であれば通州事件など無かったことになってしまうがそれでいいのか?
そして国民党が当時の南京の状況がよくわからないのにつけこんで
「2万人しか認識してないプギャー」とやるつもりがみえみえで、つくづく否定派は下衆である
327名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/06(土) 23:57:32 ID:r1gXuPiB0
>>326
>中国代表が非難決議を提訴したわけじゃないから、そりゃ採択はされないだろ
確か「行動を要求」したんだったっけ?浅学なのでうろ覚えで申し訳ない。
ただ仮に自国の首都で万単位の虐殺が起きたとしたら
>とりあえずそれ以上の非難決議など意味が無いだろう
とは思えないと思うけど・・・ まぁ蒋介石は首都を見捨てたほどの人間だからとなるのかね。

>2万人というのは漏れ伝わってくる情報を元にそう主張したもの
それはさすがに知ってるし、
>否定派は個別の事件でいちいち非難決議を採択しないと、無かった事にできると思っているらしい
とも思っていないよ。蒋介石が国連でアピールしたんだとしても、あまり大きな意味
はもたないというだけで、そもそも「記者会見で触れなかったのは嘘ではなかったはず」というのが論旨だから。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 00:22:36 ID:xD3fHpCE0
>>327
記者会見というものを全部観たわけでもないし、
それどころか満足な数の記者会見記録にも目を通してないんでそれについてはあるとも無いとも言えないが
中国代表が国連で南京での暴行について触れている以上、
「記者会見で触れていない」という主旨の発言で否定論に説得力をもたせようとするのは
錯誤させようという意図にしかみえない
すなわち下衆
329名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 00:29:43 ID:K3GHjYNG0
確かに記者会見で触れてないというだけで「無かった」ということにはならないけど、
一つの判断材料にはなるのは間違いないでしょ。にも拘わらず、
>「記者会見で触れていない」という主旨の発言で否定論に説得力をもたせようとするのは
錯誤させようという意図にしかみえない
というのは自分に都合の悪い事実を有耶無耶にしようとしてるように見える。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 00:33:23 ID:xD3fHpCE0
そもそも本当に記者会見で触れなかったのか?
まともに蒋介石の記者会見記録というものを見たことがないので確認しようもないが

全部から、無いことを証明しろとは言わないが
碌にサンプルが無い状態で、出てこないから無いと言われても
それこそ事実の錯誤を誘導していると言える
サンプルが少ないのであれば、それは「わからない」が正常な判断だろう
331名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 01:00:20 ID:xD3fHpCE0
蒋介石は日記にも、「倭寇は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。」と記しているし
日本国民向けの声明中でこう述べている

「また日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附けを行つた余勢で、わが方の遠くに
避難出来なかつた無辜の人民および負傷兵士に対しても大規模な屠殺が行はれた。
また数千人を広場に縛してこれに機銃掃射を加へ、あるひは数十人を一室に集めて油を注ぎ火炙りに処し、
甚しきに至つては殺人の多少を以て競争し、互ひに冗談の種としてゐる。」

この声明が出されたのは、既に南京が占領された後の話
確かに南京とは名言していないが・・・

>>321
おっと、スルーしかけたが、南京軍事法廷での見解は軍民30万人
その中で誰かが異説を唱えたりすることはあるだろうが異説は異説
主流たりえたことなどない
そんな異説をもってこなきゃならんのなら最初から嘘つかなきゃいいのにw
332名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 01:07:32 ID:K3GHjYNG0
300回の記者会見の中で触れていないということを本で読んだ記憶があるから、
全て確認したものだと思っていたが、碌にサンプルがない状態なのか・・・?
俺は南京事件に関しては無知なもので。(ちなみに厳密には俺は否定派ではない。
まだ確論できるほど勉強してないらな。精々懐疑的なだけ。)
もし、碌にサンプルがないなら「わからない」が正解だな。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 01:11:53 ID:xD3fHpCE0
だいたい記者会見と声明で、いったいどれ程意義に違いがあるんだ

それから日記や声明や国連での非難で触れている事に触れず
「記者会見では触れてない」という事実だけ抜き出して
事件の存在に懐疑的な内容と一緒に載せるのは
やはり下衆のやることとしか評せ無いなw
334名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 01:19:19 ID:K3GHjYNG0
記者会見と声明で大差ないのはその通りだが、
俺はただ「記者会見で触れてないのは嘘ではないはず」といっただけだ。
勿論それだけを根拠として懐疑的なわけでもないしな。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 01:48:18 ID:pyTRNQzN0
>>331
>その中で誰かが異説を唱えたりすることはあるだろうが異説は異説
>主流たりえたことなどない

主流ねえw
現代の肯定説の主流は何だ?
民間人の虐殺が否定されている時点で、肯定派の妄想が崩壊している事にぐらい気付けよw
336名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 02:00:28 ID:xD3fHpCE0
>>334
ふむ、君は否定派の素質がかなりあるようだ
中立の立場を装いながら、その実必ず否定寄りの内容にもっていく
君が何を望み、どんな情報を信じたいかは分かったよ

>>335
民間人の虐殺が否定されているなら、日中歴史共同研究に20万の数字は載りません
否定派の見解は皆無ですがw
だからって中間派の秦説を指してふんぞり返る否定派www
哀れw
337名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 02:29:56 ID:pyTRNQzN0
>>336
>民間人の虐殺が否定されているなら、日中歴史共同研究に20万の数字は載りません

その理屈だと、「日中歴史共同研究に2万の数字が載っているので民間人の虐殺は否定されている」とも言えるがw

■【外務省 日中歴史共同研究(概要)】
  ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/rekishi_kk.html
  一方、日本側の研究では20 万人を上限として、4 万人、 ≪≪ 2 万人など ≫≫ 様々な推計がなされ
  ている。このように犠牲者数に諸説がある背景には、「虐殺」(不法殺害)の定義、対象とする地域・期間、
  埋葬記録、人口統計など資料に対する検証の相違が存在している。

つーか、今まで民間人の虐殺を証明できた肯定派など存在しないのだがw
338名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 02:34:01 ID:xD3fHpCE0
何言ってんだこいつはw
否定されている情報なら載りませんw

否定派の主張は否定されているから載ってませんw
339名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 07:53:09 ID:kH1NBJqQ0
大辞林

ナンキンだいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対
して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以
上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 08:19:13 ID:3QSrkHFD0
初めに反日ありきのアホサヨ出版社の辞典なんか全然意味ねえよボケ!!!


国民党の全てを知り尽くす李登輝元総統が明確に否定した意味は非常に重いです

   「南京大虐殺」はなかった!

尖閣諸島の領有権については繰り返し「日本の領土」と発言している台湾の李登輝元総統が、このほど南京事件(大虐殺)についても明確に「無い」と発言したことが明らかになった。
去る10月25日に日本会議台湾研修団と合流して李登輝元総統と面談した西山雅規氏の質問に答えた。
氏がこの件で否定発言を行うのはおそらくはじめて。また、講演で「尖閣諸島は日本の領土」であることに再び言及したという。

 李登輝元総統は1923年1月15日生まれ。南京事件が発生したとされる1937年12月当時は私立台北国民中学校(現在の大同高級中学)に在籍中だったことになる。
この南京事件については日本国内ではその後の学者のさまざまな研究・検証により「無かった」ことでほぼ決着がついたも同然の状態だが、
支那サイドの長期にわたるプロパガンダにより世界的には「あった」というイメージが既に定着したとされている。

この間10月23日から27日は日本会議の台湾研修視察団と合流しました。取り急ぎ三つ程ご報告させて頂きます。

初めに10月25日午後に日本会議の方々と共に、元・総統の李登輝さんとお会いしました。

 其の時、私は「中共政府が言っているような南京大虐殺なるものはあったのでしようか、」と質問させて頂きました。
この答えは明確に「無い」と頂きましたので此処にご報告させて頂きます。詳しい事は日本会議が録音、録画を撮っ
ていたので後日紙面に公表されると思います。

341名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 08:33:55 ID:kH1NBJqQ0
広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一
般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 08:46:37 ID:YznLUDYwO
>>322
>つまり否定派のつくる会が無様に敗北ってことだろ
>失敗にはかわりないわw

南京大虐殺があったなんて書いてないだろ。いったいどこをどう読めば敗北になるんだ?w
焦る気持ちはよく分かる。次期採択戦では、いよいよ改善の会も参戦する。
大東亜戦争末期のソ連参戦のようなものだな。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 09:52:41 ID:kH1NBJqQ0
『現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した
事件。軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中
支那方面軍松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後
も「敗残兵狩り」と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,
いわれのない虐殺・略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚
子江)一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっか
になっていたといわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,
たちまち全世界に知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。


344名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 16:31:26 ID:K3GHjYNG0
>>336
事件に懐疑的と言ってるのだから
>中立の立場を装いながら、その実必ず否定寄りの内容にもっていく
というのは的外れな気がするが。

それから言い忘れていたが、>>323>>327に於て国連での非難に触れているのだから、
>>333
>それから日記や声明や国連での非難で触れている事に触れず
>「記者会見では触れてない」という事実だけ抜き出して
> 事件の存在に懐疑的な内容と一緒に載せるのは
というのは完全な誤謬だ。
それに繰り返すが「記者会見で触れてないのは嘘ではないはず」が論旨であり、
それが1つの判断材料になるとは言ったが、それだけで懐疑的であるとか、況や
なかったなどとは言っていない。「1つの」判断材料ということは、日記も声明も
国連での非難も同様に「1つの」判断材料になるという意味も含まれているのは
忖度してもらえると思う。
「国連での非難」に対して非難決議が採択されなかったと言ったことが
「懐疑的な内容」といっているのだったら
>それから日記や声明や国連での非難で触れている事に触れず
>「記者会見では触れてない」という事実だけ抜き出して
は誤謬であるし、
>>332に於て俺は否定派ではなく懐疑的なだけだと言ったことが「懐疑的な内容」と
いっているなら、記者会見云々とは関係なく俺の立場を説明しているだけなのだから、
>「記者会見では触れてない」という事実だけ抜き出して
>事件の存在に懐疑的な内容と一緒に載せるのは
というのは牽強付会だ。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 17:04:47 ID:xD3fHpCE0
>>340
だからお前な、どこぞの右派がそういってるだけじゃ怪文書レベルだって言ってんだろ
否定派は怪文書をペタペタ貼らないとならないくらい材料不足ですかw

>>342
いや、あったとしか読めません
残念でした

それから改善の会とかいうのもあるのか
また無様な負けひとつ追加だなw

346名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 17:27:18 ID:XpArgkL20
日本人は歴史の暗部にも正面から向き合うべきだ
347名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 17:33:31 ID:xD3fHpCE0
>>344
悪いんだけどね、各種史料から既に、南京大虐殺は歴史的事実として確定しているんだわ

君のやっている事は、ホメオパシーと現代医療を見比べている時に
「いやあ、現代医療も確かに解明しきれてないよね、ボクは懐疑的だよ」
とだけずっと言い続けるようなもの

ホメオパシーの肩を持とうとすると、余りにも分が悪い説明を求められるものだから
現代医療に対する「懐疑的」というスタンスだけを表明し続ける事で
「私は公平に材料を見て判断していますよ」という体を装いつつも、その実やってることはホメオパシーの
肩をもっているだけという状況に陥っている

日記や声明文、蒋介石率いる国民党が国連で非難している事実から
本人たちが認知している事は充分確立するのであり
記者会見云々だけを何度も持ち出して「いや私はコレ含めて様々な情報をもとに懐疑的」
とずっと言い続ける事は、ただの印象操作に他ならない
正に否定派が30年以上にわたってやってきた手法であり
その意味で君は、自分にとって都合の良い部分だけをチョイスし、自分の望む結果の為に行動する
否定派としての資質を充分に備えていると断言できる

ホメオパシーのごときカルトと、現代医療を比較し、
「どっちもどっち」「現代医療に懐疑的(とだけ言う)」などとする立場を取ることは
元々同じ土俵に立つ資格も無いカルトを、同じレベルにまで押し上げまともな対抗馬に仕立てあげ
カルトに一定の社会的地位と影響力を持たせるのと同義である
348名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:11:58 ID:EOtigGyD0
>>346
歴史の暗部に目を反らし続けるのはチャンコロの方だろ
文革や天安門の大虐殺には相変わらずすっとぼけ続けて反省も賠償もしてないし
349名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:15:04 ID:K3GHjYNG0
>>347
>日記や声明文、蒋介石率いる国民党が国連で非難している事実から
>本人たちが認知している事は充分確立するのであり
については否定した記憶がない。
>記者会見云々だけを何度も持ち出して「いや私はコレ含めて様々な情報をもとに懐疑的」
>とずっと言い続ける事は
については特に聞かれてなかったから答えなかっただけで・・・
私が懐疑的なのは
南京に於ける人口が南京陥落から5万人増加しており、数万人単位の虐殺が起きていたと
するなら、その最中に5万人以上の人間が南京に流入してきたことになり不自然である。
東京裁判に於いて大虐殺の証拠とされた遺体埋葬数は水増しであり、戦死体も大多数含まれる。
大宅壮一・西条八十・草野心平・石川達三などと言ったジャーナリストや作家、或いは
朝日新聞などの記者が虐殺現場や痕跡を一切目撃してない。
特派員や国際委員会のメンバーなども2件ほどしか目撃してない。(しかも便衣兵の
合法的処刑と誰何したら逃走したので発砲したという虐殺とは言えないもの)
南京大虐殺の証拠とされる写真などがいくつも発表されたが、捏造が証明されたものばかり。
『戦争とは何か』は元より伝聞情報だけで信憑性に問題があったが、これを書いた
ティンパリーが国民党の「顧問」であり、共同執筆者のベイツも中華民国政府の
「顧問」であり中立な立場ではなかった。
アメリカの新聞が報道していたが、それは『戦争とは何か』の第1章前半の内容と
酷似している。これはベイツが第1章前半の原稿を記者に渡しており、これを基に
生地を執筆していた為であった。
ラーベは比較的中立的立場であり、むしろ中国に武器を輸出していたジーメンス社の
南京社長で中国に好意的であったが、それでもヒトラーに対する上申書に於て
5〜6万人程度であり3万人の死体が下関に放置されたままと述べているが
日記に於てこの3万の死体は戦死体であることを認めいる。
3万もの戦死体を虐殺体に偽っているのだから残りの2〜3万の死体も戦死体であると
考えるのが自然である。
そもそも、肯定派は残敵掃蕩や便衣兵の処刑を虐殺としてカウントしている。
等々の理由によるもの。

逆にそこまで歴史的事実と豪語するならあったとする根拠を教示してもらいたい
350名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:19:14 ID:K3GHjYNG0
↑訂正
×南京陥落から5万人増加しており、
○南京陥落から3ヶ月後に5万人増加しており
351名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:36:10 ID:kH1NBJqQ0
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京
入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多く
の市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。
352名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:38:47 ID:kH1NBJqQ0
さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の
「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強
姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するま
で、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を
問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十
万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「
まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、
いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。




353名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 18:51:59 ID:xD3fHpCE0
>>349
やはりお前はただの否定派じゃないかw
少しまともにレスしてやって損したわw

ホメオパシーの連中と同じで、いくら話しをしても君が考えを変える事は無いだろう
カルトというものはそういうものだ

そして持ってきた根拠も、過去何度も蒸し返し繰り返されてきたもの
否定派は何度でもループさせることで、決着がついていないかのように印象操作しようとする
ああ、やっぱりお前は骨の髄まで腐れ否定派だよ

もうめんどくさいから、ここ読んどけよ
いや既に読んでるんだろうけどw
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
354名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 19:09:58 ID:xD3fHpCE0
まあ、中立の立場を偽装して否定論への印象操作を図ろう
肯定派をループ論議に誘い込もうなんて手段
これまでも何度も否定派がやってきた事だから珍しくもなんともないけど
つくづく下衆野郎だよなあw
355名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 20:36:39 ID:K3GHjYNG0
>まあ、中立の立場を偽装して否定論への印象操作を図ろう
何度も言うが懐疑的と言っているのだから的外れじゃないか?
>>347
>記者会見云々だけを何度も持ち出して「いや私はコレ含めて様々な情報をもとに懐疑的」
>とずっと言い続ける事は、ただの印象操作に他ならない
といわれたので懐疑的な理由を述べたら腐れ否定派呼ばわりか・・・
読んでみたが知らない事も多々あったのでもう少し勉強してくるわ。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 20:53:14 ID:xD3fHpCE0
>>355
何度も言っているが、それはまんまと否定派のプロパガンダにひっかかっている証拠

彼らカルトにとっては、「懐疑的」「どっちもどっち」的態度をとる人が増えれば
それだけでカルト勢力の社会的地位と影響力を高める事につながる
元々の出発点が「まるで相手にされない」状況だからだ

だから彼らは繰り返し嘘やミスリードの情報を流布する
永久に議論が終わらない状況をつくりだそうと躍起になる

君は本当に普通の人なら申し訳なかったが
もしそうであるなら、そんな君の持ってきた根拠(史料改竄の田中や、
裁判官に学問研究の成果ではないと斬って捨てられた東中野の説ばかりだよねそれ)
のような嘘情報にまんまとひっかかって、そのようなカルトどもの思惑通りの態度を取ってしまうのは
一定程度理解はできる

しかし否定派とは君のような態度を偽装して、その実カルト有利にもっていこうと企んだり
一定の社会的地位と影響力を持たせる為に、「どっちもどっち派」を増やそうとする連中であることだけは
再度念押ししておく


それから君のかんがえ方は、まんま腐れ否定派であることは事実だ
故に君は否定派としての素質を充分備えている
357名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 21:06:24 ID:xD3fHpCE0
ああ、あとここはカルトの腐れ否定派と
わざわざそんな連中を相手に嘲笑しにくる俺みたいな奴ばかりしか来ないので
普通の人は来ない方がいい

普通の人には以下のサイトで一通り史料を眺めることをおすすめする
さっき紹介したものも含むが

南京事件FAQ
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
南京事件−日中戦争 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/
南京事件資料集
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/


さっき言った写真が捏造だのなんだのについては、東中野の本が元ネタだろうが
ここにその再検証があるのでみておくといい

南京事件143枚の写真の再検証
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/ichiran_1.htm
http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/143photos/ichiran_2.htm

358左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/07(日) 21:22:50 ID:2Ldz5QEOO
疑わず盲信するのがカルトだろーがボケwww
359名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 21:23:40 ID:xD3fHpCE0
>>358
カルトさんちーす
360左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/07(日) 21:50:32 ID:2Ldz5QEOO
今日久々に赤旗祭行ってきたが、あれこそ本物のカルトだなwww
361名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 21:54:30 ID:xD3fHpCE0
共産党など支持していないが、あれに比べてもずっと否定派の方がカルトだw
362名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 21:57:34 ID:Tn7LFIzt0

タイトルねつ造!「日本船が中国船にぶつけた」尖閣ユーチューブ動画
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101107-00000037-sph-soci

こんなデタラメな嫌がらせプロパガンダを流されても、笑って許すような
馬鹿日本人を量産したのが、大東亜戦争。

南京大虐殺も嘘のプロパガンダ。中国人は生まれながらに嘘つきなのだ。
カルト中国人を信じてはいけない。



363名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 21:59:50 ID:Tn7LFIzt0

ガタガタいってないで、肯定派は早く民間人30万人大虐殺の証拠を出せ。

まず、一向に論破できない人口問題を論破してみろ。
南京安全区の民間人は20万人だぞ。

ほれ、30万人殺したら何人残る?引き算してみろ、カスw


364名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 22:02:39 ID:xD3fHpCE0
尖閣が日本の領土なのは事実だがすれ違いだと何度言ったら理解しますかw
馬鹿否定派はさっさと絶滅してくれよw
あと、カルトにどんな説明しても、カルトが納得することなんてありませんからw
放置してもさっぱり相手されない否定派は
嘲笑して差し上げるのが適当でございますのよww
365左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/07(日) 22:11:41 ID:2Ldz5QEOO
>>361
> 共産党など支持していないが

お前は朝鮮労働党だったなwww
366名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 22:15:15 ID:xD3fHpCE0
普通の無党派層でしかない日本人に対して朝鮮人であるかのように決め付ける

こうしてネットウヨクどもは馬鹿にされる存在に成り下がりましたとさw

めでたしめでたし
367名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 22:44:43 ID:Tn7LFIzt0
>>364
いいから早く、安全区の20万人を、どうやったら30万人虐殺できるのか
説明してみろよ

368名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 22:47:08 ID:xD3fHpCE0
南京事件FAQでも読んどけアホw
369名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 22:48:43 ID:58UmhezV0
>>366
ネットウヨクどうたらこうたらはどうでもいい。
おまえの立場はどこにあるの?
俺は
@便意兵狩りとしての部隊行動はあったと思う
A便意兵狩りの中に間違えて無辜の市民も殺っちゃったという
 戦争犯罪行為はあったと思うが、
B無差別に中国人を殺す目的での軍事行動はなかったろうと思う
C国民党軍による中国人市民の殺傷はあったと思う
D30万人はウソッパチだと思う
って立場なんだけど、
これもおまえの中では「否定派」に分類されるの?
370名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 22:53:11 ID:xD3fHpCE0
>>369
なんだね君は
藪から棒に
371名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:02:14 ID:Tn7LFIzt0
>>68
南京事件FAQには、根拠となる一次史料が何一つない。
完全な妄想じゃねーか。「可能性だけ」の話はもうやめろ。

ほれ、30万人殺したら、南京に何人の民間人が残ったんだ?
いって見ろよ。史料を元に。

372名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:06:03 ID:xD3fHpCE0
否定派が史料価値を認めないと強弁したところで
「ああ、カルトっていつもそう言うよね」としか思われませんがw

30年以上も相手にされない否定派w

373名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:09:33 ID:xD3fHpCE0
これが否定派のやり口

「俺様がそれを証拠を認めない限りダメ(最初から認めるつもりもないけどな)
 そして俺様が納得しない限り俺様の勝ち」

むてきくんはこんなことを延々続けています
結果、いまではすっかりカルト扱いとなり
在特会や幸福実現党のごとき他のカルトばかりが残る惨状となっておりますwww


371 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/11/07(日) 23:02:14 ID:Tn7LFIzt0 [4/4]
>>68
南京事件FAQには、根拠となる一次史料が何一つない。
完全な妄想じゃねーか。「可能性だけ」の話はもうやめろ。

ほれ、30万人殺したら、南京に何人の民間人が残ったんだ?
いって見ろよ。史料を元に。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:23:10 ID:58UmhezV0
>>373
なーーんだ
延々と20回も罵倒レスつけてるわりに
http://hissi.org/read.php/news/20101107/TUhOK0xPcDEw.html

「否定派」とは何を指すのか・己の立脚点はどこなのか
肝腎なことは一切示せないって、よくいるただの「罵倒派」でしかないわけね。
そんなモン、
『「(おまえ認定の)否定派」が存在しないと存在し得ない存在』
でしかないじゃん。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:32:51 ID:xD3fHpCE0
>>374
罵倒派か、成る程
確かに主目的は馬鹿の否定派を馬鹿にする為に来ているからそれが正解かもしれないw

馬鹿の否定派が、馬鹿なことを言い出したら
気ままに馬鹿にする

それだけだなw
376名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:34:40 ID:58UmhezV0
377名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:38:33 ID:pyTRNQzN0
>>372
史料価値ねえw
肯定派にそれを判断する知能があるのかねw

>300
>3、データベースによる解明
>この数十年、乱立したままの内外諸情報を争点別にデータベース化した上で再検分する手法を考案したのは、『南京事件の核心』(二〇〇三)の著者 富沢繁信である。
>画期的な新資料が見つかったわけではないが、既存の情報を数量化しただけでも、定着したイメージがかなり変わることをこの作業は立証した。
>たとえば中国軍が実施した清野作戦(焼却、破壊など)に関する海外報道が
>三八件、ラーベ日記に一六件あること、中国人便衣兵などの難民区への潜伏を報じる外国文献が七五件もあることがわかった。
> 一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、強姦は二四三件(うち目撃一七)、だったのは意外で、「強姦は一晩で千件」
>とか「日本兵による放火がなかった日は一日もない」というティンパーリーの記述は誇大に過ぎたことが明らかである。
>
>「南京事件」(p301〜302) 秦郁彦著
378名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:42:33 ID:xD3fHpCE0
>>377

> 肯定派にそれを判断する知能があるのかねw

肯定派というか、世間一般の人たちだね
特に百科事典や教科書、日中歴史共同研究の取りまとめの人たち

ほぼ笠原の説が中心になっていますw
否定派には判断する知能が無いと思われているから無視されてますwww
379名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/07(日) 23:56:19 ID:58UmhezV0
こんなこと言っちゃ身も蓋もないが
南京事件なんかマジメに史料集めて検証したってもはや意味が無いと思う。
肯定派(戦争犯罪としての虐殺行為が1件でもあったとする派と定義するとして)も
否定派(戦争犯罪としての虐殺行為が1件もなかったとする派と定義するとして)も
いずれもきちっとした史料を揃えて検証する必要はあるだろうが、
どっちにしたって、「得られる歴史的事実」は今の中国人の言い分を否定することになるだろう。
で、当の中国人はというと、
尖閣諸島事件の流出ビデオ映像見てさえ「巡視船が針路妨害してぶつかってきた」
と言い張るメンタリティなわけで、証拠もクソもどうでもいい連中なわけだ。
したがって、少なくとも、歩み寄るとか、歴史認識を共有するなんて目的は果たせない。
(歴史認識を共有することの可否・是非はまた別として)

「歴史的事実の追求は政治的思惑の埒外にあるべきもの」というのは正論だが
それにしても不毛な作業のように思えてならないわけよね俺としては・・
380名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 00:04:59 ID:RoGxXorb0
まあ、資料集めることには意味はあるでしょう。
自分は、肯定派がそれを目の前にして言い分けにもならない戯言を喚き散らす様子を見て笑っていますがw

例つ>300w
381名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 00:09:09 ID:dE/L0ZXX0
>>379
はあ・・・君はひょっとすると、ID変わってるが>>355と同じ人か?

> 肯定派(戦争犯罪としての虐殺行為が1件でもあったとする派と定義するとして)も
> 否定派(戦争犯罪としての虐殺行為が1件もなかったとする派と定義するとして)も
> いずれもきちっとした史料を揃えて検証する必要はあるだろうが、

もうこの時点でお話にならない
まるっきりカルトに利する行為をしていると断言する
ホメオパシーやオウム真理教のごときものを、同じ土俵に上げて対抗馬であるかのように仕立てあげる危険を
まるで理解していない愚か者

既に南京大虐殺があったことは確定している
日中歴史共同研究でもあった事前提で話をしている
あとは規模の問題だけだ


尖閣諸島での中国の態度を問題視するのはわかるが
あのようなまるきり中国側有利な史料は無いものと
否定派だけが「あの史料も証言も嘘、中国人も元日本兵も現地にいたドイツやアメリカ人なども
皆が一致結束して嘘を突き通してるだけ。国へ帰っても何十年にも渡って嘘をつき続けているだけ」
と何もかもを嘘にしなければいけないほど史料が残っているものを比較する方が不毛だ
382名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 00:20:32 ID:dE/L0ZXX0
ついでに言えば、歴史認識では当事者国以外がどう見るかという問題もある

その意味で、否定派の論法のごときお粗末なものが跋扈するような自体だけは避けるべきだ

そのような態度は簡単に欧米や他のアジア諸国に見抜かれる
あんなお粗末なものでひっくり返せると考えている否定派は他人を馬鹿にしすぎだ

383名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 00:20:53 ID:hrXkqcLV0
>>381
おまえはID:xD3fHpCE0なんだろ?
肯定・否定の規定もできない奴に用は無いんだよ。

俺の立場は>>369に示したとおり、
戦争犯罪としての虐殺行為が1件でもあったと定義するなら肯定派
中国人の言い分を否定するなら否定派だ。
それと、この検証を、日中の歴史認識共有を目的とするなら無意味派
過去の日本人の起こした事実の解明を目的とするなら有意義派
だよ。
気持ち悪いゴタク並べて絡んでくるな。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 00:31:28 ID:dE/L0ZXX0
>>383
お前の定義なんざどうでもいいが

カルトを同じ土俵に上げて扱うなと言っている
お前がやっているのはホメオパシーを有力な対抗馬であるかのように印象づけようとしているだけだ愚か者
そうやってトンデモ連中を増殖させることに加担して、ホメオパシーの被害者が増える

否定論は直接人体の健康に関わるものではないが
カルトを増殖させて中国にいいようにプロパガンダされる原因を作ってることに他ならない

お前こそ碌に否定論が同じ土俵に上がる資格がある根拠も無しに
中立に偽装して印象操作ばかりしてんじゃねーよこの腐れ低脳否定派が
385名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 07:59:38 ID:Lhi2CRbu0

『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育
出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。
こうして政府および軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおら
ず,当時国民政府のあった南京を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,
中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作

(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。
その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,南京だけで4万2,000人以
上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供で
あった。


386名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 12:24:25 ID:+iDXe8ipO
肯定派の精神構造は、中国人の劣化コピー
387名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 13:05:23 ID:stoSvc/00
>>386
いやいや朝鮮人の劣化コピーでしょうw
何せ感情論のみで具体的な根拠をまったく出さずにわめき散らすだけなんですからw
さらに白丁の劣化コピーにまで退化するとサルみたいに辞書のコピペを貼り付けることしかできなくなりますw
388左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/08(月) 14:40:10 ID:ng8oVH69O
>>387
>いやいや朝鮮人の劣化コピーでしょうw


コピーではありません。
本物の白丁ですからwww
389名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 14:58:29 ID:AV2Rm5zBO
南京虐殺になんで白丁がファビョるんでしょうね
関係無いし、むしろ日本側だったのに。
気が狂ってるんでしょうね
390名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 16:56:52 ID:Lhi2CRbu0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本
,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城
内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京
の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日
本は12月13日に中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘
を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,
敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女
性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内と
その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。(笠原)


391名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 17:48:16 ID:qICm2MVc0
「中国の民衆殺戮」

本書では、20世紀中国の主要な政治勢力による民衆殺戮を以下のように推計している。


中国共産党: 約3870万人以上(20世紀世界の民衆殺戮で第2位以上)

中国国民党: 約1021万人(ナチスに次いで20世紀世界第4位)

旧日本軍:約394万人(20世紀世界第5位)

軍閥:約91万人

清朝:約10万人

 ttp://book.geocities.jp/chinas_bloody_century/




392名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 17:49:45 ID:Lhi2CRbu0
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大
量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占
領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人とする
説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を
拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物
資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗
残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦
後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らかにされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害さ
れた中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとしている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。

393名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 19:30:53 ID:dE/L0ZXX0
やれやれ
相手を朝鮮人認定するしか反撃する術が無くなったらしいなw

これすなわち馬鹿ネトウヨの敗北宣言w
394名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 19:37:06 ID:Lhi2CRbu0
ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。
日本軍による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの
蛮行は同年11月の杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為
の一部であった。中支那派遣軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベ
ルの将校たちが命令をきかず、大規模な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上
」現象、つまり、まず既成事実をつくって上層部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例であ
る。この大量殺戮については多くの証人がおり、また中国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残さ
れているにもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過小視し続けてきた。一部の者は残虐行
為が行われたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷ならびに中国国内で開かれた各種
法廷への提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって殺された人の数を確
定することは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少ないほうで
は日本の軍事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると
、殺害された人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け
、また無数の食料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ
月間の蛮行の凶暴性は、ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が
本件あるいは同種の犯罪を理由に処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任
を負わされて処刑されたことは歴史の大いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさ
かのみややすひこ。上海派遣軍司令官)や中島今朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)な
どの下級将校のほうが直接的責任ははるかに大きい。

395名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 21:35:48 ID:Jcgv+1uP0
>>391
旧日本軍の民衆殺戮って、その1/10を遙かに下回ると思うよ
何しろ有名な事件足しても10万に遠く及ばないからね
396名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 21:52:11 ID:Lhi2CRbu0
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和
十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損
害を被った。十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられ
ていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏
切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友
の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強
姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の
入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委
員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。犠牲者数については中国側の
公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二
月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。この事件は「シカゴ・デ
イリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十
八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は
敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者
として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

397左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/08(月) 21:55:45 ID:ng8oVH69O
1/10どころか1/1000にも及ばない。
一部の不良朝鮮系日本兵を除き民間人の虐殺は0に等しいからなwww
398名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/08(月) 22:19:27 ID:Lhi2CRbu0
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。1937年(昭和12)8
月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被っ
た。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上
海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸
脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍
兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つとい
う郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火な
どの非行が常態化する状況となった。12月13日,南京占領に際しては,17日の入城式に備え,徹底的
な掃討を行い,投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し,多数の一般市民をその巻添えにし,略奪・
強姦・放火を重ねた。さらに12月22日,佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任,中国兵の狩出しと処
刑を続け,38年2月初めに及んだ。犠牲者数について中国側の公式見解は30万人とするが,戦闘行為
による戦死者を除き,上海から南京への進撃途上から38年2月初めまでの期間をとれば,10数万人から
20万人前後に達するとみられる。この事件は〈《シカゴ・デイリー・ニューズ》〉(1937年12月15日付),〈《
ニューヨーク・タイムズ》〉(1937年12月18日付)などによって報道され,国際的非難を浴びたが,日本
では厳重な報道管制を受け,日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同
裁判の結果,松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され,南京での裁判で第6師団長であった谷寿
夫中将らが処刑された。                 

(平凡社『世界大百科事典』「南京大虐殺」)
399名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 00:02:59 ID:NerkBnIK0

