1 :
日本@名無史さん:
日本の食文化の歴史全般について語りましょう。
2 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 18:55:25.22
足利義量とか足利義尚みたいに若くても酒飲みすぎると死ぬの?
毎年新歓のイッキ飲みで死んでニュースになる大学生や新社会人みたいに、若くても酒飲みすぎると死ぬよ。
4 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 21:06:01.78
23歳の義尚はまだしも、17歳で酒害で死んだ義量は漢だな
5 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 23:00:31.35
6 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 23:04:40.45
どこの自治体でも作ってる郷土の歴史の本とかで地域の伝統的な食事を色々眺めるとサー。
畿内以外の、特に東日本北日本の料理とか、ほとんどどれもマジでクソまずそー!みたいに思えんだよね(苦笑
7 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 23:06:30.92
海に面してないところは、基本食文化貧しいよ。
畿内にしても。
そう思うのは。自分が生粋の大阪人で上方風の料理で育っているからかもしれないけどサ。
9 :
日本@名無史さん:2011/12/04(日) 23:12:10.50
まあ、きりたんぽはうまいけどな
東日本や北日本で異常に甘辛い塩辛い、強烈な味付けの料理が多いのは、ちょっとの量でご飯をかっ込む必要と厳しい寒さに対応しているからだと聞いた。
そーなん?
冬が長く長期保存が必要なら塩はきついだろうね
ご飯の話は日本中昔はそうやんけ
保存だけじゃなく、塩で血圧を上げて体を温めるんだよ。
13 :
日本@名無史さん:2011/12/05(月) 23:03:59.17
毛利興元や上杉謙信は血圧とストレスですな
日本料理で獣肉全般がゲテモノ扱いになったのって、いつ頃なんだろうな。
また、どうしてそうなったんだろう。
聞くところでは、室町の頃までは獣肉も本膳にあがってたとかいうことだけど。
アリューシャン列島まで漂流した大黒屋光太夫の一行のうち、
獣肉食を拒んだ者が、栄養失調で命を落としたりしたほどだった、
っていうあたり、江戸期あたりにはよほど強力な食物禁忌になってたってことが見て取れる。
しかも、船員ともなれば、ただでさえ体力勝負の仕事なんだから、
ふだん低カロリーの食事ばかり摂っていたわけでもないだろうに。
こういった話ではたびたび出てくる「仏教の影響」というのも、
ほんとかどうか、よくわからない。
中国、韓国、モンゴル、ブータン、タイなどなど、
仏教が一定以上の影響力を持つ国でも、獣肉食は全く珍しくないし。
というか本来、仏教の戒律では肉食は禁じられてないんだよね・・・。
15 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 06:36:00.37
真の日本である関西では米などほとんど食べへんからね
米は今で言う石油のような重要な工業原料であり
平民以上はほとんど口にする事はなかったので
今でも貧乏人の食料とされとるよ
16 :
日本@名無史さん:2011/12/06(火) 13:13:01.09
東北よりも寒い地帯に住んでいたアイヌの伝統食は、塩っ気の殆ど無いものだがね。
そのかわり、脂っこい。
そもそも、製塩技術はあったの?
アイヌに製塩技術は無かった。
塩を手に入れるには、和人と交易するしかなかった。
しかし同じように交易でのみ入手できる米や日本酒、煙草に比べて
塩は重きを置かれていないようだ。
20 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 10:31:42.22
味噌 醤油 納豆 豆腐などの大豆加工食品が江戸の食生活を支え
庶民や僧侶の蛋白源になっていた。
動物性タンパク質の決定的な欠乏を植物性タンパク質のみによって補うことは不可能
なので、赤豆腐とか御所車とか巻紙とかを食べてタンパク質を補ってました
23 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 21:08:51.25
24 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 21:30:43.92
そうそう、イナゴとか蜂の子とかw
25 :
日本@名無史さん:2011/12/09(金) 22:47:22.95
テッポウムシとか蚕の蛹とか
26 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 00:00:17.93
動物性蛋白質が不足したとして、補う必要ってあるの?
逆に植物性蛋白質が不足しても動物性蛋白質を摂ってれば補った事になんの?
27 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 04:40:36.02
江戸時代は遊郭で遊んだ後は納豆汁を食べてたと。
豆腐&納豆&味噌で、ジェットストリームタンパク質補給をしてた。
動物でも鳥はOKだったでしょ。
身近ではウサギとかカモとかスズメとか。ドジョウも。
京都のハモ料理は、夏場に明石から運ばれる魚が腐るから、ハモが皮膚呼吸で輸送ストレスにも耐える為に、生まれた食文化と聞いた。
28 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 09:25:39.68
>動物でも鳥はOKだったでしょ。
>身近ではウサギとかカモとかスズメとか。ドジョウも。
ある程度の生活レベルの人はね。
29 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 11:11:12.59
江戸の庶民や下級武士は魚を1月に1度ぐらいしか、食べれずに基本的に菜食
と言った状態だった。
30 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 11:44:53.59
永山久夫の本読んでると、玄米と大豆で栄養ばっちりみたいなことばっかり書いてるけど、
本当は田圃にいる雑多な貝類、甲殻類、昆虫などいろいろ食べていたんだよね。
味噌で必須アミノ酸補ってたんだべきっと
32 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 13:38:34.15
君も永山久夫と同意見なのか
33 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 16:12:02.34
東夷は非狩猟採取社会やろ
そこらの雑草とか食うてたんやろが
34 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 17:44:15.11
35 :
日本@名無史さん:2011/12/10(土) 20:26:25.60
黄金水・・・ゴクリ・・・
37 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 20:13:17.57
精進料理に乳製品を使えるか。
これ、坊様によって意見が違うようだ。「動物性だからNG」「動物の命を奪わないから辛うじて許される」「当のお釈迦様な悟りを助けたのがスジャータの布施した牛乳だから何の問題も無い」など。
肉や魚は我慢できても、料理の味わいを大きく左右する乳製品くらいは採りたいものだね。
38 :
日本@名無史さん:2011/12/14(水) 23:26:11.51
徳川家茂は甘党で虫歯だらけだったって本当すか?
家定が作ったカステラも食ったのかな?
39 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 11:56:57.63
フィリピン人の先生に英会話習ってるんだけどさ。
この前「『世界のケーキ』ってテレビで見たよ。日本にもカステラってケーキあるんだね。美味しいの?」と訊かれて、そう言えばあれもケーキだなと気づいた。
因みに航空便で送って試食してもらったら「すごく美味しいね」と喜ばれた。
フィリピン人の口に合うようだから海外進出検討しても良いかもね。
素朴すぎてインパクトがないなぁ
41 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 16:18:47.59
>>38 発掘調査で明らかになった徳川家茂の遺骨は享年21歳にして虫歯だらけだったのは事実。
甘党だったのも事実のようで、家茂が上洛して江戸城を開けている際には、夫婦仲の良かった御台所の和宮が
旅の途中の家茂に何度も江戸城から「菓子」を送り届けていることが「徳川実紀」に書かれてある。
ただし、このとき和宮が家茂に送った菓子が何であったのかは不明。
家茂が徳川家定の養子になったときすでに家定は死の間際で病床にあり(家定が死ぬ16日前に養子縁組)、
家茂は家定が没した後で江戸城に入っているため、家定の作ったカステラを食べた可能性はなさそう。
おおくだらないがおもしろいレスw
カステラはフィリピン経由ででんらいしてんじゃないのか
44 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 19:46:11.77
>>43 自分も「スペイン由来ですよ!?」と先生に話したんだけど、フィリピンには似たようなお菓子は無いらしい。
スペインから直に伝わったか、フィリピンでは廃れてしまったかではないかな。
全くの余談だけど、高山右近の話をしたら、先生凄く喜んでた。
45 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 20:13:25.95
>>41 なるほど、虫歯になっても菓子を食う家茂△
46 :
日本@名無史さん:2011/12/15(木) 22:48:37.63
今の日本のカステラは日本で独自進化したのではないか。
安土桃山時代は湯に浸したり大根おろしをかけて食べていたらしいから
スペインの昔のあれはもっと硬くて日持ちするようなものだったのではないか。
当時のカステラは現代のような甘〜いお菓子ではないだろうねw
卵焼きに大根おろしを添えるから、
その感覚だろう。
50 :
日本@名無史さん:2011/12/16(金) 12:28:28.22
桃山時代には砂糖は無かったので
カステラとは塩味であった可能性が高い
51 :
日本@名無史さん:2011/12/16(金) 12:38:13.87
>>50 南蛮貿易で桃山時代に砂糖は日本に入ってきていたよ。
金平糖などが桃山時代にあったから。
逆に、江戸時代初期に鎖国をしてからは砂糖が輸入されなくなった。
しかし、島津の琉球支配とともに沖縄産の砂糖が江戸中期から流通し始める。
8代将軍吉宗は砂糖栽培を推奨しており、
この時代には砂糖を使った饅頭や生菓子などこんにちの和菓子が作られるようになった。
三関から向こう側の連中って、そんなに遅れてたんだ
>>37 奈良時代には乳製品食べてたんだよね。
食べなくなったのは平安時代なんだろうか。
そういえば、あれだけ何でも食材にする中華料理でも、
伝統的な品では乳製品て使わないよね。
(上の、奈良時代の乳製品摂取って、おそらく大陸渡来の食文化だとは思うんだけど、それもいつの間にか廃れたってことだろうか)
19世紀以降、西洋諸国の船が来航する地域の料理で、
やっと牛乳が使われだしたんだっけ。
まあ、今じゃ中華料理文化圏の人たちも、
ごく普通にチーズバーガー食べる時代になってるな。
しかし、チーズを漢民族が一般的に食べるようになったのって、
ほんとにここ数十年、ごく最近の現象なんだとか・・・。
握り寿司が確立したのって文政時代あたりだな。
そうすると食文化年表を書いた時
寿司とカレーの時間差って60年ぐらいしかない。
寿司って伝統を誇るもんではないな。
出自は所詮ファーストフードだし。
56 :
日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:17:08.81
>>54 その寿司の伝統と言うのは、握りだけでなくそれ以前の押し寿司なども
含めれば,明治に国内に入ってきたカレーよりは歴史があるということに
なる。
57 :
日本@名無史さん:2011/12/18(日) 15:59:22.57
>>56 要するに「国内のものを継承した場合は『伝統的』と見なされるが、外国から来たものを発展させた場合はなかなか伝統的とは見なされない」ということかな。
58 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 00:26:09.32
貴重なアミノ酸の補給源だったんだろうな
60 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 22:41:51.73
江戸時代 食事とか平安時代 食事とかで検索するといろいろ出てくるな
江戸時代の平均的な大名の夕食は、今の一般人よりカロリー低かったのが
わかる、おかずも3種類ぐらいだしで、
61 :
日本@名無史さん:2011/12/24(土) 23:30:03.33
>>58 飯のおかずにも酒のつまみにもなるんじゃない?
塩分の補給にもなったよね。
江戸時代のカステラっておつゆの具にもなってたんだよな。
現代の日本料理でも、魚のすり身を少々混ぜたカステラを、
澄まし汁の具にしたりするね。
65 :
日本@名無史さん:2011/12/25(日) 02:44:12.28
>>63 甘くないカステラを具にしたとして、どんな感じの吸い物だろう?
オニオングラタンスープみたいなものかな?
味噌がうれしくないていう感覚がわからん
現代人か?
>>65 甘くなかったわけではないみたいだよ。
だけどかなり固くて日持ちのするものではあったようだ。
味噌って塩辛いものでもあるし甘いものでもある。
じゃあビスケットスープみたいなもんか
70 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 12:05:27.17
明治以降の「洋食」の中でも最高に日本化してるのはトンカツかな。大抵は米飯や味噌汁がつく。
実はカツサンドの存在からも明らかなとおり、トンカツとパンは合うんだけど。
71 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 13:25:37.21
>>64 それは伊達巻のことか?
>>66 奈良の大仏建立の労働者たちは、報酬として支給された味噌を
実際に口にして「なんだ、塩辛いだけの食いもんか、、貰ってもうれしくないな」
と落胆したのでは?
72 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 13:39:16.31
重労働したら汗もかくし、
塩分補給が本能的に欲しくなる。
73 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 13:43:34.49
ピラミッドの建設の際にも労働者にニンニクが支払われたことがあるそうですね。
74 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 14:37:39.15
http://www.kabuki-za.com/syoku/2/no76.html 江戸時代後期のおせち
>天保7年(1836)刊の『日用惣菜俎(にちようそうざいまないた)』
>には、年始重詰として「初重かずのこ、二重ごまあへたたき牛蒡、
>三重鮒昆布巻、四重黒煮豆またはてりごまめ」とあります。
>現在にくらべ、江戸のおせちは質素でした。
数の子 ごま和え たたき牛蒡 昆布巻き 黒豆しかなかったわけか。
伊達巻や金団は大名クラスじゃないと食べれなかったんだろうね。
しかし、江戸時代後期は砂糖を国内生産できるようになったんだから
金団のように砂糖使った食品も身近になったのでは?
伊達巻はカステラかまぼことも呼ばれる
77 :
日本@名無史さん:2011/12/26(月) 18:59:18.17
出島から砂糖輸入してたんだけどな。
長崎街道沿いに菓子文化
78 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 09:37:39.20
>>77 徳川吉宗がさとうきび栽培を奨励し国産化を進めるが、この時期の国産砂糖は
黒糖が大半で明治以降外国から白砂糖が入ってくる。
しかし、江戸時代では白砂糖を国内で大量生産できなかったのか?
79 :
日本@名無史さん:2011/12/27(火) 20:48:17.95
80 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 10:08:23.36
>>79 和三盆は、江戸の庶民には高価で口にできなかったのでは?
昔の庶民にとって砂糖とは黒糖を指している。
81 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 10:48:58.82
徳川吉宗のさとうきび栽培奨励によって
徳島藩や香川藩で砂糖が作られるようになり日本産の意味で
和三盆と呼ばれるようになった。
こんにちの和菓子に多用される牛皮(ぎゅうひ)はここから
作られるようになった。
江戸時代の庶民が和三盆に限らず砂糖を口にできたかというと疑問。
饅頭屋など庶民的な和菓子屋も城下町などにしかなく富豪はともかく
農村に生きる一般庶民が口にできるものではなかっただろう。
なんだかなw
そもそも吉宗の砂糖黍奨励は、海外交易での金流出防止が目的。
ということは、奨励以前にそれだけの輸入量があって、
当然、それだけ消費されていたわけだ。
ソレが国産化されて、富豪しか口にできないだと?
知識はあっても知恵足らずw
83 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 13:14:41.59
>>82 知恵たらずはそっち。
徳島・香川二藩でどの程度の砂糖が量産できたと思ってるんだ?
それ以前には清国からの輸入品「唐三盆」に頼っていたわけだが
これはなかなか手に入らない貴重品だった。
そもそも吉宗の時代以前に、どの程度の和菓子が作られていたのか
調べていたら良い。
84 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 14:32:20.38
砂糖黍栽培は土壌の地力を劣化させ、砂糖の精製は多くの人手がいるから
植民地のある西欧の方が大量生産しやすかった。
85 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 14:35:42.37
砂糖が入手しにくい時代の日本では水飴や甘づらが甘味料だったが
栄養学的に見れば、砂糖よりもこっちのほうがいいわけで。
86 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 14:46:50.49
茶道 團扇 吳服 花道 漢字 圍棋 無不源於中華
87 :
日本@名無史さん:2011/12/28(水) 16:54:01.81
出島での貿易の最盛期は元禄時代で、日本の銀、金、銅などが輸出され、生糸や砂糖、薬品、香料などが輸入されていたそうで。
輸入品のなかで代表的なものの一つが砂糖。出島は別名「砂糖島」といわれるほど輸入した砂糖で溢れていたのだとか。
この砂糖は主にインドネシアのジャワ島の砂糖農園で作られたもので、計量の後に取引され、その一部は江戸参府の際の贈答品などとして将軍や幕府の役人へ贈られたり、道中お世話になった人々へのお礼、また、長崎でも役人への贈り物とされたのだらしいです。
高価で珍重されていたため、長崎に古くから伝わる伝統料理は甘めなのが特徴。裕福だった証。
それでなくても、長崎奉行赴任は憧れ職だったとかで。
最近では、観光か学術か知りませんが、長崎街道を‘シュガーロード’という言い方をしてるみたいですね。
オランダ船が大量の砂糖を積み込んでいたのは、砂糖を「バラスト」(船底の重り)として使っていたため。
砂糖は植民地の産物…
奄美大島は薩摩によって砂糖地獄と化していましたなぁ。
89 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 10:15:17.95
90 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 14:30:40.52
>>88 TVで再放送の暴れん坊将軍で、薩摩藩の搾取に苦しむ島民を吉宗が助ける
みたいな話があったな。
しかし、この砂糖地獄説って最近言われる、日本を何でも悪く言う「自虐史観」
ではないの?そう、かつて非西欧国を植民地にした白人国家や日本を妬む
中国韓国などが、日本や日本人を悪者扱いして優越感に浸りたいから
戦後のGHQなどを通して行われた、日本人の民族の誇りや尊厳をだめにする
ために行われた。「戦後自虐史観教育」の一つとして砂糖地獄説が出てきたのでは?
別に日本人が優秀だなんて言ってるわけじゃない、差別意識強くて傲慢な
西洋白人や自己中心的で嘘つきな中国韓国よりずっと良心的な民族であると
思うんだが、日本人は。
91 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 19:45:31.53
>>90 薩摩内部でも「奄美の収奪はやり過ぎ」という声が出てたわけで、あまり誉められない状況だったと思うよ。
92 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 21:36:06.71
どういう人が言ってたの?
93 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 21:36:51.10
人頭税とか?
94 :
日本@名無史さん:2011/12/29(木) 21:54:04.74
>>91 奄美の収奪が酷かったのって、薩摩が借金で破綻寸前になって、
藩を挙げて返済しようとしてた時のことだっけ?
95 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 00:16:04.80
江戸時代は、とうもろこしとサツマイモ、ジャガイモをなんでもっと
作らなかったのだろう
そうすれば餓死することはなかったのに
96 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 00:57:53.43
97 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 04:16:11.97
>>95 米本位経済で、米を機軸通貨の代わりとして扱っていたから。しかし江戸時代も
ある程度すぎ実質的に貨幣経済になっていたが、幕府が相変わらず米本位経済を
推し薦めた。
98 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 14:45:46.76
武士が農民から米を年貢として徴収し、換金する経済体制だったから
東北のように当時としては米ができにくい地域でも無理やり米作りをさせ
飢饉を招いた。
99 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 16:09:26.76
そうか、勉強になった
100 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 18:11:48.08
小林よしのりが言うには、江戸時代は非人道な植民地政策を行わずに
300年平和を維持したすばらしい時代だと。
>>98 南部の場合は雑穀さえ作らせず換金作物の大豆だけ作らせた
102 :
日本@名無史さん:2011/12/30(金) 22:28:50.25
江戸時代は東北や水田にしにくい場所は麦、ジャガイモ、とうもろこし。
サツマイモをもっと作ればよかったのに、幕府はバカだな
サツマイモは保存しにくく商品価値がひくいんだよ
104 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 01:39:55.23
>>100 琉球王国を間接支配し奄美諸島を植民地支配したのを稀有な例外と考えればね。
江戸時代暗黒史観は気持ち悪いけど必要以上に江戸時代を美化するのもね…
ましてや小林よしのりって…
つーか島国で数百年の平和なんて植民地持とうが持たなかろうが珍しくもなんともない
小林よしのりは今度は誰から聞きかじったんだ?
