1 :
名無しさん@お腹いっぱい:
三世紀の天文学、暦学、地理学が現代に近いレベルの
中国で記述された、邪馬台国への旅行記にその存在が
確認されている卑弥呼は神話上の天照大神と同一人物なのか?
この旅程に記された方角、距離、その土地土地の風習そして
目指した邪馬台国が海の近くであることを信じると
邪馬台国は宮崎の日向付近であると推定できるため
神話の天照大神が卑弥呼と重なってくる。
最初に言い出したのは誰?
3 :
サガミハラハラ:2012/12/23(日) 07:49:18.96
天照大神は卑弥呼ではない。
共通点は共に女性であることと、弟がいたことと、共に九州に住んでいたことぐらいだ。
時代もあわない。天照は紀元前後の人。卑弥呼は3世紀ごろ活躍したひとである。
ちなみに天照がいた高天原は、佐賀県三瀬村であり、卑弥呼の都は吉野ケ里でのちに小城甘木に遷都している。
天照の墓は、脊振山稜の唐人の舞(支石墓か?)ではないかと思う。
天照大神実在説
日本の神は自然神なんかやあらへん、超古代人やったんや
天照の後継者は豊受大神
ヒミコの後継者はトヨ
また、天照の別名はヒルメ(日霊女)
6 :
日本@名無史さん:2012/12/25(火) 18:28:05.83
いわゆる卑弥呼さまは、日本側の系譜では大倭姫命。
因みに複数坐すがみなさま同族の姫御子。
特に最初に記述されたいわゆる女王卑弥呼さまに奉られた御称号は
大倭姫命。天造姫命。大海霊姫命。日女命。
また、婿殿(天皇の同母の兄)との間に御子と姫御子もいらっしゃって、
この御子からの子孫は某古代有力豪族。
姫御子は実の叔父で当代の天皇に嫁ぎ次代の天皇をお生みになられていらっしゃいます。
推戴された次の卑弥呼、台与に奉られた御称号も大倭姫命。また、天豊姫命とも奉る。
この御姫は初代(便宜上)卑弥呼の兄の孫姫にあたりその兄は倭得魂命。
倭得魂命の孫姫に、また大倭姫命を奉られた豊鋤入姫命(天照大神の初代斎宮。御杖代)。
以上は概ね欠史八代と言われる時代に内包、隠匿されている事柄。
これらの事柄を記紀に記述する事は天皇家(及び編纂編集責任者の為政者達)よりそちら様の系列が主流で、
初期の天皇家は実質上、代々入り婿状態で、どちらかというと、そちら様らの庇護下に有った不都合な真実を認めてしまう事になるため削除されたとするのが妥当かと。
事象はいっぱいありあふれるほど有りながらも
一切書けない。書いてはいけない。もし記述が発見されたらクビが胴体から離れるため、
史家は慚愧の念をのみ千歩譲って系図だけを残して、
どこかに密かにあるかも知れない(公式には全て破却消滅)他の系図伝承(その多くは一子相伝に近い門外不出の永世極秘伝としたかと)から
この空白の時代を推測、垣間見できる事を念じたものかと。
天照は元々男神な
持統天皇が改変しただけ
8 :
日本@名無史さん:2012/12/25(火) 22:52:53.04
おおむね6の言ってるとおりで、海部氏系図がヒントになってるわけだが、
こんなもん考えるだけ時間の無駄。歴史学の範疇ではないから専門家もみんなスルーしてる。
はっきり言って馬鹿馬鹿しい。ヲタクくらいだよ、こういう妄想垂れ流すのは
9 :
日本@名無史さん:2012/12/26(水) 01:17:01.57
卑弥呼が天照大神ならば、天照大神以降の記紀の記述は、史実を反映して
いることになる。つまり、神武東征も史実ということになる。
邪馬台国九州説のみならず、東遷説までも示唆していることになる。
だから、畿内説はここに触れて欲しくないわけだ。
10 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:05:31.20
卑弥呼がアマテラスなのか?って単純すぎるんだよw
そもそも、もともとヤマト朝廷は
アマテラスではなく男神のアマテルを祭っていたという話があるぐらいだし。
卑弥呼は、箸墓の被葬者のモモソ媛命でしょう?
11 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:57:25.16
>>7 天照はもともとは男神だったというよりも
もともとは、ヤマト朝廷が始祖として崇拝していたのが
男の天照という別の人物を崇拝していたのを
その人物を始祖として祭るのが問題だったので
別の人物を女神の天照として祭りなおしたというのが真相でしょう?
アマテル説ってどこから湧いてきたの?
13 :
サガミハラハラ:2012/12/28(金) 11:04:00.69
元々天照大神の名はオオヒルメであったのです。
しかし、天武天皇の前あたりから中国から神仙思想が伝来し、神話の舞台や神々の名をより神聖にみせるような名に書き換えられたのです。
天照や高天原や高千穂の峯などとね。
そうして新たな名で記紀の記載が決められたのです。
ところが、オオヒルメのみは変換し忘れたためそのまま残ってしまったのです。
ちなみに天照大神は女性なのです。
男性説が何故発生したにかというと、書き換えがおこなわれた時、天照国照などのように、
他にも天や照等をつけた神名が多々つけられたのです。
ですから神名に天照という字が入っているからといって天照大神のことではないのです。
14 :
日本@名無史さん:2012/12/28(金) 14:55:21.21
>>12 卑弥呼は間違いなく女だから、天照大神=卑弥呼を否定するためには
天照大神を男にしてしまうのが手っ取り早いからだろう。
まあ、天照大神が男だとしたら、妻や子がいないはずがないな。
15 :
日本@名無史さん:2012/12/29(土) 14:27:15.89
邪馬台国は、宮崎県高千穂町なりの新説が登場したようです
16 :
日本@名無史さん:2012/12/29(土) 14:29:16.00
17 :
日本@名無史さん:2012/12/29(土) 21:47:24.86
複数の系譜と記紀から・・・
○いわゆる最初の女王卑弥呼。
大倭媛命(偉大な女王の称号)。天造日女命(!)。大海霊媛命(巫女で在られた)。日女命。竹野媛命(父親が竹野を領有。それを相続?)。宇那比媛命。
○若干十三歳で卑弥呼に推戴された宗女の台与(壱与)。
大倭媛命。天豊媛命(とよ!)。
初代?卑弥呼の実兄の孫姫。
あまり出演機会?が少ないですが、
大倭久邇阿禮姫命(皇后)は初代卑弥呼の兄の娘で実の姪。
亦名、豊玉姫命(!)。大海媛命。
○倭途(*代字)々百襲媛命。
大倭媛命。豊鋤入媛命(!/初代天照大神の斎宮)。八坂振天其邊命。
(ヒミコ女王(大倭媛命)と言っても間違いではないけど、
あの卑弥呼ではありません)
◎系譜では最初の卑弥呼は孝安天皇の兄嫁。(倭人伝にいう弟は義理弟の孝安天皇。)
娘は実の叔父である孝安天皇に嫁ぎ孝霊天皇を産む。
息子は和邇氏の二代目。
系譜から拝察すると多分、この頃の皇室は一有力豪族位のポジション。
卑弥呼の実家の一族側が名実ともにヤマトの統治者。
竺紫の日向の高千穂の久士布流多気 古事記
筑紫の日向の高千穂の(木患)触峯 日本書紀
これだけでは天孫降臨の地はわかりませんよ
20 :
日本@名無史さん:2012/12/30(日) 01:31:15.10
筑紫国=白日別
豊国=豊日別
肥国=建日向日豊久士比泥別
熊曽国=建日別
22 :
日本@名無史さん:2013/01/06(日) 14:12:40.95
卑弥呼様は実は男だった。
実際の卑弥呼は早逝し、代わりに近親に男王が祭祀を行った。
しかし、バレて殺された。
その後、卑弥呼の数多い隠し子の中で最も賢い、姫命を女王に立て
再び國は纏まった。
人口の増加に伴い、邪馬台国の王族をはじめ何割かは東遷し、勢力を築き後に大和朝廷となった。
残った邪馬台国はその後、衰退し、土蜘蛛と言われる土豪となったが
そこでも女王を立てていた・・・・・・。
というのはどうだろう。
卑弥呼が男だったのなら、次に近親の男王が祭祀を行っても問題ないんじゃないのか
隠し子の中の姫命を女王にするほうが、抵抗があると思うが
24 :
日本@名無史さん:2013/01/06(日) 18:26:22.52
23
はじめから男だったわけでなく卑弥呼急死によって
混乱を防止しようという意図でなりすました。だがバレて殺された。
姫命はあくまで一族の娘。霊感能力十分あり推戴された。
そうでなければ邪馬台国はまとまらなかった。
台与(とよ)は、そういう由来での名前っぽいではないか。
25 :
日本@名無史さん:2013/01/08(火) 18:07:17.33
だったら先代女王(卑弥呼)が死んだので
別の女王をたてればよかったわけで男王が女王になりすます意味がない
しかも魏の使者は実際の卑弥呼に会った形跡があるので
卑弥呼が女装した男だったら驚愕して記しそうだ
26 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 08:16:08.95
三輪山の山頂に坐す磐座の祭神は、
一説に「日御子大神」。
まんま「ひみこ」ないしは、「ひのみこ」
27 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 11:03:47.68
諡号にたくさん使われている
押国の押(忍)は天照、偉大な支配者
28 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 14:06:52.86
日本書紀、古事記の記述を信用するとして、天照が実在するなら縄文時代だろうな
卑弥呼とは時代が合わない
29 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 17:05:17.61
日本書紀、古事記の記述を信用するとして、天照が実 在するなら弥生時代だろうな。
鏡や剣が出てくるからね。
30 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 18:23:42.49
馬も出てくるからな
まあ創作の域であろう
高天の原は日本列島よりも先進地帯だから日本の縄文時代に稲作があっても
おかしくない。
32 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 18:49:17.31
稲作は日本でも縄文時代にやってるよ。
稲作は弥生時代から。
陸稲は縄文時代からだね
35 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 23:43:28.58
>>28 天照大神が実在するとすれば、縄文時代ではなく、少なくとも
弥生時代の終わり頃以降でないと人々の記憶には残っていない。
36 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 23:49:29.40
>>35 卑弥呼の頃にいたであろう崇神天皇から逆算して何代遡るのか考えてみればわかる
弥生後期はありえない
あくまで日本書紀、古事記の記述を信用した場合だ
37 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 23:56:03.06
異常に長寿の天皇がいるので、倍歴説があるよね。
漢籍にも、それらしい記述があるし。
38 :
日本@名無史さん:2013/01/11(金) 23:56:53.96
卑弥呼の時代と崇神天皇の時代は異なるな。
記紀の場合は初期の天皇の異常な年齢だけはやはり信じるわけにはいかない。
年代の記憶あるいは記録がなかったからだろう。
39 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:10:09.70
崇神は学説上実在性が高いが卑弥呼の頃かそれより50年程遡るかだ
天照を卑弥呼に求めるには年代が違いすぎる
そもそも説で言えば天照は元々男神説、天照思想はさして古くない説がある
天照=卑弥呼説は考古学的には信憑性に欠けるとして扱われないが、信じてるなら君の手で探るか朗報をまつしかないかな
40 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:12:31.97
考古学でどうやったら天照大神や卑弥呼が出て来るんだよ。
41 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:31:31.92
アマテラス男神説には根拠が無い。一部の研究家の妄想である。
また、天照思想などいう思想など存在しない。
42 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:34:36.18
モモソヒメ=大倭姫命=豊鋤入姫命。(天照大神初代斎宮)
卑弥呼ではない。けど日巫女、日霊姫
43 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:36:59.72
太陽を陰や凹と同一視する理は無い
45 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:43:31.80
天照思想は言葉を違えたか
天照という概念に訂正
46 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:51:31.47
天照皇大神とは特に優れた大王=大国主の事。
特定の人でなく優れたその業績を尊称したもので複数人坐す。
47 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 00:59:29.15
アマテラスは太陽ではない。
伊勢神宮では太陽を拝まないのが、その理由である。
その生誕が大陸の神話と融合しただけだ。
48 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 01:53:26.71
「以婢千人自侍」という卑弥呼と、たくさんの女性に囲まれていた
伊勢の斎宮は被るな。
アマテラスは卑弥呼。卑弥呼は結婚していないし子供もいないから、直系での血の繋がりのない
天皇家が架空の神に仕立て上げた。
または、天皇家は卑弥呼の系統の政権からクーデターか反乱で権力を奪取したのかもしれない。
51 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 02:15:35.86
アマテラスは五人子供産んでますよ
天照大神は女ではなく男でしょうな
宗像大社に天照の御子3女人をお祀りしているのですが、
奇妙な事に宗像大社の所有する沖ノ島は女人禁制なのです
天照大神が男だという証拠の一部になるかもしれ¥ません
53 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 02:48:54.09
天照大神には実子はいませんね。
口から出た女神はいるけど。
54 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 03:31:05.78
ならばアマテラス自体目から生まれた史実性を問われる事になる
55 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 08:09:18.73
そうですね、あの話は例によって南方系の民話らしいですよ。
ただ、記紀では他に、普通の夫婦関係で生まれたようなことで話が作られている。
56 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 10:05:51.36
>>52 宗像大社が女人禁制になったのは後の時代だと思うぞ
京都の祇園祭も祭り当日鉾の上に登れるのは男子のみで女人禁制だが(近年一部の鉾で変更)
女人禁制になったのは江戸時代かららしい
57 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 10:09:05.88
原初期倭王、アマテルって
天照国照彦天火明櫛玉饒速日命だろう。
58 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 14:26:22.28
昔の山も女人禁制が多かった。
山の神は女の神だから女人禁制となる、というのが普通。
女が来ると女神は嫉妬するらしい。
太陽神たるアマテラスはシリアのエラガルバス神同様両性具有だったんだよ
たから男神、女神説どちらも間違いではない
後世、皇室の祖たるアマテラスがそんな変態ではまずいんで女神とういことにした
60 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 16:48:28.97
男と女のどちらかを選んだら、男だろ。
ウズメ以外は豪族は皆男神なのだから。
61 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 17:00:24.09
天照大神は皇室の直接的(男系)な祖先神ではなく、
神武天皇を始め歴代大王等(後々の天皇)は
倭国の実効支配者である一大勢力の一族の姫御子を后妃に迎え(実質的には入り婿)続けて
やがての雄飛に備えて歯牙を研ぎ臥床薪胆。
嫁実家の祖先(但し同族)の天火明命/天火火出見命を連衡合衝(名目は対等ながら実質的に服従)の証しとして祭祀し続け、
いよいよ堪忍袋の緒が切れてきてきたのと
自分達側の実力が充分蓄えて対抗可能となって、頃やよし?として
崇神天皇の頃、漸く天火明命の天照御魂大神と倭大国魂大神を放り出して、
歴代積年の抑えていた鬱積した思いから解放され自立をはかり実力行使に転じ、
后妃実家一族ほかをこれまでの恨みを晴らすべく各個撃滅を実施。
徐々に各地の実効支配権を奪取。
始祖。天火明命(宇良嶋子/大国主の娘婿)から始まる一族の栄耀栄華。この世の春。
この間、約三百年(十数代)。
欠史八代とせねばならなかった理由がここに見え隠れします。
浦島太郎や桃太郎の鬼退治等のおとぎ話の元ネタ。
62 :
日本@名無史さん:2013/01/13(日) 18:49:56.65
天照大神の天岩戸神話は持統天皇ー藤原不比人によって改竄された公算が強い。
持統天皇の次期天皇推戴を正当化する為に、天照の孫であるニニギノミコト
を地上平定の使いとして、いわゆる「天孫降臨」降臨を作り上げたといわれる。
卑弥呼の後に即位した男王とは卑弥呼の弟なんだよ。
で、失政があって追放されて台与(or壱与)が擁立された。
この経緯の神話化が天の岩戸事件なんだよ。
もしかして卑弥呼は弟に王位を追われて幽閉されて死んだのかもしれない。
それだったら天の岩戸のお話にもっと近くなる。
248年以前にも部分日食があったようだけど、248年の皆既日食orそれに近い食で
予言も出来ず食い止めも出来ずで求心力を完全に失った卑弥呼は、侍女1000人
と共に臣や民衆によって誅殺された。
66 :
日本@名無史さん:2013/01/16(水) 09:37:58.00
67 :
日本@名無史さん:2013/01/16(水) 18:58:21.10
自分のホームページの宣伝かよw
宇佐神宮の主神は八幡大神で男神
比売大神はだいぶ遅れた天平年間に合祀されたにすぎない
68 :
日本@名無史さん:2013/01/16(水) 21:08:39.96
イザナミ様と日本人にとってはどのような御方ですか?できればシュメールや古代エジプトの関連で教えて下さい。
69 :
日本@名無史さん:2013/01/16(水) 21:11:38.74
八幡はヤハタと呼ぶ ハタは秦 朝鮮秦氏を差し、皇室はその長
それはない
71 :
日本@名無史さん:2013/01/16(水) 21:30:09.61
イザナミは最も巨大な禍になった
72 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 07:16:04.75
>>71 もっと詳しく教えて下さい。ある霊能のある皇孫の端くれの枕元にある女神が立ち古代カルデアにも縁のある、ある特殊な杖を作るよう依頼しました。もしかして杖を作るよう彼女の正体は禊ぎ払いの神である瀬織津姫とかイシスという事?
73 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 07:55:19.43
>>72 イザナミ様が根の国に行ったという意味、この世の罪汚れ=悪を洗い清め滅ぼす為にカルデアの杖をふるった者の辿る運命末路が何となく分かって来ました。
74 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 07:59:39.47
>>73 ですが、この世の一切を大津波で(?)洗い流した筈なのに何故イザナギ様のように尚ご存命の方がいらっしゃったのか、また、イザナミ様が根の国に行くまでに通った7つの門の事がよく分かりません。
75 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 09:36:42.44
凄い自演だなあwww
76 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 20:19:31.41
空耳天地(アワ)ー。
イザナギとは民を救い教導するもの。偉大なる救世主かつ指導者=陽であり父。天照皇大神の顕現が天皇陛下。
天から下された稲を植え収穫し神と神人共食し天下安寧を祈り・・・
イザナミとは、慰め愛しむ者。・・・受ける者。陰であり母。大巫女さま。国母陛下。
蚕を飼い糸を紡ぎ聖なる布を織り・・・
掛巻くも畏き今上両陛下に於かれましても同じ構図。
77 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 22:08:26.84
>>76 北斗七星の破軍星の脇にある星を巨大な星が周る徴が顕わされ、伊勢外宮の豊受大神を示した。また枕元に立たれた霊能ある皇孫の端くれは血脈が確かに麻や機織りに縁が深い。ますます訳が分からなくなって来た。
78 :
日本@名無史さん:2013/01/19(土) 21:01:11.07
>>77 訳の分からない話してご免ね、忘れて。何れにしてももう若くはない、天空からの巨大ビームとかの助力があってもムー文明系の海底ピラミッド七つ目まで止める力は無いから、次の代に娘とかがやる話。
改行されたほうがいいと思います。
80 :
日本@名無史さん:2013/01/20(日) 00:43:28.55
卑弥呼の本当の正体、出自が判明すると、
記紀神話の万世一系の皇室ロマンが崩壊しかねませんから・・・
時代は決死蜂内の真っ只中。
魏史倭人伝にも有るとおり、もちろん大変な事件や事象はたーくさん有りながらも
バッサリ削除せざるを得ない全くもって記紀の趣旨に反する不都合で不愉快な状況下ととれます。
81 :
日本@名無史さん:2013/01/20(日) 07:15:50.09
皇室は稲作を行い道教を信仰し剣鏡玉を神器とする朝鮮系渡来人(秦氏)の族長で
先住民を攻め、銅鐸を神器とする出雲系渡来人を滅ぼし、九州から東征し奈良に
大和王権を確立した それだけの事
ちなみに、縄文系先住民は皆殺しになった訳ではなく居留区に封ぜられ
今に至っている
83 :
日本@名無史さん:2013/01/22(火) 09:28:28.06
卑弥呼様は日本の宝です。
アマテラスは日本の母です。
84 :
日本@名無史さん:2013/01/22(火) 20:45:26.69
大体秦氏は朝鮮系渡来人じゃないぞ。
成りすましはいるだろうが。
朝鮮系www
笑わせんなタコ
その頃お前らはシベリアにいただろうがエベンキwww
86 :
日本@名無史さん:2013/01/23(水) 08:20:03.55
2001年12月18日、今上天皇が誕生日を前にした記者会見の御席で、
「私自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると
続日本きに記されていることに、韓国とのゆかりを感じています。」
と述べられた。
87 :
日本@名無史さん:2013/01/23(水) 10:40:22.02
日本に来て十代目だろ。
誰がどー見ても日本人じゃんw
それに百済人は、モンゴル人と満州人にレイプされまくって形成された現代朝鮮人とは、完全に別の種族だ。
>>86 元々倭人に近い(同類)だった百済に居た人々が倭に戻っただけだよ。
絶対証拠の出てこないことをスレにするのはセンス悪し
もう、トンデモだらけだな、このスレは。
イネやヒトの遺伝子などは定期的に突然変異を繰り返している。
それは、時期が大まかに決まっている。
それをもとにするのなら...
日本で水稲農耕が開始されたのは、およそ3500年前ということになる。
最近、考古学会では、あたらな年代測定法で、遅くとも3000年前には
水稲農耕が開始され、弥生時代を水稲農耕が開始されたと解釈するのなら
その時代を弥生時代の開始時期と捉えていたが
これらは、あくまでも、発掘されるかどうかで数値に影響するもので
確かではない。
だから、もっと弥生時代を遡れるのでは?と思われているのだが
イネやヒトの遺伝子などを調べたら、日本で水稲農耕が開始されたのは、
さらに遡って、3500年前ぐらいということになる。
92 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 14:22:20.84
縄文時代からすでに稲作をやっていたという説もあった。
93 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 15:01:14.33
中国の文献を見ると、古代日本においてはっきり女王と認められるのは
卑弥呼とその後を継いだ台与だけ。そのほかには痕跡が認められない。
記紀では、高天原を主宰する女神として天照大神が登場する。しかも、それは
皇祖となっている。古代の日本に君臨する女王ということで、それだけで
卑弥呼と天照大神を同一する根拠になる。
魏に遣使した女王卑弥呼はいったい誰なのか、皇祖として記紀に登場する
天照大神はいったい何者なのか。その答えは一つである。
他に納得できる説があるのか?
卑弥呼か台与が天照ならそこから5代後の神武は4世紀後半〜末くらいの人ってことになりますけど
95 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 16:54:20.44
当時、卑弥呼台与に類する女王は各地に存在していたらしい。
96 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 17:09:32.34
>>94 卑弥呼の没年がAC.248年で記録上明らかな歴代天皇の平均在位年は
約12年なので5世代後は3世紀末から4世紀始めとなり奈良に於ける古墳時代の
開始と合致する。
これは、天照大神の5世代後の神武天皇が九州から奈良へ東征し大和王権を確立した
と言う記紀の記述と合致することになる。
97 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 17:16:43.81
>>96 だったとしてその後の天皇をどうつじつま合わせるんだ?
98 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 17:34:07.13
>>97 神武の没年をAC320年として、実在が確実とされている継体天皇(AC531年没)
が26代。差25代のうち旧辞の無い決史8代を除くと
AC320+12年x(25−8)=524 でほぼAC531年と近い数字となる
天津神と国津神に分けて、天照を女神にしたのは
「天皇記」「国記」を焼き払った後、8世紀の編集長からじゃね
100 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 17:47:45.72
101 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 18:02:34.43
古代天皇は100才以上とか、有り得ないきろくがある。
手元の年表では、26継体天皇(507)から載っている。
これに、96後醍醐天皇(1318 )まで71代を計算すると、一代平均11.4 年だな。
26継体天皇(507)から11.4年×25代遡った神武即位は(322)だ。
さらに、11.4年×5代遡った台与即位は(265)。
実際の台与即位は(247)以降近辺だが、十分に誤差の範囲といえるだろう。
102 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 18:05:59.78
>>100 神武が127歳、孝昭が114歳、孝安が137歳、孝霊が128歳以下延々と
超長寿が続く。これは明らかにデッチ上げで事実とは思えない。
なぜこのようなデッチ上げをしたかというと、日本の皇統を中国に伍するために
箔をつけたに過ぎない。
同じ動機で決史8代もデッチ上げと考えて差し支え無し。
103 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 18:08:01.66
>>100 神武が127歳、孝昭が114歳、孝安が137歳、孝霊が128歳以下延々と
超長寿が続く。これは明らかにデッチ上げで事実とは思えない。
なぜこのようなデッチ上げをしたかというと、日本の皇統を中国に伍するために
箔をつけたに過ぎない。
同じ動機で決史8代もデッチ上げと考えて差し支え無し。
104 :
sss:2013/01/27(日) 21:12:26.89
記紀には神武天皇と崇神天皇に関する詳しい記述がある。
これをつぶさに見ていけば、それぞれの年代を特定できるヒントが
あるかもしれない。
105 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 21:57:53.06
神武と崇神は同一人物(共にハツクニシラススメラミコト)で神武は即位前の事跡
崇神は即位後を各々記されている。そして神武と崇神の間の系譜がデッチアゲの
欠史八代だ、という説には説得力がある。
106 :
日本@名無史さん:2013/01/27(日) 22:17:38.65
無いよw
107 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 12:11:17.23
神武と崇神は同一という説ほど
いい加減なものはないw
わざわざ、そんな意味のないことをする必要はないだろう。
108 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 15:24:58.48
いや事跡に類似性があるから当たらずとも遠からずかもしれないね。
崇神は二代目ではないだろうか。
神武死後に九州畿内ハーフ系が純九州系の手研耳を暗殺して簒奪している。
神武が東征にあたって連れて来た日向や吉備の将兵らは反発したはず。
おそらく武埴安彦・吾田媛夫妻の乱はハーフ系のクーデターの一環による純系襲撃か、
手研耳暗殺による純系の反発によるものだと思う。
吾田媛は手研耳の母、神武の妻の吾平津姫かもしれない。
手研耳暗殺については無かったのかもしれないし後の出来事だったのかもしれないが、
要らない反発を作ることも無いし、されば事故死等不可抗力の死ということにすべきで、
やはり類似の事があったのだと思う。
欠史八代を入れるメリットは色々ある。
手研耳暗殺を二代目に持ってきて欠史八代とすることで、神武崩御後ただちに純九州系が
断絶したことにして、畿内九州ハーフ系を長くすることで現朝廷(当時)の正統性を上げる。
さらに八代を入れて遠くすることで後世の崇神への反発を2の8乗分の1にしようという意図。
さらに中国に伍するための箔付けを企図。
こういう説はたくさん目にしたことあるが、まあ根拠も無い想像ですね。
109 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 16:27:45.76
>>99 記紀、不思議な千三百年史もあるので、それは言えた
>>108 違う!
崇神の事跡を神武伝説になぞらえて作ったんだ。
なぜなら、崇神から血統すなわち勢力が変ったことは、編纂者ももとより知っていたから。
111 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 16:55:37.88
决史8代はいたのだよ。
>>101の年代論で説明がつく。
112 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 17:08:03.95
113 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 18:05:52.32
普通に考えて、天皇家にとってマズイ記録しか伝わっていなかったから、カットしたのだろ。
本家の高天原邪馬台国と戦争したとか
114 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 18:14:04.45
115 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 18:42:15.26
不逞鮮人が妄想をわめいていますねw
女の王は事大するし実際卑弥呼も新羅の女王も事大していたし
続けば日本は属国化を深め朝鮮のようになっていただろう。
朝鮮の場合は事大した新羅が国内を統一してしまったから後世今まで事大が肯定されてしまった。
今日の日本が好きならば卑弥呼→壹與だけで女系継承が終わって良かったと考えねばならない。
117 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 19:20:59.41
>>116 ヤマト王権の「倭の五王」は男王だが朝貢してたんだが?