南京虐殺なんて、中国共産党のプロパガンダさ。
証拠はどこにもない。

百科事典など、証拠はどこにも書いてない。
そして、執筆者が笠原だったりするww

400名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 00:14:12 ID:e2zTf0Md0
なぜ執筆者を笠原に依頼するか
それを採用するかにまで頭が及ばない低脳否定派www
401名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 00:27:51 ID:B+Kzy8EU0
笠原に頼んだのは、百科事典の編集者が能無しの肯定派だったからさ。
402名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 01:49:12 ID:ZW42QCLK0
日本軍による虐殺の証拠はない。
敵国の首都を占領したんだから好き勝手に略奪などをしたに決まっている、という状況証拠に過ぎない。
真偽不確定の写真から明らかに変な写真の整理も行われていないのに、あったと決めつける方がおかしい。
「虐殺があってもおかしくない」
というていどにとどめておくべきだ。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 05:32:09 ID:x5MM7RfS0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 07:41:57 ID:vAjEVdhE0
笠原に頼んだのは、百科事典の編集者が能無しの肯定派だったからさ。
405名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 08:28:49 ID:e2zTf0Md0
そりゃお前等否定派からしたら脳無しだろうなw
逆に世の中の百科事典や辞書編集者からしたら
おまえら否定派が無能扱いされてるわけだ
よかったなw
406名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 09:37:59 ID:x5MM7RfS0
>笠原に頼んだのは、百科事典の編集者が能無しの肯定派だったからさ。

 何十とある歴史事典、百科事典の編集者は歴史学者である。

 一流の歴史学者には、南京大虐殺を否定するものはいないということだ。

407名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 12:46:20 ID:A/4gDZNwO
>>345
>いや、あったとしか読めません
残念でした

可哀相に、残念な頭なんだねwww


>それから改善の会とかいうのもあるのか

育鵬社から教科書が出版される。産経の子会社扶桑社が、新たに設立した子会社だ。


>また無様な負けひとつ追加だなw

とことん無知な奴だなwww
教えてやろう。無様に消滅した教科書会社が2つ。日本書籍と大阪書籍だ。
これが、反日自虐史観教科書の辿る運命なのだよwwwwww
408名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 12:55:22 ID:x5MM7RfS0
大辞林

ナンキンだいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対
して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以
上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。

409名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 13:40:17 ID:o3XnJw5P0


笠原は  南京城内については まぼろし派   これ豆な





城内虐殺を肯定している人は居ないよ
410名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 14:43:34 ID:9MfLSns/O
肯定派って、まぎらわしいから
「中国側の主張全面肯定派」って自称しろよ。
隠すなよ、そんな恥ずかしがらんでもいいじゃないかww
411名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 15:02:39 ID:VjlQ5lJy0
笠原は、著書『南京事件』において、米国で閲覧した『日寇暴行実録』(中国国民政府軍事委員会政治部)に
掲載されていた「日本兵に拉致される江南地方の中国人女性たち」のキャプションの写真を、そのままのキャ
プションで掲載した(なおこの写真のキャプションの後半には「江南地方の農村婦女が、一群また一群と日本
軍司令部まで押送されて行き、陵辱され、輪姦され、銃殺された」の語句があったが、笠原はこちらは翻訳し
なかった)。しかしこの写真は実際には『アサヒグラフ』昭和12年11月10日号に掲載された「我が兵士(日本
軍)に援けられて野良仕事より部落へかへる日の丸部落の女子供の群れ」という写真であることが秦郁彦に
より指摘された。その結果笠原は、中国国民政府軍事委員会政治部が、朝日新聞カメラマンが撮った写真を
「誤用」したものであったことを認め、誤用を謝罪、その事実を指摘した秦に謝意を表した[2]。これを受け、岩波
書店も同じページに「読者の皆さまへ」と題し、全面謝罪文を掲載し、別の写真に差し替えるに至った。秦の指
摘は同書本文についてのものではなく、当然本文の変更はされていない。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 18:40:25 ID:x5MM7RfS0
広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一
般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 20:31:55 ID:aWOIp4eV0
こんにちは。
初めて書き込みます。
僕は初心者ですが、南京大虐殺が本当にあったのかどうか、
証拠を見て決めたいと考えています。
どんな証拠があるのか教えてください。
詳しい方、よろしくお願いします。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 20:55:05 ID:GdEqzPls0
証拠は何もありません。
検証と史料集めする事なく、アホサヨが書いた辞典の鵜呑みにするのなら話は別だがね
415名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 21:02:20 ID:HbHNJjdq0
こんにちは。
初めて書き込みます。
僕も初心者ですが、南京大虐殺が本当になかったのかどうか、
証拠を見て決めたいと考えています。
どんな証拠があるのか教えてください。
詳しい方、よろしくお願いします。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 21:20:03 ID:aWOIp4eV0
そうですよね。
あったのかなかったのか、いずれにしても証拠を見ないとわからないですよね。
証拠はないのですか?
417名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 21:35:03 ID:5yzC9c9k0
早く民間人30万人大虐殺の証拠を出せ。

418左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/09(火) 22:34:47 ID:3k3GJ+lAO
簡単な話。
嘘だから証拠が無い。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 22:49:19 ID:x5MM7RfS0
『現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した
事件。軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中
支那方面軍松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後
も「敗残兵狩り」と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,
いわれのない虐殺・略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚
子江)一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっか
になっていたといわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,
たちまち全世界に知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。



420名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 23:31:09 ID:e2zTf0Md0
なんか否定派同士でコントしているwww

突っ込めばいいのか?w

>>413
>>414
なんでやねん!wwww


>>415
>>416
頭沸いとるんか!www
421名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 23:34:23 ID:e2zTf0Md0
はあ、今日はさっきまで仕事だったから疲れた
馬鹿否定派はともかく、初心者君(笑)もいるようだから、これだけ貼ってお仕舞いにしようw

南京事件FAQ
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
南京事件−日中戦争 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/
南京事件資料集
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/
422名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 23:43:55 ID:Qt2LIxXz0
>>421
遅くまで仕事した後の荒らし行為はまた格別でしょうww
423名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 23:46:14 ID:e2zTf0Md0
荒らしというのは、スレ違いの尖閣関連コピペを貼った連中の事を言うのだよ
ネトウヨ諸君
424名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/09(火) 23:48:38 ID:GdEqzPls0
>当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,たちまち全世界に知れわたったが、

ブッ!!(笑)
425名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 00:05:38 ID:dBdC7tpB0
>>423
さっさと寝なさいよ荒らしてないでww
426名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 00:49:22 ID:P/LkcqqC0
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。
427名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 00:53:27 ID:P/LkcqqC0
一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京
入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多く
の市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の
「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強
姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するま
で、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を
問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十
万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「
まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、
いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。



428名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 01:46:56 ID:cdEECLx/0
300回の記者会見とか、まだ東中野に騙されたままの情弱がいるんだね。

>>151
429左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/10(水) 05:46:06 ID:quxikJTqO
>>421
駐車場の交通整理もたいへんだなwww
今日はどこの斎場?
430名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 07:33:16 ID:zMR/n+FW0
>>429
よく知らないが日替わりで場所が変わるもんなのか
お前さんはそういうお仕事の人?
431名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 07:48:09 ID:mpymXKZm0
>>430 
それは勤務する警備会社にもよるんじゃないかな。
421の場合はたまたまお通夜でも入ったので遅くなったんじゃないの?
432名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 07:50:11 ID:zMR/n+FW0
421は俺なんだが
433名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 07:57:17 ID:mpymXKZm0
じゃあ聞くなよ。
てか、君まだ起きてたの?
434名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 07:59:34 ID:zMR/n+FW0
アホと会話すると疲れるなw
435名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:05:50 ID:mpymXKZm0
肉体労働なんだから、休める時にしっかり休んどいた方がいいよ。
よけいなお世話かもしれないが・・・。
436名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:10:08 ID:zMR/n+FW0
肉体労働じゃねえけど、ちゃんと休む時は休むから心配すんなよw
否定派は一度決め付けると、勝手に脳内妄想で語りだすから始末におえんなw
437名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:14:08 ID:zMR/n+FW0
こうやって否定論も脳内妄想でどんどん暴走したんだろう
そうかんがえると、何の根拠もなく朝鮮人認定するのも
この「勝手に決め付けて以降それを事実と思い込む」特徴からくるものだと理解できるw

結論=否定派は妄想に生きる精神病患者
証明終わりww
438名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:16:54 ID:mpymXKZm0
俺別に否定派でもなんでもないんだけど・・・。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:27:39 ID:zMR/n+FW0
はいはい、そうですね
440名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:30:43 ID:zMR/n+FW0
ところで昨日もどっかのスレで聞いたが、李登輝氏の話はまだ詳細こないのかよ
このままじゃ怪文書を嬉しそうにペタペタ貼っただけで終わるがw
441名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 08:37:28 ID:mpymXKZm0
今日はお休み?
それともまた夜勤?
442名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 17:02:54 ID:sQEMBZNT0
>>421

ここらへんのHPに疑問を持ち始めたら 南京中級者だな


443名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 18:08:39 ID:P/LkcqqC0
『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育
出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。
こうして政府および軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおら
ず,当時国民政府のあった南京を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,
中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作

(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。
その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,南京だけで4万2,000人以
上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供で
あった。

444名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 18:29:39 ID:zMR/n+FW0
こういう否定派の強がりを鼻で笑えるようになったら、本当の南京中級者


442 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/10(水) 17:02:54 ID:sQEMBZNT0
>>421

ここらへんのHPに疑問を持ち始めたら 南京中級者だな
445名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 18:45:50 ID:EsRsH8mxO
>>443
>三光作戦(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。

それは国民党軍の犯行。
証明→「長沙大火」「黄河決壊事件」


>エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,

こいつは中国共産党に従軍していた、言わば中共のスポークスマン。


>そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供であった。

死体のほとんどは男。
仮に事実だとしたら、中国の男は女子供を残してしっぽを巻いて逃げ去った、究極のヘタレ。生きる資格はない。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 20:01:11 ID:kB5pa6nz0
>>445
と、コピペゴキブリ吉田は、名越のトンデモ本に基づいて決めつけるのであった
447名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 20:15:56 ID:P/LkcqqC0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本
,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城
内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京
の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日
本は12月13日に中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘
を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,
敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女
性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内と
その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。(笠原)


448名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 20:16:33 ID:EsRsH8mxO
>>446
何じゃそりゃ〜!
おっと、こんなのを相手している場合ではないなw
449名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 20:43:12 ID:EsRsH8mxO
>>447
>その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。

それは堅壁清野と呼ばれる国民党軍の犯行。
証拠→長沙大火
450左翼ん ◆PDzqWniYxQ :2010/11/10(水) 20:58:31 ID:quxikJTqO
嘘で固めた南京大虐殺というスレタイが全てを語っているなwww
451名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 21:41:47 ID:eGYopJRE0

確かに、百科事典も辞書も「南京大虐殺」は嘘で塗り固められているな。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 21:48:03 ID:P/LkcqqC0
エンカルタ百科事典

南京大虐殺 ナンキンだいぎゃくさつ 日中戦争で日本軍が南京で中国人に対しておこなった無差別の大
量虐殺事件。中国では南京大屠殺(とさつ)という。
1937年(昭和12)12月、松井石根(いわね)大将を指揮官とする日本軍中支那方面軍が中国の首都南京を占
領した際におきた。軍人・捕虜・一般市民など、虐殺された中国人は数万人とする説から43万人とする
説まであるが、少なくとも20万人以上であったと推定されている。
1937年7月7日の盧溝橋事件後、日本と中国は全面戦争に突入し、日本軍は上海・華北にしだいに戦線を
拡大したが、抗日統一戦線をきずいた中国軍の頑強な抵抗で苦戦を強いられた。11月の上海攻略後は物
資補給のために略奪をくりかえし、敗残兵狩りを理由に、一般民衆に対しても暴行・虐殺をおこなった。
12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、南京城内外で敗
残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。
この日本軍による蛮行はアメリカなど世界中で報道されたが、日本国民には知らされず、第2次世界大戦
後の東京裁判(極東国際軍事裁判)ではじめて明らかにされた。東京裁判で中国側は日本軍によって殺害さ
れた中国人は43万人と発表、判決でも、最初の6週間に南京とその周辺で20万人以上が殺害されたとしている。南京攻略戦を指揮した松井石根はその責任を問われて死刑になった。

453名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 22:00:50 ID:eGYopJRE0

松井石根が軍規を極めて重視し、「強姦、略奪等の犯罪行為を厳禁」していたのは
有名な話。実際、強姦の罪で軍法会議にかけられた不良軍人は100人以上いた。

で、そんな厳しい司令官が、略奪・強姦・放火・虐殺が繰り返されるのを黙ってみていたと?
すげーな。エンカルタも嘘で塗り固められているな。

因みに、南京の日本総領事館に届出のあった間違いない日本兵による「民間人不法殺人」は
たった一件のみ。これは当時の記録で容易に分かる。目撃者も特定された。これ以外に数件
の届出があったが、目撃者が特定できず、信憑性に疑問がある。

20万人とか、30万人なんていうのは、おとぎ話の世界だな。

454名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 22:22:00 ID:eGYopJRE0
>>452
>12月13日に南京を占領した際に、多数の捕虜を不法に虐殺。その後数週間にわたって、
>南京城内外で敗残兵狩りや、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした。

ラーべ日記にすら、こんなトンデモは書いていない。
敗残兵狩りは当然あったが、一般市民に対する略奪・強姦・放火・虐殺をくりかえした、
というのは大嘘だ。
ひでーな、エンカルタ。

455名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/10(水) 22:31:16 ID:eGYopJRE0
あと、当時のアメリカの新聞を見れば、南京城郊外で、シナ兵が放火を
繰り返していた様子が紹介されている。戦後、なぜかこれも日本軍の仕業に
されてしまった。

東京裁判でも、日本兵による略奪の様子を語った証言はほんの数件のみ。
たった数件でも「繰り返した」ことになるのかね?

456senkaku:2010/11/11(木) 00:27:03 ID:tiBeWItJ0
民主党 南京大虐殺が真実であって欲しい、嘘でもいいから、と考えているに違いない


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1150176731
457名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 04:29:04 ID:4ZfuGCB90
>>453
>強姦の罪で軍法会議にかけられた不良軍人は100人以上
氷山の一角だな。

>厳しい司令官が、略奪・強姦・放火・虐殺が繰り返されるのを黙ってみていたと
松井自身が当初の政府方針に反して南京進撃を始めたんだ。
そんな規律が崩壊しかかっている軍隊で、司令官が禁止令を出したところで効果は薄い。
憲兵で取り締まるしかないが、野戦憲兵の数は少ないし、進撃中に十分に取り締まれるわけもない。

当初の政府命令どおり、上海で留まっていれば良かったんだよ。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 08:02:23 ID:wy5Umxbe0
ブリタニカ国際大百科事典

南京大虐殺

日中戦争中、日本軍が南京占領に際して行った中国軍捕虜ならびに民間人に対する集団殺戮・暴行事件。
日本軍による残虐行為は南京入城時の1937年12月13日から15日にかけて最も激しかったが、これらの
蛮行は同年11月の杭州湾上陸以後、翌38年1月まで続いた日本軍による一連の徴発、殺戮、略奪行為
の一部であった。中支那派遣軍司令官松井石根は捕虜の殺害を厳禁していたが、師団あるいは連隊レベ
ルの将校たちが命令をきかず、大規模な殺害を引起した。それは満州・中国における日本軍の「下克上
」現象、つまり、まず既成事実をつくって上層部の承認を強要するという行動様式の典型的な実例であ
る。この大量殺戮については多くの証人がおり、また中国人犠牲者と外国人とによる詳細な史料が残さ
れているにもかかわらず、日本の右翼勢力は事件をことさらに過小視し続けてきた。一部の者は残虐行
為が行われたこと自体を否定した。しかし、戦後の極東国際軍事法廷ならびに中国国内で開かれた各種
法廷への提出記録が物語る犯罪行為のすさまじさが確認されている。犠牲となって殺された人の数を確
定することは不可能である。推定値も、多いほうでは法廷での提出記録の30万人から、少ないほうで
は日本の軍事史家・秦郁彦による4万人とかなりの開きがある。しかしすべての証言を勘案してみると
、殺害された人数15万人を下らないであろう。そのほかに4万人の女性が日本軍人の集団暴行を受け
、また無数の食料品や衣料、住宅その他の物資が略奪ないしは破壊された。日本軍部隊によるこの3ヵ
月間の蛮行の凶暴性は、ナチスの強制収容所における残虐性にも比せられよう。大戦後、多くの将兵が
本件あるいは同種の犯罪を理由に処罰されたが、この残虐行為をするなと命じた松井石根が事件の責任
を負わされて処刑されたことは歴史の大いなる皮肉である。その他の高級将校ことに朝香宮鳩彦(あさ
かのみややすひこ。上海派遣軍司令官)や中島今朝吾(第16師団長)、あるいは長勇(上海派遣軍参謀)な
どの下級将校のほうが直接的責任ははるかに大きい。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 10:26:49 ID:LH5E9hrG0
>>457

戦線を突破してそのまま追撃しない馬鹿な軍人はいない

当時の軍人はどっかの馬鹿なサヨク官房長官と違うのだ
460名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 10:36:47 ID:wy5Umxbe0
平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和
十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損
害を被った。十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、
指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられ
ていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏
切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友
の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強
姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の
入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民を
その巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委
員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。犠牲者数については中国側の
公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二
月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。この事件は「シカゴ・デ
イリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十
八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は
敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者
として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

461名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 11:45:33 ID:S6PZbTgm0
江口圭一
 ↑
こいつは仙石もまいったという程の超極悪サヨ売国奴
こいつの本はゴミ以下
462名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 12:43:42 ID:GOFxpBX90
>>455

>シナ兵が放火を繰り返していた様子が紹介されている。

そういう疑念があって、実際に被害者はいてホントに可哀想ではあるが加害者が日本軍であるとはかぎらないということなんだよね。
被害者が受けた不幸の内容に偽りはないかも知れないが、加害者を本当に日本軍と断定できているのか?
歴史を溯って、倭寇と十把一絡げにされる海賊行為を事例に出す。その初期は日本人によるものだったが中期以降は朝鮮人や中国人だったわけだ。日本の鎧を着て日本人のふりをすると海賊行為はやりやすかったようだ。

『南京陥落後に日本兵のふりをして中国人が同邦人を襲った』
かの土地ならそれを否定しきれるものではないだろう。
この時代の中国一帯の治安はひどいありさまで、まともなのは租界や租借地だけだった。
国民党が統一したというのも書類上のことだけだった。
軍閥が跳梁跋扈して抗争を繰り返し市民も襲うなんてのはあたりまえの状態だったんだから。
各国が軍隊を駐留させていたのは、在中同邦人を保護することが必要だったからだ。せめて今の中国くらいの治安であれば、まさに今のように軍隊を駐留させることもなかっただろう。国民党が、租界の治安の保証をしてくれるんだから。

出てきている被害証言だって、本当に南京陥落後のものなのかも怪しい。

日中戦争のさなか、国民党は中国各地での日本軍の蛮行を喧伝しまくったが、南京でのものが虐殺というほどではなかったのはどういうことなのか。ほかの土地では南京虐殺の同レベルの蛮行のデマが世界中に向けて発信されていた。
そういう不自然なところがある中、そういったことの説明がないまま「あった」と言われても疑わないわけにはいかない。

「蛮行はあった。南京ではないが蛮行には違いがないんだから瑣末なことだ」
とか、
「日本が戦争をしなければ“疑われるようなことはなかった”んだから、疑われるようなことをした日本が悪い」

という意見なら、まだ主張の意味がわかる。
そうなった経緯、理由をすっ飛ばして、まず有ったか無かったかを論じるべきだと思うんだが、そこまで心情にだけ訴えたければそれはそれでしようがないだろう。
そして、
単なる空き巣事件なのに強盗殺人罪で訴えられたり、単なる傷害を、強姦罪で訴えることが“疑われるようなことをしたから悪いんだな“と言えるような神経というのはどういうものかと思うが。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 13:47:51 ID:V18BN+Mh0
捏造に加担した売国奴は万死に値するよな 
464名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 14:21:27 ID:wy5Umxbe0
南京大虐殺
ナンキンだいぎゃくさつ

日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。1937年(昭和12)8
月,日中戦争は華北から華中に拡大,日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し,大きな損害を被っ
た。11月上旬ようやく中国軍を退却させると,中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は,指揮下の上
海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第10軍(軍司令官柳川平助中将)を,与えられていた任務を逸
脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。上海戦で疲労し,凱旋の期待を裏切られた日本軍
兵士は自暴自棄となり,補給がともなわず現地徴発に頼ったこと,中国侮蔑感情や戦友の仇を討つとい
う郷党意識にとらわれていたことなども加わって,南京への進撃途上ですでに略奪・強姦・虐殺・放火な
どの非行が常態化する状況となった。12月13日,南京占領に際しては,17日の入城式に備え,徹底的
な掃討を行い,投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し,多数の一般市民をその巻添えにし,略奪・
強姦・放火を重ねた。さらに12月22日,佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任,中国兵の狩出しと処
刑を続け,38年2月初めに及んだ。犠牲者数について中国側の公式見解は30万人とするが,戦闘行為
による戦死者を除き,上海から南京への進撃途上から38年2月初めまでの期間をとれば,10数万人から
20万人前後に達するとみられる。この事件は〈《シカゴ・デイリー・ニューズ》〉(1937年12月15日付),〈《
ニューヨーク・タイムズ》〉(1937年12月18日付)などによって報道され,国際的非難を浴びたが,日本
では厳重な報道管制を受け,日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同
裁判の結果,松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され,南京での裁判で第6師団長であった谷寿
夫中将らが処刑された。                 

(平凡社『世界大百科事典』「南京大虐殺」)
465名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 21:03:31 ID:kFDjuPhn0
さっさとこんなウヨスレ埋めちまえよw
466名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 22:13:27 ID:ySxywpHM0
日本軍人の日記とか、告白があるとかいう主張がある。
「自らの誉れを捏造することはあっても、罪を捏造するはずがない」
ということらしいが、その告白が“当時未成年の日本兵”のものであっては信用できるはずもない。
なぜにこのような証言が未だに引っ込められていないのか、このような証言をした“意図”について、明確にもされていない。
明確にされなければ、肯定派がこれまでに出してきた、これからも出してくる証拠や証言を信用できるものではない。
また、明確にしてさえしてくれれば、これまでの証拠や証言のすべてはそういう意図をもって提出されたものだと判断できる。
「ほかの肯定派がファンタジーのような証言をするから、俺が信用されないじゃないか!」
という繰り言のひとつも聞こえてこないのは、いかがなものか。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 22:54:56 ID:FM5Cexdl0
またなんか、否定派が妄想と戦っているぞw
468名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/11(木) 23:56:57 ID:wy5Umxbe0
大辞泉

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争初期の昭和12年(1937)、南京を占領した日本軍による、中国軍捕虜や一般市民に対する大規模
な略奪・暴行・虐殺事件。

469名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 03:48:54 ID:yYzCFu66O
こきんとうです。
謝れ日本人!!
ラーメン返せ!!
ライスは許す!!
470名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 06:09:09 ID:QJDgbNno0
一応貼っておくか、中国兵が、日本兵のふりして、犯罪を犯していたと言うことも判明している。

1938.1.4 NYタイムス
元支那軍将校が避難民の中に 大佐一味が白状、南京の犯罪を日本軍のせいに
南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一味とその部下の将校を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。
実のところ教授たちは、この大佐を避難民キャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。
 この将校たちは、支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。
彼らは大学の建物の中に、ライフル6丁とピストル5丁、砲台からはずした機関銃一丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのもであると自白した。
 この元将校たちは、南京で掠奪した事と、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲ったふうにしたことを、アメリカ人や外の外国人たちのいる前で自白した。
この元将校たちは戒厳令に照らして罰せられるだろう。


1938.2.17 大阪朝日
皇軍の名を騙り 南京で掠奪暴行 不逞支那人一味捕る
【同盟南京二月十六日発】
皇軍の南京入城以来わが将兵が種々の暴行を行つてゐるとの事実無根の誣説(ぶせつ)が一部外国に伝わつてゐるので在南京憲兵隊ではその出所を究明すべく苦心探査中のところこのほど漸くその根源を突き止めることが出来た。
右は皇軍の名を騙って掠奪暴行至らざるなき悪事を南京の避難地域で働いてゐた憎むべき支那人一味であるが憲兵隊の活躍で一網打尽に逮捕された。
この不逞極まる支那人はかつて京城において洋服仕立を営業、日本語に巧みな呉堯邦(二十八才)以下十一名で皇軍入城後日本人を装ひわが通訳の腕章を偽造してこれをつけ、(略)の三ヶ所を根城に皇軍の目を眩ましては南京区内に跳梁し強盗の被害は総額五万元、
暴行にいたつては無数で襲はれた無辜の支那人らはいづれも一味を日本人と信じきつてゐたため発覚が遅れたものであるが憲兵隊の山本政雄軍曹、村辺繁一通訳の活躍で検挙を見たものである。
一味は主魁呉堯邦のほか……の十名でいづれも皇軍の入城まで巡警を務めてゐた。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 08:29:55 ID:Ddl3Ab0V0
大辞林

ナンキンだいぎゃくさつ 【南京大虐殺】
日中戦争さなかの 1937 年(昭和 12)12 月から翌年 1 月にかけて、南京を占領した日本軍が中国人に対
して行なった大規模な暴行略奪虐殺事件。このとき殺された中国人の数は、極東軍事裁判では二〇万人以
上、中国側の発表では三〇〜四〇万人とされる。


472名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 08:37:17 ID:hZeJKJT10
>>470
出たw否定派の唯一の心の拠り所w
それを繰り返し貼るしか脳がない否定派w

右翼の学者ですら、そのニュースは日本のでっちあげ臭いとしている上に
仮にそのニュースが事実だとしても、たった1件しかない
日本兵の犯罪記録はもっと沢山残ってるのに、たった1件で全部ひっくり返そうなど甘いわw


ちなみに下は中国兵じゃないから「中国兵が、日本兵のふりして」は成り立たない

それにどっちも殺害の記録ではないから、いまのところ殺害に関しては
中国兵や中国人による日本兵なりすまし殺害の記録は無いことになる
ああ、わかってるよw次はあれを出すんだろ?
473名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 09:02:53 ID:Ddl3Ab0V0
広辞苑

ナンキン‐だいぎゃくさつ【南京大虐殺】
日中戦争で南京が占領された1937年12月前後に南京城内外で、日本軍が中国軍の投降兵・捕虜および一
般市民を大量に虐殺し、あわせて放火・略奪・強姦などの非行を加えた事件。
 
474名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 09:21:21 ID:IQFUdVPx0
たった1件で全部ひっくり返そうなんてアホな論法使う奴いんの?
むしろ、おまえがそういう「部分全体化の人」だから、
他人もそうに違いないと邪推してるだけだろ?非常によくあることです。

混乱に乗じて悪さする不逞の輩はどっちにもいて全然不思議じゃないが、
おまえは中国兵や中国人による日本兵なりすまし殺害は一件も無い
出てきた史料は全部インチキ!よって中国無謬!
ってことにしたいみたいだもんな。
肯定派の主流って、中国無瑕疵・無謬論者なん?
475名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 09:24:54 ID:Ddl3Ab0V0
現代アジア社会事典』(1975年12月10日 第1版第1刷発行 大和学芸図書)

P.315
南京虐殺事件 1937年12月の南京占領にさいし,日本軍が中国軍の兵士および一般市民多数を虐殺した
事件。軍命令による中国軍民の大虐殺が行われたのは,日本軍が同市を占領した37年12月13日から,中
支那方面軍松井石根大将を迎えて入城式があげられた同17日の前夜までの4日間であった。だがその後
も「敗残兵狩り」と称して虐殺は続けられた。また市内全域は2か月にわたり,個々の日本兵によって,
いわれのない虐殺・略奪・放火が行われた。
 この事件は,日本敗戦後,極東軍事裁判でもとりあげられ,判決ではこの事件の中国人犠牲者の総数を
20万人前後といっている。このほか,極東軍事裁判ではとりあげられなかったが,南京付近の長江(揚
子江)一帯では13万人の避難民と兵士が虐殺され、死体が長江に投げこまれ,川の水は鮮血でまっか
になっていたといわれている。この事件は,当時南京にいた外国人記者3人によって詳しく報道され,
たちまち全世界に知れわたったが、日本では敗戦の日までその事実がひたかくしにかくされていた。

476名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 20:35:50 ID:hZeJKJT10
>>474
> たった1件で全部ひっくり返そうなんてアホな論法使う奴いんの?

うん、この板やN極東の否定派はたいていそうだよ
最近はそういう風に突っ込みを入れまくってるせいか、大分その論法は減ってきたが
まだ当分は言い続けてやるけどねw

ていうか君も否定派のそういう実態は知ってるでしょw
あ、スレが変わったら記憶無くしちゃう人?
多いんだよ否定派にはw

477名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 22:40:34 ID:OLxCsFbj0

コピペ馬鹿がだんだん哀れになってきたな。
こいつのカルト的バカサヨ人生は真っ暗なんだろう。

自分の主張を一切せず、百科事典のコピペ
のみを繰り返して何が楽しいんだろうか?

誰もそんなもの信じていないのに。というか、それらをいじって遊んで
いるんだが。

478名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 22:44:08 ID:OLxCsFbj0

肯定派の諸君には、そろそろ民間人30万人大虐殺の証拠を出してもらおうか。

こいつらが自慢げに提示した「南京事件FAQ」には、証拠など何一つ無かった。
このHPはシナのプロパガンダを垂れ流すだけで、価値ある史料は何一つ無かった。

南京安全区にいた人口は20万人だ。民間人を30万人殺したら何人残る?
答えろ。カスw



479名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 22:45:23 ID:hZeJKJT10
民間人30万人大虐殺w
中国ですら軍人入れて30万だといってんのにwww
否定派アホすぎるww
480名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 22:51:49 ID:tsb90N3t0
>>476
>うん、この板やN極東の否定派はたいていそうだよ
そんな奴いたかw
「日本兵の殺害や強姦の記録の方がずっと多い」とか「否定派は「中国兵がみんな殺した、強姦した」と主張している」とかいう、
《《《否定派が誰も主張していない事に対して》》》必死で藁人形叩きをしていた摩訶不思議な肯定派脳の持ち主なら存在したようだけどw
481名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 22:52:06 ID:OLxCsFbj0
南京安全区委員会のラーベは、日記の中に安全区の人口は20万人と記載している。
南京に入城した日本軍も、調査の結果、安全区の人口を20万人とした。

ここで問題です。安全区の民間人を30万人殺したら、何人生き残るでしょう?

因みに、その数ヶ月後の安全区の人口は25万人です。誰かが、マリック顔負けの
超魔術でも使ったのでしょうかねww



482名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 23:03:40 ID:OLxCsFbj0

アイリス・チャンは、民間人30万人大虐殺を主張し、鬱病になって自殺した。

ここで問題です。この女が鬱病になったのはなぜでしょう?