>島国
つー英国
108 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 09:56:33.30
>>106 >島国で数百年の平和なんて植民地持とうが持たなかろうが珍しくもなんともない
島国というだけではなく、これだけの人口とGDPと文化レベルというところが味噌
109 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 11:25:04.77
中世の西欧も、貧しいなら貧しいで質素にやってれば、植民地の悲劇はなかった。
110 :
日本@名無史さん:2011/12/31(土) 20:19:07.09
昭和50年代後半の北海道の小学校の話。
君が代は存在すら知らなかった。
学芸会で六年生が演じる劇は、毎年毎年モチーフが同じだった。
「哀れな農民が、ついにお代官さまに立ち向かう」という…
「南京で日本兵が妊婦の腹を裂いた」と教えられた。
その後遺症で、いまだに町で妊婦を見れば吐き気がする。
111 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 00:38:24.47
>君が代は存在すら知らなかった。
嘘臭〜。
まあ仮に本当だとしてもお前の親は子供にそんな事も教えない無知無教養な親なのか。
何でもかんでも学校教育のせいにして、蛙の子は蛙とはよく言ったもの、この親にしてこの子ありといったところか。
112 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 05:46:39.82
>>111 戦後の自虐史観に毒されたような親なら、あるかもな。
多分、2ちゃんの学問板の住人は平均年齢30代辺りだと思うから、ちょうど
親が団塊世代に当たると思う。で、団塊世代は自虐史観教育受けた世代
後、戦前世代でも戦後に日本共産党や社会党に上手く丸め込まれたような
爺さん婆さんも自虐史観を持ってたりする。
事実」、俺の長野育ちの爺さんがそうだったよ。本人は戦争(第二次世界大戦ね)
に行き、ガキの頃は天皇マンセー教育されたんだがどうも戦後に日本共産党の
「平和とか平等とか」いうスローガンに影響受けたらしくて、自虐史観の
考えを持ったようだ。
俺は、詳しくは知らないが長野という地域は日協組の力が強いらしいので
戦争から帰ってきて肉体も精神もダメージ受けまくってる爺さんは、上手く
丸め込まれたのではと思う。
当然、俺も親や爺さんや学校教育の影響で自虐史観を持っていたが、
小林よしのりの戦争論や2ちゃんの歴史関連のスレを読んだりしてるうちに
「昔の日本は、言うほど悪くないのでは?」と思うようになり
自虐史観から抜け出すことができた。
113 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 06:05:49.46
さて、俺は今、金団を食べてるが江戸時代には大名じゃないと口にできない
高級食品だったわけだが、今では年末に誰でも買える値段で売っている。
現在日本の2万円クラスの御節料理をタイムマシンで江戸時代に持って行き
将軍に見せたら度肝ぬかしそうだな。とおもうのは俺だけ?
逆に向うで二束三文の天然物の魚介類が、
こっちで何万円もすると思うぜ。
115 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 11:41:34.71
たたみいわしは今は、高級食材扱いだな。
今の御節は、少量の何品もの料理を集めて、重箱に詰めたスタイルだが
こういうのって、戦後になってきてから出てきたんだろう。
かまぼこ、伊達巻 金団 今じゃ誰でも買えるような物も江戸の庶民じゃ
数年に一度、正月時に食えるような高級品だったのでは?
116 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 11:50:06.72
江戸時代は、富裕層以外砂糖をふんだんに使えるわけじゃなかったから
御節も全体的に甘さがくどくなかったと思われ。
今の御節は砂糖多すぎだな。
金団はサツマイモ潰して裏ごしして
水あめでも入れてよく練ればいいだけだから
高級ってわけでもないでしょ
落語「貧乏長屋」じゃカマボコの代わりに大根のしんこってネタがある
小金があればめでたい日にはごちそうとして食べれるって感じかね
まったく手がとどかないほどのもんじゃない
昔に勝てるのはビールぐらいじゃないかな
120 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 15:04:27.13
>>117 今ならそうかも「知れんが、江戸の庶民のおせちに入ってなかったらしいから
その頃は高級だったと思う。
お正月は貧乏な長屋の住人達が大家や地主や町役人
仕事の親方の家などを年始回りしてご馳走にありつく日だったらしいから
自分の家の料理は質素に済ませたと思われ
122 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 16:22:33.32
>>121 貧乏長屋と言うが、江戸時代の江戸を始めとする都市部中流層の平均だったのでは?
それとも、当時の長屋住人は、今で言う負け組みみたいな感覚を持っていたとか?
>>122 確かにそうだな訂正^^;
いわゆる庶民達は。。。だな
124 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 17:41:56.23
125 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 18:18:30.82
>>121 そういう行為ができたのも、当時は地域の共同体が生きていたからだろうな。
伊達まきは、カステラの製法を基に考案された食品だから南蛮貿易なかったら
誕生してなかっただろう。
126 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 18:31:17.32
今は、正月に刺身食ったりするが江戸時代のころは「正月には生ものを食わない」
という風習があり、台所の火の神と主婦を休ませて上げるという意味合いもこめて
御節は保存が利くような甘辛い味付けになったとか。
しかし、冷凍保存ができない江戸時代なら冬場に刺身食った方が食中毒にかかる
リスクが少ないんだがな。
それとも、当時の金持ちで変わり者は正月に、刺身を食ったとか?
128 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 19:05:03.70
>>127 金持ち商人が大枚叩いて、特別に魚採ってきてもらい刺身にしたとかなんてことは
ないか。
江戸時代は太陽暦じゃなくて太陰暦だべ。
太陰暦の正月は微妙に暖かい季節になる。
だから「新春」などと寿ぐ。
1月7日に野草を摘んで粥にできる。
130 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 20:04:02.20
旧正月だから、2月一日ごろでしょ
一番寒い時だよ
131 :
日本@名無史さん:2012/01/01(日) 20:12:09.79
醤油は金山寺味噌の製造過程で出てきた汁が発祥。
わしがガキの頃は27〜31かけてみんなで
おせち作って正月はそれだけですごしたもんだ。
後はお餅ね。
それも草もちキビ餅いっぱいあって
ばあさんたちはお正月だからって砂糖ぬってたな。
今の中華おせちとか洋風おせちとか食べたことないなー。
うちのばあちゃんの感覚だと、お節ってもメインは煮物だ
あとは報恩講なんかのハレ料理と共通メニュー
餅は豆餅やゴンダ餅も作るけど、三が日は糯米100%の白餅
「小作じゃあるまいし、正月には混ぜ物なしの白餅を食べるもんだ」
って感覚らしい
かまどは使わず火鉢でちょっと雑煮
135 :
日本@名無史さん:2012/01/03(火) 01:19:52.95
数十年使ってなかった七輪で、
この正月、焼肉やった。
室内では、木炭しか使えないのがよくわかった。
また、七輪の調理における木炭の使用効率の高さも
よくわかった。
バーベキュー用の木炭が、全然減ってない。
炭火焼肉は煙がすごそうだな
うちは年末に水コンロ買って
スルメととばと餅とあぶらげ炙って食べたがめちゃくちゃうまい
戦前は、ガスコンロがあるのは都会の富裕層だけだった。
戦後の方がもっとビンボではあったがなぁ。
139 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 13:52:54.47
140 :
日本@名無史さん:2012/01/04(水) 17:59:50.74
>>139 これはほんまやで 支配階層である百済民族の末裔である貴族 武士階級は
火をつこうた料理食うとったけど 被支配民である庶民は
加熱したものは食べなかった
即ち米を食べなかったということや
141 :
日本@名無史さん:2012/01/08(日) 19:00:58.82
江戸時代にこっそり肉食べてた人はどう料理して食べてたの?
142 :
日本@名無史さん:2012/01/08(日) 19:41:25.31
戦後食糧不足のとき奈良の鹿は激減した
食べたらしい
>>141 焼く。or 鍋
当時の料理書は膾なんて記述もあるが獣肉の膾はちょっと。。。
膾と炙り肉はみんなの好物だろ中華的に考えて・・・
145 :
日本@名無史さん:2012/01/11(水) 18:58:45.68
今、トースターで鏡餅を焼いた
小型なのに、1000wで15分かけないと焼けなかった、
漫画だけど
信長のシェフとけずり武士が面白い
148 :
日本@名無史さん:2012/01/19(木) 18:37:23.78
日本酒の起源を調べると鴻池財閥の歴史になるが
さらにちょっと遡ると悲運の戦国武将山中鹿之介が出てくるわ
財閥のその後を調べれば三菱東京UFJ銀行になってるわでなかなかにカオス
149 :
日本@名無史さん:2012/01/21(土) 03:58:37.31
アメリカ人に人気の和食といえば寿司・すき焼き・鉄板焼き。日本料理の王道は寿司だけだなあ。
150 :
日本@名無史さん:2012/01/21(土) 07:19:39.27
寿司の本家は発酵食品でしょ!
今読んでる時代小説で江戸時代に刺身に鮭がでてくる描写があった。
鮭生で食うのはノルウェーなどの完全管理養殖モノが輸入されるように
なった近年のことと思った。
逆に江戸時代は寄生虫などを認識できず
鮭生食タブーにはなってなかったの?
それとも小説が真剣に時代考証してないだけかな?
江戸時代ではなく古代の話だが便所代わりに使ってた場所の土を調べたら
猪や鮒の寄生虫に感染してた形跡が見つかったなんて話は聞いたことがある
>>151 時代小説 だからでしょ?
あんなのめちゃくちゃよ?
ただたんに江戸時代を舞台にしているけど時代考証なんかしてませんし。
鮭と言えば鮭とばはアイヌの保存食が起源だとか
あとルイベね。
凍らして食べれば寄生虫の卵もしぬよね
>>151 おっしゃる通り鮭の生食は極最近、ぶっちゃけ21世紀に入ってからと言ってもいいくらい最近。
江戸時代なら塩鮭だろうけど、これも結構な高級品だったはず。
寄生虫にもよる(例えばエキノコックスは冷凍庫程度じゃ死なない)けど
鮭のアニサキスなら確かに低温で全滅する
日本じゃないがエスキモーもセイウチの肉に限っては
狩りたてを生で食べることはせずしばらく凍らせることで寄生虫を殺してから食べるらしい
>>156 俺は20世紀にも何度か食べた覚えがあるがひょっとしたら地域差があるのかもしれない
>>157 冷凍技術さえあれば可能だから。
20世紀末にも食べてたでしょうね。
へぇ
セイウチにはエスキモーもおそれるような寄生虫がいるのか。。
でもアザラシにはいないってのがふしぎだよね。
160 :
日本@名無史さん:2012/01/23(月) 16:29:24.44
20年くらい前に、近所にあった業務スーパーらしいもので、
冷凍食品の中に、鮭の冷凍パックがあった記憶がある。
当時、物珍しくて、実家に買って帰って、解凍して刺身で食べた。
スモークサーモンってすごく高かったよね。
>>159 植村直己さんが知らずに食べたら吐かされたらしい
その植村さんと一緒に北極へ行って最終的に今も住み着てる大島育雄さんは
興味本位で食べてみたら体調を崩して2〜3週間寝込むハメになった
と日本が関係する話に無理矢理戻してみる
大島育雄さんてこの間、NHKでやってたひとだよね。
孫ちゃんがかわいいんだ。にこにこしてて。
鮭の皮のような魚の皮って上手に処理すれば衣類(防水靴等)に使えるんだってね
アイヌもエスキモーもそういうのに長けてたらしい
そうめんって奈良時代に日本に伝わったと言うが
一方で琉球ではそーみんちゃんぷるというそうめんを使った独自の料理がある
琉球へはいつ伝わったんだろ?
琉球と言えば豚肉をよく使うのが大和とは違うよな
167 :
日本@名無史さん:2012/02/08(水) 14:36:48.99
test
>>165 そうめんは日本から沖縄に伝わったらしいよ
沖縄は琉球王国が成立する以前から日本本土と文化交流があった
沖縄では漢字のほかに日本から伝わったひらがなも使われていたからね
鹿児島には沖縄のそーみんちゃんぷるに似た油そーめんという料理がある
日本文化の影響らしい
ゴーヤが本土へ本格的に伝わったのは平成になってから
以前はウリミバエという害虫がいたため
蔓延させないよう本土へ出荷できなかった
ウリミバエの雄に放射線を当てて
生殖能力を失わせて放つことで絶滅させることに成功したので
本土へ出荷できるようになった
しかし紅いもは生では出荷できないのであった
171 :
日本@名無史さん:2012/02/09(木) 05:16:26.22
>>169 ゴーヤーの栽培そのものは内地でも問題無くできるんだけどね。本格化したのは沖縄から美味なゴーヤーが入荷するようになってからかな。
休耕田にゴーヤー植えてみたら大豊作で市場で良い値段がついたw
>>170 そっちは害虫の種類が違うから。
172 :
日本@名無史さん:2012/02/09(木) 10:53:33.06
ニガウリ、本格的に普及しはじめるよりかなり前に、熊本に住んでる親戚から実を貰った事がある
今思えば、沖縄以外でも栽培はあったんだなぁと
新潟在住ですが、年寄りが「ゴーヤは戦前から有ったよ、昔はレイシって呼んでたよ」とのこと。調べたら「ツルレイシ」って言うんですね、
ツルレイシが正式な名前でゴーヤは沖縄で使われる呼び名
南九州でも古くから栽培されており平成になるまで本土になかったわけではない
現在日本国内で流通するゴーヤの約3割が沖縄産
沖縄産ゴーヤが本土に出荷されるようになったのは1900年ごろで戦前
まあ正式名って琉球語は特に反映されにくい傾向があるんだけどね
>沖縄産ゴーヤが本土に出荷されるようになったのは1900年ごろで戦前
ウリミバエの害が出だしたのはその後で大正時代
177 :
日本@名無史さん:2012/02/16(木) 15:10:46.88
九州では戦国時代には既に焼酎があった
一方で九州より東で今のように焼酎が飲まれるようになったのは昭和後期
山陽新幹線開通がきっかけとも言われる
下戸だが、ノンアルコール芋焼酎っていうのがあったので買ってみた。
ウルトラ不味い。あんなのにアルコール入れたって旨くならないだろ。
酒飲みの神経は理解できない。
179 :
日本@名無史さん:2012/02/17(金) 15:13:50.70
焼酎kirai
焼酎nonndakotonai.
なぜか「ごーやー」を「ごーや」と表記する例が多いね。沖縄以外の地域では。
沖縄の人は、「や」と短かく止める発音表記に多少違和感を感じるらしい。
かの有名キャラクター商品は「ゴーヤマン」じゃなくて「ゴーヤーマン」だったでしょ。
そもそも「ごーやー」の語源は福建語だそうだ。
福建語では「瓜仔」と書いて「クォ・イァ」と読む。
ちなみに「ちゃんぷるー」の語源は、
マレー・インドネシア語のcampur(チャンプル)で、
「かき混ぜる」という意味の動詞だよ。
>ちなみに「ちゃんぷるー」の語源は、
>マレー・インドネシア語のcampur(チャンプル)で、
>「かき混ぜる」という意味の動詞だよ。
「ちゃんぽん」も同じ
>>150 鮒寿司が原型に近いみたいだ
もっとも古い時代だと
>>152の通り発酵が不完全なのがあったみたい
>>181 俺のシマは沖縄本島のチョと北で「にぎゃ ぐい」なんだが福建訛りか。ぐいがやっと理解できた有難う。
戦前から大阪に住んでる、鹿児島市内出身の婆さんが、『ニガゴィ』といって普通に料理してた。
おれのすくない経験上も、大阪で普通に『にがうり』として流通してた。少なくとも30年前には。
だからツルレイシが、本土にはなかったということは考えられない。その点強調されると、沖縄人の
勘違い、もしくは思い上がりとさえ感じる。
むしろ近所の八百屋でも、ゴーヤーと呼び名が変わったのが違和感ある。
まぁ、それも最近の事とするのなら、しょうがないけどな。
>>185 そこらは薩摩系やら南からの移住は多いからよ。食されて無かった地域への貢献度の問題だろ呼称はwまあ、「ニガゴリ」薩摩系に変更すれば良い。
なるほどねぇ。貢献度の問題、か。面白い視点をもらった気がする。ありがとう。
で、だとしたら、標準語を司るwひとびとの呼び方が全国的に普及するのは、すごいな。
テレビその他のせいなんだろうけど、標準化の進みかたの加速度っておそろしいもんがあるな。
ここいらでも『かしわ』→『とりにく』となったし、全国的にも「けいにく」→「とりにく」になったり。
言葉は生き物なんだろうけど、10年くらいで断絶が起こるのを目の当たりにすると、怖いよ。
食品成分表で「にがうり」の名で登場したのが90年代なのは確か
沖縄では「ゴーヤー」で載せて欲しいと要望があったものの別名扱い止まり
「ゴーヤー」を「ゴーヤ」と発音し標記しがちなのは、
日本語には長音で終わる単語が少ないからじゃないかな。
長音で終わるのは外国語(外来語)が多い。「エレベーター」とか。
日本史とは関係ないけど、野菜の名で混乱しがちなのは、
チコリとアンディーブ。この言葉でどういう野菜を想像するかには
個人差がある。
>>148 その因縁があったから鴻池財閥は長州藩と取引しなかったってのはどこまで本当なんだろう?
>>177 戦後の混乱期に闇市で売買された、粕取(酒粕を蒸して蒸留)や、バクダン(廃糖液を蒸留)なんてのは?
>178
アルコール自体旨みのもと。
有る、無しだと全然ちがう。
ノンアルコールビールを飲んでよくわかったわ。
193 :
日本@名無史さん:2012/05/21(月) 19:28:45.67
奈良時代からつづく鰻食が、近年中に絶えそうな情勢・・・
194 :
日本@名無史さん:2012/05/29(火) 20:20:50.00
195 :
日本@名無史さん:2012/06/06(水) 00:17:18.86
さっき日テレのドラマで見たが、
江戸時代人に「海老マヨ」食わして「うまい!」って言ってもらえるか?
おやおや。
ゴーヤーはつい最近まで本土にはなかった!(きりりっ!)
のおにいさんはどこにいったんだ?
律令時代、外洋に面した諸国に献納を命じていた「鰹煎汁」って
どういうものだったんだろう?
液体のまま、遠州や土佐からおっちらおっちら運んできてたのか?
199 :
日本@名無史さん:2012/06/07(木) 03:53:58.41
>>195 意外と江戸人の口に合ったかもしらんよ。
魚に卵の黄身を塗って焼く「黄身焼き」という料理があったし、黄身酢なんて一種のマヨネーズだからね。
そのマヨネーズ自体がもはや日本食w
ということは、江戸時代人が食ってもうまいと感じるだろうな
マヨネーズって、油1ポンドに玉子3個だよ。
どっちかというと、油が主体。
和食の黄味酢には油は使わないし。
★おやしょく代行始めました★
お腹減ったけど食べるおやしょくが無い、おやしょく食べたいけど太るのが怖い、そんなときに!
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* __ ☆
* / \
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,| ,| " __ "ノ| | +
 ̄ ̄ ̄ ̄ `'`ー―――一'" ̄ /| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∬∬ _../ |
__ r'/ .|`、
{===} ( |三三三| )
}==={ `-=__..='
~~~
203 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 19:08:34.82
>>201 なるほどね。
ただ、欧米では全卵マヨネーズが多いのに対して日本のマヨネーズには卵黄のみが多いんだよね。
黄身酢を参考にしたか、参考にはしないまでも日本人は伝統的に卵黄の味を好むのか。
204 :
日本@名無史さん:2012/06/12(火) 19:12:48.71
>>203 欧州の伝統的なマヨネーズは酢を入れない
オリーブオイルと卵のみを混ぜる
日本のマヨネーズがかなり酢をきかせているのは
黄身酢に近いのだろうね
>>159 原因は旋毛虫らしいね
肉食獣が感染してることが多いみたい
日本でも熊の刺身や冷凍不充分な熊ルイベで感染することがあるとか
ふと思ったがイスラムで肉食獣の肉がタブーなのはこのせい?
>>191 今のようにとは違うような
206 :
日本@名無史さん:2012/06/18(月) 07:32:47.43
焼酎は大韓から伝わったソジュが起源であるから
大韓文化圏の九州で発達した
本州四国以東では昭和中期まで焼酎は貧乏人の飲み物扱いだったらしい
それこそ粕取・バクダンは生活に余裕があったら手を出さなかったと想像がつく
酒粕を湯に溶いて飲むくらいなら、焼酎の方がいいなあ
209 :
日本@名無史さん:2012/06/19(火) 20:42:49.97
大韓って、歴史何年あると思ってるんだろ
>>208 今でも簡単な甘酒は酒粕で作るけどね
やっぱり本格的に作った物のほうがいいわ
強引な韓国ネタ振りで思い出した
とうもろこしのヒゲ茶は最近は韓国企業が積極的に売ろうとしてるけど
コーンシルクティーという言葉がある通り韓国以外にもある飲み物なのに
日本では今までほとんど普及しなかった方が謎だな
ともろこしのヒゲは茶色いのが甘いです^^
>>211 そんなもの飲まなくても、本物のチャノキの葉っぱで作る本物のお茶がどっさり採れるし。
薬草茶としての効能が違う
>>211 ぶっちゃけると麦茶の存在のためだろう。
217 :
日本@名無史さん:2012/07/07(土) 11:12:44.36
218 :
日本@名無史さん:2012/07/07(土) 11:48:09.79
まあ要するにいくら強力なドラッグと言っても酒の密造を阻止するのは無理って事だな。合法化して酒税を取ったほうが簡単だ。
アル中患者の悲惨さは見て見ぬふりってとこかな。
麻も雑草だよね。ちなみに僕は麻の種からTHCを抽出した事あるんだけど、効いたけど「飼料用の麻の種には有害な農薬が使われてるのではあるまいか」と考えてやめた。自家栽培してる友達からもらったほうが早い。
日本で燻製が発達しなかった原因は何故だと思うかね?
