♪邪馬台国ドンと来い♪105

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928日本@名無史さん:2012/01/14(土) 23:14:28.08
唐代の幼学書なのか
929日本@名無史さん:2012/01/14(土) 23:20:08.20
七世紀の半ば白村江の直前かあ

こおゆうぼろぼろのでも使いようはないわけではないけどね
930日本@名無史さん:2012/01/14(土) 23:57:03.32
>>926
>道里が示されているのは不彌国で終わりなので、このとおりにとれば、
>不彌国が女王国となってしまう。
>これは、どう考えてもおかしい。

なにもおかしなことは無い。
素直に、不彌國が女王國であることを認めたらよい。

一方、帯方郡から女王國までの道程が万二千餘里である。
また、帯方郡から不彌國の道程も積算すると万二千餘里となる。
故に、不彌國は女王國の領域になることがわかる。

理由は下記参照のこと
>>http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1323460242/377-378
931日本@名無史さん:2012/01/15(日) 00:00:43.30
932日本@名無史さん:2012/01/15(日) 00:26:59.94
自称19歳某国立大生のカスは言うことがコロコロ変わる
なんでだろう?
933日本@名無史さん:2012/01/15(日) 02:54:04.22
>>670
> さらに観察記述の消滅、「到、至」、距離表記の変更などから
> ・・邪馬台国まで行っていないと推測できることから、・・(先遣調査隊の)根拠にした。

推測が根拠、というわけだ。・・推測は根拠にならないと言ってるんだが。

それはともかく、上記のいずれについても、伊都国までの部分と奴国以降の部分が別ソースからまとめられたという認識があれば、
「邪馬台国まで行っていない」なんてことは思いもしない。
逆に言うと、行程記事が一連のもの、が夢幻如の推測の大前提としてあるわけだ。

そこで検証。

ドン来い102 >926
> 国、行程紹介の内容が連続しているところから、一つの報告を元にしてると見るのが自然だろ。複数の切り貼りは考えにくい。

国、行程紹介を書いているのだから連続しているのは当たり前。
原資料が複数あったとしても、それをまとめて連続して書くだろう(誰でもそうする)。
その内容に差があるのだから、情報量に差がある原資料がもとになっているとみるのが自然。
934日本@名無史さん:2012/01/15(日) 02:56:28.07
ドン来い102 >590
> この報告書が伊都国以降の記述が不十分なら他のものを引用したというのはあるかもだ。
> だが伊都国以降は簡略すぎる。わざわざ簡略なものをもって来たのか?違うだろうねえ。
> これは一つの報告書だ。

(伊都国以降ではなく)奴国以降が簡略なのは原資料が簡略でそれ以上書き様がなかったからで説明がつく。
つまり、對馬國から邪馬台国までの一連の“簡略すぎる”記録があり、それでは不十分なので他の資料を引用した。
ただし、詳しい資料は伊都国までのものしかなかった。
結果的にできあがった記述は、伊都国までが詳細で奴国以降は簡略なものになった、というわけ。

> さらに言うなら前に行った著者である陳寿と読者である魏国民の東夷と倭国への関心の薄さ。
> 正使編纂されたものではないからこそ倭人伝はたった二千字と極めて扱いが低い。
> 陳寿の簡単に済ませようと言う意図が見え見えだ。
> こんなだからいくつものソースを組み合わせるなどという面倒なことはしていないと思う。

「魏国民の東夷と倭国への関心の薄さ」というのは思慮の浅さからくるものだ。
「倭人伝はたった二千字と極めて扱いが低い」というが、何文字あれば扱いが高いといえるのか?
そんな基準などないのだから、他との比較で判断すべき。
“倭人”は「東夷伝」のなかで最も文字数が多い。
さらに言うなら『漢書』にあった「匈奴傳」「西南夷兩粵傳」「西域傳」が『魏志』にはない。
そのことを考慮すれば時代とともに中国人の関心が移り変わって、魏国民は東夷と倭国に対して関心を高めていたといえるだろう。

> 一個のまとまった報告書があるはずなんだから、それで済ませられる。行程紹介は一連のものだ。

〜なはず、と言う場合、それは根拠のない思い込み。
935日本@名無史さん:2012/01/15(日) 02:58:35.45
ドン来い103 >114
> 最初の使者の報告書は必ずあるはずだ。それが仮に先遣調査隊でなく正使であってもだ。
> それを転記すれば済むものをなぜツギハギしなきゃならないか?

