♪邪馬台国 ドンと来い♪ 96

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1日本@名無史さん
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!

     出来るだけソースを出して後はお好きに!

    ∧_∧ ♪
. ((o(・ω・` )(o))
   /    /
   し―-J

   ∧_∧
 ((o(´・ω・)o))
    ヽ   ヽ ♪
    し―-J

♪前スレ邪馬台国 ドンと来い♪ 95
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1318211531/l50
2日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:05:46.94
一支1st.→已百支last↓誤った解釈http://ameblo.jp/y52yd/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄├───┐  ┏━──┐9.3c
支(防)┌──┐  ┏末盧┏┓└→□金印  └─┐
      └┐  └┐┃↓┗┫┗━━┛委奴国  ┏┘
.  北 .   └─┐┗┛    ┗━┓. (=筑紫)    ┃ ↑
. φ  ....┌┐│放■@  ★不┗┓ 斜陽     ┃海峡に疎い
 南   ┌┘││射■伊都→弥┏┛ 再掲 D  ┗┓
      │  ││式■┿┳↘ ━┛.██████.. ━━┻━━━┓
『伊都』└┐└┘┏■↓┃  奴←▉烏奴←██ 支惟← 巴利 ┗┓
飛地┌─┘遠絶┗■  ┗┳━━▋ ┫┏┓ ██ ┌躬臣┘  ┏┛
    └────┐■    ┃其南▍ ┗┛┃┌■邪馬┏━━┛→
『奴』非親女王┌┘■十  ┃ 有 ▎E   鬼奴■┐  ┃四国認識
    非反狗奴└─■日┏┛狗奴国 Kikuchi ■為吾┗━━━┓
      ┌──┐  ■  ┗┓      ┏━┛鬼■┘ C     ┏┛
    ┌┘┌─┘  ■  ┏┻━━━┛★┌┘■女王国以北┗┓
    │┌┘十    ■━┛      華奴蘇奴  ■戸数道里可得┛
    └┘  日┏━■一              ↑  ■略載(抄録)┗┓
      ┏━━┛  ■月    ┌蘇奴→呼邑  ■┏━━━━━┛
      ┃↓      ■↓★┌対蘇    Koyu. ■┛
    ┏┛投馬 A ■    姐奴←不呼┐┏━■夷守:卑奴の
    ┗┓Satsuma ■ ┌弥奴─→ 好古津┓■南下監視
      ┃         ██都支..Aya..Miya┏━ ██ 都支{城}:宮護
    ┏┛    ┏┓  ██ └ 伊邪┏━┛ ██  伊邪那岐
┏━┛  ┏━╋┛   ████████████
┃    ┏┛┏┛    B  已百支┃ 周旋五千余里
┗┓  ┃  ┃原  邪馬台  ↑┏┛
  ┗┓┃  ┃田○┏━●斯馬┃Kushima
    ┗┛┏┛    ┃  璧┏━┛次有
    ┏倭地温暖┏┛↓┗┛
    ┗━━━━┛南方に詳しい
http://www.saga-s.co.jp/news/saga.0.1105856.article.html
★「佐賀は南九州と朝鮮半島を結ぶ役割を担っていた」
3日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:13:07.18

  ┃   ┏━┃  ((;;;;゜;;:::::(;;:  ∧__,∧ '';:;;;):;:)):).) .     ┃┃
━┏┛ ┏━┃ ━(((; ;;:: ;:::;;⊂(`・ω・´)  ;:;;;,,))..).)━━┛ ┃┃
━┏┛ ┛  ┃    ((;;;:;;;:,,,." ヽ ⊂ ) ;:;;))):..,),)).:)      ┛┛
  ┛       ┛   ("((;:;;;(;::  (⌒) |. .どどどどど・・・  ┛┛
                     三 `J

4デイビッド別格:2011/10/25(火) 21:13:27.77
>>989 あらためか?
>日本国と倭国はそれぞれどこなの?」っていう質問自体が馬鹿げてるわけだ。

せいかい。稚拙すぎて話にならんのだ。
5デイビッド別格:2011/10/25(火) 21:18:12.23
>>958
>卑弥呼の鬼道が黎明期の中国道教と同じものである
>ことが証明されなければその論は成立しない。

俺は何度も提示している。ふざけるなよ。
文句があれば、黙って「同じではない」という論を提示すればよい。
それが反論であり、議論・討論とはそういうものだ。

あい変わらずガキ論法で進歩がないな。便所銀蝿
6日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:22:57.95
魏志倭人伝で言ってる邪馬台国はどうしても九州に思える。
九州と近畿に同時に別々な勢力が存在してたんでは。
後に畿内側が九州の勢力を吸収した…とか。
でも九州王朝の方が系譜が古くてしっかりしていたとか?
九州が古くて畿内が新興というのが当時の人々の間で当たり前の認識だったとか?
日本支配の正当性が弱かったので九州王朝の血も引いていたか引いていたと詐称する必要があったのでは?
大王は高天原由来の者にすべきとかこだわっていた節があるし。
無理に一元化する必要があって無理に一元化したから矛盾が出てくるんじゃないかなと思ってます。
7日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:25:56.68
結局、畿内説では

「旧唐書の記述はくだらないから却下」って吠えるだけなんだね。
漢籍解釈の放棄、学問の放棄が、畿内説の特徴だね。
8デイビッド別格:2011/10/25(火) 21:26:40.31
>6 九州王朝
そこそこ・いい加減に見切りをつけたらどうだい。
「あたしゃ古田ギミックの虜です」といってるも同然だ。
それはとりもなおさず「見る目がない」ってことでもある。
9日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:27:35.13
「新しい歴史教科書をつくる会」が教科書をつくれば、左翼は猛反発
旧教科書をつくった連は左翼だし変えたくないから・・・
畿内説もこれに近いか?本当のこと言われたらいろいろ拙いことあるか?
10デイビッド別格:2011/10/25(火) 21:29:29.95
>>7
>畿内説では 「旧唐書の記述はくだらないから却下」って吠えるだけなんだね。

畿内説だけじゃない。世の良識はみなそうだ。
この九州説の雄が「いい加減に見切りをつけろ」といってるんだぜ。
11改め(畿内説):2011/10/25(火) 21:33:36.66
>>7
旧唐書?それ以前に「はくそんこう」ていう戦いで列島は負けて
ぼろぼろになってるんです。
そして、新しく「日本」という国号にし、旧唐書における

「日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本爲名
或曰 倭國自惡其名不雅 改爲日本 或云 日本舊小國 併倭國之地」

として、報告し、記載された。
ただそれだけですよ。
とくに「倭」を「日本」が吸収なんてありえませんし、
日本の古い呼び名の「倭」を吸収って馬鹿げてます。
12日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:34:42.76
>>10
誤解のないよう。
「畿内説では 旧唐書の記述はくだらないから却下」ではい。
「九州王朝説的旧唐書の読み方がくだらない」のである。
13日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:38:25.72
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1319544714/14

九州説とか、朝鮮人が起源を主張して日本文化を乗っ取るのと同じ。

つけあがらせては、日本の国益にはならない。

国家を分断させたり、歴史を新しく見せる国が世界のどこにあるのだ?

日本国の前身であるヤマト国=邪馬台国は2世紀から九州〜関東を支配した。

なぜ、そうした誇りある国家の歴史に難癖つけようというのだ。おまえら本当に日本人か?
14日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:40:18.75
>>9
>「新しい歴史教科書をつくる会」が教科書をつくれば

いやかなり昔だが作る会が出した「市販本」のものを何故か持っているんだがw

神武東征も頁を変えて神話として紹介していたに留まるし
九州王朝説も勿論書いてなかった。

もうお前らゴミクズレベル九州説は右とか左とかいう問題じゃないwww

15改め(畿内説):2011/10/25(火) 21:47:51.62
役者が揃ってきたので、今夜にでも白黒はっきり付けたらいいんじゃないか。

九州説か?畿内説なのか?現状でどっちが優位なのか、
ここを観てるお客さんに判定してもらえばいい。
16ほぼ再掲:2011/10/25(火) 21:48:01.59
>大法螺駄法螺吹き 知ったかぶり 嘘八百口からでまかせ ゴミクズファンタジー作家 森村伊作
 及び そのポチ 筑紫のド民

Q弥生中期に唐戸集落を計画的・組織的につくった政権はどこにあったのか。


A唐古鍵を造ったのは盆地にいた人間。
 外部勢力により造られたような想定の必要は無い。

そもそも唐古鍵にそんなものを想定しなければならないほど、そこまでの特異性は無い。
環濠集落と言えば、吉野ヶ里、唐古鍵、池上曽根、朝日、大塚…等々は直ぐにその名が挙がるだろうが大小あわせて全国に何百とある。
全面的に保存され全国的に名の知れるようになるのは、その中のほんの極々一握り(事実、吉野ヶ里だって工業団地になる予定だった)
このゴミクズは「搬入土器」(外来系土器)と言えば全国から人間をかき集めた勢力を想定しなければならないと脳内で直結してしまったようだが
そもそも纏向のそれは比重やその由来地域の分布が突出しているのであり他の遺跡にそれが全く見られないような話ではない。
(もっとも単に”外来系の比重”と言うことで言えば上には上w神崎遺跡のような移住を想定させるようなものもあるが…)

外来系土器の比率が纏向で最大(ポイントにより異なる)30%ぐらいなのに対し唐古鍵なら3〜5%程度だったと思うが
一体何をもって唐古鍵にそんな突出した像を描いているのか?
「はんにゅーどき が でている から」 じゃあお話にならんぞ?

何故唐古鍵に特殊な集落の成り立ちを想定しなければならないのか? きちんとした根拠を出せゴミクズ。

この馬鹿はどうせネットの何処かで「唐古鍵に搬入土器がある」とか書いてあるのを見つけてはしゃいで飛びついたんだろうが
小中学生レベルの基本の基本のそのまた基本すら理解していないからピント外しまくりのアホしか書けない。
知らなければ知らないで黙っていれば大恥かかずに済むが
自惚れだけは人の千倍も万倍もあるから、全く知らない考古学的なネタでも何とかリベンジしないと気がすまない

…で出してくる度に更に大恥をかくと言うエンドレス泥沼。
アホの身をはった連続自爆ギャグ、
馬鹿は同じ失敗を何度繰り返しても学習しない。
要は「死ななきゃ治らない」
17日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:49:35.13
左翼思想は畿内説かな?
教科書を書き換えたくないのは畿内説かな?
反日本的活動は畿内説だろ?
18日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:49:44.95
メ は引っ込んでな
19日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:52:59.62

メ って宇佐に注目してるんじゃなかったっけ?
20日本@名無史さん:2011/10/25(火) 21:55:26.61
>>17
戦後考古学界もマルクス思想にかぶれたのは間違いないんだろうが

それを言えば九州王朝説の古田や
邪馬台国ブームの火付け人といっても良い松本清張もマッカッカなサヨクwwww

右だろうが左だろうがここのゴミクズのような与太を教科書の内容にしようなんて馬鹿はいない。



21改め(畿内説):2011/10/25(火) 21:57:19.34
>>19
はあ?なにが?
おめーさん、ここを覗いてるのかな?
http://yamataikoku.bbs.coocan.jp/?m=listtitle

ダメだよ〜勝手に覗いちゃあ〜ww
22日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:02:11.19
考古学で生活するためにマキムク活動宣伝して
記紀に基づく発掘だと必死こいて論文書いて
国民の税金を奈良発掘に投入させて
これが日本国のための畿内説か?
カスども、いずれお前たちのせつは覆される
税金の返納準備しっかりしとけよ
23改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:07:10.19
>>22

いや、いや、感情的になってはいかん。
私達は歴史の真実をおってるんであって、邪馬台国の「真」は、近畿に存在したと
真面目に思ってるんであり、発掘予算がどうのって話じゃないんです。
で、貴方の言う「九州説」はどんなのでしょう?

たぶん、私達、畿内説の深い考案よりも、
かなり「安い」というか「チャラケタ」説なんでしょうが。
まあ、とりあえずは、聞いてやるので、書き込んで下さいよ(笑)
24日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:07:39.31
>>11

白村江で負けて、トップの薩夜麻が帰還してるよね。
九州勢力が滅亡しているどころか、
むしろ新羅にコテンパンに負けている唐軍が、
九州に助けて〜といった状況だったね。
25日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:07:39.46
>>16
賛助会員も畿内説学者の税金の無駄い遣いと同列だ
犯罪者と一緒だ
26改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:10:49.45
>>24
国家の権威を保つ為の「再出発」の意味もあったのかもしれません。
27日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:11:51.28
>>23
お前は土俵の上どころかスタンドの観客にもなれない。
会場の外から野次飛ばしているだけだな。
中に入りたければ対決できる説をもって、き・な・さ・い。
28日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:12:24.39
>>25
畿内説が憎い!
考古学会が憎い!
橿考研が憎い!
今晩の恨み節入ります…
29改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:14:34.85
>>27

アハハハハ ザコから言われても痛くないというか。
「対決」って、俺はいやだよ〜
ジョーカーの馬鹿にでも相手してもらえよw
30日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:15:00.42
畿内説支持派の一部からの文体から左翼っぽい臭いがする
31日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:16:28.08
>>22
なあゴミクズ。

発掘調査とかが奈良県だけだと思っているのか?
開発に伴う緊急調査(行政発掘)は全国で年一万件にも及ぶそうだが…

要するに畿内ヤマトにだけスポットライトが当たるのが気に入らない、妬ましいとw

32日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:17:37.93
>>25

だからさ、白村江で船を大量に失って、一時的に敗北しただけで、
すぐに九州勢力は、国力を盛り返しちゃってるわけ。
畿内説だと、「663年は九州全滅」なんて思うんだろうけど、
実際は九州で唐軍の負傷兵の治療や物資補給をしてもらってるわけだ。
だって、新羅と戦わなきゃいけないからね。
33日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:17:53.93
天皇一族は国の看板
実質の権力は、天皇を擁立する各氏族が握っていた。
権力を持つ氏族は、領地の経営や、土地の
豪族との関係であまり動けない。

九州王朝系豪族連合対、大和朝廷系豪族連合。
着々と実力を蓄える、大和朝廷系豪族連合に
九州王朝系は、白村江の疲弊もあって、ついに屈する。

アメ氏系一族という看板は、大和朝廷系豪族連合に
移される。
九州王朝系豪族連合の所領も支配もそのままである。
しかし権威が移った以上、突然変化することはないが、
やがてジリ貧になるのは目に見えていた。

ただし、大宰府はかつての都である。
天皇がいなくなっても、しばらくは維持された。
しかし、それもやがて終演を迎える。

東京の皇居に対する、京都御所のように。

というお話でした。
34日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:20:17.73
>>29 改めドツボ

お前はそう言う「仕切りたがり」が嫌われるんだよ。
いい加減気づけゴミクズ。

まあ「終止符」スレも「九州にあった」スレに顧客が流れて言った観があるからなw




35日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:20:28.06
>このゴミクズは「搬入土器」(外来系土器)と言えば全国から人間をかき集めた勢力を想定しなければならないと脳内で直結してしまったようだが
>そもそも纏向のそれは比重やその由来地域の分布が突出しているのであり他の遺跡にそれが全く見られないような話ではない。

へ、?・・じゃ、カラコもマキムクも、ゆるやか連合の根拠者無くなるわけね
36日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:23:01.99
で、素朴な疑問なんだが…

その7世紀頃に九州倭国を併合した畿内日本は

それ以前には自分達を何と称していたのかな?


37唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/25(火) 22:26:23.76
>>22
>考古学で生活するためにマキムク活動宣伝して

現在の考古学が主張する纒向年代は正しい。
だから
>>13 >日本人は朝鮮人の一万回の嘘を一万回否定しなければならないな

否定するためには、七支刀は、領土分与のお礼品である。
七支刀=369年を主張しても通らない。
韓国の正しい歴史は、新羅本紀であり、この数字に日本書紀を合わせれば、七支刀=326年であり
七支刀は領土分与のお礼の品となる。

崇神天皇 188年〜216年 2章−1年 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。異族多帰は、各地の土器。209年 新羅本紀、伽耶に援軍=三国遺事541年で建国330年=任那建国
垂仁天皇 217年〜239年 4章 ホケノ山古墳に田道間守の殉葬。
鉄輸入権・配布権掌握を主要因とする大和政権。
纒向遺跡の巨大建築は珠城宮の跡に日代宮。
景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵(263年)。遠国をまとめる為「魏の屯田手法」導入。
247年? 景行12年 九州平定へ。
252年? 景行20年 五百野姫=壹與
255年 景行27年 日本武尊の九州
256年 景行40年 日本武尊の関東 倭国統一なる。
38日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:26:26.71
>そもそも唐古鍵にそんなものを想定しなければならないほど、そこまでの特異性は無い。

であれば、今後この遺跡は九州説の引き合いに出せないわけね。
→唐古鍵・・・終了
39日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:28:51.87
>そもそも纏向のそれは比重やその由来地域の分布が突出しているのであり他の遺跡にそれが全く見られないような話ではない。

はい、マキムクも終了

さあ、ゆるゆる畿内説、次はもうないよ〜〜〜。
頑張れよ賛助会員andスタンドにも入れないメ
40改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:30:44.77
>>38
いや、唐古鍵遺跡の「本」を読んだのでお前ら相手しろよってやつだろう。
君ら相手にしてやればいいw

>>36
九州、畿内に限らず、「名」じゃないのか?www

>>34
あいかわらず、馬鹿だな〜きみはw
41改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:32:31.70
>スタンドにも入れないメ

ああ、私にコメントしてほしいのかな?
だったら早く言えって話で・・・どれについてコメントしてほしいんだい?ん?
42日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:33:43.14
>>36
>その7世紀頃に九州倭国を併合した畿内日本は

ヤマト王権が九州を併合したのは
2世紀だバカもの。

43日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:34:56.86
>>40 改めドツボ
>九州、畿内に限らず、「名」じゃないのか?www

なんだ?頓知を利かせた解答だと思っているのか?

ゴミクズは消えろ。



44日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:36:00.31
>>41
出ていいって、お願い、頼むから、うざいから、死んでほしいから、見たくないから、汚いから、触りたくないから、みられたくないから・・・・・
45改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:36:31.32
>>43
だからお前の質問が馬鹿ゲテルんだよ!

>その7世紀頃に九州倭国を併合した畿内日本は
>それ以前には自分達を何と称していたのかな?

馬鹿か?(笑)
46日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:40:10.42
畿内説のいう「ゆるやか連合」とやらだけどさ、
共同体の集合でも、利益団体の集まりでも、
利害背反する部分では常に反発したり争ったりするし、
協定しないと困る部分では協定する、というのが
古今東西、世の常だと思う。

だから「ゆるやか連合」があったから云々なんて
あまりにも一面的な表現だと、多様な現実をゆがませて
論理をどんどん押し進めちゃうじゃないか。
だから「ゆるやか連合」の裏には「いがみ合い牽制しあい連合」
も同時に存在する、って現実から話しないとダメだと思うよ。

まあ、むりやり畿内説に誘導したい気持ちは分かるけどさ。
47改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:40:23.68
ああ〜ごめん  ここはジョーカーとサイキバとやらの落書きスレだったよね。
私が二人の関係を邪魔しちゃ〜いかんわなwww

ごめん、ごめん 二人の仲は永遠にってやつだww
48日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:40:51.86
>>45
いやいや感情的になってはいかん。
冷静になって、早く、いなくなれ、静かになれ、できれば二度と出てこないでくれ、触れないでくれ・・・・
49日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:42:20.02
>>46
心配するな。

「ゆるやかな連合」と聞いて血の一滴も流れない仲良しグループを想像するのは
ここのゴミクズレベル九州説みたいな馬鹿しかいないからw


50改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:42:56.58
>>46
いや、そんなの当然じゃん。
誰がそんなこと言いだしたの?って逆に聞きたくなる。

51日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:44:01.48
>>49

いや、お前みたいな畿内詐欺師への皮肉だよ。
よくこの指摘を噛み締めろ。
52日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:45:19.84
>>50

曳かれ者の小唄かよ。この畿内説詐欺師!
53日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:46:13.59
支配というか、負けたら消される、という生存戦争なら、
そうとう凄惨な戦争になる。
が、そんな形跡はない。

つまり政権が移っても、王も豪族も消されなかった
政権移譲を考えなければならない。
54日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:46:13.98
>>51

自分の幼稚な発言を揶揄されたら、顔を真っ赤にして反論ですか。

だったら、はじめから口を閉じてろってことだ。
55日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:47:34.52
>>54

詐欺の手法がバレたから、ずいぶんしつこく絡むんだなw
56改め(畿内説):2011/10/25(火) 22:49:55.71
えっとですね。

私は畿内説をとってるんですが・・・・
畿内説を批判する九州説論者の皆さんの中で
これをまともに読んだことがある人は何人いるのでしょうかね。
http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/gishi_gen2.htm

貴方達のレスを観る限りでは、一人もいないんじゃなかろうか。
まず、私にどうこう言う前に、初歩的な事から勉強されては如何だろうか と思う。
57日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:50:01.84

なんちゅうレベルの低いスレだよ 子供の喧嘩じゃんwww
58日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:50:16.90
>>51 名無しゴミクズレベル九州説
かみ締める前に
そもそも口の中に入れるのが馬鹿だという話だなw

5世紀前半ごろまでに各地に時に畿内王家のものを凌駕する巨大古墳が造られるが後半には収束に向かう。
ゆるやかな首長連合的な性格だったヤマト王権が中央集権的なものに変質する。
特にその画期が雄略。

…もうこんな話中学生レベルだろう。ここは本当に日本史板か?

これを争うなんてもはや邪馬台国論争ですらない。


59日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:52:43.79
メ は子供以下レベル
60日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:53:28.76
後漢に朝貢した倭奴国=半島系の筑紫国、伊都国や奴国の前身
中国江南地方から東シナ海を渡って肥の国に上陸した一族=邪馬台国の前身
耕地に恵まれない邪馬台国はその鉱山技術、より高度な製鉄技術、冶金技術+鬼道をもって
一気に有明海沿岸、阿蘇、伊都国連合をも含む北部九州を席巻、一大率を置き諸国を検察
薩摩大隅の狗奴国をも支配下に置こうと画策するも苦戦、魏への朝貢はこの頃
狗奴国は天草島(投馬国?)から侵攻を始め一気に肥の国を蹂躙、夜須川(天の安河?)まで進出
邪馬台国の王族は逃亡し日田から山国川あるいは駅館川をさかのぼって宇佐に落ち着くも小規模勢力に
4世紀はじまり前後(?)朝鮮半島南部(高天原?)の騒乱の影響で多羅からやってきた一団(タラシ系の王族=景行天皇、神功皇后)が
八女、宇佐など北部九州を平定しようとするも地元豪族たちの抵抗に遭う
神夏磯姫と縁戚関係を結んでいにしえの邪馬台国の血筋を入れたタラシ系の王族(イザサワケ=応神天皇)は瀬戸内海を東進
吉備の勢力と手を結び河内に入り、後の大和朝廷の基礎をつくる
自分の家の近所にあり、小さい頃から目の前で見てきた大仙陵古墳の被葬者はこうして西からやってきた征服王なのではないか
自身の事跡を誇るために海から見える場所にあのような大きな墓を作らせたのではないのか

61日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:56:25.72
賛助会って何?
62日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:57:03.16
改め(畿内説)とイサク(九州説)はえらく嫌われているな。
当然だが。
63日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:57:09.05

定期的に来るねこの人w
64日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:58:18.38
>>58 反キチ
邪馬台国が所在した根拠もまともに話せないガキが

>…もうこんな話中学生レベルだろう。ここは本当に日本史板か?
>これを争うなんてもはや邪馬台国論争ですらない。

は、ないだろ?
ほら、カラコカギとマキムク無くした畿内説が次なる根拠と言い張ることのできる物
早く持って来い。
65sss:2011/10/25(火) 22:59:32.15
>>58
日本最古の歴史書と言われる古事記・日本書紀と畿内説はどうも相性が悪い。話が合わない。
普通だったら、畿内説は間違っているという結論になるわけだが、畿内説は逆の結論を出した。
古事記や日本書紀の方が間違っているというわけである。

そこで、記紀とは異なる物語を作り上げた。「ゆるやかな連合」説である。
誰が作り上げたのかは知らないが、ごく最近に出来たものである。大和朝廷の概念も
違うものにしてしまった。天皇の実質的な始まりも遅いものにした。
過渡的な政権としてヤマト政権なるものも作り上げられた。

しかし、これが何に基づいて作られたものかがはっきりしない。文献的な資料に基づいて
いないことは確かである。
単に、神武東征を否定することから始まったと考えた方がよさそうである。
66太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/25(火) 22:59:42.18
>崇神天皇 188年〜216年 2章−1年 五,六年の記事は、新羅192,3年に対応。異族多帰は、各地の土器。209年 新羅本紀、伽耶に援軍=三国遺事541年で建国330年=任那建国
垂仁天皇 217年〜239年 4章 ホケノ山古墳に田道間守の殉葬。
鉄輸入権・配布権掌握を主要因とする大和政権。
纒向遺跡の巨大建築は珠城宮の跡に日代宮。
景初3年 都市牛利(たしうり)=田道間守、伊支馬=イクメ=垂仁
景行天皇 240年〜261年 2章 箸墓は箸陵(263年)。遠国をまとめる為「魏の屯田手法」導入。
247年? 景行12年 九州平定へ。
252年? 景行20年 五百野姫=壹與
255年 景行27年 日本武尊の九州
256年 景行40年 日本武尊の関東 倭国統一なる。
上は  ↑  出鱈目の創作である。
[大中臣の下命] 大中臣の偽編年撲滅の下命の重要年代計測器〜
古代史の真の年代を測る天下の宝器、これを天津神算木(天津金木)と
いう。毒書ホツマに汚された脳内からのインチキ編年188年のデタラメを
祓う〜過去から未来永劫に金鉄の如きに防備し、頑強な妄想説にびくとも
せぬ、古代人から現今のデタラメ、妄想に騙されないための宝物である。
天津神算木とは崇神紀(景行紀ではない)の説話にある三輪山の三輪
(半径r=3の円)の球化の 体積=表面積 をいう。
天津神算木 4πr**3/3=113.0973355292・・・ (**はベキ乗)
大祓祝詞に曰く 大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて
 3≠113.097335  右辺左辺をまたいで  B.C.3113年 マヤ文明元年
主値 1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位(見かけの年代)
死値 A.D.130年 景行天皇 崩御←崇神世の引き立て役たる補助年代

113←崇神即位の月日数 1/13
097←崇神即位の見かけの年代 B.C.97年(先頭0は西暦0年を示唆し除去)
335←崇神即位の真の年代への誘引のジョーカー数 335年

 335−97=238年 から、西暦0年を除くから1年マイナスとなり

 238−1=237年=崇神天皇即位元年(真の年代)=景初元年
67日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:02:01.82
>>58

あのさ、権力と墓の大きさは必ず比例するって、君が決めたの?
岡山県の古墳が一番大きかったときは、岡山県が日本の中心だったの?
68日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:03:27.59
>大法螺駄法螺吹き 知ったかぶり 嘘八百口からでまかせ ゴミクズファンタジー作家 森村伊作
 及び そのポチ 筑紫のド民

Q弥生中期に唐戸集落を計画的・組織的につくった政権はどこにあったのか。

A唐古鍵を造ったのは盆地にいた人間。
 外部勢力により造られたような想定の必要は無い。

そもそも唐古鍵にそんなものを想定しなければならないほど、そこまでの特異性は無い。
環濠集落と言えば、吉野ヶ里、唐古鍵、池上曽根、朝日、大塚…等々は直ぐにその名が挙がるだろうが大小あわせて全国に何百とある。
全面的に保存され全国的に名の知れるようになるのは、その中のほんの極々一握り(事実、吉野ヶ里だって工業団地になる予定だった)
このゴミクズは「搬入土器」(外来系土器)と言えば全国から人間をかき集めた勢力を想定しなければならないと脳内で直結してしまったようだが
そもそも纏向のそれは比重やその由来地域の分布が突出しているのであり他の遺跡にそれが全く見られないような話ではない。
(もっとも単に”外来系の比重”と言うことで言えば上には上w神崎遺跡のような移住を想定させるようなものもあるが…)

外来系土器の比率が纏向で最大(ポイントにより異なる)30%ぐらいなのに対し唐古鍵なら3〜5%程度だったと思うが
一体何をもって唐古鍵にそんな突出した像を描いているのか?
「はんにゅーどき が でている から」 じゃあお話にならんぞ?

何故唐古鍵に特殊な集落の成り立ちを想定しなければならないのか? きちんとした根拠を出せゴミクズ。

この馬鹿はどうせネットの何処かで「唐古鍵に搬入土器がある」とか書いてあるのを見つけてはしゃいで飛びついたんだろうが
小中学生レベルの基本の基本のそのまた基本すら理解していないからピント外しまくりのアホしか書けない。
知らなければ知らないで黙っていれば大恥かかずに済むが
自惚れだけは人の千倍も万倍もあるから、全く知らない考古学的なネタでも何とかリベンジしないと気がすまない

…で出してくる度に更に大恥をかくと言うエンドレス泥沼。
アホの身をはった連続自爆ギャグ、
馬鹿は同じ失敗を何度繰り返しても学習しない。
要は「死ななきゃ治らない」

69太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/25(火) 23:04:15.37
>伊支馬=イクメ=垂仁
    ↑
これは出鱈目である。臣下が天皇になれぬのは、道鏡が天皇になれ
ないことから明白である。

臣下は彼らを選んだ〜〜ww

等号では、まるで「猿の惑星 ウソ西紀」さながらの失笑論であ〜る。ppp
70日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:06:32.98
畿内説宣伝隊
賛助会
71改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:08:06.53
いや〜、一気に賑わってきたね〜☆
で、みなさんお詳しいし、私の知らない人もいるみたい。
72日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:09:20.93
>>65
>日本最古の歴史書と言われる古事記・日本書紀と畿内説はどうも相性が悪い。話が合わない。
>普通だったら、畿内説は間違っているという結論になるわけだが、畿内説は逆の結論を出した。
>古事記や日本書紀の方が間違っているというわけである。

ふざけんな。
畿内説こそが、記紀と符号するんだよ。
学者は記紀を持ち出して考古学を騙らないだけだ。

神武東征は紀元前だし、景行が九州征伐したのは1世紀だ。

東遷説は、記紀を無視して神武は4世紀だのと神話を都合よく捻じ曲げている。

73筑紫の民:2011/10/25(火) 23:09:21.50
邪馬台国以降の倭の五王の話したいから話すね。
その前に、神籠石の話します。

杷木神籠石
@福岡県朝倉市杷木町大字林田・穂坂
A筑後川河岸を南端に2.2kmにわたって60〜70cmの大石が並んでいる。
B筑後川中流を制するように築城されている。この上流は日田市が存在する。
C久留米の高良山神籠石が通視できる。(連携できる。)
Dこの杷木神籠石の中に中世城郭の長尾城と鵜木城がある。

この城があったらとても筑後川を溯上して進軍できるものではないわ。
74日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:09:32.29
>>67 名無しゴミクズレベル九州説
はあ・・・・・・・・・ 

別に単に墳墓の大きさだけじゃない
「大王」の号の見える金石文が出てきだしてそれが示す年代もその頃とか色々だな。

何でこんな一億二千万の常識から言わなきゃならないんだ?

悪いが俺は小学校や中学校の先生じゃないからその程度は自分で勉強してきてくれ。



75筑紫の民:2011/10/25(火) 23:11:50.37
高良山神籠石
@福岡県久留米市 高良山高良大社
A高良山の山腹に約1.5kmにわたって約70cmの大石が並んでいる。
B筑後川河口から中流及び筑後平野を制するように築城されている。
C女山神籠石、帯隈山神籠石及び杷木神籠石が通視できる。(連携できる。)
D高良大社は、古くは「高良玉垂宮」と呼ばれ弘仁九年(816)十一月、名神に列し、貞
  観十一年(869)三月従一位、寛平九年(897)には正一位を授与された。

ここからも筑後川が丸見え、<卑弥呼のお里は久留米>が大好きな場所かね?
76日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:12:22.40
日本とは倭を思いつきで改名しただけのものなのか。
それではまるで、本名では差別されるから・・・ってのと同じじゃないか。

突然に日本を名乗るはずがないし、そこに至る何らかの歴史があるはずで
列島読みで、ひのもとなのか、じっぽんに近い古名であったのは知らないが
何か前身があったと考えるが自然で、単に改名しただけという単純なものではない。
ところで、やまも地形としての山を表すだけのものではないと思う。
邪馬台国は邪馬台ではなく邪馬本国の意であるという解釈もあることだから。
77筑紫の民:2011/10/25(火) 23:16:51.57
女山神籠石
@福岡県みやま市瀬高町大草
A女山地区の丘陵に馬蹄状に約3kmにわたって1辺約70cmの大石が並んでいる。
B筑後川河口から中流及び筑後平野を制するように築城されている。
C久留米の高良山神籠石及び帯隈山神籠石が通視できる。(連携できる。)
D列石の内部には多数の古墳があり、中広形銅矛・勾玉などの出土品も多い。

ここからも、筑後川が完全に制することができる。当然筑後平野もね。
ここも<卑弥呼は・・・久留米>さんがすきなところかね。
78sss:2011/10/25(火) 23:18:05.39
>>72
畿内説にもいろいろあるとしか言いようがないな。

ただ、記紀によると、神武東征以来大和朝廷は続いている事になるが、畿内説の
「ゆるやかな連合」は、それを真っ向から否定するものとなっている。
79改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:18:56.60
いずれにしても改名はなされていただろう。
「日本」となり、中国からの独立宣言でもある。

「ひのもと」ていうのはどっか一部の地名じゃなかっただろうか。
「邪馬台」とはヤマトで問題なし。
80唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/25(火) 23:19:14.78
>>72 >神武東征は紀元前だし、景行が九州征伐したのは1世紀だ。

この数字では、>畿内説こそが、記紀と符号するんだよ。
記紀と整合することは無い。

纒向遺跡は、2世紀末に各地の土器が持ち込まれるところから、箸墓築造までである。
ここに崇神・垂仁・景行を整合させるしか、記紀と整合させる手は無い。
81筑紫の民:2011/10/25(火) 23:20:05.61

帯隈山神籠石
@佐賀県佐賀市久保泉町
A帯隈山を囲むように2.4kmにわたって約70cmの大石が並んでいる。
B筑後川河口から中流及び筑後平野を制するように築城されている。
C久留米の高良山神籠石及び女山神籠石が通視できる。(連携できる。)
D近くに吉野ヶ里遺跡が存在

ここは、直接行ったことは無いが、地図やグーグルで見る限り筑後川と
佐賀平野を制することができる場所です。
82日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:20:35.72
>>78


神武は紀元前なわけだが。それを4世紀だと捻じ曲げるそっちは、神話を否定してることにはならないのか?

独善的すぎるんだよばかやろう。

83日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:22:01.61
>>78 ゴミクズレベル九州説東遷説 sss

まあ逆に東遷説の連中にとっては一般的に認知されている

そんな「連合体から中央主権的なものへのシフト=ヤマト王権の変質」なんてものは認めたら終わりだからなwwww




84日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:23:29.80
>>79 改めドツボ
>「ひのもと」ていうのはどっか一部の地名じゃなかっただろうか。

一説に「日下」と言うのがある。

この地名は記紀にも登場する。
85改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:24:47.13
神籠石?邪馬台国とは関係が無く、六、七世紀のものだろう。
福岡県行橋市みやこ町だったかな「御所ヶ谷神籠石」はみてきたが、
この地の研究がなされて、地層がでてるみたいだし。
それによると神籠石は山城で六、七世紀の土器と一緒に...とかの話だったはず。
あまり関係ないかもねえ。
86sss:2011/10/25(火) 23:28:42.24
>>82
記紀の年代が引き伸ばされているというのは常識だろう。初期の天皇の寿命や在位期間が
それを物語っている。
また、神功皇后は記紀の年代観では、西暦201年即位の269年没だが、神功皇后と言えば
三韓征伐。日本書紀を読むと、新羅や百済が登場する。しかし、新羅や百済の建国は
4世紀後半。これからも年代のずれがわかる。

それでも神武東征が紀元前と言い張るのなら、他の畿内説と決着をつけてからにしてくれ。
87筑紫の民:2011/10/25(火) 23:31:54.83
>>85 
がからむと幼稚になるからからんでほしくない、あっちにいってほしい、さわらないでほしい。
88筑紫の民:2011/10/25(火) 23:33:43.36
>>85 がいるから、今日はねる。
>>85 はやくいなくなってほしい、空気読んで消えてほしい・・・・

お・や・す・み
89日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:33:46.63
>>86

年代を修正したとしても、神武は1世紀だ。

4世紀とか3世紀ではない。

都合よく神話をねじまげるんじゃねえよクズやろう。
90日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:33:58.27
人海戦術だけで作った畿内の古墳より、
神籠石だとか大宰府の水城のほうがはるかに高度だな。
まあ、畿内は墓地だったから仕方がないか。
91日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:36:34.31
>>74

大王なんか関東にもいるし全国にいくらでもいるだろ。
バカバカしい。
92日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:36:57.79
>>87 筑紫のド民

>>85の内容はドツボにしてはまともだと思うが…

>>68に対してコメントは無いのかな?

唐古鍵を造ったのは盆地の人間で事足りるときっぱり言い切ってやったんだが…
それでは無理があると言うのならその根拠を出せ。

搬入土器そのものは他の遺跡でもある。
唐古鍵自体環濠集落として他と隔絶した規模のものでもない。

何故、唐古鍵に特別な成り立ちを求めなければならないのか?

質問の前にその質問が成り立つ根拠を言えカス。
93改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:37:44.75
>>84
それそれ、古代から残る地名にその「日下」というのがあり、
大阪、だったか奈良だったか忘れたが、それがことの始まりなんて本にあったねえ。

古事記・日本書紀に関しては、
それ以前の「帝紀」、「旧辞」、「国記」「天皇記」「帝王記」を集めて
造られてるし、それ以前は「字」ではなく語り部による「口承」ですよね。
魏志倭人伝と合うか、合わないかは、各自の捉え方というか、
それに大体は一致する箇所もあるだろう。
94改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:41:39.24
アハハ 御所ヶ谷神籠石で邪馬台国ゴッコしたいらしいが、
ハッキリ言って無駄でしょうね。
私は止めませんが、まあ、お好きなように・・・・アホらしいのでねる(笑)
95日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:42:33.66
まあ「神籠石」でケリが付くなら
明治には既に九州説で決着してただろうなwwwwwwww
96sss:2011/10/25(火) 23:43:19.88
>>89
お前は話にならない。
まず、自分で神武東征の時期をはっきりさせてから書き込むことだな。
97日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:44:08.08
神籠石は、九州王朝系の話でしょうね。
98改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:44:42.45
>>91
古墳は、大きければ、大きいほど、デッカイドーじゃないけどw
バーカアーの言うとおりなんですよ。

さて、アホらしいのでねる(笑)  イイ夢みろょ〜☆ zzz
99日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:46:05.84
>>96

馬鹿いえ、明治時代は神籠石の性格付けすら出来ていないわw
ケリがついているわけないだろ。
100筑紫の民:2011/10/25(火) 23:46:12.09
>>92
>唐古鍵を造ったのは盆地の人間で事足りるときっぱり言い切ってやったんだが…

何人/日で何を造ったんだ?その人口が奈良にいたのか?その当時の奈良の石高は?
反論するのならお前も根拠示せよ。

とりあえず、そのカラコには各地の土器があったようだ。考えられるのは
「各地の土器を集めた」のではなくて「各地から人が集まって生活をした。その痕跡が各地の土器」なんだな。
では、「各地から労働力を集めることができた権力者とはだれだ?」
これをちゃんと、きれいに、理路整然とせつめいしてほしい。
せつめいできなければ消えてほしい。からまないでほしい。二度と姿を見せないでほしい。
101日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:47:46.75
>>98

ねえ君、魏が薄葬だったって知ってる?
巨大古墳が多いことは邪馬台国じゃない証拠だよ。
102筑紫の民:2011/10/25(火) 23:49:51.36
>>101
「女」は、からんでほしいみたい。だから「何でも言う。」
畿内説も「何でも言ってみる。」
畿内説は、さみしいのかな?
それとも、反抗するのが義務なのかな?
103筑紫の民:2011/10/25(火) 23:53:24.66
38 :日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:26:26.71
>そもそも唐古鍵にそんなものを想定しなければならないほど、そこまでの特異性は無い。

であれば、今後この遺跡は九州説の引き合いに出せないわけね。
→唐古鍵・・・終了


39 :日本@名無史さん:2011/10/25(火) 22:28:51.87
>そもそも纏向のそれは比重やその由来地域の分布が突出しているのであり他の遺跡にそれが全く見られないような話ではない。

はい、マキムクも終了

さあ、ゆるゆる畿内説、次はもうないよ〜〜〜。
頑張れよ賛助会員andスタンドにも入れないメ

これ、「筑紫の民」ね。
104日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:56:24.69
>>100 筑紫のド民
>何人/日で何を造ったんだ?その人口が奈良にいたのか?その当時の奈良の石高は?
>反論するのならお前も根拠示せよ。

いよいよゴミクズレベル九州説の本領発揮だなw

ガキが
「いつそんな事言ったんだ?何年何月何時何分何秒か言ってみろ!」
と泣きじゃくりながらほざいているのと同じw

じゃあその見積もりが他の何百とある環濠集落でできなければ全て外部からやってきた勢力によって作られたとでもするのか?
このドアホウwwww

そもそも
「各地から人が集まって生活をした。その痕跡が各地の土器」
と言うのは如何なるデータを基に言っているんだ?

他地域の様式の土器が多数出ていてその胎土の分析から他所の人間が唐古鍵にやってきて地元の土を使って造った
…ここまで確認しての話だろうな?
一体その土器は全体の何割か?
そこに見える土器の様式はどの地域か?

質問する以上ちゃんと確認してから言ってるのか?








105日本@名無史さん:2011/10/25(火) 23:56:26.10
>>96

その前に、神武が大和王権をつくったという神話をどう解釈するかだな。

天皇号が出来たのは7世紀だ。したがって、神武は天皇ではない。
神武が大和に来て何をした?大和以外の国を支配したか?してないだろ。
となりの葛城だって支配していない。
そもそも、神武と東征に出た兄弟は全滅している。とても九州勢力が大和を侵攻して支配したような話しではない。

神武東征なんて、あんなものは、天皇の祖先がひょっこり九州から大和に入植してきただけの話を誇張しただけだ。
天皇はおろか、大和の大王になったのかも疑わしい。

橿原で即位した神武と葛城国造と磯城県主の関係なんざ、ゆるやかな連合そのものだ。

なんか、反論あるなら聞いてやるぜ。
106筑紫の民:2011/10/25(火) 23:57:59.76
神籠石の話は明日します、お・や・す・み
107日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:03:18.09
>>102

改めドツボだか改め畿内説だか知らないけど、
ホントにしつこいよね。
108日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:03:48.54
クシフル峰=橿原=藤原(京)
クシフル峰に天下り、橿原で即位し、藤原京に遷都
記紀は持統天皇から始まる物語なんだよ
109日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:03:59.13

だいたい、九州の王朝が東遷してきたなら、どうして神武が初代天皇なのだ?
なぜ、九州の卑弥呼やその前の王が天皇の代数に数えられてないのだ?

東京に遷った明治天皇が初代を名乗るようなものだろ。

そういう矛盾に、東遷説は気が付かないのかね?
110日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:07:01.77
さあさ、「ゆるやか連合」論という「打ち出の小槌」を振り回せば、
どんどん出てくる畿内説の似非補強論!
111日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:10:00.29
まあ前スレから始まった ゴミクズレベル九州説 森村伊作 とそのポチ 筑紫のド民 による

「唐古鍵は全国から労力を集めた勢力によって作られた集落」

かの如きお話は多分、伊作が何処かで「唐古鍵に搬入/外来系土器がある」と書かれているのを見て
飛びついて脳内で組み立てた妄想だとは思うがwww

纏向の土器は全て外部で作られ纏向には生産能力が無い
吉備の楯築は初期前方後円墳
唐古鍵は外来勢力が造った集落

…その他にもどれだけあったか

ここまで知ったかぶりがばれて恥じかいて
それでも繰り返す馬鹿を俺は2ちゃんの他でも見たことが無いwww
112日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:11:07.70
「神武の引っ越し」は、大和朝廷が無理矢理引っ張り出した方便だよね。
要するに、

  「我が大和朝廷は中国に隷属したことなど一切ありません」

と言わんがための、「九州政権時代をキセルした」捏造史なわけですね。
113日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:12:38.88
東遷説ってのは、卑弥呼をアマテラスと同一視してるようだが、ちゃんちゃらおかしいね。

なんで、卑弥呼がアマテラスなんだよ?