220 :
日本@名無史さん:2012/07/08(日) 20:46:36.23
囲炉裏の上部に白焼きした魚吊るして燻しとったろ
あれ燻製とちゃうんかダボ
でも魚と言えば干物じゃないですか!
いぶりがっこの類はあれは燻製じゃないのかね?
鰹節も燻製の一種でしょうね
食べ物じゃないが燻革というのもあるな
アイヌの手法です
もちろんスモークドサーモンは基本です
クンニリングスと言う言葉を聞いた覚えがあるが
やはりそれも燻製の一種かね
燻したタールでべっとりなのか?
北海道のスモークサーモンてあんまり名産品とかのイメージ無いんですが。
王子製紙のやつはいちおう贈答用では有名だった
燻製にわざとカビ付けしてさらに水分減らす手法は世界的には珍しいのかな
お陰で鰹節はギネス認定世界一硬い食品で
Blendtecのミキシング博士でも粉砕出来なかった
カビ付けて水分抜く食品と言えば、金華火腿、酒なら貴腐ワインと日本酒じゃない?
王子のサーモン調べたけど1961年くらいにイギリスで感銘受けて開発ってかいてあるから
伝統として冷燻があるわけじゃないみたいだね。燻す技術もあるのに発達しなかったのは、日本は冬厳しくないし、魚や獣肉取れるからあんまり保存に労力払う必要性がないんじゃない?
燃料なんかがかかる訳で。それなら、発酵食品や塩漬けで良いやと。けどやっぱり寒い地域では、保存技術も発達するから秋田にはいぶりがっこがあると。
小泉武夫先生が古文書のとおりに日本酒を作ったら、
糖分4倍アルコール5%程度の水飴一歩手前のようなものができたとか。
アルコールより糖で保存してたようなもんだな。
>>232 まぁ、酒粕そのまま食ってる様なもんだからな。
酒粕はチーズのような味わいでパンにのっけると旨い。
まさか日本史板でミキシング博士の話題が出るとはw
>>235 カツブシで博士が撲殺される2時間ドラマきぼんぬ
237 :
日本@名無史さん:2012/07/27(金) 20:08:13.53
TV「鰻の相場上がってますかぁ?」鰻屋「そうでもない」TV「じゃあ値段上がってる別の店で取材するわ」
アナ「うなぎの相場どうですかぁ〜?」
僕 「高い高いって、報道されてますけど、実際には5月からかなり下がってまして、昨年よりほんのわずか高い程度になってますよ」
アナ「でも、近江町の他のお店は高いお店も有りますよね〜?」
僕 「他店は分からないけど、実際にいつもの仕入れ業者さんからの相場が下がっているのが事実ですよ」
アナ「え?? そうなんですか? じゃ、申し訳無いんですけど今回の番組の趣旨と合わないので他店で取材させていただきます。失礼します」
・・・・・・・????
http://ameblo.jp/unagiyasan/entry-11310880083.html
>>238 平安とか、口噛み酒なんかはもっと古い時代と思いますが、
所持してる先生の著書を調べてみますね。
240 :
日本@名無史さん:2012/07/30(月) 10:16:43.65
>>238 江戸時代の本朝食鑑でした。
糖分18%〜20%、アルコール17%。
アルコールは記憶違いでしたね。
飲むときは水で薄めたと推測されています。
4倍に薄めると、アルコール濃度はビール程度で、
今の日本酒より若干甘い程度になるそうです。
そして原酒はみりんのような料理の甘味料に
重きを置かれていたのではないかということです。
そっちの方が美味しそうだな
>>240 ひょっとしてその水で薄めたのの味ってマッコリに近くないか?
もっとも酒粕は除いてるだろうが
鰹節ならぬ鯖節ってのが屋久島にはあって
屋久島登山にすごく都合が良い食べ物
江戸時代の庶民たちは、何を酒の肴にしてたの?
庶民なら豆腐や漬物だろ
>>244 鯖節なんか日本中そこらあちこちで作っていて、普通にダシ材として消費されてるわな。
鯵節、うるめ鰯節、鮪節なんてのもあるでよ。
大半が混合削り節として安価に出回ってる。
トビウオを使って作られた「トビ干し」「アゴ節」ってのもあるね
いわゆる魚介系ラーメンは、複数の種類の節を使って味を形成してるな
>>248 江戸時代の油かすは油絞ったあと丸めて野天で発酵させるんだ
とても食えるモンではない
魚油圧搾後のって、今のは煮干しの方が製品で、
魚油はむしろ「除去」される対象だろ?
油の方が目的物で残り物が油粕、というのとは
意味合いが違う。
前者であれば「油を除去した煮干し」の品質が
よくなるように作るけど、後者の場合は油の量
の方が問題で、油粕が食えるものである必要
は無いんだから。
板違いじゃない範囲でスレ違いになるが
火縄銃が実戦で初めて使われたのは屋久島みたいだね
なぜ食物スレに?
>>256 種子島で売ってた本
手元にないし書名は忘れたw
258 :
日本@名無史さん:2012/09/19(水) 19:11:27.04
日本人の大多数は米を食べていなかったよね。
「池田」・・
262 :
日本@名無史さん:2012/09/20(木) 05:12:06.22
庶民が米を日常的に食べるようになった根拠は戦後GHQの化学肥料による爆発的米収穫量増によるところである
戦前は軍に志願する動機が銀シャリが食えるからなんてのもザラだった
でヤブ医者森鴎外のせいで陸軍で脚気患者続出
>>262 あとは品種改良の結果東北で大量に米が作れるようになったことかな
そもそも兵は志願制ではないぞ
戦中・戦後混乱期の米不足は、労働力不足、資材不足、流通手段の不足、
社会不安から生産者の売り惜しみという、そのときだけの一時的な要因に
よるものなんだよねえ
>>264 職業軍人になるのを指して志願というなら間違いとは言い切れないのでは
軍オタに言わせたら誤用なのかも知れないが
>>263 ヤブっつうか昔から官僚は使えねえって話だな
理系馬鹿だった森林太郎は脚気を大量発生させ、経験則を取り入れた海軍が結果的に正しかった
陸軍のアカン感じがすでに予兆としてあらわれてたと思うともっと分かりやすい
>>267 別に森林太郎が理系バカだったわけでもないし、海軍がなんとなく
経験則を取り入れたという話でもないぞ。
ドイツ流がどうこうという話がよく出てくるけど、「脚気菌」なるものに
固執したのはドイツ系では傍流に属する集団だし。もちろん、日本
の学閥では主流だったけど。
壊血病等々、なんらかの未知の栄養欠乏が原因で発症する病気
があることは当時すでに確認されていた話であり、「菌による感染
症以外ありえない」という態度は当時としても科学的とは言えない。
エイクマン実験の後、糠に「抗脚気菌成分」が含まれているのでは
ないかという論が出たということから明らかなように、「麦飯等が
脚気に効く」という説と脚気菌説が両立しえないという話ではない、
ということもあるしね。
森林太郎と同年代で南極探検に行った白瀬矗は
ライムジュースが壊血病予防になると気付いてたとか
さすがの森林太郎も、ライムジュースが壊血病予防になる事は否定してないだろ
林太郎はドイツで幸せな家庭を築いてくれていたほうがみんな幸せだったな
ライムは17世紀には知られてたろ
>>272 白瀬と同時代のスコット隊は知らなくて全滅した
>>273 英海軍で壊血病予防のために支給するようになったのは、スコット隊
による南極探検の百年ほど前だぞ?
スコット隊の全滅については色々考察されているが、壊血病原因説は聞いたことがないな。
スコット隊は知らなくて、というより壊血病の原因は腐った肉が原因だと思い込んでたからという節があります。
用意した食料では壊血病を防ぐには適切ではなかったと。
で、このへんは最近も「栄養学原論」「スパイス、爆薬、医薬品」「栄養学の歴史」などで読みました。
>>276 壊血病の予防策としてレモンジュースや(効力ははるかに
低いけど)ライムジュースを与えるなんてのは、スコットの
時代の百年も前に確立しているんですが。
腐った肉なんてのは、どれほど遅く見積もっても、その時期
には完全に否定されていますよ?
物資の運搬がうまくいかず、結果的に〜ということならありえ
なくはないが、
> 壊血病の原因は腐った肉が原因だと思い込んでたから
はまず考えられないね。そこまで迷信的な人間がリーダー
だったら、そもそも南極にたどり着いていない。
>>277 まあ上記の書籍をチェックして下さい。
迷信に凝り固まったトップなんてのは別に珍しくもないことですけどね。
すぐには読めないから確認させてほしいんだが、それらの書籍には
「スコットが壊血病の原因は腐った肉が原因だと思い込んでたから、
壊血病を防ぐのに十分な食料を用意しなかった」と書いてあるんだね?
>>279 あ、いま書庫から引っぱり出して確認した。
「栄養学原論」では記載がなかった、すまん。
「スパイス、爆薬、医薬品」にはこうあります。
氷上での壊血病という章に「二十世紀初めにおいても、南極探検家の中には
保存食の腐敗や、血液の酸中毒、細菌感染などが壊血病の原因と考える人が
いた。」「もとイギリス海軍の大佐ロバート・ファルコン・スコットは、腐
った肉こそ壊血病の原因だという自分の信念に拘った。」P55
「栄養学の歴史」P89、P90にはそれに至る流れが出ています。
レモンやライムジュースを十分用意した北極探検隊から壊血病が発生し、そこ
で壊血病は食物の腐敗によって起こるという間違った説が王立協会委員会で結
論されたのですね。
で、「どの食物にも薬にも抗壊血病活性はなかった」とスコットの航海の長老
が言っていて、これはそれら(ライムなど)が用意されてなかったと読めます。
要するにライムが壊血病予防になると以前から知られてたが
スコットのように信じない人もいたってことか
面白い話題だがスレチでもあるから幕引きしたかったり
ついゲシュタルト崩壊して「森林太郎(しんりん たろう)」に見えてしまった
興味深くやりとりを拝見しました。
世界史の方では米の話をやってるし、
こちらでは世界史の範疇に入る話だけど、どちらも面白いです。
一気に米の話に戻るが、江戸時代の石高と現代の米収穫量の比率が
南部藩・佐竹藩・津軽藩vs岩手県・秋田県・青森県だと
他の地域と比べてえらく違うことからも
東北では昔よりも米が育てやすくなったと分かると思う
285 :
日本@名無史さん:2012/09/22(土) 21:40:12.97
>>284 津軽の失政は深刻な危機を生み出したしねえ
北海道が米の大生産地になるとは稲田家も想定外だったろうな
米作に関しては時代による平均気温の波は考慮しないとね。
小氷河期みたいなのは何度かあったし、今はどっちかというと温暖期。
>>287 どちらかじゃなくて、完全な温暖期だろう>現在
人為のためか自然現象かは、議論のあるところだけど、ここではそれは論じない。
おそらく、弥生以降最も温暖だった、平安時代の気温と、今(21世紀初頭)がほぼ同じくらいだと思う。
京都におけるヤマザクラの開花日が、平安期の文献と現在で、傾向的にほぼ一致。
(平安期の記録は、もちろんグレゴリオ暦相当日に換算して比較する)
昭和中期には、「平安期は桜の開花が早かった」と言われていたのに。
今の気象歳時記は、江戸期の近世文化よりも、平安期の王朝文化のそれのほうが、よく合うようになっている。
旧暦は、太陽暦換算で年により1ヶ月近く前後にブレることを考慮しても、
西行法師が「花(桜=ヤマザクラ)の下にて我死なむ、春如月の望月の頃(旧暦2月15日)」と詠ったが、
今の近畿中部では、旧暦2月15日にヤマザクラが咲くことは、珍しいことではなくなった。
代わりに、江戸期の文化である「桃の節句(旧暦3月3日)に桃の花で雛人形を飾る」という風習に対しては、
すでに旧暦3月3日には、東京でハナモモが散っていることが普通になってしまっている。
信楽の東京は聖武天皇の時代だから平安時代違うし
明治に入ってから「冷害に強い品種」が確立し始めたのも大きいんじゃないかな
冷害に強い品種って低温に強い品種ではないんだよね。
295 :
日本@名無史さん:2012/10/08(月) 21:16:24.47
日本の味噌って中華から伝来されて発達したもの?それとも日本で誕生したもの?
どっちだと思う?
日本の味噌ってどの味噌だよ
まさか八丁味噌とかが日本標準だとか言わないよな
>>295 無加塩の豆を一次醗酵して、加塩して二次醗酵するという形式のものは、モンスーンアジア、
照葉樹林圏、要は稲作地帯に普遍的に存在する。
醗酵に使う微生物や、仕上げの状態はマチマチ。ただ、稲作の好適地で大豆がそれなりに
採れるところでは全部でやっている。
と、なると、稲作と大豆の栽培とが伝わった時点で既に伝わってると考えるのが妥当だろう。
で、それを「中国」とするかどうかが問題なわけなんだが。
「日本の味噌」というならどう考えても日本で誕生したものだ。
中華に類似したものはあっても同じものはない
単なる派生版にすぎないよ>日本の味噌も
寿司みたいなどうしてこうなった的発展はしてないよね
醤油は違うけどね
江戸時代にすでに日本産の方が東南アジアと欧州では高級品
今の欧州でも大きめのショッピングモールだと
キッコーマンの醤油が売ってたりするよな
>>298 中国の味噌は中国で
蟹の味噌は蟹で
……ということかいな
水田に向かない傾斜地でも育つソバの栽培が
奄美・沖縄で全く発達しなかったのはなぜ?
305 :
日本@名無史さん:2012/11/14(水) 01:05:41.59
蕎麦って寒冷地の作物じゃなかったっけ?
水稲は中国南部の長江中下流域から、蕎麦は中国南部の雲南あたりから伝播してきたらしい。
稲は最近珠江デルタ発祥ってのがdna検査ででたな
どうやらこの説かなり有力だ
>>305 暑すぎなければ大丈夫
沖縄でも今くらいの季節なら大丈夫な気がする
沖縄の痩せ地は、コーリャンだろう。
元々亜熱帯の作物でソバに比べて収量が多い。
世界のメジャー穀物の一角だ。
島嶼部はもとから必需品の自給が出来ないから、穀物だってハナから自前で賄おうとしないものだ。
でも対馬なんかはソバを名物にしてるんだよな
もちろん自給にはほど遠い
大体貧困地帯はソバよく食うよね
313 :
日本@名無史さん:2012/11/19(月) 16:36:29.73
蕎麦の本場は大韓半島じゃけ
大韓属地であるテマドでは
神々の食として蕎麦栽培が推奨されていた
>>312 蕎麦は江戸時代に江戸からブームになったんだよ
田舎は蕎麦が御馳走だった時代の高齢者が多いせいだろ
だいたい関西より関東のほうが蕎麦好きなんだから
西日本で蕎麦を名物にしてるのは出石・出雲・対馬くらいか
すべて韓国と関わり合いの深い地方であることがわかる
対州そばはマジで朝鮮からの客をもてなすのに出されてたらしい
うどんが五島起源と言うのは、どれぐらい信憑性があるのかね?
>>320 そんな説初めて聞いたぞ
でも五島うどんは他のうどんと比べて異質すぎるから
起源が違うってことはあり得るかも
島原そうめんの太いヤツ⇒五島うどん
>>321 数年前のNHKの番組で遣唐使が温州から五島
にうどんを伝えたと、紹介されたけど、
遣唐使は往きは風待ちのために五島に寄港
したが、還りに寄港したのは、15回の遣唐使のうち、
2隻だけ。それも温州以外の地から戻ったので、遣唐使が五島にうどんを伝えたとは考えられないって、麺類の本に載ってた。
遣唐使より後の時代に倭寇発生地になってるから
倭寇が持ち帰った可能性もあるのでは
うどんの原形は平安時代にはあったんじゃなかったっけ?
とりあえず
・中国→五島→国内の別のうどん
・中国→五島
└→国内の別のうどん
という説が見られるが
・国内の別のうどん→五島
という説は見当たらない
結局うどんって、中国で発明されたものが日本に伝わっただけなのか、
それとも、元となるうどんに似た麺があって、それを元に日本でうどんが発明されたのか。
うどんが直接中国から来たか、中国から来たのは冷麦・素麺かが違うだけだから、どっちでも良いよ。
なんか不思議な日本語だな
「清盛」見てたら、酒が澄んだ清酒だった。
この時代にはドブロクしか無かった筈だろ?
ああ。どぶろくを用意したんだが、時間が経って上部が澄んじゃったってあれか。
334 :
日本@名無史さん:2012/11/24(土) 16:25:11.71
清酒もあったよ
当時の清酒(という名があったかどうかは別問題として)は
上澄み部分だけを上手に取ったもの
確かに現在の効率的な酒粕除去は鴻池新六以降
まあドラマの場合は本物の酒は使いたくないから代用品を使うわけだが
清酒にしておけば水で代用できるって事情なんだろうけど
現代一般人が持つ酒のイメージに合わせただけだよ
代用に手間いらずなんてアフォな理由で水使うかよw
>>335 当時は「諸泊」(もろはく)と言ってたようですね。
当時の貴族階級では飲まれていたとか。
プロデューサーさんが「どぶろくを用意したんですけど撮影が長時間にわたったので沈殿しちゃいました」って
>>336 ドラマの水戸黄門で、遊んでばかりの吉宗の根性を叩き直すのに
農作業をさせる話を見たことがあるが食事に出されてたのは白米だった
ドラマの時代考証などその程度
将軍が農作業した時の食事は白米禁止だったの?
341 :
日本@名無史さん:2012/11/24(土) 21:26:32.98
江戸時代は白米も多かったんじゃないかね。
江戸時代は白米の多食で江戸患いとかあったらしいし。
頭が糞悪いやつだな。
飯が真っ黒の雑穀飯だったら、吉宗役の人間にあーだこーだとセリフを言わせにゃならんだろうが。
テレビ番組なんてのは、限られた時間でシナリオ進行させなきゃならんのだから、
嘘でも何でもすっぽかすものはすっぽかすんだよ。
時代考証からかんがみて、それは江戸近郊でしかあり得ない。
定府大名の水戸家と兄が死んだあと江戸にいた吉宗との交流ってことだろう。
なら白米くらい手に入る。
というかままある大名屋敷の畑というやつの可能性高いから
多分紀伊か水戸の下屋敷あたりにある田ということだろう。
そこなら当然飯は白米じゃ。
ちなみに教育としての農作業は大名家でも結構やってたそうな
なにが339は不満だったのか?
>>335 >清酒にしておけば水で代用できるって事情なんだろうけど
どぶろくだって、カルピスで代用できるだろ
>>339 水戸黄門と大河ドラマの時代考証が、同レベルやってると思うのかw
映画「八つ墓村」では、きちんとドブロクに毒を持っていたな。
田中邦衛が毒入りドブロクの盃をパタリと落とす!
それを合図に始まる大殺戮!
アイテムとしての重要性によっても変わるからね
吉宗が農作業の後に「飯ってこんなに上手いのか」と反応してた
それなら玄米か雑穀飯の方が台詞に説得力増したはず
>>343 舞台は和歌山
だいたい時代考証が怪しいという話から始まったのに
>時代考証からかんがみて、それは江戸近郊でしかあり得ない。
これはおかしい
>>329 うどんの起源をたどれば中国に行き着くのは確定
ただ麺の形を取るようになったことを含めて途中経過は諸説有って結論が出せない状態
ところでうどんと水戸黄門で思い出したが
ラーメンを初めて食べた日本人は徳川光圀と言われてるけど
これって記録に残ってる中で初めてであって
記録に残ってない日本人初ってあるんじゃないかと思うんだがどうだろう?
ラーメンが中国全土にあったとは思えないから日本人が食べる機会が少なかったのかもしれないが
貿易商人や倭寇が食べる機会がゼロだったとも思えない
>>349 って言うか、ラーメン自体現在みたいな形になったのは大正時代じゃなかったっけ?
光圀が食べたのはその先祖みたいなものだろ?
351 :
日本@名無史さん:2012/11/25(日) 22:44:23.15
>>348 水戸光國は和歌山にいったことないべ?
大体説得力増すって時代考証じゃねーよ!
お前は根本的におかしい。
光國は和歌山にいるのは史実からみておかしい。
米が白米なのはお前が勝手に説得力ないと妄想してるだけで
史実としてむしろ自然。
>>349 >うどんの起源をたどれば中国に行き着くのは確定
どの辺りの先祖を起源とするかによりけりじゃ?
