【つはもの】武士の起源と成立について【もののふ】

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1日本@名無史さん

氏姓制度時代の軍事氏族、国造から
律令時代の軍事官僚、軍団、健児制、
さらには王朝国家時代の軍事貴族の誕生に至るまで、
武士在地領主論、国衙軍制論、そして職能的武士論などの諸学説を絡めながら、
古代〜中世初期までの、萌芽期から成立期までの「武士」について、多角的方面から幅広く語って参りましょう。
2日本@名無史さん:2010/12/19(日) 14:01:24
崩壊した義平スレの代わりか。
3日本@名無史さん:2010/12/19(日) 19:52:29
純粋に義平についてのみ語りたかった人(何しろ「義平スレ」だw)にとっては、「前スレ」途中からは完全に迷惑だったろうし、
何れにせよこういう形にする必要があったんじゃないかと。
4日本@名無史さん:2010/12/19(日) 22:46:10
関幸彦さんが王朝国家期の「兵」の「一時的でルーズな」
契約関係を「傭兵制」といっていて、初期中世にも
そんな時期があったのかと興味深かった
5日本@名無史さん:2010/12/20(月) 08:32:06
>>4
>王朝国家期の「兵」の「一時的でルーズな」
>契約関係

それが今の学会の主流的見解だよ。
元木泰雄氏や川合康氏や上杉和彦氏などもみんな同様の見解を述べている。
6日本@名無史さん:2010/12/20(月) 13:21:02
関連スレ

平将門 第三首
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286328604/l50

【勇猛】悪源太義平【果敢】
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286367170/
(実質前スレ)
7日本@名無史さん:2010/12/21(火) 18:27:51
川合氏によると「源氏神話」は頼朝により創作された。
8日本@名無史さん:2010/12/21(火) 21:08:04
源氏の先祖が清和天皇かどうかさえ古い時代の史料だとあやふやだとか・・・
9日本@名無史さん:2010/12/22(水) 05:29:45
2代目満仲以降の清和源氏が摂関家に取り立てられたのではなく、
元々藤原摂関家の影の部隊として存在していた一族に経基が入り込んだのだ
と考えてみる。
10日本@名無史さん:2010/12/22(水) 22:24:22
>>8
頼信の石清水八幡宮の告文って本物なのかな〜
11日本@名無史さん:2010/12/24(金) 01:30:08
国衙軍制において各国に置かれた押領使や追捕使は、
最初は受領同様に中央から派遣された役人だったのが、やがて現地採用に変わっていった
との理解でOK?
12日本@名無史さん:2010/12/24(金) 21:41:07
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://www.zenplan.co.jp/public_html/topics/img/14-1.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!
13日本@名無史さん:2010/12/24(金) 22:00:32
>>12
みんな こいつに注意しろ
「義平スレ」に弓の話題を唐突に持ち出して言語云々の珍説を開陳して崩壊させた張本人だよ。
今後、俺は一切スルーするから。
14日本@名無史さん:2010/12/25(土) 00:05:45
>>11
それは源頼朝による源義経追捕を名目とした全国各地への追捕使配置と、
北条時宗の元寇対策としての下向奨励と
各段階を踏むこととなる。
15日本@名無史さん:2010/12/25(土) 11:52:01
それまでは朝廷が任じていた追捕使の任命権を鎌倉殿が奪ったのが時代の画期とされるね。
そして追捕使はその後守護と名を変えることになる。
16日本@名無史さん:2010/12/25(土) 15:00:18
日本国総追捕使
17日本@名無史さん:2010/12/25(土) 16:58:47
武士の起源は武装開拓農民。教わらなかった?
18日本@名無史さん:2010/12/25(土) 17:08:49
>>17
釣りとしては面白すぎる
19日本@名無史さん:2010/12/25(土) 17:16:24
>>17
うん、教わった。






20ン年前の教科書、マンガ日本史その他で。
20日本@名無史さん:2010/12/26(日) 23:53:39
天慶乱の勲功は源氏の経基よりか平氏の貞盛のが上なのに、中央ではその順番どおりには取り立てられてないよね。
21日本@名無史さん:2010/12/26(日) 23:54:50
ほんとにね
22日本@名無史さん:2010/12/27(月) 08:58:06
満仲はやり手だから
23日本@名無史さん:2010/12/28(火) 00:22:07
サムライ(侍、侍る者)がサウル・アビ(戦うオヤジ)とは語源上、何の関係もないことは確かだ。
24日本@名無史さん:2010/12/29(水) 00:07:49
初期の京武者には侍品(位階6位クラスの官人)の者が多かったから、やがて侍(サムライ)といえば武士のことを指すようになっていった。
25日本@名無史さん:2010/12/29(水) 07:22:56
やっぱ俘囚軍じゃない?

平安初期にはもう軍団ぐだぐだ。
俘囚兵のほうが役立った。

関東の独立自営農民も、縄文系だろうし、
弓馬の術にたけていたろう。

それが源氏や兵士などの中央軍事貴族と擬制的に
同族関係をむすんでしだいに有力化、「さむらい」となったのでは?

26日本@名無史さん:2010/12/29(水) 12:26:11
>>25
> やっぱ俘囚軍じゃない?
> 平安初期にはもう軍団ぐだぐだ。
> 俘囚兵のほうが役立った。

軍団と俘囚の間に健児制が抜けてる。
健児制は事実上、旧国造階層の末裔たる郡司富豪層の力を拠り所として成立していた。
この郡司富豪層を主軸に、
上からは軍事貴族が、
下からは俘囚、一部の逃亡百姓など「兵に堪えたる輩」を組織していったのが、やがて武士団化して行くことになるんじゃないかと思う。

従って、
> 源氏や兵士などの中央軍事貴族と擬制的に
> 同族関係をむすんでしだいに有力化、「さむらい」となったの
は、この郡司富豪層の方。
2726:2010/12/29(水) 13:12:28
ちょっと分かりづらいな。

> この郡司富豪層を主軸に、
> 上からは軍事貴族が、
> 下からは俘囚、一部の逃亡百姓など「兵に堪えたる輩」を組織していったのが、やがて武士団化して行くことになるんじゃないかと思う

の部分を

>この郡司富豪層は、自らの支配下にある領民の一部(逃亡百姓多し)や俘囚など「兵に堪えたる輩」を組織して、いわば原始武士団化して行った。
>そうした郡司富豪層を長とする原始武士団に国司や中央軍事貴族が婿入りするなどして、
>やがてそれが中世武士団に変遷を遂げて行ったんじゃないかと思う。

に変更。
28日本@名無史さん:2010/12/29(水) 14:01:45

>サムライ(侍、侍る者)がサウル・アビ(戦うオヤジ)

むちゃな。
さぶらう人って「サーバント」と同じような意味だから
英国起源説のほうがまだまし。

サーバント→さーぶらう人→さむらい
→サム・ライミ

ってな感じで。
29日本@名無史さん:2010/12/29(水) 14:48:44
ここも崩壊か・・・
30日本@名無史さん:2010/12/29(水) 16:35:06
朝鮮が絡むと真実追求ロマンとは違う方向に流れるだろ
どのスレもみな同じさ、全く学問には向いてない奴らさ。
31日本@名無史さん:2010/12/29(水) 17:22:55
< 丶`∀´>日本の「サムライ」はウリナラ起源ニダ
「人」を意味する「サラム」が変化して日本で「サムライ」と
呼ばれるよーに成ったんだニダ
32日本@名無史さん:2010/12/29(水) 17:38:30
>>30
それは嫌韓厨の話でしょ
あらゆるスレに怪しげなコピペ貼りまくるタイプの
33日本@名無史さん:2010/12/29(水) 17:38:49
キタはサムライではなく
ヒトサライだろ。
34日本@名無史さん:2010/12/29(水) 18:15:32
朝鮮がらみの話題なら、アミノ酸が高麗の崔氏政権と平氏政権を
比較してたな。
35日本@名無史さん:2010/12/29(水) 20:16:50
孫悟空の起源は朝鮮なんだぜ。
36日本@名無史さん:2010/12/29(水) 21:06:43
平将門って、結局は関東原住民の一種の解放と
組織化をねらったのかな。
独立なんてだいそれたこと考えずに。