アマテラスってのは、7世紀の創作だろーがあんなもの。

無知ってのは哀れだね。

114日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:30:32.98

ぜーんぶ天武と不比等が考えたんだよ
115日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:37:17.70
トヨが天照だよね
天照と呼んだのは7世紀の人だけど
116日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:38:00.46
中央政権が畿内以外にあった場合には東遷という言葉を使えるが
既に畿内にあったと仮定した場合には東遷という言葉は使えないよな
東に行ったら東遷だと言うのはおかしいな
117日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:47:19.56
「東にうまし国あり、征きて知らしめん」と言って九州を出発する時点では、
視点は九州にあるのでは
118日本@名無史さん:2011/10/26(水) 00:59:13.07
アマテラスは空想上の産物
ありえないから
神武以来は一応当時伝承されている人物の中に比定される人物はいたんだろう
ありもしない完全な作り話を流布するのも無理だろうし
119日本@名無史さん:2011/10/26(水) 02:22:43.27
アマテラスと卑弥呼は、たぶん350年ぐらい時代が違うと思う。
野田首相と徳川家光を間違えたぐらい、異常な話。
120日本@名無史さん:2011/10/26(水) 02:25:06.13
トヨは神功皇后
121日本@名無史さん:2011/10/26(水) 02:54:28.93
中国は大和朝廷の事 
シナは支那 CHINA
122筑紫の民:2011/10/26(水) 06:24:59.37
放置してもいいけど、認めてるとは思われたくないのでつぶしておく。
>85 :改め(畿内説):2011/10/25(火) 23:24:47.13 >
>神籠石?邪馬台国とは関係が無く、六、七世紀のものだろう。@
>福岡県行橋市みやこ町だったかな「御所ヶ谷神籠石」はみてきたが、
>この地の研究がなされて、地層がでてるみたいだし。 A
>それによると神籠石は山城で六、七世紀の土器と一緒に...とかの話だったはず。B
>あまり関係ないかもねえ。

@私は「倭の五王との関係」と言ったよ、何でも反対畿内説丸出しだね。

A何の地層が出たんだい?意味が全く分からんばい。

B6〜7世紀の土器が出たらしいが、それはその頃まで使用されていた根拠であって 
 その頃築城とは通常考えられないね。やっぱり「アホ」ばいね。

おい<メ>、からまないでね、こっち来ないでね、触らないでね、出てこないでね。

もう仕事行ってくるばい
123日本@名無史さん :2011/10/26(水) 08:50:05.75
日本書紀などをそのまま正しく取ってる畿内説@は、日本書紀自体が、
捏造物なのだから、あやまりだよ。東遷否定に畿内説Aも
似たりよったりだよ。日本書紀をそのままは取らないから、皇国史観ではないと
いっているようだけど。
@が純皇国史観ならば、Aは亜流だよ。
@が右翼ならば、Aは国粋にみがきがかかったものだね。

教科書は左翼では決してない。昔の右翼的考えをそのまま継承してる。
年代観もそうだし、奈良中心主義の歴史解説もそう。
決して、左翼ではないよ。ただ、戦前とちがうところは、
神話を日本の歴史として教えていないだけの話。
124日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:06:19.27
>>105
神武というか、イワレ彦よりも、上位の階級の人間がいたんだろう?
その人間こそが正当な倭王。
あと、イワレ彦は九州日向の出身だが
彼の曽祖父のニニギ命は近畿の葛城地方の高天の出身で
イワレ彦の東征の大義名分になっている。
125日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:12:23.24
畿内説と皇国史観は必ずしもつながるわけではないし
無理やりつなげる合理性がないし
そもそも皇国史観を持ち出すこと自体がなんかマヌケ
126日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:34:52.93
まったくその通り。
畿内説と皇国史観がつながるわけない。
畿内説というのは孤立した妄想ファンタジーであり、
いわば畿内説史観ともいうべきマヌケな考え方をする。
127日本@名無史さん :2011/10/26(水) 09:35:26.55
邪馬台国東遷4世紀以降の九州説は、
それから、いくらか、漢籍を理解する人々が進めた次の段階だね。

ヤマトが九州から畿内へ移ったのは4世紀以降とする。日本書紀の時代観は否定。
しかし、ヤマト一系であることは変化なし。旧唐書等の日本が倭国を併合した、の
部分を説明できない。

九州王朝古田説は、ヤマトの一派に神武勢力がまず畿内に東遷って、九州と並行して
王朝があったという説。漢籍を重視するので、九州王朝の存在を観る。日本書紀は
信じない。しかし、ヤマトに移っていた神武勢力が天下を取るので、
時代観、日本書紀は否定して九州中心をある時代まで主張するが、底の部分で畿内一系であって、多少右翼的要素がある。

日本書紀を2倍年歴で修正している九州説太国氏については、まだ分析できていない。

わたしはその上の人たちとも違う、九州王朝が東遷して天下を取ったという説。
日本の西半分を統一した。半分とはどこからをいうかというと、旧唐書などにある、東、北は大山が限界で、
その外は毛人の国、の記述から推して、日本列島中央部で列島を東西に絶ち切っている、
飛騨山脈、木曽山脈、赤石山脈、からであろうと。ここしか考えられない。
だから、今までの通説、教科書の教える内容は一から修正すべき。
日本の歴史は今まで、本当に偽物の日本書紀から成り立っていた、戦前まで。
これからが始まりだよ。
128日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:40:28.73
>>118
アマテラスが空想の産物かどうかは分からないけど
女神アマテラスを祭った最初が天武天皇という説もあるしな。
それまでは、男神アマテルをヤマトの始祖として祭っていたとか。

この男神アマテルの正式名称は、天照国照彦。
天津と国津の両方の支配者って意味。出雲国譲りを実現させたという意味。
諱を火明(ほあかり)という。

このアマテルには、ニニギという弟がおり
出雲国譲りの直後、九州高千穂へ移転させられる。
このニニギこそが、ワカミケヌ(神武)の曽祖父にあたる。
129日本@名無史さん :2011/10/26(水) 09:43:09.11
>>125
皇国史観というのは、その名の通り、日本書紀の歴史の通りを
皇国史観というんだよ。皇国とは天皇の国という意味だからね。
それが戦前の純皇国史観でしょ。
少し進んだ畿内説は皇国史観じゃないというけど、わたしから見れば、皇国史観にしかみえない。
歴史を長くみせようとする要素が皇国史観そのものだよ。
皇国の歴史を否定しようと。箸墓を卑弥呼の墓だと比定することも、
日本書紀にのっとっているわけだから。
130日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:44:45.83
畿内説を皇国史観とレッテルを張るやつらは阿呆かと。
九州説こそが、皇国史観の大家・本居宣長さまの提唱した説だろうがw
131日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:48:09.31
>>129
何をバカなこと言っているんだかw
畿内説の場合は、ヤマト朝廷(邪馬台国)が中国に朝貢したことになるから
皇国史観論者は嫌がったんだよw

むしろ、九州説のほうが、皇国史観論者だった。
本居宣長なんかは、その最たる例だ。
132日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:51:19.60
九州王朝ではなくて九州の地方豪族というのが正しいだろう
王朝とまで言ってしまうのは誇大妄想だよね
133日本@名無史さん :2011/10/26(水) 09:53:58.82
>>130
皇国史観の亜流だよ。亜流。
大部分、日本書紀を採用しているだろうに。
天皇の歴史は全部、否定しているの?

本居宣長論は皇国史観だけど、
邪馬台国が2世紀以前に東遷したという説も皇国史観にぴったりあてはまるよ。
134日本@名無史さん:2011/10/26(水) 09:58:05.68
>>129
しいて言えば九州説のほうが皇国史観に近い
まずこの点が129のアホなところ
そして何度も言うがそもそも皇国史観を無理やり持ち出すことがマヌケ
135日本@名無史さん :2011/10/26(水) 09:59:52.60
>>131
日本書紀に中国に朝貢した記録が書いてありますか?
あったとしても対等の関係としてでしょう?

本当は漢籍の中国に朝貢した記録を嫌がって新しく皇国史観を進化させただけだよ。


136日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:00:33.36
最近の畿内説は、東遷説自体、否定しているだろう?
そもそも、九州から大規模に首都を移す意味が分からない。
137日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:02:53.22
>>135
中国に朝貢したことを書いてないのは
平安時代もそうだよw
平安時代も国内向けには朝貢したことを隠していたわけだからw

138日本@名無史さん :2011/10/26(水) 10:03:49.67
>>134
何度も皇国史観ではないと言い張っても畿内説は皇国史観の亜流だよ。
じゃなければ、必要以上に歴史を長くさせたりしないから。
139日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:05:50.78
あのね皇国史観と言い出すと、
まずイデオロギを前提にして次に日本の成り立ちを考えるという意味合いが
出てきてしまうの。だから皇国史観を持ち出しながらの検討検証は不適切なの。
九州説は初期の段階で不適切な方法をとってしまったが、今からでもそれを
正して皇国史観の影響を完全排除すべき時期だよ。ましてや畿内説に対して
新たに皇国史観をこすり付けるなんてとんでもない話だ。
140日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:07:52.35
>>138
おまえはバカななのか?

歴史を長くさせたいとかいって、
纏向遺跡を邪馬台国にしている時点で
記紀にある歴史よりも、だいぶん
短くしないと解釈できない。
畿内説だって、記紀よりも歴史を短くしているわけで。

141日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:09:33.97
>>139
そうそう。九州説をぶちまける人の
イデオロギーの強さには呆れるばかり。
九州説論者は宗教論者だ。
142日本@名無史さん :2011/10/26(水) 10:13:16.50
>>140
だから、亜流だとさんざん言ってるのに。畿内説東遷否定は
国粋的な皇国史観の亜流だよ。都合のよいとこどり。
日本の歴史を奈良王朝の歴史を必要以上に長くみせる、
歴史捏造者だよ。日本書紀を編纂した人々と基本的に変わらない。
143日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:18:17.03
>>142
おまえ、>>139をよく読め、とくにな。
九州説論者が追い込まれているのは分かっているけど
そういう時こそ、>>139の言っていることを
自覚して、論を整理するべきだ。

記紀では神武東征を出すぐらいだから
ヤマト王朝の歴史を長く必要以上に見せることなんてしていないだろうにw
144日本@名無史さん :2011/10/26(水) 10:19:14.89
九州説のほうが皇国史観に近い。

これは大きな間違いだよ。
日本書紀の皇国史観とは全然違うからね。時代観も内容も。
ばかなんじゃない?畿内説って。
145日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:19:20.42
>>142
なんかめちゃくちゃだな。
@歴史を長く見せたい
A歴史が短くなるのを亜流と呼ぶ
@が畿内説でAが畿内説だと言うのなら
@とAが矛盾しちゃダメだろ

なんで矛盾を解決しないまま変なこと書き込みするの?
なめてんの?
146日本@名無史さん :2011/10/26(水) 10:23:56.69
>>143
イデオロギーを感じるのは畿内説のほうだよ。
戦前の歴史観を変えてない。
口では皇国史観じゃない、イデオロギーじゃないといいながら、
記紀や、漢籍のいいとこ取りをして、歴史を構築しようという、
奈良中心説の国粋派だよ。
147日本@名無史さん :2011/10/26(水) 10:25:43.61
>>145

>A歴史が短くなるのを亜流と呼ぶ

こんなこと誰がいいましたか?
どこに書きました?いい加減なこといわないでくださいよ。
148日本@名無史さん :2011/10/26(水) 10:27:57.22
とにかく畿内説の人ってばかじゃないかと思う。
人の意見を捻じ曲げて解釈してくるし、
返答もピンボケだし、何いいたのかわからないし。
149日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:29:57.11
>>146
奈良中心だと国粋派になっちゃうの?
150日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:34:12.90
>>148
じゃあ皇国史観の話はおひらきにしよう
ただし今後皇国史観という言葉は出さないように
ただでさえ古代のことが分かりにくいのに
イデオロギまで出されたらひっちゃかめっちゃかになるからな
151日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:38:20.49
皇国史観から発生した九州説。
なのに、自分たちが劣勢になると
他論を皇国史観だとレッテルはって批判するw

もう、ジョークだとしか言えないw
152日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:39:15.85
ようは南へ水行10日陸行1月の記述さえなければ
九州で決まりなんだよ。魏志倭人伝では明らかに
女王国は九州だと指示している。

この問題の処理の仕方だが、第一になんらかの理由で
水行10日陸行1月かかっただけで、邪馬台国は九州内にあると
考えること。例えば周辺の傍国に立ち寄りながら邪馬台国に行ったため
日数がそれだけかかったとか。なので水行陸行の記述に騙され
畿内説だと思い込むのは早計。
第二に邪馬台国は畿内にあり、水行10日陸行1月の記述は
帯方郡を出発点としたものであると考えること。
投馬国と邪馬台国への道程は後からつけたされたと考えればいい。
なので日数で表記されている。投馬国は出雲まで水行20日、
邪馬台国は本州のどこかに上陸後、陸路で一月かけて畿内に
行った道程なんだろう。となると、女王国まで1万2千里余の
記述や、女王国の東海渡ること〜の記述と矛盾点が生じてしまうが、
これは女王国と邪馬台国が別物であると考えればいい。
九州に女王国という国が元々あった、それに気付かずみんな
邪馬台国=女王国だと錯覚してるだけだと。
こうすれば一応倭人伝との整合性がはかれる。
153日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:56:42.76
もう、九州説って宗教みたいで嫌w
とくに近年の纏向遺跡での研究の成果で
焦っているのか、いろいろ九州説のイベントしたり
もう必死だ。
154日本@名無史さん:2011/10/26(水) 10:58:10.43
邪馬台国関連の研究者やマニア全員
へんな宗教みたいで嫌だがなw
155日本@名無史さん:2011/10/26(水) 11:06:36.25
>>148
わざとやっているのですよ
わかってあげてください
156デイビッド別格:2011/10/26(水) 11:09:57.97

しょくん。何か大きな考え違いをしとるぞ。
天子を戴く帝国の歴史書に書かれた断片が日本古代史の基本になっている。
これがなかったら日本古代史は、魑魅魍魎と妄想・空想のカオスが蔓延していたことだろう。
中国の帝国の精度と作法と様式を徹底模倣してきたのが日本の帝国(皇国)だ。
日本の皇国時代の歴史を考え・語るのに、皇国的史観がなくてどうするか。
これは、個人のイデオロギーの問題ではないぞ。いかに正しく皇国を理解するかが重要なのだ。
そうすれば、卑弥呼も怪しげなシャーマンだ、呪術巫女だではなく、
大和国家の国家的祭祀の原型をつくりあげた存在であると分かるだろう。

纏向で桃の種が出たということで、
国営放送局と発掘関係者が結託してつくった卑弥呼的祭祀の再現映像をみたか。
コスチュームは国籍不明、シチュエーションはマイナーな呪術巫女。バカをいうなだ。
皇室の奥の院で行なわれている秘事祭祀こそが卑弥呼の祭祀だと思え。

ついでにいえば、後漢代は東アジアにおける一大宗教改革の時代でもある。
後漢代における中国の新興宗教の東アジアにおける影響と、
中国古来の帝王たちの信仰的精神性の影響。
この両者が習合して日本の国家的祭祀は形成されている。(神道もしかりだ)。
ここを理解せずして日本帝国の支配層の歴史など分かるはずがなかろう。

五穀豊穣・無病息災・商売繁盛・厄よけ・暦。
祈祷・お祓い・おみくじ・漢方医薬・鍼灸・風水・運勢・占い。
日本の神社仏閣が施すほとんどは、後漢末に生まれた鬼道(道教の前身)に由来する。
鏡と剣を「死者を神仙界へ導く呪具とする」精神性も同様だ。
たーだ、「こんなん出ました」というだけで、
古墳から申し合わせたように出土するこれらの遺物の
副葬と配列の「意味」に頓着しなかった土掘り考古学の欠陥を、
21世紀を生きる俺たち古代史ファンまでが受け売りすることはない。
157日本@名無史さん:2011/10/26(水) 11:16:11.51
まったくですな。
158デイビッド別格:2011/10/26(水) 11:16:57.65
中国の帝国の精度と作法と様式を
↓↓↓
中国の帝国の制度と作法と様式を

日本の古代史を考え・語るのに、必要に応じて皇国的史観が混じって何が悪いか。
むしろ必要不可欠の要素だ。

文句あるか・バイ菌集めの便所銀蝿ども
159日本@名無史さん :2011/10/26(水) 11:21:30.96
13みたいな人は完全に皇国史観だし、国粋的。このかたは畿内説だよ。

>>156
皇国史観と皇国的史観は違うでしょう。
あなたは確か日本書紀否定していましたよね。
皇国史観て、日本書紀で伝える天皇の歴史を皇国史観ていうんじゃないの?

>151
>皇国史観から発生した九州説。
それは戦前のものでしょ?今のはもっと多岐に渡っているから、認識不足だよ。
160日本@名無史さん:2011/10/26(水) 11:27:47.08
右翼だの左翼だのと大声を上げる者がいる中で
皇国史観の話などしたらめちゃくちゃになるんだから
残念ながらそういう状況を頭に入れなくちゃだめだろ
ちょっと浅薄すぎると思う
161日本@名無史さん :2011/10/26(水) 11:33:21.94
>>160
ごめんね。皇国史観亜流だといったら、たちまち批判の嵐が畿内説から
来たってことは、かなり痛いとこついたからだろうね。ようするに>>13
みたいな人も畿内説だから、畿内説亞流て、だいたいこんなもんなんだろうなって、
思って書いたら、アホムダレスが来ること来ること。
162デイビッド別格:2011/10/26(水) 12:10:29.37
>>159
>あなたは確か日本書紀否定していましたよね。
半端認識でふざけたことをいうな。無責任がすぎるってもんだ。
日本書紀の創作された時代(漢・魏・晋・宋が登場しない時代)は信用しない。
明確な根拠をもってそう断言している。
また、創作された時代の記録といっても、創作する必要李のない
王朝儀礼や制度などは採用する。これが俺の姿勢だ。

お前の「日本書紀否定していました」という物言いが、
この俺の姿勢をどこまで正確に再現しているか。無責任といった理由はそこだ。
「クソったれ」といわれても文句はいえまい。クソったれ
163デイビッド別格:2011/10/26(水) 12:14:34.56
>>160 >>161
個人的イデオロギーとしての皇国史観と、
古代史探究の不可欠要素としての皇国史観、この二つがあって
明確に区別するよう提示したが、ちっとは分かったのか?  
164日本@名無史さん :2011/10/26(水) 12:32:43.72
>>162
なんかピンボケのレスでわからない。
日本書紀の天皇の系譜のことをわたしは言っているんですけど。
それが皇国史観ってものじゃないんですか?
>王朝儀礼や制度などは採用する。
ってそんなことを聞いたわけではない。あくまでも血統の話。
>日本書紀の創作された時代(漢・魏・晋・宋が登場しない時代)は信用しない
って具体的のいうと西暦何年から、何年まで?
神話のところ?それって大体の人は信用していないと思うけど。
神武から正しいと思っている人をわたしは皇国史観者であると思っている。
神武は天皇の初代だから。

わたしは、天智以前はまったく信用していない。

さあ、もう一度、レスやり直しw。誰にでも通じるようにね。
165日本@名無史さん:2011/10/26(水) 12:32:59.28
>>163
その個人的希望を述べると
すれ住人全員がそれに従うようになるわけ?
ならないならどーしようもないよねえ現実見ないとな
166日本@名無史さん:2011/10/26(水) 12:55:42.64
>デイビッド別格

もう、おまえの論説は矛盾ありありなんだよ。

日本文化は、卑弥呼以前、縄文時代から中国江南の影響を受けてて、
大和も、九州の先遣隊が開拓したとか言うわけだろ?

では、近畿で盛んになってた巨大銅鐸造りは、九州の先遣隊が指導して作らせてたのかと。
巨大銅鐸造りは、道教とどういう関係があるのかと。中国江南に起源があるのかと。
167デイビッド別格:2011/10/26(水) 12:58:28.19
>>164
>なんかピンボケのレスでわからない。
何度か意味不明の自己中レスをした野郎だな。てめえの投稿をふり返れ。

>あなたは確か日本書紀否定していましたよね。
日本書紀の創作された時代(漢・魏・晋・宋が登場しない時代)は信用しない。
明確な根拠をもってそう断言している。
また、創作された時代の記録といっても、創作する必要のない
王朝儀礼や制度などは採用する。これが俺の姿勢だ。

>日本書紀の天皇の系譜のことをわたしは言っているんですけど。
>それが皇国史観ってものじゃないんですか?
皇国史観の話じゃない。
「確か日本書紀否定していましたよね」という物言いに対する返答だ。

王朝儀礼や制度などは採用する。
>ってそんなことを聞いたわけではない。あくまでも血統の話。
誤解を生む物言いに対して、正しい俺の主張を書いたのだ。

この文言もそのまま返品する。
「さあ、もう一度、レスやり直しw。誰にでも通じるようにね」。
てめえの半端認識による半端発言の訂正からだ。外道
168日本@名無史さん:2011/10/26(水) 12:59:11.02
マジで邪馬台国九州説論者って
始末に負えない。
169デイビッド別格:2011/10/26(水) 13:01:14.63
ところでしょくん。
皇国史観て何だ。
「皇国思想による史観」じゃないのか。
170日本@名無史さん:2011/10/26(水) 13:03:19.12
邪馬台国論争って、もともと
東大が九州説、京大が畿内説って割れていたんだよな。

でも、いまや、東大も京大も畿内説。九州大学ですら、ほとんど畿内説。
九州説を唱えるやつらの多くが、在野の歴史愛好家や歴史作家。
アカデミックの場では、ほとんど畿内説で勝負にならない。

まあ、九州説の多くが
在野の歴史愛好家みたいなのが多いから
こういう2ちゃんで必死になって、訴えるんだよw
171日本@名無史さん :2011/10/26(水) 13:05:11.01
>>167
あなたにはなに聞いても無駄だね。
具体的に西暦何年から何年までという明確な答えを求めたのに、
その部分はスルーか。
なんでも煙にまこうとするその手法は畿内説と同類だね。だから、ゴミクズだと
同類の畿内から攻撃されるんだよ。突っ込まれる要素がありすぎるから。
172卑弥呼の都は久留米:2011/10/26(水) 13:08:30.69
>>132
>九州王朝ではなくて九州の地方豪族というのが正しいだろう
>王朝とまで言ってしまうのは誇大妄想だよね

九州の王朝であって、九州の地方豪族ではない。
この九州の政権には、律令と年号があるから、王朝としての条件を整えている、
この政権の権力が及ぶ範囲が、九州島だけの狭い地域だけであっても。

173日本@名無史さん:2011/10/26(水) 13:10:19.12
皆さん、えらい盛り上がっていますな。
>>170でも言われているけど、
たしかに、大学で考古学とか歴史を専攻している人の話だと、内心
邪馬台国=ヤマト国で、とっくの昔に決着はついているみたいです。
九州説は、在野の歴史作家とかが勝手に騒いでいるだけだと。
でも、考古学なんかは、そういうことを推測するのは、専門外なわけで。
実は、纏向遺跡が邪馬台国かどうかなんてのは、無意味な話なんです・

174デイビッド別格:2011/10/26(水) 13:22:57.37
>>166
ジョーカーを筆頭とする便所虫のレスは、すべからく認識不足と誤解にまみれている。
返答するには、いちいち誤解の修正から入る必要がある。
まったく、文字通り「お里」が知れる所行だぜ。

>もう、おまえの論説は矛盾ありありなんだよ。
おまえのレスは間違いありありなんだよ。

>日本文化は、卑弥呼以前、縄文時代から中国江南の影響を受けてて、
事実だ。縄文後期の土器・土偶から銅鐸に明確な証拠がみられる。すでに何度も書いた。

>大和も、九州の先遣隊が開拓したとか言うわけだろ?
唐戸・鍵の大集落は何のために、誰がつくらせたか。
唐戸・鍵の大集落をつくらせた勢力・権力はどこにあったか。
これに歴史学的に説明してみろ。
誰一人として返答した者はいないが、詭弁を弄する悪知恵も浮かばない詰問らしいな。

>近畿で盛んになってた巨大銅鐸造りは、九州の先遣隊が指導して作らせてたのかと。
ちと高度だが、人間心理というものは絶えず「非日常」を欲しているものだ。
(原っぱが日常だったところへ大型量販ができれば、
代わり映えしないものを売ってると分かっていても行列ができるだろ)。
まだ銅鏡を至上の祭具・呪具とする新興の概念がなかった時代に、
近畿に土着した開拓集団が、限度もわきまえずエスレートさせたんだ。

>巨大銅鐸造りは、道教とどういう関係があるのかと。中国江南に起源があるのかと。
道教が成立するのは4世紀頃だ。外道 
銅鐸の起源が長江流域にあるのは事実だ。タコ
馬王堆漢詩墓から出土した帛画には、天上界(あるいは神仙界)の音を奏でる楽器として描かれている。
長江流域に起源をもつ銅鐸が、漢民族支配層にも浸透していたという証拠だ。
175デイビッド別格:2011/10/26(水) 13:28:13.59
>>171
>あなたにはなに聞いても無駄だね
俺のほうが筋の通った話をしてる。
てめえの半端認識による半端発言の訂正が先だ。
質問なり話の続きをしたければ、そのあとでやれ。自己中便所虫
176日本@名無史さん :2011/10/26(水) 13:34:08.08
>>175
皇国史観の意味なんか、ウィキペディア見ればだいたいわかるでしょうが。

わたしは明確な答えを求めたのに、それについては、わけわからない答えしかしない、
って誠実さに欠けるよね。汚い言葉ばかり使って。
それじゃ、ジョーカーと同類だと。すこしは反省しなよ。
177デイビッド別格:2011/10/26(水) 13:37:36.17
>>171
ねちねち自己中便所虫。とにかく誹謗・攻撃の構えした見えんな。
おまえ、九州説だろ。俺の説が目障りなのか?
恥をかかされて、よほど俺を逆恨みしてるのか。
ちーんけな了見から察するところ、両者が渾然一体となった複雑なこころーか。

178デイビッド別格:2011/10/26(水) 13:44:45.47
>>176
ねちねち自己中便所虫。
半端認識による発言の訂正を、俺が自らしたのだ。
それに対する始末が先だ。できんから罵倒している。

てめえの発言知り拭いをする礼節もわきまえず、
話の途中の枝葉に質問を投げて、「始末が先だ」といってるにもかかわらず、
枝葉の質問に答えないことを誹謗する。
どんな教育を受けて育ったんだ?  知的貧乏人。
179デイビッド別格:2011/10/26(水) 13:46:25.81
てめえの発言知り拭いをする礼節もわきまえず、
↓↓↓
てめえの発言の尻拭いをする礼節もわきまえず、

まったくだ。
180日本@名無史さん :2011/10/26(水) 13:48:23.58
>>178
だからさあ、もうわかったから、日本書紀の何年〜何年を信用してないの?
つまりあなたがどういうことを主張しているのか知りたいんだよ。
181デイビッド別格:2011/10/26(水) 14:06:54.35
自己中便所虫の「誠実さに欠ける」るとこを確認する。
>>159
>あなたは確か日本書紀否定していましたよね。
日本書紀の創作された時代(漢・魏・晋・宋が登場しない時代)は信用しない。
明確な根拠をもってそう断言している。
また、創作された時代の記録といっても、創作する必要のない
王朝儀礼や制度などは採用する。これが俺の姿勢だ。

>>164
>なんかピンボケのレスでわからない。
>日本書紀の創作された時代(漢・魏・晋・宋が登場しない時代)は信用しない って
>具体的のいうと西暦何年から、何年まで?
てめえの半端認識による半端発言の訂正からだ。外道

>>171
>具体的に西暦何年から何年までという明確な答えを求めたのに、その部分はスルーか。
>なんでも煙にまこうとするその手法は畿内説と同類だね。
てめえの半端認識による半端発言の訂正が先だ。
質問なり話の続きをしたければ、そのあとでやれ。自己中便所虫

>>176
>わたしは明確な答えを求めたのに、それについては、わけわからない答えしかしない、
>って誠実さに欠けるよね。汚い言葉ばかり使って。
「あなたは確か日本書紀否定していましたよね」に対して、
俺のスタンスを説明した。己の発言の訂正もせず、
こんどは「説明した文章の中の枝葉」に対して質問を返し、
「話はそこじゃない・きちんと始末しろ」といっても、
話題そらしの枝葉質問に対する返答がないことを誹謗する。
↓↓↓↓このごに及んでも臆面もなくこうくる。誹謗・攻撃意図が見え見えだ。

>>180 だからさあ、もうわかったから、日本書紀の何年〜何年を信用してないの?
つまりあなたがどういうことを主張しているのか知りたいんだよ。
182日本@名無史さん:2011/10/26(水) 14:21:38.54
ののしりあいながらもなんか楽しそうなのがいいね。
しかし、どんな学問的に頭がよくても、人間性が問題になるようでは
その説や解釈もちょっとあれだわな。
183日本@名無史さん :2011/10/26(水) 14:23:56.71
>>181
わかったよ。わたしのいう皇国史観は精神性の方は別においといて、
天皇一系の方を聞きたかったんだよ。
日本書紀どおりなのかって。あなたは伊作氏だよね、日本書紀は信用しない、みたいな
ことを前に言っていたような気がしたから。こちらの認識不足は謝る。
その天皇中心の歴史が何年からだと思っているの?
ひょっとしたら、神武は4世紀のこととしているのかな?
天皇一系はそのまま神武から、採用するんだね?
で、いい?w
神武が4世紀ってそれってありなのかなあ。
もっと具体的な話をしてよ。

怒る前に自分の説をはっきり言ってから、怒ってほしいな。
184デイビッド別格:2011/10/26(水) 14:25:17.56
自己中便所虫、またほとぼりをさましに消えろ。

自分が当然やるべきことはせず、
筋違いの要求をして返答がないことを不当に誹謗する。

「てめえの半端認識による半端発言の訂正からだ」。
「質問なり話の続きをしたければ、そのあとでやれ」。

こっちはこういってるのだが、
論理性と倫理観の欠落した無能役栽培人間には理解できない。
無能役栽培人間がくる所ではないぞ。
185デイビッド別格:2011/10/26(水) 14:30:16.27
>>182
>人間性が問題になるようでは その説や解釈もちょっとあれだわな。
で・どっちの人間性が問題なのか・わかったか。銀蝿

>>183
>怒る前に自分の説をはっきり言ってから、怒ってほしいな。
まーだこんな、時系列思考の錯綜したことをいってやがる。
怒らせるような言動をしたのが自分だという認識がないな。コケザル
186日本@名無史さん :2011/10/26(水) 14:38:23.63
>>185
デイビッド別格って小学生レベルw
もっと大人になりなよ。
そう人さまを攻撃口調で話していれば、こちらも構えるからね。
これから、容赦しないから。あなたの琴線に触れることを言ってやるw。
覚悟しておきなさいよ。w。あんたなんかやっつけるのチョロいもんだよ。

ムダレスごめん。ではでは。
187デイビッド別格:2011/10/26(水) 14:40:48.98
>>183
てめぇ。かなり頭悪いくせに態度デカいぞ。
俺は最初に、皇国史観人間じゃないが、古代史論考に皇国史観(知識)は必要だと書いた。
継続的思考の帯が極めて短いようだから、忘れたら今日のことだ・過去ログをみろ。

>神武は4世紀のこととしているのかな?
俺は創作された時代の日本書紀の記録は信用しない。
お前が持ち出したことだが、これも・もう忘れたか。

>天皇一系はそのまま神武から、採用するんだね? で、いい?w
そうとうに頭が悪いな。

>神武が4世紀ってそれってありなのかなあ。
大学出たのか? 出たとしても三流だな。ほん・とにデキが悪い。
脳細胞の緻密さを感じさせない。
188デイビッド別格:2011/10/26(水) 14:43:57.93
>>186
捨てゼリフが・ジャリのになじり合いになっちゃ迫力ないな。
大学出たのか? 出たとしても三流だな。ほん・とに、デキが悪い。
189日本@名無史さん:2011/10/26(水) 14:57:57.41
上の方で、皇国史観が話題になったが、皇国史観よりも
俺は「大和朝廷唯一絶対史観」のほうが胡散臭いと思う。

旧唐書で「日本国が倭国を併呑した」としている列島人がいる以上、
「単に倭国が改名して日本国という名前になっただけ」ではない
複雑な事情があったにもかかわらず、新唐書では後者の「改名説」
だけが載っていて、あきらかに「政治決着」されている様子だ。

この辺の解明をしないで、畿内説だの東遷だの改名だのという
露骨な大和朝廷一元史観だけを大前提にした解釈が、
戦前の皇国史観や畿内説、「九州蔑視の九州説」にまで見られるので
うんざりする。
190日本@名無史さん:2011/10/26(水) 15:13:07.96
勢力争いによって倭国の国家的基礎を日本国が引き継いだとしたならば
「日本国が倭国を併呑した」
というものと
「単に倭国が改名して日本国という名前になっただけ」
という2つの説明が成立するね

雑な例えではアメリカに負けたけど天皇制などの国家の基礎部分は残ったみたいな
191日本@名無史さん:2011/10/26(水) 15:20:50.13
>>190

「日本はもと小国だった」という記述もあるので、「それは改名ではなく併呑」
だと中国側が判断するしかないね。「改名というのは大嘘」という結論しか
出てこないし、当時の中国側でもそう判断したはずだ。ただし、武即天以外は。
192ローガン:2011/10/26(水) 15:53:05.97
>>189
>複雑な事情があったにもかかわらず、新唐書では後者の「改名説」だけが載っていて、あきらかに「政治決着」されている様子だ。

そんな大層なものではないと思いますけどね。
宋史に書いてある通りでいいんじゃないかなあ。
193日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:12:51.10
というか、倭国という名称は、ヤマト王権誕生前から
中国で呼ばれていた名称なので
そろそろ変えたいという意味じゃないの?
山海経とか漢書みたら、紀元前のそうとう前から
倭国という名称で中国の交易していたみたいじゃん。
194デイビッド別格:2011/10/26(水) 16:15:21.91
>>189 >>190 >>191
しつこいね。
どうしても『旧唐書』の邪(よこしま)な読みを生き残らせたいらしい。
古田説支持の素人連はとにかく・しつこい。
195日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:24:01.15
>>193

>そろそろ変えたいという意味じゃないの?
当時の中国人がそれでは全然納得できないから、わざわざ正史=旧唐書に、
おかしいと書き込んだわけでしょ?
196日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:24:49.24
>>192

同時代資料の方が確実だよ。
197日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:25:50.33
>>194

いや、邪なのは「旧唐書」の記述はバカバカしいといって、
解釈を放棄している連中の方だよ。
198日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:26:15.53
伊作が来ると、とたんに品格が下がる
迷惑なゴミだわな
199日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:28:59.86
倭国と日本国は全く別な国だよ。
列島と永年のつきあいがある中国側が、そんなことを誤認していたら、
ぐるり中国をとりまく諸国はたくさんあって、外交も何もあったもんじゃないだろう。
200日本@名無史さん :2011/10/26(水) 16:34:54.47
倭人種じゃないからね、日本の統治者は。
だから、小国日本が倭国を併呑したとき、改名したんだよ。倭人種じゃないし。

ヤマトの名も大和で当て字してね。
きっと日本が併合する前には畿内には大倭勢力があったんだろうね。
だから、大和州と名づけたんだと思う(新唐書)大倭勢力といっても
倭の五王の勢力ことだけど。

201ローガン:2011/10/26(水) 16:45:57.81
>>196
>同時代資料の方が確実だよ。

あはは。意味がわかってないみたいやね。
旧唐書が945年。新唐書が1060年。
王年代記が持ち込まれたのが雍熈元年 宋太宗九年は984年。 皇帝のコメント付の顛末が宋史にあると云う事。
202日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:46:15.46
そういえば伊作ってさ、すぐに「東遷」って安易に言うけどさ、

東遷って
「国家全部の引っ越し」
「首都機能全部引っ越し」
「統治者集団全部の引っ越し」とかいろいろあるけど、

むしろ広域化した都市国家団=倭国のうちで
団長となる都市国家を決めていたところ、
他を圧して巨大化してしまった1都市国家の畿内国が
都市国家団の団長権を独占したっていう状況じゃないのか?

なんで「東遷」なんて「巨大な引っ越し」を持ち出すのか、
さっぱりわからないんだよな。

伊作って、要するに「大和朝廷唯一絶対史観」なだけじゃないの?
これって、九州説っていうより偏狭な畿内説とおんなじ、
万世一系史観にしか思えないんだよな。
203日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:50:42.45
>>201

ローガンって、国語の成績悪かったでしょ?
同時代資料の話を持ち出したのは、

 「時代を経た漢籍の方が、事実把握から遠ざかる」って意味だよ。
204日本@名無史さん:2011/10/26(水) 16:56:23.11
天災遺作は妄想ばかりでとにかく・しつこい。
205伊作大好き銀蝿:2011/10/26(水) 17:58:09.49
あの臭さがたまらんのですわ。
206日本@名無史さん:2011/10/26(水) 17:59:12.41
NHK邪馬台国・卑弥呼のヒミツ???秘密ってなに???
207日本@名無史さん:2011/10/26(水) 18:19:59.12
倭州 大和朝廷
208ローガン:2011/10/26(水) 18:29:00.48
>>203
>ローガンって、国語の成績悪かったでしょ?

うん。

>同時代資料の話を持ち出したのは、 「時代を経た漢籍の方が、事実把握から遠ざかる」って意味だよ。

では、一般論はさておき、旧唐書から新唐書、内容変更の考察に宋史日本伝が不適切であるという理由を教えて。
209伊作大好き銀蝿:2011/10/26(水) 18:35:15.96
>論理性と倫理観の欠落した無能役栽培人間には理解できない

好っきたなあこのセリフ。ひとを罵倒することに生き甲斐を感じているところがたまらんのですわ。

>自己中便所虫

あ、それわての幼虫。こいつも臭いところが好きでんねん。
210デイビッド別格:2011/10/26(水) 18:49:34.01
>>202
>東遷っていろいろあるけど、
王都をはじめとした国家中枢の組織と機能の引っ越し。

>万世一系史観にしか思えないんだよな。
日本列島支配の形態は常に一元的。
列島に二天子なし。列島に二王朝なし。

ただし、引っ越したあとの爛熟した大和朝廷にはまったく興味なし。
世が安定したあとの支配層のやることは「色ごとと政権争い」、興味なし。
古墳づくりに代わって競って巨大なハコもの(寺)を築く時代に興味なし。

興味は大和との揺籃と黎明のみ。いじょ

211日本@名無史さん:2011/10/26(水) 18:52:32.89
>>208

阿倍仲麻呂が唐に50年使えて、文部大臣もやったわけだが、
その時代に近い資料が最も信用できるな。
212日本@名無史さん:2011/10/26(水) 18:57:42.27
>>210

天子が元号も制定出来ないで、何が天子だい?
天子といえる存在は、九州では九州元号から、畿内では大宝からだろ。
213デイビッド別格:2011/10/26(水) 18:59:37.75
>>197
>邪なのは「旧唐書」の記述はバカバカしいといって、解釈を放棄している連中の方だよ。
旧唐書の記述はバカバカしいのではない。先に書いたつもりだが。
邪な解釈による史観がバカバカしいといっている。
邪な解釈の邪な所を指摘した見せたが、これには完璧にスルーだ。

>>199 >>200 もそうだ。理屈なしで、
九州王朝説の邪な読みを生き残らせるための邪な読みの「連呼」でしかしない。
214日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:01:07.65
>>210

あのさあ、東遷の意味内容が

 「王都をはじめとした国家中枢の組織と機能の引っ越し」

だってのはよくわかったけど、引っ越しの人数的な規模は想像つくの?
あと、建築物は移築したと考えるの?
215日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:03:37.25
>>213

九州王朝説が崩壊しても、俺的には全然、問題ないからw
中国側が、疑った理由や、なるほどそれなら疑うな、という
理解力・読解力が、君には全然ないんだなw
216日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:06:36.19
倭人の朝廷
217日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:09:02.42

日本側の使者が九州説だったんじゃね?w
218日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:25:40.78
併倭国之地っていうのは

倭奴国以来の倭国の地(畿内〜九州)にあった国々は大和朝廷(日本)が併呑したっていう意味で唐側に伝えたんだろ

うまく伝わってないけどw
219荒らしを潰す男:2011/10/26(水) 19:26:46.27
>>214
もうちっと上等な質問をしろ。
220荒らしを潰す男。:2011/10/26(水) 19:27:32.52
>>215
>中国側が、疑った理由や、なるほどそれなら疑うな、
という理解力・読解力が、君には全然ないんだなw
これについても、バカにもわかる「図式的説明」をしたが。再掲しようか。

『旧唐書』のいう「日本国は倭国の別種なり」は「倭国の別の呼称が日本国である」という意味である。
その証拠に、続けて日本という呼称になった経緯を述べている。
「日がのぼる東の辺に在ることから、日本を以って国名にした」。
これが中国の認識だと断言している。

これに続けて日本国の使者がいう日本国号の成り立ちを並べている。
「あるいはいう、倭の文字が好ましくないから、これを改めて日本とした」。
 明らかに倭の文字を嫌って日本に改めたと述べている。
「あるいはいう、日本はもともと小国で、倭国の地を統合した」。
はじめから大国だった国などはない。もともと100余国に分かれていた小国家群の中から、
倭奴国→倭国→日本国と、次第に勢力を増して併合したのだから、ごくあたり前の話である。

ところが、中国の認識と違ったことをいうので、これを疑うというわけだ。
おまえたちの論法は、「日がのぼる東の辺に在ることから、日本を以って国名にした」という
中国の認識を放置して、「日本はもともと小国で、倭国の地を統合した」という
倭人使者のいう風聞だけにすがりついている。傍目にもバカバカしすぎる。
221日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:29:15.45
それらを束ねた本拠地が朝廷
222日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:39:38.12
同じもので別の名前がある場合は「別名」
種類が同じでない場合が「別種」
223日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:44:29.48
>>219

いや、東遷なんて、現実にはあり得ないだろってことさ。
質問の意図はおわかり?
224日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:45:56.20
>>220

だから、それだと中国人が疑う気持ちも起きないし、
何にも疑問を持たないわけ。

それじゃぜんぜん、ちゃんと旧唐書を読めてないでしょ?
225日本@名無史さん:2011/10/26(水) 19:52:07.76
>>174 知ったかぶり十八番 ゴミクズ森村伊作 = デイビッド別格 
>唐戸・鍵の大集落は何のために、誰がつくらせたか。
>唐戸・鍵の大集落をつくらせた勢力・権力はどこにあったか。
>これに歴史学的に説明してみろ。

「唐古鍵は盆地にいた人間が自分達で自分達のために造った」
これで何の問題もなし。
一体何度言わせるんだこのゴミクズは。

そもそもその成り立ちの説明に”特別なもの”を要求する根拠の提示が無い。

・由来地の広がり、全体に占める比重等を考えなければ、搬入/外来系土器そのものは別に他の集落でもある。
・唐古鍵の遺跡の規模としては他のものに比べ隔絶して巨大なものでもない。(想定されている人口は吉野ヶ里と同程度)

…言うまでも無く、纏向が成り立ちに特別なものがあるとして、その説明が要求されるのは上記についても特別なものがあるからだ。

いい加減てめえのほざいた質問が成り立つ前提を説明してみろドカス。

お前のほざく「歴史学」と言うものがどんなものかは知らないが
リアルで唐古鍵に外部勢力の関与を想定しているような疑義が呈された例を少なくとも俺は知らない
(誰か知っていたら教えてくれ)
ゴミクズレベル九州説の電波が飛び交うこの板ですら
そんな事をほざいたのはお前と、そのポチ 筑紫のド民 が多分初めてw
小中学生でもこんなアホな質問はしない。「ゆとり」とかそんな物はるか以前のお話。

知ったかぶりのアホが大方何処かの唐古鍵の説明に「搬入土器」の文字を見て
何も意味を知らずにホイホイ飛びついただけの話だろうが?wwww
(このパターン過去に何回あったことか…)
文字の上っ面だけしか見ない知ったかぶりの馬鹿がこの『 森村伊作 』
いい加減にしろゴミクズ。
226こくごのせんせいじゃないんだけど・・・:2011/10/26(水) 19:53:58.12
>>174 知ったかぶり十八番 森村伊作=デイビッド別格
>ジョーカーを筆頭とする便所虫のレスは、すべからく認識不足と誤解にまみれている。

「すべからく」の誤用前にも指摘してやったのに相変わらずかw

「よくある日本語の誤用」として言えば恐らくベスト10入りしそうなぐらいで
逆に2ちゃんでも馬鹿にされる誤用だが

中国史書もええけどその前に日本語勉強した方がええでホンマ
他にも色々酷いからお前の日本語(誤変換とか変換速度とかで言い訳できないレベル)

これで文献の鬼とか天才とかもう笑い話なんだが(苦笑
227日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:01:03.89
>>170>>173

つうか京大vs東大なんて構図は(本来外野が囃し立てた側面があるがそれを差っ引かなくても)精々戦前の話だろう。
70年代あたりからの所謂邪馬台国ブームでは アカデミズムvs門外漢、市井のマニア の構図。
(まあ放射説で有名な榎とかは東大だが)

「九州大学ですら」と言うがむしろ現在の畿内説(と言われる歴史認識)は実は九大が支えていると思うがw

柳田先生曰く…

「長年邪馬台国を弥生時代と言ってきた考古学者の大罪」

あるいは

「邪馬台国が九州にあったと考えている九州の考古学者はいない」(高島センセイハブられましたw)

…wwwww

228唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/26(水) 20:07:45.10
>>181
>日本書紀の創作された時代(漢・魏・晋・宋が登場しない時代)は信用しない。

>「日本はもと小国だった」という記述もあるので、「それは改名ではなく併呑」だと中国側が判断するしかないね。

>>69
>伊支馬=イクメ=垂仁
    ↑
>これは出鱈目である。臣下が天皇になれぬのは、…

>>69 の主張が皇国史観である。

倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王 神夏磯姫(カンカシヒメ) 奴国の斎王?
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下 斗は書紀
伊支馬=イクメ=垂仁 は、次使 都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守を派遣する。
この時点では、>「日本(大和)はもと小国だった」、つまりまだ代表とはなれない。
大和(大倭)が九州(倭奴國)を併呑するのは、255年頃であり、箸墓の直前である。
229日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:46:14.24
>>224

日本国という小国があったわけじゃないよ?