あるはずだ、っていわれてもねぇ。

> ツギハギしてより詳細な説明になるならわかるが、邪馬台国に近づくほど簡略になる。
> 魏の倭国軽視は再三言ってきたが、たいした興味がない倭国紹介など簡単に済ませたい。
> 中華思想からもこれは説明出来る。

浅い薄い思考と見識の足りない「ちゅーかしそー」から説明されても笑えるだけ。

ドン来い103 >115
> ここにも複数ソースを言う奴がいたが、なぜ消滅させなきゃならないか理由がたたない。
> 最初の使者が邪馬台国まで行っていれば対馬国などのような観察記述が全てにあるはずだ。
> それを削除し、わざわざ観察記述なしの別ソースを引用する理由がない。
> これも別ソースがなければ不都合な奴らの強弁でしかなく反論にはならない。
> 観察記述の消滅は、この報告書を書いた最初の使者が伊都国より先は行っていないからだ。

消滅させたとか削除したとか、なに、自分で話を創りあげているんだろうか?
「観察記述が全てにあるはずだ」と前提しておいて、
「それを削除し、わざわざ観察記述なしの別ソースを引用する」とか、誰がそんなことするんだ。
で、「理由がない」って・・あたりまえだ。
「反論にはならない」・・誰もそんな反論してないっつーの。
自分で創った話を自分で否定して「反論」したつもりになっているってのは、レベルが低いぞ、ムゲンニョ。
936日本@名無史さん:2012/01/15(日) 02:59:41.05
ドン来い103 >332
> つまり複数ソース説になるわけだが、こんな面倒なことをやると考えるのは不自然だ。
> ともかく魏志の報告書はあるはずで冒頭の紹介はそれを引用すればそれだけで済む。
> わざわざ複数の情報を組み合わせる必要性などどこにもない。
> 複数組み合わせて、より詳細な紹介になるならまだしも、そうはなっていない。
> 陳寿も中華思想の持ち主である古代中国人なんだ。
> たかだか倭国の紹介ごときに面倒なことはしていない、と考えるのが自然なのよ。

ドン来い103 >930
> あと、行程記述は複数のソースを陳寿がまとめたもの、つーのもあったな。
> これも可能性はかなり低いねえ。ほとんどないと言っていいだろ。
> 理由は観察記述。

> 邪馬台国はともかく、なんで奴国、不弥国、投馬国には対馬国にあるような観察記述がないんだ?
> 複数ソースから成り立つ記事ならこれらの国の情報もあって然るべきだ。
> 略載するなら対馬国なども略載すりゃいい。載せなきゃならない理由はない。
> 逆に奴国などだけを略載する理由もない。

このへんはもういいかな。理解力の不足からくる繰り言だし。

行程記事が一連のものというのは夢幻如の思い込みで根拠はとくにない。
複数ソースに対する反論もおそまつ過ぎだった。
937日本@名無史さん:2012/01/15(日) 03:12:57.02
>>921
ローガン様のお陰で21ヶ国がほぼ比定できました
九州説完全死亡です
斯馬國…下関、斯馬の関  己百支國…厚狭  伊邪國…防府周辺?、ヤまぐち?  郡支國…徳山、櫛ケ浜  
彌奴國…柳井?  好古都國…岩国、厳島の語順入れ替わり?  不呼國…廿日市?  姐奴國…広島、太田川流域?  
対蘇國・蘇奴國…広島・江田島?、蘇州からの渡来人=家船の民?  呼邑國…呉、ごぉの訓読み化  
華奴蘇奴國…福山?  鬼國…岡山、ごぞんじ鬼ヶ島  為吾國…相生  鬼奴國…揖保川流域?  邪馬國…夢前川流域?  
躬臣國…姫路、訓読み化+美称化  巴利國…播磨  支惟國…紀伊  烏奴國…津、安濃津・穴津  
奴國…やっぱり近江