将門の乱は失敗したけど
このとき自らの能力に目覚めた、
関東原住民が、独立武装自衛農民→武士の萌芽かも知れない。
37日本@名無史さん:2010/12/29(水) 21:52:19
>>29
そりゃ東アジア北方騎馬民族がどうとかいいながら、一万年以上前の日本列島にどんな集団が渡ってきたのかって研究のミトコンドリアDNAを素でレスする馬鹿が常駐しましたからね。
ミトコンドリアとブリヤートって見た瞬間、とてつもない馬鹿なんだなって気づきましたよ。
38日本@名無史さん:2010/12/29(水) 21:58:40
コンポジット短弓厨も同類だったね。
39日本@名無史さん:2010/12/29(水) 22:01:33
>>34
ちょっとだけ興味あるな。網野のなんていう本?
高麗時代は朝鮮の歴史上で唯一、西欧や日本のような封建社会の萌芽が芽生えた時期だとは聞いたことがある。
ただし、その芽はすぐに摘まれてしまったということらしいけど。
40日本@名無史さん:2010/12/29(水) 22:40:13
>>26
「兵に堪えたる輩」ってどれぐらいの素養が想定されてるんだろう
徒歩で弓矢ぐらいは当然できる連中?
41日本@名無史さん:2010/12/29(水) 23:40:19
>>36
朝廷に対する条件闘争が高じた結果、最後は自分でもわけが分からなくなって、あそこまでエスカレートしてしまったってことじゃないの?

将門は若い頃は藤原忠平に出仕して、衛府の武官官僚になることを夢見ていたわけだし、
将門の同盟者だった藤原玄明や、ライバルだった藤原秀郷の行動を見ても、あれは地方土着貴族の中央への復帰願望が叶えられなかったことへの裏返しか、
或いは土着したままで受領と同等の権限を持つ在庁官人職あたりを欲したかのどちらか。

それと将門が朝敵になった時点で関東の農民兵たちは早々と将門を見捨てていたよ。

最後まで従ったのは、家僕である従類(≒部民)や、
利害を同じくする玄明のような同盟者(=伴類?)たちだけ。

42日本@名無史さん:2010/12/30(木) 00:58:07
>>40
具体的には資料の不足もあって知ることは難しいね。

軍団廃止→健児制施行
の過程は戦闘法の変質を迫られたという側面でもあるからね。
軍団は元々対外国戦用に組織された軍制だから、国家財政を圧迫もしたし、新羅の衰退などもあって必要をなさなくなっていった。
加えて軍団は兵卒の士気の面でも問題があったというから、そこから余計な贅肉を削ぎ落としたのが健児制と言えるかもね。

で戦い方の変貌だけど、
9世紀になると頻発してくる俘囚の乱や、しゅう馬の党に代表されるような群党蜂起
といった神出鬼没な敵に対応できなければならないものだったとされる。
だから対ゲリラ戦的な戦闘能力を求められたんじゃないだろうか?
4342:2010/12/30(木) 01:09:37
あと軍団制は律令制の土台である個別人身支配を前提としているんだけど、百姓の逃亡や偽籍の増加によってその前提が崩れていったことも軍団制廃止の理由の1つ。
44日本@名無史さん:2010/12/30(木) 07:15:40
草深い東国の農村で国司や荘園領主の圧迫と闘いながら
在地の農場経営を発展させていった有力農民が武士となって
古代国家を掘り崩して中世封建制を切り拓いた。
45日本@名無史さん:2010/12/30(木) 13:06:05
>>44
> 草深い東国の農村で国司
>の圧迫と闘いながら
> 在地の農場経営を発展させていった有力農民が武士となって
> 古代国家を掘り崩して中世封建制を切り拓いた

のが、
>荘園領主

それらは、
平将門や平忠常のような土着王臣子孫であり、
武蔵武芝のような国造の系譜を引く郡司・富豪層であり、
そして招婿婚による両者の合一化した在地豪族であることがほとんど。
46日本@名無史さん:2010/12/30(木) 21:04:10
>>37
こいつも「義平スレ」を荒らしまくった奴と同一人物
みんな注意してね。
47日本@名無史さん:2011/01/01(土) 00:04:16
新年明けましておめでとう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
48日本@名無史さん:2011/01/01(土) 20:24:13
武士は今なら暴力団みたいなもの。
親分子分や縄張り、みかじめなんかも同じような感じ。
そのかわり強かったと思う。
49日本@名無史さん:2011/01/01(土) 20:52:56
ここから高句麗語でぉkです。
50日本@名無史さん:2011/01/01(土) 21:43:25
>>48
みたいな意見は野口さんや高橋さんなんかもかつてさかんに唱えてたんだよね。
それで、五味さんなんかが、やんわりとそうした「武士暴力団論」を批判した。
元木さんも批判していたな。

そのせいか分からないが、野口さんはその後そうした言説は引っ込めて今に至っている。
高橋の方は相変わらずらしいが。

51日本@名無史さん:2011/01/02(日) 01:53:07
自衛隊は暴力装置
武士が暴力団といって何が悪い
52日本@名無史さん:2011/01/02(日) 06:36:21
安和の変や花山法皇退位における満仲の役割を見る限り
九条流お抱えの暴力団でしかない。
53日本@名無史さん:2011/01/02(日) 07:16:25
百済内=くだらない
百済姓=百姓
おもに近畿地方に分布

武士って百済人?(物部・出雲系)かな?

54日本@名無史さん:2011/01/02(日) 08:01:54
「くだらない」が上方(京・大阪)から関東に下ってきた物では無いって意味なのも知らないの?
それと百姓(ひゃくせい)は漢語(中国由来)だから。
55日本@名無史さん:2011/01/02(日) 09:18:12
>>53
曰若稽古帝堯曰放勳欽明文思安安允恭克讓光被四表格於上下
克明俊コ以親九族九族既睦平章百姓百姓昭明協和萬邦黎民於變時雍。

書経の冒頭だよ。「百姓」が出てくるだろ。チョーセンジンは国に帰れや。
56日本@名無史さん:2011/01/02(日) 10:56:52
>54
上方って近畿地方だろ?
あってんじゃん!
>55
写経?書経????
どのみち大陸文化だろ?
秦氏も中国王朝の末裔だが朝鮮経由だし。

しかし
あさあざやかって、ひのもとのくにとあんま変わんないな。
中国吉原で国造り?
子作りの間違えじゃ?

>55
帰る国はねえよ。
日本にイスラエル造って何悪い?国賊だぞ。
57日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:19:56
あーあ。
58日本@名無史さん:2011/01/02(日) 11:26:50
 田所有者が耕作地を増やしていった。
 そのうち、耕すところが少なくなってきた。未開拓地の減少。
 不作になる・食扶ちが取れない・狩猟民族の略奪等。守る必要。
 
 以上のことから村同士で屈強なものに守りをさせた。武士の起こり。
 また仕事がない等で、食い詰めたものの武装化。野党化。

 武士と野党の争いにより、武器の高度化と修練化が進む。
 
 初めは武士は最下層であったが、商売道具は、暴力。
 すぐに逆転し、時の権力により、野党と武士を行ったり来たり。
あるいは、二足のわらじ。

 これでOK?
59日本@名無史さん:2011/01/02(日) 12:04:51
とりあえず学問板なので書き込む前に史料くらいあたろうね
それができなくても語源辞典なんてちょっと大きい本屋にあるし
それもできないなら漢和辞典、国語辞典くらい家にあるだろう
60日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:08:02
>>52
>九条流お抱えの暴力団でしかない

「暴力団」というより、
CIA、KGB、特別高等警察と言った方がより近いだろう。

61日本@名無史さん:2011/01/02(日) 14:40:43
>>60
満仲の手勢は国家機関ではなかったよ。
62日本@名無史さん:2011/01/02(日) 16:31:27
>59
小学生レベルが学問版?幼稚園児いじめるなよ。
63日本@名無史さん:2011/01/02(日) 17:27:23
>>61
そりゃ王朝国家時代なんだから、何から何まで現代法治国家社会と同じというわけではないだろう。

だが、経基の直孫であるかどうかは別として、
満仲も頼光も叙爵を受けているので、歴とした貴族階層ではあるわけだ。
だからヤクザや暴力団の類いとは違うし、山賊、野盗の類いとも違う。
上級公卿に仕える「諸家兵士」というやつだろう。

まあ「兵士」とは言っても満仲流の実際上のの「本職」は、田村麻呂や秀郷のような戦人や将軍というよりは、
>>60で述べたように
裏での粛清や暗殺などを専門とした秘密警察的なものであったとは思うが。
64日本@名無史さん:2011/01/02(日) 21:43:24
武家政治以前の王朝政治でも軍隊・警察は必要だったはずだが、なぜ武士集団が王朝にとって代わったんだろう?