そりゃ、麺は中国起源だから、どんどん遡れば中国なのは当然だが。
日本じゃ、にゅうめんの方が、うどんより先かと思ってたけど。
蕎麦で麺作るのは日本を出ないらしいがな
麺という発想とまで言い出したら中国に行き着くが
>>351 越後屋の隠居に扮して諸国漫遊したんではないの?
357 :
日本@名無史さん:2012/11/26(月) 13:42:07.90
蕎麦で麺を作るのは
大韓半島の冷麺起源であることが
文献に残っている
>>355 イタリアのピッケオリが蕎麦麺だし、
中国にも岐山麺、その他蕎麦の押し出し式や切り麺があるよ。
ただし都市部では蕎麦麺はあんまり有名じゃない。
359 :
日本@名無史さん:2012/11/26(月) 13:58:12.88
>>355 は多分「冷やし麺類」の間違いだろう。
麺を冷やすのは日本起源。朝鮮のは19世紀だからな。
中国の貧しい山間部ではたしかに押しだし蕎麦食ってたな
朝鮮の冷麺こそ日本経由だったりするかも
朝鮮通信士が対州そば食ったりしてるし
>>361 ねえよ。
ザル蕎麦の、あのザル。
シナ圏では、雑穀の押し出し麺を蒸す蒸篭の真似だし。
>>355 昭和の頃だったけれど、ブータンに農業技術支援に行って名誉貴族にまで取り立てらた日本人がいて、
その人の案内でブータンのあちこちを紹介するテレビ番組があったんだけれど、梃子で押し出して
そのまま湯を張った鍋で受けてそのまま茹でて、ザルで掬って乳脂とトウガラシ粉をたっぷり掛けて
食べてる蕎麦麺を紹介していたよ。
364 :
日本@名無史さん:2012/11/26(月) 23:18:07.93
>>361 蕎麦はうどんの製法を真似てるだろうがうどんの製法は中国起源だなあ。
>>362 適当な事いうなアホ
せいろならつなぎや練りの技術が未熟で茹でに耐えず、仕方なく蒸してた時代の名残だ。
ザルならたんに水切りの道具
>>364 中国のうどん製法を真似る≠中国の蕎麦麺を真似る
は成り立つのでは
中国のうどん製法を真似て蕎麦麺を作るというのは
中国の蕎麦麺を知らなくても矛盾は起こらない
アジアに麺の文化は無数にある。
起源ネタは話半分で聞いとく程度のほうが無難。
粉を焼く文化はパン、クッキー、ビスケット。
煮る、茹でる文化は麺。
蒸し、炊き文化は飯
いや。それは粉食、粒食で分けた方が色々都合がいいでしょ。
>>365 饂飩ではなくて、黍とか燕麦とかの粉でつくる黒っぽい雑穀の押し出し麺を蒸す北支の蒸篭が、
ザル蕎麦の四角い枠に簾を敷く容器にそっくりなんだって。
江戸時代にうどん用の小麦粉が品薄になり、
蕎麦粉で代用したら結構評判がいいんで、
どんどん蕎麦粉の割合増やしていったら
いまの蕎麦になりましたって話だったが、
また、変な起源唱えてる輩がでたの?
禅宗と一緒に入ってきたものではないのか?
支那での雑穀の麺を蒸して、蒸篭ごと卓に出し、各自の手許でタレなり味の濃い料理なりと共に食べるようなものが
伝わり、麺の製法が、押し出して蒸篭に受けてそのまま蒸すものから、熨して切って茹でてから蒸篭型の器に盛る
ように変わった。
蕎麦切りの発祥地って信州か甲州が有力じゃなかったっけ?
>>371 うどんか麺類全般のこと言ってるのかもしれないが蕎麦のことだとしてレス
蕎麦に関してはそれだと早すぎる
確実に蕎麦切りがあったのは江戸時代までしかさかのぼれない
>>348 あんたは、時代考証を云々する以前のアホウだな。
雑穀飯が白米食いにうまいはずないだろうが。泥食ってんのかとなる。
雑穀食いからすれば、白米はウジ虫を食ってるみたいで気持ち悪いと言うが。
だいたい、当時の貧乏人が食ってる飯は、たとえ白米と言えども
じゃりじゃり砂が入っていて、上級武士や今の我々にとっては
食えたもんじゃない。
白米にそんなにじゃりじゃり砂が入るか?
水戸黄門を「正しい時代考証」で解釈するバカがまだいるのか
SF作品を「正しい科学考証」で解釈するバカも存在するのだから驚くことではない
何そのハードSF全否定、スペースオペラだけマンセーレス
明治後半から結球白菜が普及するまで、
鍋料理にはどんな菜っ葉を使ったんだろう?
379 :
日本@名無史さん:2012/12/09(日) 01:09:53.28
「ただしい水戸黄門」を作ってもいいが、「水戸黄門」を史実で見ちゃダメ
「仏教的に正しい一休さんの歌」みたいなものだ
>>378 三河島菜や小松菜をはじめとした雑多な菜っ葉類かと。
アブラナ科はやたらと交雑しやすいので、
地方ごとに固有の種がかなりあったと思われる。
>>380 苦味の強い小松菜のようなのだと、美味しくないよ?
>>381 逆に考えるんだ、だからこそ後に白菜が淘汰したんだと考えるんだ
383 :
日本@名無史さん:2012/12/09(日) 22:55:45.82
在来の菜類は星の数ほど品種があるし、食味もいろいろだよ。
>>383 で。
その中で鍋物に好んで用いられたものは?
385 :
日本@名無史さん:2012/12/10(月) 09:40:10.60
福岡のかつお菜とか。
雑煮の食材として知られているけど、苦味やアクが少なくて良い味が出るので鍋物用にも好まれる。
386 :
日本@名無史さん:2012/12/10(月) 12:30:01.22
小松菜もかつお菜も、ほんのり独特の苦味はあるがうまいもんだ。
品種改良前は、もっと癖がきつかったかもね。
カツオ菜は下ゆでしないと苦くて食べられないよ。
血行クテクテになるまで下ゆでしてから、殆ど雑煮専用みたいなものだし。
鶏水炊にもクエ鍋にもカツオなんて入れないしなあ
ネギとか大根は使ってただろうなあ。
七草に出てくるような食材はデフォだったろうし。
389 :
日本@名無史さん:2012/12/10(月) 13:18:35.93
うちだけかもしれないが、
お雑煮には、しゃきっとした生のかつお菜が一枚入る。
あとはお浸しで食う。
やさいだから、苦いと言えば苦いが、
そんなもんだ。
391 :
日本@名無史さん:2012/12/10(月) 13:42:30.27
うちでかつお菜長年作ってますた
あれを雑煮専用にするのは勿体無いよ
美味いから
普通のツケナ類とぜんぜん味が違う(たとえば仙台の雪菜とか)
うちでは雑煮には使わないが鍋や煮物にはよく使ってた
漬け物には向かない
392 :
日本@名無史さん:2012/12/25(火) 15:36:13.61
蜂の子を食べる地域が、長野岐阜静岡山梨栃木に中部から関東にかけての内陸部にかたまってるのは何で?
海から遠いけど人口が多い?
>>372 江戸時代ってことは年越しそばって歴史浅いのか
395 :
日本@名無史さん:2012/12/29(土) 14:16:13.05
江戸発祥が歴史が浅いと考えるかどうかだな
そばがき大好き
>>395 食い物の場合は、江戸初期か、末期かで全然違うな。
初期だと古い食べ物だと言っていいと思う。
399 :
日本@名無史さん:2013/01/01(火) 18:05:03.62
正月だしおせちについて語るか?
400 :
日本@名無史さん:2013/01/01(火) 21:41:16.21
おせち旨いよな
子供の頃はわからなかった
白菜だって日露戦争のころ日本に入ってきたんだから
白菜のお漬物なんて歴史が浅いよな
新潟ですが、白菜の前は体菜を漬物にしていたそうです。今は、漬物は白菜だけで、体菜は漬けた後に煮物にしたり、汁にします。漬け菜汁と言います。
黒豆を煮るときは錆びた釘入れると良いっていつ誰が気付いたんだろう
鉄鍋で煮たときと鉄じゃない鍋で煮たときの発色の違いから
気付きそう
銅や真鍮の鍋は錆びて緑青が吹くと危険なんです><!
緑青に危険な毒性はないよ
黒豆に鉄が良いのは
>>404でFAだろうな
錆びた釘は経験的に出たのか科学理論からなのかまでは分からんが
鉄鍋って嗜好品であって普及品じゃない希ガス
まぁ南部とか地元に名産地があるとこは別だろうが
大多数の農民や下級武士・下級町人は持ってたとは思えないね
>>409 まったく勘違いしてるね。
鉄鍋は鋤鍬と並ぶ貧乏人が持つ数少ない必需金属器だ。
陶器製の鍋が時代劇の貧乏人描写に出てくるのは時代考証を完全に
無視したもの。
今の我々が使っている「土鍋」は、大正以降に普及した近代技術の産物で、
それ以前の陶器製鍋は恒常的な煮炊きに耐えないはるかにもろいものだった。
そういえば「糠に釘」というのもあるね
江戸中期以降に普及した近代技術の産物か
414 :
日本@名無史さん:2013/01/12(土) 23:07:54.36
武士の家計簿の第二弾は治部煮だってよ
治部煮って美味いの?
415 :
日本@名無史さん:2013/01/13(日) 13:38:14.57
祝い事のときに、餅やもち米を食べるのは何でですか?
416 :
日本@名無史さん:2013/01/13(日) 15:53:06.17
ワイらが未開やった時
大韓半島から米を持った神がやってきて
火の使い方 米の食べ方 酒の作り方 餅の作り方
を教えてくださったので
大韓民族の徳を称えるために
慶事には米を食い 酒を飲み 餅を食う
火の使い方w
探せばあるのかも知れないが、中華料理で餅は見かけないような
とはいえ「餅」って漢字があることはやっぱり大陸にルーツがあるのか?
中華で餅といえば月餅とか粉を練ったものだな
漢民族は日本で言う餅は一般に好かんが、
南方系諸民族文化の影響が強い広東料理には、大根餅のように
日本の餅に近い食い物がある。あれも粉モノではあるが。
>>418 焼餅(シャーピン、シャオピン)ってのはあるね。
日本の餅とは違うけど。
あと、大根餅とか。
そもそも、漢字的な意味での「餅」は本来は粉から作ったものを指したわけで、
月餅なんて字義からすれば一番正しい形に近い。
>>402 うちの親だと「煮菜」って呼んでたな
冬になると大量に作ってたわw
424 :
日本@名無史さん:2013/01/17(木) 20:02:58.41
423さんへ
私は西蒲原ですが、煮菜とか漬け菜汁とか言いますよね。場所により呼び名や形態(煮物状か御汁か)が変わりますよね。大根葉とかの干し菜を使う地方も有るようです。結局、雪で閉ざされて青い野菜が採れない地方の保存食というか節約食なのでしょうね。
そういえばドラマ版信長のシェフってこのスレ的にどうだろう
428 :
日本@名無史さん:2013/02/02(土) 11:58:16.85
恵方まきはフェラチオごっこ、良家はやらない。
429 :
日本@名無史さん:2013/02/02(土) 12:05:31.00
恵方巻きは江戸時代から続く風習だが、
発祥は吉原だ。
あとはわかるな。
はぁ?
東日本に恵方巻が広まったのは平成になってからと言っていいのに
なんで発祥が吉原なんだよ
真面目にレスしてる奴は何なの?
433 :
日本@名無史さん:2013/02/02(土) 20:21:37.29
明治以前は酒の肴って何がメジャーだったんだろ、梅干しや漬け物かな?
江戸時代なら武士の飲み食いした日記を現代語で紹介したのが出てますよ。
多いのは刺身とか芋の煮たやつとかそのへんだったな。
>>402 体菜だって明治期に伝来したものなんだけれど、ねえ。
435さん
402です、体菜もそんなに新しいんですか?そういえば、体菜って、青梗菜そっくりですよね。
しかし、そうすると、体菜を漬物として食べていた期間はそうとう短かったことになりますね。
ちなみに、我が村でも体菜で煮菜を作ることは殆どなくなり、味見菜が多くなりました。
>>436 体菜というのは福建語か潮州語かで白菜のことだ。
青梗菜は広東の白菜のうち軸の緑色の品種。香港から英語にpak-choyとかbok-choiとかいうふうに
伝わってる。
438 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 08:41:39.98
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【示現流】
薩摩地方で盛んであった、剣術の流派。
先制攻撃を重視する流派であり、
相手が戦闘態勢に入る前に一刀で討ち倒してしまうのが特徴。
京では、かの新選組も示現流の一の太刀を恐れたと言われる。
一方で日本史上もっともセコい流派としての評価もある。
剣術の試合はお互いに頭を下げ礼の姿勢をとってから始めるのが作法なのだが、
大名も観覧する交流試合でのこと、薩摩藩の剣士が
礼をしている相手の頭をいきなり討ち込んだというのだ。
会場は騒然となったが、薩摩藩士はドヤ顔だったという。
ルール上は問題なしという裁定で薩摩藩士が勝者になったが、
観覧していた大名たちは嫌な顔をして帰ってしまったそうだ。
439 :
日本@名無史さん:2013/02/10(日) 08:42:26.37
素晴らしい薩摩文化シリーズ
【模倣と起源詐称】
ようするにパクリです。
パクッたものをさらに、これは自分たちが創り上げたと詐称します。
・琉球から唐芋をパクり、「さつまいも」として流布。
・琉球からチキアゲをパクリ、「さつまあげ」として流布。
・琉球から泡盛の製法をパクリ、「焼酎」として売る。
・琉球から豚をパクリ、「さつま黒豚」と命名。
・ヨーロッパのガラス製品をパクリ、「薩摩切子」として売る。
・朝鮮から陶工ごとパクリ、「薩摩焼」として売る。
・屋久島の屋久杉をパクリ、「薩摩杉」として売る。
・イギリスのボーイスカウト制度は、薩摩の郷中教育がモデルと詐称。
・醤油の英語名ソイソースは、薩摩弁の「そい(しょうゆ)」が起源と詐称。
薩摩アンチとか、世の中にはいろんな基地害アンチがいるんだなぁ
アンチするには小物すぎるだろ薩摩とか
味噌汁が普及したのは応仁の乱の頃だそうだ
442 :
日本@名無史さん:2013/02/24(日) 18:44:28.61
そのころに大韓からジャンタンが伝わったんやね
>>441 ある本で味噌汁を入れたお椀の中の対流運動を見られるようになったのは
室町時代からだって書いてあったのを見たことがある
まあその本は流体力学の本で著者が歴史家じゃないのを大いに差し引くべきだろうが
>対流運動
味噌汁とかカレーは、火をかけている間は絶えずかき回さないといけないんじゃねぃ?
室町時代の味噌汁って、今とは違うのか
ある程度熱い味噌汁をお椀に注いだ直後は対流運動起きてるだろ
あぁ、鍋じゃなくて椀の話か、勘違いした。すまん
しかしその著者、どんだけ具の少ない味噌汁の椀をみたんだろ…
またゆとりか!
具のゴタゴタ入った田舎臭い味噌汁自慢と聞いて飛んで来ますた
貧乏自慢スレ?
具沢山の味噌汁も好きよ
具だくさんがお金持ちという発想が既に田舎
なんなのこの微妙な脱線具合w
スレタイに話題を戻すと、とうふは対流運動する温度に加熱すると水分出すから味が薄くなるし
そもそも、そんな高温の味噌汁は香りがないね
それを都会風と言うのかは謎だがw
対流は温度差で発生するので、
水温10度でも20度でも発生します。
光の三原色で映像の話をしているグループに割って入って、
「プリズムは七色だ〜」と、空気読まない人ですね。
わかります。
>>454 理論上はその通りなんだが普段の味噌汁の場合はそういう状況はあまりない
椀の底の温度は汁とほぼ同じになるが水面は蒸発で温度が下がる
汁が熱い方がこの温度差が大きいから熱々の味噌汁の方が対流を見やすい
味噌汁は科学的にいう混合だから、比重の差で沈殿していくからこそ、
食事中の数分間でも、箸で椀を掻き回す無作法者が後を絶たない。
454はググった事を書き移すだけのユトリ世代だな。
日常の経験を知識に反映させることができない典型的なコピペ厨
味噌汁の話が続いているのに、「対流」でググって、出てきた言葉を
機会的に書き写すから、一人だけアスペ患者のようなコミュ障的な
書き込みになる。
人格攻撃に逃げたか。
つか、その辺の店で普通に出てくる味噌汁でも、一口飲んだ後
椀を置いてしばらく見ていれば、細かな仕切りのような模様が
たくさん出てくるけどな。よほど冷めた味噌汁なら別だけど、
普通に食べごろとして出てくる味噌汁の温度なら十分観察できる。
温度の高低で粘性がかわる味噌汁を、そこまで厳密に対流と比重差による沈降の区別ができるとは
たいした観察眼だなw
素人にも区別できる要領を詳しく説明してくれ。
ところでここって物理板だったっけ?
江戸時代って、何歳ぐらいから飲酒していたんだろ?
内田百ケンの随筆を読んだら、五歳の頃からキセルを吸っていたとあったな。
小学校に上がってから「未成年喫煙禁止条例」が発布されて人前では吸えなくなったと。
464 :
日本@名無史さん:2013/03/07(木) 14:34:34.61
朝日文左衛門と酒が飲みたい。
あんな遊び好きのグータラなのに、なんで畳とは言えお奉行様にまで出世したんだか
そーいう家柄なんじゃねの遊んでぐ〜たらできるくらい知行貰ってるんでしょ
文左衛門て変人臭がムンムンする。自分の結婚式の日の日記に、
披露宴のメニューを細大漏らさず書き残すとか普通じゃない。
お城で夜勤の時に持参した弁当のメニューもびっしり書いてるし
今生きてたら人気ブロガーか?
御畳奉行になると、畳納入業者の接待とかあってこれがまた。
実務は部下に「よきに計らえ」と言っときゃいいらしいし。
469 :
日本@名無史さん:2013/03/17(日) 15:43:56.31
一応、大阪に2か月間業務出張したんだが、毎日遊郭や料亭で接待を受けていたらしい。
しかし最後の日に本来の仕事を思い出し、畳表の工場を見学したそうです。
酒飲みで芝居好きでゴシップ好き。そういう人の日記だから当時の風俗が判って面白い。
尾張の畳は京間なん?
御三家だから江戸に倣う田舎間ではなかったの?
>>471 京間の成立には太閤はんが関係してるかもだけど
尾張には中京間ってのがある
江戸城と名古屋城の畳に互換性があるかどうかは知らんけどね
473 :
日本@名無史さん:2013/05/13(月) 13:30:13.72
御畳奉行ってタタミの流通管理が仕事なのでしょうか。
474 :
日本@名無史さん:2013/05/13(月) 13:45:10.32
476 :
日本@名無史さん:2013/05/14(火) 20:57:25.65
ありがとう。
それではかなり偉いのでしょうね。
>>467 >文左衛門て変人臭がムンムンする。自分の結婚式の日の日記に、
>披露宴のメニューを細大漏らさず書き残すとか普通じゃない。
記録魔みたいな人って古今問わず居るし、インテリ層にも多いと思う
こういう、ある種実証主義に通じる態度って貴重だよ
齋藤月岑とかさ
>>477 花嫁のことは全く触れてないらしいな日記では。
479 :
日本@名無史さん:2013/05/17(金) 21:14:25.62
記録魔みたいな人がいるとその時の状況が分かるから良いですよね。二千年前の人もやはり人間なんですよね。
鸚鵡篭中記
織田信長の好物は貝の煮物だった
徳川家康の好物は焼鳥だった
勝海舟の好物はめざしだっ
坂本竜馬の好物は湯豆腐だった
西郷隆盛の好物はうなぎのかば焼きだった
昔、鹿賀丈史が出演した白角のCMでやってたな…
好物には違いないのだろうが
何もそれだけことさら好きだったというわけでもなかろうに
織田君も徳川君も 鰻蒲焼のある時代に生まれればよかったのにねw
484 :
日本@名無史さん:2013/05/27(月) 15:26:54.85
いまや支那産の毒魚が多いし
好きこのんで食うほどのものでもない
すぐメディアに踊らされて
土用となれば強迫観念にとらわれたように群れる馬鹿が多いけど
日本のせい…まぁ正確にはアメリカ様のせいかな?
で、海の魚なんて食えなくなっちゃったよ
我が国の人殺し政府はそれでもアメリカ様の核実験場を志向しておりますがね
情けない話
486 :
日本@名無史さん:2013/05/27(月) 21:27:58.98
鶴で焼鳥してみたい
ツグミや雷鳥みたく輸入物ってないの?
