先祖探しのエピソードを語る正し血族先祖に限る3

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86日本@名無史さん:2014/12/05(金) 23:34:15.86
なにがやなんだよ町人のせがれが
87日本@名無史さん:2014/12/06(土) 01:04:48.72
なんで庄屋さんがイヤなの?
いいじゃない
88日本@名無史さん:2014/12/06(土) 01:30:36.22
>>85
どうせなら庄屋より下級武士の方がいいよな
89日本@名無史さん:2014/12/06(土) 09:54:28.69
おまえね、それは現代のイメージだろ

現実は、現代でいいかえりゃ、

町長村長宅の大豪邸【長屋もんあり】、レクサス乗り【馬持ってるし】、地域で裕福で美人を選び放題、在地の殿様扱い、下層自衛隊なんぞがでかい口きいてた事実なし【下層武士が庄屋を呼びつけして庄屋から藩に生意気だと訴えられてるケースまであり】
名字対等後免、墓は上士と同格、実質地域武装警察署常態【庄屋は武器をたらふく所持してる】
地域の裁判権も独占、地域の商業権も独占、


下層武士【自衛隊】長屋暮らし【官舎暮らし】マーチ愛用【馬なんてもってのほか】3k【パワハラ上等】村長に呼びつけすらできない【庄屋にぶったぎられたケースあり】
墓は町人とかわらない、 永遠の隷属【人間扱いは上士からうけない】す〜ぱー貧困
90日本@名無史さん:2014/12/06(土) 09:56:05.56
江戸時代に下層武士があこがれなんて幻想だ粕
91日本@名無史さん:2014/12/06(土) 10:44:08.29
庄屋=農夫
92日本@名無史さん:2014/12/06(土) 10:52:36.78
下級藩士=奴隷民
93日本@名無史さん:2014/12/09(火) 16:44:00.48
世代ごとに全国各地から街道沿いに大きな都市に移って来て、
最終的に東京で自分が生まれるという。
94日本@名無史さん:2014/12/15(月) 22:20:56.30
庄屋っていっても地域によって農民だったり名字帯刀できる下級武士だったりするから差が大きいよ
95日本@名無史さん:2014/12/15(月) 22:44:41.60
西日本なら小作からの成り上がり者もいるからな
96日本@名無史さん:2014/12/15(月) 22:50:25.91
苗字帯刀御免の農民であって、下級武士ではないだろう。
97日本@名無史さん:2014/12/15(月) 23:58:23.94
あのよ、下級武士ごときと一緒にすんなよけがらわしい

俺たちは名字対当がゆるされし名門の庄屋であって、下級武士ごときと格が違うだろ

在地の有望家は下級武士ごときに成り下がらず、武士の地位を捨てても在地の領主としての庄屋の身分を江戸初期大量の名門が選んだ


なんでぼろ長屋にぶちこまれて奴隷扱い受ける底辺なんかにならなきゃなんないのよ、俺たちゃ腐っても鯛だ馬鹿
98日本@名無史さん:2014/12/16(火) 00:14:15.04
下級武士がみんな「ぼろ長屋にぶちこまれて奴隷扱い受ける底辺」だと思ってるのなら、
時代劇の見過ぎだろ。
99日本@名無史さん:2014/12/16(火) 00:34:47.26
だから現代と一緒なのよ。
経団連会長と総理、知事と地元大企業オーナーでしょ、対等交際は。
100日本@名無史さん:2014/12/16(火) 07:16:56.86
>名字対当がゆるされし庄屋

周辺百姓からの年貢を横流し、土下座して得たんだよな
101日本@名無史さん:2014/12/16(火) 11:54:59.08
ウィキペディアによると、庄屋の身分は百姓であったが、地元の有力な豪農が多く、戦国大名の家臣だった者も少なくないそうだ
もともと武士だったのなら苗字帯刀はもとからあったわけで、単に百姓になっても取り上げられなかっただけであって、土下座なんかする必要はない
102日本@名無史さん:2014/12/16(火) 20:23:30.80
召し出されなかったから土下座が必要になるんだよ