938日本@名無史さん:2012/01/15(日) 04:39:28.23
>>936
> 邪馬台国はともかく、なんで奴国、不弥国、投馬国には対馬国にあるような観察記述がないんだ?
> 複数ソースから成り立つ記事ならこれらの国の情報もあって然るべきだ。
> 略載するなら対馬国なども略載すりゃいい。載せなきゃならない理由はない。
> 逆に奴国などだけを略載する理由もない。

しかしこうしてみると 無限尿 と言うのは酷いな。
これで一端自分のことを議論屋と思い込んでいるのだから救い様が無い。

つまり複数元資料があった場合、それらに同等・同質の情報量を求めると言う話だが
そんな事に何の理論的整合性もない。

真性のヴぁかなのか?www

自説=おらが国の東北説 ありきで無い脳味噌使ってイチャモン考えてみました…と言うだけゴミカスレベル。

例えば不彌國までの北部九州の情報が郡使によるもので、それが伊都国止まりとするなら
奴国の情報が単に位置と戸数程度であるのも理にかなう。


939日本@名無史さん:2012/01/15(日) 04:59:16.91
ほらよ次スレだゴミクズどもwwwww

♪邪馬台国ドンと来い♪106
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1326571043/l50

しかしスレ立て随分通りやすくなった気がするがたまたまか?
940夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/15(日) 06:22:10.39
あはは、絶句馬鹿まだ抵抗してるのか。

>〜なはず、と言う場合、それは根拠のない思い込み。

推測は根拠にならないとほざく、おめえの「複数ソースをつぎはぎしたはず」も同じだと
いつになったら理解出来るのかな〜っと ワラ
長々ご苦労、お前にはこれだけ ププ
941夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/15(日) 06:30:37.72
しかしまともなコテがいないスレだと今読んでてつくづく思うよ。
携帯なんで一個づつ行くが。
まず名古屋坊

>>912
>水行十日かかるところを陸行なら一月かかるって。

お前なあ、昨日否定したばかりのものをよく平気で出せるな アキレ
水行十日だけなら大阪になり奈良には届かないぜと言ったの理解出来ないのか。
やっぱ、こいつアホだわ。
942日本@名無史さん:2012/01/15(日) 06:38:27.78
>>941
>水行十日だけなら大阪になり奈良には届かない

大和川の遡上で無問題
943夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/15(日) 07:08:34.39
>>916>メ
ローガンとジョーカーが頼りないからと出てきたお前も呆れるレベルだ。
あ、ジョーカーは頼りないんじゃなく馬鹿だから、そこは間違えないように ワラ
ちとお前には長くなるぜ。

まずこっち先に行くか。
計其道里、當在會稽、東冶之東
この捉え方がなってない。
方位を「混一」的に見るのはいいとして、距離を見て奈良を指してるって、アホかおのれは プ
だいたい大雑把にこのあたりと記している記事をピンポイントだと言う馬鹿さには呆れるわ。
ピンポイントにどこかを指すのは不可能なんだよ。
郡のどこか基点から邪馬台国のどこでもいいがある一点の直線距離を正確に掴まなければ
当たり前にピンポイントで邪馬台国を指せない。わかるか?直線距離を出すのは不可能なの。
倭国の中の直線距離すら出せないのは前に言ったな。
踏破距離は歩測で出そうと思えばある程度は正確に出せる。だが直線距離は出せない。
まして郡からの直線距離を出すのは絶対に無理。
こんなこともわからずに「奈良で〜す」というオツムに呆れるわ。

で、こっちの方がもっと呆れる。
正確に俺の質問というか突っ込みを再現してくれた人がいるのに
お前の返答は質問に対する答になっていない。
會稽、東冶之東が奈良だから奈良で〜すってな、お前らが奈良を邪馬台国だと言ってるのはわかってるわ。
その奈良に北九州から水行二十日、水行十日陸行一月の現実行程当てはめたら収まらないぞと言ってんだよ、アホ。
水行なんとか出来ても大阪湾からの70キロくらいしかないのを陸行一月か?とも聞いてるんだ。
奈良だと言う奴らに奈良でこれをどう説明するのか聞いてる質問に
「奈良です」と答えてる馬鹿がお前だ。
マジに呆れるわ。
944夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/15(日) 07:27:48.36
>>921>ローガン
お前にも呆れ果てる。
俺を初心者扱いして優越感でも味わいたいらしいが、馬鹿すぎだ。