奇兵隊ランチ食べたい
>>481 徳川家康の好物は天麩羅だろ。食べ過ぎて死ぬほど好きだったろ
貧乏舌の家康が食べなれない高級料理を食べておかしくなったんじゃ
徳川家康の時代に「天麩羅」という料理は存在しない。これ豆知識な
これ豆は半分くらいがデタラメ
>>490 「揚げ物」という食材に衣をつけて油で揚げる食べ物は奈良時代から存在した
それが「天麩羅」という名前で呼ばれた記録の初出が寛文年間なんだろ
493 :
日本@名無史さん:2013/06/01(土) 10:26:53.59
根拠となる文献出してくれりゃどっちでもいいよ
そこで古事類苑全文データベースですよ
495 :
日本@名無史さん:2013/06/03(月) 09:29:59.19
古事類苑参照するかぎり
いわゆる「天ぷら」と、故来から有る揚げ物は別ものだな
油で揚げる料理だから同じだとするのは乱暴に過ぎるわ
それはないW
498 :
日本@名無史さん:2013/07/01(月) NY:AN:NY.AN
関西では今でも「薩摩揚げ」のことを「てんぷら」というけどな
家康の食べた天ぷらを考証し再現した写真を載っけた雑誌があったけど
なんかソテー風になってた
3種類あるんだっけか。
そのまま揚げたもの、粉をつけて揚げたもの、
粉を水に溶いて揚げたもの、とか。
平安ぐらいになるとそれとなく「調理」の仕方が
わかるようになってきて、秀吉の接待とかぐらいから
よく再現とかしてるよね。
徳川園ではよくやってるなぁ。要予約。
500 :
日本@名無史さん:2013/07/09(火) NY:AN:NY.AN
ステマ
豆腐って塩味好きな人が豆乳に海水入れたら偶然固まって
それが美味いって口コミで広まって普及したのかな?
古代中国では凝固剤に石膏を使ったと物の本に
トマトって江戸時代には食べる習慣無かったそうだけど
もし普通に食べられてたら日本独自のトマト料理が出来てたかもしれないね。
幕末にトマトを食べ始めてから、江戸時代の半分の期間を超えたけどなんも無いね
質問をさせてください。山形生まれ東京育ち新潟在住です。
御しると御つゆにていてです。
私の現在の理解では、本来は御しると言うが、いつからか何処かの地方の方言である御つゆが主流となってしまった。それに付随して中身である身も具という言い方に変わってきた。
これで間違っていないでしょうか。
汁物はすべてシル すましをツユ
汁の実だろ
身は可食部分をさすことば
>>503 じゃがいもや白菜だって我が国における食歴史はトマト同様に浅い
507さん
そうです、汁の実です、身は書き間違いです。すいません。ここ新潟には実汁(実が一杯で食べでの有る汁)という言葉も有ります。
実は、ここに質問を書き込む前にヤフー質問箱を覗いたのですが、汁の呼び名がかなり多い事に驚いたのです。
それで国語辞典で調べると、しる=汁、つゆ=漢字無し・もしくは汁だったのです。
ということはつゆという呼びの方が後から出てきたのではないか?と思ったのです。
事実は507さんが言われる通りなのだと思いますが、最近は私の住む新潟の田舎でも殆どの人が御つゆと呼ぶのです。
でも、この御つゆという言葉は当てはまる漢字すら無い言葉なのです。
私は、つゆという言葉は素麺などの漬ける汁にのみ使ってきましたが、今や、味噌つゆなどという言葉さえ現れています。はっきり言って汁という言葉がすっかりつゆという言葉に置き換わっているような現状です。
一体何時からつゆになってしまたのでしょうか?
紫蘇の葉のことを大葉と呼ぶようになってしまったように、汁もつゆになってしまうのでしょうか?
何か地域に根付いた食文化が失われていくようで寂しいのですが、気にし過ぎかな?
つかトマトケチャップやトマトケチャップを使った料理はもはや和食だろ。
ナポリタンとかミートソースとか
つゆは そばつゆ 麺つゆ(の素の商品名)の普及からぢゃないか
蕎麦汁では蕎麦団子のはいった汁物みたいだしなぁ
大葉も商品名、つま用に青紫蘇を葉だけを束ねて販売したもの
キャタピラーとか、ホチキスとかといっしょだな
一商品名が商品全体を指す言葉になるパターン
言葉というのは、変遷してゆくものだからなぁ
アキラメルが吉
ミートソースは向こうに根があるから違うだろw
あんかけスパゲティーぐらいから和食と思ってるがw
昭和50年代生まれだが
道南では俺が物心ついた頃から味噌汁のことおつゆ、中身を具と呼んでいた。
あんかけスパゲティってのも意外と製法は洋食の技法だな
せいぜいつなおろし醤油とかたらこ醤油とかからだ
何勝手に仕切ってんだw
いわゆる 洋食ってもはや和食だよね って
最近スーパーで売っているアジとかシシャモとかのの干物って
冷蔵庫入れておか無いとすぐに食べれなくなりそうだけど
江戸時代の干物って水分が完全に抜けててカリカリだったのかな?
干物と乾物の違い
昔の塩鮭もガンガンに塩してたな。冷蔵設備が普及してから甘塩が流行った。
520 :
日本@名無史さん:2013/07/19(金) NY:AN:NY.AN
昔のめざしは結構カチカチだったな。
今はしっとり水分が残っているのも多い。
江戸時代って生涯肉食べたこと無い人っていっぱいいたの?
>>523 肉はなんぼでも食ってた。鳥肉であれば日常食の一つだし、江戸には肉料理専門店もたくさんあった
幕末に江戸から北海道まで徒歩で旅行した外国人女性の本によると
途中肉が食いたかったけどどこでも食べれなくて
肉が恋しかったって書いてなかったっけ?
言葉の通じない国でネットも観光ガイドブックもないのに、何処に行けば何を食えるか完璧に把握できたとかw
海外旅行はおろか国内旅行の経験もないのか?
>>527 とんでもない。江戸期の日記類調べりゃすぐ解る。江戸では毎日の食材ではないが、町人や下級武士でもかなり日常的に食っている。
529 :
日本@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN
日記を残す層=一部の層
>>529 お前江戸時代の日記類の層の厚さも知らんのか
江戸時代は農民の農事日記から旅商人の旅日記まで多彩で豊富。
532 :
日本@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN
江戸時代は階級差別が激烈で一般庶民は粟や稗が主食であった
貴族階級であるムサやごく一部の豪農 豪商は獣肉を食う機会があったかも知れないが
一般庶民の口に入ることは無かったであろう
>>532 > 江戸時代は階級差別が激烈で一般庶民は粟や稗が主食であった
全く勉強してないことがまるわかりだな
つかそもそも、江戸時代に「士農工商」という身分区界は存在しなかった、というのが現在の研究では定説
前近代ってのはいくらガチガチの封建制社会だろうが
しょせんは近代以前の夜警的社会体制なので、実際の法の施行はユルくてガバガバの人治主義。
大っぴらにやるな、見ている所でやるなの建前論の世界。
むしろ国家主義と封建制が結びついた明治以降の田舎の方が、より封建的な社会かもしれない。
536 :
日本@名無史さん:2013/08/03(土) NY:AN:NY.AN ID:hfDBJ3uM!
>>528 もうちょっと具体的に書いてくれ。
金さえあればいつでも食えたし、それこそ個人の信条と食の好みに過ぎないかから、
町人でも食ってたやつはいくらでもいた。
ただし、あんたの書き方だと鶏肉ぐらいなら広く一般的に食べられていたみたいに
思ってしまう人間が多そうだが、それはまずないだろう。
食べたのはあくまで野鳥だし、かなり不定期だよな。
>>535 勉強しろ
通史でいいから最近の近世史の歴史書よめ。
話は全部それからだ。
538 :
日本@名無史さん:2013/08/05(月) NY:AN:NY.AN
最近の近世史の歴史書のオススメくれ
お安くてアマゾンで買えるやつで
現代語訳「蕎麦全書」伝が気になる今日この頃
漫画の『そばもん』、もうネタ切れ感しかないんだから終わらせるべきだよね
参勤交代で大名が江戸から地元に持ち帰って広がった料理ってあるのかな
江戸前寿司とか
寿司と天ぷらはそうだろうな。後ところてんとか
江戸時代って少なくとも今よりは野良犬や野良猫なんかも多くいただろうし
乞食の人たちは犬や猫の肉食ってた人はたくさんいただろうね。
さすがに乞食の人たちの食生活の日記は残って無いだろうけど。
福翁自伝にあったな。食事の支度時になると、乞食が米のとぎ汁を貰いに来たと。
545 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
江戸時代の人間の背が小さかったのは何で?
食生活の問題でないの?
>>545 そのとおり
肉食わないと背伸びにくいから
あと江戸のような人口過密地域は食糧事情があまり良くなかったらしい
肉云々というよりカロリーの不足や栄養素の偏りだろうね
江戸時代は寒冷期
寒冷期になると食糧事情が悪く子供時代に栄養が行き渡らず低身長になる
明治以前の日本人が動物肉(鶏肉は良い)を食べなかったのは仏教の影響だから
これを順守してたのは僧侶・天皇・公家・将軍などの一部の上流階級に限られる
もっとも日本人の大半は米を主食とする農耕民族であるため狩猟民族のように日常的に獣肉が手に入らず
食卓に上る回数は今よりずっと少なかったという実情はあるが
幕末の薩摩藩では城内で食用豚まで飼育してた
549 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN ID:S11w/AEZ!
>農耕民族であるため狩猟民族のように日常的に獣肉が手に入らず
狩猟民族ってのは、農耕民族と違って安定した食糧確保ができないから、
カロリー不足になって体格が小さくなる傾向にあるんだけどな。
肉が手に入りやすいのは牧畜生活している民族
あと、日本人の身長は古墳時代(関東では男子平均162cm)を頂点として、
明治前期まで一貫して右下がりのグラフを描くね。
(平均身長が古墳時代を上回ったのは比較的最近のこと。)
起伏が無いとは興味深いところ。
551 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
それは、面白い話ですね。
理由も納得。
552 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
>>549 狩猟民族が多いアングロサクソン(イギリスに多い)がもっとも高身長な件
牧畜しているモンゴル人は身長高くない
未だ狩猟民族とか言ってるバカが居るのか…
アングロサクソンを始めとしたゲルマン民族は、日本人なんかより1000年以上も古い農耕民族だ。アホが
554 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
農耕というか、牧畜農耕だね。
食生活に肉食乳製品を取り入れてる。
狩猟民族というなら弥生時代まで延々狩猟採集民だった日本人こそ狩猟民族だ
556 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
>>553 アングロサクソンは肉食べてるよ
肉を食べずに小麦を食べたから身長高くなったと言ってる人?
>>556 お前は農耕民は植物だけ食ってる民族とても言いたいのか?
申し訳ないけど頭大丈夫か?
558 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
アングロサクソンも日本人も同じ農耕民族。
タンパク質の摂取元が肉食乳製品か魚中心かの違いって、だけだよ。
559 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
始皇帝の兵隊の像、あれすごく身長高いでしょ。あれ連中は、中国のどの辺りの連中なんでしょうね。
あんなでかい連中が侵略してきたら、さぞ恐ろしいでしょうね。
かつてのイギリス人の身長は階級によって全く違っていたというのは
有名な話。ヨーロッパ人の身長が全体に高くなってきたのは、肉を
安定して食せる層が広がってきた19世紀〜20世紀あたりの話だという。
いずれにせよ、肉を食っていたといっても、食っていたのは牛だの羊
だの豚だのと言った家畜で、狩猟で得た肉なんてのはたまにアクセ
ントとして食うくらいだな。
561 :
日本@名無史さん:2013/08/09(金) NY:AN:NY.AN
>>557 悪いけど、狩猟民族ってどういう人のことを言うと思ってるの?
お前の定義だと少しでも農耕していればすべて農耕民族なので
地球上に狩猟民族は存在しないと言いたいみたいだ
日本も古代から農耕民族しかいない
コメ作りが伝わる以前から雑穀栽培してたからね
>>561 少しも何もゲルマン人は古代からガッツリ農耕民だっつ−の。
日本人よりはるか以前からな。
つーかお前の狩猟民族の定義がさっぱりわからん。肉食ってれば狩猟民族か!アホか!
563 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
>>562 質問に答えてないね?
「お前の言う狩猟民族とは何か」
お前の定義はすべての民族農耕民族w
狩猟民族を上げてみろよ。
564 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
農耕=穀物の栽培というんじゃなくって、アングロサクソンの場合、家畜の飼育のウエイトが高かったわけ。
アングロサクソンの農業は、穀物栽培と家畜の飼育を組み合わせた混合農業を古くからやってたわけ。
対して日本は、農業に家畜の飼育が組み込まれていなくて、動物性タンパク質といえば、少量の魚によっていたわけ。
だから、農業の生産様式の違いの差なの。
英国のアングロサクソン程度の狩猟依存度で「狩猟民族」と言っていいなら、
日本人の方がよほど立派な狩猟民族だな。
水田は三圃式農業とか不要だからな
567 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
>>564 日本人も従来はイノシシや鹿を好んで食べてたぞ
鶏を飼育することは一般的で肉を食べたり卵を取ったりしていた
仏教の影響で獣肉(哺乳類の肉)を食べなくなっただけ
568 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
>>564 だから、狩猟民族はどの民族?
それをまずあげて定義しろよ
アングロサクソンも日本人もバリバリ農耕民族なんだろ?
世界のどこに狩猟民族がいるの?
その民族名を上げろと言ってるの
569 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
狩猟民族、狩猟民族って、ひつこいぞ。
狩猟民族って、言ってた奴は、はるか以前に呆れてどっかいったぞ。
むしろ、
> 狩猟民族が多いアングロサクソン(イギリスに多い)
と主張している奴に、「狩猟民族」なる概念をどう定義したのか
教えてもらうのが先だろ?
どう定義したら英国のアングロサクソンが「狩猟民族」というこ
とになるのか、さっぱりわからんが。
571 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
日本人が肉食から遠ざかったのっていつ頃からだっけ?
仏教って、それ程影響力を持ってたのかな?
日本史板とは思えぬ程度の低いレスだな
身長の違いって肉食ってたかどうかだけじゃ無いでしょ。
例えば水一つ取ってももヨーロッパと日本では含まれてる栄養素が違うらしい。
ちなみにヨーロッパの水は小麦に適していて
日本の水は米作に適してるらしい。
X ヨーロッパと日本では含まれてる栄養素が違うらしい
○ ヨーロッパはミネラル豊富、日本では含まれてる栄養素が少ないつーか微量
575 :
日本@名無史さん:2013/08/10(土) NY:AN:NY.AN
ヨーロッパの水は硬すぎて、
日本人は腹をこわすっていうね。
よく売られているミネラルウォーターは、
むしろ軟水でミネラルが少ないほうらしい。
evianのカルシウム含有量は異常
フランスの水道じゃ日本の温泉並みに湯の花が付いてそう
577 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
古墳時代が一番平均身長が高いってのも、ミスディレクションだな
でかい古墳におさめられてるのは、ごく一握りの裕福な支配者だろう
そいつらの平均身長とほかの時代の平均身長を比べて、一番デカイっていうのはおかしい
江戸時代の将軍とかチビだったけど
579 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
古墳におさめられているような支配階層は大韓民族やさけ
庶民よりはるかに背が高く雄大な肉体しとるのは当然やろ
580 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
大漢民族というより、半島にいた倭人で、単に上流階級だから、栄養事情が良かったんじゃないの?
581 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
韓国南部にいる魚をよく食べる人たちは、元々は半島の倭人だと思うなぁ。
扶余系のチュモンに出てくるような食文化じゃないでしょ。
刺身や海苔を昔から食う民族。日本人と同じだよね。
古墳時代の朝鮮半島の民族構成は謎だからなぁ。謎な理由の一つは、韓国人が
「高句麗も百済も新羅もついでに渤海も、とにかく全部朝鮮民族ニダ!」と
根拠も無く言い張って、キチンと研究しようとしないこと。
縄文時代から弥生時代にかけて日本人の身長は大きく伸長し、その後、古墳時代以降成長が止まったのは
縄文・弥生の温暖期の平均気温が平安時代の温暖期より高かったからじゃねぃ。
>謎な理由
中国や日本の史書と整合性がないのは
我が国の歴史は我が国が決めると国内の文書を全て廃棄してウリナラマンセと
自国の歴史を創造したからね
585 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
非常に屈折した歴史観になってしまってる。
いっそのこと吉林省みたいに、中国になってしまっていた方が幸せだったかもね。
>>573 「だけ」ではもちろんないが、栄養状態と身長の関係が大きそうだということは
欧州でも日本でも言われている話だね。
欧州各国では、中流以上の階層と下層との体格差がかなり大きかったという
ことが指摘されている。たとえば上流階級の行く私立学校や士官学校生徒の
体格と徴兵時の平均身長には、平均にかなりの差があったらしい。
で、全体の生活水準が上がってくると、上流層の伸び以上に下層の伸びの
方が大きくなり、次第に差が小さくなってくると。
大体18世紀から20世紀あたりのデータがあるらしいけど、18世紀後半〜末
のころの新兵の平均がノルウェーやハプスブルク帝国で160p前後というこ
とだとか。
もちろん、そのころの欧州の庶民層は今のような「肉が主食」とは程遠い食生
活だったということだが。
高句麗と百済は扶余系、新羅は朝鮮系だっけか。
先日発見されたオルドス式短剣の鋳型。朝日新聞ですら朝鮮半島からの出土例はなく大陸から直接伝わったとしているのに、
何故か読売新聞は朝鮮には変形品があり、今回のは朝鮮の変形品の変形品であり朝鮮半島を通じて伝わったと報道している。
なんでもかんでも朝鮮・朝鮮を連呼して中国からの直接渡来を考慮しない輩って、一日中朝鮮の事だけを考えて生活しているのかなと、人事ながら心配してしまう。
うるせえよオルドス厨
>オルドス厨
初めて聞いたぞそんな単語w
そりゃあ関係ないスレあちこち荒らしてるのが最近だからな
「ウリを褒めない奴は皆ネトウヨ」と同意義の新語だろ
>オルドス厨
593 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
>>586 古墳時代は上流階級だけで平均とってたなら、そりゃ高くはなるわな
この手の平均って母集団の妥当性がどうも
594 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
百済は馬韓系に支配層が扶余系、新羅は万里の長城の苦役を逃れた秦人のウエイトが高く、そのために中国語っぽいずうずう弁になったらしい。
今の韓国は新羅が母体になってるんだよ。
日本で身分によって体格の違いなんてあったか?
以前どっかで読んだものでは有意な差は認められないとかあった気がス
596 :
日本@名無史さん:2013/08/11(日) NY:AN:NY.AN
日本の場合、熱心な仏教徒である上流階級ほど肉を食わんからな
江戸時代とかだとそう変わらんだろう
体格の違いって食生活より遺伝の方が大きいんじゃないのかな?
高身長の夫婦の子は高身長。低身長の夫婦の子は低身長。
自分の知ってる限りでは高確率でこんな感じだね。
肉を食べたいだけ食べられるようになったのはここ3〜4世代だけど
平均身長は若干伸びててもこの法則は変わってないよね。
平均身長の高いの時代って食生活よりも女性が高身長の男性に憧れるブームみたいなのがあって
それで体格の良い子供が多く生まれたというのはどうだろう・・
遺伝的形質が憧れで変化するの?
日本人の平均身長が伸びている時期にチビは子孫を残さなかったの?
