♪邪馬台国ドンと来い♪106

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1まあダメもとでやってみるwww
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!

出来るだけソースを出して後はお好きに!

                 ┌─┐
                 |も.|
                 |う |
                 │来│
                 │ね│
                 │え .|
                 │よ .|
      バカ    ゴルァ  │ !!.│
                 └─┤    プンプン
    ヽ(`Д´)ノ ヽ(`Д´)ノ  (`Д´)ノ    ( `Д)
    |邪馬 ̄|─|台国 ̄|─|○説 ̄|─□( ヽ┐U
〜 〜  ̄◎ ̄  . ̄◎ ̄   ̄◎ ̄   ◎−>┘◎

前スレ
『♪邪馬台国ドンと来い♪105』
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1326021893/l50

※尚上のAAに深い意味はありませんwwwwww
 
2日本@名無史さん:2012/01/15(日) 05:55:44.30
>>2
ようクソムシwwwww
3日本@名無史さん:2012/01/15(日) 05:57:00.30
>>2
自己紹介乙
4日本@名無史さん:2012/01/15(日) 06:14:56.89
サンクス
5日本@名無史さん:2012/01/15(日) 08:51:47.65
   ,-ー─‐‐-、
   ,! ||     |
   !‐-------‐
  .|:::i ./ ̄ ̄ヽi
  ,|:::i | 中 濃 ||
  |::::i | ソ ー ス ||
  |::::i |................||
  \i `-----'/
     ̄ ̄ ̄ ̄
6日本@名無史さん:2012/01/15(日) 12:25:41.52
民主党が惨敗した参院選直前の政党支持率(2010年7月11日投票)

FNN 2010年7月4日
民主党 29.9% 自民党 16.3%
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100706/plc1007060530003-n1.htm
ttp://www.fnn-news.com/archives/yoron/inquiry100705.html

マスコミに、ダマされるなよ。

7日本@名無史さん:2012/01/15(日) 15:28:36.07
魏志倭人伝に見る畿内説が抱える矛盾点

・郡より女王國に至ること萬二千余里と畿内には程遠い
 →女王國は畿内と九州を含んだ連合国とすると別の矛盾点が生じる
・伊都國から邪馬台國に至るまでの道のりが極端に短い(六十日行=千余里)
・伊都國から邪馬台國には南行して至る
・兵器に矛・盾・木弓や鉄鏃を使うとあるが、畿内(特に奈良)は鉄製品の出土数が圧倒的に少ない
・死するや棺有れども槨無くと北部九州の甕棺のような棺が出土しない
・倭国の特産品である絹製品がほぼでない
・女王國以北に一大卒を置き、これは伊都國にある。何度も書かれている通り女王國と伊都國の位置関係は南北
・「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」とあるが、畿内説が推す纏向遺跡にはそれらの物が見当たらない
・「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」とあるが、畿内では東の海の存在がない
・「周施五千余里ばかり」とあるが畿内まで行くと五千余里では狭すぎる
・出土する魏晋鏡の数が北部九州に比べて圧倒的に少ない
・畿内で弥生時代によく出土する銅鐸の記述が全くない
・女王の境界の尽きるところの南にあるという卑弥呼と敵対関係にある狗奴国の比定地に苦労する
 (当時の鉄鏃の出土数ベスト4は 福岡県>熊本県>>大分県>>>京都府)
8日本@名無史さん:2012/01/15(日) 15:50:53.31
北水行ルートの21ヶ国がほぼ比定できました
九州説完全死亡です
斯馬國…下関、斯馬の関  己百支國…厚狭  伊邪國…防府周辺?、ィヤまぐち?
郡支國…徳山、櫛ケ浜  彌奴國…田布施?  好古都國…岩国、厳島は語順入れ替わり?
不呼國…廿日市?  姐奴國…広島、太田川流域?
対蘇國・蘇奴國…広島・江田島?、蘇州からの渡来人=家船の民?  
呼邑國…呉、ごぉの訓読み化  華奴蘇奴國…福山?  鬼國…岡山、ごぞんじ鬼ヶ島
為吾國…相生  鬼奴國…揖保川流域?  邪馬國…夢前川流域?  
躬臣國…姫路、訓読み化+美称化  巴利國…播磨  支惟國…紀伊
烏奴國…津、安濃津・穴津  
奴國…やっぱり近江

9日本@名無史さん:2012/01/15(日) 16:17:40.34
――――――――――――――――
  →→→→  北水行  →→→→

      (瀬戸内海)

  →→→→  南水行  →→→→
――――――――――――――――

10日本@名無史さん:2012/01/15(日) 16:34:29.24
対馬・壱岐・松浦あたりが、あれだけ詳細に書かれているのに
瀬戸内海の航行の難所、淡路島や大阪湾が一切書かれていない
日本海岸の様子なども一切なし

素朴に考えて、近畿説や東北説ではこれらの矛盾に回答不能。
11日本@名無史さん:2012/01/15(日) 16:40:15.08
今時畿内説は無いだろw
既にトンデモレベル
12日本@名無史さん:2012/01/15(日) 18:18:48.56
学者としての体面から、今さら引込められない畿内説。
あとは詐欺かゴッドハンドで誤魔化すしか手はありません。
13日本@名無史さん:2012/01/15(日) 18:33:38.46
しょおじきいって

てにおえないし

いぢるとまんどくさいから

あましちゃて

ほんきでみないようにして

あなにこもっているんだよね

へたにこおげきするとけがしちゃって

せいかつのかてとかうしないかねんしね
1419歳某国立大生:2012/01/15(日) 19:51:37.32
平清盛みてるかぎりではやはり瀬戸内ルートでいいだろう。
そろそろ始まるか。落ちる
15太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/15(日) 20:06:51.68
前スレから
>記紀が編纂されたときの持統天皇の影響で、
>天照が男神から女神となり、伊勢斉王である皇女の
>日女が天照に投影されたとみていいだろう。
>その先駆けが卑弥呼で間違いないので、
>天照は卑弥呼とみてもいいだろう。

記紀が編纂されたときの持統天皇の影響で、
天照が男神から女神となることはなく、伊勢斉王である皇女の
日女が天照に投影されたとみても、史実の可否は投影映画ではまずい。
その先駆けが卑弥呼で間違いないとはいえず、
天照は卑弥呼とみてもいいわけがない。
16:2012/01/15(日) 20:35:49.91
>>991 :夢幻如氏
>勅命で動く国を代表する優秀な派遣団からの情報で、当然単一情報になる。
 これが間違いなくあるはずなのにお前はなかったという。不思議だねえ。
 行程紹介は先遣隊の単一情報、邪馬台国の詳細は卑弥呼に会った魏使のもの。


卑弥呼に会った魏使の名前をご存知ですか? 何故記載されていないとお考えでしょうか?
魏使の邪馬台国までの行程にしては、大雑把すぎと思いますが・・・。
以前、私が一目置いている天才にも尋ねましたが、「俺は知らねぇ」と言ってました。


17あらため だよん:2012/01/15(日) 20:44:30.05
>>16

ていしゅんさん だろーw
18あらため だよん:2012/01/15(日) 20:47:35.28
>>16

おい、まる
おめえさんけっこうくわしいな。
まあ、変なハンドルネームなんで笑ってしまうんだがw
19:2012/01/15(日) 20:54:01.80
>>17 :あらため だよん氏

「正始元年、太守弓遵遺建中校尉梯儁等、奉詔書印綬詣倭國、拜假倭王」
当然、そうなるでしょうね。 張政の時は死んでた。
じゃ、「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」は梯儁の報告とお考えですか?
20あらため だよん:2012/01/15(日) 21:03:19.09
>>19

彼もそうだけど、
梯儁「等」とあるとおり、彼以外の人も該当する。
そして張政等も卑弥呼に会ってないだけで、その、水行十日、陸行一月、行ったところまで
赴いてるとみるべきで、張政等の報告でもあると思う。
梯儁氏だけの報告じゃ〜ないと言いたい。
21おれおれ:2012/01/15(日) 21:18:47.05
其四年(243) 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人
        掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬

率善中郎將がふたりいるとルール違反だから難升米さんは棚上げなんだろ


其六年(245) 詔賜倭難升米黄幢 付郡假授

魏帝の詔がNo2のひとにくだるとかもルール違反だろ

とゆうことは 以下省略
22:2012/01/15(日) 21:20:03.68
>>20 あらため だよん氏

なるほどね。
自説をお持ちですな。
私は、図書館で借りた本を読む程度でして、疑問・異論がある時投稿してます。

ところで、貴方は伊都国=前原説ですか?
ついでの時で結構です。
23あらため だよん:2012/01/15(日) 21:22:14.76
>>22
>貴方は伊都国=前原説ですか?

前原「説」ではなく、伊都国の中心地というのは、現在の前原市周辺だよ。
24日本@名無史さん:2012/01/15(日) 21:33:19.06
>>21
本物が出てきた
素人には難しい
初めて聞いた
ひと講釈お願いしたいね
25あらため だよん:2012/01/15(日) 21:36:40.15
>>22
>疑問・異論がある時投稿してます。

おたく、ナ二説?
疑問・異論がある時って、たとえばどうゆうのなんでしょうね?
わたしはもちろん畿内説といわれてる立場をとっており、
貴方が一目置いている伊作は九州説でして、たぶん貴方も九州と考えてるんでしょうが・・・

>>24
ん?>21の おれおれって伊作???
26日本@名無史さん:2012/01/15(日) 21:40:19.74
19才は相変わらず駄労ばっかりだね。
27:2012/01/15(日) 21:58:50.94
>>25
>おたく、ナ二説?
 福岡出身で仕事場が吉武高木遺跡付近ですから、当然ご当地九州説ですよ。
 まだ勉強中で固まったわけじゃありません。 10%位近畿説も残ってます。

>疑問・異論がある時って、たとえばどうゆうのなんでしょうね?
 例えば「東南陸行五百里」。
 若い時から日向峠を通った者として、陸行が気にいらないんです。
28日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:04:03.17
>>19>>20
なぜ「等」を接尾辞として読まなきゃいけないの?
助詞として、
「正始元年、太守弓遵遺建中校尉梯儁、等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王」
と読むのが普通なんじゃないの?
29日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:07:00.51
ども。
前スレで倭国王帥升=出雲王、
投馬国=出雲の持論披露した者ですが。
未だ少数派なんだなあとシミジミ…
畿内説日本海経由派として頑張ります…

さて、前スレで旅程の話が出ましたが、
水行20日->水行10日+陸行1月というのは
最短距離でもなく、さいたんにっすう
30おれおれ:2012/01/15(日) 22:14:49.30
水行10日+陸行1月とゆうのは

正始元年(240)
太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王

のときの本当の目的の諸韓國パレードを含んでスケジュール化された日数で

急ぐときは陸行1月のがかなり短縮される
31卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 22:22:19.42
倭国王帥升
この王を主の誤記と見なして、主帥=軍団の主将と考える説がある。
32あらため だよん:2012/01/15(日) 22:23:38.10
>>27
やはり九州説ですか。
前スレで、野生号の話があったので、図書館で「魏志倭人伝を読む」でも読んだのだろう。
最古の王墓、吉武高木遺跡から出土した青銅器は有名で私も観に行ってきましたよ。

>例えば「東南陸行五百里」。
>若い時から日向峠を通った者として、陸行が気にいらないんです。

ということは佐賀ルートでしょうか。

>>28
読めないから(ちゃんちゃん)

>>29
>投馬国=出雲の持論披露した者ですが。 未だ少数派なんだなあとシミジミ…

いえ、畿内説の大多数が出雲でしょうね。
瀬戸内海と言うのはたまにしか聞かないように感じる。

>最短距離でもなく、さいたんにっすう

でしょうねえ。太国みたいにあっちこっち寄り道なんかしてないでしょうしW
33卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 22:27:11.64
倭国王帥升等が生口160人を献上したとあるが、
生口を160人も日本から連れて行くのは大変なわけで、
現実的に考えると、これも朝鮮の倭から連れて行ったと考えるのが自然だと思う。
34あらため だよん:2012/01/15(日) 22:31:45.85
>>30

アッハハ 伊作は何言ってんだW
何がパレードだよW 笑わせるなWWWWW

>>33
朝鮮さんは「朝鮮!、朝鮮!」うるさいな〜W
卑弥呼は朝鮮半島なんているわけがないでしょW
35日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:32:30.30
>>32
>読めないから(ちゃんちゃん)
…梯儁は倭国に詣でて奉詔書印綬等を…
ちゃんと読めるけど
36日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:35:30.94
伊作はすぐわかる、不思議だ
37あらため だよん:2012/01/15(日) 22:35:51.28
>>35
だからそんなこと書いてないじゃん。
勝手に史書を捻じ曲げて読むなょW

>>21 いさく
>率善中郎將がふたりいるとルール違反だから難升米さんは棚上げなんだろ
>魏帝の詔がNo2のひとにくだるとかもルール違反だろ とゆうことは 以下省略

意味分からん
38おれおれ:2012/01/15(日) 22:37:10.88
伊作ってそんなににんきあるのかあ
39怒濤の天才:2012/01/15(日) 22:43:39.40
>>25  >おれおれって伊作???
>>34 >伊作は何言ってんだW
>>36 >伊作はすぐわかる
>>37 >いさく

どうしても俺に出てきてもらいたいようだな。
俺は名無しや・ちゃっちいハンドルでは書かん。
どこに目ん玉つけてやがるんだ。

そもそも。
この天才が「諸韓國パレード」なんてバカげたことを言うか。タコ

それから、俺と間違われた横チャリどもは、
間違いだということをきちんと主張しろ。
俺に間違われて喜んでるんじゃないぜ。
40怒濤の天才:2012/01/15(日) 22:44:54.48
>>38
>伊作ってそんなににんきあるのかあ
なこたぁ・この板を覗いてるてめえが一番わかってるだろが。
41あらため だよん:2012/01/15(日) 22:45:31.78
>>39 怒濤の天才
あ〜ごめんね。
きみかとおもったやん そうだね、そうだよね。
あんな馬鹿なこと書くわけがないWW すまん、すまん
42日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:46:38.33
>>37
まぁどうでもいいけど
曲解ばかりしてるからアンタ達は>>8みたいな簡単なことも解らずにおバカな永遠ループを続けてきた訳なんだけどね
43あらため だよん:2012/01/15(日) 22:50:26.41
>>8
>>42

妄想 乙WWW
44:2012/01/15(日) 22:54:03.30
>>32 :あらため だよん氏
>ということは佐賀ルートでしょうか。

いえいえ、原田大六支持者です。
ただ、納得したいので、倭人伝の行程を疑っているだけです。

>>29 :日本@名無史さん
>畿内説日本海経由派として頑張ります…

史料が少なくて大変でしょう。私も大変興味持ってます。
遠慮せずにどしどし主張して下さい。
45日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:57:28.75
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自らの事跡を誇るために海から見えるあの場所に陵を造らせたのではないか
46日本@名無史さん:2012/01/15(日) 22:59:04.10
>>43
ところでアンタは21ヶ国を何処に比定してるの?
47あらため だよん:2012/01/15(日) 23:06:28.67
>>46

情報量が少ないので比定できるわけがなかろう。
どうしても、比定しなさいて言うのなら・・・
わたしは畿内説なので内藤湖南氏が比定したやつでもみときなさいて言いたい。
わたししたところで、単なる語呂合わせて言われるのが想像できてしまう。
48日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:14:57.38
途中で送信してしまった…(照)

>>29の続き
でもなく、それでいて必要最小限という日
程。倭人伝にあるように統一国家ではなく、連合国家である点がミソ。

辺境は治安が悪いけど、連合国家は国境だ
らけ。賊に盗まれたなんてことになれば…
つか実際は賊よりその国自体が疑われる。

天候もあるから無理しない日程。儀式も
あったでしょう。ここら今の大工も同じ。
リスクはあるけど利権を握れば旨味絶大。
その綱引きが日本の国の成り立ちかと。

因みに、水行20日で出雲。
水行10日で丹波(久美浜)(因幡多数派?)。
そして陸行1月で大和。

無理だろうけど、地元の漁師や地質学者も
交えて古代の航法で検証して貰いたい。
水行10日が久美浜かどうか知りたい。
49怒濤の天才:2012/01/15(日) 23:15:31.79
月早々、家内の実家で不幸があって忙しくしていた。
それでなくてもクソ面白くもない投稿の連投で板など見る気もしなかった。
気が乗らない上に、ガクンと質が落ちている。俺が出る幕はなさそうだ。

●「ろんぱ」とは、掛け合い口論で相手を言い負かすことではない。
●きちんとした反対論拠と論理でもって相手の論拠を潰すことだ。
当然ながら「史料とセオリー無視の論拠(へ理屈)」は潰しようがない。わかるかな?

ここのところこの板をにぎわしているのは、まさに
剣術の基本を学んだことのない町民やくざの度胸剣法。
わあわあと騒がしいだけで、二束三文の「へ理屈」を論拠だといい、
相手にしなければ「逃げた・勝った・論破した」という。

度胸剣法の雲助と「朝鮮半島にいた」を連呼するだけの新人と、
自閉症じみて己の世界にこり固まった投稿氏は、
唐松・大国・久留米ら同様、棲息世界が違い過ぎるので放置。

気が済むまでやればいい。
50日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:17:25.73
 | |l ̄|
 | |l韓|
 | |l国|
 | |l_|ウェ-ハッハッ _____
 |   .|_∧  /邪馬台国は     ∧_∧
 |   .|`∀´>< ウリの国ニダ!   (・ω・`)・・・。
 |   .⊂ ノ   \ウェーハッハッハッ!   (    )
 |   .| ノ       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄     (__.).__)
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
51日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:20:06.13
ぷぷぷ 伊作も同じじゃん 夢幻如とどこが違うんだ
52日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:23:28.01
論争荒らしのテンプレコピペより

・違う話題がはじまっているのにしつこく蒸し返す→悔しかったのです。
・理詰めの反論ではなく人格攻撃をする→自分の意見に自信がないからです。
・相手を異常者認定する→ホントは自分も異常者ですが、そう言われないように先手を打っています。
・過去の事例をしつこく持ち出す→その時の当事者です。
・自分の意見をスレの総意だと主張しようとする→みんなは両方ウザがってます。
・自分で「スルー推奨」と書く→オマエがスルーしろよボケ。
53日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:26:44.63
前スレ921ローガン氏によって斯馬國、己百支國、伊邪國が伊都国の北にあったという事実が提示されてしまった。
だから私は>>8を書いた。それを東に伸ばして行けば自明のことだったから。
かねてから自分の中では定説だったけど。
54日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:27:02.19
>>21
>率善中郎將がふたりいるとルール違反だから難升米さんは棚上げなんだろ

官は王ではないのだからルール違反になるものか。

>其六年(245) 詔賜倭難升米黄幢 付郡假授
魏帝の詔がNo2のひとにくだるとかもルール違反だろ

何アホな事言ってるんだか。
55あらため だよん:2012/01/15(日) 23:28:41.92

みんな、チラチラ覗いてるんだろ?(あらためが、何か言ってるぞってW)
何ぃみてんだよWWW 観んなよW

関係無いが・・・あのムゲンニョてやつは、お説教好きてかんじがする。
大宮駅の正門を出て→に行った所に繁華街があって、あそこにああいうやついそうだねW

>>49
>月早々、家内の実家で不幸があって忙しくしていた。

爺さん、そりゃ災難だったね。
よく分からんが、お悔やみ申し上げます。
56日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:46:09.85
>>54
不感症で鈍いんだね
57日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:49:00.36
>>12
畿内説は三角縁神獣鏡で負け、吉野ケ里でどん底に落とされ、年輪年代で信用を失い、
箸墓で嘘つきと言われ、纏向で呆れられた。

こうなったら最後の手段というわけで、論争を避け、邪馬台国は畿内で決まりと
宣伝しまくっている。聞く耳持たないスピーカーと化した。

歴史教科諸問題で検定が緩んだことを幸いに教科書にも進出。
無垢な生徒たちを困らせている。
58日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:52:37.55
民主党には朝鮮人など外国人のなりすまし、スパイが約90名在籍している
野田内閣は過半数が帰化人

野田はどうだろうか
韓国人から賄賂を貰い、韓国人の集いに出席している野田は

首になった蓮○はシャブで逮捕歴のある人間と仲が良いな。蓮○自身はやってんの?
い-6-1
テレビが言えない民主党のスポンサー=韓国北朝鮮
あとはもうわかるよな

59日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:54:56.22
     ♪    /.i   /.i.  /.i
   ♪    ∠__ノ ∠__ノ ∠__ノ   エーラハッタ
        〈<`∀´>ノ`∀´>ノ`∀´>ノ    メーガツッタ
         └i===|┘i===|┘.i===|┘      ホルホルホルホル♪
           〈__〈 〈__〈 〈__〈 )))
60日本@名無史さん:2012/01/15(日) 23:56:59.01
>>56
言われても理解できないあんたの事だね、
61日本@名無史さん:2012/01/16(月) 01:55:15.40
>>49
夢幻如さんはちゃんと自説をわかりやすく話していますよ。
口は悪いですけどねw
62日本@名無史さん:2012/01/16(月) 03:15:10.45
>夢幻如さんはちゃんと自説をわかりやすく話していますよ。

オラが村=新潟の宣伝をしたいから、鯨統一郎の推理小説から
ヤマタイ=ハチマンタイ説をパクッて来ましたと、分かり易く解説してるよね。
63日本@名無史さん:2012/01/16(月) 03:39:21.59
>>62
ジョーカーよ、さすがに見苦しいぜ
64日本@名無史さん:2012/01/16(月) 03:58:32.22
見苦しい以前に、事実だけどな。
65夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 07:08:08.06
>>49
ふん、伊作か。面白いから、こいつのことを話してやろう。

この馬鹿ほど自己評価と他人の評価が解離してる奴も珍しい。
中には○のように評価する者もいるが、ほとんど大半が馬鹿にしている。
だから自分を天才などと自画自賛する。これは他人から評価されない不満の裏返しなわけ。
俺も自信家だし自惚れだと言われるが、他人から評価されようとは思わない。
だからこういうキャラなんだがな ワラ
だが伊作は評価されないのは耐えられないわけよ。
こいつは自分の悪口言われるとすぐ誹謗中傷だと異常反応しファビョるだろ。
これも評価されるべき人間への不当な嫌がらせと受け止めるからだ。
66夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 07:10:22.21
こいつは俺を回避しながら嫌悪している。自分の自信を俺に崩されていくからだ。
わかりやすいのは「文章の天才」と豪語していた看板を俺にぶっ壊された。
これはこいつには耐えられない屈辱なのよ。
さらに議論でも自信を奪われそうで守りに入っている。それがこれ。

>●きちんとした反対論拠と論理でもって相手の論拠を潰すことだ。
当然ながら「史料とセオリー無視の論拠(へ理屈)」は潰しようがない。わかるかな?

「論破」をこう定義してるのがその証拠。
史料以外の話は対象としない宣言だが、これが自信のなさからくる守り。
こういう話はだいたいが 推論vs推論 になる。この議論になると史料だけが頼りになるわけじゃない。
現実、常識などを元にした合理的な推測がどこまで出来るかも大事な要素になる。
こいつはここには自信がない。だから史料根拠に限定しようと上記になる。
天才なら「どんな話も受けてやる」とならなきゃ嘘だが、それが出来ない。
自己評価「天才」が崩れていくことに恐怖しての守りなわけよ。

他人から評価されないことに不満を持ち
その不満を穴埋めする自己評価も壊されたら堪らない。
それで俺を回避するが嫌悪感も抑えきれない。

>剣術の基本を学んだことのない町民やくざの度胸剣法。

これは俺を指してるが、これこそ誹謗中傷なことさえ気がついていない。
まともに対峙出来ない自信のなさから誹謗に走る。
自分が師範で俺が町民剣法なら叩き潰せばいいだけの話だが、それが出来ない。
もしやるなら史料根拠限定だぞ、と予防線まで張る。
哀れな奴よ。
67夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 07:32:03.55
スレチになるからこのくらいにしておくか。

伊作は国、行程紹介を正使だと言い先遣調査隊などないと断言していた。
俺は先遣隊があってあの紹介記事だと断言している。
お望みならここらあたりから議論してもいいが、やらないだろうねえ ワラ
68夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 07:40:50.15
>>48
ふむ、日本海側ルートでそれね。
自説をちゃんと出す人には無闇に噛みつきはしない。

出雲だと前に言ったが一日15キロ程度のスピードで、とても現実的には思えない。
そこはどう考えているんだろ?是非聞いてみたいね。
69夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 07:46:40.04
>あらため

感想は自由だから俺を説教好きと思うのは勝手だが、ここで誰にも説教した覚えはねえぞ。
お前には会稽東冶の東の見方の間違い、質問に対する答になってないことを話したが事実だろ。
会稽東冶について反論の余地でもあるか?
70日本@名無史さん:2012/01/16(月) 08:06:32.49
「女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種」
「周施五千余里ばかりなり」

この記述がある以上、畿内も東北もあり得ませんね
71夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 08:20:14.22
>>70
またそれか。ループだ。

八幡平にこだわる気はないが、俺は東北の内陸部だと言っている。
本州中央なら西も東も海だ。
北海道東部へ渡るなら東の港からだろうなあ。
7219歳某国立大生:2012/01/16(月) 08:35:44.87
それは何度も出てきたネタだなw
女王国の東に海があるってのは古代中国人の地理認識であって
我々の感覚で考えるから読み誤り九州しかないと馬鹿は思い込むんだよ。
たしか徐福も東方の亶州の王となり戻らなかったという中国の伝説が
あるらしいし、倭国の東にさらに国があると考えてたと思える節もある。
明代の東南海夷図あたりをみれば日本の東にたくさん国が書かれてるしw
侏儒国とかいう小人が住む国ってのもどこの国にも書かれてるし、
ただの妖怪譚で意味のない文章だ。
周旋五千余里ってのも正しい単語の意味が不明だろうに。
万二千余里に対して狗邪韓国まで七千里なのでそれにプラスしただけか、
このへんあれこれ我々の感覚で考えるだけ無駄だ。こういうのは馬鹿がすることだ。
73日本@名無史さん:2012/01/16(月) 08:36:42.21
>>65-66 みたいのを「説教」というんだが
74夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 08:45:09.48
>>73
説教は好まれはしないが、相手を思い、諭すものだ。
見てわからないか?俺は伊作を潰しにかかっているんだぜ。
露骨にやらずまだオブラートに包んでだがな。

>名古屋坊
小人はちゃんと北海道には存在しただろ。妖怪じゃねえよ。
7519歳某国立大生:2012/01/16(月) 08:46:45.18
四世紀の九州の古墳から出てきた王の遺骨から
エナメル質減形成がみられ、これは食糧難で飢餓状態になると
歯の成長が一度止まり、また成長しだすとできるもので、
子供時代に二度餓死寸前の酷い飢饉を経験しているわけで、
九州衰退はやはり気候の寒冷化と人口に対する食糧自給率の不均衡が
原因とみていいだろう。
76夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 08:54:29.88
>>75
内容以前に文章の書き方を学べ。
それで国立大学の文学部学生なら恥ずかし過ぎるぜ ワラ
77日本@名無史さん:2012/01/16(月) 08:59:48.82
夢幻如は最初にくだらん推論を出しただけで、後は何一つ質問に答えられず根拠も示せていない。
ただファビョってるだけ。
ループになるわけだわw
78あらため だよん:2012/01/16(月) 09:05:23.15
>>69
>感想は自由だから俺を説教好きと思うのは勝手だが、ここで誰にも説教した覚えはねえぞ。

おまえさん、毎回、毎回、説教ばかりしてるってW 自分では気付かないのかW
ドSて感じで「説教」を生き甲斐にしてるように見える。
>73さんにもいわれてるじゃねーか。他の人にも「おれって説教好きにみえる?」て聞いてみろよW

>お前には会稽東冶の東の見方の間違い、質問に対する答になってないことを話したが事実だろ。
>会稽東冶について反論の余地でもあるか?

前スレの793で19才に対して
>悪いけどな、知能じゃ間違いなくお前より上だ ワラ

と言ってるとおり、君は少しは本を読んでるというか、そういうのは感じる。
前スレの943だったな・・・

>方位を「混一」的に見るのはいいとして、距離を見て奈良を指してるって、アホか
>だいたい大雑把にこのあたりと記している記事をピンポイントにどこかを指すのは不可能。
>郡のどこか基点から邪馬台国のどこでもいいがある一点の直線距離を正確に掴まなければ
>当たり前にピンポイントで邪馬台国を指せない。倭国の中の直線距離を出すのは不可能。
>踏破距離は歩測で出そうと思えばある程度は正確に出せる。だが郡からの直線距離を出すのは絶対に無理。
>その奈良に北九州から水行二十日、水行十日陸行一月の現実行程当てはめたら収まらない。
>水行なんとか出来ても大阪湾からの70キロくらいしかないのを陸行一月か?とも聞いてるんだ。
>奈良だと言う奴らに奈良でこれをどう説明するのか聞いてる質問に「奈良です」と答えてる馬鹿がお前だ。

どう説明するのかじゃなくって、倭人伝にその距離は〜奈良ぐらいですって書いてるじゃんW もっと文章読めよ
79夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 09:06:35.61
>>77
俺が答えられなかった質問があるなら出してみな。
2ちゃんはテキストが記録として残るんだ。言った、言わないの水掛け論にはならない。
あるなら出せ。
俺は自分の発言に責任を持つためにコテをやっている。
つまり発言にはプライドをかけてる。伊達や酔狂でコテ張ってるわけじゃない。
いい加減なことはしねえよ。
80夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 09:15:16.73
あとは帰宅してから。
今夜から遠出で準備もあるんだが。
81あらため だよん:2012/01/16(月) 09:15:35.80
しかし、ムゲンニョのレスを読むと学問的というか
レス読んでる人が勉強になるような投稿が無いなw

19才くんでさえ、みなさんが知らない、
神武は安芸で亡くなった伝承という専門知識をご披露してるぐらいなのに・・・。
8219歳某国立大生:2012/01/16(月) 09:16:28.54
東北説の馬鹿より低能扱いされるとは俺も落ちたもんだww
そもそも倭人伝の行程解釈などに拘泥してるのは馬鹿すぎるしww
それじゃ無理なことはもうとっくにわかってるから論争になってるわけで、
行程解釈も一つの選択肢と考える柔軟な思考もないようだし。
他のアプローチから邪馬台国の場所は特定し、それから逆算して
行程解釈を試みれば、倭人伝の誤った個所が浮き彫りになると言ってるだろ。
そんなことも理解するおつむもないくせによくもまあ俺を低能呼ばわりできたもんだw
83あらため だよん:2012/01/16(月) 09:18:04.54
>>80
お、おまえ何処行くん?
冬季休暇に入ったんなら、どっかの遺跡でも観てきなよ。
84日本@名無史さん:2012/01/16(月) 09:21:55.21
>>79
当時宮室、楼観、城柵を設け倭の中で最も繁栄していた筈の東北地方や、戸数五万戸に及ぶ投馬国の北陸から弥生遺跡が出てこないのは何故ですか?
8519歳某国立大生:2012/01/16(月) 09:22:55.88
神武と言うのは、半島から九州に渡来した一族が
畿内に移住するまでの伝承のこととみていいだろう。
大和の王は丹波経由で渡来した二ギハヤヒの一族で、
卑弥呼も二ギハヤヒの系譜に連なる人物だ。
欠史8代まではすべて二ギハヤヒ朝の人物。海部氏系図で
裏付けもとれてる。記紀では二ギハヤヒから神武が
大和の実権を譲られた形になってるので、崇神のところで
王朝が替ってるとみていいだろう。崇神は入り婿だったらしいので
二ギハヤヒの系譜の一族ではない。崇神こそ九州から移ってきた
神武の一族の者とみていいだろう。
86卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 09:39:59.37
>>85
>欠史8代まではすべて二ギハヤヒ朝の人物。海部氏系図で 裏付けもとれてる。

おそらく海部氏系図なんて、このスレの常連で、見ている人はあまりいないと思うから、
もしよければ、ヒマな時でいいから、上の証拠を上げてほしい。そんなの自分で調べろ!というのなら別だが。
私もネットで調べたが、今のところ、そういう記述は見つからない。
87卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 09:51:01.71
さて私は帯方郡の位置比定に疑問を持っていたが、ついに決定的な資料を見つけた。
後漢書の註に次のようにあるらしい。

楽浪郡 故朝鮮国也 在遼東

古朝鮮が遼東にあったことは今では定説。その古朝鮮の地である遼東にあるとはっきり書かれている。
その楽浪郡の屯有県の南の荒地に帯方郡を置いたのであって、
つまり楽浪郡の一部を分割して帯方郡としたか、もしくは楽浪郡の郡外に置いたかのどちらかである。
いずれにしても鴨緑江以北であることはまちがいない。

つまり鴨緑江以南の地は韓と倭だったわけで、韓と倭は通説よりずっと広大な領土を有していたのである。
おそらく北緯36度以南は倭の領土だったのではあるまいか。九州全土に匹敵する広大さである。
88日本@名無史さん:2012/01/16(月) 09:55:52.03
ニギハヤヒ;
>アマテラスから十種の神宝を授かり天磐船に乗って河内国の河上の地に天降り、
>その後大和国に移ったとされている
8919歳某国立大生:2012/01/16(月) 10:01:49.82
そりゃどこにも書いてないだろうさw
欠史8代の和名と海部氏尾張氏系図の系図に出てる人物の別名を
よく見比べれば同じことが分かる。捏造され、後世のヤマトネコや
タラシヒコといったものが付け加えられうまくカモフラージュされてるから
一見気付かないだけ。朝廷もそれを見越してこの系図でいいだろうと
検閲通過させたんだろう。例えば第8代孝元天皇の和名はオオヤマトネコヒコク二クルミコト。
ここから後世に付け加えられた、オオヤマトネコを取り外せば、
海部氏系図の日女命(卑弥呼)の兄である、乙彦命の別名と一致する。
このように系図を注意深くみてけば欠史8代が海部氏系図尾張氏系図内に
含まれてることがわかるから後は自分でやってくれw
90あらため だよん:2012/01/16(月) 10:22:36.17
>>87
お、朝鮮さんは良い資料をみつけたね。

>古朝鮮が遼東にあったことは今では定説。

高句麗の範囲はひろいし、別に驚かないが、
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97

楽浪郡ていうのは一般的に言われてるのはピョンヤン周辺でして、
その史料から言えることは、遼東半島のそこにも設けられたという事が分かるわけで、
これはおれは知らなかったな。。。

朝鮮半島における倭人が移住したであろう地域は最南端の釜山周辺に限られてると思う。

朝鮮さん
倭人の造った土器が朝鮮半島にもあり、そこから倭の関係が分かるんです。
ですから、九州全土に匹敵する広大な倭の領土ていうのは有り得ない。
韓伝なんかに書かれてる国々の否定した「図」などを一度みてほしい。
そこからいえる、クナ韓国ていう広さは、弁辰クナ国のほんの一部分にすぎないだろう事が予想できると思う。
91あらため だよん:2012/01/16(月) 10:30:33.13
否定・・・×
比定・・・○

ひていで交換しても出てこないので登録しました。
9219歳某国立大生:2012/01/16(月) 10:33:32.92
古代史は複雑に入り組み過ぎだ。
自分もホームページ作ってまとめたい。
いちいち説明するのがもうめんどくさい。
93あらため だよん:2012/01/16(月) 11:00:57.39
邪馬台国三流士(ムゲンニョ、19才、朝鮮さん)のレスをみて思うに、
みんな、それぞれ本をよく読んでるのは分かるんだが、突っ込みどころが満載というかw 

たとえば、朝鮮さんの言う、「朝鮮半島における倭の範囲」なんて、
土器の分布を知ってる人からすれば失笑もんだろう?w ALL
9419歳某国立大生:2012/01/16(月) 11:23:00.52
東北や朝鮮と同じカテゴリーに部類分けされるとはw
一応こちらはスタンダードな畿内なのに。
自分は奇をてらって面白いこというつもりはないから。
状況証拠を考察すれば畿内で邪馬台国は間違いないし。
95日本@名無史さん:2012/01/16(月) 11:31:28.77
畿内説も東北説もトンデモ説であるという点で同類。
96あらため だよん:2012/01/16(月) 11:45:03.42
この板の住民を
同じカテゴリーに部類分けすると、ムゲンニョ、19才、朝鮮さんの3セットというかw
第三者からみたら、そんなかんじかな。だよね?ALL
19才くんは、ムゲンニョ、朝鮮さんと同じカテゴリーに分類しないでくれっと言ってるように聞こえる。
あとの二人はなにか言ってやれよw

んで、おれってこの板の住民を分類化するとすれば、誰と同じカテゴリーに入るの?
これって気になるというか、聞いてみたいよね。
結構、自分では、気付かない点ってあると思う。
97日本@名無史さん:2012/01/16(月) 11:55:54.87
邪馬台国(台与)は邪馬壱国を構成する1国であった。
邪馬壱国の首都は伊都国で伊都国の女王が卑弥呼(漢委奴国王)
邪馬壱国からいち早く東遷して畿内まで到達したのが、筑紫にあった邪馬台国(台与)。
畿内での邪馬台国は日下(ひのもと)といった。
追って東遷したのが狗奴国の崇神天皇勢力。(神武東征)
日下は長野を経て津軽まで追われた。(ナガスネヒコ、アビ伝説(後の日ノ本)
その後九州から応神天皇(神功皇后系伊都国)が東遷。
日下は北東北で国を作る。これがエミシ{昔(エ)の 尊い人(ミ)の 国(シ)}後の蝦夷
98夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 11:56:22.83
>>78
>倭人伝にその距離は〜奈良ぐらいですって書いてるじゃんW

どこによ?原文出せ。

>>82
>他のアプローチから邪馬台国の場所は特定し、それから逆算して
 行程解釈を試みれば、倭人伝の誤った個所が浮き彫りになると言ってるだろ。

特定したお前は誤った個所を浮き彫りに出来たんだろ?そこを出せと言ったはずだがね。
出鱈目な文章しかかけない文学部学生を低能扱いしたら悪いか プ
お前は突っ込むと逃げるへタレじゃねえか。
99あらため だよん:2012/01/16(月) 12:02:23.34
>>98

おまえさあ 
原文出せってw こっちは、文献的資料でもある

計其道里、當在會稽、東冶之東  を提示してるのに

の距離は〜ぐらいですって書いてないと言い張ってるように聞こえる。
自分の馬鹿さ加減に、そろそろ気付けってはなしでw
100夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:04:12.51
あ、これにも一応答えておこう。

>ドSて感じで「説教」を生き甲斐にしてるように見える。

ドSは正解だが、俺はこういう場では叩き潰すのが楽しくてやっている。
説教じゃない、対立相手潰しだ。それもスレテーマに沿った論でな。

そういえば、ついこの間までの前コテの時に、ある女にこう言われたよ。
「○さんて、ドSで、自己中で、性格も思いっきり悪いよね!」
それに対する俺の答え。「全部正解だ」
俺はこういう人間よ ワラ
101夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:06:44.91
>>99
呆れるなあ、それで奈良を指せるとまだ思ってるわけ?
頭沸いてるのか、マジ馬鹿か。
102あらため だよん:2012/01/16(月) 12:10:36.86
>>101

少なくとも「東北ではない」というのは君の頭でも理解できるかな?
103あらため だよん:2012/01/16(月) 12:12:49.49
その道里を合計すると〜ぐらいです て書いてるて
知らなかったんなら、そう言えばいいだろ。

男らしくないな〜無限にょはw
104夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:14:28.47
>>102

>方位を「混一」的に見るのはいいとして、距離を見て奈良を指してるって、アホか
>だいたい大雑把にこのあたりと記している記事をピンポイントにどこかを指すのは不可能。
>郡のどこか基点から邪馬台国のどこでもいいがある一点の直線距離を正確に掴まなければ
>当たり前にピンポイントで邪馬台国を指せない。倭国の中の直線距離を出すのは不可能。
>踏破距離は歩測で出そうと思えばある程度は正確に出せる。だが郡からの直線距離を出すのは絶対に無理。

これを自分で出していてまだ理解できない?
邪馬台国は大体このへん、というだけの文だからな。
その文なら九州から東北まで全部入るわ。
105あらため だよん:2012/01/16(月) 12:17:27.31
>>104

それを開き直りって言うんだよ まったく無限にょって「女々しい奴」だな。
人から言われない?

あと、ドSで論争を楽しむのはいいと思うよ。
けっこう、けっこう、大いに楽しみなされw
106夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:20:36.33
>>103
その道里は踏破距離で、これでは直線距離は出せないと言ってるの。
直線距離が出せなければ地図上で会稽東冶から線引いて「ほら奈良でしょ」なんて言えないと
あれほど言っても理解できないってか?
しかもその合計する里程は実距離でもないってのによ。
お前も倭人伝に記されている里は何メートルだというレベルか?
マジで馬鹿?
107あらため だよん:2012/01/16(月) 12:22:58.24
>>106
>その道里は踏破距離で、これでは直線距離は出せないと言ってるの。

そこは「踏破距離」ではなく「直線距離」だよ
話にならんぜwwwwwwwww
108夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:23:14.46
ここまで馬鹿だとどこまで降下してレベル落とせば話が通じるんだろうな?

109日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:26:09.07
アホ同士w
110夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:26:35.57
>>107
なぜ直線距離なんでしょ?どうやって測るんでしょ?

とことん付き合ってやるぜ。逃げるなよ。
111日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:29:01.86
もう、どちて坊や並みw
112あらため だよん:2012/01/16(月) 12:30:16.23
前スレで「旅程・国別記事」、「風俗・人文記事」「外交記事」の三部構成、
もしくは「卑弥呼の共立とその他の国記事」を入れると四部構成と教えてやっただろう。

君の言う、踏破距離ていうのは、旅程記事の邪馬台国までの部分であり、
直線距離ていうのは風俗記事の計其道里〜ていう部分だよ。

教えてくれて、どうもありがとう、ぐらいあってもいいんじゃねえ?
113あらため だよん:2012/01/16(月) 12:34:38.38
ムゲンニョ君

私に向かってくるなら、もう少し勉強してからにしなさいよ〜w
大人と子供のやりとりみたいに、君じゃ〜全然話になってないの。

まだっまだっ、ケツが青いぜwww
114日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:34:45.15
>>71
苦しい言い訳だな
どう読んでも女王國の東側に海を隔ててまた別の國がある、という意味だ
普通の感覚で読めばそれ以外の解釈はない
しかも千余里だからそう遠くない距離だ
釜山〜対馬、対馬〜壱岐島、壱岐島〜松浦を各千余里としている事から極めて近い距離だな
本州の東から出て北海道に行くのに千余里で済むかね?

それに「周施五千余里ばかりなり」で「混一地図的地理感」なるものも否定される

ということで東北説は終了だ
115夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:36:38.16
>>112
もうここまでの馬鹿には何を言えばいいんだろうな?

「その道里を計るに、まさに会稽東冶の東にあるべし」の直線距離はどこ?
まさか、まさかの万二千里か プププ
116日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:39:15.82
>>115
アホがこわれたw
117あらため だよん:2012/01/16(月) 12:42:03.60
しまった〜><
ムゲンニョ君と話してたら、こっちまでアホと思われてしまう。

まあ、いずれにしても君の言う東北説は無いというのは理解できただろうww
118夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:42:45.85
>>113
子ども以下の馬鹿でしかないのがお前だ。
これをマジレスで書いているとしたら、相当逝かれてるな。
空恐ろしいくらいの馬鹿だぜ。

まあ一応聞いてやる。
直線距離は万二千余里のことか?
直線距離はどうやって測るんだ?
倭人伝の里を何メートルと換算可能だと思っているのか?
お前は本気で会稽東冶から線引いたら奈良をピンポイントで指せると思っているのか?
119あらため だよん:2012/01/16(月) 12:45:22.48
>>118

だから文献的証拠でもある原文には、
大体〜ぐらいの距離ですて書いてあるだろうて言ってるの。
はー三流士のその一、ムゲンニョ君は疲れる子だねw
120日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:47:21.99
>>72
君の言い訳も苦しいねぇ
北九州の模様が書いてある上でのこの記述
どうみても九州のことでしょ
記述内容も九州にぴったり合う

まぁ畿内説は結論ありきだからね、素直に解釈出来ないのは分かるが
121あらため だよん:2012/01/16(月) 12:47:52.75
ムゲンニョ君

教えてくれて、どうもありがとうございました だろ?

もっと正々堂々、男らしくなれw 
122夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:50:18.69
>>117
心配するな、お前は正真正銘のアホだ。
>>119
その原文を出せと言われて出したのが 計其道里、當在會稽、東冶之東

どこに直線距離があるんだろうねえ?キチくん。
123夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 12:53:25.03
>>121
マジ馬鹿、何を教えたつもりになってるの?
世界地図見て、会稽東冶から、こうしてこうして線引いたら奈良でしょ
なんて馬鹿じゃなきゃ言わねえよ。
で、その直線距離は万二千余里ってか?
124日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:54:15.85
これはどう見てもアラタメ馬鹿でしかないわ・・・
125あらため だよん:2012/01/16(月) 12:58:00.58

(・p・)バブー 「原文」をよく嫁 ムゲンニョ君〜

私に向かってくる前に、赤ちゃん用パンパースを「ちゃんと取ってから」にしなさいよ。
話はそれから〜 ではオチ
126日本@名無史さん:2012/01/16(月) 12:58:05.74
ここで議論されてることって
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/bunken.html
で既に2004の時点で言及されてることばかりなんだよな
しかも深化するどころか退化してしまってる
127夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 13:02:34.78
>>125
キチガイには言葉が通じないのはよくわかったぜ。
誤魔化しと逃げ回りだけの馬鹿だな プ
128日本@名無史さん:2012/01/16(月) 13:04:25.19
あらためはこんな馬鹿だったか?
信じられんくらい、どうしようもないじゃないか。
129あらため だよん:2012/01/16(月) 13:06:07.48
>>127-128

なんだくやしいのか?w

【あとローガンに一言】

こうやって議論するんだぞw では、ほんとオチ・・・
130卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 13:12:40.87
>>90
あらため君の書いていることはあくまで定説であって、私は定説を否定するために書いているのである。
前方後円墳が、全羅南道に11基、全羅北道に2基発見されており、その位置の図もネットに出ている。
慶尚南道と全羅南道が倭の地域であったことは確実であり、それだけでも九州の半分より広い。

それから君は倭人は日本から移住したと考えているようだが、私はそうは考えていない。
太古の昔から倭人は朝鮮半島に住んでいただろうと想像している。
131日本@名無史さん:2012/01/16(月) 13:34:56.45
どっちかっていうと、夢幻如のほうがちょっとバカかな?
でも落ち込むなよ!これから伸びるかもしれないぞ!
132日本@名無史さん:2012/01/16(月) 13:41:46.97
どっちも馬鹿
どっちも恥知らず
醜い
133日本@名無史さん:2012/01/16(月) 13:50:55.53
朝鮮と名古屋で馬鹿四天王だなw
134おれおれ:2012/01/16(月) 13:59:40.76
>>87
釣りですか?

