邪馬台国畿内説 Part14

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
邪馬台国ド本命の畿内説のスレです
もう確定なのでロマンはありませんが
勝者の貫録を見せつけつつ
肩を貸してやりましょう

前スレ
邪馬台国畿内説 Part13
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1400762147/l50
2日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:37:51.40
ヤマタイは誤り。読みはヤマト。奈良大和。邪馬台国は大和朝廷のこと。
○  ヤマト多すぎwwwwwww ○ ○  ワ=倭=ヤマト     ○
倭姫命 やまとひめのみこと     千千衝倭姫命(ちちつくやまとひめのみこと
倭迹迹日百襲媛命  (やまとととひももそひめのみこと)
夜麻登登母母曽毘売命  (やまと・とも・もそ・ひめのみこと)
母は、意富 夜麻登 玖邇阿禮比賣命(おおやまとくにあれひめのみこと)
ヤマトクニカヒメ【倭国香媛】 = 意冨夜麻登玖迩阿礼比売(オホヤマトクニアレヒメ
倭飛羽矢若屋比売(やまととはやわかや ひめ 倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと
倭彦命(やまとひこのみこと 倭迩速神浅芽原目妙姫(ヤマトトハヤカムアサジガハラマクワシヒメ
倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと
千千衝倭姫(記:千千都久和比賣 倭姫王(やまとひめのおおきみ
大倭帯日子国押人命 日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)・
ヤマトタリヒコクニ 孝安天皇 おおやまとねこひこふとにのみこと)・大倭根子日子賦斗邇命
オオヤマトフトニ(孝霊天皇) ヤマトクニクル 孝元天皇
ヤマトクニカ姫 ヤマトヰサセリヒコ ヤマトワカヤ姫
3日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:39:17.15
         J('∀`)し  カーチャン先にいなくなっちゃうけど 
      /⌒⌒⌒⌒⌒ヽ 保険金が下りるからお前はちゃんと学校に行くんだよ
     // ̄ ̄ ̄フ /  頑張って勉強して偉い人におなり
   / (___/ /    カーチャンお前のこと大好きだよ
   (______ノ      ずっと天国から見守ってるからね
4日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:40:07.86
まあお前らには日本史って関係ない話だからな
5日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:41:27.29
前スレ997に返信

纏向に誕生した最初の王権の母体として
古代人は孝そこに霊の宮処を想定したんではないのかな
6日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:44:18.29
前スレのリンkが違ってますね。

=========================

前スレ
邪馬台国畿内説 Part13
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1400759977/l50

=========================
7日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:48:25.94
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1400759977/980
   ↑
 反論(講習www)はよ!
8日本@名無史さん:2014/05/31(土) 12:51:50.72
>>5
そこに孝霊の宮処って事?

はぁぁ?
9日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:02:31.72
そもそも安曇厨のアホは

>考古学的には前方後円墳の起源が九州ではない事だけが救いなんだろ。

・・・って要は古墳文化が九州からの東遷とは関係なくスタートしてることを認めてしまって
この上で一体どうやって東遷説の根拠なんてものを主張できるんだ?

「ボクチャンの説最強!」という自惚れがまずあって
それに”合わせて”考古資料も出してくるんで
相手に冷静に見られたらすぐにボロが出る

あれもダメこれもダメで結局スタート時点の
「記紀に書いてあるから!」
と史実も神話もごちゃ混ぜにした自分に心地いいぬるま湯に逃げ帰る

まあこの板では腐るほど見てきたパターン

東遷厨はアホばかりwwwwwwww
10日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:05:18.26
崇神4世紀前半没として、

http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/tenson/mononobe.html

孝霊はおおよそ3世代前なんだから3世紀半ば過ぎ頃の没だろう。
纏向石塚は3世紀初頭として2世紀後半に生きた人物を想定しないといけないだろう。
したがって無理。
大体からして記紀に書かれてる宮も纏向じゃないし。
11日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:11:04.52
>>9

播磨も四国も含め、要は瀬戸内各地が弥生時代から鉄を運んでた九州系海人の拠点。
たまたま播磨や四国発案の墓制が纏向遺跡で採用されただけ。
彼ら瀬戸内海人は後に播磨物部や三野物部と呼ばれる。
桜井茶臼山の傍に宗像神社があることを無視できまい。
12神奈川県民:2014/05/31(土) 13:16:30.82
13日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:25:56.70
>>11 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )

その「九州系海人」やら「三野物部」やら「像神社」が3世紀以前からいたという根拠が無い

単に後世にあるのだから昔もいただろうってお前の脳内設定にすぎない
本来なら記紀にある系譜とて何処までが実在性が担保されるかが検証される

物部氏やら葛城氏やら古代豪族について書かれた著書・論文は数多あろうが
そういう検証を地道に積み上げてやっと一つのものになる

それもすっ飛ばして「3世紀だろうがいた」というのはタダの与太でしか無い

その与太の前提があって初めてパズルゲームのピースが揃うわけだww

根拠の無い「オレサマ設定」でスタートしてるお前の「ごっこ遊び」に何の根拠もないのは当たり前

東遷厨は救いようのないアホばかりwwwwwwww
14日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:28:16.86
だからようは瀬戸内海賊の痕跡なんだろ
お前らがいってるのはよー
15日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:31:14.61
>>13
>3世紀以前からいたという根拠が無い

これを見て弥生時代に鉄が九州から全国に拡散したのではないというやつはアホ。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu14.jpg
16日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:34:44.70
>>15 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )

お得意の安本師匠のサイトからの引用かwwww

そうだな鉄資源は九州から来たんだろうな

で?
それを運んだのがお前のほざく古代氏族という根拠は?wwwwwwwwww
17日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:36:03.97
どうやって年代測定だしたんだ?
18日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:40:45.27
>>16
宗像、安曇、(後の)物部だろうな。
当然、後の時代に全国に散らばったりもしてるが、
弥生時代からも全国に拠点を持ってただろう。

というか逆に聞くが、
「そうではない」のなら誰が鉄を運んだの?

お前は俺に具体的氏族名を聞いたのだから、
今度はお前が答える番だ。

さぁ答えろ。
19日本@名無史さん:2014/05/31(土) 13:52:22.89
纏向遺跡には筑紫や吉備の要素があるんだよね。

宗像神社は関東にまで拡がってるがとりあえず。

奈良県
宗像神社(桜井市外山)

岡山県
宗形神社(岡山市北区大窪)
宗形神社(岡山市南区郡)
宗形神社(赤磐市)

鳥取県
宗像神社(米子市宗像)

福岡県
宗像神社(北九州市小倉南区上曽根)
20日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:03:32.00
桜井の宗像神社は鳥見山、
ムナカタはミナカタで出雲だね
21日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:05:26.29
>>18 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>お前は俺に具体的氏族名を聞いたのだから、

はあ?
いつそんなことを聞いた?

聞いたのはその氏族がその時代にいてそれを運んだという根拠だドアホウ

ニホンゴワカリマスカ?

誰が運んだかってそんなもん分からない分けないだろうがバーカw
一体何度同じこと言わせるんだ?ボケ老人か?

お昼はさっき食べたでしょお爺ちゃんwwwwwwwwww

で、宗像、安曇、(後の)物部がその時代にいて
九州以東への物資の海運の 主流を担ったという根拠は?

氏族の名前挙げたら済む話じゃないぞ?
それはアホのお前の「当てはめゴッコ」にすぎないwww
22日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:13:45.14
>>21
>聞いたのはその氏族がその時代にいてそれを運んだという根拠だドアホウ

沖ノ島を経過せずに半島に渡ることは無理。
沖ノ島には縄文時代からの遺跡がある。
ここを説明するのに宗像氏以外に誰がいるんだよアホ。

おまえの脳ミソは蟹ミソか。
23日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:14:14.88
攻め込まれ 受け太刀ばかりの 畿内説

反論も 一つ覚えの 畿内説

ののしって 畿内説ゴロと 里がばれ
24日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:18:29.92
>そうだな鉄資源は九州から来たんだろうな

と認めてる時点でおまえの負けなんだがw

弥生時代の畿内人が九州にまで出かけてないからなw
唐古鍵の九州土器のように「逆」はあるけどな。
25日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:22:34.15
>>22 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )

アホですか?wwwww

ある時代に宗像氏の痕跡が認められるとしてそこからスタート
で過去どれくらいにまでその痕跡があるかってのがまともな脳味噌を持った人間の発想

じゃあ遠賀川式土器も稲作自体も全部宗像氏が運んだんですか?って話だよキチガイ君w

で、宗像、安曇、(後の)物部がその時代にいて
九州以東への物資の海運の 主流を担ったという根拠は?
26日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:25:12.38
>>24 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>と認めてる時点でおまえの負けなんだがw

ボロ負けの負け犬が必死だなw

「九州からの文化の東進」なんて最初から大前提で話ししてるんだが?w

勝手に話変えるなやゴミクズ君w
27日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:30:20.92
>「九州からの文化の東進」なんて最初から大前提で話ししてるんだが?w

なら人間の東進もあっただろうね。
だって弥生時代に、畿内が九州に痕跡残してないのだから、
九州から人間が鉄を運んだ以外にないよね。

また、実際記紀に東征と書かれてるね。
何で意図的に無視しようとするの?

怖がりなの?
尿漏れがひどいの?
28日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:33:20.57
19
宗像神社か?
それでいうなら浅間神社もかなりの広がりを見せるな
ついでに田村神社というのも全国的な展開を見せる
29日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:34:55.99
>>28
広がったんじゃない?
だから?
30日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:36:14.30
宗像神社も広がったんじゃない?
31日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:38:57.67
「一富士、二鷹、三茄子」 だね
32日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:40:41.95
訂正

「雲太、和二、京三」 ということだね
33日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:42:19.07
>>27 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
で仮に九州から何人か人間がやってきて
(よく言われる土器の比率から言えばそんなには多くないだろうが)
それが東遷説にどう繋がるんだキチガイw

えーと「九州鉄器軍団」が畿内を征服するお話だっけ?wwwww
で銅鐸祭祀を廃絶に追いやるとかそりゃあもう壮大なお話wwwwwwwwwwww

文化の東進現象は弥生時代のデフォであった
場合によっては九州からやってきた人間もいたかもしれない

がお前みたいなドキチガイがほざくような「征服劇」「王朝交代劇」を示す根拠はないと言ってるんだよ
ったく一体どう言ったら理解するんだこのボケ老人は?

記紀の東征?ああ神話だな
金鵄や八咫烏と言ったUMAが飛び交い
フツノミタマとか言うマジックアイテムが出てくるw

何らかの史実の繁栄があったとして「文化の東進現象」の範疇で説明がつく

いい加減東遷説カルトから足洗ったほうがいいぞ?ゴミカスwwwwwwww
34日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:47:54.56
>>33
古墳時代まで続く唐古鍵遺跡と纏向遺跡は全然違うよね。
なぜあんなに違うの?

これはもう新王朝以外にないね?

それに筑紫も入ってるって寺沢大先生も言ってるじゃん。

何言ってるのお前。

俺は今から出かけるから、
蟹ミソ並の脳ミソでよく考えて答えろ。
35日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:53:15.78
難升米最強軍団にひれ伏す銅鐸土人
36日本@名無史さん:2014/05/31(土) 14:54:49.09
>>34 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>それに筑紫も入ってるって

筑紫 ” も ” 入ってるって話なw

当然他の要素も入ってる

でそれが何で新王朝になるって?

馬 鹿 で す か ?

ニホンゴワカリマスカ?
37日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:02:14.96
いい加減前方後円カルトから足洗ったほうがいい
38日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:03:50.82
ちなみに・・・

巻向遺跡と言えばどうしても前方後円墳のイメージだが
実は方形周溝墓も結構あるらしい

大きなもので「メクリ1号墳」なんてのがあって
平面を見れば突起部が突いて前方後方墳ぽいがw
土盛がされてなかった可能性が高いとのこと(清水眞一)

つまり弥生時代の墓制も引き継がれてたわけだwwwwwwww
3938:2014/05/31(土) 15:11:45.91
「メクリ1号墳」は「そりゃ前方後方墳だろ」と言われるかもしれないので
桜井市のHPから纏向の周溝墓に触れてるのを出しておくwww
(詳しい人がいたら情報ヨロ)

http://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/bunkazaiannai/1392863426770.html

方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)1・2

纒向石塚古墳の周濠に接するように、庄内(しょうない)3式期(3世紀中頃・方形周溝墓1)と
布留(ふる)0式期(3世紀後半・方形周溝墓2)の方形周溝墓が2基確認され、
方形周溝墓1からは甕、壷、高杯、鉢、器台をはじめとする多量の土器が出土しました。
40日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:21:04.34
4138:2014/05/31(土) 15:31:00.91
>>40
さんきゅー
42日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:31:51.34
>それに筑紫も入ってるって寺沢大先生も言ってるじゃん。

虎の威を借りる豚
それならなぜ寺澤が東遷説じゃないの?
43日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:39:59.63
>>12
あたまの弱いひとでつか?

それのどこが
「3世紀に北部九州では絹の生産が盛んだった」
と言い張る根拠なの?
44神奈川県民:2014/05/31(土) 15:55:07.53
>>43
頭悪い子ですねw
魏志倭人伝って絹の話しばかり出てくるんですよ。
ひっきりなしにその話が出る。
イコール それが盛んだった事が想像つかないのかね?
45日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:55:48.11
それがどうしたの?

それのどこが
「3世紀に北部九州では絹の生産が盛んだった」
と言い張る根拠なの?
46日本@名無史さん:2014/05/31(土) 15:59:39.94
神奈川県民名乗らないでくれる?恥ずいから。
47神奈川県民:2014/05/31(土) 16:01:26.96
>>45
ああ、考古学的に答えろって事かね?

佐賀県でも出てるでしょ。
http://www.yoshinogari.jp/pdf/c2/bookmark_adult.pdf#search=
'%E7%B5%B9+%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C'

1800〜2000年の時を経て、出土されるって事は
一つダケ存在したわけではなく、盛んだったからですよ。
48日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:10:21.92
韓国人も悪いことをする時は日本人と言う
みんじょく性だろうね
49日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:11:55.76
だめだこりゃ
50日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:12:07.68
だよなw
成りすまし好きだわこいつら
51日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:14:23.96
>>36
>筑紫 ” も ” 入ってるって話なw
>当然他の要素も入ってる

筑紫を認めるのだね?
俺は九州系瀬戸内海人説(吉備や播磨)なのだが何か矛盾してるのかな?


>でそれが何で新王朝になるって?

だから唐古鍵と何が共通してるの?
墓も副葬品も大変革起こしてるわけで、
もはや新王朝と言うしかないじゃん。
土器は継続なんて奈良の話なんで当たり前だしそんなのダメだよ。

筑、備、讃、播のどこかの王が東征してきたのだろうな?
寺沢はなんだか吉備の強い影響を強調してるがね。
52日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:17:03.50
>>47
どこに3世紀って書いてある?
53孝霊厨:2014/05/31(土) 16:17:30.82
倭人伝の記述で一番重要なのは丹ですよ。
これだけでも必然的に阿波讃岐〜紀伊半島を
主とする畿内説が有利のはずなんだが。
54日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:21:33.39
>筑、備、讃、播のどこかの王が東征してきたのだろうな?

寺澤の名前を持ち出しといて、どうして寺澤の見解と似ても似つかないことを出だすわけ?
権威づけに名前借りただけ?
55孝霊厨:2014/05/31(土) 16:26:08.57
筑紫は伊都所在地で奴国比定しかむりだから。
勿論男王の国であって女王国ではない。
女王国は瀬戸内から東しか存在しようがない。
なのでここで著名な百襲のみが卑弥呼に相応しい候補となる。
56日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:35:49.71
>>54
>寺澤の名前を持ち出しといて、どうして寺澤の見解と似ても似つかないことを出だすわけ?

俺の意見を言ってるわけだから。
何で偉い先生の意見を丸呑みしないといけないの?
君は自分で考える力がないアホなの?
57日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:37:50.17
>>45
弥生絹は知ってるよね?
畿内で絹が出るのは古墳代だけど弥生時代の絹はどのように認識されてるのかな?

http://trg.affrc.go.jp/v-museum/history_text/history06_t/h06t_01.html
「養蚕は、弥生時代中ごろには日本に伝わったとされている。
吉野ヶ里遺跡(佐賀県)からも、さまざまな織り方の絹織物や、日本茜や貝紫で染色されたものがみつかったことから、
このころすでに高い技術があったことがわかる。
最も古い絹が、弥生時代中期の遺跡から発掘されていることから、
弥生時代の中期頃にはすでに北九州において養蚕が行われ、かつ楽浪系の三眠蚕が飼育されていたとみられる。
あるいは四眠性の蚕も一部飼育されていたかもしれない。」
これでいいかな?

北部九州の弥生絹は半島からの輸入製品じゃなく、地元で養蚕して織った布だよ。
桑もよく育つしね。
http://www.kyushu-brand.co.jp/SHOP/young-mulberrytree.html

それで邪馬台国と同時代に、畿内に絹はなぜ無かったの?

少なくとも北部九州の絹は邪馬台国時代に畿内には一切運ばれてなかったんだね。
対馬〜糸島などの比定から畿内説だろうと関係なく「北部九州が邪馬台国に含まれことが確実視されてる」わけだけど
それでも畿内は邪馬台国の都だと思うの?
もし絹が都にとって価値がないものだったなら、そんなものを魏や晋に贈ったの?
58日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:39:23.10
>>51 あ安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>俺は九州系瀬戸内海人説(吉備や播磨)なのだが何か矛盾してるのかな?

矛盾と言う前に根拠が無い
東征ルート上に後世の氏族の分布を重ねただけの話

それらの地にいる海人説が自分達は九州からやってきた同族だという共通意識をもって
海運ネットワークを形成してたというような根拠でもあるのか?ゴミカス

百億歩譲ってやって九州から来た末裔がそれらの地にいて
文物の移動にコミットしてたとしてそれは東進の話で

お前のようなキチガイが妄想する一大征服劇とは全く関係ない

>もはや新王朝と言うしかないじゃん。

ヤマトにおこったそれを新王朝と言うのはお前の勝手だが
それが外部からやってきた根拠が無い

古墳文化は一つの勢力で説明がつかない し
まして九州の墓制は根本的に違う
埋葬文化の共有による連合体の形成なんて発想自体がない

あと墓制の連続というのなら上に周溝墓を出しておいた
(と言うか直ぐ上なんだから気づけよアホが)

東遷のゴールである大和にその根拠がなく
スタート地点すら分からず単に
「九州の方からやって来ました」
としか言えないんじゃあ話にもならない

単に「神話が現実だったらいいな」という願望をグズグズ言ってるだけ
59日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:41:34.03
朝鮮蚕の絹なんか中国に贈っても、ただのボロ布だろw
60日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:47:52.39
>>58
>矛盾と言う前に根拠が無い

上記の弥生時代の鉄の出土量で充分。
鉄を制す者が王権を打ち立てた。
それがホケノ山という王墓で大量の鉄具が出る証拠。
北部九州人だろう。

>あと墓制の連続というのなら上に周溝墓を出しておいた

周溝墓なんて全国的にあるわけだが?
前方後円墳が王墓というなら、同時代の周溝墓は劣位の者というわけだね。
じゃ在地の首長は前方後円墳を立てた外来王の配下の者というわけだね
61日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:48:21.79
絹はまあ西日本だろな
戦国時代ころですら東日本は上布(麻)ですからな
62日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:49:51.10
オバマにキムチをお土産に持たせるようなもんだろw
63日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:54:34.73
まあ得意気になってるなお前らってさw
下手すりゃお前らって中国の奴隷だったかもしれんが?
64日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:55:35.33
>>57
言っとくけど私は邪馬台国北部九州説派ではあるけど、
関西人だし「纏向が都だ」と言うことも否定してない。
ただごっちゃにするなと言うこと。

纏向は天皇を中心とした全国的な合同王権である「ヤマト王権」すなわち「大和朝廷」の首都だ。
北部九州の邪馬台国は外国勢力の魏を後ろ立てした、ある意味合同王権に敵対するローカルな勢力だ。
そこをまず正しく認識しないといけない。

それを理解していたら「畿内が邪馬台国」というナンセンスな発想に普通に違和感をもつだろうし
実際文献上も考古学上も「そうなっていない」という当たり前の事実に安堵を感じるだろう。
65日本@名無史さん:2014/05/31(土) 16:57:18.27
後ろ立てが使う国名が【奴】かよw
66孝霊厨:2014/05/31(土) 17:01:07.25
倭人伝に鉄が多いなんて記述はないしな。
あれは安本一派の詐欺的理論。
67日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:01:23.02
>>65
「中国の朝貢国に戻れば?」って韓国の首脳に面と向かって言うのがシナだし
違和感ゼロ。
68日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:01:35.76
>>60 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>上記の弥生時代の鉄の出土量で充分。

文物の東進現象の範疇
それをやれ特定の氏族が運んできただの東征の証だのというのは全く根拠が無いアホの戯言
じゃあ稲作文化が入ってきたら東征されたってことか?ゴミカス

>周溝墓なんて全国的にあるわけだが?

何か問題があるのか?ゴミ
別にそれが大和オリジナルでなくても弥生時代から継続してるのであれば
埋葬文化が根こそぎ変わったと言うわけじゃないという材料にはなる
もう少し考えてからものを言え池沼

>前方後円墳が王墓というなら、同時代の周溝墓は劣位の者というわけだね。
>じゃ在地の首長は前方後円墳を立てた外来王の配下の者というわけだね

その上下の階層は間違いないだろうしその可能性はあるだろうが
階層化の原因が外来勢力お前の言う「征服王朝」 でなければならない必要はない
ましてそれが九州に特定できる材料なんて無い

お前は古代史とか言う前にきちんと道理を通してものを言う事を学習してこいゴミカス
69日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:04:48.56
>>66
記述はないから「ない」はアホのいう事。
北朝鮮の白頭山が10世紀に地球的規模の大噴火をしたが、
中国史書には「ない」ので「ない」のかな?
70日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:08:52.25
九州には何でもあるw
書かれてないだけw
71日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:09:32.48
>>66
倭人伝では「兵には矛・盾・木弓を用う」なんだよな。
なんで剣がないの?って不思議に思うが、
弥生時代後期の銅矛文化圏も九州北部が中心で、どうみても畿内じゃないんだよな。
http://syoki-kaimei.blog.so-net.ne.jp/_pages/user/iphone/article?name=2011-08-08-1

鉄矛文化は
72日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:11:43.16
朝鮮ポコだろw
73日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:16:35.17
74日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:19:24.30
>>68
>それをやれ特定の氏族が運んできただの東征の証だのというのは全く根拠が無いアホの戯言

何度も言うが史実というのは考古と文献史が一致する事。
おまえも筑紫の要素があると認めたのだから、
それは記紀の東征と一致する。
逆にお前の言ってることには全く文献史的根拠がないのだが?


>別にそれが大和オリジナルでなくても弥生時代から継続してるのであれば
>埋葬文化が根こそぎ変わったと言うわけじゃないという材料にはなる

奈良に有年原田中遺跡のような円に突起がついた周溝墓でもあれば、
ヤマト文化が継続発展したと認めてやるが残念だな。

で、

石庖丁(いしぼうちょう)
木製農耕具

の唐古鍵と纏向遺跡の何が一致してるの?

石庖丁ってwwwwwwwwww
75日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:21:39.68
倭国大乱の時代に、
石庖丁で鉄器軍団に勝ちましたって?

wwwwwwww

腹が痛い!wwwwww
76日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:24:08.73
>>64
>北部九州の邪馬台国は外国勢力の魏を後ろ立てした、ある意味合同王権に敵対するローカルな勢力だ。

まあそれが現在の九州説の基本だろうな
(この板じゃあ少数派なのがあれだがw)
が残念ながらそれを示す資料がない

弥生時代大陸との交渉の主体であった玄界灘周辺地域にそれを求めるなら
十分に説得力があるだろうが

残念ながらいくら弥生期に繁栄していても
それは伊都国であり奴国でありすくなくとも邪馬台国ではない

そうするともう畿内ヤマトを中心とした連想帯しか無い
一択状態
77孝霊厨:2014/05/31(土) 17:29:54.16
「ない」ではなく、鉄については一ヶ所書かれてあるだけなのに、
殊更強調する手法はミスリードそのものだからな。
それがいつの間にか無敵の鉄器軍団になってる時点でダメダメw
78日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:30:02.15
>それを示す資料がない
邪馬台国は外国勢力の魏を後ろ立てした→魏志倭人伝

最新の考古学資料から、三角縁神獣鏡が卑弥呼が贈られた鏡も否定されてるし
そもそも畿内を示す記述が何も無い。
植生も気候も風俗も北部九州だけで畿内やその道中の記述すらない。
畿内に合同王権が成立したことは遺跡や出土物から説明が付くが、
邪馬台国や卑弥呼となると「何も関連するものが一切見つかっていない」ことは
纏向遺跡発掘の主査が述べた通りだ。
79日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:32:54.92
>>77
弥生時代の鉄の出土量で福岡や熊本が畿内を圧倒してるのだから仕方ない。

奈良の石包丁集団など敵ではない。
80日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:35:25.20
>>76
最新の考古学資料から、全国から炊飯土器が纏向に集まる中、(邪馬台国に確実に含まれている)北部九州だけが見られないことが明らかになったというのが
現状。

つまり「畿内ヤマト一択説は、現実的でなくもう古い」ということ。
81日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:37:31.15
>>74 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>おまえも筑紫の要素があると認めたのだから、
>それは記紀の東征と一致する。

「文化の一要素」「東進現象」を認めることが何故
「九州からやってきた鉄器軍団の征服劇」なんて与太を認めることになるんだキチガイ

稲作が伝わったので東征されました
銅鐸が伝わったので東征されました
前方後円墳も吉備要素があるので吉備に東征されました

キチガイの言うこと真に受けてたら
何の根拠もない

>逆にお前の言ってることには全く文献史的根拠がないのだが?

神話も何もごちゃ混ぜにして兎に角書いてあるのだから史実
という前提で話を進めるのが文献史学と言わんだろうがよアホ

「オレサマ文献史」でチラシの裏にでも書いておけゴミカス
82日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:38:46.26
北部九州は丹山もないし冬寒いなw
やはり高知か阿波だろう。
83日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:41:32.18
阿波といったら田村神社v(^.^)

祭神でたしかに倭トトヒモモソ姫でてくんね
84日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:43:06.14
織田信長の劔神社は祭神が素戔嗚命なんだね
85日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:44:28.92
>>81
>「九州からやってきた鉄器軍団の征服劇」なんて与太を認めることになるんだキチガイ

はぁ?記紀に東征かかれてますが?


>神話も何もごちゃ混ぜにして兎に角書いてあるのだから史実

はぁ?物部氏の実在を認めないの?
認めるなら祖がニギハヤヒやその子ウマシマジであり、
崇神4世紀前半からおおよそ6世代遡って、
ちょうど纏向石塚の時代に合致するわけだが?

考古学とも合うので全然神話ではございませんが?
86日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:46:48.56
>>78
>魏志倭人伝

循環論法の愚

>三角縁神獣鏡が卑弥呼が贈られた鏡も否定されてるし

三角縁神獣鏡を根拠って何時の時代の話だ?w

まあ製作地論争とは別に製作年代の話があって
更に画文帯神獣鏡がそれに先行するとなると年代的には卑弥呼の時代に届く
つまりお前の言うように邪馬台国の時代には既にヤマトは勃興してたということだな

>何も関連するもの

金印や封泥でもなきゃ関連があるかどうかなんて分からんだろうに
で、ここで
「鉄や絹なら九州にいっぱいあるぞー」

なんてレベルの話になるのかな?

3世紀という時代をヤマト王権が発生した時代と具体的に捉えておきながら
結局は弥生時代通しての九州の文物の豊富さで押し切るというレベルに落ちる

ここの九州説の限界だな
87日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:52:02.90
>>85 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>はぁ?記紀に東征かかれてますが?

神話にな
記紀に欠かれてたら皆史実か?東遷説カルト信者

>物部氏の実在を認めないの?

ある時代のある氏族の実在を認めたらその(神々に至る)系譜を認めなきゃならんのか?

東遷説はもうキチガイ御用達のカルト宗教だなwwwww
88日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:53:29.80
崇神は3世紀 はんこ恵まれたおひとだから
89日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:55:24.00
吾作 同行式 の半島風の画文帯神獣鏡の到着は4世紀
90日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:56:07.82
>神話にな

ここは日本史板。
考古や文献史(神話も含めた)を総合したものが史学。
考古の話に偏重したいなら考古学板へどうぞ。

遠慮なく消えてください。
91日本@名無史さん:2014/05/31(土) 17:59:57.94
>>87のゴキブリは、
命(みこと)と付いてるだけで、
やれ、これは神話だ、
これを史実とするのは恥ずかしい、
人に笑われるぞ、なんて思ってる小心者。

どうぞ消えてください。
92日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:00:55.62
>>90
「総合」と言うのはごちゃ混ぜにしてかまわないという意味かな?

なるほど東遷説なんかそういう設定でないと成り立たないがw

仮に神話を対象としてもそこから歴史的事実を抽出する
少なくとも峻別するのが史学といえるものだと思ってるので

俺からすればその峻別区別すらできないやつっこそここから消えてほしいな

何処がいいだろうか?マンガ・アニメ・ラノベあたり?wwwwwwwwww
93日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:03:07.63
水平社運動だなw
94日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:04:45.19
>>92
崇神4世紀前半とすれば、
世代数から神武やニギハヤヒやウマシマジの時代と合う。
纏向石塚の時代と合う。

これは仕方のない事。

神武紀元前660年と思ってるなら神話だろうが。
95日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:06:46.83
纏向石塚は妄想ででっちあげた前方後円墳
96日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:11:26.98
まあ古墳が作られたのが4世紀から6世紀だからな
そのあとは主に京や奈良を中心に寺社や寺院などが8世紀ころまで作られます
97日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:13:21.31
前方後円墳の認証がもらえると前方援助交際のが容易
98日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:14:15.30
まあ仮に東遷説をとるにしても俺なら真っ先にその候補から九州は外すwwwwwwww

それは何も 安曇厨 の「畿内人死ね死ね」というようなゲスな
九州に対する恨みつらでもなくて

 ・単純に距離が遠い瀬戸内横断するまでの合理的理由が見当たらない
 ・墓制の根本的違い前方後円墳のような埋葬文化の共有という思想がない
 ・九州的要素もホケの以前の物にそれらがないと思われるものがあり
  突起付き円墳という形状を吉備にルーツを求めるなら吉備の方が先だと言わざるをえない
 
…等々

結局東遷厨は「記紀に書いてあるから!」という教条wに戻るんだが
始祖神話として見るなら始祖が外からやってきたなんて珍しくもなんともない

まあ東遷厨は兎に角東遷軍団wの出発の地を見つけてこいwwwwwwww
99日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:24:52.85
おそらく沖縄の海底遺跡だろうな
100日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:27:36.70
>>99
人間の背丈超える「階段」があったんだっけ?w

九州鉄器軍団は「進撃の巨人」っすか?

そりゃ瀬戸内も無人の野を往くが如しだわなwwwwww 
101日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:36:34.88
>>98
>・単純に距離が遠い瀬戸内横断するまでの合理的理由が見当たらない

鉄の見返りは莫大な富か、あるいはそのままその土地の支配者になったということだろうね。
ま、半島にまで渡って鉄を採ってた九州人にアドバンテージがあるわけだ。

>埋葬文化の共有という思想がない

ちょっと何言ってるかわかんない。

>九州的要素もホケの以前の物にそれらがないと思われるものがあり

唐古鍵の巴形銅器があるわけだが。
あと北部九州土器も。

>結局東遷厨は「記紀に書いてあるから!」という教条wに戻るんだが

否定するなら、何で7世紀後半あたりの大和朝廷が、
「嘘を書いたのか」という、万人を納得させる自説をどうぞ。

俺は東征があったと思ってるので説明する必要がないわけで楽チン♪www
102日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:37:03.10
水平社だのなんだのずいぶん巫山戯たものつくってんだよなw
あいつらって文豪の連中か?w
103日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:44:34.63
>>101
>「嘘を書いたのか」という、万人を納得させる自説をどうぞ。

神話を書いただけだなw

嘘とか事実というのは後世の人間の基準
まさか千年以上も未来にパンピーがネットや書籍で誰もがそれを見てああだこうだいう姿は想像だにしてなかったろうな

そもそも全て史実・嘘を書いてないというのなら天地開闢から全て事実という話

もうガキがダダを捏ねてる屁理屈にもならないレベル
104日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:47:09.22
ニライカナイのような共通した概念を持ってたのかもしれんな
105日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:49:12.10
>>57
関係ないことをべらべら喋り続けているが
「3世紀の北部九州で絹の生産がさかんだった」
と言い張る根拠はどうした?
必死で誤魔化してるとこを見ると、根拠がないんだな?

でまかせだったんだな、?
106日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:51:37.45
>>103
>>「嘘を書いたのか」という、万人を納得させる自説をどうぞ。

に対して、

>神話を書いただけだなw

などという情けない答えなら、
なぜ九州からの東征を書いてるのかという元の話に戻るわけで、
君はもう、本当にアレだな。
107日本@名無史さん:2014/05/31(土) 18:58:53.73
>>106
ん?じゃあ記紀の天地開闢から始まる全てが事実だとでも言うのか?w

まあ普通なら史実と神話の混在してる部分があって
東遷部分は史実だと主張する

でその立証の責務を負うわけだが
考古資料も出すもの出すもの全部ダメ(文化文物の東進の範疇)

で結局元に戻って

 「記紀は嘘を書いたのか」

という逆ギレの質問になるのなら
そりゃ循環論法だろうとwwww
108日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:01:02.47
>>80
同じその時代、畿内の土器がガンガン九州に進出してるのだから、やはり畿内一択
109日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:07:00.70
天地開闢話だって、現代科学があるから
否定できるんであって、現代科学抜きだと否定できんだろ。

で、神武東征話は否定できる強い根拠がありそうな感じがしないな。
110日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:09:00.84
>>104
>ニライカナイ

神武の兄で母の国にを目指して海原に消える話がそれっぽい気がするw
(嵐で大荒れを鎮めるため入水する話はチョット雰囲気が違う)

 ※因みにこうやって兄が皆死んで末っ子の神武が初代天皇になるが
  これは北東アジア・モンゴルとかに見る末子相続から来てるとも・・・

東征神話自体は北東アジア系だと思うがこうやってヒョコッと南方系と思われるものが顔を出すからややこしいwwwwwwww
111日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:10:16.86
畿内から九州へ、土器で何かが運ばれ続けてきたが、
九州から畿内へは土器のかけらが一つ出てきただけ。

鉄と同様に、九州から畿内へは、
ほとんど物流がなかったと考えて良いだろう。
112日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:14:13.97
畿内は九州の開墾地だから、農作物が九州に献上されて当たり前。
113日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:14:52.09
>>107
>ん?じゃあ記紀の天地開闢から始まる全てが事実だとでも言うのか?

