先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 15

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1日本@名無史さん
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 14
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1235929583/
2日本@名無史さん:2012/03/02(金) 22:42:49.14
おお復活。おめでとう
3日本@名無史さん:2012/03/02(金) 23:18:24.04
もう諦めていました。
祝復活。感謝!
4日本@名無史さん:2012/03/03(土) 19:41:07.32
でもテンプレ貼らないから別の方?
5日本@名無史さん:2012/03/13(火) 00:16:51.11
おめでとう
6日本@名無史さん:2012/03/27(火) 00:08:27.20
過疎ってるんでカキコ

サンカやアイヌなどの先祖の記録はほとんど残っていませんが、彼らも
我々日本人の確実なご先祖様たちです。アイヌは北海道だけでなく
青森県の下北半島や、津軽の夏泊半島に西暦1800年頃まで独自のアイヌ社会を
営んでいました。日本人の風俗を取り入れた後も、幕末頃まではアイヌ同士のみで
婚姻していました。また一説には、二十世紀後半の1960年頃まで青森県内にアイヌ語
話者が残っていたと言われています。


断片的な史料の残る夏泊半島の例では
1717年には、現在の青森県東津軽郡今別町浜名の宇田村は和人の集落だったが、
二軒アイヌ民族が住んでいました。戸主名「クネキラタ」和風名「伝蔵」、もう一軒は、
女性戸主で名を「ヨーカイン」和風名「ふく」と名乗っていた。
この先にあった三ヶ村はアイヌの集落で、松ヶ崎村(青森県東津軽郡外ヶ浜町松ヶ崎)の
酋長は、「シウラキ」であり先代の酋長は「ニィエヘテ」であった。
藤嶋村(青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩藤嶋)の酋長は「ウテレキ」、
宇鉄村(青森県東津軽郡外ヶ浜町三厩上宇鉄)の酋長は、「四郎三郎」と和風の名前であった。

青森県にご先祖がいらっしゃる方は、参考にして下さい。
7日本@名無史さん:2012/04/17(火) 21:19:34.02
戒名の禅定門って
どんなランクなの
8日本@名無史さん:2012/05/08(火) 12:32:01.42
時代と地域、宗派によって違うのですが、一応、順番としては、
信士(信女)、清信士(清信女)、禅定門(禅定尼)、居士(大姉)と上がって
いきます。
9日本@名無史さん:2012/05/08(火) 12:34:39.54
時代と地域、宗派によって違うといったのは、
現代では、居士も多くなりましたが、昔では余程でないと
もらえないというような意味です。ランクの順番が違うというわけでは
ありません。

10日本@名無史さん:2012/05/10(木) 11:10:39.59
test
11ysms:2012/05/10(木) 11:20:49.70
>>1
おおありがとう
12日本@名無史さん:2012/05/12(土) 03:09:28.06
>>9江戸時代中期以降ってどうなの?院居士は貰いにくそうだけど居士号あたり
も辛いのか?
13日本@名無史さん:2012/05/12(土) 13:00:18.83
いやぁ、だから、宗派や地域によって全然違うんですよ。
住んでいる集落のお寺か、或いは付近の先祖からの馴染みのお寺の
檀家になっているわけだから、そのお寺の宗派が、例えば真言宗の
お寺の檀家で、江戸時代中期以降の名主や与頭といった上層農民なら
居士号は付いているでしょう。
しかし、そのお寺が浄土宗や浄土真宗や日蓮宗なら、信士にしかならない。
14日本@名無史さん:2012/05/14(月) 21:16:33.13
禅定門って
17世紀辺りまでは結構あるけど
それ以後減ったな
戦国時代からその年代辺りだと
大名とかも〜院殿〜大禅定門とかだったのに
15日本@名無史さん:2012/05/14(月) 22:53:56.00
俺の江戸時代初期の先祖の一人は、或る武家の家老なんだが、浄土真宗で
ただの、釈△○居士 △は殿様から貰った片諱だった。

不思議なのは、俺の先祖より身分が下だった同じ家来が、その二十年ぐらい後の
お墓では、もとの宗派が別だったせいか
○○院殿△□居士 となっていて、しかも笠付きで墓石も立派なんだ。

院号ならわかるけど、院殿号がついているので、先祖がひがみそうww

16日本@名無史さん:2012/05/15(火) 09:42:22.03
昨日の鶴瓶の家族に乾杯で
谷原章介が先祖探しやってて面白かった
見た人いるかな?
17日本@名無史さん:2012/05/15(火) 12:29:36.02
>>15あんたの先祖はその武家の家臣だが、下の家来は藩の家臣じゃないの?
あんたの先祖は陪臣で少し格落ち扱いとか
18日本@名無史さん:2012/05/15(火) 12:53:11.47
いやそうじゃないんです。ある武家と書いたのは、ある有名武将の家で
私の先祖は、その武将の親類でしかも筆頭格の家老なんです。
だから、家臣としてみると「同僚」で、陪臣ではないです。

19日本@名無史さん:2012/05/15(火) 13:00:07.34
あっ、「陪臣ではない」とか書くと、また、それでも徳川家の陪臣の筈だとか
言われちゃうのかな?

現代風に言うと、両方とも、本社の副社長と専務ぐらいの関係だったと思います。




20日本@名無史さん:2012/05/16(水) 10:00:21.97
うちは○○藩の筆頭家老で院殿号もらってるのが同じ藩の家老って書けば良いものを
武家の家来とか書くから意味がわかりづらくなる
まぁ江戸初期は体制が整ってないのもあるし藩主に遠慮して院殿号貰ってない可能性もあるね
一番は宗教の違いが大きいと思うが
21日本@名無史さん:2012/05/16(水) 11:16:14.56
浄土真宗って元来院号つけないんじゃない。
最近は金出せば貰えるらしいけどね。

何れにしても武家で浄土真宗って珍しい。
22日本@名無史さん:2012/05/16(水) 11:52:47.57
昔って身分によって宗派ってほとんど決まってたんですか?
色んな身分が混在してる墓地はありえませんか?
23日本@名無史さん:2012/05/16(水) 13:28:44.97
割りと決まってるけど・・・武士は禅宗が多い。
ただ、三河以来の幕臣は結構浄土真宗いるって聞くけどね。一向宗で揉めたでしょ家康ちゃん
後、俗説かも知れないけど戦国時代農民から成り上がった家に多いとも聞く
24日本@名無史さん:2012/05/16(水) 14:47:12.86
うちは武家で時宗。
あまり見ないので何由来なのか調べているんだけど行き詰まっている。
25日本@名無史さん:2012/05/16(水) 14:53:51.42
百姓は浄土真宗が多いの?
26日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:10:51.37
江戸の庶民の半分近くが、浄土真宗系(浄土宗、時宗・一向宗も含めて)で、
あとの半分近くが、日蓮宗

浅草本願寺と周辺の末寺を含めると、武士でも、真宗門徒は結構多いよ。


27日本@名無史さん:2012/05/16(水) 18:16:43.68
>>20
すんません。でも、17世紀中の文書では、まだ「○○藩」という言い方を
しなかったと、近世史の先生が言ってたよ。
28日本@名無史さん:2012/05/16(水) 21:48:20.20
家族に乾杯見た人いないのかな?
テレビでこうやって先祖探しが取り上げられるのは珍しいと思うんで
ぜひ見てみて

鶴瓶の家族に乾杯 谷原章介 5月14日
http://youtubeowaraitv.blog32.fc2.com/blog-entry-17278.html
29日本@名無史さん:2012/05/17(木) 08:57:01.29
幕末、山伏系真言宗で居士なんだけど
上級武士、中級武士、下級武士、百姓でいったら、どのランクかな?
30日本@名無史さん:2012/05/17(木) 12:09:36.47
>>28 面白かった ありがとう
でもどうして戸籍を見なかったのか謎
31日本@名無史さん:2012/05/17(木) 15:10:45.14
>>28
あの光○寺の坊守は駄目だね。
過去帳について、勝手な解釈でけんもほろろに断ってた。
まともな坊守なら住職と相談して後日連絡するって返答するんだろうに。

先祖探しではこう云う坊守もいるって事をご参考に。
32日本@名無史さん:2012/05/17(木) 15:32:07.42
>>30
それこそ何度も話題に挙がっている人権屋さんからクレームが入ることを懸念したんじゃないか。
33日本@名無史さん:2012/05/17(木) 17:20:25.55
我が家は臨済宗で、一番古い墓は1600年代末のもの。
禅定門や禅定尼から1800年以降は信士。
墓石に名字が無いから農民間違いなしw
庄屋様家系は日蓮宗。
34日本@名無史さん:2012/05/17(木) 21:15:45.94
>>28
>>30
見た。NHKが戸籍のことはトボケて、番組作りをした可能性もあるね。

でも、もしかすると戸籍が辿れない家なのかもよ。俺の父方の曾祖母の
実家も、空襲で戸籍が燃えてしまっているから、探そうにも探せないんだ。
東京や名古屋のような大都会だと、区役所も法務局もどっちも燃えてしまって
戸籍が復元できなかったというが多い。谷原さんは、横浜だということなので
それが、ありうるよ。

35日本@名無史さん:2012/05/18(金) 16:13:48.04
苗字が無い墓なんてあるのかね?うちも庶民だが一番古い元禄の墓にも苗字家紋は付いてるよ
36日本@名無史さん:2012/05/18(金) 19:33:39.38
うちは幕末期の女性のお墓に名前書いてない
37日本@名無史さん:2012/05/18(金) 23:21:48.61
>>29
真言宗は一番幅が広いんじゃね 
それだけでランクとかは分からないだろ
38日本@名無史さん:2012/05/19(土) 01:18:55.36
居士なら中級武士か上層農民だろうね。
39日本@名無史さん:2012/05/19(土) 02:59:20.28
母方曽祖父(母の父の父)が居士。
その曽祖父の家は代々曹洞宗だったそうです。

ちなみに曽祖父以前の係累などは全く不明です。
40日本@名無史さん:2012/05/19(土) 14:03:07.53
その曾祖父のフルネーム(けみょうとじつみょうの両方が必須)をさらしたら、
意外と誰かが知っている可能性。

そのかわり、>>39が個人特定される危険性。
41日本@名無史さん:2012/05/20(日) 01:55:09.29
NHKでまた ファミリーヒストリーしてほしいな
42日本@名無史さん:2012/05/20(日) 09:46:16.78
ファミリーヒストリーまたやってほしいな
ジョン・カビラのが印象に残ってるわ
43日本@名無史さん:2012/05/20(日) 22:29:23.17
あと浅野忠信と勝野洋のもよかった
ジョンカビラとこの二つは未だにHDDに録画残ってるわ
44日本@名無史さん:2012/05/21(月) 01:16:20.57
ファミリーヒストリー番組って各国にあるけどお国柄が出るよね
BBCのが一番好きだな 一番自然にみえる
NHKのは各方面への配慮が見えすぎな感じでルーツ探しって厄介だなーって印象もっちゃう
NBCはコンパクトで見やすくてよいけどやや強引にドラマチックにしてる感がある スタッフがシナリオ書きすぎ?
CBCと、SBSだっけオーストラリアは、 BBCに似てるけどなぜか微妙に退屈 
 たぶん、役者側の意向を汲み過ぎなのかも?
45日本@名無史さん:2012/05/21(月) 14:31:42.60
へぇ〜
詳しいんだな
でもさぁ、アメリカとかだと、戸籍がないからそんなに古くは遡れないよね。

その点、アイスランドは詳しくわかりそうだよ。
46日本@名無史さん:2012/05/21(月) 15:34:47.24
◆沖縄ローカルニュース◆ - 家系図 ひそかなブーム
http://www.youtube.com/watch?v=C88XZi3wmDM
47日本@名無史さん:2012/05/21(月) 19:56:42.68
ここに先祖の名前晒したら、誰かが探索してくれるんですか?
で、あれば晒して探してもらいたいですが。
48日本@名無史さん:2012/05/21(月) 22:03:20.92
>>46
沖縄は、あの独特のお墓の中に、詳しく書いた墓誌があるから、艦砲射撃とかで
やられなかったお墓がある家は、庶民でも意外と古く遡れるらしいよね。

6:41に、次女 眞鶴 ってテンペストみたいカッコイ

49日本@名無史さん:2012/05/22(火) 03:17:12.03
>>48
十年位前にお世話になった沖縄出身の先輩が眞鶴姓だった。
他の沖縄出身の先輩は金城など沖縄らしい名前だったんで、眞鶴はあまり聞かないなと当時思っていた。(神奈川ら辺の真鶴しか想像できなかったし)
先輩いわく、父親の代で親族と縁を切り、家紋?や名字をリニューアルして眞鶴姓になったらしい。
当時私はまだ若かったこともありその辺の事情はわからなかったが(沖縄となると尚更)
最近テンペストを見て先輩を思い出してました。
当時も今も、そんな簡単に名字が変えられるの?とも思うけど、
あの様子から嘘ではないと思ってる。
50日本@名無史さん:2012/05/22(火) 07:41:28.26
ここって古文書の画像貼ってもいいの?
仏壇の下の戸棚から先祖が書いたっぽいものが見つかったんだけど
断片的にしか分からなくて意味分からん。
51日本@名無史さん:2012/05/22(火) 07:58:35.78
是非貼って下さい
52日本@名無史さん:2012/05/22(火) 08:35:16.56
53日本@名無史さん:2012/05/22(火) 10:28:13.74
お〜凄いな、とても興味深い。
貼ってくれてありがとう。
読み解きたいねこれ。
しかしよく残ってたね、素晴らしい!
54日本@名無史さん:2012/05/22(火) 11:45:22.49
実はまだまだページがある。不測の事態に備えて一応前ページ
撮影しといた。
55日本@名無史さん:2012/05/22(火) 12:30:59.02
>>45
アメリカとかでも意外とさかのぼれてたよ
1800年代はざら、1700、うまくいけばそれ以上
まず国勢調査があるし、
新聞も日本より古くからあり、電子化されていて検索ができるから
死亡広告なんか探せるのね、庶民でも
日本と違い、各方面に差しさわりがあるから非公開というのもないようだし
56日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:00:34.55
>>52
読めないんだが
なんとなく お手本帳みたいな感じがするな
57日本@名無史さん:2012/05/22(火) 18:42:23.16
>>52
職業とか役職の読本的なものかな?
58小嶋日向守:2012/05/22(火) 19:56:29.44
>>52
新春之御吉慶不可有休期御座奉存候。先以御挙
家被成御揃愈御万福可被成御越年珍賀之至奉存候。
随而当方無異加年仕候間乍慮外貴意安思召可被
下候先者右年始御祝辞申述度如此御座候。当期永
日之時候恐惶謹言貴礼所拝乍仕候加来愈新年之佳
祥目出度申籠候其御地被成御揃弥御安栄可被歳
御越年奉珍賀居次当方拙者無異儀佳年仕候乍
憚御休意可被下候不於智御祝詞被仰下所仕合奉存候。
先者右貴答如斯御座候。猶期永陽之時候。
59日本@名無史さん:2012/05/22(火) 20:00:15.81
これは、年始の挨拶状です。
文例の見本として取っておいたものか
昔の教科書の写しです。

60日本@名無史さん:2012/05/22(火) 20:01:42.00
>>52「新春之御吉慶・・・」と内容は新年の挨拶状のようですが、個人的な手紙と言うよりは
手習のための往来物でしょうね。
61日本@名無史さん:2012/05/22(火) 20:23:40.54
>>58
凄いな。
こう言うところが便所の落書きだけではない
2ちゃんの侮れないところだな。
62小嶋日向守:2012/05/22(火) 20:44:05.47
すいません。下から二行目に誤読がありました。「不相智」でした。

新春之御吉慶不可有休期御座奉存候。先以御挙
家被成御揃愈御万福可被成御越年珍賀之至奉存候。
随而当方無異加年仕候間乍慮外貴意安思召可被
下候先者右年始御祝辞申述度如此御座候。当期永
日之時候恐惶謹言貴礼所拝乍仕候加来愈新年之佳
祥目出度申籠候其御地被成御揃弥御安栄可被歳
御越年奉珍賀居次当方拙者無異儀佳年仕候乍
憚御休意可被下候不相智御祝詞被仰下所仕合奉存候。
先者右貴答如斯御座候。猶期永陽之時候。

63日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:06:22.11
「不相替」かな?
64日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:14:44.98
いつ頃の物なんだろう
65日本@名無史さん:2012/05/22(火) 21:21:59.71
意味は?
66日本@名無史さん:2012/05/22(火) 22:32:29.98
字体からすれば江戸時代でしょうけど
いつごろかなぁ?

4行目 当期永日之時候→尚期永日之時候
5行目 貴礼所拝乍仕候→貴礼忝拝見仕候、加来愈→如来愈?
6行目 可被歳→可被成
7行目 佳年仕候→徳年仕候
8行目 不相智→不相替
67日本@名無史さん:2012/05/22(火) 22:45:16.84
いちおう弘化2年みたい
68日本@名無史さん:2012/05/22(火) 22:55:52.25
69日本@名無史さん:2012/05/22(火) 23:05:07.05
70日本@名無史さん:2012/05/22(火) 23:11:25.19
71日本@名無史さん:2012/05/22(火) 23:16:35.89
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3010845.jpg
左下は苗字と長兵衛と書いてあるようです。
72日本@名無史さん:2012/05/23(水) 00:08:03.31
>>52
この一枚目、横に漢数字が振ってあるけど
十 がないのが地味に気になるw
73小嶋日向守:2012/05/23(水) 01:35:35.44
>>66
訂正ありがとうございます。

新春之御吉慶不可有休期御座奉存候。先以御挙
家被成御揃愈御万福可被成御越年珍賀之至奉存候。
随而当方無異加年仕候間乍慮外貴意安思召可被
下候先者右年始御祝辞申述度如此御座候。尚期永
日之時候恐惶謹言貴礼忝拝見仕候如来●新年之佳
祥目出度申籠候其御地被成御揃弥御安栄可被成
御越年奉珍賀居次当方拙者無異儀佳年仕候乍
憚御休意可被下候不相替御祝詞被仰下所仕合奉存候。
先者右貴答如斯御座候。猶期永陽之時候。


5〜6行目「新年之佳祥目出度」 には 「新年之嘉祥目出度」の用例があり、
7行目 「無異儀佳年仕候」 には 「無異儀加年仕候」の用例がありましたので
「佳年」の判読は、「徳年」ではないと思います。

74日本@名無史さん:2012/05/23(水) 14:10:30.96
>>68
写真が全部、暗すぎだよ、とくに左下。
少し明るい所で撮り直してくれないと
もう読む気にならないよ。



75日本@名無史さん:2012/05/23(水) 15:21:17.80
貴重は貴重だけど
そこまで面白そうな内容じゃないな
76日本@名無史さん:2012/05/23(水) 16:03:13.22
ええい!庄屋!庄屋はおらぬか!
77日本@名無史さん:2012/05/23(水) 17:55:04.77
昔って漢字ばっかりだったんだね
よみづらーつかよくわかんね
78日本@名無史さん:2012/05/23(水) 17:57:59.32
おいおいこれだけの量の解読は流石にカネ払ってやってもらえ!
7966:2012/05/23(水) 22:23:22.55
8066:2012/05/23(水) 22:37:25.06
↑すみません、上記誤爆しました。
>>73さま、
ご指摘有難うございます。
崩しが似ていたので、どうした物かとは思ったのですが、ご指摘の通りかも知れません
ついでに、>>66の 5行目貴礼忝拝見仕候は貴札忝拝見仕候でした。
改めて訂正いたします。
81日本@名無史さん:2012/05/24(木) 19:59:51.19
ここで古文書の画像あげてもいい?
解読して貰いたいんだが
82日本@名無史さん:2012/05/24(木) 21:10:06.68
ええよ
83日本@名無史さん:2012/05/24(木) 21:17:10.72
教科書じゃないなら歓迎です。

>>68
全部を他力本願に縋(すが)るのではなくて、前半の判読を参考にして、ご自分でも
解読してみて下さい。その上で判読の妥当性を質問されるのであれば、協力は
惜しみませんよ。


84日本@名無史さん:2012/05/24(木) 23:00:33.38
年貢関係の文書だと思うんだが
名前のとこは申し訳ないが消してます

http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3012975.jpg
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3012980.jpg
85日本@名無史さん:2012/05/25(金) 00:35:01.99
ちょっとは自分ではここまで読んでみましたくらいの態度は示そうよ。
86日本@名無史さん:2012/05/25(金) 02:33:06.58
しかも村名まで隠すって、いい加減にしろって言いたいよ
87日本@名無史さん:2012/05/25(金) 05:07:24.57
>>83さん、他の皆さんもありがとうございました
上の漢字の癖をベースに、書き起こししてみたいと思います。
88日本@名無史さん:2012/05/25(金) 09:04:33.00
自分で自分でって(笑)
スルーすればいいのにみんな案外心狭いんだね、ビックリw
私は単純に見てみたかったから貼ってほしいと頼んだクチだからさ、
貼ってくれた人も気分を害してる人も、なんかごめんね。
89日本@名無史さん:2012/05/25(金) 11:56:55.69
テンプレつくったら?
(自分で調べた範囲)
(   読めた範囲)
とかさ
90日本@名無史さん:2012/05/25(金) 12:02:34.33
いやーでもおもしろいな。
他の人も仏壇の奥や蔵あたりからなんか出てこないか?
ぜひうpしてくれ
91日本@名無史さん:2012/05/25(金) 12:25:09.71
うちも出てきたけど、うpする内容でもない
92日本@名無史さん:2012/05/25(金) 12:39:49.37
皆よほどの旧家なんだな
ネットの世界と言えそんな人達が集まるこのスレは素晴しいと思う
俺の家は明治大正と2代続けて養子を迎えているが代々家を守ってきた先祖を誇りに思う
93日本@名無史さん:2012/05/25(金) 14:05:00.64
古い家でも火事で焼失してたりするからな
存在自体が貴重だと思う
94日本@名無史さん:2012/05/25(金) 15:44:41.17
旧家や寺に聞き込み行く場合ってお礼にギフト券やら菓子折持ってくべきかな?
見知らぬ奴からそんな物もらっても逆に気を使わせて失礼かな?
95日本@名無史さん:2012/05/25(金) 16:38:23.54
>>94
菓子折りとか持って行ってもいいと思うが
それより、相手に不信感を与えないようにしないと
調べる目的とか身分証明とか
96日本@名無史さん:2012/05/25(金) 23:45:29.69
http://imepic.jp/20120525/852440
祖父の集合写真ですが十代っぽいです
所属は何になりますか?階級章もなく、所属の手がかりがわかりません

http://imepic.jp/20120525/852620
日韓併合までは分かりますが趣旨が分かりません
97日本@名無史さん:2012/05/26(土) 00:25:55.01
客月弐拾九日 詔書ヲ以テ韓國ヲ我大日本帝國ニ合併セラレタル
旨煥發相成臣民ニ於テ誠意慶賀スベキ義ニ付之レガ祝意
ヲ表スルガ爲メ明二日各戸ニ國旗ヲ掲ゲ氏神ニ参拝致シ一日休
業可致様組内ヘ無●觸示シ相成度此●及通達候也
9897:2012/05/26(土) 00:34:31.68
<意訳>
先月29日に詔書によって大日本帝国が韓国を併合したことが発表された
帝国国民としては心よりお祝いするべき事柄であるので
その祝意を表すために明日2日には各家に国旗を掲げ神社に参拝し
一日休みとするよう町内会へ触れ回って欲しいのでお知らせする
99日本@名無史さん:2012/05/26(土) 01:06:19.84
>>97
>>98
ありがとうございます。
役場から町内会長(?)宛の手紙になりますか。
詳細までありがとうございます。
10083:2012/05/26(土) 01:34:29.90
無渫觸示

もれなく触示しだとおもいます。
101日本@名無史さん:2012/05/26(土) 10:56:04.65
こういう内容は面白い
102日本@名無史さん:2012/05/26(土) 14:03:16.59
日本は中世近世の古文書が世界的にみても豊富らしい
近世の文章なんか、ほとんど解読どころか、気にも留められずに消えて行ってるらしい
新書で売れた「武士の家計簿」もなんかもたまたま古文書を著者が買って
解読したから世に出たけど
103日本@名無史さん:2012/05/26(土) 14:16:00.21
>>102
映画は観てないけど、書籍の武士の家計簿は面白かったな。
幕末から明治の世の変化がリアルに感じ取れる数少ない本じゃないか。
104日本@名無史さん:2012/05/26(土) 14:44:09.94
>>100
ありがとうございます。
105日本@名無史さん:2012/05/26(土) 14:56:12.55
イデオロギーに染まった歴史観はクソ
史料の掘り起こしでどんどんひっくり返してほしい
106日本@名無史さん:2012/05/26(土) 16:07:02.92
歴史は探れば探るほど面白い。
不思議と現在の世の中の見方も変わってくる。
とかく左寄りに傾いた近代史をはじめとする義務教育で習う歴史なんぞなんの役にも立たない。
107日本@名無史さん:2012/05/26(土) 16:55:54.63
>>102-103
あれはおもしろかったよな。
書店でタイトル見て面白そうだから買って読んで、
しばらくしたらベストセラー入りしてて、一瞬 驚いたけど納得したし。


庶民関係の古文書は豊富すぎて解読されないって例が多いらしいな。
だがそれでも、実際に各地で古文書を魅せてもらって研究してる人の話では、
偽文書の方が多いらしいんだけど。

素人目に「これは!」と思うような題材の文書は偽文書率が高くて、
面白そうに見えない帳簿類は偽文書率が低め、とかそういう感じかいな?

証文とか由緒/来歴/系図なんかは信憑性が低い部類だったはず。偽物率が高くて。
108日本@名無史さん:2012/05/26(土) 17:49:56.63
我が家の住所番地はずっと、住所〜777番地(仮の数字)だけど
ある書類には、住所〜88番屋敷とありました。
これは何の違いがありますか?
10983:2012/05/26(土) 20:36:35.15
110日本@名無史さん:2012/05/26(土) 22:11:49.73
団塊の世代の作ってきた戦後教育には本当に不信感がある。
親やその前のご先祖様に悪をなすり付け、自分たちは偽善で他人に頭を下げさせようとしているだけ。
団塊の世代が贖罪意識を感じてるならアジアを土下座、謝罪行脚でもして終わりにしとけよ。
子孫を萎縮させ贖罪意識を感じさせるような馬鹿な教育ばかりだからな
111日本@名無史さん:2012/05/26(土) 22:27:06.92
>>109
そこのブログの最新記事だけど、
個人情報保護というか、単なる事なかれ主義だよな…
http://komainu-dottokomu.seesaa.net/article/270446226.html
11283:2012/05/26(土) 23:08:00.57
>>96
「相成度此●及通達」の●ですが、相成度此段及通達と読んで良いと思います。
筆跡が、謄写版印刷のための鉄筆によるために、金釘流の感じで書体が変わっていますが、
「段」の異体字の「暇」という字から日を取った形の崩し字です。こんな形になったのは、
この文字の、さらに古い形の「耑」という文字に近い崩し字のような印象を受けます。
いずれにしても「段」だと思います。
113日本@名無史さん:2012/05/27(日) 00:43:40.47
>>112
ありがとうございます。
他にも役場からの書類が出てきましたが
議員選挙云々と新貨幣発行のお達しでした。
月番○中と書いてあるのは何かの長を月一でしてたってことでしょうか?
114日本@名無史さん:2012/05/27(日) 01:13:02.29
今週、先祖が生まれ育った土地に行ってみる。お寺があるみたいなので聞き込みをし、もし近隣に子孫がまだ住んでいるのなら尋ねてみる。
めちゃ緊張するし、旅費払ってどれだけ成果があるかワカランがやるだけやってみる。
何か準備してたら緊張して震えてきた。不安…
115日本@名無史さん:2012/05/27(日) 01:18:53.12
>>114
楽しんできて下さい
俺は聞き込み一発でヒットしたから運が良かったけど
先祖が暮らした土地は愛着が湧くもんだよ
116日本@名無史さん:2012/05/27(日) 01:32:42.21
>>111
そんな大昔の人物について個人情報云々てワケわかんないです。
その先祖が賤民だったりしたら、差別だ!ってなるの?家系図調査なわけだから今生きてるその子孫の人権に関わるってことですか?
117日本@名無史さん:2012/05/27(日) 02:03:06.60
それが理由だとしたら本当ナンセンスだわ
てかそっち系の史料こそ掘り起こしすべきなのにな
恣意的な歴史観はクソ
118日本@名無史さん:2012/05/27(日) 07:14:24.49
人それぞれのとらえ方があるので答えを1つにする必要はないと思います。
おそらく宗門改帳は調べた当人の先祖以外の情報もあるから気を使って
いるのでしょうね。
壬申戸籍が公開されていた時も悪用したケースもありますし。
最近ではお寺でも「焼失した」と言い訳をして資料の公開を渋るケースも
多いようです。
個人的には見れるものなら壬申戸籍を見てみたいですね。
119日本@名無史さん:2012/05/27(日) 07:17:21.79
>>114
良いじゃん、頑張って!
そう言う事が本当の先祖を敬う事だよ。
ただ単に形式的な墓参りすれば良いってもんじゃない。
120日本@名無史さん:2012/05/27(日) 07:25:01.27
>>115>>119
ありがとうございます。何かアドバイスや気を付ける点などありますか?
121日本@名無史さん:2012/05/27(日) 07:42:55.99
>>120
どこまで調べているのか、よく分からんが
近隣に居るかもしれない同じ姓の人の住所は電話帳などでも調べられるはず。
以前はNTTのエンジェルラインってソフト使って検索できたんだが、今はどうなのかな?
同じ姓とかでも全くの他人である可能性は十分あるし、その辺は上手に接触するしかないね。
122日本@名無史さん:2012/05/27(日) 07:59:18.07
今は除籍謄本を高祖父まで取得しているくらいのレベル(高祖父の両親まで名前だけは判明)
地図でその出身地を調べると、小さい集落で1つだけ寺があるのが判明したので、そこでまずは聞き込みをする予定です。
私の姓は珍しいけど、その集落にだけは異常に密集しているみたいで、電話帳にもたくさん記載されていました。
ただ除籍謄本に載っていた番地はもう存在しないので、うちの親戚が今も居るかは全くの不明と言う状態です。
123日本@名無史さん:2012/05/27(日) 08:08:48.86
>>122
そこまで分かってるのなら、除籍謄本片手に同じ姓の家を尋ね廻るのが一番手っ取り早いかも。
確かに勇気がいるけど、思いがけない情報や出逢いがある事も十分考えられる。
124日本@名無史さん:2012/05/27(日) 09:01:35.59
>>123
そう簡単にいかねえだろ。
こんなご時世、同じ一族です、親戚ですなんていっても怪しまれるだけ
そもそも相手方だってそれなりの迎え入れる準備ってのがあるだろ?
資料が押入れの奥にあったり、土蔵のどっかにあったりと
本当に礼節を持って尋ねるなら事前に電話で連絡をしてアポを取るべき
アポなし突撃とかいかにも怪しい
125日本@名無史さん:2012/05/27(日) 09:02:16.29
あ、電話より手紙のほうがいいかもしれん。
電話とか如何にも詐欺だからな
126日本@名無史さん:2012/05/27(日) 09:03:24.34
とりあえずは除籍謄本片手にお寺に行って、この人の墓を管理している方は今でも近所にいますか的な聞き方をして聞き込みの対象を絞ろうと考えています。
お寺ならではの情報もありそうですし。
127日本@名無史さん:2012/05/27(日) 09:18:26.82
行き成りだと、よっぽど相手に不信感を持たれないようにしなしと
あと、寺とかは門前払いのとこもあると思うぞ
比較的気を使わずにできるのが墓地調査
128日本@名無史さん:2012/05/27(日) 09:50:16.46
>>124
そう言っちゃえばそれまで。
俺は飛び込みでも全然良いと思うけどな。
要は相手次第だよ。
それなりに熱意を持って事情を話せば、協力的な人もいるだろうし、端から門前払いする人もいるだろう。
多少なりともご先祖さんを良く知ってる人ならば快く迎えてくれるのではないだろうか?
俺が尋ねられたらそうするけど。
129日本@名無史さん:2012/05/27(日) 12:50:38.47
俺の場合相当の田舎だから皆優しくて色々教えてくれた
タンスの奥に閉まっていた鎧兜とか見せてくれた本家の方がいたし
むしろ老人になると語っておきたいって感じる方も多いはずだけどね
ただ由緒がそれなりにある家じゃないと難しいのかな
13083:2012/05/27(日) 13:12:24.94
>>111
>>116
>>117
私も十数年前に、千住宿の人別帳の調査で全く同じ体験をしました。施設名を言いますと
足立区立郷土博物館です。二階に史料が保存されていて閲覧許可を得ましたした。
時間の制限はありませんでしたが、まったく目で見せてもらうだけで辟易しました。

対称的に、千葉県八千代市は、市民の郷土史研究が「異常に」熱心なところの所為か
人別帳の翻刻が郷土史研究資料編に載っています。一部の地域はなんと、壬申戸籍
作成の元資料となったほぼ同内容の明治三年頃の詳しい調査資料さえ載っています。


>>122
私からのアドバイスとしては、いきなりお寺には行かない方が良いです。
127さんの言われるように、「お墓を探しなさい」です。
古いお墓の集まった塋域は、寺院の場所とは限らないからです。むしろ別の
場所のほうが多いぐらいでしょう。探すのは、地区内に複数ある、卵塔場(らんとうば)です。
インターネット上の地図で、薄緑色に塗られた地域で墓地の地図記号(逆さTの字)を
調べてから行くと良いです。
探している本家の近くには、地図に載っていない小さな卵塔場が幾つもあるので、地元の
ひとに聞いて丹念に探すのですが、これはあまり気を遣わずに、訝られずに出来ます。
131日本@名無史さん:2012/05/27(日) 13:24:06.94
>>130
そもそも長年付き合いがなかった奴に個人情報教える寺なんか逆に
信用できんわな。
寺に行くなら、その寺と現在進行形で付き合いのある本家?などに
協力を仰ぐのが筋。
寺だって檀家の要請ならそう簡単に断れんだろ。
132日本@名無史さん:2012/05/27(日) 13:43:16.58
>>131
寺も商売だからな。
うちの場合は本家には接触せずに住職に見返り渡して調べさせたけど(笑)
133日本@名無史さん:2012/05/28(月) 21:01:06.74
>>114です。行ってきました。
土地勘が無いので予定通り寺に行きました。
除籍を見せると檀家の古老に連絡を取ってくれ、直系先祖の弟の子孫にあたる方が見つかり、すぐにお寺に集まっていただけました。
今まで知らなかった話も聞けましたが、除籍に記載された古い戸主などは当地の年配者でも全く知らないらしく、墓碑にも名前が無いために名前や身分を具体的に遡るのは挫折せざるを得なくなりました。
お寺には過去帳は存在はするものの、いかなる理由でも閲覧は出来ないそうで、それだけが心残りです。
134日本@名無史さん:2012/05/28(月) 21:45:37.87
>>133
そうなの?
過去帳って閲覧出来ないもんなんだ。
135日本@名無史さん:2012/05/28(月) 22:00:32.56
寺独自の判断によるんじゃないかな。
13683:2012/05/28(月) 23:01:44.53
>>133
何はともあれ、良かったですね。
しかし、実は私は、過去帳の事などでそうなるのではないかと危惧していました。

他の皆さんも参考にされると思いますので書きますが、懇意の住職から聞いた
話では、お上から、「過去帳を見せてはいけない」というお達しがしつこいほど
出ているのだそうです。しかし、私はそのお寺も含めて今までにいくつものお寺で、
過去帳を見せて貰えたのですが。

一般的に言って、最近は、お寺の方に必要な内容だけを書き写して貰うというのが
普通です。過去帳は、お寺の財産ですが、その書き方はまちまちで、古い物だと
崩し字も読めなければならないこともあります。さらに、名字や屋号だけ言われて
その人の先祖を、みんな書き出せるような、整理された過去帳を持っているお寺
など滅多にというか、ほとんど無いでしょう。世田谷区内の某日蓮宗寺院と
新潟県内の浄土宗寺院では、そのように整理された過去帳を見せて貰えて、コピー
間でして貰えましたが、普通のお寺ではそんなことは、絶対に無理です。

お寺に過去帳の話を持って行くのは、最後の最後が、コツです。
偉そうにスミマセン。




137日本@名無史さん:2012/05/28(月) 23:55:22.24
>>133
ああ でも 過去帳が残ってるんだ
本家筋の除籍簿とかを見せてもらえば、繋がりが分かるかも
138日本@名無史さん:2012/05/29(火) 00:22:56.40
やっぱり幕末が限界か…
139日本@名無史さん:2012/05/29(火) 00:59:21.74
事なかれ主義もいい加減にしてほしいわ。
長い目で見れば絶対マイナス。
140日本@名無史さん:2012/05/29(火) 13:59:20.46
>>124
うちなんて「爺さんのはとこの孫です」といっただけで
「帰れよ」みたいな空気だもんなあ・・・
141日本@名無史さん:2012/05/29(火) 14:05:00.10
>>138
今年は2012年だから明治がおわってちょうど100年
だから生き証人が消えて明治時代も限界になりつつある。
僕の曽祖母(1900年うまれ)は1991年になくなったが
「明治天皇はスゴかった。明治天皇はすごかった」が
いつものくちぐせだった。今、明治天皇をリアルタイムで
覚えてる人は平成24年時点でどのくらいいるのだろうか?
142日本@名無史さん:2012/05/29(火) 14:33:29.04
図録百歳以上高齢者数(推移と都道府県別)
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/1163.html
14383:2012/05/29(火) 14:45:58.22
谷原章介さんのテレビでもそうだったけど、いきなり、お寺に聞きに行っちゃうとそこで終わったちゃうんですよ。
本当に先祖調べしようと思っている人は、刑事ドラマじゃないけれど、足を使い時間を掛けて調べるべき。
お墓見つけても、俗名が出てない。わからないで終わりの人は先祖調べには向いていない。お寺に行く前に、親戚の
墓を含めて、いくつもの墓を探して内容を全て書き写す。谷原さんのテレビでも、本当に探すべきお墓は、お寺
とは別の小高い丘の上にあったことに留意して下さい。
次に行くのは市立図書館、県立図書館、県立文書館で地域の歴史を学ぶこと。
どういう名字の人たちは、その出自にどのようないわれがあるのかを学ぶ。次に行くのは、お寺ではなくて、神社。
ここがコツ。神社の玉垣(石柵)や灯籠などの寄進者名を調べる。先祖探しで、思いの外、役に立つのが氏神様なんで
すよ。お墓には戒名しか書いて無くても神社には、名字も通名も、あるいは知らなかった別の屋号や、商号なんか
でも寄進してある。
 これらの情報を丹念に調べて、自分の探している本家のご先祖様たちの、俗名、戒名、没年などを整理して、ようやく
お寺に聞きに行く準備が整う。そこで、自分の探しているこれらの仏様たちのことを、お寺の過去帳で調べて欲しいと、
心付けもわたして書面を添えてお願いする。こうして初めてお寺は対応してくれます。

14483:2012/05/29(火) 14:58:04.31
訂正
おわったちゃうんですよ  ×
おわっちゃうんですよ   ○
 
145日本@名無史さん:2012/05/29(火) 19:24:06.73
古箪笥の中から出てきました。幕末に写した古名寄帳(宝暦期)です
当時の先祖が朱書きで誰の先祖なのか註を付けています。

上手くup出来ればいいのですが・・・
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3034672.jpg.html
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3034678.jpg.html
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3034681.jpg.html

村役人5名のうち3件は退転しており、なかなか百姓の相続も大変だったみたいです。
146日本@名無史さん:2012/05/29(火) 21:43:16.68
147日本@名無史さん:2012/05/29(火) 22:10:01.24
なんか貴重そうだぞ
14883:2012/05/29(火) 23:09:37.13
これは、素晴らしい史料ですね。
宝暦七年(1757)と元治元年(1864)の村(現在の地区)の家数の推移がわかります。
是非、元禄郷帳と天保郷帳のデータと比較して見ると良いと思います。
もし正保郷帳のデータの残っている地域ならそれも合わせて変遷を調べれば
この変異が、天明の飢饉によるものかなどが推定できて立派な研究になります。


家数五拾三軒也
  内廿八軒退転ニ成候
 引キ〆廿五軒相候
  外ニ 元十   重次郎    市太郎
  ○兵衛 (喜)兵衛   与次郎
       以上 六軒新屋分家
合 三十一軒 當時繁昌
         元治元甲子年改
149日本@名無史さん:2012/05/29(火) 23:43:51.52
神社や寺の寄進者名を記した石碑や墓石が手がかりになるとはよく聞くが、そもそも神社を改装すれば古い名前の記された碑は無くなってしまうし、墓石も文字が古くて読みにくかったり記載者が多くなりすぎたりしたなどの理由で「累代」などと略されてしまう。
結局個人名を特定するには過去帳しか無いだろうが、自宅に無い場合は寺に頼るしか無い。ただ寺は出してくれない。
何故子孫にも見せれないのだろうか?「見せなくても良いから名前と年月日を聞かせてくれ」と言う聞き方でも不可能だろうか?
15083:2012/05/30(水) 00:19:07.95
>>145
あなたのご先祖さまが、○兵衛さんだとしたら、分家した時期が推定出来ますね。
私も同じように、村の家数の変化から、先祖の分家年を絞り込めた経験があります。
天保郷帳のデータなどはもうご存じでしたか?

