明治維新って薩長のクーデターなんだろ2

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1名無しさん@お腹いっぱい。
家茂と孝明天皇は殺されたんだよな。
山県有朋は人斬りだし。
歴史のねつ造じゃん。

前スレ
明治維新って薩長のクーデターなんだろ
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1148190752/
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 15:03:14 ID:wFcZ7aRM0
削除依頼よろしく
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 15:11:05 ID:OLc0WbT10
>>2
薩長関係者乙
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 15:33:17 ID:oKGLDi+8O
時の国法体系の合法の範囲内でしか社会変革が許されないなら、
アマゾンの奥地に住む狩猟採集民族並の生活しかできないんだが。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 21:25:43 ID:rbmxUOSv0
>>3
その一文だけで薩長関係者と決めつけた根拠をソースを示して説明してくれないか?
説明できなければ、妄想癖のある電波君にケテーイw
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 23:42:56 ID:limIqrblO
明治維新はクーデターで成り立った。  幼い明治天皇を擁立して明治維新を成し遂げた薩摩長州。 
明治天皇を大元帥に祭り上げ軍国になった日本。  近代の天皇の悲劇は明治維新から始まった。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 23:48:33 ID:PL4FAwOF0
また会津の捏造か
8名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/22(月) 14:31:50 ID:Mf1eNrW40
戊辰戦争は徳川方に正義があった。
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 02:50:06 ID:mbKDYo7a0
>>8
会津厨はいい加減に逝け
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 15:51:59 ID:TfBfhrq10
司馬遼太郎が褒めちぎる明治って、男の天国みたいな時代だな。
ジェンダーを気が狂ったように攻撃する安倍シンゾーよ。
1898(明治43年)の民法改正まで、わが大日本帝国は一夫多妻制だったんだぞ。
帝国議会元老院のスケベ爺さんの執拗な抵抗があったそうだ。
これこそ、素晴しいスバラシスギル「日本の伝統」とやらだな。
日本の正しい歴史として、後世の日本を背負う青少年にきちんと教えてやらねばならんべ。

反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ) 【驚愕】日本は1898(明治31)年まで一夫多妻制が認められていた
http://anarchist.seesaa.net/article/18832144.html
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 01:18:59 ID:tFcByn4R0
似たようなスレ乱立させんなって言ってるのに
これだから会津人はw
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 09:23:39 ID:6glS0XsW0
鹿児島新幹線で在来線並行区間がJRでそのまま残っているのってやっぱり
おかしい。
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/07(水) 04:37:12 ID:x2AI+hOA0
泪羅の淵の波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 
混濁の世に我れ立てば 義憤に燃えて血潮湧く

権門上に傲れども 国を憂うる誠なし 
財閥富を誇れども 社稷を思う心なし

ああ人栄え国亡ぶ 盲たる民世に躍る 
治乱興亡夢に似て 世は一局の碁なりけり

昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が 
胸裡百万兵足りて 散るや万朶の桜花

古びし死骸乗り越えて 雲漂揺の身は一つ 
国を憂いて立つからは 丈夫の歌なからめや

天の怒りか地の声か そもただならぬ響きあり 
民永劫の眠りより 醒めよ日本の朝ぼらけ

見よ九天の雲は垂れ 四海の水は雄叫びて 
革新の機到りぬと 吹くや日本の夕嵐

あゝうらぶれし天地の 迷いの道を人はゆく 
栄華を誇る塵の世に 誰が高楼の眺めぞや

功名何ぞ夢の跡 消えざるものはただ誠 
人生意気に感じては 成否を誰かあげつらう

やめよ離騒の一悲曲 悲歌慷慨の日は去りぬ 
われらが剣今こそは 廓清の血に躍るかな
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/09(金) 08:00:18 ID:4mTcNmHi0
会津ってのは徳川幕府の守護かなんかだろ。
長州は会津め!会津!って騒ぐけど要は平和な幕府を
敵にまわしただけなんだろ。そもそもが賊軍。
なんで幕府め!幕府め!ってストレートに言わないの?
会津攻める分には勝算と大儀あるとでも思ってのかね?
関東から見たら長州なんか変だよ。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/09(金) 17:51:54 ID:+7VbvUDBO
>>14
インターネット初心者はちょっと黙ってろよ。
まずは半年ROMれ。
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/09(金) 18:03:04 ID:LdV1Xy9RO
小松 帯刀
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 06:11:48 ID:/S9S6Vvd0
>>14
>>480
幕府は諸外国の介入を阻止せんと戦わずして恭順
偉い!
会津は日本の事も考えずに徹底抗戦
馬鹿!

結論
非難されるべきは会津でつ
漏れも関東だが、会津の方が変だよ。

18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 22:24:28 ID:uLGgix4L0
薩長よりは会津の方がまし。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 22:47:00 ID:A5FTALBn0
>>18
何が?
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 19:46:42 ID:w+TIvGDF0
アジアを侵略したあげく、世界中を敵に回すハメになった「あの戦争」へ続くクーデターですもんね。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/21(水) 21:12:24 ID:CDgvGvge0
日本人で明治維新がクーデターだと思っているのは会津人と帰化チョン位だろ。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 18:20:58 ID:NQsbuPA/0
>>21
会津人は官軍よりだろ。
反抗したのは侍だけ。w
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/25(日) 22:08:59 ID:JciP5Ojd0
ちょっと待って!畳を持って盾になった農民がいます!
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 08:45:19 ID:wzD7v+oWO
僕のご先祖様は散々こき使われた挙げ句に偽官軍と罵られ名誉を踏みにじられ処刑されました
無念でなりません!
中国並の御都合主義の薩長を憎みます
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 08:51:48 ID:Whu+Vv9DO
>>23 会津軍事力不足
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 15:34:59 ID:ketjChmW0
会津人は民度が低いからな
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 17:59:34 ID:wzD7v+oWO
民度?はぁっ?wwww
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/29(木) 21:45:14 ID:+wDWqfl/O
>>22
今じゃ百姓の末裔の会津人も
武士のほうに同化したがってるみたいだけどな。
虐められてた百姓じゃどうしても嫌で、
(妄想の中の)気高き武士でありたいらしい。
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 09:37:38 ID:Ld4ZHblyO
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 11:39:23 ID:bVPERGqp0
会津は大嫌いだが、畳を持って盾にされた農民だけは同情を禁じえない。
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 19:23:22 ID:wtxONy3o0
明治維新はクーデターではなく権力闘争だろう。
天皇を頂点にした政治体制に変化はおきていないんだからw
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/30(金) 21:54:37 ID:4nKuVmk80
会津は先が見えんね。さすが朝敵ですな白虎隊も勘違いで腹切るしw
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 07:24:12 ID:A5KezSir0
孝明天皇は会津の尊王の精神を知っている。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 10:41:23 ID:f2wqlzHuO
>>33 だったら何故攘夷慣行しなかったのかな?
会津は騙してただけ
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:06:40 ID:VYxSFG290
>>34
>>33ではないけど、会津は幕府に攘夷しようと呼びかけているよ。
幕府の方がびっくりして、会津藩を京都守護職から解任すると命令まで出している。
会津藩の迷走ぶりが笑えますけどw
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 13:21:19 ID:yGZzMK430
明治維新は市民革命です。キッパリ


37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 16:30:12 ID:VYxSFG290
>>36
それのネタは釣りでつねwキッパリ
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 16:34:21 ID:h7Hg0cRu0
>>17
日本のことを考えなかったというよりも「日本」っていう国家概念自体なかったんでしょう。
でもそれは当時どの藩も一緒だと思うし。
まぁ、政治センスはないよね。
容保公自身、学問好きだけど政治家には向いていないクソまじめで頭固い人だったようだし。
損な時代に損な役回りでカワイソス。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 17:19:09 ID:b23jFSQG0
薩長出身やつらは信用出来ん
40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 17:23:31 ID:5Qb17j7iO
>>38
東北には現在でも「国家」や「日本」といった概念が無いぞ。
地元への利益誘導に腐心する政治家が
“国政の担当者として”称賛を浴びるんだから。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/01(土) 22:22:30 ID:f2wqlzHuO
>>35 だったら攘夷しろや
長州も薩摩も攘夷慣行しとるがな
会津は朝廷の約束を反故にした。
42名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 06:49:00 ID:905AR1/L0
>>41
漏れに攘夷しろと言われても困るw
タイムマシーンにでものって会津藩に言ってやれ

第一、会津藩は朝廷から攘夷せよとの命令を受けていませんw。
受けていたのは京都守護と幕府に攘夷をさせる為の協力依頼w。
会津藩は幕府に攘夷しようと天皇の意志を幕府に伝えた。
朝廷との約束を反故にしたのは幕府の方。
長州は攘夷実行したが、別に朝廷は指示していない。
勝手に攘夷をしただけ。薩摩も同じ。
天皇はあくまでも幕府による攘夷と鎖国の継続を望んでいたw。
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 13:57:33 ID:oUA/62oa0
幕府を通した朝廷の命令
と読めるのだが。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 15:47:34 ID:u+Winuo3O
明治維新はクーデターで成り立った。
近代の天皇家の悲劇も明治維新から始まった。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:17:38 ID:/qWcI47dO
白虎隊はガキの集まりだから馬鹿なのは認めるが
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 16:28:50 ID:W+ZBKoBL0
国家という概念を持たない左翼には
理解の出来ない出来事なんです。
47日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:58:46 ID:6DMNBzSL0
維新なんて単に薩長の国盗りだろ。
結局、新政府も派閥争いで優秀な人材が政府から出て行った。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 20:07:17 ID:zQ0At60G0
今の政治腐敗も薩長のせい。明治時代に料亭政治をはじめたのもきゃつら。
芋侍は芋焼酎でもノンどけぼけ。

徳川様で開国していたらどれだけ素晴らしい國になっていただろうに。
勝海舟ごとき愚連隊が政府重鎮とはなげかわしい。
坂本龍馬なんて偶像だろ。
実際何したんだ???
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 20:56:48 ID:905AR1/L0
>>48
ま、とりあえず中学校の日本史の教科書でも読めば、竜馬が何したかぐらいわかるよ。
小学生には難しいだろうから、帰って漫画でも読んだら?。
君が日本史板に来るのは10年ぐらい早いかなw
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 20:58:51 ID:KQDbfEINO
>>42 攘夷慣行を幕府が朝廷と約束したがな
それも会津は預かり知らんと言うのかよw
政治家の責任転換みたいな言い訳だな
天皇の意志が攘夷にあることを会津は知っていた
しかし会津は裏切った
つまり尊王の志しは皆無
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 21:00:00 ID:KQDbfEINO
>>42 京都守護職は朝廷からでは無く幕府からだからw
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 21:10:51 ID:zQ0At60G0
>>49
例:
司馬作品を始め、小説やドラマに度々取り上げられる人物ではあるが、それらは実際の龍馬とかけ離れているのではないかという指摘は多い。
清和源氏の一支族美濃源氏土岐氏の庶家明智氏の末裔を称する。しかしこれは後世の創作だろうとする声が強い。
1862年3月に沢村惣之丞とともに脱藩した。九州などを放浪した後、福井藩主松平春嶽の紹介を得て、12月に江戸で千葉重太郎と勝海舟に面会して入門(一説には勝を暗殺する為に面会に行ったとされるが、これには色々と異説があって、正確な史実は確定していない。
神戸海軍操練所の設立に尽力し、操練所とほぼ同時に開設された神戸海軍塾の塾頭をつとめる。ただし、勝海舟の研究者として著名な歴史家の松浦玲は、龍馬が塾頭を務めたという説には懐疑的である。

教科書とか言っている時点でおこちゃまなんだよ。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 21:14:25 ID:zQ0At60G0
1866年3月(慶応二年)、寺田屋事件で一命を取り留める。坂本龍馬の斡旋により、
京都で長州の桂小五郎(木戸孝允)と薩摩の西郷隆盛が会見し、薩長同盟が結ばれた。
龍馬最大の功績と言われるが、実際には、西郷や小松帯刀ら薩摩藩の指示を受けて動
いていたという説もあり、薩長連合に果たした役割の重要性については評価が分かれている。
同年、第二次長州征伐では亀山社中の船・乙丑丸で長州藩海軍を支援。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/02(日) 22:05:50 ID:905AR1/L0
>>50
おりゃあ会津ヲタじゃねーから会津の肩を持つ気はない。
けど、ウソを言う気もないんだよねw。

>攘夷慣行を幕府が朝廷と約束したがな
>それも会津は預かり知らんと言うのかよw

 そう。その通り。会津は知っていた。だから幕府に攘夷をやれと会津が言ってた訳だ。
そういう意味では、会津は裏切ってはいない。むしろ幕府側を裏切っていた。
実際、会津は守護職解任されそうになっているからね。
 もっとも、この時期に攘夷主張する会津がトンチンカンなんだけどねw     

>京都守護職は朝廷からでは無く幕府からだからw

 最初はそうだった。でも一端解任され福井藩が守護職になる。
それを知った天皇が幕府にねじ込み、無理に守護職に復帰させているんだなこれがw。
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 00:32:57 ID:46yj89Zg0
明治維新は薩長のクーデタから始まったが、明治初期の藩閥政治批判で自由民権
運動を経て国会開設に至り、藩閥政治は徐々に崩れて行く。これはクーデタから
議会主義革命への変化といえるだろう。

 フランス革命でも一挙に市民革命が実現したわけでなく、三部会招集から始まって
恐怖政治、テルミドールのクーデター、ナポレオン独裁などが続いて市民革命が
落ちつくのは19世紀中頃だろう。革命は長期スパンで見なければならない。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 05:34:07 ID:HnJ6DAfgO
お尻の中が奥州列藩同盟やぁ〜っ
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 21:56:42 ID:CPIJUXje0
龍馬って、司馬遼太郎の小説を読んですごい人だと思ってたのに違うのか。
勉強になるなぁ。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:33:16 ID:qPMyaIXdO
明治天皇は薩摩長州の基地害にコキ使われて苦労して死んだ
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/06(木) 01:23:37 ID:FHo6qjyT0
山本五十六ですが、山本家は明治維新で長岡藩の「敗戦の責任」をとって断絶とされたそうです。
山本家の再興を託されて、高野家から養子となったのが五十六氏でした。
氏の祖父は長岡藩敗戦の責任をとって自害した人物だそうです。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/12(水) 03:08:32 ID:eRlNF4oO0
                 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
                 | ちょ、ちょっとまって!!!今は南朝じゃないの?!
     , ,-;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:;:,.  ヽ─y──────────────   ,-v-、
    /;:;:;:;:;:;:ミミ;:;:;:;:;:;:;:;:;:;`、                          / _ノ_ノ:^)
    /;:;:;:;:彡―ー-、_;:;:;:;:;:;:;:;|                           / _ノ_ノ_ノ /)
    |;:;:;:ノ、     `、;;:;:;:;:;:i                        / ノ ノノ//
    |;:/_ヽ ,,,,,,,,,,  |;:;:;:;:;:;!                      ____/  ______ ノ
    | ' ゚ ''/ ┌。-、  |;:;:;:;:/                     _.. r("  `ー" 、 ノ
    |` ノ(  ヽ  ソ  |ノ|/               _. -‐ '"´  l l-、    ゙ ノ
_,-ー| /_` ”'  \  ノ   __       . -‐ ' "´        l ヽ`ー''"ー'"
 | :  | )ヾ三ニヽ   /ヽ ' "´/`゙ ーァ' "´  ‐'"´         ヽ、`ー /ノ
 ヽ  `、___,.-ー' |   /   /                __.. -'-'"
  |    | \   / |   l   /            . -‐ '"´
  \   |___>< / ヽ

61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 01:08:23 ID:o60oucil0
北朝ですが?なにか?
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 01:22:22 ID:ARpvBijFO
山本容疑者 家電量販店強盗のリーダー
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 11:41:44 ID:UhiqcBUv0
薩英戦争和解後、薩摩はイギリスのユダヤ財閥に近づき、
後の外相陸奥宗光は海援隊で、共にユダヤ財閥の軍需物資を受けていた。
これは徳川幕府から見れば国内の反政府主義テロリストを外国が支援してる構図。

長州で松下村塾に学んだ伊藤博文や井上馨は
維新前に渡英してユダヤ資本の協力をとりつけて開国・富国強兵論に転向した。

維新後も後に元勲と呼ばれた連中はアメリカよりもイギリスで
ユダヤ財閥から経済主義の仕組を学んだ。
明治維新はユダヤ資本の導入による産業革命でもあった。

ロシア帝国(ロマノフ家)の財産を狙ったユダヤ財閥は日本に投資し、
金を貸して軍艦を買わせて日本海海戦に勝たせた。
(p)ttp://san01.blog26.fc2.com/page-1.html

日英同盟とは日本とユダヤ資本の同盟のことなんだよ。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 11:42:42 ID:UhiqcBUv0
イギリスのように従順なカネの奴隷でいることが日本には求められていて、
民族主義的傾向を持つ経営者や政治指導者は邪魔だった。

明治維新前後に暗殺されたが今もその力を惜しまれている日本人がいるが、
坂本竜馬や大久保利通を暗殺させたのはユダヤ資本。

その後は日露戦争が終わるまで日本はユダヤ資本に従順だったが、
朝鮮半島・大陸進出でまたもやユダヤは日本の持つ力を制限しようとし、
これが後の太平洋戦争につながっていく。

日本はドイツと結ばず日英同盟を続けておればよかったという人がいるが、
それは自らの血を流して取得した満州や朝鮮半島を
ユダヤの下請け状態で統治させていただくということになる。
天皇陛下を世界の頂点に置く日本の民族主義とは相容れなかった。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 11:45:20 ID:UhiqcBUv0
>>63-64 は速+に書いたんだけど、
このスレにふさわしいと思ったので持ってきた。

「なんでもかんでもユダヤの陰謀にはうんざり」という向きもあるとは思うが、
カネを握るものが世界を動かしていて、
そのカネのほとんどはユダヤ金融資本が動かしている。

その事実を認めた上で検討してみて欲しい。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 13:21:43 ID:cJnsb3U30
ナチスくらい何とかできなかったのか?
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/21(月) 15:00:37 ID:QH2AIsuN0
>>65
賛成。
日本史オタは基本的に国内の緻密な分析はすごいが
世界史的視野は広くないからね。
そのあたりは非常に重要だと思う。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 01:50:35 ID:D/S/Ri/d0
世界を支配してるユダヤ人が2000年も自分の国さえ持てなかったのは何で?
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 18:12:13 ID:nipTL1hk0
>明治維新前後に暗殺されたが今もその力を惜しまれている日本人がいるが、
>坂本竜馬や大久保利通を暗殺させたのはユダヤ資本。
ユダヤ資本は別に良いけどこれって必要か?
特に竜馬暗殺なんてどうでもいい気がするが
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 14:06:27 ID:smL2G5FM0
ユダヤ陰謀論きっしょ
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 14:15:16 ID:TpLPe9Uf0
大久保利通以外は汚職三昧の薩長政府。
アイヌ侵略を手始めに、琉球、台湾、朝鮮と手を広げて結局自滅。

薩長政府下で一番損をしたのは、飢饉で苦しめられ、
良兵の源と目されてたくさんの人死にを出した東北だな。
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 10:45:39 ID:AfpRgtjk0
汚職も飢饉も江戸時代からあったことだ。あんまり気にするな。
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 09:39:45 ID:c9x+ZXCb0
このスレも会津のバカが荒らしているのか
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 11:08:55 ID:/jAmn8OBO
明治維新はクーデターで成り立った。
75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 12:02:14 ID:LJEgTe0ZO
>>71
飢饉は東北人が藩閥を排除して政府を乗っ取った後の話だぞ。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 15:14:04 ID:kE+yCw/j0
>>71
権力をもてば大概金に汚くなるのは今も同じ。
当時の価値観では、領土を武力で広げようとするのは当然だった。
薩長がやらずして誰が今の近代日本をつくるんだよ。仙台藩か?米沢藩か?
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 17:14:50 ID:N8Xle9VH0
>>63-64-65
>「なんでもかんでもユダヤの陰謀にはうんざり」という向きもあるとは思うが、
カネを握るものが世界を動かしていて、
そのカネのほとんどはユダヤ金融資本が動かしている。

当時のイギリス政府の自国産業の貿易相手として、アジアの視野が
どういうものであったかをご存知か?(ジャーディンマセソン商会を
指してユダヤ資本と言っているようだが、イギリス政府は貿易振興の
相手として、ジャーディンの意向に沿う政治をしている実実はあるがね)
あなたの、もの凄く大雑把でゆるゆるのユダヤが世界を支配しているの議論は
ちょっといただけないなぁ…。

それから、龍馬がユダヤ資本の手先だったという史実はどこにもない。
あるのは、点を無理やり線につなぐヨタ話だけ(加治の著作をみよ)
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/25(日) 18:11:24 ID:F/tPsFbJ0
>>76
うむ。米沢と仙台なんかには人材もなにもないから
結局、清貧という美徳を盾に無能を隠してるだけ。
薩長以外に政府を作り、世界の資本主義に参加するという仕事はできなかったよ。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/26(月) 04:33:26 ID:e/wKkjEJ0
五代、寺島、長州ファイブ、西、津田
多額の留学費よく払えたなとおもう
まぁ、伊藤なんて留学する数ヶ月前に大使館
焼き払ってンだよな、高杉と
木戸といっしょに行動していた伊藤がなぜこのような
行為をしたのか、気になる
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/27(火) 11:49:31 ID:qRJXGtKo0
関連スレ
【歴史】旧軍幹部らが吉田首相暗殺狙う=52年夏、クーデター企てていた−CIA解禁文書 辻政信元参院議員に?
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1172480265/
【政治】旧軍幹部らが吉田首相暗殺狙う=52年夏、クーデター企て−CIA文書で明らかに
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1172478345/
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 14:54:23 ID:xODmS0tN0
会津って留学生とかいたのかな!?
82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 21:08:46 ID:wmxY3M6oO
辻偉いネ
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 22:48:53 ID:0FGxKiQC0
>>78
いや、仙台の門閥が腐ってるのは確かだが、玉虫とか出色の人材もいる……というか、高野長英依頼蘭学と共和主義研究の先駆者がいたんだが、無視かよw
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/28(水) 23:32:07 ID:7+pJE9aR0
>>83
あれだけの大藩だから、それなりの人物もいたでしょ。
だけど前からの文脈をみての通り、西南雄藩が明治維新をやらずして
だれがやるのかという話だよ。
>>71
で薩長の一番の被害者が東北だって書いてあるでしょ。それに対する
反論から、こういう流れになっているんだよ。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 21:45:32 ID:yagJF9tH0
>>84
東北・北越が門閥の弊害に苦しんでいたのは事実だが、仙台の玉虫、長岡の河井、会津の梶原の様にむしろ薩長を凌駕する人材もいる。
それにそもそも西南諸藩が維新で行った政策は結局は幕府の対外政策を踏襲した域を出ない。
むしろ諸侯会議を発展させた方が内戦にならずに済んだ。
そういう意味では、薩長が維新ではなく政権奪取が目的だったと指摘されても仕方がないのではないか。
薩長の明治新政府しか明治維新ができなかいというのは賛成できないし。
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 22:33:43 ID:zpHWZUyj0
確かに優秀な人材はどこの藩にも
居たんだろうけど、問題は海外要人との人脈だと思うよ
薩長の留学組は、欧州の政府、経済界との要人と
面識あるわけだし、イングランド銀行とかに
サインとかのこってるみたいだけど
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/01(木) 23:28:16 ID:o33bqbah0
その諸侯会議を潰したのが一会桑なんだけどな。
諸侯会議を潰して幕府独裁にしようとしたから、追い出された薩摩は薩長同盟を結んだ。
諸侯会議だったら、なんて無理な話なんだよ。自分で潰してるんだから。
それが容堂や春嶽、ひいては土佐や越前の中立化を招き、薩摩は別の道を模索し始め、
結局、一会桑自ら自分の首を絞めることになる。
大体、内戦にならずに終わった第一次長州征伐に満足せず、
第二次長州征伐を起こして内戦をしようとしたのは幕府及び一会桑政権だろ。
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 00:08:38 ID:hspIke5v0
>仙台の玉虫、長岡の河井、会津の梶原
 
こいつら全員無能だぞw
玉虫は勢い余って世良を殺し、明治政府との交渉を断絶して全面戦争にしてしまった。
有能な奴なら頑固な世良を飛び越して西郷や京都に直接談判してるだろ。
河井も玉虫と似たり寄ったりだ。しかも本来関係の無い長岡藩を戦争に落としいれ、
滅亡させてしまっている。長岡人は河井を酷く憎んだというぞ。
会津の梶原など無能以下のアホ。
恭順姿勢を藩主に取らせながら、堂々と旧幕脱走軍を支援。会津の軍制改革や武備増強をやった。
だれがどう見たって恭順が見せ掛けだとバレバレ。これで戦争にならないほうが変。
梶原の目的が戦争なら時間稼ぎの策なのだろうが、目的はあくまでも恭順だったんだからバカだろw。
会津は梶原ではなく、筆頭家老の西郷頼母の支持で動くべきだった。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/04(日) 11:59:28 ID:QExihmH20
日本政府は会津人に謝罪しる!会津戦争の損害を賠償しる!
90名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 03:51:14 ID:uWsuVz110
結局は金の流れだよ。
表面の人物論争は真実を見誤らせるよ。
真実は日本という国体にバランスが崩れるだけの
金がどこからはいつたのかそこが元凶。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/07(水) 18:42:04 ID:EJTiC8wK0
金? 薩長の軍資金は藩内の貯蓄だけど? 後、借金踏み倒し。
薩摩長州共にほとんど外資には頼っていない。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 06:07:09 ID:Q77m0YEd0
125 :可愛い奥様:2007/02/13(火) 16:49:03 ID:n531ouwb0
天皇でさえもらい物で飢えをしのぎ、その他の公家は冗談抜きに
和歌の清書やなにやらの内職で生きていたらしいよ。

明治時代になって国葬第一号なんていう晴れがましい死に方をした
岩倉具視、あれは自分の地所をヤクザに賭場として開放していて
バクチの上がりをいただいて暮らしていたらしい。だから岩倉も
貴族というよりは生まれながらのヤクザで、幕末の時の強引な
交渉や駆け引きもヤクザ譲りのテクニックだったとか。
そりゃ邪魔な孝明天皇を毒殺したっていう噂がたったのも不思議は
ないはず。本人も「あの頃は墓の下まで持っていかなければならない
ことを幾らもやった」と公言していたそうで、貴族なんてそんなもの。

甲斐は海外留学していた僧侶を一時的に留め置いて危険思想などを
持ち込まないか確認してから京都に送る場だったそうで(盆地で
気候が京に似ていたから)おかげで武田家もけっこうな文化的教育が
施せていたとか。晴信が文系オタ風になったのはそのせいらしいよ。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 06:08:06 ID:Q77m0YEd0
118 :可愛い奥様:2007/02/13(火) 14:20:24 ID:mHRnNeIK0
感覚としては嫁入り先は田舎じゃなくて臣下だけど
源氏物語の葵の上みたいなもの?

>>106 >>115
ウロオボエだけど、明治維新の前は京の都の公家といえど貧乏で貧乏で
年末になると近所の豪商達の家を盛装で巡って
「こんなご時勢だからもううちはダメです。ついては
うちに火をかけて一家諸共死ぬことにしました。
しかし風の加減によってはご近所に飛び火してご迷惑かも知れぬ。
そんなことになっては申し訳ないのでさきにお詫びして
回ることにした。」と雅び〜〜〜に挨拶回りして言ったそうな。
するとご近所さんはそっと差し入れしたりして、お公家さんは
それを当然のように受け取って年を越したそうな。

けぶたがられる一方その伝統はそれなりに愛されてたんだなと
いうのと、プライドその他はもの凄いんじゃないかなあ。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 09:50:28 ID:St63fWAy0
明治維新とフリーメーソン
http://www11.plala.or.jp/jins/newsletter2005-1.files/senryaku.htm

メキシコとの米墨戦争(1846年〜48年)であまった巨大蒸気軍艦で日本に開国要求
アメリカの南北戦争でお古になった最新式小銃が上海に一杯出回っていて
薩長はそれを輸入して倒幕。
        ↓
アメリカ独立戦争
1775年、戦闘に突入1783年パリ条約により独立を達成
フランス革命1789年
昨日NHKテレビでチェイルリー宮殿に立てこもる王一家に民衆が武装して侵入して威嚇。
急進的共和派が 武器を民衆に渡したと解説。ひょっとしてこの武器は独立戦争のじゃない?

95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/10(土) 20:03:51 ID:RPeywNWF0
>>94
>明治維新とフリーメーソン
http://www11.plala.or.jp/jins/newsletter2005-1.files/senryaku.htm

読んだけど、この人歴史書を読んでいるのかな?
ひどい内容だった。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 11:41:28 ID:ep+m1OA70
97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 19:17:24 ID:9Pxp62Kv0
このスレを副島で検索したら一件も無かった。
前スレに出てたのかもしれないが、
スレ趣旨は副島説そのままでしょ。
ただユダヤとまで言ってたかどうかは忘れたが。
何しろひどい漫画だったから…何だあの不潔ったらしい作者像を描いたラストはw
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 21:00:46 ID:3qOJK+UU0
池田大作先生は長州土佐ヲタ
99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 21:08:26 ID:hYCBlaLI0
>>88
ちがうでしょ。今の時代、結果論とそれから価値観から語るとそういう
風になるんだよ。
殿さまが時代が続くとみてたら彼らの行動だって、正当な行動だろ。
だって、例えば島津幕府ができないように行動したら、そういう行動に
なるだろ。結果論でものを語るなよ。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 21:42:01 ID:InqkEAjt0
>>99
玉虫&河井
無能故に応用の利いた交渉に掛け、明治政府との交渉に失敗。
有能な奴なら頑固な世良を飛び越して西郷や京都に直接談判してる。

会津の梶原など無能以下のアホ。
恭順姿勢を藩主に取らせながら、堂々と旧幕脱走軍を支援。会津の軍制改革や武備増強をやった。
だれがどう見たって恭順が見せ掛けだとバレバレ。これで戦争にならないほうが変。
朝敵第一位の徳川家、会津と同じ第二位の桑名藩は徹底した恭順態度を取り無血開城。
戦争を回避している。恭順したいのならここまで方針を徹底すべき。

>例えば島津幕府ができないように行動したら
その例えを例にとっても無能の証明にしか成らない。
島津幕府成立阻止が目的ならば、徹底抗戦の構えで恭順の態度を示さず、
奥羽諸藩に政治的な運動をすべきだろう。会津が奥羽諸藩(仙台米沢)言ったのは「恭順」なのだから意味がない。
梶原の判断は、動乱期を乗り越えるための決断力に欠けている。

結果論を排除しても結論は同じなのだが?
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/11(日) 21:53:24 ID:hYCBlaLI0
まあ、どこまで議論しても朝までTVのように平行線だと思うが、
当時の情報量として、どこにだれがいるかも2〜3日後にわかるわけだし、
組織的に行動する以外になかたったんしでは?
だから、公式な代表として仙台?に来ている世良と大山格之助と談判
する以外になかったんでしょ。今の情報量と速さのごっちゃになって
ませんか?
桑名藩は藩主と一部は徹底抗戦して、在桑名だけがやむを得ず無血開
開城したのは地理的問題ではないか?
全部が無能と決め付けるのはどうかな?事情があったんじゃない。
確かに河合継之助は不可解な部分はあるが、当時の価値観では譜代の
藩として徹底的に戦ったのは、無能で片付けるのはあまりにも、早急すぎ
かな?
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/12(月) 03:20:53 ID:Tm0hZQj00
>>13
〓SoftBank
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 15:29:01 ID:HZOymZ6N0
山県有朋が人斬りではないだろww
それに列強国を相手にした時の徳川の考えは
「徳川を中心」であって何の代わり映えもない
外様藩の若者なんかは新しい国作りに燃えていて
日本と言う思想に芽生えていた
結局新しい時代を迎えるには徳川幕府なんてかカビの生えた制度を壊して
欧州で学んだ先進の文明を生かす事が必要だったんだろ
それを今更「徳川を中心に強い国を」なんて苦笑以外なんもない!
外国に低頭した徳川幕府なんかに誰も期待なんかしてないって事だよw
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 21:56:01 ID:gIJFPjWq0
>>101
よかろうw
では彼らは無能ではないが有能でもない。
それでよかろうw
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:47:53 ID:Hgt0/9mG0
>>104
意味不明・・・
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 23:52:36 ID:dHiir7E90
>>105
>>724
不服な発言ですまない、私個人の意見だが残念ながらこのスレ自体では
笑いの壷を全ての観賞者に刺せたことにはならない、恐縮だがこの程度
では私は笑わしかねぬ、シャープな印象が足りないのと画像の純度が
スイート過ぎるのが主な要因でもあるし私個人の好感の純度が私には
会わない理由の一つだろう、ある程度突き刺すくらいの画像・絵柄の方が
この掲示板では定評が出ると思うし、まして個人差もある事は忘れないで
ほしい。
つまりは「自分が傑作と思っても必ずしもそうも見ない相手もいる」と
助言しておこう。
付け加えて言うが私の投稿でも面白さだけを意識してるだけではないし、
何の為に画像も投稿できそれを生かす発言も大切でもあるのも一例でもある。
私のような「画像を利用したモノマネ」もあくまでだがその一つの手段と
して利用してるし、__のように画像だけを用いて笑わせるならある意味
至難の技かもしれない。
常に私はオリジナリティ溢れた「モノマネ投稿」があくまで一例だが
私の投稿の手法ではあると言っておくべきだな。
とにかく突き刺す位の勢いが必要だと私は思う。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 13:57:15 ID:nXYgNZnN0
>>79伊藤博文は元々尊攘派なんだよ
外国へ行って文明を目の当たりにして改心した
高杉晋作も上海での視察で日本を同じ目に合わせたくないとして
尊攘派の一員ではあったが、藩内の一掃にあたっては
まず文明と戦い負けるなかで文明の力を知ればいいという考えだった
長州藩の渡航費用だが、長州藩は元々8万石からのスタートだったけど
村田清風などの改革者が頑張り塩・蝋・紙という藩内で作る優秀な
製品を輸出して石高を上げたんだよね。これがいわゆる長州の三白
これに米を加えて長州の四白と言われ石高を上げたんだよ。
長州藩は表向き36万石(1分家と4支藩も合わせる)だけど
これは徳川幕府が領地を減らしたのに石高が急成長したのでは意味が無いと
表向きは36万石止まりになってるけど、実際は80〜100万石以上だったそうです。
武士も野良仕事をやる地域なので、誤解を招いてるが貧乏な藩というわけではい。
麻布の長州藩邸にある武器購入金だけで長州五傑の渡航費・滞在費は賄えた
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 16:07:07 ID:PjmP2Mw30
東京人や埼玉の奴って陰湿でコスイわりには
会津の仁や魂を尊ぶのはあれなんで?
すげぇー矛盾してるんだけど
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/18(日) 20:04:11 ID:Encsqjnh0
>>108
>会津の仁や魂を尊ぶのはあれなんで

会津出身や東北出身の東京人や埼玉人が多いからね。
出稼ぎ労働者にとっては家賃の安い埼玉は天国だろ
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 01:08:24 ID:vg9JxeHPO
>>108
人種のるつぼである東京や埼玉を十把一絡げにすることはできないが、
陰湿でコスい奴だからこそ仁とか魂とかが好きなんだよ。
武士道は一種の新興カルト宗教みたいなもんだからな。
もっとも、武士道だけでなくドイツ観念論や構造主義の流行に見られるように、
ぶら下げられたお題目や無内容な観念語の羅列にへばりついて
「奥が深いィィィ…」「味わい深いィィィ…」
「これが分からない奴は事物の本質を理解できないィィィ…」と
内輪でお互いにマインドコントロールをかけあって悶絶することが
精神的に弱った人たちの心を捉えがちなのは、
徳川260年にわたる朱子学による洗脳を通じて
日本人の深層心理に刷り込まれた病巣と言えるのかもしれん。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 01:35:00 ID:JPEvBC0A0
自分は地域差別平気で言うクセに仁や魂を唱えるのか
矛盾以外何者でもないないあ
東京・埼玉の人間性が垣間見えるね
腐ってるじゃないか
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 06:57:30 ID:ehDvOwKw0
>>108-111
東京〜埼玉を論じる前に家を一歩出て近所づきあいからちゃんとやれ
113名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 18:17:20 ID:36UrBLqs0
>>112オマイはこのヒドイ東京&サイタマンの気のふれた行為が分からないのか?
むしろ外に出ないといけないのは会津や新撰組に呆けてる東京・クサイタマだろ
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 20:48:51 ID:989wRTYQ0
沖倉ゴミ治論

東京都出身の団塊ジュニア世代
徹底したアンチ長州藩であり会津厨で右翼思想(街宣)
「西南戦争は長州人のせい」「とにかく長州人は嫌い」
「高杉晋作って何した人だよ?」「会津は最後まで天皇を守った」
など平気言うとんでもない嘘と皮肉を言う
右翼思想でこと街宣右翼が大好き
街宣右翼からもらった代紋のシールを携帯に貼り
「これがうちの代紋だから」と右翼活動をしてる様に見せる
実際は街宣右翼かぶれなだけで、街宣活動に誘われると断る
とても中年男性とは思えないほど軽い
一女の父親ながら風俗通いが原因で離婚

バカ治は秋田県の大学へ進学
卒業と同時に父親のコネを利用し大手企業の子会社へ就職
30代半ばで解雇され、元・上司のコネを利用して警備会社へバイト入社
年長者や顧客に媚を売りまくるが年下や自分より劣ると判断すると冷たくあしらう
1年後に社員になり再婚。再婚でありながら結婚式を挙げ祝儀を取る
内勤勤めになると「僕がこの会社を変えてみせる」と言い放ち逃走する
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 20:49:21 ID:xc3lQ8f20
>>1-1000
世の中の現実↓

チェンバレン(ヒトラーの師匠)の法則(『19世紀の基礎』より)
◎学歴が高い=仕事ができる
◎学歴が高い=運動神経が高い
◎学歴が高い=顔がいい
◎学歴が高い=血筋がよい
◎学歴が高い=ファッションセンスがよい
◎学歴が高い=文化的
◎学歴が高い=高等民族としての純血値が100パーセントに近い
      ・
      ・
      ・
そろそろ自分がカーストにおけるバリア(アンタッチャブル)である
ことに気づけよ、下郎ww
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 22:46:46 ID:GJ5Y0Y0W0
>>107
当時の伊藤博文が思想を持ち合わせてるとは思えない。
尊王と攘夷が相入れなくなっている時代じゃあないの。
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 23:03:10 ID:5HNslUNY0
伊藤らが出航したのは文久3年5月。丁度、攘夷真っ盛りで長州全盛期の時。
尊攘思想が蔓延っていた時期であり、伊藤が持っていてもおかしくも何とも無い。
相容れなくなるのはそのもう少し後のことだから、その頃は攘夷と尊王は相容れないものなんかじゃない。
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/19(月) 23:25:02 ID:GJ5Y0Y0W0
伊藤博文は当時若造で、高杉晋作や桂小五郎についてっただけで
思想はないだろ。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 00:32:34 ID:8UBtCVmT0
思想がないなら、身分が違う高杉や桂にくっつく事もないだろ
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 17:13:01 ID:zgKUmK9H0
つか薩摩はもっと会津根絶やしにしとかないから
今になって会津の被害者意識満載の輩や
自分の醜悪さを棚上げした東京・埼玉のボウフラが湧くんだよ
長州に以来して奇兵隊とか他の諸隊呼べっての
何の為に長州と同盟結んだのかわかんねぇーだろ?
わざわざ大久保が竜馬暗殺させた意味がないんだよな。
新しい国家を作り外国と対等になるには徳川なんかじゃ
ダメだってのは当時の日本では常識だったんだよ
つか長州も長州だよ。禁門の変や池田屋事件に周防大島での
幕府兵による民間人虐殺・強姦されたんだろ?
なんで戊辰戦争で長岡藩に攻めてるんだよ?
確かに陸戦では奇兵隊が当時最強だとは俺も思うよ。
長岡藩が強いから官軍としても奇兵隊擁する長州は長岡行きって
分からんでもないけどな。でも結果今になってボウフラが
子々孫々遺恨残すだろ?今の山口県人は福島なんて知らないし
とかく差別する理由もない。あるとしたら執拗な福島にキレるくらいで
自分等からケンカ売らないし、むしろ歩み寄ろうとしてる。
俺が言いたいのは山口はお人好しもいいとこ過ぎなんだよ!
長州の前原一成が敗戦した会津の少年を東京の学校に入れてあげた
恩なんか会津の輩は見ようともしねぇんだからな。無駄なんだよ同情は。
121名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 18:08:05 ID:E94PmIrI0
東京出身だが捏造バカの会津と一緒だと思われるのは
甚だ迷惑なんだがね(w
 

