1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
近代史といえばこれだろ?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/19(土) 22:49:46 ID:pWlvgBK0O
誰もいない(´・ω・`)ショボーン
まずは、スレ主の方が語られてはどうでしょうか。
すき焼きスレはどうなるか分かりませんが、ネタスレ以外では最初に
立ったスレと言えるかもしれません。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/19(土) 23:58:55 ID:pWlvgBK0O
たいした知識も無くスレを立ててしまったわけですが、恥ずかしながら。
自分は、最近自分の先祖を調べてて、曾祖父が日露戦争に行っていたのを知ってから、
日露戦争に興味を持ったのですが、残念ながら、曾祖父がどの部隊に所属してたとか、
どんな体験をしたとか全く伝わって無いのですが、只その時の軍服は大切に保管してたらしく、
行った事を誇りにしてた様です。
改めて当時の日本人にとって大きな事件だったんだなあなどと思ったわけですが、
皆さんの中にも自分の先祖が日露戦争行ってたって人います?
あんまり普通に本読んでただけでは分からない様な生々しい話を聞きたいです。
5 :
電脳プリオン:2005/11/20(日) 02:39:19 ID:8Brg5Q4H0 BE:152028735-
100年前に終わったらしいな。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/20(日) 13:08:46 ID:tkvLRc8IO
丁度百年のおかげで去年、今年は日露戦争関係の書籍も結構出てますね。
最近では、日本の外債募集手伝ったジェイコブ・シフについての新書なんてかわったものも出てますし。
この流れのついでに「名将回顧、日露大戦秘史、陸戦編」みたいな戦前に出た書籍の復刻して欲しいなぁ(´・ω・`)
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 17:13:27 ID:JKDp9PkTO
とりあえず映画二百三高地見ろ
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 17:40:21 ID:NZB1uP8+O
>>7 二百三高地は良いですよね。
最近NHKのその時歴史が動いたでも一部映像が使われていましたが、
20年以上前の映画なのにとても迫力がありますし。
児島襄の「日露戦争」もいい感じ
日露戦争には二つの側面があります。
一つは日本とロシアの戦い、もう一つは日本のコリア侵略です。
日本軍は、コリアの中立宣言を一方的に無視して国土を踏み躙りました。
金銭、物資、労働者は徹底的に収奪され、前線へと送られました。
これが日本の勝因の一つになります。
終戦後、コリアは日本のさらなる侵略に晒され、その主権をも奪われました。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 21:08:40 ID:f6cjls/70
>これが日本の勝因の一つになります。
どこがだよ。そんなんが勝敗の要素になるか。
ごめん!釣られちゃった☆
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 22:13:27 ID:JKDp9PkTO
二百三高地は日露戦争映画の決定版だよな
年末に戦艦大和の映画やるけど次は日本海海戦の映画可を求む
本物の三笠を撮影に使えば大和より予算が安く出来るだろ
13 :
奉天で陰茎の根元をきつく縛って:2005/11/21(月) 22:44:34 ID:x6vbtSzh0
http://sintarou.e-city.tv/hokanshoko/m07.html ・亀頭にたばこを押しつける憲兵大尉、お灸をする憲兵大尉
・陰茎の根元をきつく縛って押え射精できないようにしておいて亀頭だけを磨刮する
憲兵大尉は終戦後、昭和12年から16年までの期間に犯した罪状で米軍から戦犯として指名され謹慎していましたが、
しばらくして戦犯指名から解除され、その後、防○大学の教師として採用されました。年齢は50歳近くになっていたと思います。
http://www.asyura.com/sora/bd4/msg/426.html http://members.at.infoseek.co.jp/YaYa/isihara.htm 私が抱きついてゆくと三島さんは急に体の向きを変えて抱き返してきて小さな声でささやいた。
「しばらくぶりだったね、会いたかったよ。」
、、、、懸命に三島さんの首から、胸、腹に、強いキスを浴びせかけていった。
、、、三島さんはこちらが驚くほどの、甘えた子供のような声をほとばしらせた。
1966年、昭和41年8月27日、熊本、ホテル・キャッスル。
三島由紀夫42歳、福島次郎36歳、中年男の熱い再会だった。
「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスをしゃぶりつくようにしたのだった。
三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの耳元にささやいた。
「ぼく、、、幸せ、、」歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」
http://sv.mcity.ne.jp/D/7044/i/102.shtml 「林さんはもう駄目です。」
「え?」
「もうだめです。あの人、右と左の両方から金をもらっちゃった。」
林とは勿論、右翼の論客・林房雄である。
1970年・昭和45年の9月のある日、場所は銀座「浜作」
呼ばれて駆け付けた毎日新聞徳岡孝夫は『五衰の人』のなかで書いている。
「、、それまで私が見たことのない、世間の人が三島に想像したこともない、
投げ遣りな姿と言葉遣いだった。、、(林房雄に対する怒りは)執拗であった。
普段そんなに飲まない人が、少し自暴自棄に酔っていた。」
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/21(月) 23:01:26 ID:Nle4Dmyx0
教えてください この世に生きとし生ける者の
全ての生命(いのち)に 限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
教えて ください
言葉で見えない望みといったものを 去る人があれば 来る人もあって 欠けてゆく月も やがて満ちて来る なりわいの中で
203高地はいいね〜W民放で放映してくれないかなぁ。正月特番かなんかで。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/22(火) 12:54:35 ID:iFxKCAhy0
個々の功罪はともかく、乃木将軍は今でも人気ありますなあ。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/22(火) 21:05:26 ID:Fdy6I20S0
仲代達也の乃木さん、よかったですね
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/22(火) 21:56:26 ID:dYulkaNC0
>>17 これ以上ないくらいの適役でしたね。
NHKの『坂の上の雲』では、誰が乃木さんを演じるのだろうか。
(それ以前に制作が予定より随分遅れてるそうなのだが・・・)
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/22(火) 22:34:59 ID:9UJC5w3TO
今月の歴史群像で二百三高地の真実という記事あるよ
それに装甲巡洋艦「筑波」のことも詳しくノッテルヨ
日露戦マニアは必見
なぬ!買ってしまいそうだ。また金欠が…orz
マジやばい。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 11:14:54 ID:6QtJTD8s0
ロシア側は戦争直前に「サル共(日本人の事)が俺らと戦争か。面白いじゃないか。」
と言い、更に「ロシア兵1人で日本兵3人相手にできる」とも言っていた。
結果は日本の勝利だった。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 15:49:29 ID:7A2IWonvO
この戦いが詳しく書かれている本、ありますか?
日露戦争全般でも良いので、お願いします
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 15:59:27 ID:P/kQcHvi0
,.イ´| ̄`ヽr<´ ̄  ̄`ヾ´ ̄ `ヽx''´ ̄「`丶、
/ _|ノ ├〈,.-― ;. _ ,ゞ--'、:\___lヽ
,':∨::\ /´ ̄  ̄`ヽ ヽ/´ `ヽ、-.、 \::::::::::',
|、_;/ / /´ ,. 、 、 \. \ \―|
’、 / / ,. / / ,ハ ',. ヽヽヽヽ \ヾ/
\_/:/:/:./ , / .,' / // | l | , l: | ', ',. ! l :',!|
|/:/::/:/:/:! l | { /|:! l l } !ノ|::,!l | :| |::|:::::::|ノ
|:/l/:/:::,|::|:{イ⌒lヾゝ ノノイ⌒lヽ|:::!::}:;!::l::::::/
|::/|/l::/l';:{ヾlー''! lー''!/リノノ/::/:l::/
|| |:/リ、|::l;ゞ ̄´´ ,. ` ̄" ハ:lリノノノ'
リ |' __,⊥!、 " " r===、 " " /ノノ ||
'/´\:: : \ ヽーノ /`ーァ-、 ヾ、
_ / li : . ',.`ヽ、 _ ,.イ´ /.ノ::l| ヽ \____
. /'/ |l ヽ `Y´ / './ . :l| |、 / /
\l |l, \\_!_/ ‐ ´ 、!| | |\ ̄
| /; ´ ` ‐ , ヽヾ ! \|
| / ヽ::/ `ヽ |
| ,' ` ', ! 同じ板にコピペするとそのままだけど、
. | |::: ヾ ヾ .:| .| 違う板にコピペするとおっぱいがポロリと
| '、:::.:.. . ― . .:.:::,' ! 見える不思議なギガバイ子コピペ。
',. \_:::.: : :_二二二:_: : : : .:.:.:.:::/ ,'
':、 ト、 ̄ ´.:.:.::::::::::.:.:.:.` ―┬ '′ /
\ |l ヽ l| /
. `/,' ヽ \ ',/
∧ヽ \ \:.:.:.. ∧
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 16:40:09 ID:JdQGV0Os0
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 16:46:44 ID:9irzcFdl0
>>22 とっつき易いのでは
学研歴史群像シリーズ24「日露戦争」 同59「激闘旅順奉天」
従軍した人の回顧録としては
猪熊敬一郎「鉄血」 桜井忠温「肉弾」
もっとも詳細且網羅的なのは(賛否はあるが)
参謀本部編「明治三十七八年日露戦史」(大きな図書館でなければ見られないかも)
後は、個々の連隊なり師団史になるかな。
>>24-25 どうも、ありがとうございます
明日にでも早速買ってきます
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 19:09:07 ID:XuQ9dOMPO
>>22 中公新書で
「日露戦争史」(横手慎二)
「日露戦争」(古屋哲夫)
なんてのもあります。
新書なので少々内容的に食い足りない感じもしますが価格は安めです。
後、参謀本部が編纂した戦史をコンパクトにしたものが文庫で徳間書店から出てます。
これは確か絶版だった気がしますが、図書館や古書店であると思いますので興味があればどうぞ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/23(水) 21:41:59 ID:7A2IWonvO
>>27 またまた、ありがとうございます
日露ものは初心者なので…助かります
ニチロ戦争は日本版第一次世界対戦的な趣があるね
原書房の「日清・日露・大東亜海戦史」もいいかも。
余計なのが入ってるけど
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 10:23:39 ID:xtsPCnl1O
>>30 またまた、ありがとうございます
今日まとめて探してみます
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 18:52:46 ID:x3crwLgMO
そんなに読めないだろ
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/24(木) 19:42:05 ID:ujfXUFaS0
肉弾って旅順のだよね、沢山亡くなったらしいよね
今が平和なのはありがたいことだ
一太郎やあい
>>32 最寄りの本屋に
「歴史群像 日露戦争」「日露戦争史」「坂の上の雲 1〜5巻」があったので、早速、買ってきました
教えてくれた皆さん、本当に、ありがとうございました
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/25(金) 06:07:45 ID:w6mS+2jrO
(´-`).。oO(ところで皆さん)
(´-`).。oO(遊就館で今「日露戦争百年展」やってるの御存知ですか?)
日露戦争は、満州が舞台なんだけど、中共の教科書には一切記述がない。
>>36 お、ありがとうございました。
>>37 お久しぶりです。お忙しそうですね。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/25(金) 17:38:28 ID:DtvtD0a50
アジア歴史資料センターでは こんな粋な企画をやってる。
*日露戦争特別展
http://www.jacar.go.jp/frame1.htm ちなみにアジア歴史資料センターというのは、もともと村上内閣時代の謝罪外交路線を契機にして開設されたものであったが、
実際に出来上がってみたらぜんぜん別物の素晴らしいものにに仕上がった、というイワク付きのウェブページ。
上記特別展は「坂の上の雲」な感じ。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/25(金) 18:12:55 ID:yNejPTF70
正露丸は征露丸だったらしい
42 :
兵隊やくざ:2005/11/25(金) 22:24:01 ID:w6mS+2jrO
日露戦争の事を勉強してる人って多いんだね
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 02:43:19 ID:7chI9FAKO
↑勝新ですね
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/26(土) 16:35:17 ID:Xw/a5p5U0
スペシャル大河はどないなっとるねん・・・
脚本家は誰に引き継いだんだろう。
これって勝ち戦なの?
負けてるけど勝ち戦
陸軍と海軍でトントン
>>21 いつも気になるんだけど、黄色人種のことをサルサル言ってるロシア人の中で
実際サルを見たことがあった奴はどのくらいいたんだろうか?
ポーランド史オタとしては、もしここでロシアが負けなきゃ、
ポーランドの史実での大戦後の独立も更に延びたと思うからそういう意味でも国際的な戦争だよね。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 15:27:19 ID:W4ts0H2v0
旅順攻略戦を、東洋版ワーテルローとまで仰る方がおられまする。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 17:45:06 ID:pZIaKJ+nO
日露戦争で朝鮮半島ロシアにやってしまえばこんなウザイ事なかったのに樺太と交換でも
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 18:05:54 ID:NdBxvfOs0
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 20:55:07 ID:/OfH6K8z0
>>50 とりあえず、日露戦争当時の国際状況を理解するんだ
>>50 ロシアから見れば、太平洋艦隊と分艦隊の根拠地であるウラジオストックと旅順は、離れすぎていた。
当時の石炭炊きの汽船の、航続距離の関係で、中間地点に石炭と真水の補給所を欲していて、
その中間地点は当然、日本海側の朝鮮半島南部の何処かと言うことになる。
ロシアが怖い朝鮮は、日本には内緒でロシアに基地を提供しようとしていたようだが。
(新たな根拠地を得れば、鉄道も引きたくなるだろう。鉄道の沿線はロシア化するよね)
そのためには、日本と日本の後ろ盾を得ている朝鮮が、ロシアには邪魔なわけ。
ロシアにとって、旅順維持のためには、朝鮮はどうしても必要だったから、
交換なんて”提案”は、ハナから無理だと判るだろう?
大体、自国の軍艦にコレーツ(朝鮮)、マンジュール(満洲)なんて、名付けているぐらいだ。
両方とも余所の国なのに。でも、直ぐに自分のモノになると考えていたんでしょう。
「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」は、短い文章で多くのことを的確に伝えた名文として評価される。
秋山参謀は文学青年でもあったわけですね。
>>53 朝鮮南岸なんてロスケに呉れてやれ。
朝鮮半島がロシア勢力圏に収まっても、日本の国防にとっては大した問題にならん。
もともと日露は北方を通じて接しているわけだしね。
>>54 受け取り手は「こういう名文はケシカラン」と怒ったそうだから、込められた意味が理解されたとは思われん。
「的確に伝えた名文」とはいえないのではないだろうか?
>>55 まじめに答える気にもならんが、北方の港は冬場は凍結して使い物にならないよ。
つまりロシアは冬場は太平洋に展開する為の港がないわけだ。
帝国主義として出遅れ感のあるロシアにとって南下の足がかりとなる朝鮮半島はのどから手が出るほど欲しい土地ということになる。
日本にとっては恐ろしく脅威だろ。
ロシアは対馬を占領しようとしたことがあるね。
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/01(木) 21:47:47 ID:MuzEuMZE0
海軍にはカレーという象徴的な食べ物がありますが
陸軍にはそのようなものがあったのでしょうか。
日露戦争において特に陸軍は兵站もままならない状態であったから無いかも知れませんが。
すみません、すみません。
1906年に東郷を訪問したアメリカ海軍の学生が、
「あなたの尊敬する人物は誰ですか?」
と質問すると
「16世紀の李舜臣元帥です」
と東郷が答えたそうなんですが、ぐぐってもデータでてきません。
嘘だと言う自信もなしに反論できませんので、もしそういう説が
存在しているなら遠慮なく教えていただけませんか。
>>59 ヘイタンそんなに悪くは無かったよ。(脚気問題を除けば)
戦闘中は携帯口糧になるけどその他は缶詰とご飯。
今でいうインスタントラーメンの粉のような<醤油エキス>とかも採用されてた。うまそう。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/01(木) 23:36:59 ID:c7yBddPV0
63 :
60:2005/12/01(木) 23:54:45 ID:3SARhaX00
微妙ですわなあ、日朝友好のための謙遜と、実業家の伝聞か。
自叙伝や手紙に残らないレベル。
日本人の性格ならこれくらい言うもんねえ。
それを拡大解釈してお前達の尊敬する東郷の尊敬する名将だろうがと言われても。
情報ありがとうございます。
65 :
59:2005/12/02(金) 11:03:41 ID:zK0cOQOf0
>>61 確かに糧秣は悪くなかったみたいですね。すみません。
しかし毎日肉の缶詰とご飯で飽きなかったのかな(これこそ贅沢な現代人の愚問か)
週1とか月1とかで兵士に特別な料理とかあったらと思ったんだが。
>>64 >そしてこの列島にはロシア人が住んでいたでしょう。
仮に負けてたとしても実際そうはならんと思う。
外国人にとって日本列島は勤勉で賢い日本人以外何のとりえもない国だぞ。
中継地として北海道ぐらいは欲しいだろうが。
>64
今のゴールドマンサックスだな
興味があるなら前の方のレスで新書が出てるって書いてあったぞ
>>64 考えたら判ると思うけど、ロシア軍はどうやって日本列島に上陸するの?
何十万人の兵隊が海の上を歩いて渡ってくるの?まあ、歩くのは無理だから、フネだよね。
で、輸送船の都合はどうやってつけるの?
日本軍が、大陸に渡って来るときに使ったフネでも分捕るの?
それか樺太か、朝鮮の端まで歩かせ、少しずつフネで往復するの?
しかし一度に大兵力を上陸させないと、日本軍に各個撃破されちゃうよ?
日本列島に所属する、何処かの島をロシアが分捕るのは可能かも知れない。
でも、本州、九州、四国、北海道を恒久的に、当時のロシア軍が占領し続けるのは無理だ。
>>57 露艦隊が旅順から襲来するのと朝鮮南岸から襲来するのではたいして変わらん。
ロスケが仮に朝鮮を確保したとしても、そこからさらに海を越えて日本を攻めるのは無理。
ロスケが更に南下を試みるなら北支に進むだろう。常識的に考えて。
ロシアに征服されてれば、白人との混血がたくさん生まれて
ルックスが良くなったんじゃないか?
東洋人の容姿から脱却する良いチャンスだったんじゃないかとも思えるが・・・
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 19:49:33 ID:qAwdEzgc0
>>68 仮にバルチック艦隊が東郷艦隊を破ったとしても、旅順は落とされているので寄航できる港はウラジオストクしかない。
朝鮮南岸に租借している港があればすぐ近くで補給が可能。
南に港が1つしかないというのがどれだけ危ういかということはロシア自体当時強く感じていたはず。
日本に攻め込むことはまずありえんが、逆に日本に攻め込ませないという意味ではロシアにとって朝鮮南岸は重要。
逆に日本にとっては脅威。
ロシアにとって南下というのは狭くて寒い海しか持っていないというコンプレックスの表れだと思う。
クリミア戦争でインド洋に展開できなくなって以降、他の列強にとってそれほど魅力のないシベリアに進出し、
更に〈暖かい〉海を目指すというのは常識では理解に苦しむ。
実際友好国のフランスもそう感じてあまり協力的でない(イギリスのプレッシャーがあったというのもあるが)
しかも今もロシアは南下政策を取っている!
間違いなく日本の経済援助のほうが北方領土返還よりメリットがあるのにこれを拒み続けるロシアを思うとついそう感じてしまう。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 01:23:13 ID:p//9za5x0
遊就館の日露戦争展を見てきた。
海軍カレーと海軍コーヒー、意外とおいしかった。
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 11:30:16 ID:IWmX3GMn0
東郷神社(福岡)に行ってみた。
高い丘から見下ろす日本海が美しく穏やかに拡がっていた。
100年前、ここで日本が必死の戦いをしたのだと思うと
自然と胸が熱くなった。
アリアズナとSEXしたいヤシの数↓
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 00:42:15 ID:J+CKxv1z0
↓
↓
↓
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 09:25:02 ID:S3/UAiVd0
>>70 朝鮮をあきらめたということは大陸への橋頭堡をあきらめたことになり、日本は列島の専守防衛に徹するということ。したがって日本が旅順を攻めることはない。もし日露戦争がおこるとしたらロシアが日本列島を攻める時のみ。
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 09:58:31 ID:yH5dpenE0
つまりバルチック艦隊+ウラジオ艦隊+旅順艦隊が結集して攻撃してくる。
その上攻撃のイニシアティブまでとられてるんじゃ、
日露戦争時の日本の海軍力じゃ勝ち目ないな。
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/05(月) 10:11:23 ID:S3/UAiVd0
>>76 軍港数が増えて艦数が増えるわけでもなし。
それと。
攻撃する側は、敵地への上陸軍のための海上補給路を確保しなければならないので、むしろ不利。
不利だわな
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/09(金) 00:44:42 ID:1zlNWYkk0
日本軍が輸送でウラジオ艦隊に苦しめられた逆パターンの展開。
ねちっこい駆逐艦・水雷艇の肉薄攻撃に、乗船した陸兵発狂・・・
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 07:13:04 ID:FRqUzH330
あくまで高校の歴史の授業程度の知識ですが、
あの時期に日本がロシアと戦争を行ったのは、シベリア鉄道の完成が間近だったから
2,3年後には、旅順まで(記憶が定かではないが)シベリア鉄道が完成し、
大量の物資と兵士が輸送可能となると、とてもじゃないけど日本は勝てないことは分かってました
だから、あの時期を逃すと以後、ロシアの南下を防げなくなると考えた
また、1901年頃に結んだ日英同盟も非常に大きな役割を果たした
英国は、非常に多くの植民地と港を保有していた
ロシアは、日本海に艦隊を派遣するには、イギリスの影響の及ぶ港は使えないから、
十分な補給が行えないうえに、遠回りをする必要があった
それにより兵士の志気が落ち、ふらふらの状態で日本艦隊と戦わなくてはならなくて、
負けてしまった
こんなことを習った記憶があるな
最近の高校の歴史の授業では、そもそも近現代史までいかないと思ってたが例外もあるんだなぁ。
最近の高校の歴史の授業って
どのあたりまで行くの?
日本史は、明治維新
世界史は、フランス革命あたり?
俺の高校では、必須科目の日本史は明治維新から始まってた。
>>81 日露開戦当時シベリア鉄道は既に旅順までつながってたよ。
最近の若い衆は「敵中横断三百里」も読んだ事がないのか。
87 :
81:2005/12/11(日) 17:31:00 ID:FRqUzH330
ごめん うる覚えだった
シベリア鉄道は、未完成だったの誤り
ただ、近いうちに完成することを恐れた日本政府は、ロシアとの戦争に踏み切った
最近は知らんが、数年前までは太平洋戦争まではやったよ
俺が文系だったのと、学校自体が国立志願者が多くて論述書かなくちゃいけなかったから、
かなり深くやった 世界史とからめて
海戦の何とか戦法ってどんな戦法だったっけ?
名前すら覚えて無いorz
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/12(月) 22:04:55 ID:lkV6yGw80
T(丁)字戦法の事かな。
>>12 遅レスですが、「日本海海戦」で映画ありますよ。
日本海海戦、海ゆかば。今日借りてきたW
>>90 たぶんそれだ。
歴史に残る戦法って聞いたけど、名前もわからんのではぐぐりようもない。
94 :
真之くん:2005/12/14(水) 21:33:59 ID:muplGMfY0
正しくは「白丁戦法」だよ。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/15(木) 13:38:14 ID:VoCDUBH50
今の時代に合った日本海海戦の映画を作って欲しいな。あと奉天会戦のも。
旅順メインは「二百三高地」っていうスケールもシナリオも
役者もイデオロギーのバランスも素晴らしい傑作があるが
日本海海戦は今となっては・・・。
「日本海大会戦」と「明治天皇と日露戦争」は見たがどっちも歴史観と映像が古い上に
日露ダイジェストって感じで話が面白くないし
円谷のミニチュアもパールハーバーやプライベートライアンのある今となっては・・・。
ハリウッドに見劣りするのはともかく、韓国の「ブラザーフッド」ぐらいは気合と金の入った映画を作らんかい。
ソーダソーダ。作ってくれー。
そーいや大河はどうなったんだろ?
T字戦法って結局やらなかった的なことに最近なってる
というサイトも結構みつかるんだがどうなの?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/16(金) 00:18:05 ID:O2tqT+N50
>>97 どうやら戦史研究では、同航戦であったとする見方が
主流になりつつある。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/18(日) 01:19:50 ID:3S1Eflva0
二百三高地で戦った曾祖父を持つ俺がきましたよ!
映画になったことを自慢げに話していたそうだ。
やはり誇りだったんだろうね。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/20(火) 03:40:39 ID:rEvBitXW0
「その時歴史が動いた」で
奉天会戦を説明するシーンに「二〇三高地」の映像が使われていたのには激しく萎えた。
丁字戦法
明治37年(1904)1月9日付の連合艦隊の戦策の部分
1、第一戦隊は、最も攻撃しやすき敵の一隊を選びその列線に対して先の如く
丁字をえがきなるべく敵の先頭を圧迫するごとく運動し、かつ臨機適宜の
一斉回頭を行い、敵に対し丁字形を保持するに努むるものとす。
2、第二戦隊は第一戦隊の当たれる敵を叉撃または挟撃する目的をもって
敵の運動に注意し、あるいは第一艦隊に続航し、あるいは反対方向に出て
左図にしめすがごとく、なるべく第一戦隊と共に□字をえがく方針を持って、
機宜の運動をとり、わが両戦隊の十字火をもって敵を猛撃するに努むる
ものとす。
第二戦隊が加わる場合の戦法を丁字戦法を発展させて乙字戦法と称して
いた。
ロシア太平洋第二艦隊の東航に備え連合艦隊司令部は1905年4月12日付で
その戦策を改定した。戦法の基本は
「単隊の戦法は丁字戦法、二隊の協同戦闘は乙字戦法に準拠するものとす」
とされて変化はなかった。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 06:59:46 ID:ud2FTmIkO
今の技術で二百三高地を映画可してほしい
>>102 なんかジャニ系ばかりになりそうで嫌。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/21(水) 11:11:34 ID:CEzEsO+q0
>>103 はげど。
それに銃後の母親や彼女が「死んじゃ嫌ああああ!」って泣き叫ぶの勘弁。
ハリウッドが203リメイクしたら
とんでもない糞映画になりそう
二百三高地を正月三が日に観まくる為借りてきますた。
画面が綺麗じゃない(今の水戸○門なんて画面がクリアすぎて
時代劇じゃネーピョと思うクチなのです)ところが特にいいキガス
今は年末に図書館で借りた『日露戦争から100年−アルゼンチン観戦武官の記録』を読んでます。
明治天皇から(表向きお礼出来ないからこっそり)贈られたというお品が写真で載っていると嬉しかったのですが、
今のところ出てきません。
ガルシア家に今でもあるみたいだし、いつかお目にかかれたら嬉しいものですなあ。
そういえば、皆様も仰っておられますが、2007年からやると言ってたはずの
NHKスペサル大河、あれ、お流れになるんですかね?
もし今でも進行中なら、古く見えるフィルムをわざと使う、みたいな手間が欲しいな…
ちゃんとやってくれるなら受信料ちゃんと払うですよ。
今でも一応払ってるけど心を込めて払う。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 01:24:17 ID:Ngf0kqQV0
あ、しまった題名訂正します
正しくは、
『日本海海戦から100年−アルゼンチン観戦武官の証言−』
マヌエル・ドメック・ガルシア/著
津島勝二/訳
鷹書房弓プレス/発売
です。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 04:17:12 ID:Igtrem+PO
日露戦争に従軍した陸軍軍司令官5人のうち(乃木希典除く)黒木為禎だけが元帥府に列席しなかったのは納得出来ないですね
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 04:20:58 ID:Igtrem+PO
ついでに伊地知幸介が爵位を受けたのも納得出来ないです
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 06:00:16 ID:vIY5+GKvO
司馬信者?
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 06:09:16 ID:FNMvZkCv0
>>108 図書館で借りて読みました。
勇気ある武将だし、伝えられていることが事実なら、日本の大恩人ですね。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 10:46:07 ID:NruE5NRi0
もしも、あの時日本がロシアと戦争せず、
満州も朝鮮半島もロシアの好きなようにさせていたら(ありえない話だけど)
その後ロシアは中国で泥沼の戦争に明け暮れ、
やがてナチスドイツと手を組み、
日本は米英と共に連合国側についていたかも。
という仮説は間違ってますかね?
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 10:57:33 ID:fyz7jLde0
白色人種対黄色人種の構成になってないからダメ
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/01(日) 15:21:55 ID:lNjasmAcO
>>114 間違ってます
ナチスドイツが問答無用でソ連を攻撃しますから
>>114 支那は別に反日に特化しているわけでなく、基本的に反外国なので、
英米仏独露それぞれに排外運動をやっていました。その中で反露が突出するだけでしょう?
ただ、ロシアはその手の運動には慣れているので、あまり気にしないでしょう。
また、ロシアがドイツと良好な関係にあるときは、間にポーランドが居ます。
ポーランドが独立し、英仏あたりと同盟していたら? ドイツとロシアは同盟を組む可能性があるのでは?
ロシアと中国の血で血を洗う闘争の後に両者の領土を併呑するモンゴル帝国が出来たりして。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/02(月) 00:53:22 ID:Tss85vB90
ヒトラーとスターリンは元々は仲良しだった。
ロシアが中国で泥沼の戦争に明け暮れ、日英と対立すれば、
欧州ではドイツと手を組むのが当然では?
果たして仲良しで国が動くかなー。
やっぱ外交は国益追求で、案外クールなもんなんじゃないかと。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/02(月) 01:55:33 ID:cxxpWyZuO
歴史にたらればはねぇだろw
ロシア、朝鮮龍岩浦租借
ロシア人が白馬山の森林を伐採 (明治36年4月25日 時事)
林公使、日本人にも伐採権要求 (明治36年4月28日 時事)
韓国政府は日本人の伐採権要求を拒否 (明治36年5月1日 時事)
ロシア森林伐採独占を図る (明治36年5月1日 時事)
ロシア兵二千が侵入、義州に向かう (明治36年5月8日 時事)
ロシア人、龍岩浦で土地、家屋を買収 (明治36年5月9日 時事)
韓国、白馬山の伐採は契約外として拒否 (明治36年5月15日 時事)
鴨緑江岸に対するロシアの野望 (明治36年5月15日 時事)
ロシア、龍岩浦に土地買収し兵営設営 (明治36年6月5日 時事)
ロシア人が清・韓国人の木材を略奪 (明治36年6月15日 時事)
ロシア砲兵百七十余、安東県に入る (明治36年6月17日 時事)
韓国政府、ロシアの条約違反を公表 (明治36年6月17日 時事)
ロシア兵150人慈城に侵入 (明治36年6月28日 時事)
ロシアが安東、龍岩浦に電線架設 (明治36年7月23日 時事)
電線敷設は当然の権利とロシア (明治36年7月23日 時事)
日露戦争での陸軍脚気患者大発生は、
森鴎外のせいだとされてるが実際どうだったのだろう。
平時は陸軍も麦飯を支給していたはずだが。
>>106 203高地の頂きで、朝日をバックに男女が熱い接吻を交してハッピーエンド。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 00:36:44 ID:umQi+sjR0
普段は麦飯食わせるのを容認してるのになんで戦時だけ…。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 10:23:44 ID:dnrbeoep0
初詣に京都の乃木神社に行ってまいりました。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 11:19:00 ID:ZjLDoa6K0
海軍は脚気の被害者が少なかった。
森鴎外に反対してた人がいたからね
>>128 筒井康隆の「ビタミン」にその辺の事情が書いてあるよ。
フネに積んである食料だけで海を飛び回る海軍と
ひたすら兵站の段列を築いていくしかない陸軍。
131 :
nobby:2006/01/04(水) 13:32:02 ID:05JQTplJ0
「戦友」 1番〜7番
真下飛泉(ましもひせん)作詞・三善和気作曲/明治38年
1.
ここはお国を何百里(なんびゃくり)
離れて遠き満洲(まんしゅう)の
赤い夕日に照らされて
友は野末(のずえ)の石の下
2.
思えばかなし昨日(きのう)まで
真先(まっさき)かけて突進し
敵を散々(さんざん)懲(こ)らしたる
勇士はここに眠れるか
3.
ああ戦(たたかい)の最中(さいちゅう)に
隣りに居(お)ったこの友の
俄(にわ)かにはたと倒れしを
我はおもわず駈け寄って
4.
軍律きびしい中なれど
これが見捨てて置かりょうか
「しっかりせよ」と抱き起し
仮繃帯(かりほうたい)も弾丸(たま)の中
5.
折から起る突貫(とっかん)に
友はようよう顔あげて
「お国の為だかまわずに
後(おく)れてくれな」と目に涙
6.
あとに心は残れども
残しちゃならぬこの体(からだ)
「それじゃ行くよ」と別れたが
永(なが)の別れとなったのか
7.
戦(たたかい)すんで日が暮れて
さがしにもどる心では
どうぞ生きて居てくれよ
ものなと言えと願(ねご)うたに
132 :
nobby:2006/01/04(水) 13:33:51 ID:05JQTplJ0
7.
8番〜14番
8.
空(むな)しく冷えて魂(たましい)は
故郷(くに)へ帰ったポケットに
時計ばかりがコチコチと
動いて居るのも情(なさけ)なや
9.
思えば去年船出して
お国が見えずなった時
玄海灘(げんかいなだ)で手を握り
名を名乗ったが始めにて
10.