意味不明
平均はあくまで平均であって大男もいれば小男もいる
父親だけじゃなく母親の体格も重要な要素の一つ
「秀頼の身長が秀吉よりはるかに高いのは淀の不義密通じゃなく浅井の血が原因」というネタもあるが
>>595 江戸時代の公家や将軍は代々柔らかいものばかり食べているので顎が発達せず
出っ歯で顎が小さい(ある意味現在のイケメン・美女に近い顔立ち。
現在なら歯の矯正対象)というのは見たな。
身長に関しては分からん。
>>599 大男もいるし小男もいるじゃあ日本人の平均身長の増減が説明できない
そもそも男女とも日本人が恋愛結婚が大多数になった(高身長の男性を自由に選べるようになった)
のは1980年代以降の最近のことでそれ以前の見合い結婚や上流階級の政略結婚では
男も女も相手を選べない(当然身長も選べない)ことがほとんどだろうに
>>600 低身長の男性の多くが遺伝子を残さなかったなんていう有意の資料があるわけないから検討するだけ無駄な与太話
>とんかつとは恐ろしい料理である。
>ドイツのシュニッツェル(フライパンで焼き揚げる)を、
>フランスのコートレットの応用で衣をつけ、
>更にそれをポルトガルから伝播された
>てんぷらの揚げ方で揚げたという、
>まさに魔改造中の魔改造。
>カツカレーに至ってはここにインドとイギリスも参戦するという。
>そんでもって福神漬けなんて参加した日にゃ
>>600 明治以降右肩上がり、戦時に大きく落として戦後また右肩上がりしていることを考えると、
それについてはおおむね食糧事情との関連が高いものと見るのが妥当なんじゃないかな
>>597 1960〜70年代生まれの兄弟の身長を比べても、
70年代生まれの弟世代の方が全体に背が高い
という印象があるな。
で、兄弟のどちらも両親よりは背が高いことが多い。
背の高い一族、背の低い一族とも栄養状態が良く
なってくれば全体に背が高くなっていく。
605 :
日本@名無史さん:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN
>>603 明治維新と戦後に爆発的身長の伸びが発生することから
大韓民族血統の影響が我々矮小民族の体格の向上に
非常に大きな恩恵をもたらしたと判断すべきであろう
我々が統治してやるまで毎年餓死者を出していた劣悪民族が
対等に口を効こうとは分も恩も知らぬ万年隷属人種のくせに生意気な
>>605 だからウタマロじゃなくなったのか
最悪だな
近代のイギリスで上流階級は、豊かな食事のおかげで身長が高いのは確かなんだろうが、
古墳時代の外国だとどうなんだろうね
古代ローマの文献に「蛮族ゲルマン人は金髪碧眼で背が高い」とあるな。
今でもイタリア人はわりと背が低いが。
イギリスに古墳時代は無いよ
イギリス以外にはあると言うのか
>>586 欧州なら、王侯貴族と庶民とでは人種が違うじゃん。
相互に血縁が薄くて、庶民は地縁で近場の庶民同士、王侯貴族は外国の近いランクの王侯貴族と縁続き。
庶民はケルト系、王侯貴族はゲルマン系だったりするのか
>>613 ゲルマン系なのか?
まあ10世紀くらいにはほぼ全員がカール大帝の子孫になってしまうし、13世紀初頭くらいには宮廷の口語、
16世紀の中盤には行政文書も、ほぼすべてフランス語になってしまう。
フランス語自体はガロロマンス語でゲルマン語とは言いがたいけれど・・・・・
ヨーロッパの王侯貴族なんて、たいがいがローマ帝国を滅ぼした蛮族
ゲルマン人の酋長の子孫だろ。フランスはフランク族、スペインは
西ゴート、イタリアはランゴバルド。イギリスはアングロサクソンの後
ノルマン人に征服されたけど、ノルマンも北ゲルマンだから一緒だな。
半農半牧のゲルマン人の統治ノウハウではではがっつり定住しているラテン人やガリア人が支配しきれなくて
街にいるローマ人の官吏を味方に取り込んで・・・・・・みたいなことは無いんかい?
ないっしょ。さしものローマ帝国も末期はガタガタだったからねぇ。
統治機構が崩壊して水道やら浴場やらのインフラを保守できなくなったし。
その割には、ラテン語がよく使われてるよな。
文書語としては18世紀末くらいまで現役だったし。
文献が残ったからね。18世紀末まで、知識人が読むに値する優れた著作は
古代ギリシャ・ローマのものしかなかったんだよ。蛮族の子孫どもの知的
レベルが古代の水準に達するのにそれだけ掛かったわけだ。ギリシャの文献も、
ローマ時代に多くがラテン語に翻訳されていたから、学問を志す者はラテン語を
学ぶ他なかったわけで、自然ラテン語が学者の共通語になった。
>>619 物理、数学、博物学なんて、17世紀18世紀でも学術論文はラテン語だで。
>>612 国全体が豊かになれば王侯貴族と庶民の体格差が小さくなってくる
というのは、人種の違いじゃ説明できんよ。
ノルウェーの庶民にしても、今じゃ平均身長160pなんてのは考えら
れない話だが、人種が変わってでかくなったというわけじゃなかろうし。
食い物のさじゃろうな
江戸時代って肥溜めの買取価格も裕福な家の物はは高く
貧乏な家の物は買い叩かれてたらしいね。
これは肥料にした場合の味、収穫量、大きさとかが関係してるんだろうけど
進化した肥料使ってる現在の人が江戸時代の野菜食べたら今とは全く違う味なのかも知れないね。
>>623 肥料や栽培法なんかより品種の差の方が大きいと思うが
意外と昔の方がうまい品種もあるかもね
今のは経済性が重要な要素だから
最近再発見されたサトイモが非常にうまいとされたものがあるし
管理法に関しても米などは江戸の乾燥法である日干しすると明らかにうまい
>>625 乾燥は管理法じゃなくて調整法だろ
板違いだけど天日乾燥は下手するとカビる
熱風乾燥でも比較的低温かつ間断な方法で旨味を損なわない
手間賃の分で高くなるけど食べ比べて明らかに差が出るほどでもないのよね
ブラジルの日本移民街に行ったらカボチャが昔の品種で、水っぽくてまずいと
何かにあったなあ。もっとも昭和四十年代の本だったから今はどうか知らん。
食わねば。
江戸時代にはご飯に卵かけて食べる習慣ってあったの?
それ以前に卵を生で食べる習慣はあったの?
生卵 醤油の雲に 黄身の月――『俳風柳多留』より
質問スレより転記
292 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2013/09/10(火) 14:55:21.54
質問があります。
白菜が伝わる前の日本の菜っ葉系の漬物は、大根の葉っぱしかなかったので
しょうか?白菜が伝わったのは日清、日露戦争後の話だそうですから?
そもそも沢庵漬けでさえ、江戸時代から広まったそうですが、
それまでの漬物は、いったい何を漬けていたのでしょうか?
アブラナ科だけでもいろんな菜っ葉があったと思うけど大根と白菜しか知らんのか
野沢菜はカブの葉っぱだよね。小松菜は江戸近郊小松川の名産。
634 :
日本@名無史さん:2013/09/10(火) 18:19:18.80
高菜が何故出てこないのか?
食べてしまったんですか!
柴漬は胡瓜というイメージが強いが
元元(千年前)は胡瓜なんか入れないとBSフジの三千院を紹介した番組でやってたぉ
ナスでつくる柴漬けやさんがいまでも残ってるな
てか本来の柴漬けは茄子と赤紫蘇
新潟市からですが、白菜の前は体菜だったそうです。体菜は今でも一度塩漬けしてから煮菜として食べてます。
640 :
日本@名無史さん:2013/09/11(水) 19:12:02.16
熊とか鹿とか猪を食べたい
三河島菜もあるでよ
在来のツケナ類は日本全国津々浦々に星の数ほど種類があるよ
631転載の人は無知だね
643 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 03:54:13.42
ワインって日本ではいつ頃から?やっぱ信長から?
縄文時代から
645 :
日本@名無史さん:2013/09/12(木) 07:48:50.85
ふるいにかけて調べるほど細かい魚の骨が大量に出てきたり、
一箇所から大量にモモの種が出てきたりする。
魚醤や酒という説がある。
サルベージ
647 :
日本@名無史さん:2013/09/17(火) 00:20:59.77
ロバート・フォーチュンの日記読むと、上野・浅草間に、ジビエ専門店があると書いてた。
鹿や猪はもちろん、猿の肉まで陳列されてたそうだ。
上級武士は鹿・猪、庶民は猿や雉食ってたみたいだな。
はいはいももんじ屋ももんじ屋
現存する店舗もあるでよ
みんな知ってるでよ
そういう店や風習って世間的にどの位定着してたの?
「あの人肉屋やってるのよ」と影でヒソヒソされたり
「さっき肉食ったぜ!」と大通りで言ったら白い目で見られるのか
誰も何も思わないレベルなのか
『昔は肉を食ふたと人に話すにも声を低めて密かに話した』そうだ。
651 :
日本@名無史さん:2013/09/18(水) 10:03:14.41
鳥や鯨は大丈夫だったから、
イノシシは山くじら、ウサギは一羽二羽と数えた。
652 :
日本@名無史さん:2013/09/18(水) 18:45:13.30
昨日ソープ行った
ぐらいの感覚だな
>>651 呼称や数詞を言い換える時点で、大丈夫って感じでもないよね
どじやうがどぜうになるくらいだからそれほどでも
>>629 お猿さん時分には火なんか無いから鳥の巣から奪った玉子は生で食うしかないよ。
>>657 ここってネアンデルタール人とかの時代もありなの?
てっきり江戸時代とか文献の残ってる時代の食のスレかと思ってたけど。
659 :
日本@名無史さん:2013/09/29(日) 21:25:09.84
なんで小麦を生かさんかったんや。米酒は引っ掛かりがある。
アルコールで大事なんは透明性と広がりと抜けや。
>>659 日本では麦は米ほど栽培されてなかったからでしょ
661 :
日本@名無史さん:2013/10/05(土) 18:12:30.08
学生時代は毎日麦飯を食べたな。米より安いし、便通もいいし。腹持ちが悪いが。21世紀になったばかりの大阪の話だ。
江戸時代は卵一個が現在のお金に換算すると400円したらしいけど
この時代の鶏ってあんまり卵産まなかったのかな?
あと卵でぼろ儲けした卵長者とかいたの?
養鶏場を見たことないか?狭い空間に鶏のケージがビッシリ並んでる。
庭先で鶏飼ってた時代とは違うんだよ。
品種改良前だからあまり卵生まんのよ
でも一応庶民はちょっとした贅沢として食ってたな
卵やさんが売りに来る
明治15年に三条実美の次男が分家して(特例で)華族になったとき、
三条家が配った祝いの品が鶏卵一箱だったとか。
逆に、昔は普及品だったのに今は高くなったものはあるかな?数の子とか。
鶏卵は量産体制が整うまでは高級品だったようだな。
>>666 当然だが数の子の親のニシンも高い。
マグロも江戸でもてはやされたり冷凍技術が開発されるまでは下魚だったから安かったんでないか。
あとは雑穀だな。大麦を筆頭に、粟、黍、稗。
マグロは江戸では塩鮪が普通で、鮪売りが鉈でぶった切って計り売りした。
当然煮るか焼くかして食うわけで、庶民のお惣菜だった。ネギマ鍋はその
時代の庶民料理の一つだったが、大トロを煮て食うネギマは今や高級品。
マグロは黒潮の流れに左右されるんで
大量に取れるとすごく安い
脂身は痛みやすいので嫌われただけで新鮮なトロがなかっただけだな
安いといえば江戸時代、産地であわびは地元ではすごい安かった
輸出品として規制されてたし、流通手段があまりなかったから
湯葉!お麩!
なんであれが高いんだ!?
ぼったくりとしか思えない
671 :
日本@名無史さん:2013/10/06(日) 22:31:45.19
昔=普及、今=希少なら
鯨じゃないかな?
大型種は調査捕鯨しかない
マツタケもそうだな
昔はしたばえを刈ってたから割合日が射す赤松があった
それで結構とれた
小学生の頃(1970年代)今は亡き爺さんにマムシの焼酎漬けを得意気に良く見せられたんだけど
江戸時代の人って蛇は普通に食べてたの?
また、現代の人は蛇をみたら驚いて逃げる人が多いと思うけど
この時代の人達の蛇に対する考えってどうだったんだろう・・
見つけたら食料がいたって感じ?
当時から嫌な人は居ただろうが平気な人は今より多かったと思う
今より信仰の対象にもなってただろうけど
田舎の昭和の感覚だと鰻みたいなもんかね
生き血を飲んだりぶつ切りにして焼いたり喰ってたらしい
江戸時代もそんなもんだろ
今でも沖縄土産でハブ酒が普通に売ってる。
なぜか宮古島みたいにハブがいない島でも。
現在のキムチになくてはならない唐辛子も日本からの輸入だし
肝腎のキムチという漬物自体も中国由来なのかw
自分たちのソウルフードすら万年属国を体現しているのだな
面白い説ではあるが
1300年も前のことじゃ立証は難しいな
そもそも白菜の漬物は「山東菜」として北支の名物だった。中国から伝わった
白菜漬と日本から伝わった唐辛子を合わせてキムチが誕生したんだろうな。
キムチとはすなわちチムチェ(沈菜)で、名前からして中国語だし。
白菜の漬物はそら中国にあるだろう
白菜は中国起源のものだし
それとキムチが連続性あるかは別だし
十分中国のものと変化してるので韓国のものといってはいい
ただそう考えた場合、特徴的な唐辛子の多用はここ150年くらいのものなので
キムチの起源は200年に満たないとなる
塩水に野菜を浮き漬にした水キムチというのがあるが、これは中国の泡菜そのまま。
ただし、水キムチは酸っぱい漬け汁ごと器に盛って、冷たいスープのように食する
という特徴がある。これは南宋の頃まで中国に存在したが、今は消滅した習慣。
従って、元以前に朝鮮半島に伝わった漬物なのだろう。
蕨餅とか葛餅とか昔の人は野草から色々旨い物作ってたんだね。
もし仮に蕨や葛が戦後海外からやってきて大量に自生したとしても
現代人には食料として利用出来なかっただろうね。
それを思うと江戸時代の人って凄い・・
昔のが美味しいかどうかは謎
684 :
日本@名無史さん:2013/10/28(月) 20:29:42.30
ぷるぷる系菓子はタピオカ澱粉と出会ってから急速に食味が良くなったからな
時代の好みってのはあるだろうが
少なくとも甘藷馬鈴薯澱粉全盛期より現代はうまいし
それ以前がうまかったかなんて保障はない
あー
本クズはジャガイモよりあきらかに旨いよ
だからそれ以前、江戸時代なんかは高価だったが旨かっただろう
ただ砂糖の質は悪いからその辺は微妙
>>679 朝鮮半島に結球白菜が伝わったのって20世紀になってからだよ。
日本の統治下での食糧増産・体格向上の政策で、本国にも導入したばかりの白菜やら洋野菜やらも
持ち込んだことが始まり。
海(黄海)か遊牧地帯が間に挟まっていて、チャイナとコリアが陸で境を接していた時代は意外に短い。
清の時代も、関東(長城の北側=満洲本国)への漢人の入境は厳しく制限されていた。
人の行き来も、使節か、コリアからチャイナへの人的資源の移出の一方通行か。技術の移転はすすんで
いなかった。
突然ですが、質問をさせてください。
私は50歳ですが、幼い頃、洋食屋のような店に行くと、ライスに塩をかけている人がいました。
今では、ほとんど見ることは有りませんが、あの行為は何だったのでしょうか?
一時的な流行りだったのでしょうか?
(同じ質問を日本史版と世界史版に投稿しています)
日の丸弁当って、おかずが梅干し一個でご飯を食べ切れるの?と聞いたら、
塩を振り掛けておくんだと伯父さんが言っていた。伯父さんの子供の頃、
乃木大将の誕生日だか命日だか日露の戦勝記念日だかには、学校に
日の丸弁当しか持ってきてはいけなかったと。
神保町の洋食やでは未だに味塩がおいてあって米に塩かけてるなぁ
ちなみにコンビニおにぎりでも塩味ついてる
米に塩は普通のことなんでは
握り飯に塩というのは戦国時代にすでに振ってたし
そういや子供の頃に母親が握るお握りは手を塩水で湿らしていたな
四十年も昔の光景が突然脳内再生されたよ
692 :
日本@名無史さん:2013/11/05(火) 21:42:32.69
今はラップに塩振って、ご飯をのせて握る。
時代の変化だなあ。
手に付いている菌が多いからね。
でも、年寄りは使ったラップを広げて干してまた使う人も多いらしいね。
688です。私が不思議に思うのは、普通の定食屋だと御茶碗に飯が盛られて出てきますよね。そうすると、塩を掛けないじゃないですか?
私は、それが凄い疑問なんです。洋食屋の皿の飯限定で塩を掛けてません?
いや、私の妻は大阪の出なのですが、洋皿に盛られた飯に塩を掛けた事は有るし、見た事も有る。でも、御茶碗の飯に塩を掛けて食べた事も、見た事も無いわ、って言うんです。
この、洋食屋の皿飯にのみ塩を掛ける現象の意味と起源を教えていただきたいのであります。
695 :
日本@名無史さん:2013/11/06(水) 16:14:59.69
和食は口中調味だから、おかずと一緒に食べるので塩は要らない。
洋食はそれだけで出てくるので、なにか味付けがいる。
といっても、日本の洋食屋は、おかずと一緒に食べるので、
必要ないはずだが、洋食の名残でしょうかね?
昔の蕎麦屋の客には、頼んだ盛蕎麦をジッと眺めてる人がいたそうだ。
小一時間も眺めて、蕎麦が伸びきったところで箸をつけるとか。
「伸びた蕎麦好き」というジャンルがあったらしい。
「塩かけ飯好き」というジャンルもあったのかもな。
697 :
日本@名無史さん:2013/11/06(水) 19:36:20.51
福岡のやわいうどんに通じるものがあるかな。
牧のうどんが有名だが、食うよりつゆを吸って伸びるほうが早い、
と言われるうどん。
ゆでた後で水で締めたりせずに、切ってそのまま湯に落としこんで、
茹で上がったのをそのまま出す。
>>696 小一時間は少し置きすぎかもしれないが茹でたてより水のよく切れたものの方がいいらしいね
俺ももりそばを喰う時は少し待ってから食べる
>>697 最近の傾向なのかどうか知らないけど通ほど硬い麺を喰うみたいな風潮が嫌い
麺の味自体は柔らかいくらいの方が楽しめる
好きずきだけど出前のそばやラーメンの伸びきった奴とか案外うまい
>>696 蕎麦前食ってるうちに伸びただけだろ
てか、ちょっと人と違うことをして、それにもっともらしい意義づけするのが粋だ
ってきらいがあるよね。江戸巷間の風俗って。レアケースがチラッっと文献に見えてるだけでしょそれ
昔の居酒屋では納豆を肴に飲む人がいたそうだ。江戸前大粒納豆を
練らずに荒塩を振って、箸で一粒づつつまみながら飲む。
701 :
日本@名無史さん:2013/11/07(木) 07:22:20.98
他に適当なツマミがないときに、納豆で飲む事があるな。
普通に醤油で練ってたが、塩でやってみようかな
豆腐の味噌汁・・・豆
納豆に醤油・・・豆
海苔を豆から作れれば完璧だったのに
昔は沢庵とか梅干しで飲むのもよくあったからな。もっとも、今時の減塩もの
じゃなく昔風の塩辛いやつだから肴になったんだろうが。
705 :
日本@名無史さん:2013/11/07(木) 12:21:34.42
週に30品目の食品を摂りましょう、というので、
豆腐を入れた納豆汁を作ったら、
何品目摂ったことになるのだろうか?
外国にも日本における大豆みたくお前らそれしか食ってねーのかよ的な作物ってあるのだろうか?
グラコロみたいな小麦か
695さんへ 688です、ご意見ありがとうございます。僕もいろいろ調べてみます。
パンの場合肉魚等にかかったソースを付けて食べたりしますよね バターも添えられていますし ご飯ではそれはちょっとやり難い
オカズとご飯に距離が有るというか 確かにご飯だけモソモソ食べてる感じになりますわな
そこで塩でしょうかね?
阪急百貨店の食堂のソースライスじゃないですが お皿に盛られたご飯に塩ではなくウスターソース掛けた人も居たかもしれません
>>700 俺も肴に納豆はたまにやる
小粒納豆だが
【遺伝子】日本の在来ブドウ品種「甲州」 起源はロシア南部・コーカサスと中国 DNA解析から解明/酒類総合研究所
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1384086400/ 日本在来ブドウ甲州、起源はコーカサスと中国
ワイン用として使われる日本の在来ブドウ品種「甲州」は、
ロシア南部・コーカサス地方の品種「ビニフェラ」と中国の野生種が交雑・交配して誕生したことが、
独立行政法人・酒類総合研究所(東広島市)のDNA解析でわかった。
9日に山梨大(甲府市)で開かれる「日本ブドウ・ワイン学会」で発表される。
同研究所によると、奈良時代の僧・行基が薬師如来から授けられたなどの言い伝えを持つ甲州の起源を巡っては諸説あり、
これまではビニフェラがシルクロードを経て日本に伝わったという説が有力だった。
その一方で、「ビニフェラではない」とする説もあり、同研究所が米・コーネル大などの研究チームと共同で昨年からDNA解析をしていた。
その結果、甲州は、71・5%がビニフェラの遺伝子を、残り28・5%は中国の野生種の遺伝子を受け継いでおり、
ビニフェラと野生種が交雑した後、さらにもう1度、ビニフェラと交配した品種である可能性が高いことがわかった。
同研究所研究企画知財部門長の後藤奈美さん(56)(ワイン醸造学)は
「甲州の起源を解明することで、甲州の特長を生かした新種開発につながれば」と話している。
(2013年11月8日14時20分 読売新聞)
________________
▽記事引用元 YOMIURI ONLINE 2013年11月8日14時20分配信記事
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20131108-OYT1T00388.htm ▽関連リンク
独立行政法人・酒類総合研究所 研究トピックス
‘甲州’ブドウのルーツを解析 -DNA解析から、中国を経由して伝えられたことを証明-
http://www.nrib.go.jp/data/nrtpdf/2013_1.pdf
712 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 17:10:14.12
治部煮の成立について有力な説ってありますか?