何でそんな極端な話になるのだ?

例えばスサノオが実在したか。
しただろうというのが俺の答え。

神武やウマシマジが2世紀後半〜3世紀として、
そこから5世代前なら2世紀初頭の【倭国王帥升】に一致する。
また出雲から2世紀前半の楽浪の硯(すずり)が出てるので、
中国側にもスサノオが認知されてた可能性が極めて高い。

つまり、おまえが神話だなんだとけなしてる記紀が、
考古学と整合し始めてるのだ。

わかったか、ハゲ。
114日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:19:19.38
>>113 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>つまり、おまえが神話だなんだとけなしてる記紀が

あーキチガイの与太に全て付き合ってられんが
「神話だとけなしてる」と言うのはやめてもらおう

人聞きが悪いわwwwwww

神話はちゃんと「神話学」というジャンルがある

俺が馬鹿にしてるのはお前ら東遷厨の
 「オレサマ神話」「オレサマ神話学」
だからwwwwww
115日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:23:24.75
>>114
>俺が馬鹿にしてるのはお前ら東遷厨の
>「オレサマ神話」「オレサマ神話学」

オレサマ神話でなくて、
九州からの東征は、
記紀にちゃんと書かれてる事であって、
オレ個人が創ったオレサマ神話でないのだが?

何を言ってるのだおまえは。
116日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:26:56.76
>>115 
それを史実とし色々付け加えるのはお前のオリジナルだな

オリジナルじゃなかったら記紀神話ベースの二次創作w

まあビョーキな同人誌ですわwwwwwwww
117日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:30:14.63
>>116
ま、「東征がある」というのは一次的な話なのだが、
ぶざまな負け犬をいじめるのは可哀相だ。
これくらいにしておいてやろう。
118日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:31:57.66
東遷説はウ=ス異本か
119日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:41:04.28
倭人伝によると、漢の時代には既に百国を支配する大国が有ったわけだけど、記紀には全くそのことは記されてない。
天地開闢から始まる記紀は、百国のうちの一つが勢力を広げていった過程で、遂には前政権を倒して日本を再統一した、って話だろう
大国主、オオナムチっといった前政権の存在が垣間見える
120日本@名無史さん:2014/05/31(土) 19:58:24.75
>天地開闢から始まる記紀は、百国のうちの一つが勢力を広げていった過程で、遂には前政権を倒して日本を再統一した、って話だろう

まあナギ・ナミのペアが矛で何やらを撹拌して世界を創造するなんてのは
ヒンズーの神話にも見みられるような「乳海攪拌型」の神話

最初にもうけた子が不具というのもハワイにも類型が見られる
食物起源の話なら「ハイヌウェレ型」

・・・etc と神話学なんてものを知らない俺でも
それを安直に漢籍・倭人伝に合わせて解釈するような馬鹿なしない

九州説・東遷説の連中はこうやって「オレサマ神話(解釈)」作るのが好きだよなwwwww

古代史を「オレサマストーリー」を開陳する場と勘違いしてるフシがあるw
121日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:00:53.86
>>106
じゃ、北部九州からの東征なんて書かれてないから、そんな史実は無いということでok?
122日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:02:52.69
悪い、日本再統一に成功したのは東国の人物なんだが
123日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:09:31.35
畿内の土器がガンガン九州に進出してるのだったら

進出先のが九州限定というのがへん

ガンガン九州に進出とかならもそっと他所でも庄内のが出てもふつう

庄内のが育ったのは八尾周辺で

元だねは九州から渡来と考えざるを得ない

育ったの持参してわざわざ遠隔地墓参というストーリーもあるだろう
124日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:17:24.00
卑彌弓呼(素)と卑彌呼
違いは弓だけなんだよな
「ク」はアイヌ語で弓だな
やっぱ多孔銅鏃圏かなぁ
125日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:20:51.42
大陸・半島からの金属器の伝来で倭国の力関係が変わって、
金属器の入手に有利な西国の反乱で倭国は大乱してしまったけど、
最後に勝ったのが東国出身の、現天皇家。

その証拠は、新年最初の宮中の重大行事である四方拝で陛下が拝んでるのは東国の神社という事実。
126日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:21:47.10
壬申の乱ちょい前の関東への財の集り方はすごいよな
127日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:33:54.97
>>120が間抜け過ぎて笑える
128日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:34:17.32
蕨手刀が砂鉄原料だし、神津島見ても、砂鉄製鉄技術って元々南方ルートで
東国が手に入れたんじゃないかなって感じがするんだよな
129日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:38:20.80
>>126
まあ身も蓋もないが特に古代において 国力=人口 だろうからね

九州から稲作が始まっても弥生も末期になればほぼそのアドバンテージ無いだろうし
そもそもパンピーに至るまで米で腹いっぱい食えるはずもないw
130日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:45:21.93
ママァ、ここは畿内説板なのにどうして東遷説の人が攻めて来ているの?。
それはね、坊や、ジョーカーという人がわめくので、付け込まれているのよ。
ふーん、畿内説の人って、恥ずかしいね。ぼく成りたくないよー。
131日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:45:52.72
水稲は弥生前期に青森西部まで行ってるからね
132日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:47:11.11
ヤマトタケルが他地域ではなく常陸に向かったのは里帰りだったのかな
133日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:50:54.25
常陸の国が重要な地域だったとすると、常世の国の正体も想像に難くない
134日本@名無史さん:2014/05/31(土) 20:52:25.73
鹿島はなぜこんなに信仰されてるんだろ?
135日本@名無史さん:2014/05/31(土) 21:11:47.92
久米歌に「韮」があるけど、ニラは外来で
万葉集には一首だけ
 伎波都久の岡のくくみら 我れ摘めど
     籠にも満たなふ 背 なと摘まさね
この伎波都久の比定地は茨城県真壁郡付近と
島根県益田市、万葉の時代、鎌手付近の山は伎波都久の岡と呼ばれていた
の2説だな
136日本@名無史さん:2014/05/31(土) 21:50:34.89
大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)=孝安天皇=国 王 師 升 等 くにおしひと  『漢書』

倭人伝 

トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后「氷羽州比賣命」
三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃「美波迦斯毘賣命」
四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」

欠史8代神代は実在。
137日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:00:30.87
九州か畿内かで争ってるのってホント虚しいよな
どちらでもないんだから
138日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:01:19.71
師升は天皇家と無関係。
あれは、面土国(メタ国)の王だから
筑紫の米多国(メタ国)の領主。
今の吉野ケ里遺跡のあたり。
139日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:03:51.35
>>136
それも間違いと思う。
魏志倭人伝に登場する名前の官は
あくまでも、臣下たちであって

トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后「氷羽州比賣命」
三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃「美波迦斯毘賣命」
四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」

みたいなことは、絶対にない。

該当するのは、新撰姓氏録に記載されている
崇神時代の前後の貴族に適当なのがいるだろう?
140日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:22:56.97
>>138
>>139

お笑い
141日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:38:14.08
>>128
砂鉄製鉄技術は、今の所、最古は3世紀の徳島の遺跡から。
142日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:45:44.94
難升米は魏から製鉄の技術も教えて貰えたのか
143日本@名無史さん:2014/05/31(土) 22:50:04.71
>>139
崇神前後の貴族って誰と誰?
おしえて〜〜♪
144日本@名無史さん:2014/05/31(土) 23:27:27.67
>>141
徳島で?
145日本@名無史さん:2014/05/31(土) 23:39:04.21
>>144

矢野遺跡
146日本@名無史さん:2014/06/01(日) 00:54:39.93
砂鉄の壷?
147日本@名無史さん:2014/06/01(日) 01:10:06.97
>>105
畿内では古墳時代から絹が出ず、北部九州では弥生時代中期や後期、末期でも絹がでてる。
ああ、つまり古墳時代も3世紀後期じゃないかということ?確かにな。

では、北部九州では弥生時代中期や後期、末期でも絹がでており、畿内では古墳時代からしか絹が出ていない
に訂正する。
148日本@名無史さん:2014/06/01(日) 01:33:37.31
>>123
どうして「へん」なの?
進出しなきゃ海外貿易を独占されちゃうでしょ?
他の地域には進出する必要はない。ニーズがないから。
だから、博多湾岸に一大率を「特に」置いた。
149日本@名無史さん:2014/06/01(日) 01:36:47.59
>>147
末期にどこから?
150日本@名無史さん:2014/06/01(日) 02:27:20.81
151日本@名無史さん:2014/06/01(日) 02:28:09.56
>>149
それで畿内の絹はどうなってるんだよ。
152日本@名無史さん:2014/06/01(日) 02:47:40.38
つまり、これっぽっちになってしまっているのさ。
これでもまだ、3世紀の北部九州で絹なの生産がさかんだったと言い張る?
153日本@名無史さん:2014/06/01(日) 02:49:00.92
纒向遺跡から絹がでているよ。
154日本@名無史さん:2014/06/01(日) 08:56:53.32
弥生期には九州で二十近く絹が出土する。
畿内では、古墳時代の初期に五ヶ所ほど出土するが、
方格規矩鏡や内向花紋鏡など、九州の影響が強いものが、
同伴して出土する。

古墳時代に入ると、山陰からの絹の出土もおおく、
鉄と絹が九州から伝わってきたような
印象を受ける。
155日本@名無史さん:2014/06/01(日) 10:09:38.63
>>154
> 弥生期には九州で二十近く絹が出土する。
> 畿内では、古墳時代の初期に五ヶ所ほど出土するが、
> 方格規矩鏡や内向花紋鏡など、九州の影響が強いものが、
> 同伴して出土する。

「九州の影響が強い」

方格規矩鏡や内向花紋鏡は九州起源か?
その論法は、かの国の論理と同じだぞ。
156日本@名無史さん:2014/06/01(日) 10:21:44.63
糸島の三雲や曽根、平原は鏡大好きなクニで、
数十枚の方格規矩鏡が出たり、
内向花紋鏡を魔改造して、
大型内向花紋鏡に走ったりする。

ごく僅かながら、数カ所で
絹に包まれていたらしい方格規矩鏡や内向花紋鏡が、
畿内でも見つかる。

それらが埋納されていた古墳は、手鏡型、バチ型など、
いわゆる前方後円墳の系譜とは少しずれている
ところがある。
157日本@名無史さん:2014/06/01(日) 10:39:41.12
>>153
纏向の巾着状絹製品は3世紀後半から4世紀初め。
http://www.city.sakurai.nara.jp/section/maki_c/info/iseki.html
158日本@名無史さん:2014/06/01(日) 10:40:26.01
巻向から出土した絹はたしか天蚕だったはず。
いわゆる魏志倭人伝に書かれている家蚕ではないと思われ。
159日本@名無史さん:2014/06/01(日) 10:44:08.40
>>152
だからこれ見ろって。
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/kinu.htm
畿内には古墳代以前には、これっぽっちもない。
160日本@名無史さん:2014/06/01(日) 11:34:25.32
平原の姉妹鏡をセットで大量に出す大和天神山を弥生墓と看做すと
庄内期の絹の出土例となり
畿内の弥生時代の絹の出土例が1件

埴輪になりきれていない「二重口縁壺期」の桜井茶臼山の方形壇の部分は
森氏によって「形と規模が弥生中期から出現する方形周溝墓に類似」といわれちゃってるけど
方形壇の部分を弥生墓と看做すと
庄内期の絹の出土例となり
畿内の弥生時代の絹の出土例が1件

「弥生時代」というのは土器の編年だから
「弥生時代」につづくのは「古墳時代」では半端というもので
本来なら土器の編年でおかわりをやらかすべきで

「弥生時代」--過渡期の「二重口縁壺期」--「埴輪時代」

のがお薦め
161日本@名無史さん:2014/06/01(日) 11:42:02.46
>>160

何の論証、考察も無しに「看做」しちゃいけないな。
162日本@名無史さん:2014/06/01(日) 12:00:14.01
「古墳時代」とかもおやめたら

憶測で前方後円一色に染まるとかもおそおしてもむだとゆうもの
163日本@名無史さん:2014/06/01(日) 13:08:46.72
>>161
>>160 >>162
いつもの前方後円墳否定厨
日本語おかしいしまともじゃない
レスつけても無駄ですよ
164日本@名無史さん:2014/06/01(日) 13:34:09.59
朝鮮の産物なら北部九州だよなw
165日本@名無史さん:2014/06/01(日) 14:47:03.90
直感と願望から粗雑に弥生墓を前方後円墳と看做して適当な復元をするのはよいのか?
166日本@名無史さん:2014/06/01(日) 15:05:22.07
無知と妄想から勝手に前方後円墳を弥生墓と断定して適当な主張をするのはよいことではありませんね
167日本@名無史さん:2014/06/01(日) 15:06:33.64
日本人が地中レーダ探査で調査しているので
異人は余計なことを考えなくてよい
168日本@名無史さん:2014/06/01(日) 15:19:50.11
http://file.sumikouken.blog.shinobi.jp/bdd4a3a1.jpg

これあたりのはピークに方形のがありまして発掘したらこれこれだけで良いのだ

どおせ大開発の時代とかに周囲削り取られてからに

支尾根先端が削り残されてこんなざまになっちゃったんだろうて
169日本@名無史さん:2014/06/01(日) 16:11:11.06
桜井茶臼山では葺石が見つかってるぞキチガイさん
170日本@名無史さん:2014/06/01(日) 16:37:55.91
墳丘は、南にある鳥見山から北へのびた尾根線を切り離し、成形して基底部とし、
その上に東西の谷を掘削して得た土砂を盛り上げて築いたものです。

って書いてあるけど「切り離し、成形」の削りのほうのがメインなんだろ

葺石基底部発見とかって、後の世の農民がさらに削り取って耕地化したときに

崩れるとまわりが五月蝿いから石積んで崩れ対策したとかなのかもしれないし。

さらに後の世の農民が欲張って東側くびれのところ削り取っちゃって耕地化。
171日本@名無史さん:2014/06/01(日) 17:05:00.23
日本のことはいいから、三流祖国の心配でもしてろよw
172日本@名無史さん:2014/06/01(日) 17:45:06.06
「南にある鳥見山から北へのびた尾根線を切り離し」

って簡単にいっちゃっているけど

尾根線を切り離すというのがこれ大仕事

はるか後の世になってから尾根線を切り離して

湿地のぢめぢめして水のつき易い所を安定した耕地化してるんだろう

お墓がなされた4世紀のを脳内で映像化しちゃうと

鳥見山から北へのびた尾根線がつづいておって

その尾根線の最北端の高所に王墓と称するに値する遺物を伴った方形のお墓があった。
173日本@名無史さん:2014/06/01(日) 17:50:04.91
あんたの主張には自分の妄想しかなく第三者が確認できる観的事実をなんら提示できていない
それで発掘調査の結果を本当に否定できると思っているなら病院に行った方がいい
174日本@名無史さん:2014/06/01(日) 17:50:31.48
国(故郷)に帰ったほうがいい

帰ればええやん

帰ったほうがいい

帰ればええやん
175日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:00:18.78
負け犬の遠吠えですねw
176日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:02:15.63
それぞれの古墳にも千数百年に及ぶヒストリーがあるんだろ

もとのがこおいう形でって妄想してからにそれが不変で多少は崩れて多少は破壊されたとかいっても

古墳学のは江戸時代あたりからの前近代的特性保存しちゃっているから

古い時期のが完璧な形態でそれがだんだん劣化するといった

無意識下の尚古の発想から卒業しきれながちだって

もっと厳密にやらかしたらって苦言を呈しているだけだから

あたりまえなこといってるだけだからまあきにするなや
177日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:05:38.67
妄想を語る前に各古墳の発掘報告書くらい確認しておきましょう
それもせず、ただただ自分が正しいと連呼するなら、それはキチガイと呼ばれても仕方ないレベル
178日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:05:47.82
テレビ見てる?
179日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:07:07.36
いつまで負け犬だのわけの分からないこといってんだ?
180忘れてた:凍けつ拳:2014/06/01(日) 18:07:38.83
テレビ見てる?
181日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:07:54.19
>>176
あたりまえのことをしていないのは
どう考えてもお前の方だけどな
182日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:11:29.01
touketuken「はやく帰ったほうがいい」
     「病院にいったほうがいい」
183日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:18:44.53
もっと厳密にやらかしたらって苦言を呈したりしちゃだめなの?

まあ

まともな考古学専攻のおひとは汚物みたいな広告塔なんかはしない

はるか離れたドブから出た土器悪用して故意に古くいいふらしたりはせんだろうけどね
184凍結拳:2014/06/01(日) 18:20:04.92
嘘はいけないよ
185日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:23:34.86
>>183
あんたが確認しようとしてないだけ

厳密さを求めたいといいながら桜井茶臼山や大和天神山を厳密な検討をせず弥生墓と言うことも厳密さを
186凍結拳:2014/06/01(日) 18:24:12.62
何度も言っている
187日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:25:14.77
推敲中に投稿しちまった

>>183
あんたが確認しようとしてないだけ

厳密さを求めたいといいながら桜井茶臼山や大和天神山を厳密な検討をせず弥生墓と言っている
あんたのやってることは単なるダブスタ
188日本@名無史さん:2014/06/01(日) 18:27:28.90
弥生のいみのがちがうからええのよ
189日本@名無史さん:2014/06/01(日) 19:00:08.06
卑弥呼=モモソ媛命ならば、
考古学者の先生も、あんまり空想で物事を語らずに
記紀などの文献を参考にしたら良いのに。

狗奴国についても、卑弥呼の死の直前に戦った相手だろう?
だったら、モモソ媛命の死の直前に戦った相手は誰か?ってこと。
それが、狗奴国の王の可能性が高いだろう?
190日本@名無史さん:2014/06/01(日) 19:51:12.36
キチガイ振りが半端ないな
191日本@名無史さん:2014/06/01(日) 19:54:45.16
卑弥呼=モモソヒメってのは違和感がある。
日本書紀のモモソヒメは、三輪山神話から採用された祭祀女王で、
男系用にかなり改変されてるだろうからな。

真モモソヒメ伝承は、吉備から来た媛が大和で共立され、
オホモノヌシと神婚。しかし東海=狗奴国=崇神以下柳本の王統に攻められる。
結果的に、モモソヒメが女王だったという系譜は消された?
192日本@名無史さん:2014/06/01(日) 20:02:11.84
6月4日『歴史秘話ヒストリア』に糸島登場。
http://www.city.itoshima.lg.jp/soshiki/67/histria.html


卑弥呼の王宮跡では?と有力視されている奈良県纏向遺跡と、
弥生時代に歴代王のもと「国際交流の地」として繁栄した伊都国の遺跡群を比較。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

まぁどっちも違うだろうけど。
193日本@名無史さん:2014/06/01(日) 20:29:45.04
>>192
以前松平アナのやった番組じゃ九州は吉野ヶ里が出てたと思うが
それからすれば進歩したというか趣味が良いwwwww

弥生の都と古墳時代の都の比較になるからなw
194日本@名無史さん:2014/06/01(日) 20:48:27.13
>>193
北部九州には違いないが、伊都国も奴国も交易の玄関口であって、ここに都を築いてたら朝起きたら外国の軍船に囲まれてたということも有り得るからな。
せめて山地の裏側だろう。

それに水生種族の倭人は道路より海・河沿いで交通網を持ってただろうし、やはり有明海、筑後川、矢部川沿いだろうな。
https://www.google.co.jp/maps/@33.2167433,130.4716563,12z/data=!5m1!1e4
それにしてもなんちゅー水路網なんだここは。
195日本@名無史さん:2014/06/01(日) 20:59:30.26
>>194
>水生種族の倭人

クトゥルフ神話は板違いですよ
196日本@名無史さん:2014/06/01(日) 21:06:13.80
現在の地形だけで妄想してもなw
197日本@名無史さん:2014/06/01(日) 21:17:32.90
>>195
今では種族というとファンタジー扱いになるんだな。

民族とも氏族とも違うし、強いて言えば部族になるのかな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E6%97%8F

ちなみに大陸人がイメージしてきた倭人はこんな感じだ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E4%BA%BA

それによく倭人は海洋民族(部族)とかいうけど、稲作中心なんで塩水の海だけでは生活できず、
必ず淡水の河湖池沼のほとりに住むので海洋というより水生の部族ということ。
198日本@名無史さん:2014/06/01(日) 21:22:15.60
>>196
水路はともかく地形は変わらんだろ。

この水路は近代か江戸時代にできたんだろうか?
かなり計画的だよね。
古墳時代以前にはどんな状態だったか知りたいところだ。
199日本@名無史さん:2014/06/01(日) 21:28:46.88
海岸線くらい調べろよw
200日本@名無史さん:2014/06/01(日) 21:32:30.14
201日本@名無史さん:2014/06/01(日) 22:09:06.59
夜刀神と八十神って同一っぽいな
202孝霊厨:2014/06/02(月) 06:48:56.28
推測するにせよ当時の地形、海岸線位把握してないとな。
畿内だと当時の外洋船発着場所は現在の八尾〜柏原市辺りとなる。
つまり現奈良県からみても海はとても近い位置にあるという事。
その辺りは弥生中期の時点で大規模な方形周溝墓が存在したり、
後に物部氏の本拠地と称される場所でもある。
地名の相似もあり奈良盆地とは一体と一帯と考えてよい。
203日本@名無史さん:2014/06/02(月) 08:29:58.27
>>191
違和感なんて、ちっともないよw
モモソ媛命の同母弟や伯父さんは
吉備の領主になっているし。
204日本@名無史さん:2014/06/02(月) 09:23:12.51
>>202
200年頃の海岸線は
現在に比べてだいたい何mほど上昇していたとみればいいんだ?
4mぐらいな感じ?
205日本@名無史さん:2014/06/02(月) 10:14:28.89
海水準変動より淀川水系の沖積なんだけどな
206日本@名無史さん:2014/06/02(月) 10:46:07.69
>>203
だから何?
207日本@名無史さん:2014/06/02(月) 11:19:35.19
卑弥呼=モモソヒメには違和感がない
208日本@名無史さん:2014/06/02(月) 12:53:36.32
崇神も、崇神に絡んだ人物たちの墓も、ほぼ3世紀末〜4世紀前半に集中。
モモソ姫だけ3世紀中頃にはなるまい。
209日本@名無史さん:2014/06/02(月) 13:10:34.27
また根拠もない願望かよw
210日本@名無史さん:2014/06/02(月) 13:59:54.32
崇神の墓の有力候補、行燈山、西殿塚 4世紀前半
武埴安彦の墓の有力候補、椿井大塚山 3世紀末
吉備津彦の墓の有力候補、中山茶臼山 3世紀後半〜4世紀
四道将軍関連の新潟・城の山、会津大塚山  4世紀前半

モモソ姫だけ3世紀中頃にはなるまい。
211日本@名無史さん:2014/06/02(月) 14:11:44.25
また根拠もない願望かよw w
212日本@名無史さん:2014/06/02(月) 14:12:50.16
オレ様は正しい
なぜなら、オレ様は正しいからだ

  ・・・の典型。
213日本@名無史さん:2014/06/02(月) 14:18:22.49
「また根拠もない願望かよ」
という何の根拠もない願望かよww
214日本@名無史さん:2014/06/02(月) 14:22:06.42
あわれだな
215日本@名無史さん:2014/06/02(月) 16:06:56.65
反論できないやつはあわれだな
216日本@名無史さん:2014/06/02(月) 17:08:02.39
>>204
それは縄文海進。
みんなが言ってるのは、堆積作用で湾内や河口が埋まって陸になったってこと。
217日本@名無史さん:2014/06/02(月) 18:36:40.43
>>215
あれれ、>>212が痛烈な反論だろ
218日本@名無史さん:2014/06/02(月) 18:42:29.49
>>210
それだけでも崇神より年上のモモソが
三世紀中頃活躍したの人物の可能性は充分あると思うが。
219日本@名無史さん:2014/06/02(月) 19:09:27.63
>>218
どうして?
モモソの弟の吉備津彦がモモソ死後のおおよそ40年後、
崇神が60年〜70年後に死亡したとでも?
当時の平均寿命は40歳にもみたない。
そんなわけがないだろう。
220日本@名無史さん:2014/06/02(月) 20:35:58.91
西殿塚は4世紀前半じゃないし
3世紀後半〜4世紀は箸墓築造年代のおおよそ40年後でもないが。
221日本@名無史さん:2014/06/02(月) 21:04:51.55
西殿塚を3世紀後半〜4世紀として、
卑弥呼の死を248年としたら、30年〜50年後だよね。
西殿塚を崇神墓とするのは無理っぽくなるが、
大神神社を祀らせたのはモモソ姫だし、
崇神の現役時代まで生きてたわけだろ。
モモソを卑弥呼にするのは無理だよ。
222日本@名無史さん:2014/06/02(月) 22:31:52.46
>西殿塚を3世紀後半〜4世紀として、
>卑弥呼の死を248年としたら、30年〜50年後だよね。

おまえ・・「さんすう」出来る?
223日本@名無史さん:2014/06/02(月) 23:10:12.64
>>222
それはおまえだ。
怖がって出し惜しみせずにしっかりした編年を出してみろ。
248年没の卑弥呼=モモソ姫として、
何で60年近くも崇神が治世行ってるんだよ。
いい加減にせい。
224日本@名無史さん:2014/06/03(火) 00:45:56.30
「飛」の略字は「升」

難 升(飛) 米
ナ ト    メ

国 王 師 升(飛)等  『後漢書』
國 王 師 升(飛)至  『翰苑』
クニオ シ ヒ   ト = 国押人命 = 第6代孝安天皇
 
大倭帯日子国押人命(やまとたらしひこくにおしひとのみこと)
=孝安天皇 = 国 王 師 升 等 くにおしひと  『後漢書』
翰苑では「後漢書曰、安帝永初元年、有倭面上國王師升至」やまと くにおしひと
等は「〜〜たち」の意味ではなく音。
トの音。だから翰苑では「至」イコール「等」
意味ではなく音。孝安天皇。
225日本@名無史さん:2014/06/03(火) 00:53:44.61
難升米 のは

那昇☀

那珂の昇るお日様 たるべし
226日本@名無史さん:2014/06/03(火) 01:02:34.15
難升※ 
227日本@名無史さん:2014/06/03(火) 01:08:15.67
だからどうした

と言ってるの
228227=凍結拳:2014/06/03(火) 01:10:46.79
「だからどうした」ではなかった

「それがどうした」
229227=凍結拳:2014/06/03(火) 01:13:58.04
あのスレッドを見たことがあるかな?

「アレ(ある生物)は寒さにも強いから」
230日本@名無史さん:2014/06/03(火) 02:22:03.84
>>223
小学生のさんすうも出来ないチエオクが
恥かいたことを怒鳴って誤魔化していますwww

3世紀後半〜4世紀が248年から「30年〜50年後」だってさww
231日本@名無史さん:2014/06/03(火) 05:45:18.23
大体吉備津彦の活躍が崇神より前とする資料もあるからな。
曖昧な部分が多いのに、編年や平均寿命を出す意味がそもそもない。
232日本@名無史さん:2014/06/03(火) 06:07:48.01
>>230
280年なら248年から32年で約30年。
300年なら248年から52年で約50年。

したがって30〜50年後だが?
何か?
233日本@名無史さん:2014/06/03(火) 06:36:16.94
251年なら248年から3年。
小学校へ帰れ。
234日本@名無史さん:2014/06/03(火) 07:18:00.14
>>233
3世紀後半から4世紀という話で、
何で251年などという年代を出してるのだ、おまえ。

まぁアホなんだろうが。
235日本@名無史さん:2014/06/03(火) 07:20:42.36
251年は3世紀後半だろ、小学生クンwww
236日本@名無史さん:2014/06/03(火) 07:53:44.75
何で今時「前後」で分けてるの、アホ?
251年は誰が考えても3世紀中頃というが?

アホ相手は疲れる。
237日本@名無史さん:2014/06/03(火) 08:17:01.98
235は朝からバカ。
多分今日一日バカなんだろう。
238日本@名無史さん:2014/06/03(火) 08:32:14.77
前半は前半分
後半は後半分
満足に日本語の読み書きも出来ないのかね、チエオクくん。
239日本@名無史さん:2014/06/03(火) 08:57:42.62
>>238
2元なんて今どきそんなやつはいない。
アホのくせに負け惜しみだけは一人前なのか。
3元で前、中、後とか4元で第1四半期や第3四半期とか、
さらに初頭、末などの分け方はあるけどな。
240日本@名無史さん:2014/06/03(火) 09:06:44.98
3元なら前葉、中葉、後葉というんだよ。
前半は前半、後半は後半。1世紀を半分づつだ。
「半」って意味、ワカル?
おまえ日本人?
241日本@名無史さん:2014/06/03(火) 09:16:12.07
屁理屈。
251年を後半とは通常言いません。
242日本@名無史さん:2014/06/03(火) 09:24:53.37
オレ様オレ様がただ言い張っても説得力ゼロ
243日本@名無史さん:2014/06/03(火) 09:28:09.68
で248年没の卑弥呼=モモソ姫は無理だね。

はい終わり。
244日本@名無史さん:2014/06/03(火) 09:42:52.47
なんの理由も言えない東遷厨あわれ
245日本@名無史さん:2014/06/03(火) 09:44:56.47
お歯黒の風習のあった近畿地方は黒歯国だったんじゃないのかな。
246日本@名無史さん:2014/06/03(火) 10:03:42.93
九州になかったの?
247孝霊厨:2014/06/03(火) 11:03:01.62
まぁ大和朝廷からみた卑弥呼像は百襲姫。
瀬戸内にいてヤマトに戻ったという具体的な伝承が存在してる点、
大物主との神婚や墓造りについての記述がある等、
一介の皇女でないのは明白な存在だろう。
248日本@名無史さん:2014/06/03(火) 11:50:34.02
3世紀後半というのは、第三四半期と第四四半期ですよね。
これは常識でしょう。
249日本@名無史さん:2014/06/03(火) 12:02:14.66
>>247
一介の皇女です。
モモソ=卑弥呼なら、死後の騒乱時の男王は崇神ということだね。
それでいいの?
250日本@名無史さん:2014/06/03(火) 12:11:53.96
どうして半神話時代の王統譜をまるごと信じるかなあ
歴史やる素養がないんじゃね?
251日本@名無史さん:2014/06/03(火) 12:18:44.97
>>250
じゃどうぞ退場してくれ
モモソであろうがなかろうが欠史8代時代の話なので仕方ない
遠慮なく出て行ってくれ
252日本@名無史さん:2014/06/03(火) 12:50:01.14
そんなこと、お前ごときに仕切る権利はないな
253日本@名無史さん:2014/06/03(火) 13:27:17.26
お前ごときにお前呼ばわりされる筋合いはない
254日本@名無史さん:2014/06/03(火) 13:51:34.74
じゃ、訂正
そんなこと、貴方様ごとき木っ端に仕切る権利はないな
255日本@名無史さん:2014/06/03(火) 15:19:59.88
百襲姫が崇神朝に活躍しているのなら崇神が孝霊の曾孫であるという系譜は疑わしい。
四道将軍伝承も踏まえると
孝霊・孝元・開化は兄弟もしくは従兄弟の間柄であるとみるべきではないか。
箸墓古墳が本当に百襲姫の墓ならその年代比定が間違っていることになるし、
年代比定が正しければ百襲姫の墓ではない。
256日本@名無史さん:2014/06/03(火) 15:40:07.77
孝霊の娘の百襲姫が孝霊の曾孫である崇神朝に活躍しているほうが疑わしいとは思わないの?
257日本@名無史さん:2014/06/03(火) 17:31:27.16
>>255
だいたい賛成。
崇神30歳と仮定して、1世代20年で2世代上で70歳の吉備津彦を四道将軍にするだろうかと思ってた。
258日本@名無史さん:2014/06/03(火) 18:08:14.55
系譜は疑わしいと言いながら
どうして百襲姫が崇神朝に活躍したことを疑わないの?
古事記には出てこないのに。
259日本@名無史さん:2014/06/03(火) 18:33:14.43
古代では14歳で元服して15歳で第1子ってことも珍しくもないだろうし、
30歳や40歳で側室との間に子供ができることもあっただろうし、
世代だけでは何とも言えないよ。
260日本@名無史さん:2014/06/03(火) 18:38:32.81
1代何年×n代で何百年・・とかいった年代決定法が如何にアホかといふことでつね?
そのとほりでつ
261日本@名無史さん:2014/06/03(火) 18:58:00.03
てか、記紀の皇統譜にかなり間違いがありそうだからな。
倭人伝では卑弥呼、台与と女王が数代?いた筈が、記紀ではマキムクの頃は全て男王になっている。
前期古墳も誰の墓か分からなくなってるし、八世紀の段階で、
伝承が誤って伝えられたり、混乱がかなりあった。
262日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:01:04.67
タケーのぅウチのツクネも、彼が超人的に長生きしたのではなく、別時代とされている人物が同時代を生きていた可能性が高い
263日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:11:56.53
>>259
だからこその平均ですよ。
264日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:18:34.53
そんなもん無力
母集団に信頼性がないのだから
265日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:28:12.23
平均重視したいのなら、継体よりも前の世代と継体以降の世代を比べるとはっきりするよw
266日本@名無史さん:2014/06/03(火) 19:37:50.72
>>264
そんな事言ってるから、古田のように、
継体以前は倍歴で神武は紀元前とかのアホ説がでてくるんだよ。
267孝霊厨:2014/06/03(火) 21:09:14.35
>>249
崇神をハツクニシラスとする集団が七世紀以降に
記紀を作成するのだから、全然問題ないと思うが。
仮に卑弥呼後の男王で国がまとまらなかったとしても、
その子孫、血縁者が後に権力者となったと考えられるだろう。
268日本@名無史さん:2014/06/03(火) 21:36:26.69
>>267
ちょっと何言ってるか分からない。
269日本@名無史さん:2014/06/03(火) 21:48:56.62
二倍暦言い出したのは明治時代の外人だと思う。
河西が書いた本に書いてあった。
270日本@名無史さん:2014/06/03(火) 22:26:06.22
25世天智天皇(生年626)から42世後白河天皇(生年1127)までは1世代平均29.47年
42世後白河天皇(生年1127)から72世今上天皇(生年1933)までは1世代平均26.87年
25世天智天皇(生年626)から72世今上天皇(生年1933)までは1世代平均27.81年
時代が古くなるほど1世代あたりの年数は長くなる