それより後(のち)は一本の
煙草(たばこ)も二人わけてのみ
ついた手紙も見せ合(お)うて
身の上ばなしくりかえし
11.
肩を抱いては口ぐせに
どうせ命(いのち)はないものよ
死んだら骨(こつ)を頼むぞと
言いかわしたる二人仲(ふたりなか)
12.
思いもよらず我一人
不思議に命ながらえて
赤い夕日の満洲に
友の塚穴(つかあな)掘ろうとは
13.
くまなく晴れた月今宵
心しみじみ筆とって
友の最期(さいご)をこまごまと
親御(おやご)へ送るこの手紙
14.
筆の運びはつたないが
行燈(あんど)のかげで親達の
読まるる心おもいやり
思わずおとす一雫(ひとしずく)
133 :
ウラー:2006/01/04(水) 21:16:14 ID:GrolaY1g0
ウラー
ウラー
ウラー
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/05(木) 11:22:26 ID:+aRgASqN0
>>132 。・゚・(ノД`)・゚・。 カンドウしますた
日本にも普通に軍隊が存在していた時代があったのだなぁと
思わせる。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 06:11:06 ID:mjnihTzz0
日露戦争は戦費50億円 戦利品20億円の大失敗戦争だった
その後、借金返済に国レベルで苦労したらしいね。
負債は現在も続いているようなものだし。
無視すれば良いのに、お人好しだよ日本は。
ユダヤ系がものごっつい金利で貸してくれました。
返し終わったのは第二次世界大戦後です…。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 00:37:38 ID:TJnaPgFX0
戦争バブルの第一次大戦で完済できたんじゃなかったっけ?
益を求めて開戦、というより、ロシアの南下を防ぐ&三国干渉の意趣返しだったのだからいいんじゃないかい。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 02:29:24 ID:Yw4ZJxIj0
ロシアが勝ってたら第一次大戦が面白くなってたのに
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 02:35:01 ID:MdHJDGlR0
>>142 ロシアが勝っていたら日本という国はなくなっていたと思う。
>>143 乱暴ですなぁ。日本がどこで負けるかによるのでは?
確かあのときは税金を担保にお金借りたんだよな
自国の徴税権の一部でも失うということはそこに
目をつけられれば国の崩壊につながりそうだ
太平洋戦争だけじゃなく日露戦争も十分バクチでした
GNP比じゃ日露戦争の方がきつかったって話もあるし
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 21:06:18 ID:OV17lEh60
旅順にはかつて伊知地町という街があったそうだが
これはまさか・・・
絵葉書のサイトにあった
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 21:17:16 ID:b/0aEBSA0
伊地知は奉天には行かずに旅順に居座ったから…もしや…
楽しみにしてたが盛り上がらないな
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 18:46:25 ID:1SJLYe7M0
小学生ですが何で日露戦争が起きたんですか?
日本がロシアに宣戦布告したと教科書に書いてありますが
理由がりません。何でロシアに宣戦布告したんですか?
理由を知っている人がいたら教えて下さい。
>>153 いろんなとこに同じこと書くのやめような。
小学生だからって許されるわけじゃないぞ。
ホントの小学生なら先生に聞くわな。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/30(月) 20:26:14 ID:P+9yfldr0
>>107 司馬さんが生前決して許さなかった坂の上の雲の映像化に
手を出したとたん何がおこったか考えてみろ
働き盛りの脚本家が……………‥(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
その他にも
お流れなんてもんじゃない御祓いだよ
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/31(火) 07:55:34 ID:/8pFIWbQ0
平和だな〜。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 21:47:50 ID:uFwSvrQt0
●遠足のとき禁止されたお菓子を持ってきて、肝心の弁当を忘れた。
●懲役OO年の「懲役」を新しい元号だと思っていた。
●「テロリスト」を、何かの楽器をひく人だと思っていた。
●服を試着して店員に「どこかキツイところはありませんか?」と聞かれ、
「値段です」と答えた
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 23:46:20 ID:RBkdXyet0
>>158 >どこかキツイところはありませんか?」
これだけ採用。
あとはボツ。
160 :
funわか:2006/02/08(水) 20:22:47 ID:y09tfdBO0
多くの犠牲を払って日本がロシアに勝利したとき、日本の苦労を思ってルーズベルトは二つの外交政策
をやった。一つはご存知、ポーツマスでの講和会議の主宰だ。彼は日本が勝っている段階で、しかも日
本の戦費が底をつく前に戦争を終わらせようと取り計らった。そしてもう一つはあまり知られていない
が、朝鮮に置いた米公館を閉鎖し外交官を引き揚げさせた。「朝鮮の皇帝は驚いてルーズベルトに泣き
ついた」とヘレン・ミアーズは『アメリカの鏡・日本』の中で書いている。しかし、大統領は「朝鮮が
自主統治にも自衛にもまったく無能力であることがはっきりした」と撤収の理由を説明してやった。平
たく言えば、朝鮮は半人前、それで大きな迷惑を蒙っている国がある。いい後見人についてもらいなさ
いという意味だ。日本が朝鮮を併合するのはそれから五年後になる。
韓国は日本の歴史認識がどうの、文句を言う。日本だけでなく世界がどう見たか、調べてみるといい
http://hw001.gate01.com/funわか/ronreki.htm
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 00:26:10 ID:nFfp+bY20
殺露すけなり〜
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/17(金) 13:57:11 ID:zY4pvvGs0
秋山真之ってつおいの?
ケンカが強いとかそういう意味?ガキ大将だったらしいが格闘が強いとは思えない。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/22(水) 07:19:52 ID:MWa1rKxz0
秋山真之は本当に天才?
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/22(水) 10:40:50 ID:YUS9YFpf0
東郷さん
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/22(水) 10:54:50 ID:MWa1rKxz0
東郷平八郎・西郷隆盛。
同じ鹿児島で 東郷 と 西郷
なんか由来があるのかね。
小田、中田、大田とかそれに近いもんなんじゃね?
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/22(水) 14:11:54 ID:MWa1rKxz0
あまり意味ないんだね。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/05(日) 18:05:04 ID:AD+Yusv30
海軍記念日
陸軍記念日
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
南郷と北郷(ほんごう)もあるでよ
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 06:37:31 ID:X9RxJqV60
>>164 天才伝説を生む素地(能力、性格ともに)を豊かにもっていた人、
というのが近いんじゃなかろうか。
私は非常に器用な秀才だったと理解している。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/27(月) 08:58:50 ID:QV8rgChA0
西の郷、東の郷、田舎のことだろ
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 04:11:02 ID:Z5Htn9V40
なんつーか劇的だよなあ展開のことごとくが。
大河ドラマとかで取り上げてくれんかな、絶好の素材だと思うんだが。
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/23(日) 12:23:37 ID:Gpxqw/ct0
>>175 上杉謙信にガクトを持ってくるような大河だったら遠慮して欲しい
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/26(水) 00:12:47 ID:Bfo0UrxL0
もし津田巡査がロシアの皇太子の暗殺を完遂してたら
と思うと考えるだに恐ろしい。
旅順閉塞を失敗だって言う人がいるけど
極東艦隊の猟犬どもを水溜りに封じ込めて揚陸部隊を
被害無く輸送するという目的は達成されたんじゃないかな。
黄海海戦は失敗だったと思うけど。
その後上村が苦労したわけだけど
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 03:56:42 ID:mbKDYo7a0
>>177 なんで?
DQN皇帝ニコライ二世でなければベゾブラーゾフだかなんだかいう
わけのわからない満州強行派の山師が取り立てられることもなかっただろ
>>178 黄海海戦って失敗なの。
ウィトゲフトを一撃で吹っ飛ばした奴だろ。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 20:20:58 ID:Wo4oLO/+0
>178
封鎖は殆ど効果がなかったので失敗だと思う。
でも国民や軍の戦意高揚に一役買った点では成功ではないかと
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 21:10:01 ID:vOMU7oT30
>封鎖は殆ど効果がなかったので失敗だと思う。
なんでそう思うの?封鎖できなかったら大連なんて使用できないよ。
183 :
181:2006/06/06(火) 23:18:29 ID:J9j66e9NO
>182
日本側の運搬の面に関してか。スマソ。
閉塞ってそういう目的もあったの?ロシア船封鎖だけだと思ってたよorz
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/06(火) 23:21:39 ID:Uu7Xo98l0
>>182 なに言ってんだ?
封鎖できてないけど、大連は使用できたんだよ。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/07(水) 15:18:42 ID:lWk+K13f0
186 :
名無し:2006/06/17(土) 21:30:49 ID:tUEXxMbb0
意外に知られていないけど大事なこと
【アメリカの新聞コリアーズが撮った日露戦争】
日本軍が物資の輸送に使ったのは、状況に応じて馬または人が引く
小型の二輪荷車である。食料,衣料,弾薬,その他テントの杭から
靴にいたるまで、およそ軍隊に必要なありとあらゆる物資が均一で
手ごろな大きさの立方体に梱包してあり、背負って運ぶにも荷車に
載せるにも都合がよい。さまざまな荷物が輸送用物資集積所や輸送
船の上、埠頭などに乱雑に積み上げられることなく、それぞれ正確
に番号が記されて整然と積み重なられる。さらには持ち運びに便利
なように持ち手までついている。この手法こそが、無謀ともいえる
真冬の朝鮮半島進軍を見事に成し遂げた一因なのである。
気象,地形とも同じ条件下にあった満州の満州のロシア軍は、悪路
に弱い荷馬車による輸送部隊に歩調を合わせていたため、進軍は遅
々として進まなかった。一方、日本の輸送部隊は常に戦闘部隊と同
じ速さで移動している。そしてこの優れた機動性が、のちに大作戦
を展開するときにも大いに有利となったのである。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/18(日) 09:58:55 ID:Tly4VyGS0
>>184 >封鎖できてないけど、大連は使用できたんだよ。
封鎖し続けないと大連への輸送船団は攻撃されるのだが?
それで封鎖できてないという根拠は?
封鎖しつづけなければならない=封鎖の失敗ではないんだけどねぇ。
188 :
中学生:2006/06/18(日) 10:05:53 ID:C0S/X41C0
教科書の記載
義和団事件ののち、ロシアはシベリア鉄道の
建設を進め、「満州」(中国東北部)へ軍隊を
おくなど南下をおしすすめていました。
それを阻止しようとする日本とイギリスの
利害が一致し、1902年、日英同盟が結ばれました。
ロシアとの交渉も行なわれましたが決裂し、日本では
ロシアとの開戦を主張する声が強くなりました。
戦争反対の声もありましたが、1904年、日露戦争が
始まりました。
戦争は、おもに朝鮮半島と「満州」を戦場として
行なわれました。日本の陸軍は旅順・奉天(現在は瀋陽)で
ロシア軍を破りましたが、戦争が長びくようになると兵力や
物資がとぼしくなりました。一方、ロシアでも人々の不満が
高まり革命運動がおこったので、ともに戦争継続がむずかしく
なりました。そして、日本海軍がロシアのバルチック艦隊を
日本海で破ったことをきっかけに、アメリカが仲介にのりだし、
1905年、アメリカのポーツマスで講和会議が開かれました。
そこで結ばれたポーツマス条約では、日本の朝鮮における優越権が
承認され、日本は長春・旅順間の鉄道と旅順・大連の租借権、
そして南樺太をロシアから得ました。
日露戦争の犠牲者は8万人以上と多く、与謝野晶子は戦争の
さなかに弟の生死を心配する詩を書きました。また戦争中、
人々は重い税金や負担に苦しみましたが、賠償金は
得られませんでした。そのため、政府はロシアに弱腰である
という理由で、日比谷焼き打ち事件などの暴動がおこりました。
以上。漢字、句読点などもそのまま。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 22:29:19 ID:JfqDfLeQ0
教科書なんてそんなもんだ。
むしろ意外と長文だなとも感じた。
歴史の授業での近代史って、3学期になってもの凄いスピードで授業が展開されるでしょ。
教科書の終盤はいつもそんな扱い。
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/19(月) 23:36:04 ID:2azYbHWq0
勝手な妄想に過ぎない古代史に時間をかけるより、
近代史をもっと勉強させたほうがいいと思う。
>>187 >封鎖できてないという根拠は?
黄海海戦は旅順港内で行われたのかね?違うだろ?
・封鎖出来てないから黄海海戦が起きた。
・しかしその時、大連は使用できていた。
つまり「封鎖できていないけど、大連は使用できた」んだよ。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 01:57:56 ID:Jd1etD/u0
旅順に旭日旗を立ててきます
193 :
某研究者:2006/07/13(木) 03:09:31 ID:ENZn00RS0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E 明石元二郎が居なければ日露戦争は
負けて居たと言うが
実際何処迄工作は成功して
居たのかだが
(0からロシア革命を起こしたと言う事では
流石に無いだろうが)
現代日本にもこの様な人物は
居るのだろうか
http://www1.kcn.ne.jp/~orio/yorozu/shohyo001.html >その明石元二郎を、世界にも何人といない謀略の大家である(p.213)と言い、レーニンに資金を提供してロシア革命の援助をした(p.195、213)と著者は言う。
>しかし明石が主として支援したのはフィンランドのコンニ・シリアクスであり、レーニンと明石が会った事実は確認できていない。
>明石がシリアクスらを援助して日露戦中のロシアの後方撹乱を謀ったのは事実であるが、現実には悉く失敗したことは、最近の研究で明らかである(稲葉千晴「明石工作 謀略の日露戦争」丸善ライブラリー、1995參照)。
>明石の動静が詳細にロシア側のスパイに察知されていたことも、近年明らかになった。すなわち明石元二郎は、戦時謀略活動の先駆者ではあっても、著者が言うような謀略の大家であったり、世界にも何人といないような存在ではなかったのである。
この失敗と言うのは
確定しているのかどうかだが
ロシアも察知して居たなら
何故始末しなかったのかだが
革命側等に潜んだスパイを秘匿する為等に
泳がせておくメリットが有ったと言う
事なのだろうか
194 :
某研究者:2006/07/13(木) 03:10:01 ID:ENZn00RS0
195 :
某研究者:2006/07/13(木) 03:10:57 ID:ENZn00RS0
>疑いつつ話を聞いてみると彼女は、明石
>がこれまで泊まってきた宿の名前を次々と当てて見せたり、いつ何処で誰と会ったか知っ
>ていたり、文書の一部も開封されて読まれているとも言った。
>報酬を約束した明石に対し
>て、ローランは重大な情報を提供した。それは日本の暗号表の写しであった。
可也ロシアに情報は漏れて居たと言う
事かも知れぬが
日本側にも上の様な二重スパイが居たなら
全ての工作が把握されていた訳でも
無いかも知れぬが
其れ以前は暗号表の写し等も有っただろうし
可也の情報が漏れていた可能性も
有るのだろうか
>しかし、没収された銃が全て、賄賂によって
>後に取り戻されたとの報告もある。
こんな状況では
対露工作は案外容易だったと言う事は
無いのかだが
196 :
某研究者:2006/07/13(木) 03:13:03 ID:ENZn00RS0
>E:本文約300 ページのうち、おおよそ3分の1が明石工作関係の記述で、総括的な説
>明と、明石を追尾したロシア側の探偵マヌイロフの報告書からなっている。
>〔マナセヴィチ=マヌイロフ,イー・エフ〕→パリで対日防諜活動を指揮したロシア警視
>庁の雇われスパイ。パリのイエナ国際ホテルに滞在中の明石の隣室に部屋を取り、シリア
>クス、ヂェカノーゾフ(デカノージー)らとの接触を探知した。
>「明石がロシアに入国した最初の数か月間についての情報は乏しい」(p.14)状態で、警
>視庁で明石の名が話題になるのはもっとずっと後のことである。しかし日露開戦後明石は
>要注意人物となった。
>マヌイロフが明石を調査するためにパリにやって来たのは1904年10月だったが、年末に
>は早くもペテルブルクから「手を引くように」との指令が来た。しかしちょうどその頃、
>明石の常宿のホテルのメイドが、駐仏ロシア大使に協力を申し出てきた。この事で再び、
>明石に対する調査活動が再開されることになったのだった。そして多数の警視総監宛報告
>書が作成された。このとき明石たちは武器の入手や輸送の計画を進めていたのだった。
>しかし結局武器の大部分は各地に輸送されてしまった訳なので、明石たちを完全には追
>跡出来なかった様である。報告書を見る限り、かなりの事が分かっていた様に思えるのだ
>が。
武器輸送計画を阻止出来なかったのは
泳がせて居たと言うよりは
情報が得られなかったと言う
事なのかだが
蜂起は武器が届く前に確か
失敗していたから
阻止する必要も無いと
考えたのかも知れぬが
197 :
某研究者:2006/07/13(木) 03:14:39 ID:ENZn00RS0
>マヌイロフが明石を調査するためにパリにやって来たのは1904年10月だったが、年末に
>は早くもペテルブルクから「手を引くように」との指令が来た。しかしちょうどその頃、
>明石の常宿のホテルのメイドが、駐仏ロシア大使に協力を申し出てきた。この事で再び、
>明石に対する調査活動が再開されることになったのだった。
こんな事で調査活動を再開したと言うのが事実なら
ロシアは本気で調査をして居たのか
どうかだが
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 04:41:17 ID:Qn78YRtz0
明石工作のほとんどは失敗してるだろ。
199 :
某研究者:2006/07/13(木) 06:03:11 ID:KuK0pArA0
とは言え旅順陥落や日本海海戦が
革命側に可也力を与えたと言うのは
事実なのかどうかだが
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 04:20:15 ID:afREdWgQ0
黄金山 東鶏冠山 盤龍山 二龍山 松樹山 椅子山 爾霊山 老虎溝山
白銀山 饅頭山 五頂山 龍眼 大狐山 小狐山 大案子山 小案子山
老頭山 白銀山 大頂子山 小坡山 大坡山 南山坡山 望台
黄金山 蟠桃山 東北斗山 南北斗山 郭巨山 役行者山 鷹山
黒主山 鯉山 布袋山 山伏山 白楽天山 八幡山 北観音山 南観音山
岩戸山 鈴鹿山 孟宗山 蟷螂山 霰天神山 油天神山 太子山 浄妙山
橋弁慶山 占出山 伯牙山 芦刈山 木賊山 保昌山 長刀鉾 函谷鉾
月鉾 四条傘鉾 放下鉾 大船鉾 船鉾 菊水鉾 鶏鉾 綾傘鉾
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 12:45:24 ID:sex6Tgge0
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/26(水) 22:13:44 ID:mSPDWHR00
しんよう?何処ですかそれは
奉天なら知ってますが
>>131-132 正に1904年生まれの婆ちゃんがよく唄ってくれたよこれ
こんなに歌詞が長いとは知らんかった
今まで満洲事変以後の曲だと思ってたな
>>160 もう一つ日本はセオドア・ルーズベルトに感謝せねばならないことがあるね
彼は
「講和条件を有利に進めるためにはロシアの領土を一部で良いから占領すべし」
と金子賢太郎に忠告した
講和決定後の7月7日 日本軍は樺太女麗に上陸し全島を占領することに成功する
ルーズベルトの助言がなければ日本は南樺太すら獲得出来なかったかも知れない・・・
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/30(水) 01:40:32 ID:JA1cpHxD0
日本の高級統帥は劣っていた。大山・児玉は政治家であって、近代軍事学に通暁していなかった。
そのうえで第3軍に無理な「督戦」を行うなど理不尽な指導を押し通した。
クロパトキンは軍司令官を回り意思疎通に努めた。最後は前線に赴き、最も危険な殿軍の部隊指揮にあたった。
一方、大山・児玉は軍司令部の前進など不可解な命令を発する一方、自身の司令部は安全地帯の烟台から動こうとしなかった。
実際に作戦を策案した松川は、25万の大軍を動かす器量は全くなかった。初め、戦国時代のような中押し(騎兵隊による挺進)をやり
鉄嶺までの第3軍の孤軍での進軍を夢想した。実際の左翼の運動が片翼包囲になったとき、右翼をそれに見合った運動をさせることは考えなかった。
奉天会戦において、日本の第2軍と第3軍以外の鴨軍、第1軍、第4軍は遊軍と化し、ほとんど実戦に参加できなかったのである。
つまり高級統帥の劣る側が、士気と兵器の差、現場指揮官の独断専行をもってカバーした珍しい戦いであった。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/04(月) 23:52:23 ID:14FaB0p80
そうだな 松川は最低な奴だよ。
彼のもっとも最低な判断は 乃木を第3軍に留めたことだな。彼の判断がなければとっくに
乃木は軍司令官を首になっとる。
まったく松川は最低な奴だよ。
奉天で最も活躍した司令官が最低なら、帝国陸軍首脳は全員クビだなw
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/06(水) 22:12:32 ID:W677AhAQ0
丁字戦法………はなかった
明治38年5月27日午後2時5分、「三笠」艦橋の東郷司令長官は右手を上げ左方に回した。
これを受けて、加藤参謀長は「艦長、取舵一杯に!」と命じた。
これが後に「東郷ターン」と呼ばれる敵前大回頭であり、丁字戦法への出発点とされている。
ところが、平成3年に戸高一成氏より「日本海海戦に丁字戦法はなかった」という論文が発表
された。
前年の黄海海戦(明治37年8月10日)で、既に丁字戦法を試みたが失敗していたのである。
丁字戦法の弱点が現れ、連合艦隊の後方に回り込んだロシアの旅順艦隊に逃げられてしまっ
ていたのだ。丁字戦法はもう使えないと。
そういう訳で、日本海海戦時の東郷ターンは併航戦に持ち込む為の始まりだった、というのである。
実際には、東郷ターンは2時5分に突如行われたのではない。すぐには併航戦には持ち込めない
ので、その25分前に右に折れて(面舵)、敵艦隊との距離を取った。車で左折する時に、一旦
右側にハンドルを切ってゆとりを作るように。
この1時40分の面舵(北西微北)からターンは始まっていたのだ。
参考文献
「日本海海戦かく勝てり」(半藤一利/戸高一成 PHP研究所)
「日本海海戦とメディア」(木村 勲 講談社選書メチエ)
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/07(木) 23:04:05 ID:oWNTKAHi0
野村實氏は著書の中で、丁字戦法が採用されたのは疑いのない事実と
言ってますね。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:22:34 ID:pgXBGMZb0
直前テンプレ上げ
現段階で、幹事は完全に休みとなりましたので決行確実です。
【日時】
9月10日(日)11:00〜17:00頃
【集合場所・時間】
一次集合 11:00
品川駅構内 JRと京急の連絡口
有人券売り場があるあたり
二次集合 12:10
横須賀中央駅改札前
【幹事の目印】
「坂の上の雲」の単行本持ってます
【タイムテーブル】
11:00 品川駅集合
11:13〜11:57 京急快特で横須賀へ
12:10 横須賀中央駅前集合
12:15〜13:00過ぎまで
三笠公園へ行きながら海軍カレーの店を探しつつ、
見つけたら昼食
13:00過ぎ
三笠到着 売店でトウゴウビール(330円?)購入
三笠見学(ただし見学中は飲まない)
幹事のヘタレ解説&明治の息吹を体感
16:00過ぎ 見学終了
近くの海辺へ行き、トウゴウビールで乾杯!!
17:00解散!
が、希望あれば、海軍カレー第二ラウンド&ビヤホール有り
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 00:23:19 ID:pgXBGMZb0
【予算】
品川〜横須賀中央 片道620円
三笠見学料 500円
トウゴウビール 330〜400円?くらい
海軍カレー 700円〜1000円?くらい
ただし、トウゴウビールの各自本数、二次会の成り行きにより、
予算額は変動します。
【注意】
幹事は金持ってません
明朗会計でお願いします
突発事態&参加者の希望により内容は変更されることがあります
例:売店でトウゴウビールが売ってない→久里浜フェリーへ
猿島へ行きたい→本当に行く など
【参加表明】
スレ上で
【決行の判断基準】
希望者いれば決行します。
スレ上で表明0の場合も幹事は一次集合の場所へ行きます。
その時点で参加者が現れない場合、中止します。
決行時、スレ表明ない方でも直接参加受付けます
「トウゴウビールオフですか?」と幹事に意思表示してください
参加希望者の方で「坂の上の雲」をお持ちの方は必ず幹事に見える形で
持参してください。
213 :
名無し:2006/09/09(土) 13:54:06 ID:pJTBux8Q0
幹事さんご苦労様です。
参考
「バルチック艦隊の最期」 セミョーノフ中佐 著
「海戦前夜戦艦スワロフ士官室で談笑。ある士官が今頃日本艦隊は北方で
まごまごしているだろう。二艦を太平洋方面に囮にだしたから。すると
航海長のゾートフ大尉は、否定してわが艦隊が通過する最良のコースは
朝鮮海峡対馬東水道をおいてない。幅も広く海も深く艦隊の行動が自由
である。東郷もよく知っており我々を待っているはずだ(その通りであった)。
参考ホームページ。
日本国旗掲揚会
http://business2.plala.or.jp/kokki/
行こうかとおもったら、坂の上の雲かよ…
215 :
名無し:2006/09/09(土) 21:41:21 ID:pJTBux8Q0
小生 八月末に見学しました。素晴らしい。
ぜひ見学されることをお勧めします。
子供さんを連れて行くと良いでしょう。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:35:36 ID:MDFA2n9U0
「極秘明治三十七・八年海戦史」(全150巻 )が防衛研究所図書館で公開され、
1991年に「日本海海戦に丁字戦法はなかった」(戸田一成 中央公論6月号)という
論文が発表されてから、日露戦争関係の本・雑誌に「丁字戦法なかった」との説を
採るものが増えてきたようです。
●日本海海戦では丁字戦法は採用されなかった
●敵前大回頭は同航戦(並航戦)の開始だった
丁字戦法はなかった、とする本
「歴史群像シリーズ 日露戦争」(学習研究社 1991年)
日本海海戦の丁字戦法は幻の戦法だった 田中宏巳
「バルチック艦隊」(大江志乃夫 中公新書 1999年)
「日本海海戦 かく勝てり」(半藤一利/戸高一成 PHP研究所 2004年)
「日本海海戦とメディア」(木村 勲 講談社選書メチエ 2006年)
丁字戦法はあった、とする本
「日本海海戦の真実」(野村 實 講談社現代新書 1999年)
その他
「人物評伝 秋山真之」(田中宏巳 吉川弘文館 2004年)
「絵に描いたような丁字戦法が実現し、〜」(P200)と書いているのが、
歴史群像シリーズの文章と矛盾している。
「創出の航跡」(吉田惠吾 本田技研工業・共創フォーラム 2000年)
「並航戦(同航戦)は丁字戦法の改良版である」というようなことが
書いてあるらしい。まだ読んでいない。
「天気晴朗ナレドモ波高シ」(三野正洋 PHP研究所 1999年)
まだ読んでいない。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/09(土) 22:43:12 ID:/eBKNUjy0
坂の上の雲では分からない日本海海戦
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/10(日) 12:08:12 ID:CgcxhnZq0
「坂の上の雲」は1968年から1972年にかけて産経新聞にされたもので、著者の
司馬遼太郎は「極秘明治三十七・八年海戦史」のことを、おそらく知らなかった
だろうと思います。
ということで、当然「密封命令」のことも出てきません。「極秘〜」が当時公開
されていたら、「坂の上の雲」のストーリーも大きく変わっていたはずです。
>>218 丁字戦法は、もちろん出てきます。
「極秘明治三十七・八年海戦史」一組だけが皇居内で生き残り、戦後30年を過ぎて
宮内庁より防衛庁に移管され、防衛研究所に所蔵されることになった、と野村實氏
は「日本海海戦の真実」に書いています。
220 :
名無し:2006/09/10(日) 16:40:34 ID:pZrDvt8I0
丁字戦法とは、南下する日本艦隊が北上するロシア艦隊の頭を抑えた
ことである。このためには旗艦三笠は方向転換をする必要がある。
そこを狙われるとひとたまりもない。
「日本艦隊がおかしな行動をとりはじめたぞ」この機を逃さず戦艦ボロジノ
から巨弾が放たれた。日本艦隊は次々に横腹を見せて転舵する。あぶない。
しかし天佑神助であたらなかった。
元気な日本少年はぜひ三笠記念艦をたずね東郷平八郎の立った戦争指揮所に
立って往時の勇敢な日本軍人の魂をうけついで欲しい。
221 :
219:2006/09/10(日) 19:01:05 ID:CgcxhnZq0
>>218 失礼しました。「坂の上の雲」のことと間違えました。
「坂の上の雲」では分からない日本海海戦 (別宮 暖朗 並木書房)
なら、読んでいないので分かりません。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 18:09:39 ID:SFd1wZ8r0
丁字戦法はあった、なかった、というより、丁字の陣形が出現したか、
しなかったか、ということだろう。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 20:15:10 ID:sDXIyjGZ0
しかしこれだけの歴史的大転換の戦争なのに
教科書に出てくるのは決まって内村鑑三、幸徳秋水、
与謝野晶子の歌の曲解・・・。ポーツマス条約で小村寿太郎が
出てくる程度。そして日比谷焼き討ち事件でしめくくる。
「近隣諸国条項」に、ロシヤもはいってるのかしらん?
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/13(水) 22:53:53 ID:waMh4y1VO
だが、この戦いに勝利した為に特にアメリカからの圧力が強くなるんだよな。
225 :
名無し:2006/09/13(水) 23:52:04 ID:NOTI0zRO0
米国はハワイ、フィリピンと占領して次は満州を狙っていた。だからロシアを
撃退した日本を応援した。その後は満州を狙って日本を圧迫したのである。
最後にスターリンに代理戦争で満州を占領させ、蒋介石経由で米国に
献上させようとしたが、スターリンに裏切られ取らぬ狸の皮算用になり
失敗した。米国はそのくらい支那満洲が欲しかった。あんな大国なのに
と思うが。欲が深かった。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/14(木) 00:03:33 ID:qiBvl6EE0
アメリカは、日本を孤立化させるために日英同盟解消の謀略をしかけまんまと成功した。
日英同盟が解消されなければ、満州を巡る争いは全く違った展開になったであろう。
奉天会戦って史上最大の会戦だったよね
あの体験があったから対米戦でも陸軍は島でチマチマした戦闘しかできず
大規模な会戦もせずに降伏なんてできるかって思いもあっただろうな
アメとの満鉄の共同経営を承諾していれば、
その後、アメと決定的に対立することは無かったかも知れない。
229 :
名無し:2006/09/14(木) 10:50:27 ID:ufu1UDzp0
>228:気持ちは分かるが奪われていただろう。
日露戦争の直前、米国はフィリピン共和国を武力攻撃して占領している。
十歳以上は皆殺しで、現地人20万人が殺された。米兵が白骨山の上で
勝利の記念写真を撮っている。これでは当時の日本が警戒するのは当然だ。
アメリカも欲しがった満州とのことだが、何がそんなに魅力的だったんだ?
当時は石油も発見されてなかったろ。
>>229 >日露戦争の直前、米国はフィリピン共和国を武力攻撃して占領している。
>十歳以上は皆殺しで、現地人20万人が殺された。米兵が白骨山の上で
>勝利の記念写真を撮っている。これでは当時の日本が警戒するのは当然だ。
それは知りませんでした。
確かに、日本が警戒するのも当然ですね。
232 :
日本@名無史さん :2006/09/25(月) 19:39:52 ID:2Ey46WH90
203高地の丹波の源太郎が戦死しました。なつかしいなあ。
203高地こそ、歴史の学習教材として、
中学生に見せるべきである。
戦争の悲惨さがよくわかるし、国際法を遵守した日本もよくわかるし、
ロシアの侵略をいかに防ぐ明治人の知恵をわからせるべきである。
機関銃の嵐の中、銃剣突撃を繰り返し皆殺しされる理不尽さを知るべきである。
ロシアを愛していた古賀中尉が、部下がみんな死んでいくことでロシアを憎むように
なり、暴言を吐いた捕虜を殺害しようとしたところを乃木大将に止められる、
国際法を守った日本を知るべきである。
平和の大切さがよくわかる。これは戦争を美化した映画ではない。
最後に明治帝の前で泣き崩れる乃木大将を知るべきである。
233 :
名無し:2006/09/25(月) 22:53:38 ID:eNS5Jui50
平和というのははかないものである。あっという間に消えてしまう。
だから平和を維持する仕組みが大切だ。それは国防である。
国防なき平和論は詐欺である。
ローマ人の言葉「平和が欲しければ戦争(国防)の準備をせよ」
が有名だ。これですべて尽きている。
人間は繰り返しだから進歩はない。過去の歴史から学ぶしかない。経験で
は間に合わないのだ。
当時の日本が国際法を遵守していたのは
優等生として認められて不平等条約を改正するため?
恐らくほぼその一点に集中していたんじゃないかなあ
生来の生真面目さもあろうが・・・
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 16:00:36 ID:jF5IdkPeO
今の自衛隊の戦力で、当時の旅順は何分? 何時間? 何日で陥落出来る?