122名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/20(火) 22:57:25 ID:KzELi5mt0
会津の反日を煽ってるのは特亜だろ。
日本人が仲間割れすればいい気味って思ってるんだ。
それぐらい分かれよおまいら。
こんなの妄想じゃない、昔から日本はスパイ天国。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 17:18:52 ID:4S92wALP0
>>121東京はアンチ長州が会津の名を利用して大嘘つきまくりが多いだろ
124名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 17:24:47 ID:4S92wALP0
>>122
それは東京人・埼玉人の阿呆と乗せられてる東北の過疎会津に言え
鹿児島・山口共にこいつらの執拗振りにはムカつくとこだろうが
歴史に関する遺恨なぞ持ってないんだからな
こういった歴史を利用したアンチがどうのこうの言うから
山口は池田屋事件や周防大島の話しを出すんだろうし
鹿児島は徳川の裏を語るんだろうよ
つまりこういった阿呆が言わなきゃ薩長として文句を言う機会はないってこと
口火切ってるのは東京・埼玉・福島・会津厨だろ
125名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 19:05:30 ID:uv//0Gjj0
>>120
うーんなんど読んでも誰に何を言いたいのかわからん。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 19:56:30 ID:WA5Ps1wC0
>>123

だから東京や埼玉なんか他地域を大雑把に頭悪く無理に巻き込むなよ。
全国的に幕末の人気、知名度、実績は薩長>>>>会津は判りきってるし、
好き嫌いの細々した個人の嗜好に地区関係ないんだから。
電波や粘着ぶり全開で逆にどんどんアンチ会津、会津関係者=反日&低学歴イメージを
増やし続けるだけの愚行以外なにものでないぞ。
それとも単に東京叩きたいだけなのか?
127名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:01:47 ID:Eb4h90jA0
実際埼玉や東京は意味もなく山口県人を見ると
長州・逆賊とか行ったする歴史好きが多いよ
あと陰湿なのも事実だと思う
メールにまで逆賊とか普通は打ってこないだろ?
128名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:04:19 ID:IMeu3JvJO
会津諸民はネチネチとうるせえんだよな、山口嫌いだとか言って昔の話しをいつまでも…。

同郷の出羽くんを見習え!会津人とは思えない殊勝な男よ。
129名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:05:02 ID:Eb4h90jA0
それにアンチ長州は漠然とした文句や長州藩の没落に固執してるし
挙句西南戦争は長州人のせいとか言う人までいたりするよ。
俺から言わせると歴史の細々とか言うより漠然と嫌うみたいなイメージだね
それに大抵長州史が分かってない人が多くない?
本当漠然と嘘でしか語らない人と、陰湿な歴史家の文を鵜呑みにしてるよ
とかく文句言いたいだけみたいなね。
130名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:24:49 ID:2IyfJ4tu0
昔どころか大昔の話しを引っ張りだしてきてるから性質が腐ってる
ただ会津人ではなくアンチ長州の東京・ダサイタマだと思われる

山口県人は歴史が好きな感じがするが
東京や埼玉の奴等は歴史が好きでなく、歴史を通して
悪口を言いたいだけでしょ?見ろよこの2chをどんだけ
粘着してるんだってスレッドで満載だぞ?
直ぐ山口を半島人と結びつけるわりには
やってる事は自分達が半島人と変わりないんだからな
俺から言わせりゃ東京や埼玉の厨の方が朝鮮人以下の醜悪だ
131名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:28:16 ID:2IyfJ4tu0
半島に近いのは山口県

半島人が多いのが東京都

半島人のように2chで捏造・粘着してるのが東京・埼玉・会津厨
132名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 20:38:33 ID:2IyfJ4tu0
でも地理的には長崎県の対馬が一番半島よりだけどな
ま、詰る時に半島を出すんだから位置はあんま関係ないってか?
133名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 23:01:27 ID:hFnDLr4J0
だーからー、どの地方が半島に地理的に近いとか血統が近いとかじゃなくて、
反日工作員にとっては日本の地域や階層の間に対立が演出されている状況が
嬉しくてホルホルなわけよ。

そのためなら大阪人に成りすまして東京を罵倒するのも、
会津人に成りすまして薩長に怨み節を語るのも、
その他戊辰の怨恨を掘り起こすのも、何でもやるんだってば。

その後の歴史でいったん清算されて日本人としてまとまっていることが
奴らには脅威・目障りだったわけ。

アメリカと特亜の工作員は過去60年間日本人を骨抜きにしようと
あの手この手で干渉を続け、マスコミ・進歩派知識人果ては郷土史家まで
情報操作で動かして「洗脳の連鎖」を作ってきた事に気付くべきだ。

まず、このスレで語られているようなことが常識になったら
誰が一番得をするか考えてみたらいい。
134名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 01:05:26 ID:kEUXDZBB0
一番得するのは会津だな
会津独立。そして封建制の国家を作りたいんだろうし
135名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 02:00:29 ID:FfzYaxvk0
会津の電波的怨念史観が“日本”の常識になることはありえん

逆に嫌ってほどそれ自覚してるからこそ疎まれても罵られても
長年電波や捏造飛ばして幕末維新のお笑いポジにいるわけでw
136名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 02:01:55 ID:RPDXL1L50
一番楽しんでるのは会津厨だろ特に東京辺りの負け組みが多いんじゃない?
137名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/22(木) 22:54:44 ID:ZFj8xw190
NTVの実況板でも県民性の番組に合わせて薩長謝れスレッドがたち
速攻で落ちましたよ
会津厨って本当気持ち悪いね
死ねばいいのにな
138名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 01:53:54 ID:wv4k/q+R0
そういうスレ立てるのは半分腐って死んでるようなもんでしょ
139名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 21:12:03 ID:n6xKm+S/0
>>136
なんでも東京に擦りつければ済むわけもなしw
東京に罪を擦り付けての自作自演はみっともないぜ
140名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 22:10:15 ID:u1sh40Sy0
実際東京の負け組み(土建・警備のバイトなど)は
会津が好きな人多いよ。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/23(金) 22:35:04 ID:OTD9ANy70
東京関係なく負け組というか歴史偏差値低い低学歴厨だな、それw
それに現代日本全体では一番の負け組&粘着嫌われ者は
会津人と思われてるから別に問題ない
142名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 00:11:26 ID:vWEN85FX0
この時代の薩長人て、生まれも育ちも 生粋の薩長なのかい?
143名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 02:00:26 ID:YSYldHeM0
>>142そうやって朝鮮や中国と結びつけるの好きなんでしょ?オマエ
何が言いたいの?気持ち悪ぃ!そういうオマエもちゃんとした『人』なのか?
他県人を差別するより自分の人としての品格を築け!糞尿野郎!
144名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/24(土) 08:00:30 ID:slQ5IOSV0
東京に拘っている奴、あっちこっちのスレに同様の書き込みをコピペアラシししてるな
アラすなボケ!ウザイだろ!
145名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 04:16:12 ID:suxtQ2za0
下品な官軍。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 06:46:30 ID:Hd/qlM9n0
その下品な官軍にボッコボコにやられた旧・幕軍
147名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 09:54:07 ID:/ReHfcGJ0
>>1-1000
世の中の現実↓

チェンバレン(ヒトラーの師匠)の法則(『19世紀の基礎』より)
◎会津人=仕事ができる
◎会津人=運動神経が高い
◎会津人=顔がいい
◎会津人=血筋がよい
◎会津人=ファッションセンスがよい
◎会津人=文化的
◎会津人=高等民族としての純血値が100パーセントに近い
      ・
      ・
      ・
そろそろ自分がカーストにおけるバリア(アンタッチャブル)である
ことに気づけよ、下郎ww
148名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 12:20:41 ID:rxI9vhId0
また会津のコピペアラシだよ・・・
149名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 21:07:09 ID:VdMMar1u0
近代日本の基礎をつくったのは、薩長だよ。特に長州は幕末に数々の犠牲者
をだしてまでね。
だけど会津も、最後まで幕府に忠義を尽くした信用のおける藩だった。
別に薩長と会津は今のいままで、いがみあう必要はないんでは?
150名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/25(日) 23:05:12 ID:Ct4Pi7040
無いけんじょ、周りが囃し立てっから仕方ねえべし
151名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 02:24:17 ID:Bf+KsmhI0
端から見てると会津が一方的に捏造粘着で絡んでいるように見えるけどな
肝心の薩長(土肥)は歯牙にも掛けてないんだろうけど
忠義?信用? ↓ももう広く知れ渡ってるけどそもそも官軍に協力したのが
数々の藩の非道に怒ってた会津民という笑えない事実があるからなあ
あと長州は直接会津の戦闘に参加してないんだよな 攻めたのは薩摩と土佐


173 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/16(金) 08:26:40 ID:kkGFcb4n0
>会津藩は徳川幕府にも反抗して勝手に戦うのだから始末に終えない。
>おかげで徳川家の存続が危なくなった。
>会津戦争では会津藩自ら近隣の村を焦土作戦のため全て焼き払う。
>領民を守るという君主の任務を全く果たしていない。
>これで民の信頼を失った。冷血国家ソ連並の愚行である。
>無駄に部下の命を浪費した藩主の失政を誤魔化すために、外部に憎しみを向けた。
>北の将軍様並である。
>会津戦争で会津を徹底的に叩いたのは板垣退助(竜馬の怨み)の作戦だったのに、
>戦後はコロッと騙されて反政府自由民権運動に利用されている。
>そもそも本来の領主である芦名の名跡を外部勢力に奪われているのに、
>その誇りを全く忘れている。
>洗脳されやすい純粋な民族であるといえる。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 08:41:46 ID:tx7vxf5a0
>>151
えっと・・・ネタかな?ネタだよね「長州は直接会津の戦闘に参加してない」って部分
会津研究家の星亮一がそんな事を書いて「だから恨むのなら聴衆ではなく薩摩だ」みたいな事を本に書いてたけどあれ嘘だからね
少数ながら最初から長州兵いるよ。主力が薩摩と土佐だった。長岡で苦戦した長州の主力は遅れて会津包囲に加わった。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 17:39:56 ID:tenu40RlO
幼い明治天皇を擁立して公家を買収して陰謀のクーデターで天下を取った薩長
154名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 20:06:02 ID:0c5R2UaL0
ちょっとパターン変えてきたな
155名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/26(月) 22:57:37 ID:tx7vxf5a0
あ、ホントだw会津頑張ってるねw
でも発想がちと貧困だけど
156名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/27(火) 02:23:04 ID:H7rkmZgc0
会津じゃなくて会津なりきり分離工作だに1万ドン
157名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 07:28:48 ID:XkwIbi3dO
官軍が錦の御旗をかかげたときの音楽はなんていうの?
158名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 10:15:52 ID:GMMlGElh0
>>157
たぶんみやさんみやさん。大村と品川が作った日本最初の
行軍曲。検索で聴けるよ。
形は薩長の反乱だが当時のアホ殿様の世襲制に比べたら
評価できるね。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 13:00:37 ID:XkwIbi3dO
ありがと
160名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/28(水) 15:50:39 ID:/BUZJX6J0
とんやれ節じゃなかった?
161名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/31(土) 23:21:58 ID:q54V7HWt0
【東北の】宮沢賢治【ハイデッガー】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1175267425/l50#tag23

1 :考える名無しさん :2007/03/31(土) 00:10:25
日本史上初の真の統一国家日本ができあがる際、アイヌ系であった東北人は戊辰戦争によって征服された。その上、神道イデオロギーによって精神までも征服された。
世界史上統一ヨーロッパであるローマ帝国ができあがる際、アーリア系であるゲルマン民族はやはり武力によって征服された。そして、キリストイデオロギーによって精神までも征服された。
そして、ゲルマン民族はプロテスタントとなって、キリスト教内部でカトリックと神への忠誠心を競い合った。
最後は、アーリア神話を作って、ナチス即ちゲルマンによるヨーロッパ統一を図る。
東北はバーデンバーデン密約によって、神道(天皇)に基づく政府内部で神(天皇)への忠誠心を競い合った。例えば、陸軍内部での争いとしての226事件などは東北出身将校が中心。
最後は、大東亜共栄圏という夢想を抱いて、アジア統一を図る。
何か似てない?
ナチスは、戊辰戦争における象徴である会津藩を褒め称え石碑をプレゼントしている。
そして、ナチスの体制は、ホーエンハイムというドイツにおける日本研究の第一人者であるナチス顧問が会津藩のことをヒトラーに助言したことによって模倣された。
例えば、ヒトラーユーゲントは白虎隊の模倣である。
そして、ハイデッガーが、アーリア神話やナチス思想を通してゲルマン民族の自己犠牲の精神を褒め称えたように、宮沢賢治も、東北人の自己犠牲を褒め称えようとしてたのではないか?
162名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 06:41:14 ID:inG33m450
東北人の自己犠牲?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
こんだで醜態晒してるのに「自己犠牲」って何だよ?
138年間も陰険にしてるだけじゃないかwwwwwwwwwwwwwwwwww
163名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/02(月) 11:37:24 ID:rJcG8qro0
東北人で括るなよ迷惑だから
164名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/05(木) 19:18:22 ID:RoRsPJPG0
自己犠牲ってより死ぬしかなかったんじゃね?w
165名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 13:55:24 ID:/I8tkEaI0
そりゃそうやろ。伊藤博文でさえ、幕府の学者「塙次郎」「加藤甲次郎」を
自らの日本刀で斬殺しとるくらいやし。(伊藤はもっと斬っとるらしい。)
166名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 18:27:49 ID:t0t5vJvd0
誰に言ってるんだ?と思ったら1へのレスか
167名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 04:51:24 ID:JapGtbfa0
世界史からも見ても絶大な評価と尊敬のまなざしの明治維新
日本史の奇跡と言われている
特にイギリスからは長州の人気は凄い
ヨーロッパでは明治維新を研究している歴史学者が多い
168名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 11:27:27 ID:4CTi7grw0
>>167伊藤博文・井上馨・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助の影響だね
いわゆるイギリス人が名付けた「長州ファイブ」ってやつだ
彼らの地元山口県よりもイギリスの方での評価が高いんだよね
山口県では映画の公開に伴って最近石碑ができたけど
ロンドン大学では随分昔から5人の石碑があるそうだよ
169名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 13:53:50 ID:/Sfstz9H0
>168
幕府国学者「塙次郎・加藤甲次郎」はその伊藤博文と山尾庸三が
文久2年(ちなみに、俺32歳が生まれた時の日本最高齢者が生まれた年)
待ち伏せして斬り殺したんだよ!伊藤は人を斬り殺す度に改名したらしい。
小学校の頃、慶喜が大政奉還し江戸城無血開城で明治維新になったと
先生から教わったが・・・?初代内閣総理大臣がこのザマ!まさにクーデター!
大嘘教えられてきた!
http://www.kvision.ne.jp/~f-kenji/sub31/sub31.html
170名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 15:16:17 ID:nsz6990PO
伊藤とか山縣とか自ら人を斬って血を見てきた奴が日本を仕切っていた頃は、
上手く国民の熱狂を押さえつけて無謀な軍事行動を避けられてたんだけどね。
こいつら藩閥を駆逐して、戦争をヒロイズム達成のための
自己実現の手段としてしかみれない、武士道精神の妄想にとりつかれた
今のネットウヨみたいな連中が政府や軍部を占拠すると同時に、
戦略どころか戦術すらない無謀な戦争で日本を破滅に追い込んだ。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:02:42 ID:JapGtbfa0
そうそう、山縣が生きてたころは軍部が暴走しないようにチェックしていた。
シビリアンコントロールが効いていた。
伊藤も山縣も負け戦の惨めさをよく知っていた。下関戦争、禁門の変での
経験が精神では戦争には勝てないことを熟知していた。
それが東北出身の軍閥になってから無謀な戦争を起こしてしまった。
伊藤は朝鮮併合も大反対していた。なぜなら、朝鮮なんて植民地にしても
金は掛かるわ、朝鮮人の民度は低いわ、治安は悪いから。
しかしロシアの南下政策で軍港作られたら日本は終了なのでやむなくした。
しかも朝鮮人の合意の上でさ
172名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:06:26 ID:fH6g8eE60
>>169

その伊藤博文はクリスチャンですよ。
>いわゆるイギリス人が名付けた「長州ファイブ」ってやつだ
>彼らの地元山口県よりもイギリスの方での評価が高いんだよね

イギリスはアメリカより湯田や人差別が少なく、ナチスが湯田や迫害した時
イギリスでも迫害運動が起こったが 法律で弾圧された。

長州がイギリスで評価が高いのは、明治維新で軍事産業で儲けさせてくれたし
日本の政策はイギリスの国益に沿うように歴史的にされてるから。
得させてくれたから。
173名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:16:32 ID:fH6g8eE60
570 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/15(木) 10:58:54 ID:EWpvW7UP0
先週木曜日「小栗〜〜」(幕府海軍奉行)のドラマで幕末の軍艦建造について
軍艦をオランダに注文して30万両必要だった。造船所を建設する費用が4〜6?
万両くらい掛かる。費用節約の為造船所を建設する予定であり、フランス技師の
測量で場所も決まった。長州征伐の4〜5回分の費用だと放送。幕府によるフランス
語教室の運営も放送されていた。

海軍艦艇一覧
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun53.7.html
によると幕末の幕府、各藩の軍艦建造依頼先が一瞥でき薩摩長州九州各藩は
ほぼ英国にきまってる。一方幕府はオランダアメリカなど多様で、英国には
ほとんど依頼していない。
ここに明治維新が薩摩長州主導になった原因があるのではないか?
幕府の方針を見ているとこのままだと英国に商運はない、とみた英国は
薩摩長州に・・・・・・・・
174名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 17:21:59 ID:fH6g8eE60
 730 :朝まで名無しさん :2007/02/16(金) 12:07:33 ID:2lAvgtrf
「828」 私たちSNSIの第2論文集『最高支配層だけが知っている日本の真実』が刊行されました。
副島隆彦(編者)を筆頭に10人の書き手が、統制された言論のカベを果敢に突き破りました。
出版記念講演会も3月下旬に都内で開催します。 2007.2.13
http://www.snsi-j.jp/boyaki/diary.cgi

1/安倍晋三の奇怪な変節と「ザ・カルト・オブ・ヤスクニ」 副島隆彦
2/大衆世論を操縦せよ!――「郵政洗脳選挙」と「広告プロパガンダ代理店」 中田安彦 
3/日本銀行はロスチャイルドがつくった 吉田祐二
4/遅れて来た「拝金主義」 根尾知史
5/世界の歴史をカネで動かす男たち 鴨川光
6/秀吉の金、信長の金 葭川(よしかわ)邦弘
7/女王陛下の明治維新 日野貴之
8/日本海海戦はイギリス海軍の観戦武官が指揮していた 須藤喜直 ☆★☆★
9/ロックフェラーが仕掛けたウォーターゲート事件 谷口誠
10/「ロッキード事件」におけるザワザワとひろがる真実  中田安彦
11/「愛の思想」で新自由主義から身を守れ 関根和啓
 
175名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 22:52:24 ID:MKVjN1Xi0
>>172

>伊藤博文はクリスチャン
 伊藤博文は尊皇思想をもった神道ですが。なにか?

>明治維新で軍事産業で儲けさせてくれたし
>日本の政策はイギリスの国益に沿うように歴史的にされてるから

 明治維新ではなく、それをしたのは徳川幕府です。
開国の時に不平等条約を結び、明治政府は外国との軋轢を避けるために、その条約を日本国としてそのまま引き継ぎましたが。なにか?

>薩摩長州九州各藩はほぼ英国にきまってる。
 当時の世界で最強無敗の海軍は英国。英国はほぼ全世界の海の制海権を保持している。
したがって、軍艦建造の世界でも抜きん出て世界トップの技術力を持ち、自然イギリスの船を買う事が一番利口な選択となる。

>一方幕府はオランダアメリカなど多様で、英国にはほとんど依頼していない。
 は?オランダやアメリカと同じ程度にイギリス船もありますが?リストちゃんと見てる?。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 06:18:24 ID:u3zdcErT0
>>175

なんで必死になってるの?
読む人それぞれの感想を持てばいいのよ。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 06:33:54 ID:u3zdcErT0
>>175
>>>一方幕府はオランダアメリカなど多様で、英国にはほとんど依頼していない。
>> は?オランダやアメリカと同じ程度にイギリス船もありますが?リストちゃんと見てる?。

http://homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun53.7.html
旧幕府艦艇

長鯨丸 元治元年 慶応2・8・12、幕府がイギリスから購入

蟠竜丸 安政4年 明治21年6月30日 イギリス 安政4年7月、英国女王より幕府に贈呈

(これはプレゼントされたもの。購入したのではない)
       
(結論)旧幕府艦艇のリストのうち、イギリスから購入したのは1艦艇のみ。

>にイギリス船もありますが?リストちゃんと見てる?。

全部で13のうち1のイギリス製を「オランダやアメリカと同じ程度」といえる?
貴方、外国の人でしょ?日本の教育を受けてない。


178名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 08:49:19 ID:qEi1PufR0
>>176-177
うはは!ちょっと煽ったら釣れた釣れたwww
必死に2連続書き込みご苦労さんw

全然わかってないようだから少し教育してあげよう。
そのリストはごく一部の艦艇した載っていない。
輸送船を買い込み、いざというときに大砲を乗せて軍艦にしようと幕府が買い込んでいる。
それがまったくリストに載っていない。
さらに、旧幕軍艦の中でもっとも活躍した回天はプロシア建造船だが、
売買にはイギリス商人とアメリカ商人が関係している。
お前は、リストにある造船所だけに注目して大言壮語しているが、
売買に関わった商人を無視して語っている時点でアフォw。

あとな、幕府が薩長と比べてイギリス購入の割合が少ないのは、政治上の問題が絡んでいるからだ。
フランス商人から船を買ったら、次はアメリカ商人から船を買う。その次はイギリス商人から。
そうやって突出して儲けてしまう国が出ないように配慮して船を購入している。
薩長が造船技術の高いイギリスから買うのは、間違いなく高性能な船を購入できるからだが、
幕府はそういう訳にはいかないだけの話し。
その程度の事も知らずに、語っている君はバカっぽいw。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 10:40:08 ID:u3zdcErT0
>>178
長い作文ご苦労。
>輸送船を買い込み、いざというときに大砲を乗せて軍艦にしようと幕府が買い込んでいる。
>それがまったくリストに載っていない。

ソースは?2ちゃんでソース無は作文。常識でしょ。
180名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 10:43:17 ID:qEi1PufR0
>>179
お、お前・・・その程度の事でソース要求か?w
幕府海軍の根拠史料なら「海軍歴史(勝海舟著)」に決まってるだろw
その程度の事は常識だから聞くなよ。恥かしいやつだなw。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/08(日) 10:53:08 ID:qEi1PufR0
2連続書き込みは避けたかったが、軍艦の話しは好きなのでさらにうんちくをたれるw

厨房君のソースとなっているリストに無い回天丸だが、プロシア建造と一般に言われているけれども、
どうやらイギリスで建造されたみたいだ。「幕末の蒸気船物語」の著者元綱数道氏の調査で、
イギリスがプロシア海軍用に建造し、ボロくなったものを再びイギリス商人が購入。大規模改装を行って、
アメリカ商人を仲介し幕府が買っている。
182名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 17:29:03 ID:XNWLbxv60
>>180
>「海軍歴史(勝海舟著)」

私だったら内容を要約して記述するけど。2ちゃんのかきこは殆んどそうしてるでしょ。
それでは、輸送船の平均単価は?
其れぐらい書けるでしょ?
183名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 19:57:52 ID:VPGPexYdO
薩長クーデター…坂本龍馬暗殺でしょ。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/09(月) 20:32:11 ID:1KtWxLYg0
>>182
自分で本嫁
小学生じゃあるまいし
家庭教師みたいに金くれるんならまだしも、そこまで手取り足取り教えられんよw
185名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 11:24:52 ID:UOKaaZA00
スレ主は弱腰の徳川がいつまでも政権を握ってる方がよかったとでも?
186名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 12:45:21 ID:onL2vTuB0
負けた方に拍手を送るのが日本人
日本人の負けた人・可哀相な人・弱い人・小さい人を
巧く突いてるよな〜徳川とか会津とか新撰組の厨って
187名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 16:49:19 ID:e/9LhXav0
勝者や権力者を妬むのは貧民の証拠よって会津は貧民
188名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/11(水) 23:52:54 ID:4rJBNjcf0
>>186
でも会津で最も弱者だった農民さんの事は顧みられないんだよな
階級的に強いのは武士
会津武士は負けたけど
189名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/13(金) 11:32:22 ID:sDOYRulJ0
会津は武士の階級の中でも差別があったし、まして会津の農民さんなんて
会津藩士に奴隷のように扱われた
まだ幕末以前の文献読むと会津武士の間でのいざこざがけっこうあるね
下級武士が上級武士に意見を言ったりするのなんか御法度だった
長州では下級武士が家老とかにも意見していたからなぁ
薩摩は上手く島津の殿様を巧みに操っていた
190名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/14(土) 23:55:35 ID:Dq/ahBoZ0
んまあ四面楚歌の状況で階級云々は取っ払うわな
191名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 18:32:59 ID:MCUbnVkc0
80 名前: フリーメソッド 投稿日: 2001/02/26(月) 11:26

フリーメイソンのURL>http://www.japan-freemasons.org/
そして、ここは「薔薇十字会」URL>http://www.amorc.org/
いずれにしても、この日本はすでに傘下に収まっているし、かの坂本 竜馬や
野口 英世もフリー・メイソンの会員だった。(野口にいたっては、
アメリカの研究施設は、ユダヤ系資本だったし、奥さんはアメリカ系ユダヤ人だ。
そして、最近日本の雑誌社で発売した記事の内容が、問題になって廃刊となった。
その内容は、ナチス・ドイツのユダヤ人強制収容所には、ガス室はなっかた。と言うものだったが、
その記事内容に、異常に反応が早かったのが、ユダヤ人評議会のメンバーだった。
その後直ぐに、廃刊決定!!!スバヤかった。その後はどうなったかは知らない。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 22:46:25 ID:LqWm4Qfr0
>191
グラバーもフルベッキもフリーメーソン!長崎のグラバーの墓には、コンパスと
定規のマークが・・・。維新以来この国はユダヤに乗っ取られてしまった。
やつらは、旧約聖書の予言通りに世の中を動かしたいらしい。(メーソンなんかは、
まだ下っ端の組織らしいが・・・。)
日銀もユダヤに乗っ取られてる!旧5000円の逆さ富士。ありゃどう見てもシナイ山や。
しかも、真っ二つに割れた菊の御紋!日本人がデザインしたとしたなら、恐れ多くて
菊の御紋を真っ二つになんてできるか?野口が1000円札になったのも、ロックフェラー
財団の研究所にいたから!千円札明かりにかざしてみ!不自然にでかい野口の片目と
富士山頂が重なるから・・・。まさに、1ドル札のピラミッドアイ!ヤハウェイの目!
ちなみに「ガス室」や「ホロコースト」や「アンネの日記」はイスラエル建国のための
捏造。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 23:53:43 ID:qUOjOMkR0
>>1
俺もそう思う。
徳川幕府だって近代国家体制を目指して改革を行っていた。
無理に武力で持って維新を起こす必要は無かった。
戊辰戦争は徳川に対する薩長の復讐だ。
さらに朝廷の謀略なども絡む。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/16(月) 23:57:28 ID:JDhPo4vw0
>>192
これまで各地で流されたフリメーソン陰謀説

イギリスはフリメーソン発祥の地でフリメーソンに支配されている
だからチャーチルはフリメーソン
ヒトラーもフリメーソン
ルーズベルトもフリメーソンの会員
第一次と第二次大戦およびその原因ともなった世界恐慌の仕掛け人はフリメーソン
大戦後は、朝鮮半島に進出し韓国はフリメーソンの支配下にあり、北朝鮮の総統も欧米留学中にフリメーソンに入った。
中東アラブ諸国はフリメーソンに支配されすべての原油を握られている。

これらの噂を事実とするならば、世界はフリメーソンに支配され、各地の紛争はフリメーソンの内部分裂から起こった。
だから日本人の誰がフリメーソンだろうと気にする事は無い。
なぜなら私もきっとフリメーソンの会員なのだろうし、君もフリメーソンに操られているからだ。
そういう事にしておけば楽ちんw。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 00:02:32 ID:JDhPo4vw0
>>193
勘違いしているよw
明治維新は、慶喜の大政奉還により平和的に達成されている。
戊辰戦争は、徳川家が京都を武力占領しようとし、それを明治政府軍が阻止しようとして始まった。
つまり武力を用いたのは徳川家の方。だから朝敵にされてしまった訳。
薩摩藩が薩摩藩邸を根城に江戸撹乱を指示したのは、徳川家が大政奉還する前ぐらいの頃で、
王政復古の大号令の頃には江戸撹乱の中止命令を出している。
196名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 17:12:39 ID:o0K6Lk4t0
安政の大獄の真相
 さて、薩長も勅を銀で入手していたゆえ、疑獄ではまずいから、明治になって弾圧事件とした。それに贈位と一時金ほしさに、水戸人もみな協力してしまい、美談化したからに他ならないのが真相。」
どうです、驚くでしょう?
 安政の大獄は、水戸藩らの卑しい疑獄事件だったものを、明治政府が自分たち「新時代を創ろうとした
」勢力を弾圧した事件にすり替えたのだ。悪者にされた井伊大老が気の毒である。かくのごとくに歴史は改竄される。
安政の大獄で死んだ連中が必ずしも憂国の士とは限らない。吉田松陰の伝説も、明治以降にそうとう“創作”
されていると見なければなるまい。

公家(天皇家も)は、権力からすべり落ちたら、何も能がない人間である。
武士になるのも、商人になるのも百姓になるのも嫌で、貴族のプライドだけは把持して
していたい輩であった。カネと地位保持のためならどんな卑劣なことでもやった。それはもう平
安の昔から変わっていない体質で、政治を私物化するの最たるものだった。だから例えば
Aという戦国武将にB武将を倒せるよう天皇の勅をもらってあげますよといい、一方でBという
武将にも、A武将を滅ぼせば、征夷大将軍の位を上申しましょう、などと言っては、斡旋料やら
贈賄やらを仕掛ける。それしかやれることがないのが公家である。
 それらを一掃しようとしていたのが織田信長だったが、途次で殺されてしまった。信長こそが
解放者だったのだが…。

だから、幕末に外国との条約問題、開国問題が出来したときに、公家どもは決して国を憂えたのではなく、
カネ儲けのチャンスが到来したと喜んだのであり、だから積極的に大名やら大商人やらを
口説いて、片や倒幕を煽り、片や尊王を煽り、はたまた公武合体を煽って、右へ左へいいように幕府や反
制側を引き回し、彼らから銀をかすめとったのである。国と庶民をユダヤに売ることぐらい何の痛痒も感
じない。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/17(火) 21:16:38 ID:21l1faqC0
>>196
ウホ!電波厨キター!
198名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 05:51:57 ID:hFRJYamL0
>>184
参考までに・・・・・・
119 名前:richardkoshimizu 投稿日: 2005/11/02(水) 08:21:28 [ RC5uzSGk ]
「アヘン戦争」と日中戦争(支那事変)の舞台裏
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe100.html

■■第3章:日露戦争でユダヤ資本から「恩」を受けながら、満洲の共同経営の約束を破った日本 潤オ 「ハリマン事件」 潤オ

●鎖国時代における長崎・平戸のオランダ商館長は、すべてユダヤ系の人物だったと言われる。また、1853年7月8日に浦賀に来航して日本開国を迫ったペリー提督もユダヤ系だったという説がある。

幕末、幕府側を援助したのはフランス☆★であり、近代兵器を提供することなく兵制を教えた。一方、倒幕派の薩摩や長州を援助したのはイギリスであり、海援隊の坂本龍馬などを通じて近代兵器を提供した。ユダヤ商人にとって、日本は武器輸出市場であった。

※>幕府側を援助したのはフランス☆★であり、近代兵器を提供することなく兵制を教えた。(ここ注意)
199名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 14:19:55 ID:w69/wDY80
うん?確か幕府はナポレオン三世から2,000丁のシャスポー銃を贈られたとどっかで読んだことがあるが。
あと、第二次征長時にフランス艦隊の支援を打診したりもしたんだっけ?
それに対して薩長はイギリスの民間企業から武器を買っただけだろ。借金も全部返したし。

あと、幕府軍にはフランスの現役武官が軍事顧問団として送り込まれた上、実際に軍を率いて戦ったりもしてるが、
薩長軍を率いた外国人なんてのは存在しなかった。
独学で身に着けた洋式戦術でフランス仕込みの幕府歩兵隊を粉砕した。

あとユダヤってそんなにスゴイ民族かね?
世界を支配してる割にはナチスに絶滅されかけたり、独力じゃあ自分たちの国ももてなかったり、
やっと建国したイスラエルも苦難続きだったりと結構苦労してるみたいだが。
200名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 14:30:08 ID:SSAFos84O
薩摩、長州、土佐、会津。
中央に出たがる根性が災いしてか、自分の藩の発展はあまり考えなかったみたいだな。

今となりゃ、何の魅力もない田舎ばかり。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 20:36:12 ID:sPkM7x4n0
>>184
またお前は勘違いしているのかw

>幕府側を援助したのはフランス☆★であり、近代兵器を提供することなく兵制を教えた。
 フランスから大量のシャスポー銃と仏式四斤砲の無料提供を受けてます。同時にフランス軍事顧問団を招聘し、
フランスの援助で得た武器を使用して初めて幕府歩兵を結成、訓練開始してます。
 イギリスからもバンリュウ丸を無料提供してもらい、海軍士官の育成を始めています。
 したがって「近代兵器を提供することなく教えた(ここ注意)」は大嘘ですねw。

>倒幕派の薩摩や長州を援助したのはイギリスであり、海援隊の坂本龍馬などを通じて近代兵器を提供した。
 提供ではありません。正当な金額を払って購入です。幕府と違って薩長は無料提供を受けていません。すべて金払って買いました。

>ユダヤ商人にとって、日本は武器輸出市場であった。
 ユダヤは迷信w。まだ信じているのかお前はwww。
それはそれとして、日本が武器輸出市場なのはユダヤに限らずだぞ。
南北戦争で余った武器を日本に売ったアメリカ。イギリスはもちろん。プロシア商人のスネル兄弟も会津藩に武器を売りまくった(不良品ばっかりだったが)。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 23:24:03 ID:RjRq0K93O
明治維新は明治天皇を擁立してクーデターで成り立った。
天皇を大元帥に祭り上げ軍国にした明治政府は失敗
203名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/18(水) 23:45:07 ID:sPkM7x4n0
会津藩は徳川秀忠が不倫で作った子供を擁立して成り立った。
不義の子を藩主に祭り上げ藩にした徳川幕府は失敗
204名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 13:44:08 ID:p8n9wRnz0
http://www.office-einsof.com/ooinaruhimitu.html
>キリスト教物語には、太陽を中心とした天体の象徴体系が多く組み込まれている。中に十字の入った円は
>太陽を中心に4つに区切られた黄道12宮としてこれを表す。
>・ 円に十字: 太陽と12宮。NATOロゴ。CIAのエンブレム

島津家の家紋!!
205名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 13:46:10 ID:p8n9wRnz0
24はフリーメーソンのシンボルのサイト
206名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 19:58:08 ID:SuaLKsVc0
島津家が関東に来て最初にやったねつ造 鎌倉に島津家の墓をつくり、先祖は鎌倉幕府の御家人であったとした
207名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/19(木) 20:41:46 ID:Aj4gXsuN0
つか、それ捏造でもなんでもないんじゃねーの?
鎌倉幕府に従わないお家は潰されるから、島津も臣下の礼をとって家臣になっているはずだしw。
江戸時代だって徳川に臣下の礼をとった島津に「松平姓」が送られ、公式な場では松平を名乗ってたのと同じ。
もっとも、鎌倉幕府の頃は島津家は武家として鎌倉に仕えてたけど、徳川家(松平家)は存在せず、ただの農民か流浪の乞食だと思われるがw。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 14:23:57 ID:QFNrVtkp0
>>199,201

ウ〜〜ン、待ってくれ再理論武装してくるから。

でもレスサンクス。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 20:32:13 ID:XamqOZai0
>>208
おう。待ってるからガンガレ
でもいい加減ユダヤネタはやめてくれw
ユダヤネタが出ると途端に電波臭くなるから気が萎える
210名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 22:36:22 ID:B02J34Km0
明治維新は白虎隊なしに語れません。
正しくは明治維新は白虎隊のクーデターだったです。
白虎隊が明治維新において果たした重層的かつ多義的な役割を
ただしく理解する必要があります。
これは現代の日本史研究においてもっとも欠けた視点のひとつです。
211名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 22:53:16 ID:/u3G9iy00
白虎隊って城が燃えてると勘違いして、腹切りした馬鹿少年隊のこと?
212名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/20(金) 23:23:25 ID:XamqOZai0
>>210
おーいw
明治維新が達成された後で、白虎隊が結成されているんだぞw
会津戦争を語る上で白虎隊がはずせないというのなら解るけど
明治維新を語る上でなら、白虎隊は必要ないってかイラネw
213名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 00:56:02 ID:LYFWKaymO
白虎隊は明治維新を語る上ではどうでもいい存在だが、
戦時中の一億玉砕・学徒動員・神風特攻隊を語る上では欠かせない。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 08:06:15 ID:g1Ovqery0
>>210-213
何で、史学科関係者って、論理学に弱いんだ…
E・H・カー先生も墓場で泣いている。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 08:30:08 ID:2PcRahzF0
>>214
E・H・カーを知っているなら2ちゃんに書くなw
216名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 10:41:18 ID:e+oDrpuhO
>>203

すっげぇ笑える! !
君は天才だ(笑)
217名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/21(土) 13:19:33 ID:2PcRahzF0
>>216
会津厨の理屈に基づく2ちゃん的日本史の展開(通史)

明治維新は明治天皇を擁立してクーデターで成り立った。
天皇を大元帥に祭り上げ軍国にした明治政府は失敗

徳川幕府は豊臣政権からクーデターで権力を奪い成り立った。
武力のみで身分制を定め、鎖国を行ない世界から日本を孤立させた徳川幕府は失敗

豊臣政権は織田家から謀略で権力を奪い成り立った。
朝鮮出兵など大陸侵略を行なった豊臣政権は失敗

織田政権は十五代足利義昭を京都から追放するという暴虐非道な手段で権力を奪った。
足利幕府を利用するだけ利用し、足利幕府を不当に滅ぼした織田政権は失敗

足利尊氏は、後醍醐天皇を廃帝に追い込み、北朝を立てて足利幕府を開いた。
天皇をないがしろにした足利幕府は失敗

後醍醐天皇は、無用に武家を退けようとし何の理由も無く鎌倉幕府を倒した。
統治能力が無いがゆえに南北朝騒乱を招いた後醍醐天皇の公家政権天皇親政は失敗。

鎌倉幕府は、朝廷を中心に日本を治めていた平氏に対して謀反して勝利。
京都から鎌倉に武家の政権「幕府」を作った。朝廷から権力を奪った鎌倉幕府は失敗。

大化の改新は、暗殺とクーデターで権力交代を行なった。
不当な手段であった大化の改新は失敗。

高天原に住む天津神天照大御神は、国津神を支配すべく地上に降り立ち日ノ本の国を武力で支配した。
日本の地にいた神々をないがしろにした天津神の日本支配は失敗。

こんな世界と日本を作り上げた神々は、その存在自体が失敗
218名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/22(日) 00:35:00 ID:yW4Wpf/f0
>>214

なんだ、単なる権威主義者かw
自分の言葉を使えよ。
自分の言葉で述べられないんだったら、お前の存在意義はないよw
219名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 19:47:50 ID:9TyI8BtL0
原田武夫さんによると、明治維新とはアヘン戦争で中国への足がかりを作ったイギリスのお先棒を担いだだけ。
つまり日本を銀本位制から金本位制に変えるために行われた政変にすぎないんだと。
薩長はロスチャイルドの手足になって日本を構造改革して自分たちだけいい思いを
しようとしただけなんだってさ。近代化をしたというが、それは幕末の天才官僚たちの
政策を横取りパクっただけだという。それを聴いて、いままでならってきたことはいったい
なんだったんだろう・・・とおもっただよ。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 21:08:10 ID:Ms0OmC4f0
おもっただよ・・・って言われても
221名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 22:52:15 ID:43ufgeQt0
少しは自分で考えろよ
222名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/29(日) 00:19:58 ID:/g0LgYD30
>>219
>それは幕末の天才官僚たちの政策を横取りパクっただけだという
幕末の天才官僚たちは「廃藩置県&地租改正&秩禄処分」まで考えていませんでしたが。なにか?
223長州ファンA:2007/04/30(月) 23:20:30 ID:S9Wrew/k0
何か異常にレベルの高いスレですね。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/30(月) 23:33:28 ID:+EyJEOQb0
>>219

考えるだけなら誰でもできる。
問題はそれを実行できるかどうかの問題。
末期の徳川幕府は徳川家大事の守旧派が中枢を占めていたので、アイデアがあってもどうしようもない。
勝海舟もくさすようなこといってたよね。”アメリカは日本と違い上に行くほど頭がいい云々”と。

不平等条約の件もそうだけど、明治政府を評価していない人はなんで徳川幕府のどうしようもない部分を無視するのだろうか?
225名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 02:25:04 ID:8M/onVE+0
>>224
>不平等条約
そう言うが、あの時点で薩長に幕府以上の交渉ができたか?
桂、高杉も、大久保、西郷もまだ台頭前だぞ。
なんだかんだ言っても洋書の蓄積量、外国知識は幕府がトップ。
薩長では小笠原諸島をアメリカに取られてたろうさ。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 03:07:55 ID:n/XETsQR0
>>225

どこまで仮定が許されるのかわからないけど、薩長みたいな勢力が政権をもっと前から握っていたら鎖国みたいな愚劣な政策はやってないだろうよ。
首都の前にいきなり軍艦乗りつけられて、砲艦外交やられてる時点で江戸幕府は諜報能力の点において日本の歴史上稀に見る低レベルさであると断言できる。
ペリーがシンガポール、沖縄等を経由して江戸に来てるのに、その前に手を打てなかった時点で終わってる。

ナポレオンの出現の件でも以下の通り。

>1800年あたりでナポレオンがヨーロッパを席巻したことでその影響が日本にも伝わることになります。
>オランダは自国が占領されてしまったので、そのことを隠し通します。
>江戸幕府がキリスト教の特にカトリックを警戒していたため新教国のオランダが貿易を許されていたのですが、
>カトリックのフランスによって占領されたとなると貿易が停止されかねないということで黙ってたわけです。
>ナポレオンについてはその頃捕まったロシア人ゴロヴニンの部下でムールという人物からの情報ではじめて知られるようになります。
http://blogs.dion.ne.jp/matou/archives/5425111.html
227名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 07:25:07 ID:i7AZ1Kyp0
>>225
お前の言う安政年間の頃は薩摩も長州も幕府を倒そうなどと考えてませんが。なにか?
228名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 08:55:53 ID:gyV82mWS0
島津は頼朝の子孫。毛利は広元の子孫。
つまり鎌倉幕府創設者の子孫が天下を取り返したに過ぎない。
さらに頼朝は天智天皇の子孫。広元は鎌足の子孫。
つまり大化改新の子孫が天下を取り返したことにもなる。
故に薩長の方が正統なのである。
229名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 09:21:41 ID:XNid5wDq0
>島津は頼朝の子孫。

島津は惟宗氏の系統
頼朝御落胤説は言うまでもなくフィクション
ほとんどの大名家もやってる事だけどな
230名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 09:43:34 ID:gyV82mWS0
維宗の養子で頼朝の実子というのが頼朝の子孫説だろ。
信じる信じないは当人の勝手だが俺は信じてるだけ。
231名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 09:48:30 ID:gyV82mWS0
養子っていうか母親を身ごもらせたのが実は頼朝って説だったな。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 10:37:44 ID:8CdFyCMk0
【創価学会】
沢山の名誉教授の肩書きを持つ池田大作名誉会長の著作『世界の偉人との対話』(潮出版=\3150)が女子高生の間で世界史の参考書のバイブルになる勢い
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1166498286/l50
233名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 17:29:12 ID:iBgribA00
>>224
>不平等条約の件もそうだけど、明治政府を評価していない人はなんで徳川幕府のどうしようもない部分を無視するのだろうか?