釣り上げられたひととかかあいそおですね
135ローガン:2012/01/16(月) 14:09:14.92
>>129:あらため だよん
>【あとローガンに一言】こうやって議論するんだぞw 

『125:あらため だよん 01/16(月) 12:58 [sage]
(・p・)バブー 「原文」をよく嫁 ムゲンニョ君〜
私に向かってくる前に、赤ちゃん用パンパースを「ちゃんと取ってから」にしなさいよ。話はそれから〜 ではオチ 』

なるほど…こんな風に議論するのか。
136おれおれ:2012/01/16(月) 14:17:56.24
でたらめくんもあれだね

「倭の領土」なんてこといっているうちはまだまだだね

海を棲家とする文身のの北辰とか崇める比較的ちびっこのが半島にもいたとゆうだけだろ
137日本@名無史さん:2012/01/16(月) 14:21:48.72


ステルスマーケティングまとめ
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 →  ステマの黒幕は ソニー(アニプレックス)、角川

関連キーワード はちま 清水鉄平(はちまの本名) KND 元ソニー会長出井伸之
        はちま管理人によるみかじめ料を払わない特定メーカーへの叩き
        まとめサイトは企業が運営 コメント欄も社員の煽り(が殆ど)
おまけ
2ch監視が仕事のスクウェア社員w↓
96 名前:番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です[sage] 投稿日:2012/01/16(月) 12:41:25.60 ID:X9dFbc830
proxy1.square-enix.co.jp - 2012/01/16 12:38:51 - Japan - Commercial(企業)
IP :61.195.58.8 (不明)
Referer :http://ipatukouta.altervista.org/php5/
USER-AGENT :Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 7.0; Windows NT 5.1; .NET CLR 2.0.50727; InfoPath.2; .NET CLR 3.0.04506.30; .NET CLR 3.0.4506.2152; .NET CLR 3.5.30729)

【株式会社KND・清水鉄平】はちま起稿が特定され黒い関係が明らかに★77【黒幕を特定せよ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1326684049/
138太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/16(月) 14:57:19.58
>海部氏系図の日女命(卑弥呼)の兄である、乙彦命の別名と一致する。

どこがどう一致するのか??
139夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 15:29:02.77
呆れ通り越して馬鹿らしくなってきた。
結局具体的なことは話せないから誤魔化してお終い、なるほどキチガイの論法だ。
「会稽東冶の東」からだけで奈良だというアホには理詰めは無理か。

140日本@名無史さん:2012/01/16(月) 15:42:58.02
>>129
>こうやって議論するんだぞ

ではなく「こうやって議論はごまかすんだぞ」じゃないんですか?
141日本@名無史さん:2012/01/16(月) 15:47:08.17
ハナから議論になってないだろw
142日本@名無史さん:2012/01/16(月) 15:57:41.48
キチガイあらためvsバーブー夢幻如
143日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:00:13.98
夢幻如さんはちゃんと説明されていたと思いますけどね
144日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:04:20.36
自演乙
145夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 16:13:46.49
キチガイメはもういい。

こっちに行こう。
>>114
女王国の東、海を渡ること千余里にして〜云々、だな。
「女王国の東から」でも意味は通るだろ。
千里だから水行一日で北海道。こりゃますます東北だべ ワラ
それもかなり北になる。
なぜ北海道にこだわるかと言えば「朱儒国」の存在。
これはコロポックル以外に考えられない。
アイヌの伝説で実在が議論されてるが、小人というのは確実に存在する。
現代でもいるんだからな。この国があってもおかしくはない。
九州や畿内じゃ北海道は遥かかなただ。
たった四千里ではコロポックルの北海道には届かない。

ま、これは決定的な話ではないから「持衰」と同じ程度の傍証としておこう。
「持衰」がなぜ傍証になるかは前に話した。
146日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:16:40.22
いや〜、夢幻如の話はよくわかったよ。

夢幻如の故郷=新潟の村おこしをするために、
鯨統一郎のヤマタイ=ハチマンタイ説を盗用したと。
非常に筋が通って分かり易かったよ。
もう君の説は完全に理解できた。
147夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 16:26:01.60
>>144
そうだそれは俺の自演だ。文句あるか。
つまらんことでレスを流すな、ボケ。

念のために「自衰」の話も繰り返しておくか。
これは願掛けなどではなく「人柱」だ。病人が出ただけでも殺される。
短期の航海ではここまではやらないだろう。
邪馬台国が九州なら北九州のどこかからになるが、せいぜい十日前後の旅になる。
人命を賭けるような航海ではない。
畿内でもこれが多少延びる程度。
海だから短期でも事故は心配しなきゃならないが、病人発生まで心配する日数じゃない。
ここに水行合計30日(片道)が加わって、はじめてロングラン航海になる。
病人が出る心配しなけりゃならない日数になる。
「持衰」からも邪馬台国はかなり遠方ということになる。
148日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:26:01.89
小人…フォスターの法則
149日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:30:15.57
変な説が多いなあ。末盧国から東南500里の伊都国は佐賀市付近だろう。
そうなれば、大和も東北もないに決まっている。
150卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 16:33:31.18
あいかわらず19歳君が、日女命が卑弥呼だと自信満々で主張しているので、こういう資料を上げておく。
伴信友の「神社私考」によると、神功皇后の妹の名、および神功皇后の妹を祀る神社は次のようになっている。

須賀麻神社記 玉妃命 
常神社記 玉妃命 空津媛命 淀媛命
肥前佐嘉郡 與止女神社 一名、豊姫、淀姫
豊前田川郡 豊比メ(メはクチ偏に羊)神社
筑後三井郡 豊比メ(メはクチ偏に羊)神社

先代旧事本紀にも妹はトヨヒメとあるらしい。
神功皇后は、書紀の編年を信ずれば、卑弥呼とほぼ同時代であって、
日女命が卑弥呼だと牽強付会の説をなすより、神功皇后が卑弥呼だと考えるほうが自然なのである。
151夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 16:36:47.71
コロポックルが実在したかしないかは関係ない。
この伝説が現実にあるのは北海道だけだということだ。
ま、傍証程度だから「持衰」とともに「これで間違いない」と断言するようなものではないがね。
しかし九州説も畿内説も朱儒国についても合理的説明は必要になるぜ。
やれるのか?
名古屋坊のように「妖怪だ」では話にならんぜ。
152日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:37:15.72
夢幻如さん>>84ですが…
153日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:40:17.05
アマテラス=豊鋤入姫=神功皇后=卑弥呼で間違い無さそうだ
154日本@名無史さん:2012/01/16(月) 16:41:04.22
俺の自演だなんて・・・
>>143は夢幻如さんじゃありません
155ローガン:2012/01/16(月) 16:41:32.83
>計其道里當在會稽東冶之東。

交趾郡武帝置。即安王 国。南万一千里。十二城。
交趾郡は洛陽の南11000里。

樂浪郡武帝置.陽東北五千里.
楽浪郡は洛陽の東北5000里。

よって帯方郡から12000里なら閔越の東辺りになる…という、
修辞の萬里に、誅淵後の通交により得た二千余里を付加した「萬二千余里」を元にした単なる机上計算。
156夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 16:51:04.98
>>152
それはただ未発掘なだけだろう。
何かを開発をしなきゃ遺跡は出てこない。発見はほとんど偶然だ。
東北や北陸は米どころだから平地の大半は田んぼ。あとは山。
しかし前に言ったように山形で1990年ころまで二、三例しかなかった前方後円墳が
その後一挙に30個くらい発見されている。
少なくとも実力がある勢力が古墳時代に東北にも存在したことになる。
何が眠っているか誰もわからない。金印も東北のどこかで眠ってるかもね。
157太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/16(月) 16:57:48.37
>神功皇后は、書紀の編年を信ずれば、卑弥呼とほぼ同時代であって

そのまま双方を即同一年代としてはうまくありません。天空の晴天の太陽を
そのまま直視するような解釈であって、危険そのものです。

見かけで同一年代となっているだけで、当時倍暦というスス付きガラス板
で当時の古代を観るべきです。このため120年前後ばかり卑弥呼のほうが
古い時代の女性だとなるということです。

卑弥呼の実年代は神功のころではなく、崇神のころですね。
158夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 17:03:09.39
俺が考古学を邪馬台国問題で軽視する理由は前に言った。
遺跡などからわかる情報は「その時代のその地で何があったか」がわかるだけだ。
普通はこの鉄則は大体守られるんだが、邪馬台国に関しては必ず飛躍する。
△鏡が出た時は発狂したようにこれで邪馬台国につながるみたいな報道もされた。
どこそこの遺跡が見つかったとなると、必ず「邪馬台国論争に一石」となる。
考古学的発見から全体像を掴もうとするのは非常に危険なことだ。
一個の発見で全体的な何かを決定つけようと「〜の可能性」を言ったら
どこまでも拡大解釈が出来るのが考古学だ。
非常に大切な学問だと思うが、邪馬台国論争においてはここでも「結論先にありき」に毒され
一部考古学者もこの問題では鉄則を忘れてるように俺には見えるね。
159日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:03:40.27
>計其道里當在會稽東冶之東。
万2000里がどのあたりになるかを計算したんだろう。
郡から万2000里といっても、南へ進まない部分がある。それを差し引くと
1万里ぐらいのものだ。それが会稽のひがしあたりになるはずだという計算だな。
160日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:05:20.18
>>150
トヨヒメは前原の例の鏡の主っぽいな
161夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 17:16:42.55
>>159
これは話が「混一」地図から離れ、ゴチャゴチャになるから避けてた話だが
徐福だろうな。
蓬莱は会稽東冶の東にあるという伝説がある。
倭は蓬莱に通じる何かがあると連想されていたのだろう。
会稽東冶が距離の基点に出てくるのはこういう理由もある。
南に伸びる国というイメージ作りにも影響を与えたかもしれない。

ともかく会稽東冶の東は奈良を指す、なんてキチガイメは逝かれてる。
しかも直線距離だと。馬鹿の度が過ぎるわ。
162日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:17:34.38
>>68 無限尿(ゴミクズレベル東北説)
>出雲だと前に言ったが一日15キロ程度のスピードで、とても現実的には思えない。

例によって何の根拠もなしにイチャモンつけるだけの低脳ゴミクズ。

「現実的には思えない」と言うのなら、じゃあ現実的な数字はどれくらいか?
先ず自分が根拠を添えて述べろという話だ。

そもそも最初に延喜式に見える太宰府まで海路30日と言う所要日数につけた中身の無いイチャモンも
自説=おらが国の東北説 に都合が悪いからと抗弁しただけの単なるケチレス。
必要以上に寄港し何かしらで相当に時間を潰しただろうと言うだけで
自分で何かを調べたわけでもなし、中身の無い単なるイチャモン。

この阿呆に付き合い百歩譲って仮にそうであったとして
じゃあ倭人伝のあの日数が純粋に移動だけに費やされた時間と言う保障は何もない。
延喜式に見える航海より更にゆっくりした物であったと言う主張があってもそれを否定することなどできない。
「陸行」にしろ「水行」にしろその一日がどれくらいの距離に相当するのか?以前に
そもそも距離に換算しうる物だと言う保証が無い。
この時点でこのゴミクズが必死に考えた「オレサマロジック」は全て無駄ゴミ箱行き。

この阿呆は
「東北説”も”成り立つ」では無くて
「東北説”しか”成り立たない」「他説は完全否定できる」と言う勝利条件を最初に自身に課しているのだからw
方角だろうと距離だろうと一つでも穴があればそれでお終い。

ディベートゴッコとすればかなり不公平アンフェアなのだろうが
この馬鹿が自分で課した事だから仕方が無いwwwwwwww
「コテは自分の発言に責任を持つ」と言うのがこいつの信条らしいしw

自分のアイデアに酔って大風呂敷広げる自惚れ屋という点ではこいつがどうこう言っている森村伊作と良い勝負だ。
違いは森村伊作が脳内大河ストーリー(東遷説等)を持っているのに対し
この無限尿の馬鹿は暗号解読ゴッコに特化しているところか?w
163おれおれ:2012/01/16(月) 17:19:02.43
『後漢書』の范曄さんが「會稽東治」を「會稽東冶」と原文改定してくれた最初の人ですた。
164日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:25:13.60
>>158
有明海沿岸も田んぼと山ばっかりだが、ちょっと掘ったら遺跡やら古墳やら邪魔臭いほどでてくるぜw
新潟らへんからは考えられんだろうがなw
165夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 17:26:33.12
ピーパー名無しがまた吠えてやがる。
例によって的は大はずれな馬鹿レスだな プ
中身に触れる価値一個も無し ゲラ

こいつがジョーカーだろ?
こんな馬鹿がコテ張っていられたスレがここなわけだ。なるほどな。
こいつも伊作同様、他人に認められない鬱屈があるのだろうねえ。
それが「彼はジョーカーといって畿内説だが九州説にも詳しい論客」と自演する。
今考えると爆笑レスだったな、あれは ワラ
天才とか論客と自画自賛する奴はたいていこういう
「認められたいのに認められない」というコンプがある奴なのよ ワラ
こんな馬鹿なら誰も認めないのは当たり前なんだがねえ ププ
166日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:31:35.40
東北や北陸は弥生時代どうしようもないド田舎だったんだよw
この田舎もんw
167日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:39:49.52
>>76 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>内容以前に文章の書き方を学べ。

ほほう>>75を別に美文とは言わないが
言わんとするところは普通に分かるが一体どのように改めたら良いのか?
是非ゴミクス無限尿クンに斧してもらって正しい文章とはどのようなものであるか?
その範を是非示していただきたいと言うかこの阿呆の文章センスがどれ程か見てみたいがwww

>>75 19歳名古屋
で、無限尿のケチレスはともかくとしてw
その話で強引と感じるのはじゃあ同時代他の地域はどうだったのか?と言うこと
他地域でも飢餓を経験したと思われる人間の骨が普通に見つかるなら
その事例は当時の古代社会では特異な物ではなくなる。
九州”のみ”が社会全体が衰退するような気候変動に見舞われたとも考えにくい。

それほど異なってしまえば年輪年代も九州じは別枠と言うことになるだろうが
雀居遺跡等だったか普通に本州と同じパターンで年代が出されている事例がいくつかあったはず。



168夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 17:42:24.91
>>166
田舎者、いいじゃないか。俺は憧れて超ど田舎にわざわざ転居したくらいだ。
それが和歌山。よかったぜ〜俺には最高の地だった。
超過疎地だったが半自給自足生活してね、楽しかったよ。
現金収入がまるでないとこなんで東京に十日ほど出てフルコミの営業で稼ぎまくって
あと二十日を和歌山で畑仕事だった。
それまでがむしゃらの仕事一本人間だったから夢のような時間だったよ。
永住するつもりだったんだが親の病気やらなんやらで6年間で都会に逆戻りになったがな。

>畿内説者
ということで田辺も熊野古道もよ〜く知っている。
出て来たら是非このルートの推理を聞きたいね。

さて旅の準備。じゃあなあ〜
169おれおれ:2012/01/16(月) 17:45:26.48
稲員
170日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:45:32.00
夢幻如逃亡
171日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:46:14.01
稲荷
172おれおれ:2012/01/16(月) 17:48:24.87
>>171
どう読んでも いなか
173日本@名無史さん:2012/01/16(月) 17:52:20.12
>>165 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>中身に触れる価値一個も無し ゲラ

だったらスルーすれば良いのだがそれもできない(ゲラ
てめえの矛盾を突かれているので何とか面子を保ちたいと言う
チンケなプライドがなせる所業w
これも 森村伊作 あたりとよく似ている
『クズの収斂進化』とでも言っておこうか?wwwwwwww

念のために断っておくが「ジョーカー」なんて自分が名乗ったコテじゃない
他人が便宜的につけたもの。
2ちゃんではお前みたいな勘違いしたコテがいるのも手伝って
あまりコテハンと言う物が好きじゃないと言うのもあるんだがw

それにだ。
俺はお前や森村伊作みたいな自惚れ屋と違って自分を天才とか論客とか言った事は無いw
「自分の言っていることなんか基本の基本のその又基本」としょっちゅう言っているw

自分が認められたい?何の話だ?ゴミクズ
俺が言っているのは既に認められた物=畿内説で
よくゴミクズレベル九州説から「エライセンセイの受け売りだ」と言われれば「そうですね」と答えているw

ゴミクズレベル九州説やお前のゴミクスレベル東北説のように奇をてらい
”オリジナリティ”で勝負するなんて考えは最初からないわゴミクズwwwww
174日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:00:38.30
鎮魂譜fsr阿蘇山は移動したサガミハラハラ河童虫
175日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:05:15.97
>>173
ジョーカー=ばば
ばば=糞

wwwwwwwww
176173:2012/01/16(月) 18:11:29.33
「オリジナリティで勝負!」と言うのはゴミクズレベル九州説によく見られる傾向だが
この無限尿と言ゴミクズも同じ。

「長きに渡った論争に終止符をうつ画期的な説を導き出したオレサマエライ!」
「誰も正解を得られなかった暗号解読に自分は成功しました!」
…と言う井の中の蛙(しかもその蛙が井戸の中にはイッパイいるw)

距離や方角と言った各論以前にそもそもそれ(単一史料の倭人伝)で位置論争に決着を付けられると言うのが間違いの元。

「畿内説vs九州説の論争に終止符をうつ」と大風呂敷広げた馬鹿が無限尿だが

何のことは無い自分が無限ループの構図の中に見事にはまっていると言う自縄自縛一人SMショウw
177日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:18:49.26
>>176
こいつなに必死こいてるの?
畿内説が無限の言う方位にイチャモンつけてるのもバカ?
九州説ならわかるんだが
178日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:21:36.49
夢幻如さんへの嫉妬じゃないんでしょうか
179日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:26:23.37
馬鹿が馬鹿を叩いているのを生あたたかい目で見守ってやればよいのです。
180卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 18:28:42.05
19歳君が乙彦命が孝元天皇だと主張しているので、再度調べてみたが、ネットには、
>日本武尊の征西に従軍した人物
と書いてある。仮にそれがまちがいだとしても、同じ9世孫の意富那比命は、
8世孫が崇神代の人で、10世孫が景行か成務代の人だから、垂仁代の人である。

君が、乙彦命が孝元天皇だと主張するなら、孝元天皇は垂仁天皇と同時代の人だと証明しなければならないのである。
あるいは日本武尊の征西に従軍した人物が孝元天皇だと証明しなければならないのである。

これ以上言わなくても、君の説がまったく成立しないことは明白である。
181日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:33:51.45
>>177
まあ馬鹿には分からないだろうなwww

無限尿のアホが言っているのは列島が東西ではなくて南北に伸びた地理観”しか”ないで
こっちが言っているのは「そう言う地理観”も”ありえる」と言う話。

そんな今時一律に列島を90度回転させて…なんて考え方と一緒にするなという話だなw

実際に九州を南下した可能性を排除できない…ということだ。

182日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:39:15.39
>>181
だからジョーカー=糞なんだね
183181:2012/01/16(月) 18:43:36.23
で「距離」に関して言えば何度も言っているように
そもそもその日数が距離に換算しうるものか?かどうかが分からないのだから
結局あの行程記事で位置を論争すること自体に意味が無い。

…というのが畿内説と言うか今日の大方の邪馬台国に関しての理解だろう。

それが証拠?に畿内説で終焉したと言われてもじゃあ投馬国が吉備だったのか?出雲だったのか?は殆ど話題に上らない
少なくとも俺には思い当たらない。

「すなおに読んだらピッタリと分かる!」と言うスタンスはゴミクズレベル九州説と無限尿は同じw

ここは一つどの暗号解読が正しかったのか決着をつけてもらいたい(ゲラゲラ
184日本@名無史さん:2012/01/16(月) 18:49:31.68
>>145
>「女王国の東から」でも意味は通るだろ。

通らねぇよw
よくもまぁこういうコジツケ解釈が平気で出来るね
東北に固執する余り普通の感覚が欠落してますな
大体本州から北海道に行くなら最短の津軽海峡を渡るでしょ
無理に無理を重ねた解釈だねぇ
結局東北説なんて物は、こういうコジツケ解釈を重ねないと成立しない盲説だと言う事がよく解った
185日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:03:27.22
東夷伝序文に
東臨大海。長老說有異面之人,近日之所出,遂周觀諸國
倭人伝に
倭人在帶方東南大海之中,依山島為國邑
とあり郡の東南にある島々であることはわかっているので

計其道里,當在會稽、東冶之東
の箇所でこの行程はおかしいと述べている
186日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:08:44.97
…しかし上の方で 自惚れ屋の 無限尿 と 極めつけのKY ドツボ で見事に会話が成立していないのは笑えるなwwwwww
187おれおれ:2012/01/16(月) 19:10:25.36
>>185

>>163

常識のレベルだろ
188日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:10:25.97
畿内説、東北説に敗れる!
189日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:12:14.65
>>188

もうそれで構わないから
九州説vs東北説 で 暗号解読ゴッコの 頂上決戦していただけないだろうか?げら
190日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:16:22.56
畿内説、捏造認め敗北宣言w
191日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:18:37.44
やめろ
もう涙目だ
192日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:26:38.92
距離と日数が換算出来るかどうか分からないのは事実なんだから、
換算した場合に、ちゃんと位置が決まって、移動方法がおかしくないかを
検証すればいいんだよ。

それで問題がなければ、少なくとも間違いとは言えない、ということになる。
193日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:29:13.68
畿内説は東北説以下だということが実証されつつある。
194日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:30:32.46
>>185
九州から南に島を点在させても郡の東南
195日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:32:05.31
>>192
その換算方法がいくらでもある。
例えで言うのなら
 
 x−y=1

と言う式を解けというようなもの。

(X・y)が(11・10)でも(101・100)でも整数自然数に限っても等式を成り立たせるだけなら無限にパターンがある。
どれも「間違い」ではない。
196日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:36:06.78
>>184
邪馬台国から津軽海峡を渡る地点までの陸路がなければどうですか?
この時代は水路>陸路ですよね
朱儒国はどうなるんでしょ?
197日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:40:18.21
>>193
九州説は無限に負けたけどなw
198日本@名無史さん:2012/01/16(月) 19:41:45.36
>>195
>その換算方法がいくらでもある。

そう思うけど、考えてみると意外と無いんだよ。
まあ、前提条件を何でもありにすれば、何でも大丈夫だけど。

とりあえず、水行一日千里は、水行二十日が存在する時点で
候補から外れるね。
水行2万里になっちゃうから。

まあ、なんでもありって言って、万二千余里は間違いだから考えない、
という理屈なら2万里でも10万里でもありだけど。
199おれおれ:2012/01/16(月) 19:56:06.34
30年間有効な攻撃とかないんだからさ

12000里 ≒ 924km でよいのでわ
5000里 ≒ 385km
1000里 ≒ 77km
100里 ≒ 7.7km
200おれおれ:2012/01/16(月) 20:02:31.36
郡から直通便で出雲に行ったら

まあ15000里てところかな

1200kmちょい切るくらいだから20日もあれば逝くのとか楽勝だろ
201日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:28:37.69
>>198
現実に千里水行が一日なんだから 水行一日=千里 でしょ
202日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:32:40.14
>>199
一大国からの千里は短いからそれじゃ説明つかない。
203日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:33:18.07
>>201
次の千里を一日で渡ったと言う保証は無い
次の一日に千里を渡ったと言う保証は無い

その換算をすればトータルの数字が無茶無茶苦茶になる。

あくまで倭人伝の記事でもっとも整合性のある解釈を競うのであれば
暗号解読ゴッコのルールの逸脱wwww
204日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:34:07.98
千里水行を1日で行ったなんて何処に書いてあるんだよ
205日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:41:00.81
書いてあるなしじゃなく実際どうか考えたらわかるじゃないか。
壱岐から松浦まで一日だろ。
206日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:44:52.92
>>205
対馬から壱岐も一日で行けるね
ということは…
207日本@名無史さん:2012/01/16(月) 20:50:00.91
>>202
はやく到着したらはやく酒が呑めたりするんだろ
208日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:05:42.16
畿内説論者はもっと九州説のHPや書籍を読んだほうがええよ。
とても勉強になるから。
九州説論者も畿内説のHPや書籍を沢山読んでるしね。
たいして勉強にはならんけどな。
209日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:17:47.52
と言うか邪馬台国畿内説の本なんてあまりないというか
邪馬台国論争に特化したような本なんてあまりお勧めできないなw

実際のところここで「畿内説」と言われている物は別に邪馬台国論争に限定されたロジックじゃない。

逆に言えばここのゴミクズレベル九州説にすれば普通に古代史・考古学に書かれた本は
それ自体「悪のキナイセツ」に組する本と言うことになるんだろうがwwwww

210日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:19:49.23
悪のキナイセツ?
悪じゃなくて、純粋詐欺の畿内説でしょ?
21119歳某国立大生:2012/01/16(月) 21:20:11.73
海部氏系図尾張氏系図に関してはほぼ説明し尽くした。
後は全部自分で調べてくれw

二ギハヤヒで思いだしたが、二ギハヤヒが天下ったところは
河内の日下であり、ここに日下王国があった説があると前に
聞いたことがある。日下とはひのもと、つまり日本のことね。
7世紀に倭という国号は卑しいから改めるときに、この日下、
すなわち、ひのもと日本という国号にしたと考えられるだろう。
それに合わせて皇祖神も当時天照大神だった二ギハヤヒに合わせたとみていいだろう。
記紀編纂時には当時の政治状況を反映して、持統天皇の影響で
天照を女神にして、天子降臨を天孫降臨に改めたとみていいだろう。
212日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:22:36.76
畿内説、捏造と罵詈雑言だけは一丁前。
213日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:23:39.24
俺の想像では畿内説の人間の本棚の古代史関連の書籍に
タイトルに「邪馬台国」と入った物は数冊程度であるに対し
九州説の連中の本棚のものは殆どが「邪馬台国」をネタに書かれたものw



214日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:32:50.63
壱岐にコンパスの針を突き立て、対馬までの距離をとった後、九州沿岸部にコ
ンパスの半円を引くと宗像市あたりで海岸線と交差する(対馬・壱岐間と壱岐・
九州間を同じ千里とするためこの方法を使用)。次に上陸地点から邪馬台国まで
残りニ千里余りだから、この上陸点にコンパスの針を刺し、対馬・壱岐間の2
倍の距離をとって東から南にかけて4分の1円を書くと、邪馬台国はこの4分
の1円の近くのどこかに有ったことになる。
ここから言えることは畿内とか近江とか東北などは絶対に有り得ない。九州で
も中央の山地から西側は絶対に有り得ない。
水行とか陸行などは距離ではなく別な解釈が必要と考えられる。
21519歳某国立大生:2012/01/16(月) 21:39:37.02
朱儒国とかアホなこと言ってるが
その小人談は倭国だけじゃなくど他の国にも頻繁にでてくるし
ただの妖怪譚だと言ってるのにまだわからないのかw
女王国の東の海も東南海夷図あたりみれば日本の東に国があると
昔の中国人は思ってたことがわかるだろうに。
倭人伝のその文章はあまり意味がない個所だ。
ほんと倭人伝の行程だの意味ない文章だの、アホは無駄なポイントに拘泥して
ああだこうだと延々議論するから嫌になるわ。
216日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:43:58.22
あとこれは畿内説に割と「都合の悪い話」だがwwww

ヤマトを目指すなら瀬戸内ルートで最後大和川の遡上を使わない手は無い。
と言うか纏向・大和の立地のウリの一つが大和川水系を使っての水運で
現実問題後代の隋から来日した裴世清も川をのぼった海柘榴市で出迎えられているのだから

纏向の大溝もそこに筏を浮かべて水運にも利用したとするなら尚の事
最後に「陸行」が来るというのが違和感を感じさせる話にはなるだろう。
(時間経過はどうとでも説明できるが)

かつて宮崎康平は運河を水行にしていたので川を行く時は「水行」でいいのかな?
217日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:48:03.03
>朱儒国

その小人とはボルネオあたりのオラウータン(現地語で「森の人」の意)と言うのはどうか?wwwwwwww

ちなみに歯黒国と言うのは台湾辺りのビンロウという噛みタバコのような風習で
それで歯が赤とか黒に染まると言うのを当てるwww

21819歳某国立大生:2012/01/16(月) 21:51:21.17
陸行など何度も言うように魏使が通った道ではないだろう。
舗装もされてない獣道なんだし、下賜品の五尺刀とか担いで一月も歩いたってか?w
その陸行一月は伝聞で聞いた情報だろ。水行十日かかるとこを陸行なら
どれくらいかかると倭人に聞いてそれを記録しただけだ。
投馬国(吉備)までの行程が水行二十日で陸行は書かれてないのが証拠だ。
そりゃ関門海峡で海に邪魔されてるんだし陸行で行くルートなんてないわw
219日本@名無史さん:2012/01/16(月) 21:54:55.07
畿内じゃそもそも方角が違う
阿呆でも分かるこっちゃ
220卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 21:59:30.22
>>211>>215
君も自分で思っているほど聡明じゃないぞ。>>180に反論してみたまえ。

よく大人に向かってアホ!と言う生意気な少年がいるが、君がそれだな。いい年して。
22119歳某国立大生:2012/01/16(月) 22:02:39.06
それももう何回も言ったなw
古代中国人の地理認識と現代人の地理認識を一緒にしてる馬鹿ってことだ。
3世紀の古代中国人の倭国に対する地理認識の未成熟さで
かたづく問題だ。混一地図のように南にあり南にのびてる島国だという
認識だったんだろう。海南島に倭人と同族の越人が居住してた影響もあり
そういう認識になったと言ってるだろ。
もしくは当時の政治状況から、対呉政策のために倭国の首都を南にもってきたかったから
東は南も兼ねるというのを利用して南と書いただけだろう。
何回も言わせるな。いい加減理解しろ
22219歳某国立大生:2012/01/16(月) 22:06:22.16
>>180とかもう言い疲れたから自分で調べてくれw
尾張氏系図のほうに景行もヤマトタケルもちゃんと載ってるから。
223日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:09:45.49
>>221
>混一地図のように南にあり南にのびてる島国だという 認識だったんだろう。
>そういう認識になったと言ってるだろ。
>東は南も兼ねるというのを利用して南と書いただけだろう。

   まさに駄労説!
224卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 22:09:52.09
>>220
時代が合っているかと訊いているんだよ。時代が合っていなければすべての論証はパーになるのだから。
22519歳某国立大生:2012/01/16(月) 22:15:32.11
だろうじゃなく、実際混一地図で古代中国人の地理認識は証明されてるだろうに。
あと可能性の薄い説としては南という方角は陰陽だと天子の住む方角と
古代中国人は認識してたようなのでその影響もあるかもしれない。
いずれにせよ畿内から逆算して倭人伝の行程を読めば方位がややずれてるわけで、
なんらかの理由があってずれてるだけ。それを延々くだらん議論するのは馬鹿のすることだ。

>>224
時代はばっちりあってるよ。ばっちり日女命の時代と卑弥呼の時代は重なるよ
226卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 22:17:36.97
>>225
>時代はばっちりあってるよ。ばっちり日女命の時代と卑弥呼の時代は重なるよ

では証明してみたまえ。
227日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:19:44.90
ええと

揚子江の出口から有明海方面とかねらったら

およそ10000里だわな

770kmかい たいしたことねえじゃん

てかさ

お米きたのはこっち方面からだしね

228日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:20:06.70
だったら記載内容に関する言及は一切しないでおけばええやん
畿内説は結論ありきなんでーすって
22919歳某国立大生:2012/01/16(月) 22:21:04.26
何度も言っただろ
神大市姫=モモソ姫=日女命 と書かれてるわけで、
彼女の墓は大市にある箸墓。
C14測定の科学的見地からも卑弥呼と同時代の墓と証明されてるわけ。
文献と考古学、完全に整合してるよ。
230夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 22:24:06.61
水行一日=千里を確認する作業をしていたようで ワラ
これは動かしようがない事実だ。だから水行二十日は二万里になる。
つまり万二千里は具体的な総距離ではない。
コンパス回してどうこうしてる奴は前提が崩れるから無意味。
九州説大半はこの証明で否定して終了したはずだがね。

>名古屋坊
朱儒国を妖怪潭で片付けるのはいいんだが、この伝説は北海道にしかない。
伝説ではなく実際あったかもしれない。
まああってもなくてもだ、この話は日本では北海道なんだよ。そこを考えな。
また首を突っ込んでは逃げるの繰り返しか プ
231卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 22:24:29.27
>>229
君はいつもそうやって逃げてるなw
まあ、いい。もう聞かない。
君の説をブログに書けばいい。
書いているうちに、これはまずいと気付くだろう。
23219歳某国立大生:2012/01/16(月) 22:25:29.38
九州説なら倭人伝の行程以外から
邪馬台国が九州のどこにあったか説明して、
それから逆算して、行程ルートを説明してみろよ。
行程ルートに拘泥しても江戸時代から300年考えても
答えなんかでやしないし、時間の無駄だと何度言っても
理解するおつむもないほどアホなのか?
行程ルートから邪馬台国の位置を割り出す手法も
数ある中の一つの選択肢でしかないこともわからんのか。
233夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 22:36:55.71
畿内説は水行合計三十日陸行一月で否定出来る。
まだ有効な反論は出てないだろ。
水行十日陸行一月は&で結ばれたと見るのが普通でorではない。
これで畿内説も駄目だね。
234卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/16(月) 22:38:34.59
>>232
他人が行程で議論しているのだから、黙って傍観していればいいのだよ。
いちいち邪魔してアホ、アホと書かなくてもいいのだ。
235夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/16(月) 22:40:33.97
車中じゃ書きにくいし、有効な反論もないみたいだから落ちる。
ろくに寝てないしな。

まともな反論を考えて出してくれ。
236日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:49:09.63
使訳が通じるのが三十国、水行二十日+十日=三十日、陸行三十日

そろいすぎ
237あらため だよん(鍋奉行):2012/01/16(月) 22:49:39.03
ほら、19歳言い返せよ

この際、邪馬台国三流士(ムゲンニョ、チョウセン、19サイ)で誰が一番
古代史に精通してるのか、白黒つけたらどうかね。

>162-165
あー、あー、ジョーカーさんも、伊作と同様に他人に認められたいんだね。
まあ、「延喜式に見える太宰府まで海路30日」ていう専門知識を御披露してるし、
誉めれる部分は確かにあると思う(おれもコピーしとこw)。

邪馬台国三流士の各自に言いたいのはこういう専門知識を披露してくれと・・。
238日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:51:10.31
メ がまんまプロ固定を表に出してウザイ件
239日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:53:36.42
千里を一日で水行したと思われる文があるからって
水行一日を千里に置き換える事は出来ないだろと
散々指摘されているのに聞き耳を持たない
奇説でも言い張ればなんとかなると思っているのだろうが…
240日本@名無史さん:2012/01/16(月) 22:58:03.63
>>237 ドツボ
>あー、あー、ジョーカーさんも、伊作と同様に他人に認められたいんだね。

勘弁してくれ。

お前の大好きな「古代史初心者レベル」と言う称号なら喜んで受けるが
森村伊作や無限尿のような自惚れの塊のクズと一緒にするな。

そもそも先にも言ったように既に一般に認められている物をここで喧伝したからと言って
自分が認められると言う話でもない。

「誰も解き得なかった暗号をオレサマは解読した!」とばかりにそのオリジナリティを競うような
ゴミクズレベル九州説やゴミクズレベル東北説とはそもそもスタンスが違う。


241日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:01:24.22
>>239
と言うかそもそも日数を距離に換算しうると言う根拠が出せていない。

実例として書記に見る裴世清の事例も挙げたし
その根拠を出して明確に否定できれば
確か謝銘仁だっけ?そう言う解釈を出した書籍を本屋や図書館から駆逐できるw

それだけでもこの馬鹿は名を残せると言う壮大な話wwwwww
242日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:04:10.78
19歳のカスを虐めるのはやめろよ! 何も知らないんだから、何を言っても無駄なんだよ!ゆとりなんだから、 温かく見守ってやろうぜ。
243日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:09:35.63
まあゆとり世代とか言っても
「九州王朝説」や「東遷説」んなんて与太を飛ばす頭のイカレた爺に
どうこう言われたくないだろうなw

244日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:12:59.96
夢幻如の一日千里は論外としても、
何らかの目安としての距離はあるんじゃないかね。

でないと、19日港で遊んで、一日水行でも、水行二十日と
なりかねん。

ぶっちゃけ、それでは情報量はゼロと言っていることと等しい。

俺は、日数が書いてある以上、
何らかの行程に関する情報が少しはあるという立場。

日数記述は情報量を持たない無駄情報という立場も散見されるが。
245日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:25:36.83
ゆとりは所詮ゆとりw
246日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:28:01.45
日数記述は解釈の幅がありすぎるからねえ
247日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:30:48.51
>>244
それは仕方が無いなw

日数が書いてあるのだから情報”量”としてはあるが
それがどのような物からもたらされたか分からなければ使い物にならない。

冗談抜きに19日間遊休で1日だけ水行で都合20日と言う可能性だって否定できない。
そもそも2ヶ月ほどにもなればずっと晴天に恵まれた筈も無い。
先遣隊でも測量班を伴った返礼使でもいいが一度や二度行き来しただけなら
そういった不確定要素の占める割合が大きくならざるを得ない。

まあ畿内説の人間なら距離で九州説を否定するのが楽なんだろうが
そんなのは無限尿のような短絡的な阿呆がやること。
248あらため だよん(鍋奉行):2012/01/16(月) 23:43:53.37
現在の人は、東京から大阪ぐらいの距離てきけば、ある程度の距離は想像できるが、
昔の人は、日数を用いてその大体の距離感を共通しあったんであり、
上で書いてるように延喜式にも日数表記されてる部分があるらしい。
今の人では、水行十日ってどれぐらいの距離だろう?て考えてしまうが
昔の人の間ではピンとくるものがあるんだろうね。
249日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:45:09.78
会稽東冶について:
東アジアの海流
http://pds.exblog.jp/pds/1/201106/01/68/f0215268_11423063.jpg
http://www21.ocn.ne.jp/~access-z/beach/info/map.gif
http://t1.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcR8B95kvHNfhpR6O0WpdfYV0jg7fzSVAU9F1xwaZe5K_ARswiVdyi2Lxm85sw
会稽を出航して東を目指しても北へ流される。
東を目指した徐福御一行様が馬関に到着したのもそのせいかと思われる。
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/institution/museum/tokuten/2004/06-china1.jpg
この地図からもそれが裏付けられてる。
さらに、日本へは会稽からの海路、半島へは黄河からだったということがわかって興味深い
250ローガン:2012/01/16(月) 23:48:35.75
日数とかは明確な史料無いので、各人見解が違い、すきな事言えるので有益な議論なんて望めない。
故、つまんないので積極的に参加しない人が多いんじゃないんですかな?(笑)
まあ、敢えて書くと参勤交代で、前田家は120里を12〜13日。池田家は180里を20〜22日。
1日平均陸行、約35km程。参勤交代が経費節約の為、結構な強行軍だったであろう事や、
橋や渡しを含め街道の整備など、古代と比べものにならない事を考慮すると、
3世紀なんて、35kmの半分以下でいいんでない?半分の根拠無いけどね。当たらずとも遠からずかなあと。
251日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:49:11.29
馬関じゃないや、馬韓だ
252日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:53:02.83
ローガンさんは8の信頼度どれくらいとおもってますか?
やっぱ全くの妄想だと思いますか?
253日本@名無史さん:2012/01/16(月) 23:57:51.05
>>250 老眼
>故、つまんないので積極的に参加しない人が多いんじゃないんですかな?(笑)

つうか無限ループの水掛け論になるのが最初から分かっているからだなw


254日本@名無史さん:2012/01/17(火) 00:01:08.57
強行軍は別にして、一日ゆっくり行って15キロ
30日で450キロ。

これは公里の千里435キロに近い数値である。
255ローガン:2012/01/17(火) 00:03:56.32
>>252
ローガンさんは8の信頼度どれくらいとおもってますか?

>>8 の事ですかな? なら、過去にすべて明確に回答済み。
256日本@名無史さん:2012/01/17(火) 00:09:07.72
>>255
失礼しました
過去スレ漁ってみます
残してないのもあるんだよなぁ
257ローガン:2012/01/17(火) 00:09:55.08
すみません。>>7と間違えてました。 貴レスへの返答としては「わからない」です。
258ひとぶた:2012/01/17(火) 00:11:19.84
>>244>>246-247

漢書だか魏略だかのの西戎傳には、シリアからローマへ路程として「遇風利二月到風遲或一歳無風或三歳」と書かれたり、
アデンからスエズまでは「水行半歳、風疾時一月到」と書かれたりしています。
上記の2例は帆船行でしょうから、自然条件による変動幅を記載することで、数値の実効性を高めているわけです。
三国志の倭人伝でも地理的説明として2国間の移動に要する日数を記載しているのでしょうから、
「19日間遊休で1日だけ水行」なんて言う人為的条件は排除されているんじゃないんですかw

ついでに言うと、西戎傳の「水行半歳、風疾時一月」などの例から、当時の地理志における日数表記は、
「一日千里」などと言う距離に換算しうるものでは無く、あくまでも時間的概念であることが判りますね。
259あらため だよん(鍋奉行):2012/01/17(火) 00:19:07.03
日数表記のみで共通する何かがあったんだろうとw
260日本@名無史さん:2012/01/17(火) 00:21:38.56
>>257
ありがとう
前スレ921の貴方のレスの
女百國が伊都國だと理解して(皆従属王、女也)
その北に三ヶ国があるということが決定打になったんですけどね
261あらため だよん(鍋奉行):2012/01/17(火) 00:36:47.18
>3世紀なんて、35kmの半分以下でいいんでない?

う〜ん、半分ていうよりも三分の一以下かも知れない。
たとえば、秀吉の中国大返しなんかだと、毛利家の城でもある高松城(岡山県岡山市北区)から
明智光秀のいる山崎(京都府乙訓郡大山崎町)までの十日間で約200キロメートルを
大勢の軍隊で歩いた伝説なんか有名だと思うが、秀吉の時代でも一日で約20キロ。

三世紀だと、倭人伝でもあるが、草木が生い茂り、前に行く人もわからない程とあるとおり、
道が整備されとらんのです。
一日約10キロがいいとこじゃないんだろうか。
262あらため だよん(鍋奉行):2012/01/17(火) 00:47:02.21

まあ、いずれにしても、私が上のほうで書いてある通り、
その道のりを合計すると會稽、東冶ノ東に位置する。
邪馬台国=東北ていうのは長すぎるので有り得ないとw
263あらため だよん(鍋奉行):2012/01/17(火) 00:58:26.67
渡海に関しては、○さんが言ってたと思うんだが・・・
倭人伝にある、朝鮮海峡を渡る航海の実験として1975年に古代舟、野生号が造られたんだが、
これをみても分かる通り、手こぎでして相当に渡海に苦労してるでしょうね。
http://www1.ocn.ne.jp/~kurose/fsph14.htm

もう時間も時間だし、酔いもまわってきたことなのでそろそろねます・・・zzz
264日本@名無史さん:2012/01/17(火) 01:31:06.81
>>262
すんません

>その道のりを合計すると會稽、東冶ノ東に位置する。

「合計すると〜に位置する」というのは日本語として意味がわからないのですが…
「道のりを合計すると會稽から東冶ノ東までの距離と等しい」という意味なのでしょうか?
265日本@名無史さん:2012/01/17(火) 01:45:56.32
>>263
その時代に帆船がなかったとは考えにくいよねえ・・・
布は存在していたわけだし、風を利用することなどチンパンジーでも発見できるだろうし・・・
どの程度の帆船かが問題というべきでは・・・
266日本@名無史さん:2012/01/17(火) 01:55:13.54
>>263
単なるカヌーじゃねえかwww
267日本@名無史さん:2012/01/17(火) 02:18:59.43
つうか古代日本に普通に帆船があったと思っているのか?
268日本@名無史さん:2012/01/17(火) 02:41:14.00
えと。日本海ルート論者です。
レスを有難う御座います。

>>32
>>44
なんとも気持ち的に救われます。
現状裏付け出来ない致命的な持論ですが、
頑張ります。

>>68
>出雲だと前に言ったが一日15キロ程度のスピードで、とても現実的には思えない。
>そこはどう考えているんだろ?是非聞いてみたいね。

えと。早飛脚と大名行列では同じ江戸に行
くにしても日程が違う。同様に、倭人達
も時間をかけ安全を期したと考えます。

加えて、瀬戸内のような内海ではないので
海が荒れて出港できないことも含めます。
これは現在の大工の出す工程表と同じ。
雨で仕事できない日も含めて日程を出す。
全日程20日の内、5日は天気待ちとか。
また、大工同様これに儀式が入る。
統一国家への過渡期なので、違う勢力圏に
入る毎に歓待と荷調べで1日取ったかと。
少なくとも、宗像・出雲・丹波の3つでは
乗り換えがあったと考えます。

不彌国を新宮町周辺として「例えば」以後
北九州港、長門、萩、益田、浜田、出雲と
各2、3日の日程をかけるといった具合。
269日本@名無史さん:2012/01/17(火) 02:51:13.18
前スレ >670 今更だが遅レスのつづき
> ここは根拠になるかならないかの議論だ。

「“推論”が根拠になるかならないか」と言っているわけだ。
私的には“推論”は根拠にならない。根拠になるのは“事実”であり、古代史においては事実を示す文献史料・考古資料だと言っている。
推論が根拠になるかならないか。
なるとすれば、それが事実を示している正しい推論だと客観的に認められる場合だろう。

> お前は複数ソースが「〜と考えるのが自然だ」という主観を言う。それだけが正しいのか?
> 俺は「一連の記述と見る」のが「普通の感覚で、自然だ」と主張する。
> 自分の主張は根拠ある立派な推論。相手は根拠のない「架空話」と決め付けている。

自分の主張:推論=行程記事は複数のソースからまとめられた。→ 根拠=伊都国までと奴国以降の内容・書き方が違う(事実)。
相手の主張:推論=一連の記述と見るのが普通の感覚で、自然だ。→ 根拠=前スレ >933->936 のとおり。否定済み。

> 推論vs推論の説得力比べで、誰一人通用してないから九州説終了を宣言できたわけ。

説得力なかったね。
270日本@名無史さん:2012/01/17(火) 03:04:38.60
前スレ >959 ○

前スレ >934にレスもらってますね(夢幻如宛てかな?)。

レスの内容からすると岡田英弘氏の著作を読んでられるようですね。
あと、ドツボは相手にしないほうがよいでしょう。
271日本@名無史さん:2012/01/17(火) 03:54:27.65
>>266
野生号は、西都原古墳群から出土した舟形埴輪を元に作られている。
272日本@名無史さん:2012/01/17(火) 04:29:20.55
あんなカヌーみたいな船で大量の下賜品持ってったのか?雨降ったらどうすんだw
273:2012/01/17(火) 07:16:04.48
>>270
基本的に岡田氏を支持しています。
所々で行き過ぎた点が見受けられますが・・・
274日本@名無史さん:2012/01/17(火) 07:28:26.01
大和朝と邪馬台国は連なる王朝だったのですか?
それとも同時代に2つ存在した王朝なのでしょうか?
それとも邪馬台国自体、魏の人が勘違いして書に書いた王朝なのでしょうか?
275:2012/01/17(火) 07:34:06.65
>>268
>少なくとも、宗像・出雲・丹波の3つでは
乗り換えがあったと考えます。

私は、和邇氏・安曇氏に注目しています。
近畿への入り口は、福井県小浜市だったと考えています。
小浜市以東からは、遠賀川式土器が出てません。

今日も朝早よから、吉武高木遺跡まで出勤です。
帰りは、有田遺跡〜福岡総合図書館経由です。
276卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 09:34:48.05
朝は人が少ないから、好きなことを書かせてもらう。

ヤマトトトヒモモソ姫。このヤマトトトヒモモソは固有名詞だと考えないほうがいい。
単なる大和の地名かもしれないし、職掌名かもしれない。
モモソ姫を名乗る女性が何人もいたかもしれない。その証拠に海部氏系図にも二三人名が出ている。
他氏の系図が残っていないから何とも言えないが、海部氏系図以外にも載っていたかもしれない。

太国氏が倍年説を唱えているが、書紀は干支で書かれているのであり、
もし古代日本に倍年があったのなら、書紀を書く際に干支に換算して書いたはずだ。だから太国氏の論は弱い。

古田氏は倭人伝の記述に、倭人は暦を知らず、春耕と秋穫で歳を計ると書かれているのを根拠に倍年説を唱えたが、
これも実にいいかげんな説で、太国氏の説もこれに類するものである。

午前中の投稿はこれで終り。以上。
277日本@名無史さん:2012/01/17(火) 09:42:09.33
>>225
>実際混一地図で古代中国人の地理認識は証明されてるだろうに。
混一地図は朝鮮で造られた地図だ。中国人がつくったものではない。
古代中国人の認識とはまったく関係がない。

278日本@名無史さん:2012/01/17(火) 09:46:47.65
文献かじった畿内説ほどどうしようもないアホはおらんな。
「神武東征だけは絶対に信じない」ていうし。
都合いいところだけ取り上げて持説にこじつけるw
279怒濤の天才:2012/01/17(火) 10:13:35.96
●陸路距離尺度の実態
古代人たちの歩行距離を推測するのであれば、
その時代に最も近い古代人の事例を参考にすべきだろう。(天才の論考から)

『三国志』魏書・明帝紀は、司馬懿軍が公孫淵討伐に向かうときの洛陽から遼東までの陸路行軍距離を、
執拗に4000里としている。帝紀の距離表記だからこれが魏代の公式尺度とみなされる。
厳密には当事者たちの口頭発言だから、端数を切り上げた大まかなな数値である。
地理情報として信頼のおける数値は、『後漢書』郡国史・幽州の記録が参考になる。
・遼東郡は洛陽の東北三千六百里。
では、古代人たちが1日にどの程度の距離を歩いたのかを考えてみよう
司馬懿の公孫淵討伐の行軍日程は、「往きに百日、戦闘に百日、還りに百日、休憩に六十日、合計で一年」である。
実質片道3600里を100日で、これに休憩の60日を単純に3等分配分すれば、片道合計120日。
(5勤1休のサイクルとみなす)。
実質行動は100日だから1日平均の進行距離は36里(当時の公式尺度で15・6km)になる。
◆特注事項:ただし、これは討伐の戦場へ急ぐ(戦車・馬車・大軍が通行可能な大陸道路の)行軍である。

▼魏の使節の行動ばどうか
魏の使節主従は、民衆に先進性や絢爛豪華さを誇示しながら、時間をかけてねり歩いたシーンもあったろう。
また、天候待ちや経由各国での歓待の休日もあったことだろう。
野宿の設営や出立準備は、明るいうちに済ませる必要がある。現実問題としては、
食事や休憩を除く1日の行動時間は、5〜6時間がせいぜいだったと思われる。
しかも、アスファルトで舗装された道路ではなく、木の根や岩がむき出しの山道を歩いたり、
橋のない川を渡って進むとなると、稼げる距離は古代も現代もそれほど差はない。
もちろん、1カ月に最低でも4〜5日は雨が降るし、川が増水すれば何日足どめされるかは分からない。
『倭人伝』のいう陸行1月も、こうした現実を踏まえた平均日数だとは思うのだが
節をなびかせて多くの従者を伴ってきた中国の使節団が、30日で進んだ距離も驚くほど長くはなかったろう。

というのが、天才の天才的な論考による確かな結論であるぞ。
280日本@名無史さん:2012/01/17(火) 10:13:59.63
●海路尺度の実態
海路距離は正確には測定できない。測定できないものを表記のしようがない。
だから、実際の距離に関係なく日数・月数・年数で書かれている。
しかも、船の場合は、状況と天候と場所よって航行距離も速度も万別。
文字通りアバウト表記だが、それしか方法がなかった時代の話であることを認識せよ。
(極端な例をいえば、風待ち・潮待ちで正午に出港して夕刻に到着しても、
舟士たちにとっては1日航海。これが千里または1日単位で表記されることになる)。
1航海は千里・1日航海は千里。そうやって書かれた日数や里数を
「1日何里だ」と船の航行速度や実際の距離に換算するのは愚の骨頂。
すでに、解釈の仕方を間違っていると断言できる。

古代人の造形能力と模写能力をそのまま信じた上で、
「野生号」などいう非現実的な船を復元して上に、さらに、
専門の船乗りでもない学生アルバイトの集まりに漕がせた実験などやるほうがどうかしてるし、
その実験結果を鵜呑み孫引きして、こういうところで垂れる神経もどうかしてる。

というのが、天才の天才的な論考による確かな結論であるぞ。
281怒濤の天才:2012/01/17(火) 10:17:36.90
魏の使節団は、国家の威信と誇りをかけた
最新の「帆つき・櫂つき」の大型楼船でやってきている。

倭人の手漕ぎ倭舟とは、すべての面において比較にならないことも
認識しなければならない。
28219歳某国立大生:2012/01/17(火) 10:27:13.97
よくみたら旗色悪くなって逃げ出した伊作の爺さんが
さりげなく戻ってるじゃないかww
ほんと僕の予想通り、少し期間おいて間をおいて
何事もなかったかのようにでてきたなww
283怒濤の天才:2012/01/17(火) 10:27:34.07
話題はコロっと変わるが。

地形用語というものがあって、それによると、
「と」とは「高い所」という意味があるとか。

そこからみると、「やまと」のルーツがどんな場所だったか。
どんなバカでも似たようなシチュエーションを描くだろう。
はて。
古代奈良大和に「やまと」といえるような所に都があった事実はあるか?
なぬ。唐戸? 纏向ー? 盆地の底じゃなかったか?

「やまと」の語源というは発祥もまた、九州の雰囲気だわなー。
古来、神様と高貴な人は高い所に済んでいたという。
倭国王帥升が築いた王都は巨大な臺というにふさわしい台地の上。
大和盆地と地形的な相似形をした九州有明海側で、臺と呼べる台地は一つしかない。
その麓には確かに「やまと」の地名も残されている。

はい・きまり。
284日本@名無史さん:2012/01/17(火) 10:31:48.30
>>279

このレスの前半の行軍距離と里数に関する情報は非常に重要で
ありがたい。

しかし後半以降は多分人によって、解釈が変わるだろうな。
285怒濤の天才:2012/01/17(火) 10:31:57.31
>>282
外道。俺にいいたいことがあれば直対面で聞く。
ここで書いたことを俺の前でいう度胸があるなら、直対面でこい。
286怒濤の天才:2012/01/17(火) 10:35:38.18
>>284
>人によって、解釈が変わるだろうな。
人によって・都合によって・好みによって・立場によって・利害によって、
解釈と判断が変わるのが邪馬台国論の世界だ。とっつぁん
28719歳某国立大生:2012/01/17(火) 11:00:36.81
伊作の爺さんも、倭人伝の行程解釈に拘泥する馬鹿っぷりかw
そりゃそんなことしてるようじゃ僕ぬすら勝てんわけだww
288怒濤の天才:2012/01/17(火) 11:03:37.27
>>287
問答無用だ。

28919歳某国立大生:2012/01/17(火) 11:37:25.11
箸墓で敗退して、次は何?ヤマトは盆地の底だから
都じゃないって?wそこまで落ちぶれちゃったのかww
唐子鍵遺跡はどう説明するつもりなのやらww
290日本@名無史さん:2012/01/17(火) 11:54:13.37
>>280,281
論拠となる文献は?
291日本@名無史さん:2012/01/17(火) 12:37:27.60
唐松山最近居ないね
292卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 12:49:36.51
神武天皇は七人いたという伝承を信じていない人が多いようだから、
それが十分信ずるに足るものだという例証を近いうちに挙げよう。

ただし高度な秘密に属するものだから、あまりネットでは公開したくない。
だから書かないかもしれない。

とにかく神武は七人いたとか、ニニギの降臨は180万年前というのは、
君らが思っているほどデタラメではないのだよ。
293怒濤の天才:2012/01/17(火) 12:49:49.37
>>290
すでに提示済み。てめえで探せ。
294怒濤の天才:2012/01/17(火) 13:04:30.10
箸墓=卑弥呼の墓説の欺瞞を崩す。

『倭人伝』の前に置かれている韓伝は、三韓の面積を方4000余里という。
これは、土地を正方形に見立てた面積数値で、
朝鮮半島の東西距離がほぼ4000里と考えて良いだろう。
『倭人伝』の場合も同じ東夷伝中の記録であり、
韓伝と同じ尺度で書かれているとみなされる。
ところが、韓伝の4000余里と
司馬懿軍陸路行軍距離の洛陽から遼東までの距離4000里とを比較すると、
同じ陸路距離でも前者は後者の数倍の数値で書かれている。

(あくまでも不確実要素を含む想定だが)
司馬懿の行軍ルートを『晋書』宣帝紀などを参考にすると、
洛陽を発ったあと司馬懿の故郷である河内郡の温県に立寄り、
邯鄲を通って現在の北京から孤竹・碣石へ回り込んで遼水に宿営したと思われる。
この陸路行軍距離4000里と朝鮮半島南部の東西距離4000余里とを比較すると、
6〜6・5倍の尺度数値で書かれている。

魏の公式尺度で1万2000里といえば、直線距離でインドネシアまで届く。
だが倭人伝編纂者は、
「倭地までの道理を机上で想定すれば会稽・東冶の東にある」と述べている。
つまり『倭人伝』編纂者自身が、『倭人伝』に用いた距離数値については、
そのような認識をしていた証拠である。
 
むろん、卑弥呼の墓の径100余歩も6〜6・5倍の尺度数値で書かれている。
これで・卑弥呼の墓は箸墓の円丘部の寸法とぴったりというタコ説の欺瞞も崩壊した。
295怒濤の天才:2012/01/17(火) 13:08:32.66
会稽・東冶の東。

これは、倭人の文身のルーツを、越を興した無余とみなした上で、
倭人の島は会稽・東冶(かつての越の領域を指す表現)の東にあると、
『倭人伝』編纂者の所感を述べたものだ。
倭国の方角説明や行程説明の文章とはまったく無関係の所に置かれている。
これを邪馬台国の方角や場所の比定材料にするのは邪道だ。

それでも、地図をみれば九州がおむね会稽といわれた紹興市の東にあたる。
厳密に見ても、東西南北と東南など8方角表記に生じる
「ズレの許容範囲」に九州が入る。これが現実だ。

↓↓これがバカにも分かる厳密な方角
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/e5/74bc954aee399f584ef36b2b1e09c092.jpg?random=34ada5e4dc83d4b8ba2999e1b18ff0db
296日本@名無史さん:2012/01/17(火) 13:20:56.11
>会稽・東冶の東。
>これは、倭人の文身のルーツを、越を興した無余とみなした上で、
>倭人の島は会稽・東冶(かつての越の領域を指す表現)の東にあると、
>『倭人伝』編纂者の所感を述べたものだ。
そうではなく、単純に女王国が郡からどのぐらい南にあるかを計算したものだろう。
女王国までは万2000里だ。そこから女王国が始まるんだよ。その大部分は南へ進んで
いるが、一部進まないところがある。朝鮮半島の南を「乍東」する部分、それと末盧国か
ら伊都国までの「東南」部分だ。それを考慮すれば、郡から南へ約1万里あたりから女王
国が始まるということになる。
郡の緯度から南に約1万里(八百キロ)の地点、それが会稽だよ。
297日本@名無史さん:2012/01/17(火) 13:31:54.26
296の続き
実際には会稽の東が屋久島の南あたりになってしまったが、それは「乍東」部分が
真東ではなく東北へあがっていたこと、狗邪韓国から末盧国までが南へ3000里
とあるが実際には東南で距離も少し短かったことなどのためだろう。
298日本@名無史さん:2012/01/17(火) 13:41:10.13
会稽からみた角度がどうこういうのは、まったく意味がないよな。
海岸に立って倭国の方を見たって倭国が見えるわけではない。
会稽から直接船で東行して倭国へ来たわけでもない。
299日本@名無史さん:2012/01/17(火) 14:06:16.16
>>292
高度な秘密w
300太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 14:31:48.36
>とにかく神武は七人いたとか

卑弥呼が数人もいたとか言う人がいますが、これと同類のもので、妄想!
301太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 14:51:05.37
>太国氏が倍年説を唱えているが、書紀は干支で書かれているのであり、
>もし古代日本に倍年があったのなら、書紀を書く際に干支に換算して書いたはずだ。だから太国氏の論は弱い。

紀は観測で月日を書いてたんではないから干支の換算はしておりしかも正確
だったと観ていい。だからといって直ちに倍暦が不合理にはならない。
欠史八代日数統計表を見れば歴然としているのが月後半が全部空日(←空年で
ない文証)であることで倍暦の証でありしかも空日にも干支を当ててれば八代間の
記事の日数字は倍暦を拒絶できない。この空日が貴殿のいう当時の天皇が万年
生きたとかいうことと神武らが各数人もいたという説を退ける。

>古田氏は倭人伝の記述に、倭人は暦を知らず、春耕と秋穫で歳を計ると書かれているのを根拠に倍年説を唱えたが、
>これも実にいいかげんな説で、太国氏の説もこれに類するものである。

春耕秋収というのは九州のことを言ってるものでこの文だけではでは二倍暦の証
には不充分だが、いずれにせよこの文は畿内朝廷の暦のことの話ではない、
貴殿の言い分は当時の日本の畿内と九州をひとまとめにひっくるめて暦を論じ
ていることで、これでは盲点の倍暦の存在を誤判断で葬ることになる。
当時の支配はおおむね2極であるから、これを一緒くたにして畿内九州も同じ
暦法の考えで論じるのは間違いである。当時は畿内と九州とは別国、ならびに
別暦法だったということを思い知らねばならない。
302ローガン:2012/01/17(火) 15:25:11.83
>>277
>混一地図は朝鮮で造られた地図だ。中国人がつくったものではない。古代中国人の認識とはまったく関係がない。

まあ、そらそうだけど。古今華夷区域総要圖とかあるからねえ…
http://pub.ne.jp/luckfield/image/user/1256242419.gif
303日本@名無史さん:2012/01/17(火) 15:53:37.50
スペースの都合
304日本@名無史さん:2012/01/17(火) 15:57:18.35
邪馬台国はともかく、SDN48ついて議論しようぜ。
305日本@名無史さん:2012/01/17(火) 16:13:09.85
>>302
>古今華夷区域総要圖とかあるからねえ…
混一地図とはまったくちがうようだな。
306日本@名無史さん:2012/01/17(火) 16:25:42.80
まだ混一地図のことを言ってる奴がいるのかね

そいつは倭人伝の記事の冒頭、ちゃんと読め
「倭人は帯方の東南・・・」ってちゃんと実際通り「東南」と書いてるだろ
従って、混一地図は3世紀の中国人の認識とは全然関係なし
この議論は2度とするなよ

その地図ならどう見ても、日本は帯方の真南に描かれているだろが!
あれが「東南」に見えるのか???
307日本@名無史さん:2012/01/17(火) 16:42:30.21
倭人伝では礼儀、しきたりを重んじる秩序ある倭人社会が描写されている
日本人は海外の正式な外交使節を人手の加わってない道を通すようなことはしない
石畳を敷設する土木技術がなくとも、草を刈り平坦にし、通行しやすいようにして迎える
「草木茂盛、行不見前人」は正使ではなく調査に行った者の情報である
わざわざここでこれを書き、戸数も書き、官名、一大國からの方位を記さないことで
一大国から一番近い倭地の港は、一大国島民が市に出かける末盧國の港(呼子付近)があるが
正使は、そこから東南に伸びる整備されてない陸路は使わず、一大国から伊都國に直接船で行く
ことを表現している
308日本@名無史さん:2012/01/17(火) 16:45:18.95
無理しない方がいいよ。
309怒濤の天才:2012/01/17(火) 16:46:27.12
>>296
>単純に女王国が郡からどのぐらい南にあるかを計算したものだろう。
俺は、文章構成の事実から述べているが。
文章構成とか文節とか。意味わかるか?

