【腰抜け】徳川慶喜【臆病者】

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1名無しさん@お腹いっぱい。
忠義の士10万を見捨てて逃げた徳川慶喜ってどーよ?
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:36:10 ID:btOL5ByZO
とりあえず、慶喜の出自を調べてみましょう。
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 04:35:33 ID:y2rHRrHu0
>>1
司馬読者乙
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 13:40:18 ID:48tiwMSS0
無学な>>1が恥を晒すスレですか?
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 16:33:50 ID:M4ahuikVO
慶喜の母は有栖川宮家の出身
水戸徳川家は尊王
幕府より朝廷を重んじた。
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 18:10:00 ID:b7j5wLUt0
奥羽同盟から豚一と呼ばれ味噌糞に言われつづけます。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 18:17:11 ID:M4ahuikVO
公爵 徳川慶喜
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:04:46 ID:Yt8Nwgzg0
トリビア



慶喜はマンチェスター・ユナイテッドに入りたかった
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:39:10 ID:ypBKLYJU0
また会津かw
自分が負けた事を慶喜になすりつけて恥ずかしくないのかねぇ
そもそも鳥羽伏見の第一日目で会津が薩長に勝てば良かっただけの話し。
会津が買っていたら錦の御旗も出ず、慶喜も逃げなかった。
恨むなら会津の弱兵ぶりを恨めw。
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 22:54:23 ID:7YExZAVW0
慶喜には側室が生んだ子供が数多くいるけど
家督をついだのは長男ではなくどうして七男の慶久だったのだ?
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/25(火) 00:09:18 ID:efbYyH720
>>10
正しくは「側室」ではなく「側女中」だよ。
家庭内における地位は、あくまで使用人。
慶喜の子供達は、実母を「母」と呼ぶことは出来なかった。
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 17:08:41 ID:l07L0Iu+0
それでなぜ七男の慶久が継いだの
男が全員妾腹なら長序の順でいって長男が継ぐもんじゃないのか
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 02:53:15 ID:T0y9tl3s0
鶴田まんせい
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/01(水) 22:30:33 ID:cozUXRfT0
日本の歴史上最低の恥ずべき人物
15:日本@名無史さん :2006/11/01(水) 23:20:51 ID:d2a9p82f0
このスレ立てた愚か者は会津や関東ではありません。なぜなら彼らは幕府に
恩義を感じていたから、間違っても徳川公に対してそんな酷いことは書きません。

このスレはいつも通り薩長の連中の捏造でつ。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:46:04 ID:zKfEKs3X0
>>15
残念だがスレ立てたのは会津だよw。
会津研究家、特に星亮一の本を読めば、会津人がどれだけ徳川宗家を罵倒しているかわかる。
徳川に忠義を尽くした会津?
バカをいっちゃいけない。
徳川家は朝廷に恭順した。
徳川家の意に背いて勝手に戦ったのは会津だ。
慶喜は戦いを避ける為に大阪にさがった。戦争を起こしたくなかったからだ。
それなのに京都へ軍を送ったのは会津だ。しかも負けて朝敵の名を徳川家に与えた。
将軍の意に背き続ける会津のどこに忠義があり恩義があるのか。
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 00:57:37 ID:U2VPJ1mf0
愚かな将軍ほど戦いを好むし、形勢が不利でも戦おうとする。
その点で先見性があった慶喜は有能な将軍である
18:日本@名無史さん :2006/11/03(金) 01:09:10 ID:+rbKyFEp0
>>16
と、15に釣られたスレ主がファビョってますが、17が言うように慶喜は有能
であってこんな糞スレ立てた基地外は放置の方向で。


                
                 終了


19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 12:56:11 ID:sjMxjvbM0
鳥羽伏見の敗戦に怖気を生して
大阪城に家康以来の馬印を忘れるほど慌てて
数万の家来を残して自分だけ江戸へ遁走した臆病者だろ
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:04:38 ID:KjGspCrAO
いい写真家だったんじゃん
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:28:29 ID:2OueC9qw0
>>20その通りww
片方写真家&ハーレム持ち。会津の殿様日光の神官&賊軍の将。
家康以来の天才なら彰義隊の反乱や御家人の行く末に気使えよ。
 当時は久光が将軍になると流布されてた。本人もその気だったのにw
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 13:50:58 ID:/01Ovda00
>>12
慶喜の長男と次男は早世している。
華族令公布当時、最年長だった息子の厚は、宗家の分家として男爵になった。
この時点では、まだ慶喜は宗家家達の家族という扱いだったので。

そのあとも息子の博が、慶喜の兄の家である鳥取池田家を相続したりしたので、
慶喜が公爵として独立の一家を構えたとき、七男の久が跡取りになった。
これが2代目の慶久公爵。
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:03:51 ID:Cz4mt/aXO
なんか一人で逃げた事になってるが、会津候様も一緒だべ
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:27:46 ID:sjMxjvbM0
いかにも逃げ帰ったようで
面目が潰れるのを恐れて
一緒に帰ってもらったのかもね
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:28:30 ID:xNWxCC9b0
松平容保も会津藩兵置いて逃げるなよ。
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 15:48:58 ID:sjMxjvbM0
>鳥羽伏見の戦いが敗れた事を知った艦長榎本は、
>将軍徳川慶喜へ謁見するため開陽丸を降船、
>その間に大阪城を脱出した慶喜が入れ違いに開陽丸に乗船して、
>副艦長沢太郎左衛門に命じて1月8日に大阪を出航、
>11日に江戸へ帰還してしまった。
>置き去りにされた榎本は、
>富士山丸に大阪城内の書類、重要什器、刀剣類、城内に有った金18万両を積み込み、
>フランスの軍事顧問団のブリューネ、カズヌーフを乗せ、1月12日に大阪を出航。
>1月14日に江戸品川沖に入港した。

焦りすぎw部下のほうが落ち着いてるw
馬印を陸路運んだのも江戸の町火消しの新門辰五郎だしw
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 16:46:37 ID:Cz4mt/aXO
マジレスすれば勝ち負けの問題で逃走したのでは無く、水戸出身であるがゆえに錦の御旗にビビって逃走だろ
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 18:12:43 ID:Vx9eJQ820
慶喜に臆病者じゃなくて頭が良過ぎて先が見えすぎたんだろう。尊王の家系でも
あり、しかも母親が宮家の出って事もあるが勝海舟と同じで今の幕府政治じゃと
ても開国しても日本をまとめる事は出来ないと途中で悟ったんじゃないのかな。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 18:45:39 ID:Cz4mt/aXO
>>28 陳腐な仮説だな
>>28の理由で大政奉還して>>28の理由で敵前逃亡したとしても、徳川家が生き残る保証も無ければ慶喜が生き残る保証も無い
まさか海外逃亡を企ててたとでも?
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 18:56:19 ID:Cz4mt/aXO
てか>>28の仮説なら将軍になってないだろ
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:19:34 ID:TN6vdfhE0
徳川慶喜ほど、後世で評価が両極端になる人も珍しいな。

方や、尻尾を巻いて逃げた臆病者。
方や、日本の将来を考えての行動。

まあ、心情を別にし、結果として考えれば良い行動だったのではないかと思う。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:38:11 ID:Cz4mt/aXO
>>31 確かに
但し、慶喜の評価は敵前逃亡だけで無くす第二次長州征伐の失敗も考慮されてるのが実情
結果としては将として下
将として下な事ガ結果として吉
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:57:08 ID:MmqYPBcC0
近代化が早まった事実は否めまい
幕末時の幕府は家康でも立て直せなかったと思う
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 19:59:41 ID:Cz4mt/aXO
参勤交代廃止が幕府衰退の肝
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:29:34 ID:2OueC9qw0
>>34参勤交代廃止は外国船が頻繁に出現し、海岸防備のため
幕府が免除した。東北諸藩は蝦夷地警備のため出兵で借金地獄。
この影響は戊辰戦争に現れ、西軍との格差が響く〜
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 20:41:25 ID:Cz4mt/aXO
>>35 元々攘夷する気など更々ないのに「海岸防備」なんて建前は無用だった
参勤交代制度を軟化させても人質を江戸から返すべきではなかった
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:07:52 ID:N87qPUAH0
幕長戦争などにおける幕末の戦闘における幕府兵のへタレぶりを
誤魔化そうとして慶喜一人に「臆病者」の烙印を押し、
「勇敢なる幕府兵」という印象を捏造する早乙女・★の類の作家の受け売り。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:31:47 ID:J0p5RtYm0
慶喜のやっていた事に間違いはなかった
ただ慶喜を補佐すべき有能な者が一人もいなかっただけ
慶喜の両脇を固めたのが会津桑名じゃどーしよーもないw。
江戸の幕府閣僚にいたっては無能だったし。
長州征伐はこの幕府首脳の無能者が主導権を握ったが為に失敗した
慶喜は尻拭い役だったろw
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:35:06 ID:J0p5RtYm0
>>29
あー、悪いんだけどさw

>海外逃亡を企ててたとでも

逃亡っていうか亡命計画はちゃんとあったぞ
勝がフランスを通じて徳川一族を逃がす手はずを整えているよ
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:41:26 ID:J0p5RtYm0
>>36
あーもーw

>攘夷する気など更々ないのに「海岸防備」なんて建前は無用だった

 蝦夷警備は必要だったの!樺太など日本人とロシア人が一触即発の状態だったし、
ロシアはさらに蝦夷に行こうとしていたの!。対馬だってロシアが不法占拠までしてたの!
アメリカも小笠原諸島を一番最初に見つけた米国領だと言い出していたの!
沿岸警備をしていなければ空白地としてどんどん奪われていく状態なの!
頼むからもちっと勉強してくれよ・・・
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/24(金) 23:49:45 ID:EiddpaO00
余は逃げたのではない。
天保山の水族館に行ったら、船に乗りたくなっただけでR。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 04:02:21 ID:o0JKRIlS0
幕軍も会津など一部以外は烏合の衆であって
薩長の士気とは比べるべくもなかったし
武器の近代化も攘夷軍のほうが積極的だったし
幕府の衰退は数十年前から始まっていたことだし
慶喜はたしかに尻拭いさせられたともいえる
ただ慶喜が臆病者だっただろうというのも否定できない
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 09:53:50 ID:2wQFYcIOO
>>39 どの時点での話しだよ
>>40ロシアが攻めて来たとしても幕府は戦うつもりあったのですか?って事
更々ないっしょ?
だからそんな建前「海岸防備」なんかの為に参勤交代は廃止すべきではなかったって事
あくまでも幕府存続だけを考えた場合な
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:06:25 ID:DZejlEOh0
>>43
>どの時点での話しだよ
無知!アホ!バカ!その程度の事も知らないでほざいていたのか?
北海道の幕末史を調べてみろ

>ロシアが攻めて来たとしても幕府は戦うつもりあったのですか
無知!アホ!バカ!攻めてきたら戦うしかないだろ。
お前は殺されそうになったら無抵抗でそのまま殺されるのか?

>建前「海岸防備」
建前じゃねーんだよw参勤交代の廃止と沿岸警備は両輪なんだよ。
参勤交代に掛かる費用を沿岸警備にまわせって事だろ。
それとも何か?四面海の日本列島すべての沿岸を徳川家だけで守れるとでも?

>幕府存続だけを考えた場合
存続すらできないだろ。沿岸を侵略され次は内陸を侵略され、最後は諸外国の傀儡。
徳川幕府は存続できない。いや存続できても名だけの存在に成り果てる。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 10:07:10 ID:GfYZqH1X0
有栖川の血を引く慶喜が朝廷側と本格的に戦えるわけがない。
あの時代に慶喜が将軍になり、大政奉還。これも運命やね。
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:28:02 ID:2wQFYcIOO
>>44 おいおいw
慶喜の評価の話ししてんのに、鳥羽・伏見の敗戦以降に亡命云々の話しをしても無意味って言いたいだけ
話しの流れよんでねw
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:34:16 ID:2wQFYcIOO
>>44 それと、ロシアが攻めて来ても戦う訳無いじゃんw
フランスに助けを請うか、賠償金払うぐらい
現に四国艦隊に攻撃された際も幕府は何もしてませんよw
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 12:40:10 ID:2wQFYcIOO
そもそも>>28の陳腐な仮説からの流れですから
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 13:21:11 ID:DZejlEOh0
>>46
文句があるなら>>29に言えよ
>>29が突然国外逃亡がどうのこうのと言い出し無知っぽかったから教えてやっただけだよ
話しの流れをちゃんと理解してくれよなw

>>47
>フランスに助けを請うか、賠償金払うぐらい
苦笑するしかないなw
それは他人を頼むのは最後の手段
フランスとてタダでは助けないよ。幕府も無尽蔵に金を持っているわけではない。
賠償金とて限界がある。だから幕府は蝦夷警備に経費を出しているし幕府歩兵隊や幕府海軍を増強してたんだろ
それに征夷大将軍の意味を理解してくれよ。他国の武力に頼り武備を怠る征夷大将軍になんの意味があるんだw。

>現に四国艦隊に攻撃された際も幕府は何もしてませんよw
無知!バカ!アホ!
四カ国連合艦隊は幕府を攻撃したか?違うだろ。
幕府の敵だった長州を攻撃してたんだろ。そんな事も知らないのか?。
幕府閣僚の中には、四カ国連合艦隊に合わせて長州征伐を行おうという意見があったくらいだよw。
ちゃんと勉強してくれ。勉強してくれれば自分がどんなにトンチンカンな理屈を並べたか理解できるはずだからw。

50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:32:21 ID:2wQFYcIOO
>>46 やっぱり話しの流れが読めてないんだなw
>>28>>29の流れを声を出して10回読んでみなさい
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:41:59 ID:2wQFYcIOO
>>49
アポだなw書いて気が付かないの?
君のえぞ地に関する見解と、長州が攻撃された四国艦隊との見解が矛盾してるってw
それとも何か?君が言う征夷大将軍とは、幕府を夷敵から守るのが征夷大将軍とでも言うのかねw
話しにならんw
征夷大将軍なら長州が敵か味方・幕府か否かでは無く、神国への侵略とみなして戦うのが征夷大将軍だろうがw
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 14:54:46 ID:2wQFYcIOO
読解力の無い馬鹿の相手は疲れるから書いておいてやる
>>28は慶喜は頭が良すぎて先が見え過ぎた。だから幕府に見切りを付けたと書いてある
それに対するのが>>29
見切りを付けての大政奉還なら、すでに国外逃亡まで準備してたのですか?ってね
話しの流れとは、文の一部を見るのでは無く全体を見てね
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:27:38 ID:DZejlEOh0
>>50-52
お前は真性のバカだろw
>>29がバカな事を言っていたから勉強させてやったまでの事だ。
それともお前が無知な>>29なのか?そうなんだろうな。
そんなに必死になっているところを見るとw

それとな
征夷大将軍の意味を完全に勘違いしているのがお前の方だよw
いやぁ、余りにもバカバカしい屁理屈だ。
お前のように無知な者に、ものを教えるにはどうしたらいいのだろうか?
困ったものだ。

いいかい?無知君
>えぞ地に関する見解と、長州が攻撃された四国艦隊との見解が矛盾してるってw
>征夷大将軍なら長州が敵か味方・幕府か否かでは無く、神国への侵略とみなして戦うのが征夷大将軍だろうがw
必死な屁理屈を作っているようだが、全然ちがうな。
神国だとwww大笑いだwww
いいかい。江戸時代の幕藩体制は封建制だよ。わかってる?中学校の歴史の教科書から勉強しなおしてくれ。
それと征夷大将軍は古来からの意味がそのまま受け継がれている。
江戸幕府は、律令体制初期の征夷大将軍の職務を利用して幕府を開いた。
それがどういう意味だか解っているか?解っていないだろうなwww
お前の場合、まず中学校の歴史の教科書を一通り嫁。
基礎知識がまったくないから説明しようがないぞw。
幼稚園児に日本史を教える事の難しさを今悟ったwwww
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:28:42 ID:Stv/2VyM0
傍観者だけど、>>28がファンタジーということには同意。
このスレ的には、>>31-32が結論だろう。

徳川慶喜に関して評価を下すには、まだまだ時間が必要。
現時点での幕末期徳川家に関する研究は不十分だからね。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:32:51 ID:2wQFYcIOO
>>53 結局今だに話しの流れが解らない馬鹿ってことか
了解w
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:35:07 ID:2wQFYcIOO
>>53 んで、確信は誤魔化して「勉強しろ」で逃げる訳ねw
お疲れ様ですm(__)m
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:35:21 ID:DZejlEOh0
>>50-52
さしあたって、中学校の教科書を読んで「律令」と「封建」の違いをここに書いてくれ。
しかるのちに「征夷大将軍」という職が誕生した経緯と「鎌倉幕府」つまり武家政治の成立の過程を調べて書いてくれ。
最後に「明治維新」とはどういったものであったのか書け。
そこまで調べてくれたら、ようやく漏れの説明が理解できるレベルになる。
そうなったら教えてやるよw

あと、自作自演やるならID変えろw
自作自演やる気がないなら三連続書き込みなんぞするなw
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:36:46 ID:DZejlEOh0
>>56
逃げる気は無いよ
基礎知識が無い者には説明のしようがないのw
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:39:08 ID:2wQFYcIOO
>>57 何を能書き書いてるのw
幕末に徳川家が征夷大将軍として機能していなかった事実を述べてるのだからねw
教科書丸暗記の応用力0って感じだなw
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:44:03 ID:2wQFYcIOO
だいたい支離滅裂してんだよ
参勤交代は海岸防備で必要と吠えながら、四国艦隊との戦に関しては長州は敵だからw
だったら参勤交代廃止の意味がね〜じゃんw
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:46:42 ID:2wQFYcIOO
>>54は俺らしいw
自演ノイローゼ末期だな
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:50:44 ID:DB4ShAIj0
わかってないなぁ・・・・
どうやって説明したお前の脳みそが理解しやすいんだろうな?
つか、漏れを論破する事だけが目的で屁理屈作ってんのか?お前はw。

幕府は反幕府運動をしていた長州勤皇派勢力は追い落としたいが、諸外国が日本の国土を侵す事は阻止したかったんだろ。
だから四国艦隊の長州攻撃には目を瞑るものの、参勤交代を緩和廃止して諸藩に沿岸警備をさせていた。
幕府に全日本の沿岸を警備するだけの戦力を持ってないんだからあたりまえのことだ。
なんでこんな簡単な事を理解できないの?
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 15:55:07 ID:DB4ShAIj0
>>61
必死に漏れを自作自演厨に仕立て上げる工作をしているのだとは思うが
漏れは>>54をおまえだなんて言ってないぞw
リンク先をちゃんと見てね
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:11:14 ID:2wQFYcIOO
>>62 論外だよ
四国艦隊に関しては幕府は夷敵船の味方になってたがな
何が目を瞑るだよw
んで海岸防備なんてのは建前。朝廷に攘夷慣行を約束したのと同じ
てか論破云々以前にオマイの主張がコロコロ変わって首尾一貫しとらんよw

反論の為の反論は君なんだからね
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:12:16 ID:2wQFYcIOO
>>63 能書きばかりw
結局自演ノイローゼに何ら変わりね〜がなw
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:21:15 ID:2wQFYcIOO
解りやすく書いてやる
武力で勝目が無い事を悟り、朝廷をないがしろにし独断で開国したんだろ?
しかしながら当時の社会通念は「尊王攘夷」
これを幕府が無視出来ない為に外交では開国路線であたりながら、朝廷には攘夷を約束した訳だ
それにともなって海岸防備の名目で参勤交代を廃止した訳
つまり建前なのよ。外交は開国路線一本なのよ
解りますか?
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:26:25 ID:2wQFYcIOO
あっ、夷敵が攻めて来たらどうすんだ?なんてくだらない反論は辞めてね
んなもん降参するしか無いから
参勤交代を廃止して、その費用を海岸防備に充てた所で夷敵との戦力差は何ら変わらないからw
まさか参勤交代を廃止して海岸防備に費用を充てたから夷敵は攻めて来なかったとは言わないよな?
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:18:08 ID:Stv/2VyM0
>>54の傍観者だけど、おまいら、もう一回、旗色を明らかにしてくれよ。
話の内容が元の話題からズレてしまったので、どっちがどっちだか
わからなくなって来たぞ。

ID:2wQFYcIOOがアンチ>>28、ID:DZejlEOh=ID:DB4ShAIj00がアンチ>>29でおK?
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 17:48:40 ID:2wQFYcIOO
なんだアンチってw
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 18:25:34 ID:sn4h1bSNO
>>1

ヒント 水戸学
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:11:02 ID:yJAkcFq60
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 20:53:49 ID:YirAuk8fO
腰抜け言うなよ
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/26(日) 21:27:52 ID:OK0ehN1MO
>1黄門様の遺訓により、及び水戸学の影響により官軍とは戦えなかったとか?
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 19:54:17 ID:lU2WPql+0
孝明天皇は上洛してくる武田伊賀守を公正に取り扱うよう慶喜に命じたが、
この段階で勅命に従えば幕府と敵対する事になり慶喜自らの身を危うくする。
慶喜は天皇の意に沿うことで幕府の猜疑を受けることを恐れ、
二つ返事で武田を幕府側の田沼に引き渡した。幕府は慶喜の人望と人材を奪う為に
武田らを問答無用で大量処刑を強行し、このことで慶喜は朝廷から叱責されている。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 00:25:27 ID:NQdQ1pgu0
安易に情に流されないのは統治者としていいことだな
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 05:27:51 ID:5BDu4JbP0
単に自分の身が可愛いだけだと思うが。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 15:11:59 ID:AxE2Tt+ZO
水戸徳川家は尊王
母上の吉子は有栖川宮家の出身

将軍家より朝廷を重んじた水戸徳川家
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/28(火) 18:36:51 ID:uYE3O15EO
諸藩の反対を押し切り第二次長州征伐を強行
幕軍兵力10万。長州2千5百。
結果幕軍惨敗・・・

すべては総大将慶喜の責任です
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:48:48 ID:CWTAYbLdO
慶喜か‥加藤の乱とカブるよね。あんたらは自分の地位よりも部下のことを考えた。ホンマに、男やで、感心するわ
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 02:58:41 ID:CWTAYbLdO
国を牛耳れる権力を天皇に返上したり、首相になれるかもしれない選挙を直前で放棄したりすることは一見バカにさえうつる。だが、彼らは木を見つつも森を見ている
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 10:55:53 ID:jSr/zQiCO
木を見て森を見れないから第二次長州征伐を強行した訳だが
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 11:47:56 ID:mlVdM6Or0
第1次長州征伐の段階で潰してればよかったのに
83_:2006/11/29(水) 16:51:23 ID:J2z5PFZp0
慶喜の夜逃げは、どれだけ徳川が腐っていたかの象徴だよな。武士の恥。
言い訳のしようがない。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 19:30:31 ID:lxnSKDqH0
しゃあないよ尊王なんだから
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:41:36 ID:qTnOZog80
慶喜=尊王の塊っつーのは、一種のドリームだなw
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:33:09 ID:kl344y/H0
>>83
慶喜の夜逃げのおかげで大阪も江戸も戦火を逃れることができた。
大阪市民も江戸市民も苦しまずにすんだ。良いことだった。
それにくらべて会津藩は「武士の意地」やらで、戦争を始め
会津庶民を苦しめた。会津の人口の内少数派である武士の為に、
圧倒的多数の会津人を戦火に苦しめた。
そして武士の自己満足の為の犠牲となった。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 00:35:14 ID:kl344y/H0
>>78
長州征伐始めたのは徳川家茂だよw
慶喜じゃねーし。慶喜が総指揮権握った時にはもう負けて幕府軍撤退常態だしw
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 12:38:22 ID:PAbUpZOlO
>>87 釣りかw
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 20:48:54 ID:WOMltcypO
普通に、慶喜は長州征伐に関わってねーだろ。新政府の末裔が考えた教科書をよんで育った子がこういう考え方になるなんて、正直こわい。善玉と悪玉に別けすぎ。根本的に慶喜は尻拭いショウグンであって、彼はある意味で時代の被害者
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 21:36:50 ID:gWvoG1JQO
公爵を賜った慶喜公
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 22:19:24 ID:NEXEqEREO
>>89
慶喜を悪者にしてんのは、忠義とか武士道とかが好きなそっちの人間だよ。
薩長からすれば慶喜は話の分かる人間だし、
明治の世になってもそれなりの扱いを受けている。
だいたい教科書は、動員数が史上最大規模の
第二次征長自体をほとんどシカトしている。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 23:45:09 ID:SLvtL5ck0
史実かどうか知らないが司馬遼太郎の小説の中で寛政三奇人の一人高山彦九郎が足利尊氏
の墓を鞭打った事を「わしも死んでからも鞭打たれるのか」と呟く場面があるが慶喜の心情
をよく表わしている。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 01:14:55 ID:zMbmZlvZ0
現実には現在、足利尊氏は鞭打たれてない。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 04:25:04 ID:EO1kXBWn0
>>93
中世の古人と比べられても。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:47:54 ID:BF7o1d2wO
>>89 どんな勉強してんだよ
禁門の変も長州征伐も慶喜が関わってるからw
第二次長州征伐を強行したのは慶喜。出陣を取り止めて勝を使者に送ったのも慶喜
将軍じゃないから関係ないなんて理屈が通るかよw
96名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 11:55:04 ID:BF7o1d2wO
>>91 悪者なんかにしてないぞ。二択で物事考えるなよ
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 19:30:46 ID:A3CS1Uq7O
二心殿
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 21:37:43 ID:a9ArfN190
膝元の水戸藩が尊攘の同志である長州への征長戦への出兵を公然と拒否したように慶喜は幕府側にも評判は良くなかったが、
この段階では水戸の尊攘派の人望も失っていた。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 03:59:32 ID:381I+morO
慶喜の本心は「尊皇開国」
100名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 04:00:37 ID:381I+morO
100ゲト
101名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 13:26:48 ID:eh7ueTsAO
尊皇開国で良かったよ

幕府はロシアを排除できず、
英国にお願いする位
国家として主権が無いのだから
いいんじゃない
102名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/02(土) 14:16:54 ID:pKhBQ/ZhO
まぁ〜慶喜が表舞台に出てきたころは皆さん尊王開国だったがな
103名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 01:17:23 ID:8of95fDuO
慶喜スレ、斜陽化
104名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/08(金) 21:47:09 ID:bOHRqGY70
信と幸、子供7人ずつ
105名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 10:25:51 ID:c0wo7Vis0
慶喜が腰抜けだったお陰で結果としてはいい結果となった
106名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 10:55:12 ID:rrqIX6YuO
慶喜が腰抜けだったせいで、全責任を会津と桑名と新撰組が負う羽目に成った訳だ。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:02:49 ID:oEywNAHn0
主が平穏に生き延びたんだから、本望だったろ。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:25:22 ID:meyaGnUkO
慶喜の偉大さは、歴史が証明してくれるよ。あと補足だけど、ここの流れでは、長州征伐2が愚行という感じ仕上がってるけど、あれこそ英断だった。タチ悪いのは倒幕派なんだから、実際
109名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 12:52:27 ID:meyaGnUkO
あ、あと、慶喜がここぞというときに内戦を拒んだのは、国がバラバラになることとによって、外国に国政を支配されることを懸念したから。彼は弱かったんじゃない、むしろ強かったんだ
110名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/09(土) 13:48:23 ID:fYVsnjo1O
酒井忠惇、板倉勝静、松平容保、松平定敬、
111名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 03:01:03 ID:t718CwIo0
それほど大局を見通した才人がみっともなく大坂城から大慌てで逃げ出したりするかなあ
ただ単に、良くいえば平和主義のことなかれ主義、悪くいえば自己保身の腰抜けだっただけで
諸外国に漁夫の利を決め込まれないようにというのは慶喜自身のあとづけの自己弁護じゃない?
そうでもしないと自分に忠義を尽くして死んだ人間と生き残った人間とその関係者に面目が立たないから
112名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/10(日) 08:42:56 ID:forrqnYA0
逃げ出したのは、慶喜が幕府の力を見限ったという方が正しいのではないか?
征長・鳥羽伏見といい、圧倒的優勢に見える状況においても連戦連敗のボロ負けを露呈してしまう程に幕府指揮官が低レベルでは
慶喜がどう前線で指揮をとろうにもフォロー出来ないのでは?

一方で慶喜が敵前逃亡したから幕府は負けたなんてのも、幕府側の自己弁護にも聞こえるが。
113名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 05:13:08 ID:aeehTvjF0
腰抜けのイメージを慶喜一人に負わせる事で「幕府軍は勇敢だったが慶喜の腰抜けのせいで敗れた」
と幕府自体のへタレぶりを隠微することができる。
114名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 01:08:45 ID:QZUQeLVX0
幕軍が弱かったから慶喜は怖気づいたし
慶喜が怖気づいたから幕軍はさらに士気が下がった
115名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 00:34:55 ID:kRnZwNX60
つか鳥羽伏見の第一日目に勝ってりゃ慶喜だって逃げなかっただろう
三倍の兵力で負けた幕府軍
その最先頭にいたのが会津
一番最初に逃げ出したもの会津
116名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:31:12 ID:ZFNmowMl0
大阪城でこもてったら勝てたね。
援軍が来ただろうし。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:34:26 ID:ZFNmowMl0
大阪65万石に紀州から移しとけばよかったじゃん。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:37:06 ID:ZFNmowMl0
大奥を廃止すればよかった。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:43:10 ID:ZFNmowMl0
20〜30万石以上を大名とすればよかったじゃん。
藩が多過ぎ。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 02:50:38 ID:/g8/CReD0
ttp://d.hatena.ne.jp/Dryad/20061210
とりあえず、全ての要素(アクション(殺陣)シーン、ドラマ性、歴史への大局的な視点、etc。)において邦画界が完全に敗北しているのを目撃したわけだが(´・ω・`)
細かい時代考証の齟齬は突っ込むところではないですな
121名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 13:54:32 ID:Pnm/ZPyF0
ID:ZFNmowMl0 ← 真性のようです
122名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 17:40:19 ID:G7DpukSo0
元服直後は松平昭致だったの?
一橋家に入ってから徳川慶喜?
123名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 18:06:00 ID:ZEm803NKO
>>108>>109の矛盾が笑えるw
第二次長州征伐を肯定しときながら内乱阻止だとよw
124名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/13(水) 22:46:35 ID:n7/9EZsg0
つーか、慶喜を必要以上に持ち上げるのも、
必要以上に叩くのも、どっちも変だろ。
慶喜たった一人に幻想を持ちすぎ。
125名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 08:24:46 ID:kZFE9ZAt0
32才で歴史の表舞台を去った。
将軍位に就いていたのは1年未満。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/14(木) 21:59:59 ID:qqW3GqA5O
結果論を語ってもどうしようないけど、慶喜が初代大統領、或いは総理大臣になっていたら‥て考えると、なんか残念だよな
127名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 00:28:17 ID:Rs9NBnld0
ぜ〜んぜん
128名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 00:47:09 ID:XVxkdk7D0
少なくとも会津藩主松平容保よりマシw
会津藩みたいに徹底抗戦して農民など領民たちを戦争に巻き込んで苦しめたり、
国力を消耗し諸外国に漬け込まれるより、
さっさと負けを認めて侵略の口実を与えなかった
日本史上彼ほど上手い負け方をした人物はいないっしょ
129名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 08:12:30 ID:nl8VlXor0
確かに負けが確定したようなもんなのに
その後の会津の抗戦は国際情勢を考えるとよくなかったな
130名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 10:28:31 ID:c7YbgZojO
>>126 歴史上の人物の評価を結果論以外の何で語れと・・・
第二次長州征伐失敗・鳥羽・伏見敗退・敵前逃亡
将としてみれば下。
また慶喜の戦意喪失が無駄な戦をしない為なら潔く腹を斬れば良かった。
それをしなかったのは自らのほしんの為なのは明白

131名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 10:35:06 ID:JKvEx8D90
あの時代の大名で将として上ってだれだよ?
島津も毛利もその他自ら従軍した殿様はいない。
藩士に命令または許可しただけだ。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 10:47:34 ID:c7YbgZojO
島津も毛利も陣頭指揮をとってないから比べるのは無意味
それと将とは殿様の事では無いから
133名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 11:28:31 ID:Vh12VRPxO
勝てば官軍

負ければ賊軍
134名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 11:59:54 ID:zLWAlA+p0
あの当時、陣頭指揮した大名っていったけ?
135名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 12:07:01 ID:11u6BP6jO
>>130誰もが私利私欲丸出しで、無駄な争いばかりが氾濫しているこの世の中だからこそ、慶喜の平和精神が重要なんだよ
136名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:02:54 ID:c7YbgZojO
>>135 どこが平和精神なんだよw
単なる後付けじゃんw
137名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:23:09 ID:fg68Cdrf0
江戸城に籠城しなかったのだからある種の平和精神だよ。
慶喜が最後までやる気マンマンだったら内乱勃発で、
欧米諸国にチャンス到来。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 13:30:00 ID:c7YbgZojO
>>137 逆賊の汚名を恐れて降伏してただけ
平和精神なんか後付けですよ
139名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 15:28:36 ID:11u6BP6jO
当時の幕府軍には小栗上野介という才人がいて、彼が考えた策略を使えば、倒幕派を根絶することができた。では、なぜそうしなかったのか?既出だけど、内戦中に、外国に日本を支配される恐れがあったからなんだ
140名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 15:32:11 ID:11u6BP6jO
彼は名誉よりも国を守った。よって、維新後も、彼が国政の中心でしきをとるべきだった
141名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 16:02:28 ID:c7YbgZojO
>>139 ソース出してみろよw
142名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:21:29 ID:IIyiN8kW0
ID:c7YbgZojO ← なぜか必死な凡人
143名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:45:33 ID:c7YbgZojO
それがソースかw
144名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 17:55:48 ID:IIyiN8kW0
>>139は別人だもん。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 18:06:04 ID:nl8VlXor0
>>139じゃないけどそういう作戦があったらしいというのは本当だよ
wikipediaで調べてみればたぶん書いてあるよ
146名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 18:14:07 ID:c7YbgZojO
小栗案ぐらい知ってるからw
147名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/15(金) 23:06:05 ID:nKAwdjgW0
>>139
その計画はあったが、対する政府軍の大村益二郎も小栗の計画ぐらい想定済み
(つかそんな策略、ある程度学のある奴なら誰でも考えられた)
現に実行できたとしても、中山道に主力軍を配している上に
東海道の政府軍に幕府海軍から与えることの出来る損害なんてたかが知れてる。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 00:00:03 ID:11u6BP6jO
>>147 君のいってることは創作だよ。第一、大村益次郎がその計画を知って青ざめたのは、コトが終了したあとなんだから。前もって予測していたはずがない
149名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:02:24 ID:Vn5OKrNq0
>>148
実際に中仙道に主力がいたw
甲州で新撰組を破り、北関東で幕府伝習歩兵を追撃し、
そのまま会津に転進して母成峠の戦いに勝利し、
会津白虎隊を潰して会津城下一番乗りしたのは中山道を進んだ薩摩土佐の主力軍連中。
奇兵隊など長州軍主力は越後方面から江戸を目指している。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:10:03 ID:Vn5OKrNq0
>>130の理屈だとこんな解釈も出来ますねw

歴史上の人物の評価を結果論以外の何で語れと・・・
孝明天皇の命令を受け幕府に攘夷や将軍上洛を要求し、
幕府を窮地に追い込む。鳥羽・伏見第一日目の会津兵敗北・慶喜を諫止せずいっしょに敵前逃亡、
自らの意地の為に勝算の無い会津戦争を始め奥羽諸藩を混乱に巻き込んだ。
会津藩主松平容保は将としてみれば下。
また会津戦争での会津降伏が無駄な戦をしない為なら潔く腹を斬れば良かった。
それをしなかったのは自らのほしんの為なのは明白
151名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:12:41 ID:Vn5OKrNq0
ちなみに・・・

>大村益次郎がその計画を知って青ざめた

それ・・・創作だからw
152名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 03:34:36 ID:KrFXNnCx0
小栗は実際に陣頭指揮には立とうとしなかったし、口先だけではないのか。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 08:35:05 ID:a+DAJDVg0
というより、小栗案を実行するとフランスが幕府を支援して戦争へ介入。
利権を奪われまいとイギリスも介入を始め、中国やアフリカ諸国を植民地化した時の常套手段が使えるようになる。
慶喜も幕府閣僚もよく知っていたので、小栗案は危険極まりないとして不採用。
小栗は戊辰以前にも第二次長州征伐でも諸外国の協力を得て長州攻撃を行おうとして、
やはり幕府内部で阻止された。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 11:47:23 ID:5qEihMMQ0
それで海外から小栗がべた褒めされていたのか
「この時期に日本にこのような人材がいることは奇跡だ」とかなんとか・・・
155名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 12:59:03 ID:+GT9N2AA0
>>154
つまり幕臣のレベルがそれだけ低かったんだろ。
外国人とまともに交渉が出来る役人が全くいなかった。
小栗は海外経験が豊富で、外国人の前でも物怖じしなかった。

今、某県庁に仕事の打合せで行く機会が多いが、
役人なんて江戸時代も現代も全く変っていない、馬鹿のハキダメ。
外国人が呆れるのも無理はない。
156名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:06:28 ID:7GRUFWxPO
小栗がいなかったら、日清日露戦争にはかてなかったというのに‥日本海軍の地盤をつくったのは幕府時代の小栗なんだぞ
157名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:26:31 ID:5o2R4PtN0
だが、明治維新が
日中戦争、半島汚鮮、太平洋戦争を招いたことにはなるな。
これで分割統治されてたら、明治維新の評価は下がったろう。
戦後70年経っても、ぼろくそに言われる原因を作った。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 13:39:28 ID:7GRUFWxPO
要するに、明治維新の功罪は、単純な刷新作業をしたことだろ。つまり、「幕府は悪」という地点から出発してるから、幕府側の良い所も良い人材も、中央からほぼ絶滅させてしまった。これは、現代にも言えることだけど
159名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 14:48:46 ID:06J6FiFZ0
幕府を過小評価してるのは日本史しか勉強してこなかった連中。

当時の日本がおかれた国際状況を考えれば、
衝突が起きる前に条約を結んでおくというのは最善の選択をしている。
少ない情報の中でよくやったと考えるべき。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 16:48:18 ID:NIcYE67y0
でも最善の選択をしたのは慶喜じゃなくて勝海舟と大久保一翁だよな
慶喜はそれを彼らに任せただけで、不安を小言でこぼして
勝海舟と陰口言い合ってたわけだし
161名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 19:45:25 ID:dAMX47P4O
>>158
明治政府は幕府の体制は木っ端微塵に破壊したけど
幕府の人材は有効活用してたたろ。
それに日中・太平洋戦争は、
明治体制を破壊して乗っ取りをかけた昭和軍閥の仕業だよ。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 20:36:30 ID:PYG2fPrL0
昭和にゃあもう軍閥っつうほど立派なモンねーだろ。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 21:09:43 ID:5o2R4PtN0
朝鮮を脅迫するのはどうかと、きちんと使節を送って、
緩やかな交流でよかったのに。
日韓併合は大失敗。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 22:39:26 ID:rSbk3QEG0
西郷みたいに倒幕そのものが最終目標だった低レベルなヤツもいるしな。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:02:36 ID:jAfL1+LN0
幕臣や譜代大名自体が、もう武士ではなく役人になりきってたのだし、
誰が指揮しても鳥羽伏見には勝てなかったと思う。
戦いたくない慶喜を戦争に引きずり込んで、しかも負けた譜代の連中が
責任回避のために慶喜に責任を押し付けてる面が強い。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 23:28:02 ID:5o2R4PtN0
勝は日韓併合は反対だった。
167名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 00:04:37 ID:HdARsRj60
>>162

>昭和にゃあもう軍閥っつうほど立派なモンねーだろ

知識無さ杉w
東北人が統率した関東軍が日本政府や中国を罠にはめ、
謀略で日中戦争を起こした事を知らないのか?。
さらにその日中戦争を非難したのがアメリカで、
その交渉が決裂して太平洋戦争が始まったんだよw。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 00:45:47 ID:3v4pHDSU0
すまねえ 軍閥を勘違いしてたみたいです。

でも満州事変を起こしたのは関東軍だけど日中戦争の発端の上海事変は
関東軍が起こしたんじゃあないよ。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 01:00:31 ID:HdARsRj60
すまねえ 事変を勘違いしていたみたいです。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 01:11:23 ID:7LI7A6QJ0
上海と南仏領はまずかったね。白人の植民地に手を出したのは。
北樺太に逝ってくれ。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 04:36:12 ID:d1s62PnTO
>>137
亀ですまんが自分も平和精神は自らを正当化する為の後付けだと思う。
江戸に帰った後、周囲に朝敵になってしまった、と恐れるように漏らしている。
彼は朝廷に対しては薩長と抗する為、利用していた形だが、
水戸学の幕府が朝廷に矢を向けるようなことはあってはならない
という教えは頭に強くあったと推測される。
明治期に至っては天皇の祭祀が行われる日は必ず趣味である狩猟に行っていない。
これは立場上やむを得ずとも考えられるが、(明治期に政治に対する考えを漏らすことはしなかった)
朝廷を重んじる姿勢が生涯一貫して見受けられる。
政争時の朝廷に対する姿勢と天皇に対する姿勢は別。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 04:54:35 ID:d1s62PnTO
あと権力への執着心が薄かったんだろう。
継嗣問題の時の書簡はどれも迷惑と言わんばかりなもの。
あと、12月5日に松平春嶽から事前にクーデターの情報を得るも、
新政府創設は必要だと返すのみだったし。

173名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/17(日) 15:51:18 ID:0Ls8xMs20
有栖川宮を祖父に持つ慶喜。
174名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/22(金) 00:41:22 ID:yRltxZvqO
このスレには独特のバイオリズムがある件
175名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 15:34:09 ID:lqgUHVIaO
>>174 僕なんかは、マニアックな事柄過ぎて、途中からついていけなくなるんだよね。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 20:35:28 ID:05Iuz2Pz0
学問・日本史板なのだからマニアックでも問題ない。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/25(月) 23:59:44 ID:KxgmwWLY0
A:無理矢理な開国要求→逆ギレで外国に攻撃→反撃、敗戦→賠償に領地
B:政権分断→内戦→外国の支援で休戦→支援の借金のカタに領地

どっちも植民地化の黄金パターン

いろいろ言われるが幕府は賢明。薩長の逆ギレテロ集団のほうが数段DQN。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 00:46:41 ID:IkZ7rzC40
>>177
は??
幕府はペリー以前に「外国船打ち払い令」を出してますよw
それに幕府はフランスの力を借りて長州征伐や戊辰戦争に勝とうしましたが?
頭大丈夫?
179名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 02:05:26 ID:n7UaVk9J0
>>178
打ち払い令が出た頃とペリーの頃とじゃ状況が違う

180名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 05:16:32 ID:97QJYYYJO
ヽ(*`Д´)ノ会津や桑名や新撰組に罪を擦り付けた腰抜け公方
って恨まれたんだろーな、慶喜。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 13:07:20 ID:wG7fGVbH0
一番の阿呆は勝てない戦争に将軍を引きずりこんだ会津と桑名だ。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 13:28:27 ID:5cKAZjzI0
新撰組信者ってどこまで勘違いを続けるんだろうなあ。
大した働きしてない。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 16:59:42 ID:Olo7Rx+U0
大阪城に籠城すれば勝てた。
184◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 17:32:18 ID:pGxQrwPc0
>>1
屑、最低、最悪の男
自分だけ大阪城から逃げるのならともかく
純情で人を疑う事を知らない松平容保を
騙して、一緒に連れていった事が一番許せない
容保なら大阪城で篭城して、逆賊薩摩と長州を討ち果たしたよ
幕府海軍が大阪湾に停泊して制海権を握っていたから
補給の心配が無く篭城戦が遂行出来た!
185◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 17:34:59 ID:pGxQrwPc0
つーかこんな屑を15代将軍にせずに
松平容保を征夷大将軍にしてれば
逆賊薩摩や長州に天下を取られなかった
186◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 17:48:36 ID:pGxQrwPc0
司馬史観を叩く自由主義史観の連中こそ、日本にとって最大の害虫
司馬史観VS自由主義史観なら、俺は断固として司馬史観を擁護する

自由主義史観を狂信する基地害は、日本から出ていけ
自由主義史観=戦前の基地害ウヨク、代表者は菊池武夫と上杉慎吉
この二人と、それに不破雷同した基地害どもが日本を亡国のふちまで
追い込んだ
187名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 18:10:08 ID:Olo7Rx+U0
加賀藩と江戸からの援軍も来ただろうね。
188日本@名無史さん :2006/12/26(火) 18:47:57 ID:tNFIgVf90
>pGxQrwPc0
たかだか将軍一人の逃亡が大局に影響を与えるなんて
それだけ幕府軍はもろかったということだな。