明治から140年経つが、徳川側(幕臣・旗本などの)史料・資料が
驚くほど出ていない。最近の研究者が、徳川幕府の評価を始めているが
やはり通説はあくまでも、勝者の薩長の視点からの史料・資料からの通史しかないので
そういう風に解釈が生まれていると思うが…。

>>225
>そう言うが、あの時点で薩長に幕府以上の交渉ができたか?

あの時点で徳川幕府が大政奉還をして、全国の大名連合で開国に当たれば
歴史は違うものになっていたのではないかと想像する。でも、誰が統治するかで
民主主義なんて概念がないから、まとまらないかもしれないが…。

>>226
>ペリーがシンガポール、沖縄等を経由して江戸に来てるのに、その前に手を打てなかった時点で終わってる。

徳川幕府は必死で、対策はやっていた。ペリーの来る9年前オランダ国王からきた
親書に日本に開国を迫る国のことは丁寧に書かれていて(開国を勧めることまであった)
勿論、アヘン戦争のことも全て把握していた。しかし、江戸湾を守る砲台(台場)を
作る金さえなく江戸城の西の丸の火事(ペリーの来た時も燃えた)で財政はオケラ状態。
そういうわけでやりたくてもやれなかった。(技術力の差は、もう如何ともしがたいので
ここでは書かない)
234名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 17:39:19 ID:uYogZZdP0
大奥潰せばよかったじゃない
235名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/03(木) 23:50:11 ID:VHPl925T0
>>233

>やはり通説はあくまでも、勝者の薩長の視点からの史料・資料からの通史しかないので
>そういう風に解釈が生まれていると思うが…。

うーん。
でも不平等条約の件は、徳川家から資料がでてもあんまり変わらないんじゃないかな?
それが通説と違うという話になるんだったら、明治政府の外交努力や大隈重信のテロの件とかつじつまあわないんじゃないかな。

>徳川幕府は必死で、対策はやっていた。

国としての対策はやっていたかもしれないけど、外患がその政府を上回るものであれば、どうしようもないですよね。
この件がなければ、幕末の討幕運動は高山彦九郎と同じくらいの活動で終わったのではないか。

>>234

大名の結婚は政治の一種だから、つぶすのは無理なんじゃね。
緊縮は何度かやってたと思うけど。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 00:24:02 ID:vz5aNQEW0
>>235
私は、明治維新が江戸の蓄積があったからこそアジアで
植民地化を免れかつ素晴らしい国家が建設されたなんていう史観を
持ちません。江戸の蓄積云々で新国家建設が出来たという単純な
ことではなかったと学校で教わりました。新政府は、その大変な課題の
解消に全力を挙げて遂行したが、薩長の勝者が「藩」の概念を捨て去ることが
完了するまで国家運営がまともにならなかったとみます。
そして、それが不平等条約の解消(1911)にあそこまで時間がかかったと考えます。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 01:14:16 ID:xM0qaIT60
>>236
何故、
薩長の勝者が「藩」の概念を捨て去てないことが
不平等条約の解消(1911)に手間取ったことの原因になるのかが分からん。
つかあまりに飛躍しすぎてるのでもっと丁寧に詳説してくれい。
238名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 01:24:48 ID:GayTWWGM0
>>233
一度聞いてみたかったのだが

>勝者の薩長の視点からの史料・資料
って具体的になんというタイトルの史料だ?。
長州の史料「防長回天史」が、その「勝者の歴史」とあげ玉にされているが、
あの史料の中には「新撰組顛末記(著者;永倉新八)」や会津側の史料「京都守護職始末」
など敗者側の史料の抜粋も収められているのだが?。
明治政府が作った官製史料「復古記」も同様に会津側の史料や幕府側の史料が多く掲載されているぞ?。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 09:36:02 ID:0OO9Ta+V0
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′       |  |/////∧.\ ./ //////∧ヘ \
       l|  |//////∧ `' ./////////} } ト、. \

 沖田・総司[Okita Souji](1842〜1868 日本)
240名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 09:56:14 ID:c7SlSbw40
>>238
細かくはここで書けないので…
日本史籍協会叢書は大部分が「勤王」に努めた大名や個人で占められていて
徳川幕府や譜代藩の史料、そして旗本の史料は現代になっても補充されていない。
その中には、幕末の外交を担当した向山源太夫・黄村父子のもののように
質・量ともに貴重なものが現にある。維新の政治史は薩長中心に語られる持続性が
特徴であるのも、史料編纂状況にも反映されていることをご理解いただきたい。
文献としては、遠山茂樹の「明治維新」岩波書店 1950年 序論
「座談会 維新研究の歩み」(日本歴史)246-251号 1968-1969年
をお読み下され。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 10:23:50 ID:8a7kKVUF0
>>240
それは単純に「幕末の政治を劇的に変化させてきた薩長」が重視され、
「変化させまいとした幕府側が重視されなかった」という事じゃないの?。
その結果として、「薩長を中心に研究をする人が多く、敗者側の研究が疎かになった」。
特に戦前は皇国史観だから、敗者側の研究は難しかっただろうしな。
現代は戦前とはちがうが、資本主義の法則で「売れるネタ」の研究が進む。
敗者の維新史料を充実するより、今ブームになっているお料理本とかファッション本の方が売れる。
雑誌「歴史と旅」が廃刊し、歴史雑誌が「歴史読本」一種のみの現状を見ると、
敗者側の史料編集出版で利益が見込めない。それだけの話しじゃないのか?。

>最近の研究者が、徳川幕府の評価を始めているが
>やはり通説はあくまでも、勝者の薩長の視点からの史料・資料からの通史しかない

 そのスタイルで良いんじゃないの?。すでにある歴史的事実(年表や事件の起こった順番)は変わらない。
変わるのはその評価だろう。今ある勝者の歴史とやらに修正を加えなければならない部分は修正していけば良いだけだ。
本来、歴史に勝者も敗者も関係ないんだから。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 11:06:00 ID:6oXoPBal0
>>241
>それは単純に「幕末の政治を劇的に変化させてきた薩長」が重視され、
「変化させまいとした幕府側が重視されなかった」という事じゃないの?。

日本の維新史学が、「歴史の複雑な事実」「簡単な物差しでは割り切ることの
できない、複雑な条件的なものである」ことが解明できていないというのが、
一番語りたかった議論なんです。
遠山の紹介した本に、帝国日本における維新史料編纂事業がもっていた
歪みについてこんな記述がある。各大名家の関係者が、帝国日本では
「尊王であったか、なかったかという、きわめて単純な、非歴史的な道徳評価」を
基準として共有していたため、「父祖の不尊王を立証するかもわからない史料の
公開を、神経質的に嫌忌した」とある。これは維新動乱の発端をなした
1858年(安政五年)の政変で一方の主役を演じた井伊家の態度に関わる
ものであったらしい。井伊家は、所蔵史料の井伊大老に関わる部分を、もし
世に出たら維新の功臣として評価が定着している人々が不忠であったことを
暴露し、世に混乱を引き起こすという名目の下に、拒否していた。遠山は
このような屈折した態度は、「明治維新における藩閥的利害が直接現代まで
連なっている」と観察している。だから、徳川の側の史料を読む奴はとりあえず
いなくても世に出して、

>すでにある歴史的事実(年表や事件の起こった順番)は変わらない

新たな歴史的事実の発見やその背景や人の考えを
再構成する必要はあるとは思うがね。
243名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 11:24:48 ID:8a7kKVUF0
>>242
>「変化させまいとした幕府側が重視されなかった」という事じゃないの?
意味が通じていなかったようだな。漏れが言いたかったのは「政治上の変化(薩長も幕府も含んでいる)こそ研究する価値がある」という事。
江戸幕府の研究で吉宗時代が重視されるのは、吉宗の改革で幕府政治が変化したからだ。
逆に何も変化しなかった時代は、あまり研究されない(研究する価値がないのではない。研究しようと思う人が少ないというだけ)
変化したキッカケを作った人物や組織は自然重視される。なぜならば、彼らがなぜ変化を望んだのかが重要な要因だからだ。
だから薩長が重視されたのだろうと言ったわけ。
 だからといって「変化を望まない人達」側は、研究の価値が無いわけではない。もちろん研究しなければならない事だが、
変化を望んだ人達と比べると、「目新しい部分がない」という点で研究対象として後退する。
 それが、今まで歴史学の世界での情勢じゃないのかという事さ。

 だから、その勝者重視の歴史とやらに敗者の歴史の研究を加え修正していけば良い。
お前の言う再構成の意味が良く解らない。漏れは評価部分を修正したり、一部の付け加えで良いと思うが?
(ペリーが来航し、日米の条約が結ばれ、それに攘夷派が反発という流れは再構成する必要が無いと思う。
それよりも、新事実を元に井伊大老の評価を修正する方がいい。)
244名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 11:44:48 ID:PC2j9cvv0
>>243
…変化させまいと徳川がしていたという視点が、そもそも薩長よりの
視点なんだが…。私は、薩長だけが変化させたということを言い切れるほど
徳川側がどういうことをしていたかが徳川側の史料から出ていないと云ってるんです。

>ペリーが来航し、日米の条約が結ばれ、それに攘夷派が反発という流れは再構成する必要が無いと思う

攘夷派と一口に言うが、そんなに簡単にはくくれないでしょう?
澁澤栄一が中心となって「徳川慶喜公伝」の編纂をしていて
座談会を慶喜本人を囲んでやっているが、その記録が「昔夢会筆記」と
なつている。その中の、7回目の席で「攘夷」について話題になっている。
ご一読をお勧めする。
245名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 12:32:39 ID:8a7kKVUF0
>>244
解ってないなwやっぱりw
あのな、そりゃ「重箱の隅をつつけば、徳川も変化を望んでいた」になるだろうよw
だけどな「幕藩体制の維持」という大きな部分においては変化させたくなかっただろw
いいかげんその「ああ言えば、こう言う」&「人の言うことを逆説にして単純に反論する」という行為をやめたら?

>「徳川慶喜公伝」「昔夢会筆記」
 もう読んでるよw家にあるしw。
 お前の言う「攘夷」にはいろいろあるというのは確かにそうだ。だが、ここで細分化された攘夷思想を解説して何になる?
それこそ、竜馬の言う攘夷論。水戸藩士が言う攘夷論。長州の単純攘夷に公武合体による攘夷論といろいろあるさ。
 いや、そもそもお前の言う「歴史の再構成」とは何だ?まず、それを教えてくれ。
具体的に現在の歴史の何をどういうふうに再構成したいんだ?。
246名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 12:39:12 ID:8a7kKVUF0
>>244
ついでだが

>徳川側がどういうことをしていたかが徳川側の史料から出ていないと云ってるんです。
 
 だからそういう事柄を研究して、新しく追加修正すれば良いといっているのだが?。
やる研究者がいない。誰もやらないと愚痴を言う前に、お前がやればいいじゃないか。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 14:10:48 ID:K48q1i730
他者の議論を聞く耳をもたない人はつまらないな。

>「徳川慶喜公伝」「昔夢会筆記」
 もう読んでるよw家にあるしw。

じゃあ、紹介した箇所のご意見をください。
ホントは、もってないでしょう?もっていれば宜しく
248名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 14:38:44 ID:8a7kKVUF0
>>247

お前の言う「歴史の再構成」とは何だ?
誤魔化してないで早く答えろよw
それとも論破されてしまったので、
必死に論点ずらそうとしているのかいw?

今語っている論点は「勝者の歴史をどのように修正もしくは再構成するのか」だ。
「尊王論でも攘夷論」でもありません。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 14:53:06 ID:8a7kKVUF0
>>247
「昔夢会筆記」第一 
半弓と弓術との事
 予、幼時水戸にありて疱瘡を病めり。
顔に二つ三つそれと覚しきもの出でしのみにて、(後略)

「徳川慶喜公伝」
第一章 誕生及幼時
従一位・勲一等・公爵、前の内大臣・正二位・征夷大将軍・源氏長者・奨学淳和両院別当・兼右近衛大将・
右馬寮御監・徳川慶喜と申すは、水戸第九代の(後略)

持っているという証拠に各史料の第一章の書き始めの部分を書いておいてやろう。
250名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 16:50:10 ID:Tn6llLfE0
アンタ暇だネェ〜。
>>248
>今語っている論点は「勝者の歴史をどのように修正もしくは再構成するのか」だ。

どうしてそんなに力んでいるのか分からないが、勝者の歴史をどのように
修正もしくは再構成するかはさ、今日何回か書き込んだように薩長の側からの
視点で書かれている。その例示で、遠山の「明治維新」を使いお知らせをした。
しかし、徳川の方にはまだ発表されていない史料があるはずで、それが出てきたら
大きく再構成されるのではないか?といってのさ。だから、アンタに>>241
そんなもの出しても売れないからなんて、どうでもいい話。だいたい変化を
おこした薩長が中心になるといっても、徳川幕府・朝廷も含んでその変化の
環境があるわけで、通史としてそのバランスがとれていないとも思ってるよ。

それにしても、アンタずぅ〜とパソコンの前にいて疲れないか?
外はいい天気だよ。オレは宴会がこれからあるから、これでね…
251名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 17:12:43 ID:8a7kKVUF0
>>250
>アンタ暇だネェ〜。
>どうしてそんなに力んでいるのか分からないが

この手の人格攻撃にもっていく手管は、
論破された厨房がよく使う手だなw。
結局お前はその程度の人間でまともに議論もできないと解釈して良いか?

>修正もしくは再構成するかは
 何度も言わせるな。お前自身がどう思ったかどう変えたいのかを問うている。
結局、お前は贔屓する研究家の代弁者に過ぎないのか?。そのレベルでしか語れないなら、
ダラダラと言い訳を書くのではなく、「お勧めの本」と書けばいいではないか?。

>徳川の方にはまだ発表されていない史料があるはずで、
>それが出てきたら大きく再構成されるのではないか?

 それに対して「そういった史料が出てきたら、修正すれば良い」と私は言った。
お前は必死に「再構成だ」と答えた。
 だから私は「その再構成とは何だ」と問うている。日本語が通じないのかいw?。

>外はいい天気だよ。オレは宴会がこれからあるから、これでね…
 
 くだらんなw。結局「どう再構成するのか」すら自分で考えた事がないのに、
本に書いてあった事だけを代弁していただけって事か。負け犬の逃げ口上確かに承った。
次からは「自分の考え」を持ってから来い。どこぞの研究者の代弁者はイラネw。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 18:15:24 ID:ous37PyA0
自分の考えだって プッ藁
253名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 18:38:53 ID:wU5aMW5Q0
どうでもいいが負け犬の口上とは何?
粘着君でしかない人が、レフリー?
もう来なくていいのは粘着君じゃね?
254名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 18:57:41 ID:pg+bITLG0
>>252-253
論破された人が必死の煽りを始めてますw
255名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 21:49:48 ID:d2aelfGF0
薩長や幕府の功績は竜馬のもの
256名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 22:51:49 ID:ImSMrF1v0
>>233
>あの時点で徳川幕府が大政奉還をして、全国の大名連合で開国に当たれば
無理です。あの時点で大名連合なんか作ったって機能しない。
阿部正弘がペリー来航時に諸藩に意見書を求めても、ろくな意見が出なかった。
むしろ、攘夷派が主導権を握って、列強と戦争して植民地化されるのがオチ。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 18:32:27 ID:hYOhtD/p0
>>251
>アンタ暇だネェ〜。
この手の人格攻撃にもっていく手管は、

事実を書いただけ。

>外はいい天気だよ。
くだらんなw。結局「どう再構成するのか」すら自分で考えた事がないのに、
本に書いてあった事だけを代弁していただけって事か。負け犬の逃げ口上確かに承った。
次からは「自分の考え」を持ってから来い。

お前のいう自分の考えってなに?
教科書を書いてるだけでしょう。本に書いてあることを代弁してるんじゃなくて
根拠を挙げて意見を書いているのが分からないの?バカだなお前。それじゃあ
「昔夢会筆記」の7回目の席で「攘夷」について話題をお前の考えで整理して
書いてみろよ。百年待っても書けないだろうがねw
258名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 19:55:29 ID:nbcZxFsq0
攘夷!攘夷!攘夷 to the LOVE!!!
259名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 20:02:09 ID:EIiNe+DbO
攘夷 to the LOVE 眠れない〜 思い出ひとつぅ〜♪
260名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 20:05:50 ID:nbcZxFsq0
>>259
携帯からあんた何やってるの??w
261名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 20:07:32 ID:EIiNe+DbO
>>260
なんで>>258はスルーなんだよ!
262名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:19:32 ID:LJLCkaHf0
>>257
お前の言う「歴史の再構成」とは何だ?
誤魔化してないで早く答えろよw
それとも論破されてしまったので、
必死に論点ずらそうとしているのかいw?
263名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:27:04 ID:EXh4v6Cl0
>>262
誤魔化してないよ。早くお前のいう「自分の考え」とやらを
指示した文献から書いてみなよ。書けないから、

>必死に論点ずらそうとしているのかいw?

のはお前だよバ〜カw
264名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:30:09 ID:LJLCkaHf0
>>257
お前の言う「歴史の再構成」とは何だ?
誤魔化してないで早く答えろよw
それとも論破されてしまったので、
必死に論点ずらそうとしているのかいw?

265名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:42:04 ID:cPx8arH10
>>264
何も中身がない、読んで「自分の考えを」書いてみろといわれても、悲しいかなその本は、近世日本語で
書かれている。うー、読めない。そのくせしゃらくさいことを、維新の教科書をまとめただけなのに偉そうに書いてる。
それだけで、自己満している大バカ、それがここで世間で認められない憂さを晴らしている、君。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 22:53:42 ID:SmF6UTaA0
>>264
まぁ、偉そうなことをそれだけいうなら、指示した文献から私を小ばかにする、ご高説の「自分の考え」を
書いてくれよ。それとも、読んだと書いたのは嘘か?読んでんなら書けるだろう?エ、違うか?
267名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 07:09:01 ID:jfgpjvyd0
>>265-266

>すでにある歴史的事実(年表や事件の起こった順番)は変わらない

>新たな歴史的事実の発見やその背景や人の考えを
>再構成する必要はあるとは思うがね。

>お前の言う「歴史の再構成」とは何だ?
>誤魔化してないで早く答えろよw
>それとも論破されてしまったので、
>必死に論点ずらそうとしているのかいw?

自分で言っている事になぜ答えられないのだろう?。
何も考えずに「再構成」と言っていたのかなぁ?。
268名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 08:10:09 ID:cUv+gK+o0
>>267
バカの一つ覚えはイラネ。早くお前の「自分で考え」を
指示した文献から書いてみろ。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 08:19:27 ID:xepUgXpw0


   盛 り 上 が っ て ま い り ま し た !

270名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 08:34:07 ID:jfgpjvyd0
>>268
つまらない言い訳や誤魔化しはいいから早く「歴史の再構成」の説明しろよ
それとも正直に「知ったかフリしたかっただけです」と誤るかいw
271名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 08:36:47 ID:jfgpjvyd0
>>268

>>245嫁よw
そこにはこう書いてあったはずだが?。
245 :名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 12:32:39 ID:8a7kKVUF0
>>244
解ってないなwやっぱりw
あのな、そりゃ「重箱の隅をつつけば、徳川も変化を望んでいた」になるだろうよw
だけどな「幕藩体制の維持」という大きな部分においては変化させたくなかっただろw
いいかげんその「ああ言えば、こう言う」&「人の言うことを逆説にして単純に反論する」という行為をやめたら?

>「徳川慶喜公伝」「昔夢会筆記」
 もう読んでるよw家にあるしw。
 お前の言う「攘夷」にはいろいろあるというのは確かにそうだ。だが、ここで細分化された攘夷思想を解説して何になる?
それこそ、竜馬の言う攘夷論。水戸藩士が言う攘夷論。長州の単純攘夷に公武合体による攘夷論といろいろあるさ。
 いや、そもそもお前の言う「歴史の再構成」とは何だ?まず、それを教えてくれ。
具体的に現在の歴史の何をどういうふうに再構成したいんだ?。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 20:25:38 ID:5fYoKLLN0
>>271

こいつは、歴史ヲタのじじいだな。
じじいなら礼儀ってもんがあるだろう?
「自分の考え」を書くまで、相手しないよ。これが最後通告。
またワン君のレスで吠えてろ、大バカ野郎。笑笑笑
273名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:03:22 ID:6nPgZsL60

顔を真っ赤にして必死な厨房w
天下無敵の粘着質w 
274名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 21:44:35 ID:6tl70mkv0
>>273
それは、アンタだよじじい。じじいは、早く寝ろよ
275名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 22:38:39 ID:8YXB7tUt0
会津厨って過去と現実を混同してるよね。
薩長土肥の人間をみるとファビョるファビョるw
276名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/07(月) 22:39:40 ID:8YXB7tUt0
単純攘夷バロスwwwwwwwwwwwwwwwwwww
277名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 01:21:49 ID:spXofBM70
徳川幕府が外国に低頭したのが原因
終ってたんだよ徳川幕府はね
新しい時代が来てよかったじゃない
それとも徳川主権であのまま行った方が良かったか?
日本は植民地になるぞ?ん?いいのか?
278名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/08(火) 03:14:43 ID:6k+sKpn10
>>274
は?俺はお前をからかっただけなのにw
お前とやり合ってたのは俺じゃないよ
被害妄想し過ぎで頭逝かれたか会津ヲタw
279名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 15:33:51 ID:gVB1IS0n0
薩長官軍の勝利は新しい日本の夜明けだろ
それとも鎖国から外国に低頭した徳川主権で日本行きたかった?
そんな事言うのは、先祖が幕府のお偉いさんだった奴等だけ。
幕府が勝ってたらいい家に生まれたのに!程度だよ。
そんな程度の輩が、日本仕切ってOKですか?
280名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 21:56:51 ID:9lKz+NHX0
>>277
>日本は植民地になるぞ?ん?いいのか?

史料・資料いずれかの根拠を示せ。

>>279
>そんな事言うのは、先祖が幕府のお偉いさんだった奴等だけ。
幕府が勝ってたらいい家に生まれたのに!程度だよ。
そんな程度の輩が、日本仕切ってOKですか?

君が貧乏人であることは、了解した。
まじめな話ね、薩長が勝ったと言ってもホンの僅差だったんだよ。
そして、徳川が勝っても幕藩体制をそのまま維持することはもちろん
政治体制の変更は行っていたことは間違いない。とりあえず井上勝生の
岩波新書でも読んでみたらどう?あまりの無勉強振りにあきれたよ
281名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 23:00:54 ID:4Sl8pssD0
政治体制の変更が上手く実行出来なかったから、倒れたんだけどな、幕府は。
幕府が近代化を進めてきたって言っても、陸軍関係を本格的に近代化させたのは、
第二次征長に負けてからだし、そもそも旗本奥詰連中をどうにかしないことには、
幕府が勝つことは難しかっただろう。
鳥羽伏見は指揮系統と行軍体系で戦闘に入ったことが問題だからな。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 23:03:03 ID:4Sl8pssD0
後、幕藩体制の維持は難しいけど、保守派ものさばっていたから、
廃藩置県を幕府が行えたとは思えない。
参勤交代を復活させようとした奴らがいたんだからね。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/09(水) 23:42:41 ID:TUP71p4h0

この会津ヲタは「超粘着質」です
一般的には「かまって君」と呼ばれており、
下手に反論すると得意技の「ソースだせ」もしくは
「答えられないならお前の負け」等々の質問攻めを行ないひたすら粘着してレスを荒らします。

皆様ご注意くださいw
284283:2007/05/09(水) 23:44:26 ID:TUP71p4h0
誤爆w

>>280は「超粘着質」な会津幕府ヲタです。
一般的には「かまって君」と呼ばれており、
下手に反論すると得意技の「ソースだせ」もしくは
「答えられないならお前の負け」等々の質問攻めを行ないひたすら粘着してレスを荒らします。

皆様ご注意くださいw
285名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 03:30:13 ID:QwO27SxR0
280の狂いっぷりはお見事だな。死ねばいいのに。

つか>>1がクーデターなんじゃないの?捏造クーデターだけど。
なんで山縣有朋が人斬りなんだよw
286名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 15:11:50 ID:jSeKuoRa0
確かに1の捏造クーデターだな
287名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 19:52:09 ID:475ewCF10
>>281
>政治体制の変更が上手く実行出来なかったから、倒れたんだけどな

それだけで倒れたと本気で書いているのか?
長く続いた、幕藩体制における経済構造の改革が同時に失敗したのが
本当の理由だよ。大バカ野郎、下らないことを得意になって書いているなよ
288名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 20:24:32 ID:eVYOvstf0
そもそも>>281は幕府旗本や会津藩士(つまり働かなくとも禄米が貰える)の立場でしかモノを見ていない。
一般庶民の実情を知らずに語るので痛杉w。
たぶん「ええじゃないか騒動」や「ヤーヤー一揆」に関しては完全に無知だと思われ。
無知どころか「ええじゃないかは薩長の謀略」とか電波を発することがあるので、見てると笑えるけどなw。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 20:35:38 ID:u3w0v1Z70
>>271
>いや、そもそもお前の言う「歴史の再構成」とは何だ?まず、それを教えてくれ。
具体的に現在の歴史の何をどういうふうに再構成したいんだ?。

結局、人に聞くだけで偉そうに自分が書いた「自分の考え」は、一行も
指定した書籍からは書けないんだな。そんなバカは、誰も相手にしないぞ
290名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:21:17 ID:lnBjFYkq0

すごい執念だ
まだ粘着してるよコイツw
もう必死杉wwwww
291名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:29:46 ID:UziIx3Yt0

すごい執念だ
まだ粘着してるよコイツw
もう必死杉wwwww
292名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 21:38:52 ID:lnBjFYkq0
げ!?
アラシ始めやがったかw
293名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/10(木) 22:25:18 ID:EBzhWZAm0
黒船が来るまでにもう少し政治体制を変えていたら、
あんな風に幕府は倒れなかったと思うぞ。
経済が破綻したのもこれまでの幕政を当たり前のように敷いていたのが大きいしな。
ええじゃないかもヤーヤー一揆も知ってるよ。

>徳川が勝っても幕藩体制をそのまま維持することはもちろん
>政治体制の変更は行っていたことは間違いない

と言っていたから、反論しただけ。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 00:54:38 ID:16vsqygm0
黒船が来るまでじゃなくて
黒船が来てからの対応に諸藩の人々は立腹したのでは?
徳川幕府がちゃんと外交できてたら薩長に倒される必要もなっかたんじゃない?
ま、会津厨や新撰組厨は幕府の弱腰外交に遺恨燃やしてなさい^^
295名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 06:30:01 ID:WcCo3Eu90
確かに山口県に集中的に遺恨をぶつけるのはオカシイですよね。
戊辰戦争で会津に攻めたのは薩土ですし。
むしろ山口県側が会津に対して遺恨を言うのなら自分は理解しますけどね。
七卿落ちから薩長同盟まで長州の人間を殺害し続けたのは会津ですし。
周防大島では幕府軍が民間人に暴行・略奪・強姦までしてますしね。
そこをあえて触れずに遺恨にしない姿勢が好感ですね。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/11(金) 15:31:09 ID:RpesFLYVO
三勤交替の廃止が幕府崩壊の原因だす
297名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 01:18:48 ID:dHn6rIsw0
参勤交代を廃止したぐらいで倒れるほど武力の弱い幕府の方が問題じゃね?
298名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 03:22:48 ID:DJU2gnLy0
>>294
弱腰? 幕府は結構頑張ったよ。 小笠原も北方4島も琉球も
奪われずに済んだし。

攘夷を実行しないからと幕府を攻撃しておいて、いざ自分達が
政権を握ったら攘夷を引っ込めて、幕府の外交成果を
そのまま引き継いだ薩長に言われたくは無い。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 09:23:04 ID:q0mCSMvK0
>>298
あほw
幕府の外交成果を引き継いではいない。
逆に幕府が結んだ不平等条約という負の遺産を引き継いだのみ。
幕府の外交には方針が無く、外国の言い成りなるまいとしたがずるずると良いようにされただけだった。
明治政府は、逆に富国強兵という方針を立て、それに基づいて国家を近代化し、ロシアと戦えるだけの強国を作り上げた。
その結果、植民地になる事も無く、不平等条約を解消し独立国を保てている。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 09:37:22 ID:aPnhqPtT0
弱腰だろうよ、諸藩にとってみれば。
それまでは鎖国を続けろ、異国船が来たら打ち払え、という攘夷を布告していたにも関わらず、
大砲で脅されたくらいであっさり開国。
しかも港は天領で諸藩には公益を認めず、貿易の恩恵を受けたのは幕府だけ。
開国の所為で物価は上がって庶民は苦しい生活を強いられるハメに。
これを幕府の所為だと非難するのは当然。
あの時点で頑張っていたことは解ってるよ、でも諸藩からみればその頑張りじゃダメなんだよ。
政府っていうのはそんなもの。後の日露戦争後の日比谷焼き討ち事件とかもそうだけど、
民衆には情報が少ないから、その場にある情報だけで判断せざるを得ない。
本当はそれが深く考えてみれば、あの時点では最善でも、最善には見えないんだよ。
国の上層部は情報があるからそれで納得出来る。でも民衆は情報が無いから納得出来ない。
幕末の情報不足は幕府が今まで蘭学や洋学を禁じていたのもひとつの原因。

それに幕府は外交だけでなく、国防の部分を怠っていた。
金が無かったのもあるけど、そんなの諸藩も民衆も知ったこっちゃ無いからね。
あんな江戸のすぐそこまで入り込まれて、それから大慌てで砲台を作り始めてもどうしようもない。
それまでもずっと建言はあったっていうのに、財政難を理由に退けてた付けが来たんだよ。
そんなことをやってたら、そりゃ批判もされるし、幕府は信用出来ないと思われるし、攘夷も盛んになりますよ。

ちなみに北方はあくまでも曖昧に濁しておいただけだし、琉球も同じ。
対馬をロシア船に占拠されて何もしなかった幕府はやっぱり批判されて当然。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 10:02:31 ID:DJU2gnLy0
>>299
>幕府の外交成果を引き継いではいない。
日本領は幕府の交渉の結果ほぼ確定したのだが。

>逆に幕府が結んだ不平等条約という負の遺産を引き継いだのみ
小笠原も北方4島も琉球も確保したし、樺太にも権利を残したが?
大体、下関戦争も薩英戦争も幕府が薩長の保証人的立場として、
賠償金も負担したから、阿片戦争みたいに列強の浸食の足がかり
にされずに済んだんだぞ。
まあ、関税自主権と領事裁判権は確かに失策だったが、あの時点で
薩長が交渉したところで、あれ以上の成果が出せるはずも無い。
交渉決裂、列強の攻撃、要地の租借と、中国の二の舞になるのが
オチ。
まあ、島津斉彬時代の薩摩になら多少は期待できるが、斉彬が
死ぬと攘夷派が主流になるほど薩摩内では攘夷派が強かった。
斉彬が幕府協調路線だったのは薩摩内の反斉彬派への対抗の
意味もある。人材もまだいない。大久保は頭角前だし、西郷も
斉彬の側近ではあったが、まだ使い走りの段階だ。
302名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 10:16:58 ID:DJU2gnLy0
>>300
>それまでは鎖国を続けろ、異国船が来たら打ち払え、という攘夷を布告していたにも関わらず、
>大砲で脅されたくらいであっさり開国。
ペリー来航以前に無二念打ち払い令は撤回されているが。

>しかも港は天領で諸藩には公益を認めず、貿易の恩恵を受けたのは幕府だけ。
諸藩に勝手な公益を認めてそこから列強に浸食されても困る。外交、軍権は
幕府の所管事項。幕府が一元管理するためには当然だが。

>開国の所為で物価は上がって庶民は苦しい生活を強いられるハメに。
これは確かに失策だが、薩長がやっても同じ事だよ。

>国の上層部は情報があるからそれで納得出来る。でも民衆は情報が無いから納得出来ない。
そんなのどこの国でも同じだよ。一応民主制や議会制の発達した英米仏を除けば。

>ちなみに北方はあくまでも曖昧に濁しておいただけ
千島樺太交換条約が成立するまでには権利を確保できたのだがな。
当時の薩長に樺太や北方4島の確保交渉が出来たとは思えん。そんな人材いないよ。

>対馬をロシア船に占拠されて何もしなかった
イギリスに依頼して退去させたが?
303名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 10:27:24 ID:q0mCSMvK0
>>301
>小笠原も北方4島も琉球も確保したし、樺太にも権利を残したが?
 薩長が幕府と同じ政権担当者なら同じ事をしただろう。政権担当者は本能的に自国領土を守るものだ。
そんな事は当然の行為。

>下関戦争も薩英戦争も幕府が薩長の保証人的立場として、賠償金も負担したから、

 幕府が親切心でしてやったような事を言うな。下関戦争は、幕府が和宮降嫁の折に約束した「攘夷決行」を実行しただけだ。
しかも諸外国が幕府に長州の砲撃に関して質問し、政権担当者として対処を求めたのに、幕府は何もしなかった。
その結果、諸外国が幕府は駄目だと自ら長州へ出かけて砲撃を加えた。幕府に対する賠償金の中には、幕府のかわりに長州征伐をした諸経費分も入っている。

>関税自主権と領事裁判権は確かに失策だったが、あの時点で薩長が交渉したところで、あれ以上の成果が出せるはずも無い。

 なぜ「交渉が上手くいかない」なんて宣言できるのか?酷く主観的で根拠がない妄想だ。
薩長が幕府と同じく日本を統括する権限を持つ権力者で、徳川幕府が存在しなければ同じ事が出来たかもしれないだろ。

>攘夷派が主流になるほど薩摩内では攘夷派が強かった

 幕府もまったく同じ道を歩んだ事を知らないのか。ペリー来航以前、つまり外国船が日本に現れ始めた頃、
幕府は「外国船打ち払い令」を全国に出している。その後、積極的に情報を集めた結果として開国に転じた。
その行為は、政権担当者であったからだ。薩長はそうではなかったから幕府より少し遅れたが。
 人材は与えられた情況によって育まれるもの。攘夷派に人材が居ないがごとき発言は軽率といわざるを得ない。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 10:34:51 ID:q0mCSMvK0
>>302

>開国の所為で物価は上がって庶民は苦しい生活を強いられるハメに。
>これは確かに失策だが、薩長がやっても同じ事だよ。

 なぜ出来ないと断言できるのか?ソースを示して説明せよ

>当時の薩長に樺太や北方4島の確保交渉が出来たとは思えん。そんな人材いないよ。

 なぜ出来ないと断言できるのか?ソースを示して説明せよ

 なお、攘夷派に人材が居ないがごとき理屈は成り立たない。
攘夷派であった中岡慎太郎や坂本竜馬、伊藤博文や西郷隆盛は開国派に転じている。
幕府内で開国派だった井伊大老は、元は攘夷派だった事をお忘れなく。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 12:57:18 ID:ImOaHF5S0
まぁ幕府が負けて良かったよ
てか、勝てるわけないかw
306名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 14:26:03 ID:y21KwvjP0
>>304
>なぜ出来ないと断言できるのか?ソースを示して説明せよ

うわぁー出たぞー
ソースを示して説明せよ
ソースはカゴメだが、それでいいかw
307名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 14:29:30 ID:q0mCSMvK0
厨房はスルー
308名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 16:05:23 ID:GPPkcLHN0
>>307
ご声援ありがとう!
309名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/12(土) 17:30:42 ID:3OfoXxBK0
最後まで自分達の主権でいきたかった幕府
そりゃ無理だろ
黒船来航以来、時代はすでに変わっていた
310名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 00:46:56 ID:c02PstRn0
>>303
>薩長が幕府と同じ政権担当者なら同じ事をしただろう。
と言う事は幕府の措置に落ち度はなかったと言う事だな。

>幕府が親切心でしてやったような事を言うな。
はあ? 日本全体の政権担当者としての義務だよ。むしろ一藩の都合だけで
勝手に列強と戦争を始めるような無責任な薩長とは違うんだよ。

>積極的に情報を集めた結果として開国に転じた。
そう、ペリー来航の15年も前に打払い令は廃止された。開国に転じたわけ
ではないが。

>薩長はそうではなかったから幕府より少し遅れたが。
おいおい、薩長は薩摩長州の政権担当者だぞ。それが薩摩長州を戦場にして
やっと、攘夷を放棄したんだ。幕府は負け戦などせずに現実を見通せたがな。
こういう差があるから、薩長が交渉を担当しても幕府以上の成果は出せないと
言うのさ。

>>304
>なお、攘夷派に人材が居ないがごとき理屈は成り立たない。
攘夷派に、江川英竜や川路聖謨に匹敵する人材が、交渉を担当できるような地位に
あの時点でいたなら挙げてもらいたいな。

>攘夷派であった中岡慎太郎や坂本竜馬、伊藤博文や西郷隆盛は開国派に転じている。
問題は列強との和親条約や通商条約交渉の時点での話だろ。君の
出した人たちの出番はもっと後。あの時点で出てこれるはずも無い。

>幕府内で開国派だった井伊大老は、元は攘夷派だった事をお忘れなく。
薩長と違って無謀な負け戦をする前にちゃんと見極めが付いたと言う事さ。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 02:23:29 ID:KPJ48CVV0
>江川英竜
幕府側の有能な人材として上げられることが多いが、
この人の有能さを上手く生かせなかったのは幕府なんだがな。
この人の師匠の高嶋秋帆もそうだが、幕府が生かせなかった人材って多いと思うぞ。
だからこの人を幕府側の有能な人材として上げられると違和感を覚えざるを得ない。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 02:42:01 ID:vGCP/OkD0
高嶋秋帆が罪もなく閉門に処されたのは、幕府が新技術を疎んでいた表れなのだろう。
能力のある人はいた。しかし幕府は彼らを生かせなかった。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 08:52:11 ID:GwT0ToYc0
>>310

>一藩の都合だけで勝手に列強と戦争を始めるような無責任な薩長とは違うんだよ。
はぁ?諸外国打ち払いの許可は慶喜が宣言しているけど?なに言ってんの?

>幕府は負け戦などせずに現実を見通せたがな
単なる妄想だな。現実を見ていたなら、ずるずると外国の言い成りにならないし、朝廷に攘夷の約束などしない。
方針も無く、場当たり的に問題を棚上げにしてただけだ。

>交渉を担当できるような地位にあの時点でいたなら挙げてもらいたいな。
 状況が人材を作ると言ったのだが?。幕府が置かれた状況から人材がたまたま出たといっているのだよw。
薩長が幕府と同じ立場、例えば馬関戦争での高杉の交渉など幕府の外交とさして変わらない。
つまり、幕府だけに人材がいたのごときお前の発言は馬鹿だという意味だったんだが。理解できなかったのか?。

>問題は列強との和親条約や通商条約交渉の時点での話だろ。
 違うよw。漏れはお前の「幕府だけに有能な人材いた」という話しに対しての反論してんだからw。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/13(日) 09:15:50 ID:2I5n9ya90
おい、おいソースはそろそろ出さなくていいのか
315名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 23:15:49 ID:5nZ9wOMq0
天皇の歴史って明治維新の時にかなり改ざんされてるよな。維新志士の都合のいいように天皇家が権力を持つことを正当化してる。
今の日本は明治制国家だし、天皇制は明治制国家である以上必要だけど。
まあ、維新志士は日本が外国に盗られないようによくやったと思うよ。植民地にされず近代化に成功したことを評価すべき。
316名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 17:02:29 ID:9M19QUmLO
明治維新はクーデターで成り立った。

第二次大戦は明治維新から繋がりがある?