>乍東」部分が 真東ではなく東北へあがっていたこと、
>狗邪韓国から末盧国までが南へ3000里 とあるが
>実際には東南で距離も少し短かったことなどのためだろう。
自分でナニをいってるのか自分でわかってやってるのか。

>>298
>会稽からみた角度がどうこういうのは、まったく意味がないよな。
角度じゃねーよ・方角だ。この野郎

>海岸に立って倭国の方を見たって倭国が見えるわけではない。
だから何だというんだ。

>会稽から直接船で東行して倭国へ来たわけでもない。
編纂者の机上所感だといってるが。
否定したいなら否定意見らしいことを書け。タコ
310怒濤の天才:2012/01/17(火) 16:51:45.95
>>307
使い古された一つで、見え透いた方便だ。しかも程度が低い。
「一大国から伊都國に直接船で行くことを表現している」と、
文章の読み方について述べているつもりなのだろうが、
文章に関しての言及はなく、
「東南に伸びる整備されてない陸路は使わず」と、
勝手な決めつけを「論拠」にしている。わらわら

どんな思考構造してるんだこいつ。
311日本@名無史さん:2012/01/17(火) 16:55:01.91
>文章構成とか文節とか。意味わかるか?
我流であれこれ言われてもなあ・・・

>自分でナニをいってるのか自分でわかってやってるのか。
理解できないのかな? たいていの人は理解できるはずだが。

>編纂者の机上所感だといってるが。
根拠がなければ所感も何もありはしない。

312日本@名無史さん:2012/01/17(火) 18:33:03.61
どうとでも解釈可能な記述に対して、この解釈以外あり得な〜い!!なんて吠えられてもなぁ
313卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 18:47:10.48
>>301
太国氏よ、あなたは、まず次のことを証明しなければいけない。

1 中国の暦法が伝わる以前から日本に暦法があった。
2 倭人伝当時の畿内と九州は別国であり、別の暦が使われていた。

まあ、2はどうでもいい。1を証明しなければならないよ。
仮にそういうことを研究した学者がいるにしても、まさか倍年暦法だったなどとは言っていないと思う。
314太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 19:06:49.27
>>313



神皇紀

 人皇第一代 神武天皇元年

 太陰暦を【太陽暦】に改め、

 30日を一月とし、十月を1年と定め給う。



畿内と九州が別国ならば、同じというのは考えにくいでしょうが。
神武が九州にいた当時は通常の暦法をやってたんですよ。それが神武東征
して即位により太陰暦を太陽暦にいったん改めたということです、それが
再びある日あるときおそらくは太陰暦に戻したことは言えます。それが
いつかは記紀の内容だけではここんところは不明ですが、神武の暦法改変
により太陽暦を兼ねてか3倍年暦で神武の代の暦を編んでたということ
です。そうなりますと、九州で神武のころ通常暦をやってたとなれば
九州と神武の関係は0じゃないが希釈されており、別暦法と観て可です。

なお3倍年暦は神武紀の即位から崩御日までの記述が1月〜4月までしか
なく、神武当時の1年はこの4ヶ月だったということでして、ここから
当時3倍年暦を行使してたと観てよろしいです。つまり神武の代の1年
とは現今の暦の4ヶ月分だったということですね。
315卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 19:08:32.00
Wikiで葛城襲津彦を調べると、神功紀5年から仁徳紀41年まで登場している。
205年から353年だ。しかも205年に生まれたわけではなく、353年に死んだわけでもない。
だから約200年近く生きていたことになる。

これを荒唐無稽なことだと考えずに、意味あることと見なして考察すると、
葛城襲津彦の子孫は葛城襲津彦と名乗ったと考えるのが合理的だ。
芸能の世界でも襲名という制度がある。それに似ている。

倍年では説明できない。200年近く生きたということは、3倍年説を唱えるしかないだろう。
316太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 19:19:25.88
>>315
それは荒唐無稽のなんらかの間違いですよ。それは倍暦の関係で120年
などとかの年代断層があったことからの、記述者の倍暦未知からの
そういう葛城醜津彦の物語になったと観ていいでしょう。
その似た事例として神功の代に紀が卑弥呼の記事を間違いで載せたのと
同様だと思いますし、大成経にも確か日本姫だったか、同じように
べらぼうに長生きしての記載になってますも、これも同様でしょう。

まぁ〜日本の場合は
サンジェルマン伯爵のようなことを肯定しないで、考察したほうが
安全です。
317卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 19:39:02.93
>>316
太国氏がサンジェルマン伯爵を知っているとは意外だったww

それはさておき私は日本書紀も所蔵していないので、
>30日を一月とし、十月を1年と定め給う。
というような記述があるとは知らなかった。

しかし書紀の編纂者がそれを知っていたのなら、計算をし直して編年を出したはずで、
やはり書紀の紀年を正当とすべきではあるまいか。

武内宿禰は特例だが、それ以外の人物は普通の寿命だったと考えるべきで、
やはり葛城襲津彦の子孫は葛城襲津彦と名乗ったと考えるほうが合理的だと思う。
3倍年なんて、とても信じられない。
318日本@名無史さん:2012/01/17(火) 19:44:01.27
>>317
馬鹿かお前 サンジェルマンも何も太国はもともと歴史よりオカルトの人間なんだぞ
319日本@名無史さん:2012/01/17(火) 19:53:05.27
大石凝真素美と太玉太観の系譜をひく天津金木作法と数秘術 
太国は日本を代表するオカルティストだ
320怒濤の天才:2012/01/17(火) 19:57:06.66
>>311
「文章構成とか文節とか」
>我流であれこれ言われてもなあ・・・
文章の基本が分からないというわけだ。

>たいていの人は理解できるはずだが。
それを我流というのだ。

「編纂者の机上所感だといってるが」。
>根拠がなければ所感も何もありはしない。
編纂者の机上所感だと明白だが、それを根拠とは言わんのか?

へらず口叩くなくそ野郎。
321日本@名無史さん:2012/01/17(火) 20:03:01.96
>>320
あなたもかなり変な読み方をしてますよ
そのために生じた矛盾を妄想で補ってる
322日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:08:06.65
會稽、東治の東に大国がないことは知識人にはわかっている
だから書いている
それを行程説明のすぐ後ろにもってくると直接的に元資料を
否定することになるので、風俗のところに書いている
323日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:08:06.93
19才は邪馬台国から降りろ。以前のレスで私が批評をすると伊作氏がムコテで
自演していると言いよったな。しかしこの近くの伊作氏のレスを見れば私とは
まったく違う。伊作氏のレスには伊作氏の特徴が有り、洞察力の鋭い者はすぐ
伊作氏のレスだと解る。しかしお前は解らないらしいな。つまりお前には邪馬
台国を研究する上で極めて大切な洞察力が無いのだよ。だからもう自分の限界
を悟って降りろ。二度と来るな。来れば恥を上塗りするだけだぞ。

無限尿も降りろ。上と同じようにお前のレスを批評するとジョーカー氏がムコ
テで自演したと言ったな。しかし173のようにムコテではあるがジョーカー氏
のレスには明確な特徴が有って、お前はジョーカー氏のレスであるか否か見抜
くことはできなかったのだ。まともな洞察力は無いということだ。お前もこれ
以上邪馬台国にしがみつけば恥の上塗りになるぞ。
32419歳某国立大生:2012/01/17(火) 21:14:13.58
伊作の爺さんが今日も名無しで人格攻撃かw
降りろも何も、自分は邪馬台国が専門分野でもなんでもないから。
世界史分野のほうがメインだと言っただろ。
どうやら僕の攻撃で精神的にかなりまいってるようだなw
325日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:22:35.13
畿内ぱくり王朝
326日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:30:40.39
しかし、サンジェルマン伯爵か…出るもんが出たなって漢字だなw
ついでに、栗栖ちゃんローゼンクロイツとかもきぼんぬwwwww

32719歳某国立大生:2012/01/17(火) 21:31:22.14
ただの畿内説じゃ芸がないから、黒幕丹波王国の
畿内説でいいよw畿内説はさすがに動かせないからこうするしかない。
328www:2012/01/17(火) 21:39:58.46
>>258 ひとぶた
ふうむ風で随分違ってくるんだなあ。いや面白いサンクス。

しかしそれを倭人伝のあの表記に重ねるのはどうかと思うけどな。

そもそも北部九州から邪馬台国までどれくらいの頻度で人の往来があったのか?
交易ルートとして機能していたのか?
それが倭人からの聞き取りであった場合、その倭人自身が邪馬台国まで何回か行った事があるのか?

どうにもこうにも情報が出てきた背景が分からないと言うか…

恐らくその辺のイメージも人によって千差万別だと思う。


329日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:47:42.34
>>324
とにかく言い張ることが重要という感じだな。伊作もジョーカーもなんでもありか。
さすがに畿内説。

嘘も百回言えば本当になる、か、それとも死ぬまで嘘を突き通せば真実になる、か?
330日本@名無史さん:2012/01/17(火) 21:51:18.06
しかし無限尿とかいう馬鹿は漕ぎ手が休んでいる夜間も帆に風を受けはるか沖合いをスイスイ航行する帆船を妄想していたようだが
以外にかなりの速度が出せる帆船を想像している奴って多いんだな…

そもそも帆船自体出土例が無かったと思うし土器に描かれた線画でさえそれらしき物は無かったと思う。
知っている人間がいたら教えてくれ。

まあ仮にあったとしても「帆」と言っても現在のような帆布じゃなくて「ムシロ」のような物になるんだろうが
うっかり雨に当たれば相当に重量が増してかえって速度が落ちそうにも思うがw


33119歳某国立大生:2012/01/17(火) 21:54:49.51
丹波王国についての書き込みはあまりないなw
当時最大の鉄保有量を持ち、交易でかなり栄えてたようだが。
倭国大乱時もその軍事力を背景に、卑弥呼共立のキャスティングボードを
握り、丹波の日女命を卑弥呼に推戴したとみていいのに。
332おれおれ:2012/01/17(火) 21:57:39.74
生子 水蛭子 此子者入葦船而流去
333おれおれ:2012/01/17(火) 22:04:54.63
自波穗乘天之羅摩船而 内剥鵝皮剥 爲衣服 有歸來神
334おれおれ:2012/01/17(火) 22:08:15.03
次生神名 鳥之石楠船神 亦名謂天鳥船
335卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 22:24:26.24
丹後には大きな前方後円墳があり、竹野郡にあるから、竹野姫と関係があり、海部氏と関係があるだろう。
前方後円墳は天皇家の関係者の墳墓というのが定説だから、丹後にあるのもそれだろう。

しかし日女命は卑弥呼ではないよ。時代が合わないから。
336日本@名無史さん:2012/01/17(火) 22:31:25.90
丹波王国論って、飛鳥時代あたりまで、
独自の王国があったって話か。

ヤマト王権の近くにそんな独立国があるようでは、
九州の支配は無理そうだね。

飛鳥朝も案外独立国家で、ヤマト王権とは
別の系統だったりしてね。

もっとも、ヨーロッパの王朝のように、
王族同士、嫁いで行ったり来たりしたのかもしれないけど。
337卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 22:35:00.40
ついでだから投馬国について。

吉備氏は天皇家から出ており、吉備には大きな前方後円墳があり、鞆には神功皇后の伝説があるから、
いかにも戸数五万の投馬国にふさわしく思える。
しかし鞆というのは津であり、国の名としてはやや弱い。

これに対し、但馬は天日槍の伝説地であり、天日槍は神功皇后の母方の先祖であり、
神功皇后の新羅征伐の際も日本海ルートが取られている。
中国まで知られていた国としては、むしろ但馬の方がふさわしいかもしれない。
338太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 22:50:13.55
>しかし書紀の編纂者がそれを知っていたのなら、計算をし直して編年を出したはずで

だから編纂者らはそれを知らなかったんでしょう。ですから神功紀に卑弥呼の
記事を倭人伝から引いて載せたということですね。

>3倍年なんて、とても信じられない。
2倍年暦では武内宿禰の超長寿を説明出来ませんよ。だから倍暦とは2倍
だけではなかったと観るべきです。現にバリ島は1.7倍暦ウク暦でこれは2倍
年暦とはすこし違うわけで、古代マヤのツォルキン暦など1.4倍暦でこれも
2倍暦とはちょっと違うわけです。ということは、どうやら古代日本では
2倍年暦のほかにn≠2での倍年暦法が存在したということを武内宿禰の
超長寿が物語っているのだと観て可です。当時は3倍年暦があったんですよ。

事実古代エジプトでは倍暦ではないがナイル河の関係からか3季暦を行使
しており、古代マヤの G文字暦 は準3倍年暦と観られます。実際現今も
そうでしょうが、小中高の学生も1年3学期制の筈です。こういうことが
行われているということは、3倍暦の存在を否定出来ないと解するべき
です。
339卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/17(火) 23:00:30.50
>>338
十月を一年とする、と書いてあるということは、書紀の編纂者は知っていたということですよ。
それに、十月を一年とすると書いてある以上、四カ月を一年としたということはありえない。

それから、武内宿禰は実際に超長寿だったわけで、あれは嘘ではありません。
サンジェルマンやローゼンクロイツの例が証明しています。

あなたの書いている二倍歴とか三倍歴というのはトンデモ学者の説でしょう。
340太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 23:10:45.09
>>339
>四カ月を一年としたということはありえない

神武と次代以降の八代とは倍暦でも行使方法が違いますよ。
神武は1月〜4月だけで1年として暦を編んでたんですよ。
ところが八代では2倍年暦と兼ねて1ヶ月を10日間での上旬のみとし、
1ヶ月が30日なかったんです。

だから八代の天皇は全員が1日〜10日の間に死んでいます。こういうこと
は自殺他殺ではやれましょうが、突然やって来る死が連続して8回も継続
するということの確率は極めて0に近いわけで、これは八代間での1ヶ月
が10日間しかなかったということ〜言い換えれば3倍年暦を行使して
いたということです。

神武は月で3倍暦を〜八代間は日で3倍暦を行使していたということです。
341太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 23:15:10.30
>あなたの書いている二倍歴とか三倍歴というのはトンデモ学者の説でしょう。

倍暦をトンデモだと言う方はその経験がないからでしょうと言い
たいところ、貴方もミニ2倍暦を行使してるはずですよ。

貴方の時計の扱い方は12時間制と24時間制の併用でしょうが。
つまり昼の1時は13時ですよ。これはミニの2倍暦です。
342太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/17(火) 23:28:29.96
>それはさておき私は日本書紀も所蔵していないので、
>>30日を一月とし、十月を1年と定め給う。
>というような記述があるとは知らなかった。

神皇紀というのは神功紀(日本書紀の神功の条)のことではないですよ。
別の古文献です。
343日本@名無史さん:2012/01/17(火) 23:46:43.15
筵ってw 原始人をイメージしてしまう 倭綿を織る技術があるんだから
油を塗るなり雨に対する工夫はするだろー
344日本@名無史さん:2012/01/18(水) 00:11:49.33
前スレ >672 (住人の皆様)スマンまだあった。
> 俺が根拠をあげて推測したことから張った推論に対しこう言っている。
> >もっともらしい理由を(夢幻如のように)いろいろと架空することはできるが、根拠のないことは言えない。
> 要するに「俺の上げたものは根拠にならない、自分は根拠ないことは言わない」と言ったわけよ。

「根拠をあげて推測したことから張った推論」ということは、推論のもとは推測ということだろ。
推測は根拠にならないとする立場からすれば、「俺の上げたものは根拠にならない」のは当然だろ。

> >奴国以降の記述は実際に邪馬台国まで行った魏使の記録にもとづくものだと考える。
> これは実際に邪馬台国まで魏使が行ったと明記してある文献でも出しての主張か?
> そうじゃない。
> 魏使が邪馬台国まで行ったと証明できる根拠などなく、

「実際に邪馬台国まで魏使が行ったと明記してある文献」があったら、それは“根拠”ではなく“証拠”だろ。
「証明できる根拠」・・・ってなに? ・・・だからそれは“証拠”だろ。
夢幻如の説は「証明できる根拠」にもとづいているとでも? 夢幻如の説は「推測したことから張った推論」だろ。

> ただその原文を見て「自分はそう思う」というだけだ。
> つまり俺が何かを根拠に推論を張るのと同じことをやってるに過ぎない。

「根拠となる事実をもとにする推測」と「推測したことから張った推論」は全然違うだろ。
345日本@名無史さん:2012/01/18(水) 00:12:08.85
前スレ >672
> >複数のソースを編者がツギハギしてまとめたものと考える
> これは根拠があることなのだろうか?

根拠は伊都国までと奴国以降の内容・書き方が変わるという事実だ。

> だが複数ソースを証明できる根拠など、当たり前だが存在しない。

「証明できる根拠」など、当たり前だが存在しない。それは“証拠”だ。“根拠”とは推測のもととなる事実だ。

> こいつが挙げる根拠は「それを見て自分はこう思った」だけ。

正確には、自分の根拠=事実を示す資料・史料、自分の行為=根拠となる事実をもとに自分はこう推測する、だ。

「それを見て自分はこう思った」を根拠に、さらになにかを推論するのが夢幻如だ。
つまり上記は次のように言い換えることができ、・・<夢幻如が挙げる根拠は「それを見て自分はこう思った」だけ。>
無意識のうちに自分で自分のことを言っているわけだ。
346日本@名無史さん:2012/01/18(水) 02:06:49.88
レス助かります。日本海ルート論者です。

>>275
>近畿への入り口は、福井県小浜市だったと考えています。
持論が無ければ大いに賛同してる所です…
まずは。出雲を挟んで水行20日と10日。比率は2:1と…さすがに若狭は遠い(涙)。
まあ持論は丹波ですが…(2:1なら因幡?)
あと。
越に近すぎるのが持論では今ひとつ。
折角回ってきた王権維持の為に、
まずは大和中心の主要港路作りをした筈で
日本海ルートは一旦分断したと考えます。
瀬戸内・東海中心の世作りと言うか。

>私は、和邇氏・安曇氏に注目しています。
同感です。
特に安曇氏は興味を惹かれます。金印と
の関連とか…色々考えてしまいます。
347日本@名無史さん:2012/01/18(水) 06:28:17.07
大陸から日本海を渡って若狭湾→近江と入って来たのが銅鐸文化だろうな。
同じ日本海ルートでも丹後但馬に上陸して拠点を築いた部族とはまた違う感じがする。
近江を中心とした銅鐸文化の異物の数々は人々の精神レベルの高さを感じさせてくれる。
最先端の素材で作った武器を手に血みどろの抗争を繰り返していた九州とは随分違う。
邪馬台国はヤマタノオロチ伝説に象徴されるような恐怖政治国家だっただろう。

自女王國以北、特置一大率、検察諸國畏揮之。常治伊都國、於國中有如刺史。

平和国家の趣のある関西畿内のイメージに合わない。
348:2012/01/18(水) 07:12:55.20
>>346
>出雲を挟んで水行20日と10日。比率は2:1と…さすがに若狭は遠い(涙)。

古出雲は、現米子市です。
現出雲は、日本書記の国譲り説話から、国造果成時代から造られた新都市です。
糸島〜米子〜若狭湾。 2:1の許容範囲と思います。
349:2012/01/18(水) 07:24:46.32
>>347
>同じ日本海ルートでも丹後但馬に上陸して拠点を築いた部族とはまた違う感じがする。

中国地方、北陸地方から出土する四隅突出墳がありますが、若狭湾を避けている様です。
若狭湾は、和邇氏・安曇氏の異色合体コンビの勢力内だったと考えています。
日本海ルートは和邇氏・安曇が、糸魚川まで独占していた。
持論です。
350日本@名無史さん:2012/01/18(水) 08:46:01.25
>>345
>根拠は伊都国までと奴国以降の内容・書き方が変わるという事実だ。

だからお前は夢幻如に絶句馬鹿と罵られるんだろう。
その同じものを根拠に夢幻如は実際に行き観察できたものと行っていないものの差だとして一連だとしている。
その根拠からだけならお前のも夢幻如のも成り立つ。
それをお前は自分のものしか成り立たないというから馬鹿にされている。
絶句馬鹿と言われ頭にきて固執してるのだろうがうざいから引っ込め。
351日本@名無史さん:2012/01/18(水) 09:37:41.64
>>複数のソースを編者がツギハギしてまとめたものと考える
>根拠は伊都国までと奴国以降の内容・書き方が変わるという事実だ。
合理性のない推測だ。邪馬台国まで行ったものが2人いたとする。1人は伊都国
までしか行程を報告せず、もう1人は伊都国からしか報告しないなんてことが
あるかな?そんなことはあり得ないな。
邪馬台国へ行った者が行程の報告を書く以上、全行程について書くのが当然の
ことだ。となれば、それをそのまま引用するのが最も簡明、正確なのだから、資
料のつぎはぎなんてことはないのさ。
伊都国から里数ではなく日数になるのは正確な里数が分からなかったというだけ
のことだ。
352怒濤の天才:2012/01/18(水) 09:43:45.74
●天才の畿内説懐疑。
これまでに色んな形で提示してきた事実を、俺の掲示板にまとめて掲載した。
http://8234.teacup.com/isaq/bbs/?

@王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。
…これで、纏向遺跡が邪馬台国ではないことが決定し、卑弥呼の王宮と卑弥呼の墓(箸墓)が
隣り合わせだとすることが、考古学的・歴史学的に失策であることが判明した。
A洛陽の尚方では絶対につくられない呉式「神獣鏡」に魏の年代が刻まれているという不条理。
…これで、三角縁神獣鏡は魏が卑弥呼のために特注した鏡だという考古学的所見が
フライングかギミックだということがが判明した。
B銅鐸・環頭太刀をはじめ建造物などには大型化へ向かう段階的ステップがある。
大きくて2〜30メートルの墳丘墓を造っていた弥生時代の終りに、
その10倍もの飛び抜けて大きな墓をつくることはない。
…これで、箸墓古墳の築造年代操作の行き過ぎが判明した。
C唐戸・鍵遺跡は初瀬川沿いにあって、当時の湖か湿地帯の際(初瀬川河口)に位置する。
弥生時代中期に周辺の3つの集落を統合して大環濠集落の形をとり、楼閣や大型建造物が登場する。
弥生時代中期末の洪水で環濠の大半は埋没するが再開発される。ほぼ全国の土器が出土する。
唐戸・鍵遺跡が生活色に溢れていることからも、奈良盆地開拓を担った前線集落だった。
ところが、纏向に祭祀を中心とした集落が登場する以前の弥生中期に、
計画的・組織的に労働民を集めて奈良盆地を開拓させた権力・勢力が
(銅鐸の出土例少ない過疎地帯の)奈良盆地にあった形跡はない。
…これで、外部からの政治力と権力が弥生中期の奈良盆地に介入していたことが判明したと同時に、
「外部の力はどこに存在したのか」という問題が浮き彫りになった。
D奈良盆地の湿地帯開拓には3つの必要条件がある
・沼沢開拓の経験と技術があること。
・水利土木の知識と技術があること。
・鉄製の鋤先をつけた鋤を使用すること。(木製の鋤では湿った土は効率よく掘れない)。
弥生時代の鉄器製造の中心は九州だったし、佐賀平野と筑後川河口部の広大な沼沢を開拓した
経験と技術があるのは九州の倭人である。
…これで、奈良盆地の開拓に九州倭人が強く関与していたことが判明した。
353怒濤の天才:2012/01/18(水) 09:44:44.09
●天才の畿内説懐疑。つづき。
E『三国志』東夷伝の距離数値は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。
…これで、卑弥呼の墓の径100余歩を魏の公式尺度に換算すれば径20歩足らずであることが判明し、
箸墓の円丘の寸法だけをみても的外れであることが判明した。
同時に、陸路の行程距離をそのまま魏の公式尺度に換算することの誤りが判明した。
F実測が不可能な海路距離は「1航海1000里」「1日航海1000」で、1000里単位か日数単位で表記した。
…これで、帯方郡から末盧国までの1万里が、陸路距離とはまったく無縁の数値であることが判明した。
G古代中国における地理情報は軍事情報に位置づけられる
。中国にとっての倭人と倭地の調査は、民俗学的・地理学的発見でもある。
皇帝の命令を受けて初訪問・初調査で倭国に来た中国の役人が、
倭国王の都に至る「方角・日程・行程・距離」が不明な報告をすることは絶対にない。
倭国王の都に至る「方角・日程・行程・距離」のうち、どれかが・どこかで不明になる読みはすべて間違いである。
…これで、行程記事の順次読みも放射読みも間違いであることが判明した。
H卑弥呼の鬼道については張魯と同じ「鬼道」としていることや、
鏡と剣を重要な神宝・呪具とする様式からみて、天師道か太平道だったと思われる。
張魯の天師道とこれと根を一つにする張角の太平道は190年代に中国本土で盛んになっている。
卑弥呼が女王になったのは同じく190年前後である。
その彼女は、女王になる時点ではすでに鬼道を修得していたという。
時間的・空間的にみて、彼女が倭地で鬼道をマスターした可能性はない。
また、中国発祥の森羅万象の哲学ともいえる黄老学を基礎とする道学を修得するには、
高度な中国語の素養と多岐にわたる知識・見識を必要とする。
必然の道理として、生粋の土着倭人には伝授も修得も不可能である。
…これで、卑弥呼は大陸で鬼道をマスターした女性である可能性が濃厚になった。
I倭人と倭国支配層の民族的特徴は、「文身をする・お歯黒をする・文字をもたない」である。
…これで、倭国支配層が西(呉越の地)から九州を経て畿内にきた非漢民族である事実が判明した。
354卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 09:45:08.99
例によって話の流れとは全然関係ないことを書かせてもらう。

大倭というと大和あるいは日本と思いがちだが(実際そういう使用例が多いことは確かだが)、
実は、意外にも、大和にオオヤマトという地名があったようである。

和名抄によると大和国城下郡に於保夜末止(オホヤマト)という郷があったようである。

とすると海部氏系図などに大倭姫、一名倭姫とあるような女性はオホヤマト出身の女性とも考えられるのである、
当時の女性名は、固有名ではなく、たいていは出身地名だから。
355怒濤の天才:2012/01/18(水) 09:45:51.25

以上、(一部は北部九州説にも該当するが)邪馬台国畿内説の問題となる事実を提示した。
多くは、私独自の史観と着眼による指摘である。
この10項目の「一つ一つすべて」を論理的に否定しきった人はただの一人もいない。
356怒濤の天才:2012/01/18(水) 09:48:24.61
巷間の匿名の議論の場では、出された意見に対する意見や正当な反論ではなく、
意見を出した人間に対する不当な人格攻撃や誹謗・中傷が必ずみられる。
私の実体験として、これにまともに対応しては泥仕合を演じることになる。

こうした現象は畿内説を支持するアマチュアに多く、
中には古代の真相究明などそっちのけで、人格攻撃や誹謗・中傷を専らとする者もいる。
史実検証は純粋かつ崇高な行為のはずなのだが、
実際のところ、邪馬台国論の底辺は極めて醜いといわざるを得ない。

このように、21世紀になって久しい現在も、
わが日本の古代史は冷静かつ客観的な史観によらず、
矮小なエゴに支配された感情的古代史論によって翻弄され続けている。
私が見てきた邪馬台国論争の場はいま、
誹謗合戦と、底の浅い断片的衒学広場としての側面だけが膨らむ傾向にある。
357日本@名無史さん:2012/01/18(水) 09:50:21.60
箸墓の年代操作をちょっとやり過ぎた事については当事者たちが一番痛感しているよ。
358日本@名無史さん:2012/01/18(水) 09:57:42.27
>>345
>「それを見て自分はこう思った」を根拠に、さらになにかを推論するのが夢幻如だ。

夢幻如の推論内容の当否や是非はともかくとして一つの推論からさらに推論を伸ばすことは当然のことで不合理と否定できることではない。
九州説も畿内説も多かれ少なかれこの推論伸長で成り立っている。
夢幻如憎しだけの無駄な話はやめてくれ。
359日本@名無史さん:2012/01/18(水) 09:57:44.96
>倭国王の都に至る「方角・日程・行程・距離」が不明な報告をすることは絶対にない。
>倭国王の都に至る「方角・日程・行程・距離」のうち、どれかが・どこかで不明になる読みはすべて間違いである。
>…これで、行程記事の順次読みも放射読みも間違いであることが判明した。
距離(里数)が分かれば日数は自ずから分かることだ。
里数がはっきりしないときは、次善の策として日数を記すことになるだろう。

360怒濤の天才:2012/01/18(水) 10:10:14.36
>>357
これで、
畿内説者たちが、手段を選ばずあら誹謗やでっちあげや見え見えのウソをついてまで、
私に照準を絞って攻撃する理由が明白になったはずだ。
361日本@名無史さん:2012/01/18(水) 10:16:51.17
>>357
あれは「ちょっと」などというレベルじゃないように思うぞ。
362怒濤の天才:2012/01/18(水) 10:23:09.64
>>359
>距離(里数)が分かれば日数は自ずから分かることだ。
へ理屈だな。

>里数がはっきりしないときは、次善の策として日数を記すことになるだろう。
500里・100は分かっても、かんじんの女王国までの距離は不明てか。タコ
ただのへ理屈じゃないか。

お前が社長命令で初めての海外取引先に出張して、
行程・日程・場所・旅費などを曖昧にまたは虚偽に報告するか。
こういう質問を何人にもしたが、誰一人としてまともに回答したものはいない。
時は、武力による絶対専制時代だ。
神格化された天子からの絶対命令を受けて、
その代理としてトップ外交の遂行を命じられた役人が、
肝心の倭国王の都まで、何んだか意味不明の行程記録を提出するか。

しかも、魏の東方調査は、漢朝の西方調査に匹敵する文化事業だ。
東夷伝序文がそうした自負をうたっているんだぜ。
どこに「記録がいい加減だ」とする歴史的・現実的・常識的根拠があるか。
あるならば出してみろ。クソ野郎
36319歳某国立大生:2012/01/18(水) 10:25:30.95
伊作の爺さんよ、箸墓のネタをまたぶり返すのか。
また旗色悪くなって逃げ出すんじゃないだろうな?w
あれは土器編年通り3世紀後半の280〜290年頃に作られたもので間違いない。
最古の前方後円墳だと言っただろうに。
築造期間も卑弥呼の死後長くかかっただけの話だ。
364日本@名無史さん:2012/01/18(水) 10:28:24.74
>>345
夢幻如さんはスレ全員から嫌われ否定されているから、自分は支持されると思っているんじゃないかな。
そう思っているなら間違いですよ。私は夢幻如さんの話からいくつも納得できたことがありす。
わかりやすく論理的に話していることを認める人もいるはずです。
自演とか底が浅いと言われてももう気にしません。私の底が浅いのは本当ですしw
天才さんもちゃんと夢幻如と向き合ったらどうでしょうか?
お互い誹謗中傷なし、罵倒なしでやると約束してやれないことはないと思いますけど。
365怒濤の天才:2012/01/18(水) 10:37:47.47
>>364
>天才さんもちゃんと夢幻如と向き合ったらどうでしょうか?

向き合えるものかどうか。これをじっくり検討してからにしろ。
http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/93c5ec5d3a97a19b698c4e1fd6342eda

ここの連中の行程読みはガキの騙し合いにすぎん。
だから、俺は行程議論には参加しないのだ。

中国語というものは、語順が重要な意味をもつ。
語順が違えば意味もちがってくる。
倭人伝の行程記録は、語順を変えることで「読み分け」を要求している。
それをバカづらさげて棒読み(続け読み)だ・放射読みだとか。
でたらめだとかという奴と、議論できるレベルかどうか確認しろ。無礼だぞ
366日本@名無史さん:2012/01/18(水) 10:38:59.34
無限が頭がよく切れるのは確かでそれは認める。
相手にしたら厄介な野郎だよ。
だから伊作も避けているのさ。
36719歳某国立大生:2012/01/18(水) 10:41:42.29
伊作の爺さんももう負けるから僕とやりあうのを避けるかww
まあいい、ちょっと忙しいからこのへんで。
368怒濤の天才:2012/01/18(水) 10:48:28.55
>>366
>だから伊作も避けているのさ。

ペラペラとよくしゃべる夜郎自大のことか。
「現実と常識でどうこう」といっていたが、
俺がここに提示したような現実論・常識論・しきたり論といった
正論を受け付ける相手ではないとみた。

俺も夜郎自大も、てめえらのように自分を安全地帯において
無責任にヤジるだけのクソとは違うことは事実だ。
369日本@名無史さん:2012/01/18(水) 11:38:43.90
>役人が、肝心の倭国王の都まで、何んだか意味不明の行程記録を提出するか。
何も意味不明ではないぞ。きちんと書かれている。
これまでは、書かれているのとちがった所へ行かせたくてまともに読んでいない
だけだ。

370日本@名無史さん:2012/01/18(水) 11:45:24.11
>>368
うん、俺は安全地帯からの傍観者だよんw
無限が受けつけるかつけないかはわからない。たぶんだけど受けるよ。
野郎の自信満々さは虚勢ではないと思うぞ。それに今まで無限から伊作を回避したことはないだろ?
面白いからやってみろよw
371唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/18(水) 11:55:16.24
魏明帝青龍元年 ?次:癸丑 生肖:牛 西元233年2月27日(星期三)起
魏明帝青龍2年 ?次:甲寅 生肖:虎 西元234年2月16日(星期日)起
魏明帝青龍3年 ?次:乙卯 生肖:兔 西元235年2月6日(星期五)起
魏明帝青龍4年 ?次:丙辰 生肖:龍 西元236年1月26日(星期二)起

書記はこれらの“朔”を基準とした太陰暦で書かれている。
だから、西暦に直しただけで、日付は分散する。
よって、日付の偏りは“倍暦”の根拠とはなりえない。
372日本@名無史さん:2012/01/18(水) 11:57:29.33
>これは、倭人の文身のルーツを、越を興した無余とみなした上で、
>倭人の島は会稽・東冶(かつての越の領域を指す表現)の東にあると、
>『倭人伝』編纂者の所感を述べたものだ。
倭人の文身のルーツがどこかという問題と倭人の島がどこにあるかという
問題はまったく関係がない。出身国と似たり寄ったりの緯度に国をつくる
とは限らんからなあ。天才は他人の駄説を攻撃するときは、鋭いことを言
うが自分の説の不合理さには気がつかんらしい。
373日本@名無史さん:2012/01/18(水) 11:58:44.63
妄想を根拠にした相手とのディベートなんてやりたくねえなあ。
永久に負けを認めないのわかりきってるやん。

無視しとくのが正解。

無限に妄想を投げ続けるだけで、言葉のキャッチボールにもならねえ。
あ、だから「夢幻如」なのかね。
374日本@名無史さん:2012/01/18(水) 12:25:50.10
>>352
C
>「外部の力はどこに存在したのか」
近江からの遷都ですよ
さざなみの近江
つぎのう山背
あをによし奈良
ざわざわしてきた近江を捨て、次の山背、我らにふさわしい奈良

オオヤマトが奈良ならヤマトはそれ以前の二ヶ所のうちのどちらかでしょうね
375卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 12:32:35.52
おや、唐松氏は生きていたのか。安心したww

>神武は月で3倍暦を〜八代間は日で3倍暦を行使していたということです。
>神皇紀というのは神功紀(日本書紀の神功の条)のことではないですよ。 別の古文献です。

太国さん、そんな説やそんな文献は誰も信用しない。
376卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 12:42:47.50
襲名という習慣は、芸能の分野だけでなく、一般にも行われている。
英語圏では、たとえばサミー・デイビスの息子をサミー・デイビスJrとする。親の名前をそのまま継承している。

モモソ姫は孝元天皇の妹で、崇神紀に死去している。ざっと200年ほど生きている計算になる。
これを荒唐無稽と考えず、意味あるものと見なすと、モモソ姫の子孫もしくは後継者はすべてモモソ姫と名乗ったのだと思われる。
377日本@名無史さん:2012/01/18(水) 12:58:19.89
まだやってんの?もうね、邪馬台国は九州内だと決定している
後は九州の「どこ?」かで論争するべきだよ
378日本@名無史さん:2012/01/18(水) 13:08:38.23
>>377
その通り。
379怒濤の天才:2012/01/18(水) 13:09:17.08
>>369
「役人が、肝心の倭国王の都まで、何んだか意味不明の行程記録を提出するか」。

>何も意味不明ではないぞ。きちんと書かれている。
たははー。
「きちんと書かれている」という意味だが、そんなことも読み取れないか。
380怒濤の天才:2012/01/18(水) 13:10:11.80
>>370
ヤジ馬を楽しませる趣味などない。
381日本@名無史さん:2012/01/18(水) 13:17:40.89
>>373
九州説、畿内説も妄想=推測で構築された面があるただの仮説じゃないですか。
決定的なものがないから結論がいつまでたっても出ないわけです
私ははっきりと九州でも畿内でもないと思うようになりました
自分が信じない仮説を妄想と決めつけるのは間違っています。
382怒濤の天才:2012/01/18(水) 14:26:36.63
>>381
お前がいっていることの矛盾を分かりやすくしてやった。

>私ははっきりと九州でも畿内でもないと思うようになりました。
>自分が信じない仮説を妄想と決めつけるのは間違っています。
>九州説、畿内説も妄想=推測で構築された面があるただの仮説じゃないですか。

お前自身が、自分の信じない仮説を妄想と決めつけてるが・な。
383日本@名無史さん:2012/01/18(水) 14:29:05.54
>>381

妄想は東北説でしょ。
畿内説は、今さら畿内説を引込めると学者の沽券に係わるから
詐欺で誤魔化しているだけのインチキ説でしょ。
384日本@名無史さん:2012/01/18(水) 14:48:06.31
もう捏造がにっちもさっちもいかなくなってる畿内説の断末魔。
それを眺めてるのも面白いといえば面白い。
385日本@名無史さん:2012/01/18(水) 14:57:04.07
>>382
違いますよ。
夢幻如さんは科学は仮説→立証→検証だと説明してくれました
九州説畿内説とも立証さえまだされていないんです
いまだに仮説でしかないんです
その仮説を信じる人が他の仮説を否定するのはいいんですが同じ仮説であるのにただ妄想だと否定するのは間違いです
お互い妄想=推測が多分に入っているんですからね
否定するなら「妄想だ」ではなく理由をあげてこの点がおかしいと指摘するべきです
畿内説の人の九州説否定、九州説の人の畿内説否定とも説得力があります
でも相手を否定するほど自説証明には説得力がありません
どっちかなと思うところに夢幻如さんで、どっちでもないというのに「なるほど」なんです
東北説を支持するんじゃなく畿内でも九州でもないことに賛成なんです。
386日本@名無史さん:2012/01/18(水) 15:01:44.62
九州説の奴らは伊作が自説以外の九州説を全部否定してるのを理解してるのだろうか?
387日本@名無史さん:2012/01/18(水) 16:01:40.03
>>386
理解しとりますばい
388ローガン:2012/01/18(水) 16:03:24.54
>>385
横失礼。

>夢幻如さんは科学は仮説→立証→検証だと説明してくれました

その説明したという彼のレスには、仮説の根拠が一切無いんだが。一方、伊作氏は持論の元となったソースをくどいぐらいに提示している。
こんな所で議論になるのは、その提示されたソースの扱い方の是非でしょう?
だから、夢幻には、自身の推論を述べる際、ソースとして使った史料を提示しなさいと諭している。
しかし、襟を正すどころかそれを彼は「史料馬鹿」という。だいたい、史料等に立脚しないものなど、論でもなんでも無い。幼児のだだコネに同じ。

389日本@名無史さん:2012/01/18(水) 16:09:23.17
ダダとは三面怪獣のこと
390日本@名無史さん:2012/01/18(水) 16:29:02.24
ダダ星人っていたよな
391怒濤の天才:2012/01/18(水) 17:02:15.14
>>385
>畿内でも九州でもないことに賛成なんです。
自分の意見を主張するのは自由だが、何を考え違いしたものやら、
自分の意見を正しいというために他者・他説を非難するのが多すぎる。
議論が議論にならず。ののしり合いになる原因だ。

>>388
>伊作氏は持論の元となったソースをくどいぐらいに提示している。
たったそれだけの手順と基本手法すらとらない奴ばかり。
で・大口だけは3人前たたく。

俺は論拠を提示して自論を展開しているから、
その論拠を叩くだけのものを提示すれば済む話なのだが、
それができずにただの否定文言を並べるのやら、
罵倒・誹謗・人格攻撃をする輩ばかり。

紳士的に対応しろってのが無理な相談だわな。
392怒濤の天才:2012/01/18(水) 17:17:40.11
>>386
>自説以外の九州説を全部否定してるのを理解してるのだろうか?