つか錦旗の挙がる前日に小勢の薩長に勝っとけよ。
初日目即行緒戦で負けるから慶喜も「味方不甲斐なし」と見て見限った可能性高いぞ。
189◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 20:56:47 ID:pGxQrwPc0
>>188
アホか
司馬も言ってるけどたかが3千人の相手に2方面から
ぶつかる馬鹿がいるかよ

確かに火器は薩長軍の方が多いけど、たかが3千人
攻撃を多方面から行えば、防御網が薄くなって、突破可能
そして幼帝を押されば、その時点で薩・長は朝敵
孝明天皇と違って明治天皇は年少なんだから、全ては
岩倉や三条と言った君側の干の陰謀なんだよ
190◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 21:01:14 ID:pGxQrwPc0
全ては臆病者で戦術の才能は一欠けらも無い
豚一の無能のせいで、負けるはずのない戦で
幕府軍は負けた

しかも井伊の赤備えは、当主直弼を水戸の糞どもに殺されてるから
水戸出身の慶喜の為に出兵する訳ないわな

徳川家最強の彦根藩が幕府軍に味方しなかったのも
全て水戸藩と豚一のせいだ
191◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 21:05:07 ID:pGxQrwPc0
司馬史観>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>自由主義史観
司馬史観の敵は、今や自由主義史観!戦前を全肯定する基地害
集団=自由主義史観の連中を徹底的に叩く
192◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 21:06:38 ID:pGxQrwPc0
自由主義史観の連中は薩・長と、昭和の陸軍を賛美する基地害
193:2006/12/26(火) 21:39:39 ID:E87CfjIW0
バカコテ、痛すぎ。
194◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 23:49:48 ID:pGxQrwPc0
>>193
自由主義史観を信奉するNETウヨク乙
俺は司馬史観を信じる
195◇6HuvTKXmag:2006/12/26(火) 23:51:27 ID:pGxQrwPc0
自由主義史観:NETウヨクや基地害だけが信奉する歴史観
司馬史観:真のインテリが好む歴史観
196◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 00:00:39 ID:pGxQrwPc0
だいたい歴史学は自然科学と違って完全な客観性を持つ事は出来ない
だから史観という表現が用いられる

だから、皇国史観、マルクス主義史観、実証主義史観、自由主義史観
司馬史観とも、それを選択する人間の価値観が反映されるのさ

俺は近代史では司馬史観が一番しっくりいく
197名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 00:19:46 ID:JayMLHns0
井伊の赤揃えって第二次長州征伐で何もできず惨敗したんじゃなかったっけ?
198◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 00:28:03 ID:4NC77/pU0
>>197
それでも使えるぜ
薩・長軍はたった3千だったからな
しかし慶喜では旗頭にはならない
頭はやたらに切れるけど誠実さの一欠けらも無い男の為に
死ねる親藩や譜代大名は居ないからな

徳川家茂や松平容保の為になら死ねるけど、徳川慶喜の為に
死ぬ事は俺には出来ない
199名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:07:11 ID:aj5yWXmjO
岩倉って直前まで慶喜を新政府のメンバーに入れようとしてたんだよな。
それを幕臣が暴動を起こしたせいでオジャンに。
1月1日に岩倉に中根雪江が、慶喜が辞官納地を奏上する為京都へ軽装で出かける用意をしていると伝えてる。
それに対して岩倉は辞官納地をするなら、新政府に加えると返答。
しかし翌日2日、旧幕府軍が京都へ向かうという事態に。
大久保は岩倉を説得、錦の御旗。慶喜新政府入り台無し。
そして夜逃げ。
「昔夢会筆記」で後年の慶喜が抗戦を主張する者たちを抑えきれなかった、と言ってる。
やっぱり考えの浅はかだった旧幕府軍がいけない。
王政復古を事前に知りつつ、新政府は必要だと容認した慶喜の頭の良さが幕臣には伝わらなかったんだな。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:25:03 ID:aj5yWXmjO
連投すまんが>>198
誠実のかけらもないに同意。
大久保にも偽り、欺く人と言われてるし。兵庫開港問題の時にも八幡宮の攘夷祈願の時も騙してる。
誰か忘れたけど確か別の薩摩藩士からは慶喜を将軍にしたら、
一匹の虎を千里の野に放つようなものだとも言われてたけど。
感情よりも理性でものを考える人なんだろうな。
大阪城で幕臣に一時情に流されてしまったのかも。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 04:55:45 ID:aj5yWXmjO
でも所謂忠義の士の一人榎本武揚からは戊辰以前だけど好感触の評価がされてたな。
幕府の改革の急務さを訴える為、慶喜に謁見することになった武揚。
礼儀やら口調やらに気をつけようと心づもりしていたが、いざ会うと
かなりの至近距離で、思ったより親しげに話してくれたと語ってた。
身分や形にとらわれない印象だ。
戊辰で彼の慶喜に対する評価は変わっただろうが…それまではきっと信頼してたんだろうなあ。
202◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 05:00:51 ID:F24UaEdW0
>>200
徳川慶喜は中途半端な男だよ
もし本当に胆力があるなら大阪から京都へ攻撃を仕掛けるな
そして仕掛けたのなら、大阪城に篭城して徹底交戦しろ
幕府軍の方が薩摩と長州軍より、海軍力は上だから
大阪湾の制海権を奪われない限り、篭城戦でも補給路は
確保出来たからな

そこで篭城戦を展開しながら、徳川家一門と譜代大名を
総結集出来たら、薩摩・長州軍を人海戦術で圧倒出来た
203名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 07:01:07 ID:DfdsB37V0
>>202
は?
>大阪から京都へ攻撃を仕掛けるな
>そして仕掛けたのなら、大阪城に篭城して徹底交戦しろ

 鳥羽伏見の戦いを知らないらしいw
しかも仕掛けた後で篭城とはwww最初から負ける予定?
だったら最初から戦争しかけない方が利口だよwww。

そもそも何のために大阪にいたのか解ってなさそうw慶喜は最初から戦争を回避する為に大阪に退いた。
土佐越前の工作で政治的に逆転できたからだ。戦争さえ回避できれば薩長に肩を並べることができた。
それを会津と桑名が、戦えば勝てるといって慶喜を説得し京都へ軍を送った。
第一日目から大敗北。ここで勝っていれば錦の御旗も出なかったはず。
負けっぷりの酷さに慶喜は呆れ果てただけだろうな。
長州征伐で人海戦術して負けてんだからどうしようもないよね。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 07:05:12 ID:DfdsB37V0
>篭城戦を展開しながら、徳川家一門と譜代大名を総結集出来たら

無理です。篭城しているという事は野戦で敗北したって事だろ。
それだと間違いなく錦の御旗が薩長側に立ちます。
賊軍の名を自ら着る譜代新藩がいかに少なかったか、戊辰戦争を見れば解ること。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 08:35:51 ID:f1v4xxqi0
クソソコテ市ねよ。
206◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 08:44:03 ID:F24UaEdW0
>>204
それは慶喜が誠実の欠片も持ってなったからです
板倉や小笠原と行った老中や奥羽越列藩同盟は
輪王寺宮を立てて君側の奸である薩摩と長州を叩こうとした
これには仙台藩、米沢藩、南部藩と言った外様大名も
加盟してるし、天才河井継之助の長岡藩(これは譜代)も
参加している

将軍が豚一でなくて、家茂か容保なら、輪王寺宮を立てて
徳川一門、徳川譜代、旗本、奥羽越列藩同盟を結集させた上で
逆賊薩摩と長州を撃破できました
207◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 08:45:24 ID:F24UaEdW0
自由主義史観の基地害NETウヨクこそ死ね
208◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 10:14:38 ID:F24UaEdW0
だいたい有栖川宮は輪王寺宮を馬鹿にした屑だし
そんな屑だから、偽有栖川宮が現れた
あれで世間では有栖川宮は詐欺師と言う印象を持たれた
輪王寺宮をコケにしたから仏罰が当ったんだろうw
209名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 11:15:05 ID:7V7z7Bwv0
宮に仏罰とは...
やっぱりクソコテはバカだなw
210◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 11:32:32 ID:F24UaEdW0
>>209
ばーか、薩・長が政権を握る前の日本は神仏混合だよ!
皇族で出家した人の数は膨大だぞ

廃仏毀釈なんてモノは低脳薩・長が天下を取ったからさ

それと仏教を否定するなら、聖徳太子は反日サヨクだなw
これがNETウヨクで構成されている自由主義史観の連中の正体だ
もう少し、日本の歴史を勉強しやがれ、この屑ども!
211◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 12:10:24 ID:F24UaEdW0
聖徳太子が隋と対等外交が出来たのは
仏教というアイデンティティが聖徳太子に合ったからだよ

自由主義史観の連中は、聖徳太子の外交は評価するのに
厚く仏教を信仰していた事は隠す

それに騙されるのは、正体がニートで学がないNETウヨクだけw
212名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 12:39:54 ID:dbsQY7yG0
このクソコテは失業者かな。
なんでこのスレに張り付いて駄レス連発してるの?
213◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 13:03:57 ID:F24UaEdW0
>>212
適応障害でニートな俺様は無敵だよ
だから雅子妃の適応障害には同情を禁じえない
214名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 13:32:37 ID:dbsQY7yG0
正体がニートで学がないNETサヨクなわけねw
メンヘルスレから出てくるなよ。
215◇6HuvTKXmag:2006/12/27(水) 16:33:23 ID:aC+aAO+70
>>214
NETウヨクよりは上だよ
何故なら司馬史観>自由主義史観という
判断力があるからな

司馬>西尾
司馬>藤岡
司馬>小林
だろう、常識的に考えて

それがNETウヨクだと
西尾>司馬
藤岡>司馬
小林>司馬
になるから、NETウヨクは低脳なんだよ
216名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 16:54:25 ID:0CXeAsjb0
太平洋戦争と汚鮮の原因とは、明治維新とも言えるがな。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 07:48:23 ID:ec7MOok/0
>>206
歴史を知らない香具師だなw

>板倉や小笠原と行った老中や奥羽越列藩同盟は
>輪王寺宮を立てて君側の奸である薩摩と長州を叩こうとした

板倉や小笠原は大政奉還や鳥羽伏見の戦い時の老中であり、その責任を免れる事はできない。
板倉など朝敵指定時に慶喜、会津桑名に続く四番手にランクイン。薩長と戦うしか選択肢がない。
輪王寺宮は、当初は恭順派の戦争回避派。和宮の依頼で徳川家の救済を行ったが、
新撰組残党が甲州で戦争した為、徳川に恭順姿勢無しとされ拒否される。
頭にきた輪王寺宮は、主戦論に転向。つまり原因は新撰組w

>これには仙台藩、米沢藩、南部藩と言った外様大名も
>加盟してるし、天才河井継之助の長岡藩(これは譜代)も
>参加している

 仙台、米沢、南部などの東北諸藩は徳川家が恭順し、会津攻めが深刻な問題になってから立ち上がった藩。
つまり彼らにとって徳川などどうでもよく、戦争に巻き込まれる事が迷惑だった。
そのための会津救済活動だったが、拒絶された為に逆ギレして主戦になっただけ。
仙台など徳川の為ではなく「仙台幕府を作る為」に戦ってたしなw。
長岡も同類。長岡もまた中立(つまり戦争に巻き込まれたくなかっただけ)を拒絶されたから逆ギレしただけw。

>家茂か容保なら、輪王寺宮を立てて
>徳川一門、徳川譜代、旗本、奥羽越列藩同盟を結集させた上で
>逆賊薩摩と長州を撃破できました

無理だっちゅうにw。
論より証拠。家茂が徳川一門、徳川譜代、旗本、外様大名を終結させて行った
第二次長州征伐でボロ負けw。
奥羽越列藩同盟各藩は、大政奉還の時、全大名に京都へ来いという命令を無視。
その程度の忠義心なので、家茂の呼びかけにも応じないだろう。

>容保なら
うははははwwww
話しにならんwwww
会津藩主など頭に据えてみろ。誰も来ないよwww
会津は京都警備で殺しすぎた。幕末諸藩一番の不人気男だぞw。
幕府や譜代大名から孝明天皇側に寝返って幕府を窮地に追い込んだ元凶と思われ、
親藩や譜代大名、外様大名からも「第二次長州征伐を起こしておいて自分は出ず、
他の大名に戦いを押し付けやがって!」と嫌われていた。
諸藩は長州処罰は第一次長州征伐で終わっていると思ってたしな。
第二次は長州と会津の私闘に利用されたとご立腹www。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 09:50:08 ID:8NIuKzcu0
バカにマジレス、ご苦労様
219名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/29(金) 10:05:29 ID:jyPWQnJA0
>>218
論破されて悔しそうな馬鹿本人w
220:2006/12/29(金) 20:58:25 ID:KfgezTHa0
久しぶりに見た本物のバカww
221名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 00:48:18 ID:j8rRur3T0
>>217もクソコテは別種の馬鹿だろ
222名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/31(日) 23:52:46 ID:2BJQF+Zf0
w連発は荒らしですから。www
223名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 12:29:09 ID:DzcXBEkRO
水戸徳川家最強
224名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/01(月) 20:17:04 ID:kAgWSzOf0
後年になって武田伊賀を幕府に引き渡したことは誤りだったと弁解している。
理由は自分の身が可愛かったと率直に認めてもいる。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 00:32:23 ID:RASlbRHw0
>>みんな

まああれだ。
お互いバカ言うのはやめようぜ。

日本人だし、義務教育も受けてるんだろうし。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 21:52:33 ID:u70iqzIy0
慶喜は日本近代史のひとなのか?
完全に江戸時代で役割を終了したひとだぞww
227名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 22:29:58 ID:dtwVOtoV0
しかたないだろ
会津ヲタどもが薩長叩き専用スレ乱立させたため、
2ちゃんの方が「他の貴重なスレが消えてしまう」と言って、
幕末系は歴史板から近代史板に追放処分になったんだから。
228名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 22:38:56 ID:lp/Onxkz0
('∀`;)<アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \
(´・∀・)<どうかなされましたか!上様!
('∀`)<だってさ、すぐそこまで薩長の奴ら来てるじゃん、もう駄目だよ、あきらめようよ
( ´_ゝ`) .。oO(ったくこのボンボンは…)
ヽ(`Д´)ノ<戦いましょう戦いましょう戦いましょう
('∀`)<あー戦いたくねーな、朝廷に手紙送ってなんとかならねーかなー
( ´_ゝ`)<ではそのように計らいましょう
('∀`)<うんうん。そうして、めんどいから後は全部任せるわ
ヽ(`Д´;)ノ<ちょっ…上様!!!!!!!
( ´_ゝ`)<つきましては使者には高橋殿が適任と思いますがいかがでしょう?」
('∀´;)<だ、駄目駄目!そんなことしたら俺のボディーガードいなくなっちゃうだろ!」
( ´_ゝ`) .。oO(ったくこいつはどうしようもねぇな…)
(´・∀・)<では、私の義弟の山岡鉄太郎はいかがでしょう?
('∀`)<お前が言うならそいつでいいや(誰か知らないし、死んでも俺には関係ないしな)
(`・ω・´) <どうもこんにちわ、山岡です!このお役目必ずや成し遂げてみせます!
('∀`)<うんうん、じゃあ頼んだよ

〜数日後〜
('∀`)<最近治安悪いからな〜あいつ殺されたかもなぁ、薩長の奴らって乱暴だしね…ハハハ!
(`・ω・´) <ただいま戻りました
Σ('∀`;)<早っ!!!


【問題】『山岡鉄太郎以外のそれぞれのキャラが誰かをA〜Gから選んで埋めなさい』

・('∀`)
・(´・∀・)
・( ´_ゝ`)
・ヽ(`Д´)ノ

A小栗忠順 B徳川慶喜 C勝海舟 D曲亭馬琴 E高橋泥舟 F徳川斉昭 G西郷隆盛
229名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:13:51 ID:CwCI7/g90
・('∀`) =大石蔵の助
・(´・∀・)=佐々木介三郎
・( ´_ゝ`)= 風車の弥七
・ヽ(`Д´)ノ =片岡源右衛門





230名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 00:50:02 ID:3KkONYT3O
上杉家では、朝廷に奉仕することで藩を越後百二十万石のむかしに戻したいと望み、佐竹家では、島津将軍か毛利将軍ができるだろうという認識を持っていた
231名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 00:47:26 ID:Hvsgz5Gc0
子孫の慶朝も、ろくでもない無責任野郎だぜ。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 10:18:10 ID:7w+lPBQ+0
子孫ネタを持ち出すバカって何者なのだろう?
233名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 22:43:47 ID:1EVVRpGcO
子孫は何人くらい居るの?
234名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 10:58:02 ID:HGxtPL1m0
幕府軍、先鋒が七、八十名の京都町奉行の組与力同心で小銃は五丁しかないほど武装されてなかった。だから慶喜は戦う気がなかった、って意見があるんだが実際どうなの?
あと発砲は薩摩かららしい。
会津、桑名の慰撫と交渉のために上洛したってのは?
納地奉還は現実無視。

武田を斬ったのは幕府内部からの猜疑と勅命があったし、結果からは簡単に決めれんだろ。

慶喜は1886年に将軍固辞してる。同年9月7日朝廷は諸大名を京へ参集の勅命を発したが応ぜず、九月十八に天皇は「大事は大名諸藩の上京を待って」と言う。
十月二十六に三度促すも、ほとんどの大名は病気と称して来ない。将軍就任についてもなんとも言えない状況。

235名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 11:07:42 ID:tx7vxf5a0
>>234
先鋒の使命は「朝廷より慶喜公上洛の命あり、よって道を明けて欲しい」と薩摩兵に交渉する事だ。
先鋒軍というより先触れの使者だと思った方がいい。
慶喜に戦う意志があったかどうかわからないが、
幕府主戦派は、少なくとも「薩長側がビビって喧嘩を売ってはこない」と高をくくっていたのは確か。
発砲が薩摩側からなのは正しいが、先の先鋒軍の交渉の中で、
先鋒軍指令の滝川に対し、薩摩兵は「慶喜には軽装にて上洛せよとの朝命であるから、
鎧を着て兵を率いての上洛は認められない。平服にて上洛されたい。そうでなければ通せない」
と言い、滝川は「ならば力ずくで通るまで」と捨て台詞を言って交渉が決裂した。
薩摩側はこれを宣戦布告と受け取り、砲撃を開始している。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 17:36:46 ID:tenu40RlO
新門辰五郎
237名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 10:10:35 ID:GMMlGElh0
え〜とこのスレタイでいうと戊辰はアウトじゃね?
戊辰戦争は趨勢決してたたし、佐賀のアームストロング砲は反則。
同盟軍唯一の海軍の榎本艦隊も慶喜の、隠居見届けてからの
参戦。指揮系統統一出来ない同盟軍が、勝てる見込みナシ。
秋田なんて最初から同盟に乗り気じゃなかった。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/01(日) 00:19:45 ID:MjBM6qnO0
滝川は六角獄や天狗党の虐殺などの当事者であり尊攘派には相当の恨みを買っており、
倒幕派だけでなく水戸藩にも目の仇にされており(実際二条城に滝川が入ったとき、
水戸藩は問答無用で滝川を叩き出している。)
慶喜がこのような者を上京の使者に立てるのは人選として最悪だったと言わざるを得ない。
239よしき:2007/04/26(木) 16:50:02 ID:lq3xLst10
徳川慶喜の行動は正しかった!
腰抜けでも臆病者でもない!かっこいい!

240名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 02:51:11 ID:pmb9YHP70
どう考えてもフランスからの借款が得られなかったのが痛い。
フランスから金借りて軍備をきちんと整えるという当初の予定が狂ったのが運
のつき。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 23:55:05 ID:T3VqkEsG0
で?不平等条約で貿易やっても儲からないのに借りた金返すアテあんのか?
返せなかったら何を渡すの?北海道か?。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:08:57 ID:wn9xpt6FO
十五代将軍となり徳川宗家を継ぎながら
維新後には宗家を継ぐことを許されず
243名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:29:50 ID:+TjEVkE80
水戸国学の影響だからしゃあないな。賊軍はいやだあああ!だろ。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 05:06:38 ID:SBD4MWmI0
江戸幕府の法律の中に棄えん令という
借金踏み倒しの法律があったと思うが(笑)
245平山貴士:2007/06/09(土) 02:58:52 ID:MqFieQ4w0
ふざけてごめんなさいね。244と同一人物です。
借款についてですが、
まず、フランスの歴史を説明しますと・・・

明治維新の2年後の1870年
普仏戦争勃発。(プロイセン王国との戦争。翌1871年にドイツ統一
        プロシア帝国となる。)
フランスはプロイセンに敗北。ナポレオン3世の時代の終焉。
それからまもなくフランスに世界初の労働者による社会主義政権
「パリ・コミューン」樹立
短期で政権は崩壊。第三共和制の時代となる。
しかし・・・つづく。
246平山貴士:2007/06/09(土) 03:09:15 ID:MqFieQ4w0
パリ・コミューン時代の抗争により国内は疲弊。
凱旋門に弾痕が残る程の激しさ。
(日本でも禁門の変ー蛤御門の変の際の弾痕が京都御所に残っている。)
(岩倉使節団がフランス訪問中に発見)

そういうわけでフランスは外国に干渉する余裕はない。
それに・・・つづく。
247平山貴士:2007/06/09(土) 03:17:40 ID:MqFieQ4w0
アメリカの歴史においても同様。
1853年に黒船来航し、日本に干渉するも
1861年に南北戦争勃発。日本への干渉は滞りがちになる。
フランスでも同様の傾向になるものと思われる。
それから・・・つづく。
248平山貴士:2007/06/09(土) 03:26:20 ID:MqFieQ4w0
フランスのアジアでの基盤はフランス領インドシナ。
すなわち、ベトナム・ラオス・カンボジア。
地勢学的に見て、次の照準は清のはず。
それから・・・つづく。
249平山貴士:2007/06/09(土) 03:36:44 ID:MqFieQ4w0
当時の蝦夷地は開発前。
植民地の利点となると・・・
長期の駐留は困難だろうし・・・
どうかな?

以上で私の説明は終わらせていただきます。
御覧いただきありがとうございます。

最後に蝦夷地にちなんで、
クラーク博士の言葉
「少年よ大志をいだけ!

 この老いぼれのように・・・」
実は自画自賛の言葉だったのです(笑)
250名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 03:58:00 ID:M+zH2sXp0
徳川慶喜は偉大である ミキリをつけるのが早い グズでない
私は毎日 公の墓所に参拝してる
251平山貴士:2007/06/09(土) 05:16:17 ID:MqFieQ4w0
250。えらい!
谷中の近く何ですねえ。うらやましい。
寛永寺や増上寺の方はいかがなされてますか。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 05:33:40 ID:oS/uVZB80
評判だおれの見本のような人物でつね
253名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 07:35:05 ID:YxpQvhWg0
会津藩主松平容保よりはマシでしょう
京都守護職の立場でありながら幕府を裏切り孝明天皇の手先となって攘夷を幕府に要求するし
254名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 12:33:09 ID:hjWdTvsK0
孝明天皇こそは討幕派の障害で幕府の信頼も厚かったので、薩摩に暗殺された。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 13:00:52 ID:GzqD24ED0
>>254
違うよ。暗殺したのは幕府。
兵庫港開港に反対していた孝明天皇を暗殺した。
孝明天皇の死でもっとも恩恵を受けたのは幕府。
256名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 18:55:36 ID:xk8BrR5P0
>>228 歴史詳しくないけど
・('∀`) =B
・(´・∀・)=E
・( ´_ゝ`)= A
・ヽ(`Д´)ノ =F ?
257名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 09:25:41 ID:ogdzuRig0
>>255
孝明天皇は天皇親政なんて考えは持ってなかった。
ましてや、幕府を潰す気なんてさらさらなかった。
そこが薩長の意見とおおいに違ったところだ。だから一番得をしたのは薩長。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 10:52:40 ID:8SMPEDVq0
>>257
違うね
禁門の変で長州は京都から追い出している。
御所は会津と幕府が完全に握っていた。
兵庫港開港は幕府が諸外国と約束済みで、その履行を強く求められていた。
ところが孝明天皇の鎖国方針を説得する事が出来ない。
なぜなら孝明天皇の義妹和宮と家茂が結婚する条件で、幕府は天皇に「十年以内に攘夷実行し鎖国します」と約束していたからだ。
外国の圧力に窮した幕府は孝明天皇を殺した。そして崩御のどさくさにまぎれて兵庫港開港の勅が出たとしたんだ。
勝てば官軍。幕府の非は明らか。
259平山貴士:2007/06/10(日) 11:02:43 ID:97FYCTCk0
孝明天皇が崩御して後の変化といえば・・・
岩倉具視が朝廷に復帰した。
よって一番怪しいのは岩倉。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 11:23:41 ID:bBFzWazY0
>>258
>勝てば官軍。幕府の非は明らか。
日本語間違ってないか?なんで幕府が負けたのに幕府の都合の悪い歴史が
残ってないの。現在では薩摩が岩倉具視と結託して倒幕の意志のない
孝明天皇を暗殺したってのが定説でしょ。
どうみても孝明天皇暗殺は幕府方にとって不利な状況になっているわけで・・・
あなたはそれをひっくり返す何か重要なソースをもっているの?
261名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 12:10:34 ID:SVQcGFmQ0
逆に考えるんだ、暗殺じゃなかったと考えるんだ
262名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 12:35:59 ID:8SMPEDVq0
>>260
何を言ってるの?
>孝明天皇を暗殺したってのが定説でしょ。
定説じゃないよ。少なくとも学会ではね。オタクがかってに定説と思っているだけ?
どうしてもっていうならソース出してくれない?

>なんで幕府が負けたのに
 8.18の政変や禁門の変で負けたのが幕府だったかなw?
 負けたのは長州だろ。薩摩も四賢公会議で慶喜に遣り込められている。
 あの時点での勝ち組は幕府なのさ。そして勝った者に都合が悪い事実は抹殺される。

>薩摩が岩倉具視と結託して倒幕の意志のない孝明天皇を暗殺

 その説の出所は英国人アーネスト・サトウ。
 彼が横浜で噂話しとして聞いた事を記録した文献からだ。
 つまり、真偽の程が解らない「噂」レベルなのさ。
 だから学会では誰も支持していない。
 ただ、小説家や歴史ファンを楽しませようと小話として記事になる事がある。
 そのレベルなんだよw。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 13:08:36 ID:frY7BtPD0
>>262
おいおいバレる嘘を書くなよw

孝明天皇は松平容保が毒殺し、公用方の外島がそれを実行。
戦後その手記は広沢が持っていたが、広沢牧場の史料館は
謎の火災で焼けたと星亮一先生が書いているぞ。

因みに今の天皇は慶喜の子供を摩り替えただけ。
ソースはここ。
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=1835208&tid=8bdbebfma4n26a4ac8la4kkkkvffckdc&sid=1835208&mid=1&type=date&first=1
264名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 13:34:27 ID:8SMPEDVq0
>>263
だから孝明天皇は幕府方の会津藩に殺されたんだろ?
俺の主張と同じじゃん
265名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:16:52 ID:bBFzWazY0
>>262
は?どの学会で?定説ってのは別に学会や公式の場ではなくても定説って
いうんだよ。
明治維新という大きなくくりでみたら、8.18の政変や蛤御門の変なんて
途中の政局(あるいは戦局)でしかないだろ。おまけに四賢候会議なんて
すぐ瓦解してしまったではないか。
明治政府を立ち上げたのは薩長なんだからな。だからおまえの突拍子も
ない説の出所教えてよ。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 16:06:30 ID:8SMPEDVq0
>>265
誤魔化してないで、早く孝明天皇を薩摩が暗殺したという説のソースだせ
話しはそれからだ
ま、どんなに探してもアーネスト・サトウに行き着くだけだろうけどw
267名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 20:01:16 ID:bBFzWazY0
>>266
いやいや状況証拠でいってるのだよ。
どうして幕府方が当時孝明天皇を暗殺して得をするのかな。
坂本龍馬を暗殺した人間がだれかがわからないようにこれもソースなんて
ないだろ。
会津が孝明天皇自ら直垂をもらっていた事実は最近でてきたろう。会津が
孝明天皇暗殺して何の得になるの?そこから説明してくれよ。
違うレスでもいったけど状況的に説明できることは別にソース必要ないだろ。
それをひっくり返す時にだけ重要な証拠が必要でしょう。裁判の再審と同じです。
何か?重要な証拠おまえ握ってるのか?どうみても薩摩の陰謀と見るのが正論だろう。
それをひっくり返す証拠見せてくれ。それこそ話はそれからだよ。
繰り返します。孝明天皇を暗殺して得になるのは薩長っていうのはわかるよね。
おまえの足りない頭でも・・・
268名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 20:15:47 ID:CLXeGrlS0
薩長は孝明天皇崩御の後で明治天皇周辺の外戚を抱き込んでいる。
もし薩長が孝明天皇の市に関係があったなら、順番が逆だろう。

まあ、ID:bBFzWazY0のような頭の足りない人間は、
結果だけを見て陰謀の存在を考えてしまうのであろう。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 21:41:25 ID:8SMPEDVq0
>>267
>状況的に説明できることは別にソース必要ないだろ

>>260嫁。お前の言うように状況的に説明してるだろw

>それをひっくり返す時にだけ重要な証拠が必要でしょう。

だからオマエにソース出せと俺が言ってるの。頭大丈夫かオマエw.

>どうみても薩摩の陰謀と見るのが正論だろう。

その説の出所は英国人アーネスト・サトウ。
彼が横浜で噂話しとして聞いた事を記録した文献からだ。
つまり、真偽の程が解らない「噂」レベルなのさ。
何度も同じ事を言わすな。痴呆症かオマエはw。

>孝明天皇を暗殺して得になるのは薩長っていうのはわかるよね

だから孝明天皇を殺して得したのは、兵庫港開港の勅をゲットした幕府だと言っているだろ
何度も同じ事を言わすな。痴呆症かオマエはw。

いつまでも馬鹿みたいに同じことばかり言ってないで、とっととソースだせ。
俺の書き込みをひっくり返したいんだろ。
ひっくり返す時にだけ重要な証拠が必要だとオマエも言ってるジャン。
誤魔化してないで、早くソース出せよw。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 21:43:23 ID:8SMPEDVq0
リンク間違い
>>260ではなく>>262

>薩摩が岩倉具視と結託して倒幕の意志のない孝明天皇を暗殺

 その説の出所は英国人アーネスト・サトウ。
 彼が横浜で噂話しとして聞いた事を記録した文献からだ。
 つまり、真偽の程が解らない「噂」レベルなのさ。
271名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 22:32:13 ID:bBFzWazY0
>>268
いやいや論議になりませんな。
>明治天皇の外戚を抱きこんでいる。
それは彼らの筋書き通りに物事がはこんでいる証拠ではありませんか?
くどいようですが、幕府(会津)に孝明天皇が死んで得になることって
なんでしょうか?当時すでに徳川家茂が死んだ時点で攘夷が二の次になっていることは
歴史が証明されているでしょう。
薩長同盟が締結された後ですからね。だから国体護持という面ではどうしても
武力倒幕を望まない孝明天皇が必要ではないでしょうか?
当然当時の睦仁親王では近親公家の操り人形になるのは必然でしょう。それでは
会津が暗殺後どのようなビジョンを考えていたか、どう考えでしょう?
単なる感情的な暗殺ではないでしょう。中川宮等に明治天皇の後見を
任せるというようなことがあったのでしょうか?経緯を知っていらっしゃる
みたいですから。是非ご教示いただきたいですね。

272名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 23:22:33 ID:QaaPhTTd0
>>270
気にするな、ここの連中は分かって遊んでいるだけだ。
問題は分かっていないで信じているアフォだけだ。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 23:56:33 ID:bBFzWazY0
>>270
状況証拠っていってるでしょ。
アーネストサトウが「風説では崩御の原因は天然痘だと・・・数年後には
ある裏面に精通する日本人に帝は確かに毒殺された」と書いてある。
だから真相は闇の中・・・状況証拠でなんで会津が毒殺するようなことが
出てくるの?
あれだけ徳川宗家に忠勤を誓っていた家訓があった会津藩にだよ。当時それを
上回る立場のあった天皇を殺すか?
274平山貴士:2007/06/11(月) 00:11:11 ID:oHsUtfoY0
私が思うに・・・
長州藩・・・孝明天皇の存命中から偽勅を発し
その為に八月十八日の政変や七卿落ちという事態を招き
天皇に対し恨み骨髄
松平容保・・・維新後も孝明天皇からの書状を保存

どちらが真の朝敵かは一目瞭然と思う。
しかし・・・つづく。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 00:12:31 ID:tEEfXap60
実際に暗殺だったかどうかも確かじゃないのになぜそこまで熱くなってるんだぜ?
276平山貴士:2007/06/11(月) 00:16:43 ID:oHsUtfoY0
徳川慶喜自身はこう述べている。
「始めから敵だった長州はともかく
 途中で寝返った薩摩は獅子心中の虫
 不倶戴天の敵。絶対に許せない」

また・・・つづく。
277平山貴士:2007/06/11(月) 00:30:28 ID:oHsUtfoY0
薩摩は坂本竜馬暗殺にも関わっているらしい。
坂本竜馬暗殺の実行犯は京都見廻組の一味。
しかし裏で薩摩が見廻組に情報を流して始末させたらしい。
竜馬暗殺の実行犯は見廻組で黒幕は薩摩。
竜馬の雄藩連合思想によると
結局は徳川宗家主導で日本は動く。
武力倒幕派の薩摩にとって邪魔になったと考えてもおかしくない。

以上、私の見解を終わります。
278名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 00:52:01 ID:utIM9AUP0
>>272
誰がわかっていて誰がわかってるの?
そしてわかっている人間はどんな見解をもっているのかな?
教えてください。
279名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 05:17:51 ID:rsHefak+O
最初から戦うつもりだったら大政奉還なんか蹴っ飛ばしてるだろうに、慶喜は争わないつもりなのにドンパチ始まってとりあえず退いたんでないの、俺が家臣だったら「ここは、お退き下され」と言ってるね、逃げとは違うよ。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 20:15:24 ID:p43CDcfe0
>>271

いやいや論議になりませんな。

>くどいようですが、幕府(会津)に孝明天皇が死んで得になることって

会津は佐幕派だろ。そんな事も知らないのかw
そして孝明天皇を殺して得したのは、兵庫港開港の勅をゲットした幕府だと言っているだろ
何度も同じ事を言わすな。痴呆症かオマエはw。

>>273
>だから真相は闇の中・・・
あのーwオマエの言っていた「天皇は薩摩に毒殺された」はどこに?
ソース出せないから「真相は闇」と逃げるという意味ですかw?

>>275
答え「釣り」
オチが付いたらつまらん
281名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 22:59:47 ID:qKesLWNU0
>>280
何といったらいいのでしょうか・・・
ここに書き込む際に会津が佐幕かどうか知らないで書き込んでいる人間って
いるの?というよりそういう質問を愚問というんですよ。
まとめるとアーネストサトウの言葉しか残ってないんだよ。そうなると決定的証拠
がなければ何度もいうが状況証拠がものをいうでしょ。
当時の1867年前後だったら薩長同盟をはじめとする倒幕の動き(芸州藩も不穏な動き)と
兵庫開港がどっちが大事だっていいたいのだよ。
じゃあ真相はどうして明らかにするのか教えてくれよ。俺は可能性の
問題を論じてるだけだよ。
質問ばっかりで答えはなしですか?すぐに感情的になるところ直したほうが
いいですよ。たかが2ちゃんねるだからね。
あんたがわめこうがこの真実は永遠にわからないよ。
だけど私の前のレスの質問にはきちんと答えてくださいな。知識があればね。
282平山貴士:2007/06/11(月) 23:58:25 ID:oHsUtfoY0
されど、2ちゃんねるです。
歴史のスレはレベル高いなと感心してます。正直。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 00:22:37 ID:BdrRqZmM0
>>279
そう。慶喜は戦う意志はなかった。但し、薩摩はこのままでは慶喜が土佐主導で
新しい仕組みのトップになってしまうし、日本列島のほとんどと重要な土地を
抑える徳川家を潰さないと薩摩が主導できないと考えた。
そこで西郷の密命を帯びた益満休之助に江戸を混乱に落としいれ先に幕府方に
手を出させるという手を使ったのです。
>>280
それから松平容保が孝明天皇に賜った書簡(しんかん?)を明治以降も手放さずに
もっていたという事実も暗殺したということから、かけ離れているのでは?
孝明天皇から直垂だって直々にもらっているのだよ。
それでも会津が孝明天皇を暗殺?
284名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 00:51:23 ID:hncY8FRT0
「始めから敵だった長州はともかく
 途中で寝返った薩摩は獅子心中の虫
 不倶戴天の敵。絶対に許せない」

戊辰戦争の折、全て美味しいトコ盗りで天下取った薩摩。
然し、日本列島全土の薩摩に対する憎しみは
西南戰争の時に発散される事に成る。

「賊軍とされた我等が、今では天皇様の下で官軍として
薩賊の芋侍どもをぶった切ってるとは爽快だ」
との声が相当聞かれたとか。
285平山貴士:2007/06/12(火) 04:07:55 ID:g/2ErV530
歴史のスレはレベルは高いっすよ。マジで。自分がかすむくらい。
たけしのTVタックルのスレは最低ですよ。
オレのニセモノまで出てきて・・・
よかったら見てやってバカにして下さい。
オレもひどい事言ってますけど。ムカついたんで(笑)
286名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 16:59:58 ID:2k591Thv0
>>283
孝明天皇の死は開国路線に踏み込みたかった幕府にしてみれば好都合。
兵庫開港に会津の意向なんざどうでもよかろう。
>>284
>途中で寝返った薩摩は獅子心中の虫
四侯会議で幕府の立て直しに尽力してくれたんですよ。薩摩は。
でも途中で慶喜さんが四侯会議をぶっ潰して幕府独裁を始めるモンだから
薩摩もとうとうキレて倒幕を決意って道理がありましてね・・・

>「賊軍とされた我等が、今では天皇様の下で官軍として
>薩賊の芋侍どもをぶった切ってるとは爽快だ」
西南戦争の西郷軍の殆どが戊辰戦争に従軍経験の無い在郷の藩士達。
政府軍を率いた薩摩の将士達の殆どが、戊辰戦争に従軍経験ありの薩摩藩士。
突撃命令を出している戊辰の元薩摩兵士の政府軍指揮官の命令に従う元旧幕府方の兵士が、
旧幕府軍に同情的であろう在郷の薩摩兵士に無関係な恨みをぶつけるなんて倒錯もいいところだよ。
287名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 20:50:14 ID:4jE9UV3c0
>>281
>状況証拠がものをいうでしょ。
 いわねーよw。何度も何度も何度も何度も同じ事を言わせるなw
 アーネスト・サトウをソースとして持ち出しているが、それもすでに「信憑性の無い噂話を書きとめた」だけだって言ったろw
 マジ痴呆症なのかオマエはw。
 信憑性の無いものを定説になんかするわきゃねーだろw

>松平容保が孝明天皇に賜った書簡(しんかん?)を明治以降も手放さずにもっていた
 
 あのなあのなw。その御宸翰(←漢字はコレ)は、8.18の政変の感謝を表したもので、
会津といっしょに政変を起こした薩摩も貰ってますが?。
それでも薩摩が孝明天皇を暗殺したとwww
288名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:15:43 ID:qGIS1SEI0
>>287
こういうレベルの低いやつもいるぞ。このだだをこねるというというか
自分の思うようにならないともうだめ。地団太を踏むというか。どうしようもないね。
まあしんかん?ひらがなで書いた時点でこやつが辞書を引いてきて
偉そうに書くのは予想していた通り・・・
私の意見は>>271>>273で述べてるでしょ。だからあなたのそれに対する
反論は「やだーい。自分に論破されなきゃ。やだーい」と聞こえるのよ。
これでは論議もへったくれもない。
それより大丈夫か?すごい怒りが伝わってくるんだけど。血圧上がって
倒れるなよ。所詮これで人生が変るわけではないんだからな。
>>286
兵庫開港?言い出したのは>>287だよ。それで会津が孝明天皇を暗殺したの
だとさ・・・
289名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:16:24 ID:zwhGkkcY0
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
290名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 22:28:23 ID:twMXe/gQ0
>>288
結局、ID:qGIS1SEI0は嘘しかつけない厨房であることが判明しました。
罵倒だけで反論出来ずに、無関係な>>271,>>273を挙げて誤魔化すとは。

会津高校の先生が言っていました。
会津を騙って嘘をばら撒くものがいる、彼らは佐幕を謳うが中身には差別感情しかない、と。
ID:qGIS1SEI0は今後一生を恥じて生きるのが良いでしょう。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:00:17 ID:qGIS1SEI0
いやだからあなたとは論議ができないって最初っからいってるでしょ。
やっと気がついたみたいだね。
自分の意見が通らないか、あるいは行き詰るとそれをオームのように繰り返し
逃げ出す典型だね。
多分答えられないと思うけど何で無関係なの?答えられないでしょうけど。
単なる2ちゃんねる慣れ?というか2ちゃんねるに命を懸けているあほ人間
だね。
証明できないことをうたう事も・・・
292名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:11:31 ID:twMXe/gQ0
ID:qGIS1SEI0は余りにうぬぼれが強いせいか、
社会の複数の人間による苦言を、ただ一人の自作自演だと思っている。
293名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:54:56 ID:4jE9UV3c0
>>288
>地団太を踏むというか。

 うは!薩摩の暗殺とか言い出した奴に、そんなの言われるとは思わなかったなw
議論する為に、薩摩の殺したというソースを出せと言ってだだけだったんだけどな。
アーネスト・サトウは信憑性が無いと散々いっているのに、それを信じて疑わないお前w。
まさにオマエ自身が「地団太を踏む」だろw。
くだくだ話しを誤魔化さないで、薩摩が殺したと断言できるソースを出せよw。
ま、出せないとは思うけどねw。そんなの存在してないからw。

>辞書を引いてきて偉そうに書くのは予想していた通り・・・

 辞書も引かずにひらがなで書くような奴に、偉そうに言われたくないなぁwww

>これでは論議もへったくれもない。
 だからソースだせってw。薩摩が殺したっていうさw。話しはその後だ。

>それより大丈夫か?すごい怒りが伝わってくるんだけど。血圧上がって
 心配してくれてありがd。でも俺、釣りで遊んでるだけだから、そんなに気にしなくてもイイよw。

>>290
 
うお!自作自演で自分をフォローかよwww
そんなに必死になんなくったって良いよ。
薩摩が殺したってのが間違いだって気が付いたなら正直に言いなさいw。
誰でも間違いはあるものさ。特に会津の歴史は捏造ばっかりだからねぇ。
会津の先生に騙されてしまっても仕方が無いよ。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:55:02 ID:qGIS1SEI0
>>292
あのー。1人でも何人でもいいんですけど?
理論が全く通じない相手では何人重なろうと同じでは?論理的、冷静的に
このことを話し合わないと何も前に進まない。
問題をすり替えてまで人を罵倒しようとするその根性はどうかな。
ここは近代史スレでしょう?あなたみたいに一日2ちゃんねるにかじりついて
るわけではないんで、いちいちだれが書いたかなんて詮索できない。
でも大体くせはでてるしね。そういう方向に進むのであればやめたら?
小姑みたいに人のミスをあげつらうのであればなんでもありの板があるよ。
政治板なんていったらあんたみたいな感情的かつ非論理的人間一杯いるぞ。
あるいはアンチ会津板でね。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 23:58:27 ID:4jE9UV3c0
>>294
>>292は別人だぞ
オマエと遣り合ってるのは俺なんだから、噛み付くなら俺にしなさい。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 00:15:57 ID:Lu6qzqoa0
>>295
いやどっちでもいいよ。
あほは変らないからね。目くそ鼻くそ、こういう板の趣旨から離れたことで
小姑みたいなことをいうんだったらもういいわ。
噛み付く?(笑)噛み付いてるのはどっちだか?まあ徹夜でしがみついてたら。
前のおまえの頭の悪そうな書き込み・・・
もうちょっと冷静になれないのかね。といってもわからないだろうけど。
まあそのあんたのとんでも理論を展開してくださいな。
297名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 00:18:07 ID:Lu6qzqoa0
まあ1人でも2人でもいいけど。まともに論争しようぜ。
ではまた明日。
298平山貴士:2007/06/13(水) 00:25:47 ID:+la8prwy0
みんながんばってるねー!いいよ!
タックルより全然マシ。潰してやりましたけど。(笑)
オレへの反論・・・参与会議の件ですね!
参与会議は島津のいいなりになり
形骸化してました。
また幕府の方針からもずれてきてました。
薩摩は将軍後見職を一橋慶喜、政事総裁職を松平慶永に
という要求を幕府にした前歴もあり
慶喜が薩摩の肥大化を恐れたことは当然であったと思います。
そういうわけで慶喜は参与会議をぶっつぶしたのです。
どなたか「最後の将軍」を読まれた方いらっしゃいませんか?
ご意見伺いたいです。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 00:35:56 ID:Pohem+PK0
>>296
お!早!もうレス付けたのかw