生年が確定している天智を起点に1世代29.47年で遡ると・・・
626 25天智 626-672
596 24舒明 593-641
567 23押坂彦人大兄皇子
537 22敏達 538.?-585.?
508 21欽明 509.?-571.?
478 20継体               (武烈)
449 19彦主人王     (清寧)(仁賢)
419 18乎非王       (雄略)(市辺押磐皇子)
390 17意富富等王   (允恭)(履中)
360 16若野毛二俣王 (仁徳)
331 15応神
301 14仲哀
272 13日本武尊
242 12景行
213 11垂仁  田道間守(たぢまもり)=難升米(タヂマ)
183 10崇神  四道将軍=倭国大乱
154 09開化 08孝元 07孝霊
125 06孝安 05孝昭
095 04懿徳
066 03安寧 02綏靖
036 01神武
271日本@名無史さん:2014/06/03(火) 23:30:37.39
まだやってんのかよ平均w
272日本@名無史さん:2014/06/03(火) 23:44:44.69
>>270
内容の分析をしなさい
273日本@名無史さん:2014/06/03(火) 23:58:01.08
>どうして半神話時代の王統譜をまるごと信じるかなあ

” 半 ”神話ってのが味噌だなw

まるっきりのデタラメでもないので自分の言うことも考古資料に裏付けされてるというやつが後を絶たないw

九州説の「暗号解読ゴッコ」を笑えないけど笑っちゃうwwwwwwwwwwwwwww
274日本@名無史さん:2014/06/04(水) 00:31:37.58
草多すぎ
275日本@名無史さん:2014/06/04(水) 01:09:34.52
その人に触っちゃダメ!
276日本@名無史さん:2014/06/04(水) 01:17:36.75
天皇在位期間とか言っている人は出雲大社宮司の千家氏が84代、天橋立の籠神社宮司の海部氏が82代、
この事実をよく考えてください。今上天皇陛下は第125代ですよ。
277日本@名無史さん:2014/06/04(水) 02:27:48.63
伝説の刀?を盗まれたのは、なんていう人なんだろう

「その刀さえあれば、モモタロウも瞬殺」
「まだ本気を出していないだけ」
278日本@名無史さん:2014/06/04(水) 02:55:22.80
同一人物だよ
279日本@名無史さん:2014/06/04(水) 08:13:27.90
記紀の伝える皇統譜が当てにならないから、
平均在位は意味がないっていう話だろうがW

モモソヒメが卑弥呼だったとしても、卑弥呼の次の男王が崇神とは限らない。
国を治めるのに失敗した男王は、歴史に残らなかったか、
後世、大王から外された可能性が高い。

大王墓の編年でいけば、箸墓の次は西殿塚だが、恐らくは台与の墓。

モモソヒメ自体が女王ではなく、単なる皇女扱いだからな。
280日本@名無史さん:2014/06/04(水) 10:42:03.42
モモソヒメが3世紀前半の人物だと思ってるやつは思考停止で楽でいいや。
281日本@名無史さん:2014/06/04(水) 10:49:13.02
>>276
ごまかすなハゲ。
お前が言ってるのは皇位数。
神武から今上天皇まで71世代。
実際は欠史8代が5世代ほどなので68世代くらいだろ。
282日本@名無史さん:2014/06/04(水) 13:35:15.84
>>280
記紀は正しい、で思考停止してるよりマシだろw
倭人伝やら考古学で、記紀を読み解くのが大事。
「記紀に書いてあるから」では根拠にならない。
283日本@名無史さん:2014/06/04(水) 15:55:24.99
別スレからの転載

三輪氏   安曇氏  物部氏    三上氏   忌部氏    紀国造家   久米氏  大伴氏 中臣氏  皇室  

櫛御方   穂己都久 宇摩志麻治 彦伊賀都   天富        天道根   大久米     道臣 天種子  1神武
健飯勝   摩幣区利 彦湯支    天夷沙比止 彌麻爾支     伊麻枳利 布理祢     味日 宇佐津臣2綏靖3安寧
健甕尻   意伎布根 意冨祢    川枯彦     和謌富奴     比古麻   味耳       稚日 御食津臣4懿徳
豊御食主  小栲梨   出石心大臣 . 坂戸毘古   佐久耳       知名曽   五十真手   大日 伊賀津臣5孝昭6孝安
健飯賀田巣麻曽杵   大綜麻杵   . 国忍富     阿加佐古   .久志多麻 久米大人  角日 梨津臣  7孝霊8孝元9開化
大田々根子大栲成吹 伊香色男.  .大加賀美   玉久志古    大名草彦 押志岐毘古 豊日 神耳勝  10崇神
大御食持  百足足尼 十市根    鳥鳴海    多良斯富   .宇遅比古 七拳脛    武日 大鹿島  11垂仁12景行
大友主   勝海足尼 胆咋       八倉田    麻豆奴美足尼 等与美々 祢久良支   武以 臣狭山  13成務14仲哀
志多留   大浜    .五十琴    室毘古    佐岐大人足尼 豊布流   伊与足尼  佐彦 雷大臣  15応神
石床     浜子    .伊呂弗    比賀多    多比古足尼   塩籠    加志古     山前 大小橋  16仁徳
284孝霊厨:2014/06/04(水) 19:11:30.10
簡単に言うと、百襲姫が卑弥呼で何の問題もないという事だよ。
記紀の記述は後年の権力者に伝承の改変や
取捨選択がなされて当然だろうという事。
285日本@名無史さん:2014/06/04(水) 20:32:51.97
百襲姫は卑弥呼の二世代後だよ
何でこんなバカなんだろ?
286日本@名無史さん:2014/06/04(水) 20:54:58.15
百襲姫って紀でしでかした合成物件だろ

記だと「ともちゃん」とか「もそちゃん」たらいう鯖江の女大酋長

彌馬岐入毘古のばあちゃんの世代とかだろ
287日本@名無史さん:2014/06/04(水) 21:06:41.47
日本語を勉強してからおいで
288日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:16:19.69
歴史ヒストリアで九州説がヒステリアwwwwwwwwwww

でも切り口面白いな卑弥呼の出身地とかw
289日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:25:01.32
平原遺跡ってことは東遷したのは神武ではなく卑弥呼だと言いたいわけか
290日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:31:19.25
相変わらず争ってますねえ

資金源どこ?
291日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:32:41.69
んでまた死んだら里帰りw
292日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:36:14.40
日嗣ぎの巫女だなwwwwwwww
293日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:36:29.70
言った者勝ち
ウリナラ自尊心を満足させるニダ
従軍慰安婦では成功したニダ
294日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:37:14.47
婆さんの死体と一晩一緒とかなんて罰ゲーwwwwww
295日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:38:39.70
申し訳程度の考証に糞みたいな再現VTR
296日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:42:53.00
もう九州説vs畿内説って時代じゃないんだなあ(しみじみ
297日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:54:49.29
今日のヒストリアの話は、卑弥呼より神武天皇の話だと思うのだが。
298日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:57:44.58
あれも一応畿内説なんだろうなwwwwwwww

纏向に卑弥呼がスカウトされてお引っ越し
死後に里帰りで平原

まあ柳田は従来通り卑弥呼の母親とか血縁者と・・・

しかしあの儀式何かの根拠・参考とかあるんか?
民俗学とかw
299日本@名無史さん:2014/06/04(水) 22:57:54.26
>>297
神武でなくニギハヤヒだって。
300日本@名無史さん:2014/06/04(水) 23:06:40.23
やっぱ東遷厨にしたら畿内ヤマトに「招かれた」じゃあ

(征服者と自分の姿を重ねる)爽快感に欠けるんだろうなwwww
301日本@名無史さん:2014/06/05(木) 00:32:55.86
卑弥呼の実家がどこか?の話なら、筑紫や吉備、東海、大和、正直どこでも良いというか。

初期ヤマト王権は部族連合だろうから、どこか?は判断がつかない。

後世、顕宗仁賢や継体は、地方から畿内豪族たちに招かれて推戴されてる。
こういう、畿内以外から招かれて即位するって形の方が実は古くて、
古来からの伝統だったのかもしれないw
302日本@名無史さん:2014/06/05(木) 00:44:49.07
卑弥呼の実家は吉備に一票。
箸墓で吉備の特殊器台が正式に大王墓に採用された。
特殊器台が並ぶ威容から土師墓の呼ばれたのだろう。
モモソ媛の伝承が吉備付近に色濃く残ってるのも怪しい。

記紀を素直に読めば、大和在来で三輪山の巫女になってしまうがw
父親の孝霊が唐古鍵付近に宮があったそうだから、
モモソ媛も唐古鍵で生まれ育った可能性はある。
あとまあ、アマテラスで言えば、伊勢や東海から呼んで来た可能性もあるか?

筑紫ヒラバルは無いだろう。
303日本@名無史さん:2014/06/05(木) 00:45:56.04
あの話で疑問なのは

じゃあ仮に纏向に九州から卑弥呼が将来されたとしたら
九州の人間にしたら
「おらがクニ出身の女王様」ということで頻繁に纏向詣でしてもいいと思うがw

土器の出土からすりゃその気配がないわけで・・・
304日本@名無史さん:2014/06/05(木) 00:53:16.26
温羅の身内か
305日本@名無史さん:2014/06/05(木) 02:14:05.23
ヒストリアを見てたが、もうあれが九州説の限界なんだろうな。
このスレで必死で主張してた内容と被るのがなんともw
306日本@名無史さん:2014/06/05(木) 04:53:38.14
で、畿内説は邪馬台国と大和朝廷との関係をどう説明するの。
魏志倭人伝と記紀との関係をどう説明するの。
307日本@名無史さん:2014/06/05(木) 05:49:15.14
瀬戸内海周辺部を中心とした、海人集団が倭。
で、その都が邪馬台国。

倭人伝は3世紀末、中国人からみた見聞録かつ歴史書。
記紀は7世紀の大和朝廷が情報の取捨選択をした歴史書だろう。
308日本@名無史さん:2014/06/05(木) 08:10:59.11
鏡を副葬する習慣は、2世紀の列島では大陸からの玄関口、北部九州(筑紫)だけ
それが3世紀に入ってから、突然、列島中心部(大和)の石塚古墳に出現する
それまでの大和に鏡を副葬する習慣はなかった

このことに着眼できれば、邪馬台国が東遷して大和朝廷になった以外の可能性がないことに、いい減気付くべき!
邪馬台国論争の核心は、東遷が卑弥呼の代(畿内説)か、台与の代(九州説)か、という時期の問題に過ぎないのだ

近代で言えば、東京遷都が孝明天皇の代か、明治天皇の代か、ということ
309日本@名無史さん:2014/06/05(木) 08:28:26.17
>>702
なるへそ。
たしかにそう考えれば、
女王台与が朝貢していた西晋によって編纂された「魏志倭人伝」の、邪馬台国への道程が矛盾に満ちたものになることが理解できる希ガス
すなわち、「北部九州にあった卑弥呼の代の邪馬台国の女王所都」と「大和にあった台与の代の女王所都」の、2つの異なる都市への道程、
城柵楼閣厳設の宮殿の様子、墓制が合成されて、矛盾だらけになってしまったんジャマイカ?
310日本@名無史さん:2014/06/05(木) 08:38:05.39
ただまあ、実際、大和の古墳は吉備や阿波讃岐播磨の系統だからな。
鏡副葬についても、播磨で一旦先に受容され、
それが古墳祭祀の一要素として畿内に伝播したと考えられる。
筑紫からダイレクトではない。東遷とかを持ち出す必要はない。

ていうか、弥生後期は各地で王権が誕生してるのに、
未だに九州の先進性を殊更に強調して、邪馬台国東遷とかw
311日本@名無史さん:2014/06/05(木) 10:19:29.78
自演バレバレw
312孝霊厨:2014/06/05(木) 10:55:30.06
だが東遷説とやらをとるなら、誰を候補にするか
という点を考えてるのかな?
西から東へ移動したとある具体的候補となると、
必然的に讃岐からヤマトへ戻る百襲姫しかいない訳だが。
313日本@名無史さん:2014/06/05(木) 10:56:09.43
>>309
魏志倭人伝=魏代(卑弥呼)の邪馬台国【北部九州】+西晋代(台与)の邪馬台国【大和】の合成記述 

アリかもな
314日本@名無史さん:2014/06/05(木) 11:08:18.79
◎卑弥呼が初代皇后ヒメタタライスズ媛である理由

まず名前。
別名でなく、この人ほど「ヒミコ」に近い人物はいない。

そして時期。
崇神4世紀前半として、5〜6世代前の神武が2世紀後半〜3世紀あたりになるだろう。
当然、初代皇后ヒメタタライスズ媛もその時代になる。

【事鬼道、能惑衆 】
大物主の孫娘(あるいは実娘)なのでこんなものは得意。

【年已長大、無夫壻】
夫の神武に先立たれ、2代綏靖が皇位を継ぐまでに、かなり の時間がある。
この時期の様子を描写したのだろう。
卑弥呼を生涯独身であったと勘違いしてる人が多いが、
そんな事はどこにも書かれてない。

【唯有男子一人、給飲食、傳辭出入】
神武の連れ子であり、彼女の義理の息子であるタギシミミだろう。
二人は「できて」しまいやがて結婚する。

【有男弟佐治國】
中国史書には女弟という表現もあるので、
この男弟とは男の手下という意味だろう。
いずれにしても彼女に代わり政治を行ってた人物がいる。
実兄の天日方奇日方命(食国政申大夫=今で言う総理大臣)だ。
315孝霊厨:2014/06/05(木) 11:40:57.37
卑弥呼比定は百襲姫で何ら問題点はない。
だがそれは後の大和朝廷側からの解釈の一面像。
当時共立した国々の視点や狗奴国でも異なるのは充分有り得る話。
卑弥呼=百襲姫は三保津姫(フツ姫)でありセヤタタラ姫。
また元々女王国とは大三島周辺から畿内にかけての事だね。
316日本@名無史さん:2014/06/05(木) 11:53:25.96
>>315
百襲姫は崇神の時代まで生きてたのだから論外。
またセヤタタラ姫は神武の義理母になる。
時系列を越えた安易な同一人物説は迷惑だ。
317日本@名無史さん:2014/06/05(木) 12:57:36.37
零落した北部九州の知識人は少なからず畿内政権に登用されただろうね。
その程度の影響は認められる。
318孝霊厨:2014/06/05(木) 13:49:50.12
>>316
神武天皇は複数の伝承を組み合わせた架空の人物であり実像はない。
初期ヤマト政権の母体は阿讃なのはウズヒコなのは明白だからな。
なのでセヤタタラの逸話は類似の話もあり、
創作された箔付け話みたいなもんだろう。
319日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:24:55.50
>>318
天皇家の祖先で初めて近畿に移り住んだものが「神武天皇」だろ?
>>283を見ればわかるように実在人物としてみたほうが何倍も整合性が取れる
320日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:29:13.16
>>318
神武を認めず、神武を先導したウズヒコは認めるという、
典型的なダブスタは止めてくれ。
時系列を無視したモモソ姫=セヤタタラ姫といい、
君は畿内説者にとって邪魔。
もはや荒らし。
321日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:35:34.42
どこがダブスタなの?
322日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:40:40.09
>>321
何で分からないの?
323日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:50:02.54
ほら、明確に指摘できないwww
324日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:52:46.63
神武のお供であった
大久米命が橿原市久米に住み、祖神を祀ったのが久米御縣神社
大伴道臣が橿原市鳥屋に住み、祖神を祀ったのが鳥坂神社

両社とも式内社だし、
いい加減、神武非実在説なんて止めようや。
325日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:57:00.71
そんなのテーマパークだろ
326日本@名無史さん:2014/06/05(木) 14:58:20.01
>>325
死んだら?
327日本@名無史さん:2014/06/05(木) 15:11:57.87
>>320
なにがダブスタなのか答えられないの?
では、「ダブスタ」というのは意味を持たない
反論できない人間の発するただの怒号ですね。
328ローガン:2014/06/05(木) 15:13:46.95
>>312: 孝霊厨
>だが東遷説とやらをとるなら、誰を候補にするか
という点を考えてるのかな?

勿論、初代大王応神。
応神以前のヤマトは単なる一地方勢力。
もし、広域に及ぶ王権なら、大陸交流の玄関である北部九州との航路整備は欠かせない。
しかし、堀江水路の開通は仁徳朝。
旧ヤマトとは、まだグローバル化に目覚めていない時期。
九州より東遷した海人族を母系に持つ大王の登場以降、広域倭国が誕生する。
時代下って、同様の事例が見えるのが、所謂、星川皇子の乱。
雄略の死後、母系吉備に後押しされたものだが、これは失敗例。
応神は成功例。勿論外来王ゆえ、父子一系皇統は崩れる。
日本書紀は、系譜を改竄。「男無」 つまり成務に嫡子無しとして、王統が傍系へ流れた理由とした。
と、考える訳ですわ。
329日本@名無史さん:2014/06/05(木) 15:26:05.29
>>327
分かる人には分かるのでいい。
乃木将軍はいるが明治天皇はいないと同じ理屈だから。
どうせまた言い返してくるのだろうけど、
一日中掲示板にへばりついてる理屈こきのキチガイは以後相手にしないのでよろしく。
330日本@名無史さん:2014/06/05(木) 15:45:02.59
>>238
頭悪いな。応神以前から居た土着の三輪・大伴・物部・中臣・葛城・阿倍氏族がなんで外来人にすぐ従うんだよ
神武から着々と力を蓄え続けたと考える方が何倍も説得力がある。
331日本@名無史さん:2014/06/05(木) 16:01:27.58
なんだよ、ローガンって東遷説支持者だったのか。
332ローガン:2014/06/05(木) 16:06:32.04
いや、だから、何とかならんものかと・・・
勿論、安い本の東遷説は、支持出来ないよ。
333日本@名無史さん:2014/06/05(木) 16:13:23.66
どうにもならん。考古学的に無理だから。
334日本@名無史さん:2014/06/05(木) 16:16:56.59
津堂城山古墳は仲哀の墳墓でほぼ決定だろう。
応神からという説には承服しかねる。
335日本@名無史さん:2014/06/05(木) 16:19:31.78
>>332
東遷説スレで
「緩やかな連合体運営の中心は北部九州」
と主張して
「中心たりうる勢力がどこにある」
と反論されたとき、なんか凄く
トンチンカンな返答しなかった?
336日本@名無史さん:2014/06/05(木) 16:21:35.91
>分かる人には分かるのでいい。

要するに
  まったく反論できない。ただ悪口言ってみただけ
ということか
情けない人だな
337日本@名無史さん:2014/06/05(木) 17:37:42.91
仲哀天皇が筑紫で亡くなり、葬られたのが香椎廟(香椎宮)である。

少なくとも万葉集には記録が残っている。
338日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:00:05.92
仲哀天皇が葬られたのは豊浦宮で山口県下関市長府。
339孝霊厨:2014/06/05(木) 18:22:07.97
>>319
まず神武天皇非実在説をとるのは、その東征話が
あまりに非現実的な話という点からだな。
吉備まで記述が具体的に何もなかったり、
河内の戦闘で負けて、生駒や竜田を越えられない連中が
熊野からヤマト入りして制圧なんて出来る可能性は100%ない。
これは別人(川上のウズヒコ一族)の伝承を足したのは明白だろう。

ウズヒコには倭国造となる具体的理由があるが、
神武天皇にはないからな。
結局元々モデルがいたのを象徴的な人物として
後に創作されたのが神武天皇だろうという説をとる。
340日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:25:33.32
景行、(成務?)、仲哀、神功は、北部九州の豪族の話が、
記紀に収録された際に畿内の豪族と一緒にされたと考える。
341ローガン:2014/06/05(木) 18:39:37.13
>>334
別に仲哀が架空だとか、主張しているわけじゃない。
東遷後、亡き父を祀った。即位儀礼のステージと捉えたらどう?
応神陵外堤出土がTK73。七観馬具の考察から推定できる実年代が、4世紀第一四半期。
古事記の没年干支甲午(394)と整合。
遡る仲哀没年が、362年。応神代。
奈良に留まらない陵地の広域化の始まり。
342日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:44:24.72
>>339
具体的な記述ならいくらでもあるだろ。
宇佐に立ち寄ってそこの豪族の娘が中臣氏の祖天種子と婚姻し生まれたのが宇佐津臣だ。
わざわざ2回も関門海峡を越えるなど創作にしては不整合な点が多い。
神武一行は熊野を大回りしたのではなく紀ノ川を遡上し、五条を経由し宇陀に出た。
ニギハヤヒの子宇摩市麻冶と組む長脛彦と対立していた弟磯城は神武に娘を嫁がせ手を結び、長脛彦を倒したわけだ。
第一、神武がいなければその子孫たる天皇家は存在しない。
343日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:48:47.78
珍走漫画に出てくるでしょ 

ハッタリ、口だけ野郎
344日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:51:48.65
学問だろうからどうでもいいや
345日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:51:58.56
>>340
つまり景行は九州出身でありながら大津に宮を置くことが出来たと。
北九州出身のはずなのにいったん山口まで出かけてから九州を征伐したと。
北九州出身のはずなのに仲哀は山口から北九州に攻め込んだと。すごいでちゅねー。
346日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:53:40.48
判官贔屓というものが、あると思うんだ
勝者より敗者
347日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:57:07.53
芝居、小説、漫画やアニメでも

そういう作品があると思うんだけど
348ローガン:2014/06/05(木) 18:58:32.40
>>341訂正。
×「古事記の没年干支甲午(394)と整合。
遡る仲哀没年が、362年。応神代」
仲哀没年が、応神代ではなく、
津堂城山古墳造営が応神代です。
349日本@名無史さん:2014/06/05(木) 18:59:28.30
>>345

あなたの言うように、記紀の景行、仲哀、神功の話には無理がある。
従って、>>340のように、畿内の天皇と、
九州の景行記は別の豪族であると考えたほうが無理が少ない。
350日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:01:43.77
無かったとするなら

戦争や殺し合い、弱肉強食の世界
351あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:08:20.89
>>342
>宇佐に立ち寄ってそこの豪族の娘が
>中臣氏の祖天種子と婚姻し生まれたのが宇佐津臣だ。

ノンノン
もう少し本を読め
祖天(初代天皇ね)が宇佐津彦を攻めて、
屈服の証として女房差し出したってことだ。
その種で出来た子が宇佐津臣という。
戦いに敗れたら、自分の女房を差し出さなければいけない
なんて目をソムけたくなる光景だろうね。
352あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:10:43.89
>何とかならんものかと・・・

ローガンは畿内説から東遷説へ変わりたいらしいよw
353日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:14:29.01
>>342
>第一、神武がいなければその子孫たる天皇家は存在しない。

意味不明w
木の股から生まれた訳じゃないから、そりゃ先祖はいるだろうが、
神武実在とはまったく別の話だろw

天皇家は継体以降は確実だが、遡ってもせいぜい崇神か応神が限界。
欠史八代とか実在したかどうかも怪しい。
354日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:18:16.90
神武がいたかいないかなんて>>283で解決済みだろ。
何をいまさら。
355日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:18:28.50
珍走団がクーデターを起こせばいい

現実の世界、武力に勝てるものはない
356日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:19:01.15
と言うか「応神東遷説」とかこのスレの主旨から離れてないか?

スレ違いもほどほどにな・・・
357日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:20:18.85
継体ってことは北陸に勢力のばしたのは可美真手だから物部の方ってことか?
358日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:21:29.07
>>353
だから崇神をいつ頃と見るの?
先年の城の山古墳発掘などで4世紀前半説が多いようだし、
それならば3世紀前半の纏向遺跡と100年程度の差があるわけだ。
その差を説明しないと。
359孝霊厨:2014/06/05(木) 19:22:03.01
>>342
それでは結局南九州出身の一豪族伝承に、
瀬戸内海や吉野に基盤を持つウズヒコの伝承を加えた創作話
になるだけだと思うが。
吉備周辺から日野川沿い、出雲にかけては孝霊天皇や
百襲姫と吉備津彦の伝承ばかりだろう。
その部分神武神話で触れないというのは東征として矛盾でしかない。
360日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:26:40.74
>>358
>先年の城の山古墳発掘などで4世紀前半説が多いようだし、
それならば3世紀前半の纏向遺跡と100年程度の差があるわけだ。

なんで新潟の古墳と崇神の年代がつながるの?
100年の差って何か説明しなきゃならないことがあるの?
361あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:29:33.13
崇神の年代?
250年前後ちゃうん?
362日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:30:25.47
>>356
横からだがw

いやまあ、古く西から偉大な大王が畿内にやってきて王権を樹立したとする記憶があって。
それが記紀の神武東征伝承のモデルになったと。江戸時代からある説。


神武を否定するには語っておく必要があるだろう。
363あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:30:35.84
神武?
神武と祟神は同じ人物じゃないよw
364日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:34:02.64
>>361
ならば何古墳に埋葬されてるのかな?
365日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:38:50.23
>>359
孝霊天皇以降の時代で朝廷に服属した地なんだから、神武の伝承がないのは当たり前では。
というか、そこらへんにはウズヒコの伝承だってない。
366あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:40:36.23
>>364
しるか〜あほw
367日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:40:49.57
鍋料理が食いたくなってきたなあ
368日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:43:46.37
滅んだ順を整理すると

物部滅んで蘇我が滅んで藤原氏の時代
369日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:43:49.51
やっぱり邪馬台国は九州だったんだ
370日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:44:29.24
応神の宮は河内、神武は大和
応神は朝鮮に出征したが神武は奈良盆地北部にしか出征してない。
応神の妃は葛城氏だが神武は葛城剣根の娘ではなく磯城県主の娘
どこをモデルにしたって?
371日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:45:06.85
>>339
応神の帰東経路ってどうだっけ?
372日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:46:08.61
>>366
知らんのかいwww
373日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:46:22.17
邪馬台国は卑田阿礼繋がりでないの?
桓武天皇のときに語り部として語ってるじゃん
374日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:47:19.07
>>360
四道将軍
375あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:47:46.43
>>370
じゃあさ
明治以前は、天皇家は京都に居たから
東京に変わったってことは・・・・・別王朝なのかね?
376日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:47:59.52
そのうちにローガンが
「ボクは安本美典の熱烈なファンになりました」と
転向宣言する日が来るのだろうか。
377日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:49:28.11
>>357
継体って近江の高島の生まれじゃなかったっけ
そう言えば高島宮なんてのもあったな
378日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:49:51.97
アレという名なら昔の日本人の女性の名は変なもんでも二文字だから定義的にはあうぞ
379あらため だよん(鍋奉行):2014/06/05(木) 19:51:12.07
>アレという名なら昔の日本人の女性の名は変なもんでも二文字だから定義的にはあうぞ

その意味は?
何の話なのか分からん
380日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:52:52.12
>>353
>>283を見てから話せ。
381日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:52:59.95
そのまんま
382日本@名無史さん:2014/06/05(木) 19:58:12.45
東!
383日本@名無史さん:2014/06/05(木) 20:59:17.73
>>339
>まず神武天皇非実在説をとるのは、その東征話が
>あまりに非現実的な話という点からだな。

義経も弁慶もかなり非現実的な話だが、いなかったのか?

>ウズヒコには倭国造となる具体的理由があるが、
>神武天皇にはないからな。

だからウズヒコを国造に任命したのが神武だろうが。
その神武がいないって何を訳分からない事言ってんの?
384日本@名無史さん:2014/06/05(木) 21:48:21.84
空を飛んだ聖徳太子も生まれてすぐ歩いてしゃべった釈迦も339の中では存在しないんだろう。
だが、なぜかウズヒコだけはいる(笑)
385日本@名無史さん:2014/06/05(木) 22:45:36.86
>>376
そう言えば老眼はその昔「九州王朝説」にかぶれてたゆうとったでwww

 九州王朝説(古田)→邪馬台国東遷説(安本)

とか邪馬台国ブームが生み出した2大スター梯子とか
流石老眼翁パネェっすwwwwwwwwwwww
386日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:04:51.99
>>358
>先年の城の山古墳発掘などで4世紀前半説が多いようだし

このご高説は 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ ) だな?

なるほどそれに「四道将軍」の痕跡を見るか・・・
それ一つで崇神の年代推定が4世紀前半に傾いたというのは本当かどうか知らんが
(東遷厨はこういうのは我田引水がデフォだからなw)

まあ決定的とか有力材料にすらなるかどうか・・・

先ず四道将軍のうち「大彦」は北陸に派遣された事になってるが
そのは北陸―石川県に纏向型に分類される「分校カン山1号墳」がある
(現在の纏向型の北限?)

年代がどこから来てるのかイマイチだがWikiだと「布留0」をあげてるが
ヤマト王権の北陸への進出を見るならその時代に既に見られるわけだ

次に文献的にもそもそも「四道将軍」なるものが実在したかたいてい怪しい
むしろヤマト王権の各地への勢力拡大を擬人化したようなものと見るのが一般的だと思うが・・・

日本書紀の記述を見てもその征服の様子なんか全く書いていない

行を費やしてるのは崇神が詔を出しいよいよ派遣と言う前に
いわばイレギュラー的に発生した武埴安彦との戦い
これじゃあ主客転倒だ

・・・ようはお前が鬼首モノ(笑)で言うほどの材料にはなりえないって話だなwwwwwwwwww
387日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:10:25.90
>>386
>次に文献的にもそもそも「四道将軍」なるものが実在したかたいてい怪しい

一生怪しいと言ってろ。
388日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:12:29.61
邪馬台国の卑弥呼は倭人だから畿内にはいない。九州にもいない。出雲にいた。
   朝廷に滅ぼされた倭人の先祖が卑弥呼。
   倭人は朝廷に媚びへつらったか、賎民の身分にされた。(五色の賎、良賎の令・・・)
   出雲から、去った倭人の一部か大半かは知らないが、海流にのり、東北や北海道の倭人と合流した?
   倭人と渡来系朝廷との関係からヒモを説くと出雲説が一番わかり易いのだが。
    (中国の歴史書と記紀を一致させようとすると理屈を述べると)
  
389日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:16:23.88
>>386
東遷説スレで、神武軍の考古学的痕跡はないと偉そうに言ってて、
じゃぁ源平合戦の考古学的痕跡はあるのか?と質問され、
全く答えられず、そしてここに逃げてきたのだね。

哀れな男だ。

ほんとゴキブリだなw
390ローガン:2014/06/05(木) 23:18:19.15
>>385
昔はしゃあないわあ。
「検索」なんていうワクチンないし。
自分で麻疹にかかって免疫  が一般的。
391ヨコから:2014/06/05(木) 23:22:54.67
四道将軍なんか怪しいに決まっているがw

マキムクの時の初期大和王権なんて、実質部族連合。
四囲に遠征軍なんて派遣できないし、したような形跡はない。
実質は地方の有力豪族をヤマト大王の係累として系図に取り込んだだけ。
実際は筑紫君だった磐井を、国造という地方官に書き換えたのと同じ所業。
392日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:23:25.25
坂本龍馬関係で調べてみる

同じような人物が見つかるよ
393日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:28:48.94
>>391
会津の一箕古墳群は4世紀前半からなんだけどね。
新潟の城の山発掘以前から注目されてたわけだけど、
まぁ四道将軍なんか怪しいと思ってるなら、
どうぞそのまま氏んで行ってくれ。
誰も止めないし。
394日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:35:25.99
「分校カン山1号墳」の北東66.5kmのところに「宿東山1号墳」
いずれもホタテシェイプ
サイズも異様にでかいのではないレギュラーサイズの正調ホタテシェイプ

この2つは
「尚方作  波文縁 方格規矩四神鏡」164φ
「尚方作 鋸歯文縁 方格規矩四神鏡」179φ をい出し

大和天神山及び平原女王墓とタイトにリンクする首長墓

四道将軍は難升米東征で募兵に応じたサポーターたるべし。
395386:2014/06/05(木) 23:35:46.26
もう一つ年代の話

もう何年前になるか桜井茶臼山古墳の鏡片が
群馬の蟹沢古墳の正始元年(240)の紀年銘がある三角縁神獣鏡と同じものであることが判明した。

まあ国産としてもその辺の年代の紀年鏡は短い期間に集中して出てるので
かなり(中国との年号に対し)リアルタイムに造られてるんだろう
まああとは伝世期間とかの問題だが被葬者がその鏡を3世紀中には入手したと見るに無理はあるまい

まして茶臼山より前には西殿塚があり場合によっては箸墓ですら候補に上がるかもしれない
崇神没が258年でも特におかしくはないと思う
396日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:39:27.45
>>389 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>源平合戦の考古学的痕跡はあるのか?