何度も公言していることだ。
なぜならば、純真オタクの妄想を抜きにすれば、
小細工・まやかし・不正解釈なしで成り立っている九州説は皆無・みな偽物だ。

倭人伝の行程記録の読み方は、論理的に一つしかない。
(これも論理的説明つきで何度も開示した)
その読み方を採る者は、どこに邪馬台国をもって行こうが否定しない。
これまでは「私はアホです」といわんばかりのウソ解釈ばかりだったが、
今後の研究と研究者が向かう「方向」を俺が示した。

あとは九州でただ一ヵ所、大和盆地と同じ背山臨水の地形をもつエリア内での勝負になる。
倭国王・帥升が都した山のように高い台地(臺)もそこにある。
393おれおれ:2012/01/18(水) 17:23:54.63
>>353

いさくもどきよ

Hに関してもっと云え
394日本@名無史さん:2012/01/18(水) 17:35:36.88
test
395怒濤の天才:2012/01/18(水) 17:37:18.72
>>393
論理的だろ。

これに抗するには、卑弥呼の鬼道と大陸の鬼道は無関係というしかない。
だが、卑弥呼の鬼道が倭人の土着信仰だったとする論拠は皆無だ。
で・ジレたように罵倒に走ることになる。お決まりのパターンよ。

卑弥呼・卑弥呼と熱病患者が多いから、
抜き差しならない現実を叩き付けて、頭から冷や水垂らしてやったのよ。
かんら・かんら。
396おれおれ:2012/01/18(水) 17:41:37.23
>>395
よそでもかいたけど おまいのは そざつ

もっとちからとかぬいたら

だんていとかさけたほおが うけとかよいよ
397日本@名無史さん:2012/01/18(水) 17:48:49.21
>>364
俺も夢幻如のことを嫌ってないよ
この部分は俺とは解釈が違うなーとかそれは言えるなとか思うだけ
自分と考えが違うからと錯乱して罵声を飛ばし散らしたりとかしないね
398おばんです秋田名物乳頭パイ:2012/01/18(水) 18:45:39.95
前スレ>>781 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/14(土) 06:46:57.91
>行程紹介は先遣隊じゃなく正使だと言うなら、対馬や壱岐での道草くらい説明しろや。

アク禁でしばらくご無沙汰していた。かなり日時が経ったのでもう夢幻如氏は消えてしまったのかも知れないが。

先遣調査隊論などいくつかの思いつき論が完璧に論破されて見る影もないのに本人には自覚がない。そしてあろうことか>>364のような
信者まで生んでいる。こうなったら徹底的に夢幻如氏の主張の間違いを指摘して迷妄を払わなければならない。

さて、上記のアホレスであるが、これで夢幻如氏の無知に基づく底の浅さが見てとれる。
先ず、魏の正使が対馬や壱岐を経由したのは道草であるとするのは間違いである。
当時、半島ー九州の往来には対馬や壱岐を経由するのが最も安全確実なルート、言わば正規ルートだったのである。

対馬海峡を渡るのはシロウトが考えるほど簡単なものではない。
対馬暖流は底流として北東方向に流れているが、表層流は基本的には強い北東への流れと弱い南西への流れが6時間ごとに交替する。これ
は月の引力が齎す干満の潮汐流が関わるからである。
そして更に風の作用が加わる。したがって日により、時間により潮の流れは変わる。

狗邪韓国から対馬に渡るには北東の風が適度に吹き(但し波が高くないことが必要)、北東への潮の流れが弱いときを見定めて出航する。
それで1日かけてやっと対馬に渡れる。
もし、強い西風と速い北東への潮の流れに遭遇したら船は流されて日本海を漂流することになる。(つづく)
399おばんです秋田名物乳頭パイ:2012/01/18(水) 18:47:35.03
398のつづき
対馬から壱岐も同じことである。狗邪韓国から末盧国まで一気の渡海など狂気の沙汰なのである。
皇帝の命を受けた正使は確実に任務を果たさねばならないから、半島南岸から一気に九州へ渡るなどという危険を冒す筈がない。

魏の船には帆が装着されていたと思われるが、背後からの風でなければ速度はでないし、風向きは午前と午後で変わるのが通常であるから、
1日のうちでも条件のよい時間は限られる。1日10時間の航行で時速15kmとすれば・・など机上の空論である。
私の話が嘘だと思うなら海上保安庁の海洋情報部に聞いてみるがよい。

こういう訳だから、正使は当然のルートである対馬と壱岐を経由して来た。
対馬や壱岐の観察記事の件であるが、これは潮待ち、風待ちの期間中に見聞したことであろう。
もっとも、わざわざ時間をかけて調査したとも考えられる。
初めての魏の使者であるから、何もせずに一目散に卑弥呼の元へ急いで詔書、印綬、下賜品を届けてそそくさと帰国するような子供の使いみたいな
ことをする筈はない。
400日本@名無史さん:2012/01/18(水) 19:26:20.69
見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作  の過去に散々ろんぱーされたネタを再生して書いているようだがw

>@王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。

根拠なし。
と言うか古代の中国や後代の日本の初の条坊制が布かれた都市から妄想したとて
そんなものが3世紀の日本にあった根拠になる筈も無い
単にこの馬鹿 森村伊作 の『 脳内オレサマ設定 』

>A洛陽の尚方では絶対につくられない呉式「神獣鏡」に魏の年代が刻まれているという不条理。

根拠なし。
そもそも所謂「呉鏡」と言うのは「呉地」で作られた鏡と言うことであって
三国時代に魏と敵対した呉で作られた鏡という意味ではない。
神獣鏡自体は2世紀には既に出現しているがじゃあそれは呉鏡といわないのか?と言う話になる。

>B銅鐸・環頭太刀をはじめ建造物などには大型化へ向かう段階的ステップがある。

「段階的ステップ」と言いながらそれを説明できない馬鹿の戯言。
もはやこの 森村伊作 がニホンゴを理解できていないレベル。
箸墓一つを”後ろ”にまわしても他の200m超級のものが突如出現することに変わりは無い。
仮に200m超級それら全ての出現するまでに時間を空けたところで段階的(100m台の前半・後半を経て200mに達すると言うよう)な巨大化のモデルは構築できない。
「サイズの飛躍・巨大化は起きた」とするしかないのが現状だが
この馬鹿= 森村伊作 にはそれが分からない。

401日本@名無史さん:2012/01/18(水) 19:28:44.96
見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作  の戯言 その弐

>C唐戸・鍵遺跡は初瀬川沿いにあって、当時の湖か湿地帯の際(初瀬川河口)に位置する。
 ほぼ全国の土器が出土する。
 …これで、外部からの政治力と権力が弥生中期の奈良盆地に介入していたことが判明したと同時に、
 「外部の力はどこに存在したのか」という問題が浮き彫りになった。

根拠なし。
と言うかこれは2ちゃんの「老教授」の唐古鍵に外来形土器が見られることに馬鹿が飛びついてひねり出した理屈だが
全国の土器が出るのは全国から人が集まっていたのであろうということが推測されるが
それが外部勢力によって計画された物だと言うのに微塵の根拠もなし。
なんとか東遷説にもっていきたいキチガイ 森村伊作 の妄想。

まあこれで外来形土器が全体の8割9割と言うなら話は別だがw
参考)神崎遺跡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%B4%8E%E9%81%BA%E8%B7%A1
>神崎遺跡から検出された土器の実に95パーセント以上が豊川周辺の愛知県ないし天竜川以西の静岡県で発掘される土器と同じ形式であり、
>これまで確認されている関東地方にある弥生時代の遺跡の中で、これほど高い確率で東海地方系の土器が検出された遺跡は他に例が無い[35]。
>また住居の形態、土器以外に検出された銅鏃と球形土製品からも、神崎遺跡の住民は東海地方からの移住民であったことを示している。
>また住居の状況などから神崎遺跡は短期間で放棄されたと見られ、東海地方から移住して集落を形成した当時の状況がそのまま残されたと考えられる。
>このような点から、神崎遺跡は弥生時代の後期に東海地方から現在の神奈川県などへ人々が移住してきた事実を証明する格好の遺跡である[36]。

この馬鹿が外来系土器・搬入土器の意味を全く理解していないのが丸分かり。
自分の妄想に使えそうなら意味を理解することなく飛びつくのがこの 森村伊作 の毎度毎度毎度毎度・・・の黄金パターン

402卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 19:30:39.54
ヒマだから書くが、伊作氏は、卑弥呼は大陸で鬼道をマスターした女性だと言っている。
仮にそうだとして、では中国語でマスターしたのだろうか。中国語でマスターしたものが日本で通用するだろうか。

それに、その卑弥呼がなぜ熊本にやってきたのか。鬼道と熊本がどうつながるのか不明である。
熊本から鬼道習得のために派遣されていたのか。熊本と鬼道はもともと縁が深かったのか。
熊本にそういう鬼道を受け入れるような風土があったのだろうか。

卑弥呼は渡来したのではなく、朝鮮にいたのだという考えがなぜ浮かばないのか。
403太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 19:32:52.43
>>371
書記はこれらの“朔”を基準とした太陰暦で書かれている根拠とかが全然書かれて無い。
これでは駄目である。

それに在るものをこの地球上にないでは論説にはならない。た〜だ現実に
背いて抽象的否定に終始いるだけ。
これでも駄目だ。

空年を主張してその存在を相手に納得させたいなら、
まず具体的(←これが重要)に〜例えば成務年代の
どこに何年から何年までこれこれこういうことから
そこの年代が57年空白なのだという地についた解説
がなければならない。しかしオマエは今の今まで
そういう解説をしたことが0である。

つまりオマエは具体性を出すことが出来ない。それも
そうだろう。ww もともと空年というものはこの
地球上に無いからな。例外として西暦0年は別だし、
あとはオマエの妄想の便槽たる脳内だけ。pp
404日本@名無史さん:2012/01/18(水) 19:35:13.59
見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作  の戯言 その惨

>D奈良盆地の湿地帯開拓には3つの必要条件がある
 経験と技術があるのは九州の倭人である。
 …これで、奈良盆地の開拓に九州倭人が強く関与していたことが判明した。

根拠なし。
主張したければ九州の事例と大和の事例を具体的に挙げ
その二つに共通する物が技術の伝播ではなく直接人間が流入しきてそれをやったと推測しえるような物を出せゴミ。
見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作 謹製九州版ウリナラ起源説。

>H卑弥呼の鬼道については張魯と同じ「鬼道」としていることや、
鏡と剣を重要な神宝・呪具とする様式からみて、天師道か太平道だったと思われる。

「鏡と剣を重要な神宝・呪具とする様式」と言うのは記紀から引っ張ってきたものらしいが
無論日本書紀の神武の橿原即位には出てこないし、続く欠八代にも出てこない。
「鏡と剣」の二種の神器に「法統のしるしとしての玉の印璽」が加わって三種の神器となったと言う主張だったと思うが
大伴大連らが継体に皇位に就くように請う場面で
『大伴金村大連乃跪上天子鏡剣璽符再拝』とあり
鏡と剣で璽符(みしるし)としているのであって「玉の印璽」が別にあったわけではない。
そのような解釈をしている書籍があったら教えてくれ

じゃあ考古資料ではと言うと、伊都国・奴国王墓には刀剣類が認められていないものもあるし
剣・大刀・小刀とごっちゃにしなければ二種も揃いそうも無い。
(ご存知、平原では豊富な鏡・玉類に対し太刀一本と言うアンバランスさ)
そもそも何十枚も鏡を副葬すると言うのは伊作曰く「馬鹿のやること」らしいのでw
この地域は「二種の神器をインポートして鬼道を行った地域」から除外されるのだろうw
で、熊本平野やその他に二種の神器を奉じた事を伺える王墓があるかと言えば
伊作からはその提示も無い。

森村伊作 なる馬鹿が三種の神器ネタをチョット弄って「オレサマオリジナル」にしただけの与太話w
405日本@名無史さん:2012/01/18(水) 19:41:46.14
見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作  の戯言 その死

>I倭人と倭国支配層の民族的特徴は、「文身をする・お歯黒をする・文字をもたない」である。
…これで、倭国支配層が西(呉越の地)から九州を経て畿内にきた非漢民族である事実が判明した。

そんなものは「文化の伝播」で説明がつく。
例えば記紀神話には東南アジアや南太平洋に共通するものが多く見られるが
それはその地から直接人がやってきた証拠になるのか?
「日本列島は東アジアの文化の吹き溜まり」とも言い色んな文化が流れ着いているが
それらを一々民族の移動に当てる馬鹿はいない。
『 民族の起源 』とか言うネタを語りたくて仕方が無いこの 森村伊作 による牽強付会。

意外だがこの見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 と言うやつは最終的にやりたいのは
恐らく文化人類学のような事っぽいw

様々な遺物や文化風習を見てインスピレーションでもってオレサマ脳内の『 民族の起源 』とかを
滔々と語りたい…というのがこいつの望む所っぽいw
知ったかぶって得意げに語って悦に入りたいと言うだけの馬鹿。

その為の格好の材料が邪馬台国だったと言う話www




406太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 19:43:24.14
>>375

紀の神武の即位〜崩御の記述をみよう。

【紀の神武の即位〜崩御までの月数統計表】

1月 2   5月 0   9月 0
2月 2   6月 0    10月 0
3月 1   7月 0    11月 0
4月 1   8月 0    12月 0

これを見ると5月以降は全く記述がない。五瀬命が5月に戦死して、
神武は相当ショックだったようで、高天原の五月蝿なすをも嫌い
5月以降を 空白 □ 不使用としたと考えている。日に向かって勝ち
をえず、日を背にして戦闘する縁起担ぎをしているのもそんなところか。
4ヶ月だと3倍暦が出来うる。崩御直後か、通常暦をに直しているようだ。

上表を見てみ。5月〜12月が無いの。これは当時3倍年暦を行使して
たということなのだ。

ただし即位より以前は通常暦です。崩御をすぎてから神沼河耳尊は倍暦を
廃止し通常暦に戻しています。
407日本@名無史さん:2012/01/18(水) 19:43:49.37
>夢っち
規制解除されたよー
408太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 19:50:07.19
>>406 続き
>>406表から見て、ちょっと数が少ないので断定とは言い難いが、
5月以降が全くないことから、まず神武統治の間は1年が4ヶ月の
3倍暦を使用していたということだ。そうでないなら1個位は5月以降
の記事があって然りだと思う。

だいたい『兄』の字だが、形は「□」と「ル」で出来ており、ルを
□内にいれれば『四』の文字ななり、なおさら四月までだの感を深く
する。神武の皇兄は四月に矢傷を負い、五月にこれで戦死している。

話は変わり、神武崩御後はどうかと考えれば、5月以降の月数が
とたんに現れ出る。葬儀が9月であり、3倍暦そのままなら3回目の
1年(←4ヶ月分)の1月になる。次いでその3年後の綏が兄の
神八井耳命とともに手研耳命を討ったのが11月であり、神武崩御直後
からどうやら通常暦に戻したと見える。というのは、神武の即位前
はいつのころからか不明だが、通常暦をやっており、これは即位前
3年の紀の記述が各月ほぼ出揃っていることから見てとれる。

兄の神八井耳命の協力から、譲られて綏は即位したので、即位日
は八日としたのだ。ところがこの天皇世だけ欠史八代の間で5月
の記述があり、紀の記述で猫の額の如く記載の少ない5月があること
から、空白月は無かったであろうで、綏の時代は通常暦と
観てよいのだ。『兄』字下の「ル」は『八』に非常に似ており、このへん
の漢字の造りはなんらかの太古の巧妙な思惑が見て取れ、ぬぐい切れない。
409太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 19:53:22.33
八代当時に2倍年暦を行使していたため、↓ 月後半の記事が無い。

【欠史八代間の立太子、即位、立后、崩御、葬儀の日数統計表】

1日 4   15日 0
2日 2   16日 0
3日 3   17日 0
4日 1   18日 0
5日 3   19日 0
6日 3   20日 0
7日 2   21日 0
8日 3   22日 0
9日 4   23日 0
10日 1   24日 0
11日 3   25日 0
12日 4   26日 0
13日 2   27日 0
14日 7   28日 0
        29日 0
        30日 0
410日本@名無史さん:2012/01/18(水) 19:58:29.79
>唐松山・太国
記紀絶対信奉者のお二人へ
全ての干支記年を太歳記年の干支に変換してみなされ
在位3年の謎の天皇の存在も明らかになって、倭の五王も特定できるよー
それでも絶対的に記紀を信用することが出来る?

  ー近江信者よりー
411太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 19:59:30.07
>>406表を再出。表が崩れてるためです。

【紀の神武の即位〜崩御までの月数統計表】

1月 2   5月 0    9月 0
2月 2   6月 0    10月 0
3月 1   7月 0    11月 0
4月 1   8月 0    12月 0
412太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 20:13:14.66
神武即位にて通常暦から3倍暦へ移行したことは間違いない 。
即位直前のころは通常暦だということは
即位前3年の記事がほぼ全月に渡ってあるし、日数もまぁ下旬まで
あるところをみると、疑いないだろう。

だが、即位以前、もっともっとそれ以上の太古では高数字の倍暦が
用いられていたかも知れないが?

神武即位後は3倍暦となり、次いで綏世で通常暦に戻し、3代
4代目では2倍暦に変更しているようである。コヨミは「古黄泉」
であり、黄泉の国の段でのイザナギ、イザナミの 1500:1000 の
比率を重視した朝廷側が 3:2 の暦法を使用したのであろう。
413日本@名無史さん:2012/01/18(水) 20:16:13.12
まあ「見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作」 と「 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿は
共に自惚れ屋のゴミカスと言う点では全く同類だが話は噛み合わないんだろうな(一種の同族嫌悪?w

森村伊作
start:オレサマ天才、オレサマ・アズ・ナンバーワン
→自分の妄想脳内モデルに合うネタをあっちこっちから拾い集めて自身の与太話大系を構築 
→どうだ見ろこの完璧な理論!お前らとはモノが違うぞガハハハハ
→いくら拾い集めてきたネタが膨大であってもそれが根拠になりえないのだから単なる馬鹿の自己満足

無限尿
start:オレサマ天才、オレサマ・アズ・ナンバーワン
→俺の推論(実は単なる妄想)こそ真実!文献史料も考古資料もその前には意味を成さないぜえ!
→本来争われる蓋然性の付加を最初から放棄し他説の完全否定を自身の勝利条件に課しているがそれもできない
→結局大風呂敷広げただけの阿呆

てんこ盛りの与太話大系を聞かされる 森村伊作
中身スッカラカン ひたすら推理ゴッコに終始する 無限尿
まあどっちにしても狂人レベルw 
414怒濤の天才:2012/01/18(水) 20:18:13.77
>>372
>倭人の文身のルーツがどこかという問題と
>倭人の島がどこにあるかという問題はまったく関係がない。

倭人と越のつながりをいいたかったのだろ。
で、「倭人の住む島までの道里を机上で測れば、
まさに会稽東冶の東にあるじゃないか」と書いた。
なぜか。
各時代ごとに、長江河口から船で東へ乗り出した呉越の民がいたことは、
中国では常識といえるほどに知られたことだったからだ。

倭人のルーツが
「文身をする・お歯黒をする・文字をもたない」という、
現在も中国に50以上いる少数民族の一部であることは明白だ。
疑問に思うなら俺の論考をみてみるがいい。
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/
415おれおれ:2012/01/18(水) 20:19:14.68
いさくもどきさん

しんだか?

もっといえよ
416日本@名無史さん:2012/01/18(水) 20:20:59.50
>>414 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 

だ〜か〜ら〜

「ルーツがそこにあった事」と「そこから人間が直接やってきた事」は別って分からないのか?


417日本@名無史さん:2012/01/18(水) 20:22:14.63
呉の太白の末裔を名乗る那(奴)国、秦ー徐福の末裔の邪馬台国=天皇家
こういうことですね
418おれおれ:2012/01/18(水) 20:25:29.04
青州から渡海してきた黄色のもいたとかいいきってほしいとはおもふが
419怒濤の天才:2012/01/18(水) 20:25:52.74
>>402
>では中国語でマスターしたのだろうか。
だろうさ。卑弥呼の宮城にいたという男が通訳だった可能性は低くはないぜ。
新参者は過去に述べたことを知らないから疲れる。

>中国語でマスターしたものが日本で通用するだろうか。
儀礼様式・祭祀作法は言葉ではない。銅鏡と剣という呪具が最大のモノをいう。
とっと難しい話になったが。

>それに、その卑弥呼がなぜ熊本にやってきたのか。
倭国中枢があった所に呼ばれた。
俺の説では、それが熊本だったというだけのことだ。

>鬼道と熊本がどうつながるのか不明である。
タコもいい加減にせい。

>熊本から鬼道習得のために派遣されていたのか。熊本と鬼道はもともと縁が深かったのか。
>熊本にそういう鬼道を受け入れるような風土があったのだろうか。
どんなしこうかいろしてるんだ?

>卑弥呼は渡来したのではなく、朝鮮にいたのだという考えがなぜ浮かばないのか。
どこか・よそでやってくれ。
今後は俺に横ちゃりするな。ヒマならば黙って寝ろ。
420怒濤の天才:2012/01/18(水) 20:30:28.16
こっちもか。
畿内説の痛いところを並べると、決まって支離滅裂の半キチがやってくる。
それだけに、俺の畿内説批判が決定的ということだ。はははー。
誹謗と攻撃が多いのが、俺の畿内説批判の的確さのギロメーターよ。
どんどんやれ。
421日本@名無史さん:2012/01/18(水) 20:35:00.04
>>420
いさくもどきよ 

>>353 ののHのやつ すこし書き直してみろよ
422怒濤の天才:2012/01/18(水) 20:40:01.25
>>421
ろれつが回ってないぞ。
てめ。やな野郎だな。なんだそのビクビクした投稿は。
いいたことがあればきちんと発言するようには育てられなかったか。
やな性格だぜ。
423怒濤の天才:2012/01/18(水) 20:41:15.33
>>420
ギロメーターよ。
↓↓
バロメーターよ。
424おれおれ:2012/01/18(水) 20:42:07.12
>>422
なんなら添削してあげよおか?
425日本@名無史さん:2012/01/18(水) 20:43:48.88
いい事教えてあげるね
高天原は彦根、多賀大社
高千穂は霊仙

  ー近江信者よりー
426おれおれ:2012/01/18(水) 20:44:57.42
高天原は天國にきまっているわね
427怒濤の天才:2012/01/18(水) 20:49:11.43
●畿内説はとっくに死んでいる。

年輪年代法やC14年代法の「活用法のいかがわしさ」については、
俺などよりも遥かに詳しいのがそちこちで批判している。
これに対してそもそもの情報発信源たる学者たちから
何の反論もないのは勝負がふったということだ。

俺が並べた10項目の中だけでも、畿内説否定の決定的なものが幾つもある。
どれをとっても畿内説を立証するだけの材料はない。おしまい
428日本@名無史さん:2012/01/18(水) 20:53:33.62
さて>>405あたりの追記になるが

>>414 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
>倭人のルーツが
>「文身をする・お歯黒をする・文字をもたない」という、
>現在も中国に50以上いる少数民族の一部であることは明白だ。

これを見て如何にこいつが「モノを知らない」のかがよく分かる。

日本の風習・文化のルーツを中国の少数民族のそれに見るなんて別にいくらでもあるような話
例えば…

『歌垣』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
>歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
>現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
>古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

実際少数民族で行われている歌垣の映像を見た人も多いんじゃないだろうか?

なんでこんな物でその地域からの直接の人間の移動まで引っ張れるのか?
普通の人間なら恥ずかしくてできないと思うのだが…(苦笑
429怒濤の天才:2012/01/18(水) 21:00:29.91
●畿内説はとっくに死んでいる。
年輪年代法やC14年代法の「活用法のいかがわしさ」については、
俺などよりも遥かに詳しいのがそちこちで批判している。
これに対してそもそもの情報発信源たる学者たちから
何の反論もないのは勝負がふったということだ。
俺が並べた10項目の中だけでも、畿内説否定の決定的なものが幾つもある。
どれをとっても畿内説を立証するだけの材料はない。

まだ貼り付けてほしいか?
430日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:01:20.73
怒濤の天才さま

魏使の目的地である邪馬台国迄の行程を郡からの日数で表記したってのはまだ分かるけど、
なんで投馬国についても郡からの日数で表記する必要があったのでしょうか?
431ローガン:2012/01/18(水) 21:03:28.93
>>400
>>@王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。
>根拠なし。と言うか古代の中国や後代の日本の初の条坊制が布かれた都市から妄想したとてそんなものが3世紀の日本にあった根拠になる筈も無い

て云うか、天子七廟なんて云うように、祖先を廟で祀るようになってから、墓は郊外に作られたんでしょう。
殷墟では、都城内に多数の墓が作られている。
3世紀の倭に廟祀があったとは考えられないので、「纏向と箸墓の距離が近い」ので、纏向は、祖霊を廟で祀る以前の都城の姿をしているんじゃない?
纏向は王都であったと。
432日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:09:22.67
>>429 森村伊作 
>●畿内説はとっくに死んでいる。

畿内説 「ひでぶっ!」


433日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:13:20.04
>>431
殷の都は小屯村北東部で、墓があるのは武官村一帯でしょ。
離れてるじゃん。
434日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:17:03.14
邪馬台も天孫降臨も筑紫の日向も全部福岡だよば〜かw

普通にわかるだろ、お前らマジで馬鹿だなw
435怒濤の天才:2012/01/18(水) 21:17:22.88
>>430
>なんで投馬国についても郡からの日数で表記する必要があったのでしょうか?

邪馬台国までの距離はバカでも算出できるように書いてある。
あと必要なのは邪馬台国までの全行程と全日程だ。それが水行10日と陸行1月だ。

質問への回答。

帯方郡から末盧までは魏の帆つき櫂つき大型楼船で10日だ。
魏の使節は投馬国へは行っていないから、道里の略載をしていない。
必然的に、末廬(または博多)から投馬国までの水行は、
里程を知らない倭人による手漕ぎ船の日程(聞き取り数値)との論理に帰結する。

「日数で表記する必要があったか」ではない。日数で表記するしか手がなかったのだ。
436日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:19:49.90
>>435
>里程を知らない倭人による手漕ぎ船の日程(聞き取り数値)との論理に帰結する。

じゃあどうやってトータルの里数を計算したんですか?

437日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:19:53.57


ステマ相関図画像更新(1/17)
http://gazo.restspace.jp/img-box/img20120117010742.jpg
テレビや新聞、大規模なネットサイトで「今流行の」「今話題の〜」「女性に人気の〜」等と言われるものはほぼ全て
この画像上部、○○堂がコントロールしている。
  ・世間にどの程度流行らせるか
  ・流行に乗り遅れる(流行に乗り遅れさせる)人間をどのくらい作るか
  ・話題に乗り遅れた人間に対してどの程度の疎外感を与えるか
  ・いつその流行を終わらせるか
2chもステマ会場
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org2526030.jpg

ちなみに ハリーポッターと賢者の石の 「石」とはテレビのこと(著者が執筆当時)
 ダイオード→半導体→シリコン→石
 賢者とはテレビを見る人間でも番組を作る人間でもなく、テレビを操る人間。
438日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:22:43.59

現在に発掘されたものから文献からなにから何まで既存の事実から全て全部 『素直に』 検証してみな。

邪馬台も天孫降臨も筑紫の日向も全部福岡だから

普通にわかるだろ、お前らマジで馬鹿だなw

439日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:25:26.95
>>435
俺の私見はこれだ↓
418 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 16:47:02.33
今使譯所通三十国…
これでは意味が通じない。
なぜここでお得意の誤字説を主張しないのか?
譯→謂なら意味は通じる。
しかし譯の字は敢えて使ったもので決して誤字ではない。
辰韓伝でも言葉が通じるかどうかをかなり気にしている。
使者が謂ったってのと通訳が必要だった(言葉が通じない)ってのの二つの意味を譯の一字で表現してるわけ。
で、使者が謂った内容がどこまで続いているかというと、手元の資料と照合する場面まで。
425 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 17:23:48.22
その前の場面は、旧→今、百余国→三十国、と対比させた構文になってるわけですよ。
それを理解してれば魏が三十国と通じてたなんて解釈になるわけないんです


この状況では、南北市擲に用いられてた船で帯方まで行ったと考えられる
440wwwの辞典(「悪魔の辞典」っぽくw):2012/01/18(水) 21:29:31.86
『 砂鬼四荼羅経 』

邪馬台国九州説における最重要経典。

しかし冒頭部分に「砂鬼四荼羅」で始まる経典はほぼ無数にあり
どれが本物でどれが儀典外典なのか全く統一された見解が出ていないのが現状。

441怒濤の天才:2012/01/18(水) 21:31:51.66
>>431 ローガン
何度も書いたろ。『三国志』魏書に、文帝のこういう言葉がある。
「礼で墓祭をやらないのは、生者と死者が穢し合わないよう欲するからである」。
この発言にみるかぎり、中国では墳墓祭祀はやらなかったものと思われる。
(そうではなくても、墓前祭祀をやれば盗掘者たちに墓の存在を教えるようなものでもある)。
廟での祭祀はやったが墓での祭祀はやらなかったようだ。
墓は物質的な遺骸が眠る所で、死者の霊の居場所が廟だ。
そのようなわけで、墓域は王都の郊外に設けられたものである。
このことは史実が証明している。

>3世紀の倭に廟祀があったとは考えられないので、
例によってまやかし事例で原則論に対抗しようというのだろうが論調がまずい。
(廟という名はともかくも、死者の霊ぐらい、いつの時代もどの民族でも祀る)
ともあれ、基本的には3世紀の倭に廟祀があったか否かではない。
穢れた遺骸を埋めた墓と、生者たる王の住む王域が一緒か否かだ。
442440訂正:2012/01/18(水) 21:32:11.65
「儀典」じゃなくて「偽典」ね。
443日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:35:32.97

卑弥呼の墓は大分八幡にあるかもな♪
444怒濤の天才:2012/01/18(水) 21:36:15.32
>>436
>じゃあどうやってトータルの里数を計算したんですか?
俺は回転が早くて短気なんだ。
「なぜ投馬国についても郡からの日数で表記したのか」という質問だから、

帯方郡から末盧までは魏の帆つき櫂つき大型楼船で10日だ。
魏の使節は投馬国へは行っていないから、道里の略載をしていない。
必然的に、末廬(または博多)から投馬国までの水行は、
里程を知らない倭人による手漕ぎ船の日程(聞き取り数値)との論理に帰結する。

こう書いた。そうしたら何だこの野郎。
>「じゃあどうやってトータルの里数を計算したんですか?」
それは邪馬台国までのトータル里数だろが。
投馬国までは理数など書いてない。
44519歳某国立大生:2012/01/18(水) 21:36:55.32
寺沢薫「王権誕生」を読み返したら
箸墓は布留0式時(280〜290年代)に
築造から埋葬まですべてやったのが確実らしいわ。
埋葬までこの時期ということは卑弥呼の墓じゃないのか。
台与の墓臭いな。ただ箸墓から出た吉備系の特殊器台が
椿井大塚山古墳から出たものよりは古かったようなので
もう少し年代繰り上がるかもしれないが、卑弥呼死亡の247年頃まで
繰り上げるのはやや厳しいか。
446卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 21:37:01.81
伊作氏は面白いな。読んでいて爆笑するww

ではヒマだから聞くが、卑弥呼が熊本に「呼ばれた」ということは、
卑弥呼は熊本出身ではなく、鬼道という技術を持っていたからスカウトされたのか。それとも中国人だったのか。

卑弥呼は台与に鬼道を教えたのか。鬼道は13歳でマスターできるのか。
447怒濤の天才:2012/01/18(水) 21:50:05.19
>>446
>卑弥呼は熊本出身ではなく、
ボケ。大陸からの信頼の渡来人の可能性が高いとゆってるだろが。

>鬼道という技術を持っていたからスカウトされたのか。
そのあたりの事情まで見てきたようにいうほどタコじゃないぜ。

>それとも中国人だったのか。
卑弥呼の宮城にいた男は通訳だった可能性を説いたろうが。

>卑弥呼は台与に鬼道を教えたのか。鬼道は13歳でマスターできるのか。
臺與が鬼道をマスターしていたと・どこに書いてあるか。

おまえ、いささか分裂ぎみの傾向があるな。
448日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:50:11.99
>>351 フェニックス@日向厨
> 1人は伊都国までしか行程を報告せず、もう1人は伊都国からしか報告しないなんてことがあるかな?そんなことはあり得ないな。

確かにそんなことはあり得ないな。

> 邪馬台国へ行った者が行程の報告を書く以上、全行程について書くのが当然のことだ。

そのとおりだろう。そして、そうした場合、半分は観察記述があり半分は簡略すぎるなどという報告はない。
すべてについて一定のレベルで書くのが当然のことだ。
となれば、それは対馬・壱岐・伊都についても、奴国・不彌国・投馬国と同じレベルのものになるだろう。
そのような原資料が編者のもとにあった。
そのほかに、対馬・壱岐・末盧・伊都についてのより詳細な記録も編者のもとにあった(編者が収集した)。
これらをまとめて書かれたのが現在見る「倭人伝」の行程記事になったということだ。

> 伊都国から里数ではなく日数になるのは正確な里数が分からなかったというだけのことだ。

それはそうだろう。
449日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:51:07.81
>>445
あんまり詳しくは知らないが、寺澤薫は箸墓を崇神天皇の墓と言っていたんじゃなかったかな。
石野さんは台与の墓とか言っていたような。いまだに卑弥呼の墓といっているのは白石さんくらいの
ものだろう。

畿内説の考古学者は、梯子かけてみんなに上に登らせておいて、知らない間にはずして知らん顔している。
だまされて上に上ったものが梯子はずされたのも知らずにワイワイ騒いでいるのがいて笑ってしまう。

三角縁神獣鏡もそうで、畿内説の考古学者はほとんど卑弥呼の鏡ではないことになってしまったのに、
いまだに卑弥呼の鏡だと言い張っているのがいる。
45019歳某国立大生:2012/01/18(水) 21:52:55.00
卑弥呼がもらった鏡も画文帯神獣鏡がメインだろうな。
△鏡は景初3年銘鏡のみ数枚入ってたかどうか程度だろう。
451怒濤の天才:2012/01/18(水) 21:54:00.81
こんなところで、いまだに
三角縁神獣鏡だ箸墓だ纏向だといってる畿内説は、
みな時代遅れの骨董頭ばかりよ。
452唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/18(水) 21:57:14.22
ホケノ山(225〜250年)
庄内式土器が九州北部に存在
箸中山(260±≒250±10年)←強引に年代を引き上げている部分があるがおおむねこの時代である。

モモソ姫≒卑弥呼で庄内式土器の九州上陸を説明できなくては、この設定は無い。
45319歳某国立大生:2012/01/18(水) 21:57:31.67
もう負けを認め、ちじこまる伊作の爺さんの言う戯言はどうでもいいやw
倭迹迹日百襲媛が固有名詞でなく、普通名詞と考えれば、
卑弥呼でもトヨでもどちらでもあてはまるか。
454日本@名無史さん:2012/01/18(水) 21:59:33.88
太国はしばらく排除出来るだろう
伊作は答えてくれない

  ー近江信者ー
455卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 22:01:33.69
伊作氏よ、台与が鬼道を使ったという形跡はないのに女王に選ばれている。
ということは卑弥呼の鬼道も、中国人は鬼道とみたが、そうではなかったかもしれないということだ。
つまり卑弥呼の鬼道は太平道だろうというあなたの推測は推測でしかないわけである。
456日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:06:24.95
>> 350
> >根拠は伊都国までと奴国以降の内容・書き方が変わるという事実だ。
> その同じものを根拠に夢幻如は実際に行き観察できたものと行っていないものの差だとして一連だとしている。

「実際に行き観察できたもの」と「行っていないもの」が「一連だ」、という理由は?

一連のものだという前提があってはじめて、「実際に行き観察できたものと行っていないものの差」だという推察が出てくるんだよ。

> その根拠からだけならお前のも夢幻如のも成り立つ。

「その根拠からだけ」なら成り立つのは、「実際に行き観察できたもの」と「行っていないもの」がもとになっている、だ。
「実際に行き観察できたもの」と「行っていないもの」が一連のものだ、が成り立つには、別の根拠がなければならない。
457日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:08:26.56
>>450
お前の「だろう」は駄労だと言ったろ。「だろう」ではなくきっちり立証・論
証をせんかい。だからお前は回り中でバカにされているんだ。
324でお前はまた伊作氏と他の人間とを間違えたろう。文章のくせを洞察すれ
ばすぐ見抜けるはずのところ、お前には洞察力が無いのだよ。邪馬台国を論じ
る上で致命的な欠陥だ。もう邪馬台国から完全に手を引け。
458日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:08:28.36
>>358
> 一つの推論からさらに推論を伸ばすことは当然のことで不合理と否定できることではない。
> 九州説も畿内説も多かれ少なかれこの推論伸長で成り立っている。

言われてみればそれはそのとおりですね。推論Aの根拠が推論Bであってもいいでしょう。
ではその推論Bの根拠が架空の設定bだった場合は? その推論を認めるわけにはいかないでしょう。
推論伸長の場合もその根本には事実がなければいけないと思います。
459日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:10:31.98
伊都國 郡使往來常所駐 だから

帯方郡セットされたときから常連さんなのでわ
460怒濤の天才:2012/01/18(水) 22:10:41.13
ざっと見渡したところ、
時代遅れの畿内説をほざていてるのは、
たったの1〜2名になったようだな。

利口な奴は、バツが悪くてとっくに矛をおさめたというわけだ。
461日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:12:43.43
レッテル貼りでの全否定キターーーーーーー
46219歳某国立大生:2012/01/18(水) 22:13:20.95
伊作の爺さんよ、あんたは負けを認めたんだからおとなしく僕の言うことに従うことだw
鬼道も以前何度も説明したとおり、太平道でもなんでもない。
そもそも太平道とか魏の開祖である曹操も鎮圧に奔走してるカルト宗教団だろうにww
463日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:13:53.25
伊都國にわ

郡使さん用の専用のお宿とかあったんだよね

ぼろかもしれんけどさあ
464日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:14:37.82
つーか伊作がくるだいぶ前から2chの畿内説は激減してるけどな
残ってるのはプロ固定くらいだ
465怒濤の天才:2012/01/18(水) 22:14:49.40
>>455
>卑弥呼の鬼道も、中国人は鬼道とみたが、
そうではなかったかもしれないということだ。

俺の場合は「知れない」じゃないんだ。
鏡と剣を呪具とする様式は大陸の鬼道のものだ。バカ野郎。
俺に口をきくなら、俺と同等かそれ以上の勉強してからにしろ。
てめえで何さまだと思ってやがる。格が違うぜ。
466日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:17:45.83
曹操さんの手先の青州のひととか白波のひととかの避難とかあってもふつうかな
467唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/18(水) 22:18:12.24
>ざっと見渡したところ、時代遅れの畿内説をほざていてるのは、

九州説にしても、庄内式土器が北部九州に上陸した時代でなくては、時代遅れである。
468日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:20:52.92
なんちゃらもどきもさ ぱわあとかないよね

五斗米道が避難してきたら

難升米道に出世しましたとか

ぼけかませられたりしなくちゃな
469日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:22:02.11
昔、三国志読んだ時、問と答えを繰り返すやつが出てきたな、相手の問いに答えて然らば我問うとかいうやつ
名前なんて行ったかなー
知識のない奴がそれをやると声闘、相手の答えの正当性を認めなければ負けはない
伊作がやってるのはその声闘
470日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:22:36.32
畿内説派の御用学者が今後どう出るかだな
47119歳某国立大生:2012/01/18(水) 22:24:16.72
伊作の爺さんよ、今日あんたのサイトを教授にも教えてやったが、
評価は非常に低かったぞ。こんなん真に受けるなと釘刺されたよw
元から真に受けてないけどww
472卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/18(水) 22:27:41.94
伊作氏よ、三種の神器は日本神話にすでに現れているではないか。
日本も鏡と剣を尊んでいたというのは常識ではないのか。
前漢時代の鏡が出る古墳から剣も出ている?のだから、大陸の鬼道が起源ではない。
473作為:2012/01/18(水) 22:32:02.68
>>441 怒涛さん
>@王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。

須玖岡本も楯築も位置的には被葬者の本拠に隣接していると思います。
後世の飛鳥朝も霊俗は近接しています。
ほとんどの古墳では、その地で祭祀も行われています。

このような例を無視して、倭人には「オウ」の祭祀だけに@のような風習を持ったと言われますか?
つまり、貴方が主張するような祭祀思想と倭人のそれとは全く関連が無い。
倭地にそのような風習が無ければ、@は何の論拠にも為りえない。
474太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 22:32:30.15
>>410
> >唐松山・太国
>記紀絶対信奉者のお二人へ
宿主は記紀を絶対視してませんぜ。とりわけ紀に則り金科玉条の如く退院歴
だ〜退院歴だ〜とこの方法を採用して記載が成っていることを奴は強調
し紀に忠実に見せかけて空年を主張していますが、これはウソですよ。
>>409>>411を眺めれば紀は空年ではなく空日と空月の採用行使であって、
空年なんぞ紀は採用していません。双方の表を見れば空日空月です。
つまり紀に忠実のようで、その実、紀に違背し、秀魔電により記紀の転覆
を企んでいる危険史想の要注意人物男です。

>全ての干支記年を太歳記年の干支に変換してみなされ
以前太歳での紀年研究を行うため当時の天体CDソフトを購入し太古の
天体の方位を紀を観て探ろうとしたのですが、あいにくくやしくも泥棒に
入られてゴッソリこれとともに盗まれてしまいました。これは紀元前
3000年までの惑星の動きをシュミレーションで見れるという内容で、
その研究を始めた途端に空巣にしてやられたという災難です。T↓T

〜これで精神的にキズを負い、それにタッチ出来ないで今の今まで来たと
いうことです。それで保留中なんです。mmm・・・

>在位3年の謎の天皇の存在も明らかになって、倭の五王も特定できるよー
.それでも絶対的に記紀を信用することが出来る?
具体的説明がないんでは訳が分からんです??

>ー近江信者よりー
近江の宗教信者さんなのですかな?


475日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:37:14.84
>>474
いや、各天皇記の初めに太歳による記述がある
そこには太陽太陰暦による記述も併記されてるから、それを基準に太歳記年に変換してみな、ってこと
476竹斯の民:2012/01/18(水) 22:38:39.43
伊作さん今晩は。奥様の身内に不幸があったとは御愁傷様でした。
私の身内にも不幸がありまして今日まで大変でした。
寒いときは亡くなる方が多いようですので特にお歳の方には注意を促して帰ってきたところです。

ところで、福岡の那賀川町の「安徳台」ご存知ですか?
わたしはここに倭奴国王(金印)がいたのではないかと最近いろいろ調べ始めました。
調べ事がまとまったら伊作さんのサイトにでも書きますのでコメントよろしくお願いします。
477日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:39:49.07
慣れ合いか・・・
478太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 22:41:13.62
>いや、各天皇記の初めに太歳による記述がある・・・
これはわかってますが、どうしてこれが太陽太陰暦だと分かるんですかな?
479日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:45:49.14
>>478
太歳記述の後には太歳と記述されてない干支年記述があるだろ?
それらは太陽太陰暦による記述と考えてもいいと思うんだが
干支のズレもあるし
480日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:46:19.93
>福岡の那賀川町

那珂川の間違いでは?
481日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:48:03.50
>>471
さすがガキだな。 塚、ゆとり丸出しかよ。恥ずかしい奴。
482竹斯の民:2012/01/18(水) 22:48:46.70
>>480 そのとおり 御指摘有難うございます。

>>476 那賀川町→訂正→那珂川町
483夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/18(水) 22:51:23.94
さあて、何から書こうか。書くことがありすぎだぜ。
俺に対峙出来ない伊作と、ほとぼり冷めたと思ってでてきた乳頭パイには笑ってしまうな。
伊作は相変わらずの火病持ちで、誹謗中傷を嫌う奴が罵詈雑言を並べ立ててやがる。
おい、糞天才。
お前が望むなら「誹謗中傷、罵倒、罵詈雑言、一切無し」で向き合ってやるぜ。
どうする?ま、やらんだろうね プ

どっから手をつけたものやらだから、目に付いたものを順番にやるか。
484日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:54:17.52
>>478
もっと詳しく言うと、欽明天皇から天武天皇の間は太歳による紀年と太陽太陰暦による紀年との間に3年のズレがある
宣化天皇以前はそのズレが消えている
さらにある所でその3年を調整して天皇在位の空白年がある、そーいうこと
485太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 22:54:53.53
>>479
いいですか〜
神皇紀には神武天皇元年に太陰暦を太陽暦に改めよとの
神武の勅があるんですよ。だから太陰太陽暦なんだとかというのは、何か
他に根拠資料が充分でないととっつきにくく、得策ではないような気が
しますがね・・・?

だから太陰暦、太陽暦、太陰太陽暦を追っかけるのは記紀の記載だけでは
いずれで各年代の暦を編んでたのかということは不明確の状態なんです。
途中暦法の交代が充分ありえますよ。

この三種で当時の編年の真相把握をやれるんならそれはけっこうですが、
うまく行くと貴方が想うんなら、貴殿が行えばよろしいんではないですか
な?
486日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:54:58.62
>>483
田辺の理由聞きたいんじゃなかったの?
487日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:56:16.09
>>485
実際には宣化の時代までズレが有るわけで・・・
488日本@名無史さん:2012/01/18(水) 22:59:05.35
>>398-389 おばんです秋田名物乳頭パイ

お〜い中の人の「縄文人」よ
どうでもいいがそのキャラの「です・ます」調が崩れているぞwww

もっとキャラの統一しろ阿呆wwwwwww
489太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 22:59:57.65
>>484
>もっと詳しく言うと、欽明天皇から天武天皇の間は太歳による紀年と太陽太陰暦による紀年との間に3年のズレがある

ここの時代は倍暦恒久的廃止の時代で通常の暦法でしょうから、それがし
がどうのこうの言う時代区分のところではありません。

>宣化天皇以前はそのズレが消えている
>さらにある所でその3年を調整して天皇在位の空白年がある、そーいうこと

やはり論の具体性に乏しく。これだけではこちらはどうにも出来ませんね??
490縄文人:2012/01/18(水) 23:05:50.92
>>488
うるせいこの野郎!キャラがどうのこうの言う前にギャラを上げろ。
491唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/18(水) 23:07:55.40
>神皇紀には神武天皇元年に太陰暦を太陽暦に改めよとの神武の勅があるんですよ。

いくら主張しようと、書記の日付は太陰暦の”朔”から数えられている。
これを体調暦に変換すれば、
魏少帝正始元年 ?次:庚申 生肖:猴 西元240年2月10日(星期一)起
魏少帝正始2年 ?次:辛酉 生肖:? 西元241年1月29日(星期五)起
魏少帝正始3年 ?次:壬戌 生肖:狗 西元242年2月17日(星期四)起
魏少帝正始4年 ?次:癸亥 生肖:豬 西元243年2月7日(星期二)起

このように太陽暦に変換するだけで日付は分散する。
だから倍年の根拠とはならない。
492唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/18(水) 23:12:29.69
>欽明天皇から天武天皇の間は太歳による紀年と太陽太陰暦による紀年との間に3年のズレがある

三國遺事卷二 より
洎新羅第三十王法敏龍朔元年辛酉(541年)三月日.有制曰.朕是伽耶國元君九代孫仇衝王之
降于當國也.
位己卯年(559年)置便房,降及仇衝朝末,三百三十載之中,享廟禮曲,永無違者.其乃仇衝失位去國.
書記
欽明天皇二年(五四一)四月◆夏四月。安羅次旱岐夷呑奚。大不孫。

ここに紀年の差は存在しない、そして、金官伽耶の建国は211年。
493日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:13:11.99
>>435
邪馬台国までの距離はバカでも算出できるように書いてある。

それで熊本か?
ぶっ!!
494怒濤の天才:2012/01/18(水) 23:13:52.26
>>472
>三種の神器は日本神話にすでに現れているではないか。
8世紀に完成した神話な。(無恥まるだしの反論だ)
2世紀末に興きた大陸の鬼道(天師道)は鏡と剣を二種の神宝とした。
これが4世紀頃、儒教を取り込んで道教へ昇華したとき、
儒教の神宝の玉(ぎょく)を入れた三種の神宝が成立する。
三種の神宝が日本に伝わるのは道教が伝わる5世紀頃だ。

>日本も鏡と剣を尊んでいたというのは常識ではないのか。
それが鬼道(天師道)の神宝で、それまではそういう様式はなかった。

>前漢時代の鏡が出る古墳から剣も出ている?のだから、大陸の鬼道が起源ではない。
鏡を邪気を祓う呪具として副葬する様式は古くからあった。それだけのことだ。

格がちがいすぎることが分かったか? もうこれっりにしてくれ。
お前とやりとりしても疲れるだけだ。かってに「卑弥呼は半島にいた」とほざいてろ。

>>473
歴代天皇の墓が、その天皇の居した京域内につくられた事実こそ出せばよい。
できるか?
近郊につくられた墓の1例か2例を出したタコがいたが、それとて現実は王都域の外だった。
支配層の儀礼と精神思想というものは、ちょこちょこ変わるものじゃない。
あがいても無駄だ。
495太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 23:16:43.57
>書記の日付は太陰暦の”朔”から数えられている。
いくら言おうと神武は太陽暦にせいと言ってるんだよ。

オマエより神武のほうが当然信用出来る。何故って、オマエは邪馬台国説
に〜畿内説あるときは九州説またあるときは畿内兼九州説と三変し、いい
とこどりのその場に応じて説をカメレオンの体表の色のごとくクルクル
変わる。つまり一貫性がなく支離滅裂であり、信用度はここの板で最低
である、つまり信用が無い。

それだと、オマエは神武に逆らう朝敵ではないか。><

それにどうして退院歴で数えられるのか、そこがオマエの説明が抽象的
言い草で誤魔化すところで、それでは相手がうんと言うわけがあるまいが。ww

具体的に詳しく説明し、しかも恣意的選択でなく合理性が見られて、
始めて2ちゃんの一部の者がもしかしたら〜と想うようになるんだよ。
オマエのはいつもそれが欠けており、これでは全然駄目だ。消えるんだな!
496怒濤の天才:2012/01/18(水) 23:18:57.34
>>493
>それで熊本か?
yes. オフのコース。
497夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/18(水) 23:21:20.60
まず日数表記がいかなるものか、から行くか。
これを天候不順の場合はどうかとか、宿泊やらまで含むのか否かとか。
または予めそれらを加算したものと見るかどうか。

水行、陸行は距離表示と見れば答は自ずと出てくるはずだ。
「普通にいったら」あるいは「何事もアクシデントがなければ」と見るべきだろ。
そうでなければ距離表記にはならない。
特別な天候や、予め無駄になる日を想定した日数ではない。
陸行の場合は普通に歩いて一日で行ける距離を陸行一日とし、陸行一月はその30倍だ。
その普通に歩いての距離はどれくらいか?
参勤交代では35キロ、秀吉の大返しでは20キロとかいろいろ出いるが
そんなことを例に出すまでもなく明治、大正の頃までの平均一日歩く距離は30キロだったと言われている。
一時間に一里で一日30キロ程度なんてのは常識だぜ。条件は平坦な歩きやすい道だがね。
秀吉の大返しは兵装があること、先走りをたていく先々で食事、宿泊の手配をしたというが
当然十分な手当が間に合っていないこと、一部の道は整備されていないことから考えてもかなり早い。
参勤交代はすべて整っているからこの平均より若干早いということか。
まあともかく、その時代時代で一日平均のおおよその距離の常識はあるわけよ。
古代であればせいぜい10〜15キロ程度だと思うが
それが当時の常識で陸行一日になっているはずだというのは合理的推察だろ。

水行は伊作が力説している通り。
ここにはかなり抵抗があるようだが「水行一日=千里」だ。
ここで伊作はまたもや俺をフォローしてるが、こいつ俺のファンかな ゲラ
498日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:23:05.76
>>485
そうだね
俺は面倒くさくて詳しくはやらなかったわけだがw

だいぶ前にやったことなんで忘れてしまったが、
履中ー反正間に6年(3年ではなかった)の空白があったはず

この前後では反正記だけが太歳紀年との間に6年のズレがある
499夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/18(水) 23:25:10.02
>>486
近江説者君かな?聞くよ、ちゃんと聞く。説明してくれ。

それとは別に話さなきゃならないことが山積みでさ。
500太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/18(水) 23:26:24.81
貴殿の説の詳細を聞きたいね。しかも具体的に・・・。

今宵はふけて来ましたので、以後に書きこんでくれた回答があれば、
また明日以降に〜。

zzzzz・・・
501日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:26:52.04
>>499
オケ
502日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:28:11.33
>>494
きたいはずれですた しょおじきいって きみにわ がかりしたわ
503日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:28:40.79
>>497 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>「普通にいったら」あるいは「何事もアクシデントがなければ」と見るべきだろ。

てめえの主観だけ根拠なし。

そのルートがどれくらいの頻度で往来された物かについても一切分からないのだから
果たしてこれが「普通にいったら」と言う平均的な数値である保障は一切無し。

「他説を完全否定できるぜ!」と大風呂敷ほざいた知ったかぶりの低脳ゴミクズはこれだけで自滅

ジ・エンド

馬鹿はご苦労さん




504怒濤の天才:2012/01/18(水) 23:32:49.58
>>476
>「安徳台」ご存知ですか?

倭奴国王の居城については私も未定です。
さすがに地元ならでは。安徳台は知りません。
見たところ、かなりの遺跡のようでロケーションもいい。
大型の部屋割りのある円形竪穴住居趾もあるようです。

一つ気になるのは、
敷地内に大人から子供のカメ棺があったことです。
なにやら家族単位の集落跡の雰囲気もあるようで。親趣味
505日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:36:46.58
>>499
勘だw
できるだけ紀伊半島南部に上陸したかった
でも外洋には出たくなかった
506作為:2012/01/18(水) 23:39:09.40
>>494

> >>473
> 歴代天皇の墓が、その天皇の居した京域内につくられた事実こそ出せばよい。
> できるか?
> 近郊につくられた墓の1例か2例を出したタコがいたが、それとて現実は王都域の外だった。
> 支配層の儀礼と精神思想というものは、ちょこちょこ変わるものじゃない。
> あがいても無駄だ。

と言うと箸墓が「纏向京」の「京域内」だと?
何を根拠に?

て言うか纏向の時代にそう言う概念が有ったのですか?
倭人伝から「京」なんて概念を導き出せるのですか?

現実に弥生時代の「王墓」は集落に近接しています。
その後、王墓の築造場所は次第に遠隔地へ移りますが、これとて墳丘の大型化によって築造適地が遠隔地にしか無くなったことが原因でしょう。
小型化すると又近づいてきますしね。
あと、火葬制導入後は怒濤理論は適用外なんでしょうな。


507夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/18(水) 23:43:37.73
>>268
大工仕事のように、というのは上記理由から賛成できない。
で、あなたは魏の正使が行ったという想定で書かれている。
それなら尚更無理が出る。
狗邪韓国から対馬、壱岐、北九州と完全なる外洋を各一日で渡っているのは間違いない。
この同じ船、クルーで水行二十日と考えているなら「日本海側は瀬戸内海と違い外海だから」では弱い。
完全なる外洋を直線距離で40〜60キロ以上一日で渡れる一行が一日15キロまで落ちる説明がつかない。
途中で休憩で日数を食った、あるいは伊作が言うように歓待されたというのも無理がある。
正使であるなら目的は卑弥呼に会うことだ。時間的にも道草を食う必要はない。
金印ほか多くの貴重な下賜品もあるから警備も考えなくてはならないはずだからね。
示威行為や歓待を受けるなら終わってからの帰路でもいいはずだ。

ま、俺は正使ではなく先遣隊であり、投馬国への水行は伝聞だと言う立場だから
前提からして違うがね。
508夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/18(水) 23:54:41.94
>>283
「と」から畿内説否定は何が何でも情けない ワラ
「と」が高いところを指すと言う話はずっと前に俺がしている。
富山の地名由来のところだったな。
高い所を意味する「と」と高い「山」の同じ意味の言葉を重ねて「と山」とし
「と」に縁起がいい「富」をあてた、という説を紹介した。
確かに「と」はそういう意味があるが「やまと」の「と」はこれだ、というのは強引過ぎだ ワラ
俺が東北説(というか邪馬台国は北九州から遠隔地)の傍証としてあげた
「持衰」「朱儒国」よりも、もっと低い傍証にしかならない。
こんなのを理由に挙げて説を展開するようじゃねえ、ネタがないってか ワラ
509日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:56:36.12
箸中山やホケノ山と大型建造物の出た地域の間には、川が3本も流れている(当時)し、
直線距離にして、800以上離れている。
現在の遺跡呼称と言うのは、埋蔵文化財保護のために設定しているのであって、
そうエリア=当時の集落エリアと言うわけではない。
素人が勘違いするのは無理はないことだがw

それに須玖岡本が「王都」域外で箸中山が域内と言うのは手前がってな判断だな。
510日本@名無史さん:2012/01/18(水) 23:57:47.40
>>507 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>完全なる外洋を直線距離で40〜60キロ以上一日で渡れる一行が一日15キロまで落ちる説明がつかない。

途中寄るべき場所も無い海峡を突っ切る為には強行軍だろうがなんだろうがやるしかない。
ましてトロトロやってたら対馬海流に流されもするだろう。

がじゃあそれをノルマする必要は全く無い。

潮を利して楽に移動できる時間帯距離で移動して何の矛盾も無い。

それは「道草」と言う概念にすら当たらない。

自説=おらが国の東北説 ありきの牽強付会ゴミの中のゴミ。

511日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:04:18.14
>>509
>素人が勘違いするのは無理はないことだがw

まあ条坊のある藤原京や平城京と単純に面積を比較したりするのもあるから
その勘違いも助長されるわなwwwwwwwwwww
512夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 00:06:54.07
>>295
これは爆笑もの。
方角は八方向だから一方角辺り”幅があるはず”てことだな。
高木アキ光論だ ワラ
東には東北東から東南東を含む、九州はそこに入る。
会稽から見たら強引には通るように見えるが、通らねえよ。
距離が伸びれば伸びるほど角度は広がり許容範囲は広がる。
だいたい会稽を起点にしなければならない話で東冶はどこへ行ったんだろうね?
513ローガン:2012/01/19(木) 00:10:51.37
>>441:怒濤の天才
なんか、ぐちゃぐちゃやで(笑)

>そのようなわけで、墓域は王都の郊外に設けられたものである。このことは史実が証明している。
では、廟祀以前は、王霊祭祀そのものが存在しなかったという主張?