だいたい台与の後は誰が継いだか分からん、また女王だった可能性アリ
だいたい天皇家にも女帝は何人もいただろ
>>116 女帝はいたが全て実権は摂政や臣が握っていただろう。
朝鮮のように中国の皇女を正妻として迎え(押し付けられ)たり、軍を入れるほど事大していない。
あるいは平和か自国を滅ぼし得るほどの外敵がいない時には女王も良い。
そうでない時の事大はすなわち亡国に等しい。
119 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 19:50:07.51
>>118 持統天皇・元明天皇・元正天皇・孝謙(称徳)天皇
皆天皇親政です
だいたい摂政を置いていたのって伝説色が強い聖徳太子の推古天皇と
摂関常置以降の江戸時代の天皇だけでしょ
斉明天皇のときは蘇我氏の力が強かったとは言われるけど
(この時代の天皇は男性天皇でも大臣の力を無視できない)
皇極天皇として重そした後は自ら筑紫まで軍を率いて出陣するほど
かなりの政治力があった
>其国本亦以男子為王住七八十年倭国乱相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑弥呼
>更立男王國中不服更相誅殺當時殺千餘人復立卑彌呼宗女壹與年十三王國中遂定
@男王七八十年→A女王(卑弥呼)→B男王→C女王(壹與)→D…
男王七八十年の後、倭國亂相攻伐歴年で疲弊した諸国が合議で立てたのが卑弥呼。
そういう経緯なので当然卑弥呼には夫がいない子もいない。
卑弥呼の次の男王Bは@の系かと思うが集権化されていない国連のような邪馬壹國内の
諸国はやはり服さず再度女王が立てられた。
状況に変化があったわけではないので卑弥呼と同じく壹與にも夫も子もいなかったと思われる。
壹與がどうなったのか壹與の死後どうなったのかは誰も知る者はいない。
121 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 20:21:55.00
>>119 皇極天皇のその話は神功皇后から取ったものであろうことは濃厚。
古代以前の事績の重複が多く見られるのはこりだけではない。
そもそも皇后としての神功皇后は存在せず、かつての九州勢力による話とも言われる(参考:邪馬台国九州説、九州王朝)。
記紀が書かれたその時の天皇は女帝だったので女帝権威を肯定する必要があったのもまた自然。
122 :
日本@名無史さん:2013/01/28(月) 20:28:43.75
女帝は皇位争いを防ぐ為の緊急避難だろ。
そして、だから女帝は絶対に子供を産まない。
九州説に九州王朝説?それは100%無いな。
124 :
日本@名無史さん:2013/01/29(火) 09:10:55.07
125 :
日本@名無史さん:2013/01/29(火) 09:53:01.25
>>121 お前無知だな。
神功皇后の三韓征討って、北九州を経由せず越前(現在の福井県)から
出航してるんだぞ?
九州にいた神功皇后がどうやって福井県から出航するんだw
ましてや皇極天皇実際は出陣していないのに神功皇后をまねたなど意味不明。
皇極天皇は自ら出陣し、筑紫国でなくなっている。
それをいうなら皇極天皇の事績をまねて神功皇后が造られたんだろう。
126 :
日本@名無史さん:2013/01/29(火) 11:00:54.96
>>124 いまだに知ったかして、ハングル語などと言う奴いるんだなw
日本人なら普通に朝鮮語と言えよ。
現代朝鮮語の大半は日本人が教えてやったんだから。
127 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 10:44:14.26
>現代朝鮮語の大半は日本人が教えてやったんだから。
大間違い、ハングルはコリアンが持ち込んだ言葉
しかも、不法侵入、増殖、歴史泥棒、天皇家偽装、半島整備、資本投資、捏造、反映だな
白人、コリアン共に日本語が理解出来ない
× 决史8代
○ 欠史8代
决は、ものを決めるなどに用いる
欠は、ものが不足するなど、パズルのピースが欠くなどだ
128 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 15:48:06.62
神武天皇から開化天皇に至る欠史八代(実際は一地方領主程度かと)は崇神以降とは別系統ないしはどうしても書けない(バッサリ削除せざるを得ないような)不都合極まりない大人の理由があったのかも。
みんな、ある家系に実質的な入り婿となる事で権威を維持していた節も。
129 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 15:56:42.77
残念な真実に?、日本の古語表現(現代の言葉にも)や地名表記には古代朝鮮半島や遼東地方などが由来の言葉がかなり有ります。
意味不明、出自不詳な地名や言葉では先ずこのあたりを当たるのが順当かと。
さらにオリエント由来と思しいものまで入り乱れて存在。
130 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 18:56:39.60
朝鮮語で”我が国”というのは”ウリナラ”というのは良く知られている。
奈良というのはこのナラらしい。つまり、朝鮮半島から大量に移民した
帰化人(渡来人)が奈良の主な住人だったらしい。これは当時の戸籍からも
8割以上が渡来人だった事が確認されている。
131 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 19:12:06.48
朝鮮人の妄想ですねw
132 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 19:19:27.20
レーシスト 人種差別主義者
戦後教育の弊害が暫く残るなあ
渡来人ステマ
最近の日本人はほとんど人種的差別はしてないな
朝鮮人を嫌っているだけだな
勘違いしちゃだめだな
135 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 19:54:06.52
>>127 2ch初心者のようだな。
ハングル=朝鮮文字で「朝鮮語」ではない。
NHKが、朝鮮語講座を始める時に韓国から文句が来るから、ハングル講座と言い換えたのが間違いのはじまりだ。
現代朝鮮(中国)語の大半は日本人が教えたのもの。というのも常識だぞ。
136 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 19:59:05.21
>>129 >古代朝鮮半島
どこの半島ぞよw
「朝鮮」「KOREA」「ハングル語」「ハングル文字」は、コリアンが持ち込んだもの、歴史泥棒
若狭湾から埼玉県比企郡まで楕円状に勢力を伸ばしていた事実
埼玉県日高市にある高麗神社が歴史侵略を物語っている
137 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 20:12:47.03
稲作もそのコリアンが持ち込んだもの 日本の稲作文化は朝鮮半島からの
大量の渡来人が運んできた事は明らか
まさか、稲作が日本独自、オリジナルなどと主張するものは居ないだろう
138 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 20:16:24.15
コリアン君は何十年前のテキストで、おべんきょうしたのかな?w
139 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 20:24:27.67
ほほう、それでは最近のテキストには、稲作が日本オリジナルとでも書いてあるのかね?
水稲のSSR遺伝子は
中国にはabcdefghの8種でaが少ない
朝鮮半島にはacdefghの7種でaが60%
日本にはabの2種なのでbは中国から直接日本に運ばれた
弥生時代にも陸稲は栽培されている
中国からも朝鮮半島からも水田稲作と共に渡来したのは小集団
141 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 22:47:31.59
訂正
>弥生時代にも陸稲は栽培されている
○「縄文」時代にも陸稲は栽培されている
142 :
日本@名無史さん:2013/01/30(水) 23:30:00.81
天照は流石に後世の創作だろう
もしかしたら卑弥呼が天照のモデルになった人物かもしれない
卑弥呼を日本書紀から消した理由は編纂期に中国と対等を求めてたから
卑弥呼は偉大だったが、中国に朝貢してた記録を抹殺したかったのだろう
変わりに日本の創成を神にあてた
>>141 ウソの訂正をするな
弥生時代の遺跡から熱帯ジャポニカの炭化米は出土する
144 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 03:32:55.06
「縄文」時代にも陸稲は栽培されている
これは事実だぞ。
日本の稲作の歴史は古いのだ。
146 :
日本@名無史さん:2013/01/31(木) 04:14:15.29
稲作もそのコリアンが持ち込んだもの 日本の稲 作文化は朝鮮半島からの 大量の渡来人が運んできた事は明らか
流れは上記の是非のはずだ。
縄文から今でもやってる陸稲が弥生にやってるのは当たり前でしょ。
いちいち言う事ではない。
弥生時代以前のコリアンって何?w 朝鮮半島原住民のこと?
結局神武天皇の即位については、那珂通世の辛酉革命説に合わせたという説が一番しっくりくる。
提唱されてから140年もたつ使い古された説でつまらんが、事実というのはつまらんもんだ。
記紀は口承で伝えられた当時の認識をわりと正確に書いている、と思ってるが、暦だけは信じれない
150 :
日本@名無史さん:2013/02/28(木) 21:05:41.85
過去の日本は半年一年期というのを使っていてそれで計算すると神武が
天皇となったのは西暦80年頃に相当するそうな
151 :
日本@名無史さん:2013/02/28(木) 21:31:20.52
古代の日本には年号がなかった。年号がないと年齢はわからない。
倭人伝に、三世紀頃の日本の事が書かれているが、どうもこの時代には
日本には年号がなく、年齢も定かではなかった節がある。
たとえば、台与の年齢は書かれているが、卑弥呼の場合は「すでに長大」としか
書かれていない。倭人の年齢について「あるいは百歳、あるいは八、九十歳」と
とんでもない数字が書かれている。これも当時の倭人はある程度の年齢になると
正確な年齢がわからなかったと考えられる。
年号以外の事象の記録や伝承があったからこそ、年号がとんでもないおかしな
ことになったのだろうと思われる。
アマテラスは推古天皇をモデルにしただけだろ。
推古天皇が死んだ4日後に日食があったってのが、そのまんま天の岩戸のエピソードだし。
天孫降臨も推古と舒明の関係性から舒明に正当性を与えるためのものだし。
アマテラスで始めて推古で終わる記紀の区切り方の構成も、
円環的に元に戻ったということを示したいわけで、
最初と最後を同じにするには、最初を最後に似せて作ればいいというわけだ。
153 :
日本@名無史さん:2013/02/28(木) 22:08:42.74
古代天皇について、
『日本書紀』と『古事記』の記述を、西暦ではなく皇紀を使って表にすると、
次のような面白い組み合わせがある。
歴史学は基本的に西暦しか使わないから、誰も気づかないようだけど・・・、
と、ある人が言っていた。
神武天皇、皇紀元年即位(日本書紀)、137歳で崩御(古事記)。
景行天皇、皇紀731年即位(日本書紀)、137歳で崩御(古事記)。
仲哀天皇、皇紀852年即位(日本書紀)、52歳で崩御(古事記・日本書紀)。
『古事記』序文末にある撰進の日付
和銅5年(皇紀1372年=西暦712年)正月28日
神武天皇と景行天皇は共に137歳で崩御したとあり、
景行天皇の即位年は、この137を逆に並べた皇紀731年となっている。
仲哀天皇の崩御時の年齢の52歳は、即位年の下二桁と同じ数字である。
また、『古事記』撰進の日付から、数字だけ取り出すと528で、
順序は違うが仲哀天皇の即位年と同じ数字の組み合わせになる。
と同時に、この和銅5年は皇紀1372年に当たる。
「1372」という数字の組み合わせを符丁として「137が2」と読めば、、
137歳で崩御したとする天皇が2人いることと一致する。
言うまでもなく、一人は初代の神武、もう一人は即位年が731年の景行天皇である。
『古事記』が崩御時の年齢を137歳とするのは、この2人だけである。
これは偶然だろうか?
これが、古事記日本書紀の編纂者が意図して仕組んだものだとしたら、
古代天皇の年齢などの数字には、
私たちが知らない何かとんでもないことが隠されているのかもしれない・・・。
154 :
日本@名無史さん:2013/02/28(木) 22:18:42.70
天照が卑弥呼だのなんだの学問でもなんでもなくただの歴史ヲタの妄想ね
155 :
日本@名無史さん:2013/02/28(木) 22:35:19.74
>>154 まず、天照大神は架空なのか、それとも実在の人物の反映なのかが重要。
156 :
日本@名無史さん:2013/03/01(金) 02:17:55.95
神話には何らかの真実が含まれる とレヴィ.ストロースも言っている
157 :
日本@名無史さん:2013/03/01(金) 07:16:27.60
こんなんいかにも頭悪い文系馬鹿がやること。
いくら考えたとこで時間の無駄
158 :
日本@名無史さん:2013/03/01(金) 07:53:16.19
賢い理系君 人生なんてただの暇つぶし いかに時間を無駄にするかが大事なんだよ
159 :
日本@名無史さん:2013/03/01(金) 13:33:48.04
ループと飛躍
その繰り返しだなw
160 :
日本@名無史さん:2013/03/01(金) 14:58:50.31
まずは記紀の天照大神の部分を読んでみることだろうな。
黄泉の国から帰った伊邪那岐命が、日向の阿波岐原で禊払いしたときに天照大神は
生まれた。伊邪那岐命が左目を洗った時に生まれたとなっている。
天照大神は伊邪那岐命から高天原を治めるように命じられる。
しかし、これ以降のほとんどは弟の須佐之男命と確執に終始し、天照大神は須佐之男命の
あまりの乱暴に怒ってついに天岩戸に隠れてしまう。
そのために高天原も葦原中国も真っ暗闇になってしまう。
いろんな神様の努力で天照大神が天岩戸を出ると、高天原も葦原中国も元のように
明るくなった。ここで、高皇産霊尊が登場する。出雲の国譲りがあり、出雲の大国主神は
高天原に国を譲ることを約束して消える。要するに出雲征服である。
次にいわゆる天孫降臨があり、天照大神と高皇産霊尊は瓊瓊杵尊を日向に天降らせる。
これ以降は瓊瓊杵尊とその子孫が主役であり、舞台は日向に移り、天照大神や高皇産霊尊が
実際に登場することはない。
161 :
日本@名無史さん:2013/03/02(土) 07:29:37.36
ここでの登場人物は天照大神、須佐之男命と大国主命
大国主命が出雲王朝の王であることには異論は無いだろう 須佐之男命は当時、
大和、出雲と並んで覇権を争っていた吉備王朝をさすとの説があり、現に岡山
、広島東部には須佐之男命を祭る神社が広く点在する そして天照大神は大和王権
の始祖
この大和、出雲、吉備の3王朝が覇権を争った時期は弥生末期2−3世紀頃の出来事であり
その時期に魏志倭人伝に書かれている倭国女王・卑弥呼が天照大神と符合するというのは
極めて自然な発想だと思うが
162 :
日本@名無史さん:2013/03/02(土) 09:29:20.78
いくら考えたとこで正答など出てこんし時間の無駄。邪馬台国関連を中心とした古代史はまじ学問ではなくヲタの妄想の領域
ん?
普通に太陽の事だろ。
そもそも物理的に浮かんで移動してる神様本体で、お天道様ともいう。
いやいや、アマテルはそもそも月神であった説も根強い。
月神は女神をあてるのが世界的な傾向で、日本も例外ではない。
だから「元々は男神だったのではないか?」との疑問が出ては消える。
そもそも、アマテルを皇祖神として扱いだしたのは壬申の乱以降。
それまでは宮中で祀られた記録が無い(他の神はあるのに)
それどころか、アマテルは禍津神扱いされていた形跡がある。
その母であるイザナミと同じように。
恐れて宮中から運びだし、鎮座させては祟られてさらに遠くへと遷座を繰り返してきた。
そのうえ、現伊勢神宮に鎮座してからも何世紀もの間、天皇は参拝しなかった。
伊勢に行幸しても神宮には参拝しなかった。
そのくらい祟りを恐れていたフシがあると同時に、皇祖神としては認識していなかったようだ。
ではいつごろからアマテルが皇祖神として扱われ出したのか?
それが明確に見出せるのは天武天皇の御代。
天武天皇(大海人皇子)は伊勢湾の海人によって養育され、その後援もあって壬申の乱に勝利した。
伊勢湾の海人が進行していたのは、漁労に直接関係する月神。
この月神はアマテルとされている。
これによって伊勢系勢力としてのアマテルが皇祖神となり、太陽神に転化したと考えられる。
それまでの太陽神は恐らくアマノホアカリなどであったろう。
>>162 だよな。
ついでに記紀も政治的意図の強い編纂なので、それ以前の神話はよくわからんのが現実。
166 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 02:19:21.93
卑弥呼は、ヤマトトトヒモモソ媛命。
それで決まり。
何の難しいこともない。
167 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 06:36:12.26
卑弥呼は神では無く巫女であると自他共に認めていたんだろ?
そうならば卑弥呼はアマテラスを拝んでいるのんで無いと卑弥呼自身に権威がつかないだろw
169 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 12:32:18.87
>>168 えーでもちょっと時代を下った日本語で解釈すると
天照大神=命
卑弥呼=天照大神尊=命人≠命
だよ。
巫職を自称していた卑弥呼が自らはアバターであり天照大神そのもので無い旨を理解していなかったとは到底考えられないんじゃないかなw
>>169 あのさあ・・・
それにはヤマト朝が卑弥呼の系譜だという前提が必要なんだけど、
それがそもそも証明できないから、歴史ロマンを駆り立ててこういうスレが立ってるわけ。
卑弥呼が現在の神道の神とは別の神を祀る一族だったとか、
後世に土着神などへ落とされた神を祀っていた可能性もあるわけ。
そういった「可能性」を語って楽しむスレでしょ。
結論となってしまうような前提を持ってきて、それを元に主張しても意味が無いんです。
171 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 13:54:00.79
172 :
日本@名無史さん:2013/03/24(日) 15:17:52.55
ういーっす、これで安心して出雲系信仰できるわ
>>164 月神であるとすると、尚更卑弥呼自身とは別個だろ。
別個のものなので別個の名前がついてる。
概念も違うので違う名前。
日本は16種の民族と人種系統によって成り立ってはいるが、異なる言語上の同名称の
話ではないってことだろ。
だから別個だろ。その跡に同一視しようがしまいが別個なのは変わらん。
なぜならそもそも古代漢人が別個として考えて倭人条に記載しているから。
同じものなら卑弥呼は太陽だということはできても、そもそも史記の倭人や三国志での
記載自体がありえない。
なぜなら古代人がヘリウムと水素の核融合を知っていて、太陽が島国に住んでいて
それが女王などという記載はないから。
また天照が付き読み神の可能性はあるだろうが、それは卑弥呼の話とは別個。
天照大神が日本の支配者などと記載が倭人条にまったく存在しない。
175 :
日本@名無史さん:2013/03/27(水) 02:29:11.47
日本人は日本人すが
176 :
日本@名無史さん:2013/03/27(水) 09:37:39.26
卑弥呼はモモソ媛命だろう?
箸墓古墳の被葬者だ。
177 :
日本@名無史さん:2013/03/27(水) 09:40:22.95
>>164 大海人命(天武天皇)を養育したのは
熱田社の尾張氏の配下の大海氏。
海人勢力がどうたらとか、ファンタジーな話ではない。
アマテラスは男神だよ
持統天皇に改変されたわけ
179 :
日本@名無史さん:2013/03/31(日) 05:34:48.74
だから天照は荒御魂ってことだろ
180 :
日本@名無史さん:2013/03/31(日) 05:39:23.25
日本国を実質作ったのは持統天皇だからな
181 :
日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:13:09.72
卑弥呼はペルシャの踊り子が原点だよ
大昔、日本とペルシャはシルクロード通じて交流があったの
日本の母系文化の原点は彼女たちだもんよ
宗教戦争とか活発になってきたとき大勢、日本に逃げてきたんだよ
182 :
日本@名無史さん:2013/03/31(日) 14:20:59.89
ヘレニズムの影響うけてるなんてそんなの当たり前のこと
183 :
日本@名無史さん:2013/04/01(月) 05:07:11.91
日本にペルシャ人の流入の原因その一
ササーン朝の滅亡^_^
基本的に遣唐使が連れてくるもんで、勝手にはこないでしょ
185 :
日本@名無史さん:2013/04/01(月) 11:49:33.28
卑弥呼は女王。日本の古代に女王がいたことは間違いない。
そういう女王が天照大神として人々の記憶に残った。
しかし、中国の記録的には女王は卑弥呼とその後を継いだ台与しかいない。
卑弥呼と台与が天照大神の可能性は非常に高い。
卑弥呼と台与の時代は2世紀終わり頃から3世紀後半まで最低でも90年近い。
ひょっとすると100年超えるかもしれない。
この女王の記憶は残っている可能性が高い。
でも巫女(シャーマン)が神になるかな?
対外的には女王だとしても、国内的には神の言葉を伝える使いだろ、
仕える者の立場が神になるかな。
神話的にはアメノウズメってポジションじゃね?
卑弥呼が天照で神武天皇が卑弥呼の弟だった可能性が高いと思う
根拠は?
189 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 01:31:31.53
さすがに天照は創作だろう
ただ卑弥呼がモデルになったかもしれん
倭の絶対的女王が中国に朝貢してたとは当時中国と対等な政治を試みた倭としては邪魔だったんだろう
卑弥呼の死後、尾鰭葉鰭がついて天照像をつくりあげたのではないか
随の頃には、倭は太陽を司る男神を祭っていると記されている
この後ころに絶対的卑弥呼伝説と男太陽神とがあわさりった
そもそも当時の頃には卑弥呼も男神も曖昧な記憶の中にあり自然と超絶対的なものとして融合して行った
古事記編纂の頃には、語られているように忘れられていた曖昧な記憶を慌てて調合した記録になったのだろう…
>>186 西洋でも神の言葉を伝える預言者イエスがいつの間にか神になってるだろ。
>>188 根拠は宇佐神宮ですね
伊勢神宮をコンパクトにした神宮です
初代天皇、神武天皇が祭られています
それと謎の神様ヒメコです
神武天皇は宇佐から東征し、和歌山から八咫烏に案内されて
奈良に到着し大和朝廷をきづきました
192 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 02:19:48.78
シャーマニズムの時代遅れを別人物として置き換えたのかもしれん
193 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 02:57:59.38
>>191 宇佐神宮に祀られているのは応神天皇と神功皇后それに比賣大神。
194 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 02:59:55.80
宇佐神社は遡ってせいぜい6世紀の頃
卑弥呼の時代にはまあ届かない
神武天皇は宇佐から東征して大和朝廷を築いた
何故に宇佐から奈良に東征する必要があったのだろうか
宇佐より西都原の方がマシだな
197 :
日本@名無史さん:2013/04/02(火) 06:51:23.18
【古事記】
神倭伊波禮毘古命 與其伊呂兄五瀬命 二柱 坐高千穗宮而議云
坐何地者 平聞看天下之政 猶思東行 即自日向發 幸御筑紫
故 到豊國宇沙之時 其土人 名宇沙都比古 宇沙都比賣 二人 作足一騰宮而 獻大御饗
大変んな情報が入ってきました
タイが南コリアから4万人を撤退させるそうどす
199 :
日本@名無史さん:2013/04/10(水) 17:26:54.48
天照大神、太陽神が女神とするひな型はもしかしたら、、
下照媛命=高光媛命/天道媛命(天道貴命)が編者の脳裏にあったのかも?
このお姫様、すこぶる高貴なるお血筋と生い立ち
父親は大己貴命(大国主神)。
母親はスサノオ(と、大日霊女貴命)の姫御子、多岐都比売命(美保津媛命)。
婿殿は天之忍穂耳命と梯幡千千媛命(高皇産霊神の姫)の(第三)御子。
天孫、天火明命。
(脈絡からは記紀の天若彦に比定されるかと)
この天火明命との御子が天香語山命。
天火明命ー天香語山命ー天村雲命らが原初の大倭大王国(いわゆる出雲国)を樹立(修理固成))
同父母の実兄が高鴨大御神こと味鋤高彦根命。
・・・天若彦=天火明命(天照国照彦天火明命/天照御魂神)と容姿が瓜二つ?この意味は??)
弟が飛鳥大神。こと、伊毘志都幣命/積羽八重事代主神(玉櫛入彦厳之事代主神)。
200 :
日本@名無史さん:2013/04/10(水) 20:51:15.99
皆 物知りだな
201 :
日本@名無史さん:2013/04/11(木) 12:46:48.76
>>189 日本の古代には、卑弥呼という30カ国ほどを従えて魏から倭王と呼ばれた女王が
いた。そういう女王が天照大神伝説として残っていた可能性は高い。
つまり、卑弥呼が天照大神である可能性は高い。
逆に、卑弥呼が記紀の誰に相当するかを考えた場合、神功皇后でなければ、
天照大神しかいない。これは誰でもわかっているはず。
納得しないのは、これが邪馬台国東遷説そのものだから。
邪馬台国の所在地論争で結論に拘りすぎると、日本古代史を捻じ曲げることになる。
202 :
日本@名無史さん:2013/04/11(木) 22:27:15.70
天照=卑弥呼は実は皇祖神ではない…
畿内邪馬台国の祖神を皇祖としたのである
畿内の邪馬台国の系譜は仲哀天皇で絶えてしまった
混乱を収めたのが東征してきた神武天皇=応神天皇である
天皇は出雲と畿内邪馬台国の双方を丁重に扱った
出雲大社は畿内邪馬台国によって覇権を奪われた大国主神、
伊勢神宮は絶えてしまった畿内邪馬台国の祖霊を封じてある
古来祖霊は現世に影響を与えることができると信じられていた
…と予想
仮定の上に仮定を重ねていくと、それはすでに妄想である
史書を読まず、ストーリーを考えることに熱中してはいけない
204 :
日本@名無史さん:2013/04/12(金) 21:14:33.24
日本神話ってまともな神いるの?
ウンコ食わせたり人殺ししたりニートだったり社会での価値ないよね。
205 :
日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:24:25.00
どうした?そんな日本に別にいなくても構わんよ^_^
206 :
日本@名無史さん:2013/04/13(土) 10:45:19.25
>>202 もう、時系列もむちゃくちゃw
そりゃファンタジーだ。
大阪のMBSラジオ「こんちはコンちゃん」より
シルク(吉本芸人)
「また安倍が総理大臣なん? あの人、体弱いし頼りないわ。」
サブロー(吉本芸人)
「また、麻生とか出てくるんか? あの口の歪んだ変な喋り方するガキ。」
近藤光史 元アナウンサー
「天照大御神はレズなんや!」
「自民党は我々の敵なんや!」
「安倍はポンポンの弱いボケナスなんや!」
「2ちゃんねるやってる奴は首くくって死にさらせ!」
208 :
日本@名無史さん:2013/04/13(土) 12:27:33.58
>>207 関西人は、鳩ぽっぽやすっから管が好きなんだろうな。
「吉本は」だろ
210 :
日本@名無史さん:2013/04/13(土) 16:45:16.22
>>205 神キモイって発言しただけで在日認定すんなや。
お前在日だろ人の見る目のないカス。
喧嘩は止めて!
二人とも在日なんでしょ。
仲間じゃない。
212 :
日本@名無史さん:2013/04/13(土) 23:15:39.22
213 :
日本@名無史さん:2013/04/14(日) 22:33:03.31
無様だなー
214 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 07:18:18.24
天照彦という男神を女性化するにあたり
モデルになる人物が必要だったはずだ
卑弥呼はそのモデルの一人になったかも知れない
215 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 09:53:32.72
日本はあちこちの神話の集大成だから特定するの難しいぞ
古代の日向、筑紫、吉備、越、出雲、葛城、三輪、尾張、河内、毛野
どこからどう編纂してるか
216 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 09:55:18.75
日向族ってのも確かにいるしどこからどう辿ってるやら。。。
217 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 10:01:09.88
明確なとこでも紀元前500年から紀元後500年に及んでるからな
218 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 14:18:04.56
出自不詳のスサノオが在地王権の総領姫を娶って(入り婿となって
支配権、統治権を禅譲され大王(大国主)になったように、
スサノオ大王家の総領姫の須世理姫を娶って(入り婿)となって大己貴命がスサノオ大王家を継承したように、
天火明命/天照国照彦天火明命(記紀の天若彦)は
大己貴命と多岐都比売命の姫御子、天道比売命/高光比売命/下照比売を娶って(入り婿となって)出雲大王家を分治為さって分国のヤマト大王国を建てたように、
黎明期の天皇家は初代より九代開化あたりまで明らかに天火明命(天照御魂神)の末裔の姫たち(日女命/大倭姫命=倭の女王)が
天皇並びに皇族(実際には天皇や大王とは呼べないのが実態では?)の嫁さんたち。
大倭久邇阿禮媛命も、卑弥呼(大倭媛命/天造媛命)もトヨ(天豊媛命/大倭媛命/開化皇后)も
豊鋤入媛(=大倭途々日百襲媛命)もみんな天火明命の末裔、
これは、天皇家は実際は反対に天火明命の大王家に入り婿ジャマイカ?
これによって権威の保障、安全保障がなされて板野鴨?