知らんねえ・・・

負け犬はもう誰が誰だか分からんようになってるんだなwwww
397日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:43:59.84
>>393
いやまあ、ヤマト王権の影響を受けて、地方の首長が古墳を造ったって、普通は考えるけどねw

「記紀嘘つかない」の記紀原理主義の馬鹿には理解出来ないみたいだがw
398日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:44:39.01
>>394
物部神社社伝によると、物部の祖ウマシマジと
尾張の祖・天香具山命が伊勢東海から北陸山陰を制してるので、
それと関連するのだろう。
何も問題なし。

>>395
茶臼山、西殿塚は4世紀初頭なんで崇神258年では無理でそ。
つまり258年で通そうとすると箸墓しかない訳だが。
ならば卑弥呼の墓がなくなるわけだ。

眠い、寝るわ。
399日本@名無史さん:2014/06/05(木) 23:52:14.32
>>390
案外、節操がないんだなw
400日本@名無史さん:2014/06/06(金) 00:06:59.02
>>398
>茶臼山、西殿塚は4世紀初頭なんで崇神258年では無理でそ。

西殿塚は3世紀後半と見るむきもあったと思うが

別に箸墓を崇神としてもそれ以前の纏向型に卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命の墓を想定はできる

気になるとすれば記紀に見る
倭迹迹日百襲媛命の墓の記述で人民が手渡しリレーで石を運んだという記述だが
ホケノなんか石囲いでトドメwに墓の上にも石積んでるんだから
その石の運搬作業の様子と解することもできる

ましてそれが初めて導入された仕様なら人々の記憶に残り語り継がれた蓋然性は高くなる

あと崇神没318年をとると倭人伝の彌馬升(あるいは彌馬獲支)とは誰の話だ?
って疑問は出てくるwww
401400:2014/06/06(金) 00:10:37.26
そうそう仮にホケノを卑弥呼の墓と想定できるなら
ホケノは萩原との近似がよく言われるので

卑弥呼=阿波出身 説を出しておく・・・ただし出しっぱなしのアフター無しで、あとは知らんwwwwwwwwwww
402日本@名無史さん:2014/06/06(金) 00:12:19.64
北九州の方の柵跡ってやっぱり大陸の方の争い関係で外敵防ぐためのものなんだろあれ
403日本@名無史さん:2014/06/06(金) 00:12:59.46
安積郡か
404日本@名無史さん:2014/06/06(金) 02:01:08.29
四道将軍ほど確実なものはない。
オオヒコは鉄剣文にも出ているし、吉備は将軍本人ではなく弟の子孫が国造となったというのも後世の捜索でないことを物語っている。
405孝霊厨:2014/06/06(金) 06:01:09.52
>>383
煽りにもならないネタだが、神武天皇と義経等では
年代、文字記録環境等が全然違うw
個人的には倭国伝に登場しない聖徳太子も実在説はとってないしな。
物部守屋を殺めた争いや、彦人皇子が曖昧にされた時点から相当怪しい。

神武が架空でウズヒコ実在説をとるのは、
瀬戸内とヤマトの関係の深さからに他ならないだろう。
最近も大淀町近辺で弥生中期の播磨辺り製の銅鐸が確認されたばかりだ。
406日本@名無史さん:2014/06/06(金) 06:41:35.66
インドも無かったという事にしよう
でも世界中から笑われるだけだぞ
407日本@名無史さん:2014/06/06(金) 07:37:06.28
まあまあ、ここは畿内説板だから、畿内説の人達のためにそうっとしておいて
あげようよ。4日のヒストリアがこたえているでしょうから。
408日本@名無史さん:2014/06/06(金) 08:14:24.72
>>400
>>401
>ホケノなんか石囲いでトドメwに墓の上にも石積んでるんだから

無理。卑弥呼が死んでから築造されたと書かれてるわけで、
その築造時期は3世紀前半で勝山より早いし。

だいたい大きさも合わないし、大量の鉄鏃銅鏃など武人墓でしょあれ。

石を運んだのは箸墓には葺き石や後円部に石積みの壇が見つかってるので説明つくし、
やはり候補は箸墓しかない。
409日本@名無史さん:2014/06/06(金) 08:19:03.92
>>405
>煽りにもならないネタだが、神武天皇と義経等では
>年代、文字記録環境等が全然違うw

なのに何でウズヒコだけ実在を言うのかと聞いてるんだが、

>大淀町近辺で弥生中期の播磨辺り製の銅鐸

それが何の関係あるんだよ。
瀬戸内から何か出たら全部ウズヒコの証拠にしそうだな、このバカ。
410孝霊厨:2014/06/06(金) 09:27:52.55
播磨辺りで作られた弥生中期の銅鐸が大淀町辺りで確認されたのなら、
この時代には瀬戸内東部とこの辺りが
同文化圏であった可能性が高くなる訳だが?
しかもウズヒコの母方は元々吉野辺りの一族であった証明にもなる。
これだけでも実在性の高さは南九州の一豪族より
瀬戸内海の主、ウズヒコだろうな。
なので神武は大和朝廷が武人として優れた隼人族を懐柔するため、
もしくは遠いルーツを説明するために創作した話だろう。
411日本@名無史さん:2014/06/06(金) 09:35:32.30
>>410
弥生中期の銅鐸とウズヒコと何の関係があるんだ?
3世紀頃誕生した大和朝廷は非銅鐸文化なのだが?

>なので神武は大和朝廷が武人として優れた隼人族を懐柔するため、
>もしくは遠いルーツを説明するために創作した話だろう。

ならば「隼人族は武人として優れてました。が、ウズヒコが始祖です」
と書けばいいだけじゃん。
何で書いてないの?
何でアイデンテティーまで謙譲するの、アホなの?
412孝霊厨:2014/06/06(金) 09:36:17.75
ヒステリア、偶々取材先の佐賀県で番組を見たが、
あれこそ九州説が散々今までやってきた
メディアを使ったミスリードの延長だなw
基本的に知識不足の連中が番組をまとめると支離滅裂になる見本だ。
まぁNHKだし特殊な事情もあるのだろう。
413孝霊厨:2014/06/06(金) 09:46:38.81
まず国生みは淡路島周辺から始まってる事を忘れてるのかな?
これだけで本来の話はウズヒコがベースで、
神武話は後付けだと理解出来るだろう。
また銅鐸文化と鏡の文化は決して断絶している物でもない。
乱暴な言い方だと固定電話と携帯電話程度の差かもなw
製作技術的には銅鐸の方が上であったり、
紋様等の共通性もある。
414日本@名無史さん:2014/06/06(金) 09:46:47.72
>>412
ここでミスリードして支離滅裂なのはおまえなのだが。
まぁアホなりの特殊な事情もあるのだろう。
415日本@名無史さん:2014/06/06(金) 09:52:02.14
>まず国生みは淡路島周辺から始まってる事を忘れてるのかな?

そこに誰が住んでたの?
まぁ王権の始祖九州人であった事に対する畿内人朝廷のコンプだろうね。

>これだけで本来の話はウズヒコがベースで

どうぞお引取りください。
416孝霊厨:2014/06/06(金) 09:55:33.60
国生みが九州から始まってたら何の問題も無かったねw
どうぞ巣へ戻ってエンドレスなパズルでもやって下さい。
417日本@名無史さん:2014/06/06(金) 09:55:44.32
>>413
銅鐸から鏡への祭器の変更は歴然だろ。
大きな変革があった証拠なんだよ。
418日本@名無史さん:2014/06/06(金) 10:30:21.82
>>416
>煽りにもならないネタだが、神武天皇と義経等では
>年代、文字記録環境等が全然違うw

と言ってたおまえが、
それ以前の「国生み」は自説に都合がよいので採用するというこの厚かましさと屁の臭さ。
419日本@名無史さん:2014/06/06(金) 11:56:59.90
>>416
天の沼矛はどこにあるか知らんの?
天の岩戸は?
420日本@名無史さん:2014/06/06(金) 12:07:30.47
>>419
後付話に合わせたんだろうなw
421日本@名無史さん:2014/06/06(金) 14:37:19.65
>>420
畿内に権力移ってんのに九州に箔付けるの?wwww
422日本@名無史さん:2014/06/06(金) 18:42:36.15
だから、出雲だって
邪馬台国の最後の王はロチ
ヤマタノオロチ=倭野王「ロチ」
古代では縄文人は、現日本を倭とも読んで無かった。
ヒミコやロチが集落の長(大陸から言えば王かな、規模は別にして)
大陸が勝手に日本を倭と表現していただけ。
ヤマタノオロチを(長 ロチ)を、渡来人スサノウノミコトらしき方が殺して征服して、
その後倭人(縄文人)と和睦を結んだか配下に置いた。倭人(縄文人)の反抗者は賎民とされたか、
日本海流に乗り、東北等の倭人(縄文人)と合流したのだ。
423日本@名無史さん:2014/06/06(金) 18:46:29.84
続けるよ
大陸から、渡来人朝廷が東遷(九州も畿内も東遷の対象)。
邪馬台国(勝手に大陸が付けた名前)は九州説や畿内説と関係ない純日本人出雲の集落(国でもいい)
424日本@名無史さん:2014/06/06(金) 19:02:33.02
>>413
国生みの物語は、明らかに空想の話。
しかも、最初に生まれたのは淡路島ではなく、水蛭子と淡島で
これは子の類には入れられていない。

最初に生まれたから重要ともいえない。

それにしても、架空の話を持ち出しておきながら、はるかに時代が下り、
現実的な話になっている神武東征を否定するというのはどんなものか。
425日本@名無史さん:2014/06/06(金) 19:21:09.07
国譲りは、倭国大乱下で一つの小国が勢力圏を拡大していった過程だろう
426孝霊厨:2014/06/06(金) 20:06:33.57
国の歴史で国生み話が重要でないなんて発想がよく出来るもんだなw
倭の海人の基盤が淡路島周辺にあるという証明に他ならないだろ。

大体神武は海人ではないからウズヒコの先導がないと
瀬戸内海から畿内には入れなかったんだしな。

勿論男王なので邪馬台国や卑弥呼なんて全く無関係だよw
427日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:12:12.93
>>426
神武を無視しておきながら、
それ以前の国生み話が重要なんて発想がよく出来るもんだな。
まず結論ありきのクソやろうだな。
428日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:21:29.27
神話をまるごと史実視するか全否定するかという丸バツ式発想は脳の貧弱
429日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:32:17.25
お歯黒の風習のあった畿内は黒歯国だったんじゃないのかな。
430日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:36:10.58
>>428
神武以前は否定とかなら分かるけど、
自説に合う部分だけのつまみ食いは止めようね。
431孝霊厨:2014/06/06(金) 20:36:57.23
>>427
まぁ普通は国土形成の方が重要だと思うけどなw
どちらにせよ記述上で神武天皇には海人の要素が少ないのは事実だ。
これだけで倭人伝の記述ともかけ離れてしまうだろう。
対して初代倭国造のウズヒコは海人そのものだよ。
432日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:48:51.65
>>431
ウズヒコが国生みの淡路にいましたなんて、どこにも書かれてないしね。
何が言いたいのだか、イミフ
433日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:51:15.01
卑弥呼=モモソ媛命ならば、
魏志倭人伝に書いてある倭国大乱って
記紀でいうところの欠史八代の時期と同時期だよ。
出雲国譲りの時期とは時期が違う。
434日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:52:59.66
ウズヒコみたいなマイナーな人物を持ち上げてる時点で、
どの程度の頭かおおよそ察するがw
435日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:53:27.78
少なくとも、記紀に書いてあるからと言って神話をまるっと史実扱いしといて、出身地だけ北部九州にすげ替えるのは詐欺
436日本@名無史さん:2014/06/06(金) 20:55:20.77
国産みの最初の地っぽい家島が何であんな破壊されちゃったんだろ?
もう証拠は出てこないね
437日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:00:21.42
>>436
家島でなくて沼島じゃね?
438日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:00:24.06
もう、畿内説で正しいとは思うけど
何故、畿内説の学者って、箸墓=卑弥呼の墓まできたら
もっと記紀の内容を吟味しようとしないんだ?
記紀に書いてあるモモソ媛命の内容をもっと吟味してみろ。
偉い学者さんでも、そういうことしない人が多いだろう?
これって、やはり、考古学者の先生が多いので、基本、
考古学的文献だけで、すべて推測しようとする傾向が強いのか?

たとえば、狗奴国に関してなんか、狗奴国=濃尾平野説だとか
ぶちまける人が多いんだろう?
なんでも、考古学的な物的資料で、濃尾平野の畿内に対抗できると
踏んでいるからなそうだ。

でも、卑弥呼とモモソ媛命の死の直前の類似性とかみたら、
狗奴国王って、どうみても、許乃国の領主だった武埴安彦命だし、
おそらく、漢字の音韻からみても、狗奴国(コノ国)=許乃国(コノ国)だろう?

濃尾平野に関しては、狗奴国ではなくて、むしろ、
邪馬台国の東のほうにある邪馬台国の帰属しない倭種の国って線が強いと思う。
439日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:01:41.66
まあざっくり言って天地開闢から神武東遷までが神話w
それに欠史八代が間奏として入って

崇神からようやく実在性が見えてくる
(と言っても記された人物が全て実在とかその系譜とかが全て正しいという話ではない)
440日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:06:08.73
>>437
家島諸島の男鹿島がおのごろ島
それ以外には考えられない
441日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:12:33.99
男…おのこ
鹿…ろく
442日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:19:55.33
>>431
記紀は皇室の歴史書。皇室誕生の話のほうがはるかに重要。
国土誕生の話はしょせん、作り話だから。
443日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:23:50.72
>>435
賛成だよ。
俺は北部九州はニギハヤヒだと思ってる。
だから纏向遺跡が北部九州と繋がってるのなら、
それは大王の都ではないと思ってる。
444日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:25:09.75
>>442
神武東遷もその神話の延長上だよw

少なくとも現在それが史実であるっことを示す考古資料の如きは何もない

古墳文化の中にある九州的要素は文化の伝播で説明がつく範疇で

しかも吉備に発生した突起付き形状の墳丘、鏡の副葬
積石の槨や葺石という諸要素を畿内周辺に見ることができる

そうなればそれらがヤマトに流れこむのは必然であって
何も東遷厨のアホどもの妄想する「九州無敵鉄器軍団(笑)」が産地直送で
九州から鏡だのを持ってくる必要がないwwww
445日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:29:41.08
>>444
「ヤマトに流れこむのは必然であって」として、
ヤマトの誰がその文化を受け入れたの?
446日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:32:29.31
そう言えばヒストリアのあの謎儀式w

元ネタは大嘗祭で復元されてるとも言われる「真床追衾」が元ネタなんだろうか?

天皇が神話の「真床追衾」を再現して先帝の霊=天皇霊を引き継ぐ(日嗣ぎの神子)

あと鏡ピカピカ光らせるのは昔からある定番でw
447日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:35:12.48
>>445
ヤマトの人々正直うんざりだが
先に言っておくがその受容の主体が「王権」でなければならない必然性は何処にもない
448日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:37:12.06
>>447
じゃ平民もありうるんだw
449日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:43:12.25
>>444
作り話でどうして『神武東征』があるんだ。
九州の日向出身の神倭伊波礼毘古が東征し、その地を征服して
橿原で初代天皇として即位したという話をどうして作らなくては
ならないのかな。

大和に都する朝廷が自ら、自分たちの祖先は九州からやってきたと
言っているのはどうしてだろうな。
450日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:43:24.09
男鹿島と佐賀関の猫塚を破壊した奴らは許せない
誰がやったんだよ(棒)
451日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:46:47.29
>>449
神武東征を否定するヤツは、
隼人懐柔のために、天皇家が自らの出自を日向にしたのだってさw

いやもうね…アホかとwww
452日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:50:21.11
>>449
あらたに服属させる隼人に同祖神話をでっち上げるために決まってんじゃん
453日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:50:58.51
そもそも東遷厨のアホどもが根本的に勘違いしてるのは
(分かってやってるなら詐欺w)

そもそもヤマトが銅鐸の中心地といえるような濃密な分布は無いんだよな
(出雲や三遠式の地域を覗いても)

しかも扁平式あたりでピークを迎えていて
東遷厨のアホどもの脳内神武がヤマトにやってきた時には
銅鐸ブームはすっかり下火w大幅や他で細々っ作ってたって程度

「銅鏡族が銅鐸族を滅ぼした」?馬鹿なことを言っちゃあいけませんwwwww

まあ大昔の日本列島に銅矛と銅鐸の二つの文化圏の正円を重ねたイメージを
未だに引きずってるのが東遷厨のアホどもw

参考)個人のサイトでやや古いが・・・
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku08.html#summary

ちなみに安本センセイが
 
http://books.rakuten.co.jp/rb/5614843/
>邪馬台国時代の畿内は、なお「扁平鈕式銅鐸」の時代である。

と必死に言ってる理由がコレなわけだwwwwwwwwwwww
454日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:56:38.77
>>449
いい加減にしろゴミ
それを神話という側と史実だと言う側がいて

じゃあ史実と言い張る側が立証の責務を負い色々出すがどれもこれも証拠能力説得力がない

で結局最初に戻って「書いてあるから!」を強弁する

ぐーるぐーる回り回っての循環エンドレス

ご先祖さんが外からやってきた始祖神話なんか珍しくもない
まさかそれが日本特有だとでも思ってるのか?

お前らの論法ならその手の始祖神話は全て史実になるわドアホウwwwwww
455日本@名無史さん:2014/06/06(金) 21:56:42.21
>>453
祭器の変更でいいと思うが、受け入れた主体は平民なのか?
纏向石塚は王ではないのか?
456日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:00:41.81
>>452
じゃ何で蝦夷にはしなかったのかな?
蝦夷のほうがずっと反抗的なのに。
457日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:02:32.13
>>432
イミフというより君が知識不足なだけだろうw

ウズヒコは速吸門で神武を先導する「海人」なのは間違いない。
また母方は吉野辺りの一族である可能性も高い。
つまり神武が架空なら、これはそのままウズヒコの話だろう。
また少なくとも海人ではない神武では、倭人伝との接点もないという事だな。
458日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:05:12.27
>>457
ウズヒコなんてそんなマイナーな人物の知識は不要ですのでさようなら。
459日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:06:25.78
>>449
>大和に都する朝廷が自ら、自分たちの祖先は九州からやってきたと
言っているのはどうしてだろうな。

当然隼人対策だろうなw
ここまで大和朝廷の権益だと主張しやすいし。
460日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:07:13.09
なんで隼人だけ同族扱いなのかといえば
神武天皇は隼人の一族だったんだろう。
この点でも東征は裏付けされる。
神武一族は近畿に来たことで「倭人」化したが、それでも始祖伝承だけは残っていて
隼人のみ扱いが良くなった。
461日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:08:35.27
熊襲が濊系つまり新羅系だからだろう
蝦夷にすると蝦夷のほうが古いから、だろっ!てことで元気になってしまう
462日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:09:35.65
>>458
確かに単純な妄想に豊富な知識は不要だと思う
463日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:11:50.06
>>459
>当然隼人対策だろうなw

そう言えば現代でも宮中行事の中で「隼人舞」てのがあったなw

何でも海幸に水責めされて溺れる山幸の姿を表したもので
でその溺れる人間が犬の声を発するとかなんとかw

隼人の末裔を自称するような九州人にはお見せできない感じだがwwwww

まあ民俗学的解釈なら隼人の呪力を使役してるってことなんだろうけど
464日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:13:37.78
隼人は敵じゃないと思うけどな
465日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:14:24.72
>>463

おぼれるのは海幸。
何がそんなにおもしろいの?
466日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:15:27.28
みんな出雲を特別視し過ぎ
四隅凸が方形周溝墓から派生したのは二世紀頃で、謀叛の形跡がムンムンシテルノに
467日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:16:09.02
>>465
おお、いかんいかんご指摘の通り逆だったなw
468日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:18:15.08
まあ神武は狗奴国の男王を反映していると思うのだけどね。
モモソのいた讃岐辺りの女王国に対して、南九州のなら
南に狗奴国という図式で。
469日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:19:51.85
何で隼人対策に天皇の出自を隼人と同祖にしないといけないんだよ、アホくさい。
こんな事言ってるやつは自分で情けなくね?
470日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:20:33.95
>>460
「だろう」って根拠ぬきの純想像が、一体なんの裏付けになるの?
471日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:23:14.44
崇神の時代まで生きたモモソは卑弥呼じゃねぇし。
472日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:28:08.59
ある時代に中国にA国とB国があって、日本にC国とD国があった。
A国とC国が交易してた記録が残ってて、C国の南にD国あると書いてあった。

時代変わって、B国の元に日本から使者がやってきた。
その使者は前時代の記録ではD国として記されていた勢力だ、ってことが書かれてる訳で…
473日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:32:25.34
結局東遷説なんて最初の

 「記紀に書いてあるから!」

に舞い戻るのが毎度毎度のパターンなんだよな

証明すべきはその書いてあることが史実であるということなのに
「書いてあるから史実だ」じゃあ本末転倒の循環論法

 「記紀に書いてる神武東遷は史実だ!なぜなら記紀に書いてあるからだ!」

まあ現実はドンドン東遷厨には辛い方向に向かってるw

先にも言ったように畿内周辺に古墳の原型・取り入れられた諸要素が現れてりゃ
九州からの産直wを想定しなければならない理由はなくなるわけでwwwwwwwwwwwww
474日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:33:54.13
記紀を読むと近畿あたりは葦原中国には含まれないが何故なのか?
475日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:34:57.00
空想乙
476日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:37:50.78
>>473
だから受容したのは畿内の王なのか平民なのかはっきりせいや。
何で突然纏向石塚のような古墳ができるんだよ。
被葬者像を言えよ。
477日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:45:18.13
受容したのは、社会です。
478日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:46:39.44
>>476 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
しつこいゴミだな

文化受容したのは大型環濠集落の首長層クラスでそれが王になった
巨大首長墓の登場は既に始まっていた社会構造の変化を加速させるからだ

・・・で何か問題があるか?

石塚の被葬者については特定できる材料がない

先に言った在地系の王の可能性もあれば外来系の可能性もある

が九州からの征服王(笑)という根拠もない
(状況証拠からすればその可能性は限りなくゼロに近い)
479日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:48:09.49
>>477
社会ですってwww

纏向石塚の被葬者が、
その社会を構成してる平民なのか王なのか、
それさえも言えないのかよ。
480日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:49:49.57
>>469
それに神武天皇は隼人と同族ではない。
神武天皇はれっきとした天孫族。
隼人は全く天孫族ではない。

天孫族が隼人の機嫌を取って、出身地を隼人に合わせると
いうのは何の意味もない。
481日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:50:03.55
>>479
ヨコだが

「社会」には当然いろんな階層が含まれるわな
階層の分化なんて縄文の三内丸山にさえ見られるってんだから
482日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:52:39.34
>>481
だから纏向石塚はその「階層」のなかの王ではないのか?
平民なのか?
483日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:55:40.94
>>479
100m級墳丘墓の被葬者が平民?
あんた脳が腐ってるな?
484日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:56:38.09
>>478
>大型環濠集落の首長層クラスでそれが王になった

奈良の大型環濠集落の首長層の墓を具体的に示してくれ。
485日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:59:22.64
100m級墳丘墓と看做すところ自体のがまぬけな妄想
486日本@名無史さん:2014/06/06(金) 22:59:43.68
>>483
俺が言ってるのではない。
>>478が少し上で言ってるのだよ。
487日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:00:27.43
蘇我氏の古墳みたいに、大臣級も古墳もってるよね。
488日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:01:39.54
>>482
首長なのか副首長なのか、巫女なのかメディシンマンなのか。
そんなの、どうやって判る?
489日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:03:16.71
>>478
>(状況証拠からすればその可能性は限りなくゼロに近い)

西条52号なんて朱や鏡の埋葬で在地系である可能性が限りなくゼロに近いと思うが。
490日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:04:53.81
ちゃんと発掘して出てきたものだけで厳密に学問的にやってくれないとな

妄想古墳学のはおなかいっぱい
491日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:06:51.99
>>484 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
知らんな
その墓が個人墓かどうかもどうでもいい
唐古鍵のような集落がありその中心に首長がいたと言う認識に何か問題あるか?
吉野ケ里の北墳丘墓も個人墓でないがじゃあ首長はいなかったのか?って話だ

と言うかいい加減にしろゴミクズ
何とか自分が一矢報いる為のネタが出るまで延々質問繰り返す気か?w

こっちも義務・サービスでやってるんじゃないぞカス
492日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:08:28.80
>>486
読んだか、平民なんて一言も書いてなかった。
平民なんて言い出したのはお前。

結論
>>486は脳が腐ってて、かつ、ウソつき。
493日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:08:48.39
ところで寺沢さんは昨日のNHKの番組の九州の「東遷説」に、
異論があるなら番組に出ないだろうから、
ありうる、またはかなりありうるという立場なんだろうな。
494日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:11:22.94
>>492
受け入れは必ずしも王権である必然性はないとか抜かしてるので、
平民もあるのか?と聞いたら答えないのでね。
どこ読んでんだおまえ。
495日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:11:26.09
>>489
>西条52号なんて朱や鏡の埋葬で在地系である可能性が限りなくゼロに近いと思うが。

ヤマトから見れば「九州の要素」が畿内周辺にまでやってきてるって話で

九州からの産直まして征服王を考える必然は更にゼロに近づくだけだな

いい加減頭冷やして考えろ馬鹿者

東遷説にとって理想的なのは九州的要素が九州とヤマトだけにあって
他の地域には全く見えないのがベストだろ?

そうやってドンドン事例が増えれば何の事はない稲作等の分化の東進と何ら変わらなくなる
496日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:12:25.19
どうして出ないと思うの?
497日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:13:26.50
ヤマトが周りから取り残された遅れた地なだけだし
498日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:14:48.10
>>495
畿内の石包丁集団ごときが、
ホケノ山に見られるような、
「大量の鉄鏃」をどうして入手できるんだよ。
只でもらったのか?
どんな夢みてんだよ。

九州からの侵略王だよ、あれは。
499日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:15:26.50
そもそもNHKのあれ当然畿内説だし
東遷説ですらないだろうに・・・

東遷説のアホにはどう見えたんだ?

畿内ヤマトのヤマト王権=邪馬台国が伊都国から女王をレンタルしたって話だぞ?w

アレも東遷説か?

少なくとも「九州無敵鉄器軍団(笑)暴れ旅、大和入りの巻」とはぜんぜん違う話だなwwwwww
500日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:16:04.70
宗教的な物をそう簡単に受け入れるかどうかって言う疑問もあるがな。
501日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:16:42.51
やっぱり平民とかアホ言い出したのは>>494なわけだ。
「脳が腐ってて、かつ、ウソつき」確定。
502日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:18:23.38
>>499
NHKの話ではレンタルではなく遷都と言っていた。
503日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:18:28.93
>>501
俺は平民と思ってねぇし。
何言ってんだおまえ。
504日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:18:48.67
>>498 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )

じゃあ銅鐸に使った銅は九州の征服王(笑)が持ってきたのか?

もう「征服王だあ」を繰り返すだけ
ガキが鼻水垂らして「お前の母ちゃん出ベソ」と必死に喚き散らしてるのとかわらんな
505日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:21:28.50
まあ、どこから東遷してきたのかという問いに「平原」なんて答えが返ってきた時点で「邪馬台国東遷」説は死んでいるわけだが。
506日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:22:06.06
>>502
だっけ?
まあ最盛期の影もなく落ちぶれた伊都国が名誉職的に首都の座にあったって話かw

まあそれなら一応は「東遷説」になるのかな?ww
507日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:22:18.69
女王レンタルって、畿内政権が畿内を安定化できずに政治を放棄し、
安定してる九州から、カリスマ女王を勧請したって読めちゃうな。
508日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:24:19.41
>>503
言った事実は繕えない。
509日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:24:26.62
>>507
安定してるなら平原以後の王墓も作っとこうぜ?w
510日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:24:32.29
>>504
銅鐸の銅は九州経由でしょ。
唐古鍵に九州土器も巴形銅器もあるし。

ただその時代は九州要素は少ないし征服ではないだろうけどね。

>>498に答えて?

大量の鉄鏃をどうやって奈良人は手に入れたのかな?
511日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:28:44.30
興隆一途の纒向が、落ち目伊都から何故借りるし
512日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:31:24.16
>>504

答えを書いててくれ、俺は眠いので寝る。
513日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:32:59.26
>>510 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>ただその時代は九州要素は少ないし征服ではないだろうけどね。

征服王(笑)がいなくても銅は入手できたなら鉄も入手できるな

まあ一時期後漢朝の衰退滅亡により日本に入ってくる文物自体が減少したので
その回復とヤマト王権の勢力伸長が相まって入手が容易になった

九州無敵鉄器軍団(笑)・・・そんなもの考える必然性は全くないなwwwwww

お前の質問は下らなさすぎ
征服王もいなくて銅が入手できたのなら鉄も入手できる道理と言う自己矛盾にすら気づいてない
514日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:35:12.95
>>511
腐っても鯛w
まあ長く大陸との接点があった伊都国は権威があったのかもwww

あと権威はあっても実力は無かったのでクニグニの首長からすれば「安全牌」だったのかもwwwwwww
515日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:35:41.57
糸島はいつの段階かは知らないが、
博多に支配されるか吸収されるかするだろ。

博多湾の入り口に、博多勢力に敵対するような
独立勢力を置けるはずがない。
516日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:39:26.02
>>515
倭人伝に見る「千余戸」とか国勢で見れば昔日の栄光の欠片もないwwww
517日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:45:02.51
>>516

昔日も何も、怡土なら千戸くらいが妥当。

昔にさかのぼったら、減ることはあっても増えることはありえない
518日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:46:00.10
弁韓、辰韓の断面台形鋳造鉄斧は妻木晩田遺跡や兵庫県の大平遺跡から出土しているが
北部九州では出土していないから、九州を介さないルートがある
519日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:49:45.51
三世紀の終わりには山陰で鉄の出土が増加する。
その頃には山陰と半島の航路が確立されても
おかしくない。
520日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:55:38.69
>>510

弥生X期末から博多湾岸には畿内,・瀬戸内系の入植者が始まってる。
畿内系住民が韓人と直接取引はじめちゃったのだから、畿内の遺跡から鉄が出始めるのは当然なのだが。
521日本@名無史さん:2014/06/06(金) 23:58:56.56
方向性が真逆
522日本@名無史さん:2014/06/07(土) 00:09:15.69
>>505
以前松平アナ(”あの”松平の子孫だったっけ?w)がやってた番組じゃあ
まだ「九州説vs畿内説」やってたんだけどなwww

学術レベルはともかく大衆人気が取り柄の九州説にとってマズイ状況でわ?wwwwwwwwwwwww
523日本@名無史さん:2014/06/07(土) 00:34:22.71
結局、纒向説の連中は3世紀当時の纒向がとても栄えていたことは証明できても、卑弥呼に関する証明は皆無ですよね
旧唐書には、倭国と日本国は別物であると書いてますし、複数の王朝が存在していたのでしょう
その王朝を謀略で強引に統一し、奈良に大和王権を樹立したので、日本書紀の記述も曖昧なのでしょう
524日本@名無史さん:2014/06/07(土) 00:51:18.48
その旧唐書は「一に曰く」っであってこんな考えはどうかな程度のものでしかない。
そのようなものを根拠に考えるのは愚の骨頂。
第一、日本書紀の記述のどこがあいまいなのか。
神武の東遷、崇神の建国、景行・仲哀の九州親征、みな具体的だ。
525日本@名無史さん:2014/06/07(土) 01:01:52.77
(辺境の地に詳しい)一人が言うには と解釈できますね
526日本@名無史さん:2014/06/07(土) 01:10:37.71
荒唐無稽じゃなくて事実があるから、旧唐書に倭国と日本国が載っているわけで。
事実、倭国人と日本国人が立ち位置を争っているから、そんな記述になったわけだ。
527日本@名無史さん:2014/06/07(土) 01:16:38.81
>>523
>卑弥呼に関する証明は皆無ですよね

金印か封泥かな?
そんなもん出る確率奇跡的なものだろうな

まあ畿内説ってのは

 「当時の最大勢力が(順当に)魏と交渉をもった」

って説なんだから元々直接的な証拠じゃなくて状況証拠による説と言ってもいい
今後もこの線でやっていくだろうな

じゃあ九州説に何があるんだ?って話になる
弥生時代通しての舶載品の豊富さ言っても意味が無いし
それによる九州内での絞込すらやってない

いくら畿内説に文句つけても
それで九州説が墓場から蘇ってくることはないぞwwwww

いい加減何故九州説が今の状況なのか?納得はしなくても
その構図は理解しような?
528孝霊厨:2014/06/07(土) 07:33:36.64
畿内説で卑弥呼=百襲説なら現状でも証拠的には充分だ。
生誕場所は鏡作神社の近くで、丹の山の
集積地(三輪山=御倭山)の麓に箸墓の存在もある。
また瀬戸内海での伝承も豊富(海人の要素)で
孝霊天皇とオオヤマトクニアレ姫の娘という血統も申し分ない。
こんなのすでに百襲姫で答えが出てるようなもんだw
529日本@名無史さん:2014/06/07(土) 07:48:13.77
>>513
銅の入手は交易であって、その頃にはまだ王は移住してないというだけだが?