>翰苑という唐代の張楚金が書いた類書があってだな

と、まるで俺が何も知らないように書いているが、お前はレスを読む力はないのか?
この話に俺はお前に「お子さま向けの本まで出して」と笑ってやったんだが理解出来ないらしいな。
さらに魏略逸文にない記述から、俺は実地を見た報告書だからだと思うと書いたんだがね。
質問はそこに重ねてなんだが、馬鹿レベルだと質問も噛み砕いてやらないと伝わらないらしい。
お前が優越感に浸りたく説明し直してる内容など最初からわかっている。
調査隊にしろ正使にしろ報告書は必ずある。
なんでそれではなく魏略ほか複数ソースをつなぎ合わせたと思うかを聞いている。
こっちにはない記述があっちには出てるから複数だあ、じゃ答にならん。

まったく常時、馬鹿レベル降下サービス期間にしてなきゃ会話も成り立たないのかよ。
学問板でこれじゃねえ。
945メちぁん:2012/01/15(日) 08:01:52.09
>>943 ムゲンニョ氏

えー それはお前さんが「無知」なだけで、他人を批判したらいかんと思うぞ。
それと、なんでもかんでも「反抗」すれば良いってもんじぁない(バッサリ)。

>ちとお前には長くなるぜ。

いや、おれは初心者ユーザー相手に
アンカー付ける自体「恥ずかしい」と思ってるので、パスさせて貰うわwww
(お前等は何ともないみたいだがwオール)

ジョーカー&ローガンは必死みたいなので、彼等と論争してくれよw オチ↓
946日本@名無史さん:2012/01/15(日) 08:10:14.69
アラタメ逃げるんなら最初からちょっかい出さなければいいものを・・・
947日本@名無史さん:2012/01/15(日) 08:59:34.48
>詳しい資料は伊都国までのものしかなかった

というのは、誤りだよ。
邪馬台国の女王の住む宮殿の様子は事細かに記載されているからね。
948日本@名無史さん:2012/01/15(日) 09:12:39.84
>>930

>また、帯方郡から不彌國の道程も積算すると万二千餘里となる

きちんと計算すれば、一万700里ですよ。変な計算方法をしているのは、
古田式だろうけど、面積の方○里を道里に加えるのは理屈からいって×。
949日本@名無史さん:2012/01/15(日) 09:20:32.68
>>935
> ツギハギしてより詳細な説明になるならわかるが、邪馬台国に近づくほど簡略になる。
> 魏の倭国軽視は再三言ってきたが、たいした興味がない倭国紹介など簡単に済ませたい。
> 中華思想からもこれは説明出来る。

しかしこれも酷い。無限尿と言うクズの馬鹿丸出し劇場。

そもそも複数元資料があったとしてもそれらが全て邪馬台国について書かれた物と言う根拠は無い。

例えば北部九州の描写は邪馬台国まで行った人間が書いたと言う保障は何もない。

であればいくら資料を重ねたからと言って最後の部分(=邪馬台国周辺)の情報量が増えると言う理屈にはなり得ない。
950夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/15(日) 09:27:02.36
>メ
情けない奴だな。お前もそれでよくコテやってられると思うよ。
自分の発言に責任が持てない奴はコテを張るな。
お前もピーチク、パーチク名無しが似合ってるんじゃねえの? プ
ま、俺との対峙を避けたのは賢明だ。
乳頭パイの二の舞になるとわかったんだろうよ ワラ