317名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/15(火) 20:42:06 ID:t9jlY3b00
>天皇家が権力を持つことを正当化してる

 ちょっとまてw。元々天皇が権力者だぞw。
幕府は本来朝廷から派遣された軍の幕僚本部。遠征先で天皇の権力を代行する機関だよ。
たまたま源頼朝が、その幕府を利用して京へ帰還せず、鎌倉に駐屯し続けたのが慣例化してただけだし。
318名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 00:05:25 ID:4w7umKtI0
>>313
遅レス失礼。
えーと、論点がずれてないか?
漏れの主張は開国時の幕府の交渉結果を負の遺産のみとする主張(>>299)
に対し、じゃあ、あの時点で薩長にあれ以上の交渉が出来たのか、という事だぞ。

>例えば馬関戦争での高杉の交渉など幕府の外交とさして変わらない。
下関戦争のころの長州でも、幕府とさして変わらないんじゃ、開国時に幕府以上の
交渉なんて出来るはずがないでしょ?
ペリー来航から10年と言う時間を経て、開国という現実を受けて、松下村塾で学んだ
高杉でさえ、幕府並みなんだから。それでどうやって、開国時に薩長に幕府以上の
交渉が出来ると言うのかな。
幕府から人材が出たのは、それまで外交を担当してきた経験があったからだよ。
状況が人材を作るにはそれなりの時間と素地が必要なんだ。少なくとも長州には
そんなものは無かった。

>「幕府だけに有能な人材いた」
そんな主張はしてないよ。誤読だ。開国時に幕府以上の交渉が出来る人材が
薩長にはいなかったと言ってるの。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 14:32:33 ID:MfNgOKbF0
そりゃ海外の情報は幕府が独占してたんだから当たり前でしょ
320名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 22:59:37 ID:4w7umKtI0
>>319
そう。当たり前。その当たり前の事がわからず、薩長なら幕府よりもっと上手く
開国交渉が出来たみたいに思い込んでいる人がいたから、不毛な議論に
なっていただけ。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 02:07:55 ID:y7/LHnz30
長州藩領内の租借を断れた高杉の外交と
幕府の不平等外交を一緒にすんな
外国の要求呑んで日本を不利に貶めた幕府なんかとな
322名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 09:15:52 ID:ituo4CW50
age
323名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 09:34:04 ID:hah6nfnn0
>薩長なら幕府よりもっと上手く開国交渉が出来た

事実出来たじゃないかw
幕府→不平等条約を結ばされて経済的な植民地状態に
明治政府→日進日露に勝利し、不平等条約を撤廃。さらにイギリスと対等軍事同盟を締結。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:04:27 ID:o5qCBYaS0
>>323
対外的な、国家体制が作られた明治政府と徳川幕府を同一比較で
成果を問うのは、あまり意味がないと思うが
325名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 10:29:23 ID:hah6nfnn0
>>324
そうかな?
開国時の日本政府=徳川幕府
維新時の日本政府=明治政府
開国時点でしか論じられないというならば、
徳川幕府以外に対外交渉を行なえる組織が存在しない以上、
議論する価値が無い。
「幕府だから上手く交渉できた」ではなく「幕府しか交渉が行なえなかった」って事じゃないの?
326名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 12:37:02 ID:27YLdqR10
徳川の敷いた鎖国が、日本を猿の国した。
薩長が徳川を倒して、文明が開化した。
俺はそう思ってる。不平等条約なんか結ぶ
徳川幕府なんて既に終っていた。
イギリス人のアーネスト・サトウも
「これからは長州や薩摩の時代」と記している。
当時の日本人から見ても
外国人から見ても
徳川幕府の権威は落ちていたんだよ。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/19(土) 18:24:31 ID:XbRL/O1n0
ポイントは、孝明天皇だな。孝明天皇詳しい人いる?
328名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 20:28:01 ID:4V3QycOo0
一日待っても、レスがないか。
じゃあ、「孝明天皇と一会桑」文春新書(2002)を参考書であげるから
この新書を読んでレスを待つ。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 00:56:42 ID:H+W0CDgN0
そろそろ、結論に入りたいと思います。
明治維新とは尊皇攘夷を騙る反尊王攘夷論者によるクーデター

したがって開国時の幕府の判断は正解
尊皇攘夷を主張した薩長はアホ

不平等条約に関しては、列強と力の差がはっきりしており
とうてい誰が交渉しても対等な条約など結べる訳もない

戦わずして列強の力を見抜いた幕府
戦って町を焦土にして初めて列強の力を知る薩長

どちらが優れているか歴然
330名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 02:18:17 ID:uzt4n4KB0
世界史的には329が正しい。
幕府の開国政策は少ない情報源から国際情勢を的確に把握した的確な選択と言える。
維新後条約改正を果たした薩長政府の努力は偉大だが
開国当時の攘夷派薩長は残念ながらテロ集団まがいのDQN勢力でしかない。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 04:22:14 ID:4SZsojTa0
徳川幕府というのは被差別部落の問題にしてもそうだが、たくさんの厄介な問題を作り出した元凶であるといえる。

部落差別の問題は水平社運動につながり、万人平等を目指す水平社運動は共産主義とのつながりを持つに至った。
今尚続く、外患の国内への誘導の一翼は共産主義団体が担っているのは間違いないが、
その活動は被差別部落や在日朝鮮人の団体等と連携しているため、その排除は容易ではない。

鎖国の問題も理解しがたいと言うほかない。
島原の乱などの宗教問題や人身売買の件は確かに問題であるが、
だからといって外交を閉ざす結論になるのは意味不明である。
いずれも外交折衝で解決すべき案件であった。

南北戦争を控えた米国と不利な条約を結ぶということは、世界史的に見て非常におろかであるとしか言いようがない。
情報収集の怠慢による決定的な外交の失敗であった。
結局その後始末を自らの力では果たせず、後の政府によって是正されることになった。

徳川幕府はもっと早く滅ぶべきだった。
あるいは、徳川家は日本の支配勢力になるべきではなかった。
徳川幕府の世をミラクルピースと呼んで美化する人もいるが、
親の遺産を食い潰して外界とのつながりを拒絶するひきこもりのような、
自らの統治のために階級制度を敷き後世に禍根をのこすような政治制度が
300年も続いたことは日本人にとって不幸であったとしか言いようがない。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 20:34:17 ID:8r93sUlL0
>>329-330
ID変えたって自作自演ミエミエですがw

>世界史的には329が正しい。
たしかに世界史的には正しいw。欧米列強は幕府のような対応する国を傀儡にして植民地を増やしたからな。
極東アジアで唯一植民地にならなかった日本は、外国を警戒し続ける事で世界史的には間違った道を進んだ薩長のおかげ。
これが結論だろw。
333:2007/05/23(水) 20:46:17 ID:3Ak83mAq0
官軍の指揮官は何故 歌舞伎の連獅子の鬘を被っていたのですか?
また薩摩や長州、土佐と藩で色分けされていたらしいですが
334名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 21:08:27 ID:bDHBOcJt0
>>332
>たしかに世界史的には正しいw。欧米列強は幕府のような対応する国を傀儡にして植民地を増やしたからな。
極東アジアで唯一植民地にならなかった日本は、外国を警戒し続ける事で世界史的には間違った道を進んだ薩長のおかげ。
これが結論だろw。

いゃー見事なくらい古臭い学説をいまだに信じている大バカがいる見本。
まず、

世界史的には正しい?

史料・および文献をレスして下さい。

>欧米列強は幕府のような対応する国を傀儡にして植民地を増やしたからな。

へぇー東アジアだけみても、インドなり中国が上記のような対応をして
植民地化されたんですか?初めての議論だから、ぜひ最新の学説なら
文献名をご紹介されたし。

>極東アジアで唯一植民地にならなかった日本は、外国を警戒し続ける事で世界史的には間違った道を進んだ薩長のおかげ。

おぉー、何だって?

>世界史的には間違った道を選んだ薩長のおかげ

これも、どう世界史的なるものと、間違った道(?)を選んだ薩長???
なのか分からない。教えて下さい。

なぉ、私は日本経済史を学部と院(修士課程)で学びましたがあなたの書いたようなことは
教わりませんでした。
335名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 21:24:31 ID:8r93sUlL0
>>334
うわあ!ただの釣りにマジレスする馬鹿がいるとは思わなかったw
しかし、お前は何を大学で勉強してきたんだい?。
この程度の事も理解できないようでは落第だな。
もう一度大学行き直しなさい。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 21:35:10 ID:rj1ndLtC0
>>334
お前の大学って

>開国当時の攘夷派薩長は残念ながらテロ集団まがいのDQN勢力

と教えられるのか?。DQN大学w
337名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 23:19:54 ID:ZCPdwtm00
田舎もんが江戸にやってきてめちゃくちゃにしていった
338名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 00:08:48 ID:largpDus0
論破されるものは釣りと騙る
339名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 00:40:36 ID:ZFhnOQvE0
と、馬鹿駄大学経済史学出身者が必死な煽りをしている
340名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 13:17:06 ID:emj4jOdGO
ええ、そうですとも。明治から日本は薩長の植民地となりました。
341名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 18:45:19 ID:L32SUQte0
>馬鹿駄大学経済史学出身者が必死な煽りをしている

大学に君は、入ったことないね。
経済史学出身だってぷぷー、学部は何ですか?経済史の学科は?
中卒君は、書かないことだよ。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 20:02:16 ID:2jUD8bp30
と、大学出だだけで自慢話しになると勘違いしているイタイ厨房の必死な煽りでしたw
343名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 21:26:34 ID:7Zov28SB0
と、大学すら出ていなで自慢話しになると勘違いしているイタイ厨房の必死な煽りでしたw
344名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 00:47:38 ID:NJiICe+D0
と、必死に粘着するイタイ大学生がここに存在しているw
345名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/26(土) 13:13:08 ID:5ocTbMX50
>>337田舎者にいてこまされた恨みで今日を生きてるのか?
他にあたる所がないんだろうなキミって・・・苦笑
346名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 14:15:16 ID:BR4bzwaf0
>>337東京を発展させたのが山口県人、特に山縣有朋
大阪を発展させたのが鹿児島県人、特に五代友厚
オマエは知らないんだろうな〜
いつまでも、いつまでも悔しがってるといいよ
にゃはははははははwwwwwwwwwwwwwwwwwm9(^0^)
347名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 14:17:31 ID:xA2U+n6tO
明治維新はクーデターで成り立った。

明治天皇は薩摩長州に利用されてコキ使われて死んでいった。



348名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 14:30:35 ID:CeaGTPvS0
天皇なんざ鎌倉幕府の昔から「利用するモノ」と決まっているw
天皇が自ら政治を行った事例、後醍醐天皇の政治がどうなったかは知っているだろ
最後は南北朝に分裂して戦争又戦争だよ
天皇は利用されるためにだけに生まれてくるものなの
そんな事はないというのは、会津厨と右翼ぐらいなもんだw
349名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 19:48:13 ID:IiOSNAr60
>>347よくそういうのが浮かんでるくるね。ある種の天才じゃない?会津厨って。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/29(火) 09:28:30 ID:5recxl4y0
>>1は自宅の部屋で鎖国中ですよね?
351名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 11:26:23 ID:Qyx8y7Ub0
つか会津厨は今更徳川政権の下、新しい国家作りが出来たとでも?
長州征伐の時にホラ貝吹いて行進してるような脳ミソなのに?w
しかも逆に征伐される始末じゃねぇーかww
長州藩に小倉と浜田までに領土広げさせてやったもんじゃんw
薩摩と亀山社中の協力があったとはいえ、複数の藩が
たったひとつの外様藩に負けるなんて爆笑だろwww
確かに奇兵隊が当時最強の西洋式軍隊だとしても
紀州やらなんやら何藩出てきて負けてるんだよm9(^0^)あははははw
352名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 14:21:46 ID:xGQUt5LM0
幕末に戦国時代さながらのいでたちで攻めたらしいな幕府って。
その時点でもう徳川幕府って駄目の駄目押しじゃない?
しかも武士が一般人に負けた歴史的瞬間。
そんな負の瞬間を徳川は作ってしまったわけだね。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/30(水) 23:26:25 ID:huv5jmH10
っていうかさ
長州4000VS幕府150000
これで負けた幕府に武家の棟梁である幕府の資格なんか無いと思わね?
354名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 11:14:57 ID:a5sBFezF0
しかも海援隊と薩摩は武器を提供しただけ
訓練したのは長州人の大村益次郎
大本の責任者は桂小五郎
外交は伊藤博文
戦ったのは長州の武士と一般人
幕府は周防大島で『民間人』に暴行しただけ
情けないにも程があるだろ
355名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/31(木) 18:37:23 ID:el6xEcjy0
周防大島って高杉晋作に奪回されたんだろ?幕府雑魚いな。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 19:06:21 ID:5FgTpBUx0
ってか、明治維新を南北朝の視点から見ようとする
人いないの??
357名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 20:02:48 ID:vyuPkpIz0
いない どうでもいい 会津厨がうざい 過去と現実を混同してる

純粋に歴史を楽しまない遺恨民族と敗残者地域の人間は気持ちが悪い
358名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/01(金) 22:40:59 ID:sbHwh63m0
>>355
ちがうちがうw
高杉がいたのは小倉方面。
ただ大島の方に軍艦一隻で夜襲を掛けて幕府艦隊に大勝利。
ビビッた幕府軍は、その後に大島に上陸してきた世良修蔵率いる第二奇兵隊わずか数百人にぼっこぼこw
359名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 16:11:26 ID:0a1D19BA0
>ただ大島の方に軍艦一隻で夜襲を掛けて幕府艦隊に大勝利

だから下関から高杉晋作が急遽かけつけたんだろ。
ま、幕府が尻まくって逃げたのは違いない
弱すぎる
360名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 17:05:25 ID:VdYUpk+K0
>>359
そうだよ。だから大島奪回したのは高杉じゃないんだ。
そこだけ間違っている。
幕府軍が救いがたいほどに弱く、間抜けで馬鹿だった事は君に同意。
361|ω・`) :2007/06/02(土) 17:52:09 ID:yLA2z5a70
幕府弱すぎワラタ
362名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 00:09:38 ID:V3Y3LWEf0
第一次長州征伐は、藩の主権を保守が握ってたから駄目だったけど
第二次長州征伐は、藩の主権を晋作が奪回して正義派が握ったからね。
征伐なんていってるが、逆に征伐されてるのが滑稽。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 11:42:39 ID:/xcfWDps0
敗残者だけが過去の歴史に依存してゴチャゴチャうるさいんだよね。
しかし幕府軍の弱いこと・・・
364名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 16:07:54 ID:L3RI+A440
会津ちゃんねる
http://jbbs.livedoor.jp/travel/6188/
365名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:06:11 ID:Uj4tdVnQ0
会津人って未だに戊辰戦争の研究してんだぜwバロスだよなwwww
366名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 18:15:21 ID:xOACKVz10
ちょっとまて戊辰戦争を研究しているのは会津人だけじゃないぞ
正しくは会津戦争の被害や戦災だけを研究しているだw
367名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/03(日) 22:16:50 ID:TrslYLWH0
捏造と誇張付きでな
368名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 18:33:42 ID:0X5/hg3J0
会津とか新撰組って知れば知るほど嫌いになる。
会津や新撰組の厨も凄く性格が悪い。
なんであんな会津なんかに同情し、信じてたのか
自分自身が恥ずかしい。
369名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 19:33:10 ID:fgp7EtCa0
>>368
恥ずかしいなら、千ズリこいて寝てろ
370名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/04(月) 20:25:50 ID:OSRNIBnG0
まぁ同情心をくすぐる演出してるからな会津って。
俺も可哀想なんだと思って同情してた時はあったよ。小学生の頃だけどね。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 06:48:56 ID:mXtAQP4mO
同情するなら赤報隊の末路だな。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:27:59 ID:KlJe/1Nx0
会津の捏造と、観光を知れば同情心なぞなくなるのは必然
373名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 14:59:35 ID:fzsSR6WT0
会津のPRは「かわいそうでしょ?」「被害者なんですよ我々は」である。
374名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 22:43:52 ID:vKlneF3D0
同情買ってくれるのは無知な人とか、会津厨だけ
375名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 04:30:01 ID:LerK1fRe0
>>196
196の引用元
「公家」について語っているブログ
http://kizasi.jp/show.py/collkwic?span=24&kw_expr=%E5%85%AC%E5%AE%B6&cw_expr=%E5%B9%95%E5%BA%9C
376名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 13:19:55 ID:JDC/yGXC0
被害者意識が強い割りにはしっかり観光してますがな会津さん
377名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 20:45:02 ID:jl+4PEka0
無学な、薩長マンセーに幸あれ!
会津の史実に基づいた議論を待つw
378名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 21:00:00 ID:lDeo2YD90
>>377が望む史実に基づいた議論は行なわれまい
なぜならば、>>377は会津研究家が作った嘘を史実と思っているのだから
379名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 21:42:15 ID:IpqLv7M+0
わはっは、違うね。
全て史料・資料・研究書に基づいて書くよ。
別に会津・薩長になんの縁も所縁もないから
380名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 21:45:22 ID:IpqLv7M+0
>>368
>会津とか新撰組って知れば知るほど嫌いになる。
会津や新撰組の厨も凄く性格が悪い。

どう嫌いになったのか、何を知ってより嫌いになったのか
こういう妄想と何もかわらにことばかりいってるのが、
アンチ会津の極めて顕著な特徴だな。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 21:47:38 ID:IpqLv7M+0
>>374
>同情買ってくれるのは無知な人とか、会津厨だけ

これも、特徴がよく出ている妄想話。どういう事例があるのか書いてみろよw
382名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/06(水) 22:13:35 ID:lDeo2YD90
>>380
会津って怨念史観だろwそりゃ嫌われるさ

星亮一の本から
事例1:徳川慶喜は臆病者→静岡県民は徳川好き
事例2:会津攻めを強行すべく政治運動した長州人は桂小五郎→ソース無し
事例3:大鳥圭介は土方を優秀を評した→ファンの突っ込みで星自身がそのような事実無しと認める
事例4;薩長は略奪や放火を行なった。会津は犠牲者→越後で会津兵が略奪放火したと英人医者の記録あり。会津も加害者。
事例5:勝海舟は江戸で決戦しなかった売国奴→江戸が火の海になった方が会津は良いとでも?江戸っ子の気持ちは?
事例6:禁門の変で長州は御所に発砲した賊→会津は鳥羽伏見で錦旗に発砲した賊
事例7:榎本武揚は東北に軍艦を出さなかった→越後に一隻送っていた事実は無視?
事例8:会津は斗南に流罪処分→猪苗代と斗南の選択を迫られ、会津藩家老山川大蔵が斗南を選択
事例9:薩長は白河以北一山百文にした→事実無根。東北の新聞社が書いた見出しだった。
事例10:会津人の死体を野ざらしにした→なぜかは不明だが、官軍兵士及び賊兵双方の死体を片付けてはいけないだった。

と、数え上げたらきりが無い
383名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 09:05:09 ID:BGs4xoHZ0
>>380>>381
お涙頂戴の歴史で観光してる時点で俺は会津嫌いだけどね。
自分達を被害者として持ち上げ、相手が100%悪いという
誇張や捏造を遺恨として、現在まで子々孫々仕えてる姿勢も
気持ち悪く、寒気を覚える。
また、会津人や会津厨の地域差別も酷い。
負け犬の遠吠えで、139年前の話を、遺恨として持ち出すんで不快です。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 13:26:27 ID:1WxdSnUG0
会津という土地が育てる人間性は腐ってるね。
こんなキモイ土地は類を見ないぞ。
あ、朝鮮と支那があったかw
385名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/07(木) 16:18:53 ID:bhNAqr1f0
日本で最も特異な地域フグスマ
386名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 01:47:12 ID:3MPaw3U10
あいずのあは悪意のあ
あいずのいは遺恨のい
あいずのずはズルイのず
387名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 11:20:17 ID:wmbDnGil0
会津人と会津厨の歴史捏造・誇張で自分達を正義に祀り上げる陰謀は最低最悪
388名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 16:13:48 ID:WcViEaSF0
白虎隊の自殺で観光してるね
389名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 16:35:49 ID:/SeJJT0+0
安部公房という作家の言葉だけど新撰組と連合赤軍は組織の原理が同じ。
連合赤軍が組織を維持するために総括と称して仲間を残酷に殺していった
ように新撰組も内ゲバを繰り返し仲間を残酷に殺していった。
外の敵より内ゲバで殺した仲間のほうが多いくらいだ。
ただ新撰組にはほろびゆく幕府という背景があるから美化する人間がいる
という違いにすぎない。
390名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 18:21:11 ID:ZjH4qADc0
まぁ新撰組って所詮は武州の素浪人だしさ
関東の人間ってDQN多いから
昔も現代もね
391名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 20:40:32 ID:P61NKz7u0
関東人だが、東北人と一緒にしないでくれ。
新撰組は東北人に操られたDQN。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:22:41 ID:9e81q+/u0
同意。
なんか東京をクズの会津とかと同一視してる人がいるけど止めてくれない?
そりゃ出稼ぎ労働者の多くは東北だから、
東京に脱北系東北人が多いのは事実かもしれないけど、
ほとんどは戦後に東京に来たわけでしょ。
東京=東北は断じて違います!
だいたい江戸っ子は東北人のように陰湿じゃない!
393名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:23:51 ID:C45SEBdu0
悪いけど関東の人間も底意地悪いと思うよ
埼玉やら千葉やら茨城やら栃木やら群馬やらDQNいっぱいじゃん
東京なんか足立区やら荒川区やら腐った人間ばっかし
板橋区も練馬区もDQN小僧が多いしね
陰湿な分、関西より最悪だと思うけどね
394名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/08(金) 21:47:00 ID:P61NKz7u0
>>393
オマエ関東人だろw
関東にやたらに詳しいしw
さては西国人と関東人の叩き合いを画策する東北人の策謀だなw
395名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 12:12:25 ID:zsJe1toNO
>>394
ここまで挙げておいて、神奈川の超DQNっぷりに言及してない事から、
神奈川県人(横浜近辺か?)だとオモワレ。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:00:14 ID:wGtnZLVO0
関西はあからさま
関東・東北は陰湿
397名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 16:05:59 ID:GzqD24ED0
>>396
ああ、今わかった
オマエ、カマッテ君だったのか

>>395
このカマッテ君は、会津スレで会津を長州スレで長州を
竜馬スレでは竜馬を叩いては、ついたレスすべてに揚げ足とてって荒らしまわっている奴だよ。
スルーしといてw。
398名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 18:57:58 ID:hDq7Al4+0
どうでもいいけ現在の価値観で東北、関東、関西で論じるの無理が
あるだろ。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/09(土) 19:11:58 ID:zsJe1toNO
>>397
ああ…あのリアル中二病か。
向こうじゃ、ID出ないからどうしようもない荒らしだけどな。
400名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:05:05 ID:rg8HmxSk0
捏造遺恨に燃えてる東京・埼玉の会津厨や会津人は何病ですか?
401名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 00:42:52 ID:ULG/S+XK0
>>400
オマエは何でもかんでも関東人にしたがる病だからw
まずはおまえ自身が病院に逝け
402名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:50:15 ID:spkgh8iu0
私の知り合いでも東京出身者や埼玉出身者には会津厨の
アンチ長州が多いですよ。バイトの警備員や土建屋の人ですけど。
私は長州が好きですけどね。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 01:50:42 ID:XfKyCBBZ0
東京=東北

実際、東北人多いよ。
404名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 06:54:03 ID:JBait7fx0
親が東北ってパターン多いよね
405名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 13:39:08 ID:bBFzWazY0
>>402
職業によって歴史の価値観が違う?
この書き込みに何の意味があるのか全然意味不明。おまえの狭いコミュニティー
でとったデータなんて何の役にも立たない。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 14:18:40 ID:8SMPEDVq0
つーことは>>402は警備員や土建屋のバイトって事だなw
ガンバって正社員なれよ。年取るとフリーターはキツイぞw
407名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:07:12 ID:ZFdOh4Kl0
うわぁーアヤ付け厨 登場!
相手にするなよ、一日中ここに粘着するぞ
408名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:23:47 ID:XFj76v2F0
負け組みに会津ヲタが多いってことだろ
409名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:25:20 ID:XFj76v2F0
>>406オマエの思考をそのまま活用すると

つーことは>>406は年取るとフリーターはキツイって知ってるって事だなw
410名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 15:59:56 ID:8SMPEDVq0
>>409
知っているも糞も・・・気がつけよwそのくらいはw
411名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 18:10:07 ID:PYcBPu1S0
>>404
それうちだw
庄内だから西郷さんはなんとなく好きだけどね
でも東北のみならず沖縄から北海道まで色々いるからなー東京埼玉は
412名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 19:23:32 ID:lSgpFW5rO
>>411
最近はどこの国の人間だか分からないヤツも沢山居るよ、東京って。
片言英語必須。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/10(日) 21:56:00 ID:f/YWld7g0
まぁ何にせよ薩長様が東夷を追い出してくれてよかったよ。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 05:04:24 ID:v8edg2hZ0
中国人 朝鮮人 会津人
415名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/11(月) 17:42:55 ID:Ogfp3Lt70
ちょくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお薩人めぇ
ぢぐじょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおい長人めぇ
ぐっそおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお土人めぇ
うびゃああああああああああああああああああああああああああああ肥人めぇ

謝罪しろ!賠償しろ!会津大虐殺!強制連行!慰安婦狩り!ぎゃああああああああああつ
416名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 03:54:09 ID:gk55sqBa0
・・・・。ま、何にせよ会津・会津厨・朝鮮・中国に共通するのは恨民族って事だ。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 17:44:02 ID:ZUGSpEqn0
世界3大恨民族

No.1福島
No.2朝鮮
No.3支那
418名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 09:08:37 ID:b7tVaDY+0
会津を煽る会津厨って左翼っぽい
419名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 20:46:27 ID:qaTn0qDZ0
もう少し、維新のことについてまともな事を書けないのかなぁ
420名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 21:23:30 ID:h6zxaGDs0
書くだけ無駄
カマッテ君が来て荒らすから
421名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 21:54:53 ID:N0A+O6s10
なるほど
422名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/14(木) 22:17:19 ID:vqTkB/MM0
敗戦者の地域の人間が、近代化を進めた地域の人間に遺恨してるからなw
だったら、そういう地域の奴は、自分の家で鎖国してろw
電気も一切使うな。蝋と油使えwww
423名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 02:37:28 ID:uSPfwJ+J0
>>419会津人と会津厨が居る限りまともな事なんて発信されない
424名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 09:28:06 ID:CmRuWZwl0
日本一恥ずかしい福島県
425名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 14:14:14 ID:a6qOupOE0
>>422
> 敗戦者の地域の人間が、近代化を進めた地域の人間に遺恨してるからなw

そういう人たちって、日本の近所にも住んでるよね。半島にいた白丁階層出身者の人たち。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:25:26 ID:IVSjgkjH0
知らなかったけど人力鉄道の歴史サイトがあった。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
427名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 08:17:57 ID:XKi25kms0
>>425それは支那・朝鮮・会津のことですかな?
428名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 08:55:01 ID:Oie9eYyq0
その3カ国以外ないでしょwww
429名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 12:37:43 ID:OLPRnYg/0
恨民族クオリティ
430名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 04:40:22 ID:8MyowWuj0
>>427
いいえ。支那・朝鮮・会津・仙台のことです。
431名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 16:17:40 ID:WeH7Q9+50
仙台って恨民族じゃないだろ
432名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 19:57:26 ID:7HdamRzDO
「幕末維新の暗号」 南朝廷と北朝廷に天皇が二人いたと
433名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 23:51:43 ID:2K/V1n4o0
ここにいる連中はまともに歴史を語る奴はゼロだね。
薩長だ。会津だって、ドラマ程度でかじった程度で相手を
非難することしか能がない。
434名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 05:36:41 ID:UD54yKSk0
>>433だからそれを会津厨に言えってんだよ田吾作くん!
435名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/20(水) 10:25:14 ID:AT74UFyL0
もう遺恨号とかいう汽車でも作って走らせろ
436名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 02:08:31 ID:YiEiRIHH0
薩長政府ってすげえよ。徳川幕府、清王朝、ロマノフ王朝と300年近く続いた
王朝を3つも倒した。会津ごときが勝てる相手じゃない。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/21(木) 13:58:19 ID:2ptIqWEy0
いつまでも悔しがってる姿
毎度毎度捏造プリパガンだをコピーする姿

会津・会津厨はそういった自分の姿をどう思ってるの?
438武蔵国 ◆wJE1TEQYNM :2007/06/21(木) 14:33:13 ID:3nwmev7sO
>>436
ロシア帝国を直接倒したのは、ボルシェビキだろ…。


俺は>>1のスレタイだけなら賛同する。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/25(月) 22:04:11 ID:Vzbs7M3n0
>>436
日露戦争ってモスクワまで攻め入ったのか?
440名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 11:41:15 ID:hpgjtUlx0
>>439
ヒントは明石だな。莫大な金を陸軍からもらい、それを誰に渡したかw
441名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 22:03:49 ID:NoDgsHyZ0
見方によっては、会津厨はすごいな。一貫してどうでもいいことを
飽きずにレスするんだから。これは、嫌味ではなく正味そう思って書いた
442名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:03:47 ID:wWzBH+0y0
明治天皇は長州に匿われていた南朝の子孫で、しかも伊藤博文の幼馴染で、
維新の志士達によって、孝明天皇の息子じゃないって言う
今一番ホットな話題をこのスレで盛り上げたいんだけど?

「幕末維新の暗号」読んだ人いないの?

http://fmono.sub.jp/aws/asin.php?asin=4396612869&c=01

443名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:07:03 ID:AWj8hnVd0
>>442
読んだ。
なかなか良かったね。

写真は、少なくとも何人か(大隈とか)は本物としか思えないし、
明治以降の南朝びいきの行動と全て辻褄が合っている。

話題が話題だけに、検証とか難しいけど、
説得力のある話だとは思ったよ。
444名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 00:17:19 ID:wWzBH+0y0
>>443

変な文章にレスつけてくれて有難う。
今日買って、今読み終えたばかりでで興奮しているので。

全てが本当としか思えないけれど、そうだとすると
作者は南梟団に殺害されちゃうんじゃないの?

長州出身の安倍を担いでる自民党は選挙を目前に控えて、この本の売れ行きにビビッているんじゃないかな。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 02:14:29 ID:XwW71QLbO
壬辰の乱以降は単なる政争のダシに過ぎない
天皇が誰だろうが、別にどうでもいいだろ。
戦前じゃああるまいし、天皇が南朝系だとか朝鮮半島から来たとか、
今更そんなことによって民族のアイデンティティを揺るがされるほうがおかしい。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 02:31:21 ID:D7+R5Dn50
「幕末維新の暗号」著者 
加治 将一(かじ まさかず、1948年9月11日 - )日本の北海道札幌市出身の作家、不動産投資家

著書

ビジネス書
 読まずに建てるな
 いい家が買える人 ダメな家をつかむ人
 お金を捨てる家生みだす家
 買ってはいけないマンション
 借りた金は返すな!
 借りた金は忘れろ!
 買ってはいけない住宅
 あと1億円生涯収入を増やす本

小説
 幕末維新の暗号
 あやつられた龍馬
 借金狩り
 ビバリーヒルズで夕食を
 キャッシュを沈めろ!
 夜は罠をしかける
 妻を殺したのは私かもしれない
 チャイナブルー
 L.A.血の聖壇

ノンフィクション
 石の扉―フリーメーソンで読み解く世界―
 アントニオ猪木の謎

エッセイ
 ビバリーヒルズコンプレックス
447名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/01(日) 10:22:44 ID:BQ4hHXcR0
>>442-444,>>446
ちなみに、この自作自演野郎の真実視している写真は、通称「フルベッキ写真」と呼ばれているもので、
幕末の長崎で撮られた集合写真に、後の人間が勝手に、
あれは西郷隆盛、あれは勝海舟、と顔立ちのそれっぽい当時の重要人物を当てはめたものです。

あれは誰、と勝手に当てはめた結果、
日記当時の政治情勢を考えると
同時に写真に収まりそうもない人物が一堂に会している、ということになってしまい、
それを解決するために、「実は彼らを背後で操るイルミナティが云々」と主張しています。

写真自体はなんでもないものなのに、後の陰謀史観の輩が悪用した例の一つでしょう。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 08:16:30 ID:/OvmLh8q0
>>445
俺は、>>443だが
別にアイデンティティがどうだなんて思っちゃいないよ。
特に、本当に南朝の子孫なら、それでもいいかと思っている。

あと、何から何まで真実と確信しているわけでもない。
非常によく辻褄があっているとは思うけど。
確信といえるものは、大隈重信とフルベッキが本人であることくらいかな。
あと、確度が高そうなのが数人。

>>447みたいな態度の人間を呼び込むので
この話題は荒れるね。
449名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 20:47:05 ID:969dlI0x0
>>448

誰がどう見ても賄賂もらったのは橋龍なのに村岡が逮捕された。
橋龍が大室の血を引いているからだと思えば納得がいく。

中国の女スパイに引っかかったという話だって、たいした問題にならなかった。
450名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/02(月) 21:59:58 ID:k4EkMcxB0
というか『幕末維新の暗号』なる本は>>446にあるようにれっきとした小説なんだが。
著者の加治将一自身が『幕末維新の暗号』はフィクション小説なので
「史実と違う」とか指摘されても知らんがな、と言っている。
http://pro.cocolog-tcom.com/edu/2007/06/post_77bf.html
451名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/04(水) 02:08:30 ID:cuYJxWPL0
【ペンの暴力】小説家・加治将一【馬鹿丸出し】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/hosp/1172723577/
452名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 14:54:36 ID:nIRdphy50
またフィクションに長州人が騙されて、会津厨がニヤニヤしてるのか?
長州人はちょっと人が好過ぎるぞ。一坂太郎なんか追い出すぐらいの気迫を見せろ!
会津に遠慮するのも、歩み寄るのもお門違い。恨民族の捏造に踊らされるなよ!
453名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 22:13:35 ID:im7x2bv/0
>>330
お前、全然わかっていない
454名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:30:26 ID:gC9SqqZA0
長崎に居を構えるグラバーは、フリーメーソンの人脈に取りこまれていた
坂本龍馬を使役して、薩長盟約に誘導した。問題は、薩摩である。
薩摩もまた、徳川を討って島津の幕府を立てる藩代々の政治的意志をもっている。
グラバーは、龍馬を使って薩長倒幕密約に持ちこむことに成功したのである。

ユダヤ・フリーメーソンは薩摩をおだて、長州をおだて、ロンドンに留学生を招き、
洋式兵器を供給し、両藩の私的利権の欲望をあおり立てた。大久保利通は、
そのメカニズムを了解し受け入れた。ここに、ユダヤ悪魔教の手先となって、
薩長が日本の国権を簒奪する。

そして孝明天皇を弑逆し、幼帝をおのれの手中の「玉(ぎょく)」として奪うために、
岩倉具視が共同謀議に参画する、という極秘の筋書きができあがったのである。
伊藤博文は、この三者密約に合流した。西郷隆盛は、この桂小五郎・大久保利通・
岩倉具視の謀略に乗せられ、踊らされ、利用された、と見る。

他方、ユダヤはフランスを使って徳川幕府に洋式軍隊建設を働きかけた。
いよいよ事態はユダヤの周到な計画通り、孝明天皇は暗殺、薩長対徳川の、
日本民族を真っ二つに割る大内乱の幕が切って落とされようとした。
ちなみに当時清国は、ユダヤに操作された太平天国の人工的動乱によって、
1850年から約10年のあいだに、実に5千万人の人命を失った!
ユダヤが日本列島でもその再現を狙っていたことは疑う余地はない。

したがってこの時点では、龍馬はメーソンの傀儡と言ってよいのではないか。
その龍馬がなぜ、慶応3年(1867年)11月15日に暗殺されねばならなかったのか。
この土壇場で龍馬が、フリーメーソンが日本の内乱を演出し、それを足がかりに
日本の植民地化を図ろうとしている謀略に気づいたのではないか?そして、この秘密
を知った(あるいは感づいた)日本人が、幕末に少なくともあと2人いた、と推察している。

その2人とは、徳川幕府の勝海舟、そしてもうひとりが、他ならぬ徳川15代将軍を
継いだ徳川慶喜である。この2人が謀略を見破り、幕府と薩長の内戦の危機を阻止
すべく、ついに慶応3年10月14日、朝廷に大政奉還を上奏した。

龍馬は、これを知って、「――よくこそご決意くだされた! この上は、われら
この君(慶喜)のために、生命を捧げて働きまする」と、感極まって男泣きに泣いた、
といわれている。龍馬暗殺はその1カ月後である。

慶喜に大政奉還されては、倒幕派と幕府の内戦の火は消えてしまう。
メーソン側としては、なんとしても戦を挑発しなければならない。(中略)
グラバーは、この情勢を逆転させるために、倒幕路線の敵となってしまった
龍馬の暗殺処分を、薩長、岩倉(具視)に教唆したのではないか。
しかも、暗殺成功後、あたかも幕府・新撰組が龍馬殺しの犯人であるかのような
ニセ情報を流したのではないか。

11月15日の近江屋における龍馬(そして中岡慎太郎)暗殺後、12月9日のいわゆる
小御所会議で、岩倉と薩長は公武合体派を追放する私的クーデターを引き起こしている。

岩倉・大久保・木戸(孝允)は、旧徳川方に挑発のかぎりを尽くし、
東北雄藩との理不尽きわまる戦争に持ち込みはしたものの、
慶喜はじめ徳川宗家御三家は妄動をせず、日本民族は危ういところを
救われたのである。

ニセ官軍側の総大将の位置につけられた西郷隆盛は、どうやらこの
戊辰の役の過程で事の真相の一端に気づいたようだ。
この官軍の莫大な洋式軍隊の装備は、アメリカ独立戦争終結に
ともなって不要となったものが、グラバーを通じて供給されたという。
戊辰戦争を指揮した西郷隆盛は深く後悔し、憂いに包まれた。

新政府でただ一人の陸軍大将に任じられ、事実上の軍の総司令官、
維新と勲功第一等、と誰もが見た。グラバーらフリーメーソンは、
あの手この手で西郷を誘惑したが、西郷はことごとくこれを斥けた。
455名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:31:53 ID:gC9SqqZA0

かくしてユダヤ悪魔教の第二次対日侵略戦争の前途に、赤信号が灯った。

日本大内乱の謀略が不発に終わり、300万の武士階級は、水戸、会津両藩
など一部を除き、温存されてしまったのである。ユダヤの謀略では、内戦に
よって武士階級をそっくり壊滅させる手はずであったのだ。

そして、西郷はユダヤの対日謀略の存在を、チラと感づいた模様である。
西郷を料理せよ!  これがいまやユダヤ・フリーメーソンの対日謀略の
焦点として登場した。

大久保・桂(木戸)・岩倉の逆賊3人組は、ユダヤ・フリーメーソン
駐日代表グラバーの手駒である。西郷は、このことに気づいたようだ。
かくなる上は、神武の武力をもって奸賊大久保とその一党を討伐し、
神国日本の国体を明徴させるほかない。

他方、ユダヤ・フリーメーソン陣営は、全力を傾注して大久保私政権の
軍備を増強し、ユダヤの日本民族滅亡作戦の障害・西郷を、そして西郷
とともにユダヤになびかない旧武士階級、士族を亡きものにしなければならない。

明治10年(1877年)の西南戦争を内戦と見てはならない。
もしもそれが、欧米ユダヤの意図的政策的介入のない純然たる
日本民族の内部の出来事であれば、西郷軍の圧倒的戦勝で
終結していたことを、日本民族は知らなければならない。

日本国内のみを見れば、明治初年の時点ではもちろんのこと、明治10年に
おいてさえ、岩倉・大久保らを支持する日本人は5%以下であったろう。
この逆賊たちの不人気は蔽うべくもない。日本を挙げて人心は、西郷さん、
西郷さん、に涙していたのである。

1877年から翌年にかけて、ユダヤ悪魔教(300人委員会)は、アメリカを
片づける大仕事、南北戦争を終え、ユダヤの日本支配に抵抗している西郷の
一党を取り除くという日本問題の処理ができる条件が整っていた。

ユダヤ・フリーメーソンの全面的で手厚い保護支援のもとに、大久保ニセ政権は、
莫大な軍費をユダヤ悪魔教に保証され、西郷軍を何ケタも上回る火力、機動力を
もって九州に出兵した。つまり、西南の役は、逆賊大久保を使ったユダヤの日本
撃滅戦争として組織されたのである。

だがこのとき、明治天皇の立場はいかなるものだったろうか。
岩倉・大久保・木戸らは、西郷軍を討つこの不義の軍を、明治天皇の名をもって発した。
西郷をこよなく愛された明治天皇は、不本意であったことであろう。