483名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 23:16:31 ID:hZeJKJT10
>>480
記憶障害の否定派が覚えてないのはいつもの事だから仕方ないが、
まあそんなつもりはないと強く言い張るならつまり

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

と、お前はそう言うわけだなw
記録上はそうなるんだろ?w

>>482
民間人30万人大虐殺w
中国ですら軍人入れて30万だといってんのにwww
否定派アホすぎるww
484名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 23:24:12 ID:QJDgbNno0
まあ、世界で軍規が一番しっかりしてたのは日本軍であることは間違いないな


中国軍や中国一般市民が日本より軍規がしっかりしていたとか主張するほうが頭どうかしている。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 23:26:46 ID:hZeJKJT10
>>484

> 中国軍や中国一般市民が日本より軍規がしっかりしていたとか主張するほうが頭どうかしている。

色々突っ込みどことはあるが、一般市民に軍規関係ねーw
さすが否定派w
486名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/12(金) 23:45:17 ID:win86ExB0
>>459
>戦線を突破してそのまま追撃しない馬鹿な軍人はいない
いるよ。
例えば、源頼朝。
富士川で平家軍を総崩れにさせた後も、自陣営の体制固めを優先し、追撃はしなかった。

追撃すべきか否かは、戦術、戦略、政治的状況で決まるもの。
それらを無視して、何が何でも追撃するのはいわゆる猪武者でしかない。
深追いして逆襲されて逆に敗死した武将の例など、戦史にはいくらでもある。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:00:46 ID:0yeO45St0
>>483
だから否定派が「日本兵の殺害や強姦の記録の方がずっと多い」とか「中国兵がみんな殺した、強姦した」と主張しているレスが存在するのかと。
つくづく肯定派は『自分の脳内妄想に存在する否定派』に対してしか藁人形叩きできないのかとw

【南京】東中野裁判3【新路口事件】
ttp://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1287224073/l50
>151
>中国兵による犯罪は逃亡時の略奪が記録されているくらい

肯定派はこう主張しておいて>470のような記録の存在を指摘すると、「でっちあげ臭い」「たった1件しかない」と見苦しく逃げ回るw
中国兵による逃亡時の略奪以外の『犯罪の記録』が存在する事は事実。
肯定派の主張は明確に否定されている。
そして>470の事件は「ウイルソンの手紙」やベイツの「南京日本大使館宛書簡」、「第二十八号文書 王新倫事件にかんする会談の覚書」
によってでっち上げなどではないことが確認できる。
さらにニューヨーク・タイムズ、チャイナ・プレスでも報道されている。
「外国の報道機関は日本軍の『大本営発表』wを垂れ流すだけの無能集団だった!」とでも主張したいのかとw
488名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:21:27 ID:FwOTb2kq0
>>486

何年前のはなししてんだよw
489名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:23:24 ID:FwOTb2kq0
低脳な挙げ足取りしかできなくなっているのなw

肯定派ってみじめだな 第三者からみて 否定派のほうがまともと言う印象しかない

490名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:26:17 ID:XPDLiGw70
>>487
いや、君が記憶障害なのはわかったからw
でもそんなつもりで言ってないというなら

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

はい、これに依存はないですねw
さあはやく答えろよw

それからでっちあげ臭いと言ってるのは、南京大虐殺否定派の板倉だからさあw
否定派ですらでっちあげ臭いと言っているニュースなんて、ものの数に入るかよw
それでも1件とカウントしてやろうと言ってんだ、ありがたく思えwwww
491名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:40:50 ID:XPDLiGw70
>>489
自分が否定派であることすら忘れちゃったのお?w
記憶障害も末期だなwwwwww

> 「ウイルソンの手紙」やベイツの「南京日本大使館宛書簡」、「第二十八号文書 王新倫事件にかんする会談の覚書」
> によってでっち上げなどではないことが確認できる。

ちなみにこれらの記録に目を通すと、益々でっち上げ臭さが増すばかりなんだがwwwwwwww
外国人たちは「大佐という忌まわしい罪を 着 せ ら れ た 」とか
「彼は元警官で軍人じゃない」と訴え出て、冤罪であると主張している

冤罪であるとする記録を持ってきて「でっち上げでは無かった」などとする否定派wwwwwwwwwwwwwwwww

例えて言うなら痴漢冤罪事件で「痴漢はしていないと他の人が証言している」という文書を持ってきて
「冤罪ではない事が確認できる」と言うようなものwwwwwwwwwwwww
頭が狂ってるとしか思えないwwww
492名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:41:45 ID:XPDLiGw70
もう一度確認しますww

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

否定派はこれに依存ありませんねwww
493名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:50:34 ID:FwOTb2kq0
>>492

>>470 あるだろ  真面目にやれw
494名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:52:22 ID:FwOTb2kq0
後、日本軍の南京攻略前に

中国軍が、南京一般市民に対して、漢奸狩りを行って多数の一般市民を殺害している。

また、南京周辺の農民を徴兵して、最前線に立たせて肉の盾にしている。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:54:54 ID:SiL2xIRqO
>>492
>「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです

「黄河決壊事件」では100万近い住民を虐殺し、それを日本軍のせいにした。
すぐにばれたがな。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 00:59:38 ID:0yeO45St0
>>490
>はい、これに依存はないですねw
>さあはやく答えろよw

「依存」ねえ?www
日本語を勉強しなおせw

>「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
>その点で肯定派と異論はありません。
>中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

「異存」がありますので同意しませんw
殺害の記録で「日本兵の犯罪」と確認されたものは【ほとんどありません】w←(こちらの主張はゼロ、皆無という意味ではないことは明確にしておくw)
しかも目撃された二件の殺人は「犯罪」ではありませんw

つ>300
> 一方、難民区の公私にわたる記録を足し合わせた殺人は二ヶ月間で九四件(うち目撃二)、強姦は二四三件(うち目撃一七)、だったのは意外で、「強姦は一晩で千件」
>とか「日本兵による放火がなかった日は一日もない」というティンパーリーの記述は誇大に過ぎたことが明らかである。
>
>「南京事件」(p301〜302) 秦郁彦著

目撃されたのは「マギーの証言」の一件と、昭和13年1月9日の「合法的処刑」の一件だけw
497名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:09:10 ID:XPDLiGw70
>>493
たった1件なのですか?wwしかも殺害の記録じゃないのですがwwww
更にでっち上げ臭いんですがwwwww

>>495
そうだね、そんな事しようとしてもすぐバレちゃうよねwwww
でも否定派は、南京では中国兵による「日本兵の仕業」とする偽装工作は
ほぼ完璧に偽装できたから記録に残らなかったと主張するんだよねwwww
うはwwww中国兵最強伝説だなwwwww
498名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:11:21 ID:O1+4ptfDO
>>493
>>470 あるだろ  真面目にやれw

掠奪と暴行しか書かれてない。どこが中国兵による殺害の記録なんだよw

>>495
南京事件と関係ねーwww
499名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:15:53 ID:XPDLiGw70
>>496
しまったw全然誤字に気づかなかったwwwwすまんwwww

> 「異存」がありますので同意しませんw

記録の解釈ではなく、記録があるか無いかの話ですw

「中国兵による犯罪記録はろくに無い」
↑ここまで煽っても否定派が持ってこないので確定ですw

それは真実ではないと否定派は主張するのは「日本兵の犯罪記録」です
記録の解釈に文句言うのは分かるが、それはつまり「記録自体はある」事を認めている事に他なりませんwwwwwwwwwwwwww

故に

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

これを否定派は認めたと同義ですwwww
残念でしたw
500名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:17:36 ID:0yeO45St0
>>490
そもそもマギーの日記によると実際にはマギーは殺人を目撃していないw

マギーの日記(12月19日)。
「ちょうど一昨日(注、12月17日)も、私たちの住んでいる家の直ぐ近くで、私はかわいそうにも一人の男が殺されるのを見た。
実に多くの支那人は臆病で、誰何されると、愚かにも逃げ出す。
その男に起きたのもこれだった。
私たちの目に入る竹垣の角を、ちょうど曲がったところで、その殺害が生じたとき、
その実際の殺害を私たちは見ていなかった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
あとでコーラがそこに行って、その男は頭を二発撃たれていたと語った」
マーサ・スモーリィ編『アメリカ人宣教師の目撃した南京大虐殺1937〜1938』P.23)

これは「日本兵の犯罪」ではない。
戦争なのだから敵兵を殺害する記録や不審者を殺害する記録が存在するのは当然。
戦場で『日本兵による殺害の記録』が存在するのに何か問題でも?
殺害が「日本兵による犯罪」であること。
さらに「殺害したのが日本兵であること」が立証できなければ>490には何の意味もないw

当然、『日本兵による殺害の記録』が存在し、それが『犯罪行為であること』、さらに『犯罪行為を行ったのが日本兵であること』を証明できるよなw
501名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:23:37 ID:0yeO45St0
>>498
>掠奪と暴行しか書かれてない。どこが中国兵による殺害の記録なんだよw

つまり日本兵の犯罪行為も「殺害の記録」に限定されるということだなw
つ>300w
502名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:25:06 ID:XPDLiGw70
>>500
マギーはこう書いているんだぜw


おととい、我々は哀れな人が、我々の住む家のすぐ近くで殺されるのを見た。
中国人の多くは臆病で、誰何されると愚かにも走り出そうとするのだ。
これがその男に起こったことだった。我々からは見えない、竹垣の角を曲がったところが現場だったので、
殺害の瞬間を見ることはできなかった。後でコーラが現場に行き、男は頭を二度撃ち抜かれていたと言った。
この二人の日本軍兵士は、ネズミでも殺したかのように、もう何の関心もない様子で、タバコを吸うことを止めることもなく、
話をしながら笑っていた。




否定派wwwwww
姑息wwwww
最後の一文を入れるとどう見ても日本兵がやったようにしか見えないからってその部分だけ削るとかwwwwww
503名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:28:13 ID:XPDLiGw70
もう一度確認しますww

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

否定派はこれに依存ありませんねwww
記録の解釈ではありませんよwwww
記録が純粋にどれだけあるかですよwwww
504名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:41:22 ID:0o9yXdbr0
>>502
マギーは東京裁判では1件の殺人を目撃したと証言したが、後に妻への手紙でそれも偽証だったと判明している。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:52:19 ID:XPDLiGw70
>>504
はあ?何言ってんの?
今はこの手紙に書いた内容の最後の一文を否定派が削った事について
その姑息さを嘲笑しているところなんだが、いきなり東京裁判に飛ぶなよwwwww


おととい、我々は哀れな人が、我々の住む家のすぐ近くで殺されるのを見た。
中国人の多くは臆病で、誰何されると愚かにも走り出そうとするのだ。
これがその男に起こったことだった。我々からは見えない、竹垣の角を曲がったところが現場だったので、
殺害の瞬間を見ることはできなかった。後でコーラが現場に行き、男は頭を二度撃ち抜かれていたと言った。
この二人の日本軍兵士は、ネズミでも殺したかのように、もう何の関心もない様子で、タバコを吸うことを止めることもなく、
話をしながら笑っていた。
506名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 01:57:10 ID:0yeO45St0
>>503
アホw

アホの主張w
>>498
>掠奪と暴行しか書かれてない。どこが中国兵による殺害の記録なんだよw
>>499
>記録の解釈ではなく、記録があるか無いかの話ですw

アホが問題にしているのは「略奪」でも「暴行」でもなく「日本兵による殺害の記録」w
さて、「略奪」でも「暴行」でもなく「日本兵による殺害の記録」とやらはどこだ?
>300によれば合法的な殺害が二件目撃されただけのようだがw

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は【日本兵と確認された】ものばかりです 」

こういう主張か?それなら【日本兵と確認された】証明してみろw
それとも

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は【合法、非合法、犯人が中国兵・日本兵に関係なく】日本兵のものばかりです」
こういう主張なのかw
どちらにせよ【異存】があるので同意しないがw
507名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:03:24 ID:XPDLiGw70
はい、否定派がこれを認めましたw

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

こうなるともう否定派はこう言うしかなくなるのですw

「その記録は嘘だ!!!!!11
 本当だとするなら俺様が良いって言うまで証明を繰り返せ!!!(良いなんて絶対言わないけどなww)」


とことん下衆野郎wwwwwwww
508名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:07:21 ID:6T0CnfCt0
>>505
日本兵がタバコを吸って笑っていたことと、マギーが殺人を目撃していないことが何の関係があるんだよ。
誰何されて逃げ出したところを射殺されたのだから、実際に目撃していようがしていまいが合法なので問題ない。


509名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:10:59 ID:XPDLiGw70
>>508


> 実際に目撃していようがしていまいが合法なので問題ない。


なら「目撃していない」なんて強調するのは不要じゃんwww
>>500は一体なんだったのwwwwwwww
とりあえず印象操作したかっただけですか?wwww

510名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:18:52 ID:0yeO45St0
>>507
脳内妄想相手に勝利宣言かw
コレだから肯定派ってヤツは実におめでたい精神構造をしているw

>記録上は日本兵のもの(日本兵の犯罪行為)ばかりです

こう主張するのであれば『日本兵の犯罪行為の記録』を出すのが当然。
しかし実際は>300のように合法的な殺害が二件目撃されただけ。

肯定派は自分で主張しておきながら根拠を全く出さない。
どっちが下種野郎なんだと。
まあ、どちらにせよ今日も肯定派は全く自分の主張の根拠さえ出せませんでしたと(嘲笑)w
できることといえばせいぜい「日本兵が行ったのかどうか不明な伝聞証言」を必死にコピペする程度だろうなw
511名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:24:26 ID:0yeO45St0
>>509
肯定派の脳内ではこのスレには否定派は1人しか存在しないらしいなw
512名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:34:36 ID:FwOTb2kq0


肯定派ってのは、印象操作しかしてないな

これじゃ巷の支持は失われていくばかりだな


513名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:44:25 ID:XPDLiGw70
>>510
わかったからこれに異存無しと認めろよwww
逃げんなwwwww

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」

514名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:45:06 ID:FwOTb2kq0
>>513

漢奸狩りがあるから その主張は無理がありすぎるw
515名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:46:55 ID:FwOTb2kq0
ちなみに、今の肯定派の最前線は、一般市民の虐殺をほぼ放棄している。


44 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2010/11/06(土) 17:17:23 ID:N0eYD9Qf [20/20]
まとめ
 南京事件とは捕虜の無裁判大量処刑です。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 02:49:51 ID:0yeO45St0
「記録」ねぇw
『南京事件の総括』P171 田中正明著 展転社
「当時ぼくは役目がら毎日のように、外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。
『いまどこどこで日本の兵隊が十五、六の女の子を輪姦している』。あるいは『太平路何号で日本軍が集団でおし入り物をかっぱらっている』等々。
その訴えをマギー神父とかフイッチなど三、四人が、ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。
『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずにそれをタイプして抗議されても困る』と幾度も注意した。
時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうこともいくどかあった。
ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。
『下関にある米国所有の木材を、日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。何とかしてくれ』という。
それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、副領事と三人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。
朝の九時頃である。現場についてみると、人の子一人もおらず、倉庫は鍵がかかっており、盗難の形跡もない。
『困るね、こういうことでは!』とぼくもきびしく注意したが、とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。
肯定派によるとこれは「殺害の記録」ではないから関係ないようだw
517名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 03:05:43 ID:0yeO45St0
>>513
だから>300にあるように「日本軍の殺害の記録」は二ヶ月間で九四件。
日本兵が殺害したと確認されているのはたった二件。
しかもマギーの証言と合法的処刑。
日本兵が犯罪行為を行ったと確認できない以上、お前の主張に同意するバカはいないw
それとも九四件の記録の中から目撃情報が再発見されたのかw
518名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 03:57:56 ID:FwOTb2kq0
南京における「漢奸狩り」

日中戦争初期に日本で発行された『画報躍進之日本』の中で、陥落前の南京における「漢奸狩り」が報告されているほか、
『東京朝日新聞』・『読売新聞』・『東京日日新聞』も「漢奸狩り」について報道をおこなっている。

戦争が始まると漢奸の名目で銃殺される者は南京では連日80人にも及び、その後は数が減ったものの1937年11月までに約2,000名に達し、
多くは日本留学生であった(当時南京にいた外国人からも日本留学生だった歯科医が漢奸の疑いで殺された具体例が報告されている)。
『画報躍進之日本』では「これは何らかの意図をもって特定の者にどさくさを利用して漢奸というレッテルを付けて葬るという中国一流の愚劣さから出ていた」との見方を示し、
さらに「南京で颯爽と歩く若者は全部共産党系であり、彼らによってスパイ狩りが行われるため要人たちは姿を隠して滅多に表に出ることがなかった」と報告している。
南京では軍事情報の日本側への伝達、日本の航空機に対する信号発信や国民政府が日本の軍艦の運航を妨げるために揚子江封鎖を行うとした決定を漏洩したことを理由とするにとどまらず]、
親日派をはじめ、日本人と交際していた中国人や少しでも日本のことを知るように話したり、「日本軍は強い」などと言うことを根拠として直ちにスパイと断定され処刑された。
外国人も例えば日本の書籍や日本人の写っている写真を持っているだけでスパイの嫌疑を受け拘引されたことから、南京を脱出する外国人も出ていた。

行政院秘書であった黄月秋が最初に銃殺され、当時から日本側と頻繁に交渉していた外交部アジア司長高宗武、汪兆銘の腹心である曾仲鳴と?民誼、
実業家の周作民、許卓然などは監禁されるか生死不明となり、何澄など新聞記者6名(大公報2 名、大美晩報2名、チャイナ・プレス1名、チャイナ・ウイークリー・レヴュー1名)が処刑された。
『画報躍進之日本』ではこれらの「漢奸狩り」について、「このような人物たちは皆日本語に通じ、日本をよく知る者であったが日本によく抗議するのもその人物や新聞記者たちであり、
日本を知っていると同時に愛国心の強い連中であったにも関わらず血祭りにするほどの逆上ぶりであった」と報告している。

南京攻略戦直前(1937年12月初め)の南京城内では毎日、漢奸狩りで捕えられ銃殺される者は数知れず、電柱や街角に鮮血を帯びた晒し首が目につかない場所はなかった。
南京攻略戦後には、日本軍に好意を持つものは漢奸として処分されることを示したポスターが南京市内いたるところで確認された。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 04:11:15 ID:FwOTb2kq0

あ、ちなみに、漢奸狩りの記述は ミニーボートリンとかも書いてあるから

捏造とか言ってもダメだよ
520名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 04:13:45 ID:FwOTb2kq0
親日派を弾圧しておいて、日本が南京を占領したんだから

弾圧していた(それに加担していた)人たちがどうなったか想像しなくてもわかるよね
521名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 06:47:27 ID:8fnPgZZxO
>>483←こいつって、「肯定派」なの?
俺としてはむしろ
『中国人の主張に一点でも疑問を呈する人を否定派と規定し、「否定派」を否定したい派』
と呼ぶべき輩だと思うんだけど。
「言ってないことまで言ったことにして否定派のイメージを固定したい派」
とかな。
なんか尖閣事案での、
『「銛で突かれて死んだ海保隊員がいると全員信じ込んでいるネトウヨ」ってことにしたい派』
とソックリw

正調肯定派?からしても迷惑な輩なんじゃねーの?
522名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 11:24:48 ID:oVrayb4m0
弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)

日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐
殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。
南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。
一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もとも
と参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行
で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副
長となった拡大派の武藤章大佐らであった。上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養
も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵
愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。
十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京
の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万〜五〇万人(南京攻略戦以
前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が
残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲
滅(皆殺し)作戦を実施した。同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵ある
いは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 11:26:25 ID:oVrayb4m0
一般民衆も敵対行動、不審行動をする「
敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京
入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。
武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多く
の市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の
「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強
姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。
その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するま
で、日本軍の残虐行為は続いた。
極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を
問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十
万以上とし、四人の将官が死刑となった。一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「
まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、
いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇
万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。


524名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 11:28:20 ID:O1+4ptfDO
>>517
>だから>300にあるように「日本軍の殺害の記録」は二ヶ月間で九四件。
>日本兵が殺害したと確認されているのはたった二件。
>しかもマギーの証言と合法的処刑。

目撃を確認にすり替えんなよ。目撃してなくても94件は日本軍の殺害という事になってるだろw
しかも1月9日の合法的処刑はクレーガーとハッツがそう思っただけ。根拠のない憶測に過ぎないw

そもそもおかしいのは難民区内の統計が南京での日本軍による全ての犯罪ではないという事。
スマイス調査によれば、日本軍による暴行と拉致で6600人が殺害されるか行方不明になっとるわw
525名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:14:11 ID:XPDLiGw70
>>514
それは南京陥落前の話だろがw
それは別に否定しませんが何かw
陥落直前に中国兵が略奪したことも記録にあるとおりだと思いますがそれが何か?w

それらが外国人の日記に載っている、それを事実をお前等は思っているわけだが
同じ外国人が残した記録で、南京陥落後の日本兵の暴行、強姦、略奪行為は嘘だというわけだろ?w
都合の良い否定派脳だぜまったくwwwwww

>>516
史料改竄の田中正明の本から持ってくるとはw
そもそも、それは日本側有利に持ってく為の戦後の証言だろうがw
当時の記録じゃねえしw
「記録ねえw」じゃねえよバカwwwwwwwww
526名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:20:41 ID:XPDLiGw70
>>517
>>524で既に論破してくれているが、お前等はほんと姑息だよなあwwwwww
そんな詭弁の典型を用いないと否定できませんか?wwww
哀れ否定派wwwwww

そして数少ない外国人が認知できただけでもそれだけの件数があったということだ
南京城内だけでも山手線くらいの広さがある
城外も含めればその広大な地域で発生した中にどれほど認知できなかったものがあるかわかるというものwwww

そして認知できた比率から、圧倒的に日本兵による暴行や略奪、強姦がその期間、その地域にあったという証拠は
パール判事の言葉によれば「圧倒的である」となるわけだよwww

否定派の捏造踊りお疲れさんwwwww
527名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:31:30 ID:XPDLiGw70
>>519
>>525

>>521
お前何言ってんの?
日本兵の暴行や略奪、強姦の記録の方がずっと多いと認識あわせをしているのに
否定派はバカだからその事実に対して「うん」とは言わず
「いや、でも中国兵が・・・」「だって陥落前には漢奸狩りが・・・」と
見苦しい言い逃れに終始しているのが今の流れだろ

今取り扱ってんのは「中国人の主張」じゃなくて外国人や日本側の記録だバーカw
「言ってないことまで」ってのはお前が記憶障害だから忘れてるだけだが
今の流れからしても否定派が、その記録を事実と言いたくない事くらいはわかるだろバーカw
それで言い逃れに終始している状態だから、そこを正しているんだろバーカw

お前に代わりに聞くがこれは事実と認めるのかい?
記録の解釈の問題じゃねえぞw記録があるかないかだからw

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」
528名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:32:50 ID:FwOTb2kq0
>>525

外国人側は、中国側にたって日本の行為を非難しているわけだが
その外国人が中国側に不利な事実を告白しているわけ

つまり自白が成立している。

外国人が日本について何をいおうが自白は成立していない。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:39:02 ID:FwOTb2kq0
>>524
>スマイス調査によれば、日本軍による暴行と拉致で6600人が殺害されるか行方不明になっとるわw

まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

第二に、漢奸狩りの犠牲者も当然に含まれて居る。

つまり、信頼できるスマイス調査ですら、南京攻略戦前後の犠牲者数をあらわしている。

ところが肯定派は、意識的or無意識的に、南京攻略戦【後】に【日本軍が】と勝手に付け加えて解釈している。

>>525
>それは南京陥落前の話だろがwそれは別に否定しませんが何かw

では、スマイス調査とすりあわせて、犠牲者数の内訳はどうなっているのか語っていただきたい。

ほとんどが漢奸狩りの犠牲者だとおもうけどね



姑息なのは肯定派のほうだね  まじ糞以下
530名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:45:00 ID:FwOTb2kq0
また、陥落後でも

兵士が便衣兵に変装しているが、服は一般市民から当然に略奪しており
その略奪の過程において、殺害することもあったと外国人の手記にある。


また、ラーベは道端のいたるところに陰部に木の棒が刺さった、女性の死体がいたるところにあると記している。
この殺害方法は、日本人によるものではなく、中国人によるもの(済南事件・通州事件・チベット、法輪効弾圧等)である。

531名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:49:05 ID:XPDLiGw70
>>528
何その否定派脳wwww


否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」




否定派アホすぎるwwwww
532名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:51:49 ID:XPDLiGw70
>>529
> まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

例えばこのようにスマイス報告には書かれている

「日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント
十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。」

この一点をもってしても、いかに否定派が記録を改竄して
「加害者を特定していない」など嘘で自説を補強しようとしているかよくわかりますねwww
533名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:53:14 ID:FwOTb2kq0
>>531
否定脳とかじゃなくて 常識ですが ^^;

中国側が出してきた証人ですよ
534名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:53:40 ID:XPDLiGw70
否定派は記憶障害ですぐ忘れるから
また「そんな事言ってない」とか言い出す前にこれをテンプレ化してしまおうwwwww
今後、事あるごとにこれを貼ってやるwwww



529 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 12:39:02 ID:FwOTb2kq0 [12/13]
>>524
>スマイス調査によれば、日本軍による暴行と拉致で6600人が殺害されるか行方不明になっとるわw

まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

第二に、漢奸狩りの犠牲者も当然に含まれて居る。

つまり、信頼できるスマイス調査ですら、南京攻略戦前後の犠牲者数をあらわしている。

ところが肯定派は、意識的or無意識的に、南京攻略戦【後】に【日本軍が】と勝手に付け加えて解釈している。



532 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 12:51:49 ID:XPDLiGw70 [16/16]
>>529
> まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

例えばこのようにスマイス報告には書かれている

「日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント
十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。」

この一点をもってしても、いかに否定派が記録を改竄して
「加害者を特定していない」など嘘で自説を補強しようとしているかよくわかりますねwww
535名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:54:57 ID:FwOTb2kq0
>>532
はいはい、前半部は、スマイスとは別人のベイツが勝手に書いたものですよ
536名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:55:07 ID:XPDLiGw70
>>533
バカスwwwww

否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」
537名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:57:40 ID:XPDLiGw70
>>535
ベイツが書こうが「スマイス報告」として日本軍の犯行だと記録していることに代わりないですがwwww
否定派バカスwwwwwww
そんなんで言い逃れできると思っている頭の構造がお花畑すぎるwwwwwwwww

529 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 12:39:02 ID:FwOTb2kq0 [12/13]
>>524
>スマイス調査によれば、日本軍による暴行と拉致で6600人が殺害されるか行方不明になっとるわw

まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

第二に、漢奸狩りの犠牲者も当然に含まれて居る。

つまり、信頼できるスマイス調査ですら、南京攻略戦前後の犠牲者数をあらわしている。

ところが肯定派は、意識的or無意識的に、南京攻略戦【後】に【日本軍が】と勝手に付け加えて解釈している。



532 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 12:51:49 ID:XPDLiGw70 [16/16]
>>529
> まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

例えばこのようにスマイス報告には書かれている

「日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント
十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。」

この一点をもってしても、いかに否定派が記録を改竄して
「加害者を特定していない」など嘘で自説を補強しようとしているかよくわかりますねwww
538名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 12:58:45 ID:FwOTb2kq0
>>536
検察側が圧倒的に有利な東京裁判において

中国側が出してきた証人が、中国側に不利な証言を行った

これを 自白というのですがw


539名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:00:27 ID:XPDLiGw70
>>538
何度そんなバカ理論を貼り付けようが、このバカ発言のインパクトは覆せませんよwwww

否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」

これも事あるごとに貼ってやろうwwww
540名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:00:35 ID:FwOTb2kq0
>>537
>ベイツが書こうが「スマイス報告」として日本軍の犯行だと記録していることに代わりないですがwwww

スマイス報告を ベイツが改ざんしたものを根拠としてあげる肯定派

さすが、なにがなんでも肯定したいんだろうな

スマイス本人の報告では加害者は特定していません。

ベイツがあとから、これは日本軍ものだと【勝手に】付け加えた物です。
541名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:02:36 ID:XPDLiGw70
>>540
あれも改竄、これも改竄、みんな改竄wwwwwww

否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」
否定派「証言も記録も全部なにもかも改竄されたか嘘なんだよ!!!!
     あ、でも中国兵の犯罪だけは本当だから(キリッ」
542名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:03:19 ID:XPDLiGw70
バカの金字塔

529 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 12:39:02 ID:FwOTb2kq0 [12/13]
>>524
>スマイス調査によれば、日本軍による暴行と拉致で6600人が殺害されるか行方不明になっとるわw

まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

第二に、漢奸狩りの犠牲者も当然に含まれて居る。

つまり、信頼できるスマイス調査ですら、南京攻略戦前後の犠牲者数をあらわしている。

ところが肯定派は、意識的or無意識的に、南京攻略戦【後】に【日本軍が】と勝手に付け加えて解釈している。



532 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2010/11/13(土) 12:51:49 ID:XPDLiGw70 [16/16]
>>529
> まず第一に、スマイス調査は、加害者を特定していない。

例えばこのようにスマイス報告には書かれている

「日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント
十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。」

この一点をもってしても、いかに否定派が記録を改竄して
「加害者を特定していない」など嘘で自説を補強しようとしているかよくわかりますねwww
543名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:06:18 ID:FwOTb2kq0
>>541-542

散々語りつくされたのにもかかわらず、反論できずに発狂する肯定派w


【結論】

スマイス報告は、 
@南京攻略戦前後の犠牲者数であって、加害者が特定していない

A導入部において、ベイツが日本軍のやったものだと勝手に改ざんしている



以上は、スマイス報告を扱う上で常識なので、きちんと勉強してからこい
544名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:07:10 ID:XPDLiGw70
>>543
否定派の脳内常識wwwwwwww
糞笑えるwwwwwww

否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」
否定派「証言も記録も全部なにもかも改竄されたか嘘なんだよ!!!!
     あ、でも中国兵の犯罪だけは本当だから(キリッ」
545名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:10:13 ID:XPDLiGw70
否定派の学者ですらそんなこと言ってないwwww
ID:FwOTb2kq0からしか出てこない常識wwwwwwwwwwwwwwwww
記憶障害だけじゃなくて妄想癖も激しいwwwwwww
入院をオススメするwwwwwwwwwww
546名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:15:40 ID:FwOTb2kq0
>>544-545

冷静になって、きちんと調べてみなさい

いくら発狂しても、結論はかわらないからw

大体 スマイスの調査が 南京攻略戦後であるなら
漢奸狩りの犠牲者と、攻略戦の犠牲者と どのような基準で分けたのか?

当然に分けた基準が示されるわけだが、報告書にはその記述すらない

このように少し考えればわかることであるが、その能力すら肯定派にはない。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:22:18 ID:XPDLiGw70
>>546
調査票にはその時の状況も記入していますwwww
申告でしかないけれども、スマイスもベイツもその情報を元に報告している事は事実ですwwww

はい次は「申告内容なんて嘘に決まっている!!!!!1111」


あれも改竄、これも改竄、みんな改竄wwwwwww

否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」
否定派「証言も記録も全部なにもかも改竄されたか嘘なんだよ!!!!
     あ、でも中国兵の犯罪だけは本当だから(キリッ」
548名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:25:11 ID:XPDLiGw70
そして話をスマイス報告に逸らした否定派wwww



い つ ま で 経 っ  て も 中 国 兵 の 犯 罪 記 録 は  碌 に持 っ て こ な い wwww



549名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:27:09 ID:FwOTb2kq0
>>547

んで日本軍によるものかどうかの 質問事項はあったのか?

あったとするなら、調査員はどのように日本軍のものと断定したのか?


当然答えられるよね
550名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:31:10 ID:XPDLiGw70
>>549
出たー否定派の必殺技

「都合の悪い情報は相手に証明不可能を要求して封殺!!!」

スマイス報告では日本兵による犯行だと結論づけているのは事実ですからwwww
詳細なやり取りなど知らんが、外国人による記録として残っているのはやはり
日本兵による犯行ばかりwww

そろそろこれを認めるしかないなww
記録の解釈の問題じゃねえぞw記録があるかないかだからw

「中国兵による殺害の記録など皆無です、記録上は日本兵のものばかりです
 その点で肯定派と異論はありません。
 中国兵が日本兵だと偽って、犯罪行為を犯したなどということは、記録上はほとんどありません」
551名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:32:48 ID:XPDLiGw70
否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」
否定派「証言も記録も全部なにもかも改竄されたか嘘なんだよ!!!!
     あ、でも中国兵の犯罪だけは本当だから(キリッ」
否定派「改竄ではないというなら、俺が良いと言うまで証明を繰り返せ!(絶対に認めないけどね)」
552名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:35:07 ID:FwOTb2kq0
>>550

スマイス報告は、「兵士」としているだけであり、

【日本軍の】と勝手に付け加えて解釈しているのは、肯定派だから


553名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:37:37 ID:XPDLiGw70
>>552
「Japanese forces」といくらでも出てきますからwwwwwww
残念でしたwwww
554名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 13:40:45 ID:FwOTb2kq0
>>532
スマイス原文

89 per cent of the deaths and 90 per cent of the injuries by soldiers' violence occurred after December 13, when occupation of the city was entirely completed.


どこをみても 単に「兵士」です。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 14:01:36 ID:XPDLiGw70
連投制限がきつくなってきたwww

>>554
バーカww
その前後で日本軍だとしているのだから、そこは日本兵という解釈で問題ないわw

そして後でこうも言い切っているw

For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically
all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces
調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、
実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。



「by the Japanese forces」

よーめーまーすーかーwwww
556名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 14:45:33 ID:O1+4ptfDO
>>543
>スマイス報告は、 
>@南京攻略戦前後の犠牲者数であって、加害者が特定していない

嘘吐くなw スマイス自身がこう書いている。

 Of those killed 2,400 (74 per cent) were killed by soldiers' violence apart from military operations.(1)
 There is reason to expect under-reporting of 【deaths and violence at the hands of the Japanese soldiers】,
 because of the fear of  retaliation from the army of occupation.
 (1)"Military operations" is here used for shells, bombs, or bullets fired in battle.

 これらの死者のうち2400人(74%)は軍事行動(1)とは別に、兵士の暴行によって殺されたものである。
 占領軍の報復を恐れて【日本軍による死傷】の報告が実際より少ないと考えられる理由がある。
 (1)ここで「軍事行動」による死者というのは、戦闘中、砲弾・爆弾あるいは銃弾をうけで死亡したものをいう。

>A導入部において、ベイツが日本軍のやったものだと勝手に改ざんしている

はいはい、証拠出してから言ってねw ベイツはこうも書いてるんだがw

 Our own position is humanitarian, without regard to the nationality of war victims. In this report we seldom use the terms
 "Chinese" and "Japanese", and consider persons simply as farmers, housewives or children.

 われわれ自身の立場は戦争の犠牲者にたいする国境をこえた人道主義の立場である。この報告のなかで われわれ
 はほとんど「中国人」とか「日本人」などの言葉を使うことなく、ただ農民・主婦・子供を念頭においている。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 14:57:07 ID:FwOTb2kq0
>>555
>その前後で日本軍だとしているのだから、そこは日本兵という解釈で問題ないわw
その前後にも日本軍(兵士)という記述はない。


>For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically
>all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces
>調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、
>実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。

この記述を書いたのはベイツであって、スマイスではない。
常識なのだが

558名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:05:05 ID:FwOTb2kq0
>>556
前半の by soldiers' violence

後半の【deaths and violence at the hands of the Japanese soldiers】
このように記述を分けていることから

スマイスは、
加害者不明の兵士の暴行による死亡のうち、日本軍によるものは過小に報告されていると、推測しているのであり

前半の兵士の暴行には、加害者が特定されていないことがより鮮明になっている。

>はいはい、証拠出してから言ってねw
>>556
君がスマイスが書いたとしているものはベイツが書いた記述である。
スマイスは、加害者を特定した記述はしていない。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:07:44 ID:FwOTb2kq0
>>553

Japanese forces  と言う記述は、

ベイツが書いたところしか出てきませんからwwwww

おまえこそ残念でしたwwwwww
560名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:18:12 ID:FwOTb2kq0


しっかし、肯定派ってのは本当に自分に都合よく解釈するな


事実誤認も本当に酷い
561名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:35:54 ID:O1+4ptfDO
>>558
>スマイスは、
>加害者不明の兵士の暴行による死亡のうち、日本軍によるものは過小に報告されていると、推測しているのであり
>前半の兵士の暴行には、加害者が特定されていないことがより鮮明になっている。

屁理屈乙w

 89 per cent of the deaths and 90 per cent of the injuries by soldiers' violence occurred after December 13,
 when occupation of the city was entirely completed.