 武家政治というのは軍事独裁政権のことか。
65日本@名無史さん:2011/01/02(日) 23:38:27
院政期を経ているからだろ。
この時代に、陰陽道や明経道や明法道や算道などが特定の家系に固定化されて継承されるようになる。
武門も同じ。
66日本@名無史さん:2011/01/03(月) 00:04:21
"武士"は"サムライ"で、別名を"もののふ"="物部"だけど、
古代の物部氏が武士の語源と言えるんじゃないの?
67日本@名無史さん:2011/01/03(月) 02:26:00
物部は死して名を残す
68日本@名無史さん:2011/01/03(月) 09:20:48
「モノノベ」は「モノノフベ」なのかな?
6958:2011/01/03(月) 09:30:50
武士とは、昔、武芸を身に付け、軍事に携わった身分の者。
さむらい。もののふ。
武士の語源は、「やまぶし(山伏)」や「のぶし(野伏)」の上略で、漢字の「武士」は当て字であろう。
奈良時代に武士は「もののふ」と呼ばれ、朝廷に仕える「文武百官」のことであった。
平安時中期以降、武士は「勇敢な人」「つわもの」といった意味で用いられ、高い身分として扱われるようになり、江戸時代には四民の最上の階級とされた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
君らの大好きなコピペだ。
こんぐらいしらべれ。
7058:2011/01/03(月) 09:37:41
使われてる漢字に難いのないから。幼稚園児でもだいじょうび。

物部は、出雲系で、軍事を独占してたが、親戚の曽我氏に滅ぼされる。
渡来人系であることは史跡からもはっきりしている。

調べればわかること聞くな。
71日本@名無史さん:2011/01/03(月) 09:49:43
「武士」のほうが「山伏」「野武士」の用例よりも古いだろ。
奈良時代に「武士」を「もののふ」と呼んだ例をあげろ。
72日本@名無史さん:2011/01/03(月) 10:01:59
>>58
何で神武以前に大和を支配し、神武に降伏したニギハヤヒの子孫
である物部氏が渡来系になるんだ?
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/22356618315500/
73幼稚園児:2011/01/03(月) 10:30:37
>>71
>>72
幼稚園児に聞いてどうする?小学生が?

日本書紀のどこが正しいんだよ?
http://www.h5.dion.ne.jp/~gf-4410/kamigami-houyou-mononobejinjya.htm
そもそも、天皇一族が朝鮮の渡来人でしょ?
天高原ってのは、朝鮮のことだし、先発隊として出雲に根付いた一族。
それをしってる?
74日本@名無史さん:2011/01/03(月) 11:01:30
>>73
それのどこに物部氏が出雲系と書いてあるの?

天皇家が朝鮮から来たとして、これはどう説明するの?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E8%A1%A8%E6%96%87

倭王武が今の天皇の祖先ではないとしても日本を支配し、朝鮮に出兵を繰り返し、
支配の正当化のため中国に使いを送ったのは事実。
倭王が朝鮮渡来なら、朝鮮支配を正当化できる最高の根拠になるのに、その説明もなく、
5C当時には朝鮮から渡来した伝承すらなかったようだけど?
75日本@名無史さん:2011/01/03(月) 13:48:05
76日本@名無史さん:2011/01/03(月) 14:24:37
http://baby.39.net/yeyp/085/30/472894.html
お前らのものだろ?
77日本@名無史さん:2011/01/03(月) 15:22:23
神話絶対の右翼党員の皆様、乙です。
78日本@名無史さん:2011/01/04(火) 07:47:06
天皇家は韓国系だよ。天皇自身が韓国で告白したじゃないか。日本のマスコミは
報道しなかったけど。天皇は高天原からではなくて韓国から来たんだよ。
ニニギノミコトは韓国人だ。
79日本@名無史さん:2011/01/04(火) 07:48:42
神話絶対の右翼党員の皆様、乙です。
80日本@名無史さん:2011/01/04(火) 09:40:12
イザナミって、男だよな?
アマテラスって母親だれ?
81日本@名無史さん:2011/01/04(火) 11:23:58
>>80
イザナミは女だがアマテラスの母ではない。イザナギが一人で禊ぎした時に生まれたから母は無い。
82日本@名無史さん:2011/01/04(火) 13:55:00
なぜ姫でないのだ?命ってオス名じゃないの?

アマテラスって原生生物かよ!って突っ込みたくなるけど、すごいな。
83日本@名無史さん:2011/01/04(火) 14:38:55
しかし日本人の祖先て、垢だ糞だげろだの多いな。
どんだけ汚れてんだか。
84日本@名無史さん:2011/01/04(火) 16:14:34
>>82
イザナギ・イザナミは神世七代の最後の世代として生まれる。神世七代まとめて男女の区別なく、
日本書紀では神と付かずに尊(みこと)となっている。古事記では尊は付いてなくて神と付いている。
つまりアマテラスたちより古い世代の神として、男女の区別はあまり重要視されていないのかもしれない。
何しろ始めの何柱かは一人神といって性別があるのかどうかすら定かでないくらいだから。

ちなみにイザナギ・イザナミまでの神々は皆、何処からとも無く独りでに生まれ出てきた。
85日本@名無史さん:2011/01/04(火) 17:57:44
ここも朝鮮人に荒らされた見事なクソスレだな。
86日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:01:02
俺達が「もののふ」の始まりさ、どうだカッコイイだろ

http://karamatsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/hakkutsuten_edohaku_010.jpg
87日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:16:26
持ってるのは頭椎大刀かな?
しかし服装だけ見ると確かに鮮卑とかみたいだなw
88日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:27:51
≫≫85
 ようこそ。糞の子孫の雲小太郎君。
89日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:29:07
ぷっ、ぷらなたりあ・・・。
90日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:39:03
>>85
ヘイトスピーチはやめろ
91日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:43:24
ヘイトスピーチ(英: hate speech)は、おおまかに、人をその人種、民族、国籍、宗教・思想、性別、
性的指向、障害、職業、社会的地位・経済レベル、外見などを理由に貶めたり暴力や差別的行為を煽動
したりするような行動

石原イズム?
92日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:46:04
>>85
てめぇーが「義平スレ」荒らしたじゃねーのか?
93日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:50:37
江南文化(呉服)には袴(乗馬ズボン)を履く習慣はない。

よって武士は北東アジア騎馬文化に起源を求められる。
94日本@名無史さん:2011/01/04(火) 19:58:04
武士の持つ狩猟性、日本刀の起源は奥州蝦夷のものである。
よって武士は縄文文化に起源を求められる。
95日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:10:16
>>83とか>>88がヘイトスピーチの石原イズム。

>>85は行為を批判してるだけ。
96日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:18:41
安倍晋三は腐臭
97日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:20:34
>>94
まだ、そんなカビの生えた学説振り回すのかね。
98日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:21:22
83=88=85だろ?
みんな石原チックだし。
99日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:26:35
家族での旅行代、オリンピック招致予算水増し横領w
100日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:28:13
>>96
安倍は俘囚の子孫なのに右翼とは大笑いだぜ
101日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:36:03
長弓=縄文時代から、また南方の諸島
騎馬=北方から、のちに蝦夷も体得
日本刀=蝦夷
102日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:40:22
俘囚(ふしゅう)とは、陸奥・出羽の蝦夷のうち、朝廷の支配に属するようになったもの。このうち隷属の度合いが低いものを夷俘(いふ)という。日本の領土拡大によって俘囚となったもの、捕虜となって国内に移配されたものの二種の起源がある。