>>149
私の書き込みで、不愉快な思いをされたなら申し訳なかったです。
もしそうなら、私の書き込みの最後をよく読んで下さい。
相手のお寺も忙しいのです。お寺で、調べて文書で回答してくれるのは
やってくれますよ。ただ、どの仏様を調べればよいのか
お寺だって容易にわからないと言っているのです。現在の住職や
奥さんか、屋号からそれらしき、仏様を通り一遍にピックアップして
だしてくれる情報では漏れが多すぎて、145さんのデータのように
先祖の屋号が変遷している場合などは、役に立たないからです。

それと、神社の寄進者名などは建て替えるときに、氏子総代の
家などに写しが大抵残しておかれるものです。
それに、探すべきお墓は、江戸時代のものですから、基本的に
個人(夫婦)墓です。累代とあるのは、幕末以降の合葬墓です。
また、お寺の過去帳に、個人名が書いていないで戒名だけの場合も
多いです。個人名と戒名、没年月日の同定史料は、最後には本家の位牌です。
151日本@名無史さん:2012/05/30(水) 00:34:02.91
位牌って多くなりすぎて個人宅で保管しきれなくなると寺に引き取ってもらうんじゃないですか?
地域によって違うのかな…
152日本@名無史さん:2012/05/30(水) 00:42:29.33
>>151うちはそうですね。寺に巨大な位牌がある。
15383:2012/05/30(水) 00:51:28.47
もちろんそういうことも多いです。檀家の家系図などもお寺に引き取られていることも
ままあります。だからこそ、お寺には良い印象でお付き合い願えるようにしたほうが得です。
自分が先祖探しにどれだけの熱意を持って調べているのか、ここまで調べたのだけれども
と言って、調べて欲しい手掛かりと整理した史料を合わせて見せれば、大抵のお寺が
こっちが吃驚するほど親切に、実際過去帳をみせてくれちゃうものなんですよ。

154日本@名無史さん:2012/05/30(水) 01:33:06.14
先祖探しを始めたばかりです
上に似たような質問があったので関連した質問をさせて下さい
除籍謄本で調べてみると明治初期に高祖父が他家から養子に入っています
しかし寺にも家にも高祖父以前の位牌はありません
また高祖父以前の墓は祖父が数十基をひとつにして移転したようです
ですので戒名もわかりません。高祖父の前戸主名が載っていたのが唯一の手がかりです
この段階で過去帳を見せてもらおうと思っても門前払いですよね?
墓の移転元の住所は寺ではないので、現在の寺の江戸時代からの檀家だと確定もできませんよね?
もし廃仏毀釈関連で元の檀家だった寺が無くなっていた場合、位牌や過去帳はすべて破却した可能性もありますか?
155日本@名無史さん:2012/05/30(水) 02:04:05.29
このスレは正に古文書と言える代物を持ってる方々が多いですねぇ。
うちはせいぜい爺さんが戦前から書き残してたノートがある程度だわ。
その内の一ページを。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3036489.bmp
156日本@名無史さん:2012/05/30(水) 14:57:55.49
俗名でも戒名でもないような名前がお位牌に残ってた人いますか?
江戸時代の女性で「○△子」という方が数人いらして不思議におもっています
(専門書をみると当時庶民で子がつく名前はほぼなかったらしい)
○△の部分は戒名に使われるような漢字です(慈、理など)
当時2文字の戒名はあったようなので○△は戒名?
でもなぜ「子」がついているのでしょう。。
お寺に尋ねていいのか悪いのか。。
157日本@名無史さん:2012/05/30(水) 15:06:19.96
>>155
貴重じゃないですか!
upありがとう!
158日本@名無史さん:2012/05/30(水) 16:09:58.42
>>156
〜童子って戒名じゃないの?
159日本@名無史さん:2012/05/30(水) 16:22:34.08
>>158
〜童子じゃないんです
慈円子とかそういう感じです
160日本@名無史さん:2012/05/30(水) 17:00:33.64
>>159
水子の戒名じゃないでしょうか
間違ってたらすいません
161145:2012/05/30(水) 23:42:17.35
今度、村祭の寄り合い辺りで、現在のどの家に当るのか聞いてみたいと思います

>>146様、有難うございます。御手数をお掛けしました。
>>83様、多謝です!郷帳を使う手がありましたか!
手許の史料に拠れば、うちの村では
安永3年には54軒(上記「名寄帳写」)
寛政12年には43軒(明治42年「村誌」)
天保9年には32軒(天保9年「御巡見様(以下破損)」家蔵)
なお、明治2年に描かれた画像記によれば天明8年に○兵衛家が分家します。
また、村誌に拠れば文化15年、村役人並に、うちの先祖が手余りの田地に付いて役所から
呼び出しを受けています。恐らく天明飢饉からの復興のためと思われますが、この時点でも手余り地が有ったと言う事は
いまだ復旧半ばと言う事でしょうか。
また、寛政12年には190人であった人口が天保6年で138人、同9年で125人と天保の飢饉でもかなりのダメージを受けたようです。
16283:2012/05/31(木) 00:22:32.28
村の旧家31軒+宗門寺の子孫の家にぜひ、解読して史料を配布していただくことをお願いします。
将来、万万が一、史料が消失したときのためにもなるかと思います。

なお、元禄10 年(1697)の郷帳 (家数が記載されている)
天保2 年(1831)の郷帳 (家数が記載されている)
この二つは、市立図書館等の郷土資料コーナーの○□県の歴史とか、○□県の地名といった本の末尾などに、
各村(部落)ごとのデータが引用されて出ています。

正保元年(1644)の郷帳
日本のほぼ半分が残存しています。
 正保郷帳が残存する国は具体的には陸奥・出羽・下野・武蔵・安房・駿河・遠江・信濃・越中・
能登・加賀・越前・若狭・美濃・尾張・伊勢・近江・摂津・河内・和泉・山城・丹波・播磨・備前・
備中・美作・周防・長門・伊予・筑前・豊後・肥後・対馬
163日本@名無史さん:2012/05/31(木) 00:34:40.49
>>160
その可能性は思いつきませんでした。調べてみようと思います。
ですが、「〜の妻」と注釈のある方もいるので、水子ばかりではないようです。
164日本@名無史さん:2012/06/01(金) 09:32:08.51
昔は子供が育ってから結婚すると言う風習でもあったのだろうか?
うちの曾祖父母は三人子供が出来てから入籍している。出生地が遠いから何か訳ありなのかと思ったが、町内で結婚している兄弟も子供が生まれてからの入籍になっている。
165日本@名無史さん:2012/06/01(金) 10:04:58.70
白川郷は妻問い婚と大家族制で有名みたいだけど、
家の労働力を確保するために家長が娘を家にとどめたがって
子供が先、結婚があと、って話が結構あったみたいだよ
昭和初期までそんな感じだったらしい
ちなみにうちは白川郷は関係ないが昔はできちゃった婚ばっかり
バーチャンもそう、でもそんな話ってききづらいよね
この辺の事情を淡々と詳しく書いてある本ってないのかな
166日本@名無史さん:2012/06/01(金) 12:21:15.25
さんざん、過去スレで蒸し返されてきたけど、現代の出来ちゃった婚というのとは違うのよ。
ちゃんと祝言をあげて、親戚一同ご近所様みんなに挨拶すれば、正式な結婚で
役場への届出は後回しで良いという感覚なだけ。今のNHKの受信契約に近いんじゃないか。

それに、子供が出来なければお互い経歴に傷をつけずに婚姻がなかったことに
できるというみんなに優しい便法だよ。
農繁期や漁繁期、北国で雪に閉ざされる季節など役場は、行かなくても問題ないの。

167日本@名無史さん:2012/06/01(金) 16:42:20.87
そうなんだ>できちゃった婚
戸籍の年月日見て、先祖カップルもそんなのがちょくちょくあって、少しふしだら思ってしまってました。
ただやっぱりモニョルのもあって、高祖母なんてそれぞれ違う相手の子供3人産んでる。それも全て父親欄が空白。
本家伯父の言い伝えで、その子供のなかの一人がうちの始祖になってて相手の男の名前も身分もわかってるけど、あとは誰の子だかわからない。
もしかしたらふしだらな職業でもやってた女性なのかと思ってしまう。昔の田舎の村だから夜這いてこと?
168日本@名無史さん:2012/06/01(金) 17:19:21.99
たぶん、モラル感の変革期で、
従来の風習では適切だった、離婚再婚離婚コンボの痕跡じゃないかと。

村内ではみんな分かってたけど、お役所の人は外部のお偉いさんだから、離婚歴を隠したとかじゃないかな?

明治初期までは離婚もちょくちょくあったけど、政府が離婚を悪いことと認定したかなんかで、急速に離婚率が下がっていくんだよね。
169日本@名無史さん:2012/06/01(金) 18:48:29.95
>>167
うちの旦那の家にそういうのがあった
東北の農家?っぽいんだけど、家族構成や入籍日がイマイチしっくりこない。
妻が三回変わってたりはまぁいいとして、
妻が亡くなったから妻の連れ子と再婚したり、農家も“家”へのこだわりは強いよね。
でもなんか聞いちゃいけないというか、見ちゃいけないものを見ちゃった気がしたw
東北の田舎って色々奇習があるみたいだし。
170日本@名無史さん:2012/06/01(金) 20:17:27.89
母方;水戸家
父方;新潟あたりの藩医

中途半端な由緒のせで揉めてる
ルーツがはっきりしてるのも良いことばかりじゃないよ
171日本@名無史さん:2012/06/01(金) 21:14:23.00
そのちょい昔のモラル感てのがイマイチピンとこないのよね
離婚も再婚も自由、夜這いもあり、若衆が娘が・・、祭りがどうこう、
いろいろきくけど、異世界みたいというか。
172日本@名無史さん:2012/06/01(金) 23:02:32.37
明治初期には、政府が「日本の旧習は不道徳でイカン、徹底的に道徳観を強化しなくちゃ」って大規模に徹底的に改革したからなあ。
おかげで、江戸時代までの伝統的な神道は消滅して、従来の風習とはまったく違う新型の神道に生まれ変わっちゃった。
173日本@名無史さん:2012/06/01(金) 23:38:09.98
不道徳といっても欧米の価値観からみるとってことなんでしょ?
伝統的日本の生活に根ざした価値観からみると自然なことのはずだよね
なのによくわかんねってことは日本人が根底から変わっちゃったからなの?
なんかさびしー。。
174日本@名無史さん:2012/06/02(土) 00:33:01.94
本家の直系筋でも高祖父母の代になると誰も知らなくなるな。
祖父やその兄弟、従兄弟からすると高祖父母なんて近い存在のはずなのに、エピソードはおろか名前すら聞いたこと無いと言う。
俺は自分が生まれる前に亡くなった先祖のことも家族から多少は聞いているが、昔はそんな感覚無かったのかな。
死んで80年〜100年もすると名前すら世の中に語り継がれないって何か寂しいな。
175日本@名無史さん:2012/06/02(土) 00:50:25.33
死んで数年でもせいぜいエピソード1つ、2つ、主に死に方について、
なんてこともままあるよね
自分はそうなるだろうなーとおもうw
176日本@名無史さん:2012/06/02(土) 00:59:33.94
>>173
うん、そう。

たとえば、明治初期までは公衆浴場は混浴だったけど、
幕末頃から(この例では江戸幕府が先に禁令を出してる)混浴禁止令が出た。

神社でマジナイとか占いの業を禁止したのは明治初期。
このころには、一村一神社政策が施行されて、数多くの神社が取りつぶされたりもしたし...
177日本@名無史さん:2012/06/02(土) 01:03:25.15
>>170
 ご謙遜を。
 御宅は超名門でしょう。
 たぶんご高齢のおひーさまがいらっしゃるおうちでしょう?

 由緒があると色々な方に気遣いしなきゃいけないし、
コストもかさむし、大変ですよね。
17883:2012/06/02(土) 12:46:19.43
>>156
戒名は、宗派によっても時代によっても違うのですから
そういう質問こそ、遠慮せず、お寺に堂々と聞くべきです。

私の友人の先祖の一人で、1860年に十九歳ぐらいで亡くなった
瑞枝(みずえ)という名前の娘さんが、瑞枝子と書かれていた史料が
あります。戒名ではありませんが。

179日本@名無史さん:2012/06/02(土) 15:36:38.20
>>178
>>156です
貴重なご意見ありがとうございました。
私の先祖で「子」がついているのは1790年代に亡くなった女性です。
大正時代に改宗した関係で、それまでの菩提寺がどこであったか、
だいたいの見当は付いているのですが、確証がなく、結局尋ねられないままでいます。
180日本@名無史さん:2012/06/02(土) 18:41:18.81
>>177
名門言っても昔のことだからねw
高齢ご隠居さまよりも、祖父母あたりで十数年裁判中(´・ω・`)
変に勘違いしちゃう親戚が一人は出てくるんですよね
181日本@名無史さん:2012/06/02(土) 21:47:53.13
水戸家と医者って何かあったの?
182日本@名無史さん:2012/06/02(土) 21:53:11.80
水戸家って水戸藩徳川家か?
183日本@名無史さん:2012/06/03(日) 06:24:53.97
水戸の医者と云えば肛門科だろな
184日本@名無史さん:2012/06/03(日) 10:47:20.67
>>181
偶々、結婚したらお互いの家の先祖がそうだったみたいです

>>182
そうですよ
日本刀とか山に埋まっててマジでビビったw

>>183
くっそwwwこんなんでww
185日本@名無史さん:2012/06/03(日) 12:14:57.03
徳川の子孫までいるのかこのスレはw
186日本@名無史さん:2012/06/03(日) 12:22:11.95
>>185
でも本元じゃないんでw
慶喜の乳母が直系の先祖
187日本@名無史さん:2012/06/03(日) 18:59:35.47
徳川家の子孫で母方の子孫で苗字が変わってしまっている人も含めると
どれぐらいいるかな?数千人ぐらいはいるかな
188日本@名無史さん:2012/06/03(日) 19:58:52.32
子供の数:x 世代:y とすると、子孫の数は x^y で表される。
ここで、x=3、y=15とすると、3^15=14348907人になる。
189日本@名無史さん:2012/06/03(日) 20:21:19.29
日本人の10人に1人?
190177:2012/06/03(日) 23:07:31.59
同じ徳川の子孫どうしで結婚するし、3人も子を産む姫ばかりじゃないし、そこまでは増えないだろ。
とはいえ、数千いても不思議ないだろうね。

そういう俺も水戸家の血は混じってるから、170さんは遠縁だね。
うちは、資産ではなく質素倹約の精神のみ受け継いでますw
191日本@名無史さん:2012/06/03(日) 23:18:52.57
徳川家康の子は10人以上、秀忠の子が9人?、家光の子が6人?いるから、
3人という想定はまぁまぁいいところじゃないかな。

子孫同士が結婚するというところはその通り。
192日本@名無史さん:2012/06/04(月) 00:01:30.01
うちの地方でも昔からの名士の交流は続いているもんね
姻戚関係はやっぱり庶民から見ると壁は感じるよ
193日本@名無史さん:2012/06/04(月) 09:27:04.93
>>188さん
すごいそんなにいるんだw

>>190さん
お!親戚発見w
資産も火種の元で今となっては不良債権だからね
質素倹約が一番だと思うw

>>192
スレちかもしれないけど、両家とも学会・政界に根が深い
狭い業界で生きていきやすい家系ではあるな、と思う

私の家も普通に父はサラリーマンやってるよw
小市民だけど中学の時からお見合いの話が上がってきて、なんだかなぁって感じ


194日本@名無史さん:2012/06/04(月) 13:41:38.27
>>193
てめえの家の自慢はもう腹いっぱいだな。
名家は名家同士仲良くしてろよ屑
195日本@名無史さん:2012/06/04(月) 17:17:23.46
江戸の墓石に書いてある「三亥異」って意味分かる人いる?
196日本@名無史さん:2012/06/04(月) 17:56:42.19
>>195
「○○三(年)癸亥」のことじゃない?
○○には天和、寛保、享和、文久が入ると思われる。
197日本@名無史さん:2012/06/04(月) 21:19:11.36
>>196
元禄の墓なんだけどただの年月を表す言葉なのかな
198日本@名無史さん:2012/06/04(月) 22:00:11.65
「三亥異」の判読は確かなのですか?
元禄の墓とわかった理由は?
それを元禄と書いてあったからだとすると、三亥異の入る位置は?

写真アップしてくれないと何とも言えない気がする。


199日本@名無史さん:2012/06/04(月) 23:11:29.17
亥の年、亥の月、亥の日、亥の刻
三と亥の字からすると 年月日のどれかじゃね
と当てずっぽうに言ってみる
200日本@名無史さん:2012/06/04(月) 23:21:34.34
>>195
縦書きだよね?
三じゃなく「乙」か「己」の誤読という可能性は無い?

元禄8年は「乙亥」の歳だし。(元禄では、他に亥の歳はない)

201日本@名無史さん:2012/06/05(火) 00:08:41.02

   /)  /)
  /  ⌒  ヽ   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  | ●_ ●  | < 元禄八乙亥秊
 (〇 〜  〇 |  \ の誤読
 /       |    じゃピヵ
 |     |_/ |  
202日本@名無史さん:2012/06/05(火) 10:11:15.17
せめて、源氏とか平氏とか藤原氏とか
自分の本姓がわかっていれば
たとえ幕末までしか先祖をしらなくても
元の先祖を知ることができる

藤原氏ならコヤネとか
20383:2012/06/05(火) 23:40:04.28
>>202
天児屋根命(あまのこやねのみこと)は、五伴緒神(いつとものおのかみ)でしょ。
天神系氏族ですね。新撰姓氏録にはいろいろな氏族が出てるけど、これをいっちゃうと、
日(ひ)称号と解称号で、おおもとは朝鮮半島渡来系の印象があるから、スレが荒れる予感がする。

自分の先祖を16家系も調べれば、新撰姓氏録の諸蕃氏系の苗字がたいてい見つかるだろうから、
いっそのこと下の図のように考えると、三国志が好きな人にはロマンかもね。

http://image1.shopserve.jp/mahorobapq.com/pic-labo/90456.jpg
204日本@名無史さん:2012/06/06(水) 00:55:15.54
除籍、墓、寺と調べた後、図書館や郷土資料館で古文書調査を実施した猛者はいるかい?
205日本@名無史さん:2012/06/06(水) 01:20:02.04
素朴な疑問なんだけど、ここにいる人たちは家を追っているの?血を追っているの?
206日本@名無史さん:2012/06/06(水) 03:33:37.82
家を追わずに血なんて追えるの?
207日本@名無史さん:2012/06/06(水) 04:09:05.27
は?
208日本@名無史さん:2012/06/06(水) 07:37:42.17
ひ?
209日本@名無史さん:2012/06/06(水) 11:05:37.14
家に決まってんだろ
210日本@名無史さん:2012/06/06(水) 11:37:43.76
>>205
素朴な疑問なんだけど、なんで家を追っている人と血を追っている人が混在している可能性を考えないの?
21183:2012/06/06(水) 12:17:05.90
>>204
そんなの常識
212日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:19:28.44
親父が次男だから俺で二代目。先祖なんていないよ。
213日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:34:28.10
了解人間
214日本@名無史さん:2012/06/06(水) 12:37:45.05
お前らも本家の先祖辿っても意味ないぞ。
215日本@名無史さん:2012/06/06(水) 16:43:05.54
本家の跡継ぎが亡くなったりした場合に、分家から養子に戻ったりするパターンが
多いよ。
216日本@名無史さん:2012/06/06(水) 19:30:08.73
赤の他人から養子もらってくるケースってあったのかな?
217日本@名無史さん:2012/06/06(水) 19:35:25.80
養子ってほとんど婿養子だから赤の他人じゃね
218日本@名無史さん:2012/06/06(水) 20:01:45.34
娘もできないケースもあるでしょ
その場合は、どこかからか養子とるのでは?
219日本@名無史さん:2012/06/06(水) 20:11:01.11
全くの赤の他人というケースはごく稀でしょう。
現在よりもそういうことを気にしていた時代だから
一見、赤の他人と思える別苗字の家でも、よく調べてみると
先々代あたりの次・三男が養子に入った家からのことが多い。
つまり、何らかの形で血が繋がっているものだよ。
220日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:41:23.83
夫婦養子ってのも普通にあったしな
北野たけしのとこは、確か、親が夫婦養子だったような気がする
221日本@名無史さん:2012/06/06(水) 22:55:21.78
とある戸籍なんだけど、夫の死後戸主だったばあさんがやがて息子に家督を譲って隠居していた。
その後、そのばあさんは家を新たに興して養子(夫ではない)をもらっている。
その養子も、成年男子だったり幼女だったり…1年で協議離縁してまた次の養子をという感じで計3人養子を取り直してた。
なにか家を継がせようという執念みたいなものがあったのか?最初に家督を譲った息子が気にくわなかったとか?
222日本@名無史さん:2012/06/07(木) 00:12:04.51
>>211
詳しく教えてくだされ
22383:2012/06/07(木) 00:44:13.20
はぁ?
143に書いたけど。
郷土史の資料編の翻刻とか、マイクロフィルムの崩し字の地方文書とかですよ。
県立文書館、あと国立公文書館、東大史料編纂所も当然調べに行ったことあるよ。
224日本@名無史さん:2012/06/07(木) 01:08:12.51
>>222
名前欄に『83』と書いてあるレスを辿ってみれば分かりますよ
225日本@名無史さん:2012/06/07(木) 02:28:22.51
すんません早とちり失礼しました。
しかし図書館で郷土史資料はともかく古文書などを見たことが無いのですが、司書に言うと案内してもらえるのでしょうか?
江戸時代末期の先祖までは判明しましたが、何者かは不明なので史料に当たりたいのですが全くの素人なのでお教え頂ければ幸いです…。
226日本@名無史さん:2012/06/07(木) 07:36:06.16
司書に言うと資料館に案内してもらえると思います
227日本@名無史さん:2012/06/07(木) 11:33:06.12
村によっては人別帳が郷土資料に載ってたりするよね
22883:2012/06/07(木) 13:33:45.70
>>225
 私流の調査の基本は、下記の要領です。
戸籍を集めて、自分の先祖の8家、16家の先祖の名字がわかったら、まず
有名な名字のサイト、日本の苗字7000傑で調べてみて下さい。
ttp://www.myj7000.jp-biz.net/search/fsearch.htm
これだけで、なかなか面白い発見に繋がります。
次に、自分の一番探したい先祖の家系については、大きめの市立図書館に行って、
太田亮さんの「姓氏家系大辞典」で、その名字を「旧かな」で調べてみて下さい。
その地域の、その名字の出自が出ています。
ただし、江戸時代は思いの外、全く違った地域から移ってきている家も多いので、
二百年、三百年前から、この地域にいたからといって、決してそれ以前にもそこに
いたと決めつけてはいけません。「姓氏家系大辞典」を調べるときは、同じ村の
中にある別の名字も必ず調べてみる必要があります。だから、探すべき本家の廻りの
お墓も調べて、何という名字の家々があるのかを知っておく必要があるのです。
 このようにすれば、例えば、自分の先祖の村は、平氏の流れで、千葉氏族に含まれる
名字が多い集落だったとか判明するわけです。
22983:2012/06/07(木) 13:42:51.48
一般的に言って、郷土資料館(博物館)等に、探したい地区の宗門人別帳が残っていて
公開されていることは稀です。現存している人別帳のほとんどは、まだ旧家に残っていて、
なかなか見せて貰えないと思います。
それでも県史・市史の編纂資料集に載っている翻刻にその地区の人別帳が、運良く含まれ
ている場合があります。また地区を代表するような旧家などは、大学の史学科の先生たち
が調査に入っているので、大学図書館でその史料の複写や翻刻を見ることが出来る場合
もあります。また最近は、旧家で史料の保存を県立文書館に委託している英邁な御当主も
増えて来ていますので、そういう場合は県立文書館で虫損防止処理された現物が公開され
ています。県立文書館はまだ出来ていない県もありますが、古文書収集家の寄贈史料なども
ありますので、他県の県立文書館、市立図書館、都道府県立図書館に探している地区の
史料がある場合もあります。大学図書館では、利用手続きを踏めば、東大図書館と
東大史料編纂所図書館が、人別帳以外の史料が豊富でありがたいです。私大では早稲田や
國學院、日大なども史料が豊富な印象があります。
ただし、先祖調査の初心者の方は、そんな図書館を利用しても有益な情報を得られること
はほとんど無理です。崩し字も全く読めないのでは、他の利用者・研究者に迷惑を掛ける
だけだと思います。その前に、テレビの放送大学で史料の取り扱い方、古文書の読み方
を勉強する必要があります。

230日本@名無史さん:2012/06/08(金) 20:28:34.23
江戸時代も、中世も、引っ越しは自由だったのでしょうか?
231日本@名無史さん:2012/06/08(金) 22:42:35.42
勉強になる
232日本@名無史さん:2012/06/08(金) 23:28:03.74
>>230
引越しと言うか移住かな
意味は同じかもしれないが、ニュアンス的には
生活が成り立つかどうか
つまり、食っていけるかどうかがすべてだから
中世だと、ある意味、自由だったんじゃないんだろうか
江戸期だと、いろいろ制約があっただろうけど
233日本@名無史さん:2012/06/11(月) 17:22:41.54
名字由来net
http://myoji-yurai.net/

【名字】磯飛
【読み】いそひ

【全国順位】 25,546位
【全国人数】およそ200人
【解説】
職業姓とおもわれる。
栃木県に磯部の長、礒連(漁労)があったことにより磯に関連する姓が多い。
栃木県大田原市、宇都宮市、埼玉県、東京都などに少数みられる。
関連姓は礒飛。
234日本@名無史さん:2012/06/11(月) 23:31:21.76
姉歯の時も思ったけど、めずらしい名字だと身内に限らず犯罪者が出たときは悲惨だね。同姓てだけで親戚思われてしまう。
自分のも全国で数十軒しかないんだけど。
235日本@名無史さん:2012/06/12(火) 01:13:14.80
そういう珍しい苗字ってルーツは一緒じゃないの?
まぁ一族でないにしろ同じ村とか
偶然、珍姓が被るなんてことあるの?
236日本@名無史さん:2012/06/12(火) 13:00:28.36
うちは100件ちょっとの比較的珍しい姓だが、ルーツが違う2つの流れがある。

平氏の領地から名前を与えられて落ちて流れたと推測されるルーツと、地名が生って当て字を当てたと思われるルーツ。たまたま音も漢字も同じだわ。
237訂正:2012/06/12(火) 13:50:50.27
×生って
○訛って
238日本@名無史さん:2012/06/12(火) 16:01:49.52
>>228
その事典見てみたけど、俺の名前は京都には一件も無いのに「京都に同名の村あり」と記述されてただけだった。
肩透かしを食らったような残念な気分…
239日本@名無史さん:2012/06/13(水) 00:10:45.77
自分の先祖探しは諦めて
最近は他家の士族の墓探しをしてるんだが
士族の戒名って色々あるんだね
同じ下級武士の郷士なのに
□□院○○△△居士から
○○△△居士まであった
(明治初期)
あとやっぱり幕末の藩士名簿にある名前は
明治以降もだいたい同じ名前なんだね
あと同じ名字の藩士だから同族だと思うのに家紋が違ってたり
分家したから家紋を変えたお墓もあった
武士の墓って、今では普通のお墓だったし
あと、武家なのに、だいたい明治や幕末以前に亡くなった人の名前が無かった
意外と武家でも五代前の先祖は分からないんじゃない?
240日本@名無史さん:2012/06/13(水) 00:59:58.41
普通の人は曾祖父、もしかしたら祖父ですら若い頃の仕事なんて知らないでしょ。それと同じで、よほど大きな屋敷でも構えてない限り武士でも3〜4代下れば知られなくなるよ。
甲冑や刀なんかも金属供出で取られて残ってなかったりするしね。
241日本@名無史さん:2012/06/13(水) 01:25:19.52
>>239
つうか郷士は藩士としては格式が低くても、家柄として悪いわけじゃないし
地域によっては下手な上級藩士より立派な家系の郷士もいたわけだから

>あと同じ名字の藩士だから同族だと思うのに家紋が違ってたり

苗字が同じだから同族とは限らない

>あと、武家なのに、だいたい明治や幕末以前に亡くなった人の名前が無かった
>意外と武家でも五代前の先祖は分からないんじゃない?

そういうのは、あまり身分の高くない武士っぽいな
農家でも富農級の家の場合、江戸中期くらいまで普通にさかのぼれるし
栄えていた代のある家の場合、その代の時に家系図を作ったり、先祖調査をしてたりする
242日本@名無史さん:2012/06/13(水) 01:28:21.33
男が二人だけ生まれた代で家は途絶えるといわれてたんだけど、
オレと弟の二人兄弟なんだけど
ふたりとも結婚する気まったくないというかカネないからできないんだけど、
これはもう滅亡すべきだよな?

243日本@名無史さん:2012/06/13(水) 03:30:11.76
先祖の戒名が、こんなかんじなんだ

6代前の先祖(明治8年没)
戒名□□□□居士
5代前の先祖(明治25年没)
戒名□□□□信士
4代前の先祖
戒名□□□□清信士
3代前の先祖
戒名□□院□□□□居士
2代前の先祖
戒名□□院□□□□清居士

6代前から5代前に、居士から信士へ格下げしていてて、不自然なんだ
ちなみに、6代前の先祖の妻の戒名も、新しくお墓を建て替えた方の墓碑には□□□□信女、
古い方のお墓の墓碑には□□□□居士とある。
これは、新しくお墓を建てた時に、5代前と4代前の先祖の戒名を
居士から信士に間違えて、建ててしまったのかな?
(新しい方の墓は、3代前の先祖が亡くなった時に、2代前の先祖が建てた。)
244日本@名無史さん:2012/06/13(水) 11:00:30.86
>>243
戒名の格下げ自体は、別にそれほど珍しいものではないよ
例えば、引っ越しをして菩提寺が変わった場合、戒名がランクダウンする事はある
院号居士や居士を貰っていた家系の場合
引っ越し先の菩提寺で既に院号居士や居士を貰っている家との兼ね合いが出てくるので
それら元からの家と比べて遜色がない場合は、院号居士や居士が貰えるだろうが
そうでない場合は、格下げになる(院号がなくなったり、居士が庵主に変わったり)
江戸時代だと、武士だった人が刀を置いて平民に戻った場合も、戒名のランクが落ちたりとしたようだけど

>ちなみに、6代前の先祖の妻の戒名も、新しくお墓を建て替えた方の墓碑には□□□□信女、
>古い方のお墓の墓碑には□□□□居士とある。
>これは、新しくお墓を建てた時に、5代前と4代前の先祖の戒名を
>居士から信士に間違えて、建ててしまったのかな?

6代前の方については、そうかも知れないね
夫が居士を貰っている場合、対応して大姉を与えるものだから、信女となってるのは不自然だね

ただ、5代前が信士、4代前が清信士、という事なので、戒名を間違えた可能性は低い

というわけで、考えられる可能性は、こんな感じかな

・5代前のご先祖様の代の時に、引っ越しをされ、菩提寺を変更した事に伴って戒名のランクが落ちた
・6代前のご先祖様の妻の戒名を間違えて墓に彫った

まああくまでも推測にすぎないので、詳しい方のレスを待ちたいところ
24583:2012/06/13(水) 19:06:34.47
>>236
そういう珍しい名字の場合は、
「私の高祖父母16家の中の名字なのだが」と謂うことにして、その名字を書いてしまった方が、
何かしら有益なコメントがあるかもしれません。

>>238
太田亮さん個人の研究だから、さらっと済ませている姓氏も多いです。まあ地名があると云うのを
スタート地点として、京都の地名事典なども当たってみて下さい。
>>236さん同様、馬鹿正直に、自分の苗字だと言わないで、その地名を書いた方が情報が得られる
と思います。
246おっぱいゴルフア〜:2012/06/13(水) 21:07:35.00
漏れの家の父方の家紋は抱き茗荷なんですけど、
土地台帳からすると農民のようですた。
農民にも家紋は有ったのでせうか?
因みに遺牌の中の墓誌には総て苗字が有りますた。
247日本@名無史さん:2012/06/13(水) 22:00:50.55
>>246
農民にも家紋や苗字がある。
248日本@名無史さん:2012/06/13(水) 23:36:28.23
農民と言っても、例えば、落人(貴族、武家)の家系や、下向して土着農民化した元公家などの家には苗字はあるし
また大抵の農家は、戦国期には苗字を名乗って武家風の名前をつけて武装していた農民だったり
大名からの兵役を課せられれば、武装して戦場に馳せ参じた半士半農で、武士農民の境界が非常に曖昧だった
室町時代の中期か終わり頃か忘れたけど、荘園の農民達は、守護大名と荘園からの二重課税に、苦しんでいたらしい
そこで苗字を名乗って守護大名の配下に加わる事によって荘園からの独立を訴えて、年貢を支払わない例があったそうで
この時代に苗字を名乗って(半)武士化する農民というのが激増したらしい
というわけで江戸時代も苗字を持っている家系の方が普通に多かったようだよ
249日本@名無史さん:2012/06/14(木) 01:53:34.16
うちの先祖は坊さんです。身内に付けるせいか先祖代々の戒名がどれも院殿号や大姉がごろごろw
250日本@名無史さん:2012/06/14(木) 09:28:48.33
それなら、庶民は苗字がなかった
っていうのがむしろ事実とあってなくて
実際は、身分にかかわらずほとんどの人が苗字をもってたと考えてよいの?
251おっぱいゴルフア〜:2012/06/14(木) 09:36:14.10
漏れの父の母方は昔から庄屋を務めていて、
何代にも渡り苗字や帯刀を許されていたと言う文書が残っていますが
父方の祖先が農民の場合はどんな文書(資料)を探せば良いのでせぅ?
除籍謄本や土地台帳、遺牌は全部調べますた。
252日本@名無史さん:2012/06/14(木) 09:43:09.35
てか苗字はなかったって話が
通説とされてきたのはなんでなの?
253日本@名無史さん:2012/06/14(木) 10:19:22.08
>>252
お上の方針がそうだったからじゃない?

あと名前も、庶民には立派な名前は(お上の建前的に)許されなかったって
このスレで読んだ気がする
254日本@名無史さん:2012/06/14(木) 10:47:29.56
土地台帳って、除籍謄本の方が古い場合は請求する価値って無いのかな?
相続の記録とかも載っているもんなの?
255日本@名無史さん:2012/06/14(木) 11:48:33.56
苗字で区別するって概念がなかったんだろ
山のそばの田んぼに住んでる山田の太郎さんで区別がついたんだから
それが地名でもあったし苗字でもあった。
戸籍法に基づき一般庶民全ての戸籍制度が整えられたのは1871年
256日本@名無史さん:2012/06/14(木) 11:52:32.02
>>252
室町時代後期から戦国時代頃に、
庶民の間では苗字を用いない風習が広まったらしい
それが長く続くうちに、江戸時代後半ぐらいになると、
元の苗字を覚えていない人の割合が高くなったため、
苗字がある方が例外的に見えるようになった、とか。
257日本@名無史さん:2012/06/14(木) 12:07:57.54
>>255
それは古代のことじゃない?

