邪馬台国ドンとこい99

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1日本@名無史さん
たつかな?
2日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:04:24.80
たてたよ、さっこい。


   o   。         ______o  O   。    。 °
 。 ○  o    ○   /  ィ     ○  o    ○
        o      /ニニニ)⌒ヽ        o
    o          (。・-・。) _ _) メリークリスマス!
  ○   。  ○  /○  ○) /|,. O  o
。  o    o   ∠∠______∠_/ /     ○
      o    .|/     / |_/  ○   。  o  O 。
 o  O     / ̄ ̄ ̄/ ̄   o    。
      。  ノ      /    o         O
 o   o  ∧ ∧___ノ)∧ ∧___ノ)    。   o      ○
   o   (*゚ー゚)   (゚Д゚*)  つ  o   °      o
 。   o ∪-∪'"~ ∪-∪'"~  。  。 o   °o 。
     __  _ 。     __   _   o  o__      _ °
  __ .|ロロ|/〜 \ ____. |ロロ|./〜 \ __|ロロ| __../〜 \
_|田|_|ロロ|_| ロロ|_|田|.|ロロ|__| ロロ|_|田|.|ロロ|_|田|__| ロロ|_


前スレ
やまどん98
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1321456508/l50
3日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:06:01.84
 || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
 || ○荒らしは放置が一番キライ。荒らしは常に誰かの反応を待っています。
 || ○重複スレには誘導リンクを貼って放置。ウザイと思ったらそのまま放置。
 || ○放置された荒らしは煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
 ||  ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
 || ○反撃は荒らしの滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。荒らしにエサを
 ||  与えないで下さい。                  Λ_Λ
 || ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて   \ (゚ー゚*) キホン。
 ||  ゴミが溜まったら削除が一番です。       ⊂⊂ |
 ||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_      | ̄ ̄ ̄ ̄|
      (  ∧ ∧__ (   ∧ ∧__(   ∧ ∧     ̄ ̄ ̄
    〜(_(  ∧ ∧_ (  ∧ ∧_ (  ∧ ∧  は〜い、先生。
      〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)〜(_(   ,,)
        〜(___ノ  〜(___ノ   〜(___ノ


4日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:10:39.23

               .|   |  | |   |    |  | |   |   |   || | |
               .|   |  | レ  |    |  | |   |  J   || | |
    ∩___∩    |   |  |     J    |  | |  し     || | |
    | ノ\   ,_ ヽ  .|   レ |      |  レ|       || J |
   /  ●゛  ● |   .J      し         |     |       ||   J
   | ∪  ( _●_) ミ             .|    し         J|
  彡、   |∪|   |   う〜ん・・・     .J                レ
 /     ∩ノ ⊃  ヽ
 (  \ / _ノ |  |
  \  "  /  | |
   \ / ̄ ̄ ̄ /


5日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:11:24.49
         \   ∩─ー、    ====
           \/ ● 、_ `ヽ   ======
           / \( ●  ● |つ
           |   X_入__ノ   ミ   そんな餌で俺様が釣られクマ――
            、 (_/   ノ /⌒l
            /\___ノ゙_/  /  =====
            〈         __ノ  ====
            \ \_    \
             \___)     \   ======   (´⌒
                \   ___ \__  (´⌒;;(´⌒;;
                  \___)___)(´;;⌒  (´⌒;;  ズザザザ
6日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:19:54.25
15 :日本@名無史さん:2011/11/17(木) 11:22:10.85
>>12
考古学があてにならないって事は、九州有利とされる鉄の出土量とか鏡の出土量も
怪しいってこてかwなるほど!

19 :ブラッと筆人:2011/11/17(木) 11:52:15.92
>>15
問題の本質をボカしたバカな揚げ足切り返し。
>考古学があてにならないって事は、
「畿内説を唱える考古学者のいうことはアテにならない」という意味だ。

土器変年、ボケの山古墳や箸墓古墳の築造年代、
三角縁神獣鏡の由来と素性、纏向遺跡の実態。
年輪年代法、C14炭素年代法の恣意的な利用。
いうことなすこと、今では誰も信用していない。
今だに、お里の知れた畿内説のギミックに尻馬してるのはKYのタコだけ。

歯が浮くような造語……「ヤマト王権」「ゆるゆるの連合」
ガキだまし以下のかけ合い詭弁……「鉄器よりも石器や銅器が優秀だった」。
未開の湿地が大半で銅鐸の出土すら少ない後進地に強大な権力が突然自生。
もはや「茶番」の領域だ。

7日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:22:05.07
25 :日本@名無史さん:2011/11/17(木) 12:01:20.31
>>19
小学生レベルの妄想を押し付ける奴より、畿内説唱える考古学者の方がマシだろw
邪馬台国問題を絡めなければ、考古学者の言ってることは可能性のある範囲の事だw
26 :日本@名無史さん:2011/11/17(木) 12:09:30.95
いや、この分野ですらプロとアマの差はかなりの開きがある。
ましてや他の分野ならアマの出る幕はないだろうw
倭国大乱〜台与の朝貢 までを九州内限定とするのはどうやっても無理だわ。
そんなこと言ってるのはマジ素人マニアくらいwこれだから素人マニアは
嫌われるし馬鹿にされるんだよ。分をわきまえておとなしくプロが書いた本読んでろw

30 :ブラッと筆人:2011/11/17(木) 12:22:44.93
>>25
畿内説唱える考古学者の「実績」「功績」だ。よくみろ

土器変年、ボケの山古墳や箸墓古墳の築造年代、
三角縁神獣鏡の由来と素性、纏向遺跡の実態。
年輪年代法、C14炭素年代法の恣意的な利用。

いうことなすこと、今では誰も信用していない。
今だに、お里の知れた畿内説のギミックに尻馬してるのはKYのタコだけ。


8日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:25:25.24
66 :日本@名無史さん:2011/11/17(木) 17:13:24.19
>>57
>都市じゃなくて墓だけどな。
墓でも同じ。
平原ですら精々十数メートル。
200mを超す箸墓は勿論100mを切るホケノや石塚と言った所謂「纏向型」や四隅や楯築と言ったものにも遠く及ばない。
九州の王墓から見れば古墳は巨大な割りには副葬品が貧弱に見えるだろうし
古墳を基準に見れば九州の王墓は外見が貧弱。
明らかに方向性が違うのにウリナラ起源説を主張する九州説のドあつかましさ。
古代九州の文化の特性を一番理解していないのが他ならぬ九州説の連中と思えて仕方が無いwwwww

75 :デイビッド別格:2011/11/17(木) 18:15:50.25
>>66
箸墓やボケノ山や石塚といった古墳の年代を弥生時代までさげて、
九州の「本物の弥生時代の墳墓」と比較して「副葬品が貧弱」「外見が貧弱」だと。
築造年代が100年以上も時代の異なる古墳の比較という詐欺師の論法をいつまで続けるのか。
畿内説学者のいう箸墓やボケノ山や石塚の築造年代など誰も信用しとらん。
>>67
>九州馬鹿どもはせめて纏向クラス発掘してから出直してこいやwwww
墓場に建てられた祭祀建造物だから、複合することなく残った。
ほかでは出ないから、なかった………。ガキのなじり合いレベルの詐欺論法だ。
日本のサポーターには厳しく制限しておいて、てめえらは鳴りもの旗振りなんでもあり。
そういうことを平気でやる神経とモラル感がよーく似てるぜ。

76 :デイビッド別格:2011/11/17(木) 18:32:36.12
畿内説のへたくそ詐欺師ども。
古墳時代以前、ヤマト王権以前の有力者の墓があるか?
古墳時代の古墳の話はいいから、純粋に弥生時代の墓で、
九州以上に副葬品ざくざくの墓を畿内でさがして出直してこい。
前方後円墳の原型というべきものが畿内にあるはずだ。
そういう「有力者の墓と思える弥生の墓」を掘って出直してこい。
あるわけなかろうが。タコ
9日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:38:17.52
570 :別格 :2011/11/22(火) 10:35:51.40
●纏向の大型建築物5世紀築造説
いずれ講演会記録が主催者やマニアのブログで紹介されるだろう。それを待ちたいと静観しているが、
これまでの敬意だけをみても、吹き出すようなオタオタ発言ばかりなので整理しておこう。
情報を提供してくれた>>421の彼は、きちんとした見方をしている。
「白石氏は従来どおりの目的論で邪馬台国は近畿(もっというと大和)と
決め付けて考古学の発掘実績を解釈するという論法 なのに対して、
高島氏は逆に考古学的発掘を積み重ねて帰納的に九州説を証明しようとしていた。
どちらが学者として良心的かは明白で高島氏の勝ちだと私は感じた」。
その彼は高島氏の発言をこう発言している。
「木造大建築物は実は邪馬台国の時代のもの ではなく、200年ほど後の5世紀のものであるということである」
俺の真偽確認に対してこういう返答をくれた。
>>533 「19日の講演の中で高島先生が5世紀の立て方だと批評されたのは間違い無いよ」。
これに対する畿内説のオタオタぶりを次に整理するが、まともな反論が皆無である事実を確認してくれ。
10日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:38:37.87
●発言内容うやむや法オタオタ
・5世紀に見えるものが既に3世紀にあると言う話と
 5世紀以後であると言う話では全く意味が違ってくる」。
・要するに5世紀以後に見られる建築様式が既に出ていると言うニュアンスか
 5世紀以後に見られる建築様式で年代は5世紀だと言うニュアンスか 」
・5世紀の遺物ではなく柱の間隔が5世紀のもの(に近い)と言ってるだけで、
 建てられた年代が5世紀だという証拠にはならない」。
本人の発言に見るかぎり、「邪馬台国の時代のものではなく5世紀のものである」とある。
・年代測定には、堆積層とか地層から出た出土物から推定するもの。
地層による判断ではなく「柱と柱の間隔や縦横の柱の立て方」に依拠していると発言している。
・単に後代5世紀頃に同じものがあると言っただけで………
学者が「邪馬台国の時代のものではなく5世紀のものである」と発言したとある。

・柱間が等間隔なことや方位をそろえてるのが飛鳥時代の建物みたいだって
 それほど高度な遺跡ということだろ
・高島の言ってる指摘は、5世紀に使われた尺度で建物が作られているという指摘にすぎない。
・5世紀に使われた建築尺度がすでに3世紀から使われてというところが、マキムクのすごさなのであって」
本人の発言に見るかぎり、「邪馬台国の時代のものではなく5世紀のものである」とある。
11筑紫次郎:2011/11/26(土) 08:39:57.90
@倭人伝記載の方角はほぼ正確で、伊都国があったのは佐賀平野(たぶん佐賀大和)。

A水行陸行は所要日数ではなく、距離や邪馬台国の場所とは無関係な日数。

B不弥国から投馬国、投馬国から邪馬台国までの距離は記載しなくても場所が判るし、
記載できない訳があったので記載してない。

B其餘旁國遠絶不可得詳から不弥国と投馬国、投馬国と邪馬台国の間には
他の国は一国たりとも無かった。

以上から
邪馬台国のあった場所は旧山門郡。
12日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:41:08.60
861 :deshabari :2011/11/24(木) 21:53:16.75
>>843 ~ >>845 哀れなジョーカー
>「鉄器の多寡は国力にそのまま繋がる筈だから現行の遺跡の発掘状態
>そこから推定された人口のモデルがどうあれ九州は無敵鉄器軍団を擁した大国強国!」
>なんてことをほざいている馬鹿な学者も識者もいない南無w

あはは。なにをバカなこと仰ってるのですかな。貴殿が上記に述べたような「九州は無敵鉄器軍団を擁した大国強国」
などと単純なことを言う人は九州説者の中でも稀な存在でしょう。九州の遺跡、出土物から推定されるようにまた半島、
大陸への距離的近さから考えられるように、弥生時代の九州には大陸や半島との交流があり、文化や技術の流入があった。
また、鉄器の利用もあった。これらのことは畿内地方とは画然たる差があった。そのような意味において弥生時代の九州
と畿内地方を比べれば九州は先進強国であり畿内は後進弱国という比喩が相当するというところでしょうな。
>元よりそこから先、鉄が如何に国力増強に資したかをどうやって説明するか…なんて発想は持っていない。
ははは。貴殿は己の思慮の浅さに気付いていない。
当方は貴殿が「考古学的資料を以て鉄が如何に国力増強に資したかを説明しろ」と無理な要求をするから
「そのような評価を可能とするデータは得られていない」と遺跡、出土物調査結果の現状を説明してあげたのですがね。
上記「元よりそこから先、・・・・なんて発想は持っていない。」のような発言をするのは貴殿が考古学というものと遺
跡、出土物資料の現状と因果関係を調べるための厳密な科学的方法について疎いということを示しているのです。
862 :日本@名無史さん:2011/11/24(木) 22:01:37.11
>>861 deshabariな縄文人
おいゴミ。
先進性とか後進性とか言うオレサマ定義はどうでもいい。
元々の話は大型古墳を築砕けの国力があるか否かだ。
ここまでお前は何一つそれについて論証していない。
鉄器の評価についても
>「そのような評価を可能とするデータは得られていない」
と言うのなら最低限、先進性とやらを示す材料に出さないのが筋だが
兎に角アドバンテージに挙げられそうなものは全部挙げたいと言う幼稚な思考が丸分かり。
13日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:41:52.16
868 :deshabari :2011/11/24(木) 22:19:31.72
>>862
またまたアホなレスですな。
>元々の話は大型古墳を築砕けの国力があるか否かだ。
曖昧な文章だね。どこの勢力に「大型古墳を築砕けの国力があるか否か」と言うのだ?
>鉄器の評価についても
>「そのような評価を可能とするデータは得られていない」
>と言うのなら最低限、先進性とやらを示す材料に出さないのが筋だが
鉄器の有用性は現実に石器時代から鉄器時代へと移って来た歴史が証明している。私が「そのような評価を可能とする
データは得られていない」と言ったのは 「鉄器の国力に与える影響を評価するためには鉄器が入る前後の人口や耕地面
積などの変化が分かるデータが必要であるが、その ようなデータは現在の考古学資料には揃っていない。」ということ
なのである。
14サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 08:47:18.59
>>11
ご都合主義にもほどがあるww
それは最初から結論を山門郡に設定して、
その答えに合わせるために倭人伝の情報を解釈したにすぎません。
15日本@名無史さん:2011/11/26(土) 08:48:35.69

938 :deshabari :2011/11/24(木) 23:52:15.25
>>877 ますますアホになるジョーカー
>「鉄は国家なり」と言われたのは産業革命以降。
>化石燃料を手に入れる前はもっぱら木材を使わねばならなかったが当然限界がある。
>無茶な伐採は山の保水能力を下げ水害を起こし古代なら食料の堅果類や動物の数の減少にも繋がっただろう。
ははは。馬鹿の一つ覚えとはこのことだね。
「「鉄は国家なり」と言われたのは産業革命以降。」がどうしたと言うの?
あのね、イギリスの産業革命が始まったのが18世紀半ば過ぎなのよ。日本ではそれよりずっと前から石器でなく
鉄器が使われていたの。鎌倉時代にもその前の平安時代にも鉄の刀が使われていたの。その頃「戦闘には鉄の武
器より石や棍棒の方が有効だ」と思われていたの?そんなわけないわな。
製鉄や鉄の加工には木炭が必要であったが、その木炭の製造が原因で山林が破壊されると心配しているが、計算
はしてみたのかね。
当時(弥生時代)の人は燃料として木材を使っていた。ほぼ毎日使っていた。それでも山林の破壊は起らなかった。
日本の森林は現在国土面積の約70%であるが、弥生時代はもっと多かった。人間が生活のために使う木材の量などは
全く問題にならなかった。
現在日本では年間約1200万立方メートルの木が伐採されているが立木材積は増え続けている。今、日本の森林を守る
と言うのであればもっと伐採量を増やして植林、育林の仕事が成り立つようにすべきだと言われる。(あ、横道にそ
れた)
仮に、1000ヘクタールの近郊林を持つ集落で年間1000トンの木材を製鉄や鉄の加工に使ったとしても、森林1ヘク
タールで育つ木は年間1トンを上回るから全く心配はいらない。
現代の消費社会と古代は全く違うのだ。1000人程度の集落で農具や武器を作るために必要とする鉄は年間500kgも
あれば十分だろう。そのために消費される木材の量を心配する必要は無い。
16日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:06:05.87
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自身の事跡を誇るために海から見える場所にあのような大きな墓を作らせたのではないのか

17筑紫次郎:2011/11/26(土) 09:08:20.04
>>14
ご都合主義にもほどがあるww

どこがご都合主義かを
根拠を提示して具体的に指摘してください。
18サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 09:11:28.62
>>16
そういう妄想小説はご自身の日記で書かれたらどうです?w

頭悪い素人が歴史研究なんかしようとするからそんなめちゃくちゃな
答えになるんですよ。まず旧帝大以上の大学に進学して歴史学の博士号を取ってください。
そうすれば今の自分の発言も恥ずかしくなりますのでw
その前に邪馬台国などに深入りしてる自分が馬鹿らしく思えますよ。
19筑紫次郎:2011/11/26(土) 09:13:39.60
>>18
根拠も提示できず宣託だけの貴方は間違いなく屑です。
20日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:20:11.69
>18
こいつは学歴詐称、名古屋大学の恥さらしだ。
21サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 09:22:44.46
>>19
あまりにも馬鹿馬鹿しいのでスルーしてただけですw
山門郡なら女王国の東に海なんてないでしょw
だいぶ遠くまでいけばありますが、どんだけ離れてるんですか?
22筑紫次郎:2011/11/26(土) 09:32:34.85
>>21
>あまりにも馬鹿馬鹿しいのでスルーしてただけですw

馬鹿馬鹿しいほど脳タリンなのは貴方。

>山門郡なら女王国の東に海なんてないでしょw
だいぶ遠くまでいけばありますが、どんだけ離れてるんですか?

倭人在帯方東南大海之中と同じ。
すぐ東が海とは書いてない。

女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里
から
海は千里しか無いのに侏儒國(四国)は女王から四千里離れているのだから
山門郡ならほぼ一致する。
23日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:33:49.21
>>21
邪馬台国の研究をしている者なら単に意見をレスするのではなく、自分の意見
の論拠を示し、自分の意見が正しいという論証をしなさい。それができず、単
に意見を言うだけなら史学を学ぶ能力は無い。
24日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:36:01.68
クニってのは点(首都)ではなく面(領域)で捉えるべきだろ
25日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:43:52.10
905 : デイビッド別格 : 2011/11/04(金) 22:26:35.74
>>903
>見栄と嘘と知ったかぶりの塊
>見栄虚栄心だけは人の百倍千倍。
>威勢の良い事をほざく前に
>風呂敷広げてそのままトンズラしたことを片付けろよ阿呆。
よしよし。お前の目の前で片付けてやる。いいたいことの続きは直接聞く。
直接会って、「見栄と嘘と知ったかぶりの塊」かどうか自分の目で確かめろ。
その気があれば連絡方法を教える。
909 : 日本@名無史さん : 2011/11/04(金) 22:37:44.41
>>905 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
>直接会って、「見栄と嘘と知ったかぶりの塊」かどうか自分の目で確かめろ。
この2ちゃんの書き込みで 森村伊作 と言う奴が
 『 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 』
と言うのは嫌と言うほど分かっている。
だから「纏向の土器は全て外で作られた」とか「楯築は前方後円墳」とか次から次に馬鹿をほざく失態を演じる。
無論一つや二つ思い違いがあるのはご愛嬌だが
この馬鹿の場合、一つの失敗をその見栄から直ぐにカバーしようとして使えそうなものには(中身も理解しないまま)直ぐに飛びつくから更に恥を重ねる。
近近のネタで言えば唐古鍵の外部勢力による勃興かな?
「搬入土器」の文字を見てはしゃいで飛びついただけの話w
26日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:46:24.49
910 : デイビッド別格 : 2011/11/04(金) 22:43:56.44
>>909
尻尾を腹に巻き込んで、
電柱の陰で吠えるポメラニアンみたいなマネはもういい。
直接会って「見栄と嘘と知ったかぶりの塊」かどうか
自分の目で確かめる勇気はないか。
912 : 日本@名無史さん : 2011/11/04(金) 22:50:41.18
>>910 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
直接会う?断る。
こちらが指定した日時場所にお前が出向いてくるって話でも無いんだろう?w
よしんばそうだったとしても
直接会ってされが老い先短そうな老人だったら
俺も鬼じゃないんだから哀れに思って叩きもやりにくくなるだろうしwww
913 : デイビッド別格 : 2011/11/04(金) 23:00:31.69
>>912
>こちらが指定した日時場所に
それは調整だ。俺は関東にいる。
>老い先短そうな老人だったら
吹けば飛ぶよな「ひょうろく玉」だが、ぴんぴんしてるぜ。
余計な心配も恐れることもない。
>叩きもやりにくくなるだろうし
遠慮はいらん。俺の目の前で、同じことをいえばいい。
あとは、直接会ってからのことだ。
915 : 日本@名無史さん : 2011/11/04(金) 23:07:54.67
27日本@名無史さん:2011/11/26(土) 09:46:37.49
>>913 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
だから断るつってんだろうがこの阿呆。
そもそも直接会って話す事柄はここでは書き込めない事なのか?w
「直接会って話しつけようや」…というのも2ちゃんでアホが辿る末路だな
919 : デイビッド別格 : 2011/11/04(金) 23:21:54.10
>>915
>だから断るつって
そういうわけにもいかんだろ。
口ほどに堂々とでてこんと、匿名名無しといえどカッコつかんだろ。
それとも、俺の目の前で同じことをいう度胸はないか。
921 : 日本@名無史さん : 2011/11/04(金) 23:35:10.76
>>919 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作
>そういうわけにもいかんだろ。
そういうわけにいく。なんら問題が無いが?w
じゃあ仮に俺が
「このドキチガイ森村伊作にリアルであったら何をされるか分からない」
と度胸無しにビビっていたらどうだと言うんだ?w
ちなみに俺が決定的にこの森村伊作とか言う馬鹿が知ったかぶりの阿呆だと思ったレスの一つ
>せいぜいが2〜30メートルの円墳を造っていた時代に、
>前方後円墳の「完成形」ともいえる280メートルの古墳が
>いきなり登場するなんて歴史じゃない。
>とくに大古墳の築造には、道具・人員動員・土木技術などのほかに、
>「祭祀規模の拡大」という超現実的な要素が伴うのだ。
>280メートルの箸墓が弥生末期の3世紀半ばに登場する可能性など、物理的・過家具的、
>そして人の感性と心理学的な面からみてありえないのだ。
物理的・科学的・心理学的(苦笑)と大風呂敷広げたが
無論それらから見て合理的な説明があったわけじゃない。
こうやってこいつが大風呂敷広げっぱなしでトンズラしたネタを書いていけばキリが無い
28サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 09:46:52.94
>>22
すぐ東が海とは書いてないとかそれがご都合主義だって言ってるんですよw
馬鹿馬鹿しい。九州内の旁国は遠絶で詳細はわからないのに、四国の詳しい情報など
載せてる時点でおかしいでしょ。倭人伝の解釈で九州説などという
古典的な手法ではどうやっても無理があるんですよ。
>>23
僕は邪馬台国の研究者でもなんでもありませんのでw馬鹿にしないでくださいww
29日本@名無史さん:2011/11/26(土) 10:03:48.34
>>1
乙です
目指せ100♪
30サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 10:04:16.58
筑紫さん、貴方も邪馬台国など不毛なものはやめて、
もう少し有益な研究テーマに替えたほうがいいですよ。
歴史学自体が素人が手を出すようなもんじゃないし、
工学系でなんか発明するとかそっち系に切り替えたほうがいいです。
それなら民間人でも才能あれば十分勝負できますので。
31日本@名無史さん:2011/11/26(土) 10:09:00.60
[614]東京帝国大学文学部国史学科 [] 2011/11/26(土) 01:51:09.07
AAS

>>589 :旧帝大歴史学徒
君は、頭狂大学の歴史学徒か?それとも狂徒大学の歴史学徒か?
史学科のあった旧制帝大は両校のどちらかしかない。
それら以外で旧帝大の歴史学徒と名乗る者は詐欺師だ。

気付いていたけど、やっぱり詐欺師らしい。さすが畿内説論者。こんな奴ばかり(゜Q。)
32サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 10:12:58.70
年齢も学歴もとにかく否定したい人の集まりなんでしょw
プライド高いマニア特有の思考で、他人を批判することで
自分が賢いと錯覚してるだけです。証拠に学会の定説の畿内説も
マニアはこぞって否定してる人ばっかでしょw
こういう人らは何を言っても否定するんだよw
33日本@名無史さん:2011/11/26(土) 10:15:47.80
[620]日本@名無史さん [] 2011/11/26(土) 09:28:38.53
AAS
日本書紀を歴史書だと思って
歴史を研究してきた歴史学者や学会は悲惨だよな。
[621]日本@名無史さん [] 2011/11/26(土) 09:33:58.41
AAS
たぶん当人たちはその悲惨さってわかってないよ
34太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 10:22:23.34
19歳の老人はすでに論破済みである。
35サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 10:26:08.55
ひれ伏しなさい太国さんw
九州王朝などにあっさり洗脳される素人の低学歴が
僕にたてつくなどおこがましい。
36日本@名無史さん:2011/11/26(土) 10:33:40.64
一支1st→已百支last.↓  http://ameblo.jp/y52yd/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄├───┐  ┏━──┐9.3d
支(防)┌──┐  ┏末盧┏┓└→□金印  └─┐
      └┐  └┐┃↓┗┫┗━━┛委奴国  ┏┘
.  北 .   └─┐┗┛    ┗━┓.    (=筑紫) ┃↑
. φ  ....┌┐│放■@  ★不┗┓ 斜陽     ┃海峡に疎い
 南   ┌┘││射■伊都→弥┏┛ 再掲 D  ┗┓
      │  ││式■┿┳↘ ━┛.██████.. ━━┻━━━┓
『伊都』└┐└┘┏■↓┃  奴←▉烏奴←██ 支惟← 巴利 ┗┓
飛地┌─┘遠絶┗■  ┗┳━━▋ ┫┏┓ ██ ┌躬臣┘  ┏┛
    └────┐■    ┃其南▍ ┗┛┃┌■邪馬┏━━┛→
『奴』非親女王┌┘■十  ┃ 有 ▎E   鬼奴■┐  ┃四国認識
    非反狗奴└─■日┏┛狗奴国 Kikuchi ■為吾┗━━━┓
      ┌──┐  ■  ┗┓      ┏━┛鬼■┘ C     ┏┛
    ┌┘┌─┘  ■  ┏┻━━━┛★┌┘■女王国以北┗┓
    │┌┘十    ■━┛      華奴蘇奴  ■戸数道里可得┛
    └┘  日┏━■一              ↑  ■略載(抄録)┗┓
      ┏━━┛  ■月    ┌蘇奴→呼邑  ■┏━━━━━┛
      ┃↓      ■↓★┌対蘇    Koyu. ■┛夷守:卑奴の
    ┏┛投馬 A ■    姐奴←不呼┐┏━■  南下監視
    ┗┓Satsuma ■ ┌弥奴─→ 好古津┓■
      ┃         ██都支..Aya..Miya┏━ ██  都支(城):宮護
    ┏┛    ┏┓  ██ └ 伊邪┏━┛ ██   伊邪那岐
┏━┛  ┏━╋┛   ████████████
┃    ┏┛┏┛    B  已百支┃  周旋五千余里
┗┓  ┃  ┃原  邪馬台  ↑┏┛
  ┗┓┃  ┃田○┏━●斯馬┃Kushima
    ┗┛┏┛    ┃  璧┏━┛次有
    ┏倭地温暖┏┛↓┗┛
    ┗━━━━┛南方に詳しい
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1105856.article.html
★「佐賀は南九州と朝鮮半島を結ぶ役割を担っていた」
37太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 10:35:38.82
オマエは書きこみの状況、内容からジョーカーではないかと思ってたが、
どうやら違うようだ。オマエはコチラのコテハンを数回毀損した。

しかし途中、毀損しないで正規にコチラのコテハンを書いていたことが
あったことから、オマエがジョーカーだろうという疑念は消えた。つまり
ジョーカーなら最初から最後まで毀損しっぱなしで、正規に書きこむこと
などしないからな。そこであいつと別人と観た。

オマエの妄想より文証のほうが優先であり信用出来る。多出の年号の存在
は、オマエの盲象を完全に破折する。
38サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 10:41:21.77
だからジョーカーなんてなんのことかわからないと
何度も言ってるのに、全然言うこと聞かなかったのは貴方のほうでしょww
ほんと物分かりが悪い人だなあww
太国さんも古田教とやらにすっかり洗脳されてしまったんですか。
僕は嘘など言いませんよ。ジョーカーでもないし、69歳でもありませんので。

巻向大和王権が朝貢しなかった理由も答えられないんでしょw
それでは九州説は成立しません。
39太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 10:54:39.83
朝貢の有無は畿内か九州かの判断には関係ないだろうが。

どうしてもと言うんなら ↓ これは畿内のほうだな。

漢書王莽伝

  元始5年 東夷王 度大海事国珍
40太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 10:55:53.79
巻向以前に国珍を献じているということだな。
41筑紫次郎:2011/11/26(土) 10:56:32.15
>28
>すぐ東が海とは書いてないとかそれがご都合主義だって言ってるんですよw

倭人在帯方東南大海之中と
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種又有侏儒國在其南人長三四尺去女王四千餘里を根拠に挙げました。
何故根拠にならないかの説明は一切無しですか。
自分が屑であることを認めたのですか?

>九州内の旁国は遠絶で詳細はわからないのに、

聞けば記載できたのでしょうが、記載する意味がありません。

>四国の詳しい情報など載せてる時点でおかしいでしょ。

詳しい情報ではなく倭の周辺諸国の情報として必要十分な情報でしょう。

>倭人伝の解釈で九州説などという古典的な手法ではどうやっても無理があるんですよ。

誤魔化すしかない機内説に言われたくありません。
42サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 11:06:33.97
一応冊封体制が終焉するのは5世紀の雄略天皇の時です。
朝鮮半島経営で、小帝国を目指し冊封体制から脱却しようと
試みることで終焉しております。聖徳太子の時代の遣隋使は
冊封ではなく対等外交を試みたので冊封ではありません。

ですので5世紀までは中国に朝貢して爵位を貰うことが
権威の象徴だと何度も申し上げてるはずです。
台与朝貢から讃朝貢までの約150年間は、中国北部が五胡十六国時代に
突入したことで、朝貢ルートが遮断されたため朝貢の記録がないんです。
383年の淝水の戦いで前秦が敗退することで、山東半島経由で東晋に朝貢する
ルートが復活したので、再び倭国の朝貢が再開されたのです。

ですので3世紀の時点で巻向ヤマト王権が朝貢していなかったと
考えるのは土台無理があるんですよ。この点だけみても
九州説はありえないことくらいわからなければなりませんよ。
43太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 11:13:36.13
朝貢で説の正誤が分かるのか? これでは説明になるまい。

だいたい雄略時に権威の象徴だというなら、なにもオマエが言う権威の
象徴となるべき女王卑弥呼を朝廷が隠匿することはなかろう。

それに隠すよりも、コチラが向こうを属国だと紀に書けるだろうが。
例えば「魏」は『倭(委)』のヘンと卑弥呼の鬼道の『鬼』の字を大陸側
にコチラ(朝廷)が授けたんだとすればいいわけだぜ。w なにも隠す
必要はなかろう。
44サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 11:15:01.10
>>41
たしか前にも申し上げましたが、九州説なら巻向ヤマト王権の情報は
記載されてないのは無理があるんですよ。倭種有くらいじゃ弱いです。
それに答えを言ってしまえばその侏儒國等の記載も山海経の妖怪譚の
一説で、まともに考えても意味のない記載なのです。
貴方がわかってないのは、これも何度も申し上げてる通り、
現代人の地理認識で正誤を判断してしまってることです。なので
誤った答えしか導き出せないのです。
45唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 11:17:27.17
>>9
>高島氏は逆に考古学的発掘を積み重ねて帰納的に九州説を証明しようとしていた。
>どちらが学者として良心的かは明白で高島氏の勝ちだと私は感じた」。

3世紀前半の大型建物を、5世紀としなくては立ち行かなくなった九州説の
最後の悪あがき だろうな。

46サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 11:22:48.44
>>43
属国などと書いたら中国の文献と照らし合わせたらすぐにばれるでしょw
記紀はご都合主義で都合の悪いことは隠ぺいすると何度も言ってるでしょ。
47日本@名無史さん:2011/11/26(土) 11:24:36.75
前スレ
>とりあえず、鉄も人口問題もおわりか。

終わらない。絹の話も装飾古墳の話もその他諸々終わらないw
多少形を変えたとしてもゴミクズレベル九州説は今後も
「九州は鉄器が豊富だったから強国大国だった」と繰り返す。
自分達に有利と見るや何の検証もなく見境なく引っ張り出すアホ連中だからなw

まあゴミクズレベル九州説の与太話は別にしても個人的に鉄の話は興味深い。

よく鉄の話で引き合いに出されるヒッタイトにしても
確かによく「鉄の民族」とか言われるがあるが実際のところ自分が読んだ(ほんの数冊ばかりだが)本の中でも
鉄がヒッタイト帝国(人類史上初の帝国)を生み出したと言うニュアンスで書いてあるものはなかった。
(そもそも彼らが進出する前のアナトリアの遺跡に既に鉄製品が見つかっている)
ヒッタイトが広範な帝国を築けたのは時に打ち負かした国の王と盟約を結び
一定の権利を保障して帰順させたりといった硬軟使い分けた外交や商業活動にまで及んだ法治システム(=ソフト)にあったようだ。
(このへん詳しい人に是非ご教示願いたいが)
無論その柔軟性は版図を拡大するには有利な反面、常に分裂のリスクもあったのだろうが…

鉄はむしろ他国の王に贈答品にしたりして実用品と言うよりは貴重品扱い。

『ヒッタイト帝国』 ライフ人類百万年
>ヒッタイト人は鉄剣を振るって戦闘に突入し、鉄よりも硬度の劣る金属で作られた敵の武器を
>粉砕することができたと言う広く行き渡っている考えは事実に基づくものではない。
>ヒッタイトの金工職人が玉座や装身具や神像ばかりではなく鉄剣も作ったことは事実だが
>その製品の多くは神への贈り物として神殿に奉納されるか
>ヒッタイト王からの贈り物として他国の支配者に贈られるかのどちらかであった。

何れにせよ古代の世界で鉄器で広大な農地を獲得し鉄器軍団で周りの敵を蹴散らして
鉄器の(ツールとしての)優位性 でもって国を興し版図を拡大したと言うような事例は正直思いつかない。
ゴミクズレベル九州説さん達には是非ご教示願いたいところ。
48唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 11:40:21.92
>どうしてもと言うんなら ↓ これは畿内のほうだな。
>漢書王莽伝  元始5年 東夷王 度大海事国珍  巻向以前に国珍を献じているということだな。

朝貢で説の正誤が分かるのか? これでは説明になるまい。

大和から漢鏡が出土しない事実はこれが誤りである可能性が大きいことを表す。
九州では、この時代の鏡が出土する。


49日本@名無史さん:2011/11/26(土) 11:42:41.51
自称19歳のカスに餌を与えるな!カスがクズを呼ぶだろうが!
50サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 11:45:17.85
鉄の話も聞き飽きましたw
北九州が鉄の利権で優位に立ってたなら
3世紀半ばに畿内の鉄量が格段に増えるなどありえないですから。
巻向ヤマト王権が、北九州と瀬戸内ルートを押さえたから
鉄量が増えたと言ってるでしょ。

卑弥呼も共立された倭王なので、万世一系が建前の記紀では
詳細な情報載せれなかっただけでしょ。神功に比定することで
お茶を濁すしかなかったんでしょう。
51日本@名無史さん:2011/11/26(土) 11:52:37.76
前スレ >976 旧帝大 
>鉄の利権も九州が独占してるはずなのでこの点でも九州説では弱いです。
>後漢の混乱により、冊封されていた北九州の倭王の権威が低下したことで、
>鉄の利権を奪取すべく畿内ー瀬戸内勢力が大陸からの輸送ルートを確保するために
>九州勢と戦になったのが倭国乱の一因だと考えられます。

その手の話はそれこそ関祐二がいっていたような気がするがw

先ず話の前提として北部九州が鉄資源を独占していたと言う事実が確認できなければ始まらないだろう。

畿内ヤマトとかは別にしても山陽地方とかならそれなりに出土量はある。
日本海側なら一つの遺跡から出た量で言えば九州をしのぐ物もある。
青銅品で言えば北部九州奴国あたりで造られたと思われる銅矛は荒神谷や四国にも広がっている。

そもそも北部九州がマーケットを自ら狭めて何のメリットがあるのか?
(無論、高く売りつけるための工夫はしただろうがw)

準構造船で瀬戸内海の東西から兵を送りあって総力戦が起きたとも考えにくいし
互いの勢力の最前線のクニによる戦争をやるとしても相当に大きな軍事同盟のブロックのような物を想定せねばならない。
磐井の乱の平定劇は6世紀の話だが3世紀以前に武力で北部九州平定と言うのも現実味があるかどうか…

それこそ大昔の教科書に載っていた日本列島に「銅矛文化圏」と「銅鐸文化圏」の二つの円を重ねて
あたかも二大勢力があったかのような歴史観に見えるな、なんの事はない東遷説の鏡写しだ。

まあ以上中学生の教科書に毛が生えた程度の知識の素人の疑問だがwwww
52唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 11:53:41.77
>569 -92    ☆紀の崇神6年 鏡作神社 鏡 改鋳
>570 -91 239 ☆景初3年鏡銘文年←鏡製造は↑鏡作改鋳のほぼ4ヵ月後

纏向は2世紀末からであり、△鏡は桜井茶臼山からである。
どちらかを捨てなければ成立しない太国倍年。
以前、これと同等の事を、文献でしようとした。それは、「仁徳4年に書かれているから応神4年の出来事である」。
うろおぼえなので間違っているかもしれないが、このような主張であった。

それ以来、太国は自分の編年で歴史を主張することが無い。
纏向を3世紀半ばに持って来れば、茶臼山はさらに遠のく。
茶臼山を3世紀半ばにすると、纒向の説明が出来ない。
どっちにした〜?
53サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 12:00:33.06
こないだネットカフェで読んだ雷火というマンガが邪馬台国を舞台にした
ドラクエみたいな話でしたwロト紋と同じ作者ですしね。
あの作者も九州説で最後東遷をにおわして終了するんですが、
東遷する際、民族大移動みたいに女子供も引き連れてみんなで移動してるので
やっぱ東遷などありえないなと思いましたよww
54唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 12:30:13.41
>3世紀半ばに畿内の鉄量が格段に増えるなどありえないですから。

大和の鉄は、ホケノ山古墳(225〜250年)からである。
これを否定するために、考古学の年代を否定するがはたして正しい主張であるか?
ホケノ山古墳が何時作られたかを記紀から割り出すと
東海、瀬戸内の壺=崇神11年異俗多帰以後。
木槨、楽浪鏡、鉄器=任那建国後。
穴あき壺=初期の埴輪=垂仁末以降。
茅原≒菅原、チガヤ、スゲカヤは植物学的に同一。垂仁の墳墓であれば、
239年 伊支馬=イクメ=垂仁 であり、田道間守の派遣。ここより1世代前に任那建国があるか?
三國遺事卷二 より
洎新羅第三十王法敏龍朔元年辛酉(541年)三月日.有制曰.朕是伽耶國元君九代孫仇衝王之
降于當國也.
位己卯年(559年)置便房,降及仇衝朝末,三百三十載之中,享廟禮曲,永無違者.其乃仇衝失位去國.
新羅本紀より
209年 浦上八国が加羅を侵略、加羅王子の救援要請で援軍を送る。

仇衝朝末〔541年〕で330年であるから、伽耶建国は210年頃である。
新羅本紀ではこの時(209年)加羅に援軍を送る。
魏志倭人伝239年には、狗邪韓国(カヤカラコク、金官伽耶、任那)は存在する。
ホツマによれば、崇神58年にツノガアラシトの訪問を受け、兵を授ける。

書記の記述は正しいと出来る。
55太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:00:30.16
臣下 伊支馬=イキマ≠垂仁=イクメイリヒコイサチノミコト

等号とするは「猿の惑星」さながらのデタラメである。
滑稽な嘲笑を買う盲象論がこれだ。垂仁天皇は九州行幸などしていない。

倭人伝の左辺が垂仁だというなら、倭人伝にオシロ(宿主の言う景行)
というのが伊支馬の隣りあたりに名で記載が残る。景行が無く垂仁だけ
あるというのはおかしいわけだ。それに崇神が弥馬獲支としないのも恣意的
選択であり、 ? をつけて誤魔化しているわけで、伊支馬が垂仁なら、
記紀に明確に弥馬獲支も天皇の身分あたりの人物で同じ的名称で残すはず
だ。しかしその記述は記紀に無い。崇神とすれば別だろうが、これを崇神
としないで ? としているんでは、恣意的インチキ論だということだ。

オシロなんぞという名は倭人伝の伊支馬あたりに無い。当たり前だな。
伊支馬が垂仁ではないからだ。しかもその伊支馬がとたんに死亡だという
即興の繕いも、所詮眉唾を露呈している。ppp
56太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:16:28.29
△鏡は桜井茶臼山からであっても、大陸からではない。

ウィンドウズ95がユーザーに大量使用されたのは、当然1995年である。

これを50年後の2045年だというでまかせを主張するのがインチキ宿主の
妄想能書きなのだ。これを考えたとき、王先生の△非舶載説は権威が
あることから、日本製であり、となれば畿内の鏡作が多数製造したもの
だ。この事は崇神6年に倭笠縫に日神の象徴たる鏡を飢饉での神の怒りを
鎮めるために祭祀した鏡の出来事と239年という△の銘文年代とが近接合致
するはずであり、ならば崇神6年が 景初3年の239年 にピタリと
隣接せねばならない。つまり崇神6年が239年近隣に位置するのだ。

さらに鏡作神社社伝にこれを裏づける 崇神6年9月3日の鏡の改良鋳造
記述が残存しており、△が大陸人と関わって製造したものだということ
だ。景行元年が239年では大量の鏡を造る出来事は見当たらない。倭笠縫の
鏡祭祀と鏡作神社の所在とこの社伝がものを言うのだ。
よって景初3年が崇神6年のことから、崇神没年は記の戊寅年の258年が
ほぼ正解なのであり、メ氏、原静岡大学名誉教授、橋本増吉、菅政友、
那珂博士の主張が真であったわけだ。孤立の宿主の主張はデタラメである。
57筑紫次郎:2011/11/26(土) 13:18:24.10
>>31
>筑紫さん、貴方も邪馬台国など不毛なものはやめて、
もう少し有益な研究テーマに替えたほうがいいですよ。

また逃亡ですか?
これで三度目の逃亡ですよ。
前回は伊都国が糸島にあった確証を求めたら逃亡しましたね。
今回もいかなる根拠も提示していませんね。
みっともなく逃亡するのなら最初からレスしないで下さい。
58太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:20:21.46
あれ以来↓宿主は自分の空年で成務4年間という歴史を説明することが無い。

成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
59唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 13:23:20.71
>オシロなんぞという名は倭人伝の伊支馬あたりに無い。当たり前だな。

御説ごもっとも当たり前ですな。
すいにん,伊玖米伊理毘古伊佐知、活目入彦五十狭茅・イクメイリヒコイサチ
けいこう ,大帯日子淤斯呂和気、大足彦忍代別・オオタラシヒコオシロワケ
イクメ・オシロワケは俗称である。
倭人伝にイクメと記される以上、この名を上奏した人物は垂仁の諱を知らない。
それに対し、倭王位授与の景行の諱はタラシヒコである。
タラシヒコは倭王の代名詞となる。

それより
>>52 の結論は?
60日本@名無史さん:2011/11/26(土) 13:23:48.30
>32
他人を批判することで自分が賢いと錯覚してるだけです。

まんま、おまいの事じゃろうが。
名古屋大学のカス。
61太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:26:41.55
それより
↓ の説明は? どこに 19×3=57年分 の空年があるの?
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御

62唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 13:27:59.67
>>58
>あれ以来↓宿主は自分の空年で成務4年間という歴史を説明することが無い。

太国自身が西暦を振れない程度の文献である。←だろ?
だから、私は使用しない。使用しなくとも書記の説明はつく。
63太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:32:21.85
使用できなくては、空年がインチキだということだな。ww
宿主よ、その表を眺めれば、空年なんぞ大デタラメの盲象だということだ。
これを眺めても空年なんぞ無いからな。ハハハハ・・・・
64筑紫次郎:2011/11/26(土) 13:34:02.83
>>44
>たしか前にも申し上げましたが、九州説なら巻向ヤマト王権の情報は
記載されてないのは無理があるんですよ。

倭種の国があると記載されています。

>倭種有くらいじゃ弱いです。

倭人伝は倭の国について述べたものです。
それ以上の記載は蛇足です。

>それに答えを言ってしまえばその侏儒國等の記載も山海経の妖怪譚の
一説で、まともに考えても意味のない記載なのです。

山海経と同一視することに読解力不足が露呈しています。
侏儒國は当時倭人が事実し信じていたことを記載しただけであり、
倭人伝の信頼性に影響するものではありません。

>貴方がわかってないのは、これも何度も申し上げてる通り、

宣託だけであり、いかなる根拠も提示されたことはありません。
65唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 13:36:54.17
>>61
そこに書かれた地域で”成務6年”などと認識できる暦を先に発表してくれ。
66太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:42:25.25
そんなものは鷲崎さん掲示板で公開済みだ。オマエ見ればいいだろう。

それより
オマエが書かれた畿内で”西暦41年”などと認識できる暦を先に発表してくれ。
67太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:48:12.35
どこに ↓ 19×3=57年分 の空年があるの? どこにも無いぞ。
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年◎玉敷神社(埼玉県)武蔵国造 兄多毛命により創建 ←
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
68唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 13:51:24.65
>>56
>△の銘文年代とが近接合致するはずであり、

アテとふんどしは向こうからハズレる。
>景初3年が崇神6年のことから
纏向の年代と整合できたのか?できていないだろ。
>△鏡は桜井茶臼山からであっても、大陸からではない。
国産でもかまわないが、元となる画像は輸入品である。元画像は何時、どこから輸入したんだ?

>原静岡大学名誉教授、橋本増吉、菅政友、那珂博士の主張が真であったわけだ。

尻尾を振るから、犬国と呼ばれる。
大御所の言い分が正しいのなら、それを信じて退席すれば?
上記の大御所の一人でも太国倍年は正しいと言ってくれたか?無いだろ?
69太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:55:22.35
纏向の年代と整合できるんだよ。できてるだろ。

鏡の年代が近接してるということは、これで考古を語ればいいことだ。
鏡は考古の大好きな土中から出たんだよ。
70太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 13:59:04.28
危険な厄物 毒書秀魔電とは、そんじょそこいらにいる昔のタダの
オッサンが恣意的妄想を注入して書いた危険な史想
の書である。

日食が数日間続くという地球外天体からの猿の惑星あたりか〜デンパの
受信による暦が、宿主の編年暦であろう。ww

だって、地球上では日食は数分間で終了するため、
これが数日間も継続してると言うことは、地球外天体
が数日間の日食の起こる所であり、そこの天体から
強力な大デンパの受信による暦であるならば、まぁ
日食が数日間続くの主張もやぶさかではない。ppp

それが猿の惑星なんだろう。ww
71太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 14:00:35.63
上記の大御所の一人でも宿主空年は正しいと言ってくれたか?無いだろ?
72唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 14:11:45.84
>>69
>纏向の年代と整合できるんだよ。できてるだろ。

アテとふんどしは向こうからハズレる。

>鏡の年代が近接してるということは、これで考古を語ればいいことだ。
239年の近くに茶臼山をひっぱて来れば、纒向の年代はさらに遡上せねばならない。
纏向の年代を説明できていない。

仁徳4年の記事を応神4年に持ってきても正しい主張とならない。
同じことを考古学でするためには、自分で考古学の数字を決まる必要があるが、
現在の2世紀末の纒向と茶臼山が整合することは絶対にない。
2世紀末の纒向を3世紀半ばに持って来れば、箸墓は4世紀初めになる←昔の考古学年代。
茶臼山は、箸墓より後の築造である。”鉄”も大量にある時代。
73唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 14:20:24.62
>上記の大御所の一人でも宿主空年は正しいと言ってくれたか?無いだろ?