んじゃまぁ>>296も煽るネタが尽きたようだし、オチ付けるかな。つまらなくなるけど。

まず、俺が「釣り」として撒いた嘘は「幕府の暗殺」って部分だ。
もう解っていると思うけど。根拠は無いw。厨房を釣る餌だから。
会津の暗殺って餌を撒いたのは俺じゃない。別人。でもこれも嘘だw。

んで、オマエの主張する「薩摩が殺した」だが、前にも書いたが説の出所は
英国人アーネスト・サトウ。英国人は京都に入れず、噂話を聞きつけて記録したものだ。
つまり信憑性がまるで無い。これはマジ。
あと、後の研究者が天皇の病気経過などから「毒殺」を示唆した事があった
(オマエの言う状況証拠とはコレの事だと思うが)が、これも毒殺したという確証のレベルに達せず、
毒殺の可能性は否定できないというレベルで終わっている。
アーネスト・サトウが聞いたという毒殺の噂の出所だが、宮中の女官の噂話からだ。
まぁ、宮中では平安の昔から貴人が死ぬと「毒殺」の噂が流れるのが普通なので、信憑性が無い。

というわけで、オチ付けると「天皇の毒殺説は否定できないものの、病死である可能性の方がはるかに高い」だ。
まして「誰が殺したのか」なんてのは陰謀説(←解らなかったら「陰謀説」ぐぐって調べてくれ)であり、取るに足らない妄想。
つまり「孝明天皇は薩摩に毒殺された」なんて「坂本竜馬はフリメーソンだ」という説と同レベルなんだな。
馬鹿馬鹿しいだろw。
300平山貴士:2007/06/13(水) 01:02:39 ID:+la8prwy0
ここまで来て、バカバカしいというのもどうかと・・・
250番様。
慶喜さんの墓参りのお話をもう一度。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 00:05:44 ID:lIfkWufA0
>>296
まあ俺もお前みたいに2ちゃんねるなれしてるわけではないから、はっきりとは
わからなかったけど、別人って装っているなと思ってたよ。だって文章の
書き方一緒だもんな。
でもまさかそこまで姑息というかひまというか?変態に近いな。何の意味が
あるの?お前、なんか日常に非常にストレス抱えてるんだろ。(無職か?)
心療内科いったほうがいいぞ。ここは匿名だからおまえみたいに2ちゃんねるだから
こそ暴れられるからな。
実際に顔をつきあわせたらこめつきばったになるような奴だと思うしね。
別にそんなことはどうでもいいけどな。ここで変態君だからスルーしても面白く
ないから付き合ってやるよ。
アーネスト・サトウの話・・・
あたりまえの話で今さらここに書くの?笑えるな?誰でも知ってるよ。
それから薩摩藩の話・・・
8月18日の政変で会薩同盟を結んだのは高崎正風だっていうのは知ってるだろ。
彼は高崎崩れで父親が処刑された人物だよ。
それが久光の命を帯びて会薩同盟を結んだ。普通は考えられないだろ。
そこが通常の考え方でものを考えられないのが同時の薩摩藩なんだよ。だから、
どうしても武力倒幕をしたい薩摩藩としては岩倉と組んで毒殺をしても全然おかしくは
ない。あくまで可能性の問題だけどな。
まあお前のとんでも会津陰謀論とやらを演説してくれよ。変態君w
302名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 00:33:50 ID:sbcTf2Kx0
>>300
では大河ドラマの慶喜役で一番あってると思うのは誰ですか?
あるいはその他のドラマでも・・・
303名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 00:54:08 ID:q1BQ2jD40
陰謀論の概要
陰謀論は一般に、強い権力をもつ者(一国もしくは複数の国の政府、
警察、軍隊、あるいは巨大資本など)が一定の意図を持って一般人の
見えないところで事象を操作している、とする主張である。
具体的には、「政府は国民に秘密で何事かを行っている」、
「世界や国家は何らかの団体にコントロールされている」、
「ある戦争や事件は通説とは別の理由で起こったものだ」
などが代表的なものである。


[編集] 陰謀論の成立
通説の多くは、検証により棄却されない仮説を消極的に採るという行為の積み重ねにより
信頼性の高まった仮説であるのに対して、陰謀論の多くは、
検証により棄却されない仮説を、積極的に採ることからなる仮説である。
つまり、陰謀論は疑いを捨てられない状況において疑いを支持することにより発生する。
このため陰謀論は通説と比較して信頼性が低いことが多く、
また誤解、誤解釈を含むことも多い。反証テスト、検証と反証の非対称性も参照。

また陰謀論の支持者たちは検証により棄却された仮説であっても検証に
捏造された資料が関係しており、棄却とは認められずそして仮説を
積極的に採ると主張する。また陰謀論には循環論法を利用しているものもある。
循環論法の性質上、このような仮説は棄却される。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 01:36:36 ID:LvbVrBtm0
暗殺などなかったと考えればすべてつじつまが合う!ふしぎ!
305平山貴士:2007/06/14(木) 01:53:25 ID:Nri9/wi80
302番様。
唐沢寿明に一回慶喜をやらせてみたいと思っています。
皆様もお返事ください。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 07:30:24 ID:eOGUj+I40
孝明天皇は蓉保や慶喜は信任していたが、小笠原など幕権派幕閣の入京を拒否しており、
星や早乙女などアンチ薩長派の言うような単純な「佐幕派」ではない。
敢えていえば幕府の打倒は望んでいないが幕府に一切を任せるほどには信任していない。
従って存命していれば幕府の小栗などの幕権派幕僚との対立が表面化するのは時間の問題だった。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 21:39:12 ID:bVbbnrzZ0
>>305
丁寧な返事ありがとうございます。
でもー・・・唐沢は前田利家のイメージが・・・けちをつけるつもりは毛頭
ございませんが、どうでしょう。でも演技はそれなりにうまいですからね。
私は西田敏行(年齢もイメージも違いますが)にやらせてみて、後年の
明治になってからの回想シーンなんかもやらせてみたいのですが。
西田の演技力は西郷をやれば西郷になるし、山本勘助をやらせれば忠実な
軍師に早代わり、そして釣りばか日誌のうだつのあがらないサラリーマンを
やれば、もうなりきっているといった俳優としてはAランク?のようなね。
308名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 21:44:21 ID:bVbbnrzZ0
>>301酔って間違えている。あほは>>299だ。
こいつは自分が論破あるいは勝手に勝ったとおもってこの板に来ていないのか?
あるいはネットカフェに入る金がなくなったかのどっちかでしょう。
こいつは何を目的にしているのかわからないが、釣りとか他人に成りすましたり、
荒らしだな。つきあってやるからおまえの貧相な知識をフル動員してくれよ。
小姑みたいな性格直せよ。結婚できなくなるぞ。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 23:21:57 ID:arFNgtqu0
結局、孝明天皇を毒殺したのは松平容保という事を姑息に誤魔化す>>308
であった。
310名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 23:51:06 ID:bVbbnrzZ0
>>309
荒らしの309深夜のご帰還、全く意味不明。
>>304
どうしてつじつまが合うの教えてください。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 00:10:14 ID:NKGEdG520
>>304
岩倉具視は孝明天皇が筆で文章を書くのに筆をなめるくせをしっていた。
それまで全く元気だった孝明天皇が1966年12月11日天然痘を発症12月25日
崩御。
全く自然死は否定できないとはいってもまわりで伝染病である天然痘患者
がいなかったのを考えると不自然といわざるを得ないのでは。
あなたがなぜつじつまがあうといったのかが非常に興味がある。
是非教えていただきたい。私は全くわからないので・・・
312平山貴士:2007/06/15(金) 00:36:34 ID:KxD56wdr0
307番様へ。
感謝したいのは、こちらの方です。
西田敏行について・・・
もういちど「徳川家康」を見てみたいです。今度は主役で。
津川雅彦さんと同じパターンでやらせてみたいと思っています。
前回の出来に満足していないので
「財前又一」のような俗な「家康」を見てみたいです。
滝田栄さんも「利家」と「家康」をやっているので
同じパターンで「家康」を。そしてついでに「慶喜」も
唐沢寿明にやらせてみようかと・・・
ついでに石坂浩二にも「家康」をやらせてみようかと(笑)
「白い巨塔」になってしまいました(笑)
313平山貴士:2007/06/15(金) 00:45:55 ID:KxD56wdr0
乱暴な言い方かもしれませんが・・・
暗殺・自然死に関わらず、
孝明天皇の崩御により、
公武融和から武力倒幕へと
流れが変わったのは疑いようがないと思うのですが・・・
314名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 00:51:51 ID:0WiYXNd+0
>>308
俺はココにいるぞ
オチ付けたからスルーしてただけだが・・・まだ粘着してんのか?
「孝明天皇は誰が殺したか」だが、
そもそも毒殺かどうかもわからないのに、
誰がやったかなんてわかるわけないだろうにw。
陰謀論に信憑性はない。勝手に妄想するのは自由だが、誰も信じはしないだろう。
つまり、どんなに議論した所で答えは出ない。
無駄だから議論しないだけ。新事実でも出てくれば別だが。
オマエもいい加減にあきらめなってw。話しが永遠にループするだけってわかってるだろ。

>こいつは何を目的にしているのかわからないが
単に「薩摩が殺した」というくだらない陰謀論を信じるアフォをからかっただけだけど。
まさか、マジでそれが真実だと思ってたんじゃないだろうな?。 

>つきあってやるから
 だから「オチ付けた」と言ったろ。もう終わったの。付き合わなくていいの。
315名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 00:52:50 ID:RivS2cfp0
元々武力倒幕への道は第二次征長に幕府が失敗した時点で築かれていたよ。
そもそも公武合体派を潰して、幕府主権にこだわったのは一会桑。
後、兵庫開港問題はかなり大きな問題だったよ、幕府内で。
孝明天皇に関しては佐幕派というより攘夷派といったほうが正しい。
孝明天皇を邪魔だと思っていたのは幕府も一緒。
316平山貴士:2007/06/15(金) 01:39:53 ID:KxD56wdr0
307番様へ。
西田敏行には6代家宣をやってほしいと思っています。
実は江戸幕府一の名君だったという家宣の実像に迫ってほしいです。

余談ですが
ボクは慶喜を見るたびに
この人、井出らっきょに似てるなと思ってしまいます。
よって大穴で井出らっきょ(笑)
317平山貴士:2007/06/15(金) 02:14:25 ID:KxD56wdr0
315番様へ。
えーと、一つずつ答えますね。
大河の徳川慶喜を見た印象ですが、
第二次長州征討の後に倒幕・・・
孝明天皇は言っています。
「何が何でも慶喜に将軍職を受けさせよ」
ドラマではこの後
「事と次第によっては、勅命をもって将軍職に就ける」
と言い、さらに
「もし、あの者がそれでも固辞するような事あらば
 直に逢うて将軍職を言い渡す」
と言っています。
孝明天皇は倒幕は望んでいなかったと思われます。
318平山貴士:2007/06/15(金) 02:31:00 ID:KxD56wdr0
一会桑について
一橋は禁裏御守衛総督に就いています。
この職は幕府の職ではありません。朝廷の職です。
この職に就いた事により京都にもう一人将軍がいるような状態になり
将軍や幕府から疎まれました。
また会津は京都守護職。桑名は京都所司代。
どうしても京都の側にたってしまうのです。
しかも3人とも水戸家の出身。
一会桑は幕府の代表というより
幕府より浮いた存在として
幕府からは毛嫌いされていたのが実情なのです。
319平山貴士:2007/06/15(金) 02:54:07 ID:KxD56wdr0
兵庫開港について
ドラマの中では慶喜はこう言って天皇と朝廷を説得しています。
「此度兵庫開港を求めている四カ国は、それらの国々の代表にして、
 ことのほか力の強い国々にござる。
 今、四カ国の公使達は、条約の勅許なくば、
 兵庫を去る事無く、あまつさえ、戦に及ぶお覚悟の様子にござる。
 もし、公使達の要求を拒否すれば
 あの者達は、お上の尊さをわきまえぬ者達にござりますれば
 一挙にこの都へ殺到するやもしれませぬ。」
つづく。
320平山貴士:2007/06/15(金) 03:13:27 ID:KxD56wdr0
「あの者達は戦いを常としてきた国の生まれにて、
 体も日本人の倍もあり、赤鬼の如く乱暴にて、
 牛・豚・馬となんでも喰らいます。
 もはや返答する日も迫っており、早急に結論を出さねばなりません。
 何卒、我が国が焦土と化す事の無きよう、
 よくよくご協議賜りますよう、お願い申し上げるものにござる。」
こう言ってました。天皇が攘夷派だったのは間違いありませんが
兵庫開港には同意していたと私は思います。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 06:54:17 ID:5IHr1sC20
孝明天皇は長州嫌いだったというが、滝川が六角獄の長州藩士を虐殺したことに対しては
叱責しているし、長州征伐に対しても再三にわたり幕府に無道な行為をしないよう牽制しており、
決して幕府が殺したい放題殺して良いなどという委任状を与えているわけでも無いし、
信頼もしていない。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 08:30:20 ID:RivS2cfp0
とりあえずドラマを根拠に語るのは止めてくれ。
大河であろうとも史実通りという訳ではない。所詮はドラマだ。
後、倒幕を望んでいないことがそのまま佐幕派であるということではない。
慶喜や容保は信頼していたが、幕府内の老中達のことを信頼していた訳ではなく、
むしろ彼らとの間には砂礫があった。
323名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:11:09 ID:YVWJ4aLW0
>>314
荒らしがスルーか?立場わかってないね。お前のすっとこどっこいな意見を
記述してくれないと面白くないんだよ。だって自分で1人2役を演じる異常野郎
だからな。
いつからそんな理論に変えたの?変態君よスルーは徹底的にしなくては・・・
中途半端にでてきてもあんたの無能と異常さをさらけだすだけだよ。
まあひまだから知識は中途半端にあるんだろうけど性格はおまえ本当に悪そうだな。
中高でいじめられた反動か?
話がループ(笑)おまえが全然自分の意見言わないで文句ばっかりいってる
からだろう。スルーするなら徹底的にしろ。この能無し野郎。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:17:31 ID:YVWJ4aLW0
>>322
別に大河ドラマを根拠にしている訳ではないし。そんなに目くじらたてる
こともなかろう。板ちがい?といいそうだが、近現代史板の範疇でしょう。
上記のどこに大河ドラマありきで歴史を語ってるのか?
俳優選定くらいだろ。あんたのいう慶喜、容保以外は・・・という部分も
あくまで推定でしかないのだからな。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:32:29 ID:0wiY9Ld60
ドラマで書いてあっても、史料を見るとどこにも無いような事物が
佐幕派さんの文章には多い。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:36:18 ID:IVSjgkjH0
知らなかったけど人力鉄道の歴史サイトがあった。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
327名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:40:33 ID:5IHr1sC20
小笠原や阿倍など幕権派幕閣を入京を拒否したり叱責したり明らかに
孝明天皇は幕権派に対しては強い嫌悪を抱いていたのは間違いないと思うが。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:47:07 ID:IVSjgkjH0
知らなかったけど人力鉄道の歴史サイトがあった。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
329名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:57:58 ID:bTwQZadG0
>>323
何そんなにリキんでんだよw
オマエだって「薩摩が殺した」って本気で思ってて反論してたわけじゃねーだろw

>自分で1人2役を演じる異常野郎
 は?自作自演なんてしてないよ。するオマエごときを相手するのに自作自演なんて不要w。
 勝手に勘違いしてるオマエを見て、哀れに思いスルーを解いて出てきてやっただけさw。

>いつからそんな理論に変えたの?
 理論?理論って何だ?俺はオマエに何か理論を教えたっけ?。
 頭大丈夫か?少し落ち着け。そして過去レスを嫁。何かと勘違いしてるぞ。

>無能と異常さをさらけだすだけだよ。
 そうか?オマエの悪あがきに比べればたいしたことないと思うw

>性格はおまえ本当に悪そうだな
 オマエの悪態のつき方に比べればそれほどでもないと思うw

>おまえが全然自分の意見言わないで文句ばっかりいってる
 だから「釣り」って言ってたろw。ネタなんだって。
 薩摩が殺した殺さないなんて陰謀説マジで議論するわけないだろw。
 オマエみたいなイタイ厨房をどこまでからかって遊べるか・・・問題はそれだけw

>スルーするなら徹底的にしろ
 おいおいw。相手してやるから出て来いみたいな書き込みしてた癖に、
 出てきてやった途端にそれかよwww。

>この能無し野郎
 オマエモナーw

 

どうしても俺とやり合いたいってのなら新スレ立てろ。そっちに移動してやろう。
ただ、最初に言っておくが「孝明天皇を薩摩が毒殺した」という根拠史料
(実行犯の自白か直接毒を入れるところをみたとかの確実性の高いモノだぞ)
を先に出せよ。アーネスト・サトウや噂話を何個出されても俺は信憑性が無いとしか答えようがないからな。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 21:12:59 ID:YVWJ4aLW0
>>325
だれに言ってるのかわからないが・・・
大東亜戦争等ならいざしらず、佐幕派、薩長派って単なる感情論だけなのでは?
だってもう遥か昔の歴史でしょ。
私の意見はそれは日本人が大体の人間が持っている判官びいきだよ。だから幕末のドラマを
みれば幕府方に肩入れするしね。
だけど近代日本の基礎を作ったのは薩長だと思っているし・・・
あなたみたいに単なる一行レスで意味不明で自分の考えがないのは
反論の仕様がないしたちが悪いよね。
ではあなたの史料に裏づけされた幕末論をご披露してくださいな。
楽しみにしております。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 21:15:24 ID:YVWJ4aLW0
>>321
文章は起承転結で書いてください。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 21:18:05 ID:RivS2cfp0
>>324
いや思いっきりドラマを根拠にしている、もしくは引用して説明しているレスがあると思うが。
別に史料や資料を提示して引用した上で語れとは言わないが、
せめてドラマのセリフを引用しての説明は止めて貰いたい。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 21:22:33 ID:YVWJ4aLW0
>329
まあまあ落ち着け・・・
たかが2ちゃんねるだよ。本当に、なんかおまえもう頭が燃えてるような
勢いだな(笑)
丁寧に一問一答ありがとう。その書き方がすごい異常さを感じさせるんだけど・・・
こわーっていう感想だな。
新レス立てろ?おまえが立てればいいのでは?ははは。
消火器でおまえの怒り消してやらねばならないな。社会にいっても通用しないぞ・・・
その性格では。
334名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 21:26:26 ID:YVWJ4aLW0
>>329
PS そんな史料あったらおれは文筆家か。評論家になってるよ。
おまえは痴呆症か?(返すよ)何回もいってるだろ。
おまえ本当にバカだろ。というか日本語通じてるのか?
335名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 22:15:52 ID:5IHr1sC20
朝廷の意など関係ないと天皇の意向を無視して兵庫開港を強行した幕閣の官位を剥奪した
孝明天皇を「佐幕派」と簡単に結論するのには無理がある。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 22:18:44 ID:Otv+QCD/0
ID:YVWJ4aLW0が全レスしてくれるスレはここですか?
337名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 22:38:57 ID:0wiY9Ld60
この爺は、
お受験板の「福島県の高校受験」関連で、ウザいって言われて
追い出されたばかりなので、きっとレスを返してくれます。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 22:48:58 ID:YVWJ4aLW0
>>337何かお間違えでは????
339名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 22:59:17 ID:0wiY9Ld60
君だとは一言も言っていないのだが、よっぽど心に思い当たる部分があるのであろうよ。
340名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:06:57 ID:YVWJ4aLW0
>>339
いや文脈というか前段からいうと私のことをいってると思うのが当然だが・・・
では誰を言ってるのか?示してください。
341名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:07:21 ID:bTwQZadG0
>>333-334
コイツもイタイ奴だなw
他人のフリして自作自演か
そんなに必死に俺に噛み付く奴なんて、もうオマエだけだから自作自演バレバレだよw

>たかが2ちゃんねるだよ。
 その通り!イイこと言うねw。
 だからいい加減粘着するのやめてくんないw

>丁寧に一問一答ありがとう。
 と言っている時点でオマエが>>323ってバレバレだぞw

>消火器でおまえの怒り消してやらねばならないな。
 そりゃ俺のせりふだよw
 からかわれたと知って頭にきて>323みたいな書き込みしてるうちはダメダメだ。
 2ちゃんねらーとしてはやっていけないぞ。
 今日の書き込みは幾分冷静さを取り戻しているようだけど、
 >>334みたいに中身の無い連続書き込みしてたら「頭にキテルのは>>334だな」って思われちゃうだろ。
 もう少し利口になれよw
342名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:18:01 ID:YVWJ4aLW0
>>329
寝てしまいましたか?
>スルーを解いてでてきてやった?
単なる怒りが堪えきれなくなっただけだろ。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:34:18 ID:bTwQZadG0
>>342
そりゃオマエだw
いい加減に粘着やめたら?
344名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 23:56:06 ID:0wiY9Ld60
いよいよ会津厨の話は支離滅裂になってまいりました。
歴史とドラマを取り違えて威張り散らす会津厨は
地元会津でも迷惑の的です。

いい加減に真人間になりなさい。日中に粘着せず働くことを学びなさい。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 00:00:38 ID:o0/OYDPh0
>>341
はあ?IDみれば同一人物ってわかるだろ??
イタイ?全く意味不明。他人のふりなんてしてないよ。
他人のふりはお前の専売特許だよ。そんな姑息な手段は使いません。
もしかしてID知らないの?
それで>>341>>343は他人のふり?
346平山貴士:2007/06/16(土) 01:29:20 ID:MQHTSk1/0
おいおい、すごい事になってるな。えーと・・・
ドラマから引用するな!か・・・
返答
・・・わかりました!
(苦労の割に報われんかったな。とほほ・・・そういう決まりなのか?)
347平山貴士:2007/06/16(土) 02:06:46 ID:MQHTSk1/0
ちなみに
「何が何でも慶喜に将軍職を受けさせよ」
この文は「知ってるつもり?!」からの引用です。念のため。
(TVから引用するな!という意見が来そうだな。)

これも「不可」っすか?
348平山貴士:2007/06/16(土) 02:18:23 ID:MQHTSk1/0
とりあえず「決まり事」があるならば拝受いたします。
「知ってるつもり?!」からの引用はそれからということで・・・

皆様の裁量にお任せします。
とりあえずケンカはやめよーね。
349平山貴士:2007/06/16(土) 02:26:16 ID:MQHTSk1/0
ちなみに
私は実名を出しています。
私への返事は実名で呼んでくれても構いませんが・・・
350平山貴士:2007/06/16(土) 02:31:25 ID:MQHTSk1/0
344へ。
オレ?
351平山貴士:2007/06/16(土) 02:36:50 ID:MQHTSk1/0
「天皇が攘夷派だったのは間違いありませんが」
と書いたんですけど。
352平山貴士:2007/06/16(土) 02:40:49 ID:MQHTSk1/0
くりかえすが・・・
とりあえずケンカはやめよーね。
353平山貴士:2007/06/16(土) 02:44:57 ID:MQHTSk1/0
くりかえすが・・・
皆様方の裁量にお任せします。
354平山貴士:2007/06/16(土) 03:47:56 ID:MQHTSk1/0
井沢元彦さんの「逆説の日本史」読んだ事のある方いますか?
355名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 06:36:12 ID:T4xIZm6k0
>「何が何でも慶喜に将軍職を受けさせよ」
孫引きではなく、原典を明確にしなされ。
2ちゃんだからいい加減でいいやで話を進めるのであれば
知った事ではないがな。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 07:24:51 ID:1wbCXZ490
>>345
>IDみれば同一人物ってわかるだろ
おっとwこいつぁ失礼。オマエ自作自演ばっかりしてるから
又かと思って勘違いしちまったぜw

で、まだ俺に粘着するのかい?wwwww
そんなに悔しかったか・・・つか、もしかして本気で「薩摩が殺した」って信じてたって事か。
もしそうなら、からかった俺も悪かったな・・・
俺みたいな手合いは2ちゃんにはゴマンといるからさ。
オマエを俺以上ののねらーと思ったんだ。だからネタだと思ってさw。
正直スマンかった。
でもさ、マジ「孝明天皇を毒殺したのは薩摩」なんて信じてると馬鹿にされるぞ。
悔い改めよw
357名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 08:57:53 ID:JotxTgX/0
>>354
井沢元彦の逆説の日本史は好きなところだけ斜め読みしてます。おもしろいですね。
>けんかはやめよう。
私もそうしたい。
だけどみてもわかるように>>356のように最初っから議論をする気のないあほたれ
野郎にはそれなりの対応をとらせてもらう。
だっていつの間にか>薩摩が孝明天皇を毒殺した。って俺が断言している
ことになっているからな。
真相はだれもわからないあくまで可能性の問題だっていってるのに。こいつは
会津が孝明天皇を謀殺して兵庫港開港を勝ち取ったってとんでもないことを
いってる奴だからね。
それに一人二役を演じる姑息な手段を平気で用いて、人にはIDが一緒なのに
一人二役を演じてイタイとかいってるあほ野郎。IDも知らない。指摘されて
うわ!そんなのあったのか!って頭かかえてるよ。きっと。
経緯を見てもらえればわかるが、最初は議論をしようとしていた。内容は
ともかくね。だけどこいつはダメ。荒らしの一種。
358名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 09:33:56 ID:JotxTgX/0
>>344日中に書き込みしてある?時間きちんとみてる?
朝と夜しかないよ。会津厨ってどこに会津の議論がされてるの?
されてないぜ。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 09:44:47 ID:DnOzbmXn0
結局、会津厨には話をする意欲もなく、>>358のような偏見と一方的な断定だけがある。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 09:46:18 ID:JotxTgX/0
>>356
粘着、粘着ってばかの一つ覚えみたいに・・・
>自作自演ばかりしてる・・・
正気か?おまえ自分で前のスレでわざと自作自演したって暴露してる
じゃねえか。おまえ人に痴呆症っていっときながらね。お前はID知らないから
341と343で自作自演してるよな。俺はそんなことしても意味がないと
思ってるしね。
おまえは本当に人物が姑息で卑怯でさみしいやつだね。議論もろくに
できない人物だったらこのレスにくるなよ。

では仮に俺が薩摩が岩倉と組んで孝明天皇を謀殺したと断言したとしよう
その反論をしてくださいよ。孝明天皇は攘夷はだったがその前に極端な
保守派。要は現状維持派だったのはしってるだろ。
それをどうしてもかえたかったのが薩摩でしょ。江戸で乱暴狼藉を
してまで戊辰戦争に持ち込んだんだからな。

これが最後だと思うけどお前みたいな姑息な人間に一応礼儀を尽くして
質問したんだからな。「まともな文章で返してね」無駄だと思うけど。
けんかしたいんだったら、おまえが言うように別の板たてろおまえがな。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 09:50:04 ID:1wbCXZ490
>>357
オマエ2ちゃんなんかで大まじめに「薩摩が天皇を殺した可能性」を議論しようと思ってたのか?
それこそイタイヤツの代表だろw
362名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 09:59:05 ID:1wbCXZ490
>341と343で自作自演してるよな。
 オマエごときに自作自演する必要はないと言ったろ。
 勝手に自作自演と思いこむのは自由だが。

>人物が姑息で卑怯でさみしいやつだね。議論もろくにできない人物だったらこのレスにくるなよ
 そりゃオマエだろw。俺に対して粘着に人格や性格批判をばっかりして歴史の話ししてないじゃないかw。

>薩摩が岩倉と組んで孝明天皇を謀殺したと断言したと断言したとしよう

254 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 12:33:09 ID:hjWdTvsK0
孝明天皇こそは討幕派の障害で幕府の信頼も厚かったので、薩摩に暗殺された。

 この書き込みがオマエでないなら、俺の勘違いだ。スマソ。これを書いたヤツと遊んでいるつもりだったんだが・・・

>一応礼儀を尽くして
 礼儀ねぇ・・・礼儀を尽くした文面じゃねーなーw
363名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 10:11:19 ID:JotxTgX/0
>>361
だから仮にって書いてるだろ。まあ予想されたあほなレスが返ってきて
安心したよ。おまえが何も持ってないし、思想もないってわかったから。
おまえ自作自演したって言ってたではないか。>>299で・・・いまさらかよ(笑)
それから>>254は単なる通りすがりだろ。前後のIDと文脈でおまえは
判断できないのか?
ではその254に対しておまえの考え方を披露するのが普通ではないのか?
書いてみろよ。書けって何回いわせるんだよ。
礼儀を尽くす。お前レベルではちょうどいい。慇懃無礼で失礼かと
思ったくらいだよ。
繰り返す254に反論するのであれば遅くはない早く書け。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 10:58:59 ID:JotxTgX/0
>>336>>337
こいつらは自分の間違えに気がついてさっさと退散してしまって
おもしろくありませんな。
365平山貴士:2007/06/16(土) 13:00:36 ID:MQHTSk1/0
知ってるつもり?!の中で
渋沢栄一の「徳川慶喜公伝」という本が出てきます。
それが出典かもしれません。

尚、正確には
「どんなに固辞しても将軍職を受けさせよ」
でした。お詫びして訂正いたします。
366名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 15:18:53 ID:JotxTgX/0
>>365
何回も固辞するのが(あるいはさせるのが)慶喜の作戦だったのでしょうか?

>>322
それとドラマを引用しているのにけちをつけている輩がいるが、昭和なら
いざ知らずここら辺になると真相はわからないのが実情なので、それもありかと
思う。
けちをつけるならそれに対する反論、例えばドラマを引用した部分をこう間違って
いるといったようなレスをつけてもらいたい。別にすべてドラマありきで話を
すすめている訳ではないからね。
私が一番やめてもらいたいのは傍観しておいて、いきなり入ってきて小姑のように
どうしようもないけちをつけるのは一番やめてもらいたい。
367名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 19:59:07 ID:JotxTgX/0
>>362
こいつは自分に都合が悪くなったみたいで退場したみたいです。本当に自分で自作自演を
しておいて、人には自作自演をしたように因縁をつける。
それでいて勘違いを棚に上げて、的外れなまたまた因縁付け。
「スマソ」じゃあねんだよ。おまえのすばらしい会津陰謀論を披露してくれって
何回いってるんだ?丁寧に謝ってから退場して欲しいね。
まあ姑息で卑怯でひまなおっさんだから無理か?
もう改めて今までのやりとりみてるとおまえのばかさ加減がわかるよ。
おまえ2ちゃんねるを慣れてるふりをしてIDもしらなかったもんな。
まあ勉強して出直してこいや。
その時は感情的ではないまとまな議論をしてやるよ。何しろ証拠がない
議論だからな。政治板やその他とちがうことを念頭におけよ。
368名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 20:36:38 ID:QH5peBQ70
>>366
真相が解らないからこそ、史実を追求するのが歴史学。
ドラマはエンターテイメントである以上、推測や捏造が多いのは周知の事実だろう。
それを学術板で言わないでくれ、と言いたいんだ。

これまでの論争もそうだが、まともな史料も無いのに憶測だけで論争しても意味が無い。
今の歴史学は史料に基づいた史実を求めている。つまり史料に無いものは無い。
孝明天皇を実際にどちらが殺そうが、その史料が残っていない以上それは陰謀論でしかないんだよ。
状況証拠なんて何の役にも立たない。だから今の歴史学会では孝明天皇は病死ということになっている。
それよりももっと建設的な慶喜に対する話をしないか。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 20:52:02 ID:JotxTgX/0
>>368
いってることはわかるよ。
だから、たかが2ちゃんねるだからこそいいんではといいたいのよ。
それでドラマは確かに面白おかしく書く部分がほとんどだが、史実はきちんと
考証されている訳ですよ。(中には全くおかしい部分もあるが)そこをピックアップして
何が悪いのかと・・・
今の歴史学会が病死になっているのは証拠がないから・・・それで終わり
だったらここの存在意義はどうなるのでしょうか?
公的に言えない事もいえるからこその2ちゃんねるでしょう。証拠がなかったら
それで終わりではそれこそ、歴史学会でやればいい。
但し、慶喜の話はどんどん話をすればいいではないかい。但し、>>1のように
スレをたてた本人があほであれば別だが・・・私は本当にけんかなんてしたくはない
だけどあほな奴にはそれなりの対応をとらせてもらう。(あほというのは感情的に
対応する奴のこと)
370名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 21:14:25 ID:QH5peBQ70
一応、ここは学術板だからドラマ根拠は止めて欲しいんだよ。
そうすると小説でもOKになるし、漫画でも良いことになる。
語るのは別に構わないよ。でもそれを根拠に論争に参加しては欲しくない。
上でも言っているようにドラマとは小説や漫画と同じくエンターテイメントだから、
捏造もあれば、主人公達に都合良く描くために史実を捻じ曲げることだってある。
そういう可能性のあるものを歴史を論じる上で根拠とされると困るんだよ。

ここは慶喜に関することを話す場所であって、孝明天皇の陰謀論を語る場所では無いはず。
そういう意味でもこの論争はそろそろ止めて良いんじゃないか。
所詮、陰謀論に根拠なんてない。幾ら語っても結論は出ない。
だから学会上の「病死」で決着をつけても良いと思うんだが。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 00:17:52 ID:yM1pnPaN0
うーん??
論理が飛びすぎのような気もするのですが・・・板の表題ありきで論議が展開するのも
いいのですが・・・
では新しい板の表題の>>1のとんでも理論に縛られることになる訳ですか?
学術板はドラマを引用してはいけない決まりになっているなら従いますが、
そんなに堅くいかなくてもいいかと・・・
孝明天皇まあ確かにそろそろやめてもいいとは思ってますよ。>>362のような荒らし
に近い奴が出てきた時は私はそれなりに対応します。
但し、あれはダメこれはそろそろやめた方がといっているだけでは話が全然
白熱しないし面白くないですよね。否定するのもいいですが・・・否定ばっかりではねえ。

それではあなたがそれまで言うのであれば、新しい慶喜の論議が再燃するような
きっかけのスレを書いて下さい。楽しみにしてますよ。

372平山貴士:2007/06/17(日) 01:09:21 ID:ysWCus+90
2ちゃんだからいい加減でいいなどとは思ってません。
私は過去に「ここはレベル高いですね」と2度程書きました。
読み返して確認して下さい。
いい加減な板があった事は認めますが。
373名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 01:21:35 ID:yM1pnPaN0
>>359
あんまり訳わかんない書き込みだったんでちょっとびっくり。
通訳必要だな。
374平山貴士:2007/06/17(日) 01:28:19 ID:ysWCus+90
366番様へ。
別冊歴史読本「徳川十五代将軍グラフティー」より

慶喜は、家茂の後を継ぐとき、慎重に身がまえた。
四ヶ月の空白期間がそれである。
徳川宗本家の家督だけを相続して、
将軍位継承を留保することにより、
この難局を背負う後継将軍は慶喜以外にありえないことを、
幕臣たちに腹の底までわからせた。
つづく。
375平山貴士:2007/06/17(日) 01:43:34 ID:ysWCus+90
つづき。
幕府内部に対する配慮だけからではない。
幕府の外に対しても、この四ヶ月の空白は有効だった。
慶喜がすぐに将軍位に就いたら、
この機会に将軍独裁体制を廃止して、
政権を諸大名の合議体に切りかえようと構想していた人たち、
たとえば松平春嶽を、激怒させたに違いない。
しかし、四ヶ月間政局を停滞させておくことによって、
大名会議など簡単に開けるものではないことがわかってしまった。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 01:52:48 ID:yM1pnPaN0
>>374>>375
いや丁寧にありがとうございます。
私がドラマねたを持ち出したばかりにけちがついてしまって・・・
そろそろ寝ますのでそれではまた。
377平山貴士:2007/06/17(日) 01:57:07 ID:ysWCus+90
つづき。
慶喜は、あらかじめ骨抜きにした小さな会議を招集して、
そんなものが幕府の代わりになりはしないことを上手に演出してみせた。
そうやって、当面は幕府の将軍独裁体制でいくほかはないのだという
雰囲気をつくっておいて、
天皇の方から、
そろそろ将軍になったらどうかと言いださせるようにしむけた。
作戦は功を奏し、
どんなに固辞しても受けさせろという、
孝明天皇の強い要求に従うかたちで、慶喜は将軍宣下を受けたのである。
378平山貴士:2007/06/17(日) 02:03:49 ID:ysWCus+90
しまった!375に「つづく」と書くのを忘れたー!(マヌケ)
まだ、途中だったんですよー!
明日、見て下さいね。ははは・・・
379平山貴士:2007/06/17(日) 02:15:36 ID:ysWCus+90
さて、皆様。
私から新しい議題を提案します。
題して
「徳川慶喜は臆病者か否か?」
そうです!もとの議題です。
380平山貴士:2007/06/17(日) 02:35:47 ID:ysWCus+90
徳川慶喜に対する声

「二心殿」・・・本心が判らない、二つの心を抱く者。
        二つの心を持つ裏切り者。
「豚一殿」・・・西洋かぶれで豚肉を喰らう不気味な男。
「強情公」・・・言いだせば絶対に曲げない性格。

西郷吉之助
「この男を殺さぬ限り、幼帝(明治天皇)の将来は危ない」

桂小五郎
「実に家康の再来を見るがごとし」

これらの文を見てどう思いましたか?
381平山貴士:2007/06/17(日) 02:45:10 ID:ysWCus+90
パークス(イギリス公使)
「彼(慶喜)の評判の高い、秀れた能力のために
 多くの有力な大名たちによって
 最も好ましい人物として
 語られているように思われる・・・」

「イギリス大使パークスの手紙」より
382平山貴士:2007/06/17(日) 02:56:56 ID:ysWCus+90
板倉勝静(老中。実は松平定信の孫。)
「あのような主君に仕えた自分が誤っていた」

インターネットで検索してみてください。
WIKIなんとかというのにのっています。
383平山貴士:2007/06/17(日) 03:22:23 ID:ysWCus+90
勝海舟
「維新の際に大政を奉還したのは
 国家の安寧と人民の幸福とを望んだので
 その当時
 議論の沸騰したことをよく押さえつけて
 何事もなく今日に至らしめたのは
 実際徳川家の功労である・・・」

「海舟日記」より
384平山貴士:2007/06/17(日) 03:25:37 ID:ysWCus+90
ふー。疲れた。
じゃあ、また夜来ます。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 07:08:13 ID:KvrEb/43O
水戸徳川家の血筋を引く15代様は、副将軍家に代々伝えられた東照神君の遺言を実施した迄。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 07:10:37 ID:KvrEb/43O
すなわち、いつか幕府が窮地に立つ時は、必ず皇室と対立する時であろうが、幕府と対立しても水戸家は、皇室に付くようにと。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 10:20:25 ID:iZJy/NvR0
>>385>>386
>東照神君(家康?)で幕府より皇室へつくようにと?
へー。はじめて知りました。私はてっきり水戸光圀が大日本史を編纂し、
そこから水戸学がおこり水戸藩では尊王の気風が強いと思っておりました。
どこに書いてありました?
388名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 10:48:12 ID:iZJy/NvR0
>>379
どういう概念で臆病者かどうかはわかりませんが、
水戸学で教えこまれて朝敵になるのは非常に臆病になったのでは?
戦況の不利もあっただろうが、何しろ薩長には錦の御旗がひるがえった
からね。それが決定的になったのでしょう。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 16:53:54 ID:t+al7v060
岩倉と慶喜は表では激しく争っていたが、
裏では朝廷工作などで強い繋がりを持っていた。
慶喜は最も薩摩を敵視していた為か、薩摩の大久保や西郷も慶喜に厳罰を要求していたが、
岩倉や長州の木戸などは謹慎で十分と寛典論に立った。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 21:57:24 ID:LVeiu6EM0
>>370
傍観だけをして学術板だかなんだかしらないが、勝手な決まりごとをつくって、
それでいて自分の意見は何も言わない。
人の意見にけちをつけるのは簡単だがあんたが偉そうに上目線からいったんだから
あなたのすばらしい慶喜論を書いてくださいよ。もしできないんだったら、
ドラマねたが出ようが何が出ようが、

だまってろよ。わかったか。
391名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 22:14:03 ID:KvrEb/43O
水戸藩は実質的に徳川宗家として、明治維新後も絶大なプライドを持ち続け、広島長崎を被爆させることに同意したのも、水戸と良子皇太后の実家薩摩家です。つまり長州を威嚇したのです
392名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 23:47:29 ID:LVeiu6EM0
>>391
意味がよくわからないのですけど・・・
393平山貴士:2007/06/18(月) 00:55:38 ID:pS9aPECQ0
あら?オレの文に対する書き込みが・・・
ほとんどない!
がっくり。ま、いーか。えーと・・・
388番様へ。
私個人は臆病者だとは思ってません。
この板のタイトルを採用しただけなので
1番の人に聞いて下さい。
394平山貴士:2007/06/18(月) 00:59:00 ID:pS9aPECQ0
みなさーん。
オレへの意見・批判
どんどん下さい。
待ってまーす。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 07:05:36 ID:Do+WMbwB0
>>390
>>370をよく嫁。理解できなければ理解できないでしょうもないが。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 21:36:13 ID:2K/V1n4o0
>>395
まず質問お前は>>370か?そして日本語読めるのか?
>>370に慶喜のことが書いてあるのか?え?書いてあるのは、ドラマやマンガを
ソースにするな。孝明天皇が病死でいいではないかとのことだけだぞ。
俺は何回も書いている通り、慶喜のことを語ってくれ>>368でいってるだろ。
反論があれば書いてくれ。それとどう理解するのかもな。
どこをどう「嫁」といわれても慶喜のこと書いてあるのか?
おまえふざけたこと書いてるんじゃあねえよ。あほ。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 21:45:16 ID:2K/V1n4o0
>>393
あなたはさすがに本名をさらすだけあって、人間が温厚でできているから挑発
にのらない。ここの人間は匿名をいいこと(私も含むけどね)に仁義なき言葉の
暴力で争っている。だから、ちょっとけんかを売ってみたらどうでしょう。
あなたくらい知識があれば論破できるでしょう
それでは勝海舟についてどうでしょう。私は(もちろん真相はわからない)相当うさんくさい
人間と思っている。幕臣でありながら反幕勢力と親交をもったりね。
>>395
こいつが単なる通りすがりかドラマやマンガをソースにするなといった人間かで
俺は対応を変えるけど。どう思いますか?
慶喜の話題をしろと言っておきながら何もいわない。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:06:53 ID:2K/V1n4o0
>>396
少し間違え>>368は俺がいったのではない。
そのあほがいったのであった。だから慶喜の話してくれよ。
>>395に書いた奴に言うおまえがよく読めよ。本当に日本語理解できてる?
399平山貴士:2007/06/19(火) 01:13:04 ID:VeERUY0A0
397番様へ。
お褒めの言葉いただき、ありがとうございます。
ただ、私は温厚ではありません。
TVタックルの板を荒らしまくった前科があります。
相当鍛えられましたので。(笑)
この板は荒らしたくないのです。
それから・・・
400平山貴士:2007/06/19(火) 01:16:28 ID:VeERUY0A0
知識・・・
自慢できる程ではありません。
資料でカバーしているだけです。
それから・・・
401平山貴士:2007/06/19(火) 01:21:18 ID:VeERUY0A0
勝海舟について・・・
昔、「氷川清話」という本を読みましたが、
かなり、変わった人物ですね(笑)
この人も慶喜同様評価がわかれそうですね。
402平山貴士:2007/06/19(火) 01:26:16 ID:VeERUY0A0
とりあえず、しばらくは様子を見ます。
どういう議論が出てくるか、じっくり待とうと思います。
鳴くまで待とうホトトギス(笑)
403平山貴士:2007/06/19(火) 01:35:02 ID:VeERUY0A0
追加
仁義なき言葉の暴力・・・
TVタックルはもっとひどかった(笑)
「クソサヨ氏ね」だの
「バカウヨのカス」だの
ワンフレーズの単語しか言わないので議論にならない(笑)
オレも言い返しましたけどね。
「このワンフレーズバカ!」ってね(笑)
そんでもって潰しましたしね(笑)
404名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 02:56:34 ID:IUdHk0oq0
http://www.youtube.com/watch?v=MHCQCz2Efnc