 兵士の暴行による死者の89%および負傷者の90%が12月13日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。

占領後の兵士の暴行といえば日本兵しかいないわ馬鹿w 支那兵は便衣化していたから兵士の暴行と被害者は認識
できない。おまけに支那兵の暴行による殺人事件が在った記述を未だに否定派は出せないでいる。出てきたのは支那兵
による掠奪、暴行の記述のみで殺人は無しw

>君がスマイスが書いたとしているものはベイツが書いた記述である。

だから「ベイツはこうも書いてるんだがw 」と書いただろw ベイツが日本軍のやったものだと勝手に改ざんしている という
証拠を早く出せよ。 証拠が無ければただのお前の妄想に過ぎないw
562名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:36:31 ID:FwOTb2kq0
>>550
>出たー否定派の必殺技
>「都合の悪い情報は相手に証明不可能を要求して封殺!!!」

だから、南京攻略戦前か後かは 証明不可能だよね

つまり、スマイス報告は、南京攻略戦前後の犠牲者数と考えるのが自然だろ
都合が悪いとか関係ないよ。 証明不可能なんだからそのような結論にならざるを得ない。

前か後か区別不可能なんだから
563名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:39:18 ID:FwOTb2kq0
>>561
占領前か後かの兵士の暴行 という証明は不可能だって自分で認めてるじゃん>>550

>占領後の兵士の暴行といえば日本兵しかいないわ馬鹿w
お前の勝手な思い込みだろ

スマイスは、日本軍とは書いていない。 兵士としか書いていない

かってに予断をもってつけくわえるなよ これを改ざんという
564名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 15:43:09 ID:FwOTb2kq0
>>561

>ベイツが日本軍のやったものだと勝手に改ざんしている という証拠を早く出せよ。

君が>>555で引用した記述は

For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically
all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces
調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、
実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。


スマイスではなくベイツです。

直接調査にあたったスマイスは、加害者を特定していません。

直接調査にあたっていないベイツは日本軍がやったものだと勝手に改ざんしています。

ok?

565名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 16:09:50 ID:2OnpWpDPO
日本に占領された後もせっせと略奪や殺人に励んでたの?
いやゼロとは思わんが。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 16:18:41 ID:FwOTb2kq0
>>565
占領前に南京において中国軍による略奪・殺人はあったこと>>518
肯定派の人も認めるところである。>>525

これに対して、スマイス報告は、占領後に略奪・殺害としている。

そこで一つの疑問が生まれる
「スマイスは実際上、どうやって占領前になされたのと区別したのか?」

区別することは不可能ではないのかということである。
(可能というならその方法を教えて欲しいスマイス報告には書かれていない)

それらが明らかにならない場合、スマイス報告は、占領の前後の犠牲者数と考えるのが自然。

567名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 16:49:11 ID:FwOTb2kq0
>>565
反日ベイツでも以下のように書いているね

Beginning early in January, there gradually developed looting and robbery by Chinese civilians;
1月初旬以来、中国人市民による略奪と強盗がはじまり徐々にひろがった。

and later, particularly after March, the struggle for fuel brought serious structural damage to unoccupied buildings.
その後、とくに3月以降は燃料争奪戦のために空家とたっていた建物の骨組みに大きな被害が出た。

Also, there has latterly grown up in the rural areas a serious banditry which currently rivals and sometimes surpasses the robbery and violence by Japanese soldiers.
また、後には農村部において深刻な盗賊行為が増加し、今では日本軍の強盗と暴行に匹敵し、時にはこれをしのぐほどになっている。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 17:05:11 ID:XPDLiGw70
>>557
>>559
否定派の脳内常識wwwwwwww
糞笑えるwwwwwww


否定派「外国人の記録する日本兵の記録は嘘だけど、中国側不利な記録は本当です(キリッ」
否定派「証言も記録も全部なにもかも改竄されたか嘘なんだよ!!!!
     あ、でも中国兵の犯罪だけは本当だから(キリッ」
否定派「改竄ではないというなら、俺が良いと言うまで証明を繰り返せ!(絶対に認めないけどね)」
否定派「スマイスはいいけどベイツは改竄なんだよ!とにかくベイツは反日なの!!俺様が言うんだから間違いないの!」
569名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 17:08:25 ID:FwOTb2kq0
>>568
散々語りつくされたのにもかかわらず、反論できずに発狂する肯定派w


【結論】

スマイス報告は、 
@南京攻略戦前後の犠牲者数であって、加害者が特定していない

A導入部において、ベイツが日本軍のやったものだと勝手に改ざんしている



以上は、スマイス報告を扱う上で常識なので、きちんと勉強してからこい
2回目w >>543 何回屋っても結論は同じw
570名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 17:35:03 ID:XPDLiGw70
>>569
【2回目】
散々指摘しているのに全く反省の色が見えない否定派www


スマイス報告ではこう言い切っているw

For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically
all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces
調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、
実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。


書いたのがベイツだろうがスマイスだろうが、出てきた記録は全部捏造だと頭ごなしに強弁する以外に術が無い否定派wwww
中国兵の犯罪記録など碌に持ってこれない否定派www
哀れwww
571名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 17:39:14 ID:FwOTb2kq0
>>570

ベイツの記述の部分は、あとから付け加えたものであって
スマイス報告には はいりませんよw

スマイス報告は、スマイスとベイツの共同報告ではありません。

572名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 19:43:42 ID:XPDLiGw70
>>571
誰がそんなアホな理屈を信用するんだバーカwwww
どこをどうみても共同報告です
残念でしたw


【3回目】
散々指摘しているのに全く反省の色が見えない否定派www


スマイス報告ではこう言い切っているw

For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically
all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces
調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、
実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。


書いたのがベイツだろうがスマイスだろうが、出てきた記録は全部捏造だと頭ごなしに強弁する以外に術が無い否定派wwww
中国兵の犯罪記録など碌に持ってこれない否定派www
哀れwww

573名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 19:57:31 ID:tcBFCENk0
>>515
こういうふうに、主張がぶれていることが問題なんだ。

「あるわけがない」
という否定の仕方をしてはいるが、ようは“証拠らしい証拠がない”ということなわけだが、

民間人や捕虜の合法でない殺害、が捕虜だけになったりしている。
ようは東京裁判の否定であるが、それを言及している肯定派はいない。
もちろん、民間人の殺害を肯定している者もいるが、彼らもその数字に大きく隔たりがある。で、そのことを追求しあってはいない。

あったという証拠が揃っているのなら、その数字に大きな隔たりはないはずだった。証拠が揃っているなら。

いじょうから、肯定派は
「兎にも角にも悪いことをやったんだから、100円のねこばばも100万円の強盗で訴えても問題がない」
というスタンスでいることがよくわかる。
574名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 20:24:31 ID:XPDLiGw70
>>573
誰にも信用されない否定派www
哀れwwww

否定派「証拠をもってこい!!(持ってきても頭ごなしに否定するけどな!)」
否定派「その証拠を俺が良いと言うまで証明してみせろ!!(良いとは絶対に言わないけどな!!)」
否定派「やったー大勝利!!!!」


↓30年も続けたのに結果はこれwww

辞書編集者「とりあえず笠原説を中心に載せましょうか」
教科書編集者「南京大虐殺は事実だから皆載せてますね、つくる会も結局載せましたしね」
政府の研究会「南京大虐殺は事実であり、日本側に責任がある」
575名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 20:56:25 ID:O1+4ptfDO
>>563
>占領前か後かの兵士の暴行 という証明は不可能だって自分で認めてるじゃん>>550

550は俺じゃない。それに占領後の兵士の暴行による死者数は2400人の89%だから2136人、占領後の兵士の暴行による
負傷は3050人の90%だから2745人と判る事で、占領後の統計としてはっきり数字を分ける事ができる。そして占領後の兵士
といえば日本兵を指す事は明らか。論理的思考能力がない馬鹿はこれだから困るw

>お前の勝手な思い込みだろ

どこまで馬鹿なんだよw 下記に論理的に反論してみろ思考停止馬鹿めw
 占領後の兵士の暴行といえば日本兵しかいないわ馬鹿w 支那兵は便衣化していたから兵士の暴行と被害者は認識
 できない。おまけに支那兵の暴行による殺人事件が在った記述を未だに否定派は出せないでいる。出てきたのは支那兵
 による掠奪、暴行の記述のみで殺人は無しw

>>564
>君が>>555で引用した記述は

それも俺じゃないw 俺はID:O1+4ptfDOだ。IDを追う能力もないのかよw パソコンからレスしてんなら専ブラくらい入れとけw

>直接調査にあたっていないベイツは日本軍がやったものだと勝手に改ざんしています。

だからその証拠を早く出せw お前の思い込みなど証拠にならんw

>>569
それはもう俺が>>556で反論してるだろ。その流れで>>563で再反論している。振り出しに戻すな馬鹿w
576名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 21:49:19 ID:O1+4ptfDO
アンカーミス訂正
×その流れで>>563で再反論している。振り出しに戻すな馬鹿w
         ↓
○その流れで>>561で再反論している。振り出しに戻すな馬鹿w
577名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:07:52 ID:Yagoh56z0

また肯定派のデタラメぶりが明らかになった。
こいつらの妄想には確たる証拠がなく、まったく説得力がない。

しかも偏執狂であって、何度論破されても何度も蒸し返してくる。
一種の気違いだな。


578名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:19:24 ID:0yeO45St0
>>574
肯定説後退の歴史w

洞 富雄
『南京事件』(1972年)
「30万人、34万人という数字が実数にちかいといえなくもなさそうである」

『決定版 南京大虐殺』(1982年)
「20万人はくだらなかった」

笠原十九司
「中国兵の捕虜の殺害も虐殺と考えて、中国兵で虐殺されたものが6万、それに民間人で虐殺されたものが約6万と、おおよその推測ですが。」
『南京事件資料集』556貢(青木書店平成4年10月刊)


30万人、34万人w

20万人ww

中国兵6万、民間人約6万www

肯定説がどんどん後退しているという現実が認識できないようだw
579名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:36:26 ID:0yeO45St0
>>524
>目撃を確認にすり替えんなよ。目撃してなくても94件は日本軍の殺害という事になってるだろw
>しかも1月9日の合法的処刑はクレーガーとハッツがそう思っただけ。根拠のない憶測に過ぎないw

クレーガーとハッツが実際に目撃したものでさえ【根拠のない憶測に過ぎない】のなら、目撃すらしていないのに
【日本軍の殺害という事になってる】のは、もっと【根拠のない憶測に過ぎない】だけだなw
目撃すらしていないのに【日本軍の殺害】と判断した根拠は?
もちろんちゃんとした根拠があるよなw
まさか【根拠のない憶測に過ぎない】わけじゃないよなwww
580名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:46:35 ID:XPDLiGw70
>>578
捏造しつづける否定派wwww

笠原先生は十数万〜20万人以上で変化ないわボケwww

他人の説を捏造してまで印象操作を謀らないとならない否定派wwww
まともな材料がないから捏造してひねり出すしかありませんwwwww

哀れ否定派wwwwwww
581名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:47:54 ID:Yagoh56z0

早く30万人大虐殺の証拠を出せ。
582名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:50:09 ID:XPDLiGw70
知るかバカwwww

笠原先生は十数万〜20万だし、俺も10万程度だと思ってるしwwww

バカ否定派は日本の肯定派や否定派が誰も言っていない30万をつっつく以外何もできないwwwwwwwww
バカだからそれしかできないwwww
哀れwwwwwwwwwwww
583名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 22:52:54 ID:Yagoh56z0

じゃあ、10万人虐殺の証拠を見せろ。
584名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:01:40 ID:O1+4ptfDO
>>579
>目撃すらしていないのに【日本軍の殺害】と判断した根拠は?

すり替え乙w クレーガーとハッツが実際に目撃したものでさえ根拠のない憶測に過ぎないのは合法処刑という思い込み。
外国人が目撃しないと日本軍の殺害と認められないなどという理屈が通用するかよ馬鹿w
585名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:02:42 ID:XPDLiGw70
>>583
お前等否定派はどんな史料もってきても、「俺様はそれを証拠と認めない!やった俺の勝ち!」しか言わないじゃんw
バカ相手に議論なんてしても意味ないねwwww

それに自分は学者でもなんでもないから、史料から見るとそれくらいかと勝手に思ってるだけで
別に自説が正しいとは思わないけどねwww
ただ否定派が数百とか数千くらいの人数しか出さなかったら、それはバカにするけどねwwwww


まあ、それでも10万の根拠がなんだと聞かれたら、捕虜の殺害記録を全部あわせると8万
どうしたかわからないものをあわせると14万

スマイス報告から、敗残兵狩りに巻き込まれたり暴行を受けたりして亡くなった人は2〜3万と予想
ただしスマイス報告は生き残りのバイアスがかかるので実際はもっと多いと考える

全部合算すると17万以上になるが、重複分やちゃんと捕虜として収容したのもあるだろうから
その分大目に割り引いて10万程度

ま、こんな感じでかなりざっくりとした数字だ、俺のはな
586名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:04:36 ID:XPDLiGw70
ちょっと訂正

> スマイス報告から、敗残兵狩りに巻き込まれたり暴行を受けたりして亡くなった人は2〜3万と予想

民間人の犠牲者数はスマイス報告から、敗残兵狩りに巻き込まれたり暴行を受けたりして亡くなった人は2〜3万と予想
587名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:05:38 ID:8I+fS5vu0
>>580
>笠原先生は十数万〜20万人以上で変化ないわボケwww
>578
>『南京事件資料集』556貢(青木書店平成4年10月刊)
肯定派は本当に自分に都合の悪いものは目に入らないんだなあw
588名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:08:15 ID:Yagoh56z0
>>585
捕虜殺害記録とは、具体的にどの史料を指すのか?
どうしたかわからないものとは何の史料に記載されているのか?
スマイス報告の妥当性を証明する根拠は何か?

偕行社の「南京戦史」「南京戦史資料集」を根拠に入れていないのはなぜか?
589名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:09:43 ID:XPDLiGw70
>>587
バーカw
笠原先生は、2007年のシンポジウムでも「私の概数は訳20万」と言ってるわwww
590名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:11:21 ID:XPDLiGw70
>>588
「南京事件」(笠原十九司)がまとめた、戦闘詳報や日記などの記録を纏めた一覧か出典だボケw
591名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:13:24 ID:Yagoh56z0
>>590
偕行社の「南京戦史」「南京戦史資料集」を根拠に入れていないのはなぜか?

笠原の調査がなぜ信用できる?
592名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:14:43 ID:0yeO45St0
>>584
>外国人が目撃しないと日本軍の殺害と認められないなどという理屈が通用するかよ馬鹿w

誰がそんな主張をしている?
また肯定派お得意の藁人形叩き乙w
自分で目撃したわけでもない「日本軍が殺害した」という話を聞いただけの、ただの伝聞がなんの証拠になるのかと。

伝聞の信頼性の例:つ>516w
593名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:17:21 ID:XPDLiGw70
>>591
なぜ信用できるか、辞書や教科書の編集にでも聞けば?
あと、日中歴史共同研究で紹介されている書籍にも、なんで笠原先生の著書が載っているのか聞けば?
バカ否定派はなぜ信用されないか聞けば?wwww

あと、笠原先生の著書は南京戦史資料集なども含めての考察だバーカwwww
594名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:18:26 ID:FvfgKGSj0
>>589
>バーカw
>笠原先生は、2007年のシンポジウムでも「私の概数は訳20万」と言ってるわwww
それでは民間人の殺害は1万?2万?5万?10万?20万?
当然内訳を説明できるよねw
595名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:20:54 ID:XPDLiGw70
>>594
笠原先生に聞けよwwww
俺は10万程度だと思うって言ってんだろこのゴミ野郎wwwww
596名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:40:31 ID:O1+4ptfDO
>>592
>自分で目撃したわけでもない「日本軍が殺害した」という話を聞いただけの、ただの伝聞がなんの証拠になるのかと。

伝聞が証拠にならないというのなら伝聞が入っている>>300のデータベースによる解明などはまったく意味が
ない事になるw ならば直接調べたスマイス調査を信用するしかないよなw
伝聞は証拠にならないキリ!とか言いながら否定派に都合のいい記述の伝聞は盲信するのが否定派w
597名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:53:22 ID:/GEH7ex00
今日のレスの応酬見てるといかに否定派がでたらめかよく判る。
そんでこの流れでも「肯定派フルボッコ」とか一行書き逃げする奴が現れるんだろw
598名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/13(土) 23:59:11 ID:0yeO45St0
結局、今日も肯定派は具体的な根拠をひとつも出せませんでしたw
599名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 00:05:00 ID:M3u+5YIZ0
ちょwwww
他の人が言ってるそばからwww
600名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 00:23:43 ID:7mRMmeIv0
>>596
>伝聞が証拠にならないというのなら伝聞が入っている>>300のデータベースによる解明などはまったく意味が
>ない事になるw
>300のデータベースの伝聞が正しく、全て日本軍の殺人としても難民区の殺人は二ヶ月間で九四件にしかならないなw
その程度が大虐殺なのかよw
601名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 00:39:22 ID:X+iDCR5c0
>>598
バロスw 書いたそばからw しかも直後wwwwwwwww

>>600
>>300のデータベースの伝聞が正しく、全て日本軍の殺人としても難民区の殺人は二ヶ月間で九四件にしかならないなw
>その程度が大虐殺なのかよw

300を南京での全ての殺害事件の様に言い出したのは否定派。肯定派はとっくに指摘しているがw つ>>524
 そもそもおかしいのは難民区内の統計が南京での日本軍による全ての犯罪ではないという事。
 スマイス調査によれば、日本軍による暴行と拉致で6600人が殺害されるか行方不明になっとるわw
602名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 00:47:48 ID:aXKS2oPA0
公式資料だけを見ると、南京大虐殺は完全な幻。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 00:53:49 ID:aXKS2oPA0

笠原が「7万人が南京で殺戮に興じた」と言い張るなら、それが何処の師団の第何連隊の
第何部隊であるか、余すところなく記す義務がある。何か根拠があるから言い張れるんだろ?

しかし、7万人が南京で殺戮に興じたなら、なんで国民党は「日本軍の虐殺」を記者会見
で全く発表しなかったのかね?安全区には国民党のスパイがわんさかいたんだから。国民党
は、日本の非道を世界に宣伝する絶好の機会を敢えて無視した、というありえない結論に
なるんだがw

肯定派諸君は狂ってるとしか思えない。

604名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 00:56:46 ID:aXKS2oPA0
ラーベ日記を見ても、日本軍が殺戮に興じた様子など全く出てこない。
この日記を見た限りでは、南京大虐殺の被害者数など全くわからない。

そして、ラーベ自身は伝聞で「日本軍の非道」を伝えているだけで、
ラーベ自身が見たのは、いつまでも片付けられないシナ兵の遺体一体
だけである。

こんなとんでもない日記であっても、笠原よりは遥かにましであるようだ。

605名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 01:03:10 ID:aXKS2oPA0
阿羅健一の「日本人48人の証言」を読んだ限りでは、不良日本兵による強姦は結構
あったようだし、略奪もあった。敗残兵の処刑もあったし、便意兵の処刑もあった。

だが、民間人虐殺の目撃証言は皆無。

そして、捕虜2万人を抱えて、収容所も食料もなく難渋する日本軍将校の証言も出てくる。
これらの捕虜がどうなったかは不明。

ただはっきりしているのは、日本軍が殺戮に興じた、など荒唐無稽な絵空事に過ぎない
ということ。

606名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 01:03:38 ID:m5+K5qPw0
>>601
>そもそもおかしいのは難民区内の統計が南京での日本軍による全ての犯罪ではないという事。

肯定派は国民党の記録を否定するのかw
それとも「日本軍による犯罪は難民区で発生したものではない」という主張なのかw

>300を裏付けるデータとして中国国民政府外交顧問の徐淑希編『南京安全区の記録』がある。
そこには、日本軍の南京占領中に安全区委員会が知り得た「日本軍による暴行」の記録のほぼすべてが収録されている。
ところが、日本当局に送付した四百件余りの被害届を集計すると、殺人事件は二十五件(被害者四十九人)であり、そのうち目撃証言はわずか二件に過ぎない。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 01:07:06 ID:4/Ru/L9I0
南京大虐殺は都市伝説 その発生源は政治宣伝 これが総て
608名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 02:01:06 ID:bj03tD8z0
チナの主張によれば霊谷寺を掘り返せば3万以上の骨が出てくるはずだから
発掘して骨を鑑定すれば?
609名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 07:40:13 ID:QaJyEWrC0
『グローバルライブラリーシリーズU アジア・アフリカ事典』(1997年7月1日 第1刷発行 教育
出版センター)

P.716
なんきんぎゃくさつじけん 南京虐殺事件 
日華事変(日中戦争)中の1937年(昭和12)12月13日〜15日に,南京を占領した日本軍が引き起こした
虐殺・略奪事件。
さまざまな矛盾に直面した近衛内閣は,「国内相剋の解消」を侵略戦争によって解決しようとはかった。
こうして政府および軍部は,中国大陸への侵略を本格化した。日本軍は当初,長期戦争を予期してはおら
ず,当時国民政府のあった南京を占領すれば,中国は抗戦を断念するであろうと判断していた。しかし,
中国は,共産党の働きかけによる国共合作を成立させ,持久戦にもちこんだ。その結果,日本軍は三光作

(殺しつくし,奪いつくし,焼きつくす)を展開し,中国全土で強姦,虐殺,略奪をほしいままにした。
その典型が南京事件である。エドガー=スノーの『アジアの戦争』によれば,南京だけで4万2,000人以
上,南京への進撃途上で30万人以上が,殺された。そのうちのほとんどは,「無抵抗」の婦人・子供で
あった。


610名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 09:29:28 ID:xsosbUCXO
>>574
>教科書編集者「南京大虐殺は事実だから皆載せてますね、つくる会も結局載せましたしね」


つくる会が「南京事件」を教科書に載せているのは、
そうしなければ、教科書検定に合格しないからで、決して認めているわけではない。
P199の脚注にはこう記述されている。
「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。
なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている。」

もちろん多数の死傷者が出るのは戦場では当たり前であり、
不法行為や残虐行為を認めていないことは明らかである。


因みに、大虐殺派の教科書会社、日本書籍と大阪書籍は愛でたく消滅した。
更に、つくる会から分かれた改善の会から、近々新たに教科書が発行される予定。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 09:43:51 ID:DE5tNzVa0
>>465
 南京大虐殺が嘘だったら、おぬしは自分の居場所が無くなるのか。
人格の一部が否定されたように思うのか。骨の髄までマインドコント
ロールされているようだな。

 中共は宣伝戦・情報戦の国だ。尖閣問題で、日本の海保の船がぶ
つかってきたと、証拠もなくあれだけ宣伝していた中国が、ビデオ公
開と同時に潮が引くように沈黙し出した。

 民主党政権はその中共の宣伝戦の前で、右往左往している。

 中共は、相手に証拠がなければ、どんなことでも宣伝する国だ。戦
争が出来なくなった日本はその前で右往左往するだけだ。

 先入観無く、外国に操られることなく、冷静に物事を考えられるよう
になりたいものだ。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 10:04:15 ID:DE5tNzVa0
 日中は戦争をしていた。戦争をしていれば、人殺しはあったろう。
民間人を殺すこともあったろう。狂乱状態の中で、統制を失うこともあったろう。
国際法に反することもあっただろう。否定派といえども、そういういうことは無
かったと言っているんじゃないと思う。

 人類は、過去無数の戦争を繰り返してきた。その戦争史の中で、特筆するような
人道に反するようなことが南京攻略の際にあったのかなかったのか。

 戦争その者、人殺しそのものが人道に反するというなら、話はそれで終わる。
戦争そのものは容認するなら、日中戦争以前、日中戦争以後、北方領土北海道戦
争、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガン戦争、チェチェン戦争等々で、どういう行為
が裁かれ、有罪になったか、何をもって人道に反するというのか、肯定派は、それを
客観的説明する必要があると思う。
613芥川賞作家川上未映子の嘘:2010/11/14(日) 10:33:32 ID:WdQtzIIY0
■川上未映子「おさきみどり、どう書くの?」 @ ウィキ(一連の盗用疑惑、騒動まとめ)
http://www16.atwiki.jp/osakimieko/

■現行スレッド
【おさきみどり】川上未映子43【どう書くの?】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/book/1289656116/

・ 映画『第七官界彷徨』の内容を、紹介した新聞記事
(初出:2001年5月13日付「日本海新聞」)
http://www.osaki-midori.gr.jp/_borders2/EIGA/3-EIGA/3-EIGA/HYORON.htm

・小説『第七官界彷徨』の粗筋紹介部分をこの映画評から盗用した川上未映子の盗作コラム
(初出:「月刊Songs」2003年10月号)
http://www.mieko.jp/blog/2005/03/post.html

十行程度の粗筋紹介箇所で、川上未映子が元の新聞記事から盗用したフレーズは、「詩人を夢見る」「共同生活」「従兄弟たち」「感覚少女」
「コケを(実験)栽培したり、コミック・ オペラを作曲したり」「論争」「「恋愛」に成功するのは(栽培された)コケだけ」
「人間は(すべて)片思い や失恋ばかり」の8箇所。全く同一だ。しかも全て小説『第七官界彷徨』には無いフレーズだ。

そして両者ともに、原作小説からの引用は1つだけで、同じ所で、切り方も同じ。「私はひとつ、人間の第七官にひびくやうな詩を書いてやりませう」だ。

そして、元記事はあくまで映画版「第七官界彷徨」で映画用に改変された粗筋の紹介だから、原作小説とは異なる箇所が多い。「従兄弟たち」は原作では「二人の兄と一人の従兄弟」であり、「コミック・ オペラを作曲」は 原作では「コミック・ オペラを歌う」だ。
川上は原作小説の紹介をしているのに、なぜ映画版のことを書いているのか。
もちろんこの映画紹介記事から盗用したからだ。

そして、記事からの引用符も無ければ、参照したという断り書きもない。

川上未映子は「わたしは、小説「第七官界彷徨」が手放しで大好きなのです」とコラムで述べているが、これは明らかに嘘だ。
読んでいれば、小説「第七官界彷徨」の紹介を映画評の新聞記事からの盗用で埋め尽くすことなどありえない。非常に悪質な盗用だとしか言う他ない。
614名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 12:34:48 ID:KSgl0dyJ0
>>574

又聞きの証言がいくら重なったって証拠にはなり得ないし、なにより“日本軍による蛮行”なのか否か解らねえって言うことだよ。
このスレでも何回もでているが、当時の中国は国民党と日本軍が戦ってただけじゃない。八路軍はじめ軍閥馬賊が跳梁跋扈していた。
日本軍vs中国各軍閥連合軍なんてプロレスみたいな構図じゃない。軍閥どうしでも戦っていた。
唯一、その後期に八路軍と国民党が日本軍との共闘をしただけだ。
戦国時代の中国に、日本軍がなだれ込んだということだ。
そこらじゅうで当たり前に略奪や強姦、殺人がおこなわれている。平和だったのは、租界だけだ。
で、様々な武装集団がモグリででも当たり前に出入りするその南京で、その犯罪を“日本軍のもの”と断定する根拠はなんだ。
南京の被害者はみんな軍オタで、その武装を見るだけで日本軍だとわかったのか?
大半の日本人はヨーロッパ人を一瞥してその国籍を判別できないが、中国人は、日本軍と、各軍閥の区別がついたとでもいうのか? 『中国語を喋っていなかった』なんて訳のわからないことをいうなよ。
当時、真っ当な統一言語のない中国では“中国人の識らない中国語”が乱舞していた。“識らない中国語を喋る中国人に中国人が襲われる”という構図は当たり前にあった。
で、被害者が証言する犯行が、間違いなく日本軍のものによるものだという証拠は?

“金髪碧眼でほりの深い顔”の奴に殴られた。俺はアメリカ人に殴られたに決まってる。

南京の被害者の証言はこれと変わらない。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 12:41:15 ID:LjsQk63b0
>>614
統一国家、という幻想で気付かなかったり知らなかったりする人が多いけど。
中国において、秦の時代から今日まで治安が安定しきっていたことなど皆無に近い。
4000年だか5000年の時代の中で、清の前期十数年と各国の租界があったその中だけだという人もいる。
あれだけ面積があればどっかこっかで戦乱があったってなんの不思議もないが、仕様があろうとなかろうと治安が安定したことなどないというのだ。
こんにちでも、年間に百件いじょうの一揆があって、人民解放軍がその鎮圧に東奔西走している。
たいていの近代国家で国家首脳になるには、選挙に勝ち上がって人脈を築いていくだけでいいが、中国では人民解放軍の掌握が重要になってくる、というのはそういう側面もあるのだ。


国民党が交戦中に日本軍の蛮行を捏造して、数百回におよぶ記者会見であることないこと喧伝しまくったわけだが、どういうことか南京のことだけはそこにのぼっていない。
本当に南京で虐殺のようなことがあったなら、捏造するまでもなくリアルな喧伝ができるわけだが、何故かそれをしなかった。
なんせ、3000万人が殺されたわけだ。
蒋介石が口の中に泡つくって唾とばし、禿頭に血管うきたたせて抗議の記者会見をしてもいいと思うんだ。が、何故かそれをせず。戦争が終わってからずつそんなことを言い出したのか。

そういう不自然なことの説明くらいはしてくれてもいいと思う。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 13:57:53 ID:M3u+5YIZ0
嘘情報で自説を信じ込ませようと必死な否定派www
脳内妄想をトウトウと語る以外に材料が無い否定派wwww
哀れwwwww
617名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 14:01:28 ID:M3u+5YIZ0
南京事件FAQ
http://wiki.livedoor.jp/nankingfaq/
南京事件−日中戦争 小さな資料集
http://www.geocities.jp/yu77799/
南京事件資料集
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/
618名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 14:51:27 ID:X+iDCR5c0
>>606
>肯定派は国民党の記録を否定するのかw

だからさー、証言は証拠にならないって言ってるのは否定派なんだけどwww

>>592
 自分で目撃したわけでもない「日本軍が殺害した」という話を聞いただけの、ただの伝聞がなんの証拠になるのかと。
>>614
 又聞きの証言がいくら重なったって証拠にはなり得ないし、なにより“日本軍による蛮行”なのか否か解らねえって言うことだよ。

とっととお前等否定派同士で潰し合えよバーカwww
619名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 19:39:22 ID:MGDuGZTGO
>>597-598の流れでワロタ
620名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 20:28:14 ID:UPkdY+NaO
>>618
>だからさー、証言は証拠にならないって言ってるのは否定派なんだけどwww

伝聞の証言はだろ?
肯定派は伝聞でも証拠になるでいいの?
621名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 20:45:57 ID:wbYHmmzu0
>>527
ナイスなファビョり、乙w
で、結局、否定派を否定することに情熱かけてんじゃん
頭悪いね〜
622名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 21:02:44 ID:V7ZxG7BB0
ハーグ条約を100%守った国はありませんが、程度の問題です。 日本は余りにもひどすぎた。
日中戦争に関する記事や戦記ものには捕虜収容所の話が出てきません。 どんどん殺したからです。
南京では特にひどかった。 何万人もの中国兵捕虜を殺しています。 日本軍自体の戦闘報告書で正式に報告までしてある。 以下の著作をおすすめします。 それはものすごいものです。
秦郁彦著「南京事件・虐殺の構造」 中央公論社 ¥740
映画「戦場にかける橋」で有名になった泰緬鉄道工事では、使役の連合軍捕虜6万5千人のうち、1万6千人が飢餓と暴行で死にました。
生き残った英兵は手記に「人間がここまで残虐になれるとは新しい発見だった」と書きました。
小笠原諸島の父島では、日本軍守備隊の司令官の命令で、捕虜の米軍パイロットを殺して5人分の人肉を食べるという事件もあった。
米軍も捕虜虐待をしたが、それは例外。 日本軍の場合はそれが通常だったのです。
東條自身が東京裁判で絞首刑になる前に「捕虜の虐待はよくなかった」と言っているし、南京攻略軍総司令官・松井石根大将も「余りのひどさに幹部を集めて泣いて怒った」と手記に書いています。
日本軍の軍政が比較的うまくいったとされるインドネシアのジャワでも、オランダ人を中心とした民間人が日本軍の収容所で7600人も死んでいます。
ボルネオ北部のサンダカン収容所では、2千人の英・豪州軍兵士捕虜で生き残ったのは6名。 この様な例はほかにも沢山あります。
ナチス・ドイツの捕虜になった連合軍将兵の死亡率は7%、日本の場合は27%、これがすべてを物語っています。
「バターン死の行進」にしても、ただ長い距離を歩かせただけではない、マラリアなどで弱っている捕虜たちが遅れると、殴る、蹴る、銃剣で刺す、、、
哀れに思った原住民が水などをやろうとすると原住民を殺す、、、無茶苦茶でした。
日本軍は自軍の兵士に食わせるものすらなかった?? そんな国は近代戦争を戦う資格がありませんね。 戦う前から負けています。
623名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 21:27:19 ID:1YdT8YGa0
今こそ、中国のプロパガンダ活動を暴き、日本の尊厳を取り戻そう!