大坂町奉行組与力だった大塩平八郎の門人への接し方を見る限り、与力と同心は
主従に準じる格式で接し、与力が庄屋の名を呼ぶ場合には殿をつけ、庄屋は与力に
土下座していたようだ。
同じ与力の振る舞いでも、役目を背負って人に会う場合には、相手が大藩の家臣で
あろうとお上の威光を背負って平伏させ、私的な用事で会う場合には、相手が庄屋
程度でも殿をつけて呼んだようだけどね。
103日本@名無史さん:2014/12/16(火) 23:25:47.51
庄屋時国家は、藩主前田家ですら立ち寄った際、殿とよび、上座にも座ってないが?
104日本@名無史さん:2014/12/17(水) 01:49:06.39
通常「庄屋」っていうと戦後時代に主家なくしたりした土豪出身の元武士の世襲の庄屋のことをいうけど数としては少数なんだよ

ただの農民が選挙で数年やってたなんてのもあるし
105日本@名無史さん:2014/12/17(水) 01:49:48.13
戦国時代のまちがいね すまぬ
106日本@名無史さん:2014/12/17(水) 02:10:10.38
庄屋身分が確立するのは江戸時代と、以前はいわれていた。

いまでも、畿内とかの例外的な土地以外では江戸時代成立と考えられてるんじゃないの?
107日本@名無史さん:2014/12/17(水) 08:54:32.33
村割りをして支配するという体制が確立するのは江戸時代だしね。

美作あたりでは戦国時代に一貫して地元勢力が振るわず、それこそ庄屋に毛が生えたような
支配層が中世そのままの郷村を束ねて他所の大勢力に従っていたようだ。
108日本@名無史さん:2014/12/17(水) 17:28:21.50
関東 200軒に一軒の豪農は古い墓と豪邸があるが、一般庶民は小作が多く子分
関西 すごい豪邸はないが、10軒に一軒位の割合で庄屋クラスがいて、分家も平等
109日本@名無史さん:2014/12/17(水) 18:27:35.41
>>108
10軒に1軒ぐらいの割合って組頭だろ
関西だと地方によっては年寄と呼ばれてるかもしれんが同じもの
集落ごとに組頭が年貢を集めるなど末端行政事務をやる
そして、その組頭を束ねて村単位の行政事務をやるのが庄屋だ
110日本@名無史さん:2014/12/17(水) 18:48:43.04
関西では自作農の割合が高く小作が少ない
111日本@名無史さん:2014/12/17(水) 19:13:05.79
そもそも、「村」という組織の規模自体からして、関東と関西で違いすぎるだろ

関西の村なんて人口百人二百人ほど、百に満たない村も少なくないが、関東ではこんな人数だと村じゃなく部落(差別関連のじゃなくて、村の一部分って意味)じゃん。
112日本@名無史さん:2014/12/17(水) 22:02:03.21
>>111
東北でも百人程度の人口に一軒の庄屋って普通にある。
113日本@名無史さん:2014/12/18(木) 11:02:39.03
「世界がもし100人の村だったら」という本が世界的にヒットしたことから分かるように
そもそも全世界の人にとって、村とはそのぐらいの人口のものであって、関東が異常
114日本@名無史さん:2014/12/18(木) 22:51:14.90
>>111-112
すまん、100とか200って人口じゃなく石高だったは
人口はその半分か1/3ぐらいだ@大阪府東部
115日本@名無史さん:2014/12/19(金) 09:53:05.25
>>114
関西平野部の村は小さければ100石を切ることも珍しくないけど、平均つーかたいていの村は
300石とか500石程度だ。もちろん河内国でもその状況は変わらない。
村の人口も、なんだかんだで石高とそう大きな乖離はない。
116日本@名無史さん:2014/12/19(金) 10:01:47.47
114
向きになって日本語をそういう使い方するのお前か〜
大阪人
117日本@名無史さん:2014/12/19(金) 10:02:12.25
旧高旧領取調帳のデータを使って、河内国茨田郡の村高の平均を計算したら、
約433石と出た。相給の村は別村として大雑把に扱ったから、実際の村高平均は
もうちょっと大きくなる。
118日本@名無史さん:2014/12/19(金) 11:19:53.11
4公6民だとすると、おおよそ、その6割が村の人口だね
119305:2014/12/27(土) 22:34:49.98
埼玉県のうちの村(大字単位)だと庄屋は4家ある。
村の石高はちょうど千石位。
それぞれ三役があるから、今の大字単位に12家の役付きがあった。
120日本@名無史さん:2014/12/28(日) 12:24:19.40
明治初期、旧来の村を大規模に合併させて行政村を作った際に、旧来の村を大字と改めた