天照大御神とか天照国照とか大日女とか稚日女とか撞賢木厳之御魂天疎向津姫とか…
色んな名前の太陽神がいるということは、
極端に言えば当時の列島にいた部族の数だけ太陽神はいたんだという気がする。
従って男神も女神もいる。
それらがやがて1つに収斂されていったんだろう。
あと卑弥呼は役職名だろう。
国造とか玉依媛とかいうのと同じ一般名詞。
従ってこれも何人もいる。
220 :
日本@名無史さん:2013/04/15(月) 22:26:56.06
卑弥呼は魏から「倭王」と呼ばれた女王だからな。
あそこにもいる、ここにもいるという程度の女王ではない。
倭王と呼ばれた女王が記紀に名をとどめていないと言えるか。
日本の実情を知られない為にそういう事にしたんだろう。
倭姫のような斎女を女王ということにして報告した。
222 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 02:22:04.85
倭王と呼ばれるにふさわしい女性を記紀の中から探すのが当然の手法。
しかし、都合の良い女性を充てて、後で辻褄合わせの説明をするのが畿内説。
神功皇后くらいしかおらんべ
224 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 02:41:29.92
日本書紀における神功皇后の摂政期間は201年〜269年。
見事に卑弥呼と台与の時代に合致するわけだが、実際には年代が
合わないというのは明治の那珂通世からの定説。
225 :
日本@名無史さん:2013/04/16(火) 09:41:27.54
さよう、神功皇豪后の御陵こそ卑弥呼の墓で一件落着・・、のはずが
3世紀であるべき神功御陵はどう見てもはるか後世のもの。
これで全体像がとろけてしもた。
226 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 14:40:32.67
御陵墓は為政者の都合で移転、改葬させられる場合が有る鴨?
例えば、原初の天照神でもある伊弉諾尊の幽宮は伝承やら史書などから度々移転遷座した末に現在地(淡路島の淡路市多賀に鎮座の伊弉諾神宮)にお鎮まりになられた形跡が濃厚。
現在地には飛鳥時代、ぶっちゃけ伊勢神宮が現在地に遷座したのとニコイチで移されと拝察致します。
>>225 神功皇后陵(五社神)古墳に造出し発見…ということは、中期(5世紀)だね。
尤も治定が間違ってる可能性は高いがw
228 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 15:05:57.84
そもそも神功皇后の実在可能性が低い
記紀編纂時期至近の女帝の行為を肯定するために作られたような感
229 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 16:02:19.11
神功皇后の妹やら叔父やらが、福岡周辺に点在しているから、
博多付近を拠点とする女王の伝承と、
広開土王碑にあるような、しばしば半島に進出していた話を、
くっつけたものだと思う。
広開土王碑の倭人が、そのまま神功皇后なのかもしれない。
230 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 16:11:32.02
天照って人の名前ではなく場所のことだから卑弥呼ってのはないよ^_^
231 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 16:13:54.83
その人がそこにくればアマテラスになるけどな
369年に七支刀を献上された倭王「旨」が成務か仲哀かにもよるが、
広開土王碑にある391年に攻めてきたのは、神功皇后としてよろしかろう。
いずれにしろ、卑弥呼は3世紀、神功皇后は4世紀の人物だYao!
233 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 17:36:01.62
やはり4世紀末だよな。
仲哀天皇、仲姫命、応神天皇のあたりは。
234 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:09:42.72
委国、倭国が必ずしも日本の事とは限らんからなあ
怒られるかもしれんが日本の古代名称は天ツ国なのよ
235 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:12:48.68
日本はアの国、イの国を表すのは半島の方なんだ
236 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:15:45.22
魏志倭人伝書いたの北天派の人間か南天派の人間かで大きく違ってくるんだ
237 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:23:43.77
いってみりゃそこの出身者が各地にいき支配していたわけ
まあどこらへんまでとはいわんが
238 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 21:32:01.46
海という字をあまと読むのもその名残りなんだ
海部氏はまた天部氏でもあるわけ
海の川
240 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 22:15:51.58
>>238 どこのスレだったか忘れたが(でも確か史板だったと思う)、
海をアマと呼ぶのはだいぶ後世になってから。
もし海の読みがアマだったら、海の神の名前はアマツミノ神になるはず。
でも実際の名前はワタツミノ神という。
つまり神代の時代に海をアマと呼ぶ言い方は存在しない。
だから天照=海照は成り立たない
という主旨のレスを読んでその時は妙に納得したんだが、海部(アマベ)氏は天皇家に匹敵する古い家だっていうしなあ。
海部郡とかもあちこちにあるし、どうも分からなくなった。
でもこのスレは史板の天照スレよりレベル高いと思う。
241 :
日本@名無史さん:2013/04/18(木) 22:19:49.97
天皇家は中ツ国の出身でしょ
でも起源は日本だと思うよ
242 :
240:2013/04/18(木) 22:22:25.85
ありゃここ史板だった。
民俗板と勘違いしてた…
酔っぱらってるなスマソ(^_^;)
オーストロネシア諸語だと海のことをwasaとかいう
小剣のことをsligiということなどから、オーストロネシア諸語のsと日本語のtが対応してるといわれるので、
wataってのは南方的な表現だと思う
244 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 06:30:11.99
古代日本を支配していた者がいたとすればその一族は天皇家ってより
海皇家って呼ばれてた方がしっくりくるかもな
天の鳥船伝承各地に残ってるだろ
245 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 06:44:30.92
海の上じゃ記録が残りずらく残念てのはそこなんだよな
246 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 06:48:20.25
だから卑弥呼がいた地が海の上でもなんも不思議じゃないんだよね^_^
247 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 08:30:10.05
天皇家が朝鮮半島由来だとすると、当時の朝鮮半島は高句麗/百済/新羅など騎馬民族が支配していたわけだから、
当然その名残がなければならない。乗馬、牛肉食、毛皮、横穴式石室など。
ところが、倭人伝には「倭地に牛馬なし」「有棺無槨」とあり、前期前方後円墳が竪穴式石室であることを考え合わせても、
半島由来の風俗でないことは明白である。
「有棺無槨、封土作冢」は前期前方後円墳の特徴。
前方後円墳で石室なしって、あった?
250 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 14:33:04.47
墓について「有棺無槨」の記述のある魏志倭人伝には、前方後円墳らしき
記述はない。卑弥呼の墓についても同じで、前方後円墳とは受け取れない。
また、卑弥呼の墓から突然、前方後円墳が出現する根拠がない。
というわけで、前方後円墳の出現は、もっと後、恐らく4世紀になってからか?
ところで箸墓はその後どうなった?
立ち入った人たちの意見は一つも聞いたことがないが…。
大山鳴動、ゴキブリ一匹出てこないのが怪しい。
251 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 14:37:46.89
九州の大型古墳は、場所によって形式がバラバラなので、
一応統一したとは言いながらも、各地方で自治が行われたような印象。
畿内はかなり形式が一致し均一なので、
一つの勢力が広がっていった印象
天皇家が朝鮮系とか言ってる香具師へ
「封土作冢」に着眼しろ!
253 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 14:59:51.53
>>250 調査後マスコミを前にして、多数専門家の口から、箸墓のハも、卑弥呼のヒも、出てこなかったということは、
「立ち入り調査において通説は肯定されるものではないとの印象を得た」と受け止めざるをえなかったな。
254 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 15:04:20.48
>>252 少なくとも、ここの住人には天皇が朝鮮出身なんて考えているものはまずいない。
それは文献的な根拠のない完全な素人妄想だから。
255 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 15:10:27.44
>>253 畿内説に有利なものは大々的に報道発表される。
不利なものは人知れずフェードアウトというのがいつものパターン。
ということからすれば、立ち入り調査で何かの確信を得たか、何かの決め手を
見たかということなのかも知れない。
256 :
日本@名無史さん:2013/04/19(金) 16:24:58.27
そのとおり。
あってはならないモノがあったとか、見えるはずのないモノが見えたとか、
立ち入り前と比べ、アフターは余りにも慎重な言い回しだったので、どちらかといえばこのように受け取れた。
おそらく、くだんの墓が二度と話題に上ることはないのではないか。。。
257 :
日本@名無史さん:2013/04/27(土) 19:27:03.86
どうでもいい。
258 :
日本@名無史さん:2013/04/30(火) 20:36:45.66
記紀にないんだから、天皇家にはそういう伝承はなかったんだろうな。
崇神以前は、共立の時代で、天皇家は共立した豪族のうちの一つだったとか。
2〜8代は近隣の豪族との政略結婚が多くて、だんだん範囲が広がっていく
から、力をつけていって、崇神が信長のようなスーパーマンだったとか。
259 :
日本@名無史さん:2013/05/01(水) 04:50:39.30
歴代首長(後々の天皇家)が歴代嫁の実家(天火明命を始祖と仰ぐ大倭国大王家/所謂出雲)の神々(天照大神と倭大国魂大神)を同床同殿で親祭する祖法。
これは臣従や従属の証し、踏み絵みたいなもの
。
ミマキイリヒコはこの屈辱的な仕儀にいよいよ辛抱出来なくなって(ノ-"-)ノ~┻━┻
調査といっても、中を1時間くらい歩くだけだから何もわからないのは当たり前
日本の古代歴史を塗り替えるような
考古学的資料が出てきて欲しいな!
262 :
サガミハラハラ:2013/05/01(水) 23:07:44.29
拙書の「邪馬台国の終焉」のp227とp239の図をご覧ください。前者は、弥生時代始まりのころからの、公社は邪馬台国と狗奴国との戦いの決着のことがわかります。
両者とも古代の見識を塗り替えるものです。
263 :
日本@名無史さん:2013/05/03(金) 18:09:08.70
ハァー、サガミハラさん、そんな本を書いているの?。でも自著の宣伝をする
のも、古代の見識を塗り替えるという自賛も、やりすぎじゃないですか。
私が読んだ中では、井沢元彦氏が倭人伝に頼らずに邪馬台国を見つけようと試
みたこととか、松本清張氏が卑弥呼は殺害されたと論じたこととか、村雨賢次
氏が「邪馬台国はどこへ行った」という本の中で今も卑弥呼と台与が祀られて
いると書いている方が納得いくけどなぁ。
ただし貴著を読んでいないのでこんど読ませていただきましょう。
264 :
日本@名無史さん:2013/05/04(土) 00:19:14.81
>>1 これも最近よく聞く説だが、
卑弥呼が中国の由緒ある歴史書に乗ってるから立派な人物だったという思いこみだろな
実際は、卑弥呼は露骨に中国に媚びを売っているわけで、貢ぎ物も超しょぼい
当時の習俗も原始人さながらに描かれているからね。
まあ、九州の土族の群の長だろう。
265 :
日本@名無史さん:2013/05/08(水) 12:16:08.91
266 :
サガミハラハラ:2013/05/08(水) 22:38:45.01
はい、そのとおりです。
よくぞ掲示してくれました。ありがたいことです。
267 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 10:31:42.33
>>253 立ち入り調査だけで発掘すら行えていない。
成果は土器が散らばっていたのを確認したのみ。
結果は肯定も否定もできないというものだよ。
九州説は「卑弥呼のものだと確認できたと発表されない限りは
肯定できないと発表されたものと受け止める」という能天気なことばかり
妄想しているが
268 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 20:55:48.89
>>267 しかし、あれだけ大々的に立ち入り調査の報道をしておいて、その後、
誰一人何も言わないというのはおかしい。というか非常識。
たとえ何も見つからなくても「特質すべきものは何もなかった」との
発表くらいするのが常識。
石室が竪穴式か横穴式かの位置くらいわからないのだろうか。
まあ、黙り込むのは都合が悪くなった時という人はいるわけだが。
269 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 21:08:56.19
270 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 21:13:56.06
>>269 その記事は読んだ。
日付を見てみ。2月20日。立ち入り調査のあった日だ。
つまり、調査を終わって帰る研究者にたずねただけもの。
そんなのは発表に入らない。西殿塚古墳については全く無視されている。
271 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 21:40:41.37
>>270 発掘調査ならば史料を作って請け負った国なり県なり市なりが
後日正式発表するが、立ち入り調査程度で正式発表しないだろ。
しかも、国や県や市が調査を請け負ったわけでもなんでもなく、
宮内庁のご厚意で16人の研究者に古墳の最下段歩かせてあげたというだけ。
正式な学術調査でもなんでもない。
272 :
日本@名無史さん:2013/05/09(木) 21:59:42.47
>>271 で、箸墓はこれからどうなるんだい。
やっぱり卑弥呼の墓なのかな。
これからの新聞記事が楽しみだな。
「卑弥呼の墓との説もある箸墓古墳」という枕詞がこれからも続くのか。
273 :
サガミハラハラ:2013/05/10(金) 07:53:43.91
そうです。新聞記事のタイトルはそうなります。
274 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 21:06:15.30
しかしマキムクも箸墓も可哀相だよな
日本創成の最重要遺跡にかわりないが邪馬台国だの卑弥呼だの色眼鏡でみられてる気がするわ
畿内説に分があると感じるが、マキムクは邪馬台国を捨てるべき
発掘調査にもとづいて当時の日本を浮かび上がらせることに集中してほしい。
どうせ邪馬台国の場所比定は不可能だろうし
で、スレタイについてだが天照と鏡の神を考えて、倭製鏡の製造から時代を特定できないものだろうか
275 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 21:17:37.68
宮内庁の管轄の遺跡全部掘ればほぼ解決するんじゃね?
276 :
日本@名無史さん:2013/05/10(金) 23:25:33.10
掘ったところで何も出てこない可能性もあるな。
大部分は盗掘済みだろうし。
>>262 >拙書の「邪馬台国の終焉」
値段高いよ、ボッタクリだな。
檀蜜の写真集を買う方が有益。
278 :
日本@名無史さん:2013/05/12(日) 21:05:47.49
新しい発掘がなければ邪馬台国、卑弥呼論争は決着がつかない
というのが大方の見解でしょう。
279 :
日本@名無史さん:2013/05/12(日) 23:14:05.53
結局はその通りだと思うが、日本全土を掘り返しても確定は難しいだろうな
文字資料がないのだから
卑弥呼のネームいりアイテムでも出ない限りは
280 :
日本@名無史さん:2013/05/12(日) 23:47:39.82
当時の日本人は、卑弥呼とか邪馬台国とか言っていないだろうから、
それが出てくるのもまずない。
まあ、考古学的に邪馬台国が出てくることはないな。
@3世紀前半、卑弥呼が九州北部を支配する
A3世紀後半、九州出身の神武が一族郎党を連れて奈良に移住
B鉄の武器をフル活用して奈良地方の豪族を服従させ、天皇に即位
Cその後、子孫がさらに勢力範囲を広げ日本全国を支配する
D天皇が全国を支配するにあたって正当性と権威付けが必要となった
E神武の故郷である九州のカリスマ的存在であった卑弥呼をモデルにして天照大神の神話を作る
F本当は卑弥呼と何の血のつながりもなかったけど、権威付けのため神武は天照大神の子孫として話を広めたとさ
282 :
サガミハラハラ:2013/05/13(月) 06:02:39.22
神武軍が大阪に上陸したときは、長脛彦等が組織的に防備し、神武軍をしりぞけている。
しかるに、神武軍が迂回して南方から侵入したときには、さしたる組織的抵抗は見られない。
これは、長脛彦軍営に団結がなかった。すなわち、なんらかの事情で、内部崩壊をしていたということである。
そのために、神武軍の侵入をやすやすとゆるしてしまい、神武は奈良盆地南部に定着することに成功したのである。
まさに絶妙のタイミングであった。
283 :
サガミハラハラ:2013/05/13(月) 06:17:09.91
>>277 著名人でもなく話題を集めているわけでもないのに、あの値段では、高すぎたということでしょう。
中身は従来の邪馬台国論争を覆し、完全決着をつけるものなのですが。その意味では高くないとおもっていますが。
売れなきゃ、説もひろまらないですね。
2500円は自身過剰だったようです。
284 :
日本@名無史さん:2013/05/13(月) 20:51:33.79
天皇=いい人
神=土民
285 :
サガミハラハラ:2013/05/14(火) 06:58:32.51
訂正 自身過剰は自信過剰の誤りです。
壇密さんの写真集とならべていただきましてありがとうございます。
286 :
日本@名無史さん:2013/05/15(水) 12:51:37.09
287 :
日本@名無史さん:2013/05/15(水) 18:23:44.86
葛城族高尾張氏。(概ね天火明命/天照国照彦天火明命≒天照皇大神を始祖と仰ぐ)
日本原初の大王家(大国主)だと思う。
神話に言う須佐之男命や出雲族はこの勢力を言い表したもののように思えてならないのですが?
ヒミコ(大倭姫命)やトヨ(大倭姫命)、大倭久邇阿礼姫命(大倭姫命)、大倭途々日百襲姫命(また、天照大神初代斎宮/大倭姫命)、ミヤズ姫、
みな御一統様。
後の天皇家からは女系(歴代首長ほかの后妃)の実家で最大の外戚に当たる?
(ヤマトの古儀の一つは「国の中心、都。京」)
この葛城高尾張族の一族が信仰する龍蛇神のトーテムの「葛」カツラ/カズラがクズ、クス(清音)とも読むので
若干飛躍妄想して、、
ひょっとして狗奴国とはこの葛城高尾張族の大倭国(御所市、五條市。葛城、吉野周辺がヤマト≒都、本拠)の可能性は?
因みに葛城吉野周辺は当時は大変水運に恵まれた立地。
海面は現在よりも数メートル高く、河内には入江の良港、奈良盆地には古大和湖が満々と湖水を湛えて河川は河内に流れ出で、
大河の吉野川/紀ノ川からは直接外海にアクセス。
伊都郡(国)何ぞもありますよ?
ところで、楠/樟が神木とされる由縁もクス繋がりの葛≒龍蛇神からでは?
288 :
日本@名無史さん:2013/05/16(木) 13:55:59.62
289 :
日本@名無史さん:2013/05/17(金) 04:29:22.87
290 :
日本@名無史さん:2013/05/17(金) 04:30:09.95
291 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 09:17:56.34
雑誌・歴史人6月号、卑弥呼と邪馬台国の謎
卑弥呼は誰か?に三説、載っていた。
神功皇后説、倭姫命説、天照大神説と。
倭姫命説に一票!
292 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 12:04:32.48
>>291 倭姫は、第11代・垂仁天皇の第四皇女。
日本書紀に書かれている功績としては、天照大神の鎮座される場所を
探して方々を旅し、伊勢に決めたこと。
天照大神を祀る斎王の始まりとも言われる。
卑弥呼に似ているとすれば、巫女的ということだけ。
そういう人はいくらでもいるわけで、卑弥呼とは全く似ていない。
たとえば、卑弥呼が方々を旅した話なんか聞いたこともない。
293 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 13:09:42.00
天照大神にゆかりの倭姫命を候補に挙げたこと自体、ある種の深層心理を感じるな
(つまり卑弥呼=天照大神の可能性を無視できない心の葛藤)
294 :
日本@名無史さん:2013/05/18(土) 13:17:10.95
>>293 やはり、記紀を考えると天照大神は無視ではない存在。
しかし、卑弥呼が天照大神であることは、九州説そして東遷説につながる
わけだから反対派も多い。
295 :
日本@名無史さん:2013/05/19(日) 16:05:58.56
伊勢の天照大神、正式には天照坐皇大神さまにお仕えする神妻が斎宮/斉王。
内宮、外宮ともに遷宮などで奉られる美々しい調度品、御装束は大王(男性)のそれ(媛さまの物は微塵もない)。
天照坐皇大神は蛇神説(龍蛇神)が古来言われるところで斎宮と夜伽為さったあとにウロコが寝屋に残っていた云々。
倭媛は近代(大正時代?)まで宮とか祠で御祀りされていなかった。
ところで、日本書紀の本編では天照大神が女神とは断定も肯定も示唆もしていません。
(出処信憑性の怪しい一書に曰く(出処来歴が全くない)をよみすすむと何と次第に女神であるようなそんな刷り込みが)
ぶっちゃけ女神とする卑近なモデルは持統天皇が倭媛で天照大神では?、
漏れ聞くところ、三輪の神主の命懸けの制止を振り切って三輪山から御神体を抜きさり伊勢に赴いた云々も
三輪山ご祭神と御同体は古来(能楽ほか)言われるところ。
意外にこの持統天皇の御神体持ち去り疑惑辺りを指しているのかも
三輪山ご祭神は妻問いするなど明らかに男性神様
藤葛は龍蛇神の化身とされる物。
296 :
日本@名無史さん:2013/05/19(日) 16:38:53.71
>>295 >日本書紀の本編では天照大神が女神とは断定も肯定も示唆もしていません
「日本書紀」本編で素戔嗚尊が天照大神を指して「姉」と言っている箇所が複数あるよ。
お前は何を読んでいるんだ。
チョイ関係ないが、
日本には両性具有の神っていないのかな?
298 :
日本@名無史さん:2013/05/19(日) 20:09:36.17
>>297 イザナギ・イザナミ以前に出現した神様は独り神といわれる。
性別はないのかもしれない。
>>295 日本書紀を読んで天照大神を女と思わないなら、何を読んでも無意味だな。
299 :
日本@名無史さん:2013/05/20(月) 11:39:12.20
>>294 天照大神は東遷したことなどない
天照大神のモデルが卑弥呼だったとしても東遷説は成り立たない
そして卑弥呼も東遷などしていない
倭国統一できず隣国のくな国と戦闘状態中に死んだ卑弥呼が
東遷などできるはずもなし
台与の代になっても邪馬台国の場所は変わっていない
高天原が神話時代の奈良だと仮定すると全てがかみ合うんだよね。
天皇家は九州の一豪族として。
200年〜250年:卑弥呼の邪馬台国→奈良
250年〜300年:台与の邪馬台国→奈良
空白の100年 この間に九州の豪族が東遷
400年前後:仁徳天皇陵
奈良はツチグモの巣だろw
302 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 07:19:50.24
宮中に明治以前から祭祀されている神様ラインナップは?
303 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 08:28:44.04
高天原は葛城高尾張。御所市の高天地区。
これは10世紀の延喜式の中で公認しています。
円融天皇の御代には「日本歴代王年代記」なる文書を
留学僧(チョウネン。後に比叡山延暦寺座主)が中国(唐)の朝廷に提出した言わば外交公文書が存在します。
当時の皇室と朝廷の歴史?認識を端的に窺える資料かと。
この中では、
天御中主尊に始まり天村雲尊!(古神社系譜では天火明命の孫。倭宿禰の父親)も見え・・・・・沫那岐尊、伊弉諾尊と来て、素戔嗚尊、天照大神尊、天之忍穂耳命、炎命?、・・・・
伊弉諾尊の次代に素戔嗚尊を歴代大王(皇祖?)と認識しています。
ただ、伊弉諾尊を天御中主尊、国常立尊、神魂命、天照皇大神、高木神。等とする伝承もあるので、
最初の何世代かの同一な御方々を名前を変えて繰り返しているような気(疑い)も・・・?
304 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 15:17:11.91
そういうこったろ
305 :
日本@名無史さん:2013/05/21(火) 17:41:26.61
301
侵略者が記したのならそれで正解
まあそれがどっちかのけんしょうからだな
306 :
日本@名無史さん:2013/05/22(水) 17:19:19.82
天照大神は太陽ですよ。毎日、東遷している。人ではない。
西に移動するならまだしも東だからな
太陽は無理ありすぎ
アマテラスはあくまでも「照らす」神なので、
天空上の日輪の位置ではなく、光の指し示す方向こそが重要なのだ。
などと強弁してみるw
…ごめんなさい。
310 :
日本@名無史さん:2013/05/24(金) 10:39:25.11
伊勢神宮の神主は太陽を拝まないぞ。
311 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/05/24(金) 12:19:35.78
>>295 正式には
天照坐皇大御神さま
でないの?
もう古事記に翻弄されるのはやめるべき
313 :
日本@名無史さん:2013/05/24(金) 20:19:26.08
記紀がでっちあげられた時期には太陽神が♂だという常識が最早忘却の彼方だっただけのこと
314 :
日本@名無史さん:2013/05/25(土) 04:33:40.17
火渡りの方だろ
315 :
日本@名無史さん:2013/05/25(土) 04:41:43.30
天照は太陽神てのが間違いのもとだろ
316 :
日本@名無史さん:2013/05/28(火) 13:01:05.69
317 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 05:13:27.68
で、邪馬台国はどこにあるの?
どうみても沖縄だろ
318 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 07:17:26.82
天照の天は海でしょ
伊勢湾の漁師が航海の安全を願ったんだよ
正体は海の王スサノオでしょ
319 :
サガミハラハラ:2013/05/30(木) 07:20:05.60
いいえ、佐賀県小城市甘木に存在しました。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡です。
わたしが1991年に発見しました。
320 :
サガミハラハラ:2013/05/30(木) 07:36:45.94
天照の元の名はオオヒルメです。
6〜7世紀に中国から神仙思想が入ってきてから、賑々しい名に変えられたのです。
高天原とかもそうです。
321 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 08:44:17.80
7 :日本@名無史さん:2012/12/25(火) 19:52:43.50
天照は元々男神な
持統天皇が改変しただけ
10 :日本@名無史さん:2012/12/28(金) 06:05:31.20
卑弥呼がアマテラスなのか?って単純すぎるんだよw
そもそも、もともとヤマト朝廷は
アマテラスではなく男神のアマテルを祭っていたという話があるぐらいだし。
卑弥呼は、箸墓の被葬者のモモソ媛命でしょう?