>>236 多分史実のスケジュールでは陥落しない。それどころか補給さえ続くなら永遠に陥落しない。
乃木の名将たる所以である。
>多分史実のスケジュールでは陥落しない。それどころか補給さえ続くなら永遠に陥落しない。
根拠となった自衛隊の戦力をKWSK 述べてくれ。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/08(日) 19:34:39 ID:jF5IdkPeO
一応… 今の自衛隊には、戦車もミサイルも戦闘機もあるよネッ?!
何分単位で陥落しない?
そもそもこのご時勢に要塞なんてどれほど意味があるのかと…
防御陣地に向かってデスマーチなんてする必要ないだろうし
大会戦や艦隊決戦なんていうロマンのある戦場なんてもう存在しないだろう
>そもそもこのご時勢に要塞なんてどれほど意味があるのかと…
>防御陣地に向かってデスマーチなんてする必要ないだろうし
今も昔も防御陣地に向かって不注意な行進する馬鹿はいない。
さらに今も防御陣地は存在する。
そして要塞も未だに存在するのだが・・・。馬鹿には見えない要塞なんだろうねぇ。
つか、敵の防御陣地に向かって過酷な訓練をする必要は今でもないわ。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/10(火) 17:48:45 ID:10nBDMyBO
今の要塞の話で無くて、当時の旅順要塞を、現代の自衛隊が攻めたら、何分? 何時間? 何日? って話なんだけど…
戦車&ミサイル&戦闘機も現在は保有してるから、何分単位かなぁ〜?!
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 03:22:46 ID:0hgr1YptO
防御陣地たくさん作ってたイラクも米軍追い返したからな。
フセインのVサインは今でも網膜に焼き付いている
>現代の自衛隊が攻めたら、何分? 何時間? 何日?
とりあえず、旅順港の太平洋艦隊は潜水艦部隊と対艦ミサイルで無力化できるので
攻略の必要はない。それでも攻略しなければならないというのであれば、特科団と
3個師団で攻撃するとして火力集中が100年前と桁違い。
化学煙幕やセシウムガスで相手の戦闘力を封じ込めた上でヘリボーンをかけて
攻めれば 特に時間はかからんだろ。
>多分史実のスケジュールでは陥落しない。それどころか補給さえ続くなら永遠に陥落しない。
↑のようなバカなことは在り得ない、神話を作りたいだけ。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 16:39:10 ID:4SJRVNhFO
ドラゴンボールと一緒。
修行して強くなった強くなったと言っても、
渾身の一撃で砕けるのはいつまでも岩山のみ。
進歩なし、変化なし、面白みなし、でつよ
>>245 たとえ100年後でも、自衛隊の持っている大砲ではベトンを貫通することはできない。せいぜい師団野砲レベルの口径しかないから。
それに、旅順が陥落したのは消耗戦になって兵員の補充競争になったが他から補充を持って来れないロシア側の事情による。
従って、今の自衛隊ではロシア軍と消耗競争をするリソースも勇気もないから延々包囲して無駄弾を打つだけしかできない。
むしろ、ロシア軍に積極的攻勢に出られると包囲している側が敗走するだろう。
それを打破するためには、消耗戦を避けようとしない鉄の意志が必要になる。
それができるのは、智勇仁ともに万人に優れた古今無双の名将、乃木希典以外に存在しない。
乃木とジーコならどっちが名将なの?
>>245 >自衛隊の持っている大砲ではベトンを貫通することはできない。
>せいぜい師団野砲レベルの口径しかないから。
今の自衛隊師団は75mm砲が標準装備か
( 'A) ・・・。 〃∩ ∧_∧ <⌒/ヽ___
/(ヘ)ヘ ⊂⌒( ・ω・) ・・・。 <_/____/ zzzz・・・
`ヽ_っ⌒/⌒c 特科団と化学煙幕、ヘリは無しカイ。
ハイハイ ワロスワロス
>従って、今の自衛隊ではロシア軍と消耗競争をするリソース
>も勇気もないから延々包囲して無駄弾を打つだけしかできない
( ゚д゚) ・・・
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_
\/ /
 ̄ ̄ ̄
( ゚д゚ ) ・・・
_(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ これって布教活動? ツマンネ
\/ /
 ̄ ̄ ̄
自衛隊って100年前と全く変わってないのかw
250 :
江川:2006/10/15(日) 22:19:35 ID:vbRqaDPG0
日露戦争でオレが読んだのは
デニス・ウォーナーの日露戦争全史
児島襄の日露戦争ぐらいしか無いな
このスレでお勧めの本があれば教えて欲しい
>>249 > 自衛隊って100年前と全く変わってないのかw
100年前には自衛隊はありませんでしたが何か?
〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) はいはいわろすわろす
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
この頃は捕虜になることは禁じられてなかったんだっけ?
「負けて逃げるはロシア兵」「死んでも戦う日本兵」という風に蹴鞠唄に歌われています。
マカロフ提督はどのポストから、太平洋艦隊司令官になったのですか。
もう一つ、彼の前任地から旅順までの移動ルート御存知の方教えてください。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/24(火) 23:15:56 ID:7Y7leEeG0
ここはウンチェがたくさんいまずね
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 02:16:31 ID:/eOz24390
>>255 今年で84になるうちのばあちゃんも「さっさと逃げるはロシアの兵、
死んでも尽くすは日本の兵〜」と少しだが今でも歌える。
おれは大学生なんだが、日清日露ころを扱った講義を前受けて、その時
義和団事件についてもあつかったんだが、ちょっと質問していいですか?
教授が、日本兵が義和団の捕虜(?)を斬首した写真を見せて、
「確かに義和団は『洋』に関して手当たり次第攻撃破壊したが、なぶり殺し
するようなことはしなかった」みたいな事を言い、さらに写真の日本兵が
薄笑いを浮かべている事を指摘していたんだが、実際の所義和団というのは
暴徒にすぎないだろう。それを処刑した事自体は何も問題は無いような
気がするんだが
処刑の写真も、日本兵の表情はよくわからなくて後ろに写っていた清兵のほうが
にやけていた。
個人的には寿太郎がお気に入り。児島襄の本に講和条約時の話が結構詳しく載っているけど、
まぁ、よくあんな役を引き受けたなと。ただ、最後の最後でアメリカのおっさんに鉄道を売るのを
拒否したのは・・・・賠償金なしでも満州の権益が手に入ればという考え方は正しいと思うのだが・・・
まぁ、今の日米関係前提で考えてしまうのは良くないよな。
その後の日本の流れのベースとなっている点で日露戦争は面白いよ。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 08:45:23 ID:fhulWGLa0
世界的には東郷提督の業績と言われてるけど、
戦術的には秋山参謀の業績だよね。
それから外国の観戦武官が言ったように、全体的に
連合艦隊の年令構成が若く、機敏に事を運べた。
日本側の通信回線が当時の最新型で、下瀬火薬も当時最強。
敵司令長官が実戦経験に乏しく、無能だった。
喜望峰を回ってきた敵艦隊に対し、日本近海で待ち構えると
いう大きな有利点があった。
逆の条件だったら、あのように綺麗には勝てないでしょう。
>>261 東郷さんは実力で選ばれたのではなく、何事にも物怖じしない性格だから選ばれたんじゃ
なかったっけ?
263 :
261:2006/11/11(土) 20:58:44 ID:fhulWGLa0
日高提督が日清戦争の時に、海戦で単独で
ラムでの突っ込みと白兵戦をしようとした
から、指揮系統の乱れを懸念して山本大臣
に更迭された。
東郷は指揮系統に忠実で、機転も利き、幸運
の持ち主だった。それに薩摩出身で、山本大臣
も東郷の事を昔から良く知っていた。
実際のところ東郷提督には大きな戦績は無かった
んだけど、運の良い男だったと聞くよね。
>>262 日露戦争の最終目的は「ロシアとの有利な条件での講和」だから
戦争はあくまで「政府の外交を有利に進めるための手段」。
だから、軍に暴走されると非常に困ることになる。
というわけで、現場の最高司令官は、能力よりも政府の方針に従順ってことの方が大切、
よって、陸は山縣ではなく大山、海は日高ではなく東郷が適任と判断された。
265 :
261:2006/11/11(土) 22:02:23 ID:fhulWGLa0
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 02:07:31 ID:ivGXfpSp0
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 07:30:35 ID:VyCNWizF0
坂の上の雲が平成20年に大河ドラマで流れるそうですが
キャストは決まってるんですかね?
おかしな役者に任されるとイヤだな。。。
演技もできない学芸会レベルのジャニーズとかマジ辞めてほしい。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/23(木) 09:26:08 ID:q2vxT0XdO
坂の上の雲みたいな厨房ネタは、ジャニーズですら役不足だろ。
>>267 それ以前にNHKだから下手に反日脚色しそうで怖い。
203高地って人気あるんだね。
なかなかDVDレンタルできなかったよ。
スゴイ良かった。
伊地知に向かってブチ切れる丹波哲郎最高だな
嵌り役ですわ
勿論仲代達也の乃木も。。。苦悩がよく伺えるね、、
ああやって必死に義手を開発し、辻占売りの少年にお金渡したりしたんだろうな。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/06(水) 23:00:16 ID:FAAXVPHm0
しかしあの映画の中で乃木が
「ワシが軍人として有能だったのは少佐までだった」
って台詞は突っ込みたくなったな
あんた少佐で入隊して、しかもその時連隊旗ぶんどられてるだろーが
>>272 息子に聞く所だっけw
軍人としては全然優れては居なかったろうなあ。
でも俳優達は最強だな。
今の時代にこんな名優をそろえるのは不可能だ。
だいたい、上杉謙信だってガクトとかいう整形ニューハーフみたいなのがキャスティングされてるようじゃなあ。
上杉謙信女説にでも配慮したのかね。
最近の若い俳優にやらせても、学芸会ケテーイだな。
それより
映画のクレジットに瀬島龍三が混じってるんだが
一応協力したのか。
ただ、1つの映画として
あのエンディングは秀逸だと思った。四半世紀も経ってるのにスゴイ。
さらに付録の予告編を見ると
何故かBGMにショスタコが使われてて気にイラネw
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 00:54:49 ID:rdlcr6wl0
ロシア軍に日本本土上陸作戦なんて絶対無理だったんだから、
せいぜい対馬の守りを固めて、諸国と友好通商に努めればよかった。
全くやる必要のなかった戦争。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 01:09:33 ID:sVMNewAF0
やらなかったら朝鮮半島がロシアのものになってたんだが…
そーなればロシアが日本を圧迫するのは目に見えてるんだが…
ウラジオストックの言葉の意味をご存知?
277 :
275:2006/12/07(木) 01:17:33 ID:rdlcr6wl0
>>276 朝鮮半島がロシアのものになったとしても、日本に上陸させなければOKでしょ。
朝鮮・満州をロシアに近代化してもらえば、日本のいい交易相手になるし。
>>277 朝鮮半島がとられて海軍軍備の拡張されたら、日本海軍じゃ押さえきれなくなるんじゃね?
国力が違いすぎるし。
なんにしろ「全くやる必要のなかった戦争」なんてのはものを知らん楽観主義者の戯れ言としかとれないね
ていうか朝鮮半島が露助に乗っ取られたら
大東亜戦争が起きた後
樺太と北方領土どころじゃなかったと思うのだが
280 :
275:2006/12/07(木) 01:50:16 ID:rdlcr6wl0
「朝鮮半島が日本の国防に重要」という考えがそもそも間違い。
あんなものは軍事的に何の意味もありません。
火事場泥棒と退却消耗戦しかやったことのないロシア軍が、
WWUのアメリカ軍ですら断念した日本本土上陸戦を遂行できたわけがない。
>>275 へぇ〜、珍しい意見を言う人だね。面白い。
まぁな〜、日露戦争で勝ってしまったがゆえに
昭和の馬鹿軍人どもがつけあがってしまって愚かな太平洋戦争へ
つっぱしっちゃった負の側面は否定できないよな〜
それに あの戦争は本当に薄氷を踏むような勝利だったからなぁ
ユダヤ人投資家ジェイコブ・シフとかが もし協力してくれてなかったら
戦費調達不能で負けて 北海道とかぶんどられてたかもしれんのに
あまりに危険な戦争だった・・
ソビエト革命のどたばたの頃に朝鮮開放でもすれば
少しは今の日本の株もあがってたろうに
(とかいうのは結果論だけど)
ともかく戦前の関東軍の暴走のおかげで
今の日本がどれほど韓国と中国とつきあいにくくなってしまったことか
ほんとうに大迷惑だ!戦前の馬鹿軍人ども!(もちろん優れた人もいたけど)
ただ、あの半島と満州の利権に固執して日本の衰退が始まったことを考えると
色々複雑な思いがあるのは確かだな。
かといってロシアに取られてたらどう考えても危険だし。
半島が自主独立してれば日本も色々ハッピーだったのにな。
もっともあの半島に何かを期待するのがそもそもの間違いか。
神は日本に肥沃な土地と温暖な気候、勤勉な国民を住まわせた代わりに
隣に半島と大陸をおいた。
まったくもってよく出来てるよ
>>280 ロシアの侵略の歴史をご存じないのか?
そしてさっきも聞いたウラジオストックの言葉の意味もその分だと知らなそうだな。
半島が取られて旅順もない。
これで日本の国防に全く問題がないとは驚きだ。
世界中が君くらい愚かなら確かに世界は平和になるね。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 02:07:27 ID:piLE7oiQ0
>>273 それより
映画のクレジットに瀬島龍三が混じってるんだが
一応協力したのか。
笠原「瀬島さんは,岡田さんが頼んだんですけどね。要するに,どこからか
クレームが付いた場合を考えて,ということですね。」
荒井「要するに楯ですか。」
笠原「そう。」
しかし,瀬島氏からクレームが付いて,あおい輝彦が乃木さんに言う「軍人精神」云々の台詞の前に
用意されていたロシア人射殺シーンは脚本から外されたらしい。
くわしくは「映画脚本家 笠原和夫 昭和の劇」でも立ち読みしてね。
285 :
275:2006/12/07(木) 02:20:16 ID:rdlcr6wl0
>>283 >ロシアの侵略の歴史
ロシアが「近代兵器で武装した島嶼国家」を侵略した例があったら教えてください。
煽ってるわけじゃなくて本当にそういうケースがあったら知りたいので。
樺太と千島列島は対象外だよ。
それからウラジオストックは「東方市」ぐらいに訳すのが適当だと思ってる。
>>275 漏れは「一次大戦後は朝鮮半島不要」派なのだが、さすがに1904年当時じゃあ
彼我の海軍力を考えれば朝鮮半島防衛の必要はあったと思うよ。
まあ、朝鮮や満州だけ守っても、ウラジオがある以上本土進攻の危険は残るのだが、
渡洋距離を考えると、やはり朝鮮を渡すのはあの時代にはやばすぎた。
世界3位の海軍で制海権を完全に抑えられた一次大戦後なら話は別だが。
288 :
275:2006/12/07(木) 09:32:04 ID:rdlcr6wl0
>>287 日露戦争を回避して、ロシアが満州・朝鮮を支配した場合、
ロシアは極東の経営に必要な食料や資材を調達するために
日本との平和な交易を希望しただろうと思う。
制海権を握られても、本土防衛に必要な武力を備えつつ、
友好外交に徹すれば別に問題は無いと思うよ。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 10:56:38 ID:8BBkPodYO
ウラジオストクって『東方を征服せよ』じゃ無かったっけか?
>>289 正解
あそこからみたら東方って言えば日本しかないわな
侵略の意図は満々。
それと、どうも275は太平洋戦争時の日本と日露戦争時の日本をごちゃまぜにしてる傾向がある。
ロシアはかつて日本に対馬を寄越せと迫った例もある。
半島を取られたんじゃ日本は色々圧迫を受けただろうね
>>288 平和な交易よりは、侵略して収奪する方がロシア人の性には合うな。
つーか、旅順艦隊とウラジオ艦隊を併せると史実の日本が臥薪嘗胆で必死こいて買ったり作ったりした連合艦隊とほぼ同一
規模になるんですが。
その艦隊が釜山あたりに陣取ってて、もし日本の政治家が
>>275みたいな人だったらもっと戦力比はロシア側に傾く。
それに、そんな弱腰の日本だったら、イギリスが日英同盟なんか結ぼうとは思わないだろう。役立たずだから。
漏れがロシア皇帝だったら、迷わず日本に宣戦布告するよ。
思えばロシアは半島取ったら軍港作るだけでいいんだな
あとはバルト海から第二太平洋艦隊持ってくるだけでいいんだ
後はシベリア鉄道を複線化すれば完璧
294 :
275:2006/12/07(木) 19:39:13 ID:rdlcr6wl0
脅威だ脅威だ言ってる奴はロシア皇帝になったつもりで日本征服作戦でも立ててみろ。
海上で連合艦隊を撃滅
↓
陸上からの砲撃をかいくぐって数万の兵士を揚陸
↓
命知らずの日本兵と本土決戦
こんなことできるわけないだろ。
日本海がたちまちロシア兵の死体で埋まってロシア帝国の寿命が10年縮まっただろう。
俺は日露戦争というのは、一部特権階級が私利私欲のために、ありもしない脅威をでっちあげて、
無数の人命を死に追いやった巨大な戦争犯罪だと思ってるよ。
聯合艦隊壊滅させて海上封鎖
ジリジリ追いつめて、時折東京その他主要都市を艦砲射撃
防備の薄いとこから上陸させてあとは数で押す
たとえ城下の礼をとらせられなくても途中で降伏してくるわな
なんでも政府やら金持ちを叩けばいいってもんじゃネーのに
中二病?
296 :
275:2006/12/07(木) 20:17:27 ID:rdlcr6wl0
>>295 >海上封鎖
英国船まで撃沈するの?凄いね。
>東京その他主要都市を艦砲射撃
東京湾の構造って知ってる?袋の鼠という言葉は?
>防備の薄いとこから上陸
座礁って言葉は知ってる?軍港と漁港と海水浴場の違いは?
司馬やらコヴァやらに踊らされるほうがよっぽど中二病だよ。
まず海上封鎖=撃沈ってその短絡思想をどうかしたらどうかと
ウラジオ艦隊がうろうろしただけで恐慌を起こした日本人が、
艦砲射撃の脅威に晒されて世論がどうなるか想像できんのかと。
座礁って、なんでわざわざ大型船で入港せにゃならんのだと。
ノルマンディーの時連合国軍がどうやって上陸したかしらんのかと…。
こりゃあ、完璧に中二病だな。
政府を叩けば賢いとでも思ってるんだろう。
ま、そーゆー時期は誰にでもあるか。
大人になってからまた来なさい、坊や♥
なかなか良スレ! 議論が白熱していて とても面白い!
もしロシアが日本にまで南下してきたら
さすがに英国やアメリカが干渉してくるでしょうね〜
にしてもやっぱ 全然金が無いのに
戦争はじめちゃったのはちょっと無謀過ぎだったよな・・
結果としては幸か不幸かなんとか見かけ上は勝てたけど
太平洋戦争の開始もそうだけど
日本人は のらりくらりと開戦時期を遅らせるのが下手なのかな
その意味では北朝鮮はすごいかも(皮肉
299 :
275:2006/12/07(木) 21:26:18 ID:rdlcr6wl0
>>297 どうやら本当に中学2年生らしいお前にもわかるように説明してやる。
>海上封鎖
俺は日本が大陸から手を引くことを前提として話しているので、
海上封鎖なんかされようがされまいがどうでもいい。
日英貿易まで妨害する能力はロシアにはないので、輸出入がストップする
心配もないしな。
>ウラジオ艦隊がうろうろしただけで恐慌を起こした日本人
もう一度言うけど、踊らされちゃだめだ。
ウラジオ艦隊だろうが、バルチック艦隊だろうが、日本の本土を
攻撃する能力はないんだよ。
それなのに、さも一大危機のように騒ぎ立てて、大勢の日本人を
戦場に送り込んで、自分たちだけは安全な場所で、濡れ手に粟の
富と栄達を手にした奴らがいるんだよ。
>ノルマンディー
そうだな。飛行機と水陸両用車を活用しなかったのがロシアの敗因だな。
原爆があればもっとよかったな。
政府が国民をだまして戦争したんじゃなくて、国民がロシアとの戦争を望んでたんじゃないの?
三国干渉の雪辱を果たせって。
ちょうど今の日本人が北朝鮮を許せないように、その当時の空気ってものがあると思うがね。
知日派のセオドア・ルーズベルトが「忠臣蔵」を読んで
日本人は恥をかかされたら必ず復讐する民族だと分析してたらしいね
三国干渉の恥を・・
世論操作もあったろうけど雰囲気はそんなんだったんだろうね。
さて、おじさんは上で白熱してる人たちには程遠い無学ですが
中二病とか言うのは関心しませんな。
議論はあくまで相手を「気持ちよく」納得させるのが目的であって
頭に血が上って罵倒することでは無いと思いますぞ。
(でも、がんばって!2人ともw)
>>299 本当にお前は頭が悪いな
困った人だ
大陸から手を引くことを前提って、お前ロシアとの貿易云々って
>>288で言ってたがこれはどこにいった?
お前の脳内から出て脳内に消えたか?
>踊らされちゃダメだ
当 時 の 日 本 人 に 言 え
俺に言ってどうすんだ馬鹿
現実にウラジオ艦隊がうろついて彼らは恐慌起こしたんだよ。
米の値段が上がったり下がったりだ。
さらにいえば西園寺公望が内陸にまで鉄道を伸ばせと言ったのはなぜだか知ってるか?
また「一部の利権云々〜」とか言い出しそうだが実際は艦砲射撃で
沿岸の鉄道が分断された時に備えるためだ。
現実的な脅威なんだよ
>ノルマンディー
これはもう開いた口がふさがらん
普通に小型ボートで上陸って発想がないのか?
ほんとに陳腐で貧相なおつむりだな、お前は
303 :
275:2006/12/07(木) 23:07:51 ID:rdlcr6wl0
>>302 俺は、日本が大陸から兵を引けば、ロシアが日本本土を攻撃することは有り得ない。(勝ち目がないから)
その上で、平和な交易を通じて共存共栄を図ることができたはずだということを言ってるんだよ。
ところで、ノルマンディーにこだわってるようだが、数万の兵隊が小型ボートに分乗して、日本海側の
どこかの寒村めざして漕ぎ寄せるというのがお前の作戦か?
ずいぶん壮観だな。狙い撃ちする必要も無いな。海面に何発か落とせばボートがひっくり返って全滅だ。
艦砲射撃で沿岸の鉄道が分断されるから内陸へだって?
そりゃせっかくの鉄道が壊されたら不便だからできる限りの手は打つだろう。
戦争の勝ち負けとは関係のない話だ。
過去に学ぶのは現在に生きてる人間の特権だぞ。
別に日露戦争のことだけじゃないだろう。
イラクに大量破壊兵器はあったのか?フセインが消えてイラク人は幸せになったか?
イラク戦争で一番儲けた奴は誰なんだ?
俺は、今、日本で生きてるお前に言いたいんだよ。
事実に眼を開け。勇ましい、もっともらしい言葉に踊らされるなよ。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:14:20 ID:45sjKjsX0
円谷英二 珠玉の名作『日本海大海戦』(昭和44年製作)を見れ。
『203高地』よりはるかに良くできている。ちなみに三船敏郎が東郷平八郎で笠智衆が乃木希典だ。
バルチック艦隊がめためたにやられて気分爽快だ。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:16:41 ID:b8I3QpJzO
ロシアは19西紀後半露土戦争において、エーゲ海を巡って紛争している。
・正教徒保護を口実にトルコの内政に干渉し、トルコを影響下に置こうと意図
・バルカン半島のうち、ブルガリア領をパン=スラヴの影響下に置くことでエーゲ海を抜けて地中海へ
という露骨な政略を展開している。
これには西欧各国が難色を示し、ベルリン会議において、
(1)ブルガリア領南半分を分割し、エーゲ海へ接しないようにすること
(2)黒海からエーゲ海へ通じる海峡は平時において封鎖すること
(3)バルカン半島の出口、「フタ」に当たり、スエズへの入口に当たるキプロスはイギリスが領有すること。
というロシアの南下阻止政策によって極東に手を伸ばしている。
上記踏まえて日本にとって脅威だったのは、
・三国干渉によって謀略的略取が行われたこと
・バルカン半島と朝鮮の地形が酷似しており、ブルガリアのように、
(武力により)影響下におかれる心配があったこと。
・日本が極東のキプロスとも言うべき対馬を領有していたこと。
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/07(木) 23:28:57 ID:b8I3QpJzO
露土戦争からの小アジア情勢を元に、日本政府はパニックに陥る。
シベリア鉄道が単線とは言え開通に至ったこと。
中国東北部(満州)が着々とロシアの影響下に晒されていること。
シベリア鉄道から満鉄へとロシア陸軍の輸送に使われれば、
鴨緑江以南も容易に侵略を受ける。
となれば、朝鮮はブルガリアのようになって、日本は直接の脅威にさらされるようになる。
この辺が日露戦争の出所だね。
275の主張って、かなーり以前にあったよな。
また湧いて出たか。間欠泉か?
原剛の明治期国土防衛史に、列強(フランスだったかな)の日本攻撃案が載っていた。
たしか遠州灘?名古屋?あたりから上陸して、という感じの。
>>275はそういうの見たうえで言ってるの?
>>308 きっと奴はこう言うぞ
「一部の人間が利権を確保するために危機を煽ったんだ」
おまいら。
今日は我等日本軍が203高地を占領した日だぞ。ていうか昨日だけれど。
おい!もめるなよ。
ほんとこのDVD返したくねーよ。
借りパクしたいわ。
312 :
308:2006/12/08(金) 01:01:50 ID:k0KR39ks0
>>311 ありゃーフランスじゃなくてずばりロシアの案だったのか。
ヤンシュール、そう、こんな名前だったよ。ありがとー。
日露戦争時には外国製の軍艦なんていっぱいあったよなあ
てか国産艦ってどのくらいあったんだ?
275が戦争は全部無限戦争だと思っている件について
有限戦争の概念を持ってないな
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 23:02:53 ID:RXEDAJV70
「ロシアにおける広瀬武夫」読んでると
ロシアやイギリスに発注している船を視察しにいく場面が何度か出てたなぁ。
ロシアの造船技術はイギリスやフランスなどと比べて
かなり劣っている(ものもある)とか推測してあった。
で、そのフランス製でさえ色々調子が悪かったよな
やっぱり海賊立国のイギリスが一番なのか>造船
1900年頃は 大英帝国が今の米国のような存在だったらしいね。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/16(土) 02:34:37 ID:5V1tTqqDO
最近、父親から聞いたのですが曾祖父は海軍の軍人で日露戦争で軍艦に乗っていたそうです。
田舎は鹿児島なので、もしかしたら先祖が東郷平八郎の下で戦っていたのかも?と想像するとちょっと誇らしいです。
その曾祖父も祖父が小さい頃に病死をしてしまったので、日露戦争の話を祖父は聞いていなかったようです。
田舎の出なので階級は低かったのでしょうが、海軍のお給料がよかったのか自宅は集落で二軒しかない瓦屋根の立派な家のうちの一軒だったそうです。
その後の太平洋戦争も祖父と祖父の弟は海軍で、祖父の弟は乗っていた軍艦が撃沈して戦死したそうです。
過去の戦争に興味を持った今、祖父も亡くなってしまい、話も聞けず祖父の弟が乗っていた船の名前もわからず残念です。
そういや、あの水木しげる(ゲゲゲの鬼太郎書いてる人)が
ラバウルへ行く時に乗ってたのが
バルチック艦隊を発見した信濃丸だと知って
ビックリした。
流石に、水木しげるが乗った時は、もうオンボロだったらしいけど。
>>320 すごいね。
誰か、詳しく覚えてる人、聞いてる人が居たらいいなあ。
また聞かせて下さい。
>>320 うちの親戚で戦争に行った人の話、一人も聞いたことがない。
運がよかったと言えば言えるけど、ちょっと複雑な気分でもある。
>>321 ほほ〜、知らなかった!
ググルといくつか出てくるね。
で、相手を中二だと断言して憚らない小学五年生は遁走か?
>>323 君は海上封鎖されても日本の戦争継続と関係ないとか言ってた坊や?
俺がいないと思って勝利宣言しにきたんだろうね
可哀想に可哀想にw
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/27(水) 23:12:47 ID:gz8JT7UC0
>>324 当時の日本は食糧自給率100%でエネルギー源も自給可能な石炭ですが何か?
それでも足りないものはイギリス様がいくらでも運んでくださいますが何か?
>>325 沿岸地域を艦砲射撃で破壊されたら経済活動に多大な問題が生まれますが?
イギリスがぼろぼろになった日本にどこまで運んでくるんでしょうねえ?
経済活動に問題が生まれていつまで予算がありますかねえ?
そんな日本の国債をどこの国が買うんですかねえ?
それでも戦争継続に問題なしですか?ばかじゃねーの?
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 00:38:06 ID:UjrAETZVO
>>325 それだとただの一時しのぎでしかないんじゃ…
再び鎖国ってこと?
>>327 こいつは以前275って数字コテやってた奴だよ
こいつのトンでも理論は面白いぞ
経済のことをいっさい考えずに、ロシアは上陸できないから
日露戦争を起こす理由は一部の人間の利権以外にはなかったんだってさ
こいつの戦後はどんなビジョンがあるのやら
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/28(木) 13:07:34 ID:Eiy+Un510
日露戦争は表向きは日本が勝ったことになってたけれど
実際はフィフティフィフティみたいなもの。
もう、すんでのところで日本は経済的に破綻するところだった。
あの戦争は冷静に考えればあの時点では開始すべきではなかった。
ハイリスク過ぎ。
うまくすれば馬鹿な中国進出とかもせずにすんで
米国と戦争することもなく、敗戦して軍隊解体されることもなく
今頃はとっくに核兵器の開発にも成功していて
今頃はウヨさんたちが”熱望”するような極東の軍事強国になっていたかもw・・
そもそも核兵器の出番がなさそうだが、そうはオツムが廻りませんかそうですか。
>>328 >>275のトンデモったらこれでしょー
>ウラジオストックは「東方市」ぐらいに訳すのが適当だと思ってる(
>>285)
ロシア語ではヴラジヴァストークと発音するし、ヴァストークは「東方」、
ヴラジは「領有する、支配する」を意味する。
つまりヴラジヴァストークの意味は「東方の支配地」である。
自分に都合のいいように考えるんだね、思考回路に問題ありだよこの人。
俺が10才の時に死んだヒイ爺さんは、日露戦争開戦時に東京で学生してたが
第二軍第三師団(名古屋)の兵士として出征し、遼陽や奉天で戦っている。
大学の同級生の多くも志願したが、第三軍(旅順攻撃)に配属された
東京・北陸・四国・北海道出身者のほとんどは戦死したそうだ。だから
「乃木のせいで、いい奴らが沢山死んだ」と乃木大将の事をひどく嫌っていた。
陸軍の兵士だったのに、海軍の東郷元帥のことを神のように崇めていて、
客間に東郷元帥の御真影が飾ってあった。
太平洋戦争時は「東條みたいなキチガイが起した戦争に勝てる訳がない」と
公言して、非翼賛候補を応援したり、自由主義者を家に匿ったりしたから、
警察に呼び出されたり、私服警官が家の廻りをウロウロしたりしていたそうだ。
もし在郷軍人会の役員じゃなかったら逮捕されていた。
でも戦後は在郷軍人会の役員してたのが仇になってパージ食らって、
共産主義者から吊し上げ食らってたそうだ。「折角戦争が終わったのに、
特高の嫌がらせよりも、アカの嫌がらせの方が陰湿だ」と嘆いていたそうだ。
朝鮮戦争が始まると今度はアカの連中がパージ食らって、ヒイ爺さん達が
復活し、昭和30年頃までは町中が落着かなかったらしい。
333 :
325:2006/12/28(木) 21:39:59 ID:5VBBDVpZ0
>>326 >沿岸地域を艦砲射撃で破壊されたら経済活動に多大な問題
小学校5年生の社会科レベルで歴史を語る奴発見。
京浜工業地帯に阪神工業地帯だったか?
そんなもんが明治時代にあるわけないだろ。さっさと日本史の補修に行け。
>>327 日英同盟を敵に回して海上封鎖なんて長続きするわけないよ。
先に潰れるのはロシア帝国の方だ。これは歴史が証明してる。
>>328 >こいつの戦後はどんなビジョンがあるのやら
「日露戦争を回避し、大陸への軍事的進出を完全に放棄し、日英同盟を背景に
ハリネズミ防衛に徹しつつ、諸外国と平和な貿易を行って国を豊かにする」
というのが俺のビジョンだ。それで何か?
>>331 >「東方の支配地」
まさにそれが「東方市」じゃねえか。お前は国語の補修に行け。
334 :
名無し:2006/12/28(木) 21:44:44 ID:CXNJyFxA0
日露戦争とユダヤ人の恩について
知らない人が多いので一言。資料「高橋是清自伝」中公文庫
日本は戦費が不足したので外債を起こした。日本が負けると思って
誰も買わなかった。しかしユダヤ人のシフ家が買ってくれた。
これにより日本は戦争に勝つことが出来た。
このため日本軍はユダヤ人に恩を感じ、第二次大戦のドイツのユダヤ
人迫害に対して、満州国に二万人も受け入れるなど恩返しをした。
その責任者は関東軍参謀長東条英機である。驚いただろう。
反日宣伝に騙されないことだ。
335 :
どっちかっつーと日露戦争批判派:2006/12/28(木) 23:13:44 ID:Eiy+Un510
まぁ、飛行機も戦車もまだ無い時代だったしな〜
もしロシアが沿岸砲撃したとして そんなにダメージ受けるのかな・・?