これでも見て、真実を見よ
405平山貴士:2007/06/20(水) 00:19:23 ID:nhUZ8WTc0
おーい!書き込めよー!
406名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 00:36:41 ID:fG2Oxnqd0
>>405
幕末ネタは真相は闇の中ということが多いので、評論分片手にソースを
探しまくって相手を論破して鬱憤を晴らす連中や(これは大東亜戦争ネタに多い)
あるいはあなたのいうようにワンフレーズネタで自分の鬱憤を晴らす連中が
少ない。
だから書き込みが少ないのでは、はやりエキサイトねたやとんでもない
新しいネタを書く奴に噛み付くのが一番では?もちろん荒らしでは
ありません。冷静沈着に論破するのです。
407平山貴士:2007/06/20(水) 01:15:45 ID:nhUZ8WTc0
冷静沈着に論破・・・
オレそんな柄じゃないっすよ(笑)
とりあえず、皆さん
実のある議論をいたしましょう。
今日は正直拍子抜け(笑)
楽しみにしてただけに残念
明日までによろしく頼みますよ!
408名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 07:09:34 ID:/irrRldf0
>>>396
徴発に乗っているようでは厨扱いされても仕方あるまい。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 20:04:56 ID:CeAczLSy0
まぁ徳川慶喜は偉大な政治家だったよ
こいつが将軍じゃなく代わりのやつが好戦的な奴だったらまぢで日本はやばかったのは確か

と同時に明治政府反対勢力を一箇所に集めテロまがいをさせずにまとめあげた榎本もいてよかった
反対派を撃破しやすくしたんだからね
410名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 23:58:19 ID:B+YNW4wT0
>>395>>408
別に挑発に乗ってないよ。お前らの書く低次元の書き込みに面白いからのって
やっているだけだよ。ひまつぶしにな。だって平和だったら面白くないだろ?
お前も歴史板に来るんだったら、一行レスではなくなにか考えを書いてからされ。
まあなーんにももってないんだろうけどな(笑)
411名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:20:47 ID:AOSHkNrV0
っと真性厨の>>410が語っております。
412名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 00:31:05 ID:+RJtfVEe0
会津厨は罵倒だけで中身がなく、
まともな反論があっても罵倒で「会津は正義」と押し通そうとするので話にならない。

まあ、会津小説家との対談でも同じだが。
413平山貴士:2007/06/21(木) 02:14:02 ID:o6eNCG8a0
410へ。
具体的にどこが低次元なのかな?
荒らし目的なら出てけ!このヤロー!
オレはこの板は荒らしたくないっつってんだよ!
414平山貴士:2007/06/21(木) 02:16:12 ID:o6eNCG8a0
404へ
あなたの文も板違いです。
出て行って下さい。
415平山貴士:2007/06/21(木) 02:22:58 ID:o6eNCG8a0
今日は悲しい思いをした。
明日はもう少しマシになってる事を望みます。
皆様、レベルアップに努めましょう。お願いします。
ついつい挑発に乗ってしまった・・・まだまだ未熟だなあ・・・
416平山貴士:2007/06/21(木) 03:38:27 ID:o6eNCG8a0
410へ
さんざん大言吐いたんだからな。責任取って貰うぞ。コラ。
お前の「徳川慶喜論」聞かせろや。
「高等」な自論、言えるもんなら言ってみろ!
417平山貴士:2007/06/21(木) 03:56:05 ID:o6eNCG8a0
平和だったら面白くない・・・
究極の平和ボケだな(嘲笑)
「治にいて乱を忘れず」という言葉を知らんらしい。
オレは胸の腫瘍を切る手術を
去年の11月にやったばかりなんでね。
平和の有り難さを思いっきり享受しとる。
命を危険にさらした事もない奴に限って
こういうトンチンカンな事をぬかす。(笑)
お前、修羅場経験してねえだろ。
「乱世バカ」!(笑)
418平山貴士:2007/06/22(金) 01:10:52 ID:VcFi6Lxr0
おーい!
みんな、どこいった?
419名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 01:32:33 ID:7ijVdUkt0
>>413
410ですが、あなたを再三にわたりフォローしていたつもりだったんですが、
これが回答ですか?
こいつらは一行レスのどうしようもない連中で、思想も知識もへったくれもない。
あなたがそういうように出るのであればこちらも考えがありますがいかがでしょうか?
>>395>>408どのような意見が正当なのですか?
おれは噛みつけっていったけど内容をよくよんだほうがいいですよ。私は
あなたをはじめとして論破されるような次元ではないと思ってますからね。
挑戦するなら受けてたつよ。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 01:55:32 ID:7ijVdUkt0
>>410
みたいななーにも知識ないやつもいるけどね。でもこういう馬鹿がいても
おもしろいよね。だって一行レスはできるけど論理的反論は何も出来ないもんな
なあ410よ。おまえは単なるあほだよな。(笑)
421名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 17:30:02 ID:hx8+HNy50
2chで自慢して楽しいですか?^^
422平山貴士:2007/06/23(土) 01:10:09 ID:C4LHfYJL0
あれ?
419と420は同一人物だよな?
何これ?
423平山貴士:2007/06/23(土) 01:12:39 ID:C4LHfYJL0
とりあえずみんな。
徳川慶喜の話をしよう。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 01:17:32 ID:ZESxIVZ30
>>420
そう同じ人物。おれだ。だけど昨日は泥酔していてなにを書いたか覚えていない。
きっと>>420にかいた410は違うレスに文句を言ったと思う。
>>419の質問に答えてくれ。けんかを売るなら買うよ。間違えているなら
そういってくれよ。
>>421
ではなんであんたは見にきてるの?
425名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 01:18:49 ID:GqjNlwNa0
自慢なんて見に来てませんが?^^
426平山貴士:2007/06/23(土) 01:25:32 ID:C4LHfYJL0
オレからケンカを売るつもりはない。
何度も言っているが
この板を荒らしたくはない。
それだけはわかってほしい。
とにかく正気に戻って
「徳川慶喜論」を語ってもらいたい。
427平山貴士:2007/06/23(土) 01:38:52 ID:C4LHfYJL0
ここは、「知識の自慢」をする場所です。
それから、強制的措置をとらせていただきます。
428平山貴士:2007/06/23(土) 01:47:40 ID:C4LHfYJL0
「徳川慶喜の言葉」

「天下をとる程、骨の折れる事は無い。
 骨が折れるから嫌と申す訳ではないが、
 天下をとってから仕損じるよりも、
 はじめから天下をとらぬ方が良いかと思われる。」

「徳川慶喜公伝」より
429名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 01:51:28 ID:ZESxIVZ30
うーん。真意がわかってもらってないね。>>410を読んでるかな?荒らしはそこで
指摘された人間だろ
>>413で感情的になってるではないか?これをけんかあるいは荒らしと呼ばずして
なんというのかな?
それから強制的措置とは何ぞや。楽しみですな。それからみんなが食いつくような
慶喜論を語ってくれればね。みんな知っていれば論議にもならないでしょ。
430平山貴士:2007/06/23(土) 02:01:40 ID:C4LHfYJL0
「万国に通じる道理に基づき
 互いに交流を交わす今日であれば
 日本だけが鎖国の旧習を守るべきにあらず
 故に自ら進んで海外各国に交流を求めなければならぬ」

「徳川慶喜公伝」より
431名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 02:04:01 ID:ZESxIVZ30
>>430
それであなたは何が言いたいの?起承転結で話すべきでは?それを話した
背景、誰に対していったのか?これでは単なる評論文の写しだけではないの?
なにがいいたいのかさっぱり?
432平山貴士:2007/06/23(土) 02:04:31 ID:C4LHfYJL0
強制的措置とは・・・
強引に慶喜の話に戻すと言うことだ。
慶喜の話ができなきゃ意味なかろう。
433平山貴士:2007/06/23(土) 02:09:12 ID:C4LHfYJL0
とにかく慶喜の話がわからんではな。
なんで、あんたここにいるの?
「勝ち抜きケンカ選手権」じゃないんだよ。
「慶喜」の話はできないのか?
434平山貴士:2007/06/23(土) 02:11:32 ID:C4LHfYJL0
と・に・か・く
「慶喜」の話をする板なのさ。こ・こ・は
435平山貴士:2007/06/23(土) 02:19:25 ID:C4LHfYJL0
「誠に御尤もだ
 出来ない攘夷をするの
 出来ない鎖港をするのと言って
 実は朝廷を欺くやうなことになる
 それよりはもう
 国の為に開く方が宜しい」

「徳川慶喜公伝」より
436平山貴士:2007/06/23(土) 02:27:50 ID:C4LHfYJL0
「この三人は天下の大馬鹿者
 最悪の策略家であるのに
 何故宮様は彼等を御信用なさるのか」

「徳川慶喜公伝」より
437平山貴士:2007/06/23(土) 02:39:53 ID:C4LHfYJL0
「東照宮は日本国のために
 幕府を開いて将軍になったが
 自分は日本国のために
 幕府を葬るの任に
 当たるべしと覚悟した」

「昔夢会筆記」(慶喜の談話)より
438平山貴士:2007/06/23(土) 02:46:10 ID:C4LHfYJL0
「身に覚えなくも罪こうむりたれば
 一つには血気盛りの意地よりして
 斯く厳重に法の如く謹慎したり」

「昔夢会筆記」より
439平山貴士:2007/06/23(土) 02:56:43 ID:C4LHfYJL0
「もし列強国と戦って負けるような事になれば
 インドや中国が陥ったように
 日本も瓦解し
 万民が塗炭の苦しみを味わう事になるのは
 忍び難い」

「徳川慶喜公伝」より
440平山貴士:2007/06/23(土) 03:02:26 ID:C4LHfYJL0
「とりわけて
 いふべきふしは
 あらねども
 ただおもしろく
 けふもくらしつ」

(慶喜晩年のうた)
441平山貴士:2007/06/23(土) 03:05:50 ID:C4LHfYJL0
これらの文を見て慶喜にどういう印象を持ちましたか?
皆様の率直な「慶喜」に対する意見をお寄せ下さい。
442平山貴士:2007/06/23(土) 03:17:40 ID:C4LHfYJL0
それから・・・
部外者は出てけ。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 09:43:26 ID:K7LoCmou0


           ,, -──- 、._ 
        .-"´         \. 
        :/   _ノ    ヽ、_ ヽ.:
        :/  o゚((●))  ((●))゚oヽ:
      :|       (__人__)    |: 
      :l        )  (      l:
      :` 、       `ー'     /:  
       :, -‐ (_).        /
       :l_j_j_j と)丶─‐┬.''´
          :ヽ   :i |:
             :/  :⊂ノ|:

444名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 09:59:02 ID:8iOy7HfK0
ただしイケメンやった
「篤姫」ではチュートリアル徳井が演じるらしい。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 16:00:10 ID:dXE6Y+L50
誰か相手してやったら。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 18:31:03 ID:GqjNlwNa0
      ____
     /      \
   /  _ノ  ヽ、_  \    
  /  o゚⌒   ⌒゚o  \    また平山の介護の仕事が始まるお・・・
  |     (__人__)    |  
  \     ` ⌒´     /
447名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 16:01:35 ID:Opez/VBn0
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448平山貴士:2007/06/25(月) 00:51:48 ID:CqVbLthn0
おーい!
慶喜の話してくれ!
誰かが「学術板」って言ってなかったっけ?
ダメだこりゃ!
449平山貴士:2007/06/25(月) 00:55:23 ID:CqVbLthn0
446番様へ。
オレの介護って何なの?
そんな、嫌そうにするなや。
450平山貴士:2007/06/25(月) 00:58:19 ID:CqVbLthn0
誰でもいいから「徳川慶喜論」語れ。
だんだんずれてきてる。
誰でもいいから。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 17:46:50 ID:Lhi9bj9OO
平山貴士はよっぽど慶喜好きなんだな…。
じゃあ聞くけど
12月6日、慶喜は中根雪江からクーデターの情報を事前に察知していたわけだが、
何も行動は起こさず容保と定敬を当日二条城に呼び寄せ、外出を禁じた。
ある研究者は軍の指揮権を持たなかった為行動を起こせなかった、
またある研究者は幕府に絶望感を感じていた為だとしている。
貴士はどう捉える?
452名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 22:09:49 ID:Vzbs7M3n0
>>451
人を呼び捨てにするんならお前も名乗るのが筋ではないか?
偉そうなことを言うんであればね。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 23:54:44 ID:Lhi9bj9OO
>>452
……。(´Д`)=з
454名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 19:02:37 ID:3h+KOHfo0
ちょwwwwwwwwwwwww
基wwww地ww外wwwwww
455名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 00:19:42 ID:R8QIqxVu0
>>454
お前の方が狂っているように思えるぞ・・・
456名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 01:18:09 ID:NHMuSypJO
平山は荒らしか
457名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 07:02:22 ID:KQvbELTi0
かまって君だろ。ほうっておけ。
458平山貴士:2007/06/28(木) 02:43:59 ID:dobkeqaa0
451番様へ。
もう少し詳しく話を聞きたいのですが。
よろしいですか。
459平山貴士:2007/06/28(木) 02:45:44 ID:dobkeqaa0
452番様へ
いやいや結構ですよ。はっはっは
460平山貴士:2007/06/28(木) 02:46:48 ID:dobkeqaa0
454へ。
オレ?
461平山貴士:2007/06/28(木) 02:47:43 ID:dobkeqaa0
456へ。
なんで?
462平山貴士:2007/06/28(木) 02:50:21 ID:dobkeqaa0
457へ。
オレに興味を持てとは言わん。
慶喜に構ってくれ。
463平山貴士:2007/06/28(木) 02:53:57 ID:dobkeqaa0
正確には・・・
「徳川」が好きなんです。
「徳川」を検索して、ここに辿りつきました。
464平山貴士:2007/06/28(木) 03:30:56 ID:dobkeqaa0
451番様へ。
おそらくは、クーデター政権の力の程を見誤ったんじゃないでしょうか?
新政府には外交は出来ない。
必ず、徳川宗家の力を必要とすると。
クーデターに面と向かって叛旗を翻すと、
朝敵となるから、それは避けようと。
雄藩連合の首班として、やっていくつもりだったんじゃないでしょうか?
いずれにせよ、薩長を甘く見ていたように思えます。
また、思った事があったら書きますね。
465新門ティムポ ◆ibTY0P2keE :2007/06/28(木) 07:00:50 ID:0MDZCdeg0
>>464
慶喜はよく仮病を使って逃げると言われているが
家近良樹の調査によると、緊張しると下痢を起こす体質である
と書かれていたが、どう思うよ?

それと
http://www.infochiba.ne.jp/FAINS/spot/0102/1961.html
は一度尋ねてみな。
慶喜の史料も時々展示しているから。
466平山貴士:2007/06/29(金) 17:29:21 ID:yeRkj66Q0
465番様へ。
ありがとうございます。
桂小五郎の話は知っていたのですが、
あと、安倍総理も胃腸が弱くて、遊説中には胃腸薬を持って行くとか。
私も旅行中は下痢止めを持って行きます。
余計、慶喜に親近感が沸きました。
松戸は昔、伯父の家が近く(鎌ヶ谷)にあったので、
通った事はあるのですが、
実家は長崎県なので、遠いなあ・・・
機会があれば行ってみます。
ちなみに、伯父一家は現在千葉の印西市というところにいます。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:39:38 ID:hpgjtUlx0
>>466
君は2ちゃんには向かないな
マジな会話がしたいなら別の場所に逝くべきだ
ココは人をおちょくって楽しむ場だから
468名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 20:20:24 ID:ZlRx0NQD0
>>467
おちょくってって、ここの板はある程度の知識がなくてはおちょくれないぞ。おまえ
みたいに単なるおちょくり野郎は逆にやられてフェイドアウトするタイプだろ。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 22:20:02 ID:40u6eM150
と、おちょくられた挙句にスルーされてしまった人の意見ですたw
470新門ティムポ ◆ibTY0P2keE :2007/07/01(日) 00:24:26 ID:uE+fdKtK0
平山貴士には、より慶喜厨を目指してもらう為に以下の読書を
薦める。

その後の慶喜―大正まで生きた将軍
謎とき徳川慶喜―なぜ大坂城を脱出したのか
幕末政治と倒幕運動

あと、福井藩と会津藩(星亮一を除く)関連の基礎文献は
眼を通すべし。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 01:59:35 ID:5fidTFnm0
>>469
そういうのをスルーするとはいいません。
所詮黙っていられないあほ野郎の反応してしまった意見ですたw
472名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 18:11:22 ID:SuIXGdszO
>>470
その後の慶喜は面白かったね。榎本のエピソードとか良かった。

>>465
下痢のエピソードって家近氏のどの本にありましたか?
ならば八幡宮を前にした腹痛話もマジということ?
473平山貴士:2007/07/03(火) 00:59:57 ID:EJrO6Bfo0
470番様へ。
ありがとうございます。ぜひ参考にします。
ところで、福井藩と会津藩は
この場合、松平慶永と松平容保に置き換えてもよろしいでしょうか?
僕は正確には、徳川厨なので
結城秀康と保科正之を想像してしまうのです。
474平山貴士:2007/07/03(火) 01:11:30 ID:EJrO6Bfo0
人をおちょくって楽しむ・・・について
そういう板もありますけど、必ずしもそうとは限らんでしょ。
歴史の板はレベル高いと思ってますよ。
マジ話してる感覚もないです。
マイペースで好き勝手に書き込んでますけど。
ここは学術板だ。と書かれた時に目が覚めたんで。
ただ、僕はテーマに沿ってさえいれば
誰が何書いてもいいと思っているんで
あんまり規制かけない方がいいかなと思うんですけど。
475名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/03(火) 18:35:40 ID:+XgJ1+z+0
なんだ普通に書き込みできるんだな
476平山貴士:2007/07/05(木) 00:45:41 ID:fBkgd0jZ0
えー?どこがおかしかったの?
477新門ティムポ ◆ibTY0P2keE :2007/07/07(土) 00:54:57 ID:h0n3bzQN0
>>472
その後の慶喜―大正まで生きた将軍(講談社メチエ)
に記載されているよ。もしくは家政日記が抄訳で出ているので読んで
みなされ。
478新門ティムポ ◆ibTY0P2keE :2007/07/07(土) 01:07:03 ID:h0n3bzQN0
>>473
遅レスでスマソだが、福井なら松平春嶽と家臣の中根雪江と村田氏寿
関連の先行研究論文は眼を通す事。

あと、会津関連は感情論で書いている本は無視した方がいい。
残念ながら良質の研究本は家近良樹ぐらいだが、畑敬之助の書いた
「戊辰怨念の深層―萩と会津、誇り高く握手を」
は幕末通史として読むことが出来る。
これを読まずに星亮一の本だけ読んで降臨すると厨扱いされる。
479472:2007/07/09(月) 17:18:14 ID:QBH5v4eeO
>>477お、ありがとう。てかその本読んでた…そういえば書いてあったね。

自分も、確かに家近氏の著書は良質だと思うなあ。
慶喜関連の本にしても、ちゃんとした研究者の視点で書いてるし、偏りが他と比べて少ない。
吉川弘文館から出てる幕末維新の個性シリーズも良かった。
480名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 12:38:01 ID:lg5J16smO
臆病犬めが
481名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 18:18:30 ID:o92Aoqs20
【痛いニュース+】水戸天狗党を名乗る男が六本木で外国人に対し納豆攻撃を仕掛ける
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1166498286/l50
482名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 21:49:17 ID:zvUbxTSa0
>>480
見苦しく悪あがきして戦争までやって、負けても腹も切らず生き残った会津藩主って、
確かに臆病犬だよねw
483名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 22:03:18 ID:1UZX8EG10
藩主身分で腹切ったのは宍戸藩主だけ。
新政府は基本的に家臣が詰め腹きる事で良しとした。
484名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 23:19:04 ID:w6uNes6V0
>>482
ジェファーソン・デービスは?(アメリカ南部連合指導者)
ルイ・ナポレオンは?(フランス第二帝政皇帝)
この二人も戦争をやって負けた指導者だけど、腹切ってないよ。
一人は、逮捕、一人は亡命。
一つの答えとしては、イギリス公使のハリー・パークスは
「我々イギリス人はあのナポレオン・ボナパルトですら、処刑せず、島流しした。
ナポレオンほど人を殺していない、松平容保は殺すに値しないということを・・・・・」
ということを太政官の要人(木戸孝允?)に洩らしていたと、
1980年代に「歴史への招待」の中で、奈良本達也氏がおっしゃっていました。
大体ナポレオンにしてもワーテルローで負けた後、自殺していなし、
ナポレオンがやって許される事は、松平容保がやっても許されるものではないのかな。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 23:21:18 ID:fHCw93QK0
日本近代史板ではないのか?
486名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 23:48:04 ID:nXRunMIJ0
>>484の見方は大事。平山貴士が徳川厨を続けるので
あれば奈翁の基礎知識は必要。


487名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 00:41:05 ID:oZSh0zsG0
キリスト教圏に負けたら自殺なんて文化ないだろ。自殺自体がタブーだし。
日頃は「会津武士道」謳ってるのに、ハラキリに関してはフランス人の理屈に鑑みて必要なしって?
488名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 00:44:30 ID:TSfdq+o90
いやだから見事かどうかは別として、板違いだろって。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 01:38:15 ID:rAsr6Ty70
ジェファーソンやナポレオン三世なら近代史の範疇だろう。
近代史は日本だけでは論じられないし委員ジャマイカ
490平山貴士:2007/07/14(土) 14:27:50 ID:h02ZmNOu0
久々ですが、私の名が出たので一言
「奈翁の基礎知識」とは何でしょうか?
徳川厨を続けたいので、ぜひとも御指南よろしく。
あんまり出しゃばると、
話題がオレの事になるので、こりゃいかんな、と。
板の主旨からずれてしまうので、引っ込んでました。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 15:49:21 ID:+xY1y+kWO
492名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 21:56:18 ID:ueTeD2PH0
>>489 >>482の文章読んでる?明らかに日本国内だろ。それを知識をひけらかす
まねはどうかと思うぞ。
493平山貴士:2007/07/15(日) 01:29:55 ID:R3ECM5pp0
すみません。
「奈翁の基礎知識」とは何でしょう?
494名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:05:14 ID:jbbPtD9E0
慶喜が14代将軍になっていれば、もっと状況は違っていたかもしれないと思うのは俺だけか?
もっとも、慶喜は将軍職に関してあまり乗り気ではなかったっぽいが。

というか、大政奉還がなされた時点で明治維新成立とすればよかったのに
何が何でも慶喜を追いつめようとした官軍が一番酷い気がする。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 05:07:03 ID:GDUYEczI0
雄藩連合を潰して幕権独裁に固執したり、長州の恭順を認めず討伐しようとしたりして、
失敗した挙げ句に追い詰めるなというのは虫が良すぎる
496名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 00:59:09 ID:Jds+ocYvO
>>494
慶喜って権力欲あまりなかった気がするな。
将軍継嗣問題のときにもふざけんなといわんばかりの主張多いし。
まぁ、その態度が返って一橋派の慶喜に対する印象を良くしたのかもしれんが。

官軍、大久保は天皇を京都から江戸へ移すなど、意識の革新を狙っていたから
慶喜率いる新政府では新政府の意味を成さないと考えていたんじゃないか。
慶喜もまた、自分というよりも徳川としてのメンツばかりを考えて物事を捉えていたように感じるな。

明治以後の彼は立場をわきまえ、政治的発言もせず、天皇との面会もしばらくは拒んでいたそうじゃないか。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 22:20:31 ID:h8yqnm900
賛否が極端に分かれる慶喜公だけど
俺はどちらにしろ「勿体無い人物」だったと思う。

多分この人は、明治の世にこそ必要な人物だったのではないかと思う。
思想や政治スタイルを考えると、そう思えてならない。
498名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 01:37:58 ID:sN/N2DlNO
>>497
同意だな。
将軍継嗣問題で一橋派が勝利していたら…、とはよく聞くけど。
新しいモノ好きで豚肉好き、写真好き…常識にとらわれない感じがする。
榎本が改革の必要性を慶喜に訴えるとき、榎本は礼儀作法や言葉遣いに気をつけようと緊張していたが
実際会うと、意外にもかなり近くで気軽に話すことができたので驚いた、
とかエピソードが残ってるしね。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 19:19:20 ID:zGgfrsL30
頭はいいけど政治力がない人
近衛と一緒
政治家には向いてない
500名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 15:23:25 ID:yeH2mKRE0
鳥羽伏見で負けた後、恭順したのは正しい判断だと考えます。
赤松則良が証言しているけど、禄を支給できないくらい
幕府の財政は破綻しているのだから、仮に交戦したところで、
戦費の調達は不可能。
フランスから借りるより幕府の解体を選んだのだから
たいしたものだと思うのです。



501名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:37:14 ID:2O7vKW4F0
>>499
政治力はあったよ
桂が「家康の再来だ」と恐れるほどにね
ただ、手足が無かった。原も水戸浪士に暗殺されてしまうし、会津桑名は感情論の馬鹿ぞろい
幕府に至っては、慶喜サンを裏切り者呼ばわりして非協力的とあってはな。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 21:46:23 ID:WLd4JE5D0
>原も水戸浪士に暗殺されてしまうし
原を殺ったのは旗本。水戸出身の原は旗本廃止論者で幕臣から眼の敵にされていた
503名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/29(日) 22:21:28 ID:UR8ZH8MB0
確かに、慶喜は幕府向きの人物ではなかったな。特に将軍向きではなかったと思う。
どちらかというと、トップに立つよりも外務大臣ぐらいのポジションで働いていたらもの凄く活躍してたんじゃないか?

ある本に書いてあったのだが、当時の外国人は慶喜をかなり評価していたみたいだぞ。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 13:11:40 ID:Ceh1SkDXO
>>503ハリスとかな。

>>501
誰か忘れたけど、慶喜を将軍にさせたら
虎を千里の野に放すようなものだ、と言ってたな。
大久保も偽り、欺くことに長けた人物とか言ってたし。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 12:30:25 ID:Y/9seUgTO
大河脇キャスト一部決定age
506名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 12:56:30 ID:BM3Ts5x70
>>1さんへ
慶喜を悪く言うな!
507名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 00:32:29 ID:TsX1CONzO
幕府閣僚からみたら勤皇をタネにお家乗っ取りをもくろむ斉昭の子、志士からみたら幕府権力者。
かなり皮肉な位置にいたと思うよ。
後見職つくときも、閣僚達に田安をつけてるからと反発を示されるし、大奥はこぞって慶喜嫌い。
例えば天狗党斬るときはとてもきつかったと思う。
幕府側からは本当に野心がないなら斬れるはずと睨まれ、志士達からは慶喜公ならわかってくれる、と思われる。さらに宮廷守護の責任、天狗党を押さえられなかった実家の水戸家処分もかかってくる。
そういえば、この時薩摩藩士の河田十郎が加賀、会津、小田原などに総督は斬る気がない、とか言いふらしてるんだが、薩摩は是非や好意悪意は別にして、結構慶喜をより面倒な状況にさせるポジションに立たせている気がする。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 14:47:01 ID:N71fU71d0
まぁ苦労人ではあったよな。立場的に。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 22:22:46 ID:b/mK6nOx0
教科書に出てくるような人間は大抵苦労人
510名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 22:55:57 ID:OheidvVi0
色々と賛否の分かれる人だけど
個人的にはもう少し表舞台に立ってほしかったな
たしか30代くらいで引退だろ?若すぎる
やっぱ勿体無かった人物だと思うよ。もっと能力を活かす場はあったはず
511名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 00:15:04 ID:Z0WUgbO/0
あれが表舞台に出てこられると全く違った日本になってたかもな
ほめてるんじゃないよ
旧体制の大将が表舞台に出るということ自体の影響ね
512名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 17:04:54 ID:pqKcUnlDO
慶喜は政治的能力のある人だったんだろうけど、
旧体制の象徴的存在であったが故に残念だったね。
明治に入ってから、渋沢がいくら話題をふっても政治的発言はしなかったなんて大したもんだよ。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 02:47:54 ID:FLNZM96eO
俺は山岡荘八の徳川慶喜を気に入ってるんだが、それにも、恭順を貫き、表舞台に出なかった所に慶喜の政治があるってあったな。
514名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 00:10:49 ID:DuF5uY490
山岡って尊皇小説家だっけ
515名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 06:56:39 ID:EjFiZcRO0
旧態依然の幕府であれば慶喜の出番は無かったが、
時代は幕府にそれを許さなかった。
そういう時代だったから慶喜が日の目をみることが出来たともいえる。
516平山貴士:2007/08/27(月) 04:16:34 ID:auikHmNb0
血筋からいくと15代目は・・・
松平斉民という事になるわけだが・・・
517平山貴士:2007/08/27(月) 04:47:12 ID:auikHmNb0
皆さんにお願いがあります。
大河の名作「徳川慶喜」の板が
過疎っております。
救援ヨロシクです。
以上、真の「腰抜け」平山貴士「臆病者」からのお知らせでした。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 18:50:48 ID:ywvzBO3R0
お前がいる限り書かぬ。
粘着のお前がスレを汚していることを知れ。
519名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 20:18:11 ID:9QQ/11ku0
勝スレと慶喜スレは会津厨が荒らしまわる専用だからw
書く意味ないw
会津の馬鹿に餌やる事は無いから、過疎スレにしとけが会津が餓死って丁度良いw
520名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 23:44:20 ID:4xAMZC9T0
>>519
星のところに巣食っている戊辰戦争お遊戯会ね。
2ちゃんの会津厨が集まり始まったという事でw

>>516平山へ
あまりお勧めしないが、星亮一の「徳川慶喜の無念」を読むと
会津厨の気持ちが分かるよ。
但し、学問的には一切役に立たない代物ではあるがw
521名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 23:47:05 ID:4xAMZC9T0
>>516
呼び捨てスンマソ。
あと、ここでの宿題として出された家近の本は読んだ?
522平山貴士:2007/08/28(火) 09:30:00 ID:Dz3HDT/i0
まだ、読んでないので何ともいえないので
書き込みは控えておりました。
粘着・・・そんなにひどいかねえ。
523平山貴士:2007/08/28(火) 09:44:12 ID:Dz3HDT/i0
あ、忘れてました。
スルーして結構でーす。
524名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 13:15:57 ID:DQAhxaDQO
>>514
かなりな。共感できるかは別にして、世代の違いは確実に感じると思う。
人を書こうとする人だから、志士とか深く当時の人に寄って書いているとも言える。共感できたりもするが、俺はそういう面で肌にあわないという奴をそれなりに知っている。
徳川慶喜以外に吉田松陰とか太平洋戦争とかも明治生まれの目で書いているな。右よりだが今の右ともまた違う感じがする。
525名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 13:24:16 ID:RE6XqaMH0
安倍ちゃん・・・
526名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 20:36:08 ID:lVjHgyAQ0
長州人の誇りも無くして徳川慶喜になっちまったな・・・
527名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 20:36:58 ID:RDRRQ65a0
しかも敵は東北人の小沢・・・
528名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 23:17:42 ID:8AWF9ba90
会津武士道に共感を示したことが民意に沿わなかった。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 06:59:46 ID:hPzn8fXb0
小沢・・・小渕総理も・・・
530名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 23:58:08 ID:tp8XbOh40
徳川慶喜が馬に乗ってる真横からの写真を見たよ。
洋装で刀を差して馬に跨るこの人の姿はかっこよかった。
531名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 10:02:22 ID:pF45vygD0
>>526
 そうだね。山口県民はおろか長州人の名折れだとか地元の有権者に言われているからね。
次の選挙は夫人を擁立したほうが勝てるのではないかと囁かれているくらいだから。
>>530
 ブリュネがスケッチで慶喜を描いているけど、あれもいいですよ。 
532名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 22:33:42 ID:+F6YaY990
どう贔屓目に見ても慶喜が評価できない。と、いうか大嫌い。
徳川の一家老ならばアリだけど、将軍職に就いた以上、百才あって一誠なし
以外の言葉がでない。
アンチでスマソ。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 23:42:32 ID:4zLuVJcQ0
才も誠も真もなく幕府の権威を嵩にきて威張り散らしていただけの
幕閣が慶喜を腰抜け呼ばわりできるような分際では無いと思う。

534名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 02:56:50 ID:HJG7utT00
逆賊扱いにびびっただけでしょ
535名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 23:05:17 ID:jZfHCie00
もうちょっと抵抗してれば
映画化のエピソードには十分なのに・・・
ハリウッド資本で映画化してほしい
536名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 14:19:50 ID:OzEr9Zrv0
ただ、アンチの木戸からみて家康の再来で油断ならないなら、シンパの大名家からみたら、
家康の再来で徳川は10年ぐらいは持ちこたえると判断してもおかしくはないよな。
だからこそ、状況判断が狂ったということもあるし。なまじ慶喜の出来が良いように見えるだけに・・・・・
同じ史料をよんでも、木戸の視点はあっても、親徳川方の視点が見受けられないのは何でだろ?
537名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 05:07:29 ID:OA3OhaXSO
徳川将軍ってだけですごい昔の人のイメージがあるけど、慶喜が死んだのって94年前だって知ってびっくりした。
今生きてる人達と、歴史上の人物が一瞬でも同じ時を生きていたって思うとなんか興奮してこんな時間なのにそわそわして寝れなくなった。
538名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/12(月) 00:05:05 ID:O4QiTAG80
>今生きてる人達と、歴史上の人物が一瞬でも同じ時を生きていたって思うとなんか
幕末を生きた人たちを実際に会って話したことのある人たちが
まだギリギリで生きてるんだよね。
あと10年もすればそれもほとんど消えてしまうんだろう・・・
539名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/20(火) 19:52:22 ID:94i8M3Bd0
>>531
うp!うp!
540名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 00:06:00 ID:qMpFGy7H0
ナポレオン3世から贈られた軍服を着た慶喜の写真が好き。
徳川の将軍しかもで写真好きだったから
140年近く前でも結構写真残ってるなー
541名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 10:02:13 ID:yUTi6tTc0
じゃぁ、2013年に慶喜祭りでもやりますか。
大阪、静岡、東京、京都、水戸が候補地になりますが。
ドラマは、大河で一度やったから、10時間ドラマで再現ということで。
史料監修は、松浦怜あたりでいいかな?
542名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 23:58:47 ID:Ui5yhzz80
しなくていいよ
543名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 16:04:51 ID:55dQt5aI0
>>541-542
ワロタw
544名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 16:14:11 ID:55dQt5aI0
このスレ一通り読んで見たが面白いな。
なかなか個性ある書き込みがあって。
545名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 00:04:02 ID:6TkNtfg4O
>>494
それほど追い詰めてもないよ。大久保は1月2日に会議で
「会津桑名が帰藩した上で慶喜の上京を認める」と主張してるし、西郷も薩摩藩邸焼き討ちを聞いて、
京坂で暴発しないか心配してる書状が残されてる。
546名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 15:14:40 ID:KW05gyzUO
徳川慶喜―徳川斉昭―徳川治紀―徳川治保―徳川宗翰
一条美賀子―今出川公久―今出川尚季―徳川国姫―徳川宗翰

慶喜と美賀子は親戚だった!

ちなみに元婚約者千代君(輝子)とは
徳川慶喜―徳川斉昭―徳川治紀―一条溢子―一条道香
一条輝子―一条忠香―一条忠良―一条輝良―一条道香
となる
547名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 15:24:25 ID:KW05gyzUO
また
徳川慶喜―有栖川宮吉子―有栖川宮織仁―有栖川宮職仁―霊元天皇
一条美賀子―今出川公久―鷹司致子―鷹司輔平―直仁―東山天皇―霊元天皇
もあるが織仁の妃鷹司富子は致子の姉なのに吉子は側室の子供だから残念!!
548名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/22(土) 15:31:48 ID:qjkIEHLh0
慶喜以前に遡っていくと・・・とんでもない血も混じってくるw
知らぬが仏と申せましょうw
549名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 23:54:33 ID:uAZo3i7EO
新作大河慶喜期待 AGE
550名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 10:59:37 ID:YLBl9k1GO
慶喜の肉声テープがあるらしいけど、どんな会話が録音されていたんですか?
551名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 19:50:18 ID:J6RIE4VKO
さらに

徳川慶喜―有栖川宮吉子―有栖川宮織仁―有栖川宮職仁―霊元天皇
伏見宮直子―伏見宮貞敬―伏見宮邦頼―伏見宮貞建―福子内親王―霊元天皇
552:2008/01/08(火) 21:31:02 ID:hEZEK/snO
この馬鹿殿居なければ今の日本の政権もちとはまともな方にいった?と思うし少なくとも会津や旧幕軍を見殺しにもしなかった?と思う! 最悪な殿だね。徳川ブッ潰したのはこやつ
553名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/08(火) 23:41:55 ID:BLfF1Oa90
>>552
慶喜サンが居なければ、幕府は五年ぐらい早く崩壊してると思うぞw。
なにしろ薩長の政治知能戦に禁裏守衛総督として公家工作したの彼だけだったし。
会津桑名は政治工作した事も無い・・・綺麗好きの会津は「ならぬものはならぬ」の精神で政治工作しないしな。
幕府が倒れなければ、江戸の幕府がホイホイとフランスやイギリスの手のひらで踊らされて植民地だったでしょう。
(注:幕府の行き過ぎた対諸外国外交に対して、天皇の攘夷論を持ち出してストップかけたのも慶喜サンでつw)
554名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 14:47:14 ID:6HHwIoe+O
慶喜は頭がキレすぎて周囲の誤解を生みまくりなんだよね。
独断的だし
555名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/09(水) 22:33:05 ID:ZEtqEfZI0
仕方が無いよ
慶喜サンは大十四代将軍継嗣問題で幕府閣僚と敵対した一橋派の人だもの。
幕府方ではあったけれど、江戸の幕府閣僚からは敵視され、彼らの妨害も激しかった。
彼らに相談できないし、会津桑名は覚悟が中途半端で慶喜派とも言えない。
相談する人がいないもの。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 01:26:40 ID:AyVzlqjc0
しかし実務を司る在江戸の幕府諸役人にしてみたら、
慶喜のぶち上げる鎖港論だの大政奉還みたいな政治判断は
説明なしではとてもやっていけませんよ。
理解できる人のほうが異常。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 13:21:59 ID:Bnj9yEDH0
まあ、大政奉還のおかげで命が繋がった人も多かったから
よかったじゃない。
慶喜が徹底抗戦、江戸城を枕に死ぬ、といえば、
とんでもない血まみれ明治維新だったでしょ。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 19:14:57 ID:I3D0wAYy0
でも江戸で決戦やってれば江戸人は屍累々で町は焼け野原になったかもしれないが、
会津藩も江戸で戦い、負ければ江戸で降伏していたはずなので、会津戦争は結果的に回避されていた。
会津が酷い目にあったのは、慶喜が戦わなかったからだと会津ヲタ達が叫んでいるけどなw。
彼らに言いたい事はひとつ・・・・

江戸が酷い目にあえば、会津は救われたという理屈はどうよ?
559名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/13(日) 23:19:03 ID:0/vk4xuw0
もし家茂がもっと長生きしてたら、もし家茂の子供がいたら、歴史は変わった?
結局同じ?
詳しい人教えて。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 02:15:18 ID:3QVF8h5S0
あれだけ負けて逃げ帰った江戸でまだ決戦しようと思うほど神経の太い人なら、
王政復古のときとっくに会津兵使って御所突入、クーデタ阻止、
薩長と京で大戦やらかしていたんでは?
情報は入っていたんだから。

>>559
家茂がもっと長生きしたと言うことは、第2次長州戦争が取りやめになった、
と言うことと同義じゃないのかな?
561名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/14(月) 11:27:59 ID:+7hPk8ms0
>>559
うんうん。第2次長州戦争が取りやめになって、それぞれの不満が少しずつ解消されて
今でも徳川家と天皇家として残ってたかな。
それとももっと悪い形で共に崩壊してたかな。
第2次世界大戦に参加したかな・・自衛隊とか生まれたかな。
家茂、慶喜に限らずだけど、自分の生き死にで国が変わるってすごいよね。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 00:47:07 ID:x0g/onfvO
>>560それはない。

兵力はあったけど見逃したのは、汚名を思いきり下されると思ってなかったんだろ。
大久保や西郷はクーデター前後で会津藩の暴発のみを懸念してたみたいだけど。
慶喜は「新政府は必要」と言って見逃してるし。
てことは、慶喜もあれほど酷い決断が下されると思ってなかったんだろう。

問題はクーデター以後の慶喜の行動。
12月中旬、一旦は討薩を決意。しかし周囲の反対により断念した経緯がある(家近著)。
やっぱどこかで対戦する意志はあったんだろうな。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 06:37:24 ID:NgmV5pdO0
うーん、汚名って、小御所会議での辞官納地のこと?
議定職から外れるのは、決行延期を求めた後藤から事前に連絡が行ってたから、
ほぼ察しがついていたんでない?
土佐藩が揉めた辞官納地にしても、家近説を参考にするなら、仰る通り
「多少は激昂したとしても慶喜は必要性は理解できたはず」
と言うニュアンスで書かれているはず。

越前・尾張・土佐あたりが仲介に入ってるのに、慶喜自身が激昂するようなら、
幕府側はほぼ決起論なんだから、あの段階で衝突が始まってもおかしくない。
朝敵とされて、大阪城を失い、西国の大名がほぼ新政府側についた、
ここまで形勢不利な状況でもまだ戦うほど頭に血がのぼる人なら、
王政復古のクーデタ前後にとっくに動いてるでしょう。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 23:28:14 ID:/8AvNxo40
>小御所会議での辞官納地

 何気なく忘れられているが、小御所会議の決定事項はその後の土佐藩と福井藩の巻き返しで骨抜きになっているよ。
最終的には「官位は返上するも元将軍と名乗ることを許され、それ相応の待遇となる。納地は、徳川家だけが差し出すのではなく、
日本全大名が石高に応じて均等に等割し、朝廷に差し出す。」になってます。
鳥羽伏見の暴発は、この後に起こるので「小御所会議での辞官納地」は関係ないと思うのだけれど?
565名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 05:26:05 ID:zrrIDhVR0
うーん、慶喜や幕府将兵の感情として、
辞官納地を突きつけられたことと「関係がない」とまでは言えないと思うが…
下阪の際も榎本武揚ら将兵は主戦論をぶち上げているのをやっとこ抑えたんだから。
何か、話がゴチャゴチャになっているから整理すると、
いま話題にしてるのは「江戸での徹底抗戦を回避した判断をどう評価するか」ですよ。

「大阪城と多数の将兵を失陥して、自身は朝敵となり、西国諸藩が新政府についた後で」
まだ江戸城によって反抗しようと言うほど抗戦意欲が旺盛な人なら、
小御所会議の時のほうが、よほど有利な条件が揃っていたんじゃないか、
その時ですら将兵を抑えて交渉を選択した慶喜が、有利性を失った後でも抗戦するとは思えない、
と言うのが自分の感想なんだけど。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 17:03:16 ID:qV4uTCmjO
その事に関して、佐々木氏が著書の中で
「将軍職を廃した慶喜は軍に対する使命権を持たなかった。攻撃できなかった。」
としてるけどね。
>>565
小御所会議が伝えられた時点で動けたか?
それは小御所会議の内容がどの具合、どの程度ほど伝わっていたかによるけど、
朝廷の場に刃向かうことは不可能だったんじゃないか。長州の蛤御門しかり。
会津でさえクーデターの場に乗りまなかったんだし。
事実、大政奉還後から慶喜の怒りが心中にあったとうかがえる書簡は数点あるにも関わらず。
それに辞官納地は土佐藩の努力によって緩和されたけど、それは慶喜が討薩と言い出した後だね。

…なんか話がややこしくなってるな…
567名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 17:50:13 ID:fxtfMcJE0
>>566
>それに辞官納地は土佐藩の努力によって緩和されたけど、それは慶喜が討薩と言い出した後だね。

 そりゃ変じゃねーか?
 討薩は、その後小御所会議の決定が伝えられた後で、幕臣が怒りはじめて出てきた話しじゃん
 同時並行で土佐や尾張、福井が決定を骨抜きにして大阪城にその事を報告した。
 その後、江戸の薩摩藩邸焼討ち事件が大阪に飛び火し、討薩の表が作られたわけじゃん。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 20:14:03 ID:qV4uTCmjO
>>567
討薩の上表前、12月中旬に周囲の反対により抑えられた経緯がある。あまり知られてないが。
岩倉らによって説得された。
参照↓
家近「幕末維新の個性 徳川慶喜」
569名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 02:55:12 ID:TAM+tLRl0
ああ、「幕末維新の個性」は自分も読んだ。
家近さんは従来、薩長両藩の挑発に対して、
慶喜が一貫した意図で政治交渉を模索していたように記述しがちだったんだけど、
その著書の中では
@滞阪中、会津藩に帰国を命じなかった
A薩摩藩の行動を論難している
など、彼の平和交渉方針と食い違うをあげて、彼の対薩摩感情にも触れてる。

>小御所会議が伝えられた時点で動けたか?