今日本と名乗ることになった国の前身が小国だったのね 後のヤマト国→大和朝廷→倭国の地併呑→日本国(改名)ね

それが日本の使者の態度が矜大で「倭国自悪其名不雅、改為日本」と言ったから、唐は不愉快になって小国日本が倭国の地を併呑したと言っていると解釈したわけね

礼節をもって接し、日本という名称が日辺にある我国にはふさわしいので名乗ることになりました。と言えばよかったね
230日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:48:43.90
>>228

皇国史観なんて、いまどき流行らないから心配無用。
皇国史観を声高に叫んでいる奴をみてみると、
部落系が6割、朝鮮韓国系が3割を占める暴力団関係者だw

それより問題なのが、何の根拠もないのに、勝手に信仰しちゃってる
万世一系史観だ。これは畿内説にも九州説にもいて、
洗脳されちゃってから、非常に厄介だ。
231伊作大好き銀蝿2号:2011/10/26(水) 20:49:47.20
デイビッド別格

このHNセンスあるわあ。有名スポーツ選手の名前のparodyとして自分の飛び抜けた存在をアピール。
いかにも田舎者らしい、独りよがりに悦に入っている顔が目に浮かぶネーミング。バツグン。

荒らしを潰す男

荒らしはすべからく潰すべし。勢い込んだネーミングだが平凡。ところで、荒らしているのは誰だ?
232日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:50:37.06
>>229

馬鹿いえ、初めから巨大国家なんてまず無いぞ。
ほとんどの国は小国から始まっただろ。
それを中国人に対して小国と言ったのは、

   倭国に対して小国   だという意味しかありえない。
233日本@名無史さん:2011/10/26(水) 20:59:31.33
>>232

>馬鹿いえ、初めから巨大国家なんてまず無いぞ。

いっとる意味わかんねぇんだけど???


234唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/26(水) 21:12:56.06
倭人伝登場人物
倭女王=大乱の国に立てられた女王 神夏磯姫(カンカシヒメ) 奴国の斎王?
難升(斗)米=難(奴)戸畔=ナトベ=奴国大夫 倭女王の部下 斗は書紀
都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁

難升(斗)米が遣使代表であり、都市牛利は次使。
女王卑弥呼が代表であり、伊支馬は”官”としか記録されない。
235荒らしを潰す男。:2011/10/26(水) 21:19:07.10
>>222
>種類が同じでない場合が「別種」
その場合、当の『旧唐書』ですら出自や系統や文化に触れている。
このこともすでに提示したはずだが。

ちょいかじりの衒学タコが入れ替わり出没するのか。
入れ替わり同じようなタコレスが頻出する。
236日本@名無史さん:2011/10/26(水) 21:22:32.56
>>233

何が分からないのかが、さっぱり分からないんだけど?

「倭国がすでに大きい国だったときに、日本国の前身が小国だった」
という意味しか、音場の意味をなさないよ、っていう日本語は分かるの?
237荒らしを潰す男。:2011/10/26(水) 21:22:33.56
もうすぐ、国営放送局で笑いものの卑弥呼番組が始まる。
さて。子ども騙しの展開になるか、ちっとは不偏中庸な所がみられるか。
監視しようじゃないか。がんたれども
238日本@名無史さん:2011/10/26(水) 21:23:40.77
×音場

○言葉
239荒らしを潰す男。:2011/10/26(水) 21:27:31.33
>>236
>「倭国がすでに大きい国だったときに、日本国の前身が小国だった」
>という意味しか、音場の意味をなさないよ、っていう日本語は分かるの?

日本語にする以前に読みがはちゃめちゃだ。タコ
もう古代史に口出しするのをやめろ。程度とかレベルとかいう次元じゃない。
240日本@名無史さん:2011/10/26(水) 21:30:41.10
>>236

あんた>>224?

241太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/26(水) 22:21:59.15
>伊支馬=イクメ=垂仁
    ↑

再度言う。これは出鱈目である。臣下が天皇になれぬのは、道鏡が天皇になれ
ないことから明白である。

臣下は彼らを選んだ〜〜ww

等号では、まるで「猿の惑星 ウソ西紀」さながらの失笑論であ〜る。ppp
242日本@名無史さん:2011/10/26(水) 22:24:04.23
伊支馬とかは、孝霊〜崇神時代くらいの有力豪族から
探したほうが良いよ。
243太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/26(水) 22:36:59.33
244太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/26(水) 22:38:54.39
臣下 伊支馬≠垂仁天皇
245日本@名無史さん:2011/10/26(水) 22:47:47.84
歴史秘話ヒストリア「女王さま振り向いて!〜最新研究!邪馬台国・卑弥呼のヒミツ」

自分程度の人間でも「まあ、そんなもんか」程度の無いようだったな
しかし最後宮崎婦人が出てきたはちょっとしたサプライズだったかなwwww
246日本@名無史さん:2011/10/26(水) 22:55:24.63
>>245
マキムクを沖縄の海底神殿と同列の邪馬台国候補地としていたのは正しい歴史認識だ。
247日本@名無史さん:2011/10/26(水) 22:56:43.60
倭国との比較として「日本国はもと小国だった」という意味以外に

倭国はもと大国だとか
倭奴国はもと中国だとか
唐はもと小国だとか

そんな話を唐突にするわけないだろ、馬鹿じゃないの?
248日本@名無史さん:2011/10/26(水) 22:58:49.23
>>246
「すなおに読んだら九州の南、海の中」と言うことだなw

まあ、ああやって畿内説にタメはれる位のものとして扱ってくれたんだから御の字だろう?w


249太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/26(水) 23:03:44.78
臣下 伊支馬(猿)≠垂仁天皇(人間)
       ↑
   上が正解でである。

道鏡が天皇にはなれない如く、猿(臣下 伊支馬)は天皇(人間相当)になれない。

等号と言う野郎は、まるで「猿の惑星 ウソ西紀」さながらのインチキ論である。
ウワッハッハ!wwwww

http://ameblo.jp/i-am-icchan/entry-10926356839.html
250日本@名無史さん:2011/10/26(水) 23:07:08.68
あぁわかった 「朝鮮人」連呼小僧かw 相手したおれがうかつだったwww
251筑紫の民:2011/10/26(水) 23:13:08.46
今帰ってきた。nhkなんかやったと?
内容教えて?ください。
252唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/26(水) 23:30:47.05
>>242
> 伊支馬とかは、孝霊〜崇神時代くらいの有力豪族から探したほうが良いよ。

纒向遺跡は、崇神・垂仁・景行の3代であり、
2世紀末、各地の土器が持ち込まれる(崇神11年異俗多帰から箸墓(最初の大王)までである。
であるならば、239年は、纒向を3分割した2と3を分ける位置である。
つまり、ホケノ山古墳(225〜250年)任那建国後であり、穴あき壺=埴輪であるから
垂仁末である。
253五味飼助:2011/10/26(水) 23:34:15.39
>>251
歴史をテーマにした娯楽番組で、卑弥呼がテーマだったと。
幅広い視聴者を意識した構成で、歴史としてみるべきものはなし。
またぞろモモのタネをネタにしてたけど、
ぎりぎり「モモが好きなモモちゃん姫」とはいわなかったね。

東海の土器から、狗奴国を東海だったとするタコが登場したのには失笑。
考古学の質はその程度のものばい。
254五味飼助:2011/10/26(水) 23:41:13.14
……あと。
鬼道を「まじない」と紹介していたセンスがナイスだね。
口をあんぐり。
255日本@名無史さん:2011/10/26(水) 23:49:24.61

邪馬台国は東京の池袋でした
根拠は↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC_(AV%E5%A5%B3%E5%84%AA)


256日本@名無史さん:2011/10/27(木) 00:46:34.49
>>220 銀蠅に好かれる汚物。
>『旧唐書』のいう「日本国は倭国の別種なり」は「倭国の別の呼称が日本国である」という意味である。

勝手に別の意味を作るな。
257日本@名無史さん:2011/10/27(木) 00:55:31.75
魏の使者が実は対馬か壱岐に滞在して酒と魚に溺れ
帰る頃に慌てて適当に小説探検風に島の人の語りを想像妄想で
船や徒歩で数日移動とかだったら笑えるw

だとしてもまあ遺跡発掘に繋がったので良
258日本@名無史さん:2011/10/27(木) 01:00:55.25
>>256

同感だ!

これも大嘘↓
>「日がのぼる東の辺に在ることから、日本を以って国名にした」。
>これが中国の認識だと断言している。
中国側が認識したのは

  「日本国とは倭国が改名しただけの国というのは、あきらかに嘘である」ということ。

列島人がバレバレの嘘をついている、と認識したのだ。
259日本@名無史さん:2011/10/27(木) 01:30:02.32
大国唐からすれば倭国なんて眼中にねーよw
国名日本を当時の標準認識倭国を世界へ日本名を認可したのが唐だよw
260日本@名無史さん:2011/10/27(木) 01:39:25.25
>>259

残念だったな、唐が日本国を認めたんじゃないわけよ。
国号は「周」という武則天が、

 「細かいことはどーでもいいじゃん、そんなことより
  首長の奥さんが横滑りに首長となった中国と日本は、
 そっちの言い分全部飲み込むから仲良くしましょ」

と言って、日本国が倭国を併合したことは水に流して
日本国は倭国がただ名前を変えただけの同一国ってことにしたんだよ。
261日本@名無史さん:2011/10/27(木) 01:53:09.78
ええ周?武周王朝だろw?
おまえもしかすると周と周の違いも分からんの?
どれだけ世紀を跨いでるんだよww
262日本@名無史さん:2011/10/27(木) 02:13:26.02
はあ?
どう正確に言っても「国号が周」だが?
263日本@名無史さん:2011/10/27(木) 02:17:21.14
↑では何年〜何年だ?w
264日本@名無史さん:2011/10/27(木) 02:42:34.70
また逃げたw
265日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:01:12.55
>>263

自分で調べてから聞けよ。
690年-705年に決まってるだろ。
266日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:11:47.34
↑ぐぐり乙!w
では王朝建国と遷都もしくは国号配信の意味はw
267日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:29:42.77
>>266

王朝?遷都?国号配信?何のことだい?
国号って配信するもんじゃないだろ。名に血迷ってるんだ?
俺は、遷都論をぶち上げる伊作に対して、
遷都など有り得ないと攻撃しているわけだが。
268日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:35:34.01
↑では聞いておくが日本国名を則天武后が承認したとしようw
それは周なのか唐なのか言えやw
269日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:36:54.23
何に噛み付いているか知らないけど、唐の年代ぐらい自分で調べろよ。
遷都っていうのは列島側の話かい?
倭国は都市国家団の名前であって、団長国が決められていて、
あるときは倭奴国が団長国、またある時は邪馬台国が団長国だったわけだ。
またある時は畿内の国だった。畿内の国は経済力が突出していたので
ついに団長権を他の都市国家に譲らなくなってしまった。
しまいには都市国家団の「連合体」を中央集権化してしまった。
こういう経緯は、べつに遷都や東遷があったわけじゃない。
俺は、伊作に対して、そう反対したいんだがな。
270日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:39:05.09
>>268
則天武后じゃないだろ、武則天だ。
702年の「いわゆる」遣唐使のときだろ。
その時の国号は「周」だぞ。「唐」じゃないぞ。
271日本@名無史さん:2011/10/27(木) 03:45:06.33
だめだコイツw
密書と遣唐使の違いも分かってねーw
272筑紫の民:2011/10/27(木) 06:15:48.83
おはようございます。

>>253 >>254
ありがとうございました、再放送で確認します。
273日本@名無史さん:2011/10/27(木) 07:46:56.18
他人のミスを待つ戦術は嫌われるぜ。
274日本@名無史さん :2011/10/27(木) 08:26:27.23
>>230
同意。万世一系史観という言い方で、
昨日書けば、昨日、そんなに酷く批判されなかったかも。
畿内からも、一部九州説の薄っぺらからも。

天皇というより、天皇を主役に引っ張り出した
明治に対する憧れのようなものを持つ人たちはいると思います。
戦後の教科書でも明治時代は無条件に賛美していますから。
邪馬台国は天皇にはつながらないからこそ、日本書紀には何も書かれていないわけですから。
そこまで、ウソはつけなかったんでしょうね、さすがに。
倭奴国との繋がりは唐書に書かれているけれど、日本書紀には書かれていないですよね。
いい加減な、日本書紀編纂者だと思います。全く信用できない。中国側が疑った
わけがわかります。
275日本@名無史さん:2011/10/27(木) 09:35:31.17
>邪馬台国は天皇にはつながらないからこそ、日本書紀には何も書かれていないわけですから。
そうとも言えないだろう。大和が邪馬台国を倒したのならば、そのことを誇らしく描いたはずだ。
276日本@名無史さん:2011/10/27(木) 09:38:35.97
邪馬台国病に侵された患者の集まりだなw
いい加減目を覚ませ。こんなん不毛な議論で時間の無駄だ
277五味飼助:2011/10/27(木) 09:41:43.91
●畿内説害宣担当の下働きアルバイトしょくんへ。
話にもならない醜悪なゴミ溜めに、高度な史観をもつ鶴が一匹舞い降りた。
ここを飛び立つ前に、鶴が提示した「事実」を振り返ろう。分けて掲載するが大きくは11項目ある。

@王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。
…これで、纏向遺跡が邪馬台国ではないことが決定し、
卑弥呼の王宮と卑弥呼の墓(箸墓)が隣り合わせだとする考古学的・歴史学的まやかしが判明した。

A洛陽の尚方では絶対につくられない呉式「神獣鏡」に魏の年代が刻まれているという不条理。
…これで、三角縁神獣鏡は魏が卑弥呼のために特注した鏡だというウソが判明した。

B銅鐸・環頭太刀をはじめ建造物などには大型化へ向かう段階的ステップがある。
大きくて2〜30メートルの墳丘墓を造っていた弥生時代の終りに、
その10倍もの飛び抜けて大きな墓をつくることはない。
…これで、箸墓の築造年代のウソが判明した。

C唐戸・鍵遺跡は初瀬川沿いにあって、当時の湖か湿地帯の際(初瀬川河口)に位置する。
弥生時代中期に周辺の3つの集落を統合して大環濠集落の形をとり、楼閣や大型建造物が登場する。
弥生時代中期末の洪水で環濠の大半は埋没するが再開発される。ほぼ全国の土器が出土する。
唐戸・鍵遺跡が生活色に溢れていることからも、奈良盆地開拓を担った前線集落だった。
纏向に祭祀を中心とした集落が登場する以前の弥生中期に、
計画的・組織的に労働民を集めて奈良盆地開拓の開拓させた権力・勢力が奈良盆地にあった形跡はない。
…これで、奈良盆地(大和)土着勢力以外の「力」が弥生中期に外部から介入していたことが判明した。
278五味飼助:2011/10/27(木) 09:42:20.20
E奈良盆地のような広大な湿地帯の開拓には3つの必要条件がある
・沼沢開拓の経験と技術があること。
・水利土木の知識と技術があること。
・鉄製の鋤先をつけた鋤を使用すること。(木製の鋤では湿った土は効率よく掘れない。)
弥生時代の鉄器製造の中心は九州だったし、
佐賀平野と筑後川河口部の広大な沼沢を開拓した経験と技術があるのは九州の倭人である。
…これで、奈良盆地の開拓に九州倭人が強く関与していたことが判明した。

F『三国志』東夷伝の距離数値は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。
…これで、卑弥呼の墓の径100余歩を魏の公式尺度に換算すれば径20歩足らずであることが判明し、
箸墓の円丘の寸法だけをみても的外れであることが判明した。
…同時に、陸路の行程距離をそのまま魏の公式尺度に換算することの誤りが判明した。

G実測が不可能な海路距離は「1航海1000里」「1日航海1000」で、1000里単位か日数単位で表記した。
…これで、帯方郡から末盧国までの1万里が、陸路距離とはまったく無縁の数値であることが判明した。

H古代中国における地理情報は軍事情報に位置づけられる。
中国にとっての倭人と倭地の調査は、民俗学的・地理学的発見でもある。
皇帝の命令を受けて初訪問・初調査で倭国に来た中国の役人が、
倭国王の都に至る「方角・日程・行程・距離」が不明な報告をすることは絶対にない。
倭国王の都に至る「方角・日程・行程・距離」のうち、
どれかが・どこかで不明になる読みはすべて間違いである。
…これで、行程記事の順次読みも放射読みも間違いであることが判明した。
279五味飼助:2011/10/27(木) 09:44:10.39
I卑弥呼の鬼道については張魯と同じ「鬼道」としていることや、
鏡と剣を重要な神宝・呪具とする様式からみて、天師道か太平道だったと思われる。
張魯の天師道とこれと根を一つにする張角の太平道は190年代に中国本土で盛んになっている。
卑弥呼が女王になったのは同じく190年前後である。
その彼女は、女王になる時点ではすでに鬼道を修得していたという。
時間的なタイミングからみて、彼女が倭地で鬼道をマスターした可能性はない。
中国発祥の「森羅万象の哲学」ともいえる黄老学を基礎とする道学を修得するには、
高度な中国語の素養と多岐にわたる知識・見識を必要とする。
必然の道理として、生粋の土着倭人には伝授も修得も不可能である。
…これで、卑弥呼は大陸で鬼道をマスターした女性である可能性が濃厚になった。
 
J倭人と倭国支配層の民族的特徴は、●文身をする●お歯黒をする●文字をもたない。
…これで、倭国支配層が「西(呉越の地)」から九州を経て畿内にきた非漢民族である事実が判明した。

以上。(一部北部九州説に不都合な項目を含めて)邪馬台国畿内説に不都合な「事実」を提示した。
ほとんどは、(名指しで言論妨害めいた個人攻撃にさらされている)「森村伊作」独自の論説である。
これに対しては、ヒステリックな言論妨害の声か・人格攻撃か、子ども騙しの方便しか聞こえてこなかった。
この11項目が事実ではないことを論理的に否定しきることは不可能ということだな。

武者修行・道場破りの成果を得たり。
すべて、森村伊作のサイトで公開済みのことである。
280日本@名無史さん:2011/10/27(木) 09:51:22.31
>>258
『銀蠅に好かれる汚物』がここで嘲笑され
九州に逃げ込んで暴れている。
自分勝手な妄想を強弁して非常に迷惑している。
281日本@名無史さん :2011/10/27(木) 09:54:40.55
>>275

じゃ、大和と邪馬台国が繋がっているとして、倭女王でもあった卑弥呼を日本書紀ではどうどうと
描かないの?
しかも、箸で突かれて死んだモモソ姫をどうして、畿内説は卑弥呼だと思うの?
あんな、はずかしい死に方をした、それも姫の地位であるのに、どうしてかな?
282日本@名無史さん:2011/10/27(木) 09:59:44.27
>>277>>289
>@王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。>E奈良盆地のような広大な湿地帯の開拓には3つの必要条件がある
>これで、卑弥呼は大陸で鬼道をマスターした女性である可能性が濃厚になった。
以下その他多数。

妄想ゴミクズオンパレード。
283五味飼助:2011/10/27(木) 10:14:32.73
82に書いたことを簡潔に、ここにも書いておこう。

稲作文化は煮炊きをすることから土器文化が発達する。
稲作とこれにまつわる湿地開拓技術・水利知識・田下駄・高床式住居・ソバの焼畑栽培・鵜飼い。
土器づくり・環濠集落・高塚式墳墓・横穴墓・船形木棺・銅鐸。
歯抜・墮髻(まげ・椎髻)・ザル飯の手食い、みそ・豆腐・赤米・醤油(魚醤)。
しめ縄・蛇神信仰・鳥居。そして、文身・お歯黒・無文字文化………。
思いついただけで、ハード・ソフト(とくに現代まで連綿と続く信仰的精神性)取り混ぜてこれだけある。
(もっと詳しい人がいれば間違いの訂正や追加をしてもらいたい)。

渡来系弥生人の「主力」はどこからきたのか。あえていうまでもなかろう。
人・もの・文化は西から東へ。渡来系弥生人の「主力」は、九州から関門海峡を経てさらに東へ。
大和盆地とその周辺で独自に自生。派生したものは何一つない。
大和盆地こそ、銅鐸の出土例が周辺に比べて極端に少ないという現実がある。
少ない中でも出土例の多くは北部に集中している。
このことは、外から開拓の手が入るまでは、大和盆地中央以南はほとんど未開地だったことを物語る。

纏向邪馬台国説……。かくなる上は弥生中期の東遷にしてしまうか。(哄笑)
284太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/27(木) 10:14:54.63
日本書紀でどうどうと卑弥呼の記事を書かないのは、そこ(畿内)に卑弥呼の
国がなかったから畿内の文献に卑弥呼の情報がなく、それで紀に載せることが
無理だということ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

話変わり〜

ユカタンのマヤ王朝は権威学者らが、マヤは安寧と平和で戦争のない文明
だと強く頑張ってこれを定説としてたものだが、マヤの壁面にある絵画等
には戦争らしき内容があり、捕虜を踏んでたり生贄とかのマヤの残虐性の
状況が画かれていたにもかかわらず、権威学者らはこれを認めず
否定し、マヤ文明は平和を重んじで暮らしていた民族だと頑強に定説を
曲げず主張して来たわけで、これがマヤ文字の解読が進み、この解読から
従来の平和だとかいう定説が大間違いであり、こういう心臓を抉り出して
摘出しチャック・モールの上に捧げ生贄を行い、沢山戦争をして捕虜を
生け捕りにし、残虐をやっていたことがマヤ文字文面から解読露呈され
たのであるそうだ。定説がお間違いだったのだ。それを正すのにえらく
長い年月がかかったのである。

現今の日本古代史もこれとあい似ており、年号が多数出ているのに私年号
だとか捏造だとかをかぶせて九州王朝を否定している奴がけっこういるん
だろうが、年号はマヤの壁画等同然にして、九州王朝を認めないで
頑張ることが出ている多数の年号を無視してるものだが、出ている結果は
いずれ九州王朝存在の氷山の一角の証拠であって、長期の年月の経過が
その存在を否定出来なくなってその存在を認めるにい至ることは、マヤ
の出ている結果に逆らう強行なインチキ定説が長い年月の後、否定され
て、マヤ文明の真相を知されるに至るのと同様のこととなろう。
285五味飼助:2011/10/27(木) 10:20:44.27
>>280 >>282
提示した11項目の「事実」を、一つ一つ、きちんとして論として否定してみせろ。
できんからこその「妄想ゴミクズ」という否定文言の連呼。
白旗宣言……「論理的否定は不可能」を白状するも同然だ。あたま使え。
286日本@名無史さん:2011/10/27(木) 11:35:51.70
>>285
使うべきあたまがないんです
287日本@名無史さん:2011/10/27(木) 11:37:47.42
>>275
>大和が邪馬台国を倒したのならば、そのことを誇らしく描いたはずだ。

つまり邪馬台国を倒したのは他の勢力だということになりますな。
大和と邪馬台国とのあいだにつながりはない。
288日本@名無史さん:2011/10/27(木) 12:52:28.01
邪馬台国なんて、ピンポイントの都市国家でしょ。
後世、中央集権化の過程で一行政区になっただけ。
289日本@名無史さん:2011/10/27(木) 14:26:40.67
>>287
>つまり邪馬台国を倒したのは他の勢力だということになりますな。
頭が固いね。ほかにそんな勢力あったかい?
290日本@名無史さん:2011/10/27(木) 15:23:32.03
>>289
その通り。
天災汚物のような単脳細胞か多すぎる。
291日本@名無史さん:2011/10/27(木) 15:52:02.69
>>277
> @王都に墓はつくらない。廟と墓は明確に区別され、墓域は王都の郊外に設けられる。

イサクのいう根拠、というかイサクの論法は以下のとおりだったと思う。

1.倭人は、墓制も中国のそれに準じてきた。
2.中国の墓制と王都づくりのしきたりからいえば、皇帝の墓はすべて王都の郊外につくられる。
3.以上の事実から、「王都に墓はつくらない」

倭王の墓は中国の皇帝の墓とは(倭王の墓も中国の皇帝の墓も実態は明らかでないが、類推すると)
異質だ(ろう)から、1.は成り立たないだろう。
したがって3.も当てはまらない。

前方後円墳と中国の墓との違い
・前方後円形の墳丘形態は中国では(少なくとも一般的には)見られず、前方後円墳は列島内発祥と考えられる。
・埋葬施設の位置が中国は地下だが、古墳では墳丘内。
・中国(楽浪郡)由来と思われる木槨木棺を駆逐し、長大な割竹型木棺と竪穴式石槨という形態を採用。
・鏡、武具、玉類、農工具の組合せとか、鏡の大量副葬指向とか、副葬品の組成が異なる。

イサクは

> 倭人は、鏡と剣を死者を神仙へ導く呪具とする葬送儀礼を直接的に受け入れてきた以上、
> 墓制も中国のそれに準じてきたと考えなければならない。(ドン来い89 324)

というが、鏡と剣の副葬の開始は楽浪郡設置以前の中期前半のうちにあり(吉武高木遺跡)、半島からの伝播と考えられる。

古墳に樹立される円筒埴輪は吉備の特殊器台・特殊壺由来であり、古墳上で首長霊継承儀礼がおこなわれたものと考えられる。
古墳は首長の権威・権力基盤を顕現し誇示する表象物だと思われるので、王居の近くに築かれるのはむしろ道理にかなう。

また、祖霊祭祀の初現が吉武高木の墓前建物にみられるならば、
祭祀王の居処が墓の眼前にあるのは(当時)当然のことだったと思われる。
292ローガン:2011/10/27(木) 16:07:36.71
>>277
>A洛陽の尚方では絶対につくられない呉式「神獣鏡」

「尚方作」銘熹平七年環状乳半円方格神獣鏡 昔からあるし。

B大きくて2〜30メートルの墳丘墓を造っていた弥生時代の終りに、その10倍もの飛び抜けて大きな墓をつくることはない。

今までにない求心力を手にした初代王の墓だから。時代の画期。

>CE計画的・組織的に労働民を集めて奈良盆地開拓の開拓させた権力・勢力が奈良盆地にあった形跡はない。

自然発生的に誕生した集落が、人口増加に伴いインフラ整備するのは何も不思議な事では無し。

>F『三国志』東夷伝の距離数値は魏の公式尺度の6〜6.5倍で書かれている。
>H古代中国における地理情報は軍事情報に位置づけられる。

「正確」が重要な軍事情報に何故、共有している公式尺度を使わないの?

>I卑弥呼の鬼道については張魯と同じ「鬼道」としていること

同じものかは不明。巫鬼道…みたいな異民族の邪教の意味合いかもしれんし。

293日本@名無史さん:2011/10/27(木) 16:28:02.54
欠陥だらけ、穴だらけの汚物説。
294日本@名無史さん:2011/10/27(木) 16:43:09.33
>「正確」が重要な軍事情報に何故、共有している公式尺度を使わないの?

これはむしろ、魏志倭人伝著者に聞きたい言葉だな。
パプアニューギニアやマリアナ諸島、ベーリング海峡に行かせる意図があるかもしれんが。
295五味飼助:2011/10/27(木) 17:27:37.69
>>292 「尚方作」銘熹平七年環状乳半円方格神獣鏡 昔からあるし。
ローガン。またやったくれたな。
以前やって、まやかしが通用せず、きみの返答がなかった話だろ。
この一件も俺のサイトに追加しとこう。畿内説者の腐った反論例としてな。

@延熹二年(後漢)延熹二年五月環状乳神獣鏡 (浙江省出土) 
「延喜二年五月丙午日天大述、廣漢西蜀造作明竟、幽凍三商、天王日月、位至三公、長楽未英、吉且羊」
神獣鏡が「広漢巴蜀」で盛んに造られたことは以前にも述べた。
広漢巴蜀とはどこだ。まさに天師道の本場だな。論外。

A熹平七年(後漢)熹平七年半円方形帯神獣鏡 (湖北省鄂州市鄂鋼焦化工地出土)     
「熹平七年正月廿五日丙午、暴氏作尚方明竟、幽凍三商、天王日月、上有…富且昌、長楽未央」
鄂州は鄂城と同じ。太平道が盛んだった土地柄だ。
俺の知り合いの銅鏡コレクターが、
中国発行の『顎城漢三国六朝銅鏡』(湖北省博物館・顎州市博物館編)という図録を盛っている。
これは、鄂城(長江南岸の湖北一帯)から河口に至る流域でつくられた、
「漢・三国・六朝時代の道鏡」という意味だが、
ここには日本では見ることのない神獣鏡が網羅されていて、そこに掲載されている。

ほーれ。どこに漢朝の官製工房(尚方)でつくられたという保証があるか。
まして、「尚方作」とは一種のステイタスで、勝手に入れた可能性が高い。
こういうものを何の素性説明もせず出す手法が紳士的といえるのか?
俺が怒るのは、相手の意見を否定するために何でもありの、」そうした腐った根性だ。

ま真理としては、俺に対する反論ではなく、観客に「反論して見せる」意図もあるのだろうがのぃ。
296日本@名無史さん:2011/10/27(木) 17:29:39.05
>>277 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作

@〜EおよびIJについては過去に散々論破済み。
(FGHについてはタッチしていない)

いや論破も何もそもそも理屈にも何もなっていない。
言うだけ言い放ってトンズラ。

一番新しいCのネタ「唐古鍵の成り立ちに外部勢力の関与云々」で言えば
>>225で指摘したようにそもそもその質問自体が成り立つ根拠が無い。
(外部勢力の関与を想定しなければならないような材料の提示が無い)
これにも答えられずトンズラ。

他も似たり寄ったり。

これを初めて見る人間でもこいつが馬鹿だというのが凡そ分かるだろう。
分からない奴は自分が馬鹿だという事を認識した方がいい。

>高度な史観をもつ鶴が一匹舞い降りた。ここを飛び立つ前に

さっさっと何処へでも去れゴミクズ。
いや行く先々で電波撒き散らすだけだろうからさっさと氏ね。
297五味飼助:2011/10/27(木) 17:35:46.50
つづき。
>今までにない求心力を手にした初代王の墓だから。時代の画期。
論理の通った反論とはいえん。願望だ。苦笑

>自然発生的に誕生した集落が、人口増加に伴いインフラ整備するのは何も不思議な事では無し。
纏向の土器をみれば全国から人が集められたといい、
唐戸は「自然発生的に誕生した集落」か。纏向よりも全国規模の土器がでるぞ。失笑

>「正確」が重要な軍事情報に何故、共有している公式尺度を使わないの?
なこと知るか。俺は事実を事実として述べている。泣きをいれるな。嘲笑

>同じものかは不明。巫鬼道…みたいな異民族の邪教の意味合いかもしれんし。
願望はいいから、「違う」という論証を展開しろ。

ローガンがこのていたらくじゃ、畿内説はお手あげということだな。哄笑
298日本@名無史さん:2011/10/27(木) 17:36:05.00
それと老眼と伊作の鏡の話だが「尚方」と「右尚方」の銘は分けておいた方がいいぞ。

「官製」に限定したいのなら「右尚方」だ。
299五味飼助:2011/10/27(木) 17:41:42.38
>>291
ふにゃふにゃいわず。
ある王または天皇の都域内に、墓をつくった実例をもってこい。
例外的な事例すらみつけるのは困難だろう。わらわら

墓があったところへのちに王都をつくったとか、
王都の跡地を墓地にしたという事例はこの場合除外。いいな
300五味飼助:2011/10/27(木) 17:44:48.05
>>291
>古墳に樹立される円筒埴輪は吉備の特殊器台・特殊壺由来であり、
そうか。箸墓の特殊器台・特殊壺由来は埴輪の走りというわけだ。
ということは、箸墓には殉葬はないということだ。
ということは……バカにも分かるの靴だよな。わらわら
301日本@名無史さん:2011/10/27(木) 17:47:13.20
王の都域内に墳丘を造ること自体、通常は無理だろ。人家などが群がってるんだから。
思想とか何とかに関係なく、物理的にありにくいし、造ったら不便。

墓のあった場所、あるいは近くに、後から王都を平気で造る以上、
王都と墓域の関連性は特にないと見るべき。単に、不便だから、郊外に造るだけ。
302五味飼助:2011/10/27(木) 17:47:33.79
の靴→→理屈
303ローガン:2011/10/27(木) 17:51:50.75
>>295
>A熹平七年(後漢)熹平七年半円方形帯神獣鏡 (湖北省鄂州市鄂鋼焦化工地出土)     
>「熹平七年正月廿五日丙午、暴氏作尚方明竟、幽凍三商、天王日月、上有…富且昌、長楽未央」鄂州は鄂城と同じ。太平道が盛んだった土地柄だ。

そういうと思った。鄂州市は出土地やんか。 出土地=製作地って事ですな?
では、河南省洛陽焼溝漢墓160号出土 環状乳神獣鏡は? 洛陽製作でいいね?
だいぶ前の君の返答は、「出土したとはいえ、そこで作られたとはいえない」だったけど。(笑)
304日本@名無史さん:2011/10/27(木) 17:58:18.97
もう散々何度も何度も何度も…言ってきたが

そもそもこの 森村伊作 とかいうドキチガイが論証してみせるべきは
自分か考えたモデルが3世紀の日本にあったことの証明であって

古代中国や後世の日本の都市(藤原京や平城京)を元ネタに

「 ボクの考えた王都 」

を作り出したとてそんが3世紀の畿内や九州どころか日本のどこかにあった保障は何も無い。

無論、熊本にその条件に合うものがあるわけでもないwww
305304:2011/10/27(木) 18:14:21.22
昔は、と言うより今でも一般的なイメージとすれば邪馬台国=環濠集落というのは
同時代に環濠集落は存在したからだ。

だから邪馬台国が環濠集落であったというモデルにもある程度の蓋然性はあった。
(ただまあ3世紀ともなれば些か時代遅れというか環濠集落に限定する必要は無いというのは
 別に纏向を持ち出すまでも無く通説なら奴国の福岡平野の須玖岡本あるいは比恵那珂を見れば分かること)

じゃあこの 森村伊作 とかいう馬鹿がほざいている「王都」が3世紀の日本にあった保障は何処にある?

「ボクの考えた王都モデル」を平気で根拠にしてくるクズっぷり。

さっさと熊本にその条件に符合する物を掘り出して来いゴミクズ。
306五味飼助:2011/10/27(木) 18:40:37.62
>>303
確定事実を前に小細工を弄してにあがいてどうする気だ?

>鄂州市は出土地やんか。 出土地=製作地って事ですな?
神獣鏡づくりの本場だ。

>では、河南省洛陽焼溝漢墓160号出土 環状乳神獣鏡は? 洛陽製作でいいね?
浙江省出土の環状乳神獣鏡に「広漢西蜀造作明竟」とある。
ただの揚げ足から飛躍したかけ合いだが、相手が違うんじゃないのか。
くだらない。
307日本@名無史さん:2011/10/27(木) 18:41:34.91
伊作は、相手を攻撃して勝ったつもりでいるが、
かんじんの九州熊本に邪馬台国があったという証拠が一切提示されないんだよな。

>>297
>論理の通った反論とはいえん。願望だ。苦笑

伊作も、願望はもういいから、証拠を出したまえ。
畿内説を否定し続けても、熊本から邪馬台国は沸いてこないぞ。
308ローガン:2011/10/27(木) 18:42:06.23
>>298
>「官製」に限定したいのなら「右尚方」だ。

なら、長方形鈕孔の△鏡は、官製ですな。
309唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/27(木) 18:55:30.48
@王都に墓はつくらない。……これで、纏向遺跡が邪馬台国ではないことが決定し、
卑弥呼の王宮と卑弥呼の墓(箸墓)が隣り合わせだとする考古学的・歴史学的まやかしが判明した。

この前提として、
I卑弥呼の鬼道については張魯と同じ「鬼道」としていることや、彼女が倭地で鬼道をマ
スターした可能性はない。がある。

卑弥呼が 渡来の“鬼道師”が大前提であるが、卑弥呼は鬼道をしても、“張魯と同じ”
とは、書かれていない。
纒向(王都)は、崇神・垂仁・景行が作り上げた王都であるから、@の思考は無い。
310唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/27(木) 18:56:24.63
B大型化へ向かう段階的ステップがある。…これで、箸墓の築造年代のウソが判明した。

箸墓は、261年崩御の景行の墓である。
崇神(188〜216年)。同5,6年は新羅192,3年(後漢193年)から任那建国(210年)
垂仁(217〜239年)。辻の3世紀初めの大型建物(珠城宮)からホケノ山古墳まで。
景行(240〜261年)。田道間守の帰還。九州や関東に出兵。大倭が伊都国に一大率を置く、までである。
箸墓を考古学は“最初の大王”と表記する。箸墓の築造年代に齟齬は無い。
考古学:3世紀後半、布留式期に管理された半島の土器が九州北部に存在する。
274年 ~功渡海。 275年~功元年。
326年 七支刀=~功52年= 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
東晉明帝太寧4年:丙戌 西元326年2月19日。1月壬辰朔
で5月庚寅朔が得られ、1日の違い。
七支刀が326年であれば、領土分与のお礼の品となる。

考古学の年代と、文献、書記の記事が合致する。
311太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/27(木) 19:05:18.40
大中臣からのニセ編年撲滅の下命−−天津祝詞の太祝詞事〜天津金木

太古の大中臣からの出鱈目編年の退治の下命文〜これが大祓祝詞である。
その文の焦点が天津金木(天津神算木)の計測による インチキ編年を祓い
に祓え との大中臣の作法なのだ。真の編年を教示するのがここにある。

天津神算木とは崇神紀(景行紀ではない)にある三輪山の説話の三輪
(半径r=3の円)の球化の体積=表面積の数式をいう。すなわち

 4πr**3/3=113.0973355292・・・ (**は冪)

大祓祝詞に曰く 大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて

 3≠113.097335=113.◎97B350

右辺末桁50 をイスズ暦数あるいは単にイスズ暦という。両○数字は数的
にミワと読む。○数字に挟まれて B.C.97年 崇神即位年 がある。
崇神即位年の実年代は両○数字外側の数列 113 350 の差により求まる。

 350−113=237年=崇神即位元年(実年代)=景初元年

大中臣からの真の年代は、それがし 太国 が拝受した。インチキ188年説を
祓いに祓って、日本古神道からの真の年代が開顕される。
312五味飼助:2011/10/27(木) 19:06:06.03
>>304
>もう散々何度も何度も何度も…言ってきたが
ご苦労だが、誰もまともに読んではいないぞ。全キチ

>>305
>「王都」が3世紀の日本にあった保障は何処にある?
んー? バカの見本。ほとんど全キチだ。
纏向邪馬台国説では、纏向遺跡の範囲が「倭王の都」というのではないのか?

>>307
>九州熊本に邪馬台国があったという証拠が
これまでに俺が示した畿内説のウソとまやかしを整理して提示したところだ。
今は、俺の考える邪馬台国の場所など問題ではない。ごまのはえ

>畿内説を否定し続けても、熊本から邪馬台国は沸いてこないぞ。
白旗宣言だな。

なんでもいいが、畿内説も頭が悪い。
普段は受け売りを並べているだけで、自主的な意見は何もない。
(受け売り自主意見では、同じタコが書くにも質が違いすぎる)。
たまにオリジナリティのある意見をいえば支離滅裂だし。
313五味飼助:2011/10/27(木) 19:07:44.36
>>305
>「王都」が3世紀の日本にあった保障は何処にある?

バカの支離滅裂の見本。
纏向が邪馬台国というのは、纏向遺跡の範囲が「倭王の都」というのではないのか?
314日本@名無史さん:2011/10/27(木) 19:08:26.19
>>312
>これまでに俺が示した畿内説のウソとまやかしを整理して提示したところだ。
>今は、俺の考える邪馬台国の場所など問題ではない。ごまのはえ

違うね。

君の論での熊本説が実証されないかぎり、君の論での畿内説批判は効力が無い。

わかるかな?

315五味飼助:2011/10/27(木) 19:15:36.80
一部は北部九州説にも該当するが、邪馬台国畿内説の問題となる事実を提示した。
ローガンみたいな「まやかし」や願望論ではなく、全キチみたいな支離滅裂誹謗でもなく、
この10項目のうち一つでもいいから、正面から事実ではないことを論理的に否定してみろ。

「そうではない」というだけではなく、
論らしく「そうではない」証拠をもって反論すればいいことだ。
316五味飼助:2011/10/27(木) 19:16:36.71
>>314
パカか。
317日本@名無史さん:2011/10/27(木) 19:20:53.28
>>312-313 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作

>纏向が邪馬台国というのは、纏向遺跡の範囲が「倭王の都」というのではないのか?

おいドキチガイ 森村伊作 

いいか?
それが邪馬台国だろうがそうじゃないのだろうが、兎に角「纏向遺跡」と言うのは実在するんだよ馬鹿。

「纏向を「倭王の都」としていいのなら ボクの脳内王都 も「倭王の都として良いんだ」

…と言う理屈は成り立たない。

中国の古代都市や後の藤原京や平城京を元ネタにして作り上げた脳内モデルが
そもそも3世紀の日本にあった根拠が無い。

ボクの考えた王都の条件…なんか何処ぞの阿呆の戯言。

318唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/27(木) 19:27:14.41
韓国語の直訳です。
百済王の伝記クン草稿王21年、近肖古王21年(百済本紀366年)
二十一年春三月遣使聘新羅21年(366)春3月に使節を新羅(新羅)に送って予防した。
五月帝次于牛頭州受楽浪帯方等貢物時句麗与党夫余争地皆順于我故二国皆順于我也帝乃率仙巫親祭于太白山休礼奈勿宴狗徒于蚊川宅命稟主賜バルマー

晉書卷一百九 載記第九  慕容皝慕容翰 陽裕
咸康(342年)七年,皝遷都龍城。率勁卒四萬,入自南陝,以伐宇文、高句麗,…
句麗、百濟及宇文、段部之人,皆兵勢所徙,非如中國慕義而至,咸有思歸之心。
慕容恪攻高句麗南蘇,克之,置戍而還。三年,…
永和二年? 其世子儁與恪率騎萬七千東襲夫餘,克之,虜其王及部眾五萬餘口以還。
皝親臨東庠考試學生,其經通秀異者,擢充近侍。以久旱,丐百姓田租。罷成周、冀陽、營丘等郡。以勃海人為興集縣,河間人為寧集縣,廣平、魏郡人為興平縣,東萊、北海人為育黎縣,吳人為吳縣,悉隸燕國。
悉隸燕國。高句麗・百済・扶余等悉く前燕に隷属(帰順)する。
つまり、前燕軍の駐留する高句麗と扶余が366年に戦争をすることは無い。
 孝武帝の太元十年(324年)、高句麗が遼東と玄菟郡を攻める。後燕の慕容垂は弟の農を派遣して高句麗を成敗し、二郡を復旧した。

事実は、366年の出来事は320年?の出来事として、高句麗が扶余を攻める。
323年 領土分与を受けた百済は、324年に敗軍?高句麗を帯方(平壌)に攻め
高句麗王を戦死させる。これにより、百済は前燕ににらまれることは無い。
319日本@名無史さん:2011/10/27(木) 19:33:23.11
>>316

反論できないことに気が付いたかね?