【ニュース極東】【世界の】「南京大虐殺」は嘘【常識】120次資料
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/asia/1288882368/

もし日本軍による虐殺が数千人、1万2万有っただろうと思う人はぜひ覘いて見てください。
実態は、約7000〜1万人程度の戦時重罪犯の処刑と言ったところです。
国際法学者は「この場合、無裁判でも違法ではない」との見解ですし、裁判がなかったという根拠も全くなく、
逆に裁判があった蓋然性が高い、と言わざるを得ないことになっています。

スレではすでに大虐殺肯定派の学説・日本語無視のキチガイ的俺様解釈発表会になっていますが。
それはそれでオモシロイので、ぜひ立ち寄ってください。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 21:50:46 ID:aXKS2oPA0
>>617
一通り読んだけど、全然駄目だね。
南京虐殺を「肯定」するようなきちんとした史料のマップになっていない。
これは頭の悪い肯定派が、少ない「史料」で強引に南京虐殺をでっち上げた証拠ともいえる。

誰が張ったんだか知らないが、肯定派の思考レベルは幼稚園児と変わらないなw
625名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 21:51:24 ID:gNDnDJn80
さっさと終われよ、こんな糞スレいくつも立てて
「否定派」とやらは何を考えてるのかわからん連中だな
626名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 23:00:19 ID:aXKS2oPA0
馬鹿な肯定派は、何度論破されてもループを繰り返すので、永久に終わらない。
実際には、2chで頑張っている暇人の肯定派は2人くらいしかいないのだが。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/14(日) 23:22:14 ID:m5+K5qPw0
>>618
>だからさー、証言は証拠にならないって言ってるのは否定派なんだけどwww

だから肯定派の言う『伝聞の証言』を全て証拠として採用しても、

『被害届四百件余り』
『殺人事件は二十五件(被害者四十九人)』
『目撃証言はわずか二件』>606
にしかならないわけなんだがw

さらに徐淑希編『南京安全区の記録』以外の資料を合計しても、
『殺人は二ヶ月間で九四件』>300www

この程度のものが『大虐殺』の証拠なのかw
628名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 02:27:22 ID:92R3DpeK0
>>626

> 実際には、2chで頑張っている暇人の肯定派は2人くらいしかいないのだが。

俺の事だなww
頑張ってるというか、好き好んで否定派を嘲笑しに来てるだけだがw
我ながら奇特だwwww

まあ普通の肯定派の人はこんな気持ち悪いところになんか来ないからなw
トンデモさんの否定派と議論なんてしても不毛なだけだしw
629名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 02:56:41 ID:AUyyga1FO
>>628
>トンデモさんの否定派と議論なんてしても不毛なだけだしw

議論してたんだwww
koueiと同じ、単なる宣伝戦だと思ってたよwww
630名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 03:13:43 ID:92R3DpeK0
>>629
どこをどう読んだら、議論していると読めるんだwwww
あったま悪いなあwww

議論しても無駄だから嘲笑してる、という内容にしか読めないと思うんだがwwww
631名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 03:49:39 ID:BPF3bd1Z0
毎度おなじみ論理的に反論できなくなった肯定派の負け犬の遠吠え(精神的自慰行為)開始www
632名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 06:13:01 ID:AUyyga1FO
>>630
>まあ普通の肯定派の人はこんな気持ち悪いところになんか来ないからなw
>トンデモさんの否定派と議論なんてしても不毛なだけだしw

これは「普通の肯定派」は議論しても無駄だから来ない、ということだろ。
しかしおまえは普通でないから議論しに来たんじゃ無いのか?w


まぁ「普通の肯定派」も,瞬殺され議論にならないから来ないんだろうがなwww
633名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 06:32:04 ID:D+AsJUFq0
『角川 世界史辞典』(2001年10月10日初版発行  角川書店)

P.687-688
南京事件 @1927年に南京で発生した国際事件。27年3月24日,国民革命軍が南京に入城した際に日本
,イギリス,アメリカなどの領事館が襲撃されたのに対して,長江上のアメリカとイギリスの軍艦が城
内に威嚇砲撃を加えた。
襲撃したグループについては,国民党軍あるいは共産党軍など諸説ある。A1937年12月,日本軍が南京
の中国軍民に加えた大規模な残虐事件,南京大虐殺といわれる。37年7月,日中全面戦争に突入するや日
本は12月13日に中国の首都南京を占領した。その際住民を巻き込んだ包囲殲滅作戦を実施,すでに戦闘
を放棄した膨大な数の敗残兵,投降兵,捕虜,負傷兵を集団で殺害した。さらに残敵掃討作戦を実施し,
敗残兵狩り,便衣兵(市民服の兵士)狩りを行って成年男子市民を集団虐殺した。軍紀の乱れから中国女
性を強姦する婦女凌辱行為や食料・物資の略奪,人家を放火・破壊する不法行為も多発した。南京城内と
その周辺の農村を含め20万人前後の中国軍民が犠牲になったと推測されている。(笠原)

634名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 07:45:06 ID:92R3DpeK0
>>632
バーカwww

俺が奇特なのは、お前等キチガイをわざわざ嘲笑しにきているってところだwww
日本語も読めないバカ否定派がwww
635名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 07:57:49 ID:AUyyga1FO
>>634
やっぱり>>629に書いたように、肯定派の議論は成立していないんだよな。
やっぱり知障低脳肯定派には議論は無理なんだよ。
ひたすら無意味なコピペ貼ってろ!wwwwww
636名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 09:05:39 ID:dt0yI/jmO
>>627
>『殺人は二ヶ月間で九四件』>300www

>この程度のものが『大虐殺』の証拠なのかw

またループだよ。>>601でも再度指摘されてるが、報告が在った件数しか殺人事件が起きてないと考える方が馬鹿。
殺人に至る程の暴行を人目に付く場所でやるわけないだろ。日本兵にしたって上官や憲兵に見つかるわけにはいかない。
実数はその数十倍だ。そもそも証言や伝聞は、報告があったという統計には使えても、実際の殺人件数の統計には
使えない。だからスマイス調査の方が信用できんだよ。>>524の数字も都市部だけの合計で、農村地帯を含めれば
もっと多い。

これしか報告がなかったので殺人事件はこれだけなのだ〜、他の統計資料は無視するのだ〜、とかどんだけ馬鹿
なんだよw 北朝鮮が拉致した人数はこれだけといえばそれだけなのか? 年間の強姦事件の実数は訴えがあった
件数だけなのか? 少しは頭使って考えろや馬鹿w
637名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 10:36:48 ID:1SaWuaIP0
>>636
スマイス調査は疑問点が多い。
中国軍が村から連れ出したものさえ日本軍の仕業にしている。

【『南京事件の日々』:12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記】
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、きのう句容へ行ってみたが、人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。
中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。
まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
――――――――
【スマイス調査・南京地区における戦争被害】
(県名)句容
住民総数  227,300人
死因・暴行の総数 8,530人 (男6,700人・女1,830人)
638名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 21:47:45 ID:dt0yI/jmO
>>637
>スマイス調査は疑問点が多い。
>中国軍が村から連れ出したものさえ日本軍の仕業にしている。

12月6日の日記に出てくる事件が含まれてるか調べてから書けよw

 The total deaths reported were 31,000 or 29 per 1,000 residents for the 100 days covered,
 at the rate of 106 per annum. Compare the normal death rate for China of 27 per annum.
 87 per cent of the deaths were caused by violence, most of them the intentional acts of soldiers.

 調査で回答のあったこの100日中の死亡者総数は3万1000人、すなわち住民1000人につき29人で、
 年間にすれば106人の割合となる。中国における死亡者の年間平均数27人と比較されたい。
 死亡者の87%は暴行事件による死亡で、大半は兵士の故意の行為によるものである。

100日中と書いてあるから何日から遡って100日なのか調べてみる。

 The field work for the Agricultural Survey extended from March 8th to 23rd.

 農業調査の実地の作業は3月8日から23日までおこなわれた。

3月23日まで行われたと書かれている。では3月23日の100日前は何日かというと12月13日。

つまり12月6日の日記に出てくる事件はカウントされていない。適当な事書くなw
12月13日以降で、兵士の故意による暴行事件での死亡は殆ど日本軍の仕業だ馬鹿w
639名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 22:05:10 ID:BPF3bd1Z0
>>638
12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記では「人が住んでいる村はただの一つもない」。
それがスマイスが調査した12月13日以降「227,300人」。
1週間で約23万人増加w
中国人はお湯をかけると増えたり、ゴキブリ並みの繁殖力をもっていたり、何もないところから湧いて出てくるのかw
640名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 22:37:19 ID:GZ6aqGKfO
どっちかがおかしい
641名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 22:54:00 ID:SZhOJYcZ0
両方おかしい可能性も捨てきれない
642運営は言っている、ネトウヨを潰せと・・・:2010/11/15(月) 23:00:30 ID:Lqj5GLCI0
>>639
> >>638
> 12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記では「人が住んでいる村はただの一つもない」。
> それがスマイスが調査した12月13日以降「227,300人」。
> 1週間で約23万人増加w
> 中国人はお湯をかけると増えたり、ゴキブリ並みの繁殖力をもっていたり、何もないところから湧いて出てくるのかw

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#149】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
{虐殺どころか南京の治安は急速に回復していた。その証拠に、20万だった南京人口が5万
人も回復しているぅぅぅ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
上記の「安全区」推定人口の訂正を、人口が増えたと曲解しているだけです。そもそも本当
に治安が回復していたら、難民区から人々が帰還して難民区人口は減るはずですが、実際に
は日本軍の凶行を怖れて出て行こうとしなかったことを安全区委員会は記録しています。ok
http://www.geocities.jp/yu77799/tian.html
643名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/15(月) 23:58:19 ID:0FY/yoMe0
>>639
>12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記では「人が住んでいる村はただの一つもない」。
>それがスマイスが調査した12月13日以降「227,300人」。

南京郊外の農村部に村がたった一つしかないと思ってる馬鹿ですかw
南京は巨大な一つの村で囲まれてたのかwww

つか論理的な反論は出来ないのかよwww
644名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 00:13:38 ID:T6mf/3nP0
>>643
>南京郊外の農村部に村がたった一つしかないと思ってる馬鹿ですかw
>南京は巨大な一つの村で囲まれてたのかwww

日本語は正しく理解しろよw
日本語が不自由な白丁には理解できないのかもしれないがw

>639
>「人が住んでいる村はただの一つもない」。
>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
句容の村々に人がいないという意味でしかないw
ミニー・ヴォートリンの日記のネタ元はコレ。




【12月6日】
AP通信マクダニエル
句容には誰もいない。中国軍は村人を全員連れ出し、村を焼き払う。明孝陵への道路沿いの竹林などの樹林は切り倒されていた。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 00:32:17 ID:mxzUjZRm0
>>644
>句容の村々に人がいないという意味でしかない。

>AP通信マクダニエル
>句容には誰もいない。

句容には誰も居なかったんだろ。他の村にも人が居なかったと何処に書いてあんだよ馬鹿www
646名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 01:07:00 ID:0nlgArxJ0
出てきている証拠に不自然なものがいっさいない段階で、はじめてあったと言える。
事件から数十年たっている案件ではなおさらである。
魔女裁判の国に住んでおられたり、どこかの国の検察の操作に疑問を抱かないような神経なら、理解できないでしょうけど。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 01:15:30 ID:lKimtqyt0
>>634
ここに付き合っている時点でなんと言い訳しようが同類なので、上からものを言っても意味がありません。

虐殺者野蛮人の子孫じゃあ、そういう真性の道化を演じるのがせきのやまですよ。


648運営は言っている、ネトウヨを潰せと・・・:2010/11/16(火) 01:44:01 ID:8ScB7wur0
>>646
> 出てきている証拠に不自然なものがいっさいない段階で、はじめてあったと言える。
> 事件から数十年たっている案件ではなおさらである。
> 魔女裁判の国に住んでおられたり、どこかの国の検察の操作に疑問を抱かないような神経なら、理解できないでしょうけど。

【言論チンピラ妄言解毒対策レス#204】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「証拠出して見ろwwwww証拠無いから出せないんだろwwwww」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
ここに沢山ありますよ。ok

南京戦史編集委員会 「南京戦史」 (偕行社)←現在入手極めて困難
→「南京戦史」「南京戦史資料集」「南京戦史資料集U」
南京事件調査研究会 「南京事件資料集」全2巻 (青木書店)
→第1巻「アメリカ関連資料編」 第2巻「中国関係資料編」
洞富雄編 「南京大残虐事件資料集」全2巻 (青木書店)
→第1巻「極東国際軍事裁判関係資料編」第2巻「英文資料編」
防衛庁防衛研修所戦史室著 「戦史叢書」全102巻(朝雲新聞社)
「第86巻 支那事変陸軍作戦〈1〉―昭和十三年一月まで―」
「第89巻 支那事変陸軍作戦〈2〉―昭和十四年九月まで―」
井口和起、木坂順一郎、下里正樹編 「南京事件・京都師団関係資料集」 (青木書店)
649名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 21:43:29 ID:R+1XYT90O

それが何の証拠ですか?
650名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/16(火) 22:02:51 ID:4llCk/OuO
>>639
>それがスマイスが調査した12月13日以降「227,300人」。
>1週間で約23万人増加w

資料も読み取れない馬鹿w どう読んだら1週間で約23万人増加になるんだよw
農業調査は3月8日から23日までだw てことは3月23日時点の人数しか調査では判らない。
227,300人がどっから出てきた数字かもよく判らんしw
651名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 07:38:33 ID:o3Gx9l+g0


スマイス調査がどんだけ信憑性あるのかわからないが
ベイツのまえがきにもみられるように
日本のせいにしたくてしたくてたまらないって感じがすんごくよくわかる


652名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 12:40:47 ID:6ERhlxsy0
>>648

被害者様が「日本兵にやられた」というのが、日本兵による犯行の証拠、というのではお粗末です。
たびたび戦禍に巻き込まれている南京で、自分の知らない言葉をしゃべっていたというだけで外国人=日本人というのでは、ねぇ。
知らない言葉をしゃべる中国人だっていくらでもいるというのに。

さらに、言葉のことだけのことでいうと、「おまえは中国兵だな」と日本軍兵卒に問いかけられ、強引に父親が連れられて行った。父はそこで拷問にあって殺された。

なんて、証言もある。
まず、証言者は日本語がわかったのか? と。もしくは、兵卒がペラペラと南京語をはなせたのか? と。
兵卒だなどとよく知っていたな、という疑問もある。日本軍オタかなんかなのか?
さらに、父が拷問にあって、といっしょにつれて行かれたわけでもあるまいに、見たかのように言う。

こういう不自然な証言の一切の説明をし、とりさげ、さらになんで不自然な証言がまかり通ってしまったのか説明をしてほしいんだ。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 12:44:09 ID:b7HRzi3H0
>>652
南京語なんてないんだけど。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:04:42 ID:fqwwN0PFO
南京語あるよ
南京官語=江淮方言
655名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:07:08 ID:fqwwN0PFO
南京官語×
南京官話〇
656名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:09:20 ID:b7HRzi3H0
>>654
だから無いよ。
日本で言えば南京訛りって意味だから。
要するに方言みたいなもの。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:23:24 ID:fqwwN0PFO
>>656
>だから無いよ。

って、あるから出したんだろ、南京官話。

>日本で言えば南京訛りって意味だから。

全然違うよ。

>要するに方言みたいなもの。

知らないんだな。
中国の方言って全く別言語でお互い通じないんだよ。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:38:28 ID:b7HRzi3H0
>>657
>って、あるから出したんだろ、南京官話。
それって官吏が使う共通語のことなんだけどw
で、南京語って北京語とほぼ変わりないって知らなかったんだろう?
659名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:39:40 ID:b7HRzi3H0
>>657
>中国の方言って全く別言語でお互い通じないんだよ。
それは方言とは言わないからw
北京語と広東語は全く違う言葉だよ。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:44:01 ID:fqwwN0PFO
南京官話は南京語を元にした共通語。
現在の共通語は北京語だから、南京官話とは別言語ですよ。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 13:56:55 ID:fqwwN0PFO
>>659
>それは方言とは言わないからw

中国では方言と言うんだよ。

>北京語と広東語は全く違う言葉だよ。

北京語も広東語も上海語も南京官話も含め、中国では方言と言われてますが?
662名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 15:45:31 ID:NZIfyR+TO
>>661
>中国では方言と言うんだよ。

だから南京語ではなく南京訛りなんだろw
663運営は言っている、ネトウヨを潰せと・・・:2010/11/17(水) 16:54:17 ID:x1WvSPS80
>>649
> ↑
> それが何の証拠ですか?

南京大虐殺知ってる?

>>652
> >>648
>
> 被害者様が「日本兵にやられた」というのが、日本兵による犯行の証拠、というのではお粗末です。
> たびたび戦禍に巻き込まれている南京で、自分の知らない言葉をしゃべっていたというだけで外国人=日本人というのでは、ねぇ。
> 知らない言葉をしゃべる中国人だっていくらでもいるというのに。
>
> さらに、言葉のことだけのことでいうと、「おまえは中国兵だな」と日本軍兵卒に問いかけられ、強引に父親が連れられて行った。父はそこで拷問にあって殺された。
>
> なんて、証言もある。
> まず、証言者は日本語がわかったのか? と。もしくは、兵卒がペラペラと南京語をはなせたのか? と。
> 兵卒だなどとよく知っていたな、という疑問もある。日本軍オタかなんかなのか?
> さらに、父が拷問にあって、といっしょにつれて行かれたわけでもあるまいに、見たかのように言う。
>
> こういう不自然な証言の一切の説明をし、とりさげ、さらになんで不自然な証言がまかり通ってしまったのか説明をしてほしいんだ。

■軍人団体も認めた南京大虐殺■

偕行社は軍人の親睦団体で会員18000人を数え不偏不党と中立を建前にしている

その偕行社へ、南京戦史の企画が持ち込まれたのは1983年秋で、田中正明が畝本正己
を説いて、編集部に協力委員会を作り、畝本の名による「証言による南京戦史」シリーズが
翌年4月から開始された。

偕行社内には南京事件のような政治的テーマを取り上げる事に異論もあったようだが
結局は社の事業として取り組む事になり、偕行の83年10月号に小林理事長の名で
「南京問題についての緊急お願い」を掲示し会員に協力を呼びかけた。

とくに南京戦に参加経験のある会員に期待して
「”12月○日○時頃、○○部隊に所属して○○付近にいたが、
そのような事は何も見なかった、聞いた事も無い”というような事を寄せて欲しい。」
と要望したが、
”そのような事は何も見なかった、聞いた事も無い”
この部分はわざわざゴシック活字を使って強調している。
シロの証言が欲しい!という期待感が丸見えと言われても、仕方あるまい。

ところがシロばかりで無く、灰色ないしクロの証言も集まってきた。
編集部はには松井の専属副官だった角良晴少佐が6回にわたりマックロの主張をする
投書を送ってきたことなどで、方針転換を図り連載最終回の85年3月号に編集部を代表して加登川が
「この大量の不法殺害には弁解の言葉はない。旧日本軍に縁につながる者として、
中国人民に深く詫びるしかない。まことに相すまぬ、むごいことであった。」
と謝罪した。ok
664名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 23:11:58 ID:O2b0N6kQ0
>>663
偕行社によると不法殺害の疑いがあるのは全部ひっくるめても1万6千人程度なんだがw
665名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 23:29:20 ID:fqwwN0PFO
>>662
わからんやっちゃのう(笑)
>>657あたりから読み返してくれ
666名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/17(水) 23:32:55 ID:74XTqJyU0
>>663
しかも具体的に何法に反するとかじゃなくて、日本軍人の倫理観や正義感に
反するということだよなぁ
667名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 09:00:32 ID:7KwDXZ8Z0
>>664
偕行社の調査ではね。もともと偕行社は「南京大虐殺は無かったのでは?」
という前提で調査を始めたが、独自に調査した結果、相当数の不当な殺害が
有ったことが分かり、調査前の認識を改めた。その数は最低でも1万6千人に
及び、「虐殺事件」の存在は否定できないという立場に立った。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 12:37:31 ID:QxaiY58i0
>>661
>北京語も広東語も上海語も南京官話も含め、中国では方言と言われてますが?

中共政府が北京語を国中に強要しているため、現状で漢民族同士の会話ができないということはないが、言葉が通じないというのも本当。
英語を理解できてもフランス人が国内では梃でもフランス語しか使わないなんて言う笑い話があるが、上海や香港では実際そういう人間はいる。
ヨーロッパと同じくらいの面積はあるんだから、それくらいは当たり前。

話がそれた。
当時の国民党は、国中に言語の統一という政策をとれずにいたから、実際に外国人のようなもんだ。
日本軍のことを外国人だと認識していた民間の中国人がどれだけいたのかは甚だ疑わしい。国内の匪賊馬賊、軍閥のひとつだと思っていた者がいたという。
戦後の教育において、日本は外国であって悪魔のような奴らを“八路軍が追っ払った”と教育したわけだ。
そこで疑いが出てくる。
「本当に日本軍の犯行なのか?」
669名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 13:10:24 ID:L8T82JLm0
>>667
・偕行社「南京戦史」により抜粋
()は準拠公式史料 、「」は南京戦史において史料に挙げられているもの、『』はその他
1.雨花門外歩六六の第一大隊…約600名処断(歩六六第一大隊戦闘詳報)
2.幕府山山田支隊…約3000名処断(数は推測)(戦史叢書、郷土史証言)『栗原証言、飯沼日記、山田日記、朝日新聞、両角手記』
3.玄武湖東方―下関、太平門歩三三…約2000名処断(歩三三戦闘詳報)
4.獅子山歩三三第二大隊…約200処断(歩三三戦闘詳報)
5.難民区東方歩二〇第四中隊…328名銃殺「歩二〇第四中隊陣中日記」
6.難民区歩七(掃討)…約6500名処断(第九師団作戦記録概要、歩七戦闘詳報、戦一第一中隊戦闘詳報)
7.馬群付近歩二〇第十二中隊、第三機関銃中隊…約200名銃殺「小戦例集、牧原日記」
8.和平門東西歩三八、歩三三…約400名処断「佐々木少将私記」
9.南京近郊歩三十旅団…約2000名処断「佐々木少将私記
10.その他の諸隊(推定)約1000名処断
合計…約1万6千名
(注意:あくまで南京戦史における推計。かつ、違法かどうかには触れられてない)

戦闘詳報というのは軍の戦果を報告するもの。
つまりここに書いてあるのは全て「軍人」。
さらに9.の三十旅団全体での処断2000名の中に8,三十旅団三三連隊だけでの処断400名が含まれていて重複して計算している。
これを考えると人数は16000からさらに400名ほど少なくなる。
そして1.の第一大隊戦闘詳報は捏造が確定しているのでさらに600名ほど少なくなる。
さらに幕府山は反乱を鎮圧した結果なのでさらに3000名ほど少なくなるので残りは約12000名。
偕行社が言ってるのは軍人が12000名ほど死亡したというだけ。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 13:21:13 ID:7KwDXZ8Z0
>>669
>さらに幕府山は反乱を鎮圧した結果なので
今どきそんな嘘を信じてる人はいないよw
671名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 13:27:49 ID:L8T82JLm0
>>670
日本軍に死者が出てるけど?
捕虜は日本兵を殺害してもかまわないが、日本兵は捕虜を殺害してはいけないとでも?
672名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 13:39:12 ID:X0ppcZXW0
まだ自衛発砲説なんて信じてるバカがいるのかw
673名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 15:43:52 ID:JIHLCxLx0
捕虜とは「脱走しようが反抗しようが日本兵を殺そうが殺されることはない特別な存在だ」とでも思ってないか。
不審な行動をとったとみなされるだけでも殺されるのに日本兵を殺したりしたら射殺されて当たりまえ。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 16:21:36 ID:X0ppcZXW0
幕府山事件は最初から捕虜の処刑が目的

お前は、俺がお前を殺そうとした正にその時、お前が殺されまいと反撃打開しようと抵抗したら、
俺がお前を殺すのが正当化されるとでも言うのかw
675名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 16:50:37 ID:L8T82JLm0
>>674
>幕府山事件は最初から捕虜の処刑が目的

根拠は何?
生殺与奪の権は日本兵側にある。
実際に反抗したかどうかは関係ない。
少しでも不穏な行動をとったり、抵抗の意思ありと日本兵がみなせば射殺されてもやむをえない。
そして実際に日本兵が殺されている。
平時と戦時を混同するな無能。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 17:01:23 ID:X0ppcZXW0
生殺与奪の権ってのは力や権力などで抑えつけ思うままにする事で、
法的正当性や倫理的問題をクリアするようなものじゃないぞw

人質立てこもり事件なんかでは、人質の生殺与奪の権は犯人が握っているが
人質が反抗したり抵抗の意思ありと看做して犯人が殺しても正当化されないのは
バカなお前でも理解できるだろう?w

最初から捕虜の処刑が目的というのは、小野賢二の聞き取り調査や陣中日記の発見もそうだけど
栗原氏も最初の証言でそう言っているからなあw
出てくる当時の史料も、最初の栗原証言とほぼ合致するものばかりだし

そりゃ、秦先生も、「最初から殺すつもりだった」と考えを改めるわなw
677名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 17:38:53 ID:L8T82JLm0
>>676
>人質立てこもり事件なんかでは、人質の生殺与奪の権は犯人が握っているが

犯罪と戦争を区別しろ。

ハーグ陸戦規則
第八条[処罰]
俘虜は、之を其の権内に属せしめたる国の陸軍現行法律、規則及命令に服従すへきものとす。総て不従順の行為あるときは、俘虜に対し必要なる厳重手段を施すことを得。

ハーグ条約では命令に従わない俘虜の射殺は認められている。
誰も確認した者がいない小野賢二の空想小説もどきに何の意味がある。
で?栗原証言を持ち出すからにはコレを証明できるんだろうな?

ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
第13師団103旅団第65連隊第1大隊所属栗原利一伍長証言
「距離4、5キロ、長くても6キロ以下、人数13500人を4列、出発は午後、先頭の到着から3、4時間で全員集合、日没1時間前から射撃開始、12月の南京の日没は17時」
参考:ttp://weather.jp.msn.com/local.aspx?wealocations=wc:CHXX0099
2007年12月17日現在の南京の天気
日の出: 6時58分 日の入: 17時02分

日没:17時

一斉射撃:1時間=16時

先頭の到着から3,4時間=12〜13時

捕虜の出発:午後=12時以降

移動距離:4〜6キロ先

捕虜の数:13500人を後ろ手に縛って4列縦隊

がんばって物理法則に喧嘩を売って証明してくれw
678名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 19:21:27 ID:X0ppcZXW0
>>677
厳重手段としか書いてないものを、射殺と解釈するのは勝手だが・・・まあそれはとりあえず置いといて

幕府山事件は、殺す目的で連行して処刑した、その際、反撃した中国人捕虜が何人(単独?)かいた、って話なんだわ
その話の中で俺は、「まだその時点で反乱など起こしていない捕虜が、殺されようとしている正にその時、
捕虜のうち何人かが生き残る為に反撃打開しようとしたものを殺しても、殺されて当然なんて話にはならないぞ」
って事を言っているわけだよ

そんな理屈が通ってしまうと「俺がお前を捕まえて、捕虜として従っているお前を殺そうとした時に、
お前がなんとか生き延びようと反撃打開しようとした途端、お前が悪いから死んで当然になり俺は全く悪くない」
という、まるで因果関係を無視した話になってしまう

お前の言っているような、「まず捕虜の反乱(当然多数だよな?一部なら皆殺しにするのは明らかにいきすぎ)
があって、非常手段として殺した」なんて筋書きでなんか話してないんで
その筋書きでの法的根拠を説明されても「いや話してる事象が違うし」としか言えんわ

なので、論点は「反乱したから鎮圧して当然」の部分ではなく、
「どちらの話が実際であるか」という部分だろう

・捕虜を殺害目的で連行した。殺害の際にごく一部の捕虜が反抗し、日本軍に何人かの被害が出たが、
 当初の目的である捕虜の処刑(2日間に渡って2万弱)はほぼ完遂した。
→こちらであればお前の理屈はお門違いとなる。

・自衛発砲説に基づくなら、
 捕虜と民間人併せて1万5千のうち、民間人を解放して残ったのは捕虜8000人
 さらに捕虜のうち、火事が起こり4000人が逃亡して残り4000人
 残った捕虜は「 軍 命 令 で 殺 処 分 」する事になっていたが、山田隊は軍命令に背き逃がす目的で連行したら、
 捕虜が反乱(一部?多人数?)した為、銃撃したが大半に逃亡され、殺害できたのは極少数
→こちらの説であっても、お前等否定派が必死に見ないフリしている部分を強調しといたがw
 まあそれはともかく、こちらの説なら確かに「後味は悪いものがあるが已む無しと言える部分も理解できる」

679名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 19:53:19 ID:X0ppcZXW0
>>677


> 日没:17時(17時02分)
> ↓
> 一斉射撃:1時間=16時

お前それは過去スレで散々俺が論破しただろ
お前最終的にその部分には反論せず、別の部分を争点にすることで逃げてたじゃねーかw
否定派ってのは何度でも同じ話を蒸し返すバカであるwwww

栗原証言では「あたりが薄暗くりかけたころ」に射撃が始まったと書いてある
日没の1時間前はまだかなり明るい
日没の時間が正に、空からの照り返しだけなので「薄暗い」んだよ
そして「一時間ほど続いた」「辺りはほとんど暗くなっていた」と証言は続く

日没時の明るさを確かめたければこれ
http://www.youtube.com/watch?v=NP8EcwYhTIM

20秒くらいが太陽が隠れた時点、すなわち日没だ
「ほとんど暗く」なっているのは55秒のあたり
64倍速だから、日没から37分程度かかる計算だ
つまり「辺りはほとんど暗くなっていた」時間は17時39分以降だ

射撃開始が17時前後であれば証言通り「あたりが薄暗くりかけたころ」が適当な表現だし、
「1時間ほど続いた」という時間感覚を正確に有している人間などいないだろうから
実際は40分〜50分程度だったとかんがえれば
銃撃の大半は捕虜の動きを視認できる時間帯だったことがわかる

つまりお前の最初の「一斉射撃=16時」という推測は、まるで間違っているという事だよアホw
逆に16時射撃開始だと、1時間経ってもまだ「ほとんど暗く」なっておりませんw
バカの推測など所詮この程度
否定派というのは学者からして「学問研究の成果に値しない」連中ばかりなのがよくわかりますねwww
680名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 22:01:53 ID:e8zlwUowO
そもそも17時に全員集合は無理だろうwww
681名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 22:15:10 ID:X0ppcZXW0
収容所から殺害現場とされる場所までは1時間もあればつく
先頭が到着して3〜4時間で全部集まったという事だから
先頭が出発して目的地に全部集まるまで4〜5時間ということ

「出発した時は午後になっていた」だから、仮に12時〜13時の間に出発したのであれば
到着はその4〜5時間後、16時〜18時の範囲ということになるな

全然無理ではない・・・っていうか、17時前後の到着が、一番可能性が高くなりそうな感じだがw
682名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 22:38:47 ID:L8T82JLm0
>>679
>つまり「辺りはほとんど暗くなっていた」時間は17時39分以降だ
>
>射撃開始が17時前後であれば証言通り「あたりが薄暗くりかけたころ」が適当な表現だし、
>「1時間ほど続いた」という時間感覚を正確に有している人間などいないだろうから
>実際は40分〜50分程度だったとかんがえれば
>銃撃の大半は捕虜の動きを視認できる時間帯だったことがわかる

つまりお前の主張は栗原証言を否定しなければ成立しないという事は理解できるかw
>677
>ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
>第13師団103旅団第65連隊第1大隊所属栗原利一伍長証言
で、「栗原利一氏」の息子を自称する「核心」という人物がこのような発言をしているがw

ttp://www.t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=2624;id=sikousakugo#2624
[2624]Re(7):捏造原稿のコピーについて
核心 - 06/6/12(月) 5:02 -
(水平撃ちの時間について以前父に確認した時に、本多氏への証言では1時間になって
いますが、私が疑問に思い「1時間では少ないのではないか?」と聞いた時に「2時間か
3時間か、いずれにしろ人柱が何回か出来て立っている人がいなくなるほど撃ち続けた
んだ」と言ってましたから。)

「1時間どころか2時間か3時間」

だそうです。

お望みなら1時間ではなくこちらを採用しますか?
683名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 22:54:30 ID:L8T82JLm0
>>679
>つまりお前の最初の「一斉射撃=16時」という推測は、まるで間違っているという事だよアホw
栗原証言が出鱈目だという証明ありがとうw

市民薄明:太陽が隠れても外で活動できる時間帯。
ttp://www.fb.u-tokai.ac.jp/WWW/hoshi/env/solar-j.html
日の出と日の入りの計算
南京の緯度と経度:北緯 32度03分/東経 118度46分
1937年12月17日の計算結果
5時33分 天文薄明始まり
6時3分 航海薄明始まり
6時34分 市民薄明始まり
7時1分 日出(方位114度)
12時3分 南中(高度34度)
17時5分 日没(方位245度)
17時31分 市民薄明終わり
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
18時2分 航海薄明終わり
18時32分 天文薄明終わり