>>256
江戸時代に平民が苗字を公式に名乗ることを禁じられていた話かな?
258日本@名無史さん:2012/06/14(木) 12:45:18.76
区別としては苗字より屋号の方が使われてたんじゃないかな
259日本@名無史さん:2012/06/14(木) 12:50:43.86
>>258
地域に同じ姓の者が多くなって苗字を使うようになり、
同じ苗字の者が多くなって屋号を使うようになったと考えられる。
260日本@名無史さん:2012/06/14(木) 12:56:53.55
除籍謄本で遡れる一番古いところまで行くと、その父親が苗字を持つ前に死んだとか正式な苗字じゃなく俗称や屋号的なものしか名乗っていなかった場合もあるよね?
そんな場合は戸主の父親の名は何と表記されるんだろうか
261日本@名無史さん:2012/06/14(木) 13:00:45.59
あってるかどうかわからないけど
農民に苗字があったかどうかはイメージ的に

庄屋 あり
本百姓 半々
水呑百姓 なし
262日本@名無史さん:2012/06/14(木) 15:15:34.21
公式には庄屋でも名字名乗れない場合が多い
あと藩によって厳しいとこと緩いとこがあるし
まあ、公式に名乗れないだけで、自分の名字が何か知っている百姓、町人は多かったと思うが
263日本@名無史さん:2012/06/14(木) 15:50:48.99
別の一族なのに同地域に同じ苗字が多いのは何故?区別つかないのに意味ないじゃん
264日本@名無史さん:2012/06/14(木) 17:42:12.62
>>263
別の一族とした根拠は?
同地域に同苗字ならもともと同じ一族の可能性が高いのでは。
265日本@名無史さん:2012/06/14(木) 17:45:11.65
逆に同じ集落で元々一族なんだがみんなでバラバラに姓を変えたりすることってあるもん?
母の実家がそんなだと祖父から昔聞いたらしいんだが。
266日本@名無史さん:2012/06/14(木) 18:10:09.28
>>265
苗字の発生はそういう状況だろう。>>259
267265:2012/06/14(木) 18:27:28.45
>>266
そういうのではなく明治以降に本家筋になんかあって変えてるらしい。
268日本@名無史さん:2012/06/14(木) 19:14:02.85
>>267
そうだというならそうなんだろう。
何か否定する材料でもあるの?
269日本@名無史さん:2012/06/14(木) 21:16:56.47
>>265
あまりこういう事は言いたくないけど、苗字にこだわりのある一族だと、ちょっと考えられないだろうね
余所の土地に領地を得て移り住んだ武家とかは別として、苗字って名誉や権威が付随するものだから
270日本@名無史さん:2012/06/14(木) 21:30:24.14
村の家系図とかってないのかな?
同じ苗字が多い所だと
一つの大きな家系図ができそうだけど
271日本@名無史さん:2012/06/14(木) 22:47:06.47
「横山」という苗字の隣は、何て書いてあるの?

http://p2.ms/325q6

272日本@名無史さん:2012/06/15(金) 00:33:59.86
?次為文 と見えるが俺も専門じゃないので定かじゃない。何の文書なんだ?それが解ればまだ推測できるが。

しかしこのスレ、各々が自分の聞きたいことだけ書きこんで会話になってないなw
273271:2012/06/15(金) 01:49:01.67
>>272
藩士の名簿です。
274日本@名無史さん:2012/06/15(金) 07:21:41.92
ウチの近所の農民の家紋は、みんな抱き茗荷だな。
275日本@名無史さん:2012/06/15(金) 07:41:59.12
>>265
庶家だから苗字変わるっていうのはあるかも
276日本@名無史さん:2012/06/15(金) 18:25:46.77
>>270
村単位だと でかすぎる
部落(今風に言うと自治会)単位ならある
本家、分家・・で部落を形成してるとこはある
東日本はきつめの長子相続が多いけど(次男三男が長男の小作人状態)
西日本は分家等を増やしていく場合が多かった
277日本@名無史さん:2012/06/15(金) 19:15:06.64
>>216
うちの本家がそう
血的にはまったく違う血になってる

大庄屋でもあり副業で特産品の商売も手広くやってた高祖父は祖父という跡取りがすでに生まれていたけど
それぞれまったくの赤の他人の子どももたくさん(4人ぐらい)養子に迎えて、同じように平等に育てられたそう
しかし養子の方が優秀だったらしく養子が本家を継いだw
その話を父から聞いた時はドライだな〜と思ったけど
今思うと近江商人って情より能力主義なのかもと思う
家を守るためにそのくらいの先見の明がないとダメなのかもしれん

分家になった祖父もそれなりに丸々1町分の土地と山林をもらったけど商売はまったく継がなかったので
師範学校出て小学校の教頭先生になった
反動なのか子供たちの中で長男の父だけを溺愛
息苦しくなった父は家を飛び出し結局しっかりものの次男が後を継いだ

元庄屋の家によくある典型的なパターンを地でいってる

本家の方はその後も2代ともしっかり後継ぎを育ててるから
家を守る、という点では高祖父の目は間違っていなかったということだろう
278277:2012/06/15(金) 19:23:11.14
ちなみに養子4人とも、血縁関係のある分家からもらってきた子は一人もなく
雇っていた番頭クラスの従業員の子どもたちだったようだ
279日本@名無史さん:2012/06/15(金) 19:34:13.86
>>277
商家はそんなもんだよ
息子の内、一番優れた者に後を継がせて、息子が全員その器にないなら、娘に優秀な婿を迎え、娘婿に家を継がせる
家業の維持発展を第一に考えて、血統的な発想は全くない
280日本@名無史さん:2012/06/15(金) 19:52:25.06
>>279
商家は大なり小なりそうかもしれないな

ただ高祖父には娘も何人もいたのに娘の婿にするわけでもなく
とことん割り切ってんなーと思う
281日本@名無史さん:2012/06/15(金) 20:06:42.83
戦前の銀行は実子の継ぐ商家には金を貸すなと言う教えがあったらしいよ。
282日本@名無史さん:2012/06/15(金) 20:21:36.05
商家はある意味凄い割きり家業だよな。
血縁よりも商売を第一に優先するドライさはなかなか普通の人間じゃ出来ない。
283日本@名無史さん:2012/06/15(金) 20:33:03.83
うちの会長と社長にも聞かせてやりたいよ…w
284日本@名無史さん:2012/06/15(金) 20:34:33.50
>>282
良い意味では信念を貫き通す堅実さ。
悪い意味では金の為ならなんでもやる卑しさ。

そんなことから対照的な武士は商人を卑しい人間と嫌っていたのも頷ける。
285日本@名無史さん:2012/06/15(金) 20:43:26.31
商家だったら、有能な番頭を婿養子にすることは存続のための絶対条件だったらしいぞ

実子(男子)に跡を継がせたら、同業者からハブられて取引停止処分を食らったりするほどだった模様。
婿養子以外の養子については知らんけど。
286日本@名無史さん:2012/06/15(金) 23:07:03.89
>>284
大庄屋のほとんどは半豪農でもあり半商人でもあり半武士でもあり、境界は曖昧だよ
うちの先祖の場合も商売は副業だったし
完全に商いのみって家は近江商人には少ないんじゃないかな

高祖父も商売部分と各地の大量の田んぼは全部養子に譲ったけど
先祖が主君から戦いの功績としてもらったという一番大事にしてた土地は
本家の養子にではなく分家のじーちゃんの方に譲ったところをみると
そこは高祖父なりの血や情の部分だったのかもしれない
287日本@名無史さん:2012/06/16(土) 18:37:18.32
除籍謄本について初歩的な質問。
高祖父(明治2年より戸主)の除籍謄本を見ると、「前戸主 亡父○○△太郎」と書いてあるが、前戸主と言う概念があるってことは高祖父の親父の代にも戸籍が作られてたってこと?
分家の初代の除籍謄本も見たことあるけど、その人が初代の戸主なら前戸主の欄は空白のはず。

また、高祖父の親については江戸時代に結婚した日付なんかも記録されてるけど、あれは戸籍が出来てから記憶を遡って記録したのか、それとも江戸時代にすでにそう言うのを記録する何かがあったのか知りたいですわ。
288日本@名無史さん:2012/06/16(土) 19:07:29.32
>>271
但し濱名と読めるが、下の文字はわからない。
289日本@名無史さん:2012/06/16(土) 19:09:30.50
>>287
俺の知ってる範囲で言うと、現在の全国一律戸籍制度は明治に入ってからだが、
それまでも各々の地域によってある程度の身分別に戸籍のようなものは有った、と言うことだろ。
宗門人別帳や藩士の分限帳がその類。
29083:2012/06/16(土) 22:01:53.41
>>287
一昨日、大宝律令以前の7世紀末の戸籍のニュースがありました。
http://mainichi.jp/feature/news/20120613ddm001040024000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20120612-OYT1T01538.htm
戸主と書いてありますし、家族の成員の記述もありますから確かに戸籍です。

ただ、普通の言葉として、一家の長を「戸主」といいますし、女性と子供だけの家族なら「刀自」が女主人であり、戸主ですよね。
実際、>6にあるような家々の記述でも、戸主という言い方はしていますよ。

>>271
私も288さんと同様に、「但し浜名」は間違いないと思います。次の字は「支」のようにも見えますが、違うようでもあり、わかりません。
古文書は、読めない場合は、「書いた本人に聞け」という言葉があります。勿論、亡くなっている人に聞くというのは、同じ古文書の中に
もっと読みやすい同じ文字を探せという意味です。藩士録のように同じ文字が頻出する場合は、崩し方が大きくなり、特定の一文字を
切り出してきて、判読の同定を決定することは難しいです。崩し字というのは、文字によっては、別の字でも、全く同じ形になってしまう
ことがあり、前後の文脈によって判読を決定する場合が多いです。きっとその藩士録の同じ頁の中に同じ表現があるように思います。
浜名という直属の上司の支配下にあるとか、藩自体か、飛び地または、分領に土地名の浜名があるのではないでしょうか。
291日本@名無史さん:2012/06/16(土) 22:56:30.11
>>256
農民が武士化して名字を名乗る現象が起きる中、全く逆の現象が同時進行するっていうのも面白いよね

>◆戦国時代には、名主・百姓が大名や国人領主と主従関係を結び、
>苗字を与えられ、侍身分を獲得する者が現れた。
>これを地侍という。彼らは一度侍身分を家として獲得すると、
>主従関係が絶たれ、百姓に戻っても「凡下」ではなく、侍身分の家として存続した。
>戦国大名は、この地侍を大名と主従関係を保ち、軍役を務める家中の武士に限定していく。
>そして、軍役体制のもとで、軍役を負担する兵と位置づけられ、侍身分を獲得しながらもなお、
>地頭に年貢・公事を納入する百姓でもあるという地侍こそが、戦国大名の軍事力の中心であった。
>それ故、戦国大名は、彼らを通していかに郷村を把握するかがキーポイントになった。
>
>従来の守護大名と戦国大名との相違を明らかにしておきたい。
>(略)
>B荘園・公領制に寄生し、一円支配が不徹底であった守護大名に対し、
>戦国大名は、領内の土地台帳を提出させ(指出)、荘園制を否定し、土地・人民を直接支配していること。
http://www.morikado.net/culture-nichizemi/012_sengoku.pdf

>2 半武装上層農民の指導
>  地侍(有力名主階級)→おとな、沙汰人、年寄など
>・惣の間の抗争を解決し、荘園領主に年貢を負けさせるためには武力が必要なので、農民の中に侍分が登場する。
>これを地侍といい、武装した有力名主階級である。半分農民、半分武士という立場の上層農民であり、小百姓を巻き込んで惣の力を伸ばし、
>小百姓を支配して惣のリーダーとなってゆく。沙汰人、乙名などと呼ばれる苗字を持っている連中。
http://www.geocities.jp/hatm3jp/041.html
292日本@名無史さん:2012/06/16(土) 23:47:25.12
>>291
農民が武士化して苗字を名乗ったのではなく、
江戸時代に庄屋になった元武士や、武士の分家が増えただけのような。
293日本@名無史さん:2012/06/17(日) 00:01:00.73
寺や本家の記録も途切れているので、そろそろ古文書に手を出そうと思いますが、>>271みたいな分限帳や宗門改帳、また地域史をまとめた資料なんかはどこで見れますか…?

ちなみにうちの先祖の土地には図書館すら存在しません…。
294日本@名無史さん:2012/06/17(日) 00:57:36.24
図書館がない自治体なんてあるの?
295日本@名無史さん:2012/06/17(日) 01:10:05.89
市町村の自治体史くらいかねえ
296日本@名無史さん:2012/06/17(日) 01:36:04.68
うちのは某県立大学にあった。宗門改帳
分限帳の先祖の方は普通に図書館
297日本@名無史さん:2012/06/17(日) 01:54:02.34
>>292
256と291の話は、いずれも南北朝〜室町時代〜戦国時代にかけての話ですね
有力な農民層が武士化して名字を持つ一方、庶民は名字を名乗らなくない風習ができた、と
それとは逆に、古くからの武家が、帰農や帰商で武士をやめたりしてるわけですが
庄屋さんに収まってる層は、そういう経緯の家も結構あるようですしね
江戸時代に関しては、その通りだと思います
付け足すと、刀を置いた豊臣方の落ち武者、お家断絶で主家を失った浪人達
そういう人達は、その多くが農民や町人になりましたし
また武士を自発的にやめた人や、不祥事で家が潰れた人もいます
戦国期の地侍なども、郷士になれず、農民身分になった家などがあるようです
そこに更に、平氏の落人、南北朝時代の落人、戦国期の落ち武者で
農家になっていた人達までいるわけです
御先祖様が武士の農民や町人って、恐らく相当な数に上るんじゃないかと思いますよ
298日本@名無史さん:2012/06/17(日) 03:26:20.25
>>294
うちの市のように、市制半世紀近いにもかかわらず図書館なし、
市史は発行されてるけど。

というところもあるな。
隣接市はすべて図書館が充実してるというのに。(特に大阪市)
299日本@名無史さん:2012/06/17(日) 08:12:31.67
市史や町史ってどこで閲覧出来るの…?
300日本@名無史さん:2012/06/17(日) 12:34:00.22
 γノ~ゝヽ
  ゝ’-’ノ  市や町にでも聞いてみればwww
  ( )
  ∪∪





301日本@名無史さん:2012/06/17(日) 12:44:58.10
ググってみたら
図書館のない自治体って結構あるんだな
http://d.hatena.ne.jp/longlow/20090322/p1
302日本@名無史さん:2012/06/17(日) 12:49:34.22
都道府県の図書館辺りなら
地元のほとんどの村・町・市誌は置いてあると思うぞ
戦前に発行された旧村誌等が一番役立つけど、この年代辺りの本はない場合が多い
303日本@名無史さん:2012/06/17(日) 18:47:46.91
>>297
地侍になった名主なども、元をたどれば武士だったんじゃないかと思うんだけど、ソースも調べるすべも無いのでお手上げ。
いくつかの土豪のルーツを調べてみたら、仮冒かも知れないが源平藤橘等の有力な氏に繋がっていた。
304日本@名無史さん:2012/06/17(日) 21:51:31.93
源平に仮冒した人たちでも
元々は、神氏や物部氏や多氏や武内宿禰氏などだったんだと思うなー
どちらにしても、スサノオの男系子孫だということにはかわりない
305日本@名無史さん:2012/06/18(月) 18:29:45.27
戦国期の出自の不確かな土豪等の場合、実際には古代豪族の末裔の類が多いって説もあるよね
平安期の地方豪族達も源平を冒称したんじゃないかって疑惑のあるものが結構あるし
一番有名なのは秀郷流藤原姓だけど
306日本@名無史さん:2012/06/18(月) 20:52:14.86
まあ 秀吉が異質すぎるからな
出自が不確かでも、そこそこの土豪だったり地侍だったりが多いだろうし
307日本@名無史さん:2012/06/20(水) 00:28:20.77
高祖父の母親と曾祖父の妹(つまり高祖父から見ると母親と娘)が同名なんだが、昔は母親と同じ名前を娘につけるなんてことは一般的だったのかな?
308日本@名無史さん:2012/06/20(水) 00:48:02.78
うちの曾祖父から上は全て同名
309日本@名無史さん:2012/06/23(土) 01:26:29.60
江戸時代庶民に苗字〜それは明治8年2月13日遡る
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1340169634/
310日本@名無史さん:2012/06/23(土) 14:25:36.24
>>309
GJ 良いお導き。

先祖スレが、名字スレになると、前の本スレのように、在日ぽっいのが
アンチで嵐ばかりしてきて収拾がつかなくなる。
311日本@名無史さん:2012/06/23(土) 14:57:44.14
不思議なんだけど、朝鮮人てなんで
日本人が明治より前から実は名字ありましたって事が気にくわないわけ?
kjクラブ見てても、日本人は近代まで名字なかったニダ捏造ニダ部落民qqqqqて流れてに必ずなってるの。
312日本@名無史さん:2012/06/23(土) 15:06:58.70
そういうので盛り上がれるスレほかにいくらでもあるだろ、そっち行け
313日本@名無史さん:2012/06/23(土) 16:30:50.53
だから日本人が名字持ってたらなんか不都合があるわけ?
314日本@名無史さん:2012/06/23(土) 16:45:53.68
苗字の話はかまわんよ
つか日本には昔から苗字あるだろ、何を言ってるんだお前は?
315日本@名無史さん:2012/06/23(土) 17:55:43.13
だから昔から日本人が名字もってたらなんの不都合があるわけ?
ばかかおまえは
316日本@名無史さん:2012/06/23(土) 17:57:32.79
さあ荒れてまいりませうw
317日本@名無史さん:2012/06/23(土) 18:38:27.06
>>311
単に日本の「伝統」が気にくわないから。単純に古いほど大きいほどに価値を見いだす人種だから。
苗字がある=武士高貴みたいなイメージで、ちょっと前時代までは日本人は苗字もない平民農民が大多数だったと思い込みたい。
てところかな。
318日本@名無史さん:2012/06/23(土) 18:48:10.38
戸籍制度があると日本人になりすましてるのが追跡されたらばれてしまうからさ
在日とその仲間にとっては戸籍制度を抹殺するのは悲願だもんね
319日本@名無史さん:2012/06/23(土) 19:19:29.81
たしか韓国にも現在国の戸籍制度はあるんですよね。日本の戸籍みたいにそれで先祖はたどれるのかな。
朝鮮では族譜て言いましたけ。今の韓国人は自称両班の子孫ばかりと言いますから、この家系図には信憑性はないのかも。
320日本@名無史さん:2012/06/23(土) 19:44:39.71
在日の先祖探しはそれはそれで興味ある
それこそ真面目にやれば
左寄りの歴史観がひっくり返る可能性大
321日本@名無史さん:2012/06/23(土) 19:51:06.57
彼らの素性が在日さんかどうかは知らないが
日本人が明治以前に苗字を持ってなかった事にしたがる人には、確かに違和感を覚える

もちろん公教育では武士以外は苗字を持たなかったと教えているので
その知識を信じ、史実を知らない人は別だが、史実を知った後でも否定し続ける人というのは
どういう意図で否定するのか、その理由がよくわからない

戦国時代には農民も徴兵されて、戦場で雑兵として戦ってたわけで
その都合上だと思ったが、村の名前を苗字として名乗ったそうなので
大抵の農民には、戦国時代には既に苗字があったんだよね

元武士や元公家の農家には、間違いなく苗字があるし
その他の苗字を持たなかった農家も、戦国時代には必要に迫られて持つようになった
まあ、江戸時代に自分の家の苗字を忘れてしまった人達もいたようなので
苗字を持たない家というのは、あるにはあったのかも知れないが
そんなに多かったとはとても思えない
322日本@名無史さん:2012/06/23(土) 19:54:12.37
>>320
>左寄りの歴史観が

江戸時代に武士以外が苗字を持たなかったとする教育って戦前からじゃないのか?
この問題と左翼なんて関係があるとは思えないが

http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1340169634/
>14 :日本@名無史さん:2012/06/21(木) 12:11:55.41
>日教祖は嘘を教えるな
>武士以外は苗字はない

309のスレからの引用だが、彼は明らかに右だぞ?
まあ歴史を知らないあたり、893が騙ってる似非右翼の構成員臭いが
323日本@名無史さん:2012/06/23(土) 19:55:49.60
だからそれぞれが教科書や学校で習った知識に依存せず、それぞれの先祖探しすることはいいよね。
自分が何者かと言うことを意識すると、これからの生き方にも影響はあるよ。
324日本@名無史さん:2012/06/23(土) 20:30:47.47
>>323
そうだね
私もご先祖様の事を知ってから意識がちょっと変わった
325日本@名無史さん:2012/06/23(土) 20:54:40.71
いいかげんにしろ
32683:2012/06/23(土) 21:01:58.56
話題を変えましょう。
江戸時代は身分に関わらず、近親相姦をしたとされた人や、癩病に感染した人などが、
被差別身分の非人に落とされました。穢多の下とされます。ただし非人は、元の身分に
戻れることもありました。

鍋かぶり葬をした江戸時代の人骨から、ハンセン病菌のDNAを初めて検出
http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20120623/Kyodo_BR_MN2012062301001735.html
http://kyoto-np.jp/picture/2012/06/PN2012062301001767.-.-.CI0002.jpg
327日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:31:12.96
>>325
レスアンカーつけてくれないと誰に対するレスなのかさっぱりわからない
324(私)に対するレスかも知れないが、変な意味じゃないよ
子供の頃は全然昔の話に興味がなくて、どうせご先祖様は農民だろうと思ってたら
全然違ってて、どうも武士だったらしいって事を知って、ちょっと変わったんだよ
細かい事はネットでは書けないんでこれ以上は勘弁だけど
328日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:33:36.08
>>319
韓国の戸籍制度は廃止されました
http://d.hatena.ne.jp/nagano_haru/20090610/1244647636

これって自分らの先祖をたどるのにあやふやになってしまわないのかな。
まさか彼らは自国内でも出自を消し去りたいのか?
329日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:38:21.89
>>327
農民バカにしてんの?
江戸期の墓石に苗字入ってるけど百姓だったし
330日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:38:56.38
韓国ネタはやめようよ。
331日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:50:55.21
>>328
だからみんな両班階級なんだろね
332日本@名無史さん:2012/06/23(土) 21:51:09.88
>>329
別に農民を馬鹿にしてるわけじゃないよ
ただ江戸時代には家は農民で名字がなく、適当に姓を名乗ってただけだろうと思ってたので
ご先祖様が武士で、きちんとした由来のある家系だと知って、衝撃が走ったってだけ
学校教育の農民には苗字がない、を真に受けてたんで、そういう考えを持ってた
農民って書き方はまずかったかもしれん(気分を悪くしたならすまん)
333日本@名無史さん:2012/06/23(土) 22:11:27.59
一概に農民と言ってもピンからキリだろ。
下は水飲み百姓も居れば、庶民の中では上層に位置する本百姓や、下手な武士よりよっぽど富裕な豪農までさまざま。

うちも先祖は江戸時代以前からの代々武士だけど、農民をバカになんてしてないぞ。
334日本@名無史さん:2012/06/23(土) 22:39:04.62
>>322
いやそうじゃなくて強制連行うんぬんって意味

>>326
穢多、非人の先祖探しも興味ある
これもイデオロギーなしでやれば
歴史観がひっくり返ると思う
33583:2012/06/23(土) 23:20:03.60
>>333
そうそう、士農工商という概念自体が儒学者によって作り出された実態のない言葉。
商人でも、鴻池のような豪商の身分が低かったはずもなく、工人でも名のある刀工や、陶工、
細工師、名匠などが、人に馬鹿にされるはずもない。農民でもピンからキリまであって、
下は、水呑百姓から、上は、「本間様には及びもないが、せめてなりたや殿様に」と唄われた、
庄内藩の本間家や、仙台藩の斎藤家のようなものすごい大地主の豪農もいる。
また水呑百姓に区分けされている身分でも地方によっては、実は千石船を持っている豊かな
回船問屋だったりする。
 また出自が貧しくとも、努力して有名な医師になったりした場合は、尊敬されるから、
これも身分で馬鹿にされるようなことはない。まあ、江戸時代後期になってくると、藩に金を
貸せるような豊かな商人や農民は、武士の身分を与えられる事が多くなっている。能力が
あれば、数学や暦学、地理学などで士分にとりたてられることもあるし、殖産興業の才覚が
あれば、商人や農民でも幕府の代官にさえなれる。実際、時代劇のイメージとは違って、上層
農民出身の代官は、人格者で立派な人が多かったしね。
その一方で、
>>145
>>148
の古文書ように、飢饉などで、本百姓でも、家が潰れて無宿人や乞食になってしまうこともある。
中には、肝煎りや名主などの上層農民だってありうる。またどんな身分でも、ハンセン病に
罹患してしまえば、本人に何の落ち度もなくとも、非人にされてしまう。まあ公家や高い身分の
武士ならば患者と接触することもなかったろうけど。

336日本@名無史さん:2012/06/23(土) 23:41:47.75
>>333、335
その辺は学校教育の問題点だよね
農民を身分が低くて弱い立場のように教え込んでるのが諸悪の根源だと思う
もう少し実際の江戸時代について踏み込んで教えても良いと思う
337日本@名無史さん:2012/06/23(土) 23:46:08.45
先祖の墓探しで無駄に一万基ほどの墓を見てきたが
その過程で十基ほど在日の墓にも遭遇した。
その全てで日本の元号は用いられず、西暦もしくは干支が用いられてた。
うん、朝鮮ネタが出てきたからなんとなく書いてみたw
338日本@名無史さん:2012/06/23(土) 23:50:14.03
むしろなんで朝鮮ネタ怒られるんかわからんわ
日本の戸籍とか墓とか先祖探しに関わる比較論もおもしろいだろうに
339日本@名無史さん:2012/06/23(土) 23:58:54.99
スレタイ見ろよw
お前が朝鮮人で先祖探ししてるなら問題はないが
340日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:01:10.91
単純にチョン、キモイ
341日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:01:56.45
渡来人は大昔からいたと思うんだ。
俺らもそうかもしれない、それは今の社会で在日と名乗ってる人と同じさ。
でも、その新しい新参者の渡来人である在日は今ここで暮らしてる人たちと共に豊かになろうという道を選択せず、
先人を貶めるだけでなく、新参者でありながらこの土地の富を分け合うという性根も謙虚さもない。
嫌われて当然さ
342日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:04:46.07
真面目な話
在日や部落こそ先祖探ししてほしい
自分の先祖をタブー視することの矛盾に気づいてほしい
343日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:11:00.42
てか利権のために
それをわかっててやってる奴がいるから
タチが悪い
344日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:14:21.05
自分の先祖がチョソかB、どっちがマシ?
345日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:14:49.62
>>341
家でなく血で言うなら、大多数の日本人が受け継いでるはず
346日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:23:30.46
古代の大陸や半島に住んでて日本人にも混ざり込んだ人たちは、今の中国人朝鮮人とは別物だから。
今の日本人のDNA調査でも朝鮮人とは違うことが証明済み。
347日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:26:45.40
まっとうな先祖なら部落でも在日でも構わない
348日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:29:48.57
てかもしまっとうな先祖じゃなかったとしても
それをタブー視せず
きっちり否定できる子孫でありたいな
349日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:31:30.65
現代の半島人がクズなだけで、古代や中世の渡来人に問題はないからな
品部は渡来系が多いだろうし、例えば服部とか苗字になってる
中世に窯のあった所は多そうだな、そういうところは陶とか地名や字に残ってるだろ
350日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:33:46.42
母の実家にありました。
明治3年から5年にかけての人別などが一冊に纏めてあります。書式の変遷などご参考まで。
たんねんに地方文書などを当ると色々発見があります。

全体
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3124087.jpg
明治三年
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3124275.jpg
明治四年@
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3124238.jpg
明治四年A
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3124126.jpg
明治五年
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org3124341.jpg
351日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:37:12.13
俺は先祖代々南西諸島の人間だから半島とは縁もゆかりもないと信じる。
顔立ちや外見がまったく違うからな
韓国行ったら毛深い猿だなんだと酷いこと言われたよ、あいつらの差別は本当に酷いから
日本人に多く半島由来があることを否定もらしないし悪く思わないが俺は違うから
352日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:40:42.52
>>342
関西あたりだと未だに差別が根強く残ってるらしいので、そりゃ無理だわ
先祖が穢多・非人だった人に調べろと言うのは死亡宣告に等しい

で、早速>>343みたいなゴミが書き込んでるでしょ?
関西人って差別問題ではこの手の頭おかしい奴がデフォだよ
自分らの腐った差別意識が問題を生み出したって時間が全くない
差別をやめる気もなく、それでいて同和事業を糾弾してるだけだもん
関西人には陽気な気質と陰湿な差別気質という二面性がある
353日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:44:05.99
ここの皆さんて自分の先祖調べて行っているうちに賤民だったと判明してしまったとかないの?
そうなったらやはりショックなんじゃないの
354警告というか忠告:2012/06/24(日) 00:45:32.37
在日、朝鮮人、韓国人、部落

こういう話題を振ってる連中は、基本、政治的意図があって
ネット上で政治活動してる人達なので、以後スルーという事で

まあ書き込んでる奴らの素性は察しがつくけどね
355日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:46:16.18
>>352
俺も歴史的に差別された地域の人間だがな、差別を叫んでる人間は屑が多いことも身をもって知ってるから
今の同和行政や同和教育の行きすぎと利権化は見逃せないぐらき酷いと思うよ。
こういうことは名前を出して言うとその同和団体うちらの地域の人間な、からの嫌がらせ凄いから。
日本人は勇気を持って糾弾した方がいい
356日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:47:45.32


これが今言った政治活動してる輩
多分在特会
357日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:49:11.60
とにかく差別を盾に戸籍制度の廃止と先人を辿れないように主張してるのは在日と童話が多いことは確か
何で先祖を辿るスレで、先祖の足跡を隠蔽しようとしてる集団を擁護する人間がいるのか、少し考えれば分かりますね
358日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:49:34.82
>>353
基本的に家系は人格には関係ないだろ、いい気持ちはしなくてもそんな気にすることはないと思うがな
逆に武家だったからって得意顔になってるやつのほうが心配だわ
実は日本人じゃなかったとかってのはさすがにショックだと思うけども
359日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:49:37.08
うちの先祖は横山やすしが罵倒したことで有名な「雲助」だと伝わってて
碌な出自じゃないと思ってたけど、明治維新を跨いだ高祖父まで代々襲名、
旧土地台帳では高祖父の名が散見しド田舎ながらやたら土地だけは所有していて
かなり意外だった。現在の跡取り筋は農作物を通信販売してるわw

ところで質問です。
この高祖父の本籍は村の壱番戸で菩提寺に隣接した現番地なのが確認できました。
番戸(番屋敷)は何番かを割り振るにあたって法則的なものはありますか?
私の先祖は同村の壱番〜二百番台まで複数家ありますが、
北西から南東に向かう感じかなぁ。
360日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:50:11.00
>>356
先祖を辿るスレで、先祖の足跡(戸籍制度)の廃止、抹殺を主張する集団を擁護する工作員
361日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:51:46.62
>>360
まあ、そんな事を書けば在特会である素性が隠せると思ってる方がどうかしてるけどね
見る奴が見ればピンとくる
362日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:53:21.24
こういう論争するやつは妄想でしゃべりだすからやばい
両方が
36383:2012/06/24(日) 00:53:49.52
>>350
これは貴重な史料ですね。これが、私が
>>130で言及した
「壬申戸籍作成の元資料となったほぼ同内容の明治三年頃の詳しい調査資料」
の実物です。

>>353
釣り馬鹿日誌のスーさんが有名。伊豆の被差別身分の石工とか。


虫損が激しいので、何でしたら、県立文書館などに虫損防止処理などを
相談されては如何でしょうか。
364日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:54:27.50
>>361
それでは貴方は戸籍制度廃止に賛成なの?
私はさっき言った差別された地域の人間だよ。
奄美群島って知ってるか?そこの人間だよ。
童話教育、童話にからむ人はたくさん身近で見てきてますから
365日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:55:14.65
>>362
355は定型句みたいなものでw、同じ主張をあちこちで見かける
部落差別問題を直接的に扱う場所では、絶対に目にする定型文なんだよ
つまり政治活動なさってる方がここに出張して来てるわけ
こういうのは妄想とは言わないよ
366日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:56:19.53
例えばなんだけど、全国の古い戸籍を新設の「戸籍博物館」に集めて子孫が自由に見れるようにするってのは
どうだろう?

地元に就職するノンキャリ職員に見られたりする心配は無いし、しっかり「子孫には先祖をたどる権利がある」
というルールをつくれば、誰もが安心して先祖と向き合えるんじゃないだろうか?
367日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:56:57.28
>>350のような資料って
日本全国にまだまだ眠ってるんだろうか?
368日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:57:15.75
先祖を辿るスレに、先祖を辿る重要な手がかりである戸籍制度の廃止を主張する人間がいるんだね。
こちらは出身地域の素姓まで書いたんだがね
369日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:58:37.99
在特会とかレッテル貼り
騙される人はいないだろうけど酷いもんだ。
370日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:59:09.88
急にスレが荒らされたって事は、やっぱ俺が2ちゃんの運営を呼び込んじゃったかなw
371日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:00:30.61
奄美群島の人間は自分も含めて歴史的な差別利権を嫌う保守的な人間が多いから
うちらの先祖は酷い暗黒の歴史だが、差別利権屋さんからは見向きもされず放置されてるけどな
372日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:03:07.28
特定しますたm9(`・ω・´) 「エッタ出てこい。どエッタ」と在特会メンバーが差別発言→部落解放同盟が糾弾へ
http://tokuteisuta.blog24.fc2.com/blog-entry-4114.html

「エッタ出てこい。どエッタ」と 水平社博物館前で差別発言連呼
「解放新聞」(2011.03.07-2509)

「在特会」が企画展を妨害
県連は糾弾闘争の展開へ
 【奈良支局】「エッタ博物館、非人博物館」「エッタ出てこい。どエッタ」などの差別語を
「在日特権を許さない市民の会(在特会)」(後述)のメンバーが連呼した。
  在特会が1月5日、御所市柏原にある水平社博物館に来て、開催中の企画展
「コリアと日本―韓国併合から100年―」の展示内容にたいして、「事実と異なる」などと
企画展への妨害行動をおこなった。
  また同月22日には、同博物館前でハンドマイクをつかって街宣をおこない、
「自分は川東大了だ」と名乗り「目の前のエッタ博物館、非人博物館」「エッタ出てこい。どエッタ」
などと差別発言をくり返した。
  県連は、この差別事件を奈良地方法務局に提起するとともに、関係機関と連携して
糾弾闘争を展開する方針を明らかにした。
(後略、続きはソース先URLで)

http://www.bll.gr.jp/news2011/news20110307-3.html

元スレ:http://hato.2ch.net/test/read.cgi/news/1299496066/
373日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:04:35.03
>>369
372みたいなネタを貼れば、童話利権がどうのと糾弾してる政治屋さんが在特会って事もわかるんじゃない?
なんできみらっていつもだけど一般人を偽装すんの?
374日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:06:20.42
レッテル貼り、乙
うちら奄美群島の人間の世界は狭いから童話や朝鮮と一緒に活動する人間の情報は入って来るよ。
うちらの先祖はヤンチュという奴隷身分も多く先祖の手がかりは少ないが誇りを持って先祖を辿ろうとしてるんだわ。
あんたら工作員とは違うからな。
みなさんスレ違い申し訳ない
375日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:06:34.45
>>371
奄美の歴史とか知らないから興味あるし、どうせならあんたの先祖探しについて語ってほしいわ
パターン化した差別論争はどうでもいいし、適した板とスレは他にあるだろ
376日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:08:20.31
どっちもどっちだ
在特会も大概だけど
水平社博物館でその企画も大概
377日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:11:55.29
>>375
ここまでスレ違いの嵐状態で申し訳ないので自分の先祖探しについて一言だけ
奄美群島は1400年代ぐらいから琉球王国の島々で、1609年以来、薩摩の植民地
沖縄系、鹿児島本土系、どちらの人間もいるよ。
自分の場合はノロの家系だと言うことで、島の御嶽に苗字が残ってる。
土地にも苗字が残っている。
これは大きな手がかり、しかし文書として残っていない。
文書としての戸籍が残っていないので、かなり厳しいんだよね。
378日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:14:14.06
>>376
いや、普通にどう見ても一方的に在特会のやってる事の方が変なんだがw
ま、差別利権屋がどうのと書き込んでる人の素性を暴露する為に貼っただけだから内容は興味ないけど
在特会がその手の活動をしてる事って知らない人向けの為の資料みたいなもんだね
379日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:15:58.76
>>378
で、お前はどこの人間なんだよw
俺は奄美の人間だと書き込んで、自分の先祖探しを具体的に書き込んでもいるんだが
お前は何者なんだよwwさっきから在特会、在特会とレッテル張ってるが
在特会みたいな屑と一緒にイメージを植え付けようと何を必死になってんだよww
380日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:21:15.63
>>379
wが増えてきたね
素性が在特会だとばれそうで、焦り始めた?