この板には、君より賢い者がいっぱいいて、みな、君を笑ってるよ。


320日本@名無史さん:2011/10/27(木) 19:34:15.11
>>297 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>唐戸は「自然発生的に誕生した集落」か。纏向よりも全国規模の土器がでるぞ。失笑

「纏向よりも全国規模の土器」?

そもそもここ最近出してきたこのネタの根拠だろうそれは一体何をソースにしているんだ?

以前、楯築を前方後円墳とかアホをほざいたみたいに
何処ぞのサイトの内容を勝手に変な理解、鵜呑みをしてるんじゃないか?

根拠ソースを出せ。





321日本@名無史さん:2011/10/27(木) 20:05:27.46
ここ見てると、畿内説の嘘八百、言い逃れ、詭弁などは、
ローガンが全部を備えていて、実に畿内説のよき見本だといえよう。
322日本@名無史さん:2011/10/27(木) 20:18:27.20
>「正確」が重要な軍事情報に何故、共有している公式尺度を使わないの?

その理由が陳寿の倭人伝を読む者に対するメッセージ。ウソを書いてもいない。彼も生活に困窮していたので責められん。
323日本@名無史さん:2011/10/27(木) 20:21:17.86
>>322
>その理由が陳寿の倭人伝を読む者に対するメッセージ。

そういう言い方をすれば、どんな曲解も許せるというわけか。

こっちは「あんた、バカ?」としか思わないけどね。
324日本@名無史さん:2011/10/27(木) 20:31:57.87
小心者ほど素性がわからない掲示板ではいきがってみせる。 レス中の一語にだけ飛びつく。文献も細部にとらわれ全体を通して読めない。
よって歴史の全体像がみえてない。

325日本@名無史さん:2011/10/27(木) 20:46:45.48

中野剛志先生がTPP賛成論者の詭弁を全滅させたようです
http://www.youtube.com/watch?v=9amjatPD_l4
http://www.youtube.com/watch?v=8G29qFqId2w


中野先生が敗北宣言、暗殺される?
日本が米国の植民地に。すでに99%手遅れか?
http://www.nicovideo.jp/watch/sm15973549


テレビ・新聞にだまされるな。
気づいたら、
「my日本」で検索
326五味飼助:2011/10/27(木) 21:09:49.95
>>317
おまえ、毎晩シャブリして投稿してるんじやあるまいな。

>「王都」が3世紀の日本にあった保障は何処にある?
「纏向が邪馬台国というのは、纏向遺跡の範囲が倭王の都というのではないのか?」

>纏向を倭王の都としていいのなら ボクの脳内王都も倭王の都として良いんだ …と言う理屈は成り立たない。

纏向を倭王の都と主張するのはお前らで、「王都に墓はつくらない」といってるのが俺。
「纏向遺跡が邪馬台国なら纏向遺跡のエリア内に卑弥呼の墓はつくらない」。
こういう意味なのだが。話の筋がわかったか? 

全キチの筋違い・お角違い・認識不足による言論封じは、いよいよ犯罪の領域へ。
327五味飼助:2011/10/27(木) 21:19:26.52
>>319
お前が笑われているようだぞ。
立ちションして軽犯罪法で摘発されたタコが、
「お巡りさんだって立ちションぐらいするでしょ」なんてな。
てめえの罪が問われている場面で、罪を問う人間の問題にすり替えて、
「だから」といわんばかりに免罪符にしようっていう倒錯した心理だな。

そういえば、駐車違反でつかまったおばちゃんが警官に食ってかかるシーン。
「何でうちだけつかまえるねん。ほかにもぎょうさん止めてるやないの!」
九州の人間には、関西人のこういう感性が理解できん。モラルの違いかなー。
お前も関西人だろ。
328:2011/10/27(木) 21:20:40.96
www

329日本@名無史さん:2011/10/27(木) 21:27:45.74
半キチも含め、畿内説の連中は邪馬台国が畿内に有ったことを立証してみろ。
まだ、まともな畿内説立証を見たことがない。
330日本@名無史さん:2011/10/27(木) 21:29:11.58
>>326 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>「王都に墓はつくらない」といってるのが俺。

その主張に根拠が無い。
お前のほざいている近辺に墓の無い王都はお前の脳内モデルにしか過ぎない。

実在する纏向遺跡(やその他の遺跡)と比べること自体が意味が無い。

近辺に墓の無い王都…後の藤原京を例に取るなら
中心にある藤原宮自体が約1キロ四方
都全体となると一辺5キロ四方で大和三山を”内包する”巨大なものになる。

そんな時代の物から組み立てた物を3世紀の集落のモデルに当てはめる根拠が無いって言ってるんだよこのゴミクズが。

「九州だろうが畿内だろうが3世紀の日本にあるかどうかは分からないけど
 ボクの考えた王都の条件に合わないから邪馬台国じゃないんだぞ」
と馬鹿がほざいているだけ。

とりあえず纏向なんざあその「王都」やらの劣化版にしかならないようなスゴイ物を見つけ出したからほざけやカス。
331五味飼助:2011/10/27(木) 21:31:23.72
理路整然とした投稿は理路整然として思考から生まれる。

畿内説ももう少し利口かと思ったが、半端者ばかり。
もう少し頭のいい奴を連れてこい。
そうすれば、俺も支離滅裂の矯正と道理の教示抜きで本論勝負で手間が省ける。
332五味飼助:2011/10/27(木) 21:34:28.02
>>330
さっそくすり替えか。
「3世紀の王都がある・ない」の話だったぞ。銀色をしたごまのはえ
シャブリすぎて思考回路がぶっ飛んだか。わらわら
333五味飼助:2011/10/27(木) 21:37:19.77
畿内説の末端価格野郎。
てめ。誰を相手に威力行使妨害めいた言論妨害をやってるつもりなんだ?
334日本@名無史さん:2011/10/27(木) 21:37:46.11
>>326 五味飼助=見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作

それはそうと >>320 には答えないのか?

>纏向よりも全国規模の土器がでるぞ。

…とは一体どのような資料を持って言っているんだ?

纏向の外来系土器の比重にしたって真っ先に比較対照になるのは唐古鍵だったりするが
唐古鍵に纏向を凌駕するような量が出ているなんて聞いたことも無い。

纏向より由来地域が富むと言う話なのか?

何れにせよ何を言っているのか見当も付かん。

いい加減にソースなり出せや 森村伊作 よ

335唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/27(木) 21:44:03.13
>「纏向遺跡が邪馬台国なら纏向遺跡のエリア内に卑弥呼の墓はつくらない」。

北史 倭國
謂之倭奴國… 其國亂。←倭奴国の乱を畿内大和に設定できない。
だから、九州女王国に共立卑弥呼は、倭奴國王位継承。
至邪馬臺國,即倭王所都。畿内大和である。正始元年”倭王位”授与。

纒向に卑弥呼の墓が無いことは明白である。この結論を引き出すだけであれば、
引きずり回しすぎというところか。

唐古・鍵遺跡の出水による埋没は、西暦25年頃であり、神武元年(42年)以前であるから
議論の対象外。
年輪降水量。
http://w3serv.nagoya-u.ac.jp/envgcoe/images/events/seminar/fyh21/others/20100309/ppt/lecturer/nakatsuka.pdf

ホ32146 うむミコは イミナフトヒヒ ワカヤマト ネコヒコノミコ
コホのナツ アメヨソカふり ヤマシロダ アワウミあふれ
タもミモチ ナゲキつぐれば ミコトのり

孝元9年は出水から、175年前後である。

336日本@名無史さん:2011/10/27(木) 21:46:13.03
>>332 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作

支離滅裂なのはお前の方だ ゴミクズレベル九州説 森村伊作

日本の後代の都や中国の古代都市からモデルを組み立ててみる…まあここまでは良い。

じゃあそんが3世紀の日本にあったとできる根拠が全く無い。

脳内で
「ボクの考えたすばらしい王都」
を作って終わり。

実際に熊本の地に
中央の宮殿から数キロの範囲に墓も一次産業従事者が住んでいたであろう竪穴住居も見えず
その範囲には祭祀遺構や工房跡と言ったものしか見られない

…なんてものがあればお前の言うことにも説得力もあるが
「ボクは王都の条件をこう考える」
だけじゃあアホの戯言、チラシの裏にでも書いておけドカス 森村伊作


337筑紫の民:2011/10/27(木) 21:48:38.99
とうとう、半キチ→反キチ→全キチ→犯罪者
この「全キチ」という人は、
@自分勝手になにかほざいている人なのか?
A何かの義務を背負っているてる人なのか?
B単なるアラシなのか?
C過去に九州男児にいやな目にあわされたのか?
D世の中よくわからんけどここで「畿内説(ヒール)」に徹したら相手してくれるから
 楽しくてやってるのか?
畿内説人間観察 楽しいわ

338日本@名無史さん:2011/10/27(木) 21:52:05.89
>>337

答え=AA
339これも答えられずトンズラか?:2011/10/27(木) 21:59:15.98
>>297 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>唐戸は「自然発生的に誕生した集落」か。纏向よりも全国規模の土器がでるぞ。失笑

「纏向よりも全国規模の土器」?

そもそもここ最近出してきたこのネタの根拠だろうそれは一体何をソースにしているんだ?

以前、楯築を前方後円墳とかアホをほざいたみたいに
何処ぞのサイトの内容を勝手に変な理解、鵜呑みをしてるんじゃないか?

根拠ソースを出せ。

伊作のポチ 筑紫のド民 でもいいぞwww





340五味飼助:2011/10/27(木) 22:06:14.76
>>337
あれで・たぶん。
仲間内では「九州説を叩き潰してる」と自慢してるんだろうね。

仲間内でも軽視されているか敬遠されているので、
こういう所でいい『 』して見せている気でいる。

あわれなほどのバカさ加減が手に取るようだよ。
341五味飼助:2011/10/27(木) 22:08:25.99
>>337
それはそうと、私がこれまでに提示してきた10項目の畿内説叩き項目。
たった一つもまともに反論できなかったね。どーよ
342太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/27(木) 22:11:36.92
>>335
ほ〜ら、偽書といわれる書物を持ち出した〜と、コチラを口撃していた男
が〜

〜〜偽書といわれる書物を持ち出した〜〜。

神武元年(≠42年)
343:2011/10/27(木) 22:17:05.29
>纏向よりも全国規模の土器

へえ、どこどこ? これ聞いてみたいね。
344筑紫の民:2011/10/27(木) 22:25:07.16
>>340
全キチは、前の書き込み見た所、奈良県在住みたいだよ、しかも知能が低いものだから思い込んだら徹底したものになっている。
だから、魂が《奈良県最高=記紀=マキムク・ハシハカ=反九州》になっていて矯正不能→所謂犯罪者
相手にしたら損だけど放置したら被害を被る厄介者ですね。
345:2011/10/27(木) 22:27:24.98
五味飼助&筑紫の民 が悪の同盟を組んでるってストーリーなのかな?

君らの熊本説なんて聞いた事無いし、どんなのか知らないが・・・
邪馬台国が九州にあるという説得力のアル論を書きこんだらどうかね?
346:2011/10/27(木) 22:30:32.41
筑紫の民 ←こいつ感じ悪いよね・・・

よく知らない人なんだが、俺の事はよく知ってるみたいで(笑)
347日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:30:46.91
ちなみに巻向駅の近くに出てきた大型建物。
一番近くの古墳だと石塚?距離にして500mは無いか?
吉野ヶ里でも集落の中心から列埋葬の場所まで500m無いだろう。

三雲にしても三雲小路王墓から半径500mもとれば遺跡のかなりの部分は入る。
比恵那珂にしても方形周環墓が遺跡範囲内にある。

およそこの 森村伊作 とか言う馬鹿がほざいている
「ボクの考えた王都」
に当てはまりそうなものはなさそうだが…

一事が万事大体このパターン。

脳内で絵をかいてそれにあっちこっちからネタをつまみ食いして膨らます。
それが根拠。

この 森村伊作 とか言う馬鹿のパターン。
348筑紫の民:2011/10/27(木) 22:31:24.62
「女」あっち行け、シッシ。
349日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:32:26.44
>>メ

伊作のHPで読んでくれないかな じゃないと他の人が書き込めなくなるw
350日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:32:37.23
>>345 ドツボ
ああ、筑紫のド民と言うのは森村伊作の愛読者。
金出して本買ったらしい。

まあ師弟コンビかな?w

師匠もゴミクズなら弟子もゴミクズ。
351五味飼助:2011/10/27(木) 22:32:52.30
>>343
過去ログ探してみ。
俺とのやりとりで、唐戸・鍵遺跡の外来系土器分布を、
東南部、北部、南西部とブロック分けした上で提示してくれた人がいた。
今わめいてる銀蝿などよりも遥かにタメになる情報だ。
それによると、纏向の外来系土器の産地よりもずっと広範囲でほぼ全国規模だ。

俺は、自分では何もせず他人に「出せ」というガキめいた要求には絶対に応じない人だ。
352日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:35:23.20
>>351
>過去ログ探してみ。

このスレ?どこの過去ログ?
353筑紫の民:2011/10/27(木) 22:36:58.84
>345 :メ:2011/10/27(木) 22:27:24.98
>五味飼助&筑紫の民 が悪の同盟を組んでるってストーリーなのかな?

ぶふふ、がはは、ひひひ・・・「悪の同盟」だって
「女」っておもろいわ
354:2011/10/27(木) 22:40:41.37
>まあ師弟コンビかな?w
>師匠もゴミクズなら弟子もゴミクズ。

なるほど、なるほど(笑)
伊作愛読者か・・・

ていうか、誰こいつ?ってかんじなんだけどw
「筑紫の民」って、一昨日にマジで知ったww

それまでは存在すら知らなかったんだが、
こいつ俺の事知ってるみたいで気持ち悪い(笑)
355日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:42:00.06
>>351

それ、老教授のコピペだな。

老教授で過去ログ検索すれば出てくるだろ。

だから何だというのかな?
356筑紫の民:2011/10/27(木) 22:44:38.07
>>350
ああ、私は伊作先生の古代史の考え方を尊敬する一人だよ。
先生が許してくれるのなら弟子入りしたいくらいだよ。
この板無言で眺めている人の多くがそう思っているんでないか?
357日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:45:15.30
これか…

http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/6dc070f86a84b1fe0886dd63d08ed7d4
>▼唐戸・鍵遺跡における外来系土器の分布(同じくWEB上のやりとりで得た情報に基づく)
>@東南部(旧市街地):河内産の土器が大半を占める。
>A北部:吉備・讃岐・山陰・丹後・紀州などの土器が出土。
>B南西部:吉備・讃岐・山陰・丹後・紀州に加えて東海・関東・越などの土器が出土。
>C九州北部・九州中部・九州南部と南四国、常陸・奥羽などは、少量ではあるが全時代的に出土している。弥生時代後期になると、これに加え全般的に近江や丹後・丹波・但馬・播磨などの土器が増加する。
358:2011/10/27(木) 22:46:02.61
>>353

アハハハ 君は一体誰なんだい?
君は俺の事知ってるみたいだが・・・
俺、君の事知らんし(笑) とりあえずぅ 初めましてかなwww
359:2011/10/27(木) 22:48:56.10
>>356
おめー マジで誰なん?
俺の事どこで知ったん?終止符スレの書き込みかな?(むかしの)
で、いつから2chに来るようになったんだい?
360:2011/10/27(木) 22:52:54.24
いや、まじで、「筑紫の民」←こいつの事、知らんのよ(笑)
彼はおれのこと「女」って言いだしてるけど・・・・
一昨日、初めて知ったから、なんて言い返せばいいのか困ってるていうか。
とりあえず、「テめーこの野郎」て言っとけばいいのかな?みなさん
こういう場合は、ストーリーに沿って、よく知らない人だが、
「この野郎、ばっきゃろー」とか言っとけばいいのかな?
皆さんの場合どうする?不意を突かれたかんじで困るだろ? 俺の気持ち察して頂戴w
361日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:53:33.31
ドツボが何を偉そうに
362筑紫の民:2011/10/27(木) 22:53:34.58
>>359<目>
からまないで、話しかけないで、触らないで、向こうに行って、見ないで・・・
363五味飼助:2011/10/27(木) 22:54:44.86
>>357
ここで書く何倍もきちんと書いてるだろ。

そのページの結びの「くだり」もついでに見てみろ。
俺はもう一度だけ紙本を出版する気でいるが、
その文言だけは必ず入れるつもりだ。
364日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:54:54.87
>>357
纏向で言うと多い順に東海・山陰北陸・河内・吉備・関東・近江・瀬戸内西部・播磨・紀伊・・・だが
まあ地域は遜色ないとして全体に占める割合が纏向ほどに突出しているのか?って話だな。

>少量ではあるが全時代的に出土している。弥生時代後期になると

…これからするに相当な時間で集められた物の様だが

何れにせよ九州はたいした量も出ていないようだからとりあえず外して問題なしとwww


365:2011/10/27(木) 22:58:56.01
さて、寝るか〜寒気がするww

では・・・・zzzzz
366日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:59:29.44
>>363 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>そのページの結びの「くだり」もついでに見てみろ。
>俺はもう一度だけ紙本を出版する気でいるが、
>その文言だけは必ず入れるつもりだ。

それってこれ↓のことか?www

>以上、(一部は北部九州説にも該当するが)邪馬台国畿内説の問題となる事実を提示した。
>すべて、私独自の史観と着眼による指摘である。武者修行を兼ねて巷間での反応を見たが、この11項目が事実ではないことを論理的に否定しきった人はただの一人もいなかった。
>ただひたすら、言論妨害にも似た不当な人格攻撃か、子ども騙しレベルの方便が目立ったのみである。
>(驚くべきことだが、出した意見に対する意見や正当な反論ではなく、意見を出した人間に対する不当な人格攻撃や誹謗・中傷が、アマチュア論者の中に当たり前のようにみられる。
>史実検証は純粋かつ崇高な行為のはずなのだが、実際のところ、邪馬台国論の世界は極めて醜いといわざるを得ない)。

そもそも前提となる材料の提示も無い。ゴミクズの妄想。

つうか正直に「2ちゃんねるのやりとりです」って書いておけよw

367日本@名無史さん:2011/10/27(木) 22:59:36.22
本の中に2chでのこととか書かないほうがいいと思うよw 
368ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:05:40.34
>>366
「びくびく」するな。しゃらくさい。

畿内説の卑劣さや不当な人格攻撃・誹謗・中傷の事実は、
どんな形であれ俺の方法で世人に知らしめるつもりだ。

いろいとありがとよ。

369日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:08:26.43
>>366

ずいぶんと伊作氏の愛読者のようですな。
370太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/27(木) 23:08:31.43
ジャック・ネイピア?
371日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:11:00.07
メーカーズ・マークのがうまい
372ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:12:06.93
>>367
大きなお世話だ。
2ちゃんだろうが半ちゃんだろうが、要は利用する人間の問題だ。
内容のあるものにしようと思えば幾らでもできる。

せっかく鶴が舞い降りてきたのに、ゴミ溜めを綺麗にしようという奴は一人もおらず、
余計に汚くするようなことしかしない。

何かを得ようと思えば三流雑誌からでも得るものはある。
得ようという意識があるか否かで大きく違うものだ。
お前たちは、書き捨ての便所の落書き程度のことしかできないから、
その程度のものとしすとらえられないのだ。タコ

373日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:12:43.18
>>368 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作

威勢良く乗り込んで来たは良いが軽く返り討ちにあって
馬鹿にされ叩かれウリの心は傷ついた…ってか?w

別にお前がお前の本の中で何をほざこうが勝手だが
「びくびくしつつ」WEB上なんてぼやかした表現じゃなくてきちんと「2ちゃんねる」って書いておけクズwww

>いろいとありがとよ。

捨て台詞か?もう二度と帰ってくるなよ ゴミクズレベル九州説 森村伊作

さようなら〜
374日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:14:08.92
>>372 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>せっかく鶴が舞い降りてきたのに、ゴミ溜めを綺麗にしようという奴は一人もおらず、

同じような台詞、ヤフーでも吐いたんだろうなと予想wwwwww

375日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:16:57.71
鶴 → ×
烏 → ○
376ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:17:11.02
>>366
どうした末端価格野郎。

道具は何だっていい。道具をどこで仕入れようが構わん。
和洋は道具の使い方だ。
道具を見たらぐーの音もでず、今度は矛先を模索中か?

いままでのような・半端者相手とはわけが違うってことよ。
377日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:19:57.67
ttp://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/6dc070f86a84b1fe0886dd63d08ed7d4

>見逃してならないのは、奈良盆地が湿地帯だった弥生時代中期に、
>全国から開拓労働者を集める権力が奈良盆地とは別の所に存在したという事実である。
>かくして開拓が終了した弥生終末期、奈良盆地では古墳時代を迎えることになる。
>纏向遺跡はこの前後の時期に登場する。この時代のズレが、纏向=邪馬台国説の大きなネックとなる。
>ここは非常に重要なところである。

とうとう、自分のブログでも、
唐古・鍵は、湿地開拓の前線基地だとぶちあげちゃいましたね。

2ちゃんならヨタ話ですんだものを、これで完全に退路を断ったわけだ。
伊作はこれから、この言質に苦しめられて自滅していくことだろう。

どんな悪あがきを見せるか、楽しみだよ。高みの見物といこう。
378筑紫の民:2011/10/27(木) 23:20:41.22
<メ>ごめんね、「からむな」みたいな表現して。
是非からんできて弩壺入りしてほしい。
一緒に遊ぼうね、僕のこと覚えてね。
379日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:22:10.98
とジョーカーは寂しそうに伊作を見送るのであった…
380太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/27(木) 23:25:22.97
ジャック・ニコルソン?
381太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/27(木) 23:27:12.88
ジャック・ネイピア〜ジョーカーの前身
382ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:27:57.55
>>374
>同じような台詞、ヤフーでも吐いたんだろうなと予想wwwwww

おうよ。畿内説の手口は85でも同じだ。攻撃対象を絞って「何でもあり」の攻撃よ。
そいつらは俺の孤軍奮闘のせいで静かになった。

だが、表で騒いで、畿内説の卑劣さを世間に知らしめようという気はまだある。
どうせ騒ぐなら、波及効果の半径が大きいほどいい。
何がしか持てるものを失う覚悟なら道連れは芋づるで多いほどいいからな。


383ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:30:05.24
>>374
「いろいとありがとよ」は、
畿内説の卑劣さの実際の見本を見せてくれてありがとだ。
384伊作大好き銀蝿3号:2011/10/27(木) 23:30:09.47
卑弥呼の鬼道を大先生は(三国志の張魯伝に鬼道の文字があることから)初期道教だとしているが、はたしてそう言い切れるものか?

道教と仙学(胡孚著、湯一介審定、神坂風次郎訳)http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-1.htm
によれば

張魯の教団は、張脩の鬼道のしきたりを踏襲し、張陵の道法に従いながらも装飾を施し、やはり天師道と称していた。張魯の天師道は、実際には張陵の道教教団と張脩の鬼道の結合体だった。
五斗の米を収める規定が教団にあったので、社会一般には「五斗米道」と呼ばれたが、相変わらず「鬼道」と呼ばれることもあった。(中略)しかし、教団内には鬼道巫術が多く残っていたので、
やはり鬼道とも呼ばれた。
のちの歴史家は、張魯が教えを立てる過程を、三張と張脩の事跡も区分せずに書き記し、天師道・五斗米道・鬼道の名称も混同して用いている。

このような見解からすれば陳寿も混同していた可能性がある。
なお、張脩は巴郡の巫人で、天師道の制度を取り入れて巫鬼道を改造し、天師道と巫鬼道を一つにし、「鬼吏」を設けて鬼道の信徒を統括した。この張脩の鬼道が盛んになったのは霊帝の時代で
倭国乱の時期とほぼ同じ時期である。(大先生がのたまうように)卑弥呼が女王に共立される前に現地で学んだとすれば巫鬼道色の濃いものだったろう。

385ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:37:56.91
>>384
それだけで卑弥呼の鬼道を決めるつもりかい。まだ先があったろう。ぼんくら

曹操・劉備・孫権の3つの勢力は、社会に流伝する(天師道・太平道などの)道派組織を
鎮圧・制限しながら利用・転化する両面的な政策をとった。
曹操は、方仙道や黄老道の伝承者を魏の都に呼び寄せた。
曹操の呼び寄せた方士は、すべて優れた術を持つ有名な方士だった。
これらの方士たちは魏の首都に集められ、社会に大きな影響を与えた。
士族の官僚の中でそれを信じる者も多く、神仙道教(士族社会の神仙思想と合体した信仰)の形成を加速した。
張魯が投降すると曹操は彼を客としてもてなし、曹操が軍を引き上げる時には、
漢中の数万戸の百姓(民衆)を長安および許昌・洛陽などに移らせ、張魯およびその家族と閻圃・李休なども北へ移った。

劉備が漢中を攻め落とした時も、多くの道派の信徒が関隴・洛陽どの地に移らされた。
このようにして北方へ移り住むと、その地の太平道の信徒とも結び付き、共に天師道を奉じるようになった。

呉の孫権も神仙を信じ、方仙道や黄老道の伝承者と交遊があった。
彼は介象・姚光・葛玄などを丁重にもてなし、神仙道教が江南で発展していく環境を整えた。
(呉に渡った道士も少なくなく、道派の教義は江南でも伝承されるようになった)。
かくして、初期道教は上層士族の神仙道教と下層の民間道教という二つの大きな階層に分かれていった。
天師道など上層の道派は次第に士族の神仙道教へと発展し、下層の道派は引き続き民間にあって、
百余りの民間道派が各地で活動していた。

天師道が上層社会に伝播して神仙道教が形成されると、
方仙道や黄老道の方士たちも神仙道教に入り神仙道士という立場で経を伝え、術を修習し布教した。
張魯が世を去り教徒が全国に布教した結果、士族社会の名門の子弟が次々に教団に入り、
宗教の威信が高まり天師道という名前も社会に認可されるようになった。
とくに、世家(士族の名族)でありながら代々天師道を信奉し、著名な天師道の家柄になった者も少なくなかった。
(「道教と仙学」漢末の早期道教、魏晋代の早期道教)
386ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:39:50.33
卑弥呼が大陸で鬼道をマスターしたといっても、
鬼道には奥があるしランクもあるんだぜ。
俺はまだ「そこ」まで断定的に言及してはいないだけのことだ。
387ジャック・ダニ得留:2011/10/27(木) 23:46:15.81
>377
>唐古・鍵は、湿地開拓の前線基地だとぶちあげちゃいましたね。
畿内説の土掘り考古学が気づいてもいわなかったことだ。畿内説をおびやかす新説だ。
図星だろ。俺の天才的な才能にやっと気づいたか。

>これで完全に退路を断ったわけだ。
びくびくの反動のはったりか? それなら俺には通用しない。
論理の通った新説だ。もっと大声で主張してやるぜ。

>伊作はこれから、この言質に苦しめられて自滅していくことだろう。
別にぃ。これで食ってる学者でもなきゃ作家でもない。
自由な立場で自由に発言できる素人の一人だ。

>どんな悪あがきを見せるか、楽しみだよ。
びくびくしながら見てろ。
388日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:49:22.90
>>340
あわれなほどのバカさ加減が手に取るようだよ。

お互い様だぜ。
389日本@名無史さん:2011/10/27(木) 23:59:20.47
>>387 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>畿内説の土掘り考古学が気づいてもいわなかったことだ。畿内説をおびやかす新説だ。

お前自分のそれが「説」になっていると思っているのか?

唐古鍵に各地の土器が見える。
仮に土器だけの分だけ各地域から唐古鍵に人がやってきたとして
その手配を何処かの勢力が絵図を描いてやったと言う根拠が何処にある?

一体、外来系土器が占める割合は何%だ?

唐古鍵の最も古い時代の土器に他地域 -例えば北部九州- のものが8割も9割もあったと言うのなら
そりゃ外部からの移住でできた集落と言う想定も出てくるだろうが・・・

この 森村伊作 とか言う馬鹿の毎度毎度のパターン。

ちょっと自分の妄想に使えそうとみるや直ぐに飛びついてそのネタを消化理解することなく与太を書きなぐる。

で馬鹿にされて次にリベンジ狙ってまた同じ事を繰り返して馬鹿にされて…

まあ自分の本の中で精々「ボクは2ちゃんで馬鹿にされました、くやしいです」泣き言書いておけwwww


390日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:05:29.96
>>389

>一体、外来系土器が占める割合は何%だ?

たとえ1%でも、伊作の脳内では外部勢力が徴発してきたと脳内変換されるんだろうな。

伊作のブログは全部その調子で笑い転げたわ。腹筋痛え。wwwwwwwwwww


391ローガン:2011/10/28(金) 00:11:16.44
>>297:五味飼助
>>今までにない求心力を手にした初代王の墓だから。時代の画期。
>論理の通った反論とはいえん。願望だ。苦笑

あはは。砂鬼考えたらいいのに。△には魏の年号があり、畿内の古墳から多く出るんだから。魏と関係が深かったのは畿内と考えるのが穏当。
そして、通使を端緒とした先進中華に接する事による変化の顕著な所が、対中外交の中心地と捉えて良いんでない?
それが一つの形として、巨大古墳が登場した…と考えて、強ち手前ミソだとは思わないけどね。

>纏向の土器をみれば全国から人が集められたといい、唐戸は「自然発生的に誕生した集落」か。

そう。それでいいと思う。
392唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 00:16:05.40
唐古・鍵遺跡
西暦20年頃中期後半 洪水後に環濠再掘削が行われ、環濠帯の広さも最大規模となる。
西暦193年 後期後半 凶作、餓死、食人、逃散。環濠の放棄、
西暦275年 ~功元年 仲哀の死を巡り、渡海派と残留組にわかれた内乱? 環濠の再掘削

393ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 00:21:05.20
>>391
古くさい受け売り。

>△には魏の年号があり、
魏ではつくられない神獣鏡に魏の年号がある不条理は放置か。それで何の考古学か。

纏向の土器をみれば全国から人が集められたといい、
唐戸の全国からの土器をみてもは「自然発生的に誕生した集落」か。
>そう。それでいいと思う。
ぷっ。やけくその開きなおりじゃないか。
394日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:31:40.32
>>393

>>そう。それでいいと思う。
>ぷっ。やけくその開きなおりじゃないか。

勘違いしてるのは伊作なんだよ。

唐戸・鍵から出る外来土器が、全体の何パーセントか、
唐戸・鍵が、弥生時代初頭からどのような変遷を経て、成長したか、何にも知らないだろ。

で、何にも知らないで、外部勢力が前線基地として唐戸・鍵を作って、労働者を集めてきたときたもんだ。

だいたい、「労働者を集めてきた」ってどこでそういう発想を得たの?
マキムクに東海の労働者が集められたとかいう説をそのまま唐戸・鍵に当てはめただけだろ。
マキムクと唐戸・鍵の状況は全然違うのに。
恥ずかしいヤツ。
395日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:32:50.58
おっと、唐古・鍵だった。ああ、恥ずかしい。wwwwwwwwwwwwwwwwww
396ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 00:38:15.49
>>389 >>390
論点そらすなよ。重要なのは土器の割合ではない。
纏向よりも広範囲の人減が全国から集まっているという事実。
ここが纏向とは違って長期の生活集落だった事実。
奈良盆地が銅鐸すらもほとんど出ない過疎地帯だった弥生時代中期に、
全国から労働力を集める権力が奈良盆地とは別の所に存在したという事実だ。
唐戸・鍵の機能は何だったのか。その権力はどこにあったのか。ここが論点だ。

誰がみても全国から労働力を集めた開拓集落であり、
これを計画して実行させた権力は奈良盆地以外の地にいた。

ローガンは、何もない所に自然に集まった烏合の衆の集落だといっている。
纏向の土器をみれば全国から人が集められたといい、
唐戸の全国の土器をみても「自然発生的に誕生した集落」というわけだ。
勝手なうえに・ひっちゃかめっちゃか。これが畿内説の本性だ。
397ローガン:2011/10/28(金) 00:38:30.29
>>385:ジャック・ダニ得留
>かくして、初期道教は上層士族の神仙道教と下層の民間道教という二つの大きな階層に分かれていった。

で、どっちが鬼道? 両方?
さておき「巫鬼(ふき)道
のちに蜀領となる漢巴の地域には、古くから巫鬼道の信仰があった。張陵はこの漢巴に自らが極めた道学を持ち込む。一気に信徒を増やす中で、旧来の巫鬼道と対立して排除していく。(張陵があえて漢巴を布教の地に選んだのには、巫鬼道を駆逐する意図があったのかも知れない)。」
少数民族の邪教のニュアンスで使われた可能性を、奇跡の解法の主は認めているように読めるけどね。


398唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 00:41:20.89
>「労働者を集めてきた」ってどこでそういう発想を得たの?

九州の吉野ケ里からヒントを得たのでは?
399ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 00:42:30.50
>>394
やはり。
纏向の土器をみれば全国から人が集められたといい、
唐戸の全国の土器をみても「自然発生的に誕生した集落」というわけだ。
もの好きが好き勝手に木製のスキをもって集まって好きにやったというわけだ。
400日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:43:07.68
>>396

>誰がみても全国から労働力を集めた開拓集落であり、
>これを計画して実行させた権力は奈良盆地以外の地にいた。

いいいよいいよ。

その調子で深みにはまってくれ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

401ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 00:47:13.66
>>397  手間とらせるなローガン
>>385 >>386 を読め。
402日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:47:35.23
伊作がいうことには、ある場所意人が自然に集まることは無く、
人が集まった場所は、必ず他の場所の権力者が号令かけて人を集めたということらしい。

こんな話は、論破する以前の問題だな。

403日本@名無史さん:2011/10/28(金) 00:53:18.03
>>396 見栄と自惚れと知ったかぶりの塊 ゴミクズレベル九州説 森村伊作
>全国から労働力を集める権力が奈良盆地とは別の所に存在したという事実だ。

そんな事実は 森村伊作 というアホの脳内にしかない。
寝言は寝て言えドカス。

仮に外来系が1割だったとしたら残りの9割は地元と言うことになる。
何処かの集落に1割の他所者が入ってきただけの話。
何処かは知らないが外部の勢力が設計して集落を創ったなんて根拠は何処にも無い。

(纏向なら最大3割程度で他所より比重が大きいのはそれだけ人が集まる場所だったと)

権力を外に持っていく必要はさらさら無い。

なんとか東遷説に繋げたいという浅ましい根性が見え見え。

404唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 00:53:18.09
崇神5,6年 凶作〜逃散。
同10年 4道将軍の派遣
同11年 異俗多帰。先の逃散で四散した民の補充。
これを放置した九州では、盗賊の類が幅を利かせ、乱となる。
九州に乱を平定する勢力が無い。
魏はその役目を邪馬臺國(大和)に託す。
正始元年 東倭重譚納貢。←大倭成立のきっかけとして、記年が存在する。
405ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 00:56:16.94
>>400
ありがと。基本的に正論だから、
未完成なだけにどんどん完成度が高まるだけだ。前途は明るい。
かんら・かんら。
406日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:00:45.26
このまえのNHKでも、九州説にだいぶ配慮した構成にはなってたが、
ついに東遷説には触れずじまいだったからな。

もうだめだろ。
407ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:03:24.89
>>403
>何処かの集落に1割の他所者が入ってきただけの話。

そんな集落しかなかった奈良盆地で、纏向に大和王権が誕生したてか。
ボロボロになってきたぞ。かかかー。
後先も見えんタコが、さっきから行き当たりばったりだぞ。
408日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:03:56.72
纏向では各地の土器が作られていたと見られているから特殊なんでしょ?

唐古・鍵からもそのような作業場跡とか見つかってるの?
409日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:04:10.18
>>406
水曜の「ヒストリア」か?

しかしブームの火付け役とも言うべき松本清張、宮崎康平はともかく…

その後の邪馬台国論争の方向性をある意味決定付けたであろう古田・安本の両巨匠は取り上げないのだろうか?wwwww


410日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:05:00.28
あと、伊作の矛盾を突くのは簡単なんだが、

九州勢力がそんなに深く奈良にまで入って、近畿周辺から労働者を集められるほどの権力をもっていたなら、
邪馬台国の版図は当然近畿も含まれることになる。

しかし、伊作はあくまでも卑弥呼を共立した30国は九州だけだというのだから、
近畿にクニが卑弥呼を共立しなかった理由を説明する必要がある。

しかし、伊作には説明ができない。矛盾が露呈するからだ。

はい、論破終了。
411日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:05:25.43
まあ田舎町より都会の方が外人の率は高いわなw

412日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:09:42.07
>>410

都合の良いときだけ

 「その影には日本の古代史を影から操った九州王朝が・・・」

と言うパターンw
九州王朝説の陰謀論の構図と大して変わらないwwww

要するにこう言う馬鹿な連中は畿内ヤマトで起きた事には全て九州が深く関与していたと思いたいだけw

嫌い嫌いと言いながら実は憧れてます畿内ヤマト王権!と言うところかな?w
413日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:14:04.43
>>410

っていうか、初めから人工少ないだろ。
埋立地みたいなところじゃなかったのか?
414日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:15:12.59
八郎潟の干拓に、八郎潟の住民を集めても、人口がいないから不可能。
415日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:17:05.98
>>412

大和王権は本当は大好きなんだけど、その源流は自分の地元九州であってほしいと、
そういう心理なんだろうな。

九州に源流があれば、自分を大和王権と同一視できる。
しかし、九州が大和王権に平定された、ただの一地方だと認めるのは切なく悲しい。
気持ちはわかるが、大和王権に平定された地方は九州だけじゃないんだから、思い上がるのもたいがいにしろと思う。
416ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:21:48.41
>>410
>近畿周辺から労働者を集められるほどの権力をもっていたなら、
>邪馬台国の版図は当然近畿も含まれることになる。

認識不足。とっくに書いたことを詰めて書く。
3世紀末には関東にも前方後円(方)墳が登場する。
ということは、そうした信仰的精神性をもった勢力が、
毛人を駆逐して定着し安定収穫を確保していたことを示す。

紀伊半島の山一つ向こうが毛人の国では大和に王都は築けない。
王都作り(東遷)の準備は遠大で、3世紀の倭地は相当ダイナミックに動いていた。
東遷は1日にしてならず。
準備段階だったろう卑弥呼の時代からいえば、ほぼ200年がかり。

俺をそこいらの連中同じようになめるなよ。
417ローガン:2011/10/28(金) 01:23:55.38
>>393ジャック・ダニ得留
>魏ではつくられない神獣鏡に魏の年号がある不条理は放置か。

華北の魏の年号鏡と同じ長方形鈕孔を持ち、かつ、斜縁神獣鏡と共通する外周突線の表現がある△鏡。
個性の異なる工房の関与から、想定出来るのが特鋳。
418sss:2011/10/28(金) 01:31:12.27
>>410
基本的に、卑弥呼時代は西暦100年頃の帥升体制のままだと思われる。
なぜ、女王が誕生し、なぜ、卑弥呼時代があれほど長く続いたのか?

それは、卑弥呼の任務が倭国連合内の利害調整にあったからだと思われる。
卑弥呼は、倭国内の対立する国々の利害を調整する必要があり、それが求められた。

そこに卑弥呼時代つまり女王時代の限界がある。つまり、卑弥呼時代は内向きの体制であり、
ある意味停滞期だった。狗奴国のような外敵に対応できない軍事的な問題点もあった。

卑弥呼の跡継ぎとして台与が女王になったのも、同じような役目があったからだと思われるが、
巫女的な女王の限界もわかったためか、男王も出現する。これによって軍事的な面での飛躍的な
進歩が期待できる。
男王の出現によって、倭国は大きな変化があったと考えることが出来る。
419日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:31:39.59
>>416

君の妄想を聞いてもしょうがないのよ。

証拠を出したまえ。
420ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:32:01.63
>>408
土器づくりは女の仕事だ。ただし、祭祀用土器は専門の職人がつくる。
纏向でつくられたのは主に祭祀用じゃないのか?

>>412
>その影には日本の古代史を影から操った九州王朝が・・・
お前の脳内妄想と狂った空想もかなりのもんだぞ。

>>413
>埋立地みたいなところじゃなかったのか?
その埋め立てをやっていたのが唐戸・鍵の集落だ。
ほかに何を好んでこんな過疎地に全国から人が集まるか。

>>415
>大和王権は本当は大好きなんだけど、
お前らのお陰で嫌いになった。
とくに大和政権樹立後の歴史などには興味がない。
寺院にも仏像にも何の魅力も感じない。ただ、歴史の真相を語るのみ。

思い上がるのもたいがいにしろ。
421日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:33:13.55
そういえば、女王時代が終わった途端に、軍国化するよね。
422日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:34:48.40
>>418

クナ国と対立してたというが、クナ国はどこだ?
南九州の端の国だというなら、魏に援軍を頼む前に、
近畿で傭兵あつめたほうが早いだろ。
伊作の言うには、すでに、奈良では開拓者を集めてたんだからな。
そいつらを九州に呼びつけて、クナ国に戦いに向かわせればよろしい。
なぜ、そうしなかったのかね?
423ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:36:22.26
>>419
>証拠を出したまえ。
またこれか。決まり文句しかいえんようだが、
妄想だウソだという証拠をお前が提示れば済むことだ。
それが討論というものだ。まともな討論ができんか?