あまり、関係ないかもしれないけど
ふと、日本が台湾侵攻した時の状況を連想した。
今でこそとても仲の良い台湾だけれど、侵略最初はえらくてこずったらしいよ。
台湾は清も見放してなんの軍事的能力もなかったのに・・ そうとう抵抗したらしい・・
>>332 面白い話、ありがとう!
>>334 俺は 田畑則重著 「日露戦争に投資した男」 〜ユダヤ人銀行家の日記〜
を読んでジェイコブ・シフの事を知ったYO (・∀・) !!
「東方の支配地」のどこが「東方市」なんだか?
シハイチ、あーなるほど、イチがあるなー
って阿呆かい!
>>333(>325)
>まさにそれが「東方市」じゃねえか。お前は国語の補修に行け。
「市」ってのは、「ウラジヴォストーク」のどこに相当する言葉ですか?
あー「補習」と言いたいのかな?だとしたら国語の補習に行くのはどっちですかね?
338 :
332:2006/12/29(金) 11:13:07 ID:6GO1ER+V0
ヒイ爺さんの日露戦の遺品で面白いのは、
戦地で家族や友人達から貰った手紙が残っている事。
宛先は「第二軍第三師団第六連隊 ○川○郎君」で届いている。
いわゆる軍事郵便として、兵士から内地へ手紙を出せた事は知ってるけど、
内地から前線の兵士へ、しかも激戦やってるのに手紙が届いたというのは
なかなかのものだなあ。
文面は「こちらは桜が咲いたが、満州はまだ寒いだろう」とか
「戦争が終わったら一緒に吉野に旅行しよう」などのごく日常的な内容。
「武運を祈る」とは書いてあるが、昭和の軍国主義調の「死しても報国せよ」
みたいな文面は全くない。「無事を祈ります」みたいなセンチな文章もない。
全般的にクールな感じがする。
>>338 おお〜!それは貴重だなぁ〜! (・∀・)!!
大切にしぃよぉ〜!火災で焼失したりせんように!
現代の中国では安い郵便物だとしばしば紛失するらしいw
>「乃木のせいで、いい奴らが沢山死んだ」と乃木大将の事をひどく嫌っていた。
>陸軍の兵士だったのに、海軍の東郷元帥のことを神のように崇めていて、
>客間に東郷元帥の御真影が飾ってあった。
乃木第三軍に大損害を強いたのが、東郷率いる連合艦隊の不始末によるもの
だったという事実を知ったら、どう思っただろうね。
>>340 開戦直後の魚雷艇による旅順港攻撃の事かな?
あれを指揮したのは東郷じゃないし、
元々、全滅させる気は全くない。
太平洋艦隊は旅順にいてくれればよかった。
意外にも第二太平洋艦隊(バルチック艦隊)が結成され、
東洋に向った事が、大本営に旅順攻撃を決意させた。
>>341 三度にわたる閉塞作戦、直接封鎖、黄海海戦についてのコメントをどうぞ
>>342 あのなあ、、
> 乃木第三軍に大損害を強いたのが、東郷率いる連合艦隊の不始末によるものだった
こんな意味不明な寝言を言ってるのはオマイだろ。
自分でコメントしろよ。
>>343 あのさあ・・
東郷時代の話をすべき所に関係の薄い話をするのが間違いなのよ。
海軍の数々の失敗の結果陸軍にお鉢が回ったんだ。
東郷にも大きな責任がある。
>>341 >魚雷艇による旅順港攻撃の事かな?
白雲霞朝潮暁、雷朧電、漣薄雲東雲、の駆逐艦10隻だろう?
>あれを指揮したのは東郷じゃないし、
だから?東郷が率いる連合艦隊の仕事だよ。
>元々、全滅させる気は全くない。太平洋艦隊は旅順にいてくれればよかった。
何言ってるのかな?
封鎖なり閉塞なり、しようとして出来なかったのが問題なのだよ。
いてくれればよかった、って釣りかとも思ったが、一応マジレス。
>>345←意地になるなってwww
陸海軍共に、旅順攻撃は考えていなかった。
特に陸軍はロシア軍を南北に戦力分断すればいい、1個旅団ぐらいで攻囲しておけば
旅順のロシア陸軍は半年もすれば食料不足で自滅するという考えだった。
海軍は、まさかロシア艦隊が旅順にずっと逃げ込んでいるとは思わなかった。
戦力は同じなのだから、当然日本艦隊に戦いを挑んでくると思っていた。
陸海軍共に想定外だったのだったが、なぜオマイが一方的に海軍の責任に
したがるのかがわからんw
一方的に?誰が?
旅順苦戦の原因は海軍の失策に端を発している、というのは事実だよ。
開戦直後の攻撃から目的を果たせず仕舞いで、結果陸軍に攻略をさせる事になったのは、
東郷率いる連合艦隊の不始末。
まあ君は水雷艇と駆逐艦の違いを認識する事から始めたまえ。先は長いな。
あ、水雷艇じゃなくて魚雷艇だったねゴメン
>>347 陸軍の砲弾生産能力に対する過誤や、海軍の重砲提供を陸軍が断った事、
203高地に攻撃を絞って欲しいという海軍の要請を陸軍が軽視した事、
などは都合よく忘れるんだなw
どうしてそんなに偏見に満ちているんだ? チョソか?
>>349 発端の話なんですが。
混乱しているのか、話をずらすためなのか、どっち?
チョンとか差別用語使うと、己自身を損なうよ。人格的に。
>ID:Xu2cF6tjO
意固地になるのはわからんでもないが、陸軍の所為、海軍の所為と責任転嫁する
方がどうかしてる。
海軍が旅順港を封鎖しなければ、第三軍の旅順要塞攻略はありえん。
さらに、満州軍が満州に展開できるほどの兵站を維持できないので、
朝鮮半島で完全勝利もできず、結局不利な外交解決になるでしょうね。
全体を見ずに第三軍だけを責任転嫁すると 禄でもない結末になるよ。
>>351 言わんとする所は分かるよ。
だから、乃木のせいで〜と言ってたお爺さんが、そういう事情を知ったらどう思ったかなーと。
>>352 日本が黄海の制海権を失ったら、満州の陸軍は干上がる訳で
海軍が陸軍に旅順攻撃を要請し、陸軍がそれを受けるのは当たり前。
ウザイから粘着するな。
東郷の不始末と乃木の不始末の数を数えたら、乃木の不始末の方が
多いだろうから、そりゃ非難は受けるわな。
あと旅順封鎖の目的は達成しています。
その結果、満州軍への補給路が確立できていますので。
ただ,旅順艦隊の壊滅の目的が達成できてないだけです。
>>353 海軍が独力でやると請負ったでしょ。
それであのていたらく、駄目でしょ。
>>354 >ただ,旅順艦隊の壊滅の目的が達成できてないだけです。
それが出来てないから駄目なんだが。
だいたい、問題の発端が最も重要でしょう。失策の数を数えるてのがズレてますよ。
>>355-356 宣戦布告と同時の小艦隊の奇襲攻撃で旅順艦隊を撃滅できると思っているのか?w
チョソは思い込みが激しいなwww
>>324 おまい
>>275か? 漏れは朝鮮半島をロシアに委ねても日本の国防上全く問題はないと起きたまま寝言言ってる
>>275のこと
を小学五年生と言ってるわけだが。
>>357 誰も言っていない事を、さも相手が言っているように強弁する技ですね。
その手は古すぎます。
今まで旅順の話ばかりだけど、ロシア艦隊は裏塩にだってあるんだからね。
こっちはまさに跳梁跋扈を許し、常陸丸・和泉丸・佐渡丸などの悲劇をもたらした。
特に攻城機材の海没は痛い。
自分(海軍)の仕事の不始末が、巡り巡って自分を縛り付ける事になるわけだ。
>>359 第2艦隊の担当まで東郷の責任か?w
統合失調性なら病院逝った方がいいぞ。
>>360 東郷の肩書きは「連合艦隊司令長官 兼 第一艦隊司令長官」
連合艦隊司令長官としての責任が無いとでもいうつもりか?
統合失調症と書きたいのならもっと漢字を勉強した方がいいぞ。
>>358 じゃ、あんたは小学校三年生レベルだな。個人的には
>>275の意見が正しいだろう。
史実の日本は欲張りすぎたんだ。それが最終的には太平洋戦争の敗戦につながる。
ぐわ!乗り遅れた。
あんまよく知らないんだけど
今論議されてるのは、常陸丸事件の事なのかい?
ええっと、旅順港に屯する艦隊全部撃滅できるのは203高地だと発見したのは
かの秋山真之くんで間違いないよね?
個人的な考えを言うのなら、275はおかしいね。
ウラジヴォストークの例がある。論理的に考えられない人だ。
彼はこれを「東方市」と訳す。ウラジを頑として訳さない、おかしな人だ。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/02(火) 21:21:16 ID:NGmyzHH40
ロシア海軍て、日本と揉める前は、冬になるとウラジオから長崎に避難してたらしいね。
不凍港とは名ばかりの酷寒の旅順よりも、温暖な長崎でちゃんぽんや皿うどんを賞味しながら
のんびりと越冬したほうが遥かに楽しかったろうに。
なにごとにつけ平和が一番だね。
ロシアが撤兵の約束を順守してればなんのこたなかっただろう。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 09:32:16 ID:O/uDWB3R0
>>366 満州は日本の領土ではないのだから、満州にロシア軍が居ようと居まいと
日本がロシアを攻撃してよいという理由にはなりません。
教科書の記述を引き写す前に一般常識を身につけよう。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 13:01:29 ID:wCRmzHpI0
>>367 満州はロシアの領土でもありません。
公平に見るという一般常識を身につけよう。
撤兵の約束をしたのに不履行かましたロシア側に問題があるのは当たり前。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 14:51:02 ID:Okdum/92O
おまいらの議論の焦点は何だ
ちょっと確認するが、日露戦争は満州全土ではなく満鉄を争ったのだよ。
シベリア鉄道が複線開通して満鉄もロシアが抑えたら、
シナにおけるパワーバランス上、ロシアの比重が大きくなりすぎる。
っていうのがイギリスの考え方で、事実その通りだった。
日本ももちろんその考え方を踏まえてはいるが、もうちょっとヒステリックで、ややファナティックだった。
370 :
367:2007/01/03(水) 15:49:01 ID:O/uDWB3R0
>>368 >満州はロシアの領土でもありません。
旅順・大連の租借権と東清鉄道の敷設権を獲得済みですが何か?
満州撤兵はロシアと清国の間の問題であって日本などカヤの外ですが何か?
>>370 で、それが何か?
満州からの撤兵を反故にするだけでなく、独占的な満州権益を認めさせようとし、
次いで朝鮮半島にも触手を伸ばしてくる。
これでなんの手も打たなければ、それはただの脳天気。
あなたみたいな脳天気な輩が当時の政府首脳に居なくてよかったよ。
>367
ところで話は変わるけど、あなたはウラジヴォストークってどう訳す?
東方市って訳した変人がいたんだけど、どう思う?
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/03(水) 19:18:46 ID:gy06GHdp0
話をぶった切って誠に申し訳無い
乃木将軍が、読んでるうちに明治帝の前で泣き崩れたという
あの復命書は
どこで読めるんですかね?
一部分しか載ってなくて・・・
374 :
367:2007/01/03(水) 20:47:05 ID:O/uDWB3R0
>>371-372 >満州からの撤兵を反故にするだけでなく、独占的な満州権益を認めさせようとし、
>次いで朝鮮半島にも触手を伸ばしてくる。
ロシアは東アジアで商売をしたかったんだよ。戦争やる気なんて全然なかった。
大金を使って鉄道を敷いたんだから、資金を回収するためには商売で利益を出すしかないでしょ。
「朝鮮半島にも触手」って、史実を見れば、要するに林業をやりたかっただけじゃないか。
清国も朝鮮も官憲は頼りにならなかったから、居留民保護のための兵を置くなという方が酷だよ。
>これでなんの手も打たなければ、それはただの脳天気。
それで被害妄想にとらわれて(あるいは悪意ある曲解をして)先制攻撃をした挙句が戦死者8万人超か。
そんなものは戦勝でもなんでもないよ。事実、大日本帝国は40年後に滅んでるでしょ。
>東方市
なかなかいい翻訳じゃないかな。
「市」というのは、単なる行政区画じゃなくて、人が大勢集まってくる賑やかな場所、という意味もあるしね。
命令形の地名なんていう奇妙なものよりよっぽど常識的な解釈だと思うよ。
じゃ、ウラジいらねーじゃんか。ボストークだけでいいじゃん。
現実見ろよ。現実。ウラジボストークっていうのが都市の名前なんだよ。
いつまで夢みてんだ。
377 :
373:2007/01/03(水) 20:55:04 ID:gy06GHdp0
ヽ(`Д´)ノ
昭和のポカは昭和の人間の責任だろう。
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 12:10:06 ID:kToWeaxqO
「東方を制圧せよ」みたいな訳だったようなきがする
>ロシアは東アジアで商売をしたかったんだよ。戦争やる気なんて全然なかった。
ロシア側の言い訳ですな。実際は相手をみくびってただけ。
>大金を使って鉄道を敷いたんだから、資金を回収するためには商売で利益を出すしかないでしょ。
領土獲得戦争の道を取るのがロシア。
>「朝鮮半島にも触手」って、史実を見れば、要するに林業をやりたかっただけじゃないか。
脳天気がうらやましい。
>清国も朝鮮も官憲は頼りにならなかったから、居留民保護のための兵を置くなという方が酷だよ。
脳天気が(ry
>そんなものは戦勝でもなんでもないよ。
残念ながら戦勝です。現実を見ろ。
事実、大日本帝国は40年後に滅んでるでしょ。
唾棄すべき詭弁。ならロシアはいつ滅んだ?
あんたダメすぎ。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 13:44:12 ID:X3iR54vtO
ロシアと言っても、満州で経済的利益を得ることを構想してたのは、
ウィッテだし。
朝鮮半島で、林業始めたのは、ベゾラゾフに唆されたニコライだし。
林業会社は、中身が伴う前に、ウィッテの反対や、日本の強硬姿勢でグダグダなんだよな。
迷走感がすごいよね。
>>275って、旧社会党や社民党が北朝鮮に持ってるのと同じ種類のシンパシーをロシアに対して持ってるんじゃないのか?w
>ロシアは東アジアで商売をしたかったんだよ。戦争やる気なんて全然なかった。
「ロシア人は権力範囲を拡大せんとする不動不断の傾向をもち、特にその
膨張が経済的にも軍事的にも、またロシア全体にとっても、真に明らかに
必要とは認められない型の膨張、すなわち、膨張のための膨張を、勝手な
抽象的理由をつけて行い・・・」
ジョージ・ケナン(ロシアソ連通の外交史家)
374みたいなお人好しには到底受け入れがたいだろうが、これが現実。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:30:10 ID:YIasKhjK0
>>383 日本人でもロシア人でもない人間の発言をコピペしてる暇があったら、
こういう言葉をよく味わってみろ。
「貴国に参ってから各地で丁重な御歓待をうけ、貴国人民の好意に深く感謝しておりました。
ところが、はからずも一昨日、軽傷をうけましたが、陛下をはじめ貴国人民への私の感謝の
気持ちは少しも変わることはありません」
(ロシア皇太子ニコライ 大津で襲撃されて重傷を負った直後、見舞いに訪れた明治天皇に)
ロシアが本当に拡張主義の野蛮国だったら、日本なんて大津事件で
一巻の終わりだったんだよ。
そうならなかったのは、ロシアが日本を友人だと思っていたからだ。
大黒屋光太夫と女帝エカテリーナの時代から、ロシアはいつも、
片思いのような友情を日本に対して持ち続けていたんだよ。
加害者日本は真摯に詫び、被害者ロシアは度量を見せ赦した。それだけのことだ。
双方どちらも、国益その他色々な事を考慮して行動してるに決まってるだろ。
それをなんだ?片思いのような友情だ?やめてくれ腹が捩れるわ。
どこまでお人好しなんだかな。羨ましいよ、ホント。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/04(木) 21:57:39 ID:X3iR54vtO
ニコライといえば、キツネ猿発言とかあるよね。
まあ、書いてあるのが、仲の悪いウィッテの回想録で微妙だけど。
言っててもおかしくはないけどどうだろう。
日記には、特に日本人の悪口書いてないんだよね。
>一昨日、軽傷をうけましたが
>大津で襲撃されて重傷を負った
事を大袈裟にして、ロシア側にとってより有利な状況としたいという意図が
見え見えの解説ですね。
これはいけません。容易に看破されてしまいます。もっと頭を使いましょうね。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 02:02:23 ID:JmLXINIw0
ニコライ(ロシア皇太子) 大津で襲撃され、頭部を斬撃されるも九死に一生を得る。
李鴻章(清国全権大使) 下関で銃撃され、顔面に被弾するも九死に一生を得る。
閔妃(朝鮮王妃) 王宮内で暗殺。三浦梧楼を始めとする日本人容疑者は全員放免。
こんなことばかりやっていた民族は猿と呼ばれても仕方ないわけだが。
日本の暗部だけ取り上げて「こんなことばかりやっていた」て・・・
>こんなことばかり
ほー。1、2、沢山、と数える人ですか?
別に暗殺事件を庇うつもりはないけどさ。日本関与の事件ばっかり言うのはどうよ?
伊藤博文とか、あと結構外交官やら高級軍人レベルでは暗殺未遂事件って
多いんだけど。重光、白川、の加害者って何国人だったっけ?
でも俺は、その民族を猿と呼ばれても仕方ないとは思わないね。
なんつーか、どこだって程度の差こそあれやってるだろこんなもん。
>>388は、暗殺なんて野蛮ことなんてやりませんよ私の民族は、と言えるのか?
そうでないなら、あんたも猿民族の一員だよ。他でもない、あんた自身が言った事だ。
そうだってんなら、何民族か言ってみろ?
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 15:00:46 ID:VpyM/U1k0
大津事件のwiki眺めていた。
明治天皇の緊急行幸とかすごいね。
津田を取り押さえた車夫をロシア水兵が大歓迎したり
ロシアが終身年金与えたり結構友好的な雰囲気もあったのねぇ。
まぁ、日清戦争の前だったしなぁ。日本なんぞ雑魚扱いの時代だったのかもね。
日清戦争後にロシアに視察に行ってる軍幹部とかでも まだ
結構、警戒せずに造船工場とか案内してたりもしたよなぁ。
対日強硬派の人ももちろんいたけどね。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 18:28:42 ID:i5ho079TO
日本海海戦。
1 合戦場所は対馬と日本領の最接近部から僅か出た辺り。
なぜなら、敵進路が最も読みやすく、敵後列の離脱がありえない。
2 いわゆる丁字戦法は、実はカタカナの「イ」に近い形。
縦棒がバ艦隊で上に進み、斜め棒が東郷艦隊で右斜め上に進む。
これだと、敵艦隊の進路を牽制しながら長時間戦闘ができる。
なお、この体勢をとる為に東郷ターンが行われる。
敵との距離が遠すぎると敵の回頭によって逃げられるおそれが十分にあるため、
砲撃開始距離ぎりぎりで行われた。
3 この戦法を取ると、東郷艦隊は大きい的になり、バ艦隊は小さな的になることになるが、
東郷艦隊は戦闘初期において敵の指揮系統を麻痺させる狙いであり、
旗艦の撃滅、また、旗艦の中でもとりわけ対人殺傷と火災に蓋然性があった。
つづく
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 18:39:13 ID:i5ho079TO
4 「イ」の字型併走の危惧が2個ある。
1つは、双方が仮に(合成方向に対し)同速度で運動しえても、
いずれこの体勢が崩れてしまうこと。
このため、αターンを繰り返しして体勢の維持がはかられた。
5 もう1つの危惧は、敵艦隊が東郷艦隊をやりすごし、「イ」の字の後ろを突っ切るという懸念。
これについては対策しようがなく、特に旗艦〜3番艦くらいまでがαターンに入った瞬間にそれをやられると、
日没までのリミットがある東郷艦隊としては痛手であり、まさに本作戦のアキレス腱だったといえる。
この懸念があったために、敵情誤認による一斉回頭という誤謬につながって行く。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 18:42:26 ID:i5ho079TO
6 この戦術上のミスによって第一艦隊は一時戦場を離脱。
第二艦隊は敵情誤認であると判断し応答を留保、独断専行、敵前に突っ込む形となる。
(具体的に言えば、装甲の薄い第二艦隊が敵と最も近い場所を走るハメになった)
7 疲れたから7以降はまた今度。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/05(金) 22:36:55 ID:i5ho079TO
つづき
7 東郷直卒部隊が回頭を繰り返し、再度敵に接近。バ艦隊の再捕捉に成功、挟撃する。
この劇的な挽回を「天祐」とする向きもあるが、味方艦隊とは相応の交信をしていたと思われる。
また、日本艦隊は海戦に先立っての哨戒任務で海域の詳細な地区割りを行っており、
無電機の性能など、これら諸条件も戦場において全般に有利に働いていた。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 00:18:03 ID:NS4Mz0dp0
>>392 おおー見事にスレの流れをブッた切ったなー。
乙だが、ここはヘン。
>1 合戦場所は対馬と日本領の最接近部から僅か出た辺り。
>なぜなら、敵進路が最も読みやすく、敵後列の離脱がありえない。
別に、その海域を会敵場所として想定していたわけじゃない。
史実の合戦場所がその海域となったのは、ただの偶然。
なので、「なぜなら」以下の理由は成立しない。根拠無しのこじつけだ。
>2
>これだと、敵艦隊の進路を牽制しながら長時間戦闘ができる。
>なお、この体勢をとる為に東郷ターンが行われる。
東郷ターンを行う前に、その動きをする為に、一度間合いを拡げるための
進路変更が行われていることを書き添えたし。
>3
>蓋然性があった。
日本語として意味が通じない。言おうとしていることは、おそらくこうか?
『旗艦の機能、継戦能力の除去、換言すれば人的被害と火災を生じせしめる
ことが目的だった』
あとはまた今度。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 00:55:24 ID:gedSTkC4O
>396
正当な評価に感謝する。
>1
およそ半日前からの誘導作戦と艦隊出動時間、その後の運動によって、対馬付近での接触を狙っていたとみる方が自然。
此彼の速度を勘案するとそれは可能。
>3
確かに不明瞭な日本語。
ただし意図の明確な戦闘主題とも言い切れない。
途中から貫徹弾に切り替えてるしね。
強いて表現するなら、「そうなる蓋然性があった」。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 01:32:38 ID:NS4Mz0dp0
4〜7まとめて。
挙げている危惧については誤った解釈が目立つ。
一つ目について。
イの字型の併走体勢は一時的なものであり、この体勢を維持する必要はない。
丁字形戦法とは、相互が丁字形(あなたの言うイの字型ね)になるのが目的
ではなく、敵を同航戦に持ち込む手段なのである。
二つ目について。
危惧懸念自体は正しいが、これに対処するための方策は、ギリギリまで引きつけて
回頭することであり、回頭時点で既に問題なく対処済み。
この危惧懸念がアキレス腱というのは同意。丁字戦法(1405左150度回頭)が、
敵をして同航戦を選択せざるを得ない絶妙のタイミングで行われたのが勝因かと。
後の一斉回頭ミスは、この丁字戦法における危惧懸念とは関係なく、相手が変針
した理由原因を読み間違ったために生じた。つまり既に同航戦に入った後のミス。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 01:33:37 ID:NS4Mz0dp0
主力の戦場離脱の件について。
第一艦隊の離脱(1500左90度斎動)についてはそのとおり。その結果第二艦隊
が矢面に立ったのもそのとおり。しかし、実は第二艦隊が敵前の位置にあった
時間は、実に短い。1510には左180度反転、第一艦隊に続行していってしまう。
第一・第二艦隊が再び戦場に復帰するのは1610。約一時間、第三・第四艦隊
(5000〜3000屯の巡洋艦隊)がバルチック艦隊に対応せざるを得なかった。
薄ら寒い状況と言えるが、この時すでにバルチック艦隊はほとんど艦隊行動
の体を成していなかったのが幸いだった。
敵艦隊の再補足について。
第二艦隊が戦場を離脱した頃(1510)と同時刻に戦艦オスラビアが沈没している。
沖ノ島北方10数キロの地点である。日本側主力が再び合流するまでの約一時間の
間、バルチック艦隊はオスラビアが沈没した地点から縦横約15キロほどの狭い海域
から脱することが出来ず、ただ混乱迷走していたのである。
相手はほとんど動いていない。日本側主力の戦線復帰は、煤煙など目視によって
得られる情報でも充分だったと思われる。
無電については、「信濃丸」の接敵以後、沖ノ島沖で海戦が始まるまで続けられた
適確な敵情報告において、その威力がいかんなく発揮された事を特筆すべきと思う。
★★★★★東条英機を、日テレ「ヒーロー」特集で一位に★★★★★★★
『日本人が好きな100人の偉人〜英雄編〜』で東条を一位に!
ttp://www1.ntv.co.jp/ijin/form/hero/index.html ゴールデンタイムの特番でサヨク史観を大否定しましょう!!!
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
保守派の中でも解釈が分かれる東条英機だとおもいますが
@同盟国ドイツの反発を恐れず
「俺が腹を切る覚悟で参謀本部を説得する」として
松岡洋右と共に、杉原千畝のサポートをし、
人種差別をしない八紘一宇の精神を貫て、多くのユダヤ人の命をを救った
Aインチキだらけの東京裁判において
戦争回避のために首相に就任したにもかかわらず
国民世論の高まりを抑えきれずに開戦した責任として
あえて逆賊の汚名をかぶることで
天皇を守りきった
などの功績は確かにあり、
サヨクマスコミが絶対に隠しておきたい嫌な事実でもあるわけです
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
1位、2位の人物は必ずVTRが作られます。
ゴールデンで東条が英雄第一位になる光景を是非見たい方
単にヲチしたい方も是非おねがいします!!!
(票の分散を言い訳にさせないために、いちおう、新字体の東「条」で統一してもらえると助かります)
★★★★★東条英機を、日テレ「ヒーロー」特集で一位に★★★★★★
おおっと。
>>397 まさかまだ本人がおられたとは思わなかった。
無線について。
再捕捉(
>>399の補足ってのは間違い)にも使われたのかもしれないけど、
自分としては海戦前の嚮導っていうか、その時の重要性を強調したいね。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 09:27:57 ID:L4ye/r350
>>386 ウィッテは今で言う中国ロビーだね。
まさにズブズブの関係。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 10:03:56 ID:gedSTkC4O
>398
丁字戦法の解釈
同航戦に持ち込むことに主眼が置かれたのは日本海海戦の場合の特別ケースで、
本来は敵先頭艦に対して単位時間あたりに大量の砲弾を浴びせるという戦術。
単なる同航戦だと、ロシアの旗艦含む新鋭戦艦だけが突出してウラジオストクに逃げられるおそれがあったため、
絶えず先頭を抑圧しながらの同航戦で戦闘時間を長くとって撃滅をはかるという難題に取り組むことになった。
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 10:13:33 ID:gedSTkC4O
>399
第三・第四艦隊が1時間も敵の矢面に立っていた事実は見落としてた。
確かに薄ら寒い。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 14:57:18 ID:svt1PWTr0
あれっ!? 急に「日本海海戦」が話題の中心になってる。「丁字戦法」か…。
では、以前に書いたものを、訂正して再掲します。
「極秘明治三十七・八年海戦史」(全150巻)一組だけが皇居内で生き残り、戦後30年を
過ぎて宮内庁より防衛庁に移管され、防衛研究所に所蔵されることになった、と作家の
野村實氏は「日本海海戦の真実」に書いている。
この「極秘海戦史」を研究して、1991年に「日本海海戦に丁字戦法はなかった」(戸高一成
中央公論6月号)という論文が発表されてから、日露戦争関係の本・雑誌に「丁字戦法なかった」
との説を採るものが増えてきた。現在では「あった派」が、やや巻き返して来ているようで
あるが、この論争は今後もまだまだ続くと思われる。
●日本海海戦では丁字戦法は採用されなかった
●敵前大回頭は同航戦(並航戦)の開始だった
【丁字戦法はなかった】、とする本
「日本海海戦に丁字戦法はなかった」(戸高一成 中央公論6月号 1991年)
「歴史群像シリーズ 日露戦争」(学習研究社 1991年)
日本海海戦の丁字戦法は幻の戦法だった 田中宏巳
「バルチック艦隊」(大江志乃夫 中公新書 1999年)
「天気晴朗ナレドモ波高シ」(三野正洋 PHP研究所 1999年)
「つまり丁字戦法より重要なのは、東郷平八郎が『損害も大きくなる恐れが強いが、
戦果も確実に得られる同行戦/並行戦を選択』したことなのである」と書いている。
「日本海海戦 かく勝てり」(半藤一利/戸高一成 PHP研究所 2004年)
「日本海海戦とメディア」(木村 勲 講談社選書メチエ 2006年)
【丁字戦法はあった】、とする本
「日本海海戦の真実」(野村 實 講談社現代新書 1999年)
「創出の航跡」(吉田惠吾 本田技研工業・共創フォーラム 2000年)
「形は丁字ではなくてイの字型であるが、丁字戦法の狙いが実現できている」
と書いている。
「坂の上の雲の真実」(菊田慎典 光人社 2004年)
「東郷平八郎 失われた五分間の真実」(菊田慎典 光人社 2005年)
「『坂の上の雲』では分からない日本海海戦」(別宮暖朗 並木書房 2005年)
「反航戦から敵前大回頭により丁字をきった」と書いている。
【その他】
「人物評伝 秋山真之」(田中宏巳 吉川弘文館 2004年)
田中氏は「絵に描いたような丁字戦法が実現し、〜」(P200)と書いているが、
これは歴史群像シリーズ(1991年)に書いた内容と矛盾している。
「日本海海戦 その時山本五十六と米内光政は?」(松田十刻 光人社 2005年)
「丁字戦法の弱点を改良した併航戦」と書いている。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/06(土) 17:36:31 ID:mK1WSW290
満州に軍を南下させてきたロシアを撃つことが日本の自衛行動ならば、
インドシナ半島に軍を南下させてきた日本にたいする英米蘭の経済制裁なんて、
地政学的に自衛行動としては至極当たり前の範疇にすぎないよな。
そんなことで被害者意識をもってギャーギャー騒ぐことこそ、ガキだよな。
だから山本五十六に「刹那主義の小学生」とか皮肉られるんだよな(笑)
自衛か侵略かの解釈は当事国に任されてるんだけどね。
>そんなことで被害者意識をもってギャーギャー騒ぐことこそ、ガキだよな。
じゃあアメリカも含め世界中ガキだらけだね。
何が言いたいの?
>だから山本五十六に「刹那主義の小学生」とか皮肉られるんだよな(笑)
その程度の意識しかないから真珠湾に対するアメリカ国民の反応を読みきれなかったのだねぇ(笑)
丁字というか、イの字の形のままで戦闘を続ける事はもちろん可能。
ただしその場合、イの字の体型のまま、大きく円を描く事になる。
また、縦棒側(バルチック艦隊)が、軽い面舵を続けてくれる事が条件。
イの字になれば縦棒側は、直進すれば斜め側(日本艦隊)にぶつかるから
並航戦になるように軽い面舵を取る可能性が大きい。日本側はイの字を保とうと
縦棒の頭を押え込もうとするから、イの字のまま大きく円を描く事になる。
戦闘中、両艦隊はオスラービアの沈没地点を中心に大きく廻ったそうだから、
イの字戦闘は出来ていた、と考える方が正しい。
ただ戦闘中に縦棒が取り舵を切って、斜め棒の後ろを突っ切り遁走する可能性も
非常に高いから、スワロフの挙動がおかしくなった時に、
日本の第一艦隊が左16点の回頭をすぐに行ない、第2艦隊もしばらく後に
それに従ったのは仕方ないでしょう。黄海開戦ではそれで逃げられているし。
第三・四艦隊が、第一・二艦隊に従わなかったのは、三笠からの指示なのかな?
自分で判断したとしたら、すごいとしか言い様が無い
>>409 イの字型を維持する為の条件がシビアつか、不可能だね。
相手が都合よく動いてくれないといけないなんて机上の空論そのもの。
つか、その解釈は、何処からの引用なの?