また、主に戦前戦中には戦時捕虜の身分にあるものも俘囚と呼んだ。
7世紀から9世紀まで断続的に続いた大和と蝦夷の戦争で、大和へ帰服した蝦夷男女
俘囚のほとんどは奥羽へ還住することとなった。
俘囚長を称した安倍氏 (奥州)、俘囚主を称した出羽清原氏、俘囚上頭を称した奥州藤原氏の勢威につながった。

そういえば、炎たつで(NHKで)阿部氏は清原清衡(藤原清衡)の家臣に、物部氏の・・・と言って中央と戦おうとしてたような。
103日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:51:33
俘囚は、一般の公民百姓らとは大きく異なる生活様式を有しており、狩猟および武芸訓練が俘囚生活の特徴であった。俘囚と公民百姓の差異に対応するため、812年(弘仁3)、朝廷は国司に対し、
俘囚の中から優れた者を夷俘長に専任し、俘囚社会における刑罰権を夷俘長に与える旨の命令を発出している。9世紀、移配俘囚は国内の治安維持のための主要な軍事力として位置づけられていた
(→国衙軍制)。俘囚が有していた狩猟技術・武芸技術は、乗馬と騎射を中心とするものであり、俘囚の戦闘技術は当時登場しつつあった武士たちへ大きな影響を与えた。例えば俘囚が使用して
いた蕨手刀は、武士が使用することとなる毛抜形太刀へと発展している。このように、俘囚の戦闘技術は揺籃期の武士へと継承されていったのである。
104日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:52:26
>>101
蕨手刀→太刀という学説は定説化してるけど
正倉院御物の大刀に僅かながら反りが認められる大刀がある。
7世紀以前の古墳出土の蕨手刀は東北地方以外に関東甲信越以外に西日本、九州にまで
出土例があることの説明は?
105日本@名無史さん:2011/01/04(火) 20:59:42
>>103
近藤好和氏「騎兵と歩兵の中世史」で
狩猟儀礼は騎射儀礼とともに源流を賀茂社祭儀礼に求められ畿内中央で
発祥し発展したと既に論破されてるよ。

第一「俘囚」なんかに狩猟特権認める訳ねーだろ。
106日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:04:38
>俘囚の戦闘技術は揺籃期の武士へと継承されていったのである。

それは君の勘違い。
下向井氏によれば天平の頃から「武士」は存在してるし
藤原仲麻呂の乱鎮圧勲功者が「武士」第一世代である。
107日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:08:28
ん?
アイヌ人は狩猟ぐらいしか生活基盤ないよ。
最後まで田んぼ耕すの反対してたし。

そしたら、掃滅戦になっちゃって困んじゃない?
事実そのあとであちこちで問題起こすから東北へ帰れってことじゃない?
108日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:11:47
109日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:24:39
恵美押勝
父:藤原武智麻呂
母:阿倍貞媛 - 阿倍貞吉または阿倍真虎の娘、阿倍御主人の孫

藤原 蔵下麻呂(ふじわら の くらじまろ 天平6年(734年) - 宝亀6年7月1日(775年8月5日))は、奈良時代の貴族。
藤原式家の祖である、参議・藤原宇合の九男[1]。官位は従三位・参議。勲位は勲二等。

藤原 宇合(ふじわら の うまかい、持統天皇8年(694年) - 天平9年8月5日(737年9月3日))
神亀元年(724年)4月式部卿の官職にあったが、持節大将軍に任命され出兵、蝦夷の反乱を平定し11月帰還。
110日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:29:28
藤原仲麻呂の乱 [編集]

仲麻呂は天平宝字8年(764年)謀反との密告もあり琵琶湖に舟をだして
逃れようとするが官兵石村石楯に捕らえられて斬首された。
111日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:44:58
>>104
たしか西日本で見つかる数はびびたるものではなかったでしょうか。
蕨手刀は3タイプに分けられ最も古いタイプは関東地方だが
このタイプはまだ腰の根元からの折れも緩く
毛抜き太刀へと繋がる腰折れ・刀身の反り・刀の伸長化・毛抜きなどのある蕨手刀への進化は
東北地方で発生したと考えられているはずです、といってもうろ覚えで申し訳ないですが...
あと刀身のわずかな反りや逆反り自体はたしかに中国の刀にもみられますが
腰折れ・毛抜きという要素が無いですし、これが太刀へと繋がったと考えるより
太刀への進化の過程が追える蕨手刀からの方がスムーズでは。
112日本@名無史さん:2011/01/04(火) 21:52:53
坂上 石楯
(さかのうえ の いわたて[1]、生没年不詳)は、日本の奈良時代の人物。氏姓ははじめ石村(いわれ)村主、
のち坂上忌寸。鎮守府軍曹石村高足の子とする系図がある[2]。官位は従五位下・勲四等・出羽介。
石村氏は、三河国碧海郡に定着した漢系渡来氏族で、仁徳朝に渡来した阿智使主に随い来日した者に石村村主
の祖にあたる人物がいたという[3]。一説では後漢第7代皇帝少帝懿の後裔で、阿智使主に随い来日した古那を
祖とし[2]、石村の呼称は大和国磐余の地に因むものとされる
113日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:02:00
>>111
蕨手刀からの進化ではなく
蕨手刀の腰反り様式を大刀に取り入れたのでは?
また毛抜形は斬撃エネルギーの吸収が目的でありその機能は蝦夷の蕨手刀よりも
大和の大刀に早期に散見される。
114日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:08:24
いつまでも、じーさん達の学説を後生大事にしていたのでは学問の進化はないよ。
115日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:14:32
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB
武士は、一般に「武芸に通じ、戦闘を職業とする軍人、あるいは兵法家の
こと」とされるが、これだけでは平安時代以前の律令体制下の「武官」
との違いがはっきりしない。例えば、武人として名高い征夷大将軍の
坂上田村麻呂は、すぐれた武官であるが、武士であるとはいえない。
また、中国や朝鮮の「武人」との違いも明確でない。中国や朝鮮には
「武人」は存在したが、日本の「武士」に似た者は存在しなかった。
時代的に言えば、「武士」と呼べる存在は国風文化の成立期にあたる
平安中期(10世紀)に登場する。つまり、それ以前の武に従事した者
は、武官ではあっても武士ではない。

では、武官と武士の違いとは何か。

簡単に言えば、武官は「官人として武装しており、律令官制の中で
訓練を受けた常勤の公務員的存在」であるのに対して、武士は「10世紀
に成立した新式の武芸を家芸とし、武装を朝廷や国衙から公認された『
下級貴族』、『下級官人』、『有力者の家人』からなる人々」であって
、律令官制の訓練機構で律令制式の武芸を身につけた者ではなかった。
ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。
116日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:25:26
wikiなんて根拠にするなよ。
地元の中央図書館レベルには有益な書籍があるよ。
117日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:42:15
ウィキペディアはオープンコンテントの百科事典です。基本方針に賛同していただけ
るなら、誰でも記事を編集したり新しく作成したりできます。

図書館の本も相当だぞ。
何とかの謎ってのも結構自慰ものだし。
118日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:45:26
武官も武士も戦士としての本質は変わりないよ。
ただ、政治体制が律令制から王朝国家への変貌、院政の「家の成立」により
私的財産の国家的容認および継承によって中世封建制へと移行して「封建武士」の成立を見る。