>355 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 00:46:16.18
>>>352
>俺も歴史的に差別された地域の人間だがな、差別を叫んでる人間は屑が多いことも身をもって知ってるから
>今の同和行政や同和教育の行きすぎと利権化は見逃せないぐらき酷いと思うよ。
>こういうことは名前を出して言うとその同和団体うちらの地域の人間な、からの嫌がらせ凄いから。
>日本人は勇気を持って糾弾した方がいい
>
>371 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:00:30.61
>奄美群島の人間は自分も含めて歴史的な差別利権を嫌う保守的な人間が多いから
>うちらの先祖は酷い暗黒の歴史だが、差別利権屋さんからは見向きもされず放置されてるけどな
>
>374 :日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:06:20.42
>レッテル貼り、乙
>うちら奄美群島の人間の世界は狭いから童話や朝鮮と一緒に活動する人間の情報は入って来るよ。
>うちらの先祖はヤンチュという奴隷身分も多く先祖の手がかりは少ないが誇りを持って先祖を辿ろうとしてるんだわ。
>あんたら工作員とは違うからな。
>みなさんスレ違い申し訳ない

355は普通に読めば関西の人間のレスだと思う
ところが371では「奄美群島の人間」だと言ってる
その穴(矛盾点)を埋める為に、「うちら奄美群島の人間の世界は狭いから童話や朝鮮と一緒に活動する人間の情報は入って来るよ」
とわざわざ374を書いてる

別にこっちから聞いたわけでもないのに、俺視点で見た場合の矛盾点を察知して書いてる時点で、怪しい事この上ないけどね
在特会さんもよくやるわと呆れるだけで
それに別に奄美群島の人間に在特会がいたって全然変じゃないんだし
381日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:21:39.92
>>378
みなさーん、私は奄美群島の人間で自分が得た
戸籍制度の廃止を企てる集団、同和行政・同和教育の行き過ぎや利権化の情報をもとにそれを書きました。
しかし、それを在特会、ザイトクカイガー、とレッテル貼りをしてる人がいます。
私らは基本的に文章を残さない、島唄や口伝で先祖の物語を受け継いできた集団なので
先祖をたどる手がかりが少なくて困っています。
皆さんは立派な戸籍制度やご先祖様をたどることが出来る手がかりを多く持っていらっしゃって羨ましいです。
ぜひその伝統を残して、受け継いでいってください。
スレの流れとも私とも何も関係ない在特会を叫んでいる人間は
何者か分からないですがおそらくレッテル貼りの工作員でしょう。
気をつけてください。
382日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:23:13.22
>>380
で、私は出身地域まで名乗って、具体的な書き込みまでしてるんだが貴方はどこの人?
そういう具体的な書き込みを出来ずに在特会のレッテル貼りをするだけ?
まだ続ける?
383日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:23:21.37
>>381
もはや政治団体のアジそのものになってるじゃんw
こんな墓穴を掘る人は見た事がない
384日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:28:28.25
ヤンチュって初めて知ったわ
タブー視せず書き込んでくれてありがとうと言いたい
385日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:35:53.86
レッテル貼りしか出来ない人は右でも左でも不毛ですね。
機会がありましたら私の奄美のご先祖様探しもいつか書き込みたいと思います。
スレ違いのアラシ状態で大変申し訳ありませんでした。
386日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:47:57.41
レッテル貼りというか、ここまでやっちゃうと自己紹介したようなものだけどな・・・
在特会というのは、背後に某宗教団体と右翼団体がいると言われていて、その右翼団体のバックは暴力団
そして暴力団というのは、構成員の多くが、部落出身者と在日朝鮮・韓国人だと言われている

差別とヤクザ
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai
>被差別民におけるヤクザの割合
> ヤクザについて昔からよく言われる噂に「同和が3割、朝鮮が3割」というものがある。
> ヤクザ構成員の3割が同和出身者、3割が在日朝鮮人だという意味である。

街宣右翼
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%97%E5%AE%A3%E5%8F%B3%E7%BF%BC
>元公安調査官の菅沼光弘は、外国特派員協会での記者会見で
>「在日韓国・朝鮮人や被差別部落出身者が暴力団員の9割を占め、右翼活動によって収益を上げている」と語っている。

要するに在特会というのは、名称とは裏腹に、部落出身者と在日朝鮮・韓国人が非常に多いわけさ

だから奄美群島の出身で、在特会という人がいたとしても、全然不思議はない
それに彼はヒントを残していってくれてるし

>うちらの先祖は酷い暗黒の歴史だが、差別利権屋さんからは見向きもされず放置されてるけどな

この話が事実ならね

ま、でも、彼の政治的な主張は別として、奄美の話は興味深く聞かせてもらった
387日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:48:00.97
奄美というと一文字姓を思い出したけど、自分あまり詳しくないんだな。
これも支配層とか搾取される側の歴史みたいだけど。
388日本@名無史さん:2012/06/24(日) 01:49:46.13
>>387
差別ネタに切り込む場合、ここのスレだと難しいんじゃない?
専門に研究してる人が多いところにした方がいい気がする
389日本@名無史さん:2012/06/24(日) 06:00:36.32
>>358
>逆に武家だったからって得意顔になってるやつのほうが心配だわ

別に得意顔になったわけじゃないよw
純粋に武士道っていうものに目覚めちゃっただけ
武士の子孫である事を意識するようになってから
自分の性格が血に由来するのでは?と思うようになり
せめて武士らしく潔く生きたいと思うようになった
ただそれだけの事

悪意を持って解釈しすぎw
390日本@名無史さん:2012/06/24(日) 08:23:58.55
>>389
うちの先祖の1人が藩士に無礼打ちにされたから藩士の子孫
を見るとぶん殴りたくなる
年貢を上げるのは約束違反だと抗議しただけなのに
武士なんて糞だよ
391日本@名無史さん:2012/06/24(日) 08:42:13.64
子孫は関係ないがな(´・ω・`)
39283:2012/06/24(日) 11:40:15.96
皆さんは、父親一家系だけの先祖にこだわりすぎです。
ぜひ、先祖8家系・16家系の先祖を調べてみて下さい。

わたしは、先祖調べをして、母方の先祖と、父方の祖母の先祖が
憎むべき敵同士であったことを知り、両方の先祖の立場を学んで、
両方の子孫であることを、誇りに思うようになった経験があります。

393日本@名無史さん:2012/06/24(日) 11:50:25.41
>先祖が憎むべき敵同士であった

犬と猿だったのかな
394日本@名無史さん:2012/06/24(日) 15:57:13.93
a
395日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:03:05.10
>>389
www
武士道なんて明治時代に作られたイデオロギーみたいなものだぜ?
本当の江戸武士なんて清く正しく潔く生きてるやつなんていないが?
不正、横領、縁故、賄賂、借金踏倒の雨嵐だが?
で、お前さんの先祖は何の武勇伝があるの?
江戸武士の素性ほど本当は不透明な階級はないんだぞ

396日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:12:01.99
>>390
もしそうなら気の毒だが、江戸時代の実情は後世に伝わる世界観とはまるで異なる。
江戸期を通し切捨御免された例は江戸期を通しても実は20例程度しかない。
そのうち切捨てした武士が無罪になったのがたった一例のみ。

その例とは、その武士の兄弟と母親が、威勢のいい町人にフルボッコになり、
その武士が町人に直談判したところ、数人の仲間にフルボッコにあい、切り捨てた。
しかし、町奉行はその武士をそっじつ牢屋に。
しかし、その町人は札付きであったために、後に無罪に。

江戸期を通して切り捨て事件は20例。うちこの一例のみ無罪。
事実は現代の武士とはぜんぜん違う。
397日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:14:26.83
さらに、武陽陰士とう江戸期の学者が書いた本にも、こうかかれてる。
「下級の武士たちは町人にも馬鹿にされ、しょってる刀まで脅されて奪われる始末」と。
読んでみればいいよ。
398日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:23:43.87
時代劇とかの悪影響って感じ?
399日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:33:51.12
>>398
そのとおりだよ.
396で書いたとおり、末端の武士など町人以下の存在だが、
武士以外が武士を切り捨ててる例はものすごいあるよ。
例えば、国定忠治も下級武士を4人も切り捨ててる。
大藩の家老クラスや上位武士なら一目置かれていただろうが、
末端など、こんなレベル。
時代劇+長州の維新テロ行為を正当化するための江戸暗黒史電波イデオロギー教育のせい!
400日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:41:23.88
明治武士道はかなりキリスト教の影響を受けて作られた面があるからな
401日本@名無史さん:2012/06/24(日) 16:52:07.99
本来の武士とは藩の執政クラス。
これらは官僚に当たるため、現代人がイメージする武士像とはまるで違う。
末端ほど儒教に彩られた、徹底服従型武士道に洗脳させられ、上士のいいような駒もどきにされてたまで。
そんな都合のいい存在に洗脳されてしまうほど、江戸武士の末端は江戸以前の出自は不明不詳だらけ。
402日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:12:37.29
そして、出自、素性からいえば、江戸武士より豪農層のほうが圧倒的に格が上。
苗字に関していえば、下級武士クラスのほうがよほど江戸初期苗字などもってないだろ。
もしくは不明なのが多いだろ。
豪農層が苗字がなかったんなら、上級武士以下などなおさら持ってるわけないだろが、豪農層以下の癖に。
もう少し研究しろよ?中級武士程度よりはるかに名門ぞろいの豪農層をすれがなくなるまで出してったろか?
403日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:26:06.29
いやでも、下級武士が明治以降官職の要所を席巻した事実もあるよ。
それから下級武士と言っても前レスの農民同様に結構ピンからキリまであるのではないかな?

因みに自分の先祖は明治2年の士族区割りで、上士に区分されているけど、決して富裕な生活を送っていた感じはしない。
404日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:36:01.88
>>403
それは嘘だ。薩長土肥以外の下級武士など要職どころか、職にすらありつけてないが?
下級士族の反乱は、職すら与えられない得られない事実を露呈してるが?
明治以降の在地の地方官職などほとんど庄屋豪農でしょに。
村長戸長村会議員みんな豪農層だよ。
明治期の選挙権与えられてる高額納税者の7割が庄屋豪農だが?
下級武士はピンはいないよ。薩長土肥以外一律キリでしょ。

このあいだ、NHKで、明治期の番組やっていたが、
庄屋がその後戸長(村長)になり、ちょんまげしてる武士をちょんまげ禁止令にもとずき、
違反者摘発していた時代をやっていたが、そこでその摘発役に、職にすら就けてなかった下級武士どもを
庄屋が雇ってやっていた。
さらに、その下級武士たちが村長である庄屋宅に押し入り人質に取り、県令に直談判させろと騒動起こした下士の集団がやってたが、
こんなのが下級武士ですよ。
405日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:46:58.11
>>403
いいかい?なぜ下級武士は{下級}なのか、
なぜ、そう区別されたいたのかよく考えればわかるはず。
下士程度にぴんもきりもない。
もともとが江戸初期から出自不明の足軽上がりの流れ者や渡り中間のような出自。
在地も土地もなく、戦を生業としてきた輩だったから{下級」としての待遇にさせられていたんでしょ。
406日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:48:46.62
客人としての扱い以外では宮本武蔵がいい例だろ。
407日本@名無史さん:2012/06/24(日) 17:55:01.36
>>404
「武士の家計簿」の事例ぐらい知っとけ。

まあ、親族一同がみんな失職してて、主人公(ってか、記録残した人)だけが政府の役職に就いたんだが。
408日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:01:51.54
>>403
それから君が書いてるように、身分というものは簡単に上下されるんですよ。
君の先祖も何らかの功績?で上士に格上げされたというんだろ?
土地はそんな簡単に上下されない。減るばっても増えるというのは極端な例を除き難しい。
江戸初期まで豪農層があれだけの何町もの土地を所有していた裏には、在地でそれだけの力がなくては、
獲得どころか維持すらできない。
武士程度の身分の上下以上に有力層の江戸初期あたりの土地に裏打ちされた在地権力のすごさを研究されるといいですよ^^
江戸中期でも、藩の庄屋が起こした三年にも及ぶ一揆を鎮圧できず、改易となった藩主も有名でしょ。
在地の旧権力層である豪農層は現代歴史観ではうかがい知ることができないほどすごいですから。
409日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:07:22.69
>>407
ごくごくいつ部の例だけ出されても。
しかも能力給ですか?ww
庄屋層は出自で明治政府下の行政になってますが?w
しかも、村長と一介の事務職程度とどっちが格上と思ってるのよ?w
きちんと明治新政府下における大綱たる太政官布告に、庄屋は行政の長とすると書いてあるが?w
下級武士なんぞ9割がた色すらなく、村長であるしょうやにひれ伏してた分際でw
410日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:21:44.24
ちなみに庄屋豪農屋敷の一例だが、
http://www.youtube.com/watch?v=TmDSqCAxoEk

中級武士以下なんぞ、在地の中世よりし旧権力層である庄屋豪農層からしたら、
敵じゃないんだが?w眼中にすらない。
なぜか?ライバルにすらないからだよ何をとっても。
現代の江戸史観が、農民たちのあごあれが武士だったと勝手に捻じ曲げてるだけ。
逆に、中級武士程度と在地庄屋層は、出自から財力から屋敷から明治期以降の在地官職まで、
何をとっても勝てないだろ。レースにすらならないだろがw
格が違うから中級程度以下なぞと。
411日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:36:29.36
いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1287805800/

↑のスレでこてんぱんにやられたやつがファビョってるんだろう
412日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:42:40.06
なにいってるの?
だったら下級武士程度が、一例でもいいから庄屋以上なのだしなよww
一例すら出せないのにwww
旧大名家の庄屋などいくらでも出せますが、
そもそも出自がわかる下級武士などいるの?ww
413日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:45:42.99
江戸時代庶民に苗字〜それは明治8年2月13日遡る
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1340169634/45

45 名前:日本@名無史さん :2012/06/24(日) 17:26:28.84
本とドあほばっかやのーーw偏差値いくつだよおたくらw
仕方がない教えてやろう。
苗字の一考察という論文を俺が書く場合、こうなる。
苗字という概念を持って名乗っていたのか?ということだ。
庄屋クラスならもともと苗字は持っていたのは言わずもがな。
下級武士クラスのほうが江戸初期は苗字ないものが多かったと推測できる。
それはおいておいて、末端の農民も苗字に属する使い分けとしての苗字を持っていたと推測できる。
おそらく中世は固有の苗字という概念自体が上流階級にしか存在しないはず。
江戸に入り、名前だけでは税徴収の観点から不合理が目立つ。
よって、田んぼが上のほうにある上田の三郎とか、北に田んぼがある北田の次郎といった使い方。
それらは苗字として意識したものだったのかは不明。しかし、苗字とは賜姓以外はこんなのが原型。
ステータスという意識は生活苦からそういう余裕のある潜在意識は存在しなかったようにも思える。
しかし、確実にいえることは、上層農民以上に、江戸下級武士層のほうが、固有の苗字など持ってなかった。
この下級武士層ですらその後苗字をあてがわれてるんだから、一般層も、上記のような概念で苗字の原型となるようなものは持っていたと推測できる。
そもそも下級武士や足軽程度も苗字など名乗らせてもらえない藩など腐るほどあるだろが!!
414日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:48:58.87
妄想言い伝えの世界の中の「源氏の末裔ですがなにか?」キリ☆ くらいでしょいえるのww
まいっちんぐのマチコちゃんだよ江戸武士という輩はw
中世よりの旧武家等の権力者層などほとんどが庄屋層に多いのにww
415日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:53:38.43
江戸庶民苗字スレへの転載といい、誰かの逆鱗に触れたんだろうか?
それとも単なる荒らしなんだろうか?
416日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:55:47.29
>>409
>下級武士なんぞ9割がた色すらなく

まあ、この辺は、家や地域によるだろうね
南北朝までは城持ち武将だった家系が没落して
戦国時代には足軽待遇だった事例などもあるから
417日本@名無史さん:2012/06/24(日) 18:58:52.44
>>415
以前に荒らし回っていた庄屋命の方ですね、わかりますw
418日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:00:52.83
>>416
ハイ嘘乙
郷士と足軽の違いがわからない歴史ヲタってどうよ?ww
419日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:02:39.29
>>416
中小国人ってのはよーわからんかんな
420日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:06:19.69
>>418
>ハイ嘘乙
>郷士と足軽の違いがわからない歴史ヲタってどうよ?ww

戦国期の武田騎馬隊
伊那の武士達は馬に乗れるという事で、足軽身分で騎乗していた
天竜川西岸は南北朝時代の落ち武者が切り拓いたものだと言われていて
その先祖は城主格の武将であったと言い、出自は意外とはっきりしてる
421日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:10:45.94
できるだけ身近な話をしてほしいな
うちの村とか隣村ではとか
422日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:16:20.51
>>418
下級武士と郷士はイコールじゃないだろう。
423日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:20:54.82
じゃあ論破してくれないか?」
君らのいう、武士が絶対だったという社会が存在したなら、
早く庄屋豪農層以上に、末端といえど武士という「下士」という存在の
江戸時代に規制した有用性と実態としての存在を、
庄屋豪農より上位という論拠を元に述べてくれないか?
一切述べられないんだろ?w
秩序的観点による治安維持の名目としての上下のみ以外で庄屋など雑魚と、
いってくれないか?w


>>420
足軽待遇の騎馬格を郷士という風に分類されてるんですが?ww

424日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:46:44.30
>>423
下級武士の話をしているのに、郷士や下士の話だと勘違いしているのはお前だけだと思うが。
425日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:50:18.90
ttp://www.hm10.aitai.ne.jp/~naitin/sisonn.htm  馬場家
ttp://www.chikumanishiki.com/history/index.html 原家

ttp://www.geocities.jp/akitasaisei/sonota/matimoto/baba.html 板垣家
ttp://www4.ocn.ne.jp/~naka-vil/midokoro/sawasyougen/sawasyougen.html 澤家

みんな庄屋、あとは旗本。

で、どう説明するの?w武田24将クラスが旗本と庄屋がほとんど。
で、下級武士は庄屋より上だったと、現代の価値観で妄信するのはいいが、

現実にこうやって名門は結果が出てるんだよw
他に、武田家家中でその後庄屋、何十件も出そうか?w

426日本@名無史さん:2012/06/24(日) 19:52:48.15
このageで書いてる事はただの煽り荒らしなので放置で良いと思う
427日本@名無史さん:2012/06/24(日) 20:00:45.45
いや、農民には苗字がないだの、武士が絶対という現代史観の人がいるから、
現実としての自いつをいってるのだが?w
下士はそれでもえらかったと思い込みたいのだろ?ww

気持ちはわかるよwでも事実庄屋のほうが圧倒的に地位は上なんだよ
428日本@名無史さん:2012/06/24(日) 20:05:11.60
上だの下だのただの身分の順位て話じゃないのか
士農工商の順で・・・
429日本@名無史さん:2012/06/24(日) 20:18:39.15
士農工商概念は明治政府のやつらが作った電波史観だが?
これらが江戸時代を武士が絶対の暗黒史観だとし、おのれ等の新政府政権を
正当化しようとしてたんだが?
江戸期に士農工商という序列順位だと書いたお触れ書など皆無

庄屋には藩家老並みの屋敷と着衣、土地、在地特権、名字帯刀、上米御免、納税免除、長屋門、
これだけの物が与えれれてるのなぜ?w
下士には一本さし程度?wの竹光が許されてる以外何がある?
なんなのよこの差?w
江戸期以前からの由緒の格が違うからだ知識足らずども!
だから江戸初期には千石庄屋と呼ばれるような大名庄屋が日本中ごろごろいて、
これらの特権を認めざるを得なかったんですが?

下士と一緒にしないでくれよw
430日本@名無史さん:2012/06/24(日) 20:28:32.49
歴史を真実に改正すべきだよ

江戸期は、幕藩庄屋体制であった事実。
幕府にとって最大の敵は外様と庄屋出会った事実。
外様によって徳川は滅びたが、
江戸期、島原の乱や群青一揆、江戸初期の譜代入植地での庄屋の反乱など、
幕藩体制を揺るがすほどの在地旧権力者層であった庄屋豪農。
江戸太平期の最大野党は庄屋だが?
どこに、たかが中級武士以下程度に雑魚扱いされてた事実があるよ?w
三代将軍時代、外様解体と時を同じくして、在地有力層たる庄屋解体も行ってる。
わかる?外様大名に次ぐ在地勢力だった事実
千石庄屋が江戸初期どれだけいたと思ってんのよ?
431日本@名無史さん:2012/06/24(日) 20:48:02.35
>>427
>農民には苗字がないだの、武士が絶対という現代史観の人がいる

いないと思うが・・・・
学校教育を鵜呑みにしたままの人がここに来るとも思えないし
また庄屋と武士の関係については、たとえ下級藩士でも、一応、武士は武士
藩にもよるが、両者がすれ違った場合、頭を下げるのは庄屋の側
ただし財力も家柄でも上に当たるのは文句なしに庄屋の側
またあくまでもこれは「一般的には」という言葉がつくので
それはケースバイケースであって、庄屋に下級藩士が頭を下げる事もあるだろうし
江戸時代はこうだった、と一括りで語れるものじゃない

あと、身分制時代なのだから、力があっても身分上は下とされた農民身分の庄屋が
上とされた下級藩士に対してその様に振る舞うのは、当然とも言えるわけで
身分は実力とイコールじゃないんだから
ここを混同しちゃいけないと思う

ま、身分制時代の複雑な面であり、嫌な面でもあるわけだけど
432日本@名無史さん:2012/06/24(日) 21:02:48.09
>>431
あなたがおっhさってるのは、このスレに来る人より相当の知識を持っておられるが、
もう少しつけたさせてください。
庄屋が頭を下げるのは下士個人に対するものではなく、藩、大名家に対する間接的儀礼であって、
そこにパワーバランスというものは関与しないのです。
国会議員が選挙時有権者に会釈するような意味でしかない。
そしてまた、それらも、あくまで江戸中期以降です。
江戸初期、庄屋は上士以下などに頭を下げてなどいない。
身分制というものはそもそも江戸中期以降なのですよ。
島原の乱等の絶大な在地権力を持つ庄屋からの治安維持の目的で
身分制がそれ以降急速に確立していきました。
江戸幕府は初期、中級武士程度以下と庄屋の正当な評価が、様々な屋敷や在地特権や門構えで
現れてますよね?あれが、江戸初期の武家の棟梁たる将軍家、大名家の庄屋と下級武士に対する正当な評価なんですよ。
だからここまで階層矛盾した待遇なんですよ?
いいですか?江戸初期、その武家の棟梁が下した評価が、
庄屋と中級武士以下の身上格差なんですよ。
あくまで俗に身分制といわれる士に対する扱いは、江戸中期以降の、
在地旧権力層たる庄屋豪農が江戸初期、全国で暴れまわって反乱三昧だった上に
確立されたものに他ならない事実
433日本@名無史さん:2012/06/24(日) 22:52:35.80
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sakanomt.htm 下にスクロールしてこの中世の城みたいな屋敷見てみろ
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Sasagawa/index.htm みたかこの土塁を
http://www.asahi-net.or.jp/~cn3h-kkc/shiro/ichinoe.htm 都内の庄屋

もうわかるだろ。屋敷自体が中世からの館、城郭。
こんなのいくらでも検索すれば出てくる。
はっきりいうが、庄屋は下級武士などと格が違いすぎる。

生粋の血統書つきとは庄屋階級なのがデフォ!!
いい加減この現実を歴史ヲタ全員認めるべき!!
434日本@名無史さん:2012/06/24(日) 22:53:54.71
>>433
>庄屋は下級武士などと格が違いすぎる

誰も否定してる人間なんていないわけだが
435日本@名無史さん:2012/06/24(日) 23:50:36.74
わかってくれたならありがたい。
しかし、この事実は歴史マニア程度しか知られていない。一般は農民は奴隷だったと思ってる。

だが、庄屋豪農層が武装化したら5万石程度の大名など余裕でぶっ潰されるということを、
それほどの在地旧権力者層であるという事実を再認識すべき。

庄屋が最強最盛期だったころの、庄屋VS大名家 の一例を持って最後とします。


436日本@名無史さん:2012/06/25(月) 00:05:03.38
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
>>実際には、この反乱には有馬・小西両家に仕えた浪人や、元来の土着領主である天草氏・志岐氏の与党なども加わっており、一般的に語られる「キリシタンの宗教戦争と殉教物語」というイメージが反乱の一面に過ぎぬ
>>過酷な取立てに耐えかねた島原の領民は、武士身分から庄屋、百章身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣の下に組織化(この組織化自体を一揆と呼ぶ)、
>>肥後天草でも小西行長・佐々成政・加藤忠広の改易により大量に発生していた浪人を中心にして一揆が組織されていた。

            ↓
このように島原の乱とは旧名門戦国大名家旧家臣団の庄屋が中心だったのがわかります。

それらが武装化し、幕府(近隣大名家相手)にいざ合戦したら、こうなります。
             
               ↓
>>乱の発生を知った幕府は、上使として御書院番頭であった板倉重昌を派遣した[13]。重昌に率いられた九州諸藩による討伐軍は原城を包囲して再三攻め寄せ、
>>12月10日、20日に総攻撃を行うがことごとく敗走させられた
>>態を重く見た幕府では、2人目の討伐上使として老中・松平信綱らの派遣を決定した。
>>焦った板倉重昌は寛永15年1月1日(1638年2月14日)に再度総攻撃を行うが強引に突撃して討ち死にし、連携不足もあって攻撃は失敗した
>>島原藩主の松倉勝家は、一揆を招いたとして責任を問われて改易処分となり、後に斬首となった。

わかる?ww幕府軍は敗走し、総督も討ち死、藩主は斬首ww
旧在地有力者層たる庄屋が武装化したら、幕府でこのざまだろ。

本気で旧在地武家庄屋軍団相手に5万石以下程度の大名が合戦したら、即日滅亡いたしますよ?wwまじで。

437日本@名無史さん:2012/06/25(月) 00:10:50.77
たかが島原周辺の旧武家庄屋連合相手に幕府軍が繰り出した軍勢。
ええ?ww下級武士以下の奴隷身分の糞庄屋相手に、関が原以上の軍勢かよwwwwww
これでも敗走し、総督討ち死、大名家は斬首www
庄屋様なめたらこうなるんだよwwww


幕府軍 [編集]幕府派遣軍
上使 - 板倉重昌 800人 (従軍者:柳生清厳)
上使 - 松平信綱 1,500人
副使 - 戸田氏鉄 2,500人
諸大名
備後福山藩 - 水野勝成・水野勝俊・水野勝貞 5,600人(九州以外からの唯一の参陣)
筑前福岡藩 - 黒田忠之 18,000人
筑後久留米藩 - 有馬豊氏 8,300人
同柳河藩 - 立花宗茂・立花忠茂 5,500人(従軍者:立花種俊、安東省菴)
肥前島原藩 - 松倉勝家 2,500人
同唐津藩 - 寺沢堅高 7,570人
同佐賀藩 - 鍋島勝茂 35,000人
肥後熊本藩 - 細川忠利 23,500人
日向延岡藩 - 有馬直純(有馬晴信の子) 3,300人
豊前小倉藩 - 小笠原忠真 6,000人 (従軍者:宮本伊織、高田吉次)
同中津藩 - 小笠原長次 2,500人 (従軍者:宮本武蔵)
豊後高田藩 - 松平重直 1,500人
薩摩鹿児島藩 - 山田有栄(島津家家臣) 1,000人
そのほか - 800人
総計 125,800人wwwwwwwwww

関が原以上かよwwwwwwwwwwww
庄屋は最強じゃねーかよwwwwwww
438日本@名無史さん:2012/06/25(月) 00:11:38.58
まあ、豪農の家系には、大名より立派な家が結構あった事が知られてるけどね
そういう事を知らないというのは、単に不勉強なだけの気もするけど
439日本@名無史さん:2012/06/25(月) 00:19:54.85
段々、先祖探しから話が逸れてきてる気がするんだけど、少しだけ乗っかると
江戸時代初期の一揆には、庄屋がその首謀者として加わっていて、一揆を指揮していた
一揆軍は農民主体だけど、庄屋というのは、実質的に、武将のようなものだった
自分の任された村々の農民を戦力として動員できるわけで、戦力は意外と高かった
ただし一揆の性質も時代と共に変遷していき、途中から庄屋は撤退して行くけどね
その代わりに庄屋層は大名貸しになり、明治期には資本家に転じて行った家系も多かった
440日本@名無史さん:2012/06/25(月) 00:56:30.42
いや、庄屋なんて、みんな一般人は、「は?百章ww耕してろよ百姓ww土人乙」
て感じです。維新どもや時代劇のせい。
すべては維新どものプロパカンダから始まります。

庄屋こそ中世期以前から出自が続く、在地領主であり、リーダーであり、
明治期以降も、明治の大名たる県令様より直々に戸長(村長)に任命され、
地域の名望家としてインフラ整備等地域に貢献し、
選挙権持つ高額納税者は7割が庄屋豪農であり、
戦前までの清く、美しく、強く、汚れなき日本の歴史を作ってきたものこそ、庄屋である。プラス下克上大名家。
真の血統書つきの日本人とは庄屋のことだ。

江戸武士なんぞ大半が出自不詳の在地すらない下克上の成り上がりだらけだろ。
庄屋こそキングオブ日本人だろ!!ドンだけ中世期より日本の基礎を支え、作ってきた階層だとおもってんだよ!!


441日本@名無史さん:2012/06/25(月) 01:00:51.03
うちの先祖は伊達家臣団・召出
剣豪のご先祖もいたし誇らしいですwww
442日本@名無史さん:2012/06/25(月) 01:06:12.27
自分の先祖さがしでは人別帳も分限帳も見た。
あと華族のところがあればおもろかったのに。
443日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:07:02.19
なんかめんどくさいのがいるな
でもうちの実家のド田舎でも庄屋さんだか村長さんだかの娘さnは
昔(半世紀ほど前)はおひいさまみたいだったってきいたことあるわ

それにしても先祖が奴隷っていうヘヴィーなルーツ探しドキュメンタリーを
公共の電波にのせてる国もあるのに
日本は情けないな
444日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:18:41.69
ルーツ探しに興味もってから
今まで読まなかった歴史の本も見るようになったし
教科書は一部しか書いてないことも実感できてよかった
うちは農家で古文書とかも全然ないけど戸籍さかのぼったり
昔の話きいたりしてるうちになんか歴史というか
真実の重みを感じだよ
良くても悪くても人ひとりの一生ってズッシリくるよね
それが何人もいるんだからさ
445日本@名無史さん:2012/06/25(月) 02:46:26.00
>>443
そりゃそうでしょw犬神家の一族のようなのが庄屋ですからねw
そうそう劇中の犬神家も旧庄屋の末裔の資産家という設定でしたがww
446日本@名無史さん:2012/06/25(月) 19:14:06.71
うちは本陣だ。これも犬神庄屋さまには劣るのかな〜
447日本@名無史さん:2012/06/25(月) 20:54:48.47
うちは全国5,500位ぐらいの姓で、その中では比較的本家に近い扱いを享けている

昨日の夜九時ごろ、突然「●●署の者ですが、そちら、北海道にご親戚はありますか?」
との電話が来る。
聞けば我家と同じ表記の名字の○○さんが亡くなったのだが、御家族の消息がつかめない、
携帯に我家の電話番号が登録されていたので何かご存知でしたら、教えてください。
との事。
勿論、我家には全くの心当たりは無いのだけれど・・・
これって、新しい先祖探しのテクニック?
448日本@名無史さん:2012/06/25(月) 20:57:45.86
携帯に登録されてたら何か関係あるんじゃ?
449日本@名無史さん:2012/06/25(月) 21:07:17.19
タウンページ見たら同姓が。うちの総本家かもしれない。
いつか連絡してみよう。一応ケイタイに登録。
そのまま死んでしまた。
450447:2012/06/25(月) 21:33:15.23
>>448
そこが腑に落ちないのですよ!何でうちの番号が?

亡くなった方は、漢字の表記はうちと一緒なのですが、警察の方の言うにはカード類の名前では
読み方が微妙に違うみたいだし。
まあ、商売柄、たまに来客も有るのだけれど、こちらでも心当りが無いのです。
451日本@名無史さん:2012/06/25(月) 21:37:10.92
だから449みたいなもんじゃないの?
452447:2012/06/25(月) 21:40:56.49
>>449なるほど!ありがとう。
(先祖探しも大切だけれど、自分の菩提を弔ってくれる人を確保しないとならないな、
自分も含めて)
453日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:13:03.60
>>449
それはないだろw
>>447の知らない所でつながってる可能性の方が高い
454日本@名無史さん:2012/06/25(月) 22:44:48.80
越後の田舎の百姓の家だけど、戸籍は4代遡ったところで幕末まで行き着いて終わり
そこから先は今お寺に調べてもらってるんだけど、そこで出尽くしたら普通は終わり?
455日本@名無史さん:2012/06/25(月) 23:29:55.18
>>454

>>136から>>150
あたりのレスを読むと、安易に、お寺まかせの調査をするのは、自ら首しめたっぽいぞ。
456日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:19:48.77
>>454
墓若しくは墓地一帯の調査も終了済み?
457日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:26:20.00
>>136>>150のレス、何かすげぇ詳しいみたいな書き方をしてるが、物凄く非現実的だぞ。
江戸時代とかの個人墓なんてまず残ってないし、よしんば残っていたとしても地元の古老レベルじゃないと知らないような森の中とかにある。森の中に偶然墓石を見つけたとしても、字は崩れ、苔まみれで誰の物かわからんだろう。
神社の寄進者だって、大体の神社は幕末から今までに何度も改装している。幕末の人が寄進者として記録されてるなんてかなり稀。

結局は本家の人かお寺が頼みの綱。

うちは幕末の大火で寺の過去帳も本家も焼けちゃったから、その先どうしようか考え中…。
幕末よりも前まで辿れた人いる?いるとしたらどうやって?
458日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:32:06.69
>>457
>うちは幕末の大火で寺の過去帳も本家も焼けちゃったから

こうなると、調べるのは苦しいかもしれないね
江戸時代に居住していたのが村で、お百姓さんだったなら
村の住人について記した公文書とかかな?
あれは「○右衛門」「○蔵」とかなってて苗字が書いてないけど
459日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:40:39.94
そう言う類いの文書とか昔に書かれた村誌みたいなのってどこに置いてあるの?役所に聞いてみるとわかるのかな?
ちなみに農家ではなく漁業兼水兵です。
460日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:46:34.01
>>459
役所に問い合わせると、詳しい人を教えてくれたり、どこに行けばいいかを多分教えてくれる
461日本@名無史さん:2012/06/26(火) 00:49:32.57
○○村誌(史)とかでナクシスか国会図書で検索
462日本@名無史さん:2012/06/26(火) 01:08:22.49
図書館とか資料館とか
463日本@名無史さん:2012/06/26(火) 01:18:30.77
おらのご先祖さまは、藩士で刀鍛冶をやっていた
源清麿みたいに、ご先祖さまも銘に「源○○」と、自分の名前をきっていた
幕末で活躍した人の刀を作った一族もいる
おらは戦国武将マニアだから、色々と調べて、このスレもたまにみてる
田舎の郷土史を調べたり、お墓をみてまわったりして
清和源氏や桓武平氏や藤原鎌足の末裔がこんなにもいるのかと
思ったりして楽しんでいる
こんどは遠いご先祖さまのゆかりの地をみてまわったりして旅行でもしてこようと思う
464463:2012/06/26(火) 01:24:00.43
先祖探しとは、もののふの意地なり。
465日本@名無史さん:2012/06/26(火) 02:08:58.12
母親の実家が藤原出の武家から嫁をもらっていたことがわかった。
実家では殿様の家から嫁を貰ったことしか知らないのだが、俺がよく調べてみたらそれは本姓藤原の家系だった。
俺はどうやら関白や紫式部と血縁があるらしい。日本は広いようで狭いなw
466日本@名無史さん:2012/06/26(火) 09:08:33.91
古文書や村誌から先祖を探すのって実際どのくらいの確率で見つかるもん?
実際に見つけた人いる? 除籍謄本や過去帳は容易に想像できたが古文書から一人二人を探すのってなかなかイメージが湧かない。
467日本@名無史さん:2012/06/26(火) 09:37:29.85
宗門人別改帳とか当時の戸籍っぽいのにあたれば
すぐ見つかる
468日本@名無史さん:2012/06/26(火) 10:11:13.69
それはどこに行ったら見れるの?
469日本@名無史さん:2012/06/26(火) 10:18:57.08
だから図書館とか資料館とか
470日本@名無史さん:2012/06/26(火) 12:08:16.15
>>457
頭の中で想像するだけだとそう思いがちなんだけど、ところが
俺も、その人と全く同じように、現地を足で歩いて何カ所もの
先祖の古い墓を見つけたから、全くその通りだと知ってるよ。

非現実的どころか、4家系の先祖をその方法で見つけたよ。
471日本@名無史さん:2012/06/26(火) 12:35:24.95
田舎の場合は難しいってことなのかな?
うちは都会の旧村だけど
普通に江戸時代からのお墓も残ってるし
資料も結構残ってる
472日本@名無史さん:2012/06/26(火) 12:52:18.21
俺の親父の田舎は鎌倉時代まで余裕でさかのぼれるな
墓の文字は読めないけど
473日本@名無史さん:2012/06/26(火) 15:37:55.06
>>472
人の移動の少ない土地ほど、古くまでさかのぼれる可能性が高い
山間部だと戸数制限をしていた地域もあるので
調べる気になれば戦国末期くらいまでは確実に行ける
474日本@名無史さん:2012/06/26(火) 16:42:59.69
457だけどうちはクソ田舎の狭い集落なのに古老すらそんな墓知らなかったぞ。多分昭和になってからどこの家も一族の墓全部まとめたんじゃないかな。
475日本@名無史さん:2012/06/26(火) 16:57:44.02
戦争の被害が地域によって違うからじゃないかな
戦争被害が酷いところは色んな分野で断絶が起きてる
476日本@名無史さん:2012/06/26(火) 19:27:14.72
うちの市はそれなりに戦争被害もあったけど
旧村の時からある家なら
たぶんかなりの確率で昔までたどれる
墓も資料も残ってる
477日本@名無史さん:2012/06/26(火) 21:26:38.27
>>474
田舎だと、集落ごとに墓地があったり、お寺の墓地にかたまってあったりするのが多いけど
まぁ、そうじゃない所も多いんだろな
478日本@名無史さん:2012/06/26(火) 21:47:21.56
うちの所は過疎村過ぎて、訪ねていった時はすでに廃村だたwww
空き屋ならまだましで、墓場すら見当たらず。絶家ばかりで古い墓はまとめて埋められたらすいwww
479日本@名無史さん:2012/06/26(火) 22:59:48.09
東北の田舎の市だけど、大きな墓地には個人墓は残っていない。
うちも60年ほど前に合葬するように寺から依頼されたようだ。
480日本@名無史さん:2012/06/26(火) 23:52:49.84
田舎のお墓参りは楽しい
お寺にあるお墓ではなく、集落のお墓などだ
こういうのは、山にお墓をたてるのが多い、古いお墓ばかりだ
ある時なにげなく、ド田舎の山に登ってお墓を見つけたから
興味本意で、ちょっとみたんだ。それがビックリしてしまった
なんと、そこには歴史上の某有名人のお墓だった
あの歴史上の有名人が、一般的な墓石に、家族と一緒に刻まれている
どうやら有名人の直系子孫が引っ越してきて、山の中にお墓をつくったらしい
歴史上の有名人でさえも、現代ではみんなと同じような墓石なんだ
ド田舎のしかも民家の少ない誰も人通りいない山の中にだぞ
そこに、歴史に名を残した有名人が
ド田舎の山奥に、豪華に飾らず、質素な一般的なお墓に、家族と一緒に眠っている
481日本@名無史さん:2012/06/26(火) 23:59:44.33
住めばみやこと言うが
歴史上の有名人も、こんな山奥に住んでるんだよな
こんな山奥で、人が生活していけるの?
なんてのは、余計なお世話だよな
たぶん、戊辰戦争の時に、逃れてきたんだと思うが
482日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:07:17.85
>>480
それってお墓?戒名刻んだ碑じゃなくて?
483日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:10:29.57
古いお墓しか興味ない
484日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:14:48.23
>>482
うん、納骨されたお墓
郷土史みたら、戊辰戦争の時に逃れてきたらしい
山おりたトコにご子孫の家もあるが
そんなに広くない、むしろ狭くて
一般的な質素な家に住んでた
485日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:19:29.30
>>483
新しいお墓でも、歴史を語っている場合もあるんですよ
視野を広めると、偶然にも歴史を語っているお墓を、見つけることもあるようです
486日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:34:35.21
自分ちは本家(これもじつは分家の分家みたい)とは疎遠でほとんど付き合いなく(仲が悪いわけではない)
そこの墓参りもしたことない。
父が二男でそのまた分家になるんだけど、その墓は兄が建てた。この兄と自分ちは別。これも疎遠。正月くらいしか会わない。
私は父が大嫌いだったのでそこも一度も墓参りしたことなし。
そこで自分のお気にの系統の先祖を決めて、遡って調べ上げて家系図巻物を作ってそれを仏壇で祭っている。
487日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:46:17.41
それはちょっと違うんじゃ?
488日本@名無史さん:2012/06/27(水) 00:59:54.02
いいじゃん。一系統だけが先祖じゃないってここの人も言ってたし。
でもじつは自分が調べ上げたその系統の先祖って、疎遠本家にさえわからなくなってる男系男子の系統。
仏壇があってご先祖を日々お参りして、という日本人らしいことやってみたかったのよ。
489日本@名無史さん:2012/06/27(水) 01:12:12.16
本家でも解らんものをどうやって調べあげたの?ちなみに何年くらい前まで?
490日本@名無史さん:2012/06/27(水) 01:21:04.16
>>489
その本家って言ってるのも分家の分家みたいで、そこの伯父はご先祖とかあまり興味ない人。
自分が調べた方法はいたって普通。戸籍から分限帳。その他。戦国までいけたよ。もう少し行けそうな手応えあり。
491日本@名無史さん:2012/06/27(水) 11:08:49.34
分限帳ってそこまで辿れるの!?載ってる名前の親子関係はどうやって判別するの?