411 :
405:2007/01/06(土) 23:35:37 ID:svt1PWTr0
「創出の航跡」(吉田惠吾)では、図や実際の航跡図を用いて、丁字戦法と対馬海戦(日本海海戦)を
分析・説明している。その一部を転記すると…
「丁字戦法とは、常に敵よりも前に出て運動の主導権を握ること、できるだけ敵艦列の前方にある
安全領域に我が身を置くこと、敵の針路を圧迫するようにイの字の形を取り我が砲の全力を発揮
できる角度にすること、速力の優位を保ち有利な対勢を保ち続けること、これらを実行すること
により、『我が全力を以って敵の分力を撃つ』『敵の先頭を圧迫し、やにわにその二、三隻を撃破
する』との思想を実現することであるとしてよいであろう」
5月27日午後2時10分から2時47分までの航跡図を見て、
「大きく見れば日本艦隊(第一戦隊)とロシア艦隊は円弧状の運動をし、第一戦隊は外側の円弧を
より高速で、ロシア艦隊は内側の円弧をより劣速で運動した状況が明確である。この間の両艦隊
の速力を図の上で計算すると、第一戦隊が15,8ノット、ロシア艦隊が10,3ノットと読み取れる。
この37分の間にロシア艦隊の主力は大打撃を被り、特に先頭艦であったスワロフ、オスラビアは
命中弾が多く、この時点までに戦闘力皆無といってよいほどに打撃を受けてしまい、対馬海戦の
大勢はこの間に決したといえる」
>>409 >丁字というか、イの字の形のままで戦闘を続ける事はもちろん可能。
>ただしその場合、イの字の体型のまま、大きく円を描く事になる。
>また、縦棒側(バルチック艦隊)が、軽い面舵を続けてくれる事が条件。
それって、不可能ということだね。
うろ覚えだけど、JFKでのKコスナーのセリフ。
「理論上は、髪の毛一本で象を吊り下げることだってできますよ。
理論上では。でも、私たちは現実的に考えましょうよ。
(魔法の銃弾理論に対して、こんな皮肉で返していた。)」
丁字戦法とは、
『相互が丁字形になるのが“目的でなく”、敵を同航戦に持ち込む“手段”である。』
「図説東郷平八郎」(東郷神社・東郷会)
丁字形(イの字形)を保ちつづける必要があるとかそのための戦法であるとかいうのは、
航跡図が延々と描き続けられる航跡図を見て考える際に陥る誤解ではないだろうか。
また日本側の何れの戦隊が敵の頭を圧迫する有利な位置を占めるような位置関係になる
ことが多かった事も、誤解の原因だろうか。しかし考えてみて欲しい。速力差のある敵
味方艦隊なら、そうなることは当たり前。被弾による蛇行混乱がそれに拍車をかける。
こうなってしまえば、戦法もクソもない。
もう一度書くが、
丁字戦法とは、相互が丁字形になるのが“目的でなく”、敵を同航戦に持ち込む“手段”である。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:29:46 ID:8b7MWeBpO
目的が少し違う。
丁字戦法の目的は、要するに敵の進路を圧迫しながら横腹を見せて、
敵の先頭艦にありったけの片舷側砲弾を送りこむことに主題がある。
その際に反航戦になるか同航戦になるかは戦略目的や諸条件によって異なる。
この辺りに誤解があるが、「同航戦をする為に丁字戦法を用いた」のではなく、
「同航戦を演ずる為に東郷ターンを行った」というのならまだしも解釈は成り立つ。
事実は、東郷ターンによって同航戦と丁字戦法2つの道がひらかれたというのが正解。
両者は背反するものでも混在するものでもなく、別次元の概念。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 13:41:00 ID:7vopU4Ge0
バルチック艦隊は連合艦隊を撃滅しろという無茶苦茶な命令を受けてたんだよね。
だから津軽や宗谷じゃなくて対馬海峡を通る正面衝突コースを選択するしかなかった。
連合艦隊にしてみれば、質・量ともに圧倒的優位に立ってたんだから、丁字戦法でもなんでも
やりたい放題だよ。
ロジェストウェンスキー提督カワイソスとしか言いようがない。
>>414 なんか文章が変だぞ。
なんつーか日本語に振り回されている感じ。
千葉 習志野の原っぱにロシア捕虜収容所があった、陸軍演習で中学の時
ロシア兵の使用してた寝具用赤毛布(西洋アカゲット)に何時も寝かされて
いた そんなに昔の事じゃないよ でも丈夫な毛布40年も学生演習用に
できるんだ 特務曹長曰く「どうだ冬でも暖かいだろう。」
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:11:25 ID:d82nYg3y0
ん〜、誰のいつごろの発言っすか?
>>415 うほっ!
またユニークな意見だね!いろんな考え方する人がいてイイね。
長期航行でくたくたの乗組員。こびりついたフジツボ。つみ過ぎの石炭・・
>>413 > もう一度書くが、
>丁字戦法とは相互が丁字形になるのが“目的でなく”敵を同航戦に持ち込む“手段”である。
それはおかしい。同航戦に持ち込みたかったのは東郷艦隊じゃなくて、バルチック艦隊。
日本側の目的は先頭艦のスワロフとオスラービアを集中攻撃し航行不能にして、敵艦隊の
艦隊運動を不能にさせる事にあるんだから、イの字になるように常に敵の頭を押え込む。
バルチック艦隊はそれを嫌って、同航戦にするために面舵に切る。それの連続だろ。
両艦隊とも面舵を切りつづけるのだから、結果として大きく弧を描くね。
>>419:01/07(日)
>>丁字戦法とは相互が丁字形になるのが“目的でなく”敵を同航戦に持ち込む“手段”である。
>それはおかしい。同航戦に持ち込みたかったのは東郷艦隊じゃなくて、バルチック艦隊。
日本側が同航戦に持ち込みたくないわけがないのだが。
総じて意味不明。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:14:54 ID:8b7MWeBpO
奉天会戦
1 当初、満州総軍は敵左翼を鴨緑江軍、敵右翼を乃木第3軍及び秋山支隊により陽動圧迫し、
予備隊を左右に使い手薄になるはずの中央を集中砲撃によって威圧、のち突破をはかるという作戦をたてていた。
2 2月下旬、鴨緑江軍活動開始(作戦開始)。
「乃木軍出現」と過大に判断したクロパトキンによる大量の予備兵投入。
鴨緑江軍は現役兵や正規兵が少なく、それが陽動軍の使命とは言え
惨烈な戦況が続き、進撃はストップする。
3 3月に入り、日本軍左翼(秋山、乃木)、活動開始。
乃木軍は奉天西方を迂回し敵右翼に対し側面攻撃する任務を帯びた。
3 クロパトキン、鴨緑江軍に当てた予備部隊を西方に再転。
ロシア軍主力が右偏し、満州総軍の当初計画から離れ、西方が主戦場となる。
つづく
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:27:21 ID:8b7MWeBpO
4 乃木軍、思うように進撃できず。
総軍司令部からは迂回運動の完遂に矢の催促。
が、現実の戦況はそれどころではなく、戦線を維持するのがやっとである戦闘も多数。
5 戦線中央では猛砲撃を加えるが、
凍土の為野戦陣地の破壊にはあまり役に立たず。
総じてロシア軍は、会戦終盤に至るまで全線に渡って健全な活動を維持。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:38:00 ID:yS/bNQjm0
敵前大回頭(のちに「東郷ターン」と呼ばれる)は、午後2時5分に突如行われたのではなく、
その25分前、1時40分の「北西微北」変針から始まっていた。これは既定の運動の仕上げと
して、敵前大回頭(東北東ターン)が行われたことを示しており、従ってこの地点での東郷の
瞬間判断でなされたものではない。
日本艦隊はほぼ真正面でロシア艦隊と遭遇したので、いったん右折し、そこから左回りの円
運動を開始し、最後の2時5分の大転舵で同航戦に入ったのである。
(「日本海海戦とメディア」木村勲 より)
東郷司令長官が大転舵を命じたとき、秋山真之参謀は艦橋にいなかったそうである。秋山は
「あのとき用事があって後部艦橋に行っていた」という。佐藤鉄太郎(第二艦隊参謀)は「あの
とき秋山はブリッジにいなかったそうである。(大転舵は)東郷元帥が自分でやられたのである」
と、昭和8年に海軍兵学校生徒に対して講演した。
伊地知「三笠」艦長も、秋山は羅針甲板にいなかった、と小笠原長生に言い、それを記録した
メモを彼に渡したという。
(「坂の上の雲の真実」菊田慎典 より)
「山梨勝之進先生遺芳録」によれば、東郷は1923年8月10日の記念祝賀会でこう語ったという。
「8月10日の海戦(黄海海戦)で、反航戦はいかん。そして遠距離戦はいかんと思ったので、
今度は近い距離で、同航でやってやろうと決心しておった」
(「日本海海戦とメディア」 より)
日本艦隊は、バルチック艦隊がウラジオストックに入港するのを阻止しなければならなかった。
そのためには、並航戦(同航戦)による持続戦法に持ち込むしかなかったのだ。
(「バルチック艦隊」大江志乃夫 より)
>>414 >「同航戦を演ずる為に東郷ターンを行った」というのならまだしも解釈は成り立つ
小生も、そう思います。
>>420 >日本側が同航戦に持ち込みたくないわけがないのだが。
その通りですね。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 18:42:06 ID:8b7MWeBpO
6 総軍司令部、作戦を変更。
中央突破の為に置いておいた野津軍と奥軍を乃木のサポートに回し(左転)、
乃木軍をむしろ奉天北方にまで迂回進出させ、
退路(満鉄)を制圧しつつ渦巻き状に奉天に進ませようとはかる。
7 乃木自身、明治天皇への復命時に述べている通り、
「攻撃力ノ欠乏」によりこれは十分には全うできず。
8 3月9日、乃木の奉天北方への指向をおそれたクロパトキン、
突如としてハルビン・鉄嶺方面への撤退開始。
全く健全に戦線を維持している最中の退却命令により、
無用の混乱・著しい士気低下などが起こる。
ロシア軍が奉天会戦中もっとも損害を出す原因となる。
8 日本軍、奉天入城。
補給と戦力に渡る全般的な損耗により本格的な追撃戦はできず。
再び膠着状態へ。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 23:52:37 ID:tZ3dIHMG0
>東郷ターンによって同航戦と丁字戦法2つの道がひらかれたというのが正解。
誤りというか混乱が見られる。
東郷ターン=丁字戦法、これは同航戦に入るための手段。これが正解。
>425
うーん。
丁字戦法=同航戦だとするあなたと、
反航戦でも丁字戦法にはなりうる、というワタシには、
議論の前提に違いがあるみたいなので、
これ以上話しても平行線な気がしますです。。。
>>426 >平行線
そうね。まるで双方の弾がすれ違う同航戦のようです。
念のため言っておくけど、丁字戦法=同航戦なんてことは書いてないよ。
丁字戦法(東郷ターン)は同航戦に入るための手段、と書いてるんです。
こちらの主張の根拠つーか出所は、上に書いたけど「図説東郷平八郎」。
これだけは聞いておきたいんだけど、そちらの主張の根拠(ソース)を教えて。
「図説東郷平八郎」って、ほんといい本なんですよ。
例えば、有名な東城鉦太郎の艦橋図。これ初代と再製図があるってのはよく知られて
いるけど、初代の図版そのものを載せている資料ってほとんどない。
これには初代の艦橋図が鮮明に載っていて、これだけで買う価値ある(かな?)。
見比べると愉しいよ。間違い探しみたい。
429 :
423:2007/01/08(月) 00:58:30 ID:+iuJNW9t0
426氏ではないが。
敵前大回頭(東北東に変針、のちに「東郷ターン」と呼ばれた)イコール丁字戦法ではない。
大回頭は単なる変針で、軍関係者は「大転舵」と言っていたそうだ。
>>429 >>423で書かれていた、30分ほど前からの微妙な変針運動から含めるべき、と
いう事ですか?
その解釈には、別に反対しませんが。
呼称については、「ぐるっと腕を大きく回し」「えっ、取り舵ですか?」「さよう」
の刹那を指して「東郷ターン」と呼称するのが適当と思う。
431 :
429:2007/01/08(月) 01:27:30 ID:+iuJNW9t0
だから、敵前大回頭(東郷ターン)と丁字戦法を混同してはいけない、ということ。
東郷ターンは、反航戦から並航戦(同航戦)にもちこむための方向転換である。
この解釈は、「バルチック艦隊」(大江志乃夫)による。
こういう解釈?
・東郷ターンは、丁字戦法の一部である
・「反抗戦態勢から微変針(1340)、その後の敵前大回頭(1405)まで」が丁字戦法
・東郷ターン=敵前大回頭
これでオケ?
そもそも大江は日本海海戦では丁字戦法は使われなかったという主張を展開している
のだから、大江本と東郷会本を突き合わせても話が合うわけがない。
大江本を出してきた人は、日本海海戦で丁字戦法は使われなかったという主張なの?
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/08(月) 13:50:44 ID:zEQUJNBZ0
大江志乃夫は司馬遼太郎と面識があって、その際に「坂の上の雲」を批判した
ということを司馬が随筆に書いていたけど、実際に何を言ったんだろうね。
司馬は大江の著作・人柄は絶賛した上で、批判の内容は忘れたと書いてるけど、
思い出したくないほどキツいことを言われたんじゃないかという気もする。
435 :
431:2007/01/08(月) 14:58:48 ID:+iuJNW9t0
>>432 東郷ターンは方向転換であって、丁字戦法を採用するなり同航戦を採用するなり、
どちらを選ぶのも、ターン後の展開であるということ。東郷ターンと丁字戦法が
一体となっている、というものではない。
>>433 丁字戦法が採られたのか、採られなかったのか、自分なりに調べてみたが、簡単に
結論が出るものではないね。個人的には、あった、なかった、は4対6ぐらいの感じ
だけど。ちなみに、
>>405を書いたのは小生。
>>434 大江志乃夫も野村實も信頼できる研究者だと思うが、丁字戦法に関しては対立して
いるのが面白いね。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を題材にした本は何冊か出ているが、
中には品がないものもある。例えば、「『坂の上の雲』では分からない日本海海戦」。
>>435 >東郷ターンは方向転換であって、丁字戦法を採用するなり同航戦を採用するなり
、>どちらを選ぶのも、ターン後の展開であるということ。
丁字戦法と同航戦と、この二者を選択肢として並立させるものではない。
丁字戦法とは同航戦に持ち込む為の手段。
>>435 バルチック艦隊で沈没した順番は、オスラービア、アレクサンドルIII、
スウォーロフ、ボロディノ、シソイ・ウェーリキー。艦隊の左側(第2艦隊)、
右側(第1艦隊)に関係なく、ほぼ前から沈んでいる。
同航戦なら、艦隊の左側に並んでいた第2艦隊、(前から)オスラービア、
シソイ・ウェリーキー、ナワーリン、ナヒーモフがまず攻撃されて沈むはず。
右側に並んでいた、第一艦隊のスウォーロフ、アレクサンドルIII、
ボロディノが早期に沈んでいるところを見ると、 丁字戦法が採られた
としか思えないが。
オスラービアがまず沈んだのは、珍しい4本煙突の目立つ船なので
集中攻撃を受けた、という説明は正しいと思う。
真之タソってすごいねぇ。
DQNヤンキーらしいこの大博打
439 :
435:2007/01/08(月) 21:51:33 ID:+iuJNW9t0
>>436 >丁字戦法と同航戦と、この二者を選択肢として並立させるものではない。
>丁字戦法とは同航戦に持ち込む為の手段。
丁字戦法と同航戦とは、基本的に別の戦法である。ここで丁字戦法の定義を簡単に。
丁字戦法とは、単縦陣で進む敵艦隊に対して、その針路を横切って丁字形の体勢をとり、
敵先頭艦(旗艦)に対して集中砲火を行い、順々に撃沈していく戦法である。
日本海海戦においては、大回頭後、優速を活かしてバルチック艦隊の進路を斜めに圧迫する
形(イの字)で、結果的に同航戦に持ち込んだ、という解釈は成り立つかもしれない。(これは、
仮に広義の「丁字戦法」と呼べるかもしれない)
重要な点は、丁字戦法にしても同航戦にしても、敵よりも「優速」であり「砲術(命中率」)で
勝るということである。
「丁字戦法とは同航戦に持ち込む為の手段」というのは、おかしい。丁字戦法を採ったが、
次第に同航戦へ移行していった、というのなら話は分かるが。「連合艦隊戦策」にも、丁字
戦法を敵が避けようとしたら、並航(同航戦)または反航になると思わなければならない、と
記してある。丁字戦法とは、同航戦を行うために用いる戦法というわけではない。
>>437 まず敵前大回頭から2時40分頃までの航跡図を見ていただきたいが。
日本艦隊は、優速を発揮して先行する形で有利に戦っている。形は丁字ではないが、丁字
戦法と同じ狙いが実現できていたと言えるだろう。だったら丁字戦法ではないか、と突っ込ま
れるかもしれないが。ここに、「丁字戦法はあった」という説を否定し難い理由があるのだ。
詳しくは、「創出の航跡」(吉田惠吾 本田技研工業・共創フォーラム 2000年)の解説を御覧
あれ。
>丁字戦法と同航戦とは、基本的に別の戦法である
いや、あの。要するに日本語の問題として。
同航戦って、それのどこが「戦法」なの?
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 01:13:28 ID:JG0zQkLwO
>>439 同意。
で、以下はおもしろ半分で書くのだが。
何となれば、東郷ターンはなく、ただ丁字戦法だけが頭にあったとしたら、
同航戦ではなく反航戦になった可能性も否定できなくなる。
史実通り東郷ターンをして、同航戦だけを意識して丁字戦法は指向しなかったとしても、
鳥瞰的には史実通り一時的であれ丁字戦法の布陣にならざるをえない。
東郷ターンをせず、丁字戦法をも考えず、ただあの海で合戦だけしたら、
これはどっかでターンしなきゃただの反航戦になる。物理的に。
つまり、「丁字戦法は同航戦に持ち込む為の手段」という、
実際の海戦からやや離れた「意味付け」に違和感を感じるだけであって、
結局は同じことを言ってるわけなんだわな。
で、その意味付けに対する雑感なんだが、当時の海軍の認識はそういう感じじゃなかったと思うよ。
後世そういう意味付けが一部にあるだけで。
ふーん、全然不同意だな私は。
同航戦なり反航戦なり、ただの彼我の位置関係を表す言葉なんであって、戦法でも何でもない。
意味づけというなら、大江本やら創出の航跡やらの方が、後でなんやかや理屈付けてる側なんだがね。
丁字戦法のあと反航戦の形になるって、どういう状況なの?
敵艦隊と逆方向にさようならって事だよね。
>>437 >バルチック艦隊で沈没した順番は、オスラービア、アレクサンドルIII、
>スウォーロフ、ボロディノ、シソイ・ウェーリキー。艦隊の左側(第2艦隊)、
>右側(第1艦隊)に関係なく、ほぼ前から沈んでいる。
つまり、東郷艦隊はバルチック艦隊の左側ではなく前方にいたんだね。
東郷艦隊が縦陣形をしていたことは異論がないのだから、
丁字戦法が実施されていたと解釈するしかない。
実は同航戦だった、とか言ってる奴は馬鹿じゃないのか?w
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:48:58 ID:jS55OVnp0
>>441 同航戦も反航戦も、そのままいけば砲撃戦になるから、立派な戦法であると思う。
小生は、軍事に関して全くの素人なので、用語の正確な定義は分からない。
ただ、防衛大学校教授の田中宏巳氏も防衛庁防衛研究所調査員の菊田慎典氏も、「戦法」だと
しているし、そのように使用して(書いて)いる、とだけ答えておこう。
>>442 バルチック艦隊発見後、北西微北に変針(1時40分)、15ノットに増速(1時50分)、さらに西(1時55分)、
南西微南(2時2分)、東北東(2時5分)と、間合いを取ってタイミング良く「東郷ターン」を決めて
いる。東郷にとっては当初から予定の行動だったのだろう、と思わざるを得ない。
もう一度掲載。
「山梨勝之進先生遺芳録」によれば、東郷は1923年8月10日の記念祝賀会でこう語ったという。
「8月10日の海戦(黄海海戦)で、反航戦はいかん。そして遠距離戦はいかんと思ったので、
今度は近い距離で、同航でやってやろうと決心しておった」
(「日本海海戦とメディア」 より)
>>443、
>>444 是非、貴殿の意見(考え)をお聞かせ願いたい。
>丁字戦法のあと反航戦の形になるって、どういう状況なの?
丁字戦法を採った後で逃げられたといえば・・・
前年8月10日の「黄海海戦」では、丁字戦法が完成したが、ロシア太平洋艦隊は逆方向に舵を切り、
後方から逃げられてしまった。・・・ということがあったね。
>>445 >実は同航戦だった、とか言ってる奴は馬鹿じゃないのか?w
沢山本を読んで、よ〜く勉強しようね!www
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 20:53:26 ID:nNNyfvlY0
│連 _
│合 /|
│艦 / _
│隊 / /|
│ . / /
. \_/ / (B)
│ バルチック
I← │(A) 艦 隊
│
日本海海戦はこんな感じで始まったはず。
バルチック艦隊にしてみれば、地点(A)では丁字戦、
地点(B)では同航戦になり、いずれも連合艦隊から
猛砲撃を浴びせられることになった。
矢印Iの方向に舵を切って反航戦に持ち込み、
そのままウラジオストックに逃げ込むことだけが
活路だったが、連合艦隊がギリギリまで敵を引き付けてから
ターンしたので、もはや逃げ場はなかったという感じ。
>小生サン
お仕事お疲れさま。
もちろん、私も予定の行動だったと思ってますよ。
アレは論理遊びです。あまり趣味はよくないが。
この時期の東郷は少なくとも熟慮断行の人ですね。
バ艦隊の航路に関するエピソードからもそれは読みとれます。
>447
携帯の為ちゃんと見れないが、おそらく当たってる。
かなり接近した上で回頭されると、反航戦ができない。
>>446 丁字戦法は同航戦に持ち込む為の手段であり、黄海海戦ではその目論見は失敗し、
日本海海戦では成功したというだけの事ですよ。
反航戦ではすれ違った後もう一度反転追尾して距離を詰めないと再攻撃できない。
それまでにうまく分散されると、いくら連合艦隊の方が平均速力が高いと言っても取りこぼしが出てバルチック艦隊の艦がウラジ
オに到着できる可能性が高まってしまう。
それは連合艦隊としては非常に困るので同航戦に持ち込み少しでも長い時間砲戦を行う必要があった。
丁字戦法とか東郷ターンとか言うが、それはバルチック艦隊を同航戦に引き込むための手段。
円月殺法、それは刀先により円弧を描くのが目的ではなく、敵を眩惑させる為の手段。 みたいな??
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/10(水) 23:46:17 ID:sMEIX6VrO
坂の上の雲で、旅順陥落後、連合艦隊が一時帰国。
ドックの工夫たちが気負い立って食事も取らずに働き、
「それじゃあ保たない」
と心配して兵科の兵士たちが工夫の食事を運んだりするシーン。
何度読んでも泣ける。仮に嘘だったとしても泣ける。
食事をとらずに働くあのものがなしさは、働いたことのない人間には判るまい。
そういう時に受ける心遣いへの感動はひとしおなんだ。
それが、日本の運命という大きなものを背負っているのだから、もうシチュエーション泣きしちゃうよ。
もとより戦争万歳な人でもないのだが、それとこれは別の次元だな。
そういう危機意識が組織の団結を促す。
「試練」の到来によって信者が篩にかけられ、
より先鋭化する宗教集団と同じこと。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 20:39:14 ID:necN2KN60
「そっ、損氏〜っ! わが教団は、当局の宗教弾圧を受けてますぅ〜」ってか?
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 04:11:42 ID:rYImyxnD0
規模が違うだけで同じことだね。
「て、天皇陛下〜っ! わが国はロシアの圧迫を受けてますぅ〜」
似てるでしょ?
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 05:54:46 ID:IzALwLTK0
もしバルチック艦隊が日清戦争の丁如昌のように一列横隊で体当たり戦法とったら
日本艦隊の損害はもっと大きかっただろうな
>>455 馬鹿だろお前。
無理やり当てはめてるだけじゃん。
つーか、あの時代あの状況で圧迫を感じられない方が正常な神経だとは思えない。
そういうおめでたい集団は古今東西現代の日本人くらいだろうよ。
似てるでしょ?て問うから似てないと言ってあげたんだが。
どこが似てんだよ。説明してみろ。
>459-460
おまいらの精神年齢、足しても30未満だな
そーゆーあなたは?
嘴突っ込んだ時点で同じ穴のムジナだ、残念。
>d9NV4h5MO
そろそろ おうちに かえろうね。
はいはい、坊やのお家はどこですか?
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/13(土) 23:32:58 ID:XDTcn4vq0
管理人さん。2chを閉鎖してはいやぞな。
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/14(日) 01:02:41 ID:v1tqPU8H0
む
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/15(月) 22:24:04 ID:MqFyxTh30
最近の大河ドラマは合戦シーンとかを過去の作品から使いまわして
制作費を節約してるけど、坂の上の雲はどうするんだろ?
全然情報が出てこないけど本当に来年放送できるの?
>>467 6割が旅順攻略戦で、その8割が二○三高地の使い回しですよ
昔の映画やら実写フィルムやらをひたすら切り貼りして、
あとは軍服を着た俳優がバストショットで話し合うだけとか。
そういえばどっかにそんな漫画があったような・・・
安上がり(アシ解雇)で手間もかからない(手抜き)はずなのに
どんどん出来が悪くなっていったアレかw
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 20:03:43 ID:X82k62M10
ttp://www3.nhk.or.jp/news/2007/01/18/d20070118000144.html 「坂の上の雲」出演者決まる
「坂の上の雲」は、日露戦争で活躍した軍人の秋山兄弟と俳人の正岡子規という
四国・松山出身の3人を中心に、明治に生きた日本人の青春群像を描いた司馬遼太郎の代表作です。
NHKでは、この作品を大河ドラマを超える大型ドラマとして制作しますが、
主な出演者が決まり、18日東京・渋谷で記者会見が行われました。
主人公の1人で、連合艦隊の参謀として当時世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破る
秋山真之に本木雅弘さん、その兄で後に陸軍大将となる好古に阿部寛さんが決まりました。
また、兄弟の友人で明治の俳壇をリードした正岡子規を香川照之さん、子規を支える妹の律を菅野美穂さんが演じます。
本木さんは「指揮官はどうあるべきか、主人公が見せる決断力をしっかり演じたい」と抱負を語りました。
また、菅野さんは「原作を読んで物語に引き込まれました。
登場人物のエネルギーに負けないようにしっかり演じたいです」と話していました。
撮影はことしの秋からで、中国やロシアでの海外ロケや最新の特撮を駆使してスケールの大きな番組を目指します。
「坂の上の雲」の放送は再来年の秋から始まり、全13回、3年にわたって放送される予定です。
1月18日 19時2分
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 20:04:13 ID:Dg53SMuv0
日露戦争、もうカッタリィ
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 19:35:15 ID:T1lwWJtn0
第一軍の太子河渡河は世界戦史に残すべき名作戦と言われている。
当時、第一軍の観戦武官として同行したドイツ陸軍のホフマン大尉は
帰国後1914年のタンネンベルヒ殲滅戦(参謀副長ホフマン中佐)で
これを参考に作戦を立案し独軍を大勝利に導いた。ホフマン中佐は
日露戦時第一軍参謀長だった藤井茂太中将に感謝の手紙を送っている。
日露戦争の陸戦をなんとか勝利で終われたのは、黒木大将と藤井少将のコンビが
東部戦線で勝ち続けたからにもかかわらず、戦後は二人とも冷遇された。
黒木は元帥になれず、藤井は中将のまま陸軍を追われたのは全く不当な
扱いといわざるおえない。
>>471の大河ドラマでも二人の活躍をしっかり
描いて欲しい。ちなみに藤井少将はオダギリジョーが希望。才気が溢れていて、
軽く世の中をなめた感じがぴったりだと思う。
つーか、司馬原作だと散々な扱いになる乃木・伊地知コンビが誰になるか興味ある。
「善意の無能者」的な描かれ方をしても耐えうるような演技力を持ってる俳優がいいな。
>>474 タンネンベルクは典型的な各個撃破で、太子河渡河と関連性はない。
ホフマンは日露戦争を観戦し、ロシア軍の将軍達は仲が悪く、
共同作戦を行えない事を学んで、各個撃破作戦を立案した。
日本陸軍と海軍が仲が悪くて共同作戦を行えなかったのと似ている。
ホフマンと藤井将軍は個人的に仲がよかったから、
手紙で時候の挨拶程度に「あの時は有難う」と書いたんだろう。
ちなみに第一次大戦当時は、日本とドイツは敵国で、
日本とロシアは味方だったりするんだけどね。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/25(木) 19:44:46 ID:9CYqAg6Y0
ユダヤ人に社債を買ってもらえばいいのに>NHK
是清萌え
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/10(土) 20:17:37 ID:w0gwKKia0
横浜の田中屋という日本料理屋さんに
東郷や乃木や秋山が一緒に写ったすごく貴重な写真がある。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/08(木) 09:50:57 ID:+d4bOxit0
日露戦争時の歌(曲付きの歌ではありません)で、
妻が出征する夫の服を涙で濡らしてごめんなさい
っていう内容の感動的な歌があったとおもうのですが
だれか正式な文を知ってるかたいないでしょうか?
よろしくおねがいします。
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/06(金) 19:12:49 ID:vaiE07sN0
海戦には勝ったが、戦争全体では引き分け
引き分けなので賠償金は無し
国境は運河
条件はこんなところでしょう。
これにて戦争は終結
トップからして無能ぞろいの中、乃木と秋山兄弟と明石のおかげで、かろうじて勝った戦いだったというのに。
昭和東夷棄民は増長しすぎ
ま、もう大丈夫だけど、これで棄民解放
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/28(土) 17:53:53 ID:YYDHi5t30
>>484 賠償はなくても、鉄道の引き渡しなど、
ロシアが一方的に譲歩した講和をした以上、戦争は日本の勝利としか考えられないわけだが。
それは莫大な借金と失われた人命に引きあうものなの?
少なくとも、明治政府の重鎮は国家の危急存亡を懸けたわけだろ。
後は、国家<<<借金、人命と考えるか、どうかの話。
なるほどね。何にも増して国家の独立こそ優先されるべきだと。
国家のために国民は死んでもいいし、重税に苦しんでも構わないと。
>>490 ロシアの支配下に置かれる事を考えると、それも止む無しって思ったんでしょう。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/01(火) 21:49:23 ID:DNboyP5u0
ダンケルクの砲撃支援の下、海峡を擦って片翼包囲
突破、右に旋回、包囲これで終了
>>490 もしロシア帝国が大日本帝国よりも日本列島の住民の生命を尊重し、税が軽ければ君の意見は正しい。
ただ、その前提条件が成り立つかどうか調べてから書き込んだ方が良かったかも。
ロシアの意欲は大陸まで。せいぜい朝鮮半島だろ。
陰謀論ですか?
>>495 ロシアが100%日本を侵略しない保証があるなら、
軍なんていらないじゃねぇか?
元老がアフォっていう、陰謀論ですか?
>>495 陰謀論って……実際1861年にはロシアは対馬に上陸して不法占拠しかけたんだが。
その時のトラウマが長州藩士に残ったんだとすれば、日露戦争で必死になるのも無理はないかと。
498 :
494:2007/05/06(日) 18:41:35 ID:Ve0kwys70
>>495 あー、別に陰謀論者ってレッテル貼ってくれもいいですよ。
あなたの頭の中では国防方針を策定するのも陰謀だ、っていうんでしょうからw
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 11:43:33 ID:ArgFPKEN0
もうすぐ海軍記念日ですね。
日露戦争は日本の判定勝ち
そのメリットは
1ロシアのアジア進出政策が終わり日本の安全が増した。
2大国ロシアと五分以上に戦った国として一目置かれた。
以上から日本の国際的地位が安定し、以後の発展の
基礎を作った。特に2は今にも生きる遺産だと思う。
よって、長期的に見て、人命とお金に見合う成果はあった。
鉄道や租借地に注目のみするのは視野が狭いのではない
かな。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/21(月) 00:57:27 ID:eiMZgoEh0
デメリット
居留民の態度により米国人に、日本人はバカ=近代社会にふさわしくないと印象付けた。
朝鮮併合を感じ取り、経済難民のような移民の流入予報策をとられた。
教育勅語による教育の欠陥が現れ始めた。
大アジア主義=白人差別主義が始まった。
海軍が増長した。
海軍に、国際法無視の空気を作った。
旅順で海軍が、陸軍に虚報を流し動かすということを始め、うまみを覚えた(太平洋戦争の敗因)。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/23(水) 17:24:54 ID:Sq5sbzev0
それにしても、もうすぐ海軍記念日(5月27日 日本海海戦勝利記念日)なのに、盛り上がらんなあ。
丁字戦法論争は、現在どうなっとるのかね。
503 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 12:23:23 ID:IwUPXeYn0
午後1時55分。連合艦隊旗艦「三笠」にZ旗がパッと翻った。
「皇国の興廃此の一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」
このとき、艦橋に参謀秋山真之の姿はなかったという。
504 :
日本人 :2007/05/27(日) 19:14:05 ID:b7Yn2ztv0
戦中派のジジイも何の日だかわかってねー。若者がトーゴービール
でも飲もうか。なんて言ってた。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 19:40:41 ID:QEhQuM+l0
横須賀海軍カレー喰う日にしようかな
海軍記念日に、DVDを借りました。
映画『日本海大海戦』(1969年・東宝)は、不朽の名作ですね。
三船敏郎(東郷平八郎) 笠智衆(乃木希典) 辰巳柳太郎(山本権兵衛)
仲代達矢(明石元二郎) 加山雄三(広瀬武夫) 松本幸四郎(明治天皇)
日露戦争を描いた映画の中で、最も硬派な、静かに燃える感じの映画です。
日本海海戦でバルチック艦隊が日本海側を通るという予想が的中したからよか
ったもののもし外れてたら日本敗北だったんじゃないの?何か確信はあったの
かな?