だが、もし明治天皇がこのとき、公然と大久保を斥け、西郷を支持するようなことが
あれば、大久保・岩倉は、一瞬の躊躇もなく、明治天皇弑逆!の挙に出たであろう。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:52:09 ID://JhtRgX0
>>454
>グラバーは、龍馬を使って薩長倒幕密約に持ちこむことに成功したのである。
>したがってこの時点では、龍馬はメーソンの傀儡と言ってよいのではないか。
その龍馬がなぜ、慶応3年(1867年)11月15日に暗殺されねばならなかったのか。
この土壇場で龍馬が、フリーメーソンが日本の内乱を演出し、それを足がかりに
日本の植民地化を図ろうとしている謀略に気づいたのではないか?そして、この秘密
を知った(あるいは感づいた)日本人が、幕末に少なくともあと2人いた、と推察している。

まったく上記の史料はありませんが、あなたの根拠の史料をお知らせください。
ここは、小説・妄想を書く板ではありません。寝言を書くなら去ってください。
厨房は中卒?
457名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 23:59:11 ID:CTHdSskP0
太田龍の脳内史料
信者は中卒
458名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 01:06:58 ID:P9NA/2eI0
えーと・・・・
フリーメーソンってのはユダヤ教という事になっている。
正確には違うが、キリストを磔にしたユダヤ教を嫌うキリスト教徒がそういうデマを流した
そうすることで、キリスト教国がユダヤ人を公然と弾圧する為の謀略であった事が現在知られている。
フリーメーソン陰謀説を語るものは、キリスト教の謀略に引っかかった愚か者でしかない。
459名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 11:01:58 ID:/KPNMIEY0
とりあえず、フグスマ県民は、フグスマから出てくるな。
460名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 19:45:44 ID:tKv+0qW70
>>454
オマエが書いた、史料を早く明示しろ。
くだらん妄想本を真に受けて書いたのか?
461名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 20:08:40 ID:9KTYcgOb0
会津恨族殲滅希望
462名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/14(土) 20:16:49 ID:9Lb/7GipO
士族の反乱
463名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 03:55:52 ID:+tu/UvYd0
140年経っても、開放しないんだなフグスマって。お涙頂戴観光が原因か?
そんな観光やってるうちは、何百年経っても、開放されないよオマエラ
464名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 03:47:09 ID:LmG0CM8Y0
>>200
間違い。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 18:32:49 ID:trsakAxb0
>>200オマエみたいな目先の文明でしか
世の中の価値を見出せない人間はどこへ行っても駄目だよ
466名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:04:15 ID:oa4YiQrb0
倒幕が成功したから薩長土肥が成り上がっただけ。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 21:09:58 ID:ry87BydY0
旗本がへタレだったから倒幕が成功しただけ
468名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 01:33:35 ID:lxyzWtqsO
>>467
もう二度と戦乱の世にならないだろうとタカをくくって
「武士道とは死ぬことと見つけたり」と妄言を吐き
いざ幕末動乱に巻き込まれてみれば
百姓軍の前にクソをちびりながら逃げまくった
旗本など、2chのネウヨと何も変わらない。
滅ぼされて当然だ。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 01:37:11 ID:dhW338rV0
死ぬことと見つけたりは、葉隠だよな。
葉隠は、佐賀鍋島藩独特のものじゃないか?
旗本は、そんなこと考えてなかったと思うけど?
470名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 01:02:44 ID:HTdaLhkk0
つまり悔しいんだろ?西の端や南の端の藩に潰されて
弱い先祖を恨んでなさい^^
471名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 10:29:26 ID:cge6y46zO
会津が薩長に負けた理由を教えてください
472名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 15:34:47 ID:eU5KOs/l0
>>471まず、薩長ではなく薩土ね。
負けた理由は、装備の違いから、兵士の意気込みとか色々あると思うよ。
単に、徳川の膝にすがって、ヘラヘラしたてのも敗因じゃないかな?
官軍は、西洋式の装備に訓練だったろうしね。

会津戦争は関係ないけど、日本初の西洋式軍隊の長州奇兵隊と
戦争をした、どっかの藩は鎧をまとい、ホラ貝吹きながら出てきたらしいよ。
もう、時代遅れだったんだよね。徳川側の大名藩ってさ。
しかも長州奇兵隊をはじめ、長州藩の諸隊って民間人だぜw
武士が百姓や漁師なんかに負けたんだよ。
473名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/20(金) 19:17:21 ID:7nQsisFa0
>>471
1.藩主松平容保の、会津戦争の戦略の欠如(指揮者としての技量不足)。
戦術スタッフの稚拙(新政府軍の進軍に対する読み間違いおよびその修正の悪さ)
2.領民の会津藩に対する不満。
3.装備および戦術訓練の差。
474名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/21(土) 01:20:48 ID:zk+seFaz0
>>471努力をしないDNAだから
475名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/31(火) 00:07:07 ID:xgw9tY8C0
家茂の死因はお菓子の食べすぎによるビタミンB不足と虫歯

甘いものをつまみに酒を飲む人は気を付けろ。
476名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 13:18:34 ID:1u190yjw0
今も昔も駄目な関東と東北の人間性
477名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 14:44:50 ID:7tLK0nQCO
↑と、ダメ人間が語っております。
478名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 16:15:27 ID:MIhYAfJl0
江戸の人間は薩長と対峙していない。
関東の人間も薩長を毛嫌いしていなかったと思うね。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 09:04:28 ID:qZrZdkpi0
東京と埼玉は会津のプロパガンダに犯されてる人が多いよ
早く目を覚ました方がいいと思う
480名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 19:06:22 ID:gMAaPl7j0
会津人の捏造を信じてる奴等って
朝鮮や中国の主張してる捏造歴史観を信じてる
サヨクっぽいな
481名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 00:24:26 ID:Byalyy+F0
>>479
だからといって東京埼玉人をすべて会津ヲタだと思い込むお前もかなりイタイ
482名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 00:39:27 ID:O3E4sYsr0
日本は広いなぁ・・・
483名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 17:05:24 ID:GUpaNKBn0
クーデターというのは軍事クーデターみたいに政権内部にいる人間が権力を奪取する
ことだろう?
江戸時代初期に伊達政宗や有力な大名が徳川幕府に取って代わることを考えていたのと
同じ感覚で倒幕したのかもしれないぞ。
これはクーデターか?

484名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 18:30:54 ID:Ddmsuq700
薩長がクーデターを起こす前に、会津と薩摩が8.18の政変(クーデター)を起こしているのだが。
これは問題視しないのかいw?
485名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 21:16:08 ID:68Q3u+Qh0
>>484
幕末、一会桑について文献にあたったら…。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 21:18:34 ID:68Q3u+Qh0
>>483
>江戸時代初期に伊達政宗や有力な大名が徳川幕府に取って代わることを考えていたのと
同じ感覚で倒幕したのかもしれないぞ。

あまりに、幕末史について無知。
子どもなら、日本史の教科書をもう一度読み直しましょう。
親父なら、子どもに日本史の教科書を借りて読んでみましょう。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 23:23:40 ID:Ddmsuq700
>>485
薩摩と会津は武力を用いて御所を占領したと書いてあった
特に兵力が多い会津は酷く強引なやりかたで御所を占領したんだなと思ったw
488名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 10:23:57 ID:te8cQRlH0
そうでもない。
なぜなら、8.18の政変・禁門の変での長州・長州派公卿の追い落としには
孝明天皇の支持があったのだから。

だが、京都市民は長州に好意的で、禁門の変での大火で家が焼けた件についても、
「慶喜と容保が戦にまぎれて火を点けて回った」という説が専らであった。
489名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 10:56:43 ID:5KqLvGSE0
そんなこと言ったら、明治維新も明治天皇の支持が一応はあるから。
まあ明治天皇というより外祖父である中山忠能の支持だけどな。
天皇が幼少である以上、親族を握るのは必須事項ではあると思うが。

禁門の変の大火は長州側も会津側も両方火を付けているから、
会津が付けたというのはあながち間違いでも無いが。
長州に対して好意的なのは尊皇攘夷運動に積極的なのが長州であったこと、
幕末より前から上方中心に運動を行っていたこと、などがあると思う。
お得意様であったというのも勿論あると思うがなw 会津藩士は貧乏だったらしいし。
後、東の人間が嫌いだから西国出身というのも大きかったはず。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 11:06:18 ID:QAIvgvbu0
>>488
>「慶喜と容保が戦にまぎれて火を点けて回った」という説が専らであった。

それ・・・噂じゃないw
「堺町御門の西側の鷹司邸内に長州人五十人ほど潜伏していたので、鷹司邸内に火をかけ、
境町御門の所で会津と新撰組が挟み撃ちにして討ち取った。(浪士文久報国記事・永倉新八著、新撰組戦場日記木村幸比古版収録117頁)
とあり、鷹司邸に放火したのは新撰組と会津であり・・・
「中立売で薩兵のために破られた賊の残兵が商家に隠れ込んだので、薩兵はただちに火を放ってこれを撃った。
たまたま風がはげしかったので、火の手は所々に飛び散り、鷹司邸の火と合して、西は堀川まで燃えひろがり、
南は九条野まで至るありさまで、ほとんど洛中を焼きつくした(京都守護職始2・末東洋文庫版92頁より抜粋)」
商家に放火したのは薩摩です。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 11:09:15 ID:yA/pGBIOO
当時天皇が日本国においてどのような地位にあったかも確認せずに
孝明天皇の支持があったからクーデターではないと
いってみたところで、無意味だけどな。もちろんその逆も。
もっとも、確認したところで、当時の人間にとっても天皇の位置づけなど曖昧で
単なる偉いおっさんでしかなかっただろうから、
結局明確な結論など出ないだろうけどな。

要は、クーデターという恣意的な適用の可能な概念を使って
気に食わない奴にクーデターという言葉が持つ非正当性や暴力性などの
ネガティブなニュアンスをなすりつけてやろうというのが
このスレの問題提起の目的なんだから、真面目に考えるほうが馬鹿と言える。
492名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/11(土) 11:11:48 ID:QAIvgvbu0
明治維新以前にクーデターや反乱以外の正当な方法で政権を作った者を教えて欲しいんですがw
493名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 16:08:37 ID:UCutjUHN0
思い出すがいい 容保公が授けた明白な願いを
白虎隊の死の意味を思い出せ 賛辞も歌も欲せず
碑も戦争や武勇の詩も欲せず 願いは明白であった
思い出すがいい 私に言われた
それは希望である この地に連綿と継がれる
自由の魂たちのように不変の石碑がその声を物語る
道行く者に会津を伝える この地は汁の掟によりて我らここに在りと
容保公は死し兄弟も死し
140年が経ち 容保公が言った“勝利”に隠された
意味を考えた 彼の聡明さを示す時が来た
東北の自由民から自由民へ世界に伝わった 豪傑容保と新撰組は故郷を離れ
会津のみならず日本全土のために散った
この国を守ると誓って京都と呼ばれる荒地で
安倍長州政権を叩き潰すのだ!奴らは粗野な者の集団
恐怖で支配された冷酷な心を持つ者 女・子供・老人合わせて5000の数にさえ被害をこうむった奴らが
目の当たりにするだろう 平野に広がる10万の会津市民を 東北自由民1000万も戦う
敵は10倍の勢力に過ぎぬ 勝機は東北にある
この日我らが恐怖と強権から世界を救う
まだ見ぬ栄光の未来へ先陣を切るのだ
称えよ!容保公と勇敢な白虎隊に!勝利を!


494名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 17:21:00 ID:R1W+VjgA0
>>493
時代錯誤の基地外がお盆に蘇る!
どうしてこんなことを書くのかな?
495名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 17:29:28 ID:ilxloPA80
会津の怨念が盆で騒いでいるだけさ
496名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 17:36:02 ID:UCutjUHN0
>>494
大徳であられる容保様を心底愛してらっしゃるから…
抱いて欲しい
497名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 11:24:15 ID:apYFoazG0
会津は徳川様のシモベであります
498名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 16:38:52 ID:oopnonwT0
◆福島県勢が2戦2敗だった山口県勢に初勝利した聖光学院・横山博英部長
「(会津と長州の)戊辰戦争も入れれば1勝3敗。会津の人たちが喜んでくれたらうれしいです。」
先祖を敬うまるで古武士のような立派な発言ですね。
同じ東北人として誇りに思います。
http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200708/bt2007081316.html
499名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 16:56:08 ID:oopnonwT0
◆第89回全国高校野球選手権大会1回戦 聖光学院11―7岩国(12日、甲子園球場) 

聖光学院(福島)が県勢最多となる18安打、最多タイの11得点を挙げ、岩国(山口)を圧倒。
福島県勢として悲願の“対長州”初白星を挙げ、幕末に白虎隊の悲劇を生んだ「戊辰戦争」の
リベンジを果たした。

平成のサムライは刀ではなく、バットで勇敢に立ち向かった。あの敗戦から139年。時空を超え、
リベンジの瞬間が訪れた。夏の甲子園で福島県勢として対山口県勢初勝利。聖光学院ナインは
真夏の青空に向かって、大声で校歌を歌い上げた。「山口県勢を倒してくれという、年配の方の
声が大きかった」と斎藤智也監督(44)。白虎隊と同い年の若武者たちが、県民の悲願となる
“打倒長州”を成し遂げた。

因縁は江戸末期にさかのぼる。長州中心の新政府軍と旧江戸幕府による戊辰戦争がぼっ発。
旧幕府勢力の中心だった会津藩は、10代の武家の男子によって「白虎隊」を編成した。
だが、苦戦の末、総勢19人が自害する悲劇を生んだ。今月5日の組み合わせ抽選後、岩国との
対戦が決まると、ナインの間では「戦いだな」との声が上がった。「向かっていく気持ちだけは
負けたくなかった」会津若松出身の小椋大輝(3年)が話した通り、福島に脈々と受け継がれ
「打倒長州」の魂がナインに乗り移った。

防戦一方だったあの時代と、同じ轍(てつ)は踏まない。5回を除き毎回安打に毎回得点と攻め続けた。
県勢最多を更新する18安打、最多タイとなる11得点の猛攻。黒土の“戦場”を駆けめぐった。
県大会で打率2割1分1厘と不調だった黒羽剛広は5打数4安打2打点。「これまで支えてくれた
みんなに、恩返ししたかった」と言い切る顔つきは、忠義を尽くす武士そのものだった。

過去の夏の甲子園では、山口県勢に2連敗。横山博英部長(37)は「戊辰戦争から数え、これで1勝3敗。
会津の人が喜んでくれたらうれしい」と笑った。「次も命をかけてぶつかりたい」と黒羽。
勝ってカブトの緒を締めよ―。ナインはひたむきに勝ち進む。

http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/hs/news/20070813-OHT1T00044.htm
500名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 18:15:26 ID:GKpQmxD90
ウザ! 同じコピペ張りまくるな!
岩国なんざ長州の支藩だ
長州の支藩に勝ったぐれぇでおおはしゃぎすんな会津馬鹿が
501名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 21:36:41 ID:QbC8KEsx0
支藩じゃないよ。分家だよ。
参勤交代も認められなかった、名ばかりの藩だよ。
つか、野球と幕末は関係ないと思う。
イチイチ何にでも絡めるのが恨族の特徴。
日韓戦でファビョるチョン人と同じ恨文化・不寛容思想じゃしょうがないか?
502名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/14(火) 22:47:40 ID:GKpQmxD90
そんなことはどうでもいい!
会津馬鹿がウザいだけだ!
独りよがりのコピペで荒らしまくりやがって
503名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 13:47:08 ID:ZKtvdSs80
>>499
ネタかと思ったらマジだったんだな。
フグズマ恐るべしw
504名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 16:41:15 ID:Z75gM6u60
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

会津戦争の記述、「後世への影響」には
{要出典}があり、その記述は

ウィキペディアの方針では記事や情報が検証可能であることを求めています。
本来なら方針に従い、検証可能性を満たしていない情報は除去されるべきですが、
論争の発生しやすい記事では突然の除去は編集合戦に繋がることがあります。
要出典はそれらを防ぐために出来たツールです。あなたが、その部分について信頼できる
情報源をご存じでしたら、その情報源をそのページに加えてください。もし時間がなければ、
出典をその記事のノートページなどに書き残すだけでも他の編集者の助けになります。

という記載がされている。

要出典が加えられてる記述は以下のもの
@略奪・強姦・虐殺
A会津藩兵の死体から性器を切り取って口に含ませて放置
B薩摩藩兵が食人行為を行った
C学界や官界に進んだ会津藩出身者の登用に対し徹底的な妨碍工作
D現在の福島県が発足した時に、県庁が郡山に置かれず、福島に置かれた理由も、会津地方から距離を引き離す為

つまりこれらの記述に信憑性があるかどうかは
疑わしい面があるという意味であり、あくまで俗説という意味。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 19:05:49 ID:n7H/drD30
@は支那・ロシアなど共産圏文化の行為
Aは支那兵の猟奇行為
Bは漢族の食文化
C登用されないのを出身差別のせいにしてるだけ
Dは関ヶ原以降の毛利氏への冷遇
506名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 14:21:10 ID:EIpeVXWq0
こういった論破はネットだけでなく
一般社会に浸透させなきゃ駄目だよね
一般的には、会津の宣伝戦が勝利してるし
つまりそれだけ騙されてる無知が多いって事さ
507名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/16(木) 20:47:05 ID:ogIekXvH0
福島恨人は卑怯で汚い!自分達の加害は棚上げにして、被害者意識だけを発信してやがる!
508名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 00:16:38 ID:oshRkuQz0
↑会津ヲタが嫌いなのは俺も同じだが、叩くんならそれなりに書籍などの実例を挙げて叩け
ソースも成しに会津ヲタと同じ低レベルの醜い煽りすんな
509名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 17:22:50 ID:nacNHorn0
>>472
>日本初の西洋式軍隊の長州奇兵隊

日本初の洋式軍は高島秋帆の長崎町役人の部隊
二番目は江川英龍の手代の部隊
三番目が下曽根金三郎が率いた浦賀与力・同心の部隊(米海兵隊と対峙)
長州に西洋軍学が伝わったには、中島三郎助の弟子だった来原良蔵経由じゃないかな?
510名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 20:11:18 ID:bg2nWgrF0
フグスマって日本の中の支那・朝鮮で
恨文化の恨族
511名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 01:44:04 ID:F2hwtgnb0
ソースならいちいち提示しなくても、色んなスレ見てれば分かると思うけどな〜
512名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 11:53:02 ID:Axl9uRt20
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

会津戦争の記述、「後世への影響」には
{要出典}があり、その記述は

ウィキペディアの方針では記事や情報が検証可能であることを求めています。
本来なら方針に従い、検証可能性を満たしていない情報は除去されるべきですが、
論争の発生しやすい記事では突然の除去は編集合戦に繋がることがあります。
要出典はそれらを防ぐために出来たツールです。あなたが、その部分について信頼できる
情報源をご存じでしたら、その情報源をそのページに加えてください。もし時間がなければ、
出典をその記事のノートページなどに書き残すだけでも他の編集者の助けになります。

という記載がされている。

要出典が加えられてる記述は以下のもの
@略奪・強姦・虐殺
A会津藩兵の死体から性器を切り取って口に含ませて放置
B薩摩藩兵が食人行為を行った
C学界や官界に進んだ会津藩出身者の登用に対し徹底的な妨碍工作
D現在の福島県が発足した時に、県庁が郡山に置かれず、福島に置かれた理由も、会津地方から距離を引き離す為

つまりこれらの記述に信憑性があるかどうかは
疑わしい面があるという意味であり、あくまで俗説という意味。

@は支那・ロシアなど共産圏文化の行為
Aは支那兵の猟奇行為
Bは漢族の食文化
C登用されないのを出身差別のせいにしてるだけ
Dは関ヶ原以降の毛利氏への冷遇
513名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 15:47:05 ID:gqkqiKST0
>>511
>ソースならいちいち提示しなくても、色んなスレ見てれば分かると思うけどな〜
 2ちゃんに書いてある事がすべて真実だと思い込んでいるなら、お前は大馬鹿者だ
 ソースを示さないからこそ「低レベルな俗説の応酬→答えの出ない永久ループ」なんだろ。
 わかっちゃいるよ。会津馬鹿を煽って遊ぼうって魂胆が。
 それならそれで、やるなとは言わないが一つのスレに絞ってでやれ。会津関係スレすべてでやるな!
 見てみろ。お前の煽りでイタイ会津馬鹿が手当たりしだいに幕末スレを荒らしまくりじゃねーか。
514名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 18:20:30 ID:Y4Texx0i0
>>513
同意。ほんとうに困る奴はそうして欲しい
515名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 19:34:11 ID:omzYDBj10
>>390
土方家は三沢十旗衆の一旗を構成する武門の家。

北条家の滝山城(移転して八王子城に)大手防衛隊「三沢十騎衆」のひとつだった土方家からも千人同心家が生まれていて
(三沢の土方家・新井の土方家―ともに日野市)、歳三の生家を「百姓」とするのは、明らかに誤り。

新撰組の近藤勇、土方歳三などは、百姓とも言われるが、
両人とも百姓は百姓でも豪農の生まれで近藤の生家は宮川という姓をもつ。おなじく土方も姓をもつ。

彼等はお城に登城する徳川家臣団の武士でないことは事実であるが、
近藤・土方の実家は共に刀をもつことを許された、苗字帯刀の豪農(郷士)である。

土方家には家業があり、土方歳三は若いころ、この石田散薬という家伝の薬を売り歩く薬屋の行商もやっており、
刀は茣蓙(ござ)に入れて背中に担いでいたらしい。薬屋が両刀差していたのではさすがに様にならないからだろう。

あと、武州三多摩は天領(徳川家の直轄領)であり、代官はいるが大名はいない土地であり、
将軍様の百姓は大名の百姓とは身分が違うという自覚があったのではなかろうか?

だから、近藤も土方も農業をやる百姓でありながら、苗字帯刀を許された郷士である。

郷士とは地侍ともいい、米だけ作るのではなく、武芸も漢学も治めた、誇りも高い大名も一目おく、村の実力者であった。

このあたりを調布市の郷土博物館の金井氏にお伺いすると、近藤と土方は郷士ですというお答えをいただいた。

ともかく百姓でありながら武士であるという郷士と言うのはわかりにくい存在なのだ。

身分的には城下侍の下、百姓の上ということだ。
516名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 19:36:31 ID:omzYDBj10
673 :日本@名無史さん :2006/06/09(金) 23:36:19
武家社会において、それぞれの武士は武士団を構成し、軍事行動においては、通常、一門・一家と呼ばれる一族全体としてこれに当たっていた。
したがって土地・財産を分割されても、庶子家はまたく独立したわけではなく、一門の嫡家(本宗家)の長である惣領を中心とした強い団結を保持していた。
いわゆる惣領制である。

 幕府は、御家人を掌握するためにこの惣領制を利用し、御家人役の納入・勤仕の際にも一族の分を惣領に一括して納めさせることが多かった。
 惣領は数いる兄弟のなかから嫡出の長子が指名された。これは、先祖の祭祀という責を負うことと、勢力を保持する意味でもより正統のものが選ばれたのであろう。

そして、惣領は代々の苗字を名乗り、分家した庶子らはそれぞれ分割してもらった土地の名を新たに名乗り、多くの苗字が生れた。
それは、家紋の場合も同様で、惣領家の紋に丸を付けたり、四角を付けたりして惣領家のものと区別していた。

 時代が下ると、庶子に分割する土地も少なくなり、「惣領制」は御家人らが窮迫する一因ともなった。
さらに、時代が変化していくと、強力な統率力と指導力をもった惣領が求められ、
たとえば、南北朝期における肥後の菊地氏にみられるような庶子家から惣領になる者もでてきた。

 鎌倉期から室町期をみた場合、多くはさきに出た「惣領制」にならっている例が多い。惣領制が崩れるのは、やはり戦国時代に至ってであろう。


 江戸時代にいたって、百姓らが苗字を名乗ることを禁止されたのは、惣領制と関係があった。つまり、分家して新たに苗字を名乗ることを禁止されたわけだ。
ここに、苗字がある意味で土地と不可分な関係であったことが分かるのである。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 20:34:19 ID:omzYDBj10
どう時代が揺れ動こうと、
我々の正義は、何一つ変わる事はない。


悪は即ちに斬つ、

すなわち、
「悪・即・斬」、

それが俺たち新選組だ。
518名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/18(土) 21:41:47 ID:gqkqiKST0
何が言いたいのかさっぱりわからん・・・・
519名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 00:35:31 ID:d1NxqMx20
2chの発言が全て本当だとは思わないが
よい意見もあるし、実際会津ヲタを薩長ヲタが論破して
会津ヲタが話しの流れを変えたり、一方的に「チョン」という
差別用語を苦し紛れに、使用してる様も事実なわけ。

幕末板が荒れるのは、基本的に会津ヲタのファビョリが原因。
その根本にあるのは、福島恨人史だと思うけどね。
福島の恨人たちが、長い年月をかけて、中国や朝鮮のように
歪曲宣伝戦を展開せず、昔の歴史として受け止めてれば
遺恨を面白がるような人間達が、沸いたりしないわけだしね。
520名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 00:41:46 ID:u5zNkl4MO
実際は禁門の変の後ですら
京では長州人気は高かったらしい
521名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 00:57:05 ID:PUmlnTrc0
長州や土佐の侍は京で好かれていた。
薩摩の侍は田舎臭い上に荒っぽいので「薩摩っぽ」と呼ばれていた。
明治になって警察官に元薩摩侍が多くいたので、この「薩摩っぽ」
から警察を意味する「マッポ」というスラングが生まれた。
新撰組は京では評判が悪かった。壬生に屯所があったので
「壬生狼(みぶろ)」と呼ばれていた。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 01:01:06 ID:u5zNkl4MO
新撰組はたしかに当時は人気なかったみたいですね。
まあヤクザですから。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 01:02:48 ID:u5zNkl4MO
長州の男は京都でモテモテだったらしい
524名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 01:41:24 ID:PUmlnTrc0
京都の霊山護国神社(明治天皇の詔勅によってできた日本初の官祭招魂社で、
靖国神社より前からある)には志士の墓が多数ある。
525名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 11:22:40 ID:89lGc2j30
志士が人気だったとか、会津ヲタからするとムカつくんだろうなw
526名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 00:21:59 ID:A/PaCNPs0
>>519
>よい意見もあるし、実際会津ヲタを薩長ヲタが論破

 そういう本当に解っている薩長ヲタは、お前のように「チョンネタ」など使わない。
そんな低俗な煽りなど用いずとも堂々と論説できる。
 お前は、そういった本当に解っている薩長ヲタの尻馬に乗って低俗な煽りをしているだけだろ
煽りしかできない厨房ごときがエラそうに大言壮語すんな。
527名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 01:20:47 ID:2sdARL0C0
チョンネタを使ってるのは会津ヲタでしょw
論破されたら、話しを変えたり、薩長人を朝鮮人とか言って
罵りだすのも会津ヲタじゃん
528名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 05:06:31 ID:LLB1pHTNO
長州は金使いがよくて京で好かれてた。土佐は知らないけど。
会津も嫌われてないと思うよ。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 07:19:36 ID:kCQIJL7C0
>>527
お前も使ってるじゃねーかw
なに他人事のように言ってんだ
馬鹿じゃねーのwww
530名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 14:58:14 ID:QSIoHm230
>>529オマエの発言の話しの流れが見えない
薩長ヲタが言ってるのは、140年の遺恨は
支那や朝鮮の恨文化・不寛容思想と指摘してるだけで
福島県人を指して「チョン」と言ってるわけではない
逆にオマエは、地域を指して「チョン」と悪口を言ってるだけ
531名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 15:15:23 ID:kCQIJL7C0
>>530
エラそうにほざいてんじゃねーよ
俺がいつ地域を指して「チョン」と悪口を言った?
俺が言ったのは、お前が低俗なチョンネタでしか煽っていないって事だ
その程度の読解力も無い馬鹿は、黙ってろ!
低俗な煽りだけで、綺麗に会津スレばかりをあげて並べて喜んでいる厨房がエラそうに語るな!

はっきり言っておくぞ。
お前は薩長ヲタの尻馬に乗っているだけの「低俗煽り厨」だ。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 19:00:26 ID:6o0n8oIA0
結局、会津人は誹謗中傷を重ねた挙句、
その罪までも他人にかぶせて正義気取り、ってわけ。
533名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 22:11:54 ID:UaZ3QhBeO
>>528
会津は微妙。警察だからね。
しかもヤクザ(新撰組、コテツ)使ってるし。
534名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 01:33:41 ID:3PtFBKh+0
ここのスレレベル低すぎ
そもそも維新が成功した一番の理由は、幕府が開国後巨額の詐欺にあったのが原因だ。
開国して馬鹿みたいな交換比率で金銀流出させて、元々苦しかった財政を更に悪化させて
自己崩壊したに過ぎないのだ。
あんな開国後の騙しに簡単に引っかかった幕府がいかに無能で間抜けだったがわかるだ
ろう。
薩長は関が原以後、決して魂まで江戸に服従する事無く、独自の考え国家論の元自助
努力していたからこそアホな徳川幕府の体制に終止符を打つことが出来たのだ。
そして封建体制を終わらせ、誰でも能力があれば国政に参加できる国家を造ったのだ。
思想クーデターではなく、あくまでも外国の軍事力と幕府の財政状態という2つの要因が
国内の危機感を高め、結果的に幕府が自業自得の理由で崩壊したに過ぎない。
535名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 01:56:27 ID:OxW/bNXWO
アメリカをはじめとする欧米列強と外交交渉をはじめたとたん、
瞬く間にメチャクチャな内容の不平等条約を締結し
日本国の国富(つっても当時は貨幣金属くらいだが)を
すべて国外に流出させるようなとんでもない巨額詐欺に引っかかった幕府。

「日本は徳川幕府の下で民主的な平和主義国家を歩むべきだった」なんて
言ってる奴は、いったい何の漫画・小説・映画で歴史を学んだの?
536名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 13:59:05 ID:Jq9SMKdO0
自分達が支持してる幕府や会津を正当化したい人々の歪曲発信じゃない?
537名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 16:05:50 ID:lihwT76kO
>>533京都は薩摩、長州、土佐の志士だけじゃなく他のいろんな藩
から来ててそういうのは大抵ただ悪さしに来てただけで治安が悪かった。
会津が来て一時は治安が良くなったんだから評判悪くはないだろ。
538名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 17:07:49 ID:Jq9SMKdO0
名ばかりの志士だけでなく
思想が違うというだけで
虐殺しまくったからじゃない?
539名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 17:47:59 ID:kZGrCk2u0
明治維新の前夜、会津若松で激しい戦闘がありました。
薩摩、長州の両藩を主力の薩長新政府軍と、
会津藩を含む奥羽越列藩同盟軍が戦った戊辰戦争は、
会津若松城下の戦いが最大の激戦となり、
白虎隊ら多数の会津藩士が命を落としたのです。
会津藩の死者は数千人ともいわれ、戦闘は残酷を極めました。
その怨念は深く、百三十数年以上たった今日に至っても関係修復は図られていません。

以上は某作家の発言だが、会津の被害ばかりで
相手側の被害には触れていない。
今日に至っても関係修復は図られていないというが
関係修復を拒んだのは福島恨人の方である。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 00:32:42 ID:2h9fbL3X0
■9・15 リチャード・コシミズ東京講演会
 アジアの平和に必要なのは何か?
 911謀略を解明し、極東戦争を阻止する
http://www15.ocn.ne.jp/~oyakodon/newversion/9_15tokyo.htm 

■主  催 DAYA・SAGARA & 独立党
■日  時 07年9月15日 (土) 13:30〜16:30
■場  所 東京ウィメンズプラザ (東京都渋谷区神宮前5-53-67)

電話 03-5467-1711(代)   FAX 03-5467-1977
●交通:渋谷駅から徒歩12分、地下鉄表参道駅から徒歩7分。国連大学のとなり。
http://www.tokyo-womens-plaza.metro.tokyo.jp/

2月17日リチャード・コシミズ東京単独講演会ダイジェスト版
http://video.google.com/videoplay?docid=-7654256446381089725
541名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/22(水) 15:49:06 ID:31ErOl0o0
長州様、薩摩様、陰湿で執拗なチンカス会津を撲殺して、東北を救ってください
542名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 00:17:12 ID:nfMujVp00
↑俺は会津叩きで必死に会津スレをあげまくっているお前の方が陰湿で執拗なチンカス厨房だと思うがね
543名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 00:26:18 ID:mOl+rxLo0
>>542
会津人は、捏造を並べて他人を誹謗中傷しているのだから、
会津擁護の人間の「お前の方が陰湿で執拗なチンカス厨房だと思うがね」
544名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 13:03:13 ID:wcadX7Wn0
>>542叩かれる理由を考えよう!
どのスレも、会津に対する単なる詰りは少ないぞ。
オマエのような会津ヲタに対する誹謗が多いのは
オマエ等が根拠もなく、薩長土肥を詰る所以だと、いい加減で気づけ
545名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 17:26:58 ID:+zssPBuD0
薩長はたしかに軍事クーデターを起こそうとしてたよ
でも、ただ坂本が出てきて大政奉還させたから形的にちょっとずれただけ
546名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 20:39:00 ID:BieU+nj60
>>544
悪いが俺は会津ヲタじゃねーんだよ
これでもアンチ会津として星亮一や早乙女を叩きまわり、会津馬鹿から薩長厨房と呼ばれているがね
だがな、俺はお前のように会津スレとみれば荒らしまわるほど迷惑厨房ではない
お前が馬鹿で低俗な「会津馬鹿と同レベルの嘘と捏造で薩長マンセー会津叩き」を見ていると、
会津ヲタもイタイが、会津を叩く薩長ヲタも同レベルでイタイなんて言われ、かえって会津叩きしづれーんだよ
いい加減、会津スレ無差別コピペ荒らしやめたら?。
お前をそこんまで必死にさせる動機が何なのか知りたくなってきたよ
学校で会津出身者に苛められて、普段は悶々と過ごしているとかwww
547名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 21:45:04 ID:mOl+rxLo0
根拠のない誹謗中傷を行う会津人に批判が集まるのは当然のこと。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 21:51:43 ID:K2SaaGRd0
>>1-547
お前ら、本当に「学問」の意味がわかってるのか?
客観性はなかなか身に付けられなくとも、それに代わり得る
「大らか」という国民的な観念ぐらいはあるはずだろ?
薩長だか会津だかの観点に立つんじゃなく、中和を経りとすべし。
近年ではこんなことがあった。
ラテン哲学界の大物サラ=モランが、
西洋啓蒙期の著名な学者たちが黒人奴隷に対しての態様を
描いた『黒人法』は売れた。
しかし、ルソーやヘーゲルの冷酷といえる
ほどの無自覚さに対する氏の憤激が客観性を欠いているとして
学者からは無視された。
日本風にいえば、「ざえはめでたかったが、やまとごこころが足りなかった」
ということだろう。
どんな義憤があろうと、学問をするからには客観性を保つべきだ。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 21:53:47 ID:mOl+rxLo0
無関係な哲学を押し付けて議論をゆがめるのは、名古屋の会津厨の悪癖です。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 22:05:34 ID:K2SaaGRd0
>>549
俺は会津厨でもなければ、名古屋人でもない。
俺は一現代人に過ぎない。
それに哲学は大論理学で、諸学の根源だろ。
少しは人の話に耳を傾けなさい。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 22:51:18 ID:mOl+rxLo0
>>550
嘘つき発見。関係のない哲学を振りかざし、会津の捏造を糊塗することが異常でしょう。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 23:20:41 ID:K2SaaGRd0
>>551
>嘘つき
の論拠は?
>関係のない哲学
関連性がないといえる論拠は?
>会津の捏造を糊塗
私は上記二文でそういった趣旨の発言はしてないのだが、
言いがかりをつけるのなら、
君がなぜそう思うのかをきちんと論理的に分析した過程を
示すべきだ。
553名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 23:23:56 ID:mOl+rxLo0
このように、嘘を並べて会津への批判を糊塗するのが名古屋の会津厨房の手口です。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 23:28:38 ID:xTnl2KIZ0
なんで名古屋の会津厨でないといけないのか?
ワケガワカラン。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 23:46:56 ID:mkdbo7Gh0
ぶっちゃけていうと両者とも
「おまえ嫌い」
ってことだね。
556名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 13:54:34 ID:NbXkseYf0
客観的にみろよ。100歩譲っても、会津に勝ち目はない。
557名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 14:53:18 ID:k2l89kDr0
会津が負けたのは幕府に見捨てられたから。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 19:52:49 ID:5+do1/RW0
つか、慶喜も勝も「恭順」と言っている。
徳川家に逆らったのが会津なんですがw。
世が世なら謀反って言わね。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 01:28:01 ID:7zFsCh5W0
見捨てられなくても、奇兵隊を前に、惨敗した幕府の大軍なんか
あまりアテにはならないと思うのですが(^^;

鹿児島や山口の人は、基本福島なんて眼中にないんでしょうが
ああも執拗に、目の敵にされたんじゃ、ウザクなるのは必至なのでは?
お互いが「ぶっちゃけ嫌い」なのは、会津側の執拗な宣伝戦あっての事だと私は思います。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 02:30:21 ID:R3XJzzzU0
薩長の人間の会津に対する関心は沖縄県民以下

2007年8月9日(木) 星亮一オフィシャルサイトアクセス解析!
当ホームページの都道府県アクセス数ランキングを、事務所のスタッフが解析した。
順位は以下のとおりである。

1位 福島県
2位 東京都
3位 新潟県
4位 宮城県
5位 栃木県
6位 埼玉県
7位 神奈川県
8位 青森県
9位 山形県
10位 長野県
11位 愛知県
12位 三重県
13位 広島県
14位 岩手県
15位 沖縄県

やはり圧倒的多数で地元福島県が1位である。40パーセント近い。

以下、東京、新潟、宮城、栃木、埼玉と続く。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 13:20:11 ID:1P8hZgU60
>>1
そのクーデターのおかげで、ほぼ唯一植民地にならず、自由と民主主義を謳歌する
近代国家のひとつになれたんだ。文句あるか?
562名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 13:30:20 ID:KJVr579W0
>>561
まあ結論はそうだね。そこまでにいきつく過程でいろいろなドラマがあったわけだが・・・
義に殉じたもの、あるいは最後まで信念を貫いてしんだものもいるから、日本が近代国家に
生まれ変わったのも封建制度を全部会津が背負ってなくなったっていう論理もあるだろう。
563名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 13:53:00 ID:c8KVoqOg0
>>562
 理論が強引杉る。
 その理屈は小説や漫画でなら通用するが、政治学や歴史学では通用しない。
 感傷で屁理屈を述べるのはやめてもらおうか
564名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 14:28:08 ID:RQxPsiJW0
会津が全部何を背負ったって?
565名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 01:21:11 ID:J73bezmW0
あいつらは、単に右往左往して榎本武明や土方歳三の戦力を削ぐ事に加担しただけだ。

ただのお荷物といってほかにない。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 01:27:09 ID:ksdGwwOJ0
>>561-562
理屈云々つうか、お前ら薩長・会津厨って
ディアレックとレトリックという大前提を理解してないじゃん。
五十歩百歩ww
ここは隔離板か?
567名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 14:09:50 ID:yFkjG/Bt0
>>563
冷静な論議できないものかね。小説や漫画では通用するがって・・・おまえは何を知ってるの?
まず近代日本をつくったのは薩長。これにどのような反論があるのか具体的に示せ。
義に殉じた会津。これにも反論を具体的にくれよ。>屁理屈をやめろ?理屈なんてどこに
書いてるの?おまえ理屈って文字。広辞苑で調べろよ。既に歴史の一部となっている事象にこういうことを
書いていけないの?それに偉そうなことをいってる割には自分の考えは何一つ書いてないが・・・
>>564
おまえは論外な奴か?どうせ会津厨とかで終わらせる議論のできない奴なんだろうな。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 20:38:36 ID:9QQ/11ku0
>>567
厨房相手にすんのはやだなぁw。お前もどうせ途中で逃げ出すんじゃないのw
いいよw。反論してやるよw。

>義に殉じたもの
 義とは何を指すのか?
 徳川の忠義に殉じたとするならば、徳川家は「江戸で恭順」している。
 徳川家恭順後に戦いを継続した会津藩は徳川家の意思を無視しているので「忠義」ではない。
 大鳥圭介や土方歳三もまた恭順せず「徳川家を脱走」したので「忠義」とは呼べまい。
 また、「義」を「正義」とするならば、「会津の正義」とは何か?
 所詮、「薩長に対する憎しみや意地」に過ぎまい。
 武士の正義とやらの為に戦争した結果、会津の領民や農民はどうなったか?
 戦火に家を焼かれ、田畑を踏み荒らされただけだ。
 戦後彼らは生活が出来なくなり、ヤーヤー一揆を起こしている。
 領民を守るのが領主の務めならば、会津は正義とやらの為に己の務めを放棄した。
 非常に身勝手な正義だ。ちなみに、薩長にも彼らが掲げた「正義」がある。

>最後まで信念を貫いてしんだ者
 「信念」とはなんだ?これも「義」同様中身が示されていない。
 所詮これも「武士の意地」といった下らない感情を美しく「信念」と言っているに過ぎないんだろw。