いや、後藤象二郎がクーデタ決行前の12月7日だったかな、
慶喜にクーデタ情報を注進してなかったか?彼は何もしなかったんだよね。
その時点ではまだ宮門警備は従前通りだし、奪い取る云々の話にはならない。
会津ジハード史観の人は鬼の首を取ったようにそこを衝くんだけど。

>その事に関して、佐々木氏が著書の中で
>「将軍職を廃した慶喜は軍に対する使命権を持たなかった。攻撃できなかった。」
>としてるけどね

佐々木さんのどの著書だっけ?最近あまり佐々木さんは読んでないわw
30年くらい前だけど、「戊辰戦争・敗者の明治維新」では
京で決起すれば充分勝利を収めえたと言う、家近説なんかとは真逆の評価だったよね。
570名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 03:12:09 ID:TAM+tLRl0
ごめんなさひ。
×12月7日に後藤を介して情報が伝えられていた
○12月6日に越前藩を介して情報が伝えられていた

昔夢会筆記にも出てくるみたいね
571名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 05:42:50 ID:6tf8U5/oO
佐々木さんの「将軍職〜」の解釈は、たしか「大久保利通」に関して記述された本に書いてあった。
「大久保利通と明治維新」とかいう題だったかな?
まあ、佐々木説より家近説のを結構参考にしてるけどね。

ま、慶喜の最終的な討薩の動機は薩摩藩の江戸城焼き討ち疑惑、とも解釈されてたね家近さん。
幕末維新の個性シリーズの西郷本の著者は江戸攪乱の西郷指示説に疑問を呈してたけど。
572名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/28(月) 04:23:27 ID:R0ixTzMTO
鐵子が石田ひかりに似ていると思うのは俺だけ?
573名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 01:41:44 ID:+4LV3ArxO
斉昭は竹中直人似
574名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/30(水) 18:42:32 ID:qNi0DCsU0
>>572
写真うp
575名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 19:57:29 ID:AJjvgvpY0
何度、言っても無駄。僕は一生、両親が嫌がる事は絶対にしない。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 20:13:53 ID:AJjvgvpY0
テレビの出演者とテレビ番組製作者とラジオの出演者とラジオ番組制作者
とインターネットに文を書き込んだ人の中で僕を苦しめた奴ら全員、火刑
にされたら僕は両親が嫌がる事をするかもしれない。「かも」だから
「絶対」するという事はないのだけど。僕を苦しめた奴ら全員、火刑より
もっと苦しい事をされたら両親が嫌がる事をする確立は高くなるよ。高く
なるけど絶対するという事はないのだけど。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 20:29:24 ID:AJjvgvpY0
それからどうしても僕に両親を苦しめて欲しいなら丁寧に僕に向かって
「神様どうか神様の両親を苦しめて下さい」と言えば僕は嫌だけど両親
を苦しめてやるかあという気分にはなるので両親を苦しめる確立はもっ
と高くなるよ。高くなるだけで絶対するという事はないのだけど。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 20:46:14 ID:aFLonwC1O
すごいチビだったらしいよ
579名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/02(土) 20:46:45 ID:d+4NDY3o0
安心しろ
少なくともお前はお前の両親を苦しめているから
580名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 18:43:02 ID:DS6XT0Er0
端から見ると不思議な人生を送った人だよね。
封建制度最期の君主としても
不思議な終わらせ方をした人のように思える
581名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 02:53:05 ID:tKZY0Vp30
パークスを信者にするほど、魅力も度胸も政治的手腕もあった人なのに…
根回し不足が全ての原因ですかね。あと尊皇思想と。
582インディゴ:2008/02/16(土) 21:24:13 ID:b5vNKKs90
渋沢栄一さんは明治政府から50万両余を拝借したから渋沢さんの作った会社は皆慶喜さんのものだね。
慶喜さんは栄一さんを部下に持ったからお金には困らないね。
大金持ちだね
583名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 22:06:20 ID:owDBZqQC0
何が言いたいのかよくわかんないが、徳川家は駿河七十万石の大大名です。
廃藩置県後も、石高に応じて政府からお金が大名家には送られているので、最初から大金持ちでしょ。
584インディゴ:2008/02/16(土) 22:38:00 ID:b5vNKKs90
江戸幕府は滅びて徳川慶喜は政治の表には出なくなったが、維新後も渋沢栄一が作った500以上の企業を手に入れその権力を維持したと推測することができる。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 00:55:00 ID:yNJj9xBd0
で結局
慶喜は神君家康公以来の英明な人だったわけ?
それとも単なるヘタレの将軍だったの?
586名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 00:57:31 ID:yG2Rqe/T0
>>585
トロイの木馬
587名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 01:18:40 ID:wjlaWq0XO
カメラマンになったってのは本当?
588名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 12:17:58 ID:87bsUBz60
>>587
本当
しかも着色まで自分でやるからフルカラー天然色
現在、数少ない幕末当時の写真という事で、史料価値は計り知れない
589名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 23:49:15 ID:i73YgtOn0
何で慶喜は大阪から勝手にひきあげたんだ?

大坂で戦争して東国からの援軍を待てば、相手の兵器を押しつぶせるんじゃ?
そのまま、京都で天皇を確保したら。勝ちんの気がするんだが?
590名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 23:50:57 ID:87bsUBz60
>>589
ヒント
小御所会議の後の土佐藩福井藩を調べてみよう
591名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 18:11:44 ID:slMXP5vi0
>>589
慶喜は尊王派だから薩長と和平に持ち込みたかったが、
会津がそれに反して薩長に抗戦したから、
もうやってられんと引き上げたと思うんだが。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 00:35:00 ID:lR7dJXqN0
鎮撫にあたった慶喜でさえ薩摩に相当怒りをあらわにしてたくらいだから、
将士が納得するわけがないとも言えるけどね…

和平なら和平で、下坂後にさっさと会津を国元へ帰しておけば良かった、
と言う指摘はどう?
593名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 00:53:56 ID:RkbdgmmS0
軍事力という後ろ盾の無い和平論は屈服論に過ぎない。
徳川慶喜自身の軍事力が、天狗党に負けた新式歩兵と惰弱な旗本であったため、
会津と桑名の藩兵を欠く訳にはいかなかった。勝手に動かれては大迷惑だが存在自体は不可欠なのだ。

というか、鳥羽伏見の戦いでも、客観的に見れば旧幕府軍に負ける要素なんてないはずなのだ。
兵力で三倍以上、幕府歩兵は最新式兵装、士気は十二分に漲り……、
なのに鳥羽伏見両戦線とも初日からずっと敗走を重ねて後退とは、よほど司令官の指揮が拙かったとしか
594名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 19:34:29 ID:teuJmZXe0
幕府歩兵を蹴散らした天狗党は本来慶喜の直属部隊になる予定だった。
幕府による天狗党の大量虐殺は慶喜にとって痛手となったと同時に
慶喜の心中に幕府・幕閣に対する密かな遺恨を持つ結果になった。
595名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 01:01:38 ID:Nbsb8hdj0
いや、下坂後に会津を国元へ帰したとしても、
まだ幕軍には諸藩兵がいるわけだし、大坂湾には幕府艦隊が浮かんでる。
もはや朝廷としては反正を促す大義名分がなくなる。
それでも納地を言い立てて討伐しようとすれば、
今度は薩摩藩急進派が失墜確実でしょう。大久保は少なくとも妥協を模索してたはず。

と自分は思うんだけどな。
まぁ実際難しいのは同意だが、慶喜はその難しい路線でやり繰りしてきた才腕があるし
596名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 06:21:42 ID:f8Wk/P140
>>595
けど、才腕はあるのかもしれないけど、根回しする側近が不在なのでは・・・
平岡円四郎、原市之進は暗殺されたし、渋沢栄一は外遊中、永井尚志は元は大名家の四男だけあって、
そういう汚れ役には向かない気がする。
原が暗殺された際、中川宮が近藤勇を慶喜の側近に推薦したという話があります。
能力はともかく、労を惜しまず汗をかいて働くから、意外と向いているのかもしれない。


597平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/02/22(金) 12:44:24 ID:0Vf/VNhC0
>>585
政治家としては優秀。
徳川家当主としては失格。
十五代目には斉民公を就けたかった。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 20:22:46 ID:vMo39IF00
>>597
徳川家当主15人の中で、慶喜が失格なら徳川歴代当主の半数以上が当主失格になると思うんだがw
599名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 21:58:22 ID:4/WkUg5E0
徳川家が失脚したという点で当主失格なんじゃ
600名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 05:05:17 ID:xMfbzFRr0
よっしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!
600ゲット。
601名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 13:22:40 ID:xcsGdopa0
慶喜は写真をたくさん残した
602名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 20:27:02 ID:awsVn5660
>>599
幕府は潰れたが徳川家は駿河70万石で生き残ったよ。
朝敵だったのに生き残った。
慶喜が当主失格なら、当然当主の座に付く以前から病弱と危惧され、
長州征伐の最中に病死して徳川軍敗北の原因を作った十四代家茂や、
生殖能力が無く痴呆と外様にも有名だった十三代目。
さらに馬鹿殿で有名な十二代徳川家当主も失格でしょーよw
犬は人の命より重い生類憐れみの令なんぞ出す徳川家当主よりも慶喜が無能とは思えん。
603平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/03/04(火) 01:20:57 ID:fdTGKhfZ0
>>598
それには異議ありません
>>602
明治政府が
駿河府中→静岡70万石として存続させてくれた事は感謝。
12代目と14代目はもう少し評価高くてもいいと思う。
604名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/04(火) 20:53:08 ID:TMS+/ZLg0
百才あって一誠なし
の「一誠なし」って具体的にどういうこと?
605名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 23:05:05 ID:8GHhXhOB0
慶喜は終始勤皇だったと思う
事実、維新後は完全に沈黙

西南戦争に少しでも絡んでれば政府だってどうなってたかわからんぞ

敗北という形で日本の近代化に貢献した偉人である
606平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/03/12(水) 02:12:11 ID:4dZEE66U0
慶喜さんは40年以上隠遁生活に甘んじた。
大器でありながら。
むしろそっちが凄味を感じる。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 23:39:52 ID:T9VeT88C0
篤姫に出てくる一橋慶喜はかっこよさそうだった。
608名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/17(月) 00:00:00 ID:hOVz8Ojk0
>>604
根回しとお御輿です。
お御輿は家茂もやったし、西郷も西南戦争でやった
慶喜はどっちも嫌で逃げちゃったから酷評されてる
609名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 15:29:35 ID:eiXbeJjWO
大奥に蛇蝎の如く嫌われた理由は?
不細工だったのか?
610平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/03/18(火) 16:06:24 ID:Cup+5NZK0
>>609
徳川斉昭が嫌われてて、その縁者だったからだろ。
大奥ほど保守的な場所もないからな。
大奥は時代の空気が読めてない。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/18(火) 20:13:54 ID:dHahr2Ub0
徳川斉昭が大奥なんか潰してしまえと、公言していたから
大奥での評判が悪かったね。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 01:33:48 ID:91nXk4t/0
「どうもそれは覚えがない。」
ってリアル痴呆?
613名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 15:28:47 ID:BnP8s9RfO
天障院だけは慶喜だけを凄まじく嫌い抜いた感じだけどな
遺言を見ればわかる
烈公関係なしに慶喜を嫌い抜いている
614名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/19(水) 18:54:09 ID:YXe7nx2N0
慶喜が尚五郎さんの豚肉を全部取って食べちゃったから怒ったんだよね。
食い物の恨みは恐ろしい
615平山貴士 ◆fUWY7Y19ZA :2008/03/21(金) 00:48:32 ID:uZrw/PtC0
ちなみに今年の大河にもなってる
「篤姫」の歴史的評価ってどうなってんの?
616名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/21(金) 00:56:38 ID:lSmvctPh0
徳川家を救った人間の一人。それ以上でも以下でもない。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 17:00:07 ID:xlnRYAjXO
慶喜贔屓の俺からしたら篤姫は唾棄すべき存在だな
618名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/01(火) 04:06:04 ID:jBTWWVoii
慶喜はそりゃ大奥つぶした戦犯じゃけん
ほんとは薩摩だけど
まぁ慶喜は晩年の板倉からもボロクソだけど
つまり単に放り投げて後は知らん無責任
619名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 02:52:00 ID:AMc+vRnv0
ただ12・9クーデタ当日動くの実際問題難しいんでは?
そこで薩長を叩いたら薩摩藩とは完全に手切れでしょ
会桑×薩長の全面衝突に巻き込まれちゃうし。
越前、尾張、土佐あたりは斡旋努力潰されて怒っちゃう可能性高いし。

鳥羽伏見に関しては見通しが甘かったのは否めないが
結局、直属の軍事力を持ってなかったんで、
大藩間を渡り歩く政治をせざるを得なかった体質が出てる気がする
620名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 00:21:20 ID:MZNEoQn+O
>>618
慶喜はある意味、大奥は老中より権力があると発言してたな。回想の中で。

>>619
慶喜はクーデターの数日後に一旦、討薩を決意して周囲に止められた経緯があるがな。
本人はやる気が抑えられなかったっぽい。
まあ当日は情報を得ながら動かなかった時点で、動けない状況にあったんだろうが…?
621名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 00:25:44 ID:MZNEoQn+O
>>605
維新後に沈黙したのは勝による再三にわたる助言の影響もある。
慶喜はあまり人を批評することは少なかったが、勝に関しては
「世間でいわれてるほど大したことはしていない。誇張がある」
と珍しく嫌悪感ともとられる感情の発言を漏らしている。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 05:39:12 ID:k8jl543s0
立場こそ違うが、生野の変で味方を見捨てて逃げ出した沢宣嘉と
兵隊置き去りで大阪城から逃げ出した徳川慶喜に共通の臭いを感じる。
623名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 21:18:37 ID:TF3xrvf60
>>620
大坂に退いた慶喜だが、その後は巻き返しに頑張っている
まず蜂須賀・細川が朝廷に抗議、尾張藩の徳川慶勝が慶喜の意を受けて朝廷の公家達を説得、慶喜自身は大坂城に欧米各国の公使を招集
そのため慶喜を新政府の要員として迎えるべきだという意見が朝廷内で高まった
624名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 23:07:48 ID:pmFr/ZpR0
結局、
@京都でクーデタ前に挙兵して叩き潰すか、
A大阪から進軍して薩長軍を破るか
B大阪であくまで将兵を抑えて交渉を続けるか、

それ以前の小笠原の率兵上京とか参預会議でも長州戦争でもいいけど。
もしくは政権取った後の新政体の妄想などをどうぞ
625赤木リツコ:2008/04/19(土) 01:25:37 ID:p/VBu5TC0
自分を自慢し褒めてもらいたがってる。たいした男じゃないわ。
626名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 09:00:28 ID:l+MA2TP70
戊辰戦争後の人生は、勝海舟や渋沢栄一が尻拭いしてくれたおかげで、
松平容保ともども悠々自適でしたね。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 09:49:23 ID:ApeaAYFZO
>>623
クーデター後って、実際は薩摩が孤立する状態に陥ってたもんな。
薩摩藩の伊知地正治だっけ?慶喜を擁護する発言してたし、やり過ぎとの声は他藩でも多く挙がってた。
世論が幕府側に若干傾いてた分、江戸城西の丸消失?あれの与えた影響は大きいな。
>>626
渋沢は勝のことあまり良く思ってなかったみたいだがな。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 13:25:05 ID:q7zFzJe/0
>>622貴人に情なし
629名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 21:12:16 ID:nYuErFgY0
ところで、徳川慶喜が鳥羽伏見の戦いに勝ったして、如何する積もりなんですか。
慶喜の政体案でも、譜代・旗本の殆どの者から、その禄と役職を奪うことになる。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 21:58:54 ID:vNIEGDL90
>>629
慶喜は大政奉還しているから、勝ったところで幕府は続かないよ。
だが、膨大な幕臣がそのまま国家公務員になる。
ただし、「徳川家家臣から離脱し世襲制の撤廃&緑から給金制になる事を承諾」しなければならないという踏み絵がある。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 08:41:34 ID:bfH1byfI0
攘夷を訴えるため慶喜を頼って京に上ろうとした天狗党を、
幕府に媚びて無情にもむごい方法で処刑にした。
小さな子供まで含む数百名を斬首したのについては、
西郷隆盛も大久保利通もかなり批判的に書いている。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 09:45:59 ID:PEz7W4Gs0
>>631
それやったのは慶喜じゃなくて、安政の大獄で慶喜を隠居謹慎という罰を与えた譜代幕府老中達だお
633名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 09:56:28 ID:bfH1byfI0
追討軍の先頭に立ってたのは慶喜公。
加賀藩が「なにとぞ無抵抗な彼らに寛大なご処置を」
と懇願してるのに、冷酷にも一族郎党処刑という沙汰を出したのは慶喜公。
634名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 10:11:27 ID:bfH1byfI0
さらに、慶喜が朝廷に天狗党討伐の願書を提出した折に、
朝廷は「討伐」ではなく「出馬」ならば良いという条件で、
あくまで相手が降伏をした場合は寛大な処置をするように
として許可を出している。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 11:54:32 ID:PEz7W4Gs0
>>633-434
慶喜は朝廷より禁裏守衛ト督の役を仰せつかっている事をお忘れ無くw
武器をもって無秩序に入京しようとする集団を慶喜が阻止するのは当然でしょw
636名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 12:14:13 ID:PEz7W4Gs0
>冷酷にも一族郎党処刑という沙汰を出したのは慶喜公
それをやったのは幕府の老中で慶喜ではありませんw
慶喜に刑罰を与える権限はなく、その権限を持っているのは幕政を預かる老中たちですよw
637名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 19:54:20 ID:bfH1byfI0
>>635
>武器をもって無秩序に入京

武装はしていたが、道中秩序正しく行軍したらしい。
通過する村落では、きちんと金を払い無理なことを要求せず、
出立時はきれいに掃除までして収支穏やかだったという。
城下町を通らず間道を抜け、彦根藩に近づくまでは
諸藩とも円満に通過の許可をもらったようだ。
だから、加賀藩をはじめ諸藩の嘆願があったと思われ。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 14:21:15 ID:RDbg6FuI0
慶喜個人の評価には興味はないが
薩長による近代化とは別の近代化が
可能性としてはあったのかもしれない。
別の近代化というのは
対米戦惨敗にいたる近代化とは
別の進路という意味で、だが。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 14:25:11 ID:KdSSbPYk0
>>637
馬鹿言えw
実際、天狗党の所行は酷いモノだったよ
軍資金が無ければ、村々で略奪し、暴れ回った烏合の衆だ
戊辰戦争の時、明治政府軍の東山道軍が中山道を進んだが、
この際に、行く先々の村々で「また天狗党と同じ尊王を叫ぶ連中が来た!」と大騒ぎ、
東山道軍は食料の調達や軍需物資を運ぶ人足を雇うとしたが、
村人の強力を得られず、無理強いすれば一揆になりかねず苦労してんだぞ?。
これを無秩序の武装集団と言わずに何という。
640639:2008/04/27(日) 14:26:28 ID:KdSSbPYk0
強力→×
協力→○
641名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 14:30:02 ID:KdSSbPYk0
>>638
>別の近代化というのは
>対米戦惨敗にいたる近代化とは
>別の進路

夢想家はいつでも根拠のない夢を見るものなのか?
642名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 15:19:52 ID:jWLQ+xOW0
>>639
京に上る前の天狗党の中に当初、田中愿蔵率いる若者の集団がいたが、
彼らがあちこちで軍用金調達と称して乱暴狼藉を繰り返していたため
武田耕雲斎や藤田小四郎達は天狗党として行動を共にすることを禁じた。
別行動の彼らが村を焼き払ったり少女を殺害したりを繰り返したため
後に処刑されている。
その後は、民家で勝手に金策したり住民に危害を加えた隊員は
軍律に従い党内でことごとく斬首している。
あくまでも攘夷の目的を優先し、身だしなみも整えていたという。
門閥派は天狗党に不利な情報を幕府にあげることで派閥を守ろうとしたため
捏造流言飛語もはばからなかったらしい。
643名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 05:30:26 ID:PJV24pdv0
天狗党の大量処刑の決定は老中筆頭だった酒井忠績らが行い田沼が執行した。
慶喜が非難されたのは幕府から慶喜自身が疑われていた身の上の為に保身の為に
天狗党の身柄を田沼に引き渡したことで、処刑自体は慶喜ではなく幕府側の権限で行われた。
幕府側は慶喜の人望を失墜させる為に、通常は首謀者だけに止める処刑を片っ端からの大根斬り
にした。慶喜の人望は確かに失墜したが同時に幕府の人望も大きく失墜した。
慶喜はこの大量処刑で朝廷に叱責を受けた。田沼自体は入京すら許可されていない。

644名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:36:24 ID:gRlh//hM0
>>642
だからお前は馬鹿だっつーのw


>彼らがあちこちで軍用金調達と称して乱暴狼藉を繰り返していたため
>武田耕雲斎や藤田小四郎達は天狗党として行動を共にすることを禁じた。
>別行動の彼らが村を焼き払ったり少女を殺害したりを繰り返したため
>後に処刑されている。
>その後は、民家で勝手に金策したり住民に危害を加えた隊員は
>軍律に従い党内でことごとく斬首している。

天狗等のリーダー達が、こうした行いをわざわざ禁じたという事は、逆に言えば
「略 奪 暴 行 と い う 行 い を 行 っ て い た」
という事なのw。だから素行が悪い集団であった事に間違いないのw。 
645名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:37:50 ID:gRlh//hM0
素行が良く秩序ある集団なら、わざわざ「禁令」を出す必要がないだろw。
646名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 17:25:26 ID:LtUShm/H0
一部略奪暴行が行われた事実はあるが、天狗党の本意ではないといっている。
集団をまとめることの難しさはどこの組織でも同じこと。
現代でも米軍兵士による凶悪事件が少なからず起きているが、
だからと言ってアメリカ市民を皆殺しにするという発想はありえないだろ?
647名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 17:26:28 ID:0rkbuLn70
沿道の住民の怒りは乱暴狼藉を働く天狗党よりも天狗党の名を聞くと腰を抜かして逃げ出し禄に戦わない幕府役人に向けられた。
別に天狗党自体は倒幕を目指したものではないものの天狗党の行軍における幕府の醜態は沿道の住民に幕府が地に堕ちたことを知らしめる意味で
「倒幕」の役割を大きく果たしてしまっていた。

648名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 19:23:15 ID:0rkbuLn70
幕府側役人や歩兵の威張り散らして使役を問答無用で押しつける様も沿道住民からすれば
献金を要求する天狗党に引けを取らずに反発をかっていた。しかも戦いには及び腰の越し抜けぶりで
追討軍を蹴散らしながら京を目指す天狗党より遥かに軽蔑を招いていた。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 23:55:43 ID:GZq8SySc0
まぁ長州戦争の広島方面で速攻壊走した井伊の赤備えが、大阪庶民のいいネタになったという話は聞いたことあるなw

>>638
幕藩合議制の近代化で露の東方政策を掣肘できたかは個人的に疑問だなぁ。
650名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/04(日) 07:23:58 ID:aMx9ue0r0
ロシアの脅威って誇大視され過ぎじゃない?
それより徳川将軍家と李王家との関係が切れて起きた日朝間の緊張のほうが、
よほど重大だった気がする
651名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 15:41:45 ID:L/Sbn6zA0
ロシアは実際に清朝から沿海州を奪取しロシアの艦船が日本の沿岸を徘徊しているわけだが。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 16:56:15 ID:ocai9K+/0
そんなにロシアの脅威が重大なら大久保=岩倉政権より西郷政権のほうが適任
東アジア秩序の混乱の最初の契機は日朝間だったわけだから。
653名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/06(火) 16:25:50 ID:wdUxQDmx0
あの北の熊が、そんな事に斟酌するかな?

実際、幕末にも対馬に露船が来航して居座り、小栗上野まで出張った揚句、
イギリスの脅しでやっと引き揚げる場面もあったし。
東アジア情勢がどうであろうと、第一の大国である清があの有様なら、
遅かれ早かれ東方進出は始まっていただろう。

日朝清間が平穏を保っても、それがどれだけの抑止になったか……
シベリア鉄道の建設も、三国干渉以前に始まってるしね。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 11:23:34 ID:7eoaZ5aJ0
ロシアは相当昔から、日本人漂流民を手厚く保護し、
日本語教師として、かの地にとどまらせた歴史がある。
日本との交易を進めるための慎重な策だったらしい。
プチャーチンの長崎入りにしても、シーボルトの助言を受けて
穏便に交渉しようとした結果だったんだろうが、
強硬なやり方のアメリカに出し抜かれたのは、悔しかったに違いない。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:23:46 ID:Tszxqr9V0
慶喜サンを悪く言うやつは許さないお…
自前の軍力を持てず、
反幕派という敵は無論のこと江戸の幕閣からは嫌われ、最後には会津からも孝明天皇からも嫌われ、
数少ない股肱の臣は次々に身内に暗殺され、外国の圧力もせまる中で、
大坂に退去しても諦めずにこらえぬき、頑張りぬいたんだお…TT
最後の最後で弱気になって逃げちゃってもせめられないお!

アンチは、慶喜が維新後、直参の困窮に知らん顔で悠々自適したって責めるけど、
慶喜が二十代のうちから心身すり減らして幕府のために頑張ってる間、
直参はのんべんだらりのぐーたら、長州戦争にかりだしてもクソの役にも立たず
軍制改革をしたら逆ギレして原市之進を殺すようなことしかしてないじゃん。
慶喜からしたら直参なんて家臣どころか獅子身中の虫、維新後困ろうが自業自得でシラネーヨ
って感じだったんじゃね
656名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 11:30:34 ID:Tszxqr9V0
高橋泥舟が慶喜を恭順させたことに義理立てして、維新後赤貧を貫いたのは、
もちろん高橋自身の人格もあるだろうが、やはり高橋にとって慶喜が
そうするだけの価値のある主君だったからじゃないだろうか。

まあフィクションの世界で幕末の佐幕モノといったら新選組・会津・勝海舟だからな。
彼らをかっこよく書こうとしたら慶喜を腰抜けの情なし。軽薄才子に書かなきゃしょうがない。
浅葱色の羽織を着た新選組隊士らが泥まみれで、
「上様は我らを見捨てられたあーっ!」
と絶叫するのは松の廊下ばりの不可欠な名場面よ。

657名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:24:57 ID:KEYOqKcv0
高橋泥舟は典型的な尊王バカ
「慶喜に足利尊氏になるべからず」として、
勝てる戦から慶喜を逃亡させたのが泥舟。
純粋にカルトにはまってるから、
天皇なんてどうでもよかった勝よりたちが悪い。
658名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 15:55:37 ID:a1nTRA580
泥舟の眼の美しさは異常

と思ってたが

カルトだったのか!
659名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:36:20 ID:vyOGtL780
>>フィクションの世界で幕末の佐幕モノといったら新選組・会津・勝海舟
海舟が佐幕派ですと???
初めて聞いた珍説ですな

慶喜が薄情なのはその行動からよくわかる
大坂城を抜け出したのは言い訳しようが無いね

家茂は家臣から好かれていたが、慶喜は嫌われていた
勝も小栗も、栗本も嫌っていた
徳川を滅ぼした人だからね
660名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 22:38:01 ID:vyOGtL780
ついでに
新撰組が浅黄色の羽織を着ていたのは初期の頃
少なくとも鳥羽伏見の頃にはもう着ていないよ
661名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 23:12:26 ID:ExyUIL4f0
漫画や小説やドラマという、フィクションの世界ではそう書かれてるという指摘を
史実に対する指摘と混同されても…
某大河では、鳥羽伏見という真冬の戦場でも麻の羽織をはおっているという
なかなかシュールな光景でしたな。

662名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 00:32:06 ID:NSfoUHzI0
いやさ、フィクションならなおさら勝はサバクじゃないでしょうよ
判で押したように開明的な幕臣として描かれている
会津や新撰組とは一線を画している存在として描かれている
それを指摘したまでです
勝を佐幕派として描いた作品があったら、むしろ教えて欲しいくらいだ

ちなみに史実の勝は、江戸開城後は幕権回復を狙っていたふしもある

慶喜に関して言えば、臣に恵まれなかったなんてことはない
家臣に嫉妬するその心の狭さから、有能な人材を使いこなせなかった
秀才のお坊ちゃんによくあるケースだ、将たる器じゃないね
家茂の方が人の上に立つ存在としてはよほど適している

綱吉、家茂に比べるなんてとんでもない
松平定信あたりといい勝負ではないだろうか
663名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:49:01 ID:1mJSe8I40
家茂が生きてたら、勝も幕府のためにもっとふんばったろうな、
664名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 10:31:53 ID:KzjCNptK0
>臣に恵まれなかったなんてことはない
>家臣に嫉妬するその心の狭さから、有能な人材を使いこなせなかった

そもそも御三卿という立場上譜代の家臣も兵力もない。
ごくわずかな家臣は、水戸や幕臣という身内に嫉妬され軒並み暗殺された。

>家茂の方が人の上に立つ存在としてはよほど適している

ボンクラという点では確かに平時の将軍としてはよいかもしれないがね。

あと、家茂は慶喜に嫉妬しまくり、条約勅許獲得の件では
「将軍なんてやめてやる、あとは慶喜が継げばいいでしょ、フン!」
とあてつけがましい書き置きを残し京都を出立
(でも慶喜が追いつけるように陸路をとるw)
他にも板倉勝静罷免の一件とか(詳しくは松浦玲「徳川慶喜」114pを参照)
いくら若いからといってもこれじゃあねえ……という感じだ。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 00:27:21 ID:TMIQVW8k0
家茂は征長で言い訳の聞かない惨敗を喫している。
家茂と慶喜の好き嫌いを問題外と見て実績的は
少なくとも禁門の変で陣頭に立った慶喜より家茂が将たる器とは云えない。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 00:23:38 ID:SeFraYMJ0
長州征伐は、家茂自身が陣頭に立ったわけではない
将たる器、というのを、単なる武将と捕らえてもらっては困る
家茂は家臣から愛されていた
家臣のモチベーションを高める存在だった
個人的な才覚云々は別にしてね
これも一つの将のありかたじゃないか

ひるがえってケイキはどうよ
家臣は使い捨て、トカゲの尻尾きり
最後には見捨てて逃げ帰っている
調子のよいときだけしか才覚を発揮できない
こんな人物、今昔をとわず頭に頂きたくはないね

旧一橋派でも家茂を支えた
逆にケイキには足を引っ張られたり、泥を浴びせられたりした
ケイキは徳川を滅ぼした人
これが当時の人々の評価
667名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 00:29:08 ID:SeFraYMJ0
ごめん
当時の評価、じゃなく
当時も今も変わらぬ評価
だった
まあ、ケイキさん一人のとがでもないけどね
668名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 00:32:49 ID:z30xbTZy0
慶喜も池沼と虫歯もやしが散々事態を悪化させた後でなければ、もうちょっとどうにか
できたろうな。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 02:23:30 ID:PqaoDCCeO
結果から悪口いうのは誰でも出来るのさ、

慶喜が逃げたからどうのこうのじゃなく何故逃げる行動をしなければならなかったのかが重要、

臆病、卑怯だったという結論では小学生並みの感想文と同じ低レベル
670名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 02:59:18 ID:SeFraYMJ0
悪口と捉えている時点で小学生以下
何故逃げる行動を?
そんなものこそ後付でいくらでも言える
(ケイキ公自身が後付で言い訳しているよね)

勘違いしないで欲しいが、俺はケイキさんのその器の小ささが好きなんだよ
それを司馬さんの影響を受けて、変に持ち上げているのが、どうもね

個人の資質とリーダーとしての資質は別次元だろう?
ケイキさんは頭はよかったが、器は小さかった
そこが現代の我々に通じていて、なんとも魅力的じゃないか
671名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 03:55:49 ID:VMG2EkAg0
征長で敗報を聞いてショックで体調を崩してそのまま死亡してしまった事実からして
到底難局を乗り切れるほどの力は無いことは誤魔化せない。
人柄は魅力的だったとはいっても当時はそれだけでどうにかなるほど状況は甘くない。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 04:47:10 ID:Nq+XDhSe0
>>669
>何故逃げる行動をしなければならなかったのか
「足利尊氏になりたくなかったから」がその理由。
要するにカルトな自己満足のために将軍の責務を放り出した。
神君家康公の言いつけに背いて水戸から将軍を出したのが間違いだったね。

>臆病、卑怯だったという結論
事実なんだからしょうがないだろ。
そして慶喜の卑怯な逃亡が薩長の奇跡的な勝利につながるわけで、
慶喜こそが維新の最大の立役者であることも、また事実。
673名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 05:26:51 ID:PqaoDCCeO
つまり頭の中で慶喜卑怯者という先入観と既成概念で歴史を見てるのでしょうね。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 05:49:24 ID:dVExT0EY0
まあそもそも幕府があの時点で早急に滅亡したことは日本にとっての善。
また幕府が継続していたとしてもその先では必ず滅亡するという歴史の必然。
それを考慮すれば幕府が継続しなかったことが悪とは言えず
むしろ犠牲者を最小限としてその幕を閉じたことは賞賛に値する。
それが後世から見た評価であり、当時慶喜にその思いが無かったにしてもだ。
歴史を見れば滅亡しなかったものなどないのだから。
675名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 08:49:16 ID:VMG2EkAg0
体質虚弱と言う点で家茂は将軍としては荷が重かったことは明確。
頑健だった慶喜のようには動けない。
将軍の器としては体質的に明らかに慶喜に劣る
676名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 12:12:35 ID:6g2qy3HL0
慶喜を批判する輩って、要するに「新選組脳」なんだよなあ…

新選組と慶喜の接点って、鳥羽伏見と江戸帰還後ちょっと沿道から警護したってだけだもんな。
「とばふしみでにげた」ってそのことしか眼に入らないから、
慶喜がどれだけ幕府のためにがんばってきたかなんて、ぜーんぜんわからないわかろうともしない。

つーか新選組の「誠」ってなんなのかね。
幕臣のくせに主君である将軍の恭順の意思に逆らい、
「尊攘浪士いーっぱい殺しちゃったから、長州と土佐が怖いんだもん!」
とばかりに保身のために薩長との戦いを叫ぶって、ハァ?
どこに武士道があるんだよ!

677名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 16:37:09 ID:NY/21YZ2O
>>672
当時の思想をカルトって言葉で斬って捨てるのは、現代人の尺度でしか推し量れないアホw
だいたい将軍の責務って何?慶喜は大政奉還したので将軍ではありませんよw
678名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 16:41:30 ID:NY/21YZ2O
>>676
全く同感だなw
てか新撰組なんて大政奉還以降、鳥羽伏見以前に脱走者多数出してるしww
679名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 23:44:07 ID:z30xbTZy0
家茂が虫歯と脚気になったのは、甘いものを食べ過ぎたからだろ。
自己管理能力の無い人間が、将軍とは笑わせる。

大体部下に好かれていたというのは、有体に言えば舐められていたってことだ。
家綱とかも家臣には好かれていたと言うしな。
扱いやすい都合のいい将軍て言うことでしかない。

四賢侯から英邁さを買われて推挙された慶喜と、血筋だけが理由の井伊とリストラを恐れた
大奥から押された家茂では個人的資質でお話にもならん。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 06:39:44 ID:m1Q3MW1E0
虫歯と脚気になったから自己管理がなってない??
高校生か何かと一緒にするなよww
食生活はもちろん夜の生活まで殆ど他人に管理されているんだよ
現代ほど医学がすすんでない時代なんだ
家茂の健康状態が悪くなったのを理由に、将軍失格とは奇奇怪怪であるな

ケイキを持ち上げる時に必ず出てくる
「英邁さ」
何度も言うが、個人の資質とリーダーのそれとは別次元
もちろん英邁で立派なリーダーもいたさ
しかし凡庸ゆえに立派なリーダーもいた
家臣にうまくコントロールされるのも立派なこと

家茂は個性を出さなかったから英邁か凡庸かはわからないけどね


それに旧一橋派だった大名や幕臣も、一旦家茂が将軍となった後は彼をずっと支えた
彼には求心力があった
ひきかえケイキには皆そっぽを向いている
春嶽も宗城も慶勝も一翁も
結局ケイキの尻拭いをさせられる始末

前評判は高かったが、実は将軍の器でなかった
というのが事実

現代に当てはめてもそうでしょう?
いくら前評判がよく、重役時代にスタンドプレーで周囲を沸かせても
社長になって、いざ倒産というときに、部下を置き去りにして債権者からドロン
した男を立派だという者がいるだろうか?
(倒産は彼一人の責ではないにせよ)
元社員がふさいであえいでいる中、悠々自適を楽しみ、元社員を一顧だにしない
男を名社長だったというものがいようか?

才能だけでなく人柄も(たとえそれが偽善でも)リーダーには欠かせないのだよ


ケイキさんを必要以上に偶像視することが彼を逆に貶めていることになぜ気づかない
のだろうなあ?
臆病、卑怯? それでいいじゃないか
我ら人間は、臆病で卑怯な部分があるものなんだよ
それを認めないのは小さいね
俺は臆病で卑怯で薄情な部分も含んだ、そんな生身のケイキ公が大好きだ
681名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 07:12:37 ID:m1Q3MW1E0
突っ込まれる前に書いておくと
将軍になった時点で支えられるのは当然のことなんだけど、
陰で悪口を言われることはある。
家茂という人間は、不思議と悪くいうものがいないんだよな

勝などは
「真の大将軍」
(勝の場合、自分の建策を取り上げてくれたことで、家茂には非常に甘いのだけれども)
682名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 20:19:17 ID:cgg6QkZl0
人柄が良いとはいっても実際に政局の混乱を収拾できなかったし、
一方の慶喜は京都の政局で奔走している。
征長でも戦う前に身を崩して死去している。
人柄が善ければどうにかなるほど幕末を取り巻く政局は甘くない。
幕府内ではムシ好かないかもしれないが結局は慶喜に縋ったことも幕府の隠せない事実。


683名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 21:36:56 ID:m1Q3MW1E0
そう、その通り、ケイキは京都で活躍したね
つまりトップよりも責任の軽い重役クラスだと彼の能力が発揮されるんだよ

確かに幕閣は最後ケイキに縋ったが、
散々渋って自分を高く売った挙句、
最後の最後で部下を置き去りにして
それを見事に裏切ったのもケイキだよね
勝や大久保、春嶽はさんざ煮え湯を飲まされている

これを見ても明らかなように
家茂公が将軍の時の方が、ケイキを含め皆まだましだったじゃない?
もちろんそれが家茂の手柄とは言わないが

四賢侯や有能な幕臣の支持があったのは事実
京都で活躍したのも事実
(中継ぎの意味で)将軍就任を請われたのも事実
でもそれはみなトップの座に座る前のことで
トップになってからも奮闘したけど
最後に何もかも放り出したのも事実
そして尻拭いを他人に任せながら、あれこれ不満を述べたのも事実
トータルで考えるととてもトップの器じゃないよね

ケイキには胆力(はら)がない
家茂は命を削って将軍職を全うした
俺が言う人柄とはそういうことだよ
単に人がいいとかいうことじゃない
そして部下はそういうところをちゃんと見ている
だから実際にともに仕事をした人の評価が、異常に低いんだよ、ケイキさんは
社会人として人と交わっている人は皆判ると思う
家茂公とケイキさん、どちらをトップにふさわしいかがね

家茂が明君だったとは思わない。そこまでは言わない
でもケイキさんより数段ましだと思うな
684名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 21:42:54 ID:m1Q3MW1E0
念のため
俺はケイキを無能だとは一度も言ってないよ
俺だってケイキは有能な政治家だと思う

ただトップの器ではない、と言っただけ
くどいけど
個人として有能かどうかと、トップとして組織を任せられるかどうかは
別次元の問題だよね?
685名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 23:23:20 ID:cgg6QkZl0
平時であれば家茂は非の打ち所の無い将軍だっただろうが、
混迷していた時期においては荷が重過ぎたことは明らか。
保守派や大奥の支持で将軍になった手前、幕政改革にはほとんど手をつけれなかった。
幕府が実際に改革に動き出せたのは慶喜が将軍になってから。
その手腕に木戸は大げさかもしれないが神君家康の再来とまで評し恐れた。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 23:37:49 ID:QZb0QKtg0
討幕派の公家や長州藩士たちが慶喜を恐れ、警戒していたのに対し、家茂ごときは
意にも介していないしな。

坂本龍馬も「「大樹公、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、
よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん」
とまで言っているしな。
687名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 00:27:09 ID:3YNZSpT40
だからトータルで判断しないと駄目だって

1.幕政改革は井伊の死後から行われているよ
 もちろん家茂が将軍の時
 家茂が行ったのではないけどね(大体年齢的に無理)
 
2.木戸や坂本の慶喜評も、あくまで外側からのものでかつ期間限定
(東照神君の再来だなんて、徳川家を見くびっていた木戸がびっくりしただけ
しかも鳥羽伏見の前の話しだし
坂本にいたっては慶喜が己の望むシナリオどおりに動いたから「英断」としたまで
その後の行動を見る前に殺されているしね)
 勝、板倉、春嶽、一翁、天璋院など
 実際に慶喜とともに幕末を過ごした人間は殆ど否定的な評価を下しているよ
 勝の政敵であった小栗でさえも

慶喜は有能だがトップの器じゃない
人間としては家茂の方が数段上
688名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 00:35:08 ID:3YNZSpT40
まあ685さんの
家茂には荷が重過ぎる
というのは、その通りだと思う
だからと言って、慶喜が適していたともいえないがね

685さんはそうではないけれど、いい加減家茂をこき下ろすのはやめて欲しいな
俺は慶喜をこき下ろしてはいないよ
将軍後見職、裏御守衛総督時代は評価している
明治期も、勝や一翁などがおさえていたからとはいえ、よく身を慎んだ
有能な人だっただけに、これは立派だと思う
ただ宗家の家督を継ぐ時から水戸へ戻るまではいただけない
689名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 00:59:58 ID:wiG+P/of0
旗本の削減や大奥の歳出削減などには家茂は手をつけられなかった。
旧来の権益におおなたをふるう大規模な改革は旧勢力に支持された家茂や
旧来の幕閣にはできなかった。これらの抵抗勢力とは所以をもたない
慶喜になってからこれらの旧勢力に遠慮なく改革ができるようになったのが現実。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 05:41:35 ID:3YNZSpT40
慶応の幕政改革はもはやt
691名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 05:49:52 ID:3YNZSpT40
慶応の幕政改革の人員の削減や経費削減は、徳川家がもはや全国政権でなく
なったからできた

文久の改革は久光がプレッシャーをかけたからできたというのが悲しい現実
692名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 22:33:01 ID:guydvQbO0
家茂が徳川斉昭の息子だったら、絶対に将軍にはなれなかったろうな。

上のほうに社長の例が出ているが、慶喜だったら現代に生まれてもエリートコースを
進んで社長になれる可能性はかなりあったと思うが(社長に向いている・向いていないは
別として)、家茂なんかは社長になるのは絶対無理だな。

社長になる力が無いのに、社長の器とか言っても失笑するしかない。

ニートが家族から、やればできることか、トップになるべき器とか言われているような
もんだ。
693名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 22:21:29 ID:Cu3y3VyZ0
何度も何度も同じことを書くのも疲れるが、
ケイキは有能な政治家だったが、トップの器ではなかった
トップの人間に大切なものは何か、それを問うているのに、
慶喜崇拝派はなんとかの一つ覚えのように
「英邁だ」「有能だ」
を繰り返すのみ。
部下を裏切り、切り捨ててきた事実を指摘しても、沈黙するのみ
話にならない


英邁なら立派なトップで
おとなしい(悪く言えば愚鈍)ならトップ失格

そんな単純なものじゃない。
現実社会はそんな単純じゃないんだよ

もはや疲れた
さらばだ
694名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/23(金) 23:56:24 ID:17j4Kepu0
原市之進も渋沢栄一も、頑迷な尊皇攘夷論者だったのに、
慶喜公に会い超先鋭的な開国論者に変わった
公の感化力や思うべし。