>穢れた遺骸を埋めた墓と、生者たる王の住む王域が一緒か否かだ。

ほら、主観。主観に対する否定は「私はそうは思いません」で良いですな。
514日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:10:56.49
東冶とかはもともと無いのね これてじょおしきだけどさ
515日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:12:16.82
>>507 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿
>狗邪韓国から対馬、壱岐、北九州と完全なる外洋を各一日で渡っているのは間違いない。

ちなみにこの部分も本来この馬鹿が言うのがおかしい部分がある。

大抵の人間は古代準構造船の航行なんて(やむをえない場合を除き)基本日中だけと思っているだろうが
漕ぎ手が休んでいる夜間も帆に風を受けて日本海沖合いを航行していたと言ってたのがこの馬鹿のはずなんだが

夜間の航行も普通にあったとしておきながらそれを一日と限定する理屈が出てこない。

まあ阿呆が行き当たりばったり適当にほざいた結果なんだと思うがwww
516日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:13:40.72
つーかそもそも墓域に関する習俗が中国と同じである必要があるはずもなく
517日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:14:45.06
上陸したら観光したり酒が呑めたりつまみに奴・(以下省略)
518夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 00:16:21.87
>>352-353
伊作の10項目のうち畿内説否定は畿内説者が応じればいいんで俺は関係ないっと。
名古屋坊、お前が突っ込むべきは鬼道だな。
またちょこっと突っ込んでるが、徹底してやってみれ。
二年だ、三年だでは両者決め手がなく公平に見てどっちとも軍配は上げられない。
どっちも勝ったのは俺だと言ってるがな ワラ
だが鬼道になら、よほど下手な議論をしない限りお前が勝てる。俺が保証してやるよ。
逃がさず、しつこく食い下がってみな。
それからお前はすぐ「学者はこういってる」などと言うが、それはみっともないぜ。
議論は自分の力量だけでやれ。他人の評価に頼るな。
519日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:30:21.22
「夜間も帆に風を受けて航行」には

「妙見さま」の助けが必須ですねえ

「北辰」のことですけどね

「辰韓者 古之辰國也」 とかってきたら

びんかんなひとならわかるはずだけどさ
520日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:38:38.41
夢ちゃんのは

仲達さんの所は山東半島とか押さえた後に

程度の良好な航海術を駆使できるようになった

このあたりおさえられていないから

無駄にありもしない魏の高速船とか妄想してしまうのな

青州の黄色の系のひとで浜辺沿いのひととかは

かなりいったりきたりしていてふつうなのでわ
521夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 00:39:31.98
>>362
>お前が社長命令で初めての海外取引先に出張して、
 行程・日程・場所・旅費などを曖昧にまたは虚偽に報告するか。
 こういう質問を何人にもしたが、誰一人としてまともに回答したものはいない。

俺はちゃんとしたけどなあ プ

>>388
>その説明したという彼のレスには、仮説の根拠が一切無いんだが。

あのな、俺は魏志倭人伝を史料として話しているんだぜ。この一級史料じゃ不満か?
俺が推論を出すときは、これでもかというくらい根拠は示している。
史料ばかりが根拠にならないことはお前もやってるじゃないか。
行程記事をお前は複数ソースだと推論した。
これは複数の話が採用されたと明記した史料があるのか?
「軍の情報が正確だが、魏軍は倭に侵攻していない。
したがって軍の単一情報のような信頼できるものが倭に対してはないから
行程記事も複数の情報だろう」簡単に言うと、これがお前の推論だよな。
これに対して「軍の情報に匹敵する正確な情報ならあるじゃないか」が俺。
この 推論vs推論 はお互いに決め手の史料はないが事実や状況からそれぞれが根拠を持つ。
おまえ自身がやってることを否定するのかな プ
俺が「史料馬鹿」というのは、例えばこういうことだ。
伊作
>魏の東方調査は、漢朝の西方調査に匹敵する文化事業だ。
 東夷伝序文がそうした自負をうたっているんだぜ。
史料にはこうある。だから信じる。これが史料馬鹿だ。
序文に書いてあっても実際は違うだろうと示してるのが俺。わかるかな?
522日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:42:46.91
コピペ投入ゝゝ
実は卑弥呼なんて最初からいなかったりして。
聖徳太子みたいな架空の人物ってオチじゃね?
523日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:45:35.01
大穴牟遲神
葦原色許男神
八千矛神 
宇都志國玉神

この別のお名前もっているひとは

筑紫から越まで

おんなあさってからに

いったりきたりしてあるいたひとだからして

かつ

あまてるおばはんよりまえのひとだからして

そのころから筵とか簾とかなんか風受けるやつないと

よばうのにたいへんかなとはおもふがね
524夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 00:45:56.06
あれ、読み返したら一個書いたはずのがないぞ・・・

>>505
勘でも何でもいい。続けてまとめてみてくれ。
525日本@名無史さん:2012/01/19(木) 00:49:25.10
日本海ルート論者です。

>>348
面白くなって来ました。
雲伯が元の出雲。因幡も勢力圏と思う。
本州への渡海がどうか…にしても2:1の許
容か。若狭説も視野に入れ再考します。

>>349 にも相乗りで。
>日本海ルートは和邇氏・安曇が、糸魚川まで独占していた。
土着的海人ではなく職業的海人=公認運搬
代行業者として日本海ルートを担当してい
た、という捉えでokですか?

526日本@名無史さん:2012/01/19(木) 01:08:55.54



 東京にある6つのキー局の内、製作から財務まで一貫して朝鮮人が行ってるテレビ局が1つ
 中国共産党から毎年大量の反日工作費が流れているテレビ局が2つ
 もろに北朝鮮と繋がっているテレビ局が1つ  
年寄はまだまだテレビという外国人に騙され続ける
527夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 01:09:45.80
もう話があちこちでまとまらんね ワラ
こりゃもう一回自論をまとめ直して話さなきゃ駄目かな?

それと、やっと、やっと古今華夷区域総要圖が出てきたな。待ってたぜ〜 ワラ
出したのがローガンねえ。ま、ここは畿内説者だからな。
この地図から中国のいい加減地理観を世界の他の地図との比較から詳細に話してやるわ。
前に言った「地理情報は地図に結実する」このことだ。

あちこち話が飛ぶし、空けるとグチャグチャになるし、ワケワカメ ワラ
地図の話は長くなるんで明日だな。明日は昼間は時間があるし。
528唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 01:14:25.55
@ 王都に墓はつくらない。
❶王朝が変われば、墳墓が蹂躙される中国の常識を当てはめているだけ。
A洛陽の尚方では絶対につくられない呉式「神獣鏡」に魏の年代が刻まれているという不条理。
❷楽浪でも作ることが出来る。倣製であれば、100年後でもできる。
B大型化へ向かう段階的ステップがある。
❸210年任那建国、239年ホケノ山、250年代倭国統一=箸墓。
C唐古・鍵遺跡は、弥生時代中期末の洪水で環濠の大半は埋没するが再開発される。ほぼ全国の土器が出土する。
❹間違いがある。唐古・鍵遺跡は弥生後期後半に衰退し、それと共に、各地の土器が纏向に持ち込まれる。
D弥生時代の鉄器製造の中心は九州だったし、
❺九州は、靈帝光和中其國亂,遞相攻伐,歴年無主。
E『三国志』東夷伝の距離数値は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。
❻だから距離、方角は参考資料としては、あまり役立たない。
F実測が不可能な海路距離は「1航海1000里」「1日航海1000」で、1000里単位か日数単位で表記した。
❼日数単位は、聞き書き。
Gこれで、行程記事の順次読みも放射読みも間違いであることが判明した。
❽無視してもよい。
HH卑弥呼の鬼道については張魯と同じ「鬼道」としていることや、天師道か太平道だったと思われる。
❾推測である。
I倭人と倭国支配層の民族的特徴は、「文身をする・お歯黒をする・文字をもたない」である。
❿松羅半島の見聞をすべてに当てはめても正解とは言い難い。だから、238年の魏使は先遣隊であり
伊都国までしか来ていないと出来る。この場合、卑弥呼は倭奴國王位継承。
529日本@名無史さん:2012/01/19(木) 01:20:10.32
>>524
全ての手の内を自ら明かす気はない。答えても構わないことだけは答える。
調べてみたら熊野本宮大社旧社地が田辺にあったり、真名井社がアマテラスとスサノオが誓約の地とされてたりで結構面白かった

>>525
西念・南新保遺跡+青谷上寺地遺跡と妻木晩田遺跡との整合性を考えないと
530日本@名無史さん:2012/01/19(木) 01:25:45.02
そもそも 無限尿 とかいう馬鹿のほざくところの「水行一日千里」の一日とは何時間だ?と言う話で
海流自体は常に一定方向に流れていようが潮の満ち引き伴う潮流は時間ごとに変わる。
日が昇って沈むまで全ての時間条件が同じではない。
ベストなのはその半分とか数時間に限られる。
通常ならその時間だけの航行にする。

が、海峡横断ともなるとそうも言ってられない。
効率が悪かろうが一気に突っ切るしかない。





531日本@名無史さん:2012/01/19(木) 01:45:30.10
ローガンよ、よく読んどけよ.、>>449の最後の1文を。
532日本@名無史さん:2012/01/19(木) 02:07:06.51
>>449
>三角縁神獣鏡もそうで、畿内説の考古学者はほとんど卑弥呼の鏡ではないことになってしまったのに、

「卑弥呼の鏡ではない」と断定できる根拠は何かね?




533日本@名無史さん:2012/01/19(木) 02:10:17.34
>>532
卑弥呼の鏡と断定する根拠を先に、自分から提示したらどう?
534日本@名無史さん:2012/01/19(木) 02:15:34.63
>>533 恨み節東遷厨か?
「卑弥呼の鏡ではない」とほざいたのはてめえだその根拠を言うのが筋だろうがよクズ。

言っておくがこっちはこの件に関しては一貫して
三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡と肯定もできなければ否定もできないと言うスタンスだ。

それをきっぱり否定できるというのならその根拠を言え。

535日本@名無史さん:2012/01/19(木) 02:18:55.59
>>534
べつに否定も肯定もしてないぞ。だから俺が証明する必要はない。
お前はなんで卑弥呼の鏡だって断定するわけ?
536日本@名無史さん:2012/01/19(木) 02:26:09.17
>>535
つまりお前は

>三角縁神獣鏡もそうで、畿内説の考古学者はほとんど卑弥呼の鏡ではないことになってしまったのに、

と言っても何故考古学者の殆どがそう言っているのか理解していないのに言ったいるわけだアホがw
と言うか殆どの学者は鏡の件にそれほど深入りしているわけでもない。

かつて殆ど自明の理として魏鏡とされていたところに王の論文がショックを与えて
今までの反動も手伝って一気に国産説に傾いてその「雰囲気」程度が続いているだけの話。

それをここのゴミクズレベル九州説は自身の溜飲を下すネタにしているだけ下らない話だ。

537日本@名無史さん:2012/01/19(木) 02:53:07.00
>>536

何言ってるんだよ。俺の意見はないよ。
お前が卑弥呼の鏡だと断定している根拠はなんだよ。
538日本@名無史さん:2012/01/19(木) 03:15:55.00
>>532
黒塚古墳を見てみればいい。三角縁神獣鏡は、棺の外に大量にあって周りを取り囲んでいる。
棺の中の頭の近くにあるのは画文帯神獣鏡。明らかに三角縁神獣鏡は粗末な扱いを受けている。
他の、例えば福岡県の一貴山銚子塚古墳も同じような感じで、内行花文鏡や方格規矩四神鏡が明らかに
重視されている。

黒塚古墳の場合は、さらに三角縁神獣鏡がバリのついた未完成品であることも判明した。つまり、
棺に入れるために急遽作られたもので、鋳型から取り出したばかりのものだった。恐らく、磨かれても
おらず、鏡としての役割も果たしていないものと思われる。

だから、発掘責任者の河上邦彦氏は、三角縁神獣鏡は卑弥呼の鏡ではなく、葬具であるとしている。
石野博信氏も菅谷文則氏も明確に卑弥呼の鏡であることを否定している。

三角縁神獣鏡は、ちょっと前まで畿内説の考古学的な柱といわれた。
しかし、破綻したら、ほとんど触れられることもない。だから、いまだに勘違いするようなのがいるというわけだ。
539日本@名無史さん:2012/01/19(木) 03:17:30.62
日本の馬鹿学者の気持ちを逆なでしないよう「なんちゃって畿内説」である王の論文が、
なんと△鏡は魏鏡じゃないと断言しているので、詐欺の畿内説論者がバタバタ死にましたとさw
540日本@名無史さん:2012/01/19(木) 03:56:03.66
>>538
いわゆる「卑弥呼の鏡」は100枚の筈だが
その内の33枚があの古墳にあったという話なのかな?

黒塚のものは編年上わりと古いものに分類されると思うが
魏からの下賜品が100枚でその後はそれを模した国産品であったらそう言う状況は成り立つ。

更に言うならそもそも三角が卑弥呼の鏡じゃなくても畿内説にマイナスになることはありえない。
九州説の即死がなくなるだけの話。

そもそも王からして魏代に各種神獣鏡と各種画像鏡を中心とした中国南方系統の銅鏡を海路輸入した。
…としていてあれが魏鏡ではなくて呉鏡であれば、もしくはそれを元に作られた国産鏡であれば3世紀の物となる。
三角縁神獣鏡が国産であろうと少なくとも3世紀には全国に鏡をばら撒く勢力が出現していた事になる。
これが畿内説にとって不利になることは無い。
(まあ邪馬台国東遷説は即死ネタだがw)

ここのゴミクズレベル九州説にとっては畿内説とは 三角縁神獣鏡=魏鏡説 で成り立つ説でないと困るんだろうがw

>>537
>お前が卑弥呼の鏡だと断定している根拠はなんだよ。

この頭の悪さはサイキバか?

いつ俺が「卑弥呼の鏡だと断定」したんだ?どれだけ遡っても良いから過去ログの中から拾って来いゴミカス。





541日本@名無史さん:2012/01/19(木) 04:26:09.24
△の作りが雑でも墓域内での扱われ方が低くても、それを配る勢力との
関係が被葬者にとってはステータスだったんだろうな
葬儀花輪のような感覚で送られたんじゃね?
現代でも御霊前には新札は使わなかったり、墨の薄い字で書いたりすることで
大切な人の死を予期してなかったことを表すからな
542怒濤の天才:2012/01/19(木) 07:34:26.30
●「卑弥呼は朝鮮半島にいた」へ。

三種の神器の話題ついでに、
三種の神器が成立するのは大陸でも道教が成立する4世紀だ。
したがって、卑弥呼はそれ以前の二種を神宝としていた。
当然ながら、九州の弥生の墳墓から「三種の神宝が出た」というのは、
この事実を知らないバカのいうことだ。
このことを主張し指摘したのも俺が最初だろう。

あとは長くなるので、三種の神器にまつわる「驚くべき事実と謎」を、
俺のサイトから引いて俺の掲示板に掲載した。
勉強したければのぞくがいい。
http://8234.teacup.com/isaq/bbs
543:2012/01/19(木) 08:08:41.70
>>525 ルート氏
>土着的海人ではなく職業的海人=公認運搬
代行業者として日本海ルートを担当してい
た、という捉えでokですか?

5・6世紀の海上運搬の人夫の一日の手当てを書いた木簡が出ています。
日本海側は、瀬戸内海の五割増だったと記憶しています。
日本海ルートは、「荒波を克服していたプロに委ねられていた」が持論です。
長距離輸送と対馬海流縦断。 プロの中のプロでしょう。

 四隅突起型墳が、若狭地域を避けている様に古代人は、上手く「棲み分け」を
していたと考えています。
544怒濤の天才:2012/01/19(木) 08:16:20.30
無限暴。ペラペラとよくしゃべる夜郎自大。
底の浅さを露呈して、いつもいつも同じ繰り返しでは飽きられるぞ。

中国天子は神格化された存在で、王道儀礼というものがある。
頼るは拒まず服わずは討伐。朝貢外交では贈答品は倍々返し。
降伏してきた仇敵は受け入れて厚遇する。
度胸剣法の町民やくざにわかりやすくいえば親分肌よ。
威厳と体面にとくにこだわるから、朝貢相手には礼儀をあつくする。丁重に扱う。
くどく説明してやる気などさらさらないが、
お前はこうした事実を知らないから、強気で無恥言説をわめく。

正史は図鑑ではない。文章だけで書かれた記録だ。
だから、地理情報も文章できちんと書かれている。これが歴史書の現実であり常識だ。
文章で書かれた「帯方東南の大海の中」をでたらめだといい、
「ちゃんと描いた地図がない。だからいい加減な地理感覚だった」とは、
お得意の「勝手決めつけ」による短絡論法だな。そのままさらに飛んで、
次元も時代も異なる地図をもちだして「このような地理感覚だった」という。
この点から点への短絡論法がお前の思考構造よ。

その思考構造によると、史料をコケにしていながら
都合のいい所は都合よく解釈して都合よく利用するわけだ。
「到」も「会稽東冶の東」も「インチキ図」も史料だ。
しかも、その史料の活用法が「勝手我流」と「お角違い」ときた。

最後に一つだけ質問しよう。俺の「景初2年か3年か」の議論を嘲笑していたが、
お前は卑弥呼の朝献年は景初2年説か3年説か。
了見と視野の狭い行程解釈をやってるだけで、考えたこともなかったろうから、
墓穴を掘らないよう慎重にな。
545日本@名無史さん:2012/01/19(木) 09:09:44.67
>>542
怒濤の馬鹿
>卑弥呼はそれ以前の二種を神宝としていた。

馬鹿
546日本@名無史さん:2012/01/19(木) 09:41:30.14
>3世紀には全国に鏡をばら撒く勢力が出現していた事になる。
弥生時代における畿内勢力のシンボルは銅鐸だ。それがせいぜい九州にはまったく広まっていなかった。
古墳時代に入ると、全国に鏡をばらまく勢力が出現した。弥生時代、鏡は九州のシンボルだったもの。
それが全国に広まり、銅鐸が消えたということは、九州勢力が全国に広まったということだね。
547日本@名無史さん:2012/01/19(木) 09:42:32.78
相変わらずジョーカーは知能が低いなw
54819歳某国立大生:2012/01/19(木) 09:44:38.19
伊作の爺さんは長ったらしい文ばかりで鬱陶しいなw
鏡も箸墓も論破済みだし、逆に畿内説が正論ということを
自分で証明してくれちゃってw
549怒濤の天才:2012/01/19(木) 09:44:51.85
>>545
事実だが。
言語障害児童じゃあるまいし、ほかにいうことはないのか。
55019歳某国立大生:2012/01/19(木) 09:53:03.82
伊作の爺さんよ、箸墓は3世紀後半の墓なのは論破不可能だぞ。
280m級の前方後円墳がその時代にあるってことは当時の
最大勢力が畿内にあったことを示してるわけで邪馬台国など
熊本にはないぞw僕でもわかることなのに年寄りのくせにわからんのかw
551怒濤の天才:2012/01/19(木) 09:54:43.19
俺の掲示板のタイトルを変更した

「邪馬台国機内説ぶっ叩き掲示板」
http://blog.goo.ne.jp/isaq2011/
552怒濤の天才:2012/01/19(木) 10:03:22.87
ここで一句。
「プロ固定 無視され続けて あがったり」

プロ固定とみなした奴は、みなで無視すべし。
肩すかしのカラ振り投稿をさせて奥歯で嘲笑。
55319歳某国立大生:2012/01/19(木) 10:07:00.01
無視してるんじゃなくて、もう僕には勝てないのがわかったから
避けるしかないんでしょうにww
つまり僕を避けるということはあんた自身負けを宣伝してるわけだ。
なので畿内説の軍門に下ったというわけさww
55419歳某国立大生:2012/01/19(木) 10:18:16.70
ほれほれ箸墓が3世紀内築造も論破できないんでしょw
でかいから4世紀以降だくらいしか言えないんでしょ。
熊本説を守るために自分の都合のいいように解釈してるだけでしょ。

555:2012/01/19(木) 10:18:25.14
>>553
>つまり僕を避けるということはあんた自身負けを宣伝してるわけだ。

序二段と幕内力士が対戦することはない。
天才の説には賛同できないが、一応「これより、三役」。
55619歳某国立大生:2012/01/19(木) 10:31:55.53
九州説の時点で土俵に上がれるレベルではないんだがww
55719歳某国立大生:2012/01/19(木) 11:03:51.77
この桂川光和とかいう爺さんは2chにはいるのか?
尾張氏系図の宇那比姫を卑弥呼に比定してるが、
この姫は結婚して子供もいるし卑弥呼とは違うんじゃなかろうか?
まだこのへんあまり詳しくないからなんとも言えんが。
しかしこっちの爺さんのほうが伊作の爺さんよりは賢そうだw

http://yamatai.sblo.jp/category/1182447-1.html
558夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 11:33:39.40
>>544
夜郎自大というからには「誹謗中傷、罵倒、罵詈雑言なし」で向き合う気はないと判断する。
それで俺様に話を振ったからには覚悟しな。容赦はしないぜ。
王道儀礼はよくわかった。それを否定してるわけではない。
肯定するからこそお前の話は矛盾するんだよ。

>度胸剣法の町民やくざにわかりやすくいえば親分肌よ。

柵封体制というのは、まさにその親分肌だ。
子分たる臣下国が軍事的危機に立たされたら実力を持って排除する。
だが魏はこれをしていない。卑弥呼からの救援要請に軍監を差し向けただけだ。
あとは屁の役にも立たない檄文と黄色いハンカチならぬ旗か。
本来の親分子分の関係であれば子分の窮地に実力行使がなくてはならない。
それだけ魏にとって倭は「どうでもいい国」に近い存在だったということだ。

>正史は図鑑ではない。文章だけで書かれた記録だ。
 だから、地理情報も文章できちんと書かれている。これが歴史書の現実であり常識だ。

魏志倭人伝は南に長い日本を描いている。
随書倭国伝は「倭国は東西五月行、南北三月行で各々海に至る」と記述され東西に長いとされる。
これだけでも二つの日本観があり隋の時代に統一されたわけでもない。
あとで詳細を話すが地理情報は地図に結実するんだよ。
お前はこれを認めたら都合悪くなるから認めないだけだ。ご都合主義の馬鹿だからな。

>文章で書かれた「帯方東南の大海の中」をでたらめだといい

ついには捏造か ゲラ
俺がいつ出鱈目だと言った?「帯方東南の大海の中」その通りじゃないか。
郡から南や東に行って狗邪韓国だ。つまり東南。そこが渡海基点でそこから南、南だ。
混一的地理観をそのまま当てはめたら、まさに「帯方東南の大海の中」じゃないか。
どこに矛盾がある。東西に伸びず南北に伸びても東南だ。
「会稽東冶の東」の東には幅を持たせるが、この東南には幅があってはいけないのかな プ
559夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 11:34:57.51
>次元も時代も異なる地図をもちだして「このような地理感覚だった」という。
この点から点への短絡論法がお前の思考構造よ。

地理情報はな蓄積されていくものだ。こんな当たり前のことさえ否定しなきゃ論を張れないか プ
こんな常識すらなく史料だけを見て書いてあることだけが正しいと思うから史料馬鹿というんだ。
後世の地図はそれ以前の地理観の集大成でもある。これは常識。

馬鹿に物事の見方の基本を教えてあげよう。
「虫の目、鳥の目、魚の目」という視点を持たなければ物事は正しく把握できない。
一点を詳しく見る。これは虫の目だ。
一点だけでなく全体像を俯瞰して見る。これが鳥の目。
潮目を読む、つまり流れや転換点を把握する。これが魚の目。
史料馬鹿は「虫の目」しかないから全体像も、流れや転換あるいは蓄積も掴めない。
それがお前だ。オタクはみんな「虫の目」しかねえんだよ。
560夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 11:45:48.52
>最後に一つだけ質問しよう。俺の「景初2年か3年か」の議論を嘲笑していたが、
 お前は卑弥呼の朝献年は景初2年説か3年説か。

俺はお前に答えやすいように、わざわざ箇条書きにして質問をぶつけている。
それを無視して逆質問か。質問に逆質問、これはヘタレの常套手段なんだぜ ワラ
俺は答えてやるがな。
どっちでもいい。「倭人伝は邪馬台国をどこだと指しているか」のテーマには関係ない。
つまり比定には直接無関係な話だ。
倭人伝は九州も畿内も指していない。ここから両説を否定していくのにまったく無関係。
だから「どうでもいい」
これじゃ不満か プ

で、お前は俺の突込みには答えないだろうな。
一方的にやってやるから、我慢できなくなるまでおとなしくしてな ワラ
561日本@名無史さん:2012/01/19(木) 11:46:22.54
>>559
「虫の目、鳥の目、魚の目」という視点を持たなければ物事は正しく把握できない。


怒濤の馬鹿、無限しっこ、劣等生は
歩くと激痛の 魚の目 なんだよ。
562夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 11:53:56.85
もう一個いってから地図に行こうか。

>威厳と体面にとくにこだわるから、朝貢相手には礼儀をあつくする。丁重に扱う。

威厳と対面にこだわるから「いきなり正使を出すようなことはない」
柵封体制に組み込むかどうかの決定は魏の威厳がかかる大決定だ。
事前調査無しで短期間にほいほいと決定するはずがない。
だから先遣調査隊は常識なんだよ。
それも郡使なんていう朝鮮出張所の言ってみれば「市役所の職員」みたいな情報や
民間人の情報などで判断、決定するはずがないのも常識でわかることだ。
朝廷直属の信頼が置ける国家公務員クラスの調査無しに親魏倭王を決定できるか。
よーく考えな。
563夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 12:21:00.78
古今華夷区域総要図に行くか。
これが前々から言ってきた「日本を丸い島の点在で南に伸びるように書いてある地図」だ。
つまり古代中国の地理観のいい加減さを代表する古地図なのよ。
まずこの古地図のいい加減さから。

これは11世紀、宋の時代の地図だ。魏よりはるかに時代が下っている。
で、ここに描かれた日本はどうか?
「倭奴」「毛人」「流求」「蝦夷」と縦一列に南に伸びて書かれている。
まずこれで「混一」と同じで日本列島が南に伸びていたと認識しているのがわかる。
「毛人」と「蝦夷」は東日本を指すと見られているが、その間に「流求」がある。
この「流求」は当然「琉球」のことで位置関係はメチャメチャ。
しかもこの四つの島は大きさはすべてほとんど同じに書かれている。
さらにこの一列に南に伸びる「倭奴」「毛人」「流求」「蝦夷」のすぐ左列、つまり西側の
「倭奴」と「毛人」も中間くらいに「日本」が記されている。
「日本」とは天武朝以降の呼称だな。これも入っている。
はっきり言えば出鱈目の一言だ。これが11世紀の中国の日本観。

倭の発見は民俗学的、文化的な一大発見で調査には力を入れてた?大笑い。
東夷伝序文に書いてあるから間違いないと思う奴は「史料馬鹿」
調査され記録され、それを公式地理観としていれば、それは蓄積され
こんな馬鹿な地図が数百年後に出てくるはずがない。
柵封を名ばかりのものとしお茶を濁したことでもわかるように
魏にとって倭は「どうでもいい国」だった。どうでもいい国の地理はどうでもいい。
それを「混一」だけでなく、この古地図も端的に表している。
間違いないのは日本列島は南に伸びているという認識だ。
564日本@名無史さん:2012/01/19(木) 12:21:31.80
もう19歳阿呆大生は誰からも相手にされてないね。
可哀そうね。
565日本@名無史さん:2012/01/19(木) 12:27:50.38
>>563
何言ってんのw
古今華夷区域総要図の日本は南に伸びてないだろ
566卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/19(木) 12:46:34.69
伊作氏の「三種の神器にまつわる事実と謎」を読んだ。
ここに書かれているのは、日本に於ける王位継承のしるしの一つとして印璽があった、ということだけである。
あとは伊作氏の勝手な推測。

伊作氏も、一種の陰謀史観のようなものに惑わされている。惜しいことだ。

567夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 12:56:32.32
ちょっと長くなるが世界の古地図を出しておこう。
意外と知られてないが上が北とは限らないのが面白い。欧州は東、イスラムは南が上だ。

世界最古といわれる地図は「バビロニア図」で紀元前7世紀。
バビロンと周辺の地理情報しかなく、あとは空想で書かれている。
いくつか経て
「ヘロドトス図」で空想がなくなる。これが紀元前5世紀。
ギリシャのヘロドトスという人がエジプトやペルシャなどに直接行き情報を得て書いてある。
カスピ海などがかなり正確だとされるが、当然情報がないところは描かれていない。
「エラトステネス図」紀元前3世紀
アレクサンドロス3世の遠征記録が情報として入りインドあたりが正確になってくる。
「ヒッパルコス図」紀元前190年頃
これは天動説古代天文学を纏め上げた天文学者で、世界で始めて等間隔経緯線を
地図に入れたといわれている。
余談だが前に歳差理論を言っていた奴がいたが、歳差による春分点移動を発見した人だ。
「プトロマイオス図」2世紀
これがその後の古地図に大きな影響を与え続けたと言われている。
プトロマイオスが150年に著した「地理学」が元になってるもので8000の座標情報が入っている。
等間隔経緯線も記されている。
良くも悪くもこの地図が後々に影響し、これを継承あるいは修正という形が多くなる。
「ポイティンガー図」4世紀
ローマ帝国時代の欧州遠征情報が入ってくる。
その後キリスト教、イスラム教の影響で宗教色、迷信から地図の正確さは後退したとされる。
で、注目すべきは「混一」と同時代の「フラマロウ図」これは後で話す。
その後、喜望峰発見が反映された1490年「マルテルス図」
大航海時代の情報が入ってくる1569年「メルカトル図」
オーストラリア探検情報から初めてオーストラリアが描かれる1648年「ブラウ図」などがある。

長々と書いて何が言いたいかといえば
地図とはこうして新しい地理情報が入るたびに正確になっていくということだ。
地図の歴史を見れば「地理情報の結実が地図になる」ことは馬鹿でもわかるはずだ。
じゃあ中国はどうだったか?
568卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/19(木) 12:57:24.71
太国氏の二倍暦、三倍暦説も、面白いが、それだけではやや論が弱い。
古代にそのような暦が使用されたという例をもう少し挙げてくれないと。

もともと書紀が胡散臭いのは、年月まできちんと書かれていることである。
ただし、もしそれが真実だとしたら、実に恐るべき書物だということになるのだが。
569夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 13:17:07.71
>>565
>「倭奴」「毛人」「流求」「蝦夷」と縦一列に南に伸びて書かれている。
上記の通り、南に縦一列だ。

1459年「フラマウロ図」
中心がエルサレムで上が南の一般的なヨーロッパに見られる描き方がされている。
これが「混一」と同時代のヨーロッパの描いた世界地図だ。
中心からヨーロッパ周辺まではかなり正確とされているが東洋はどうかというと
これは東方見聞録の情報が入っているといわれている。
だが正確性はお世辞にもあるとはいえない。「混一」とも類似点が多く情報源が同じ可能性も高い。
つまりヨーロッパは自分の周辺には比較的正確な地図を書けたが東は東方見聞録をもってしても
正確には描けなかった。
その当事者である東洋の中国が描いた地図も日本は不正確極まりない。
欧州人が自分の周辺を割りと正確に描けたなら、中国人も中国と周辺を正確に描けてもいいはずだ。
だが日本に対してははるか遠方の欧州人が描くものと大差ないものしか描けていない。
それだけ日本に対して関心が薄いということだな。
570日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:18:56.39
つーか倭人伝に「日本は南北に長い」なんて描写は一切ないから。
571日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:20:13.40
いくら吠えても東北はねーよ。バカ
572夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 13:20:43.08
あ〜、「混一」は朝鮮の地図だから中国が描いたわけじゃないだろ、と突っ込まれるな ワラ
確かに朝鮮製だが、この地図の元は中国の古地図とされているから
中国の地理観を反映しているのは間違いがない。
573夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 13:23:13.74
>>570
だから「史料馬鹿」つうんだ ゲラ

地図は一段落させて自論まとめ直し行くかな。ちょっと休憩。
574日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:23:41.67
無関係なことをだらだらと書き込まれてもなあ
575日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:30:17.49
>>573
勝手解釈批判への言い訳が「史料馬鹿」か
終わってるな〜おまえ
みっともないぞ
576日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:34:15.41
>>572
混一疆理歴代国都之図は間違った地図。
アフリカ大陸よりも朝鮮半島の方が大きい。インドが見当たらない。インドシナ半島もない。
台湾はどこにあるのか。

突っ込みどころ満載の地図を持ち出して、日本は東が南になっているとのたまう。
しかも、1000年近く前の違う国の地理感をそれで語ってしまう。

それで納得してしまう人がいるわけだから、論争も続くわけだ。
577夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 13:36:44.76
>>575
倭人伝の国、行程紹介は連続読みなら南、南で南に延びているだろうが。
ま、放射説でもいいんだが南にしか伸びてないわな。

こういう読み取りをやらず直接「南北に長い」と表記されてないから
というのが史料馬鹿なんだよ。
578夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 13:41:53.06
>>576
んじゃお前は古代中国が正確に日本を認識していたという証拠でも出せるか?
「混一」だけじゃなく「古今華夷区域総要図」もあるんだぜ。
地理情報は地図に結実しない、という世界の非常識で対抗するか? ゲラ
579日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:43:49.85
あなたはサイパン島、テニアン島、ロタ島、グァム島の位置関係を正しく書けるのだろうか?
だいたいあの辺りという認識しかないのでは?
古地図でも著者が全てを理解してたわけではなく、だいたいの感覚で書かれた地域もあるだろう
この、当時の人の大雑把な地理認識が面白い
日本は長江河口部から東に行ったところにあり、半島は黄河河口部の対面にある、という認識が一貫している
580夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 13:46:22.12
あ、言い忘れた。
中華思想についてゴチャゴチャ言ってた奴がいたが、その史料がこの「古今華夷区域総要図」だ。
名前の通り中華と夷国の区域を分けて記したものとされている。

一旦落ち。
581日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:49:37.48
>>577
邪馬台国が南の方角にあるのだからそうなってるだけだろw
大体「周旋可五千餘里」とちゃんと倭地の範囲を限定してるっつーの
無関係なことから都合のいい結論を導き出す、詐欺みたいな論法だな
582日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:50:26.50
>>578
一度でも来たことがあるならわかるだろう。
よそにやってきて、南と東を間違うようだったら、どこかでミイラになる可能性が高いから
家の中でじっとしている方が良い。

まあ、帯方郡からやってきて、また帰っていることは間違いないから、方向を間違えた
わけじゃないだろう。

郡使は南に行った。そして邪馬台国に着いた。東に行ったわけじゃない。
だから、邪馬台国は近畿地方ではない。単純なことだな。

どこからか都合の良い地図を探し出してきても意味のないこと。
583日本@名無史さん:2012/01/19(木) 13:58:26.52
ムゲンニュさん、地図の件については説得力がないですね
584日本@名無史さん:2012/01/19(木) 14:26:59.89
>>577
南、南って言うが、それは九州の中だけの話だぞ。
本州はまったくの無関係。
585日本@名無史さん:2012/01/19(木) 14:31:33.63
>古今華夷区域総要図に行くか。
>これが前々から言ってきた「日本を丸い島の点在で南に伸びるように書いてある地図」だ。
馬鹿だねえ。何が「丸い島の点在」だ? その地図は、海外にこうゆう国があるということで
国名を書いているだけで、それがどこか、どんな形をしているかはまったく書いてないんだよ。
丸いのを島だと思ったのか(笑)
586おれおれ:2012/01/19(木) 14:31:48.80
(晉陳壽曰)
長老説 有異面之人 近日之所出
遂周觀諸國
采其法俗 小大區別 各有名號 可得詳紀
雖夷狄之邦 而俎豆之象存
中國失禮 求之四夷 猶信
故撰次其國 列其同異 以接前史之所未備焉

陳さんたらなんか本気で来たっぽいいいまわしだな

いよたんにもこんにちわとかしてるかもな

遂周觀諸國 ときたもんだあ
587おれおれ:2012/01/19(木) 14:57:08.64
「三國志魏書烏丸鮮卑東夷傳」て

「東夷傳」のところが先に成立していてからに

「書烏丸鮮卑」のところはあとでツギハギしているのね
588日本@名無史さん:2012/01/19(木) 15:00:22.46
    (~)
  γ´⌒`ヽ
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}
  ( `・ω・´) カキカキ
  ノ つ_φ))____
 ̄ ̄\        \
        (~)
      γ´⌒`ヽ
      {i:i:i:i:i:i:i:i:}
      (`・ω・´)
   | ̄ ̄∪ ̄∪ ̄ ̄|
   | 「烏丸鮮卑」 |
589夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 15:02:36.76
>>581
「周旋可五千餘里」なんて修辞中の修辞じゃねえか ワラ
百歩も伊作は修辞とわからないからあほなことを言ってたがな。

>>582
行程記事にある使者は郡から来て帰っていったさ、伊都国まででな。
行程記事の使者=先遣調査隊は伊都国までしか行っていない。

>>584
万二千里が具体的距離ではないことは証明した。よって九州説は成り立たない。
何回もループさせるな、阿呆。

さてキリがないからまとめるぞ。
590日本@名無史さん:2012/01/19(木) 15:23:14.34
>>589
ほんとこいつキリがないな
何一つ根拠を挙げずダラダラと
591日本@名無史さん:2012/01/19(木) 15:24:58.39
>>589
おまえにとっては修辞じゃないと都合が悪いからな
そうやって実際の記述は無視して、書いてないことを書いてあると言い張って
好き勝手に解釈してればいいんじゃないの?
誰も見向きしないと思いますが
ほとほとあきれたよ
592:2012/01/19(木) 15:34:19.16
>>589
混一疆理歴代国都之図は、文字・地形の相互関係から、誤って90度曲げたまま
写生されていたという専門家の分析が、すでにある。
十分納得できる内容だった。

天才との対戦はない。 幕下3枚目ってところ。 19よりちょい上。
それよりも質が良くない。
593ローガン:2012/01/19(木) 15:57:48.89
>>521:夢幻如◆vaujymvCDcV.
君には、おそらくまだ理解し難いとは思うが…

>あのな、俺は魏志倭人伝を史料として話しているんだぜ。

そりゃそうだ。その魏志倭人伝をどう解釈したのかを述べているんだからな。
で、君曰わくは、「魏志倭人伝の俺様解釈の根拠は、魏志倭人伝だ」という訳だ。 それが駄目だと指摘しているんだ。
俺様解釈は結構。好きにすれば良い。しかしその推論を導く過程で使用した史料等を明示しなければ、何を言っても誰にも相手されないだけだ。

>これに対して「軍の情報に匹敵する正確な情報ならあるじゃないか」が俺。

その件について私は、自身の推論に至る根拠として、序文と評を挙げた。当たり前の手順だ。よって、出された「序文評」が議論対象になる。
しかし、「軍の情報に匹敵する正確な情報ならあるじゃないか」には、なんら史料に基づく根拠が存在せず、議論の俎上にすらあがる事はないので、却下。

>俺が「史料馬鹿」というのは、例えばこういうことだ。
伊作「魏の東方調査は、漢朝の西方調査に匹敵する文化事業だ。 東夷伝序文がそうした自負をうたっているんだぜ。」
>史料にはこうある。だから信じる。これが史料馬鹿だ。序文に書いてあっても実際は違うだろうと示してるのが俺。わかるかな?

繰り返すが、だから伊作氏から出された「序文」の検証こそが、その推論の是非に係わるポイントだろうが。
それに対して「実際は違うだろう」という感想しか述べられないのが、君なんだ。君の云う「史料馬鹿」から「史料」を外せば君自身の事になるな。
594夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 15:58:06.55
(1)万二千里は具体的距離を表していない
  これは確かで確実なことの積み重ねだけで「水行一日=千里」を導き出して
  水行合計三十日に当てはめて出る。
  ここには一切の勝手解釈、独自解釈さらには推論は入っていない。
  連続説でも放射説でも万二千里をオーバーし、万二千里が具体的距離でないことが証明できる。
  これで万二千里を実距離とする九州説はすべて否定できる。
(2)行程記事は一連のものと見る
  複数ソース説は@軍の単一情報に匹敵する確実で正確な単一情報が使者のものとして必ず存在する。
  存在すればこれを使うのが一番自然で正確で簡単で手っ取り早い。
  A複数ソースであるなら観察記述が奴国、不弥国、投馬国にないのはおかしく、観察記述が途中で
  途切れるのは「観察していないから」という単純な話を否定できない。
  B行程記事は一連であり使者は邪馬台国まで行っていないから距離を里程表記出来ていない。
  遠方でも郡から狗邪韓国までを七千里と表記している事を見れば邪馬台国へ里程表記出来ないはずがない。
  投馬国とここの時間表記は伝聞である。
(3)行程記事は連続読みすべきもの
  シルクロードがある西方と違い東には関心が薄く軽視されている。三国志は正式な正史編纂事業で書かれた書ではない。
  著者の陳寿も、想定される読者も西方ほどの関心がない対象だから記述内容だけでなく、記述方法も単純になっている。
  複雑な方法や特別な解釈が必要な記述方法であるはずがなく単純明快に連続読みすべきもの。
(4)行程記事の使者は正使ではなく先遣調査隊である
  金印その他貴重品を携えて対馬や壱岐で悠長に観察するはずがない。
  正使であれば末ろ国への立ち寄りも不要のはず。
  伊都国は立ち寄るにしても奴国、不弥国立ち寄りも不要に思える。
595夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 15:58:43.77
(5)一連であり先遣調査隊と見れば観察記述や距離表記だけでなく「到、至」の使い分けからも
  行程記事の使者は伊都国までしか行っていないことがわかる。
  九州内に邪馬台国があれば、これはあり得ない事で、ここからも九州説は否定できる。
(6)魏の倭国地理観は「混一」的な九州基点に南に伸びる国という認識であったと見るべき。
  会稽東冶の東という記述はこれに合致する。郡の東南海にも矛盾しない。
(7)時間表記は距離表記であるから一日普通の状態で進む平均距離を当てはめるべきで
  アクシデント待ちや天候待ちなどは含まずに見るべき。でなければ距離表記に使えなくなる。
(8)魏船のかなりの差がある水行一日実績から倭船の水行一日も大きな開きがないと推測できる。
  仮に倭船が魏船の半分程度の速度であっても水行二十日で出雲や吉備は通り越す。
  さらに水行十日を加えれば畿内はゆうに通り越してしまう。
  加えて陸行一月がさらにあり、どうやっても合計水行三十日、陸行一月では畿内に収まらない。
  これで畿内説は否定できる。
  
こんなところかな〜
596日本@名無史さん:2012/01/19(木) 16:22:50.14
邪馬台国はどこでしょう
@福岡
A佐賀
B熊本
C大分
D長崎
597日本@名無史さん:2012/01/19(木) 16:22:57.50
邪馬台国が「南」にあると魏志倭人伝に書かれているのは重要なポイントで、
日本書紀の神功皇后記に魏志が挿入されていて、まるで神功皇后=卑弥呼であるかのような
印象を与えるにもかかわらず、本居宣長以降、九州説が主流だった理由はそこにある。

神功皇后=卑弥呼ならば、邪馬台国は大和朝廷ということになる。

畿内説が成立するためにはどうしてもこの「南」を「東」に変える必要があった。
明治末期の内藤湖南は、「水行十日、陸行一月」に注目し、これほどの距離を進んだら
東シナ海に出てしまうからこれは「東」の間違いであると主張した。

これが邪馬台国論争の始まりということになるのかもしれない。

だから、畿内説としては、これはどうしても譲れないか、またはうやむやにしなくてはならない点と
いうことになる。最近の畿内説は倭人伝なんか信用できるかという立場のようなので、
うやむやにしているということになるのかな…。
598夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 16:23:11.98
>>593
>しかしその推論を導く過程で使用した史料等を明示しなければ、何を言っても誰にも相手されないだけだ。

史料「等」だよな、史料限定じゃ史料馬鹿だ。で、具体的には

>私は、自身の推論に至る根拠として、序文と評を挙げた
>よって、出された「序文評」が議論対象になる。

俺は正使であれ調査隊であれ勅命で動いた一行が報告書を出すのは当たり前だという常識を根拠にしている。
お前さんが出した序文評と俺が出した常識のどちらが合理的かの議論になるんだよ。
序文でお前さんの解説が正しかったかどうか検討しても、対論である俺の論とは議論にならない。

>「軍の情報に匹敵する正確な情報ならあるじゃないか」には、なんら史料に基づく根拠が存在せず

だから史料馬鹿つうんだ。勅命訪問団が報告書を作ったか作らなかったかまで史料かよ アキレ
常識で記するまでもないこととして記録に残らなければなかったことになるのかな?
史料至上主義も大概にしろよ。「鳥の目」はないんかね?大アキレ

>繰り返すが、だから伊作氏から出された「序文」の検証こそが、その推論の是非に係わるポイントだろうが。

序文そのものをどうやって検証するんだ?他の事実と整合してるかどうかからだろうが。
序文どおりにことは実行されたかどうか、これ以外検証のしようがない。
そこに俺は正確な地図が古代中国にないことをあげている。
その序文どおりなら、あって然るべき正確な地理情報を反映した地図がその後何百年も存在しない。
地理情報というのは蓄積され、新たな情報や、正確さがわかれば世界規模でも進化するものだ。
それを上で実例で紹介した。
古代中国に限定しても正確な地理情報があり、蓄積されていればお前さんが出した地図は存在しないんだ。
こういう事実を持って検証する以外どうするってんだろうねえ?
599日本@名無史さん:2012/01/19(木) 16:27:42.25
>>597
>これが邪馬台国論争の始まり

正解
600日本@名無史さん:2012/01/19(木) 16:27:42.27
>>594-595
全て推論じゃねぇか
601日本@名無史さん:2012/01/19(木) 16:32:43.50
無限尿説骨子

・俺様の故郷=新潟の村おこしに邪馬台国問題を使いたい
・鯨統一郎の推理小説からヤマタイ=ハチマンタイ説を盗用しよう
602夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 16:34:39.46
魏帝が何年何月何日に朝食を摂った記録が史料にはない。
だから魏帝はその日に朝食を食っていないはずだ。なぜなら史料にはないからだ。

史料馬鹿の話とはこういうものだ。
記録になければ存在しない、あるいは絶対になかったとなる。
こういう馬鹿を相手に話をするには常識が通用しない。やれやれだぜ。
603夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 16:39:03.93
>>600
当たり前だ。すべて推論だよ。
九州説も畿内説も何一つ確実な根拠がない推論だということを忘れていないか?
一個でも確実な根拠があれば、既にどちらかに決着している。
それがないから互いに推論をぶつけ合っているに過ぎない。
そこの俺が新たな推論を上げたところで特別なわけじゃないぜ。
邪馬台国論争では普通のことだ。
604日本@名無史さん:2012/01/19(木) 16:43:41.19
>(1)万二千里は具体的距離を表していない
  具体的な距離だよ。ただし、女王国は邪馬台国ではない。そこをごっちゃにするから
  理解できなくなるんだ。

>(2)行程記事は一連のものと見る
 これはそのとおり。ただし、日数記載の投馬国や邪馬台国も使者が訪ねた所だ。
 長距離で里数がはっきりしないから日数で書いたまでのこと。
  
>(3)行程記事は連続読みすべきもの
  放射式に読むべきものだ。放射式だからといって、複雑な方法や特別な解釈が
  必要な記述方法などというべきものではない。史家ならばすぐ読める話だ。

>(4)行程記事の使者は正使ではなく先遣調査隊である
 どうでもいいことだな。だが、正使だよ。
 
605夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 17:00:36.15
>>604
(1)「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり」とはっきりと書かれているのは無視か。
具体的な距離ではないここは推論ではない。証明だ。

(2)>長距離で里数がはっきりしないから日数で書いたまでのこと。

それは上で書いた長距離でしかも距離を測りにくい航路である狗邪韓国から北九州までが
里程で書かれてある。
実際に行っていれば投馬国、邪馬台国も里程で表記されているはずだ。

(3)放射式は何とか九州に納めたいコジツケ解釈に過ぎない。
放射式でも合計距離は万二千里オーバーして、これを根拠にする九州説は成り立たない。

(4)正使なら上記の疑問にどう答えるのよ?
606夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 17:02:23.90
今夜からまた仕事なんで準備だ。
あとでな。
607日本@名無史さん:2012/01/19(木) 17:23:18.97
夜警、5963
608唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 18:03:43.68
>>605
>(1)「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり」とはっきりと書かれているのは無視か。
>(2)>長距離で里数がはっきりしないから日数で書いたまでのこと。

《1》北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

《1》北史が正解なら倭人伝に間違いがある。
《2》夢幻如氏が正解である。
晋書 正始元年 東倭重譚納具。
東倭とは、邪馬台国であり、大和である。
女王卑弥呼は、239年時点で親魏倭王であるから、卑弥呼で正始元年の”倭王”の説明ができない。


609日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:11:45.22
610日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:17:32.64
「東倭」って面白い表現だな
「西倭」の存在が想像される
611日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:17:59.37
征呉派 …羊祜を筆頭に杜預、張華 & 武帝(司馬炎)
反征呉派 …賈充を筆頭に多数派

羊祜は呉を攻める方法として水軍が有効だと考え、益州刺史の王濬を益州諸軍事に任命して、船団の建造にあたらせ
呉討伐を願う上奏を提出したが、閣議において反対に遭い、ついに許可されず後任に杜預を推挙して病死

280年の呉征服戦後、征呉派の張華は賈充・荀勗により左遷
杜預は陳寿を治書侍御史に推挙、284年死去

こういう政治闘争の中で陳寿は三国志を編纂した
612日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:19:06.20
東倭は東夷と本当は書きたいけど朝貢相手だからしかたなく
613日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:41:32.55
西倭は九州王国か
614おれおれ:2012/01/19(木) 18:42:04.54
正始元年春正月、 東倭重譯納貢(晉書帝紀-唐太宗御撰(史官 房喬、等))
615日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:43:16.57
>>614
陳さんの記事のを下敷き
616日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:04:20.35
>>591
「周旋可五千餘里」はどう見ても修辞じゃないでしょうか?
魏使や魏の誰かが倭国を一周したという文献はありませんよね
実際に行ったものと伝聞を合わせて「このくらい」と想像して、それに当てはまる修辞距離の五千里を当てたとしか思えません

>誰も見向きしないと思いますが

私はちゃんと見ていくつも納得しています。
617太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/19(木) 19:12:46.29
>>568
【繼體紀の日数統計表】

1日 3  15日 0  29日 0
2日 0  16日 0  30日 0
3日 2  17日 0
4日 2  18日 0
5日 3  19日 0
6日 1  20日 0
7日 2  21日 0
8日 1  22日 0
9日 2  23日 0
10日 1  24日 1←繼體即位直前楠葉宮行き1/24
11日 1  25日 0
12日 0  26日 1←百済淳陀太子死8/26
13日 1  27日 0
14日 2  28日 0

上表を見れば一目瞭然。二つの例外を除いては、全て
の記載が月前半に位置するのだ。百済関係の26日の
記事は通常暦(1倍暦)をしていた百済の暦のためで
月後半にあるのであり、純粋の繼體朝廷記事では
ないし、1/24の記事は先帝の武烈の代の通常暦行使
の記事のため月後半に位置するのでありこれも純粋
に繼體朝廷の記事ではないということだ。

ということは純粋に同朝廷の記事はことごとく月
前半に集結しており、このことは結局繼體世ではこの
朝廷が2倍年暦を行使していたということなのだ。
つまり当時の1ヶ月は1日〜14日までの2週間で
あったということであり、2倍年暦を行使して
いたのである。
618日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:15:25.02
>>617
同じことをグダグダくりかえすのが趣味なのか?あん?
619太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/19(木) 19:19:37.78
>>618
オマエ、近視か〜? 乱視のぼけか〜??

欠史八代の天皇は繼體天皇なのか〜?

同じかどうか、よく目を開いて見い。
620夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 19:27:46.51
そうだ、忘れていた。

>近江説者
手の内は明かさないじゃ感想はコメントしようがない。
まじめに話す気あるのか?
621おれおれ:2012/01/19(木) 19:28:14.10
建興四年(226) 5月曹丕没→曹叡(明帝)
青龍元年(233) 陳壽生まれる
景初三年(239) 1月明帝没
景元四年(263) 蜀漢滅亡 劉禅は魏・晋両朝で「安楽公」に封じられて天寿を全うした
咸熙二年(265)12月禅譲で
泰始元年(265)12月司馬炎が「晋」王朝
泰始二年(266)11月倭人來獻方物
咸寧六年(280) 3月呉滅亡
太熙元年(290) 4月司馬炎没
元康七年(297) 陳壽没
622夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/19(木) 19:30:33.86
>>616
その通り!