 どれもこれも「感傷」から出てきた言葉で「中身」が無く、単に小説や漫画的な「判官びいき」を誘うものでしかない。

>近代国家に生まれ変わったのも封建制度を全部会津が背負ってなくなったっていう論理もあるだろう
 ハッキリ言っておくぞ。それは屁理屈に過ぎない。
 なぜならば「封建制度」は「大政奉還」とそれに続く「江戸無血開城」により徳川幕府か完全に滅びた時点で封建制(正確には幕藩体制)は終わっていた。
 その後に戦った会津藩などは単なる抵抗勢力であり、明治政府から見ればただの残敵掃討戦だ。
 会津藩が自ら封建制の継続という目的で戦ったのならいざしらず、武備恭順とはいえ恭順姿勢を示していた。
 これは明治新体制を受け入れる準備があったからで、会津藩は「封建制の継続」を目指していない。
 つまり、会津藩は「明治政府を受け入れても良いが、薩長に好き勝手にされたくない。だから条件付で恭順しようとした」のだ。
 だから「封建制度を全部会津が背負ってなくなった」なんてどこを掘っても出てこないw。
 ついでに言えば「封建制」が消えるのは、明治の廃藩置県まで待たなくてはならない。会津戦争が終わった後も封建制は続いていたんだよw。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 20:59:06 ID:GN/pcMhM0
でも、そんなの関係ない♪ でも、そんなの関係ない♪
570名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 15:20:30 ID:EHqd1EUk0
とりあえず言うけど
毎度会津ヲタが発言して
薩長ヲタが反論して
会津ヲタが話しを変えたり
詰りに転向するんだよ
パターンだね
571名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 21:35:10 ID:iewK6TvF0
だって、彼らにはもう何もないんだから。
572名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/28(火) 23:47:15 ID:zjT0qaaw0
>>568
>厨房って・・・そういうレベルの低い言い方はやめたら・・・お前の品格と人格が
よくわかる。精神年齢も・・・
義に殉じたという概念、それは受け取り方によるだろ。最初京都守護職を受けるのを
最後まで、固辞しながら結局会津の家訓により、受けざるを得なかった。
新撰組という庸兵を用いて、西国脱藩志士を弾圧し憎しみを一身に背負った。
別に私は鳥羽伏見以降のことを限定的に語っているわけではないのだよ。

だからといって薩長が近代日本をつくったのも認めるし、幕府のままだったら
欧米の植民地になっていた可能性だってあるしね。
最後におまえ、厨房とかヲタとかそういう単語使って生意気なこと語ってるんじゃあないよ。
573名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 14:19:34 ID:LACxFgs90
京都守護職を受けるの反対した家臣の言葉に耳を向けなかったんでしょ?
容保自身も守護職カッケェ〜とか思ってたんじゃね?w
574名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 16:40:03 ID:PeOhbD/80
>>541
東北は薩長の植民地として救われるが、東北人が救われるわけではない。
本来は東北人は全てジェノサイドされるべき存在だったのに、それが徹底できなかったことが大日本帝国最大の失敗。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 22:36:49 ID:AaE+UEds0
>>537
その新撰組が商店からかねやもの巻き上げて、
乱暴狼藉を働いていたわけだが。
つか横暴な憲兵隊をイメージするとよいかと。

そして志士は京都の人にとっては、金を使ってくれるお客さん。
宮廷工作で、公家に金ばら撒いたりしているので、その公家が豪遊してくれるから、
京都にとってはありがたい存在。
新撰組は、治安を悪化させ、お客様を取り締まる、悪の組織。

これが当時の実情。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/29(水) 22:39:47 ID:kleXE/WY0
>>573
ああいえばこういう。まともな論議ができない。大東亜戦争と異なり歴史の一部に
なっているのだからもっと進歩的な議論ができないのかな?
どっかにこの板はレベルが低すぎって書いてたけどその通りだね。
容保は家臣の意見に反対し、守護職を受けたその通り、だけどその後になんで
>カッケェーとかいうレベルの低い意見が出てくるのだよ。論理的且つ常識のある
意見を書けよ。少なくともここは学術板だぞ。
577名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 00:11:36 ID:oKwQffQS0
でも、そんなの関係ない♪ でも、そんなの関係ない♪
578名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 00:32:46 ID:14eUv5AW0
>>576
以前に俺が書いたと思う。
そのときも議論無視で「名古屋の会津厨」呼ばわりされたしなww
もう相手しないほうがいいよ。
世界史板のほうが、レベルが高くて楽しいよ。
近代史板はイデオロギーに支配された一部の人が、最大に
暴れまわる板なんだろう。
学問的な客観姿勢も、国民性としての「おおらか」により
エッセンシャルにあるはずなんだろうけど、
この板では見受けられない。
ディアレックをもちて話せれば趣深いのだが、レトリックさえ
使えないようなのが跋扈してる。
たぶんここで暴れまわってるような人たちも、
デ・カン・ショも読んだことがない下層・低学歴な
かわいそうな人たちなんだろうよ。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 17:12:51 ID:rk960hf60
この間、合コンで知り合ったオンナが会津出身と聞いて、
その彼女を口説いて、ラブホで変態SEXしたあとに、
「おれ実は山口県出身なんだけど、そこら辺どうっしょ?wwww」って言ったら、
すげえ苦虫をかみつぶしたような顔になって、その後連絡とれなくなった。
いやー、マジ笑えたぜwww
580名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 18:57:35 ID:olQaO8ZJ0
>>572
けっして茶化すつもりはないが、>>568はその前に、あんたが
尋ねたことにきっちり意見を返しているよ。その後の
やりとりは、会津と長州との私怨に見えてくる。そして、
長州〈仮)の>>568は、あなたの歴史小説や歴史評論家が
書くようなことよりもあきらかに水準が上のレスをしてる。
書かれている中身ではなく、厨房とかの単語が気に入らない
だけなんでしょう?無理して突かかるのはやめたらどうだ。
中身でやりとりしなよ。
581名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 19:28:12 ID:14eUv5AW0
>>580
572の味方をするつもりはないが、
>中身ではなく、厨房とかの単語が気に入らない
言語の表象も知らないんだろうなぁww
ほんと、デ・カン・ショもヘーゲルも体系的に勉強したことがない
可哀相な人なんだなww
たぶん、こんな奴にラネカーの胎胚文法やチョムスキーの認知文法
を説いても無駄だなww
まぁ莫迦は一生、イデオロギーに取り憑かれたままトートロジーを
繰り返してろよww
582名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 20:35:01 ID:Vdj2SbOp0
>>581
>言語の表象も知らないんだろうなぁww
デ・カン・ショもヘーゲルも体系的に勉強したことがない
可哀相な人なんだなww

>たぶん、こんな奴にラネカーの胎胚文法やチョムスキーの認知文法
を説いても無駄だなww


そうですか、言語の表彰ってなんですか?
(ソシュールはゼミで一般言語学講義を原書で読みました。)
それが、ドイツ観念論の哲学とどういう連関があるんですか?
チョムスキーの認知文法?独自の変換理論、生成文法は学部の時に
勉強しましたが…。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 20:39:39 ID:Vdj2SbOp0
書き忘れ、ラネカーが認知文法と呼ばれているのではないですか?
584名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 21:15:49 ID:wjieOWno0
結局嘘を哲学の単語で押し付けようと狙っているだけか。
この手口は名古屋の会津厨房そのものじゃん。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 21:27:15 ID:sEh+XabJ0
>>584
そのようだ。言語学は勉強したからどんなことレスするか楽しみ
586名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 22:10:44 ID:FIblwBQm0
>>581
>まぁ莫迦は一生、イデオロギーに取り憑かれたままトートロジーを
繰り返してろよww

↑どういう意味ですか???力んで渾身のレス希望します
587名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 22:42:35 ID:JLdTBOCD0
哲学薀蓄、ウンチは逃げたのか???
588名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/01(土) 19:57:16 ID:mHysvjM90
名古屋の会津厨房、おととい亡くなったそうです。合掌www
589名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 00:38:39 ID:5IYoPu9S0
>>1
明治維新とは、会津を蹂躙して焼き払い、武家は全部ぶっ殺!!することだ。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 12:50:46 ID:iPzqVfWl0
明治の革命の真実を述べます。出典は記さないが古典から海外著述まで調べれば
了解されるでしょう。
「明治維新は英国では革命と呼ばれ、英国の主導で行われた。英国は日本人のみ
の力で革命を成し遂げたように見せるため、十分注意しました。なぜ朝鮮や台湾
などではなく日本がアジアで近代化されることになったのか?
朝鮮は小中華で容易に指導できない。日本は島国で世界の情報にも疎く、なにより
売国奴が多くいるのでコントロールしやすい。英国に目をつけられたこのときから
日本の運命は決まったのです。英国の命令に従順なときは戦争にも勝てたが、独自
路線を歩み出してからは敗戦に向かい転落していきました。
戦前からの売国奴は敗戦後英米に隷属することで、自身の特権と資産蓄財を護持
することにし、庶民を骨までシャブルことに何ら良心の呵責を感じないクズ人間
です。政治屋や官僚、財界人は自己の蓄財のみが生きがいです。お受験も優秀な
人間を作るものではなく、卑屈で幼稚なクイズ人間増やし、国全体が学校化して
しまいました・・・





591名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 14:57:32 ID:u/W3qd2x0

明治維新は日本の絶対王政の時代の始まりだと、高校の授業で習った私が来ましたよ。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 21:05:24 ID:OXyGVijy0
武家の終わりだよ。白虎隊の隊士の首を晒せ。近藤にはハラキリも許さん。自由、平等な明治大帝のご親政がはじまるっちゃ。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 23:18:40 ID:TuJ3YWkY0
>590
へぇそうだったのか
副島隆彦っていうなんかへんなひとがとなえていたせつとにたようなはなしだね
594名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 18:04:49 ID:mLBhNGq70
>>590
笑止というほか言葉が見つかりません。

>日本は島国で世界の情報にも疎く、なにより
売国奴が多くいるのでコントロールしやすい。

オランダから詳細な世界の情勢については、情報を得ていましたが?
ご存知ありませんか?それから、売国奴が多くいる、とのことですが
誰ですか?具体的な名前を書いてください。それで、あなたの売国奴の
内容が知れますから…。

>英国の命令に従順なときは戦争にも勝てたが、独自
路線を歩み出してからは敗戦に向かい転落していきました。

後付の講釈ですねぇー。

>戦前からの売国奴は敗戦後英米に隷属することで、自身の特権と資産蓄財を護持
することにし、庶民を骨までシャブルことに何ら良心の呵責を感じないクズ人間
です。政治屋や官僚、財界人は自己の蓄財のみが生きがいです。お受験も優秀な
人間を作るものではなく、卑屈で幼稚なクイズ人間増やし、国全体が学校化して
しまいました・・・

↑全体の論理が飛躍し過ぎていて、あなたの妄想をいいたかったことがよく分かる
内容ですね。
595名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 17:39:18 ID:bcZ2uMXS0
いつまでも悔しがってるから
インチキ観光とインチキラーメンしか
産業が無いんだなぁ〜あの土地は
596名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 20:32:34 ID:RE3/Ytv70
いえ、10年前に駒ヶ根から伝授してもらったのに、
今やテレビ局で大っぴらに「会津が元祖です」と言い張っているソースカツ丼もあります。

あれも、会津若松商工会による他地域からの強奪品なのです。
駒ヶ根住民は会津人から「会津が元祖だと認めろ」と嫌がらせを受けており、いい加減頭にきています。
597名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 16:11:21 ID:r7Fr5liK0
福島人の行動は朝鮮人や支那人の行為に近いよね
598名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 18:02:36 ID:onfkA0ZdO
本当は島津家は征夷大将軍就任を
狙っていたかも
599名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 18:24:31 ID:7ilrXput0
いかにせん、それはないよ。
島津家は、家と家では徳川と濃いしね…
600名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 19:42:57 ID:onfkA0ZdO
徳川と濃いて
儀礼的なもんだろ。

島津源氏のがエセ源氏の徳川より
将軍にふさわしいのは当たり前。
601名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:27:32 ID:xiKth37e0
>>600
わかった、わかったよwww
明日の朝まで、100くらい書いてろ、な
602名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 20:52:44 ID:LtktiHgx0
13代将軍の奥さんって・・・確か薩摩のw
603名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 00:02:12 ID:e6enMmrK0
>>600
徳川家の先祖は
もともと信濃の盗賊だもんなw
なーにが清和源氏だw
604名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 02:13:25 ID:mKZFoZI5O
ここにカキコミしてるみなさんは、大学とかで近代史を勉強したもしくは勉強している方々なんですか?
それとも単なるオタの集まりなんでしょうか?
605名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 11:34:58 ID:44nVpsxc0
星氏の研究会って今更何を研究するの?
俗説・フィクション発信はもう十分では?
606名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 15:28:39 ID:06U6fQdL0
島津家は惟宗氏
607名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:33:13 ID:ckPLcLEm0
とことん姦れ とん殺れとん姦れな♪
608名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 20:44:14 ID:unnREjJB0
>>605
星の戊辰戦争研究会が目指しているものは、
山口県と鹿児島県および日本政府の会津に対する公式的な謝罪と
教科書に「会津は被害者です。本当は正義のヒーローなのです」と入れて、
子供たちを会津贔屓史観に洗脳し、星氏の本が聖書のように恒久的に売れ続け、
ひいては、その馬鹿弟子ども戊辰戦争研究会会員が書いた本が売れて大金をゲットする事。
だから、彼らは研究などせずひたすら書き続けるのさ。宗教の定期雑誌のようにね。
609名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 13:14:14 ID:8N6w5xlK0
>>608さすが恨文化繁栄の地ですね。
支那や朝鮮とまったく同じですわ…
カルトですね
610名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/08(土) 13:55:54 ID:cPdsHCWA0
この御札には不思議な力があるという嘘で売れば詐欺罪。
この星亮一の本には真実が書いてあると嘘で売っても詐欺罪に問われない。
星は言論の自由があるこの国の盲点をついた美味い商売を見つけたものだ。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 15:15:42 ID:3wpt7g6v0
さすが恨人の親玉です。
612名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 17:29:07 ID:WMh5YMv30
 安丸良夫著『神々の明治維新』(岩波新書)より

 仏教側の動向のうち、もっとも重要なのは両本願寺である。幕末の政治情勢のなかで、その創
立の由来からしても東本願寺が佐幕的だったのにたいし、西本願寺門末には勤王僧の活躍が顕
著だった。後者の中心は長防グループで、西本願寺の重要な拠点である長防二国には、長州藩
の尊攘倒幕派と結んで活躍する活動的な勤王僧が輩出したが、こうした動向は、やがて西本願寺
を幕末の政局にひきこんでゆくことになった。とりわけ、鳥羽伏見の戦いにさきだって、慶応三年十
二月二十六日、門主広如が参内を命ぜられ、新々門跡の明如がかわって参内すると、西本願寺
は朝廷方を構成する勢力の一部となった。鳥羽伏見の戦いにさいしては、西本願寺は御所猿ヶ辻
の警備を命ぜられ、武装した僧侶百名余が御所を固めるとともに、諸国門徒に出京を求めた。
 これにたいして東本願寺は、鳥羽伏見の戦いが朝廷側に有利に展開しそうなのを見て、あわてて
忠誠を誓った。戦いがはじまる直前には、東本願寺は、戦火を避けて山科へ退去する予定だった
が、正月三日の深夜に門跡宏如が参内し、翌々五日、 「徳川家由来之義ハ軽(かるく)、天恩の義
ハ重ク候辺、決而(けっして)心得違 申間敷(もうすまじく)候」 (『東本願寺資料』)と誓って、朝廷側
についた。両本願寺が朝廷側に加担することを定めた日時は、ほんの数日の差にすぎなかったが、
そこに介在していた政治的姿勢のちがいは大きく、東本願寺側には、薩長を簒奪者と見る者が少
なくなかった。しかし、こうした政治姿勢の相違にもかかわらず、両本願寺が朝廷に忠誠を誓ったこ
と、とりわけ膨大な献金をおこなったことは、まだ権力基盤の弱い維新政府にとって重要であった。
(P76・77)
 いくらか異なった視角から考えてみると、真宗は神仏分離やのちの寺領上知の影響をほとんどう
けなかった唯一の宗派であった。また、両本願寺門末の長防グループと長州閥との結びつきを通じ
て、新政府首脳との意思疎通のルートももっており、発足当初の維新政府への多額の献金も、真宗
の立場を有利にしていた。こうした諸事情のため、神道国教主義的な風潮がつよまっても、真宗の
勢力はかならずしも衰えず、信仰的には明治初年はむしろその昂揚期にあったものと思われる。
(P81)
613名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 20:03:52 ID:MiQxSqOn0
140年前の事を謝れ!ってどんだけ狂ってるんだ…orz
しかも謝ることなんぞ、ないわ呆けェ!!
614名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/10(月) 21:00:36 ID:9vUqLqN+0
今の山口人が今の福島人に謝るの?

なんで?
615名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 16:55:08 ID:wuLfFqa40
バカなんだよ、福島県人って。
普通、昨日のことでもしつこく言われたらウザイでしょ?
それを140年も言ってるんだぜ。キチガイ以外言葉が見つからないよ。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 17:36:19 ID:saGiY/+LO
バカはお前だろ。会津人と他の福島県人を一緒にするな
会津だけがそうやって恨んでいるだけであって他の福島人には関係ない。
617ドードー:2007/09/11(火) 21:46:16 ID:MHnUHIpJ0
明治維新は日本の市民革命です。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 01:53:59 ID:xDC7CGk60
だったら何とかしろよ。オマエと同じ県の奴等のやってる事だろうが。
619名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 13:06:05 ID:5+++5flFO
言っていうこと聞く奴らだと思うか
だいたいおかしいんだよ遺恨遺恨って言っておきながら、それを売り物として観光業が潤ってる。
結局金のために遺恨っているようなものだ
それに星とか会津厨の史家もいいかげんにしろ
お前らが故意に会津を美化するせいで、バカで日本史も知らない会津厨が増える
そういう奴らが日本史知ってるかのように知ったかぶりをする。もう嫌だ
620名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 13:22:28 ID:xRvSuauc0
明治維新は東洋のフランス革命
621名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 13:58:28 ID:JYVLe7kxO
会津兵って戦国時代みたいに敵の首切り取って腰にぶら下げてたの本当?
622名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 20:32:48 ID:lVjHgyAQ0
>>621
そもそも会津兵は腰にぶら下げる首を取っていないぞw
最初から最後まで負けてばっかりだったんだからw
623名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 20:53:24 ID:7q6wgkfD0
6年ときめき学習
http://www.gyonin-e.fks.ed.jp/school/sougou/H15made/g6.html
会津がせめられたわけ
薩摩・長州・土佐が手を組み、会津は薩摩にた
だ使われているだけだと思いおこります。その
ころ会津は新選組の親玉のようなそん在で長
州・薩摩・土佐は力の弱まっていた江戸をせめ
ようとしたが江戸の殿様が戦わず、にげたため
に、新選組の親玉、会津にめを向けました。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:13:04 ID:Ku+vL8XP0
>>622
会津武士は、鉄砲で負傷すると直ぐ切腹したので、
介錯の度に残りの人間が味方の首を運ぶことになりました。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 21:27:46 ID:JobT6UfD0
>>624
>会津武士は、鉄砲で負傷すると直ぐ切腹したので、

会津武士だけでなく、鉄砲で特に腹を負傷すると手術など出来なかったので、
切腹したが、正しい。
626名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 22:49:25 ID:Ku+vL8XP0
>>625
いいえ。
会津武士の切腹は、新撰組隊士の回想でも「困った性癖」として書かれています。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/13(木) 18:50:42 ID:LrUFfaOd0
>>626
その文献をお知らせください。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 10:49:46 ID:/0jShxso0
>>622
会津藩士は首取りしてたんだけど、首取りの最中でもお構い無しに官軍は
ドンドン射撃してくるので被害者が続出し、"首取りならず"と幕営で禁令
をだしたほど。

武士の作法も洋学薩長は無視したんだな。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 16:11:05 ID:gLrfH+T00
会津が明治維新でここで露出しているくらい重要だったとは
思えない。政治史としてみると慶喜の能力・孝明天皇・徳川譜代vs薩摩京都藩邸+長州…龍馬他の志士等々
についてもう少し議論を修正し読みたいんだが…。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 16:56:07 ID:f8jO5otCO
>>629

>〜〜もう少し議論を修正し読みたいんだが…

例えばどんなふうに?
631名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 17:16:44 ID:I9VRuSh00
>>630
いやさ、会津はどうのこうのとかの話は、会津のスレのどこかで
やってくれればいいから、明治維新の性格について例えば維新へ繋がる
「一会桑政権」と新撰組や江戸の幕府の老中との関係や、薩摩の京都藩邸および長州と志士らの
複雑な絡まりを自由な視点での意見のやりとりを読んでみたいということなんだけどね
632名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:00:55 ID:f8jO5otCO
>>631
う〜んそういう話し合いは難しくないかなあ。このスレやいろんなスレ見るけど、やっぱり煽りが多いし…。
それに中途半端に話し合いすると、学生か知らんけど知ったかぶりの人間がお前ら馬鹿だなって言って、
なんだか大学でやる講義のような意見言ってくるからね…。
まあ俺はただの幕末厨だから話し合いにならんし…。
633名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 18:06:26 ID:TOEkoqfX0
>>631
レスありがとう!そうだね確かにそうなりそうだ。
ただ幕末のこんがらがった道のりの果てに、維新が生まれたわけだから
そのように玉石混交で自由な意見のやりとりが出来ればいいなぁーと
期待したんだけど…。
634名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 20:26:03 ID:f8jO5otCO
>>633
ただの幕末厨の戯言として聞いてほしい

明治維新についてなんだけど、これについてはある有名な先生がもう研究しつくされているって言ったことがあるそうだ。
確かに考えてみると一会桑や慶喜、薩長などの研究書がたくさん出ている
ように感じる。
でもこれはあくまで俺の考えだけど、幕末の諸藩についてはまだ重要な部分があると思う。

例えば幕末の四賢侯の一人と言われた伊達宗城の宇和島藩について。
他の三侯の藩については有名な志士や人間が出ている。薩摩は大久保や西郷など。土佐は坂本や武市。
越前は横井などいるけど、宇和島だけが分からず、藩内の動きもいまいち分からない。
また一会桑の桑名の藩内についてもよくわからない。

その他にもいろいろと幕末で重要な位置を占めた人はいると思うけど、特に藩内の動きって、
まだ分からないことが多いんじゃないかな。
まあそんなの地方の人間が調べればいいと言ったらそれまでだけどさ。
まあ俺が勉強不足ってのもあるけどね…。

でもそういうのって重要だと思ったんだ。一般的に言えば薩長土肥や徳川慶喜、会津。一部の有名人。
それらが広く一般的に知られていて、他の幕末で重要な位置を占めた人や藩ってあまり知ら
れていないと感じた。いかにも上記の人達で明治維新を作り上げたって感じで。幕末や明治維新は
近代日本を作り上げた一つの分岐点なんだからもっと広く一般の人に分かってもらう必要がある。
大学の研究者や教授レベルではなく一般のレベルで…。

以上幕末厨の戯言でした。
>>633が話し合いたい内容とは違ってごめんね。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 18:13:04 ID:knUOV5T00
>>634
>明治維新についてなんだけど、これについてはある有名な先生がもう研究しつくされているって言ったことがあるそうだ。

それはないでしょうね。東大の三谷教授が、一生かかっても読めないくらいの
文献が、明治維新に関するものだと書いているのを読んだことがあります。

>また一会桑の桑名の藩内についてもよくわからない。

「井伊直弼」母利美和著 吉川弘文館2006。参考になるかは
分からないがこれを読むと、桑名藩のアウトラインは
井伊直弼を通してかなり分かると思います。それから
参考文献を読めば、桑名藩のことはあたれると思います。
いい本ですよ、お勧めします。
636635:2007/09/18(火) 18:24:51 ID:XKxw4zFN0
>>634
すいません。分かり難く書きました。

>それから
参考文献を読めば、桑名藩のことはあたれると思います。

それから、巻末の参考文献一覧を読めば、桑名藩のことは
より詳しくあたれると思います。に訂正します。
637名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 21:19:48 ID:ggHBDNJ40
とことん姦れ とん殺れとん姦れな♪
638名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 23:16:49 ID:/l0qNzJ10
>有名な先生がもう研究しつくされているって言ったことがあるそうだ。
 たぶんその「有名な先生」が電波なだけじゃね?
639名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 09:41:17 ID:5IRH2NZR0
家近、青山、久住あたりが最近じゃ傑作?
何か評価高い本あったら教えて、単行本かバックナンバーで
640名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 11:08:59 ID:rMXyh1tV0
>>639
京都大学の教授だった、高橋秀直さんを読んでみては
641名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 20:38:50 ID:PajQaKWb0
>>634

坂本竜馬の暗殺の真相なんて、いまだに謎中の謎。
和宮さえ偽者だったのではないかというのに、なにもわかっていないのが本当だよ。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:30:06 ID:rljIc1L/0
薩摩だよ。薩摩にきまってる。
643名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 00:58:46 ID:j1FViFLl0
ソースは?w
644名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 01:26:37 ID:Dx9ZW/fmO
中村半次郎ってのがやったらしい。この前テレビでやってた。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 09:26:04 ID:xMv3Dg7F0
>>644
中村半次郎の日記を調べた研究者は、中村に竜馬暗殺時のアリバイが有る事を見つけ出しているが?
646名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 22:54:18 ID:w+9KtfyU0
松平容保が、怨恨で上坂を使って暗殺したという説もあれば、長州が政策の障害になると殺害した説もある・・・藪の中
647名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/22(土) 22:59:10 ID:dRcKlnwp0
ああ、平成白虎隊。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 02:27:27 ID:SeGNiw580
>>647

賊軍の便衣民兵は、平成奇兵隊に鎮圧させて、三条京阪でその首級を晒して並べよ
649名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 10:55:01 ID:3BlvgJj/0
なんと野蛮な!
650名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 21:38:28 ID:5wf/x5aI0
薄学でスマソだが、以前から持っていた疑問です・・・

幕末時に活躍した薩長土肥などの志士は、そのほとんどが下士、または中士クラス
だよね。明治維新後の新体制の中で、かつての藩主や家老などがしゃしゃり出てきて
西郷・大久保・桂などを押しのけて、新体制の重要ポストに就こうとする輩はいなか
ったの?爵位よりも、実権を握ろうとして・・・
651名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 21:47:06 ID:3BlvgJj/0
>薩長土肥などの志士は、そのほとんどが下士、または中士クラス

んな事ないぞ。
少なくとも長州の桂小五郎、高杉晋作、井上馨は長州上級武士だ。
652650:2007/09/23(日) 22:35:26 ID:5wf/x5aI0
>>651
その3人は比較的、家格の高のほうだと思う。
でも、もっともっと身分の高い領主クラスが後からしゃしゃり出てくる隙は無かったの?

「木戸、これまでの忠義、誠にご苦労であったな。これからの新政府の舵取りは
予に任せよ!」                    by 毛利敬親

                            ・・・てな感じで





653名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/23(日) 22:54:25 ID:gRhajccTO
>>652
藩主クラスの人間は、時代の急激な変化を望まなかったんじゃないかな。

天下をとるというわけではなく、自分達の土地さえ安泰ならよかったんではないだろうか。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 06:03:15 ID:9VSGprdi0
最終結論

勝てば官軍
歴史は勝者の都合よく作られる。


だから、薩長は戦前は英雄視され、戦後は日本を駄目にした落ちぶれた戦争犯罪人扱い
されているんだよ。
事実は、どちらとも違うと思う。
655名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 10:52:08 ID:Uj/T10jh0
自分も薄学で済まないが、
毛利敬親って「中立派で政治ノータッチ」と言うイメージで語られるけど、
明らかに正義派寄りの政治的意思を持つ君主だったんじゃないの?
長州藩の内戦で高杉らに徹底鎮圧の命令を出そうとしなかったし、
反対に高杉たちが騒ぐと坪井や長井を簡単に自刃させているような。

高杉や桂って確かに上士だが、そこまで家禄高くないでしょ
656名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 11:39:53 ID:xUsM20yaO
>>655

>明らかに正義派寄りの政治的意思を持つ君主

そうだろうか?
ではなぜ第一次長州征伐
以降の俗論派の台頭を許したんだ?正義派寄りならどんなことしてでも、
かばうだろうに…。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 14:08:09 ID:8dOmqksU0
長州の二次に渡る征伐の前後に、長州は乱が起こっているんだよ。
武士の権力が著しく抑えられ、民衆達の力が認められるようになったのは
そのため。勤皇志士達の啓蒙が役立ったのと、もともと長州の商工農民の
多くは毛利家臣が多く、安芸から長州に国替えの際に殖産興業で毛利家を
支えてきた為、武家との距離が小さかった。元は家臣であるという点で団
結しうる土壌があった。
武士階級だけでは四境戦争は勝てなかった。長州の商工農の全階級が立ち
上がった日本発の「国民戦争」だったから、武士だけの幕府軍は未知の階
級にとらわれない実力主義軍隊に敗れることとなる。高杉の奇兵隊だ。

もちろんその裏には海援隊の支援があったのだが・・・
658名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 17:07:06 ID:pPO+ROs90
>>655
この時代の出来事は、長州藩一藩の出来事だけでなく京都との関連でみなければ
理解できないと思う。
>>657
奇兵隊か…、高杉晋作と対立したとされる奇兵隊総督赤根武人は
研究が進んでいるのかな?高杉との暗闘は相当のものがあったようだが
ほとんど史料はない。(抹殺されたと田中彰の本で読んだことがある)
維新の出来事は、一面では捉えきれないことばかりだ。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 19:23:42 ID:GCnM6qDt0
あぁ、平成白虎隊。
660名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 20:12:21 ID:QH2soBJl0

こいつは、犬の小便のようなものか?
661名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 21:07:47 ID:xUsM20yaO
なんか会津関係のスレで
平成白虎隊って言葉が目につく。



うざい
662名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 21:24:52 ID:uYu16DXl0
>>655
長州藩主毛利敬親は大飢饉が起こり、藩財政が壊滅的になった際に田村清風を起用し、
陣頭指揮で長州藩政の改革に大なたを振るった。
この時に、保守派(反改革派)と改革派(幕末時代だと正義派)の血みどろの戦いを繰り広げ犠牲者が続出した。
藩主自らが藩内闘争に加わっていた事もあって犠牲者はうなぎのぼりになった。
改革が終わると、毛利敬親は藩政を家臣にあずけ、改革派と保守派が二大政党のような形で、
交代で藩政を受け持ち、毛利敬親自身は二度と自ら進んで藩政に口出しする事は無かったとのこと。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/25(火) 21:26:45 ID:uYu16DXl0
ちなみに、この改革で長州財政は潤沢になり、高杉晋作や井上馨らが京都でお金ばら撒いても大丈夫になったw
664名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 23:42:11 ID:SleDJypS0
まっこと、大丈夫じゃきに。平成奇兵隊と平成海援隊が、会津の坊主共なんぞ全滅じゃきに。また汚いはらわた出させて横死させればええ。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 18:45:34 ID:vwKtBhKM0
もしかして、毛利敬親ってすげえ名君なんじゃね?
薩摩の独裁藩主ばっか評価されるけど・・・
666名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 20:50:10 ID:CEMkTg9V0
あぁ、平成白虎隊。
あぁ、ガダルカナル。
667名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 21:18:52 ID:tvf6jmIm0
スレの流れを読まずに書くけど、明治維新って冷静に考えたらどう見ても革命なのに、
日本だとそう語られないよな。志士とかどう考えても革命家だし。

革命って言葉につきまとうマルクスな臭いのせいかも。

言葉の本来の辞書的意義を考えるとそれこそ本当に「革命」だな、明治維新って。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 22:12:21 ID:qi+Fda1+O
>>665評価されてるって誰の事?斉彬?久光?
669名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 22:13:40 ID:qi+Fda1+O
>>665だれの事言ってんの?斉彬?久光?
670名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:49:37 ID:8kxTg9In0
>>667
辞書的意義だと革命なんだが、西欧のような市民革命ではない。
身分の解体や封建制度の廃止も維新後数年待ってから行われている。
徳川体制は終わったが藩体制は続いている上、王である天皇もそのまま君臨しているため、
革命と呼ばずに維新だとする研究者もいる。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/27(木) 23:56:18 ID:8kxTg9In0
ちなみに、西洋の市民革命は身分の低い人々がぶち切れて反乱→革命となったが、
明治維新は士農工商の中で身分の高い武家(武家の中の身分の低い人も多いが高い人もいた。どちらにしても武士階級)
が自ら革命(維新)を起こした。身分の低い農工商階級は、ええじゃないか踊りとかしてただけだった。
しかも廃藩置県の際は、反乱も起こらず大名自ら藩の解体に賛成した為、外国の歴史学者が首をひねる特異な革命が明治維新だった。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 11:05:00 ID:q8JpJiti0
錦の御旗に脆弱な武士階級
目の前の金に弱い貧乏人
裏で画策する商人
どうにかせにゃならんって一番に考えていたのは徳川だったような気がする
673名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 21:17:24 ID:DwnErDbs0
>>672
そりゃ気がするだけだw
幕府のトップは老中。その老中たちは任期制で譜代大名が交代で幕政を執り行った。
逆に言えば、任期中に問題が無ければ功績となって所領が増えたりする。
だから、彼らはありとあらゆる問題を棚上げにし続けた。
さらに既得権益を守ろうと改革を進めようとする幕臣(有能な幕臣もいたのだが)たちを左遷させたり無視したりした。
腐ってるんだよ幕府は。自己浄化能力が無い。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 10:42:22 ID:4ca8vue00
賛否両論あるけど慶喜の選択は正しかったとおもうよ。
675名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 12:56:18 ID:DIrKc00D0
会津としては、四民平等など到底認めることなどできない。武士だけが武士道たるのである。
676名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 13:16:38 ID:swYM2gxv0
【遺恨民族】中国・韓国・朝鮮・会津【執拗陰険】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1178545638/
677名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 19:58:28 ID:S0gzyKtQ0
>>667-670
欧米の研究者の論文では、明治維新の表記は、Restoration(復古(王政復古))を
通常使用している。
もちろん、革命(Revolution)の単語を当てている論文もある。ただ、どうだろう
最近の日本の政治家が盛んに使用するReform(改革)も近いように思う。
(Reformの表記で書いている研究者もいる)

>>674
>慶喜の選択は正しかったとおもうよ。

何がどう正しかったんですか?明治という時代が開けたから
という大雑把な結果からの議論ならいらないです。
678名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 20:16:44 ID:7dieAGme0
薩長によるクーデターって……。
それに何か不具合があるのでしょうか?
679名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 20:19:17 ID:qkDwAG3X0
>>674じゃないが、俺も慶喜の選択は正しいと思うよ。
徳川家は降伏する事で、結果的にではあるが江戸が焦土と化す事は避けられた。
徹底抗戦なんてしたら会津戦争を上回る戦禍が江戸を燃え尽くしたはずだ。
会津の人口と江戸の人口では圧倒的に江戸の方が多いからな。
まぁ、大阪からの引き方はどうかとは思うが。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 20:46:05 ID:M43Tsf4Y0
>>679
なるほど…。
間違いないことで言えば、決して薩長の勢力と徳川の勢力が
ガチでやれば江戸が焦土と化す前に京都がどうなったかがある。
しかし、その視点からの議論は慶喜が逃げたことで亡くなったので
それがなくなったことが慶喜の判断の是非が<正>になるのだろうが…
681名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/29(土) 23:15:58 ID:w/89DFCs0
本当は、英国やらメーソンやらが指導者。

薩長は脇役。

幕府と上手く結びついた米国との主導権争い。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 01:29:13 ID:+0b4PSi1O
>>680
では逆に聞くが>>680は、慶喜の行動は正なのか誤なのか
どっちの考え方なんだ?
理由も付けて教えてくれ
683名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 06:39:07 ID:+7j879w90
>>682
さぁ、どっちかな…。そんなに力んで聞かれてもな…
684名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 06:45:20 ID:+7j879w90
>>682
人の行動を単純に、正しいとか誤りとかを
二項択一で決め付けることは簡単じゃない。
鳥羽伏見の戦いがなければ、慶喜のその後は全く違っただろうし
ものすごく頭の切れる人だったようだから、まだ分からないことも
多いらしいから…理由までというと分からないなぁ。ごめんよ
685名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 07:22:51 ID:TcxCaWXW0
>>682
行動の正誤にはいろいろな見方がある。
間違った行動であっても「結果オーライ」という事もある。
利潤を追求する商社や建築会社は「儲け」るための行動はすべて正。
しかし、利潤を追求する余り自然破壊や地球温暖化が起こればどうか?。
営利組織としては正であっても、結果的に誤という現象が起こる。
慶喜の行動も同じ。
686名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 15:20:33 ID:+0b4PSi1O
>>684
いやこちらこそ悪かった。ただ単にあなたの意見
を聞きたかっただけなんだ。


>>685
では聞くが、あなたの考え方だと慶喜のどの
部分の行動が正でどの部分の行動が誤なんだ?
687名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 16:47:39 ID:TcxCaWXW0
688名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 17:14:22 ID:+0b4PSi1O
>>687
つまり、徳川家が早期に降伏したことにより、
江戸での幕府と薩長との衝突がなくなったことが正しい。

大阪から慶喜が逃げたことが誤りといいたいのか?
689名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 17:26:33 ID:TcxCaWXW0
おおよそそうだ。
ただし「大阪から慶喜が逃げたこと」も正しい
結果として大阪での騒乱が最小に押さえられている。
しかし幕府という巨大組織のリーダーとして、兵の撤退処理などなんの指示も出さずに逃げた事は、リーダーとしては誤りだろうね。
690名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/30(日) 19:43:24 ID:RN0rRZ8W0
>>686
>ただ単にあなたの意見

ちょろっと書けば、
・慶喜が将軍になってからの幕政改革は、薩摩京都藩邸のスタッフおよび長州の木戸が
 その対応に、討幕を早めるしかないと判断させるほど急激に内部の軍制改革をやっていた。
・しかし、江戸の幕府はそういう慶喜の行動を不快だった。それは、そもそも
 彼の出自が気に入らないというどうにもならない固陋な人達がいたことだ。
 当時の幕府は直面しているその環境に対しては、どうにもならない宿痾だった。
・大阪から逃げ、江戸に入り恭順を示したが、幕臣に勝海舟のようなものがいたので
 江戸の戦闘が避けられた。
…など、慶喜1人のみの論点で史実に残ることを「正」「誤」評価しても、それは
とても浅はかなことのように思う。私は慶喜の仕事をしていた幕末に限定していえば、
途方もない有能な将軍が最後に現れたが、その能力を活かすための組織が
あまりにも時代に対する認識と対応が劣悪であり維新が成立したと思ってる。
上記は、幕末の政治史に関わる重要な論点の数々が抜け落ちているけどそれは
キリがないから勘弁してね。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 19:27:39 ID:b2VIK5ek0
慶喜の「理解しがたい」と言われる行動を語る上で、
松浦玲が早くに指摘している通り
「尊皇思想」と言うのは外せない要素だよね。
大阪からの脱出にしても、そもそも開戦自体が不本意な展開だった上に、
津・淀両藩の動向などから抗戦しても不利と判断したんだろうが、
彼の状況判断を幕軍将兵が受け入れるような冷静な状況じゃなかったんだろう。
だからと言って、戦闘に入る可能性を甘く見て京へ進ませたり、
激励しておいて逃げると言うのが事態収拾として良いとは思わない、
大阪で恭順姿勢を示しながら外交交渉で落とし所を探ると言うのがベストだったか…

もし最後の将軍から尊皇攘夷思想と言う要素を抜けば、
展開はかなり代わっていたかも知れないが、
それではそもそも彼が京都政界に登場する契機がなくなってしまうわけだから
論じても意味がない気もする。

そう考えると実際の所、そもそも「江戸幕府」と言う政権が6年前の文久年間、
京都三役が誕生した時点で、かなり変質していた、と言う気もするけどな…
692名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 19:29:48 ID:D2pnfxhI0
>>681
>幕府と上手く結びついた米国との主導権争い。

ほ〜お、幕府との結びつきは一貫してフランスじゃないの?
(小栗がパリで何やってたか知ってる?)
さて、米国とどう上手に結びついたこと、があるかご教示ください。
気長に待つよ
693名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 22:38:05 ID:OE8lMZo+0
米国は北と南にわかれて戦争しているから、どちらの方と結びついたのか教えてほしいなw
694名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/06(土) 20:42:42 ID:5E70BBnF0
フランスとイギリスの主導権争い。幕府・薩長はその傀儡戦争をしたにすぎない。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 08:32:21 ID:KhSy0pj6O
結局薩長の毛利島津は関ヶ原の復讐を徳川にしただけづら



696名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 11:55:22 ID:Usg58t/y0
復讐って、関が原ではどっちも傍観してただけのヘタレじゃんwwwwwww
697名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 12:04:05 ID:SF4ll6ef0
傍観してただけなのに石高減らされたお>毛利
698名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 12:29:14 ID:+Xtpl4SI0
傍観していたというより、島津は東軍につこうとして伏見城に入ろうとしたが、
鳥居元忠に断られ、場所的に仕方なく西軍陣地に配置したから傍観した。

毛利は最初から吉川が徳川に内通、毛利秀元は戦う気はあったが前に吉川が
陣取っていたため、出陣できずというところが真意ではないのか?