もし万国博覧会に行っていなかったら、渋沢栄一も水戸藩士か幕臣に嫉妬で
殺されてたんだろうなあ……
695名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 00:05:47 ID:JvfLNMZz0
>>693
>部下を裏切り、切り捨ててきた事実を指摘

お前のその指摘がそもそも「嘘」だもんw
『徳川慶喜公伝』ちゃんと読んだ事あるのか?
「鳥羽伏見の大阪城退去=部下を裏切り、切り捨て」
と見ているならお前は単なる馬鹿w
慶喜はあの時ちゃんと敗戦処理担当を城に残し、かつそれとは別に尾張徳川家に家臣の事を頼んでいるよw。
原にしたって慶喜は切り捨てていない。暗殺だからな。
鳥羽伏見の時に会津藩は「勝てる」といったのに大負けした。しかも朝敵レッテルまで貼ってくれた。
会津は嘘つきの上に、徳川に泥を塗っている。しかも江戸で恭順と言っているのに江戸で徹底抗戦を叫び慶喜に逆らった。
見捨てられて江戸追放になるのは当たり前w。
696名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 01:14:36 ID:J3cMXmBI0
反論ありがと

ご心配なく、一通り読んでるよ
ただ、かたっぽだけの証言で物事を判断するの愚を、俺はしていないだけだよ

アンタと同じように慶喜タンラブが一所懸命ヨイショした『慶喜公伝』だけで
判断せよと?
事件から何十年もたった、自己弁護を根拠に何言ってんだか

人を馬鹿馬鹿言うやつに限ってこれだよ

俺が言っているのは大阪城だけではない、
勝や小栗、それに維新後困窮にあえぐ旧幕臣たちのことも含めていっている

宮島談判や江戸開城の時に勝にとった態度を調べてごらん

ともかくアンタに一言忠告
人を馬鹿馬鹿いうのはやめような
俺もアンタを相手にするのはこれが最後だ

697名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 04:30:57 ID:nP+ZuTRfO
私も慶喜公伝読んだが、慶喜からみた視点も重要、

鳥羽伏見直前の幕臣達の興奮ぶりはものすごく、出撃命令ださなければ逆に何されるかわからなく、下手に止めようなら慶喜を殺しかねない勢いだった。サッカーのフーリガンのような感じとも言える

つまり半分は脅されたような感じで、慶喜は全くの無罪とは言わないが、十分に酌量の余地はある。逆に見捨てられたと言われてる側もある程度の責任と罪はある。

トップにふさわしいかどうか、そりゃ幕臣達はピンからキリまでだからね。慶喜支持派も反対派もいて当たり前、

ただ長州戦争を取り止めた時、怒った幕臣、会津藩士もいたが民衆としては戦争の影響で米の値段高騰だったのが下落して大万歳だった。
トップにふさわしいかどうかを民衆レベルまで視野を広げてみると良いだろう。
698名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 07:15:58 ID:QO3uqV6O0
>>696
やっぱお前馬鹿だよw
>事件から何十年もたった、自己弁護を根拠に何言ってんだか

馬鹿の一つ覚えのようにそれしか反論できないのがイタイw
反論するならするで、別のソースを示してくれよ
史料に難癖付けるだけなら中学生だってできるw

>勝や小栗、
勝や小栗って・・・慶喜がこいつ等を裏切ったとでも言うの?
こいつらは江戸で老中の下にいる連中だぞw
慶喜は京都にいて直接の上司でもなんでもない。
しかも幕府内の派閥で考えても、勝は福井藩松平春嶽系の派閥だし、小栗は譜代老中系だ。
一橋慶喜は独自の京都一会桑系派閥を作っているから全然関係ない。
長州征伐の停戦で勝を裏切ったというなら、なおのこと「お前やっぱ馬鹿」にしかならない。
その説は長州側の勘違いから出てきた話しだからな。
(勝の停戦交渉成立後、慶喜が天皇から停戦の勅を長州に示すが、その内容が交渉と違うため長州は受け取りを拒否。
そうした経緯から、勝を慶喜が裏切ったのでは?という疑惑が出たが、実際には勝交渉と慶喜の朝廷工作が同時並行した為、内容が調整されなかっただけの事)

>それに維新後困窮にあえぐ旧幕臣たちのことも含めていっている

もう慶喜の人物評価落とせればなんでもいいというコジツケにしかなってねーよw
徳川が駿河七十万石になった時点で、莫大な家臣を養えない事ぐらいわかるだろ
困窮に喘ぐ?当たり前ジャン。全員を平等に扱うならば、誰も助けないという方法しかない。
それに困窮に喘いだのは、徳川家家臣団だけじゃないよ。幕末に起こった二度の大飢饉と不平等な貿易開始で、
維新以前から日本に住む人々の多くが困窮に喘いでいる。こいつらを幕府は裕福にできなかったろーにw。
それはなぜか?を考えろ。その答えと慶喜の答えはほぼ同じになるから。

>俺もアンタを相手にするのはこれが最後
これが最後もなにもw
俺にレスしたの今回が初だろ。その前からお前と揉めてた奴と俺は別人だからw
まあいい。それじゃココに二度と来るな。それで馬鹿が一人減るw。
699名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 09:22:47 ID:nP+ZuTRfO
慶喜公伝をただの自己弁護資料とするなら大半の資料は自己弁護資料になるね。
慶喜公伝の場合は中立に見る歴史家も編纂に関わり参考資料も細かく書かれており、歴史書としてもすぐれている。

自己弁護と言うのはただの慶喜嫌いによる先入観とこじつけである。
700名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 09:28:18 ID:T52fRwAW0
700ゲット
701名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 10:25:03 ID:s1Aclg/80
慶喜を貶めたところで、家茂が無能・無気力な愚か者であることに変わりは無いのに。
702名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 11:22:42 ID:eHwBrOPm0
江戸時代末期の旗本八万騎の腐敗堕落ぶりは凄まじかった。
武芸や学問という以前に、人間のレベルに達していないというダメっぷり。

こんな連中に延々、家禄という名の高額な生活保護を支給しつづけていたのが徳川幕府。
困窮?
働かざる者食うべからずの、正常な状態になったってだけだろ。

ただ、直参の腐敗ぶりをあれほど容赦なくあぶりだす野口武彦氏が、
慶喜の評価になるといきなり超通俗的な
「慶喜腰抜け!逃げるなんてサイテー!幕臣の皆さんカワイソス!」論者になるのは不思議なり。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 19:42:09 ID:XgQ0F0E/0
慶喜と譜代幕臣達の間に信義による絆は元々無い。
確かに慶喜は幕臣達に冷たかったが、幕臣達も慶喜の脚を引っ張ることをして来た。
在京時に譜代・幕臣に散々いやがらせをされ苦境を味遇わされたのに慶喜は泣き言は言わなかった。
将軍就任前は散々に嫌がらせをして来た癖に己が苦境に陥れられると泣き言のように
恨み節全開になる幕臣達は武士としての慎みも恥も知らないのではないか。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 15:13:53 ID:7mB9tJtq0
江戸に帰ってからの慶喜公は残務処理は勝や大久保にまかせ
薩長の矛先は会津藩に向けさせ、自分はひたすら恭順の姿勢をとったのである
維新後の慶喜公は政治にかかわることはなく、
楽隠居として写真や乗馬などの趣味に生きる生活をして、
大正2年(1913年)に77歳で亡くなった。
晩年の1902年には華族の最高位である公爵に列せられている。
歴史上の人物の評価は難しいが、徳川慶喜の場合は
幕末の最終段階までは持てる才能をフル回転させて
倒幕派と対峙したものの、最後の最後でキレてしまい
自己保身に走ったといえるのではないか。
最高責任者として「勝手にしろ」と言って戦争を始めながら
さっさと逃げ出し、責任を部下(松平容保以下会津藩)に押し付けるがごとき行為は
君主失格といわれても仕方がないかもしれない

翻って第14代将軍徳川家茂公は、将軍在位期間も短く歴史的には地味な存在であるものの
人格にもすぐれ多くの人々の敬愛を集めていたという
(勝海舟をはじめ、家茂の人柄に惹かれた幕臣は多い)
江戸城明け渡し後、多くの旧幕臣が各地で戦ったのも
慶喜公のためというより先代家茂公のためだったのかもしれない
705名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 00:20:26 ID:jQJ9QcOZ0
家持を支持するのは腐女子
706名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 08:34:21 ID:Bm70PwjW0
自分を将軍にするために奔走し、辣腕をふるって憎悪を一身に受けあげくに非業の死をとげた井伊直弼を
家茂は朝廷の機嫌をとるために死後改めて罰している。
家茂の家臣を思う心なんてその程度。

斬新なビジョンもなければ主体性もないから、因循姑息な老中旗本連中にも
勝や小栗といったアクの強い連中にも好かれたんだろう。
707名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 12:59:19 ID:CxEJrTqOO
井伊を処罰した時の家茂の年齢はご存知?
708名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 23:32:20 ID:jQJ9QcOZ0
>>706
出る杭は打たれるの逆なわけだな。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 09:36:18 ID:/Gm+FFDTO
さすれば家茂は沈鋲頭ですな
710名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 11:03:56 ID:KmygSbBp0
鳥羽伏見後、新選組や会津の兵士が慶喜を罵倒した記録が残ってるけど、
敵の3倍に及ぶ兵数でごり押しに出陣して、ボロ負けして討ち死にもせずにのこのこ
帰ってきたことに対する恥じらいってないわけ?

威勢のいいことばかり言って暴走して、失敗して組織全体を窮地に陥れたら
責任はお上のせいって、それでも武士か!と言いたいよ。

なんか新選組―松平容保―徳川家茂という「萌えの枢軸」ができあがってるみたいだよ。
新選組をひいきにしたら、自動的に慶喜をヘタレの口先だけ男にしないとかっこがつかないからな。
実態は逆なんだけどな。
711名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 11:58:45 ID:A5k2URl20
どんな言い訳をしようと兵を捨てて逃げた時点でリーダー失格だね
ソレを何よりわかっていたのが慶喜自身
だから明治では身を慎んだ
あえて批判に甘んじた。
勝をはじめとする旧幕臣が言いたい放題言っているのをこらえた
慶喜は偉いぞ。やはり非凡だ

わかっていないのがお前

責任はお上のせいって、それ当たり前
兵は将の命に従って死地に赴く
上司は部下よりも大きな責任を負うんだよ
これは現代の組織でも言えること
部下は上司の苦労を知らずすき放題言うものも中に入る
組織の中で働いている人にはわかるだろう
人間はそういうもので、組織もまたそういうものだ
それに難癖つけるのはおかしい

まあ敗兵は将を悪く言うのは、自己保身のせいでもあるけどな

それから決め付けはよくないな
ここ最近のやりとりのなかで会津や新撰組を持ち上げる発言があったかな?
なんか、お前、ものすごく視野が狭いぞ
事実を指摘されて逆ギレしているようにしか見えん

自分は正直言って慶喜も家茂もどちらも駄目なヤツだと思ってる
だけど慶喜をこき下ろすつもりはないし、
家茂も同様
ただお前みたいに
「俺は正しい。あんたら馬鹿」
みたいなのは腹が立つ。勝手に人を矮小化するなよ

それぞれがそれぞれの判断基準を持ち、感想を持つのは自由だろ?
だけど人を馬鹿にするのはよくないよな
712名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 14:01:41 ID:BKBof3MwO
兵を見捨てて逃げたのではなく実際には残って後処理する人と一緒に江戸へ行く人を決めているよ。けっして全面的に見捨てた訳ではない

小説ではかなりオーバーに卑怯者扱いだけどね。

リーダーに責任あるのは最もだと思う。だけど部下も戦い停止命令など聞く耳持たないような大興奮してた状況下であったのは差し引いて考えるべきだろう。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 14:34:22 ID:/Gm+FFDTO
そうそう。リーダーには大きな責任があるが
部下だって、部分責任はある。慶喜批判を免罪符にしちゃアカン
当時の幕臣を十把一からげにしてもいかんが
彼らの多くが寄生虫化してたし
慶喜に責を負わせることで、残りのある部分が新政府
官吏などに転身できた
慶喜だって立派な被害者なんだよ
714名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 16:46:52 ID:jNUe6DWQO
鳥羽伏見の戦いで最初に負傷した幕府方は薩長の銃声に驚いて戦線を逃げ出した大目付滝川播磨守具挙の馬に蹴られた連中であった
715名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 20:03:54 ID:H5y7Pr4e0
>滝川播磨守具挙
六角獄に収容されていた浪士を問答無用で惨殺したり、
降伏した天狗党をやはり問答無用で大根斬りにした張本人だが、
己自身の戦いとなると全くの腰抜けぶりで、
少なくともこいつは慶喜を卑怯者とか腰抜けといえるような分際ではない。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/30(金) 16:59:02 ID:fFU/KE9r0
関連スレ
 篤姫・和宮は幕府滅亡のA級戦犯だろ? 
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1212122174/
717名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 00:26:53 ID:q+dPKTu80
またまた慶喜崇拝派の新たなスケープゴート探しが始まったか。。。
いくらやっても慶喜の罪が軽くなるわけでもないに
718名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 03:46:51 ID:q+dPKTu80
幕府をつぶしたのは慶喜ひとりの責ではないが、
徳川宗家が70万石まで縮小したのは彰義隊の責任ですな
719名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 03:47:40 ID:q+dPKTu80
↑日本語おかしかった
「責ではないが」じゃなくて「責ではない」だ
720名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 05:12:51 ID:9OUW6Y0R0
譜代・旗本の弱体化は隠せない事実で徳川幕府が衰亡しているのはあきらかなのに
幕府は健全で譜代や旗本は立派だったのに腑抜け慶喜一人の所為で幕府が亡びたといわんばかりの慶喜非難。
譜代や旗本等の体たらく、卑怯ぶりまで慶喜個人になすりつけようとする☆等は一種の卑怯さを感じる。


721名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 06:50:58 ID:DKpD62K00
門閥の無能どもと一蓮托生する気は無い
この人の存念はこうだったでしょ多分
722名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 09:18:33 ID:KQr1zU5d0
譜代老中=幕府閣僚→任期制なので問題の棚上げによる逃げ切りが可能&最終的な責任は将軍になる。
徳川慶喜=将軍であり逃げる事は不可能。
この差でしょ
723名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 10:05:58 ID:fASmbL040
>>721
慶喜が、その門閥の総元締だろうがw
きみ、馬鹿なの?

でも会津藩は立派だね。
途中で変節した薩摩など、武士道の風上にも置けぬわ
724名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 11:08:24 ID:iSU4C3PE0
>>723
いや、会津の方が酷い
だって会津は幕府の京都守護職でありながら、孝明天皇の信任を得て攘夷を幕府に申し入れている。
薩摩は幕政改革で開国方針だった。薩会盟約もその延長だったのに・・・兵庫開港問題で薩摩は会津や慶喜に裏切られている。
裏切った裏切らないという論法なら、先に裏切ったのは会津の方。
幕府も京都守護職を解任しようとして、その手当も停止したが、孝明天皇が怒り、会津を庇ったのでどうする事もできない。
幕府から見ても会津は裏切り者だよw。
725名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 19:46:25 ID:Lgq1zd5f0
会津その他幕臣が耐え難い苦難を背負ったのは事実。しかし、慶喜が恭順
姿勢を示し続けたのは破壊的・徹底的内乱を防ぎ、欧米帝国主義の餌食に
ならないようにした、という可能性もある。少なくとも、結果的に植民地化
を防いだ、家康の再来かそれ以上の存在であったはずだ。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 19:57:49 ID:q+dPKTu80
家康の再来かそれ以上の存在であったかどうかは価値観の問題なので人それぞれ
だと思うが、
彼の功績は725さんの仰るとおりだと思います
ゆえに旧幕臣からは不人気でしたが、明治政府からは最後には公爵を与えられた
727名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 20:18:05 ID:hNwwd7jBO
今回の大河、わりと忠実だね慶喜。
家定はアレだが
728名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 23:35:29 ID:q+dPKTu80
うん、アレだね
和風ハムレット
ドラマとしては面白いんだけど
729名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 00:35:55 ID:ugIv0aYu0
会津坊がwikiを占領し、山縣有朋に対する罵倒編集を繰り返しています。
ノートにご意見を。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E6%9C%89%E6%9C%8B

730名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 04:46:56 ID:wVw6Her30
>>256
BECAだろう
731名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 15:02:13 ID:FeJfY4BK0
>>1
そもそも「出陣させなきゃ将軍を殺す」といきまくような連中は忠義の士ではない
732名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 15:11:48 ID:83l/0eTK0
まあ忠義とは何かが明確に定義されていないから、なんとも言えないですが
1さんのは「徳川家に対する忠義」なんでしょうな
それでも「元将軍である当主」を殺すといきまくのは忠義の士かどうかはや
はり疑問ですな
言葉は難しいですな
733名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/03(火) 17:19:38 ID:SNAwZXOG0
>687 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/22(木) 00:27:09 ID:3YNZSpT40
>だからトータルで判断しないと駄目だって

>1.幕政改革は井伊の死後から行われているよ
> もちろん家茂が将軍の時
> 家茂が行ったのではないけどね(大体年齢的に無理)

これって慶喜が家茂の将軍後見役になってやったことじゃん(w

大体家茂は
自分を差し置いて動き回る朝廷と徳川慶喜を見て、「自分は無能だから辞職したい。後継者は慶喜が良いだろう」
と辞意をもらしたこともある。また、老中と論争をする慶喜を見て、「もうどうにでもすればよかろう」と涙を流したこともあった。

まあ一方で、人柄が大変良く、多くの人に慕われた。特に、上司にはめっぽう辛口で有名な勝海舟ですら心からこの将軍を慕っていたしね
734名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 18:29:12 ID:MNLWeKA/O
>これって慶喜が家茂の将軍後見役になってやったことじゃん(w

春嶽さんのこともたまには思い出してやってくれ
735名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 21:44:00 ID:F50Mavo40
>>733
734の言うとおり、「慶喜が」やったことではなく、「慶喜も参加した」改革
736名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 08:12:42 ID:Vo+REwwi0
「慶喜の最大のミスは鳥羽伏見で臨戦態勢で行軍させなかったこと」って、
臨戦態勢でないということの意味が分からなくて。
武装しないと言う意味かと思ってたがそんなわけないよなw

「戊辰役戦史」を見ると、
「第一日目からの戦闘を想定しておらず、戦列を組まず銃に弾を装填していなかった」
ということらしい。
これって…ふつうに現場指揮官と兵士の責任じゃないの?
737名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 08:30:06 ID:dVLIN1/10
幕府一万五千に対し、薩長四千。
したがって
幕府の勝利は疑いない
したがって
薩長も負ける戦はしないだろう
したがって
幕府軍の進撃が始まれば、薩長の方が降参するに違いない
したがって
戦いは起こらずに幕府は勝てる
したがって
戦いが起こらないのだから、銃に弾を装填しなくてもいいじゃん

738名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 13:37:10 ID:4vpjP56PO
幕府軍全体的に相手をなめていた雰囲気があり、慶喜だけ責められる問題ではないね。
739名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 17:09:56 ID:Ejf07ZZFO
>>706
一日目は偶発的に起こったと、別の会津藩の史料(菊池明「戊辰戦争日誌」)で見かけたけどな。
京に上洛する際、薩長軍が武装しての上洛は駄目だと通達、足止めくらった。
そこで大坂へ事情を通達し、判断を仰ぎ、無理矢理通行したとの記述がある。
原口清氏も、「戊辰戦争補論」で武装での上洛は元々許されないことだったと述べてるけど、
慶喜自身はどうだったんだろうね
740名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 17:10:47 ID:Ejf07ZZFO
アンカミス>>736
741名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 18:19:19 ID:dVLIN1/10
>>739
慶喜は知っていたよ
復古記によれば、尾張藩主を通じて「武装せずに上洛すれば、納地問題は再考。徳川家も参議として招く」という事を知らせている。
つまり慶喜の上洛は朝廷からの命令だった。
ただ、上洛を認めたのは徳川だけで、会津と桑名には帰国命令が出ている。
武装しての上洛だけでなく、上洛軍の中に会津桑名がいた事も問題で、これを薩長は拒絶した。
徳川軍は当然薩摩藩の検問に引っかかりストップ。
通せ通さぬの問答の後、ぶち切れた幕府軍指令滝川が「それなら力尽くでも通る!」と言った事から無し崩しに開戦してる。
そういう意味では、慶喜に罪が無いわけではないが、その一方で徳川家臣団と会津桑名両藩が上洛したがり、
強行に慶喜に迫っている。それこそ将軍を殺し、新たな将軍を立ててでも上洛するという者もおり老中の板倉も抑えられなかった。
必ず勝てると皆が叫び、半場脅迫的言動もあった事から、慶喜もその気になって思わず・・・
という展開だろうね。蓋を開けたら大負けしたので、即座に兵を退こうとするが皆がもう暴走状態で止められず、
結局大阪を脱出する事で、無理矢理家臣達の暴走戦闘と止めてしまったらしいという事が「徳川慶喜公伝」に書かれている。
それを信じるか信じないかは個人の自由だw
742名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 18:52:59 ID:Ejf07ZZFO
成る程。やっぱ12月末に江戸城の確か西の丸が焼けたことが、慶喜の強行路線に影響与えたんだろうな。
幕末維新の個性シリーズの西郷のやつで、西郷は関与してなかったとかいう研究者もいたけど…。
まぁ元々、クーデター直後に慶喜は一旦、薩を討つと言い出して岩倉らに止められ断念した経緯があるけど、
薩への恨みは相当なものだったろうな。
最後の最後で判断を誤るとは…
743名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 19:58:23 ID:OptfEuuZO
>結局大阪を脱出する事で、無理矢理家臣達の暴走戦闘と止めてしまったらしいという事が「徳川慶喜公伝」に書かれている。
>それを信じるか信じないかは個人の自由だw

スマン俺は信じないよ、
明治の御代になってからの自己弁明を誰が信じるというのか
もっとも慶喜自身こう言うしかしかたなかったろうし、この頃には自分でもそうだったと信じてたかもしれん
慶喜をつき動かしてたのは恐怖以外の何物でもなかったろう
確かに残された部下の手配はしたかも知れん
その一方で艦長を置き去りにしてまでも発艦したし
艦員に内緒でちゃっかりメカケは乗艦させ、いちゃついたり
馬じるしを置き忘れてたりして、沢以下乗組員を呆れさせている
これも慶喜の記憶からは都合よく抜け落ちてしまったみたいだがな(笑)
人の記憶なんてこんなもんだよ
744名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:02:11 ID:guE1QUmT0
そうだ
信じるか信じないかは個人の自由

ただそうした史料が存在している事実だけは信じておけ
それで大丈夫だ
745名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:15:41 ID:OptfEuuZO
同様に、慶喜のそういったリーダーにあるまじき行動も、当事者たちの証言が史料として現実に残っていることも覚えておこうな
それと人の記憶の曖昧さと都合よさも

慶喜を評価したいなら慶喜公伝はなるべく避けたほうがいい
746名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:21:18 ID:guE1QUmT0
>リーダーにあるまじき行動も、当事者たちの証言が史料として現実に残っていることも覚えておこうな

覚えているよw
負けた会津桑名側が徳川慶喜一人に敗戦責任を擦り付ける為の弁明として、そうした見解を語っている事実は承知している。
ただねぇ
>慶喜公伝はなるべく避けたほうがいい
君のこのスタンスには反対だな。
重視しない事と最初から読まない事は別物。
読んでいないのではお話しにならないw
747名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 20:36:13 ID:OptfEuuZO
>負けた会津桑名側が徳川慶喜一人に敗戦責任を擦り付ける為の弁明として、そうした見解を語っている事実は承知している。

ちっとも承知していないではないか(ノ_・。)
俺は沢以下艦員たちと言ったのに

公伝を読むなと言ったのでもない。これは俺の言葉が足りなかったのだが、公伝の慶喜の、特に鳥羽伏見から水戸謹慎までの証言はあてにするな、という意味
公伝を全否定したように聞こえたなら悪かった
748名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 21:05:27 ID:GO6j0slT0
>>736
官軍が錦の御旗掲げていたのに怖気づいて逃げだしたこと。
将軍自ら「あれはニセ物だ。気にするなとはっぱをかければよかった。
たとえ本物の勅命であっても京都の近くで官軍が敗れれば、朝廷側
は「ニセだった」としてくるわけだから(水戸藩へのち勅錠あるいは
承久の乱のときのように)
「勝てば官軍」なわけだから(この言葉の本当の意味はそれ、逆賊扱い
されても官軍破れば、自分が官軍になり 官軍だったほう賊軍になる
というもの)
749名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 22:43:50 ID:4vpjP56PO
結局だれでも自分にとって都合の良い資料は価値有ると判断するものだね。

結局は慶喜だけでなく会津も幕軍も皆平等に責任があるけど、それを慶喜一人にすべて罪があるようにしてる本は気に食わないね
750名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 23:04:04 ID:GO6j0slT0
彰義隊や会津の悲劇はどうみても慶喜の罪。
8月15日の玉音放送のように「全大名 幕臣は新政府に投降せよ。」
という命令を大々的に出すべきだった。
751名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:00:03 ID:y9CPsK58O
彰義隊は慶喜公の命令を受け山岡鉄舟以下精鋭隊士が再三解散を訴えている。

それでも解散せず戦ったのは慶喜うんぬんではなく江戸っ子としてのプライドだろう。

会津は慶喜が関与せずとも「やるならやってやる!さあこい!」というような抗戦的勢い、どのみち戦争になるね。
752名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:20:29 ID:R8F6iySh0
慶喜の鳥羽伏見逃亡を責める方々は、よっぽど自分の精神力に自信があるのだろう

あの時点で慶喜が味わっていた重圧、精神的疲労、絶望は
おそらく人間に耐えられる限界を超えていた。
あの時の慶喜は満年齢で30歳と3ヶ月だった。

これらの事実をふまえた上で「俺ぁ慶喜よかずっと上出来な行動がとれるぜ!」
と断言できる人間だけが責めればいいんじゃないのか。

あとさー、メカケ連れて逃げたと言うが、かよわい女を
怒り狂うであろう兵士たちの中に置いて単身逃げろとゆーのか。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:23:14 ID:k2u67+070
>慶喜公の命令を受け山岡鉄舟以下精鋭隊士が再三解散を訴えている

この時すでに慶喜に実験は無いよ
水戸に移ったからね
解散を促したのは勝や大久保らの終戦処理内閣だ

確かに戦争にもつれこんだのは旧幕府に忠義立てしたためではなく、薩長への
反発によるものだろうね
ただそこまで事態をこじらせたのは慶喜の、そしてその後には勝の、読みの失敗
にある。

俺が慶喜の明治での証言を信用しないのは、彼自身の政治的立場を考えてのこと
で、決して慶喜を無能だとか非常だとか思っているわけではない
立場上めったなことは言えないだろうよ、なにせ足利尊氏が逆賊として、足利出身
というだけでいじめられたご時世だものね
慶喜自身の身の安全もあるだろうし、関係者のことも考えれば、本当のことを
どこまで証言したかは疑問だ
もちろんその行動はいろんな人が記録しているから、ウソはつけないけれど、
俺が疑うのはその動機だよ
当時の心情をそのまま語れないだろうし、自分でも封印するうちに記憶違えを
しているかもしれない
勝の明治の談話をそのままうのみにはしないでしょう?
だからといって、勝の業績を否定しないでしょう?
それと同じですよ
754名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:35:27 ID:k2u67+070
>>752
俺は一言も慶喜を責めてはいないよ
「慶喜に責任は無い」とか
「慶喜は家康の再来だ」とか
「将の器だ」
とか言う人たちに、反論しただけ

妾云々の話も「リーダーにあるまじき」と言っただけ
俺だったら、やはり心配で連れて行くだろうね
ただ部下はそれを見てあきれるのもとうぜんだろう?
自分たちは館長を置き去りにして、逃げ帰る、なのに俺たちのリーダーは。。
と言う話、憤慨するのも、人間としてわかるよね?

俺が慶喜の立場だったら、もっと取り乱していたと思うよ
ただあなたの言うような「その人より上の実力、精神力がある人しか批判でき
ない」というのは、ちょっと乱暴じゃないかな
野球評論化がみな超一流の選手でもなくていいでしょう?
美術評論化がみなすぐれた画家でなくてもいいでしょう?
それと同じですよ
755名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 00:59:33 ID:vfgMprIGO
開陽丸副艦長沢太郎左衛門は、慶喜がお芳を連れてきたとは一言も言ってない
そもそも、大坂にお芳を連れてきたかどうかも、実のところ不明

だから開陽丸士官の
「艦長室にお芳がいた」
というのも、慶喜をおとしめるためかも知れん
艦長榎本を置き去りにして逃げることが、よほど腹にすえかねたんだろうな
756名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 01:03:35 ID:k2u67+070
>>755
なんと、そうなのか?
勇み足をしたか
すまんかった
757名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 01:07:18 ID:8FHvTe910
でもさ、なんだかんだいっても、維新後、困窮する元部下を
尻目に、自身は悠々自適の生活とはちょっといただけない。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 01:29:46 ID:vfgMprIGO
まあ、そうだね
だから「百才あって一誠なし」なんて言われるんだろうな
ただ、あえて弁護すれば、慶喜には勝、大久保、山岡といったお目付役がいて
行動を制限されていたからなあ
勝としては、慶喜が旧幕臣らに担ぎあげられる事態を招く種は
避けたかったんだろうと思う
士族の反乱相次ぐ中で、最大「野党」である旧幕臣のコントロールには腐心していたから
自分は高位高官になって、旧幕臣らに援助したけど
自分なら微賎の出だから、担がれることもないと思ったんだろう
事実勝の世話になりながら、彼を嫌った者はたくさんいた
759名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 09:46:40 ID:zCjG7ePTO
渋沢も勝のこと気に入ってなかったみたいだし、あまり批評しない慶喜でさえ
勝の功績は誇張があると言ってたもんな。
760名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 13:29:59 ID:UAP9xbS70
幕府全体が堕落・弱体化しているのを誤魔化そうとする
旗本や譜代が慶喜1人をスケープゴートにしているに過ぎない。

761名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 13:50:18 ID:R8F6iySh0
「困窮する元家臣らを尻目に悠々自適」

慶喜を評するさいに必ず持ち出される決まり文句だが、幕臣らは慶喜を主君とも将軍とも
思っていなくて、家臣らしい忠義を尽くそうとしなかっただろう。
だから慶喜にとって彼らは「家臣」じゃない。

そもそも彼らが「幕臣」の名に値するかどうかも疑問。
幕府存続のために指一本動かさないどころか文武に励むことさえしなかった。
長州戦争のさいかり出された幕臣たちの行状はひどいものだった。
大坂では女郎買い・土産の品評・絵描きの内職……
今週の週刊新潮の野口武彦の連載でも読んでみたら?

稲垣史生いわく、
「これでは鳥羽伏見で敗れたのも無理はないし、旗本八万騎がこんな情けない状態だったから
慶喜将軍はあっさり恭順したのである」

何もしなかったから幕府が倒壊して生活費はストップ、
文武も身につけてないから困窮、無能のくせプライドだけは無駄に高いから仕事もできない
これのどこが可哀想なんだよ!
762名無しさん@お腹いっぱい:2008/06/08(日) 14:03:49 ID:Pz+j0pV50
まあ幕臣でも優秀な人は新政府にどんどん登用されたけどね。
まあ新政府自体、人材不足で旧幕府の役人がいないと仕事が回らないってのもあるけど(w

それでも使えない奴、無能な旗本とかは自業自得だろ?

763名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 14:43:16 ID:yUcuSE8Z0
>>761
明治になってからの慶喜は自分が旧幕臣に担がれる(反新政府で)
のを防ぐために、わざと、旧幕臣に嫌われる(彼らの苦労をはばからず
に贅沢な悠々自適の生活をして彼らが自分を嫌うようにする。)
ようにしたんでないの?慶喜がのちに明治政府から高く評価され
(公爵にもなる)のはそういうことへの功労としてではないにか。
764名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 15:03:54 ID:1SG6HA5U0
慶喜が力を入れた幕府歩兵隊の主要身分は百姓町民w
最初旗本を歩兵にしようとしたが、彼らは欠勤や病欠といって誰も来なかった。
家臣に無視された慶喜は、仕方が無く「出勤しないなら資金だせ」と金だけ出させ、
その金で百姓町民を傭兵として幕府歩兵隊を作った。
薩長と決戦しよう!と叫び暴走したのは、この糞幕臣旗本たち。
慶喜が見放して当然だと思うよw。
だって、こいつら自分の事しか考えてないもん。
そんな奴らが困窮した途端に慶喜批判w
慶喜にしてみたら「働かざるもの喰うべからず・・・なにか?」という感じでしょw
765名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 17:17:42 ID:UAP9xbS70
実際に慶喜の公爵叙勲は旧側近で当時宮内省にいた香川敬三が尽力した。
また慶喜自身も側近で暗殺された原市之進の墓には何度か参詣したというので、
慶喜が全く家臣達に人望が無く、また家臣達に思いやりが無いというわけでもない。

766名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 18:07:22 ID:yUcuSE8Z0
>>765
 側近は別だと思うが 大多数の家臣たちには思いやりがないように
思わせ、人望を無くそうとわざとしてたんでないのか?
自分を担いだりしないように。あるいは「江戸時代のほうがよかった」、
と明治政府に反抗しないように。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 19:01:19 ID:1SG6HA5U0
>>766
そう言い切れるだけの史料が無いなぁ
ただ、慶喜は新政府の評論を一切しないし、幕末の話しもせずに暮らしたという話しだが。
彼自身、迂闊な事を言って反政府活動に利用されないようにしていたっぽいね。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 19:10:53 ID:yUcuSE8Z0
>>767
以前NHKで松平定知が司会してる番組で
慶喜が反感を買うような贅沢を見せびらかしている時期は
西南戦争とか自由民権運動で反政府の盛り上がっている時期
に一致している、とやっていた。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 21:09:10 ID:1SG6HA5U0
いやぁ〜状況的にそうだったのかもしれないけど、
本人がそう言ったとか日記にそうした目的でやったと書かれた史料でないと証明できないでしょう?
実証できなければ、説として語る事はできても事実と認定するところまで行かないんじゃないかな。
770名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:07:36 ID:k2u67+070
そうだね。歴史も科学だから、実証できないことはすべて「かもしれない」
になるよね

贅沢していたかどうか知らないが、この明治20年代という時期は、東京に戻り
たい慶喜を勝が説教したらしいことが記録に残っている
771名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 23:43:51 ID:yUcuSE8Z0
>>769 770
旧幕臣が静岡で茶を作りそれを慶喜に献上しよう
としたさいに冷たく追い返したり、とわざと嫌われるように
していた と松平が司会してた番組ではいっていた。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 00:03:44 ID:BZtKPhdY0
決して意地悪で言ってるわけじゃあないんですが、
そういう行為をした、という事実があっても、それがどんな思惑だったかは
769さんの言うように、日記等記録にないと、本当に憶測になっちゃうもんです
これは現代でもそうですよね
松平さん、つまりNHKが慶喜のそういった史料を踏まえているのか
(もっと言えば、こういった番組は専門家に色々聞いて、その説を松平さんが
代弁している)どうかは不明なので、
なんともいえませんが
そして当事者の証言も、上の方にあるように、時間が経てば経つほど記憶違い
や装飾が紛れ込んできて、
はて何をどこまで信ずればよいやら
というのが歴史のややこしさであり、また面白さですよね
773名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 00:06:40 ID:OxmUeP6Y0
 巨人の原の心境かな。
774名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 00:48:48 ID:EYJ+RVuM0
>>772
そういうことをいうと証拠隠滅したものが勝利ということになるが。
768や771のような状況証拠(NHKのアーカイブスにでも行ってね)
はあるわけだから。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 01:31:15 ID:8iSNguVL0
いや、まさにその通りで。
ある出来事があったか、なかったかの証明ならまだしも
その時当事者たちがどのような心理だったかというのは、これは歴史であると
現在の事件であるとにかかわらず難しい、というか不可能に近い。
裁判でも結構もめるでしょ
そして新しい証言や証拠が出るとひっくり返されることもままありますでしょ

決して批判しているんじゃあないんですよ
これまでこのスレで語られた多くも、同じことですからね
ただ荒れる、とはいかないまでも結構堂々巡りしているから
誰が正しい、というのでもなく、これが決定ともいえないと
まあ、それを言いたいわけで

私もこの時期の慶喜はそのポジションからそのような行動をとらざるを得なかった
と思ってます
776名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 01:48:39 ID:EYJ+RVuM0
 本人の心境はわからなくても本人がどう行動していたかは
引きこもってなければわかるが。
 お茶を献上しようとしたのを(本人が出なくても
使用人に受け取らせることはできたし、自転車で遊ぶのも
他から見えるようにやっていたわけだし)
777名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 01:55:53 ID:8iSNguVL0
だからそのように772で言うとりますがな(つд`)
769さんも「状況はそうだが、目的はわからないんじゃない?」
と書いていらっしゃる
よく読んでね
778名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 02:08:53 ID:mvs2LbNz0
>>752
それはちょっと極論じゃないだろうか。
状況でいえば、蛤御門からの長州の情勢のがよっぽど絶望的だった訳で。
薩摩も……薩摩も…………上手くやってんな薩摩w
779名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 04:57:59 ID:k67BfCSVO
牧之原開拓士族はちゃんと慶喜にお茶を届けているよ、それとその他旧幕臣もよく慶喜に挨拶に来たり土産物を送ってる。

冷たく追い返したなんて記録は無い。

詳しくは慶喜家の日記を訳した前田匡一郎編著「慶喜邸を訪れた人々」(羽衣出版)を見てくれ
780名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 09:31:19 ID:mJVSJkrLO
いやぁ凄く読みごたえのある面白いスレだ

新選組や会津の愚直さも慶喜さんの解りにくい達観度合いも
同じくらい好きな自分には一寸肩身が狭い気もするけどw

資料も色々呈示されてて、浅学な身には非常に有り難いです
図書館で資料あさる参考にさせて頂きます。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 10:02:52 ID:u2xeT7AMO
となると、松平さん(というよりNHK)は何を 根拠にした誰の説を取り上げたか、だな
そこをはっきり示してくれないと
前も揉めたんだよ、あの番組は
勝手に人の説を取り上げてね
松平さんの罪じゃあ、ないんだけどね
782名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 13:16:22 ID:8iSNguVL0
>>774
NHKのアーカイブスに行くのはいいが(というよりNHKが何を根拠に番組
作成したか、出演者だけでなく協力者等もテロップで出るから、是非見たいの
だが)、
どの番組のどの回を見ればいいのか教えてくれなきゃあ、とてもじゃないけど
見れないよ
779さんのようにソースを明記するのが礼儀だよ
783名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 15:46:40 ID:KCaqxtGJ0
大将が討たれたらそれまで
大将が逃げるのは当然でしょ?
後の日本軍もやったこと
784名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 16:46:11 ID:u2xeT7AMO
確かにそうだが、じゃあその旨をきちんと伝えないとね
「明日は出陣する」と言いながら脱出したからね
まあ、確かに朝廷に上奏したり、尾越に後を託したりはしたよ
しかし眼前のものたちを騙したのも確か
慶喜は事前の根回しというか人間のつながりをつくるのが下手なんだな
詳しくは河合重子『謎とき徳川慶喜−−なぜ大坂城を脱出したか』を読め
そして頭を冷やせ
ここのスレでは慶喜を吊し上げてる訳ではない
785名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 17:13:41 ID:k67BfCSVO
私も河合氏の本読んだが、
味方を騙す形で脱出したのは逆にそうまでしなければ慶喜を監禁してでも強引に戦い続ける可能性もあったからじゃないかな。

現に会津藩は慶喜の江戸帰還を聴いてそれを阻止する行為に出たと河合氏の本に書いてある。

786名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 17:20:30 ID:Dt70Pi4eO
>>779
でも家近良樹氏「その後の慶喜」の中で、慶喜は旧幕臣との面会は極力避けてたとあるぞ?
天皇への謁見もしばらくは断ってたし。
勝に表に出るなと釘をさされていたみたいだが。
松平さんの言葉もどっから来てるのか知らんが、幕臣に冷たかったのは慶喜が明治天皇と会い、功績を認められる前後の違いじゃないのか?
あと勝の死去した後
787名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 17:38:02 ID:Dt70Pi4eO
西南戦争に関して慶喜の心境をはっきりと示す史料がないのは当然。渋沢が時勢について聞いても一切言わない人だし。
ただ血気盛んな旧幕臣との面会を避けたのは明治の始めの彼の特徴。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 17:47:21 ID:k67BfCSVO
だから実際に「慶喜邸を訪れた人々」を読んでみればいいじゃない。

確かに直接慶喜に会った記録はそのことも書いてあるし、明治20年ごろに徳川家達が久しぶりに静岡へ訪れた時は公の場にも姿を表している。

慶喜邸は会う会わない関わらず頻繁に旧幕臣達が慶喜に挨拶に来る場所だったのさ、
元将軍と言う肩書きが重いため政治的に絡むと疑われる行動は慎み、気軽に誰とでも会うわけにはいかなかったである。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 17:59:37 ID:Dt70Pi4eO
>>788
でも断った人物もいるのは紛れもない事実。天皇への謁見を断ったのも事実。
自分が言いたいのは、慶喜の心境を示す史料がないのは彼の性格からして当然であり、
血気盛んな幕臣との面会を一部断っていたのも事実であるということ。
よって西南戦争における松平さんの意見は必ずしも否定できないということだ。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 18:00:07 ID:Kg4jBPDQ0
本と言えば、★や早乙女は会津キチガイの慶喜アンチのくせに
(「偽りの明治維新」では、慶喜を「幕府を滅ぼす為に将軍になったような男」と書いてた)
大河ドラマ「徳川慶喜」の放送開始の前後には慶喜本を書いてやがる。

サイッテーだな!
791名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 19:35:12 ID:k67BfCSVO
仮に慶喜が鳥羽伏見の戦いで撤退命令を出したとする。

その場合、皆素直に「はい、そうですか」とって言うこと聴くだろうか?
そもそも鳥羽伏見の戦い直前には止めようなら慶喜を殺しかねない勢いだったという。

出陣命令の後脱出

ありえない 

不可解な行動

と評されるが、私には現場の状況を考えると十分にありえる行動であると思う。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 20:46:31 ID:wRHV69wg0
鳥羽伏見の直前、慶喜は二条城を出る際に水戸藩を残し家老の大場に自らの太刀を与えている。
大場以下水戸藩の面々は感激し、残った水戸藩は二条城に入ろうとする幕府人士を締め出した。

793名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/09(月) 22:22:53 ID:Kg4jBPDQ0
その大場一真斎は新選組!では近藤に「お手前がたは何をした!」とほざかれ、
土方に「命のやりとりの仕方が知りたければ、教えて差し上げますよ」などという
ふざけきった台詞を吐かれてたな。

武田耕雲斎の盟友・大場は新選組の若造なんかより、ずっと辛い目にあってきたのに……
もちろん慶喜の描かれ方も最悪だったあのドラマは。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 13:03:41 ID:zJrOAGTgO
まあ大河「ドラマ」ですから
あまり目くじら立てても
795名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 08:02:41 ID:TQTfa2heO
何も知らない人に影響力があるから困るんだよ…
大河はさ。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 08:35:59 ID:rIXgsDOn0
慶喜アンチはかなりの高率で新選組信者・会津信者と被ってると思うんだけど

「部下を置いて逃げるなんてひどい!
「維新後困窮する元家臣を尻目に悠々自適なんてサイテー!」
なーんてご立派なことを言いながら

言いがかりのような理由で仲間や部下を殺しまくり、あげくに油小路なんていう
ゲス過ぎる事件を引き起こした近藤・土方や

神保修理の切腹をかわぎりに、拙劣な対応で女子供含む藩士4500人を戦死させ
会津の土地と人民を蹂躙しておきながら自分は無傷で生き延び、
維新後側室抱えて10人近い子供を作った容保をマンセーするのは不思議すぎる。

結局ダイスキな新選組や容保公には言い対応をしなかったから嫌いなんであって、
長年幕府のために粉骨砕身してきたことや、大政奉還と恭順で無血政権委譲ことなんて
どうでもいいってかんじだよね。

恥知らずのダブスタ人間どものことなんかどうでも良いんだが、それが幕末ファンの意識に大きな影響を
与えまくってるから困るよ。
797名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 09:09:36 ID:KsO/ySpW0
と、自分の好きな人物を批判しているやつらはみんな酷い連中、と思い込むのも迷惑幕末ファンの特徴w
798名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 12:27:19 ID:CCz1oQVqO
慶喜を批判しているのは、もっと広範囲に及びますよ
あなたのおっしゃるような「信者」が見当違いの事を言うのは、放っておけばよろしい
毀誉相半ばする人物ですから、きちんとした批判には目を通し、聞く耳もたなければ
それこそあなた「信者」ですよ
799名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 13:28:52 ID:rIXgsDOn0
そうですね