今日はこのくらいにしておくかな。お仕事、お仕事。じゃあな〜
623日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:34:12.02
>>616
南に伸びてるという認識ならばもっと大きな数字になるだろ
てゆうかみっともないからそういうの止せよ
624おれおれ:2012/01/19(木) 19:35:29.01
(晉陳壽曰)
長老説 有異面之人 近日之所出
遂周觀諸國
采其法俗 小大區別 各有名號 可得詳紀
雖夷狄之邦 而俎豆之象存
中國失禮 求之四夷 猶信
故撰次其國 列其同異 以接前史之所未備焉

陳さんたら本気で来てるよな

いよたんにもこんにちわとかしてるな

遂周觀諸國 ときたもんだあ
625日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:38:34.11
>>605
>(1)「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり」とはっきりと書かれているのは無視か。
別に無視はしていないよ。万二千里で女王国に至る、しかし、女王国は広大だ。
延々と歩いて女王国の中の女王が都を置く邪馬台国に至るってことだ。
従って、女王国国境までの万二千里で邪馬台国に至るわけではない。

>実際に行っていれば投馬国、邪馬台国も里程で表記されているはずだ。
実際に行ったからといって、里数が分かるわけではない。海に出たり上陸したりを繰り返したら
里数は分からなくなる。曲がりくねった山道を歩いたら、やはり里数を出すのは難しい。
長距離になるほど、里数を言うことは難しいんだよ。
行かずに倭人からの聞き取りで日程を書いたというのならば、何で旁国について書いてないんだ?
倭の一大率や接待係の連中が旁国までの日数を全く知らなかったと思うか?当然、どの旁国までは
何日かかるとか、分かっているだろう。それを書いていないのは、使者が自ら行って確かめたとこ
ろしか書いてないからだよ。
使者は投馬国も訪ね、邪馬台国も訪ねたんだ。この事実に目を背けることはできん。




626日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:39:06.26
>>623
南にのびても「古今華夷区域総要図」を見る限り大きさは関係なさそだね
627おれおれ:2012/01/19(木) 19:41:11.54
陳さんはあと
628日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:43:13.71
帯方にいた魏吏が伊都国までは来たってことが、九州説・畿内説ほか全員の共通認識になってるのか・・・
刷り込みって恐ろしいな
629日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:43:23.52
>「周旋可五千餘里」はどう見ても修辞じゃないでしょうか?
>魏使や魏の誰かが倭国を一周したという文献はありませんよね
修辞じゃないよ。使者が確かめたちゃんとした数字だ。
一周なんて言ってること自体がまちがいだよ。
630日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:55:25.75
>>629
使者が確かめたという根拠になるものはなんですか?
631日本@名無史さん:2012/01/19(木) 19:57:06.38
新しいスレたてました
12/28〜1/19 で約20日程で終了です

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!63
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1326970386/

632おれおれ:2012/01/19(木) 19:57:19.42
俎豆のを画像ぐぐると

みたことあるぽい壷があるよ
633太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/19(木) 19:57:28.88
>東倭とは、邪馬台国であり、大和である。
神武即位5年、大陸に即位の祝い として神武が国珍を奉じてたことが

漢書王莽伝 元始5年(=西暦5年) 東夷王 度大海事国珍

の文にて記録となっている。神武元年=41年 では合わない。41年の前に
畿内の大王がいたことになる。ww

宿主は東夷が 畿内だとか九州だとか、ご都合によって
両説をクルクル変えて書きこみをしている。まことに
宿主はインチキの亡者である。

倍暦計算で孝靈天皇の代が大陸の孝靈 皇帝の代にほぼ相当することを確認
したが、このことから天皇の諡号を名づけた者は両者がおおむね同時代の
人物だと知悉していたものと考える。

そこで 漢書王莽伝

 元始5年5月

  ・・・有 綏靖 宗廟社稷之大動・・・

とあるのは、天皇の諡号名づけ人が
この文関係を読んでいたのでは あるまいかと想うものである。上の文は
元始5年(=西暦5年)が神武〜綏靖の 相当年代(つまり実年代)だと
覚知できうる文なのである。
634竹斯の民:2012/01/19(木) 20:05:39.63
ただいま、NHK「地球一番」見ものかも。
古代日本人の習俗がみれるかも 
635唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 20:21:07.29
>東夷が 畿内だとか九州だとか、ご都合によって

東夷とは、遼東の東に住む種族、9種の総称。
つまり、
>神武即位5年、大陸に即位の祝い として神武が国珍を奉じてたことが
こちらが妄想である。
636日本@名無史さん:2012/01/19(木) 20:27:36.30
637おれおれ:2012/01/19(木) 20:49:07.77
http://chardb.iis.sinica.edu.tw/search.jsp?q=%E9%9B%A3&stype=0

これながめてからさあ

ちょっと過去にとんで調べてみたら

難升米の 「難」は 金色の鳥の名前ぽいよ 火の鳥?
638竹斯の民:2012/01/19(木) 20:51:29.55
NHK「地球一番」よかったね。

○「六角形の鼓楼」は鞠智城を思い出したね。村の人達皆で協力して鼓楼を立てる所は
 水稲文化を持つ民族そのものだったね。村の棚田なんか日本そのものだったね。
○日本は古代から森の樹木を切れば植樹してたのかな?
○「文字を持たない民族」なんてそれこそ倭人のルーツなのか?

なかなかおもしろかった。
639おれおれ:2012/01/19(木) 20:55:23.55
青銅器と一緒に漢字の先祖とかはふつうに到着しているだろ

青銅器がひとりで渡海とかするわきゃねえしね
640日本@名無史さん:2012/01/19(木) 20:58:31.42
>>620
俺はひとつの考えに固執しないしいろんな選択肢の中から最適解を見つけ出そうとしてる
その点ではあなたと似てるとは思うが、俺が選択肢を広げる意見を出しているのに対してあなたは他人の意見に期待してるだけ
論理的に考えることは出来るようだし話は通じるようだから面白そうだと思ったんだけど、あなたからも意見を出してくれないと話を続けられない
641日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:07:14.63
 
(PR)  邪馬台国 その1
http://www.youtube.com/watch?v=RciEIpyYq-o


642ローガン:2012/01/19(木) 21:09:53.69
>>598:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>勅命訪問団が報告書を作ったか作らなかったかまで史料かよ 

誰が、報告書など一切無い と言ったかね? 行程記事といわれる部分を隋書と比較すればわかる。
使者の道行き文ではないんだ。「誰が」という主語がない。これは、地誌だと云ってるんだ。
編者(もしくはテキストの筆者)が地誌をまとめる際、複数の資料を利用したと考えられる一例として翰苑を挙げた。
そしてその報告書とやらが、唯一の情報源ではないと「序文と評」から説明したんだ。よく読むように。

>その序文どおりなら、あって然るべき正確な地理情報を反映した地図がその後何百年も存在しない。

序文通りだから、正確な単一情報に基づいていないんだ。その事は評で触れている。
「正確な地理情報だ」と云っているのは伊作氏だ。よく読むように。
64319歳某国立大生:2012/01/19(木) 21:15:00.55
布留0式をやはり250年頃まで繰り上げるしかないか。
280年からでは箸墓が卑弥呼の墓ではなくなってしまう。
整山時の築造開始時点からすでに布留0式のようだし。
C14測定に合わせていいよな?
644日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:15:03.58
>>605
伊作氏の説くように日程が郡からの日数とすれば水行も陸行も距離の計算には
入らない。であればお前の言うような東北などは成立しない。
つまり筑紫次郎氏が説くように不弥国のすぐ南隣に投馬国、さらにそのすぐ南
隣に邪馬台国と認められる。そうとなれば邪馬台国は九州しか有り得ない。
前スレでコンパスで邪馬台国を見つける方法を示したがお前は理解できなかっ
たようだな。洞察力が無い者には邪馬台国探しは無理だ。
さらに不弥国まで10,700里まで実距離を書いてきた倭人伝が12,000里を修辞と
して書くことは無いということも教えたはずだが、お前はそれも理解できなか
った。邪馬台国から降りろ。お前には絶対に邪馬台国を見つけることは出来ん。
645日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:29:09.76
マキムク型の前方後円墳が南は鹿児島から北は福島まで
及んでるのは九州説ならどう整合させるだかわからんw
ほんと調べれば調べるほど九州説などありえんことがわかるわww
646日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:29:18.45
>>643
畿内説は、自説に合わせて遺跡・遺物の年代を決めてしまうから困ってしまう。
そういうのを本末転倒というのだよ。
647日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:33:23.65
>>645
前方後円墳がどこで発生したかは不明だと思われ。
もともと畿内にはそういうた高塚式の墳墓はなかった。
九州には、吉野ケ里の墳丘墓のようなのが紀元前からある。
64819歳某国立大生:2012/01/19(木) 21:35:23.71
ここの爺どもに聞いてもしょうがないかw
聞きづらいが教授か学芸員のどっちかの専門家に聞いてみるか。
649日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:37:07.08
文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿 の 与太話一覧

>(1)万二千里は具体的距離を表していない
「水行一日=千里」は精々該当の海域での話し。
それが不彌國から先に適用されると言う根拠が無い。

>(2)行程記事は一連のものと見る
複数ソースに同等・同質の情報量を求めるに根拠が無い。
全ての情報が邪馬台国まで行った記録とは限らないのだから「途中で途切れる」と言うことにも意味が無い。

>(3)行程記事は連続読みすべきもの
関心も無い地域ならそれで目的地に到達できると言う情報にする必要すら無い。
単なる主観の押し付け。根拠無し。

>(4)行程記事の使者は正使ではなく先遣調査隊である
対馬や壱岐の詳細な観察が不必要だとしても邪馬台国での情報は必要、そのための先遣隊。
不必要な情報があるから先遣隊による情報とするなら
必要な情報が無いのをもって先遣隊の情報でないとできる。
「複数ソース」の可能性を排除できない以上成り立たない理屈

>(5)一連であり先遣調査隊と見れば観察記述や距離表記だけでなく「到、至」の使い分けからも
これはパス

>(6)魏の倭国地理観は「混一」的な九州基点に南に伸びる国という認識であったと見るべき。
”報告者”が実際に南に行ってそれを報告した場合も「南」と記載される事になる。
これはあくまで東北た畿内” も ”成り立つと言う話でそのまま「南」だった可能性を排除できる物ではない。

>(7)時間表記は距離表記であるから一日普通の状態で進む平均距離を当てはめるべきで
あれが「距離に換算しうる物だ」と言う前提を強いているだけ根拠無し。

>(8)魏船のかなりの差がある水行一日実績から倭船の水行一日も大きな開きがないと推測できる。
日数が距離に換算しうる物だと言う事に根拠が無い以上その速度の比較に何の意味も無し。
650日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:42:06.39
『史料馬鹿』というのは 無限尿 が好んで使っているが
そもそも「それしか史料が無い(単一史料)」からと言うことと「それで必ず答えを得られる」と言うことは全くの別物。
これすら理解していないのが一番の『史料馬鹿』だwwwwww
651日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:43:55.71
東北が温暖だといっている時点で、究極の馬鹿だと思う。
652日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:45:29.26
>>646
「古墳時代は4世紀から…」

ここのゴミクズレベル九州説爺がすがり付いている大昔のその年代観こそが
実は畿内説前提で導かれた物で
それも九州説にとって悪のラスボス京大の某大センセイの理論だったと言うのが笑えるところwwwwwwww
653日本@名無史さん:2012/01/19(木) 21:56:27.08
>>645
それはあくまでヤマト王権体制の広がりであって邪馬台国は別にあった。
当時の最大勢力が魏に朝貢した邪馬台国であった保証は無い。

…とまあ普通ならこう言った反論が出て来るんだが
ここのゴミクズレベル九州説は「東遷説」や「九州王朝説」が前提ってのが殆どだから
そもそも九州邪馬台国とヤマト王権・纏向の並存を認めないのでその構図にもならない。

ちなみにその前方後円墳の広がる地域の中のクニであっても「偽僭説」をとれば理論上可能だwwwwwww

654唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 21:57:31.30
>>643
>布留0式をやはり250年頃まで繰り上げるしかないか。

庄内式から布留式に編年が変わるのは、纒向から他へ王朝が移ったためである。

箸墓は最初の大王墓である。であるならば、
使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國。
大和は女王国(九州)の北に置いた1大卒を監督し諸国を検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。

250年では早すぎるし、280年では遅すぎる。魏朝時代でなくてはならない。

65519歳某国立大生:2012/01/19(木) 22:01:28.55
東遷説は考古学的にみて絶対にないだろw
むしろその逆で、畿内勢力がどんどん拡張してるわけだがw
九州王朝なんてのはただのトンデモで論外だろ。
白村江敗北時まで九州に王朝があったなど騙されるほうがアホすぎるw
九州と巻向の並存ですらまずないわ。画文鏡や△鏡とか明らかに
大陸と交流してるのは巻向のほうなのに、なぜ九州邪馬台国のみが
朝貢してずっと倭王なんだ?w年だけ食ってるアホの集まりかここはw
656唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 22:05:56.80
>畿内勢力がどんどん拡張してるわけだがw

庄内式土器を九州に持ち込んだのは誰か?
657日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:06:10.24
>>655
>白村江敗北時まで九州に王朝があったなど騙されるほうがアホすぎるw

まあ騙されると言うより、そう言うものを信じたいと言うニーズもあるわけやねwww

騙した方と騙しされた方、実は持ちつ持たれつ共依存関係だったりwwwwww
65819歳某国立大生:2012/01/19(木) 22:06:30.88
張政の帰国は、265年前後で、266年の台与の朝貢が
晋書に載ってる泰初元年の倭国女王の朝貢でいいのか?
それとも張政帰国は250年代か?
それくらい答えれる奴はおらんのかここは?

布留ゼロ式に関しては今専門家にメール送って確認中だ。
明日には返答が来るからそれを参考にする。
659日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:06:49.84
九州説ってどれが九州説なの?w
大きいのとか小さいのとかいろいろあるからわからん
どうして九州説どうしでは議論しないんだろ
66019歳某国立大生:2012/01/19(木) 22:08:42.30
魏志倭人伝に載ってる台与の朝貢が266年の朝貢なのか?
だったw寒くて間違えてしまった。風呂入るから誰か
わかるやつは答えておいてくれ
661唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 22:16:22.53
>>660

倭女王=難升米率善中郎將
倭王=掖邪狗率善中郎將
壹與=掖邪狗率善中郎將

壹與でも倭王でも結果は同じである。

662日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:16:58.40
>>659
九州説は本命ですから、お楽しみは後からね。
トンデモ東北説やら近江説、四国説などと一緒に、
詐欺の畿内説が自滅するのを、じっくり楽しみましょう。
663怒濤の天才:2012/01/19(木) 22:23:45.52
>>560  おしゃべり夜郎自大

お前は卑弥呼の朝献年は景初2年説か3年説か。
>どっちでもいい。「倭人伝は邪馬台国をどこだと指しているか」のテーマには関係ない。
>つまり比定には直接無関係な話だ。

景初2年説か3年説かで、お前のいう先遣隊派遣の時間的可能性が問題になるのだが、
どっちでもいいか。たいした
ヒントをやったから、この話はなしとしょう。以下の投稿はお前に返品する。

>馬鹿に物事の見方の基本を教えてあげよう。
>「虫の目、鳥の目、魚の目」という視点を持たなければ物事は正しく把握できない。
>一点を詳しく見る。これは虫の目だ。
>一点だけでなく全体像を俯瞰して見る。これが鳥の目。
>潮目を読む、つまり流れや転換点を把握する。これが魚の目。
>史料馬鹿は「虫の目」しかないから全体像も、流れや転換あるいは蓄積も掴めない。
>それがお前だ。オタクはみんな「虫の目」しかねえんだよ。
664日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:24:25.01
>>659
まあアカデミズムの場においては邪馬台国論争自体が既に過去の話なんだろうが…

どの道九州説同士では論争自体成り立たないんじゃないかな?

誰も彼も「すなおに読んだらここしかない!」と言うがそのすなお読みの前提部分が実は人によってまちまち。

今必死に頑張っている 無限尿 は東北説だが
見事に無限ループコースに自ら突っ込んでいる馬鹿の見本として格好かとwww
665日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:32:05.25
>>546-547 日本史板邪馬台国スレ地縛霊 サイキバ

まあ例によって九州版ウリナラ起源説、九州邪馬台国東遷説だが…

>畿内勢力のシンボルは銅鐸だ

これも馬鹿は自覚していないだろうが
そもそも銅鐸の分布範囲を一まとまりの勢力とするなら
古墳時代以前中々どうして結構な版図を持った勢力が既に畿内に存在していたことになってしまうんだが
ゴミクズレベル九州説的にそれはありなのか?と思ってしまうw
(じつわ畿内説の某先生が同じ事を言ってたりするんだが(苦笑))

まあ単に行き当たりばったりなんだろうがwwwwww

666日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:40:57.35
そうすると、4〜5世紀には熊本を中心とした装飾古墳政権が、
岩手県まで統一していたことになるな。
667太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/19(木) 22:41:01.79
>>635
東夷が 畿内だとか九州だとか遼東の東に住む種族、9種の総称とか
ご都合によって変えるわけね。ウワッハッハ・・・・・

オマエのインチキ詭弁は時と場合によって畿内、九州、9種と三変
するわけだ。つまりオマエは三色カメレオン人間なわけだ。bbbbb・・・

668怒濤の天才:2012/01/19(木) 22:42:05.05
>>560  おしゃべり夜郎自大
お前には馬耳東風だろうし、
俺のいわんとすることを理解できるのは、たぶんローガンぐらいだろう。
徒労かとは思うが、歴史の事実を提示する。
それでもなお、魏が倭国をぞんざいに扱ったというのなら、何をかいわんやだ。

●朝貢外交の本質
中国王朝には化外慕礼という言葉があった。
これは、五服・九服の外にいる異民族が、天子や王朝を慕って朝貢することをいう。
化外を翻訳すれば、藩外すなわち「天子の徳育強化の及ぶ領域の外」という意味である。

貢献義務のない藩外の周辺民族の朝献・朝貢が多いことは天子への敬慕が強いこと意味することから、
体面と尊厳にこだわる朝廷としては誇らしいことだった。
(そうしたことから帝紀に年月入りで特筆されることにもなっている) 。
必然的に、藩外の異民族の朝貢外交を歴代の王朝が歓迎し、
朝貢国の貢ぎ物に対して数倍の返礼を与えた。

これも、中華のど真ん中の中原王朝の、(お前のいう)中華思想のうちだ。

一方の周辺民族諸国からみれば、朝献・朝貢は中原との国際交流の手段である。
先進の中国との交流・交易、情報・知識・技術の入手、安全保証。
さらには中国の権威を背景として、
周辺諸国や国内的に優位な立場を築くなどの政治的意図があった。
朝貢することで中国との貿易が可能となり、朝貢国に大きな利益を生むこともあった。

いつの時代も、国家の頂点に立つ者同士外交は、ガキのままごとではないのだ。
669日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:47:16.52
>>594
> 複数ソースであるなら観察記述が奴国、不弥国、投馬国にないのはおかしく

「複数ソース」というのは

1.對馬國・一大國・伊都國・奴國・不彌國・投馬國・邪馬壹國の旅程・官名・戸数を記したもの。
  その内容は(すべての国について)「倭人伝」の奴國・不彌國・投馬國の部分に見られる簡略なものだった。
2.對馬國・一大國・末盧國・伊都國の観察記述を記したもの。

編者はこれらをまとめて現在見られる「倭人伝」の行程記事を記述した。なにもおかしくはない。
670日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:54:28.91
魏の使者は梯儁と張政だけだろ。
671日本@名無史さん:2012/01/19(木) 22:56:37.12
伊都国にいた郡使なら北部九州の情報はあげられる。
672日本@名無史さん:2012/01/19(木) 23:05:10.19
「複数ソース」っていうのは複数の資料ってことですか?
それとも複数の人間の情報による一つの資料ですか?
673唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/19(木) 23:07:31.12
謂之倭奴國。靈帝光和中、其國亂、遞相攻伐、歴年無主。

残念ではあるが、郡使はいない。(3世紀初頭の前原王墓で終了している)
いるとすれば、公孫氏の派遣となるが、小国家群の伊都国に郡使のいる
隙間は無い。
だから、景初3年に倭奴國王位継承の卑弥呼を認めたが、翌正始元年には
邪馬台国王に倭王位を授与する。

674日本@名無史さん:2012/01/19(木) 23:08:44.22
要するに 無限尿 と言う阿呆は「複数ソース」と言っても
どれも邪馬台国まで行った記録で一定の書式・フォーマットみたいな物に則って書かれた物

…と言うのを無意識に前提にしてしまっているだけ。

確かにそれなら各資料を部分的に切り取って採用しなければ
邪馬台国周辺より北部九州のほうが詳しいと言うアンバランスも発生し得ない。

が「複数元資料」を想定する人間にすれば「その発想は無かったわ」だろうなw

まあ 自説=おらが国の東北説 ありきで視野狭窄に陥っているだけなわけでwwwwwwwwww

675日本@名無史さん:2012/01/19(木) 23:09:26.70
夢幻如説のまとめ

「柵封体制に組み込むかどうかの決定は魏の威厳がかかる大決定だ」から、
魏は「先遣調査隊」を派遣したのだが、その「先遣調査隊」は伊都国どまりで
女王の都するところはおろか「すぐ隣」にある二万戸の大国「奴国」へも行かず、末盧国の官も調べず報告した。
その結果、「どうでもいい国」と判断され、魏は「柵封を名ばかりのものとしお茶を濁した」。
676日本@名無史さん:2012/01/19(木) 23:11:49.85
>>672
> 「複数ソース」っていうのは

複数の資料ってことです。
677つづき:2012/01/19(木) 23:11:56.37

名前:作為[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 22:32:02.68
須玖岡本も楯築も位置的には被葬者の本拠に隣接していると思います。
後世の飛鳥朝も霊俗は近接しています。
ほとんどの古墳では、その地で祭祀も行われています。
このような例を無視して、倭人には「オウ」の祭祀だけに@のような風習を持ったと言われますか?
つまり、貴方が主張するような祭祀思想と倭人のそれとは全く関連が無い。
倭地にそのような風習が無ければ、@は何の論拠にも為りえない。

名前:怒濤の天才[] 投稿日:2012/01/18(水) 23:13:52.26
歴代天皇の墓が、その天皇の居した京域内につくられた事実こそ出せばよい。
できるか?
近郊につくられた墓の1例か2例を出したタコがいたが、それとて現実は王都域の外だった。
支配層の儀礼と精神思想というものは、ちょこちょこ変わるものじゃない。
あがいても無駄だ。

名前:作為[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 23:39:09.40
と言うと箸墓が「纏向京」の「京域内」だと?
何を根拠に?
て言うか纏向の時代にそう言う概念が有ったのですか?
倭人伝から「京」なんて概念を導き出せるのですか?
現実に弥生時代の「王墓」は集落に近接しています。
その後、王墓の築造場所は次第に遠隔地へ移りますが、これとて墳丘の大型化によって築造適地が遠隔地にしか無くなったことが原因でしょう。
小型化すると又近づいてきますしね。
あと、火葬制導入後は怒濤理論は適用外なんでしょうな。
678つづき:2012/01/19(木) 23:12:25.28
名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/18(水) 23:56:36.12
箸中山やホケノ山と大型建造物の出た地域の間には、川が3本も流れている(当時)し、
直線距離にして、800以上離れている。
現在の遺跡呼称と言うのは、埋蔵文化財保護のために設定しているのであって、
そうエリア=当時の集落エリアと言うわけではない。
素人が勘違いするのは無理はないことだがw
それに須玖岡本が「王都」域外で箸中山が域内と言うのは手前がってな判断だな。

名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2012/01/19(木) 00:04:18.14
まあ条坊のある藤原京や平城京と単純に面積を比較したりするのもあるから
その勘違いも助長されるわなwwwwwwwwwww

名前:ローガン[] 投稿日:2012/01/19(木) 00:10:51.37
>>怒濤の天才
なんか、ぐちゃぐちゃやで(笑)
>そのようなわけで、墓域は王都の郊外に設けられたものである。このことは史実が証明している。
では、廟祀以前は、王霊祭祀そのものが存在しなかったという主張?
>穢れた遺骸を埋めた墓と、生者たる王の住む王域が一緒か否かだ。
ほら、主観。主観に対する否定は「私はそうは思いません」で良いですな。

名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2012/01/19(木) 00:13:40.72
つーかそもそも墓域に関する習俗が中国と同じである必要があるはずもなく






679怒濤の天才:2012/01/19(木) 23:18:03.39
はい一句。
「プロ固定 無視され続けて あがったり」

プロ固定とみなした奴は、みなで無視すべし。
カラ振り投稿ばかりで商売にならず。
680日本@名無史さん:2012/01/19(木) 23:21:10.55
>>677 >>678
何のための再掲です?
681怒濤の天才:2012/01/19(木) 23:29:40.82
>>680
シケた間接的攻撃。ほかに手がないということさ。

「プロ固定 無視され続けて あがったり」
親趣味〜
682日本@名無史さん:2012/01/20(金) 00:30:46.35
>>665
>そもそも銅鐸の分布範囲を一まとまりの勢力とするなら
アホの考えそうなことだ。
683日本@名無史さん:2012/01/20(金) 00:34:53.46
実際アホなんだからしょうがないんじゃないの?
684日本@名無史さん:2012/01/20(金) 00:36:20.15
さあプロ固定の、畿内説詐欺やトンデモ説を観察しよう。
685日本@名無史さん:2012/01/20(金) 01:06:55.34
>>681

いや、反論出来なくなって逃げようとしているヤツにトドメを刺してるんじゃないかなw
686日本@名無史さん:2012/01/20(金) 01:26:31.74
伊作は所詮その程度の男さw
687日本@名無史さん:2012/01/20(金) 01:34:16.02
トンデモ説や詐欺の畿内説連中は、伊作に匹敵するHP作ってみろや。
688日本@名無史さん:2012/01/20(金) 03:10:17.86
本当サイキバは他人のふんどしで相撲とることしかせんな
689夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 06:26:20.51
>>625
上段
コメントに値せず。

下段
遠距離は理由にならない。
郡から北九州までの遠距離は里数で示されている。

>何で旁国について書いてないんだ?

邪馬台国への道になかったから。それだけ。
690夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 06:43:32.33
>>640>近江説者
あとでな。

>>642>ローガン
>使者の道行き文ではないんだ。「誰が」という主語がない。

お前、変わった奴だなぁ。
上司から報告書を出せと言われて主語を入れる奴がいるのか?よく考えな。
常識がない頭じゃ考えても無駄かな。

>そしてその報告書とやらが、唯一の情報源ではないと「序文と評」から説明したんだ。

いや、お前は軍の情報並みの単一情報はないと言ったんだよ。
だから複数情報だとな。

>「正確な地理情報だ」と云っているのは伊作氏だ。よく読むように。

何がよく読むようにだ アキレ
お前が伊作の話に振ってきたから、伊作のことを話て説明したんだろうが。
こいつまともかと思っていたが馬鹿か?
691夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 06:50:27.57
>>644
上段
コメントに値せず

>前スレでコンパスで邪馬台国を見つける方法を示したがお前は理解できなかったようだな。

万二千里が実距離と思っているアホのお遊びだ ワラ

>さらに不弥国まで10,700里まで実距離を書いてきた倭人伝が12,000里を修辞と
して書くことは無いということも教えたはずだが、お前はそれも理解できなかった。

どんなに大軍になっても「千軍万馬」は「万軍億馬」にならないと教えてやったのが俺だ。
修辞をただ実数より多く書くと思っている馬鹿の戯言よ ゲラ
692夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 06:56:58.19
>>649-650
邪魔

>>651
何回同じ馬鹿話繰り返す気だ、糞頭。
南北逆転地理観では北九州が倭国最北だ。
きのう出した地図では「蝦夷」が最南になる。いい加減わかれ。
693日本@名無史さん:2012/01/20(金) 06:59:02.65
>万二千里が実距離と思っているアホのお遊びだ ワラ
伊都国までで万五百里。あと千五百里で女王国だという話に嘘があるわけない。
万二千里は、実距離だよ。万二千里から女王国が始まるってこと。
女王国が始まるところと女王国の奥の女王が住む所をごっちゃにしたの都
694日本@名無史さん:2012/01/20(金) 06:59:24.24
>万二千里が実距離と思っているアホのお遊びだ ワラ
伊都国までで万五百里。あと千五百里で女王国だという話に嘘があるわけない。
万二千里は、実距離だよ。万二千里から女王国が始まるってこと。
女王国が始まるところと女王国の奥の女王が住む所をごっちゃにするから理解できんのだ。
695日本@名無史さん:2012/01/20(金) 07:09:14.32
>>630
>使者が確かめたという根拠になるものはなんですか?
わざわざ「参問」と断ってるじゃないか。訪問して確かめたという意味だよ。
696夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 07:46:23.40
>>663
暇持て余してるオタクのくせに俺が引っ込んでからピーチク、パーチクと。
これじゃまともに対峙出来ないで遠巻きに騒ぐピーパー名無しと変わらんのう ワラ
>>668
さすがにお前のアホさに愛想が尽きてきたよ プ
話の筋道がまるで見えてない馬鹿レスだ。
朝貢外交の本質を出してご満悦か、オタクならではだな。
馬鹿すぎだが、馬鹿レベル降下サービスをやってやるよ。

朝貢外交の本質はその通りだが、だから何?
魏がその通りにやっていないから倭国は軽視されていたと言ってんだよ。
お前が挙げた中に安全保障があるな。これは柵封では大きな点だ。
臣下国が軍事的危機の場合は親分は断固として子分を守らねばならない。
それを魏は倭にやっていない。
救援要請したか、窮状を訴えただけかはわからんが、ともかく卑弥呼は魏に頼った。
こういう場合の安保も柵封のうちだから卑弥呼にすれば当然だ。
だが、魏はこれに応えなかった。一兵も戦力を回していない。軍監、檄文、旗でお茶を濁しただけだ。
軽視し邪馬台国が破れて滅びようが「どうでもいい」だったんだろうよ。

朝貢外交の本質を魏が守っていないから倭国を軽視していると指摘しているのに
その朝貢外交の本質はこうだと講釈たれてる馬鹿がお前だ。
前も同じことをやってたが、いい加減に頓珍漢ぶりに気がつけ、馬鹿頭 ワラ

あ〜それとな。
スレにふさわしい罵倒だとでも思ったのか「夜郎自大」がお気に入りのようだが
これは正しくは「夜郎大」で「夜郎自大」は間違いだ。
誤用が一般化して当たり前のように使うお前みたいなのが多いが、こういうとこじゃ恥ずかしいねえ プ
俺に看板ぶっ壊された「元・文章の天才」さん、ご注意を ゲラ
697夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 08:15:53.15
>>669
その説明なら「なぜつなぎ合わせる必要があるのか?」という当然の疑問に答えられるのかな?
698日本@名無史さん:2012/01/20(金) 08:22:46.70
>>688

伊作の狼狽え振りに慌てて取り繕うとしてるのは、名無しバージョンのド民だと思うが、
確かにサイキバでもあるな。
サイキバの正体はド民だったかw
699夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 08:36:03.54
>>674-675
邪魔

>>693
万二千里が具体的距離を表すものでないことは証明した。
今さらゴチャゴチャ言ってループさせるな。
700夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 08:39:50.25
取りあえず、レスすべきは一段落かな。これだけで疲れた ワラ

帰宅したら近江説者に行くか。
701怒濤の天才:2012/01/20(金) 09:34:26.40
>>696
よう。夜郎自大。お前の短絡思考ぶりの分析結果だ。

俺が「卑弥呼の朝献年は景初2年か3年か」という質問をした。つづけて、
「了見と視野の狭い行程解釈をやってるだけで、考えたこともなかったろうから、
墓穴を掘らないよう慎重にな」とアドバイスまでしておいた。

その通りで、お前は「どっちでもいい」といった。
「倭人伝は邪馬台国をどこだと指しているかのテーマには関係ない」といった。
だがこの件は、お前が邪馬台国を否定するに至る土台の、「先遣隊派遣」の論証に必要な問題だ。
(先遣隊派遣の可能性と時間的タイミングについて重大な問題を孕んでいる)。
このことにまったく関知していないということは、
自論の周辺を広角度で俯瞰することなく、適当につくりあげたということだな。

夜勤労働者には理解不可能だろうが、
現実社会において、新しい事業や計画ごとなどをすすめる時は、
業界や市場の特性・動向から、生活者心理・動向に至まで広範囲にわたって、
あらゆるデメリットや問題点を想定し、最悪の場合を想定した上で、
一つ一つ問題のクリアが可能か否か、どうやってクリアするかのシミュレーションを繰り返す。
そうやってそぎ落しながら可能性を追求し、よりよい手法やプランをチョイスするものだ。
邪馬台国論の場合もしかり。

いみじくもお前は、「虫の目、鳥の目、魚の目」などと、
持てる知性の限界が知れるような稚拙なたとえを用いて偉そーに吹いてくれたが、
そのお前自身が、狭義の思考深度と極めて視野の狭い見方をしているという事実。
これがみごとに露呈したわけだ。
しかと論証する用意もなく、論証できるだけの論拠もなく、
目の肥えた人間も見ているだろう公開の場で、よくやってくれるぜ。夜郎自大
702怒濤の天才:2012/01/20(金) 09:48:43.87
夜郎自大がスルーした部分もあるようだから、くりかえす。

中国天子は神格化された存在で、王道儀礼というものがある。
頼るは拒まず服わずは討伐。朝貢外交では贈答品は倍々返し。
降伏してきた仇敵は受け入れて厚遇する。

度胸剣法の町民やくざにわかりやすくいえば親分肌よ。
威厳と体面にとくにこだわるから、朝貢相手にはとくに礼儀をあつくする。
お前は、こうした事実を知らないから、強気で無恥・無知を平気でわめく。

正史は図鑑ではない。文章だけで書かれた記録だ。
地理情報も文章できちんと書かれている。これが歴史書の現実であり常識だ。
文章で書かれた「帯方東南の大海の中」が正解だ。現実がそうだろ。

「ちゃんと描いた地図がない。だからいい加減な地理感覚だった」とは、
お得意の「中間論証なしの勝手決めつけ」による短絡論法だな。
そのまま中間論証なしでさらに飛んで、
次元も時代も異なる地図をもちだして「このような地理感覚だった」という。

他人の史料提示をコケにするかと思えば、
都合のいい史料は都合よく解釈して都合よく利用する。
「到」も「会稽東冶の東」も「インチキ図」も史料だ。
しかも、その史料の活用法が「勝手我流の度胸剣法」ときた。
703怒濤の天才:2012/01/20(金) 10:39:31.09
無限暴。
互いに時間が会わないようだから、列挙するぞ。


>>696
>お前が挙げた中に安全保障があるな。これは柵封では大きな点だ。
>臣下国が軍事的危機の場合は親分は断固として子分を守らねばならない。
>それを魏は倭にやっていない。
冊封の意味、分かって使ってるのか?
半端知識ふりかざして大口叩きやがって。

>魏はこれに応えなかった。一兵も戦力を回していない。
>軍監、檄文、旗でお茶を濁しただけだ。
やはり表層的だな、いうことが薄っぺらすぎる。

>軽視し邪馬台国が破れて滅びようが「どうでもいい」だったんだろうよ。
話しにならんな。ひでえ

>朝貢外交の本質を魏が守っていないから倭国を軽視していると指摘しているのに
ひでえ

>いい加減に頓珍漢ぶりに気がつけ、馬鹿頭 ワラ
イカれてる。

こんなのをどうやれば説得できると思うか?
できるのがいたらやって見せてくれ。
704怒濤の天才:2012/01/20(金) 10:40:18.72
無限暴語録
●あのな、俺は魏志倭人伝を史料として話しているんだぜ。この一級史料じゃ不満か?
(確かにこう発言しているんだが)
↓↓↓↓↓
●史料にはこうある。だから信じる。これが史料馬鹿だ。
●序文に書いてあっても実際は違うだろうと示してるのが俺。わかるかな?
(都合の悪い史料はもそれを持ち出す者を史料馬鹿という)

●水行は伊作が力説している通り。
(これも、きちんとした史料に基づいた論考。都合のいい所だけは抵抗なく受け入れる)。

●現実、常識などを元にした合理的な推測がどこまで出来るかも大事な要素になる。
(その現実論・常識論・制度しきたり論をことごとく受け入れない)。
705怒濤の天才:2012/01/20(金) 10:41:48.70
無限暴語録:精神的田舎っぺの勝手なストーリー

・伊作は相変わらずの火病持ちで、誹謗中傷を嫌う奴が罵詈雑言を並べ立ててやがる。
・この馬鹿ほど自己評価と他人の評価が解離してる奴も珍しい。
・中には○のように評価する者もいるが、ほとんど大半が馬鹿にしている。
・だから自分を天才などと自画自賛する。これは他人から評価されない不満の裏返しなわけ。
・だが伊作は評価されないのは耐えられないわけよ。
・こいつは自分の悪口言われるとすぐ誹謗中傷だと異常反応しファビョるだろ。
・これも評価されるべき人間への不当な嫌がらせと受け止めるからだ。

・史料以外の話は対象としない宣言だが、これが自信のなさからくる守り。
・この議論になると史料だけが頼りになるわけじゃない。
・こいつはここには自信がない。だから史料根拠に限定しようと上記になる。

・他人から評価されないことに不満を持ち
・その不満を穴埋めする自己評価も壊されたら堪らない。
・それで俺を回避するが嫌悪感も抑えきれない。
・こいつは俺を回避しながら嫌悪している。自分の自信を俺に崩されていくからだ。
・わかりやすいのは「文章の天才」と豪語していた看板を俺にぶっ壊された。
・これはこいつには耐えられない屈辱なのよ。
・さらに議論でも自信を奪われそうで守りに入っている。それがこれ。
・まともに対峙出来ない自信のなさから誹謗に走る。

・天才とか論客と自画自賛する奴はたいていこういう
・「認められたいのに認められない」というコンプがある奴なのよ ワラ
70619歳某国立大生:2012/01/20(金) 11:02:32.44
専門家の間では箸墓はやはり寺澤の言うとおり280〜290年の間に
築造で一定のコンセンサスが得られてるとのことだから、やはりこの時代か。
石塚古墳等の巻向の調査で邪馬台国論争はすでに決着したと考えてるようなので、
もうこれ以上は聞きづらいwあちらもあんまり興味ないようだったw
707日本@名無史さん:2012/01/20(金) 11:10:34.30
>>706
さっきから半ベソで呟いてるみたいだけど、いい加減誰からも相手にされてないの気付けよw
708日本@名無史さん:2012/01/20(金) 11:11:40.53
>>706
寺澤w
70919歳某国立大生:2012/01/20(金) 11:13:15.88
伊作の爺さんよ、名無しになってこそこそ人格攻撃に出る癖もまるで
子供だな。19の僕にも子供扱いされる程度のメンタリティーだぞww
710竹斯の民:2012/01/20(金) 11:14:47.07
2ちゃんねるの「プロ固定制度」とは、
サクラ要因として、2ちゃんねるの運営側が、
スレッドの盛り上げや沈静、そしてサイト荒らしや
2ちゃんねる内、ネット社会全般での言論統制を行うものです。

つまり、2ちゃんねるの書き込みを膨大に見せかけ、
さらにそれによってネット社会全般の言論統制を行っている。
という2ちゃんねるの裏のカラクリなのです。

インターネットの掲示板「2ちゃんねる」の管理人が、
 発信者情報の開示を命じる判決を受けたのに従わないとして、
 東京地裁(鬼沢友直裁判官)は、
 開示しない場合は1日あたり3万5000円の制裁金を科す
 決定を27日までにした。

 ジャーナリストの寺沢有氏ら3人の申し立てを認めた。
 2ちゃんねるで中傷する発言を掲載されたとして、
 寺沢氏らが発信者情報の開示を求めた訴訟で、
 東京地裁は5月、プロバイダー法に基づき、
 発信者のIPアドレスと発信日時の開示を命じた。

 この判決はそのまま確定したが、管理人が従わないため、
 寺沢氏らは、金銭の支払いを命じることで、
 特定の行為を強制する「間接強制」を申し立てていた。

 寺沢氏は「2ちゃんねるを相手に訴訟を起こして勝訴しても、
 泣き寝入りしている人がたくさんいる。
 そんなことが許されるわけがない」と話している。 (2004/08/27)

711竹斯の民:2012/01/20(金) 11:15:41.83
そしてそれに対して、西村博之の対応はというと、
投げやりな言葉でたった数点のIPアドレスを開示。
「それ以外のものは見当たらなかった」とのこと。

多くの誹謗中傷の書き込みが成されたにもかかわらず、
数点のみしか残っていないとする対応。

「開示するわけにはいかない」IPアドレスが誹謗中傷の大半を占めていたと
考えるのが妥当でしょう。

もしプロ固定のIPアドレスを開示してしまえば、
当然大変なことになります。
「プロ固定制度」そのものが明らかになるのですから・・・。

こうして西村博之が不自然に必死で隠し通しているからこそ、
このようなプロ固定の存在を示す証拠は出てこないのです。

712竹斯の民:2012/01/20(金) 11:17:44.54
そして、2ちゃんねらーによる言論統制には、
マニュアル化されたかのように
皆が皆、口を揃えて同じような内容の主張を行います。

これは「洗脳されている」人間もいるのかもしれませんが、
基本的に同じ人間が複数の人格を装っているからこそ、
どうしてもこういった風潮が現れてしまうのです。
713竹斯の民:2012/01/20(金) 11:18:57.79
★過去に流失したプロ固定の報酬表
【料金表】
スレ立てる:+200円
スレ削除される:-5000円
スレストされる:-2000円
ゴミ箱逝き:-1000円
DAT落ち:-500円
1000突破:+1000円
1レス付くごとに:+1円
30分で1000:+5000円
1時間以内に1000:+2000円
6時間以内に1000:+1000円
24時間以内に1000:+500円
リミッター発動:-3000円
鯖飛び:-5000円

714夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 11:21:08.41
>>701以下、低脳の自称天才くん
ま〜たファビョってるのか ワラ
全部突っ込みに応えられていない馬鹿レスでしかないから一ヶ所を除き無視 ゲラ

>だがこの件は、お前が邪馬台国を否定するに至る土台の、「先遣隊派遣」の論証に必要な問題だ。

お前は馬鹿だから先遣調査隊を認めていない。
だがこれは国家間のみならず大きな決定をする時には表舞台での交渉が始まる前に当たり前にあることだ。
いわば常識。
魏が倭国を柵封に組み入れるか否かを表舞台で審査したり倭国とやり取りする以前に
これが必ずあるのは常識なんだよ。
朝貢が何年であれこれは絶対と言っていい、なくてはならないものだ。
だから時期を特定しようと必死になるのが馬鹿なのよ、わからんか ワラ
この時期なら先遣隊は困難だ、などと否定したところでこれがなくては倭は正式に申し込めないし
魏は表舞台で審査すら出来ない。
仮に困難な時期であってもやってるはずなのよ。わかるか、馬鹿頭。

で、朝貢外交の本質から外れてるから倭国は軽視されていたという話に
朝貢外交の本質はこうだという話を出した頓珍漢ぶりは理解できたのかな? プ
夜郎自大が間違ったものだと教えてやったのに
今さら引っ込みがつかないから使い続けているのか プププ
71519歳某国立大生:2012/01/20(金) 11:29:55.55
プロ固定とかいうものと間違えられるとは心外だなw
そんな馬鹿馬鹿しい人たちがいること自体が驚きだ。

それはそうとほんとはいかんのだが一部専門家からの返信をひそかにベーストすると、

>九州でも卑弥呼饅頭とか、みやげ物で生活している人や地域も
多くあります。これがある日突然に大和で決まりといったら、
多くの人が路頭に迷ったり、町全体の観光収入が激減して
大変なことにも繋がりかねないのです。
 そのため、万一、親魏倭王の金印が纏向遺跡で見つかったとしても、
邪馬台国は九州だといい続けないといけないわけなんですよ。
その辺りを理解されたうえで、お読みいただいたらよいのかもしれません。

とのことだし、おまえら九州説の爺どももまさか地元の地域振興のために
邪馬台国九州説を言ってるだけのアホじゃないだろうな?伊作の爺さんはどうも
それ臭いがww
716竹斯の民:2012/01/20(金) 11:52:14.35
プロ固定

とにかく数を増やして、それを皆、同調させれば=影響力増加
痛ニュー、コメント欄などに現れる「ゲッター」もコメント数を稼ぐ・
賑わっているように見せかける手段の1つだろう。(実際、アクセスは多いが)
要は絶えず、油を注いで、盛り上がっているように見せかける。
大体、なんで毎度、コメント欄の最初が都合良くゲッターで埋め尽くされているんだよw

他にも検索結果表示数の増加・情報量、数で圧倒させる効果がある。
普通 人の多くは、情報を質より量で判断してしまう。
どんなにまともな意見・発言も、「こいつはおかしな奴だ」という発言が多数を占める・
あるいは多数を占めているように見せかければ、それに同調する人が増え
また 異論を唱える事がやりにくくなる。現代社会ならではの言論統制・抑圧手段と言えよう。

アクセス稼ぎの他、邪魔者を徹底的に叩く。
71719歳某国立大生:2012/01/20(金) 11:52:37.29
やはり邪馬台国論争などそんなもんだよな。馬鹿馬鹿しいから
学者は手を引くのはあたりまえだな。専門家はやはり邪馬台国は
敬遠気味だし、これ以上はもう聞きにくいわww
718竹斯の民:2012/01/20(金) 11:59:47.71
プロ固定

記者やプロ固定は出来高制。
人によって1カキコ0.1円〜400円くらいかな。400円もらえるのはほんとごく少数。
記者はさっき言った通り。削除人はよく知らないからなんとも言いにくいね。

719日本@名無史さん:2012/01/20(金) 12:01:05.44
>>699
>万二千里が具体的距離を表すものでないことは証明した。
>今さらゴチャゴチャ言ってループさせるな。
証明? おまえ一人の思い込みだ。

720竹斯の民:2012/01/20(金) 12:01:24.55
コピペ

プロ固定とは、正式には2ちゃんねるでは「外交処理担当班」と呼ばれているそうです。

この組織の正式な任務は、「2ちゃんねると他サイトとの折衝」ということになっています。しかし、その実態は要するにテキ屋でいうところの「サクラ」です。

彼らの仕事は
・2ちゃんねる内での情報コントロール
・スレッドの管理、維持、盛り上げ、沈静。
・他の指定したサイトへの組織的な荒らし、誹謗中傷。
・多人数に見せかける自作自演によりインターネット世論の作成。
・ターゲットに罠を仕掛けてネタ作りをする

などです。彼らは2ちゃんねるに書き込みすることによって金銭的報酬を受け取っているのです。

プロ固定専用の交流場所(VIP板)への入り口(注意:いたずら厳禁)
http://saki.2ch.net/____vip/
総レス数 25

721竹斯の民:2012/01/20(金) 12:08:44.19
プロ固定
プロ固定とは、報酬を受け取って2ちゃんねるの参加者を増やすための役割を担っている陰の存在で、
削除人制度の上に位置付けられており、対外的にはボランティアとされている通常の削除人より大きな
権限(通常の削除人が削除出来ない場合でも削除権の行使ができる)を持っている。

また、プロ固定の場合、公開されているサーバーへローカルにアクセスできるため、公開サーバーが
ダウンしているときにも書込はおろか発言内容などの改竄も可能とされている。
722日本@名無史さん:2012/01/20(金) 12:10:46.36
近頃変なのが多いな
夢幻如やら19歳やら
アホ晒して恥ずかしないんかな
723竹斯の民:2012/01/20(金) 12:26:00.59
★プロ固定の四大グループ
S-Death=ストーキング&クラッキングを行うプロ固定集団(ネットウォッチ板のプロ固定が該当)
黒電波=ひたすら妄想を垂れ、自分自身がネタになる事によって、スレッドを盛り上げるプロ固定
イイナリ屋=キャップ持ちのプロ固定。馴れ合い系。
紅蓮大佐=AA職人や煽り屋。

★プロ固定の主な仕事
@ネタスレや面白スレの構築
Aスレッドの管理、維持、盛り上げ、沈静
B手っ取り早くアクセス数を伸ばす為に、犠牲者を選んでの「集団リンチ」「集団ストーキング」の勃発
C2chに裏金を支払っている企業・政党の為の印象操作
D削除依頼料を得る為の企業叩き
E漏洩した裏情報のネタ化
Fライバルサイトを潰す為に、ネラーらを煽っての攻撃
G話題作りの為に、無関係のネラーを煽って、「犯罪予告」等を誘発
*プロ固定は、これらを壮絶な自作自演を繰り返す事によって、あたかも多数のユーザが行っているように見せかけ、何も知らないユーザらを巻き込んで行きます。
724卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/20(金) 12:46:43.03
今、浜名寛祐の「神頌 契丹古伝」を読んでいる。
他県の図書館から借りた本で、2週間以内に返却しなければいけないので必死に読んでいる。
やっと半分ほど読んだが、このままでは期限内に読めるかどうか…。

漢学者の家に生まれた軍人で、学者顔負けの学識。理解力は学者より優れている。
牽強付会の解釈もあるが、傾聴すべき見解も多々ある。
この人はほぼ私と同様の見解を述べている。大正時代にすでにこのような書物が出ていたことは驚きだ。

正直のところ、この本は君らには読ませたくない。知る人ぞ知る幻の名著というべき書だ。
725卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/20(金) 12:54:27.14
伊都県主の五十迹手がアメノヒボコの末裔だというのが興味深い。
というのは神功皇后の母親がアメノヒボコ系だからだ。
つまり五十迹手と神功は親族だったのかもしれず、だからこそ仲哀天皇を出迎えたのだろう。

すると伊都県主は代々この系統が任官していたのかもしれず、
仮に倭奴国王が伊都国王だとすると、倭奴国王は天皇家の承認を得て中国に朝貢したかもしれないのである。

そのときに中国が大和朝廷の情報を得たという可能性もある。

ただし私は金印は偽物だと思っているので、倭奴国も朝鮮の倭の一国だったかもしれないと思っているのだが。
726卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/20(金) 13:13:04.02
私はこれまで、女王は邪馬台国に都す、というのは陳寿の誤解だろうと思っていたのだが、最近少し考えが変わった。

陳寿は大和朝廷の情報と、神功皇后の情報を得ていたのだろう。
だから女王は邪馬台国に都す、と書いた。その記述自体は間違いではない。

しかし朝鮮に卑弥呼という神功皇后とは別の女性がいたのであり、朝鮮から朝貢したのである。
727日本@名無史さん:2012/01/20(金) 13:58:20.20
>>726
卑弥呼は「親魏倭王」の金印を貰っているが倭国は朝鮮にあったってこと?
朝鮮は朝鮮で中国に朝貢してたと思うが矛盾しないか
728怒濤の天才:2012/01/20(金) 14:22:39.40
>>714 :夜郎自大
> お前は馬鹿だから先遣調査隊を認めていない。 だがこれは国家間のみならず
大きな決定をする時には表舞台での交渉が始まる前に当たり前にあることだ。 いわば常識。
稚拙な文章でセコいホラ吹くな。常識というのだから、事例にはこと欠くまい。
『三国志』『史記』『漢書』に、周辺民族国に使節を派遣する前に、先遣調査隊を派遣した事実はあるか。

>魏が倭国を柵封に組み入れるか否かを表舞台で審査したり
>倭国とやり取りする以前にこれが必ずあるのは常識なんだよ。
もっちっと知性とか学究の痕跡を感じさせる書き方はできんか? できんわなー。ないから

>朝貢が何年であれこれは絶対と言っていい、なくてはならないものだ。
勝手なルールをつくってわめくな・やかましい。

>だから時期を特定しようと必死になるのが馬鹿なのよ、わからんか ワラ
アタフタするな。「先遣調査隊派遣の可能性の検証」という重大な問題だ。

>否定したところでこれがなくては倭は正式に申し込めないし、魏は表舞台で審査すら出来ない。
若干弱気になったか。他人に否定される前に、お前がきちと説明すべきことを教えてやったのだ。

>仮に困難な時期であってもやってるはずなのよ。わかるか、馬鹿頭。
こうなるともはや議論ではないな。バカバカしい

先遣調査隊を派遣することが、倭国との交流・国交の前の常識的段取りという。
それでいて、「朝貢外交の本質から外れた対応をした」「倭国は軽視された」という。
支離滅裂で・わけわかんねーぞ。ぼんくら
せめて、てめえのいうことの前後関係ぐらい把握してからやれ。
つづくぞ
729怒濤の天才:2012/01/20(金) 14:31:08.31
>朝貢外交の本質から外れてるから倭国は軽視されていたという話に
>朝貢外交の本質はこうだという話を出した頓珍漢ぶりは理解できたのかな? プ
わはは。「朝貢外交の本質はこうだ」という不動の現実があるのに、
「朝貢外交の本質から外れて倭国は軽視さたと」と言い張るタコが頓珍漢なのだ。
考えるべきプラオリティが逆だぞ。タコ

>魏が倭国を柵封に組み入れるか否かを表舞台で審査したり
>倭国とやり取りする以前にこれが必ずあるのは常識なんだよ。
冊封の意味は調べたか。この件はスルーか? 口ほどにもない。
まるで誤解して「逆さまの歴史」を語っていたことは認識できたか。

>夜郎自大が間違ったものだと教えてやったのに
別に間違ったなどとは思っちゃいない。立派に通用する四字熟語だが。
お前は何をいってるのか分かってるのか? ん?語源の話のつもりか。タコ

>今さら引っ込みがつかないから使い続けているのか プププ
死ぬまで使いつづける。大きなお世話だ。

さて夜郎自大。ケンカでもスポーツでも、1〜2度やり合えば相手の力量も、
どっちが上手かも、やった本人が一番よく分かるものだ。
お前はどうやら、それが分からんほどのタコか、よほどの負けず嫌いらしい。
夜郎自大がヤケクソになるのも時間の問題だろうな。
730怒濤の天才:2012/01/20(金) 14:43:06.24
中身がスカスカの田舎の焼き芋、一丁あがり。
731怒濤の天才:2012/01/20(金) 14:47:47.01
プラオリティ
↓↓
プライオリティ

732:2012/01/20(金) 14:58:53.14
>>728,729
珍しく誤変換がないと感心してたら、やっぱりあった。
訂正に4分41秒。
余裕があるな。
733怒濤の天才:2012/01/20(金) 14:59:13.88
>>722
こういうところ手を焼くのは、馬鹿なのに馬鹿という自覚のない奴。
もっと困るのは、馬鹿なのに利口だと思っている奴。
734ローガン:2012/01/20(金) 16:03:16.90
>>690:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>上司から報告書を出せと言われて主語を入れる奴がいるのか?よく考えな。

君は頭が悪いな。隋書にある倭国への行程の記述。この内容なら使者の報告という単一情報に基づいたもの、とするのは妥当な見解。
しかし、倭人伝の記述は隋書にある行程記事と同様ではないのでそうはいかん。 つまり、倭人伝だけをいくら読んだ所で、その情報源の「単一か複数か」なんて判る訳が無い。
だから、「単一か複数か」を解きたければ、その手掛かりを探すという作業が必要なんだ。
倭人伝とは、言うまでもなく東夷伝の末尾。その東夷伝にある序文と評、これには伝をたてた経緯とその情報源についての言及がある。
それとともに、他書に見える内容の異同を考え合わせ、私は複数ソースに拠るものと結構付けたんだ。
しかし君がいう「使者がもたらした単一の正確な情報」に関しては、導き出す過程に使用したであろう根拠が、まるで示されていない。
よって、根拠の無い空想と判断。その空想に基づいた推論など問題外。誰も相手にしないと繰り返し云っている。
そんなんだから、はじめ「畿内説を否定する」と意気込んでいたにもかかわらず、まだその入り口すら見つけられないんだ。
735日本@名無史さん:2012/01/20(金) 16:22:42.97
>馬鹿なのに利口だと思っている奴。

19歳のカスがそうだろう
736日本@名無史さん:2012/01/20(金) 16:27:34.63
>馬鹿なのに馬鹿という自覚のない奴。

夢幻如のことだな
737日本@名無史さん:2012/01/20(金) 16:42:01.97
>馬鹿なのに利口だと思っている奴。

伊作自身のことだろ
738日本@名無史さん:2012/01/20(金) 17:16:28.90
>>728 勝手なルールをつくってわめくな・やかましい。
>>729 どうやら、それが分からんほどのタコか、よほどの負けず嫌いらしい。

タコじい。
おまいの事だよ。
739日本@名無史さん:2012/01/20(金) 17:20:09.86
>>733 馬鹿なのに利口だと思っている奴

自己紹介 乙。
740日本@名無史さん:2012/01/20(金) 17:26:49.78
倭人伝なんかを根拠としてない「畿内説」を
倭人伝に基づいて否定しようとするバカを発見
741日本@名無史さん:2012/01/20(金) 17:45:38.59
倭人伝から必死に逃げ回っている哀れな畿内説。
742www:2012/01/20(金) 17:53:26.66
今更の初歩の初歩的な事についての疑問だが(苦笑

>>734
>それとともに、他書に見える内容の異同を考え合わせ、私は複数ソースに拠るものと結構付けたんだ。

無限尿 の脳内の途中で引き返したガキの使い以下の先遣隊でも
縄文人 の言うところの測量班を伴った遣使でも良いがw

一つの「報告書」なる物に基づいてあの行程記事が書かれている、というこの「暗号解読ゴッコ」の大前提(「ドグマ」と言って良いのかな?w)

…についていつも疑問なのは
そんなものがあるなら当然「魏書」王沈「魏略」魚豢がそれに基づいて書いているはずだろうが
「魏略」には伊都国から先の詳細が無かったと思うが既にこれだけでも陳寿が「魏書」「魏略」に別の情報を加えたのが分かると思うのだが・・・

まあ「魏書」「魏略」は民間にもれ伝わった情報を基に書かれていて
陳寿の物は正式な(最も詳しい)官府の資料に拠った・・・と言う推測が出てくるのかもしれんが

何れにせよ複数元資料による継ぎはぎを否定できるものではない。




743縄文人:2012/01/20(金) 18:06:26.71
やいこら夢幻如とかいうボケナス。まーだ居座ってやがるが、鈍感と言うか、恥知らずというか、際限のないアホだな。

>威厳と対面にこだわるから「いきなり正使を出すようなことはない」
>柵封体制に組み込むかどうかの決定は魏の威厳がかかる大決定だ。
>事前調査無しで短期間にほいほいと決定するはずがない。
>だから先遣調査隊は常識なんだよ。
>それも郡使なんていう朝鮮出張所の言ってみれば「市役所の職員」みたいな情報や
>民間人の情報などで判断、決定するはずがないのも常識でわかることだ。
>朝廷直属の信頼が置ける国家公務員クラスの調査無しに親魏倭王を決定できるか。
>よーく考えな。

おめえが>>562に書いたことだ。もう忘れたんじゃねーだろな?
おめえはその先遣調査隊は伊都国までしか行っておらず、時間が足りなくて、奴国以降の情報は倭人からの伝聞でしか得られなかった
言っていなかったか?それも忘れたとか言うんじゃなかろうな?