つまり少なくとも人間が無灯火で射撃が可能なのは17時31分まで。
さらに人間の目は暗順応に30分程度かかる。
市民薄明が終わればほぼ射撃は不可能w
17時31分まで1時間射撃を続けたら何時から開始したことになるのかなw
2時間だったら?3時間だったら?
実行した栗原利一氏本人の証言だがw
684名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:00:57 ID:v2DaZLaB0
栗原証言といえばこういうのもあったな。
「本当はこうだった南京事件」 板倉由明 より
P137〜
1万人を4列縦隊にして前後の間隔を1mにすると2500mの長さになる。
これが歩き出すと少なくとも長さは2倍になり、しかも時間と共に列は長くなる。
悪路を4列縦隊で歩くのは、よほど統制がとれ、訓練をつんだ集団でなければ困難で
ある。
経験者によると、中に入った2列は埃と息苦しさ、精神的圧迫感で非常に疲れるという。
だから長距離・長時間の行軍では自然と2列縦隊になってしまう。
〜中略〜
青梅マラソンは例年参加者が約14000人。
奥多摩街道に横16列に並び前後1mとして875m、全員がスタート点を通過するのに
5分かかるが、すでに列は約1700m(先頭の時速20キロとして)、約2倍に伸びてい
るという。
〜中略〜
以上を総合すると、飢えと疲労でフラフラで連行される捕虜1万の列の長さは、2列と
してほぼ12キロ、定点で観測すれば、この捕虜が毎時2.5キロで歩けたとして、定点
の全員通過には5時間かかる。収容所と殺害現場の距離は4、5キロというから、先発
組が現場に到着してもまだ3分の2は収容所から出発できない。最後尾が到着するま
で先発組は5時間も吹きさらしの河原で待つことになり、路上には延々たる捕虜の列
が7時間も続く。
685名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:02:37 ID:X0ppcZXW0
>>682
2時間か3時間か、 い ず れ に し ろ

つまりよくわかんないんだろ、実際の時間なんて
人柱が何回か、だから、2時間も3時間も撃ったら
十何回かと表現しそうなもんだが
証言の「あたりが薄暗くりかけたころ」に始まる射撃も終わるのは
「ほ と ん ど 暗くなっていた」という事だから完全な夜の闇というのもちょっと違うニュアンス

ファーストインプレッションの1時間が一番しっくりくる
686名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:13:32 ID:CnXU0+iY0
>>681
>全然無理ではない・・・っていうか、17時前後の到着が、一番可能性が高くなりそうな感じだがw
栗原氏の証言を否定しなけりゃ成立しませんねえw
距離を四キロとすると、後ろ手に四列縦隊で縛られたまま四キロの険しい山道を時速四キロで移動しなければ不可能ですがw
距離が五キロとするとさらに難易度は跳ね上がりますがw
距離が六キロとするともはや不可能かとw
687名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:18:22 ID:X0ppcZXW0
>>683
既に話したが、1時間ほどという時間感覚が正確だったかという問題もある
証言はあくまでも「あたりが薄暗くりかけたころ」に始まる射撃も終わるのは
「ほ と ん ど 暗くなっていた」という事だから完全な夜の闇というのもちょっと違うニュアンス
従って、日没あたりから完全な夜闇に入るまえ・・・つまり50分程度というのが表現上はしっくりくる

動画も見てもらったと思うが日没時間である17時ごろが尤も、「あたりが薄暗くなりかけたころ」らしい情景だ

ちなみにこの動画は日没(11月2日16:45)の45分前のものだ
まだかなり明るい
http://www.youtube.com/watch?v=7tft-vDk4Os

南京の時刻で17時が日没だった当事、その1時間前ともなれば「あたりが薄暗くなりかけたころ」
という表現は適切とは思えない
688名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:27:01 ID:X0ppcZXW0
>>686
山道ではないぞ
麓を回り込むようにして歩いたのだから
その道程の距離が4〜6キロという事だ
正確な距離は今となってはわからないが
5キロ程度であれば徒歩で1時間くらいでも充分到着可能
689名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:30:16 ID:CnXU0+iY0
>>687
>従って、日没あたりから完全な夜闇に入るまえ・・・つまり50分程度というのが表現上はしっくりくる
撮影された画像と現実を比較するのは無意味かと。
683も言っているように、人間の目は暗順応に30分程度かかるので、ビデオの映像で明るく見えても実際には人間の目では全く見えない。
周りが暗くなってからやっと暗順応によって周囲が見えるようになる。
大体、本人の証言を否定しなければ現実には実行できないなんて証言自体に意味がないでしょう。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:36:11 ID:X0ppcZXW0
>>689
夏の頃にもそうだったし、その時話をした経験からたまに確認するが
さっき示したビデオ通りの印象だった
その上で俺は説明している

それから本人の証言など否定していない
人間の感覚として1時間ほどというのが実際は40分とか50分だったとしても
感覚との誤差があって当たり前なんだし、その程度は許容範囲だ
691名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/18(木) 23:57:50 ID:L8T82JLm0
>>688
「後手に縛られて5キロの道を1時間で移動」w
支那兵はどこの超人部隊だw
自衛隊の教本でさえ行進速度は1時間に4Km、夜間3.2km、路外昼2.4K夜1.6Km
ttp://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1044225300
692名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 00:16:22 ID:uGIJ+g/A0
同じような捕虜の移動でバターンがある。

バターン死の行進 生存者の証言 レスター・テニー氏
ttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060506#p1
運よく水筒--それと帽子--を持っていた者もいたが、われわれの多くは”着の身着の
まま”の状態だった。日本兵はわが軍の陣地に一九四二年四月十日午前六時になだ
れ込み、数分間わめきたてたりタバコを物色したりした後、われわれ全員を集め、バ
ターン半島を貫く主要な道路に向かって歩かせた。だからわれわれは、投降したとき
に身に着けていたもの以外は手ぶらで、多くの者は実は水筒も帽子も持っていなかっ
たのである。そのような装備で、われわれは最初の四日間、食料も水もなしに行進した。
笹氏は、午前八時三〇分からほぼ午後四時三〇分まで歩き、昼食のために休憩して
いる。その後、氏はちゃんとした夕食を摂り、ホテルのベッドで眠りに就いたようだ。
たぶん、着替えもしたのではないだろうか。そしてぐっすり休んだ後、リフレッシュして翌
日の行動を開始したに違いない。このことと、「バターン死の行進」の途上にあった戦争
捕虜の一日に、いったいどのような類似点があるというのだろうか。
われわれは夜明けから日没まで歩いた。昼食のための休憩も夕食もなかったし、夜の
寝場所は、優に五〇〇人は収容できるほど巨大な倉庫だったが、そこに一二〇〇人も
の捕虜が詰め込まれ、ほとんど横になる隙間もないような混雑状態だった。

「われわれは最初の四日間、食料も水もなしに行進した」→4日間で100km
「われわれは夜明けから日没まで歩いた」→1日の移動時間は12時間
単純計算すると1日移動距離25km÷1日移動時間12時間=時速2.08km/h

「「「時速2km」」」 www

693名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 00:21:23 ID:uGIJ+g/A0
ちなみにバターンでも捕虜は後ろ手に縛られ空腹だったようだw

バターン死の行進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
捕虜は一日分の食料を携行しており、経由地のバランガまでは一日の工程で食料の支給
は必要ないはずであった。実際には最長で三日かかっている。

死の行進のルート
区間             距離
マリベレス〜バランガ  約30km
「30kmを3日」=1日10km、時速0.833km

「「「時速0.833km」」」www
694名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 01:13:12 ID:TpEmSb9C0
南京の捕虜は空腹になればなるほど速く移動できたのだろうかw
695名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 01:21:51 ID:bP4lC9+f0
なんだ、射撃開始時間は諦めて、今度は徒歩で否定しようとしているのか
さすがにバターンのようなマラリアや戦傷の兵を多く含んだ一団の長距離徒歩の速度と比較しても
そりゃバカみたいに遅くなって当たり前としか言えないが
幕府山事件の移動中に、疲労や病気で脱落した奴でもいるのか
あと、死の行進とはいえ小休止は何度か取っているのだから、またその分遅くなる
そんなものを比較して喜んでる時点で、頭の程度が知れる

繰り返しになるが、栗原氏の表現はあくまでも感覚的なもの
4〜5キロ、長くても6キロという距離感が、どこまで正しいかわからない
多少それを外れたとしても、人間の感覚である以上許容範囲だ

ちなみに収容所があった五百村付近から、虐殺現場としてスケッチした場所の距離は大体4kmだ
(これでも板倉説より遠い場所にスタート地点を置いている)
http://www.cloudwoods.jp/kyoritan/index.html?z=14&t=1&c=32.117111,118.793449&p=32.107515,118.783193_32.111623,118.776155_32.116603,118.768387_32.126125,118.78727_

大の大人の徒歩のスピードは時速5kmと言われる
小休止も含めた上での自衛隊の移動距離が4kmなのだから小休止がなければ5kmはいくのだろう
重装備の分、やはり鍛えた人間はスピードもある

まあなんにせよ、ぐぐればいくらでも徒歩は時速4〜5kmと出ているのだから
1時間程度でつく計算であることにかわりない
696名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 01:40:08 ID:q2DmKIOk0
必死の言い訳  見苦しい
697名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 01:47:23 ID:bP4lC9+f0
としか言い返せない否定派でした
おしまい
698名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 01:48:10 ID:uGIJ+g/A0
>>695
>なんだ、射撃開始時間は諦めて、今度は徒歩で否定しようとしているのか

射撃が1時間という栗原氏の証言を否定しているのはそっち。
後ろ手に縛られて自由に動けない人間が、数珠繋ぎにされて通常と同じかそれ以上の速度で、4〜5キロの距離を移動できると考えるほうがおかしい。
しかも水さえ支給されず小便を飲むほど飢えた状態で。
支那兵はそんな状態でも通常以上の行軍速度が出せるほどの精鋭部隊だったのか?
しかも栗原氏は捕虜に反抗されて少尉が一人殺されたと証言している。
一斉射撃の命令が出たのはその後。
殺されようとした捕虜が反抗したのではなく、捕虜が反抗したので殺されただけ。
699名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 01:58:23 ID:1ZQQJiIT0
>>695
>繰り返しになるが、栗原氏の表現はあくまでも感覚的なもの
>4〜5キロ、長くても6キロという距離感が、どこまで正しいかわからない
>多少それを外れたとしても、人間の感覚である以上許容範囲だ
あの〜それでしたら射撃時間が一時間というのも感覚的なものなので、二、三時間ということも否定できなくなってしまうんですがw
栗原氏ははっきり「2時間か3時間か、いずれにしろ人柱が何回か出来て立っている人がいなくなるほど撃ち続けたんだ」と言っていますしw
そうなると射撃時間が一時間以上なのは間違いないと判断できますがw
700名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 02:11:38 ID:bP4lC9+f0
>>698

> 射撃が1時間という栗原氏の証言を否定しているのはそっち。

1時間ではなく、1時間ほどです
実際が40分〜50分だったとしても人間の感覚なんだから別におかしくありません
仮に1時間だとしても、到着時刻が20分前であれば問題になりません
何度も言わせないで下さい
バカなんですか?

> 後ろ手に縛られて自由に動けない人間が、数珠繋ぎにされて通常と同じかそれ以上の速度で、4〜5キロの距離を移動できると考えるほうがおかしい。

別段おかしくもなんともありませんが
それとも不可能であると試したんですか
あなた、全然検証もしないで「射撃は16時」なんて言ってましたよね
でもさっき見せた動画の日没の1時間前はかなり明るいですよね実際は

> しかも水さえ支給されず小便を飲むほど飢えた状態で。
> 支那兵はそんな状態でも通常以上の行軍速度が出せるほどの精鋭部隊だったのか?

精鋭かどうか知りませんが、さっき見せた地図では3.7Kmと出ていましたね
歩けるんじゃないですか
そもそも今の考察では先頭の到着が1時間程度としています
例えば、収容所の出発時に先頭が出てから1時間後に最後の組が出たとして
到着は先頭がついてから最後の組が3〜4時間後という事であれば
先頭はまだ充分余力があっただけで、全員が全員そんな速度で歩いたわけじゃないという場合も考えられますが

> しかも栗原氏は捕虜に反抗されて少尉が一人殺されたと証言している。
> 一斉射撃の命令が出たのはその後。
> 殺されようとした捕虜が反抗したのではなく、捕虜が反抗したので殺されただけ。

栗原氏は処刑目的で連行したと言ってますから、現場で今にも処刑が始まる状況だったわけです
それのどこが「殺されようとした捕虜が反抗したのではない」になるのですか
バカも休み休み言ってください
701名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 02:20:54 ID:bP4lC9+f0
>>699
> >繰り返しになるが、栗原氏の表現はあくまでも感覚的なもの
> >4〜5キロ、長くても6キロという距離感が、どこまで正しいかわからない
> >多少それを外れたとしても、人間の感覚である以上許容範囲だ
> あの〜それでしたら射撃時間が一時間というのも感覚的なものなので、二、三時間ということも否定できなくなってしまうんですがw
> 栗原氏ははっきり「2時間か3時間か、いずれにしろ人柱が何回か出来て立っている人がいなくなるほど撃ち続けたんだ」と言っていますしw
> そうなると射撃時間が一時間以上なのは間違いないと判断できますがw

「2時間か3時間か、いずれにしろ」ですから、かなり時間的な感覚で「この時間」というものを決めかねているのは理解できます
そこまで時間間隔に揺れがあるのであれば他の状況から実際の時間を推測するしかないでしょう

「あたりが薄暗くりかけたころ」に始まる射撃が「ほ と ん ど 暗くなっていた」頃に終わったと証言しています
ほとんど、という事は完全に夜の闇となっていない印象をもっているようです
つまりファーストインプレッションの1時間が正解に近く、それも40分〜50分程度と推測すればしっくりきます
そういう話をしています
702名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 02:26:25 ID:1ZQQJiIT0
>>700
>でもさっき見せた動画の日没の1時間前はかなり明るいですよね実際は
機械と人間の目は同じではありません。
ビデオで明るく見えるからと言って人間の目でも明るく見えるとは限りませんが。
http://www.ocular.net/jiten/jiten003.htm
目の事典・目の構造
Q.暗順応、明順応とはどういうことですか
(2)明順応 一 明るいところでは錐体が中心になって働きます。この錐体は,網膜の中心部に多く,視力にすぐれています。
明順応は暗順応にくらべてはるかに短時間ですみます。
暗順応は30分〜1時間かかるのに対して,明順応は40秒〜1分です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
703名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 02:32:38 ID:bP4lC9+f0
>>702
先ほども言いました
私は自分の目で日没からの状況を確認した上で説明しています
その上で問題ないと判断しておりますし
逆に最後の方などは動画の方が暗くなりすぎている、実際はもっと見える、と感じるくらいです
704名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 03:07:20 ID:590OnX4L0
あなたがどう感じたのかではなく、栗原氏がどのように証言しているかが問題だと思いますが。
あなたの主張を是とすれば、栗原氏の主張を否定することになります。
栗原氏の証言が重視されていたのは、13500人という人数、詳細なスケッチ、具体的な時間等によってです。
改変、否定しなければ成立しないのであれば、その証言自体に信憑性がありません。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 04:09:14 ID:+Q3ncoa30
日没1時間前なら明るさは1千ルクス以下。
たしか300−400ルクス程度。
http://www.bs-truck-bus.net/info/realanswers/2002_6/index10.html
「薄暮」の地上は思っている以上に暗い。
「薄暮」の時間に真西に向かえば、空は明るい。
しかし地上にはすでに夜が忍び寄り、空に比べて極端に暗くなっている。
数値で示すなら、真昼には10万ルクス以上あった明るさが、日没の1時間ほど前になると、1000ルクス以下になってしまっている。
こうした状況下では、ものの輪郭がぼやけて見え、距離感がはっきりしなくなる。




捕虜を殺害したのは100m四方の凹地という事なので、通常でさえこの程度しか見えない状態で100m先へ射撃を行うのは相当困難だな。
しかも時間が経つほど日没が近づき困難になる。
日没後はまず不可能と言ってもいい。
市民薄明が「太陽が隠れても外で活動できる時間帯」といってもあくまでも通常の場合だけ。
100m先へ射撃を行える明るさではない。
まあ日本軍なら「輪郭がぼやけて見え、距離感がはっきりしない」程度の明るさでも100m先へ命中させることができるのかもしれないなw
706名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 12:26:19 ID:VCutSHt10
民間人への犯罪がうたがわしくなると、今度は捕虜の虐待をもちだす。
東京裁判では対民間人と対捕虜のふたつが問題になっている。
何で、ありもしなかった民間人虐殺を持ち出しているのか説明してもらう必要が出てくる。

それも虐殺の有無を論じるよりまえにね。
707名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 12:30:45 ID:AEOA9vWeO
栗原証言でも全く矛盾はないんだがw

正午過ぎに出発
  ↓
  ↓※地図で確認すると4kmの移動なので時速5kmで48分、時速4kmで60分、時速3kmで80分、時速2kmで120分で着く。
  ↓  先頭が12時15分に出発したとして、最後尾が2時間後に出発し時速2kmで歩いても4時15分には到着する。
  ↓
1時頃に先頭が到着
  ↓
4時過ぎ以降に捕虜達が矛盾に気付く。
  ↓
4時40分頃から一斉射撃開始(あたりが薄暗くなりかけたころ)
  ↓
  ↓※一時間ほどつづいた。
  ↓
5時30分頃終了(ほとんど暗くなっていた)
708名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 14:30:45 ID:uGIJ+g/A0
>>707
>1時頃に先頭が到着

4列縦隊で後手に縛られ、疲労し空腹の捕虜が時速4kmで移動できた根拠は?
同じ条件のバターンでは時速0.8km〜2km。
不可能な条件を前提にしても意味が無い。

>4時40分頃から一斉射撃開始(あたりが薄暗くなりかけたころ)
>  ↓
>  ↓※一時間ほどつづいた。
>  ↓
>5時30分頃終了(ほとんど暗くなっていた)

日没は17時。
日没後に100m先の目標を確認するのは非常に困難。
日没1時間前でさえ「輪郭がぼやけて見え、距離感がはっきりしない」状態なのに、日没後に100m先の標的に射撃を続けられる状態ではない。
人間の目は暗順応には時間がかかる。
それを考えると射撃可能だったのは日没直後までと考えたほうが妥当。
そうすると射撃時間は僅か30分。
1時間どころか、2時間か3時間という栗原氏の証言と矛盾する。

結局、捕虜の移動速度と、日没後の暗闇への射撃という矛盾を証明できなければ意味が無いなw
709名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 14:48:42 ID:1vGeYx7u0
ジュネーブ条約では徒歩による捕虜の移動は1日20kmと定められていて日本軍もそれを遵守していた。
1日20kmで8時間の移動なら時速2.5km。
肯定派の主張だと日本軍はジュネーブ条約を無視している事になりますねw

ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/sougou/ko_hou/1929.htm
ジュネーブ条約
俘虜の待遇に関する千九百二十九年七月二十七日の条約
第三編 拘束
第一款 俘虜の後送
【第七条】
(徒歩に依る後送)徒歩に依る俘虜の後送は通常一日二十キロメートルの旅程を以て
為すべきものとす但し水及食料の貯蔵所に到達する必要上一層長き旅程を必要とす
る場合は此の限に在らず
710名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 14:56:43 ID:1vGeYx7u0
歩兵操典
ttp://www.warbirds.jp/sudo/infantry/i3_12.htm
第20
行進は勇往邁進の気概あるを要す
速歩の一歩は踵より踵迄75糎を、速度は1分間114歩を基準とす

「1歩75cm、1分間114歩」(時速5.13km)
50分行進して10分休憩とすれば時速4.2km。

行軍には2キロ行軍、4キロ行軍、6キロ行軍がある。
6キロ行軍になると
「30キロ以上の装備を背負って、足に合わない軍靴を履いて行軍する。1時間に
10分の休憩を込みで時速6キロで行軍する『6キロ行軍』では、『30キロの重荷を
背負ってのマラソン』であり、一回の行軍で半数が倒れることもあった。足には大
きな血豆ができているのが当然、針を刺し、タバコの灰を擦り付けて『治療』した」
ということ。
捕虜に6キロ行軍は無理。4キロは通常の行軍。それでさえ歩兵操典にあるような速歩になるのでかなり厳しい。
なら実際に捕虜の移送で実行されたのは2キロ行軍と考えたほうが合理的。
どちらにせよ後ろ手に縛られた状態で4キロ行軍の実行は無理。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:13:05 ID:GasEqeMoO
>>707
わかりやすくまとめてくれてありがとう
やはり矛盾はないな


今日の関東の日の入りは16:32
一時間前の15:32と日没時間
更に30分後の17:02に、改めて外の様子を確かめてみよう
712名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:32:30 ID:GasEqeMoO
日没一時間前
やはり明るい、明らかに明るい
これを辺りが薄暗くなりかけたとは言わない
713名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:39:24 ID:ZIl1CF0XO
大学のレポートで南京大虐殺における日本の罪を弾劾してみようとのことなので
高得点を取るためにも日本の悪を全力で告発したいので
箇条書きでいろいろ教えてください。
内容はこちらで調べます。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:44:37 ID:GasEqeMoO
こりゃまた否定派の成りすまし臭いレスだな
715名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:53:36 ID:0WfBwZeu0
ゆとりのせいで、最近の大学生ってこんなアホしかいないの?
日本の大学も落ちぶれ果てたもんだ
716名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 15:57:03 ID:uGIJ+g/A0
日没後に5m、10m程度ならともかく100m先の目標が確認できるのかね。
確認できたとしても「後手に縛った4列縦隊の捕虜」が4キロ行軍を実行できなければ無意味w
717名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 16:35:44 ID:GasEqeMoO
はい日没
薄暗くなってきた
しかしまだかなり明るい
100メートル以上先の人間が男か女かも判別できる
718名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 17:02:54 ID:GasEqeMoO
日没から30分
かなり薄暗いが意外と人の様子は認識できるなあ
ほとんど暗くと言うにはどうだろう?
まあそう言えなくも無いが…うーん
719名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 18:35:18 ID:AEOA9vWeO
>>708
>4列縦隊で後手に縛られ、疲労し空腹の捕虜が時速4kmで移動できた根拠は?

先頭グループは前がつかえてないので十分可能。最後尾は2時間後に時速2kmで歩いてきても4時15分には着くと書いた筈。
疲労し空腹であっても銃を構えた日本兵に追い立てられれば時速4kmで歩くだろw 遅れたら撃つと脅せばいいだけw

>日没後に100m先の目標を確認するのは非常に困難。

日没前の20分であらかたの兵は倒れてるだろw 100m四方の凹地であれば中心まで50mしかない。わざわざ最も遠い
所にいる兵を狙う必要がどこにあるんだよw 半円形の中に入らない辺りに兵が居たとして45度の角度で狙っても70m。
100m先の標的を狙う必要がないw
それに明るさは>>717-718で検証済みw 日没から30分経っても人の様子は認識できるってさwww

>>709
>肯定派の主張だと日本軍はジュネーブ条約を無視している事になりますねw

ジュネーブ条約に時速2.5kmの速度規制があるのかよ馬鹿w
第一、俘虜の待遇に関する1929年の条約を日本は批准してね−よwww

>>710
>「30キロ以上の装備を背負って、足に合わない軍靴を履いて行軍する。1時間に
>10分の休憩を込みで時速6キロで行軍する『6キロ行軍』では、『30キロの重荷を
>背負ってのマラソン』であり、

幕府山の捕虜は全員30キロ以上の装備を背負って、足に合わない軍靴を履いて連行されていたのですかw 妄想乙www

>どちらにせよ後ろ手に縛られた状態で4キロ行軍の実行は無理。

実際にやってるんだから無理じゃねーよ馬鹿www 無理な理由は30キロ以上の装備を背負って、足に合わない軍靴を
履いてという条件付じゃねーかw そもそも行軍じゃなくて連行だしwww
720名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 19:15:37 ID:fUFeqEcu0
>>719
>先頭グループは前がつかえてないので十分可能。最後尾は2時間後に時速2kmで歩いてきても4時15分には着くと書いた筈。
先頭の出発が12時15分。
13500人が4列なのだから列の長さは3375m。
時速2キロで移動すれば最後尾が出発するまで2時間48分。
4キロの道を時速2キロで移動すると約2時間。

12時15分先頭出発

13時15分先頭到着(?)

15時03分最後尾出発

17時03分最後尾到着(あたりが薄暗くなりかけたころ?)

一斉射撃1時間

18時03分射撃終了(ほとんど暗くなっていた?)

かなり無理があるようですが。
歩兵操典の4キロ行軍を後手に縛った捕虜の連行に適用するのは不自然です。
現にバターンは事前の計画では移動時間は8時間、行進距離は20〜24km(時速2,5〜3キロ)だったようですが。
ttp://mltr.ganriki.net/faq08d06p02.html
1. 捕虜は徒歩をもって移動させよ.
2. 行進はグループに分けて行う.
3. 1日の行進は5里から6里ぐらいにすること.
4. 行進途中で食事や休憩の場所を設けること.
721名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 19:32:23 ID:bP4lC9+f0
>>719
おお、>>707でまとめてくれた人か、ありがとう

日没時の明るさについては、既に何度も自分の目で確認していたので想定どおりの結果だったが
否定派の人もリアルタイムに書きこんでいたので同じ様子を見てくれていたと思う
やはり「あたりが薄暗くなってきた」頃は日没の1時間前ではありえない
せめて日没の30分前くらいからだろう

それから先ほど、後ろ手に縛って歩く実験もしてきた
自分の歩く早さは普通だと思う

1km
12分36秒 時速4.76km 普通に歩いた場合
12分12秒 時速4.92km 後ろ手に縛った場合

驚いたのは後ろ手に縛った場合の方が早かったこと
これは歩いている途中も、あれ?早いぞ、と感じていたのだが
逆に遅くしようとすると逆に余計疲れるのでもうそのまま歩いた結果だ

実際歩いてみて思ったんだが、後ろ手に縛ると若干上体が前に傾く
重心が前に行くことで踏み出しが早くなるせいだとわかった
意識して遅くしようとすると、余計な力が入ってしまって逆に辛い

自分も最初は「たいして遅くなるわけねーだろ、遅くても10秒とかそんなもんだ」と予想していたものが
逆の結果になって驚いている
722名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 19:45:56 ID:bP4lC9+f0
>>720
時速2kmというのは実際かなり遅い
余程疲れていても時速3kmは出せる、そうじゃないと遅すぎて逆に辛い

傷病人や今にも倒れそうな人でもなければ、時速2km以上は出る
バターンの行軍で傷病人でもない人が遅いように見えるのは、休み休み歩いた結果だろう
実際に歩いている部分だけなら時速2km以上は絶対に出ている

幕府山の捕虜は、空腹ではあったが、別に疲労困憊ではない
ずっと収容所にいただけなのだから
また、疲れや病気で脱落した者がいる話も聞かないので
空腹であること以外はそれなりのコンディションであった事が推測できる

先頭の捕虜が、普通より若干遅めの時速4kmで歩いたとしても1時間で着く
体力の落ちている人間が時速2kmで歩いたとしても、2時間
>>707の通りで何の問題も出ない
723名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 19:59:47 ID:bP4lC9+f0
>>720
> >先頭グループは前がつかえてないので十分可能。最後尾は2時間後に時速2kmで歩いてきても4時15分には着くと書いた筈。
> 先頭の出発が12時15分。
> 13500人が4列なのだから列の長さは3375m。
> 時速2キロで移動すれば最後尾が出発するまで2時間48分。
> 4キロの道を時速2キロで移動すると約2時間。

この考察もおかしい
出発の時点でいきなり時速2kmなど現実的ではない
時速2kmはかなり遅いので、そんなにチンタラ出ていたら日本兵にどやされる
俺が整理係なら確実にイライラするレベル
だいたい最初くらい時速4kmの普通の速度で歩けるだろうが

また、長さ3375mとしているが、間隔1mというのも随分広く感じる
せいぜい80cm程度では?
であれば長さは2700mになり、最初は時速4kmで出ると計算すれば、40分程度で全部出発できる

勿論、この計算どおりに出発したとは限らないが、この辺りは無理のない数字だ
そして無理の無い数字でもこれだけの差が出る
実際がどうだったかわからないが、君の「無理だ」という結論は単なる決め付けであり
自分の希望する結論の為に、色々と理由をつけて数字を弄くってるだけに過ぎない
724名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 20:11:00 ID:B2W/GMV80
>>721
あのー自分ひとりが後ろ手で速く歩けたからといってそれが何の証明になるのですか。
水も無く小便まで飲むような捕虜が
>空腹ではあったが、別に疲労困憊ではない
というのは乱暴すぎます。
707は先頭の移動が1時間で完了しなければなりません。
13500人の人間がそれだけの時間で移動できた根拠としては弱すぎます。
725名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 20:15:44 ID:bP4lC9+f0
>>724
少なくとも、後ろ手に縛っているのだから遅くなって当然という決め付けは不可能になった
それだけのことを証明しただけですがそれがどうかしたのか

空腹は空腹だが、別に疲労困憊ではないだろう
どこが乱暴なのか意味がわからない
疲労とは体を動かして初めて疲れるのではないですか
違いますか

根拠が弱いのは貴方の方です
全く無理のない数字だと>>721で既に説明済み

まあ、否定派のことだから、いつも通り、「それは嘘だ」「そんな事はありえない」
「それが事実だと俺がいいと言うまで証明してみせろ(絶対に認めるつもりはないけどね)」
にもっていくだけなのは分かりきってますがw
726名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 20:17:11 ID:bP4lC9+f0
この部分のレスアンカー訂正

根拠が弱いのは貴方の方です
全く無理のない数字だと>>723で既に説明済み


727名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 20:22:40 ID:uGIJ+g/A0
>>723
>自分の希望する結論の為に、色々と理由をつけて数字を弄くってるだけに過ぎない

時速2km→時速4km
間隔1m→せいぜい80cm程度

つ鏡w
728名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 20:35:36 ID:uGIJ+g/A0
捕虜護送の例w

ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page028.html
上海派遣軍独立砲兵第二大隊『戦闘詳報』
第9号付録(12月13日午前一時〜正午)
(四) 戦闘における状態
(略)
同夜午後7時頃、仙鶴門鎮西方に約2〜300の敵襲を受けたるも難なくこれを 撃退せり。
14日午後4時砲兵指揮官、内山少将、仙鶴門鎮に来られ 、敵襲後の状態を視察せらる。
これより先午後2時頃堯化門付近において、約7000名降伏し来り。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
午後6時歩兵第38連隊の一中隊護衛の下に、仙鶴門鎮北側凹地に集結す。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
該俘虜の大部は13日早朝仙鶴門鎮及び新庄付近を襲撃せるものにして、事後北方に退却し我が部隊各所に駐屯し
有力なる為ついに、企図を放棄し武器を捨て降伏し来れりものなり。
(注 捕虜確保は12月14日)
『南京戦史資料集』P650

堯化門と仙鶴門鎮は約3キロほどの距離

「午後2時頃堯化門付近において、約7000名降伏し来り。」
「午後6時歩兵第38連隊の一中隊護衛の下に、仙鶴門鎮北側凹地に集結す。」

7000人を3キロ移動させるのに4時間かかっているがw
729名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 20:55:50 ID:AEOA9vWeO
>>724
>水も無く小便まで飲むような捕虜が
>>空腹ではあったが、別に疲労困憊ではない
>というのは乱暴すぎます。

>>719
 疲労し空腹であっても銃を構えた日本兵に追い立てられれば時速4kmで歩くだろw 遅れたら撃つと脅せばいいだけw

>>728
>「午後2時頃堯化門付近において、約7000名降伏し来り。」
>「午後6時歩兵第38連隊の一中隊護衛の下に、仙鶴門鎮北側凹地に集結す。」

午後2時に降伏してきたんであって移動開始が午後2時じゃないだろ馬鹿w
そんな稚拙なすり替えに誰が騙されると思ってるんだwww

沢田正久中尉証言によると投降兵受け入れ後、“軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」
と言ってきたので拒否しましたら、「では中山門まで連れて来い」と命令されました。”とのやり取り
をした後、連行している。また連行の前に武装解除と全員をうしろ手に縛るなどの準備が必要。
それにどれほどの時間がかかるか全く考えない馬鹿ですか。幕府山の場合は全員をうしろ手に縛る
だけで午前中を費やしてるぞw
730名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 21:01:46 ID:uGIJ+g/A0
>>729
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/page028.html
歩38の戦闘詳報

第16師団
歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
備考
1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが 14日午前
8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者
を示す。
『南京戦史資料集』P594

つまり「午後1時武装解除、午後2時移動開始」w
731名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 21:04:45 ID:uGIJ+g/A0
証言による南京戦史
ttp://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking05.pdf
独立攻城重砲兵第2大隊第1中隊、観測班長、砲兵中尉 沢田正久氏の証言
「正午頃投降、武装解除」

歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
「午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。 」

第16師団司令部副官宮本四郎氏
ttp://www.history.gr.jp/~nanking/sougen_nanking05.pdf
「紫金山付近で午後3時ごろ、約1万の捕虜が移動してくるのを確認」

上海派遣軍独立砲兵第二大隊『戦闘詳報』
「午後2時頃堯化門付近において、約7000名降伏し来り。」
「午後6時歩兵第38連隊の一中隊護衛の下に、仙鶴門鎮北側凹地に集結す。」

『正午ごろ投降、13時武装解除、14時出発、15時移動中を確認、18時集結』
何の矛盾もないw
732名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 21:51:22 ID:AEOA9vWeO
>>730-731
だからどこに出発時刻が書いてあるんだよw 宮本四郎氏の遺稿にもそんな記述は無い。「城内侵入態勢が整った
午後3時ごろ」から、「暫くすると、紺色の服をきた捕虜」を目撃したんだろ。記述を創作してんじゃねーよ捏造馬鹿w
733名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 21:57:52 ID:AEOA9vWeO
>>720
>13500人が4列なのだから列の長さは3375m。
>時速2キロで移動すれば最後尾が出発するまで2時間48分。