当然だね、彼らの思考をすべてひっくり返して、現在の考古学の数字に文献を合わせている。
74太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 15:19:47.73
無いわけだな。それではオマエが正しいと言ってくれないだろと
言ったことはオマエのほうに降りかかる。ww オマエのは正しくないのを
彼らはブレーキをかけてるからオマエの支持者は誰もいない。ww

彼は研究して妥当だから258年を支持したわけだ。まぁ318年は間違いだが、
まだオマエよりマシだな。ww
オマエのは誰も支持していない。それはそうだ。オマエ以外の論客は
脳内がオマエのようにいかれていないからな。少なくとも彼らは猿が人間
になれなことは明瞭に知っている。崇神没年の正解は258年戊寅だな。

 伊支馬≠垂仁


75太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 15:29:52.83
>仁徳4年の記事を応神4年に持ってきても正しい主張とならない。

書紀も100年前後の揺れがあることが在る。年代の断層があるんだよ
オマエのこの言い分じゃあ、神功39年の記事を卑弥呼の年代とせにゃ
ならぬ。こんなに年代差が生じるのは、当時2倍暦等を行使してたから
なのだよ。空年なんぞ>>67から虚像であることが丸見えだ。

大成経の応神4年の記事は上の卑弥呼の記事同然に、倍暦の断層に気づか
なかった経の編者が推定で応神4年に挿入したものだ。倍暦がなく通常暦
だけならば、編者の頭では応神年代になるからな。これは倉西女史の
考えの如きになる。卑弥呼の生存年代はオマエも神功39年代前後とは
言えまい。これはオマエのここの主張が自後相違であることを物語る。
76唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 15:45:48.64
>倍暦の断層に気づかなかった経の編者が推定で応神4年に挿入したものだ。

大成経は、後付記事でできていると言うんだね。
大成経は偽書であることを認めるのね。
つまり、大成経を否定した私の発言が正しいと。
77唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 16:09:29.73
書記の編纂者は魏書を差し込みであるとはっきり断わっている。
真偽を確かめるのは、我々である。
それに対し、百済王家は差し込みとは書かれていない、であるならば、正しい記録である。
つまり、太国倍年では正しい記録を捻じ曲げて、無視している。
よって、太国倍年は、纒向時代も含め、文献を無視していることがわかる。
百済王家は正しい記録であるにもかかわらず、百済本紀を書記に整合させると、書記の記事に余りが出る。
この正しい記録を無視したのが太国倍年である。
私は、4世紀に未知の遺構の存在する百済本紀を否定し、独自に編年を割り出す
それが、奈勿大聖神帝紀(ネムルデソングシンゼギ) 7年,   熊彦=千熊長彦
と同じ場所を指す。正しいとするしかないだろう。

78サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 16:19:13.48
筑紫さんも太国さんもまず大学で歴史教育を受けましょう。
博士号を取ってから邪馬台国の研究をしたいならしてください。
素人の独学だからめちゃくちゃな理由でめちゃくちゃな結論になるんですよ。
>>64
筑紫さん、四国の記載があって巻向ヤマト王権についてなんの記載もないのは
やはり不自然ですし、倭種有で済ませるのも明らかにご都合主義と言わざるをえません。
貴方の山門郡説だと伊都国から近すぎて、一大卒を伊都国に常駐させる意味も
全く分からなくなります。

太国さんも朝貢した理由答えれないみたいですねw
79日本@名無史さん:2011/11/26(土) 16:34:10.74
>倭種有で済ませるのも明らかにご都合主義と言わざるをえません。

なぜ?
そこから先にいっていなくて、
近隣に特筆すべき勢力がなければ、
その程度の記録になると思うが。
80筑紫次郎:2011/11/26(土) 16:42:00.77
>>78
>紫さんも太国さんもまず大学で歴史教育を受けましょう。
博士号を取ってから邪馬台国の研究をしたいならしてください

そういうのを余計なお世話と言います。

>素人の独学だからめちゃくちゃな理由でめちゃくちゃな結論になるんですよ。

素人でも、
私はどこかの教授のように恣意的解釈、捏造のような恥ずかしい事はしません。

>筑紫さん、四国の記載があって巻向ヤマト王権についてなんの記載もないのは
やはり不自然ですし

だから、四国は侏儒国と記載があり、
本州は多数の国があるから國皆倭種と記載があります。

>倭種有で済ませるのも明らかにご都合主義と言わざるをえません。

倭の国でない倭種の国についてこれ以上詳しく記載するのは蛇足です。
倭人伝の勝手な解釈ばかりしている貴方こそご都合主義と言わざるをえません。

>貴方の山門郡説だと伊都国から近すぎて、一大卒を伊都国に常駐させる意味も
全く分からなくなります。

畿内だと手荷物検査する場所が九州では遠すぎます。
近すぎると言われますが
周旋可五千餘里からも
自郡至女王國萬二千余里からも
伊都国と邪馬台国は遠く離れてはいませんよ。
81日本@名無史さん:2011/11/26(土) 16:51:12.88
朝貢しない蛮族の国なんて大中華帝国の魏国様には興味ナシ
82太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 16:56:27.26
ふ〜ん
秀魔電は、後付記事でできていると言うんだね。
秀魔電は偽書であることを認めるのね。
つまり、秀魔電を否定した私の発言が正しいと。

ハハッそういうわけだねぇ〜。ww
83日本@名無史さん:2011/11/26(土) 16:59:48.15
太国さん ついに勝ちましたね
84太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 17:04:52.00
神社の伝承は空年を差し込みでないとはっきり断わっている。
真偽を確かめるのは、我々である。
それに対し、秀魔電は空年とは書かれていない、であるならば、イカサマ濃厚記録である。
つまり、宿主空年では正しい記録を捻じ曲げて、無視している。→>>67
よって、宿主空年は、纒向時代も含め、伝承を無視していることがわかる。
全国神社伝承は正しい記録であるにもかかわらず、空年を成務に整合させると、成務の伝承に不合理が出る。
この正しい伝承を無視したのが宿主空年である。
オマエは、成務年代に空年の非存在する神社伝承を否定し、独自に太陰暦を割り出す
それが、神皇紀,神武元年太陰暦を太陽暦に改定の無視につながる。
神皇紀にあるんじゃぁ、太陽暦をも正しいとするしかなかろう。
85太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 17:11:12.55
>太国さんも朝貢した理由答えれないみたいですねw
オマエの目は「ジャガーの眼」か〜? 笹竜胆と蒙古の歴史でも研究しろ。
  ↓
漢書王莽伝

 元始元年 東夷王 大海を渡り国珍を奉ず

オマエは答えられるのか? ならば具体的にしてみろ。
86日本@名無史さん:2011/11/26(土) 17:29:29.87
カスを相手にすんなよ。以前に論破された畿内説の話しばかりじゃん
87日本@名無史さん:2011/11/26(土) 17:40:46.40
すでに大抵のことは議論されてるし、
また結論も出てるってことだね。

過去に論じられたことを某19歳が蒸し返しても、
無視されるか、すぐに論破される。

過去にどのような議論があるかを学習して、
無駄な繰り返しをしないようにするのは、
学問の基本なんだけどね。

某19歳はその基本を勉強したほうがいいね。
88唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 17:54:11.21
>神皇紀にあるんじゃぁ、太陽暦をも正しいとするしかなかろう。

正しいとした場合、どのように記録されたか?
この基本部分が欠ける太国倍年。
小学校の算数からやり直す必要がある。

成務天皇 262年〜265年 3章 成務と仲哀は一つの暦の可能性がある
仲哀天皇 266年〜274年 0章 
寺社伝承は、この3章部分に書かれている。
89日本@名無史さん:2011/11/26(土) 18:08:48.53
「過去問やってこい」
「過去ログ読んでこい」
90太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 18:50:13.77
成務天皇 262年〜265年 3章 成務と仲哀は一つの暦の可能性がない
正しいとした場合↑どのように記録されたか? この基本部分が欠ける宿主空年。
小学校の算数から↓」やり直す必要がある。→日食が数日間続く算出pupupu
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
91太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 18:54:11.58
ついに宿主空年と19歳老人は完全に論破された。
92唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 19:07:45.27
>倍暦の断層に気づかなかった経の編者が推定で応神4年に挿入したものだ。
太国は神社伝承に西暦が振れないことを確認した。
つまり 社寺伝承は、大成教と同程度の書物である。
93太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 19:17:28.91
いくらでもそんなものは振れる。毎回過去に書きこんでるぜ。
オマエと勘注系図で以前成務の年代を曲学さんの掲示板で書きこみ済み。
オマエ、忘れたか? このごろ記憶喪失性が強くなったか?ww

宿主は成務年代に西暦が振れないことを確認した。→>>67
つまり 秀魔電波は、熱帯蛮族同程度の書物である。
94日本@名無史さん:2011/11/26(土) 19:18:59.19
いま、69歳国民学校中退サガミファン爺にみんなが思うこと
・サガミファン、サガミ待ちみたいに、底辺の学校に入らなくて良かった〜
・サガミファン、サガミ待ちみたいに、裏口入学か底辺で合格しても、
 馬鹿はどこまでも馬鹿なんだなあ〜
・サガミファン、サガミ待ちみたいに、過去レス無視するような馬鹿には、
 学問は無理だろうなあ〜
95サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 19:26:53.87
サガミさんが今日はいっこうにこないので書いてしまいますが、
サガミさんの言ってた韓国内陸行はやや無理がありますよ。
おそらく韓国内はすべて水行です。水野祐氏の意見に従えば
海路は一日を千里に換算して表記されてるとのことでして
僕も残念ながらこの説を支持いたします。
96サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 19:53:33.83
>>80
筑紫さん、伊都国はやはり前原が正解でしょう。
佐賀平野では港がないんじゃないですか?
皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ
と書かれてますし、船で運んだものと思われますのでね。

それとやはり独学だから恣意的な解釈になるので、やはりちゃんとした
教育機関でみっちりトレーニング受けたらまた考え変わりますよ。
97日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:16:06.33
■民主党政権になって放送禁止になった言葉一覧■
[道義的責任・進退問題・発言のブレ・閣内不一致・派閥・プライマリーバランス
空気が読めない・庶民感覚・国民目線・バラマキで人気とり・国民に信を問うべき・OECDの貧困率
ワーキングプア・ネットカフェ難民・世襲・料亭・漢字・読み違え・直近の民意・国民の生活が一番、政権交代が最大の景気回復策、公務員改革
ガソリン値下げ、景気回復策、解散総選挙、ホッケの煮付け
世襲制廃止、地域主権、議員定数削減、地球温暖化対策]
98日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:16:52.20
当時の佐賀平野の海岸線でも調べて来いよ
99唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 20:21:02.57
>>93
太国の発言
>日にちはなくてもいいんだよ。こちらは年代を確定させることが目標であり、別に無くてもたとえば
大陸の皇帝の××年に倭の△△オオキミと付き合いをしたとかの信頼おける古文献が出て来たら、もう
それで日数がどうのこのなんか関係ない。

太国倍年は日にちがどうでもよい1年を主張している。
これで暦が成立するか?
本人以外は誰も使えない暦なら成立するかもしれないが…
社寺伝承の如く各地で使える暦とはならない。
100サガミファン、サガミ待ち:2011/11/26(土) 20:31:40.24
>太国さん
2世紀後半から3世紀後半の約100年間の邪馬台国時代に、畿内ヤマト王権が
朝貢しなかった理由ですよ。答えれなければ九州説は破綻してますw

それと貴方も洗脳されてるようなので早くしっかりした大学教育を受けてください。
歴史学か考古学で博士号を取得してください。
101日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:33:33.03
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm
より引用させていただいた該当部分の口語訳

 女王国より北は、特別に一大率を置き、諸国を検察させており、
諸国はこれを畏れ憚っている。常に伊都国で治め、国の中では刺史の如くある。
王が使者を京都(洛陽)や帯方郡、諸韓国に派遣したり、
郡使が倭国に及ぶときは、皆、港に臨んで点検照合し、
文書、賜物を女王に詣でて伝送するが、間違いはあり得ない。

むしろ、末羅の港のような印象を受けるな。
佐賀でも糸島でも、港があることにあまり意味が無い。
102唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 20:39:48.29
使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國 (諸國)畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。

大倭(大和)がこの地に居た証拠として、庄内土器がある。
103日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:43:22.77
佐賀市内でも佐賀大和でも、そして糸島の遺跡群の近くまでも
かなり海が内陸に入り込んでいるので、港があるといえばあるが、
どちらにせよ、まだしばらくは松浦まで陸送しなくてはならず、
そんな所で点検してもあまり意味が無い。

港を意識するなら、やはり出港直前の点検照合だろう。
そう考えると、松浦のことではないか。
104唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 20:57:28.33
>太国さん それと貴方も洗脳されてるようなので早くしっかりした大学教育を受けてください。

太国の主張は、大和に暦が無かったとして、七支刀=369年をむやみに支持し
倭は百済の属国を証明しようとしているだけだから…
861辛巳  353癸丑  神功摂政立皇太后(倍歴では皇紀863年と同年)
352年にまだ海外を知らない大和が渡海できる方法は無い←韓国から否定されるだけ。
七支刀=369を支持しても、半島占拠は無い。
正しい暦も知らない大和は百済の属国となる。たぶん王朝も百済人なんだろうな。
105日本@名無史さん:2011/11/26(土) 20:59:55.44
一大率
「ひとのおおみこともち」とでも読むのか
最上級(一品にして大まで付く)の命令権者(詔もち)という意味か
これは、遠の御門とよばれた大宰府に限りなく近い
106筑紫次郎:2011/11/26(土) 21:04:45.20
>>96
佐賀平野では港がないんじゃないですか?
皆津に臨みて捜露し、文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ
と書かれてますし、船で運んだものと思われますのでね。

筑紫平野の多くは当時海でした。
JR佐賀駅の4-5q北の東名貝塚遺跡は海に面していました。
吉野ヶ里も東西双方にに港があります。
佐賀大和も潮の満ち引きの影響がありました。
津があった記述に矛盾しませんね。

>それとやはり独学だから恣意的な解釈になるので、やはりちゃんとした
教育機関でみっちりトレーニング受けたらまた考え変わりますよ。

余計なお世話が好きですね。
考古学者には邪馬台国の謎は永久に解けませんよ。
107卑弥呼の都は久留米:2011/11/26(土) 21:07:08.69
>>101
>むしろ、末羅の港のような印象を受けるな。
>佐賀でも糸島でも、港があることにあまり意味が無い。

そうだ。
官不在の末盧國で、一大率が末盧の津(古松浦湖湖畔の中原遺跡の津)に臨んで点検照合したのである。


一大率は一人の大率ではない。
一大の率である。
「一大」は「一支(壱岐)」の書き間違い。「大」と「支」の字体は間違い易い。
108日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:10:10.15
>>106
大正解
19歳のカス以外はみんなわかっている。
109日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:12:34.57
皇帝が発した文書、賜物を携えた郡使が草も刈ってないような道を歩くかな
前時代に国際港があったと思われる糸島に壱岐から船で直接行けるのに
点検照合は倭地の港に着いた時点でやらなければ目録と賜物の数量が合わない場合
倭国側の責になる
倭人伝が書かれた時期に郡使が通るルートに変更がなければ公開はしないと思うが
110日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:13:31.12
>>106
伊都國に港があり、京都(洛陽)や帯方郡、諸韓国に向かう使者の船も、郡使の船でさえも、
そこにいったん寄港して検閲を受ける、例外は無し。
という事でしょうな。
111唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 21:14:56.90
一大(一支)の卒(一人の兵士)
112日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:17:06.59
>>110 に補足
伊都國より「南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月」だから、
大陸に上るも女王のところに下るも船便ですよ、
伊都國はその中継地点にして検問所
113唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 21:20:32.36
1大卒の任務は、諸国の検察である。乱を平定した直後には必要事項。
熊襲がまた背くと、日本武尊を派遣し、誅する。
それを見た諸国は、これ(一大率)を畏れ憚る。
114唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 21:27:20.90
謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

卑弥呼に諸国が恐れるほど武力があったら、諸国は卑弥呼を共立しない。
それ以前に”乱”自身が平定されている。これでは倭人伝の記述とならない。

115日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:29:43.86
郡使に対しては、検閲の後、文書、賜物を女王に詣でて伝送するようだな
だから、伊都國は郡使が常に留まる所なのか
116筑紫次郎:2011/11/26(土) 21:49:50.32
>>110
@魏帝は詔書の中で皆装封付難升米牛利と述べている。 
つまり、賜物を持ち帰ったのは勅使ではなく何故か難升米牛利である。

@太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王并齎詔
(太守弓遵が遣わした建忠校尉梯儁等は詔書印綬を奉じて倭国へ行き倭王に拜假し、併せて詔をもたらした。)
やはり、梯儁等が奉じたのは詔書印綬だけであり賜物ではない。

B梯儁等が主語になるのは拜假と并齎詔
(金帛 錦○刀鏡采物)を賜ったのは梯儁等ではなく皇帝である。
だから
梯儁等が賜金帛 錦○ 刀 鏡 采物の主語にはならない。
従って
賜金帛 錦○ 刀 鏡 采物 賜金帛 錦○ 刀 鏡 采物 倭王因使上表 答謝恩詔は
(金帛錦○刀鏡采物を賜り、倭王は使者に上表文を託して、詔の恩に答礼の謝辞を述べた。)
は別の文になる。

何故梯儁等は詔書印綬と同時に賜物も持参しなかったのだろう?
もしも賜物を梯儁等が持参したのであれば所有権は魏にあるので包装を解くことはできない。

魏で賜物を難升米牛利に与えて所有権を倭に移していたのは
伊都国で包装を解いて検査することを可能にするためだったと考えています。
117日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:52:36.08
なんで当て字とは言え伊‘都’国などと付けたんだろう
118日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:55:33.99
やっぱり日本は4世紀ぐらいに 征服とまで言わないが鮮卑族あたりが大量に入ってきてるよ。
119日本@名無史さん:2011/11/26(土) 21:56:00.13
詔書は魏使を伴うべきで、下位の者に託する物ではない
賜物は重いし物によっては製作してから搬送という事もある
だから目録という物があるのでは
120唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/26(土) 22:03:08.54
梯儁の任務は、詔書を倭國の假倭王(仮の倭王)に渡すこと。
倭王(仮の倭王)は詔書に応じて使いを洛陽に派遣し、上表 答謝恩詔
倭王に召してくれたことに”応ずる”と答謝の表を上奏する。

だから、景初3年に倭女王を認められている卑弥呼では無い。
121日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:05:13.71
博士号うんぬん言ってるが、ピンキリだか
らな〜
その博士号をもっとるはずの研究者が学会でトンデモ説を言うからな〜
見てるとおもろいけど。

122太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 22:24:22.12
宿主空年は神社社伝がどうでもよい空年を主張している。
これで暦が成立するか?
本人以外は誰も使えない暦なら成立するかもしれないが…
秀魔電の如く各地で使える田舎暦とはならない。
123太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 22:29:11.05
>19歳老人
2世紀後半から3世紀後半の約100年間の邪馬台国時代に、畿内ヤマト王権が
朝貢しなかった理由ですよ。答えれなければ紀無い説は破綻してますぜw

それとオマエも妄想されてるようなので早くしっかりした大学教育を受けてくれよ。
歴史学か考古学で博士号を取得したほうがいい

コチラは今年、大学教授からマヤ神聖文字の講義を受けている。
そんな忠告なんぞ。コチラの言うセリフだ。w
124日本@名無史さん:2011/11/26(土) 22:29:37.44
>>116
倭王が魏帝に金帛錦○刀鏡采物を賜ったのですか?
125太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/26(土) 22:33:32.82
宿主の主張は、大和に暦が無かったとして、妄想頭=秀魔年をむやみに支持し
秀魔は記紀の転覆を企てようとしているだけだから… そうはさせない。
126卑弥呼の都は久留米:2011/11/26(土) 22:51:08.61
>>117
>なんで当て字とは言え伊‘都’国などと付けたんだろう

伊都國には「世有王」とある。
これ等の王は卑弥呼共立前の倭國王で、帥升の王統と考えられる。
その旧倭國王がいたところが倭都。
女王國の時代である魏代には倭の都を「倭都」とは書けないから、「伊都」と書き換えた。

「倭奴國(イト)」も「倭都國(イト)」をシナ側が蔑んでの表現方法。
127筑紫次郎:2011/11/26(土) 22:58:31.09
>>124
>倭王が魏帝に金帛錦○刀鏡采物を賜ったのですか?

倭王が魏帝から金帛錦○刀鏡采物を賜ったのです。

Aの方。
【賜】〓学研漢和大辞典
@動詞}たまう(たまふ)。目上の人が目下の者に物を与える。また、目上の人が目下の者に命令を下す。
A {動詞}たまわる(たまはる)。目上の人から物などをもらう。いただく。
128日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:00:28.52
>>108
19歳のカスとはひどい言い方ですね。
せめて19歳のゴミクズ、もしくは19歳のハナクソ野郎くらいにしてあげるべきです。
129日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:13:38.44
とりあえず島原から攻めてみるよ。明日、朝一から行ってくるよ。
130卑弥呼の都は久留米:2011/11/26(土) 23:16:59.18
>>118
>やっぱり日本は4世紀ぐらいに 征服とまで言わないが鮮卑族あたりが大量に入ってきてるよ。

いや、もっと後だ。

630年頃から、新羅、秦韓、慕漢、加羅の倭人が九州へ難民として倭に亡命し始める。
これが岩井の乱の原因のひとつ。玄界灘沿岸勢力の岩井(倭薈)に対しての内戦。

ついで、659年頃から661年頃、新たに任那人と百濟人が難民として倭に亡命した。
その後高句麗人の倭への亡命がある。
131日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:25:51.65
>>127
伊都国で包装を解いて検査することを可能にするために梯儁等は持参しなかったという
ことですか?
郡使往來常所駐なのに?
132卑弥呼の都は久留米:2011/11/26(土) 23:27:13.76
>>130の修正

×630年頃から、新羅、秦韓、慕漢、加羅の倭人が九州へ難民として倭に亡命し始める。
○530年頃から、新羅、秦韓、慕漢、加羅の倭人が九州へ難民として倭に亡命し始める。
133筑紫次郎:2011/11/26(土) 23:43:29.72
>>131
>伊都国で包装を解いて検査することを可能にするために梯儁等は持参しなかったということですか?

所有権が魏にある品物の封泥を解くことはできないと考えます。
梯儁等と難升米牛利と賜物は一緒に倭へ来たと思います。
現実に梯儁等は持参していません。
「伊都国で包装を解いて検査することを可能にするために」はあくまでも私の推定です。
134日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:47:46.74
頭はないが行動力がある
行動力はないが頭がある

それが邪馬台国を知る手掛かりなんだよ。貴様らが本気ならな。エヘッ(*^.^*)
135日本@名無史さん:2011/11/26(土) 23:56:14.49
>>133
仮に賜物が別便で伊都国に到着したとしても、伊都国で包装を解いて点検照合する際
に郡使が立会うから「及郡使倭國、皆臨津搜露」とあるんではないでしょうか?
持参したのと同じことだと思いますが
136日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:08:50.52
>>133
>梯儁等と難升米牛利と賜物は一緒に倭へ来たと思います。
あ、既に倭国側に引き渡されているから末盧國の港で点検照合する必要はないという
ことですかね?
137筑紫次郎:2011/11/27(日) 00:18:24.83
詳しい説明

建中校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王とある。

梯儁等が賜物も持参したのだとすれば
賜物の所有権が倭へ移るのは詔書印綬と一緒に拜假倭王した時でしょう。

魏帝は詔書で《還到録受》
(帰ったら目録と照らし合わせて賜物を受け取りなさい)
と述べています、

皆臨津捜露傳送文書賜遣之物詣女王不得差錯とありますが
封泥を解かなければ目録と照らし合わせて賜物を確認することができません。

所有権が魏にある品物の封泥を倭の役人が解けたとは私はとても考えられません。
つまり
伊都国で目録と照らし合わせて賜物を確認するためには
所有権を魏から倭へ移動しておく必要があると思うのです。
138日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:24:18.62
>筑紫次郎=九州王朝大好き

ところで…恐らくこの板で金属材料に一番詳しそうなのがお前さんだと思うがwww

果たして鉄の物理的・機械的特性でもって古代の社会を一気に引き上げるほどの力を持ちえたか否か
何か意見はないかな?
139日本@名無史さん:2011/11/27(日) 00:38:58.78
>>137
封泥は何の為にあるの?
途中で開封されない為でしょ。
向こうから送られてくる書簡には中書省(たぶん)の印で封泥してある。
当然、開ける時には本物の封泥か調べる必要がある。
その比較に用いるのが詔書と一緒にとどけられた中書省発給の官符。
内容は詔書を補足するもので、お役人が書いた物だが、
その書面の最後に押してある中書省の璽と封泥を見比べるのだ。
詔書も官符も魏使によって直接運ばれた物だから、信用できるというわけ。
140筑紫次郎:2011/11/27(日) 00:42:54.92
>>138
>果たして鉄の物理的・機械的特性でもって古代の社会を一気に引き上げるほどの力を持ちえたか否か

作業効率が上がって便利になり
有利な戦いもできるとは思いますよ。

多少は、古代の社会を引き上げる力はあったと思いますが
それよりも
もしも
畿内に邪馬台国があったとしたら
卑弥呼が共立された二世紀から畿内に大量の鉄が持ち込まれたと思います。
141筑紫次郎:2011/11/27(日) 00:51:33.85
>>139
私の考えはすでに述べています。
別な考えを持つ人に
私の考えを強制するつもりはありません。
142サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 07:54:35.91
そろそろ邪馬台国論争も飽きてきたので、九州説の方々に
引導を渡すべく、昨日少し調べ物して、九州説は99%ありえない
決定的な証拠を見つけましたw具体的なデータを示しますので
これでもう不毛な争いはおしまいにしてもっと有益なことしましょう。
統計的な人口論で邪馬台国九州説はありえないんですよ。
なぜ誰もこの点に言及しないのか不思議でしょうがありませんw
143サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 08:18:27.73
倭人伝に記載されている対馬〜邪馬台国までの8カ国の総戸数が約15万戸。
三国志に記された朝鮮半島周辺の国の戸数は、中国東北部の夫余が8万戸、
高句麗が3万戸、東沃租が5千戸、朝鮮半島東部の歳が2万戸、馬韓が10万戸、
辰韓弁韓が5万戸、合わせて約12万5千戸であり、前記8カ国の総戸数15万戸を
下回ります。一方で朝鮮半島の面積は22万1千平方キロ、九州は3万6千平方キロ、
朝鮮半島の6分の1程度でしかありません。面積に比して北九州に人口が
多すぎです。また1戸当たりの平均人口は漢書、地理志によると、
玄兎郡4万5千6百戸に対し、口数22万1845人で、1戸当たりの平均4,9人、
また楽浪郡は6万2812戸に対し、口数40万6748人で一戸あたりの
平均6,5人弱。これらのデータから1戸あたりの平均は約5人と仮定でき、
倭国の場合にあてはめると、前記対馬〜邪馬台国の8カ国15万戸で、
人口約75万人。これに+旁国21カ国と狗奴国の人口を加えたものが
当時の九州の人口になります。ところが邪馬台国の時代から約600年後の
平安時代に作成された延喜式によれば平安時代の北九州の人口は、
筑前9万2900人、筑後7万3300人、豊前7万1600人、
豊後8万7400人、肥前8万1400人、壱岐1万600人、対馬7000人。
その合計が42万4200人で、邪馬台国の時代の75万人から
半減した結果となり明らかに不合理です。九州説はありえないんですよw
おわかりいただけたでしょうか?
144筑紫次郎:2011/11/27(日) 08:29:38.68
>>142
>九州説の方々に引導を渡すべく、昨日少し調べ物して、九州説は99%ありえない
決定的な証拠を見つけましたw

今まではまともな証拠は皆無でしたね。
145サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 08:38:15.31
>>144
いえ、太国さんにも言いましたが、鏡の件、朝貢の件と
状況証拠はちゃんと揃ってましたよ。ダメ押しで今回の
人口の件を提示させていたがきました。これで貴方の山門郡説も
おしまいですw
146筑紫次郎:2011/11/27(日) 08:42:38.71
>>148
△鏡にしても鉄にしても年代にしても
いつものことですが、全く検討しないデータばかりが根拠ですね。


>1戸あたりの平均は約5人と仮定でき、

倭の国では1戸あたり平均は約5人と仮定しているのですか?
では
@大人皆四五婦下戸或二三婦婦とありますが
主人と2〜5人の妻は1戸に住んでいたのですか?
A有屋室父母兄弟臥息異處とありますが
家族が1戸に住んでいたとしたら、この記述に矛盾しますよ。
147日本@名無史さん:2011/11/27(日) 08:44:02.99
>>143
>一方で朝鮮半島の面積は22万1千平方キロ、九州は3万6千平方キロ、
>朝鮮半島の6分の1程度でしかありません。面積に比して北九州に人口が
>多すぎです。

@朝鮮半島の気候は?特に中・北部は水稲に適していないのではないか?
A朝鮮半島は面積はあっても山岳地帯ばかりではないのか?
B朝鮮半島の当時の政治風俗はどうだったのか?とても統治していたと言えたものでは
 なかったのではないか?

結 論
当時の朝鮮半島と比較してもしょう〜がない。
148サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 08:51:13.27
>>146
見苦しいですよwもう諦めて邪馬台国からは撤退してください。
どうしても邪馬台国の研究がしたいなら大学行ってアカポスに就いて
やってください。

仮に1戸2人だとしても対馬〜松浦半島〜佐賀平野〜山門郡に
30万人も密集していて、さらに旁国21カ国と狗奴国まで
あるんですしもうありえないので破綻してますよ。
149日本@名無史さん:2011/11/27(日) 08:56:42.51
69歳国民学校中退サガミファンよ、
畿内説は全部、詐欺しかないから悪あがきするな。
150日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:01:27.18
祭器場
151日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:06:30.93
>>143、148
しつこいじじぃだなぁ。終止符にもレスったが中国は白髪三千丈だ。だいたい
現在の畿内説は倭人伝を無視して成り立っている。お前さんだけ畿内説であり
ながら倭人伝を一字一句信じているってか。

博士号を取るくらいになれって盛んに言っているが、現況の邪馬台国論争とい
うのは明治以来の博士たちがすったもんだ言い合って起こったもんだよ。そう
いう立場・資格の人達がいくら論争しても解決しないから、松本清張はじめ在
野の人達が研究に加わるようになった。九州説、畿内説をはじめたくさんのフ
ァンがいる、ということが邪馬台国の研究を盛り上げているんだ。そういうこ
とがお前さんは解らないらしな。ド○ホウ。
152サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 09:07:42.39
研究者の行ったデータによると3世紀時点での日本の総人口は
せいぜい120万〜200万人程度。邪馬台国を九州に比定すると
九州内だけで軽く100万人越えしてしまうのでやはりありえませんw

153日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:12:35.02
人口と戸数の問題も、既に過去ログで終わってる話やね。
一つか二つ前で、やってたと思うが。
後で引っ張り出して見ようかね。
154日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:12:48.40
>>152を相手にしてはいけない、こいつは分かっていて言い張っている。
   =ア・ラ・シ
155筑紫次郎:2011/11/27(日) 09:14:39.28
>>148
>見苦しいですよwもう諦めて邪馬台国からは撤退してください。

ほとんどの人の貴方に対する思いです。

>仮に1戸2人だとしても対馬〜松浦半島〜佐賀平野〜山門郡に
30万人も密集していて、さらに旁国21カ国と狗奴国まで
あるんですしもうありえないので破綻してますよ。

http://www.geocities.jp/fsrfb814/isekibunpuzu.JPG
これは弥生時代の遺跡分布図です。
佐賀大和〜吉野ヶ里だけでも
対馬国+一大国(四千戸)=末盧国(唐津四千戸)
の五倍(奴国二万戸)の遺跡があります。

筑後平野〜大牟田、荒尾にはこの何倍もの遺跡があります。
有明海沿岸は当時7人口密度も博多湾岸地域よりも高く
九州最大の人口密集地帯です。
つまり
確かな対馬国、一大国の人口を基準に考えれば
奴国二万戸、投馬国五万戸、邪馬台国七万戸は何も問題はありません。
156サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 09:15:57.53
僕は2,3週間前くらいから顔出してるので過去ログは見てませんのでw
でやはりぐうの音もでないので筑紫さんも逃亡し、名無しは荒らし扱い
するしかないわけですねwならさっさと九州説は誤りだと
受け入れて、邪馬台国論争から撤退してください。
誤りを認めれないのは研究者としてふさわしい態度ではありませんよ。
157日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:17:30.25
馬鹿か間抜けのフリしてないとやってけないほど落ちぶれちゃったの?畿内説って。
158日本@名無史さん:2011/11/27(日) 09:21:18.92
>>156 「グゥ〜」も言いたくない。荒らしは去れ
159サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 09:24:49.01
>>155
まだ逃亡してなかったんですかw
僕の書き込みちゃんと読んでくれてないみたいですねw
邪馬台国の時代から600年後の北九州全域の総人口でも42万人です。
貴方の言う、松浦半島〜佐賀平野〜山門郡までに末櫨国〜邪馬台国まで
密集してたらそれだけで42万人くらい越えてしまうでしょうに。
また当時の日本の総人口も研究者の間でせいぜい120万、多く見積もっても
200万人という数字が出てますし、九州限定でそんなに人口がいたら
吉備や出雲やヤマトや東海とか入れたらどうなってしまうんですかw
九州説は破綻してると早く認めてください。
160筑紫次郎:2011/11/27(日) 09:26:13.72
>>143
狗邪韓国〜末盧国(三千里、220q程度)なのに
末盧国から残り二千里(150q程度)で
どうやって畿内まで行くつもりですか?

畿内説は最初から邪馬台国の候補地にすらなる条件を備えていません。
ご愁傷様です。
161サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 09:36:53.11
>>160
話題をすり替えるなら人口論では僕の主張に従うことでよろしいですねw
その万二千余里も以前にすでに論破したネタですが。
投馬国と邪馬台国の記述に関しましては日程表記されてたので中国の史家が
これを里数表記に直して加えたものが万二千余里という数字なのでしょう。
1里は約430mなので、不弥国からの残り1500里は、
0.43km×1500里=645kmとなり、距離的に九州から畿内までの
距離と符合しますので。
162筑紫次郎:2011/11/27(日) 09:37:14.90
>>159
>まだ逃亡してなかったんですかw

逃亡ばかりしている貴方に言われたくありません。


>僕の書き込みちゃんと読んでくれてないみたいですねw
邪馬台国の時代から600年後の北九州全域の総人口でも42万人です。

当時の正確な人口は誰にも判りません。
1戸が何人に相当するのかも確かな事は判りません。
判っている対馬国、一大国の人口を基準にすれば間違いがありません。

対馬国、一大国で四千戸です。
最大人口密度、最大人口人口の有明海沿岸ならは
遺跡分布図から判断とても
対馬国、一大国で四千戸の数十倍の人口はあったと思いますよ。
163筑紫次郎:2011/11/27(日) 09:43:40.65
>>161
43km×1500里=645kmとなり、距離的に九州から畿内までの
距離と符合しますので。

倭国のことを書いた子文書で千里43kmで矛盾しない記述はあるのですか?
隋書、漢書、宋書などなんてもよいですよ。

一つとして無い出しょう。
倭国内の情報として一度も使用された事のない千里43kmで
倭国内の距離を計算するのは間違いですよ。
164サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 09:47:42.80
>>162
それがご都合主義だと申し上げてるんですよw
正確な人口も何も延喜式で、北九州人口42万人という数字が出てるわけですし、
延喜式が作られた時代から600年以上前の邪馬台国の時代の、
佐賀と福岡の限定地域にこれを上回る人口がいるわけないんですよ。
1戸と書かれてるからには1戸=1口では間違いなくありませんので
最低でも2人以上ということになりますので、奴国投馬国邪馬台国の14万戸、
最低28万人以上も密集して貴方の言う佐賀平野〜山門郡に当時いたわけないでしょw
その程度も理解する常識もないんですか?
165筑紫次郎:2011/11/27(日) 09:57:16.61
>>164
>それがご都合主義だと申し上げてるんですよw

検討しないデータに価値はありません。

>正確な人口も何も延喜式で、北九州人口42万人という数字が出てるわけですし

壱岐対馬の人口はどれだけですか?
佐賀平野の人口はどれだけですか?
男女の比率はどうなっていますか?
その出ている数字に疑問があると言っています。

>佐賀と福岡の限定地域にこれを上回る人口がいるわけないんですよ。

壱岐対馬を基準にして
弥生時代遺跡分布図から判断すれば極めて妥当な人口です。

>最低でも2人以上ということになりますので、

誰と誰が1戸に住んでいるのですか?
一人は主人だとするともう一人は誰ですか?
166サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 09:59:36.74
>>163
中国の史家の常識で机上の計算で導き出しただけですよ。
昨日も言いましたが貴方の悪い癖は、21世紀の日本人の常識で
考えてしまうことです。なので答えを誤るのです。
まあ万二千余里に関しましては、ただたんに遠方にあるという表現という
説も否定しがたいですし、

魏都洛陽====帯方郡
 ↓ 万二千余里 ↓
会稽東冶====女王国

この図式で陳寿は思い描いて書いただけなのかもしれません。
洛陽から会稽東冶までが約万二千余里なので、その東にある
女王国まで帯方郡から万二千余里であると。
167ローガン:2011/11/27(日) 10:07:58.72
>>166
>洛陽から会稽東冶までが約万二千余里なので、その東にある女王国まで帯方郡から万二千余里であると。

ん?
違う。やり直しなさい。
168サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 10:08:17.09
>>165
貴方も分からない人だw
その出ている数字に疑問があるですって?
延喜式「全国出挙稲」という資料に書かれておりますので
疑うなら貴方自身で調べてみてください。

誰と誰が一戸に住んでるんですかって?
そんなもの個人の自由だし僕が知るわけないでしょww
169太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 10:14:09.76
19歳爺はすでに論破済み。
170筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:19:55.25
>>166
>中国の史家の常識で机上の計算で導き出しただけですよ。
>まあ万二千余里に関しましては、ただたんに遠方にあるという表現という
説も否定しがたいですし

魏使は何度も倭へ来ています。
勅使の情報があるはずなのに
何故中国の史家の常識で距離を記載する必要があるのですか?
思考が破綻しています。

>昨日も言いましたが貴方の悪い癖は、21世紀の日本人の常識で
考えてしまうことです。なので答えを誤るのです

それは貴方の事でしょうね。
当時の書物で倭国の情報を千里43kmで記載したものは皆無なのに
倭人伝の、しかも伊都国以降だけを千里43kmで計算して
答えが誤っていないと強弁するつもりですか?

>洛陽から会稽東冶までが約万二千余里なので

千里43kmで 万二千余里ならば赤道を越えて
パプアニューギニア付近になりますよ。
171筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:24:04.33
>>168
>延喜式「全国出挙稲」という資料に書かれておりますので
疑うなら貴方自身で調べてみてください。

根拠としての資料として使用するには不適当とも言われていますね、

>誰と誰が一戸に住んでるんですかって?
そんなもの個人の自由だし僕が知るわけないでしょww

貴方は自分でも説明できない誤った情報を根拠としていると言うことですね。
172サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 10:25:18.38
>>170
千里43kmなどと誰も言ってませんよww

投馬国と邪馬台国は遠いところにあったので日数表記になったと
前にも申し上げたはずですが。貴方は水行十日陸行一月とどのように
解釈してるのでしょうか?どうせろくでもないような解釈の仕方だろうけどw
173サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 10:28:25.29
>>171
その資料が不適当だとおっしゃるなら文献史学の見地から
邪馬台国の研究など早くやめてしまいなさいw
だってどの資料使っても自説にとって都合が悪ければ
不適当なんでしょw馬鹿馬鹿しい。
174筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:33:56.99
>>172
>貴方は水行十日陸行一月とどのように
解釈してるのでしょうか?どうせろくでもないような解釈の仕方だろうけどw

何度も言っています。
所要日数ではなく
距離、場所とは無関係です。
謝銘仁【中国文学者、社会学博士、元国立台湾師範大学教授】も
「明らかに所要日数ではない」と言っています。
175日本@名無史さん:2011/11/27(日) 10:35:41.88
            ,.r.:::;;;;:ュ、
         fイ´__  __ヾ
           {:六;;;;:ハ:;;;:カ   
         (_  ' _^_ヽリ    なんだ AKBって整形した反日朝鮮人だったのかァ
          ,人 l⌒l、      ブームの捏造手法が寒流と同じだけはあるな
        / \,ゝヽr' \    
       /      |:|   ヽ
        l   l   /´堰@ l  !
        |___l  ノ ,イ   !__,}
176筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:38:59.19
>>173
>その資料が不適当だとおっしゃるなら文献史学の見地から
邪馬台国の研究など早くやめてしまいなさいw

資料をご都合主義で解釈してばかり貴方に言われたくありません。

>だってどの資料使っても自説にとって都合が悪ければ
不適当なんでしょw馬鹿馬鹿しい。

それも貴方の事ですね。
例えば
倭国内の情報として千里43kmで記載したものは皆無と言う事実は無視するのでしょ?
177サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 10:44:11.89
>>174
所要日数ではないというならどのような記載なのです?
どのような理由で記載したのです?またその根拠はあるのですか?
漠然としてて何を言ってるのかよくわかりませんよ。
178筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:45:00.70
>>172
>千里43kmなどと誰も言ってませんよww

世話の焼ける人だ。
自分の書いた物には責任を持ってください。

>>161
1里は約430mなので、不弥国からの残り1500里は、
0.43km×1500里=645kmとなり、距離的に九州から畿内までの
距離と符合しますので。
179筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:49:32.52
>>177
>所要日数ではないというならどのような記載なのです?
どのような理由で記載したのです?またその根拠はあるのですか?
漠然としてて何を言ってるのかよくわかりませんよ。

倭人伝の謎を解く手がかりになる数字です。
《ドンと来い》の前々回後半から
前回前半で説明しています。

理解する意志も能力も無い人に改めて説明するつもりはありません。
悪しからずお願いいたします。
180サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 10:51:51.28
>>178
僕は1里は430mだと言いましたが
千里43kmなどとは言ってませんよww
この計算だと千里なら430kmでしょうwww
勘弁してください。
181筑紫次郎:2011/11/27(日) 10:52:05.90
>>178
勘違いしており申し訳ありません。
言われていたのは1里430qでした。
182サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 10:55:49.80
>>179
倭人伝の謎も何も貴方ごときが倭人伝から謎を解けてれば
過去の偉大な先人達がとっくに解いてますよww

倭人伝からのアプローチでは解けないから学者も邪馬台国は
タッチしたがらないのをもう少し認識すべきです。
倭人伝に拘泥するのはいかにも素人くさいw
なので僕が再三大学でしっかり歴史の研究に関する教育を
受けられてからにしたほうがよいと申し上げてるのです。
183サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 11:30:50.72
ではどうやら逃亡したようなので僕もご飯を食べます。
太国さん等九州説の方々も僕の人口論に対する反論をお願いします。
ないならさっさと九州説の破綻を認めて邪馬台国論争から撤退しなさいww
184日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:06:17.28
現在発掘されてる遺跡だけで歴史を騙ろうってのは不誠実な態度ですね
そういうことをちゃんとわかっている誠実な考古学者は歴史については語らないよ
185日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:23:41.52
>>184
現座ある資料で歴史を語れなけば
考古学と言う学問そのものに意味がないわドアホw
186日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:26:33.90
考古学は出てきた事実だけを研究する学問であって歴史は騙らないよ
187太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 12:27:43.97
人口論がどうのというより、紀の編者た
188日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:29:15.03
○○時代の地層から△△が見つかりました、までが考古学で、
○○時代から△△が見つかったのでこれが××であろう、なんて言っちゃうのは考古学ではない
189太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 12:29:49.97
19歳老人へ〜
人口論がどうのというより、紀の編者たちが卑弥呼を隠匿するわけが
なかろうのに、オマエ(19歳野郎)はどのように抗弁するのか?

大陸を属国と書けば、なにも隠し立てする必要はなかろう。w
190日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:32:43.17
>>140 筑紫次郎=九州王朝大好き
とりあえずレスはサンクス

が、否定的であっても肯定的であっても、もう少し突っ込んだ意見を拝聴したかったなwww
まあ「効率の上昇」と言っても様々なコストを考慮せねばならずそれを”込み”で効率の上昇が見込まれても
絶対数を掛け合わせなければどれ程の効果があったも分からないわけで…

で、2世紀における畿内への鉄の流入と言うのは19歳旧帝大の言う3世紀の鉄の増加を踏まえてのことかな?wwwww
その件に関しては鉄はヤマトにとってプライオリティのトップじゃなかったので
それを最初に求める必要はなかった…と答えておこう(ただこれに関しては畿内説でも意見は分かれるだろうが)

まあ朝貢した3世紀ではなく卑弥呼共立の2世紀におけるヤマトの立ち居地というのは
確かに畿内説に突きつけられた問題ではあるなwww

が、それは実は九州説でも玄界灘周辺地域以外を比定地にするなら同じ。
大陸半島との交易の主体がその地域から他に移ったなんて考えている学者はまずいないだろう。
いるとしたら邪馬台国に絡んでだろうがそれは倭人伝に出てくる「邪馬台国」の所在位置を訊かれて
外交の主体窓口が玄界灘から他の地域に移ったと答えそ、の根拠を倭人伝に求める
・・・と言う何のことはない「循環論法」だ。

単に畿内説だけに突きつけられた問題ではないことを言わせてもらうw
191サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 12:32:48.55
太国さん、貴方も鏡や朝貢と全然反論できず、あげく人口論はスルーですかw
九州王朝とか馬鹿なこといつまで言ってるんですか?
記紀など藤原氏がご都合主義で編纂した書物だと何度も言ってるでしょ。
まともな歴史の研究者なら記紀から邪馬台国にアプローチなどしませんよ。

ジョーカーだの老人だの僕のことをやたら勘違いしてますが
その程度の洞察力では真実にはたどり着けないので撤退したほうがいいですよ。
さて僕も疲れたので外に出かけるとします。
192日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:36:03.94
>>184
> 現在発掘されてる遺跡だけで歴史を騙ろうってのは不誠実な態度ですね
> そういうことをちゃんとわかっている誠実な考古学者は歴史については語らないよ

それは違うでしょう。
そんなことを言ったら、誰も永久に「歴史」など語れない。
考古だろうが、文献だろうが、未知の部分があることは承知のこと。
皆、それを念頭におきつつ、既知の事実から導き出される「仮説」を語ってるんだよ。
考古なら、一年中、穴ぼこ掘ったり、土器のかけらを並び変えたり、
文献なら、毎日毎日、旧家の土蔵や古書店を漁ったり、図書館で古籍を舐めまわしたり、
もし、そうやって得られた大切な既知の事実から目を逸らし、何も語らない研究者がいたら、それこそ不誠実。

逆に既知の事実を無視したり、「事実」でも無いことを無検証に事実として「歴史」を語れば、それは妄想。
193日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:36:16.60
純粋に考古学的に邪馬台国を特定する術など無いぞw
194太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 12:36:17.97
ははぁ〜逃走か〜。><

逃走中 そこへハンター
195太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 12:39:44.71
19歳はあまり役にも立たない人口論がどうのこうの言っている。w

それより卑弥呼を隠匿などしないで大陸側を属国扱いとする紀の書き方が
日本側の利口な選択なのに、なぜ隠匿など頓馬な真似をしたというのか?

そこをハッキリしろ!
196日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:40:54.75
>>192
まあ大略あなたの言うとおりのことが言いたかっただけだw
考古学者が「仮説」「論文」として発表するものをさも「事実」として発表する歴史家が多すぎるって事
そういう行為は考古学者にとっては迷惑だろう
197サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 12:43:45.96
>>189
懲りないですねw
卑弥呼を隠匿などしてないでしょ。
モモソ姫として登場させてるじゃありませんかw

弟のほうがおそらく邪馬台国の王で、卑弥呼は倭国の女王として
共立されただけですよ。言わば統合の象徴であるにすぎません。
万世一系の天皇が支配するのが記紀の基本理念なので、
一時的とはいえ、他国から共立された女王の朝貢記録は、
記紀には書きにくかったにすぎません。
198日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:46:53.89
>>188
○○時代の地層から△△が見つかりました

そこにどのような文化文明があったのかを語るし
時には文献伝承にあって今まで存在自体疑われていた人物や国が実際に存在したことが確認さた
…なんてのは普通にある話だ。

邪馬台国の問題に関し考古学が”幅を利かせている”のが気に入らないからと言ってヒステリーおこすな阿呆w

データだけ揃えて分析がなければそれは学問では無い。
レポートにも論文にもならない。

そもそも何らかの仮説の証明と言う目的がなければ一体発掘自体に何の意味があるのだ?

こうやって都合の悪いものはジャンルそのものを否定するのがゴミクズレベル九州説w
199サガミファン、サガミ待ち:2011/11/27(日) 12:48:04.02
>>195
そんなにご自身の説に自信があるなら
論文書いて投稿してください。で相手にされるかどうか確かめてみればいいです。

人口論はさすがに九州説にとっては致命的なのでスルーしたい気持ちはわかりますが、
そのような態度では研究者としては失格ですよw

では今から友人とカラオケに行く約束なのでまたいずれ。
逃げ出すとか言わないくださいねw
200日本@名無史さん:2011/11/27(日) 12:53:45.76
>>166
「從郡至倭」
洛陽⇒○○郡⇒○○郡⇒帯方郡⇒韓國⇒其北岸狗邪韓國 迄、七千余里  ・・・・・・・@
「自郡至女王國」
洛陽に最も近い郡⇒○○郡⇒○○郡⇒帯方郡⇒韓國⇒其國北岸狗邪韓國⇒女王國  迄萬二千余里。
故に、
其(倭)北岸狗邪韓國⇒女王國
は、五千余里。(一里=1800尺 一尺≒24cm 千里=432km。)
其國北岸狗邪韓國とは現与那国島で
狗邪韓國とは西表島、石垣島、宮古島に当たる。
 「樂浪郡徼 去其國萬二千里 去其西北界拘邪韓國七千餘里 其地大較在會稽・東冶之東」の
「其西北界拘邪韓國」から「會稽・東冶之東」迄がその領域。
「會稽・東冶」は北緯26度の現福州にあたるから
「會稽・東冶之東」は現沖縄である。


201日本@名無史さん:2011/11/27(日) 13:01:47.70
>>138
筑紫次郎≠九州王朝大好き

>果たして鉄の物理的・機械的特性でもって古代の社会を一気に引き上げるほどの力を持ちえたか否か
>何か意見はないかな?

弥生時代の金属製造方法による青銅と鉄では全ての面で青銅が優れています。
青銅の欠点は、鉄より絶対量が少なく貴重で高価なものであることです。

大量の鉄を鏃に使用できる様になることが、戦闘を変えました。
鉄の鏃を多量に生産できる方が、戦闘で圧倒的に優位になります。

矢の飛距離:鉄鏃=青銅鏃>骨鏃
矢の飛行精度:鉄鏃=青銅鏃>骨鏃
矢の破壊力:鉄鏃=青銅鏃>骨鏃


鉄が作業道具に使える品質(鋼)と量になるのは、高炉法の製造になってからです。
202日本@名無史さん:2011/11/27(日) 13:05:00.46
>>200
「自郡至女王國」
洛陽に最も近い郡⇒○○郡⇒○○郡⇒帯方郡⇒韓國⇒其國北岸狗邪韓國⇒女王國  迄萬二千余里。

⇒其國北岸狗邪韓國⇒女王國は
⇒其國北岸狗邪韓國⇒對海【馬】國⇒一大國⇒末廬國⇒伊都國⇒奴國⇒不彌國。
⇒其國北岸狗邪韓國⇒對海【馬】國⇒一大國⇒末廬國⇒投馬國⇒邪馬壹國⇒女王國。
此処での女王國とは
國皆稱王 丗丗傳統 其大倭王居邪馬臺國の邪馬臺國である。


 樂浪郡徼 去其國萬二千里。


203日本@名無史さん:2011/11/27(日) 13:12:19.75
>>201
>戦闘で圧倒的に優位になります。

それは大量に保有できた場合の話で
しかも1回の戦闘ではなく長期に渡って行われて差が出てくるようなもの。
いくら殺傷能力にアドバンテージがあっても数がなければ意味が無い。

鏃ならそれを射る兵の数を揃えなければ意味が無い。数の不利を覆すほどの力は無いだろう。

「勝は大兵にあり」は古今東西の鉄則。

204太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 13:30:27.51
>万世一系の天皇が支配するのが記紀の基本理念なので、
 一時的とはいえ、他国から共立された女王の朝貢記録は、
 記紀には書きにくかったにすぎません。

百襲媛なんか即位してないだろうが。w
いいか、推古とか皇極とか紀には女王(女天皇)の記事があるんだよ。
なぜ女王卑弥呼の即位が紀にないのか?

答えは簡単だよ。卑弥呼が朝廷の女天皇ではないからさ。つまり卑弥呼は
九州の女王だということだな。
205太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 13:31:49.72
19歳老男はただいま 逃走中

〜そこへ ハンター
206筑紫次郎:2011/11/27(日) 13:39:58.82
>>182
>倭人伝の謎も何も貴方ごときが倭人伝から謎を解けてれば
過去の偉大な先人達がとっくに解いてますよww

伊都国が糸島だとか
卑弥呼に強大な権力があったとか
間違った予断と先入観念に捕らわれ、
恣意的解釈ばかりしている
考古学者が倭人伝の謎を解くことは不可能です。

>倭人伝からのアプローチでは解けないから学者も邪馬台国は
タッチしたがらないのをもう少し認識すべきです。

違う方角へ進んで邪馬台国へたどり着けると考えているのなら
大間違いです。

>倭人伝に拘泥するのはいかにも素人くさいw

もはや、考古学者には期待できません。
倭人伝の謎を解くチャンスがあるのは
予断、先入観念に捕らわれていない素人だけです。

>なので僕が再三大学でしっかり歴史の研究に関する教育を
受けられてからにしたほうがよいと申し上げてるのです。

出鱈目な教育受けて解決すると考えているのなら大間違いです。
207筑紫次郎:2011/11/27(日) 13:44:05.36
>>183
>ではどうやら逃亡したようなので僕もご飯を食べます。

逃亡するのはいつも貴方です。
たとえ日曜日といえども
私は一日中パソコンの前にいるわけではありません。
208日本@名無史さん:2011/11/27(日) 14:01:38.78
79歳国民学校中退サガミファン 逃亡中
209唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 17:06:59.39
>>195
>大陸側を属国扱いとする紀の書き方が日本側の利口な選択なのに、
なぜ隠匿など頓馬な真似をしたというのか?

861辛巳  353癸丑  神功摂政立皇太后(倍歴では皇紀863年と同年)
929己丑  375乙亥  神功崩御

この数字で語れるのは「倭は百済の属国」である。
太国が自分の編年で歴史を語らないのは、「倭は百済の属国」を支持しているからなんだろ?
210太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 17:25:07.42
コチラの主張してないことを書きこむな。><
隠しただと〜?pp 相変わらずのひどい妄想だな。ww
早く精神病院へ駆けつけろ。↓これでどこに19×3年の空年があるのか?
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
211日本@名無史さん:2011/11/27(日) 17:26:41.31
犬国はこの社伝とやらいちいち聞きに行ったの?
それとも誰かのパクリ?
212唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 17:30:38.55
太国倍年の先は、
564甲申  237丁巳  崇神即位 【景初元年】
631辛卯  259己卯  崇神崩御
730庚午  292壬子  垂仁崩御
861辛巳  353癸丑  神功摂政立皇太后(倍歴では皇紀863年と同年)

274年 二月,分幽州五郡置平州。
277年 咸寧3年 是歲,西北雜虜及鮮卑、匈奴、五溪蠻夷、東夷三國前後十餘輩,各帥種人部落內附。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。(東夷九種は東夷9国となる。)
342年 前燕は高句麗の丸都に攻め込む。
句麗、百濟及宇文、段部之人,皆兵勢所徙,非如中國慕義而至,咸有思歸之心。

魏・晋が半島を管理する時代に“任那建国”は無い。
だから、半島側に“任那建国”とできる文献は、ここ時代には無い。
垂仁が田道間守を派遣するのは290年ころであるから、東夷9国は九州?と言いたいらしい
342年に百済は記録されるほど実力を持つ国である。
だから、352年に神功渡海は、軍事力行使の渡海ではない。←百済に臣従?

>>210 でわかるとおり、神功渡海をなるべく遅らせて「倭は百済の属国」と言いたいと思う。
213唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 17:33:27.68
>コチラの主張してないことを書きこむな。><

太国倍年を使った場合の思考である。
どこに間違いがある?
どこにも間違いはないだろ。
214唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 17:37:51.32
太国が主張し強要する太国倍年なるものは、大陸の魏・晋に受け入れられるか?
無理だろ?
であるならば、神功渡海は、新羅か百済に頭を下げるしかあるまい。
215日本@名無史さん:2011/11/27(日) 17:44:36.48
>>206
>予断、先入観念に捕らわれていない素人だけです。

「倭人伝をすなおに読んだら解ける」

…と言う予断先入観の固まりなわけだがwwwww
216日本@名無史さん:2011/11/27(日) 18:03:15.72
三国志のどこにも使われていない短里を勝手に使うことが恣意的解釈わけだがwww
217太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 18:40:22.33
これで↓どこに19×3年の空年があるのか? ほら57年分の空年など無い。
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
218太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 18:48:39.77
>>217表から57年分の空年は存在しない。宿主空年はデタラメの虚像。
早く ↓ を具体的に答えろ。空年は無い無い無いどこにも無い。

神武はどこから〜どこまでが空年なんだ?
綏靖はどこから〜どこまでが空年なんだ?
懿徳はどこから〜どこまでが空年なんだ?
安寧はどこから〜どこまでが空年なんだ?
孝昭はどこから〜どこまでが空年だんだ?
孝安はどこから〜どこまでが空年なんだ?
孝霊はどこから〜どこまでが空年だんだ?
孝元はどこから〜どこまでが空年なんだ?
開化はどこから〜どこまでが空年なんだ?
崇神はどこから〜どこまでが空年なんだ?
垂仁はどこから〜どこまでが空年だんだ?
景行はどこから〜どこまでが空年だんだ?
成務はどこから〜どこまでが空年なんだ?
仲哀はどこから〜どこまでが空年なんだ?
神功はどこから〜どこまでが空年なんだ?
応神はどこから〜どこまでが空年なんだ?
仁徳はどこから〜どこまでが空年なんだ?
219唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 19:00:29.17
>>217
その数字を採用した”歴史”を語れるか?