調理法と命名についてですが、諸説あって混乱してます
じぶ煮はウリナラ起源ニダ!
ウリナラのソルロンタンをチョッパリがパクったニダ!
714 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 20:04:24.79
どちらかというと中国の紅焼鶏(鴨)片ぽいですよね
岡部治部衛門が文禄の役の際に半島でヒントを得たって説もありますけど、
やはり熟鳧というか煎り鳥(炒り鳥)に近い物だったんでしょうか?
そうなると麦鳥の起源はどこにあるのかも気になります
715 :
日本@名無史さん:2013/11/13(水) 22:26:04.09
すみません
×治部衛門
○治部右衛門
ですね
調味料のさしすせそが紹介されてる最古の文献はいつ頃?
江戸時代には既にこの言葉は使われてたの?
その手の語呂合わせは素人向けだろう
プロなら自明だから
江戸時代は砂糖は庶民につかえるもんでない
そう考えると庶民が砂糖を使える時代でないとおかしいので明治以降かと
婦人雑誌、家庭雑誌が普及する明治後期以降だろうね。
そういう雑誌が好んで載せそう。
719 :
日本@名無史さん:2013/11/15(金) 21:23:33.62
おいw
さとうじょうゆ
しょうゆ
すじょうゆ
せうゆ
ソイソース
おでんは練物大集合なのに何故板蒲鉾が入ることは無いのか
かっちりな作りすぎてダシが染みにくいからじゃねかね
724 :
日本@名無史さん:2013/11/17(日) 21:49:14.31
たまに行く飲み屋のおでんにはかまぼこもあるな。
よく煮込まれると縮んでゴムみたいな食感になってる。
こんにゃくほど強靭でもなければおでんの具ほど染みるわけでもないよな
昔は板付蒲鉾は他の魚肉練り物と比べて比較的値段が高かったから。
焼いたり揚げたりする他の練り物と違って、蒸す板付蒲鉾は白さが
売り物だったので、白身魚のすり身を使って高価だった。
727 :
日本@名無史さん:2013/11/22(金) 21:32:27.38
>>726 それ考えると高度成長期には練り物の質さがったなぁ
そこ頃はまだ幻想抱いてる世代がいたからよかったんだろうけど
それ食わされてた俺らが大人になったら一気に斜陽したもんなカマボコ業界
>>727 すり身を漂白するとか変な技術が開発されたからな。
まあ鮫の肉を使うのは昔からあったらしいが、少なくとも戦前は
鮫を使ってるのがバレたら蒲鉾屋の評判がた落ちだったそうだが、今は…。
ニセモノ作りは短期的には利益を出せても
長期的には市場の縮小にしかならないんだなあ
まぁ高けりゃ買わないから結局斜陽になるんだけどね
731 :
日本@名無史さん:2013/11/24(日) 00:42:22.14
>>730 今の平均的日本人なら最高級蒲鉾くらい難無く買えると思うが。
日頃の食卓に使えるくらい安いの?最高級かまぼこって
500円位?
733 :
日本@名無史さん:2013/11/24(日) 19:04:37.78
高いのは一本あたり2000円くらいの正月用の贈答用のがあったな。
五本一万円のやつ。そんなに味に差は感じなかったが。
それより、地方の道の駅で売っているような、
じゃこ天みたいなモノのほうが好み。
ええっ
カマボコっておトトから作るの!?
この場合の「とと」は魚って意味だろうけど
魚で使う意味の場合
ある程度大きくそれなりの価値のある魚って意味じゃあないんか
ボラって意味もあるけどな!
カマトトとか死語の世界だし中年オヤジ確定
2000円もカマボコに出すなら、ブリとかタイとか刺身で食うよね。
時々行く鮮魚飲み屋で、イカ、アジの活き造り、鯖の刺身、焼き物、茶漬け、
あと活き造りの残りのイカの天ぷら、アジの骨せんべい、酒4合(一人分)
で一人頭一万行かないもんな。
あ、イカは多すぎるので、一杯(一匹)を二人で食ってたか。
場末の居酒屋ではそんなもんだろうよ
243 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2013/11/28(木) 23:22:11.11
朝鮮半島南部にいた倭人は濊族とは違うぞ。
濊族は漁撈の民ではない。
今の半島南部で海苔を採ったり刺身を食う風習を持ってる連中こそ、倭人の残留組だ。
245 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2013/11/29(金) 04:29:26.67
>>243 刺身を食う風習は日本統治時代からだろ。
日本人以外で刺身を食う風習は少数民族ナナイ。
刺身って膾・鱠から発展したとかではないんか
保存のきかない時代の、ごちそう=かまぼtこ
当時の技術では捕獲しにくい白身をつかい
手間暇かかるから高いというのもあんだろね
鯛の良いところだけを蒲鉾にして本物そっくりの形に仕上げるという
大名向けのご馳走が
もしもカップラーメンを江戸時代の人が食べたら
おいしいって言ってもらえるかな?
味付けは慣れの影響が大きいから最初は受け付けないかもな
カップめんの殆どは油っぽくて受け容れられないと思うわ
ノンフライ麺なら気に入る人は多いかも
チキンラーメンを食った6、70年代人間のように
「最初は旨いが全部食ったら気持ち悪くなる」
物だとオオもわれ
でも慣れると病みつきになるだろう
脳はアミノ酸を嗜好する
>>746 口語の差が地域・男女・身分・職域などでかなり違った時代だから
美味と感じてもおいしいと言う人は極めて限られたと思われる
ちょっとだけワラタ
【日韓】ワサビ韓国起源説を日本メディアが批判 → 韓国ネチズン「日本は歴史問題を正視せず他国を傷つけている」★2[12/19]
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1387450127/ 韓国起源説を日本メディア揶揄報道に「他国を傷つけている」
2013.12.19 16:00
あらゆるものを「韓国起源」と主張する「ウリジナル」。韓国語の「ウリ」(われわれの)と
「オリジナル」を合わせた造語だが、いまや世界じゅうから日本食として認識されているスシや
ワサビにまでその思想が及んでいた。
たとえば寿司と刺し身は中国と韓国に由来するもので、日本は第二次大戦後に寿司を食べ始め
ただけとの主張。江戸時代の浮世絵に握り寿司が描かれていることを知らないようだ。
さらに寿司の韓国起源説に合わせて、ワサビも韓国起源を主張。韓国ニュースサイトのデジタ
ルタイムズ(2012年5月28日)が「ワサビは韓国産のほうが日本産よりもはるかに香りが優れて
いる」と報じた。
しかし、ワサビは日本が原産で、韓国ではワサビはほとんど栽培されていない。ちなみに、
韓国紙・ヘラルド経済が、「日本のメディアが寿司やワサビの韓国起源説を揶揄している」と
報じると、韓国人ネットユーザーから「日本は歴史問題を正視するどころか、他国を傷つけて
いる」などの批判が相次いだ。
※週刊ポスト2013年12月20・27日号
http://www.news-postseven.com/archives/20131219_230964.html
アンコウって江戸時代には庶民も食べてたらしいけど
深海魚なのに当時そんなに簡単に採れたの?
鮟鱇は くちびるばかり 残るなり
鮟鱇は 鍋に入れたで 人が散り
『俳風柳多留』より
食ってんだから獲れてたんだろうね
深海魚だけど、時々網にかかったり
ヒラメ釣りの針にかかったりするから
定置網に普通にアンコウかかるで
で定置網は江戸中期にはだいたい運用に耐えるものが成立
>>753 別に深海魚ではないだろ。
ちょうちんアンコウなら深海魚だけれど
758 :
日本@名無史さん:2013/12/27(金) 21:16:13.67
深海を主な生活圏としてるから深海魚って考え方もある
深海ってのは人間が「真っ暗」だと感じる深さで、曖昧だけど水深200mくらいだったはず
海洋ではとんでもない深さのとこに深海生物がウヨウヨ居たりするけど、
湖ではそれよりかなり浅い場所でほぼ無生物の死の世界になってしまうらしいね
>>758 真っ暗なら10メートル
通常人なら7メートルでも十分真っ暗だ
200は大陸棚
>759
海洋深層水でググると幸せになれる鴨
元禄時代のレシピに基づいて再現したという男山の復古酒を飲んでみたけど、甘口でなかなか飲みやすい。
濃厚で少しトロみがあって色がついてて、
昔のお正月を歌ったわらべうたの「油のような酒飲んで」という一節は
こういう酒のことを指しているのかもしれないな。
昔は日本酒を数年熟成して琥珀色になった古酒があった。
江戸の将軍様には古酒しか出さなかったというが。
>>763の酒の冊子にそんなことが書いてあったわ。
冷暗所で数年寝かせるとそれが出来るらしい。
もう空けちゃったけど。
いまでも純米酒を数年寝かせておくとそれなりの古酒になってくれるらしいよ
とても待ちきれないのだがw
瓢箪に酒を入れとくとアッという間にトロリとしてくるとか。
おせち料理には筍が入ってる事が多いけど
春に採れる筍をおせち料理に入れるようになったのっていつ頃から?
多いのか?
茨城県だが、うちの方じゃ入らない
兵庫もはいらん
772 :
日本@名無史さん:2014/01/02(木) 09:44:50.78
昔のレシピで酒を作るととんでもなく濃厚になって、
みりんのような料理酒に使われたと推測されてたな。
飲用の時は当然薄めて、アルコール濃度はビール程度。
その昔はいつ頃
774 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 07:30:27.80
ええっと240と772は同一人物なの?
そうならその答えは答えになりうるが
もしくは772が240を想定して書いたか
水で薄めた話はほぼ間違いないが糖分の話は確か定説ではないよ
776 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 10:56:57.92
>>775 あくまでも昔のレシピで、今作ってみた場合の話ね。
もっと薄く醸造したほうが、アルコールがたくさん
できるから、無駄といえば無駄だが、
糖が多いほうが腐りにくくなるのと、
調理用甘味料に使うのが主な目的ではないか、
と書かれていた。
江戸時代の料理書見ると、普通の酒は頻繁に料理に使ってるが味醂はほとんど見ないな。
778 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 12:13:06.02
>>772-776 古代ローマでもワインは水で割って飲んでたな。そのまま飲んだトラヤヌス帝は大酒飲みと言われたとか。
昔の人は洋の東西を問わず酒に弱かったのかな?
素焼きのアンフォラで運ぶから蒸発して濃くなってたんじゃね
780 :
775:2014/01/03(金) 14:28:49.88
>>778 江戸時代、上方の酒が江戸に下る際には
濃い酒でそれを薄めて江戸の人間は飲んでたが
それは輸送費を浮かすためが有力
嵩がちいさくなって運びやすい保存性も高まるしね
単純に酒屋がかさまししたとも見れるが
ローマのは「酔っ払うのはみっともない」という価値観からも来てるんだが
つまるところは慣習嗜好でもある
日本の江戸ももどぶろくになれた身には濃い酒はきついということでないかな
>>776 本朝食鑑の元禄諸白が小泉さんのレシピなんかのう
となると所謂灘の酒とは違うかも
旧暦で約一月遅れるからなぁ
東北の細いまがりタケノコって新暦一月でとれるんだっけ
東北の習俗が日本化してきたのって18世紀以降だし、
他地域から違和感無いレベルでの日本化はそれこそ明治に徴兵が始まってから以降
784 :
日本@名無史さん:2014/01/03(金) 20:53:26.55
>>780 酒の強さって慣れもあるからな。
日本酒コップ1杯で潰れてた新入社員の女の子が1年後にはザルになってる、なんて珍しい話じゃない。
江戸人もローマ人も、体質はともかくとして強い酒には不慣れだったかもしらんね。
>>781-783 そもそも
>>768の想定してる御節がよく分からぬ
ググってみたら御節と筍の記事が幾つか出てきたけど
どこの地方のどんな料理なんだ?
787 :
日本@名無史さん:2014/01/04(土) 05:33:42.62
強いて言えば与の重の御煮〆くらい?
うちはタケノコ使わないけど、2月じゃタケノコ獲れない地域だからかな
ギリシャ・ローマ人がワインを水で割ったのは、アルコールでなく
当時のワインが非常に酸っぱかったからだという説もあるな。
のちに、自然酵母でなくワイン向きの酵母を添加する技法が開発されてから、
名品と呼ばれるようなワインが生まれたと。
>>787 とれる時期
昆布 4〜6月
干瓢 8〜9月
黒豆 9〜10月
栗 9〜10月
糯米 9〜10月
蕎麦 7〜11月
田作 3〜5、10〜11月
数の子 3〜6月
慈姑 10〜11月
里芋 8〜10月
椎茸 4〜11月
お煮しめにはタケノコ入ることもあるけど
水煮レトルトで流通するようになってからの話なんだろうな
メンマのような乾筍って日本にはなかったのかな
>>790 これを読むに使う、目の前にある、便利な装置を使って調べてみれば?
タケノコは乾物にも塩蔵にもできるんだし
近代以前でも使おうと思えば一年中使えたんじゃねーの
乾筍の煮物美味しいよなあ。戻すのすげー面倒くさいけれど。
正月太りって言葉があるけど
江戸時代の庶民の方達でも正月太りする人っていたのかな?
餅のカロリーが量の割に高いから注意しると医者には言われたな
正月の行事は、よく見ると、結構重層的だからなあ。
晩秋の収穫祭の要素と、早春の迎春祭の要素と、中華式正月(旧正月)の厳冬の要素が複合している。
餅つきや鏡餅の風習、くわい、黒豆、栗、鮭など、おせち料理の農水産物の大半は、
むしろ晩秋のほうがしっくりくる。
だから、明治以降1カ月前倒しになった新暦正月としても、違和感が薄い要素が多い。
正月飾りも、注連縄は晩秋のほうが分かりやすい(藁が「採れる」のは秋の稲刈りだから)
ところが、梅が咲くのは普通は新暦2月以降だし、愛でる草花も晩秋ではなく早春のものだし、
料理の中にも、タケノコのように、本来ガチの春にならないと食べられない代物も混在している。
酒についても、新酒が上がるのは今でも2月以降で、昔は晩稲だったから、新酒の上がりはもっと遅かった。
正月に酒を飲む習慣は、本来なら新暦3月ごろの習慣であるように思える。
ほうほう
真偽は不明だがおもろいこうさつや
江戸時代には砂糖が貴重品だったらしいけど庶民が食べる和菓子の甘味には何を使ってたの?
>>798 つまり、昔は正月には初収穫した新米で醸した新酒を飲む習慣があったの?
酒なんて昔は一年中醸してたろ
804 :
日本@名無史さん:2014/01/15(水) 20:03:40.37
>>800 1 庶民は和菓子など食べない
2 果実
3 飴だろ飴
4 ドライフルーツ
5 甘酒
>>804 飴の甘味は何使ってたのよ?
あと庶民は和菓子など食べないって言ってるけど
茶屋とかで食べる団子は甘くなかったのかな?
麦芽とか発芽玄米の酵素で、でんぷん液を分解したのが飴だね
でんぷん源は米がメジャーだけど別に何でも良い
807 :
日本@名無史さん:2014/01/15(水) 22:40:34.75
水飴でしょうか?
麹で飯を溶かして糖化したもので、
甘酒と同じ。
ろ過して、煮詰めて飴にする。
飴みたいな原始的なのを和菓子・洋菓子・中華菓子みたいに峻別しなくてもいいだろうけど、
飴も和菓子だよね。
809 :
804:2014/01/16(木) 19:55:01.98
飴の甘味は何 なんて聞かれると思わなかったわw
http://koizumiya.com/html/page4.html http://ws-plan.com/tsukuru/mizuame-mugi.html 今のいわゆる還元飴とは違う昔ながらの飴
米を蒸して麦芽糖にしたもの
砂糖のどぎつい甘さとちがってやさしいじわじわーとした甘さなの
「昔ながら」を謳っていても砂糖無添加というとなかなか少なくて
また固くするにはある程度砂糖を入れる必要があるらしい が
味わってみるなら
静岡:小夜の中山の飴(上のリンクの2つめ)がお勧め
青森:「南部あめせんべい」に挟んでた飴も良かったので飴だけ買えるかもしれない
和歌山:那智のかちわり飴(固い)なんか良かった
京都:桂飴,子育て幽霊飴(どちらも固い,このジャンルでは比較的甘い)
会津:五郎兵衛飴(寒天で固めたもの)
それと
伊勢の赤福も昔は砂糖じゃなくて塩味だったそうだから
茶屋の団子も時代や値段や地域によるんだろうけど
きっと今ほど甘くなかったろうね
穀芽飴は大麦もやしばっかりかと思ってたが、米や小麦も淘汰されずに残ってんだな
811 :
日本@名無史さん:2014/01/16(木) 20:26:46.42
小泉武夫先生の分析によると、
麹ではなくて、麦芽で糖化した酒もあったらしい。
このスレ勉強になるわw
忘れられがちだけど
ここ一応学問カテの板なんだぜ
豆知識な
814 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 11:04:00.83
>>804 >1 庶民は和菓子など食べない
そうだったの?
例えば、長命寺の桜餅は享保年間から門前で売られていた。
庶民も食べていたでしょうというか、むしろ庶民の食べ物だろう。
他にも、最中、どらやき、かりんとう、五家宝なんかは江戸時代にできている。
江戸時代といっても初期と末期では相当食生活が変化していて、
末期には庶民がいろんなものを食べるようになって、現代の和食の原型ができた時期だと思う。
815 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 11:19:08.44
落語なんかには
羊羹眺めるだけ
お菓子貰った子供に甲斐性なしの親が泣く
816 :
日本@名無史さん:2014/02/06(木) 13:02:17.72
道明寺などは庶民用は砂糖ではなく塩を使い
菓子と言うより主食的存在であったであろうことが確実視されている
>>800 どこの町にも飴屋があって麦芽の水飴を売ってたというが
>>816 糯米を蒸して干したものに、どう砂糖だの塩だの主食だのになるん?
工藤平助が報国以言で日本人は庶民までみんな砂糖を使いすぎると嘆いてんだから
天明年間にはすでに相当使われてたんだろ。
ちょうど享保年間に始まった本州でのサトウキビ栽培が軌道に乗ったのもそのころだし
江戸時代後期には品質にこだわらなければ砂糖は庶民にも手が届く価格帯にまで落ちていたと。
無知蒙昧な武士の感覚でのものだからねー
実際に、明治になって、幕府の貿易抑制策が撤回されると、砂糖の輸入が急増している。
需要がある、あれぱもっと使いたいというものが、十分に供給されていなかった。
821 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 12:16:17.58
敗戦後まで庶民にとっては甘い物とはコッカムであり
砂糖は結婚式などの慶事にごく僅かな量を口にするだけであったという
822 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 14:11:37.03
>>51 麹を使ってデンプンからつくる甘酒や飴はあっただろうね
飴売りって江戸時代にもあったんじゃない?
823 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 19:47:54.47
>>306 中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は中国江南地方 DNA分析で確定
共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、長江
(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、
DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調査団の調査で分かった。
渡来系弥生人は、朝鮮半島や華北地方から来たという説が有力と考えられていたが、
稲作の起源地とされる長江下流域を含む江南地方からも渡来した可能性が高くなり、弥生人の起源を探る上で注目されそうだ。
同日、東京で記者会見した日本側山口団長らによると、調査団は1996年か
ら3年計画で、江蘇省で出土した新石器時代から前漢時代(紀元前202−紀元
後3年)にかけての人骨と、福岡、山口両県で出土した渡来系弥生人や縄文人の人骨を比較した。
その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢時代にかけての
江蘇省の人骨と、渡来系弥生人の人骨には、頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。
また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があったが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。
江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。
中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が
極めて似ていることが分かり、弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えられた。
今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話している。
江蘇省ではこれまで春秋戦国時代から前漢時代までの人骨がほとんど出土せず、渡来系弥生人との関連を探る研究は進んでいなかった。
裕おちんちんだーいすき
826 :
日本@名無史さん:2014/02/07(金) 20:59:15.25
鮎の稚魚の氷魚だっけ?を御馳走として出したら
自分が酒を取りに行った隙に客の坊主が一気に食っちまった
って古典の教科書に有った記憶が有るな
828 :
日本@名無史さん:2014/02/13(木) 17:34:00.80
小豆って甘い?