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 18:26:21 ID:Bm5mJtQ30
博打です
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/12(火) 19:36:47 ID:JZiYO7Fw0
バルチック艦隊は三隊に分かれて一つは太平洋側に出て陽動
二隊が日本海側に入れば半分は助かっただろう
艦隊を分散させても通常は各個撃破されるだけなんだが
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 00:52:38 ID:3sb937ru0
日露戦争に従軍した人って、もう1人も生きていないだろうけど、
いつぐらいまでは生きてたんでしょうね。20年ぐらい前ならまだギリで
いたかな。
とりあえず、有名どころでは嶋田繁太郎海軍大将が
21歳で従軍、昭和51年に92歳で歿。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 01:05:17 ID:hsxoGfAd0
昭和51年なら俺もう生まれてるな。。
そんな頃まで生きてた人がいたことに意味もなく感動。
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:58:45 ID:IVSjgkjH0
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/16(土) 22:25:06 ID:x8k5xbqKO
根本的疑問なんだけど、なんてバ艦隊は希望峰まわりで来たの?
最近知ったんだけど
クルーゼンシュテルンもゴローニンも
大西洋から南米経由で極東に来てるじゃん。
ひょっとして初航路じゃないか?ロシアにとって。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 01:13:08 ID:ZdYJPPpw0
ヒント;補給
>>515 うーん 忘れたなぁ ただ日英同盟を当時組んでいるし、スエズ経由
できた部隊もあったはずだぞ。バルチック艦隊はたしか北欧あたりに
展開していたのでは。
いずれにせよ 英国からの良質な石炭確保。これが大きかった。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 02:34:19 ID:b4iMRtA70
>>515 お答えします。
主力艦隊は喫水が深く、当時のスエズ運河の水深では通ることが出来なかったので、
艦隊を二分して支隊のみがスエズ運河を通り、遠く喜望峰を回る本隊とマダガスカル島
で合流することにしていたからである。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 07:30:09 ID:a9ZZfUBkO
>>518 それじゃ答えになってない…
>>516 アメリカが補給を拒むってことか?
よろしかったらkwsk
520 :
518:2007/06/17(日) 11:06:20 ID:b4iMRtA70
>>519 答えになっていない、とはどういうことか?
私が参考にしたのは、
「日本海海戦の真実」(野村 實)と「バルチック艦隊」(大江志乃夫)だ。
アフリカ西岸の各地で主としてドイツの石炭船から補給を受けていた、という
事実もあるが。
>>520 大西洋から南米大陸南端を回って極東に回航するなら、
スエズの水深は関係ないでしょ?
522 :
520:2007/06/17(日) 19:20:55 ID:b4iMRtA70
>>521 だから、
>なんでバ艦隊は喜望峰まわりで来たの?
という質問に答えるなら普通
>>518ではないか。
通常なら、艦隊は地中海を経由し、スエズ運河を横断するコースをとるが、
主力艦船の喫水が深いので喜望峰を回るコースをとったのだ。
補給地の問題や難所のマゼラン海峡の問題があるので、西回りは考えてなかった
ものと思う。当時の戦艦が、数日毎に石炭の補給を受けていたことをご存知か?
523 :
520:2007/06/17(日) 19:28:09 ID:b4iMRtA70
>>521 おっと、失礼。訂正を。正しくは、
地中海を経由し、スエズ運河を通ってインド洋を横断するコース
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 19:56:11 ID:a9ZZfUBkO
>>522 クルーゼンシュテルンやゴローニンと航路違うのはなぜ、
って質問だったんだから、んなこと言ってもしゃーねーべ
極東航路のスタンダードがその100年の間に変わったの?
まあスエズあるなしで変わった可能性はあるが、大型船の場合。
黒木の写真見たけどかっこいいわ。渋い。渋すぎる。
さすが最強第一軍司令官!
まさに無口で無骨な武人って感じ。後、立見尚文も
貫禄があってかっこよかった。若いときの写真も
またいい男。さすが雷神隊隊長、立見鑑三郎!
野津も若いときはインテリ風の美男子だった。
一番ブサイクだと思ったのは山県有朋。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/17(日) 22:44:49 ID:Rq6Lbh1d0
軍司令官クラスの顔いいね!
奥も深みがあるし、川村も抜けた感じの、味のある顔している。
527 :
522:2007/06/17(日) 22:51:38 ID:b4iMRtA70
>>524 まあ帆船時代のことは知らないし、興味もないので、他の人にでも聞いておくれ。
それにしても航海の安全と補給(石炭と水)の問題を抜きに考えることは出来ない。
パナマ運河開通前のことであるので、バルチック艦隊のような大艦隊に遠回り
させて、危険なマゼラン海峡を抜けさせるという考えは全くなかったと思う。
なぜなら、バルチック艦隊の最大の目的は、無事にウラジオストックに入港する
ことにあったから。
>極東航路のスタンダードがその100年の間に変わったの?
マゼラン海峡を抜ける西回りがスタンダードだったとは思わんがね。
まあ、それも詳しいことは分からんので、他の人に聞いてみたら。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 00:18:33 ID:6GRIny4fO
>>527 つまり、そこなのよ。
バ艦隊が出発した時期には太平洋艦隊が健在。
だからウラジオじゃなくて計画当初では旅順と言うべきなんだけど、
対馬海峡からいきなり旅順に突っ込んで行くより、
ベーリング海からカムチャツカやらウラジオやら経由で
日本の北方領海を脅かしつつ、
旅順の太平洋艦隊との合流を目指した方が、
作戦としては堅牢だろ?
日本艦隊を分断できる。
マゼラン海峡は荒いとか言うけどケープ沖だって十分荒いしな。
どうなの、そのへん。
>>528 さらに補給についていうと、
アフリカは横に帯状にフランス、
縦に紐状にイギリスがいて、
インドはイギリス、シンガポールもイギリス、
インドネシアはフランス、
ってな配置だったと記憶してるが、
露仏同盟があるにしてもイギリス領があまりにも多い。
というか船からしたら是非寄港したい港は大概イギリス領だ。
そこへ行くと米大陸はポルトガルスペイン、アメリカなど中立国が多い。
カナダだけは多少別だけどね。
戦争状態にある国の艦隊を寄航補給休養させるのは中立違反だよ
日本の抗議は無視できても、バックには大英帝国様が睨みを効かせてますぜ
現にスペインのヴィゴでも石炭補給を断られてるし、お友達のフランスやドイツですら嫌な顔してます
中立地=補給地として使えるってわけじゃ無いのです
英国様は偉大だわ、日英同盟って素晴らしいね
なるほど、中立地しかなくて足場が全く無い南米辺りよりも、
嫌な顔をされても兎に角補給はさせてくれたフランス・ドイツ領の有るアフリカ周りを廻ったのね。
質問者じゃないけど何か納得。
自分もバカな質問をして良いだろうか。
北極海側を通ってベーリング海峡を通り抜けるのも無理なの?
海が凍っていて無理なの?
>>532 永久氷の限界ぎりぎりを航行することになるからかなり厳しい。
それと北極海側はロシア領とはいえ目立った補給港がないこと、
時季が制約されることからかなり難しいのではないのかなあ。
そういうリスクを考慮したらこの方面で大艦隊を動かして
白海からベーリング海峡までに立ち往生したら話にならんからなあ。
>>533 教えてくれて、ありがとう。胸の支えが取れたよ。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 22:42:33 ID:ARvkA+j60
明治維新以降の歴史をちょっと考えてみますと、何ゆえ日本はロシアと
対峙し戦争したのでしょうか。ロシアとの戦線を大陸内に持っていかないと
日本の安全保障が成り立たないとの論を予てから信じておりはしますが。
歴史にIFはおかしいでしょうが、仮に日本がロシアと戦わなかったとする
ならば旧満州は現在ロシア領であり朝鮮半島もロシアの植民地となった後、
ソ連邦の一部となってその後1991年頃にやっと独立したことであろう事は
想像に硬くありません。
(ソ連の崩壊がまだなければ朝鮮半島は独立すらしていない可能性があります。)
また仮に、日本が大陸に進出しなければ、清朝崩壊が違った形で起こり、
欧米ソ連により割譲され、今現在の中国は生まれていなかったと思います。
これももしもですが、日本が大東亜戦を戦わなかったならば、今現在も
東南アジアは欧米列強の植民地のままであり、世界史が今とはぜんぜん
違ったものである可能性が大いにあります。
結局、朝鮮人も中国人も東南アジア人もインド人も日本人を利用したので
あって、この事実こそが歴史的真実であるとの認識を明確にしなければ、
将来に渡っての禍根を残すこととなると私は思うのです。
>>535 どうなったかは誰にも解らんね。ただ明治の社会が続き、その政体の中に今自分がいれば窮屈に感じてると思う。
敗戦により得た物もある。地主や財閥、統帥権や発言力の強い軍部が残ったままなら俺らは今の生活はできてないだろう。
自由な社会と引き替えに、独立国家としての気概を失ったり隣国のいまいち納得できん不評はかったがね。
日本が主体性を持って(持たざるを得ず)行動した結果に、日本に怨みを抱いた国もあり多少の感謝を感じてる国もある。
こっちから相手側に「お前らも得した事もあるだろう」って言ったところで相手が感じた事を変えさせるのは難しいよ。
日本も他国の為だけじゃなく、自国の国益を考えて行動しての結果(植民地からの開放等)なんだから。
後世の人が、感情から距離を置いて冷静に判断する「歴史」になるにはまだ生々しすぎるんじゃないかな。
あきらかな歴史の捏造なんかには毅然として対応していくべきだとは思うがね。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/30(月) 22:49:50 ID:IdosBH1p0
クヌース著「シティーの帝国」から引用。
「日本を実質的にブリテンのロボットにした日英間の一連の秘密協定が
初めて結ばれたのは一八九五年頃と思われる。ブリテンの金融寡頭
権力は、日本の戦争と工業生産の拡大に融資するために日本の銀行
制度を実質的に乗っ取り、日本で製造された商品で最終的に世界を
窮地に陥れた……
一九〇二年一月三十日と一九〇五年の条約によって、日本はフランス
と同じく、イギリスの親密で補助的な同盟国となった。この同盟は、
国際金融寡頭権力と関係している日本の政治家たちが暗殺されて終焉
するまで、約三十五年続いた。」
「一八九五年」とは、明治二十八年。これは、日清戦争時に当る。
この年に「日英間の一連の秘密協定」なるものが結ばれた、と言う。
このことが、日本のこれまでの「歴史家」によって、なんらかの
かたちで記述されたことはない。
要するに日本人が、自慢のタネにして居た、日清、日露の両戦役と
その戦勝は、ブリテン≠ェ日本をロボットとして、上手く使用した!!
と言うだけの話しであった。
身も蓋もないことに成ってしまうとしても、これは事実である。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/02(木) 15:57:38 ID:H1LMMOO2O
海ゆかばを見て号泣した俺が来ましたよ
>>537 「イギリスにしてみれば」だろ?
「事実」は一つだけど、事実を眺めた人の数だけ「真実」は
うまれるんだよ。
最近何が何でも自説を推して他人の意見を一蹴するやからが
増えたように思う。歴史学ってそういうもんじゃないと思う
けどなあ・・・。
>>539 > 最近何が何でも自説を推して他人の意見を一蹴するやからが
> 増えたように思う。歴史学ってそういうもんじゃないと思う
> けどなあ・・・。
ネット時代の到来とほぼ同時のような気がする。相関関係があるかどうかについては手持ちの材料がないので即断は避けたい
と思うが。
文系学問は理系学問と違って正解が一つとは限らないんだよなぁ。
その一つの例が、大学の試験問題に取り上げられた文学作品の作者が答えたら正解じゃなかったってこと。
歴史の場合は、当事者の関わり方の違いや一次資料が全て残存するわけじゃないせいで正解が一つにならないわけだが。
>>539 まあ英国にもいろんな考えの人がいるんだなあ、くらいでいいんじゃないか?
英国は中国権益を他の列強から保護する為に日本が必要だったし(海軍力の不足)
日本はその本土および利益圏に対するロシアの脅威に対して他の列強の支持を必要とした。
そういう背景を考えずにトンデモなシティ陰謀論を唱えているだけだろう、クヌース氏は。
まあ経済をメインに国際関係を捉えるならせめてレーニンの『帝国主義』くらいは数字を出さないと
まったく説得力がないわなあ。
これじゃあ経済から歴史を語るふりをした、単に歴史的事実と根拠のないシティの「金融寡頭権力」を
結び付けているだけの物語。米独仏の金融資本は英国シティに従属していたのか?
ウィーンの金融資本すらベルリンのそれから独立を維持していた時代なんだぜ。
世界史も日本史も知らなければ英国史も知らない、もちろん当時の金融・経済もね。
「イギリスにしてみれば」ですらないと自分は思うわ。
まあこの人にすれば「真実」に見えるのかなあ。引用箇所だけじゃ判断できないが。
>>512 もう少しあとに、軍楽隊だった人が出ていたな。
対馬にくるので、出撃の時に積んでいた石炭の袋を捨てた時の話をしていた。
捨てるときに、「天丼一杯」と思いながら捨てたと言っていたな。
日露戦争はお互いが消耗しきったところで講和になったのだが、
英米独仏にしてみれば、もっと際限なく武器弾薬を流し込んで
とことん泥沼化させてみるのも一興だったかもしれんね。
>>543 すでにロシアは革命、日本は財政難(それも英米が負担)
露仏同盟と仏資本のロシアへの投下、日本外債への英米の投下
独資本の近東進出と独墺同盟の険悪化を考えれば列強にそんな余裕はない。
それに誰が利益を得るのか?
山東の独、仏印、江南の英国、米領フィリピン
遼東や満韓で日露が共に破綻したら極東の勢力均衡は失われるだけで
ロシアの決定的な破滅は欧州の勢力均衡にも大きな影響を及ぼす
(独墺二国同盟の近東進出の激化、露仏同盟の弱体化)。
そもそも日本もロシアも数ヵ年に及ぶ長期戦を想定していたのか?
あの総力戦を経た日米の太平洋戦争でさえも両国軍当局は軍需を考慮して3年以内(建艦サイクルらしい)
における相手国海軍の殲滅、終戦を想定していたのに。
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/07(金) 22:22:54 ID:XWre2A5L0
ロシアというとランドパワーの代表と思われがちである。
しかし、ロシアの大都市の大部分は大河川の岸辺や海洋に面した良港に
建設されており、そこでは水運が非常に大きな役割を果たしている。
また、シベリア開拓も鉄道開通前は、河川を遡り、狭い峠を越えて次の
河川を下るというルートで実行されている。
つまり、ロシアは内陸河川の水運を主要な交通手段として発達してきた
シーパワーなのである。この点、モンゴル人やトルコ人などの遊牧民族
とは大きく異なっている。似た例を挙げるとするならば、揚子江流域以南
の中国が挙げられるかもしれない。重慶・武漢・南京などの大都市は
いずれも揚子江の水運に大きく依存している。
ロシアにおける河川水運は冬季に運行不能となる致命的欠点がある。
また、バルチック艦隊の航路に見られる長距離の海運は時間がかかり過ぎる
欠点がある。それ故、ロシアは面積は広大であるが真の強国には成り得なかった。
それを超大国に一変させたのは鉄道という技術革新である。1850年代の
クリミア戦争では鉄道輸送の不十分さのために苦戦したロシア軍だが、
1904-5年の日露戦争ではシベリア鉄道開通により、ロシア極東に大量の
兵士を送り込んで戦争を実行している。
このような技術革新がシーパワーの雄であった大英帝国に大きな憂慮を
与えて、地政学という学問を生み出したことは当然とも言えるだろう。
日露戦争とは、国際金融資本が鉄道建設により戦争がどの様に変化し、
ランドパワーがどれだけ強大化するか、シーパワーがそれに対抗するには
どうすべきかを極東という舞台で実験する目的で日本に実行させた戦争
ではないかと私は想像している。
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2007090900091 2007/09/09-16:38 巡洋艦ワリャーグの記念碑除幕=日露戦争に参加、数奇な運命たどる−英
日露戦争開戦時の戦闘で大破し沈められたものの、日本が引き揚げて使うなど、
数奇な運命をたどったロシアの巡洋艦「ワリャーグ」の記念碑が8日、
最後に沈没した海域に近い英スコットランドのレンデルフトで除幕された。ロシアのインタファクス通信などが伝えた。
ワリャーグは1904年、仁川沖海戦で日本艦隊の攻撃を受けて大破したため、ロシア軍の手によって沈められた。
翌年日本側が引き揚げ、巡洋艦「宗谷」として使用。16年にロシアが買い戻し、船名も元に戻された。
しかし、英国で修理中にロシア革命が起きたため差し押さえられ、後にドイツにスクラップとして売却された。
20年、解体先にえい航される途中、スコットランド沖で座礁し沈没した。
記念碑の建立はロシアの関係団体が主導。この日の除幕式では、十字架をかたどり、
ワリャーグの姿が描かれた高さ3メートルのブロンズ製記念碑が披露された。
式にはロシアのチトフ外務次官らが出席した。
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/28(金) 03:06:33 ID:l4xZ5NMe0
>情報は大切、福島少佐のユーラシア単騎横断
その割には現地の事前調査を怠るあたり足元がお留守だね。
福島や明石がやったような派手な諜報活動しか目に入ってないのか?
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/07(日) 01:05:36 ID:s+9fILoZ0
日露戦争は桶狭間だってことを当時の日本人が理解していれば
その後の歴史も変わったんだけどな。
>>549 東郷平八郎が無駄に長生きして歴史を悪い方向に引きずって行ったな。
むしろ乃木が生き残っていたほうが平和な国になっていたかもしれない。
>>550 東郷は単にかつがれただけ。東郷をかついだ連中は、乃木が生きてりゃ乃木を担いだよ。
歴史的には勝っても地獄、負けても地獄・・・かw
仮に負けたとしたら朝鮮は植民地化されて消滅
日本は北海道割譲ってところかな。
正直、朝鮮消滅というのは魅力的だw
>>552 日本が南樺太を取れたのは戦争末期に樺太実効支配を果たしていたから。
日本軍が奉天や対馬沖で壊滅していたとしてもロシア軍は北海道上陸までやるかなあ?
ゼロからたたき上げた初代と家産を食いつぶすぬくぬくと育ったダメな三代目の違いだなw
>>554 というか、「戦」が国の命運を決するものだという「決戦」概念自体を忘れてしまってたのが現実。
自分の栄達のために私的に戦をおこし、軍令無視してどんどん広げる。
そしてそれを処罰もされず、結果「石原大佐も満州事変起こして出世したんだ!」ってことになる。
そして始まったWW2では「決戦」という言葉は国の命運を決する意味での「決戦」ではなく
単なる官僚組織の帳尻あわせに伴う横紙破りを正当化するための言辞と化し
戦争後半は「決戦」と銘打てばどんなアホな物資調達・戦力引き抜き・根こそぎ動員・無意味な徴発も可能になり
米軍の爆撃機に焼かれる前に、既に国の足腰自体がぐずぐずに腐れ果てていた……と。
占守や虎島の日本兵たちは、いってみるならそんな腐臭漂うゾンビの中の、最後の綺麗な部分だった、と。
占守島の日本兵は立派だったと思うけど、ロシアの領土欲を強調しすぎるのはどうか。
極東地区で日本にさんざん痛い目にあわされてるのだから、ちょっとでも国境線を
遠ざけようとするのは人情というもの。
>>557 そりゃ占守島のこと「しか」見てないから言えること。
その時コミュニスト勢力が世界全体で何やってたかを考えれば、君みたいなのんきな感想文は出てこない。
>>558 世界的な話は置いておいて、二国間の関係だけを見ればソ連もロシアも日本には寛大に接してきたと思うぞ。
シベリア抑留にしても、よくもまあ生きて帰してくれたものだと思う。
亡くなった方や大怪我をした方には失礼だが。
>>559 その程度で寛大って言っていいんだったら、米はどんだけ寛大なんだって話になっちゃうぞw
>>557 国境線遠ざけるのにポツダム宣言後に仕掛けてきたり、日ソ中立条約の一方的な
破棄をみてたら寛大なんて言葉はでてこない。
ソ連の領土拡張主義は、同じ共産国同士の中国とも紛争起こしてるし、アフガンニ
スタン侵攻も忘れたの?
半世紀単位でロシア・ソ連と日本の関係を語れば話は混乱するだけだぜよ。
覇権主義ソ連と日本が接近した時期も少なからずあったわけだし
また前世紀には3、4回も戦争状態にあったわけだ。
隣接する二国間の関係が「常に」友好的だとか敵対的だとかあり得ない。
中ソ対決時代は中国もソ連も日本に甘々な対応だったね。
パンダくれたり歌声運動とか・・・
スターリンが寛大とは思えんw
>>565 それは違う。
冷酷残忍なスターリンがなぜか日本人にだけは優しかったということが重要。
カチンの森事件とシベリア抑留を比べてみればよくわかる。
ポーランドみたいに日本が占領されてたら虐殺されてんじゃないの?
戦争終了後に敵国の捕虜を大量虐殺するほどスターリンは馬鹿じゃないw
ルーズベルトよりスターリンのが寛大。
共産党かロシアの工作員がいるのか?
ロシアが嫌われ者のセルビア人に何かと目をかけてやってたのは
地中海への出口がどうしても欲しかったから。
まさかモンテネグロ独立で内陸国になってしまおうとは。
不凍港Getへの道はあまりにも長く険しいが頑張れロシア。
>>568 猜疑心の塊のようなスターリンが寛大ってどんだけぇw
>>571 猜疑心の塊と言う点ではスターリンとルーズベルトでは東西の横綱で甲乙ないなw
独裁者と選挙で選ばれる大統領を一緒くたにすんなよw
指示しただろw
おっと誤爆っすw
ttp://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200710250144.html バルチック艦隊司令長官の手紙 ロシアで発見
2007年10月25日10時57分
日露戦争でバルチック艦隊を率いたロジェストウェンスキー中将が、
決戦の場となる日本海へと向かう航海の中で記した手紙31通が遺族のもとで保管されていることが、
山梨学院大のコンスタンチン・サルキソフ教授(政治学)らの調査・研究で明らかになった。
自軍の状態を冷静に判断し、「この艦隊は滅亡する」などと本音が記されていた。
状況判断のできない傲慢(ごうまん)な愚将と描かれてきた従来の提督像とは相当に隔たる内容だ。
ロ中将を日本人に印象づけているのは司馬遼太郎氏の小説「坂の上の雲」だろう。
成田龍一・日本女子大教授(日本近現代史)は「日露戦争は戦後歴史学の大きな弱点。
人々が知りたい戦場の光景を伝えなかった。司馬さんの作品に相当する歴史書は見あたらない」と指摘する。
戦争の行方を決めた歴史的海戦の責任者であるロ中将は
陰の主役といった役回りで登場し、「あれは愚物だ」と司馬さんは描いた。
「規律をよろこび、ボーイ長のような職業性格」で「よほど臆病(おくびょう)な人かもしれない。
かれはこの大艦隊の司令長官であるには、その点でもっともふさわしくなかった」
「日本艦隊をのこらず海底へたたき沈めるであろうとおもっていた。
皇帝の官僚にふさわしいスマートさと、宮廷遊泳術によって海軍軍令部長にまでなったのである」とも書かれている。
>>576 手紙はサンクトペテルブルクの妻に送ったもの。
ロシア革命で遺族が国外に逃れた時も大切に持ち運び、現在は帰国し同地に住むひ孫が保管している。
日露戦争100周年を記念して山梨学院大が04、05の両年にシンポジウムを開催。
その準備の中で存在を知ったサルキソフさんがコピーの提供を受け読み進めてきた。
1904年2月に戦争が始まると、ロ中将はほどなく司令長官に任命され、バルト海の艦隊を極東に回航する準備を始める。
旅順艦隊と共同で日本海の制海権を握る計画だったが、8月の黄海海戦で旅順艦隊は壊滅。
手紙は9月に出港準備中のバルト海の港で
「我々を取り巻く状況は悪く、改善することができない。日本の動員状況は我々よりうまくいきそうだ」と書いたのに始まる。
10月に出港。間もなく英国の漁船を、日本軍と間違えて攻撃する事件をひき起こす。
「このような弱さをもつ艦隊の将来を、当てずっぽうで期待するのは難しい」と前途を悲観。
艦隊はアフリカを回りインド洋を目指す。暑さは厳しく補給は困難で、
「航海は日に日に重苦しさを増している」。マダガスカルで長期足止めにあうと
「日本があらゆる準備をすることを可能にしている。不吉な運命がロシア艦隊を圧迫している」と不安を記した。
>>577 日本が近づくと悲壮感は強まり、05年4月には「どうしても帰れる気がしない」と。
そして5月の日本海海戦で艦隊は消滅した。
「坂の上の雲」は将兵の手紙や回想を軸にロ中将の姿や艦隊内部の様子を描いた。
ロ中将は回想録を残さず、この手紙はロシアでも公開されたことはない。
「日本との戦争は冒険だとの意識がすべての手紙を貫いている」とサルキソフさんは分析する。
「司馬さんがこの作品を書いたのは冷戦のさなかで、参考にできるロシア側の資料は限られていた。
この手紙を見ても、そこに描かれたいくつかの固定観念は通用しないことが分かるでしょう」と語り、
この手紙を軸にしてロシア側から見た日露戦争を一冊の本にまとめたいと計画している。
まあ新資料の出現で定説が崩れ去るのは「関ヶ原」でも経験済みだからな。
そんなので一々司馬を罵ってたら、東西冷戦期に近未来戦記書いてたハケットだのゲーム作ってたダニガンなんか何回自己
批判せにゃならんのよ。あとノストラダムスの五島勉とか。
しかも、司馬と違ってこっちはまだ当事者が生きているケースが多いのにこの連中がコメント出したの聞いたことない。
そう言えば五島勉はどこかで言い訳にならないようなこと書いてたかw
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 21:46:02 ID:Fci8gHln0
坂の上の雲で一番キャラが立ってるのってロジェストウェンスキーだよね。
秋山兄弟とか東郷・乃木よりもはるかにいいキャラだ。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 03:51:22 ID:9v4/lmgF0
八甲田山の雪中行軍は、結局この戦争に
いかされたんですか?
ドイツで女孕ませて帰ってきた誰かさんが頑迷固陋に改変を拒むもんでねぇ
不思議なのは、森の上司や同僚も改変しろという意見書をもってたらしいこと。
1人が反対したって、これだけ賛成意見があるなら押し切ることは不可能ではないはずだが、はて。
アストロ球団に出てきたバロン森って軍医総監殿のことだったんだな。
最近知ったよ。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/27(土) 14:41:08 ID:a75JpPST0
>>576-578 これ読んでも特に印象変わらないけどな。
坂の上の雲の中でも前途悲観してる様子書いてたし。
まあ、状況判断出来るやつがバルチック艦隊を極東まで送るという
無謀な提案はしないと思うよ。
>>583 米食固執の最大の理由は「軍隊に入れば銀シャリが食える」という
江戸時代より受け継がれた精米信仰を敵にできない、って点だったからね。
>>586 間違い。平時の陸軍は麦飯を食わせている。
こんなの徴兵経験者から簡単に知れ渡るだろうから、
銀シャリで勧誘なんてできるはずがない。
>>585 こいつが言いだしっぺの元凶だよなw
で、誰か別のやつが行くと思ってたら自分が行くことに
なってしまった自業自得馬鹿じゃん。
日本って一応国民皆兵のはずだが。
銀シャリで釣らなきゃならないほど、
徴兵忌避者が多かったのかね?
>>588 上島竜兵の逆か。かわいそうに。
>>589 日露の頃は意外に徴兵逃れが多かったらしい。
まだまだ国家体制が未整備で、草の根分けても探し出すような能力は無かった。
で、白米で勧誘の具体的なソースは?
陸軍がそういう宣伝をしたのなら史料が残っているはずだろう。
徴兵制は全国規模なんだから。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 21:13:09 ID:Wa2ysKFK0
八甲田山の雪中行軍は日露戦争に活かされました。
極寒地の場所での暖の取り方や水を凍らせない工夫。
594 :
581:2007/11/26(月) 03:43:50 ID:jDeumWim0
雪中行軍、活かされたのか。
行軍で亡くなった方も多少は浮ばれたかな?
あと、まったく関係ないんだけど、ガッツ石松氏が、高倉健さんに
「あの映画、大ヒットですね。山田甲八(やまだこうはち)」と語った
と言うのは本当でしょうか?それとも、ただの都市伝説?
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/28(水) 10:14:24 ID:RY0E4fFB0
もしロシアに負けていたら、今こうやってのんびりネットを楽しむことも
なかったかもしれないと思うと感慨深いものがあるな・・・
ロシアに負けていたっつってもロシアに日本侵攻の力はない。
大陸領土をすべて失い、フィンランドのような小国として生きる道になってただろうから
WW2で対米開戦をせずに済んだ可能性は高い。
・・・・・・確かにのんびりネットを楽しめない可能性が大だな。
戦後の高度経済成長が無い、明治憲法体制からの漸進的改革しか発生しなかっただろうから。
日本海海戦にボロ負けしたら大変なことになってただろうな。
陸軍主力は天井に登ってはしご降ろされた状態になるし通商路は寸断されるは艦砲で焼き討ちされるはで
降伏に近い講和条件を飲まされたかも。
まあ日本海海戦に敗北することはなかっただろうけどね。
満州派遣軍が突っ込みすぎて壊滅する可能性はかなり高かったよね。
講和が半年遅れてれば多分敗北してただろうし・・・
ベストのタイミングで講和を締結した外交の勝利。
軍事オンチのウィッテはロシア外交の勝利とか言ってたけどw
>>597 明石元二郎の工作が成功して、ポチョムキン号の反乱や血の日曜日事件など
ロシアに政情不安が発生していた。
もしポーツマス条約が結ばれなかったら、革命や大規模な内乱が起きかねなかった。
だからウィッテは条約を結んだんだよ。政治オンチのチミには判らないか?w
バルチック艦隊を派遣したのがロシアの最大の失敗だったんだよな。
日本海の制海権を日本が維持したところで運ぶ兵員も物資も尽きて
いたんじゃ意味が無いw
>>599 旅順艦隊が生きている間は、バルチック艦隊派遣の意味は当然あったから
派遣した事自体は間違いではない。
旅順艦隊が全滅した段階で、派遣の意義は根底から崩れたのだから、
柔軟に作戦変更すべきだったのだが、老朽化した官僚組織は一旦決めた事は
意義が消えても変更できない。諫早湾干拓や長良川河口堰みたいなもんだ。
>柔軟に作戦変更すべきだった
本当に?
バルチック艦隊が日本海軍に絶対に勝てないとする根拠は?
もちろんロシア側から見て。
>>601 勝つと言っても日本海軍が旅順艦隊に勝ったレベルじゃ意味がない。
連合艦隊をそれこそ日本海海戦レベルで殲滅しないことには。
ウラジオストックに入っても日本には旅順攻略のような余力はなくとも
旅順艦隊なきいまとなってはどのみちロシアも黄海と対馬海峡の制海権は得られないから
戦局に大きな変化はない(樺太侵攻は避けられたか?)