>>283氏が見事な相関表を書いてくれてるが、
4世紀前の崇神の5〜6世代前が神武で2世紀後〜3世紀前ごろ。
その前にニギハヤヒが北部九州から来ていたということだろう。
それが纏向遺跡に繋がると思ってる。
天孫本紀に播磨物部と讃岐三野物部がニギハヤヒに供奉して天降ったとあるが、
西条52号や萩原墳墓と関連してると思ってる。

>>520
その頃には北部九州勢力が大和で王権立ててるのだから当たり前。
530日本@名無史さん:2014/06/07(土) 07:58:35.38
>>528
卑弥呼=モモソ姫だと崇神258年没説だな?
モモソが箸墓古墳だとして、崇神の墓がどこなのか述べよ。
531日本@名無史さん:2014/06/07(土) 08:57:17.91
蛇と結婚したり、女陰を箸で突いて死んだりw
モモソ媛の話は三輪山関連の神話から採用されてるだろ。
崇神紀をそのまま史実と鵜呑みにする方がどうかしてるw
532日本@名無史さん:2014/06/07(土) 09:03:26.31
古代の話なのにその程度で実在しないとみなす方がどうにかしてる。
533日本@名無史さん:2014/06/07(土) 09:36:00.40
実在しないとは言ってないがw

大物主を祀るために陶邑から大田田根子を呼んだ筈が、
何故かモモソ媛はその後も神妻のまま。
各豪族から提出された家伝をパッチワークしたから、
色々齟齬が出て混乱してるのだろう。
534日本@名無史さん:2014/06/07(土) 09:46:03.99
時系列としてはおかしくないと思うな。
大神神社創建までモモソ媛は生きてたということだろうね。
535日本@名無史さん:2014/06/07(土) 09:51:25.50
神話と歴史を併記、同列に扱ってる時点で歴史書としての信憑性がw

記紀は同時代に編纂された史料じゃないから。
数百年、口承されていく過程で多くが神話化。
その内容を記載せざるを得なかった。
536日本@名無史さん:2014/06/07(土) 09:58:18.62
神話というけど、
>>283を見ても、古墳創生期と神武を初め各氏族の祖の時期がおおよそ合う。
(1世代20年で計算してだが)
神話と言って敬遠するのは勝手だが「合う」という現実は仕方ない。
537日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:04:22.79
>>536

そりゃ単に「合うような計算もある」ってだけの話にすぎない
538日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:11:32.79
記紀の役割は2つあって。
まずはヤマト王権の正当性の主張。
もう1つは、各豪族がいかに古くから大王に仕えていたか、
何故そのような職掌を受け持つようになったか?の来歴を示すもの。

豪族たちは自分たちの出自を誇示するために、思い思いに家譜を飾り立て、
それでかなり混乱、間違いが生じるようになった。
それを正すというのが、日本書紀の編纂理由の一つになっている。

正すというか、真実が分からなくなってたから、適当に整合性を持たせ、
各氏族間の伝承を調整した、というのが実態だろうがw
539日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:31:20.15
>>537
当時の平均寿命30代半ばとして、1世代間20年で不都合あるのかな。
実際、6世紀前半の継体から4世紀前半の崇神まで10世代だ。
ちょうど1世代20年になる。
540日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:35:56.62
神武の東征はなかったにしろ、弥生の水筒稲作は九州から広まってるからね。
遠い祖先の伝承が神話になってるだけで。
記紀でも崇神までは天皇家は王の中の王じゃなかった。有力な王族(豪族)の一つでは
あったけど。男王が天皇家であってもなかってもどっちでもよい。
とにかく絶対的な王じゃなかったことは確か。

男王も卑弥呼も天皇家なら、そのように伝承され記紀にも書くだろ。
7世紀の人はでっち上げなんかしなかった。しようと思えばたくさんの大規模
前方後円墳を先祖の墓にでっち上げることも出来たのに、伝承に基づき
ちっこいあるのかないのかわからん場所にしてる。
541日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:39:24.05
氏族の始祖って、「大王からこの職掌を与えられた」ってパターンが多いが。
そういった氏姓制度に繋がるトモ制が、三世紀の倭国にあったとは思えないんだよね。

始祖伝承は、その氏族が何故その職掌を司ってるか?を描かないといけないんだろうけど、
〜天皇の頃、とか、かなりアテにならないよな、普通に考えて。

氏族の始祖の世代が大体合う、とか無意味。
542日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:39:36.32
>>537
往生際が悪いぞ。
系譜をねつ造するなら記紀の皇室系譜に合わせて置けばいいものをわざわざ>>283のようにした理由はなんだ?
諸豪族は記紀の記述に反することを承知で一族の系譜を伝えたのだから、信憑性はかなり高い。
543日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:44:53.37
豪族たちが思い思いに適当な歴史を書いてたから、
それを正すために日本書紀を編纂したんだろ。
544日本@名無史さん:2014/06/07(土) 10:51:57.85
>>540
でっちあげもあっただろうが、
記紀に採録された大半の伝承は、数百年語り継がれてきたんだろうがな。
ただまあ口承は、改変されたり、まったく違うエピソードが追加されたり、
時代とともに千変万化してしまうから、そのまま正しい歴史だとは言い難い。
蛇と結婚したり、白鳥に化身して飛び立ったり等、説話文学の類いに近いだろう。
545日本@名無史さん:2014/06/07(土) 11:04:56.32
でっちあげっていうのかそれ?
アリとキリギリスの話はアリが人語を話すはずがないとか突っ込んでたらキリがないし
日本の漫画の人物は目が異常にでかい。外人は気持ち悪すぎだろ、ジャパニーズって思ってる。
じゃあ、日本人は事物をそのまま写実するほど知能が発達していなかったってなるか?
546日本@名無史さん:2014/06/07(土) 11:17:54.00
>>540
稲作が九州からならば、徳川家康も九州から来るはずだとなるか?
ならねいだろう?
そういうことだ。
547日本@名無史さん:2014/06/07(土) 11:19:01.28
>>530
高い確率で崇神天皇陵で正しい。
548日本@名無史さん:2014/06/07(土) 11:59:48.34
>>541
記紀の伝承は○○の祖という形で伝えるのが多いんだよなあ
氏姓制度が確立したのは後世だが、それ以前から緩やかな身分制がなかったと誰が言えるのか
0と1でしか物事を考えられないようでは駄目だ。
549日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:12:07.99
弥生後期、パラレルに列島各地で王権が誕生してる。
筑紫、出雲、吉備、丹後、阿讃播など。

最終的に畿内・東海という広大な平野を持つ首長たちが連合して、
ヤマト王権が誕生したということ。
王権=外部勢力の征服とかナンセンスなんだよ。
550日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:14:09.39
後漢書東夷伝通り、光武帝から奴国に与えられた金印は見つかっているのに九州が最も栄えていた時代はスルーですか
551日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:16:08.65
その後に没落してるからな
552日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:22:38.60
1世紀〜3世紀になるまで日本で最も栄えていましたけどね
北陸や東海や吉備の焼き物
出雲でしか採れない鉱物
三種の神器
大規模集落などが見つかってますけどね
大木をくり抜いた木簡なんて伊都国から50年後の地層でやっと纒向で現れますものね
553日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:23:00.92
>>548
まったく分かってないなw
氏族の祖は当然いただろうが、記紀で語られるような、
「何とか大王から始祖が職掌を与えられた」とかの伝承は嘘だろ、ということ。
記紀の記述に複数の豪族たちの家伝が採用されたのだろうが、
「いかに自分たちの氏族が古くから大王に仕えているか」
を誇りたいために、喧伝や外連、華飾は当然あっただろうと。
554日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:26:04.93
三種の神器自体、いつ頃固定されたか分かってないんだが。勾玉はかなり後らしい。
巻向の天皇陵や陵墓参考地を掘らないとはっきりしたことは分からん。
555日本@名無史さん:2014/06/07(土) 12:34:30.32
>>552
3世紀には没落
その前から斜陽
556日本@名無史さん:2014/06/07(土) 13:05:41.23
三種の神器の最古は吉武高木だろう。
これがなぜなのかよく考えようね。
畿内が文化受容するわけないし、
つまり人間が移動したんだよ。
557日本@名無史さん:2014/06/07(土) 13:12:35.92
奈良で初めて三種の神器が見つかるのが4世紀初頭の桜井茶臼山古墳。(多分w)
不思議な事にホケノ山からは鏡と剣は出るが勾玉が見つからない。
ここにも一つ謎がある。

剣と鏡は軍事と祭祀の象徴。
これは物部氏だろ。

勾玉のない纏向遺跡の3世紀台には大王がいなかった。

4世紀になって大王がやってきた。
それが崇神だ。
558日本@名無史さん:2014/06/07(土) 13:17:29.18
>>547
箸墓が崇神墓という意味なのか?
ならば卑弥呼の墓はどこ?
559日本@名無史さん:2014/06/07(土) 13:45:40.43
>>542
>諸豪族は記紀の記述に反することを承知で一族の系譜を伝えたのだから、

意味不明

どの氏族の系譜も最終的には記紀神話の範疇に収まる
例えば中臣氏ならアメノコヤネ命に繋がるとか
その神話体系から外れる氏族があるのか?

「こういう計算ならいい塩梅に考古資料の○○の出現に重なります」

・・・てものを出したに過ぎない
バランスが取れてたとしても「そりゃバランスとって編纂したんだろう」って突っ込まれるのが落ち

記紀の系譜の証明を記紀及びそれを底本にしたような資料に求めることに意味が無い

だから記紀体系の外にある倭人伝の登場人物「卑弥呼」とかその他の記事の比較をして
記紀の人物の実在性の及びその年代を探る事に意味があるわけだ
560日本@名無史さん:2014/06/07(土) 13:56:12.99
>>559
ヨコだが、崇神4世紀前半として、
纏向遺跡の開始が神武やウマシマジの時代に当てはまるのは、
最近の考古学の成果から判明しはじめたことであって、
記紀編纂者は神武をBC660年なんて事にしてるのだから、
こんな事を知る由もないよね。
>>283を見ると、
中臣の系図などは強引に割り込んだ感が否めないが、
その他の氏族は決してそうではない。
561日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:05:25.02
>>560
>記紀編纂者は神武をBC660年なんて事にしてるのだから、
>こんな事を知る由もないよね。

話は逆だろうに・・・

例えば記紀に神武が3世紀初めの頃の人物と書いてあって
最初それに繋がる考古資料もなくみな架空の始祖だと思ってた

それが3世紀初めの頃の資料が出てきだしたら
皆が「ああ史実性が出てきたな」となるって話で

「一世代○年でちょうどいい塩梅です」なんて根拠になるかアホらしい
562日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:07:01.26
「アジア人の人類史から見た日本人の二重構造」
http://www.ishikari-c-college.com/topics/2013/10/10-7.html
2重構造を調べていくと、地域によっていろいろ意外な特徴があることがわかる。

北海道・東北・沖縄の人達は当然、縄文人の特色が出ます。また西日本の人達は
渡来弥生人の特色が出るのは当然ですが、京都を中心に近畿地方の人達は平均的
な日本人のデーターと全く違う数値を示します。
100%渡来弥生人の特徴を一段と示すそうです。
京都中心とする近畿地方では渡来人の文化圏を作り混血が進まなかったと思われ
ます。

梅原猛・埴原和郎 著 「アイヌは原日本人か」
●近畿
●朝鮮人

●中部 ●新潟
      ●千葉
  ●東北

http://web.joumon.jp.net/blog/wp-content/uploads/1-thumb.jpg
近畿の人と朝鮮人が非常に近いことが目立つ

(1)アイヌは北方に住んでいても「寒冷地適応」を受けていない。
(2)朝鮮半島から渡来した弥生人たちは北方的要素をもっている。
(3)近畿人が朝鮮人に近いということは、近畿地方の人々は弥生人の混血の影響を相当に受けていると想像される。

生体計測値の全国統計資料(1910年代、40年代、50年代の3回に分けてとられた)からの分析(東大人類学教室、河内まき子)によれば、
日本人の特徴によって「中心部」と「周辺部」とに分かれる。
日本の中心部(近畿から山陽、九州の一部、四国の一部)はかなり朝鮮系に似ている。

東北人(=蝦夷)と近畿人(=朝鮮人)には遺伝子的に重なり合いが認められない。
http://livedoor.4.blogimg.jp/amosaic/imgs/e/5/e5a9adbb.gif
563日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:11:48.92
>>561
>例えば記紀に神武が3世紀初めの頃の人物と書いてあって
>最初それに繋がる考古資料もなくみな架空の始祖だと思ってた

すまん、何の話かさっぱり分からん。
「例えば」というからには君の仮定の話なのか?
564日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:23:46.94
考古学的な物的資料で何が分かるんだよ?
鎌倉時代に鎌倉に全国を支配する政権があったなんて
文献があるから分かることだ。
なぜなら、鎌倉時代の考古学的な物的資料ならば、
その時代の二大都市は博多と京都で、鎌倉なんて前者二つよりも
ド田舎なんだから。
565日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:26:14.06
『 三種の神器 』・・・これぐらい実態と乖離したイメージが一人歩きしてるのもちょっと無いぐらい

そもそも九州の王墓を見ても必ずしも3点セットが確認されてるわけじゃなし

それが東遷厨脳内の九州王朝のシンボルというなら
最初に現れた古墳から延々と出続けなければならないが
取り敢えずホケノには玉類が確認されてない

記紀にしても例えば継体を大伴金村がスカウトした時
『 天子の御璽 』として剣と鏡を出したが玉がない
・・・と3種の神器が2種しか無いシーンとかがある

古代の九州からヤマト王権に連綿とその伝統が続いてるとか
根拠の無い妄想はやめた方がいい
566日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:34:36.31
いやだから祭儀の材料の独占てことで考えれば分かりやすいんだよ
出雲や越で産出するのは縄文からの由来があるとされてる勾玉
奈良の辺なら仏教が伝わってるなら銅鐸はなんの不思議もないだろ
寺にはちゃんと銅鐸があるではないか
567日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:47:09.17
>>565
>古代の九州からヤマト王権に連綿とその伝統が続いてるとか
>根拠の無い妄想はやめた方がいい

弥生時代の副葬品に鏡も剣もない奈良が何だって?
568日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:52:25.19
縄文から弥生への転換は、今から3000年くらい前。
邪馬台国の卑弥呼がいたのは、今から1800年前。
縄文から弥生への転換点から1000年以上の時間が経過したのが
卑弥呼の時代。
569日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:53:43.61
またまた北部九州の朝鮮自慢w
570日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:55:06.13
>>567
で?
無かったら三種の神器がどうなるんだ低脳

何か言われたら「きゅうしゅうはいっぱいあるんだぞー」と言い返す脊髄反射
それが東遷厨のド低脳
571日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:57:38.95
>>559
記紀の記述とは神話のことではなく系譜のことだ。
記紀では崇神は神武の9世孫だが、
諸豪族は多くが崇神世代の人物を神武世代の5世孫とする。
これは記紀を底本としていないことの証左だ。
まさかお前の脳内記紀には崇神は神武の5世孫だと書いてあんのか?
572日本@名無史さん:2014/06/07(土) 14:58:16.07
取り敢えず

東遷厨の脳内の九州王朝は三種の神器が王統の御璽
で玉のないホケノはその系譜じゃないということで

東遷説否定材料の一つでいいな?ゴミどもw
573日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:04:18.13
>>570
鏡や剣のある所から「ない所」に人が渡り王権ができた。

>>572
答えは>>557
574日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:06:57.65
>>553
長くしたいなら大王系譜に合わせて中間世代の人数を増やせば
いいのに短くしておく必要なんてないよね?
575日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:10:14.30
>>573
鏡や剣のある所から「ない所」に文物が渡った
弥生時代通しての文物の東進現象と何ら変わらない

よしんばダイレクトに九州からの人の移動があったとしても
そんなもん東遷厨のアホどもの妄想する「王朝交代劇」に繋がらない

馬匹分化を伝えた渡来人がやってきてたとしても
騎馬民族王朝説にならないのと同じ

まああとは精々九州の中で三種の神器を伝える王朝を探して来いw
576日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:12:45.62
ヤマト王権なるは九州の委奴王朝のサブセット

魏を牛耳る司馬懿が魏の辰韓八國直轄化をやらかす目的で

海峡域で如刺史にジャイアンしていた倭王難升米を除去

詔書・黄幢を恵んでおだてあげて東征させてからに

めでたく奈良盆地にもやっとこさ王が発生

王が王であることを証明する宝器は

●昇る昇るの太陽鏡 (升☀)
および
●魏の世界を鏡背に表現した尚方でしでかした真ん中のが黄龍の方格規矩鏡
577日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:12:59.30
鏡や剣のある朝鮮半島から「ない所」に人が渡って来たのは北部九州が先
小朝鮮思想w
578日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:13:21.61
>>575
>弥生時代通しての文物の東進現象と何ら変わらない

唐古鍵に巴形銅器が出てるが、その状況は君の言う文物の東進現象だろう。
しかし纏向遺跡では「王墓」が出来てそこに副葬されてるのだが?
579日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:20:11.85
ちょっと王墓の定義いってみろお前らはよ
580日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:20:40.15
>>578
その王墓は吉備や出雲に発生した文化・トレンドであって少なくとも九州は関係がない

またその古墳の原型は畿内周辺見みられる
九州からわざわざ出前する必要なし必然性がない
581日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:26:49.00
>>579
>王墓の定義

柳田によれば周囲と隔絶した墳丘墓(無論個人墓)で鏡も必須ってことだったが
確かに九州の王墓を見ればそんな感じw

が九州以東に発生した巨大首長墓は副葬品よりその墳丘自体の大きさに特徴があり
(もっと言えばその大きさに反して副葬品は貧弱)
また地域でその形を共有してるのが特徴

九州の王墓とは違う概念
582日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:32:12.56
>>561
記紀を無批判にそのまま読み込んで
神武天皇は紀元前7世紀の人物って書いてあるのに
系譜では3世紀の人物になるのはおかしい!だから神武天皇は存在しない!
って支離死滅だと思わないか?
江戸時代でさえ記紀の干支の記述はうのみにせず
系譜で一世代30年で計算し崇神が三世紀半ば、神武が紀元前一世紀の人物だというのが定説だった。
583日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:34:07.66
王墓の定義以前に王の定義が必須

宣長さんは列島に王が存在したこと自体に不快感

明治以降の学者はえてして常識を欠如

叙任されてはじめて発生するのがリアルな王

王は中華の辺境地支配ツールで帝が天から委託されている権限の一部を假授
584日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:44:52.49
大和が仏教関連に結びついてるなら中華から称号をもらう必要が全くなくなる

なんせ自分らが天なんだからな
585日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:46:24.43
で神武がいた日向の王墓は?

九州王統(笑)の御璽である三種の神器もあるんだよな?

一体何処なのかな?

鏡を副葬した王墓となれば伊都国奴国の玄界灘周辺地域しか無いはず
それを九州という語で括って九州ならどこでも可能なように印象付ける
九州説・東遷説のいつもの詐欺手法
586日本@名無史さん:2014/06/07(土) 15:57:02.76
>>580
>その王墓は吉備や出雲に発生した文化・トレンドであって少なくとも九州は関係がない

纏向遺跡には吉備や出雲も参加してるので問題なし。
鏡、剣の副葬は九州だろう。

寺沢も王権は九州からであると言うNHKの番組の趣旨を聞いてただろうに、
あえて反対してないだろ。
もはや誰もが認めるところだ。
587日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:06:24.21
>>586
>鏡、剣の副葬は九州だろう。

文化の流入・受容だなそれが何か?


さてさてヤマト入りした神武くんはお墓に関してお勉強することがいっぱい

先ず墳丘自体故郷じゃ見たこともない巨大なものを作り
石積槨や葺石、器台ともう故郷のお墓とは似ても似つかないものに入る羽目になりました

それでも鏡や剣を副葬して九州王朝(笑)の人間であることのアイデンティティを表現したのか?
でもその鏡も九州じゃあ馴染みのない神獣鏡でしたとさwwww
588日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:12:27.76
もはやテレビ番組だより東遷説あわれ
589日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:14:07.38
>>587
>文化の流入・受容だなそれが何か?

日本のどこかに、前方後円墳であっても、
そこにアルタイ系木槨があり、
殉葬が見られ、副葬品に銅フクや伽耶系甲冑があれば騎馬民族説は成立する。
(もちろん、そんなものは全くないが)
纏向遺跡での九州の要素はそれと同じ事。

>先ず墳丘自体故郷じゃ見たこともない巨大なものを作り

播磨地域の文化だとして天孫本紀の播磨物部で説明できる。
590日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:17:58.06
見境もなく鏡なら何でも良いのだというのがカス

足元に置かれるレベルの

きっとえろくなれるよ鏡のを帝が贈答用にくれるわけもねえしね
591日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:23:08.19
弥生時代の奈良に王はいなかったのだよね?
で纏向遺跡には筑紫、吉備、讃岐、播磨の要素が強いわけだね?
じゃこの地方のどこかから来た渡来王だよね?
592日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:27:12.96
筑紫はまず落選
593589:2014/06/07(土) 16:28:28.24
訂正
×天孫本紀

○天神本紀
594日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:32:17.95
>>589
>纏向遺跡での九州の要素はそれと同じ事。

九州にあんな巨大な土盛で、
前方後円の形で
石積みの槨で、
葺石のある墓があるのかな?

一部分の共通性で王朝交代劇まで持っていくのは全く同じ

 九州鉄器軍団征服王朝説 = 騎馬民族征服王朝説
595日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:40:20.17
唐古・鍵の弥生巴形銅器は3cmに満たない破片から無理して7足のに復元

復元参照元は明示されずも桜馬場の6足であることは明白

6足で復元されるのが筋だろうに何故か逆らって7足のに復元

そのうえで復元参照元は明示されずという唐古・鍵の弥生巴形銅器は北九州のぱくり
596589:2014/06/07(土) 16:42:41.89
渡来王だとして、どこからなのか文献を見ればいいじゃん。
つまり畿内に降臨してきたニギハヤヒだろうね。
どこから来たかについてはここだろう。
http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/tenjin/onga.gif
597日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:45:01.64
また根拠なき中傷かね
東遷説はゲスだなあ
598日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:47:56.50
>>594
>九州鉄器軍団征服王朝説 = 騎馬民族征服王朝説

何度も言わせるな。
騎馬民族説はせいぜい馬具程度。
甲冑などは日本だし。

纏向遺跡は要素の強さから言って吉備か筑紫からきた渡来王だろうね。
それでいいね?
だいたい奈良には王がいなかったのだから。
599日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:48:00.87
物部が所有した朝鮮系渡来人だろw
600日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:49:23.24
まあ笑えるのは神武と饒速日の身元(九州出身じゃなくてあくまで天孫w)
で用いられたのは三種の神器とは全く違う弓矢に関する道具なんだな

これを「天孫の表(しるし)」としてる

まあこのへんも北東アジア系の狩猟民の文化の現れかな?

民俗学方面に詳しい人がいたら解説を乞いたいw
601日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:57:32.76
落ち目の九州から征服者が来る可能性はミミカキ一杯以下
602日本@名無史さん:2014/06/07(土) 16:58:10.46
>>600
矢を入れる筒である靫(ユキ)ですね。

なぜ神武とニギハヤヒが同族と確認できたかは、
竹細工だったからと推定してます。
竹(真竹)は南九州原産で、自分で分布地を広げられません。
したがって、現在、あちこちでみられる竹林も、
昔に人間の手で植えられたものです。

神武やニギハヤヒの時代ぼ分布地は、
ほぼ九州に偏ってたと思われます。
603日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:12:31.58
物部氏の布留遺跡出土の円筒埴輪
http://inoues.net/club/karakonew723.jpg

これが竹細工であるという事、
そろそろ定説になって欲しいのだが。
604日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:13:56.06
>>598
>何度も言わせるな。
>騎馬民族説はせいぜい馬具程度。
>甲冑などは日本だし。

若駒の首を切り落とし土壙に埋める「犠牲馬」なんて(エグいw)風習は
馬が日常生活にあった渡来人のもの考えられる

また馬匹文化の流入と前後して伽耶からは陶質土器の技術が入りこれが須恵器になる
その他暦法や漢字の本格的使用の開始etcetc

これらの流入は社会の一大変革だ

がそれも征服王朝なんてものを考えずとも
高句麗の南下という半島情勢が日本に与えた影響ということで説明がつく

同様に古墳文化の発生も九州以東に発生した巨大首長墓による埋葬文化という流れの中で説明がつく

一要素で王朝交代劇を強弁する視野狭窄は東遷説も全く同じ

  九州鉄器軍団征服王朝説 = 騎馬民族征服王朝説

何度も言わせるなwwwwwwwww
605日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:19:39.74
三内丸山遺跡でも北陸、関東でも縄文時代の竹かごは出てる
北陸、東北の籃胎漆器も縄文時代からある
606日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:20:32.76
>>598
>だいたい奈良には王がいなかったのだから。

「そこに王がいなかったら外部から王がやってきたことになる」
という理屈は通用しない

じゃあ初代王は何処からやってきたんだという
誠にマヌケな自己矛盾w

古代史以前にもう少し道理を考える脳味噌に取り替えてこいゴミクズ東遷厨wwww
607日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:27:00.51
>>604
その渡来人の墓が何古墳なのか具体的にどうぞ。
せめてなら首長墓を出してもらおうか。

5世紀前後の渡来人流入時期以前から立派な王墓がある日本の話と、
纏向遺跡以前は全く王墓がない奈良の話を一緒にするな。

王墓ゼロの状況で、吉備や筑紫の要素が強い古墳が出来たのなら、
それは渡来王ではないか。
608日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:27:49.66
この馬鹿は問い詰められて、すべての初代王は征服者だと言い出し、九州は?と訊かれてゴニョゴニョ逃げた
609日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:29:54.95
>>605
それ笹竹
610日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:31:09.07
>>603
>これが竹細工であるという事、

?イミフ

・・・なんで弧帯文が竹細工って話になってるんだ?
611日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:33:10.93
>>608
>九州は?と訊かれてゴニョゴニョ逃げた

最古は吉武高木。
もし半島に鏡玉剣の埋葬があるのなら、
あっさりと王権は半島からだと認めるのだが、
今のところはないのでね。
612日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:33:21.61
もう、嫌になるわ。
なんで、こうも、トンデモが一杯になるんだよ。
613日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:33:51.90
>>609

笹竹? 縄文時代の竹カゴの竹の種類を調べたの?
614日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:35:06.92
>>604
今の時代、騎馬民族征服王朝説なんて
アカデミックの場では相手にされていません。
615日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:39:38.75
>>607
>王墓ゼロの状況で、吉備や筑紫の要素が強い古墳が出来たのなら、
>それは渡来王ではないか。

理論性ゼロ
やり直せ馬鹿者

どうやってヤマトの首長が古墳時代の王になる可能性を排除できる?

さてこの世の最初の王は何処で生まれたのでしょうか?
616日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:42:55.95
>>615
>どうやってヤマトの首長が古墳時代の王になる可能性を排除できる?

それでもいいけどヤマトの首長の名前出せよ。
こちとらニギハヤヒだと言ってるわけだから。
617日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:46:31.36
馬鹿だよなあほんとに
朝廷成立の過程で起こってるのは各地で行われてた祭儀に使う道具を職掌的に
支配すること
この辺は四国なんかも古代に関わってくるだろ
618日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:47:32.85
616
どうみても海人系だな
619日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:50:44.72
>>618
そうだよね。
ご丁寧にも桜井茶臼山古墳には宗像神社まであるのだしw

それでもまだ目をつぶって知らぬ存ぜぬを押し通そうとする御仁がおられる。
620日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:53:04.00
ほんとに王朝論好きだな
お前らみたいなやつら過去に土にでも埋められなかったか?
621孝霊厨:2014/06/07(土) 17:53:22.87
最近書き込みし難くなったな。
箸墓=百襲姫なら崇神天皇の墓は何処だ?
と聞いてた奴がいたが、以前も同じ事聞いてただろ。
まずミマキイリヒコという名前からは、
本来奈良県北葛城郡上牧町辺りに基盤がある一族だと考えている。
この辺りは銅鐸も最近中国製の鏡も出土した場所だしな。
で、墓は最近の個人的イチ押しが桜井茶臼山古墳かな?
現時点での年代比定の常識では有り得ないと思うだろうが、
勿論それなりの証拠を集めてはいるが、まぁこれからだな。
622日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:54:38.04
>>611
>最古は吉武高木。

で神武のいた日向の王墓はどこなんだ?


あとそもそもその三種の神器が出た墓(木棺墓)って甕棺墓群の中にあって
それなりの大きさの墳丘を占める首長墓とは違うんじゃなかったか?

要するに王墓の要件を果たしてないし

巨大首長(王)墓の前方後円墳に繋がる話じゃない
623日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:56:03.59
>>621
つまり説明できませんという事だね、どうぞお引取りくだされ。
624日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:56:29.54
うんうん、証拠集めてくれ
なんで過去史がちゃんと残らなかったかの検証材料になるからさ
625日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:56:30.28
>>616 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>こちとらニギハヤヒだと言ってるわけだから。

それはお前が勝手に設定したゲームのルール

付き合ってもらえるとか甘えるなゴミ
626日本@名無史さん:2014/06/07(土) 17:59:23.92
>>625
纏向遺跡以前のヤマト王の名前を出せない分際で、
人の意見の批判はしないように。

ヤマトには大物主っているのだがどうなん?
認めてしまえや。
627孝霊厨:2014/06/07(土) 18:02:32.43
>>623
来れば都合が悪いのかな?
まず大量の水銀朱も鏡も確認出来たしな。
それなりの権力者の証拠ではある。
628日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:03:59.40
>>627
鏡、玉、剣、宗像神社があるから九州系だろうね?
629孝霊厨:2014/06/07(土) 18:09:55.18
九州系というより、北部九州〜瀬戸内海水運を把握したという意味だ。
間違っても九州の王がやって来たとかの解釈はしないw
630日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:10:44.13
>>626 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )
>纏向遺跡以前のヤマト王の名前を出せない分際で、

じゃあアマテラス=卑弥呼と歴史上の人物を当ててる奴は
更にお前より偉いっちゅう話だなwカスがwww

人名当てはめごっこは所詮お前のオレサマルールに過ぎない

まあその手の馬鹿は他にも一杯いるが
631日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:12:28.57
瀬戸内水軍か?
九州の王の名前を出して見な
辺な神様とかの名前さじゃなくてよ
632日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:13:09.94
>>630
人名も当てはめれないヤツが何で日本史板にいるのかな?

何を怖がってるの?
633日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:14:02.20
ニギハヤヒは天磐船で先行して大和入りしてたわけで、土着じゃないだろ
634日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:14:30.24
邪馬台国東遷説モナー
635日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:15:08.19
武藤少弐以前で該当しそうなのは磐井君の名前が見えるだけじゃないのか?
636日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:18:35.21
>>632
なんで人名あてはめゲームなんて付き合いわにらんの?
学問板だよ、ここ
637日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:18:38.58
桜井茶臼山古墳は崇神の母親で物部氏の伊香色謎命あたりだろ。
この時代以後、物部氏は天理の布留を基盤にする。
638日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:21:31.14
>>632 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )

人名を当てるに十分な論拠があればそれを認めるにやぶさかでもないが

お前みたいな

 「ボクちゃんならちゃんと名前言える」
 「ボクちゃんのルールに乗らないのは小心者の怖がりさんだ〜」

と言うのはもう与太を発する馬鹿以外の何者でもない
怖がるって自説にしがみついてるお前だろうにw

で吉武高木は三種の神器が出てもそれは王墓じゃないと思うんだが?
あと神武のいた日向の王墓は?

また

 「畿内人は王じゃなくてもヘタレなので降伏しました」

とかでトンズラするのかな?w
639日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:23:00.01
>>636
637のような話が出来ないなら、何でここにいるのか分からないが?
卑弥呼が誰なのかも当てはめちゃいかんのか?
640日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:26:19.78
神武東征と言われるものは、釣り針を探しに西征して帰還した山幸一族と、お留守番してた海幸一族との争い
641日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:27:05.90
>>639
当てはめるのは結構

だがそれはちゃんと根拠を出せ

「当てはめられる」ということ自体が説の正しさ優位性を保証するものでも何でもない

そこを勘違いしてるのが安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )の馬鹿で

東遷厨にはこの手のが多いwwwwww
642日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:30:01.54
>>638
>あと神武のいた日向の王墓は?

神武以前はそれぞれバラバラで山が多いみたい。
神武も畝傍山に埋葬されてるようだ。
宮内庁管轄なんで調べられない。

>吉武高木は三種の神器が出てもそれは王墓じゃないと思うんだが?

最初は小さくても伝統が保持されてきた事が大事。
吉武高木以外に三種の神器のルーツがあるなら教えてくれ。

で卑弥呼の人名を当てはめるのもダメなのか?
畿内説スレなのに?
643日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:33:45.68
>>641
おまえみたいに人物を当てはめる事もできないで、
人の説の批判してる男は最低なのだが。
せめて俺は誰々だと思うと自説を言え。
言えないのなら批判はするな。
644日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:34:20.45
鏡、玉、剣のセット最古は原の辻
645日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:35:03.88
三種の神器は勾玉、剣、鏡の三種を職掌支配する以前に存在してんのかよ?
646日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:36:07.26
>>639
当てはめゲームがやりたいなら勝手にやれば?
こっちは無視するだけだから。
でも、そんなことする専門のスレみたいに勝手に仕切るな。
厚かましいわ
647日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:36:37.54
四国だかは鏡か?畿内でも鏡がでてるんだっけ?
648日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:37:42.82
>>642
じゃあ神武のスタート地点に王墓は見つからず
ゴール地点のヤマトにも神武の王墓は見つからず
ってことだなよくそれで東遷説なんて言えるな(呆

>吉武高木以外に三種の神器のルーツがあるなら教えてくれ。

そもそも自分は古代には「三種の神器」なんてのは(確たる概念として)存在してなかったと言ってる

大体「伝統が保持されてきた」ってなんの話だ?
九州にそれ以後三種の神器が出続けるのか?
ヤマトの前方後円墳は最初からその副葬があるのか?
どう見てもそんな伝統は無い
実は記紀ですら怪しい(前述

>で卑弥呼の人名を当てはめるのもダメなのか?
>畿内説スレなのに?

それはご自由に
ただしその根拠については当然批判する
649日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:39:29.63
>>643
独善カス
650日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:40:17.29
648
九州からでるにしても三種がでるわけないじゃん
でてもいいとこ銅剣だわ
651日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:41:32.01
>>643 安曇厨( AA荒らしの火病持ちキチガイ )

そういうのを世間一般では

 言 っ た も ん 勝 ち 

というwwwwww

もはや学問でも何でもなく2ちゃんの学問ゴッコですらない
652日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:42:09.39
鉄剣では武器にはなっても神器にはならないから
銅剣以外ありえない
653孝霊厨:2014/06/07(土) 18:45:38.32
桜井茶臼山が崇神比定なら当然没年が258年じゃ合わないと言われるだろう。
だけど倭人伝に卑弥呼の後に立った男王だと
国が収まらなかっ記述もあり、
ハツクニシラス人物とは言い難い面もある。
つまりイヨの活躍以降の記述や記録がない点を考慮すると、
イヨの後の人物が、この男王の名誉回復行為を、
記紀等の文献記述や、四世紀以降に巨大古墳を
築造することにより図ったのではないかと。
何より茶臼山古墳はイワレの里の近くでもあり、
そうなるとイワレヒコ=神武神話を後付けした理由とも説明出来るだろう。
654日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:46:46.10
神器はどこからでも出ていいものではないだろw
655日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:48:08.72
>>644
失礼、原の辻が最古みたいだね。

>>646
畿内説スレなんだから卑弥呼は誰かという話ではないのか?
記紀の登場人物を当てはめてはいかんのか?

全く意味分からん。
656日本@名無史さん:2014/06/07(土) 18:56:22.56
ヨコから読んでるがw
まず、記紀神話に全ての人物が網羅、列記されているという大前提がイタいw
同時代じゃなく五百年以上前のことを書いてるから、
子孫が滅んで歴史上消えたり忘れられた人物は相当数、かなりいただろう。

あとまあ、鏡が出れば九州(筑紫)系とかw
原田大六や柳田の弊害なんだろうがw
前方後円墳は残念ながら吉備や阿讃播経由の半島積石墓の系統だろう。
鏡の副葬はあくまで一要素として採用されたに過ぎない。
マキムク石塚以前の前方後円墳が筑紫から発見されれば別だがw
657日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:00:35.01
>>656
>原田大六や柳田の弊害なんだろうがw

と言うか小林大先生とかw

長らく邪馬台国論争の中心が鏡だったことが
影響してるんじゃないかな?wwww
658日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:01:46.48
654
流入路というものがあるからな
現実的に不可能なところからでる訳がないだろ
659日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:03:18.23
>>656
崇神4世紀前半として、それ以前の人物を比定していけないのか?
孝霊厨の意見には賛同できないが、
彼のように卑弥呼を誰だと言ってはいけないのか?

>鏡が出れば九州(筑紫)系とかw

鏡だけではないのだが。
弥生時代鉄刀がゼロ、鉄鏃もほとんどない奈良に何でそれらが現われるの?
朱の使用はどこから?