単なる傍観で片づけられまい。
699名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 15:03:53 ID:n51QT34jO
ていうか、薩長は関ヶ原の復讐だけの理由で幕府を倒したというのか?
700名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 15:29:58 ID:+Xtpl4SI0
>>699
そんな訳ないこと知ってるだろ。でも長州は恨みはかなりあったのではないか?
正月の行事のことは有名だからな。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 17:00:52 ID:9xnW52iwO
>>698歴史ヲタ共立ち入り禁止づらwww
702名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 17:02:05 ID:KhSy0pj6O
坂本龍馬も長曽我部家の家臣の末裔だし




やはり…

703名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 17:08:12 ID:pWqVMG8W0
当事者としての薩摩・長州はそんな昔のこともしっかり記憶に留めていたかも
しれないが、明治維新の道程はそういう懐古的なことがらから始まったのではない。
天保の(藩政)改革がそもそも失敗した徳川と成功した西南雄藩から始まっていると
みてもよいし、ペリーの嘉永6年の来航から始まっているとみても構わないが
スレの主旨に沿った議論にして欲しい。(徳川が統治した時に、外様大名になったところは
何らかの遺恨は徳川に持っていたことは違いがないのだから…。)
704名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 01:59:10 ID:NhP6wcQz0
神保修理が弁明していた記憶があるが、
敗戦が続いて津・淀の両藩その他も離反が続きそうな情勢で、江戸帰還でなく
「大阪での恭順」をすべきだったと言うくだりについてはどう思います?

家永氏の指摘するように
「王政復古の大号令の後、下阪したのは成功」と評価すべきなんでしょうか。

705名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 06:43:34 ID:ijgC+/X20
>>704
>「大阪での恭順」をすべきだったと言うくだりについてはどう思います?

大阪では、薩長軍との一戦は必至の状況だと判断したからより安全な江戸へ
逃げたと思う。

>家永氏の指摘するように
「王政復古の大号令の後、下阪したのは成功」と評価すべきなんでしょうか。

その文献を読んでいないので、どういう文脈で上記の一文が書かれているか
分からないが、慶喜は新政府の議定になれると踏んでいたから二条城にいて
京都の政治の中にいるよりも大阪へ行き、より客観的に情勢をみれるように
移動したと思われる。家永氏がどういう文脈で、下阪が成功と書いたのか
分からないのでピントがずれているかもしれないが…。
706名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 12:31:42 ID:m+iYV/GZO
結局維新は薩長の反乱クーデターということで
707名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 12:48:56 ID:5KtG6Cif0
なんでやねんw
708名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 19:13:42 ID:fYoLUTYN0
>>697

毛利はともかく、島津なんて敵方についたのに安堵されたんだから、
恨むどころか感謝するべきだろ。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 19:20:03 ID:TOnHR7MtO
>>708
そこが薩摩人=朝鮮人クオリティー
710名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 19:29:53 ID:zuPEZu/l0





>>708
最初から島津は東軍につくつもりであった。伏見城の鳥居元忠に一緒に
篭城を断られ、仕方なく西軍に断られたんだって書いたろ。
またスレ違いと書かれるからもうかかんけど、あんたもっと歴史の常識を
身に付けてから書き込んだほうがいいよ。



711名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 19:46:36 ID:fYoLUTYN0
>>710

だから、どっちにしろ小早川みたいに西軍に攻撃したとか、
特に手柄があったわけじゃないのに、減封されてないんだから恨むのは筋違いだろ?
712名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 19:53:22 ID:6ZV0YeNG0
>>711
ID:fYoLUTYN0は、前と論理を変えているのだから、
前の文章が間違いであったことについて、詫びるべきであろう。
713名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 19:56:35 ID:fYoLUTYN0
ハイハイわかりました

島津なんて敵方についたというのは私の間違いでした。
訂正してお詫びします。

714名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 20:56:39 ID:kM2aCccOO
ていうかスレ違い。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/08(月) 21:24:30 ID:S3CA/XOaO
ていうか本当に近代史板ってレベル落ちたんだなwwwおもしろ杉www
716名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 10:37:39 ID:3Ah8KM6Y0
前から低いけどなw
717名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 20:12:04 ID:1P/DALzR0
あぁ、平成白虎隊。
718名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 18:00:28 ID:ZwweOZnvO
過疎ってるからage
719名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 22:27:27 ID:rZLRz53d0
>>715
お前のレベルの高い近代史とやらをかたれや。まずそこからだろ。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 15:08:10 ID:vYaxKSAW0
明治維新とは、会津を略奪し犯しまくり、焼き尽くす為に行われたのである。
721名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/13(土) 21:42:20 ID:mlbxphcF0
思い切り、端折って書けば、慶応2年(1866)第二次征長戦の幕府軍の敗退。
そして「世直し一揆」の多発。この2つの出来事で、もう幕藩体制の維持が
できなくなったように思う。
722名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 03:47:45 ID:ZDfYvrPp0
日本の夜明けぜよ。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 18:25:01 ID:FNwBlShl0
怨怨怨  芋薩摩とチョン長州
724名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 23:58:08 ID:0NexkKFm0
それ以前に大原勅使下向の時点で江戸幕府アウト説
725名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/15(月) 23:11:22 ID:4s3UehON0
逆賊会津のクーデターは、正義の薩長が防いだっちゃきに。
726名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 13:58:02 ID:Ed9UqQ2X0
明治維新で、日本は国家の中枢を山口県の朝鮮人部落出身の天皇や政治家に乗っ取られてしまった。
乗っ取りを後押ししたのが、ユダヤ人のグラバーであり、
天皇家を乗っ取ったということは、京都に住んでいた幕末の天皇を殺し、
代わりに朝鮮人部落の人間が明治天皇に摩り替わったと言うことで、
政府はこの弱みをユダヤ人に握られ、操られてきた。
この朝鮮人部落とは山口県の田布勢町周辺のことであり、
戦後は、岸信介、佐藤栄作、安部晋太郎親子などが出ており、
また鹿児島県にも田布施という朝鮮人部落があり、
小泉純一郎の父もそこの出身である。
現在も天皇をはじめとして、国家の中枢は在日朝鮮人で占められており
朝鮮系の政治家がユダヤに脅され、言いなりになるのは、
民族的怨念や、私腹を肥やす目的もあろうが、
明治維新からの実質的朝鮮人支配を守るためというのが
大きいのではないかと思われる。
もし天皇すり替えの事実が暴露されれば、天皇制は崩壊し、
それを行った在日朝鮮人もただではすまないだろう。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 21:41:02 ID:Hy/sBVsd0

こいつ伊藤博文を暗殺した韓国のテロリスト並みのドキュソだね。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 00:38:59 ID:m1hZwMzz0
>>726を見ていると、世に存在するすべての「俗説」を真実と受け止めてしまった無知くんの末路が見える。
729名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/18(木) 08:34:15 ID:tIqSDIft0
>>726
朝○人がどうのこうなんて時代錯誤が強いね。
釣りなんだろうが、もう少し面白いものを書いてね
730名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/19(金) 01:16:52 ID:Vp5s0BzM0
会津は逆賊だから、日本の正しい歴史教育が公教育で行われてないんだよ。
だから母親の腕で盆栽を作るような少年が生まれるんだ。

すべては会津史壇の歪曲のなせる技である。
731名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 00:21:23 ID:hTUjvPsI0
>>730
私はどちらファンでもないが、会津は逆賊?→当時の体制を守るために派遣された
警察兼軍隊のようなものだろう。
血祭りに上げるつもりの慶喜が恭順してしまったために薩長の標的にされたに
すぎない。逆賊ってどういう概念だ?当時の判断のつかない幼帝の考えか?
要は薩長と薩長派公家の陰謀でしかだいだろう。一所懸命、恭順の意を示して
いた会津は果たして逆賊であろうか?
但し、以後の近代日本の基礎をつくった功労は薩長にあるがね・・・

732名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 01:10:12 ID:B0APYvEa0
>>731
馬鹿?
>慶喜が恭順してしまったために薩長の標的にされたにすぎない

会津も恭順すればよかったじゃないのw
徳川家が兵隊を江戸から追い出したのに対し、
会津は表で恭順。裏で仏式軍政に変えて、銃を買い漁り、幕府脱走兵を操つって戦争を煽った。
恭順でできなくてあたりまえでしょw。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 09:43:29 ID:3ji+xUdp0
>>731 一所懸命、恭順の意を示して

笑うとこでつか?
734名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 10:38:05 ID:Iai19S+a0
会津の武備恭順が一所懸命な恭順なら、
徳川の兵を城から退去させての恭順はなんという恭順なのだろうかw
735名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 01:34:38 ID:t0HGHWSC0
長銃や大砲を大量購入し、少年・婦女子の非戦闘員の軍事教練まではじめておいて、何をいまさら。
736名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 08:01:51 ID:Q2FvyYHNO
そもそも逆賊って天皇の意に背いてるって意味なんじゃ
737名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 09:09:39 ID:dfPBAAC00
奥羽列藩同盟まで進む歴史を振り返ると、会津だけその<非>(?)を
論うことをしても歴史の真の理解には、ほど遠いように思われ…
738名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/21(日) 09:29:12 ID:pVD71kgP0
会津がどうした長州がどうしたの、狭い部分でなく広い視野から書けば、
幕末の日本国家と主要な政治勢力は,重要な国家的課題に直面していた。
その課題とは,@人心の一致,A合議制の確立(専制否定),B内乱の阻止,
の三点である。この三つの課題は,ペリー来航後の国難に際して,この課題を
達成・実現して,挙国一致の体制を築かなければ,外圧に対抗できないという
切実な認識のもとで唱えられたものであるが,しかしその実現の方策をめぐって,
政治的対立が起こっていたのである。
 ところが幕末の日本国家と主要な政治勢力は,自らに課せられたこの国家的
重要課題を,解決・達成できなかった。そのなかで,とくに幕府と事実上幕府を
代表していた徳川慶喜が,その阻止要因をつくり,責任が重いと言う主張が,
慶応三年後半期の世論となり,薩長倒幕派が幕府の解体・将軍慶喜追放に立ち上がり,
戊辰戦争となり維新へと向かった。
739名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 04:44:50 ID:onXltfklO
これで広い視野(笑)
740名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 22:00:48 ID:/TbzMZfI0
>>1
明治維新って薩長のクーデターなんだろ?

まっことそうぜよ。勝てば官軍ちゅうじゃろ?

桑名も会津も徳川も、幕府も藩もぜーんぶぶっ潰しちゅう。

勝った者だけ祀られるんじゃきに。
741名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/22(月) 23:29:45 ID:aRv2OIXa0
>>738
ほんと、氏の言う通り広い視野で見ないと
見えない部分は有りますよね。
742名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 01:43:23 ID:ZShZXFEwO
>>741
見えない部分って何?
743名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 17:50:54 ID:3FEE5Bxz0
幕末史は、ものすごく複雑だからそれを要約すると必ずその漏れた解釈を
指摘する書き込みがあるけど、短くまとめると>>738の通り。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/23(火) 21:31:56 ID:CRmENw9X0
逆賊会津滅すべし
745名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 20:45:17 ID:QbWIMxnI0
>>743
短すぎて訳がわからんし、強引に略しすぎて結果的に真実がどっかにいっちゃったって感じだなw。
薩長が提唱した「勝てば官軍の歴史」とさしてかわらん。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 21:32:35 ID:lFV4jHRO0
>>745
それは、あなたが幕末史の正式な教育を受けて勉強していないからでは?
>>738の要約は、とても素人のものとはオレには思えない。
大学で幕末史で卒論を書いたものとしての意見。
747名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/24(水) 23:31:19 ID:QbWIMxnI0
>>746
>大学で幕末史で卒論を書いたものとしての意見

 お前そんなんで良く卒業できたなw
 大方先生方が多目に見てくれたのだろう。三流大学の先生方に感謝しとけよ。
 俺の大学なら間違いなく落第だ。
 たとえばねw
 その説明では、もっぱら「武士階級」の視点のみで語られており、
 百勝町民といった最も人口の多い層が完全に無視されているよw。
748名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 18:03:08 ID:gWLhIeJ60
>>747
オレは、三流大学か…。では、

>百勝町民といった最も人口の多い層が完全に無視されているよw。

まで視野にいれた、一流大学卒のあなたの幕末史の意見を
書いてみてくれ、見ず知らずの人間にバカ扱いをするほど
とびきり優秀な方のようだから、楽しみに待つよ。
>>743を書いたのは、>>738を読みオレの恩師が講義で
話していたことを思い出す内容だったのでいい要約だと思うと書いた。
749名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 21:49:00 ID:1vEbPWFH0
百勝町民?
750名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/25(木) 23:09:56 ID:DUPVE5x10
>>738
幕府を陥れるために内乱を積極的に起こし、外交的危機まで起こして、
後々の経済的苦境を生み出し、そのツケを国民に回したのが薩長なのだが。

政権担当者である慶喜に結果責任がかかるのは当然だが、薩長がそれを
追求すると言うのも白々しくもデタラメな話だ。
751名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:36:53 ID:mF2FtrBFO
>>748
恩師の先生って幕末維新史の研究者の中でも有名人?
三流大学でも有名な研究者はいると思うけどな…
752名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 19:26:05 ID:CTHq3SKz0
>>747
のレスはまだ?
>>750
>幕府を陥れるために内乱を積極的に起こし、外交的危機まで起こして、
後々の経済的苦境を生み出し、そのツケを国民に回したのが薩長なのだが。

具体的な史実を書いてください。

>>751
恩師の先生って幕末維新史の研究者の中でも有名人?

恩師は佐々木克先生ですが。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 06:41:41 ID:RO89c6HM0
>>750
>後々の経済的苦境を生み出し、そのツケを国民に回したのが薩長
 落第。江戸時代後期に起こった大塩平八郎の乱はなぜ起こったのか?日本の国内経済状況と開国による世界経済との関係は?以上。

>恩師は佐々木克先生ですが
 そっか、佐々木先生もその程度なのか。ちょっとショックだな・・・
まぁ、会津中心でそことなく佐幕贔屓で有名だけどw。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 10:37:00 ID:tYekQF1M0
逆恨みした会津厨にキャンパスで刺されるのを危惧しただけだと思うぞ。やつらは狂犬だから。
755名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 09:46:20 ID:EYHz5tz+0
熊襲の産地は文化的程度も極めて低い
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/chiri/1172238524/l50
756名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 10:53:28 ID:/k31mtpa0
↑こういうものを必死で探し続ける会津人の精神性は腐っている
757名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 14:43:15 ID:JwcXZPN60
明治維新は武士階級内の階級差別撤廃のクーデターです。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 14:50:44 ID:/k31mtpa0
は?大政奉還でも王政復古でも階級差別が目的だなんて言っていませんが?
759名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 16:43:08 ID:cfuz4GOR0
お、久し振りにバトルか?
760名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/28(日) 17:00:18 ID:/k31mtpa0
久しぶりなのか?
761名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 00:00:01 ID:mbzwG8970
>>752
>具体的な史実を書いてください。
下関戦争の結果、それまで20%あった関税が5%に引き下げられた。
その結果、国内産業への圧迫と、関税収入の減少による財政の悪化が、
幕府のみならず、明治政府にまで及び、明治政府は結果としてその分まで
国民に税負担として押し付けた。
762名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 20:08:02 ID:JUvvYqVg0
>>761
>下関戦争の結果、それまで20%あった関税が5%に引き下げられた

1858年7月(安政5年6月)米国総領事ハリスと締結した日米修好条約で
定められた関税率が、1864年8月の馬関戦争〈四国連合艦隊下関砲撃事件)の
結果でなったのですか?本当にそう学習しましたか?教科書をもう一度
読み直してみはどうでしょうか…。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/29(月) 21:00:03 ID:C5vpa4Bj0
どうせまた会津人が嘘ついたのでしょうw
764名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 20:30:00 ID:+2u9kHTr0
しかし不平等条約が長州の下関砲撃事件と混同して挙句の果てに

>>750
>幕府を陥れるために内乱を積極的に起こし、外交的危機まで起こして、
後々の経済的苦境を生み出し、そのツケを国民に回したのが薩長なのだが。

となるのは、どういう脳味噌の構造なのか?
さらにいえば、

>政権担当者である慶喜に結果責任がかかるのは当然だが、薩長がそれを
追求すると言うのも白々しくもデタラメな話だ。

慶喜は日米修好条約の締結時には、政権の当事者じゃないのに
どうして↑のように書くのか分からない…。

>>761
>下関戦争の結果、それまで20%あった関税が5%に引き下げられた

下関戦争の結果ではどう考えてもないが、
それまで以下のパーセンテージは、ある経済史の教科書にあるものを
丸写しにしているな。あなたはどこぞの知ったか4流大学生ですか?
765名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 20:46:32 ID:P8QITtRj0
会津は長州と徳川慶喜が嫌いなんだよ
会津人の心の叫びと星亮一も本に書きベストセラー
日本人の多くが星の言う事を信じて会津人の「偏見」の凄さを認識している
766名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 22:57:59 ID:Cmdy8UH20
会津は糞
767名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 01:25:04 ID:xdIesYjs0
>>762
井上(勝)氏のお説じゃないか?
オールコックからパークス公使への交替のくだりで
「300万j支払延期と兵庫開港の先送りを認める見返りに、
 貿易問題で幕府の譲歩を求める。翌年…」
と改税約書の経緯を説明されているから。

あと思いつくのは、野口武彦の「長州戦争」かな?
下関協約の結果、「下関は事実上自由港化した」として、
その後の四国代表と幕府の交渉で300万jの償金請求を行いつつ、
支払不能を見越して下関開港を要求してきた云々の記述がある。
768名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/31(水) 09:00:19 ID:EHSN/hftO
☆とか知らないんだがどんな嘘つきまくってんの?
もしかして逆賊じゃねーよとか言ってるの?
薩長に逆らったらみんな逆賊に決まってんじゃん。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 23:21:19 ID:pYcTE0DI0
>>768
そんなの序の口
薩長によって会津藩は斗南に流罪にされた(斗南と猪苗代を示された会津藩が自ら選んだ。)
徳川慶喜は弱虫で大阪城から逃げたのが敗因(鳥羽伏見第一日目に敗北し、錦の御旗が出て、慶喜の戦意消失のキッカケは会津藩兵が作った。)
勝海舟は会津を見捨てた(勝は江戸無血開城の為に、徹底抗戦を叫ぶ会津を江戸から追い出した。)
薩長は恭順している会津を無理矢理攻めた(会津藩は武備恭順であり、世良を斬って恭順交渉を打ち切りにしたのは会津側)
770名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 23:24:48 ID:pYcTE0DI0
そういや、会津藩が薩長の恨みを買ってしまったのは、新撰組が長州藩士を斬った為だ。
会津は長州人をほとんど殺していないとも本で言ってましたなwww。
771名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/01(木) 23:42:38 ID:1Fwapq+/0
>>767
馬関戦争での賠償金と、日米修好条約とは全く別個のことです。
長州藩がその賠償金を幕府に押し付けたということと、不平等条約を
混同して国家の経済の困窮を生み出したとしているなら、話にならないことを
ご理解いただきたい。
772名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 21:40:06 ID:2Jcw6JcP0
そうじゃなくて井上が言っているのは改税約書のこと
773名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/02(金) 22:33:40 ID:yzzSdj1y0
>>767
>支払不能を見越して下関開港を要求してきた云々
 そりゃおかしくないか?。幕府との交渉で下関開港要求を幕府にしたという事は無かったはず。
長州藩に対して、賠償金が払えないなら彦島を租借地として譲渡せよと言われ、
高杉晋作が拒絶して賠償金は幕府が払うべきもの(攘夷期限が来た際、一橋慶喜が「各藩の判断で開港していない港に近寄ってきた異国船を撃っても良い。」と通達している。)とし、
賠償金問題を江戸に持ち込んでたはず。

774名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 10:54:40 ID:SLVYPAfs0
本の紹介をしてやっただけなんだから食って掛からずに自分で確かめろよ。
下関での停戦協定には薪炭その他必要品の供与と言う条項があるな。
野口はこれをもって「事実上、自由港化」と言ってるんだろう。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 11:08:44 ID:SLVYPAfs0
ちなみに同書を多少紹介すると、この協定直後の8月18日に、
オールコックが、横浜の外国奉行に対して、
「攘夷は自藩の意思ではなく幕命に従って実行したもの」
と言う長州の主張に対し、事実かどうかを確認している。
幕府はこれを否定し、同時に4カ国艦隊の撤退を要求するが、
四国代表は幕府が朝廷から条約の勅許を得ると確証されるまで下関占領を続ける、
と言う意思表示を行っている。
その後、9月22日に幕府との間に協定が結ばれている。

野口はこのほか、300万jと言う賠償金の額の異例の大きさや、
七年史に記載された9月22日の幕府と4カ国との協定に
金員の支払と下関開港を関連付ける条項がある、
その他、オールコックの要求や、
長州が下関協定を結んだことに対する幕臣の困惑
これらに着目しているな。
776名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 11:45:32 ID:5YaOifez0
その本は俺も持っているよ。
ただ野口はかなり端折って説明しているという事だよ。

たとえば
>停戦協定には薪炭その他必要品の供与と言う条項
をもって「事実上、自由港化」というのはかなり経緯を略している。
この段階では単に開港しただけで自由ではない。
その後、長州と諸外国の交流が進み貿易などが始まって自由開港の状態になっている。
777名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 13:36:55 ID:SLVYPAfs0
>その後、長州と諸外国の交流が進み貿易などが始まって自由開港の状態になっている。

普通、そうなることが目に見えるわけじゃん。
だから長州と諸外国の八百長戦争じゃないかと幕臣が疑ったわけで。
778名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/03(土) 14:05:20 ID:SLVYPAfs0
つか、いま気づいたけど、
幕府が一応、償金支払を続けているのにそう言う状態になってるわけでしょ?
高杉も馬鹿じゃないから、幕府に責任を転嫁させる+長州が独自貿易を認める、
ことで、負けても長州の致命的打撃にはならないことは分かってたと思うよ。
賠償金の要求を吹っかけて、支払えなければ幕法をもって開港を追認させれられるし。
諸外国としても事を大きくするより、
航海の安全と貿易の実利さえ引き出せればそれで良い
779名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 07:31:01 ID:740FLIS20
その辺りのところは、防長回天史にはどんな記述?
780名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 00:28:20 ID:fGryTsPU0
防長回天史の記述では、
既に馬関戦争での講和条件に償金支払が入ってるんだな。
781名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/07(水) 20:01:35 ID:8oD1QuPs0
明治維新でスモールワールドのネットワーク理論と幕末史を研究する
歴史学者のコラボを読んでみたい。
782名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/11(日) 15:08:07 ID:W6IzHESm0
学生の頃、幕末史をやろうと思って2年の夏休み先行研究を調べた。
最初にあたった長州藩そのものの史料の多さから目眩がした。次ぎの
薩摩も、やはりその多さに酒も飲んでいないのに二日酔いになったくらい
頭が痛くなった。その後知ったことが、明治維新の文献総体なんて誰も
把握できないくらい多いということで、結局、慶応三年の京都における政治史を
文献を適当にこそくり卒論をでっち上げた。明治維新は、一直線で進んでいったわけでは
ないので、簡単にxxだなんて言い切れないことばかり。だから、色んなことを
妄想も含めて信じている人が多い。だから寛容に意見は読んだ方がいいとこのスレを
みて思った。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/13(火) 00:24:49 ID:uTkpezCt0
それでも家近氏によれば長州の保守派の史料は見事に散逸してるそうだが…
784名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 21:13:08 ID:me1AfC99O
age
785名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 10:56:28 ID:q/GDT4Wo0
>>781
たしかに流行のネットワーク論で維新を分析すれば面白そうだね。
歴史学者は、重箱の隅を耳掻きで探ってるようなもので全体史として
説明をするものじゃあなくなってるからね。
786名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 19:11:24 ID:VDpeOl7R0
会津討つべし!!逆賊を許すな!!
787名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 19:17:11 ID:3s+/K0Ix0
日本人の心情を恨みつらみ嫉み妬み怨恨後悔自虐
の感情でがんじがらめにしてやる。
絶望の底なし沼に突き落としてやる。
戊辰戦争の恨みをかならずはたしてやる。
会津は絶対に負けない、最終の勝利者は会津だ。
788名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 19:51:29 ID:+3zkZTU70
会津の恨みは中韓の恨みだ。
現代日本の虚妄がいま会津と中韓の正義により暴かれるのだ。
欺瞞と矛盾と捏造に満ちた日本の真実の姿が
いま会津と中韓により白日の下にさらさらるのだ。
会津をないがしろにしてきた日本にいま正義の鉄槌が下されるのだ
789名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 19:56:06 ID:pne3wOdNO
>>786-788
そういう話しは会津スレでやれ。会津スレでやってるくだらない煽りやくだらない意見を、
このスレに持ち込むな。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 19:57:40 ID:12n6THBA0
会津は恨の文化だからね
世界三大恨民族だよ(支那・朝鮮・会津)
並の神経じゃないと思うよ?
21世紀にまで恨みを商売にしてるのってさ。
高校野球に戊辰戦争絡めてコメント出すのは福島県だけだぞ…。
あの時は伊達市の聖光学院の部長がコメントしたんだったな。
会津の恨文化って他の市町村の飛び火してる。
791名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 19:59:22 ID:12n6THBA0
>煽りやくだらない意見

それは会津ヲタに言ってあげないとな。
あと星亮一、早乙女貢。渡辺恒三にもね(^^)
792名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:02:33 ID:NPRV473d0
定期的に湧いてくる会津の方達は、正直つまらない。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:03:15 ID:p2h05eKu0
なるほど。中韓そのもだな。
でも恨みのパワーってすごい。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:07:31 ID:0x/h958I0
日本人であることがいかに恥ずかしいことであるか
会津人以外の日本人がいかに恥知らずの日本猿かを
会津は教えてくれる。
会津人以外の日本人はすべて日本の恥だ、消え去れ!
795名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:10:01 ID:NPRV473d0
スレを壊すのが、会津。
それを目的に2chにくるのが、会津。
何の意味もない書き込みしかしない。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:11:13 ID:12n6THBA0
>>793特に日本人は負けた方に拍手を送ったりする姿勢があるからね
作家が会津の怨念を煽ることで、怨念観光を成立させてる唯一の地域だし。
死人に鞭打ってフィクションだろうがなんだろうが発信させてる。
南京の虐殺資料館や、朝鮮の日帝支配の資料館なんかもそうだね。

>>794医者行ってこい
797名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:11:17 ID:NPRV473d0
会津が一番、とかのスレに全員集まってやってください。
ここはそういうスレではないから、去るのは会津厨です。
798名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:35:54 ID:pne3wOdNO
過疎ってたから久しぶりにageたら会津スレの奴らににカキコされたー。

一応明治維新関係のスレだから書くが、お前ら幕末の一会桑のことは知っているだろ?
799名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:42:28 ID:WjVD8qzw0
>>798
>幕末の一会桑のこと

この10年くらいで使われるようになった名詞だよね。
で、それでどうした
800名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 21:18:33 ID:pne3wOdNO
>>799
いや、会津厨どもが来たからさ一会桑のこととか知っているのかなと思っただけ。
特に会津を煽ってる奴らはどれだけ幕末のこと知っているのかなとも考えてみたりもする。
まあそういう俺もまだまだ勉強が足りないんだけどね。






すまんスレ違いだったと思う。
801名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 21:41:46 ID:mC3ub9Z30
>>800
あえて書くが、会津厨でもしっかり歴史の勉強をしてるやつも
いると思う。それに、

>会津を煽ってる奴らはどれだけ幕末のこと知っているのかなとも

会津藩が歴史の表舞台に立ったのが、そもそも幕末の京都なんだから
幕末京都の政治史を知らないことはないだろうと思うよ。
全員、戊辰戦争の会津攻防ばかりじゃないとね…。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 22:37:27 ID:1lt0WikbO
真面目に歴史を語る人は極一部。
叩いて面白がる奴が殆ど。
会津の一般市民まで叩くとは。
どう見てもおかしいと思わないのか?


803名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/24(土) 20:26:48 ID:CzGvc55F0
腐った会津史壇を放置している罪は会津の一般市民にあるとしかいいようがない。
いわんや、会津祭などの狂信ぶり、他県への誹謗中傷をみれば、その民度の低さは歴然。
804名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 12:09:41 ID:FwCmMwPP0
お前を放置している日本国民にも大きな罪があるな。
もうみんな警察になっちゃえよ。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 12:32:37 ID:HanwCwbs0
ゴミのような方々がきているようだ。
会津がどうしたなんて聴きたくもない。どうでもいい、そんなこと
806名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 14:02:32 ID:FsHaUhH30
つまり会津の悪口は聞きたくないが、薩長の悪口はOKだと?
とんでもねぇやつだw
807名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 15:12:41 ID:y1kdjbgL0
>>806
>薩長の悪口はOKだと?

勝手な脳内変換してるなよ、アホ。悪口なんて書いてる時点で
オマエなんかもいらねぇよ。中卒ニート
808名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 15:22:01 ID:gqpJyEZP0
>>807

落ち着け、ここのところ恨が溜まってんだろw
思う存分恨を撒き散らしてみろやw
809名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 16:01:25 ID:FsHaUhH30
>>807
そうカッカしなさんなw
すぐに熱くなって乱暴な口調になる奴はキモいよw
810名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 16:36:14 ID:CryGJ1Rm0
勲章好きのサル、伊藤博文。
出も悪い人間、貧困。 お殿様、上級武士などの貴族に逆らい、
クーデターを起こした。明治時代にのさばった連中は全部この類である。
そして現代の世の中を構築してる連中も、こいつらの末裔である。
三菱、三井にしても、江戸時代、明治初期までは最底辺に位置する身分だった。
そして身分の低さを隠すために、昭和時代に入ってさまざまな貴族や徳川家と、
交雑し、親戚となっていった。積極的に血の交雑をはかった。


今の世の中は、こういった下級のサルによって作られた。
身分が低いために勲章がとても大好き。

サルが勲章ぶら下げてるようなものである。
まさに「サルの惑星」の世界である。



811名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 17:55:55 ID:FyzpHbTj0
薩長の日本猿どもとその下僕であるこの日本が
いま会津の正義のさばきを受けようとしている。
日本は会津の正義によって地獄の業火につつまれるのだ。
阿鼻叫喚の灼熱地獄にのたうちまわれ日本人猿ども。

812名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 18:00:22 ID:08yzkPLg0
日本人の心情を恨みつらみ嫉み妬み怨恨後悔自虐
の感情でがんじがらめにしてやる。
絶望の底なし沼に突き落としてやる。
戊辰戦争の恨みをかならずはたしてやる。
会津は絶対に負けない、最終の勝利者は会津だ。
813名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 18:07:48 ID:Akp7acze0
薩長軍は強姦部隊】

会津では老女から4歳の子供に至るまで、阿賀川の以北で暴行されずに残った
者はほとんどいないと言われている。しかもその残虐行為は上からの指示による
とも伝えられている。薩長軍が会津城下に突入して制圧した際、明治天皇は兵士
に対し「会津はおまえたちのものだ」といい、3日間の祭りを許可した。
会津の女性のほとんどが薩長兵によりレイプされ、奥羽列藩同盟に届けられたもの
でも10万件を越えた。また暴行による自殺者は6000人を数えた。
(「カラーで見る戊辰戦争・勝利と絶望」1999年12月10日、NHK教育
放送)
明治天皇の息子の証言もこれを裏付ける証言をしている。それによると、
明治天皇は東北を荒廃させることを奨励し、それに喜びを感じていた。
官軍の残虐さを許すことで東北の嫌悪を買い、親しくなることで堕落しないように
しむけた、といった複雑性を含んでいたという。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 18:08:00 ID:hBXdxkl80
>>811-812
謹んで贈らせてもらいます。
明日の朝までいってろ、ボケ
815名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 18:41:43 ID:1GLj4Gm30
ひどいもんだよ。以前、会津の祭りに松方が来るとかいうのでみに
いったことがあるが、祭りで「薩長をぶっ殺!!」とか「長賊」とか
平気で市民レベルでいう。山口や鹿児島・高知は遠いから、祭りに
はこないと思っているんだよきっと。
あれは多分、教育委員会の教育方針が誤っているのだと思う。
一種、異様な町だよ。会津若松は。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 20:08:52 ID:wIpNcmHc0
薩長に汚され貶められたいまの日本を救うことができるのは
会津の誠いがいにはありません。
甦れ、会津士魂!白虎隊魂!
817名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 20:34:46 ID:AqvmBOiN0
会津若松市が日本の中心いや世界の中心となる日がきっと訪れるでしょう。
会津の正義に国連が世界中が感動し涙するときがきっと訪れるはずです。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 21:47:27 ID:Rpumd9vR0
正味、影響力では長州>薩摩>土佐>会津>肥前だからな。
819名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 21:55:46 ID:ORIAwnmc0
会津教育委員会はその教育の成果を誇るべきです。
その目指すところは不明ですが当初の目的は達せられています。
820名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/25(日) 23:36:59 ID:R4k9wSQ4O
しかしココは釣り堀か?
今日は会津人に成りきり
の書き込みが多いようだな(棒
毎日毎日ご苦労様ですな。
821名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 22:15:28 ID:3YUhOZer0
会津の誠とは、農民を搾取し、民衆に畳を持たせ弾除けにし、降伏後も殿様だけは優雅に江戸で生活できるというものだ。
822名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 22:50:50 ID:ymiSB80+0
いいじゃん。斗南で毛虫・鳩同然の暮らしに自分で進んでいったんだから、少しは罰が当たったんだろ
823名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 23:47:12 ID:nA8WoknU0
まあクーデターだよ。

 何百年も外様のまま苦汁をすするのには耐えられなかったんだろ
824名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 02:21:06 ID:jZPVt9O30
薩長はテロリスト
今の日本の政治家官僚企業家富豪は薩長出身者がいように多い
政府は一般人を飼いならして奴隷にしている
今のテロリストによって作られた倒幕以後の政府は倒さなければいけない
今こそ日本をテロリスト薩長の間の手から救い出すときだ!
825名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 02:46:51 ID:jEu8/xx80
未だに薩長閥があると思ってるのか?
精神科行った方がいいんじゃない?
特に816と824。お前等はっきり言って異常だよ。
恨文化の最たる極みだな。
826名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 15:37:29 ID:dpxzzWkR0
 
827名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 00:44:29 ID:vBv8vQmI0
140年の恨文化を支持してる時点で異常者なのは明白
828名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/10(月) 03:39:11 ID:dodNdNC40
公の場であそこまでやるのは福島と支那と朝鮮だけ。
829名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 06:32:49 ID:4H+xqond0
本当、そろそろ謝罪すれば?福島
830名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/11(火) 10:21:00 ID:9MMW9BFQ0
>>824キチガイ
831名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 09:33:19 ID:+F5DRMkC0
まずは聖光学院の野球部部長の謝罪から
832名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 11:32:49 ID:5Nhd3/EiO
あのさお前ら。会津叩きするなら会津関係のスレでやれ。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 11:57:39 ID:G7euFTGLO
クーデターとは言えてもテロとは違うだろ。
テロとクーデターの区別がつかんのか?
834名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 13:23:26 ID:B/m9sXJ80
会津が叩かれる原因は会津にあるからしょうがないと思うぞ。
なんでも薩長土肥が悪いと思ってるキチガイにはテロとクーデターの区別がつかない。
今更どうしようもない事を言いまくる幕府・会津・新撰組ヲタに対し
俺も今更どうしようもない事を言わせていただこうかなwww

『ペリー来航時にもっとしっかりやってりゃ良かったんじゃねーの?』
835名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 21:45:31 ID:L78EQyRk0
AVのタイトルが決まりますた。「性交学院潮ふき部長」
836名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 12:41:20 ID:CDys2z8H0
聖光学院の部長のコメント見解どうなった?
部長不在で確認できなかったんだろ?
会津発信の幕末史と高校野球をリンクさせるバカヤロー
837名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/17(月) 22:52:59 ID:AOXbINRu0
【鉄道】長崎新幹線:着工に道筋、JR九州と佐賀・長崎両県が合意…並行在来線の赤字補填で[07/12/16]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1197815750/l50

東北の時は在来線切り捨てだったが、肥前は在来線を存続させ赤字を国民の血税で地方交付税を通じて補てん。
838ネオ日本:2007/12/18(火) 10:08:48 ID:Z0OIAqEI0
肥前、ヤクザと精神病患者を武装させクーデターを計画。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 09:15:22 ID:2WDsBWSgO
明治維新って総括するとテロの勝利じゃないの。
840名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 21:18:28 ID:sh0eho6F0
最近の研究成果がまるで出てこないな。
会津がどうしたなんてここでやるな。
無学な能無し野郎たちは、イラネ
841名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 21:43:45 ID:QWGM6JDB0
そしたら幕府崩壊後に『エド=コミューン』なんてのが出来ればよかったとでも言うのか。こんなの嫌だ。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 01:03:21 ID:OCVCOHT70
>>192
>千円札明かりにかざしてみ!不自然にでかい野口の片目と
>富士山頂が重なるから・・・。まさに、1ドル札のピラミッドアイ!ヤハウェイの目!

ほんとだ・・・。気味悪くなってきた。
843名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 07:19:36 ID:GDVAREBm0
>>841
>幕府崩壊後に『エド=コミューン』なんての

なんだそれ?エドコミューン?今時そんなこという研究者なんていないよ。
じじいはやだな。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 08:15:23 ID:54RXxbDE0
東北諸藩なら河井継之助が一番有能だと。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/31(月) 12:16:41 ID:aH89VBQ80
誰かが言ったように宗教(理想主義)は阿片なんだね。
幕末のナイーブな日本人はすっかり洗脳されたんだよね。
始めて触れる西洋の麻薬にこころを奪われていった。
明治維新以前からやり直したい。
846名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 09:28:21 ID:amf2MNo/0
847名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/23(水) 09:28:47 ID:amf2MNo/0
848名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 22:02:10 ID:E6zjv6ii0
福島恨人が殺人予告
祭りの予感ww
【薩長軍は強姦部隊】
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/neet4vip/1203591821/1-100

6 :名前書いたら負けかなと思っている。:2008/02/21(日) 21:43:10 ID:DNM4J2xDO
>>5
あ゛あ゛あ゛あ゛?
死なすぞてめーなに福島県民主張してんだおらぁ


7 :名前書いたら負けかなと思っている。:2008/02/21(日) 21:47:31 ID:XCmaj3g7O
殺人予告だ
849名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 00:01:36 ID:P2ajZ/zz0
戊辰戦争の薩長について語るだけの知識はないのだが、その後の論功による薩長土肥の厚遇ぶりが対米戦の壊滅的な敗戦につながったのは事実だ。
無能なのに、薩長土肥出身というだけで出世するような軍隊ではねー。
そう考えると国家を危機にさらすクーデターやテロだったと言えなくもないな。
850名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 00:08:31 ID:7rf6wChv0
「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、
しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、
当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輌の中戦車は、
戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」

高級な戦術論ではなく、ごく常識的な質問である。だから大本営少佐参謀も、ごくあたりまえな表情で答えた。

「轢き殺してゆく」

(やめた)
と思った。そのときは故障さ、と決意し、故障した場所で敵と戦おうと思った。
日本人のために戦っているはずの軍隊が、味方を轢き殺すという論理はどこからうまれるのか。

大正、昭和に軍部の主導権をにぎったひとに、東北人が多い。戊辰戦争で「賊軍」にされた藩から、
多くの軍人が出ている。かれらは西国諸藩出身よりも、より以上に「勤皇屋」になり、
陸軍の「長州的暴走性」のうえに、狂信性を加えた。東条英機の祖父が南部藩士であり、
旧会津藩士の家計からも多い。かれらは、「わが藩は、薩長よりもむしろ尊王の伝統が深かった」
というさまざまの藩伝説を誇大に教えこまれて維新後育った家系の出身である。
一種の史的コンプレックスからぬけるために、非常な精神家になる場合が多かった。

「轢き殺しても進め」

といったひとは、東北人であり、「天皇陛下のためだからやむをえない」とつけくわえた。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 01:13:50 ID:utPiIU5P0
まぁ喧嘩せずにこれを見て和め
幕末のイケメン・美女 ニコ動
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2386316
852名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 01:38:03 ID:KkwfKO4s0
薩長藩閥政治の時代は、日本は大過なく発展していったが、
東條英機(岩手)・石原莞爾(山形)・甘粕正彦(米沢)・板垣征四郎(岩手)
のような東北出身者が陸軍の実権を握ると、急激に日本は右傾化し、
あの悲惨な戦争へとばく進していったな。
守屋のブタも宮城県出身だし、東北のクソどもが軍を牛耳ると最低だ。日本を滅ぼす。
東條・石原・甘粕・板垣・守屋と並べると、東北人の恐ろしいばかりの
陰気さが漂うな。明るさのカケラもない。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 02:04:24 ID:mQQ5hpVyO
>>849
>戊辰戦争の薩長について語るだけの知識はないのだが、

と謙遜しておいて、

>その後の論功による薩長土肥の厚遇ぶりが対米戦の壊滅的な敗戦につながったのは事実だ。

と、以下デタラメを断言し始めてるのにワロタw

陸軍が突如としてイカれて、満州でドンパチやったり
政府要人暗殺したりアジア各地へ暴走し始めたのは、
東條英樹が元々長州閥だった陸軍から長州出身者を
意図的に排除した後の話(それまでは長州出身であれば出世街道に乗れたのが、
1920年代からは長州出身者は意図的に不採用・冷遇されることになった。
今風にいえばアファーマティブアクション)。

長州閥を駆逐して陸軍を乗っ取ったこの作戦は、
東條他東北人雪国人が一同に会した
1921年のバーデンバーデンの密約に基づいて実行された。
854名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 04:02:40 ID:RpOXDnOJ0
昭和天皇の反対を無視して三国同盟を結び、
日本の外交を滅茶苦茶に破壊したのは、長州人の松岡洋右。
さらに満州利権を守るため「満蒙は日本の生命線」と国民を煽り、
アメリカとの対決路線を敷いた。
855名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 08:10:48 ID:cJhxMZZr0
>>849

>無能なのに、薩長土肥出身というだけで出世するような軍隊ではねー。

海軍は山本権兵衛が人身刷新を行っているし、
陸軍は奥保鞏や立見尚史などの旧幕府側の人物を登用している。

無能ものでも出世するような軍隊では戦争に勝てんよ。
856名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 00:24:19 ID:ebLn2OjL0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E4%BA%AE%E4%B8%80
星 亮一(ほし りょういち、1935年 - )は、日本の作家、歴史家。
彼の歴史哲学は、海外に於いてアイザック・バーリン、ジャック・
デリダなどビッグネームの哲学者から三木清以来の好評価が与えれられている。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 10:31:58 ID:cSCvnIYl0
無能に仕立て上げたい、正義は会津
それが既に小説しか読んでないと思うのだが
858名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 23:50:53 ID:fir3m5Pv0
>>856

星って苗字はテラチョン名www

だから会津を持ち上げてチョンみたいな被害者意識植え付ける作品多いのか

でも彼の作品のほとんどに共通するのが当時の支那の情勢を軽視してる点と

「〜といわれている」の多さ。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 19:28:24 ID:ksbtQWcH0
被害者意識を煽る時点で恨文化。福島はチョンとシナチクと同じ恨文化。キモス!
860名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 14:57:46 ID:Eat3Q4HR0
>>855
> 無能ものでも出世するような軍隊では戦争に勝てんよ。

まったくだ。ましてやそんな無能者より劣るトーホグ土人が出世するようでは世も末だからな。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 20:03:16 ID:OnOczzXx0
だが、大正末期から昭和初期まで皇軍を握った東北出身者は、
東北出身者による情実人事によって昇進していた。
862名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 21:08:15 ID:XKcDB3Kn0
つまり能力での昇進ではないわけだな
863名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 00:42:57 ID:siFAYiXY0
能力で昇進できる奴がいるなら
容保の悪政を止めてるだろ
864名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 04:31:57 ID:MwltIDKm0
日露戦争の予行演習である八甲田山雪中行軍で青森歩兵第五聯隊第二大隊が大惨事に会ったことは有名だ。
これをもっても寒冷地での戦闘は東北出身者でないと無理という判断があった。
昭和東北大凶作で知られるように東北はたびたび凶作にあえぎ塗炭の苦しみを味わった。
娘たちは女郎屋に売られ青年は軍に身を投じた。
こうして東北の農村出身の軍人が増えていった。
865名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 15:03:52 ID:cNPsRaIX0
このままでは3/15に表現の自由が奪われる!
   2ちゃんに"韓国嫌い"って書き込んだだけでアウト!