本当は、戦争に関する慶喜の事績でいちばん責められるべきは鳥羽伏見で逃げたことではなく、
(逃げたせいで犠牲者が増えたわけではなくむしろその反対)
長州戦争を長引かせて死傷者を出したことだと思います。

でもそれにしたって、要衝がおとされたと見るや批判もメンツを失うことも恐れず
あっという間に出陣停止を決めたというのはそれなりに立派ではないかと思うのですが……

800名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 20:11:59 ID:4UUPl6Tj0
歯抜けの青びょうたんを支持する腐女子も忘れてもらっては困るな。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 13:34:36 ID:4UxbaAY+0
徳川幕府軍自体、歩兵隊など一部を除けば戦国時代の軍役システムで動員された時代遅れの軍隊だろ?
最初からこれでやり合うほうが無理だった面もある
が、指揮官の逃亡はどういいつくろっても駄目だろうな
戦況が駄目なら駄目で、秩序ある撤退を指示するべきだっただろ
802名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 19:23:18 ID:/XOhBjZ5O
逆に「だからどうした」と開き直るふてぶてしさでもあれば、それはそれで立派なのにな

その意味で慶喜信者は実に立派だ
803名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 22:17:22 ID:GuRK1OCo0
時代劇板で見つけた
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/kin/1028909550/

まるで慶喜サン本人のように毀誉褒貶が激しい作品だが、364に書いてあるエピソードは
ほんとなの?
自転車の話は有名だが、住民射殺してしまった話なんて聞いたことない。

維新後の話と言えば、近藤と土方の碑文の揮毫を頼まれて、泣いてしまって書けなかった
という話も有名だがソースはどこなんだろう。
あるいは司馬の創作なのかもしれない。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 23:33:11 ID:pb+jigyl0
>近藤と土方の碑文の揮毫を頼まれて、泣いてしまって書けなかった

微妙に違うけれど、似た話が『謎とき徳川慶喜』にあった
しかし手元に無いので、それが何をソースにしているのかはわからぬ
805名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 23:49:29 ID:MvNBDGfP0
慶喜が新選組の存在を知ってたのか。。。
それだけで驚く。
806名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 00:28:09 ID:yoirDB500
知らなかったら本当の馬鹿殿だろう
807名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 01:06:36 ID:s7Xi8X7s0
新撰組のお蔭で余計に倒幕派に恨まれたんだからなぁ、知ってたでしょ。
808名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 01:16:55 ID:yoirDB500
『謎とき徳川慶喜』によれば自分のために死んだ近藤と土方に落涙したらしい
809名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 16:00:20 ID:rDU31+kuO
近藤と土方に慶喜のためという認識があったかね
保科容保の
810名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 17:33:35 ID:3Z//FVrdO
>>809

> 近藤と土方に慶喜のためという認識があったかね

保身以外無いだろ
811名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 18:28:21 ID:Zex33Qhf0
もし近藤らに真の忠義があったら、新政府軍の幕府に対する心証を良くするために
率先して切腹してるはずだもんな。
もし上からそれを強要されても、近藤等に拒める筋合いはない。
組織のために末端を殺すって、自分らが平隊士にさんざんやってきたことだからな。

しかし主君で将軍である慶喜の決定に背いて抗戦、しかもボロ負けして
山岡・西郷の会談で山岡に「あんなのは気にしなくていいから」と言われる始末。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 19:57:04 ID:+L0246850
本意ではなかったが結果的に天狗党を率いることになってしまった
老臣・武田耕雲斎からの手紙が届くと涙を流しながら読んでいたというし、
近藤や土方の話になって涙を流すぐらいの人情味はあったのかもしれない。


813名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 21:42:00 ID:uVXpeXEO0
そもそも将軍に出馬を乞う時点で終わっとる
この時代に将軍や大名が最前線で指揮を執ったことはないだろ
島津忠義や毛利敬親がやったか?
814名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:02:20 ID:yoirDB500
どうも新撰組が出てくると荒れるなあ
せっかくいい流れだったのになあ
815名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 22:56:56 ID:+L0246850
慶喜は政治舞台への登場から退場まで幕府と水戸の板ばさみに翻弄されるのに終始したといえる。


816名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 00:25:18 ID:JbID049C0
大坂城で兵士たちは沸騰して「出陣させなきゃ将軍を殺す」といきまいた。

その後鳥羽伏見で大敗して慶喜が江戸に戻ると、今度は幕閣が大興奮し、
抗戦論に熱意を示さない慶喜に業をにやし、ついには将軍に自殺をすすめることを
画策する者も出始めた。
勝海舟と高橋泥舟の努力で死一等を免ぜられ、故郷水戸での謹慎が決まったが
水戸では天狗党の抗争と血で血を洗うテロが再燃しており、
結局数ヶ月で慶喜はまた転地を余儀なくされた。

長年幕府のために尽くしてきてこれじゃ「間尺に合わん仕事したのォ……」
とつぶやきたくもなるわな。
817名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 08:17:08 ID:8HtT+a920
>勝海舟と高橋泥舟の努力で死一等を免ぜられ

大久保と山岡も加えてくだされ
818名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 08:30:48 ID:6WS7SSW/0
義公と烈公だろ。
819名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 09:09:11 ID:o3HsVZDgO
大久保は将軍ぶっ殺し派だったんじゃないのか?
820名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 09:14:39 ID:o3HsVZDgO
あ、ゴメン。
一翁か…
821名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 09:17:45 ID:WHvKh8y/O
春嶽と尾張文公も忘れるな
822名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 09:57:59 ID:CrXCwdxH0
新政府側でも岩倉や木戸は死一等を減じて謹慎という立場だったが、
薩摩の西郷や大久保は断固死に処すべしと主張した。
原因はこれだけではないかもしれないが
慶喜は維新後も「長州に恨みは無いが薩摩は許せない」
というようなことをこぼしていたというから薩摩には含む感情を持っていたと思われる。
823名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 10:25:25 ID:fehx6x1U0
慶喜の弟(昭武)がパリから帰って来るときに、
薩摩の岸に沿って進む云々という文に、「あの薩摩め」の岸...と言っている。
原文はフランス語らしいので、昭武日記には載っていないか、載ってても
読めないか忘れたが、昭武がそんなこというくらいだから、
慶喜は、どんなに遅くてもその時点(明治元年10月くらいか?)、
というか、そういう手紙がおフランスの昭武に届く時間を引いた分の時点で、
薩摩を憎んでいたと思われる。
824名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 11:56:21 ID:tpHlpHBl0
吉村昭著の「夜明けの雷鳴」を読むと、
パリに着いた昭武一行を待っていたのは、
日本国政府に無断でパリ万博に出展する薩摩の、政府を小馬鹿にした所業の数々だったようだ。
主人公の高松凌雲同様、実に腹が立つのがこの時の薩摩。
当時わずか14歳の昭武が、冷静に状況をわきまえ対処していた様子が健気だった。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 12:21:41 ID:WHvKh8y/O
大河ドラマ『獅子の時代』を思い出す
薩摩琉球国だったっけ
826623:2008/06/15(日) 12:36:01 ID:Xz7wdhDz0
昭武はおフランスの舞踏会の様子を「田舎の大酒宴の如し、笑うべし、笑うべし」
と言ってて、鹿鳴館、笑ったろうな...と思う。

夜明けの雷鳴ですよね、薩摩がブースに旗立てて、独立国みたいに見えてる。
しかも幕府より到着が早い、っていう話。
あの浅草の清水卯三郎というのがとても気になる。すごい知りたい。
吉村昭は題材は大変面白いけど、ものがたりとしては司馬の方が面白い。
それが司馬人気の秘密であろうかと。

あ、これ慶喜スレか。。。すまそ
827名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 15:49:37 ID:aLYAPGhN0
慶喜が近藤と土方の碑文の揮毫を頼まれて、泣いてしまい書けなかった話、どうやらマジのようだ。
「聞きがき新選組」に、松本良順と慶喜の家令・小栗尚三なる人物の書簡が掲載されてた。
828名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 15:52:09 ID:0gGMnsTu0
>>827
それはマジだね。
オレも半藤さんの本で見た。
829名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 00:46:56 ID:3i1RGJAF0
>>827
>泣いてしまい書けなかった

というより、正しくは、松本が慶喜に揮毫を引き受けるように迫ったら、
ポロポロと涙を流し去って行った…ということらしい。
涙の理由は今となっては判りかねるが、揮毫を引き受けなかったのは事実。
もし引き受けていたら、現代の慶喜バッシングも多少は減っていただろうw
まあ、引き受けたくても周囲に止められて引き受けられなかったのかも
しれないが、そこを押しのけて引き受けるようなタイプの人間ではない
のは確か。
自分の立場を重々分かっているとも取れるし、自分の立場かわいさに
冒険をしないとも取れる。
何をしても、こういう常に相反する評価が出てしまうところが慶喜らしい。
830名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 01:00:41 ID:3i1RGJAF0
松本に揮毫を頼まれた頃の慶喜は、まだ勝海舟のそれとない監視下にあった。
慶喜は勝のことが嫌いだし、勝も慶喜のことが嫌いなんだけど、
どっちも「負け組」という立場上、「勝ち組」の期待する振る舞いしか
出来ない側面があったことは考慮すべきだろう。
その意味では、やはり慶喜は立場上、あの時点では揮毫を引き受けるのは
かなりの冒険に値すると考えるべき。
(もっと後になれば、また別の選択もあったかもしれない。)
そう考えると、慶喜が涙を流したというのは、「揮毫を引き受けることは
出来ないが、死した両者への弔いの思いはある。」と解釈出来なくもない。
831名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 02:24:10 ID:c8jWzlxC0
なんでこのオレがおまいらなんかのために揮毫をしなきゃいけないのか....。
ってことで泣いたんじゃないのか。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 07:50:53 ID:NmXZ2l840
ここに書くのは辛いが、
Wikiの伊達宗城の写真が昭武じゃないかと思う件
及び、慶喜に関するスレはドラマしかない件
833名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 19:48:48 ID:viy/wInw0
>>831
それはさすがに悪意込めすぎw
834名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 21:58:51 ID:FpZcrThzO
>>830
新選組を目のカタキにしている自称・慶喜びいきが思う程、当のケーキ自身は
近藤&土方を目のカタキにしてはいなかったっつーことでそ。

いや、常識的に考えれば普通に導き出せる結論なんだけど、自分が好きな人物は、
俺が嫌いなものを同じ様に嫌いなんじゃないか、と勘違いしがちではあるな。
835名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 23:48:29 ID:rWDrpLEw0
慶喜って新撰組が嫌いだったの?知らんかった。
近藤、土方の揮毫に泣くくらいなら、中島三郎助親子とか、老中だった安藤とか
の揮毫とか頼まれたら、失神してたんだろうか。
でも、慶喜の字はいい。複製でいいからほしい。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 23:59:32 ID:3i1RGJAF0
>>835
>慶喜って新撰組が嫌いだったの?知らんかった。

別に、嫌ってはいないだろう。
末端の家臣一人一人についてまで、好き嫌いがはっきりしているとは
思えないw
837名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 07:53:14 ID:rSEW9/jJ0
近藤土方は末端ではないですけれどね
好き嫌いはあったようですが、それをはっきりとは言っていないし、それと
わかるようなこともしていない。明治の慶喜は慎重です
その点、敗戦後の昭和天皇に似ていますね。彼も好き嫌いを表に出さなかった

まあ勝は嫌いだったようで、やんわりと勝を批判していますね
838名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 08:12:42 ID:Nj1pBFsS0
池田屋事件の直後、長州京都留守居の乃美織江は松平容保にではなく
当時禁裏守衛だった一橋慶喜に抗議文を出している。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 13:45:56 ID:paIDBypv0
海舟と慶喜は似てるもんな。普通、自分に似てる人って嫌いさね。

で、Wikiの伊達宗城の写真(一番上の若いやつ)、昭武じゃないでしょうか。。。
ものすごく昭武に似てるけど、伊達宗城の顔を知らない。
伊達宗城か昭武のスレがあれば、そこで聞くんだが、そんなものなかろうて。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:41:56 ID:UWqDp1PU0
>>837
私見だが、慶喜のほうが昭和天皇よりも好き嫌いを表面化
させなかったように思う。
昭和天皇の場合、松岡洋右、白鳥敏夫といった面々を嫌っていたのは
疑いようがない。田中角栄も。
翻って慶喜の場合、嫌いだったのだろうと判るのは勝くらいなもので、
しかし後年、勝に息子を婿入りさせるなどして、個人的に
勝に対し色々と含むところがあったかもしれないものの、
彼の顔を立てている。

その他、容保や小栗忠順に対しても一筋縄ではいかない思いが
あっただろうが、「好き」とか「嫌い」とかそういう単純で
お子ちゃまな感情で動くことはなかったように思う。
この点に関しては、慶喜は大人。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 23:37:13 ID:XXAYOqut0
勝は明治の半ばに明治天皇と徳川慶喜の階段を実現させたからね。
慶喜は別に頼んでもいなかったが、勝が自発的に運動したらしい。
もう徳川から禄も出ていなかったから忠義立てする必要はなかったはずだけど、
これが真の忠義ってものだろう。その後、慶喜から勝に養子縁組の話しが持ち込まれた。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:25:01 ID:KADclKfX0
>この点に関しては、慶喜は大人
全く同感です。
それに比べれば、低次元な批判や低次元な擁護が多すぎる
あれほど才能ある人が、明治期には身を謹んだのはすごい
批判非難も甘んじて受けた
ソレを思うと実は明治の方が人生も長かったし、触れ合った人も多岐に渡ったし
で、小説やドラマで描いて欲しいですね
843名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:26:02 ID:ghbWtQR40
>840
慶喜憎しの一念で、家茂死後、国事超多難のおりに幼君を立てようとする
大奥改革は猛烈に妨害
慶喜の正妻を大奥に入れない
明治15年に死ぬまでずっと、慶喜が家茂を毒殺したと信じ込み家達も洗脳
「田安の人間は慶喜の子女とは縁組みさせるな」「絶対に慶喜と同じ墓に入れるな」
と公言して死去

天璋院の幼児性には恐ろしいモノがあるが、例の大河のおかげで世間の評価は逆になっている。

その慶喜は東京移住後には天璋院・和宮の命日には必ず墓参し、弔歌を詠んだ。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:26:49 ID:KADclKfX0
昭武の件は御三家・親藩スレで聞いた方がよいでしょう
仰るとおり、ここではスレチですから
あそこなら事情通がたくさんいますよ
845名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:37:00 ID:KADclKfX0
>その慶喜は東京移住後には天璋院・和宮の命日には必ず墓参し、弔歌を詠んだ

仮にも先代、先々代の夫人だから当たり前のことじゃあないでしょうか
逆に命日に墓参もしなかったら、自分が15代当主であったことを否定すること
になりますからね

現当主の恒孝さんの代になって、やっとそういった行事等を縮小しよう、という
話になったのですよ、
当時は当たり前のことだったと思いますがねえ
846名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:58:02 ID:75l7elp30
>>841
>もう徳川から禄も出ていなかったから忠義立てする必要はなかったはずだけど、

憶測になるが、勝は慶喜個人のために運動したと言うより、
旧幕臣達のため、言い換えれば、負け組になった徳川に連なる人々の
ため、という思いから運動したんじゃないか?
なんだかんだと言っても、慶喜は徳川幕府のイコンだよ。
そのイコンが真に名誉回復されない限り、そのイコンのもとで働いて
いた者達も真に名誉回復されることがない、という発想なのでは?

勿論、勝のことなので、自分の手柄欲しさという目で見られてしまう
のは仕方ない面もあるが、勝の心中には純粋に旧幕臣達に対する
思いもあったと思うね。
なので、殿に対する忠義と言うよりは、旧幕府ファミリーに対する
ロイヤリティからの行動という印象を受ける。
847名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 05:13:31 ID:RWiChx400
慶喜の名誉回復に関しては勝だけでなく旧水戸藩士で側近だったこともある
当時宮内省にいた香川敬三も熱心だった。特に公爵叙勲に関しては勝より香川の
動きによることが大きい。
848名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 07:11:25 ID:ghbWtQR40
>>845
いや、それはそうなんだけど、15代当主にして征夷大将軍だった慶喜を敬いも従いも
しなかった篤姫と比べると。
あれだけ身分や格式を頑迷なまでに主張するなら、自分もたとえポーズでも
慶喜に敬意を表さなくてはだめだろう。

>>847
この香川敬三も歴史ファンの間では評判が悪い。
なぜなら近藤勇の斬首に一役買ったから……
しかし、幕臣でなく幕臣や徳川宗家に義理立てする必要もないのに
受爵のために奔走したのは、これこそ私心のない忠誠心と情愛の発露ではないだろうか?

渋沢栄一もそうだが、こういった見返りを期待しない援助を受けられるのは
やはり慶喜に人徳があったせいだろう。
849名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 07:23:55 ID:6sfLIbqJO
香川敬三って確か性格に問題ある人物だったよな。
田中光顕とは不仲になって明治以後一言も口を利かなかったとか…

何かエピソードがあったはずだが、忘れちった。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 16:18:45 ID:RWiChx400
香川は新撰組の近藤勇を斬首した非情な面もある一方で
慶喜の名誉回復に奔走したり旧新撰組の粕谷新五郎の慰霊文の筆をとるなど
維新前に落命した同志を中心に遺族に謝罪や慰霊を行った面もあり、
見る立場によって気難しい曲者か義理堅いかが評価が割れるのはやむを得ない。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 07:15:32 ID:lKpE1HTK0
家茂の後継には、篤姫は亀之助を押したが和宮は慶喜を押したとウィキにはあるが、
家近良樹「徳川慶喜」には、和宮も亀之助派で篤姫とともにその旨を板倉勝静に手紙で訴えたと書いてある。

もちろん、ネットの書き込みと最新の研究書ではどちらを信じるべきかは明白だけど…
それぞれの説のソースって?
852名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 20:52:02 ID:xHSl2pqu0
>>843
当時、似た原因で京都大阪で2人の要人が亡くなっていますが、
その徳川家茂と孝明天皇の身辺に接近できる人間は、
徳川慶喜と松平容保だけなのですよ。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 21:01:33 ID:xHSl2pqu0
>>851
14代選出時に、一橋慶喜を推挙するために島津斉彬に送り込まれた人間が、篤姫=天璋院です。
しかし15代選出時には篤姫はすっかり慶喜嫌いになっていましたので、慶喜を推す理由がありません。

Wikipediaの記述は、両者を取り違えたのではないでしょうか。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 18:13:50 ID:WmfDr7yO0
Wikipediaによると、家慶はのちの家定を廃嫡して慶喜を将軍後継にしようとした、
しかし阿部正弘の反対によって実現しなかったという主旨の文がありますが、
慶喜を一橋家に入れたのは阿部だし、阿部にとっては願ってもない話ではなかったのですか?

855名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 18:17:23 ID:2XvpP75XO
当時には当時の政治事情があるってことだ。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 21:47:59 ID:LEnhelzl0
>>854
秀忠とお江与が家光より弟忠長を可愛がり、後継にしようとしたのを
家光の乳母春日局が家康に直談判して長子に継がせるべしと家光を三代に
したのは有名な話。その後吉宗が優秀とされる宗武ではなく言語不明瞭な
長子家重を後継としたのも、この慣わしを守ったから。

家定には確かに色々噂があったかもしれないが、紛れも無い家慶の子で
兄早世の為出生時より長子同然。対して慶喜はいくら本人が優秀と言われ
家慶が個人的に寵愛してても血筋的には他人同然の水戸の子。
実子と血筋の遠い親戚の子ではどちらが後継なんて普通話にすらならない。
既に当時から斉昭の女好きと政治方針は大奥・譜代の反感を買っており
その子慶喜を世子にと将軍と老中首座の権威で無理に押し通せば
相当な反発を喰らう事は予想がつき、阿部はそれを恐れたと推測できる。

ただし阿部は家慶に「今少し見合わせ候」と言い、家慶も「少し早いか」と
答えていて慶喜を世子にする気満々、一時空気を読んだだけと言えそう。
その後一年と経たず家慶が黒船ショックで死んだので彼らが具体的にどう
慶喜を世子にする気だったかは不明だが。(血筋的にはどう転んでも不可能)
857名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 16:30:30 ID:AHlAtifv0
ま、慶喜も面倒な時期に将軍になったもんだよな。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 19:38:38 ID:v4XcWg1r0
野口武彦氏は2002年発行の「幕末気分」で盛大に「慶喜ポナパルティスト伝説」をぶち上げたが、
現在、その説は学会においてほぼ否定された。
週刊新潮の連載では大政奉還をどのように書くのか?

859名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:29:54 ID:tYdTbQj30
慶喜論となると大体諸説分かれるが、
大まかに言ってこの3つに分かれるよね

1日本の将来のためには幕府をつぶすべきだと
 常々思っておりわざと幕府が早期に滅びるような行動を取った。

2幕府をつぶす気は無かったが、結果的には幕府が最も効率的に
 滅びる道を選んでしまった。

3慶喜は幕府を滅ぼすつもりはなく最善の方法を取った。
 慶喜は幕府のためによくやった。慶喜以外の奴がやっていたら
 もっと早く幕府が滅んでた。

慶喜を聡明な人間と取る場合にしても1と3とではまた全然違ってくる。
みんなごちゃまぜに語っているから紛らわしいんだよな。

因みに俺は1もしくは2だと思っている。
大政奉還を含め、あらゆる面で慶喜は実に効率的に幕府滅亡に動いたと思う。
ただ、慶喜がどういう気持ちで行動したのかまでは読めないので、
1か2に絞ることができない。
860名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:28:33 ID:2MLdLdXt0
「慶喜が大政奉還をしたのは朝廷から再委任されることを見こしてのものであり、
真のねらいはフランスの力を借りて徳川絶対王政を創出することにあった」

……って、いまだにこの説が世間一般では信じられているの?
まったく物的証拠のない説が、よくも長い間まかり通ってきたものだ。
最初にこの説を考えたのは誰なのかは知らんが、逆に感心する。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:31:01 ID:oBZF/p+A0
慶喜は幕権拡大派じゃないの?
1〜3で言えば3が近いかな
いずれにしても慶喜に甘い解釈だなあ
1は結果から見た後付だと思う。慶喜の述懐は、明治の世の発言だから、当時
の真意は語れないしね
慶喜としては将軍でなく、閣僚の地位が一番よかったんだと思うよ
将軍になりたいそぶりはあったのかなあ
862名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:35:53 ID:tRuhraB5O
>>860
物的証拠がないって、それは他の説も同じだが
少なくとも大政奉還した後も政権を手放したかどうかはビミョー
863名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 04:49:26 ID:0bCXGDtD0
思うにそもそも大政奉還する必要があったのかというところが疑問なんだよね。
もちろん倒幕のためになら必要だけども。

薩長の武力討伐を免れるという理由も、考えてみるとどうもおかしい。
大政奉還はむしろ武力討伐を促す行為にしか思えないからだ。

そもそも大政奉還時点の幕府軍の勢力は今だ圧倒的。
また、幕府勢力が京都に陣取っている以上、幕府軍は官軍であり京に攻め上るものが朝敵とされるので
薩長はうかつには攻められない状況だった。

 しかし、大政奉還して薩長側の勢力を京都へ招き入れてしまうと、
薩長側が、幕府討伐令を発するように朝廷に対して働きかけることが容易となってしまう。
 わざわざ武力討伐のリスクを増やすようなものだ。

討伐の理由などいくらでもつけられるからね。
もし、終始誠実にして口実を与えなければ大丈夫なんて考えていたら甘すぎる。
適当な因縁をつけることもできるし、あの手この手で幕府側を挑発して口実を作る方法だってある。

 そう考えると、鳥羽伏見の戦いは起こるべくして起こったことのように思える。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 15:13:08 ID:kS85AKcE0
>>863
>大政奉還して薩長側の勢力を京都へ招き入れてしまう
別に大政奉還で薩長側の軍が京都に来たワケじゃない
王政復古の大号令で薩長側の軍がようやく京都に入れた。
なぜ王政復古の大号令を薩長が仕組んだか?
まずそこから調べてくれ。
予備知識なさ過ぎで説明できない。
865名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 15:46:08 ID:0bCXGDtD0
>>864
確かに説明を省略しすぎたもしれんが、
薩長側が大政奉還後に起こした行動は、
大政奉還があってこそのもの。

もちろん直接的な要因は王政復古だろうが、
その王政復古を可能にさせたのはやはり大政奉還なんだよ。
そもそも大政奉還自体は王政復古を行うことすら認めるものでもある。
なにせ政権は返上したんだからね。文句はいえん

 それゆえ、大政奉還が薩長の軍を招き入れて武力討伐を促す要因となった。
といいたかった。

866名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:01:08 ID:kS85AKcE0
それでは討幕の密勅をキャンセルできないではないか?
あの時点では、薩長だけでなく芸州藩も「薩長芸三藩同盟」になっている。
しかも大政奉還の建白書を蹴られた事で、これに土佐が組みするぞ。
薩長芸土四藩の討伐など、長州征伐を失敗した幕府には無理な事だ。
しかも、あの頃は幕府権威が著しく低下し、将軍慶喜が大政奉還の相談の為に全国諸大名に上洛令を下したが、
上洛する大名はほとんどいなかった。
ということは、もう長州征伐のように全国諸大名を動員して討伐するという手段は使えないんだぞ?。
867名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:20:12 ID:0bCXGDtD0
いやだから、幕府が長州征伐を起こすことは確かに困難だが、
その一方で、長州側が幕府を討伐することも困難な状況。
一種の膠着状態。長州側が大規模な行動を起こすには
大きなきっかけが必要な状況だった。それが大政奉還になるのだが。

また、「幕府側が、直ちに長州を討伐をできないから幕府の負け」と決め付けるのはいささか乱暴だろう。
勝ち、負けの他に引き分けというものもある。
しかも、膠着状態はむしろ長引けば自力の高い幕府側に有利に働く。
フランスから最新式の戦術を学ぶ時間や、幕府の体制を整える時間も稼げるだろう。
対処の仕様はいくらでもある。
868名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:46:44 ID:kS85AKcE0
>、「幕府側が、直ちに長州を討伐をできないから幕府の負け」と決め付けるのはいささか乱暴だろう。
勝ち、負けの他に引き分けというものもある。

勝ちもしないし、負けもしない。なるほど。
でも、それだと「日本は統一国家とは呼べない」という判断を外国がするかもしれんぞ?。
これまでもこの手で、自国民保護の為にといって軍を上陸させてきた。
また長引けば長引くほど、外国は諸藩との交流外交を進めてしまうだろう。
これまで、幕府が統一政権と見ていればこそ幕府と外交をしていたが、
それが崩れるとなれば「藩=国」と見られてしまう。
三百諸侯が勝手気ままに外交交渉、条約締結できるとなれば・・・・
日本は単なる諸外国の草刈り場になる恐れもある。
長引けば長引くほど、この危険は増すだろう。
幕府にとって対処しなければならない相手は、討幕派だけではないよ。
幕府の権威失墜は著しく、すでに英国は薩長に肩入れしている状態でどうするんだ?
869名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 16:53:16 ID:kS85AKcE0
ああ、言っておくがIF論を展開した以上最後まで答えてくれ。
少なくとも「可能性はある」とか「選択肢はいろいろある」と曖昧な表現で終わらせて欲しくないな。
それだと「なんだ。単なる妄想か?w」で終わりになってしまうからな。
せめて「幕府主導による近代化の可能性と日清日露戦争から大日本帝国憲法、選挙制度の導入、廃藩置県や秩禄処分はどう対処するのか」まで
語ってくれなきゃ、大政奉還が不要だなんて言えないぞ?。

俺は安易にIF論など持ち出すべきじゃないと思うけどね。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 17:18:03 ID:+WQJ6lL40
徳川慶喜は、京都に江戸幕府に代わる自らの新政府を作ろうとしていたのだと思う。
だから江戸幕府にとってみれば、最初から最後まで、自らを潰すべく動いていた敵ということになる。
薩長にとってみれば、最後に主導権を取って徳川慶喜を幕府ごと葬った、ということになる。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 17:47:40 ID:0bCXGDtD0
>>868
これは別にif論ではなく、幕府にとっては自滅するだけの大政奉還を何のために行ったのか
疑問に思ったというだけなんだけどね。

 まあ、内戦が長期化すれば他国の介入を許す虞がある。
これを恐れて慶喜は、幕府を自滅させた。ということであれば説明は付く。
 ということは、やはり大政奉還は最も効率的な自滅策であり、慶喜もそれを知っていながら行ったという
結論でいいのかな。

 因みに、外国の介入を恐れていたのは薩長側も同じなんだけどね。
 内戦の長期化を懸念していたのはお互い様ということ。外国介入云々は幕府だけの不利要因でもなかった。
 これはつまりお互い妥協する道もあったということ。
 
 また、外国の介入を許した場合、幕府の権力は一層安泰なものになるだろう。
 そもそも外国とのバイブやノウハウは、長年貿易を独占していた幕府が最もすぐれている。
 諸藩は完全に幕府に頭が上がらなくなるため、幕府側の団結力はむしろあがる。
 薩長があせっていたのはそのことを知っていたからでもある。
 まあそれが、 日本の将来にとって良いかどうかはまた別の話だけど。
 
 

>せめて「幕府主導による近代化の可能性と日清日露戦争から大日本帝国憲法、
選挙制度の導入、廃藩置県や秩禄処分はどう対処するのか」まで
語ってくれなきゃ、大政奉還が不要だなんて言えないぞ?。

また、もう一つ疑問に思ったのは、慶喜が自ら幕府をつぶして薩長側に権力を譲ったと
考えたとしても、一体薩長のどこに日本の将来を託すほど信頼する要素があったのかということ。
 薩長に託して良かったというのはあくまで結果論だからね。

 現時点では、選挙制度や廃藩置県の構想なども無い(一部考えている人もいただろうが、表面化はしていない。幕府側にだって
似たようなことを考えているものは居た)。
単に幕府に変わって権力が欲しいものたちの集まりにしか見えない。
しかも、薩長軍は手段を選ばない過激な反乱軍。
はっきり言って現時点では薩長側は日本の未来を託せるほど信頼できる集団には見えない。

 そんなまったくの未知数の集団に日本の未来を託すぐらいなら、小栗のように自分で国を改革しようと
考えるほうが自然な発想のような気がするんだよな。
「慶喜は見識があるため、薩長には日本を強国にする力があるということくらい全てお見通しだった」
といわれればそれまでなのだか。しかし超能力者でもなければそこまで見通すのは難しいような
872名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 19:34:52 ID:cpAJtQAx0
山内容堂なんかは、大政奉還で諸藩連合国家を作るような構想をもっていたようだが。
幕府っつか慶喜の考えも似たようなものじゃないか?
長州戦争で敗れたりとはいえ、それでも諸藩の中で頭抜けた力を持っていたのは徳川家だった訳だし、
容堂公や春嶽公が主張したように、領地返納を”徳川家のみ”とせず、”全国の諸藩”とすれば、
その影響力は幕府の頃ほどとは言わないまでも大部分維持できただろう。
朝廷の権威の下に立つ新政府(あるいは新体制)での主導権を握るのが、当時の慶喜の目的だったと思うけどね。

大政奉還があってこそ王政復古が起こった訳だが、慶喜がそこまで望んだわけではないと思うが。
王政復古に対する幕府、というか公議政体側の巻き返しは、春嶽公や容堂公らを中心に速攻で始まってる訳で。
下阪後に幕府諸隊や艦隊、フランス人顧問団まで呼び寄せて各国大使の前で啖呵まで切ってるんだから、
幕府を潰す気はあっても徳川家を潰す気は無かったのは明らかだろう。

まぁ政治的勝利を目前に盤ごとひっくり返る訳ですが。
873名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 21:01:17 ID:o5igjEfQ0
>>871
IF論ではないのならば、単純に「何故大政奉還しなければならなかったのか」という事のみになるが、
通説に従うならば、

突然大政奉還を宣言する」事で、政権を朝廷に押しつける。
政権を担う準備のない朝廷は、政権を運営できる行政機能を備えた日本唯一の組織体、
つまり徳川家に「もう一度政権を担当してくれ」と頼むはず(実際にそうなっている。)。
政権をお返ししたのに、再度徳川家が政権を担う事にしたのは徳川家の意志ではなく天皇の意志であり、
故に諸藩は徳川家に従うべしという形で、武力を行使せずに「徳川家の権威回復(朝廷権力による強化)」と
正式な国家運営機関(幕府という形ではなく)として立ち上がれる。
これを狙った可能性は指摘されている。
実際、慶喜は十五代将軍に就く際、散々拒絶した挙げ句に「諸藩や幕臣達に望まれて将軍になった」という形にした。
その結果一橋時代は、散々江戸の老中に政策を邪魔されたが、将軍になった際には老中に一言も文句を言わせなかった。
つまり、大政奉還は武力を使う事無く、徳川支配の権威付けと政権運営継続する上での正当な理由付けの為に為された事というのが通説だね。
慶喜の思惑通り、大政奉還直後に政権担当は徳川家へと朝廷から命令が出て、ここまでは目論見通りだった。
これを薩長が阻止すべく、王政復古の大号令、つまりこれまでの政権担当や方式をキャンセルする。
これにより徳川家の再度の政権担当者という朝廷の命令もキャンセルされたんだ。
874871:2008/06/28(土) 22:52:54 ID:lKm4sXzF0
通説によれば要は見通しが甘かったというとこになるね。
しかし、孝明天皇が生きているときならまだしも、朝廷の世論が薩長寄りで
しかも京都には得体の知れない薩摩勢力がいる中でその朝廷に
権力を返上するのは非常に危険な賭け。
そもそもたとえ再度政権を移譲されたとしてもそれだけで
武力を行使せずとも薩長勢力が素直に従うと思うのは甘すぎるような。
 そもそも彼らは朝廷の意思など重視していない。

それで大人しくなるならば、とっくの昔に薩摩も長州も抵抗をやめているはず。
今までだって幕府は朝廷からの支持を受けていたわけだし。
すくなくとも長州は朝敵とされた時点で抵抗をやめていなければおかしい。
また、朝敵と知っているのに長州と手を組んでいる薩摩も同じ。
そもそも朝敵などというものは京都さえ押さえれば簡単に覆せるものだからな。歴史から見ても。
彼らはそれを良く理解していたのだろうな。

 結局は武力衝突は避けられない。

確かに、多少は幕府有利に働くだろうけれども、
薩摩に権力を握らせるリスクの大きさを考えると、再移譲の効果には疑問が残る。

もしかしたら慶喜は、ちょっとあせったのかな。



875名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:02:21 ID:cpAJtQAx0
朝敵とはいっても、それにされた幕府だって「君側の奸を除く」とか言ってる訳で。
まぁよくある事。

幕府の権威は失墜したが、諸藩中最も強大だったのは幕府だった訳で。
欠けた権威を補修するには朝廷を上に立てるしかなかったんだろう。
そうなっても、実力を以て実権さえ握れば問題ない。
王政復古ですら政略的には問題にならない方向に進んでいた。

むしろ最大の誤算は鳥羽伏見の敗戦じゃないか?その前に薩摩の謀略があるにしても。
876名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:27:06 ID:Pw6pZx300
>>874
>武力を行使せずとも薩長勢力が素直に従うと思うのは甘すぎるような
しかし、大政奉還された事で薩長討幕派の勢いが消失した事は確かだ。
討幕に向けた薩長芸の芸が大政奉還論の土佐により、平和革命路線に転換している。
土佐はご存じの通り、王政復古で徳川擁護を捲し立てた。
武力を用いて王政復古のクーデターを起こしたまでは良かったが、
その後「徳川家も新政府に招くべし」という徳川擁護派(土佐・福井・尾張・芸州など)が巻き返しをはかり、
小御所会議の決定はほぼ骨抜きになった(現官位は剥奪されるが、前将軍と名乗ることを許し格式も前将軍家に準ずる。
納地は徳川家だけでなく、全国諸大名が石高に応じて全員で出し新政府の財源とする。徳川家の領地だけで新政府の財源にはせず、徳川家も諸藩と同様に再計算する)
岩倉具視をはじめとする朝廷公家達も徳川家擁護派を受け入れ、武力討幕に消極的になっている。
江戸薩摩藩邸焼き討ちが起こった際、薩摩藩は徳川が朝廷に逆らったと言ったが、
岩倉等公家衆は「徳川家と島津家の私闘に過ぎず、朝廷は関知せず」と不問にしている。
明治政府を構成する諸藩は薩長だけではなく、王政復古に協力した福井藩や尾張藩(御三家だよ)もいるから、薩長は彼らを無視できない。
土佐と福井、尾張が最後には押し切って、慶喜が朝廷に謝罪の挨拶にくれば罪を許し、新政府に招くと発表。朝廷の政治を担う者として、
官位無しはまずいから辞官の後、新たな官位を与えられ、納地も再考になっている。
これに薩長も同意した。押し切られたといっていいけど。
最後の最後に薩長が縋り付いたのは、慶喜の上洛は認めるが、会津桑名には帰国させるという妥協案。
薩長が必死の抵抗した。徳川擁護派も徳川復権が確実になった事から一安心して認めてしまった。
会津桑名に何の罪があると抵抗(山内容堂が朝議で徹底反論)もしており、
揉めている最中に、大阪の旧幕軍と会津桑名が軍を率いて進軍した。
帰国を命じられている会津桑名が武装した状態で上洛したから入京を拒絶戦争になったという経緯がある。

こうした事から慶喜には十分に勝利の算段があった。
逆に安易に武力を用いて恫喝すれば、朝敵に従っている薩長の思うつぼ。
877名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:09:31 ID:WBpz4qhi0
>>875

>欠けた権威を補修するには朝廷を上に立てるしかなかったんだろう。 

この点が少し誤解しているところがあるのではないかなと思うんだよな。
朝廷を上に立てているのは今までも同じだし。
たとえ、再移譲を受けることに成功したところでぶっちゃけ今までとそれほど変わらないだろう。
幕府の権威が失墜した原因は別なところ(幕兵の弱さ)にあるわけだし。
幕府の権威を回復するためには戦闘の勝利しかない。

因みに、鳥羽伏見の敗戦が慶喜にとっては最大の誤算だったというのは確かに同意できる。
おそらくそこでパニックになってしまったのだろうな。
878名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:10:14 ID:WBpz4qhi0
>>876

>しかし、大政奉還された事で薩長討幕派の勢いが消失した事は確かだ。 
>討幕に向けた薩長芸の芸が大政奉還論の土佐により、平和革命路線に転換している。 

前にも言った通り、大政奉還を行う前でも薩長が幕府を討伐するのは困難な状況だった。
あえて無理な行動をとったらむしろ薩長側が不利になるだけ。
まあ、先に動いた方が負けという状況だな。

>その後「徳川家も新政府に招くべし」という徳川擁護派(土佐・福井・尾張・芸州など)が巻き返しをはかり、 

 ちなみに新政府を作られた時点で政治的には完全に徳川の敗北だよ。
たとえ新政府に招かれたところで、じわじわと権力を削られるのは目に見えてる。
もはやそこは薩長の土俵なんだから、徳川の消滅も時間だ。
いずれ、痺れを切らして鳥羽伏見のようなことが起こるだろう。武力衝突はやはり避けられない。
とにかく新政府は作らせてはだめだ。

>逆に安易に武力を用いて恫喝すれば、朝敵に従っている薩長の思うつぼ。 

朝廷のことかな?朝廷にしたがっているのならなおさら大政奉還せずとも
薩長が攻め上ることは困難だろう。幕府は京都にどーんと構えているだけでよい。
その間に戦力の近代化を進めればよい。

大政奉還する前だって幕府も朝廷にしたがっているんだから。
新撰組や会津を功績を考えれば尚更。大義は幕府にある。


879名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:23:17 ID:9BnOhgCe0
>>877
朝廷を上に立てると言っても、かつては幕主朝従(長井雅樂案)と朝主幕従(久光案)の違いによる悲劇もあった訳だし、
簡単に割り切れるもんではないと思う。
征夷大将軍職の再任命は慶喜も考えてなかったんでない?
あくまでも諸藩連合の中での主導権を握るのが目的では。

戦勝が一番の利だったのは確かだと思うけど、そこまで自信を持っていただろうか?
江戸の騒擾で主戦派が暴走するまでは、一応抑えていた訳だし。

>>878
徳川家を解体するのではなく、諸藩連合の中でその力を利用しようとする容堂公や春嶽公の勢力があり、
王政復古後の政略戦でも、薩摩相手に有利を保てる力は持っていた。
新政府がその体制で発足したとしても、即徳川家の力を削ぐ方向に行くとは限らないと思われ。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 01:48:24 ID:WBpz4qhi0
>>879

>征夷大将軍職の再任命は慶喜も考えてなかったんでない? 
>あくまでも諸藩連合の中での主導権を握るのが目的では。 

確かに、後者の考えが近いのだろうね。


>戦勝が一番の利だったのは確かだと思うけど、そこまで自信を持っていただろうか? 
>江戸の騒擾で主戦派が暴走するまでは、一応抑えていた訳だし。 

それは戦勝しろという意味ではなく、
権威回復のためには、戦勝以外はあまり意味が無いという意味ね。
前にも言ったけど、別に薩長に攻め入れと言っているわけではないよ。

>>878
>新政府がその体制で発足したとしても、即徳川家の力を削ぐ方向に行くとは限らないと思われ。 

もちろん即削ぐとは言わないがやはり時間の問題だろうということ。
何れにせよ幕府の発言力は著しく落ちてしまう。
そのままじわじわ力をそがれ事に耐えつづけるか切れて対決するかどちらかを選ぶことを迫られるだろう。
単なる一藩で満足するなら存続も可能かもしれないけど・・しかしそれでは勝ったとはいえんし
881名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 05:06:51 ID:hSpeGIeAO
大政奉還後の政権再委任論はあくまで推測ですからね。

最近の学説では否定されているが、小説だと「慶喜策に溺れる」と言う感じで再委任論で書かれる場合が多い。
882名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 08:35:34 ID:V1DLHSxu0
>>878
お前さぁ「結論アリキ」で物を考えすぎ。
基本的に単に「幕府が滅びたのは徳川慶喜が悪いだけ」と言いたいだけだろ?。

>大政奉還を行う前でも薩長が幕府を討伐するのは困難な状況だった
お前「IF論じゃない」と言っていた癖に、結局「薩長を討伐するのは不可能だったという可能性論つまりIF論」になってるだろw。
だからそれならIF論らしく、「薩長が幕府を討伐できないとして、どうするんだ?」という最初の頃のIF論展開になるっつーの。
お前は、結局幕末の結末として何が一番いいんだ?IF論でいいから説明してくれ。
俺はまずそれが知りたい。できれば大正時代までシュミレートしてみろ。
幕藩体制が望ましいのか?政権を朝廷に渡した上での、大名会議制がいいのか?。薩長が作った明治政府のような統一国家体制がいいのか?。
それとも小栗が考えた徳川世襲制の大統領と地方領主世襲制の地方分権制がいいのか?