「武士」の定義に封建制が有るならば「武官」は「武士」と言えないかもしれないが
武術、武具の萌芽としては関連付けられるべきものである。
119日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:47:26
wikiなんて参考にしてる研究者は皆無。
120日本@名無史さん:2011/01/04(火) 22:56:09
大学生でさえウィキを使ったレポートは0点にされるというのに。
121日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:03:30
Wikipediaは東北武士道論と家系関連が宿亜。
仙台や会津あたりの歴史を検索しても、客観的な記述が見当たらない。
122日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:10:03
「国風文化」なんてつまらねーこと言ってないで「院政の確立」でしょ。
123日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:17:28
>120
インターネット丸写しじゃダメでしょ?
普通にネット文章ってだけでダメだって言われたらしいが?
まあ、正直間違い多すぎるのは事実だが。
>119
研究者の本当の辞書サイトできるといいな。
本じゃ高くて読めね〜し、図書館なんて怖い大学生とか、暇な人しかいないし遠いし。
>121
そういう背後関係の情報ほしいね。
いろんなとこ行くけど、偏ってばかりだし、整合性取れないやつ多いし。
ただ客観的な資料って、難しくない?存在定義が。
124日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:21:37
政治史の観点からは「武士」の成立は10世紀だが
軍事史の観点からは「武士」の成立は8世紀に遡る。
125日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:27:20
wikiには賛同しません。
論文には研究者の知的財産権が有ります。
まともな報酬も無いんだよ。研究者には。
126日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:30:08
そうやって囲い込んじゃうと人目に触れる事も無く終わっちゃうんだけどね。宝の持ち腐れだね。
127日本@名無史さん:2011/01/04(火) 23:32:44
どのみち助手じゃくえんだろ?
名誉教授になると結構もらってるってゆってたな。

どうせWIKIに上げなくても教授にとられんだろ?
って言ってた。
128日本@名無史さん:2011/01/05(水) 01:29:00
元木の論文なんてインターネットじゃ無料で読めないよ。
特に京大関係は知財のネット上の管理が進んでるね。
129日本@名無史さん:2011/01/05(水) 01:36:30
本気で歴史学を身に付けたければそれ相応の大学に通うなりして学問との向き合い方を訓練するなり
国会図書館にしつこく通って史料に触れるしかないね。
古文書のマイクロフィルムも複写してくれるよ。
地方の人には辛いけど。
130日本@名無史さん:2011/01/05(水) 01:46:23
論文とかPDFで公開してクレよ。
古代武具とか律令軍団制に関する本を買うとするとどれも1万とかザラで困る。
131日本@名無史さん:2011/01/05(水) 02:03:50
>>130
そんなことやったら事業仕分けで大変なのに大打撃だろ?研究者は。
研究者のソースを知りたければ旧帝大図書館か国会図書館だろ。
さもなくば全国行脚しなさい。
132日本@名無史さん:2011/01/05(水) 02:22:21
うちの教授なんか200部で元取ろうとしてたからね。
133日本@名無史さん:2011/01/05(水) 07:27:45
>129
 それ相応の大学ってどこよ。
 日東駒船レベルか奈良大学?
 まさか広島とかいわね〜よな。

PDFよりこっちのがよくね?
http://www.reportreport.jp/
134日本@名無史さん:2011/01/05(水) 08:05:14
135日本@名無史さん:2011/01/05(水) 08:13:47
小学6年生の担任から、こんな歴史の宿題を出されました。

女の「武士」が存在しない・男が「十二単衣」を着る事はない。

いろいろ調べたんですけど、そういう文章は載って
ないんです。どなたか助けて頂けませんか・・・??
136日本@名無史さん:2011/01/05(水) 13:45:53
宿題が何なのか読み取れないんですが
出典を探せなんていわれるとは思えないんだが
落ち着け、親
137日本@名無史さん:2011/01/05(水) 15:39:38
2005年のgoo質問に同じものがあるな。
同じ先生か、それともそこから質問をとってスレを困らせようとしたのか、どちらかだろう。

gooの回答では、服装関連サイトを調べて報告すればよいという程度の教師側の意図だったと記されている。
138日本@名無史さん:2011/01/05(水) 17:26:41
 この問題を出したのは、正解を必ずしも証明しなくてはいけない。
とか、絶対にして来なければいけない。というような強制的な宿題で
はなく、小さな事にも疑問を持って、それを調べる方法を自分で考え
たり親に相談したりして、親とのコミュニケーションも図りつつ、知
識として知っておけば・・・。というような趣旨
139日本@名無史さん:2011/01/05(水) 18:44:58
鎌倉時代に女性の地頭は居たようだね。
140日本@名無史さん:2011/01/05(水) 18:48:29
>>139
娘か?後家か?
141日本@名無史さん:2011/01/05(水) 19:00:47
『国史大辞典 6』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1985)を見ると、p913に
「国名・下野 所在地・寒川郡 阿志土郷 氏名・某 通称/官途・小山朝光母 
典拠・皆川文書 所見年月日・文治三.一二.一」とある。

142日本@名無史さん:2011/01/05(水) 19:06:42
武家の家督を相続した女子は「武士」?
つーか、>>135の担任がいい加減な言葉の使い方をしてるんだろう。訳ワカンネ。
143日本@名無史さん:2011/01/05(水) 19:25:12
地頭職と家督と御家人は一体か?
144日本@名無史さん:2011/01/06(木) 21:36:01
俘囚って、平安頃の読み方では「ふじゅ」だったと思う。
ひょっとして「武士ぶし」は「俘囚ふじゅ」の
好字じゃない?

大伴門→応天門みたいな。
喜田貞吉も、武士の淵源は俘囚兵とか言ってたし。
145日本@名無史さん:2011/01/07(金) 03:04:07
また沸いて来たのか・・
146日本@名無史さん:2011/01/07(金) 03:15:48
日本刀の構造上の本質は鎬造りです。
湾曲は外見的な特徴でしかありません。
蕨手刀は鎬造りではなく大和の大刀にそれよりも早期に鎬造りの構造を持った大刀が現れます。
大刀から太刀へと構造上の本質を継承していますし、腰反りの特徴は蕨手刀の影響を受けただけで
蕨手刀が太刀に発展したとは決して言えないことは明白です。
147日本@名無史さん:2011/01/07(金) 03:30:41
>>144
喜田貞吉のような歴史上の人物の歴史観を語ってどーするんだ?
148日本@名無史さん:2011/01/07(金) 03:49:45
>なぜこの地方に蕨手刀が発達したのかといえば、やはり多くの砂鉄産地が存在したこと、
>また、古代東北には餅鉄と呼ばれる磁鉄鉱が多く産出したことが背景にあると思われます。
>舞草近くの白山岳は地元では鉄落山とよばれ、産鉄関連の伝承や地名が残っていことからもうかがわれます。
>また、この舞草鍛冶は渡来人の鍛冶である記録があることとあわせて考えると、
>中央構造線から黒鉱ベルト地帯をさかのぼった初期の産鉄族と、ニギハヤヒを祖とする物部族、
>および蘇我・物部戦争に敗れ東北に逃れたであろう後期物部族など、きわめて初期の渡来人とが協力して、
>このような初期の武器の改良に勤めたのではないかと想像できます。
149日本@名無史さん:2011/01/07(金) 12:50:17
>>123
>研究者の本当の辞書サイトできるといいな。

ほんとはwikipediaもそれ目指してたみたいだけど、全然記事増えないしでやめたみたいだな

http://gigazine.net/news/20070117_wikipedia_nupedia/
Wikipediaの前に「Nupedia」(ヌーペディア)というのがあったことはあまり知られていません。
Nupediaが開始されたのは2000年 3月。今のWikipediaと違い、専門家(基本的に博士号を取得していることが条件)によるフリーな百科事典を目指したものだったのですが、ほとんど記事が投稿されず、2003年9月に停止しています。
2000年3月から2003年9月までに掲載された記事はわずか24本。というのも、専門家による査読制度が非常に厳しく、7段階もの過程を要したため。そういう一切を省いたWikipediaの方がいかに優れた仕組みだったのかがよくわかります。
150日本@名無史さん:2011/01/07(金) 16:04:02
>>149
素人の独自研究(珍説開陳)が死ぬほど紛れ込んでいるね。
特に、過去に論争が派手だった事象案件(邪馬台国、騎馬民族征服説、
王朝交代説、武士の起源、etc)のwiki記事は全く出鱈目が多いね。
151日本@名無史さん:2011/01/07(金) 16:10:34
長弓と短弓について論じるならばちゃんと出典を示して欲しい。
「コンポジットボウ」なんて呼称してるからアレって思ったけどね。
研究者の論文なり、専門書から引用して欲しいものだね。
152日本@名無史さん:2011/01/07(金) 16:13:24
武士の「俘囚」起源説を力説する奴いない?