この場合、そこが実質的に4村に相当するって意味だろうな
121119:2014/12/28(日) 17:38:56.27
いえ、実質的に一村です。
122日本@名無史さん:2014/12/28(日) 17:59:55.35
四給の村だったんじゃね。
あるいは、枝村のような形で4つに分かれてたとか。
123119:2014/12/28(日) 22:57:44.78
旗本複数の領地が混在しています。
山岡鉄舟の家の領地もあり、子供時代に庄屋の家に宿泊に来たりしています。
124日本@名無史さん:2014/12/29(月) 00:49:12.49
>>119
うちの田舎も幕末で1200石ぐらいで
庄屋になった家が4家あるな(あと1家もそうかもって言われてるから5家かもしれんが)
戦後、3つの村が合併して町になったけど
他の2村は 一つが室町から世襲の代々庄屋、もう一つが2家、この2家のとこは途中で不手際があって代わったらしい
125日本@名無史さん:2015/01/08(木) 08:28:56.55
庄屋は大変だと思う
代官や藩と百姓に挟まれて
最近、郡上一揆って映画見たが百姓から突き上げくらいまくって気の毒だった
ああいうことになると後々人間関係めんどくさそう
126日本@名無史さん:2015/01/17(土) 16:16:24.24
ファミリーヒストリーで石田純一の先祖が江戸時代武士で庄屋だったとかイミフなことを言ってた。
127日本@名無史さん:2015/01/19(月) 15:36:52.04
江戸時代の庄屋はたしかに百姓身分だが、戦国大名の家臣がなることが多かったわけで、べつにイミフではないと思うよ
石田純一の先祖の場合は、六代前の祖先まで武士で、その家系を遡ると関が原あたりの戦いで紀州徳川の末端につながる武士だったらしい
その六代前の祖先が、ある村の庄屋として派遣されたとのことだ
128日本@名無史さん:2015/01/19(月) 17:33:38.07
>>127
戦国時代に武士だった家が江戸時代に庄屋になるならイミフではないが、
石田純一の場合は六代前なら江戸時代中期以降だろう。
その時期に武士から庄屋になったというのなら左遷のようなもんだな。
129日本@名無史さん:2015/01/20(火) 12:57:25.79
左遷というよりも、名を捨てて実を取るようなものかと
貧乏武士が一夜にして億万長者になるわけだから、左遷とは違うと思う
130日本@名無史さん:2015/01/20(火) 16:11:36.28
貧乏武士だったって番組内で出てたか?
庄屋は必ずしも億万長者ではない。
131もっこす ◆lYLkDmgQBa4Q :2015/01/21(水) 16:20:02.69
鸚鵡籠中記には、非人になった武士の話が出てるし、当時でもよくあった話だろ。
132日本@名無史さん:2015/01/23(金) 22:39:48.40
れっきとした家臣が庄屋職を務めるってのは 聞かないね
郷士が庄屋やったり、庄屋が代官を務めたりってのは聞いたことあるけど
133日本@名無史さん:2015/01/23(金) 23:43:23.97
直江兼続とかの歴とした家臣だって、(直轄の/本貫地の)自領においては庄屋と同様の業務---勧農を行ってるじゃん
134日本@名無史さん:2015/01/24(土) 00:39:52.58
>>133
同じ業務を行っているからといって同じ立場と言えるわけではない。
ピントがずれてるぞ。
135日本@名無史さん
大名家の家臣だったけど、改易後、帰農して庄屋とかならいるな
江戸時代初期は改易とか結構多かったから