江戸時代庶民に苗字〜それは明治8年2月13日遡る

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45日本@名無史さん
本とドあほばっかやのーーw偏差値いくつだよおたくらw
仕方がない教えてやろう。
苗字の一考察という論文を俺が書く場合、こうなる。
苗字という概念を持って名乗っていたのか?ということだ。
庄屋クラスならもともと苗字は持っていたのは言わずもがな。
下級武士クラスのほうが江戸初期は苗字ないものが多かったと推測できる。
それはおいておいて、末端の農民も苗字に属する使い分けとしての苗字を持っていたと推測できる。
おそらく中世は固有の苗字という概念自体が上流階級にしか存在しないはず。
江戸に入り、名前だけでは税徴収の観点から不合理が目立つ。
よって、田んぼが上のほうにある上田の三郎とか、北に田んぼがある北田の次郎といった使い方。
それらは苗字として意識したものだったのかは不明。しかし、苗字とは賜姓以外はこんなのが原型。
ステータスという意識は生活苦からそういう余裕のある潜在意識は存在しなかったようにも思える。
しかし、確実にいえることは、上層農民以上に、江戸下級武士層のほうが、固有の苗字など持ってなかった。
この下級武士層ですらその後苗字をあてがわれてるんだから、一般層も、上記のような概念で苗字の原型となるようなものは持っていたと推測できる。
そもそも下級武士や足軽程度も苗字など名乗らせてもらえない藩など腐るほどあるだろが!!