聴いてやるよ。
153日本@名無史さん:2011/01/07(金) 17:42:05
>>149
>専門家による査読制度が非常に厳しく

と言うよりも、学者人生を掛けた貴重な研究成果を何で有象無象に無料公開しなきゃいけないんだ?
と言うことだろうね。
154日本@名無史さん:2011/01/07(金) 17:44:05
プロに敬意と誠意を示せよと
155日本@名無史さん:2011/01/07(金) 19:48:11
>154
あんがと。

十分か?
156日本@名無史さん:2011/01/08(土) 01:18:01
律令制時代の軍団の士官クラスの要件として「便弓馬者」があったのは何故なんでしょう
騎射や乗馬ができなくても歩兵部隊は指揮できそうな気がしますが・・・
157日本@名無史さん:2011/01/08(土) 02:09:04
>>156
それを割りと分りやすく解説してるのが
近藤好和氏「騎兵と歩兵の中世史」です。
158日本@名無史さん:2011/01/08(土) 10:11:46
それには『義解』の弓馬の解説「弓は歩射なり、馬は騎射なり」を引いて
弓馬は必ずしも騎射のみを指すものではないって書いてあったな
159日本@名無史さん:2011/01/08(土) 12:22:06
>>158
一部のみを引用してもお里がしれるよ。
その後の文章に
近衛候補は騎射(これは後に述べる競技としての「うまゆみ」であろう)と歩射の両方の
技能が試されているし、また左右兵衛府擬兵衛条にも同様の規定がある。
さらに兵部省功過相折条に「凡そ諸衛人等、兼ねて歩射・騎射に預かりて、お互ひに功過有り」
とあるように六衛府制の近衛と兵衛は、その能力が騎射と歩射で試され、同時にその功過(勤務評価
、これは衛門府も含む)も騎射と歩射の実力で判断されたのである。
160日本@名無史さん:2011/01/08(土) 13:38:13
唐の軍制の影響だろうか?
それとも乗馬と弓箭が身分ある人間のたしなみとしてすでに確立していた?
161日本@名無史さん:2011/01/08(土) 13:44:50
育てるのに手間がかかる士官はやばくなったら馬に乗って逃げて来い

ってこっちゃね?
162日本@名無史さん:2011/01/08(土) 20:07:44
>>157-159
ありがとうございます。
近藤好和氏の一番最近の「武具の日本史」でそういう記述があって
気になって質問してみたんですが、やはりそっちの方が詳しいですかね?
今度チェックしてみます。
163日本@名無史さん:2011/01/25(火) 04:53:39
age
164日本@名無史さん:2011/01/29(土) 15:54:19
大規模な暴力団。
系図をデッチ上げることができたかどうかが両者の分かれ目。
165日本@名無史さん:2011/01/30(日) 23:19:54
でっち上げるよりも実際に婚姻関係で繋がることの方がずっと手っ取り早いだろ。
166日本@名無史さん:2011/01/31(月) 22:15:48
そういうのは室町まで。
戦国以降は源平藤橘などと縁戚関係を持ってる武士なんてほとんどいないでしょう。
167日本@名無史さん:2011/02/02(水) 04:31:02
>>166
彼らは本来の「武士」ではないね。
168日本@名無史さん:2011/02/02(水) 05:59:24
江戸時代の下級武士は戦国時代の足軽だろ。
169日本@名無史さん:2011/02/02(水) 13:58:14
武家は武士とは違うといっても、武家の頭領である徳川家康からして系図を売り買いしてるぐらい胡散臭い。
170日本@名無史さん:2011/02/02(水) 16:47:00
>>124
軍事的には8世紀にまで遡れるのなら関東武士は新羅郡、高麗郡が起源
という説も考えられるでしょ?
いつも馬鹿にされるんだけど。
171日本@名無史さん:2011/02/03(木) 19:45:06
家康は官位もらうかなり若いときに系図買いしてるのがラッキだったろうな。
まさかあん時は幕府まで開くことになろうとは夢にもおもわなんだろうが。
172日本@名無史さん:2011/02/03(木) 22:33:11
まつでーらはかもうじ
173日本@名無史さん:2011/02/07(月) 05:23:44
藻舞ら まともにイカたれ
174日本@名無史さん:2011/02/07(月) 11:51:39
もののふの語源は物部氏。物部氏は大和の武器や戦力担当だった。
島根県にある物部神社は出雲大社の武器庫の鍵を預かるためにできた。
175日本@名無史さん:2011/02/07(月) 14:46:13
>>174
部民の物部を統括したのが伴造の物部連だ。
176日本@名無史さん:2011/02/08(火) 17:37:07
気になるんだが、生首文化は、武士と共にあったでいいのか?

物部と蘇我は親戚だが、アイヌ民族ではないのか?

聖徳太子は朝日のハイブリットって聞くけど、蘇我だよな。

恵美押勝って、分家っぽくないよな。貴族なのに武士っぽいし。

結局、この時代って、解っているようで何もワカンナイ。

良い本紹介してほしいんだがまともな本て何?
177日本@名無史さん:2011/02/08(火) 21:41:08
平将門は梟首されてるよね。
178日本@名無史さん:2011/02/10(木) 00:37:44
そんなもん中国には普通にあるw
179日本@名無史さん:2011/02/10(木) 01:37:02
首狩り文化は西太平洋に偏在しているな。
180日本@名無史さん:2011/02/10(木) 01:40:15
パプアニューギニアだっけ
生首の頭蓋骨を抜いてアクセサリーにするの?
181日本@名無史さん:2011/02/10(木) 02:27:59
日支事変のとき、日本軍が中国の都市を制圧して入城しようとすると、城門の傍らに
日本兵の捕虜の首がズラリと陳列されてたというのは有名な話。
つまらぬことを取り上げて自らの特殊性や共通性を指摘したりするが、
古今東西、慰安婦や強盗とともに首狩りや首実検は戦争なら普通のこと。
182日本@名無史さん:2011/02/10(木) 14:53:16
これを見れば10C頃のイギリスも同じようなモノだったかと

ttp://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20100317001&expand#title
183日本@名無史さん:2011/02/13(日) 21:40:21
安倍晋三は腐臭。
184日本@名無史さん:2011/03/16(水) 00:39:12.81
『殴り合う貴族たち』の平安貴族=東電役員
185日本@名無史さん:2011/03/17(木) 01:25:22.38
漢字の「道」は、異民族の首をはねて、その滴り落ちる血でみちを浄めている様子が由来らしいね。
186日本@名無史さん:2011/03/26(土) 01:12:22.62
 ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´J`) ∧_∧
/文室 \ 鎌倉 \ 上総 \ 三浦 (    ) パンツ脱いで待ってる 
| 忠光 .| |悪源太| | 曹司 | | 胤義 /     ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   ̄  ̄ ̄  ̄  ̄ / .|   | | 藤原信頼
||\..∧_∧             (⌒\|__./ ./
||.  (    )             ~\_____ノ|  ∧_∧
  /    ヽ骨は拾ってやるよ  .     \|  (    ) 
  |     ヽ                   \/     ヽ. 負けたら絶交な
  |    |ヽ、二⌒)               / .|後鳥羽| |
  .|    ヽ \∧_∧           (⌒\|__. / /
  藤原隆家
187日本@名無史さん:2011/04/07(木) 09:10:50.78
「武」という字は戈(ほこ)を止めると書きますっ!
188日本@名無史さん:2011/04/07(木) 12:23:04.26
正しい犬じゃねの
189日本@名無史さん:2011/04/11(月) 03:04:55.67
知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、

http://then-i-was.tumblr.com/

イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。
神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。
190日本@名無史さん:2011/04/11(月) 23:42:09.99
東北の馬の文化はどこから来たんだろうね?
191日本@名無史さん:2011/04/11(月) 23:49:47.88
まあ大陸だべな
十三湊とかあるし
かなり古くから交易があったんじゃないか
192日本@名無史さん:2011/04/12(火) 09:17:19.69
アイヌには騎馬の文化はないね。
193日本@名無史さん:2011/04/12(火) 10:06:16.86
複数ルートからじゃね?