小豆は甘くない。大豆と似たような味。
煮豆やアンコ等の甘みは、あくまで砂糖やその他甘味料の味。
大豆より、空豆とか豌豆とか隠元みたいな感じだよね
渋柿の羊羮とか、麦芽飴を香煎・黄粉・炒り粟と合わせた物とかなら当時も食べてそう
前にいた、小豆そのものが甘いと勘違いしてたやつ、まだいるの?
それとも別のアホ?
まあそう必死になるな
マツタケはそうだな
スシはびみょうじゃね?
安いものは安い
エンゲル係数高かった昔と比べると総収入と比較したら安いとおもう
江戸時代も屋台だけでなく華屋見たいのもあったし
寿司は最下等のだと3つで8文というのがあるが
いまのパック寿司も単価は似たようなもんだろう
昔も今も寿司は天底の差が大きい食い物、というところだな。
837 :
日本@名無史さん:2014/03/29(土) 22:34:39.69
戦前の山梨はアワビの煮付けより海魚の刺身のが高級だったせいで、ハレの食事は握り寿司って聞いたけど、
たとえ戦前でも煮貝のが原価かかってそう
>>837 刺身で食えるような状態で運ぶこと自体が大変だからだろう。
じゃあ有名な話をひとつ
三陸のある貧しい漁村では米が取れない上に馬で遠くから運ぶので米が貴重でした
そのため米の増量として他の地域の大根や芋のように
米にあわびを入れていましたとさ
まぁ商品にならない小型のものだろうが
840 :
日本@名無史さん:2014/03/30(日) 07:48:11.70 BE:6573938898-PLT(14000)
>>838 昔は鮮魚を氷詰めにして貨物列車で運んだそうな。長距離だと、途中で溶けた
氷を補充しないといけないので非常に手間がかかって高価になる。魯山人は
そうやって琵琶湖や宍道湖の魚を東京まで取り寄せて贅沢に慣れた財閥・華族をも
驚かせたそうだが、大赤字になって、魯山人は星ヶ岡茶寮をクビになってしまった。
842 :
日本@名無史さん:2014/03/30(日) 12:24:12.60 BE:5752196879-PLT(14000)
845 :
日本@名無史さん:2014/04/02(水) 02:32:21.48
>>841 1984年2月までは鮮魚専用の高速貨物列車があって、下関から汐留まで車内を締め切って運転していた。氷の途中補充は聞いたことないがあったのか?
>>845 それって松江(宍道湖)や彦根(琵琶湖)を通るのか?
おそらく魯山人が使ったのはそういう専用列車でなく一般の貨物列車。
だから余分な手間がかかって高価になった。
847 :
日本@名無史さん:2014/04/05(土) 02:38:37.78
>>846 松江は通らないが、彦根は通過した。寝台特急と同じ速さだった。白塗りの冷蔵車の運用は興味がある
停車駅近くの氷屋に電報を打って、駅まで氷を持って来させて補充したとか
>>848 どこの氷屋をつかっていて、そこの店にの領収書など客観的な証拠はあるのかな?
っと暇つぶしに絡んでみる。まあ存在していても学問的にあまり関係ないけどね。
星ヶ丘茶寮は空襲で焼けたから、領収書のたぐいも灰になったと思われ、
と言い逃れてみるテスト。しかし
>>845の列車って戦前からあったのかね?
魚冷蔵貨車はむしろ戦前がメイン
明治からある
スゲー雑に詰んでる物もあっておもろい
852 :
日本@名無史さん:2014/04/22(火) 15:24:10.24
854 :
日本@名無史さん:2014/04/22(火) 17:50:27.87
白米が入っている時点で
大韓の影響を感じるね
江戸時代まで日本人は玄米や雑穀が主食であったのだから
>>854 チョン死ね
こんなところまで湧いてきやがって
856 :
日本@名無史さん:2014/04/22(火) 18:53:47.58
明治38年に15銭か、、、
今の価値で1500円くらい??
明治30年で日雇い労働者の日給21銭
大工の日給65銭
天丼4銭
饅頭一個1銭だそうな
貧富の差が激しく人件費が安く大量生産きかんので物価が高い事考えると
庶民の感覚では三千円から4500円くらいじゃね?
汽車で幕の内駅弁くう人間なんてそれ自体かなり金持ちだろう
今の駅弁と同じくし同じ品質でも「鉄道特別料金」含むプレミア価格だろうし
まぁ現代の目線で見ても十分豪勢だもんな。
真っ当な価格設定かとも思える。
蒲鉾だの卵焼きだのは、かなり後でも特別な日でないと
食べないようなごちそうだったというね。
卵一個が明治30年代で2銭4厘だそうな
現代で300円から700円くらいだと思われ
明治15年に、太政大臣三条実美の次男が特例として華族
として分家(本来は分家は平民)したとき、三条家が親類に
配った祝いの品が「鶏卵一箱」だったらしいね。
>>861 それは当時としてもショボいんじゃないか?
まあ江戸時代の公家は貧乏だったからそういうもんなのか?
今でも京都人はケチだもんなあ。
今も一粒云千円のやたら高い苺とかあるけど
そういう感じの高級卵だったとか?
鋸屑じゃなくて籾殻だと思う。
定番の進物ってお歳暮程度ってこと?
まぁ送る人のランクにによりけりだから程度って扱いで一括りにはできないわな
だから、いくら明治時代でも、華族様の進物として
卵詰め合わせはランク的にどうなのって話。
少なくとも東京など都会では、蕎麦屋に卵とじ蕎麦
なんかがあって、今よりは高価でも、とても手が出ない
というほどの貴重品でもなかったはず。
ステーキより高いメザシとか、桐箱に詰められたトマトとか、ランクも色々あるわな
つまり明治時代のヨード卵だったんだよ!だよ!
871 :
日本@名無史さん:2014/04/25(金) 22:14:34.38
卵が高価だった原因って生産方法のため?運搬方法のため??
あのプラスチックの卵パックが出来てから卵が安くなったような気がする。
廃パルプ製の紙容器の頃から「物価の優等生」
:::::::: ┌─────────────── ┐
:::::::: |ジャムリンが氷鷺に殺られたようだな…
::::: ┌───└───────────v───┬┘
::::: |フフフ…奴はウィキペディア編集者四天王の中でも最弱 …
┌──└────────v──┬───────┘
| ジャムリンめ、氷鷺ごときに殺られるとは
| ウィキペディア編集者の面汚しよ…
└────v─────────┘
|ミ, / `ヽ /! ,.──、
|彡/二Oニニ|ノ /三三三!, |!
`,' \、、_,|/-ャ ト `=j r=レ /ミ !彡
T 爪| / / ̄|/´__,ャ |`三三‐/ |`=、|,='|
/人 ヽ ミ='/|`:::::::/イ__ ト`ー く__,-, 、 _!_ /
/ `ー─'" |_,.イ、 | |/、 Y /| | | j / ミ`┴'彡\
海獺 Ks aka 98 池脱兎
生産方法と、優良品種の開発だろうなぁ
いまだに種鶏のもとのもと、原原種鶏は門外不出
そして原種鶏を世界でも数社だけが出荷してる状態だもの
別に卵を送ったのは、高価安価じゃなくて縁起物で送ったんだろ?
結納などに昆布とかを送るようなものじゃね
値段でどうこう判断しても仕方ないように思うが
卵は昭和期でも相当高価なものだし、卵とじそばにしても気軽に
食べられるような値段じゃない。
一箱にいくつ入れたのかはわからないけど、全部で五千円〜
一万円弱くらいと考えれば、当時8歳の子供の分家の件で(おそ
らくは子供の名で)親類各家に送る内祝としてはけち臭いという
こともないんじゃないかな。
親類といっても、正親町三条(嵯峨)なんていう遠い昔の分家に
まで送っているんだし。
昔は米も高かっただろうしな
鶏卵もまた、今の米の値段で考えてはいけない
現代の鶏は毎日卵産むけど
むかしは一週間に一、二個なので効率悪いよな
今のは白色レグホンとか産卵に特化した品種だからなぁ
そういえば、ごちそうさんでも貴重な卵が云々ってシーンあったな。
戦中くらいの時期だと、1羽が生む頻度ってどれくらいなんだろうな?
10〜14日に1個とかかね?
今は年200個は優に生むみたいだから、この数十年でそこまで改良が進んだのは
世代交代が早くて、改良しやすいんだろうね。
むしろ毎日卵を産む方が、鳥としては異常なんだろうな
中外商業新報1932.9.16の記事で、産卵数が年平均120個らしい
今は目指せ300個って感じだから、2倍以上だね
>>884 年平均120個か〜
思ったよりも生むのね
886 :
日本@名無史さん:2014/05/01(木) 20:18:42.37
>>297 >無加塩の豆を一次醗酵して、加塩して二次醗酵するという形式のものは、モンスーンアジア、
>照葉樹林圏、要は稲作地帯に普遍的に存在・・・・・・・・・・・・
ふーん、味噌 醤油 納豆 豆腐などの大豆加工
>>20発酵食品が、稲作が伝来
した紀元前の弥生期に、米と共に日本列島に伝来していたと言うのですか?
豆を発酵させる意義はたんぱく質多い大豆において意味が出てくるから
大豆拡散以降だろうな
888 :
日本@名無史さん:2014/05/08(木) 06:14:02.63
>>886 発酵過程をふまぬ豆腐は、高野豆腐の名があるように弥生時代でなく
古代に中国帰りの学僧が製法を伝えたのでは?絹漉し豆腐は、その後か?
醤油は、中世に紀伊湯浅で製造され出したのじゃなかったか?
>>860 日本は昔から食品の価格がバカ高いので、他の食品の値段の比較もないと割高高級感が判らんわな。
>>881 鶏の本来の習性からいうと10日に1個とかはないわなあ。
鶏が年間100個以上卵産むなんて凄いね。
養殖牛も人間が引っ張り出さないと仔牛を産めないらしいけど
こういった種類が野生化したら子孫残せないだろうね。
カイコはそうなってるね
カイコ蛾は羽が退化して飛べないとか
幼虫は木にくっつけないし、外に置いても色が白過ぎて一瞬で鳥の餌食になる。
895 :
日本@名無史さん:2014/05/13(火) 10:17:21.14
>>102 徳川幕府は戦国時代の再来を恐れすぎたのがいけなかった。
それがイノベーションの否定として今の日本社会に影を落としているというか。
さつまいもは売れないのでつくりたくないという
資本主義経済の結果やね
焼酎にして売ればいいのに。
898 :
日本@名無史さん:2014/05/14(水) 19:58:02.46
焼酎、焼酎いわはるけどな
韓国から製法が伝わるまで
日本人は蒸留酒を作ることがでけへんかったんやで
899 :
日本@名無史さん:2014/05/14(水) 20:16:35.59
客観的に韓国ってすごいね いや好き嫌いじゃなく凄いんだな
芋焼酎はそれ用の品種で作らないと出来や歩留りが悪くてねえ
901 :
日本@名無史さん:2014/05/14(水) 20:55:03.16
我々は朝鮮に感謝しなくちゃ
臭い釣りだな
まあ日本の焼酎はタイ(シャム国)から琉球経由で
入ってきたんですけどね。
でもアジアにはアラブ商人が伝えたんだべ?
らんびきってポルトガル語由来だもんね
というか、現代韓国で飲まれている焼酎って、20世紀に日本人が持ち込んだ
連続蒸留法で作っている物ばかりに見える。6世紀頃の製法の物なんか残ってるの?
戦前の朝鮮半島には未開の土人しかいなかったな
所謂甲類焼酎しか日本に輸入されていないのは確かだな
戦前の日本の焼酎
九州・焼酎
朝鮮半島・(韓国)焼酎
沖縄・泡盛
本州四国北海道・「焼酎?何それ?」
んなこたない。少なくとも明治の東京に焼酎はあった。「焼酎を
飲み過ぎると鼻が赤くなる」という都市伝説まで成立してた。
そういや『東海道中膝栗毛』に「宿に焼酎売りが来た」という
くだりがあったな。飲むのではなく、脚に擦り込んで筋肉痛を
除くんだそうだ。
日本酒だが、酒でマッサージするのはうちの親父もやってたな、っていうかやらされたw
患部が温まって効果があるんだよな。
日本酒は間違いなく日本人がゼロから作り上げたものなの?
日本には果汁と天然酵母依存のワインぽいものも、麦芽を使ったビールっぽい物もなくて
麹も大陸とは毛色が異なる代物で…ご先祖様たちは、どこまでオリゼーに惚れ込んだんだよ。
確か、奈良時代初期に、春日神社のお供え物の飯がカビて(麹菌)、それで醸したら美味い酒が
出来たっていうのが起源なんだよなw
日本の麹は日本にしかないオリジナル
しかも大和人の品種改良の結果という。。
916 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 11:12:33.98
そういえば、収穫近くの稲穂に付く、
黒いカビの玉。
これは麹カビと、もうひとつ別のカビの共生体で、
灰と温度管理で分離すると、
酒造りに使える近縁種だそうな。
これから改良されたのかもしれないね。
917 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 11:27:21.85
大和人て奈良県人のことか?
918 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 12:05:42.81
>>914 日本酒の起源はもっと古い
日本書紀に酒の記述がたくさんあるじゃんw
「魏志倭人伝」に村の男女がたくさん集まって
米を口に入れて吐きだし樽にためて発酵させて酒を造っているという記述がある
米を唾液で発酵させる口噛み酒ってやつ
>>916 貯蔵中の穀物に生えて強力な毒を生成するカビも、
古本に生えて独特の臭さを出すカビも、
麹カビの近縁種だよ。
>>918 口噛み酒は、日本酒なのか?
酒が日本酒の開発よりも前からあった証拠にはなっても、日本酒が魏志倭人伝の頃にあった証拠にはならんしなあ。
大体、魏志倭人伝が本当に日本のことを伝えてるかどうか、或いは、実在した土地・社会のことを伝えてるものかも疑わしいのに。
はいはい卑弥呼もいませんでした日本にクニもありませんでした
922 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 16:39:22.80
>>920 日本酒の定義
1.米、米こうじ及び水を原料として発酵させて、こしたもの
2.米、米こうじ、水及び清酒かすその他政令で定める物品[3][4]を原料として発酵させて、こしたもの
3.清酒に清酒かすを加えて、こしたもの
米を発酵させた口噛み酒は日本酒に含まれる
魏志倭人伝は信用できない、日本書紀も信用できない(日本書紀には神代から酒を飲む記述がある)、
3世紀に倭国はなかったというならご自由に
日本列島に人が住みだしたのっていつだろう?
923 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 18:04:01.93
倭という記述がでてくるの紀元前6世紀から
924 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 18:09:20.36
ほんとか知らんけど
925 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 18:14:25.17
古代中国誌山海経がどれだけ信用できるのかって問題
>>919 例の毒米事件で一躍有名になった猛毒のアフラトキシン、これはコウジカビと構造が非常に
似てて、昔アメリカで醤油、みそ、酒など麹を使ってる食品を全部販売・輸入禁止にするか
どうか大問題になりかけた事があるもんなw
927 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 18:29:36.66
まあ普通は写本という形で新しく残すからな
石碑なんかだって立て直すよ
残すなら埋めるのが確実
>>922 米こうじが入ってないのに、日本酒なのか?
929 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 19:21:58.74
米麹糖化だけじゃなくて、
ビール等と同じ麦芽糖化もあったらしいね。
930 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 19:23:58.04
そういや、かつお節の発酵と乾燥に使う
かつお節のカビ付けも、
コウジカビの仲間らしいね。
麹の応用は広いね。
931 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 19:25:30.79
>>928 >米、米こうじ
なんだが?
米か米麹が入っていればいい
日本語が通じない?
932 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 19:31:11.55
米麹は澱粉糖化酵素のかたまりと思えばいい。
この酵素と炊いた飯を合わせて溶かし、糖液を作る。
それを酵母菌でアルコールにする。
この糖化酵素が口噛みなら唾液、
ビールなら麦芽になる。
要は米を糖に分解できればいいんだもんね。
そういや最近は、清酒用じゃなく焼酎用のクエン酸を高生成する麹を使ったもの凄く
酸っぱい日本酒なんて変わったもんのもあるなw
934 :
日本@名無史さん:2014/05/19(月) 23:24:33.51
>>926 実は麹カビにもアフラトキシンを構成する分子構造は残ってる。痕跡器官のように機能停止してるけどね。
>>931 どっちかじゃねえよ、両方入ってないと、日本酒と認められねーよ。
国税庁でも、酒造メーカーの広報課でも、聞いてみろよ
>>933 酸を加えて加圧して糖化して作る、融米仕込法も、酒税法・酒税法施行令による定義のために
米麹を加えている。
まあ、味付けの意味合いも多分にあるんだがね
水飴があるんだから、麦芽による糖化を知らなかったとは思えない。
なのに麹以外目もくれなかったのか、あるいは麹で作る方法に駆逐されてしまったのか。
麹の方が糖化の効率が良いけれど、麹で作る糖はグルコースだからあまり甘くない。
麦芽で作る糖はマルトースだから甘さが強い、しかも、結晶化しにくい。但し、効率が悪い。
酒にする中間原料としての糖なら甘さの強弱は重要ではない。効率重視。
939 :
日本@名無史さん:2014/05/21(水) 17:58:46.27
麦芽糖は甘くないほうだったような気がする。
蔗糖と比較すると単糖だからどっちも甘み少ないぜ
ホップを加えない素のビールは不味いらしいな。
「重湯にアルコール」だそうだ。
942 :
日本@名無史さん:2014/05/21(水) 23:02:47.84
数日コップに入れたまま放置した日本酒は、
アルコールが飛んで、砂糖水になってたな。
じゃあ、そのときの甘さ加減を覚えていれば、欲しいときに
その濃さの砂糖水を作って、適度なアルコール足せば、日本酒の出来上がりだね。
944 :
日本@名無史さん:2014/05/22(木) 07:31:30.59
清酒を薄めて、砂糖水に若干のアミノ酸と
アルコールを加えれば、いわゆる三増酒ってやつだな。
焼酎や洋酒などの蒸留酒はもっとひどい。
基本は水とアルコール。
これに香りの成分が追加されるに過ぎない。
その香りが最大の価値だが。
今燻製と称する商品は、燻製液に漬けただけで煙で燻していない
>>942 そんなに簡単にアルコールって抜けるもん?
数日あればね。
飲み残しのワインもたまに酸っぱくなってる時があるw
酸化して酸っぱくなるのはわかるけど、燗冷ましでもアルコールだけ抜けてる状態にはなかなかならない
それ酸化じゃなくて酢酸発酵
>>951 エタノールが酢酸になるんだから、課程がどうあろうが酸化そのものだろ
酸になるから酸化……ではないんだけれどね
954 :
イタクァを作らないか?:2014/05/25(日) 07:59:15.12
このスレの感想を歌にしてどうぞ
鯛の天ぷらってあまり見ないけどこれは何で?
単純にまずい、高いからかな。(自分は食べた事が無いから分かりません。)
それとも長い間家康がこれが原因で亡くなったと思われてたから
日本人には食べてはいけない物と思われてるから?
その天ぷらってのは、今で言うさつま揚げみたいな物だという話
鯛を使ったさつま揚げなら、今でも贅沢だがありそうだ
ちなみに九州の一部地方では、今でもさつま揚げを天ぷらと呼ぶらしい
美味いけど高いし、それに天ぷらって基本的にもっと小さい魚を使うのが常道だからかな?
ちなみに、家康の死因は胃がんで、天ぷらに中って死んだんじゃないそうだ。
>>957 最有力説がさつまあげですがほかに素揚げにねぎをちらしたようなもの
という説などがあるそうですね
>>956 白身の魚のさつま揚げは、まさに今あるさつま揚げの多くなので
鯛のさつま揚げは美味でしょうねぇ
しかし単純に値段が高いからつかわれないのでしょう
明石には鯛「いり」のさつま揚げを出している店がありますよ
おそらくイトヨリ鯛やチダイなど鯛の名前を冠した別種か
真鯛を使っていても一部ということではないでしょうか
5年くらい前に淡路島に旅行へ行ったとき、料理は鯛が食べたいと予約の時に注文付けたら、
丸一匹の活造とお吸物と天麩羅と出されたよ。
家康が食ってたのは、鯛の天ぷらをニラのすりおろしと酢を混ぜたたれに付けた
もので、出入りの豪商・茶屋四郎次郎が大阪の最先端だといって教えたw
何十匹もの鯛から良い身だけを集めて鯛そっくりにしつらえた蒲鉾という
大名向けの接待料理があったとか
正月にしか買わんけど、1本1200円とか2000円とかする、上等の白身魚で作った
蒲鉾は凄く美味いもんなぁw
ニラのすりおろし
ニラのすりおろし
ニラのすりおろし