おめえの先遣調査隊は結局何をしたんだ?肝心の卑弥呼や邪馬台国についての情報は倭人からの伝聞と言うんじゃお笑い草じゃねーか。
よーく考えなきゃならねーのはおめえだ。先遣調査隊まで出して慎重に審査したとする(おめえの)魏主脳がそんな調査結果で卑弥呼を
親魏倭王にすると決めたってのか?どうなんだ?答えてみろこの野郎!
744縄文人:2012/01/20(金) 18:12:03.74
743 ちょっと訂正。
言っていなかったか?→と言っていなかったか?
魏主脳→魏首脳
745日本@名無史さん:2012/01/20(金) 18:20:50.48
>文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

この「縄文人」と言うコテは「乳頭パイ」その他数々のステハンの中の人だからw

しかし縄文人もブチ切れてとうとう本キャラでご登場かwwwwww
それとも縦目の騙り?今のところ判断材料が無いなw
746日本@名無史さん:2012/01/20(金) 18:29:44.70
先遣調査隊というのは遺作が言い始めたことで、
その根拠のない前提に夢が乗っかってしまってるのが現状。
この二人の共演で先遣調査隊の存在が既成事実化されてしまってる
747日本@名無史さん:2012/01/20(金) 18:59:30.39
かはは「縄文人も怒るデタラメさ」つーところか
伊作も含めてこのスレは終わりだよ
はっきり言って机上の空論を罵倒と屁理屈でゴリ押しする電波ばかりになってしまった
で、伊作が夢幻如と自分は違うと思っているところがまた痛いしおめでたい
748:2012/01/20(金) 19:06:31.54
>>742 :www氏
>陳寿の物は正式な(最も詳しい)官府の資料に拠った・・・と言う推測が出てくるのかもしれんが

その通りでしょう。
「参問倭地 」「 拜假倭王」 梯儁の正確な報告書が有ったでしょう。
倭国を訪問し倭王に 拜假して、報告書がないなんて考えられない。
問題は、伝を書いた陳寿にある。 政治的な配慮でしょう。

国名・方向は正しい。
距離(日数)・人口が、大月氏と相対的に増幅して書かれた。
岡田英弘説を支持。
749卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/20(金) 19:07:14.33
>>727
あなたは新参者なのでしょうか。朝鮮には三韓以外に倭があったのであり、
その朝鮮の倭国から朝貢したというのが私の説です。

ところで、倭はワとかイとか読まれているが、ワイという読み方もあったのではないか。
そして韓も濊も貊も全部まとめて倭と呼ばれた時期があったのではあるまいか。

蓋国は鉅燕の南、倭の北にあり。 倭は燕に属す。

この蓋国を蓋馬大山のあたりとする解釈がある。すると朝鮮半島が倭と思われていた節がある。

樂浪海中有倭人

これも、楽浪郡は遼東に在ったのであり、楽浪海とは渤海あるいは黄海を指すと思われ、
山東省、遼東、朝鮮半島一帯に倭人がいる、という意味だと思われる。

要するに朝鮮半島全体にいたのが倭人だと思われていた節があるのである。
750夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 19:13:41.00
伊作もローガンも後回し。縄文人というコテは初めて対面なんだが、ジョーカーじゃねえの?
どっちにしても馬鹿だから無視 ワラ

近江説者にレスするつもりで寝てしまってよ、まずこっちだ。
751日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:15:40.92
>>746
まあ「先遣隊」と言う言葉はともかく
まさか「アポ無しの飛び込みでも朝貢受けます」というわけじゃなかったろうしw
当然事前交渉・審査みたいな物はあったんだろうが…

がそう言う考え方は本来九州説(ついでに東北説でも可)にとってはあまり相性のいい物じゃないだろう

…と言うのは理論的には九州説はまだありうるといっても
現在の考古学の示す3世紀頃の日本の国内事情から見て
九州に邪馬台国があったとしても既に発生していた首長連合を抑えたような大きな勢力を想定できない。

畿内説の根本的な欠点は
「当時の国内最大勢力が魏に朝貢した勢力だと言う保証が無い」
と言う点に尽きるが、それを魏も十分に審査したと言うなら相当に苦しい言い訳をしなければならない。

具体的に言うなら「偽僭説」ならとりあえず辻褄は合わせられるが無論証明の手段は無い。

お話だけならナンボでもできるっちゅうこっちゃねwww
752日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:19:30.39
http://pub.ne.jp/luckfield/image/user/1256242419.gif
この地図はホント面白い
日本へは南方ルート、朝鮮半島へは北方ルートとはっきり区別されてたことがわかる
その中で、両方に存在してる“扶餘”、この扶餘を基準にして位置関係を整理してみると・・・
753縄文人:2012/01/20(金) 19:21:27.25
>>745
がはは。勝手に推測してやがれ。
そんなことより夢幻如とかいうボケナスの脳足りん説のからかいが先だ。

あのアホは乳頭パイやWWWに水行1日=千里の不合理を突かれると「伊作に聞け」とか、「邪魔だ」とか、無視を決め込んだり
しているが、逃げていることは衆目の一致するところだ。要するにヘタレだ。腰抜けだ。
「俺は倭人伝を根拠に推論している」と言いながら「伊作に聞け」とは笑わせるぜ。ヘタレ。

倭人伝には「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國」と「南至投馬國水行二十日」と「南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月」
の三カ所に水行が出ている。投馬国と邪馬台国については具体的に検証するのが難しいだろうが、「從郡至倭、循海岸水行、歴韓國」
は絶好の検証材料だ。これで検証せず狗邪韓国から末盧国までの渡海で水行1日=千里を導き出せたと得意顔になるとはこいつの頭
の前頭葉は腐って蛆が涌いているに違いない。渡海と循海岸水行の違いも分からぬ唐変木だ。
アホの夢幻如には唐変木が何か分からんだろから注釈:唐に変わった木があってな。その木に咲く花には萼(ガク)が無いそうな。
がはは。
754日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:26:04.79
>>751
アポ無し飛び込み朝貢w
どんなエリート営業マンがいても無理だろうな
755日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:27:35.44
そこで漢代にもらった金印の存在ですよ
756日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:28:05.76
無限尿まとめ

・オラが村=新潟の村おこしに、邪馬台国を利用しよう
・鯨統一郎の推理小説からヤマタイ=ハチマンタイ説を盗用して
 新潟の村おこしに使おう
757夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 19:31:41.38
>近江説者
端的にまず二つ疑問を。
なんで日本海ルートでなく瀬戸内海ルートなのかがわからない。
次に田辺から熊野古道というのは中々面白いんだが、現実的ではない。
この道は古道というくらいだから歴史は古く日本書紀にも出てくる。
道は石畳で舗装されてる所も多い。
だが、これで昔からの幹線道路で歩きやすい道かというととんでもない。
和歌山は海からいきなり山になる所が大半で平地が少ない。
峻険な山こそないが山また山の連続でその中にある熊野古道もけっこうきつい道だ。
石畳で舗装されているのは雨が多いからでぬかるみ対策、だから決して容易な道ではない。
京から熊野三山へ行くにはこれしかないから ”しかたなく” 使われた道だ。
観光にはいい道だが実用ではかなりきつい道なのよ。
これしかルートがないなら別だが、わざわざ選択する道には見えない。

まずこの二点について聞いてみたいね。
758日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:39:03.33
そう、みんなも気がついているように倭人伝の卑彌呼の部分は
誰かをモデルにした作り話なのです。
なんかボロ布もって郡まで挨拶にきた田舎侍はいました。
正式な朝貢は大和の壹與からなのです。
759卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/20(金) 19:48:35.47
小考察

倭載斯烏越
これを普通は倭の載斯烏越と読み、載斯と烏越を人名と見なしているわけだが、
載斯は官名ではなかろうか。倭の載斯である烏越。

卑弥呼と卑弥弓呼素
卑弥が共通しているから、卑弥は姓ではあるまいか。
760夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 19:51:44.05
>>754
トップ中のトップセールスマンだった俺でも無理 ワラ

まず当たり前だが、魏という国の存在を知らねばならない。
どういう国で、どれほどの力があるか国力を知らねばならない。
その国の現在の状況、状態つまり今の国情を知らねばならない。
柵封というシステムの存在と内容を把握しなければならない。
過去の柵封と魏の柵封が同じか別物かも調べなくてはならない。
貢ぎ物は何が常識で、何が喜ばれるかも調べなくてはならない。
現実にどれくらいのメリット、デメリットがあるか慎重に調べなくてはならない。
ともかく倭の側だけでも山ほど調べなくてはならないことがある。
これは受ける魏にしても同じこと。

表舞台で歴史に残るような具体的行動が出てくるのは、すべてこの調査のあと。
表舞台に出る前のものだから記録には残らないだろうが
史料にないからなかった、というならただの史料馬鹿よ。
761日本@名無史さん:2012/01/20(金) 19:52:04.73
>>757
>最初
妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡との間にはっきりとした文化的断裂がある。
ここが倭国大乱の最前線の一つと考える。
それを無視しての交通は無理だろう

>次
河内は前方後方型周溝墓の集積地で和歌山にまで広がっている
前方後方型周溝墓が前方後円墳に発展するとは思えないから敵対してたと考える
あるいは高地性集落の分布図からにもよる
戦闘地域を避け外洋も通りたくないとなると、まさにそれしかルートがない
762ローガン:2012/01/20(金) 19:55:35.14
>>742:www
>まあ「魏書」「魏略」は民間にもれ伝わった情報を基に書かれていて陳寿の物は正式な(最も詳しい)官府の資料に拠った・・・と言う推測が出てくるのかもしれんが

「通典卷 第四十二禮二 郊天上」に
「魚豢議曰:「昔后稷以功配天。漢出自堯 不以堯配天,明不紹也。且舜已越數代,武皇肇創洪業,宜以配天。」自正始以後,終魏代不復郊祀 。と。
明帝郊祭についての議文ゆえ、当時、魚豢は宮廷の要職だったと考えていいんでない?
「正式な官府の資料」に最も近いのは魚豢でしょう。それにその他、雑多な情報を加えた上で、ひとまとめにしたものが魏志倭人伝じゃないかなあと。
殆ど裴注が付かない事も、その傍証と考えて差し支え無いように思う。
763夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 19:55:40.86
伊作とローガンは明日かな。
縄文人は息巻いているが、ジョーカーと同じことを言ってるから同一なんじゃねえの?どうでもいいけどさ。
無視されて「逃げた」と吠えられるから、それで満足しておけ。
てめえの馬鹿すぎ突っ込みには答える気にすらならんよ、アホすぎてな ゲラ
764日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:02:00.35
邪馬台国は畿内で決まったというのに、まだグダグダ九州説が生き残ってると思ったら、
これもステマの一環だったわけか。

九州説で卑弥呼饅頭作ってるじいさんが、伊作とやらと雇ってるんだろ?
765日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:10:55.96
伊作が1レスするたびに、卑弥呼饅頭が一個もらえるんだろ?

俺なんか、ボランティアで畿内説やってるけど、報酬なんて無いもんな。

あ〜あ。
766日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:12:29.25
つーかもう罵倒とゴリ押し、聞こえませ〜んのスレだわな
767:2012/01/20(金) 20:15:13.76
>>751
話だけなら・・・
庄内式土器に表れているように、近畿勢の九州侵攻は速い。
だが、卑弥呼共立後に争った形跡が感じられない。
しかし、よく見るとあった。 狗奴國との「相攻擊」だ。
近畿勢+狗奴國王が連想できる。
張政の役目は、争いを終結させ倭国統一にあった。

・倭人伝〜「更立男王」・・・狗奴國王
だが、「國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人」で失敗に終わった。
纏まれば九州勢は、やはり強い。 しかたなく、「復立卑彌呼宗女壹與」で
お茶を濁した。 陳寿は、「政」と格下げしている。

・梁書 〜「其後復立男王、並受中國爵命」・・狗奴國王
近畿勢の九州制覇なる。
768日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:16:08.53
>>759
おれわ ひみほ でも かまわないかな とわおもふが
769日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:17:06.16
743 744 753の縄文人は遺作
770日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:17:42.97
邪馬台国を研究して、畿内説で決まったとしても、卑弥呼饅頭からクレームが来るってんじゃ、
学者としてやってられんわな。

そうやって、学者さんは邪馬台国研究から離れていって、残ったのは卑弥呼饅頭の売り子だけと。

こっちが畿内説をきちんと説明しても、卑弥呼饅頭のレスを増やすだけで、儲けるのは饅頭屋だけってのは理不尽だなあ。

あほらし。
771日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:19:36.75
>>770
アンタは畿内説をきちんと説明したのかよ?www
772夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 20:20:08.95
今日は気乗りしないので、ちょっと雑談。

俺は和歌山の超過疎地で六年暮らしたことは前に言った。
中山間部の集落で、一番近い町のスーパーには車で山を下ること30分なんだが
そのスーパーは海の真ん前だ。山を下りたらすぐ海、という和歌山の状況がわかると思う。
俺の住んでいた所から一番の都会が田辺で、映画館もあるオークワというスーパーによく行ったもんだ。
田辺とは逆方向になる速玉神社は毎年初詣に行ってた。車で2時間くらいだったな。
真っ赤な社殿がきれいな神社だぜ。今は名前からサッカーの神様にされている ワラ
熊野古道は何本も道があるが入ってみると、さすが修験者の通った道だなあと思わせる。
けっこうきつい上り下りがあり、周囲の木々が迫る様は夜なら神秘という以上の恐怖感すらあるだろう。
俺には魏使を歩かせる想定は出来ない道だがな。

近江説者、レス待ってるぜ。
773日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:20:57.06
伊作も自分で勉強しているとは言うが、最初から歴史センスもないし
素人の方法論だから、結果として電波以外の何物でもないんだな
残念
774日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:23:46.84
>>771

畿内説の説明


3世紀はじめにはヤマト王権が成立してた。


以上。
775日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:25:03.25
まあ、無限尿や19歳の池沼とは比べ物にならないが
776日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:25:47.45
>>772
>俺には魏使を歩かせる想定は出来ない道だがな。

自分であるくわけないだろ。
貴人は「輿」に乗って移動するんだよ。ばーか。
777日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:25:53.82
>>749
蓋國の蓋はのは天蓋の蓋だからして

蓋國=辰國 だとおもいたい

辰國の辰は北辰のの辰で妙見さまだろ

倭人と似たふいんきのやつらがいたとみるべきだろ
778日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:26:42.62
>>774

× 3世紀はじめにはヤマト王権が成立してた。

○ ヤマト政権は3世紀ごろ、さっさと外部勢力に潰され、崩壊しました。
779日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:26:54.50
>>772
支那志に邪馬台国の状況のい記述が残ってないことからして魏使は邪馬台国までは来ていない
まだ先遣隊派遣説を信じてるのかよ?w
780:2012/01/20(金) 20:27:06.29
>>764
卑弥呼は、狗奴國(熊本)の北に居た。 八女説。

問題は、熊本地区における庄内式土器の浸透の速さと量だろう。
他の地域に比べてどうなのだろうか?
一番遅い所が、卑弥呼の都だろう。

近畿勢は協調性に優れている。討伐はしてないだろう。
壹與後も続き、岩戸山古墳へと受け継がれる。

*邪馬台国は、九州北部を一歩も出ない。
781日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:29:14.73
ジョーカーも、何だな。

「3世紀はじめにはヤマト王権が成立してた。 」

これは事実なのに、「理論的には九州説の可能性もあり」なんて塩を送ってるが。

九州説が成り立つ可能性なんて、1_も無いですから。

なにやってんの?

782日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:32:14.63
>>780

240年頃の九州なんて、近畿がもう征服してまっせ。

783日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:33:58.58
>>782

いやその前に、畿内国が征服されてる。
784日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:37:03.59
卑弥呼は、ヤマトトトヒモモソヒメ。

その墓は、「箸墓」といって、3世紀中葉に作られた前方後円墳だ。
この時代に、箸墓より巨大な墓は、日本中どこを探しても存在しない。

だから、卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメなんだよ。

まず、この基本を知っておくべきなのになー。

基本を知ってれば、九州説なんて、逆立ちしても出てこないのに、無知なやつばっかだな。

785日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:38:31.73
>>783

銅鐸が消えたから、征服されたってか?

小学生かよ。お前。小学生なら、そういう戯言も許してやる。

786日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:41:37.96
委鬼のの俾彌呼さんて

海峡のまわりおさえている海賊さんの血筋とかひいてからに

征服した稲作基調のあらぶる在来種の國中人とかしずめるために

かがみぴかぴかとか ぴょんぴょんはねたり こけここおのまねっこしたり

しんだまねっことか ぴくぴくけいれんしたりとか うまれかわちゃうとか

そんなことしてくれちゃうよおなふいんきかなあて

かってにいめえじしちゃってたりするおれがいますよ。
787唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/20(金) 20:41:49.06
>畿内説の根本的な欠点は「当時の国内最大勢力が魏に朝貢した勢力だと言う保証が無い」

 『南史』倭国伝
 倭國、其先所出及所在、事詳北史。其官有伊支馬、次曰彌馬獲支、次曰奴往鞮。
北史 倭国
、謂之倭奴國。靈帝光和中、其國亂、
遞相攻伐、歴年無主。有女子名卑彌呼、能以鬼道惑衆、國人共立為王。
至投馬國。又南水行十日、陸行一月、至邪馬臺國、即倭王所都。

邪馬台国の官=伊支馬=イクメ=垂仁、垂仁による田道間守(都市牛利)の派遣であり、
正始元年に倭王位を授与されている。
788日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:43:47.75
銅鐸が消えたのは、ムラの共同体祭祀から、首長霊祭祀に変わったからなんです。

ちょっと難しい話かもしれないが、よく聞くといい。

銅鐸というのは、ムラ全体で祀られていたものだ。
ムラに階層化が進み、首長が登場すると、ムラ全体で祀る祭祀から首長を崇める祭祀に変わる。
これは日本中どこでも起きた変遷であって、外部から占領されたから銅鐸が消えたなどという証拠は、
日本全国どこにも無い。

こういう難しい話は、高校生くらいにならないと理解できないかな?

がんばって勉強しなよ。
789日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:45:57.24
どーでもいいけど、マトモな話が通じない雰囲気だよな
電波ここに極まれり
790日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:47:50.90
唐松山は唐代に編集したのとか持ち出すのがほんと好物なんだね
791日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:48:08.44
>>789

ガキは卑弥呼饅頭でも食って寝ろよ。
792日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:52:01.86
神郷亀塚古墳
>前方後方墳
>古墳の築造開始が2世紀末に始まった可能性
>古墳の完成した時期を新しく見て3世紀初頭
http://sendo.fc2web.com/flame02/jingoukamedukakohun/kamedukakohun.htm

果たしてこれを信用してもいいのだろうか?
793日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:54:30.75
>>785

信仰の中心=銅鐸が破壊されて埋められている。
畿内王国なんて、その程度だったんだよw
そのあとは東海を中心とした勢力に横取りされて、畿内は東海国家の一部にw
794日本@名無史さん:2012/01/20(金) 20:55:42.96
>>788

バーカ、国家が滅んだから銅鐸が破壊され、埋められたんだよ。
理屈をいくら並べてもムダwwwww
795日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:00:54.47
九州でも銅鐸は作っていたから征服したのはどこだろ?
騎馬民族なのかな?w
796日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:02:32.91
>>792

築造年はともかく、伊作の言ってるような、
「中国文化をもった人々が先遣隊となって近畿を制圧した」なんてことは、
そのリンク先で証明されたわけだ。

伊作、残念だったね?

君の論は、初めから破綻してたんだよ。

きちんとした古墳の知識があれば、「日本の古墳は中国の影響を全く受けていない」ことは誰でも知ってる。

日本の古墳は、日本の思想に基づいた日本独自の埋葬方法なんだよ。築造方法も含めてね。

797日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:02:55.13
九州の銅鐸は、宗教の中心じゃなくて付き合い程度。
日本で十字架のネックレス愛用しているようなもの。
798日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:03:43.48
耽”羅”、新”羅”、加”羅”、温”羅”、金比”羅”
799日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:03:44.21
>>796

あ、間違えた。

築造年はともかく、伊作の言ってるような、
「中国文化をもった人々が先遣隊となって近畿を制圧した」なんてことは、 「絶対に無い」と、
そのリンク先で証明されたわけだ。

理由は、以下同文。


800日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:03:57.54
・・・・・・・・・・・・・・つーかなあ、考古学中心の畿内説はほとんど2chからは離れた
何の益もないからな 離れないのは爺さん仲間がほしいローガンと
離れられない事情のあるジョーカーくらいのもんだろう
ここにいる限りは同じ穴のムジナなんだよ
801日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:04:18.12
結局、完全に目都合しちゃったのは畿内の銅鐸国家。
東海勢力に、さっさと簒奪され、滅ぼされちゃった畿内王国、弱いねー!
802日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:07:22.18
要するに、畿内王権=後の大和朝廷は、外部政権でした。
803日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:10:06.20
貼った俺が言うのも何だが俺自身はこのリンクの内容に完全同意してるわけではないから。
東海の前方後方墳より近江の前方後方墳の方が古くなってみんな困らない?ってのを提示志ただけ。
804日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:10:30.78
>>784
倭迹迹日百襲姫の墓が箸墓であるのは間違いない。
しかし、箸墓がいつ造られ、どこにあり、どれくらいの大きさかははっきりとはわかっていない。

一般的に箸墓といわれる大型の前方後円墳は、宮内庁が付けた仮の名前といえる。
いわゆる仁徳天皇陵が、本当に仁徳天皇の墓かどうかわからないのと同じ。
805日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:11:28.51

伊作が、>>792にどんなレスするか、楽しみだな〜〜♪

「これぞ、中国長江文化を持った人間が先遣隊となって築いた古墳に間違いなし」なんて言ったら、

けちょんけちょんにぶっ叩いてやんよ。

あ〜楽しみ。ぷぷ。
806日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:13:20.38
>>803

俺は畿内説だが、そんなものどうでもいい。

科学というのは、毅然と事実を受け入れるものだ。

だいたいクナ国が前方後方墳を作ってたなんて証拠は何も無いしな。
807日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:13:44.44
ゴッドハンド乙
808日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:14:19.94
>>806
>クナ国が前方後方墳を作って
ここに俺は同意できてないんだよ!
809日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:16:35.25
だいたい、奈良でも前方後方墳はあるんだから、
敵対勢力の古墳であるわけが無いだろ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

ちょっとヤマト王権に反乱くらいは仕掛けたかもしれんがな。
そのへんは、記紀を読め。
あほども。
810日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:22:02.54
西山古墳なんて急ごしらえで前方後方墳から前方後円墳に形態変換そてるしなぁ
81119歳某国立大生:2012/01/20(金) 21:23:16.48
卑弥呼が倭迹迹日百襲姫命であるのはほぼ間違いないが、
箸墓の築造年代は280年〜290年の時期なのはほぼ確定のようなので
時代が合わない。築造から埋葬まですべてこの時期に行ったと
調査で出てて学会でもほぼこれがコンセンサスを得てるようなので。

このずれはどういうわけなのかと記紀をよく読んでたらわかった。
箸墓は倭迹迹日百襲姫命の墓ではなく、ちゃんと倭迹迹姫命の墓だと書いてある。
孝元天皇の娘のほうだ。なのでこの人物が台与にあたる人物だろう。
812日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:26:20.32
倭迹迹日百襲姫命も豊鋤入姫も天照大御神も神功皇后も、全て諱ではない
まず諱を特定することから始めるべきなんじゃないかと思うんだが
813唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/20(金) 21:28:10.40
>>792
>今回の調査では埋葬施設および盛り土から弥生時代末の土器が複数見つかっており、古墳の築造開始が2世紀末に始まった可能性があります。

弥生後期後半(X期)と弥生終末期(Y期)を分けるのが、後漢193年の飢饉である。
3世紀初めから箸墓築造(260±年)までが、終末期(Y期)である。
弥生時代末とはこの終末期を指す。
814日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:28:35.85
卑弥呼が危機に登場するわけないじゃん。もう馬鹿かと阿呆かと・・・
81519歳某国立大生:2012/01/20(金) 21:36:09.59
海部氏系図のほうでモモソ姫=日女命 になってるので。

それはそうともう卑弥呼饅頭守るための九州説馬鹿相手にするのも
馬鹿馬鹿しいからここから去るわ。学校も忙しくなってきたし。
あとは勝手にやってくれやw
816日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:36:45.72
名古屋の馬鹿は、きしめんでも食って寝なさいwwww
817日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:37:13.56
>>811
なんとなくのコンセンサスに意味があるのかい?
日本の色んな学会の中でもレベルが著しく低いところなのにw
作文はいいよ。
818日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:38:22.29
>>813
あなたがちょくちょく言っておられる192〜193年の朝鮮半島の冷夏だけど、
梅雨前線が北上しない年だったと考えればいいんじゃないでしょうか。
最近でも時々あります。
http://t2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSqCpVMZzDZHo__TKM0IHXd_abEtyNuOkpDYe80PcBsOa3B7pjCZw
曇域が朝鮮半島で停滞してるようだと、雨域は日本列島で停滞することになります。
そのことによる長雨が唐子・鍵の水没原因と考えるのはどうでしょうか?
819日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:49:13.04
>>699
証明にはなっていない。証明したと思っているのはお前の勝手。誰も認めてい
ない。本当の証明ならば他人がそうと認めるもんだ。

>>801
そう、後の子孫の6連隊は負けてばっかり。日清戦争から第二次大戦まで一度
も勝てず、逃げてばかりだった。こんな奴らの先祖がそんなに強いはずが無い。
弥生時代に畿内に入った奴らは常に周りから侵入され、殺され、犯され、簒奪
された奴らだよ。こんな奴らが邪馬台国を作り、魏と交渉するほどの甲斐性が
有ったはずは無い。畿内説は成り立たない。
820日本@名無史さん:2012/01/20(金) 21:49:18.86
あーぁ、今日は酔った勢いで溜めていたネタをかなり吐き出してしまったなぁ
821縄文人:2012/01/20(金) 21:59:56.15
>>772 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/20(金) 20:20:08.95
>今日は気乗りしないので、ちょっと雑談。

がはは。儂とジョーカーに突っ込まれて答えられないので気落ちしたか。
てめえなんか最初から雑談で参加してりゃよかったのよ。
まあ、伊作や19歳坊や相手じゃ互角に(時には互角以上に)やりあえたのは認めるが、儂やジョーカー相手じゃ
底の浅さを露呈するのが関の山。アホはアホなりに生きろ。この腰抜け野郎!
822怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:01:02.98
>>805 >伊作がどんなレスするか、楽しみだな〜〜♪
リクエストにお応えして。
墓だけじゃない。銅鐸も環濠集落も江南からきたものだ、タコども。

●浙南石棚墓群(浙江省温州地市瑞安)
1993年に浙江省温州地市30を超える石棚墓が発掘され、春秋時代の器物が多数出土した。
石棚墓とは日本でいう支石墓のことである。これは、紀元前1700年〜紀元前256年頃にかけて江南地方で営まれた墓制で、
石棚墓の下には甕棺も埋葬されている。その形状や葬送様式などから、
九州北部や朝鮮半島南部に展開する支石墓のルーツかとも考えられる。 
浙南の石棚墓は後者の南方式と呼ばれる碁盤式である。
日本では、碁盤式と呼ばれる南方式の支石墓が縄文時代晩期末の九州北部に出現している。
唐津市の葉山尻支石墓群が最古とされ、縄文時代晩期末(弥生時代前期)〜弥生時代中期の支石墓と甕棺墓がある。(wikpedia)

●周代の土とん墓
墓制(墓づくり様式)において、大陸と共通するのは横穴式古墳や支石墓のほかにも、
円墳、方墳など、土を盛った高塚式古墳のルーツも中国の江南にあったことが明らかになりつつある。
2005年、南京博物院考古研究所は、江蘇省の句容市と金壇市で、
土を盛った墓である土とん墓群の大規模な発掘を行なった。(とんは土+敦)。
総数で40の土とん墓を発掘し、233の墓葬と14の墓葬建築遺跡を整理したところ、
幾何学模様の陶器、原始的な青磁器を主とした、江南地方の特色がある各種の文物3800件余りが出土した。
発掘後の整理によって、船形棺の葬具、石の寝台、墓の上に建てられた木造の山形をした掘っ立て小屋の存在が明らかになった。
(人民中国「江蘇省句容市と金壇市にまたがる周代の土とん墓」)
823怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:01:38.05
●墳丘墓の源流
日本では、弥生時代の墳丘墓も、前方後円墳などの古墳も、遺体を地面より高いところに埋葬する。
一方、中国の華北では遺体を地面の下の深いところに埋め、その上に土を盛る。
ところが、呉や越の国があった長江河口域の土とん墓は、地面よりも高いところに遺体を埋葬する。
土とん墓は、中国のきわめて限られた地域(春秋戦国時代の呉越の地域)で行なわれた埋葬形態であった。
越が楚に滅ぼされ、江南一帯が楚の領土となってからは土とん墓は消滅し、楚の木槨墓が行なわれるようになった。
吉野ヶ里などの弥生時代の墳丘墓が、中国江南地方で呉・越の限られた時代に行なわれた土とん墓の影響を受けた可能性を示しており、
この時代の人々が、日本列島に渡来したことと整合する。(邪馬台国の会「中国古伝承のなかの倭」)

●横穴墓の源流も長江流域
貴州省都江鎮不巫郷の村の裏手の崖にある横穴墓。この横穴式古墳の正確な築造年代は不明なのだが、
熊本県人吉市の大村横穴墓、同じく熊本県山鹿市の横穴式古墳の写真と比較すると、
風化具合からみてかなり古いもののようである。まさに、崖に横穴を彫って墓をつくる着想から、
共同墓域として群衆墓を構成するところまで、まったく同じであることが分かる。
仮に私の見立て通りだったとすれば、横穴式古墳も長江流域の少数民族に起源する可能性が高くなる。

824日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:04:31.12
>>811
また変わるよ。
畿内説の学者さんのいうことはコロコロ変わるというのが絶対的な定説。
825Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 22:04:37.61
>>734 ローガン
>つまり、倭人伝だけをいくら読んだ所で、その情報源の「単一か複数か」なんて判る訳が無い。
>だから、「単一か複数か」を解きたければ、その手掛かりを探すという作業が必要なんだ。

>他書に見える内容の異同を考え合わせ、私は複数ソースに拠るものと結構付けたんだ。
>しかし君がいう「使者がもたらした単一の正確な情報」に関しては、導き出す過程に使用したであろう根拠が、まるで示されていない。
>よって、根拠の無い空想と判断。その空想に基づいた推論など問題外。誰も相手にしないと繰り返し云っている。

>>742 ジョーカー
>一つの「報告書」なる物に基づいてあの行程記事が書かれている、というこの「暗号解読ゴッコ」の大前提(「ドグマ」と言って良いのかな?w)
>何れにせよ複数元資料による継ぎはぎを否定できるものではない。

ローガンとジョーカーは、何アホなこと言ってるのぉ?w
ムゲンニョの言うとおり、使者がもたらした単一の情報だぞwwwwwww
826日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:07:55.25
>>823
辰韓にかなりの数の秦人が流入してきてる
その秦人から影響を受けた可能性は?
ちなみに秦の始皇帝の墓陵は例のアレ
方墳with水銀の周溝
827Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 22:09:44.77
ドグマ大使なのだよわたしは はははははは
828怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:10:33.30
>>746
>先遣調査隊というのは遺作が言い始めたことで、

俺の場合は、大和盆地湿地帯開拓のために、
九州勢力が派遣した「先遣開拓部隊」だ。
認識不足のほどが恥ずかしくないか。
829日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:12:48.76
>>826
秦の始皇帝も鏡が好物でし
830日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:17:02.36
>>828
まぁそれもオレだけどw
滅茶苦茶言いよるなぁと思いながら読んでたからかなり鮮明に記憶に残ってる
軍派遣を前提に話してた

で826は無視すると。。。
831日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:27:15.22
>>829
なんか繋がってくるんですよね
832怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:31:17.64
おかしいな。
墓の続きの最後が再三投稿しても反映されない。
テスト。
833縄文人:2012/01/20(金) 22:32:52.44
>>830
伊作が魏の先遣調査隊を言い始めたというのは間違いだな。おめえの記憶が混乱しているだけだ。
あやふやなことを口にするのは止めようぜ。
834怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:34:20.59
墓の続きの最後のところ
●舟型木棺の源流
江蘇省の土とん墓群からは船形棺の葬具が出土しているが、
実は、四川省の成都市で約2500年前(春秋晩期〜戦国早期)のものと思われる舟型木棺群が発見されている。
舟型木棺とは丸木を船形に彫って作った棺のことで、直径1・6〜2mの楠の木をくり貫いたもので蓋もついていたという。
ほかには、大小併せて17の丸太彫りの舟型木棺が確認されたが、当初はこの他にも多数あったものと推察されている。
規模の大きさから、王の家族もしくは一族の墓であると考えられている。(「考古用語辞典」)
舟型木棺は四川省の巴蜀文化の特色とされるが、わが国の古墳にも舟型木棺が多数使われている。
構造はくりぬきの舟型木棺が多く、鏡、鉄剣、鉄刀、良質の勾玉などの副葬品を伴う。
舟型木棺の思想もかなり早くから、長江流域の四川省から江蘇省まで展開していたようである。

●銅鐸祭祀の源流
先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、
日本の銅鐸のルーツではないかとの見解が出されている。
「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。
大型の鐃(にょう)は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い」。(考古用語辞典)
さらに今度は、明らかに銅鐸の原型と思われる形をした陶磁器の鐸が発見された。
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、
原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、
日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、
幅約12〜18センチの鐘型。肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、
鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江下流域の呉と越に存在していたことが歴史書にあるが、
実際に中国で出土したのは今回がはじめて。日本の銅鐸との関連性を指摘する声が出ている。
(2006年3月7日付朝日新聞)
835怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:36:52.89
>>796
>きちんとした古墳の知識があれば、
>「日本の古墳は中国の影響を全く受けていない」ことは誰でも知ってる。

ほれ。どタコ。
どんだけきちんとした古墳の知識だ中年。
836Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 22:38:52.60
>>828
>俺の場合は、大和盆地湿地帯開拓のために、
>九州勢力が派遣した「先遣開拓部隊」だ。

まるで、九州と近畿が同じ日本列島じゃないみたいじゃないかw
ホツマのほうにイザナキだか、あまてらすだが忘れたが
日本列島の中心でもある琵琶湖のほとりで国を治めたような話があったと思うが
縄文時代にしても縄文文化は西は九州、東は青森まで広がっており、
弥生時代の水田稲作ししろ、西は九州、東は東北地方各地(地方によっては縄文文化を継続してる所もある)まで
ある一定の日本文化があったのであり、土器の流れをみても分かる通り、
畿内勢力と九州勢力は同じ文化を共にしたと思ってる。

まあ、先遣開拓部隊ていうのは、
列島を二分する「銅鐸文化圏」と「銅矛文化圏」をみて言ってるんだろうが、
現在のように関東地方、関西地方のある一定の地域差ていうとらえ方ではいけないんだろうか。
837Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 22:45:17.72
>>834
>先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、
>日本の銅鐸のルーツではないかとの見解が出されている。
>「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。

聞く銅鐸、みる銅鐸と言われてる通り、朝鮮式の小さい銅鐸が
「日本独自」の発展を遂げて、祭祀に使う銅鐸へと変化していったんではないのかね?
838日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:48:01.67
>>837
ドンソン文化の銅鼓の文様が銅鐸の文様と似てると言われてる
839Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 22:48:04.65
いさくさん

長江中流域などのは、高さ1メートルらしいが、
長江中流域のモノをモデルにしたような痕跡はあるのだろうか?
ただ、言えるのは日本各地で出土する「モノ」は朝鮮式ですよね。
840日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:50:15.39
>>751
九州に邪馬台国があったとしても既に発生していた首長連合を抑えたような大きな勢力を想定できない。

そんなもの無かったから卑弥呼を共立して倭国大乱を終わらせたんじゃないか。
841太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/20(金) 22:50:20.66
>邪馬台国の官=伊支馬=イクメ=垂仁←本板最高級の噴飯節bbb・・・
842Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 22:55:09.59
>>838
そかw
じゃあ、朝鮮と倭に入ってきたやつのルーツはそこの可能性がある
ちゅう〜ことですな。
843日本@名無史さん:2012/01/20(金) 22:59:19.81
>>774
>畿内説の説明
3世紀はじめにはヤマト王権が成立してた。
以上。

しかし
そのヤマト王権は邪馬台国ではありませんでした。
以上。
844怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:02:54.92
続きの最後の最後だ

●人骨も補証する弥生人の源流
共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、
長江下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、
DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、中日共同調査団の調査で分かった。
渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が有力と考えられていたが、
稲作の起源地とされる長江下流域を含む江南地方からも渡来した可能性が高くなり、
弥生人の起源を探る上で注目されそうだ。
報告によると、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8〜同5世紀)から
前漢時代にかけての江蘇省の人骨と渡来系弥生人の人骨には、
頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。
また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があったが、
江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。
江蘇省の人骨36体からDNAを抽出し分析した結果、
春秋時代の3体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。
中国側の南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が極めて似ていることが分かり、
弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えられた。
今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話している。
(1999年3月23日中日共同調査団発表)
845日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:04:30.58
むかしは「邪馬台国畿内説」というものがあった。今では「箸墓畿内説」w
846日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:05:39.40
本日の伊作もどきは良い子
847日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:06:42.95
>>842
キン族も元は江南に住んでて漢民族に追い出されたと言われてるからね
848卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/20(金) 23:07:53.71
1 邪馬台国の比定
2 卑弥呼の比定
3 狗奴国の比定
4 朝貢記事の説明

この四つを完全に説明しないと解決したとはいえないのに、1だけを説明して満足している人が多い。
畿内説の人はみんなそうだ。考古学などを援用して、邪馬台国は大和だ、と言っているだけである。
2も3も4も、畿内説はまともに答えていない。
849日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:11:50.84
禹さんは会稽山の地に天下の諸侯を集めましたとさ
850Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 23:14:06.78
>(1999年3月23日中日共同調査団発表)

古ぅwww
しかし、渡来系弥生人はどこから来たのか?ていうことに関しては
伊作が>>844で言ってるようなことはよく耳にしますよね。

で、その渡来系弥生人の人骨ですが、玄海湾らへんの北部九州に多く、またそれより南の
吉野ヶ里周辺の「筑紫平野」のほうへ行きますと弥生人と縄文人の混血と言うか
各地域によって出土する人骨にさがある。
まあ、畿内の方にも渡来系弥生人の人骨はまとまって出土することが多いんですが、
これは形態人類学になるので、詳しく知りたい人はそういう本を読んでほしい。
851日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:17:52.61
え、畿内説は詐欺しか言ってないんだけど?>>848
852怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:21:57.92
>>836
>まるで、九州と近畿が同じ日本列島じゃないみたいじゃないかw
基本的には同じ民族だが、少しずつ生活文化の異なる種族が、
各地域ごとに、沿岸部・河川領域・山岳部といった具合に日本列島に共存し住み分けてきた。
ずとのちに土蜘蛛といわれた辺境種族はその名残りだろう。
縄文後期から弥生時代にかけて継続的に江南から渡来している。
彼らの蛇神信仰の精神文化は、縄文の土器土偶から銅鐸・銅鏡へと、連綿と続いている。
信仰や墓制や棺だけじゃない、稲作から環濠集落から高床式建築物までがそれを証明する。

俺は「似てはいるが少しずつ文化の異なる種族の共存と住み分け」を主張している。
イメージとしては長江流域の少数民族だ。文身・お歯黒・無文字文化も共通する。
むろん、人・もの・文化・知識・技術は、入り口ほど濃厚で、遠くなるに連れて希薄になる。
銅鐸文化の分布と推移がその最たる実例だ。そこへ九州からの開拓集団の移住。これが唐戸鍵遺跡だ。
(開発するまでは人が住んでいなかった大和盆地は、銅鐸の出土数すら極端に少なかろう)。

こうしたことを吟味した上で理解しようとはせず、
畿内だ九州だと論争する馬鹿どもが、互いに競合対立していたかのようにいうのだ。
だ・か・ら。
「対立していた」という仮定でいえば、九州勢力が関門海峡をコントロールするだけで畿内は後進化する。
という抜き差しならない「絶対的現実」をつきつけてやったのだ。
これを誤解したタコが、「九州勢力が関門海峡を封鎖していた」などと拡大解釈する。

ほんとうに頭のいいのがいない。お前もその一人だ。
853怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:25:23.45
>>837
>聞く銅鐸、みる銅鐸と言われてる通り、朝鮮式の小さい銅鐸が
>「日本独自」の発展を遂げて、祭祀に使う銅鐸へと変化していったんではないのかね?
馬王堆漢墓(漢族の墓)の帛画には、天上界の中央に鐸が吊られている。
それを、馬か鹿に乗った人物が両方から鳴らしている。
この帛画では鐸は天上界の器であり、「天上界の音」を奏でた楽器であることが分かる。
半端なことをいうなタコ。
854日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:26:30.29
俺は土蜘蛛
855日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:27:42.01
俺は、土蜘蛛=土雲=出雲で倭国大乱時代の呼び方だと思ってるんだけどね
856唐松山 ◆V0F34EbmQA :2012/01/20(金) 23:28:15.26
>江蘇省の人骨36体からDNAを抽出し分析した結果、
>春秋時代の3体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。

ここまではいいんだよ、しかし現代人を調べると、バイカル湖方面の血液が濃くなる。
古墳時代に大量かつ北方の民の渡来が存在しなければならない。
それは、百済の棄民では説明できない。
857日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:31:19.43
刀伊の来寇とか元寇とか朝鮮併合とか理由はいろいろ考えられる
858怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:33:07.85
>>839
>日本各地で出土する「モノ」は朝鮮式ですよね。
双極文・二頭渦巻文・蕨手文(これらは蛇神の図案)といった飾りがついた銅鐸、
連続三角紋・鋸歯文・連続菱形文(これらは蛇のウロコの図案)が入った銅鐸、
高床式倉庫が描かれた銅鐸などのどこが朝鮮式だ。
みな、長江流域民族が神と江がめた蛇神の図案だ。
859日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:33:11.08
>>852
そこな

民族とかゆうタームはできるだけ避けた方が良いぞ

あとさ

種族が住み分けとゆうのも良いけど

在来種がいるところに外来種が入り込むときには

征服被征服関係で同じところに共存とかおきるのがふつうだし

溶融化したところにさらに外来種が入り込むとゆうのが基調だろさね

あと

南の方だけでなくて西とか北の方向からもきていてふつうだろ
860怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:38:04.36
>>855
>土蜘蛛=土雲=出雲で倭国大乱時代の呼び方だと思ってるんだけどね
土蜘蛛とは、日本列島の各地にいたことになっている。
しかも河川の上流部や山岳部などの辺境だ。
大和朝廷の統一が徹底浸透しなかった時代には、
まだまだ、各地に色んな種族集団が残っていたのだろう。
これを土蜘蛛とひとくくりにしていいる。
熊襲や熊鷹と言われた連中もその口だろうが、実際には九州北部が多い。

とんだ考え違いだな。もっと勉強してくれ。
861日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:38:39.12
このあたりのことだと神/新しい創造物さんと意見が一致してるな
862Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 23:41:39.95
>基本的には同じ民族だが、少しずつ生活文化の異なる種族が、
>各地域ごとに、沿岸部・河川領域・山岳部といった具合に日本列島に共存し住み分けてきた。

うんうん、基本的には同じだが、各地域ごとによってそら〜差があるわな。

>縄文後期から弥生時代にかけて継続的に江南から渡来している。

第一波、第二波と彼等は渡ってきたんでしょうな。

>彼らの蛇神信仰の精神文化は、縄文の土器土偶から銅鐸・銅鏡へと、連綿と続いている。
>信仰や墓制や棺だけじゃない、稲作から環濠集落から高床式建築物までがそれを証明する。

蛇神信仰がどう土偶や銅鐸、銅鏡と関わるのか知りませんが、日本人のルーツは
伊作さんが上で書いたとおりに言われることが多いので、そういう部分から来たであろうことは想像がつく。
863日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:41:49.19
北は蝦夷じゃないの?
前方後方墳の領域は土蜘蛛=出雲でも問題ないと思ってる
864Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 23:41:59.60
>俺は「似てはいるが少しずつ文化の異なる種族の共存と住み分け」を主張している。
>イメージとしては長江流域の少数民族だ。文身・お歯黒・無文字文化も共通する。

そかw

>むろん、人・もの・文化・知識・技術は、入り口ほど濃厚で、遠くなるに連れて希薄になる。
>銅鐸文化の分布と推移がその最たる実例だ。そこへ九州からの開拓集団の移住。これが唐戸鍵遺跡だ。
>(開発するまでは人が住んでいなかった大和盆地は、銅鐸の出土数すら極端に少なかろう)。

なるほど、なるほど、九州の弥生人骨と、唐古・鍵遺跡周辺の弥生人骨を
単純につなぎ合わせて東遷といってるわけだね、あんた〜単純だねw
それに弥生時代は奈良ではなく大阪の方に人が多くいたような痕跡があると思う。

>畿内だ九州だと論争する馬鹿どもが、互いに競合対立していたかのようにいうのだ。

それはここのスレの畿内説vs九州説の特徴だろうねw

>ほんとうに頭のいいのがいない。お前もその一人だ。

この人、自分が頭が良いと思ってるから困るよねw
865怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:43:01.96
>>859
名無しで投稿して、お近づききになったわけでもなけりゃ
親ししいわけでもない。
意見をいうとき・ご意見をうかがうときは、最低限の礼節を発揮しろ。
たいしたことをいうでもないくせに態度がデカいから俺が怒鳴るんだ。この野郎。
866怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:46:06.02
>>864
現実に、頭がいいと思わせる奴は一人もいないし。
頭がいいのなら、頭がいいなりの書き方・内容で投稿しろ。
この俺にバカといわれるようじゃしょうがあるまい。んー?
867Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 23:46:56.31
>>858をみて貰うとわかるとおり、この人なんか詳しいよね。
まあ、専門知識を御披露なさるのは良いんですが、もう少しこの板を見物してる人に
分かり易く説明していただけるとありがたい。
この点は、わたしの文章のが分かり易いだろう。
868日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:47:03.02
>>865
いさくもどきよ

いいからだまっておれのゆうこときいてりゃ

すこしは皆様のやくにもたてるだろうからがむばれや
869日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:47:52.58
馬鹿にバカと呼ばれるほど莫迦でなし
870Aratame_Himiko:2012/01/20(金) 23:53:46.93
>>866
あ〜あんたは専門知識が豊富ですね><
その点は、ここの板の住民ども、みな承知してると思うぞ。

ただ、誉めてくれる人が少ないんだろうW 心の叫びを感じるW
871日本@名無史さん:2012/01/20(金) 23:56:56.54
邪馬台国九州説だって?アホやろ!