ガキみたいな時代遅れの決まり文句など片腹痛いぜ。
424日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:36:52.59
伊作にしろ、SSSにしろ、ちょっと矛盾を突いただけで返答に窮して、何もレスを返さなくなる。

困った人たちだよまったく。
425日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:37:52.41
船の軍隊は、一般人には無理だと思うが?
426ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:38:37.58
>>419
認識不足に基づいてエラそうなことをいって、
それに対してキチンと回答したものに対して、
何も意見らしいことはいわず証拠ほ出せだと。

てめ。なんぼの教育を受けてきたんだクソ野郎。
427日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:39:19.81
クナ国について、何も意見を言えないのは伊作のほうだったな。

なにせ、熊本も隼人も、卑弥呼の同胞だというのだから、どこにもクナ国をあてようがない。

自分でそこに気がつかないとは、本当に困った人だよ。
428日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:44:59.58
纏向から各地の祭祀用土器出てたっけ?
429日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:45:10.19
九州西海岸はリアス式で、陸の民が攻撃しようと思っても無理だぞ。
畿内の陸の民なんか大勢西海岸に連れてきても、何の役にも立たない。
430ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:45:25.60
>>424
>ちょっと矛盾を突いただけで返答に窮して、何もレスを返さなくなる。
どっちがまともに返答できていないか・よく見渡してのことか。
見せかけの妨害レスで応援するようじゃ・畿内説もおしまいだな。

>>417 ローガン。ナンセンスだ・やめとけ。
反論なり否定するために、一つか二つの例外的な事例を持ち出して、
それがさも通例か大勢でもあるかのようにいう手口は俺には通用しない。
過去に散々やってわかってるだろ。

417 名前:ローガン
431ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:48:20.89
>>427
>クナ国について、何も意見を言えないのは伊作のほうだったな。
矛先転換か。認識不足。
俺は熊本の出身だぜ。狗奴国についても独自の見解がある。
少し書いたこともあるが、「だせ」なんていっても断固だそない。

あっちいってろ。さんびん
432日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:49:09.26
>>430

伊作さんよ。
はやく、クナ国の対処に、どうして近畿の傭兵を送り込まなかったのか説明しなよ。

奈良の先遣隊は、出雲やら東海やらから人を呼べるほどの権威があったんだろ?
征服した土地の人間を防人にするのは、世界共通だったよなぁ?
433日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:50:41.84
>>431

そらみろ。クナ国の説明すると、矛盾が露呈するから出来ないんだぜ。

もう、持論のあっちこっちがほころびだらけなんじゃあないのかな?
唐古・鍵をネタにしたのが間違いだったな。ばかめ。
434日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:51:17.35
土木作業なら陸の民でいいけど、海戦は無理だってば。
435ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:52:20.23
さて、今日の議題は畿内説潰しの10項目の確認だった。
これについて、たった一つも説得力のある反論はなし。

6割は個人攻撃と誹謗。2割はガキ騙しの方便。
あとは、無意味な横ちゃりと「まやかし」論法が1割ずつ。
ざっとこんなもんだ。
436日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:54:02.14
長崎から熊本にかけてのリアス式海岸は、陸の民には手に負えないよ。
そんなところに船で送り込んでも、全滅だ。
437日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:55:57.17
>>415
>九州に源流があれば、自分を大和王権と同一視できる。

伊作における場合のキーワードが「隼人」だろうなwwwwwwwww
438日本@名無史さん:2011/10/28(金) 01:56:14.52
>>435

おまえの論は、ただの言い訳だもんな。


おまえの論の矛盾なんて、いくらでも突けるんだぜ。

クナ国の説明をきちんとすること。ほれ、宿題だぞ。
439ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 01:59:52.47
>432
>近畿の傭兵
ひゃくしょばかり。

>奈良の先遣隊は、
軍隊じゃない。

>征服した土地の
先遣開拓部隊は征服部隊じゃない。
俺説の認識不足。

>>433
>クナ国の説明すると、矛盾が露呈するから出来ないんだぜ。
事実は小説よりも奇だ、俺の狗奴国説は面白いぞ。

>持論のあっちこっちがほころびだらけなんじゃあないのかな?
安っぽく勝った宣言するなよ・ぼくちゃん。

>唐古・鍵をネタにしたのが間違いだったな。ばかめ。
何を考えてるんだ? はなたれ
440ジャック・ダニ得留:2011/10/28(金) 02:01:37.67
>>432  >>433
ねちねち女々しいくん。
人気者は忙しいんだ、男らしくなってから・おとといこい・な。
441日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:03:20.86
>>435 ゴミクズレベル九州説の総合デパート 森村伊作
>さて、今日の議題は畿内説潰しの10項目の確認だった。
>これについて、たった一つも説得力のある反論はなし。

まあそうやって勝利宣言にこだわるのは
自分のブログ更新しちゃったからなw

このクズがwwww

442sss:2011/10/28(金) 02:05:08.15
>>433
狗奴国の問題はなかなか難しい。畿内説のように、方向は違うし、名前にもぜんぜん関連はないが
とりあえず東海地方にしておこう、みたいならば楽だが。

個人的には、後漢書の「東に海を渡ったところに拘奴国がある。女王に属さず」というのも
気になる。出雲の国譲りとの関連からもここに狗奴国があれば都合が良い。
妻木晩田遺跡などの大規模な集落跡も見つかっていて、鉄器の豊富さもその裏づけとなる。

また、南九州も気になる。倭人伝の「南」という方角も合っている。また、西暦240年頃に
卑弥呼は魏から詔書・金印をもらっているが、それでも狗奴国は気にする様子がない。
正始八年には、卑弥呼は使者を帯方郡に派遣して、狗奴国と戦争状態にあることを説明している。

どうして狗奴国はこんなにも強気なのか。ひょっとして呉との関係があったというのも考えられる。
となると、南九州の方が地理的に有利になる。呉に関連する遺物もけっこう出ている。
例えば、球磨盆地、才園古墳の鍍金鏡等。

なかなか難しいところだと思う。もう少し考えたいところ。
443日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:05:52.49
>>439

>>近畿の傭兵
>ひゃくしょばかり。

>>奈良の先遣隊は、
>軍隊じゃない。

こいつは、とうとう馬脚をあらわしたな。
軍隊専門の軍人が歴史に登場したのはいつだぁ?

戦国時代だって、前線で戦ってたのは百姓だろうが。

百姓だから戦争に使えないなどという理由が、古今東西通用すると思ってんののか?
あきれたもんだ。
444日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:09:38.10
>>442

アマテラスは卑弥呼だと高らかに騙っていた人間が、クナ国になると、よくわかりませんか。

まあ、都合の良いことだこと。安本のサイトにはクナ国は乗ってなかったのかな?ん?
445日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:21:09.78
人吉だと南の隼人と良好関係にないと、熊本平野の勢力と戦争したら塩を絶たれるな
446日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:37:25.39
百姓じゃ船戦には役に立たないよね。
ましてリアス式海岸だらけだよ。
447日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:44:41.52
海戦っていっても船の操舵に慣れてるのって船頭だけなんじゃないの?
源平のときの義経の船頭への攻撃の話があるくらいだから
448日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:46:12.85
プールみたいな瀬戸内海でしょ?
449日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:47:28.90
リアス式海岸で死に物狂いで敵と戦うには、陸の民じゃ無理だってば。
450日本@名無史さん:2011/10/28(金) 02:57:39.63
リアス式海岸ってどこの? 兵は船上では弓射るだけじゃない? 上陸してからが本番でしょう
あと瀬戸内海は岩礁が多くて熟知してる海賊を配下にしてないとだめだね
451日本@名無史さん:2011/10/28(金) 03:18:00.50
船はグラグラ揺れるよ。陸の民はどんどん落ちるよ、射抜かれるよ。
452日本@名無史さん:2011/10/28(金) 04:17:56.15
伊作の尻尾で必死なのが一匹いるな。
453日本@名無史さん:2011/10/28(金) 07:10:48.37
高地性集落は瀬戸内海に集中してるよな。
ここが倭国大乱の主舞台なのは言うまでも無い。
454日本@名無史さん:2011/10/28(金) 07:59:38.11
賛助会もいろいろ大変だそうですね。
455日本@名無史さん :2011/10/28(金) 08:24:57.59
近畿や瀬戸内地方にはため池が多いらしい。
農業用水として利用した。掘った土はおそらく大規模な古墳に利用されたと
思う。古墳の周りの掘りもため池の役割を持つだろう。
だから、広い範囲にばらばらに古墳が存在する。
この農業を推進するための土木事業でのは、かなり時代が下って6、7世紀ころから
始まるのではないだろうか。魏志をみると、倭人の半農半漁の生活で、素朴な
原始的村社会で大規模の土木事業が行われていた雰囲気はみじんもない。
456日本@名無史さん :2011/10/28(金) 08:35:24.54
関東の場合はため池が少ない。おそらく、川の岸を
切り開いて溝を掘り農業用水を作って、その土を古墳にしたのではないだろうか。
関東も、広い範囲にばらばらと古墳が存在して、連続性はあまりみられない。
おそらく、動物がやるマーキングみたいな役目で、
ここは俺達の土地だと主張するためにも役立ったのではないかな。
関東の古墳は、大部分が8,9世紀のものだよ。
唐書を見れば、北、東の大山の外は毛人の国だから。
大和朝廷が出来てからも東へ東へと開拓が進んでいったのは事実。
だから、古墳の年代観は古く見積もりすぎだと思うよ。
457日本@名無史さん :2011/10/28(金) 08:49:37.58
だから、8世紀から、12世紀後半にできた鎌倉幕府まで、
足掛け600年近くある。この間に関東に大和朝廷の皇籍降下したものや、
皇族関係者がぞくぞくと開拓して、一つの大きな勢力をつくるには
十分間がある。北には足利氏。源氏も足利氏もみな天皇の血筋を引く。
458日本@名無史さん:2011/10/28(金) 09:13:31.80
>>456
>だから、古墳の年代観は古く見積もりすぎだと思うよ。

いや、だって
古墳の年代観は古く見積もらないと邪馬台国を畿内へ持って行けないから。
459日本@名無史さん:2011/10/28(金) 09:31:48.65
>>456
>関東の古墳は、大部分が8,9世紀のものだよ。

奈良時代〜平安時代か(w
460日本@名無史さん :2011/10/28(金) 09:38:29.35
>>459
そうだよ。平安時代でも古墳は造られていたよ。
開拓にかかわる土木事業の一環として。
461日本@名無史さん:2011/10/28(金) 09:56:52.47
でんぱ?
462日本@名無史さん :2011/10/28(金) 09:59:49.40
関東には源氏、平氏らの士族集団から、朝臣、連、別などの姓(かばね)も多い。
帰農の中にもこれらの血筋だと伝える家が多い。
もしも、漢字のなかった3、4世紀に関東に古墳を造る勢力があったとすれば、
新しくやってきた奈良王朝以降の勢力が、開拓するに、なにかしら大乱があったはず。
それがない。関東の人間だから、感でわかるよ。
463日本@名無史さん:2011/10/28(金) 13:40:56.56
>>460
土木事業ではないよ。
前方後円墳は須弥山を模したものであり、道教が広まった地域で造られた。
首長を後円部の頂に埋葬するのは、釈迦の骨を須弥山を意味する仏塔に安置するのと同じ、寺でも須弥壇に仏像を祭るだろ。
関東に前方後円墳が造られたのが遅いという事は、道教がその地で興隆したのが遅いというだけ。
奈良・平安になると、大土木事業を要する古墳に代わって、西の都では仏塔が盛んに造られはじめる。
464日本@名無史さん:2011/10/28(金) 13:43:07.77
>>458

そうだよな〜。
どこかの工作員なら、畿内の遺跡はなんでもかんでも
「卑弥呼の没年ごろのもの」と言い張るのが基本だよね。
465日本@名無史さん :2011/10/28(金) 14:06:00.91
関東の古墳からは当たり前に埴輪がほとんど出てくる。馬の埴輪だったり、胡服を着て、みずらの
髪型の人形の埴輪だったりする。殆んど同じ型である。
九州のものは、埴輪が出ないものも沢山あり、古墳の幅に厚みがある。
魏志では3世紀には馬がおらず、服は貫頭衣で、頭は軽くしばるだけであった。
関東と九州では明らかに古墳の違いが視られる。更に東北に行くほど、古墳の数が減少する。
常識的、平衡感覚的に物を見れば、九州から、順々に東へ文化が伝わったということが
伺える。
466日本@名無史さん:2011/10/28(金) 14:07:35.16
装飾古墳も熊本を中心として、岩手県まで広がってるな。
467日本@名無史さん :2011/10/28(金) 14:15:26.68
>>466
装飾古墳というのは、はっきりいって余り基準にはできない。
出土物が大事。
468日本@名無史さん:2011/10/28(金) 14:24:18.86
昼は馬鹿カキコするやつしかおらんな
469日本@名無史さん:2011/10/28(金) 14:30:24.47
装飾古墳の相似意匠は基準になるでしょ。
出土物だけが大事なら、考古学じゃなくて骨董学だぞ。
470日本@名無史さん:2011/10/28(金) 14:37:52.66
>>466
古墳だけで時代の変遷が判るなら苦労はない。
471日本@名無史さん :2011/10/28(金) 14:41:54.26
>>469

熊本のようなものか、畿内の高松塚古墳、キトラ古墳のような、整然としたものか、
では、だいたいわかるけど、更に決定づけるものって、他の遺物が決めてになるでしょ。

一般的に絵では上手い下手があるから、決定するには弱いと思う。
472日本@名無史さん:2011/10/28(金) 15:07:43.84
>>470

突然、身勝手に「時代の変遷」にだけ論点を絞り込んで、
そのうえで装飾古墳の分布が列島の広範囲に広がっている
意味を切り捨てるって、おかしいんじゃない?
473日本@名無史さん:2011/10/28(金) 15:10:00.00
>>471

決め手にならない遺物も多いんじゃない?
装飾古墳の価値を、意図的に軽んじ、落としめる裏の意図って、
畿内説推進工作?
474日本@名無史さん:2011/10/28(金) 15:13:19.44
出土物が大事と言いながら、箸墓から鐙が出てきた事実は、
「卑弥呼の時代から遠ざかるから、それだけは無視しましょう」
っていう、ご都合主義畿内説?
475日本@名無史さん :2011/10/28(金) 15:18:16.41
>>473
畿内説じゃなくて、九州説だよ、わたしは。
さっきから、九州から東へ文化が順々に伝播したと主張している人だよ。
476日本@名無史さん :2011/10/28(金) 15:23:33.61
だから、わかって欲しいのは九州の古墳には古いものから新しいものまで、
渾然と存在する。
けれど、関東、東北は一時期の古墳と思われるものしかない。っていうこと。
他にあれば、縄文時代の遺跡かな。
477日本@名無史さん:2011/10/28(金) 15:31:52.03
箸墓の馬具は張政が船に馬を積んで来た証拠以外の何物でもないと思うが
478日本@名無史さん :2011/10/28(金) 15:39:35.31
>>476
訂正
縄文時代の遺跡かな×
縄文人の遺跡かな○。

毛人といわれる人たちは東日本にはまだまだいたので。
新潟に縄文遺跡が多いのって、推測だけど、日本海側から飛騨山脈を越えて
逃げた毛人と関東平野側から群馬、新潟に境の越後山脈を越えて逃げた
毛人の勢力が合わさって、しかも時代が新しいので、遺跡として、発見されるのが
容易だったんじゃないかな。。。
479日本@名無史さん:2011/10/28(金) 15:45:34.47
>箸墓の馬具は張政が船に馬を積んで来た証拠以外の何物でもないと思うが

張政が木製の馬具か?
何でも言った方が勝ちと言う訳だ。
480日本@名無史さん:2011/10/28(金) 16:29:24.85
前方後円が須弥山を模したというのもすごいな。
それはどのくらいの共通理解なんだ?
481唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 17:41:18.31
>そうだよ。平安時代でも古墳は造られていたよ。

そうであれば、たいしたものだ。
関東東北の古墳も、畿内の副葬品に準ずる。
であるならば、100〜200年後ろにズラすには、技術の伝世で説明できるのか?
△鏡が”卑弥呼の鏡”で説米できないことと同一の齟齬がある。

238年時点で、倭国にほとんど牛馬は居ないとしてだ、
260年±10年の箸墓に木製鎧や馬具(鐙)が飾られる(木製埴輪)。

つまり、この20年ほどが説明できれば良いわけだ。
240年 正始元年東倭重譚納貢。
242年 其の3年倭王遣使。…
247年頃から九州で統一のための戦いが始まり、253年頃壱与(5百野姫)を軍隊付きで
筑紫に派遣する(大倭は伊都国に一大率を置き諸国を検察する)

魏が倭国統一に大きく関与したことは、明白である。
であるならば、この時期に、物資運搬、乗馬のために、牛馬が輸入される。
274年 ~功渡海。倭軍は、半島で一大率の行為を行う。渡海直前に天皇仲哀の死は妨げにならない。
渡海は、戦争目的ではなく、晋の要請である。
何故要請したか?倭人は率直を旨とし、高句麗の如く”強盗を喜び”としないからだ。
482無免許やくざ医師:2011/10/28(金) 18:31:45.23
天才の「おくる言葉」

邪馬台国問題を極論すれば、日本の歴史の根幹をなすものであり、
日本国の揺籃と黎明を決する問題でもある。
日本の古代史空間には大和至上心理というものがあって、
大和の揺籃も黎明も大和にあったことにしたいとする人がいる。
そうした意識の根底には、漠然とした増上慢心理と、
創作された熊襲・隼人・土蜘蛛といった社会部族に対する差別意識や嫌悪感がある。

これらが九州を含む地方蔑視へと膨張し、当人が意識するとしないにかかわらず、
歴史の真相を見ることよりも真相から遠ざかろうとする。
これがいわゆる「邪馬台国畿内説」という倒錯歴史を積極的に推進することになる。
そこには、『古事記』『日本書紀』が書き記した「神武の東征」という事象は認めず、
服わぬ社会部族として描かれた熊襲・隼人・土蜘蛛の存在は信じるという身勝手な心理が覗く。

対して「邪馬台国九州説」というものが存在するが、こちらについては多くを語る必要はない。
(極めて少数ながら純粋に古代の深層を探求しようという人がみられるが)、
多くは、「身びいき・郷土びいき」という純朴な幼児性によって成り立っている。
そう、両者ともに単に「感情的古代史論」を叫んでいるにすぎないのである。
その根底にあるものが、主義・思想といった高尚な意識とは無縁の感情であるだけに、
理屈や論理で説得することは到底不可能である。

このように、わが日本国の古代史は、冷静かつ客観的な史観によらず、
極めて個人的な感情の集合体によって翻弄され続けているのである。
こうした人びとを沈黙させる歴史的事実か歴史資料が登場しないかぎり、
「矮小なエゴに支配された感情的古代史論」は互いに譲らない。

邪馬台国論争の場はいま、底の浅い「衒学合戦広場」としての側面が膨らむ。
483唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 18:40:29.64
それでも、卑弥呼は九州に存在した。
484日本@名無史さん:2011/10/28(金) 18:52:28.63
>>482

説は違うけど本の執筆がんばってくださいね。
485日本@名無史さん:2011/10/28(金) 19:06:03.94
>>482 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>日本の古代史空間には大和至上心理というものがあって、
>大和の揺籃も黎明も大和にあったことにしたいとする人がいる。

その「大和」を「偉大なる九州王朝の皇統」に置き換えた
何のことは無い 『 九 州 版 皇 国 史 観 』 がお前のような連中。

恨みつらみ重なる相手。
憎くて憎くてたまらないが
その実、自分がそれに取って代わりたいと言う浅ましさ。
ルサンチマン爆発。

さっさと去ねやゴミクズ。



486日本@名無史さん:2011/10/28(金) 19:23:11.99
>>482

無免許やくざ医師は

東遷による「万世一系史観」という夢から、覚めたほうがいい。
487日本@名無史さん:2011/10/28(金) 19:25:48.55
>>462
>関東の人間だから、感でわかるよ。

それは勘違いの「勘」だ。
何の役にも立たない…どころか余計な先入観で歴史を正しく見られなくするだけだから
そんなものさっさとゴミ箱に捨てた方が良い。

以前、桜井茶臼山古墳のから出てきた鏡片が蟹沢古墳(群馬県高崎市)のものとピタリ一致したと言うニュースがあったが
千葉の神門古墳群で最古のものは所謂「纏向型」と言われ3世紀と言うのが定説と言っていいだろう。

−そう言えば森村伊作とか言う馬鹿は
 「この古墳の年代は関東なら邪馬台国論争に絡んで無いから信じられる」
 とかわけの分からない事をわめいていたがwww

何れにせよヤマト王権の成り立ちに東日本が深く関与していたのは間違いが無い。
西日本だけで完結して考えがちなのは昔の「邪馬台国論争」の悪しき影響か?

そもそも天皇家第一の宗廟が天孫降臨の地であるはずの日向ではなく
大和より東の伊勢にあること自体がそれを物語っているwwww
488無免許やくざ医師:2011/10/28(金) 19:46:09.29
>>485
寄せ集め労働民の末裔が。品のなさと感情丸出しだ。
生来のプライドのなさを畿内説によりすがることで補っている。

>>487
関東の古墳の年代は畿内説とは無関係だから信じられる。正確にいえ。
489日本@名無史さん:2011/10/28(金) 19:50:09.30
大型古墳はともかく、20m以下の土盛りの墓というレベルなら、
地元の殿様の墓がそんな風だな。上に御社が建ってる。
490日本@名無史さん:2011/10/28(金) 19:54:36.63
>>488 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>寄せ集め労働民の末裔が。

で、その労働民をこき使ったのが偉大なる九州皇統の一族で
その末裔が自分と言うお話かな?w

コンプレックス丸出しだなゴミクズはwwww

「隼人」で思い出したが『隼人舞』ってあったなあ…

まあかなり形骸化儀式化して恐らく現代人がパッと見ただけでは何表現しているのかわからないのだろうが
あれは水に溺れて懲らしめられる様を表現して物=服従儀礼 だっけ?

たしか「びょうびょう」だか「ぼうぼう」だったか犬っころの泣きまねもさせられたんじゃなかったかな?www


491日本@名無史さん:2011/10/28(金) 20:10:17.91
伊作は腐臭のする生ゴミ
492改め(畿内説):2011/10/28(金) 20:17:01.78
>群馬県高崎市

で思い出した・・・
あそこの祀りに参加した時、おみこしが担がれてたんだが
その上に大きな人形が乗っており、スサノオ神だったのはびっくりしたな。
群馬ではやたらとスサノオを祀る社が多いと思うんだがどうなんでしょうねえ。
493日本@名無史さん:2011/10/28(金) 20:18:11.42
銀蠅が大好きな汚物
494日本@名無史さん:2011/10/28(金) 20:20:57.39
>>492
お前はここに書き込むんじゃない
太国と唐松山の瘋癲二老人の相手だけしてろ
495筑紫の民:2011/10/28(金) 21:06:44.85
全キチは黙ってろよ。どうせ無職・無収入、親の家に居候で
「25時間2ちゃんながめ」の「相手してほしい猛攻撃」
で辛うじて世間様と繋がりを保つ所謂「ニート」なのだから
いろんな書き込みを有難く拝聴していればよいのだよ。

全キチが<無職・無収入・親の家住み込み>と思う根拠
書き込みの内容が「社会人らしくない。」
496日本@名無史さん:2011/10/28(金) 21:21:15.78
ジョーカーのレスを全文読んでるのは伊作と民だけだ。フツーは一瞬しか見ない。
497無免許やくざ医師:2011/10/28(金) 21:34:47.36
>>496
俺だってまともに読んじゃいない。視覚的にも汚らしくて内容は支離滅裂。
寄せ集め労働民の末裔のことだから、なにしろ品がなくていけねー。
どこの板にも必ず一人ぐらいいるタイプで、畿内説の恥さらしだ。

498筑紫の民:2011/10/28(金) 22:02:24.05
nhk、「忍者の歴史」みたいのはじまった。
おもしろそうだよ。
499日本@名無史さん:2011/10/28(金) 22:38:48.17
>>498

忍者は、門番として主君に仕えたが、門番とは
足軽と同じ浅ましい身分の仕事だったという。


伊作、生きてるか?wwwwwwwwwwwwwww

朝廷が隼人を門番にしたのは、信頼できる同族だからとか言ってたな?wwwwwwww
500無免許やくざ医師:2011/10/28(金) 22:51:43.92
>>499
お前と俺とじゃ格が違うように、何ごとにもさまざまなランクがあるものよ。
501あらため:2011/10/28(金) 23:02:33.63
>朝廷が隼人を門番にしたのは、信頼できる同族だからとか言ってたな?wwwwwwww

え?マジ? 誰がそんなアホなこと言ってるの???w
502唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 23:02:45.87
誓詞に伊勢神宮、天照大神が登場しないわけ。
伊勢の御師こそ忍者として全国をまたにかけたからである。
503日本@名無史さん:2011/10/28(金) 23:14:53.01
はっきりしないけどまったく関わりがなかったとはいいきれないね
504唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 23:23:26.20
伊勢おみやげ日記をその土地の情勢をかんがみて読む。
505唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/28(金) 23:28:41.95
誓詞に登場するのは、午頭天王(スサノウ)である。
天照大神は聞いたことも見たこともない。
506太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/28(金) 23:32:18.19
オマエは 誤頭天王 か〜?ww
507太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/28(金) 23:39:15.38
誤字天王か〜〜?pp
508日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:08:28.81
今一番まじめに邪馬台国論争に取り組んでいるのは畿内説の若手研究者たちですよ。
彼らは大きな危機感を持って研究に取り組んでいます。
とにかく証拠を出さなければ畿内説の存続自体が危ういわけですからね。
考えれば考えるほど九州説に傾かざるをえない、と悩む研究者もいます。
こういう若い研究者たちを応援していますが、彼らの足を引っ張るのが旧態依然とした老人どもなのですよ。
やれ三角舶載だ、マキムクだ、箸墓だ、挙句の果ては九州説への人格攻撃。
こういうアタマの堅い老人どもに心を痛めている若い研究者たちが存在することも知ってください。
509日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:15:36.61
ローガン、よく聞けよ.
>>508が固有名詞を出さずに、ローガンを諌めた言葉を!
510日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:21:25.82
>>502
そもそも「御師」なんて別に伊勢だけでもなかったわけでwwwww

511日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:22:07.05
>>508
釣り針がでかすぎる。wwwwwwwwwwwwwwwwwwww

512日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:26:51.89
くじら釣れるかな?
513sss:2011/10/29(土) 00:34:47.54
>>508
寺澤薫なんて、以前は東遷説そのものって考え方だったが、いつの間にか畿内説の
伝統的な考え方に飲み込まれてしまったような感じがある。

真理を求める態度から、とりあえず無難に生きていこうとする態度に変わるのは簡単らしい。
514日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:37:06.86
寺澤は東遷説といっても吉備出雲東遷だからなあ…

ここのゴミクズレベル九州説の九州東遷説とは意味が違う。
515日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:41:11.60
しかし >>508 のような「なりきり内部告発?」時々出てくるが
書いている本人、笑いをとるためにネタとしてやっているのか
案外マジモンでやっているのかイマイチわからない。

たて読みななめ読みも試みたがネタの仕込みもなさそうだしwwwwwww


516sss:2011/10/29(土) 00:41:36.07
>>514
いや、九州と言っていたな。
517sss:2011/10/29(土) 00:58:11.65
寺澤関連で、ちょっと20年ほど前の雑誌を見ていたら、中国の徐苹芳という学者が、
日本が魏からもらった可能性のある鏡は、第一に方格規矩鏡、第二に内行花文鏡、第三にキ鳳鏡、
というのが載っていた。三角縁神獣鏡の中国製はありえないとも書かれていた。

王仲殊氏も方格規矩四神鏡と内行花文鏡を挙げていた記憶がある。
やっぱりこのあたりなんだろうな。
となると、三角縁神獣鏡はいったいなんだったんだろうと言う気になる。
518日本@名無史さん:2011/10/29(土) 00:58:45.90
結局のところ何でもかんでも畿内ヤマトで完結するような自生説から
一気に外部勢力によるヤマトの勃興と言うシナリオに振り子のように振れて
それも結局無理がある。
証明するような材料は出てこない。

外部の多大な影響は受けつつヤマトを起こしたのはヤマトで
初期の面子が阿讃・播磨・河内・吉備・尾張伊勢etc・・・のどれか?

と言う話に落ちついったって事だろうなw

邪馬台国東遷説?
とりあえず邪馬台国見つけてきてからのお話だなwww
519日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:01:54.31
方格規矩四神鏡と内行花文鏡といえば、
なんといっても糸島の前原伊都国だが、
どういう位置づけになるんだろうな。
520日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:03:18.80
>>517
>王仲殊氏も方格規矩四神鏡と内行花文鏡を挙げていた記憶がある。

その王ですら三角縁神獣鏡は邪馬台国時代の鏡。

仮に王の説が正しくて三角縁神獣鏡が国産だとしても
すでに東に畿内ヤマト王権は興っている。

九州からの邪馬台国が東遷してヤマト王権を起こしたなんて物理的に無理。

どうやっても東遷説は学説じゃなくてロマンにあふれた伝説でしたとw
521sss:2011/10/29(土) 01:10:17.91
>>520
魏からもらったとされる方格規矩鏡や内行花文鏡が近畿地方で見られるかどうかが問題だろう。
九州との数の比較もある。

まあ、これらの鏡が近畿地方でたくさん出ていたなら、三角縁神獣鏡の出る幕はなかったと思われるが。
522日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:23:06.16
三角を日本製とする中国の鏡研究の第一人者の王氏は、畿内説ですけどね。

悪あがきはやめたら?
523日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:34:02.94
その王氏は、日本人と中国人との感情論を避けて、
畿内説を言っているだけだと思った。
524日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:38:59.56
>>521 sss
で、王は九州出土の鏡の中で「これが魏の鏡です」と指定してたっけ?
(畿内で出てきた鏡については色々述べていたが)

「方格規矩鏡」「内行花文鏡」と言う括りで語っても、実際
「これが魏代に作られた方格規矩鏡です」と言うようなものは無い。

結局のところ王であろうが魏代洛陽でどのような鏡が作られていたかは類推に過ぎない。

まあ先にも言ったが仮に九州に卑弥呼が貰った「方格規矩鏡」「内行花文鏡」があったとしても
既に東には神獣鏡をばら撒いているヤマト王権は興っている。

「邪馬台国東遷説」はどのみちありえないwww



525日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:47:24.33
△が全部国産となったら畿内説は即時崩壊だろ。
まあすでに形骸化して、形だけ支持されていると言えばそれまでだが。

まず、踏み返し鏡の問題がある。
△の同型、踏み返しのみならず、日本でのみ出土する踏み返し鏡全般が国産とほぼ確定になる。
そうなると、畿内説はもうダメポ。

だからこそ、カルトだとか無茶苦茶な言われ方をしていても△が舶載とわめき続けるしかないというのが
現状でもある。
526日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:50:55.74
方格規矩鏡は、伊都から数十面出ていて、近隣の古墳から一面ずつ、
そして、大阪からも数枚出てくるね。
伊都が数十枚の鏡を抱えて、何かのきっかけで一枚ずつ配布する。
鏡を祭祀具とした、配布機関の原型といえるだろう。

また、方格規矩鏡は、卑弥呼がもらった時代に近い年代の記年鏡もある。
年代が違うということも無いだろう。
527日本@名無史さん:2011/10/29(土) 01:51:31.31
まあ三角縁神獣鏡が国産でも畿内説は成り立つ
九州説の即死がなくなるだけの話。

まあここのゴミクズレベル九州説にしたら三角縁神獣鏡の製作地論争ぐらいしか溜飲を下せそうなネタが無いからなw

しかし王の説が80年代。

もういい加減大きな進展が無いものか…
528日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:02:05.87
ここに出没する「ゴミクズレベル九州説連呼馬鹿」って、
やっぱり畿内説なのね?畿内説で間違いないね?
529日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:06:06.32
>>528
隠れ九州説だよ
530日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:14:35.07
>>525
畿内説でも△国産説が今は主力ですよw
531日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:26:44.00
>>530
それも「空気」に流されて…って感じがしないでもない
(それじゃあその昔舶載を漠然と是としていたのと同じだろうとw)

まあ国産を前提にしておけば仮に舶載と言うことが決まったとしても
さほど修正すべき事柄は(逆のパターンと比べて)出てこないとも思うがw

532日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:46:47.91
何百枚も出てるのだったら普通に国産と考えるもんだろうけどな。
どうして輸入にこだわるのか少し結論ありきになってるとしか
思えないとこはある。
533日本@名無史さん:2011/10/29(土) 02:57:43.33
たぶん畿内説では、数百枚の△鏡を前にして
「魏志倭人伝の記述が間違いだった」と言うんだろうな。
534日本@名無史さん:2011/10/29(土) 03:01:19.35
>>529
自己紹介で嘘つくなよ。
535日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:19:38.05
卑弥呼が箸墓古墳の被葬者であるモモソ媛命ならば、
自分が倭王になるのに、中国の権威などいらないよ。
もし、卑弥呼が中国の権威を必要としたら、
国際関係で有利に立つことぐらい。

よって、中国から鏡をもらって、それを権威の道具としてはしない。
権威の道具である鏡ぐらい、自分たちで作るだろう。

倭王武だって、高句麗との権益争いで有利に立つために
中国の権威を欲しがったわけだから。
536日本@名無史さん:2011/10/29(土) 04:42:36.41
△鏡は、権威の財というより、
基本的に霊の世界観を現したもので、
宗教的な財という感じがする。
537日本@名無史さん:2011/10/29(土) 05:49:54.26
ところで、三角縁神獣鏡の分布って、ヤマトが中心と言えるのか?
記紀に頼らないで考えるなら、むしろヤマトの地の
外に配布者がいたと考えるべきなんでは?
538日本@名無史さん:2011/10/29(土) 06:55:32.00
>>537
つーか、ヤマトには
鏡作っていた神社があって、その周辺から
鏡を作っていた痕跡の出土があったんじゃなかったけ?

鏡作坐天照御魂神社
http://www.geocities.jp/engishiki01/yamato/html/031203-01.html
539日本@名無史さん:2011/10/29(土) 08:51:18.61
最近出された本で畿内説学者の西本昌弘氏が、畿内説の解説を書いている。い
わく「だろう。」「と言える。」「と考えられる。」「と推定される。」「と
言えよう。」「と考えるのが妥当である。」「と認識されていた。」「公算が
高い。」「と主張した。」「の可能性が高い。」
これすべて推測、推理、推論のオンパレード。これが畿内説の実態だよな。お
いっ畿内説の亡者ども、論理的な立証をやってみろ。
540筑紫の民:2011/10/29(土) 09:43:04.79
神籠石の話

杷木神籠石・女山神籠石・高良山神籠石・帯隈山神籠石これらの共通点
@ 筑後川を制する要点に築城されている。
A 列石の規模・水を蓄えることができる・遠くを通史できるなどほぼ同じ遺構
B 筑後平野に存在(大宰府の南側)

上記から築城目的として見積られるのは
ア 筑後川を溯上して攻め込む敵の監視
イ 筑後川を溯上して攻め込む敵を撃破するための戦闘指揮所
ウ 上記任務達成のための防御戦闘

では、これら神籠石山城が守ろうとしたものは(つづく)

541筑紫の民:2011/10/29(土) 09:55:10.09
杷木神籠石・女山神籠石・高良山神籠石・帯隈山神籠石が守ろうとしたもの
@ やはり、大宰府(当時は何とよばれていたかは不明)
A 日田盆地(杷木神籠石の位置関係からすると可能性がある。)

神籠石の築城年代
今のところ不明、であるが、
ア 大宰府の防衛施設である水城の築造年代が「白村江の戦い」以前であること
イ 「C14によれば3世紀築城され爾後逐次補強された可能性がある」ということ
をふまえれば、3〜6世紀の間

なんだか、倭の五王の時代に合ってくる。(この辺はまだ推測)

倭の五王は
「昔より祖先は自ら甲冑を着け、山川を跋渉し、安らかに暮らす暇なし。」
防御機能に守られた筑紫(大宰府)で戦闘指導しつつ時に戦場に赴いたのかな?
542筑紫の民:2011/10/29(土) 10:00:30.93
神籠石の続き
もしも、神籠石山城が日田盆地を守っていたのなら・・・
日田は「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」出土地だから、やっぱり何かあったのかね?
「大宰府」が戦闘指揮所「日田」は倭の五王時代の王都・・・この辺は<ゴミクズレベル>の憶測
543筑紫の民:2011/10/29(土) 10:01:53.29
邪馬台国さがしに行ってくるばい。
544日本@名無史さん:2011/10/29(土) 10:09:32.88
筑紫の民も、結構いい線いってるじゃないか
545日本@名無史さん:2011/10/29(土) 10:40:10.51
>>530
△が国産とすると、なぜ240年頃の古墳から出ないのか説明に窮する。
よって、畿内説によっても260年以降に△の製造が始まったこととなり、紀年銘は偽年となる。

△の型式変化からは△の流通期間はせいぜい50年。
大陸から少しずつ輸入されて配布されたという長期間論は、国産では即時に破綻する。
△の末期が400年なので、△の製造か意思が350年以降になる。

△は大陸どころかそれまでの日本にさえも見られない大きさの規格であるが、これは『抱朴子』に
9寸の鏡が魔よけになるという記述があるので、大きさが9寸余に調節されていることによる。
『抱朴子』が書かれたのは300年以降。日本に来たのはそれ以降。

道教の思想が最盛期となったのは大陸では365年、日本での△の最盛期もその頃とすると、
△の製造時期は350〜400年ころとなる。

というように、△を国産とすると畿内説は即時に破綻する。
畿内説は△の紀年銘だけに寄りかかっているというのが実際のところである。
546日本@名無史さん:2011/10/29(土) 11:24:49.93
>>545 恨み節乙

> △の末期が400年なので

恨み節年代観のカナメ。

> 『抱朴子』が書かれたのは300年以降。日本に来たのはそれ以降。

『抱朴子』に書かれたということはそれ以前に既にあったということ。日本に来たのはそれ以前で問題なし。

> 道教の思想が最盛期となったのは大陸では365年、日本での△の最盛期もその頃とすると、

その仮定は可能性低いとみる。中国では3世紀すでに神獣鏡真っ盛り。
547日本@名無史さん:2011/10/29(土) 12:56:49.39
△鏡は、呉の流行に感化された列島側で、一時的に列島独自の鏡を作って、
ちょっと流行っただけの島国鏡だよ。
548日本@名無史さん:2011/10/29(土) 13:44:15.19
卑弥呼は名古屋人だな。
549日本@名無史さん:2011/10/29(土) 13:51:31.47
>>539
断定系で書くほうが問題だろうがw
550天才へ「おくる言葉」:2011/10/29(土) 14:05:36.66
>>482

> 創作された熊襲・隼人・土蜘蛛といった社会部族に対する差別意識や嫌悪感がある。
> これらが九州を含む地方蔑視へと膨張し、当人が意識するとしないにかかわらず、

九州は熊本の,その中でも誰の注目も浴びないような凡庸なド田舎で幼年期を過ごした「天才」の心理が垣間見えます。

憧れの東京へ上京、と言っても住所は埼玉(本人から見れば立派な「東京」)辺りだが、
九州訛りを藁われたり、金が尽き実家から送ってもらった夏ミカンだけで過ごした時もある、
西日が籠もる下宿の四畳半で一人負けるものかと呟いた。

部屋の畳は若き天才の心のようにささくれ立ち、歩く度に足の裏に突き刺さる。
そんなある日、田舎の母から大荷物が、開けて見れば真っ青な藺草の畳おもてであった。
可愛くも不憫な息子のため、老いた母が。徹夜で納屋にこもって織り上げた手製の畳おもて、懐かしい故郷の香り・・・

その部屋代稼ぎのため、ソープのボーイや土方仕事もやった、そこで頑張って幾星霜、老いた己の人生を省みて、
骨以外に自分の生きた証をこの世に残したい、これこそ、天才が己の名前で書を世に出した真意なのです。

なので、その根底には地方に冷たく、さらには何かと侮蔑的な言辞を吐く、「都会人」へのやっかみと故郷への慈愛が読みとれます。
実際に読んでみたわけじゃありませんけどねw
551日本@名無史さん:2011/10/29(土) 14:15:20.96
>>545 恨み節東遷厨

>△の末期が400年なので

根拠なし…というかどうやって根拠にするのか?
こいつの(あるいは安本の)お得意のパターンだが
流通期間の下限なんて理論上限界なし。
(極端な話、俺が三角縁神獣鏡を入手して21世紀の墓に入れることも可能)

複数様式の組み合わせ事例で見るとその終焉も”ダラダラ”と終わった印象だが
(例: 椿井大塚でTUVC と密に並んでいるに対して 佐味田TVY とバラけている)

アタマ=登場時期を押さえるならともかく、どうやって「ここが終わりです」と言うものを見つけるのか?

>『抱朴子』
そもそも「抱朴子」と三角縁神獣鏡を結びつける根拠が無い。
抱朴子に墓に並べる使い方が書いてあるのか?

>道教の思想が最盛期となったのは大陸では365年

えらく細かい数字だがどう言う根拠だ?何かのイベント?
神獣鏡なんてものは2世紀の末には既に出現しているし
3世紀の呉ならすでに仏像を描いた鏡も出ている。

…要するに何が何でも「邪馬台国東遷説」を成り立たせたい牽強付会。

まあこの「抱朴子ネタ」もローテーションネタの一つだがw
552551 追記:2011/10/29(土) 14:43:53.31
>>545 恨み節東遷厨
>9寸の鏡が魔よけになるという記述があるので

抱朴子の一説(ネット上で拾ったものだが)

>古の入山の道士は、皆明鏡の径九寸已上なるものを以て、背後に懸く。則ち老魅も敢て人に近づかざるなり

九寸以上と言うことは逆に言えばそれ以下だと効能が無いということになる。

果たして三角縁神獣鏡の面径の分布にそのようなことが伺えるものがあるか?

要するに面径ごとの枚数をグラフにしたもので、左右対称の正規分布ではなくて非対称、九寸以下の物が極めて少ない事を示すようなデータがあるか?
(まあ正直、大体正規分布左右対称のものを見た記憶があるので書いているんだが…w)










553ローガン:2011/10/29(土) 14:51:29.74
>>509
>ローガン、よく聞けよ.

何でやねん。人格攻撃なんかしたか?
それに500:0 をただただ連呼している方が、よっぽど頭固いんじゃない?
△鏡と呼ぶのに いくつの条件がある内、「寸法」を他の鏡種同様、条件設定から取っ払えば△鏡は斜縁鏡。
現代考古学の括りなど古代人の預かり知らぬ事。
554ローガン:2011/10/29(土) 15:07:33.33
>>545
>畿内説は△の紀年銘だけに寄りかかっているというのが実際のところである。

金文として、実年代のはっきりわかる遺物の存在は重いわな。
景初四年なんて、明帝の一周忌があけ、その月が後十二月とされる間の極わずかな期間のもの。リアルタイムでしか入らない年号。
555日本@名無史さん:2011/10/29(土) 15:09:25.99
いや、だから疑われてるんじゃないかね?
556日本@名無史さん:2011/10/29(土) 15:28:15.09
むしろ国産として改元の情報が入ってくるのが遅れたから…とするなら
そこから時間を置かずに作られたと言うことになる。

恨み節の理屈なら下手すりゃ丸々一世紀時間を置かねばならないわけだが
557日本@名無史さん:2011/10/29(土) 15:28:39.30
>>546
『抱朴子』が書かれる以前にその思想が広まっていたという証拠はない。

>>552
△はずばり9寸を中心とした分布となっている。
しかも棺のまわりに配置されており、まさに魔除けとして使われている。

となると、△は300年以降と考えるべきであろう。
558日本@名無史さん:2011/10/29(土) 15:31:31.94
>>554
△のデザインや表現の変遷のなかで紀年鏡は後記に属するんだな。

だから、岡村などは△の大半は239年に一気に大量に作られたとして、この問題を克服しようとする。
この対応は舶載説の論理破綻を自白したようなものだが。
559日本@名無史さん:2011/10/29(土) 15:45:30.91
>>557 恨み節
>△はずばり9寸を中心とした分布となっている。

話がずれているな、いやずらしているのかな?w

俺が聞いているのは分布の中心じゃなくて
(効能が無い)九寸未満が極端に少ないと言うことがあるのかどうか?…だ。

その抱朴子の記述で三角縁神獣鏡が作られたなら当然そうなる筈。
わざわざ効能の無いものを作る必要は無い。

普通に左右対称な正規分布になるというのなら単に三角縁神獣鏡の面径の分布のセンターがたまたま九寸程度になっただけと言う話。


560太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/29(土) 15:49:33.06
皇紀西暦 倍暦
564 -97 237 崇神即位元年 景初元年
565 -96
566 -95
567 -94 238 景初2年
568 -93
569 -92     紀の崇神6年 鏡作神社 鏡 改鋳
570 -91 239 景初3年鏡 銘文年←鏡製造は鏡作改鋳↑のほぼ4ヵ月後
・・・・・・・
618 -43 255 戊寅年(←皇紀の干支)
619 -42
620 -41
621 -40 256
622 -39
623 -38
624 -37 257 葛木神社 戊寅七年(戊寅年から7年目)
625 -36
626 -35
627 -34 258 記の 崇神戊寅没年(倍暦=実年代での干支)
561日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:03:38.40
>>554

> 金文として、実年代のはっきりわかる遺物の存在は重いわな。

偽銘、倣古何でもありなんだから「実年代のはっきりわかる」は言い過ぎだろう。

> 景初四年なんて、明帝の一周忌があけ、その月が後十二月とされる間の極わずかな期間のもの。リアルタイムでしか入らない年号。

改歴か改元をしなくちゃ収まりがつかん状況なんて、礼部の一部官僚しか認知し得ていないと思うが、
それはともかく、「明帝の一周忌があけ、その月が後十二月とされる間の極わずかな期間」っておかしな言い回しだな。
理論上、前帝の一周忌は、後12月1日だろう。あけるも何も「景初4年なんて1日も無いことに違いは無いぞ。
562日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:06:39.40
「文化はすべて先進文明たる中国から」と言いたいはずの
現代の中国人考古学者ですら、

     「△鏡が中国製である可能性は無い」

といっているのに、畿内説△鏡国産説って、
頭がおかしいんじゃない?特にローガンは。
563日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:09:06.15
>>562

「中国製」と言うのは呉地も含んでいるのか?