卑弥呼っていうかさ
当時巫女は各地にそれぞれいたんだと思うのよ
だからあんまり重要じゃないと思うのよ
処女で鬼道使う人が占いや呪術使って神聖化されて
天って海って読める
伊勢湾の人々は航海の安全願ってスサノオを祭ってたんだよたぶん
海の神を
元伊勢のある丹後のコノ神社は海部氏で(アマベ)って読むから
尾張の熱田に草薙の剣あってスサノオ祭ってるもん
322 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 09:05:55.04
天照は女だよ
男尊女卑思想で逆に解釈されただけ
323 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 09:24:55.83
だまされてるんだよ
324 :
日本@名無史さん:2013/05/30(木) 11:15:37.31
ふふーん、神宮(かんのみや)は観音(観音)さん
仏教成立でその時点であっちがそれに当たるだろうし欧州でもそういう
家系生まれてるじゃん
>>322 ふと思ったんだけど、アマテラス♂♀論争には2つの論点があるのね。
1) もともと男神だったんだけど、記紀神話編纂の頃に女神となった。
2) もともと女神だったんだけど、本地垂迹で大日如来に習合したことにより
「もともとは男」というイメージが流布した結果、1)のような説が生まれた。
メタ議論の次元というか、一階微分と二階微分とで符号が変わる感じかなとw
326 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 06:50:07.55
アニメで示唆してんのわざとかねw
天神爺ー婆ーとか
見使い、天使(天氏)とか
なら使者は女性ってことになる
327 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 06:52:15.99
神輿に日ル女が乗って使者となってたのかのお
328 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 07:17:37.19
329 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 09:47:07.90
天照の正体はキリストだろ
だから男
330 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 10:56:31.94
そりゃありえん
331 :
日本@名無史さん:2013/05/31(金) 10:57:43.07
アマの子ならありえるがな
332 :
日本@名無史さん:2013/06/01(土) 06:10:35.85
神社の屋根飾りの千木(比木)と勝男木の様式は、
実際のところは巷間いわれるように単純に男神と女神の別には当てはまりません。
内削は言わば天つ神。外削ぎは国つ神(古い神様)とした方が整合性がありそうですが、、
これもまた妖しい感じ
また、勝男木の数はその神様や社の位と性格(数霊)を表していると思っ
(数霊)。(天数歌)
一二三四五六七八九十。
ひふみよいむなやこと。
ひい・ふう・みい・よう・いつ・むゆ(う)・なあ・やあ・ここの・たり(とう)
ひと(つ)、ふた(つ)、みい(つ)、よう(つ)、いつ(つ)、むう(つ)、ななあ(つ)、やあ(つ)、ここの(つ)、とほ/たり(や)。
日本書記だったかには、古代ではこの千木と勝男木は神社以外では王者(大王)の宮殿、朝廷にのみ許された特別な意匠。
もし、大王(大国主)以外が(豪族の長と言えども)自分の館の屋根に千木と勝男木を乗せる事は大逆罪で不敬罪などの大罪を問われます。
もし意図してやらかす時は既存王権から離脱して独立し反逆する事を公にするに等しい大事。
火の鳥黎明編ではアマテラス=ヒミコだった
天照大御神が卑弥呼だよ。そして歴史的には、もう一人の女王台与が神功皇后と呼ばれている。
偉大さでは卑弥呼より、このもう一人の女王台与の方が上だろう。
神功皇后は、半島勢力に操られた九州北部と中国地方の氾濫を平定しなおし、倭国大乱の元凶朝鮮半島にまで直接攻め込んだ。
この中国九州地域には、神功皇后の仮宮が有った土地として、「豊(とよ)」の付いた地名が無数にある。
神功皇后の子「応神天皇」は生まれながらの神の子どもとして、出生時に天から大量の幡が降ってきた事になっている。
八幡神だね。れきしかによっては、始めての実在の天皇とする人もいる。
336 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 05:48:38.95
大国主ってのは中津国の主って意味だろ
勘違いしてるようだが神門と結びつくことで権威って生まれる
だからな
337 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 05:52:30.35
神の子ったってその宗門の中だけな
むかしそういうのがあったってだけの話
338 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 12:36:32.60
>>335 神功皇后って5世紀の応神天皇の母だよ
それ以前の天皇については諸説あっても
少なくとも応神天皇以降は実在が確実
5世紀の大王の母が3世紀後半の台与って無理だろ
しかも台与って未婚の巫女…
339 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 19:35:16.54
ここは魑魅魍魎の巣窟だ
340 :
日本@名無史さん:2013/06/04(火) 11:33:39.19
古代時代の男は女の付属品的扱い。精子を放出するだけの役割。
当然この時代、天照大神は女性であり男であるはずもない。
>>335 お花畑ってこういう奴の事を言うんだろうな
「ぼくのかんがえたさいきょうのにほんし」を史実だと信じて疑わないからタチが悪い
342 :
日本@名無史さん:2013/06/06(木) 14:59:12.30
まあ天照が女神だってのには違いない
343 :
日本@名無史さん:2013/06/06(木) 15:51:48.52
340
アメのなんとやらはみんな女って憶えとけばいいんじゃねえの
天皇陛下も女性ならアメのキミってなるでしょ
>>343 おいおい
知らないにも程が過ぎるな・・
天は、天から降臨した意味で天。
天上の神=天津神の意味
天上とは高天原で、実際に、天から降臨では無く、
渡来して、外国を知らない当時の住民は、天から降臨神と崇めた事に由来。
それに対して、国津神は、土着の神様で、元は、自然崇拝だったので。妖精や精霊的存在。
そこに、高天原に背いた神や中央政権に背いた一族らを相反する征服対象の土着の神々として纏めて
出雲を代表する国津神とした。
345 :
日本@名無史さん:2013/06/07(金) 05:42:31.89
人界としての中国
あと天界、海界、冥界とあるはずなんだ
346 :
日本@名無史さん:2013/06/07(金) 07:39:59.90
たとえば大国主と奴奈川姫の話とかな
渡来人が持ち込んだ話と日本にあった話とまず分離しなきゃ始まらないな
>>346 鉄と玉との結婚。ロマンだよなあ。
スサノオとイナダヒメのような守る守られるの関係じゃなくて、
恋の「駆け引き」がある。
いかにも、日本海沿岸に栄えた都市国家どうしが
盛んに交易をしていた活気が感じられるなと。
348 :
日本@名無史さん:2013/06/08(土) 02:31:44.32
349 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 02:28:16.75
工藤隆によると、涼山イ族は太陽を女性と考えるらしい
太陽神=男神と考えるのは狭量
350 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 08:21:16.67
おもしろいねー
ガルーダとはビシュヌ神の乗り物とされる迦楼羅神か〜
ハハハ(^◇^)
351 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 08:24:27.46
清朝期の八旗のモデルって天部八部衆のマゴラカだのケンダッパだのいわれたあれが元になってんでしょ
あろんなとこに影響あんだね
352 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 12:54:59.11
武家ってのは漢の方の系統かね〜、鮮卑だの姜だのの反乱も増えてきてんだよな〜
因果関係がいまいち分からん?(・ω・)ノ
353 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 12:56:07.35
だいいち漢の正体すら分からん
354 :
日本@名無史さん:2013/06/15(土) 13:05:43.03
ふと思ったがビシュヌ神とシヴァ神の争いとかあったのかの?(・ω・)ノ
355 :
日本@名無史さん:2013/06/17(月) 05:58:14.99
test
356 :
日本@名無史さん:2013/06/22(土) 17:40:56.75
357 :
日本@名無史さん:2013/06/24(月) 16:18:28.25 ID:zGzJcVlM!
日本に漢字が導入されたのは5世紀。中国の属国になる資格も無い。
よって卑弥呼は朝鮮人。
358 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 10:27:58.23
>>356 神武天皇76年、127歳にして崩御した
ありえん...
359 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 17:51:23.16
天照といえば岩戸前のスサノオってなんか女っぽくねえかな?
360 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 17:52:51.18
観音反転般若って感じするんだけど
361 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 17:54:33.42
海外なら男でもありえるのかな?
社殿に土足で上がる、ウンコを仕掛ける、大嘗祭用の米を食べる、
田んぼ仕事をしていた人々(神々)を蹴散す、畦を壊す、水路を埋める、
馬の皮を剥いで機織り屋に投げ込む、稚日女(ワカヒルメ)は驚いて梭があそこに刺さって死ぬ
女っぽいか?
363 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 20:14:27.96
魏史の中で男王が女王がと入れ替わりがあったことを書いているし
実際に頻繁に入れ替わったんじゃないかね?
先住の縄文系に、大陸系や半島系や南方系も入り交じってごった煮になっていたのが
当時の日本列島なんだから整った王制が矛盾なく運営されていたとは考えにくい
364 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 20:27:02.86
卑弥呼の時代、ミコはそれぞれのクニごとにいたと思う
そのなかで飛びぬけて優れており、政治的センスもあったミコが
卑弥呼さま=アマテラスではないか。
女男女と書いて1文字の字あるよね。
366 :
日本@名無史さん:2013/07/03(水) 20:57:22.57
なぶる
どういう意味なのかなもしかして3P?
男女男じゃね?
でした。
>>364 ミコがあちこちにいたというのはいいとして
神話上の人物を一人の実在人物にあてはめるのは無理があると思う
天照を女性化するにあたってモデルになった人物の一人ってぐらいの言い方なら解るけど
371 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) 07:37:37.43
社殿てやっぱり米の貯蔵とかそっち関係だよな
372 :
日本@名無史さん:2013/07/04(木) 17:28:07.14
トロイの遺跡が見つかったから、ギリシャ神話ほ歴史上のできごとをベースにしてる
っていうのを聞くけど、正しいんだろうか?
日本神話も例えば国譲りやヤマタノオロチは実際にあったできごとを脚色して書いたんだろうというのは
ほとんどの人が同意するんじゃないかな
アマテラスの神話も何かがあってそれをもとに書かれたんだろう
しかし登場する神は神武以前に実在した人物を神に置き換えたのだとか無理がありすぎ
できごと自体も神武以降に起きたことだろうね
>>373 アマテラスって存在感がある気がするけど、実際のエピソードは
・スサノヲと誓約した。
・岩戸に引きこもった。
・ニニギに降臨を命じた。
くらいなもんだよな。偉いわりに影が薄い感じ。
そもそも影なんかなかったんじゃないか
客観的にいってイザナギとイザナミの方が功績大きいよな
日本列島つくったんだから
高天原でのスサノオとの出来事は人間味(実在感)があるね。
スサノオの狼藉で陰部に刺さって死んだワカヒルメと岩戸隠れしたオオヒルメ。
二人はイコールでオオヒルメは岩戸に篭った時から想像上の神になった。
そんな想像する人も多いね。
>>375 うまいw
>>377 書紀の一書では同一人物になってるよね。
さておき、記紀でこの手の陰部に異物を突き刺す描写が重複して出てくるあたり、
その事象の持つ意味を検討するよりも、記紀が編纂された当時の
風俗というか世相というか萌ポイントというか、そういうものだったと考える方が
理にかなってる気がw
ゼウスは人間味があるから、実在感があるよな。
380 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) 00:36:41.00
ヤマタノオロチっぽい話は、世界中にありそう。
ネグロス島の王国にアニナ(Anina)というお姫様がいた。
島の最高峰の Kanlaon山には7つの頭を持った巨大な龍が棲んでいる。
5年ごとに、額に傷のない乙女を龍の生贄としなければならない。
王様は娘の顔に傷をつける事ができなかったために彼女を生贄にしなければならなくなる。
姫が生贄に差し出されようとした時、Khan Laon という名のインドの王子が訪れる。
Laon は蟻と蜂と鷹に龍と戦うように命じる。
鷹はLaonを山の上に運び、蟻は龍の舌を、蜂は目を攻撃する。
Laon はもだえる龍の首をひとつひとつ剣で切り落として殺す。
Laon と姫は結婚。ネグロス島のKanlaon山は、この若者の名前にちなんで名付けられたのである。
>>364 巫女というより道教の道士だろうな
道士は何人もいただろうけど
特に優れていて政治的なリードもでき、諸豪族の信頼を集めていた道士が擁立された
382 :
日本@名無史さん:2013/07/05(金) 16:42:24.51
道教ブームなど30年前の遺物
>>380 豊後国風土記だっけ、景行天皇も地味に八つ頭の亀を退治してるんだよね。
何で亀やねんとも思うがw
384 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 07:35:06.18
亀甲は出雲大国主命の神紋
>>383 豊後国風土記にはそんな話はなかったと思う。
検索してみたら、千田聖母八幡宮古文書か。
>>385 あ、申し訳ない。
さておき、多頭の怪物退治という逸話が景行天皇にもあるってのが、
面白いなと。
387 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 22:27:56.36
イヌっての勘違いしてるのいるだろうが意奴のことな
そうじゃないのはヒコとかみたいにコとかクとかになるから
388 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 22:32:56.20
成人前の子供って理性が発達してないから動物丸出しの意奴って面が強いんだよね
成人になるっていうか人になるって意味、理解できた?
理が立たないと危ないからね
389 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 22:36:06.98
欲望があろうがなかろうがちゃんと理が立ってればいいんだよ
智に働けば角が立つ 情に棹させば流される
つか、隼人の狗吠は屈服した種族に対する陵辱だって説も短絡的だよな。
実際のところ、南九州から琉球列島にかけて、自らを犬の子孫だとする
神話が分布しているのだ。
391 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 22:57:34.22
超越瞬間移動必要かもめ^^
392 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:09:56.51
問題なのは意が立っていたのか理なのかだってことだけどな
犬って意識ならちとやばかろ、武をほこるならちとなー
今の韓国のやつらのレイプとか非難できなくなるぜ
日本人の身を守るってのにも合致しなくなってくるしな
393 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:12:11.51
八幡神信仰した源氏や武家の心得みたいのにも逆らうことになるしなー、、、
394 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:14:27.92
少なくとも今の半島の連中にはなかろ
395 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:20:13.23
ぶっちゃけキリスト教の成立もそんなとこが関係あるだろ
それを良しとするなら女といえども殺されても文句はいえんよ
まてw
今ここに何人居るんだ? というか会話が成り立っているのか?
397 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:25:11.24
被害となって救いを求めるならいいけど自らの意思でそっちを望むならそれは運命だろ
そんなのはみんな切り捨てるしかなくなるわな
398 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:29:51.84
あー悪い、単なる連投w
399 :
日本@名無史さん:2013/07/06(土) 23:38:10.98
武田信玄がなぜ英雄といわれもするし同時に悪党といわれもするかっての考えないとな
>>368 おお、そうか。安心したので寝るw
つか、酔っ払いにありがちな断片的なレスだけど、問題意識というか
興味の方向が俺のと近い気がするんだよな。今度ちゃんと理路整然と書いておくれ。
401 :
日本@名無史さん:2013/07/07(日) 20:20:06.93
八幡はヤハタ つまり秦氏の氏神のこと 秦氏はもちろん有力渡来人
402 :
日本@名無史さん:2013/07/07(日) 20:28:12.81
>>401 漢族って具体名で書けんのか?
未だ幼稚思考で抽象的な渡来人ってw
403 :
日本@名無史さん:2013/07/08(月) 02:28:39.52
404 :
日本@名無史さん:2013/07/08(月) 21:55:55.26
>>390 >実際のところ、南九州から琉球列島にかけて、自らを犬の子孫だとする
>神話が分布しているのだ。
ここを詳しく教えてくれませんか?
具体的にどういう神話があるんですか?
>>404 おお、すまん。何の本で読んだか忘れちまったの。
思い出すからちょいと待ってね。
うろ覚えで書いとくと、犬♂と人間♀で、その子たいの兄妹が大洪水を
生き延びて人類の祖になるという伏羲神話とセットになってる。
元ネタは『捜神記』に出てくる犬祖(盤瓠)神話らしいんだが、改めて
読んでみると、竹沢馬琴の八犬伝は、これをパクったっぽいなw
406 :
日本@名無史さん:2013/07/09(火) 06:44:26.73
今時そんな事言う奴は間違いなく朝鮮人位だ。
409 :
日本@名無史さん:2013/07/09(火) 16:18:29.48
正しくは "うんら" 浦、萱田、宇田々、わんだ---ジャマイカ
410 :
日本@名無史さん:2013/07/09(火) 18:03:43.68
古代インドの仏教の本拠地が、ナーランダー
並んだー並んだー赤白黄色どの花見てもきれいだなあ
na-la = 葦
413 :
日本@名無史さん:2013/07/09(火) 20:22:29.84
ナ−ランダには行きました ラージギルからバスで1時間 玄奘三蔵が唐から遥々
訪れた仏教大学があったところ
>>12 アマテルミタマの神ってのが複数あってそれは全部男神
415 :
日本@名無史さん:2013/07/18(木) 10:23:56.19
ウリというとウチ(内方)、ワレ(我)、ワチ(我方)、オレ(俺)
どのへんからの変化系?
416 :
日本@名無史さん:2013/07/18(木) 10:28:34.22
面白いんだけどキリスト教普及前は南米、オセアニアことごとく太陽神信仰なんだよなw
417 :
日本@名無史さん:2013/07/18(木) 10:30:06.32
巨大な海路による伝道があるなこれ_φ( ̄ー ̄ )
418 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) 07:38:05.36
卑弥呼に夫は居らず後を継いだのも
卑弥呼の子では無い
・・・・・・ので卑弥呼をアマテラスにすると皇統()の辻褄が合わなくなるよ
420 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) 18:26:52.46
だから台与たんアテナだろ
卑弥呼はしらんが、殷が滅び周ができるんでなかったっけ?
421 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) 18:27:32.17
13歳やっしなw
これもなにかのギャグか?w
422 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) 18:30:03.94
太公望にもつながってきますなーw
おキツネ、コンコンすわ(≧∇≦)
423 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) 18:31:47.01
もう日本史知るには神話しかないっての分かってるんですわ
中国史あれは現実に置き換えたもんだな
424 :
日本@名無史さん:2013/08/20(火) 18:32:50.25
西につながるなら秦の方につながってくるね
425 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:26:09.71
記紀を編纂している時代って、魏志倭人伝は日本に伝わっていたの?
ちょっと気になった。
伝わっていた
日本書紀だと神功皇后が卑弥呼かも知れないと注釈を付けている
ついでに盛大に年号をいじったぽいw
後世の人大迷惑してる
427 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 13:43:41.62
>>426 ありがと
なんか、記紀を編纂してた時(700年くらい)もこのスレとかこの板の他スレみたいに
皆であーだこーだ言ってたんじゃないかと想像してクスッとした。
文書の記録がないのに編纂とか無理ゲーすぎんだろ!
誰の口伝が正しいんだよ!
120才オーバーってなんだよ!?
中国の方でこんな資料があったぞ!
一次資料少なすぎんだよ!
で、卑弥呼って結局だれだよ!
みたいな
428 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 15:37:28.49
だからいってるじゃねえか
天照は持統天皇だろ、卑弥呼とは別
高天原日女って呼ばれるのは持統天皇だけ
429 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 15:39:58.72
あとは大日本日女だっけ?
430 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 15:45:15.24
つかアマテラスってのを作ったのが持統天皇っていった方がいいのかな?
100歳越えについては、何か意味あるんだと思うけどな
さすがに、記紀編纂の頃には平均年齢とか知ってるだろうから
432 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 16:12:34.59
それについてもある予測はできるけどやめとくわ
>>426 多分、魏志倭人伝の内容が何コレ状態だったんだろうな
口伝くらいしかないのに、尚更意味不明な資料が現れたみたいな
434 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 20:11:54.40
伊支馬=伊久米入日子伊佐知命
弥馬升=氷羽州比賣命
弥馬獲支=美波迦斯毘賣命
奴佳醍=沼羽田入毘賣命
インドネシアの火山大噴火と天照大神が関係あるとか聞いたことがあるが
これ、歴史的にどうなの?
火山灰が日本まで来て、太陽が隠れたとか
436 :
日本@名無史さん:2013/08/27(火) 21:56:10.69
日本書紀の作者らは、魏志倭人伝の女王の存在が理解できなかった。
そこで比較的に年代が近かった神功皇后を卑弥呼とトヨの年代にすり合わせ
神功皇后一人と卑弥呼トヨの二人をすり合わせるという
無理な解釈に至ったw
実は卑弥呼と同一人物はモモソ媛命だったのだが
彼女と卑弥呼は年代が大きく違っていたし
(暦の計算方法が違うのだから、年代が大きくずれるのは当たり前)
また、記紀編纂時には、モモソ媛命存命時代の倭国の王制について
詳しい知識が残っておらず、
天皇でも皇后でもない存在と伝わっていたので、
誰も気に留めなかった。
卑弥呼は天皇家とは全く関係ないんだから知らなくて当然
438 :
日本@名無史さん:2013/08/28(水) 18:17:42.74
卑弥呼と天照大神の違いは稲作を知っているかどうかで判断できる。
粟しか食べない卑弥呼は邪馬臺人、米を食べる天照大神。
439 :
日本@名無史さん:2013/08/28(水) 20:14:41.52
戦国時代みたいに、大和王権の下に地方自治体がたくさんあって、
倭(大和王権の治める国・日本)の中の20数ヶ所の地方を治めてたってだけの可能性はない?
後の天皇家→大王
各地方→王
みたいな。
後になって足利義満やら豊臣秀吉やらが日本国王と呼ばれてるし。
実は邪馬台国と狗奴国の戦いは戦国武将同士の戦いみたいなもんだったみたいな。
440 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 16:57:57.77
卑弥呼=モモソ媛命(崇神天皇の父方の大叔母)
出雲国譲りは、高天原と出雲の合一だとみられているが
実は高天原自体が、ある地域とある地域の合一の結果。
一つは高野であり、もう一つは天野という地域。高野と天野で高天。
高野の王家が、タカミムスビ系の豪族たちで
大伴氏らの祖先。
一方、天野の王家が、天皇家や尾張氏らの祖先。
天の忍穂耳は、タカミムスビ系の娘と結婚し、高野と天野=高天の王になり、
二人の間に、
ホアカリ(尾張氏の先祖)とニニギ(天皇家の先祖)が誕生した。
次に、ホアカリは、天道日女(出雲の大国主の娘)と結婚し
その間にカゴヤマ命(尾張氏の先祖)が誕生した。これが、出雲の国譲りの真相。
そういうふうに考えると、ニニギの子孫の天皇家は、本来の日本の正統から
微妙に外れた存在だということが分かる。
441 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:37:06.04
もう分かってんよw
母たる国ってことでしょ
鬼子受け入れたときから血を拡散して毒消しやってるもんな
まあレイプだのなんだのはやりすぎ
442 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:39:11.08
東国は東エビスだのなんだの凶暴だなんていわれているもんなw
それが西国にいってなんであんなにおとなしくなってんの?w
443 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:41:24.33
これが古代の姿だろ
まあ母神信仰強くなってみんな身を守ることやってるけどな
444 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:44:05.38
ヨーロッパにもそういうのあったけどなくなっちゃったね
選民思想だのなんだの言い出したのが現れたからなあ
445 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:45:43.71
まあ無理矢理の男根思想になった時点でもう破綻してんだよ
446 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:50:05.84
藤原不比等だの武人連中があれだけ凶暴なの少数民族で近親相姦にちかいことやってきたからだよ
血は濃くなると鬼子が生まれるからな
447 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 20:56:50.94
女に対して義理があるんだからそりゃ女の方が偉くなるのは当たり前よなw
448 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 21:03:33.47
ただ今の半島人とかあれはダメだ、そのこと全然わかってないもの
449 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 21:13:22.90
そういうのから守るために朱雀思想って生まれてるからね
つまり原始ユダヤ教やらマリア教やらなんだかんだ
450 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 22:15:37.48
あ〜
これか〜
古代における選民思想の正体*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
原因がなけりゃ生まれないもんな
451 :
日本@名無史さん:2013/08/30(金) 23:40:35.67
倭迹迹日百襲姫漢字そのまま読んだら
倭国のあとの迹の天照を百済が襲名したときの
天照大神に相当する百済の姫で
いつついもじ:倭筒井餅:走井白水:いどむばし:足引山(たりいんひみ)
すなわち、大水主御輿:二名嶋の主の巫女。弱冠13歳の姫は嶋の巫女。
日巫女(天照)でないし、卑弥呼(山の穂(すい))でもない。
もう少し詳しく!
453 :
日本@名無史さん:2013/08/31(土) 09:34:57.06
>>451 もう、トンデモには興味ない。
その時代、朝鮮半島は、中国の楽浪郡や帯方郡の管轄下だぞw
454 :
日本@名無史さん:2013/08/31(土) 11:25:06.77
「古廼毛登巴口流文膾母古空良哉」
「白雪や都も連はつもる花なし」 松尾芭蕉 於、阿波鳴門
四国は物部、忌部が開拓したところ。
忌部は濊貊の白雲、白雪(青丹)、卑弥呼(ひんむお)
で表される高句麗が出自。
都で離職して戻ってみれば、交流会は高句麗人の集まりだった。
みなさんUターン組
忌部出自の人たちは都ではちゃんとした土地がない。
今は百済人が勢力を持ち、過去に国つくりをした者たちの行き場がない。
芭蕉が代弁トデモいえる。
455 :
日本@名無史さん:2013/09/03(火) 00:45:30.08
457 :
日本@名無史さん:2013/09/06(金) 19:38:04.50
モモソヒメにしたくなるよな。
共立されたのがモモソヒメで、その時点では天皇家はそれほど隔絶した力を
持っていたようには書いてないから、孝元天皇はその他大勢のうちの一人だった。
ただ、息子の大彦命が活躍するころは、多少は力をつけてきていた。
開化は、事跡がない点で、隔絶したリーダーシップがあったとは思えないが、
周辺の有力豪族と婚姻関係を結ぶまでになっている。(丹波とか)
崇神のころはモモソヒメの在位後長く「年長大」になっていて、一族の力が
大きくなっていた。
モモソヒメの霊力と崇神の隔絶したリーダーシップで、一族を特出した存在に
することが出来た。四道将軍派遣が、くな国との争い。
豊鍬入姫命は崇神の娘だから卑弥呼(モモソヒメ)が死んだときに、まだ子供だったと思われる。
13歳の一族の娘がこれにあたる。
458 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/06(金) 21:26:45.86
開化に事跡がないわけはあるまい。
459 :
日本@名無史さん:2013/09/06(金) 22:01:23.15
ああ、記紀に記載がないだけってこと。
460 :
日本@名無史さん:2013/09/06(金) 22:57:15.93
>>457 一番基本的な点で間違いがある。
百襲姫は皇女に過ぎず、国を代表する人物にはなりえない。
ハツクニシラススメラミコトの崇神天皇の立場がないし、魏が怒る。
まあ、百襲姫を現代にたとえば、よくて現天皇の姉であり、伊勢神宮祭主の
池田厚子さんか。あるいは現天皇の娘である臨時祭主の黒田清子さん。
また、崇神天皇は四道将軍を近隣に派遣している。西道も支配していないのに
九州を支配し、九州各国を通って大陸に渡るというのは矛盾。
モモソヒメに権力があったことは墓の大きさからわかる
記紀は天皇の権威を高めるために、天皇でなかったモモソヒメが過小評価されている
四道将軍の派遣は地方の豪族を次々に倒しながら地方各地に進んで行ったのではなく
謀反を起こした豪族をピンポイントで倒すために派遣されたもの
462 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 00:24:50.82
>>461 百襲姫の墓は箸墓だが、箸墓がどの古墳かは定かではない。
崇神天皇陵といわれる古墳が本当に崇神天皇の墓かどうかわからないので
行燈山古墳といわれているのと同じ。
今、箸墓古墳といわれている古墳も名前を変えるべきだろう。箸中山古墳と
呼ぶ人もいるようだが。
箸中山古墳は、一介の皇女の墓にしては大きすぎるとよく言われる。
463 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 04:56:45.82
崇神天皇がハツクニシラススメラミコトみたいにいわれるのは、
大叔母のモモソ媛命の死後、
日本書紀によるとな。
つまり、欠史八代の天皇たちは、ヤマト王朝のトップではなかった。
モモソ媛命の存命中は、彼女のほうが地位が高かったんじゃないの?
また、モモソ媛命=卑弥呼だとすると、モモソ媛命こそが
天皇のような存在になるが、同時に
魏志倭人伝によると、卑弥呼の国は、元は男王によって建国され
代々、男王によって継承されていたのが、倭国大乱が起こり
臣下が卑弥呼を共立して静まったとある。
この建国者である男王とか何物?って話。
欠史八代というと存在そのものを否定するようなイメージがあるけど
人間としては存在してただろうな
全国政権のトップではなく、奈良地方を支配する豪族のトップとして
神武が移住した当初は村長レベルだったかもしれないが、その後徐々に勢力を拡大していって
欠史八代のころは奈良県か近県も含めた領域を支配していたかもしれない
崇神が一代でゼロから成り上がったってことはありえない
先祖が倍々ゲームを繰り返して支配領域をある程度の大きさにしたんだろう
天皇なんていう身分なんか当然なくて単に豪族の酋長みたいなもんで、
モモソ媛婆さんの占いはよく当たるのでいつの間にか重臣たちからトップに祭り上げられたんだろう
465 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 11:34:21.67
>>463 それは、西暦107年に後漢に生口160人を献上し、倭国王といわれた帥升。
これで、倭人伝の「其國本亦以男子爲王、住七八十年、倭國亂、相攻伐歴年。
乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼」がうまく説明できる。
また、帥升が献上した生口160人から、帥升が多くの生口を持っていたことが
わかる。これは大規模な戦争によって得たと考えられる。
自分の国の人間だったら、これだけの人間を無駄にすることはできない。
つまり、倭国は帥升によってピラミッド型の連合体制となった。
後の徳川幕府のような体制。文字通りの倭国王で、
卑弥呼はその路線の延長上にある。
倭国の大乱は、帥升路線の後継者をめぐる争い。
百襲姫では、倭国の大乱が説明できない。だいたい百襲姫は女王とは言えない
わけで、女王に共立もありえない。
さらに、後漢書にあるように、「倭國大亂、更相攻伐、歴年無主」の
歴年、主なしも、百襲姫では意味不明。
もっと言えば、畿内説の邪馬台国候補である纏向は、3世紀になって突然
出来た遺跡。こういうことも百襲姫では説明できない。
>百襲姫では、倭国の大乱が説明できない。
余裕で出来る、というか卑弥呼像にはピッタリだろう。
瀬戸内海を倭国大乱の舞台とすると、讃岐や吉備から
大和にかけての逸話を残す百襲姫が、それらの有力国から
共立する存在としては適任だろうからな。
また記紀では王とは記述されないが、古墳についてまで
記されてる姫は極めて異例だからね。
467 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 11:55:17.35
うーん、ぶっちゃけいいかね?
熊襲姫のことでしょ
468 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 13:13:42.96
誰がだよw
469 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 14:46:02.18
倭国大乱に、帥升を無理に結びつけるのは、どうかな?
帥升は、ほんまに、ただの地方の領主だったんじゃないの?