こいつを含め、俺を初心者だとか修行中と決め付けるのは自由だ。
感想は自由だからな。内心の自由は憲法で保障されている ワラ
一応言っておくが、お前らが出す書の基本的なことはすべて頭に入っている。
そりゃあな、俺はオタクじゃないし
平日、休日さらに昼夜も関係なくオタクやってる連中みたいに時間がない。
邪馬台国について新たに何か本を読む気もないし、いちいちググる暇もないから
細かなことはわからないことは多い。
だが、お前らレベルの基本知識程度など屁でもないわ。
今はテーマを邪馬台国を「倭人伝はどこを指しているか」に絞って
それは九州でも畿内でもないことを主眼にしている。
だから他の文献も、考古学にも触れていないが甘く見ない方がいいぜ。
ま、甘く見てもいいけどよ。それなりの覚悟があるならな プ
951日本@名無史さん:2012/01/15(日) 09:31:39.85
邪馬台国の詳細な情報は同じものが後漢書にもある。
要するに、魏時代の情報ではなくて、後漢時代の情報であるということ。
後漢書は魏書より後から書かれているものの、後漢時代の資料をもとにしているのが
原則だから、邪馬台国の詳細は後漢時代に得たものであるということが
伺える。
952卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 09:41:12.75
おそらく>>951が正論。
953夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2012/01/15(日) 09:42:55.10
>>922>近江説者
別に慌てんでもいいし、謝らなくてもいい。
語る時間はこれからいくらでもあるし、タイムリーな話をしてるわけでもない。
ゆっくり行こうぜ。
954日本@名無史さん:2012/01/15(日) 09:45:41.20
>>951
文献の成立時期を考慮して言ってるのか?
955卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 09:46:43.76
名古屋君が大市姫、小市姫の市は巫女のことだと書いてるが、説明がないな。

なにはともあれ名古屋君の投稿から嘲弄的、挑発的言辞が消えたことを喜びたい。
95619歳某国立大生:2012/01/15(日) 09:47:06.50
倭人伝の行程解釈など昭和レベルの作業だw
そんなこといまだにしてるやつは頭悪すぎる。
957日本@名無史さん:2012/01/15(日) 09:59:15.74
市は柳田国男が民俗学の見地から研究して
昔は巫女のことを指して言ったということを
述べてるはずだ。嘘だと思うなら自分で調べてみろ。
958日本@名無史さん:2012/01/15(日) 10:12:37.69
>>956
お前って、典型的なゆとりだよな
959:2012/01/15(日) 10:44:01.71
>>934 :日本@名無史さん
>>さらに言うなら前に行った著者である陳寿と読者である魏国民の東夷と倭国への関心の薄さ。
>> 陳寿の簡単に済ませようと言う意図が見え見えだ。

 陳寿の親分「張華」は、貧困から腕一本で司馬昭の秘書官、晋朝の主席秘書官まで出世し、
二度の失職の陳寿を助けて三国志を育てた。
張華は、馬韓付近の小国を始めて朝貢させる等で大活躍した東北方面軍司令官で
朝鮮半島の開拓に力を入れた人。 
張華の親分「司馬昭」その親「司馬 懿」の公孫淵征伐の輝かしい功績を現代史で
書いたのが倭人伝。 従って、倒した政敵の曹真の功績「西域伝」大月氏に相対的に
邪馬台国が誇張されている。 又、三国志に西域伝がないことで想像できる。
倭人伝は、恩人張華・司馬 懿の功績を書いた三国志のメインディシュである。
96019歳某国立大生:2012/01/15(日) 10:48:08.27
大市ってのは箸墓のある地名であるし、記紀とも一致するから
海部氏尾張氏系図の系図通りということが証明されてるわけだ。
ちなみに系図では、

日女命(台与) 平止与ーーーー尾張真敷刀婢
             |
建稲種  景行天皇
             |             |
志理都紀斗売ーーーーーーー五百木入日子命

なので景行天皇の前の時代が台与の時代だ。
961日本@名無史さん:2012/01/15(日) 10:50:27.16
>>954

文献の成立時期がいつであっても、後漢書は後漢時代以降の情報は
載せないのが原則。
だから、後漢書では以前のものは、前漢期のものが含まれるだけ。
いくら後漢書の成立時期が下っていようと、後漢書には魏時代の情報は載せない。