自分で、
>現にバターンは事前の計画では移動時間は8時間、行進距離は20〜24km(時速2,5〜3キロ)だったようですが。

と書いておきながら何で時速2キロで計算してんだよw
時速2.5キロで計算してもこうなる。

12時15分先頭出発と想定(正午過ぎに出発)
  ↓
  ↓※地図で確認すると4キロの移動なので時速2.5キロの場合は96分で着く。
  ↓
2時51分に先頭が到着 ※4キロの道のりで列の長さは3375mだから先頭が到着したとき最後尾は4キロの84.375%の位置
に居る。100%−84.375%=15.625%だから、4キロの15.625%は625m。この地点に2時51分より前に移動してきているわけ
だから、時速2.5キロで625mを進む為には、0.625÷2.5×60=15分前に出ている事になる。
つまり最後尾は2時51分−15分=2時36分に出発している。
  ↓
4時12分に最後尾が到着(2時36分+96分=4時12分)

先頭グループは前がつかえてないので時速2.5キロよりもっと早く歩ける筈だが、それは置いておいても4時12分には13500人
の連行が終わる計算になるなw いちゃもん乙ですw 余裕で“あたりが薄暗くなりかけたころ”より前に移動完了しますがwww
734名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:03:23 ID:bP4lC9+f0
否定派は否定したいが為に無茶苦茶な内容になっているな

後でまとめだけして終わりにするか
735名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:14:09 ID:uGIJ+g/A0
>>732
宮本氏は
「司令部は少し高いところにあったので、その縦隊の長さがわかった。2キロぐらい
後方の森から続いている。森の背後のことは判らないが、続々と森から出ている」
といっている。
3時から間もない時間に捕虜が通過した時点で、隊列は2キロ以上。
つまり3時より前に既に捕虜は出発していたことになる。
さらに紫金山付近までの距離が長ければ長いほど捕虜は早く出発していなければならない
ことになるがw
736名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:28:38 ID:RxsanimS0
栗原氏は
「道も狭く、四列では歩けなかった」
と言っている。
しかも川の水を飲もうとして殺されたものもいる。
これで列が乱れたり停滞しないで進んでいけるとは思えない。


栗原利一伍長証言(『南京戦史資料集』より)
 多分十七日と思うが、捕虜を舟で揚子江対岸に渡すということで、午前中かかって形だけだが手を縛り、午後大隊全員で護送した。
四列縦隊で出発したが、途中で列を外れて小川の水を飲もうとして射殺された者もいた。
 丘陵を揚子江側に回りこんでからは道も狭く、四列では歩けなかった。
列の両側に五十メートルくらいの間隔で兵が付いた。
左側は荒れ地で揚子江の向こうに島(注・草鞋洲、八卦洲ともいう)があり、右側は崖が続き、山頂には日本軍の姿もあったが、中腹に不審な人影を認めた。
737名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:30:49 ID:bP4lC9+f0
〜とは思えない

はもういいよ
シミュレーション上は割と時間に余裕があるから

余裕と言えば、距離も多目の4kmにしているけど
板倉説を用いて3kmにしてもいいんだよ
738名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:39:21 ID:1VVlB3nGO
あれ?
元の証言では4〜5キロから6キロ以内じゃなかった?
739名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:43:35 ID:0cO35MpY0
>>733
>先頭グループは前がつかえてないので時速2.5キロよりもっと早く歩ける筈だが、それは置いておいても4時12分には13500人
>の連行が終わる計算になるなw
先頭到着が午後1時51分、最後尾の到着が午後4時12分。
その差2時間21分。
栗原氏の証言は先頭の到着から3、4時間で全員集合との事ですがw
栗原証言を否定する材料にしかなっていませんねw
740名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:48:07 ID:1VVlB3nGO
それに出発は正午ではなく午後とあるんだから、普通は昼飯食って1時以降だろwww
741名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:48:55 ID:AEOA9vWeO
>>735
先ず>>731の「紫金山付近で午後3時ごろ、約1万の捕虜が移動してくるのを確認」は、お前の作文なんだから、
“私は先人の遺稿を創作し作文しました”と詫びろ。俺ではなく宮本四郎氏に詫びろ。

>3時から間もない時間に捕虜が通過した時点で、隊列は2キロ以上。

またすり替えだよw “暫くしすると”としか書いてないだろ。間もなくと暫くするとでは全然違うわw
3時から“暫く”であれば4時でも5時でも“暫く”だろーがw

また、お前は馬鹿だから気付いてないだろうが3時から“暫くすると”の後、上海派遣軍独立砲兵第二大隊から
歩兵第38連隊にこの集団を引き渡してんだよ。これだけの人数の引き渡しはそれだけで時間がかかる。それも
考慮せずに連行だけで4時間かかったと思ってたんだろw 馬鹿かよw
742名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:51:55 ID:uGIJ+g/A0
>>737
板倉説を用いるねえw

>684の7000人を3キロ移動させ集結させるのに4時間という板倉説を検証してみるw
板倉説
・長距離・長時間の行軍では自然と2列縦隊
・歩き出すと少なくとも長さは2倍になり、しかも時間と共に列は長くなる。
・この捕虜が毎時2.5キロで歩けたとして、定点の全員通過には5時間かかる。

7000人を2列→1m間隔として3500m
歩き出すと少なくとも長さは2倍→7000m
速度は毎時2.5キロ→3キロの移動に72分
7000mの捕虜の列が毎時2.5キロで移動→全員の移動完了まで2時間48分かかる。
つまり
14時:先頭出発
15時12分:先頭到着
16時48分:最後尾出発
18時:最後尾到着

見事に>684の
「午後2時頃堯化門付近において、約7000名降伏し来り。」
「午後6時歩兵第38連隊の一中隊護衛の下に、仙鶴門鎮北側凹地に集結す。」
というのと一致するw
743名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 22:57:15 ID:AEOA9vWeO
>>739
>栗原氏の証言は先頭の到着から3、4時間で全員集合との事ですがw

どこにそんな証言があるんだよw コピペしてから書き込め馬鹿w 先頭が到着してから3時間から4時間で捕虜達が
矛盾に気付いたという記述ならあるがw
744名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:01:40 ID:oZL6WpLq0
「中国は沖縄独立運動を支持せよ」、「同胞」解放せよと有力紙

http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=1110&f=politics_1110_010.shtml


745名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:02:11 ID:1VVlB3nGO
あれ?
先頭が到着して3時間から4時間後に捕虜が矛盾に気付いたなら、殺されるのはもっと後になっちゃうよwww
746名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:21:19 ID:JwgRGcpX0
>>742
>板倉説
>・長距離・長時間の行軍では自然と2列縦隊

宮本四郎氏の遺稿では「暫くすると、紺色の服をきた捕虜が、四列縦隊でゾロゾロやってきた」と書かれてますがw
                                     ~~~~~~~~~
そもそも長距離じゃないしwww
747名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:28:32 ID:AEOA9vWeO
>>745
「捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ、掃虜たちも矛盾に気付いていた」
という事は、実際は>>733の計算よりも先頭グループは早く着いていたという証拠だw

先頭グループは前がつかえてないので時速2.5キロよりもっと早く歩ける筈と書いてるだろ馬鹿w
>>707が現実的なんだよ。1時頃に先頭が到着してれば何の矛盾もないwww
748名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:28:36 ID:cWBKIZnd0
>>741
>これだけの人数の引き渡しはそれだけで時間がかかる。
どのくらいの時間がかかったのか具体的にお願いしますw
749名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:34:04 ID:AEOA9vWeO
>>748
>どのくらいの時間がかかったのか具体的にお願いしますw

はいはい、何も反論できないからいちゃもんしか付けれないとかいう事ですねw
引き渡しに時間がかかる事が想定できれば俺の主張は崩れないので答える必要がありませんw
750名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:34:46 ID:cWBKIZnd0
>>747
>>707が現実的なんだよ。1時頃に先頭が到着してれば何の矛盾もないwww
非現実的な願望を前提にされても意味はないんですがw
4列縦隊で後ろ手に縛られて一時間で移動できる根拠がなければ意味はありませんw
たとえるなら東大の入試で10点しか取れなかった人が「残りをすべて満点を取れば合格だ〜」と言ってる様なものw
751名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/19(金) 23:40:50 ID:1VVlB3nGO
日本軍だって昼飯くらいは食うだろうから、1時くらいに出発が現実的じゃね?
752名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 00:12:17 ID:vtPirDZe0
多人数の移動がどれだけ大変か分かってないみたいだね

学校の避難訓練ですら、1000人足らずの生徒を校庭まで誘導するのに
五分程度はかかる。生徒はあらかじめ訓練のあることを知っていて、訓練の
経験もあり、出口は複数、経路も決まっている。もちろん生徒は縛られて
などいない。

渋滞のメカニズムも知っておくといい。誰かが少しでも歩く速度を落としたら、
100m後ろでは前進不可能になる。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 00:15:24 ID:NOw/sCEc0
>>749
沢田正久氏の証言 (独立攻城重砲兵第二大隊第一中隊、観測班長、砲兵中尉)
「それから一時間ぐらいして午前8時ごろ、衛兵所に行ってみると、驚くなかれ、楊山に向かって西方から続々と敵の大部隊が登ってきます。中隊長に報告すると、中隊長は「友軍ではないか」と疑ったほどでした。
直ちに全員分散展開、このとき早くも放列付近には敵の弾雨が集中しはじめました。中隊長の命令により、わが方は取りあえず火砲一門を操作、威嚇のため、零分画射撃を行いました。
敵は山の反対斜面に移るとともに、稜線上の観測隊に向かって、チェコ機関銃で盛んに射撃してきましたので、われわれは墓地を利用して、接近する一部の敵と相対しました。
やがて 【友軍増援部隊】 が到達し、敵は力尽き、白旗を掲げて正午頃投降してきました。
その行動は極めて整然としたもので、既に戦意は全くなく、取りあえず道路の下の田圃に集結させて、武装解除しました。多くの敵兵は胸に「首都防衛決死隊」の布片を縫いつけていました。
俘虜の数は約一万(戦場のことですから、正確に数えておりませんが、約八千以上おったと記憶します)でしたが、早速、軍司令部に報告したところ、「直ちに銃殺せよ」と言ってきましたので拒否しましたら、
「では中山門まで連れて来い」と命令されました。
「それも不可能」と断わったら、やっと、「歩兵四コ中隊を増援するから、一緒に中山門まで来い」ということになり、私も中山門近くまで同行しました。




この【友軍増援部隊】というのが歩兵第38連隊第10中隊。
投降したのも歩兵第38連隊第10中隊に対して。
>731
>歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表
>「午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。 」
共に戦った友軍に引き渡すのに2時間も3時間もかかるのかとw
754名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 00:42:01 ID:WlJ0aaTx0
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1289670091/43
【南京】東中野裁判4【新路口事件】
43 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2010/11/20(土) 00:35:01 ID:WlJ0aaTx0
ここまではフラグです。では本題に入ろうかwww

サイバー高文研
http://www.koubunken.co.jp/index.html
※あれっ?更新日:2010/11/15になってる何を更新したんだろ?w

体験者27人が語る南京事件
http://www.koubunken.co.jp/0375/0355.html
※あれっ?何かPDFへのリンクが追加されてるなw 見てみようw

笠原十九司『体験者27 人が語る南京事件』(2006年1月第1刷)の正誤表(PDF)
http://www.koubunken.com/pdf/0355.pdf
※ではPDFを開いてっと、何か書いてあるなw

 笠原十九司『体験者27 人が語る南京事件』(2006年1月第1刷)の正誤表
  上書中の誤記について、重刷りの折に訂正する予定でいましたが、その機会がまだ到来
 いたしませんので、「正誤表」にしてHPで発表させていただきます。 著者

D143頁3行目 【【【馬台街→馬道街】】】

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

顔文字死亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

m9(^Д^)プギャーm9(^Д^)プギャーm9(^Д^)プギャーm9(^Д^)プギャーm9(^Д^)プギャー

否定派死亡wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
755名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 01:02:55 ID:RW4NcR0m0
>>754
おー報告ありがとう
正式に聞き間違いであることが決まったね
顔文字のバカのことなんてどうでもいいが、本の間違いが直るのはともかく良い事
メール送った人はお疲れさんだな
756名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 01:16:13 ID:Fdk0Vuk80
>>754
笠原の写真キャプション捏造に続く、新たな捏造の証明乙w
さーこれで今までの夏証言を全て確認し直さないとなーw
大変大変w
757名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:12:29 ID:RW4NcR0m0
【栗原証言から移動時間をシミュレート】
・出発の時間
 「出発したときは午後になっていた」
  ここでは12時15分とする

・移動距離
 「四キロか五キロ、長くても六キロ以下」
 収容所があったとされる五百村からの距離は約4Km
 収容所と虐殺現場までの道のりは以下地図を参照
 実際は板倉説の約3km(以下地図の2つ目のポイント地点)が有力と思われるが敢えて遠目に設定
 http://www.cloudwoods.jp/kyoritan/index.html?z=14&t=1&c=32.117111,118.793449&p=32.107515,118.783193_32.11035,118.777142_32.116603,118.768387_32.126125,118.78727_

・出発完了までの考察
 13500人が4列で並び、間隔を80cmとすると
 行列の長さは2700mになり、最初は時速4kmで出ると計算すれば、40分程度で全部出発できる
 時速3kmとしても1時間かからず全てが出発可能
 時速2kmは実際かなり遅い。出発地点を担当する日本兵が急かすのは間違いないと思われるし
 捕虜たちも傷病人ではないので、最初くらいは普通の速度で歩けるはず

・移動時間
 「捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ(略)しばらくして一斉射撃」
 射撃開始が上記より16時40分と仮定しているので、先頭は13時台には到着している計算
 移動距離は約4km
 通常の徒歩では時速4km〜5kmなので、1時間程度で到着可能
 捕虜のうち体力の落ちている人間が遅れて時速2kmで歩いたとしても2時間程度
 従って、先頭が普通に歩く速度で13時台に到着し、
 遅い者がさらに遅れて到着しても16時頃までには集合可能

・射撃開始時間
 「あたりが薄暗くなりかけたころ」
 日没前後が丁度「薄暗くなりかけた」状態となる
 ここでは口述する射撃終了の時刻も併せて考慮し、16時40分とする

 参考:当事の南京の予想日没時刻は17:02
 http://weather.jp.msn.com/local.aspx?wealocations=wc:CHXX0099
 日の出: 6時58分 日の入: 17時02分

・射撃開始から終了まで
 射撃は「1時間ほど」続いた。その頃には「ほとんど暗くなっていた」

 日没後の明るさの移り変わりは以下動画を参考のこと
 http://www.youtube.com/watch?v=NP8EcwYhTIM

 20秒くらいが太陽が隠れた時点、すなわち日没
 「ほとんど暗く」なっているのは55秒のあたり
 64倍速だから、日没から37分程度かかる計算
 つまり「辺りはほとんど暗くなっていた」時間は17時39分以降だが
 ここでは射撃終了を17時30分頃とすることで、射撃は50分と仮定する
758名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:15:44 ID:RW4NcR0m0
【栗原証言から導いたモデルケース】
以下は、証言の内容とも実際の距離や歩く速度から考察しても
充分矛盾なく可能なタイムスケジュールとなる
よって、栗原証言が実現不可能であるとする指摘は、全く的を射ていないと結論づけられる


正午過ぎに出発
  ↓
  ↓※地図で確認すると4kmの移動なので時速5kmで48分、時速4kmで60分、時速3kmで80分、時速2kmで120分で着く。
  ↓  先頭が12時15分に出発したとして、最後尾が2時間後に出発し時速2kmで歩いても4時15分には到着する。
  ↓
1時頃に先頭が到着
  ↓
4時過ぎ以降に捕虜達が矛盾に気付く。
  ↓
4時40分頃から一斉射撃開始(あたりが薄暗くなりかけたころ)
  ↓
  ↓※一時間ほどつづいた。
  ↓
5時30分頃終了(ほとんど暗くなっていた)
759名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:19:28 ID:NwCOdFvT0
>>757
>・出発完了までの考察
> 13500人が4列で並び、間隔を80cmとすると
> 行列の長さは2700mになり、最初は時速4kmで出ると計算すれば、40分程度で全部出発できる

時速4km=分速66m=秒速110cm
間隔80cmでは移動不可能w
最初からやり直しw
760名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:22:09 ID:r1I69/uTO
捕虜連行の件で否定派に反論しようと思ったがもうどうでもいいやw

>>754の報告のおかげでいかに否定派の主張が出鱈目か証明されたからなw

否定派は自論に合わせる為に都合の良い自己解釈しかできない馬鹿集団と証明されましたwww

夏証言の件でもやはり【 肯 定 派 の 解 釈 が 正 し か っ た わ け で す ね 】wwwwwwwww
761名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:31:52 ID:RW4NcR0m0
まるで意味不明なイチャモンを否定派がしているようだが

法解釈と違って、今回の移動の件は否定派の嘘がわかりやすいので問題ないだろう

これにてFA
762名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:37:06 ID:vtPirDZe0
中国人捕虜は実に協力的だったらしい
これじゃ、大虐殺じゃなくて大自殺幇助だなw
763名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 02:39:35 ID:KQu0FZmM0
>>758
>※地図で確認すると4kmの移動なので時速5kmで48分、時速4kmで60分、時速3kmで80分、時速2kmで120分で着く。

後ろ手に縛られた捕虜が時速4km〜5kmで移動できたという記録はない。
しかし、バターンでは事前の計画では移動時間は8時間、行進距離は20〜24km(時速2,5〜3キロ、実際は時速0.8km〜2km)。
南京では、堯化門付近から仙鶴門鎮まで7000人を3キロ移動させるのに4時間かかっている記録がある。

記録の存在を無視して、願望で推測するのは時間の無駄w
764名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 03:18:36 ID:+E+hq1CD0
>>758
栗原証言
捕虜の数:13500人を後ろ手に縛って4列縦隊

移動距離:4〜6キロ先 「四キロか五キロ、長くても六キロ以下の道のりを歩いた」

捕虜の出発:午後=12時以降 「出発したときは午後になっていた」

先頭の到着から3,4時間=12〜13時 「捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間」

一斉射撃:1時間=16時 「あたりが薄暗くなりかけたころ一斉射撃」「一斉射撃は一時間ほどつづいた」

日没:17時 「ほとんど暗くなっていた」

どう見ても13500人を4〜6キロ移動させるのを1時間で完了させ、一斉射撃を1時間以下にしなければ栗原証言は実行不可能ですがw
栗原氏の証言を無視して、時間を自分たちに都合よく改変するのは考察とは言わないだろうw
765名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 10:08:32 ID:r1I69/uTO
>>759
>時速4km=分速66m=秒速110cm
>間隔80cmでは移動不可能w

嘘吐くなw
普段の歩き方(60〜80m/分)で歩幅は身長の37%という資料がある。
http://item.rakuten.co.jp/109oasis/c/0000000135/
http://www.walking-style.com/academy/study/008/stepup.php
http://www.training.co.jp/nf/mWWJJ.html

身長160cmで歩幅59.2cm、身長170cmで歩幅62.9cm、身長180cmで歩幅66.6cm

間隔80cmもあれば十分歩けるわw お前都会のラッシュアワーしらないの?w
駅の改札なんかは皆ビタッとくっつきながら早歩きで通過してるぜwww
766名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 10:23:13 ID:r1I69/uTO
>>763
>後ろ手に縛られた捕虜が時速4km〜5kmで移動できたという記録はない。

栗原証言がその記録ですがw それに時速4kmの移動でも栗原証言は成り立つ。時速5kmで連行する必要はないw

>南京では、堯化門付近から仙鶴門鎮まで7000人を3キロ移動させるのに4時間かかっている記録がある。

>>732
 だからどこに出発時刻が書いてあるんだよw 宮本四郎氏の遺稿にもそんな記述は無い。「城内侵入態勢が整った
 午後3時ごろ」から、「暫くすると、紺色の服をきた捕虜」を目撃したんだろ。記述を創作してんじゃねーよ捏造馬鹿w

>>741
 またすり替えだよw “暫くすると”としか書いてないだろ。間もなくと暫くするとでは全然違うわw
 3時から“暫く”であれば4時でも5時でも“暫く”だろーがw

記録上捕虜の連行が確認できたのは3時から暫く経ってからだ。どこにも2時に出発したという記録はない。
あと俺が持ってる南京の古地図では堯化門から仙鶴門鎮まで4.2キロはあるんだがw
3キロなんて情報はどうせグース氏サイトの情報だろうが、鵜呑みにしないで地図で確認しろよ馬鹿共www

>>764
同じコピペを繰り返し貼る事しか出来ない馬鹿w 既に栗原証言は不可能という論は破綻しているのにwwww
栗原証言でも矛盾が無い事は既に明らかになっている。絶対にそうはならないという理屈を持ってこない限り
否定派に勝ち目はありませんwwwww つ>>733>>757-758

>どう見ても13500人を4〜6キロ移動させるのを1時間で完了させ、一斉射撃を1時間以下にしなければ栗原証言は実行不可能ですがw

実際には地図上で4キロと確認できてるのにまだ4〜6キロ移動とか言ってるしwww

>栗原氏の証言を無視して、時間を自分たちに都合よく改変するのは考察とは言わないだろうw

その言葉そっくり返しますw 願望的結論は考察とは言いませんw 栗原証言にいくらケチ付けたところで、
南京事件は無かった事にならないんだが必死ですねwww
767名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 16:47:24 ID:RW4NcR0m0
>>765
補足もうしわけない

ちなみに80cmてのは、出だしの速度4km/hと同じく
出発時点での事を想定しているので、ずっとその間隔で歩いていたわけじゃないとは思う

あくまでも最初は、皆密集しているし、日本兵も急かすだろうから(人数が人数だし)
「最初は間隔80cm程度、4km/hで出た」と考えるのがリアルな状況かと思って採用してみた

これはスタート地点での捌きの問題なんで、その後自然に間隔にゆとりができるって事は充分考えられる
っていうか余程統制取れた軍隊の行進でもない限り、そうなる
768名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 20:30:18 ID:UYr86rfpO
>>766
>>763
>>後ろ手に縛られた捕虜が時速4km〜5kmで移動できたという記録はない。
>栗原証言がその記録ですがw


ココ笑うところですか?
769名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 20:43:05 ID:UYr86rfpO
それと後ろ手に“数珠つなぎ”という事をわすれないでねwww
770名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 22:18:19 ID:RONIbRFjO
数珠繋ぎで肯定派の妄想撃沈WWW
771名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 23:05:56 ID:CDYyACxy0
>>766
>3時から“暫く”であれば4時でも5時でも“暫く”だろーがw
それを裏付ける記述はありませんw
その理屈なら宮本氏は「午後3時ごろ」と言ってるのだから「2時過ぎ」とか「2時半」とかでも「午後3時ごろ」になりますw
772名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/20(土) 23:38:59 ID:KQu0FZmM0
>>766
>あと俺が持ってる南京の古地図では堯化門から仙鶴門鎮まで4.2キロはあるんだがw

肯定派は自爆する習性でもあるのかw
自分で条件を厳しくしてどうするんだろうw
堯化門の捕虜は栗原証言の約半分の7000人。
距離は約4キロで栗原証言とほぼ同じ。
4キロの距離を移動するのに7000人と13500人ではどちらが時間がかかると思っているんだろうw
しかも栗原証言は
>736
>「道も狭く、四列では歩けなかった」
という状態なのにw
773名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 00:09:36 ID:1KYgEZax0
>>758
>先頭が12時15分に出発したとして、最後尾が2時間後に出発し時速2kmで歩いても4時15分には到着する。
肯定派の主張「13500人を4キロ先へ移動させるのにかかる時間は4時間」w
堯化門の捕虜を肯定派の主張に従って確認してみるw
7200人を4列=80cm間隔とすると列の長さは約1.4km。
先頭が4km先へ到着するには1時間。
最後尾が出発するには時速4kmで21分。
最後尾が時速2kmで移動し到着するまで2時間。
途中にまったく遅延などなく順調に移動して合計3時間21分w
>728の「7000人を3キロ(この場合は4キロ)移動させるのに4時間」とほぼ等しいw
また>728より6時には集結しているので出発は遅くても2時21分w
13500人の移動時間→4時間
7200人の移動時間→3時間21分
肯定派の主張によると、ほぼ倍の人数を移動させるのにかかる時間の差はわずか39分w
774名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 00:43:29 ID:eITzLTap0
否定派涙拭けよwww
775名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 00:56:02 ID:x9OabOxM0
>>774

詭弁が入るとは、負けがいったか
776名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 00:58:50 ID:eITzLTap0
詭弁?
777名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 01:32:56 ID:x9OabOxM0
>>776

文字通り
778名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 02:43:15 ID:eITzLTap0
否定派はわけがわからんのうwww
779運営は言っている、ネトウヨを潰せと・・・:2010/11/21(日) 14:17:26 ID:FTwymYs/0
>>664
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#151】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「数日でそんなに殺せるものか!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
二ヶ月です(初期の1〜2週間にかなりが集中していましたが)。ok

>>669
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#116】
南京大虐殺論争

南京大虐殺事件を日本人が知ったのは敗戦後の東京裁判においてである。この事件が
「論争」となるのは、日本が高度成長を遂げ公然と十五年戦争が肯定されるようになって
からである。論点は虐殺事件の存否、組織性、犠牲者の数であり、七〇年代の第一次論
争、八〇年代の第二次論争がある。この事件を六〇年代から本格的に研究したのは洞
富雄であり、事件を世に広めたのは本多勝一『中国の旅』(七二年)である。第一次論争
は七二年の鈴木明「『南京大虐殺』のまぼろし」が事件の存在に疑問を呈してはじまった。
第二次論争では田中正明『?南京事件″の虚構』が事件の存在を否定したために中国を
巻き込む論争に発展した。しかし、論争の過程で多くの新資料が発掘・発表され、旧陸軍
将校の親睦団体偕行社が機関誌『偕行』で「証言による『南京戦史』」を連載し、事件の存
在を認め中国人民にわびたことをもって事件の存否に関する論争は収束した。第二次論
争の時期に事件の非組織性を主張したのは文部省であり、教科書検定で「混乱の中で」
と書き込ませた。しかし、南京攻略戦参加部隊の「戦闘詳報」などの資料や藤原彰『南京
大虐殺』(八五年)、吉田裕『天皇の軍隊と南京事件』(同年)などによって日本軍の組織
的虐殺であることが明確になった。中国人犠牲者の数の問題に関しては、中国では八五
年に開館した侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館に明示するように三〇万人を主張す
る。これに対し事件の存在を認めざるをえなくなった人々は三〇〇〇人から四万二〇〇
〇人という数を提示、偕行社刊『南京戦史』でも約三万人という。しかし、洞は『決定版・南
京大虐殺』(八二年)で二〇万を下らない数といい、『南京大虐殺の証明』(八六年)で少数
              ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
説の誤りを指摘した。実証の厳密さからも洞・藤原などの主張には説得力があり、論争は
ほぼ決着がついた。(三省堂『戦後史大事典』より)

>>671>>673>>675
【言論チンピラ妄言解毒対策レス#202】
ヽ(#`Д´)ノネトウヨ ファショショーの慟哭★
「便衣兵を殺すのは、国際法違反者への合法的な処刑である、兵士が一般市民を装うのは、
ハーグ陸戦協定条約附屬書23条で禁じられた「背信の行為」に当たるからだぁぁぁ!」

d(・∀・)y一~~イケメン学者のアンサー☆
実は23条には「敵國又ハ敵軍ニ屬スル者ヲ背信ノ行爲ヲ以テ殺傷スルコト」とあります。背
信の行為を使って「殺傷スルコト」を禁じているのであり、単に平服を着ることを禁じてい
るのではありません。また、たとえ国際法違反者であっても処刑には裁判を必要とします。ok
780名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 17:02:07 ID:B26BIXpy0
>>771
>その理屈なら宮本氏は「午後3時ごろ」と言ってるのだから「2時過ぎ」とか「2時半」とかでも「午後3時ごろ」になりますw

だから? 結局出発時間は判らず、記録上捕虜の連行が確認できたのは3時頃から暫く経ってからだろw

>>772
>>「道も狭く、四列では歩けなかった」
>という状態なのにw

この記述の事か?
 四列縦隊で出発したが、途中で列を外れて小川の水を飲もうとして射殺された者もいた。
 丘陵を【揚子江側に回りこんでから】は道も狭く、四列では歩けなかった。

揚子江側に回りこんでからじゃねーか。ほぼ到着時点だ。
つまりそこまでの道では四列で歩けたという事だなw

>>773
>肯定派の主張によると、ほぼ倍の人数を移動させるのにかかる時間の差はわずか39分w

いや、同じ計算方法なら列の長さの差分しか到着時間は変らないから、列の長さ2.7キロ−1.4キロ
だから1.3キロ分の差、つまり19.5分しか変らない。
同じ距離の移動で人数が倍になれば、移動時間も倍になるという事はない。
同じ速度で歩けば列の長さの差分しか到着時間は変らないのは当たり前。そんな事も判んねーのかよ馬鹿www
781名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 18:15:21 ID:B26BIXpy0
念の為途中から2列縦隊になったった場合を計算してみる。

地図上は道程の半分が揚子江沿いだから【揚子江側に回りこんでから】を、仮に揚子江沿い
に入ってすぐと仮定する。(揚子江側に回りこんでからだから、大分進んでから道が細くなった
とも考えられるがケチが付かない様に揚子江沿いに入ってすぐに仮定)

道程の半分から4列縦隊が2列になるのだから、最初から3列で計算すればよい。3列縦隊の
80cm間隔で列の長さは3600m。

また、道程の半分まで時速4キロ、残り半分は時速2キロ(4列縦隊で時速4キロなら2列の場合は4人が定点を
通過するのに倍かかる)で歩行したとすれば、先頭グループは時速3キロでの移動に換算できる。

12時15分先頭出発と想定(正午過ぎに出発)
  ↓
  ↓※4キロの移動なので時速3キロの場合は80分で着く。
  ↓
2時35分に先頭が到着 ※列の長さは3600mなので、この時点で最後尾は400m進んでいる
                 (400mなら8分前に出発しているので、2時27分に最後尾は出発している)
  ↓
4時3分に最後尾が到着 ※2時27分+96分(最後尾はバターンを参考に時速2.5キロと仮定)

最後尾の歩行速度を時速2キロ(時速2キロは遅すぎて逆に疲れる。現実的ではない)で計算しても4時27分
には13500人の連行が終わる計算になるなw 

結局“あたりが薄暗くなりかけたころ(4時40分頃)”より前に移動完了しますがwww
シミュレートしてからいちゃもん付けろよ馬鹿共www
782名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 21:31:09 ID:GYJYedS/0
算数レベルの計算で何かが解ったつもりになってるのが痛いなw
783名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 21:56:36 ID:sX4/wxgQ0
>>780
>揚子江側に回りこんでからじゃねーか。ほぼ到着時点だ。
>つまりそこまでの道では四列で歩けたという事だなw

車の渋滞って何で起こると思いますか?特に信号のない高速道路では
一カ所の事故で一車線通行になるだけで全部が遅れ出す
これだけ長い列だと一カ所の不具合が全部に影響するんだよ

同じように隊列の途中でアクシデントがあれば、後続に全て影響するよな
784名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 22:12:34 ID:B26BIXpy0
>>782
>算数レベルの計算で何かが解ったつもりになってるのが痛いなw

その算数レベルの計算で栗原証言を不可能と言い切ってた否定派が何を言ってんのwww

>>783
>同じように隊列の途中でアクシデントがあれば、後続に全て影響するよな

4列縦隊が2列縦隊になるのがアクシデントかよw 隊列変えればいいだけだろw
その程度のケチじゃ不可能にはならないしw いちゃもん乙www
785名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 22:26:07 ID:sX4/wxgQ0
>>784
アクシデント・・・隊列乱した奴射殺したんだってな
当然死体を引きずって行くわけにいかないからロープ解いたりするよな
ろくに飯を食っていない捕虜は全員元気に行軍できたのかな?
一人でも不調だと、ロープでつながっているもう一人に影響して、更に後続にも影響するよな

それと、2列になる影響を甘く見すぎているな
細長い列の一カ所でも2列になると言うことは、速度がその場所に支配されるんだよ
786名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/21(日) 22:28:38 ID:yzE6XaThO
先頭到着から3、4時間後という証言は無視ですか?
787名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 00:55:50 ID:j7xKD0Wl0
>>781
>2時35分に先頭が到着 ※列の長さは3600mなので、この時点で最後尾は400m進んでいる

>677
>ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
>第13師団103旅団第65連隊第1大隊所属栗原利一伍長証言
>
>捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ、掃虜たちも矛盾に気付いていた。

完全に栗原証言を否定していますねw
788名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/22(月) 01:23:38 ID:LHoBOUL/0
>>780
>だから? 結局出発時間は判らず、記録上捕虜の連行が確認できたのは3時頃から暫く経ってからだろw
肯定派の主張に従うと遅くても2時21分には出発していないと6時には集結できないw
つ>773w
>堯化門の捕虜を肯定派の主張に従って確認してみるw
>7200人を4列=80cm間隔とすると列の長さは約1.4km。
>先頭が4km先へ到着するには1時間。
>最後尾が出発するには時速4kmで21分。
>最後尾が時速2kmで移動し到着するまで2時間。
>途中にまったく遅延などなく順調に移動して合計3時間21分w