ただ日本海の制海権はどちらにもあらず、となるかな。
まあ柔軟に作戦変更と言っても今更欧州に戻るのは無理だから
最も(日本海軍と遭遇しないという意味で)安全な航路でウラジオストックに
入って圧力をかけるのがベストだったんだろうけど最短ルートを採ったことが
ロシアにとっては致命的だったなあ。
日本はバルチック艦隊をウラジオストックに入れないことが目的だし。
日本からすると手を出せないウラジオストックに第二太平洋艦隊の主力が入るだけで大きな脅威だと思うよ。
旅順艦隊が連合艦隊に封鎖されてた間に、数隻の巡洋艦しかないウラジオ艦隊を捕捉しきれずに苦労したわけで・・・
まあ連合艦隊を撃破しないかぎり戦局への直接的な影響はないけどね。
ロシア側の継戦意思を持続させるような小戦果を連続して稼がれると深刻な問題になりかねん。
>>601 日本海海戦についての分析は大江志乃夫がバルチック艦隊でやってるね。
結論は連合艦隊の一方的優位だった。
>>603 結局、バルチック艦隊が連合艦隊をあの日本海海戦のように
「未曾有の」勝利をしない限り戦局には大した影響はないんじゃないか。
ウラジオストックに大艦隊を保有する余裕は当時なかったはず。
仮にウラジオストックに入った場合の講和交渉では
講和条件は多少日本に不利になったとは思うが日本が史実に反して
失うのは南樺太と南満州利権の一部だろう。
少なくとも韓国問題が解決されない講和は日露ともに呑めない。
韓国問題が解決できない講和ならいずれ幾次の露土戦争の如く
第二次日露戦争が起こったかも知れないなあ。
バルチック艦隊がわざわざ負けに来てくれて日本が
助かったという側面はあるな。
もし艦隊派遣が無かったら、陸戦が長引いて日本の運命も
変わっていたかもしれない。
ttp://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071223i111.htm がん公表、法整備に尽力…山本孝史・民主党参院議員が死去
民主党の山本孝史(やまもと・たかし)参院議員が
22日午後11時50分、胸腺がんのため死去した。58歳だった。告別式は未定。
山本氏は1949年7月、兵庫県芦屋市生まれ。立命館大学卒業後、
交通遺児を支援するボランティア団体での活動を経て、93年衆院選に初当選した。
2期務めた後、2001年参院選で大阪選挙区から当選し、07年に比例選に転じて再選された。
党参院幹事長、参院財政金融委員長などを歴任した。
05年12月、血液検査で胸腺がんがみつかった。
山本氏は06年5月22日の参院本会議で医療制度改革関連法案の代表質問に立った際、
自身ががんであることを公表し、がん対策のための法整備に与野党で取り組むよう求めた。
この質問で与野党協議の気運が高まり、同年6月にがん対策基本法が成立した。
07年参院選では、闘病しながら選挙活動に臨んだ。
再選後は、体力的な理由から国会を欠席することも多かったが、
被爆者援護法改正案の発議者となるなど、医療政策や患者支援の充実に取り組んだ。
山本氏の死去に伴い、7月の参院比例選で民主党の次点だった
前衆院議員、大石尚子氏が繰り上げ当選する。近く中央選挙管理会が決定する。
大石尚子 71 民新(1) 衆院議員、神奈川県議、民社党女性局長。横浜国大学芸卒。神奈川県出身。
(2007年12月23日20時19分 読売新聞)
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 01:16:42 ID:pgEgeBSA0
日露戦争の勝利ってその後の日本にとってプラスだったんでしょうか?
第2次大戦で負けて今の日本があると思うと、奇跡的な勝利というのは
その後の歴史にはいい結果は及ぼさないということになりますか。
かと言って、ロシア相手では負けたら負けたで大変なことになる。非常に難しいw
大事なことは勝っても負けてもその戦争の冷静な分析が必要と言うことですか。
近代戦で白人に有色人種が勝ったので一目置かれる立場になれたけど
欧米では黄禍論が激しくなったのも事実。
でも日露戦争だけで見ればプラスかな。
日露戦争を始めた以上は勝たなきゃ意味がない。
極東だけを考えれば日仏協商、三次の日露協商と
戦勝後の露仏同盟との接近もあって効果は大きかったと思うけどな。
満蒙利権も米国からの圧力を日露両国で払いのけた感があるし。
ある意味、日英同盟よりもww1時点では日露協商の方が重要だったかと。
革命とシベリア出兵で全部おじゃんになったけど。
火葬歴史なんて妄想の域を出ないけど
長期的に見れば日露戦争で負けて大陸利権を持たないほうが良かったかもしれんね。
そうなれば中国で排日運動なんて起きなかっただろうし。
日本は極東海域の制海権さえ持ってれば国防上は問題ない。
負け方にもよるだろうね。
>日本は極東海域の制海権さえ持ってれば国防上は問題ない。
それだけじゃ駄目だから、わざわざ大量の兵力を満州に送り込んだんだろうに。
制海権を取るだけでいいならひたすら連合艦隊を拡張するだけでいいわけで、
そもそも日露戦争など起す必要はない。
ロシアに対して極東海域の制海権を得るには結局
日本による韓国の保護国化と旅順の獲得が不可欠なわけで
そしてそれを維持するには南満州が日本の利益圏とならんといかん。
ロシアか中国が日本と並ぶくらいしっかりした列強の一角として
日本の権益を保障できるならば問題ないのだがww1が痛かったなあ。
日本海海戦が無ければ、ロシアの撤退戦略に引きずり込まれて日本は負けていたんだろうな
>>613 それだけじゃダメというのが単なる思い込み。
当時の指導部がそう思い込んでいたのは否定しないが。
まさに連合艦隊を強化すれば国防上は十分。
617 :
名無し:2008/01/02(水) 19:08:08 ID:SEA6/iA70
>>616 ウラジオストックの駆逐艦2,3隻が日本近海を荒らしまわっただけで満州へ
の輸送が脅かされるのにロシア極東艦隊を完全に抑えられるほどに艦隊を強化
するのにどれだけの金がかかると思っているのか。少なくてもロシアの艦隊以
上の艦隊を常駐させなければならない。当時の日本の国家予算では絶対ムリだ
>>617 この議論が日露戦争に敗北したらという妄想から派生してるのは理解してるか?
そもそも満州に利権が無ければ輸送は必要ない。
一連の流れから日露戦争で敗北して大陸利権を一切失ってる状況を考えてるわけだが。
具体的に言えば半島の先までロシア領になった場合、海軍力だけで国防が可能かという話し。
ウラジオ艦隊については確かにゲリラ的な出没に迷惑したが、戦争の大勢に影響があったわけじゃない。
ロシアの太平洋艦隊は日本と敵対した場合、艦隊決戦を経ずに太平洋の制海権を取ることはできない。
これは旅順基地が健在でも同じことで、地勢的に日本列島に扼される運命にある。
よって貿易に必要な通商路はおおまかに確保できる。
もう一つの可能性である上陸阻止についても、英国の例を見れば一目瞭然。
制海権を奪えない状況での敵国への上陸は単なる妄想。
最後の論点である経費の問題については、根本が妄想の話しなのに経費計算まで出来るか!というのが回答になる。
>>611で書いたように極東海域で日本が制海権を得るのは前提の話しであって、制海権を取れれば国防上問題ない。
仮に制海権を取れなければ国防上問題がある。それだけのことだ。
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 12:19:43 ID:Vfh+XF+C0
日本の歯車が狂いだしたのは日露戦争より第一次世界大戦でドイツに勝って
アジアのドイツの権益を引き継いだあたりからだろ
金融恐慌だよ
621 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 01:13:48 ID:zNaCf+rVO
満州事変からだろ あれはもっとうまくやれた
日清、日露で大陸に権益持ったのが始まりだろ。一度持てばそれをさらに
増やしたいと思うのは、帝国主義新入生にしてみれば当然かもしれない。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/04(金) 12:10:23 ID:2s8QmHAK0
帝国主義とは結局はブロック経済圏のことでえげつない貿易を利権とする
欧米と衝突しただけ。
資源はいるけど、中国に深入りしすぎたのかな。海洋国家が大陸国家になろうと
しても無理だし。インドネシア、フィリピンまでのシーライン維持できればよかったけど
どうしても海洋国家アメリカとぶつかるし。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 22:29:25 ID:A/oFiPGZ0
日本は情報戦がずっと(多分今も)不得手だけど
日本海海戦のときにはイギリスがサポートしていた。
司馬遼太郎はバルッチック艦隊の航路が最後まで分からなかったように
書いているが、ずっと艦隊を追尾していたイギリスからの情報が
最上層部にだけは伝えられていたに決まっている。だから大山
は動じなかったんだ。知ってたんだからw(証拠は無いけど)
日露戦争後の日露協商が上手く続けば問題なかったんだよな、結局。
満州は日露がおさえている限り米国も何ともできなかったし
太平洋の勢力均衡も日英よりも日露の協調があれば問題なかったのだろう。
21ヶ条要求も英米が反発しても露との協調があればどうにかなっただろう。
帝政を覆すロシア革命(とそれに続くシベリア出兵)が日本の将来を狂わせたんだが
ツァーリズムの反近代化・愚民政策なしに日露戦争(特に陸戦)勝利はなかっただろうし
近代日本はどうもロシア内政に振り回された感が否めない。
もちろん他の列強の内政で転ぶようじゃあダメなんだがそこは日本の限界だったのだろう。
明治以降の日本は大陸利権のために財産も人材も消費しすぎ。
太平洋戦争で無条件降伏しなければずるずると国力を消耗してただろうに。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/17(木) 17:21:03 ID:FcRFhYF/0
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 10:26:32 ID:t5y8dVhh0
ttp://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20080310-333627.html 明石大佐のライフル銃が靖国神社に寄贈
日露戦争(1904−05年)中に帝政ロシアで革命を起こすため日本陸軍の明石元二郎大佐が
欧州で大量調達したライフル銃の1丁が、このほどフィンランド中部のヤコブスタード市立歴史博物館から、
靖国神社の戦史博物館「遊就館」に寄贈されることになった。
欧州でロシアに対する情報収集や謀略活動に奔走していた明石大佐は、
1905年1月にサンクトペテルブルクでロシア革命の発端となった「血の日曜日事件」が起きると、
対ロ戦争を有利に運ぶためロシアで反政府派の武装蜂起支援を計画。
約1万5000丁のスイス製ライフル銃や拳銃2500丁、弾薬を購入した。
武器をのせた汽船ジョン・グラフトン号は同年9月、当時ロシア領だった
フィンランドのヤコブスタード沖で約1000丁のライフル銃などを同国の独立派に渡した。
さらにロシアの革命組織にも届けようとしたが、座礁してロシア当局に発見されたため船を爆破した。
結局、フィンランドで蜂起はなく、銃は17年の独立後に起きた内戦に使われた。
市立博物館は12丁を所蔵するが、日露戦争を研究する
稲葉千晴名城大教授の仲介で寄贈が決まった。遊就館の日露戦争コーナーに展示される。
[2008年3月10日9時53分]
良スレ
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 16:57:18 ID:MIlWYgCj0
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 23:45:20 ID:qxlfouNeO
俺はコンドラチェンコ派
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 17:47:11 ID:crhL/mmW0
日露戦争のあとに日本って戦場使用料とか言う名目で
戦場になったところに金払ってるんだってな
すごくね?普通はらわねーだろ
昔の教育漫画(図書室においてあるような奴ね)に
地元の人たちが「よその土地で迷惑な戦争なんてしないで欲しい」って
死んだ子供の亡骸を抱えてないてるイラストがたくさんあったけど
ちゃんと迷惑寮払ってたんだな
こうして洗脳されていくんだな
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:52:10 ID:58qdzBfO0
★日露戦争★
1904年のある日、世界中に、ある戦争の話が伝わってきた。
長い間鎖国し、孤立していた極東のチッポケな島国が
開国し、やっと国家の体裁を整えたばかりだというのに
無謀にも、ペルシャ帝国やオスマントルコ帝国や欧州諸国・・・ですら勝てなかった、
あの大国ロシアに、ガチンコ勝負を挑んだという
まだ正確な地理情報が不足していた当時のこと
世界の人達は、
まるで、アリが巨象にケンカを売ってるようなものだと
驚き、あきれた
(現在に例えれば、パラオのような太平洋の小さな島嶼国家が、アメリカと
全面戦争したようなイメージか)
そして、どーせ、日本は巨象のロシアに、踏み潰されるだろうと思った
しかし、なんと、そのアリが、巨像を叩きのめしてしまったいう。
世界の人達は、ア然とした
アジア・アフリカ・東欧諸国は狂喜乱舞し、欧米諸国は黄禍と呼び、警戒を強めた。
これ以降、世界の国々は、日本という国の、底知れぬ、凄さ、恐ろしさを
味わわされることとなった。
欧米列強は日本を開国させ、日本の中に入りこもうとしたが
反対に、中から恐ろしく強い日本人が飛び出して来て、逆の結果を招くこととなってしまった
世界の人々は、中国を眠れる獅子と呼び怖れていたが
本当の眠れる獅子は、その東に位置するチッポケな島国、日本だったのである。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 22:45:13 ID:2ea7uN/U0
もし日本陸軍が大陸で負けて本土に撤退した場合、
ロシア軍の日本上陸のシュミレーションはどうなるかな?
半島から九州、ウラジオから北海道、東北かな。
ウラジオストックから北海道や東北を狙う合理性はないと思う。
わざわざ渡洋するなら新潟に上陸して一気に首都を目指したほうが合理的。
まあ渡洋作戦が成功するには前提として連合艦隊が壊滅してなきゃ無理。
海上戦力が両者健在ならせいぜい樺太経由の北海道上陸が限界。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 09:43:21 ID:bfH1byfI0
>>638 今でさえ、アジアの国の人々中には、
「日本は、露や米という超大国に戦いを挑んで1勝1敗のすごい国」
という見方があるらしい。
困ったものだ
>>637 そりゃ払わないよりはましだけど、
現地の人からしたら自分達の土地で戦争しないで欲しいだろうよ。
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 00:18:21 ID:SXNrNNOd0
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20080508-OYT1T00854.htm 旅順の対外開放は8月以降に延期、チベット問題が影響
今年の春に実現する予定だった中国東北部・遼東半島最南端の軍事拠点「旅順地区」(大連市旅順口区)の
全面的な対外開放が、8月の北京五輪以降に延期される見通しになった。
チベット情勢などを受け、最終決定権を持つ中国中央軍事委員会が、早期対外開放に慎重になっているためだ。
関係筋によると、中国軍は、チベットや新疆ウイグル自治区などの情勢不安定化を受け、
軍人や軍事施設に対するテロや、機密漏えいへの警戒を強化。
潜水艦基地などの軍事施設が集まる旅順地区の対外開放について、
「五輪前は不適切。年内も無理だろう」との判断が強まっているという。
また、対外開放に伴い、地元当局が軍側に支払う補償金についても、
「億元(1元は約15円)単位」(関係筋)の額を求める軍側と、
大幅減額を望む地元側との間で交渉が難航しているとも伝えられている。
日露戦争の激戦地として有名な旅順地区(面積約507平方キロ)は、
旅順港一帯を含む広さ約276平方キロの地域が未開放のまま。
だが、昨年後半、一部軍関連地域を除き、未開放地域の大半を開放する日程が固まり、
観光振興や外資誘致に弾みがつくと期待されていた。
(2008年5月8日23時39分 読売新聞)
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 04:11:15 ID:znWhvb8O0
ロシアと強調とか言うやつは無知だろ
あの国は他国との条約を自己の都合で一方的に破る国
あの時期に開戦しなかったら東洋はロシアの属国で北朝鮮だらけだった
あの頃ってどうやって標的を狙ったの?軍艦は。
>>645 青銅砲に車輪と砲耳が装着され、大砲の原形が完成したのが15世紀末。
それから1970年代まで、大砲の弾の当て方の基本は変わらない(現代でも
迫撃砲や榴弾砲は射撃法を変えていない国も多い)。
最初にまず一発打つ。弾着を確認して、弾着が遠ければ角度を絞り、
近ければ角度を上げる。そのうちに当たる。
ただ大海戦の時は弾着確認が難しい(各砲が撃ちまくり、どの水煙が自砲の弾着か判らない)
から、日露戦争の日本海軍から艦橋で弾着確認して各砲は弾着確認せずに同角度で打つ
「照尺の統一」が行われ、それが日本海海戦で決定的に勝敗を分けた。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 03:54:23 ID:LGvKd4iT0
今年も海軍記念日(5月27日)がやって来ますね。
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 08:00:41 ID:NFHLDyt60
日本海海戦は海戦史上まれな一方的勝利で
欧米でも研究されてる有名な海戦って信じてたけど
世界じゃ全然知名度のないローカル戦だったんですね
司馬先生を恨みます
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 08:02:17 ID:NFHLDyt60
不凍港を求めるロシア伝統の南下政策ってのも大嘘でした
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 08:05:14 ID:NFHLDyt60
島国日本を植民地にしようなんてロシアは全然考えてなかったんですねトホホ
チョーセンは一応地続きだから食指伸ばしたらしいけど
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/18(日) 08:08:03 ID:O01N+ULo0
ジパングがデマだったら魅力ないですたい (ニコライ
>>648 オマエは馬鹿か。
GNPで世界2位の時代が長く、未だに先進主要国の仲間入りしているのに・・。
100年近くは続くんだろうね。
ま 中国はもともとの国力が大きいからなぁ・・。
>>649-651 下手な釣りだなw
>>653 無能で強欲な公務員と政治家のお陰で、財政赤字で日本は破綻寸前だけどね。
破綻寸前なのにまだ「道路は作る」と言ってるんだから、日本人らしいよ。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 21:55:07 ID:hPEvzNTP0
>>654 財政破綻って日本の場合、日本国政府が日本人に借金しているようなものでしょ?
外国から借り入れていたら領土割譲など要求されると思うが
自国民からの場合はどうなるんだろ。
>>655 日本人の金融資産総計は1400兆円。
国債残高は850兆円だから、急速に近づきつつある。
現時点で、消費税を35%以上にしないと、国債残高は増え続けるそうだ。
責任取りたくない役人や政治家は、国債残高が1400兆円を突破して
国内で国債が消化できなくなるなるまで借金を増やし続ける。
でも、その末期症状になってから行財政改革なんてしても遅いから
ものすごく高い金利で外国から借入するしかないだろうな。
すると借金経済が加速して、本格的に財政は破綻する。
輸入がストップして、日本は終戦直後のような地獄になる。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 21:46:19 ID:icZ6VrxC0
外国から借入するくらいなら日本人に債権放棄を促すか強権を発動して
破棄するんじゃね。暴動が起きるかもしれないが外国から借りるより
マシと思うね。
というか、今の団塊世代より上で1000兆円もの金融資産をもっているわけで、
そして土地を含む資産なら、その倍以上になる。
つまり相続税を100パーセントにすれば、20年ちょいで余裕で回収できるよ。
もしくは老人の資産に徹底的に課税すること。
そして今借金が雪だるまなのは、団塊世代の雇用を守る為に、
無駄な政府支出したり、団塊役人を維持し、高齢者に莫大な医療費を垂れ流しにしているから。
つまり奴等無駄な団塊世代とその上の老人どもさえ、排除すれば、
日本は生まれ変われるかと。
だから消費税なんて一切上げる必要はないよ。
老人から絞れるだけ絞りとればいい、
もう社会のお荷物なんだからね。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 00:47:36 ID:h2O0b7PFO
この危機状態の中で私利私欲だけで動く政治家や官僚って何なんだ?正義感の欠片もないのかね
>>658 > つまり相続税を100パーセントにすれば、20年ちょいで余裕で回収できるよ。
ヴァカか?w
既に日本の贈与税は世界最高水準で、金持はみんな相続税対策やりまくってる。
数兆円の資産があると言われていた小佐野賢治が死んだ時も
遺族が払った相続税は400億円ぐらいだった。相続税対策やりまくってた。
相続税で国債償還できるなんて、オツムの弱い公務員の妄想。
だから相続税と贈与税を大幅に上げる必要がある。
さらに財団法人などは全て潰し、
一定以上の資金をもって、海外に移住することを禁止すればよい。
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 07:17:26 ID:bTPtc81R0
麻生が総理になったら相続税は三分の一になるよ
ヤシがやりたいのはそれだけ
他には何の政治的志もない
二世議員が増えまくって戦前回帰の貧困層固定化の策謀は着々と進行している
ゆとり教育は欧米階級社会並の教育の二系統化の布石だったし
>>661 > だから相続税と贈与税を大幅に上げる必要がある。
妄想もいい加減にしろ。
資産を現金・金地金・無記名国債で持てば、税務当局は把握できない。
どうやって税金かけるんだ???
親と同居して、一生懸命に親の面倒見ても遺産が全く貰えないんじゃ
親の面倒見る子供なんていなくなる。子が親の面倒見る美風をぶっ壊す気か?
家庭内がギスギスしてどうしようもなくなるだろ。
第一、老人の面倒を全部公的機関が見なければならないから、
税負担が凄まじくなる。財政はさらに悪化する。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 10:58:48 ID:r36424aX0
>妄想もいい加減にしろ。
外国からの借入より現実的だな
> 外国からの借入より現実的だな
このまま行革もしないで借金増やし続ければ、外国から借金するしかないな。
国内で無制限に国債が消化される訳じゃないんだから。
相続税だが、夫が死亡しても妻に全く資産が残らず、
国が資産を全部巻き上げるなら、タリバンみたいな恐怖政治だな。
>>663 無理無理、税務署が資金の移動にどれだけ注意しているとおもっているんだ。
マンパワー的な問題で、全てを摘発することはないが、
資産家は確実にターゲットに入っているから、逃れることは不可能。
>第一、老人の面倒を全部公的機関が見なければならないから、
老人にはそれだけの資産が余裕である。
日本の金融資産の7割は老人が持っている。
全部資産没収して、みんなまとめて、老人ホームにでも叩き込めば、
一番安上がりだよ。
>>665 そのくらいのことをしなければならない。
もう日本はその段階にきている。
そして相すれば、財産が引き継がれずに、格差も是正されるといいうものだ。
667 :
日本海海戦:2008/05/21(水) 22:32:22 ID:GPDmOD3q0
>>666 あのさあ、個人が資産を現金・金地金・無記名国債で保有して、
どうやって税務署が把握するんだ????
強制捜査掛けて、天井裏を全部剥がさないと発見できないんだぞ。
それを全ての老人家庭にやる気か? オマイ狂ってるよ。
そんな事をしなくても、公務員の給与を半分にすれば、財政危機は回避されるがね。
日本はクソ役人どもに、食い潰されているんだよ。
江戸時代だって、財政危機になれば、武士の給与を「半知(知行半分」といって
半分にするのは当たり前だった。当然、今回もやるべき。
財政ぶっ壊したのは役人なんだから。
おまいら、日露戦のスレで何の話してるんだw
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 00:59:08 ID:LLcnhSPr0
敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃沈滅セントス
本日天気晴朗ナレ共浪高シ
皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ、各員一層奮励努力セヨ
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 19:58:44 ID:1LsRL80K0
>>668 見せしめであくどいところを何件かやれば、他もある程度襟を正すさ。
あと後半は同意だな。
地方公務員まで含めて1000万の人件費は異常、
半分が妥当だよ、欧米はもっと安い。
ただ民主が政権とっても、いや共産でも絶対やらないだろうな、
奴等の支持母体だから。
つまり、日本海海戦終了の時点で、日本は国力の90パーセント、ロシアは国力の10パーセントを消耗した。
この時点で、ロシアは国力の30パーセントを費やせば奉天、旅順を奪還出来るだろう。
ただ、国力の30パーセントを費やせばカイザーが「このままいけばロシアはなくなるだろう」の忠告どうり、西からドイツが、国内からはコミンテルンが、極東では大英帝国猛威を振るったろう。
さらに、旅順を奪還しても、海の向こうにいる日本を倒しきれない。これを叩くには国力の50パーセントを消耗しなければならない(何故なら海軍戦力の7割を損耗してるから)。
そしたら、大英帝国、ドイツ、コミンテルンの三重攻撃にまず耐えられない。文字どうり、ロシアは崩壊する。
戦争を続ければロシアは日本に勝ったが、外交、政治上叩きのめされてた。もっとも、日本は最初からそれが狙いだったわけだが。
こんなところかい?
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/29(木) 11:06:50 ID:s2/qCXAj0
日本は日英同盟があるので国力を使い切ってもメインバンクがついていた
担保は満州ということかな
戦後に米英は担保の回収を目指したが日本は自主返済と担保はずしを行った
それが日米対立の原因、太平洋戦争にまでつながる
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 12:56:08 ID:AXFz8RyG0
日露戦争の勝利の一つには、日英同盟が機能したと見るんだが、どうだろう。
日本海海戦に臨んだバルチック艦隊は、出港以降、世界の海という海を制していた英国海軍の
ありとあらゆる意地悪を被り、ボロボロになって日本海に到達した。
当時の階級社会の底辺にいた3等水兵達の不満も、限界に来ていたと思われ。
そのような中で軍を統括していくのは、容易ではなかったろう。
677 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:23:32 ID:U/9xuT0C0
清も露も大国だし
面積同じくらいのアメリカにも勝てると思っても無理ないな
日本国民の8割くらいは勝てると思ってたのかもしれないねアメリカに
まして満州はあるし国力は互角くらいに舞い上がってたんだろうね
678 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/31(土) 20:30:49 ID:BhFFxoDt0
日露戦の時のような
国力の限界点見切れる指導者層だったら
米と開戦自体しないって
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 02:54:01 ID:TVwqoJFt0
国のことを考えるなら、国力の限界が見えてる時点で戦争を決意したりしない。
それは博打だ。
陸軍の失敗を外交で取り返したってことだな。
本当は国力の限界に達する前にロシア軍を包囲殲滅する予定だった。
何というか、求められてる水準が高すぎだよなw
まぁ開戦を見送っても、状況の好転は望めなかったが。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 17:12:41 ID:O3WubHpQ0
ジャポンとモンテネグロが1904年から2001年まで戦争をしてたのは有名であるが
実はまだこれは終わっていない
2001年にモンテネグロが終戦にサイン(勝敗はどっち?)したが
当時のセルビアモンテネグロの法ではモンテネグロ人に外交をどうこうする権利はないと明記
だからこれは向こうで日露よりいまだ両国は国際法上交戦状態
世界記録は330年ぐらいだったと思うのであと230年以上頑張ってみよう
ということらしいのですがそうなの?
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 10:49:23 ID:G65buNDW0
686 :
市民:2008/10/06(月) 21:53:31 ID:mfT8BkMN0
陸軍兵士の軍服が紺か黒の学ランみたいなデザインだったのは日露戦争までだっけ?
日露戦争途中まで。 日露戦争中にカーキ色軍装になったが、どっかのアホの将軍が
カーキ色の軍服は戦勝記念だって言い張って、太平洋戦争までカーキ色軍装になってた。
戦場によって、迷彩服を変えるのは明治までしっかりしてたが、こういう将軍がいたらだめだな。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 17:56:20 ID:vTh/qh/d0
自分の郷里には坂雲ミュージアムがあり、郷里の英雄が喧伝されるのは良いが、
永遠に秋山マンセーでは数年後には閑古鳥が鳴く事態を見越して、知事への提言
に現代人の醒めた目で見た明治海軍の弱点を展示する場を設ける事を要望する。
この種のミュージアムの弱点は、リピーターを期待できないからだ。
旅順港閉塞の先例は米西戦争での米艦隊のハバナ港襲撃にあったが、スペイン軍
の迎撃砲火がほんの申し訳程度に海面をパラパラ撃つ程度だから可能だったので
、広瀬武夫の首さえ吹っ飛ばす熾烈な状況下で成功例は正木大尉の米山丸以外は
皆無だった。
予め陸軍側が念押しに「本当にやれるのか?これは重要な事だから記録にも残す
がいいのか?」と言ったにも関わらず、海軍側の見通しが大甘だった訳だ。
「智謀湧くが如し」と讃えられた秋山にしてこの程度だった。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/12(水) 12:31:26 ID:sIc6HhrG0
日露
日露戦争も、日本の宣戦布告前の騙まし討ちから始まった。
まだ日本が「開戦に関する条約」に調印してなかったから違法ではないがね。後の戦争と違って。
あれは一応国交断絶はしてたから問題なしとかアメリカが言ってなかったか。
体格のハンデはどうなんだろ、ロシア兵の方が体格が大きくて体力、持久力があったし。
大砲の砲弾運搬や射撃、白兵戦の時、や物資を持って行軍、海軍では石炭搭載ややはり大砲射撃。
体格の小さい日本側がかなり体力的に不利だったはず。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 04:14:47 ID:/ddWhBrRO
日露戦争と言えば乃木のDQNが目立った戦争だな。
最近は乃木を誹謗中傷するのはネットの中でだけになったねえ。
>>695みたいな。なにがしたいのやら。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 04:33:29 ID:npXd0CYgO
>696
てか事実だろww
まぁ、帝が崩御した時に切腹したのは認めてやるけど
何が事実だか。学研のムック見てみ?
10年前の日露物では乃木批判が当たり前だったのが今や沈黙。
有坂純とかよく平気で新版に書けたもんだよ。
>>698 いまでも乃木批判は衆知の事実。それに対する乃木擁護意見が多いから錯覚するけど
最近は捏造が多くなってきているね。旅順スレは酷いもんだ。
捏造をいうなら、従来の乃木批判こそだね。
ところで君は「捏造」と「考察」の区別は出来ているかい?旅順スレではこの違いが解らない困ったチャンがいてね。
>>692 騙し討ちじゃないよ。左手で宣戦布告(国交断絶)すると同時に右手で殴り付ける高等技術だよ。
アメリカのときは相手が読む前に殴ったが・・・
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 19:55:04 ID:B50ejQ7k0
国交断絶後でしたので、アメリカを含めた中立国は問題なし。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 15:30:14 ID:cnu2OAnD0
ttp://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090105-OYT1T00386.htm 日露戦争の激戦地「旅順」世界遺産申請へ…大連市が方針
【瀋陽】日露戦争の激戦地だった中国・遼東半島南端の旅順地区について、
管轄する大連市が地区全体の世界遺産登録を目指すことがわかった。市政府筋が本紙に明らかにした。
戦跡や日露の建築物など20世紀の“負の遺産”を後世に残すとともに、日本などからの観光客の誘致促進が狙い。
ただ、旅順地区には中国海軍の施設が多く、軍の同意を得られるかどうかが実現のかぎとなりそうだ。
旅順地区は清の時代から軍港として発展。日清戦争(1894〜95年)の戦地となった後、
南下を目指す帝政ロシアに支配され、日露戦争(1904〜05年)を経て日本が40年間にわたり実質統治した。
日露両軍が激突した203高地、露軍が大規模な要塞(ようさい)を築いた東鶏冠山(とうけいかんざん)、旅順港などの戦跡に加え、
帝政ロシア時代に建てられた旅順駅、「日本版の大英博物館」とも呼ばれる旅順博物館など、当時の日露の建築物が多い。
市当局は地区全体を世界遺産として登録するのが望ましいと判断。
6日開会の市人民代表大会(市議会に相当)で提案される市政府活動報告に、登録を目指す方針が盛り込まれた模様だ。
中国は2008年までに、万里の長城など37件の世界遺産登録を受けたが、近代の戦跡は含まれず、実現すれば初めて。
旅順地区は日本とかかわりが深いだけに、日本人を中心に観光客増加を狙う意図がうかがえる。
ただ、軍施設があるため、旅順港や同港周辺への外国人の立ち入りは原則禁止。
203高地と、旅順での戦闘終結を確認した「水師営会見所跡」以外の主要観光地も、地元当局の事前許可がなければ見学できない。
世界遺産への登録も、軍の意向で大幅な変更を迫られる可能性がある。
(2009年1月5日14時53分 読売新聞)
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 14:38:56 ID:yGt5Hkoc0
日露戦争の戦費をイギリスに返し終えたのが1971年だそうで。
律儀に返してたのが凄いな。
ロシアやドイツなら途中で借りた金を踏み倒すけどな。
後ブリテンには太平洋戦争の賠償金も払ってたはずだが。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 23:45:41 ID:ljuQ8wiO0
『歴史街道』 2009年3月号
人物で語る日本近代史 第十回
児玉源太郎 後編 日露戦争勝利を導いた男の、もう一つの戦い 中西輝政
http://www.php.co.jp/magazine/detail.php?code=84251 戦後通説になっている、このいわゆる「乃木愚将論」に対しては、近年、説得力のある反論が
唱えられています。
しかし、ここで私が指摘しておきたいのは、まったく別のことです。実は日露戦争時、日本の
外交暗号や陸海軍の暗号はほとんどロシアに解読され、また宮中にまでロシアのスパイが入り
込んでいました。それが、旅順攻略にも影響していた可能性です。第三軍による総攻撃は、
その日程から手順まで、ことによると事前に敵側に筒抜けだったのかもしれません。これこそ、
旅順を「難攻不落」の要塞たらしめた、真の要因だったのではないでしょうか。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 00:28:13 ID:/ElCofrH0
筒抜けも何も見る人が見れば分かる
石原莞爾は敵兵舎のトイレが汚れているのを見て勝ちを悟ったそうだから
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 00:29:48 ID:/ElCofrH0
新聞を読んでいると記事の癖から記者の識別まで出来る
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 00:31:18 ID:/ElCofrH0
読んだ本まで分かってしまうぞw
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 21:58:47 ID:MzdUCEyBO
日露戦争で日本に金を貸したのはユダヤ人。ロシアに金を貸したのもユダヤ人。ユダヤ人は戦争で大儲けか。
713 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 16:51:23 ID:ayikz7ax0
ナポレポンが欧州大遠征軍を送っても勝てなかったロシアに勝った日本軍w
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 17:17:35 ID:ayikz7ax0
さりげなく強過ぎてワロタw
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 17:35:22 ID:my9facYR0
2ちゃんねるにおける、スゴイ、ツヨイはここを見ているであろう、第三者に対する賛美の言葉で
反社会的発言に対する報酬である
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 17:38:24 ID:my9facYR0
しかもそのツヨイ、スゴイは、睦言といっても良く
残忍な第三者に対する見せつけであることも…
何でこんなことすると思う?