時代が下る程、以前の情報量が多くなるので、
例えば隋書などでは、後漢、魏時代の情報も記載されている。
そうやって時代が下るほど、前時代の情報も積み重ねて記載する法式で
あるということがわかる。
96219歳某国立大生:2012/01/15(日) 10:56:38.55
魏志倭人伝や後漢書での行程解釈では
江戸時代からかれこれ300年以上議論してても
決着はつかないんだし、無駄だと気付くおつむすらないのか。
死ぬまでそんなことしてるつもりか?死ぬ前になっても絶対決着はつかんぞw
963太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/15(日) 11:00:56.64
>なので景行天皇の前の時代が台与の時代だ。

 なので は駄目だが、それより後〜つまり

>景行天皇の前の時代が台与の時代だ←ここは正解。ただし壹與。

19歳老人は妄想が結構あるが、宿主やセッチン詰めのあいつよりはマシ
だな。
96419歳某国立大生:2012/01/15(日) 11:08:37.66
どこが妄想なのかw

ちなみに海部氏系図で日女命(卑弥呼)の兄である乙彦命の別名が、
ひこくにくるのみこと であり、これは記紀で言う孝元天皇の和名と
一致するので、記紀の通り孝元天皇の妹がモモソ姫ということ。
965太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/15(日) 11:11:02.33
日女命≠卑弥呼
   ↑
これに「コ」がついてなかろうが。w

それで卑弥呼なら、卑弥弓呼が卑弥呼だと言うも同然の〜独善的即断だ。
966太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/15(日) 11:12:29.93
乙彦←これと孝元の同一人物説を、もっと誤魔化さず詳しく言ってみろ。
967ローガン:2012/01/15(日) 11:18:37.09
>>944:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>最初からわかっている。

ほう、えらいえらい。ちょっとは調べたかね。その調子だ。

>調査隊にしろ正使にしろ報告書は必ずある。なんでそれではなく魏略ほか複数ソースをつなぎ合わせたと思うかを聞いている。

最初からわかっているなら話が早いので、端折って書く…
中華の東夷観てわかるな? ある意味儒教の聖地だ。はじめ山東省辺りのものが版図拡大に伴い、東へ東へと移動するんだ。
で、ある程度それが固まったのが魏晋朝だ。一時期「絶域」とされた地域が、淵を斬り、位宮を追う事により、その過程で観察出来るようになったんだ。
これは、陳寿自身が挙げている先行書夷蛮伝の例に同じ。朝鮮,兩越、西羌だ。いずれも進軍した地域だ。それにより越は元鼎六年、朝鮮は元封三年に滅んでいる。
又、羌への進軍は後漢弱体化の一因なのは言うまでもない。
勿論すべての伝がそうだとはいわんが、この巻末に編者自身の断り書きがある以上、ここでの立伝に関わるソースは軍による情報入手だ。
それが上に書いた、誅淵と位宮追討にあたる。しかし、魏は倭までは進軍していない。
では進軍していない地域の情報入手の方法はどうしたか?これも編者自身の断り書きがある。通訳を伴った使者が通じるようになったので、その内容にしたがって記述しておく。とね。
この評から読めるのは、軍の情報と、通訳を伴って訪れる使者がもたらす情報には明らかに確度に優劣があるという事。
軍がもたらすような単一のある程度正確な情報が手元にあった訳ではなく、例えば前述した魏略や廣志の内容の異同から窺い知れるような複数の資料の混在。
加えて、裴注が殆ど無い倭人伝。複数の資料を総花的にまとめて記述されたと考えるのが妥当。
簡単に書けば、そういう推論だ。
96819歳某国立大生:2012/01/15(日) 11:19:35.08
日女命 ひめみこと 

こがついてるしw もしくは日巫女という意味で
魏使は解釈した可能性もある。そもそもただの姫なら
〜姫という呼び名だし、〜命などとはまず言わない。
日女命はつまりはただの姫ではない証拠だ。