564日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:24:30.49
>>550

世界の主要都市に行っていろんな人と接して来いw
565日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:28:28.04
>>563

呉もいまの中国領だからね。
566日本@名無史さん:2011/10/29(土) 16:43:42.24
大体、恨み節東遷厨の言うように三角縁神獣鏡が300年以降と言うのなら
景初四年(240相当)は最低60年も前の年号を間違ったと言うことになる。

一体日本人ってどんだけ情弱だったのかと言う話だがw
567ローガン:2011/10/29(土) 16:52:32.13
>>561
>改歴か改元をしなくちゃ収まりがつかん状況なんて、礼部の一部官僚しか認知し得ていないと思うが、

詔、何日かわからんでしょ。あくまで命日は正月朔。一周忌を終えた後、命日を建丑朔に言い換え、
翌月改元が周知となるまでの間は、景初四年でしょ?
568日本@名無史さん:2011/10/29(土) 17:06:25.04
>>566
300年以降しばらくの間大陸との通交が途絶えていた時期に当時の大陸の王朝の年号を刻む意味はなかろう。
交流のあった時代の昔の年号を刻んだというだけだろう。景初四年の初の文字が不鮮明で疑問もあるが、景初四年
が存在したかどうかまで気が回らなかったとしても当時の誰が誤りに気付くだろうか?240年頃だと卑弥呼関連の
者が作ったとしたら誰かがおかしいと気付くだろう。
569日本@名無史さん:2011/10/29(土) 17:07:36.54
>>559
>九寸未満が極端に少ないと言うことがあるのかどうか?…だ。

さあ、どうだったかな。
「9寸で効能がある」んだからだいたい9寸で良いのでは、話をずらしているのはどっちかな?

570日本@名無史さん:2011/10/29(土) 17:19:13.95
崩御したのは景初3年初頭だが、
景初4年は存在するのか?

景初3年が昭和64年に相当、
景初4年が昭和65年、あるいは平成2年に相当する。
571日本@名無史さん:2011/10/29(土) 17:21:27.93
景初3年初頭に崩御して、景初4年まで一周忌を終えてから
改元したのかどうかの根拠がよくわからない。
572日本@名無史さん:2011/10/29(土) 17:36:20.07
>>569 恨み節東遷厨

少なくとも九寸未満のものを避けたと言う傾向もみられないのなら
たまたま分布のピークがそこら辺になったと言うことで説明が付く。

そもそも「抱朴子」には墓に並べる使い方が書いてないのだから。

仮に被葬者が生前「抱朴子」に書いてあるような使い方を真似たとしても
大量に所有する必要は無い。

本来関係の無いものを数値データを並べて、さも関係があるように見せかけ最後に予定の結論に誘導する。

良くある
「NASAの最新データでは」
「○○学分野の××先生の最新の研究では」
…という良くあるパターン。

データ個々は嘘じゃないがその関連付けや結論の持って行き方に嘘がある。

「邪馬台国東遷説」という詐欺ペテンの手法。
573筑紫の民:2011/10/29(土) 17:48:47.60
△鏡などは、元々「卑弥呼が頂いた銅鏡100枚」であると畿内説が豪語してたもので、
「卑弥呼が頂いた銅鏡100枚」でないとされる現在、これを持ち出しても何も無いだろうに。
いよいよ「ネタ切れ」「息切れ」「虫の息」って感じだね。

△鏡の年代がどうのこうの言う人もいるけど、そんなものピンポイントで判るものでもない。
畿内説の無駄なあがきというか、畿内説特有の「何でも言う」精神まる出しというか・・・

哀れだね
574日本@名無史さん:2011/10/29(土) 17:53:34.86
>>571
そんなことも分からんなら口をはさむな。
575日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:00:26.96
どの道三角縁神獣鏡が舶載だろうが国産だろうが畿内説は成り立ち
それによって九州説が生き返る話でもなんでもない。

今日「畿内説で終わっている」とまで言われる状態は国産を織り込み済みでの話。
これが舶載だということが証明される事になれば九州説完全消滅というだけ。


576日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:17:21.62
>>572
これって反論のつもり??
577日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:25:21.29
と言うかそもそも「抱朴子ネタ」自体が論として成り立つのか?って話で

恐らく九州説としては墓に並べる為に大量に生産されたのが三角縁神獣鏡と言う主張だろうが
そもそも抱朴子に鏡を並べる使い方が書いてないのなら

単に九寸程度と言う大きさが一致するからと無理やり引っ張ってきた話。


578日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:28:12.15
後世において昭和64年の刻まれたアイテムがどんな扱いを受けるかだな
579筑紫の民:2011/10/29(土) 18:30:53.94
>>575
畿内説は、やっぱり△鏡にかかっているのか・・・
そして、それしかないのか・・・
 
哀れだ。
580日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:43:05.25
まあ三角縁神獣鏡が国産であろうと大量にばら撒いたのは畿内を中心にしてであろう勢力で
やがて九州もそれをありがたく頂くと言うのだから畿内説にとって不利な材料になる事は無いw

畿内説にイチャモンをつけてそれで九州説が息を吹き返すようなものでもない。

九州に(きちんと年代や製作地が論証されて)「これが卑弥呼の鏡です」と言うものがあるわけでもなし
神獣鏡の登場が4世紀以後で邪馬台国の時代は鏡の量は九州が相対的には勝っていた…とできる編年モデルのようなものも見たことが無い。

ひたすら「500対0」を念仏のように繰り返し
「三角縁神獣鏡は国産!だから九州説大勝利!」
とわめくしか能が無い馬鹿の集団。

581日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:47:59.91
>>578
マニアの間でけっこういい値がつくなw
582日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:55:48.00
△に脊髄反射しなきゃいいだけなのにw 誰も大勝利とかいってないのに
583日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:57:11.49
>>582
釣れた宣言乙
584日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:57:54.69
>>577
棺の外に△を並べていた例では明らかに魔除けとして使われているわな。
それを必死に否定しようとする哀れさは否めない。

文献史学的には「9寸の鏡」が魔除けになるのは「抱朴子」に始まる。
それは300年以降のことである。

>>580
今は650対0じゃないかな。
それでも△を国産と認めないのは、「認めたら終わり」だからだよね。


585日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:59:05.21
おいおい、昭和64年ってのは、たった7日間だが実際に存在しただろ。
コインだって何百万枚も発行されてるぜw
586日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:04:06.82
>>583
俺今帰ってきてまとめ読みしたとこ 俺畿内説だしw
587日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:07:45.14
なぜ天照のご神体が鏡なんだろうね
蔽邪物としての意味しか無いならおかしな事になる
588日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:10:59.05
>>584
>文献史学的には「9寸の鏡」が魔除けになるのは「抱朴子」に始まる。

九寸以上な。
つまりそれ以下には効能が無いはず。

「抱朴子」に書かれているのは生者が使った場合の破邪、未来予知、仙人との遭遇の手段等々で墓に並べる事は書いていない。

文献史学でもなんでもない。

詐欺ペテンの一種。

589日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:18:10.70
まあ舶載説が大きく揺らいでそれを前提にしていた小林説も大きく崩れたんだろうが
しかしこれ九州説にとって良い事ばかりでもなかったんだよな

昔の教科書に「古墳時代は3世紀末4世紀から」と書かれていたのは
なんだかんだで京大の偉い先生の当時、学会を支配していたようなその説に負う所が大きかった聞くがw

あとゴミクズレベル九州説が脊髄反射で噛み付いてくる「ゆるやかな首長連合」にしても
三角縁神獣鏡の分与でかっちりとした政治ヒエラルキーを描いた小林説が否定されたのも
結構大きいと思うが
590日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:18:22.88
生前に使用したものを副葬したのでは
591日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:28:51.69
景所3年の初頭に崩御しているから、
景初4年鏡は昭和65年鏡だな。
592日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:36:12.96
>>580
いや、そんな話じゃなくってさ、

 畿内説は 詐 欺 の 常 習 犯

って話なんだけどな。
593日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:39:16.24
>>589

揺らぐも何も、畿内説は初めから詐欺なんだから、
詐欺の手口が徐々に認知されてきただけで、
九州説はそれに未関係にマトモだったという話。
594日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:40:27.04
しかし三角縁神獣鏡舶載説が大きく揺らいでそれでもというより
むしろ国産説が優位に思える今の方が畿内説が幅をきかせている

というのはここのゴミクズレベル九州説にとっては
「悪のキナイセツ」が学会を支配しているからだ!

…という結論なんだろうなw
595日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:41:37.54
>>593
九州説ってどの九州説が?
596日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:43:52.28
>>594

馬鹿言うな。
畿内説では「絶対に舶載鏡だから△鏡は卑弥呼の魏鏡」と言ってたんだぞ。
>むしろ国産説が優位に思える今の方が畿内説が幅をきかせている
597日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:45:09.45
>>596
それっていつの時代?
598日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:45:19.66
>>595
九州蔑視系九州説とか
万世一系九州説じゃない九州説。
599日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:46:53.86
>>597
いや、それはそう主張してきた君のほうが詳しいわけで。
600日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:47:09.87
>>588
「抱朴子」は、鏡が魔除けになるとしているが、それを無視するのかな。
相変わらず、畿内説は哀れだねえ。

9寸「以上」を強調して、「△が9寸の規格で作られていることと整合しない」
という結論を導くのも哀れみを誘いますなあ。

601日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:47:58.48
>>599

つまり何も知らないということか。

602日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:48:56.77
>>601
もう忘れたのか、自分の過去を。
603筑紫の民:2011/10/29(土) 19:51:01.36
580 :日本@名無史さん:2011/10/29(土) 18:43:05.25
>九州に(きちんと年代や製作地が論証されて)「これが卑弥呼の鏡です」と言うものがあるわけでもなし
>神獣鏡の登場が4世紀以後で邪馬台国の時代は鏡の量は九州が相対的には勝っていた…とできる編年モデルのようなものも見たことが無い

→インチキと判った「鏡」と同列のインチキ・まがい物は、九州には無い。


604筑紫の民:2011/10/29(土) 19:55:38.29
再度、
△鏡などは、元々「卑弥呼が頂いた銅鏡100枚」であると畿内説が豪語してたもので、
「卑弥呼が頂いた銅鏡100枚」でないとされる現在、これを持ち出しても何も無いだろうに。
いよいよ「ネタ切れ」「息切れ」「虫の息」って感じだね。

△鏡の年代がどうのこうの言う人もいるけど、そんなものピンポイントで判るものでもない。
畿内説の無駄なあがきというか、畿内説特有の「何でも言う」精神まる出しというか・・・

哀れだね
605日本@名無史さん:2011/10/29(土) 19:57:56.16
>>603
魏の年号のはいった鏡が大量に配られてる状況はどのようにとらえてるの?
606日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:00:34.79
>>600
今、三角縁神獣鏡の面径の分布のデータ出せないが
九寸未満がそこそこ数あった場合
効能の無いものをわざわざ作ったという話になる。

そりゃおかしいだろうという話。

まあ三角縁神獣鏡が国産であろうがその制作年代は3世紀というのが有力だろう
今の流れを作ったといっていい王からしてそうなのだから

そもそも三角縁神獣鏡に取り入れられている意匠に
大陸においてその登場を4世紀を待たねばならないものが無い。

むしろ3世紀中になくなるものが舶載説の研究者から指摘されている。
しかも前スレから出ているように大陸での変遷をトレースしている。

仮に半世紀以上事によったら丸々1世紀以上昔のデザインを取り入れることはあっても
そこから更に時系列に沿ってデザインを変えていくなんておよそ考えられない。

まあかつての舶載説が否定された部分で溜飲を下しても
年代は逆に研究の深化で3世紀が確定的になってしまったというのは皮肉だな。

特に「邪馬台国東遷説」にとっては死刑宣告に等しいw



607日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:02:37.62
>>603 筑紫のド民
意味が分からないのに知ったかぶりして口を出すなクズ
608筑紫の民:2011/10/29(土) 20:03:42.07
大体「邪馬台国」を比定する根拠ってどんだけあるの?

@魏志倭人に記載される「邪馬台国」までの道程 99%
Aその他倭国の風俗等1%

畿内説は、Aの1%のさらに数百にも分かれる要素(それらは0.01%以下)
に固執して叫んでいるんだよ。だから、ひたすら「声がでかい。」
609日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:06:07.88
魏志倭人がデタラメなのに、信用するとは。
610日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:07:53.36
>>605

中国製や韓国製のTシャツに

「U.S.A」とか「I Love N.Y」  と書いてあるのと同じだろ。
611日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:09:50.08
それじゃぁここでの議論は道程以外ほとんど意味がないってことになるよ?
612筑紫の民:2011/10/29(土) 20:12:33.14
>>607
痛い所だろ?
@ 年代の判らない鏡(卑弥呼が頂いたものとはいえない。)
A 墓から出土したもがほとんど(卑弥呼が頂いた鏡を墓に持ってくのか?普通家宝だろ)
B △鏡の正当性、必死こいて訴えてその反応はいかがか?
613日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:15:10.45
景初四年鏡も、疎遠な文明国=魏への憧れで、
かっこつけて景初四年なんて入れたけど
とっくに改元されてました、というオチ。
畿内では、一時代前の流行でも通用したんだな。
614日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:18:10.77
魏との政治的交流を認めてない国から配られた鏡を墓まで持っていくの?
615日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:19:51.70
>インチキと判った「鏡」と同列のインチキ・まがい物は、九州には無い。

△は福岡にも多くなかった??

616筑紫の民:2011/10/29(土) 20:20:04.05
> 607 :日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:02:37.62
> >>603 筑紫のド民
> 意味が分からないのに知ったかぶりして口を出すなクズ

これが、畿内説の回答できない場合の「人格攻撃」
617日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:20:14.52
>>613
じゃあ「青龍」とか「赤烏」とか文献の中に日本に関係するイベントが見えない年号はどうするんだ?

618日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:22:10.11
>>616 ゴミクズ森村伊作のポチ 筑紫のド民
>「人格攻撃」

ポチ=犬に人格は無い
619筑紫の民:2011/10/29(土) 20:22:52.89
>>615
あるよ、我がご先祖様が東遷した後お里に沢山送ってきた鏡だろ。
だから、卑弥呼とは無関係
620日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:25:41.15
>>619 ゴミクズ森村伊作のポチ 筑紫のド民
>我がご先祖様が東遷した後

嗚呼なるほど、こいつが伊作とか言う馬鹿のポチをやる理由かw

途中の理論がどうであれ描き出す結論が自身にとって心地よいのだろうなwww
621筑紫の民:2011/10/29(土) 20:26:37.74
> 618 :日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:22:10.11
> >>616 ゴミクズ森村伊作のポチ 筑紫のド民
> >「人格攻撃」

> ポチ=犬に人格は無い

ほら、こんなもんだよ「畿内説」のひ・と・は
622日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:28:51.21
ご先祖様が東遷した後作った鏡をインチキ・まがい物は失礼じゃない?
623筑紫の民:2011/10/29(土) 20:30:28.41
>>620
さわぐほど「どつぼ」

そんなことより、ちゃんと、畿内説を話せよ。
624日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:31:25.46
>>617

Tシャツと同じで、フィーリングの良い字は、何でも入れるのよ。
625筑紫の民:2011/10/29(土) 20:31:50.65
>>622
△鏡を「卑弥呼の鏡」と言うことが「インチキ」といっているの。
626日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:32:57.86
>>623 ゴミクズ森村伊作のポチ 筑紫のド民

というか鏡で畿内説にイチャモンつけるなら鏡で九州説を語ってみろクズ。




627日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:34:02.50
>>625
俺もだけどジョーカーもそんなこと書いてない
628日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:34:13.23
>>615

「U.S.A」とか「N.Y.」とか書いてあっても
本物のTシャツと、まがい物のTシャツがあるからねぇ。
629日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:35:23.45
>>606
で、三角縁神獣鏡はいったい誰が作ったんだろうか。
どうみても呉の系統の鏡だし、神仙思想の影響を受けているとされるが。
630日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:39:33.49
そもそもここのゴミクズレベル九州説は現在の畿内説といわれているものが
かつて三角縁神獣鏡が舶載である事を自明としていた頃の理論を否定した上でできている事を知らない。

というか学問というものが漸進するものだということすら知らない。
ゴミの中のゴミ。

631日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:44:58.08
>>630

畿内説がかつて三角縁神獣鏡は舶載である事を詐欺であると
分かっていながら吹聴していた詐欺理論である事をトボケている。
632日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:45:10.53
九州説も畿内説もこの時代の倭国の実態を探ってるわけだから、詐欺だとかって逃げずに自説の想定のためのひとつの材料として考察したほうがいいよ
633日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:46:46.96
>>632
九州説は詐欺理論を振り回さないから心配するな。
634筑紫の民:2011/10/29(土) 20:47:06.78
>>630

@九州説は「魏志倭人伝」に明記されている道程
A日本(倭)の文化は西から東へ
これらが九州説の主たる「根拠」

△鏡など相手にしていない。
635日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:47:14.52
>>630
△が国産となれば、紀年はウソということになるよな。
それとも魏に使者をだした年号を日本で書いたとでもいうのかな?

△のデザインや表現の変遷では紀年鏡は後半期に属する。
コレは何を意味するのかと言うと、紀年はウソということ。
636日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:48:14.54
>>629
国産説をとる場合(神獣鏡に馴染みのある)呉地の工人が日本で作ったでもいいと思うw
彼らが日本にやってくるルートも別に半島経由で問題ないと思うが…

そもそも公孫氏と呉が接近していた時代もあったんだし
鏡や工人の移動を魏が阻んだと言うのも想像できない。
(20世紀の鉄のカーテンじゃあるまいしw)
637日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:53:53.91
△鏡は、魏にあこがれた畿内の倭人が、カッコつけてマネして作ったパクリ鏡。
年号も古いまま入れて作っていた可能性があるな。
638日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:56:08.94
△を国産とすると畿内説は即時崩壊なんだな。

△のデザイン変遷や表現変遷をA〜Fに分けるとして、同じ墓からA〜DまでとかB〜Eまで
出まくっている。これはどういうことかというと、△の流通期間はせいぜい2世代分の長さということ。

△は40年ほどの間に95%以上が作られて墓に入れられた。
△の終末期は400年頃である。

つまり、△が出る古墳は無条件で360年以降との推測が働く。

つまり、畿内説は即時に崩壊する。


だから、どれだけ馬鹿にされようが舶載説を捨てることも批判することも出来ないのが
今の畿内説の現状である。
639日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:56:18.57
>>636
大いにその可能性があるね。
畿内の倭人は、おらが村じゃこれが流行ってるから
こんな文字や意匠を入れてね、なんて注文したんだろうね。
640日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:57:28.55
>>632
>九州説も畿内説もこの時代の倭国の実態を探ってるわけだから

違う。
アプローチの手段が異なる。

畿内説は3世紀頃の日本の姿から邪馬台国と呼ばれたクニを探しているのでそれに近いが
ここの九州説はあくまでも倭人伝に書かれている邪馬台国そのものを探している。
3世紀頃の倭国の実態とかは二の次。

むしろ倭人伝からその姿を描き出し
それに合致しないものは認めない方向w
641日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:57:42.57
>>423
> 妄想だウソだという証拠をお前が提示れば済むことだ。それが討論というものだ。

妄想を提示して、それを否定する証拠を出せ、という。
これは「未知論証」。詭弁なので討論にならない。
642日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:59:43.92
ロザリオが国産ではミサに支障が出るわけでもあるまい
質よりも数が大事だったって事
数が多く出ている地域ほど道教が盛んだったという意味しか無い
643日本@名無史さん:2011/10/29(土) 20:59:45.77
畿内説ってさ、奈良県のどこで、海に沈没したら鮑がとれるか、
考えたことがないのかな?
644日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:01:11.83
>>638 恨み節東遷厨
>△の終末期は400年頃である。

だからその根拠は何なんだよw
645日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:02:35.13
>>638
この状況に備えて、△が出る古墳を全て300年以前にしようとしているのが、石野などである。

しかし、これを地方でやると、△が出土した古墳と次の古墳までの期間が100年以上になってしまう。
地方には代替の古墳がないので、あきらかに古墳の年代が開きすぎるという問題がある。

だから、こっちの逃げ道もうまく作れていない。


この状況で△を国産と認めるわけにはいかないから、△舶載説を正面から批判する畿内説が
ほとんどいないのである。
646唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/29(土) 21:10:33.03
>奈良県のどこで、海に沈没したら鮑がとれるか、

倭人伝に書かれた博物誌は、松浦あたりまでの海人の観察記録である。
海人の行動は、月齢を基本とする潮の満ち引きであり、24節気は必要としない。
だから「不知正歳」と表記された。
この思考こそ、「鮑」と同様な「恣意的読み間違い」である。
647日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:13:25.49
>>638 恨み節東遷厨
>これはどういうことかというと、△の流通期間はせいぜい2世代分の長さということ。

恐らく東遷説信者のお前の理屈としては三角縁神獣鏡が2世代ぐらいの期間に作られて
2世代ぐらいの時間の間に副葬されたということだろうが…

後代のものになるほど組み合わせが”バラけてくる”というのは分かるな?

例)
 椿井大塚 TUVW
 佐味田  TVY

椿井大塚の被葬者は鏡をシリーズ連続して集められたが
佐味田の被葬者が集めだした頃は初期のものも失われ後期のものも中々揃わない状況だったということだろう。

つまり前半は頻繁にバージョンアップ後半はバージョンアップの間隔もかなり間延びして全体として長期になった
と見るが妥当だと思うが?お前の想定でどう説明するんだ?

お前の想定なら後半の間延びも起こらない
 椿井大塚 TUVW
 佐味田   VWXY

…とかになってもいいと思わないか?www
648日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:19:07.58
畿内説としては、古墳の始まりはどうしても卑弥呼時代ではなくて困るわけだ。
卑弥呼時代の後だったら、東遷説を否定することが出来なくなる。
649日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:21:01.50
>>557
> 『抱朴子』が書かれる以前にその思想が広まっていたという証拠はない。

あのね、自分の言ってることはどうなんだ?

葛洪は鄭隠に弟子入りし神仙思想を学んだのさ。
神仙思想も神獣鏡も後漢代からあったのは周知のことだ。
650ローガン:2011/10/29(土) 21:24:32.06
>>635
>△のデザインや表現の変遷では紀年鏡は後半期に属する。

コレ興味あるなあ。では、変遷の正解を書いてみて。

後で来ます
651日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:29:45.14
>>648
…と言うかね、ぶっちゃけた話、仮に九州に邪馬台国があったとしても畿内ヤマト王権は既に発生していたというのが普通の認識。
恐らく最低限の共通認識。

「九州説」が即「東遷説」に結びついちゃうこの板のようなのが異常。

652日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:38:57.01
東遷説の人ってそこんところあやふやにして奈良は過疎地だったから東遷は容易だったとかいうしな
653日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:39:49.04
>>558
> △のデザインや表現の変遷のなかで紀年鏡は後記に属するんだな。

恨み節脳内の「オレサマ編年モデル」ではそうなるって話だったな。
654日本@名無史さん:2011/10/29(土) 21:44:39.83
>>651
だったら、別に年代にこだわる必要はないだろうに。
年輪年代を含め、畿内説の年代に対するこだわりは異常としか思えない。
655壹與:2011/10/29(土) 21:44:58.62
>…と言うかね、ぶっちゃけた話、仮に九州に邪馬台国があったとしても畿内ヤマト王権は既に発生していたというのが普通の認識。

汚いものぶっちゃけないでね。
656筑紫の民:2011/10/29(土) 22:01:36.69
再再度、
△鏡などは、元々「卑弥呼が頂いた銅鏡100枚」であると畿内説が豪語してたもので、
「卑弥呼が頂いた銅鏡100枚」でないとされる現在、これを持ち出しても何も無いだろうに。
いよいよ「ネタ切れ」「息切れ」「虫の息」って感じだね。

△鏡の年代がどうのこうの言う人もいるけど、そんなものピンポイントで判るものでもない。
畿内説の無駄なあがきというか、畿内説特有の「何でも言う」精神まる出しというか・・・

哀れだね

657筑紫の民:2011/10/29(土) 22:03:29.13
大体「邪馬台国」を比定する根拠ってどんだけあるの?

@魏志倭人に記載される「邪馬台国」までの道程 99%
Aその他倭国の風俗等1%

畿内説は、Aの1%のさらに数百にも分かれる要素(それらは0.01%以下)
に固執して叫んでいるんだよ。だから、ひたすら「声がでかい。」

658唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/29(土) 22:05:07.27
纏向4類(後)箸中山・燈籠山、布留0の指標、261年景行末年
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 274年~功渡海 纏向5類 (布留1)
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱
纏向5類(中 後 )渋谷向山
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、兵の引き上げ
  
旧纏向5式    326年七支刀、大量の渡来人 旧編年 纏向5式(新)〜6式 (布留2〜3)
  仲津山古墳

△鏡を40年で説明しようとすると、274年~功渡海から西晋滅亡までである。
舶載鏡であれば、説明しやすい数字であるが
倣製鏡とした場合説明しにくい。
考古学は、3世紀中は舶載、4世紀は倣製である。
659日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:07:55.57
再再度掲載しなくていいw
道程の話はここでは出ないから「それでも〜」にいったほうがいい
660日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:09:52.76
>>647
それって長期化に有利な話か??
国産かつ長期編年ならば、
 A古墳:Tのみ多数   B古墳:Uのみ多数 ・・・
となるはずだが、これとは全く逆である。

 椿井大塚 TUVW    佐味田  TVY

なども10年に1回のバージョンアップならこんなことはあり得ない。
数年の間というか、ほぼ同時期にT〜Wまでが作られたと見るほうが良い。
終末期だけ何十年も間延びさせる意味も不明だな。ご都合主義にも限界ってものがある。
661日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:12:18.12
>>646

ホツマ語で語りかける相手は、太国氏だけにしてね。
662唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/29(土) 22:13:43.99
>>657

倭人伝の主張する邪馬臺國の位置が正しい可能性10%
北史の主張する邪馬臺國の位置が正しい可能性50%

晋書 正始元年東倭重譚納貢。この東倭が邪馬臺國の可能性99%
663日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:14:08.22
そもそも行程記事の読み解きで場所が分かる筈が無い。

じゃあ仮にだ
九州の何処からか親魏倭王の金印がそれなりの出土状況で出てきて
有無をも言わさず邪馬台国がそこにあったと言うことになったとしよう。

が九州の大抵の場所なら幾つかのルートが過去に述べられていただろう。

結局どれが正しかったのか?は分からない。
あるいは全部間違っていて、たまたま場所が一致した可能性もある。

それでもゴミクズレベル九州説なら
「畿内だけは無い」
と言うだろうが
それは行き着く先は九州王朝説にしかならない。
無論ここのゴミクズレベル九州説は最初からそのつもりでやっているんだろうが
まあ世間一般に受け入れられる様な話じゃないな。

無論俺も御免こうむるw
664日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:14:21.98
>>651

それは、滅亡した銅鐸国家のことかい?
それとも、他から命令されて集まった労務者集団のことかい?
665日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:14:42.31
>>645
それだけじゃないんだな。

△を出土した古墳を何でもかんでも300年以前にしようとすると、△と同時に出土した他の
副葬品も全部300年以前にしないといけない。

けど、そんなことができるわけもなく、困っている。

そこで、支障の少ないものを狙い撃ちにして「これだけは300年以前」と宣言して回っている面もある。
まあそれでも土器とかで無理が出る。土器を全体的に古くしたりするだけでは調整ができない。
それはもう無視するしかない。

ウソをごまかすために次のウソを言う。

それが畿内説の正体である。
666日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:17:01.01
>>663

奈良県じゃ鮑は採れないから、心配するな。
667日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:21:49.65
>>663
相手にもされてないくせに何様?
668日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:28:00.69
中国の学者たちが、畿内の△鏡をみて、だれもが言うのは、

「こんな鏡は、中国には存在しません、中国製じゃありません」

                   畿内説百年の詐欺も消えたなw
669日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:31:21.52
>>660 恨み節東遷厨
>ほぼ同時期にT〜Wまでが作られたと見るほうが良い。

とりあえずそれで構わないが?
「つまり前半は頻繁にバージョンアップ 」と言ってるんだし

じゃあT〜Wまでを第一世代三角縁神獣鏡、X〜Zを第二世代三角縁神獣鏡として

お前の理屈なら第二世代を密に集めているようなものが前半と同じように出てくるだろうって話だ。

少なくとも製造期間はともかく後半のものは副葬された期間は前半のものよりかなり間延びしている。

製造期間も副葬時期も供に精々2世代と言うのなら
後半のものも連続して出てこなければおかしい。

670筑紫の民:2011/10/29(土) 22:32:36.03
△で 畿内は黙る 秋の空

さようなら〜
671日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:36:50.61
うん さようなら〜  よかったw
672日本@名無史さん:2011/10/29(土) 22:44:58.35
まあ九州に邪馬台国があったはずの時期は
畿内ヤマト王権のヤの字も出てもらったら困ると言うのが東遷説。
そりゃ教団の存亡に関わるから必死w

しかしまあ実際は九州説と言っても普通なら両者の並存は常識。

だもんで東遷説も奠都説にシフトしているのが現状かな?
(これなら並立していてもとりあえず問題が無い)


673日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:03:36.32
別に九州にヤマタイがあって、畿内にはヤマト王権の
ヤの字ぐらいはいいんじゃないか。
それをトウセンで吸収合併という感じで。
まぁトウセンにもいろいろあるということなんだが。
674日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:09:18.51
大小の国家間で、宗主権の取り合いをやっただけでしょ。
東遷というと、国民全員がゾロゾロ引っ越ししたイメージになる。
675日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:09:29.97
>>645 恨み節東遷厨
>しかし、これを地方でやると、△が出土した古墳と次の古墳までの期間が100年以上になってしまう。
>地方には代替の古墳がないので、あきらかに古墳の年代が開きすぎるという問題がある。

見逃してた恨み節東遷厨謹製 「 ま ば ら 理 論 」www

そもそもこの「まばらになって困っちゃう」って古墳群が何処か分からないw

               A      .B  
ヤマトの古墳群     ●○○○○●

謎の古墳群.       ■      ■
               a       b

そもそもこの謎の理屈上図においてヤマトのABの古墳と
謎の古墳群のabがそれぞれ同年代で

尚且つa〜b間が非常に短いことが証明されて始めて
「まばらになるのはおかしい」となる筈だが

ただ馬鹿の一つ覚えで「まばらになるのはおかしい」では意味が分からないwww




 
676日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:10:45.60
東遷説はゴミクズ
677日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:14:41.60
しかし、このジョーカーの大活躍はなんなんだ。
たった一人で畿内説を死守する、大活躍。
この八面六臂のバイタリティーは、なにがその源泉なんだろうか。

このスレに来ると、いつも、そればかりが気になるオレだった。
678日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:16:48.84
東遷となるとその王権を支えている豪族も大半が本拠地の移転になる
679日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:17:03.58
>>675 違うだろ
               A      .B  
ヤマトの古墳群     ●●●●●●

地方の古墳群      ■      ■
               a       b

こうなるから、地方でaのみ古くできないっていう問題がある。
680日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:18:18.00
>>679
意味不明
681日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:18:19.96
>>669
>ほぼ同時期にT〜Wまでが作られたと見るほうが良い。

とりあえずそれで構わないが?
「つまり前半は頻繁にバージョンアップ 」と言ってるんだし
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この時点で長期編年がアウトなんだが・・・
682日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:21:46.18
>>679
とりあえずお前が恨み節なら

その「まばらになって困っちゃう」と言う地方の古墳を具体的に出せ
そして何故その間を短く見なければならないのかの根拠も。

地方にヤマトと同等の古墳群が存在しなければならない理由なんて無いぞ?
683唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/29(土) 23:30:42.16
>>645
>地方には代替の古墳がないので、あきらかに古墳の年代が開きすぎるという問題がある。

纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 274年~功渡海 纏向5類 (布留1)

旧纏向5式    326年七支刀、大量の渡来人 旧編年 纏向5式(新)〜6式 (布留2〜3)
  仲津山古墳
旧纏向6式    須恵器を伴う 370年前燕滅亡?TK73石津丘古墳
TK216誉田御廟山古墳
399年(406)ON46大仙古墳

考古学は、纒向の年代を正しい位置に編年したが、大仙古墳を420〜30年程度とする
書記の主張する年代よりそれだけ間延びしている。
だから“地方の古墳に開き”が出る。考古学は、密集しすぎる畿内の古墳が分散した、
と喜ぶ部分があるが…
684日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:31:56.30
>>682
そりゃ、その地方の最初の古墳と次の古墳の間が30年以上あったら説明に窮するだろ。
それが40年、50年ともなれば、「最初だけ古すぎる」となるわな。
685日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:34:55.04
>>684
いい加減具体的に出せやゴミクズ、あーだこーだ言ってないで。

何処の古墳群のなんと言う古墳なのか?

言ったら困ることでもあるのか?w


686日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:36:56.42
とりあえず畿内説が変な人にしか支持されていないことだけは分かりました。
687日本@名無史さん:2011/10/29(土) 23:41:19.75
畿内説って、

コミクズゴミクズゴミクズゴミクズ って連呼するだけなの?

もしかして、ゴミクズとは、自己紹介なのかな?
688唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/29(土) 23:45:05.10
考古学は、密集しすぎる畿内の古墳が分散した、と喜ぶ部分があるが…
纏向5類が間延びをしている。
新しい△鏡が間延びをするのは、半島、大陸の情勢からやむを得ない部分がある。
△縁仏獣鏡を350年以前にするのは難しい部分がある。
689日本@名無史さん:2011/10/30(日) 00:45:40.24
がんばれ賛助会!
690日本@名無史さん:2011/10/30(日) 01:13:35.39
△を国産として困ることはそれだけじゃないよね。

柳本天神山のように△以外が多く出土する古墳は、△の国産が始まる前という位置づけになる。
この古墳は崇神稜の陪塚なので、崇神の時代の少なくとも初期には△は存在しなかったことになる。

これだけでも△の製造開始が300年以降になってしまう。
691日本@名無史さん:2011/10/30(日) 01:14:24.14
畿内説ってこんなにレベル低かったっけ?
しばらく見ないうちに何か変わっちゃったね
692日本@名無史さん:2011/10/30(日) 01:31:14.46
結局、『恨み節東遷厨』の「まばら理論」で言う
「まばらになったら困っちゃう古墳群」
は何処か教えてもらえなかったなw

そもそもじゃあ、その過疎っちゃう古墳群に合わせて畿内の古墳群いくら過密になってもよいとか言うのか?
東遷説のためなら後は野となれ山となれかw

大体、資料の豊富な地域が少ない地域に合わせるって言うのが分けの分からない話だ。
現在の畿内の考古学だって基本舶載品に富む九州のものに準じる形。

・・・しかしこれ恨み節の「オリジナル」なんだろうか?
(こいつのネタは「邪馬台国の会」を見れば出ていることが多い)

安本がこんなネタ開陳しているのか?

693日本@名無史さん:2011/10/30(日) 02:35:08.00
>>692

>大体、資料の豊富な地域が少ない地域に合わせるって言うのが分けの分からない話だ。

卑弥呼の国の描写に出てくる

  倭錦=絹 鏃(鉄製) が豊富な

九州に基準を置くべきだっていう正論ですね、わかります。
694日本@名無史さん:2011/10/30(日) 06:08:38.08
結局、三角縁神獣鏡は畿内説の象徴のようなものだった。

まず、畿内説は、三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏からもらった鏡であり、この鏡が多く分布する
近畿地方こそ邪馬台国のあった地である、とぶちまけた。
だから、考古学的には邪馬台国は畿内である、と。

しかし、三角縁神獣鏡が魏の鏡である根拠がうすい。中国では一枚も出ていない。
そこで、特注説などが考え出された。

さらに、年代が合わない。当初も三角縁神獣鏡の出る古墳は4世紀半ば頃とされた。そこで、伝世鏡
などという理論が考え出された。もらったからしばらくは、墓に埋められることなく伝世され、
100年ほど経ってからいっせいに墓に副葬されたというわけである。

その後もいろんな論点で議論がなされてきたが、今にして思えば、良くぞこんなことで
何十年も論争がされてきたものだと言うことだろう。

畿内説は、都合の良い仮説を立てて、完璧に否定されるまではそれを言い張る。論理破綻したあとは
知らん顔、というのが常道となっている。
695日本@名無史さん:2011/10/30(日) 07:15:29.36
畿内説の学者の過去の主張を批判しても意味ないじゃんw
696日本@名無史さん:2011/10/30(日) 08:15:41.98
>>694
>論理破綻したあとは知らん顔、というのが常道となっている。

違うな、論理破綻したあとは人格攻撃に走るのが畿内説の常道。
697日本@名無史さん:2011/10/30(日) 08:32:41.86
>>649
>畿内説は、都合の良い仮説を立てて、完璧に否定されるまではそれを言い張る。論理破綻したあとは
知らん顔、というのが常道となっている。


放射性炭素、年輪、桃の種
など全て同じパターン。
698名古屋大文学部1年生:2011/10/30(日) 09:57:08.57
邪馬台国はヤマトです。隋書にもたしかそのように書かれてあったと思いますし、
九州なら九州のどこにあったとお考えですか?
699日本@名無史さん:2011/10/30(日) 10:03:42.19
隋書倭国伝

 倭国は、百済や新羅の東南に在り、水陸を越えること三千里、
大海中の山島に依って居する。三国魏の時代、通訳を伴って
中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した。東夷の人は
里数(距離)を知らない、ただ日を以って計っている。

 その国の境は東西に五カ月、南北に三カ月の行程で、
各々が海に至る。その地形は東高西低。都は邪靡堆、
魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。古伝承では
楽浪郡の境および帯方郡から一万二千里、会稽の東に在り、
?耳と相似するという。
(略)
700日本@名無史さん:2011/10/30(日) 10:08:36.44

九州には邪馬台国がたくさんありますのでお好きなのをお選びください。
701日本@名無史さん:2011/10/30(日) 11:34:02.24
じゃ、取り敢えず俺は久留米を一丁ね。
あと、博多と宇佐と濃ゆいところで西都原も貰っちゃおうかな。
あー、熊本はいいや、何か淡白つーか、薄っぺらで味わいが無いから。
えっ、もうラスト? うーん、そうだなあ・・・、〆と言うよりはデザートでジャワでもいただくか。
702日本@名無史さん:2011/10/30(日) 11:49:04.83
>>701
最もポピュラーな山門郡は飽きたのか。
703日本@名無史さん:2011/10/30(日) 12:08:58.29
沖縄東海上だろ
704日本@名無史さん:2011/10/30(日) 16:04:58.94
>>694 この独特の“ウェット感”は恨み節かな?w

>畿内説は、都合の良い仮説を立てて、完璧に否定されるまではそれを言い張る。論理破綻したあとは
>知らん顔、というのが常道となっている。

はっきり言うがそれの何処が悪いんだ?
畿内説というか学問の進展がそんなもんだろうに。

ある学者が生涯をかけて立てた学説。
それまで完全完璧と思われていた定説。
それがある日ひっくり返される。
そうやって学問なんてものは進化してきた。
それを否定するのは自分たち九州説は学問ではなくて宗教か伝統芸能の類ですと吐露しているに等しい、アホがw

もっとも九州説とて、まともなものなら現在得られている知見にあわせ進化してきているはずで
ここのゴミクズレベル九州説が異常なだけなんだろうがwww

九州に比定地が何十あるか知らないがその中の一つを除いてあとは全部間違いとなる。
その時その説を支持してきた人間は詫状でも書くのか?土下座でもするのか?
とりあえず九州ということはあっていたから「愛国無罪」ならぬ「九州説無罪」なのか?

今自分が持っている仮説常識がひっくり返されるような新発見を楽しみにできるような人間でなく
それどころか過去の説に一々謝罪と賠償を求めるようなメンタリティのアホは
例え2ちゃんでも学問系の話題には向かない。
そもそもそこが間違い。さっさと去れその方が身の為だ。

本当にヒステリー女の腐ったようなと言うかゴミの中のゴミ。
705日本@名無史さん:2011/10/30(日) 16:19:35.53
>>698 名古屋大文学部1年生

「隋書」を持ち出してもこの板のゴミクズレベル九州説には効かないよw
「隋使が赴いた地も九州の何処か」で無問題。

要するに「九州王朝説」が殆どだからw
706日本@名無史さん:2011/10/30(日) 16:20:28.48
畿内説は、都合の良い仮説を立てて、完璧に否定されるまではそれを言い張る。
論理破綻したあとは開き直る、というのが常道となっている。
707日本@名無史さん:2011/10/30(日) 17:13:12.84
九州は掘らないので論理破綻する心配がないよいところです。
708日本@名無史さん:2011/10/30(日) 17:43:44.44
>>701
>熊本はいいや、何か淡白つーか、薄っぺらで味わいが無いから。

熊本ラーメンって濃厚なとんこつ系じゃなかったか?w
709日本@名無史さん:2011/10/30(日) 17:49:50.75
>熊本ラーメンって濃厚なとんこつ系じゃなかったか?w

本人以外には臭い。
ニンニクで。
710日本@名無史さん:2011/10/30(日) 18:10:40.65
気候のせいか熊本・久留米あたりと福岡とでは料理の味付けも随分違う。
料理だけでなく風土というか雰囲気というか、筑後肥後は似てるけど筑前は違う。
711日本@名無史さん:2011/10/30(日) 18:42:39.25
畿内説はゴミクズさんだけなの?

畿内説=ゴミクズなの?
712日本@名無史さん:2011/10/30(日) 19:24:47.06
今日、スイショウと何度もつぶやいていたらスサノオになった
少し古代が見えた気がした
713日本@名無史さん:2011/10/30(日) 19:33:45.00
帥升王=スサノオ
714筑紫の民:2011/10/30(日) 19:43:03.50
>>704
>はっきり言うがそれの何処が悪いんだ?
悪いとは言っていない。判り切っていて言い張ったことが「馬鹿だな」ということだ。

>ある学者が生涯をかけて立てた学説。
>それまで完全完璧と思われていた定説。
間違っているかもしれない<畿内説>に生涯をかける学生って・・・
とても完璧とは思えない<畿内説>が定説とは・・・

>九州に比定地が何十あるか知らないがその中の一つを除いてあとは全部間違いとなる。
だよ、当たり前たい。ただ、候補地が沢山あるということはそれだけ邪馬台国時代に
「倭国の首都」として発展する要素があったわけで地域(エリア)としては間違いははい。

>本当にヒステリー女の腐ったようなと言うかゴミの中のゴミ。
いま、君の、この書き込みこそが<本当にヒステリー女の腐ったようなと言うかゴミの中のゴミ。>
これを、「天に唾す」というのだよ。





715日本@名無史さん:2011/10/30(日) 19:52:16.23
必死だなよほど酷い目にあわされたんだなW
716唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/30(日) 20:48:02.56
>「倭国の首都」として発展する要素があったわけで地域(エリア)としては間違いははい。

残念なのはその発展を見た地域が存在しないことだな。
717筑紫の民:2011/10/30(日) 20:52:04.82
唐松山さん、<何を根拠にそう言うの?>
そして、<何と比べてそう言うの?>
明快な回答は期待していないけど言いたければ言ってごらん?
718筑紫の民:2011/10/30(日) 21:14:57.43
唐松さん、回答なしね。
719日本@名無史さん:2011/10/30(日) 21:22:39.79
隼人舞の狗吠(犬の鳴き真似)は中国南部・東南アジア北部に住むシェ族・ヤオ族・ラフ族等の民族の祖が犬だという伝承が起源なんだね
ヤオ族の古代中国の王女と犬の間に生まれた12姓のヤオ族を始祖とするという民族の伝承は史記に取り入れられ、
後に日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたとされている。(wiki)
720唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/30(日) 21:24:46.56
怪盗に邪馬臺國を盗まれた。

景行(240〜261年)
晋書 正始元年 東倭重譚納具。景初3年、正始元年銘。
景行12年より 九州へ派兵
倭人伝 伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
246年頃 黄旛下賜の決定。
景行20年 五百野姫=壹與即位 ホツマ 五百野姫を軍隊付きで派遣。
255年 景行27年 日本武尊を九州へ派遣16才。
256年 景行40年 日本武尊を関東へ派遣 倭国統一(大倭成立)。
倭人伝 使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史

大倭(大和)は北の女王国(九州北部)に自ら一大率を置き、諸国に使わし検察する。
諸国はこれ(一大率)を畏れ憚る、(一大率)は常に伊都国に於いて(諸国を)治める。
刺史の様だ。
考古学 箸墓 3世紀半ばから後半にかけて築造 特殊器台(埴輪)、布留0式
721壹與:2011/10/30(日) 21:51:19.53
>大倭(大和)は北の女王国(九州北部)に自ら一大率を置き、諸国に使わし検察する。

やめて〜。こんな誤訳見せられたこちらが恥ずかし〜。おねがい もう やめて〜。
722唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/30(日) 22:10:53.73
>>721

庄内式土器(箸墓まで)は九州北部に存在し、布留式期には、半島の土器が存在する。
3世紀後半はこの出来事で説明できなければ、考古学と整合しない。

いやなら、正しいと出来る読み方を主張すれば?
723唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/30(日) 22:13:04.77
(1) 両耳付壺(Fig.1;Tab.1)

すでに弥生後期後半に対馬の長崎県上県郡上対馬町・塔ノ首2号石棺墓(Fig.1-1)〔小田富士雄ほか(編)1974:471;小田富士雄1978〕にみられ,
弥生終末〜古墳初頭には糸島地域の福岡県前原市・浦志(うらし)遺跡A地点(Fig.1-2)〔常松幹雄(編)1984:21,24〕や福岡平野の福岡市博多区
・比恵(ひえ)遺跡群〔小田富士雄・韓炳三(編)1991:41〕で変容品が出土するなど,北部九州に一時的に定着する。古墳前期には福岡市早良区・
西新町(にしじんまち)遺跡での出土が目立つ(Fig.1-3・4)〔重藤輝行(編)2000〕が,当時の博多湾には朝鮮半島や日本列島各地の土器が搬入さ
れている。弥生終末から古墳前期にかけて,北部九州に両耳付壺の担い手が居住していたと思われる。
724唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/30(日) 22:19:17.54
弥生終末から古墳前期にかけて,北部九州に両耳付壺の担い手が居住していたと思われる。

弥生終末とは、魏書に書かれた時代である。だからこの時代を説明するためには必須のアイテムである。
日本列島各地の土器が搬入されている。←畿内の九州進出は、景行時代である。
後漢末,公孫度自號平州牧。及其子康、康子文懿並擅據遼東,東夷九種皆服事焉。
魏置東夷校尉,居襄平,而分遼東、昌黎、玄菟、帶方、樂浪五郡為平州,後還合為幽州。
及文懿滅後,有護東夷校尉,居襄平。

公孫氏に、東夷九種皆服事焉。魏置東夷校尉。晋時代には東夷9種は、9国として冊封される。
266年 泰始2年 十一月己卯,倭人來獻方物。
273年 泰始9年 夏四月戊辰朔,日有蝕之。
274年 二月,分幽州五郡置平州。
咸寧二年十月(276年),分昌黎、遼東、玄菟、帶方、樂浪等郡國五置平州。
277年 咸寧3年 是歲,西北雜虜及鮮卑、匈奴、五溪蠻夷、東夷三國前後十餘輩,各帥種人部落內附。
278年 咸寧4年 3月 東夷六國來獻。是歲,東夷九國內附。
280年 太康元年 6月 東夷十國歸化。7月 東夷二十國朝獻。
281年 太康2年 夏六月,東夷五國內附。冬十月,鮮卑慕容廆(歸か)寇昌黎。
282年 太康3年 九月,東夷二十九國歸化,獻其方物。
286年 太康7年 夏五月,郡國十三旱。鮮卑慕容廆寇遼東。八月,東夷十一國內附。
是歲,扶南等二十一國、馬韓等十一國遣使來獻。
287年 太康8年 八月,東夷二國內附。
288年 太康9年 九月,東夷七國詣校尉內附。郡國二十四螟。
289年 太康10年 五月,鮮卑慕容廆來降,東夷十一國內附。
725唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/10/30(日) 22:22:56.04
倭国は東夷9種(9国)の1種(1国)である。
であるならば、278年には、半島に存在するとするのが正しい。
半島進出は~功である。であるならば、273年の日食は、~功元年の”あづないの罪”である。
726壹與:2011/10/30(日) 22:31:20.17
>>722
>いやなら、正しいと出来る読み方を主張すれば?