369年=七支刀=神功52年
この数字を使用した場合、日韓両文献史学は、半島占拠・領土分与が成立しないことを確認している。
ほぼこの数字を採用する太国倍年は、「倭は百済の属国」を支持する。
太国はなぜこの数字を強要するのか?
答えは簡単だろ。 太国は「倭は百済の属国」を支持する。からだろ?
そのためには、神功渡海も遅くしたい、そうすれば、「倭は百済の属国」を支持するしか選択肢はなくなる。
だから数年しかないと思われる”成務治世”も偽文献の差し込みで長くなるよう強制する。
220太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 19:06:16.92
だから、半島側に“任那建国”とできる文献は、そこの時代には在るとは
言えない。120年等の行ったり来たりで、ロクスッポ年代確定なんか
出来まい。出来なくて当たり前だ。ww

そのくらいの書きこみで合うと思ったら大間違い。
だいたいコチラが考えてるというオマエの脳内は、ことごとくコチラの脳内
思考とは離脱している。オマエの脳内はブレーキ・ペダルが完全にいかれて
いるからな。ww 〜もう即断している。どうだ診療を受けたか〜?
221太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 19:08:33.54
あの41年を採用した”歴史”を語れるか?

どうだ? 語れまい。インチキの抽象的修飾ならだれでもやれる。
222太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 19:10:36.59
だから61年もあるといえる”成務治世”も秀魔電の差し込みで短くなるよう強制する。
223唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 19:14:27.50
太国は、崇神世の”任那建国”を「関係ない」と無視する。
崇神世の任那建国は大和の重要な出来事である。
これが無ければ、大和が頭に立てる思考は存在できない。
だから在りもしない”九州王朝をたて、「倭は百済の属国」を支持する。

太国にその編年で歴史を語れと言っても応じないのは、
「倭は百済の属国」を支持する以外に無いだろ?
違うのか?
違わないだろ。
224太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 19:23:25.99
崇神世の任那建国は大和の重要な出来事でない。
それは3次的には必要かもしれぬが、そんな遠い外国のことはむこうに
とては、それは重要だろう。が、こちらは大した関係はない。せいぜい
ミマキイリヒコイニエノミコトの名の名残りを送った程度が関の山だ。ww
だからそういうのはradioさんにでも任せてればいいんだよ。

〜だから半島なんかむこうから応援要請とか戦争をしかけたとかなら半島
へ行かねばならないし重要性が強くなるが、そのくらいじゃぁま、3次的
重要度にとどまる。ならば百済がどうのこうの、コチラの言わぬ支持する
かどうかなど眼中にない。半島人認定のオマエがギャアギャアと遠吠えして
るに過ぎない。ww
225唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 19:27:48.79
太国よ
>>217 を使って歴史を語ってみな。
神功渡海は、新羅か百済に頭を下げる。
それから10年程度で半島占拠があると思っているのか?
半島は、大陸に直結しているが、倭国は半島の先にある。
どう考えても無理がある。
226唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 19:36:38.42
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る

これより先に半島か大陸に派遣されたのは、田道間守のみであるが、
大陸に朝貢の記事は無い。←どこを訪れたか不明である。
それが成務年間には仏教が伝わっている←倭人の勧進とは考えられない。
であるならば、このあたりから百済人が入り込み、神功渡海とは、百済への朝貢と考えられる。

これが、太国の描く歴史なんだろ?
だから、この記事を強制、強要する。
227朝貢:2011/11/27(日) 19:43:14.87
久しぶりに来てみたら、相変わらずお二方が電波とばしてますなww
落ち着きなさいなwww

228日本@名無史さん:2011/11/27(日) 19:49:37.47
いつきても同じだよ
229唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 19:50:13.22
>だから、半島側に“任那建国”とできる文献は、そこの時代には在るとは言えない。

太国の主張する崇神時代は、魏の時代である。
であるならば、倭人伝に書かれていなければならないが、
記事もなければ、魏が容認するとも考えられない。
であるならば、任那建国は偽となる。
つまり、一つウソをつくとそこからウソをつき続けるしかない。
だから、太国は歴史を語らない。
↑この場合太国が「倭は百済の属国」を支持する←を取り消すが
太国が”太国倍年”を捨てることが条件である。
たぶん太国は、「倭は百済の属国」を支持しつづけるんだろうな。
230太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/27(日) 22:51:09.89
宿主よ
>>217 を使って空年を語ってみな。
成務の代のどこに空年が57年も存在するのか? 表を見れば、オマエの
空年なんぞ設定出来まい。ww そんなものは無いことが見え見えでは
ないかね・・・。ww

成務佛伝は非公式佛伝だ。公式ではない。
しかも九州は当時まだ朝廷支配の国ではない。しかし景行時の九州行幸で
朝廷は九州に一部土地監が出来ており、支配の拠点造りが始まっている。
だから成務の年号が九州のあるわけだ。当然だな。

>たぶん太国は、「倭は百済の属国」を支持しつづけるんだろうな。
この前から毎回言ってるが、半島文献は120年等の年代差で真の年代を
特定するのは今の文献の量では到底不可能に近い。それをこうだと年代
を設定して説明せず修飾の言葉飾りでさ〜も説明をしたふりをしてる野郎
の年代なんか大ウソに間違いない。ww

つまりコチラは半島のほうは参考にとどめ、脇に置くのが妥当だと考えて
いる。そんなものはradioさんにでも任せてればいいんだぜ。半島年代の
特定なんぞ簡単に出来てるつもりでいるオマエの脳内の浅はかなことが
想い知れるぜ。ハハハ・・・滑稽だな。ww
つまり百済とかは眼中に無いぜ。運よくなにかあれば別だがな。
231唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 23:31:48.95
260年頃(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
成務天皇 262年〜265年 3章 
仲哀天皇 266年〜274年 0章

>>217 はこの3章への差し込み記事である。

274年 神功渡海、2月幽州を分け平州を置く。
ここで渡海し、1大卒の行為を行うから、49年に半島占拠もできるし、百済も応じる。
もし、渡海が300年であれば、神功大和は最下位に置かれ、百済が従うことも無かったであろう。
232唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/27(日) 23:43:01.53
>>230
>年代なんか大ウソに間違いない。ww

正しい年代は、書記・文献・考古学 この3点が合致しなければならない。
七支刀=369年=神功52年 すべてが合致したかに見えるが
16日丙寅が存在しない、半島占拠が否定される。
これでは、合致したとは出来ない。
七支刀=323年=神功52年であれば、百済本紀とは合わないが
16日丙寅と半島占拠は可能であり、百済本紀以外にこの年を証明できる文献がある。
しかも太陰暦で証明できる編年がある。
233日本@名無史さん:2011/11/28(月) 00:07:05.87
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html

誰か上記の製作者について知りませんか? そこに弥生時代の奈良湖の推定図があるんですけど。
234日本@名無史さん:2011/11/28(月) 01:27:26.88

民主は反日で論外
自民は谷垣のようなエセ保守が居る限り衰退
235太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/28(月) 10:45:32.38
成務。57年分ではは上の3章への差し込み記事にならない。仲哀の9年足して
も57年分の空年は遠く足りず、整合出来ない。
それで↓どこに19×3年の空年があるのか? ほら57年分の空年など無い。
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
236太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/28(月) 10:49:40.52
五重在位では、書記・文献・考古学 この3点が合致していない。
つまり整合しておらず、精神病院ご到着。ppp

上の3件に五重在位など存在せず、全くオマエの論は合致していない。
しかも応神が履中などとwwwwwwwwww、精神病院特別席が相当であ〜る。
237日本@名無史さん:2011/11/28(月) 10:53:27.50
卑弥呼の湯に行ってきた。肌がツルツル、最高の温泉だった。しかものんびり出来た。ただ邪馬台国と関係があるかはわからん・・・
238サガミファン、サガミ待ち:2011/11/28(月) 12:45:05.74
>太国さん
モモソ姫が中国側から見れば女王に見えるほど権威があっただけですよ。
即位などしてるわけないでしょ。即位は世襲ですが、卑弥呼は共立ですし。
貴方は勘違いしてますね。それに僕の人口論を崩さないと
九州説の負けを認めることになりますよw

>筑紫さん
貴方の説では伊都国と邪馬台国の距離が近すぎるので一大卒を伊都国に常駐させ
諸国を検察する意味が分かりませんw邪馬台国から直接派遣すればいいし。

239日本@名無史さん:2011/11/28(月) 14:18:29.77
>即位は世襲ですが、卑弥呼は共立ですし。
即位とは位につくこと、世襲か共立かは関係ないよ。
240太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/28(月) 15:17:55.65
盲象の19歳老人

>即位などしてるわけないでしょ

即位してないなら倭人伝が女王国とは書かないよ。男王国とかそのへんで
書いて、凄い鬼道の霊女がいるとか、そのへんだろうがね。w
女王国とある限り即位してないわけがないぜ。女王の国なんだよ〜
〜女王の国さ。分かったか〜?

霊女の国とかとは書かれてないんだぜ。
241くまモン太:2011/11/28(月) 16:10:33.74
卑弥呼は熊本で眠っているモン
242徐々に出父 :2011/11/28(月) 18:56:32.11
>>241
ええど・ええど。
熊本の熊と熊襲の熊は何の関係もない。関係あるのは人吉の球磨だ。

むろん、熊襲は玉名と人吉にしかおらず。
あとは福岡と大分にこそ多く散在していた。これが事実だ。

熊本はもともと隈本だ。
佐賀と福岡と大分に隈のつく地名が多いが。
それが、隈本(隈部・隈府)を中心とした勢力範囲だったことを物語る。

これが九州の古代の真相だ。
243日本@名無史さん:2011/11/28(月) 19:13:23.76
なんで、遺作がモンタのことを知ってるんだ?
244日本@名無史さん:2011/11/28(月) 19:30:34.01
熊本九州王朝(笑)
245日本@名無史さん:2011/11/28(月) 19:40:18.56
隈=山が曲がって入り込んだところ、川が岸に入り込んだ所
246徐々に出父 :2011/11/28(月) 20:20:51.60
>>244
軽々に「王朝」なんて言葉を使うな。
王朝とは何か。倭国に王朝と呼べる体制ができるのはいつか。
しかと考えてから使え。古田某に似てお里が知れるぜ。

>>245
むかし。神様と高貴な人は山にいたもんよ。
高貴な人の住まいは、世の中へ平定してはじめて平地へ降りてくる。
城壁のない王城なんて世界遺産ものだ。これが日本国の特徴。
247日本@名無史さん:2011/11/28(月) 20:57:10.84
出父?デブ?震災太りか?
248日本@名無史さん:2011/11/28(月) 21:07:57.00
>>247
森村伊作のオヤジギャグ駄洒落。
ジョニー・デップのパロのつもりなんだろう…

そう言えばベッカム=別格が老眼には受けていたが良く分からん感性だ…
249日本@名無史さん:2011/11/28(月) 21:15:17.91
なるほど
いい身分だな
寿命の残り少ない年寄りは怖いものなしだわ
250日本@名無史さん:2011/11/28(月) 21:23:43.84
>>248
伊作と老眼に漂う加齢臭
251筑紫の民:2011/11/28(月) 21:28:40.46
三角縁神獣鏡の重要性が解ってきた。
252日本@名無史さん:2011/11/28(月) 21:29:36.60
ペニスケースって鎧???
253日本@名無史さん:2011/11/28(月) 21:41:36.41
>>248

> そう言えばベッカム=別格が老眼には受けていたが良く分からん感性だ…

つーか、そのネタ元を当てられるお前さんもナカナカだぞw
254日本@名無史さん:2011/11/28(月) 23:01:06.32
共立=神託
255日本@名無史さん:2011/11/29(火) 08:10:23.52
>242
>ええど・ええど。
熊本の熊と熊襲の熊は何の関係もない。関係あるのは人吉の球磨だ。

何とか熊襲と熊本を無関係にしたいようじゃが
熊襲がいたのは熊本ぞ。佐賀や埼玉ではないぞ。

>246
>軽々に「王朝」なんて言葉を使うな。
王朝とは何か。倭国に王朝と呼べる体制ができるのはいつか。

お前さんの「王朝」の定義を言ってみなされ。

>高貴な人の住まいは、世の中へ平定してはじめて平地へ降りてくる。
城壁のない王城なんて世界遺産ものだ。これが日本国の特徴。

昔は高貴な人(王) が先頭に立って戦をしたものじゃ。
兵士を死地に向かわせて本人が安全な場所に隠れているような王には誰も従わないぞえ。
256日本@名無史さん:2011/11/29(火) 10:00:58.33
>熊襲がいたのは熊本ぞ。佐賀や埼玉ではないぞ。
いろいろな説があるが、鹿児島とするのが普通だ。熊本説は少数説だな。

隼人研究家の中村明蔵は、球磨地方と贈於地方の考古学的異質性から、熊襲の本拠は、
都城地方や贈於地方のみであり、「クマ」は勇猛さを意味する美称であるとの説を唱
えている。
257サガミファン、サガミ待ち:2011/11/29(火) 10:39:41.84
>>240
だから貴方は勘違いしてますし、邪馬台国王は男王でしょう。
これがおそらくのちの大和朝廷の天皇です。
卑弥呼は倭国大乱を終息させるために臨時で共立されただけの
倭国統合の象徴たる女王だと何度も言ってるでしょ。いわばただの名誉職です。
実際の政治は邪馬台国王がしていたのでしょう。
さあ早く僕の人口論崩してくださいwさすがにそろそろ邪馬台国も
不毛なので飽きてきたので早くしてくださいw
258有帯(アルベルト)・雑毛浪人 :2011/11/29(火) 10:41:15.00
>>256
熊襲をつくり出した創作歴史書によると、
熊襲がいた地域は福岡が最も多く、次が大分・宮崎、熊本は2ヵ所だけだ。
福岡びいきで九州北部説を垂れる輩は、この事実から目を背けている。
259有帯(アルベルト)・雑毛浪人 :2011/11/29(火) 10:46:55.23
>>257
お前は「あらため」の別ハンか? 
その場その場で「言動の不一致」が甚だしい。
いうことに信頼性がない。

こんな奴相手にしても実りはない。
260サガミファン、サガミ待ち:2011/11/29(火) 10:54:23.29
>>259
あらためとか何を言ってるのかわからないし気持ち悪いです。
太国さんといいここ意味不明のこと言い出すボケ老人が多すぎw
261日本@名無史さん:2011/11/29(火) 10:56:11.18
>>259
>その場その場で「言動の不一致」が甚だしい。 いうことに信頼性がない
>こんな奴相手にしても実りはない。

同感♪
262サガミファン、サガミ待ち:2011/11/29(火) 11:16:59.02
邪馬台国論自体深入りしても実りはないでしょうにwww

それがわかってやってるとしたら池沼でしょうwww
263日本@名無史さん:2011/11/29(火) 12:03:05.16
>>257 名前:サガミファン、サガミ待ち
>>240
>だから貴方は勘違いしてますし、
>邪馬台国王は男王でしょう。
>これがおそらくのちの大和朝廷の天皇です。

「南至邪馬壹【臺】國 女王之所都」とあるが。
何処に、『邪馬台国王は男王でしょう。』という記述があるの?
「其大倭王居邪馬臺國」とある。
倭王とは女王である。



264筑紫の民:2011/11/29(火) 12:44:03.69
三角縁神獣鏡
〇概要
 @日本の古墳時代前期の古墳から多く発堀、中国の魏の年号を銘文中に含むものも多くある。
 A「魏志倭人伝」に「239年(景初3年)魏の皇帝が邪馬台国の女王卑弥呼に銅鏡百枚を下賜したと
  する記述があることから三角縁神獣鏡がその鏡であるとする説がある。
 B三角縁神獣鏡が出土するのは4世紀以降の古墳からのみで、邪馬台国の時代である3世紀の墳墓
  からは1面も出土していない。
〇@Aから、ヤマト王権は邪馬台国から続く倭国首脳部であったことはほぼ確実であリ、以下の説は
 抹消となる。
 B邪馬台国九州説の卑弥呼は、九州の女酋長に過ぎない説
 C九州王朝説(邪馬台国とヤマト王権の関係から)
〇Bは、邪馬台国時代に近畿に王らしいものが居なかったと見積られる。
〇結論
 九州東遷説が最も有利だね。
 なんと、あの三角縁神獣鏡が九州東遷説の強い味方になるとは・・・三角縁神獣鏡、もっと勉強しよう。
265日本@名無史さん:2011/11/29(火) 13:39:52.56
>認識されている三角縁神獣鏡が「魏志倭人伝」の鏡なのか?
>三角縁神獣鏡は国産ではないのか?

うむ
266日本@名無史さん:2011/11/29(火) 13:52:12.94
>A「魏志倭人伝」に「239年(景初3年)魏の皇帝が邪馬台国の女王卑弥呼に銅鏡百枚を下賜した。と、する記述があることから三角縁神獣鏡がその鏡であるとする説がある。

当たり前のことだが、倭人伝に書かれている銅鏡百枚はまだ発掘されていない可能性が高い
267日本@名無史さん:2011/11/29(火) 14:02:18.93
>〇結論
> 九州東遷説が最も有利だね。
 
それだと畿内説が有利だと思うぞ
268日本@名無史さん:2011/11/29(火) 14:43:41.81
Bが、畿内説を苦しくしてるんじゃないのか?
269日本@名無史さん:2011/11/29(火) 14:57:57.10
Bも必殺ゴッドハンドがあれば年代を変えれますよ。
270日本@名無史さん:2011/11/29(火) 15:24:52.22
>銅鏡100枚は卑弥呼の墓に埋まっている。

これが真実だと思うよ
271ローガン:2011/11/29(火) 15:46:43.39
>>264:筑紫の民
>なんと、あの三角縁神獣鏡が九州東遷説の強い味方になるとは・・・三角縁神獣鏡、もっと勉強しよう。

お、いいぞ!頑張れ!
272日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:07:33.31
もっと勉強したら、ローガンの△鏡舶載説が、木端微塵になっちゃうよ。
273日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:11:56.61
できれば大したものだが百年かけても無理だろうな。
274夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 17:12:25.23
直近を流し読みだけで、ほとんど過去ログ見てないで参加させてもらう。

九州説、畿内説で断定的な話をする奴ばかりだが、真相はまだわからない。
わからないならわからないことは謙虚に受け入れて話すべきだね。
サガミ某などのような態度の馬鹿がこういう話に参加してはならない。

俺は九州、畿内両方とも邪馬台国ではなかったと思う。
その立場から参加させてもらう。
数日に1レスか2レス程度のスローペースでの参加になるが。
275日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:16:40.13
>>273
百年かけても無理なのは、ローガンの学習能力だと思う。
276夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 17:22:28.24
江戸時代に新井白石が大和説を、本居宣長が九州説を唱えて以来300年も論争が続いている。
東大、京大という日本の代表的な一流大学の一流と言われる研究者が今もやっている。
しかしそれでもどちらも自説を証明出来ない。
巨大であるはずの卑弥呼の古墳も金印も見つからない。

ここから出てくる合理的な答は何か?
「九州にも畿内にも邪馬台国はない」
これしかないと思うが。
277日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:30:08.44
>>264 筑紫のド民

うわあああ、相変わらず酷いな…
一つのレスの中でさえ自己矛盾に気づかないのか?

>@Aから、ヤマト王権は邪馬台国から続く倭国首脳部であったことはほぼ確実であリ

>Bは、邪馬台国時代に近畿に王らしいものが居なかったと見積られる。

ヤマト王権は(倭国首脳部として)邪馬台国の時代には既にあった、でも邪馬台国の時代に近畿には王権はなかった。
なんじゃそりゃ?アタマダイジョウーブか?

仮にその3世紀のヤマト王権を「九州にあったヤマト王権(の前身)」としたところで三角縁神獣鏡は畿内を中心に分布しているんだから
「4世紀以降の古墳からしか出ない」と言うのなら
「引っ越した時に根こそぎ全部持ってきた(その後に全国に配布)」と言う話にでもするしかないw

ヴぁか○出汁wwwwwwww

ここまで酷いと今まではいい歳したおっさんだと思ってたが案外小学生とか?マジで考える。
278日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:33:19.77
三角縁神獣鏡は国産だろう。畿内、岡山、福岡の繋がりを考えたら大和朝廷でドンピシャ。あれ?東遷説が有利に・・・なるかも
279日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:36:34.15
卑弥呼亡き後に、大和(畿内) 吉備 邪馬台国(九州内) は親戚関係にあったとも考えられる
280日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:38:58.69
モモソヒメ(卑弥呼)と吉備津彦は姉弟だよ。
281日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:42:34.54
九州説だと縄文、弥生以来のダイナミックな交易圏が一転してブロック経済化されたことになっちゃうんだよなあ
282日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:44:32.62
モモソが卑弥呼なら台与はどこ?ってなる。結論から言えばモモソは卑弥呼ではないよ。
283雑毛浪人 :2011/11/29(火) 17:49:20.67
>>264  ええど・ええど。
三角縁神獣鏡が300年代に入ってからの国産鏡だった可能性すらうかがわせる。
ひとつ重要なことを伊作説から。
・後漢末の混乱期に洛陽の尚方(官製工房)での鏡製作は中断する。
・明帝の代になって復活するのだが、この時期、呉とは敵対している。
・神獣鏡は邪教扱いされた新興宗教「鬼道」の精神性を図柄としている。
・神獣鏡は鬼道が盛んだった広漢巴蜀と江南の地で盛んに造られた。
・神獣鏡は典型的な呉式鏡である。
・正当王朝たる魏の洛陽の尚方で、呉式の、
 邪教の精神性をモチーフとした神獣鏡を造ることは絶対にない。

●その、魏の尚方で絶対に造ることのない神獣鏡に「魏の年号が刻まれている」。
この大きな不条理について、論らしいやり方で説明できた畿内説者は今後も登場しない。
呉が魏に臣従していた時代に呉で造られた神獣鏡に魏の年号が入っているとかいう説もあったが、
いずれにしても洛陽の尚方で造られたものではないことは事実である。

「ねつ造は古代にもあった」。
銘文なんてものは何とでも入れられる。銘文の年代が造られた年代だという保証はない。
さて、魏の年号入りの三角縁神獣鏡は、いつ・どこで・何のために大量に造られたか。
誰の目にも、おぼろ気ながら実相が見えてくるはずだ。
284日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:52:39.02
>>281
つうか玄界灘周辺地域以外に比定地をおくなら
常に半島大陸の交易の窓口であった玄界灘周辺地域以外に突如それに取って代わる経済・政治ブロックが出現したことになる。

かといってじゃあ玄界灘周辺地域を比定地にしようとしても
そこは通説なら伊都国であり奴国であって邪馬台国ではない…と言うジレンマ。

285日本@名無史さん:2011/11/29(火) 17:57:00.25
やっぱり畿内説には無理があるな。畿内説は空想でしかない。確信した。
286日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:05:52.07
金印を見つけたら、市町村に10億ぐらいで売り付けてやりたい。
287日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:08:33.26
>>283 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 

>明帝の代になって復活するのだが、この時期、呉とは敵対している。

>神獣鏡は典型的な呉式鏡である。

三国の「魏」と敵対したのは三国時代の「呉」
「呉式鏡」の呉とはそれ以前よりあった呉地方という地域のことを指す。

故に二世紀に現れた神獣鏡も呉鏡と言う。
神獣鏡は何も三国時代の呉の官製工房で作り出されたものでもない。

地方としての「呉」と敵対した国家の「呉」を具茶混ぜにした「誤」認識であるwww

288唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/29(火) 18:09:52.37
>・神獣鏡は鬼道が盛んだった広漢巴蜀と江南の地で盛んに造られた。

この鏡は、270年前後に洛陽にもたらされる。
当然この鏡の一部は楽浪からも見つかっている。

250年代(庄内式)に景行は九州平定を終え、274年に神功渡海(冊封体制下で
半島で1大卒の行為を行う=布留1式)
289日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:13:56.71
よくよく考えたら10億でも安いね。世紀の発見だしね。観光客もすごい事になるし、最低でも20億からだね
290日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:15:16.01
>>288
>当然この鏡の一部は楽浪からも見つかっている。

ソースは?
291日本@名無史さん:2011/11/29(火) 18:28:10.66
で >>283 のように「絶対作られたことは無い」と言うのは根拠の無い話だが

ただ「贈答品として品格の点で相応しくない」「道教に手を焼いた魏が道教色の濃い神獣鏡を用いることは無い」
…等々の意見は昔からあり一つの意見ではあるだろう

が、相手国を懐柔することを第一に考えたとするならそれも確たる根拠にはなり得ない。

良い例が以前週刊誌にでた唐代にチベットとの外交で皇帝に上奏されたと言う助言の内容で
相手が欲しいものをやって手なずけるのが良いとして
過去の魏の鏡や漢が匈奴にサイの角でできたベルトのバックル等を送った事を説いている
…というやつだな。

要は「相手の好み」「それを贈った時の効果」を第一に考えれば神獣鏡の品格云々は問題にもなら無いだろうという考え方もできる。
(先に出てきたサイの角のバックルなんて単にレアアイテムだろうw)

以前、温家宝がSMAPと会見したと言うニュースがあったが外交においても
中国流プラグマティズムと言うのは案外古代から続いているのかもしれないwww
292夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 19:02:22.97
流れが早いな、断続的参加しか出来ない者にはちと辛いかも…

神獣鏡が話題のようだが、中国で出土したことがあるのか?
293筑紫の民:2011/11/29(火) 19:02:35.67
>>283 先生久しぶり、お元気そうで。

>>277 反キチ、「馬鹿な書き込みだな」と思うのであれば相手にしてくれんでもいいよ。
    半キチが大騒ぎする時はいつも「畿内説の痛いところを突かれた時」だもんね。

三角縁神獣鏡調べていたらさらに面白いこと見つけたよ。しかも「九州邪馬台国東遷説」
を補備強化する事だよ。ウヒヒ
294夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 19:16:20.67
>>293
あなたは九州説のようだが、300年もの間、調べ尽くされただろう九州にも畿内にも卑弥呼の古墳はない。
これについての意見はいかが?

畿内説、九州説どちらも「ここに比定したい」「邪馬台国はここだ」という結論ありきで話をする。
だからおかしくなるんじゃないのか。
295日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:22:24.67
横からだが

>>294
発掘されてるかもしれないし発掘されてないかもしれない。
ひょっとしたら盗掘されてるかもしれないし、風化してなくなってるかもしれない。
まだ残ってるかもしれない。

で、何を持って卑弥呼の古墳と定義する?
296日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:24:01.52
>卑弥呼の古墳

古墳というのは前方後円墳(+前方後方墳)だよな?w
297唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/29(火) 19:25:07.25
>>290

http://www.ne.jp/asahi/isshun/original/note38.html

舶載鏡の紋様や特徴は中国のどの地域の鏡とも合致せず、
唯一合致したのが楽浪郡出土鏡だった、という。
『古鏡聚英』(後藤守一編修)に は、楽浪出土の三角縁二神二獣鏡
がいくつか掲載されているが(現在、これらの三角縁二神二獣鏡は
三角縁神獣鏡ではなく、斜縁二神二獣鏡という鏡式になると いう)

話は変わるが、ホケノ山の鏡は楽浪製で公孫氏の鏡である。
298太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/29(火) 19:27:30.67
×→250年代(庄内式)に景行は九州平定←×→を終え
299夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 19:38:02.60
>>295
ふむ、難しいね。金印でもあれば間違いないが、必ず副葬されてるとは限らないしね。
ただ現状で卑弥呼の墓と断定出来る古墳は九州にも畿内にもない。
これだけ各時代の一流学者が調べても出てこないのはないからだ。
みな”結論ありき”でやるからおかしくなるんじゃないのか。

>>297
その通りだが、日本で出土する三角縁神獣鏡と同じものは中国から出土していない。
つまり三角縁神獣鏡は邪馬台国比定の根拠にはならないと思う。
比定考察にはここから離れるべきだ。
300日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:41:18.22
>これだけ各時代の一流学者が調べても出てこないのはないからだ。
>みな”結論ありき”でやるからおかしくなるんじゃないのか。

元々形状や大きさについても良く分からないのだから見つからなくて当たり前。

既に出てるものの中にある可能性だってある。

301雑毛浪人 :2011/11/29(火) 19:42:33.50
>>299 :夢幻如
>卑弥呼の墓と断定出来る古墳は九州にも畿内にもない。。
このことは、卑弥呼の墓を語る前に解決しておかなければならない問題なのだが、
卑弥呼の墓が箸墓であることにしたい輩は関知せずに回避し続けている。
理路を整えていえばこうだ。

●卑弥呼が日本の歴史から消えたわけ
卑弥呼が日本の歴史書に登場しないのはなぜか。
『日本書紀』の編纂者たちが『三国志』倭人伝に目を通しているのは紛れもない事実なのに、
『日本書紀』には卑弥呼と邪馬台国が登場しない。
(女帝推古紀に「倭女王」の記録が登場するのは超矛盾。これは後世に追加記入されたものである)。
 
『日本書紀』に卑弥呼と邪馬台国が登場しないということは、間違いなく意図的に抹消されたと考えなければならない。 
それでは、抹消された理由は何だったのだろうか。そう考えたとき、思い当たる理由は一つしかない。
「中国天子に臣と称して朝献・朝貢していた時代の歴史を消したかった」。
日本書紀』には、本場中国の天子に対して「日出る処の天子が日没する処の天子に」と、
対等な口上を述べるようになる隋以前(漢・魏・晋・宋代)の歴史がない。
つまり、中国天子に臣とへりくだって朝貢外交を展開していた時代を消して、
中国王朝に対して一人前の発言をするようになった時代から書いているのである。

このように、紀元前後から400年〜500年間の漢・魏・晋・宋代の体験の記憶を抹消して、この期間の歴史を作り変えている。
歴史の膨大な隙間を、少ない材料で操作して穴埋めした。そのために消されてしまった体験の記憶を、
いまとなって解きほぐすことは不可能だろう。
なぜならば、史実を消して創り変えるのが編纂者たちの仕事だったからである。
その過程を推察すれば、本物を含む幾つかの土器をたたき割って、それらの破片を拾い集めてつなぎ合わせ、
ありもしなかった異様な形の土器に復元するような作業をしているはずである。
そこに史実が紛れ込んでいたとしても、それは脈絡を寸断された断片でしかないのである。つづくから
302日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:42:56.44
卑弥呼の古墳って、実はみんなが知ってる有名な古墳だが、
誰も気づいていなかったりしてね.
303雑毛浪人:2011/11/29(火) 19:43:11.22
●卑弥呼の墓は手つかずで残っているか

さて本題だ。
鏡と剣を神器と明器(副葬呪具)とする初期道教的祭祀様式は、確かに大和時代の支配層に継承された。
なのに、『倭人伝』に目を通したはずの『記紀』編纂者が、倭国の黎明期を担った卑弥呼と臺與の二人の名を載せていない。
必然的に、ある種明確な意思をもって消したと考えなければならない。ここが重要なポイントである。

明確な理由があって文献記録から消したからには、残る物的証拠も消したがるのが当事者心理であり、
そうすることで抹消作業もより完璧になる。それでは、物的証拠たる墓はどう扱われたのだろうか。
本来は、卑弥呼の墓探しをする前に、この問題を議論してクリアにしなければならない。

卑弥呼の墓については、私には築造当時のまま現存するとは思えない。
邪馬台国、卑弥呼、臺與の抹消という事実に照らせば、遅くとも『記紀』が完成する前後の時期までには、
意図的に移築されたか神社などに変造されたか、あるいは最悪の場合は破壊されたとみている。
もう一つの宮城も、たび重なる内紛や戦乱で焼失して放棄され、
時代の変遷の中で別のものが上にかぶさっていると見るのが中庸な見方だろう。
304唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/29(火) 19:44:28.57
  石野博信氏は河上邦彦氏が調査したのと同じように、三角縁神獣鏡の古墳からの出土状況から、
三角縁神獣鏡はそれほど大事な鏡ではなく、おまじないの道具だったのではないかといい、副葬さ
れるようになったのは270年頃で、風習が広まるのは290年代以降だとみる。
纏向4類(後)箸中山(最初の大王)・燈籠山、布留0の指標、[261年 景行没]
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 纏向5類 (布留1)。 △鏡。[274年神功渡海]
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
考古: 纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、兵の引き上げ [313年仁徳元年]
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。

△鏡は、神功渡海を表し、畿内が実権を握った証拠である。
305雑毛浪人 :2011/11/29(火) 19:47:49.40
「卑弥呼の墓と断定出来る古墳は九州にも畿内にもない」。

これが冷静な人間のいう正論であり「現状の事実」である。
306夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 19:49:21.27
>>300
さあそれはどうかな。
あなたは何説支持なのか知らないが、「ここを邪馬台国にしたい」という願望がない者には
今までの研究結果から得られる答はただ一つだ。
「邪馬台国は九州にも畿内にもない」
これが合理的な極々普通の答になる。

すまんね、タイムアップだ。夜勤なんでね。
307日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:52:30.39
「卑弥呼の墓と断定出来る古墳は九州にも畿内にもない」
と、
「邪馬台国は九州にも畿内にもない」

はイコールじゃないぜ。念のため。
証明できないってだけの話だ。

308夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 19:56:51.90
>>305
あなたの意見に対する感想および意見は後ほど。
時間がないんだ、悪いな。
309日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:58:07.41
>>306  夢幻如 ◆vaujymvCDcV.

「邪馬台国は九州にも畿内にもない」
じゃあ何処にあったと言うのか?

「九州・畿内以外の何処か」と言うのか?それとも
「実は邪馬台国なんてなかった」と言うのか?

「両地域にあったはずなら今まで見つかっているはず」と言うのなら
「九州・畿内以外なら同じぐらいの労力・時間をかければ見つかる」と言う話なのか?

「合理的な極々普通の答」と言うのなら
「倭人伝でそこにに書かれた通りのクニを見つけることは不可能」と言うことだ。

故にもっぱら考古学的なアプローチで3世紀の日本の国内事情からそれを考えるのが現在の主流。

「畿内九州が駄目なら他に当たればあるだろう」と言う話ではない。

310あらため:2011/11/29(火) 19:59:36.34
ほら、新しい人が来たら向かっていけ〜ALL

>>306
>邪馬台国は九州にも畿内にもない

じゃあ邪馬台国はどこと考えてるんでしょうかね?
もしかして海外??九州にも畿内にもないと結論付けた根拠みたいなのを聞きたいですね。
311日本@名無史さん:2011/11/29(火) 19:59:49.74
>>281
はあ?なんで?
312あらため:2011/11/29(火) 20:04:19.17
あっ 古田か〜ふるた〜 たぶん彼の作品でもある

「邪馬台国」はなかった でも読んで来たのだろうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6
313日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:09:05.26
>>301 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
>『日本書紀』には卑弥呼と邪馬台国が登場しない。

おい大丈夫か?自称 文献の鬼とか天才とかw

神宮皇后39年以降にまんま出てるんだが…

「それは本筋ではなくて引用」とか「日本書紀は信用していないから読んでいない」とかの言い訳が来るのかな?www
314日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:10:21.06
>夢幻如

また畿内説詐欺かよ!

「箸墓こそ卑弥呼の墓だ」というインチキをばら撒いておいて、
この詐欺が通用しなくなってきた今、
「卑弥呼の墓の特定が邪馬台国論の主題」という詐欺へと
誘導したいんだろうが、ジンギスカンの墓が見つからないから
モンゴル帝国は実在しなかった、なんて論理にはならないのだよ。
315筑紫の民:2011/11/29(火) 20:14:56.11
神功は朝鮮半島に出兵して新羅の国を攻めた。新羅は戦わずして降服して朝貢を誓い、
高句麗・百済も朝貢を約したという(三韓征伐)。

百済は346年建国、新羅は356年建国だよ。邪馬台国とえらいずれだぞ?
後世の<捏造者>の付け加えだと見るべきだろう。

316日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:19:10.75
>>315 森村伊作  のポチ 筑紫の┣¨民

飼い主がドチョンボやらかしたので早速フォローか中々の忠犬っぷりwww

付け加えられた意図がどのようなものであっても 森村伊作 の

>『日本書紀』には卑弥呼と邪馬台国が登場しない。

はフォローできんぞ阿呆w






317夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/29(火) 20:29:56.73
都合で仕事開始が30分伸びた。ちょこっとだけ書き込む。

>>309-310
邪馬台国は存在したのは間違いない。魏史倭人伝が嘘を書く理由はない。
邪馬台国は間違いなく国内に存在したはずだ。

>「倭人伝でそこにに書かれた通りのクニを見つけることは不可能」と言うことだ。

そうかな?それしか頼りになる史料はないわけだから、これを尊重するしかない。
どこを邪馬台国と思っているのか、と結論を急がないでほしい。
結論ありきで考察しては九州説、畿内説と同じになってしまう。
まあ、ぼちぼちと(笑)

日本書紀について卑弥呼、邪馬台国に触れてないことは後日。
318筑紫の民:2011/11/29(火) 20:32:08.05
>>316
いいよ反キチ、周りは見ている。
まあ、周りから何と思われようと半キチは<爆書き>を続けるんだろうけど・・・
その<爆書き>じゃ友達も彼女もいないだろ。なんだかその<爆書き>の向こうに反基地の哀れな生活が見えてくるよ・・・
319日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:36:59.75
>>297
299を読んでくれ
320日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:39:40.96
>>318 筑紫の┣¨民

森村伊作 のポチがご主人様のフォローに失敗して捨て台詞吐いて退散かwww 
321唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/29(火) 20:40:07.96
>>315
正しく時代を認識しているではないか。
晋書:274年 二月,分幽州五郡置平州。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。

274年に軍を渡海させる。
278年には東夷9国(東夷は9種)すべてが出そろう。この時神功軍が晋の要請で
半島において、伊都国に置かれた大倭の1大卒と同様な行為を行う。
新羅は韓(辰韓)に属す。そこを神功軍が”諸国を検察する”。
だから、渡海に軍事力は使わないのに、新羅より上にたてる。
322日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:43:10.40
>「卑弥呼の墓と断定出来る古墳は九州にも畿内にもない」

糞野郎にしか思いつかない発想だな。どちらかに必ずある。邪馬台国を見つけるのは情熱を注いだ人だけだ!けして学者ではない!
323あらため:2011/11/29(火) 20:49:56.63
>>317 夢幻如 ◆vaujymvCDcVさん
あら、まだ邪馬台国はどこにするか決まってないという事ですか?
早く決めて下さいよ(笑)

>結論ありきで考察しては九州説、畿内説と同じになってしまう。

いえ、私も含め、たぶん他の人たちも結論ありきで言ってるのではなく
いろいろ考えたうえで、最終的に畿内説、九州説と結論付けたのです。
324日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:51:44.33
>>317 夢幻如 ◆vaujymvCDcV.
>そうかな?それしか頼りになる史料はないわけだから、これを尊重するしかない。

例え史料が一つしかなくてもそれで答えが導き出すことができないのであれば
それを認めるのが真っ当な学問。

「それしかないから」といって無理やりそこから答えを得ようとするのは単なる暗号解読ゴッコ。

まあ「倭人伝の邪馬台国は何処かにあったのは間違いない」で、かつ
「畿内九州何れでも無い」と言うのなら両説に勝るものを出さなければ話にならないな。

手っ取り早く言えば単なる かまってちゃん 
325日本@名無史さん:2011/11/29(火) 20:58:04.42
>夢幻如

唯我独尊のオカルト説なら、別な場所で宣伝してください。
326筑紫の民:2011/11/29(火) 21:05:17.89
>>320 反キチ
神功皇后の件をこれだけ必死に書き込むのは<反キチ>くらいだ。
この程度のことを真面目に「卑弥呼とかかわりがある」とはもう誰も思っていないし、
これをもって、「日本書紀に卑弥呼のことが書かれているではないか。」とはしゃぐ奴もいない。
はっきり言ってみんな無視する所・・・残念な奴
彼女いるんか?毎晩ここを<歩哨のように監視>しているみたいだが、たまにはデートにでも逝けよ。

邪馬台国畿内説軍団 第1監視隊 夜間歩哨係の<反基地> 
327あらため:2011/11/29(火) 21:09:30.11
>邪馬台国は間違いなく国内に存在したはずだ。

でも、畿内説か九州説かまだ決まってないと・・・・
てことで、私は彼が邪馬台国をどこにするか決めるまで待ってられないのでw
パスぅw 後は君等に任せた〜☆
328唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/29(火) 21:13:41.55
>>315
晉書卷一百九  載記第九   慕容皝慕容翰 陽裕
句麗、百濟及宇文、段部之人,皆兵勢所徙,非如中國慕義而至,咸有思歸之心。
この記事は、342年に高句麗が前燕に大敗した直後の出来事である。
つまり、百済は342年には記録されるだけの勢力である。

新羅は韓に属し、(魏・晋時代は、辰韓に属す)、倭に属す。
倭に属すのは、神功49年からである。この時百済に領土分与が必要である。
だから、323年になる(神功元年は渡海(274年)の翌年。
この後、新羅は高句麗に属し、407年に金官伽耶の東半分を奪う。
七支刀=326年。
329雑毛浪人 :2011/11/29(火) 21:14:17.08
>>307
>証明できないってだけの話だ。

>>322
>どちらかに必ずある。

「現状の事実である」。
と書いているのを見落としたお角違い。
全体の文意まで意識が回らないタコの一行ヤジ。

>>313
>神宮皇后39年以降にまんま出てるんだが…
(これは後世に追加記入されたものである)。
とい書いているのを見落とした「お角違い」。

攻撃できそうな部分だけを文面から漁るキ違い野郎の、
注意力散漫・理解力欠落・支離滅裂・分裂投稿。毎度のことだ。
330日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:15:50.52
>>326 森村伊作のポチ 筑紫の┣¨民

森村伊作  のドチョンボ指摘されるのがそんなに辛いのか?w
もう飼い主の 森村伊作 と完全一蓮托生だなwwww

神宮皇后に倭人伝の引用がある…なんて凡そ誰でも(この俺ですら)知っているような話w
普通だったら
 
>『日本書紀』には卑弥呼と邪馬台国が登場しない。

なんてあほなことは言わない。

まあポチがご主人様かばうのは分かったからご本人の言い訳を聞いてみようw

崇峻の時と同じように無様な言い訳で益々自分を惨めにするか?wwwww
331筑紫の民:2011/11/29(火) 21:16:07.98
ちなみに神功皇后陵
○宮内庁では、奈良市にある五社神(ごさし)古墳を神功皇后陵(狭城楯列池上陵)としている。
○2008年、宮内庁は日本考古学協会などの要請に答え、五社神古墳の立ち入り調査を許可した。
 宮内庁調査の確認と円筒埴輪列が新たに発見された。この古墳は4世紀末から5世紀初めの築造
 とされていたが、円筒埴輪列によってやや新しくなるのではないかと推測される。

もう、年代バラバラ

332日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:19:57.21
>>329
揚げ足取りが趣味ですか?このドアホが!
333サガミファン、サガミ待ち:2011/11/29(火) 21:20:25.17
椿木大塚山古墳が同范鏡の分与元でありますので、
九州説を主張されるのでしたら3世紀後半以降に東遷があったことを
証明しなければ成立しません。しかし東遷などあったとは
とても思えません。そのような民族大移動を行う必然性も見当たりませんしねw
334日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:21:58.89
>>329 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
>(これは後世に追加記入されたものである)。
>と書いているのを見落とした「お角違い」。

おいおいおい、自分で書いた>>301をもう一回読めよ阿呆。

そりゃ推古の話だろうが。

>『日本書紀』の編纂者たちが『三国志』倭人伝に目を通しているのは紛れもない事実なのに、
>『日本書紀』には卑弥呼と邪馬台国が登場しない。

その倭人伝の引用があったわけだがwww

つうかお前信じられないことを言うよな。


335日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:32:34.85
何れにせよ日本書紀に倭人伝の引用がある以上、伊作の

>『日本書紀』に卑弥呼と邪馬台国が登場しないということは、間違いなく意図的に抹消されたと考えなければならない。 

と言うのはありえない話。




336唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/29(火) 21:40:46.77
>>331
>もう、年代バラバラ

纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、兵の引き上げ [313年仁徳元年]
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
旧纏向5式  326年七支刀、大量の渡来人 旧編年 纏向5式(新)〜6式 (布留2〜3)
  仲津山古墳 [326年神功49年]
旧纏向6式 須恵器を伴う 370年前燕滅亡 TK73石津丘古墳
TK216誉田御廟山古墳 渡海(274年)から110年後。
399年(406?)ON46大仙古墳

考古学が年代を動かしたのは、纒向5類までである。
これ以後の編年はできていない。

旧編年
崇神=卑弥呼(240年)は七支刀=369年から逆算された。(約130年)
新編年
崇神=2世紀末から約130年後が七支刀である。七支刀=326年。
ところが、まだ、七支刀=326年は認知されていない。

337サガミファン、サガミ待ち:2011/11/29(火) 21:41:51.36
卑弥呼はモモソとして登場させてるけど、
倭国女王として朝貢したなんてのは当然記紀に書くわけないでしょw

難升米はタジマモリで、9年間異国の地にいたってのは信ぴょう性はあるの?
338日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:43:08.87
魏志倭人伝を日本書紀が細かく引用してるのだから、
日本書紀が邪馬台国を大和だと言ってるのは明らかだし、
女王卑弥呼を神功だと言ってるのも明らか。

おかげで、神功が3世紀の人になった。
そのため、タケウチスクネや応神が長命になってしまった。
339日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:45:47.46
>夢幻如

貴様がココの住人になる事を認めよう
340日本@名無史さん:2011/11/29(火) 21:53:12.36
>>338
まあ垂仁紀における埴輪起源で出て来る殉死者は
実は倭人伝からのいわば「逆輸入」だったのではないか?と言う説もあるからなwww
341日本@名無史さん:2011/11/29(火) 22:16:52.74
>>337
難升米は、漢字の音韻やモモソ媛命との関係から
梨迹臣命だと思うけどね。
中臣氏の先祖で、孝元〜崇神くらいに活躍した人物。
342雑毛浪人 :2011/11/29(火) 22:23:02.08
>>334 >そりゃ推古の話だろうが。
神功紀を推世紀と勘違いして書いた。池ね・池ね。
ちなみに。俺のサイトには2ヵ所に登場する。

『日本書紀』の編纂者たちが『三国志』倭人伝に目を通しているのは紛れもない事実なのに、
『日本書紀』には卑弥呼と邪馬台国が登場しない。
(ただし、次に示すように後世に「魏志に云う」として追加記入された形跡がある)。
・神功皇后摂政三十九年、魏志云「明帝景初三年六月。倭女王遣大夫難斗米等、詣郡求詣天子朝献。
 太守劉夏遣使将送詣京都也」
・神功皇后摂政四十年、魏志云「正始元年。遣建忠校尉梯携等、奉詔書・印綬。詣倭国也」
・神功皇后摂政四十三年、魏志云「正始四年倭王復遣使大夫伊声者・掖耶約等八人上献」
・神功皇后摂政六十六年、晋武帝泰初二年晋起居注云「武帝泰初二年十月。倭女王遣重訳貢献」

 この記録は、『日本書紀』の文章構成からみて異質であり、内容的にものちの時代に加筆されたものとみた。
「伊声者・掖耶約」の誤字もあるし、私たちが見ることのできる『魏志』のほうが文章も整っているし、
内容も丁寧で詳しいことは歴然としている。
とくに、39年の「明帝の景初3年」とは、「明帝の景初3年に(喪中の)斎王芳に使者を派遣した」という。
これは、少なくとも歴史記録の書き方ではない。 

こゅこっちゃ。
343サガミファン、サガミ待ち:2011/11/29(火) 22:33:53.13
水行陸行とか倭人伝で曖昧なところはすべてカットして
確実性の高いとこのみ倭人伝を使えばいい。
それが学問的に見て正しい態度。
344日本@名無史さん:2011/11/29(火) 22:35:20.12
>>343
「水行陸行」をカットしたら邪馬台国まで辿りつけないなw

345日本@名無史さん:2011/11/29(火) 22:45:33.37
確実性が高い所で止めたら、
筑後川で止まってしまうな。
346太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/29(火) 22:46:14.75
旧編年→新編年←クルクル変わり、猿のように落ち着きがない。
途中成務年代↓に阻まれ、いくら変えても合わない。ppp

成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
347日本@名無史さん:2011/11/29(火) 23:11:04.36
もう我慢ならん
シコシコピュピュー
ホークス最高
348日本@名無史さん:2011/11/29(火) 23:28:13.45
平松邦夫/民主党
大阪市役所・自治労・大阪市労働組合・日教組・大阪市教育委員会・自民党・共産党・社民党・関西電力・住友グループ
・毎日放送・毎日新聞・関西経済連合・日本原子力発電株式会社 ・ 週刊文春・週刊新潮・NHK・朝日新聞・読売新聞
・部落解放同盟・朝鮮総連・在日本大韓民国民団・日本遊技関連事業協会・全日本遊技事業協同組合連合会・日本弁護士連合会・生活保護受給者・反日左翼・9条の会・革マル派・中核派

VS

橋下徹/維新の会
大阪市民・みんなの党・国民新党・亀井静香・石原慎太郎・東国原英夫
 様子見:公明
349日本@名無史さん:2011/11/29(火) 23:33:19.30
>343 名前:サガミファン、サガミ待ち[] 投稿日:2011/11/29(火) 22:33:53.13
水行陸行とか倭人伝で曖昧なところはすべてカットして
確実性の高いとこのみ倭人伝を使えばいい。
それが学問的に見て正しい態度。

そうだ、そうだ。
軍人が方角間違えるはずもなく。
末盧国から南にある邪馬台国は九州できまり。
学問的に見て間違った態度の畿内説は消えて下さい・

今すぐに。
350日本@名無史さん:2011/11/29(火) 23:40:17.90
>>343
動かぬ事実である、倭奴国の金印から始めるのが確実だと思う。
351日本@名無史さん:2011/11/30(水) 00:13:13.40
>>349
正論を吐けば己の首締まる。

機内説ぅ、哀れ!
糞馬鹿名古屋大学一年生サガミファン悲惨!
352日本@名無史さん:2011/11/30(水) 00:25:40.19
畿内説は自説を語ってはいけません。
語れば語るほど畿内説は怪しくなるからです。
九州説のアラ探しをして人格攻撃に持っていくことで畿内説の正しさを印象付ける。
これこそ畿内説のとるべき道であり、畿内説の伝統的で正しい展開のさせ方なのです。
353日本@名無史さん:2011/11/30(水) 00:43:19.58
>>351
機内説ぅ、哀れ!
糞馬鹿名古屋大学一年生サガミファン悲惨!