あと市誌や町誌なんだけど、これってどの程度あてになる?
図書館行ったついでに今住んでる市(先祖とは無関係)の市誌読んでみたけど、市長とか名誉市民くらいしか固有名詞は無かったような…
492日本@名無史さん:2012/06/27(水) 13:00:18.26
その他って書いてあるし・・・
493日本@名無史さん:2012/06/27(水) 20:47:27.14
昔の区長って
だいたい名主の家系だよね

おれんち郷士だったから
区長やってた

市史の区長欄のところに
名前書いてあった
494日本@名無史さん:2012/06/27(水) 21:19:28.98
うちも庄屋→戸長→村長
495日本@名無史さん:2012/06/29(金) 06:02:52.56
>>491
ご先祖が住んでた地域の図書館へ行って担当者へ尋ねたほうがよい。

うちの場合は図書館に保存してある三通の古文書で十一代前、年代的には秀吉時代まで遡ることができた。
四代前(明治十九年式戸籍の戸主)→士族並卒給禄帳(明治二年作成)
五代前(明治十九年式戸籍の前戸主)→藩分限帳(安政五年作成)
六代前より十一代前までの一括記録→藩諸士系譜(寛政五年作成)
496日本@名無史さん:2012/06/29(金) 09:30:34.78
すげぇwそれは武士だから残ってるのかな?
平民の場合も可能性はある?
497日本@名無史さん:2012/06/29(金) 09:32:40.21
宗門人別改帳が残ってれば可能性ある
498日本@名無史さん:2012/06/29(金) 10:29:39.83
うちは調べてわかった先祖でガッカリしたくち。
もうこの系統は切り捨て。別の系統の立派な先祖を探す。
499日本@名無史さん:2012/06/29(金) 10:56:55.55
何かは知らんがガッカリはご先祖様に失礼だろ
500日本@名無史さん:2012/06/29(金) 11:11:13.13
一番ダメなパターンだな
501日本@名無史さん:2012/06/29(金) 12:30:51.26
俺の先祖の一人は村橋久成。
最後はホームレスで放浪して道端で餓死寸前。救護所に助けられるもそのまま死亡。死ぬ前に鹿児島士族村橋なにがしと名乗ったことで葬儀には西郷従道たち列席。
その性格と生涯を思うと俺に似ている。
うーん、ホームレス餓死は目前の気がする。
502おっぱいゴルフア〜:2012/06/29(金) 13:03:03.84
図書館の郷土資料室に逝って藩の資料や宗門人別改帳らしき書類を見ますた。
でも一体何を書いているのかサパ〜リ判りませんですたし、文字すら読めまへん。
誰かエロイ香具師が現代人でも読める様に活字で現代語に訳して頂けないのでせうか?。
503日本@名無史さん:2012/06/29(金) 13:24:45.77
>>502
お金を払えばしてくれるだろう
504日本@名無史さん:2012/06/29(金) 13:32:44.98
時給6000円ならやる
505日本@名無史さん:2012/06/29(金) 14:04:04.53
身バレする覚悟でうpしてくれればやるよ
506日本@名無史さん:2012/06/29(金) 15:12:33.98
俺の里はド田舎で図書館が無い。さぁて、どうしようwww
507日本@名無史さん:2012/06/29(金) 15:42:45.15
県立図書館とか
508日本@名無史さん:2012/06/29(金) 19:36:09.88
郷土史等の外部資料で
先祖が分かるってのは稀だと思うが
509日本@名無史さん:2012/06/29(金) 19:51:28.58
先祖を調べてがっかりしたから歴史の闇に葬り去るって朝鮮人だろ
510日本@名無史さん:2012/06/29(金) 20:01:10.11
稀どころかよくあることだと思うけど
511日本@名無史さん:2012/06/29(金) 20:12:53.27
>>509
ふー
愚かなやつ
512日本@名無史さん:2012/06/29(金) 21:03:31.60
>>502
まんま>>229
の通りなんだね。
513日本@名無史さん:2012/06/29(金) 21:15:26.16
資料館にある宗門人別改帳って
現代語訳は無理にしても
書き起こしされてたりはしないのかな?
514日本@名無史さん:2012/06/29(金) 22:58:15.70
県立文書館なんかのは翻刻されてるよ
515日本@名無史さん:2012/06/29(金) 23:07:36.33
あっ翻刻つうか、翻字だわ。つまり
ゟpu
のように見える崩し字を、「ヨリ申候」のように
読みやすい楷書に直してくれてある。
516日本@名無史さん:2012/06/29(金) 23:19:50.36
>>513まあ、人別帳ぐらいなら、公文書だからけっこう典型的な書体だし、
ある程度内容や書式も決まっているので、
写真でも取らせてもらって、解読の練習にはちょうど良いのでは?
何より人名の勉強になると思います。
517日本@名無史さん:2012/06/30(土) 01:37:40.32
みんな図書館や博物館には何て言って依頼するの?

まずは役所に問い合わせて「旧○○村××地方について調べていますが、当時の人々の様子がわかる資料はありますか」的な感じで資料のありかを教えてもらえるのかな?
いきなり「宗門改帳を見たいです!」ってのもおかしな話だと思ってw
518日本@名無史さん:2012/06/30(土) 01:54:56.55
撮影もだめ、筆写もだめ
http://komainu-dottokomu.seesaa.net/article/270446226.html

>>130
にも出てる、郷土資料館でも同じ扱い。
519日本@名無史さん:2012/06/30(土) 02:38:37.14
何でそんなに開示を拒否するのかな?
差別?何もかも分からなくすればいいの?
520日本@名無史さん:2012/06/30(土) 02:54:37.40
江戸時代のものは苗字もかいてないのに大袈裟じゃないのかなーと思うのは
素人だから?
521日本@名無史さん:2012/06/30(土) 04:55:55.40
>>519-520
90年代末か00年代初頭か詳しい時期は忘れたが
大阪の探偵社が「エタ系図」とか言うのを作って販売、逮捕された事があって
そのゴミクズ差別野郎のせいでこういう事になっちまった
壬申戸籍を見せないような措置が取られたのもこの事件の余波だった筈
関西で差別して喜んでる馬鹿キチを根絶しない限り改善は見込めない
522日本@名無史さん:2012/06/30(土) 09:05:49.09
今のご時勢、
臭いものにフタの考え方じゃ何も解決しないよ。
タブー意識が助長されるだけ。
てか本来、隠されるべきものでも何でもないし。
523日本@名無史さん:2012/06/30(土) 12:29:45.33
>>522
エタ系図なんてものを作って販売するゴミが出りゃ別だよ
国側が防衛に走るのもいわば当然の流れ
関西で差別して喜んでるゴミクズをどうにかしないと対処しようがない
524日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:06:20.53
そのエタ系図とやらが差別的って時点でナンセンス。
先祖がエタであれ何であれ、
卑下する必要もなければ隠す必要もない。
いつまでタブーを引きずるんだって話。
525日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:22:04.44
>>524
差別をする人間がいるから隠したりするんだろう。
526日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:29:46.84
今は一番馬鹿にされるのはルーツがない(分からない)人間
ルーツがハッキリしてる奴の方が立場は強いのに
そのルーツを隠蔽したり捏造する人間は心根の弱い駄目人間
527日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:34:06.14
そこで隠してる限り問題は解決しない。
>>518とか論外。完全に逆行してる。
528日本@名無史さん:2012/06/30(土) 13:43:06.43
>>527
公開すると差別が無くなるわけではないだろう。
529日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:07:56.88
中途半端な誤解、偏見の類はなくなる。
穢れうんぬん言ってる奴は、
完全に時代錯誤なんでほっときゃいい。
530日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:17:06.40
壬申戸籍って
開示しても意外とどうってことない気がするけど
どうだろう?
531日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:30:10.37
>>530
近代に入っての最初の全国一律の戸籍。
ちょっと歴史に興味深ければ、いや上にも拝見したいものだ。
この国は歴史を真っ向から否定しているようでならない。
532日本@名無史さん:2012/06/30(土) 14:41:39.08
壬申戸籍も見たいけど明治19年式戸籍も見たい
80年縛りで結局見れず仕舞い
533日本@名無史さん:2012/06/30(土) 15:38:06.11
>>524、527、529
お前エタ系図作った業者orそのお仲間じゃねえの?
差別して喜んでるクズは差別の為のツールを手放したくないからね
しかも人間のクズだから、その為なら手段も選ばない人格破綻者の巣窟だし
534日本@名無史さん:2012/06/30(土) 15:41:50.91
論外だな。
535日本@名無史さん:2012/06/30(土) 16:14:40.93
論外だね。
536日本@名無史さん:2012/06/30(土) 16:31:42.06
その、閲覧を禁止する、という決まりを作ったのが
お役所に潜り込んだ○○な人たちなんじゃね?
537日本@名無史さん:2012/06/30(土) 17:44:28.21
>>533
超新星、いや超真性現る。

538日本@名無史さん:2012/06/30(土) 18:54:00.66
2ちゃんの運営がまた悪さしてるのか
539日本@名無史さん:2012/06/30(土) 19:20:21.66
江戸時代の偽系図の大半は尊卑分脈をもとに作成したと聞いた
特徴は分脈に子孫を記していない人物を始祖と位置付ける
○○氏族を自称してそこから江戸時代までの家系が不明
他の○○氏族との接点を歴史上見いだせない
540日本@名無史さん:2012/06/30(土) 19:30:38.33
偽系図でも江戸時代の物が残ってるならば
それなりに価値はありそう
もちろん本物に越したことはないんだけど
541日本@名無史さん:2012/06/30(土) 21:02:16.32
徳川宗家は今でも昔の偽系図を持ってるのかしら
542日本@名無史さん:2012/07/01(日) 00:52:32.61
家康の創作より昔は系図を所持していたか分からんけどね
家康「新田氏に繋げてカクカクシカジカ作成するように」
   ↓
寛永系図伝の完成
543日本@名無史さん:2012/07/01(日) 07:10:38.35
論外だな。
544日本@名無史さん:2012/07/01(日) 07:38:28.22
>>542
地元のテレビ局にCBCというのがあるんだが
そこのニュース番組が、10年くらい前に番組内でミニ特集を組んだ事があって
松平家は奥三河で代々林業を営んできた富裕な家柄だと土地の老人がはっきりと言っていた
記憶違いでなければ

>奥三河には松平郷というところがあるらしい。
>現在は豊田市に属しているそうだが、司馬氏の「覇王の家」はそこを訪問したところから始まっている。
>山間部にあったこの地方では林業やひえ、あわなどによって生活していたが、
>松平家の始祖の親氏という人物が現れてから戦闘集団化していったという。
>この松平親氏は本来「ささら者」と呼ばれる階級のものだったらしい。
>旧名は徳阿弥と称し三河に流れ着いて奥三河の松平、
>西三河にそれぞれ自分の子供をつくりそれをまとめて軍団化していったという。
http://youyou8.cocolog-nifty.com/app/2011/04/post-d84f.html

奥三河には松平郷というところがあるらしい、じゃなくて、実際にあるんだけどねw
豊田を走り続けると、切り立った山壁が現れて、どんどん山っぽくなったところに松平郷はある
とんでもない山の中で、まさに奥三河といった雰囲気の場所(奥三河は信濃と接するので、どこも山)
またこの「山間部にあったこの地方では林業やひえ、あわなどによって生活していた」というのは
土地の古老達が今も語り継いでいる口伝で、作り話ではない
『松平親氏は本来「ささら者」と呼ばれる階級のものだった』というのも確か口伝のはず

まあ、隠された歴史、という奴ですね
545日本@名無史さん:2012/07/01(日) 08:32:38.03
>>544
松平の話がそうだというわけじゃないが、必ずしも口伝が作り話ではないとは言えないだろう。
神話のような口伝もある。
546日本@名無史さん:2012/07/01(日) 08:45:53.72
>>545
そういう意味ならそうだね
547日本@名無史さん:2012/07/01(日) 09:54:25.58
>>544
カムイ伝かよ
548日本@名無史さん:2012/07/01(日) 10:33:49.27
>>547
544にこう書いてあるがな

>地元のテレビ局にCBCというのがあるんだが
>そこのニュース番組が、10年くらい前に番組内でミニ特集を組んだ事があって
>松平家は奥三河で代々林業を営んできた富裕な家柄だと土地の老人がはっきりと言っていた

ソースはカムイ伝じゃなく、土地の人々に伝わる口伝
549日本@名無史さん:2012/07/01(日) 11:09:32.43
>>548
いや〜、そういうことじゃなく
フィクションの域を出ないってことが言いたいわけで・・・
昔からそういう話は、サヨク系の人たちが好んでしてたし
550日本@名無史さん:2012/07/01(日) 11:12:17.28
>>549
なんでフィクションやねんw
551日本@名無史さん:2012/07/01(日) 12:10:39.95
口伝の域を出ない
552日本@名無史さん:2012/07/01(日) 13:12:33.88
ササラ者、サンカ、まつろわぬ民とか
そういう用語がカムイ伝っぽいと言いたいんだろ
553日本@名無史さん:2012/07/01(日) 14:44:55.69
>土地の老人がはっきりと言っていた

何才やねん
554日本@名無史さん:2012/07/01(日) 15:09:05.72
設定がカムイ伝
555日本@名無史さん:2012/07/01(日) 15:44:58.03
>>554
普通に考えたら逆だとわかりそうなものだが
556日本@名無史さん:2012/07/01(日) 15:52:45.80
その通り
557日本@名無史さん:2012/07/01(日) 16:35:51.04
口伝の言い伝えってのは、伝承を受け継ぐ人の個人解釈とか信仰の影響を受けやすいこともあって、
ほんの数世代、100年程度の期間で大幅に変わっちゃうことがよくあるという研究もあるぞ。

だから、
>『松平親氏は本来「ささら者」と呼ばれる階級のものだった』というのも確か口伝のはず

の内容が近代の民俗学に由来する新しい説話である可能性は小さくない。
558日本@名無史さん:2012/07/01(日) 16:55:51.62
三河物語だと流れ者の徳阿弥が松平家に取り入り親氏になったような
559日本@名無史さん:2012/07/01(日) 17:22:08.77
>>557
しかし大きくもないよね
560日本@名無史さん:2012/07/01(日) 17:44:56.69
こういう言い回しは、思い込みなどをやんわり否定するときに使うんだよ
真偽の割合を表現したのではなく、>>557のやさしさだよ

口伝で語り継がれたものはおよそ事実に即しているなんて論理は成立しない
561日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:23:28.95
>>560
不都合な史実を闇に葬るには最適のロジックだよね
徳川家の作り話なんか、奥三河や南信濃に残る落人伝承を利用したものでしかないのに
562日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:31:21.01
>>558
南信濃でも伊那郡は南北朝時代の戦地の一つで、落人伝承が残っている特殊な土地柄
古戦場なども残されてる
実際、信濃坂部には新田義貞の子とされる熊谷貞直が落ちのびて定住してる
つまり徳川家の「新田義貞の子孫」云々の家系創作話は、それらが根源になってるって事
あの辺は多分そのせいだろうがきちんとした史料が残ってないんだよ
触れられると徳川家に都合が悪いって事だろうけど、詳しい史料編纂がきちんと行われてない
563日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:45:31.89
親氏がささら者かどうかは別として、少なくとも徳川家が平民の家系だったのは、疑いの余地はないよ
秀吉と同じく、出自が国の古代豪族や武家ではない、そういう意味では本当に平民の家系だったと言える
第一、徳川家が本当に由緒正しい家系なら、その証拠が奥三河にきちんと残ってる
奥三河はとんでもない山の中だけど、旧家が普通に残ってる地域なのでね

俺は思うんだが、平民出の家系が征夷大将軍になって天下獲っちゃいけないのか?
ただこの話題は触れるとよくないようなので、やめるけどさ
(この辺の話に興味ある人は奥三河や伊那郡の歴史について調べてみるといいよ)
564日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:52:06.93
>>561
意味不明な反論されても困る
言葉通りにとってもらえないかな、別に陰謀論じみた話ではないよね
565日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:52:46.83
たぶん、松平郷から出たって点だけは事実だろうけど、
それ以外の点はすべて真偽不詳の怪しい話しだよな。

・松平家は奥三河で代々林業を営んできた富裕な家柄
・山間部にあったこの地方では林業やひえ、あわなどによって生活していた
・松平家の始祖の親氏という人物が現れてから戦闘集団化していったという

あたり。
まして、
・この松平親氏は本来「ささら者」と呼ばれる階級のものだったらしい
・旧名は徳阿弥と称し三河に流れ着いて奥三河の松平、
西三河にそれぞれ自分の子供をつくりそれをまとめて軍団化していったという
あたりに至っては、(おおむね三河物語の記述が元とは言え)信憑性は薄いと言うべきだろう。
566日本@名無史さん:2012/07/01(日) 23:55:36.38
>>562
落人伝承のほとんどは後世の創作で、ほんとうに落人が始祖だった集落は少ない。
ゼロではないようだが。

はっきりいって、桃花源記の話中に出た落人伝承の方が確実度が高いぐらい。
ただし、あの村が実在するかどうかは不明だが。
567日本@名無史さん:2012/07/02(月) 06:47:34.52
作り話は秋田
568日本@名無史さん:2012/07/03(火) 16:12:29.78
>>565
まあこの言い伝えを全否定するという事は何らかの動機があるものと思うので
これ以上は意味がないから避けるけど

一応、補足しておくとだね
徳川家がはっきりした由緒ある家系なら、奥三河にその旨が確実に伝わっているし、そういう文章も残されてる
あなたはきっと、奥三河がどんな場所だか全然知らないと思うし、だから言い伝えの信憑性がわからないのだろうが
あの山深くて人が暮らす事が難しい土地で、後から余所者が入り込んで武家として自立するなんてまず無理
ああいう場所では、どの土地も古くからの武家が治めていて、人間関係もガッチリ押さえてるので、付け入る隙自体がない
余所者が何も言わずに入ってきたら、古くから奥三河に土着した武家に潰されるよ
仮に余所から財力を持ち込んで武士化したなら、やはりその記録がきちんと残る(その場合は偽系図を作る必要性がない)
現にすぐ近くの信濃国新野を治めた小名・関盛春は伊勢平氏の出と出自が明らかになっている

下伊那郡の城 〜阿南町・下条村〜
http://www.geocities.jp/sisin9monryu/nagano.simoinagun.html
>日差城
>城を築いたのは伊勢平氏の末裔・関盛春で応仁の乱で住処を失い各地を流浪して行き着いた新野の地で民に家柄を見込まれて領主になりました。

松平家は、松平郷で古くから林業を行っており、林業等で徐々に財力を蓄え、勢力圏を少しずつ広げて武士化したという言い伝えの方が、現実味がある
569日本@名無史さん:2012/07/03(火) 18:42:58.36
徳川家の話はいいから、自分家の話をしてくれ。
570日本@名無史さん:2012/07/03(火) 23:47:59.10
>>568
いや、言い伝えってものの信憑性なんてそんなものって程度の意味であって、特に動機があるわけじゃないよ。
松平家の祖先が古くから由緒のある名家だったとは思わないさ。

ただ、他の値域の場合も含めて、
>仮に余所から財力を持ち込んで武士化したなら、やはりその記録がきちんと残る(その場合は偽系図を作る必要性がない)
という想定には反対だね。

後世に名前が伝わらないような下級官人が土着して武士化する例は想定異常に多いと思うけど、
その多くは明白な記録なんて残ってないだろう。

特に疑わしいのは、
>林業等で徐々に財力を蓄え、勢力圏を少しずつ広げて武士化した
あたりかな。
ホントは財力を蓄えたことによるのではなく、動乱に便乗して成り上がったんだろうって意味。

三河は室町時代中期から一色氏と細川氏の争いがあったし、それ以前にもそれなりの動乱はあったからね。
たまたま当時の松平家当主が軍事的に有能だったとかで、
うまく勝ち馬に乗れたとかそんなとこじゃないの。

周囲の武士の多くが一色方についてるなかで、いち早く細川方に転身して勝ち抜いたとか。
571日本@名無史さん:2012/07/04(水) 00:52:22.76
>>570
確かにそういう説なら考えられるね
しかしそういう話を聞くと逆にわくわくしてくるw
成り上がりの成功譚って結構面白いしね
572日本@名無史さん:2012/07/04(水) 01:54:54.11
>>570
徳川氏を「有徳人」としている言葉に関する最近の研究から考えると、
財力を蓄えていったというのを根拠なく疑わしいというのはちょっと暴論な気がする。

つかスレチな徳川ネタもうやめようぜ。
573日本@名無史さん:2012/07/04(水) 02:03:52.41
文字として残されているものでも事実と違ったりするのに、
口伝なら事実と異なる可能性の方が高いと思う。

根幹がゆらぐような部分が間違っているか、
瑣末な部分が間違っているかにもよるが。

うちの場合は、細切れの口伝の情報を集めてよく見たら、
筋道の通った流れを推測することが出来た。
現在は物証を集めている。
574日本@名無史さん:2012/07/04(水) 17:09:29.37
宗旨人別帳とか
ある程度先祖個人が特定されてないと
見てもあんま意味なくね
まあ 村名や部落名から推測は出来るかもしれないが
575日本@名無史さん:2012/07/05(木) 00:06:12.29
うちの先祖の土地には何も残ってなかった。古すぎて、聞いても誰も何も知らない。
かろうじて残ってた資料や戸籍をながめながら・・・思わずオカルトな方に走ってしまいたくなる。
ぎぼあいこみたいな霊能者とかイタコに聞きに行ったら、先祖がどんな人物たっだのかとか、どんなドラマがあったのかわかるのかなーと。
576日本@名無史さん:2012/07/05(木) 00:21:15.66
ここで聞いてみろ
577日本@名無史さん:2012/07/05(木) 00:57:30.76
>>575
なんか完全にスレ違い・板違いになってるが、そういうのは普通に無理だと思うよ

>ぎぼあいこみたいな霊能者とかイタコに聞きに行ったら、
>先祖がどんな人物たっだのかとか、どんなドラマがあったのかわかるのかなーと。

仮に霊の存在を是とすると、死者の国が存在する事になるので、お亡くなりになられた方達はそちらに行かれてる
また、これが重要だが、亡くなってから歳月が経ちすぎていると、輪廻してこの世に別の人間として生まれ変わってきているので
それ以前の「あなたのご先祖様だった」時代の記憶というのは一切なくなってしまっている

霊がこの世に留まるというのは、余程強い恨みや悔いがあり、あの世に旅立つ事の出来ない人だろうから、限られた人になってくる
あなたのご先祖様はとっくの昔にあの世に旅立たれているだろうし、輪廻されているだろうから
そういうのは仮にあったとしても、聞くのは無理という事です

輪廻転生について (1999.12.5)
http://www8.ocn.ne.jp/~ohmybud/jihou6.html
>「人は死んだら、中有(四十九日)と呼ばれる期間内に必ず何かに生まれ変わる」
>輪廻転生の考え方から言えば、必ずこの世の何らかの生き物として、生まれていることになっています。
>六道(ろくどう)と呼ばれる六つの世界(天界・人間界・修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界)を生まれ変わっている訳です。
今死んだとしたら生まれ変わるのは何年後ぐらいですか???
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418364424
>アメリカでは窃盗犯によって射殺された警備員のケースで自分の娘の子どもとして生まれ変わったのは5年後。
>また殺人事件で現場で地縛霊化していたケースで7年。
>冒頭で紹介されているトルコでの事例で50年。
>例外はあるものの平均的には15〜16ヶ月で生まれ変わっているとしています。
>前世の人格が死んでから本人が生まれるまで間隔は3年未満が普通であるが、文化圏によってその中央値は異なり、
>レバノンでは6ヶ月、トリンギット民族で48ヶ月となっています。
>それら全ての事例総計616例の中央値は15ヶ月となっています。

一体何のスレだここはw
578日本@名無史さん:2012/07/05(木) 01:06:01.25
>>574
それはそうだろうね
まあ、結局、農家なら幕末時点で中農以上、商人とか、職人として名を成した家系じゃないと、さかのぼるのは難しいんじゃないかな
江戸時代って結構滅茶苦茶で、地域にもよるのかもしれないけど、庶民が先祖崇拝の欠片もないような所もあったらしいし
位牌が真っ黒になっちまったので、読み取れる文字だけ読んで捨てちまったwとか笑うに笑えない話が結構ある
579日本@名無史さん:2012/07/05(木) 03:16:04.63
>>575
だから、このスレで何度も言われているように、
父親家系に限らずに、母方の家系とか、戸籍で調べた8家系、16家系を調べてみなよ。

先祖調査なんて、コツコツ調べていくと突然、他の先祖の手掛かりが得られたりする物だよ


580日本@名無史さん:2012/07/05(木) 03:34:20.01
穀蔵院一刀流
581日本@名無史さん:2012/07/05(木) 10:06:42.96
大室近祐の息子が徳川恒孝。もう徳川家の家系もニセ家系図だよ。
582日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:02:51.29
>>579
母方とかばかなの?必死すぎだろ。
母方なんかまったく関係ないわけだが?
そこまでしなきゃ遡れないならやめろよw
DNAに興味があるというならなんもいわんが。
ならこの際渡来系弥生人か縄文系かそういう類のくくりで調べろよ。
家計では母方なんぞまったく関係なし。
583日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:10:00.31
母方は関係無いというのが日本などのアジア的な伝統で、
父系・母系が共に関係するのが欧州的な伝統。
でも、日本でも外戚が政治的に影響を持ったり、
女系で資産相続がなされた歴史もある。
584日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:18:15.20
で?だから?歴史が過去にあったから何?
近世では特殊な例抜かせば男系がすべて。
で、その女系でお前が跡告げる可能性も世襲の可能性もないわけだが、
見苦しいんだよ?wなら徳川様の元にいき、
「おらがちは、かかあの家系は一流だからおらを格上げしてけろ」
てなきつけよ?wあんたの女流の家系はお前事態相手にしてないわけだから。
範疇外なんだよ女流はいくら近親でも。往生際が悪いなw
585日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:26:14.17
>>582
日本でも婿養子を迎えたなんていくらでも例があるんだがw
その場合、家系図は当然途中から母系でしか遡れなくなる
逆に婿に来た男の父方をうまく遡れなかったりするよ
徳川家康の先祖で松平家の婿養子に入った徳阿弥なんかいい例
586日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:39:25.65
母方調べてみたら4代遡ったら皇族だった、なんてこともあるしね
調べる価値はあるだろ
587日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:48:30.81
だからなに?それが特殊な例といってる。
しかし、母方からの養子であっても母方を相続できるわけでもなし。
で、君が言ってる母方はまったくいみが違う母かたなわけだが?
で、母方で江戸時代は動いてたの?
だから、DNAに興味があるといいなよ!家系云々は歴史ヲタなら母方なんぞカス。
見苦しい。渡来系なのかどうかでも母方で調べとけば?w
588日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:52:30.00
日本の場合、家は必ずしも血脈を伝えるものじゃないからな
江戸時代の武家などが典型例で、武家=特権的地位という意味しかない
御家人株など士分の売買が行われていて、頻繁に血筋が入れ替わっているのに
系図上はその家に縁もゆかりもない者が源平藤橘の子孫にされてる
旗本クラスですら困窮して士分を売り払ってたのだから滅茶苦茶だよな
589日本@名無史さん:2012/07/08(日) 23:59:06.57
そもそも系図上の源平藤橘事態が大うそつきだからww
そもそもの原点時点がそんなんだから588のようなことになったんだよ?
かりに嘘じゃないなら日本人全人口がどこかの代で源平藤橘だからな。
590日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:09:40.31
もっと詳しく言えば現代の株式会社が旗本等の上位武家。
そこにつく社長など誰でもいい。「家」自体に権限が与えられてるに過ぎない。
江戸体制の首脳はそういう考え。そもそもが実体の不明瞭が中途半端な武家の大多数。
血脈も重要視するほどの家でもなければ、「家」に追従する権限もない。だからそうなる。
逆に上層農民等は血脈も同時に伝えるということを重要視してる。
591日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:14:56.48
もっとわかり安くいえば、徳川宗家が本社で、旗本程度など、高家等の
特殊例ぬかせば、支店か出張所みたいなもの。支店自体が運営してるなら、
そこの店長なんぞ誰であっても本社からしたら意味のないこと。
高家や譜代審判クラスの大名ならまた意味も違うが、一般旗本程度などこの程度。
徳川が天下統一しなけりゃそもそもが末端の武士れべる。
592日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:22:43.85
>>589
どこかの代で源平藤橘なんて当たり前のことだろう。
593日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:29:05.96
そう。それをあたかも高家のように、脈々と直系をそれらとして維持してきたかのごとく、
捏造家系図を作り変えるような集団だから江戸中期でそのような有様の集団と化す。
そういう意味で言えば真の意味の社会的に認められた正統なある意味の源氏長者衆たる高家は、
そのような無様は存在しない。なぜなら、その血脈に価値があるからだ。
幕府公認の、血脈に存在価値を見出された集団と層でない集団は、
そのように過去と現時点において、現実としての存在意義が浮き彫りになりて、
著しくそれらを反映させる。
594日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:29:39.16
歴史ヲタを一括りにするのはいただけないな。
俺は側室ヲタなので、歴史上の人物の生母(側室)の生母の生母…
とたどるのは大好きなんだが。
上記の徳川だって、家康の外祖母の華陽院なんか、家康に影響を与
えた婆さんだろ。
春日局だって、母系の稲葉家の縁で婚姻やら母系親族の下で育ち、
義理の女系子孫の堀田正盛、正俊との関係とか女系がずっと影響し
て動いてた。
徳川慶喜にしても、母方の伯母が将軍家慶の御台所だったからこそ
一橋家に入り、後に将軍となる布石になった。
595日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:36:29.88
稲葉家等の春日などまた特殊例でしか対抗できないのか?w
いいかい?その後その例から乳母制度はどうなってる?
それにそもそも稲葉家の縁じゃなく春日の縁だろ稲葉家のような程度。
まあそれはいいとして、一部の将軍家たる独裁者に愛された江戸を通して
唯一無二に近いほどの逸材を出して、女系が与えた影響云々を語られても、
それをどう他の家系と批准した形での一般化理論として女系の影響力と説けるの?
596日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:56:07.65
なんか、一人先祖調査スレを妨害しようと必死なので
今日焼酎かと聞きたくなる。
597日本@名無史さん:2012/07/09(月) 00:58:03.11
>>592
まあ、婿養子を迎えて、婿養子の実家の苗字を名乗り、家系図を繋げるとかは普通にあるよな
婿養子の家が源平藤橘の庶流の末席とかで、そうしても何も言われないなら、普通にそうするだろうし
そう考えていくと国民の大多数が源平藤橘を先祖に持つというのは変な話でも何でもない
自分が引く血筋の内、より良い方を選択して残したってだけの事だから

もちろん偽系図の方は論外だけどね
今書いたケースは一応血は引いてて子孫でもあるので、偽系図とは違うから
598日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:01:21.08
いや妨害じゃない。ただ、女系は先祖にあらず。歴史的に言えばね。
それはDNAという遺伝子追求といういみでの先祖探訪ということをつたえたいだけ。
女系だろうが傍流だろうが庶流だろうが姻族だろうがいとこだろうがはとこだろうが・・・
ということになりゃ何でもありジャン。それじゃ先祖じゃなく、
「遺伝的無限拡張連鎖」にすぎません。ということ。
599日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:11:45.66
そして、この遺伝的無限拡張連鎖が正当化すれば、某国の
天皇もイチロさんも、挙句はベッカムwwwwwwwwwwまでわが先祖・・・・
という理論にいきつく。(極端に言えばねw)
そうなればあながち間違いでもないよ?となんでもなる。
はなしにならなん。
600日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:17:18.37
でも、ベッカムも同胞と言い切ったときは、逆に感動を覚えたよwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
超絶大爆笑しちまったよねwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
孔子が先祖と抜かしてるころはまだ東洋人範疇というあきれた目線だったが、
とうとうベッカムも同胞といったときには、正直敗北宣言出さざるを得なかったよなwwww
601日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:25:12.28
黒田長貞なんかも面白い女系の家系。
そもそも、黒田家は、孝高室の櫛橋氏(光)が5000石も領地を拝領してる、
女性の地位の高い家ではあったんだけどね。

黒田孝高ー黒田長政ー黒田長興ー黒田一貫室ー鶴子(野村祐春室)ー黒田長貞

野村家は完全な家臣の家系だし、黒田一貫も黒田家の血をひかない家。
一応、
黒田孝高=黒田一成ー女ー黒田一任ー黒田一貫
(女系で、孝高の猶子になった一成の血はひいている。)

藩祖の「女系の曾孫」であったことが後継となった要因であることは明白。
602日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:38:15.52
そんなもの、加藤清正の子加藤忠正の女子も、改易後五千石拝領の上層農民で帰農。
女系の家系はあっても、それはその五千石拝領の直系であり、その女子に確たる遺伝的根拠を持つ、
その女子の直系だから成立するわけでしょ。
君たちのように直系でもないのにむやみに女系(姻族等)を遡ってそれを先祖と標榜する妄想は、
もはやただの同胞認定レベルだと思うといっている。
男は黙って直系男系こそわが先祖と覚えよw
603日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:47:50.10
姻族って配偶者の先祖とかだろ?
女系(母系、父方の祖母系、母方の祖母系…)も立派な直系血族であって、その話をしてたつもりなんだが。
604日本@名無史さん:2012/07/09(月) 01:56:42.12
ですから、姻族などは先祖にあらずといっておるのじゃよ?w
女ごときの家系など先祖に値しない。それが江戸時代でしょw
姻族のそのまた姻族まで同胞認定しちゃうつもり?w
違うでしょーー。って話よん うふw
605日本@名無史さん:2012/07/09(月) 02:13:44.01
>>596
多分マッコリでしょw
606日本@名無史さん:2012/07/09(月) 02:14:37.90
>>604
「血族」と「姻族」の概念を間違えるなよ。
母系(女系)はあくまで「血族」の一部。
血のつながらない正室とかの先祖とかなら「姻族」。
ここで話題にしているのは、姻族じゃなく、女系「血族」だろ。
607日本@名無史さん:2012/07/09(月) 03:10:20.81
>>605
姜尚中
608日本@名無史さん:2012/07/09(月) 09:07:49.59
>>602
江戸時代にも女系継承(跡取り娘に男が婿入り)はある上
男系継承した場合の母方が無視されてたわけでもない。
徳川家光は自分の祖父であるからと言って浅井長政に中納言を贈位している
しかし浅井長政は家光の母方の祖父だわな。
徳川綱吉は母桂昌院に従一位をプレゼントしたがこれはなぜ?
徳川家康も娘が産んだ女系の孫に「松平」を与え、秀忠夭折時の後継候補とした例がある。

姻族も徳川家光正室鷹司孝子の弟鷹司信平が松平を名乗って武家になった例がある。
鷹司信平は男系でも女系でも松平の血を引いていないにもかかわらず、だ。
姉が徳川家へ嫁に行き、鷹司家は徳川家の姻族だった、というだけの縁。
609日本@名無史さん:2012/07/09(月) 11:16:26.82
その男系一本槍はただの釣りだから
610日本@名無史さん:2012/07/09(月) 11:23:33.17
庄屋の人?
611日本@名無史さん:2012/07/09(月) 12:53:22.09
狭小厨
612日本@名無史さん:2012/07/09(月) 14:58:51.96
男系でも女系でも自分の名字と同じ人を先祖と考えてる
613日本@名無史さん:2012/07/09(月) 15:59:15.15
遠い祖先で繋がりを持つ二人が出逢う時
614日本@名無史さん:2012/07/09(月) 22:39:22.17
家系調べてたら、俺と嫁の4代前が同一人物
615日本@名無史さん:2012/07/09(月) 22:54:13.53
結婚してからわかったってこと?
616日本@名無史さん:2012/07/09(月) 23:53:19.32
うちは3・4代前は近親婚だわ。従兄弟同士やハトコで結婚してて、家系図見てたら父系母系がかわらないくらい。
べつに某村の特別な司祭をやる部落とかじゃなくて、普通に士族。御殿医の家系。
高貴な家じゃなくて、士族でここまで近親婚やるもんなの?さすがに古代みたいな異母兄妹婚はない様だけど。
617日本@名無史さん:2012/07/10(火) 00:01:09.80
>>615
うん。結婚してからわかりました。
俺んちから嫁に行った人の子孫が俺の嫁
先祖が嫁になって戻ってきたようで鳥肌がたったよ
618日本@名無史さん:2012/07/10(火) 00:13:45.59
>>616
血統を維持する感覚が非常に強いのかな?
昔は家の格で結婚相手が決まるので、婿や嫁を貰う家は限られてた
619日本@名無史さん:2012/07/10(火) 02:40:20.12
DNAは共鳴し合うのか
でも一旦崩壊の道を歩めば怖いことになりそ
620日本@名無史さん:2012/07/10(火) 05:16:10.29
>>616
うちは近くでは同格の家柄が無かったようで、わざわざ遠くから嫁をもらっていた。
与力の家系。
621日本@名無史さん:2012/07/10(火) 09:36:27.70
現代でも近所の庄屋様の家は、やはりいとこや分家と結婚してる。
一般農家出身でも公務員や大企業勤務だと例外が発生するらしいけどw
622日本@名無史さん:2012/07/11(水) 23:23:11.74
昔の人ってすげぇよな。
20代半ばくらいから50前後まで子ども作り続けてんだな。
100年前の40代って既に凄い年寄りのイメージだったから意外だわ。
623日本@名無史さん:2012/07/12(木) 00:39:18.90
地域と密接に関わっている物と言えば学校だけども、先祖リサーチに学校を使う手は無いのかな?
卒業生の写真なんかを記録するようになったのっていつ頃からなんだろうか。
624日本@名無史さん:2012/07/12(木) 02:01:17.70
>>622
もっと早い
江戸時代、富裕な家庭では15歳で普通に子供を作ってた
36歳の時に16歳の息子に第一子誕生とか普通にある
だから当主一代当たりの年数がたった15年とかが普通にある
625日本@名無史さん:2012/07/12(木) 02:02:16.56
× 36歳の時に

