幕府山事件における栗原証言の捕虜連行を検証する。
【途中から2列縦隊になった場合のモデルケース】
地図上は道程の半分が揚子江沿いだから【揚子江側に回りこんでから】を、仮に揚子江沿いに入ってすぐと
仮定する。(【揚子江側に回りこんでから】だから、大分進んでから道が細くなったとも考えられるが、ケチが
付かない様に揚子江沿いに入ってすぐと仮定)
13500人の4列縦隊だから列の間隔を1mとして隊列の長さは3375m。先頭が道程の中間地点(2キロ)
まで進み2列に隊列を変える時、1375m分の人数(5500人)はまだ出発していない。
道程の半分まで4列縦隊で時速4キロ、残り半分は2列縦隊で時速4キロで歩行したとすれば、先頭が4キロ
の中間地点まで進んだ後(30分後)、出発していない1375m分の歩行速度は時速2キロに制約される(4人
が定点を通過する場合、2列で時速4キロ=4列で時速2キロとなる為)。さらに隊列組替え時のロスタイムを
考慮して、先頭が中間地点に到達した後の出発は、歩行速度を時速1.5キロで計算する。また、2列縦隊に
なっても先頭の2人は歩行速度が落ちる要因がなく、時速4キロで歩行できる。先頭の到着が遅くなる要因は
隊列組替え時のロスタイム分だけなので、1分も変わらず無視できる範囲。また、歩きながら隊列を変えたと
考えればロスタイムはない。栗原証言によると、捕虜は【うしろ手に縛られていたとはいえ、さらに数珠つなぎ
にされていたわけではない】ので隊列組替え時の支障は少ない。
時速1.5キロという事は分速25m。普通の人がゆっくり歩いた場合が分速60m〜80mなのでかなり遅い。
モデルケースとしては最終尾の4人が中間地点まで時速2キロで歩行し、中間地点で20分待たされ、多少は
前がつかえる事を考慮し、時速1.5キロ(2列で換算すると時速3キロ)で再び歩き出した仮定する。
したがって計算上は道程4キロを時速1.5キロで歩行した場合と同じ160分で移動してきた事になる。
12時15分先頭出発と想定(正午過ぎに出発)
↓
↓※先頭は4キロを時速4キロで歩行するので30分で中間地点に着く。
↓
12時45分に先頭が中間地点到着 ※この時点で1375m分の人数は出発してない。12時45分以降は
↓ 時速1.5キロで計算するので最後尾が出発するのは55分後。
↓ 1.375÷1.5×60=55
↓
1時15分に先頭が到着 ※12時15分+60分(時速4キロで4キロ到達時間)=1時15分
↓
4時15分以降に捕虜達が矛盾に気付く(先頭が着いてから三時間か四時間たつころ)
↓
4時20分に最後尾が到着 ※12時45分+55分+160分(時速1.5キロで4キロ到達時間)=4時20分
↓
4時40分頃から一斉射撃開始(あたりが薄暗くなりかけたころ)
↓
↓※一時間ほどつづいた。
↓
5時30分頃終了(ほとんど暗くなっていた)
捕虜達が矛盾に気付いた4時15分以降は“あたりが薄暗くなりかけたころ(4時40分頃)”より25分も前になる。
ちなみに先頭出発時間を遅めの12時30分に設定しても4時35分に最後尾が到着し、あたりが薄暗くなりかけ
たころより前に13500人の連行が終わる。
栗原証言のどこが実現不可能なんでしょうか? 栗原証言に矛盾がない事が判りました。