誤作動自爆の常習犯ですものしょうがない。
354ローガン:2011/11/30(水) 00:44:34.64
>>342:雑毛浪人
>この記録は、『日本書紀』の文章構成からみて異質であり、内容的にものちの時代に加筆されたものとみた。

うん。別格氏は後注説か…。私はまだ「取り敢えず後注説」くらい。
宋史日本伝に王年代記を引いて「彦瀲第四子神武天皇 自筑紫宮入居大和州橿原宮 即位元年甲寅當周僖王時也」とあります。
僖王代に「甲寅」の年は無さそうなので細かい事はさておき… 初代天皇即位元年をBC7世紀とするための年次の定点は、その後に書かれた
「次天國排開廣庭天皇 亦名欽明天皇 即位十一年壬申 始傳佛法於百濟國 當土梁承聖元年」でしょう。
もし神功紀の注記が編纂期のものなら、そこを定点に持ってきて然るべきだと思う。

「欽明天皇 即位十一年壬申」の解釈は難しいけどね。継体28年甲寅崩御とした上で、安閑2年空位とみたか?
355日本@名無史さん:2011/11/30(水) 00:56:39.64
>>354
う〜ん、そもそも宋史は、日本の「然が「建て前日本史」を中国側に呑ませて
それがそのまま載っているわけで、これを根拠にされてもなあ〜。
356ローガン:2011/11/30(水) 01:14:30.40
まあ、「取り敢えず後注説」なんでね。
ただ、王年代記のテキストは書紀と考えていいんでない?
357日本@名無史さん:2011/11/30(水) 03:28:20.23
ここ見ると、九州説だってなるな
でも、今でも畿内説の方に転向する学者多いんだろ
森浩一さんでさえ、最近は微妙な言い方してるからな
やっぱり掘らないとわからんよな
箸墓だけでもほればいいのに
358日本@名無史さん:2011/11/30(水) 04:47:05.47
素人なんて、自分で勉強しないで、本に書いてあることが理解できないから、
畿内説は詐欺などといって九州説が正しいと思い込んでるだけだからな。

伊勢遺跡が、邪馬台国=大和の決定打だって言っても、理解できんだろう。
まだ、本や論文で細かい話は世に出てないからな。

359日本@名無史さん:2011/11/30(水) 07:35:05.29
>>358
ギャハハハハハハ
アホか
360夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 07:47:48.13
>>301>>303>>305
中々筋が通った話だ。だが同意できるわけではない。

>「中国天子に臣と称して朝献・朝貢していた時代の歴史を消したかった」

日本書紀に邪馬台国、卑弥呼の記述がないのは確かに意図的な削除、というか排除だろう。
そこは同意できるが理由は違うと思う。
日本書紀は天皇家の万世一系の権威づけが大きな目的で作られたものだ。
万世一系ではなかったから万世一系を創作した。
邪馬台国→大和王朝と直には繋がらないだろうが大和王朝のルーツには違いない。
そして大和王朝は原住民系王朝のはずだ。天皇家は渡来系。
大化の改新以前は渡来系の天皇一族と原住民系大王の間で王位争奪戦があったと見るべきではないか?
最終的な勝者である天皇家は原住民系大王の記録を抹消あるいは改竄して万世一系を作り上げたのだろう。
臣下としての態度を消したいのではなく、原住民系大王の痕跡を消したかったのだと俺は思う。
361夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 07:48:59.33
>意図的に移築されたか神社などに変造されたか、あるいは最悪の場合は破壊されたとみている。

これは多分ない。理由は「たたり」だ。
改葬するならより丁重にやらねばならず、元が巨大で立派であろうから、それ以上は無理だ。
まして破壊などとんでもない。
卑弥呼は女王で鬼道に通じる呪術者だ。これを粗末には絶対に扱えない。
たたりや呪術を現代感覚で考えるべきではない。
当時は何より恐ろしいもので「証拠隠滅のために壊せ」なんてドライなことは間違ってもやらないだろうね。
隠蔽工作くらいはしたかもしれないが消し去ることは不可能だろ。

>「卑弥呼の墓と断定出来る古墳は九州にも畿内にもない」

言いたいことは解る。
今断定出来なくても存在を否定出来ないというのは間違っていない。
しかし九州にも畿内にも邪馬台国はなかったら、当然墓もないわけだ。
これだけ長い年月をかけて証明出来ない。
墓だけでなく考古学的な考察からも証明出来ない。
合理的な答は「どちらにもない」しかないと俺は思うよ。
362夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 07:59:01.77
>>322
お前はこういう考察をすべき人間じゃないね。

>>323
魏志倭人伝だって素直に読めばいいだけで九州や畿内に邪馬台国をもってきたいから読めなくなる。

>>324
一つづつやるから焦りなさんな。
魏志倭人伝を順序だてて考察していく。

仕事明けでまだ帰宅してないんだ。のちほど。
363日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:19:56.84
>>360
もう無茶苦茶だなw
邪馬台国は、ヤマト国のことを
当時の中国語で当て字で表したのに過ぎない。
卑弥呼の正体は、ヤマトトトヒモモソ媛命。
364日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:20:14.84
>>362
上から目線の割には、何一つとして具体的な事は言わないんだね。プッ
365日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:21:41.73
>>360
もういい加減に、騎馬民族征服王朝説から卒業しろやw
366日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:23:25.22
>>360
陰謀論好きのうちの親父もそんな感じの事を言っていたが、発想が古臭いね
367日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:28:00.59
日本書紀に記載されているような系図は、ほぼ正しいよ。
あそこに書かれている人物はほぼ実在したし
また、あの系図の流れも正しい。

ただし、あそこに書かれている人物が、後の天皇のような地位にあったのかどうかは
疑問符が付くということだ。
だいたい、神武天皇とか崇神天皇みたいな漢風諡号は、
日本書紀が編纂された数十年後にあたる西暦8世紀中ごろに
後付けにつけられた名前だからね。
日本書紀の原文には、神武天皇とか崇神天皇という名前すら出てこない。

そこが、天皇家がある豪族との間でもめたところだろう?
これと似たようなことが中世以降にもあってだな。。。
そう、南北朝時代なんかそうで、江戸時代までは、北朝の天皇を正統な天皇とし
南朝の天皇は、ただの親王号で記されていた。
それが、明治以降の南朝正統論のかげで、南朝の天皇たちが正当になり
彼らは天皇号で呼ばれている。
368露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 08:31:55.86
>>357
>森浩一さんでさえ、最近は微妙な言い方してるからな
彼の言動と学者人生を冷静に見渡してみ。ただの日和見だ。
369日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:33:10.26
倭国大乱とは、ヤマト王権内での王位継承争いで起こった大乱。
中世以降の南北朝時代や応仁の乱なんかに似ているともいえる。

詳しく言うと、
もともと、ヤマト王権の正統な倭王の祭祀を継承していた一族と
ヤマト王権で実際の政治上の最高権力者として君臨していた一族の争いだ。
両家系は、もとは兄弟から分かれた同族で、赤の他人ではない。
ただし、出雲国譲りを実現させ、はじめて全国で覇権を握った初代王の子孫が前者で
その初代王の弟で、出雲国譲り後、一時、九州南部で知事をしていた一族が後者だ。
370露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 08:33:15.25
>>354
>私はまだ「取り敢えず後注説」くらい。
『日本書紀』の文章構成からみて異質、唐突。
神功紀(天皇もいたろ)に倭女王の朝貢話はなかろう。単純な話だ。
倭女王の時代を神功紀にせんとする意図がみえみえだがな。

>宋史日本伝に王年代記を引いて
倭国の使者が『日本書紀』に基づいて語った歴史だろう。
中国が歴代にわたって把握してきた歴史と違うことをいうので、
「実をもって語らず、故に中国これを疑う」になるわけで。
371露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 08:35:24.79
>>360 朝まで勤務とはご苦労さん。

>だが同意できるわけではない
けっこう。卑弥呼の墓が「現状では」九州にも畿内にもないという話。
俺は俺なりの理由で(九州か畿内にあったが)発見しにくい状態になっているというスタンス。
(理由は陳述した)
きみは、邪馬台国が九州・畿内とは別にあったというスタンス。
俺もきみの論旨に同意しているわけではない。

>日本書紀は天皇家の万世一系の権威づけが大きな目的で作られたものだ。
それだけのことなら邪馬台国を消すだけで充分。
俺ならば漢・魏・晋・宋代の歴史も都合よく書く。
漢・魏・晋・宋が消されている事実が重要だ。

>>361
>改葬するならより丁重にやらねばならず、元が巨大で立派であろうから、
移築して落ち着くまでに転々と引っ越しクセがついたから、
20年に一度、手間ひまと金をかけて遷宮するとか? はははー

………というわけで、今後展開するだろう「邪馬台国は別の所にあった」
とするきみの論旨には俺は関与しないこととする。
372露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 08:37:31.07
>>365
>騎馬民族征服王朝説から卒業しろやw
その話ならば、ここに筋金入りの反対論者がいるから・まかせとけ。
373日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:41:33.71
>日本書紀は天皇家の万世一系の権威づけが大きな目的で作られたものだ。

これ言うやつって、楽でいいよなw
幼稚というかw

374日本@名無史さん:2011/11/30(水) 08:43:52.24
もし、天皇家を万世一系で権威づけしたいのなら
出雲の大国主も、万世一系の系図に組み入れていただろう?
でも、それはやっていない。
375サガミファン、サガミ待ち:2011/11/30(水) 09:15:03.86
九州の都は伊都国でしょう。名前に都が入ってるしw
邪馬台国ですら卑字をあててるのにね。
伊都国には代々王がいるとも書かれてますし、これがおそらく
師升ではないだろうかと。一大卒も常駐し、魏使も伊都国に立ち寄るので
当時の九州の太宰府ってとこでしょう。
376露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 09:35:05.09
>>375
好都国、都支国にも都が入っているが。
そちこちの駄論説かじって色々いうんじゃない。ハナたれ
とっとと消えてしまえ。
377露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 09:36:34.88
森浩一。
騎馬民族征服王朝説にもすり寄って色気をみせていたな。
いやなタイプだぜ。
378日本@名無史さん:2011/11/30(水) 09:46:59.56
>>374
係累にはされてるじゃん
379日本@名無史さん:2011/11/30(水) 10:05:36.44
>>377
森さんも、ないしん、九州説に自信がなくなってきているが
今まで何度も、九州説で本を書いてきたから
商売上、いまさら、なかなか転向しづらい。
そういう学者さんは多いよ。
380サガミファン、サガミ待ち:2011/11/30(水) 10:13:24.60
>>376
それは旁国だし実在した国かどうかも怪しいでしょ。
鳥越健三郎氏は旁国21カ国は、倭国30カ国に合わせるために
作られた架空の国だと断じてるよ。
381夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 10:22:33.57
寝なきゃならないんで、どこまでやれるかだが…

>>363
証明されてないことを断言しちゃ駄目だね。
魏志倭人伝に示された邪馬台国は統一王朝というには弱い。
ゆるやかな連邦国家というべきじゃないのか。
>>363
こんなに謙虚に書いてるのにw
糞野郎と煽る奴にまで諭しているんだがw
>>365
誰が騎馬民族なんか話したんだ?
日本に騎馬民族は入ってきていない。騎馬民族文化が何一つ入っていないからね。
天皇は渡来系と言ったが騎馬民族とは言ってないよ。
>>366
持論を言ってからにしなさい、坊やw
>>373
九州説は畿内説を、畿内説は九州説を罵倒するだけの幼稚さに比べればマトモだろw

遊んでいたら寝てしまうな。遊びはこれくらいにしておこうw
382唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/30(水) 10:27:47.28
>>374

大国主は、初子タタネコを崇神に仕えさせ、自身は出雲に引っ込んだ。
これが、崇神5,6年(新羅192,3年)の翌年である。

森浩一は、新編年の考古学を旧編年の日本書紀で歴史を語る。

魏使は大和までしか来ていない、遠絶の国は、畿内大和より遠方で魏使は訪れていない地域。
383日本@名無史さん:2011/11/30(水) 10:28:59.54
>>379
畿内説のでたらめさに気づいて最後に九州説に転向した学者もいたな。
384夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 10:33:56.96
>露帯(ロベルト) 伐女

卑弥呼の墓で平行線は仕方ないね。
お前さんは万世一系を信じているのか?

>>343-374
初代から十三代まで例外なく直系の子への父子相続だ。
十五代応神天皇以降の皇位継承は兄弟間が圧倒する。
これだけを見ても系図をまともと見る人の気が知れない、俺にはね。

ここをやってると話が本論から遠のくね。本題にいく。
魏志倭人伝を読み解こう。
385日本@名無史さん:2011/11/30(水) 10:34:09.34
>>380
>鳥越健三郎氏は旁国21カ国は、倭国30カ国に合わせるために
>作られた架空の国だと断じてるよ。
国名が分からなかったら、分からないって書けば済むことだろ。
数合わせで架空の国をでっちあげる必要なんぞまったくない。ってことは、鳥越の説は、
証拠のない、合理性もない駄説だってことだ。

386日本@名無史さん:2011/11/30(水) 10:45:40.08
旁国については曖昧すぎるからカットw
女王国の北にはないんだし、女王国の南に旁国21カ国があり、
その南に狗奴国があるとか位置関係が不明確でよくわからんし。
山門郡説でも説明つかんでしょ。
それにしても伊都国王の墓が豪勢な埋葬品とともに発掘されてるのに
邪馬台国王家の墓はいっこうに九州では見つからないのはなぜ?w
387露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 10:51:13.86
>>379
終始日和見で、考古学者としての功績もなく文献に口を出して、
ろくでもない解釈を本にして食ってきた。
俺の評価はそんなところだが。

>383
京大出身の、一応は知られた学者から直接聞いたことだが、
上から畿内説をとるようプレッシャーがあったという。
その人は嫌気がさして畿内説を捨てたが、同時に、
畿内説ヒエラルキーの中で生きることも捨てたわけだ。

その人は、関東の某市立大学教授で定年を迎えた。
まだ達者なはずだが……。
388夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 10:52:22.12
対馬国が対馬、一大国は壱岐でいいよね。
間に末盧国をはさみ問題はその次。
口語訳で書くなら
「東南に陸行、五百里、伊都国に到る」
この「到る」が問題だ。他はすべて「いたる」は「至る」になっている。
「到る」は到着の「とう」だ。目的地へ着いた場合に使われる。
「至る」は途中経過や「○○キロ行けば着く」とかに使われる。
音は同じでも意味が違う。
伊都国にだけ「到る」というのは魏の使者の最終到達場所が伊都国だったことを表しているんだろ。
389日本@名無史さん:2011/11/30(水) 10:59:17.56
>>388
>「到る」は到着の「とう」だ。目的地へ着いた場合に使われる。
>「至る」は途中経過や「○○キロ行けば着く」とかに使われる。

そりゃあ、日本語の用例だ。
漢籍、とくに三国志中でそういう使い分けがあると言えなければ意味無し。
390日本@名無史さん:2011/11/30(水) 11:03:29.94
九州説をとるなら3世紀後半以降の東遷を実証しなくてはならないが、
考古学的にみてもうそれは不可能。かといって大和朝廷に
滅ぼされたと考えるのも難しい。記紀に邪馬台国など姿かたちもないしね。
景行天皇の九州遠征のときも、神功皇后の九州朝鮮遠征のときも
邪馬台国など存在してないしね。神功皇后が滅ぼした山門の土蜘蛛が
まさか邪馬台国だとか言わんでよw
391夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 11:05:14.64
魏の使者は伊都国までは行っている。
ここまでの方角、距離などは現行の地図、つまり今の日本の地図通りの解釈でいい。
だが、その先は南と北を逆に読まなきゃならなくなる。
当時の中国の地図では日本は九州をそのままにし、それ以外の国土は九州の南に位置すると考えられていた。
というか、まともに日本の位置など考えさえいなかったと思う。
魏志倭人伝で言う方角は伊都国以遠は ”中国のいい加減な地理感覚” で書かれた方角と見るべきだと思う。
392日本@名無史さん:2011/11/30(水) 11:06:30.20
>>388
>伊都国にだけ「到る」というのは魏の使者の最終到達場所が伊都国だったことを表しているんだろ。
伊都国だけではないな。到其北岸狗邪韓國
393夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 11:07:41.57
>>389
魏志倭人伝で伊都国に対してだけ「到る」が使われている合理的説明が出来ますか?
394日本@名無史さん:2011/11/30(水) 11:09:06.04
女王國より以北には、特に一大率を置き、諸國を検察せしむ。
諸國これを畏憚す。常に伊都國に治す。
國中において刺史の 如きあり。
王、使を遣わして京都・帯方郡・諸韓國に詣り、
おろび郡の倭國に使するや、皆津に臨みて捜露し、
文書・賜遺の物を伝送して女王に詣らしめ、差錯するを得ず。


この文章をみると、伊都国の役人が中国からの貢物を確かめて
船で女王のところまで運ぶふうに見えるな。
395日本@名無史さん:2011/11/30(水) 11:14:56.95
>九州説をとるなら3世紀後半以降の東遷を実証しなくてはならないが、
>考古学的にみてもうそれは不可能。
実証する必要はないな。いろいろ考えられる。そんなことはあとの話だ。
考古学的に不可能? これもそんなことはない。
古墳の中にある鏡、剣、朱。これらは九州勢力が使っていたものだ。
銅鐸は九州に広められてはいない。考古学的にみれば、東遷説の方がずっと
理解しやすい。
396太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 11:15:00.73
崇神5,6年(×新羅192,3年)

空腹千人農民の逆脱北は不可能。つまり双方は別の時代。
397夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 11:15:26.21
>>392
それは使者が大陸を陸路で行った「最終地点」だからだろうね。
そのあと
「始めて一海を渡ること千里余り、対馬国に至る」だろ。
「始めて」だから、そこから新たな旅路なんじゃないかね。
398夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 11:18:48.53
>>394
多分そうだと思うよ。

駄目だ、眠い…
あとは後ほど。
399旧帝大歴史学徒:2011/11/30(水) 11:20:41.10
東遷って簡単に言うけど、九州の住民もみんな引き連れての
民族大移動でしょ、九州から大和に民族大移動する理由があるわけ?
まあ当時は氷河期で食糧難だったらしいからその影響か、
台風は九州のほうが直撃しやすいから他に移り住もうとかあったかも
しれないけど、何万人もひきつれて九州から大和に引っ越ししたとは
とても考えづらいw
400旧帝大歴史学徒:2011/11/30(水) 11:30:00.23
>>395
それはたんに、巻向の連合政権内に北九州の一部も含まれてたためでしょ。
連合政権内で北九州がどの程度の位置を占めてたかははっきりしないけど、
東遷つってもその程度のもんだよ。古墳の話をするならマキムク型古墳が
4世紀以降は九州を含めた全国に広まるし、九州邪馬台国が東遷して、
大和朝廷になったなどという考えは妄想でしかないw
401日本@名無史さん:2011/11/30(水) 11:46:57.79
>>393
木を見て森を見ず
三国志の他の部分で、至と到が同じ意味で使われているのに、
倭人伝だけ使い分けられていると主張できる合理的説明ができますか?
402旧帝大歴史学徒:2011/11/30(水) 11:54:25.62
至と到とかまるで古田本に書いてあったようなことじゃないですかw
邪馬壱国とかと一緒でそういうのはあまり意味がないですよ。
403日本@名無史さん:2011/11/30(水) 11:57:51.55
>>399-400

それも過去に、専門家も含めて、このスレッドでも、
飽きるほど議論されている話だな。

過去スレ読んでひと通り理解して、なおかつ、新たな知見でも出さないと、
だれも相手にしてくれないよ。

みんな飽きている話だから。
404旧帝大歴史学徒:2011/11/30(水) 12:01:23.95
飽きてるも何ももう前世紀で邪馬台国論争は畿内説で決着してるでしょww
それを素人のオタ連中がオタ心理でたてついてやれ九州が正しいだの
東遷したんだだのと言ってるだけw
405日本@名無史さん:2011/11/30(水) 12:08:52.32
東遷で九州から来たのか、別の周囲勢力なのかは別としても、
畿内で弥生遺跡が少ないのは確かだな。

おそらく畿内での正統の弥生民は、銅鐸を作っていた勢力。
もとから、人口も少なく、ある時期に銅鐸を持たない勢力に一掃されたのは間違いない。
406日本@名無史さん:2011/11/30(水) 12:22:55.21
>>405
そのとおりです
407日本@名無史さん:2011/11/30(水) 12:40:19.35
もとから少なくもないし、纏向建設にあたり、一掃もされてないよ。
奈良盆地の弥生遺跡の分布図とかみたことないの?
ごく普通の、どちらかと言えば密な地域だよ。
408日本@名無史さん:2011/11/30(水) 13:25:22.79
>>407

>奈良盆地の弥生遺跡の分布図とかみたことないの?

ああ、奈良盆地と言えば、湖の底だよね。
人が住めないから遺跡が存在しないことで有名だが?
409日本@名無史さん:2011/11/30(水) 13:50:33.61
>畿内で弥生遺跡が少ないのは確かだな。

相変わらず、九州説の畿内ってのは奈良盆地だけなんだなw
今の近畿地方全体とはいわんが、普通大阪湾一体も入るだろうにw
410日本@名無史さん:2011/11/30(水) 13:54:49.14
>>408
>人が住めないから遺跡が存在しないことで有名だが?

何処で聞いた話だ?w
411日本@名無史さん:2011/11/30(水) 13:58:15.41
>>409
では、邪馬台国≠畿内ヤマトってことでよろしいね?
412409:2011/11/30(水) 14:02:43.86
>>411
俺は九州でかまわんよw
しかし東遷はないわwww
413日本@名無史さん:2011/11/30(水) 14:47:34.47
>>399 :旧帝大歴史学徒

おつむの程度が低いとは思っていたがこれほどまでバカだとは知らなかった。

>まあ当時は氷河期で食糧難だったらしいからその影響か、
弥生時代に氷河期があったなど中学生でも言わないぞ。こんな書き込みなどやめて理科の勉強でもしろ。
その方が君の人生にも役にたつぞ。
414日本@名無史さん:2011/11/30(水) 14:52:56.23
>>413
ほっといてやれよ。
オツムの程度の低さをこういうとこでさらすのが生きがいのマゾ野郎なんだろうからさ。
415日本@名無史さん:2011/11/30(水) 15:03:56.42
あのカスは本気でマゾかもしれんね♪
416日本@名無史さん:2011/11/30(水) 15:21:32.06
>>412
天変地異でもない限り、東遷はないな。
異民族に領土を奪われたとか、火山噴火で住めなくなった等
よほどの事がない限り、あり得ない。
417日本@名無史さん:2011/11/30(水) 15:22:13.78
学歴コンプレックスのサイキバ君他の連中には大うけだな>名古屋
418日本@名無史さん:2011/11/30(水) 15:32:33.56
邪馬台国論争には、低知能の荒くれ者が必要悪かぁ〜。
国民学校中退のくせに旧帝大とか言うが、
名大じゃ「すべり止め」でも受けたくないぞw

まあ、桃の種を畿内説の証拠として宣伝するような、
低知能のマスコミといい勝負だな。
419日本@名無史さん:2011/11/30(水) 16:24:37.33
お前ら馬鹿そうだから忠告しとくぞ。金印を見つけても、金の相場が高いからといって質屋に持っていくなよ。わかったな!
420日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:00:52.26
>419
国宝に指定されても売買できるのか?
421日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:10:29.97
金印を見つけてたら、黙って持つ、家宝にするよ
422日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:13:32.71
You、倭王に即位しちゃいなyo!
423日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:21:38.61
>>421
家系図をいじり、倭王に俺はなる
424夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 17:24:16.46
>>401
>三国志の他の部分で、至と到が同じ意味で使われているのに

どこで同じ意味に使われたか実例をどうぞ。絶対にないだろうね。
大体君は倭人伝での「到る」と「至る」を区別してなかっただろ。同じに見ていたはずだ。
同じに見える者が他の部分を見ても同じに見えるのは道理だなw
漢字は「表意文字」なんだよ。音が同じでも一字ごとに意味が ”明確に” 違う。
倭人伝で「到る」と「至る」は気分次第で使われたとでも思いますか?

>>402
意味は大有りだよ、学生君。
425日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:30:08.05
難しく考えすぎなんだよ。九州の遺跡をトコトン掘って調べればハッキリする。予算や面子もあるから、難しくしているんだろうけどね。
426夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 17:32:24.33
「到る」から使者は伊都国までしか行っていないのが解る。
ここに有効な反論なしでいいかな?

これは九州説には都合が悪いわな。
伊都国とそう離れていないはずの邪馬台国に使者が行かないのはおかしい。
これだけで九州説はかなり否定されたようなものだ。
邪馬台国は遠隔地にあり遠かったから使者は行かなかった。
じゃあ畿内か?これも違うだろうね。
魏志倭人伝を素直に読めばいい。答はここにしかないはずなんだから。
427日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:38:07.18
>>426
釣りか?
行っても会えないからだろう。倭人伝に書いてあるじゃん。遠いから行かないなんて本気で信じてんのか??(゜Q。)?? アホ
428日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:39:09.88
>>426
魏志倭人伝を素直に読めよ
429夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 17:44:03.78
繰り返すが、方角が間違いだ、距離がどうだというのは現代の日本地図で考えるから解らなくなる。
これは ”当時の中国が思う日本” を理解しなければならない。
その頃の中国は日本などまともに地図に載ってないだろうけどね。

15世紀の朝鮮の地図「混一疆理歴代国都之図」という地図がある。
邪馬台国より千年以上時代が下った地図だが
九州を軸に90度回転したようなものだ。日本列島が南に伸びている。
千年以上たっても大陸側の日本の認識などこんなものだ。
当時の中国が日本をどう地理的に捉えていたかはここからわかると思う。
430日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:48:46.65
>>426 夢幻如
>魏志倭人伝を素直に読めばいい。答はここにしかないはずなんだから。

最初は何かしら新しい視座を提唱するのかとも思ったが…
何のことは無い大昔の九州説と同じ

「すなおに読んだらピタリと分かる」

と言う与太話。

もううんざりのおなか一杯って話だな。
431日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:50:14.49
>>408
>人が住めないから遺跡が存在しないことで有名だが?

出ました、ゴミクズレベル九州説の定番「奈良盆地は無人の荒野だった!それどころか湖底だった!」説
( 縄文人 や 九州王朝大好き らの持ちネタでもある)

盆地の中央部付近で言えば
唐古鍵、多、矢部、平等坊・岩室、清水風、芝…etc
無論もっと小さな居住跡は多々あるだろう
以前、筑紫ド民 のアホが「嘘を暴いてやる!と息巻いていたw「王権誕生」にも盆地の各支流沿いにあった集落群を示した図が出ていたと思うが

じゃあ九州で奈良盆地にダブルスコア・トリプルスコアで差をつけられる人口密集地域って何処なんだ?
盆地に対して平野単位で出してもらえないかな?

大体人口の推定じゃあ九州は北より南の方が多いと言うデータ(鬼頭)もある。

「吉野ヶ里」のイメージでああいった大型拠点集落が人口の構成の大部分を占めているというのが
ゴミクズレベル九州説 の脳内設定なんだろうがwww

ン万年前というなら兎も角、弥生時代、盆地を覆っていた巨大湖なんて本職の地質学者も言って無いようなことを
自説の与太話の為には平気で言えるのが ゴミクズレベル九州説。
432日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:50:38.92
>>429
それは終わった話だな。回転していない地図もある。
今更それを蒸し返してる人間は、畿内説論者にもほとんどいない。

もう記憶もあやふやだが、根拠を求めるなら、過去ログ漁ってみようか?
ちょっと時間がかかるかもしれないが。
433日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:50:53.94
>>429
それ、もう秋田
何度か論破されたネタだと思うよ
しかも年代が違いすぎて参考にもならん
また、何度か使者は来ているし・・・
434日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:56:40.08
>>431
>じゃあ九州で奈良盆地にダブルスコア・トリプルスコアで差をつけられる人口密集地域って何処なんだ?
>盆地に対して平野単位で出してもらえないかな?

ダブルスコア、トリプルスコアと言うより、福岡って10倍近いね。

>809 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2011/11/24(木) 03:00:08.38
>http://tunogis.nichibun.ac.jp/iseki/text_search.cgi
>考古学GISデータベースより
>
>弥生遺跡GIS
>奈良:検索に該当するデータがありませんでした。
>福岡:該当件数745件
>佐賀:該当件数110件
>熊本:該当件数88件
>
>弥生青銅器GIS
>奈良:該当件数77件 (銅鐸25件 小銅鐸1件 武器・武器形3件 生産48件)
>福岡:該当件数698件 (銅鐸2件 小銅鐸6件 武器・武器形172件 生産518件)
>佐賀:該当件数121件 (銅鐸2件 小銅鐸1件 武器・武器形67件 生産51件)
>熊本:該当件数17件 (銅鐸0件 小銅鐸1件 武器・武器形11件 生産5件)
 
データベース全検索でやり直した。
データベース:全て
時代:弥生

奈良:該当件数46件(なぜか京都でヒットする?)
福岡:該当件数571件
佐賀:該当件数85件
熊本:該当件数31件
435日本@名無史さん:2011/11/30(水) 17:57:07.49
>夢幻如

遠回しに探りを入れないで、斬新な考えがあるならハッキリ言ったらどうなん?
436日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:00:13.66
そもそもこの 夢幻如 ◆vaujymvCDcV.とかいう奴は
「邪馬台国は畿内でも九州でもない」
と言い、その根拠が
「これだけの時間労力を費やして結論が出ていないのだから」
と言うことだが

それは裏返せば(本当に邪馬台国のある地域を対象に)同じように労力時間を費やしていれば
とっくに決着は付いている…という話だろうが

じゃあどんな形で決着が付いたんだ?

倭人伝に書いてあるとおり
人口七万戸のクニの都市に相応しい都市で卑弥呼に仕えた奴婢だけで千人
その墓には百人もの殉死者が確認できる…etc

九州だろうが畿内だろうが他の地域だろうが
そんな倭人伝の記述どおりのものが出てくるなんて今の学者も考えていないだろうw

何と言うか考え方の枠組み事態が古い旧世紀の遺物。



437日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:12:28.10
>>434
ご紹介先の「データーベース検索画面」に何故か進めないんだが…

そもそも
>弥生遺跡GIS
>奈良:検索に該当するデータがありませんでした。

この時点で(これをそのまま遺跡の数とするには)おかしい、唐古鍵すら入ってないのか?w


438天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/11/30(水) 18:17:04.47
>>431
>出ました、ゴミクズレベル九州説の定番「奈良盆地は無人の荒野だった!それどころか湖底だった!」説
>( 縄文人 や 九州王朝大好き らの持ちネタでもある)

弥生時代の奈良湖論争は面白かった。縄文人や九州王朝大好きの科学的な書き込みに対してジョーカーらの
反論が幼稚な感情論であったことが印象に残っている。
439日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:18:20.80
>>437

ありゃ、こちらも入れないね。

>この時点で(これをそのまま遺跡の数とするには)おかしい、唐古鍵すら入ってないのか?w

これはごもっとも。なにかもっとよい資料見つけたらよろしくね。


440日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:20:40.02
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441筑紫次郎:2011/11/30(水) 18:22:13.66
>>426
>「到る」から使者は伊都国までしか行っていないのが解る。
>ここに有効な反論なしでいいかな?

その理屈で言えば到其北岸狗邪韓國から狗邪韓国までしか行ってないことにもなる。
至も到も『{動詞}いたる。目ざす所までとどく。到達する。』と言う意味だ。

《解字》
会意兼形声。到は「至+音符刀」。至は、矢が一線に届くさま。刀は、弓なりにそったかたな。まっすぐ行き届くのを至といい、弓なりの曲折をへて届くのを到という。
〓学研漢和大辞典〓

倭人では
山などがあって直線的に進むことができなくて
迂回する必要が場合に到を用いている。
442日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:22:45.47
>>438
毎度毎度おなじみの第三者的立場でのジャッジを謳ってのケチレスw

まあその科学的である筈のお話が実際では通用していないのが現実。

科学的とか言いたいのなら
盆地一面に広がる湖底の痕跡があって
それで弥生時代の盆地湖が認められていると言うソースでももって来なさい負け犬君。
443日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:38:53.00
田主丸の遺跡の件はどうお考えですか?
444日本@名無史さん:2011/11/30(水) 18:45:45.57
>>379
森浩一も内心は九州説にはもう見切りつけているんだろうが
過去のしがらみで今更転向も言い出せないんだろうと思うw

今の畿内説と言われるもの、考古学会全体に対し言いたいこと文句は多々あるんだろうが
考古学者として九州説を積極的に支持する材料も無いだろうだろうし…
445夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:02:13.69
>>427
素直に読みな。邪馬台国は遠隔地として書かれているじゃないか。

>>428
君がねw
446露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 19:03:56.10
>>429 :夢幻如
古代中国における地理は軍事情報に位置づけられる。方角や距離を間違えることはない。
日本列島の方角と位置については、各時代によって基点とする国や場所の表現こそ違っても、
「朝鮮半島東南の大海の中」と歴代にわたって把握してきた事実がある。

●混一彊理歴代国都之図
地図学者の室賀信夫氏が、1402 年に朝鮮で描かれた龍谷大学所蔵の『混一彊理歴代国都之図』をもとに、
「時の中国人は日本列島を南北に延びていたと考えていたために、
東に行くのを南へ行くと記したのであろう」とした。
この図では、朝鮮半島の東南には倭人の住む島はなく、海しかない。
中国側の認識とも実際の地理関係とも違っている。

そこへ、これよりも古い『混一彊理歴代国都地図』が長崎県島原市本光寺で発見された。
それによると、日本列島は東西に正しく配置されている。
最近になって、本光寺で発見されたものと同じ構図の地図を
天理図書館と熊本市の本妙寺も所蔵していることがわかった。

室賀信夫氏持ち出した地図は、スペースの都合で日本列島をタテに収めたものらしい。
古地図に誰よりも詳しいはずの地図学者・室賀信夫氏が
4枚もある『混一彊理歴代国都地図』の中から持ち出した一枚が、
たまたまおかしな構図だったものか。おかしな構図の地図だけしか知らなかったのか。
……おかしな構図の地図を選んでもち出したのか。学者としてはお笑いぐさだよ。

俺などは室賀信夫氏持ち出した地図を「コンチキ図」と読んでいる。
447日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:11:19.86
【奈良県遺跡地図Web 凡例】
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-16771.htm
448夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:11:53.51
>>430
まともな反論が出来ないならレスはいらないよ。

>>432
回転してないのも確かにある。
だが、それはさらに後代のものとされてるね。
そしてそんなことは関係ないんですよ。
卑弥呼の時代から千年以上たっても大陸側の日本地理認識でこういうものがあったという事実、これが大切。
卑弥呼時代の中国の地理認識がどうだったかはこれで十分だろ。

北九州は中国から見て大体南にある。
そこに玄関口の国があり、さらにその先に邪馬台国などがあると聞かされる。
なら「玄関口のさらに奥」なら「さらに南」と解釈するのもごく自然だしね。
449日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:14:13.22
>>442
>盆地一面に広がる湖底の痕跡があって
>それで弥生時代の盆地湖が認められていると言うソースでももって来なさい負け犬君。

盆地一面に湖底の時期があったことを示す湖岸の痕跡がある。
そのひとつが河口部近くにできる自然堤防が盆地全体に存在することである。
もうひとつが湖岸にできる浜堤が盆地全体に分布することである。

自然堤防は砂利混じりの砂が堆積している地層。
盆地の傾斜方向に細長い微台地として存在している。

湖岸にできる浜堤は、均質な砂の層。
盆地の傾斜方向と直角の方向に細長い砂層として存在している。
この砂層は自然堤防に比べて短く小さい。
450夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:18:14.11
>>435
探りなど入れていない。
順番に話を進めているだけ。

>>436
こういう時だけ学者を出すなよなあw
持論に反対な学者の意見はボロクソに言う輩だろ。
邪馬台国にふさわしい地は畿内か九州しかないと言い張る根拠もないと思うが。
それと反論は具体的にね。漠然としたものや煽りなら無視するよ。
451日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:20:08.46
>>448 夢幻如 ◆vaujymvCDcV.
>まともな反論が出来ないならレスはいらないよ。

反論云々言う前にだ。

そもそもお前の考えている比定地
それは畿内説九州説と同じくらいの時間労力をかけていれば
既に邪馬台国なるものが見つかって決着したであろう
…と言う場所は何処なんだ?

より蓋然性のある仮説の提示をしろ。

ここまでのお前のレスは

「畿内説も九州説も間違っている、俺が正しいすなお読みを教えてやろう」

と言っているだけに過ぎないかまってちゃん。

まあそんなのはいつでも沸いているんだがw
452日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:21:55.57
>>夢幻如

つーか、こいつも19歳のカスと、たいして変わらないのはよくわかった
453夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:24:12.52
>>441
>その理屈で言えば到其北岸狗邪韓國から狗邪韓国までしか行ってないことにもなる。

説明済みです。

>迂回する必要が場合に到を用いている。

日本は山だらけの国ですよ。どこへ行くにも迂回しなきゃ行けない。
その理屈ならすべて「到る」と表記しなきゃおかしいね。
伊都国にだけ使われた合理的説明できますか?
454夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:28:06.07
>>446
それについては後で反論しましょう。上でちらっと言ってるけど。
今日も夜勤で出かけている。手元に資料がないんでね。
455夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:36:18.70
>>451
せっかちだなあw

1 「到る」から使者は伊都国までしか行っていない
2 当時の地理認識から伊都国以遠は南と北を逆に読まなきゃならなくなる

ここが崩れたら先はないじゃないかw
崩れないけどね。
魏志倭人伝に沿って伊都国から先に旅する前にこの二点はいいかい?

もったいつけてるわけじゃない。物には順序だ。
仕事なんで旅はあとになるけど、悪しからず。
456日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:40:49.42
>>455

「到る」は、列島の地理を伝承した「使者とは別の」中国人が、
実地踏破した場所に使っているだけでしょ。
あとは倭人から地理を聞き取って済ませたということ。
457日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:46:11.24
>>449 九州王朝大好き

既視感 20000%な話だなオイw
案外>>438 はこの話を蒸し返したくて自分で振ったとか?w

自然堤防なんて河川があれば形成される。
「湖岸にできる浜堤」とやらが盆地を囲むように形成されているのか?

お前の言っていることが正しければそんなもん当の昔に地質学で常識になってるわ馬鹿馬鹿しい。

19歳名古屋じゃないがそれこそ学会で論文発表でもして今日の常識をひっくり返して来い。


458露帯(ロベルト) 伐女:2011/11/30(水) 19:48:32.89
>>453 :夢幻如
>伊都国にだけ使われた合理的説明できますか?

新しい人が来るたびに、どこかで必ず蒸し返しが混じる。
到と至、こういう話題が出るところが素人談義らしいのではあるが、
こだわるべき部分とこだわる必要のない部分の緩急の的確な使い分けがなっとらん。

●到る
狗邪韓国と伊都国に「到る」。
明帝の詔書の中に、倭国が使者の難升米たちを「京都に到らしめた」「使節が還り到らば」。
(そして、意味は異なるが「太守王頎到官」。厳密には、合計でこの5回使われている)。
「到官」は着任する意味の古語熟語なのだが、
より的確な判断をするために、こうして視野を広げることは悪くはなかろう。
で・5回とも到達する意味では共通している。

いうまでもなく、狗邪韓国は陸地の途切れた渡海の起点であり、
伊都国は郡使たちが常駐する通常目的地だから「到る」にしたものだろう。
『倭人伝』の文字を一字ずつ細かく論じる向きもあるようだが、
ここはリズムとテンポ重視で、さらりと読むべきところである。
459別格の論客:2011/11/30(水) 19:50:48.70
>>454 :夢幻如

>>446 それについては後で反論しましょう。
反論の余地はないよ。
460夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 19:53:27.89
>>456
基本的にはそれでいいでしょ。
魏志倭人伝は使者が書いたわけじゃない。
使者が実際に行ったところの最終地点が「到る」
倭人から伝聞で聞いた内容を「至る」で表している。
あとは距離の問題がある。
それも伝聞だから解決出来るんですよ。
魏志倭人伝は素直に読みましょうw

悪いね、時間だ。続きは明日。
461日本@名無史さん:2011/11/30(水) 19:55:47.18
作図上、端っこに書ききれなかった日本列島を、無理に押し込めて
書いただけのことを、畿内説の根拠にするんだから、

毎度おなじみの、畿内説らしい詐欺でしたね。
462夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/11/30(水) 20:04:23.16
もう一個いくか

>>458
>で・5回とも到達する意味では共通している。

俺の主張を補強してくれたのかなww
使者が伊都国に到達したから「到る」なんですよ。他は到達していない。

>ここはリズムとテンポ重視で、さらりと読むべきところである。

ここ笑うところですか?
こんな馬鹿げた反論を真に受けろと?
漢字は「表意文字」ですよ。意見なく音感でさらりとやられちゃたまりませんなw

>>459
反論はありありです。お楽しみに。
馬鹿な煽りしか出来ないなら引っ込んでてね。

じゃね、明日。
463日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:07:00.17
>>358
>伊勢遺跡が、邪馬台国=大和の決定打だって言っても、理解できんだろう。

すまん正直予想できないw

近江というと正直、銅鐸でどうしても畿内ヤマトとの文化圏から外れる印象があるw

伊勢遺跡の規模や内容がどれ程であっても
それがどういう理屈で「邪馬台国=大和の決定打」になるのか?予想できないw



464日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:10:50.74
× 伊勢遺跡が、邪馬台国=大和の決定打
○ 伊勢遺跡が、畿内説お笑い詐欺の決定打
465日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:18:26.31
>>463
>すまん正直予想できないw

それが本当なら、ものすごい情弱だな。


466日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:19:24.52
| ┏━━━┓   従軍慰安婦は反日朝日新聞の捏造でした。
| ┃借収安┃    慰安プウは朝日新聞に請求しよう
| ┃三三婦┃
| ┃○○大┃
| ┃○○募┃
| ┃○圓集┃
| ┃圓以  ┃
| ┃迄上  ┃_
\┃可   ┃ \
  ┗━━━┛  \
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |
http://img04.ti-da.net/usr/wishcomestrue/t02200190_0220019010786142693.jpg
467日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:22:07.49
>>465
いや情弱で良いから概要だけでも教えてくれんか?w

要は「量的な問題」じゃなくて「質的な問題」。

近江にどれほど凄い遺跡があってもそれがどうして「邪馬台国=大和の決定打」に繋がるのか?

468日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:27:35.70
>>467

畿内説お得意の「ゴッドハンド」があるんだから、何でもアリですよ。
469日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:31:29.48
>>467

情弱ってのはいいすぎたか。すまん。
伊勢遺跡関連の報告書をマメに目を通してないとちょっと気が付かないかもしれんな。
470あらため だよん:2011/11/30(水) 20:31:56.87
>伊勢遺跡が、邪馬台国=大和の決定打だって言っても、理解できんだろう。

うん 俺も理解できないw
同じく、その決定だというやつを教えていただきたいもんだw
471日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:36:34.67
来年シンポがあるから、ちょっと待ってれば論文が出てくると思うよ。
472あらため だよん:2011/11/30(水) 20:39:31.59
勿体ぶってないで教えろょ〜ww
473ローガン:2011/11/30(水) 20:42:24.83
>>458:露帯(ロベルト) 伐女
>「到官」は着任する意味の古語熟語なのだが、

例えば、廣平太守王肅至官( 魏書11 袁張涼國田王?管傳)
至=到ですわな。
もっとも、倭人伝の所謂、行程記事の今、議論にある部分は、先行書をおそったものだろうから、
三国志内の使い分けは、考えんで良いのでは?
同時代史料の用例として見た限り、三国志での「到と至」意味の違いで使い分けてるとは思えないけど。
まあ、沢山出てくるので詳しく調べた訳ではありませんが。
474日本@名無史さん:2011/11/30(水) 20:43:31.94
>>469
映画の予告でももうちょっとサービスええでw

まあ近江なら日本海側若狭周辺から大和への流通に関して
何かしらの新しい知見があったとか?

何れにせよ単に遺跡の規模だけでは…
475唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/30(水) 20:44:29.23
>うん 俺も理解できないw

ここの”近江邪馬臺國説”に私は書き込んだ。
近江伊勢遺跡は、新羅193年(崇神6年)までとみてよい。
476日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:08:31.15
ttp://www2.city.moriyama.shiga.jp/iseiseki/ise1top.htm

>遺跡の東端では、幅約7m、深さ2m以上もある大きな堀のような大溝があり、
>北側は方形周溝墓、南側は、旧河道であったと推定されます。

ttp://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/kofun/makimuku.html

>纒向遺跡の歴史は、中心部の推移から前・後半期の二時期に区分される。
>前半期の中心部は、遺跡西半の太田周辺に推定される。
>大規模水路網はこの時期のものであり、遺跡の西辺部を北東―南西方向に延び、初瀬川に続くと推定される基幹水路と、
>それから分岐して南東に延び、箸中山古墳の方向へ続く基幹水路を中心としている。
>基幹水路は、遺存幅5〜6b・深さ約1.5bを測り、矢板によって丁寧に護岸さていた。
477あらため だよん:2011/11/30(水) 21:09:38.25
>>475
ああ、伊勢遺跡って大型建物跡が発見されてるのか〜
で、唐さんは、上で言う彼の>伊勢遺跡が、邪馬台国=大和の決定打
が理解できてるんでしょうか?

それと、今ここで太国&唐さんバリの熱い論争を繰り広げてる人がいるw
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1321886813/
478唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/30(水) 21:09:43.85
神武天皇 42年〜63年 3章 手研耳による空白年を含む。X式土器の始まり。
ホ30020 ナガスネヒコは ヤマサキに カワフネこはむ モノヌシが うたんとすれば
ヰツセミコ をそれタガより ゆくツクシ クシミカタマは ヲシクモと ナガスネうてば
にけゆくを をひてカハチに とゝまりて タケチノコリと アウヱモロ ヤマトのソフに
ふせがしむ モノヌシかえり ヲシクモは カハチにゆきて ヲシホより カスガをまねき
ヒラヲカの ヤシロまつりて カミとなる 
ツクシのタネコ モをおさめ ヨカミまつりて アウヱモロ カワチをかねて おさめしむ
ヲヲモノヌシは アワウミの ヲヲクニミヤを つくりかえ コシネのクニも サホコみな
タミをおさめて しつかなり いまアマキミの クラヒなる
崇神7年
ホ33077 このヨのユメに ワレはこれ ヲヲモノヌシの カミなるが キミなうれひそ
たせざるは わがココロあり わがハツコ ヲヲタタネコに まつらさば ひとしくなれて
トツクニも まさにまつらふ
ハヅキナカ トハヤがチハラ メクハシメ ヲヲミナクチと イセオウミ ミタリミカトに
つげもふす ユメにカミあり タタネコを ヲヲモノヌシの イハヒヌシ
大物主は、初子タタネコを崇神に仕えさせ、自身は出雲(サホコ)に住む。
479あらため だよん:2011/11/30(水) 21:15:24.89
滋賀県伊勢遺跡はココをみても分かる通り、注目されてる遺跡らしい

邪馬台国の幻想 伊勢遺跡とその周辺
http://www.youtube.com/watch?v=i1XuHJpcLqs

でも邪馬台国=大和の決定打というまでの重要な発見があったのか不明。
480日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:19:38.24
伊勢遺跡と纒向遺跡には、幅約6メートル、深さ約2メートルの大溝がある。

同規模の大溝の遺構が、他にどこにあるか、なんのために大溝が掘られたか、
ちょっと考えてみるといいよ。
481あらため だよん:2011/11/30(水) 21:24:21.34
>>480
なるほど、なるほど〜そりゃ凄い遺跡ですな。
近江伊勢遺跡ていうのは、あまり聞いたことなかったので調べたことないんですが・・・
マキムクと同じような「状態」らしいので調べてみる価値はありそうですね。
情報ありがとです。
482日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:24:49.11
483日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:32:27.75

九州説終了のお知らせ?

484日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:33:53.50
>>483

いいえ、畿内説詐欺継続のお知らせですが・・・
485日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:34:51.68
>>484

涙拭けよwwwwwwwwwwww

元気ないぞ?
486日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:43:51.26
>>480
大溝ねえ…
まあ豪族居館に見られる導水施設とか水のコントロール(?)には特別な意味があったんだろうとは思うし
興味深い所でもあるがそれでも「邪馬台国=大和」につながるかと言えば疑問だなw

それは当時の新しくおきたムーブメントの広がりを表す話で直接に邪馬台国に繋がるのかどうか・・・

俺が九州説なら
「大溝?ああそう言う設備が畿内ヤマトを中心にして流行っていたらしいですが
 それが何か邪馬台国に関係あるんですか?」
で終わらせるwwwwwwwwwwww

まあ素人には考え付かない深い考察に期待w

で、大溝と言えばいつも思い出すんだが斎明がやはり大溝作って世間の人間から
狂心の渠(たぶれごころのみぞ)と言われたと言う話があるが
やっぱ古代にはステイタスシンボルみたいな部分があったんだろうか?w
487日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:43:52.65
>>485

寒いギャグみたいな畿内説詐欺しか出てこないので、ちっとも笑えません・・・
488あらため だよん:2011/11/30(水) 21:46:01.67
思ったより凄そうですよ

守山・伊勢遺跡、国史跡に 文化審議会が答申 滋賀 2011.11.19 02:21
http://sankei.jp.msn.com/region/news/111119/shg11111902210002-n1.htm

国の文化審議会が18日、中川正春文科相に答申した内容のうち、県内からは伊勢遺跡(守山市伊勢町)を国史跡に、
朽木池(くつきいけ)の沢庭園(高島市朽木村井)を国の名勝に指定することが盛り込まれた。
伊勢遺跡は、守山市教委が今年7月、国史跡指定を求める意見を文化庁に具申しており、念願がかなった格好。

登録が決まると、県内の国史跡登録件数は46件、国の名勝は22件となる。

伊勢遺跡は、弥生時代後期(1〜2世紀後半)を中心とする大規模な集落跡で、同時代の集落遺跡としては全国最大級。
遺跡の中心部に床面積約185平方メートルの大型竪穴建物跡が見つかっていることから、弥生時代から古墳時代への移行期で、
国の成立や強力な王権の形成過程を知るうえで重要な遺跡とされている。

489日本@名無史さん:2011/11/30(水) 21:49:51.57
>>486

いいんじゃないんですか?

キナイセツが何を言っても、近畿には独自の文化があって、九州には邪馬台国があったと、九州説の人は思うでしょう。

でも、そういう逃げ場も失いつつあるのが現状という。

490唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/30(水) 21:58:04.08
>思ったより凄そうですよ

そりゃそうでしょ。
大物主は、大王。天皇家は大和の一郭。
その大物主から譲位されたので、崇神から大王とできる。しかしまだ鉄は少ない。
491486:2011/11/30(水) 21:58:36.74
>>489
黙れゴミクズレベル九州説。

最終的に「それが邪馬台国」と言うものが無いとは言え
こうやって畿内ヤマトを中心にした連合体の全体像について着々と検証が進んでいるのが畿内説。

九州説にはそのような進展が無い。

結局のところ九州説と言うのは 畿内ヤマトが邪馬台国で無かった場合の理論的可能性=非・畿内説 の総称程度に過ぎない。




492日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:02:00.04
>>491

× こうやって畿内ヤマトを中心にした連合体の全体像について
   着々と検証が進んでいるのが畿内説

○ こうやってありもしない畿内ヤマトを中心にした連合体妄想について
   着々と詐欺理論を捏造しているのが畿内説
493太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 22:03:26.63
>>478
ほ〜ら、偽書といわれる書物を持ち出した〜と
コチラを口撃していた男が〜

〜〜偽書といわれる書物を持ち出した〜〜

>神武天皇 42年〜63年←説明が出来ない。だた「こうだ」の論無し。

説明が出来ないんでは、誰も信用しない。デマカセだ。
494日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:05:35.17
>>486

>狂心の渠

古代の国家事業と言えば、古墳か水路の整備ということになります。
どちらも、王が号令をかけないと出来ません。

しかも、「大溝」は近江で始まり奈良で完成された規格化されたものです。

規格化された古墳も、規格化された水路も、国家事業としては同じ。
土木工事に人民を動員できる財力があったのか、必要性は何なのか、
なぜ近畿で、土木事業が始まったのかとか、
ただの溝として通り過ぎるか、そこに何かを見出すか、いろいろ考え方はあるでしょう。
九州に見られない遺構が近畿で始まり、全国に広がったモノは、古墳だけじゃないんですよ。

495別格の論客:2011/11/30(水) 22:05:35.90
>>473
到官・到任・到府・到庁は、いかにも出仕するという意味に見えるが、
中国で古文を専攻した中国人の教示によれば、すべて「着任」の意味だそうだ。
たぶん、着任する任地や位階によって使い分けがされるのだろう。

俺はつねに原則論・現実論・常識論を述べている。
ここで、至官という文字使いがあるなどと、
例外的な事例を一つ二つ持ち出しても意味はない。
496あらため だよん:2011/11/30(水) 22:08:41.37
>>490
うんうん 唐さんの言ってることは正しい。

しかし、伊勢遺跡って、これ知らなかったな〜
何度か名無しさんが書き込んでたと思うんですが、読まずに流してましたよw
497日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:09:14.22
>伊勢遺跡

しかし庄内式土器の庄内とは大阪の豊中市の庄内だが一般には山形の庄内が有名だろう。
同じように伊勢遺跡と言えば普通なら伊勢を想像しちゃうんだろうなw

いっそ遺跡の近くで赤福でも売るか?www

498日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:12:56.86
♪伊勢(遺跡)の名物〜 赤福餅はええじゃないか〜
499日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:14:30.57
>>486
狂心の渠は石を運ぶための運河だったんだよな
天理市から20キロにわたって石を運んで、なんと人造の山を作った
例の酒船石と亀型遺跡がある山
500あらため だよん:2011/11/30(水) 22:15:18.39
伊勢神宮は、赤福もそうだが、伊勢エビも有名でして
正月、初詣に行った際には食べて帰ることをお薦めする。
古代史を追うのもいいんですが、当地のグルメや温泉宿なんかを満喫するのも良い。
501別格の論客:2011/11/30(水) 22:18:04.83
>>496 あらためも案外だな。

伊勢遺跡を根拠に「邪馬台国近江説」なるものが2〜3出されている。
俺はそのうちの一人の作者を知っている。
彼に俺はこういった。
「大規模祭祀遺跡は祭祀人材の計画的組織的な育成と供給センター」ではなかったか。
この意見に彼も興味を示していた。

この板にも「邪馬台国近江説◇論争に終止符!」というスレッドがあるぞ。
むろん、俺は参加したことはないが。
502489:2011/11/30(水) 22:20:03.83
>>491

九州説への皮肉だってば。wwwwwwwwww

俺は畿内説だから。
503あらため だよん:2011/11/30(水) 22:22:57.34
>>501
私は終止符スレ以外の記事はあまりみてないんですよw
興味ないというか・・・たまにドンコイはみてるぐらいで。
504491:2011/11/30(水) 22:24:03.71
>>502
スマンかったwww

「逃げ場も失いつつある」のが九州説と言う読み方もできるなw

ただもうその逃げ場=ニッチはこれ以上狭まらないんじゃないか?