あなたは文章を変なところで切って、文法を無視して読んでいる。や〜ね。
                 正しいのは
                   ↓
國國有市、交易有無、使大倭監之。自女王國以北、特置一大率、檢察諸國、諸國畏憚之
国々に市があり、有無を交易する。大倭にこれを監(督)させる。女王国以北には特に一大率を置き、諸国を検察する。
諸国はこれを畏憚する。
727太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/30(日) 22:37:10.59
大中臣が大祓い祝詞にて教えてくれた真の古代の年代を測る天下の宝器。
宝器 天津金木(天津神算木)とは三輪(半径 r=3)の円の球化の
 表面積=体積 の 数式をいう。すなわち

 4πr**2=113.09733552923・・・
 4πr**3/3=113.09733552923・・・

大中臣 天津金木を本打ち切り末打ち断ちて

 2≠113.097335 ----------@
 3≠113.097335 ----------A

いずれの右辺にも 1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位 の通説年代がある。
113即ち1/13の崇神即位の月日数は保留し、 小数点下から(いずれも)
数列の逆読みで

 790−533=257年

これを用い、@の左辺 2 から

 257+2=259年=崇神没年(実年代)

またAの左辺 3 から

 257+3=260年=垂仁即位元年(実年代)

を得る。
259年は古事記の崇神没年258年と1年違い であり、これは258年説を
唱えた那珂博士、 菅政友、橋本増吉、原秀三郎名誉教授、メ氏の
言い分がほぼ真であったことを物語っているのだ。
すなわち唐松山の言う215年説はひどい デタラメ狂であることを天津金木
は教示している。
728日本@名無史さん:2011/10/30(日) 22:50:00.32
自分の世界に入ってしまった唐松山・・・
火星人からスピリチュアルなオカルトを聞くが如し。
729日本@名無史さん:2011/10/30(日) 22:53:33.80
ま、畿内説はどれもこれもオカルトみたいなもんでしょう。
730太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/10/30(日) 23:02:46.43
秀魔電とはそんじょそこいらのタダのオッサンが
妄想を注入して書いた文であり、危険思想の書で
あるからして、おのおの方は重々警戒せねばならない。

おのおの方はただの一度も具体的説明も出来
ない神武即位年が41年という〜宿主という男が前に強行して
いた〜 畿内=東夷 に西暦5年に王がいたという
2ちゃんの超S級のインチキ説に騙されては
ならない。つまり41年説の証拠だとの抽象的数列をうんと
出して、さ〜も出したような振る舞いをして
その実、修飾文ばかりで、実際の核心の中身の具体的説明の
証拠はただの1回もしない無証拠野郎だということなのだ。ww

なお日食が数日間も続くというインチキは、どうやら
遠い電波星からの日食がこちら(電波星)では
数日間も継続出来るという大デンパをピピピ・・・と
受信しているらしく、これではそういう日食が
数日間も継続すると頑張るのもデンパの重要性を
考えれば、完全否定しては可愛そうだということ
だ。ww 遠い遠いデンパ星では日食が数日間も
続く所もあると頑張り通すんだろう。ブハハハ・・・
そこの天体は、おそらくは「猿の惑星 ウソ西紀」さながらのことから
「猿の惑星」らしく、ここから主客転倒の臣下が天皇になれないのに
なったとする強力なデンパをこの星から受信してるのであろう・・・。ww

臣下は、彼らを選んだ・・・ppp
731日本@名無史さん:2011/10/31(月) 11:41:29.42
字が残ってるか、すごいな。
732日本@名無史さん:2011/10/31(月) 12:43:15.93
さまざまな資料から総合的に判断するのが畿内説

本当に頭のいい人が本で金儲けを考えるのが九州説
733日本@名無史さん :2011/10/31(月) 14:39:48.84
幾内で発掘されたものをなんでも邪馬台国や卑弥呼と結びつけて考えるのが畿内説w
734日本@名無史さん:2011/10/31(月) 14:53:05.09
>>733
いいじゃん。
それで幸せな気持ちになれるなら。
735日本@名無史さん:2011/10/31(月) 17:48:53.62
>>732
カシコが書いてアホが買う・・・のが九州説の本とw 
736日本@名無史さん:2011/10/31(月) 18:53:58.09
>>735

そんなこというなよ どんな商売でもそういう人たちはいいお客さん
737日本@名無史さん:2011/10/31(月) 20:33:59.21
沖縄だって、NHKが言ってた
738日本@名無史さん:2011/10/31(月) 22:03:45.56
真実よりも、自分の就職口や出世や名誉や利権を考えるのが畿内説。

そんな利権より、真実をありのまま追求するのが九州説。
739日本@名無史さん:2011/10/31(月) 22:33:55.85
お客さん まいどありっ!
740日本@名無史さん:2011/10/31(月) 22:50:45.52
>>738
利権廚=サイキバ
741日本@名無史さん:2011/10/31(月) 22:54:23.89
>>738
畿内説を馬鹿にしましたね。
あれでも一所懸命真実を追求している「つもり」なのですよ、畿内説の人たちも。
742日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:18:38.10
まあ(書籍を売った対価として)金を儲けて何が悪いって話なんだが

邪馬台国ブームの火付け役、松本清張、崎康平、その後のブームの方向性を決定付けたと思える古田や安本…
何れも本を売って儲けたのは間違いない。
清張を除き邪馬台国のおかげで名を馳せた人間ばかり。
一体ブームからこっちどれだけの九州説の本が泡沫の如く出たのか?(サガミハラや伊作も含む)

その他映画や漫画に至るまで「金になる」と言えば九州説であることが間違いが無い。





743日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:35:17.22
>>724 カラ松
>弥生終末から古墳前期にかけて,北部九州に両耳付壺の担い手が居住していたと思われる。

しかし、これ須恵器が弥生末期に既に北部九州に出現していても良いという条件を与えるような話だなw

まあ半島と九州の人や物の往来を考えれば当たり前の話なんだろうが…



744日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:37:30.32
とすると利害のからまない素人さんの
研究とか推測の方がよほど真実に近いということか。
745日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:39:43.02
本として読むにはおもしろみがあるってこと
746日本@名無史さん:2011/10/31(月) 23:39:55.94
>>744
九州説はゴッドハンドの予備軍です。

素人が名を馳せる為にはセンセーショナルな説をぶち上げる必要があります。

747日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:00:16.04
>九州説はゴッドハンドの予備軍です。

それは畿内説の方だろ。
炭素、年輪、桃の種、△鏡、建物、他
748日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:06:22.92
>>747

畿内にはいっぱいネタがあるのに、九州には何もなくて残念だね〜♪
749日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:21:04.37
>畿内にはいっぱいネタがあるのに、九州には何もなくて残念だね〜♪

生ゴミ(桃の種)なんかを自慢するのか
750日本@名無史さん:2011/11/01(火) 01:43:20.21
↑そんな視野じゃ何も見えてこないよ
751日本@名無史さん:2011/11/01(火) 09:41:03.79
C14をintcal04で修正しただけの、基本資料が知りたい。
年輪年代では、実際に木材があるんだから、
年輪年代で使う木材のC14を計測すれば
良い資料になると思うのだが、
土器と整合させては何にもならない。

土器が百年ずれてるって話は昔からあるやね。
752日本@名無史さん:2011/11/01(火) 09:43:51.33
あと、年輪年代でも直感が入らないように、
高解像度デジタルでパターンをとりこんで、
画像処理で年代グラフを作ってみたいね。

年輪年代そのものは、科学にのる可能性はあるんよ。
753日本@名無史さん:2011/11/01(火) 09:51:45.96
可能性の段階なのに卑弥呼の時代と断定しちゃった。
754日本@名無史さん:2011/11/01(火) 11:09:57.85
だからそれはできない・・・
755唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 17:16:08.70
年輪降水量。
http://w3serv.nagoya-u.ac.jp/envgcoe/images/events/seminar/fyh21/others/20100309/ppt/lecturer/nakatsuka.pdf

日本の歴史を、年輪降水量に合わせると。
183年 靈帝光和六年冬,大寒,北海、東萊、琅邪井中冰厚尺餘。
193年 獻帝初平四年六月,寒風如冬時 獻帝興平元年夏,大蝗。是時天下大亂。

 降水量が少ない時期が続く=寒冷期である。
年輪降水量グラフは、年輪年代法に基づく。
日本に於いても、183〜193年頃は寒冷期である。
新羅 192年 4月大雪。
新羅 193年 6月倭人飢餓の為渡来する。=弥生後期末の出来事である。
新羅 209年 伽耶に援軍。 金官伽耶 541年に建国330年で新羅に身を寄せる。
756唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 17:27:25.11
• 歴博発表骨子 箸墓古墳の布留0式炭化物は炭素年で1800年に集中しており日本
産樹木年輪の較正曲線と比較すると3世紀中頃と考えるのが合理的である
• 朝日新聞2008.5.27報道 箸墓はこれまで考えられていたよりも数十年古い

崇神時代は、5,6年の災害(凶作、冷夏)と任那建国が無ければならない。
よって、崇神(188〜216年)程度の年代が妥当である。
ホケノ山古墳(225〜250年) 墳墓形態、楽浪鏡、鉄器から任那建国後である。
垂仁(217〜239年)
纒向辻の大型建物(3世紀前半=珠城宮、3世紀中葉=土盛りと整地=地は乾く=ヒ、ならす=代)
日代宮。
757太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/01(火) 17:27:44.15
秀魔電は記紀の原典に非ず。
秀魔電は日神を男神としているが、記紀は日神を女神としているところ
を観ると、原典説は成立しない。当然記紀が正解であり、秀魔電は
デタラメである、
758太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/01(火) 17:31:03.25
崇神時代は、5,6年の災害(凶作、冷夏)と任那建国があろうと無か
ろうと 崇神(188〜216年)程度の年代が妥当でない。

千人もの食料の確保のできない飢饉農民の渡海は出来ない。

崇神(237〜259年)が正解であり、記の崇神没年監視は258年が正解
なのである。
759太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/01(火) 17:33:18.80
>>758 訂正 × 監視   ○ 干支

大中臣の下命〜ニセ編年を撲滅するため、未来人の為に残した天津金木

古代人からの贈り物たる真の年代を測る天下の宝器〜〜これを
天津神算木(天津金木)という。天津神算木とは三輪山の山名たる三輪
(半径r=3の円)の球化の 体積=表面積 をいう。
天津神算木

 4πr**3/3=113.09733552923・・・

右辺(天津菅曾)に

1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位  1/3 皇紀973年 仁徳天皇 即位

この崇神即位年は見かけの年代であり、真の年代ではない。
大祓祝詞に曰く 「天津菅曾を本打ち断ち末刈り切りて」

 右辺=113.097335=113.0973350 --------------------@

@の右辺の先頭三数と末尾三数は 113 350 だが (350:ジョーカー数)
双方の数から

 350−113=237年=崇神天皇即位元年(真の年代)=景初元年
760唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 17:38:28.75
ホケノ山古墳の穴あき壺は、初期の埴輪である。であるならば、ホケノ山は垂仁末
箸墓は、1世代後の景行末。
景行(240〜261年)。
761唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 17:43:33.65
>秀魔電は記紀の原典に非ず。

この漢字をあてがった時点で太国主張は無視されるだけである。
つまり、太国倍年も同時にぽしゃる。
762唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 17:55:12.78
垂仁は菅原に葬られる。
菅原=茅原。
スゲ・カヤは、植物学的に同一である。
763唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 18:07:30.85
>記の崇神没年干支は258年が正解

箸墓には、埴輪が存在する。だから崇神末に配せない。
そのために、考古学にウラミ・ツラミを言う。
崇神没年を258年とできる文献で考古学の数字を否定すれば良いのに
崇神世の任那建国まで無視する。

文献との整合性を無視した”説”を、考古学は見捨てた。
764唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/01(火) 18:47:38.22
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0005224764

新羅は、倭の属国であった。
新たに発見された文献も、私の主張のうちにある。
765太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/01(火) 18:55:23.04
>景行(240〜261年)←妄想
500枚も鏡を作る年代がえらく外れている。ppp

皇紀西暦 倍暦
564 -97 237 崇神即位元年 景初元年
565 -96
566 -95
567 -94 238 景初2年
568 -93
569 -92    ☆紀の崇神6年 鏡作神社 鏡 改鋳
570 -91 239 ☆景初3年鏡銘文年←鏡製造は↑鏡作改鋳のほぼ4ヵ月後
・・・・・・・
618 -43 255 戊寅年(←皇紀の干支)
619 -42
620 -41
621 -40 256
622 -39
623 -38
624 -37 257 葛木神社 戊寅七年(戊寅年から7年目)
625 -36
626 -35
627 -34 258 記の 崇神戊寅没年(倍暦=実年代での干支)


766太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/01(火) 19:04:27.05
なお秀魔伝にも1年が365日でない暦法の記事があるらしい。

1年が385日暦法だとか1年が265日暦法だとか、アスス暦とかで
主張してた奴がいるらしい。ww
後者だと古代エジプトの1.4倍暦になる主張だが〜〜??
素朴に疑問が浮かぶ??

この者は宿主ではないのかね〜〜?ww
767太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/01(火) 19:12:00.64
>>秀魔電は記紀の原典に非ず。

この漢字をあてがった時点で宿主主張は無視されるだけである。
つまり、宿主空年も同時にぽしゃる。

768日本@名無史さん:2011/11/02(水) 16:33:10.81
NHKを見てるが邪馬台国は九州の島原じゃねーかよ。
769太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/02(水) 16:45:37.71
いまの番組のアマテラスは本物と似てないな。まもなく終わりか〜。
770太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/02(水) 16:53:21.21
今日は邪馬壹国卑弥呼で、明日夜のNHK(ワンダー・ワンダー)は
「マヤ文明」か〜。
771太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/02(水) 16:55:21.26

マヤ(真矢)- D−−−−−−−−−−−−−→◎矢的(大和)
772日本@名無史さん:2011/11/02(水) 17:04:49.85
なんだよ、邪馬台国の候補地はほとんど九州じゃねーかよ!
773太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/02(水) 17:04:51.33

ホツマヤ(秀魔屋)- D−−−−−−−−−−−−−¬I矢的(大和)
774日本@名無史さん:2011/11/02(水) 17:33:37.55
邪馬壹国は島原でよい
775日本@名無史さん:2011/11/02(水) 18:39:08.76
S壷でハッキリしたね。邪馬台国は九州だ!
776日本@名無史さん:2011/11/02(水) 22:49:39.33
島原なんてありえん。
邪馬台国は諫早だよ。
777日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:20:55.27
畿内説

 三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だー
  … 大きさから魏で作られた鏡じゃありません。

 箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だー
  … 卑弥呼の墓は径百余歩の「冢」=円墳。

 纒向が卑弥呼の都だー
  … 纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません。

 邪馬台国が大和朝廷の前身だー
  … 卑弥呼もトヨも記紀に出て来ません。


778日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:33:32.06
>>777
>纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません。

むしろ畿内説にとっては好都合。

なにせ卑弥呼に仕えた奴婢だけで千人というのだからw
その点だけを捕らえれば纏向以上のものは無い。

しかしまあ相も変わらず幼稚なレベル。
死ぬまでそれを言い続けるのだろうがw

イチャモン付けもテンプレがあり自分の脳みそを使う必要も無い。
それで一端アカデミズムに伍して物申したような気分になれる中二病。
それがゴミクズレベル九州説。

幾ら畿内説にイチャモンつけたところで九州説が復活するわけじゃない。


779日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:39:01.62
戦前まであった卑弥呼神社を探したが見つからない。
町役場の観光課で聞いても知っている人がいない。
「卑弥呼の里」をキャッチフレーズにしているのにたるんでいる。
780訂正:2011/11/02(水) 23:43:14.06
その点だけを捕らえれば纏向以上のものは無い。
↓↓↓
その点だけを捕らえても纏向の可能性はは無い。
781日本@名無史さん:2011/11/02(水) 23:45:32.88
>>779
まあ道後温泉に行って「坊ちゃんの湯」と言う看板があるからといって
「坊ちゃんの下宿は何処にあったんだ?」と訊いても訊かれた方も困るだろうとw
782sss:2011/11/03(木) 00:11:46.38
一応、謎の女王卑弥呼は誰か?の>>992に応えておくが、

南北に市糴は交易であり、古くから交易があったことは倭人伝からも明らか、
その痕跡が土器として残っていても不思議ではないが、それが大和からのルートの証拠とはならないと
いうこと。

むしろ、宗像大社のあり方、大島の存在、沖ノ島の存在から、大和朝廷の場合はこのルートを取っていたと
考えるべきだろう。

土器は、大和からのルートの痕跡とはならないということ。そんなこともわからないかな。
783日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:20:06.66
畿内説の人へ
彼らを責めないでください 彼らはただ純朴なだけなのです 彼らに罪はないのです
784日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:32:30.43
>>781
訊かれた方も困るだろうとw

確かに現存していなくて
訊かれた方も困ってはいたが
あった場所の写真を掲載しているネットがあるからその場所はあるはず。
785日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:33:58.09
>畿内説の人へ
彼らを責めないでください 彼らはただ純朴なだけなのです 彼らに罪はないのです

そうです。
罪は全て畿内説にあるのです。
786日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:37:27.30
「卑弥呼神社」…これか?
聞いた覚えがあったんで検索したらトップに出てたなwww

http://hd0kirishima.kachoufuugetu.net/himiko.html
787日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:48:31.28
>>786
いや、それは観光客誘致のため近年作られたにせもの。
本物は
立て看板どころか若い女性の町役場の職員でさえ知らない場所。
788日本@名無史さん:2011/11/03(木) 00:55:27.36
エリアを閉ざし、時間を閉ざし、心を閉ざす倭人の末裔たち
縄文人よりも小っちゃくなってんぞ
789日本@名無史さん:2011/11/03(木) 01:35:14.58
>>787
ネットのページが更新されて写真だけでなく
神社跡の住所が記載されていたので
もう一度探しに行こう。

卑弥呼から参拝を許されたのかな〜?
(本人も完全な妄想だと自覚はしている。)
790日本@名無史さん:2011/11/03(木) 02:02:54.36
>>789
鹿児島じゃなく福岡ね。
791日本@名無史さん:2011/11/03(木) 03:09:08.76
竹島をぶんどった朝鮮人みたいだな。
792日本@名無史さん:2011/11/03(木) 03:46:56.69
邪馬台国が九州にあっても全然構わない大和王権とは関係ないんだし
793日本@名無史さん :2011/11/03(木) 05:07:31.89
畿内説の奴らはそうは考えない
全ての権力を大和と結びつけないと気が済まない奴らだから
794日本@名無史さん:2011/11/03(木) 05:16:03.54
>>793
コンプレックスの塊だな。
795sss:2011/11/03(木) 05:51:32.29
>>782
そういえば、神功皇后は松浦郡から朝鮮半島に渡っていた。
百済の武寧王が生まれたのも呼子近くの加唐島。
豊臣秀吉でさえ、本拠地は唐津市の名護屋城だった。

というわけで、その後も壱岐を通っていた、に訂正。
何を考えていたのやら。
796日本@名無史さん:2011/11/03(木) 08:13:08.24
>>792
邪馬台国が九州にあっても全然構わない大和王権とは関係ないんだし

大和王権が畿内にあっても全然構わない大和王権は朝鮮出身ないんだし
797日本@名無史さん:2011/11/03(木) 08:21:48.81
いやー笑えるよ、畿内は邪馬台国と関係ない物ばかりが出るわ、出るわで、とうとう場所を移動しますだってよ。
たしか、断定したよな。「ココが卑弥呼の住んでいた宮殿なんですキリッ」もうゴッドハンドはやめろよ。
798日本@名無史さん:2011/11/03(木) 08:50:05.37
九州では発掘の見込みすら無いのがツラいところだ。
799日本@名無史さん:2011/11/03(木) 09:05:51.69
唐津に上陸したところまでは認めよう。
問題はそこから先の話だ。
馬関を通って瀬戸内海に入ったのではないの?
800日本@名無史さん:2011/11/03(木) 09:05:55.30
>>798
ウマシカ。
今までに発掘された遺跡は全遺跡の50分の1でしかない。日本中にまだまだ大
量の発掘物が眠っている。畿内説者がいかにウマシカか、よーく考えろ。
801日本@名無史さん:2011/11/03(木) 09:15:52.81
>>800
こう言うのが一番馬鹿。

畿内以外で遺跡が出たら畿内説に不利になるとでも思っているんだろうが
むしろ畿内説にとってウェルカム。

九州vs畿内で頭一杯一杯の連中と違って列島全域で弥生末期を考えているからなw


802日本@名無史さん:2011/11/03(木) 09:52:06.81
発掘するにしても、この辺りになりかありそうだとして発掘するには金がかかりすぎるのです。
たいていの場合、都市開発のために掘ってみたらそこに遺跡が発見されて大騒ぎになったというパターン。
大きなビルとか鉄道や道路建設のための工事で深く、広範囲に掘ったほうが遺跡の発見確率は高くなります。

九州は、畿内より開発が遅れていて都市化されていないということでしょうね。
803日本@名無史さん:2011/11/03(木) 10:00:53.71
どう見ても奈良より福岡の方が都会だよな
804サガミハラハラ:2011/11/03(木) 10:26:38.04
今はね、人工衛星や航空地上レーダーによって、地中の遺跡が発見できるのです。
だから、奈良盆地や北部九州をこれで絨毯爆撃のようにおこなうと、いちいち工事の偶然にたよらなくとも、発見できるのです。
なんで日本の学者はやらないんでしょうね。
いっときますが、わたしが、この方法をしったのは高校生の頃、45年も前のことです。
805日本@名無史さん:2011/11/03(木) 10:33:27.99
なぜだろうな?畿内説論者って、福岡より奈良の方が都会だと思っている奴が多いんだよな。だから畿内派は信用ならんのだ。いい加減にしろ、このドアホが!
806日本@名無史さん:2011/11/03(木) 10:39:02.36
>>802
宮崎に高速道路でも作り出したら、何かしら出てくると思ってたけど、しょぼい物しか
出なかったな

>>804
都市部は無理じゃないの?
807日本@名無史さん:2011/11/03(木) 10:41:00.32
九州は北海道の約二倍の人口だからな。
これ豆知識な、塚、日本人なら知っとけ、このドアホが!
808日本@名無史さん:2011/11/03(木) 10:43:51.55
福岡市の中心部って縄文から奈良時代にかけては広大な干潟だったし掘っても何も出ない。
海に突き出た舌状台地とか盆地とか、古代から人の住んでいた地域の開発を進めたほうがいいぞ。>九州の人
809名古屋大文学部1年生:2011/11/03(木) 10:52:59.18
やはり邪馬台国問題は頭が痛くなるので、そろそろ潮時かなと。

まだ数冊程度しか邪馬台国関連の本は読んでないのでよくわからない点も
多いのですが、鉄の利権をめぐり、2世紀末に西日本全域で倭国乱が
勃発したのはほぼ間違いないでしょう。
でもって2世紀末に巻向を中心にまとまりをみせたのも庄内式土器の
分布等からも明らかです。
鉄の交易ルートでは北九州のほうが優位にたっていたので、
倭国の乱を鎮めるために話し合いの末、北九州にいた卑弥呼の一族が、
巻向で倭国王となり、政治を行ったと考えるべきなのかなと。
卑弥呼の鬼道が中国の道教だと考えられるので、卑弥呼が
中国と縁薄そうな元から畿内の人間とは考えにくいので。

魏の使者は倭国=九州 と認識してたので九州しか記述しなかったため
矛盾が発生するのでしょう。我々は後世に日本全体を俯瞰してみてますが、
当時の人は違ったんですよ。
810日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:05:34.98
実際に使者の道のりを歩いたのは、あの夫婦だけらしい。その結果、遺跡が次々に発掘されたわけですが、なぜ島原説は浮上しないんでしょうな
811名古屋大文学部1年生:2011/11/03(木) 11:11:11.32
三角縁神獣鏡も国産かどうかはわかりませんが、
中国に数回朝貢してるので、数百枚くらいはあっても
おかしくないようです。配布元の畿内のほうが優勢です。

812日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:22:28.39
>数百枚くらいはあってもおかしくないようです

おかしいから困ってんだろう。自分の脳内でゴッドハンドすんじゃねーよ。
813名古屋大文学部1年生:2011/11/03(木) 11:29:56.11
いや魏志倭人伝に書かれてるのだけでなく、
あと複数回朝貢してるみたいで、そのつど鏡を貰えば
つじつまがあうんですよ。
814日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:36:08.84
>そのつど鏡を貰えばつじつまがあうんですよ。

そんな事を妄想したら、なんでもかんでもつじつまがあうだろうが!
815日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:40:58.03
倭人伝の方角を東に変えて畿内に結びつけたのが畿内説。
倭人伝の日数を変えて九州内におさめたのが九州説。
816日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:42:43.29
よって邪馬台国は新潟
817名古屋大文学部1年生:2011/11/03(木) 11:51:16.64
魏の使者は、九州だけしか見えておらず、
正確な地理や、政治情勢を把握できてなかっただけでしょう。
邪馬台国までの日程も曖昧な日数で書かれてるし、
10日や1月と、きりのいい数字だし、これは遠すぎて実際に
行ってない臭いwでも実際に九州内にあると思い込んでるから、
ちぐはぐな記述になっただけ。
818日本@名無史さん:2011/11/03(木) 11:51:32.03
三角縁神獣鏡などの鏡は、そのまま使っていたのだろうか?
手鏡のように木製の枠に嵌めたほうが使いやすいだろう?
紐を通す穴がないのも不思議だ。
姿見のように、縦長の鏡はなぜ作られなかったのか?
819日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:09:44.54
>行ってない臭いw

行ってねーよ。臭いのはお前だ

>でも実際に九州内にあると思い込んでるから、ちぐはぐな記述になっただけ。

そう思い込んでいるのはテメーだろうが、このちぐはぐ野郎が!
820日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:30:42.03
>そのつど鏡を貰えばつじつまがあうんですよ。

何度も鏡あげる意味はない。

可能性の無いことを仮定しても無意味。
821日本@名無史さん:2011/11/03(木) 12:56:17.87
>>820

> 何度も鏡あげる意味はない。

何でさー
822日本@名無史さん:2011/11/03(木) 14:40:02.51
何であげたのかな。
わからんのだろうな。
823日本@名無史さん:2011/11/03(木) 14:41:13.11
魏には全く存在しない鏡が畿内から出土するから畿内が邪馬台国です、って論理がめちゃくちゃ。
そもそも邪馬台国の最大の特徴は、鏡でもなく古墳でもない。
824日本@名無史さん:2011/11/03(木) 14:44:56.26
魏にはまったく存在しない鏡が、呉に近い民間宗教の意匠があり、
存在しない年号があるのだから、魏にあこがれながら魏と国交がなく、
しかも呉の影響下にある、畿内の田舎者が作ったものとしか考えようがない。
825唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/03(木) 14:48:35.96
纏向3類(前) ホケノ山 楽浪鏡 庄内3式期 239年垂仁末年
纏向3類(中) 廻間II初頭
纏向3類(後)
纏向4類(前)
纏向4類(中)
纏向4類(後)箸中山・燈籠山、布留0の指標、261年景行末年
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 274年~功渡海 纏向5類 (布留1)
纏向5類(前)東殿塚・下池山
纏向5類(中 プレ )行燈山・黒塚・メスリ山 308年永嘉の乱
纏向5類(中 後 )渋谷向山
纏向5類(後プレ)椿井大塚山 316年晋滅亡、兵の引き上げ

△鏡の副葬は、桜井茶臼山からである。
だから、卑弥呼の鏡では無い。
826日本@名無史さん:2011/11/03(木) 15:38:33.42
>>822
> 何であげたのかな。
> わからんのだろうな。

何であげたのさー
わかるなら教えれ!
わからないなら黙ってろw
827日本@名無史さん:2011/11/03(木) 16:16:04.30
>>826
こいつ本物の馬鹿だ。
漢文も読めないらしい。
828日本@名無史さん:2011/11/03(木) 16:33:15.82
>>827

オマエがさー、バカじゃないならさー、
「何度も鏡あげる意味はない。」の説明をしてみてよ。
出来ないならオマエもバカーだなあwww
829太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/03(木) 16:49:45.48
纏向4類(後)箸中山・燈籠山、布留0の指標、×261年景行末年
830日本@名無史さん:2011/11/03(木) 17:19:46.94
>>826

首の上にあるのが帽子かけでないなら、少しは自分で考えた方かよい。

故鄭重賜汝好物也
831日本@名無史さん:2011/11/03(木) 18:15:11.65
卑弥呼が桃の種を使っていた。とするは、記述に書かれてんの?
832日本@名無史さん:2011/11/03(木) 18:58:45.49
>名古屋大文学部1年生

>鉄の利権をめぐり

ヤマト王権の発生その力を鉄資源の分配に求めるのは今も根強い意見としてあるが
実際には鉄資源の分配より銅鏡の分与の方が先。
むしろ鉄は「ご褒美」的に後から付いてきた感がある。
あまり単純に鉄に寄りかかると危ないぞw

>これは遠すぎて実際に行ってない臭い

それだったら最初から倭人に郡まで来させれば良い。
途中まで…というのはどう考えてもレアケースすぎる。

むしろ魏使は卑弥呼の下に赴いたがあの行程記事と言われているものは
その魏使による報告書を基に書かれた物でなかった…と言うのが一番無理が無い。

記事に合わせて魏使の足跡を辿るとするからそう言う無理な話になるのであって…

もっともこれは「すなおに読んだらピタリと分かる」「暗号解読ゴッコ」の大前提に反する話だがwwwww






833唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/03(木) 19:19:51.57
>>809
>2世紀末に巻向を中心にまとまりをみせたのも庄内式土器の分布等からも明らかです。

崇神5,6年災害=新羅192,3年=後漢193年
冷夏凶作。飢餓、餓死、食人、逃散。
崇神6年、近江の大物主は、崇神に身を寄せる。そして譲位、初子たたねこを崇神に仕えさせる。
離散した民を農業に就かせるためと、崇神の即位を知らせる四道将軍=ハツクニシラス
崇神11年異俗多帰=2世紀末各地の土器が纒向に集まる。
崇神(58年)任那(狗邪韓国)建国の後方支援。新羅209年、三国遺事541年時点で建国330年の金官伽耶。
216年 任那より朝貢。
ホケノ山古墳(225〜250年)楽浪鏡、鉄器、木郭は任那以後、穴あき壺(埴輪)は垂仁末。
834太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/03(木) 20:23:52.39
崇神5,6年災害≠新羅192,3年=後漢193年

千人の農民が飢饉腹ペコでの渡海は出来ない。
現実を無視したオマエの論を信ずるのは、精神病院患者あたりなどだな。
835日本@名無史さん:2011/11/03(木) 21:12:43.26
俺さ、九州説の8カ国に隣接しない狭い地域に押込められた21カ国が、大乱後100→30になっても21のまんまで
互いに摩擦もなく大国に呑まれることもなく国として独立を認められてる状況。この民族がどこからやってきてどんな地理的条件
でそうなったのか、東の倭種との接触はなかったのか?そのことのほうが九州説の邪馬台国よりも興味があるんだけど、21カ国
のことを問うと急に機嫌が悪くなって倭人伝に書いてないだろと言われるので、それ以上聞けない。
836卑弥呼の都は久留米:2011/11/03(木) 21:30:56.16
>>835
>倭人伝に書いてないだろと言われるので、それ以上聞けない。

書いていないことを聞かれても、応えようがない。

誤認識もあるぞ
>九州説の8カ国に隣接しない狭い地域に押込められた21カ国が、大乱後100→30になっても21のまんまで
>互いに摩擦もなく大国に呑まれることもなく国として独立を認められてる状況。

そんな事どこにも書かれていない。
女王國以北に21ヶ国があると書かれているだけ。
隣接の有無も書かれていない。
837日本@名無史さん:2011/11/03(木) 21:41:57.09
>>836
隣接してたのに遠絶という表現になるの?21カ国は九州内の広い地域なの?
書かれていない九州内の状況はいっさい想定してないの?
838日本@名無史さん:2011/11/03(木) 22:02:08.85
島原説が面白そうなんで、そっちに移ることにした。ロマン求めてなんぼだろうが、お前ら忘れてんじゃないのか?!
ロマンも糞もねーよな、畿内説じゃ、勃起もしねーよ。何歳になろうが、ロマンを語れるのが、邪馬台国だろうが! それが1番大事だと知ってんだろうが!思い出せよ。
839唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/03(木) 22:09:24.63
>互いに摩擦もなく大国に呑まれることもなく国として独立を認められてる状況。

前方後円墳の全国拡散は、畿内から統率者が派遣されたことを物語る。
840日本@名無史さん:2011/11/03(木) 22:11:36.37
>>838
あ〜うん、ウザイ。
841日本@名無史さん:2011/11/03(木) 22:31:01.16
俺は畿内説だけど畿内・吉備・出雲・九州にそれほど大きな差あったとは見ていないので、魏が朝貢相手として認めた国が九州にあったなら
それでかまわないんだけど、倭国の範囲が九州という想定はこの不思議な21カ国のエリア(狭くならざろうえない)がどうしても理解できないので
知りたいだけなんだけど。
842日本@名無史さん:2011/11/03(木) 23:30:14.84
狭い21か国のエリアといっても、畿内には植民市ばっかりだから、
仕方がないんじゃない?
843日本@名無史さん:2011/11/03(木) 23:58:10.65
>>842
何いってんの?
844卑弥呼の都は久留米:2011/11/04(金) 00:02:44.44
>>387
>隣接してたのに遠絶という表現になるの?21カ国は九州内の広い地域なの?
>書かれていない九州内の状況はいっさい想定してないの?

遠絶は距離的な意味だけではない、情報的な意味もある。
女王國の東(北)に国境で接する国があっても、
その国の情報が分からなければ遠絶。
845日本@名無史さん:2011/11/04(金) 00:05:47.00
>>804 サガミハラハラ
>今はね、人工衛星や航空地上レーダーによって、地中の遺跡が発見できるのです。

つうかだな日本の弥生時代古墳時代の遺跡なんて構造物が出てくるのは極稀だぞ?
(まあ柱とかが出てきたと言う事例はあるにはあるが)
大抵は柱の穴の跡とか、いいところ護岸用の矢板とかそんなもん。

これが中米ユカタン半島のようにジャングルに覆われた巨石文明の跡とかなら
意見ジャングルにしか見えない画像を処理すればそこにマウント(ピラミッド)とかの建造物が浮かび上がるとか

あるいは砂漠の下の神殿とかなら探し当てられるのかもしれないが…


846日本@名無史さん:2011/11/04(金) 00:11:02.31
>>844
九州説でも解釈が分かれてるのね?隣接していた場合エリアはどのあたりになるの?
確か狭い範囲といってたけど?
847日本@名無史さん:2011/11/04(金) 00:11:20.52
妄想でよければ

女王の都は九州だが、遠絶の傍国は九州に収まりきらない所なのだろう。
反邪馬台国の狗奴国と同様に畿内・吉備なども反邪馬台国だと思うが
背後の傍国のため、大規模な軍事行動ができないという時代だったのではないだろうか。
九州権力の衰弱過程と考えれば倭人伝の時代が理解しやすい。
転機は傍国の動向によるものだろう。
848サイタマ!サイタマ!:2011/11/04(金) 00:25:03.63
東松山市教委は1日、市内の高坂古墳群(4〜7世紀築造)から、女王卑弥呼に絡み邪馬台国論争でも引用される三
角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)1点が、ほぼ完全な形で出土したと発表した。同鏡は近畿を中心に多
数見つかっているが、県内で確認されたのは初めて。3世紀中ごろ、大陸で作られた鏡とされ、背面に4神2獣の図
柄と35字の銘文が刻まれている。同市教委は「比企地域がヤマト政権の影響を早くから受けていた可能性を示す貴
重な遺物」としている。12日から1週間、同市埋蔵文化財センターで一般公開され。

 発掘現場は東武東上線高坂駅から東に約800メートル、県道212号沿いの高坂神社境内裏にある古墳周辺。土
地区画整理事業に伴う発掘調査を8月から実施し、高坂8号墳主体部と考えられる場所から、4世紀中ごろ国内で作
られたとされる直径7・4センチの捩文鏡(ねじもんきょう)1点と管玉15点、鉄製で長さ9・5センチの槍鉋
(やりがんな)1点、水晶製の勾玉(まがたま)1点が出土した。

 神獣鏡は8号墳から約20メートル離れた9号墳(高坂神社古墳)との間から、ほぼ完全な形で見つかった。直径
22センチ。鏡背面内区に4神像と霊獣2像が浮き出た半肉彫りの紋様があり、作者とみられる「陳氏」などの漢字
が入った銘文35文字が円状に刻まれている。

 10月中旬の出土後、三角縁神獣鏡の研究で知られる早大シルクロード調査研究所の車崎正彦研究員(57)に鑑
定を依頼。全国で発見された同鏡の調査を踏まえ「製作は250〜260年の間で大陸から輸入された舶載鏡(はく
さいきょう)」と判断した。

 同じ鋳型から何枚もの鏡を作り出す同笵鏡(どうはんきょう)が見つかっていないため、神獣鏡の中でも新たな資
料となる。紋様や銘文でよく似た鏡は滋賀や京都など近畿で発見されているという。(後略)

ソース
埼玉新聞 http://www.saitama-np.co.jp/news11/02/02.html

849日本@名無史さん:2011/11/04(金) 00:30:37.08
>>853
>九州説の8カ国に隣接しない狭い地域に押込められた21カ国が

其餘〓旁〓國遠絶不可得とあるので隣接してないとは言えない。
〓旁〓かたわら(かたはら)。中心から左右に出たはし。両わき。また、あるもののそばにある。

>互いに摩擦もなく

これ、間違い。
卑弥呼を共立することにより一時的に休戦協定のようなもので平和が維持されているだけ。
卑弥呼の死後千人が殺されたことでも判るる

>倭人伝に書いてないだろと言われるので、それ以上聞けない。

邪馬台国の場所が判れば倭人伝に書いて無くても判るよ。
850唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/04(金) 00:45:42.92
>5世紀以降の埼玉古墳群(行田市)より、3世紀ごろの比企地域は近畿と強い
つながりを持っていた可能性がある」と語った。

ホ39358 カワアヒのノに ヲホミヤを たてゝまつらす
ヒカワカミ イクサウツハは チチブヤマ

日本武尊の関東遠征時(250年代)に秩父山麓に入植。
ただし、△鏡は、~功渡海以後の鏡であり、千熊長彦(武蔵出身?)以前であろう。
851卑弥呼の都は久留米:2011/11/04(金) 00:49:11.20
>>846
>九州説でも解釈が分かれてるのね?隣接していた場合エリアはどのあたりになるの?
>確か狭い範囲といってたけど?