○ 32歳の時に
626日本@名無史さん:2012/07/12(木) 08:51:56.20
みんな先祖の学歴ってどれぐらい把握してるの?
うちは曾祖父の代になるとまったくわからない。
627日本@名無史さん:2012/07/12(木) 10:37:07.44
>>597
麻生太郎の長女と結婚して麻生家の養子に入れば
楽なニート生活できそう。
628日本@名無史さん:2012/07/12(木) 11:44:28.92
>>627
麻生太郎のところは長男がいるから長女が跡取りじゃないだろう

麻生のところは見事な政治家同士の政略結婚だから
ニート希望の庶民男が行っても娘と結婚できるはずもないが
麻生太郎の華麗な身内
母;内閣総理大臣吉田茂の娘
妹;三笠宮家長男寛仁親王妃
妻;内閣総理大臣鈴木善幸の娘
629日本@名無史さん:2012/07/12(木) 16:18:44.77
>>626
ハッキリわかるのは高祖父まで。家老の家で近習として働きながら勉強した。
家が寺子屋をしていたので、高祖父より前の代はそこで一緒に学んだと推測される。
630日本@名無史さん:2012/07/12(木) 22:47:40.43
家にある明治・大正時代の土地税の領収書を見たら
我が家には田んぼを持ってないのに
大正の初めにできた分家には田んぼがあったことがわかった。
借金もないし、困窮してる様子もないように見えたし。
その分か知らないけど、山林を買いあさってた様子があってちょっと笑ったw
631日本@名無史さん:2012/07/13(金) 00:34:05.51
そんなもんよく残ってたなw

632日本@名無史さん:2012/07/13(金) 00:46:59.91
>>631
大林署(?)に何度も国有林の払い下げを要請したらしいことが
署からの返信封筒の手紙でわかった。
田んぼを買わなかった分なのか、山林の譲り渡し書が5枚も出てきて笑ったw
でも合計すると5反くらい
その山には特産物も無いし、何が高祖父を魅力したんだろうか。
633日本@名無史さん:2012/07/13(金) 00:49:37.02
間違えた 魅力→魅了
634日本@名無史さん:2012/07/13(金) 03:48:49.52
材木だろ
635日本@名無史さん:2012/07/13(金) 11:31:56.20
恐らく材木屋を目指していたのだろうw
「てまえどもは材木屋を営んでいる大王組と言います」

という冗談は抜きにして、戦前までは林業が活発で、山林王が結構いた筈
狙ったのは多分その路線だろうね

>大正の初めに

大正デモクラシーがあり、文化住宅が大量に作られ、都市部のサラリーマン達がこぞって購入し
恐らく材木需要が急激に伸びた時代の直前だと思う

http://www.kitombo.com/kame/1231.html

あなたの高祖父様は商売に関する嗅覚が鋭いタイプだったんだろう
636日本@名無史さん:2012/07/13(金) 14:24:46.55
明治大正なら林業はそんなに珍しいものじゃないよ
637日本@名無史さん:2012/07/13(金) 21:04:03.88
s
638日本@名無史さん:2012/07/13(金) 21:15:18.68
>>628
麻生庄屋様  
旧戦国大名家
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%9F%E6%B0%8F
明治維新後
加納家(旧大名家)有馬家(旧大名家)大久保利通(維新功労者)牧野家(薩摩の上級志士)
等と親族にもつ。
http://kingendaikeizu.net/seizi/asou.htm

いいか?一介の中級武士以下なんぞ章やさまが相手にするわけないだろw
大名家や藩執政クラスじゃないとつりあわないだろうが!!
639日本@名無史さん:2012/07/13(金) 21:17:39.17
バカ乙
640日本@名無史さん:2012/07/13(金) 21:34:08.36
いいですか、昭和の大文豪 司馬遼太郎先生までもがこうおっしゃっています。
http://www.touhoku.com/to-siba14-edo.htm
>>もうひとついえることは、名主(庄屋)層は、
>>中世以来の由緒という無形の栄誉でいえば、
>>>>>>豊臣・徳川期に成立した出来星大名などよりはるかにつややかで、
>>古くをたずねると、たいてい中世の地侍から発している。
>>>>>ときに源平時代にまでさかのぼることができる。
>>かれらのしごとは、藩から(幕府直轄領の場合は、幕府から)委託された村民の統制と保護だった
>>で、多分に名誉職だったといえる。

司馬大先生も、江戸武士よりはるかに名門が庄屋だと太鼓判押しているんだよ!!
わかったら、庄屋様と呼ぶことだわな!真の日本の名門とは庄屋豪農階層を言うんだから。
641日本@名無史さん:2012/07/13(金) 21:38:29.79
負け犬乙
642@:2012/07/13(金) 22:14:34.03
わかりました。負け犬が庄屋というのであれば、
江戸初期、庄屋の在地における状況と新興入府下克上大名家との関係性を
見ていきましょうではないですか。

丹後国の庄屋
http://dayzi.com/zisyo/syouya.html
>>当地方の庄屋は、鎌倉時代の地頭や、南北朝時代に脇屋義助や大館氏明に隋従して土着した者の子孫で、
>>戦国時代に小豪族として活躍した者と、
>>彼らに系譜をもたなくても、戦国時代に武士として活躍した者の子孫が{{ほとんど}}です。
>>征服地に入部した領主が、伝統と家柄を尊重する封権社会の風潮の中で、
>>彼らの旧勢力の反抗を押さえるために、彼らを百姓の身分に落としながら、
>>ある程度の優遇をするためと彼らが旧来身につけている統制力をかつようして、
>>領地の保全と年貢の確保をねらった処置でした。

ここにも書いてあるとおり、帰農庄屋は
鎌倉時代の地頭
南北朝より続く武家や
土豪豪族の末裔が「ほとんど」庄屋になったと書いてありますね?
 では次いきます。

つぎもみていきましょう。
643日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:18:21.62
ウジ虫乙
644日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:19:39.07
またこの人
645@:2012/07/13(金) 22:19:52.94
、       /⌒ヽ, ,/⌒丶、       ,
       `,ヾ   /    ,;;iiiiiiiiiii;、   \   _ノソ´
        iカ /    ,;;´  ;lllllllllllllii、    \ iカ
        iサ'     ,;´  ,;;llllllllllllllllllllii、    fサ
         !カ、._  ,=ゞiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!! __fカヘ.
       /  `ヾサ;三ミミミミミミ彡彡彡ミヾサ`´ 'i、
       i'   ,._Ξミミミミミミミ彡/////ii_   |
       |  ;カ≡|ヾヾヾミミミミミミ、//巛iリ≡カi  |
        |  iサ  |l lヾヾシヾミミミミミ|ii//三iリ `サi  |
       |  ,カ ,カll|l l lヾリリリリリ川川|爪ミミiリllカ、カi  |
        |  ;iサ,サ |l l l リリ川川川川|爪ミミiiリ サi サi  |
        |   iカ ;カ, |l l リリリリ川川川川l爪ミミilリ ,カi カi  |
       |  iサ ;サ, |リ リリ川川川川川l爪ミミiリ ,サi サi  |
       |  iサ ;iカ, | リ彡彡川川川川|爪ミミiリ ,カi :サ、 |
       ,i厂 iサ, |彡彡彡彡ノ|川川|爪ミミリ ,サi `ヘ、
      ,√  ,:カ, |彡彡彡彡ノ川川|ゞミミミリ  ,カi   `ヾ
     ´    ;サ,  |彡彡彡彡川川リゞミミリ  ,サi
         ;カ,  |彡彡彡彡リリリミミミシ   ,カi
         ,;サ,   |彡彡ノリリリリミミミシ    ,サi
        ;メ'´    i彡ノリリリリリゞミミシ     `ヘ、
       ;メ      ヾリリリリノ巛ゞシ       `ヘ、
      ;メ        ``十≡=十´         `ヘ、
                 ノ    ゞ
646A:2012/07/13(金) 22:22:10.78
ちなみに>>642の一色庄屋様は超絶名門、リアル「「室町守護大名家庄屋」」ですからww

次は岸和田藩の例です。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~minjamin/h-daimyohaka/h-kisiwada.html
>>宣勝公入部当時においても中世の土豪を系譜に持つ庄屋層が
>>隠然たる影響力を保つ難しい場所でもあった。
>>先の領主であった松井松平氏も、この「中世土豪家を」代官庄屋として遇したが、
>>年貢増高を原因として両者の関係が拗れるなど難しい藩政を強いられることもあったようである。
>>宣勝公も入部当初から、こうした事情に十分に配慮し、
>>年貢減免や大庄屋七人衆を選び郡政に関与させるなどしている。

はい、ここでも中世土豪層が庄屋層で隠然たる影響力を誇示しており、
大名松平家も事情に十分「配慮」したと書かれています。
わかりますか?
ハイ次ぎいきましょう。いくらでもありますよ?w
647日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:22:30.68
寝言乙
648B:2012/07/13(金) 22:29:38.76
大分の庄屋
〈旧在地領主層を庄屋に任命〉
 >>大分県下における近世大名は、すべて他国から入部してきた大名である。この大名が領主として領民を支配し、
>>年貢などを納入させることは、当初かなりの困難が伴った。
>>例えば、 中川氏 は文禄3年(1594)に 岡藩主 として入部したが、
>>入部の行列が 大友氏 の浪人の集団に襲われたり(赤岩合戦)、領内の村々に古年貢帳の差し出しを命じた際も、
>>磔(はりつけ)木を持参するという強行手段を構じなければ提出させられなかったりしたのである。
>>このような困難な状況を打開するために近世大名がとった方法は、旧在地領主層を庄屋に登用し、特権を与えるという懐柔策であった。
>>岡藩 の場合、各村に庄屋を任命し、それを統轄し 郡奉行 と庄屋とのパイプ役として千石庄屋を任命している。
>> 千石庄屋 の名称は、1,000〜1,500石を統轄範囲単位として1人ずつ任命されていることによる。そして、これらの庄屋層には在地領主時代からの特権の一部を認めていたのである。
>>また、 杵築藩 では各 手永(てなが) ごとに 大庄屋 を配置していたが、この大庄屋は士分に準ずる取り扱いをうけていた。
>>>>>>>>>このように諸藩では、旧在地領主層との妥協の上に藩政をスタ−トさせたのである。

今度は大友家旧家臣団の武家庄屋に「1000石」も与えちゃってますよwww
負け犬はどっちよ?w
649日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:32:08.95
ウソツキ乙
650C:2012/07/13(金) 22:38:41.77
うじ虫が庄屋というなら、じゃあ、これいきましょう。

ほんとにあった、「庄屋連合  VS   江戸下克上大名家連合」

豊後の庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
>>>>武士身分から庄屋、百章身分に転じて地域の指導的な立場に立っていた旧有馬氏の家臣の下に組織化
>>(この組織化自体を一揆と呼ぶ)、
            ↓
このように島原の乱とは旧名門戦国大名家旧家臣団の庄屋が中心だったのがわかります。
それらが武装化し、幕府(近隣大名家相手)にいざ合戦したら、こうなります。
             
               ↓
>>乱の発生を知った幕府は、上使として御書院番頭であった板倉重昌を派遣した[13]。重昌に率いられた九州諸藩による討伐軍は原城を包囲して再三攻め寄せ、
>>12月10日、20日に総攻撃を行うがことごとく敗走させられた
>>態を重く見た幕府では、2人目の討伐上使として老中・松平信綱らの派遣を決定した。
>>焦った板倉重昌は寛永15年1月1日(1638年2月14日)に再度総攻撃を行うが強引に突撃して討ち死にし、連携不足もあって攻撃は失敗した
>>島原藩主の松倉勝家は、一揆を招いたとして責任を問われて改易処分となり、後に斬首となった。

わかる?ww幕府軍は敗走し、総督も討ち死、藩主は斬首ww
旧在地有力者層たる庄屋が武装化したら、幕府でこのざまだろ。
幕府軍13万だぞ?ww関が原の2倍弱の日本史上最多の軍勢で
島原地域のみの旧武家庄屋連合相手に敗戦してくれた幕府ww

陣容でも見ますか?w

651日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:39:24.70
発狂乙
652D:2012/07/13(金) 22:45:20.92

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
幕府軍 [編集]幕府派遣軍
上使 - 板倉重昌 800人 (従軍者:柳生清厳)
上使 - 松平信綱 1,500人
副使 - 戸田氏鉄 2,500人
諸大名
備後福山藩 - 水野勝成・水野勝俊・水野勝貞 5,600人(九州以外からの唯一の参陣)
筑前福岡藩 - 黒田忠之 18,000人
筑後久留米藩 - 有馬豊氏 8,300人
同柳河藩 - 立花宗茂・立花忠茂 5,500人(従軍者:立花種俊、安東省菴)
肥前島原藩 - 松倉勝家 2,500人
同唐津藩 - 寺沢堅高 7,570人
同佐賀藩 - 鍋島勝茂 35,000人
肥後熊本藩 - 細川忠利 23,500人
日向延岡藩 - 有馬直純(有馬晴信の子) 3,300人
豊前小倉藩 - 小笠原忠真 6,000人 (従軍者:宮本伊織、高田吉次)
同中津藩 - 小笠原長次 2,500人 (従軍者:宮本武蔵)
豊後高田藩 - 松平重直 1,500人
薩摩鹿児島藩 - 山田有栄(島津家家臣) 1,000人
そのほか - 800人

「結論」

おいおいおいおいwww島原地域のわずか数十人の旧武家庄屋連合相手に
これだけの軍勢引き連れて、総督討ち死に!!敗走ですかwww
江戸初期、帰農旧武家庄屋のどこが負け犬じゃい!!
われらこそが真の武家層だ!!!!

653日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:46:09.49
寝言乙
654日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:53:12.69
庄屋もう飽きた
655日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:54:26.22
とりあえず透明あぼーんした
656日本@名無史さん:2012/07/13(金) 22:58:26.41
マジでもう基地害庄屋勘弁してくんない?
一人でオナニーしてろよ!
657日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:00:48.31
基地害庄屋のお陰で庄屋のイメージ丸潰れ(笑)
658日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:02:16.36
「庄屋」をNG指定して透明あぼーんすれば問題は解決するよ
659日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:03:52.04
所詮ちんけな庄屋の末裔なんてこんなもんだ、の良い例。
660日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:07:33.22
大体にして
庄屋=欲の皮の突っ張った卑しい人間
だしな。
661D:2012/07/13(金) 23:07:52.61
寝言が庄屋というなら、目を覚ましましょうか。w
「室町守護大名」、「戦国大名」の庄屋を見ていきましょうかw

帰農「旧大名家」庄屋

三春田村氏 →江戸初期、庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%9D%91%E6%B0%8F
足利一門上野氏の三代 上野頼兼の次男 上野直兼を祖とする豊後上野氏 →庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%B0%8F
リアル平家 大納言家 → 庄屋
http://www.geocities.co.jp/une_genzaburo/TheTokikunis.htm
戦国大名加藤家  →  庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E8%97%A4%E5%BF%A0%E5%BA%83
リアル旧守護大名家 一色家  → 庄屋
http://dayzi.com/zisyo/syouya.html
関東八屋形 千葉氏  →  庄屋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E8%91%89%E6%B0%8F

いくらでも  江戸期以前の名門大名家の末裔の庄屋おるで、いくらでもだしたろかw
662E:2012/07/13(金) 23:14:45.49
だから、なんで、庄屋が、中級武士程度より格下扱いなんだ??

いい加減認めなよw

現実の江戸社会は、

大名家=帰農庄屋>藩執政>上級武士=豪農>>>中級武士ー平百章>>>>>>どうでもいい

コレが現実だろ。いくらでもそうだという資料出せますよ?まだまだw。
だから、この事実の現実を認めろよ!!!真実なんだから。
いつ、庄屋クラスが、中級武士程度以下なんかにさせられてた事実があるよ?
663日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:17:26.61
他人家の資料はいいから、自分家の資料出して。
664F:2012/07/13(金) 23:24:06.93
みてみろよこれ。  お城に住んでた庄屋もいるんだぞ?

http://www.geocities.jp/h_murataya/minka5-08.04.html
戦国以前よりし、豪族が帰農庄屋になって住んでた江戸時代の館。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/sakanomt.htm
リアル豪族庄屋が住んでた屋形。
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Hokuriku/Niigata/Sasagawa/index.htm

城や館に住んでんだよ庄屋は!!なんで中級武士以下やねん。おかしいだろ!!

665日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:30:00.26
おわった?
666日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:40:36.82
>>664
マジレスすると庄屋は大名家のただの金づる。
大名(藩主)は家臣達の為に上手く庄屋・商人を利用していただけです。
667日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:46:49.61
>>666
それをいわせていただきますと、
中級武士以下の屋敷、敷地、権限、財力、みれば、
ただの奴隷としか思えませんが?
いいように使われたのは確かに江戸中期以降はその傾向も確かに存在しました。
しかし、儒教に彩られた武士道とやらにまんまと洗脳され、
長屋暮らしの末端武士と比べて、利用価値を見出されるほどの
財力から、在地特権から、屋敷(本陣庄屋屋敷もごろごろw)、戒名、石墓等
これだけを封建社会に持たされることが許されてるもってる時点で、
もはや大名家に準ずる、徳川家にとって外様大名に次ぐ第B勢力であったわけですが?
668日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:48:52.75
水戸黄門に出てくる「村民思いの庄屋さん」は大名家のただの金づる?
何か哀れ。
669日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:55:28.95
結論が出たようですね
要するに庄屋などというものは取るに足らないゴミクスだということです
670日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:57:51.40
必死に庄屋を叩いてるアホは非人かなにか?
671日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:57:55.25
全部維新のやつらが悪いんですよ。
テロを正当化するために、庄屋豪農を始めとする武士以外の階級は、
武士に排他的トップダウン型支配構造だったと、大嘘歴史を吹き込み、
おのれらを時代の救世主といわんばかりに正当化した。

その結果、時代劇や日本史まで、われら庄屋豪農層は、
水戸黄門のように、庄屋の爺さんのメンこい娘は大寒に奪われ、
庄屋の爺はこつかれ、百章はぼろ雑巾みたいな服装で演出させられ、
たびたび末端武士たちが、村に来て悪さするのも何も抵抗できなかった・・・
云々のふざけすぎた偽りのものになってる。

現実は、江戸中期でも、庄屋数名の一揆すら鎮圧できず藩主も改易となる群青一揆など
なにが庄屋がこつかれてただ!!!てはなしだよ。
屋敷は家老どころか、藩邸のような屋敷に住んでる庄屋ごろごろいるのに。・。。。
672日本@名無史さん:2012/07/13(金) 23:58:28.01
重税に苦しむ百姓を代表して、藩と掛け合った立派な庄屋さんもたくさんいたのに、
旧武家のふんぞり返った偉そうな庄屋の話ばっかりされると、庄屋のイメージダウン
だから、正直やめて欲しい。うちの村の庄屋さんは前者で立派な人だったらしいので。
673日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:00:19.35
>>669
うん
674日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:13:01.89
>>672
いえ、それは見当違いです。
江戸武士こそ、士農工商という明治に作られたゴロをもちい、
武士こそが歴史、社会を構築してきたんだと、思い込んでます。

しかし、その間違えた歴史には「江戸武士」子祖が絶対という固定観念を打ち崩すには、
どうしても、庄屋の格式から入って、その上で、庄屋は江戸期以前より、
村々のリーダーとして、挙句は明治以降戦前まで、村長として、
地域のインフラに多大な貢献をした名望家である・・・
としなければ、江戸武士どもは、何から何まで支配階層は絶対的武士身分で、
近代地域形成の整備も、純然たる社会構造もすべて江戸武士身分のなせる業
後の百章などは、家柄も格式も財力もなにもない、土人だという認識なんですよ。

だからこそ、切り口は実は江戸武士程度より、もはや圧倒する格式層である庄屋。。
という部分からパラダイムシフトしていかなければ、信憑性が出ないんですよ。
わかるでしょ?数年前 庄屋は旧武家層が多いといったとたん、
恥ずかしいすぎるだろwwとか、百章が武士だとwww
こんな感じでしたよ。
675日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:27:23.93
一般社会の認識は
足軽>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>しんでも超えられない壁>>>>>>>庄屋、豪農

コレが現代社会の一般常識ですよ現実

時代劇でも足軽中間に、ローリングソバット食らってる庄屋を見たことある・・・
ありえなさすぎだわ・・・・

現実は、土佐藩内で足軽をたたききった庄屋は無罪放免になってるくらいなのに。
676日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:39:39.28
うちの先祖を調べていくうちに、某村の庄屋からの分家筋らしいとわかった。
その庄屋の家には結構古文書も残っているということが郷土史なんかからもわかった。
で、その土地に訪ねていった訳なんだが、うちの総本家ともいえるその庄屋は、古文書ごとごっそり消えていた。
近年に全てを売り払いその土地を離れて引っ越していったそうだ。
けしからん!
677日本@名無史さん:2012/07/14(土) 00:41:48.66
2ちゃんや板のルールを守る足軽家>>>越えられない壁>>>スレ違い連投荒らしの庄屋家
67883:2012/07/14(土) 01:01:44.06
久々に来てみたら、またこんな状況になっていたんですか。ふぅ〜。
このスレに来る人が、いくら不勉強な人が多くなったとしても、
名主・庄屋を下級武士以下だと思ってる人は、ごく僅かしかいない
だろうから、連投庄屋さんも少し遠慮してほしい。
面白がって、反発を煽る人に合わせる必要はないでしょう。

679日本@名無史さん:2012/07/14(土) 01:04:37.70
道幅を広くするらしく、近所の商家兼名主の長屋門が、再開発で取り壊された。
百年もしたらど田舎の名主以外、旧家の風体を残す民家なんてなくなっちゃうんだろうな
680日本@名無史さん:2012/07/14(土) 01:56:44.28
>>678
>>名主・庄屋を下級武士以下だと思ってる人は、ごく僅かしかいない
そんなことはないと思います。時代劇自体があんな捏造史観だから、ひどいものですよ。
都会人の豪農にたいする見下し方は異常なまでですよw。リーマンにもなれない屑=豪農家という感じ。
それ以外でも、資料館の司書にすら、「庄屋なんて武士以下ですよね?」
といわれたとき、さすがにぶちきれそうになってしまいましたよwwまじ話です。
資料館の専門職たる司書ですら、こんな見解ですよ。まじっすよ。
僕も最近疲れました。地元でも、もう農家じゃ食っていけないから、
先祖代々が、戦国期以前より20代以上にわたり守り抜いてきた唯一の誇りである何町もの土地。
現代じゃそれも田んぼと荒地となった畑。
維持もできるわけもなく、じいちゃんの時代から物納で相続税を納めなければならず、
また、売るにも買い手すらいない。いずれ相続するたびに税を物納して数代後には・・・という将来ですよ、まじ。
明治以前は裕福だったろうが、現代、ここまで庄屋豪農は、都会人や専門家にも馬鹿にされる身分になるなら、
江戸初期の先祖に、土地田畑、財力すべて藩に物納していいから、武士になってくれたらよかったのに・・
と現代的価値観でおもってしまう自分が情けないですよ最近。
もちろん、現実の江戸時代なら庄屋のほうが何もかも圧倒ですが、江戸生まれじゃないもんね。

わかりました。少し遠慮しますw。



681日本@名無史さん:2012/07/14(土) 04:28:03.05
だから現代人の錯覚は排除すべきなんだよ。
武士、庄屋、豪農というものはもちろん一例に過ぎない。
士農工商という序列ではない。依然こういった勘違いは
作家レベルで引き起こされている。
うちは平安期の皇族が起点らしいがさすがにそれは伝説に近いし、
でも江戸期の墓はあるのでまあ当時はそれなりに有力な層だと推測。
当然ながら学芸員レベルの者が正確な認識を持っているとは言い難い。
大学の教授も「水のみが貧農とは限らない。」としているものの
実際に一般の百姓がいわゆる公平な扱いを受けたとは考え難い。
682日本@名無史さん:2012/07/14(土) 06:31:54.18
>>674

> 庄屋は旧武家層が多い

こんな常識を知らない奴がいたのかw
戦に負けたら、死ぬか浪人するか帰農するしか選択肢がないのは戦国時代では当たり前だ。
関が原の戦いで東軍につかなければ負け組みとして所領を没収され江戸へ出たか帰農した武士がものすごく沢山いる。
帰農した武士は多くが庄屋名主として苗字帯刀を許された。

例えば、佐竹氏は秋田へ移封になったが、ついて行くことができたのは佐竹氏の分家と俸給の多い上級武士だけで
下級武士は帰農して村役人としてその土地に残った。
683日本@名無史さん:2012/07/14(土) 06:40:07.74
江戸時代の下手な士族より、郷士や庄屋名主のほうが家柄がいいことはよくある。
源氏や藤原氏が百姓になった例は実は多いんだよ。
684日本@名無史さん:2012/07/14(土) 09:34:12.65
>>680
いや遠慮だけでなく書き込みそれ自体をやめろ
お前のは完全にスレ違いで荒らしだから
いい加減にしろよ池沼
685日本@名無史さん:2012/07/14(土) 10:44:52.07
>>676
古文書は寄贈もせず消失?
686日本@名無史さん:2012/07/14(土) 11:46:11.40
>>680
>資料館の司書にすら、「庄屋なんて武士以下ですよね?」
>といわれたとき、さすがにぶちきれそうになってしまいましたよwwまじ話です。
>資料館の専門職たる司書ですら、こんな見解ですよ。まじっすよ。

ここまで不勉強な司書がいるの?
ネタじゃないならよく司書の資格取れたなw
687日本@名無史さん:2012/07/14(土) 12:36:56.87
スレチ。こっちでやれ。

庄屋VS下級武士
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1319071467/
688日本@名無史さん:2012/07/14(土) 19:04:09.86
いやそれが、マジで村方文書なんか、価値がないと思って
建て替えや、引越で燃やしちゃう家、多いんだよ。

なんでも鑑定団という番組が出来てから、古文書にも価値があることが
知られてきたほうだけど。
689日本@名無史さん:2012/07/14(土) 21:28:01.38
>>688
20年ぐらい前、学生時分に現地調査で村の旧家に丁寧に趣旨を説明して声を掛けると
「こんな物しか無いけど」と意外と快く見せてくれた物だったけど、
昨今では「大切なもの=金目のもの」と妙な刷り込みが在るせいか、
一段と警戒が厳しくなったらしい。
690日本@名無史さん:2012/07/15(日) 11:55:45.93
こういうの全国でやってほしいなあ。
旧村単位でがっつり調査、発表の流れ。
http://www.city.itami.lg.jp/home/ED/EDSHOGAI/EDMUSEUM/_13394.html
691日本@名無史さん:2012/07/15(日) 12:06:29.51
差し障りのない範囲で、どこでもやってるだろ
692日本@名無史さん:2012/07/15(日) 12:20:30.75
市域の旧村を毎年一つずつピックアップして、
調査、発表していくってのは珍しいと思うんだけど、
そうでもない?
693日本@名無史さん:2012/07/15(日) 13:00:21.60
>>690
関係ないけど、「嘉永6年(1629)」って1800年代中頃の間違いじゃないか?
694日本@名無史さん:2012/07/15(日) 13:19:58.13
>>693
嘉永6年は1853年、ペリーが来航した年。幕末動乱期、近代史の着火点ともいわれるくらいの節目の年だ。
歴史に多少也とも興味が有ればそれくらい知らないこと自体が潜りだぞ。
695日本@名無史さん:2012/07/15(日) 13:25:26.41
>>694
>>690のリンク先に言ってやってくれ
696日本@名無史さん:2012/07/15(日) 13:56:58.48
>>693
嘉永→寛永の間違いですね。
伊丹市に指摘するといいことあるかもw
697日本@名無史さん:2012/07/15(日) 14:58:08.92
やっぱそんなレベルか
698日本@名無史さん:2012/07/15(日) 15:00:03.21
再稼働反対デモ見たら、労働組合の幟旗がいっぱいあって
がっかりした気分思い出した。
699日本@名無史さん:2012/07/15(日) 16:19:09.27
そんなのガッカリする前にわかるだろw
700日本@名無史さん:2012/07/15(日) 16:40:27.55
>>698
百姓一揆のムシロ旗を見たらレスくれ
701日本@名無史さん:2012/07/15(日) 16:53:55.16
>>699
こんなのも発見した。先祖に誇れるデモだ。

右から脱原発デモ@大阪 中継
http://twitcasting.tv/gyokaigamieru


702日本@名無史さん:2012/07/15(日) 17:32:00.41
庄屋衛門〜代官に年貢取り上げられたよぉ〜

しょうがないなぁ農民太くんは〜
703日本@名無史さん:2012/07/15(日) 17:37:44.22
江戸幕府の代官は、名主・庄屋出身者が多いんだけど。
704日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:02:48.89
どこでも筵旗〜
705日本@名無史さん:2012/07/15(日) 18:42:05.30
先祖が一揆に関係してたって人いるかな?
706日本@名無史さん:2012/07/15(日) 19:56:45.85
佐倉宗吾の子孫の娘は、佐倉藩主の妻になってるよね
707日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:03:35.04
百姓一揆を起こした集団は、虐げられたかわいそうで善良な農民ばかりと誘導するのは日狂組が確信犯でやってるミスリードだよね。
今の狂信的でヒステリックな放射脳たちと、汚染がれきや食材への反応を見てるとよく分かる。

中心になって騒いでいる人に農業、漁業や製造業などの生産者ほとんどいない。
公務員や自称ライターやジャーナリスト、芸能人やサービス業などの何も生産してない人間ばかり
708日本@名無史さん:2012/07/15(日) 21:26:51.47
おかしなレスが急に増えたね

698 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 15:00:03.21
再稼働反対デモ見たら、労働組合の幟旗がいっぱいあって
がっかりした気分思い出した。

707 :日本@名無史さん:2012/07/15(日) 20:03:35.04
百姓一揆を起こした集団は、虐げられたかわいそうで善良な農民ばかりと誘導するのは日狂組が確信犯でやってるミスリードだよね。
今の狂信的でヒステリックな放射脳たちと、汚染がれきや食材への反応を見てるとよく分かる。

中心になって騒いでいる人に農業、漁業や製造業などの生産者ほとんどいない。
公務員や自称ライターやジャーナリスト、芸能人やサービス業などの何も生産してない人間ばかり
709日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:20:08.65
>>707
まさに、物事の本質を突いた立派なご意見。
そのとおりですよ。無産階層の既得権者が常に世をかき乱す。
710日本@名無史さん:2012/07/15(日) 22:30:33.50
自演砂
711日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:05:43.37
あ庄屋様はとっとと死んどけw
712日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:09:17.19
政治狂のキチガイが荒らしてるだけだからスルー
713日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:10:16.02
御家人株や旗本の身分を他人に売り払って、苗字も変えて、町民や農民になった人の子孫っている?
714日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:17:52.51
>705一揆じゃないけど
表向きは年貢の不正で斬首された元名主の家ならば知ってる。

ただ、口伝ではその実、
A藩の指図で贋金を作っていたのが、急に村が隣のB藩に支配替になってしまった。
それでも引き続き、山奥だからとA藩の依頼を断りきれずに贋金を作っていたのが、B藩に露見。
A藩に逃亡を試みるが領地境の手前で捕まってお手打ちになり、絶家になったという
(のちに、また村が支配替になってA藩領になると、家の再興が許されるものの、間も無く御維新)

何とかして裏を取りたいのだが
715日本@名無史さん:2012/07/15(日) 23:43:52.53
>>714
庄屋スレでやった方がいい
716日本@名無史さん:2012/07/16(月) 22:53:51.78
禅定門って結構曖昧な部分が多いですなぁ。
とりあえず、1700年代中盤が禅定門と禅定尼だと自作農ってこと?(禅宗)
717日本@名無史さん:2012/07/17(火) 00:38:39.01
>>713へのご意見や反応をお待ちしてます
御家人株や旗本の身分を他人に売り払った場合
ケースバイケースかも知れませんが
売り払った側は、武士時代の苗字を名乗れなくなりますよね
718日本@名無史さん:2012/07/17(火) 06:56:26.91
>>717
歴史学博士らがあらゆる質問に即答するスレ

質問だったらそっちだろ
719日本@名無史さん:2012/07/17(火) 17:17:28.67
名乗りたかったら、私称したにきまってるだわ。
そんなもん、墓石や神社への寄進物に旧名字を刻んだにきまってるだろ。
720日本@名無史さん:2012/07/17(火) 18:11:23.53
>>717
苗字を名乗る必要もなくなるし、苗字で呼ばれなくなるからな
ただ家に関わることでは使うんじゃない?
なにかしら家に個性を持たせたいのが人情ってもんだし
721日本@名無史さん:2012/07/17(火) 23:44:14.21
>>717
土佐だと 郷士株売った郷士は地下浪人って呼ばれて
名字帯刀は認められてたらしい

まあ、御家人株売って帰農、町人になった場合も 名字はそのまま利用したでしょ
公式に名乗れないだけで
722日本@名無史さん:2012/07/18(水) 01:22:42.49
江戸時代の話らしいけど、士分を捨てた際、買った側と売った側が
・士分時代の苗字は名乗らない
・先祖達の武功や家の由来など士分時代の歴史は子孫に伝えず廃絶する
という約束をした家があるって変わった話を聞いた事があった
仕方なくその家は当主の妻の実家の苗字を借りて、名乗る事にしたらしいが

あれは作り話か
72383:2012/07/18(水) 02:33:20.97
作り話ということもないでしょう。
そういう場合は、亭主の方が
「俺は先祖や親に"不義理"をしたから妻の名字を仮冒する」
というのも、普通のこと。
因みに、私の母方の高祖父の父親あたりが、新田開発のメンバーとなって分家
したのですが、本人は何か、親に遠慮するところがあって、妻の姓を名乗りました。
もちろん、その実家の名字と所在地はきちんと伝えられています。
それで、私の曾祖父は、明治30年頃に実家を訪ねたそうです。


724日本@名無史さん:2012/07/18(水) 11:55:01.99
なるほど
それで大津のイジメ殺人の加害者は転校先で母方の苗字を名乗っているのか
725日本@名無史さん:2012/07/18(水) 23:08:51.40
旗本株の売買と言っても
形式的には養子に入ったようにするそうだ
売った当主は隠居して、息子がいたなら部屋住み扱いにでもなるのかな?
まあ、最終的には町人になるんだろうが
726日本@名無史さん:2012/07/19(木) 18:36:03.01
>>723
そんなに珍しいケースってわけでもないみたいですね

>>725
722のケースでは、士分を売り払った後、城下町を離れて帰農したみたい
やはり士分時代の記憶と同僚武士達の残る場所だと惨めだったのかな?