大和朝廷が全国を統一する前は九州の豪族が勝手に中国とやりとりしてたから
帥升も同じようなもんだろうな
金印もらった奴国の王様とかかな
471 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 20:33:16.58
>>463 そうそう。記紀を見ても、モモソ姫の父は一豪族にしか見えない。
モモソヒメの在位?)が長くなって力が大きくなったんじゃないかなあ。
天皇っていうのは、子孫がそう呼んだだけだしね。
他の豪族とどんぐりの背比べだった神武の子孫が、モモソヒメの長い
在位中にだんだん大きくなって、開化は丹波から妃を取るほどになってる。
でも、モモソ姫が死んだ時はまだ「隔絶した」力ではなかった。
年長大のモモソ姫が死んだ時、崇神の代になっていておかしくない。
一族の娘のトヨって、崇神の娘の豊鍬入姫命なら年も合いそうに思える。
で、崇神の代に一気に力が大きくなった。
472 :
日本@名無史さん:2013/09/07(土) 21:19:30.32
記紀の上では神武しかいないだろう。
473 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 13:32:18.11
>>469 帥升の時代ははっきりとはわからない。後漢書に、107年に後漢に
朝貢したとの記録があるだけ。ただ、倭国の大乱のかなり前には
死んでいると考えられる。
したがって数世代後に卑弥呼が女王になったことになる。
卑弥呼は29カ国か30カ国の頂点にいる倭王なのだが、巫女的な女王が
これだけの支配をできるはずがなく、すでに出来ていた体制の王の座に
ついたと考える以外にない。
しかも、卑弥呼が王になる前には大乱がある。このように考えると、大乱は
帥升以来の倭王の座をめぐる争いだったと考えるのが妥当。
それは、卑弥呼の死後、やはり王の座をめぐり争いが起きて千人あまりが殺され、
台与が王になることによって定まるという状況に酷似する。
最近、思うのだが、ひょっとして帥升と卑弥呼にはなんらかの血縁関係が
あったのかもしれない。
475 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 15:58:31.49
師升って、どう呼ぶの?
出雲弁でスサノウと呼ぶって本当か?
モモソって地名由来なのか?
オオとかワカみたいな形容詞由来じゃないし。
帥升は福岡の地方豪族
卑弥呼は大和で国内統一した覇者
478 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 18:23:21.75
畿内説は、畿内説にあわないことは全て間違いと考えるから始末が悪い。
>>475 文字通り、「すいしょう」と読むのが普通。
>>473 史実そのままかどうかは分かりようがないけど、富強国同士が争ってどうもならんから、
卑弥呼を担ぎ上げたという話なんだから、「すでに出来ていた体制の王の座という
ものは存在してないし、卑弥呼はそういう地位に就いたのではない」と解釈するのが
穏当でしょ。
>>477 実力で他を圧倒したという話は存在しないんだから、「覇者ではない」でしょ。
むしろ、実力的には弱小国のほうが事実に近いはず。
まあ、「鬼道能力」は強力だったのかもしれんけど。
>>477 九州と畿内で倭国大乱と言うほどの激しい戦いを歴年続けるのは不可能。
九州の王たちが遙か遠くの畿内の女性を共立するのもあり得ない。
倭国大乱のさなか
九州の伊都国が代々畿内の国に統属するというのもあり得ない。
東海を隔てて千里離れた場所に倭種の国が無い。
倭種の国の南の侏儒国も存在できない。
方角が全然違う。
末盧国から二千里(狗邪韓国〜末盧国の三分の二)ではとうてい畿内までいけない。
いくら掘っても証拠は出てこないし
畿内説は絶望的です。
482 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:26:00.23
すでに兵力持った王様が共立王やったら、
他の王様が納得せずに収集つかんから、
権力と権威を分離した、権威だけの存在が、
卑弥呼であり、天皇だろう。
むしろ卑弥呼は権力=兵力を持ってはならない。
白村江の事実上の最高司令官のサツヤマは、
最大ながらもただの一地方である筑紫王に過ぎない。
アメタリシヒコに垣間見えるアメ氏の血筋が、
権威だけの存在である「天」皇のルーツであろう。
483 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:31:20.38
>>479 台与は13歳だが、卑弥呼も没年から考えて少女で王になったと考えられる。
巫女的で、王になって以来見たものは少ない卑弥呼が、どうして30カ国あまりの
国を従え「倭王」と呼ばれるのか。
伊都国の王は代々女王国に統属しており、一大率は、諸国を検察している。
また、各国には「官」がおかれている。これをどのように考えるか。
また、倭人伝には、「その国もとまた男子を以って王と為す」と書かれている。
これをどう解釈するか、いろいろ考えて一番妥当なのは、帥升の時に
それなりの体制が出来ていたと考えることだろう。
484 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 21:54:15.92
帥升は吉野ヶ里の地方豪族
卑弥呼は纏向の倭王。
>>481 >九州の王たちが遙か遠くの畿内の女性を共立するのもあり得ない
共立の意味を根本的に間違えている
邪馬台国の王を他国が決めるのではない
邪馬台国の重臣たちが王家の血筋の中から最適な人物を王に選ぶことである
486 :
日本@名無史さん:2013/09/08(日) 22:17:52.33
畿内説は、三世紀に突然出来た纏向を邪馬台国にしなくてはならかったために
矛盾点がいっぱい出ている。
少女を王にして突然出来た国がどうして九州の各国を支配しているのか。
狗奴国との戦争で、魏に援助を求めるような巫女的な女王が、遠征の戦争など
できるわけがない。
なぜ、九州の伊都国に一大率をおいて諸国を検察できるのか。
明らかに九州の王である帥升と、卑弥呼がどうして中国から同じような
倭王・倭国王の称号で呼ばれるのかというのもある。
>>483 だから、お得意の象徴的存在と考えれば無問題でしょ。
「覇権を継承したのではない」という認識でよろしいかと。
一大率は各国にあったけど、
伊都国の一大率はのちの太宰府のような存在だったんだろう
489 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:00:37.44
>>486 魏志倭人伝をしっかり読め。
卑弥呼は建国者ではなく、中興の祖だ。
卑弥呼の王家や王国を建国したのは、卑弥呼よりもずっと前の男王だ。
魏志倭人伝の作者は、この男王を卑弥呼の先祖と認識している
その真偽は別として。
490 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:08:47.94
倭国大乱は、畿内内部の王位継承争いだろう?
それが全国へと拡大した。
後世でいうと、皇位継承争いでおこった南北朝の動乱や
将軍職を巡って争った応仁の乱みたいなもん。
どちらも畿内内部の権力闘争だが、やがて全国へ波及した。
491 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:34:44.90
>>490 卑弥呼の時代にまだ日本は百余国に分かれてるよ
卑弥呼はそのうち30か国を支配する邪馬台国の宗主にすぎない
邪馬台国に従っていない国もありそれが倭国大乱だろ
492 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 21:41:02.43
>>489 言っていることはわかるが、それは九州説を前提として成り立つ。
纏向は三世紀に突然出来た遺跡であることを忘れていないかな。
>それは九州説を前提として成り立つ
成り立たねーよ
矛盾だらけになるだろが
首都が瞬間移動するのか
アホ
494 :
日本@名無史さん:2013/09/09(月) 22:19:32.16
>>491 徳川幕府も300余国に分かれていたと外国の資料に書かれている。
そんな感じだろう?
卑弥呼が支配しているのは30余国ってことは、
まだ、完全には統治が確立していないってことだろう?
中心になる西日本の30余国だけ抑えただけで。
>>492 纏向は、卑弥呼の王権の中心都市だろう?
おそらく、対立候補の王権の中心都市は、御所市とか葛城市にあたのだろう?
大和湖をはさんで、東側が纏向、南側が高尾張っていうふうに。
両者の王権は、のちの北朝と南朝みたいなかんじだった。
>>493 倭の五王は「西に衆夷を服すること六十六国」と言ってる訳だ
これはおそらく畿内の王だろう
つまり
邪馬台国が畿内だとすると30余国では九州にたどり着けない
邪馬台国が九州だとすると30余国では畿内にたどり着けない
どっちを選びますか?
答えは一つしか無いけどねw
496 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 00:39:43.15
西は30余か国らしいけど、
魏志倭人伝をみたら、九州のほうの国は北九州のほうだけだろう?
つまり、西国も完全に統治できてないんじゃね?
だって、日本書紀のモモソ媛命死後の四道将軍派遣戦争でも
西国にも軍を送っているし。
497 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 00:40:55.70
南北朝時代や応仁の乱だって、
北朝方、南朝方
東軍、西軍とも
全国各地でばらばらだった。
九州でも、南北、東西の両方がいたわけだから。
>>495 もともと倭は百余国あった
倭の五王とは大和朝廷の天皇であり、神武が建国以来、軍を派遣して関東から九州までの国々を支配下に置いた
当然のことながら、戦って潰して大和朝廷に編入した国もあり、降伏してそのまま残った国もあるだろう
小国同士で潰し合った国もあっただろう
その結果、モモソヒメの時代には淘汰されて残ったのが30ヶ国になったってだけ
邪馬台国が畿内で問題なし
魏志倭人伝の30カ国ってのは、漢人と交渉できる国じゃないの
傍国20数カ国とは交流がないから詳細不明なんだろ
だから中国と交流があるのは10カ国程度
502 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 03:23:20.34
百余國のうちの南側の30カ國
北の方の残りは別の名前貰ってもぎとられちゃった。
503 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 05:10:31.94
旧事本紀にある国々が135か国。
ただし、東北のほうや、国ではなく島という風にされているところを除くと
倭王武の上奏文通り、121か国ぐらいになるんだな。
卑弥呼が共立された経緯とか見ると、卑弥呼が共立されて静まったと言っても
以前、内乱状態で国が完全にはまとまってないのかもな。
神武東征がある事実に基づいていると見るか、それとも完全なデッチアゲと見るか?
記紀は事実に基づいている
その証拠が出雲高層神殿
本筋とは別の話なんですけど日本書紀を古事記のような偽書と一緒にしない方がよくないすか?
日本書紀のオリジナルが古事記だよ
でも天皇の歴史書としてはいまいちだった
それで編集し直して綺麗な漢文にしたのが日本書紀
宣長さんは本当に罪深い人すね
509 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 13:18:33.41
倭の北は毛人国となってますがな
これ毛深いって意味だとおもってた?
過去に日本には毛人がいたってことだよ
510 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 13:21:24.63
デルソル人だかなんかだっけ?
ホモサピエンスとはまた出アフリカ期が違うんだよな
511 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 13:23:34.74
よく馬鹿みたいのが人類だのなんだのいってるのはホモサピエンス限定でいってるんだよな
やーい、人種差別者\(^o^)/
512 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 13:41:09.41
畿内王権による全国規模の統治は、神武東征から始まったのではない。
出雲国譲りによって始まった。
出雲国譲り後、畿内王権は全国各地に地方官を派遣して、統治をやらせるが
その中のニニギ命がいた。
このニニギ命の曽孫が、ワカミケヌ命(神武天皇)
513 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 14:51:03.11
畿内王権だったとして、なんで神武東征なぞというヤヤコシイ話をでっち上げる
必要が有ったんだ?畿内の正当王権がそのまま皇統を起こした事にすれば済む話
動機が無いだろう
514 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 15:58:39.92
>>513 神武東征よりも以前に、出雲を国譲りさせた畿内王権の初代倭王が
現在の天皇家の先祖じゃなかったからだろう?
厳密には、現在の天皇家の先祖の兄が畿内王権の初代倭王になった。
畿内王権の全国制覇の大義名分が出雲国譲りだったから、
これは凄く都合が悪かった。
出雲国譲りさせた人物と天皇家は同族ではあったが、
直系の男系子孫ではなかった。
515 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 16:43:45.62
516 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 10:58:34.32
>>506 古事記のほうが本来の素朴な伝承をそのまま伝えているって説もあるよ。
日本書紀の古代天皇127歳とかでっち上げだし。
517 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 12:05:06.26
古事記の伝承者、稗田阿礼は宇佐神宮に近い福岡県京都郡稗田の出
518 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/12(木) 21:22:28.97
>日本書紀の古代天皇127歳とかでっち上げだし。
倍暦行使にておかしくないです。
卑弥呼に会いたい
ババアだけどw
若い頃の卑弥呼なら見てみたいかも
宇佐神宮地中に眠る石棺にいるのがヒミコ
天照はイヨ+ヒミコの複合型
523 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 11:50:06.80
宇佐八幡宮神託事件に見るとおり、皇室の真の宗社は伊勢ではなく宇佐。
なぜなら宇佐の主神は卑弥呼たる比売大神であり、本殿そのものが卑弥呼の墓である円墳の上に建てられている。
事実、宇佐神宮改修時に石棺が二度目撃されている(明治 40 年、昭和 16 年)。
524 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/13(金) 14:24:21.55
>>516 日本書紀と先代旧事本紀大成経の雄略4年の同一記事は紀が春と言ってるの
に経は秋だと半年ズレている。このことは雄略の代(この代は通常暦法
なるも消極的行使での2倍年暦が行使されている)に2倍年暦が行使され
ていたから、半年の食い違いがあるのだ。
さらに雄略の寿命は
古事記 124歳
日本書紀 62歳
であり、記が紀の丁度2倍の年齢になっていることが2倍年暦の補強の文証
となっている。124−62=62年 の増しなど、奴の19年の増しとは数字
が合っておらず、空白のマシ注入論ではこのことが説明出来ない。つまり
マシなど存在せず、唐松山の脳内妄想の果てなのである。
上の紀と経との春秋の季節語の違いは、魏略の「春耕秋収」が2倍年暦を
意味してるものと言える可能性が強まったことになる。しかしながら、
九州でも倍年暦法があったのかということは、まだこれでは不十分であり、
雄略の紀と経の文は畿内の出来事の記事であるから、九州に関してはなんと
も言えない。
宇佐八幡ってどっかから移転してきたってwikiかどっかに書いてあったようなきがする。
墓も移したのか?
526 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 16:46:36.82
>>525 筑豊の大分八幡宮かな。
神功皇后や仲哀天皇の逸話があったような。
527 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 17:24:58.46
宇佐八幡宮の創建された経緯とか見ろや。
重要な神社の一つかもしれんが
皇室の宗社というほどの神社でもないよ。
神功皇后に関係する深い神社ではあるけど
卑弥呼に関係するとは思えません。
528 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 18:24:58.30
九州だと橘氏ってことになっちゃうけど?
529 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 18:32:30.07
神功皇后は源氏ゆかりの人だぜ
その子の応神天皇から源氏って生まれてるもん
源平藤橘で言えば格的には橘氏より上
530 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 19:47:26.67
>>527 宇佐神宮の建つ前に、御許山(おもとやま)に比売大神が降臨したという言い伝
えが有る。
531 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 20:35:03.84
当事の皇室は宇佐神宮の神託に命運を託していた。
神護景雲3年(769年)5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神の習宣阿曾麻呂(すげのあそまろ)は「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」
という内容の宇佐八幡宮の神託を奏上し、自ら皇位に就くことを望む[2]。称徳天皇は宇佐八幡から法均(和気広虫)の派遣を求められ、虚弱な法均に
長旅は堪えられぬとして、弟である和気清麻呂を派遣した。
清麻呂は天皇の勅使として8月に宇佐神宮に参宮。清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」という大神の神託を大和に持ち帰り奏上する。
532 :
日本@名無史さん:2013/09/13(金) 23:05:39.57
烏詐欺おいし〜夏のやま〜こぶな釣りし〜夏のかわ〜
ゆ〜め〜は〜い〜ま〜も〜め〜ぐ〜り〜て〜
忘れ難きふる〜さ〜と〜
八幡の幡って魏にもらった幡のこと?
534 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 06:18:39.70
八幡;ヤハタ 秦氏のことです
535 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 06:23:37.74
高志之八幡遠呂智
536 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 19:14:54.17
安本説も結構好きなんだが、天照が卑弥呼だと、遺跡の状況と整合が取れないと
思うんだよなあ。トヨが東遷して九州とヤマトにってのも面白そうなんだけど。
倭人として文化や言語など、ある程度のまとまりはあり、国家としては一つでは
ない、いうなれば戦国時代のような状態で、一度は卑弥呼を宗主にしまとまったが
死後にまたもめて再度トヨを立てることになり、今度は都をヤマトへ移した。
でも、天照が卑弥呼って、新しすぎるというか。
天照から五代下った神武が、記紀では狭いヤマト(奈良盆地の南部)の王としか
書かれていないんだよな。
卑弥呼の時代から遅くとも100年以内にはでっかい古墳がたくさんあるわけだ。
欠史で神武と崇神が同一人物で世代が合うってのも変な話だ。
磐余の王である神武ともっと広い地域を支配した崇神では意味が違って見える。
ヤマトへやって来た時は小さな勢力で、だんだん大きくなり、共立した卑弥呼の
一族だったことで大きな力を持つようになったってほうがまだ分かる。
少なくとも、中国から見て、女王に思えるほど卑弥呼は力があった。
この点は記紀では天照のほうが近いけどね。
卑弥呼が天照だと、天孫降臨やら東遷やら国譲りやらがほんの僅かな期間で
行われなければいけなくなる。
天照から巨大古墳までが短すぎる。
古代の王の10年説は魅力的だが、崇神以前が「王」でなく「豪族」なら
囚われる必要もない。
で、モモソヒメが一番あってると思うな。
537 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 22:00:28.38
副島氏に、天が照らすを聞けばええ。
アマテラスが下り立った地は、出雲の国。
宇宙人が出雲族に三種の神器を手渡した.........。
538 :
日本@名無史さん:2013/09/14(土) 22:33:28.07
出雲族の神器は銅鐸
玉、鏡、剣の三種の神器は大和族
アマテラスは男
540 :
日本@名無史さん:2013/09/22(日) 18:55:35.10
天照=卑弥呼に賛成
邪馬台国は九州北部
ニニギは邪馬台国圏から九州南部に婿入りした
ニニギはそのため天津神として扱われた
国譲りは出雲と大和の関係で本来天照=卑弥呼とは無関係
日本全国同時進行で色々なことが起こっていたと考えればいい
その後古事記では一本道に描写されたため時間の経過がおかしく思えるというわけ
>邪馬台国は九州北部
距離や戸数的には100%有り得ない場所だろう。
542 :
日本@名無史さん:2013/09/22(日) 19:08:44.26
放射説や全体で7万戸と考えれば北部九州以外こそ有り得ない
>>542 奴国2万ですら無理だよ、北部九州なんて。
妄想でもせめて住居跡のある遺跡をせめて数箇所確認してから推測しろよ。
大体距離の詳細が判らないような遠方ですらない。
544 :
日本@名無史さん:2013/09/22(日) 19:41:12.22
邪馬台国がどこでも構わんよ
ニニギが九州南部に婿入りしたのに都合がいいから挙げただけ
545 :
日本@名無史さん:2013/09/22(日) 23:34:53.79
人口論は九州説スレか畿内説スレでやったほうが。
卑弥呼には子が居ない
アマテラスには子が沢山居る
よって違う
547 :
日本@名無史さん:2013/09/25(水) 17:53:29.73
天照には夫がいない 卑弥呼にも夫がいない
だから同じ
548 :
日本@名無史さん:2013/09/25(水) 21:57:45.65
纏向型古墳の分布からは、卑弥呼を「共立」した勢力の範囲が見えてくる。
その時代、天皇家はヤマト王権ほどの権力はなく、ヤマトの一豪族で卑弥呼を
共立した勢力の一つだった。とはいえ、卑弥呼を出した一族ということで
頭半分くらいは出ていたかもしれないが、それでも「王」にはなれなかったわけだ。
モモソヒメは有能な巫女で霊力が強く、人を従わせる力が大きかったんだろう。
卑弥呼の治世は長い。それだけ長く国が収まったんだから。
共立された時はまだ若く、弟が補佐をした。記紀によればモモソヒメは
7代孝霊天皇の子である。兄弟には孝元天皇、大彦命は甥に当たる。
埼玉古墳群の金象嵌鉄剣の文字により、大彦命実在の可能性が出てきた。
というか、欠史8代は欠史ではないというか。
モモソヒメが高齢で死んだ時、崇神はまだ若かった(子どもかも知れん)。
親である開化にも国をまとめる力はまだなかった。他の勢力も。
権力争いが起き、それでも誰も纏められず、その後一族の娘13才のトヨ
(崇神の娘)がまた共立された。
崇神は有能な人だったんだろう。信長のようなとでも言うべきか。
群雄割拠の中から、特出した力を持つようになった。
崇神こそが、「王」と言われるべき初代であり、神武はヤマトへ入植した始祖
とでもいう人。
発掘と記紀から読み取れるのは以上。
549 :
日本@名無史さん:2013/09/25(水) 22:57:44.16
>>548 発掘と記紀からというが
何というか、妄想が9割でね?
550 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 04:41:14.58
551 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 06:44:51.99
発掘と記紀から読み取れるのは
・ナガスネヒコのように畿内にはある程度の勢力があった(纏向)
・そこに他所から神武天皇がやって来た
・神武天皇たちは祖先の天照大御神(太陽神)を信じていた
552 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 08:03:07.70
遺跡の一致からみると崇神天皇の四道将軍の方もあうんだよな
四道将軍は九州まで行ってない
554 :
日本@名無史さん:2013/09/26(木) 21:00:36.72
卑弥呼様はやっぱ、ヤマト トトヒ モモソヒメ であって欲しい。
そう思っているし。
555 :
日本@名無史さん:2013/09/27(金) 10:19:05.48
>>548 纏向王権の前の王権(高尾張王権)は、古代大和湖の南岸の勢力。
纏向王権は、古代大和湖の東岸の勢力。
高尾張王権と纏向王権は元は同族王権。
ただし、系譜が早い段階で別れた別家系だった。
わかりやすくいえば、中世でいう天皇家の持明院統と大覚寺統、
清和源氏でいう新田氏と足利氏の関係。
556 :
日本@名無史さん:2013/09/27(金) 10:24:59.11
欠史八代の前期の天皇とされる人物たちは
畿内王権の強大な権力者だったかもしれないが
正式な倭王の祭司を継承していない。
つまり、正式な倭王ではなかった。
おそらく、別に形式上とはいえ、正式な倭王がいたはず。
そして、その正式な倭王と欠史八代の天皇は、兄弟から別れた同族だった。
神武天皇は九州の日向を出発し、東へ進んで大和に入ると、長髄彦・兄猾・弟猾・
土蜘蛛などの未開人を平定し、畝傍山のふもとの橿原の宮で天皇の位に即いた、とい
うことになっている。
この長髄彦や兄猾・弟猾・土蜘蛛などがいたという土地や、橿原など、神武天皇に
関係のある地名が『日本書紀』や『古事記』などに三三カ所ほど挙げられているが、
これらの地名を大和の土地にあてはめると、すべて標高六〇メートル線以上に存在し
ていることがわかる。
しかも、その土地は、大和湖のまわりの小高い所で、縄文式土器の出土する遺跡と
ぴったり一致しているのである。
もし、神武天皇伝承が、奈良時代にだれかが勝手につくりあげたものなら、うっか
り、標高六○メートル線以下の、古代においては湖底にあたる地名が出る可能性があ
る。奈良時代には土地の隆起がいちじるしく、大和湖は幻の湖になっていた。昔は水
位が六○メートル線にあったなどということは記録に残されていないからである。
558 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 07:25:57.04
昔から史料って曲筆どころかまったくの事実無根。真っ赤な嘘を書くのが多かった。実社会では事実をそのまんま言うとたいてい辞めさせられる。あるいは飛ばされる。
559 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 07:27:15.82
社史も創業者に気兼ねして大嘘がまかり通る。国史も同じ。正史は国譲りの形。でも実際は西国による征服過程で東国伊勢の神様を蹂躙した。ほとんどの神話も都合よく書き換えられた。
だから寂れているのか
祀られている神様の心境と同じ
神話には真実が含まれる と、彼のレヴィ・ストロースも言っている
562 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:06:26.93
蛮族はどっちだか?って話になってくるけどw
蛮族・南蛮はヨーロッパ人を指すが古代日本においては縄文系・出雲渡来系・大和渡来系の
3種族に大別できるな
皇室は大和渡来系で鏡・玉・剣を神器とする 出雲は銅鐸
564 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:45:42.05
出雲渡来系は4万年前の話しだよ
565 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:48:27.72
もう、トンデモにはうんざり。
566 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:48:48.03
蛮族は中国人
4万年前となると狩猟・旧石器時代 ホモサピエンスが始めてアジアに出現した頃だが
なんか勘違いしてないか?
おまえら神話の年代を正しく把握しろよ
天地創造から書いてあるのに
次の時代が唐突に弥生時代から始まる分けないだろ
569 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:51:32.73
縄文系・出雲渡来系・大和渡来系は平和な種族
弥生渡来系がデマを流さない限りは。
570 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:54:33.92
勘違いしてる。俺の祖先はゲルマニアからきたからホモサピエンスではないw
>>567 勘違いはオマエw
神武東征は神話だが2000年前ごろ
国譲りはもっと遥か前
スサノオは更にも〜っと前
大和が出雲を攻め滅ぼしたのが古事記の主題 平和なはずが無いだろう
573 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:58:23.83
神武東征は3世紀末の史実
出雲を倒したのは高天原
ヤマトとは一言も書いていない
捏造するな
大和にはニギハヤヒが降臨してるから高天原では無い
575 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 20:58:50.79
大和勢は平和な種族。敵が反抗しないかぎりは。
4世紀前半に銅矛・銅剣の種族つまり大和族が銅鐸族つまり出雲族を攻め滅ぼした
これが史実だ
577 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:04:14.42
中国に留まった民族は蛮族になっちゃうんだよ。あと北方のシベリア人とか。騎馬民族は騎馬民族で蛮族じゃない。
だから日本を目指したんだな。
578 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:08:33.54
出雲族は漢族秦族系だな
579 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:11:08.28
大和は伊勢まできてた
国譲りをした大国主は
高天原に有る様な神殿を建ててくれと要求し
天津神は高さ100mの神殿を建てた
大和のどこにこんな高層神殿が有るんだよ!
581 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:18:09.86
高層神殿は出雲にあったと言いたいんだな?
大和は古墳勢力だからな。神殿より古墳を作ってた。
582 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:20:14.15
中村元って純日本人だろ
日本の蔓延る胡散臭い漢族の中国仏教を排除して
日本で誰もやらなった釈迦の本物の仏教を
有りのまま原文翻訳に生涯を捧げて日本に紹介した
583 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:26:44.38
その高層神殿とやらはどこにあったのか 興味があるな
国譲りは3世紀前半、崇神天皇の代
大和朝廷が支配地域を全国に広げる過程で出雲を滅ぼした
直後に疫病が広まり人々は出雲の祟りだと恐れた
大和朝廷は出雲大社を建て大国主を祀ることにより霊を鎮めようとした
武力による制服ではなく自発的に委譲したことにするため国譲りの神話も作った
このとき大国主を祀るように神託を述べたがモモソヒメ(=卑弥呼)である
586 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/28(土) 21:37:59.78
百襲媛≠卑弥呼
587 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:41:54.37
夜麻登登母母曾毘賣命は蠅の子だから差し詰め蛆だな
588 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:43:46.17
>>584 時系列が間違っている。
出雲の国譲りを主導したのは高天原の高皇産霊尊と天照大神。
そのあとで天孫降臨があり、瓊瓊杵尊が高天原から日向に降りる。
その三代後が神武天皇で、東征し橿原で即位して初代天皇になる。
崇神天皇は一応、10代天皇となっている。
>>588 それは武力征服を隠すための方便
実話ではなく神話にするため、記紀では神代に記述した
高天原の政権などない
大和朝廷が作った神話
現実的に考えようぜ
590 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:56:43.87
個人的には狗奴国を出雲にしたい気持ちがある。
卑弥呼の宿敵である狗奴国を天照大神の宿敵である素戔鳴尊に重ねる
わけである。
素戔鳴尊は高天原を追放されて出雲に行く。そのあとで高天原は出雲に
派兵する。これがいわゆる出雲の国譲り。実は征服戦争だが。
何となく、辻褄も合う。狗奴国がその後どうなったかも説明が付く。
後漢書には、
自女王國東度海千餘里至拘奴國、雖皆倭種、而不屬女王
とある。
591 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 21:57:59.85
>>589 おいおい、自説のためには記紀まで改ざんしてしまうか?