それこそ親魏倭王の金印でも出ない限り 九州説≒非・畿内説 は何処までも強弁できると言う・・・
505太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 22:24:24.57
崇神天皇が大物主から譲位された事実は無い。
506筑紫次郎:2011/11/30(水) 22:24:58.00
>>453
>日本は山だらけの国ですよ。どこへ行くにも迂回しなきゃ行けない。
その理屈ならすべて「到る」と表記しなきゃおかしいね。
伊都国にだけ使われた合理的説明できますか?

説明したはずです。
狗邪韓国と伊都国への道だけが迂回しなきゃ行けないと言うことです。
507あらため だよん:2011/11/30(水) 22:27:27.16
>>505
ん?神武以降の天皇は、大物主から譲位されてるはず。
崇神天皇にしても同じことが言えるのでは・・・
508唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/30(水) 22:29:07.74
>天皇家は大和の一郭。

果たしてそうであろうか?という疑問もある。それは、
伊予、吉備、紀の国と神武らが立ち寄った土地。
河内は神武以前に大物主が派遣した兵が残るからここはナシとする。
吉備には孝霊時代に派兵され、領土を広げている。
この吉備が古墳時代に第2勢力となる以上、なんらかの関係は古くからあるだろう。
509太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 22:29:08.66
>>477
宿主はすでに論破済み。
510あらため だよん:2011/11/30(水) 22:29:23.12
>>506
>狗邪韓国と伊都国への道だけが迂回しなきゃ行けないと言うことです。

正解です・・・・
511日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:29:53.06
>>424
>どこで同じ意味に使われたか実例をどうぞ。絶対にないだろうね。

ということは、自分で探したことはないってことだね。
512あらため だよん:2011/11/30(水) 22:31:20.18
>天皇家は大和の一郭。

一郭っていう言葉は不適切かもしれない。
天皇家は大和の首脳?
513筑紫次郎:2011/11/30(水) 22:31:30.42
>>455
>1 「到る」から使者は伊都国までしか行っていない

到にそんな意味はありません。

>2 当時の地理認識から伊都国以遠は南と北を逆に読まなきゃならなくなる

そんな法則はありません。

>ここが崩れたら先はないじゃないかw

崩れる以前の問題です。
最初から成立していません。
514あらため だよん:2011/11/30(水) 22:34:53.76
夢幻如 ◆vaujymvCDcV. は一人で頑張ってるようだが・・・・

ココに居る人たちは散々、「至」「到」の違いについて
もうすでに、やってきてる連中で、たぶん聞いた方が早いと思うww
515日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:38:58.47
>夢幻如 ◆vaujymvCDcV.

つうか「すなお読み」「暗号解読ゴッコ」自体に意味がない…という人間もいるからなw

畿内説と九州説がいまだに「すなお読みで」綱引きやっていると思ったら時代錯誤もいいところだ。

まあとりあえず同じゲームルールの九州説全部なぎ倒して来いwww
516唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/30(水) 22:43:09.98
>>509
>宿主はすでに論破済み。

はい、私は論破されました。
564甲申  237丁巳  崇神即位 【景初元年】治世68年
垂仁治世99年
景行治世60年 236+68+99+60=463
463年を成務元年として、成務48年は511年、この時代であれば、
太国の主張する非公式仏伝もあったであろう。←論破された私。


517太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 22:43:52.88
>>500
30余年前、伊勢参宮の後、直前の旅館に宿泊したが、窓の見晴らしは
五十鈴川であり、料理はえらくおいしい大きい伊勢海老の天麩羅だったの
を今でも覚えている。外宮に入った時、途端に雨が降り出し、本殿参拝する
1秒前に雨がやんで晴天となって、外宮を出た途端にまたにわか雨が降り
出したことを今でも忘れないね。
518あらため だよん:2011/11/30(水) 22:44:34.32
おれも、カパ君や、ァホーの原付蒸し君みたぃに

ひみぃこ ゎ〜 ひとぉり ふたぁり さんにん ・・・ぉっぱいはふたっで
ひみぃこ さんは、おっぱい ぉるぅーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーー( ̄― ̄)(_―_)( ̄― ̄)(_―_)( ̄― ̄)(_―_)( ̄― ̄)(_―_)
て言おうかな〜〜ぁぁぁ↑

519あらため だよん:2011/11/30(水) 22:46:22.25
>>517
>30余年前

おっさん 何年前だよwww
520太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 22:47:16.49
論破済みのオマエ旧編年→新編年←クルクル変わり、猿のように落ち
着きがない。成務4年間も↓に阻まれ、いくら変えても合わない。ppp

成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
521日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:49:09.09
>>519

30余年前じゃなくて、
本当は、伊勢参拝が国民の義務だった時代だよ。
522天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/11/30(水) 22:50:38.33
>>457
何故か調査が進んでいないが、地質学のデータが無いわけではない。
天理市遠田町西河原(現在の標高53.6m)でのボーリング調査結果がある。
ここの地下145〜160cmから採取された黒色炭質粘土層のC14年代測定によると2150±75(yBP)という数値が
得られている。

黒色炭質粘土層というのは湖沼底に植物体の分解残滓(フミン質)が粘土とともに堆積して出来る土層である。
C14年代測定法では100年前後の誤差を見なければならないが、(現在の)標高52mの位置の土層に2150年前
に生育していた植物(の炭素)が存在するのである。2150年前といえば弥生時代中期である。なお、黒色炭質
粘土層の上部には砂層が存在し、この砂層は河川の働きにより運ばれて堆積した層と考えられる。

湖沼状態が何時まで存続したかを調べるためには上記黒色炭質粘土層と砂層の境い目の層の年代測定が必要で
あるが、その測定は行われていない。上記2150±75(yBP)より若い数値が得られることは確実であるのだが。
523太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 22:55:07.56
二回目の参宮の時は内宮の五十鈴川の上数メートル上部部分のみが霧立ち
上っており、神威 荘厳そのものだった。あれは30年位前だったな。

 神州不滅か〜
524あらため だよん:2011/11/30(水) 22:56:44.11
どっかの若造から「古臭い」て言われてたじゃんw
たぶん私のレスは若者からみても「若々しい」ハズw
525日本@名無史さん:2011/11/30(水) 22:59:12.80
太国さん、それは尋常小学校の修学旅行で
蒸気機関車に揺られて行ったんじゃないんですか?
もしかして「お米持参」だったんじゃないですか?
526太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/30(水) 23:01:58.25
いや違いますよ。
527あらため だよん:2011/11/30(水) 23:05:24.23
形質人類学の方で、0歳が「乳児」、6歳未満が「幼児」、15歳までが「小児」、
20歳までが「青年」、40歳までが「壮年」、60歳までが「熟年」、それ以上が「老年」

て言うんですが、老年がぉっぱぃぉるんで困るぅぅ〜〜wwwwwwww(逃げ)
528あらため だよん:2011/11/30(水) 23:10:03.71
アハハハハハッ じょーき機関車だよ じょーき機関車www
>>525さんは何年前の話してんだってのぉ〜〜ww
529日本@名無史さん:2011/11/30(水) 23:12:03.08
ドツボがとうとう狂ったか…いや平常運転かw
530あらため だよん:2011/11/30(水) 23:14:26.68
オメー等 笑わせるなっつーのw
「お米持参」って何年前の話してんだって〜wwwwwwww
伊勢参拝が国民の義務ってwww もう、棺オケ入る前じゃねーのか!w
531日本@名無史さん:2011/11/30(水) 23:21:26.91
まあ、洟垂れドツボは皇學館にでも入って畿内説の洗脳でも受けて来い。
そして、立派な詐欺師になって帰ってこい!
532あらため だよん:2011/11/30(水) 23:29:48.22
>>531
邪馬台国論争に年齢は関係ない(実は私もそう若くは無いのですが・・・)

人に向かって洟垂れっていうからには、貴方の「邪馬台国論」でも書き込んでからいいなって。
さ、さ、蒸気機関車ゴッコはもういいので、貴方の邪馬台国論てやつをみなさんい聞かせて下さいよ。
533日本@名無史さん:2011/11/30(水) 23:43:10.06
>>532
お前に関心なし。
534あらため だよん:2011/11/30(水) 23:52:24.12
>>533
自信ナイってことね?
ほら、ご自慢の本を片手に持って、それを観ながらシャキとした投稿をして下さいよ。
535www:2011/12/01(木) 00:00:21.05
>>532 改めドツボ
>貴方の邪馬台国論てやつをみなさんい聞かせて下さいよ。

中華屋根。
そもそもこのドツボの畿内説というのがいまだに良く分からない。

一般に現在の畿内説と言われているものは基本単一史料の倭人伝からの解読の限界を認めて
3世紀頃の国内事情からの蓋然性の検証(←持って回った言い方だなw)だと思うのだが

こいつの畿内説が何によって構築されているのかさっぱり分からない。
ある日唐突に九州説から畿内説に転向した印象。

以前何処かで「箸墓が卑弥呼の墓であるからだ」なんてことを言ってたのを見た記憶があるが…


536日本@名無史さん:2011/12/01(木) 00:13:32.81
畿内説に転向したのは九州説のままだと河童に勝てないからだろ
537日本@名無史さん:2011/12/01(木) 00:55:06.51
>>522
ボーリング調査はピンポイントだから
旧河道にでもあたってるかも知れない
そうした堆積層が盆地全体から発見されなければ
あなたの主張は無理

盆地中央の最も標高が低い一体で発掘調査を行っても
弥生時代に湖底であったことを示す堆積層は発見されていない
これが厳然たる事実
538日本@名無史さん:2011/12/01(木) 01:05:24.92
まあ、低湿地で住めなかったとは思うが。
539日本@名無史さん:2011/12/01(木) 01:06:18.38
            ,.r.:::;;;;:ュ、
         fイ´__  __ヾ
           {:六;;;;:ハ:;;;:カ   
         (_  ' _^_ヽリ    なんだ AKBって整形した反日朝鮮人だったのかァ
          ,人 l⌒l、      ブームの捏造手法が寒流と同じだけはあるな
        / \,ゝヽr' \    
       /      |:|   ヽ
        l   l   /´堰@ l  !
        |___l  ノ ,イ   !__,}
540日本@名無史さん:2011/12/01(木) 06:58:25.49
奈良が昔は湖だったってのはずっと言われてるし地元の古老たちも伝えてきてる事実。
住んでる俺が言うんだから間違いない。水が引いたのがいつ頃なのかまでは知らんがね。
湿地帯で住むのにあんまり適した土地じゃなかったのは確か。
もともと人があんまりいない土地だったからこそ、外来の連中がここに住みついたんだろ?
邪馬台国がもし畿内かその近辺にあったってんなら近江のほうが圧倒的に有力。
卑弥呼なんてのは南の狗奴国にびびってた九州の女酋に過ぎんよ。



541夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 09:08:56.29
>>446に反論する前にアホレスを先に片付けるかなw
「至」「到」にケリもつけよう。

>>506
なぜそこだけが迂回しなきゃならないかと、他は迂回が必要ないことを述べなきゃね。
反論になりませんね。
>>510
君がやるかい?

>>511
ない。あるはずがないものを探すほど暇じゃないw

>>513
また筑紫くんですか。
>到にそんな意味はありません
ありますよ。後で詳述します。

>そんな法則はありません。
法則?爆笑だね。
なぜ伊都国以遠を北と南を入れ替えて読まねばならないかは理路整然と説明しました。
法則ではありません。
頭が足りないならレスしない方がいいんじゃないかなw

>>514
散々やってこの程度ですか。失笑していいですかw

>>515
畿内説も九州説も素直に読んだら成立しないから素直に読まないだけです。
事象から結論を出すべきなのに、結論が先にあるから事象をねじ曲げる。
両説論者とも学問のイロハが間違っています。
542夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 09:26:22.33
「至」「到」にケリをつけましょう。
両字とも訓読みは「いたる」です。魏志倭人伝を口語訳で読めば同じ音感ですね。
そこからリズムとテンポで軽く、などという馬鹿な論が出てくるわけです。
これん音読みしたら「し」と「とう」でまったく違います。
魏志倭人伝は何語で書かれていますか?原文は発音から違うんです。
日本の漢字辞典から意味を出した人もいますが、これも違います。
調べるなら中国語を調べてほしかったですねえ。
中日辞典は多分ネットでもあるでしょうから引いてみて下さいな。

「至」
発音は「ジィ」に近い。カタカナ表記じゃ正確じゃないですがw
意味は「〜まで」

「到」
発音は「ダァォ」これも正確じゃないですがw
意味は「着く、到着する」です。

違う発音、違う意味の文字なんですよ。おわかり?
543筑紫次郎:2011/12/01(木) 09:33:09.97
>>541
>>506
なぜそこだけが迂回しなきゃならないかと、他は迂回が必要ないことを述べなきゃね。
反論になりませんね。

世話の焼ける人だ。
狗邪韓国〜対馬国→海なので迂回の必要なし
対馬国〜一大国→海なので迂回の必要なし
一大国〜末盧国→ 海なので迂回の必要なし
末盧国〜伊都国→佐賀大和まで背振山地を迂回する必要あり
伊都国〜奴国→隣接しているので迂回の必要なし
奴国〜不弥国→隣接しているので迂回の必要なし
不弥国→投馬国→当時の海を挟んで隣接している状態なので隣接しているので迂回の必要なし
投馬国〜邪馬台国→隣接しているので迂回の必要なし

>なぜ伊都国以遠を北と南を入れ替えて読まねばならないかは理路整然と説明しました。
法則ではありません。
頭が足りないならレスしない方がいいんじゃないかなw

脳内妄想を述べただけでは理路整然と説明しましたことにはなりませんよ。
当時倭の地形が勅使に判っていたとは思えませんが
もしも、仮に
90度回転した地形が頭にあったとしても、南と北を間違えたりはしませんよ。
方角は地形で判断するものではありませんからね、

>事象から結論を出すべきなのに、結論が先にあるから事象をねじ曲げる。
両説論者とも学問のイロハが間違っています。

恣意的解釈をしているのは間違いなく貴方です。
544夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 09:38:54.68
狗邪韓国について繰り返しになりますが、もう一度説明しましょ。

狗邪韓国は倭に旅する過程で大陸側の最終地点で始点にもなる地です。
魏から狗邪韓国に到らねば倭に行けません。
大陸側の最終地点だから「到」です。
魏からここに到るまで水行もありますね。
しかしその後に「始めて一海を渡る」ですよ。これも水行です。
しかし前の水行とは区別するから「始めて」なんですよ。
狗邪韓国は大陸側の最終地点だから「到」

これで「至」「到」は終了でしょ。
545筑紫次郎:2011/12/01(木) 09:46:26.52
>>542
>調べるなら中国語を調べてほしかったですねえ。
中日辞典は多分ネットでもあるでしょうから引いてみて下さいな。

現代中国語辞典で調べても正しい答えは出ませんよ。

>「至」
発音は「ジィ」に近い。カタカナ表記じゃ正確じゃないですがw
意味は「〜まで」

その意味で
『風雨驟至』『斯天下之民至焉』 〔孟子・梁上〕
を訳せますか?
できないでしょう?
できると強弁するつもりなら訳してみてください。
546筑紫次郎:2011/12/01(木) 09:50:28.95
>>544
狗邪韓国は大陸側の最終地点だから「到」

だから
そんな意味も法則もありません。
倭人伝はは貴方の作った法則で書かれている訳ではありませんよ。
547夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 09:56:18.32
>>543
もうね、君には愛想が尽きそうですよ。

投馬国〜邪馬台国→隣接している
水行十日、陸行一月が隣接ですか〜?
これを魏からの総旅程と言うなら簡単に論破出来ますよw

>南と北を間違えたりしませんよ。
実際に行けば解ったでしょうね。だがいかなかった。
倭人からの伝聞です。
548日本@名無史さん:2011/12/01(木) 09:59:53.23
>>541
>ない。あるはずがないものを探すほど暇じゃないw

検証してなければ、それはただの思い込みじゃん。
それ、学問じゃないから。

原発も、全電源喪失なんてあるはずがない。
あるはずがないものに対策なんか必要ない。
で、こんな事故になってる。
549筑紫次郎:2011/12/01(木) 10:00:21.27
>>545
>「至」
発音は「ジィ」に近い。

何度聞いても。ツィー、チィーに聞こえますね。
550旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 10:22:12.39
筑紫さんもようやく三角縁神獣鏡の重要性に気付かれたようですねw
△鏡の同范鏡の分与元が京都の椿井大塚山古墳であることが
小林氏の論文で明らかにされておりますので、九州の勢力が
分与したものではないので、九州に邪馬台国を求めるなら
3世紀後半以降に東遷したことを立証するのが絶対条件です。
551日本@名無史さん:2011/12/01(木) 10:48:27.32
鋳型でも出ないと話にならないよ
552日本@名無史さん:2011/12/01(木) 11:45:31.57
おそらく鋳型は砂で作られているので出てこない。
553日本@名無史さん:2011/12/01(木) 11:47:42.85
>>542
>調べるなら中国語を調べてほしかったですねえ。

現代中国語の辞書を調べてもだめだよ。
源氏物語を読むのに広辞苑を引くようなもの。
554旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 11:47:48.27
鋳型は巻向の発掘を待つしかない。ただ出てこない可能性のほうが高いけどw
絹に関しても絹など風化しやすいから決め手にならないだろうし、
水銀も邪馬台国の場所割り出す材料にはならんねぇ
555筑紫次郎:2011/12/01(木) 12:04:32.41
>>547
>投馬国〜邪馬台国→隣接している
水行十日、陸行一月が隣接ですか〜

一番無理のない解釈でしょうね。

>南と北を間違えたりしませんよ。
実際に行けば解ったでしょうね。だがいかなかった。
倭人からの伝聞です

梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王
とありますから
「実際に行けば解ったでしょうね。だがいかなかった。」は破綻しています。
また、
倭人からの伝聞ならばなおさら方角を間違えたりしないでしょうから
双方とも破綻していることになりますね。
556日本@名無史さん:2011/12/01(木) 12:05:41.74
>夢幻如

で、邪馬台国はどこだと思う?
557筑紫次郎:2011/12/01(木) 12:06:15.62
△鏡は鏡大好きの勢力が作った物で
邪馬台国とは無関係です。
558旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 12:19:24.33
>>557
鏡大好き勢力が作るにせよ、職人を大陸から引き抜かないと
作れないでしょ。近畿で鏡を作ったなら、近畿と大陸との間に
交流が存在したわけで、当然巻向の王権も魏に朝貢してた可能性が高いのに
邪馬台国が九州なら、朝貢してなかったことになるからおかしいでしょ。
559日本@名無史さん:2011/12/01(木) 12:45:20.84
銅鐸作れるなら鏡のかたちを真似るぐらい簡単だろう。
鏡って中国では単なる日用品だったんでしょ。
ブッシュマンがたまたま手に入れたコーラのビンをあがめた感覚に似ている。
560筑紫の民:2011/12/01(木) 13:00:45.41
三角縁神獣鏡には邪馬台国と関係の深い魏の年号(景初)が記されてあるものも多く、
それらはヤマト王権と関係すると思われる有力者の古墳から多く発掘さる。
これは、邪馬台国首脳部がヤマト王権首脳部となったと考えられ、これによって
九州王朝説及び卑弥呼は九州の女酋長説は抹消される。さらに、九州説が確実と
なれば邪馬台国は東遷したことになる。
561日本@名無史さん:2011/12/01(木) 13:01:10.49
銅鐸作る技術はあるから、材料も加工技術もある。
後は、九州王朝の目を盗んで数人、デザイナーを
大陸から連れてくれば良い。

また、三角縁神獣鏡ばかり、大量に製作するのは、
連れてきたデザイナーが少なかったと考えて良い。

いろいろなところからデザイナーが何度も来ていれば、
神獣鏡以外のデザインがさまざまに作られていたはずである。
562日本@名無史さん:2011/12/01(木) 13:08:09.16
>>542

君は現代中国語で1700年前の中国語を読もうとするのかい?
そりゃ無茶苦茶だよ。

古事記や万葉集、源氏物語等を(現代日本語の)国語辞典で読解できるかい?
563日本@名無史さん:2011/12/01(木) 13:23:49.40
ごめん、3重にかぶった。
564日本@名無史さん:2011/12/01(木) 13:46:01.23
>>558
おまえ出発点がそもそもおかしいんだよ
交流=朝貢である必要もないし、九州と畿内が別ブロックであっても交流があるのは普通だし
565太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/01(木) 13:57:41.02
東遷は孫悟空でなければまぁ無理。
566日本@名無史さん:2011/12/01(木) 14:00:29.18
△鏡は、むしろ呉の鏡職人の出稼ぎ仕事じゃないのか?
九州は魏の友好国だったから、近畿の方が働きやすかっただろう。
567日本@名無史さん:2011/12/01(木) 14:02:21.41
畿内説だ九州説だって根っから対立史観だからなあ
568太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/01(木) 14:15:56.05
畿内には卑弥呼の女王国はない。

まず記紀には倭人伝の借り物の神功39年等以外の女王(女天皇)の記事は、相当
年代に無い。このことは卑弥呼が畿内の女王ではなく九州の女王だったと
いうことなのだ。だから卑弥呼と畿内朝廷との関係は遠隔で殆ど無と言うべきなの
である。だから記紀に卑弥呼の情報が(倭人伝の借り物記事は除く)載ってないと
いうことだ。

女王国と倭人伝は書いてるんだから、女王の支配の国であり政治王抜きでの
祭祀王なんていう身分ではない。確かに鬼道をやってたんだから祭祀王の雰囲気
は充分あるが、政治王と祭祀王の2名が畿内にいたんではない。
倭人伝からは政治王ながら祭祀もやっていたのがこの女王であり、政治と祭祀
が二本一体の両方を兼ねていた女王だということだ。だから政治王がいて、
別人の祭祀王がいたというのはダメな論である。
569アブラ山タイ :2011/12/01(木) 14:32:56.35
>空白の100年

九州内に邪馬台国があったからだ。
570天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/12/01(木) 14:49:08.07
>>537 :日本@名無史さん:2011/12/01(木) 00:55:06.51
>>522
>ボーリング調査はピンポイントだから 旧河道にでもあたってるかも知れない

これだからシロウトは困る。黒色炭質粘土層は河川などのように水が流れる所には出来ないものである。
湖沼のように水が停滞している所で沈降した植物体が粘土とともに堆積するとメタン醗酵により分解される。
このメタン醗酵の分解残滓はそれ以上分解されずに残り黒色炭質粘土層を形成する。

なお、>>522に示したデータはhttp://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/452/4/kobunnka15_1-30.pdf
に出ている。調査の目的が先史・原史時代奈良盆地の自然環境についての知見を得ることであるので、ボーリング調
査は地層が擾乱されていない場所を選んで行われている。C14年代測定は>>522のもの以外にも17地点での黒色炭
質粘土層について行われている。試料の深度によって数値は異なるが、2000〜9000(yBP)の値が得られている。
なお、調査地域の上部黒色炭質粘土層は100cm前後の厚みを持つと報告されている。
571日本@名無史さん:2011/12/01(木) 14:58:22.96
>>570

縄文人乙。
572天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/12/01(木) 15:26:46.17
>>537
>盆地中央の最も標高が低い一体で発掘調査を行っても 弥生時代に「湖底であったことを示す堆積層は発見されていない 」
>これが厳然たる事実

その発掘調査はどこでどのように行われたものですか?その調査報告書があれば示して下さい。
もし発掘調査場所が湖沼消失後に河川となった場所であれば湖底堆積層である黒色炭質粘土層は水の浸食作用により削り
取られていることでしょう。そんなところの調査で「湖底であったことを示す堆積層は発見されていない 」と言っても無
意味ですからね。
573筑紫次郎:2011/12/01(木) 15:44:09.49
>>558
>職人を大陸から引き抜かないと作れないでしょ。

そんなことはありません。
メンドイので説明はしません。

>交流が存在したわけで、当然巻向の王権も魏に朝貢してた可能性が高いのに
邪馬台国が九州なら、朝貢してなかったことになるからおかしいでしょ。

全然おかしくなんかありません。
メンドイので説明は拒否します。
574筑紫次郎:2011/12/01(木) 15:55:58.89
>>556
多分四国でしょうね。

自郡至女王國萬二千?里とも
參問倭地絶在海中洲島之上或絶或連周旋可五千餘里とも
其餘旁國遠絶不可得詳とも
齟齬しています。
575ローガン:2011/12/01(木) 16:03:28.35
>>542:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>「至」
意味は「〜まで」
「到」
意味は「着く、到着する」です。


●秋九月曹休率諸軍至皖、與呉將陸議戰於石亭敗績。(魏書明帝紀)
曹休は諸軍を率い、皖に到着。陸議と石亭で戦い、敗北。
●遂北渡河攻蕃破之、水道得通。劉表使劉備北侵、至葉。(魏書李典伝)
劉表は劉備を使って北方へ侵略させ、葉に到着した。
●張遼之討陳蘭、霸別遣至皖、討呉將韓當、使權不得救蘭。(魏書ソウ覇伝)
ソウ覇は別に派遣されて皖に到着し、韓当を討ち、陳蘭への孫権の援軍を不可能にした。
●與張遼等至廣陵討孫權。(魏書王リョウ伝)
張遼等と廣陵に到着し、孫權を討伐した。
ちょっと調べてみただけでいくつか見つかった。「至」の意味は到着。

576489:2011/12/01(木) 16:09:30.82
>>540

おまえほんとに地元民かwwwwwwww

奈良盆地は、湖どころか湿地帯でもなく、年中水不足で、水利権の奪い合いで田に水を引けないから村人はみんな隠し井戸を掘ってたというが?
577日本@名無史さん:2011/12/01(木) 16:20:09.84
>>576
お前は弥生時代の奈良を見てきたのか?
578日本@名無史さん:2011/12/01(木) 16:22:47.45
江戸はもともと酷い湿地帯だったけど、
江戸時代には水不足のため、玉川上水などを引いて
水の確保に必死だったわけだが。
579夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 16:31:10.73
寝てしまった。

>>545
雨風は急に『ここまで』やってくる
天下の民は(王の下)『まで』群がり集まる

強弁でいいならこんな感じかなw
「〜まで行く(あるいは着く)」「(目的地に)着く」
これは非常に類似してるが意味は違う。
風雨は人ではないから意志がない。つまり目的地はない。
天下の民が集まるのは惠王の下で地域、地点ではない。人だ。

関連して>>575
1番目
皖に到着は「皖まで行き」の意味で皖が明確な目的地ではない。
戦う場がずれれば行く先もずれる。
2番目
葉に到着したのは侵略で「葉まで進んだ」だろ。葉が目的地ではない。
3番目4番目も同じようなもの。

目的地があり、そこに着けば「到」
何かの過程でどこかに着けば「そこまで行き」で「至」
580日本@名無史さん:2011/12/01(木) 16:50:19.05
奈良って盆地だがちょっとした高地、高原で墓(土葬)には持って来いの場所だよな
581夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 16:56:04.71
ついでに筑紫くん、お前は馬鹿か?

>現代中国語辞典で調べても正しい答えは出ませんよ

学研漢和辞典で日本語を引用した奴がよく言うわw

>>555
水行十日、陸行一月で隣接の説明なってないよ、馬鹿頭。

魏志倭人伝は最初の使者の報告で方位、距離が記されている。
”その後”のやりとりは付け足しとは言わないが、あまり意味はない。
その後実際に新たな使者が行き方位、距離がわかっても関心が薄い対象なんだろ。
訂正する必要も関心もないということだろうねえ。
いかに関心がないかは「混一疆理歴代国都之図」でよくわかる。
伝聞だから距離の問題も解決出来ると前に言ったが、中々その話に進めないw
582日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:06:10.01

妄想好きのメタボおっさん
583日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:10:16.11
正確な日本地図すら残ってないのに、距離や方位が正確なわけないだろ。
584ローガン:2011/12/01(木) 17:13:02.27
>>579:夢幻如◆vaujymvCDcV.
>目的地があり、そこに着けば「到」 何かの過程でどこかに着けば「そこまで行き」で「至」

光和中、涼州賊起。發幽州突騎三千人、假?都督行事傳、使將之。軍到薊中。
薊中(けいちゅう)が軍の目的地ではない。 涼州賊徒追討の過程。いやはや…。
585筑紫次郎:2011/12/01(木) 17:17:31.62
>>579
>風雨驟至(風雨驟かに至る)
雨風は急に『ここまで』やってくる

「〜まで」ではなく「やってくる」と動詞として訳しているじゃないですか。

>斯天下之民至焉 (斯に天下之民至らん焉)
天下の民は(王の下)『まで』群がり集まる

「〜まで」ではなく「集まる」と動詞として訳しているじゃないですか。

つまり、
「至」の意味を、接続詞の意味は「〜まで」ではなく
動詞の「到着する。目ざす所までとどく。また、自分の所までやってくる」
と解釈しないと意味が通じない文が数多あると言うことです。
すなわち
貴方の言う
「至」の意味は「〜まで」、
「到」の意味は「着く、到着する」。
と言う事実はなく
「至」も「到」も到着すると言う意味で使用されているのですよ。

>強弁でいいならこんな感じかなw

いや、正しく訳しなくちゃ駄目です。
586夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 17:29:34.39
さて>>446
混一疆理歴代国都之図だ。

本光寺で発見されたものは江戸時代に日本で模写されたものといわれている。
原版が龍谷大学のものより古いというのも違うね。
本光寺のは「海東諸国記」に収録されている地図と類似していて情報が更新されたと見るべき。
天理と本妙寺のは正確には「大明国地図」で、これもコピーだが元が明に変わっている。
本光寺のものよりより古いということはない。
新しければ情報は新しくなるだろうねえ。

>古代中国における地理は軍事情報に位置づけられる。方角や距離を間違えることはない。
>日本列島の方角と位置については、各時代によって基点とする国や場所の表現こそ違っても、
>「朝鮮半島東南の大海の中」と歴代にわたって把握してきた事実がある。

魏志倭人伝に基点を定めた日本観がちゃんと出ているじゃないですか。

>その道里を計るに、まさに会けい東治の東に在るべし。

携帯なんで「けい」が変換出来ないが、わかるよね。
東治は東冶の間違いも問題はないだろう。
これは南北逆転した混一疆理歴代国都之図ではじめて成り立つ。
その道里を計ってこうなったわけ。
正確に把握していたら東冶の東にはならない。
587日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:31:34.59
美濃もん太の再来だな こいつ
588日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:39:32.00
会稽〜東冶っておかしな表現でねか
なんで小さい郡県単位で表すのよ
呉越閔とでも書けばいいのに
589日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:49:56.04
「夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く」
の部分と対応しているのだろ
590日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:52:21.33
429 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2011/09/21(水) 00:21:40.77 ID:YgDNlsAL
韓国は「日本が正しい歴史観を持つ→反日日教組の教える嘘歴史がばれる」
「日本人が韓国の正体を知る」「日本人が民族の自覚に目覚める」という
三つのことを異常に恐れています。
韓国人は「ビビリ」なので、戦後自分達がやったこと(日本人を殺害、強姦等)の仕返しをされるのではないかと
怯えていた時期があったようです。
韓国を知っている人は、日本が韓国に関わることは日本にとって
全くプラスにならないとすぐに分かる筈です。
逆に言うと、韓国は日本人が徹底的に不合理かつ無知でいてもらわなければ
ならなかったわけです。
そしてそのための撹乱工作を代行していたのが日本のマスコミでした。
591日本@名無史さん:2011/12/01(木) 17:53:31.76
ならやはり東治が正しいんだろうな
592別格の論客:2011/12/01(木) 18:11:51.73
夢幻如という名のしとよ。
今のところ出ている話題は
@至ると到る、Aコンチキ図、B会稽東冶の東、C韓地陸行こんなところか。
しばらく様子をみてから、必要ならまとめて言及することにしよう。

俺とやるときは小細工なしで・よろしく。それが出たら勝負ありとする。
593尾張のうみゃ〜もん赤味噌仕立担々麺:2011/12/01(木) 18:21:15.69
>>580
弥生時代の奈良盆地が湖だったと言うと一面に広がる湖水を想像する人達が大部分でしょう。ところがどっこい、
島状に湖水面から浮き出た所もあり半島状に山裾から突き出た所もあったようです。人々は筏で行き来できたで
しょう。そのような島状地や半島状地の周囲は水田として利用できますから人が住み着くようになり、唐古・鍵
などの弥生遺跡が残されたのでしょう。
594筑紫の民:2011/12/01(木) 18:36:23.71
三角縁神獣鏡を調べていて気付いたこと
畿内及びその周辺の古墳の中についての共通点
@棺・槨を朱を塗ったものが非常に多い
A鏡の他に、剣・その他の武具等を副葬
なお、弥生以前の畿内及び周辺を検索したら倉敷の楯築遺跡が棺に朱が敷かれ鉄剣
1本その他が副葬とあったがそれ以外では@Aは認められない(今のところ)

九州の弥生〜古墳時代
@棺(甕棺・木棺・その他共通)の内側に朱を塗る
A鏡・剣・その他武具等を副葬する

おや〜、なんだか邪馬台国東遷のにおいぷんぷんじゃないか?
もっと調べてこよーと!!
595日本@名無史さん:2011/12/01(木) 18:44:33.65
>>570  天草・南蛮柿餅 四郎の恋
http://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/452/4/kobunnka15_1-30.pdf

…これも以前に見たなあ、既視感 20000%だw

つうかだな、そもそもこの調査は低湿地を狙ったもんだろうが?
(だから2000年前ぐらいに黒色炭質粘土層が出て当たり前)
弥生中期後期の盆地湖を言いたいのなら
盆地全域で黒色炭質粘土層が〜2000yBPの値を出しているものを出すのが筋じゃないのか?
(できれば湖の縮退が伺える物が良い)

一体こんなものを出してきて何が言いたいんだ?

>本研究としては朝和地域の南北断面、東西断面を想定したグリッドで、地質ボーリングを行い、
>自然堆積した土壌・地質試料を採取して、それらを系統的に分析した。比較のためにまた、奈良
>県下の考古関係研究機関の遺跡発掘現場で土壌試料を採取した。第一の問題は朝和地域が実際に
>低湿地であったか、どうかである。低湿地帯と思われたのは、空中写真による地形復元から

まあ、自分にはこれの細かいところ専門的な所は分からないが

こいつはこの資料の研究目的とかきちんと理解して引用しているのか?

こう言う引用の仕方は某 J文人 を髣髴させる芸風だなwwwwwwww

596日本@名無史さん:2011/12/01(木) 18:50:49.99
>>541夢幻如 ◆vaujymvCDcV.
>両説論者とも学問のイロハが間違っています。

学問のイロハねえ、大きく出たなおいw

でそのお前の学問てのは何と言う学問なんだ?

考古学か?文献史学か?それとも「オレサマが考えた全く新しいガクモン」ってことなのかな?w

少なくとも文献史学者が「すなおに読んだら」なんていったらお終い、イロハ以前のお話。

結局こいつも
「今まで誰にも解けなかった暗号を解読できました!!」
と言う阿呆の一人。

自分の分類としては ゴミクズレベル九州説 の単なる亜種。


597夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 19:04:39.08
>>585
うるさいね、漢文馬鹿は。
学研漢和辞典に頼るよりは中国語に頼れよ。
現代云々は漢字の場合さほど意味はない。漢字の持つ意味が大きく変わることは少ない。
到着するという意味で「至」「到」が同義ではない。
中国語辞典の意味を否定したら中国人が怒るぞw
598日本@名無史さん:2011/12/01(木) 19:12:58.33
で、結局この 夢幻如 ◆vaujymvCDcV. とか言う奴の比定地とは何処なんだ?

九州や畿内にかけてきた時間労力を費やしていたなら
とっくに決着したであろうという超有望比定地w

しかし引っ張るなあ・・・今までのゴミクズレベル九州説でもこんな引っ張り方した奴は記憶にないw
それだけの価値があるのかどうか…

昔のTV番組で予告で
「○曜スペシャル!××のジャングルの奥地に伝説のモンスターを発見!」
と散々煽っておいて結局最後は
「…今後も調査を続ける!」
でお茶を濁す…そんな予感がビシビシしてますwwwwwwwwww 
599夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 19:15:10.67
>>592
ぷ、偉そうに。まあ頑張りなさい。

1 「至」「到」の使い分けから使者は伊都国までしか行っていないと解釈出来る。
2 「混一疆理歴代国都之図」から、これより千年以上昔の中国の日本観がわかる。
南北逆転(正確には東が南も含まれるが)はこのいい加減な地理観からくる。
倭人伝の会けい東冶の東の記述はこれを証明している。

これがここまでの俺の解釈だ。
次、距離に行こうかね。
600夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 19:23:52.13
その前に馬鹿な>>596にもw

事象を研究、分析して結論を出せば学問だ。
望む結論が決まっていて事象を否定すればこじつけ。
これだけのことだ。
仮説をたて実証、検証するならいいが答が決まっているなら論外ですよ。
601日本@名無史さん:2011/12/01(木) 19:29:28.68
>>600 夢幻如 ◆vaujymvCDcV.

おい馬鹿、大口叩くのは良いから

「答えを決め付けることなく、すなおに読んで研究分析したらここしかありません」

と言うのをハヨ言えw
602夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 19:39:11.65
さて距離。

最寄りの駅まで何キロか正確に言えるかな?
1.7kmとか言える人はほとんどいない。
歩いて15分とか、車で10分という答え方ならすぐ出来る。
遠方になるほどこれは顕著になる。
東京から静岡まで即座に距離を言えない人も「新幹線でこのくらい」は簡単に言える。

魏の使者は伊都国までは実際を記録すればいいが、あとは伝聞だ。
どのくらい離れた所に何という国があるのかを聞いた。
ここで何里というのはあてにならない。
里なんてのも統一された単位かどうかもわからないが、言う人間によりかなり違ってくる。
だが水行何日、陸行何日は非常に簡単に説明でき正確だ。
船で何日、歩いて何日だからね。
距離はこの部分を信用して見ればいい。
603夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 19:51:30.39
漢文馬鹿だったかな?伝聞なら方角を聞くはずと言ってたのは。
使者の頭には混一疆理歴代国都之図に近い日本地理が頭に入っていただろう。
最低限の予備知識がなければ異国には行けない。
これで日本の形の先入観があるから、そこに伝聞をあてはめたのだろうね。
野蛮な小国くらいの認識だろうから、調査にさして真剣でもあるまいし。
先入観に当てはめるなら距離だけを聞けば済むわけだ。
聞かれた倭人の方だって日本地理を正確に知ってるわけじゃない。
当てになるのは水行、陸行くらいかもしれない。
604日本@名無史さん:2011/12/01(木) 19:51:50.43
>>602

で、その所要日数は距離に換算しうる
…当時の交通手段でかかる平均的な日数か?

それとも実際ある人間が移動してかかった日数か?
(天候不順で足止めというロスもあったかもしれないし
 超VIP待遇の魏使の行列ご一行は相当ゆっくりした足取りだったかもしれないetc)

どうやって峻別するんだ?その根拠は?

605夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 20:07:17.52
さて旅するか。
不弥国までは九州でいいよね。その先だ。

>南投馬国に至る。水行二十日。

北九州から船で南(実は東)に行くならまあ普通に考えて日本海側だろ。
ぐるっと九州まわって太平洋側は考え難い。瀬戸内海に出るには海流が厳し過ぎる。
で、日本海側を水行二十日したらどこか?
当時の船のスピードはわからないから大雑把になるのは仕方ない。
当てになるのは地名だろうな。対馬や壱岐の例もある。
水行二十日で「とうま」に近い地名はないか。あるね、富山だ。
他にも「とうま」に近い地名があるかもしれないが俺は富山しか見つけられなかった。
で、投馬国は富山とする。
606筑紫の民:2011/12/01(木) 20:08:53.69
565 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/01(木) 13:57:41.02
東遷は孫悟空でなければまぁ無理。

太国じいちゃん、そりゃなかよ。
倭王「武」軍隊ひきつれて百済までいってるばい。
607日本@名無史さん:2011/12/01(木) 20:08:53.96
>夢幻如 ◆vaujymvCDcV

この根性なしがビビってんじゃねーよ。
さっさと言えや!
608日本@名無史さん:2011/12/01(木) 20:13:01.83
>>605 夢幻如 ◆vaujymvCDcV.
>投馬国は富山とする。

引っ張って引っ張ってこれかよw
609夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 20:13:39.05
次は

>南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。

富山から南(今度は地形に沿い北上か)水行十日。
新潟のはずれか山形のどけかか。この水行十日の先の地名がないからこれはわからない。
そこから陸行一月。南だから実際は北だ。北方へ徒歩一月。
これなら東北地方のどこかしかあるまい。
邪馬台国は東北のどこかだ。
610筑紫の民:2011/12/01(木) 20:16:58.49
609 :夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 20:13:39.05
おもしれ〜、最高〜〜、がんばれよ〜〜〜
雪深い国で真冬も夏野菜収穫ダ〜
611夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/01(木) 20:19:21.34
まあキャンキャンと批判が出てくるのは予想出来るが、魏志倭人伝を素直に読めば答えはこうなる。
暗号解読云々言ってたお馬鹿もいたが、暗号でもなんでもない。
倭人伝はちゃんと正確に場所を指しているだけだ。

仕事なんでね、ここまで。
キャンキャン楽しみにしているよw
612別格の論客:2011/12/01(木) 20:21:21.09
>>599 :夢幻如
>ぷ、偉そうに。まあ頑張りなさい。
俺は偉いんだけど?
613ローガン:2011/12/01(木) 20:25:40.74
おっと。ソース書くの忘れてた。
>>584
「光和中、涼州賊起。發幽州突騎三千人、假?都督行事傳、使將之。軍到薊中。」は、魏書公孫サン伝です。
614太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/01(木) 20:26:13.55
>>606
いつ東遷したというのかね?

東遷なんかなくとも、九州説はビクともしないよ。
615筑紫次郎:2011/12/01(木) 20:30:24.66
>>797
うるさいね、漢文馬鹿は。
学研漢和辞典に頼るよりは中国語に頼れよ。

いつまで現代中国語に頼るつもりだ?

>現代云々は漢字の場合さほど意味はない。漢字の持つ意味が大きく変わることは少ない。

貴方が根拠のない宣託をたれても意味はない。

>到着するという意味で「至」「到」が同義ではない。
中国語辞典の意味を否定したら中国人が怒るぞw

中国の古文においては、小休止、大休止、中間的経過、四至、目的地到着のいずれにも至は広範囲に使われてきた。その使用ぶりは到よりもずっと頻繁である。
至は「まで」の意味、到は「着く」の意味で区別があると説く人もいる。しかし、中国の史籍古典をひもとけば、至到の二字は互いに適用でき。単に至が到よりも頻繁に使われていたにすぎないことが首肯されよう。
〓謝銘仁【中国文学者、社会学博士、元国立台湾師範大学教授】〓

>>426
「到る」から使者は伊都国までしか行っていないのが解る。
ここに有効な反論なしでいいかな?
に返答したのだが
貴方は屑だ
以後貴方と論争はしない。
616日本@名無史さん:2011/12/01(木) 20:34:45.54
出たあ
と思ったら投馬に音が似てる地名だから富山だと(爆)
待った甲斐があったなあ
617日本@名無史さん:2011/12/01(木) 20:41:42.43

このオリコンの内訳って
自社買い+他社買い+在日動員+本国の売り上げもなぜか日本の売り上げに計上
これでこのくらいの順位になるのか
618日本@名無史さん:2011/12/01(木) 20:43:25.37
ハナタレ十九歳、耄碌世捨人、統合失調夢幻如
みごとに三馬鹿が揃いました
619日本@名無史さん:2011/12/01(木) 20:45:54.17
>611
倭人伝はちゃんと正確に場所を指しているだけだ。

正確に場所を指しているのに邪馬台国は東北のどこかでどこにあるか皆目判らないてか?
オメ
スケ゜ー馬鹿だな。
620筑紫の民:2011/12/01(木) 20:54:33.68
>>614
九州王国の太国先生、今後とも頑張ってください。
621別格の論客:2011/12/01(木) 20:59:44.52
>>599:夢幻如
> 「至」「到」の使い分けから使者は伊都国までしか行っていないと解釈出来る。
・皇帝からの贈り物と詔書は、贈られた本人しか開封できない。
・皇帝の詔書は皇帝が代理の印したる「節」を与えられた使節しか持参ではない。
・皇帝代理の使節が皇帝に変わって授与するのが「拝假」だ。
現代の素人日本人が何とへ理屈をこねようが、これが天子・皇帝を頂点とした帝国の厳然たるしきたりだ。
魏の使節は卑弥呼に直接対面しているが、伊都国まで卑弥呼を呼び寄せたとてせもいうのかい?

> 「混一疆理歴代国都之図」から、これより千年以上昔の中国の日本観がわかる。
・これは朝鮮人が書いたものだろう。
・無限の大地を正確に往来した承認や軍隊が方角を間違えたことがあるかね。
・国家間トップ外交の使節や軍事支援ににやってきた軍人が方角を間違えて仕事になるかね。
・現地を踏査した調査官の報告書を方角を間違えて書く歴史家がいるかね。
・著江船半島東南の大海の中と書きつないできた事実は無視かい。
すべて解釈論ではなく「現実論」だ。
たった一枚の怪しい地図を持ち出してこれだけの現実を否定して、
朝鮮人が描いた地図をもって古代中国人の地理間隔はこの程度だったとする手法が妥当だとでもいうのかい。
地理情報は軍事情報であると同時に年貢の基本となるものだ。どちらも国家維持に不可欠の要素だ。

>倭人伝の会稽古東冶の東の記述はこれを証明している。
これは、倭人の文身について荒れた文節で、倭人の文身のルーツが越の開祖・於越にあるのではないか
という編纂者の所感を表現した感嘆文だ。もとより机上で計ったものだし、
倭国の方角や距離など行程説明文章とは無関係だ。
それでも邪馬台国が九州にあったとすれば、大きな狂いはない。

お前さんは距離も方角いい加減だというが、
その割には、いい加減なはずの「会稽古東冶の東」だけは採用するのかい。
622別格の論客:2011/12/01(木) 21:00:20.09
>>602 :夢幻如
>魏の使者は伊都国までは実際を記録すればいいが、あとは伝聞だ。
>ここで何里というのはあてにならない。
里程を知らない倭人からの聞き取りだという伊都国から先も里程を記録しているぞ。

>水行何日、陸行何日は非常に簡単に説明でき正確だ。
>船で何日、歩いて何日だからね。 距離はこの部分を信用して見ればいい。
行ってもいないはずの邪馬台国まで12000余里だと証言しているぞ。
誰が里程を測定したとしいうんだい。

>>603 :夢幻如
>使者の頭には混一疆理歴代国都之図に近い日本地理が頭に入っていただろう。
こんなものを論拠するようでは話にならない。

>最低限の予備知識がなければ異国には行けない。
あたり前だ。トップ外交の使節団を迎えるのに、
描く無くとも末盧国ではのちの掌客(外交担当官吏)がで迎えている。
倭人の先駆が距離も方角も間違えたとてせもいうのかい。

>これで日本の形の先入観があるから、そこに伝聞をあてはめたのだろうね。
>野蛮な小国くらいの認識だろうから、調査にさして真剣でもあるまいし。
>先入観に当てはめるなら距離だけを聞けば済むわけだ。
>聞かれた倭人の方だって日本地理を正確に知ってるわけじゃない。
>当てになるのは水行、陸行くらいかもしれない。
自論を正当化するために都合の悪い所は倭人伝に責任転嫁するという古典的手法だが、
きみの場合はかんじんな所はすべて論理と現実性の欠落した口実論・方便詭弁でしかない。

>605 :夢幻如
>さて旅するか。
その先のおつき合いを遠慮する。
623日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:05:39.50
>夢幻如

>他にも「とうま」に近い地名があるかもしれないが俺は富山しか見つけられなかった。
>で、投馬国は富山とする。

>邪馬台国は東北のどこかだ。

小学生ってこの時期もう冬休み入っているのか?
624別格の論客:2011/12/01(木) 21:07:14.31
>>621
・無限の大地を正確に往来した承認や軍隊が方角を間違えたことがあるかね。
↓↓・無限の大地を正確に往来した商人や軍隊が方角を間違えたことがあるかね。

・著江船半島東南の大海の中と書きつないできた事実は無視かい。
↓↓
朝鮮半島東南の大海の中と書きつないできた事実は無視かい。

古代中国人の地理間隔はこの程度だったとする手法が妥当だとでもいうのかい。
↓↓
古代中国人の地理感覚はこの程度だったとする手法が妥当だとでもいうのかい。

倭人の文身について荒れた文節で、
↓↓
倭人の文身について触れた文節で、

>>622
描く無くとも末盧国ではのちの掌客(外交担当官吏)がで迎えている。
↓↓
少なくとも末盧国ではのちの掌客(外交担当官吏)がで迎えている。

すまんなあ。頭の回転に手がついていかなくて、通り打ち間違いがおおくて。
625別格の論客:2011/12/01(木) 21:10:38.95
さて、夢幻如さんとやら。
たった一字をこねくり回して独善我流解釈をして、それを論拠に歴史解釈を展開する手法が、
「天子制度」という現実と常識論を前にいかほどの説得力があるか、納得できただろうか。
626日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:12:29.81
夢幻如
何が飛び出すかと楽しみにしてたが呆気なかったなあ
627唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/01(木) 21:14:34.04
北史 倭國
漢光武時,遣使入朝,自稱大夫。安帝時,又遣朝貢,謂之倭奴國。靈帝光和中其國亂,
遞相攻伐,歴年無主。有女子名卑彌呼,能以鬼道惑衆,國人共立為王。…
至奴國。... 又南水行十日,陸行一月,至邪馬臺國,即倭王所都。

晋書正始元年東倭重譚納具。

女王卑弥呼は、倭奴國王位継承。
邪馬臺國王に倭王位授与。←授与のため正始元年に洛陽を訪れる。
南へ行けば邪馬臺國のはずが、東に変更されている。

628日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:22:43.70
>>626

多分本人の腹づもりではもっと途中プロセスを楽しむ予定だったんじゃないかな?w
629日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:27:29.29
夢幻如は、垂柳遺跡あたりに誘導したかったんじゃないの?
630日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:28:57.85
>>599
「至」と「到」の語義の違いはわかった。
しかし「倭人伝」には、
「太守弓遵、建中校尉梯雋等を遣わし、詔書、印綬を奉じ、倭国に詣らしめ、
 倭王に拝假し、併せて詔を齎し、金,帛,錦,罽,刀,鏡,采物を賜う。」
「政等檄を以て台与に告喻す」
とある。これらから魏使は倭王に会っている、すなわち邪馬台国まで行っていると考えられる。

陳濡が「至」と「到」を意識的に使い分けたというなら、
彼は「魏使が伊都国どまりで邪馬台国まで行かなかった」と判断して、そう書き分けたことになる。
では陳寿はなにをもってそのように判断したのか?

1.魏使の行動に関して「倭人伝」に書かれた以外の情報が陳寿の手元にあったのか。
しかしそうならそれを書かなかったのはなぜだろう?
2.「倭人伝」にある情報の範囲で伊都国どまりだと判断したのか。
では、どの部分をどう読めば「伊都国どまり」だと判断できるのだろう?

「至」と「到」が書き分けられているから「伊都国どまりだ」というのは論理的におかしい。
順序が逆で、「伊都国どまり」だという認識が先にあって「至」と「到」を書き分けるのだ。
「伊都国どまり」だと陳寿が判断した情報は何か。それを提示できなければこの主張は受け入れがたい。
631日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:29:42.74
>夢幻如
>邪馬台国は東北のどこかだ。

ギャハハハハハハ
632旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 21:35:13.18
魏志倭人伝の経路から考えるのは古典的手法すぎてもう
それじゃ堂々巡りで答えなど絶対に出ない不毛な作業だと言う結論はでてるでしょ。

ここの人らは庄内式の土器が3世紀半ばすでに九州を含む西日本全域に
及んでることはどう説明するつもり?庄内式以前は各地固有の土器を
使用してたんだし、巻向政権の影響力と考えるのが妥当でしょ。
それなのに九州の山門だかにあった邪馬台国が倭王じゃおかしいでしょ。

△鏡も当時の中国の青銅鏡と銅の含有成分比が酷似してるから、
中国から持ち込まれた銅で国産されたか、もしくは一部中国産で
それをもとに国産されたかのどちらかだよ。これもリアルタイムで
作られたのはほぼ間違いないんだし、九州邪馬台国で作られたなら
東遷しなきゃおかしいけど、庄内式土器等の時期を考慮すると
明らかに整合性を欠くでしょ。あらゆるデータが九州は誤りだと
示してるのになぜそんなこともわからないの?
633日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:40:01.90
>他にも「とうま」に近い地名があるかもしれないが俺は富山しか見つけられなかった。
>で、投馬国は富山とする。
>邪馬台国は東北のどこかだ。

これは酷いwwwwwwwwwwwwwww
634唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/01(木) 21:41:03.99
>しかしそうならそれを書かなかったのはなぜだろう?