>半島積石墓の系統だろう。

具体的に何古墳?
660日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:07:29.16
鉄の伝達は5世紀とかっていわれてるんだろ?
弥生時代とかにでるとか主張するなら帰って変なもんだわ
日本史に入らない歴史があることを示しているのかもしれんがな
661日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:10:55.92
要するに、根拠のないオレ様ルールをゴリ押しし、反論は聞く耳持たんという自己中クンね
662日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:11:16.89
>鉄の伝達は5世紀とかっていわれてるんだろ?


え〜っと…
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu14.jpg

奈良のこの貧弱さwww
663日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:12:36.76
延々と同じことを連呼だな
664日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:14:53.17
はいはい主張する手口を変えてきたねえw
ほいサヨクの正体に結びつきそうだなw
665日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:17:18.80
え〜卑弥呼が誰かも言えない畿内説スレがあるようですが…
             ∧..∧
           . (´・ω・`)
           cく_>ycく__)
           (___,,_,,___,,_)  ∬
          彡※※※※ミ 旦
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   \ どっ!!  /   \ ワハハ! /
     \     /      \    ∞
 l|||||||||||||| ∩,,∩ ∩,,∩  ∩,,∩ ミ∩ハ∩彡
 (,    )(,,    )    ,,)(    )(    )
666日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:19:21.03
>>662
>奈良のこの貧弱さwww

ねー、不思議だねー、

その鉄貧乏の奈良に古墳文化ヤマト王権がおき
やがて鉄長者の北部九州も併呑する

(その図で古墳時代になってもその差は歴然)

結論としては 鉄の総量=国力 というようなイメージが間違ってるって話にしかならない

まあ東遷厨のアホどもは

 「わーいきゅうしゅうが てつ いっぱいだあ きゅうしゅう てっきぐんだん さいきょう」

で満足なんだろうがwwww
667日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:22:05.36
.


え〜小心者の>>666が何かわめいてるようですが…
             ∧..∧
           . (´・ω・`)
           cく_>ycく__)
           (___,,_,,___,,_)  ∬
          彡※※※※ミ 旦
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   \ どっ!!  /   \ ワハハ! /
     \     /      \    ∞
 l|||||||||||||| ∩,,∩ ∩,,∩  ∩,,∩ ミ∩ハ∩彡
 (,    )(,,    )    ,,)(    )(    )
668日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:27:24.11
>>659
どれも二世紀以前に九州外に伝播してるから九州からの直接影響だという根拠なし
669日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:35:44.46
半島南部で見られる倭系遺物は当初九州系であったのに、
4世紀頃から筒型銅器など畿内系に変わると聞いた。
韓国の申という教授が言ってるらしい。
という事は3世紀まで九州が鉄を支配してた証拠だと思うが。
670日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:42:21.02
俺の歴史観だとその間に出雲系があるはず
よう知らんが
671日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:43:54.36
卑弥呼は誰か?っていわれてもさw
まず第一に、卑弥呼が記紀に必ず記載されてるなんて保証無いからw
それは理解出来てる?w

紀の編纂者は卑弥呼=神功皇后説という時点で、
卑弥呼の伝承は八世紀に完全に忘れられてしまっているのは間違いないw
敢えて言うなら、崇神〜景行説話近辺に現れる
巫女たちの誰か、くらいの主張が妥当だろう。
確証が無いから、「まあ、誰々でもいいんじゃないですかね」程度の言い方になる。

卑弥呼は記紀の誰々と決めつけて、そこから議論を膨らますのは、無謀というか妄想だよw
672日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:45:30.27
ようしらんならしゃべるな
673日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:46:15.01
◎卑弥呼が初代皇后ヒメタタライスズ媛である理由

まず名前。
別名でなく、この人ほど「ヒミコ」に近い人物はいない。

そして時期。
崇神4世紀前半として、5〜6世代前の神武が2世紀後半〜3世紀あたりになるだろう。
当然、初代皇后ヒメタタライスズ媛もその時代になる。

【事鬼道、能惑衆 】
大物主の孫娘(あるいは実娘)なのでこんなものは得意。

【年已長大、無夫壻】
夫の神武に先立たれ、2代綏靖が皇位を継ぐまでに、かなり の時間がある。
この時期の様子を描写したのだろう。
卑弥呼を生涯独身であったと勘違いしてる人が多いが、
そんな事はどこにも書かれてない。

【唯有男子一人、給飲食、傳辭出入】
神武の連れ子であり、彼女の義理の息子であるタギシミミだろう。
二人は「できて」しまいやがて結婚する。

【有男弟佐治國】
中国史書には女弟という表現もあるので、
この男弟とは男の手下という意味だろう。
いずれにしても彼女に代わり政治を行ってた人物がいる。
実兄の天日方奇日方命(食国政申大夫=今で言う総理大臣)だ。
674日本@名無史さん:2014/06/07(土) 19:50:51.40
>>669
4世紀なら崇神の時代に朝貢してきた任那のソナカシチが関わってるのかも知れない。
675日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:03:58.25
>>671
まあ畿内説で卑弥呼候補No1の倭迹迹日百襲媛命のプロフで気になるのは最期
あの『神婚譚』とでもいう話

(何でも『三輪山型神話』という言葉まであるらしいwww)

どう見ても神話だし武埴安彦命の反乱の予言も人間離れしてるw

一応は「人間の世」とされる崇神朝以後でここまで人間離れした人物といえば
ヤマトタケル(古事記Ver)が思い浮かぶが
ヤマトタケルもヤマト王権が各地に勢力を伸長させていく様を一種擬人化し
幾人かの事績を一人の人物として描いた・・・という説がある

じゃあ倭迹迹日百襲媛命も何人かの女性(巫女)が習合したようなキャラだとすれば
無論その中に卑弥呼もいるだろうが崇神の大叔母という設定も少し疑ってみたほうがいいかと思う次第wwwww
676日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:07:33.26
鏡=筑紫の影響とか言ってるヤシがいるが、
大事なのは、画文帯神獣鏡が筑紫ではなく畿内中心に出土するということ。
画文帯は恐らく遼東の公孫氏経由の鏡で、
卑弥呼以前から、畿内は既に筑紫を介さず半島と直接交易を行っている。
西新町遺跡がそれだ。
677日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:11:02.38
>>673
>大物主の孫娘(あるいは実娘)なのでこんなものは得意。
そもそも「鬼道」が何なのか分かってない
仙道というものもいれば
神道の原型のようなものを想定する人間もいる
「こんなもの」ってその説がこんなものって話

>卑弥呼を生涯独身であったと勘違いしてる人が多いが、
>そんな事はどこにも書かれてない。

卑弥呼がかつて子をもうけたなんて何処にも書いてない
それが「文献史学」なのか?

>二人は「できて」しまいやがて結婚する。
上に同じ

>いずれにしても彼女に代わり政治を行ってた人物がいる。
卑弥呼にどういう人物当てはめても設定可能
もっと言えば個人名を出す必要すらない
678日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:13:10.80
畿内は舶来品信仰が強かったんだろうな
少し前の日本みたいに
で、半島製のナンチャッテ製品に騙されてしまった
679日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:21:37.31
677
近いのは陰陽道だと思うけどな
菅原道真が有名だろ
鬼使いってやつだな、原形は馬鹿サヨクのやつらが
やったのに近いのかなあ?
効果あるか知らないが
680日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:25:11.99
まあ菅原道真の時点で学問になってるから怪しいもんだがなw
必死になってるの多いけど、実際は後付けだろあれ
681日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:25:47.70
>>677

反論になってない、0点。
682日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:30:08.83
>>681
「卑弥呼が初代皇后ヒメタタライスズ媛である理由」

・・・の理由になってないからな0点のものをいじっても0点にしかならないのはしかたがないかwww

書いてないことを自分の妄想を並べただけ
およそ「理由」といえるような必然性もクソもない

俺のレスが0点でもいいがてめえの与太ももう少しマシなものにしなさい
683日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:32:19.09
684日本@名無史さん:2014/06/07(土) 20:43:52.03
>>682
ま、悪く思うな。
最近書き込みが少ないので、2ちゃんで煽って書き込みを呼び込もうとしてるのだw
685日本@名無史さん:2014/06/07(土) 21:25:44.13
>>669
「らしい」が証拠になることはない。
686日本@名無史さん:2014/06/07(土) 21:31:50.12
>>685
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_03.html
 
2〜3世紀の墳墓群が中心の良洞里遺跡から出土した
倭系の遺物は小型仿製鏡や中広形銅矛など、
弥生後期の北部九州で製作されたとみられるものが少なくない。

 ところが同じ金海の大成洞遺跡や釜山東の東莱(とうね)の福泉洞遺跡の4世紀代の    
墳墓群からは倭系の遺物として、巴形銅器や碧玉製石製品、筒型銅器など、
いずれも畿内のヤマトを中心に分布しているものが出土した。

 韓国の考古学者シン・キョンチョル(申敬K)は指摘している。

3〜4世紀にかけて朝鮮半島の伽耶地区との交流の当事者が、
北九州の勢力から畿内の勢力へと急激に転換した結果だと。
これは邪馬台王権の時代、外交・交易の利権を伊都国王が握っていたと考えられ、
それがヤマト王権の時代となって外交・交易権も畿内に移ったと考えられることに合致する。
687日本@名無史さん:2014/06/07(土) 21:45:23.16
誰ですか、畿内が独自に鉄を入手してたとか言ってたのは?

全然様子が違いますね。
688日本@名無史さん:2014/06/07(土) 21:49:30.03
>>686

でも4世紀なら畿内系の土器はさほど出てないんじゃないかな?
689日本@名無史さん:2014/06/07(土) 21:49:47.89
ほぉらね!
又聞きが証拠になるわけないじゃん。
690日本@名無史さん:2014/06/07(土) 22:38:48.14
>>686
>2〜3世紀の墳墓群が中心の良洞里遺跡から出土した
倭系の遺物は小型仿製鏡や中広形銅矛など、

2〜3世紀の中広形銅矛つて!
カナ〜リ怪しくね?
691日本@名無史さん:2014/06/07(土) 22:43:27.30
>>687
歪曲改竄乙
692日本@名無史さん:2014/06/07(土) 23:05:17.75
>>688
新羅の慶州から4世紀の土師器が出るのは、
神功皇后が屈服した新羅王の門に、
住江大神を祀ったという古事記の話と重なるな。

住江大神・三神のお一人がナカツツノオなんだけど、
倭人の脱解を娘婿にした新羅2代目王が南解次次雄という名前で、
ナカツツノオと読めてしまうのは偶然とは思えない。
693日本@名無史さん:2014/06/08(日) 00:43:44.80
>>675
よこからだが
まったくもって的を得ていない指摘だ。
ヤマトタケルに従軍した七拳脛・大伴武日・吉備武彦はみな系譜上の位置づけが明白で存在は確定的だ。
わざわざ7代孝霊の娘モモソヒメを曾孫の代の10代崇神の時代に活躍させたのはそれに基礎となる事跡が存在したから。
694日本@名無史さん:2014/06/08(日) 02:39:55.57
>>693
>ヤマトタケルに従軍した七拳脛・大伴武日・吉備武彦はみな系譜上の位置づけが明白で存在は確定的だ。


まったく意味不明なのだが?
存在が確定的?なんで?


>わざわざ7代孝霊の娘モモソヒメを曾孫の代の10代崇神の時代に活躍させたのはそれに基礎となる事跡が存在したから。


ていうか、単純に、そういう系譜や伝承があったからだろう。
で、それ自体に信頼性が無い。
695日本@名無史さん:2014/06/08(日) 03:09:22.58
>>675
モモソヒメってのが、後世どういう扱いだったのか?を推察すればいい。
神妻でありながら三輪山の神に嫌われ、神の子=王統を産むことなく
(生殖器を突いて死ぬ=出産の否定)、滑稽味を帯びた死に方をする。

つまりは、王統を残せなかった女性祭祀王の悲劇、前王朝を否定する物語だ。
696日本@名無史さん:2014/06/08(日) 05:09:55.87
>>693
よこから入ってきて来て垂れたご高説の割に
まったくもって的を得ていない指摘だ。

そもそも
「幾人かの事績を一人の人物として描いた」って言ってるレスに対し
「元ネタがある」程度の話をしてどうするんだよ阿呆

もう少し会話能力をあげて脊髄反射で書き込む前にちょっと考える習慣を身につけましょう

>>695
>前王朝を否定する物語だ。

・・というお前の解釈でそれ以上のものは何もなし
個人的には面白みもなにもない浅薄な「オレサマ解釈」にすぎないなあ

「女陰」の解釈にしてもアメノウズメの岩戸の前でのストリップショー等
女の持つ霊力の根源でそれが傷付けられるのは巫女としての能力の喪失
ひいては三輪の神の祭祀の終焉のメタファーという考察等々もできる
・・・まあ比較神話学あたりの分野で学のない自分は詳しくもないのでここじゃあ書かないが

てめえのオレサマ王朝交代劇ストーリーに絡めた与太は考察の幅も厚みもゼロ
697日本@名無史さん:2014/06/08(日) 06:56:31.76
>>696
いつ寝てるの?自分がみじめではないか?
698日本@名無史さん:2014/06/08(日) 08:00:11.13
699孝霊厨:2014/06/08(日) 08:09:58.91
書き込むとしばらくつながりにくくなる、本当に書き難くなった。

百襲姫の死因についてだが、箸で云々はやはり霊力の封印と
何らかの象徴的事象の終焉とみるべきだろう。
それを箸を恥にかけて、嘲笑的な表現で
記述してあるのは確実と思うが。
また以前も書いたが、ハシヒトは土師の他に、
ペルシャ人の意でもある点を軽視してはダメだな。
元々大物主は海を渡ってきた神であり、
金毘羅=クンピーラ。つまり国外の技術や知識をもたらした人物。
後々播磨方面の釜にインド方面の影響は見受けられしな。
700日本@名無史さん:2014/06/08(日) 09:54:37.36
>>696
モモソヒメはこういった比較神話学的解釈が適当で、
「系譜上の位置付けが明白で存在が確定」とかw
記紀鵜呑みの馬鹿解釈よりは有意義だろうw

ただまあ、女性器を棒で突くってのは、丹塗矢神話の類型とも考えられて、
普通なら神妻は神の子を産み、その神の子が部族の始祖(初代大王)
になる筈なんだよな、神話学的には。
それがそのまま死んでしまう(滑稽な描かれ方)。
701日本@名無史さん:2014/06/08(日) 09:56:52.71
モモソヒメの話は三輪山神話の否定を意図しているように読める。
だから大物主は大いに祟り、それを鎮めるために
三輪山神の末裔である大田田根子が河内の陶邑から連れて来られた。
つまりは大三輪氏が三輪山祭祀を職掌する起源説話になっている。

記紀の系譜を鵜呑みにすれば、そもそも崇神自身が三輪山神の血を引いている筈で、
何故大物主が怒ったか?の理由が分からなくなってしまう。
記紀が各部族の家伝のパッチワークで混乱してるのだろう。
元々は大王家に三輪山神の血なんて入っていなかったのではないか。
702日本@名無史さん:2014/06/08(日) 10:16:42.40
大田田根子が見つかったとされる「陶邑」という地名が、後世臭いんだよなw
当たり前だが、須恵器生産は早くて4世紀末。
土器が神を祀る時に重要なのはそう(ミワが聖なる土器の意という説もある)。
昔から蛇は酒好きとされて、三輪氏は水漏れしない須恵器で、
多くの酒を大物主に奉ったのだろう(最終的に三輪山神は酒の神にもなる)。
ただそれは4世紀末以降、三輪氏が三輪山祭祀権を奪取して以降の話だ(5世紀頃?)。
大三輪氏の提出した家譜に「崇神天皇の御代より三輪山祭祀をしている」と書いあって、
記紀にそのまま採用されたからおかしなことになっている。
703日本@名無史さん:2014/06/08(日) 11:18:42.34
大物主を祭祀していたのは大物主の子孫で大王家に何度も娘を嫁がせた磯城県主一族。
この一族はのちに断絶し、それが原因で大物主が祟りを起こしたと考えられた。
そのため同じ大物主の祭祀を知るものを探しだし、それが大田田根子だったんだろう。
704日本@名無史さん:2014/06/08(日) 12:02:24.38
ていうか、大三輪氏の主張する大田田根子を始祖とする伝承が誤り、
ってことの方が重要だろう。

まあ、記紀の記述に誤りが多いのは百も承知の話だが、
一部記紀原理主義者の馬鹿が「記紀に書いてあるから」とか馬鹿な理由で、
「ボクの考える古代史の真実」とか語り出すから始末が悪い。

神話的要素が強い記紀をそのまま鵜呑みにして史実と考える馬鹿に対して、
きちんと分からせてやらないとなw
705日本@名無史さん:2014/06/08(日) 12:15:39.11
スエムラが先にあったから須恵器だろ。
何で須恵器に合わせて4世紀後半以降になるんだよ。
706孝霊厨:2014/06/08(日) 17:50:42.31
箸墓伝承は間違いなく百襲姫だけでなく、
中々影響力の衰えない大物主をバカにする意味もあるよな。
あんた大物主(勿論男根比喩)なのに本当は子蛇だろw
と言ってる話、だから恥をかいたと。

また興味深いのはハジで韻を踏んでるよね?
恥に箸に(ハシヒトや土師も?)
最古のラッパーかもな。
707日本@名無史さん:2014/06/08(日) 22:06:43.02
アッパラパーだろ
708日本@名無史さん:2014/06/09(月) 20:36:43.41
トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」
次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后「氷羽州比賣命」
三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃「美波迦斯毘賣命」
四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」
709日本@名無史さん:2014/06/09(月) 22:17:19.04
これが畿内説
710日本@名無史さん:2014/06/10(火) 06:40:45.99
記紀は神話と実在が混在している記述が多いので
後世の人間は大混乱するんだよ。
たとえば、モモソ媛命と大物主の記述だけど
これは、モモソ媛命が三輪山(大物主)につかえる巫女だった比喩だろう?
モモソ媛命は実在の人だが、大物主は三輪山のことで人ではない。
つまり、モモソ媛命は三輪山につかえる巫女になったので
大物主と結婚したというような記述になった。
だから、モモソ媛命は結婚以来、一度も大物主の顔を見たことなかったわけだ。
当たり前だ。
711日本@名無史さん:2014/06/10(火) 06:43:39.98
>>708 :日本@名無史さん:2014/06/09(月) 20:36:43.41
>トップは伊支馬(いきま)  → 第11代垂仁天皇「伊久米入日子伊佐知命」
>次席は弥馬升(みます)   → 垂仁天皇后「氷羽州比賣命」
>三席は弥馬獲支(みまかし) → 皇太子大帶日子命、後の第12代景行天皇妃「美波迦斯毘賣命」
>四席は奴佳醍(ぬはだい)  → 垂仁天皇妃「沼羽田入毘賣命」

この比定は間違いだと思うわ。
それらの官は、あくまでも臣下な。
それらの官に比定されるべき人物は、皇室の人間よりも
他の貴族から探したほうが良い。
つまり、崇神時代にも活躍したであろう貴族を
新撰姓氏録から探したほうが良い。
712日本@名無史さん:2014/06/10(火) 06:54:31.26
三輪氏は大国主まで先祖を遡らせようとしているけど
実質的には大田田根子命が初代。
713孝霊厨:2014/06/10(火) 09:10:59.98
大物主は海を渡ってきた神だと記述されてるのに、
大物主の正体が三輪山本体ではではおかしな話になるんだけどね。
香久山にも愛媛と大和、二つに別れたという伝承ならあるが、
大物主も金毘羅さんの主神でもあるから
ここでも瀬戸内方面と別れた事になる。
714日本@名無史さん:2014/06/10(火) 13:02:59.83
学術的な分野に地域権利団体が商売顔をして入ってくると
極まれな場合を除いては、大抵がろくでもないことにしかならない、ということだなぁ


畿内派としては同時代の史書が使えず、
一方の九州派とて出土遺跡の規模・内容ではすこぶる不利。

推測される→妥当だとおもわれ→妥当に違いない→確信できる。

このあたりは情熱は買っても学術には向いていない。
まぁ、邪馬台国、という標があるからこそこの時代の考古学熱が高くなったのは
とてもいいことなんだけど、非学術的に一人歩きをし始めては畿内派としても迷惑。

統合とは言わないまでも、なにか総合的にこの列島統合政体形成時代をあつかえたら
もっと楽しそうなんだけどなぁ
715日本@名無史さん:2014/06/10(火) 13:14:35.71
>>714
>一方の九州派とて出土遺跡の規模・内容ではすこぶる不利。

纏向遺跡の筑備讃播という瀬戸内要素は寺沢さんも認めてるのに、
頑なに拒否する連中をどうにかしろと。
716日本@名無史さん:2014/06/10(火) 13:18:17.81
>>711
リンク貼ると書き込めない。
曲学さんのhpから

----------------------------------------------------------------------------------

また景初二年難升米と共に魏に使いした都市牛利とは由碁理であり、
難升米は中臣氏の梨迹臣(なしとみ)であることが解る。
更に正始四年に遣使となった伊聲耆(いぜり)は梨迹臣の弟伊世理(いぜり)であるとする。
他にも宇那比姫を卑弥呼とすることによって、邪馬台国の四人の官もほぼ明らかになる。
筆頭高官、伊支馬(いしま)を、倭氏の邇支倍(にしば)とする。
また二番目の官、彌馬升の「升」は「宿禰」で、物部氏の三見宿禰。
四番目の官、彌馬獲支を「みまくち」と読んで、物部氏の水口(みなくち)すなわち大水口宿禰とする。

----------------------------------------------------------------------------------
宇那比姫を卑弥呼とする事以外は曲学さんの説に賛成だ。
卑弥呼はかなり高齢であろうから、
神武か、その1世代後あたりだろう。
717日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:24:27.81
>>715
あれは別に政体として移動したかどうかまでは確定できないかと思われ。

畿内説はホントにウロコが目に入っているんだよなぁ
遺跡がたくさんあるのはうらやましいけどw

ただし、九州説もなんで東遷にこだわるのかもわからん。
畿内に滅ぼされたでいいんだけど、そういうと周りの九州屋さんがうるさいんだw
718日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:25:12.95
>>715
どうしろも何も、それを見て東遷だと思う人間が一人もいないというだけの話だが、それがどうしたのだ?
719日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:29:16.64
>>717
つてか、政体として移動してきたという話が明確に否定できるだけじゃん
720日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:36:40.20
自分は九州王朝説で、弥生終末期から古墳時代には
畿内に散発的に移住していったという立場かな。

白村江の敗北のあとで、九州王朝の王が疎開するが、
既にその頃にはそれなりの畿内王権も存在しており、
いくつかの政変を経て、結局九州王朝の王は滅ぶ。

しかし、ついていった官僚の幾らかは大和朝廷に吸収され、
7世紀後半から8世紀にかけて、急速に政府としての整備が進む。
721日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:38:20.32
>>711
残念だけど4人そろってる。
モモソ姫もあるし。

崇神朝のことだよ。
「共立」は女王国連合との関係のことではなく、
男王、即ち天皇との「共立」という意味。
722日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:38:49.13
九州に王朝はない。
723日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:40:26.16
>>721
そんな中国語はない。
724日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:42:02.14
飛鳥時代と奈良時代に挟まれた白鳳時代。

さて、この年号は西暦何年くらいの時代でしょうか?
725日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:48:36.62
>>721
>崇神朝のことだよ。

ならば崇神の墓、卑弥呼(モモソ姫)の墓がどれなのか言ってくれ。
まぁ台与の墓には困らないだろうが。
726日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:54:48.35
まあ卑弥呼は日本人じゃなくても台与は日本人なんだろ?
727日本@名無史さん:2014/06/10(火) 14:56:02.81
ヒミコ三文字で失格ですわもお( ´ ▽ ` )ノ
728日本@名無史さん:2014/06/10(火) 15:00:13.51
>>723
それは誤り
729日本@名無史さん:2014/06/10(火) 15:21:58.05
>>716 と >>708比較して

>>716 選ぶ奴はセンスないと断定していい
730日本@名無史さん:2014/06/11(水) 18:03:03.66
畿内説板は死にそうだな。ナムアミミョウホウレンゲキョウインシャラーメン
ダブツー。
731日本@名無史さん:2014/06/11(水) 18:09:59.35
なもなも〜、南無南無〜、仏教由来です
なもなもは東南アジアで唱えられる念仏
732日本@名無史さん:2014/06/11(水) 20:56:38.61
東遷説は33回忌
733日本@名無史さん:2014/06/11(水) 23:56:22.90
畿内説にはストーリーがないのよ。
1世紀や2世紀の何が発展していって、纏向=邪馬台国に繋がるのか、
さっぱりわかりません。
箸墓は4世紀で、纏向は4世紀中頃から5世紀の遺跡でしょ。
734日本@名無史さん:2014/06/12(木) 00:12:23.79
>>733
その情報古い
735日本@名無史さん:2014/06/12(木) 00:21:50.72
古いというか、畿内纏向に瀬戸内各地と東海から人が集まったということだろ
それぞれの地域の特性とか
九州説で知ってるやつとかいないだろ
736日本@名無史さん:2014/06/12(木) 00:26:50.29
各地から農奴が集められ、畿内に投入され、働かされたんだよ。
737日本@名無史さん:2014/06/12(木) 07:22:22.84
>>736
それが本当なら、纏向以前から畿内には相当に強大な勢力があったということだね。
その痕跡は具体的にどこでしょうか?
738日本@名無史さん:2014/06/12(木) 09:46:50.05
>>737

わはは。
そんなものないよねw
739日本@名無史さん:2014/06/12(木) 10:41:18.50
なぜ、纏向以前から畿内に相当に強大な勢力があったということになるの?
740日本@名無史さん:2014/06/12(木) 12:20:55.40
ないのなら吉備、筑紫、播磨、四国、出雲、東海勢力による連合王権。
ま卑弥呼自身は畿内人でもいいけどね。
741日本@名無史さん:2014/06/12(木) 13:00:42.35
>>737

八郎潟の干拓を行った背景に、八郎潟の強大な権力があったわけじゃない。
畿内の開拓を行ったのは、他所の土地の権力者だろう。
742日本@名無史さん:2014/06/12(木) 15:56:01.34
纏向には北九州からの物資も届くよ。
ただし、地理的にみて、畿内、東海、吉備のものが多いだけ。
このへんは、なにもおかしくない。
743日本@名無史さん:2014/06/12(木) 15:58:03.15
>>739
銅鐸文化圏
744孝霊厨:2014/06/12(木) 16:32:22.47
巻向以前には鍵唐古やその周辺にも
大規模な弥生遺跡が確認済みなの知らないのかな?
また河内平野にも沢山集落はある。
745日本@名無史さん:2014/06/12(木) 16:41:52.81
>>744
王墓はないよね?
746日本@名無史さん:2014/06/12(木) 16:46:30.28
ペルシャ戦争のころのアテネって強大な勢力だよな
王様いないけど
747孝霊厨:2014/06/12(木) 17:01:57.85
久宝寺遺跡辺りには大規模な方形墳もあるしな。
何より淡路島周辺には同種の祭祀形態を持つ
海人達がいたのは考古学的にもわかってきてるだろう。
そこが倭国の始まりだとしたのが、記紀の国生み神話。
748日本@名無史さん:2014/06/12(木) 17:41:12.54
>>700-704
>昔から蛇は酒好きとされて、三輪氏は水漏れしない須恵器で、
>多くの酒を大物主に奉ったのだろう(最終的に三輪山神は酒の神にもなる)。

まあ美味い酒を作るには先ず水が必要なわけで
纏向で行われてた祭祀が「水」に関連したものではないかという推測は割と容易にできると思う
 
 ・遺跡に見る大溝
 ・豪族居館に見る(何らかの祭祀に使っていたとも推測されてる)導水施設
 ・銅鐸にも亀や水鳥と言った「水辺の風景」が描かれてるものがある

加えて三輪といえば「三輪素麺」でやっぱり水が必要とwwwwww

あと神話で言えば誰でも知ってる「因幡の白兎」の話も
オオクニヌシが兎に治療方法として真水で傷を癒やすように言ったシーンがあるが
「清浄な水」と言うのは「治癒」に繋がる

まあ奈良盆地自体は水が不足しがちな土地なんだがw
(現代は紀の川から水をひいてる)
749日本@名無史さん:2014/06/12(木) 17:51:49.30
まあ倭迹迹日百襲媛命の三輪山型神話が三輪氏により開始される三輪山祭祀以前の
言わば「原・三輪山祭祀(仮)」の終焉
また「巫女の時代」の終焉の隠喩とすれば

纏向で行われてた祭祀(=卑弥呼の鬼道?)はその原・三輪山祭祀なのか?

仮にそう仮定するとしても素朴に疑問なのは
一地域(奈良盆地南部)の信仰が全国に対し「集客能力」があるもんかとwww

単純に集客能力と言うのなら「道教」の方があるっぽいwwwwwwww
750日本@名無史さん:2014/06/12(木) 18:15:19.23
>>747
久宝寺1号墳って纏向遺跡より古くないだろ?
纏向遺跡の前に王墓があったかどうかの話とずれてるのだが。
751日本@名無史さん:2014/06/12(木) 18:20:49.19
@三輪山の巫女は首長連合の宗教的権威として、共立されただけ。

A東西交易の結節点として三輪山山麓が選ばれ、
そこの地主神として三輪山神が大事にされた。


どちらか?は分からないが、日本書紀を読む限りはAなんだろう。
モモソヒメは恐らく吉備系。
752日本@名無史さん:2014/06/12(木) 18:51:54.78
王権が無くても強国は有り得るのは確かにそう。
しかしマキムク石塚で急に王墓が造られてるから、
突然王権が畿内マキムクで誕生したことになる。
福永伸哉などは、弥生後期の見る銅鐸を共通祭器とした
プレ畿内王権を想定している。
753日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:00:38.57
>>752
>福永伸哉などは、弥生後期の見る銅鐸を共通祭器とした
>プレ畿内王権を想定している。

東遷厨のアホどもには逆に都合がいい話だろうなwww

でもそもそも大和って扁平鈕までの物に限っても
そんな銅鐸文化圏の中心といえる程の濃密な分布を見せてないよな?

それがさらに突線の最後の話となりゃ更に無理筋な話だと思うが・・・
754日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:25:15.70
畿内は見る銅鐸を完形で埋納せず(滋賀県などは完形で埋納)、
破砕してリサイクルしたから余り出てこないらしい。
それでも近年、銅鐸の破片が見つかり出してるそうだ。
755日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:26:03.94
>>751
まあ順当に考えてAだろうな
3世紀に全国区の宗教があったとも考えにくいしw

でも倭迹迹日百襲媛命が三輪山祭祀をやっていた巫女とするなら
そりゃ地元の人間だろうとは思うがwwww
756日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:31:03.07
日本の話

北海道、東北、日本海側、甲信越、関東

その他はコピー
757日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:32:02.44
もともと朝廷の祭儀って女性がやってたの知ってるか?
そこから段々と男性に移っていきヒマになった女性らが
一般人相手に祭儀関係を始めたのが巫女の始まり
それがやがては芸妓になったり遊郭になったりして遊女
なんかへと発展していく
758日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:33:27.21
そんな話は関係無い
759日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:35:39.73
どう関係ないの?
そういった巫女らの文化は一般社会に影響与え
日本文化の一部を構成してるが?
760日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:37:06.17
誰かが男性=オノコと書き込んでますが、

アイヌ語で女性をメノコと言います。(メノコ=公家言葉は間違っており、アイヌ?倭人?言葉です)

アイヌ語で男性はオッカヨです。


メノコやオッカヨから発生し、男性をオノコとしたのは渡来人でしょう。
761日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:37:17.20
東西交易の結節点(たぶん大市もあった)付近で関塞の神でもある太陽神を祀る巫女を、瀬戸内通商ギルド(東国販路キボンヌ組)が中心となって担いだ感じ。
762日本@名無史さん:2014/06/12(木) 19:39:07.66
雷、暴雨、雨霰

色々あるでしょ?

763日本@名無史さん:2014/06/12(木) 20:08:53.07
教科書の子供の教育じゃないんだからさ。

考古学で書き込むなら、

日本に漢字伝来するまでは(大陸の史書にあるもの以外)は

カタカナで書いてほしいものです。

ジンム天皇とか・・・・・・
764日本@名無史さん:2014/06/12(木) 20:36:42.86
漢字ないけど北京原人
765日本@名無史さん:2014/06/13(金) 08:49:09.32
>>755>>766
何故マキムクが王都に選ばれたのか?の問題にも通じるな。

海石榴市を差配していた三輪山の神官が徐々に権力を集めた、
というような考古学的裏づけはない。
むしろ、マキムク造営は突発的で、マキムクの立地は計画的に選ばれてる。
それ以前の奈良盆地の盟主的首長が住んでたのは恐らく唐古鍵遺跡で、
三輪山の神官が住むには三輪山から少し離れ過ぎている。
766日本@名無史さん:2014/06/13(金) 09:20:26.79
そう?
遥拝に適した立地だけど?
767日本@名無史さん:2014/06/13(金) 13:47:34.65
>>765
唐古鍵遺跡よりも前に中心地だったのは
葛城市、御所市、橿原市のあたり。
768日本@名無史さん:2014/06/13(金) 14:44:42.15
>>750
弥生中期最大級の方形墳の事だろう。
769日本@名無史さん:2014/06/13(金) 14:54:53.96
>>767
葛城市、御所市、橿原市は発掘が進んでないだけで、
何かあるとは思うが、
唐古鍵遺跡よりも前ということはないだろ。
770日本@名無史さん:2014/06/13(金) 17:41:55.74
>>755>>767
弥生後期を通じて、特定首長墓の発展が見られないんだよな、畿内は。
どうやら、部族社会の内部規制で、特定個人の階層化が進まなかったようだ。
それがマキムクで突然巨大古墳が築かれる。
土着の巫女が急にそんな風に神格化されるものだろうか?
771日本@名無史さん:2014/06/13(金) 17:48:32.80
弥生後期にかけて、1〜2人しか葬らない大型の方形周溝墓と共同墓地の二極分化が進んでいる。
弥生終末に100m級の大型墳丘墓が登場、半世紀後の巨大古墳が誕生。
急速ではあるけれど、べつに無理のない発展ですね。
海外の先進的異文化と接触した場合、よくあります。
772日本@名無史さん:2014/06/13(金) 17:57:43.19
弥生後期にかけて、ってどの遺跡?
773日本@名無史さん:2014/06/13(金) 17:58:42.64
首長墓が無いのは二次葬文化だったからでしょ
古墳に埋葬して神社で祀るってのもある意味二次葬だから、古墳−神社制が受け入れられたんだろ
774日本@名無史さん:2014/06/13(金) 18:36:22.03
もう畿内に決まったんだよ ほほほ
教科書ももうすぐ書きかえられる
775日本@名無史さん:2014/06/13(金) 18:40:39.48
詐欺って必ずそう断定するものなんだよ。
776日本@名無史さん:2014/06/13(金) 19:43:46.12
>>770
その問題は畿内とか奈良盆地だけで考えるべきじゃないだろう
吉備・出雲・濃尾と九州以東で起きた潮流として考えるべきだと思う

ある程度の身分の階層化は進んでいてもそこから何故
巨大首長墓を要する王権構造のようなものに飛躍したのか?