甲斐・信濃・武蔵などの東国から、高句麗系とかの渡来系土着民の一部が柵戸として東北に送り込まれたとか。

出羽に馬を伴って来た渤海人使節団の一部がそのまま東北に土着したとか

坂上氏とか百済王氏とかの渡来系律令官人が東北に多く任命されたのも、東北にそんな土壌があったからかもしれんし。
194日本@名無史さん:2011/04/20(水) 20:46:53.42
野武士は?
195日本@名無史さん:2011/04/24(日) 06:46:49.22
■梅原猛 日本とは何か 1990年
私は日本文化を縄文文化と弥生文化との対立をはらんだ総合とみる。

日本文化を俯瞰するとすれば、弥生人が縄文人を征服し、
日本に統一国家ができたのは、4世紀から6世紀に掛けての古墳時代であるが、
それを受け継いだ飛鳥・奈良時代は、その統一国家を中国にならって
律令国家たらしめようとした時代というべきであろう。
ところが平安時代の中頃から武士が台頭する。
武士というものは、もともと狩猟採集を業としていたものであり、
縄文の遺民とみてまちがいないであろう。
もともと関東は縄文文化の影響が強く、
関東人は縄文人がそのまま農耕化したという自然人類学の学者の説もある。

196日本@名無史さん:2011/04/24(日) 07:43:57.24
もともと列島東部では狩猟が非常に盛んであり、それを背景として東国には広大な「牧」が設定されていました。
ですから人々は家の厩のような身近なところで飼育された牛馬ではなく、牧場を飛び跳ねる野獣に近い馬と接していました。
東の王権、鎌倉幕府はその馬に乗って戦闘する武士の集団によって支えられていたのです。
それ故、東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、西日本の人々のように敏感ではなかったということが出来ると思います。
ケガレの問題については列島東部の社会が鈍感であると前に述べましたが、その背景としてこのような社会の実態があったことが考えられるでしょう。
網野善彦(日本中世史、日本海民史)『歴史を考えるヒント』新潮社(2001年)
197日本@名無史さん:2011/04/24(日) 09:55:26.32
東日本では縄文戦士が武士になれたけど、
西日本では悲惨な境遇に落とされたんだと思う。

網野善彦はたくみに明言を避けてたけど、戦後に
小浜基次なんかが西日本の小集落の頭長指数について
データを示している。


>東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、
西日本の人々のように敏感ではなかったということが


つまり東日本人は縄文子孫ってのはわかる。
しかし西日本が狩猟を拒否したわけではない。
奈良以降の仏教隆盛が西日本人の心を歪ませたんだ。
198日本@名無史さん:2011/04/24(日) 11:10:31.32
東日本には被差別部落が少ないことと何か関係があるのかな?
199日本@名無史さん:2011/04/24(日) 11:52:38.93
殺生禁断の聖なる山や池で狩猟を行い、鶏・犬・鷹・馬などの諸禽獣を自在に操る関東武士の弓馬の実力は、
西国の住民にとっては<人知を超えた鬼神>として、畏怖と畏敬の対象となったのである。
北条氏が葦名頼連に期待したのは、高麗出兵への先兵としての類まれな武闘能力だったに違いない。
西国の各地に、頼連のような荒夷の手だれたちが、異国征伐の守護あるいは地頭として、移住してきたのである。
海津一朗『蒙古襲来』吉川弘文館(1998年)
200日本@名無史さん:2011/04/24(日) 13:15:31.21
薩長縄文が江戸渡来を倒した功績は大きい
201日本@名無史さん:2011/04/24(日) 13:28:47.27
「長」は違うだろ、「長」はw
202日本@名無史さん:2011/04/27(水) 14:01:24.73
網野の言う「関東王権」は存在したの?

殺生禁断の聖なる山は東日本には無いの?
203日本@名無史さん:2011/04/27(水) 15:12:15.13
そこまで統一されたものじゃなかったから容易に入植地になったのだと
204日本@名無史さん:2011/04/27(水) 20:52:23.19
毛野氏の規模のデカさだけは確かに異常だけどな。

普通、国造なんて言ったって郡規模の首長だろうに、毛野氏は国規模の首長だもんな。
205日本@名無史さん:2011/04/28(木) 06:42:59.61
実は「武士」ってのは「俘囚」の好字ではないかと疑ってる。
大伴門→応天門みたいな。
206日本@名無史さん:2011/04/28(木) 10:46:21.84
武士の原型は恵美押勝の乱鎮圧勲功者達だよ。

ただ、「家」が分業固定化される王朝期じゃなかったんで「家業」として相伝されなかったんだよ。

207日本@名無史さん:2011/04/28(木) 14:13:12.29
つわものは「鍔物(つばもの)」が由来になってるって唱えてるのは誰だっけ?
近藤さん?
208日本@名無史さん:2011/04/29(金) 07:51:49.00
網野はたくみに隠してたけど、
多分、一部菊池山哉と似た結論にたどりついたんだと思う。
209日本@名無史さん:2011/04/29(金) 13:58:37.58
殺生放免といったら狩猟に馴れてる輩だからな。
しかも上方では死穢観の広がりで彼らは影的な存在に追いやられていたことだろう(身分的にも居住地的にも)。

そんな彼らを、上級公卿の走狗的な役割を担っていた諸大夫・侍層に属する下級官人層の一部(=武官貴族)が取り込んでいったであろうことは容易に想像がつく。
もちろん、上級貴族その他の諸層にとっても、あえて言挙げはしないもののそれらは「公然の秘密」であったことだろう。

ただし、あくまでも(武士として形成されていった者たちの)「一部」だけどね。

210日本@名無史さん:2011/04/30(土) 08:41:49.11
経基が満仲ら兄弟を養子にして影の勢力を取り込んだんだね。

211日本@名無史さん:2011/05/01(日) 02:21:35.49
>>200
なんで長州が縄文なんだよwwwww
江戸を渡来人呼ばわりする資格ないだろよ長州はw
212日本@名無史さん:2011/05/01(日) 07:56:01.28
213日本@名無史さん:2011/05/01(日) 21:52:18.41
源満仲も頼信も頼義も85歳以上で亡くなりましたよね
義家は60そこそこで死にましたがこれは息子と戦うという心労から来たもので
法皇の策略がなければこれも80越えは間違いありません
どうしてこの時代でこのように長生きできたのでしょうか
今の時代なら全員100オーバーの確率高いですよね
体育会系の人は生涯鍛錬を続ければ長命限りなしなのでしょうか
それとも源氏の秘法でもあったのでしょうか
214日本@名無史さん:2011/05/02(月) 00:13:59.58
「日本のまつろわぬ民」(新人物往来者)に出ていた、満州や契丹と日本の傀儡子、そして源氏武者の関係が
斬新であり、説得力があった。
辮髪を前に乗せるとチョンマゲになること。
チョンマゲが平安時代に、騎射が盛んな東国で始まったことなど面白く思った。
215日本@名無史さん:2011/05/02(月) 02:05:07.83
つまり東国の源氏は騎馬民族だった!
216日本@名無史さん:2011/05/02(月) 12:06:53.83
>>215
騎馬民族とは違うかな。
先の「日本のまつろわぬ民」では、東国武士の台頭を環オホーツク文化圏の交流のなかでとらえていた。
北方アジアの動乱により、騎射の巧みな傀儡子(くぐつ)……ジプシーみたいな集団……が、大陸から
日本へ流れてきたということ。
げんに、平安時代の「傀儡子記」には、テントで暮らす傀儡子の習俗が北狄に似ているとの指摘がある。