>>589 それは駄目だよ
ちょっと前まで現実的に考えると
出雲?何それ? そんな所無視でいいよ
こんな感じだったし
>>591 記紀の神代は何らかの逸話を基にした作り話
人代は誇張はあるが原則事実
594 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 22:21:16.83
>>593 そもそも出雲征服の主体を大和にするのが間違っている。
高天原は九州。九州には卑弥呼以前に帥升という倭国王もいる。
出雲の建御名方神は、高天原から派遣された武甕槌神に負けて
諏訪に逃げている。普通、逃げるときは敵の本拠地の反対方向に逃げる。
595 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 22:25:44.49
>>592 出雲には、妻木晩田遺跡など弥生時代の大集落遺跡もある。
弥生時代から有力な土地だったのだろう。
青谷上寺地遺跡の、鉄剣と見られる鋭利な武器で傷ついた人骨の説明も
出雲の国譲りで説明できる。
596 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 22:27:12.74
大和に高層神殿有るの?
逃げるときは自国の支配地域あるいは友好関係のある地域で、
敵の軍隊がいない地域
縁もゆかりもないところに逃げても落ち武者狩りに遭うか、
門前払いされて挟み撃ちにされてしまう
598 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 22:55:30.67
アマテラスの生誕地は福岡県である。
これを無視した盲説は不要だ。
はいはい玄海灘玄海灘
600 :
日本@名無史さん:2013/09/28(土) 23:37:04.02
アマテルのはもとのが♂だけど、入換えで♀のモデルもいたりする。
「大倭根子日子國玖琉命」は「國玖琉」だから「天日矛」で太陽神の「延烏郎」
「國玖琉」のかあちゃんは「細比賣命」である。
「延烏郎」のペアののが「細烏女」
これは記では「天宇受賣命」にも化けているけど
「國玖琉」の嫁の「内色許賣」のが「天宇受賣命」に対応している。
601 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 07:19:14.31
高天原族の子孫ですがなにか?
高天原というのは九州・宇佐の辺りにあった邪馬台国の事で、ニニギは宇佐から
延岡あたりを経由して日向に下った(天孫降臨)
宇佐神宮は天皇家の宗廟であり卑弥呼の墳墓のうえに建っている
魏志倭人伝;女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭 種である。
邪馬台国は海に面していて瀬戸内海を東に行くと難波に行き着く
つまり宇佐が邪馬台国だと考えれば辻褄が合う
奈良盆地ではこの記述は全く成立しない
604 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 08:50:48.75
>>602 高天原が邪馬台国というのは賛成だが
ニニギは山越えして婿入りしてきたと思う
場所がちょっとずれるな
605 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 09:20:48.72
高天原から東に降りていくんで、
福岡から大分、あるいは熊本から宮崎かも
606 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 09:45:07.21
>>563 天皇家は縄文系のD2a1b
795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 19:42:47.73 ID:CRSQkF+2
Mizuno et al. 2008
16 Y chromosomal STR haplotypes in Japanese
サンプル総数1079
並び順:YHRD Standard
DYS19 DYS389I DYS389II DYS390 DYS391 DYS392 DYS393 DYS385 DYS438 DYS439 DYS437 DYS448 DYS456 DYS458 DYS635 YGATAH4
D2a1b
最頻値 17 14 31 25 10 11 13 13,17 10 12 14 19 15 15 21 11 個数27 推定150万人
1つ違いまで 個数75 推定417万人
2つ違いまで 個数131 推定728万人
3つ違いまで 個数161 推定895万人
O2b1
最頻値 15 14 30 22 10 13 13 10,20 13 12 14 18 15 17 20 12 個数9 推定50万人
1つ違いまで 個数46 推定256万人
2つ違いまで 個数102 推定567万人
3つ違いまで 個数168 推定934万人
1つ違い15世代500年見当。
中世以降D2a1bの特定家系が突出して増加している。
源氏を代表とする賜姓皇族しか候補はない。
O2b1は古代に増加したが、中世以降は分散傾向。
608 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 12:15:28.74
7万戸という数字は盛ってたんじゃないかとか勢力範囲全体の数とか考えられる
まぁ宇佐だったら魏の使者も船で行っただろうから宇佐じゃないね
宇佐だと対岸の松山辺りの方が集落的にデカい。
610 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 12:56:52.03
日本の古代史教育って
完全に破壊されている。
これが、第二次世界大戦の敗戦の影響もあるけど
本居宣長の邪馬台国九州説に代表されるように
国学者のバカ説に振り回されている。
611 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 13:52:13.97
>>608 宇佐まで船で行くには関門海峡を通ることになるが、倭国にとって関門海峡は
重大な軍事機密で魏の使節団には見せたくなかった。軍事常識ですよ。
問題は記紀をどう読むかだろう 中国に伍して歴史を古く見せるために皇統における欠史八代や
寿命のありえない長さなどの小細工を弄しているのは明らかだが、出雲と大和の争い、
天照大神としての卑弥呼、神武東征などのプロットはある真実を含んでいると考えて
間違いない
記紀を素直に読めば銅剣に象徴される九州の勢力が近畿の銅鐸族を攻め滅ぼした
つまり、東征があったと言うことだ
あら、銅剣になってるw
銅鉾じゃなかったの?w
614 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/29(日) 14:15:08.50
小細工をする動機があまりない。
皇統の古さを大陸のようにしたいなら、単に八代あたりの寿命を長く
したって大陸には追いつかない。三皇五帝、殷や夏のような古い時代に近づけ
るには、そのくらい伸ばしたってあまり追いつかない。
このことは、そこんところが小細工だとは言い難い。
では何故そこがありえない長さなのか?
それは当時2倍暦等を行使していたからであり、つまりそのころの天皇は
現今の人間と大差ない寿命だったということだ。
剣・玉・鏡を神器とする九州族が近畿の銅鐸族を駆逐したと言うべきかな
この三種の神器は皇室に引き継がれている
出雲系の王を消さなければならなかったから
大和の王の数増やしたんだろうな
617 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 15:02:18.92
詐欺師がどうかした?
618 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/29(日) 15:16:10.35
別に消す必要がないと思う。
出雲王を消したいくらい邪魔でインチキ畿内天皇を捏造したって、結局朝廷
の下っ端の取り巻きからウソがばればれになるのは、柔道の暴行を隠蔽しても
小学校とかのいじめを隠蔽しても結局は外部へ漏れて発覚するのと同様、
朝廷のそういうウソの天皇増やしではイカサマがばれるのは時間の問題。
そういうことだから仮に出雲王が邪魔ならば、記紀に出雲を属国の王だと
してしまえばいい。だからそういう天皇の増しはありえない。
619 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 15:27:26.55
天皇って王かい?
620 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 15:29:55.46
ゾロアスター教、マニ教、みんな白衣を着た法主の連中だけど?
621 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 15:32:48.72
アメタラシヒコもそうよな
名前からマニ教の人間てのは分かる
622 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 15:38:57.56
いわゆる明教ってやつだな
今の天皇陛下は景行天皇ってのがいるから景教の方かな?
623 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 15:53:58.38
武内宿禰なんてのもいかにも仙人みたいな感じだもんなw
624 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 16:02:40.98
武内宿禰は、12代・景行天皇から16代・仁徳天皇までの5代、神功皇后を
含めると6代に仕えたとされる。
だから、年齢が300歳を超えるとも言われる。
しかし、逆に考えて、武内宿禰が普通かあるいはちょっと長い程度の
寿命と考えれば、使えた天皇の在位期間を現実的なものに出来る。
たとえば、天皇の在位期間を平均10年とすれば、最初の景行天皇と
最後の仁徳天皇に5年づつ、ほかの天皇・皇后に10年で、合計50年。
これだったら、ちょっと長い程度の寿命に収まる。
記録が比較的正確と考えられる天皇の在位期間はだいたい10年かそこらで
あるから、仁徳天皇以前もそんなものだったことがわかる。
625 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 16:03:06.84
武 内 宿禰
内 色許賣
626 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 16:05:46.94
建 内 宿禰
内 色許賣
627 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 16:08:22.44
建内宿禰は高木~の垂迹
628 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 16:12:20.11
垂 上から下へ移動する
迹 跡
景行5年しか在位しないで子作りばっかりやってたのかw
景教だよ、イヨの逸話からも判る。
女王国は四国の瀬戸内側だ。
631 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/29(日) 16:43:37.67
景行の代の実年代は2倍暦から、30年分
景行元年 景行天皇 即位:紀
景行2年 播磨稲日大郎姫 立后:紀
景行3年 紀伊行幸:紀
景行4年 美濃行幸:紀
景行5年 藤白神社(和歌山県)この年 創建 :由緒等
景行6年 織田神社(福井県)この年 創建:同上
景行7年 国々の神社に奉幣:九鬼文書
景行10年 赤神神社(秋田県)赤神山竹生島と同頃発現:由緒等
景行12年 熊襲叛く 筑紫行幸 日本武尊 誕生:紀
景行13年 熊襲平定:紀
景行14年 伊奈波神社 鎮斎 成務天皇誕生 武内宿禰誕生:由緒等、紀
景行17年 宮崎県 子湯 行幸:紀
景行18年 筑紫諸国 行幸:紀
景行19年 筑紫から還幸:紀
景行20年 五百野姫に日神を祭祀せしむ:紀
景行21年 石部神社(滋賀県)同年4月 鎮座:由緒等
景行22年 武穀王 土佐の大魚を討つ:法勲寺跡 讃留霊王神社伝承
景行23年 神櫛王に悪魚を討伐の下命:香川善通寺市大麻神社伝承
景行24年 大鳥美波比神社(大阪府)同年 社殿造立:由緒等
景行25年 武内宿禰 北陸巡察:紀
景行26年 景行天皇 軍議を開く:佐賀 王子権現 高寺縁起
景行27年 武内宿禰 帰還 日本武尊 熊襲平定:紀
景行28年 日本武尊 凱旋復奏:紀
景行29年 河堀稲生神社(大阪府)この年 祭祀:由緒等
続く
632 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/29(日) 16:45:14.82
続き
景行31年 比地良山 杉の大木 香を放つ:伊豆山縁起
景行33年 久留米 大善寺玉垂宮 創建:高良玉垂宮神秘書
景行36年 胆咋宿禰 五十琴姫を妃とし五十功彦命を生む:大成経
景行39年 始めて熊野新宮を建つ:歴史徴(radio氏)
景行40年 東夷叛く 日本武尊 東夷を征す:紀
景行41年 大国魂神社(東京 府中)この年 創立:由緒等
景行42年 麻賀多神社(千葉県)この年 創建:由緒等
景行43年 日本武尊 死:紀
景行44年 阿佐ヶ谷神明宮(東京)この年 建つ:由緒等
景行46年 建部神社(滋賀県)日本武尊を祀る:由緒等
景行48年 大御食神社(長野県)創建:美しの杜社伝記
景行51年 若帯日子 立太子:紀
景行52年 播磨稲日大郎姫 死:紀
景行53年 東国 行幸:紀
景行54年 東国から還幸:紀
景行55年 彦狭島王 死:紀
景行56年 御諸別王を東国領に命ず:紀
景行57年 坂手池を造る:紀
景行58年 近江巡幸:紀
景行59年 熊野行幸:熊野年代記
景行60年 景行天皇 崩御:紀
以上
633 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 16:58:48.70
成り立たせるには明教、景教ともに宗教として不十分だからゾロアスター家の血を引くものを
嫁に迎えねばならんということになるな
これがなって始めて神威が授かる
きっついなこのスレ
635 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 17:29:39.25
これ守らないと昔だったら討伐軍がでるよ
636 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 17:37:59.41
その支配が嫌で反乱起こして自分たちの好きに始めたのが王だもんな
637 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 17:40:57.88
御霊分けとか日分けとかって記述がでてくるのそれ指してるもんな
は〜もしかして古代朝廷これが嫌で日本まで逃げてきたか?
ゾロアスターさんよりも早くから日本は火祭りをやってたんだな
というわけで、邪馬台(イャマタ)とはイヨマンテ(神送り)の火祭りをする民族のことであろう
639 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 17:50:43.79
紀元前1000年より古いのかい?w
いや、「かい?w」って 縄文前期から祭祀跡には火床がありましょうが
641 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 19:21:43.22
そだね
縄文の
火焔土器の内側には火を燃やした後が有る
よって炎を使った祭祀用と考えられる
これマメな
643 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 20:18:37.01
うーん。ゾロアスターは秦じゃないか? 天照は景教なのか?何か違う気がするな。
jamatoをイァマトはありえる。
644 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 21:03:40.00
ゾロアスター教はお祓い教として日本で定着しとる
645 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 21:07:13.54
秦のときに徐福ってのが不老不死もとめて日本にきてるだろ
これが示すのは神仙関係
646 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/29(日) 21:07:14.69
日子火火出見尊
647 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 21:36:29.86
643
天照関係はもっと後の話
648 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 21:44:53.03
卑弥呼はモモソ媛命で正解。
卑弥呼が最後に戦った狗奴国の国主は、許乃(この)に所領があった
武埴安彦命。
649 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/29(日) 21:49:05.65
卑弥呼≠モモソ媛命
卑弥呼は九州の女性、モモソ媛命は畿内の女性。
双方ほぼ同時代の女。
650 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 22:07:39.71
秦の起こりが紀元前778年から紀元前225年だろ
多分、この間、まあ弥生時代突入と同時だろうなあ
モモソ媛命は畿内の女性といっても讃岐にいた時期も長いからな。
大体九州にいる卑弥呼は誰で、文献の裏付けあるのかね?
652 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 02:06:38.08
卑弥呼=モモソ媛命
>>642 かつ、物理的に日常的な実用品ではありえない と。
倭姫命
こっちのほうが名前が似ている
ひめみこと→ひめみこ→ひみこ
655 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 03:35:01.96
経歴から見たら、モモソ媛命が卑弥呼。
卑弥呼はもともと女王と倭人伝に明記され、また親魏倭王の金印まで受領している以上
その該当者は当然女帝でなければならない
これをただの天皇の親戚の巫女であるモモソ媛命とするのは、常識はずれ
657 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 07:40:44.29
というか、モモソ媛命はただの巫女ではない。
天皇家の最長老的な存在として書かれているしな、記紀では。
三巻イリ彦(崇神天皇)も、大叔母のモモソ媛命の占いをもとに
政治的な判断をしていたことも書かれている。
死んだらわざわざ、大規模な墓を作ったんだから、
ただの巫女ではないぞ。
王名曰卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫婿
魏志倭人伝によると卑弥呼には夫はいない しかし、モモソ媛命の旦那は大物主神
記述と合わないね
それで倭王の金印をモモソ姫が貰ったのか?
天皇を差し置いて倭王の金印をモモモソ姫が授かったのか?
660 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 08:29:38.49
「卑弥呼以って死す。男王が立つが国中が不服。相誅殺、当時千人が
殺される。卑弥呼の宗女、台与を立て王と為す。国中がついに定まる。」
百襲姫も倭姫も全然合わない。
大物主に嫁ぐのだから神婚、巫女王以外の何者でもない。
また記紀で墓築造の逸話を描かれるのはモモソ姫だけだしな。
記紀で卑弥呼に近い存在はモモソ姫だろう。
662 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 08:48:00.45
大正時代、箸墓説は在野の中学教師のひらめきから始まった、
さらに戦後になり、これに乗っかって箸墓説の大著を出版したのも中学教員、
つまり箸墓説のルーツは中学校ってわけだ。
>>662 当時は旧制中学、教師なら国籍も確実だしな。
記紀上でもホトを傷つけてたのは天照大神とモモソ姫だけかな。
665 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 13:39:33.75
>>664 アマテラスじゃなくて機織りの娘じゃなかった?
スサノオの狼藉で怪我するのは稚日女尊だから妹だな。
まあ天照自身、もしくは子だという解釈もあるが。
橿原考古学研究所は 出土した土器の形式から、箸墓の築造時期を260-280年ごろ
と推定。被葬者について、248年ごろに死んだ女王卑弥呼や続いて即位した女王壹与
ではなく、その次に擁立された男王だった可能性を示した。
つまり、箸墓を卑弥呼の墓であるとするには中国での鐙の発明は3世紀中葉以前
でなければならないから、鐙が出た以上、箸墓を卑弥呼の墓に比定するのは無理
と考えるようになったのであろうと思われる
>>664-666 そのへんは完全に神話の部分じゃねーかよ
神話学としてのネタなら面白い議論がいろいろあるが歴史じゃないだろ
669 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 18:51:12.83
その可能性はない。
妄想研だな。w
670 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 19:07:27.36
記紀には当時ころ女王(女天皇)が2人も連続在位した記述など全く無い。
だから女天皇2人の後に男の天皇が即位したなととは畿内にありうる話ではない。
こういう王統だと朝廷の皇統だとはいえない。
だから畿内に女王国など存在しないことが自明となるのだ。
ならば女王国は九州と考えるのが正解なのである。
>女王国は九州と考えるのが正解なのである
何の根拠もない妄想だろw
672 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 19:35:47.81
673 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 20:04:59.09
675 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 21:09:39.95
>>671 記紀に2女王(2女天皇)が連続在位っていう記載などは全く無い。
このことは朝廷に卑弥呼、壱与が関係ない女であったことを物語る。
朝廷の女でないとしても畿内近隣にそういう連続在位の邪馬壱国が
あったのかと考えると、もし朝廷近隣に女王国があったんなら、当然女王国
と朝廷との交流、遣使、婚姻、戦争等の葛藤等の記事が記紀にあるに違いない。
なぜなら大陸に轟くほどの女王国が朝廷の真近にあるんだから、必ず
双方の何らかの付き合い連絡記事あたりが載っておかしくない。しかしそんな
記述はまるでなく、毛の先ほどもない。あるのは大陸文献の倭人伝の借用
の神功39年とかのしかないのだ。純粋の日本独自の2女王情報記事など全然
ないのである。
だから畿内、朝廷と卑弥呼の女王国とは無関係であり、情報が記紀に全く
無いということは、畿内からえらく情報の取れにくい地域にこそ女王国が
在ったということを意味するのだ。つまり卑弥呼の国は九州の隔絶した地域
にあったのだとなるのだ。
676 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 21:45:23.37
>>675 記紀での天照大神の天岩戸隠れが卑弥呼の死を意味している。
古代から、尊い人物の死を「岩戸に隠れる」といっていた。
今でも、○○様がお隠れになられた、という言い方をする。
天照大神の場合は、岩戸に隠れる前と岩戸から出た後では
全く性格が異なるといわれる。
岩戸から出た後では、高皇産霊尊が登場し、こちらが主導権を持っている。
梁書に、台与のあとにまた男王が立ち、中国の爵命を並び受けると
あるが、やはり男王のほうが主導権を持っていたのだろう。
677 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 21:48:19.23
アマテラスは神武より古い時代の姫で、卑弥呼は崇神の代頃の姫だから、
双方は別人と観てよい。
>畿内からえらく情報の取れにくい地域にこそ女王国が
在ったということを意味するのだ。
>つまり卑弥呼の国は九州の隔絶した地域
にあったのだとなるのだ。
九州の隔絶された場所に70000戸の大国があると言いたいのか?
本気でそう思うならよっぽどの馬鹿だろw
679 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 22:14:07.67
木製家屋だからもう2000年ばかり経てば消えるぜ。
別におかしくない。そんなものは阿蘇噴火だとか数知れない台風地震で
壊滅だ。
>別におかしくない。そんなものは阿蘇噴火だとか数知れない台風地震で
壊滅だ。
そんな危険な場所に70000戸の大集落を構える訳はないんだよw
普通考えりゃ誰でも判る事だ。
681 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 22:16:52.33
>>677 記紀によると、天照大神の時代はそんなに古いとは思えないんだな。
鏡作り部なんてのが登場する。
鏡を作らせて、岩戸の前に吊り下げたという話が出てきて、
文字通りに解釈すると、鏡を作れるような時代だったことがわかる。
もちろん、鏡が重要な役割を果たし、それを作るくらいだから近畿地方の
話ではないな。
アマテラスは誕生した時に父のイザナギから高天原の統治権を相続している、共立されていない
>>681 鏡作神社は大和盆地にあるけどな。
岩戸神話の舞台は間違いなく二上山周辺を想定して描かれてる。
>>680 日本だったら火山でも台風でも津波でも人は住む
686 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 22:29:12.10
火山灰が降り積もれば無理だけど
噴火ぐらいならなんとでもなる
国内外で記録を探しても、三〜四世紀頃に火山で倭の大国が
消滅した伝承なんて皆無だぞw
いい加減つまらん妄想や願望は止めとけ、みっともない。
688 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 22:37:05.15
>>682 記紀が史実を反映するようになるのは200年以降だろうな。
だから、卑弥呼が共立される前の「倭国の大乱」に相当する記述が
見当たらず、天照大神の誕生も神話じみている。
畿内説的な年代観でも、「倭国の大乱」を伺えるようなものはない。
>畿内説的な年代観でも、「倭国の大乱」を伺えるようなものはない。
記紀上で求めるなら、普通に神武東征話だろう。
690 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 22:40:46.72
ところが九州には
倭国大乱の時期に環濠城柵が発展する
691 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/09/30(月) 22:43:42.64
>>680 危険な場所でも住むだろう。
どこへ行こうと、強盗、海賊数知れず。
いくらでも住んでるぜ。
マヤ文明地も火山がうんとあろうと、戦い戦いで万、数万戸とかもいたろうよ。
九州も軽くそんなものは収容できる。
>>691 で、記録や伝承はないの?
それじゃ単なる妄想だw
693 :
日本@名無史さん:2013/09/30(月) 22:45:11.90
>>689 神武東征のあと女王が共立されるわけか??
>>693 神武はあくまで総論みたいな存在で、実質倭国造は阿波周辺にいる
渦日子。その流れで女王は瀬戸内海出身のモモソだろう。
天皇扱いじゃないのは記紀上での操作だ。
初代女帝は推古天皇じゃないと駄目だからな。
ただし推古という名前からもわかるが、卑弥呼像を
匂わせてあるだろう。
>>688 卑弥呼が共立された後の時代の史実が反映されているならば
邪馬台国では卑弥呼が共立された後に稲作を始めたことになるな
神話なんだよ
696 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 01:41:58.35
記紀には榛名山噴火の記事も無いだろ
698 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 03:51:25.11
筑後川流域の平地は物凄く広いよ。
戸数数万なんか余裕。
古墳を壊して家を建てたりしてる。
そんなに強大で豊かな国が簡単に滅びる事はない。
仮に大災害なら何らかの伝承は残るしな。
勿論卑弥呼に相当するような女王の存在した伝承もない。
つまり筑後川流域に邪馬台国が存在した可能性はない。
>>696 そのサイトのリンク貼るのやめなよ
サイトの主催者が2chには迷惑してるから
701 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/01(火) 14:09:42.19
>>691 1800年代、アメリカ人のスティーブンスはユカタンのマヤ文明の地を
長く探検した。このとき火山活動のすごさを知るが、そのへんに住民が
多数住んでたと探検記に記している。だから火山周辺にうんと住民は
住むものなのであり、そこから噴火により家なんかメチャクチャにされて
いたとなってるんだから、こんなことが九州の阿蘇とかあるいは桜島とか
噴火すれば、7万戸なんか崩壊だ。
だから239年ころでさえ火山周辺に住民は住んでいたといえる。
ポンペイ最後の日も困難だろう。
702 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/01(火) 14:11:31.69
訂正
× 困難だろう
○ こんな状態だろう
こりゃ太国ももうだめだなw
704 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 15:49:05.22
>>699 古代人は大きな川のある平野部にはなかなか住めない。
川を管理できないから。
ダムや堤防で管理されている現代でも大雨が降れば洪水が起きる。
705 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 17:45:22.92
円融天皇の治世、日本から当時の中華帝国(中国)大宋帝国に留学した学僧チョウネンが大宋帝国の朝廷に提出した
日本国王年代記(皇統譜/当時の我が国の公式な見解)に拠れば、
始祖は危機にも登場する天御中主尊(以降、全て尊で統一)、二代目に(なんと!)天村雲尊。三代、天八重雲尊。四代、天弥聞尊。
五代、天忍勝尊。六代、□波尊。7代、萬魂尊。八代、利々魂尊。
九代、国狭土尊。十代、角襲(下旁は共)魂尊。十一代、汲津丹尊。十二代、面垂見尊。
13代、国常立尊。14代 、天鑑尊。15代、天萬尊。16代、沫名杵尊。
17代、伊弉諾尊。18代、素戔嗚尊。19代、天照大神尊。
20代、正哉吾勝速日天押穂耳尊。21代、天彦尊。(何方?)、22代、炎尊。(何方?)
23代、彦斂尊(一云、熊野楠日命。一云、鵜葺草葺不合命)
24代、磐余彦尊。(一云、彦斂尊。第四御子)、、、、
706 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 17:59:36.43
ホツマツタエに拠れば、大王(帝王)の大御位はアマテル神。
イザナギ様も(政略結婚でイザナミ様に入婿の後に)推戴されてアマテル神に登極なさり継承。
次の天照大神の中宮(皇后)が瀬織津媛命(天照大神荒魂)
ホツマツタヱみたいな古事記と同レベルの偽書はどうでもいいんで
708 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 18:35:32.80
神話時代(元々)、日本にお馬さんはいなかった(まだ入って来ていなかった)と言われています。
天照大神と素戔嗚尊のやり取りで天斑駒(高天原に居ると云う天馬)が登場する行は、時代と場所がぐちゃぐちゃな気がします。
忌屋の機織巫女は、日本古来の信仰である来訪神を待ちつつ聖なる綾錦を機織る棚機津女(時代が下り中国〜の七夕祭りに習合)が出典では?
天照大神の御霊代、現身が天皇陛下。日本国大祭主(神主)であり、国民に豊穣をもたらすトヨ受大神(豊穣神/大元神)。
機織り、竪琴(楽器は古代では重要な呪具)を奏でるヒミコ(大巫女)が国母陛下。
我が国は未だ連綿と神代の御事が受け継がれ再現されているでは有りませんか。
>>699 乱れてどうもならんから、多分に象徴的な意味で卑弥呼を立てたわけで、
卑弥呼が死んだらすぐにまたもめたろ?
継続的に実力で他を圧倒し続けるような「強大で豊かな国」が
存在してなかったからこそもめたと考えるほうが妥当だろ?
「鬼道」力も実力のうちに計算されていた時代だとしても、そんなのは
遺物等で分かるわけがない。
卑弥呼の国自体は、取るに足らない弱小国ということはないとしても、
継続的に実力で他を圧倒し続けるような「強大で豊かな国」ではない
もっと不安定な国でしかない、ともいえる。
逆に、客観的に見てどう考えても継続的に最強最富強の国なら、
「それは魏志が伝える卑弥呼の国ではない別の国」という可能性
のほうが高いともいえる。
710 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/01(火) 21:13:13.88
祝 伊勢遷宮
神州ハ不滅ナリ
711 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 21:14:32.56
お伊勢お多賀の子でござる
あえて桧原神社に行くのが正しい。
713 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 21:26:53.63
714 :
日本@名無史さん:2013/10/01(火) 22:30:33.93
>>699 筑後川流域と行っても広い。
平塚川沿遺跡、高良玉垂宮とその麓の遺跡群、
大善寺玉垂宮と御塚権現塚古墳など。
大川の遺跡もあったが名前を忘れた。
宇佐神宮と伊勢神宮は天皇家の二所宗廟とされ、769年の道鏡事件では
伊勢神宮はまったく無視され、宇佐神宮の神託が皇位継承を決定づけた
また、天皇家は奈良時代以降1100年間も近くの伊勢神宮に参拝すらした
ことがないのに、国家の大事や天皇の即位時には、宇佐神宮に必ず勅使が
遣わされた
なぜなら宇佐神宮は卑弥呼=皇室の始祖:天照大神の墓だからだ
716 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 10:07:30.15
>>715 宇佐神宮といっても三宮ある
道鏡事件のときは応神天皇の宮へお伺いを立てた
その他の勅使はそれぞれいずれの宮へ詣でたのか??
717 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 10:48:38.29
神宮と仏教は別問な
718 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 10:53:10.16
宇佐神宮三の宮か
アマテラス迎えた三女神とあうな
>>716 宇佐神宮に行った事が無いようだが、主神は中央の比売大神で応神天皇と神功皇后
はほんの脇役に過ぎない 社の構造を見れば直ぐに解る
720 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 11:18:13.27
>>719 外から見ては、あくまで外見にすぎぬ、
肝心なのは中に入った勅使はどの宮へ詣でたかだ。
勅使は比売大神に詣でる
応神天皇・神功皇后など後世の人の目を欺くカモフラージュに過ぎない
皇室と禰宜は秘密を知っているが記紀に皇紀2600年の国家的欺瞞をでっち上げている以上
真実を語る訳にはいかないだけの事
なじぇ、秘密なの?