自分としては
舶載品を入手するためのネットワーク形成
及び近隣の集落との間で一種の「手打ち」「平和条約の締結」による安全保障
の如きものがあったのではないかと想像する

後者については例えば山陰での銅剣や銅鐸の大量埋納は
山陰地方の有力首長がそれぞれの王のシンボル(レガリア)を共同で埋納することによる
一種の手打ち・意思確認のような儀式だったのではないかと・・・
777日本@名無史さん:2014/06/13(金) 19:59:32.00
>>775
まさに九州説の老害達のことだろう。
778日本@名無史さん:2014/06/13(金) 19:59:54.86
邪馬台国は九州にあった。
空白の4世紀は邪馬台国が衰退して、中国との往来が途絶えたから。
各地の勢力が乱立している中で、4世紀後半の畿内の勢力が台頭し、
その痕跡が箸墓や纏向です。
779日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:01:07.81
つまり、箸墓や纏向は4世紀後半から5世紀の遺跡です。
780日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:01:33.09
こういう、まったく根拠を言う気のない断定屋さんが
上記の、いわゆる老害ね
781日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:08:15.06
>>780
畿内説の根拠って、目ぼしい遺跡や掘り出したモノを
無理やり「卑弥呼の時代のモノだ!」って鑑定しているだけだよね。
782日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:08:40.73
問題ない
5年後に30%に減り、10年後には誰もいないから
783日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:09:17.58
>>779
東遷説は東遷説スレへ
ゴミはゴミ箱へ

と言うか近畿の年代だけ動かして九州はそのままだと
土師器も前方後円墳も九州発祥ということになる

無論ここの九州説の殆どを占める東遷厨・九州王朝厨にすれば
それこそ万々歳だろうが

流石に学者(邪馬台国問題にコミットしてるか否かを問わず)や
まともに物を考えられる市井の歴史愛好家はそんな与太には乗れないw
784日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:11:26.34
塵は塵に
灰は灰に
東遷説は墓場に
785日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:12:51.00
いや、はなかい東遷説
786日本@名無史さん:2014/06/13(金) 20:46:08.30
まさに東遷説には起源の墓無いよな
787日本@名無史さん:2014/06/13(金) 21:50:49.92
>>776
鉄を中心とした遠隔地交易の需要の高まりが、
広域王権を要請したのは間違いないだろう。

で、東瀬戸内〜畿内〜東海が纏まるにあたり利用されたのが
神仙思想であり古墳=首長霊祭祀なのも間違いない。

三輪山みたいなローカルな神南備信仰で広域の首長連合が形成されたとはとても思えない。
788日本@名無史さん:2014/06/13(金) 21:55:58.66
琵琶湖とか亀岡湖とか奈良湖とか河内湖とか、湖が大好きな集団が居たっぽい
789日本@名無史さん:2014/06/13(金) 22:26:08.26
畿内説の心の拠り所である「考古学的成果」は、
時代測定の方法が確立していないから根拠になりえない。
偉い学者がそう言ってるって?
そんなの、藤村やSTAPを見抜けなかったことから、
如何に信用できないかが明らかだよね。
790日本@名無史さん:2014/06/13(金) 22:41:26.88
ていうかさw
考古学的暦年代測定が出来なければ、
古墳時代なんて真っ暗闇で何も分からなくなるんですが?w

結局、現在の暦年代じゃあ東遷説が成り立たなくなるから、
昔のいい加減な暦年代の頃に戻れ、って主張だよね。
791日本@名無史さん:2014/06/13(金) 22:43:41.05
名大の中塚教授の手法の結果を待とうよ。
792日本@名無史さん:2014/06/13(金) 22:47:56.09
>>787
まあ三輪山信仰がローカルすぎるだろうってのは上で自分も言ってるんだけどw

「神仙思想」がはたしてどこまで全国的にアピールしたかはかなり疑問
(このへんは「卑弥呼の鬼道」って話になるんだろうが)

先ず遺物においてそれが見られるのは「神獣鏡」だろうけど
そもそも現在「纏向型」と言われるものには鏡の副葬が確認されてないものの方が多いんじゃないか?
(未調査、盗掘・・・等あるだろうが)

ぶっちゃけ古墳って「王の墓」と言う高貴なイメージとともに
「人柱」というイメージもするw
氾濫原に造られたようなものは治水の祈願だろうか?

つまり古墳の原型は「マウント+人柱」で
その人柱の霊が首長霊であればなお一層霊力が強いとw

特に定型化出現以後
「聖と俗」「ハレとケ」じゃないが周濠を張り巡らせ外界と遮断して
継続的祭祀も長く行われたようにも見えないのは
そういうイメージを持つ

ホケノの構造にしても天井が崩落して石が流れこむのは承知のうえで設計されてるわけで
霊を閉じ込めようとする意図が感じられるwww
793日本@名無史さん:2014/06/13(金) 22:55:06.97
桜井茶臼山古墳
奈良県桜井市外山外山谷 葺石あり 埴輪なし
柄鏡形前方後円墳とみなされているが尾根先端頂に構築された方形墓

尾根先端頂
+地山整形 http://www.gensetsu.com/091030sakurai/doc1.htm
+9.75×12.3×高1m方形壇
+二重口縁壺列
+方形木槨10×12mの範囲で300φ-4000L程の太柱150本(埋め込み部1.3m)で密な柵
+放火し燒く葬儀
+竪穴式石槨
+天井石12粘土被覆 天井石の最大のものの推定重量 約1.5t
+水銀朱塗布
+船底形木棺
+棺床土
+板石敷詰
794792:2014/06/13(金) 22:55:12.07
まあ神獣鏡が倭人に受けたのはバックグランドの神仙思想もあるだろうが

身も蓋もない話、神や獣(時代が下るとそこに仏も入ってくるが)
そういったものが(幾何学的模様より)物語をイメージさせやすいからだと思うwwwww
795日本@名無史さん:2014/06/13(金) 22:58:28.09
神獣鏡は卑弥呼と男王じゃね
796日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:00:39.56
現代だと、猫鏡と犬鏡で人気が二分されそう
797日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:03:05.88
>>796
そこに「九州の魂」が注入された「くまモン鏡」が乱入
東遷説の一大根拠に!
798日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:05:02.45
まあ確かに怨霊封じだとか、王殺しなど、
比較神話学的には色々なモチーフが読み取れる可能性はある。

ただ初期古墳の立地を見る限り、
尾根の先端、見晴らしの良い場所に造られることが多い。

やはり国見やら国誉めの習俗と不可分だろう。

昔の偉い先祖が自分たちを見守ってくれている
というのが古墳=首長霊祭祀の原点だろう。
799日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:05:53.49
少なくとも、九州説を東遷説みたいな無節操コウモリ詐欺師と一緒にしないでほしい。
800日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:10:00.16
3世紀頃の倭人が
仙骨のある者が修業をして不老不死を目指すといった神仙思想を理解できたものだろうか
むしろ三角鏡の文様に、現実にキヌガサをさしかけられた卑弥呼と男王を見た
といったほうがいいような気がする
801日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:11:47.21
>>1
新スレ立てました

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!81
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1402668515/
802日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:15:32.87
>>798
定型化第一号の箸墓は氾濫原じゃなかったっけ?

丘陵や尾根を利用してるのは身も蓋もないが
「省エネ」的側面が強かったんじゃないかと思うw
803日本@名無史さん:2014/06/13(金) 23:24:46.04
そもそも纏向は地盤が軟弱で土木工事しやすいという面もあって
選ばれたんじゃないか
804日本@名無史さん:2014/06/14(土) 00:41:23.15
>>803
でも工事自体はやりやすいかもしれんが
逆に大量の雨が降った時は地盤が緩いぶん土砂が流出しやすくて
長期で見たら住むのには適してるのかどうか・・・
805日本@名無史さん:2014/06/14(土) 06:59:03.58
扇状地って地盤が緩いのか?
山側からの土石流とかの恐れはあるだろうが。
806日本@名無史さん:2014/06/14(土) 07:27:58.48
小エネだ〜の工事だ〜の
商業理論が見え隠れしてるから???って感じられちゃうんじゃないの?w
近世ここ100年ほどにできた住宅企業の影響で1000年の歴史あった宮大工は
消えましたとさ
807日本@名無史さん:2014/06/14(土) 07:35:03.50
寺や神社のちょっと手が込んだ程度の建物も、
宮大工じゃないと手が出せないらしい。

宮大工の数が減ったせいもあってか、
親戚の寺の修理では、2年位待たないと順番が回ってこないとか。

清水建設とか宮大工あがりの建設会社もあるそうだが。
最古の会社が宮大工の金剛組だったっけな。
808日本@名無史さん:2014/06/14(土) 07:39:49.12
本堂なんかはかろうじて、昔ながらの建築物だが、
周りの集会所なんかはすっかり現代建築になっちまって、
風情がないことといったら。
809日本@名無史さん:2014/06/14(土) 09:12:59.19
箸墓=卑弥呼の墓でほぼ決着。卑弥呼=モモソ媛命な。

ちなみに、魏志倭人伝によると、この卑弥呼の国を建国したのは男の王で、
この王統は男王によって継承されていたが
臨時で女王卑弥呼が即位した。

この建国した男王の正体は、火明命。
出雲国譲りを達成して、倭王の即位した。
この火明命にはニニギ命という弟がおり、出雲国譲りの後
兄の火明命の命令で、九州高千穂に派遣される。
この人物が現在の天皇家の先祖であり、卑弥呼ことモモソ媛命の先祖である。
810日本@名無史さん:2014/06/14(土) 09:53:56.03
卑弥呼の国=倭国連合。
倭国連合の最初は誰かわからないが、弥生中期、玄界灘グループの首長の一人だろう。

奴国が盟主の時に後漢に遣使、光武帝より金印を下賜される。
倭面土国(伊都国?吉備国?)帥升を経て、
卑弥呼の時に倭王の座が大和国に移る。
811日本@名無史さん:2014/06/14(土) 10:12:04.91
倭人伝に拠る限り、卑弥呼の前には断絶があるのだが。
812日本@名無史さん:2014/06/14(土) 10:31:03.10
ワールドカップ見てる?サッカーのことだよ
813日本@名無史さん:2014/06/14(土) 10:41:15.25
血を受け継いでいる人達は、どこへ行ったか、
現在どこにいるのか、それが重要。

それとHIMIKOは、何ていう名字(氏姓)になったの?
現皇室?
814日本@名無史さん:2014/06/14(土) 10:51:51.65
マキムク遺跡は小高い扇状地の上にある。

扇状地は一般的に大粒の砂礫の土壌で、
水がすぐに浸透してしまい、水田には不向き。
→大規模な集落跡が見つからない。

ただ地下水が深いところにあり、大型建築とかがしっかり建てられる。
→南北19メートル、東西12メートルの大型建物跡(宮殿)が見つかる。

扇状地は平面ではなく旧河道が幾筋も残り、小さな起伏、微高地がいくつもある
→整形して古墳に利用。
815日本@名無史さん:2014/06/14(土) 13:23:37.80
倭の面土国とは、筑紫の米多国(メタ国)のこと。
現在の吉野ケ里遺跡のあたり。
816日本@名無史さん:2014/06/14(土) 13:26:18.37
>>811 :日本@名無史さん:2014/06/14(土) 10:12:04.91
>倭人伝に拠る限り、卑弥呼の前には断絶があるのだが。

完全に断絶しているのなら、そこで、国姓が変わる。
でも、魏志倭人伝の作者はそのように認識していない。
817日本@名無史さん:2014/06/14(土) 13:55:45.27
国姓が変わるも何も、国姓が何か?も書いてないのだが。
そもそも卑弥呼の前後の大王の名前も記載されてない。
818孝霊厨:2014/06/14(土) 19:01:36.84
古代日本の諸慣習、卑弥呼のような女性の王制を色濃く残したのは、
沖縄、琉球の聞得大君に他ならないだろう。
殆ど顔を見せずに身のまわりの世話をするのは
一人の男性(しかも弟)
王は太陽神である聞得王君の言葉を臣下に告げている。
しかも霊力の豊かに響く様を鳴響(トヨ)むともいうからな。
江戸時代以降、薩摩藩の侵入によって巫女勢力は一掃されてゆくのだが。
819日本@名無史さん:2014/06/14(土) 20:58:10.13
>>814を読めば分かるとおり、マキムクってのは、
宗教と政治、交易、古墳に特化した特殊な場所だったんだろう。

人が住んだ形跡が余り無いのは、交易やら古墳造営など、一時的な居住者が多く、
細い柱で仮設住宅を作っていたから、見つかり難いので。
820日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:02:50.35
纏向は大きなクニの祭祀的な中心部だっただけで
居住地は大和川沿いに点在
というか、吉備や四国東部、近江や東海の一部まで邪馬台国として考えていいだろ
821日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:04:44.55
倭人伝の七万戸というのがもし何らかの真実を含むのなら
1万戸くらいの拠点集落が7つ程度という感じだろうな
822日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:20:40.26
東海を邪馬台国に入れてしまうと、狗奴国の候補地がなくなってしまうw
阿波讃岐播磨の東瀬戸内+中河内+大和あたりが妥当だろう。
大阪湾沿岸部の首長連合。東海は最大の交易相手で、
最終的に戦争になり、東海が勝ち、崇神が即位(ハツクニシラス)。
三輪山の大物主は大いに祟ったようだ。
823日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:23:56.59
>>822
東海でも西部と近江、東部と関東は違うようだが
824孝霊厨:2014/06/14(土) 21:24:37.09
七万戸もの大国なら、瀬戸内海沿岸諸国+河内平野に奈良盆地程度。
つまり大体百襲の伝承範囲とみてよいだろう。
825孝霊厨:2014/06/14(土) 21:29:04.40
狗奴国は四国南部や南九州の一部、又は紀伊半島の南部を指す。
つまり太平洋側の国なので瀬戸内海の邪馬台国の南で問題ないはずだ。
826日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:37:11.15
黒潮文化圏が狗奴国と言われても、政治的統合がまるで見られないのだが。考古学的に。
827日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:50:04.10
纏向に拠点を置く集落が、直接に遠い地と戦争するのは無理だろう
せいぜい狗奴国は伊勢湾の東海岸のほうじゃないか
828日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:50:55.67
狗奴国は神門から出た土器から、関東・毛野・北陸・東海だろう
これらは一体の文化圏を形成してた
829孝霊厨:2014/06/14(土) 21:52:43.24
まぁ非常に大雑把に言ってしまえば、
狗奴国は後の蘇我に繋がると想定してるんだけどね。
830日本@名無史さん:2014/06/14(土) 21:54:21.76
物部だろーが、バカなのか?
831日本@名無史さん:2014/06/14(土) 22:00:01.62
葛城ならまだしも、蘇我に繋がるとか無根拠に妄想を語られてもw
832日本@名無史さん:2014/06/14(土) 22:09:14.93
海部がカイフなら物部はモノノフだろう、武士そのもの
833孝霊厨:2014/06/14(土) 22:19:02.42
まぁ妄想レベルの話だが、根拠はそれなりにある。
狗奴ならそのまま葛にも転化出来るだろう。
倭人伝には詳細が書かれてないが、七万の大国に対抗出来る国は
当然大国であり、何らかの価値を持つ国だろう。
卑弥呼の死後、狗奴国がどうなったか判らないので
今のところ妄想するしかない。
卑弥呼後の男王は狗奴国が関係したのかも。
卑弥呼が出来なかったのに、トヨが丹を献上出来たのは、
狗奴国が関与したのかもしれないからな。
834日本@名無史さん:2014/06/14(土) 22:39:57.43
狗奴国が九州中部とかないだろう
あのあたりは弥生末は食料不足でかつかつだ
むしろ関東など広い後背地を抱えた
東海が候補としてはふさわしいだろう
835日本@名無史さん:2014/06/14(土) 22:53:18.69
坂東武者の祖、毛野氏族について語ろう
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1329022431/
古代の関が原 関東の東西戦争
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284125193/

邪馬台国を語るならこういうスレも見とくべき
836日本@名無史さん:2014/06/14(土) 23:03:39.51
>>833
妄想するにしても少しは根拠がいるだろう。

和歌山〜南九州にかけて、三世紀に政治的統合を思わせる痕跡は無い。

学問板なんだから、いい加減な思いつきは書き込むなよw
837孝霊厨:2014/06/15(日) 02:34:47.28
学問板でも東遷説のスレとかある位だから余裕だろうw
東へ移動して行くのは狗奴国かもしれないな。

考古学は古代史解明に重要だが過信するとダメなんだよ。
銅鐸文化圏やら△鏡の例もあり、新たな発見で
総崩れになる危険性もある。
838日本@名無史さん:2014/06/15(日) 04:06:38.25
狗奴国=東海説と言うのは今の考古学者にも多く支持されていて
このスレでもその支持者が多いんだろうが・・・
正直自分はこれだけは畿内説でもあまり筋のよくない話だと思ってるwwwwwwww

(1)敵対関係を想像させる材料がない(物証)
前方後円墳と前方後方墳なんてそれこそ正月の餅が角餅か丸餅程度の差で
単なる文化圏というだけの話でその東海もやがて前方後円墳に収束してる
それで敵対関係を描き出すなら
銅鐸の三遠式と近畿式で敵対関係を描き出せるという話だが
まあ「狗奴国=東海説」を主張してる人間でもそこまで言うやつはいないと思うがw

(2)敵対関係になる理由が想像できない(状況)
上記(1)が物証なら情況証拠と言うか敵対関係に陥る状況が想像できない
ヤマトの勃興による受益者は東海・関東であって
単純に言えば東海とヤマトはWin-Winの関係だろうにw
まあ東日本におけるイニシアチブ(「仕切るのは俺だ!」w)でもめたとか言う筋書きは作れないことも無いだろうがwww

(3)魏の介入の効果等
はたしてヤマト以東の東海地域に魏の威光がどれだけ効いたか?
それに邪馬台国そのものの脅威の排除に他国の介入を許すというのはかなりのリスクが有る
まあぶっちゃけ面子もあるだろうしw
そもそも卑弥呼の魏への連絡は「倭国女王」としてであろうから
倭国のことであればそれがヤマトからいかに遠い地域でも関係してくる話
839838:2014/06/15(日) 04:23:19.82
・・・で「じゃあお前は狗奴国を何処に比定するんだ?」と聞かれれば
昔の「狗奴国=菊池」あるいはもう少し北にして何れにせよ九州中北部と答えたい

>>838の(1)物証(2)状況で言えば
まあ(1)物証が無いのは同じだが強いて言えば(纏向型)前方後円墳の出現してる土地から
南に少しアドバンテージを見てそこから先はまだ本州や畿内ヤマトの文化の受容をしてない地域として
一応のラインの目安?とする

(2)の状況については鉄や他の舶載品が東日本にも流れるようになれば逆に
当然それまで潤沢に流れてた九州の中北部が割を食らうのは必然
工人層を抱え舶載品や加工品が求心力になっていた首長層にとっては文字通りの死活問題になるのは想像に難くない

(3)の魏の介入に関しては言ったとおり倭国女王の資格で連絡してる以上
邪馬台国(奈良)に直接の脅威でなくても倭国での争いなら倭国女王には関係してくる話
(無理やり邪馬台国(奈良)に近接する地域を想定する必要はない)
むしろ魏への連絡はその中北部の狗奴国と対峙してた(首長連合加入の)九州の首長らから
卑弥呼に要請したのかもしれない
840孝霊厨:2014/06/15(日) 07:42:54.97
畿内説でも私のは相当変わっていると自負してるからな。
戸数の問題では巻向(奈良盆地東南部)=邪馬台国説も否定しているし、
狗奴国=東海説というのも、敵対する条件や
状況証拠の少なさで今のところは否定する。
狗奴国とは邪馬台国(女王国)の南に存在し(後に東)
邪馬台国に屈しない程の、男王を持つ国である。
瀬戸内海を女王国と捉えると、必然的に太平洋側諸国になるはずだが。
841日本@名無史さん:2014/06/15(日) 16:40:11.85
敵が味方になったり味方が敵になったり忙しい時代だったのさ
842日本@名無史さん:2014/06/15(日) 18:21:57.59
都出や福永が言ってるのは、初期の三角縁が東海から出てこない。
むしろ東海地方を囲むように出てくるのをもって、
畿内王権の対東海戦略を読み取るというものだったが。
東海が畿内と親密なら、三角縁が出てくる筈だよな。
843日本@名無史さん:2014/06/15(日) 19:37:42.98
田舎者に、首都圏では通用しない紛い物をばらまいただけだろう
844孝霊厨:2014/06/15(日) 20:02:53.05
そもそも狗奴国が卑弥呼と対立していたのは三世紀半ばまでの話。
倭人伝にはトヨの代の狗奴国の記述はないのだからな。
△を狗奴国の根拠にするのはどうかと思うが。
845日本@名無史さん:2014/06/15(日) 20:09:06.10
完全なバカでは無いみたいね
846日本@名無史さん:2014/06/15(日) 20:37:51.03
>>842
>東海が畿内と親密なら、三角縁が出てくる筈だよな。

その辺はぶっちゃけて言えば
「釣った魚に餌をやる必要はない」
と考えるwwwww

あと前方後方墳で最古のものは瑞龍寺山だったか?
吉備の楯築よりは前の年代が与えられてると思うが
要は畿内ヤマトで前方後円墳が完成して三角縁神獣鏡が作り始められた時には
既に墓制の標準みたいなものが完成されていて三角縁神獣鏡の受容の素地(ニーズ)がなかったからではないか?

逆に前方後円墳を受け入れた地域は三角縁神獣鏡を言わば「セット」で受け入れたと・・・
847日本@名無史さん:2014/06/15(日) 21:02:26.45
狗奴国(コノ国)=許乃国(コノ国)
狗奴国王の卑弥弓呼(ひこみこ)=許乃国の領主の武埴安彦命
848日本@名無史さん:2014/06/15(日) 21:50:49.03
新羅の脱解王のタパナ国って

日本のどのへんなん?
849日本@名無史さん:2014/06/15(日) 22:14:16.05
西日本では岬のことを「ハナ」と呼ぶ所が多々あるので岬と関係がありそう。
850日本@名無史さん:2014/06/15(日) 23:29:47.66
>>849
岬があるって丹波とか?
851日本@名無史さん:2014/06/15(日) 23:36:23.02
東京湾の中にも岬はあるし、河内湾とか香取海の中にも岬はあったんじゃね?
852日本@名無史さん:2014/06/16(月) 00:53:15.00
>>848
朝鮮総督府が編纂した幻の名著「日韓上古史の裏面」によれば
但馬で決まりのようだぞ
853孝霊厨:2014/06/16(月) 10:02:22.46
タバナ国は女王国の東北千里だとされてるので、
女王国を瀬戸内海大三島辺りとすると、
丹波辺りでぴったりだろうな。
854日本@名無史さん:2014/06/16(月) 13:58:27.41
タチバナ国、即ち常世の国の事だね
855日本@名無史さん:2014/06/16(月) 23:00:31.86
>>846
いや、その古墳祭祀が共通か?そうでないか?が重要ではないか。
古墳の祭り=首長霊祭祀で、同じ墓を造るということは、神話や先祖を共有するということ。

前方後円墳と前方後方墳とは明らかに対立する概念だと思う。

畿内に前方後方墳が造られるのは、畿内東海和合が成った後だ。
西山古墳が和合の象徴として造られた。
856日本@名無史さん:2014/06/17(火) 01:15:17.31
>>855
前方後円墳と前方後方墳で何らかの異なった宗教観・祭祀・コンセプトがあったとしても
それは互いに排他的なものじゃなと思う
このへんは受け取り方次第ってことなんだろうが・・・

西山古墳の事例をあげてるが
纏向に既にメクリ1号墳のような前方後方墳が見られる
まあメクリは前方後方墳じゃなくて方形周溝墓とも記載されることもあるみたいなので微妙かもしれんがwww

それにヤマト伊西に目を移せば

 ・西求女塚(U)
 ・権現山51(U)
 ・湯迫車塚(T〜V)

…等前方後方墳はチラホラある
尚()内の数字は出土した三角縁神獣鏡をZ群分類に当てはめたもの
ちなみに例のw椿井大塚はT〜W
まあ三角縁神獣鏡の出現時期をいつに見みるかだが・・・
857日本@名無史さん:2014/06/17(火) 05:18:32.92
前方後円墳  初期物部氏

前方後方墳  尾張氏
858日本@名無史さん:2014/06/17(火) 11:40:05.39
後円、後方は民族が違うとか文化が違うとかじゃなくて、主導権争いじゃないの?
戦国時代の伊達と徳川と毛利を発掘して、違いがあったとしてもだれも別民族って
考えないだろ。
規格や築造方は共通で、文化的な差異はないんだよな。

天理〜桜井にある古墳なんか、ほんとに様々だよ。
まあ、大抵の人は、崇神陵と箸墓と景行陵しか知らないと思うけどさ。
859日本@名無史さん:2014/06/17(火) 14:33:46.69
日本の農耕の始まりも、当初、言われていたよりも
ずっと古いんでしょy?
陸稲ならば6000年くらい前、水稲ですら3000年くらい前でしょう?
つまり、卑弥呼のいた時代ってのは、日本に農耕が起こって4000年くらい、
弥生時代と解釈される水稲が始まって1000年以上時代が経過した話。

そんな時代に弥生だとか縄文だとか、民族の争いだとか、
そんな話はもうないぞ。
860日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:05:53.28
金属器の渡来で農業に技術革新が起きてパワーバランスが変化したんでしょ
861日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:22:03.28
たとえば吉野ヶ里遺跡では弥生中期から鉄製の農具があるが、
唐古・鍵遺跡は廃絶するまで木製農具。
862日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:23:36.00
必要ないから使わない
863日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:43:39.63
>>860
金属器を過大評価しすぎている。
木製農具だろうが金属器だろうが、人間が動くなんだから
生産効率に大差がない。
金属器のほうが長持ちするというが、そんなもん
木製のほうが新しいのに変えればよいだけ。
むしろ、金属器の農具よりも安価で手に入るし。
864日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:43:53.11
熊本県の方保田東原遺跡では、本来、石のはずの石包丁まで鉄で出来ている。
もう、鉄あまりの状態。唐古・鍵遺跡では鉄のかけらも出ていない。
865日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:47:01.51
金属器の農具と木製農具を比べてみても、そんなに採算効率に大差がないね、
たしかに。

生産効率が気的に進歩したのは、近代や現代に入ってだね。
人間の力ではなく、機械の力で生産するようになってから。
866日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:53:39.48
農作業だけじゃなく灌漑治水土木工事技術に大きな革新があったんじゃないかと言うことなんだけど
867日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:56:39.21
なくても問題ない鉄製農具がないのは普通
あっても意味ない鉄製農具があるのは阿呆

土地柄か?
868日本@名無史さん:2014/06/17(火) 15:59:08.49
石包丁型鉄包丁の存在は重要だと思う。

大陸からの鉄具の製造技術とは別の、
独自の開発の萌芽といえるものだからである。
869日本@名無史さん:2014/06/17(火) 16:03:38.40
根刈に使える技術革新を無駄使いしたうえ、錆びちゃ困る道具を鉄にするアホ
870日本@名無史さん:2014/06/17(火) 16:08:24.98
大陸から九州に銅器と鉄器が入ってきた時期には、そんなに差がない。
石器→銅器→鉄器、となるような経過に位置するものがない。
ヘタしたら鉄器のほうが早かった可能性すらある。

そういえば、もう少し後になるが、
紙と木簡もだいたい同時期だそうである。
871日本@名無史さん:2014/06/17(火) 16:16:04.84
木製農具を生産するときにも、鉄製刃物は有効である。
それらの需要を満たして、さらに鉄製農具を製作できるほど、
鉄が潤沢にあったということだろう。

北部九州である程度の規模がある弥生遺跡で、
鉄が全く出ないところは少ない。
872日本@名無史さん:2014/06/17(火) 16:18:56.58
それって畿内向けに禁輸してたから国内でダブついたんじゃ?
873日本@名無史さん:2014/06/17(火) 16:54:23.79
特別に禁輸をしていたというより、
ただ単に、あまり交易などの関係がなかっただけだろう。

弥生期の鉄の出土量は、単純に北部九州から離れると出土量が減っている。
隣接集落同士で交易、交換して伝わっていくと、
途中で消費もされるから、距離に応じて流通量も減る。

それだけのことではないかと思う。
874日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:01:26.54
あくまで小集落単位の交易だからな
近場でも関係ない集落同士はほとんど接触がない
875日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:01:29.88
九州では製鉄まで行われていた可能性が高い。
製鉄のさいに出る鉄滓も大量に出ている。
畿内説がこれを認めないのは、一方は製鉄まで行われていて、
もう一方は、木や石の道具しか出てこない現実を受け入れたくないから。
876日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:04:11.55
>>875
馬鹿か
同じ時期の半島であれだけ盛んに製鉄が行われてるのに
渡来人がその技術を持ってこないわけがないだろ
原料さえあればできただろう
それは畿内説だって常識的にそう思ってるやつがほとんど
ただ明確な証拠が出るまで保留してるだけだな
877日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:06:44.73
九州説は憶測で物を言い、さらにそれに妄想が加わって
トンデモが誕生する
878日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:09:56.70
倭の五王の上奏文をみても、
畿内説しか連想できない。
879日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:20:26.82
>>876
九州では、朝鮮半島にはない渇鉄鉱や菱鉄鉱で出来た鉄器もある。
渇鉄鉱などは阿蘇で大量に取れる。
だから、阿蘇あたりが弥生後期、日本でもっとも鉄器生産が盛んだったと
される。

http://e-asia.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=121
880日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:23:36.34
卑弥呼の時代には、那羅湖も河内湖も未だ干拓されてないから
881孝霊厨:2014/06/17(火) 17:42:58.13
何度も指摘されているが、倭人伝に倭国には鉄器、製鉄が
盛んだなんて何処にも記述がないしな。
鉄の優位性なんてのは、安元一派をはじめとする、
昔の九州説の詭弁にすぎない。
しかもそれは弥生後期には瀬戸内辺りや出雲、丹波に
鉄関連の痕跡が大量に確認された事により、既に過去のお話だw
882日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:45:35.40
邪馬台国時代とは無関係の、数百年前の話で読者を誤誘導する、詐欺師の手口ね
883日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:46:52.29
安物マジック
884日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:57:28.06
>>881
鉄の優位は世界的な常識。絶対的な真実。
これを否定するのは恐らく日本の畿内説だけだろうな。
そういう非現実的な世界でしか畿内説は成立しない。

畿内説を前提にすると、世界的な常識からどんどん離れていくのが問題。
885日本@名無史さん:2014/06/17(火) 17:59:36.04
>>881
半島の鉄の取引相手でみると畿内は4世紀から。
崇神の時代に朝貢したソナカシチの話は事実だろう。
886日本@名無史さん:2014/06/17(火) 18:19:21.23
>>884
そう言ってるのは誰?
887日本@名無史さん:2014/06/17(火) 18:23:55.27
>>884
>鉄の優位は世界的な常識。絶対的な真実。

だったらそれを示すデータを出せ

現在推定されてる人口も鉄が豊富にあったろう北部九州が
飛び抜けて高かったと言うようなことを示してるものは無い

少なくとも自分は見たことがない

「常識だ」「真実だ」というだけなら馬鹿でもできる
888日本@名無史さん:2014/06/17(火) 18:36:19.90
もうこの辺はセンスというかそれこそ「常識」の話だが
新しい技術が現れて世の中を変える時
それがある程度の普及を見せなければ
社会構造を変えるほどの力には成り得ない

インターネットだって普及率も一桁とかだったら
理系オタクのマニアックな趣味と世の中から認識されるのが精々

グーテンベルグが活版印刷を発明した瞬間に世の中が変わったか?
それが普及して(それまで教会が独占してた状態だった)聖書が印刷され宗教改革の遠因になった

蒸気機関が発明された瞬間に産業革命が起きたわけではない・・・等々

九州が鉄が豊富と言っても当時の日本の他地域に比較してであって
じゃあ農作業する人間が手に手に鉄製の農具を持っていたか?
それをメンテナンスする施設が集落ごとにあったのか?
等々はまた別の話

こういう事を考えず「鉄がいっぱいだから九州えらい!」という幼稚なのが九州説

もうウンザリだ
889日本@名無史さん:2014/06/17(火) 18:41:06.83
鉄の話になれば不利だから目を背けたいと火病おこしてるんだね。
890日本@名無史さん:2014/06/17(火) 18:47:21.12
奈良盆地なるは前漢鏡が出ないばかりか銅で拵えた武器さえ出ない

その点からいうと 和歌山のがまだまし

鉄製の武器持ち込む以前の奈良盆地は ほとんど石器の武器なんだろ

というか 人口が希薄なのだしょ
891日本@名無史さん:2014/06/17(火) 19:10:30.19
まあ鉄にいかなる評価を与えようとその鉄貧乏な奈良盆地に古墳文化が発生した事実は変わらない
鉄器が大量に流入して人口が飛躍的に増加して社会構造が変化して
・・・というような事を示すものはない

大量の鉄器の副葬が見られるホケノはその年代は色々言われるが
少なくとも纏向の中で最古ではない

更に言えば九州以東に発生した巨大首長墓の埋葬文化も
鉄の流入にリンクしてるようには見えない

そもそも九州に鉄が社会構造を変えた痕跡を何見見ればいいのか?
九州も結局「王墓」と言えるようなものとなると伊都国奴国の玄界灘周辺地域に限定される

こういった考察が全くないのが九州説

鉄がいっぱいだから九州えらい!」と延々念仏かお題目よろしく繰り返すだけ
892日本@名無史さん:2014/06/17(火) 19:43:56.58
九州の墳墓は全く統一感がなくバラバラ。
鉄の有無と古墳の統一には関係がないと言って良い。

九州の各地方の豪族は、文化も伝統もその土地に応じて
独立していたと見るべきである。

各地方の豪族が、それぞれの価値観を持って
独自の墳墓を築造している。

彼らが他所から先祖代々の伝統を引き継いだ、
墳墓の形状まで指定されるのは、
まっぴらごめんという感覚ではなかろうか。


むしろ、なぜ統一感のある畿内の前方後円墳文化は、
強制された結果なのか、それとも彼らが同じ伝統を持つ同じ一族だったのか?