あと尾張氏系図とも照らし合わせれば欠史8代は
二ギハヤヒの系譜の中に含まれてる人物とほぼ名前が一致すると言ってるでしょ。
卑弥呼=日女命も二ギハヤヒ朝の一族だよ。
96919歳某国立大生:2012/01/15(日) 11:28:57.03
神武の東征も二ギハヤヒ隠滅のための捏造とみていいだろう。
宇佐氏の言い伝えによると初代神武は安芸で死んでいて、
神武とは7代いるらしいし、つまりは九州から畿内に数代かけて
移住した渡来人の流れを神武という人物で記紀で投影してるだけとみた。
本来は東征などなく、天孫族の二ギハヤヒが出雲族の大国主なる人物から
大和の実権を奪い、大和朝廷は二ギハヤヒの系譜であり、
崇神が二ギハヤヒ朝を簒奪したので記紀では二ギハヤヒ隠滅を図って
万世一系の天皇家に見立ててるだけだ
970日本@名無史さん:2012/01/15(日) 12:21:25.90
民主党が惨敗した参院選直前の政党支持率(2010年7月11日投票)

FNN 2010年7月4日
民主党 29.9% 自民党 16.3%
ttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100706/plc1007060530003-n1.htm
ttp://www.fnn-news.com/archives/yoron/inquiry100705.html

マスコミに、ダマされるなよ。

971太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/15(日) 13:05:13.81
>>968
そっちのコじゃないよ。
それだと言うなら、なぜ ミ と ト が欠落するのか?
所詮19歳インチキ少年の言い分に無理という不合理が見え隠れするわけだ。
ヒミコという読みの連続性が無い。オマエの繕いの言い分は即興のノン・
メリットそのもの。

>崇神が二ギハヤヒ朝を簒奪したので記紀では二ギハヤヒ隠滅を図って
オマエも妄想からのインチキ創作がきついなぁ〜。w
972卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 13:32:13.65
なるほどWikiで調べると、巫女は京阪ではイチコと称された、と柳田は言っているようだ。
しかしそういう呼称がいつごろから生まれたかは不明だろう。

また海部氏や尾張氏の系図に欠史八代の天皇名と同じものがある、という点に関してはネットで調べたが分らなかった。

いずれにせよ日女命が卑弥呼だと主張するためには、垂仁天皇の時代が卑弥呼の時代(これは系図からの推測)、
景行天皇の前の時代が台与の時代(これは名古屋君の主張)であることを証明しなければいけないわけで、
たとえ明治以降のボンクラ学者の説を採用して、120年ずれているとしても、卑弥呼や台与の時代には届かない。
973卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 13:43:43.54
>宇佐氏の言い伝えによると初代神武は安芸で死んでいて、神武とは7代いるらしい

むしろこういう伝承に古代史の秘密が隠されているのであって、
神武王朝の創始を紀元前1万年頃と考えてもおかしくはないのである。

ニニギの降臨が180万年前。神武の語ったこの言葉をデタラメだと考えてはいけない。
ウガヤフキアエズ朝は84万年〜1万年前のことだろう。少なくとも1万年以上前であることは確実である。
974日本@名無史さん:2012/01/15(日) 13:49:54.82
キチガイスレだな
975卑弥呼は朝鮮にいた:2012/01/15(日) 14:05:58.46
要するに古代史というものを現代の常識で解釈してはいけないのである。

たとえばモモソ姫というのが何人もいた可能性があるのである。
モモソ姫の後継者はすべてモモソ姫と名乗ったのかもしれない。

また竹野姫とあれば、単に竹野地方出身の女性という意味かもしれない。
そういう女性が何人いても、すべて竹野姫と書かれたかもしれないのである。
976太国 ◆yVAs7uaYlY :2012/01/15(日) 14:25:05.78
>神武王朝の創始を紀元前1万年頃と考えてもおかしくはないのである。

>ニニギの降臨が180万年前。神武の語ったこの言葉をデタラメだと考えてはいけない。
>ウガヤフキアエズ朝は84万年〜1万年前のことだろう。少なくとも1万年以上前であることは確実である。

こんな古くはないですよ。神武以下各代の天皇は、現今の人間と大差
ないごく普通の寿命です。
977日本@名無史さん
なんだこのスレwww
キチガイの巣窟だなwwwww