刑務所だからさ
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 17:43:06 ID:my9facYR0
人の不和と、陵辱することで人に嫌われる人間を作り
社会との隔離を狙う
生活する手段を奪い、孤立させ足元を見る銀行業そのもの
この板に常駐している女性は、金融と関係の無い書き込みはほとんどしません
数週間眺めていたけれど間違いない
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/06(金) 17:46:40 ID:my9facYR0
陵辱、虐待、そそのかし、甘言、脅し
それらは、暗喩をもって書き込まれるから注意してみていなければわからないかも
日本腐敗の原因を見るような気がしました
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/14(火) 00:32:13 ID:BKLufbyfO
明治天皇と日露大戦争
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/20(月) 19:27:32 ID:JNTrTzxRO
違うよ。
当時の日本人か欧米列強に勝負を挑み勝った(まあ実質は引き分け)
っていう誇りが大切なんだよ。
朝鮮、満州の取り合い戦争!
結局乃木は無能なのか?
>>721 本当かどうかきいてんだよwwwwwwwwwwwwwww
チェストwwwwwwwwwwwwwww
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/23(木) 16:09:49 ID:iVi6H4j6O
>>720 買収したのってレーニンとかのクーデター部隊だと思ってたけど軍部もなのか
ロシア革命で全軍を対日に向かわせないようにして勝ったんだと思ったが
海戦はバルチック乗組員が疫病、脱走、地球1周並の航海のせいで士気ぐだぐだで負けたってロシアの認識があったな
>>720 明石元二郎が100万円(今の金で言うと200億円ぐらい)使って
ロシアの革命工作やって、それが奏功してロシアが経戦を諦めたのは事実。
当時の100万円はもちろんものすごい大金だが、国家予算の0.1%ぐらい。
>>727 明石の革命工作は失敗。彼が陸軍内で評価されたのは、情報収集の手腕だよ。諜報活動に
携わった軍人や外交官は多数いたけれど、明石の収集した情報が質量ともに群を抜いていた。
ジャパネット高田並のしゃべりwwwwwwwwwwwwwww
お答えありがとうございます。私の聞いた出所は、岡田斗司夫のひとり夜話という番組です。
松吉さんは明石げんじろうの部下で、当時の国家予算1億5千万円の時代に100万円使って
諜報活動したという話があるが、松吉さんに言わせると「そんな金では、何もできん。
日本が諜報活動に使った金は数千万円」という。この金を使ってロシアの諜報部を
まるごと買収したから、ロシアの情報が手に取るようにわかり日露戦争に勝利した。
しかし、勝った理由は日本軍が強かったからだと勘違いして、戦艦やら戦車やらに
金をつぎ込んでしまって、太平洋戦争みたいな馬鹿なな戦争に突入することになる
という、人間万事塞翁が馬のようなことが起こってしまう。
岡田斗司夫のひとり夜話
http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0080276/
>>731 断り書きの「内容の信憑性云々」って、「これはホラ話ですよ」の言い換えのような気がする。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 08:40:31 ID:/KQ4Qzek0
明石工作って実際には全く無駄足だったらしいね
1905年の革命騒動と明石工作は全く関係なかったという
ちなみに明石工作の日本の権威である稲葉千晴っていう教授は
俺の高校(某私立進学校)の世界史教師だったw
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 01:33:27 ID:Mv7vXHjF0
曾祖父が、奉天大会戦で還らぬ人になったと、祖父からきいたのですが
露軍のほうが数は多かったのに日本軍が勝った?戦いだったのですね。
やはり質と士気が違っていたのでしょうか?
質や士気と言うより作戦だな。日本軍は3軍と鴨緑江軍が壤回運動して
敵を包囲しながら中央突破を図る、という明確な戦術目標があったけど
ロシア軍はわずか1日の攻撃の遅れで後手に回ってしまって、
日本軍の攻撃に対応するしかなかった。
その挙げ句にクロパトキンが後方の満鉄を破壊されて撤退出来なくなる、
という恐怖に怯えて、勝ってるのに退却命令出してしまったから、
ロシア軍の士気や軍律が崩壊した。
俺の曾爺さんも奉天会戦に参加してるよ。第2軍だった。
2軍はたまたま死傷率が低い軍だったから、なんとか生きて帰ってきたが
3軍や4軍だったら生きてなかっただろうな。
質問なんですが、戦争の勝ち負けは、何か取り決めのようなものがあって決まるものでしょうか。
定義のようなものはあるのでしょうか。というのは日露戦争の話になると、あれは日本は勝っていない
という人がいるので。どう考えるのが普通でしょうか。
738 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/18(月) 07:55:10 ID:SpIcmJ2U0
日本が勝ってないというのはあほな左翼の言い分ぐらいで。
最も分かりやすいのは賠償金や領土な分けで、日本は目的の満州、旅順、朝鮮の権益を確保し樺太半分を取ってるわけだから。
明確な勝利な分けで。
>>738 回答ありがとうございます。どちらかというと勝っていないという見方のほうが主流なのかな
と思っておりました。結局賠償金はとれなかったわけで、国内では勝ったのに話が違うじゃないかと
暴動になったとか聞きましたので。
>樺太半分を取ってる
元々南樺太は日本領だったのに、ロシアの恫喝に屈して奪われたのを
なんとか取り返しただけ。日露戦末期には、樺太島全体を日本軍が
占領していたのだから、むしろ北半分をロシアに返還せざるを得なかった。
>満州、旅順、朝鮮の権益を確保し
関東州(旅順・大連)も日清戦争で日本領になったのを
三国干渉で放棄させられた上に、
北清事変でロシアが強奪したのを、取り返しただけ。
朝鮮と南満州鉄道は、終戦時に確保してたもの。
ポーツマスで、日本は何も得ていない。
日本に経戦能力がなかったんだから、どうしようもない。
>>741 欲張りとかそういう問題じゃなくて、戦争継続を主張するロシアに対して、
日本は北樺太を返還しても終戦にしたかったんだよ。
樺太全島占領は、そういう政治的な軍事行動だった。
ポーツマスで交渉が行き詰まって、ルーズベルトが鮭を半分にして
北樺太返還という切り札を小村寿太郎に切るように迫ったのは有名な話。
そんな厳しい状況を「明確な勝利」と表現するおバカさんもいるんだね。
笑っちまうよwww
>>742 勝利によって得るものが大きくても小さくても
「明確な勝利」に違いはないだろう
第一、日本側から要求が出ていること自体勝っていなければできんだろ
>>743 ポーツマスで、日本は占領している北樺太を放棄したのだから、
終戦と引き換えに、「得る」どころか、「失ってる」ぞ。
一体どこが「明白な勝利」なんだ? 脳内妄想か?www
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/20(水) 01:11:16 ID:Tc3nR00y0
戦争した時点では日本は満州、旅順、朝鮮、樺太を得てないわけだが?
日露戦争前の三国干渉で失ったとかまったく関係ない話し出しw
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/20(水) 01:22:03 ID:Tc3nR00y0
戦争前ロシアの勢力だった満州、旅順、樺太
戦争原因の朝鮮が、終結後条約として明確に日本側に移ってるわけw
>戦争した時点では満州、旅順、朝鮮、樺太を得てないわけだが?
戦争して、ポーツマスの段階で、北満以外は実効支配してたが、何か?w
ID:qjOms4Sr0のような奴は無視でいいだろ
アホすぎる
>>748 もう論破されたかw
たわいもないwww
日露戦争は、日本軍が優位のうちに外交交渉に持ち込んで
交渉で譲歩しつつ、日本に好意的なルーズベルトの力も借りて
ポーツマス条約締結に成功したなんて、日本史の常識。
少しは勉強しろwwww
>>749 日本語の不自由な人なのかな?
その常識とやらに異論を唱えている人はいないぞ
おまえ自身がその常識に真っ向から勝利じゃないと反論してるんだろw
>>750 だから、一体どこが「明白な勝利」なんだ????w
バカバカしいwww
なんだAA太郎
白兵戦スレで誰にも相手にされなくなったから、このスレに来たのか?
明白な勝利なら賠償金ぐらいとってるよ
金取れなかったから勝利じゃないなんて
どんだけ頭悪いのだろう…
>>754 ルーズベルトが鮭を2つに分けて、北樺太を日本が放棄するかわりに
終戦条約を結ぶように促した話は有名だけどな。ゆとりは知らないのか?
>>755 そんな論拠を何度も持ち出してくるから頭悪いって思われてるのがわからない?
既に論破されてるのにさ
日露戦前の状況を無視した元々日本領だったのを半分取り返しただけというバカ理論だろ
6O7YQubO0は、論拠を全く示さないで、喚いてるだけだな。
ゆとりの特徴だ。
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 03:17:15 ID:XQ7245LCO
ウリのこと 悪く言う奴 皆酷使
ウリのこと 悪く言う奴 皆ニート
ウリのこと 悪く言う奴 皆ゆとり
お客様のお好きなレッテルをお選び下さい。
海軍記念日
760 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 21:54:21 ID:y/7QmaW90
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/23(火) 22:23:36 ID:H9UwHmZv0
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/29(月) 01:45:06 ID:CgUeDJMzO
永久保塁
763 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/06(木) 21:18:15 ID:uNy3Kq0Y0
小学館から出てる日本の歴史読んでたら、最近の研究で日露戦争は避けられたということがわかって来たとされてた。
日本には届かなかっただけで、ロシアが最終的に決めた協商案は朝鮮半島での日本の利益の優越を認め、満州でも日本の利権を認めるものだったと書いてあったけど、それなら確かに開戦の必要はなかったかも。
age忘れた
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 12:53:06 ID:XwE1yliYO
「三笠・長門見学」
船は横須賀の波止場へ着いた。ポーッと汽笛が鳴る。私達は桟橋を渡つた。薄曇りで、また酷い暑さの今日は、海迄だるさうだ。
併し、僕達は元気よく船から飛び出す。三笠の門の前に集合し、そして芝生の間の路に歩を運ぶ。
艦前に来て再び集まり、三笠保存会の方から、艦の歴史やエピソォドを伺つた。
お話が終ると私は始めて三笠を全望した。
見よ!此の勲高き旗艦を。そしてマストにはZ信号がかゝげられてゐる。
時に、雲間を割つて出でた素晴らしき陽は、この海の館を愈々荘厳ならしめた。
艦頭の国旗は、うすらな風にひるがへり、今にも三笠は、大波をけつて走り出さうだ。
一昔前はどんな設備で戦つてゐたのか、早く見たくなつた。
やがて案内の人にともなはれて急な階段を上り、艦上に入る。よく磨かれた大砲が海に向つて突き出てゐる。
こゝで日本の大きな威力が世界に見せられたわけだ。
伏見宮様の御負傷の御事どもをお聴きして、えりを正した。其処此処に戦士者の写真が飾られてあるのも哀れだ。
(続く)
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/17(木) 12:54:45 ID:XwE1yliYO
「三笠・長門見学」
私達は最上の甲板に登つて東郷大将の英姿を想像してみた。
手に望遠鏡、頭上には高くZ信号。……皇国の興廃此の一戦にあり、各員一層奮励努力せよ……。
とは単なる名文ではなくて、心の底から叫んだ愛国の声ではないか。
士官の室が大変立派なのにも驚いた。又会議室へ行つて此処でどんな戦略が考へられたかと思つた。
艦の全体にペンキで戦痕が記されてある。
こんなに沢山弾を受けたのに一つも艦の心臓部に命中しなかったのは畏い極み乍ら、天皇の御稜威のいたす所であらう。
艦を出て、暫時休憩し、昼食を摂る。休憩が済むと、再び海に沿うた道を歩く。
そここゝにZ信号記念品販売所等と看板があるのも横須賀らしい。さうする中に海軍工廠の門内へ入つた。
…其の内にランチへ乗る。さうして五分も経たないで長門につく。
先づ此れを望んで、さつきの三笠と較べて見ると、余りにその設備の新式なのに驚いた。
艦上には四十サンチの素晴らしい大砲がある。
…あゝ日本の精鋭長門、こんな軍艦があつてこそ、日本の海は安全なのであらう。
平岡公威(三島由紀夫)
中等科一年、12歳の作文
>>764 日本に届かなかったら、存在しないのも同然じゃないの?
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 21:47:46 ID:mMj0noL10
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009092300199 大江志乃夫氏死去(茨城大名誉教授・日本近現代史)
大江 志乃夫氏(おおえ・しのぶ=茨城大名誉教授・日本近現代史)
20日午後9時45分、急性肺炎のため茨城県ひたちなか市の病院で死去、81歳。
自宅はひたちなか市武田942。葬儀は近親者で済ませた。
陸軍航空士官学校に進み、東京教育大文学部助教授を経て茨城大人文学部教授。
軍事史研究の第一人者で、特に日露戦争史や近代軍事史に詳しい。
主著に「日露戦争の軍事史的研究」「日本の参謀本部」など。
85年には明治の軍隊を舞台にした歴史小説「凩(こがらし)の時」で大佛次郎賞を受賞した。
(2009/09/23-16:55)
(-∧-;) ナムナム
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 21:48:33 ID:mMj0noL10
ttp://www.jiji.com/jc/c?g=obt_30&k=2009092300199 大江志乃夫氏死去(茨城大名誉教授・日本近現代史)
大江 志乃夫氏(おおえ・しのぶ=茨城大名誉教授・日本近現代史)
20日午後9時45分、急性肺炎のため茨城県ひたちなか市の病院で死去、81歳。
自宅はひたちなか市武田942。葬儀は近親者で済ませた。
陸軍航空士官学校に進み、東京教育大文学部助教授を経て茨城大人文学部教授。
軍事史研究の第一人者で、特に日露戦争史や近代軍事史に詳しい。
主著に「日露戦争の軍事史的研究」「日本の参謀本部」など。
85年には明治の軍隊を舞台にした歴史小説「凩(こがらし)の時」で大佛次郎賞を受賞した。
(2009/09/23-16:55)
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/29(火) 17:32:34 ID:Yd1Gu5wU0
川上操六
児玉源太郎
立見尚文
の中で一番の指揮官は誰ですか?
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 01:55:27 ID:3aBeI8VR0
>>409 >丁字というか、イの字の形のままで戦闘を続ける事はもちろん可能。
ただしその場合、イの字の体型のまま、大きく円を描く事になる。
また、縦棒側(バルチック艦隊)が、軽い面舵を続けてくれる事が条件。<
↑
イの字の形ができてゆくと、内側のロシア軍艦は、後部主砲で相手先頭の旗艦三笠を撃てなくなる。
それに、応じて少しずつ面舵転針を繰り返した。
ノビコフプリヴォイの「ツシマ」には、そう書いてあります。
(このレスに続いた一連の論議は、すばらしいものでした。)
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 02:11:07 ID:3aBeI8VR0
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 02:19:58 ID:3aBeI8VR0
>>771 帷幕の参謀総長としては川上操六。
出先の総参謀長としては児玉源太郎。
会戦の総司令官としては大山巖。
会戦の総司令官は日露戦役の様子から
野津も勤まるかも
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 22:19:54 ID:yNQXZyRQ0
今日はドッカーバンク事件で日本兵に間違えられたイギリスの漁師がロシア帝国海軍のバルチック艦隊の攻勢により犠牲になった日。
ドッカーバンクの大海原に散っていった漁師達に合掌
遅ればせながら合掌。
自分も合掌!(>人<)
・・・でもそれ本当に誤認爆撃だったのか?
散々イギリスに妨害工作された腹いせにやったんじゃないのか?
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 23:07:28 ID:Q5/4AxxA0
ロシア人は、何事も大雑把だから
普通に見間違えとかするだろう
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 23:52:08 ID:G74t4m+SO
立見さん以外
参謀官じゃん
貴官を陸軍大学で学ばせたのは
貴官の栄達のためではない
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 04:31:55 ID:adpjVdO+O
もっと奉天の戦闘知りたいな!
782 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 05:48:07 ID:OzlDMYpx0
無敵の第一軍団長クロキンスキーに叶うやつなんていないだろ。
大山と川上と児島を挙げるが彼がいなかったらこの戦争負けてるぞ
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 08:59:24 ID:X0JQcU1GO
wikiの奉天の項見たんだが、ロシア軍に余裕があったのに不可解な後退みたく書かれてるわけだが
左翼が三倍の兵力で防御出来ないのに中央突破を狙う奴は居ないんじゃね?
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 18:29:50 ID:b+kvG5CC0
突然すいません
東郷平八郎の直筆の書を(祖父が)持っているのですが・・・
これってやっぱり価値の在るものなんですかね?
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 18:35:41 ID:pXxA1sRpO
東郷元帥の直筆の書と云うのが誠ならば価値は有るな
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 18:36:00 ID:0KuNblP+O
大事に置いといたら?
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 18:37:57 ID:qkvti1pc0
本物ならば大体何円位で売れるだろうか?
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 19:22:32 ID:b+kvG5CC0
入手の経緯からすると偽物ではなさそうです。
曾祖父が、
戦後没落した海軍軍人一家を世話した時、お礼にもらったらしいです。
お礼の品に偽物というのはちょっと考え難いんですよね・・・
皆さん、そうおっしゃいます
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 22:13:30 ID:mwJaIvA60
書をくれた方の遺書に
元帥の書が後々両家の問題にならないように
記述があったそうです(故祖父談)
多分本物なのでしょう
残念なのは
祖父亡き今、
本当の価値を知らない、現金にしか興味のない長男(私のおじ)が
これをオークションに掛けようとしてることです
高校生の自分には阻止する術もありません
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 23:34:14 ID:GPHizKycO
本物なら
大切に伝えるか
資料館に置いてもらうとよいよ
名前つけて
展示してくれる
そこでテレビ鑑定団ですよ
東郷平八郎は長生きしたし、超無口だった代わりに揮毫は頼まれれば
気軽にしているから、揮毫の現存数が多くて数十万ぐらいだな。
どんな偉人の直筆でも、数が多ければ価格は安い。
家康の南無阿弥陀仏なんて直筆なのに数が多いから10万だもんな。
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 11:27:36 ID:BCmFtUsz0
広瀬武夫のはがきの字はみずぽみたいでワロタ
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 12:46:36 ID:vhFlPY8vO
京都の京北あたりの神社の額に
東郷平八郎って書いてあった。
東郷さんの署名
細身でサインみたいでかっこいいな
地元の郷土博物館に、明治の人々の手紙や葉書が沢山展示されているんだが、
手紙は毛筆の達筆ぞろいで、長文で美しいのに、葉書の字は鉛筆で書かれて
子供の字みたいなのばかりで、文章内容も稚拙な酷いものばかりで、
不思議に思って係の人に聞いたら、
当時、手紙書く時は、郵便局で葉書を買って、その場で郵便局の備え付けの
鉛筆で文と宛先を書くのが一般的で、今で言う携帯メール感覚だったそうだ。
鉛筆自体がまだ余り普及してなくて、書き慣れない鉛筆で、書き慣れない洋紙に、
立ちながら郵便局で用件だけ急いで書き込むので、
達筆の人でも、葉書に書く時は下手になったそうだ。
ちなみに明治時代に絵葉書が大ブームになったそうで、絵葉書コーナーも
あるんだが、こちらの写真(彩色画?)は、実に素晴らしい。芸術品の世界。
当時の人は旅行したら、現地から自宅や知人に絵葉書を送る習慣だったんだな。
台湾や朝鮮からの絵葉書も沢山あって、おもしろい。
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/24(火) 20:42:00 ID:vhFlPY8vO
どこですか?
みにゆきたい
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/26(木) 22:39:20 ID:0PLRRayM0
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/28(土) 00:45:45 ID:LCCRHwc10
>>796 そもそも明治中期になっても名前以外の文字をかける日本人は
人口の半数もいなかったようだが。
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 18:40:34 ID:fNjOoPOOO
>>799 今でも辞書を見ずに、手書きで平仮名を多用せず文書を作ない人間が何割かいるだろ
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 21:34:02 ID:gZbIMxKV0
よく昭和の陸軍とか日常的ないじめとか映画などで描かれてるけど
日露戦争とかの陸軍とかどうだったの?
昭和の陸軍は批判して、明治の陸軍はあまり批判する人はいないけど
昭和20年代なら普通に日露戦争の陸軍を経験した人などいくらでもいたと思うけど
ほとんど語る人はいないんだよね
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 21:36:52 ID:X/siVHYZ0
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 21:50:58 ID:deHFeHHYO
>>801 ちょっと調べればいくらでも記録あるよ。
当然暴力はありました。その辺は同じ人間だから明治も昭和も自衛隊も同じです。ただ明治が少し違うのは江戸時代の封建制度の名残が色濃かった点です。
文字通り上士(士官)下士と兵卒だから下士は兵卒をボコボコにしてました。日本陸軍の私的制裁の起源はここにあります。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/29(日) 23:35:39 ID:NuX/sD8k0
システム的には明治も昭和も変わってないでしょ
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 03:52:33 ID:hv2opPbc0
第一軍団って人気ないの?
名将黒木に藤井名参謀。西も名将だし松永と岡崎は双璧
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/30(月) 15:30:52 ID:xQXt5Y/7O
旅順要塞に対して280mmは有効だったとされてるけど
だったら敷島型の305mmで沿岸砲の射界外から要塞を撃てば、同様以上の効果があったんじゃね?
>>805 軍オタの中では評価は高いけど
あんまり一般的には知られてないからじゃ
一般的な知識だと乃木・児玉ぐらいしか知られてないと思う
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/01(火) 16:16:41 ID:aWhZ81s+0
日本史板で人を馬鹿にするのもいい加減にしろよw
>>806 当時の戦艦は高仰角が取れないので最大射程は意外に短い。
春日の25.4センチ単装砲のみが高仰角をかけられる艦砲で
山越えで旅順港内に砲弾を撃ち込んでいます。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/07(月) 16:06:48 ID:FIsC2vz60
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 02:15:39 ID:rfPzdf5S0
何か婆ちゃんに聞いても、どうも親戚の誰も日露戦争に、兵隊として誰も言ってないみたいなんだけど。みんなの親戚関係どうなの?確率として、100/4500とすれば、関わってない家も結構あるんかな?
ちなみに太平洋戦争で、一名が学徒出陣。もう一名が普通に徴兵(姫路の駐屯地でしごかれまくったけど、一番辛かったのは、姫路城の掘に落とされることらしい)
http://megalodon.jp/2010-0207-2217-26/www.oita-press.co.jp/localNews/2010_126550257026.html 丁重に葬られた日露戦争の軍神広瀬武夫中佐
[2010年02月07日 09:20]
日露戦争(1904〜05)の旅順港閉(へい)塞(そく)作戦で被弾した
軍神・広瀬武夫中佐(竹田市出身・写真)は、ロシア軍によって遺体で海中から発見され、
ロシア艦船上で丁重な葬儀を営まれていたことが、
日露文化センター代表、川村秀さん(東京)のロシア国内での調査で分かった。
川村さんはこの調査結果を昨年12月文芸春秋臨時増刊号に寄稿しており、
6日に竹田市で開かれたプレ嚶鳴フォーラムに出席して関係者に披露した。
戦死時、広瀬の遺体の存否などについては不明な点が多く、
この調査結果は今後の広瀬武夫研究に一石を投じそうだ。
川村さんの調査によると、広瀬はその日(1904年3月27日)、
ロシア戦艦レトヴィザンから複数の内火艇の射撃を受けて海中に落ちた。
ロシア艦船が発見して引き揚げ、軍外(がい)套(とう)を着た状態で収容した。
頭部以外はほとんど損傷はなかった。
遺体は、広瀬がロシア駐在武官のころ交際した令嬢アリアズナの兄(ロシア軍大尉)らが確認。
ロシア軍隊の軍旗、葬送曲を伴った完ぺきな栄誉礼をもって厳粛な葬儀が執り行われた。
遺体はその後、旅順のロシア海軍墓地に葬られた。
納棺の際にはアリアズナから贈られた懐中時計も発見された。
>>814 また、川村さんは、ロシアのテレビ局が製作して2005年に放送したドキュメンタリー番組から、
ロシア戦艦上に横たわる広瀬の遺体と葬儀、旅順のロシア海軍墓地、
アリアズナの肖像などの写真も確認。この日、その一部を披露した。
騎士道精神に感銘
川村さんの話 広瀬は弾丸に当たって消えたと信じていたので驚いた。
あの時代は敵に礼を尽くすという騎士道や武士道の精神が機能していたことに感銘した。
その後の近代戦争と比べて考えさせられるものがある。
また広瀬は武人としてのみならずロシア駐在中、ロシア文学を学ぶなどして
日ロの文化交流に特筆すべき役割を果たした。この点に今後光を当ててほしい。
<ポイント>
【広瀬武夫と旧日本海軍の旅順港閉塞作戦】
広瀬武夫(1868〜1904、戦死後、少佐から中佐に昇進)は
中国・遼東半島の旅順港口に廃船を沈めてロシア艦隊を港内に封じ込める作戦を指揮。
工作を終え、途中で姿が消えた部下の杉野孫七兵曹長を捜索するうち、
ロシア軍の砲撃を受けて戦死したとされる。
海軍初の「軍神」となり、文部省唱歌「広瀬中佐」に歌われた。
司馬遼太郎「坂の上の雲」など多くの小説にも登場している。
出身地竹田市には広瀬をまつる「広瀬神社」が立っている。
ttp://www.oita-press.co.jp/mobile/data/local_news/2010/02/2010_126550256773.jpg ttp://ameblo.jp/kaori-kawamura/entry-10444458860.html 因みに川村秀さんは昨年早世した歌手の川村カオリさんのお父上です
最近友達と話していたら、大学の授業で日露戦争は避けられる戦いだったとかおしえられたとかいってるけど
最近の学説ってそうなの? ただこの避けられるの意味が戦争はいくない、避けることは出来たなのか、このときこの判断ミスがなければ
戦争を避けられて防衛上もウマーだったかは分からないんだが
避けようと思ったら そら人間の意思の問題だから避けられるわ。
ただ、その時期がどこまで避けられるかは未定
後ろにずれればずれるほど 日本が不利になり、
ロシアの軍事力の前に一層 外交上の困難が
ふりかかる。
というか一度見てみたいぜ その学説
水野直樹、小森陽一、原田敬一の本を友人はあげてた、俺は正直歴史学者としての確認がとれない
人物が一人いる時点で、相当怪しいと思うのだが、友人に対して上手く反論できないから保留にした
なんか日露戦争で負けたら日本はロシアの植民地になっていたと、多くの人が言っているが
負けても朝鮮の領有権放棄と最低賠償金くらいで、日本の割譲とか、そのまま日本に攻め入るとか
なかったと思うんだが、どうなんだろう?
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 17:31:30 ID:ZbtYoPg9O
>>819 連合艦隊全滅の完敗だと保護国化は覚悟しないといけないと思う。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/12(金) 17:06:23 ID:zzs1+d+V0
二百三高地、連合艦隊…Webに甦る日露戦争
テレビドラマ放映で注目を集めた、司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」。
明治維新を経て近代化していく日本、そして秋山好古・秋山真之・正岡子規の三人を中心に、
その時代の人々の生涯を描いた作品です。
この作品のハイライトともいうべき「日露戦争」を、わかりやすい動画コンテンツと、貴重な資料の
数々で振り返ることができるwebサイトがあるのです。さっそくのぞいてみましょう。
http://allabout.co.jp/1/223163/1/product/223163.htm
>>819 あまり余裕のない日本でも、朝鮮での権益の確保のみならず
ロシア領である樺太に攻め込んで南樺太の割譲を勝ち取ってると思うが
逆の立場だったら、マカーキ相手に情けをかけると思う?
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/14(日) 09:08:17 ID:xZsj/7Wq0
でも、一応イギリスが味方についているわけだし、日本全土が植民地化されるとか無理あんじゃない?
ロシアだって戦費集めるのに苦労してたんだし、あそこから更に日本に兵を送り込んで本土決戦するほどの余裕
はないと思うんだが
「坂の上の雲人物列伝」って本、まぁおもろい。
★何個とかAランクとかで日露戦争の人物が評価されとる。
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 20:02:51 ID:0qsWDKX/0
日露戦争は領土や国民を守るための
祖国防衛戦争ではなく満州の開放や
韓国の独立をめぐる戦争として正当化された
829 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/29(月) 18:50:59 ID:0/ruBeNb0
昔、日本海海戦のことを「奇跡的勝利」と言う表現をよく聞いたものである。
しかし最近、ロシアの水兵たちが国元に書き送っていた手紙がテレビで紹介されていたが、
それを見て、この勝利は奇跡でもなんでもなく、勝って当然だったような気がしてきた。
船舶数や火力はほぼ互角。したがって勝敗は戦略と兵の志気にかかっている。
ロシア兵は長旅で疲れ切っている。
そもそもなんのためにこんなしんどい思いをしなければならないのかわからない。
早く旅順にたどりついて休みたいとばかり考えている。
ところがその途中で、その旅順が陥落したと聞かされる!
休める場所はもう無い。辛くて苦しい長旅の果てには、激戦だけが待っている。
一方日本海軍はその間、激戦に備えて演習を繰り返し、腕をみがいている。
祖国防衛に燃え、志気も旺盛だ。
技量でも精神面でも、完全に日本のほうが上回っていたのである。
これなら勝って当然だろう。
ソウダヨ(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
終わってみて回想すればそんなもんでしょ。
で、少し冷静になって考えれば、バルチック艦隊がそんなにすぐには
到着することはあり得ないのに、焦って強襲策による即時攻略を命じた
のが大本営と満州軍総司令部なのでした。
>>829 >船舶数や火力はほぼ互角。
戦艦の数はバルチック艦隊の半分。
触雷で最新鋭艦を2隻も沈めてるから。
三笠公園に行って、三笠をみたけど、あの当時の戦艦って結構小さいね。
あの大きさで日本の運命を担っていたと思うと、感慨深いものを感じた。
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/23(金) 09:18:30 ID:93NqrPTN0 BE:1446199283-2BP(0)
>>833 黄巾の乱に参加する前の劉備はいわゆる侠客であり、家業を厭い、酒色を好んだ
生活していた。縁あって沛東に位置する泗水の亭長(警察分署長)に就任したが、
任務に忠実な官人ではなかった。沛の役人の中に後に劉備の覇業を助けることに
なる袁紹と曹操もいたが、彼らもこの時期には劉備を高くは評価していなかった
ようである。しかし何故か人望のある性質であり、仕事で失敗しても周囲が擁護
し、劉備が飲み屋に入れば自然と人が集まり店が満席になったと伝えられる。
またこの任侠時代に張飛の食客になっていたともいう。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/25(火) 20:34:43 ID:giZVV9OH0
>>834 人工地震とか書いてあるが、ほとんどオウムがほざいていた地震兵器だなw
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/05(土) 15:26:57 ID:3kO1mphzO
狸たちが兵隊に化けて戦ったらしいね
クロパトキンの記録にもあるそう
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/21(水) 14:36:23 ID:7sd4Ekr10
日露戦争時の日本の将校達が逸材だったことは疑う余地はない
しかし、戦争に勝てたのは時流の流れの方が大きかったと思う
当時ロシア国内ではロシア革命が発生しており、革命派を援助するために英国は日本に最新式の戦艦を安く売り払った
戦争賠償で時限爆弾のような権益しか渡されなかった事からも、既に日本が米英の敵として見定められていた感がある
このように大きな流れの中でこの戦争を見ると、勝利も苦いものになる
湘北VS山王
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/22(木) 19:56:49 ID:+sVqrsdz0
左翼ってなんで定期的に日露戦争は回避できたとか言い出すの?
いいじゃん、世界史的に見て意義のある戦争だったし、それともロシア様に勝ったのがダメなのかな
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/14(土) 23:47:06 ID:UnDIjz060
>つまり奴等無駄な団塊世代とその上の老人どもさえ、排除すれば、
>日本は生まれ変われるかと。
世界は第二次世界大戦後に始まった資本主義をリセットする時期に来ています
再び世界規模の経済破綻や世界大戦が起こされます。
国の経済が破綻しているのですから、当然支出を抑えようとします
団塊の世代の高額な年金も必要最小限な額まで減額されるでしょうし
医療費の自己負担率もかなり上げられるでしょう。
このころには戦時経済になっているので予算は軍事優先になり
医療費は全額自己負担とかも十分ありえます
そうするとどういうことが起こるかというと
金のない老人は医者にかかれず見殺しにされます
金のある老人は金を寧毟り取られることになります
金のない老人が見殺しにされるなどということは
平時なら到底考えられないことですが、戦時体制でマスコミは統制下にあり
あらゆる言論活動も禁止されているはずですから、老人がばたばた死んでいく事実は一切報道されません
このような状態が世界大戦が終結する20年後まで続きますから
その頃には老人や団塊の世代は綺麗にいなくなっているでしょう
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/18(水) 23:20:51 ID:Qp13sib30
>>841 サヨクにとっては、どんなことでも「日本が悪い」がすべての前提。
「日露戦争は回避できたのに日本が戦争しかけた、日本が悪い」と
言いたいからです。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
回避すべきも何も12万の犠牲と20億の戦費使って朝鮮併合したのに赤字経営だったなんて馬鹿らしいだろ……
第一ロシアは朝鮮の鉱物資源の利権が欲しかっただけで別に植民地化は考えていないし
日本の安全を脅かす様な事は何もしてないよ。
ロシアは日本の領土や利権自体は要求して無いし、やらなかったからといって日本が独立を維持できなかったというのは考えにくい