あとこっちは漫画で見た物なので参考にならないと思うけど
旗本株を売り払った人が、女郎と農村に移住し、農民になろうとする話があった
案外、士分を売った人は、農民になるケースが多かったのかも知れない
727日本@名無史さん:2012/07/20(金) 18:26:18.99
>>725
現当主の養子になるんだから当主の実子は次期当主(株買った人)の
義兄弟ってことになるんでしょ
そうすれば実子はどっかの養子に出て士分を維持できる可能性がある
だから実子は家に残るんじゃないかな
728日本@名無史さん:2012/07/20(金) 20:46:09.51
>>727
婿養子はあり得ても、養子となると、どうなんだろう?
金欠で士分を他家に売っちゃってる立場なわけだからね
729日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:54:28.39
現在の住所に移住する前の分限帳に高祖父の名前があって驚いた。
ネットでも公開されてるのが意外だった。
あ庄屋様に楯突く下級武士の範疇の中間様だけどww
730日本@名無史さん:2012/07/21(土) 23:59:45.46
725、727の話が凄く気になってたけど、スレがストップ状態だったからね
731日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:00:26.22
>>729
その庄屋って言葉はNGにしてw
スレが荒れるから
732日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:07:04.04
>>729
今ふと思ったんだけど、中間って士分になるの?
藩にもよるのかも知れないけど、確か町民扱いだよね
733日本@名無史さん:2012/07/22(日) 00:28:36.39
>>731
すまなんだ
>>732
単純に分限帳に載ってたから下級武士の範疇と解釈しちゃいましたw
734日本@名無史さん:2012/07/22(日) 01:06:45.28
旧土地台帳を調べていたら、台帳開始時(明治22年)以前から所有している土地のひとつに、
地目が「社地」であるものを一筆(60坪程度)見つけました。

社地ですから、かつて神社があったり、屋敷神・氏神等を祭った祠があった土地であったりするのでしょうが、
村社のようなものは別にありますし、屋敷神も屋敷内にありますので、社地の正体が掴めずにいます。

試しに他の台帳で、ご近所の方(のご先祖)が名請けしている土地などを見てみても、
社地を持っているのは我が家しかないようです。

単に該当箇所を、かつて屋敷神があった場所であると考える他に、
村社に次ぐような規模の小さな神社があったと仮に考える場合、
そもそも神社の個人所有(○×家の神社)とは、一般に考えられることなのでしょうか。
(村社レベルだったら、所有者は村になる筈だと考えました。)

屋敷から離れたところの土地で、ある時期から畑に転用されており、
今となっては、その由来や往事のことを知るものが居らず、解釈?に困っています。

どなたかご存知の方はいらっしゃいませんか。
735日本@名無史さん:2012/07/22(日) 03:40:17.82
>>732
知ってる限りで
・口入屋(派遣会社)から斡旋された契約期間のある中間
・代々その家に仕えている一族が中間をする
・領地(旗本の場合)の農村の次男3男が中間として奉公

こんなもんかな
3つめの領民の場合は陪臣になれる可能性があったような
たとえば陪臣内に断絶の危機の下級武士の家があった場合
当主(旗本?)の許可を得て優秀な中間を養子にしたりなど
伊藤博文なんかそれに近いパターンだった気がする
736日本@名無史さん:2012/07/22(日) 14:24:27.85
>>734
明治22年で神社だったものについては分からんけど、


もともと神社ってのは、現在より何倍も多く存在したんだ。
明治のいつごろかに、一村一神社政策が施行されて、多くの神社が廃絶された。
それと、村の大合併があって、旧村を字とか大字に変えるような形で合併が行われてて、
旧村の時代の神社が統廃合されちゃったりしてる。
神社の境内に別の神社が残ってるところとかで、それがかつては独立の神社だった場合とかもある。


神社の個人所有は、近世にはなかったんでないかな? よくしらんけど。
現代には、無いわけではないと思う。神棚の大規模なものと思った方がいい形式なんだけどね。

中世以前だったら、領主とか大名が個人所有する神社はあったはず。
古い形式だと、領主が神主(禰宜職)を兼ねてたりすることも。
737日本@名無史さん:2012/07/22(日) 17:43:27.26
>>733
藩によって中間や小者まで書き記してるところもある。
分限長に載ってたから中間でも下級武士に属してたと推測するのは勝手過ぎる。
738日本@名無史さん:2012/07/22(日) 20:09:18.93
>>737
(・_・。)シュン
739日本@名無史さん:2012/07/22(日) 21:20:41.59
>>738
分限帳に名前が載ってる事自体が貴重だし、傍目から見たら羨ましいよ
大抵の家系はそういうのないから
740日本@名無史さん:2012/07/22(日) 21:58:48.69
落人伝説とかって、やっぱり真実が伝わってるもんだね。

800年前中井町で盗難、曽我兄弟仇討ち縁の仏像が山形で発見
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120722-00000014-kana-l14
741日本@名無史さん:2012/07/22(日) 22:11:43.41
>>739
運良く名前が残ったのかも。
高祖父の埋葬許可書に平民って書いてあって、こんな所にも身分が書いてあるのかwってまた笑った。
実は、上のレスで書いた山林大好きな高祖父のことです。
742日本@名無史さん:2012/07/23(月) 01:16:37.28
埋葬許可書ってどこで見れんの?
743日本@名無史さん:2012/07/23(月) 01:54:26.05
祖父が調べたら源氏の家計図に載っている人までつながった。
744日本@名無史さん:2012/07/23(月) 08:40:35.96
具体的な調査方法は?是非参考にしたい。
745日本@名無史さん:2012/07/23(月) 12:12:30.93
>>743
源氏の家系まで辿り着けば、神武天皇まで到着したようなもんだよ。
2600余年間の家系図完成とはすごいな。
746日本@名無史さん:2012/07/23(月) 12:29:09.53
>>736
> 古い形式だと、領主が神主(禰宜職)を兼ねてたりすることも。
禰宜に限定されず、宮司に就いていた領主もいただろう。
747日本@名無史さん:2012/07/23(月) 22:16:06.32
名前に込められた意味を考えると、男性はわかりやすいが女性は平仮名かカタカナばかりで推測しづらい。
キヌやらマツなんかは絹のように美しく、松のようにしなやかにと解るが、ミワ、イキノ、ユキノとかになるとどう言った意味が込められてるのか解らない。そう言うの詳しい人いる?
748日本@名無史さん:2012/07/23(月) 23:50:00.74
このスレ見てから墓石見に行ったら文禄まであった
わからんもんやな
749日本@名無史さん:2012/07/24(火) 00:11:03.08
>>748
その年代の墓で、字が読めるってことは
立派な墓だね たぶん
750日本@名無史さん:2012/07/24(火) 02:18:04.57
祖母の実家が、鎌倉時代から続く家らしいが、ネットで調べたら同じ人を家祖とする家が他に2家見つかった。
祖母の実家では冠婚葬祭の度に○○代の誰々と言うらしい。
751日本@名無史さん:2012/07/24(火) 08:25:56.13
>>749
まあよくある長方形の墓石だけどハゲないね

本名で墓石に書いてある人がいたんで今度郷土史調べてみようと思う
752日本@名無史さん:2012/07/24(火) 12:27:48.22
>>751
先祖代々お墓を綺麗にして守ってきた証拠だね
75383:2012/07/24(火) 12:55:04.76
形状から考えると、江戸時代中期以降に作り直しているお墓の可能性が高いと
思います。
それでも、内容の確かな記録が継承されているわけですから、先祖に感謝ですね。
754日本@名無史さん:2012/07/24(火) 12:55:12.36
>>752
墓石の材質による差が大きいと思う。
755日本@名無史さん:2012/07/24(火) 21:17:12.02
スレ見て墓を見に行ったついでに、他家の墓も色々見てみた。

珍しい墓があって、円柱の、ちょうど橋の欄干のようなもの。上に擬宝珠が乗っている。
1メートルくらいの高さの女性の個人墓で、
正面に家紋、苔むしていて読むのに苦労したけど、天保年間の没年、戒名(院号)が掘ってあった。
756日本@名無史さん:2012/07/24(火) 21:54:24.52
>>755
円柱ではないけど五輪塔みたいな感じかな?
757日本@名無史さん:2012/07/24(火) 22:02:54.61
>>756
擬宝珠の乗った欄干そのものって感じです。
五輪塔的なニュアンスのお墓なのでしょうか?珍しくて気になりましたw
周囲の江戸時代の墓とは石の種類も違っていました
758日本@名無史さん:2012/07/25(水) 00:08:03.22
ゴロゴロと江戸時代の墓が林立しているってどんな土地なんだ…!
759日本@名無史さん:2012/07/25(水) 00:58:24.43
>>758
本当の田舎に行けばそんな感じだと思うよ
市ではなくて、町村ね
まあ平成の大合併で市に吸収された地域もあるので
そういうところだと旧町村って言った方が良いんだろうけど
数百年前に分家した家が同じ地域内に普通に何軒もあったり
都市部居住者では想像もつかない世界が広がってる
760日本@名無史さん:2012/07/25(水) 08:34:38.43
>>759
うちはまさにそんな地域だけど、祖父母が平成になって墓を建て替えた
その前は明治初期のものだったから結構頻繁に建て替えるものだと思ってた
761日本@名無史さん:2012/07/25(水) 09:45:23.22
江戸時代の墓は無縁仏のコーナーによせ集められてて
ほとんど大正、昭和時代からの墓だらけだよ。
762日本@名無史さん:2012/07/25(水) 10:53:54.82
都市部の墓地じゃ、江戸時代の墓石なんて置く場所無いでしょうからね…うちの本家筋の集落には江戸時代のお墓もたくさんあります。
763日本@名無史さん:2012/07/25(水) 11:01:36.03
そうでもないよ。
都市部でも旧村の墓地なら結構見かける。
ゴロゴロとまではいかないけど。
764日本@名無史さん:2012/07/25(水) 11:46:49.76
庶民の墓は1800年代が主流なのかも。
765日本@名無史さん:2012/07/25(水) 17:02:19.83
都市部によくみかける墓石ピラミッド、あれなんですかね?
766日本@名無史さん:2012/07/25(水) 19:21:52.91
無縁仏となった墓石の集合体

767日本@名無史さん:2012/07/25(水) 20:28:18.68
>>736
>>746
色々と教えていただき、ありがとうございます。

社地登録の時点で個人所有の神社だとすると、一村一社制で廃統合されたのかもしれませんね。
検地帳などを調べて、かつて村に神社がいくつあったのかも調べてみようと思います。
とはいうものの、ご指摘のように近世以降では、神社の個人所有が考えにくいことを
踏まえると、大きな屋敷神などがあったと考える方が妥当なのかもしれません。

慶長年間以前は、規模は判りませんが、土豪的な存在であったようで、
或る(国人系譜の)戦国大名の家臣帳にも、〇〇伊豫守と名前が載っていました。
神社を個人所有していたかもしませんが、何れにせよ、大雑把な推測の域を出ませんね。
768日本@名無史さん:2012/07/25(水) 20:52:40.71
>>767
戦国大名の家臣でも守クラスなら、神社や大規模な屋敷神を持っていても不思議ではないね。
769767:2012/07/25(水) 21:22:53.51
>>768
教えていただき、ありがとうございます。

「守クラス」について、ひとつ質問させてください。
官途における官途受領名って、ランクがあるのでしょうか?
ご指摘のように、受領名は官途名よりも高位的である、など。

家臣帳を眺めてみると、官途名の方がやや多いですね。縫殿、玄蕃や采女など。
慶長検地帳で、祖先の家臣(陪臣)であると推定できる方などには、
官途名がついていることが多いみたいです。
770日本@名無史さん:2012/07/25(水) 23:25:41.62
>>769
受領名と百官名が使われだした経緯などを見るからに、
受領名は朝廷的には非公式ではあるが藩的には公式なもの、
百官名は藩的にも非公式なものという感じに見える。
受領名はほぼ100%藩主などから授与されていただろうし、
百官名は授与される場合もあっただろうが、親などがつける事が多かったと思われる。
お察しの通り、陪臣で受領名がつけられている例は、あるとしてもかなり少ないだろう。
771日本@名無史さん:2012/07/26(木) 00:25:25.99
明治時代の祖父の兄の戸籍が見たいんだが、傍系だからダメ。
移転先の住所もわかっているのに・・・違法な手法は望みませんが、何か方法はないでしょうか。
772日本@名無史さん:2012/07/26(木) 00:32:11.55
>>771
直系の子孫に接触してみるしかないだろ
773日本@名無史さん:2012/07/26(木) 00:37:19.74
>>760-763
江戸時代まで、農村部じゃ土葬が主流だったわけで、
墓標は個人の埋葬のたびに作られたはず。
同一の位置に何人も埋葬することはマレだから、墓石はあまり。

ただ、有力者に限り、大きな墓石を作ったりはしたのかな?

都市部は火葬が行われたようだし、墓石に追葬とか多かったかも
774日本@名無史さん:2012/07/26(木) 00:47:01.08
>>772
祖父の兄の子孫はいるかいないのかも不明です。うちの戸籍を出た時点では嫁もなく40代。
その住所の土地いって墓を探すしかないのかな。
775日本@名無史さん:2012/07/26(木) 09:26:44.33
祖父の兄弟で存命者はいないのかな?
それか行政書士に頼むかだね。

しかし結婚もしていない祖父の兄が何故そんなに重要なの?
776日本@名無史さん:2012/07/26(木) 10:40:06.69
祖父の弟妹が生きていたとしても、長兄の異動先戸籍の取得はたのめない。
この兄弟たちの父母からなら直系で取得可能だけど、もう生きてるわけないよね。

弁護士や行政書士が、請求理由を「相続」のためとすれば、傍系親族の戸籍請求も可能ですが、虚偽の請求をすると刑事罰が課せられます。
家系図作成を目的とする傍系の親族の戸籍請求は認められません。(平成3年2月25日付の法務省民事局長通知)
777日本@名無史さん:2012/07/26(木) 11:03:41.36
古い登記(土地等)を整理する時なんか過去に遡って親族の印鑑がいるんだよね。
結構子孫等が行方知れずで登記変更が面倒だと聞くよ。
778日本@名無史さん:2012/07/26(木) 12:41:18.36
本人も子孫もいない人の戸籍はもう少し柔軟に扱えてもいいのにね
779日本@名無史さん:2012/07/26(木) 17:04:32.34
>>774
相続や登記はどうなってんだ
田舎行くと、登記名義が2、3代前ってのは結構あるらしいけど
780日本@名無史さん:2012/07/26(木) 17:15:16.56
>>779
どうなってんだって、祖父の兄の子孫が何も言ってこないならどうなってるか知りようも無いでしょ。
戸籍謄本を取得出来ないということは自分のとこの相続や登記は済んでいるということだし。
781日本@名無史さん:2012/07/26(木) 22:55:00.74
>>780
祖父の戸籍(除籍)は取れるよ
本籍等が分かっていれば
使用目的は別になんでもいいし
782日本@名無史さん:2012/07/26(木) 23:07:04.97
>>781とりあえず10レスほど遡って読もうな。
783日本@名無史さん:2012/07/26(木) 23:23:22.59
あぁ、祖父の兄のか
曾祖父のならとれるな
784日本@名無史さん:2012/07/26(木) 23:27:48.53
>>771>>774です。いろいろご意見ありがとう。
たぶん祖父の兄がうちの墓を一緒に持って行ったのかも、で探してるんです。
785日本@名無史さん:2012/07/27(金) 00:44:37.30
お寺に行きなされ
786日本@名無史さん:2012/07/27(金) 10:00:08.39
>>784
なんかのために探してるの?祖先探し?
でも、持っていった墓じゃ、祖先探しにならんしんあ。
787日本@名無史さん:2012/07/27(金) 10:19:14.75
>>758
うちがそうです。
江戸時代の前半は文字が読めないですけどね。享保まで読めた。
読めないからはっきり分からないけど、江戸初期以前らしいのは、
すみに固めてあります。

>>755
うちではその形の墓石は坊さんだそうです。
先祖の兄弟が坊さんになっていて、お寺の墓にあり、今でも墓参りの時
そこへもお参りします。
確か、曾祖父さんの兄弟じゃなかったか・・
788日本@名無史さん:2012/07/27(金) 13:04:14.28
だから卵塔場を探せって言ってた人がいるんだろ

789日本@名無史さん:2012/07/27(金) 14:03:16.30
あきらかに高祖父の代の
墓石なのに先祖のエピソードは曽祖父の代まで。
先祖に興味なければそんなもの。
790日本@名無史さん:2012/07/27(金) 21:13:18.46
俺の祖母の実家は、親族の経歴をまとめた本を自主出版した人がいるので、
かなり多くのことがわかっている。
にも関わらず、俺の高祖父に当たる爺さんが、投資に失敗して失踪したりして、
大変なことになったらしく、そのあたりの親族関係が非常に曖昧にしか書かれて
いない。偉い人との閨閥関係とかだけじゃなく、親族そのものの系図をきちんと
残してくれれば良いのに…と中途半端すぎる著書に不満。
まあ、残してくれないよりかましなんだけどさ。
791日本@名無史さん:2012/07/27(金) 21:35:17.89
>>790
その書いた人は生存されてないんですか?
直接聞けばかなりの情報を得られそうな
792日本@名無史さん:2012/07/27(金) 22:12:19.11
>>791
直接聞けるなら当然そういうレスをするだろう。
著書でしか知れない理由があると考えるのが自然。
793日本@名無史さん:2012/07/28(土) 01:33:31.54
例えばさ、戦後の族称廃止の時点で士族の戸籍に未成年の四兄弟がいて、戦後四人は皆結婚して、
長男はその家を継いで、他の三人の兄弟はそれぞれで一家を立てたとする
この場合、長男の家は旧士族の家系と言ってよいとして、
ほかの三兄弟の子孫は旧士族の家系と言ってもよいの?
それぞれの家祖はたしかに旧士族だけど、もし族称廃止までに分籍してたら平民の訳だし…
794日本@名無史さん:2012/07/28(土) 11:21:04.67
>>787
お坊さんの墓によくある、卵の形をした無縫塔というものですよね?
あれとは少し違っていましたよ。太さが一定の円柱だし、擬宝珠も乗っているし。
擬宝珠と塔身が一つの石でできているのは、無縫塔っぽいですが。
それに、戒名がお坊さん(女性の墓なので尼さん?)っぽくないし、家紋もあるし。。。

795日本@名無史さん:2012/07/28(土) 15:44:28.72
>>793
普通にアウトだろ
ただし武士の子孫というカテゴリーにするとまた違うけどな
796日本@名無史さん:2012/07/28(土) 16:23:42.04
ばかみたい。
戸籍上の直系概念は、世間一般に考えられているもの広いんだから
言いたきゃ、言えばいい。

歴史上の有名人物のだれかの、傍系子孫なら日本人全員なるし。




797日本@名無史さん:2012/07/28(土) 16:28:31.44
また運営の煽りか
お前いい加減で俺をストーカーすんのやめろ
直接出てこいや
798日本@名無史さん:2012/07/28(土) 16:43:47.86
江戸前半あたりの宝筐印塔や五輪塔の墓石って、どれくらいの身分層が考えられますかね!?地域差もあるんでしょうけど…ちなみにうちの家系は江戸時代は本百姓みたいです。
799日本@名無史さん:2012/07/28(土) 17:05:39.01
>>794
笠付墓じゃね
>>798
百姓なら庄屋、組頭、地主クラス
800日本@名無史さん:2012/07/28(土) 18:06:02.65
舟形光背?に地蔵が彫ってある墓石はどういう目的で建てられたのでせうか?
当時の流行りみたいなものですか?
801日本@名無史さん:2012/07/28(土) 18:19:44.70
>>798
地域によって差がある気もしますが、
私の地域だとごく普通の百姓ですね。
802767, 769:2012/07/28(土) 21:00:22.83
>>770
ありがとうございます。
由来を考えると、確かにそんな感じもしますね。

私の祖先は、主家滅亡後に帰農するという、ありがちなパターンを経由したようで、
参照した天正後期の家臣帳および慶長年間の検地帳には、時代が近いためか、
同一と推定できる人物が何方にも記載されていました。

検地帳では、先にも書きました「○○伊豫守」という名で土地を名請けしており、
先祖には失礼ですが、どこか必死さが伝わってきます。

その後、一度は某藩士として召し抱えられたようですが、藩がお取り潰しになったため、
また帰農で振り出しに戻るといった感じです。

余計な情報でしたね。失礼いたしました。
803日本@名無史さん:2012/07/28(土) 21:23:44.10
>>802
>余計な情報でしたね。失礼いたしました。

貴重な情報ですよ
やはり農民と武士って紙一重で、境界も意外と曖昧ですよね
804日本@名無史さん:2012/07/28(土) 23:15:37.96
>>801
江戸期の初めあたりで
普通の百姓家で宝筐印塔はまずない
後期、幕末で多少増えたかもしれないが
それでも数は少ない
805日本@名無史さん:2012/07/29(日) 03:52:12.74
>>742
http://imepic.jp/20120729/137080
高祖父の埋葬許可書は家で見つけた。

http://imepic.jp/20120729/137260
同じく家で見つけた曾祖父の召集令状
806日本@名無史さん:2012/07/29(日) 04:00:57.25
>>805の一枚目が山林を買いあさって
明治2年の分限帳に中間として記載されてた高祖父です
807日本@名無史さん:2012/07/29(日) 10:45:53.74
>>803
商工で生計立てるか農業で生計立てるかしか手段ねえからな
下級藩士は結構野菜を自給自足してた人も多いんじゃない?
808日本@名無史さん:2012/07/29(日) 13:46:30.31
>>794
ありゃ、失礼しました。

>>784
元の寺が分かっているなら、そこに問い合わせたら教えてもらえると
思うんですが。

>>803
曖昧だと思います。
うちんとこでは、戦国期の小さい城の城主は、江戸時代は百姓です。
809日本@名無史さん:2012/07/29(日) 14:20:37.88
江戸後期祖○○太郎左エ門正光
遠祖、源頼光とか源頼政とか

たぶん
810日本@名無史さん:2012/07/29(日) 14:35:28.24
>>808
> うちんとこでは、戦国期の小さい城の城主は、江戸時代は百姓です。


そう言う家が有ったのは否定はしないけど、殆どは戦国大名に吸収されて家臣になったのが普通じゃないの?
811809:2012/07/29(日) 14:48:16.85
市内のあちこちに一族が散らばっているが、一族揃って通字は諱の前に「正」である
源頼政の末裔を自称して、頼政の「政」の部分を「正」にしたらしい
太田同感とは同族にあたる
祖を同じくする多田氏とは養子縁組したりする(渡辺家なども)
受信料は払ってはいないが、NHKの大河ドラマ「平清盛」をみて
源頼政がでてきた時は、いつもファビョっている
俺の血にも、こいつの血が流れているのかと
じいちゃんが江戸時代に使用していた刀を抜き
ニートのこの俺の血にも、侍の血が流れているのかと思うと、ゾクゾクする

源氏の棟梁は、義朝などの河内源氏ではない。頼政こそ源氏の棟梁のはずだ

明日から本気だす
812日本@名無史さん:2012/07/31(火) 10:09:15.04
798の者です、レス下さった方ありがとうございました。やはり地域差等あるようですね〜江戸時代以前の家の歴史はなかなか辿るのが難しいようですね…
813日本@名無史さん:2012/07/31(火) 18:06:04.02
これから、夜行バスに乗ってご先祖様の所縁の地へ行って来ます。

明朝から、法務局で旧土地台帳を閲覧します。
時間に余裕がありましたら、ご先祖様の居らした住所のそばにある墓場や神社を見てくる予定です。
明日の夜に、また帰って来る強行スケジュールですw

実は、はじめての現地調査で、このスレのお勧めに従って菩提寺は伺いません。
楽しみです♪
814日本@名無史さん:2012/07/31(火) 20:01:19.31
813様、私も昨年にご先祖様の村に行ってきました。神社の狛犬等にご先祖様の名前を見つけ、興奮したり、お墓参り、本家訪問等行ってよかったです。色々と充実した調査をお祈りします。
815日本@名無史さん:2012/07/31(火) 21:51:10.08
>>813
私の先祖が住んでた村(現町大字)には菩提寺裏の墓地の他に三箇所も墓地が存在したわ。
住宅地図などで「┴」(←墓地記号のつもり)を調べておくのもお勧めします。
816日本@名無史さん:2012/08/01(水) 08:57:21.39
>>813
旧土地台帳って今も普通に見せてもらえるの?
81783:2012/08/01(水) 14:37:07.10
該当地域の法務局で閲覧できます。
ただし、「先祖調査のため」は禁句ですよ。あくまでも、土地を購入したい人などが
土地所有者の履歴などを調べるための閲覧のつもりでお願いします。

ただ、地域によっては数冊以上に分冊されているところもあるので、閲覧には
時間が掛かる場合も多いです。現在の住居表示と、旧地番は異なっていますし、
探す本家の、「番戸」も調べてから閲覧すると仕事が早いです。
同じ名字の人が、どの番地番戸に居住しているかを調べてから行くと良いです。
818日本@名無史さん:2012/08/01(水) 15:50:28.92
土地台帳って何か意味ある?明らかに除籍謄本の方が古くまで遡れるじゃん
819日本@名無史さん:2012/08/01(水) 16:38:35.17
除籍謄本って古いもので昭和初期なんだろ
820日本@名無史さん:2012/08/01(水) 16:48:43.39
>>817
じゃあ自分の住んでいるところの土地は調べようがないのか
821日本@名無史さん:2012/08/01(水) 17:16:35.31
>>819
え?なんで昭和初期?
822813:2012/08/02(木) 09:10:07.22
無事帰宅しました。

旧土地台帳の閲覧は、理由も聞かれずすんなりできました。
ついでに傍系のも調べてしまいましたので、9:30〜17:00まで
食事やトイレにすら行かず、ずっとかかってました(笑)

今回の成果は、改正原戸籍でわかっている代までで、それより先に遡ることはできませんでした。

ちなみに戸籍の調査は郵送請求できる限りは既に行っております。
高祖父の名はわかってますが生没日は不明。高祖母は名すら不明です。
曽祖父の兄(慶応3年産まれ)が、家督を継いだのが明治31年。
恐らくこのときに高祖父が亡くなったと思います。
(これより前のは廃棄処分されたとのことです。残念!)

法務局での調査が終わり帰りのバスまで多少時間がありましたので、
ご先祖様の住んでいた地の最寄駅(無人駅)まで行きました。

ネットで確認したところ、駅から車で十数分で着けるとありましたので、
てっきりタクシーを呼べるものだと思ってましたがそうではありませんでした。
(無人駅の待合室で井戸端会議してたお婆ちゃんに止められました)
次回伺うときは、ナビ付きレンタカーを借りてみます。


>>819
私が戸籍請求で調べて最も遡れたのは、文化8(1811)年産まれの高祖母です。

>>820
現在自分が住んでいるところも番「地」が一緒なら調べれますよ。
823日本@名無史さん:2012/08/02(木) 15:23:46.87
>>822
理由聞かれなければいいんだけど、もし聞かれた時に自分の土地の場合はどういう理由なら通るんでしょ?
82483:2012/08/02(木) 21:45:15.63
普通は聞かれることはありません。
また旧土地台帳は過去のもの(昭和三十年代まで)だから、心配ないです。
私の前コメントに矛盾するようですが、ああ書かないと、法務局の
窓口で自分から、先祖調べに旧土地台帳を利用したいのですがと、
相談する頓狂さんが実際いるんですよ。

82583:2012/08/02(木) 22:14:35.38
旧土地台帳で探す土地は、なにも自宅屋敷地には限りません。山林や田畑、また家作や貸地などもあるはずです。
旧土地台帳を調べる利点として、先祖と付き合いのあった人々の名前を知る事が出来るということもあります。
私の経験では明治十年代頃の戸主と、その母親名義の土地を見つけることが出来たことがあります。
除籍謄本では、辿れなかった名前です。また経済的に窮地に陥ったりしたときに、親戚が一時的に土地所有者に
なった形を取って、大金を工面してくれたと考えられる事例が、いくつもの家系で見受けられました。
同姓で、親族か親戚としか考えられないのに、全く知らない他県の住所地が記載されていて、親類を捜す
手掛かりになる場合があります。
826日本@名無史さん:2012/08/02(木) 22:58:53.94
江戸時代の地方の結婚って、近隣の村や遠くても隣国との縁組が普通だと聞きますが、
戸籍などを調べたら、高祖父の母(文化十年生)が江戸より嫁にきていることが判明しました。
当方は東北某県ですが、どんな背景があったのか。。。
ちなみに、江戸の同性の家から嫁に来ていました。
827813:2012/08/04(土) 11:49:38.58
今回、旧土地台帳を調べたご先祖様ですが、
近隣の家と田んぼや畑、山林を微調整するようにお互いに売買してるのを散見しました。
神社の土地の売買もあり、神社に名前が残っているかも知れません。

ちなみに、このご先祖様は、
・家紋は、三つ割菊と釘貫きが1/3重ねたものを並べたもので珍しい(何て言う家紋?)
・家が、お城より東20キロ離れた農地
・菩提寺が、真宗大谷派(こちらは家から北20キロ離れたところ)

口伝では、武士と聞いています。
しかし本家に伺ったところ武家とは伝わってなく高祖父の仮名もあるのか不明です。
今のところ分限帳・侍帳の記載は発見できてません。

次回、地図よりご先祖様の住んでいた地のそばにある墓地(逆さT)と神社に行って来ます。
このスレのお勧めに従いまだ菩提寺には伺いません。
828日本@名無史さん:2012/08/04(土) 13:43:04.48
いいね
レポート聞くとワクワクする
82983:2012/08/04(土) 14:20:10.70
旧盆も近いので、お墓参りをされる方も多いと思います。
草の生い茂る夏期のお墓の調査は、蚊や虫に刺されますので、蚊取り線香をお忘れなく。
お墓を調査する作業は、別名、掃苔記や掃苔録というくらいなので、草刈り鎌や、たわし、
車で行かれる方は、バケツや、水ポリタンクなども必要になります。
墓碑銘調査を目的として、普段付き合いのない旧家のお墓参りを計画されている方は、
会って話を聞く機会にもなりますが、誤解やトラブルを避けるためには、お盆が終わって、
掃除されたお墓を調査するほうが、楽です。
83083:2012/08/04(土) 14:23:24.29
摩滅した碑文の判読には、ホームセンターでチョーク粉や黒板消しのパタパタを
使う場合もあります。水で洗えば綺麗になります。苔や黴にはカビキラーなども
必要な場合もありますが、不用意に使ってトラブルにならないようにして下さい。
墓碑に漢文や和歌が彫られている場合には、拓本を取りたくなるものです。
書道用品店には初心者用の拓本セットが売られていて画仙紙なども入っています。
車が利用できない場合は、刻まれた文字の判読のために、別角度から光を当てる手鏡
とデジカメが役に立ちます。肝心の仏様に供えるお線香もお忘れなく。
83183:2012/08/04(土) 14:26:24.80
訂正

ホームセンターで         ×
ホームセンターで売っている  ○
832日本@名無史さん:2012/08/04(土) 15:28:07.54
酸やアルカリなどを使うと墓石の素材によっては腐食を激化させる危険があるよな。

黴取り剤の性質を確認しとかないと墓石を傷めるかも?
83383:2012/08/04(土) 17:39:22.51
そこが問題ですね。墓石もいずれは風化してしまうから、きちんと判読して
子孫に伝えるべきものです。そのためには、拓本採取が必要。また、無理矢理
たわしで擦るより、先に、カビの根をカビキラーで分解してからの方が、花崗岩なら
碑文や墓石の保存につながるのですが、所有者がそのリクツを理解してくれる
とはかぎらないし、苔むした状態を望んでいる場合もありますからね。
拓本を、魚拓と間違えて墨で汚されると勘違いしている人さえいます。

好太王の碑文のように火で焼いてしまったということもあっても、結局、中国人が
拓本を取って措いてくれたおかげで、改竄説が否定されたということもあるわけですし。

834日本@名無史さん:2012/08/05(日) 00:34:10.32
うちの先祖は200年前に某村に移住した庄屋なのですが(移住前の家系図もわかります)
その某村名が○○名鑑にのっていてショックです…
庄屋の家でBということはあり得るのでしょうか。
835日本@名無史さん:2012/08/05(日) 02:05:53.48
あり得るけどたぶん違う。
>>834の先祖はおそらく本村の庄屋で、
枝村が部落だったんだろう。
てか部落うんぬんでショックはナンセンスだぞ。
836日本@名無史さん:2012/08/05(日) 03:13:09.78
最近の名鑑とか、ネットで書かれている村は、デタラメが多いよ。
被差別の歴史を調べてみるとわかるけど、明治以降に差別される職業集団が
移設されて、被差別地域になったところが意外なほど多いです。



837日本@名無史さん:2012/08/05(日) 03:22:44.89
墓石に戒名だけで
没年名前が書かれてない女性と思われるお墓がありますが
武士ではない証でしょうか?
838日本@名無史さん:2012/08/05(日) 03:27:58.20
武士でも生年・没年の不明な人とか普通にいるから判別は無理じゃない?
839日本@名無史さん:2012/08/05(日) 03:57:12.22
834を読んでいて思ったんだが、先祖(ルーツ)巡りをするって事は、そういう事だよ
ご先祖様がBだったかも知れないし、或いは犯罪者だったかも知れない
実際にそういう事が判明するケースって結構あるんだよね
大体、本家でありながら、系図がはっきりしなかったり
移住した理由等が伝わってない場合は、何かあると思った方がいい
先祖に罪人がいる為にあそこは犯罪者の家だとずっと後ろ指を指されてきて
明治に入って移動が自由になったので、さっさと余所に移住したケースとか
明治に引っ越したケースなんかだとそういう事が結構あると聞く
詳しく調べたら所払いを食らった家系だったとかもあるよ
だからそういう事を含めて、全て受容できる人こそが、先祖巡りする資格があるんだと思う
ご先祖様はご先祖様なんだから、どんな人だったとしても、敬い、蔑まず、ご先祖様だと思う事
その人がいなければ自分らの存在はないわけだから
840日本@名無史さん:2012/08/05(日) 05:10:20.93
>>839
 同意。
 俺は男女系すべての高祖父母の名前を知っているけど、それ以上はわからない家もある。
 どんな家なのか、何をしてたのか、それぞれの先祖について調べてる。
 罪人扱いだった人もいたし、一揆のあった村に住んでいた先祖もいた。
 高祖母のうち二人は妾だった。家を傾けて逃げた人もいた。
 でも、そんなかけがえのないご先祖達のことがもっと知りたいと思う。
841日本@名無史さん:2012/08/05(日) 07:43:48.48
>>840
なんとなく同意。
全ての史実があって今の俺が居るってことだよな?
何はともあれ必死にその時代を生きたご先祖さんは皆、俺にとっては神だよ。
842日本@名無史さん:2012/08/05(日) 08:02:24.42
父方の直系先祖が東北某藩士で、戊辰戦争(北越戦争)を戦って、その息子が西南戦争、日清戦争を戦った末裔なのだが、よくしかし、生き抜いたなと感心するばかりだ。
自分が今この世に居るのが不思議でならない。
843日本@名無史さん:2012/08/05(日) 08:08:21.05
>>842
筋金入りの武系だな。
844日本@名無史さん:2012/08/05(日) 11:39:25.31
戦国時代と同じぐらい、近代の夜明けは血が流れてるもんな
845日本@名無史さん:2012/08/05(日) 16:22:32.30
>>842
うちの直系先祖は九州某藩士で
戊辰戦争を戦って秋田で戦死した
もしかしたら因縁の相手かもしれんなw
846日本@名無史さん:2012/08/05(日) 16:30:21.07
探し人
二年前に、先祖スレに来ていた石巻市の多福院が菩提寺だったが、キリスト教に
改宗された方、もしまたこのスレを見ていたら、レスお願いします。

私の大伯母の嫁ぎ先が、戊辰戦争で戦死した仙台藩士の勝又伝四郎の子孫の
ものです。このスレで情報を交換した十ヶ月後に、311の地震があったので、
地震で、被害に遭われたことと心配しておりました。
847日本@名無史さん:2012/08/05(日) 16:37:34.13
>>845
うちの高祖父が秋田に侵攻したから、うちとは因縁があるだろう。
848日本@名無史さん:2012/08/05(日) 16:48:30.98
>>847
あ、でも新政府側だよ
侵攻したって事は新政府側だと思うから同志になるのかなw
849日本@名無史さん:2012/08/05(日) 17:32:30.33
>>848
秋田は新政府軍側に寝返ったから侵攻したのは奥羽越列藩同盟側だよ。
850日本@名無史さん:2012/08/05(日) 17:35:04.27
>>847
うちは旧幕府側で主に越後方面の戦線で戦ったようだ。
小隊長だったから戊辰文書に名前も載っていた。
まあ、ボロクソにやられたようだよ。
でも、昔の人達(先祖)はいろんな意味で凄いよな。マジで敬服するわ。
851日本@名無史さん:2012/08/05(日) 18:02:40.42
>>850
その息子が今度は政府軍側に立ち小隊長で西南戦争(薩摩征討)出征。
田原坂で激戦を征して奇跡的に無事帰還した。
まさに今俺が居るのも奇跡的。
852日本@名無史さん:2012/08/05(日) 22:04:23.67
明治期の日本は凄い
韓国と関わり始めてから法則が働いたのか、暗黒の時代に突入だもんね
853日本@名無史さん:2012/08/05(日) 23:16:20.90
ここで嫌韓だしてどうするよ
よそでやれ
854日本@名無史さん:2012/08/07(火) 20:33:59.18
栄枯盛衰という言葉があるけれど、ご先祖さんたちもそうだったんでしょう。
うちの田舎には、「○○家は海へ出るまで他人の土地を通らずに行けた」
という家が何軒かある。うちもその一軒w
もちろん同時になんて有り得ないから、ある時は、A家が栄え、ある時はB家が栄えていた。

だから、昔は・・とかいう家が山ほど出てくるんだろうね。
それに、人口は江戸初期には1200万程度だったと言われているから、
約10倍になっているし、貧乏人は絶家が多く、地主クラスは多くの
分家を出しているそうだ。
うちの先祖は昔は羽振りが良かった、と言う人は、40倍ほどには
なりそうだ。

ああ、鬼頭氏によると、栄華盛衰が多いのは西日本(東海以西)だそうだ。
経済の先進地域はそうなるらしい。
東北などは逆で、特定の庄屋とかが固定されて、栄枯盛衰は少ないらしい。
855日本@名無史さん:2012/08/07(火) 21:05:43.01
農地改革までは
うちも結構土地を持ってたらしい
856日本@名無史さん:2012/08/08(水) 05:26:18.58
小作人いじめしてた奴からは土地を没収が正しい
857日本@名無史さん:2012/08/08(水) 12:45:16.33
農地改革自体は、寄生地主制の問題には明治政府の時代から悩まされてきたもので
GHQがやらなかったとしても、いつかの時点では政府が実施しただろうと考えられる
あれによって小作農がようやく解放された面もあるから、悪かったとは言えない
歴史的な評価としては、ね
858日本@名無史さん:2012/08/08(水) 13:39:05.39
うちの町は
記録に残ってる明治から地主がほとんど変わってない
売ってもなければ買う人もいないw
ご近所さん皆東京ドーム1個分以上の土地を持ってるw大半が山だけどね・・・
859日本@名無史さん:2012/08/09(木) 16:00:28.65
うちの高祖母は安政生まれで、満27歳で結婚してるが当時としてはかなり晩婚だよね?
860日本@名無史さん:2012/08/09(木) 17:54:35.15
女性の適齢期は14〜17らしいね、20じゃ行き遅れってことみたい
嫁げないなんかの理由があったのかもね
861日本@名無史さん:2012/08/09(木) 18:23:02.41
再婚の可能性もあるでよ?
862日本@名無史さん:2012/08/09(木) 19:53:03.57
年季奉公とかも関係あるって話
863日本@名無史さん:2012/08/09(木) 20:10:13.60
うちの古い戸籍見てると、正月に嫁に来てもうその年内に協議離婚していった女性とかいた。
父方母方それぞれで土地柄もまったく別件でもすぐ協議離婚が3件くらいあった。昔って結婚離婚てお気軽だったのかな?
17歳で嫁いできてうちの曾じいさんから一年弱で離縁されてった人とか、実家戻ってその後嫁ぎなおして幸せになったのかなと想ったり。
864日本@名無史さん:2012/08/09(木) 20:31:33.19
うちの場合

1.曽祖母は祖父を生んだ直後に離婚(?)し、1年後に他の家に再嫁した。
2.その祖父は祖母と結婚するにあたり、父が生まれるまで籍をいれていなかった。

田舎だからだとは思うが、昔の役所への届出なんていい加減なものだったんだろうね。
今の時代から見たら「野合」そのものなわけだが、同棲とは違う感覚かな。
865日本@名無史さん:2012/08/09(木) 20:43:25.31
>>863
うちもそう
姉妹二人とも1年足らずで出戻ってまた再婚してる
追い返されたのかとw
866日本@名無史さん:2012/08/09(木) 20:54:10.74
跡継ぎを生むだけ生ませて追い出す
867 ◆xzzi5cmw7XfL :2012/08/10(金) 00:41:01.47
あげ
868日本@名無史さん:2012/08/10(金) 00:45:57.08
>>863
離婚に対する忌避感情は、時代によってかなり違うみたいですよ
詳しい事は忘れましたが、戦前の一時期は離婚が比較的自由で多かったとか
869日本@名無史さん:2012/08/10(金) 10:03:37.13
母方の本家の墓が高野山奥の院にあった。
周囲は教科書に載ってるような人物ばかりで
当家の墓も異常に大きい。
戦前は大連で大きな商売をしていたようだが、
本家筋の人物が高齢で詳細がわからなくなっていた。
一体何者だったんだろう?
870日本@名無史さん:2012/08/10(金) 16:48:53.02
こう言っちゃわるいけど
調べれば良いだけの話でしょう。
871日本@名無史さん:2012/08/10(金) 23:15:01.44
俺は先祖調査して実感したが、今や街の古老すら昭和初期の生まれで、遠い昔の事を伝え聞いてる人ってのは殆どいなくなっていると言う悲しい現実があるなぁ…。
872日本@名無史さん:2012/08/11(土) 00:05:23.27
そりゃ、在日朝鮮人を中心に戦前日本の歴史を貶めることに必死で
羨ましい文化や人物は朝鮮起源、現代の感覚で悪いと思われることは時代性も関係なく極悪認定の全否定
歴史を語ったり、先人を偲んだりすることが少なくなるよ
873日本@名無史さん:2012/08/11(土) 00:08:42.48
>>870
調べようにも戦後の大水害で古い書物関係が
本家筋に残らなかった。役場でも殆ど紛失していたりしてね。
山奥でそういう場所は結構大変なんですよ。
874日本@名無史さん:2012/08/11(土) 00:40:01.92
>>873
ネット検索は既にされていると思いますけど

http://inoues.net/club/okunoin.html
>一の橋口から東へ広がる一帯も広い意味で「奥の院」と呼ばれる。一の橋は泉鏡花の「高野聖」で有名な場所。御廟までの約
>2kmの石畳参道の両側には、大小、新旧、数十万基とも言われる石塔が立ち並び、高野山を訪れる多くの人々は、この参道
>を通って弘法大師御廟所へ参詣するのである。参道は杉と高野槙の見事な並木道で、推定樹齢800年の平安期から残ってい
>る樹もあれば、新しいものもある。風化して姿も判らなくなった地蔵菩薩や、元は何かもうわからなくなったような石塔もあ
>る。これらの石塔は、時代、階層を越えた人々の墓碑で、隙間無く建てられ静かに並んでいるが、メインの通りは圧倒的に武
>将達の墓である。それも秀吉以降の、戦国時代から江戸時代にかけての大名達の墓所が多い。ここには敵味方の区別なく祀ら
>れているが、これだけいれば「関ヶ原の合戦」をここで行えそうである。(全墓標の約40%が大名墓と言う)