倭人伝は景初2年の伊都国まで、この報告書が倭人伝の元である。
景初3年12月朝貢
正始元年梯雋等は、邪馬臺國を訪れている。倭王位拝受を勧める、応じて、使者を洛陽に使わす。
晋書正始元年東倭重譚納具。
その後も、魏使は、たびたび倭国を訪れるが、方角や距離の訂正はない。

倭人伝を纏めるにあたり、文書の欠落が考えられる。
635日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:54:20.03
>>632
熊本を中心に、東日本まで装飾古墳が広がってるからなあ。
君の説だと邪馬台国熊本遷都説になっちゃうよ。
636日本@名無史さん:2011/12/01(木) 21:58:46.41
その馬鹿を相手にするなよ
夢幻如のほうが笑わせてくれただけマシだ
637日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:00:10.13
夢幻如の

 邪馬台国 田 舎 館 村 説マダ〜?
638唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/01(木) 22:02:59.56
>しかしそうならそれを書かなかったのはなぜだろう?

倭人伝が書き継がれるうちに、”文字”を間違えた。
たとえば
倭国乱と倭奴國乱では大幅に違った結論が得られる。
639旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 22:05:57.52
結局反論不可能なんでしょW
庄内式土器と△鏡の二点からでも九州説は破綻してるわけだし
さっさと負けを認めて定説の畿内説を認めなさい。
640日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:09:29.20
>>639
お前が相手にされていない現状を省みてみろよ。
それでもここに書き込み続けるか?
641日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:13:16.51
>>639
正直「ウザイ」って奴なんだな。
それを承知でやっているのであれば、ジ●ー●ーと同類だ。
いい加減に止めてくれないか?
642旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 22:13:47.12
相手にされてないのは、いまだに九州説など唱えてる人らでしょww
勘弁してよほんと。もっといえば邪馬台国論争など近畿でほぼ終結してるのに
まだこんな不毛なことしてるオタクたちでしょww
一般人ならドン引きするようなレベルだよ。
643641:2011/12/01(木) 22:17:29.95
>>642
君、学校行っているの?
毎日、日中書き込んでいるみたいだけど、大丈夫?
644641:2011/12/01(木) 22:19:52.94
着ない説が好きみたいだけど、将来何がしたいの?
ちゃんと学校いかないと希望の職種に就けないよ、学生だったらお勉強したら?
645別格の論客:2011/12/01(木) 22:20:48.42

●82でのことだ。2〜3前だったかなー。
名古屋大学の公式サイトに、
ある生意気な准教授が、「素人の邪馬台国研究はとんでもが多い」
「定年過ぎた人の遊びにぴったり」といった揶揄めいたことを書いて、
学生たちに巷間に漂う素人意見に惑わされないよう警告したページがあった。

これに入れ込んだ半端学生が、
ここの半端学生と同じように素人研究をバカにした投稿をしたことがあった。
そいつによると、「素人相手の掲示板実験」をレポートするのが目的だったようだ。
だがそいつは、准教授の生意気さ加減を指摘して、素人の手強さを見せてやったら、ほどなく消えた。
ここの半端学生が本当に名古屋大学の学生なら、
おそらくは、82で素人研究を馬鹿にして去ったハナたれと同じ教室のタコだろう。

あの生意気な准教授は、まだあのページを大学のサイトで公開してねのかなー。
646旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 22:20:55.25
日中書き込んでるから学校行ってないとか
ここのおじいちゃんたちは携帯からもここ書き込めることも知らんわけ?w
低学歴のおじいちゃんならおじいちゃんらしくゲートボールでもしてなよw
647641:2011/12/01(木) 22:22:45.40
>>642
>一般人ならドン引きするようなレベルだよ。
僕ちゃんは一般人ではないんだ?
だったら僕ちゃんはナニ人?

648唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/01(木) 22:25:01.04
>定説の畿内説を認めなさい。

女王卑弥呼は畿内にいない。
邪馬臺國は九州に無い。

649641:2011/12/01(木) 22:26:38.93
>>646
僕ちゃんも、俺の書き込みに食いついてくるところを見ると
相当の低能だな。それとも、ここに書き込むのは何かの義務か?
650筑紫の民:2011/12/01(木) 22:29:02.84
>646 :旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 22:20:55.25
>日中書き込んでるから学校行ってないとか
>ここのおじいちゃんたちは携帯からもここ書き込めることも知らんわけ?w
>9低学歴のおじいちゃんならおじいちゃんらしくゲートボールでもしてなよw

所詮、この程度のガキだったわけだ。
651日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:30:49.56
>>646
もう少し偏差値の高い大学出てから威張ってね。
652日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:32:13.69
ゲートボールは社交代がかからないこともない
古代史は図書館を利用すればタダもタダ
653日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:33:11.36
名古屋大学とは教授も学生もカスの集まりだったのか。
654日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:43:58.03
名大の工学部は結構いい学校のはずだが、
俺が理系なんで、文系の方まではよくわからんな。

ただ、目の辺りにした感覚だと、医学部の学生と文学部の学生には、
相当な格差があるのは事実だ。全然空気が違う。
655日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:44:28.88
おい、名古大学生、返事はまだか?
相手にしてやってんだからさっさと返事しろよ。
656旧帝大歴史学徒:2011/12/01(木) 22:44:37.77
名古屋大ではさすがにいまだに邪馬台国論争など無駄なことして
九州にあったなどと言ってる馬鹿は一人もいませんw
低学歴のおじいちゃんたちとは違って我々は、受験で
洗練され鍛えられてきてるから、無駄な作業は省いて
効率化することをわきまえてるからね。
低学歴ほど作業の効率化という概念が希薄だから、
就職もいいとこには行けないんだよwだってそんなやつ
会社からしても使えないからね。
657日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:46:37.03
>>656

あんた、自己矛盾満載だぜ。
658日本@名無史さん:2011/12/01(木) 22:51:32.88
>>656 今日は、少しだけ相手にしてやるよ。

@僕ちゃんは、誰かにいじめられていないかね?
Aちゃんと家族に相談できる環境にある?
B友達はいますか?(この2ちゃん以外に)

ちゃんと答えてくれたら先に進めます。
659筑紫の民:2011/12/01(木) 22:59:58.26
本日、折角書き込んだのにツッコミがなかったので再掲

560 :筑紫の民:2011/12/01(木) 13:00:45.41
三角縁神獣鏡には邪馬台国と関係の深い魏の年号(景初)が記されてあるものも多く、
それらはヤマト王権と関係すると思われる有力者の古墳から多く発掘さる。
これは、邪馬台国首脳部がヤマト王権首脳部となったと考えられ、これによって
九州王朝説及び卑弥呼は九州の女酋長説は抹消される。さらに、九州説が確実と
なれば邪馬台国は東遷したことになる。

594 :筑紫の民:2011/12/01(木) 18:36:23.71
三角縁神獣鏡を調べていて気付いたこと
畿内及びその周辺の古墳の中についての共通点
@棺・槨を朱を塗ったものが非常に多い
A鏡の他に、剣・その他の武具等を副葬
なお、弥生以前の畿内及び周辺を検索したら倉敷の楯築遺跡が棺に朱が敷かれ鉄剣
1本その他が副葬とあったがそれ以外では@Aは認められない(今のところ)
九州の弥生〜古墳時代
@棺(甕棺・木棺・その他共通)の内側に朱を塗る
A鏡・剣・その他武具等を副葬する
おや〜、なんだか邪馬台国東遷のにおいぷんぷんじゃないか?


660日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:04:08.26
>>656
>名古屋大ではさすがに
…旧帝大歴史学徒と詐称。

>名古屋大ではさすがにいまだに邪馬台国論争など無駄なことして
…君が邪馬台国論争など無駄なことしている。

>無駄な作業は省いて効率化することをわきまえてるからね。
…出鱈目こいて無駄な作業ばかりしている。

>就職もいいとこには行けないんだよwだってそんなやつ
会社からしても使えないからね。
…僕なら君を採用したりしないね。
661日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:11:10.64
もう何と言うか古代史に関係ない学歴ネタの煽りあいだなwwwwwwwwww

この名古屋が言うように邪馬台国論争自体がとっくの昔に終わっているのは事実w

がこいつが年齢を詐称していなければ邪馬台国ブーム時の特殊事情とか知っているのか?と心配にならないでもないwww
(まあ俺とてリアルタイムでは知らないが)

「幻の邪馬台国」で宮崎が”文学賞”を受賞し日本中が彼の姿にシュリーマンを重ね合わせたのだろうか?
宮崎を九州説の情熱(パトス)の部分とするなら、松本清張が理論(ロゴス)の部分か?

勿論古代史に関しても下手な学者より余程しっかりしたものは元から持っていたろうが
基本推理小説家の清張がプロの学者を向こうに互角の論戦を繰り広げた

その姿に勇気付けられて姿勢の歴史マニアがことによったら
自分が大学の先生のお歴々を向こうに回しこの日本の国の歴史の最初の部分を書き換えられるかもしれない
…という夢を見ることができたいわば「古きよき時代」だったんだろうなw

その過去にすがり付いている老人か
若しくは「兎に角アカデミズム=キナイセツ は気にいらないから反対してやれ!」
と言う中ニ病患者がここの ゴミクズレベル九州説 wwwwwwwwwwww
あと「地域ナショナリズム」みたいなのもあるかもしんないw


662日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:14:10.23
ジョーカーもさすがに名古屋のフォローは出来まいと思ったが、
フォローに入ったか。やはり共感するものはあるのかな?
663日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:17:52.24
>>657
自己矛盾なんかにびひっていたら畿内説はやってられない。
自爆しようがののしられようが
馬鹿だとばれようが、嘲笑されようが
ただひたすら書き込むのがカス名古屋大学一年生の進む道。
664筑紫の民:2011/12/01(木) 23:17:52.60
>>661
よう、畿内説ウルトラ夜間警備保障係長補佐代理<反キチ>ご苦労さん。
今から警備上番か?頑張れよ。
665661:2011/12/01(木) 23:19:00.39
そうそう宮崎と清張、まだこの時点では「九州説=すなお読み」の構図はなかったと思う。

先に名古屋が持ち出した人口にしても清張は
「投馬五万戸、邪馬台国七万戸なんてのは3・5・7と言う陽数(奇数)を好む中国人の修辞によるもの」
で結構ドライに切り捨てているらしいし…

やっぱりここのゴミクズレベル九州説 のような芸風の基礎を作ったのは
安本・古田の両巨匠による部分が大きいのだと思うw


666日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:27:34.69
まあ名古屋によれば既に教科書に邪馬台国に関し九州説畿内説の両論併記もなかったというから

そもそも「畿内説」と言う言葉自体が既に存在しないのかもしれない。
(論争が存在しないのだから当たり前)

戦う場所も敵も既に失っているのが九州説だなw

まあ中身が九州王朝説とか東遷説のゴミクズレベル九州説はそれ以下なんだがwwwwww
667日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:34:28.18
九州説は、見えない敵と戦ってるようで痛々しい。

ありもしない九州説を妄信しても、人生に得るものはないよ。
668日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:34:37.17
>>572
京奈和道路の建設に伴って標高45m付近に立地する遺跡が何カ所か発掘されているが
いずれの遺跡においても弥生時代に奈良盆地が湖沼であったことを示すような土層は確認されていない
むしろ盆地中央部付近の遺跡からは遺構に伴わないものの縄文時代の遺物が確認され始めており、
縄文時代に盆地中央部近辺で人々が活動していたことが明らかになりつつある

報告書については、京奈和関連のものどれでも「歴史的環境」の部分をつまみ読みしてみればいい
周辺遺跡の記述から現在の認識が読み取れるはずだ

この回答が曖昧だというのであれば『下永東方遺跡2』の報告書をおすすめしておく
標高44m付近に立地する遺跡で、弥生時代の遺構のベースとなっている土壌の分析結果が載っている
分析したのはパリノ・サーヴェイ株式会社という古環境分析を専門としている会社だ
あなたの主張とは全く異なる分析結果が報告されている
専門家としてまっとうに反論するべきではないのか?w

ついでにあなたが論拠として貼っている論文の続編を紹介しておこう
P48以降に分析結果を基にした地形復元案が明記されている
執筆者たちはあなたの主張とは全く異なる予想をしているようだが?

ttp://near.nara-edu.ac.jp/bitstream/10105/455/4/kobunnka16_23-74.pdf


669太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/01(木) 23:36:11.12
670太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/01(木) 23:40:31.94
畿内には卑弥呼の女王国はないと観てよい。

まず記紀には倭人伝の借り物の神功39年等以外の女王(女天皇)の記事は、相当
年代に無い。このことは卑弥呼が畿内の女王ではなく九州の女王だったと
いうことなのだ。だから卑弥呼と畿内朝廷との関係は遠隔で殆ど無と言うべきなの
である。だから記紀に卑弥呼の情報が(倭人伝の借り物記事は除く)載ってないと
いうことだ。

女王国と倭人伝は書いてるんだから、女王の支配の国であり政治王抜きでの
祭祀王なんていう身分ではない。確かに鬼道をやってたんだから祭祀王の雰囲気
は充分あるが、政治王と祭祀王の2名が畿内にいたんではない。
倭人伝からは政治王ながら祭祀もやっていたのがこの女王であり、政治と祭祀
が二本一体の両方を兼ねていた女王だということだ。だから政治王がいて、
別人の祭祀王がいたというのはダメな論なのである。
671日本@名無史さん:2011/12/01(木) 23:49:16.36
ジョーカーと名古屋が相思相愛だなw
低知能同士に限り、ねっとり引き合うとは目出度いぞw
672www:2011/12/01(木) 23:58:44.76
>>668
ヨコからだが見させてもらったサンクス

まあ先の資料に
「花粉・珪藻遺体などによる古生物学的検討の詳細は次報に譲る」
とあったからそう言った分析がされているみたいだけど…

ざっと目を通して『地形復元』の部分で

>この地域での泥炭層の欠如はおそらく泥炭を形成するような滞水域と
>乾地になるサイクルがめまぐるしく変わるような堆積様式の急速な変化によるものである。

乾いてひび割れた粘土質の中に沼地が点在する…って感じなのだろうか?
(その位置も頻繁に変わる)

伊賀は古代琵琶湖の湖底にあった時代に形成された粘土質の土壌で乾燥すると直ぐにひび割れして稲作には適さず
仕方なく出稼ぎ=傭兵=忍者が生まれるに至ったって話思い出したwwwwww

673日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:13:01.02
540じゃないけど俺も奈良県人。
>>576みたいな
湿地帯だった=水に困らないってな
短絡思考回路って畿内説の奴らの特徴だよな。
ガキの頃から大きな古墳をいくつも目の当たりにしてきたら
邪馬台国ごときが奈良なんて思えないって。
銅鐸使って栄えてた奴らが滅ぼされてでっかい古墳作る奴らが来たんだよ。
奴らは西から来たんだよ。たぶん古墳持って来たのは吉備の奴らじゃねえの?
邪馬台国は滅びた国だろ?大和朝廷とはカンケーないよ。


674日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:17:24.55
>>673
その古墳を築いた勢力が銅鐸の勢力を駆逐した…みたいな的史観を持ったことについて
奈良に住んでるということが何かしら関係しているのかな?

古墳ならまあいつも目にする事もあるだろうが銅鐸なんて日常は目にするものじゃないw


675日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:26:55.62
古墳が林立する風景に、邪馬台国は馴染まないよなぁ〜
676日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:28:08.74
単なるイメージの世界だなw
677日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:28:12.14
>>673
>奴らは西から来たんだよ。たぶん古墳持って来たのは吉備の奴らじゃねえの?

それはいいとして、どうして、吉備から来た時期が2世紀(邪馬台国は奈良)とは思わないのかが、知りたいな。
678天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/12/02(金) 00:31:14.90
>>668
>京奈和道路の建設に伴って標高45m付近に立地する遺跡が何カ所か発掘されているが
>いずれの遺跡においても弥生時代に奈良盆地が湖沼であったことを示すような土層は確認されていない

現在の標高は弥生時代のそれとは異なる可能性が高い(地下水位の低下による地盤沈下が十m程度に達する
場合もある)ので 「標高45m付近に立地する遺跡」の「標高45m付近」を当時のものとするには問題があ
ります。

遺跡部分は湖底には作られなかった(当然陸地であった)から縄文時代から弥生時代にかけて生成した黒色
炭質粘土層は遺跡からは出難いでしょう。

>ついでにあなたが論拠として貼っている論文の続編を紹介しておこう
>P48以降に分析結果を基にした地形復元案が明記されている
>執筆者たちはあなたの主張とは全く異なる予想をしているようだが?

よく読みましたか?
「今回 の コア リングの結果 による と、朝和 地域 は完新世 を通 じて粘土 の堆積で代表 され るよ うな
低 エネルギー堆積が支 配的な沼沢地で あ った ことが は っき りと分か る。厚 い炭質粘土 層 は停水域
での堆積を示 して い る。 この よ うに して完新世 の各 時期で停水域が広 くな つた り、狭 くな った り
して いた ことを知 る ことがで きる」と書いてあるでしょ。
679日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:31:50.73
>>673
>たぶん古墳持って来たのは吉備の奴らじゃねえの?

吉備に前方後円墳そのものの祖形はない。


680日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:33:34.88
>>678
>地下水位の低下による地盤沈下が十m程度に達する場合もある

これも J文人 のもちネタだったなあw
681日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:36:29.35
>>678

そもそも湖底にあったら

>この よ うに して完新世 の各時期で停水域が広 くな つた り、狭 くな った りして いた

なんて事がおきるわけないだろうがw

682日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:43:12.35
しかしこの「天草・南蛮柿餅 四郎の恋」が縄文人であったら

>>438 天草・南蛮柿餅 四郎の恋  
>弥生時代の奈良湖論争は面白かった。縄文人や九州王朝大好きの科学的な書き込みに対してジョーカーらの
>反論が幼稚な感情論であったことが印象に残っている。

と別ハンを装って自画自賛していることになるなwwww
683日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:46:21.11
>>681
報告書の著者に言ったらどうだい。
「停水域が広 くな つた り、狭 くな った り」とは湖沼の水位が変化していたということだろう。
684日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:47:20.37
天草・南蛮柿餅 四郎の恋 =縄文人(本人確率80%w)

つうかだな誰が見てもそこに湖が想定しえるようなデータがあったとして
それにそのデータを作成した人間が気が付かないはずがないだろうがwww

そんなデータがあるならとっくの大昔に弥生時代の盆地湖なんてものが定説になってるわ馬鹿馬鹿しい。



685日本@名無史さん:2011/12/02(金) 00:56:15.41
>つうかだな誰が見てもそこに湖が想定しえるようなデータがあったとして
>それにそのデータを作成した人間が気が付かないはずがないだろうがwww

気付いているね。
「今回 の コア リングの結果 による と、朝和 地域 は完新世 を通 じて粘土 の堆積で代表 され るよ うな
低 エネルギー堆積が支 配的な沼沢地で あ った ことが は っき りと分か る。厚 い炭質粘土 層 は停水域
での堆積を示 して い る。」と明言している。「奈良湖」と言わなかったのには裏の事情があるのかも・・
686日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:00:51.97
>>683 天草・南蛮柿餅 四郎の恋 =縄文人(本人確率80%w)
推定される水域は広大な湖岸の一部ではなくクローズしている。
まあ湖が縮退した時にあちこちに取り残されたようにできた湿地帯と言う強弁をするのかなw

それはどう良くとっても「たられば」のお話で盆地湖の証明でもなんでもない。
元々こんな湿地帯の調査の為の資料を持ち出した時点で笑い話だ。


687日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:02:16.77
執筆者たちは河川の後背湿地だっつーてるやん

名無しになったりコテ付けたり大変だな
688日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:02:41.22
湿地帯とかいってて、どうして水不足なんだよ?
689日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:03:08.09
圧をかければ水がしみ出してくる軟弱地盤なんてどこにだってあるわアホくさい
690日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:03:37.44
>>685 縄文人
>「奈良湖」と言わなかったのには裏の事情があるのかも・・

ゴミクズレベル九州説 のお得意の陰謀論かwww

もう歴史人口学も比較神話学も地質学も全部悪のキナイセツ一派にしとけキチガイ。

691日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:12:51.23
結局すべて
縄文人=九州王朝大好き=卑弥呼の都は久留米=天草・南蛮柿餅 四郎の恋
の妄想でしたとさ チャンチャン
692日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:13:14.07
ドン来い86

456 名前: 縄文人 投稿日: 2011/05/27(金) 22:50:09.13
>>452
ジョーカーのために解説してあげよう。
黒色炭質粘土層には植生などの遺骸がほとんど含まれていないと言う。しかし、炭素はかなりの量含まれているそうである。
これは>>452が言うように浅い湖沼などでの堆積物と見るべきである。湖沼の底で長時間かけて分解された植生などの有機物
がフミン質となって粘土とともに堆積すればこのような黒色炭質粘土層となる筈である。

河川の氾濫などで短時日で埋没した地層では植生などの遺骸が残ることが普通であるから、このような黒色炭質粘土層となるこ
とは考え難いのである。天理市のかなりの地域が弥生時代には沼地の状態であったと考えられよう。
693日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:15:23.77
>>691
九州王朝大好き=卑弥呼の都は久留米 はまた別人w

「湖岸堤防」とか独自のネタがあるwww
694日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:16:27.99
>>685>>690
科学者だから調査していない地域についてまでは言及しないのだろう。天理市の朝和地域(かなりの面積だが)
については調査したから湖沼だったと言える。他の地域については調査していないから何も言わない。まあ当然
の態度だね。
695日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:20:46.63
>>694
あくまで氾濫原のなかに形成された湖沼地帯の話。
湖岸線の縮退に伴う〜という話なら全然話が違う。

都合の良いように内容を捻じ曲げて脳内解釈して逃げるな阿呆。

696日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:25:20.98
奈良湖があっても、九州に邪馬台国は出現しませんよ。あほらし。

それになに?天理って?バカなの?マキムクと関係ないじゃん。
697日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:41:07.68
ていうか、奈良湖ネタって、橿原考古学研究所が必死に隠ぺいしていた
大問題じゃないの?
698日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:44:55.54
>>697 サイキバ?

橿原考古学研究所の隠蔽能力すげえな、おいwwwwwwwwww
699日本@名無史さん:2011/12/02(金) 01:52:26.23
さすがジョーカー、ダボハゼみたいにすぐエサに飛びつくなw
700日本@名無史さん:2011/12/02(金) 02:45:52.02
奈良湖奈良湖とわめいてる人は、鉄器軍団が奈良に東遷して、灌漑して開拓したと言いたいのだろうけど。

1〜2世紀に、伊勢遺跡で大規模な大溝工事がされてるのだから、
九州の東遷を考える理由はすでに一個も無いのですよ。
マキムクの治水工事をしたのは伊勢遺跡の人なのですから。

鉄器が無いと土を掘れないという大ウソも通じませんよ。


701日本@名無史さん:2011/12/02(金) 02:50:57.35
まあ奈良湖ネタなんて「ムー」レベルだな
702日本@名無史さん:2011/12/02(金) 03:57:16.85
いいや、畿内が日本の中心だったなんてトンデモであって、
低湿地で手を焼いていた場所だったというだけのことさ。
703日本@名無史さん:2011/12/02(金) 06:59:39.87
>夢幻如「邪馬台国は東北のどこかだ。」

笑わすな♪
しかし、面白いから懲りずに頑張ってくれたまえ
704別格の論客:2011/12/02(金) 07:16:03.36
夢幻如。おはよう。
15世紀のコンチキ図持ち出す件について。ついしん

隋からは使節もやってきたし、白村江の戦いのあとには戦後処理の軍隊もきている。
帰化した漢人が里帰り留学したり、学問僧など文化人の往来もあった。
唐からも使節がやってきている。
コンチキ図に依拠するのは、こうした現実を度外視した暴挙だよ。
705日本@名無史さん:2011/12/02(金) 08:24:41.64
>>698
橿原考古学研究所の隠蔽能力すげえな、おいwwwwwwwwww

捏造能力はもっとすげえぜ。
関係のない物まで記者集めて邪馬台国と関係があるかのような大発表したり。
706日本@名無史さん:2011/12/02(金) 08:29:00.23
>701
まあ奈良湖ネタなんて「ムー」レベルだな

まあ、弥生時代にはまだ奈良湖に恐竜が生息していたので
危険で人間が住める状態では無かったんだがね。
707日本@名無史さん:2011/12/02(金) 08:36:27.72
>>705
なぜか知らないけど畿内派は「橿原考古学研究所」とか「賛助会」とかいった単語に異様に反応するよね。
708日本@名無史さん:2011/12/02(金) 08:49:34.62
>>689
圧をかければ水がしみ出してくる軟弱地盤なんてどこにだってあるわアホくさい

元々が陸地だった場所は岩や砂利、岩石まじりだから
圧をかければ水がしみ出してくる軟弱地盤なんて
火山灰か湖、川の堆積層以外はどこにも無いね。
709日本@名無史さん:2011/12/02(金) 09:47:58.34

オレオレ詐欺なんて年寄がどれだけ騙されやすいかという社会実験でしかない
710日本@名無史さん:2011/12/02(金) 10:02:35.12

九州説なんて年寄がどれだけ騙されやすいかという社会実験でしかない
711日本@名無史さん:2011/12/02(金) 10:04:38.49
>>705
@ホケノ山古墳を築く際、堂ノ後古墳の周濠の一部を切り崩したような跡も見つかり、
『ホケノ山古墳は堂ノ後古墳よりも新しい。】

A堂ノ後古墳が、実際には5世紀後半の築造だったことが同市教育委員会の発掘調査で21日までに分かった。
『堂ノ後古墳が五世紀だからホケノ山古墳はそれ以降』

B国内最古級の前方後円墳とされる奈良県桜井市のホケノ山古墳
『国内最古級のホケノ山古墳が五世紀以降』

となるはず。
ところが堂ノ後古墳が、実際には5世紀後半の築造だったと判ったことから
@を無視して
ホケノ山古墳は堂ノ後古墳よりも新しい可能性を抹殺してしまった。

こんなのは学問なんかではない。
http://www.47news.jp/CN/200912/CN2009122101000262.html
712日本@名無史さん:2011/12/02(金) 10:07:52.74
>>710
と、畿内教
狂信詐欺師集団が言っています。
713日本@名無史さん:2011/12/02(金) 10:32:03.56
有明海 VS 奈良湖か… (笑
714日本@名無史さん:2011/12/02(金) 10:41:33.99
>太国
>だから卑弥呼と畿内朝廷との関係は遠隔で殆ど無と言うべきなの
である。だから記紀に卑弥呼の情報が(倭人伝の借り物記事は除く)載ってないと
いうことだ。

庄内式土器についてはどう説明するつもりだ?もろ九州と畿内の交流あるじゃんw
715太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 10:48:03.58
土器に卑弥呼とか書いてあるのか?ww

マヤの土器には記述者の名とかあるものが存在するがな。
716狗奴国は名古屋:2011/12/02(金) 10:56:26.35
土器だけじゃなく、古墳も巻向発祥の前方後円墳の影響を
九州が受けるだろうに。

△鏡も大陸から渡ってきた職人が近畿で作った可能性が高いんだし、
大陸の人間が近畿を認知してて九州と近畿は遠絶で関係無なわけないでしょw
717太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:01:05.90
畿内と九州の交流っていうのは、後者は北九州の地域のあたりだろう?

そこは畿内へ半島、大陸の遣使が行き来する交通路だからな。卑弥呼の
国はそのへんにはなかろう。なぜならば、そうならば女王国が北九州に
ありますよという情報が遣使らによって畿内にもたらされる。その得た
情報が少しでも記紀にはない。ということは、北九州には女王国はなさそ
うだということだ。しかし北九州も地図を眺めれば小さく感じるが、現実
には広いわけだから、その行き来する交通路から離れた遣使の行ってない
地域がまだあるとは相当に言えるから、北九州に女王国の存在した可能性
はまだ残っていることは確かだ。

しかし雄略のころには朝廷の勢力は中九州にもかなり及んでるだろう
から、時代によって考察方法は変えねばならない。→ 江田船山の鉄刀銘文
718太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:06:11.19
>九州と近畿は遠絶で関係無なわけないでしょw

だからそれは北九州の話だよ。
(中九州以南はあまり遣使は行ってなかったということだ。畿内からそれで
遠絶状態にあった。)
それがたまたま中九州あたりに存在の卑弥呼の国の情報を得たかそのへん
のことで、大陸に女王国の所在がもれ出たというころだな。

つまり九州の彼女の国は九州の中で隔絶した地域にあったんだということ
が妥当だと言えて来るのだ。
719狗奴国は名古屋:2011/12/02(金) 11:06:35.70
太い国さんよ、あなたの言ってることを拝借すれば、
景行天皇の九州遠征のときに、熊本や大分も行ってるんだし、
記紀に邪馬台国の姿かたちもない、ゆえに邪馬台国など
九州には存在しなーいw邪馬台国があれば記紀にちゃんと明記してる、
それがないということは九州にそんな国はないのである。
隠す必要など微塵もないんだし。
720日本@名無史さん:2011/12/02(金) 11:06:39.86
畿内馬鹿は黒曜石の分布が勢力範囲を示すとでも言うのだろうか
721夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 11:08:30.05
さてやるか。

ここいらで本性むき出しにさせてもらおうか。
俺は傍若無人キャラで長いこと2ちゃんやってきたあるコテだ。
訳あってそのコテは封印して今のコテだが、上品にやるのは性にあわん。

>別格
面白いね。まともに相手になりそうなのは今のところお前だけだ。
「俺は偉い」と言うだけはある。だがな、俺はもっと偉い ワラ
自分は偉いと自信満々なコテを潰してきて、前はコテ潰しと言われたこともある。
まあ、楽しめそうだ。真正面から対峙してほしいね。
だが、雑魚が先なんで後になる。悪いな。
722太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:18:58.05
>>719
だからその景行の事例等でもいいが、景行は卑弥呼の時代ではない。
卑弥呼より後代だし、景行の九州行幸は一時的視察だよ。それでよそ者
だから九州でたたかれたのを退治したわけだろう。
それで次代の成務で先帝のことから九州のことがある程度知りえて
いることから、この代に朝廷の支配の基点たる始まりが出来たという
ことだ。景行のころは壱与の次代で女王国の勢力が一時衰退つまり風前の
灯火のころであり、景行はその弱体してる女王国の後身をまぁ見ては
いない知りえていないということだな。
723日本@名無史さん:2011/12/02(金) 11:23:53.01
大和が九州を支配したとは書いていない。また、九州を討伐したとも書いていない。
そこが重要なところなんだよ。
724狗奴国は名古屋:2011/12/02(金) 11:26:14.93
>>718
太い国さんよ、では北九州と近畿は交流あったことは
認めるわけだ。北九州は当時邪馬台国連合の勢力圏として
倭人伝に載ってるんだし、それでいて、畿内王朝が
九州邪馬台国のことは知らなかったは通らんよ。
725太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:26:40.64
そのとおりだが〜それは景行でも成務の代でもそれは言えるが、支配の
拠点は成務の代あたりからだよ。九州全域支配はまだまだズッとあとだ。
九州王朝があるから、九州全域はそのころ出来ていない。
726夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 11:27:33.86
富山はどうだった?
馬鹿が予想通りの反応なんで笑えたよ。
俺の目的は邪馬台国の比定ではない。
魏志倭人伝からの九州説、畿内説の否定だ。
しかしそれには「じゃあ邪馬台国はどこだ」を示さねばならない。
それで富山まで取り合えずやった。
だがな、不弥国=富山と断定しているわけではない。
倭人伝を読み解くなら、こういう方法になり富山は候補になるという話だ。
魏志倭人伝から解る情報から推察していき、あとは地名や遺跡から比定するしかない。
富山・不弥国否定を馬鹿にし、邪馬台国を「東北のどこか」を笑う奴は明確な反論や否定材料があるわけじゃない。
新奇、珍奇に見えるから笑うだけだ。馬鹿だからな プ
別格くらいなら手応えもあるが、まあ馬鹿も「枯れ木も山の」だ。

ついでに言っておこう。
魏志倭人伝では「東北のどこか」までしかわからない。わかりようがない。
頼るなら地名くらいしかない。そこから考えて有力な候補地が一つある。
「八幡平」はちまんたい、と読むな。読み方を変えれば「やまたい」だ。
地名「平」は普通「たいら」と読む。日本平みたいにな。
だが八幡平は「たいら」ではなく「たい」だ。
ここから取り合えず邪馬台国=八幡平と仮に比定しておこう。
これも地名からだけの推察で断定は出来ないが、最有力候補地だろうね。
727狗奴国は名古屋:2011/12/02(金) 11:31:56.27
>>725
太い国さんよ、もう見てて痛々しいからいい加減
九州説の間違いを認めちゃいなさいよ。
九州王朝説などと誰かから吹き込まれ洗脳されてしまったみたいだが、
九州のへき地にひっそりと邪馬台国があったから
畿内はわからなかったとかまるで子供みたいな言い訳だよw
728太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:33:50.95
実際記紀にないんだから、奥九州情報が朝廷に届いていないよ。
それを北九州に来てた大陸人がたまたま得られにくい情報を得
たのだ。それで大陸に畿内に届かずも卑弥呼の情報が流れたことから、
魏との交流に至ったということだ。

魏とうんと交流があったんなら、三国志に女王国への道筋も書かずとも
大陸人はわかるから、道すじの記述なんぞもっと簡略化するだろう。
だから卑弥呼の国は地理的要素、火山の畏怖とか物理的に行きにくい秘匿
が効く奥九州の隔絶した地域にあったと観る。
729太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:36:11.69
730狗奴国は名古屋:2011/12/02(金) 11:41:42.55
>>728
太い国さんよ、自分がさっき北九州と畿内は交流があったことは認めてるじゃないか。
北九州の親元は邪馬台国なわけだし、奥九州にあったとしても情報が入ってこなかったわけないでしょ。
いい加減あなたの論理展開は破綻してることを認めなさい。
素直に誤りを認めれないんじゃもはや学問じゃなく宗教だよ。
九州王朝教とでもいうべきカルト宗教に洗脳されてるだけ。
731日本@名無史さん:2011/12/02(金) 11:42:32.44
>>727
太い国さんよ、もう見てて痛々しいからいい加減

馬鹿晒して痛々しいのは
低脳カスの名古屋大学一年生。
本当に痛々しい。
732名前か無ぃ:2011/12/02(金) 11:45:15.97
pass there
733夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 11:45:41.27
別格と面白いやり取り出来そうで楽しみなんだが、馬鹿叩きも大好きという性格なんで雑魚が先だ。

>>615
学研漢和辞典くん。
てめえで日本語の至る、到るを解説し弓なりがどうのと言ってた馬鹿が今度は学者先生の引用か ワラ
その学者先生の話で十分だね。

>至は「まで」の意味、到は「着く」の意味で区別があると説く人もいる

これで十分だ。こういう区別を認める人がいるという事実がある。
陳寿はこの認識があったから使い分けた、という論が成り立つな。

俺が屑ならお前は馬鹿だ ワラ
投馬国と邪馬台国が隣接の説明も出来ない馬鹿よ ゲラ
俺と対峙しないというなら結構だね。一方的に馬鹿を証明してやろう。
734太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 11:47:13.93
だから北九州から遣使がそこを通って畿内に行くのは、当時は命がけの
ことだ。オマエのはまるで新幹線進行があるような論の立て方で、宿主
同然の考察方法ではないか。w オマエは暴言が多いが、論はまだ宿主より
少しはマシなんだから、全九州の情報が畿内に軽々と到達するような
考察は捨てなければまずい。いいか、分かったか〜?
735夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 11:50:41.63
>>629
このレスがここの連中の本質を表している。

○○に誘導したかった
九州説も畿内説もこれなのよ。
結論が先にありきで、あらゆるものをそこに誘導する。
つまり魏志倭人伝の否定とこじつけでしか成り立たない。

俺はどこにも誘導したい地はない。
フラットにならないと真実は見えないぜ。
736日本@名無史さん:2011/12/02(金) 11:51:22.29
>>726 名前:夢幻如
>不弥国=富山と断定しているわけではない。
「東行至不彌國百里」の「不彌國」は隠岐島だ。

>魏志倭人伝では「東北のどこか」までしかわからない。わかりようがない。
>頼るなら地名くらいしかない。そこから考えて有力な候補地が一つある。
>「八幡平」はちまんたい、と読むな。

邪馬臺國にしろ邪馬壹國にしろ、
その北限が北緯39度を越えることはない。
だから、 
「八幡平」に邪馬壹【臺】國 があったという説は成立しない。
737夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 11:59:39.58
>>736
水行二十日は無視ですか?
里は不確実だと何回言えばわかるのかな?
それと北緯39度を越えてはいけない理由をどうぞ。

お前さんも書き方で峻別してきた。
別格並みに楽しめそうだ。議論相手のわかりやすさを考える配慮が出来る人ならコテにしてほしいね。
738日本@名無史さん:2011/12/02(金) 11:59:42.33
>>733 名前:夢幻
>投馬国と邪馬台国が隣接の説明も出来ない馬鹿よ ゲラ

邪馬壹國は奴國と隣接しているが、
邪馬壹國は投馬国とは隣接していない。
739太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 12:05:39.98
19歳?名古屋はただいま 逃走中

〜そこへハンター
740夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 12:12:20.57
いくらでも馬鹿レスがあるから叩くとなるとキリがない。
これからも出てくるだろうから、その都度に余興を楽しむかね ワラ

>別格&736名無し
じっくりやろう。
俺はどんな突っ込みにも絶対に逃げない。
お前らも逃げずにやってくれ。

具体的話が出来なかったのは悪いと思うが、時間が限られるんだ。
ぼちぼちは許せよ。
741日本@名無史さん:2011/12/02(金) 12:22:05.29
>>737 名前:夢幻如
>>736
水行二十日は無視ですか?
水行二十日は五百里と同距離とす、故に水行十日陸行一月は千里と同距離とす。

>里は不確実だと何回言えばわかるのかな?
一里=1800尺、 一尺=24cm、 千里=432km 。

>それと北緯39度を越えてはいけない理由をどうぞ。
列島に於いて、
女王国が北緯39度を越えて存在することはない。
列島における女王酋長の南限は北緯24度。
倭人伝に於いての、女王国領域とは北緯26度から北緯39度迄。
「計其道里當在会稽東治【冶】之東」
が、北緯26度。
又、倭国領域は北緯30度から北緯39度迄。
「夏后少康之子封於会稽斷髪文身以避蛟龍之害」が北緯30度

倭人伝記述どうりに読めば上記のとうりでぁる。

742日本@名無史さん:2011/12/02(金) 12:31:41.70
上から夢幻如
743夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/02(金) 12:35:27.93
>>741
同距離とす、の根拠をどうぞ。

里は全くあてにならない。
魏の里と倭の里(倭に里の感覚はない、なんて言うなよw)が同一とも限らない。

東冶の東を指すのは邪馬台国ではなく倭国だ。

39度までの説明は理解した。
だかな、東北は気温は当時、いまより高かったという説がある。
日本最古の米も実は東北から発見されている。
39度は成り立たない。

悪い、寝る。
744日本@名無史さん:2011/12/02(金) 12:47:48.43

>>743 名前:夢幻如
>里は全くあてにならない。
>魏の里と倭の里(倭に里の感覚はない、なんて言うなよw)が同一とも限らない。

君の八幡平説は、距離も方位も無視した
夢幻如説か?
夢幻如君の邪馬台国に行き着いたということか?

>東冶の東を指すのは邪馬台国ではなく倭国だ。

東冶の東が邪馬台国の領域の一端である
と、誰が言ったんだ?

東冶の東は女王国の領域内とするが、倭国の領域ではない。
東冶の東は現沖縄であるが、
「 倭者 自云太伯之後 俗皆文身 去帶方萬二千餘里 大抵在會稽之東」





745日本@名無史さん:2011/12/02(金) 12:52:56.90
 >>744 の続き

「倭者 自云太伯之後 俗皆文身 去帶方萬二千餘里 大抵在會稽之東」
と、梁書にあるように
倭国の南端は北緯30度の種屋久島だ。

だから、
梁や隋の時代には沖縄(北緯26度)は倭国ではないから、
琉球国としての独立の道を進むのだ。

>>悪い、寝る。

ず〜〜〜と 寝ていたほうが懸命だ。
746筑紫の民:2011/12/02(金) 13:17:32.70
>>711 情報ありがとうございます。
ちなみに、当時の過去ログをみたところ、

552 : 日本@名無史さん : 2009/12/24(木) 00:12:23
ロ○○ン氏と言えば、
確か、何処かで、堂の後古墳の問題で天理大の学生達の地中レーダー探査からの推論が間違い
だということが正されただけだと力説していたような そんな気がする〜


556 : ロ○○ン : 2009/12/24(木) 00:28:34
>>552

力説してたのは、堂ノ後のほうが、ホケノ山より古い事が確定したと云うような書き込みをした伊作さん。
そうではないよ、と云っただけですよ。

この程度で書き込みは終了していた。これは、畿内説がひっくり返るくらいの情報ではないのか?
ちなみに、関係すると思える所を下に貼り付けておきます。参考にどうぞ

http://www.tenri-u.ac.jp/topics/dv457k0000002nmf.html

http://www.city.sakurai.nara.jp/bunkazai/bunkazai13.html
747日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:17:37.74
ホント馬鹿みたいな話をよく続けられるな。
邪馬台国というか、三世紀の倭国の中心は畿内でしか
有り得ないんだよ、文献解釈でも考古学でもな、既にJKだわ。
748日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:21:11.36
>>747

>邪馬台国というか、三世紀の倭国の中心は畿内でしか

そのとうりだ。
で、
倭人伝の畿内は奴国だ。
749日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:27:59.17
少なくとも九州説はどう足掻いても無駄だな、
単なる大陸、半島との玄関口という事で議論も終了。
750日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:33:55.70
>>746
これは、畿内説がひっくり返るくらいの情報ではないのか?

だから、
詐欺師畿内説としては絶対に認めることができない。
751日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:36:08.82
>>747
カス名古屋大学一年生
752筑紫の民:2011/12/02(金) 13:44:39.12
○2009年12月 堂ノ後古墳記事の概要
 国内最古の前方後円墳の可能性が指摘されていた奈良県桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳が、
 実際は5世紀後半の築造で、最古ではないことが市教委の発掘調査で分かった。

○堂ノ後古墳とホケノ山古墳の関係
 堂ノ後古墳の周濠(しゅうごう)を切り崩してホケノ山古墳が築かれた可能性のある痕跡を確認し、
 堂ノ後古墳がホケノ山古墳より古いと推定していた。

ということはだ、ホケノ山古墳と年代が連動している畿内のいろいろな古墳は年代を見直す必要が
あるのでは?(多分年代が新しくなる。)

ちなみにこに記事のくくり
「レーダー探査の結果については、考古学の専門家から「短絡的に判断するのは危険。
発掘調査して確認する必要がある」と指摘されていた。

すっごく必死さがうかがえる・・・2009年の年末は畿内説にとってまさしく危機だったのね。

そして2011年年末、またもやこれを蒸し返そうとしている >>711 あなたはすばらしい。
753日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:50:34.86

オレオレ詐欺なんて年寄がどれだけ騙されやすいかという社会実験でしかない
754日本@名無史さん:2011/12/02(金) 13:59:35.80
ここの平均年齢は40歳前後
755日本@名無史さん:2011/12/02(金) 14:08:21.51
自称若者がココの住人を爺さん扱いしているが、リアルで会ったら自分の方が不細工すぎて泣くと思うよ。
756筑紫の民:2011/12/02(金) 14:09:36.05
2009年 年末のやりとり その2

618 : 縄文人 : 2009/12/27(日) 16:27:18
だいぶ長い間留守していたが、どうやら邪馬台国は九州で決定のようじゃないか。堂の後古墳が5世紀後半か、妥
当な数字だな。これでホケノ山は6世紀となり、とすれば箸墓は6世紀後半か。今まで3世紀半ばなどといっていた
のは何の話だったのかということになる。これはいよいよ畿内説考古学者のこれまでのペテンに対する懺悔が始ま
ったと解釈していいのだろうな。ぐははは。
まあ、いつまでも世間を欺いているのはさぞやつらいことだろうて。正直なことを話して後生を軽くしておくというのは
正しい考えだ。纏向は5世紀代の宮地、倭人伝とは何の関係もない。だいたい3世紀の頃にはこのあたりは盆地湖
であったことは証明してやったではないか。畿内説はご苦労さんなことだ、御用学者を信じてさぞや悔しかろう。ぐは
はははははははははああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

↑  ↑
オモシロ。んで、下は多分反キチ(ジョーカー)
         ↓  ↓
757筑紫の民:2011/12/02(金) 14:10:19.52
622 : 日本@名無史さん : 2009/12/27(日) 18:45:45
>堂ノ後

まあこの件でこの板の九州説の連中のレベルの低さを改めて思い知ったwww

象形(鳥形)埴輪や須恵器が出る古墳を最古とするキチガイぶりw

正直いくらなんでもこの板の住人じゃなくて
ν速+あたりにスレが立ってそこから一見さんの厨房が流れ込んできたんだろうと思って
確認しに行ったよwwwwwww

もう邪馬台国を九州に持ってくる事で
いや、畿内説を否定することでアタマ イッパイ イッパイ wwwwww

日本の歴史全体を俯瞰するなんて事は
このアホ連中にはもとより脳味噌の中に無いwwwwww


>>618 縄文人
で、ハンドル元にもどしたんか?

ナンチャラ二世と言うのはもう使わないのか?wwwwww


大変な年末だったのね。
758日本@名無史さん:2011/12/02(金) 14:23:25.03
>>756
>618 : 縄文人 : 2009/12/27(日) 16:27:18

縄文人の偽者(縦目仮面)が活躍してたな。本物はどうしているのかな。
759日本@名無史さん:2011/12/02(金) 15:00:13.50
>>750

伊作が関心示さなかったんだから、バカでもガセネタだとわかるだろ。
760日本@名無史さん:2011/12/02(金) 15:10:43.97
>>752
「レーダー探査の結果については、考古学の専門家から「短絡的に判断するのは危険。
発掘調査して確認する必要がある」と指摘されていた。

で、結局何の確認もされず
うやむやにして
学問を捨てた屑教授の
必死の誤魔化しが成功した訳だ。
761日本@名無史さん:2011/12/02(金) 15:12:58.49
>>759
伊作はガセネタにしか興味を示さないからな。
762日本@名無史さん:2011/12/02(金) 16:26:18.07
今のとこ
九州説>>>畿内説>>>>>>>>北海道説>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>東北説
763筑紫の民:2011/12/02(金) 16:38:57.07
以上、今晩のネタだす。皆さん是非いっぱいツッコミしてください。
私は忘年会行ってくるばい。
764ローガン:2011/12/02(金) 16:40:54.33
>>752:筑紫の民
>○堂ノ後古墳とホケノ山古墳の関係
>堂ノ後古墳の周濠(しゅうごう)を切り崩してホケノ山古墳が築かれた可能性のある痕跡を確認し、 堂ノ後古墳がホケノ山古墳より古いと推定していた。

その「可能性のある痕跡」に基づいた「推定」は発掘調査により、アッサリ否定されただけ。
君、その記事を読んだだけで、全然わかってないでしょ?
普段はマスゴミとか揶揄するくせに、こんなのは都合の良いとこ取りをして…(笑)
裏を取ってご覧なさい。
765日本@名無史さん:2011/12/02(金) 16:56:24.38
>>763
いってらっしゃい。飲酒運転に気をつけるとばい
766日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:01:08.83
>堂ノ後

『普通の人間の思考』
 元々堂ノ後に与えられていたのは相対年代
 今回のような形である遺跡の年代が間違っていたと言うのなら
 その遺跡の年代を全体の中で動かす(ソートし直し)

          →→→→→→→
         .↑         ↓
 ( ´_ゝ`)コウカ ●○○○○○○  ○○ 


『ゴミクズレベル九州説』脳の考え方
 何故か以前の順番(編年)だけは生きていて一気に全体の年代を下らせる

 <`Д´>オリャァァ!     →→→→●○○○○

定型化された大型古墳の出現も下手すれば6世紀。
その出現をもって古墳時代の始まりとするなら

 「古墳時代の始まりは6世紀(どんなに早くても5世紀後半)」by ゴミクズレベル九州説

もう、なんでもありやねゴミクズレベル九州説
もはや邪馬台国が堂ノ後(どうのこう)のというお話ですらない。

つうか現在このネタに食いついているのは 筑紫のド民 だけか?
767日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:10:47.73
>>721 夢幻の東北邪馬台国
>俺は傍若無人キャラで長いこと2ちゃんやってきたあるコテだ。

「へへへっオレサマは2ちゃんでは有名なコテだったんだぜ!」
…とか粋がって厨房ぶり丸出しだな低脳ゴミクズ。

と言うか2ちゃんで袋叩記されるのは大抵そう言う奴だと思うが(苦笑
(そうやって自滅していったコテなら自分も幾つか知っているが)

結局お前の「すなお読み」が従来の説に対してどれ程のアドバンテージを持つのか?
最初にてめえが広げた大風呂敷ほどの優位性が何処にあるのだ?阿呆。

例えば
方角はあてにならないとして日本海側を行き当て字で投馬=富山と言うのなら
瀬戸内ルートで投馬を「鞆(とも)の浦」とした場合と何処がどう違うのだ?

結局のところお前の説の優位性とは東北中をくまなく掘り返して邪馬台国を見つけて
そのとき初めて証明される程度のお話。

それとも現行で東北に邪馬台国を求めるに足る考古資料でもあるというのなら
遠慮しないで出してもらっても構わないぞ?