こういう論法の奴にいつも思うこと
なんでおまえがその秘密を知っているんだ?w
724 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 12:22:35.22
比売大神は八幡大菩薩
安樂應寳秘命といいなさる
安楽應寳秘命は高良玉垂命の子、高麗の神さんか
玉名の隣の荒尾と関係あるのかな
玉名は変形頭蓋骨のシャーマンが出てるな
今夜は伊勢の式年遷宮・遷御だが 内宮は天照大神 外宮は豊受大神
これは 天照=卑弥呼、豊受=台与だと言う事は馬鹿でもわかる
727 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 13:39:11.56
阿羅大姫
変形頭蓋骨得意技なのは辰韓だす
「今辰韓人皆褊頭男女近倭 亦文身」
>>715 別に無視した訳じゃなく
宇佐の方で、神託を受けたからって話じゃないのけ?
ある意味話の発端は宇佐
729 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 13:46:16.72
土地肥美 宜種五穀及稻 曉蠶桑 作縑布
乘駕牛馬 嫁娶禮俗 男女有別
以大鳥羽送死 其意欲使死者飛揚
國出鐵 韓濊倭皆從取之 諸市買皆用鐵 如中國用錢 又以供給二郡
俗喜歌舞飮酒有瑟 其形似筑 彈之亦有音曲
兒生 便以石[冠厭脚土]其頭 欲其褊 今辰韓人皆褊頭男女近倭 亦文身
便歩戰 兵仗與馬韓同其俗 行者相逢 皆住讓路
730 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 13:49:00.67
無理に卑弥呼を日本にもってくるからおかしくなる
アマテラスは九尾キツネの妲己
731 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 13:53:09.20
この辺は太公望の記述ででてるで
死んだの日本
732 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 14:49:16.14
天照≠卑弥呼、豊受≠壱与
左辺の女性2人は神武より古い時代の女性。
右辺の女性2人は崇神、垂仁ころの時代の女性。
>>732 太国さんは皇紀2600年というのを本気で信じてるの?
2600年前は縄文晩期で稲作はまだ始まっていないが、神武はそんなに早く即位したのかね?
卑弥呼の活躍した3世紀こそ弥生から古墳時代への移行期で記紀の内容にぴったりすると
思いますがね
734 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 15:49:19.30
古墳時代の出現なんて武装勢力が日本にも浸透してきた時期ってことじゃんw
別に自慢できるもんでもなんでもないわな
735 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 15:50:44.76
まあタタラ氏たちが日本にやってきた時期とあうのかな?
736 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 15:50:55.01
古墳時代というのは国家成立の証だよ
737 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 15:52:51.22
製鉄技術の到来やね
738 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 15:56:36.92
736
国家なんて呼べるようなもんじゃねえぞ
あちこち分散していて争っているようなタチだもんよ
>>738 それを統一して中央集権国家による古墳時代がはじまったのさ
ちなみに弥生時代、鉄は朝鮮から輸入して引換えに生口(奴隷)を日本から輸出していた
740 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 16:03:11.11
>>733 だから佛伝以前の朝廷は2倍年暦等をかなりの期間行使してたから、
実年代は、実際はもう少し後代に詰まるのだ。
真の神武即位は西暦元年だ。
縄文晩期なんて稲作といっくにはじまっとるわw
742 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 16:08:49.70
740
紀元前1000年頃から九州の方で遺跡がでていなかったか?
739
どの変にその記述がある?
743 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 16:13:04.58
鉄を朝鮮半島から輸入か〜?
古代朝鮮鉄がないから青銅の剣を使っていたんだぞw
744 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 16:13:50.28
745 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 16:14:10.78
むしろ製鉄集団が朝鮮に進出してんだろw
746 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 16:15:15.19
744
さあ?
探せばいずれ見つかるでしょ
747 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 16:16:58.53
何の遺跡が見つかるわけ?
具体的にたのむね。
748 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 16:35:44.49
自分で見つけなさいなw
749 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 16:36:37.79
これじゃぁ〜 意味不明??
>>748 「なんかの遺跡」を見つけろとは無茶だろ。
具体的に突っ込まれたら答えに窮するような、いい加減なことを書くなよ。
751 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 16:48:08.51
天照大神が卑弥呼だって?
んなわけないだろ。
卑弥呼は人間だぞ。
752 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 16:59:19.51
>>750 そんなことは言ってない。
むこうが見つけるようなことを言ってるんだろう。
こっちは何の遺跡あのかも分からんのに頼むわけがなかろう。
753 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 17:02:21.05
pm5時10分くらい前、
自宅の上ではっきりした美しい虹が5分ばかりかかって見えた。
長年住んでるが、こんなことは始めてだと想う。
伊勢遷宮の吉祥か〜? 素敵に綺麗だった。
まさに 神州不滅ナリ。
754 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 17:04:02.36
755 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 17:12:44.89
籠神社>多賀大社>伊勢神宮
756 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 17:17:00.75
神と人間の区分けなんとなくわかってきたぞw
757 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 17:39:21.50
758 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 19:09:45.58
鉄にもDNAがあれば製鉄技術が中国→日本→朝鮮半島と伝わっていったことが証明できるのにね
759 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 19:10:05.52
いよいよ遷御の儀だね。
アマテラスは超ミス・ユニバース級の美女。
臭魔伝のいう男神っていうのはデタラメ。
760 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 19:14:06.91
>>1 仮にそうだったとしても証明できる手立ては無い
761 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 19:18:21.98
糸島から方格規矩鏡が数十枚出てきて、
離れた古墳から一枚二枚程度が大事そうに出てくる。
糸島が地方に配布、あるいは、下賜しているように見えるな。
>>760 「実は卑弥呼の中には姉のアマテラスが入ってるんだぜ」と書いてある
スサノオの暴露竹簡が発掘されるかもしれないじゃないか。
763 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 19:20:19.41
天照大御神≠卑弥呼
もう時代が違う。
天照大神と卑弥呼の違いは、今でいうなら、T.M.Revolutionと西川貴教の違いみたいなものかな。
アマテラス=卑弥呼だというやつはアホだけど、
アマテラス≠卑弥呼だというやつもアホ
そもそもアマテラスは実在の人間ではない
神話の中で創作されただけだ
実在しない人間なのに、同一人物だの別人だの比べようがないっつーの
766 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 21:39:54.94
創作なら何十億をかけて遷宮などする必要がない。
即刻やめるのが相当となる。
天照坐皇大御神とは神武よりもっと古い時代の超美姫。
オマエ、遷御の夜なのに〜少し口を慎め。
767 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 21:44:24.37
アマテラスは神武よりもっと古い時代の柳腰のやせた超美姫。
がしかし、安藤美姫さんには似ていない。
神と人間を比較すること自体おかしいだろ
769 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 21:50:04.02
アマテラスは天皇の権威付けをするためにこしらえられた創作物語のキャラクターだからな。
天皇がいる限り遷宮も続くだろうよ。
770 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 21:57:45.61
ふふ・・・
オレがいずれアマテラスの姿体を書いてやるぜ。
オマエたちはどぎもをぬくだろう。
だがま〜だ先のことだがな。
天皇は創造主から暗に世界統治を任された方であり、天皇は一系無窮である。
ゆえに神州は萬邦無比の國體なのである。
771 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:11:15.07
天照大御神=卑弥呼+台代
常識と思われ。
772 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:14:20.71
早くも徂徠先生がアマテルが♂であることを喝破なんだし
773 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 22:15:06.95
ハハハ・・・ww
とにかくアマテラスは神武よりもっと古い時代にいた超ミス・ユニバース級
の美女で、瓜実顔で柳腰、額に鏡のある冠をかぶっている。
井上あさひサンにもあまり似ていない。w
zzzzzzzzzz・・・・・
774 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2013/10/02(水) 22:16:31.43
おっと訂正
× 額に
○ 額の上に
zzzzzzzzzzzzz・・・・・
775 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:24:27.04
_人人人人人人人人人人人人人人人_
> わりとどうでもいい <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^^Y^ ̄
ヘ(^o^)ヘ
|∧
/
776 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:26:26.45
>>769 素戔鳴尊が高天原に挨拶のために上ってくると、天照大神は、
素戔鳴尊が高天原を奪いにやって来たに違いないと怯え、
戦いの準備をする。
素戔鳴尊は、そんなつもりはありませんと、誓約(うけひ)を結び、
悪い心がないことを証明するが、調子に乗って高天原で大暴れする。
田んぼの畦を壊し、田んぼに馬を放ってめちゃくちゃにし、
宮殿に糞をした。また天照大神が神衣を織るために機殿に入ると、
そこに皮を剥いだまだら馬を投げ入れたりした。
天照大神はついに怒って、天岩戸に隠れてしまった。
こういう話のどこが天皇の権威に結びつくのか不思議だな。
777 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:29:06.69
お話に馬が出てくるところからすると
かなり新しい創作ですねえ
3世紀に馬とかおらないし
778 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 22:55:00.33
記紀編さんは8世紀だし。
779 :
日本@名無史さん:2013/10/02(水) 23:08:47.49
弥生時代に馬はいたといわれている。
名古屋市熱田貝塚、神奈川県平塚豊田本郷遺跡からは
確実な弥生時代の馬骨が出土しているらしい。
宮崎の御崎馬も2000年前にはいたとなっている。
倭人伝に、牛や馬がいないと書かれているのは郡使が見ていないからだろう。
恐らく、伊都国まで陸行したときに、人が荷物を運んだものと思われる。
牛や馬がいたら、当然これらに運ばせるだろうという考えじゃないかな。
アマテラスはいなかった。
『延喜神名式』によると宮中神祇官の西院(斎院)八神殿の神々はタカミムスビ、カミムスビ、
タマツメムスビ、イクムスビ、タルムスビ、オホミヤノメ、ミケツカミ、コトシロヌシである。
天皇家の氏神、守護神は、いわゆるムスビ系の神である。
オホミヤノメは宮廷に仕える巫女の神格化、ミケツカミは稲の神、呪いを残して死んだ出雲の
神コトシロヌシは、封じ込めの神と考えられる。
アマテラスは、『祈年祭』『六月の月次』『十二月の月次』などの祝詞(のりと)に出てくるが、
祭りの本質部分には登場しない。
最初に誦みあげられるのは上の八神でアマテラスのほうは後半に「ことわきて伊勢にますアマテラス
大神の大前に申さく・・・」と、とってつけたように記されているだけだ。
また、イザナギ、イザナミの七十六人の子のうちアマテラスは六十六番目、スサノオは六十七番目の子に
なっている。 この二人は、余り者としか映らない。
アマテラスと倭の大国魂の二神を八神殿に並べて祀ったところ天孫系と出雲系の祖霊神は共に住むことを
好まず、天災地変が起り、疫病が流行した。
そこで二神とも宮殿より出し大国魂(オオモノヌシノ神はオオタタネコを祭主として大和の三輪山に祀った。
一方、アマテラスは笠縫村(現奈良県磯城郡田原本町?)などにいたが落ち着かず、結局大和を離れて遠く
丹波に行きあちこち放浪したのち、伊勢に移らざるを得なかった。
その伊勢神宮においてもっとも重要な新嘗祭の祭儀はトヨウケノ神を祀る外宮優先だ。
明治天皇も伊勢参拝の折アマテラスを祀る内宮ではなく外宮から詣でている。
アマテラスが伊勢の神となったのはかなり後世のことであり、伊勢大神宮の形を整えたのは大海人皇子
(天武天皇 631?〜686)が壬申の乱で戦勝した感謝の気持から社殿を造営したのに始まる。
しかし、伊勢神宮を創建した天武天皇は天皇家の菩提寺に祀られていない。
天照は装飾語だよね 饒速日の話しようよ
天武って壬申の乱の後、博多で新羅の金さんと酒飲んでたんだよな
783 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 00:50:30.84
神と名前つくのは存在しないって思っといてもOK
784 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 00:51:50.65
つか借りもんの可能性が大
ちゃんと実在の人物ならちゃんとした名前が残ってるよ
785 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 00:52:54.96
名前つかえないから事象を名前にもってきた臭いもんよ
タカミムスヒ(高木)
芸能人で例えるなら妻夫木
787 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 01:10:33.19
だから日本人でいるならちゃんと名前残ってるよ
日本にきてるのはただの部民くらいだろうから希望持ちすぎるのもな
それと武器を持ち歩いていた
と言う意味でも妻武器
789 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 01:54:13.85
>>780 あんた詳しいね。
アマテラスはもともと土着の地方神だよ。
790 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 05:25:55.03
上のほうちょっと見てみたけど、まだモモソ姫がどうの言ってるバカいるのな。
確実に〜弥生
農耕してる人達が祀っていたはず
月読も同じ、太陽〜月(朝〜夜〜朝)のサイクル
今の日本には、人を殺傷するような武器は必要ない、農耕一番。
海辺に住んでいた人達も同じ
天候が悪い日に海に近づくと危険。
古代の人達でも、それくらいはわかるはずだから
地形や天体は道標や暦の目安にもなりますしね
農耕、狩猟のバランスが良いわりに星神はいないんすよね カガセオくらいしか見当たらない
古事記なんかは重要であるはずの昼夜が別れるウケモチのエピソードをツクヨミからスサノオに代えてるとこもよくわからないな
794 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 06:45:31.14
なら分かるまで調べるしかないね
やだーわかるわけないじゃないですかー
古事記がニセモノってことで納得してますけどね
796 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 07:05:38.00
なら古事記がニセモノである理由を探すしかないね
がんばってね
797 :
日本@名無史さん:2013/10/03(木) 07:45:12.02
780
ほう事代主がはいっているところが面白いな
799 :
日本@名無史さん:2013/10/04(金) 02:57:59.93
ばーか
800 :
日本@名無史さん:2013/10/04(金) 07:52:37.23
(都美歯)八重事代主神。(宮中に奉斎される事代主神は一般に言われる事代主エビス神とは異なるとも?)
この神様は亦云、飛鳥大神と称えられ。
諱を伊毘都志幣命。正式な謚号(神号)は神戸の長田神社(伝、神功皇后有縁による創建。)の正式な祭神名に伝わります。
結局、先日の供えたあとに食べる儀式って
誰に対してお供えしてるの?
須佐之男氏?
でも、アマテラスは元々は須佐之男氏だったんでしょ?
須佐之男氏万能説っていうことでいい?
>>723 │  ̄ ̄ ──┐.,--t-、 フ. ヽ、  ̄フ . __ -┼-. ノ_ .┌┐ ──,. .i 、  ̄フ
├─ ── │i / | / | _/_i__ ヽ メ,ー _|_││ / | ヽ ∠ニ、.
|__..___ ──┘V ノ ヽ_ノ .(__/ ノ _ノ (_`__ /\.└┘つ. ヽ_ ヽ/ ' o,ノ
803 :
日本@名無史さん:2013/10/05(土) 15:32:22.03
卑弥呼の死と関連ありそうなのはミトラ教の成立関係でありそうな気がしまんねん
日本じゃねえべやっぱり
804 :
日本@名無史さん:2013/10/05(土) 16:56:49.08
んでどっかの国が仏教国になったってことはどっかからしたら裏切りもーんてことになりますなあ
805 :
日本@名無史さん:2013/10/05(土) 21:54:28.10
歴女1000人に聞く 訪ねたい城下町ランキング
1位 京都
「平安京」など古都のイメージが強い京都は「城下町として発展した地域もある」。
伏見は大阪や近江と陸路や水路でつながる要衝で、豊臣秀吉が伏見城を築き商業が栄えた。
「伏見の酒」が発展したのもこのころで、今も酒蔵が立ち並び往時をしのぶことができる。
坂本龍馬ゆかりの旅館「寺田屋」など幕末の名所は女性ファンでにぎわう。
世界遺産の二条城は徳川家が建造したものだが、以前には場所は違うものの織田信長の二条城などがあった。
2位 姫路 白鷺城眺めて散策
3位 金沢 戦災免れた武家屋敷
前田家の加賀百万石の城下町として栄えた。
茶屋街も、日本3名園の一つの兼六園と並び、女性の観光客に人気だ。
金箔や加賀友禅などの伝統工芸も多く、資料館巡りも楽しめる。
806 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 08:39:28.29
>>805 歴女1000人に行かせたくない城下町ランキング
1位 京都
一見さんには恐ろしく不親切でバ○にする、最悪京都人の作る町。アテルイ、
木曽義仲、義経、織田信長、秀吉、松平容保など、ことごとく京都でバ○に
され追い出された。あんたたちも同じ目に遭うよ。
2位 姫路
残念ながらただ今、姫路城は修理中。すっぽり幕をかぶっています。
3位 金沢
前田百万石は武士がでかい面をして、農民・漁民・町人をいじめ倒した町。
江戸時代に領内の農民や漁民を数え切れないほど処刑した。石川県から富山県
にかけて今でもたくさんの慰霊碑が残されている。それもただ納税を少し待っ
てほしいとか、仲買人があまりにもぼったくりすぎて困っているなどと奉行所
へ申し出ただけで処刑された。金沢人というのは鬼だ。
ここの女達は今でも「わらわこそは加賀百万石の女なるぞ」と、男やよそから
来た女をバ○にするのだ。
物部氏と蘇我氏が宗教戦争していたときに、
伊勢の天照はどういう立場だったのか?
808 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 10:38:33.46
徳川のやったの戸籍乗っ取りだからな
火は消えてるからそんな価値はないだろ
常世国って呼ばれてるの東国よ
源平藤橘どこにもひっかからねえだろ
809 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 10:40:39.58
天照祀る権利ってあるの源平藤橘のどれか火をついでることが条件だろ
810 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 10:43:01.51
天火明やらなんやら火が灯ったのはゾロアスター教のときが元だろうからねい
811 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 10:46:13.35
日本を壊したいやらなんやら言ってる連中の元が見えてくるね
つまり偽もんで都合の悪いやつら、海外にその秘密握られたら
巻き添えくらうタチのもんだから不幸の元にもなるわな
身透けてんねん
812 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 10:53:22.47
日本は小国ながら倭国と同じ倭種って記述がでてくるからまあ
血筋さえ守れば偽もんじゃないんだろうけどな。。。
まあ所詮、傍国よねえ
この書き込みを、妄想や思い込みだと思うのも自由
戦国時代の大名や武将は
何の為に戦っていたのか、確かに我欲の人物もいる。
答えは、その後の民主主義、現在の日本。
北朝鮮ミサイル報道の意図、
北朝鮮を見て過去を反省しなさいと
日本は、二度とあのような事をしてはいけないと言う意味。
814 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 19:15:05.87
もう、ほとんどスレタイを無視したスレチばかりだね。
815 :
日本@名無史さん:2013/10/08(火) 09:55:00.20
はい、劉細君お姉さんと劉解憂おねえさんが正解
なんだよ結局、天照もこっちじゃねえかよ_φ(・_・
吾が国、我が国、漢家、劉家
西暦247年と西暦248年と、2年つづけて、九州地方で皆既日食があった。
西暦247年と248年とは、卑弥呼の没年に重なる。
日本神話の天照大御神の「天の岩屋隠れ」伝承は、「卑弥呼の死と皆既日食とが重なったこと」が、
神話化したのではないか
817 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 07:50:51.03
>>816 よくあるネタだが、皆既じゃなかったようだ。
9割がた隠れると夕方のように薄暗くはなるが、
皆既じゃないと、案外気づかないもんだ。
「天の岩屋隠れ」
修験者のようなイメージですね
819 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 09:59:59.05
米食わぬ嫁
岩戸隠れは輸入品です。
821 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 20:06:00.37
>>816 皆既日食でもちょっと雲があるとまるで気づかなかったぞ
雨雲のほうがよっぽど暗くなる
822 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 20:11:32.34
それは金環日食だろ
823 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 22:33:38.91
天岩戸隠れと日食を重ならせる気はないが、
天文学的な計算で出された日食の範囲はずれる事があるらしい。
たとえば、日本書紀に推古天皇36年(628年)3月に、「日有蝕尽之」とあり、
皆既日食があったことがわかるが、計算によると奈良は部分日食との
計算になっている。
824 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 22:36:12.15
825 :
日本@名無史さん:2013/10/11(金) 23:26:47.40
日食が有っても誰も困らない
紀元1世紀から3世紀の間では、皆既日食が、158年7月13日と、248年9月5日の2回しかなかった
827 :
日本@名無史さん:2013/10/12(土) 16:37:11.58
世が世で、政変とかなんかで竹田恒泰が天皇になる可能性もあったんだよな
なんかいやだな、あの人が天皇ってw
829 :
日本@名無史さん:2013/10/12(土) 22:49:56.88
158年 7月13日 皆既日食 日没直前
琵琶湖 京都 大津 津
元伊勢(籠神社)、伊勢遺跡、伊勢神宮 のライン
(日食・月食・星食情報データベース、NASA 等)(ΔT= 8042.58 等)
天岩戸隠れの時の宮
天照(男)、瀬織津姫(妻)、イサワ宮 伊勢(伊雑宮 志摩)
ヒルコ(天照の姉)、思兼(夫)、ヤス川宮(野洲川宮)近江
(ホツマツタエ 7アヤ)
天安河=野洲川 説
近江高天原説
滋賀県守山市 伊勢遺跡
弥生時代後期 二世紀初めから半ばが最盛期
東西750メートル、南北400メートル
大型建物が半径約100メートルの円周上に並んでいる
琵琶湖東岸エリアは銅鐸=出雲系で九州から進出してきた邪馬台(ヤマト)勢に
制圧された
なんで月蝕は神話にならないんだろ。
単にインパクトが弱いだけじゃね
みんな寝てるから気が付かないんだよ
834 :
日本@名無史さん:2013/10/17(木) 10:44:01.85
アマテラスばっかり話題になるが日ル子ってのがでてくるだろ
これって流産して死んだ赤子のことだぜ
835 :
日本@名無史さん:2013/10/17(木) 10:48:49.94
831
月蝕が示すのは死だから
物忌みになってんし、それやめるってことは
堂々と
お前は死ぬべきだーとか、早く死ねよお前はとか
正直にみんなで言い合う楽しい世界を肯定するってことだからなw
>>835 >月蝕が示すのは死だから
うがった意見だね では日蝕は?
街灯もビルの明かりもないような時代だから
恐ろしかった
↑当時の村の生活を想像してみた
女王ではなく、一部族だったのかな
838 :
日本@名無史さん:2013/10/18(金) 17:12:56.58
836
意味は教えねえよ_φ(・_・
なんらかを見るときのヒントになっちまうからな
ヒントになるのが嫌なのか
やっぱり天照は卑弥呼だな
ツクヨミの存在感の無さは異常
男か女かも分からず、祀る神社もほとんどなくあっても官位は低い
ツクヨミ 月読命 スサノウの兄 アマテラスの弟 死の月蝕
確かに謎だな
皆さまのレス興味深く見ている素人なんですが、
この話の争点となってるのって、
欠史八代の年数・代数の評価による年代の相違
♂♀、
日食云々、
元々太陽神じゃなかったんじゃね?
とかなのかな?って思うんですけど、良くわからないから、混乱。
分かりやすく解説している本やら論文。
つか、これ読んどけっていうの自著以外でありヤスカ?
お小遣い少ないので、できるだけ普通に手に入る
リーズナブルなやつでおながいしますwww
つ[図書館]
>>842 親に聞いてみるのが良い
そんな事しらないよ、と言われたら
祖父母に聞くこと
>>843 田舎なので近くの図書館小さくてしょうもないのしか置いてないです。
取り寄せて貰うなら、だれの著作がおすすめですか?
>>844 生きてる祖父母はボケてますw
お小遣い月5マソ程度なので、
高価な専門書とか絶版本とかは買えません。
ご理解ください。
なんだ、天皇に興味があって5万円持ってて27日の天皇賞買ってないのか
次は10日のエリザベス女王杯だから英国版王室になっちゃうけど忘れちゃだめだぞ
>>845 図書館も近所にない、本買う金もない。それじゃ詰んでるが…Amazonは使えるかもね
1.欠史八代については田中卓「古代天皇の秘密」太陽出版と
安本美典「神武東遷」なんとか新書
田中卓も安本美典も既知外だから信じるなよ、ただし欠史八代については素晴らしいこといってる
2.男神説については学術書とか高いのしかないので不本意ながら
ホツマツタエの信者のサイトを見ろ。やつらはホツマ以外のことはマトモ
3.日食云々太陽神については吉田敦彦(神話学者)の本が素人の入門としては
わかりやすくて面白く書いてある
Amazonで名前で検索して面白そうな本を適当に買えばいい
>>845 つまらない本を買って後悔するより
少し遠くても交通費を使ってでもそれなりの図書館へ行って
その分野の書物を見るべき
買うのはその後でいい
849 :
日本@名無史さん:2013/11/21(木) 17:22:09.52
>>842 本は安本のがある。ただし、それが正しいかどうかは別だけどね。
これは邪馬台国の会のHPでもある程度読めるけどね。
論文はどうかな。欠史八代で学術論文なんてもしあったらすごい。
まあ、第一には古事記を読むこと。それを読まずに解釈本ばかり読むのは
おすすめしない。
欠史八代の本は、頭から否定してる奴しか知らん
850 :
日本@名無史さん:2013/11/23(土) 17:04:06.49
古事記の内容を真とするか、偽とするか で話が変るな
851 :
日本@名無史さん:2013/11/24(日) 02:53:16.96
卑弥呼じゃないと思うな。神代だし、卑弥呼ではあたらしすぎると思う。
ただ、話に鏡がでてくるから、日本で鏡が現れて以降の人だろうね。
852 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 08:39:47.87
853 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 09:57:00.63
850
古事記の書かれた年代を考慮にいれないとな
西暦700〜800年ころに書かれたものが1000年前とか
500年前とか正確に分かるか?
中国辺りの文献を参考に書かれている臭いけどな
854 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 10:04:12.67
だから誰も正確なとこなんて分からないんだろ
そういった書物を残した行者の文献を頼りにするしかないわな
まあ白装束ってとこでもとは山伏ってのは分かるわ
855 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 10:10:32.16
仏教と山伏もとは対立してたろ
武士化したのもこういう連中じゃねえのかな?
856 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 10:12:30.84
日本の民間信仰はどだちかっていうと山伏がもともと広めたもんじゃねえの?
857 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 10:14:47.34
なんせ全国を渡り歩いていましたからなあ
858 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 13:45:55.23
山伏って忍者のはしりだろ。
859 :
日本@名無史さん:2013/11/25(月) 14:04:52.78
そんなのずーっと後代になってからだろ
ちゃんと記述にみえますからね〜
860 :
日本@名無史さん:2013/11/28(木) 10:23:30.87
御師
861 :
日本@名無史さん:2013/12/06(金) 08:48:46.07
宇那比姫だと話が繋がるな。
トヨこと丹波竹野媛は宗族の娘だし、モモソヒメも宗族の娘。
豊鍬入姫命もそうなる。
何故多くの姫の中からモモソヒメだったか。
女王と男王との並列でバランスを取っていた。
天皇家だけでは国が収まらなかった。
何故か?