     ∧_∧ ミ ギャーッハッハッハッ!
 o/⌒(. ;´∀`)つ
  と_)__つノ  ☆ バンバン
872怒濤の天才:2012/01/20(金) 23:57:53.37
縄文倭人も弥生倭人も、祖先は長江流域の少数民族と同じ。

かつては南蛮・荊蛮・百越などといわれ、呉・楚・越の領民を構成した民族。
明日から、行き交う日本人の体形を注意してみろ。
特に女性の場合、身長が140cm台から150cm台が圧倒的大多数で、
骨盤が広く太めで短い足。横幅が広くてタテに短い。
これらはまんま長江流域の少数民族と同じだ。

純粋漢族の女性はこれとは対照的で、タテに長く横幅が狭い。
873日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:01:30.67
>>833>>872
俺が勘違いしてたみたい、コメンなさい
319 名前:伊作[] 投稿日:2011/08/29(月) 22:27:48.58
>>316
>先遣隊が畿内にきてたから、それが何なの?
これが東遷の下準備だ。
畿内を開拓したのは九州勢力だってことだ。ボケナス

>むしろ畿内説を補強するだけでは?
どう考えれば畿内説を補強するりくつになるんだ。タコ

どうでもいいが、
天才説に便乗しようと目論んでのか? わらわら
誰を相手にしてると思ってるんだ。
みてみろ。
お前らが束になっても論破できないで手を焼いてる男だぜ。
874Aratame_Himiko:2012/01/21(土) 00:01:44.05
>縄文倭人も弥生倭人も、祖先は長江流域の少数民族と同じ。

そうそう、「縄文人」といえば、日本列島の先住民というイメージがきて
弥生人が侵略をして縄文人は可哀想だななんていう意見もあると思うが、
所詮、旧モンゴロイドも渡来系ということだ。
875怒濤の天才:2012/01/21(土) 00:03:34.62
>>870
>誉めてくれる人が少ないんだろうW 

素直に賞賛する度量と勇気のある奴が少ないわな。
それでなくても、俺の回りは論敵ばかり。これじゃ誉める奴も極端に少ない。
むしろ、恨み節・やっかみ節で揶揄するのばかり。百も承知よ。
期待などしちゃいないし、だからどうこういうほどチンけじゃないぜ。
876日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:05:36.86
チンドン屋伊作
877Aratame_Himiko:2012/01/21(土) 00:05:38.43
伊作はあれだね・・・本をよく読んでると思う。
彼の文章から、ただ罵声してるだけではなくて、そういう本で養った知識をもとに
自分の単純な能で考えてW 伊作説というものを披露してるんだろうねえW
878日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:07:05.68
879怒濤の天才:2012/01/21(土) 00:13:13.03
>>874
その渡来系縄文人と弥生人にも、
北西部にいた羌族の一派が南下して長江流域に定着したあと、
長江河口からやってきている。
これをDNAで識別すれば、北方民族ということになる。
こうしたことが、北方系のDNAをもつ倭人が多い一因だろう。

あと北方系のDNAをもつ倭人が多いのは、
大和朝廷による半島からの計画的労働移民誘致以降の渡来人だろうな。
これに、滅亡百済・滅亡高句麗の移民手段が混じる。
文化・言語・民族のさらなる複雑多様化が進むわけだ。
880怒濤の天才:2012/01/21(土) 00:21:12.41
>>877
>本をよく読んでると思う。

お前は読んでいないのか?
普通の人生の中でも、
「本を何冊読んだか」で人間の価値が決まるシーンが多々あるぜ。
とはいっても三流週刊誌や劇画じゃないぞ。わかるな

もっとも、本を読むにも読解と理解に相応の先天的能力が必要になる。
はじめからない奴には逆立ちしても無理な相談だ。
ま、今さら教えても手遅れだろうが。
881日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:33:59.83
>>870

誉める奴も極端に少ないのはおまいが馬鹿だからといい加減気づけよ。
882日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:35:43.06
普通の人を100とすれば
伊作85 改め52くらいだろうな
883怒濤の天才:2012/01/21(土) 00:38:28.99
●半島南部の支石墓は九州から渡った

浙江省温州地市30を超える石棚墓が、
九州北部や朝鮮半島南部に展開する支石墓のルーツかとも考えられる。 

紀元前1500年頃になると遼東半島から吉林省南部地域にも出現するが、
これは、支石を箱形に並べた上に高くびえる形で天井石を載せたもので、テーブル式と呼ばれる。
一方、朝鮮半島南部に支石墓が出現するのは紀元前500年頃からで、
数個の支石の上に長方形に近い天井石を載せたもので、碁盤式と呼ばれている。
韓国では、高くそびえるテーブル式を北方式、低い碁盤式を南方式と分類しており、
両形式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。

浙南の石棚墓は南方式と呼ばれる碁盤式である。
日本では、碁盤式と呼ばれる南方式の支石墓が縄文時代晩期末の九州北部に出現している。
唐津市の葉山尻支石墓群が最古とされ、
縄文時代晩期末(弥生時代前期)〜弥生時代中期の支石墓と甕棺墓がある。(wikpedia)

この碁盤式支石墓のルーツが浙江省温州地一帯にあるとすれば、
長江流域や河口部だけではなく、さらに南方の大陸沿岸部の海人たちもやってきていたことになる。
それほどに多様な民族が、日本列島に早くからやってきていたということだろう。
いずれにしても、これまで支石墓は朝鮮半島南の影響が強いとされてきたが、
碁盤式支石墓が朝鮮半島南部に展開するようになる紀元前500年よりも遡るとすれば、
支石墓の渡来も朝鮮半島より日本の方が早かったことになる。
稲作と同じように碁盤式支石墓もまた、南方から九州を経由地として朝鮮半島に伝わった可能性が高い。
884怒濤の天才:2012/01/21(土) 00:42:12.01
>>881
よう。尋常小学校卒の根に持つタイプの・よいよい爺い。
人生の末期を、最もつまらん生き方で過ごしてるようだが、
そもそもつまらん人間だったということだな。けらけら

885日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:43:33.11
巨石文明は北方系のものだろうねぇー
氷の上を滑らせて移動させるのが楽だろうからね
886日本@名無史さん:2012/01/21(土) 00:45:49.19
温暖化にともなって小型化していってるし
887日本@名無史さん:2012/01/21(土) 01:54:56.04
>>875
いや、チンケそのもの。
誉めてもらいたい、認めてもらいたい、だが認めてもらえない。
だから自画自賛する。夢幻如の言ってた通りだw
888日本@名無史さん:2012/01/21(土) 02:36:28.61
>>697
> 「なぜつなぎ合わせる必要があるのか?」という当然の疑問

疑問? 必要?

對馬國について「居る所絶島」「土地は山険しく深林多し、道路は禽鹿の径の如し」「良田無し、海物を食し自活す」等
一大國について「竹木叢林多し」「やや田地有り、田を耕すもなお食するに足らず」「また南北市糴す」等
末盧國について「山海に濱いて居む」「草木盛んに茂る、行くに前人を見ず」「好く魚鰒を捕る」等

の叙述は、それを伝えるために書かれたものに他ならない。当たり前のことだが、書くのは伝えたいからだ。つまり、
この部分は、郡から女王の都する所までの行程とともに、倭の各国の位置・地勢・情景を紹介する地志と意図されていた。
より多くの情報を容れようとするのは当然だろう。

そして「其の余の旁國は遠絶にして詳を得べからず」とある。情報が得られなかったことについては書けなかったということだ。
889日本@名無史さん:2012/01/21(土) 02:38:37.90
日本海ルート論者です。

>>543
なるほど。この時代で、代行業者=半島と
の交易ルートを邪馬台が独占ということな
ら、出雲・越に楔を打てますねえ。
自領内で宿を貸す?出雲にしてみれば、
屈辱でしょうが…
890日本@名無史さん:2012/01/21(土) 02:45:55.68
ここはキチガイの巣窟だけど、その中でもムゲンニョが一番のカスだね
891日本@名無史さん:2012/01/21(土) 03:44:52.71
無限尿は、軍が凍死したので有名な八幡平が温暖だというトンデモ説。
892日本@名無史さん:2012/01/21(土) 05:00:18.40
無限尿は底が浅いというより「薄い」
893夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 06:34:30.62
朝もはよから、つーか真夜中にか、ピーパー名無しが相変わらずピーチクパーチク ワラ
さてまた一個づついくかね。

>>776
よくそんな馬鹿レス出せるな、感心するよ プ

>>819
「万二千里は実距離を表さない」これは証明した。
そりゃあな、九州説の奴らは認めないさ。自説が否定されるんだ。
認めないが俺の説明を否定したくても否定出来ない。
間違いのないものだけで導いたものだから否定しようがないわけよ。
お前が否定にチャレンジしてみるか?するなら受けてやるぜ。
894日本@名無史さん:2012/01/21(土) 06:50:21.36
まだまだ薄いなあw
こなしてないなw
895夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 06:54:17.48
>>821
>儂とジョーカーに突っ込まれて答えられないので気落ちしたか。

儂とジョーカーって一人だろ プ
しっかし、馬鹿だな。もし二人ならこんな馬鹿が二人もいるってか。
「先遣調査隊なら肝心の邪馬台国を調査しないで調査になるのか」
これがしつこく繰り返している馬鹿突っ込みだよな。
普通にわかることを馬鹿だから突っ込めると思ってのことでしかない。
突っ込んでる本人には、この普通のことが理解出来ないからやってるわけだ。
自分で馬鹿を証明してるようなもんだぜ ワラ

俺はどんな突っ込みにも絶対に逃げない。だからコテ張ってると言っただろうが。
鋭い突っ込みほど歓迎だが、馬鹿すぎのはアホくさくてスルーしている。
俺にスルーされるのは馬鹿すぎだからだよ。

今日は馬鹿レベル降下サービス日じゃないからよ、またスルーだ ワラ
時間やるから、何がアホなのかよく考えな。
896日本@名無史さん:2012/01/21(土) 06:55:44.21
>>762 老眼
>正式な官府の資料」に最も近いのは魚豢でしょう

魚豢と言えば荊州の劉表とも面識があったんだっけ?
個人の地位はともかく女王卑弥呼遣使以後の魏朝との交渉が魏略に見えないと言うのは「正式な官府の資料」に当たったかどうか疑問。
(まあオリジナルが散逸してしまっているから絶対確実なところは分からないかも知れないが)
ぶっちゃけ中国側にとって邪馬台国の位置とか北部九州のクニグニの様子より外交記録こそが大事だろうしw

自分としては雑多な情報(地理情報他)に「正式な官府の資料」を加えたのが陳寿「魏志」なんじゃないかと想像している…
897日本@名無史さん:2012/01/21(土) 06:56:17.70
>>767 ○
>庄内式土器に表れているように、近畿勢の九州侵攻は速い。

土器の登場をそう言った侵攻劇にまで絡めるというと唐松の芸風だなw
流石にそれは飛ばしすぎだと思うwww

むしろ九州が積極的にそれを受け入れワン・アレンジ加えて『筑前型庄内甕』ができたと見る
898日本@名無史さん:2012/01/21(土) 06:57:24.11
さて 無限尿 とか言う馬鹿が如何なる年代観を持っているのか?
そもそも年代観といえるようなものを持っているのか分からないがw

>>760
>現実にどれくらいのメリット、デメリットがあるか慎重に調べなくてはならない。
>ともかく倭の側だけでも山ほど調べなくてはならないことがある。
>これは受ける魏にしても同じこと。

無論この考えは妥当すぎるぐらい妥当なんだが…

無限尿 の脳内先遣隊は途中で引き返したとはいえその先遣隊は邪馬台国が
後漢時に交渉があった九州玄界灘周辺地域でもなく、当時台頭していた畿内ヤマトでもなく
更に遠方の東北と言う事に気がつかなかったのだろうか?w

只でさえ『中華思想』で見下している蛮国の中の更に泡沫勢力www

普通に考えれば東北邪馬台国が朝貢に漕ぎ付けるというのは相当「フロック」に近いものだと考えざるを得ないと思うが。

「暗号解読ゴッコ」だけに特化してそう言った全体の整合性みたいなものに頭が回らないんだろうなw

まあこの馬鹿から「東北王朝」なんて言葉が飛び出しても驚きはしないがwwwwww
899日本@名無史さん:2012/01/21(土) 06:59:55.61
>>781

いや「なにやってんの?」と言われても困るんだがwwwwww

でもね九州説でも現在の考古学の知見その他にきちんと整合させた上で述べることは可能で
そう言った「ゴミクズレベル」じゃなくてまともな説まで排除したくないと言うのが正直なところ。

どの道ここのゴミクズレベル九州説はそんなものは見向きもしない。

無敵最強最大の九州邪馬台国が畿内ヤマトの後塵を拝するなんてドンデモない。
「やがて東征しヤマトを征服してヤマト王権の祖となり日本を征服した」とか
「7・8世紀頃まで日本を支配していたのは九州王朝!」とか
そう言ったものでないと嫌だとwww

以前、畿内説の人間がリアルで通用する九州説を考えるスレがあって、そこで九州説の人間が
「こんなもの実質畿内説じゃないか」
と言ってたのが印象に残っているwwwwww

まあ今後もそのお叱りの言葉は甘んじて受ける所存ですwwwwwwwww

900日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:07:00.27
>>895 文献駄目考古駄目推理ゴッコも駄目 ダメダメダメのトリプルダメ親父 ゴミクス無限尿

くっくっく、基本は「スルーする」で噛み付きやすい物にだけ噛み付いて
ヒット・アンド・ウェイのピンポン・ダッシュをやっても体裁を保てるように保険をかけておく

馬鹿のやることは見え見えw

こいつの自慢は「俺は2ちゃんでならしたコテだぜ」だが
どうせ袋叩きにあって2ちゃんでの処世術のような物を学習したんだろう(ゲラゲラ

たかが2ちゃんの議論ゴッコや煽りのテクで邪馬台国論争なんてネタをどうにかできると思ったのかゴミクズw

いい年したおっさんだろうが現実とネットの区別はつけような?www
901日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:30:52.37
出てきた途端に総攻撃を喰らう無限馬鹿wwwww
902夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 07:34:43.82
>>866
>この俺にバカといわれるようじゃしょうがあるまい。んー?

そりゃそうだ ゲラ
お前ごときカタワに馬鹿呼ばわりされたら相手が気の毒すぎる 爆ゲラ
昨日は気分よさそうに書いていたようだが、所詮オタク知識の披露に過ぎない。
どんなものにも知識は必要なんだが、その知識自慢になるのがオタクだ。
いくら知識を詰め込み偉そうに披露しても、そりゃ受け売りでしかない。
オタクは知識自慢になり、その分野の話になるとそこに頼る。
確かに蓄積した知識を駆使して話すのは基本だし立派なことだ。
だが「それだけ」なんだよ。ため込んだ知識以外の話が一切出来ない。
一般的な常識論すらなくなる。ここで言うなら史料馬鹿になる。
自分がため込んだ知識以外からの視点がなくなり、つまり「虫の目」しかない状態になる。
アホ伊作はまだそれが理解出来ないらしい。出来ないからオタクなんだがな ワラ

ローガンもこの点はまったく一緒。呆れるくらいこの二人は見事なオタクだ。
オタクってのは馬鹿だという意味だからな、誉められたと思うなよ ワラ
903日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:42:25.21
>>822 :怒濤の天才:2012/01/20(金) 22:01:02.98
>>805 >伊作がどんなレスするか、楽しみだな〜〜♪
>リクエストにお応えして。
>墓だけじゃない。銅鐸も環濠集落も江南からきたものだ、タコども。


でました。

墓も銅鐸も集落も、「江南からきたものだ」だとよ。

中国江南と、日本の遺物が似てる(他にも朝鮮半島由来のものがあるが、それは無視。)

日本に文化を伝えたのは、みんな中国江南人だ。

畿内の遺跡は中国江南人の先遣部隊が作ったのだ。

中国江南人は熊本に邪馬台国を作ったのだ。

邪馬台国が九州から東遷して、ヤマト王権を作ったのだ。


伊作の論を的確に要約するとこうなる。

わっはっは。あ〜おかしい。
いちいち論が飛躍してて、お話にならない。

中国江南人はアフリカから来た。アフリカ人がヤマト王権を作ったとなぜ言わない?
なぜ、「江南」で区切りをつけるのかね?
904日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:42:40.09
無限馬鹿は素人すぎるんだがwwwww
ホント薄いなあwww
905日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:53:48.24
>>904

www
906日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:54:10.93
ある人間は、倭人は朝鮮半島から来たフヨだとして、邪馬台国は九州だといい、
ある人間は、倭人は中国江南から来た南方系だとして、邪馬台国は九州だという。

しかし、倭人が朝鮮から来ようが中国から来ようが、
邪馬台国が九州あったという結論には全然ならない。

しかも、おバカなことに、邪馬台国は九州にあったと信じてるくせに、
ヤマト王権は大和にあったことは疑わないという矛盾。

邪馬台国が九州なら、ヤマト王権の王都も、引き続き九州にあったほうが、もっと矛盾はなくなるわけだがね?
なぜ、4世紀に東遷しなければならんのかね?

伊作もそのへんの理由は全く説明できない。
それどころか、王墓は、都から遠いところに作るものだとか抜かしてるわけだから、
4世紀のヤマト王権の首都は依然として九州にあり、畿内は墓域として開発されたと言ったほうが整合性があるというものだ。

整理するぞ?
なぜ、4世紀のヤマト王権は畿内だと、伊作は考えたのかね?
そこだけ、「常識だ」などと、考古学者の受け売りでは、お話にならないねえ。
答えられるものなら、答えてみな。


907夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 07:55:22.51
>>888
あ〜ここは俺の言い方がまずかったな。
>>669の二つならそうなるだろうが、そういう意味じゃない。

>この部分は、郡から女王の都する所までの行程とともに、倭の各国の位置・地勢・情景を紹介する地志と意図されていた。
より多くの情報を容れようとするのは当然だろう。

その通りだ。だから複数ソースというなら当然の疑問が出る。
邪馬台国までの各国の詳細が伊都国以遠がなくなる。
複数ソース説なら
伊都国までの観察記述があるソースと、それ以降の観察記述がないソースをつなぎ合わせる理由は何か、だ。
邪馬台国まで行ってるなら伊都国以遠も行っている。
当然直に観察することになる。

>より多くの情報を容れようとするのは当然だろう。

その当然のことをやらずに簡略化したソースをつぎはぎする理由があるのか?
俺の聞き方もまずかったが、もう一度どうぞ。
908夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 07:59:36.74
ジョーカー、時間やったんだから突っ込みの何が馬鹿なのか吠えてないで考えな。
その腐れ頭でよ プププ

ピーチクパーチク名無しは無駄レスすんな、レスがもったいないわ。
909日本@名無史さん:2012/01/21(土) 08:01:29.91

「なぜ、4世紀のヤマト王権の首都は畿内だと、伊作は結論したのか? 」

この、研ぎ澄まされたナイフのような鋭い指摘は、
スレを開いた瞬間、伊作の心臓を氷りつかせるだろう。

この答えを出すには、4世紀の九州の状況と畿内の状況を比較して、
九州に王都が無かったことを論証しなければならない。
そんなことが、伊作に出来るかな?




思考停止に陥って、ろくな返答もできずに、罵声だけで逃げ切ろうとするやもしれんな。

しっかり、見物させてもらうぜ。

伊作さんよ。

910夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 08:03:18.80
さてあとは近江説者待ちの間に昨日持ち越した伊作とローガンに行くか。
ただ携帯じゃ進み過ぎててレス探すだけでも大変。
PCじゃないと無理だな。のちほど。
911志紀:2012/01/21(土) 08:05:46.14
ここは元気だね。ほかの邪馬台国関連スレは元気ないけど。
ま、せいぜいクソコテと言われないよう適当に頑張るよw

それと、人を罵倒するのは宜しくないのので、テンプレ作れないかな。
・コテ以外禁止
・暴言蜚語の類は禁止
912日本@名無史さん:2012/01/21(土) 08:11:18.63
マジメにID化は必要だな
このスレは自演がひどすぎる
913日本@名無史さん:2012/01/21(土) 08:12:11.05
倭人伝を読めば九州だとわかるだろう。バーカ
914日本@名無史さん:2012/01/21(土) 08:13:54.56
>>911
適当に頑張る?このクソコテが!全力でやれ!!!
915志紀:2012/01/21(土) 08:22:29.68
>>906
ただ、時間軸に沿って、どの程度統一王権が存在しており、外部勢力の侵入・侵略なのか、
内部の政治権力の移動なのかを見極める必要はあるね。
例えば、BC2世紀に優秀な鉄器と防具を持った100人が奈良盆地に侵入すれば、相当な
戦闘能力だろうし、それをAD4世紀にやっても果たしてどの程度の戦力になるか。
神武記にある記述に真実が含まれているとすれば、それほどの大部隊でもないし、兵器
その他で相手に対して圧倒的な優位を持っていたとも思えない。
「物部」とは兵器部であり、九州から先行する移住者だとすれば、相手にも優秀な武器は
あったんだろう。また、無断で奈良盆地へ侵入しようとしたという所も、大部隊ではなく、小部隊
での奇襲か抜け駆けっぽい。生駒超えは、大和川ルート以外は隘路ばかりだ。熊野道に
ついては言うまでもない。

可能性の洞察も必須の学問的スタンスであるべきだから、少なくとも神武グループの奈良
侵入に関しては、不可能ではないということになる。
916日本@名無史さん:2012/01/21(土) 08:23:27.55
>夢っち
ちゃんとアンカー付きで答えたよ
余計な文字が混入して読みにくくなってるけどw
917日本@名無史さん:2012/01/21(土) 08:25:18.50
また馬鹿が増えるのか やれやれ
918竹斯の民:2012/01/21(土) 08:25:26.02
>>906
>しかも、おバカなことに、邪馬台国は九州にあったと信じてるくせに、
>ヤマト王権は大和にあったことは疑わないという矛盾。

<ヤマト王権>など畿内説者の作り話だ。
弥生時代の奈良の遺跡を見てみろよ、何処にその王権の兆しが見える?全く見えないじゃないか
919夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 08:33:22.46
>>916
あれ、そう?
スレ進みが速いから携帯で見落としたかな。
悪い、レス番出してもらえたらありがたい。まだ携帯なんだ。
920志紀:2012/01/21(土) 08:34:26.28
OK。ありがとうw
あんたもコテでな。

問題となるのは、祟り神が果たして大部隊での侵入を果たしたのかどうかだが、
これについては、神武のような小グループとはわけが違うので、当時の九州の
政治状況を見る必要がある。どこまでの戦力なら投入できるか、その政治経済的
必要性はなにか。
と同時に、それと関係なく独自に祟神グループの外部侵入の証拠を見つけなけ
ればいけない。天皇陵の発掘が出来ないのは痛すぎるが、そもそも祟り神が何を
したのか、実在したのかさえ不明な現状では、中々に難しい命題ではあるが。

私的な結論は、国家的編纂事業や、その元になったおおきみ家の家伝が無意味に
捏造するとは思えないので、祟神は実在しており、かつ西方からの征服部隊だと
思う。その事の証明は・・・・・。

おっと時間が来たようだ。じゃあまた。
921:2012/01/21(土) 08:40:21.95
>>897
>流石にそれは飛ばしすぎだと思うwww

その辺りは、今勉強中なのでね。 墳墓の変化も交えて。
一番変化の鈍い場所が、邪馬台国という考え方です。
期待通り筑後川南部が、遅い感じです。
近畿勢と言えど、黄幢には一目置いていたのではないでしょうかね?
922竹斯の民:2012/01/21(土) 08:42:24.50
奈良の弥生遺跡を掲載する。
1 秋篠銅鐸出土地
  銅鐸4口出土
(1)秋篠1・3号鐸(中段階、扁平鈕1式・4区袈裟襷文)
(2)秋篠2号鐸(古段階、外縁付鈕1式・4区袈裟襷文)
(3)秋篠4号鐸(古段階、外縁付鈕2式・4区袈裟襷文)

2 佐紀遺跡(後期)
(1) 円形の竪穴住居跡2棟
(2) 方形の竪穴住居跡7棟
(3) 周囲に溝を巡らした平地式の住居跡11棟
(4) 方形周溝墓3基
(5) 土器棺墓2基
(6) 土坑(溝とも住居跡とも判別できない工事跡)多数

3 六条山遺跡(後期)
(1)11棟の竪穴住居跡
(2)方形の土坑2基

4 初香山銅鐸出土地
古段階、外縁付鈕2式・4区袈裟襷文

5 山町銅鐸出土地
  古段階、外縁鈕2式・2区流水文
923竹斯の民:2012/01/21(土) 08:43:16.46
6 長寺遺跡(弥生時代中期~古墳時代)
(1) 住居跡
(2) 二重の環濠
7 東大寺山遺跡
(1) 竪穴住居跡
(2) 二重の環濠などが検出されました。
(3) 東西約400m、南北約300mの遺跡で県下最大規模の高地性
集落
(4) 1号鐸(新段階、突線鈕1式・2区流水文)
(5) 2号鐸(新段階、突線鈕1式・2区-片面は1区-流水門)
8 平等坊・岩室遺跡
(1)東西300m、南北500mと考えられ、弥生時代前期から古墳時代前期まで継続した大集落
(2)居住域が複数の環濠に囲まれた環濠集落
9 清水風遺跡(唐古・鍵遺跡の分村)
(1) 河道跡と自然堤防、農業用水に利用されたと見られる溝
(2) 方形周溝墓
(3) 土坑
(4) 絵が描かれた「絵画土器」十点
(5) 生活を示す住居跡や建物跡
(6) 前漢鏡の破片
10唐古・鍵遺跡
(1) 集落を巡る濠(環濠)が幾重にも掘られている
(2) 環濠内の集落域が400m前後
(3) 大型建物跡
(4) 多量の絵画土器や他地域の土器
(5) 銅製品の鋳造に関わる遺構・遺物
924竹斯の民:2012/01/21(土) 08:43:57.04
11保津・宮古遺
唐古・鍵遺跡から南西へ約1.5〜2q、宮古の集落から保津集落
の東北部にわたる標高約47mの低地に立地
(1) 前期の土坑や中期から後期にかけての河道
(2) 後期の井戸・土坑・溝
(3) 遺跡の多くが現在の集落の下と見られる
12多遺跡
標高は約55mの沖積地で微高地上に位置、拠点集落と見られているが、大和で遺跡や遺構・遺物が増える後期の時期に、この遺跡では遺構・遺物がほとんど見つかっておらず、検討の余地がある。
(1) 環濠・溝
(2) 方形周溝状遺構・土坑墓・壺棺・柵列状のピット
13巻向遺跡
弥生時代末から古墳時代前期を中心とした集落遺跡
(1) 導水施設
(2) 祭祀土坑
(3) 方形周溝墓
(4) 住居跡
(5) 弧文円板
(6) も古い時期の前方後円墳群
(7) 他地域土器の多量出土
14芝遺跡(巻向遺跡の一部か?)
(1) 竪穴住居跡
(2) 掘立柱建物
(3) 土坑・ピットなどが多数
15ゼニヤクボ遺跡
(1) 竪穴住居跡
(2) 掘立柱建物跡
(3) 土坑・溝
925竹斯の民:2012/01/21(土) 08:44:27.47
16竹ノ内銅鐸出土地
中段階(扁平鈕2式、6区袈裟襷文)
17上牧銅鐸出土地
  古段階(外縁付鈕1式4区袈裟襷文)
18竹内遺跡
南北約700m、東西約400mの範囲に縄文晩期や弥生前期の遺構・遺物が多数
19キトラ山遺跡
発掘調査が行われていないので詳細は不明、同地に所在する「竹内古墳群」と同じ範囲から土器片が採集されています
20中曽司遺跡
弥生時代前・中・後期をはじめ古墳時代前期までの遺構と土器、石器、木製品(鍬・杵)などの遺物が多量に出土
 全国的にもめずらしい家屋が描かれた絵画土器が出土
926竹斯の民:2012/01/21(土) 08:45:10.17
21坪井・大福遺跡
(1) 環濠と思われる大溝や土坑・井戸
(2) 墓地群などの遺構 土器棺・木棺墓
(3) 土器、石器、木製品、獣骨などの大量の遺物
(4) 人物などが描かれた絵画土器
(5) 有柄式銅剣を模してつくられた木製の柄頭
22四文遺跡
東西250m以上、南北400m以上大規模な拠点集落
(1) 溝
(2) 竪穴式住居・井戸・土坑、
(3) 方形周溝墓
(4) 後期の水田
(5) 土器・石器・木製品・骨角牙製品
(6) 銅鐸形土製品
(7) 小形ぼう製鏡の断片
23橿原遺跡
縄文時代の遺物
土器は、縄文時代後期後半の宮滝式から晩期後半の凸帯文土器まで、ほぼ認められる。
「橿原式」土器は、西は瀬戸内海東部から東は関東地方まで幅広い地域で出土が認められる。
磨製石刀、石棒、石剣、石鏃、牙製品、土偶、獸形土製品、滑車形耳飾り、装飾付鹿角製品
24忌部山遺跡
(1) 径5mの竪穴式住居
(2) 幅1.2m、深さ1mの溝状遺構が確認され集落を巡る溝の可能性が考えられる
(3) 溝内からは後期前半の土器、石器などが出土
25一町遺跡
(1) 竪穴式住居・土坑・溝
(2) 土器は前期から後期のものが出土
(3) 石庖丁・石鏃・磨製石剣・砥石
927竹斯の民:2012/01/21(土) 08:45:49.22
26 鴨都波遺跡
(1) 溝
(2) 高床建物と見られる柱列
(3) 矢板を打ち込んだ柵列
(4) 竪穴住居跡
(5) 大溝
(6) 木器貯蔵穴
(7) 木器・土器・石器などが多量に出土
27銘柄銅鐸・鏡出土地
表土下70pのところに鏡が水平に置かれ、鏡から南へ約30pのところに銅鐸が横たえられていた
28宮滝遺跡
弥生時代としては、前期から中期までの遺構・遺物は認められるが後期のものは確認されない
29原遺跡
(1) 溝・土坑
(2) 土器・石鏃・槍先形石器・楔形石器・削器
30火打野銅鐸出土地
928竹斯の民:2012/01/21(土) 08:47:45.07
上に掲載した弥生遺跡、これらのどれが畿内説者の作り上げた<ヤマト王権>となるのか?
結論は「そんなもの畿内に存在しなかった。」のだ。 
929日本@名無史さん:2012/01/21(土) 09:06:07.72
大和=ブラジリア
近江=リオデジャネイロ
930日本@名無史さん:2012/01/21(土) 09:17:38.38
ヤマト王国は九州王国が作ったとしか言いようがない。
931日本@名無史さん:2012/01/21(土) 09:33:54.36
鬼道、鬼国、岡山、特殊器台・特殊壺、息長氏、北近江、オキナガタラシヒメ、卑弥呼
932日本@名無史さん:2012/01/21(土) 09:39:04.29
>>930
正解
933日本@名無史さん:2012/01/21(土) 10:02:09.49
>>930
戯言。
934日本@名無史さん:2012/01/21(土) 10:18:47.68
>>928

3世紀にヤマトに首都が無いと言いたいのはわかった。

で、4世紀に九州からヤマトに首都が遷った理由は?

どうして、4世紀の九州に倭国の首都が無かったといえるのかね?

そこを説明してもらわないとね。


935日本@名無史さん:2012/01/21(土) 10:21:29.84
>>928

4世紀の鉄器量は、依然として九州の方が多い。

君の論法なら、倭国の首都は九州にあり続けたとしなければならず、東遷の証拠などどこにもない。

理解できるかな?

936夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 10:54:15.20
>近江説者
>>761確認した。読み飛ばしていたみたいだ。悪い。
帰ってきたら、なんやかや野暮用があってやってるうちに眠くなってきた。
詳しくは後にするが、読んだ第一印象の感想だけ。

上段
妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡とが文化圏が違うというだけで
敵対していたと考えるのは早計だろう。異文化圏でも友好関係は築ける。
まあしかし
高地性集落だということから倭国大乱の戦闘区域であった可能性は確かに高いな。

下段
ここも高地性集落の分布の方が俺にはすんなり来る。

簡単ですまないが、なるほどなあとは思うよ。
疑問点もあるが、文章をまとめるほど今頭が回らない。眠くてさ・・・
あとでまとめて。
937日本@名無史さん:2012/01/21(土) 11:13:03.35
一生寝てろよ
938竹斯の民:2012/01/21(土) 12:24:59.24
弥生時代の奈良(畿内)の墓は殆どが「土葬」(遺跡で土抗とあるものは大体が土葬跡)
で副葬品は無いか見当たらない。一部の遺跡に「土器棺」(九州の甕棺墓と同じと見積るも
の。)もあったみたいだがそれこそ、九州勢力の一部の進出を物語っているのではないか?
畿内において石棺等を多く使用し鏡や鉄剣等を副葬するようになったのは古墳時代以降だ。しかも突然に・・・これが東遷の証拠その@

奈良(畿内)とその周辺に倭国の首都らしきものあるいは首都周辺の有力な国(吉野ヶ里とか筑前筑後・熊本平野一帯の鉄器・宝飾が豊富に出土する遺跡)らしきものは見受けられない。倭国騒乱の形跡(戦士の遺骨、多くの石・鉄鏃など)も見受けられない。
そして突如現れた古墳時代。この畿内に突然現れた古墳群を畿内土着民が構築できたとは
到底理解できない。実力を持った九州の倭国首脳が東遷して活動を開始したと考えるのが
最も妥当・・・これが東遷都の証拠そのA
939卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/21(土) 12:59:41.46
面白い情報を得た。

関門海峡は神功皇后三韓征伐のときに開いた、とか
関門海峡は仲哀天皇が人工的に開鑿して開いたという伝承があるらしい。

とすればそれ以前は日本海ルートだったわけで、日本海側がむしろ発展していたかもしれぬ。
中国に知られていた投馬国とは但馬かも。

瀬戸内海ルート説とか、九州東海岸ルート説は苦しくなってくる。
940日本@名無史さん:2012/01/21(土) 13:14:34.89
>>939
はぁ? 意味不明。酔っ払っているのか?
941日本@名無史さん:2012/01/21(土) 13:51:47.95
>>939-940

関門海峡が出来たのって縄文時代中期の始めころらしいですね。
今でも水深は50mくらいしかありません。
神功が曽畑式土器の時代の人ならOKな話ですかね。
942日本@名無史さん:2012/01/21(土) 14:06:46.80
九州に上陸したんだから、邪馬台国は九州内。 ただそれだけの事を難しく考えるなよ。
943日本@名無史さん:2012/01/21(土) 14:14:23.38
土曜日だからといって昼間から酒かよ。わかったわかった。じゃあ、俺もビールを飲めばいいんだろう。はい、頂きます。
ここは飲ん兵衛スレかよ。まったくよ。あー美味い(^〜^)
944日本@名無史さん:2012/01/21(土) 14:23:22.81
日本が太平洋戦争で負けて進駐軍が入ってきて西洋文化が入ってきたけれど、
日本人の民族構成が変わってしまうといったことは起こらなかった。
明治維新で薩摩や長州藩出身者が幅を利かせていたけれど、長続きはしなかった。

九州から神武の勢力が鉄器を持って侵入し、大和の王権を奪取したとしても、
支配者層が変わっただけで住民はほとんど変わっちゃいない。
武力による制圧から平時に移行すれば、政権の中枢も政治力、行政手腕に長けた者に置き換わるものです。
結局、元に戻ってしまったとするのが妥当。
945日本@名無史さん:2012/01/21(土) 15:20:23.20

 このオッサンのウソには本当にウンザリ。日本女性ではなく、在日のオバサンたちだろ。

・黒田勝弘のウソ「韓国でこれは品がない!」
 http://sankei.jp.msn.com/world/news/120121/kor12012107580001-n1.htm

>今や韓国旅行客の中心はそのおばさま方になってしまった。これは実に喜ばしいことなのだが最近、
>困った風景を見かけ戸惑っている。
>地下鉄で買い物バッグを持った日本の中年女性5人と居合わせたのだが、その大声のおしゃべりに驚いた。
>まさに傍若無人で韓国人乗客も顔をしかめるほどだった。
>この後、日本からきた知人の大学教授が、最高級ホテルで目撃した風景として紹介してくれた話も似ている。
>やはり中年の日本女性一行で、朝食の際のおしゃべりがものすごく、周囲のひんしゅくを
>買っていたというのだ。
946日本@名無史さん:2012/01/21(土) 15:36:05.40
民族の大移動→先住民迫害→武力による支配
明治維新→藩の束縛から解放→移動の自由→選挙制度
太平洋戦争→特別永住者・帰化人→地方選挙・国政選挙?w
947日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:10:41.90
九州説とか言ってるやつなど自分で低能だと言ってるようなもんw
948日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:15:34.24
>>938
その九州勢力進出説の中に、滋賀里遺跡の存在をどう組み込むつもり?
949日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:17:03.40
>>893
証明はできていない。644で説明したとおり。お前は逃げているだけだ。

>>947
お前のその言を証明してみろ。証明できないなら口を出すな。低脳。
950日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:21:33.32
魏志倭人伝だけ読んで、畿内にはどうやっても
たどり着けない、南と書いてるのに東に行くわけない。
なので邪馬台国は九州に決まってる。
だいたい九州説はみんなこんな感じだろ。
実に幼稚な考えだし、低能扱いされるのはあたりまえねw
951縄文人:2012/01/21(土) 16:23:17.79
>>895 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV.

なんだこのレスは?内容が全く無いただの愚痴じゃないか。どこまでアホの底の深さを見せる気だ?
「ね〜先遣調査隊はあった筈ですから信じて下さいよ〜」てか?てめえの言ってることはそれだけだ。
おめえは「これは良い物ですから私を信じて買って下さい」と言ってセールスしてたんじゃなかろうな?

おめえが挙げた「行程記事は先遣調査隊の報告によるもの」説の根拠はいくつかあったな。
その内、「正使ならば対馬、壱岐に寄り道する筈はない」というのは既に論破済みだ。知識と常識があれば対馬、壱岐を
経由するのが最も安全確実に渡海できるルートであったことが分かるし、正使であればこそそのルートを採るのが常識で
あることも分かる。おめえには知識も常識も無いから分からない。

観察記事のことも言っていたな。伊都国までは観察記事があるがそれより後の国にはそれが無いと。
(まあ、伊都国にも末盧国までのような地勢や風俗の記事は無いんだが、それは置いとくとして)
これなんざおめえの底の浅さを示すものだ。おめえは虫の目、魚の目、鳥の目などと偉そうに講釈垂れていたが、倭人伝
を読むおめえの目は虫の目でしかねーな。

倭人伝には行程記事に続いて倭国にほぼ共通する風俗等を記述した記事がある。倭人には文身の風習があるとか、どういう
服を着ているとか、家屋のことだとか、弔いや墓のことだとか、植物や動物だとか等々の記事だ。
繰り返すが、ここに書かれていることは「倭国とはこういうものだ」という一般的事項だ。(つづく)

952縄文人:2012/01/21(土) 16:24:08.30
951のつづき
ここに「所居絶島、方可四百餘里。土地山險、多深林、道路如禽鹿徑。有千餘戸、無良田、食海物自活、乘船南北市糴」という
對海国だけに言える事項を書けるか?「方可三百里、多竹木叢林、有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北市糴」という
一大国の特徴的事項を書けるか?「濱山海居、草木茂盛、行不見前人。好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之」という末盧国の特徴
が書けるか?
書くとしたら行程記事の中に入れるしかないだろが。その国に特徴的な事や固有の情報(官の名前がそうだ)で陳寿が書く価値
があると判断したものを書き込んだのだ。奴国、不彌国、投馬国、邪馬台国については官の名前は固有のものだから書いているが、
風俗等は後に来る記事と取りたてて違うこともないから書かなかったというだけだ。

おめえの説の間違いはまだまだあるが今回はここまでだ。なんか文句あるか?あるなら言ってみろ。ダーホ。
注:ダーホとは「ド阿呆」のことであるが、特に軽蔑を込めて強く発声したことを示す。
953日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:35:08.57
伊都国出身の難升米、末盧からの海路を担った南北市糴してた船頭、
この二人が知り得たこと以外の情報は、魏志倭人伝の行程・風俗描写には全く記載されていない
954日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:39:56.24
推測の域を出ない話ばかりなのでもうやめとけ。
時間の無駄や。学問の域にないわ。
せいぜい考古学をベースに魏志倭人伝の信憑性の高い個所のみ
使用するくらいしかやり方がないわ。
955日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:48:27.96
>>953
君の主張の根拠を聞きたい。
>>954
そう思うならやればいいじゃないか。
で、君の説を聞いてやるから言ってくれ。
956日本@名無史さん:2012/01/21(土) 16:56:44.92
>>950
誰も教えてくれないの?
君は天才ではなく、馬鹿なんだから、静かにしなさいね。
957日本@名無史さん:2012/01/21(土) 17:00:34.52
マルマルモリモリ・・明日も晴れるかな♪
>畿内派の特徴

畿内派「学者が畿内って言っているから畿内なんだよプンプン」
958日本@名無史さん:2012/01/21(土) 17:06:48.49
マルマルモリモリ・・明日も晴れるかな♪
>畿内派思考停止

畿内派A「桃の種が発見されたんだぜ。それを発見した学者が間違いない。ここが邪馬台国だって断言したんだからな」
畿内派B「マジかよ?!スゲーよ。桃の種で決まりじゃん。九州派はざまーケラケラ」
959日本@名無史さん:2012/01/21(土) 17:13:52.51
マルマルモリモリ・・明日も晴れるかな♪
>畿内説のカス
カス「頭のいい偉い御用学者は邪馬台国なんて相手にしませんから、残念。だ・か・ら、俺も相手にしませんよーだ」

と、言いつつ毎日毒を吐きに来ます。
960日本@名無史さん:2012/01/21(土) 17:23:58.71
ゴミクズレベル畿内節

桃の種だからモモソでしょ
モモソだからヒミコでしょ
九州説マジ終ってるじゃん
961志紀:2012/01/21(土) 17:59:51.84
今帰ってきました。スルーされてる私です!
なんかね。もう、どうしてそんな罵倒する事ばっか言うんですか、みんな。
そういうのはやめましょうよ。

>>954
それでは現代科学とは言えないんっすよ。残念ながら。
推測にも色々あって、上手く組み合わせれば確実な事になって行くでしょ。
全く関わりのない作者が別々に同じ事を記述するとか。

>>950さん、せめて本読むとかしようよ。
そんなんで古くから論争になるわけないじゃん。

>>948さん
それって大津ですよね。
営々ずっと同一地域に居住していた所で。
962卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/21(土) 18:13:31.99
上古、馬関海峡は地続きだったが、神功新羅征伐の際に神が一夜で開いた、とか
仲哀天皇が開いたという伝承が早鞆神社の古記などに載っているらしい。
壇ノ浦の海底に五百段の石段があり、壇ノ浦という名称はそこから来ている、とも。

明治十七年、海峡要塞建設の議興り、早鞆の海底を測量した技師の言によれば、
この海峡は何時の時代にか、人工的に開鑿したもののようである、ということであるらしい。
963志紀:2012/01/21(土) 18:26:44.23
6000年前に一気に今の幅に広がったわけじゃないだろうから、どこかで誰かが
手を入れたっていうのはあるかもね。
難所である事は間違いないから、一部を開削するくらいの事は普通にあっていい。
964卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/21(土) 18:31:26.54
新羅の王に婆娑尼師今(在位:80年 - 112年)という王がいる。
一方、神功皇后摂政前紀200年の記事に新羅王として波沙寐錦という王が登場する。

波沙寐錦という名前に似た新羅王は婆娑尼師今しかいない。だから両者は同一人物である。
すると、神功の編年を120年遡らせば80年となり、婆娑尼師今の在位と一致する。

つまり神功の実年代は120年溯る可能性があるのである。
尤も、朝鮮の史書はまったく当てにならないから、なんともいえないが。

まったく当てにならない朝鮮の史書に合わせて神功の編年を120年下げているのが現代の学説であり、
その学説を盲信しているのが君たちである。
965日本@名無史さん:2012/01/21(土) 18:52:22.47
如意の珠=鞆=巴
966卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/21(土) 19:07:10.33
朝鮮の史書がなぜ信用できないかというと、始祖王の卵生神話などが語られているのだが、
その始祖王の即位がたかだか紀元前50年くらいのこととされているのである。

神話と歴史時代の区別さえついていない。
こんなものを日本の学者は信用して、朝鮮の史書と照合して120年ずれているから、といって120年下げているのである。
あほらしいとしか言いようがない。
967夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:09:41.86
>>949
証明出来ていないというならかかってきな、と言ったはずだが。
受けてやると言ったのは見えなかったかな?無駄吠えしてないで具体的にやれ。

>>951
邪魔。馬鹿レベルの突っ込みしか出来ない奴を構ってやる暇はない。
968志紀:2012/01/21(土) 19:20:28.16
えーと。
それは具体的にどの学者さんですかね。

まあ、朝鮮の史書は日本のを元に書いたりしてたり、成立も遅く、信憑性は
いろいろ問題ありですが、それとて何がどこまでってのもいろいろだし。

神功は、確かに扱いが難しい人だけど、天皇から外されたのが実に大正時代
ってのも、ポイントではあります。歴代の天皇を結局はそのまま「○○天皇」と
言ってる癖に、神功は外している。

三韓征伐が、侵略主義だからって否定されたが、それは学問的方法とは異な
るし、だからと言って神功まで架空というのもおかしな話。
津田左右吉が、天皇の神性護持のために史料批判を行った事と、同じと言っ
てもいいんじゃないかな。

まあ、とっても多くの問題にほっかむりして考古学に逃げる学者さんって、楽
だよね。でもって、神功が九州人濃厚なのはスルーw
畿内説はとことんいいとこどりで、学問としての鋭さを全く欠いた人が多過ぎ。
969夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:32:42.23
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>近江説者
よく考えた推論だというのは触りだけでもよくわかる。その上で疑問をぶつけていく。
倭国大乱は終息して卑弥呼なわけだから、妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡がかりに最前線であっても
この時点で過去のことで回避する必要はないと思う。
高地性集落を倭国大乱の戦場近くだからと仮定し、そこは依然危険というなら
瀬戸内海の方が高地性集落は多い。
要は狗奴国をどこと見るかだな。避けて通らねばならないのはここだけだ。
河内勢力もどう捉えるかで、まるで正反対な推論が出来る。
このあたり踏まえて詳しく話してほしい。
970夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:33:21.85
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>近江説者
よく考えた推論だというのは触りだけでもよくわかる。その上で疑問をぶつけていく。
倭国大乱は終息して卑弥呼なわけだから、妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡がかりに最前線であっても
この時点で過去のことで回避する必要はないと思う。
高地性集落を倭国大乱の戦場近くだからと仮定し、そこは依然危険というなら
瀬戸内海の方が高地性集落は多い。
要は狗奴国をどこと見るかだな。避けて通らねばならないのはここだけだ。
河内勢力もどう捉えるかで、まるで正反対な推論が出来る。
このあたり踏まえて詳しく話してほしい。
971夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:33:55.39
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>近江説者
よく考えた推論だというのは触りだけでもよくわかる。その上で疑問をぶつけていく。
倭国大乱は終息して卑弥呼なわけだから、妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡がかりに最前線であっても
この時点で過去のことで回避する必要はないと思う。
高地性集落を倭国大乱の戦場近くだからと仮定し、そこは依然危険というなら
瀬戸内海の方が高地性集落は多い。
要は狗奴国をどこと見るかだな。避けて通らねばならないのはここだけだ。
河内勢力もどう捉えるかで、まるで正反対な推論が出来る。
このあたり踏まえて詳しく話してほしい。
972夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:34:16.92
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>近江説者
よく考えた推論だというのは触りだけでもよくわかる。その上で疑問をぶつけていく。
倭国大乱は終息して卑弥呼なわけだから、妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡がかりに最前線であっても
この時点で過去のことで回避する必要はないと思う。
高地性集落を倭国大乱の戦場近くだからと仮定し、そこは依然危険というなら
瀬戸内海の方が高地性集落は多い。
要は狗奴国をどこと見るかだな。避けて通らねばならないのはここだけだ。
河内勢力もどう捉えるかで、まるで正反対な推論が出来る。
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973夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:34:56.13
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>近江説者
よく考えた推論だというのは触りだけでもよくわかる。その上で疑問をぶつけていく。
倭国大乱は終息して卑弥呼なわけだから、妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡がかりに最前線であっても
この時点で過去のことで回避する必要はないと思う。
高地性集落を倭国大乱の戦場近くだからと仮定し、そこは依然危険というなら
瀬戸内海の方が高地性集落は多い。
要は狗奴国をどこと見るかだな。避けて通らねばならないのはここだけだ。
河内勢力もどう捉えるかで、まるで正反対な推論が出来る。
このあたり踏まえて詳しく話してほしい。
974夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:34:56.23
時間がなく、伊作とローガンのレス探していられなかった。
仕方ない、このオタク二人はあとにしよう。レスが消滅するわけじゃないから、いつでもやれる。

>近江説者
よく考えた推論だというのは触りだけでもよくわかる。その上で疑問をぶつけていく。
倭国大乱は終息して卑弥呼なわけだから、妻木晩田遺跡と青谷上寺地遺跡がかりに最前線であっても
この時点で過去のことで回避する必要はないと思う。
高地性集落を倭国大乱の戦場近くだからと仮定し、そこは依然危険というなら
瀬戸内海の方が高地性集落は多い。
要は狗奴国をどこと見るかだな。避けて通らねばならないのはここだけだ。
河内勢力もどう捉えるかで、まるで正反対な推論が出来る。
このあたり踏まえて詳しく話してほしい。
975日本@名無史さん:2012/01/21(土) 19:50:15.21
まさに無限尿
976志紀:2012/01/21(土) 19:59:01.44
何やってんすか、この人は?
鯖の調子が絶不調なのはわかるけど。
てかそういうの分かんない人?
977日本@名無史さん:2012/01/21(土) 19:59:05.06
誰か、エンドレスの無限尿を立ち入り禁止にしてください。
978日本@名無史さん:2012/01/21(土) 20:47:47.04
にょんにょにょにょ尿出しじょっじょじょ〜
979日本@名無史さん:2012/01/21(土) 20:54:07.71
しーしとっとしーしとっと無限尿〜
980日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:05:36.80

年寄りは小便の切れが悪い=無限尿

981日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:15:50.45
無限尿必死だなあ。。。

袋叩きにされて唯一話せそうな近江説と余程話がしたいんだろうなw
982無限尿:2012/01/21(土) 21:23:35.81
吊ってきます
983日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:25:51.49
>>967 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/21(土) 19:09:41.86
>>949
>証明出来ていないというならかかってきな、と言ったはずだが。
>受けてやると言ったのは見えなかったかな?無駄吠えしてないで具体的にやれ。

>>951
>邪魔。馬鹿レベルの突っ込みしか出来ない奴を構ってやる暇はない。

この夢幻如とかいう人は訳の分からぬ人ですね。史料馬鹿論や考古学馬鹿論など論理だけで議論できるところでは
まともな意見を言えるのだけど、具体的な考証が必要なところではまるで中学生並みの幼稚なことを言う。
万二千里問題も証明したと主張していますが、実際はお粗末な推論を述べただけです。
>>951に対するレスは完全な逃げ口上ですね。
984日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:32:48.20
夢幻如と近江厨は同一人物で人種コンプレックスの人だろ
985日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:36:31.55
 
次スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 107
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1327149140/
986日本@名無史さん:2012/01/21(土) 21:41:13.53
鬼道ー鬼国ー祭器ー息長氏
キーワードは息長氏=朱智
987日本@名無史さん:2012/01/22(日) 11:30:04.91
お?
988日本@名無史さん:2012/01/22(日) 12:37:11.49
>>967
644で論証していると書いたはずだが。お前は幼稚園なみか?
989日本@名無史さん:2012/01/22(日) 13:38:21.83
age
990日本@名無史さん:2012/01/22(日) 13:50:05.95
夢幻如は消えたようだね。大口叩いて乗り込んで来たときには おっ面白い奴 と見た人も多かったのではないか。
しかし、直ぐに馬脚を現わしたね。自分が一番できる論者だと思い込んでいる自惚れ屋の辿る道だね。惨めだね。
991日本@名無史さん:2012/01/22(日) 15:46:35.02
こんな飽きっぽい俺でも、♪邪馬台国ドンと来い♪30ぐらいからいるぞ
992日本@名無史さん:2012/01/22(日) 17:33:40.69
>>991
そうゆう「主(ぬし)」みたいな名無史の人って何人かいるよね。

老教授を知ってたり、プラムのデビューを知ってたり。
993日本@名無史さん:2012/01/22(日) 18:18:04.03
ジョーカーはドン来い!ができる前からいたぞ。
というかジョーカーが九州説スレを荒らしまくって怒り狂った九州説スレの住民が、
過疎スレの畿内説スレを乗っ取ってドン来いが6くらいから始まった。
994志紀:2012/01/22(日) 18:30:00.55
次スレに、罵倒しないって入れない?
コテ推奨と。
995日本@名無史さん:2012/01/22(日) 18:32:40.08
邪馬台国は九州だって、うちの婆ちゃんが言ってたよ
996日本@名無史さん:2012/01/22(日) 18:38:43.44
>>994
ドン来い!は名無し専門
ドン来い!の歴史をしらないの?
997夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/22(日) 19:06:00.17
うぉぉ、すげえことやっちまってたんだな。いやいや、これは申し訳ない。
携帯でさ、何回書き込んでも書き込めないと思ってたら全部入ってたのか 。
なんとまあ ワラワラ
998夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/22(日) 19:13:49.80
>>988
何が論証だ、馬鹿頭。脳みそ腐りきってやがる。
伊作の説は何も証明されていないただの独説。
郡から万二千里なんてどうしても熊本にもってきたいから考えたコジツケだ プ

しかしお前は本当の馬鹿だな。
修辞は実数よりただ大きな数字を出すことだと思う馬鹿だからな。
万二千里については証明したの。悔しかったら崩してみろ。
俺の説明には間違いない事実の積み上げだけで出来ている。
勝手解釈も都合のいい推測も入っていない。これは推論じゃねえんだよ。
999志紀:2012/01/22(日) 19:15:04.51
うん。知らない。
1000日本@名無史さん:2012/01/22(日) 19:15:44.45
そろそろしっこたれのこと消すかな
10011001
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。