まあ北陸でも邪馬台国ブーム華やかりしころ
能登説(能坂利雄)、中越説(桐生源一)…とかがあったらしいから、東北とて探せばあるんだろうが
何の事はない、お前のお話も最大評価して過去にもあった「畿内でも九州でもないその他の説」のワン・オブ・ゼム。

「暗号解読ゴッコ」と言う前世紀の遺物。
768日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:11:57.87
そもそも、堂ノ後古墳が、なんでホケノ山より古いと
以前言われていたのか知りたいね。
かなりテキトーに比定してたんだろうかね。
769日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:12:31.33
wwwもう言ったモン勝ちの世界になっとるな
こうやって九州説はどんどんと学問から乖離し
2chは気違いお茶会の様相をていしていくわけだ
770日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:14:30.21
>>769
いや流石にこんな与太を飛ばしているのは
ここ2ちゃんやネットでのゴミクズレベル九州説であって

まともな脳味噌持った九州説の人間ならこんな恥ずかしいことはいわんだろうw
771ローガン:2011/12/02(金) 18:21:21.43
>>768
2005年11月04日 (朝日新聞) 以下コピー
『「発見」の主役となった歴史研究会は、考古学好きの学生たちでつくるサークル。一帯の古墳群の未調査の古墳を調べようと、ここ数年レーダー探査を続けてきた。
 しかし同研究会は、これまで大きな成果を得られず、今回の探査結果も4、5両日の学園祭でのパネル展示に合わせて、数週間前から整理を始めたところだった。
 そのうち、赤や黄で地中の様子が示されたレーダー探査の断面図を見ていた文学部3年の岩城圭吾さん(20)が「堂ノ後の墳丘が削られ、そこにホケノ山の周濠ができてる」ということに気付いた。
 データは、堂ノ後の方がホケノ山より古いことを示していた。研究会顧問の置田教授は「信じられないような結果だが、間違いはない。今後も調査を続ける」と話す。』
772おてもやん好みのキリタンポ:2011/12/02(金) 18:25:28.05
弥生時代の奈良個ネタはジョーカーら畿内説の連中にとっては鬼門らしいな。地質についての知識もないくせに
反論を試みてはいるがいずれも感情論の域を出ない。

西田氏グループの調査は天理市の朝和地域(ほぼ桜井線の柳本〜長柄を結ぶ線から田原本町方向へ1kmほどの幅)
に限られているが、この地域は縄文時代から弥生時代にかけて沼沢地であったことが判明している。

従来の知識では奈良盆地中央部は河川の氾濫によって作られた扇状地とされていたが、その河川の氾濫によって作
られた扇状地は湖の消失後に出来たものであることが(上部)黒色炭質粘土層(100cm前後)の上に上部砂層
(50cm前後)および上部砂質粘土層(50cm前後)が存在することで分かる。

地形の変化(沈降や隆起)が有り得るので弥生時代の朝和地域が標高50〜70mであったかは分からないが、この地域
が盆地中央部で特に低地であったとは考え難い。他の地域について同様のボーリング調査が行われれば恐らく湖沼底で
あった証拠の黒色炭質粘土層が確認されるであろう。

773日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:26:50.90
>>721
>夢幻如

カッコイイ
潔く撃沈してなよ
774日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:33:50.05
>>772

奈良盆地の中央近くでも弥生遺跡が出てるんだから、
そんなにムキになっても無意味だよ。

黒色炭質粘土層の調査なんて面倒なことしなくても、
奈良盆地の弥生遺跡を自分で拾い上げてみなよ。
で、どこに湖があったのか、町名を指し示してみなよ。
775日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:38:13.05
>>771

うん、当時の議論も知ってるけど、その論拠だと、
堂ノ後古墳が5世紀後半で、ホケノ山がその後。
箸墓は更にその後っていう事にならない?
776日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:39:23.56
>>772 縄文人
>他の地域について同様のボーリング調査が行われれば恐らく湖沼底で
>あった証拠の黒色炭質粘土層が確認されるであろう。

ゴミクズレベル九州説のいつもの予言、ホレホレ詐欺かwwwwww

ところで、暫くはご当地グルメシリーズのステハンで行くつもりなのか?w

まあ俺は地質学についての知識はないから、その分野でお前の予言が当たって

「弥生時代奈良盆地は巨大湖に覆われていた!」

と言うのがデフォになってから考えさせてもらうわw



777日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:47:01.81
しかし縄文人がこうやって盆地湖ネタに執念を燃やすのは
こいつが土木関係の仕事をやっているという話が昔あったが

だから自分の専門分野だからこそ譲れない…という思いがあるのかもしれないwwwwwwww
778日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:49:19.90
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html

なんどか出てきていると思うが、わかり易い解説があったので。
このHPのしたの方に奈良湖のことが載ってる。
779日本@名無史さん:2011/12/02(金) 18:49:33.81
狗奴国は、中古音でコノ国とよぶ。
山城国風土記逸文にある、許乃國(コノ)のことだよ。

ここは、武埴安彦命の領国だったところ。
つまり、狗奴国の乱とは、武埴安彦命の乱ことだ。
780別格の論客:2011/12/02(金) 19:00:09.50
>>740
>俺はどんな突っ込みにも絶対に逃げない。
いいね。期待してるよ。

>お前らも逃げずにやってくれ。
オフのコース。
小細工・まやかし・論拠ねつ造なし。
そらし・かわし、揚げ足・言葉尻なし。
掲示板特有爾の駆け引きテクニックなし。
互いに潰されても逆恨みなしといこう。

例のコンチキ図の件だけど。
倭人伝が何と書こうが、間違いだろうが問題ではないんだよ。
中国人の地理認識では日本列島は南北に沖縄のほうに延びていたが、
実際に倭国を訪れた中国人たちは東へ向かった。
ここんとこが理屈に合わないことは自覚できているのかい。

それから。俺はここで「伊作」を名乗っていたが、
偽物やなりきりが出たんでそのハンドルやめた。
カジュアルな対話なら俺も苦手じゃない。ま・そこそこにたのむ。
781別格の論客:2011/12/02(金) 19:04:43.09
>>740
ここにツラ出す奴らの大半は、
取り巻き群集の中に姿を隠してヤジるようなのと、
少し離れた所にある電柱の陰で吠える犬のような奴ばかり。
この手合いは、踵をかえして背中をむけると、無那珂に向かって吠える。
そんなタコどもを相手にしても時間の無駄だよ。
782別格の論客:2011/12/02(金) 19:06:09.51
無那珂に向かって吠える。
↓↓
背中に向かって吠える。
783日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:12:27.44
>>778

飛鳥時代に奈良湖があったと書いてるな。
784日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:16:57.32
 発 者 同         . 。_   ____           争
 生 同 .じ     .    /´ |  (ゝ___)          い
 .し 士 .レ      .__/'r-┴<ゝi,,ノ   ro、      は、
 .な で .ベ      ∠ゝ (ゝ.//`   ./`|  }⌒j     
 .い し .ル        } ⌒ /`ヽ、_∠l,ノ ・ヽ´
 .! ! か の       /  ´..:.} >、、___,  .r、 ソ、`\
             /   ..:.:.}   /   |∨ ` ̄
            /   ..:.:./    |   丶
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        ./..:.:/|.:/   {.:./     X.:.:}.}   X X
        /..:.:/ .}.:|    }:/       .Y丶ヽ  Y.:Y
  . __/.:/ { }  《.〈、     _,,__>.:》丶   Y.:\
  /.:.:.:.:.::/   !.:.:ゝ  ゝ.:. ̄ヾ ´:.:.:.:.:.:.:.:.:ヾゝ   \.: ̄>
785日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:21:09.91
【隔離推奨の毒電波】 ※次スレからテンプレに入れること。

・ジョーカー【アンチ九州】文献知識× 考古知識△ ディベート力× 人間性● 自演バレバレ度★★★
・サイキバ【アンチ畿内】文献知識× 考古知識△ ディベート力× 人間性× 祭器場度★★★

●誘導先:http://toki.2ch.net/tubo/
786日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:21:36.47
まあ結局、一村一品運動みたいなもんだなw
787日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:22:44.36
♪ 一つ一つが オンリーワン〜 

788日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:24:20.31
驚愕のニュース
現インドネシアの古代墳丘墓でから三国時代の金印発見「親呉蘭王」

http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1322044839/
789日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:32:39.32
>>783
京都の巨椋池とか割と最近まであったそうだしねえ。

奈良湖も飛鳥時代に小さいながら残っていたのかもしれないね。
790日本@名無史さん:2011/12/02(金) 19:51:40.65
そんな事実はないけどね。
791日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:44:18.36
>>781
お前がな
792日本@名無史さん:2011/12/02(金) 20:54:33.75
反日ネット工作会社
会社概要http://www.digiadv.co.jp/about_us/profile.html デジタルアドベンチャー
役員
代表取締役社長 矢島 重比古
代表取締役副社長 ペ・ソンウン
取締役副社長 蛭田 達朗
専務取締役 イ・ミョンハク
取 締 役 角   猛
取 締 役 シン・ピルスン
取 締 役 ヤン・グンファン
793ローガン:2011/12/02(金) 21:09:51.72
>>775
>うん、当時の議論も知ってるけど、その論拠だと、堂ノ後古墳が5世紀後半で、ホケノ山がその後。箸墓は更にその後っていう事にならない?

須恵器出てるんで無理ですな。後先は動かない。
件のレーダー探査からの解釈が正しいとすると、後世のある時期、ホケノ山周濠に人の手が入ったと捉えるのが妥当。
794日本@名無史さん:2011/12/02(金) 21:29:12.73
>>774
もうその答はでているよ。

593 :尾張のうみゃ〜もん赤味噌仕立担々麺:2011/12/01(木) 18:21:15.69
>>580
弥生時代の奈良盆地が湖だったと言うと一面に広がる湖水を想像する人達が大部分でしょう。ところがどっこい、
島状に湖水面から浮き出た所もあり半島状に山裾から突き出た所もあったようです。人々は筏で行き来できたで
しょう。そのような島状地や半島状地の周囲は水田として利用できますから人が住み着くようになり、唐古・鍵
などの弥生遺跡が残されたのでしょう。
795旧帝大歴史学徒:2011/12/02(金) 21:47:54.91
兵庫県三日月町の大型放射光施設「スプリング8」を使用して、
三角縁神獣鏡は、一部が卑弥呼時代の中国の青銅鏡と銅の成分が
ほぼ一致することが、微量元素の含有比測定で判明しており、
泉屋博古館所有の三角縁神獣鏡8枚中6枚は3世紀の中国の青銅鏡と
近い測定値を示しており、また魏の工房で作られたことを示す、
「尚方」の銘も三角縁神獣鏡の中から見つかったので、一部は
魏からの下賜品の可能性が高い。その下賜品を元に国内で三角縁神獣鏡を国産。

と三角縁神獣鏡について少し調べた結果こうなりました。
三角縁神獣鏡の観点からは九州説では極めて苦しいです。
普通に巻向政権が魏から下賜された鏡を国産して配布したと
考えるほうが自然ですので。九州説だと、筑紫女王国が
マキムク政権にも属し、魏からも冊封されていたという二重支配体制で、
マキムク政権に参加していた筑紫女王国の王族に鏡を渡し、
その王族が椿井大塚山古墳の被葬者で同范鏡を各地に配布して、
マキムク政権内での地位向上をはかったとかなり想像を働かし
つじつまをあわせないといけなくなりますw
796日本@名無史さん:2011/12/02(金) 21:48:08.60
>>794
都合の悪い遺跡は地盤沈下で今の標高に

…このネタのゴミクズレベル九州説の与太理論。

まあムーあたりに投稿してください・・・ってお話だなw
797日本@名無史さん:2011/12/02(金) 21:52:10.14
カスクズの畿内説論者には糞でも喰らわせてやれ
798日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:02:12.92
>>795 名古屋

先ずスプリング8による青銅成分については
その比較に用いた大陸出土の銅鏡の由来をはっきりさせて欲しいな。
魏の領域か呉地かで話は違ってくる。
無論、できれば魏代の洛陽で出たものがベストだろうが多分そんなものはないと思うが

あと「尚方銘」についても「尚方」と「右尚方」の銘では意味が違ってくる。
より官製ということをはっきりさせた地のであれば「右尚方」銘。
ここは真っ先に突っ込まれるぞw

799旧帝大歴史学徒:2011/12/02(金) 22:03:41.43
>>734
太い国さんよ
>全九州の情報が畿内に軽々と到達するような
考察は捨てなければまずい。いいか、分かったか〜?

北九州と畿内が交流あったことは認めてるんだから
これはないでしょw伊都国には邪馬台国から派遣した
一大卒もいるんだし、奴国も邪馬台国の勢力下にあったんだし、
九州に邪馬台国があったなら邪馬台国の情報が畿内に入ってこなかったわけがないでしょ。
それにあなたの言うような僻地にもないよ。腐っても女王のいる都で
奴国の3.5倍もの人口がいるんdなし、九州で最も人口密集地じゃないとね。
800唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/02(金) 22:04:05.20
戦前の新潟の潟での稲作は、胸までつかる潟である。
潟≒湖=水田。
大豊作だあ〜な。
801日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:10:11.59
>>795

いまどき、こんな幼稚な議論をしているようでは話にならない。
原料を輸入したってだけのこと。

  まあ畿内説は、相変わらず詐欺だってことだけどなw
802唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/02(金) 22:15:41.13
ホ32148 コホのナツ アメヨソカふり ヤマシロダ アワウミあふれ タもミモチ 
ナゲキつぐれば いのらしむ ... ミナツキソムカ ヲコナヒは ミモムソうたひ
ヲシグサに イタミもなをる マモリもて タにぬかづけは よみかえり 
やはりわかやぎ ミヅホあつ タミカテふゑて にきはえは

大雨で、湖面が広がっても、養分の補給で、結果は豊作。
803日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:26:50.59
>>795
このネタも、何年か前に一論争やって、
終わった話ではなかったかな。

記憶があやふやだが、

微量元素がそれぞれ、銅原料由来のものと、
スズ原料由来のものがあり、

銅やスズの産地で決まるのではなく、
銅とスズの合金比率で決まる。

つまり、スズの多い、硬い青銅にすれば、スズ由来の微量元素が増え、
柔らかい銅を多くすれば、銅由来の微量元素が増える。

つまり、合金比率を表しているのにすぎない。

だったとおもう。
804太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 22:26:51.39
>>799
北九州の遣使の交通路幅あたりには女王国はないんだから、当然畿内に
女王国の情報が来なくてもおかしくはない。
いくら女王国辺の国が北九州にあったとしても、女王国は隔絶した
奥九州あたりに存在したんだから、この情報を知ってるのは北九州の
国々でも少々の一部人だ。遣使にしゃべらなければ畿内に情報は行かず、
よもや行っても、女王国は遠い奥九州の田舎の国であり、そんな遠国の
女王国と交易のない畿内朝廷が「ああそんな国があるのかね」と言う
位が関の山だ。そんな国の情報は付き合いがないため記紀に書くものも
なかったということだな。なにもおかしい所は無い。

鏡の金属の組成が大陸だとしても、そんな物は大陸人が畿内に来るときに
その金属を運んでくれば、日本製の鏡となる。畿内には鏡作神社の社記
からも鏡作がいたわけであり、完成品そのものが大陸だとは言い難い。
805日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:29:55.48
長門市と奈良の鳥見で決まりだろ
卑弥呼は行ったりきたりしてたんだ
806太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 22:30:10.78
ほ〜ら、偽書といわれる書物を持ち出した〜と、
コチラを口撃していた男が〜

〜偽書といわれる書物を持ち出した〜〜




807日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:30:21.99
おそらく、三角縁神獣鏡の中国人デザイナーがいたはずだが、
日本の材料でも、そのデザイナーの言好みの合金比率にすれば、
中国鏡と同じような微量元素比率になるということ。
808日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:39:54.65
>>805
>奈良の鳥見

富、登美…か

またピンポイントだなwwwww
809日本@名無史さん:2011/12/02(金) 22:50:34.24
>>743
夢幻如ってどういう意味?
「夢まぼろしの如くなり」なら、「如夢幻」なんだがなあ。
810日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:07:45.11
>>809
夢幻如というのは山芋と同じ科のつる性植物である。芋の部分の形はつくね芋に似るが食味は不快である。
山に入った人がたまたま自然薯を見つけたと喜んで掘り出してみるが、結果はぬか喜びで終る。故に夢幻如
と呼ぶ。如は薯の当て字。
811日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:08:23.03
>>793
〉須恵器出てるんで無理ですな。後先は動かない。

須恵器は5世紀以降なので、堂ノ後古墳が5世紀以降なのは
矛盾しませんよね。


Wikipediaより

須恵器(すえき)は、日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器(b器)である。
青灰色で硬い。同時期の土師器とは色と質で明瞭に区別できるが、
一部に中間的なものもある。5世紀に朝鮮半島南部から伝わり、
土師器より高級な品として扱われた。

812唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/02(金) 23:11:46.78
>女王国は隔絶した奥九州あたりに存在したんだから、

魏使は訪れていない。
よって、九州王朝は存在しないと証明できた。
813唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/02(金) 23:18:13.51
纏向3類(前) 庄内3式期末  ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡・鉄器 埴輪(穴あき壺,庄内3式) 
前半の建物跡を土盛り(土地は乾く=ヒ)と整地(シロ)をして中期の大型建物。
纏向3類(中) 廻間II初頭 多孔銅鏃と東海土器の分散
纏向3類(後) 九州北部に庄内式土器(纏向3類)
814太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/02(金) 23:29:03.62
>>812 猿の惑星論者よ
       ↓
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kyusyune/koga0201.html
815筑紫の民:2011/12/02(金) 23:31:31.83
@堂ノ後古墳とホケノ山古墳の濠は、重なり合っており、ホケノ山古墳の濠が堂ノ後古墳の濠を切っていることが、
 レーダー探査などでわかった。また、堂ノ後古墳は現状では35メートルほどの円丘であるが、径は50メートル
 ほどあって前方後円墳の可能性もあることが分かった。

@に対抗していると思われる記事が下記

Aホケノ山古墳の周濠も完周していなかった可能性もあり重複していたかどうかは疑問」との声も多かったのです。
 そして2009年に範囲確認を目的に桜井市教育委員会で調査が行われ墳丘南側にトレンチを設定しトレンチ東端で
 前方部が確認され葺石が原位置を留めない状態で転落していました。又周濠(深さ0.4〜0.65m)からは埴輪や
 須恵器等が出土しこれらの出土遺物から築造年代は5世紀後半と考えられ一時提起されたホケノ山に先行するという
 考えは完全に否定されました。

なんじゃこりゃ〜?この考えは完全に意味不明ですよ。

この、天理大学の「レーダ探査」が「完全に間違っている」という根拠は何度も検索したが未だ不明。

このままでは、今年の暮れも<畿内説の危機>ばい。
816唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/02(金) 23:32:29.73
>女王国は隔絶した奥九州あたりに存在したんだから、
>そんな物は大陸人が畿内に来るときにその金属を運んでくれば、日本製の鏡となる。

洛陽から”魏使が畿内を訪れる”は、”呉から鏡を畿内に運ぶ”より簡単である
隔絶した女王国を畿内が訪れることは不可能である。=魏使が訪れることは不可能である。

817日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:32:41.82
奈良湖(大和湖)が存在してたら何か不都合なことでもあるのかね?
わしゃ大阪住みの畿内説じゃが別に構わんじゃろ?大和湖があっても。
橿原考古学研究所はことあるごとにこの湖の存在を無かったものにしたがるようじゃが、
別にあっても畿内説は揺るがんよ。何を怖がっとるんかのう?橿原考古学研究所は。
818日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:36:28.30
地質調査では5世紀の堂ノ後古墳が先でホケノ山古墳があと。
そして、それを否定する材料は無い。

ということですね。
819日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:37:03.12
「2chネラーは高齢で低学歴、低収入」
http://news.livedoor.com/article/detail/6081001/
820日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:41:12.94
要するに畿内は農地拡張のための単なる入植地であって、
住み心地よりも収穫増のため開拓された、辺境の地だったということだ。
821筑紫の民:2011/12/02(金) 23:41:13.72
>>818 そういうことです。
なので、ホケノ山古墳の年代は新しくなるし「年代上肩を並べる古墳も新しい年代になる」
ということですね。

さらに言えば、九州の3世紀の古墳と言われるもの・・・これが畿内古墳と年代が連動していなければ…
あれ?前方後円墳の元祖は・・・九州?・・・これは、もちっと勉強してきますけん
822日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:47:52.12
>>815

君の理解力が足らないだけだよ。

そんなにすごいことだと思うのなら、邪馬台国の怪にでも報告したら?
823日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:49:36.77
>>821

いいぞ。もっとやれ。

伊作が食いついてきて、ブログにでも書くようになればしめたものだ。

思いっきり笑わせてもらう。
824筑紫の民:2011/12/02(金) 23:50:15.52
そろそろ、畿内説のための夜間警備保障ウルトラ警備課係長補佐代理が出てきそうだな・・・

お・や・す・み・な・さ・い
825日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:53:34.74
>>823

そう言えば 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 は例の高島の「纏向の建物は5世紀」と言うネタはブログに載せたのかな?w
まああんなネット上に腐るほどあるブログじゃあ面白みにかける。

『邪馬台国の怪』あたりでぶっ放してくれないかなあw   
826日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:04:08.35
>>822
筑紫のド民 やその他のゴミクズレベル九州説の白痴レベルに理解力を求めても無駄。

まあ分かっていて釣りでやっている可能性もあるがマジで理解してないポイwwwwwwwww

このニュースが2009年末だったか、ゴミクズレベル九州説の脳内では悪のキナイセツが完全に隠蔽に成功したってストーリーなんだろうなw

堂ノ後が5世紀後半
ホケノがそれよりやや新しくて
箸墓はそれらより古いと言うことはない。

「古墳時代は6世紀から」と言うキチガイレベルお話。

が、元々九州王朝説的な考えを持つ連中にとっては「そんなの関係ねえ!」なんだろうなwwwww
827日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:07:05.68
>>776
>まあ俺は地質学についての知識はないから、その分野でお前の予言が当たって
>「弥生時代奈良盆地は巨大湖に覆われていた!」
>と言うのがデフォになってから考えさせてもらうわw

要するに降伏宣言をするわけだな。自然科学に疎い君らが地質関係で議論しても敵う相手ではないな。
ここで身を引くのは賢明な判断だろう。
828日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:12:05.90
>>827

降伏したいわけですね。わかります。
829日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:12:54.53
>>827
自然科学ねえ…w
都合が悪くなったら「地盤沈下した」なんていったらもう何でもありだゴミクズ。

それとも「地盤沈下はなかった」と言う「悪魔の証明」のようなものをこっちがやらなきゃならんのかね?ゴミ。

そんなものはもはや科学でもなんでもない。







830筑紫の民:2011/12/03(土) 00:13:30.72
2009年 年末のやりとり その2

618 : 縄文人 : 2009/12/27(日) 16:27:18
だいぶ長い間留守していたが、どうやら邪馬台国は九州で決定のようじゃないか。堂の後古墳が5世紀後半か、妥
当な数字だな。これでホケノ山は6世紀となり、とすれば箸墓は6世紀後半か。今まで3世紀半ばなどといっていた
のは何の話だったのかということになる。これはいよいよ畿内説考古学者のこれまでのペテンに対する懺悔が始ま
ったと解釈していいのだろうな。ぐははは。
まあ、いつまでも世間を欺いているのはさぞやつらいことだろうて。正直なことを話して後生を軽くしておくというのは
正しい考えだ。纏向は5世紀代の宮地、倭人伝とは何の関係もない。だいたい3世紀の頃にはこのあたりは盆地湖
であったことは証明してやったではないか。畿内説はご苦労さんなことだ、御用学者を信じてさぞや悔しかろう。ぐは
はははははははははああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。

↑  ↑
オモシロ。んで、下は多分反キチ(ジョーカー)
         ↓  ↓

831筑紫の民:2011/12/03(土) 00:14:14.54
622 : 日本@名無史さん : 2009/12/27(日) 18:45:45
>堂ノ後

まあこの件でこの板の九州説の連中のレベルの低さを改めて思い知ったwww

象形(鳥形)埴輪や須恵器が出る古墳を最古とするキチガイぶりw

正直いくらなんでもこの板の住人じゃなくて
ν速+あたりにスレが立ってそこから一見さんの厨房が流れ込んできたんだろうと思って
確認しに行ったよwwwwwww

もう邪馬台国を九州に持ってくる事で
いや、畿内説を否定することでアタマ イッパイ イッパイ wwwwww

日本の歴史全体を俯瞰するなんて事は
このアホ連中にはもとより脳味噌の中に無いwwwwww


>>618 縄文人
で、ハンドル元にもどしたんか?

ナンチャラ二世と言うのはもう使わないのか?wwwwww

832筑紫の民:2011/12/03(土) 00:16:47.00
んで、今年2011年・・・いまだ根拠見当たらず・・・
そして畿内説連の遠吠え・・・

今年の年末も楽しいばい。
おやすみ、<畿内説ウルトラ警備保障係長補佐代理の反キチ君>
833日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:18:07.15
>>830 筑紫の┣¨民
>縄文人
>これでホケノ山は6世紀となり、とすれば箸墓は6世紀後半か。

もうヤケノヤンパチもいいところだなw

定型化された大型古墳の出現を古墳時代の始まりにするなら
古墳時代は6世紀半ばから

こんな年代観はそもそもこの日本の過去にもなったろう?

一体ゴミクズレベル九州説って何処の国の人間なんだ?w



834日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:18:58.36
まあ現状、九州説はバテて下がる一方の逃げ馬で
追い込んだ畿内説がちぎっているところだからな
その差は10馬身以上で逆転はあり得ない
835日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:24:56.83
>>797
>件のレーダー探査からの解釈が正しいとすると、後世のある時期、
ホケノ山周濠に人の手が入ったと捉えるのが妥当。

そんなことするアホいないっしょ。
836日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:28:07.77
またジョーカーが、ゴキブリみたいに出てきて、糞尿をまき散らしてるな。
深夜だというのに、はした金で雇われて畿内説の番人やってるのかw
837日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:29:55.96
↓ ハイ、ジョーカーさん、どうぞ!!
838日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:30:37.50
>>830
>縄文人
>だいぶ長い間留守していたが、どうやら邪馬台国は九州で決定のようじゃないか。堂の後古墳が5世紀後半か、妥
>当な数字だな。これでホケノ山は6世紀となり、とすれば箸墓は6世紀後半か。今まで3世紀半ばなどといっていた

…しかし改めて見るとこの 縄文人 というのが如何に馬鹿と言うか気違いなのかというのが良く分かるな。

もう正気じゃない。

邪馬台国云々のお話ではない。


839日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:32:27.03
縄文人は高卒か高校中退の機械工
840日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:33:21.34
しかし縄文人いまだに盆地湖ネタに固執してるんだなあ…w


841日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:39:16.52
>>838
>縄文人
>とすれば箸墓は6世紀後半か。

6世紀後半…
もう蘇我馬子とか聖徳太子の時代だがw
推古の即位が592年

ゴミクズレベル九州説にかかれば現在の教科書の年表も全面改訂だなw


842日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:42:44.62
脱原発デモの正体
ttp://blog-imgs-37-origin.fc2.com/h/o/r/horo346/panflash00045313.jpg
2011.9.11在特会に抗議しようとした在日脱原発デモ参加者逮捕の瞬間
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15581020
843日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:46:13.88
>>839
19歳名古屋がゴミクズレベル九州説に馬鹿受けしているのは学歴ネタでコンプレックス刺激しているのもあるのかもしれないがw

ここのゴミクズレベル九州説の気違い振りはもう学歴とか関係の無いレベルだろう。

ぶっちゃけ中卒だろうが小卒だろうが自分なりにでも学習すれば
こんなゴミクズレベル九州説のようなトチ狂ったことは言わない。

まして今じゃネットその他で情報を集める手段には事欠かないのだから。

もう根本的な知能知性の欠陥に由来するとしか思えないwwww


844日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:49:06.96
根拠のある反論でないね。
もうちょっと見てようかね。
845日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:51:21.82
421 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2011/11/20(日) 15:50:26.87
昨日、奈良文化会館で邪馬台国講演会が有った。雨にもかかわらず会場がほぼ
満席になったのには驚いた。しかもジジィ、ババァばっかり。いささか近畿ら
しく礼儀知らずの、クソジジィ、クソババァのオンパレードだった。今の邪馬
台国ファンというのはこんな年寄りどもばかりらしい。
近畿説と九州説を真正面から聞こうということで、近畿説は総大将ともいうべ
き白石太一郎氏、九州説は言わずと知れた高島忠平氏を招いて両説の邪馬台国
論を展開して頂いた。しかしながら白石氏は従来どおりの目的論で邪馬台国は
近畿(もっというと大和)と決め付けて考古学の発掘実績を解釈するという論法
なのに対して、高島氏は逆に考古学的発掘を積み重ねて帰納的に九州説を証明
しようとしていた。どちらが学者として良心的かは明白で高島氏の勝ちだと私
は感じた。
ひとつ大事な発表があった。高島氏が近畿説の批評として発言されたことだが、
2年前に巻向で発見され話題を呼んだ木造大建築物は実は邪馬台国の時代のもの
ではなく、200年ほど後の5世紀のものであるということである。当時、近畿説
びいきの関西マスコミが舞い上がって先走り報道をしたので、すっかり邪馬台
国当時のものと誤解されているが(近畿説の者どもはひたかくしに黙りこくって
いるが)、実は柱と柱の間隔や縦横の柱の立て方は5世紀の立て方なのだそうで
ある。近畿説の奴らの薄汚さというものはどうにもならないね
846日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:54:34.74
畿内の古墳時代は六世紀から

九州王朝マンセー!!!!!!!!!
847日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:56:41.92
もはや、ただの荒らしでしかないな>九州説
848日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:10:36.98
まあ、論理的な思考能力があれば九州説なんてやってられないしな

生きた見本→筑紫の民、縄文人
849日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:18:14.37
自分は地質の専門家だ!って必死な人がいるけど
だったら2ちゃんなんかでうだうだ言ってないで
学術雑誌に論文を投稿すればいいと思う









ほんとに専門家ならねw
850日本@名無史さん:2011/12/03(土) 01:46:38.07
>>847
つうかもうこう言うレベルでしか生息できないんだろう
851日本@名無史さん:2011/12/03(土) 02:04:07.61
定期的に「畿内説は詐欺」と連呼するやつが現れるけど
九州説の方がよっぽどおかしな主張をしているんだよな
ま、それに気づくことができる知能を持っていれば
九州説なんぞにだまされることもないか…
852日本@名無史さん:2011/12/03(土) 02:50:20.49
>>851
と言うか邪馬台国ブームの中で随分変質したんだと思うよw

良く邪馬台国論争を江戸時代や明治以来で一括りにして語られることが多いけど
ブーム時のものはコマーシャリズム・センセーショナリズムに相当流された感じ。

無論その時代の寵児だったのが 古田・安本 両巨匠とwww
853日本@名無史さん:2011/12/03(土) 02:50:54.77
いつも思うけど、日本史板じゃなく考古学板でやらないと、考古学板の意味ないと思う
854日本@名無史さん:2011/12/03(土) 02:54:20.87
>>853
でもローカルルールに邪馬台国ネタは日本史板へと書いてあるからなあ

>●邪馬台国など歴史書・古文書(記録)を中心とする話題は ⇒日本史 世界史

855日本@名無史さん:2011/12/03(土) 02:55:52.59
>>851
>定期的に「畿内説は詐欺」と連呼するやつが現れるけど

それはサイキバと言って常駐している人です
856日本@名無史さん:2011/12/03(土) 03:17:49.54
>>851
>定期的に「畿内説は詐欺」と連呼するやつが現れるけど

自分で議論に加わらず、電柱の陰から叫んでるやつか。
857筑紫の民:2011/12/03(土) 06:00:02.55
昨夜のおさらい
○2009年12月 堂ノ後古墳記事の概要
 国内最古の前方後円墳の可能性が指摘されていた奈良県桜井市の堂ノ後(どうのうしろ)古墳が、
 実際は5世紀後半の築造で、最古ではないことが市教委の発掘調査で分かった。
○堂ノ後古墳とホケノ山古墳の関係
 堂ノ後古墳の周濠(しゅうごう)を切り崩してホケノ山古墳が築かれた可能性のある痕跡を確認し、
 堂ノ後古墳がホケノ山古墳より古いと推定していた。
ということはだ、ホケノ山古墳と年代が連動している畿内のいろいろな古墳は年代を見直す必要が
あるのでは?(多分年代が新しくなる。)
ちなみにこに記事のくくり
「レーダー探査の結果については、考古学の専門家から「短絡的に判断するのは危険。
発掘調査して確認する必要がある」と指摘されていた。
↑  ↑
上記に対し下記反論
    ↓   ↓
764 :ローガン:2011/12/02(金) 16:40:54.33
>>752:筑紫の民
その「可能性のある痕跡」に基づいた「推定」は発掘調査により、アッサリ否定されただけ。
君、その記事を読んだだけで、全然わかってないでしょ?
普段はマスゴミとか揶揄するくせに、こんなのは都合の良いとこ取りをして…(笑)
裏を取ってご覧なさい。

さらに下記

858筑紫の民:2011/12/03(土) 06:08:03.02
793 :ローガン:2011/12/02(金) 21:09:51.72
>>775
>うん、当時の議論も知ってるけど、その論拠だと、堂ノ後古墳が5世紀後半で、ホケノ山がその後。箸墓は更にその後っていう事にならない?
須恵器出てるんで無理ですな。後先は動かない。
件のレーダー探査からの解釈が正しいとすると、後世のある時期、ホケノ山周濠に人の手が入ったと捉えるのが妥当。
↑  ↑
上記に対し下記
   ↓  ↓
815 :筑紫の民:2011/12/02(金) 23:31:31.83
@堂ノ後古墳とホケノ山古墳の濠は、重なり合っており、ホケノ山古墳の濠が堂ノ後古墳の濠を切っていることが、
 レーダー探査などでわかった。また、堂ノ後古墳は現状では35メートルほどの円丘であるが、径は50メートル
 ほどあって前方後円墳の可能性もあることが分かった。

@に対抗していると思われる記事が下記

Aホケノ山古墳の周濠も完周していなかった可能性もあり重複していたかどうかは疑問」との声も多かったのです。
 そして2009年に範囲確認を目的に桜井市教育委員会で調査が行われ墳丘南側にトレンチを設定しトレンチ東端で
 前方部が確認され葺石が原位置を留めない状態で転落していました。又周濠(深さ0.4〜0.65m)からは埴輪や
 須恵器等が出土しこれらの出土遺物から築造年代は5世紀後半と考えられ一時提起されたホケノ山に先行するという
 考えは完全に否定されました。

なんじゃこりゃ〜?この考えは完全に意味不明ですよ。

この、天理大学の「レーダ探査」が「完全に間違っている」という根拠は何度も検索したが未だ不明。

このままでは、今年の暮れも<畿内説の危機>ばい。
859筑紫の民:2011/12/03(土) 06:24:33.09
その他の書き込み
811 :日本@名無史さん:2011/12/02(金) 23:08:23.03
>>793
〉須恵器出てるんで無理ですな。後先は動かない。
須恵器は5世紀以降なので、堂ノ後古墳が5世紀以降なのは 矛盾しませんよね。
Wikipediaより
須恵器(すえき)は、日本で古墳時代から平安時代まで生産された陶質土器(b器)である。
青灰色で硬い。同時期の土師器とは色と質で明瞭に区別できるが、
一部に中間的なものもある。5世紀に朝鮮半島南部から伝わり、
土師器より高級な品として扱われた。

私は、土器のことはよくわかりませんので上記が正しいか教えてください。

さらに下記
835 :日本@名無史さん:2011/12/03(土) 00:24:56.83
>>797
>件のレーダー探査からの解釈が正しいとすると、後世のある時期、ホケノ山周濠に人の手が入ったと捉えるのが妥当。
そんなことするアホいないっしょ。

朝〜昼の部のみなさん、どうぞ議論・ツッコミお長いします。
さ、仕事行ってくるばい。
860日本@名無史さん:2011/12/03(土) 06:29:23.54
九州説と畿内説の罵り合いが面白いな、ここはw
>>756は相当畿内説の痛いとこ突いてんだろうなってのは判る
その後からの畿内説の自演と罵詈雑言が凄いw
いいぞ、もっとやれw

それにしても奈良盆地が湖だった事は意外と知られてないんだねぇ
861日本@名無史さん:2011/12/03(土) 06:37:46.93
今時九州説なんて馬鹿なの?
862日本@名無史さん:2011/12/03(土) 06:38:05.43
堂の後古墳の件は学問の手続きを理解できていないバカが自分のアホさ加減をさらしているだけ
奈良盆地の湖も、万年単位については誰も異論はないところに、弥生末まであったと妄想を根拠にわめいているのがいるだけ
863日本@名無史さん:2011/12/03(土) 06:44:40.18
www確かに自演がひどいな

堂の後古墳とホケノ山の古墳本体部分の比較では
出土物の比較からホケノ山のほうが古いのは動かない

では周壕について天理大が一時期主張したように
ホケノの周壕が堂ノ後の周壕を切り崩して増築されたのが事実なのかどうか
この部分は専門家からも疑義が出されている部分なので
まず九州説がレーダー画像を元にそのことを立証する必要がある
しかしあの手の画像は専門家が見ても難しいもので
そもそも判定できるようなレベルではないと個人的には思っているが

さらに切り崩しているのが事実としても、後代に行われた行為かもしれない
例えば土を採るため、溜池的に利用するため、
ホケノ山の被葬者を祖先と考える人々が整備したなどなどの理由は考えられないことはない
864日本@名無史さん:2011/12/03(土) 06:49:33.80
で、九州説がいちゃもんをつけるのであれば、

まず本当にホケノ山の周壕が堂ノ後の周壕を切り崩しているかどうかの確認
次にそれがホケノ山古墳本体造築と同時に起きていることの立証

さらに出土物や古墳形態その他の比較によって、古墳本体部分においても
堂の後のほうが古いとする証明が必要だなwwwww
865日本@名無史さん:2011/12/03(土) 06:53:57.46
しかしこれらのことはこの板の九州説諸氏にはまったく手に余ることであり
けっきょくはいちゃもんつけレベルでしかできないことは過去スレが証明している
ま、疑義を出したほうに証明する義務があるんだから
できるのならやってみればいい wwww
866日本@名無史さん:2011/12/03(土) 07:49:43.52
それから奈良湖の話か
これは九州説がつねに主張する陰謀論と無関係ではないだろう
もし奈良に河内湖のようなものがあったとすれば、
河内湖同様に地理学や地質学など各分野の学問によって記述され
Wikiにも書かれることになっていただろう

しかしそれがそうなっていないのは、
そういう湖と呼べるほどのものは弥生時代にはなかったからでファイナル・アンサーだろう
でなければこの板の九州説が主張するように
考古学のみならず他の学問分野までを巻き込んでの陰謀・捏造があるということになるなwww
867正義の戦士 九州説:2011/12/03(土) 08:04:14.62
橿考研は世界征服を狙う悪の組織。
地質学者を黙らせるなんて簡単です。
868旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 08:07:12.10
翰苑についてはここの人らはどう評価してるわけ?

「『邪ななめに伊都いとに届とどき、傍ら斯馬しまに連つならる』
  広志に曰(いわ)く『(1)倭国。(2)東南陸行、五百里にして伊都国
に到る。(3)又南、邪馬嘉国に至る。
(4)百女国以北、其の戸数道里は、略載するを得可(うべ)し。
(5)次に斯馬国、次に巴百支国、次に伊邪国 。
(6)安(=案)ずるに、倭の西南、海行一日にして伊邪分国有り。布帛無し。
革を以(もっ)て衣と為(な)す』(7)蓋(けだ)し、伊耶国なり」


これを普通に読むと女王国のすぐ斜め上に伊都国があり、女王国との
距離はほぼゼロに等しいと読めてしまうんだがw
869夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 08:18:23.98
相変わらず九州説と畿内説の罵り合いかよ。
相手の説を否定しても自説が証明されないことにいい加減気づけ。

今日もどこまでやれるか「?」だが、やれるとこまで。
北緯39度くんには山ほど言いたいことがあるが、別格とやらなきゃな。
あっちもこっちもやる時間的余裕がない。
870日本@名無史さん:2011/12/03(土) 08:23:07.44
>>860
戦争に例えるなら
奈良湖、ホケノ山問題は敵に本土上陸されたほどの危機。
畿内説の詐欺商法がばれて
畿内説が消滅するか否かの瀬戸際なのだから
必死になって抵抗、否定するのは当然と言えば当然。
しかし
抵抗しようにも何も有効な武器(根拠)が皆無だから
ただひたすら罵倒するかない。
その必死すぎる抵抗は周知の通り。

春である教授や決して黒くない石教授などは考古学会の癌だと思う。
871日本@名無史さん:2011/12/03(土) 08:26:42.56
>>870
具体的な論を出せよ低能
872日本@名無史さん:2011/12/03(土) 08:29:38.76
>>868 >>869
お前達の説など相手にされていない事くらい空気でわかるだろう?
たのむからどこか過疎スレに移動してやってくれ!
873日本@名無史さん:2011/12/03(土) 08:32:45.69
>>868
これを普通に読むと女王国のすぐ斜め上に伊都国があり、女王国との
距離はほぼゼロに等しいと読めてしまうんだがw

九州伊都国と畿内の距離はほぼゼロに等しいと強弁しなよ。
そんなの得意で朝飯前だろ?
実際
恒星間の距離と比較すればゼロに等しいのは事実なんだから。
874夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 08:43:43.07
>>621
上段
皇帝の詔書などのしきたりなどよくわかった。
使者は卑弥呼に直接会っているだろ。つまり邪馬台国まで行っている。
しかし方位、距離を表す倭人伝前半の記述はその時のものではないはずだ。

魏とし倭国を最初に訪れたのは卑弥呼の要請を受け「どんな国か」と下調べをする先遣隊だろ。
魏にしてみれば未開な蛮族の小国にいきなり正使を送るはずがない。
先遣調査隊の報告が倭人伝に記されたものだろうよ。
それが正式に「倭国の地理、実情」となり記録されたから陳寿が冒頭にもってきた。
その後、使者が邪馬台国まで行き、交流ができ地理もわかったはずだか
魏にしてみれば「そんなことはどうでもいい」だったと思う。
要するに倭国はまともに相手にされていなかったはずだ。
だから地理記録も更新されなかった。
だからあんないい加減な地理記録が正史に記載されたのだろう。
直接行ったはずの使者が知り得たはずの情報が入っているとは思えない記録
つまり魏志倭人伝に出ている倭国地理がその証明だ。
875日本@名無史さん:2011/12/03(土) 09:28:14.36
妄想満開花盛り
876旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 09:36:06.16
>>804
>太い国さん
>女王国は遠い奥九州の田舎の国であり、そんな遠国の
女王国と交易のない畿内朝廷が「ああそんな国があるのかね」と言う
位が関の山だ。そんな国の情報は付き合いがないため記紀に書くものも
なかったということだな。なにもおかしい所は無い。

仮にも魏から倭王の称号貰ってる国の情報くらい入ってくるし
そんな重要な情報を記紀に載せないわけがないでしょww
奥九州の田舎の国に当時の最大人口7万戸を抱えた国などあったわけないでしょww
いい加減負けを認めなさいよ。
877日本@名無史さん:2011/12/03(土) 09:52:10.84
んー?朝貢や女王が都合悪くて載せなかったとか言う記紀がなんだってー?
878夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 10:11:45.68
>>621
中段。誤変換は訂正前のみコピペするぜ。この誤変換見てると昔の俺みたいだ ワラ

>・無限の大地を正確に往来した承認や軍隊が方角を間違えたことがあるかね

相手がまともなら間違わないだろうが、倭国は魏から見てまともではない。
で、方角が正確だというなら距離も正確じゃなきゃ、お前さんの話はダブスタになる。
魏志倭人伝の記述を正確だとしたら邪馬台国は太平洋の洋上だ。
というか海上を「陸行」出来ないわな ワラ
お前さんは不弥国と邪馬台国をどこだと主張するのかな?九州説らしいが、成り立たないぜ。

>・現地を踏査した調査官の報告書を方角を間違えて書く歴史家がいるかね。

調査官は間違った報告をしていない。
伊都国までしか行ってなく、その他は伝聞だと主張したはずだが。
歴史家は正確に記述してるだろう。

>・著江船半島東南の大海の中と書きつないできた事実は無視かい。

地図(勿論、現代のだ)をよく見なよ。九州は朝鮮半島の真南ではない。
半島の先端からなら正に東南だし、半島中央部から見ても南南東だ。
大陸側にしてみれば北九州が倭国の玄関口。その先、というか「その奥」に倭国が広がると考えていた。
東南の大海の中で間違いないぜ。
879日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:19:29.40
旧帝大歴史学徒も夢幻如 も
見苦しいことこの上無い。
880旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 10:22:56.00
伊都国までしか使者が行ってないというのはおそらく通らない。

>正始元年、太守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、
詣書・印綬を奉じて、倭國に詣り、倭王に拝仮し、
ならびに詣を齎し、金帛・錦ケイ・刀・鏡・サイ物を賜う。
倭王、使に因って上表し、詣恩を答謝す。

この文章から倭王に拝仮しと書かれてるし、実際倭王に使者が会ってるだろう。
つまり邪馬台国に使者が行ってると言うことだ。


881夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 10:26:23.55
やることがあり、間延びするが許せ。

>>621
下段
>もとより机上で計ったものだし、
倭国の方角や距離など行程説明文章とは無関係だ。

その通り、先遣調査隊の報告を机上で計算したんだよ。
出来上がる地図は当然「混一彊理歴代国都之図」的なものになる。
そして当然、会けい東冶の東になる。

確かに風俗を記したあと唐突な感は否めないが、無意味な文ではないぜ。
882日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:31:59.04
>>880 >>881
やめてくれ。見ているこちらが恥ずかしくなってしまう。
本当に、頼みますから、お願いしますから、どこか過疎スレへ逝って下さい。
883日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:48:31.12
荒らしにかまうなと言ったろ
相手にするからつけ上がるんだ
884日本@名無史さん:2011/12/03(土) 10:54:29.52


朝鮮人の生活が第一 民主党
885夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 10:57:47.64
>>622
>里程を知らない倭人からの聞き取りだという伊都国から先も里程を記録しているぞ。

>行ってもいないはずの邪馬台国まで12000余里だと証言しているぞ。

当時の倭人も距離をいう単位くらい持っていただろう。
太古の昔から遠隔の南北で交流(交易?)があった証拠もある。
我々は縄文時代、弥生時代の人間の文明を、ともすれば過小評価する嫌いがある。
科学はある意味「知識の蓄積」だから、蓄積のない古代人の科学レベルを低く見るのはわかる。
だが、我々現代人と同じ知能指数は持っていたはずで馬鹿ではない。
距離を計る単位くらいはあったはずだ。

で、聞かれた倭人の中では、どういう単位かはふめいだが距離単位で説明した者と
水行、陸行で説明した者とがいたのだろう。
使者はそのまま記録した。
距離単位で説明された部分は魏の里に換算しただろうね。それが記録になった。
ただ前に言ったように経験から距離を言うのは非常に難しく不正確だ。
「歩いて何分」「車で何時間」「新幹線で何十分」と時間で答えたものは、かなり正確になる。
陸行、水行の当時の常識的速度からの換算 + 申告された距離
これを足して総距離としたのだろう。当然、答えは出鱈目になる ワラ

仮に里が単位だとして、解釈では魏の方でも長里だの短里だのの論争がある。
伊都国と不弥国の里の長さは違うかもしれない。
当時、日本中に一里塚があったわけもないしな。
魏志倭人伝の里程は不正確なものと見るべきなのよ。
886夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 11:00:55.08
>>625
ということで、このレスに対する返答は

全然出来ない ゲラ

別格、反論楽しみにしてるぜ。
887太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 11:06:10.04
19歳妄想爺
日本書紀は「外国書紀」ではない。
それは外国のことでも朝廷に強い関係のありそうなものは紀に載せるがね。
(神功とか実際行幸した景行での面前に出た敵とかは、それは書くだろう)

関係の出来ていない遠国の隔絶地域の女王国のことなんかあさってのことで
あり、そんなものは「あ〜そういう国が遠い筑紫(=当時は紀無いからは外国)
の某国があるんだな。」位で朝廷とは無関係の国であり、そんな外国記事は
載せる必要はない。事実倭人伝の借り記載の神功39年等の記事以外紀には載って
いない。当たり前だな。ww
888夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 11:11:32.69
見るからに頭悪い名無しと
読解力まるで無しの19才坊やは無視する。

他もやりたいが時間的に無理。
今は別格だけに集中する。
だが、今日まここまでだ。
889日本@名無史さん:2011/12/03(土) 11:16:02.29
>>868
>(6)安(=案)ずるに、倭の西南、海行一日にして伊邪分国有り。布帛無し。
革を以(もっ)て衣と為(な)す』(7)蓋(けだ)し、伊耶国なり

「倭」から東南陸行五百里で伊都国に到るということは、ここでの「倭」は末盧国を指す。
そこから「西南海行一日」で到達する伊邪分国とは伊万里湾の鷹島を指す。
伊邪国=伊万里にあった小国家。伊都国、末盧国、奴国、不弥国同様
旧一、二郡程度の領域を持つ30ほどの小国家を従えたのが邪馬台国。

890旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 11:36:41.18
>>887
>太い国さん
>関係の出来ていない遠国の隔絶地域の女王国のことなんかあさってのことで
あり、そんなものは「あ〜そういう国が遠い筑紫(=当時は紀無いからは外国)
の某国があるんだな。」位で朝廷とは無関係の国であり

その隔絶地域が当時の九州の最大人口密集地のはずなのに、
考古学的データがとれないじゃないですかw北九州の甘木が
最も人口密集地だったようですしね。
それに外国のことなら、九州の女王国なる国の卑弥呼が
魏に朝貢し倭王の爵位をもらったと書けば済むことなのに、
記紀では暗に神功皇后を卑弥呼に比定してるのはおかしいでしょ。
891旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 11:41:35.54
夢幻とか言う人こそ読解力なさそうだし、
低学歴はこれ以上相手にしたくないのでカットw
太い国さんだけでも十分疲れるしww
892唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 11:42:54.87
>それは外国のことでも朝廷に強い関係のありそうなものは紀に載せるがね。

278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
考古: 北部九州に纏向5類と半島の土器(居住区)の共存。
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱 《秋津遺跡》
纏向5類(中 後 )渋谷向山 五社神古墳
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、 《322 景行崩御》
考古:北部九州から半島の土器(居住区)が消える。
旧纏向5式  旧編年 纏向5式(新)〜6式 (布留2〜3)  仲津山古墳
旧纏向6式 須恵器を伴う TK73石津丘古墳 370年前燕滅亡 
TK216誉田御廟山古墳
ON46大仙古墳

《秋津遺跡》4世紀初めから複数回の建て替えと、壁柱建物(帯方方面の建物?)

紀に《秋津遺跡》が書かれているか?太国の主張なら、景行か成務時代には完全に存在する遺跡である。
成務時代に仏教が伝来したと主張する時代と重なる(倭は百済の属国)。
893日本@名無史さん:2011/12/03(土) 11:44:33.11
>>838
>>830
>>縄文人
>>だいぶ長い間留守していたが、どうやら邪馬台国は九州で決定のようじゃないか。堂の後古墳が5世紀後半か、妥
>>当な数字だな。これでホケノ山は6世紀となり、とすれば箸墓は6世紀後半か。今まで3世紀半ばなどといっていた

>…しかし改めて見るとこの 縄文人 というのが如何に馬鹿と言うか気違いなのかというのが良く分かるな。
>もう正気じゃない。

あの縄文人は縦目の成りすましだということは誰でも知っている筈だが。ここまで 汚い手を使うとは畿内説派も追いつめられて
いるんだね。
894日本@名無史さん:2011/12/03(土) 11:51:34.52
>>893

兎に角、お前らゴミクズレベル九州説としては、だ、

堂ノ後が5世紀後半、ホケノがその後で、箸墓は更にその後
古墳時代の始まりはほぼ6世から…

と言う年代観なんだろう?w違うのか?www

それとも 堂ノ後 ではしゃいだゴミクズレベル九州説の連中
今それを引っ張り出してきてはしゃいでいる 筑紫の┣¨民 がアホなのかな?

一体どっちなんだ?www





895日本@名無史さん:2011/12/03(土) 11:59:18.56
>894
畿内説が馬鹿でアホ。
896日本@名無史さん:2011/12/03(土) 12:03:21.05
まあ 縄文人 その他の ゴミクズレベル九州説 連中のアホどもの弥生時代の盆地湖なんて与太話は別にしても

結局、件の調査は天理のその湿原も当初研究者らが予測していたような恒常的に湿潤な環境にあった地域ではなくて
ウェットな状態とドライな状態が交互にあった入り混じっていたものだった
…ということなんだよな?

無論これで盆地全体の姿を想像するのわけには行かないが、やはり
「大和豊年米食わず」…と恒常的な水不足に悩まされていたのか?とも思う。

(エジプト文明がナイルの賜物と言われるように)ヤマト王権は収穫性の高い肥沃な土地に生まれた
…というシナリオはないっぽいなw
897唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 12:05:44.14
>>891 :旧帝大歴史学徒
>低学歴はこれ以上相手にしたくないのでカットw

自分の勉強不足を相手になすりつけているだけ。

紀によれば、朝貢は垂仁の派遣した田道間守からである。
考古:ホケノ山古墳 (225〜250年)
東海・瀬戸内の壺=崇神異俗多帰以後。楽浪鏡・木槨・鉄器=任那より朝貢の後
穴あき壺(庄内式・埴輪)垂仁末であり、古韓尺は、3世紀初めの大型建物に使われている=任那より朝貢。

景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
伊支馬=垂仁を”こじつけ”とする文献、考古学の読み方があるのか?
これが出来なければ、これまでの発言を取り消す必要があると思うが、いかが?
898日本@名無史さん:2011/12/03(土) 12:07:32.84
>>895

兎に角、お前らゴミクズレベル九州説としては、だ、

堂ノ後が5世紀後半、ホケノがその後で、箸墓は更にその後
古墳時代の始まりはほぼ6世から…

と言う年代観なんだろう?w違うのか?www

それとも 堂ノ後 ではしゃいだゴミクズレベル九州説の連中
今それを引っ張り出してきてはしゃいでいる 筑紫の┣¨民 がアホなのかな?

一体どっちなんだ?www

「堂ノ後が5世紀後半」と言うネタも欲しいが、それで馬鹿にされるのも嫌だ。

…じゃあ話にならんぞゴミwwwwwwwww
899旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 12:12:50.49
>>897
時代的に垂仁くらいで間違ってはないかもしれないけど、
その名前が似てるからという語呂合わせには馬鹿馬鹿しいから
付き合わないw

それに太い国さん、あんたこないだは僕をジョーカーとか言う人と
勘違いして、今度は僕をおじいさんと勘違いですかw
いい加減にしてください。洞察力がないにもほどがありますよ。
それじゃ九州王朝説にもひっかかるわけだw
900唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 12:14:53.32
さて、勉強不足の学徒に書き換えられるかな?