女王を出した一族は天皇家と同程度の有力者だったこと。
系譜からすると、これが本来の正当な王の本流と見られていたこと。
海運・製鉄なども握っていたのではないかと思われること
862 :
日本@名無史さん:2013/12/06(金) 09:14:01.91
アマテラスが落ち着き先を探して旅に出た際、真っ先に向かったのが
その一族の故地。
さらに、雄略の代に伊勢神宮の外宮に迎えたのも、その一族の神。
雄略が市辺押磐皇子を殺害した時、その子、オケ・ヲケが真っ先に
逃げ込んだのはその一族のところ。
継体擁立の前に、丹波にいた王に打診して逃げられている。
崇神の時、丹波の地域の反乱を収めるのに、自力では出来なくて天皇家の
助けが必要だったところを見ると、この一族の力が衰え、その頃に天皇家
の力が巨大になっていたと思われる。
徐々に力を失い、記紀編纂のころには埋もれてしまうほどだったんだろ。
古事記・日本書紀の神武天皇が絡む33個ほどの地名は、どれも今で言う縄文遺跡
があるものばかりで、都にしたという橿原でも、大規模な縄文集落跡が発掘され
ています。橿原の縄文遺跡の出土品は、橿原という土地のみの閉鎖的なものでは
なく、全国各地での製作とされる土器が、多数含まれていますし。。。しかも
そうした地名はすべてが標高60m線以上のものばかり(その時代、その下は湖
・水・湿地)です。
記紀が編纂された飛鳥・奈良期には、湖は干上がり、湿地や池沼が広がるだけ
で、弥生期を経て、居住地が下方へ広がってきていましたから、標高60m線な
どを考慮し、地名を設定したり、話を「創」ったりすることなどできません。
つまり、記紀の神武伝承の景観は、記紀編纂時までに伝わってきていた古い話
を、そのまま記紀に反映させた、と考えるしかないのです。
864 :
日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:07:47.03
天照は、南朝鮮にいたんだろうな。
だから日本にその墓はない。
>>864 出雲の伝承には、天照が東からやってきたという伝承がある。
よって半島は関係ない。
神武東征で、紀伊半島に回ったことを言ってるんだろうな。
867 :
日本@名無史さん:2014/01/04(土) 22:30:34.86
NHKで式年遷宮やってるよ。
宮司が言うには、式年遷宮は、天孫降臨を模しているのだとか。
天照大神は日本列島にいなかったという説が正しいらしい。
天照大神は太平洋を渡ってきました
869 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 00:05:17.21
根本テキストの古事記すら、読んだこと無い馬鹿はオカルト板に行けよw
アマテラスは九州(福岡or南九州)産まれだぞ。
870 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 00:11:48.90
記紀の根のそんなところも読んでないんかい
アマテラスがどこで生まれたかは記紀に書いてありますがな
反日と言うならアマテラスを自らの系譜の祖とする帝の勅撰の紀を否定するのが反日だわ
アマテラス=卑弥呼=比売大神(宇佐神宮)
874 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:58:02.36
>>869 生まれと育ちは違うな
九州=高天原か?
875 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 10:59:21.96
天照大神は九州で生まれたかもしれないが
天を治めよと言われ高天原に行った
高アマ原だ
>アマテラスがどこで生まれたかは記紀に書いてありますがな
うわ、本物の馬鹿だったか
アマテラスが生まれたのは天。
古事記が書かれた時点で、大和朝廷の支配が及んでいない地だよ。
イザナギは黄泉の穢れから身を清めるために、竺紫(つくし)の日向(ひむか)
の橘の小門(をど)の阿波岐原(あはきはら;現在の宮崎県宮崎市阿波岐原町)
で禊を行った。
左の目を洗うと天照大御神(あまてらすおほみかみ)が生まれた。右の目を洗う
と月読命(つくよみのみこと)が生まれた。鼻を洗うと建速須佐之男命(たけ
はやすさのをのみこと)が生まれた。イザナギは最後に三柱の貴い子を得たと
喜び、天照大御神に首飾りの玉の緒を渡して高天原を委任した。
>>878 竺紫(つくし)の日向(ひむか)は今の熊本だよ
アマテラスがどこで生まれたかは、書かれてないんだよな。
天を支配し、天にいたことは分かってるが。
881 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 14:04:40.84
日向は福岡だよ。
黄泉の国はドロドロの有明海。
>>880 阿波岐原で禊を行い、左の目を洗うと天照大御神が生まれた
883 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 14:23:10.47
韓国では我が国と形状の類似した古墳が続々と発掘されている。
このことは卑弥呼の時代あたりから倭人が朝鮮半島に進出していた証し
ではないかな。
884 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 14:23:25.55
素戔嗚尊は高天原からオオゲツヒメの所によって出雲に向かうんだよ?
オオゲツヒメは阿波だからな。
必然的に高天原は紀伊半島になる。
>>883 逆だよ 奈良はウリナラのナラ
倭人は鉄と引換えに生口(奴隷)として半島に輸出されていた
886 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 16:31:57.29
アマテラスがいたのは、天皇がこだわった任那(加羅)だろ。
邇邇芸が日本列島に来た時も、ここは韓国が見える良い土地だと言ってるし。
実は韓国は空国のこと
つまり、土味豊かにして人口少なく、将来性がある土地柄と言う意味
888 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 16:47:56.04
この地は韓国に向かい、笠沙の岬まで真っ直ぐに道が通じていて、
朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である。
笠沙の岬も朝鮮半島かな?
昔話なんて意味が無いんだよ
現実の話をしよう
そのような存在が実在していたとして、
今現在どこに住んでいるのかが重要なの
どこに住んでいるの?
891 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 18:35:18.83
アマテラスの墓は朝鮮半島にある。
なんとかして取り戻せないか?
892 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 18:46:11.83
キムチ臭いウジ虫がわいてるなw
アマテラスがニニギに鏡を授けているように、大昔から日本の王権シンボルは鏡だ。
しかし、鏡を王権シンボルとする習慣は半島には無い。
妄想は祖国に帰ってやれw
卑弥呼の邪馬台国は大和朝廷に滅ぼされたよ。
皇室の神器は鏡ではなく鏡、剣、玉の三種だ
この三種を王権シンボルとする文化は中国山東省から朝鮮半島にまたがる広い範囲で認められる
天皇家がたくさんあったんだな
墓に入れてるってことは即位の度に新しく作るってことか
それとも天皇も皆ももってたのかな
王権シンボルたる神器は伝承するのだよ 墓に埋めるのは褒美
897 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 20:16:32.72
キムチ君は取り敢えず、朝鮮の王権シンボル鏡で、日本より古いものを出してもらおうかな。
話はそれからだ。
あと、その伝承、神話も出してね。
現在では考古学的な観点(すでに4、5世紀の豪族の古墳の副葬品には、鏡、剣、玉の
3点セットが頻繁にみられること)と、比較神話学の観点(海外にも日本の三種の
神器に類似した品々からなる3点セットを王位のレガリアとする神話があり、世界
中に分布していること)と、漢文の修辞法の観点(鏡剣または剣鏡と書いて玉を
略すのは漢文の修辞上の問題で実際の品数を意味するものではないこと)から、
もともと3品からなっていたと考えられている。
あと、人種差別的発言は恥ずかしい 慎め
人種差別はよくないな
特例法はよくない
個人的に嫌うのは自由
朝鮮人も日本人を嫌っているのは多い
900 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 21:38:29.59
卑弥呼も天照大御神も
私を包んで守って癒してくれています
まるで夢みたい
901 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 22:09:32.54
つまり、朝鮮には日本より古い、王権シンボル鏡の出土品はないのですね。
あと、鏡を王権シンボルとする、神話・伝承もないのですね。
すべてに言えること
持ち主というか、住人がいなくなってから
発掘調査をするから、ややこしくなる
903 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 23:02:52.55
>>901 大田市塊亭洞石室墓、忠清南道牙山郡南城里石室墓、など錦江流域で細型銅剣と天河石半環式飾玉
および粗文鏡がセットで併出しており、日本における三種の神器の原型が見出されている。
その年代については戦国初・中期(前5−4世紀)とされている。
904 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 23:17:56.37
905 :
日本@名無史さん:2014/01/05(日) 23:21:04.25
907 :
日本@名無史さん:2014/01/06(月) 00:12:00.63
>戦国初・中期(前5−4世紀)
おいおい、漢が半島の主要地域を植民地にする、何百年も前じゃないか!w
まあ、もっとも、半島では壇君の墓も発見されてるからなw
鏡が魔除けとして、大昔から大陸では珍重されていたんだよ。
だから、鏡を王権シンボルとするなら、それが代々受け継がれて来た神話伝承とセットで語るべきなの。
卑弥呼、邪馬台国、瓊瓊杵尊、ニギハヤヒの命、物部氏、追加で菅原氏。
このへん、どうなってんだ?・・・
日玉が卑弥呼=天照だとして、
白玉(もしくは金玉か?w)は誰だと思う?
まさかとは思うが万葉集に赤玉白玉ってあるなあ。
もしかして男性の金玉って白色の精液を作るところからして白山か?
天の川銀河のことをミルキーウェイという。
精液のことをスキンミルクという。
多分、人間の感性が同じものとらえてるんだろうな・・・
肖像画というか絵?を見た感想(イメージ)
ニギハヤヒは中国の人
その肖像画も後世に描かれたものばかりだから?????
聖徳太子の肖像画と同じなのかな
なんかの皇帝だねそれ。
始皇帝?
多分、和氏以外は中国から来たな。
天然の要塞、大和。
始皇帝=にぎはやひ→神武天皇〜崇神天皇→瓊瓊杵尊
というモデル考えました。
915 :
日本@名無史さん:2014/01/06(月) 07:13:04.47
>>904 おいおい、吉武木の多紐細文鏡はれっきとした朝鮮製だぞ
>>908 卑弥呼 九州に有った邪馬台国の女王(九州の土蜘蛛)
瓊瓊杵尊 天皇の始祖、高天原から空飛ぶ船で九州に降臨した(時期は1万年以上前)
ニギハヤヒ ニニギ以前に日本に降臨していた天津神(最初の降臨地は秋田、後に畿内に移住)
物部氏 ニギハヤヒの子孫、倭国大乱の九州から逃げてきた神武天皇に仕える
菅原氏 どうでもいい
古い順から並べると
ニギハヤヒ、ニニギ、、、、、、物部氏、卑弥呼
じゃあ、神武=瓊瓊杵尊?
おかしい。天孫が絶対神とは。いや、あってるか・・・
918 :
日本@名無史さん:2014/01/07(火) 06:26:18.65
>>903 朝鮮に源流を持つ三種の神器を祭祀とする王統は北九州に渡来、機内へ東進し
て出雲を滅ぼし統一王朝を打ち立てた。
三種の神器は今でもそれを祭祀する現在の皇室が、朝鮮王統の末裔であることの動かぬ証拠だ。
陰陽師は?
>>918 三種の神器は一度も墓に入れた事が無いぞ
宇佐神宮が皇室の宗廟だという事は知ってるな
表向き第一宗廟は伊勢神宮で宇佐は第二とされている。しかし実際のところ道鏡事件では伊勢は
全く蚊帳の外で宇佐の神託が全てを決めた また、奈良時代以降1000年間皇室
は伊勢に全く足を踏み入れていない かたや皇室は宇佐に代替わりのたびに勅使を
送っている 平成天皇も然り つまり皇室の本当の宗廟は宇佐ということ
宇佐の主神は比売大神 女性名詞 なぜ、皇室と最も縁が深い神社に女性名詞の神を
祭っているのか
宇佐神宮は小高い丘の上に建立されている この丘は人工物、つまり古墳であり
昭和改修の折に巨大石棺が埋蔵されている事が確認されている
実のところ宇佐は皇室の祖、アマテラスつまり卑弥呼の墓なのだ
レビの遺骨の一部が枚聞神社に埋まってる。
レビの墓は、熊野。
なおレビ族は、池田湖周辺と、宇佐神宮にも来ている。
レビは、古代イスラエルの祭祀家。
923 :
日本@名無史さん:2014/01/08(水) 00:08:59.87
>>921 ご承知の通り、建前として高天原の神であったアマテラスのお墓はこの地上に有リ得ない
ゆえに、皇族や皇室の勅使があからさまに足を運ぶことは有り得ないであろう。
もし公に参詣するなら、高天原は地上にあったことが明るみに出てしまうからだ。
アマテラスないし卑弥呼の陵は、
今も、秘境の村人たちによって秘密裏に祀り護られていることであろう。。。
板を間違えてるだろ、ここの連中w
間違えてはいない
ninja!スレッドに隔離されたときにも
同じ写真を貼り付けた事がある
名前からしても、始皇帝が神武天皇ではなかろうか。もしかしたら、にぎはやひ。
で、瓊瓊杵尊は孫子。もう名前そのまま読もうぜ。学説考えた人馬鹿だろう!!
927 :
925:2014/01/08(水) 01:08:41.05
孫子=瓊瓊杵尊=趙雲=武田信玄か。
おい、光栄!!
武田信玄と趙雲の武力、200にしろよな!!最強武神だぞ!!
929 :
925:2014/01/08(水) 01:21:47.21
確か規制されて(プロバイダーを変更してから
巻き込み規制ばかり続いた)
【!ninja】忍法帖テスト専用test
次に【忍法帖】!ninjaテスト 専用スレ ぴんく難民板
だったかな
歴史は繋がってるんだな。
みんな、中国史のマンガ読もう。全部書いてある。
そうか、劉備=イエスキリストだあww次に徳川家康。
諸葛亮は何神かな・・・後の上杉謙信。
932 :
日本@名無史さん:2014/01/08(水) 01:37:36.46
そもそも中国の歴代王朝の史書みても適当なことばっか書いてるし
魏志倭人伝ばかり掘り下げても無意味だろ
明史をどんなに掘り下げても現代人の知っている織豊政権の歴史とは似て非なるものなわけで
姜維も気になるな。
934 :
925:2014/01/08(水) 01:43:34.87
本当にあった話
ninja!スレッドに規制されているとき
突然、雷雨が発生して、雷が鳴りだしたりしたことが
何度もあった。
よく憶えてないけど、そこで「saga」の話もしていた。
その後、茨城か埼玉で台風。
935 :
925:2014/01/08(水) 01:44:37.37
訂正:台風→竜巻
936 :
日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:36:59.54
何かの説明文では、
小城に佐賀大和国庁(奈良〜平安期の肥前国庁)の前身、
もしくはそれに相当する古い役所があったらしいということだった
937 :
日本@名無史さん:2014/01/08(水) 12:46:17.06
938 :
日本@名無史さん:2014/01/12(日) 09:34:12.78
伊勢神宮と皇室についての勉強会を
神戸三宮で 毎晩 開催しています。以下にそのテキストを
示します。この理解でよいか、ご意見ご指導下さい。
伊勢神宮を考える
science-basara.com/column/%e4%bc%8a%e5%8b%a2%e7%a5%9e%e5%ae%ae%e3%82%92%e8%80%83%e3%81%88%e3%82%8b/
孝明天皇親子暗殺説を考える
science-basara.com/column/imperial-family/
939 :
日本@名無史さん:2014/01/12(日) 10:29:46.67
>>1 卑弥呼はモモソ媛命。
アマテラスってのが、あまりにも有名すぎて
卑弥呼を天照に比定する説が多いこと。
でも、卑弥呼は、崇神天皇の父方の大叔母であるモモソ媛命で正解。
940 :
日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:16:16.77
魏志倭人伝の西暦240年代の記述は
日本書紀にある崇神紀の前半の記述。
狗奴国(コノ国)の乱とは
許乃(コノ)の領主だった武埴安彦命の乱。
941 :
日本@名無史さん:2014/01/12(日) 11:19:16.75
>>938 皇室は奈良時代以降1100年間、明治になるまで伊勢神宮に参拝しなかった、というのは本当ですか?
ももそひめ=アマテラスと、なぜ断ずる。神話なのに。
>>942 横だけど本当
実は京都の宮城内に本殿が有り伊勢神宮は分社だった
明治以降は東京の皇居に移ったから伊勢の方が上っぽくなった
945 :
日本@名無史さん:2014/01/13(月) 01:05:38.29
もともとは伊勢の方が上だろ
宇佐はあとからできた臭いからな
>>942 >>944 こうしつ【皇室】
天皇および皇族の総称。 ―大辞林 第三版
天皇およびその一族。天皇と皇族。 ―デジタル大辞泉
斎宮(皇族女子)の奉仕は中世まで続いたね。
最後の斎宮は祥子内親王(後醍醐天皇皇女)、群行された最後の例はト子内親王(後嵯峨天皇皇女)。
まあ、天皇の親拝について知りたかったんだろうけど。
当今や上皇の親拝が無かったとしても、伊勢神宮が皇室から軽視されていたわけではないことくらい、
斎宮という他には斎王くらいしか類例の無い祭祀態様を見るだけでも分かりそうなもの。
>>945 しかし、道鏡事件のときは伊勢は全く蚊帳の外で、全ては宇佐の神託で動いた事を
どう考えるのだ?
>>947 そもそも宇佐の神託の捏造から始まって、それを再確認したら嘘が露見したという事件なのに、
なんで伊勢が蚊帳の外という認識になるのか、そもそも関係ないやん。
949 :
日本@名無史さん:2014/01/13(月) 07:28:22.09
>>945、947
宇佐は伊勢より早い。西暦175年頃、比売大神が降臨された。伊勢よ
りずーっと早いのだ。
>>948 道教事件・宇佐八幡宮神託事件は皇室を揺るがす歴史上の大事件だったわけだが伊勢はそれに関わっていないと言う事
御神託という以上、伊勢が本当の宗廟なら伊勢に行くはずだろう。
952 :
日本@名無史さん:2014/01/13(月) 07:48:32.82
>>951 まず宇佐から例の無い神託(捏造)があったわけ。
ただごとでないから宇佐に確認の使者を送って再度託宣を受けたわけ、そして嘘がばれたと。
どうして伊勢の出る幕があるの?
仮に清麻呂が「やっぱ道鏡を皇位にで間違ってませんぜ」という託宣を持ち帰ってきたなら、
そのまま受け容れずに、伊勢やら他の大社にも神託を仰ぐということがあったかもしれないけどね。
>>952 何でもそうだけど上代あたりから記事が増えるよね。
特定の社殿に拘らずそれ以前の祭祀なんかを考慮するんだったら、
安易にそこいらを始期としてなくていいと思うけど。
955 :
日本@名無史さん:2014/01/13(月) 08:02:37.92
伊勢もそれ以前からの言い伝えもあるし、
宇佐神宮も大分八幡などの、元社まで考えると、
どこまでさかのぼれるかわからなくなる。
ある程度確実っぽい資料が残りだすのがその時代だな。
>>953 宇佐がどうでもよい神社なら皇室はその神託を無視すれば良いだけの事
宇佐の神託で皇室が大揺れになったと言う事は、宇佐が皇室の真の宗廟であった証拠だろう
>>956 応神・神宮を祀る神社がどうでもいい神社じゃないから騒ぎになったんでしょ。
たとえ話をしてみよう。
1,駐日米国大使が外務大臣に「次の首相は道鏡にしてね」と告げてきた。
さて、どうするか。
2,ありえないことだけど一応、駐米大使から米国国務省に確認する。
3,米国国務省から「んなこと言うわけないじゃん」と回答。
4,米国大使が勝手にやったことでした、ちゃんちゃん。
普通こうでしょ。
宇佐の神託を、肝腎の宇佐に確認もしないで伊勢に伺いを立てるというのは、
米国の意思を確認もせず早合点して、閣議を開いたり、首相経験者に相談したり、与党執行部で検討したりするようなもん。
958 :
日本@名無史さん:2014/01/13(月) 08:09:42.74
宇佐神託事件の頃って、伊勢神宮内宮が建てられて、
つまり、伊勢神宮に財力と人員を投入する豪族がいたときと、
割と近い時代だと思うのだが、
意識されていなかったんだろうかね?
959 :
日本@名無史さん:2014/01/13(月) 08:15:05.47
なんで宇佐だけで完結してる事件なのに伊勢を持ち出して貶めたいんだろうな
なぜ、宇佐がそんなに重要な神社かと言うと主神:比売大神が後に天照大神と呼ばれるようになる
卑弥呼を祭っているからだ。
宇佐が重視されるようになったのは、
八幡神を併祀したことと、八幡神が応神帝と習合されるようになったことから。
それ以前は地方の有力な神に過ぎなかった。
宇佐は皇室の宗廟であって重視というレベルではない
>>962 宗廟という割に宇佐なんて四方拝にすら入ってない。
石清水どころか熱田や鹿島・香取にも及ばない。石清水からして氷川の後に列してるし。
平安期以来の皇室からの崇敬具合を見れば、八幡の本宮は石清水になってて、宇佐は言うなれば元八幡なんでないの。
江戸時代に雅喬王(白川雅喬)が著した『家説略記』には四方拝は守護星・祖廟を
拝礼する儀式であると述べて神道儀礼であることを否定している(「非神祭」)こ
とから、四方拝が道教や陰陽道の下に成立した儀式であって、本来神道とは無関係な
儀式であった可能性もある。 wiki
>>964 神祇に携わったのが11世紀以来の伯王家。
それが江戸時代に示した認識にどこまで信を置けるのかだね。
>>957 「決定に関して発言権がある重要な複数の内の一つ」だから問い
返しただけで、「無条件で従うべき唯一絶対のものだからとは限らない」、
ともいえるね。
ただし、そのたとえは違ってるでしょ。
そのたとえのばあいに問い返すのは、「事実だとしたら、何の権限もない
のに筋違いのよけいな発言をした責任を糾弾する」のが目的であって、
「事実だとしたらそれに従うか、少なくとも考慮する必要が生ずるから」
という意味あいなど絶無じゃない。
当時、道鏡は称徳天皇の深い寵愛を受け、太政大臣禅師また法王として位、人臣を
極めていた。神護景雲三年(769年)、大宰府の役人である習宜阿曾麻呂が「道鏡
を皇位につければ、天下は太平になるであろう」との宇佐神宮の神託があったと
偽りの奏上をしてきた。これが事件の発端である。
皇位を天皇家の血筋を引かない臣下の道鏡へ譲るのは、禅譲による王朝交代を
意味し、天皇家の一大事である。この非常事態に際し、称徳天皇は当然のこと
として皇祖神の判断の神託を得る必要が生じた。天皇家の皇祖神は天照大神で
伊勢神宮に祭られている。ところが、誰も伊勢神宮の神意を問おうとせず宇佐
神宮に神託を求め、結局、この事件は伊勢神宮抜きで決着してしまった。
これは何を意味するのか。それは、天皇家と朝廷が皇祖神を祭る真の宗廟は
宇佐神宮と考えていたと判断するしかない。奈良朝から江戸幕末まで、天皇家
は近くの伊勢神宮には千百年間も参拝すらしたことがないのに、国家の大事や
天皇の即位時には、宇佐神宮に必ず勅使が遣わされた。このように、伊勢神宮
と宇佐神宮は「二所宗廟」として共に皇祖神天照大神を祭るが、实際には
宇佐神宮のほうがより重視されていたとも言える。
968 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 06:43:30.10
宇佐ねえ
分国法ができて九州の国家群ができたのが700年だろ
そんな歴史あるのかよ〜?
969 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 06:44:53.77
第一、倭が日本にあったかどうかも疑問だわ|( ̄3 ̄)|
970 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 12:12:27.57
倭は半島南部にも有ったけど
本拠地が日本列島なのは疑い用が無い
971 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 13:57:00.43
倭は非文明的な、九州から朝鮮半島にまで勢力伸ばした土人の国だろ
日本とは別物だよ
972 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 14:04:04.43
「大倭」と書いて「やまと」と読む
973 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 17:07:19.80
卑弥呼はモモソ媛命。
これで正解。
みんな難しく考えすぎるのさw
なぜなら、邪馬台国論争って完全にビジネスになってしまっていて
自説で飯を食っているアマチュアの歴史作家とか多いから。
974 :
日本@名無史さん:2014/01/14(火) 17:19:16.15
アマテラスってのも眉唾だが、
モモソヒメのほうが、もっと根拠が無いやろ
宇佐信者ってどんなに反論してもさうさうさの一点張りだね
>>966 今一つ論旨が掴めないのは俺がバカな所為なんだろうけど、
皇位継承が宇佐にしろ伊勢にしろ、神託なんぞによって決定されたのは前後に無いことで、
その意味のたとえで、次期首相の指名のは米国の意思に左右されるものではないけど、
政治・外交状勢によっては、そういうことになってもおかしくはないのではということだったんだが、
気に入らないたとえなら別に拘泥するつもりもないので構わない。
>>967 宇佐ちゃんが戯れ言言ってるかもしれないから、それを確認してみたら、案の定戯れ言だったってだけでしょ。
一々伊勢を持ち出して貶める意味がわからん。
ていうか、道鏡事件以外で、皇室や国家の大事に、伊勢も石清水も(賀茂も気比も)差し置いて、
宇佐が前面に出てきた事例って他にあるなら教えて欲しいんだけど。
古代ギリシャのデルフォイの神託というのを知ってるか?
今の我々には想像もつかないが、神託と言うのは古代人にとって非常に深刻な意味があったようだ
↓伊勢神宮ってけっこう新しいお宮さんなんだね...
『古事記』『日本書紀』に載っている伊勢神宮の記事はごくわずかですが、
697年から始まる『続日本紀』の冒頭に急に増えています。これは神宮が
697年に創建されたという重要な証拠です。『古事記』(712)は、
33代推古天皇で終わっているので神宮の創建記事は一切載せていません。
979 :
日本@名無史さん:2014/01/15(水) 06:18:08.84
宇佐もなにも古代日本は女酋長を中心とした国だったなんてのは分かってるわい
ところが大和朝廷の歴史には
女酋長がほとんど居ない
>>976 それなら、たとえなんか持ち出すまでもなくて、実際に日本がアメリカに
占領されていた時代に、鳩山とか、公職追放という形で排除されて、
必然的に首相候補からも強制的に外されたのがいたわけじゃない。
それの「意思に左右される」からこそ問題になるという傍証。
>>976 > 一々伊勢を持ち出して貶める
というより、「伊勢が唯一絶対」なら、他が何といおうが問題にするわけがない。
問題にした=「伊勢が唯一絶対」ではないということでしかありえないという、単なる当たり前の話でしょ。
選出の主体が曖昧な首相を持ち出したのが違ってるって。
絶対の決定権を持った者が存在する状況を想定するのでないと違ってる。
家康が実権を握ってる時代に、何の権限もないどこかの誰かが「国松を次の将軍にするべきだ」と
発言したと仮定して、幕閣がそいつに確認するか?
何の権限もないくせによけいな口出しをしたのが事実なら、捕まえて首をちょん切るために確認する
ことはあり得るけど、「ほんの微かにでも影響がありうる可能性など絶無」でしかない。
秀忠だったら、実際には決定権などないにしても、ホントにいったのかどうか確認することはありうる
かも知れないけど、ホントにいったとしたら、家康にどやしつけられてそれでお仕舞いでしょ。
>>981 >>982 ある日、頼みもしないのに、今上陛下のもとへ、平安神宮から使者が訪れてこう言いました。
「次の天皇は安倍晋太郎にすると良いよ」
前代未聞のことに驚きますよね。
さて、とりあえずどうしたものでしょう。
A.平安神宮に確認の使者を送る。
B.橿原神宮に確認の使者を送る。
私はAが至極当然だと思いますけど、Bとするのが本来であると考える人とは議論になりませんわね。
山本太郎の手紙と一緒で、皇室は平安神宮など無視するだろうね
皇室にとって平安神宮は祖先神なんだけど
赤の他人の臣下の山本太郎と同じに考えるのはどういうわけ?
平安神宮は明治28年(1895年)に第4回内国勧業博覧会の目玉として創建された
プラスチックの様な神社だという事は知らんのかね?
孝謙時分から見れば伊勢や宇佐もそんなもんだったんでないの?
988 :
日本@名無史さん:2014/01/17(金) 01:49:27.59
天皇家は出雲の神様も大神の神様も大事にしてるじゃん。
祟られたり呪われたりしたら嫌だからw
たった一度問い合わせたから伊勢より重要ってw
それも、あっちが勝手に言ってきたのに。
籠神社に言われたらえらいことになってたかも知れんが、その時点では
神様は伊勢に来てもらってるしな。
う〜ん、そうならないために伊勢に呼んだのかも知れんな。
989 :
日本@名無史さん:2014/01/17(金) 06:24:48.94
伊勢のは籠ののたんなる御裾分けでしょ
籠のお宝は天日矛の招来品だしね
籠のお宝は前漢鏡と後漢鏡で
後漢鏡のに近似のやつは大和天神山から出ている
平原方形周溝墓から出ているやつも同。
>>983 > さて、とりあえずどうしたものでしょう。
「何もしない」に決まってる。
「まるで筋違いであって、事実であろうがなかろうが何の関係もないから、
確認する意味がないどころか、取り合う価値が絶無でしかない」。
法律音痴というか、規範の類いの性質がまともに理解できてないので、
せめてその程度のことは当たり前に分かるくらい勉強しないとマズイよ。
例示するなら、「筋違いではないからこそ問題になる例」をあげないと駄目。
>>990 個人的な評価をくだしているにすぎない自分の主張を当然の真理のように錯覚している人とは話にならないね。