       日本を乗っ取られたくない奴は目を通してくれ!

人権擁護法案をVIPPERで潰せ!!!!!!!!!!!!!五の章
http://yutori.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1204120141/

【手紙】人権擁護法案反対リアルメル凸運動 3【葉書】
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1114300664/

人権擁護法案、外国人参政権、反対合同連携OFF
http://sports11.2ch.net/test/read.cgi/offmatrix/1202004248/
866名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 10:32:57 ID:Y/UmGhk/O
薩摩藩(朝鮮人)のクーデターを起こし大量の日本人を殺した。
やつらはそれなりに頭がいいから歴史を歪めたんだよな

安部、中川、麻生とかの人間だな
867名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/03(月) 17:24:50 ID:3GyczUjM0
会津の振りしてる朝鮮人多いな。
李舜臣を殺された恨みをまだ持っているらしい
868名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 11:08:49 ID:isft8a5d0
安倍は東京出身だぞ。お父さんも東京出身だ。なぜ薩摩なんだ?
それに薩摩が朝鮮という発想がすでに論破された挙句の差別発言じゃないのか?
なぜお前等は言い訳に困ると朝鮮という言葉を発するのか?
性格が歪んでるのか?それとも精神が狂ってるのか?恥ずかしい人間性に間違いはないだろうが。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 11:56:27 ID:hZrgQ3J60
安倍は長州系だな。
薩摩は小泉。
870名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 11:58:16 ID:hZrgQ3J60
長州山口県に朝鮮人が多いのは事実。
逆に薩摩鹿児島には朝鮮人はかなり少ない。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 11:59:22 ID:hZrgQ3J60
大半が釜山と結ばれてる下関市に住んでるけど。
872名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 12:08:57 ID:YO2w0WWa0
>>868
大抵の中央政治家は東京近郊に在住。でも選挙区は多くが出身地か
由縁のある地
873名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 17:42:42 ID:bOlQyTUC0
明治維新の給与体制見るとまさにお手盛り

明治の元勲は大工さんの100倍〜200倍の年俸を分捕っておられた

やはり一流の人物は幕末に皆倒れ、生き延びた二流、三流人による明治維新だったわけだ
874名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 19:47:50 ID:XlgNRQkz0
阿呆だなあ
どうやって死んだ人間を罵倒する?

生きている人間は二流三流だ、というのは一種の偽証さ。
875名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 20:31:14 ID:UqPAiFED0
>>873
なぁ、一つ聞いてもいいか?
遙か昔から気になっていたんだけど、
幕末の人物評価で「一流、二流、三流」ってよく言うけど、基準ってどこにあるの?
どうにも何をもって一流とし、何をもって二流、三流とするのかがわからん・・・
教えてくれ
876福沢諭吉:2008/03/05(水) 20:39:40 ID:D4txFQJM0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
877名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 20:45:20 ID:XlgNRQkz0
会津擁護は、答えられないのでコピペを張りました、とさ。
878福沢諭吉:2008/03/05(水) 21:17:44 ID:hZrgQ3J60
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
879名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:28:43 ID:D4txFQJM0
日本の朝鮮植民地政策には異常な特徴がある。
1.経済的には日本側が損失を被る関係だった。
2.混血による同化政策を進め、一時は日本の総人口の30%を朝鮮人や台湾人が占めていた。

英国やフランスは、過剰な生産力のはけ口として植民地を求めたのであり、
持ち出しで他国の開発に投資するようなことはしない。
ましてや植民地土人を自国民と同列に扱い混血政策を進めるようなことはありえない。

半島へ最も執着したのは長州人なんだけど、もともと長州人のルーツは半島帰化人だから、
彼らにとっては東北北海道よりも朝鮮のほうが身近な存在。
朝鮮人に国籍を与えることになんのためらいも感じなかったんだろうね。
明治から昭和初期の日本の歴史は、
日本が半島人やその傀儡に食い物にされた歴史といってもいい。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:32:10 ID:hZrgQ3J60
父親が長州人の芥川龍之介や森鴎外も朝鮮にだ!!
881名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:40:05 ID:D4txFQJM0
 長州中央TV
                                 ∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧∧
                    ______    < 踏んだら孕んだ!
                   /:::::::::::::::::::::::::::::ヽ   < 孕んだ振る降る般若だ!
                  /::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ  < ティムポ擦る無駄、フン出る春巻きはむ無理!
                  |::"´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ:::|  <  チン毛ちぎり、長州塗る久保!
                  |:::|           |:::|  <  陰毛臭いんだ!モッコリ膨らんだ!
                 ヽ/ -=.、   _,=-  ゾ  <  安打!?半田ゴテ毛利打!!
                  | |  -ェゝ ";ュ-   |ヽ  <  奇兵隊ハム!放火しる村塾!?
                  ヽト、  ´i `   ,.イ/  < よくちょん切れるハサミだ!
                  〈  i  /L_、  i 〉   _ノ∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨∨
               __,. -‐ヘ  -=三=-  /──、
          _ -‐ ''"   /  \     /\    ̄゛ー- 、
         ハ       /   |ヽ ̄ ̄//  ヽ、      ∧
         |  ヽ      く     ! .>ーく /     >      / !
           |   |     _>  ∨-、r‐/   <_     /  !
        ∧   !    ヽ     | 厂L/   晋/      i  .∧

   チョン囚人は防長二州に割拠し民族独立のため蜂起せよと演説する高杉同志
882名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:48:26 ID:hZrgQ3J60
「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、
しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、
当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輌の中戦車は、
戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」

高級な戦術論ではなく、ごく常識的な質問である。だから大本営少佐参謀も、ごくあたりまえな表情で答えた。

「轢き殺してゆく」

(やめた)
と思った。そのときは故障さ、と決意し、故障した場所で敵と戦おうと思った。
日本人のために戦っているはずの軍隊が、味方を轢き殺すという論理はどこからうまれるのか。

大正、昭和に軍部の主導権をにぎったひとに、東北人が多い。戊辰戦争で「賊軍」にされた藩から、
多くの軍人が出ている。かれらは西国諸藩出身よりも、より以上に「勤皇屋」になり、
狂信性を加えた。東条英機の祖父が南部藩士であり、
旧会津藩士の家系からも多い。かれらは、「わが藩は、薩長よりもむしろ尊王の伝統が深かった」
というさまざまの藩伝説を誇大に教えこまれて維新後育った家系の出身である。
一種の史的コンプレックスからぬけるために、非常な精神家になる場合が多かった。

「轢き殺しても進め」

といったひとは、東北人であり、「天皇陛下のためだからやむをえない」とつけくわえた。
883名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:53:11 ID:D4txFQJM0
481 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 20:25:37 ID:0klmriFR0
>>476
大内といえば朝鮮人大名だね。
そして朝鮮人にとっては根拠のない逆恨みはお家芸。
チョソ臭い大内遺臣団や防長土着民と、恨み爆発の毛利家臣団が融合したのが長州藩。
結果「防長の人々全部が関ヶ原の恨み」を延々と共有することとなったんだよ。
884名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:55:39 ID:hZrgQ3J60
481 名無しさん@お腹いっぱい。 New! 2008/02/27(水) 20:25:37 ID:0klmriFR0
>>476
大内といえば朝鮮人大名だね。
そして朝鮮人にとっては根拠のない逆恨みはお家芸。
チョソ臭い大内遺臣団や防長土着民と、恨み爆発の毛利家臣団が融合したのが長州藩。
結果「防長の人々全部が関ヶ原の恨み」を延々と共有することとなったんだよ。


482 名無しさん@お腹いっぱい。 New! 2008/02/27(水) 20:35:43 ID:fIMNpDaj0
>>481
大内氏が百済の王の子孫ってのは信憑性が少ない。
それに、逆恨み云々で必死なのは君みたいな書き込みをしてる人のほうが
強いように見える。
感情的になって妄想を膨らませてるだけの異常な逆恨みかた。
885名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:56:52 ID:hZrgQ3J60
491 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/27(水) 21:26:07 ID:fIMNpDaj0
だいたい百済人と朝鮮人は違う民族といわれてる。
886名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 21:58:06 ID:D4txFQJM0
489 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 21:23:25 ID:0klmriFR0
>>482
百済王の子孫か否かの「信憑性」は本質的な問題ではない。
大内が自分で自分をチョソだと言い張ったことが重要。
後に長州人は日鮮同祖論をぶちあげて、日本を朝鮮人だらけにするんだけど、
その原点は大内にあると考えるべきだろう。
887名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:00:13 ID:hZrgQ3J60
493 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/27(水) 21:31:54 ID:fIMNpDaj0
>>492

考 え て な い
888名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:01:37 ID:hZrgQ3J60
天皇陛下は「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに、韓国とのゆかりを感じます」と発言された。

百済人と朝鮮人は民族的に別物。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:05:49 ID:4kgVpjqu0
>>880
鴎外が朝鮮ニダかどうかは別として、そもそも長州人じゃない。
890名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:07:23 ID:hZrgQ3J60
父親がって言ってるだろ。
血筋の話してたから言っただけニダ。
891名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:09:06 ID:hZrgQ3J60
芥川龍之介
1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。
新原敏三(にいはら・としぞう)……1850〜1919. 芥川の実父。周防国、現在の山口県岩国市生まれ。 1866年の幕長戦争において長州藩兵士として戦闘に加わり重症を負うなど、幕末・維新の動乱を生きた。

森鴎外(もりおうがい、文久2年1月19日(1862年2月17日)-大正11年(1922年)7月9日)は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、医学者、軍医、官僚。
第二次世界大戦以降、夏目漱石と並ぶ文豪と称されている。
実父森静男は、周防国、現在の山口県防府市出身。石見津和野藩医・森白仙に師事し婿養子となる。
892名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:11:04 ID:D4txFQJM0
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を
もっとも多く受けたものの一つですから、
それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで
受けつづけてきたところですから。
そういうことがあって、長州的思考法というのは
ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。

司馬遼太郎
893名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 22:13:52 ID:hZrgQ3J60
山口県というのは自然がまろやかで、気候は温和であり、
お行儀や言葉づかいの品のよさというのは日本のどの県よりよく、
一県に、なお武家の気品というものが地熱のようにして残っている。
長州人は人材をふんだんに生み、しかも長州路を行って出会うひとびとはみなどこか都会的で、
田舎くささというものが感じられない。

司馬遼太郎
894名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 00:27:10 ID:qPhdMl5CO
>>893 司馬って大阪人だろ?
それじゃキムチ臭さは気にならないわな…
895名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 07:16:46 ID:V8Pts0yF0
司馬の街道シリーズも、長州路からいきなり朝鮮半島「韓のくに紀行」に飛んでるからな。
896名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 08:55:56 ID:n9KBUd4T0
太政官が官に破格の待遇を与えたのは二流人物達によるお手盛り政権だったから、、、、か

当時の給与体制を調べるとあきれて、よく政権がもったと思う

官が自らの高給を維持しようと必死になったからだな
897名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 09:24:35 ID:8cVaOQt10
>>892まーたそのコピペ貼ってるのか?何度論破されれば気が済むんだよw
医学的根拠もないのに、主観で語る小説家の発言を鵜呑みにするなってのw
ほんっとーに、会津病ってあったま腐ってるんだな・・・。
898名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 11:21:21 ID:EUoUOFM30
>>897
演繹法と帰納法の違いじゃまいか。
医学的に積み上げるやり方と、既知の現象から類推するやり方の違いとも言えるか。
物事、全てのデータが出揃っていることなど滅多にありはしないんで、片方を否定すると学問の少なくない分野が機能不全。
特に、実験の積み重ねでデータ不足を補うことができない歴史学なぞ半身不随もいいところだ。
いわゆる会津病を叩きたいために学問的に許容されている手法まで否定するのはいかがなものか。
899朝鮮のほうが優秀:2008/03/06(木) 11:30:07 ID:Ar0AvpVZ0
私たちが考えている美人の型というのは、だいたい朝鮮型ですね。
私たちはこの朝鮮型の美人を無意識に尊んでいるような感じがありますね。
そのときどきの代表的なスターというのは、だいたい朝鮮型の美人です。
私たちはこの型の美人を潜在的に尊敬するところがある。
どんなに造形的にくっきりしたコーカサス型の美人が現われても、不思議に
長続きしない。
出雲が、そういう朝鮮型美人の産地なんです。
松江大橋からずっと賑やかなところまで、夕方にでも歩いてみてごらんなさい。
一丁歩くあいだには、少なくとも一人はズキッとする人に会いますよ。

秋田ぐらいまで行くと、白皙人種ということで分類されているアイヌの血が入っています。
非常にくっきりした目と輪郭をもった美人でしょう。
どちらかと言えば、コーカサス型になるわけです。
やはり私たち日本人には、出雲美人のほうが、手ざわりということにつながる、
皮膚感覚でうけとめられる美人なんでしょうね。

司馬遼太郎
900名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 22:55:48 ID:WIvpVc/w0
司馬主観乙 個人の自論を鵜呑みにする阿呆は去れ
901名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 15:31:41 ID:Mx6XEYxa0
会津病は絶対このコピペ貼るよねwww
ループさせるしか能がないんだろうねwww
恥ずかしくないのかな?論破された司馬主観を貼ってwww
つか、本当小説が好きね、会津病ってwwwwwwwwwwwwwwwwww
902名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 10:51:53 ID:TuTsjmzp0
薩長政府、東京大空襲を指揮したカーチス・ルメイ将軍に勲一等旭日大綬賞
903名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:02:41 ID:Ve42h7mnO
このスレの会津擁護が基地外なのはよく解った(ノ∀`)www
904名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:10:18 ID:PGONtPjS0
>>903
いや、このスレだけまともな会津養護がいる道理も無いが。
905名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:38:42 ID:ZAf8Wf710
観光史学や小説を鵜呑みにしてる
無脳な会津病にまともな人間がいるわけないだろ
考える力のない偽善者ばっかじゃんw
906名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 18:45:06 ID:5DFaGPVF0
いくら捏造や詭弁を用いても、結局、根底は恨(han)ベースだからね、負け犬史観はw
判官贔屓を期待しても無駄だと思うよw
907名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 19:32:33 ID:2Q5HKcyb0
戊辰戦争の正義は徳川側にあった。
908名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 20:46:34 ID:YknLBVp00
やだなあ。未だにチョンマゲに切り捨て御免。

士農工商。大奥。参勤交代・・・どれも無理ッス
909名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 15:55:59 ID:u4Vq/ZGT0
戊辰戦争の正義が徳川?なんで徳川が戊辰に参加してるの?
>>907戊辰戦争に徳川は参加してません。江戸城開場で戦争してません。

お ま え は あ ほ か 〜 ?wwwwwwwwwwwwwwwww
910名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 17:42:58 ID:G8cHlloh0
事大主義だからいつまでも徳川という権力が味方だと思い込んでるんじゃない?w
911名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 18:51:59 ID:kN+hrqnl0
戊辰戦争は避けられたと思うよ。徳川の降伏で終ればいいのに
恭順示しておきながら武力整備を進めてる呆けた藩や
抵抗しながら北へ行った阿呆どもがいなきゃ戦をする意味なんてないんだからな。
心情で味方してる東・東北・北の人間は本当ぬるいと思う。
912名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 21:49:02 ID:twwrY9GK0
公議政体路線を謀略で覆して藩閥政権を武力で打ち立てたのが薩長。
その結果、日本はアジア侵略の道を歩み始めた。薩長が諸悪の根源。
913名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 22:00:24 ID:7glzQyPu0
そろそろ耳タコの下らない話は止めたらどうだ?
無学の人達よ



914名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 22:04:21 ID:twwrY9GK0
薩長のクーデターのせいで議会政治が20年も遅れたのは事実じゃないか。
915名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 22:07:25 ID:7glzQyPu0
>>914
>薩長のクーデターのせいで議会政治が20年も遅れたのは事実じゃないか。

1.薩長のクーデターのせいで遅れた理由についてのべよ
2.議会政治が遅れて何が問題か述べよ。

答えられないだろうが一応聞く。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 22:59:34 ID:vhIqGE0i0
ていうか、幕府がそのまま居座ったら、議会なんて無理だろ。
もしできても、藩主のみが参加する、貴族院のみの議会だよ。
917名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 23:25:34 ID:twwrY9GK0
幕府が居座る?それが薩長のデマなんだよ。大政奉還して新政府に徳川宗家の
進退を新政府に委ねていた慶喜を無理やりに朝敵にしたてたのが薩長の謀略と
挑発であることは天下周知の事実。
918名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 23:49:06 ID:WTC8LYGt0
ユニクロ柳井(長州)とソフトバンク孫(朝鮮)は顔がそっくりな件について
919名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/12(水) 23:51:41 ID:BVD1msGx0
つか幕府は居座れない状態だったろ
だが、それが薩長のデマという証明はないじゃないか
慶喜を朝敵はぁ?いつ慶喜が朝敵になったよ?
薩長の策略?どんな策略だよ?天下の周知の事実?
会津小説でも読んだのか?オマエさん、戊辰戦争研究会員の可能性があるなwww
920名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 04:29:10 ID:WooXcIXi0
端的に言えば明治維新は日本の文化大革命。

欧米文化を先進的、自国文化を後進的として粛正淘汰していった。

中国共産党を笑えない。
921名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 07:55:09 ID:uGtx+40k0
会津ホロコーストを国際法廷に!!
922名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 09:44:07 ID:o00dSZXY0
>>920
端的に言えば>>920はお笑い界の文化大革命。

923名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 12:57:45 ID:KS6QSG8iO

江戸城は、
既に篤姫と和宮に
乗っ取られていたからね!

924名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 13:17:41 ID:uGtx+40k0
大政奉還で公議政体が実現しようとしたのに薩長がそれを武力で阻止して藩閥政府を
打ち建てた。こうして日本は軍国主義とアジア侵略の道に踏み出した。
925名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 13:41:44 ID:Sjj6U1L50
>>924
お前のデタラメには呆れた。全く事実と違う。
公議政体など実現しようとはしてない。
有名無実だ。理論だけで実態なし。
その理論もばらばら。
そして薩長は武力で阻止してもいない。
軍国主義もアジア侵略も存在しない。
実態のない観念論に過ぎない。
926名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 16:49:04 ID:MRvQc6Hs0
924は戊辰戦争研究会員か、星などの作品を読んで
その気になってる「考える力のない輩」だろう
927福沢諭吉:2008/03/13(木) 21:03:59 ID:pQ7md0rW0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
928名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 22:36:23 ID:5FxXgvJa0
何が開国だ。征夷大将軍ならちゃんと征夷しろや。
できないなら将軍職なんか返上しろ
929名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 00:16:46 ID:LhzVWQVzO

大化の改新は、

ひど過ぎる!

930名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:40:05 ID:wcrPR+N10
>>927は本音を言えば殺された幕臣時代
維新後自由な発言ができるようになると・・・・・
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
931名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:46:08 ID:wcrPR+N10
>>927は本音を言えば殺された幕臣時代
これは訂正。よく読んでなかった。
しかしそれだけ幕府時代と違って自由な発言ができるようになったってこと。

●当時吾々同友は三五相会すれば則ち相祝し、 新 政 府 の
此 盛 事 を 見 た る 上は 
死 す る も 憾 み な し と 絶 叫 し た る も の な り


新政府さんカッケー!! 福沢諭吉
932名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:55:17 ID:Hd2r6ZBN0
世界の奇跡だよ
たった50年で近代化し列強入りは
933名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 04:59:30 ID:TK3XZ5XN0
明治初期、薩長藩閥を批判することは非常にリスクの高い行為だった。
あからさまに罵倒した文書をかけば、発禁処分となり、社会的地位を追われ、
場合によっては罪に問われ処刑される可能性もあった。
こうした中、可能な限りの政府批判を行った福沢の勇気は評価できる。
ただし、彼の批判は巧妙なイソップの言葉で書かれてる。というか書かざるを得なかった。
倒幕の「偉業」を賛美するほめ殺しによって、暗に権力や利益を独占する門閥を非難する。
こうした形式の表現が多いのはそのため。
934福沢諭吉:2008/03/14(金) 05:03:24 ID:TK3XZ5XN0
●日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。 
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。
935名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 07:46:23 ID:wcrPR+N10
>>927は本音を言えば殺された幕臣時代 。しかものちには>>931のように撤回し、
幕府についてはこう本音をぶちまけている。
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
936名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 07:48:17 ID:wcrPR+N10
アンカー間違った
>>934は本音を言えば殺された幕臣時代 。しかものちには>>931のように撤回し、
幕府についてはこう本音をぶちまけている。
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
937名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 14:20:41 ID:bCZ687kS0
薩長に都市計画の考えが無かったか東京はあんなんに、、
938名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 15:29:53 ID:I5thZI2F0
>>934
京に近いから恐れてたんだろ。
薩摩は薩英戦争で世界の強さを知ってからは攘夷思想は捨ててます。
しんも元々攘夷思想は朝廷の意思。それに従っただけ。朝廷の意見を完全に無視してたのは幕府。
新政府は日本全国に工場など造ってますが。
>>937
東京大空襲で焼け野原になった東京の再建に携わったものに問題があるのでは?
薩長と関係ないだろ。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 15:40:54 ID:2JiDxnnU0
>>937 これでも嫁
『明治の東京計画』藤森照信 岩波書店同時代ライブラリー18
ISBN4-00-260018-1
940名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 17:06:02 ID:vdmRZF9J0
>>938
関東大震災も忘れんといてや
941名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 18:22:40 ID:BtvU/WED0
幕内での意見不一致や幕藩体制を作った頃からの経済の力バランスが崩れ政情不安になる
アメリカの南北戦争で余った武器の売り先として日本を選択
フランスは幕府を、イギリスは反幕府を顧客として投資と武器を売る
案の定内戦、ただ長引かずにすんなり終戦←ココ重要
942名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 20:42:31 ID:tfUazlck0
>>941へ下記を読め。
喜は、外国代表との謁見式開催を宣言し、イギリス、フランス、オランダ、
アメリカの四カ国のうち、大阪城で最初に謁見したのはイギリス公使のパークスだった。
萩原延壽の「遠い崖」に、謁見の模様が詳細に書かれている。パークスとの謁見は
三時間半に及んだ。通訳サトウの抱いた慶喜の印象は、「秀でたひたい、形のよい鼻、
まさに紳士そのもの」だった。パークスは、本国外務次官に、慶喜は「もっともすぐれた
人物」であり、信頼に値すると報告する(遠い崖、四)通説では、フランスが幕府に
近づき、イギリスが幕府を見限って薩長両藩と親しくなったと叙述される。このような
幕末の国際関係の枠組みは、戦前の「維新史」などがつくってきたものだ。フランスの
ロッシュの外交が、慶喜の改革を指導したというような見方に、最近の研究は懐疑的だ。
フランス外務省が、ロッシュを支持していなかったことが明らかになっている。
(高村「維新前後の”外圧”をめぐる一、二の問題」社会科学研究)さらに、萩原氏は
イギリスと薩長が親しくなったという通説にも否定的だ。サトウは間違いなく薩長に
「親密」を持っていたが、公使パークスはサトウとは違っていた。このころのイギリスの
外交の基本は、本国外務省も公使館も徹底的に「ただ貿易の発展」であり、「政治的
影響力の行使」を欲していなかった。日本が条約を厳密に守ることが日本に対する要求で
あった。パークスは日本の政治状況が揺れていることを知っていて政治情報を収集して
本国に報告していた。イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、
くりかえし厳重に禁じていた。パークスも、外務省の方針に依存はなかった。イギリスが
薩長と「親密」などということはなかった。逆に、条約承認や兵庫開港問題について
薩摩藩がくりかえし執拗に妨害するのをイギリス公使館は警戒していた。
943名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 21:15:53 ID:KVhYCQWA0
俗説を事実と思い込むのは幕府・会津・新撰組ファン
944名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 01:02:00 ID:zu725z8j0
>>942
幕府よりは親密だったのは事実。
パークスって日本にずっといたわけじゃないこと知ってます?
薩英戦争後完全に親密になったことは事実。薩摩にイギリスの技術者移住してますし。

945名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 05:43:35 ID:hWxhGDtV0
>>944
>薩英戦争後完全に親密になったことは事実

ならソースくらい出せ。
946名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 08:03:27 ID:fC+UzCI00
薩長イギリス説を振りかざす奴のソースは小説。
史料を示す人間は副島隆彦も含めて一人もいない。

薩長イギリス説は、徳川慶喜と日本駐在フランス公使ロッシュが盟友関係であったことの対比上、
俗説として書かれるが、実際はイギリスは鳥羽伏見の戦い終結まで幕府を交渉相手にしていた。
947名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 16:40:49 ID:YC+wFWK20
公議政体論者の坂本竜馬を殺したのは薩摩だよね。後に土佐と会津が
自由民権で手を結んだのもわかるね。
948名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 16:53:10 ID:fC+UzCI00
中岡慎太郎は当時薩摩にとって最重要な人物であった。
公武合体に流れる土佐藩内において、数少ない討幕派の有力者であったのだから。
中岡が坂本と同時に暗殺されたのが、薩摩にとっては痛恨の出来事となった。

坂本竜馬を襲ったのは、松平容保の命令に基づく見廻組であった。
949名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 16:59:39 ID:YC+wFWK20
坂本の居場所を見廻組にチクったのが薩摩なんだよ。武力で藩閥独裁政権を
樹立しようとしていた薩摩にとって坂本の平和革命路線、公議政体論が邪魔だったんだ。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 18:19:46 ID:fC+UzCI00
痴呆患者>>949には、坂本竜馬は薩摩にとって無害で、
中岡慎太郎は薩摩にとって最重要人物であった、という事実が見えないらしい。

坂本竜馬を殺したのは会津藩であろう。
951名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 18:39:22 ID:jTbGPIdh0
>>949
お前の妄想などどうでもいい
まずはソースを出してみなw
952名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 18:39:49 ID:fC+UzCI00
そもそも、>>949のような説を並べていた人間は中村彰彦であったが、
奴は論拠を全く示さず、ただ中傷だけを文藝春秋や歴史街道などに載せていただけだった。
中村彰彦と>>949は恥を知れ、と言いたい。
953名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 20:11:53 ID:ilOCb3S00
>>949
坂本がなにいっても、新政府に相手にされるわけないじゃん。
殺す必要性がわからん。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 22:57:52 ID:zu725z8j0
>>945
ググレカス。
第二次長州征伐時に騎兵隊が使ったミニュー銃(エンピール銃)は英国が薩摩に売ったものを
海援隊が長州に送ってものだ。
幕府の戦艦はフランス製だよな?


>>946
鳥羽伏見の戦いの時に大阪湾に榎本率いる幕府の戦艦来てたけど山陽道を通った薩長土の
援軍と物資の輸送船を攻撃しなかったのはなぜ?
慶喜と松平容保つれて江戸に帰ったのはなぜ?
イギリスから薩長に攻撃するなと圧力あった以外にどう説明するの?
もしかして旗本は皆弾一発も打てない腰抜けだったって?
955名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:26:23 ID:fC+UzCI00
>>954
榎本艦隊は腰抜けで、他の艦隊相手にしか行動しなかった。
それは榎本艦隊の欠陥であって、薩長とは全く関係がない。

お前の関係のない出来事を並べれば自説を強化できると考える無能さは、中村彰彦と全く同じで不愉快だ。
956名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:32:17 ID:fC+UzCI00
>>954
ついでに言う。
お前は、薩摩と長州が連合をしたことがイギリスと薩長が連携している証明だというのか?
薩摩は幕府の承認の元、長崎奉行を経由してイギリスからライフル銃を購入している。
それが幕府が馬鹿で、薩摩から長州に武器が流れた。それだけのことだ。

全く関係のないことを並べれば自説が強化される、というのは、
中村彰彦が良く使った手で、奴の最も恥ずべき話法だ。
957名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:38:26 ID:C1jucNCP0
「日本において、体制の変化が起きるとすれば、それは日本人だけから
 端を発しているように見えなければならない」

          (1866年4月26日付、ハモンド外務次官よりパークスへ)


この命令は重要である。
すなわち明治維新の工作は、誇り高き日本人に気付かれぬよう、
あくまでも秘密裏に行え、と徹底的に釘を刺しているのだ。

本国からのこの訓令は、以前から在日公館に幾度となく繰り返されている事実がある。
とすると、明治維新の舞台裏で、英国はかなりの工作を行っているということだ。

これから更に英国の動きが「理性的」に「抑制」しながら盛り上がってゆくのだが、
裏から見れば、さながら武士の魂を埋葬し、東洋の島国を転覆させようとする怪物である。


1866年の3月16日、強烈な論文が炸裂した。

「ジャパン・タイムス」 横浜で発行している英字新聞だ。無題である。
後に「イングリッシュ・ポリシー」とか「英国策論」と呼ばれる論文だ。
無題、無記名で書かれたからと言って、この論文をうっかり見過ごしてはならない。
幕末史上、大事件のひとつなのである。

文は、これまでのイギリスと幕府とのやり取りを振り返りながら幕藩体制を批判する
長文だが、内容は強烈だ。「外国を欺き続けてきた将軍は、その座を降りろ」と迫り、
「日本は天皇と大名連合が支配しなければならない」と激しく攻撃を浴びせる。

度肝を抜かれるのは、次の警告だ。すなわち、約束した兵庫開港期日がこじれれば、
「イギリスは強制と流血の手段に訴える」と恫喝している点である。
英国による国家転覆を目指した宣戦布告だ。

しかも開港期日に着目して欲しい。二年後の1868年元旦なのである。
この年に何が起こったのか? そう、武家社会を埋葬した明治維新である。

さらにロンドンでも凄い事が起こった。寺島宗則が直接クラレンド外相に会い、
「英国策論」の説く「大名の合議制」を正面から訴えたのだ。二つは同じ内容である。
即ちイギリスと日本で同時に、『革命』の狼煙を上げたのだ。

これで仕掛け人は誰か分かるだろう。グラバーとサトウの諜報ラインだ。弱冠22歳の
英国諜報部員、アーネスト・メーソン・サトウが、大胆にも「ジャパン・タイムス」
で革命論をぶち上げる。サトウが論文を書いて日本国内を煽り、薩摩の軍事経済
顧問のグラバーが五代友厚、寺島宗則をイギリスに送って、英国政府を動かす。

英国諜報部が覚悟をもって磨き上げたシナリオである。
958アーネスト・サトウ:2008/03/15(土) 23:39:08 ID:C1jucNCP0
大君を本来の地位に引き下げて、これを大領主の一人となし、
ミカドを元首とする諸藩の連合体が、大君に代わって支配勢力となるべき。
これが私の提案である(英国策論)。

イギリスが表立って口を出すとまずいから直接介入は避けるが、
我が下僕たち(薩長)への間接支援は惜しまない。
959名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:40:54 ID:C1jucNCP0
薩摩は薩英戦争でボロ負けし、英国に土下座して藩論を開国に転換することを誓う。
このとき藩論を英国下僕路線に導いたのが、グラバーの手先の五代。
その後、英国外商から融資を受け、上海との間の大規模な密貿易を開始。
大量の銃器を買い付けイギリス人の指導のもと軍制改革も行い割拠体制を固める。
このような薩摩の動きは、日本全体は念頭においておらず、
あくまでも一藩の利害を絶対視してるところに特徴がある。
長州もまた同じで、四国連合艦隊にボロ負けした後、
上海との密貿易を軸に独自の割拠論が台頭。
下関の貿易利権を幕府から守るためイギリスの庇護のもとに入ろうとする。
両藩ともやってることは国賊そのもの。
960名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:49:01 ID:fC+UzCI00
佐幕厨房は嘘がばれて、詐話に走りましたか。
出せるなら、どこのどんな史料か言ってごらんなさい。
961名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:58:26 ID:eP7CxgwZ0
>>956
>お前は、薩摩と長州が連合をしたことがイギリスと薩長が連携している証明だというのか?
イギリス抜きの薩長同盟がありうると信じてるとすればオマエは馬鹿だ。
表面的には下関戦争後の四国共同覚書により長州との密貿易が封じられた。
しかし、グラバーなどは薩摩藩を介在させた対長州密貿易ルートを開拓する。
・薩摩が薩摩藩名義でイギリスから武器を購入
・長州藩は武器代金として米を薩摩に渡す
・薩摩が武器を長州に横流し
この密貿易上の癒着が後の薩長同盟につながる。
962名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:02:27 ID:2FHrI4+J0
ソースなしの妄想カキコ乙
笑っちゃうよ
963名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:11:54 ID:2FHrI4+J0
薩摩は幕府の承認の元、諸外国から武器を購入できた。
それだけのことだ。どこにもイギリスが薩長に加担する理由がない。
964名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:16:11 ID:ldqoRm7t0
>>950
前半はそういう見方ができないこともないと思うけど、最後の一行については一言で結論付けるには突飛過ぎる。
結論までの過程を示してほしい。
965名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:22:19 ID:2FHrI4+J0
>>957,958,959のソースはまだですか?
嘘つきの佐幕厨房さんは、また逃げたのですか?

結局、坂本竜馬を暗殺したのは会津藩主松平容保の指令であり、
彼の命令で暗殺を実行したのが見廻組であった、ということを認めるのですね。

イギリスは鳥羽伏見の戦い終結以前は、幕府を交渉相手にしていました。
フランスと徳川慶喜の蜜月振りとの対比上、通俗誌では薩長とイギリスの提携話が出されることがありますが、
実際は根も葉もない俗説です。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:27:19 ID:oXsmubp20
>>942
>イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、 くりかえし厳重に禁じていた。
たしかし幕末期のイギリスは非拡張主義をとってる。
それは偶然この時期に植民地保有よりも自由貿易に重きを置く思想が有力だったため。
しかし、これはあくまでも一時的・表層的な現象にすぎず、「いかなる形の内政干渉」禁止は、
有名無実の建前。その以前のイギリスはインドや中国を武力で手中にしてるし、
それ以後も東南アジアやアフリカで植民地拡張政策を進めてることを忘れてはならない。

事実、オールコックやパークスは、幕府に対し、貿易独占をやめ、
個別大名に自由貿易の権利を与えるよう、しつこく要請しており、
これは事実上の内政干渉にあたる。
さらに薩摩や長州といった不満分子に巨額の融資を行い、
大量の最新兵器を与え、その使用法を教授している。
現地の土人を使って内紛を起こそうとする意図が明白で、
内政干渉どころか植民地侵略一歩手前と言っていいだろう。
967名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:29:57 ID:2FHrI4+J0
また関係のないことを並べる手法ですか。
中村彰彦の常用したその手法は、会津擁護の使う最も恥ずべき話法ですよ。

ソースはまだですか?
968名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:31:54 ID:oXsmubp20
>>965
現地政府と協調する一方、背後では反乱派に武器を与え内乱をそそのかす。
この程度のことはイギリスにとっては朝飯前。

いずれにせよ薩長はイギリスの援助なしには倒幕なんて到底不可能だった。
この事実がすべてを物語ってる。
969名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:35:29 ID:2FHrI4+J0
またソースのない偏見による断定ですか。
嘘もいい加減にしなさい。

ソースはまだですか?
970名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 01:01:38 ID:UlOQvx680
>>966
>事実、オールコックやパークスは、幕府に対し、貿易独占をやめ、
>個別大名に自由貿易の権利を与えるよう、しつこく要請しており、
>これは事実上の内政干渉にあたる。

そもそも幕府に貿易独占をそそのかして諸藩の参入を締め出すように進言したのが仏蘭西のロッシュだ。
そしてそのまえに英仏の日本参入を妨害する意図を秘めた通商条約を強要したのがアメリカだ。
英仏蘭米、どこの国も自分の国の国益を最大化にする為に動いている。
だから自国と利害の一致するパートナーを探し、そうした政策に誘導しようと策している。
幕府や薩長もそれぞれの思惑で外国を利用しようと考えた。
内紛とか植民地侵略なんて全然関係ない。そういう野望を持った外国人が一人も居なかったとは証明できないが。
馬鹿正直に本音を赤裸々に綴った外交官の日記が発見されない限りはね。
仏蘭西が幕府にしたことは正に内政干渉といえるだろうね。幕府はラリパッパの馬鹿ばかりだから
仏蘭西にすれば幼稚園児を騙すより簡単だったであろう。でも文句言っても始まらない。
それが当時の日本だったのだから。そして、そういう外国の干渉を日本人に警告したのが、
横井小楠の破約攘夷論なんだよね。ラリパッパ幕府は、破約攘夷論を読まなかったようだが。
971名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 02:03:53 ID:1BoQfAjW0
外国が入り込んできたから国が揺らいだのだよ。
幕府や薩長の影に外国がいてもおかしいとは思わないが
会津系作家のように外国と結託して幕府を討ったとかいう
寝言は死んで言ってくれってとこかな?w
972名無しさん@お腹いっぱい。
>>966
>内政干渉どころか植民地侵略一歩手前と言っていいだろう。

幕末にもそうした危機感を持って過激な攘夷に走った勢力がいた。
桜田門外の変で大老井伊直弼を暗殺した水戸浪人がその代表だな。
それは説明責任を果たさなかった幕府にも責任がある。
そして水戸浪人のそうした懸念は全くの杞憂ともいえなかった。
実際、幕府は売国政策に走ったからな。江戸時代の幕政は幕府栄えて諸藩は疲弊するものだった。
それが幕藩体制だ。「一将功成りて万骨枯る」を国に当てはめたのが幕藩体制だ。
そもそも遅れた国が外国の力を借りずに近代化した例など一つも無い。
近代化するなら開国は絶対的な必要条件なのだ。
だから開国そのものは間違いとはいえない。
ただしそれは諸刃の剣であって、開国すれば近代化できるというものではない。
開国は近代化の必要条件であって十分条件ではないということだ。
開国して近代化に失敗した代表例が清朝だ。清朝は半植民地に成り下がってしまった。
日本が清朝の轍を踏まずに近代化できたのは薩長が巧みに外国を利用し、いち早く藩の近代化を果たし、
売国政策のラリパッパ幕府のを打倒したからに他ならない。
幕府の間違いは幕府に能力が無いのに開国したことだ。無能な政権が開国すると売国になってしまう。
それが清朝であった。有能な薩長が無能な幕府を倒したからこそ、日本は近代化できた。
これが明治維新なのだ。