大名墓の比率が多いだけで、普通の方もお墓もあるようです
875日本@名無史さん:2012/08/11(土) 04:34:57.06
>>871
ところが関東の田舎だと
都市の大病院が明治、大正からあったりして
歴史とは切っても切り離せなかったりするし
うちによく来る新聞屋の親父が
「お宅のうちは大地主だったんでしょう?」
なんて言われた事もありますし
本家筋は江戸期の古文書を大量に保有しているという話もある。
うちとしても江戸期の墓はあります。
>>874
普通というのはちょっと無理だと思います。
天明の1780年代でさえ米一俵がおよそ10銭ですから。
現代でさえ墓一基10万円でしょう?
これは途方もない話なんですよ。
その辺の町に昭和の初めの洋食屋やラーメン屋が
あるという話とはわけが違うので。
876日本@名無史さん:2012/08/11(土) 05:08:43.31
高野山の奥の院は金さえ積めば誰でも墓を建てることができる
近代だと関西の大企業創業家の一族とか
最近だとパチンコで財をなした半島出身の方とかね
バブル期にたくさん造られた企業墓は哀れをさそうよ
877日本@名無史さん:2012/08/11(土) 07:40:08.35
本家は元々花園村、親戚筋も九度山と皆高野山周辺なんで、
勿論最近の墓ではないですね。
戦後の水害被害がひどかったので、家どころか
山ごと流出したような場所なので書物関係は調べようがない。
墓はうちや遠戚筋が見てるので荒れはしませんが、
肝心の本家筋の人間が高齢の婆さんなのと、
水害後生まれで実家にいなかった息子しかいないので、
口伝も期待出来ない。母が持ってた満州引き上げ前の、大連での
写真数点しか無いという、絶望的な状態でした。
878日本@名無史さん:2012/08/11(土) 08:27:34.59
単純に檀家でお金があった家系なんだろ
名字教えてもらえば察しつくと思うがw
879日本@名無史さん:2012/08/11(土) 18:42:03.68
もっと個人情報出さないと俺らもどうにもならん
嫌なら自分で調べるしかない
88083:2012/08/11(土) 20:42:42.39
国会図書館の明治期文献で、和歌山県下の選挙人名簿などを調べて見て下さい。

神戸大のサイトのこれにも
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00797596&TYPE=HTML_FILE&POS=1
和歌山県出身の資産家などを調べられます。
88183:2012/08/11(土) 21:28:43.48
すみません。和歌山県立図書館にある、撰挙人名簿は、和歌山県日高郡役所1930年ぐらいしか見つかりませんでした。

国会図書館の近代デジタルライブラリーの
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1145891/37
日本紳士録. 37版附録 多額納税者名簿 和歌山県 昭和二年などもご参考に。
882日本@名無史さん:2012/08/12(日) 00:01:32.07
>>880
色々すいません、調べてみたのですがそれらしい名前は無かったですね。
山奥なんで多額納税者とは思えないですしw
大連の方も該当は無かったです。
遠い親戚筋らしき苗字と職業は和歌山市内の住所にありましたが。
883日本@名無史さん:2012/08/12(日) 15:32:04.89
>>860
そうでもないようですね。
東北はそれくらいの早婚が標準だったらしいが、東海〜近畿あたりは
24〜27が多いとうです。

また、離婚も今以上に多かったらしい。離婚・再婚が普通のことだった。
多分、よく言われる「嫁して三年こなきはされ」とかは、一部の話か、
儒教信者の願望じゃないかと思う。

相性があるから、どうもあわないとなったら、さっさと離婚して、新しい
縁を見つけるのが、男も女も普通のことだったんでしょうな。
江戸時代の方がやさしい気がしますね。

歴史学者が古文書を調査した結果わかってきたらしい。
あと言われているのが、明治の民法制定あたりまではあまり変わっていないらしい。
民法制定後、明治後半から離婚が減っていったそうです。



884日本@名無史さん:2012/08/12(日) 18:33:47.03
>>883
>東海〜近畿あたりは24〜27が多いとうです

恐らく金持ちは早婚、貧乏人は晩婚って事じゃないかと
885日本@名無史さん:2012/08/12(日) 19:11:25.05
奉公に出ると遅くなる
886日本@名無史さん:2012/08/12(日) 20:49:12.14
飛騨高山だっけ
貧しさ故に嫁がなかなか取れないので、一家で大所帯で過ごす為、家が凄く大きいのは
山間部だとああした家って珍しくなくて、どこの地域でもあんなもんだと思うよ
そして都市部では奉公に出て結婚が遅くなるケースがある、と
887日本@名無史さん:2012/08/13(月) 03:20:32.09
>>886
>そして都市部では奉公に出て結婚が遅くなるケースがある

これって、適齢期に都市部で暮らしている人という意味でしょ。
都市部で生まれ育った人というのは、実は想像以上に少なかったらしい。
未婚率は高いは、若年〜壮年期でも死亡率がやたらと高いはで、都市出身者の8割か9割ぐらいが二世か三世ぐらい
親の代で田舎から出てきたとか、それぐらいの比率らしい
888日本@名無史さん:2012/08/13(月) 09:50:33.63
>>884
東海〜近畿と東北を比べたら明らかに東北の方が貧しかっただろ。

昔の人って役所の届け出なんか適当だから墓碑の年齢と除籍謄本の年齢が一致しないってのがよくあるな。父母どちらの家系も調べてみたがどっちにもそういったケースがあって驚いたわ。
889日本@名無史さん:2012/08/13(月) 18:12:55.24
>>888
山間部が貧しさ故に晩婚だったというのは事実ですよ
次男坊や三男坊も婿の貰い手がないと家に留まる為
一つの家に20〜30人が暮らすという物凄い大所帯になるんですわ
それ故に労働力が十分あり、自給自足が容易だった面もありますけど
890日本@名無史さん:2012/08/13(月) 18:31:35.65
お盆で皆さんはご先祖様探しの真っ最中でしょうか
891日本@名無史さん:2012/08/13(月) 19:08:44.99
イバのあ庄屋様はお墓に入られました。
892日本@名無史さん:2012/08/13(月) 21:52:48.94
>>888
うちは先祖の没日が戸籍と墓碑とで違う場合が複数あったが、
調べたら墓碑側の没日は明治中期以前は全てが旧暦だったわ。
893日本@名無史さん:2012/08/13(月) 23:43:22.09
>>890
お墓参りすると、自分のご先祖様達はこの土地で暮らしてたんだなって思いが強くなるよね
894日本@名無史さん:2012/08/14(火) 11:41:27.33
>>881-2その多額納税者は凄過ぎる
通常は豪農でも地租で10円から15円以上だろ
資産家地主総覧の和歌山編を図書館で調べるべし
895日本@名無史さん:2012/08/14(火) 19:45:48.76
>>884
東海〜近畿でも金持ちは早く、貧乏人は遅くは、そうらしい。
ただ、東北の早婚は、金持ちだからではないらしい。
貧しいゆえ、早婚じゃないと子孫が残せないからだろうって。

ただ、江戸時代も前半と中期以降は随分違うとか。
1600年頃〜1600年代前半〜後半頃??年頃までは、>>889のようだった。
その後、独立できる条件が整ったんだろう。新田開発で次男三男が
そっちへ出て行って独立できて、皆婚社会になり人口も急増した。
その後、江戸期寒冷期には、頭打ち。

ただ、地域によって随分違ったらしい。
896日本@名無史さん:2012/08/15(水) 00:48:03.37
897日本@名無史さん:2012/08/15(水) 00:48:55.80
>>892
うちのは過去帳や墓碑と戸籍の年齢が年単位で違うぞw
一番差があるので3歳w
898日本@名無史さん:2012/08/15(水) 19:06:06.39
ご先祖探しっていつ頃のご先祖をお探しなのだろう。
江戸時代?戦国?平安?
899日本@名無史さん:2012/08/15(水) 21:13:55.26
幕末うまれの高祖母の職業が髪結いだったと伝わっています。
もしかしていかがわしい職業だったのでしょうか・・・?
900日本@名無史さん:2012/08/15(水) 21:19:10.03
全然いかがわしくないよ。
ただ、旦那のほうは遊び人だったかもね。
901日本@名無史さん:2012/08/15(水) 23:35:52.94
髪結い・床屋=売春婦とかなんで伝説になってんだろ
時代劇?饅頭売りで来る女郎みたいなのもあったし。
902日本@名無史さん:2012/08/16(木) 03:34:35.14
みんな江戸時代のものが残ってて羨ましい
墓は古い墓で1680年代からあるけど、
並び方がバラバラだから石垣を直す時にわからず置いたのかも。
戦前の物は沢山あるけど我が家に残ってる最古の書類は地券くらいしかない。
903日本@名無史さん:2012/08/16(木) 03:43:30.13
江戸では髪型が身分標識であったこともあって、
髪型を整える職業というのは準公務員みたいな立場だったのでは。
904日本@名無史さん:2012/08/16(木) 08:58:46.87
そういえばうちは祖父方が美容、髪結いだわ。
相当モテて女遊びが酷かったそうだw
905日本@名無史さん:2012/08/16(木) 09:48:56.33
>>>奉公に出ると遅くなる

うちの5代前の先祖は満13歳で奉公して数え22歳で結婚してる。
その妻は満13歳で結婚した。
906日本@名無史さん:2012/08/16(木) 19:43:56.06
念のためこちらにも貼っておきます。

太田亮
http://kindai.ndl.go.jp/
姓氏家系辞書
第一章 家系の探り方
第五節 中古に於ける氏の数
p19-p20

最後に第三の一旦氏が忘れられて後、更に必要に迫られて出来た苗字について述べよう。
一体近古以来氏や苗字と云うものは一般人民では、あまり普通に用いないという云う風習
があった。その上、徳川幕府では平民に苗字を公称するを禁じたから、自分の家の氏や、
苗字を忘れ果てた者は極めて多い。之がある必要によって苗字を名乗る場合、他人のを
盗むか、それでなければ無茶苦茶につける。こう云う事は維新後が殊に多い。之は誰でも
知っている事実である。著者の家にも氏があった、けれど長い間使わないので明治になって
苗字を届ける場合、其古い氏が一寸わからぬ。祖父は無頓着の人であるから、綿と鍋とを
商って居ると云うので、綿鍋とつけた。
907日本@名無史さん:2012/08/16(木) 19:44:33.15
定本 柳田國男集 第十五巻 筑摩書房(新装版)P303-P304 家閑談・家名小考より

明治三年の所謂在名の解禁には、今でも一つ話になつて居るような珍らしい経験が各地にあつた。
政府が平民全般に名字の使用を許した際には、恐らくはどの平民にも必ず名字がある筈と思つて
居たのであろうが、事実は決してそうで無かつた。或土地では住民の全部に名字が無い。已むこと
を得ず、役場総掛りを以て急に名字を造つて遣つたなどという話もある。
同じ農民でも或ものは既に格式として之を公認せられて居り、或ものは表向には許されなくとも、
人も知り又私には用いて居る名字があり、又或る者は本家が明白であつて、容易にそれを書上げる
ことの出来た者もあつたが、他の過半数は実は久しく家の名を忘れ、もしくは甚だ覚束ないものに
なつて居たのである。それが平生恩顧を受ける家に頼み込んで其家名を乞い受けたり、或は独りぎめ
に地方としては恥かしくないものを取用いたり、或は親類中の物知りの意見に附いたりして、兎に角
に今では一軒として名字を持たぬ家は無いことになつた。寺や役場で拵えて遣つたというような、
極端な場合こそは僅かでもあろうが、其他の数多い農家の名字とても、実は十分なる考証と確信と
を以て、出自系統を表示したものばかりとは言えないのであつた。
908日本@名無史さん:2012/08/17(金) 00:16:51.41
やべえ、久々にあの荒らしが来た。
909日本@名無史さん:2012/08/17(金) 00:32:52.43
太田亮や柳田國男が荒らしかよw
91083:2012/08/17(金) 00:37:42.81
過去スレ検索すればわかりますよ。
これから先が思いやられます。
911日本@名無史さん:2012/08/17(金) 00:56:15.78
ここのスレを参考に除籍を辿って、高祖父の墓をやっと発見しました。
このスレには感謝です。
で、曾祖母の欄に山田太郎(仮)養母入籍すってあるんだけど、どういう意味だろう?
祖父などはこの曾祖母と血が繋がってないんだろうか?
912日本@名無史さん:2012/08/17(金) 01:16:32.29
普通に祖父の母親て意味じゃないの
戸主が扶養している自分の母親
913日本@名無史さん:2012/08/17(金) 01:33:01.05
養弟てのもあるね
914日本@名無史さん:2012/08/17(金) 01:38:51.73
>>911
山田太郎は祖父?
915日本@名無史さん:2012/08/17(金) 04:32:28.28
書き方悪くてすみません。
山田太郎は曾祖母の父か兄だと思います。
山田は曾祖母の旧姓なので。
916日本@名無史さん:2012/08/17(金) 13:47:56.87
爺さんの新盆(死んだ年にやる法要)で帰郷したんだけど
その時、思ってたより親戚が集まって、法要後オトキで料亭に行った。
親戚は本家(6代くらい離れてたような)、父母、叔父叔母、祖父母の兄妹、曽祖母の実家(曽祖母の甥っ子)、
開発でバラバラになった旧部落の人たち(小さい頃は目と鼻の先に住んでた、今も一応近所に住んでる)などが集まった。
そこで曽祖母から父親が聞いていたという話を曾祖母の甥っ子に確認した。

・曾祖母の父つまり高祖父は日清、日露戦争に近衛兵として従軍していた。(近衛師団の名簿に少尉として確認、騎馬兵であった)
・某小藩の家老を2人輩出している家の分家であった(同姓の家を確認、無役であったため郷士のような生活をしていた。裕福ではなかった。
 家の裏には家老格の家があった)
・藩主が菩提寺参拝、狩りの際は必ず立ち寄った
・曾祖母の甥っ子は祖父を兄貴と呼んで慕っていた。祖父と曾祖母の実家はかなり交流があった。(2つくらい隣町)

残された課題
・本家の過去張を見る機会がない(代替わりで父に代わって俺が法要に行くときに確認しようと思う)
・本家の住居移転の軌跡がまだはっきりしない

法要だとやはり長老みたいな爺さんがいていろいろ聞ける。酒も入ってるし遠慮しなくてすむからよかった
917日本@名無史さん:2012/08/17(金) 15:30:19.58
いいね
91883:2012/08/17(金) 18:52:32.48
>>916
日清戦争に近衛兵として加わっていたことが確認できたということなら
村(部落)のなかでもかなりの家柄で、身長と外見も整っていたことを
意味します。
919日本@名無史さん:2012/08/17(金) 21:55:43.64
wという草を生やすな
920日本@名無史さん:2012/08/18(土) 16:46:49.42
髪結いは女たらしとか、どんだけ現代のステマに洗脳された情報脆弱の無能なんだろ・・・
921日本@名無史さん:2012/08/18(土) 18:06:29.14
>>915
朝刊太郎?
922日本@名無史さん:2012/08/19(日) 12:13:18.87
家系図ソフトを語らってるところってないですか?
ちょっと調べて汎用のファイル形式としてgedcomってのがあるのはわかったんですが、
それに対応したiPadアプリ試してみたら名・性の順に表示されたりとかで微妙でした。
なんか良いのないっすかね? タブレットでじいちゃんばあちゃんと話しながらいじれると良いんだけど。
923日本@名無史さん:2012/08/19(日) 12:28:08.07
>>922
家系図ぐらい紙で書いて残しておきなさい

924日本@名無史さん:2012/08/19(日) 13:40:55.20
>>922
デジタルデータはお勧めしない
紙に書いてスキャニングの方がいいと思う
925924:2012/08/19(日) 13:53:13.80
>>922
ああ、ごめんなさい。
下書きみたいに使うのは有りかも。
ソフトはわからないですが。
926日本@名無史さん:2012/08/19(日) 14:01:56.58
>>924
なんでおすすめしないの?

>>911
ばかすぎわろた~~
おまえの曾祖母はに山田太郎の養母、そのまんまの意味だよ!!
>祖父などはこの曾祖母と血が繋がってないんだろうか?
全くそういう意味じゃない
山田太郎はおまえの曾祖母の養子ってこと
つまり山田太郎にとってはおまえの祖父母は養方の兄弟
がんばってね!!
927924:2012/08/19(日) 14:13:44.95
>>926
デジタルだと失いやすいから。
代々コピーしていくなんてできるとは思えないし。
928日本@名無史さん:2012/08/19(日) 17:16:22.31
929日本@名無史さん:2012/08/21(火) 00:56:28.89
屋号が苗字になってたワロタ
930日本@名無史さん:2012/08/21(火) 10:49:57.67
次スレ

先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1337303208/l50
931日本@名無史さん:2012/08/21(火) 15:10:53.21
>>930
そのスレッド、スレの趣旨が違いすぎる
ここはあくまでも家系をさかのぼるスレだから
932日本@名無史さん:2012/08/21(火) 20:03:51.63
>>930
その糞スレは削除願います。
933813:2012/08/21(火) 22:31:34.59
地籍入りの住宅地図を購入しました。

旧土地台帳から高祖父は交換しつつ微調整するように近所と土地を売買してましたので
情報を整理するために入手しました。

本家の周りの住宅地図のコピーしか持ってなかったので気付きませんでしたが、
隣地区(幕末は隣村)に自分と同じ苗字が沢山ありました。

検証のために立てた仮説がものの見事に崩れてしまいました。
嬉しい誤算です(笑)
934先祖供養:2012/08/22(水) 08:00:32.13
先祖は神社かお寺に限る。それで十分です。
特に神社の祖霊舎・御霊舎・おとく、霊璽で神社さんに祭事してもらえば、
霊力が入り、これでなんの問題もないと思うであろう。
神社の祖霊の出張祭は2万円から5万円でしょう。おとくは霊璽を入れて
5万円から6万円くらいでしょう。20号くらいの御霊舎は霊璽を入れて10
万円から20万円後半でしょう。背丈くらいの祖霊舎は特価品で40万円
くらいです。
神道の祖霊祭事がいいでしょう。
先祖代々なら誰でも祀れます。

935日本@名無史さん:2012/08/22(水) 09:47:53.30
宗教ビジネスやな
936日本@名無史さん:2012/08/22(水) 10:04:08.77
竹田くんみたいに皇室の「家系図」=「血統図」と思い込んでる馬鹿がいるな。
あくまでも皇室の「家系図」が125代続いているんだよw
937日本@名無史さん:2012/08/22(水) 10:11:30.02
>>936
皇室の場合、男系で書き込んできているので、血統図という面もある
一般的な家系図はあなたが言うように単に家の継承者を記したものだけどね
938日本@名無史さん:2012/08/22(水) 10:35:33.52
大室何某は?って話じゃね〜の?
939國友 ◆fV146ZJdLc :2012/08/22(水) 14:33:01.94
皆の、直系尊族の男系血族の先祖は、江戸時代以前に、何の職業をしていた?

俺は、刀や鉄砲を造る鍛冶業をしていた。
940ぷら:2012/08/22(水) 14:41:01.88
郡上の山奥で庄屋やってた。
941日本@名無史さん:2012/08/22(水) 15:22:51.07
>>939
スレ違い
942日本@名無史さん:2012/08/22(水) 21:42:10.34
摂津のとある村で百姓
943日本@名無史さん:2012/08/22(水) 22:41:49.40
江戸時代は越後で百姓
それより前がわからん
知りたい
944日本@名無史さん:2012/08/22(水) 22:54:51.88
江戸時代は秋田の湯沢で百姓。
でも、自分の苗字は母方で、そちらのご先祖様は現在調査中。
945日本@名無史さん:2012/08/22(水) 23:31:53.06
今名乗ってる苗字が母方の人って多い? 自分もそう。曾祖母の苗字からきている。
曾祖父が坊主で、曾祖母は囲われてた感じ。戸籍見ても祖父は曾祖母の子になってた父親名は記入無し。
まず自分の苗字になってる先祖を調べたよ。でもそれなりに遡ってわかってもあまり興味もてなかった。
今は曾祖父(男系)を調べてるけど、戸籍も無い伝聞だけで苦労してる。
946日本@名無史さん:2012/08/23(木) 00:21:44.41
うちは曽祖父は婿養子
高祖父は養子
家と血統はもう無茶苦茶w
947日本@名無史さん:2012/08/23(木) 01:29:45.08
父方は宇佐氏の庶流、佐伯藩の家臣。ひい祖父さんがボロい刀を大切にしてたとか。

母方は藤原氏南家。ど田舎の大地主だったけど農地改革でry
948日本@名無史さん:2012/08/23(木) 06:36:56.42
藩主。
949日本@名無史さん:2012/08/23(木) 15:51:28.28
あ、庄屋さま。
950日本@名無史さん:2012/08/23(木) 15:57:06.78
中間様の子孫が来てやったぞ
庄屋の子孫とやら、と、友達になってやってもよいぞ…
951日本@名無史さん:2012/08/23(木) 22:08:55.98
ttp://www.keifu.org/home.html

ここの管理人って、プロフは北海道の手稲の人らしいけど、
メアド集めて、何かアフターセールとかしてるの?
952日本@名無史さん:2012/08/24(金) 12:20:30.34
>>951
系図作成業者というと行政書士というイメージが強いですね

★家系図作成専門 行政書士渡辺宗貴事務所が運営する家系図作成代行センター株式会社
http://e-kakeizu.com/

家系図の作成なら家系図職人へ 家系図作成専門の行政書士として「家系図職人」を運営しております。
http://www.kakeizushokunin.com/

家系図 作成・代行のパイオニア 家系図株式会社 ※家系図 作成業務は行政書士業務「事実証明に関する書類の作成」に該当します。(行政書士法第1条の2)
http://no1kakeizu.com/

家系図作成業者は行政書士法違反にならず2010 - 12/21 [Tue] - 12:30
http://moriri12345.blog13.fc2.com/blog-entry-787.html
>今日の新聞には興味あるニュースがありました。
>それは行政書士法に問われた家系図作成業者が有罪判決を受けた1,2審から最高裁で逆転無罪になったというもの。

家系図を作っていた行政書士が処罰される事件があって、のち無罪となり
行政書士による系図作成は合法と裁判所が認める出来事があったばかりですから
953日本@名無史さん:2012/08/24(金) 13:41:40.15
それより壬申戸籍の開示を認めてほしい
954國友 ◆qOSv/CKab2 :2012/08/24(金) 22:59:22.00
本家に家系図があるらしいんだけど見せてくれない
「金庫のものは他人には見せられない」とのこと
ある程度のことは郷土史などで調べられた
後はその家系図に記されてあるだろう本姓が知りたい
源氏なのか平氏なのか藤原氏なのか
俺が知りたいのはそこなんだ
それが分かれば・・・
955日本@名無史さん:2012/08/24(金) 23:18:35.98
名字で大体察しがつくはずだけど?
956日本@名無史さん:2012/08/25(土) 00:22:28.85
>>955
苗字によっては源氏、平氏、藤原氏、主要氏族の全ての流派があるものもあるからね

http://www.harimaya.com/o_kamon1/seisi/best10/kobayasi.html
・上野の小林氏は桓武平氏の出で、緑野郡小林と多野郡御厨小林を根拠とした秩父氏高山党の分かれという
・諏訪郡の小林氏は諏訪氏と同族
・伊那郡の小林氏は知久氏の分かれである。知久氏は清和源氏満快流
・木曽義仲の子孫、藤原氏の流れという小林氏

武家の苗字は定住した土地の名を当てたものに過ぎないから、こういう現象は多々ある
954さんのケースは、江戸期に入って豪商や豪農になり、名を馳せるようになった家系の類じゃないかな
そういう家系の場合は、栄えた家の祖までは郷土史等で遡れても、それ以上は家系図を見ないとわからない
出自について郷土史家等が興味を持って調査し、それを本にしているようなケースでなければね
957日本@名無史さん:2012/08/25(土) 00:24:33.83
補足

>栄えた家の祖

これは他所の土地から入ってきた家の場合、その初代という意味
江戸期に入って豪商や豪農になり、名を馳せるようになった家系は
大抵、その初代については郷土史等に記されてる場合が多い
そこより先を知ろうと思うと、本家に伝わる家系図じゃないと無理
958國友 ◆qOSv/CKab2 :2012/08/25(土) 01:24:45.24
旧領内の一族と思われる同姓はみんな同じ通字を諱につけている点(例:山田太郎義□など)
その内の一家が、源姓を称している点と
苗字をネット検索すると同じく源姓となる点
あと、その一族と思われる人たちが通字にしている字も源氏ゆかりの字
これだけを見れば本家も源姓だろうと推測できるけど
あくまでも推測ですから確信はない
本家の人が言ってた系図や「金庫にある先祖が作った刀」を見せてもらえれば
そこに記されてるかもしれない本姓がわかるはずなんだが難しい
せめて刀剣に記す銘(例:山田太郎□朝臣義○)だけでも見せてもらいたかった
おばあちゃん、まだ生きてるかな
他人扱いされちゃったけど
何か高価なモノ持っていこうかな
959國友 ◆qOSv/CKab2 :2012/08/25(土) 01:40:23.37
昔は他人の家から養子家督相続が多かったから
家系のみ調べても血統は分からない
でも養子家督相続しても本姓は変わらないのが昔の家系図だった
武家は他人が名跡を継ぐのが多かった
本家も下級武士で刀剣や鉄砲を造る鍛冶業をしていたところまでは分かった
そして数年間、墓をみてまわって同姓の武家もみんな同じ通字を使用しているところまでは分かった
だいたい推測はできた
あともう少しなんだ
後は、本家のご機嫌をとるだけなんだが難しい
960日本@名無史さん:2012/08/25(土) 01:48:34.24
家紋はどうだ?
961國友 ◆qOSv/CKab2 :2012/08/25(土) 01:58:22.02
>>960
同族と思われる一族は、ほとんど家紋はバラバラだった
同族と思われる一族のお墓を数年間みてまわったけど
家紋は分家したついでに結構変えてたようだ

例:山田太郎家梅鉢紋
例:山田次郎家巴紋
例:山田次郎家の墓碑に、□年に山田太郎家から分家
と記してあるお墓があるぐらい
(山田太郎家と山田次郎家のお墓は1メートルぐらいの近さ
なので山田太郎家を間違えてる可能性は低い)
962日本@名無史さん:2012/08/25(土) 03:17:39.76
うちも分家ごとに違う家紋
ただすべての家紋がちゃんと藤原氏に縁のある家紋で驚く
当時の人は違う家紋をネットがないのによくわってたものだなと感心する
963日本@名無史さん:2012/08/25(土) 11:50:30.10
>>958、959、961
>おばあちゃん、まだ生きてるかな
>他人扱いされちゃったけど
>何か高価なモノ持っていこうかな

まあ、こればかりは、その方の性格にもよるし、それとあなたの事を本家の方がどう思われているかにもよるしね
あまりに分家してから時間が経っている家だと、他人と呼ばれても仕方ないし、同じ土地に住んでいなかったり、面識がない場合
本家の方から見た場合、あなたが本当に分家筋の人なのかどうか自体、わからない(=だから怖い、警戒する)という事もあると思う

おばあちゃん、と言われているので、息子さんやお孫さん、歳によっては曾孫さんがおられますよね?

まずは警戒を解いて貰う為に、おばあさんと会う際には、息子さんやお孫さん、曾孫さんなどご家族の方同席という形にした方が良いと思う
あなたが本当に分家筋の人間であることを示す証拠、ご健在なら、あなたのお父さんを、会いに行く場に同席させた方が良いのではないでしょうか?

どうしても家系図が見たいなら、お金ではなくて、気持ちで見せるしかないですよ
964日本@名無史さん:2012/08/25(土) 14:27:32.20
世知辛いというか何というか
うちは本家だけど
分家の子孫が訪ねてきたら
家系図ぐらい喜んでみせるけどなあ
965日本@名無史さん:2012/08/26(日) 02:25:11.52
本家もどっかの分家じゃろ?
966日本@名無史さん:2012/08/26(日) 08:47:25.30
かな?
967日本@名無史さん:2012/08/26(日) 09:11:21.71
>>965
だな。
真の本家は天皇家くらいか?
968日本@名無史さん:2012/08/26(日) 10:34:46.74
>>967
確か、高麗神社(埼玉県日高市)の宮司も今で直系で60代目。
969日本@名無史さん:2012/08/26(日) 11:24:04.75
>>967
元伊勢神社の海部氏の方が本家筋と見ることも出来るよ。
97083:2012/08/26(日) 15:34:17.95
懼れていたことが起こってしまいました。

このスレでも話題になっていた、谷原章介さんのルーツ探しに、過去帳の話が出たことで
ついに、悪意を持った人たちにやられてしまいました。

http://www.bll.gr.jp/news2012/news20120827-4.html

971日本@名無史さん:2012/08/26(日) 15:56:10.85
自分の先祖がBであろうが、なかろうが、正直どうでもいい。
ただ単に自分のルーツが知りたいだけだ。

ナンなんだコイツら!
憤りが、おまらない・・・
972日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:11:23.54
Bのせいで人身戸籍が閲覧できなくなってるんだもんな
973日本@名無史さん:2012/08/26(日) 16:40:28.16
論外だな。
イチャもん以外の何ものでもない。
てか解同は本当、自分たちの延命のために
先祖を貶めつづける最低の集団だと思う。
974日本@名無史さん:2012/08/26(日) 17:37:43.08
>>970
広島が特殊な地域なだけだよ。
歴史人口学の連中が史料として利用しようとしたら広島だけ
人権の名の下に利用できなかったと不満を漏らしていた。
975日本@名無史さん:2012/08/26(日) 17:41:44.58
部落であることが悪いことじゃないんだから隠す必要は無いじゃないか…!

それはそうと谷原彰介の回で過去帳閲覧してたっけ?住職不在で断られてなかった?
976日本@名無史さん:2012/08/26(日) 19:14:02.31
本当そうなんだよ
お前らの先祖は隠さなきゃいけない先祖なのかと
違うだろと
自分で自分の先祖を差別してアホかと
977日本@名無史さん:2012/08/26(日) 19:25:44.30
解同最低だな。
こいつらこそが現代のエタ。
978日本@名無史さん:2012/08/26(日) 20:17:16.28
差別って不毛だと思ってたけど、
そういう人種ってやっぱりそういう人種なんだね
979日本@名無史さん:2012/08/26(日) 21:10:17.79
逆説的にいえば
こういったイチャモンがなくなった時こそ
差別がなくなったと言えるんだろうな
要は街道去ねと
980日本@名無史さん:2012/08/26(日) 21:21:12.30
差別が無くなると自分たちの存在意義が無くなるから
重箱の隅まで挙げつらってさべつのレッテルを貼るのに必死なんだよな
981日本@名無史さん:2012/08/26(日) 21:39:02.42
過去帳をタブー視しない番組作り
過去帳をタブー視する番組作り

どう考えても差別的なのは後者だろ
街道はアホか
982日本@名無史さん:2012/08/26(日) 21:44:12.80
タブー視してもらわないと困ると
983日本@名無史さん:2012/08/26(日) 21:55:59.76
図書館で郷土史を見ていたら、古文書の活字起こしの名前の前に修正液で消されている部分があった。
消しきれていなく判読できたのだが「穢多」だった。
こういうのって一般的なの?
984日本@名無史さん:2012/08/26(日) 22:06:29.03
このコピペ思い出した。


806 マンセー名無しさん Mail:sage 2012/08/12(日) 17:19:27.75
ID:eFznM6gU
職業、不幸探し

差別を探せ、差別を探せ
俺たちのご先祖様は差別されていたはずだ
内地と仲良くやっていた時代なんぞ無かったに違いない
差別されていた事実の証明が必要だ

不幸を探せ、不幸を探せ
俺たちのご先祖様は不幸だったはずだ
内地から不幸を強いられ、搾取されていたに違いない
幸せは必要ない、不幸の証明が必要だ

内地と平和に共存していた事実は必要ない
できるだけ不幸で、もっと差別的に
血の涙を流していた事実だけが必要なんだ
不幸を探せ、差別を探せ
俺たちにはそれが必要なんだ
985日本@名無史さん:2012/08/27(月) 00:16:16.29
お前ら韓国や中国の動画共有サイト見てみる?
歴代の紅白、大河から民放ドラマにドキュメントまで、およそ一度でも電波に乗ったことのある番組は
サルベージするまでもなく普通に見れたりするから

日本の文化資産や歴史の史料に一番アクセスしにくいのは日本国民自身だから
著作権や人権やモラルなんていくらでも理由付けられるし
あらゆる情報に関するインフラや生命線握ってる既得権業界がそこらへんはがっちりスクラム組んでるから
986日本@名無史さん:2012/08/27(月) 01:39:43.53
次スレ
そろそろ立ててよ。
出来れば、以前からのテンプレ付けてね。

987↓これがこのスレ本来のテンプレ:2012/08/27(月) 07:44:44.25
先祖を探す方法を何でも幅広く語りませんか?
テクニックやエピソードなど・・・
初心者からエキスパートまで
先祖を探す情報交換の場にしましょう!!!

1 なにか質問されたり困っている住人がいればみんなで協力してあげよう(ググレ禁止)
2 HNを使うとみんな分かりやすいのでは?(誰が誰だか混乱するので)
3 画像をUPするとみんな一目瞭然で分かりやすいですよ
4 家の格式を必要以上に誇ったり、蔑んだりしない事 武士だから素晴らしい農民だから駄目という
  ことはありません、今の自分があるのは先祖という感謝の念で!! 
5 あくまでも、先祖調査の経験やノウハウの語るスレです
6 荒らしは無視でスルーしましょう。

※UPの方法
@デジカメやスキャナなどで画像をPCに取り込む
(ファイル名を当たり障りの無いものにしとく。UPしたらファイル名晒されるので)
Aペイントソフトなどで危なそうな箇所を消す(よく確認して!UPしてからでは遅いです)
BアップローダでUPする(一応利用規約は読んで)
アップローダは↓など
ttp://www.imgup.org/
ttp://www.uploda.org/
CURL貼り付けたかったら貼る
988日本@名無史さん:2012/08/27(月) 09:00:07.81
>>983
たまにある
個人的にはそれこそ差別的だと思う
穢多の歴史は消されなきゃいけない歴史なのかと
989日本@名無史さん:2012/08/27(月) 09:14:35.12
それこそエタの子孫達が自分達を差別の対象にしろ!と訴えかけているようなもんだな。
990日本@名無史さん:2012/08/27(月) 09:25:34.07
街道をネタにスレを荒らすのは街道
街道にしたらこのスレを潰せさえすればいいわけだから
従って街道ネタで今スレ荒らししてるのは街道
だよね、街道さんw
俺のレスでちょうど990の筈だから、あと10でスレが埋まる
スレ分裂し掛けたり、本当に執念的なスレ潰し工作を仕掛け続けて来たよね
991日本@名無史さん:2012/08/27(月) 10:11:45.28
次スレ
先祖探しのテクニック、エピソードを語るスレ 16
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1346029861/
992日本@名無史さん:2012/08/27(月) 10:14:15.53
>>991
スレ立て代行さんに頼んで立ててもらったものです
代行さんに感謝!
993日本@名無史さん:2012/08/27(月) 10:25:17.62
たぶんそれはおまえらがエタの子孫じゃないから強気な発言できるんだろ?
このスレの中にエタの子孫いる?
そいつの意見が聞きたい
俺はエタの子孫じゃないけどな
994日本@名無史さん:2012/08/27(月) 10:39:27.74
関西や一部の差別意識の強い地域を除けば、先祖が穢多や非人って事で差別する奴はおらんよ
そもそも穢多や非人の子孫は普通の苗字を名乗ってるから、見分けなんかつかないわけで
995日本@名無史さん:2012/08/27(月) 11:18:23.43
>>993
まあ確かにその通りだわな
郷土史に自分の先祖の名前が書いてあるのを見つけた時は誇りに思ったけど、もし穢多なにがしと書かれていたら我慢ならないかもしれない
996日本@名無史さん:2012/08/27(月) 11:32:52.35
そもそも、解同の創立者が、ヤクザだからな。
エタ・ヒニンだからといって、他人を恨んではいけない。
一般人を道連れにしようという魂胆で、任申戸籍を封印しようとするのも悪意でしかない。
997日本@名無史さん:2012/08/27(月) 11:38:41.77
「新平民」というのも、武家の次男・三男が別に家を興して
帰農したりしても「新平民」と呼ばれたりする。
必ずしも、エタ・ヒニンだけが「新平民」と、呼ばれたわけではない。
998日本@名無史さん:2012/08/27(月) 12:04:26.14
部落名鑑に先祖の出身村が載っててショックだった者です。
でも先祖は庄屋からの分家だし、奥さんにも院号戒名がついてるし大丈夫だと思う。。。
99983:2012/08/27(月) 12:10:15.34
現在の部落名鑑のたぐいはまったくデタラメですよ。
都内でも被差別とは全く関係がないところまで地域認定されていて
呆れてしまいました。

1000日本@名無史さん:2012/08/27(月) 12:27:15.13
ume
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。