私の説では、女王國の範囲は筑紫平野ほぼ全域。
隣接する餘旁國の存在する可能性のあるところは、
黒木町(東)、日田市(東)、春日市(北)、多久市(西)、江北町(西)等。
852日本@名無史さん:2011/11/04(金) 00:52:39.39
>>849
>隣接しない
は九州説の人からそう回答されたので書いたの
>互いに摩擦もなく
摩擦大いにあったと思う。狭い地域にあった21カ国そのまま国が乱立した状態がそこだけなぜ変化がないのということ

「それでも九州」で質問したことなんだけど、あそこは九州説が前提なんで感想をこっちに書いたの
853日本@名無史さん:2011/11/04(金) 00:56:41.76
>>830

> 首の上にあるのが帽子かけでないなら、少しは自分で考えた方かよい。
> 故鄭重賜汝好物也

「故に汝に好物を鄭重に賜う也」と。

で、この文章が「何度も鏡あげる意味はない。」の断言とどう関係するのさー
答えになってねーぞw ちゃんと教えれw
854日本@名無史さん:2011/11/04(金) 01:06:00.08
>>852
確かに狭い範囲だね 多久市って唐津街道通ってきたんじゃないの?
ちょっと九州説も多説あるから質問しづらいけど
そのエリアだけ九州内で統合が進まなかったのは何か特別な条件とかを想定してるの?
855日本@名無史さん:2011/11/04(金) 01:23:36.61
ごめんアンカーミス
>>852>>851久留米さん
856名古屋大文学部1年生:2011/11/04(金) 09:47:00.25
邪馬台国は畿内にあったけど、魏の使者は九州内にあったと
勘違いしてたのが真相ですってw

古代中国人が我々と同じように日本の正確な地理を知ってたわけがないでしょ。
857日本@名無史さん:2011/11/04(金) 10:10:53.86
>>856
>魏の使者は九州内にあったと 勘違いしてたのが真相ですってw

お前が勘違いしてるんだよ。はよー気付けよw
858名古屋大文学部1年生:2011/11/04(金) 11:01:43.56
いや、邪馬台国マニアの皆さんが勘違いしてるだけですw

その証拠にいくら倭人伝を読んでもいっこうに答えがでてこないじゃないですかw

ようは古代中国人の不確かな地理認識の元に作られた報告書を
これまた倭国などいったこともない陳寿がまとめただけの書物を
金価玉条のように扱い、あれやこれやとこねくり回して
解釈する方が誤りなのです。早く気付いてくださいw
859日本@名無史さん:2011/11/04(金) 11:05:37.44
勘違いとか、間違いとかいう話は、互いに罵倒しあうだけの
水掛け論になるので、控えたほうが良い。

つまりは、「お前の勘違い」と、永久に罵り合うだけになる。
860名古屋大文学部1年生:2011/11/04(金) 11:27:01.01
実に馬鹿馬鹿しい話ですが、
魏の使者も勘違いして、その勘違いして書かれた記述を
これまた正確な記述だと勘違いして真面目に解釈しようとしてるのが
現代の邪馬台国マニアたちなのですw

なので賢明な専門家ほど邪馬台国問題はスルーするんですよ。
馬鹿馬鹿しいからw

861唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/04(金) 11:43:03.96
高句麗在遼東之東千里。南與朝鮮、(水歲)貊,東與沃沮,北與夫余接。都於丸都之下,
方可二千里,戶三萬。多大山深谷,無原澤。隨山谷以為居,食澗水。無 良田,雖力佃作,
不足以實口腹。其俗節食,好治宮室,於所居之左右立大屋,祭鬼神,又祠靈星、社稷。其
人性凶急,喜寇抄。其國有王,其官有相加、對盧、沛 者、古雛加、主簿、優台丞、使者、
p衣先人,尊卑各有等級。

1日の移動距離が千里であれば、高句麗は東西、南北とも二日で行き着く。
ありえない。だから、倭人伝の距離から推し量ることはできない。
南方向一ケ月に邪馬臺國が存在するはずであるが
東倭重譚納貢。と方向がちがっている。だから方向からも邪馬臺國は設定できない。
862サガミハラハラ:2011/11/04(金) 11:47:56.73
考えてみれば、南水行十日陸行一月ではかなり南に行き、東夷ではなく南蛮になってしまうな。
863日本@名無史さん:2011/11/04(金) 11:56:30.47
>南水行十日陸行一月

昔は今みたいに道路が整備されていないからね。何度言ってもそれが理解出来ないアホが畿内説論者。
864日本@名無史さん:2011/11/04(金) 11:59:33.28
>>361
三国時代の高句麗は、公里じゃないかね?
公里千里だと、435キロ、一日あたり14.5キロ
文字通り、千里は一月行する距離である。

たとえ短里でも、陸行一月行=77キロでは、一日の距離ではない。
5〜6日の距離でしょう。

ついでに、高句麗、方二千里の大きさから考えても、
狗邪韓国が方四千里では、面積比4倍である。
これがありえないことから考えても、
公里が使用されていないと見るべきだろう。
865AKB四十八手:2011/11/04(金) 12:44:28.25
>>862
同じ方向へはどんどん陸行はできない。
陸が尽きればただひたすら海岸沿いを進むだけでせ。
866日本@名無史さん:2011/11/04(金) 13:15:46.67
>(帯方)郡から女王国にいたるのに一万二千余里ある。

九州の福岡、熊本、長崎あたりになる。
867日本@名無史さん:2011/11/04(金) 13:32:30.32
>>860
実に馬鹿馬鹿しい話ですが、
魏の使者も勘違いして、その勘違いして書かれた記述を
これまた正確な記述だと勘違いして真面目に解釈しようとしてるのが
現代の邪馬台国マニアたちなのですw

何度も倭へ来て長期間滞在しているのに九州と畿内を間違えるなんてあり得ない。


>なので賢明な専門家ほど邪馬台国問題はスルーするんですよ。
馬鹿馬鹿しいからw

貴方も馬鹿な妄想ばらまかないでスルーした方がいいですよ。
868日本@名無史さん:2011/11/04(金) 13:41:10.24
>>860
>魏の使者も勘違いして、その勘違いして書かれた記述を これまた正確な記述だと勘違いして真面目に解釈しようとしてるのが 現代の邪馬台国マニアたちなのですw

うん、君はバカ。その記述を元に畿内説も成り立っているんだけど、やっぱり、君はバカ。
869太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/04(金) 14:49:23.16
>>850
ほ〜ら、偽書といわれる書物を持ち出した〜と、コチラを口撃していた男
が〜

〜〜偽書といわれる書物を持ち出した〜〜。

>日本武尊の関東遠征時(×250年代)に秩父山麓に入植。
870日本@名無史さん:2011/11/04(金) 14:50:39.39
九州に着いてからの話は全部伝聞なんだろ?
倭の連中が自分を大きく見せるために大げさに言ってる可能性が高いだろ。
方角については通訳の誤訳の可能性も高いぞ。
871日本@名無史さん:2011/11/04(金) 14:56:36.52
魏志倭人伝勘違い論は結構だが、

「誰がどういう状況でどう勘違いしてこうなった」ということを
堅牢な論理で分析・把握したうえで読み込むのが「原典批判」だ。
伝承者や著者・編者を馬鹿にしたり、書を無価値と切り捨てるのは
無能な野次馬に任せておけばいい。
872日本@名無史さん:2011/11/04(金) 16:16:26.94
>>858
>その証拠にいくら倭人伝を読んでもいっこうに答えがでてこないじゃないですかw
出すことを嫌がっているだけだろ。普通に読めば何も難しいことはない。
倭人伝のとおりで、結論はでるよ。

873日本@名無史さん:2011/11/04(金) 16:46:10.38
唐津から東南五百里、伊都国は佐賀市付近だ。
伊都国から先は放射式。文献史学者が認めるところだ。
伊都国が佐賀市付近ならばそこは海岸。水行の出発点になる。
奴国や不弥国に進む必要はない。放射式の方が合理的だ。
しかも、水行20日+水行10日陸行1月では九州を飛び出してしまい
そうだが、水行10日陸行1月のみならば、十分に九州内に収まる。この
点からも放射式の方が合理的。何も問題ないね。
874第三者委員会:2011/11/04(金) 17:45:37.85
>伊都国から先は放射式。文献史学者が認めるところだ。

姚思廉は「・・・又東南陸行五百里、至伊都國。又東南行百里、至奴國。又東行百里、至不彌國。又南水行二十日、至投馬國。又南水行十日
陸行一月日、至祁馬臺國・・・」と記述している(梁書)。姚思廉は本場中国唐初の歴史家であるが、この姚思廉の見解を間違いだと証明で
きる文献史学者が居るというのであればその氏名と論の概要を述べて頂きたい。

>水行10日陸行1月のみならば、十分に九州内に収まる。
水行や陸行の日数が距離を表すものであるという証明が必要である。水行にしろ陸行にしろ進む距離は様々な条件によって異なる。そのよう
に場合によって変わる不定なものを距離の指標にできるわけがない。
また、「十分に九州内に収まる」とは「九州内に収めるために放射式を考えた」と白状しているようなものである。
875日本@名無史さん:2011/11/04(金) 18:03:27.35
水行10日陸行1月
個人の時間の感覚でしかないわけで、歩く速さもそうだし、道のりもそう。
水行10日以内、陸行1月以内かも知れない。民に聞いた話しだからその可能性が高い
876日本@名無史さん:2011/11/04(金) 18:10:45.21
本土(畿内)であれば、「海を渡る」もしくは「海の向こう」と書かれるだろう。しかし、水行10日陸行1月とは九州を出ない説明になると考えられる。
877唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/04(金) 18:14:43.14
公里千里と短里の混載ね。

六十五年秋七月。任那者。去筑紫國二千餘里。北阻海以在鷄林之西南。
ホケノ山(225〜250)は、穴あき壺(埴輪)からみて垂仁末(239年)である。

つまり、魏使が伊都国を訪問する前から、筑紫〜任那間は2千里である。
この認識から見ても”倭人伝の距離”はあてにならない。
878日本@名無史さん:2011/11/04(金) 19:19:09.18
対立する二者の間に割り込んだ人物が

 「俺は中立」 だとか
 「私は第三者の立場」だとかうそぶいて

実は一方の利害だけを一身に背負った
片一方の工作員である確率は異常に高い。

「第三者委員会」が
畿内説側の工作員であるのはバレバレだ。
879日本@名無史さん:2011/11/04(金) 19:22:52.80
>>878
九州説論者によるなりすましは良く見かけるねw
880日本@名無史さん:2011/11/04(金) 19:51:31.08
>九州説論者によるなりすまし

学会内の人間と言う触れ込みで若手の学者は九州説を支持したいんだけど上からの押さえつけでできないとかw

881日本@名無史さん:2011/11/04(金) 19:53:33.12
いまさら、とっぴな読み方解釈程度じゃ、論文にならないもん。
882日本@名無史さん:2011/11/04(金) 19:54:41.89
>>878
> 「第三者委員会」が畿内説側の工作員であるのはバレバレだ。

縄文人だろ、あれは。
883日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:01:30.54
読んでてふと気づいたんだが、この五千余里って、新羅-百済間の距離なのかね。
それとも、当時の中国(宋?)からの距離なのかね?
短里の傍証になりそうなので。

でも、北史は他の記事だが、公里で書かれてるっぽい。


南史 新羅伝

 新羅、其先事詳北史、在百濟東南五千餘里。其地東濱大海、南北與句麗、百濟接。
魏時曰新盧;宋時曰新羅、或曰斯羅。其國小、不能自通使聘。梁普通二年、王姓募名泰、
始使使隨百濟奉獻方物。

新羅、その先祖の事は北史が詳しい、百済は東南に五千余里に在る。その地は、
東は大海に沿い、北に高句麗、南に百済に接する。三国魏の時代には新盧と称した。
宋の時代には新羅あるいは斯羅と称した。その国は小さく、自から通使を派遣することは出来なかった。
梁の普通二年(521年)、王姓を泰の名から募り、初めは百済の使者に使いを随行させて方物を貢献した。
884日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:04:01.33
伊作に縄文人、ともに狂人だが両方とも比定地は熊本だっけ?
で、伊作(狂)が放射式、縄文人(狂)が順次式と…

この板じゃあどちらかと言うと放射式の方が人気があるような希ガス。

アクロバチック=難易度が高い=Lvが高い=オレサマかっけー …という図式でwww
885日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:05:08.94
>>880
畿内説はまったく違うし!て思っても、従うしかないんだね。合掌
886日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:13:36.13
>>885
学会を支配している「悪のキナイセツ」と脳内で戦う戦士さんご苦労さんです。

887デイビッド別格:2011/11/04(金) 20:18:19.80
>>884
>伊作(狂)が放射式、縄文人(狂)が順次式と…

認識不足による間違った風評は迷惑だ。
天才は放射式でも順次式でもない。
歴史書記録のセオリーと、調査記録の常識と、
行程説明文章構成分析によって導きだした独自の読みだ。
888日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:18:40.29
若手の学者「九州は間違いです。正解は畿内です」
毎日10回は言わされているかもね。
合掌 チーン
889日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:50:37.86
>>88 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 森村伊作
>行程説明文章構成分析によって導きだした独自の読みだ。

こうやって過去に出ているアイデアであろうが天災である自分独自の物だと言い張るのがこの馬鹿の芸風w

てめえのブログで語っている梁代の「職責図鑑」に関してだって

 ・「梁書」に”オリジナル”(現存するものはコピー)が描かれた時代の倭国との交渉記事が無い
 ・絵の傍らの解説文は魏志倭人伝の要約

…ということで元々が想像でかかれたものだろうと言うのは当たり前に外出しているお話。

こうやって全体のボリュームを底上げして自分の仮説=妄想が、さも緻密な考証を基になされていると思わせる
詐欺・ペテンの手法…と言ってもこんなものに引っかかるのが馬鹿だがwwww

まあこの 森村伊作 とかいう馬鹿の場合、詐欺ペテンを計算してやっていると言うより
自分でも何処から何処までが自分の妄想なのか?自覚できて無い節があるがwwwwwwwwww
890日本@名無史さん:2011/11/04(金) 20:52:16.14
伊都国から邪馬台国に向かう途中忘れ物を思い出して郡に取りに戻ったりした場合のことも考慮して、余裕をもって
必要日数記録してますのでピッタリ九州で合うはずです。
891日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:00:01.08
放射説を成り立たせる一番簡単な解釈w

行程記事と呼ばれている部分は何のことは無い

「伊都国を中心に見た北部九州の地理情報」 に 「不彌國から先の邪馬台国に至るまでの情報」が付け加えられたもの

…とすれば「放射式」は無論、里数が日数に変わることや膨大な日数の間にクニグニの名が出てこない…等々の矛盾も解決w

勿論こんな考え方は「すなおに読んだらピタリと分かる」「暗号解読ゴッコ」の連中には到底受け入れられない話だろうがw 
892ローガン:2011/11/04(金) 21:12:57.40
>>883
それ、他書では五十里とか、五百里とか出てくるので…。
写本の際の誤記の可能性を考えるのが穏当かと。
893日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:13:06.76
あと方位ですが道は真直ぐではありませんので、最終的には各自で探してもらうしかないのでそのへんはご了承ください。
894日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:21:22.84
近くには『おいでませ邪馬台国へ』という看板が見つかると思います。
※表現は各邪馬台国によって異なります。
895日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:33:10.43
日数は、旅に要した時間だ。邪馬台国は九州に存在した。ドーン!!!
896日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:45:21.67
【埼玉】県内初 三角縁神獣鏡が出土 3世紀製作 東松山
http://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1320226166/l50
897日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:45:44.69
九州での『試してみよう邪馬台国さがし』の練習コースを終えられた方には
本コース『邪馬台国』をご案内しております。
本コースでは中国歴史資料、古神社伝承、考古資料等が必要ですのでご参加の際あらかじめご準備ください。
898日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:50:27.01
>>889
>当たり前に外出しているお話
俺のは、 歴史書記録のセオリーと、調査記録の常識と、
行程説明文章構成分析によって導きだした独自の読みだ。 何度も提示した。

これに先んじるもがのがあるならば、ローガンの手法を真似て、
「ここに・こういう人物が・こういう論を提示している」と、
ぎゃーぎゃーいわずに提示しろ。
俺ほどに論理的に構築してるのがあれば知りたいものだ。

>梁代の「職責図鑑」に関してだって当たり前に外出しているお話
俺ほどに論理的に構築してるのがあれば知りたいものだ。

だせ。それが「潰し」の本道だ。ただし、脚色なしのフェアな出し方な。
出して俺の「豪語」を潰してみせろ。裏街道のゴキブリ野郎。
899唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/04(金) 21:55:14.69
或属韓或属倭國
新羅が韓に属すのは、魏・晋の冊封体制下である。
倭に属すのは、~功49年以後である。

しかし、七支刀=369年では否定される。
900日本@名無史さん:2011/11/04(金) 21:56:15.69
>>892
>それ、他書では五十里とか、五百里とか出てくるので…。
>写本の際の誤記の可能性を考えるのが穏当かと。

他書ってのがなにかわかりますかね?
調べられるなら調べてみたいので。
901デイビッド別格:2011/11/04(金) 21:59:44.76
>>889
裏街道のゴキブリ。
俺に対する攻撃が目立つようだが、狙い撃ちなら別の方法がある。
そろそろ、対面でやるか。二人だけの連絡の方法はあるぞ。
902日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:11:49.43
二人だけって、どういう思考回路なんかな
903日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:12:15.60
>>901 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 

威勢の良い事をほざく前にてめえが大風呂敷広げてそのままトンズラしたことを片付けろよ阿呆。

・「ボクの考えた王都の条件」をほざくのはいいがそもそもそんなものが3世紀の日本にあったと言う根拠も無しにトンズラ
・「箸墓の巨大化は不自然」だと言うがそれをよりスムーズに説明しうるものも出さずトンズラ
…etc

少なくともこの板で俺が突っ込んだ事柄に関しては何の合理的説明もできていない。
全て脳内ストーリーが根拠。

この 森村井作 と言う奴は見栄虚栄心だけは人の百倍千倍。

全て自分が編み出したオリジナル、その緻密さにおいて最高のものとw


904日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:20:16.99
>森村伊作 = 現HN デイビッド別格

それから以前から思ってたんだが
正々堂々とやっているとほざくなら
2ちゃんでも 森村伊作 と名乗ったらどうだ?

で自分のブログでも2ちゃんでのやり取りは「Web上」とかぼかさずに「2ちゃん」でと書いたらどうだ?
905デイビッド別格:2011/11/04(金) 22:26:35.74
>>903
>見栄と嘘と知ったかぶりの塊
>見栄虚栄心だけは人の百倍千倍。

>威勢の良い事をほざく前に
>風呂敷広げてそのままトンズラしたことを片付けろよ阿呆。

よしよし。お前の目の前で片付けてやる。いいたいことの続きは直接聞く。
直接会って、「見栄と嘘と知ったかぶりの塊」かどうか自分の目で確かめろ。
その気があれば連絡方法を教える。
906太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/04(金) 22:26:59.44
>垂仁末(×239年)である。
907筑紫次郎:2011/11/04(金) 22:35:20.60
>>878
「第三者委員会」が
畿内説側の工作員であるのはバレバレだ。

そうかなぁ。
今のところ私には
極めてまともな主張に思えるな。
908唐松山 ◆V0F34EbmQA :2011/11/04(金) 22:37:22.06
>>906
>>765
>569 -92    ☆紀の崇神6年 鏡作神社 鏡 改鋳
>570 -91 239 ☆景初3年鏡銘文年←鏡製造は↑鏡作改鋳のほぼ4ヵ月後

纏向3類(前) ホケノ山(225〜250年) 楽浪鏡 庄内3式期末
纏向5類(プレ)西殿塚・桜井茶臼山 274年~功渡海 纏向5類 (布留1)
△ 鏡の副葬

考古学の年代どころか、順番までひっくり返さなければ主張できない太国倍年。
自説から 「>垂仁末(×239年)である。」 否定できていない。
909日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:37:44.41
>>905 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 
>直接会って、「見栄と嘘と知ったかぶりの塊」かどうか自分の目で確かめろ。

この2ちゃんの書き込みで 森村伊作 と言う奴が

 『 見栄と嘘と知ったかぶりの塊 』

と言うのは嫌と言うほど分かっている。

だから「纏向の土器は全て外で作られた」とか「楯築は前方後円墳」とか次から次に馬鹿をほざく失態を演じる。

無論一つや二つ思い違いがあるのはご愛嬌だが
この馬鹿の場合、一つの失敗をその見栄から直ぐにカバーしようとして使えそうなものには(中身も理解しないまま)直ぐに飛びつくから更に恥を重ねる。

近近のネタで言えば唐古鍵の外部勢力による勃興かな?

「搬入土器」の文字を見てはしゃいで飛びついただけの話w

910デイビッド別格:2011/11/04(金) 22:43:56.44
>>909
尻尾を腹に巻き込んで、
電柱の陰で吠えるポメラニアンみたいなマネはもういい。

直接会って「見栄と嘘と知ったかぶりの塊」かどうか
自分の目で確かめる勇気はないか。
911日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:44:32.16
今「森村伊作」で検索したら2ちゃんの伊作スレがトップだったワラ
912日本@名無史さん:2011/11/04(金) 22:50:41.18
>>910 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 

直接会う?断る。
こちらが指定した日時場所にお前が出向いてくるって話でも無いんだろう?w

よしんばそうだったとしても
直接会ってされが老い先短そうな老人だったら
俺も鬼じゃないんだから哀れに思って叩きもやりにくくなるだろうしwww







913デイビッド別格:2011/11/04(金) 23:00:31.69
>>912
>こちらが指定した日時場所に
それは調整だ。俺は関東にいる。

>老い先短そうな老人だったら
吹けば飛ぶよな「ひょうろく玉」だが、ぴんぴんしてるぜ。
余計な心配も恐れることもない。

>叩きもやりにくくなるだろうし
遠慮はいらん。俺の目の前で、同じことをいえばいい。

あとは、直接会ってからのことだ。
914日本@名無史さん:2011/11/04(金) 23:05:53.10
じい様の二人は冷静になれよ。喧嘩は見苦しいぞ♪
915日本@名無史さん:2011/11/04(金) 23:07:54.67
>>913 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作 

だから断るつってんだろうがこの阿呆。

そもそも直接会って話す事柄はここでは書き込めない事なのか?w

「直接会って話しつけようや」…というのも2ちゃんでアホが辿る末路だな




916日本@名無史さん:2011/11/04(金) 23:13:13.87
朝まで生テレビで、「邪馬台国はどこ?」ぜひ畿内派と九州派でやってもらいたい。
917太国 ◆yVAs7uaYlY :2011/11/04(金) 23:17:57.83
>>908
考古学の年代などは参考だねぇ。いつも書き換えられるのが考古という
代物だ。あ〜ん、分かったか?

以下のとおり、ほぼ4ヶ月で整合だ。オマエのは50年も後だとよ。ww
オマエのは50年後の2045年にウィンドウズ95を使うとか言ってるような
クレージーならぬ狂う自慰だな。bububububu・・・

569 -92    ☆紀の崇神6年 鏡作神社 鏡 改鋳
570 -91 239 ☆景初3年鏡銘文年←鏡製造は↑鏡作改鋳のほぼ4ヵ月後

918日本@名無史さん:2011/11/04(金) 23:21:10.13
>>916
そう言ったセンセーショナリズムに訴えるのはいいところ80年代で終わった話のような気がするが…w

正直 アカデミズムの場では 畿内説vs九州説 がぶつかっている構図なんて実際は無いんじゃないか?
それも「まともな九州説」でだ。

中身が「九州王朝説」や「邪馬台国東遷説」のここのゴミクズレベル九州説のようなものなんて・・・
919デイビッド別格:2011/11/04(金) 23:21:54.10
>>915
>だから断るつって
そういうわけにもいかんだろ。
口ほどに堂々とでてこんと、匿名名無しといえどカッコつかんだろ。
それとも、俺の目の前で同じことをいう度胸はないか。
920日本@名無史さん:2011/11/04(金) 23:28:54.22
九州説>>>畿内説>>>>>>>>四国説>>>>>>>>>>>>>>>新潟?

世間ではこんな感じ
921日本@名無史さん:2011/11/04(金) 23:35:10.76
>>919 見栄と嘘と知ったかぶりの塊  森村伊作
>そういうわけにもいかんだろ。

そういうわけにいく。なんら問題が無いが?w

じゃあ仮に俺が
「このドキチガイ森村伊作にリアルであったら何をされるか分からない」
と度胸無しにビビっていたらどうだと言うんだ?w

ちなみに俺が決定的にこの森村伊作とか言う馬鹿が知ったかぶりの阿呆だと思ったレスの一つ

>せいぜいが2〜30メートルの円墳を造っていた時代に、
>前方後円墳の「完成形」ともいえる280メートルの古墳が
>いきなり登場するなんて歴史じゃない。
>とくに大古墳の築造には、道具・人員動員・土木技術などのほかに、
>「祭祀規模の拡大」という超現実的な要素が伴うのだ。
>280メートルの箸墓が弥生末期の3世紀半ばに登場する可能性など、物理的・過家具的、
>そして人の感性と心理学的な面からみてありえないのだ。

物理的・科学的・心理学的(苦笑)と大風呂敷広げたが
無論それらから見て合理的な説明があったわけじゃない。

こうやってこいつが大風呂敷広げっぱなしでトンズラしたネタを書いていけばキリが無い


922筑紫次郎:2011/11/04(金) 23:44:40.50
>>921
虚栄とはったりと罵倒しかない耄碌じじいと関わっても良いことは何も無いぜ。
923デイビッド別格:2011/11/04(金) 23:53:51.72
>>922
「痔論」を潰された逆恨みか?
こざかしいことをするな。
そんなヒマがあったら、反論にちゃと対応しろ。
いまあっちじゃ、かんじんな話になってるとこだろが。
924筑紫次郎:2011/11/05(土) 00:19:18.02
虚栄とはったりと罵倒しかない耄碌じじいの脳タリンと論争するつもりはありません。
悪しからず。
925デイビッド別格:2011/11/05(土) 00:32:09.10
>>924
カラ念仏はいいから、議論を通して
「虚栄とはったりと罵倒しかない耄碌じじいの脳タリン」を証明してみろ。
口先だけの、低学力まるだし我流駄論野郎。
926卑弥呼の都は久留米:2011/11/05(土) 00:39:54.84
>>854
>確かに狭い範囲だね 多久市って唐津街道通ってきたんじゃないの?
>ちょっと九州説も多説あるから質問しづらいけど
>そのエリアだけ九州内で統合が進まなかったのは何か特別な条件とかを想定してるの?

遅レスですが。(今日は早朝から出かけていたので)
唐津街道は通りません。
末盧國→伊都國 のルート
松浦川東岸の中原遺跡(末盧國の津)→玉島川→観音峠→嘉瀬川支流→嘉瀬川→佐賀市大和町惣座遺跡(伊都國の城郭)
伊都國惣座は末盧國中原の東南500里(35km)になります。
927日本@名無史さん:2011/11/05(土) 01:07:49.30
>>926
唐津街道なら標高50mくらいだし途中連合国もあるのに、どうして標高が高いルートを通るのかよくわかりませんが
また春日も久留米の真北で距離的にもそう遠くないのに情報が得られない理由もわかりませんが
それより私が興味をもつのは3行目の部分です。
928日本@名無史さん:2011/11/05(土) 02:33:48.49
デイビッド別格くん、悪いね。
この数日で、もう、畿内が邪馬台国だってわかっちゃったよ。

だって、日本神話の内容を検討していったら、ことごとく、近畿が舞台だってことがわかっちゃったもの。
もう議論の余地無しだわ。
929日本@名無史さん:2011/11/05(土) 03:06:43.76
邪馬台国近江説ってあるでしょ?

あれ、日本神話の舞台を近江としてる。
最初はバカにしてたんだけど、他の資料とつき合わせていくと、だんだん笑えなくなってくるよ。

伊勢遺跡が邪馬台国とは思わないが、近畿なのは間違いないな。

デイビッド別格くんも、もっと視野を広げて日本書紀を読み込んで見るといいよ。
もう遅いだろうけど。
きっと後で、顔を真っ赤にして恥ずかしい思いをすること間違いなしだよ。
930日本@名無史さん:2011/11/05(土) 05:24:38.07
日本神話?プッ。逝かれてるね。倭人伝のほうが正当な記述をしていると思います。
931日本@名無史さん:2011/11/05(土) 06:37:18.49
畿内にあった銅鐸国家の中心地は近江であった可能性が高いでしょうね。
日本海を越えて敦賀から入って来た集団が
琵琶湖南岸に根を下ろして花開かせたのが銅鐸文化でしょう。

932日本@名無史さん:2011/11/05(土) 08:15:26.74
近江は「畿内」じゃないらしいよ
933日本@名無史さん:2011/11/05(土) 08:50:19.59
畿内=五畿(大和、山城、摂津、河内、和泉)なら、近江は大和じゃないな。
まあ、中坊には「畿内」と「近畿」の違いなんて気にならないんだろうが・・・
93419歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 10:25:24.84
将来箸墓が発掘されれば答えが出ますからw

素人が邪馬台国など掘り下げるのは意味のない作業ですし、
医学や薬学や工学とかもう少し意味のある分野の研究に
力を注いだらどうです?若輩の僕でも邪馬台国関連の本は
数冊読んだところで意味がないと馬鹿馬鹿しくなりやめたのに、
僕より年輩で賢明な方々がなぜこんな不毛なものにはまるのか理解に苦しみます。
935日本@名無史さん:2011/11/05(土) 11:02:49.63
>>934
たしかに、君みたいな考え方や生き方は世の中で得をするかもしれん
ここにいる奴らは損得勘定よりも、ロマンを求めるバカヤローどもかもしれん。だがな俺はそんなバカヤローに魅力を感じる。
936日本@名無史さん:2011/11/05(土) 11:07:13.26
研究じゃなくて趣味だろwww キャバクラやパチンコより金がかからんし、古代史をやってます
というのは聞こえがいいじゃないかwww
資料不足だから答えなんか出ない、というより所在地は多くの比定地があるから誰かが当ててる
のは間違いないが確証は出ないってことだな。
93719歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 11:09:51.98
ロマンも何も邪馬台国=ヤマト国 それだけの話ですからw
どっかの誰かが勝手にヤマタイ国とか言い出して、
かつ魏志倭人伝が古代中国人の間違った地理認識に基づいて書かれてるため
考古学的に大きな発見でもないかぎり確定不可能な状況に
なってるだけです。そんなに邪馬台国の研究がしたいなら、
自分が考古学者にでもなって近畿の発掘に携わればいいじゃないですか、
あれやこれやと自分の頭の中で考えてるだけじゃ全く意味がありません。
938日本@名無史さん:2011/11/05(土) 11:22:14.86
>>937
残念だが、九州にもヤマトはある。
邪馬台国→ヤマトなら、九州の方がもっと有力になる♪
939日本@名無史さん:2011/11/05(土) 11:25:44.11
>>937
>自分が考古学者にでもなって近畿の発掘に携わればいいじゃないですか、

畿内は大和朝廷であって、邪馬台国ではない。近畿の発掘に携わりあら捜しをする必要性もない。
940 忍法帖【Lv=40,xxxPT】 :2011/11/05(土) 11:27:07.87
   ∩___∩     /゛ミヽ、,,___,,/゛ヽ
   | 丿     ヽ    i ノ       `ヽ'
  /  ○   ○ |    / `(○)  (○)´i、  助けてっ!、
  | U  ( _●_)  ミ  彡,U ミ(__,▼_)彡ミ    ヒミコが息をしてないのっっ!!
 彡、    |∪| ,,/   ,へ、,  |∪|  /゛ 
 /  ヽ  ヽノ  ヾ_,,..,,,,_ /  '  ヽノ `/´ ヽ
 |      ヽ  ./ 。゜ 凵@ `ヽーっ  /  |
│   ヾ    ヾl   ⊃ ⌒_つ ソ      │
│    \,,__`'ー-⊃⊂'''''"__,,,ノ   |
941日本@名無史さん:2011/11/05(土) 11:30:02.01
>>937
研究じゃなく探究じゃ。この馬鹿者が!
94219歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 11:34:49.03
>>938
九州スレのほうに書きましたが、
陸行一月は九州じゃ無理ですから。

考古学的にも邪馬台国は畿内だと指示しています。

943日本@名無史さん:2011/11/05(土) 11:54:14.78
>>942
おいおい、倭人伝は古代中国人の勘違いで書かれたとか散々バカにしてたくせに、都合のいい文面だけは引用するんだな。
畿内派はいつもそうなんだよ、だから畿内説は胡散臭いと言われる。しかも、考古学的に見て?何それ?文献ありきの邪馬台国なんですけどね。はい、論破。出直してこい。
94419歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 12:06:19.01
実際、日本の位置を相当南に見積もってますし、勘違いしてるじゃないですか。
それに文献でも陸行一月は九州説では成立しません。
総日程説、放射説、順次説、全部無理です。
獣道だったから日数がかかったとか言い訳にもほどがありますw
九州スレでも述べましたが、平安時代の記録によれば
九州から畿内までで陸行一月近くなんですし、
九州の山門や筑紫平野に邪馬台国を持ってくるのは無理があるというものです。

女王国まで万二千余里の表現も遠方にあるという抽象的な表現か、
もしくは、伊都国から邪馬台国までの残りの行程を里数換算して
プラスしたものでしかありません。

むしろ論破されるのは明らかに九州説のほうです。現に九州説支持派など
今どんどん減ってるでしょうにw、
945日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:06:44.42
>>942
>陸行一月は九州じゃ無理ですから。

だから、現代みたいに道路は整備されていない。また、個人差もある。道のりもある。しかも、それはすでに論破されていて、畿内派も暗黙で認めているところだぞ。
946日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:12:12.14
>>944
あのー平安時代っていつだよ(笑)500年ぐらい開きがあるんじゃねーの。意味わかる〜?
947日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:12:44.15
>畿内派も暗黙で認めているところだぞ。

どんだけアホかな? どこの畿内派が認めたんだよ。
当時の中国の行動を考えれば、魏使は数百人規模の大人数、大船、準軍事行動として倭国内でも急進
倭人は信じず、できるだけ自船で行動、できうるなら船で寝泊まり
これは三国志全体を読めばわかることだがな

畿内派が水行陸行日数を含めて倭人伝を信じていないというならまだわかるが
948日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:15:53.35
>>944
>明らかに九州説のほうです。現に九州説支持派など 今どんどん減ってるでしょうにw、

お前が騙されているのか?それとも情報操作をしているのかわからんが、そんな事実はありません。逆の話しならよく聞くけどね。
949日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:16:38.33
>>948
>逆の話しならよく聞くけどね。

幻聴だなw
950日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:20:52.47
>>947
畿内説の発端がそうなんだよ。このドアホが!
じゃあ何か、お前は整備された道路を通らずに山道だけで、九州から畿内まで一ヶ月でいけるのか?何の装備もない状態でだぞ。しかも、一つ一つ町を観察しながらだ。野糞の練習しとけよ。
951日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:25:44.00
三国志の呉書を読めば、孫権が将兵万人を派遣して夷洲および亶洲を求めさせた、とあるな
これは軍事行動で、数千人が帰って来たとある、230年のことだ

卑弥呼の朝貢に対する答礼使が少なくとも数百人以上だったのは間違いがない
当時の帯方郡には大船もあった
とすれば魏使一行が途中で遭難などということがあるのは面子に関わる問題だから
大人数で準軍事行動をとったというのは十分考えられる

おそらく通辞と魏の官位をもらった倭人以外は信じず、船で行けるところは自分らの船で行き
食料も潤沢に用意して自分らの船で寝泊まりしたとしか考えられないのだ
後代の裴世清らの使節とは意味が違うからな
952日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:27:54.97
歩くのが当たり前だった時代の人間の足バカにしすぎ。
九州〜畿内程度を1月で行けずに中国の平定なんてできるかよ。
953日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:28:45.42
>>950
陸行一月というのは概算だろ
それくらいで行きつける距離だが里程はわからんという程度の話だろが
そもそも倭人伝は不確かな文献と考えるのが畿内説であって、この数値にどれだけ信がおけるかもわからんな
それが畿内説というものだよアホ君
954日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:29:59.76
>>934 19歳邪馬台国畿内説論者
>将来箸墓が発掘されれば答えが出ますからw

飛ばしすぎだ。

箸墓の測量図を見たことがあるかな?

今適当にググったが…
http://bell.jp/pancho/k_diary-2/2009_07_19.htm
上記サイトの「箸墓古墳の実測図(*)」

斜めに走る道があるが昔近所の村人がショートカットの為に作った道とも言われている。
盗掘にあっている可能性は高いだろう。

よしんば盗掘にあっていないとして(竪穴式なら天井部が崩落して埋められた形)も
親魏倭王の金印でも出ない限り決定的な証拠にはなり得ない。

畿内説と言われる物は実はかなりあやふやなものであって
(ただし九州説がそれに輪をかけてあやふや)
考古学にしてもこの問題に完全な解を示せるような万能のものでも無い。

そこんとこ弁えないとここのゴミクズレベル九州説と同じレベルになるぞwww
95519歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 12:30:20.43
平安時代だろうが、古代など徒歩で移動するしかないんですし、
3世紀の段階と移動時間は変わらないでしょうにw

せいぜい2,3日多くかかっても陸行一月の範囲内に収まりますよ。
956日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:31:24.39
>>952
何度言ったらわかるんだ、このカス!現代の文明は古代にはない。意味わかるか?わかんねーだろうな、カスだけに。
957日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:33:01.93
>>956
現代人の方が無理だよ。
それに道は整備されてなくても平地は通れるからね。
整備されていない=山道とか、現在の感覚でしかない。
958日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:33:25.49
>>953
そういう事だ、だから畿内ではない。
959日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:35:53.45
>>958
アホくさい 九州か畿内かはどうでもいいとして倭人伝は信じるに足る文献ではない
倭人伝からは比定地は出ない
パズルごっこ暗号解読ごっことわかっててやるならそれもよいが
960日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:37:04.03
>>955
わけわからん
>>957
あのーいつの時代の話しをしてるんですか?
961日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:39:05.29
>>959
>倭人伝は信じるに足る文献ではない

ならば、今後は邪馬台国を語らないでください。
96219歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 12:40:23.60
まあ箸墓盗掘の可能性は僕も考慮してましたが、
それでも何かひとつくらいは物的証拠が出てくるのではないかと。

水行陸行と、里数で表記しなかったのは、伊都国にて魏の使者が、
一大卒か誰かから、邪馬台国までの行路を聞いて、
当時の旅費規定の行路で説明したのを魏の使者が記録して
それを倭人伝に載せたと言うのが最も合理的な解釈だと
少なくとも今のところ思っておりますw

旅費規程だと、九州から大和まで陸行で片道一月ですし、
水行だと片道15日で、往復だと30日で、水行の場合のみ
往復計算で旅費が支払われていたので、それを記録したのでしょう。
963日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:40:27.72
>>934
じゃあ邪馬台国の玄人ってどんな人だろうね?

ただのホラを吹く達人としか思えんよ
964日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:41:21.45
>>961
わけわからんやつだな倭人伝を使わずに語るのは自由
965日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:42:51.75
邪馬台国問題について文献史学は倭人伝ではわからんと結論を出したようなものだ
素人が趣味でやる領域に入っているのは確かだろう
966日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:45:31.20
>>961
ステロタイプな返しだな。
馬鹿の一つ覚えとも言うw

畿内説と言うのは
「中国の史書に邪馬台国と書かれたクニがあったとしたらそれは畿内ヤマトだ」
と言う説だ。

倭人伝に書かれた邪馬台国そのものを探した説ではない。

だから九州説は倭人伝に書かれたとおりの国を探し出してくればよい。
96719歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 12:46:01.01
趣味でやるにしても邪馬台国はほんとナンセンスですわw
工学系の発明とかそういうのならまだ意味あるかもわからんけど、
趣味で邪馬台国の勉強したってなんにもならんでしょ。
答えなど絶対にでてこないし、ただの個人レベルの妄想でおしまいですw
968日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:46:04.28
>>962
お前の妄想は今までに違う人達(畿内派)から数え切れないほど聞いたが、いかにも自分が考えたような説明は勘弁しろですよ。ここは釣り堀ではありません。
969日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:46:20.15
>>965
学会は腐りきってるからしょうがないと。
970日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:47:33.57
>>964
名無史なんだから素直になれよ♪
971日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:48:46.38
>>969
学会と言うか現在の日本人一億二千万人の常識に挑むのがここのゴミクズレベル九州説だからなw
972日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:49:31.29
>>967
オマエが言うな
97319歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 12:50:31.29
>>968
たしかに何冊か本を読んだ中で、最も説得力ある解釈を
採用しただけですw

そんなに邪馬台国が好きなら自分が考古学者にでもなって
発掘してください。全く邪馬台国と無関係な仕事してるなら
家の中で考えてるだけじゃ意味ないでしょ。
974日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:51:07.45
>>971
なんでかってに日本人代表しちゃってんの?w
975日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:53:45.70
>>966
>それは畿内ヤマトだと言う説だ。

信じてないなら、でしゃばるな

>倭人伝に書かれた邪馬台国そのものを探した説ではない。

それなら、畿内論者はゴッドハンドも控えてくれませんかね
97619歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 12:54:39.75
其地大較在會稽東冶之東、與朱崖、儋耳相近、故其法俗多同。

後漢書に記載されてある文章ですが、朱崖、儋耳とは、
今で言う海南島のことで、倭人と同じ倭族である黎族が住んでいたと
されています。風俗に関しても同じ倭族なので酷似していると
考えられていたようです。これが当時の漢民族の地理認識。
つまり倭国は会稽の東にあり、南北に連なり、海南島の近くにあったと
思っていたようです。なので東ではなく、南と勘違いして倭人伝では
記述したようです。

これにより、古代中国人の地理認識が誤っていたのも証明されるでしょ。
倭人伝の史料批判が甘いですよ、九州説側の人はw
977日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:54:40.99
九州説すべてがそうだとは言わないけど、少なくともここで強弁を繰り返してるのって、
実際に現場を見てる学者を非難するくせに自分は現場を見ようとしないからな。
妄想と言われても仕方がない。
978日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:56:07.73
>>977
現場を見たら答えが出るの?
答え出たの?
そうじゃないなら見ただけで何の自慢になるの?
979日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:57:46.17
>>973
魅力がまったくないよ。変わるキッカケになるといいね。まずは吉野ヶ里に行ってこいや!飯ぐらいおごってやるよ。酒は未成年のガキには無理だな
980日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:57:54.54
邪馬台国論の人って墓守みたいだね。
なにを暴かれるのをおそれているんだろうね?
981日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:58:15.65
>>978
実際に現場を見た学者の多くが畿内説になっている。
それを批判するのはかまわんし勝手だけどさ。

それは学会の圧力だのなんだの言って、自分の説が正しいんです。学者はみんな間違ってます。
証拠なんて要りません。私の言うことを信じなさい。

これは妄想以外の何者でもないだろw
982日本@名無史さん:2011/11/05(土) 12:59:01.22
>>981
そんで現場を見たから畿内説はただしいの?
なにそれw
983日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:00:13.51
>>977
それは畿内派。適当な事を言うな、だから畿内派がドンドン減るんじゃねーの
984日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:00:23.85
畿内説論者って、初めから

 「思い込みの実証」
 「妄想の検証」

しか考えてないんだよな。
19歳邪馬台国畿内説論者がずばりその1例。
985日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:01:51.68
>>982
いやいや、正しいんじゃなくてその可能性が高いってのが現在の主流。
それにケチつけるなら証拠持ってこいってなるわけでさ。
100%の証拠なんて要らないから、学説の流れを変えるくらいのものをさ。

実際、巻向が今ほど発掘されていなかったころは、学説は九州優勢だったんだぜ。
その流れを変えたのは遺跡の存在だったわけなんだ。

九州論者と畿内論者が戦って勝ったとかじゃなく、実際に物を見た人が考えを変えたんだよ。
986日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:02:27.97
>>965
>文献史学は倭人伝ではわからんと結論を出したようなものだ

そう、それが答えだろうなw
分からないものは分からない。

基本倭人伝の単一資料であり先行史料とされるものは逸文しか残っていない等々。

だがそれを認めたら「暗号解読ゴッコ」と言うゲームが成り立たないwww

「砂鬼四荼羅経」を一心不乱に唱えるのみwww


987日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:02:50.79
>>981
>実際に現場を見た学者の多くが畿内説になっている。

圧力ではなく、予算出るよ♪の誘惑かもな。御用学者は信用出来ないよな。
988日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:02:50.85
>>985
なにそれ畿内説は証拠あるのー?
989日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:04:44.23
サイキバ君がんばるなあw
99019歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 13:05:43.01
思い込みでも何でもなく、文献以外の考古学的にも
畿内優位だから、畿内が正しいと言ってるまででしてw

庄内式土器や、三角縁神獣鏡の分布状況や、畿内を中心にした
古墳の発祥とその伝搬、倭国大乱時の高地性集落の広がり等々みていけば、
魏志倭人伝の世界が九州限定のものだとは到底考えられませんしね。

僕より年輩で賢いはずの皆さんがなぜそんなこともわからないのは
ほんとに首をかしげたくなる思いです。
991日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:07:18.66
自分の考えを持っているのが九州派
学者は絶対、なのが畿内派

これ豆知識な
992日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:08:53.16
>>991
学者だってただの人間だろーに
993日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:09:04.17
>>990 19歳邪馬台国畿内説論者

ここの九州説を舐めないほうがいぞw

こいつらはそもそも畿内ヤマト纏向と九州邪馬台国の並存を認めていないのが主流だから。
庄内も4世紀からという年代観だwww

この連中には庄内土器、古墳、神獣鏡も意味を成さないwww

994日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:09:50.19
>>990
>文献以外の考古学的にも畿内優位だから

はぁ?ねーよ。マジで出直してこいよ。
995日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:10:55.49
古田は狂騒的な人物だから自説を信じているという可能性は否定できないが
安本は明らかにお金儲けでやってるだけだな
996日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:12:48.49
>>995
ペテン師にも二通りあって
自分の言葉に酔い自分自身も騙されているタイプと
あくまで計算づくでやっているタイプがあると言うwwwwwwwwwww
997日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:13:59.55
古田はかわいそうな爺さんだが、
安本は悪人だ。
998日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:15:42.43
勝てないとわかるは、畿内派は人格攻撃に切り変えたか、いつもの定番だね
99919歳邪馬台国畿内説論者:2011/11/05(土) 13:16:24.01
仮に九州限定で倭人伝が書かれているにせよ、
畿内に関する記述がないのは不自然すぎるでしょw

その点も九州説では弱い点です。
裸国や黒歯国というどこの国かもわからないような
遠い国に関する記述があるのにねw
あくまでも倭人伝の記述がすべて真実だと言う前提での話ですがw
1000日本@名無史さん:2011/11/05(土) 13:17:13.38
まあゴミクズレベル九州説は畿内説の学者が出世・金の為にやっていると散々言っているからなw

何を今更w
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