崇神天皇 188年〜216年 2章−1年 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。異族多帰は、各地の土器。209年 新羅本紀、伽耶に援軍=三国遺事541年で建国330年=任那建国
垂仁天皇 217年〜239年 4章 ホケノ山古墳に田道間守の殉葬。
鉄輸入権・配布権掌握を主要因とする大和政権。
纒向遺跡の巨大建築は珠城宮の跡に日代宮。
景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵(263年)。
247年? 景行12年 九州平定へ。
252年? 景行20年 五百野姫=壹與
255年 景行27年 日本武尊の九州
256年 景行40年 日本武尊の関東 倭国統一なる。遠国をまとめる為「魏の屯田手法」導入。
260年頃(壹與の時代)大倭(大和)は北の女王国(九州)に(自ら)一大率を使い検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
成務天皇 262年〜265年 3章 
仲哀天皇 266年〜274年 0章 273年日食(神功元年に注入)
神功皇后 275年〜   ここより盟神探湯による世継ぎの部分。磐余稚桜宮は、桜井茶臼山
メスリ山の時代、佐紀楯列までの70年間。誉田御廟山までは110年。
274年 神功渡海、2月幽州を分け平州を置く。
仁徳天皇 313年〜399年 神功三九年大歳を元年とする。(秋津遺跡)
901旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 12:21:55.32
>>900
全部貴方の妄想ww
貴方も頭おかしいおじいちゃんっぽいし、
大学で正規の歴史教育も受けてない素人くさいし、
まず大学通いなおしなさい。

今日は雨だし、サッカー始まるまで暇だなあ。
902筑紫の民:2011/12/03(土) 12:28:22.26
>>898 畿内説ウルトラ警備保障会社夜間徹夜で警戒係の<反キチ>

今日は、昼間から警備か?おつかれさん。
〈反キチ〉が昼間から出てくるとは、このネタは畿内説にとって相当痛手なのだろう。
あるいは本当に「畿内説の危機」を招くものかも知れない。

昼休みも終るのでここらで失礼します。
昼休みの民
903唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 12:35:47.88
252年? 景行20年 五百野姫=壹與 と1大卒
ホ38300 フソサミヱ キサラギヨカに ヰオノヒメ クスコウチミコ イセノカミ まつるいわひは
ツクシむけ ヒメコトシソヨ
ヤマトヒメ コトシモモヤツ よろこびて ヨハヒいたればワレたりぬ 
わがヤソモノべ ソフツカサ ヰオノにうつし つかえしむ
904唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 12:40:45.59
>>901
>全部貴方の妄想ww

学徒が学習不足であるから、対論を示せない。
”妄想ww”でかたずけるところは、太国に似てるな。
905旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 12:48:13.70
>>904
学習不足も何もあんたごときが歴史を復元できるなら
学者連中がとっくにやってるよwでもみんな馬鹿馬鹿しいことが
わかってるからノータッチなの。
低学歴でしっかりした教育受けてない素人だからそれがわかってないの。
自分で妄想して悦に浸ってるだけ。典型的なオタ心理だし
周りは相手にしてないのに気付いたほうがいいw

そろそろ買い物しとくかなあ。
906日本@名無史さん:2011/12/03(土) 12:49:11.47
>>902 筑紫の┣¨民

痛手でも何でもいいからはっきりさせろよクズw

筑紫の筑紫のド民としてはだ…

堂ノ後が5世紀後半、ホケノがその後で、箸墓は更にその後
古墳時代の始まりはほぼ6世から…

と言う年代観でいいんだよな?w

「何でもいいから過去ログから憎いキナイセツの揚げ足とりしてやれ!」
としか考えてなくて
それを選択した場合の後の事なんか考えてませんでした

…なんて話じゃないんだろう?ゴミクズwww



907日本@名無史さん:2011/12/03(土) 13:07:22.87
何か気にいらない事があれば人様に向かって「低学歴」で中傷するカスの親の顔が見てみたい
一体どんな教育を受けたらそんな風になるんだ?うちの兄ちゃんは京大卒だが、人様を馬鹿にするような毒は吐かん
908日本@名無史さん:2011/12/03(土) 13:10:25.72
1ま、九州説が馬鹿なのは学歴に関係ないわなw
909唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 13:15:35.28
>歴史を復元できるなら学者連中がとっくにやってるよw

旧編年 考古学と史学は一心同体であった。
崇神=卑弥呼(240年)は七支刀=369年から逆算された。(約130年)
新編年 考古学は史学を見捨てた。
崇神=2世紀末から約130年後が七支刀である。七支刀=326年。

この旧編年で学者連中は編年をあきらめた。
考古学もこの数字を見捨てた。 学問の発展はここで止まっている。
だから、学徒とは?と問うのである。

七支刀=326年も、323年の文献がある。
新考古学の数字を旧史学の数字で説明することは不可能である。
新考古学の数字に史学は合わせ、新史学とならねば歴史を説明できない。
考古学が“纒向”を2世紀末からというのであれば、そこに崇神を配せれば良い。
910唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 13:25:16.48
書記 より19*n回の空白年を差し引く、正朔である。19年=6940日が基本=1章
天皇   西暦   増し 
神武天皇 42年〜63年 3章 手研耳による空白年を含む。X式土器の始まり。近江伊勢遺跡。
綏靖天皇 64年〜77年 1章
安寧天皇 78年〜
懿徳天皇   〜93年 3章 安寧天皇と同じ暦 安寧、懿徳は異母兄弟。
孝昭天皇 94年〜119年 3章
孝安天皇 120年〜145年 4章
孝霊天皇 146年〜164年 3章 吉備方面に軍を派遣。
孝元天皇 165年〜183年 2章
開化天皇 184年〜187年 ≒3章-1年 1、2年の異常? 開化崇神は同じ暦
崇神天皇 188年〜216年 ≒2章+1年 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。異族多帰は、各地の土器。209年 新羅本紀、伽耶に援軍=三国遺事541年で建国330年=任那建国
垂仁天皇 217年〜239年 4章 ホケノ山古墳。
鉄輸入権・配布権掌握を主要因とする大和政権。
纒向遺跡の巨大建築は珠城宮の跡に日代宮。
景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵(263年)。
247年? 景行12年 九州平定へ。
252年? 景行20年 五百野姫=壹與
成務天皇 262年〜265年 ≒3章 仲哀と同じ暦の可能性がある。
仲哀天皇 266年〜274年 ≒0章 273年日食(神功元年に注入)
神功皇后 275年〜343年 磐余稚桜宮は、桜井茶臼山 誉田御廟山までは110年。
274年 神功渡海、2月幽州を分け平州を置く。
275年 応神 344年〜384年
仁徳天皇 313年〜399年 神功三九年大歳を元年とする。秋津遺跡≒明宮
316年 西晋滅亡、仁徳4年戦線離脱の決定(課役の停止)。
323年 癸未年 神功四九年 千熊長彦 半島は空白地帯となる。半島占拠、百済建国。

近江伊勢遺跡は、崇神7年まで(後漢193年の冷夏凶作まで)これも文献で示せるぞ。

911日本@名無史さん:2011/12/03(土) 13:31:50.38
>>896
>結局、件の調査は天理のその湿原も当初研究者らが予測していたような恒常的に湿潤な環境にあった地域ではなくて
>ウェットな状態とドライな状態が交互にあった入り混じっていたものだった
>…ということなんだよな?

アホかいな。な〜んにも分かっとらん。科学的な報告書はまるで読めない。頭も悪い。そんなんでよく書き込めるな。
912日本@名無史さん:2011/12/03(土) 13:49:43.44
ちょっと勉強させてもらおうと思って見てみたら
こんなとこでも罵り合っててワロタ
913日本@名無史さん:2011/12/03(土) 14:06:36.61
>>911

 名 指 し で 馬鹿にされたから反応しちゃったのかな?w

中身が読めてない。

…よろしい。

じゃあその理解の何処が間違っていて件の資料の言わんとするところが何なのか?
その正しい要約を述べてみたまえゴミクズ君w

914日本@名無史さん:2011/12/03(土) 14:16:17.78
>>912

ここ”も”2ちゃんねるだからなw

ただ断っておくがここの九州説は九州説と言っても
その中身は「九州王朝説」や「邪馬台国東遷説」のような奴が殆どだ。

(リアルでされるであろう)邪馬台国論争ですらない。

そのゴミクズレベル連中にとってはある遺跡の年代が間違っていた事例を持って

古墳時代の始まりを5世紀後半以後にするも何ら問題ないw



915日本@名無史さん:2011/12/03(土) 14:21:42.83
しかも九州年代はそのままとして
前方後円墳の発生を九州に持ってくるくらいのことはやりかねん
つまり学問ではないんだ
916日本@名無史さん:2011/12/03(土) 14:25:27.79
>>915
>しかも九州年代はそのままとして

いやそれも分からんよwここのゴミクズレベル九州説なら

平原あたりを4世紀、事によったら5世紀に持ってくるかもしれないwwwww

(東遷説を主張する場合、平原からヤマト王権にダイレクトに繋いだ方が説明が楽とか?w)
917太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 14:29:44.32
901 :旧帝大歴史学徒:2011/12/03(土) 12:21:55.32
>>900 全部貴方の妄想ww ←同意
奴の言う ↓どこに19×3年の空年があるのか? 57年分の空年など無いのさ。
成務5年 金神社(岐阜市)賀夫良命に国造を賜う
成務5年 会所宮(日田市)鳥羽宿禰を国造に任ず
成務5年 安積国造神社(福島)比止禰命を国造に下命
成務5年 姉崎神社(上総国)諸神を合祀
成務5年 熊野新宮(和歌山県)始めて郡境を分ける
成務6年 熊野神社(千葉県)同年に創建
成務6年 日御碕神社(出雲国)鳥が海藻を欄干に付加
成務7年 神皇紀 小止與命 尾羽張国造となす
成務9年 林神社(明石市)少童海神を祀る
成務9年 赤田神社(山口県)大己貴命の分霊を祀る
成務11年 与位神社(兵庫県)同年に鎮座
成務11年 生石神社(兵庫県)山形県に分社を作る
成務12年 静原神社(京都府)同年に鎮座
成務13年 岩屋神社(明石市)淡路島から祭神を勧請
成務14年 伊和神社(兵庫県)大神から託宣あり 創祀
成務14年 庭田神社(兵庫県)同年 社殿を建てて祀る
成務19年 可美真手命神社(神戸市)同年に創建
成務20年 片平の森(郡山)この頃 阿尺を国造に任ず
成務21年 鐸比古鐸比賣神社(大阪府)同年 創建
成務28年 伊曾乃神社(愛媛県)天照大神を祀る
成務30年 須佐大宮(島根県)須佐家が国造に下命
成務38年 加富神社(四日市市)采女の祖神を奉斎
成務45年 宝秀寺(神奈川県)同年銘の大伴久応の碑文
成務48年 日本書紀等 仲哀天皇 この年 立太子
成務48年 千如寺(福岡佐賀県境)清賀上人観音を刻す
成務48年 油山(福岡県)清賀上人 椿油を採る
成務60年 事任八幡宮(静岡県)この頃? 創建
成務60年 成務天皇 崩御
918太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 14:35:37.33
大中臣の下命
古代からの真の年代を計測する贈り物たる天下の宝器。これが天津神算木
(天津金木)である。天津祝詞の太祝詞事には大中臣からのニセ編年壊滅
せよとの下命がある。天津神算木の文がそれだ。
天津神算木(天津金木)とは三輪山の山名たる三輪(半径r=3の円)の
球化の 体積=表面積 の数式をいう。崇神紀には三輪山の話がある。
天津神算木:表面積(右辺の  」 は先頭から20桁目の区切り **はベキ)

 Cπr**A=@13.09733552923255EDG」46・・・

右辺先頭あたりに 1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位(見かけ年代)がある。
大祓祝詞に曰く 「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」
太祝詞事は二十(フト)祝詞事であり、右辺を20桁での区切りを示唆。
20桁目にかかっての三数は 658 だが、等号にまたいで左辺先頭から三数
の 421 を得る。(文字数は除く) つまり天津金木の両端数である。〇数字から


 658−421=237年=崇神天皇即位元年(真の年代)=景初元年


の実年代を得る。これに外れる編年は真物ではない。これこそ本物だ。崇神即位年≠188年
919太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 14:38:45.91
伊支馬=イクメ=垂仁 ←猿の惑星さながらの噴飯のデタラメpupu・・・

伊支馬=イキマ≠垂仁=イクメイリヒコイサチノミコト
920912:2011/12/03(土) 14:45:22.02
>>914
予想どおりだったわけねw
ありがとう

またちょくちょくのぞかせてもらいます
921太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 14:49:06.40
>>903
252年?×景行20年 五百野姫≠壹與

ほ〜ら、偽書といわれる書物を持ち出した〜、とコチラを口撃していた男
が〜
 〜偽書といわれる書物を持ち出した〜〜。

なお毒書ホツマとはそんじょそこいらの昔のタダのオッサンが恣意的妄想
を挿入して書いた朝廷から観ての落第文書であり、重々各々方はこの妄想
にやられぬよう用心する必要がある。
922日本@名無史さん:2011/12/03(土) 15:29:32.50
>>919
魏志倭人伝に登場する倭国の官僚の名前は
モモソ媛命のいた時代の貴族の名前から探したほうが
手っ取り早いよ。
新撰姓氏録とかそういうところから探したほうが良い。
923ひとぶた:2011/12/03(土) 15:37:18.60
>>859
 判り易く流れを書くとこんな感じです。

【従前の見解】 ホケノ山・・・布留0期なので3C後半ではないか?
          堂ノ後・・・・調べてないから判らないが、5Cくらいのものでないか?
------------------------------------------------------------------------
【天理大学生研究会のレーダー調査結果発表】
 ホケノ山と堂ノ後の平面図に食い合い(ホケノの周濠が堂ノ後を侵す)がある。
 よって、築造順は、堂の後>ホケノ山となるかもしれない。

・発表直後になされた素人判断その1(主として報道関係な方)
 ホケノ山は最古の古墳だったはず(←間違い、「最古級」かもしれないが一番では無い)
 ならば、これからは堂の後が最古の古墳なのだ!学生による世紀の大発見だ!記事をいっぱい書けるぞぉぉぉぉ!!

・同じく素人判断その2(主として九州説な古代史マニアな方)
 ホケノが堂ノ後より新しいなら6Cじゃん!畿内説終わったなW

・同じく素人判断その3(主として畿内説な古代史マニアな方)
 古墳の平面図が食い合っても後から出来たのが遠慮して凹ますこともあるからな・・・・
 まあ、そのうち堂の後も掘ってみれば判るでしょうw
------------------------------------------------------------------------
【桜井市教委による堂ノ後周辺の発掘調査結果発表】
 土器編年と実年代の割り当て上の通説で言うと、堂ノ後は5C後半です。日本最古とか言うのはヨタで確定です(キリ

・発表直後になされた素人判断その1(主として報道関係な方)
 なんだ、堂ノ後は最古じゃ無かったのか!記事が書けると期待したのになあ・・・ま、お笑いネタで記事が出来るからいいかw

・同じく素人判断その2(主として九州説な古代史マニアな方)
 堂ノ後が5C後半ならホケノは6C確定じゃん!畿内説終わったなwwww

・同じく素人判断その3(主として畿内説な古代史マニアな方)
 だから言ったじゃん、土器編年が動かない以上、周濠の食い合いは堂ノ後ろが遠慮したんだよ。
924日本@名無史さん:2011/12/03(土) 15:41:25.22
>>920
もう来んな。この変態が!
925日本@名無史さん:2011/12/03(土) 15:46:28.21
>>913

以下の文章は曖昧である。何を言わんとしているかが明確でない。頭の悪い者の書く文章の典型である。

「結局、件の調査は天理のその湿原も当初研究者らが予測していたような恒常的に湿潤な環境にあった地域ではなくて
ウェットな状態とドライな状態が交互にあった入り混じっていたものだった
…ということなんだよな? 」

件の資料の言わんとするところは下記の如くである。
「今回 の コア リングの結果 による と、朝和 地域 は完新世 を通 じて粘土 の堆積で代表 され るよ うな
低 エネルギー堆積が支 配的な沼沢地で あ った ことが は っき りと分か る。厚 い炭質粘土 層 は停水域
での堆積を示 して い る。 この よ うに して完新世 の各 時期で停水域が広 くな つた り、狭 くな った り
して いた ことを知 る ことがで きる。 イネ科の プ ラン ト・ オパ ール と腐水性 浅水性珪藻の出現が何
本かの コアで見 られ る ことか らも是認で きる。」
926日本@名無史さん:2011/12/03(土) 15:52:29.25
>堂ノ後が5世紀後半、ホケノがその後で、箸墓は更にその後
古墳時代の始まりはほぼ6世から…

問題にしているは堂ノ後とホケノの前後関係だけだろ?
箸墓なんて一度もわだいにしてないぞ。

問題にするなら堂ノ後とホケノの前後関係が決着してからだろう。
927唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 15:53:33.80
倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王 神夏磯姫(カンカシヒメ)か?
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王(男王)の部下 斗は書紀
都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王=景行 になる
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
狗奴國=女王国の南にある。狗古智卑狗?
イヨ=五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向
ついでに書紀より
倭女王卑弥呼=巾3尺の石
男王=筑紫の大木
官に伊支馬有り。次を彌馬升と日い、次を彌馬獲支と日い、
伊支馬=イクメ=垂仁
彌馬升=ヤマシロ=タタネコ (ホ37048 ミワのタタネコ ヤマシロが) 
彌馬獲支? ヤマワケ?
928日本@名無史さん:2011/12/03(土) 15:55:26.28
問題は周壕同士の関係であって、古墳本体の前後関係には何の問題もないだろ。
929日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:04:16.06
肥後もっこりと言われている原因があるはずだよ
930日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:06:19.75
博多っ子純情ってよく言われているけどあれは嘘だと思うよ。そんな感じなんだよ畿内説なんてのは。はい、論破。
931日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:08:54.05
>>925 縄文人(←いい加減いいよな?www)

「その2」のp48、地形復元の部分からだなw
じゃあその続き
------------------------------
しかし、朝和地域のコァリングでは真正な泥炭がほとんど発見されなかったことも注目に値す
る。遺跡からの“泥炭"の報告や上部更新統上部の泥炭層の存在にもかかわらず、コア84-22
で2 cmの泥炭が発見されたのみである。以下に論じるように、この地域での泥炭層の欠如はおそ
らく泥炭を形成するような滞水域と乾地になるサイクルがめまぐるしく変わるような堆積様式の
急速な変化によるものである。
滞水域の広がりの解釈に関して研究者間に興味深い意見の相違がある。このプロジェクトのヨー
ロッパのメンバーは朝和地域は、ある時期にわりあい広い沼沢地が形成されていたと予測してい
る。いっぽう、日本側研究者は小さな池や沼沢地が点在する景観を予測している。実際の分析結
果でも両極端の中間的な結果が得られている。14c年代の測定されたコア中の粘土と砂層のマッ
ピングによって、異なった時期の滞水域と乾地の広がりを試みとしてとらえることが可能である。
年代値が縄文前期と縄文晩期に集中するので、これら2期の連続的な環境変化を追うことがで
きる。
------------------------------

要するにこの地域が湿潤な環境下にあったわけではないというお話だw

しかし相変わらずだなあ、お前。
知ったかぶりで学者然として振舞いたいと言う見栄が見え見えwwwwwww
縦目も良くそういったところ馬鹿にしてたっけw




932日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:10:47.55
>>931訂正

誤)要するにこの地域が湿潤な環境下にあったわけではないというお話だw
   ↓
正)要するにこの地域が ”常に” 湿潤な環境下にあったわけではないというお話だw



933日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:11:43.06
はあ おらあ無学だが2chだけでも学者様面したいだけだよ
かんべんしてけろ
934日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:16:43.45
ギャンギャン肥後もっこりたい。畿内派はくわえんね。
935ローガン:2011/12/03(土) 16:16:56.40
>>858:筑紫の民

>なんじゃこりゃ〜?この考えは完全に意味不明ですよ。

それは、君の理解不足。「墳丘南側にトレンチを設定しトレンチ東端で 前方部が確認され」とあるだろうに。
ホケノ山は堂ノ後の東。南側には無い。だから、君が最も知りたいであろう切り合いの所(ビニールハウスの畑)では無いの。

>この、天理大学の「レーダ探査」が「完全に間違っている」という根拠は何度も検索したが未だ不明。

だから、昨日書いた通り。そこから考えた可能性に基づく推測が、間違いだったと言う事。
936日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:32:58.77
>>931
それは泥炭層の話だね。時代が違うのだよ。

更新統というのは約180万年前〜1万年前に形成されたもので、その上に泥炭層が存在するというのは
縄文時代前期の寒冷期に堆積した植物(微生物による分解を受けずに炭化した)からできた土層のこと
を言っているのである。
937日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:37:55.94
ジョーカーは書き込むたびに恥をかいてるな。
938日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:39:51.49
>>936
それでも要するにこの地域は縄文時代前期〜晩期には湖底おろかあたり一面の湖沼地帯ですらなく
乾燥した地域であった可能性もあるわけだよな?




939日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:42:13.71
このスレも延々ループしてるだけだな

ホケノと堂の後の周壕の関係については
・天理大のレーダー画像の解析ミス
・後代にホケノの周壕に手が加えられた
・堂の後の周壕がホケノの周壕を避けて作れたために食い込んでいるように見える
 (実際に土壌の流れ込みのようなこともあった)
といった可能性が考えられる

古墳同士については、どちらも発掘調査され(堂の後は前方部だけのようだが)
その出土物の比較から年代的な前後関係は動かない
・・・と畿内説というか考古学会では結論が出たといってよい

だから九州説がこれをタネになんらかのいちゃもんをつけるとすれば、出土品や古墳の
規格等による本体同士の比較でなければ意味がないわけだ
940日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:45:18.60
>>936
それともう一つ、前にも言ったが

>完新世 の各 時期で停水域が広 くな つた り、狭 くな った りして いた ことを知 る ことがで きる。

と言うのは勿論湖底なんかではなく、湖岸の湖沼地帯とするには余り都合のいい話ではない。

何れにせよ何処をどう読んでも弥生時代の盆地湖の存在に繋がるような話じゃない。

これ書いた人間もそんな引用の仕方されていると聞いたら苦笑するんじゃないのか?www




941日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:49:21.97
それにしてもサイキバの病気が悪化してるのには驚いた
942日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:50:05.88
>>939
と言うか「与太話」を延々ループさせるのがゴミクズレベル九州説。

「銅鏡勢力が銅鐸勢力を滅ぼした」
とか一体いつの時代の説なんだ?と言うものを平気で何度でも持ち出してくる。

まあ堂ノ後が5世紀後半、ホケノがその後、箸墓が更にその後で
古墳時代がほぼ6世紀にスタートというのがこのアホどもの年代観ということでいいんじゃないのか?wwwwwwwww
943夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 16:56:34.67
予定外の時間が空いたから見にきたが、まだ別格は出てないか。

>>891
ボウズ、読解力とはなレスを読む力だ。
お前の>>880は別格の突っ込み>>621で、それに俺は>>874で応じている。
その直後にボケかましてるのがお前だ。
文章読めないガキは首突っ込むな。

ついでに言うなら
堂の後がどうたらこうたら馬鹿の叩き合いで論争してる雰囲気だけ楽しみたいんだろうが
お前らの主張のどちらが正しいとなっても、どちらも邪馬台国比定にはならない。
そこにいい加減気がつけ、馬鹿ども。
944日本@名無史さん:2011/12/03(土) 16:57:48.20
奈良の細かい沖積層は、
亀の瀬狭窄部、とか、亀の瀬地すべり、がヒントになるかもしれない。
945ひとぶた:2011/12/03(土) 17:18:33.46
>>944

私たちの時代に習ったコトバ、洪積世、沖積世って言ってもらわないと年寄りには通じない。
沖積世、要するに第四氷期末から現在まで時代のことでしょう。
その間、約1万年か、日本で言えば縄文時代から現代までのこと。

で、奈良に湖底堆積層が形成されたのは何百年前のことか?
奈良盆地は、現在でもまだ、乾燥化の途上で、龍田から北東方面、郡山や佐保川流域は湿潤な地形にみえます。
奈良時代以前も同様に湿潤であったことは間違いないが、弥生時代になれば唐古などが立地できる程度に湿原域は縮小しています。

逆に、古墳早期に勢力を伸ばした有力遺跡群の多く(福岡の西新や吉備の津寺、愛知の朝日等)が、
こういった沖積平野に形成されていることから、国家形成期の拠点としてたいへん有利な地形だったと思いますけどね。

奈良盆地周辺の地形図
http://www.osaka-c.ed.jp/kak/rika2/tigaku/3D%E5%9C%B0%E5%BD%A2%E3%81%A8%E5%9C%B0%E8%B3%AA/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%83%88.files/%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9B%86%E5%9C%B0.JPG

安本な奈良湖の図
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku205.htm

946日本@名無史さん:2011/12/03(土) 17:18:50.32
>>938
件の報告書にも書いてあるが
奈良盆地の地層は下記のようになっている。

           表 土
        上部砂質粘土層
          上 部 砂 層
       上部黒色炭質粘土層
          中 部 砂 層
       下 部黒色炭質粘土層
          下 部 砂 層
        黒色炭質粘土層
          泥 炭 層

このうち上部黒色炭質粘土層についてはC14年代測定により2000〜7000(yBP)の値が得られているから縄文時代
から弥生時代にかけて生成されたもので、沼沢状態であったことを示している。

泥炭層については20000〜30000(yBP)という値が得られているそうである。

黒色炭質粘土層は3層あるがそれらの間に砂層が存在する。これは沼沢状態と非沼沢状態が3回起ったということを
示している。弥生時代の沼沢状態が終って現在のような非沼沢状態に至っているのである。
947夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 17:30:28.51
>>704にもレスしておくか。

混一彊理歴代国都之図は15世紀のものだ。それまでにかなり日中間には往き来がある。
そこから正確にとまでいかなくとも、大雑把な日本地理はわかるはずだ。
これには異論ない。
だが、このあたりまでで中国の地図にまともな日本を記された地図があるか?
俺は見たことがない。
日本の地理の情報はあったはずだが、それを反映した地図が作られていない。
つまり、その時々で得た情報は蓄積されなかった。
なぜか?答えは言った。
どの時代であれ中国側にすれば、このあたりまで日本など「どうでもいい」存在だったからだろ。

これより千年以上前の魏の日本地理感は推して知るべしだ。
「混一彊理歴代国都之図」に近い日本地理感であったから倭人伝の記述になる。
里程は信用ならんが、他はこの地理感なら何も矛盾しない。
ちゃんと正確に邪馬台国を指している。
948夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 17:43:42.87
九州説と畿内説とで罵り合いを楽しむ馬鹿どもにも聞いてやろうか。

「水行二十日」「水行十日、陸行一月」をどう解釈するのか。
放射説やら間違い説やら色々過去にあるが、どれもまともじゃない。
この記述が九州にも畿内にも邪馬台国はない証拠になるから
どんな説を”作っても”まともにならんのよ。
949日本@名無史さん:2011/12/03(土) 17:58:15.94
>>948
>「水行二十日」「水行十日、陸行一月」をどう解釈するのか。

海を渡ってない。人により個人差あり(国にも感覚の違いあり)古代には道路はありません。
まだココで尖んがってんのかよ。まぁ、頑張って♪
950日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:03:46.64
>>946 縄文人

ああ、以前の縄文人とのやり取りを思い出したわw
都合が悪くなったら湖を自在に縮小拡大ww
都合の悪い遺跡は地盤沈下で今の標高www

が、その 上部黒色炭質粘土層(2000〜7000yBP)にしても

>最初の場合と同様に、炭質粘土堆積の後半期では、粗砂の急速な堆積の開始で中断される。
>このように炭質粘土堆積のよく似た二つのサイクルが0〜 1,000 BC間の朝和地域の堆積を特徴づける。
>図8が示すように、この時期に滞水域が調査地域の西部のほうに限られてきた。
>あるいはこの滞水域が大きな池沼として存在した時代であった。

図8を見れば湖畔に広がった沼地なんて姿は見えない。
図8-1( 5,000〜 4,000 BC)から見れば後のものは小さくなっているし位置も移動していて
砂層(一時的な氾濫による堆積物)も見える。

一体ここからどのようにして盆地湖に繋がるものを見出すのか?

俺には地質学の知識なんぞはないが、それがあればこれで
「弥生時代の奈良盆地を覆っていた湖」が見えてくるのか?タコwwwwwwwwww
951天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/12/03(土) 18:10:33.06
>>940
地質に詳しい方が居られて私に代って答えて下さっていたようですが、940の方はおつむの程度が科学には不向き
(失礼)ですから理解できないようですね。このような方に分かって頂くには根気が必要です。

>完新世 の各 時期で停水域が広 くな つた り、狭 くな った りして いた ことを知 る ことがで きる。

これは>>946の方が説明して下さっていることですね。完新世というのは約1万年前から現在までのことですから
946の地層図の泥炭層の上部の黒色炭質粘土層から表土までの年代に相当します。黒色炭質粘土層は湖沼底で形成さ
れますから停水域が広 い時期のものです。その上部の砂層は流動水によって形成されますからこれが停水域が狭 く
な った時期のものですね。

>何れにせよ何処をどう読んでも弥生時代の盆地湖の存在に繋がるような話じゃない。
あらら。どう見ても弥生時代の盆地湖の存在に繋がる話でしょ。上部黒色炭質粘土層のC14年代測定値で2000yBPと
いうのが出ているのですよ。
952日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:20:04.50
>>951
>(失礼)

どうでも良いが「deshabar」の時に使っていたパターンだなおいw
一体どれだけのキャラ設定があるんだ?www

>あらら。どう見ても弥生時代の盆地湖の存在に繋がる話でしょ。上部黒色炭質粘土層のC14年代測定値で2000yBPと
>いうのが出ているのですよ。

2000yBPの沼地と言うだけの話だ阿呆。
それによって想定される滞水域がこの資料で盆地中に広がっているのか?
地層と年代の数字だけで飛びつく阿呆。

何が科学だw 似非科学の間違いだろうがwww


   
953別格の論客:2011/12/03(土) 18:22:06.82
●夢幻如へ・しょのいち
>>874
当面の議題は「いい加減な地理記録が正史に記載されたか否か」だな。

>使者は卑弥呼に直接会っているだろ。つまり邪馬台国まで行っている。
魏にとっての倭人と倭人の住む島の発見は、民俗学的・地理学的発見だよ。
こういうことは天子政府の文化事業として大きな意味をもつ。
事実、倭人伝を収録した東夷伝の序文で、
魏の東方調査は前漢朝の西方調査に匹敵するとの自負をうたっている。
初訪問・初調査だ。使節団には色んな分野の調査官が随行しているとみるのが正当な歴史判断だ。

ちなみに。古代中国が地理情報をいかほどに重要視してどう位置づけていたかを俺のサイトから。
「中国の古代地理学」
「軍事と地理は密接な関係にあり、中国古代の軍事的地理知識の累積は豊富である」としている。
さらには、「軍事的地理把握の要件には、政治、経済、文化、歴史、地形、
気象気候、城市、人口、河川等がある」としている。
『倭人伝』の内容もほぼこの要件に沿っているが、かなり数の人材が調査にやってきたことは分かるだろう。
それでもいい加減だというかね。

>魏とし倭国を最初に訪れたのは卑弥呼の要請を受け「どんな国か」と下調べをする先遣隊だろ。

朝献・朝貢を担当する管轄官庁があって、そこで細かく聞き取り調査をする。
さもなければ、贈答・返答・対応のしようがない。
使者にとっては、皇帝の目にとどくまで何ヵ月待たされるか、どのような裁定がくだされるか、
よしんば皇帝との接見がかなったとしても、何100歩の距離をおいての接見となるかは不明だ。
そんなもんなのさ。
954太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 18:22:09.29
伊支馬=イキマ≠垂仁=イクメイリヒコイサチノミコト

等号は猿の惑星等でしか通じない。ww つまりこの地球上での日本では
臣下(猿相当)存在しない。猿は人間(天皇相当)には絶対なれない。
955太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 18:23:46.08
イヨ≠五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向せず
956別格の論客:2011/12/03(土) 18:24:40.99
●夢幻如へ・しょのに
>魏にしてみれば未開な蛮族の小国にいきなり正使を送るはずがない。
>相手がまともなら間違わないだろうが、倭国は魏から見てまともではない。
大和朝廷が中国王朝の模倣で相似形だとすれば、すべてにおいてその数十倍も巨大な超大国だ。
儀礼と体面を重んじる。しかるべく礼儀をもって対応したことが倭人伝で分かる。

>方角が正確だというなら距離も正確じゃなきゃ、お前さんの話はダブスタになる。
正確だ。「陸路距離」は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。
これは、書かれている事実が俺が独自に産出した数値だ。この事実には誰も抗し得ない。

>魏志倭人伝の記述を正確だとしたら邪馬台国は太平洋の洋上だ。
俺の「陸路距離は魏の公式尺度の6〜6.5倍」説が出るまでは、
そういう詭弁反論も一部では通用したことだろう。
(海路距離はまったく別次元の数値によるが、ここでは説明を割愛する)。

>調査官は間違った報告をしていない。歴史家は正確に記述してるだろう。
なら問題はなかろう。いい加減な記録という論拠は何だ?

>伊都国までしか行ってなく、その他は伝聞だと主張したはずだが。
この話はもう・やるのもバカバカしい駄論だ。

>九州は 半島の先端からなら正に東南だし、半島中央部から見ても南南東だ。
>東南の大海の中で間違いないぜ。
これは古代中国人の認識だ。コンチキ図を持ち出した言と矛盾しないか。
九州に限定しているという方便か。詭弁・方便が出たら、そこで勝負ありと明言しといたが。
957日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:25:27.60
●夢幻如へ・しょのさん
>確かに風俗を記したあと唐突な感は否めないが、無意味な文ではないぜ。
唐突ではない。中国江南地方の海人たちの文身の発祥が越だった。
「倭人も文身するが、そういえば、かつての越の領域の東にあるではないか」というわけだ。
これには、古くから長江河口から東の海へ乗り出して行った江南人たちの伝承知識がなくきては書けない。
かつての越の領域は明確ではないが、編纂者は会稽と東冶間を越の領域とみなしている。

(呉の孫権がかつての越と戦った呉の軍師・孫武の末裔ということで、
倭人と呉のつながりをいいたくなかったらしく、
有名な呉の太伯の文身の逸話も「倭人は太伯の末裔」という伝承も一切はぶいている)。
そうした「無理」が「呉越の東」ではなく「会稽と東冶の東」になっているようだ。

それよりもだ。
倭人伝編纂者は帯方郡から女王の都する所までの距離を12000余里としているが、
そう書いた本人がインドネシアまでではなく、
12000余里「会稽と東冶の東」程度の間距離としている事実に注目だな。
958別格の論客:2011/12/03(土) 18:27:25.66
●夢幻如へ・しょのし
>当時の倭人も距離をいう単位くらい持っていただろう。
ただの想像詭弁・願望詭弁。論理性なし。

>距離を計る単位くらいはあったはずだ。
この場合「はずだ」ではなく、あった事実を提示することだ。
俺は、倭人は四季と12月を知らない。里程を知らないという、中国文献の事実に依拠している。

>魏志倭人伝の里程は不正確なものと見るべきなのよ。
観察したところ。
我流解釈するために、それに合わない記録は「倭人伝の不正確さ」という手合いが多い。
それらがみな「逃げの手法」であることは、この別格の天才の指摘によって明らかになっている。

四の五のいう前に。
俺のサイトをみて一からやり直す気があるならば、アドレスを提示する。
その名の通り、正論にみちた別格の論考だぞ。
959日本@名無史さん:2011/12/03(土) 18:27:46.59
天草・南蛮柿餅 四郎の恋=deshabari=縄文人
960太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 18:33:30.77
>>954
× つまりこの地球上での日本では
  臣下(猿相当)存在しない。猿は人間(天皇相当)には絶対なれない。

○ つまりこの地球上での日本では、
  臣下(猿相当)が天皇になる〜は存在しない。
  猿は人間(天皇相当)には絶対なれない。
961唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 18:52:20.61
>>954
歴史とは、時空という物差しを使ってその当時を考える。
遠くなるほどぼやけてくるのはしょうがない。
そこで、神功時代が正しいか?こちらが正しくなければ、卑弥呼の時代はさらに誤りが
大きくなる。

太国の主張する神功時代でその時代を語れるのか?
百済王家一つ説明できない以上使い物にならない。それが太国倍年だ。
卑弥呼と紀の記述は合わない。だから、卑弥呼は九州の隔絶された地に住む。
隔絶された地とは、辺鄙な地をさす。ここの女王を共立する。村民のみで卑弥呼の邪馬臺國が成立する。
ピントのボケは倍年以上だな。
962太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 18:54:01.94
>そんな重要な情報を記紀に載せないわけがないでしょww
重要にはならんだろうが。w
畿内と九州奥地の卑弥呼の国とは国交がないんだから、そんな記事を
「外国書紀」ではない日本書紀に載せる必要もなかろうが。国交とか戦争
を畿内としたとか〜せねばならぬとかになれば話は別だがね。

女王国は、当時は畿内からは付き合いのない遠い外国だよ。知ってたと
しても、「あぁそんな国が筑紫の奥にあるらしいな?」で終わりだ。w
963太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 18:57:26.76
>記紀では暗に神功皇后を卑弥呼に比定してるのはおかしいでしょ。
おかしくないだろう。
卑弥呼を紀が隠してない文証だろうがね。w
オマエは隠したと言ってたではないか。
964太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 19:06:10.31
>百済王家一つ説明できない以上使い物にならない。それが太国倍年だ。
寝言はけっこうだよ。
コチラは百済は関係ない。コチラのやるのは日本古代の編年なのだ。
オマエは他人の論まで勝手に創作するらしいな。まぁオマエの脳内は噴飯
もの毎回を搾り出すからな。
19歳もオマエの脳内がイカレているのに気づき出してるし bububu・・・

プハハハ・・・精神病院ご歓迎!ww
965夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 19:12:36.89
>>958
今ざっと読んだとこだが、話をずらしているとこもあるし、なってないな。
これから仕事なんで詳述出来ないがね。

方角、距離が正確なら倭人伝の記述から不弥国と邪馬台国を割り出してみな。
966日本@名無史さん:2011/12/03(土) 19:12:48.01
>>964太国 ◆yVAs7uaYlY
>プハハハ・・・精神病院ご歓迎!ww

唐松と仲良く一緒にいってらっしゃ〜い \(^o^)
967唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 19:13:25.58
>寝言はけっこうだよ。コチラは百済は関係ない。

倭に臣従する百済を否定する太国は、百済に臣従する倭を主張している。
968太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 19:15:26.17
臣従がわかるなら、日本では臣下が天皇になれぬことくらい分かるはず
だろう。ww
969夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 19:16:42.04
>>949
ついでにこの馬鹿にも。

魏志倭人伝を否定しなきゃ成り立たない比定をするのが
九州説、畿内説の馬鹿でいいか ゲラ
970太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/12/03(土) 19:17:28.38
精神病院へ>>966も唐松と仲良く一緒にいってらっしゃ〜い \(^o^)
971日本@名無史さん:2011/12/03(土) 19:24:45.08
>>969
知ったかぶりのくせに上から話してんじゃねーぞ♪このカスクズが♪馬鹿のくせに。プッ
972唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 19:26:48.83
>畿内と九州奥地の卑弥呼の国とは国交がないんだから、
>コチラは百済は関係ない。コチラのやるのは日本古代の編年なのだ。

女王卑弥呼を隠し、倭に臣従する百済王家を無視し、
百済の属国倭となることを画策する太国。
973天草・南蛮柿餅 四郎の恋:2011/12/03(土) 19:28:06.49
>図8を見れば湖畔に広がった沼地なんて姿は見えない。
>図8-1( 5,000〜 4,000 BC)から見れば後のものは小さくなっているし位置も移動していて
>砂層(一時的な氾濫による堆積物)も見える。

ああ、地形復元図を見て言っているのですね。しかし、残念ながらあの図は正確ではありませんね。
先ず、年代を決めるためにはC14の測定ができる試料が必要ですが、砂層では炭素が少なすぎて(また、流動水で運ばれて
来た砂層に含まれる炭素は起源が不明ですので)測れません。

黒色炭質粘土層ではC14の測定ができますが、この層のどの位置の試料で測るかで年代値は変わります(当然ですが、層の
最上部で若い年代値が出ます)。実は、この黒色炭質粘土層の最上層はそのまま残存しているかどうかという問題があるの
です。湖沼が乾いて土層が硬く締った後に河川のゆるやかな流れで運ばれた砂と粘土が堆積したのであれば黒色炭質粘土層
の最上層はそれほど削り取られないでしょう。

しかし、まだ硬く締っていない黒色炭質粘土層に粗砂の急激な堆積が起るような水の流れではどうでしょう。
黒色炭質粘土層はかなり剥ぎ取られることでしょう。

こういう事情がありますから、黒色炭質粘土層のC14年代測定では得られた値は「この層の最新生成年代はこの値よりも
若い年代である」ということを示すものなのです。

そういうことですからあなたの主張には賛成できません。

974夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 19:28:15.88
やれるだけやってみるか。

>>953
魏志倭人伝に書かれている地理の記述がいい加減だと言ってるんだ。
お前さんが言うような人数、規模やどんな専門家が行ったかなど関係ない。
倭人伝の地理記述を見て詳細かつ精緻と思う馬鹿がいるのか?
わけわからないから現代でも解釈で論争になる。

後半は全く無意味なレスだ。
先遣調査隊を認めるか否かの返答になってない。
かなり勉強してるらしいが知識のひけらかしが目立ち、話がボケる。
975日本@名無史さん:2011/12/03(土) 19:33:52.26
>>965 夢幻尿
>方角、距離が正確なら倭人伝の記述から不弥国と邪馬台国を割り出してみな。

おいおいおいこのゴミクズここに来てまさか

「倭人伝の記事から邪馬台国の位置を割り出すことなんかできない」とか

「割り出すことはできないがすなお読みした俺のは従来説より正しい」

とかほざくんじゃねえだろうな?w

本当、竜頭蛇尾もいいところだなwww

じゃあ日本海側じゃなくて瀬戸内・太平洋で適当に投馬の文字に似ているところ探して
東日本の何処に比定しても同じやんけw

「今まで誰も解読できなかった暗号解読に成功しました!」と今までこの板に
意気軒昂欣喜雀躍で乗り込んできたアホどもと何ら変わらないw




976唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 19:34:09.91
>臣従がわかるなら、日本では臣下が天皇になれぬことくらい分かるはず
だろう。ww

魏朝廷の判断である。
1国1王、であるならば、女王卑弥呼(倭奴國王位継承)以外に魏が認める王はいない。
これが景初3年の実態であるが、
晋書正始元年東倭重譚納具。
正始元年カテイ等は邪馬臺國に”倭王位を授与するよう上奏する。それに応えてその年のうちに
洛陽にて倭王位授与。
つまり、魏から王位を認められていない景初3年においては、臣と記述する以外に無い。
977別格の論客:2011/12/03(土) 19:35:58.21
>>965
>方角、距離が正確なら倭人伝の記述から不弥国と邪馬台国を割り出してみな。
そこへ行くまでもなかろう。
そこへ行くまでに、土台がなっとらんということを論理で説明した。
「だろう」「かも知れない」などといったレベルの話をしてるのはどっちだ?

なんで「不弥国と邪馬台国」になるのかは知らんが、
いつでも出す用意はある。
だが、「振り出しの部分」違いすぎるのでな。出しても意味はなかろう。
今は、きみの「振り出しの部分」の独善論法をただしているところだ。

他人のことはいいから、批判に対する抗弁と論証に集中しろや。
978別格の論客:2011/12/03(土) 19:43:45.05
>>974
>倭人伝の地理記述を見て詳細かつ精緻と思う馬鹿がいるのか?
かなり詳しい。自然・植生・風物・風俗・習慣などとな、東夷諸国の中でピカ一だ。
しかも、王都に至る行程も詳しく書かれている。
この行程だけがいい加減とする理由は何だ。
結局は「いい加減」というだけだろうが。

「倭人伝の地理記述を見て詳細かつ精緻と思う馬鹿がいるのか? 」
俺は詳しい。正しいとする論拠を述べたが、きみは何も提示していない。
ただ、「倭人伝の地理記述を見て詳細かつ精緻と思う馬鹿がいるのか? 」
こういう文言をーならホベルだけだ。

>先遣調査隊を認めるか否かの返答になってない。
先遣調査隊など派遣していないとする論拠に危機との調査の事実を提示したが。
これをもって「そらし」とでもいうのか?

>かなり勉強してるらしいが知識のひけらかしが目立ち、話がボケる。
断定的に発言する背景として、フェアに材料提示をした上で結論を述べるのだが、
それが「ひけらかし」に見えるか。
じゃ、お前と同じに論拠なしの結論の連呼に徹しようか。

それから、かなり態度が悪いが。
俺も地金を出していいか? 半端じゃないぞ。
979日本@名無史さん:2011/12/03(土) 19:45:36.85
持論の立証が出来ないもの同士で議論しててもしかたあるめーにw
特に新参のロリ系コテは、ディべることだけが目的で、邪馬台国についての知識なんて、和訳を少し読んでみました、程度しか持って無さそうだw
980日本@名無史さん:2011/12/03(土) 19:49:44.90
このまま、太国vs唐松の関係になってくれれば、他の人からは空気になるからちょうどいい。
981別格の論客:2011/12/03(土) 19:50:03.36
>>974 夢幻如
邪馬台国がどこにあったかを議論しているのではないぞ。
邪馬台国を探す手順と手法が間違っていると、ていねいに指摘しているのだ。

倭人伝がいい加減でもない。間違っているのでもない。
お前の手順と段取りが間違っている。ここを指摘しているところだ。

倭人伝がいい加減ということで通るなら、
マチュピチュにだって邪馬台国を盛って行くことができる。
そんなお前のいう邪馬台国がどこだろうと、俺には興味はない。
982唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/12/03(土) 19:50:39.37
>畿内と九州奥地の卑弥呼の国とは国交がないんだから、

この”九州奥地の卑弥呼”を魏が女王と認めるには、倭奴國王位継承しかない。
九州奥地に倭奴國が存在できるのか?不可能な思考を不可能な事実でつなげる。
983夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 19:51:19.67
>>956
魏から見て倭国のことを言ってるのに、倭から魏を見た話をするな。
距離6倍論でも何でもいいから魏志倭人伝の記述にそって投馬国と邪馬台国を比定してくれ。
九州が朝鮮半島の東南は事実で魏の使者も実際に行った。
それがただ一海を渡るで済まされてるだけでもいい加減だろ。
このいい加減さが混一彊理〜につながる。

で、九州が詭弁?
「倭の玄関口は九州。その奥に国が広がる」
この視点なら倭国位置で九州を指すのは当然だ。

先遣隊使者は伊都国までしか行っていない。
この主張の理由は十分示した。
それを崩せず駄論とするのは逃げだぜ。
「至」「到」の使い分けに俺の話以外で合理的説明がつけられるのか。
これが俺の話の基点なんだから、ここをだだ否定では噛み合わない。
984夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 19:59:26.42
>>957
これも無駄に知識のひけらかしやってるだけだ。

>そうした「無理」が「呉越の東」ではなく「会稽と東冶の東」になっているようだ。

んなことはどうでもいい。
「会稽と東冶の東」と記述されてる事実はなぜかだ。
軍事的にも政治的にも地理が重要とお前は言い、距離も方角も正確だという魏の正史の記述だ。
ここだけいい加減だと言い張るか。
混一彊理〜の地理感でなければこうはならない。
先遣隊記録からこの記述になっている。

お前の比定地はこれに合致するのか?
985日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:04:10.48
>>973 deshabariな縄文人

言っていることが(反論として)良く分からないな。

俺が言っているのはもっぱらその範囲なのだが?

じゃあ仮に 上部黒色炭質粘土層の 2000〜7000(yBP) と言う数字がもっと新しい年代にまで下るとして、だからどうしたんだ?

?〜7000(yBP)に滞水域で粘土が堆積した地層が
調査した全域に広がっていて広大な湖を想定せざるを得ないのか?と聞いている。

一体これの何処をどう見たら弥生時代の盆地を覆った湖が見えてくるんだ?

資料の地図にどうやったら湖岸線を描けるんだ?

お前が言うところの「 かがくてき 」な見方をすれば直ぐにそれが伺えるらしいが
そんなことにすら本職の学者らは気が付いていないんだよな?w

色々ハンドルを変え与太話するのが好きなようだが
何だ?ディペードゴッコの腕試しでもしているのか?

下らない奴だ。


986夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 20:07:12.04
>>958
「はずだ」の推理なくして話が進むか。
わからないから推理する。 その最も無理のないものが事実に近いだろうよ。

それに都合が悪いから里程を否定してるんじゃないぜ。
大体俺には「ここを邪馬台国にしたい」なんてものがないんだ。
都合が悪くなる理由がない。
魏志倭人伝から邪馬台国を割り出したいだけよ。

水行、陸行の距離表示は無視する気かな?
987日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:08:10.27
>やれるだけやってみるか。

何か弱気だなw
玉砕を覚悟した特攻隊を思い出させる発言だww
988日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:10:04.23
989夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 20:13:57.52
>>975
暗号なんて馬鹿に興味はねえよ。
南に水行と明記されてるのが読めないか。
混一彊理的地理感なら南は東ないし北だ。日本海しかないね。
990筑紫の民:2011/12/03(土) 20:16:20.14
帰ってきた、このあと飯・・・その前に

ローガン先生 殿
堂ノ後古墳関連
下記内容を土質や地層など理化学的正面(土器編年など考古学ではなく)から否定できる根拠はありますか?

天理大歴史研究会の学生十数人が今年(2005年)1〜2月、遺跡のレーダー探査に

詳しい同大文学部の置田雅昭教授(考古学)の指導で調べた。データを詳しく解析したと

ころ、土質の違う部分が見つかったことなどから、堂ノ後の周濠(しゅうごう)の一部が

埋められたり墳丘が崩されたりした後でホケノ山の周濠が造成されたと結論づけた。
991別格の論客:2011/12/03(土) 20:22:00.19
>>983
>魏から見て倭国のことを言ってるのに、倭から魏を見た話をするな。
心あたりがないが、きちんと指摘してくれんか。

>投馬国と邪馬台国を比定してくれ。
みたければ、俺のサイトを教えるといったが。
ここで、たかだか10行くんだりで説明できるほどかんたんじゃないいんだ。

>それがただ一海を渡るで済まされてるだけでもいい加減だろ。
目と鼻の先の島伝い航路だ。船舶技術と航海技術の進んだ国にとっては充分だろ。
お前の論調は、議論でも論証でもなく、ただの「いいがかかり」だぞ。

>先遣隊使者先遣隊使者は伊都国までしか行っていない。
先遣隊使者など派遣した事例でももってこい。

>それを崩せず駄論とするのは逃げだぜ。
ちゃんちゃらおかしくて食いつくほどの話じゃないのだ。

>「至」「到」の使い分けに俺の話以外で合理的説明がつけられるのか。
俺の説明は最初にしたがな。その時のハンドルは雑毛浪人だったか。

>>984
>これも無駄に知識のひけらかしやってるだけだ。
じゃ、これ異常は紳士的な説明をよそう。

>「会稽と東冶の東」と記述されてる事実はなぜかだ。
あくまでも編纂者の机上計算所感。感嘆文だといったろ。
なぜ感嘆文になっているのかも説明したが、
自分の知らない知識情報を提示されると「ひけらかし」に見えるんだな。
理路整然とした考え方・説明の仕方ができるかと思ったが。
ほとんど感情論になってきたところで、俺は遠慮する。勝負にならん。
992夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 20:22:04.75
>>977
逃げるなよ。
不弥国は投馬国の間違いだ。急いで書いてるんでな。
投馬国と邪馬台国を比定してみな。

土台も何も先遣隊は伊都国までしか行ってない、その記録が魏志倭人伝の記述だ
と主張してるのにお前はそれを崩せない。

知識のひけらかしは要らん。
お前も先遣隊は邪馬台国まで行った「はずだ」しか言えないんだぜ。
俺は行かなかった理由を「至・到」で説明している。
学研漢和辞典くんのように挑んできたらどうよ?
993日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:22:51.43
世捨人 VS 九州王朝大好き

夢幻如 ◆ VS 別格の論客

WWW VS deshabar

太国 VS  唐松山              今夜は豪華4本立て
994日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:23:52.61
ホケノ山は6世紀くらいまで、何度か使われた痕跡があることを、
一応言っておきますね。
995夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 20:27:19.66
>>978
お前な、地理の記述について話してるのに何を言ってんだよ。
各国への行程があの程度で詳細かつ精緻と思うのか。
詳細かつ精緻なら邪馬台国論争は起きていない。

傍若無人は地金だ。
まだまだ抑えているけどな。お前も地でいいぜ。
996別格の論客:2011/12/03(土) 20:29:01.73
>>986
>水行、陸行の距離表示は無視する気かな?
もういい。
スタートがおかしいという話に、
俺の高尚な論説を見せる意思はない。おわりだ。

>>992
>逃げるなよ。
あきれてやめるんだ。

>土台も何も先遣隊は伊都国までしか行ってない、
>その記録が魏志倭人伝の記述だと主張してるのにお前はそれを崩せない。
使節が行って女王に詔書と金印を授与している事実を提示したが。忘れたか?

>お前も先遣隊は邪馬台国まで行った「はずだ」しか言えないんだぜ。
なんの。先遣隊などないし、行ってもいない。

>俺は行かなかった理由を「至・到」で説明している。
>学研漢和辞典くんのように挑んできたらどうよ?
勝手に勝利宣言して皆に笑われるがいい。そろそろ1000レスだ。わらわら
997別格の論客:2011/12/03(土) 20:31:08.95
>>995
>お前も地でいいぜ。
遠慮する。地金を出してムキになるほどでもない。
998日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:33:53.99
もう ほんこ
邪馬台国スレは一つでいいやん(ローガン風)

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1321886813/

俺は昨晩からこの子にハマってる
http://www.youtube.com/watch?v=z4wUz5J1ww8
999夢幻如 ◆vaujymvCDcV. :2011/12/03(土) 20:34:09.90
>>981
手順は明示して投馬、邪馬台を推察した。
お前はそれに反対するだけで俺の論を崩せていない。

混一彊理歴代国都之図にしても反論は出てないぜ。
中国にまともに日本を描いた地図があるのか?
「至」と「到」を使い分けた合理的説明は?

時間だ、しょうがないな。
1000日本@名無史さん:2011/12/03(土) 20:34:30.49
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