>薩長が攻め上ることは困難だろう。幕府は京都にどーんと構えているだけでよい
 それじゃ、単に倒れていないというだけで幕府権威の回復も何もできない。
 将軍の命令を諸藩が何も聞いてくれないような状況では、即時討幕はないとしてもいずれ討幕されてしまう(支配力が無いのだから政権が倒れるのは必然)。
 単に問題を棚上げにしただけで、延命策でしかない。なんの問題解決にもなってないぞ?。
>>881
>大政奉還後の政権再委任論はあくまで推測
 推測というか幕臣達が慶喜の大政奉還を受け、再委任うけて徳川支配体制の正当性を認めさせる策だろうとして自己を納得させていた。
 史料に従うならば、大政奉還し大名を諸大名の列に入って大名合議の議会制体制にするとなるが・・・・
 これが明治維新後の慶喜の回顧談から出てきた話しで、自己弁護が入っているという指摘もある。 
883名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 18:02:06 ID:WBpz4qhi0
>>882
>お前さぁ「結論アリキ」で物を考えすぎ。 
>基本的に単に「幕府が滅びたのは徳川慶喜が悪いだけ」と言いたいだけだろ?。 
>だからそれならIF論らしく、「薩長が幕府を討伐できないとして、どうするんだ?」という最初の頃のIF論展開になるっつーの。 
>お前は、結局幕末の結末として何が一番いいんだ?IF論でいいから説明してくれ。

なんで勝手に熱くなってんだよwとりあえず落ち着けよ。
別に慶喜を虐めたいわけではなく、態と幕府を滅ぼすつもりだったのかどうかを検証したかっただけだよ。
なんか気に障ったところがあったならすまんな。

それから別にどうなるべきかということや、幕府が勝った後の事を論じるつもりもなかったんだが、
そうだなあ、幕府が勝ったとしてもいずれ似たような近代化を
遂げていくと思うよ。但し、幕府の場合、共和制に近い形になるだろうな。
そもそも従来の幕府の形態は共和国に近い。そのまま近代的な共和国に移行していくところが自然な流れだったのではないかな。
最初は藩主も世襲制となるかもしれんが、それも長くは続くまい。何れ選挙制度ようなものが実施されることとなろう。
ただ、世襲制の藩主自体は、実権の無い名誉職をあてがわれて生き残るかもしれない。
 また、将軍職も各藩の藩主(代表)による投票で決定されるいわば議会制民主主義のような形になるだろう。
今までもそういった議会制民主主義に近い形であったので移行も比較的スムーズだろう。

 幕府がフランスの力を借りて軍備と戦術を増強していくうちに、欧米流の政治思想も否応なく導入されていくため、
何れはそういった形態にならざるを得なくなる。
 何せ、薩長の明治政府が欧米かぶれしていたと言っても、幕府の欧米かぶれはそれ以上だったのだから。それが原因で動乱がおこるわけだが。
もともと幕府のやろうとしていたことを薩長がやったにすぎない。
とはいえ、幕府が勝った以降のことは完全にIF論だけどな。


> 単に問題を棚上げにしただけで、延命策でしかない。なんの問題解決にもなってないぞ?。

だからそれが幕府のためには一番良かったと言っている。時間の経過はむしろ幕府に有利に働くんだから。
軍隊を近代化させるための時間
884徳川家康:2008/06/30(月) 14:20:06 ID:B3+FyousO
慶喜は頑張った。
徳川宗家を滅ぼさなかった事は評価できる。
お前みたいな子孫を持ち余は幸せだ
885名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 15:49:37 ID:FIeQON8N0
父から息子へ

お前を養子に出す前に  
言っておきたい事がある
かなりきびしい話もするが  
わしの本音を聴いておけ
将軍に好かれても傲ってはいけない  
家祥に嫌われてもめげてはいけない
朝廷は敬え  
いつもきれいでいろ
出来る範囲で  
構わないから
忘れてくれるな  
一橋も治められない男に
天下を治められるはずなどないってことを
お前にはお前にしかないものがあるから
それ以外は口出ししない
黙って江戸に行ってこい

京の朝廷と徳川幕府と
どちらも同じだ大切にしろ
条約勅許かしこくこなせ
たやすいはずだお前の腕なら
大奥の陰口言うな聞くな
それからつまらぬシットはされるな
幕府は滅びはしない多分しないと思う
しないんじゃないかな 
ま ちょっと覚悟はしておけ
幕府はみんなで守るもので
お前一人が苦労してつくろうものではないはず
お前は一橋家へ家を捨てて行くのだから
帰る場所は無いと思え
これから一橋がお前の家

幕府が滅びて朝敵になっても
母より先に死んではいけない
例えばわずか一日でもいい
母より早く逝ってはいけない
何もいらない 吉子の元に行き
涙のしずくふたつ以上こぼせ
お前のお陰でいい幕引きだったと
吉子が言うから必ず言うから
忘れてくれるな
俺の愛する息子は
愛する息子は神君以来の英傑
忘れてくれるな
幕府を背負えるのは
幕府を背負えるのは慶喜
お前ただ一人
886名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 21:54:36 ID:0wd6Y5TH0
゚(ノД`)゚
887名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 22:01:41 ID:I/HS9yo40
>>880
逆に薩長を新政府内で少数派に追い詰め滅ぼすんじゃないか
そして慶喜は終身大統領に就任する
確か慶喜は西周に組織図を作らせてたよな
888名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/02(水) 23:56:35 ID:YL4J5aAe0
>>885
泣けたな。とくに、まちょっと覚悟はしておけの部分が秀逸。いかにも列公。
おやじの一番長い日、防人の詩、あまやどり(みんな題うろおぼえだが)
なども良いのではないか?
つまり、慶喜はさだのキャラだってことか?

ヲレとしては、ふんどしの締め方と痔の予防法の件も入れといてほしかったが。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 07:29:55 ID:Wu4HAkvM0
さだのキャラw

どうでもいいがもし次スレ立てるとしたら
このスレタイだけはどうにかしてくれw
890名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 13:18:19 ID:7zKA6WWr0
>さだのキャラ

いや、実際そうだと思う。
この歌の替え歌は
「責任感が強く義理堅く、どんなに辛くても、責務意識で投げ出すことが絶対にできない」人間を
主人公にした時にいちばんはまるんだよ。
これが勝海舟や坂本龍馬だったら、絶対に作れない。
(彼らに責任感がないというわけじゃないが)


父から息子へ

お前に家を継がす前に  
言っておきたい事がある
かなりむちゃな話もするが  
俺の真似をしないがいいぜ


……あとが続かないw
891名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 03:25:18 ID:Gh/9H5AE0
さだって、昔、タモリがさかんに悪口言ってたとき、一言もタモリのこと
言わなかったのが、男だなぁ。。。と思った。
批判するものは多く、どれも一理あるが、わかる人にはわかる。
たしかに慶喜。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 05:59:48 ID:JlejxMtaO
幕末に行って慶喜と斉彬にデジカメと大量の乾電池を渡してくるわ
きっと貴重な写真のデータをたくさん残してくれるはず
893名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 07:00:19 ID:Gh/9H5AE0
なりあきらは死ぬのが早いから、あんまり証拠写真ないぞ。
なりあきらもなりあきも、死ぬ瞬間知りたいが。阿部、堀田もだけど。
だあkら、デジカメは平岡、ハライチ、渋沢あたりにたのむな。
そんで、渋沢が伊藤とつるむまえに、取り戻すように。
894名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 07:42:52 ID:iUpMhruJ0
ニコライ2世や溥儀のことを考えれば、自ら権力を新勢力に明け渡し、
敗北後はいっさいひきこもって暮らした慶喜の偉大さがわかるよ。

ルイ16世はむりでも、上の二人には慶喜のことを知る機会はあったと思うんだがなあ…
895名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 22:48:49 ID:FALgpbwv0
どんなにか、新しい日本を創る側で、才能を発揮したかっただろうに
と、思わずにはいられない。
びんぼーくじと言えば言えなくもないよね。
896名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 00:38:27 ID:8whUXThQ0
その貧乏くじのデキレースだったんじゃないかね。
慶喜を将軍にして大政奉還ていうのは、会沢ー東湖の頃からある案じゃないか
とか思うんだが。

>>889 こういうスレタイのが人が来るんじゃね?
とりあえず、伊達宗城が昭武の写真なのはどうにかしてほしいんだが>ウィキ
897名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 02:11:30 ID:NyrFomGt0
大阪城から舟で江戸に帰ったんだ
898名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 06:50:57 ID:fm7djdkB0
今の大河の慶喜は、個人的には慶喜よりも原市之進のイメージ。


それにしても、「慶喜公伝」にもアカデミックな伝記にも名前が出てこないんだが、
お芳って本当に実在の人物なのか?

899名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 23:33:57 ID:wT/Kzk72O
>>898
モックンだよ。
900名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 11:03:53 ID:3njcdsihO
>>896
10万の兵を持ってして、2千そこそこの長州に負けるのもデキレースだとでも?
徳川幕府崩壊は三勤交代廃止から始まっており、その皺寄せが慶喜に集まってしまった
901名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 14:06:29 ID:DxALDeLa0
参勤交代廃止のいわゆる文久の改革って、あれ、結局、久光なの?
春嶽とか、慶喜とか、その前に死んだいろんな人の案て感じするが。
あそこで久光が出てくるのが気に入らん。

とりあえず、あと100流して、早くスレタイ変えましょ。
海舟の「這うがごとく」がひねりすぎたんで、慶喜嫌いな奴がたかってこないような
お題でひとつ。楽天理興山かなんか、どうでしょう。
902名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 20:26:45 ID:RR6CxgwV0
参勤交代は廃止じゃなくて緩和ね

幕府の中でも反対意見があったが、
「そうは言っても、諸大名がもし強引に家族を国に連れ帰ろうとしたら今の幕府に止める力は
ないですよ。そうなる前に自分から改革した方がカッコがつきますよ」
という横井小楠の鋭いつっこみに慶喜も賛成して緩和の運びになった。
903名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 20:52:12 ID:5b9BF0vo0
横井の進言か・・・
なんかうまく丸め込まれた感じだな
904名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 21:28:03 ID:wojONjrG0
側室の信さん綺麗!
905名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 22:47:26 ID:Af/9LLL40
維新後、渋沢栄一と永井尚志が慶喜に面会に来たが渋沢だけが通され永井は
会わせてもらえなかった話は有名だが

この渋沢栄一の伯父の玄孫が、あの渋沢龍彦で、永井の玄孫が三島由紀夫。

渋沢と三島の二人は親しかったが、それぞれの先祖の、慶喜をめぐる上記のエピソードを
知っていたのやらどうやら。
906名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 22:54:58 ID:btEtnX8y0
朝日の珊瑚事件は記者のミスであり、朝日新聞社は間違いを犯していない。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1216388531/l50
朝日の珊瑚事件は朝日の珊瑚事件は記者のミスであり、朝日新聞社は間違いを犯していない。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1216388531/l50
朝日の珊瑚事件は記者のミスであり、朝日新聞社は間違いを犯していない。朝日の珊瑚事件は記者のミスであり、朝日新聞社は間違いを犯していない。
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/1216388531/l50
朝日の珊瑚事件は記者のミスであり、朝日新聞社は間違いを犯していない。記者のミスであり、朝日新聞社は間違いを犯していない。
907名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 06:53:39 ID:CQ/gsGdEO
慶喜の肉声テープをどうしても聞きたい
聞いた人いる?
渋沢栄一の晩年の肉声や動画は見たことあるんだけど
908名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 11:41:40 ID:zANluhpT0
渋沢と久米邦武って、若い時ちっとも似てないけど、年取ってから似てるよね。
久米の本に、渋沢と間違えられて泥棒に入られた話があって笑った。
909名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 13:04:58 ID:aomdf1xb0
幕府を滅ぼしたA級戦犯…
それはオットセイ将軍家斉。

彼の放漫治世により財政は破綻し、大奥がのさばり、幕臣の質と綱紀と幕権は地に落ちた。
だから開国・無勅許調印にともなう紛擾も長州戦争も納められなかった。
幕府の存続は日本の為にならないと判断した慶喜は、自ら幕府を葬ることを決意した。

どの幕臣よりも懸命に幕府の為に働いてきた彼が、幕府と幕臣の腐敗はもはや回復不可能だと
認識したときのその絶望・幕府を自ら殺す決断をしたその苦衷や思うべき。

学校で、ちゃんと正しい史実を教えないとね。
910名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 13:25:36 ID:JcHUBKgq0
幕府が終わっても徳川家を存続させるため?水戸家には水戸学を発生させたり、
慶喜は有栖川宮との合いの子だったり、まさに幕府を終わらせるために
存在したような人だね。斉彬が長命だったらその間に大政奉還して
慶喜が要職に就いた新政府というのも可能だったかもしれないな。
911名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 15:39:19 ID:JLBt2kA50
自分も、そういう筋書きだったと思ってるんだが>910
慶喜は大政奉還するために将軍になったと思う。で、慶喜が総理大臣みたいので
合議制の政府。

普通、水戸から将軍なんか出ないし。
なのに、慶喜に限って三度も将軍候補になるのがおかしい。
斉彬、斉昭、阿部、堀田がどんどん死ぬのがどう見たって怪しいよ。
平岡が池田屋の頃に死ぬのも怪しいし。
にーちゃん二人が岡山と因幡で、西国から京都入る関所みたいなとこじゃん。
そのグループで生き残った春嶽は何か言ってないのだろうか。
912名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 16:51:28 ID:PBJLRbRSO
>>911
むしろ、だから最初は将軍や後見色になりたがらなかったんじゃないか。

成彬のが薩摩の転換であり、尊皇の運動の転換にもなってるな。
913名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 20:42:25 ID:tYAwkyst0
島津斉彬(一橋の婿)や松平慶永(一橋の孫)あたりが、徳川慶喜を推したのは
英明だからではなく単に一橋家当主だからだったからではないか.. 
徳川慶喜の一橋家及び宗家相続は、徳川相続システムの不備と作戦ミスによる自滅!
結論を申せば諸悪の根源(作戦ミス)は、子供の生存率が異常に低い当時において
家斉が息子の多くを越前系や外様など復活不能の家柄に養子に行かせ、せっかくの
子宝を活かせなかったこと。御三家御三卿を息子が継いだ時にその弟を越前系や
外様にやるのではなく兄の養子とし、そのほとんどを御三家御三卿においておけば
良かったのだ。

914名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/19(土) 20:59:51 ID:PBJLRbRSO
>>913
作戦ミス、自滅ってのがよくわからんな。将軍にするために一橋の養子にしたんじゃないの?
一橋の養子に引っ張ってきたのは十二代の家慶だし、斉昭が断ってるのに結局はわざわざ水戸から選んでる。家定があれなんだから、期待はされてたんじゃないかな。
915名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 08:56:20 ID:frXdkLUm0
慶喜が天狗党を「見捨てた」というが、これっておかしいと思う。
べつに慶喜は武田たちの直接の主君じゃないし、「俺んとこくれば助けてやるよ」
と言ったわけでもない。
武田たちもそれが分かっていたから、死罪覚悟であっさり降伏したんだろう。
「主君も同然の慶喜公に、どうして刃がむけられようか」と。

そして慶喜もまた、彼らの心理がわかるから苦悩したんだろう。
もし慶喜の行動が「保身のために見捨てて平然としている」というような
卑しいものだったら、当時の彼をつぶさに見ていた原が、その後もいっそうの
忠誠を尽くすはずがない。

「見捨てた」というのは、武士の心情を理解しないげすの物言いである。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 13:44:05 ID:rFJIJQjMO
>>915
慶喜は立ち位置的に半端だよな。
幕府の人間なのに、幕府を潰さぬか警戒され、志士達から慕われる。
断腸の思いだったろうし、水戸を切ったからこそ長州を簡単に許すわけもないよな。
917名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 15:40:45 ID:L7RtvN5J0
元々は、雄藩や朝廷側から推されて将軍後見職になったという経緯がまずかったんじゃないかな。
幕府内の偉い人ではあるけど、譜代の家臣から見れば朝廷側の人物で何をしても疑われるし、幕府の基盤を弱める、でも、何もしないと朝廷などの支持基盤を失うという矛盾に悩まされたと思うよ。
禁裏御守衛総督に至っては、幕府からではなくて、朝廷から直接任命されたんじゃなかったっかな。
やりにくかったと思うよ。

家慶がちゃんとポスト家定に決めておいてくれれば、もっとうまくやれたんじゃないかと思う。
918名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 17:01:06 ID:rFJIJQjMO
>>917
さらに大奥からは鬼の子扱い。
突然の辞任とかも、幕府側が必要としなきゃなにもやれん、って気持ちがあったんじゃないか。
ねじあげ上戸と言われるがろくに動けない立ち位置だったんだろう。

一応家定若いから。でも病弱だし、自分より先に死ぬと思ってたのかもな。
919名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 17:55:32 ID:frXdkLUm0
そもそも後見職は、薩摩がテロまでちらつかせて強引にねじこんだもの。
幕府はもちろん、慶喜本人も嫌がってた。

このねじ込みで幕府の慶喜に対する心証は最悪になり、一方薩摩は薩摩で、
動き始めた慶喜が幕権強化派だとわかると自分たちが後見職に押し込んだことも忘れ逆ギレ。

920名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 19:27:19 ID:NZBXLoRMO
斉彬が長生きしてたら慶喜の運命は変わりましたか?
それとも大して変わりませんか?
921名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 20:45:12 ID:jyDQSQIE0
変わらないんじゃねーの?
なにしろ大老井伊直弼がいるからな
922名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 22:04:57 ID:Ii2Xm9o00
斉彬率兵上京を実力で阻止するってこと?
成功しても失敗してもそのほうが早く纏まった気もする
草莽の活動もあまり広がらないうちだから。
普通に井伊罷免、徳川家も諸侯筆頭で普通に残ったかもな…
923名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 06:24:19 ID:Avznmopx0
斉彬が生きてりゃ、久光がでっぱってこないってだけで、筋書きは相当違うだろうな...。
薩長じゃなくて、薩水の世の中になって、明治年間に日本全国で納豆食ってるんじゃないか?

なんか、この頃、ふと、榎本は慶喜に逃がされたかな、って気がしてるんだが。
死んじゃ困るような幕臣が、函館に行って助かってる。勿論、死んでしまうのも
大勢いるんだけど。
開陽丸は、どこで榎本の手に渡ったの?大阪から慶喜が帰ってきて、その後、
どこにあったんだろか?どなたか詳しい方、ぜひ。
黒田の処理とか、なんか詳しい本ないですかね?
924名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 07:41:46 ID:rTcNRVT+0
>>923
開陽は建造からずっと榎本が艦長。
死んだら困る幕臣が生き残っているのは結果論だが、
彼らは変な意味で「和魂洋才」を身につけたんじゃないかな。
会津みたいに「玉砕全滅まで戰うのが武士道」という解釈ではなく、
「突っ張る所で突っ張るのが武士道で、引き際をわきまえていた」という事だろうね。
925名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 08:30:01 ID:n45TeiNT0
篤姫ネタバレスレより

http://live27.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1210667553/791-795

43話「四侯会議」
44話「大政奉還」
45話「王政復古のクーデター・大坂退去」
というところか。
むっちゃくちゃなペースだな。

926923:2008/07/21(月) 09:36:50 ID:3UdrUJO+0
開陽丸、榎本がオランダから乗ってきて、
大阪から慶喜が乗って江戸に帰ってくるときも、榎本が乗ってるんです?
初歩的な質問ですみませんが。
927名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 09:41:05 ID:lGs/AhTc0
慶喜が江戸にトンズラする時、榎本さん大坂に置いてけぼりじゃなかったっけ?
928名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 10:58:54 ID:rTcNRVT+0
大阪から脱出した時、榎本は上陸し大阪城に入った。
一方、慶喜や会津桑名藩主たちは入れ違いで開陽丸に乗り込んだ。
副館長の沢を臨時の艦長代理として出航している。
江戸に帰ってきてから、徳川家の人事が入れ替わり、
海軍の総司令官であり統括者に矢田堀がなり、
榎本は次席の海軍奉行並として実戦指揮官として依然開陽丸にいた。
ただし、この頃から妙が動きを榎本がはじめ、
勝や矢田堀の指示を聞いたり無視したりしている。
929名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 11:29:03 ID:rTcNRVT+0
個人的には
「暴れん坊将軍 徳川慶喜」
という番組を作って欲しい。

江戸&京都の治安を守る為、日夜お忍びでうろうろして豚を食べる慶喜。
手足となって働く江戸の火消し新門辰五郎とめ組の皆さん。
慶喜のお守り役の松平春嶽と京都守護職の松平容保。

幕府転覆を目論む尊攘派や改革を邪魔する幕府悪徳老中家臣をバッタバッタ斬り倒す大活劇ドラマ。
930名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 11:35:24 ID:OCUkNH2b0
沢太郎左衛門が慶喜連れ帰って、矢田堀が海軍総司令官?!
そうなんですか。なぜ突然そこで矢田堀?
榎本もので、お勧め本てありますか?
なるべく、恨みがましいのじゃないやつで、函館戦前からそれ以降について、
事実関係が詳しいようなもの。
オランダから帰ってくるまでは、大筋知ってるんで。
榎本とか赤松みたいなエリートが、幕府が倒れるのを見誤ったみたいな筋が納得できない。
海舟が、榎本は自分らが勝ってると思って開陽丸持って行ったとか言ってるけど

慶喜スレで申し訳ないですが。
931名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 00:25:13 ID:m7FoiO/W0
娯楽時代劇「慶喜におまかせ!」

時は1854年、若き一橋卿・徳川慶喜がお忍びで江戸市中を出歩き、色んなトラブル一挙解決。

ヒロイン・お芳
助さん格さん・中根長十郎と新門辰五郎一家
ゲスト・高橋山岡兄弟、試衛館の皆さん、坂本龍馬、桂小五郎、勝麟太郎、榎本釜次郎……

さらに水戸メンバーとして武田・藤田父子・安島・原・関鉄之介らも登場し
水戸ヲタ(いるのか?)の紅涙を誘う。
932名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 18:58:55 ID:GLAvi0EP0
>>929
新撰組の神経質そうな慶喜良かったよね。
あんな感じの慶喜がねちねちと嫌味を言いながら
まわりにウザがられながらも地味に事件を解決していく
というドラマではどうだ。
あと、基本慶喜は笑わない設定。最後は笑ってもよい。
933名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 23:19:29 ID:asQKFgcA0
>>932
遊び人の慶さん
趣味はカメラ
夢は有名人のプロマイド収拾・・・・
もっか薩摩の英雄西郷隆盛を狙っている。

尊王倒幕派の巨星西郷隆盛・・・
薩摩藩の方針に従い、幕政改革に奔走する。
写真は魂を抜かれるので大嫌い。
徳川慶喜が執拗に魂を奪おうと狙ってくるので、最後は討幕を決意して徳川打倒に走った・・・。

慶喜と西郷の激しい戦いが展開されるドラマってのは?
934名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 04:05:58 ID:IbNj5wgtO
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
935名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 08:01:11 ID:WxGLGZDJ0
だから、おまいは野菜も食え。

どっかが不自由なんだろうなぁ。。。
なにかに触発されて、突然豚骨ラーメンのことをコピペしたくなる
おまいをもっと知りたい。

その通りだ!って意味なのか?
ばろー、おれの考えと違う!って意味なのかだけでも言ってみれ。
936名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 19:32:09 ID:TQU6CS2H0
いつの間にここは時代劇板になったんだ?
まぁ、漏れは歴史の話も、慶喜ドラマの話もどっちも好きだけど。
937名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 21:49:04 ID:5Qhwdcah0
増上寺徳川将軍墓とその遺品・遺体が手に入らない内容教えて!!!
938名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 13:40:06 ID:Y7om3UOS0
坂下門外の斬奸状、大橋訥庵が書いた説もあるけど、幕府自体に害意はない旨
強調してるところを見ると、やっぱり御三家水戸の原市之進じゃないかと思う。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 14:21:07 ID:YglZHjnO0
娘の中で鏡子が一番美人だな。
940名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 17:39:27 ID:vHiOcx8+O
>>915
しかも薩摩はその時河田十郎を使って離間策を図ってるからろくなもんじゃねえ。
そこらは薩摩の宣伝もあるだろう。
慶喜とは違った意味での二面性の持ち主だ。
941名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 19:40:10 ID:gG5okWGa0
文久三年8・18の政変で京都を負われた長州勢が、一年後の「禁門の変」で
京都に攻め入ってきた時、禁裏守衛総督・一橋慶喜は小松帯刀に薩摩の出兵を求めたが、
小松は断った。理由は

「今度の戦は会津と長州の私戦だから by西郷」

8・18で一番多く兵隊を出したのは確かに会津だけど、あれは薩摩が書いた計画だったのにねえー
結局薩摩が動いたのは、多数の藩兵が到着して、あと諸藩と朝廷の至誠が長州討伐になったから。
942名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 21:53:49 ID:NWoGXkqv0
>>941
ちょっとまてw
薩摩は禁門の変で出動しているじゃないか。
っていうか、元々九門警備を会津藩等と共にやっている藩だから断れないだろ。
実際、会津が守る蛤御門を長州勢が破ると、薩摩藩の西郷隆盛は会津藩の増援に駆けつけて長州勢と激しく戦い撃退しているぞ。
その後、長州を朝敵にする為の工作や第一次長州征伐への下地作りなど会津藩と共に協力に推し進めている。
だから、この頃の長州は「薩賊会奸」と叫んで、会津薩摩双方を恨んだ。
943名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 23:11:49 ID:6Z2+/OKZ0
>>941
何これ初めて聞いたわw
944名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/25(金) 23:36:43 ID:gG5okWGa0
いや、ホントだよ!

詳しくは佐々木克「幕末政治と薩摩藩」吉川弘文館に書いてある。
著者はあからさまな薩摩びいきの慶喜ぎらいだから、かえって信用できる。
945名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 00:29:36 ID:iNFe4OJ6O
小松は勝ちに乗じて長州を倒せとノリノリな面もあったけどな。
ただ最近、薩摩は勝ちのためにはとにかく無理やると思ってしまってるから、あんま否定の気持ちがわかない。やりかねない。
946名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 03:45:13 ID:f4oaxGUe0
禁門の変で長州と必戦の覚悟を固めていたのは会津だけでは?
禁門警備の諸藩も私戦として傍観したり、逆に長州同情藩も多かったでしょ。
慶喜でさえ長州藩主と文のやり取りがあって説諭を考えていたし、
長州側も圧力をかけながら諸藩の周旋に任せていた

ここから一転した理由が佐々木説と家近説で若干ニュアンスが違って、
佐々木先生は四国艦隊来襲の報を受けて窮地に立った久坂ら長州指導者の御所突入の賭け的要素、
家近先生は孝明天皇が慶喜に対して断固命じた会津擁護と長州排斥を重視するんじゃなかった?
947944:2008/07/26(土) 14:07:51 ID:lR3QrSOe0
言葉が足りなかったので書き添えておくと、禁門の変で薩摩が勇猛に戦ったのは確かだが、
在京薩摩藩士は最初に慶喜に出兵を促された時には言下に断り、
実際に動くまでかなりの日数、形勢を観望していたということ。

そもそも8・18自体、いざ失敗したときには「在京の下っ端が勝手にやったこと」
で切り捨てられるようにしていたという。

勝海舟いわく
「長州人は天下を取る為に金を稼ぐ。
 薩摩人は金を稼ぐために天下を取る」
948名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/26(土) 14:56:35 ID:xbba7bcmO
>>946

別に長州は戦目的で上京した訳ではないけどな
949名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 04:45:35 ID:C8x0f6Sd0
徳川慶喜のうり
(12代家慶の御台所である有栖川宮喬子女王の甥)
950名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 08:15:27 ID:p5sTqPfZ0
生母も有栖川宮の女王。
951名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 11:09:20 ID:54x1vfbF0
その有栖川が戊辰戦争の官軍の親玉だろ?
952名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 11:43:50 ID:3wg7u/9F0
>>951
仕方がない。彼の子供の頃からの許嫁和宮を、結婚を目前に奪ったのが幕府だからね。
953名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 12:33:59 ID:FqCnPEBF0
 
954名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 12:35:53 ID:FqCnPEBF0

徳川慶喜ってヘタレなの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1216107210/
955名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 12:40:53 ID:FqCnPEBF0
955
956名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 12:42:12 ID:FqCnPEBF0

【徳川】御三家・御三卿・連枝・家門スレ 二代目
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1214135631/
★★★★徳川幕閣に関する一考察★★★★
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1197902100/
なんで徳川幕府のまま開国しちゃだめだったの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1195298540/
957名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 12:43:56 ID:FqCnPEBF0
 
958名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:39:51 ID:In1yjWcC0
慶喜は英明な旧一橋派や自分を慕ってくれた天狗党を切り捨て、股肱の臣を死なせてまで
幕府のために必死で働いてけど、相手が腐りきっている以上、
それは結局無意味な献身だったんじゃないだろうか。

どんなにがんばって庶政委任の勅を引き出しても豚に真珠、幕府にその意味は理解できず
慶喜連れ戻し作戦や将軍辞職するする詐欺で幕府のダメぶりを天下に晒し、慶喜の努力をふみにじる。
さらには天狗党を惨殺し、原を惨殺。

ただし大政奉還と無血開城、その後死ぬまで46年の恭順。
これは日本の未来と安定のためになくてはならない仕事だった。
武士としても政治家としても本当に立派な人生だったと思うんだけど、
フィクションの世界では全然良く言われないよねえ。

司馬遼太郎が「勝海舟の凄さがわからないかぎり日本人は大人になれない」
と言ったそうだが、それはむしろ海舟ではなく徳川慶喜について言われるべきことだと思う。
959名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:40:30 ID:V2QFY3BV0
新しいスレ立ててもいいんじゃね?このスレタイいやなんだろ?
あと42レスも空欄は厳しいぞ...。
960名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:43:53 ID:y3r42U2k0

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            ★− We are Baystars −★
961名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:44:42 ID:y3r42U2k0

       /      \
      /   \ , , /\       
    /  ==⊂⊃=⊂⊃=\   寺原は明日先発するから温存したんだお
     |     ⌒(__人__)⌒ |  
      \      ` ⌒´  ,/     
.      /⌒〜" ̄, ̄ ̄〆⌒,ニつ       
      |  ,___゙___、rヾイソ⊃    
     |            `l


962名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:45:34 ID:y3r42U2k0
>>319
    |┃三      .,. ‐. '''' ヘ.─-. 、
    |┃三     ./:::::::::< β 7:::::::::i
    |┃三     .!::::::::::::/ .へ. l ::::::::::l
    |┃       .!:::::::;;;;;;;;:::::::;;;;;;;;;:::::::l
    |┃       ゝ/ ,ィェュ、  rェュ、.`r:!
    |┃ ≡     l l '´ ̄ .) (  ̄ ヽi l
    |┃      ヽi   /,,`,,,,.',,,ヽ  lノ
    |┃       .l  ."ヒュュュズ.  l
    |┃三       lヽ :::..`一' .::: /l  \
    |┃        l. ヽ.:::::::::::::::::./ l
    |┃    _,, ''"ヽ    ̄ ̄ ´ / ヽ 
    |┃  '''"´   ̄\::::` ー‐‐‐ ''´:::::√  
    |┃ ≡ | | | | |\::::::::::::::::::::::::/ | | 
    |┃   | | | | | |\::::::::::::::::/ | | | | | | ガラッ
963名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:47:02 ID:y3r42U2k0

    ―― [] []
   | l ̄ | |
   |_| 匚. |
\\   | |
   \\ |_|  / ̄ ̄ ̄\
     \\/ ─   ─ \
 [] [] ,-, /  =⊂⊃=⊂⊃= \
   // /    (__人__)     \    ,.r-、
 匚/ /      `⌒´       \  P{三)
    /              |\   \/\ノ
    /ヽ/^y           |  ヽ     /
\  (、、J  |           |   \_/
 \\    |           |
   \\ |            |
\    \/           7
从从   (            /
Σ  ヽ、  へ        ω/
Σ  /  ̄   \     \
Σ_ノ \、__ / \      ヽ
  \\  \ \   \    〉
 ̄\\\ ̄| \\  //  /
 ̄ ̄\\\ ̄\ \//  /
 ̄ ̄ ̄\\\ ̄|  // /
 ̄ ̄ ̄ ̄\\\ ̄\二フ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\\\ ̄|_
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\\\  \
964名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 13:59:21 ID:538ChgVaO
>>958
幕府のためってのはどうかな。春嶽もそうだが幕府側として政治するしかなかったんじゃないだろうか。
老いた幕府と若すぎる志士たち。
だからこそ、幕臣の疑心も薩摩の無茶も悲しかっただろうな。
965名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:05:55 ID:y3r42U2k0

                  」   lヽ ___/   |  ヽ__,/i  L
`丶、                /、ヽ  |    `ヾ  | ,〃    」 / ヽ            /
   `丶、              |  i´| ´フ''''ー- 、__,」 ,,、-‐''"´ゞ,| | ,| | |            /``ヽ、
 ,.'´ ̄ヽ`丶、        l  l ! i |   \    /    l ! ;| | !        / ,r'"´
'´._    \ `丶、     」 ! | | |  =⊂ニ⊃=⊂ニ⊃= / ! | ,l/、.       / ,/
 ヽ丿      ヽ  、`丶、イjー=ト/ ヾi.   (__人__)   /  l/ ̄!``ヽ.  /  /     /l
      _   `,   ヽ  `丶、=‐カ、.  ゙,    |r┬-|    /  /ー=,!   ,/    |    ゝ‐'
    ヽ丿    !   ヽ  | !`ヽ、 \ ヾ.   `ー'´   ./  / lト、_! / l     L_
             !    |  L_」  `ヽ、\ `ゞ='゙´ ̄`ヾ''゙´´  / /l!、__ /ヽ !  ,r'゙   `¨`ー-‐イ
\      , -‐'´ヽ  ! / 」     `ヽ、  `ー─''´   / /   /ー-、Y  /   __/   /  _
彳i ー=<´      \ ! , ィ´ヽ       ∧∧∧∧∧∧∧  / |   j\,ィ''´=⊂ニ⊃=`Tl'  //
  |  `ゝrー'''゙"二ニニ`レ‘jN ,!      <      大   .>   !   〈            .!!  | l
  |   l | 〉  \    / ;} |     <.      逆    >   l   i (__人__)      ||  | l
L_,!   ! |;レ-=・=-   -=・=リ !ゝ、ー-、、<  の   転   .>  ',   ,! ||||||||||||      i!  ヽヽ
     ,!j;:}         j ,'_」ト!ー'-ゝ<   予   負    >   ',   l          ,/
\_    `ヾ  \___/ / /  Hj    <   感.   け    >,-─ ヽ ,,.」        /   _ノ
ト、 \   \  \/  /_,/  ,Hj   <   !        .>     /l  ヽ 二>、_/    ,イ
966名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:07:10 ID:y3r42U2k0

    |┃三      、_、ト'i从ト,、_、
    |┃三      、y':::::::::::::::::::::`:`'w、
    |┃三    _'シ::::::::::::::::::::::::::::::::::厶、
    |┃     _z':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::そ_
    |┃    彡::, '" ̄``ー、≦==、:::::::::ミ
    |┃ ≡  彳j      `` `  ヾ::::::ミ、
    |┃     l:f  __    ・  _,.、 `!::::::ミ
    |┃     }l 'ヾミミヽ  rz彡‐`ヽ |::fYj
    |┃三   {|  、_tッ、,゙ ' r' rtッ_‐ァ' |::}}!
    |┃     ゙l  `ー 'ノ  !、`ー '   |::リノ  自分を売る
    |┃     l  . ,イ   'ヽ     }チ'
    |┃     '、 ゚ ´...:^ー^:':...   ゚ 卞、
    |┃ ≡   ヽ  r ζ竺=ァ‐、   ,ハ
    |┃       丶  `二´  丶 // ',_   ガラッ
    |┃       _ノ丶、    ,. ' /  !  ` ―- 、

967名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:12:39 ID:y3r42U2k0

 __〕 〔___     〕   〔  ___  ロロ
゙l__  __/   ___ 二二二 〕_〔  /|__ロロ X  i\
 ゙l___/ __iーi゙l 〔 |___  || 〕_〔 / |___  |<  〉ノ  |
 「 __ 〕| || ,レ|  ゙l  ノ ノ __/ |   ノ ノ >'  ,/
 ,|__| | |__|ノノL__ノ| ,|゙ //  |____| ∠/ |__/
   ノノL__ノ ´    '⌒゙  ̄     ,,、
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    ,〔 ゙l |`l        / ` ゚` :.; "゚` ヽ
    | | | ,| |        / 目   ,_!.!、 目 ヽ
    { | | ,| レ'`l     ( 目__  ---  目, ,)
   {  !  ゙ヽ,|     || 、_tッ、,`Y´rtッ_‐ァ' ||
   |      リ    .<|| `ー 'ノ  !`ー '  ||>
   ,〕     ノ     「| ̄===ー\‐=== ̄ 「|
   {   三彡      ||   ___⊥___   ||
   |     I       ヾ.  |r ζ竺=ァ‐、| リ
  ,{____」        ヾ ヾ. `二´ ノ /
   「     | ______ トー―――‐イ _______
  |     |イ噐噐|ロ|ロ|ロ|Y’______‘Y|ロ|ロ|ロ|噐噐iヽ
  |     |四四  |ロ|ロ|ロ旦旦旦旦旦旦旦旦ソ,イ噐噐mロ|
  {     !    イヽロヽ旦旦旦旦旦旦旦旦,イ  ||噐噐ロ|
  .|         /| ヽ旦旦旦旦,-――'´ ̄    ||噐噐/
   l      _,-―' ̄ ̄ ̄/              ̄7´
   `ー⊆三⌒        (               /
         ̄ゞ_ニニー―=ゝー―=======イ

                 モロダシ・ボウ
968名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:13:14 ID:y3r42U2k0
8 :就職戦線異状名無しさん:2008/07/26(土) 17:53:33
体育部員達が下北への進出を始めた近未来、日本では塗料企業間侵略戦争が激化し、
ニッペ侵略を企む関ぺ社員が次々とニッペへ飛来した。
ニッペ人事部は営業組織「ニッペ防衛軍」を結成し、関ぺからの侵略者と戦い始めた。
下北沢にもニッペ防衛軍下北基地が建設され、あずま寿しの広大な地下基地で893名の隊員が
日夜関ぺからの侵略に目を光らせていた。
この下北基地には各大学体育部から選抜された精鋭隊員による営業部隊「売ルトラ営業隊」が置かれ、
ニッペ防衛の最前線に立っていた。ゴクドウ星人による免許強奪事件と
それに続くニッペブログアクセス過多事件において、モロダシ・ボウと名乗る代表ユニを着用した青年が
売ルトラ営業隊に協力し、事件解決の功績を認められて売ルトラ営業隊に入隊する。

ボウは、実はTDN8.8星雲から地球観測に来た宇宙人・サッカー部員893号で、
侵略の危機にさらされるニッペを助けるべく地球にとどまったのだ。
ボウは売ルトラ営業隊でも対処できない危機に際しては、
宇宙人の姿に戻りその超能力を駆使して侵略関ペ社員やヤクザと死闘を繰り広げることになる。
ボウの正体を知らない売ルトラ営業隊は、ボウがブログで自分を売ると宣言したということで
「売ルトラジブン」と名付けた。

この物語は、ニッペ防衛の最前線で侵略者と戦う売ルトラ営業隊と、
クライマックスで登場する売ルトラジブンの活躍を描いていく。

出典: フリー百科事典『ウィヒペディア(Wihipedia)』
969名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:13:54 ID:y3r42U2k0
9 :就職戦線異状名無しさん:2008/07/26(土) 17:54:05
売ルトラジブンの歌

作詞 立教一 作曲 志木 透

はるか盛岡 ふるさとだ
売ルトラジブン サッカー 部員 売ルトラ ジブン ジブン ジブン
進め 淫夢の果てまでも 売ルトラ 「営業スパーク!」
モロダシ ボウの 名を借りて
売ルトラジブン 営業 ジブン 売ルトラ ジブン ジブン ジブン
しゃぶれ!汁吐くマラ怪獣 ねっとりボールで「ストライク!」
マラシャブルマンの ナンバーだ
売ルトラ ジブン 先輩だ ジブン 売ルトラ ジブン ジブン ジブン
売れ!日ペの後輩を ウルトラリークで「アタック!」
970名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:16:00 ID:y3r42U2k0
14 :就職戦線異状名無しさん:2008/07/26(土) 18:23:47
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%A3%B2%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%B3&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::彡
::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::'''"´ヽ:::ミ
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::三ミニ  ヽ::ヽ
::::::::::::::::::''''''"´   ゙゙゙゙゙゙゙゙゙    ヽ}
:::::::::::ノ        ...::      ヽ
::::::::::{           ・   ,,,__ヽリ
:::::::::::)      ,,;"" l }ミミ彡'''"´ ヽ
ヽ::::::}       ....;;彡 ll彡━─'''" ヽ
ヽ:::::::ヽ  ...:::;;;;彡彡" ヽ し'''''''"´   }
 {ヽ::::ヽ ヽ__-━┛ ヽ ヽ ""   }
 ヽ__ヽ:}    --彡"   > ヽ,,,,,,,,ノ" }____
     ヽ :::     ノ  ・ ノ  ヽ }::::::::::::::::::::
      ヽ     /ヽー^"" __=- ノ::::::::::::::::::
      ヽ ::::::::::( ...::: ,,.-''''''ノノ ノ::::::::::::::::::::
       人    ヽ <=ニ,,.-'''''' /::::::::::::::::::::::::
     ノ:::ヽヽ      '''''' ̄ ノヽ:::::::::::::::::::::::
   /::::::::::::ヽ ヽ::::     /   ヽ::::::::::::::::
971名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 14:16:42 ID:y3r42U2k0

                      ‐=≡ / _⌒ヽ⌒ヽ
                     ‐=≡ /  ` ゚` :.; "゚`ヽ
                    ‐=≡  /     ,_!.!、   ヽ
                  ‐=≡   / .    --- ,,  ヽ
               ‐=≡ _,, -−─‐,r'    (((●)))   \       コンニチハ!
            ‐=≡ ,r'"      ,_.__,__  .      ==ュヽ
         ‐=≡ /___  _,,,  ‐""~~"゙  ィ'≡;;;,  . 、_tッ、,゙ ' ,     日本ペイントのマスコットキャラクター
          ‐=≡ , ィ  ーj 'ーー  ,.ィ'(ツヽ  / ___ .   `ー 'ノ  ヽ
      ‐=≡ ,r' /   ノL ヽ.   ` ´  ヽィ゙(ツヽ  . ,イ    \   「エレファントKYN」ですヨロシク!
      ‐=≡ ノ ,イ    ∀       ノ  ヽ` ´    ゚ ´...:^ー  \   
    ‐=≡ // ,'   ..::'"⌒ヽ、    /ヽ━v・)ヽ    r ζ竺=\  \
  ‐=≡ / /  !:.         ゙、.     ,______、       `二.;  ヘ__, ノ
  ‐=≡ ( (   |:::..  -≧y ,_ i::   .`ヽ三三ヲ´  _、,_ `   '
  ‐=≡ ヽ、)  !::::...   y、ュヾ  !::::...    `"´ ゙、::..  3   ゙ 、
      ‐=≡ 人:::::::.. T三ゝ  .゙、::::::::.......___,,ゝ、:::..     ヽ
     ‐=≡ /::::...\::::::.... ̄     .ヾ ̄ ̄    /::::..ヽ、:::..    \          >>1-1001
    ‐=≡ ,'::::::::::::....ヽ、:::::....       ゙、    ノ::::::::::::::...\::::...    ヽ        _ ヽ○/
    ‐=≡ 〈:::::::::::::::::::::/`ヽ、:::::.....    〉   〈:::::::::::::::::::::...人:::::::::.....   〉       _  |
    ‐=≡ `ー─一'"    `ー─一'゙     `ー−一'"   `ー──           ノ ゝ

               (C)日本ペイント
972名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:10:29 ID:FqCnPEBF0
次スレ

徳川慶喜ってヘタレなの?
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973名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:13:23 ID:FqCnPEBF0
 
974名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:14:13 ID:FqCnPEBF0
 
975名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:15:37 ID:FqCnPEBF0
975
976名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:16:48 ID:FqCnPEBF0
 
977名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:29:38 ID:FqCnPEBF0
 
978名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:30:36 ID:FqCnPEBF0
 
979名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 19:31:26 ID:FqCnPEBF0
 
980名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:03:54 ID:FqCnPEBF0
980
981名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:04:45 ID:FqCnPEBF0
 
982名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:06:25 ID:FqCnPEBF0
 
983名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:06:55 ID:FqCnPEBF0
 
984名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:08:50 ID:FqCnPEBF0
 
985名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:10:22 ID:FqCnPEBF0
985
986名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:11:03 ID:FqCnPEBF0
次スレ

徳川慶喜ってヘタレなの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1216107210/
987名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:29:51 ID:FqCnPEBF0
 
988名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/27(日) 21:30:42 ID:FqCnPEBF0
 
989名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 07:52:19 ID:qOWVe0iC0
989
990名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 07:53:43 ID:qOWVe0iC0
990
991名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 08:01:17 ID:qOWVe0iC0
991
992名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 08:01:59 ID:qOWVe0iC0
992
993名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 08:03:31 ID:qOWVe0iC0
993
994名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/28(月) 22:08:25 ID:sUtbbEHq0
糸冬了
995名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 12:13:17 ID:K0RUfMCK0
で、新スレはどれだい?
996名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 21:35:13 ID:NZXz4p7o0
.
997名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 21:36:08 ID:NZXz4p7o0
.
998名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 21:36:40 ID:NZXz4p7o0
.
999名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 21:37:11 ID:NZXz4p7o0
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1000小倉優子 ◆YUKOH0W58Q :2008/07/29(火) 21:37:47 ID:NZXz4p7o0
1000ならジュースでも飲むか
10011001
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