それとみっともない仲間割れはやめておけw
>780
>同じ速度で歩けば列の長さの差分しか到着時間は変らないのは当たり前。そんな事も判んねーのかよ馬鹿www
「13500人を4キロ先へ移動させるのにかかる時間は4時間」と主張しているのは肯定派w
つ>758w
>先頭が12時15分に出発したとして、最後尾が2時間後に出発し時速2kmで歩いても4時15分には到着する。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 20:13:11 ID:L688LRBE0
>>765
>普段の歩き方(60〜80m/分)で歩幅は身長の37%という資料がある。

http://item.rakuten.co.jp/109oasis/c/0000000135/
● 歩幅の目安は身長の45%以上に
  歩幅は、身長や脚の長さによっても異なりますが、
一般に、ふだんの歩き方で身長の約37%、やや速歩きで45%、かなり速く歩いて50%程度です。
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://www.walking-style.com/academy/study/008/stepup.php
エクササイズウォーキングとは?
通常のウォーキングよりも歩幅を広く、腕を大きく振りながら歩く速度を速めます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
通常のウォーキング速度はおよそ分速60〜70mであるのに対し、エクササイズウォーキングでは
分速90〜100m前後が一般的な目安です。

http://www.training.co.jp/nf/mWWJJ.html
・歩幅は(身長×0.37)p程度または、2足分にします。
・腕は、伸ばしてリラックスさせ、左右の脚のリズムに合わせて前後に振ります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
・足の裏でしっかり地面をとらえ、着地させたつま先は、進行方向に向けます。
・首すじを伸ばし、上半身の重心は腰の中心にくるようにします。

人間の体の構造上、腕を振らなきゃ早く歩けないのは当たり前w
後ろ手に縛られても普段よりも早く歩けるなんて、中国兵は普段から後ろ手に縛られて歩いていたのかw
それとも全員が中国雑技団の出身なのかw
790名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 21:47:07 ID:ZgXD+0la0
否定派が懸命にイチャモンをつけているwww
憐れみを誘うwww
791名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 22:10:38 ID:MoLr+lZ80
そうか!中国兵は人間の限界に挑戦する集団だったのか!w
792名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 22:10:41 ID:SHz6qLEn0
>>790

肯定派が顔を真赤にして捏造しようとしている(大爆笑)
793名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 22:33:31 ID:ZgXD+0la0
日没の件ではもう反論不可能とみるや
「そんなに早く歩けるわけ無い!遅いったら遅いの!とにかく遅いの!」
に争点を絞る事にしたらしいw

肯定派にシミュレーションは若干遅めの歩くスピードで計算し
それより更に遅くても間に合う試算だから
そうとう遅いことにしないと、そしてそれ以上の速度は無理であることを証明しないと
否定派の反論は成り立たないw




>>791
> そうか!中国兵は人間の限界に挑戦する集団だったのか!w

実験で後ろ手に縛っても普通に歩けた俺は
人間の限界近いポテンシャルを引き出せるらしいwwwww
アホ否定派はどんだけ足腰弱いのwwww
たまには外出ろよwwwwwww
794名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:03:05 ID:5rqoJSc60
>>793
>日没の件ではもう反論不可能とみるや
>「そんなに早く歩けるわけ無い!遅いったら遅いの!とにかく遅いの!」
>に争点を絞る事にしたらしいw

先頭が1時間で到着しなければ日没以前の問題ですがw
時速4キロとは軍隊の標準的な行軍速度であり、空腹、後ろ手、数珠繋ぎという状態の支那兵にも可能だったとw

>765
>身長160cmで歩幅59.2cm、身長170cmで歩幅62.9cm、身長180cmで歩幅66.6cm

歩幅59.2cmで4kmを1時間で移動すると6756歩、毎分112歩、毎秒1.8歩。
1秒間に2歩弱の移動を1時間継続しなければ到着しない。
当然、1秒以上遅れればそこで行進は停滞し、それは最後尾まで波及する。
山道や、上り坂や、下り坂や、隘路や、捕虜の移動記録から速度が判断できるのにそれを完全に無視して、
「とにかく早く歩ける!早いったら早いの!とにかく早いの!」ってかw
795名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:05:28 ID:ZgXD+0la0
>>794

> 山道や、上り坂や、下り坂や、隘路や、捕虜の移動記録から速度が判断できるのにそれを完全に無視して、

上り坂や下り坂ってのはどこの部分のことだい?
具体的に指摘してごらん
796名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:18:25 ID:SHz6qLEn0
>>793

往々、詭弁に磨きが掛かってきたねぇ。

もういちど、詭弁学のイロハを学習したほうがいいだろうね
797名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:18:29 ID:ZgXD+0la0
>>794

> 「とにかく早く歩ける!早いったら早いの!とにかく早いの!」ってかw

それからさっきも言ったが、肯定派は普通より若干遅い速度で試算している
どこが「はやく歩ける」なんだい?
君がバカなのは知ってるが、益々バカを拗らせてしまっているようだぞw
798名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:21:18 ID:ZgXD+0la0
>>796
くやしいのうwww
799名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:26:39 ID:UfbarONS0
>>795
これだろう。
ttp://www.nextftp.com/tarari/2shuyosho.htm
1.収容所A
収容所Aは新聞では東部上元門などと記されることもある。
山田日記では上元門外との表現である。
幕府山と図の右下に位置する標高81.5mの丘陵である、百菓山の間にある原野にある。
800名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:31:56 ID:UfbarONS0
>>797
「空腹だろうと、後ろ手に縛られていようと、4列縦隊で数珠繋ぎにされていようと、通常の行軍速度である時速4キロ(毎時6756歩、毎分112歩、毎秒1.8歩)で移動できる!」
と妄想を垂れ流しているヤツが賢いとは思えないがなw
801名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:35:33 ID:ZgXD+0la0
>>799
はあ、で?
どのルートを通ったからここが上りで、ここがくだりで、って説明してくんねえかな
802名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:37:13 ID:SHz6qLEn0
>>798

はて? 何が悔しいのやら
口惜しいのは、おまえさんがたのほうだろうて(爆笑)
803名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:38:47 ID:ZgXD+0la0
>>800
で、具体的にどれくらい遅くなるべきなんだいw
804名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:48:45 ID:ZgXD+0la0
>>800
ちなみに行軍は武器や荷物かついで時速4km
捕虜はその重荷が無い分のアドバンテージはあるなw

さて、軽くなった分と差し引きで、どれくらい遅くなるべきなんだい?
ちょっと証明してみせてよ
805名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:52:36 ID:UfbarONS0
>>803
ttp://mltr.ganriki.net/faq08d06p02.html
この徒歩行進、列車輸送に於いて、
 1. 長期密林生活に起因する栄養失調とマラリア、赤痢などによる衰弱。
 2. 炎天下の長距離徒歩行進による疲労
 3. 護送役の日本兵による虐待行為
などにより、米兵600名、比律賓兵1万人が移動中に死亡、収容所に於いても、米兵1600名、比律賓兵1万6000名以上死亡(※※)。
(※※)東京裁判での起訴状では、米兵1600名、比律賓兵1万名の死亡が認定。
  この多数の死亡の原因は、捕虜に対して日本軍が十分な食糧と休養、医薬品を与えず、炎天下に長距離を歩行させ、
疾病、疲労のため行進に遅れる者には殴打、刺殺、銃殺、生埋めなどの残虐行為を加えたためであるとして、
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本間雅晴中将は、1946年4月3日銃殺刑(バターン他フィリピン各地で、日本軍将兵に残虐行為および重大犯罪を犯すことを許し、
指揮官としての義務を怠ったという判決による),河根少将、平野大佐も死刑、オドンネル収容所長だった恒吉大尉は終身刑となった。

【行進に遅れる者には殴打、刺殺、銃殺、生埋めなどの残虐行為を加えた】
そこまでして行進を急がせた結果、時速0.8km〜2km、www
806名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:55:42 ID:SHz6qLEn0
>>804
>>ちなみに行軍は武器や荷物かついで時速4km

おまえさん、武器や荷物担いで時速4kmあるいてくれや
総重量何グラムになるんだい(笑)
807名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:58:00 ID:UfbarONS0
>>804
ttp://mltr.ganriki.net/faq08d06p02.html
しかも現に捕虜群と並列して進む日本軍の姿を見よ.重い装具をつけて,喘ぎながら進んでいるではないか.
貴様らに散々撃たれ,肉体的にも精神的にも言語に絶する苦難に耐えた日本軍だ.できれば背負える背嚢も貴様らに負わせてやりたいぐらいだ.
貴様らを軽装で行軍させるのが,むしろ慈悲だと思え,と言いたい.
 勝った軍が,負けた軍以上の苦しみを味わわねばならん理由はないのだ」
(御田重宝「バターン戦」,現代史出版会/徳間書店,1978/6/10, p.262-264)

「捕虜は、第一線から徒歩でサンフェルナンドへ送られた。護送する日本兵も一緒に歩いた。
水筒ひとつの捕虜に比べて、日本兵は背嚢を背負い、銃をかついで歩いた。全行程六十数キロ余。
捕虜たちは、それを四日、ないし五日間で歩いたのだから牛の歩くに似た行軍であった。
疲れ切っていたからである。南国とはいえ、夜になると肌《はだ》寒くなる。
日本兵は、たき火をして炊《た》き出しをし、彼らに食事を与え、それから自分らも食べた」

「できうるならばトラックで輸送すべきであったろう。しかし、貧弱な日本軍にそれだけのトラックのあるはずもなかった。
次期作戦、すなわちコレヒドール攻略準備にもトラックは事欠く実情であった。
決して彼らを虐待したのではない。むろん、道中でバタバタと彼らは倒れた。
それは、しかし、マラリア患者が大部分だった。
さらに、もうひとつ、付け加えれば、彼らはトラックに乗せられて移動することを常としており、徒歩行軍になれていなかった。
つまり、機械化された軍隊と、そうでない軍隊との違いであった。」

「あわせて繰り返して言うが、決して彼らを虐待したのではない。
 もし、これを『死の行進』とするならば、同じく『死の行進』をした護送役の日本兵に、その労苦を聞くがよい」
との主張は、この間の事情を説明して、あまりある言葉といえよう。
808名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:58:04 ID:SHz6qLEn0
>>804

あ、回答できないんだ。
回答できない時点で、嘘八百だぞ決定したから。(爆笑)
809名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/23(火) 23:59:26 ID:ZgXD+0la0
>>805
おいおい、マラリア・赤痢だの、長期密林生活による栄養失調(空腹より更に悪い状態)だの
炎天下だの、長距離だの、色んな条件がアホみたいにくっついてますがwww

さすが否定派wwwww
比較にならないものを比較して喜んでるバカwwwwww
ていうか時速0.8kmって
風邪で寝込んでいた時ですら、買い物しに外へ出てもっと早く歩けたぜww
今にも行き倒れしそうなほどの速度じゃねえかよww

否定派はほんとバカだな
810名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:00:13 ID:7hSxCgRJ0
>>807

なにこれ、伝聞?
伝聞で物的資料とするわけだ!(笑)
811名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:00:48 ID:nzTBYW+P0
>>806
さあ?
俺は捕虜と同じく、特に荷物持たずに後ろ手に縛った状態での実験しかしてないしねえw

お前みたいに、武器や荷物もった行軍となんか比較してないしw

持ち出したのはお前なんだから、お前が責任もって比較しろよwwww
812名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:02:56 ID:7hSxCgRJ0
>>811

総重量何グラムか証明できないんだろう。
だったら、お前の伝聞は客観的材料もないということだな。残念!
813名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:03:42 ID:nzTBYW+P0
あとこれ>>795>>801の回答がまだだよ

ほらほら、自分でこういったのだから、ちゃんと説明しなよw

> 山道や、上り坂や、下り坂や、隘路や、捕虜の移動記録から速度が判断できるのにそれを完全に無視して、
814名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:04:25 ID:nzTBYW+P0
>>812
お前、いつもの記憶障害の否定派だろw
815名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:07:51 ID:7hSxCgRJ0
>>814

お前、いつもの捏造はだろ、ワハハハ
816名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:07:55 ID:nzTBYW+P0
今日の結論

否定派は足腰が弱いw


あんま引きこもってると、足がくさっちまうぞwww
817名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:09:47 ID:p+5FM1UU0
>>809
事前の計画でも1日の行進は20kmから24km。
1日の移動時間が8時間なら時速2.5km〜3km。
1日の移動時間が10時間なら時速2km〜2.4km
1日の移動時間が12時間なら時速1.6km〜2km。
時速4kmでの移動計画など存在しないw

「昭和17年3月末頃,河根少将からの電話で,バターン陥落が近く,5万人ほどの捕虜を収容する場所が必要だと告げられた.
 捕虜の輸送を命じられたのは昭和17年4月5日である.
 命令は次のようなものだったと記憶している.

1. 捕虜は徒歩をもって移動させよ.
2. 行進はグループに分けて行う.
3. 1日の行進は5里から6里ぐらいにすること.
4. 行進途中で食事や休憩の場所を設けること.

 自分は,河根少将からのこの命令書を部下に伝えるとき,次のような事を付け加えたのを覚えている.

1. 暑いので,捕虜を十分に休憩させ,水を与えること.
2. 病人や負傷兵の取り扱いには特に気をつけること.
3. 逃亡兵にはきをつけること.
4. 輸送はできる限り迅速に行うこと.……」
(鷹沢のり子=ルポライター,「バターン『死の行進』を歩く」,筑摩書房,1995/7/5, P.77-78)
818名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:14:22 ID:7hSxCgRJ0
>>817

平の行軍と、有事の行軍を混同させてる時点で、敵対国だね!
819名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:17:30 ID:nzTBYW+P0
>>817
で?

おまえそれ誰かに指摘されてただろ
一日の行軍距離を計画したもので、時速なんて決めてないだろってw
あったま悪いなあw

ていうか何?多数の死人を出したバターンがあらゆる世界中の捕虜移動の時速の参考になるわけ?w
820名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:22:44 ID:PD02VLoa0
>>809
>おいおい、マラリア・赤痢だの、長期密林生活による栄養失調(空腹より更に悪い状態)だの
>炎天下だの、長距離だの、色んな条件がアホみたいにくっついてますがwww
日本兵も全く同じ状態で移動したんですがwww
日本軍にもマラリアや赤痢患者が発生し、補給が十分でないために栄養失調(空腹より更に悪い状態)だの、炎天下だの、長距離だの、重装備だの状態だったんですがw
821名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:26:59 ID:nzTBYW+P0
>>820
何言ってんだ?日本軍が病気じゃないと、一緒に歩く病人同然の捕虜は早く歩けるようになるのか?
ほんとにアホだなw
822名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:28:42 ID:p+5FM1UU0
>>819
>一日の行軍距離を計画したもので、時速なんて決めてないだろってw

移動時間から速度は判断できるだろうがw
肯定派の脳内では「捕虜の移動時間は5〜6時間(時速4キロw)しかない!」と決まっているのかもしれないがw
823名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:33:14 ID:nzTBYW+P0
くだらねえイチャモンが多くなってきたな
中には、昨日東中野スレで逃亡した奴もまざってそうだがw

>>822
幕府山の移動距離は4kmですがw
しかも別に病人だらけの集団ではありませんがw
炎天下でもありませんがw

あとこれ>>795>>801の回答がまだだよ

ほらほら、自分でこういったのだから、ちゃんと説明しなよw

> 山道や、上り坂や、下り坂や、隘路や、捕虜の移動記録から速度が判断できるのにそれを完全に無視して、
824名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:37:34 ID:p+5FM1UU0
>>823
相変わらず肯定派は個人識別能力が欠如しているなw
IDというのが何のために存在していると思っているんだw

バターン死の行進 生存者の証言 レスター・テニー氏
ttp://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060506#p1
われわれは夜明けから日没まで歩いた。昼食のための休憩も夕食もなかったし、夜の
寝場所は、優に五〇〇人は収容できるほど巨大な倉庫だったが、そこに一二〇〇人も
の捕虜が詰め込まれ、ほとんど横になる隙間もないような混雑状態だった。

「われわれは最初の四日間、食料も水もなしに行進した」→4日間で100km
「われわれは夜明けから日没まで歩いた」→1日の移動時間は12時間
単純計算すると1日移動距離25km÷1日移動時間12時間=時速2.08km/h

「「「時速2km」」」 www

バターン死の行進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
捕虜は一日分の食料を携行しており、経由地のバランガまでは一日の工程で食料の支給
は必要ないはずであった。実際には最長で三日かかっている。

死の行進のルート
区間             距離
マリベレス〜バランガ  約30km
「30kmを3日」=1日10km、時速0.833km

「「「時速0.833km」」」www
825名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 00:44:06 ID:nzTBYW+P0
>>824
だからさ、幕府山の捕虜移動は、病人もいないようだし
途中で倒れるような奴なんて記録にないじゃんw
しかも4kmで炎天下でもないから長距離移動のバターンとは比較にならないw

じゃあさ、マラリアや栄養失調、炎天下、長距離
これらの要素がそれぞれ速度にどれくらい影響して
尚且つ幕府山と比較してどれだけ違うか、同じなのか
ちょっと証明してごらんよ


あと否定派はこれ>>795>>801の回答がまだだよw
ほらほら、自分でこういったのだから、ちゃんと説明しなよw

> 山道や、上り坂や、下り坂や、隘路や、捕虜の移動記録から速度が判断できるのにそれを完全に無視して、
826名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 01:14:21 ID:p+5FM1UU0
>>825
>じゃあさ、マラリアや栄養失調、炎天下、長距離
>これらの要素がそれぞれ速度にどれくらい影響して
>尚且つ幕府山と比較してどれだけ違うか、同じなのか
>ちょっと証明してごらんよ

>681
>収容所から殺害現場とされる場所までは1時間もあればつく

幕府山もバターンも前提はこの主張なんだからまずはお前がこれを証明して見せろw
こっちはお前の主張に対する具体的な例を出したんだがな。

>719
>疲労し空腹であっても銃を構えた日本兵に追い立てられれば時速4kmで歩くだろw 遅れたら撃つと脅せばいいだけw

>805
>疾病、疲労のため行進に遅れる者には殴打、刺殺、銃殺、生埋めなどの残虐行為を加えたためであるとして、
           ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
結果、せいぜい時速2km、w
日本軍の計画では>817 w

さらに7000人を3キロ移動させるのに4時間かかった記録の存在w
つ>728

1時間という根拠は脳内妄想のみで、「空腹」「後ろ手に縛られ」「4列縦隊で数珠繋ぎ」の捕虜が時速4kmで移動できた具体的な例も記録も全く存在しないがなw
827名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 01:25:18 ID:nzTBYW+P0
>>826
はいはい、今にも倒れそうな病人且つ栄養失調の捕虜を炎天下で集団移動させ
実際に移動中倒れたり死んだりした人間が続出したバターンと

腹が減ってるけど病人でもなく、炎天下でもなく、4kmだけの移動で
実際に移動中倒れたり死んだりって記録が無い幕府山は

「歩く速度が同じで当然!」というのが否定派の最終結論なんですねwwww
すごいすごい
頑張って考えまちたねーw
828名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 01:30:03 ID:nzTBYW+P0
肯定派のまとめはこちら

>>757
>>758
>>733


バターンと比較する時点で否定派は終わってるがw
まあ、とにかくアホみたいな根拠でもイチャモンさえつけつづければいい
ってのが30年以上も無視され続ける否定派のやり方なんだから
せいぜい頑張れwwww

どちらに説得力があるかは、普通の人たちに判断を委ねることにする

否定派は自信が無いから必ずイチャモンで返さないと気がすまないだろうけどねwww
↓さあイチャモンどうぞwwww
829名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 01:40:31 ID:p+5FM1UU0
>>828
イチャモンねえw
肯定派の主張w

>733
>2時51分に先頭が到着
>
>4時12分に最後尾が到着(2時36分+96分=4時12分)

>677
>ttp://members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/butaibetu/yamada/kurihara.html
>第13師団103旅団第65連隊第1大隊所属栗原利一伍長証言
>
>捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ、掃虜たちも矛盾に気付いていた。

完全に栗原証言を否定していますがw
肯定派の主張をそのまま抜き出すとイチャモンになるそうですw
830名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 02:24:25 ID:CUSoaKz60
>>828
>バターンと比較する時点で否定派は終わってるがw
バターンは少なくとも、日本軍が事前に捕虜の移送にどれだけかかるか判断していた記録が存在する。
堯化門の約7000名の捕虜は実際に移動にかかった時間の記録が存在する。
しかし肯定派の「殺害現場とされる場所までは1時間もあればつく」という主張には根拠となる記録が存在しない。
普通に歩いても1時間かかるのに、小便を飲むほどの飢餓状態で、後ろ手に縛られて、しかも数珠繋ぎにされていて、道も狭く四列では歩けなかったのに、速度は変わらないとw
どこかの英雄伝説ですかw
831名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/24(水) 02:50:01 ID:qp6WVEz90
832名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 12:28:49 ID:t8aJ6LGU0
南京市内での虐殺の件はいったいどうなったんだ?
一般市民に対する犯罪なら、微妙な状況にいる捕虜をどうのこうのしたと論じるよりは。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/26(金) 23:46:36 ID:OMt8B9IA0
肯定派によると、殺し合いを商売にしている軍人が死んだら虐殺だそうですw
834名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:27:33 ID:BmdeRy170
否定派は、軍人がどのような死に方を迎えても非難してはいけないそうです

もし戦争になって、敵国に投降した日本兵が片端から処刑されても
否定派は「投降した日本兵は軍人で殺されて当然だから、敵国兵に文句を言ったり憤ったりしてはいけない」
と私たち日本人に言ってくるのでしょう
835名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:36:39 ID:MCntVln40
南京において、中国軍が降伏した事実はありません。

戦闘が停止するという両者の合意もなされていません。 ok?
836名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:44:08 ID:6CxHAU5T0
>>834
国際法上、降伏を受け入れる権限は「師団の指揮官」以上の者のみ。
旅団長や連隊長や大隊長には降伏を受け入れる権限はない。
「師団の指揮官」が降伏を受け入れたという記録はない。


http://nanking1937.web.fc2.com/syokun200102/zadankai.html
東中野 でも、戦場の軍隊にとって、戦闘を停止するか否かは、両軍の「師団の指揮官」(マイヤー大百科事典)が降伏規約を締結するか否かにかかっているわけで、あの時点で、中国側は降伏勧告を拒否していた。
だからたとえ、一時的に戦闘が膠着状態になっていたといっても、やらなければやられる状態にあったわけです。

秦 日本軍の論理はそうでしょうが・・・・。

東中野 いや、国際法の論理からです。降伏規約を締結する権限は「師団の指揮官」以上の者にのみあるからです。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:45:55 ID:BmdeRy170
okok
投降した中国兵を大量に処刑しました
838名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 00:47:34 ID:BmdeRy170
なんだよ
裁判所に「学問研究の成果ではない」とボロクソに貶された東中野がどうしたんだ?
839名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:06:31 ID:3+5gAf800
東中野が言おうが一般人が言おうが国際法は変わらんぜw
肯定派は東中野が地動説を口にしたら「東中野が言った」という理由で否定しそうだなw
840名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:11:48 ID:3+5gAf800
>>837
>投降した中国兵を大量に処刑しました

つ>836
>東中野 いや、国際法の論理からです。降伏規約を締結する権限は「師団の指揮官」以上の者にのみあるからです。
「師団の指揮官」以上の者が中国兵の投降を受け入れていた根拠をどうぞw
それからその中国兵の処刑が《「師団の指揮官」以上の者が投降を受け入れた後だ》という根拠もお願いしますw
841名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:18:42 ID:BmdeRy170
地動説は他の多くの学者が支持しているし、各種の事象からも明らかだからそっちを見て判断するに決まってんだろw
なんで東中野なんかを見て判断せにゃならんのだw
お前等は東中野が地動説を唱えるまで信じないつもりかwww
バカなのかwwww
842名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:22:11 ID:BmdeRy170
>>840

投降した中国兵を処刑したんだから、受け入れたことにはならんだろ
お前人の話きいてんの?
843名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:34:35 ID:W9QLMKsJ0
>>842
投降を受け入れていないなら戦闘中だなw
戦闘中に敵兵を攻撃しただけw
何も問題はないw
844名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:45:58 ID:leFkOP5D0
降伏しても受け入れられなければ意味がない。
白旗を揚げても降伏したことにはならない。
http://mimizun.com/2chlog/whis/academy.2ch.net/whis/kako/1032/10323/1032315041.html
24 名前:武装SS残虐事件簿@ :02/09/28 21:55
【ラパラディの捕虜大虐殺】
1940年、北仏のラパラディという農村で、英第2師団第2ノーフォーク大隊は
ドイツ軍のトーテンコプフ師団第2髑髏連隊に降伏した。
捕えられた英軍兵98名は牧場に並ばせられ、ドイツ軍中隊長のクノッホラインの
命令一下火を吹いた機関銃にめった撃ちされた。さらに、まだ息のあるものは
銃剣で刺されたり、ピストルでトドメをさされた。
そして、何とか生き延びた英軍兵2人が脱走してフランス人に看護された後、
英軍に発見されて保護を受けた。
その2人の証言がもとになって、戦後証拠を集めた英検察局は
クノッホラインの罪状を証明。
'48年10月、ついにクノッホラインはハンブルクで絞首刑に処せられた。

27 名前:THE AXIS OF RIGHT♪ :02/09/28 22:29
敵兵を捕虜にするかしないかは、前線部隊指揮官の裁量によって決まる事は戦争の常識。

29 名前:世界@名無史さん :02/09/29 00:01
>>27
正解。
降伏とは相手の部隊がそれを受け入れて始めて降伏したことになる。
この場合はドイツ軍SS側が、降伏を拒否しただけ。
よって、冤罪。
逆に降伏したSSやドイツ兵を虐殺した連合軍部隊もあるしね。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:48:10 ID:BmdeRy170
つまり投降した中国兵を大量に処刑したんだろ
何をゴチャゴチャ言ってんだよw
846名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:48:59 ID:leFkOP5D0
36 名前:世界@名無史さん :02/09/29 11:56
>>33>>35
白旗は降伏を意味する旗ではありません。軍使を示す旗です。戦闘中に何か
伝えたい事があるので発砲されないように白旗は掲げるのです。大概は降伏交
渉です。両者間で降伏調印がなされた場合は国際法によって保護されます。但
し行われるのは指揮官による組織的降伏が条件となります。単なる一方的武装
解除や個人の降伏は指揮官の裁量により判断されます。

38 名前:世界@名無史さん :02/09/29 13:46
そうするとクノッホラインの行動は軍規に則ったもので、
処罰される筋合いはないというわけ?

39 名前:世界@名無史さん :02/09/29 14:22
>>38
SS側の解釈だとそうなると思う。
戦勝国による復讐裁判の可能性は有ると思う。
パイパーのマルメディの虐殺は死刑から無罪になったし。
マルメディの虐殺も連合軍がプロパガンダ宣伝で利用した。

40 名前:世界@名無史さん :02/09/29 14:31
>>38
クノッホラインが国際法違反になるとほとんどの俘虜処理が国際法違反
になります。ガダルカナルで俘虜となった日本兵は多数が射殺されてま
すし、サイパン・硫黄島・沖縄でも降伏の呼び掛けに応じて洞窟から出
てきた日本兵は機銃掃射で多数犠牲になってます。ある意味俘虜を射殺
せずに後方に移動させた本間中将は偉いと思いますよ。

41 名前:世界@名無史さん :02/09/29 14:48
>>40
それは合法。
部下について責任を負う指揮官がいなければ
殺してよい。
日本兵の場合はほとんどが敗残兵で個人による
降伏だった。
指揮官を伴なう降伏などほとんどなかった。

50 名前:世界@名無史さん :02/10/03 23:26
クノッホラインについては、
指揮官ごと敵が降伏しても
文書調印してはないから、
戦時国際法違反では決してありえない、ってのが
このスレの結論で良いですよね?
847名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 01:59:29 ID:BmdeRy170
はあ、つまり否定派は、投降してきた敵兵を処刑して当然だから
日本兵が同じことをされても相手を非難したり憤ったりしてはいけないと
そういうわけなんだよな?
848名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:00:55 ID:W9QLMKsJ0
>844>846
つまり「ドイツ軍SS側が、英軍の降伏を拒否しただけ」w
「指揮官ごと敵が降伏しても文書調印してはないから、戦時国際法違反では決してありえない」w
南京で支那軍は降伏文書に調印していたのか?www
849名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:10:11 ID:9vEn1uHc0
>>847
戦争なんだからまともに投降が受け入れられた例の方が珍しいだろ。
それに文句を言ってる否定派なんかいたか?
少なくともこのスレでは連合軍に捕虜を殺されて【虐殺】なんて言ってる否定派はいないなw
850名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:15:22 ID:BmdeRy170
>>849
そりゃそうだろ
投降してきた兵が処刑されるのは当たり前の事だと言ってる連中なんだから
逆に日本がそれをされても、まかり間違っても「虐殺」と言ったらいかんわ

まあ君らは、もし戦争になって、

東京が陥落して首都を京都あたりに遷都し徹底抗戦
→東京にいる師団が退路を失い投降
→ほとんどを処刑される

こういう場合で俺らが「なんて酷いことをするんだ、虐殺だ」と叫んでも
「当然だと思いますが何か?」と言ってりゃいいんじゃねえの
851名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:18:24 ID:4FzsA18S0
>>850が、肯定派の論理はとどのつまり感情論だということを自白しました。
852名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:21:18 ID:BmdeRy170
まあ俺の場合は感情的部分が多いだろうね

法的にも問題だとしている人
特に東京裁判でも、あの裁判自体の法的正当性に疑義を呈したほど
厳格なパール判事が「虐殺だ」としている人も、否定派以外では主流ではあるようだけどね
853名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:22:14 ID:BmdeRy170
ん、ちょっと酔ってるせいか日本が滅茶苦茶だなw
854名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:26:26 ID:W9QLMKsJ0
>>850
国際法上の手続きに不備がないなら別に問題ありませんが何か?
855名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:28:18 ID:BmdeRy170
>>854
うん、お前等が逆に日本がそれをやられても、そう主張する人間だということはわかったよ
856名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:34:04 ID:4FzsA18S0
>>855
だから、やられない様に備えなければならないんだよ
857名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:39:06 ID:tDXt2ofZ0
法治国家では《感情》よりも《法律》が優先されます。
某半島のように遡及法を成立させ、近代国家を否定する原始国家や、共産党幹部の意思が法律に優先するような人治国家出身者には理解できないでしょうがw
858名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:43:32 ID:W9QLMKsJ0
>>855
ただ「ルール(国際法)を守れ!」こう言っているだけだが?
859名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:48:18 ID:BmdeRy170
さっきも言ったがパール判事を始め虐殺という見解が多数だ
誰が東中野の見解なぞ、参考にするかよバーカwwww
860名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:53:15 ID:4FzsA18S0
>>859
そう、まさにその「バーカ」と同じ個人的な感情表現でしかない「虐殺」を
認めろと、感情の強制をむなしく試みているのが肯定派なんだよ
861名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 02:57:10 ID:BmdeRy170
>>860
バーカ、は完全に感情だが
パール判事を始めとする虐殺認定は法廷の場で決まってるからねえ

まあ、お前等は日本兵が投降時に処刑されまくっても
殺して当然と喚き散らしててくださいな
862名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 03:01:05 ID:4FzsA18S0
>>861
虐殺罪なんて無いから 決まりようがないw
863名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 03:10:12 ID:BmdeRy170
まあ松井大将の罪状は「平和に対する罪」だしね
確かに虐殺罪なんて名前はないねw
864名無しさん@お腹いっぱい。:2010/11/27(土) 03:16:50 ID:4KIjvpSB0
>>861
日本人だろうと、中国人だろうと、朝鮮人だろうと、白丁だろうと(w)戦場で法を守らないのなら殺されて当然。
法は平等。
日本は《某国》や《某国》や《某国》と違って法の恣意的運用は認められていないw
865名無しさん@お腹いっぱい。
>>829
なあ、何で既に答えてる事をまた聞くわけ?記憶障害か?www

>>747
 「捕虜の列の先頭が着いてから三時間か四時間たつころ、掃虜たちも矛盾に気付いていた」
 という事は、実際は>>733の計算よりも先頭グループは早く着いていたという証拠だw

 先頭グループは前がつかえてないので時速2.5キロよりもっと早く歩ける筈と書いてるだろ馬鹿w
 >>707が現実的なんだよ。1時頃に先頭が到着してれば何の矛盾もないwww

733のレスは>>720
>17時03分最後尾到着(あたりが薄暗くなりかけたころ?)
に対して、最後尾はもっと早く4時12分に到着するというシミュレーションだろ馬鹿w
最後尾の到着時刻しか念頭に置いてねーよwww

まあいい、実はその後で書き込んだ>>781のシミュレーションは不備があり、気付かれてないから
そのままにしておいたんだがいい機会だからやり直してみるwww

781のおさらい。
 12時15分先頭出発と想定(正午過ぎに出発)
   ↓
   ↓※4キロの移動なので時速3キロの場合は80分で着く。 ←ここを間違えてたw
   ↓
 2時35分に先頭が到着 ←ここも1時間計算を間違えてたwww

そもそも先頭の2人は残り半分を時速3キロで計算する必要が無かった。4列縦隊で時速4キロなら2列の
場合は4人が定点を通過するのに倍かかるのは間違いないが、先頭なので4人のうち先頭になった2人は
時速4キロで歩き続ける事ができ、2列目の2人から時速4キロ以下になるという単純な事に気付かなかったw 

この後に改めてやり直したシミュレーションを貼ろうと思ったがスレが終わりそうなので、こっちに貼っておいた。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history2/1287909036/332