同じ一族であるなら、記紀の万世一統主義の原型なのかもしれない。
893日本@名無史さん:2014/06/17(火) 19:45:48.09
近畿の考古学者も、何故鉄が出ないのか不思議がってるね。
「なかった」のではなくて「出土しない」ことに。
畿内は弥生後期に石器が激減するらしい。鉄器に取って代わったと判断されるが、
「遺跡からは出土しない」
石も鉄もなかったら、家を建てるにも木を切れないから、そんなことはありえない。

>>890
人口は多いみたいだよ。
遺跡から推定する弥生後期の人口は、九州10万、畿内10万、東海10万、関東10万・・・

九州の支配層は、鉄を威信財として見せびらかして、墓にたくさん埋めた。
九州以外では、そうはせず、実用品として使い倒したとしか考えられんね。

つーか、あんまり知られていないけど、そもそも奈良は発掘が少ない。
福岡ほど都会じゃないし、筑紫平野のように工業団地も出来ないから
大規模な発掘はなかった。吉野ケ里や平塚のように小高い丘も殆ど無い。
掘ればいろいろ出てくるだろう橿原市とかもあまりない。
田んぼの下で眠ってる。
奈良はたくさん発掘してるように勘違いされてるけどね。
奈良市の「平城京」はわりと発掘している。
弥生〜古墳時代は少ないな。まあ、破壊されないからいいけどさ。
894日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:04:14.12
奈良盆地の人口が少なかったのはガチ

和歌山とかごっそり出て来るくせして

奈良盆地から銅戈のひとつでも出てこないのがへんだし。
895日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:15:45.80
外部勢力が農地を開拓させるために、他の地域から農奴を大勢送り込んだのが畿内だろう。
それ以前の畿内には人口も少なく、たいした文化もなかったのだ。
896日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:27:50.61
>>895

根拠を出せ
897日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:30:04.26
大国主の国造りと神武の大和入りは裏表でピッタリ当てはまる
898日本@名無史さん:2014/06/17(火) 20:48:13.08
畿内説の考古学者は近畿地方の鉄を一生懸命探した。
でも出てこないから、近畿地方の鉄は溶けてしまったとか、
廃品回収が徹底していたから出てこないと言った。

考古学者の意見じゃないな。単に都合の良い想像。

九州を見ると、熊本県だけでも、精練鍛冶(製鉄)が行われて
いたと見られる遺跡が
1.下前原遺跡、2.諏訪原遺跡、3.方保田東原遺跡、
4.小糸山遺跡 5.尻遺跡、6.二子塚遺跡、7.西弥護免遺跡、
8.狩尾遺跡
など数多くある。
http://inoues.net/club6/kumamoto_katouda.html

やがて、畿内説の考古学者は鉄と王権とは関係ないと言い始めた。
これも都合の良い想像に過ぎない。
899日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:00:18.93
>>896

畿内から出土する土器がそれを示しているね。
900日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:01:39.24
>>898
鉄がなくてそこにヤマト王権がおきたのならそういう結果にならざるをえない

自分が有利だった材料の評価が小さくなったのでゴネてるだけの馬鹿

じゃあその鉄の豊富な熊本でどのような王権が発生したのかな?
901日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:03:39.13
>>899
搬入土器は纏向の専売特許でもないし
その割合も時間を追って増えていってるのが確認されてる

やり直せ馬鹿者
902日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:07:51.93
なんで九州説の馬鹿どもはこうやって意味のない同じことを延々繰り返すのか?
一定時間で記憶がおかしくなる痴呆症なのか?

畿内説にイチャモンつけるだけで自説は何も進展しない

精々80年代から時間が止まってる

人間年をとると新しいことを学習するのが苦痛になったりするらしいから
(まあそれも個人差でいくつになっても好奇心を失わない人間もいるだろうが)

そういう年寄りにが九州説にしがみついてるんだろう
903日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:36:37.26
>>900
方保田東原遺跡について調べると、九州に対する意識が変わるかも。
http://inoues.net/club6/kumamoto_katouda.html

幅8mの大溝をはじめとする多数の溝や100を超える住居跡、土器や鉄器の
製作工房と考えられる遺構が発見されている。(中略)
山陰地方や近畿地方など西日本各地から持ち込まれた土器なども多数出土して
おり、西日本一帯の活発な交流が窺える事から、交易で繁栄していた可能性も
高く、菊池川中流域の拠点的な集落であったと考えられる。

周辺には12ほどの環濠集落がある。方保田東原遺跡の規模は吉野ヶ里遺跡を
はるかにしのぐ。鉄器の鍛冶遺跡が非常に多くある。鉄器の出土も非常に
多い。などなど。
904日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:44:31.26
デスノート遺跡か
905日本@名無史さん:2014/06/17(火) 21:57:00.72
>>903
関係のないことをとりあえず出しておく九州説のパターンはウンザリしてる

聞いているのは「 王 権 」だ
鉄と王権構造の因果関係

ニホンゴワカリマスカ?

大体環濠集落なんて首長がその中心にいて
「おらが大将」をやってる構図

最古の豪族居館は大分の日田とも言われるが
それから考えても古い構図

こっちがなんでも答えてやってるから甘えてるのか
もう少しは頭使え馬鹿者

同じことを何度も何度も繰り返す年寄りの愚痴か
906日本@名無史さん:2014/06/17(火) 22:07:39.59
奈良だと開発事業者は工期、費用が、
何もないところの倍とかかかるんじゃね
建築基準法の規制もあるしね
907日本@名無史さん:2014/06/17(火) 22:59:19.99
>>901

初めから畿内に大勢の人間がいるなら搬入時など要らないだろう。
どんどん入植者が増えてきたから、搬入時が増えているわけだが。
908907:2014/06/17(火) 23:00:10.39
搬入時じゃなくて搬入土器な。
909日本@名無史さん:2014/06/17(火) 23:22:39.97
奈良漬目当てだろうな
二年物がいい
910孝霊厨:2014/06/18(水) 07:53:17.38
何故巻向に東海方面からの土器が増えたかと考えると、
伝承面からは孝霊天皇のものが一番具体的で相応しい。
富士山の噴火や気候不良の影響で、人々が東から
西へ移動したとある訳だからな。
孝霊五年に富士山が出来た(噴火をした)、
という話は江戸時代までは今よりずっとメジャーな話だ。
911日本@名無史さん:2014/06/18(水) 09:00:38.55
しかし九州説って徹底的に脳内なのな。
客観的な根拠が決して出せない。
912日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:16:11.32
>>910
孝霊天皇5年の時、大地に大きな裂け目ができて琵琶湖が形成され、
その土が駿河国に積み上がり富士山になったというのは正しいと?

いや、こんなアホは久しぶりだw
913日本@名無史さん:2014/06/18(水) 12:25:29.35
孝霊天皇5年の話なんて、後世の人間が適当に作った
話じゃないの?
914孝霊厨:2014/06/18(水) 20:03:25.28
日本の象徴である富士山に適当な伝承話を付与すると
考えるメンタルが理解出来ないなw
江戸時代までの認識で孝霊五年と富士山はセット。
何らかの象徴的な物として捉えられていたのは常識だよ。
百襲姫の父の代、東から西に人々が移動したとある
伝承話は普通に重要だろう。
これだけでも狗奴国東海説は少々おかしいはず。
915日本@名無史さん:2014/06/18(水) 20:16:27.93
>>914
静岡には新豊院山古墳群という弥生時代中期から古墳時代前期の遺跡があって、
富士山の噴火による人の移動なんてないのだが?

何言ってるんだおまえ。
916日本@名無史さん:2014/06/18(水) 20:59:49.25
「富士山の噴火による人の移動」って
誰か言ったのか?
          www
917日本@名無史さん:2014/06/18(水) 22:27:12.07
>>916

>>910
「富士山の噴火や気候不良の影響で、人々が東から
西へ移動したとある訳だからな。」
918日本@名無史さん:2014/06/18(水) 22:35:00.05
富士山が噴火したのが事実なら、火山灰の堆積で前後の時代関係が明確になるだろ
考古学者(w)はガンガレ
919日本@名無史さん:2014/06/18(水) 23:30:41.91
狗奴国の比定に関して言えば・・・

卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命をとるなら 狗奴国の卑弥弓呼=山背の武埴安彦 になるのか?

まあ卑弥呼の倭迹迹日百襲媛命も戦いの最中だか直後に死んでたりと
それっぽい雰囲気はあるがwww

単純な疑問、庄内期に奈良盆地南部と対立したような勢力なんて想定できるのか?

山背と言えば例のw椿井大塚山古墳だが無論、前方後円墳で
狗奴国=東海説のように前方後方墳に違いを見ることも出来無し

そもそも箸墓と椿井大塚山の被葬者を同年代にするのはちょっと無理がある気がする
倭人伝の記述からは卑弥弓呼は成人で王となって卑弥呼と対峙してるように読めるので
精々親子程度の年代差だと思うが・・・

自分は卑弥呼の時代の狗奴国との対立の記憶・伝承が
後世の山背の勢力との衝突とごちゃ混ぜになったような気がしてる

元々武埴安彦の反乱の話は四道将軍派遣の中に書かれてるが
その四道将軍の話自体リアリティに欠ける
(そもそも4地方同時攻略とか後世の信長も裸足で逃げ出す天魔王様ぶりwwww)
920孝霊厨:2014/06/19(木) 00:37:55.82
>>915
>静岡には新豊院山古墳群という弥生時代中期から古墳時代前期の遺跡があって、


巻向周辺に東海方面からの人の痕跡が多くなるのは
事実なんだしな。
百襲姫を卑弥呼に比定する以上は、孝霊の代に東国から
気候不良で人の移動があったと伝承が存在するのは
無視出来ないという事だ。
921ローガン:2014/06/19(木) 00:45:49.07
>>838
>狗奴国=東海説と言うのは今の考古学者にも多く支持されていて
このスレでもその支持者が多いんだろうが・・・
正直自分はこれだけは畿内説でもあまり筋のよくない話だと思ってるwwwwwwww

だからそれは、狗奴国との衝突とか、戦争とかを前提で考えるから。
西国交流の拠点としてマキムク造営に積極参加したのが東海。
しかし、そこで盟主にはなれなかった。
その顛末を、出兵要請を断る理由として伝えただけ。
と考えれば、特に邪馬台国vs狗奴国の衝突など考える必要無し。
922日本@名無史さん:2014/06/19(木) 00:49:12.51
狗奴国と邪馬台国 卑弥呼と卑弥弓呼 見る銅鐸・・・この2国は似ているんだよ
923日本@名無史さん:2014/06/19(木) 10:13:02.35
>>920
>巻向周辺に東海方面からの人の痕跡が多くなるのは
>事実なんだしな

山陰北陸も多いね。
つまり富士山なんて関係ないよって話。
3世紀に富士山が噴火してれば地層に残るはず。
でもそんな話は聞いた事ない。
924日本@名無史さん:2014/06/19(木) 10:41:19.95
崇神4世紀前半、5〜6世代前の神武を3世紀ごろとして、
纏向遺跡に伊勢・東海や北陸・山陰土器が多いのは、
ウマシマジ命と天香具山命が、
共に東海や北陸方面を平定している物部神社伝承と関係してるのだろう。

富士山の噴火ってアホですかという話。
925日本@名無史さん:2014/06/19(木) 11:38:13.10
残念ながら、東海S字甕の拡散は庄内式の拡散にやや先行している。
東海発の動きであったことに疑問の余地は無い。
926日本@名無史さん:2014/06/19(木) 11:48:26.70
どうして
  そういう伝承がある
という話と
  そういう史実がある
という話の区別がつかないおりこうさんが多いんだろうね。
歴史やめたら?
927日本@名無史さん:2014/06/19(木) 12:12:12.62
>>925
時期的に問題ないが。
928日本@名無史さん:2014/06/19(木) 12:17:05.41
>>926
壬申の乱を史実と証明しろ。
929日本@名無史さん:2014/06/19(木) 12:20:28.31
奈良は発掘が少ないんだが、その少ない縄文後期の遺跡(橿原遺跡とか曲川遺跡)
にはすでに東国からの影響があるね。かなり前から交流があったんだろうね。
京奈和自動車道のために発掘調査があり、いくつか遺跡が出ているが、
秋津・中西遺跡は広い田んぼが出ている。

吉野ケ里遺跡や熊本の方保田東原遺跡(>>903)のような地形はあまりない。
ちょうどよさそうな場所は、古墳があったり集落があったり。
平城京の範囲だと、古墳でさえ削られてる。
京都だって弥生遺跡を見つけるのは大変だと思うけどさ。
930日本@名無史さん:2014/06/19(木) 12:56:45.95
>崇神4世紀前半、5〜6世代前の神武を3世紀ごろとして、

これこそ何の根拠もないアホの戯言だよw
931日本@名無史さん:2014/06/19(木) 13:02:10.77
崇神4世紀前半は行燈山古墳、西殿塚古墳、
四道将軍関連の城の山古墳、中山茶臼山古墳、
武埴安彦関連の椿井大塚山古墳などが、
ことごとく3世紀末〜4世紀前半であることで、
蓋然性が高いと思うが。
932日本@名無史さん:2014/06/19(木) 13:54:50.99
>>931
>ことごとく3世紀末〜4世紀前半であること
現在の推定年代が正しいとは限らない
推定年代っていうのはだんだん古く修正される
30年前の推定年代より現在の推定年代の方が古い
だから30年後には3世紀前半〜3世紀後半に修正されてる可能性が高い
933日本@名無史さん:2014/06/19(木) 14:01:37.33
>>932
>推定年代っていうのはだんだん古く修正される

いくらなんでも限界があるって。
箸墓古墳は思いっきり遡って3世紀中頃だろうし、
それ以上古くなることはあるまい。
ちなみに俺は270年頃と思ってる。
その箸墓を基点として考えればいい。
934日本@名無史さん:2014/06/19(木) 14:20:42.64
>>933
限界があるのは当たり前
現在の推定値が限界という根拠があるのか?
30年推定値の変更がないとかあれば信用できるが

100m走の世界記録9.58は人類の限界か?
このグラフを見て現在の9.58が人類の限界とは思わないだろ?

男子100メートル競走世界記録の推移
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B7%E5%AD%90100%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AB%E7%AB%B6%E8%B5%B0%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%A8%98%E9%8C%B2%E3%81%AE%E6%8E%A8%E7%A7%BB#mediaviewer/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:World_record_progression_100m_men.png

古墳の年代推定も右肩下がりで古く修正されている最中だから
これからもさらに古く修正される
935日本@名無史さん:2014/06/19(木) 15:43:48.81
神武の存在自体が疑問視されてるのに3世紀も何もないわw
936日本@名無史さん:2014/06/19(木) 16:24:16.14
武埴安彦命の本拠地があったのは、山背の宇治のあたり。
このあたりは、許乃国(このこく)と言われていた。山城国風土記によると。
狗奴国(このこく)のことだわな。
また、狗奴国の副官は、
拘右智卑狗(こうちひこ)と言われていたとか、魏略によると。
武埴安彦命の母方は河内彦の家系だし、彼の妻の家系もそうだ。
武埴安彦命の乱では、山背と河内の二方面から、大和を挟み撃ち。
937孝霊厨:2014/06/19(木) 17:10:30.64
山城の近辺の風土逸文に、セヤタタラ姫の
懐妊逸話によく似た話が存在する事、
またハニヤスヒコの反乱逸話に百襲姫の予知逸話が絡んでいることetc
この辺りに記紀の創作ネタ元話がおそらく見えてくるだろうな。
狗奴国とはやはり現葛城山〜生駒山から南又は東の国になる。
これが混乱の元にもなるのだろう。
938日本@名無史さん:2014/06/19(木) 17:44:50.76
>>934
>現在の推定値が限界という根拠があるのか?

纏向石塚古墳周濠部から出土したヒノキの木製品が
AD177年プラス辺材部18年のAD195年となるので、これが限界。

何で100m走の世界記録と一緒にしてるんだよwww
939日本@名無史さん:2014/06/19(木) 18:25:28.70
だれも纏向石塚古墳のことなんか話題にしてないのに
なんでこんなに興奮しているのだろうか?
940日本@名無史さん:2014/06/19(木) 18:49:41.65
狗奴国の方角に関しては、ある程度、無視しても良いけどね。
だって、畿内説にするのなら、邪馬台国、投馬国に限らず、
伊都国などに九州の国自体、方角が間違いまくっているし。
それに、狗奴国王を武埴安彦命とすると、
当然、中国の使者も方角の記載で混乱するだろう。
武埴安彦命は、山背と河内に勢力をもっていたわけだから。
941日本@名無史さん:2014/06/19(木) 18:59:35.32
>>939
「推定年代っていうのはだんだん古く修正される」
という話と、
纏向石塚古墳AD195年以降は関係してるが?
942日本@名無史さん:2014/06/19(木) 19:04:41.66
九州に何故、天皇陵があるのかな?
943日本@名無史さん:2014/06/19(木) 19:10:58.42
縄文遺跡なんて九州どころかこっちの地元じゃ平気ででてるんだが?
◯大明神なり〜(・ω・)ノ
944日本@名無史さん:2014/06/19(木) 19:13:27.02
◯理大明神

◯の中はなんでしょう?
945日本@名無史さん:2014/06/19(木) 19:27:20.50
大◯牟◯神なり〜(・ω・)ノ
946日本@名無史さん:2014/06/19(木) 19:44:52.13
日向って、ひむかし=東のことなのか、ひなた=南のことなのか???
947日本@名無史さん:2014/06/19(木) 20:44:18.30
>狗奴国の方角に関しては、ある程度、無視しても良いけどね。

自分が狗奴国=東海説の”筋の悪さ”として思うのは
例によって「(機械的に)南を東に読み替える」ってのがあるw

魏が狗奴国の位置を知り得たのが卑弥呼からよこした連絡によるものなら
正しく南なんじゃないだろうか?

ただそれが邪馬台国(ヤマト)の南じゃなくて
九州における倭国の西限の南=九州中北部ということで・・・
948日本@名無史さん:2014/06/19(木) 20:51:31.58
>>921 老眼
>その顛末を、出兵要請を断る理由として伝えただけ。

ああ思い出した、そういう説やったねw

でも出兵要請があったことが確実に裏のとれる話かな?

そうでなければ仮説の上に仮説を立ててる話で
基本的に仮説を構築する上で材料は少なくするのがベターという
「オッカムの剃刀」的な考え方をしてる自分には首肯出来かねる話やな

まあ正直に言えば要請を断って不興をかうぐらいなら
お茶濁し程度の派兵しておけばいいとも思うがwwww

それとも7万戸という数字を魏側がガチで信じてた数字で
それに見合うノルマを課せられてたのか?
949日本@名無史さん:2014/06/19(木) 20:53:13.93
まあ縄文=東日本はもう決定事項だからな
あとは弥生=西日本の何処かって争いになるわけだ
950日本@名無史さん:2014/06/19(木) 20:56:48.30
卑弥呼の比定地が近畿か九州か
関東からは”縄文”の史跡がでてるからな
951日本@名無史さん:2014/06/19(木) 20:59:40.53
>>950
縄文の話はスレ違いだ阿呆
952日本@名無史さん:2014/06/19(木) 22:01:06.19
葛城襲津彦(かつらぎ の そつひこ、曽都毘古・沙至比跪)、
彼が幸彦なのは確定として、山幸彦と海幸彦のどちらなんだろ?
953日本@名無史さん:2014/06/19(木) 22:12:35.48
葛城襲津彦が室宮山の被葬者、即ち大物主で、意富多多泥古が室猫塚の被葬者ってことになるのかな?
954日本@名無史さん:2014/06/19(木) 22:16:16.46
意富は多氏、多氏の本貫は関東なんだよなぁ
955日本@名無史さん:2014/06/19(木) 22:31:39.84
玉前神社の伝承が凄く重みを増してくるなぁ
956日本@名無史さん:2014/06/19(木) 22:38:15.59
しかし8世紀に編纂された記紀の年代は信じないくせに、
12世紀に編纂された三国史記の年代を無条件に信じてる奴らが多いのは何故だろ?
舶来信仰と自虐史観のコラボなのかな?
957日本@名無史さん:2014/06/19(木) 22:52:46.35
>>952

襲津彦(そつひこ)の新羅訛りが沙至比跪(サチヒコ)
日本SOTU→新羅SATI
O→A
U→I

新羅の王号「尼師今(ニシキン)」も日本語の新羅訛り
主君(ぬしきみ)→尼師今(ニシキン)
NUSIKIMI→NISIKIN
U→I
958ローガン:2014/06/20(金) 14:22:05.63
>>948
>基本的に仮説を構築する上で材料は少なくするのがベターという「オッカムの剃刀」的な考え方をしてる自分には首肯出来かねる話やな

なら、私の意見がベター。
六年の黄幢に対して、余分な仮定を付加する必要がないから。
史料実態には、女王に対する援軍派遣などない。
旗が来ただけ。届けられた理由は前に書いてある通り、六年に詔がでているから。
六年に詔がでた理由は、前に書いてある通り、韓地で郡が苦戦していたから。
明解。

以蠻夷攻蠻夷中國之形也
という訳だ。

 
  
959日本@名無史さん:2014/06/20(金) 14:29:26.73
956
別に信じてないわけじゃなくてグルグルグルグ〜ルが多いから比較対象としていいってことじゃねえの
960日本@名無史さん:2014/06/20(金) 14:30:33.48
ブタヨがいろいろちょっかいかけてたのももう暴露てるしな
961日本@名無史さん:2014/06/20(金) 14:37:29.12
ほほう、今日のローガンは、畿内説なんだな。
962日本@名無史さん:2014/06/20(金) 14:47:40.33
詔ねえ、、、やばやば
963日本@名無史さん:2014/06/20(金) 14:49:32.34
魏志倭人伝の記述と日本書紀の記述を照らし合せてみるのなら
狗奴国王は、許乃国(このくに)の国主だった武埴安彦命。
彼は孝元天皇の庶子だった。

彼の勢力範囲は、山背と河内に飛び地にあった。
山背の宇治のあたり(許乃国)に本拠地があり
河内のほうは、彼の母方の豪族や彼の正室の出身地であった。
964日本@名無史さん:2014/06/20(金) 14:59:11.69
神武天皇の勢力がなかったなんて考えられないもんな
じゃなきゃ子孫の名乗りがあるわけがない
記入する必要もないしな
965ローガン:2014/06/20(金) 15:10:28.30
広域ネットワーク社会で、西側からの文物流入を活性化させようとして、
東海は、マキムク造営に積極参加したものの盟主になれなかった。
これが、「素不和」。
東海の搬入土器が多いにもかかわらず、祭祀土器が吉備由来であることも、この推論を裏付ける。
966日本@名無史さん:2014/06/20(金) 18:03:11.05
正始八年の条のところがさっぱり読み込めていないのも眼が悪しいせいか
967孝霊厨:2014/06/20(金) 18:19:47.89
倭人伝に照らせあわすなら、瀬戸内連合が主の女王国
対狗奴国でいいと思うんだけどね。トヨがたつまでの話で。
河内湖や奈良盆地の南北で対立してたのではないかと。
まぁ対立と言っても主導権争い程度のもの。
百襲姫の予知逸話は作為的な部分を感じるしな。
968孝霊厨:2014/06/20(金) 18:32:28.62
基本的には今の記紀の歴史は太平洋側の勢力=元々狗奴国側が
主導権をもって成立してるのではないか?
それなら女王の存在を消したい理由もわかるし、
おそらくルーツである、南九州からの
東征話を組み入れたのも納得だろう。
わざわざ紀伊半島を回って南から攻めてるしな。
969日本@名無史さん:2014/06/20(金) 18:51:26.71
紀伊半島をまわってというより瀬戸内を出たのが大きかったと思うんだよね
神武天皇の兄は海で死んでるようだし
陸が両側に見える航海と比べ黒潮にさらわれたらもう戻れないというのは
嫌というほど知ってたんじゃないかな
970日本@名無史さん:2014/06/20(金) 20:09:37.02
多賀大社の多って多氏の多で、多氏を祀る神社なのかなぁ
多賀大社の祭神はアマテラスと山幸海幸だけど、
山幸海幸は玉前神社の伝承に残る
常陸出身の多氏が一時は天下を取って、その名残が鹿島信仰に残ってるのかなぁ
後の親王任国とも辻褄が合うわけで
日向髪長媛が諸悪の根元かな
971日本@名無史さん:2014/06/20(金) 20:16:50.17
「お伊勢参らばお多賀をまいれ、お伊勢お多賀の子でござる」
この伝承って意味深だよなぁ
972日本@名無史さん:2014/06/20(金) 20:30:14.52
玖賀耳之御笠の玖賀って勾玉のクガなのかなぁ
匂玉で祭祀を行う勢力
973日本@名無史さん:2014/06/20(金) 21:14:15.25
オッパイは正義、これが今も昔も変わらない真理ってことだな
974日本@名無史さん:2014/06/21(土) 00:03:27.73
>>958 老眼

正直意味が良くわからない
(老眼本人でなくてもいいから分かってる奴はかいつまんで説明してもらえないだろうか?)

要するに六年の詔・黄幢は
「これをもって半島に馳せ参じよ」
というもので
八年の詔・黄(+檄による告諭)は
倭国内の揉め事の解決のために出されたという話かな?

しかし六年の要請に対し八年の返答ではいくらなんでもタイムラグがありすぎなんじゃないのか?
例えそれまでのらりくらりかわしてたとしても
長引けば長引くほど関係の悪化の要因になるし

魏朝は結局断られたのに相手の国内の揉め事の解決に関しては骨を折ってやるというのは
倭国側が一方的に利益を得てる話だなwwww
975日本@名無史さん:2014/06/21(土) 00:07:30.58
黄幢を貰ったのは女王国じゃなくて倭王国じゃなかったっけ?
976ローガン:2014/06/21(土) 01:23:57.73
>>974
>要するに六年の詔・黄幢は
「これをもって半島に馳せ参じよ」
というもので 八年の詔・黄(+檄による告諭)は
倭国内の揉め事の解決のために出されたという話かな

八年に詔がだされたんじゃない。
黄幢下賜の詔が出たのが六年。その詔書と黄幢を携えた使者の来倭が、八年以降。
よって、詔が、八年に太守になった王キに説明した「相攻撃状」に起因するものではないということ。
君の大好きな「ベッカムの髭反り」
六年黄幢について、よけいな仮定を設けない、シンプルな話。
977日本@名無史さん:2014/06/21(土) 01:43:54.77
>>976 老眼

まあ六年と八年で二つの黄幢を想定した場合
前者のものは倭国側でどのように使ったかについての説明がいるだろうから

それを一つにしたほうが説明が少なくて済むのは道理かもしれんが

はっきり言って益々わからない話

六年に詔が出て倭国側に出兵の要請があって
八年までだんまり決め込んだかあるいはのらりくらりかわしたか知らんが
八年には国内事情(対狗奴国)で断って

それでも魏が黄幢を倭国側に渡す状況というのがさっぱり分からない

ひょっとして檄による告諭とは派兵要請のダメ押しという解釈かな?
978日本@名無史さん:2014/06/21(土) 01:52:25.63
たかが半島制圧に黄幢・檄文とかそういう大掛かりなことを中国人が考えるかねえ
さらには倭国の未開な状況も知ってたと思うが
979日本@名無史さん:2014/06/21(土) 02:11:06.68
まあ公孫氏は滅ぼし残党狩も済んでたろうしなあ・・・
980日本@名無史さん:2014/06/21(土) 02:37:11.60
当時の日本に黄幢なんか持って来ても
兵が集まるとか、対立国が兵を引くとかちょっとな
六年に郡に付託した黄幢は、毌丘倹が王頎に位宮を追撃させた時に
半島南部の倭に対して準備しといた程度のもんじゃないのか
列島の倭国内の軍事行動に積極的に介入したような内容だが
自分の国中心に考えるからな、あの人たち
981日本@名無史さん:2014/06/21(土) 02:37:59.60
このように
たくさんの仮定を設ける九州説はベッカムの髭剃りできれいに剃毛
982日本@名無史さん:2014/06/21(土) 03:00:20.59
まああくまで「ルーニーの剃刀」で言うならばw

老眼説だとじゃあ魏が倭国に討たせようとした勢力だの
当時の半島情勢を丸々想定しなければならないと思うが

それは六年の黄幢について多少の説明・推定を加える比じゃないだろうに・・・

で結局倭国側は魏からの要請に応えなかったんだろうか?

だとすると266年の入貢は(晋に代わったといえ)相当気まずくないか?wwwwww
983日本@名無史さん:2014/06/21(土) 03:43:26.13
だから、うちらも内戦でマジヤバかったんス!で誤魔化した
984ローガン:2014/06/21(土) 15:24:33.70
>当時の半島情勢を丸々想定しなければならないと思うが
それは六年の黄幢について多少の説明・推定を加える比じゃないだろうに・・・

だから前に書いてあると言っているんだが。
倭人伝だけ読めば、唐突な感じがするが、倭人条は巻末。読者はすぐ前にある韓伝で、同時期に太守が戦死する反乱があったことを知っている。
勿論、三國志の用例が示す通り、軍旗を渡すという行為は、受け取る側が、渡す側の軍に参加するという意味だ。
その軍旗、倭が乞うたものではない。そんな記述はない。
なら、渡す側の都合。つまり出兵要請だ。
呼応する檄も集兵の木札だ。
率善とはいえ中郎将に対し六年に軍旗を下賜せよと詔が出された。つまり出陣せよ、だ。
しかし、その該当戦乱に於いて、担当太守が戦死。八年に新太守任官。
その後、粛々と滞っていた六年詔が施行の運びとなるが、その間に新太守に対し、自国内における緊張を伝えた訳だ。

さておき、勿論、私はそう読むという話。狗奴国とのどつきあいはなかったと。
ゆえ、戦争の痕跡がないことが、狗奴国東海説に否定の根拠にはならない。ということ。
985日本@名無史さん:2014/06/21(土) 15:37:09.59
【節・印綬・符策・九錫・什物】のごときものは帝から【假授】される物件で

【黄幢】の「黄色」のは委鬼の帝のを象徴する専用のカラーだ

【黄幢】を【黄幢】されるということは本来的に【魏帝】に属する権限の一部を委託されることであり

ただただおばかに単純に「参戦要求があった」みたいなまぬけな理解をされちゃかなわんわ

こおゆうところで読み手の丈がばれてしまう
986日本@名無史さん:2014/06/21(土) 15:38:02.83
【黄幢】を【黄幢】されるということは

【黄幢】を【假授】されるということは ね
987日本@名無史さん:2014/06/21(土) 16:44:30.18
>【節・印綬・符策・九錫・什物】のごときものは帝から【假授】される物件で

十パひとからげww
わかってないみたいだね
988日本@名無史さん:2014/06/21(土) 16:54:27.92
989日本@名無史さん:2014/06/21(土) 16:59:18.59
http://zh.wikisource.org/w/index.php?search=%E6%AA%84%E5%91%8A
【檄】に記されたなかみのは募兵に関するものだけに限定されるわけでもなし
990日本@名無史さん:2014/06/21(土) 17:07:16.53
【檄】のは【符策】の言い換えたるべし
991日本@名無史さん:2014/06/21(土) 17:14:08.54
その八年に倭國では同一人物から2ウェイで【檄告喩】がやらかされている

遣塞曹掾史【張政等】因齎詔書 黄幢 拜假【難升米】爲【檄告喩】之

復立卑彌呼宗女【壹與】年十三爲【王】國中遂定 【政等】以【檄告喩】【壹與】


【壹與】にむけた【檄】のなかみが募兵命令であったとしたら

ちがうほうの【檄】でインフォームドさせた前王【難升米】さん向け指令の補助

そっちのサポート部隊用の募兵命令でないの?
992日本@名無史さん:2014/06/21(土) 17:48:59.14
>>988
キミ、漢文が読めてないだろう。
動詞が「仮」と「奉送」で違うのが判らないかい?
993日本@名無史さん:2014/06/21(土) 18:31:41.32
あたま悪いくせにまた自爆か カス
994日本@名無史さん:2014/06/21(土) 18:33:22.17
偽使者張彌 が齎した 賊權所假臣節 ←こいつを 公孫珩を使いに出して奉送した
995日本@名無史さん:2014/06/21(土) 18:38:19.35
白文解読させたらローガンよか満州くんのがまだましだな
996日本@名無史さん:2014/06/21(土) 19:04:47.63
993
頭が悪い方が生きることは有利
997日本@名無史さん:2014/06/21(土) 23:39:19.27
【週末古代史】 邪馬台国論争に遂に終止符!                         か?
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news/1403354359/

奈良)大和古墳群、国史跡へ 「邪馬台国論争の鍵」保全

国の文化審議会が20日、国史跡に指定するよう答申した大和(おおやまと)古墳群(天理市)は、邪馬台国論争や大和政権成立の鍵を握る存在として注目されてきた。
道路建設などで遺跡の破壊が懸念されただけに、地元や研究者らは今後のさらなる保全や調査に期待している。

大和古墳群は、巨大な前方後円墳と前方後方墳(こうほうふん)が混在し、畿内に古墳が現れた3世紀の様子を示す貴重な遺跡だ。
24基の古墳からなり、今回は調査で内容が明らかになっている3基が指定対象となった。今後、一体的に保護を図る方針だ。

南部にある中山大塚古墳(3世紀後半)は全長130メートルの前方後円墳。
岡山県吉備(きび)地方で発達して埴輪(はにわ)のルーツになったとみられる特殊器台の破片が、1980年代に見つかった。

http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20140620001490_comm.jpg

http://www.asahi.com/articles/ASG6M54KMG6MPOMB00W.html
998日本@名無史さん:2014/06/22(日) 01:08:20.77
>>984
>読者はすぐ前にある韓伝で、同時期に太守が戦死する反乱があったことを知っている。

「三国志魏書 馬韓伝」の太守弓遵の事か?

それって景初年間の話じゃなかったか?
999日本@名無史さん:2014/06/22(日) 01:37:31.21
>>998

太守弓遵は正始元年にはまだ生きてるぞ
1000日本@名無史さん:2014/06/22(日) 02:02:58.28
ローガンのこれはいくらなんでも妄想だろう
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。