隆慶一郎氏が主張していた、傀儡子は朝鮮の白丁という説は、まったく信用できない。
だって、平安時代には朝鮮王朝も白丁も存在していなかったし、その習俗も別物だから。
217日本@名無史さん:2011/05/02(月) 20:18:41.51
武士の萌芽とクグツはNHK大河ドラマ「風と雲と虹と」で描かれていたな。
218日本@名無史さん:2011/05/03(火) 04:18:47.73
つまり東国武士団は、新羅や渤海に近縁の文字通りの東夷(あずまえびす)であった。
新羅三郎
219日本@名無史さん:2011/05/03(火) 10:06:32.39
園城寺新羅明神(滋賀県)
220日本@名無史さん:2011/05/03(火) 10:47:53.37
>>213
同時期の藤原頼通兄弟とか、その百年ほどあとの忠実とか、
摂関家の人間もそれくらいの長寿だけどね。

庶民とちがって、美味いもの食べてるからだろ。
221日本@名無史さん:2011/05/03(火) 13:18:29.26
重労働した人は今でも早死に多いからね
222日本@名無史さん:2011/05/03(火) 13:20:55.37
マラソン選手とか負荷が大きすぎる運動してた人は早死に
223 忍法帖【Lv=8,xxxP】 :2011/05/03(火) 13:24:56.50
test
224日本@名無史さん:2011/05/07(土) 12:29:52.44
>>218
>新羅三郎
それは、新羅神社で元服したことによる通称だよ。

>>216は満洲や契丹について言及しているが、シベリアの狩猟民族にルーツがある、
朝鮮人については何も言っていないぞ。

武士と朝鮮人は完全に無関係だ。
ムサとかサウラピとか、剣道の起源は朝鮮とか、嘘をつくのはやめてほしい。

ちなみに、
音表記で残されている新羅の言語が、朝鮮語では全く解読できないので、
新羅と朝鮮は赤の他人。異民族。
225日本@名無史さん:2011/05/10(火) 01:41:39.16
朝鮮半島人も本来シベリアの狩猟民族にルーツがある、
李家朝鮮王朝になってから儒教文化に固まり、シベリア満州地域の文化と切断される。
226日本@名無史さん:2011/05/10(火) 01:46:30.39
漂着、密貿易、海賊で捕まり敵性外国人として収容され戦奴にされた新羅系、渤海系が武士のルーツの一部
227日本@名無史さん:2011/05/10(火) 01:50:01.32
朝鮮王朝の白丁は高麗王朝の忠臣が負けて身分剥奪され収容されたもの
日本の場合は、南朝の忠臣が負けて身分剥奪され収容されたもの
228日本@名無史さん:2011/05/10(火) 17:03:04.09
>>225
>シベリア満州地域の文化と切断される

切断されていない、というか、高麗の後にシベリアから南下してきた民族が、朝鮮人
だと思う。
げんに、シベリア狩猟民のトーテム信仰や、ウチワ太鼓を用いた巫女(ムーダン)の神降ろしなど、
最も民衆に近い土俗宗教が全く同一のまま。

また、音表記で残されている高麗語が朝鮮語では全く解読できないこと、
染色、車輪、タル、灌漑など生活に根ざした太古の技術を、朝鮮人が学びそこねていること、
近代まで打製石器を日常的に使用していたこと

などからみて、シベリア亜寒帯の狩猟民と朝鮮人は、ほぼ同一民族と見てよい。
儒教は垢だらけの原始的な体を隠すための外套にすぎないと思われる。
……文盲ばかりだった朝鮮で、はたして何人が儒教を解しただろうか?
さらに、
朝鮮の極端な男尊女卑や家父長制は儒教ではなく、狩猟民の家族制度にほかならない。

遺伝子は土地に残るが、民族はあっけなく消滅していく。
ソビエト時代をへたシベリアでは、固有の伝説や言語、歌や舞踏、習俗を忘却したアジア系
民族が沢山いる。

ともかく、武士と朝鮮人は無関係。また、武士は新羅とも関係ない。
229日本@名無史さん:2011/05/10(火) 17:13:51.17
武士=物部
230日本@名無史さん:2011/05/10(火) 17:56:00.67
物の具(甲冑)かと思ってたぜ
231日本@名無史さん:2011/05/10(火) 20:25:06.29
戦闘技術の伝播は、高句麗→渤海→蝦夷→武士なのかな?
232日本@名無史さん:2011/05/10(火) 20:47:35.46
李家朝鮮王朝になってから儒教文化に固まり鎖国とともに、朝鮮多島海などの南部沿岸部に残っていた古代倭などの海洋文化と切断される。
233日本@名無史さん:2011/05/10(火) 20:49:44.84
新羅三郎は、新羅神社で元服したことによる通称だよ。 ⇒

新羅系が氏子である新羅神社で元服した⇒新羅系を支持基盤にして取り込んだということ。


234日本@名無史さん:2011/05/10(火) 21:09:51.09
パワフルな貴公子が軍事貴族になったというよりも、
企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた。
征夷の軍の幹部に居た百済王一族の場合は、最初から有力だったので、土着しても源平藤原の武士団にはならなかった。
235日本@名無史さん:2011/05/10(火) 21:17:16.58
749年 陸奥国守百済王 敬福、黄金九百両を献上する
766年 百済王 文鏡を出羽守となす
774年 百済王 武鏡を出羽守となす
785年 百済王 英孫を出羽守となす
797年 百済王 聡哲を出羽守となす

---
236日本@名無史さん:2011/05/10(火) 21:21:43.54
源義光:新羅系が氏子である新羅神社で元服した⇒新羅系を支持基盤にして取り込んだということ。


警察官僚がパチンコに天下りしたのと同じ
237日本@名無史さん:2011/05/15(日) 15:53:49.26
>>234
> 企業が天下り官僚を受け入れて利権確保を図っているように、
> 田舎豪族が貴公子を婿に入れて氏族名を源平藤原につけかえた

のはその通りだと思うが、

> パワフルな貴公子が軍事貴族になったという

のもまた事実と思う。
たとえば源仕や平高望や藤原利仁のような「貴公子」たちは、いずれも寛平延喜期に東国に赴任しているが、当時の東国はまさに群盗が蜂起し各地で猛威を奮っていた時代。
上の三者らは、そんな時代にそれら群盗の鎮圧を目的として坂東各地の国司、押領使などに任じられた(と推察されている)のだから。
彼らはそんなタフネスさを要求される職務を遂行し得る「パワフル」な存在だと中央で認められていたからこそ、そのような役職に任命されたのだと思う。
238日本@名無史さん:2011/05/16(月) 06:19:49.40
くだらの小錦
239日本@名無史さん:2011/05/17(火) 06:00:12.31
DNA的に貴公子の子孫とは限らないのでは?
娘を一夜妻に差し出す⇒男の子が生まれ成人したら(怪しくても)ご落胤規定⇒当主に立てる⇒それまでと同様都に進物を送り続け認知を受ける⇒その権威をカサにきて周囲の同族、対立一族を圧伏させる。
経済力・実力がベースにないといけない。
240日本@名無史さん:2011/05/17(火) 06:02:49.02
かくして日本はこういう形で民族統合されていった。
241日本@名無史さん:2011/05/17(火) 06:18:46.41
〈貴種流離譚〉伝説もこうした田舎豪族が広めたのであろう。
242日本@名無史さん:2011/05/17(火) 06:25:01.10
>DNA的に貴公子の子孫とは限らないのでは?

それいったら中央貴族同士の結婚でも同じことが言えてしまう。
中央も地方も通い婚の時代だし。

実際は父が違うかも、なんてびくびくしながら貴種を名乗るくらいなら本当に実の子を儲けてしまった方が貴族、在地豪族ともに余程メリットがある。

243日本@名無史さん:2011/05/17(火) 06:39:13.59
>中央貴族同士の結婚でも同じことが言えてしまう

いや、それは、別の男の胤でもいちおうは貴族階級の男ではあるだろう。
244宋文平:2011/05/17(火) 20:34:08.13
日本之武士豈敢與中國抗衡哉?
245日本@名無史さん:2011/05/19(木) 06:34:49.45
>>243
同じ貴族階層に属していれば種は全くの別氏族でも構わないなんてことはないだろう(正式な養子縁組みは除く)。

それと>>242でも書いたが、
諸大夫程度の中下級貴族だと、4〜5年の任期が終わってしまえば、次はいつ受領に任じられるかの保証なんてない。
だから彼らは限られた受領任期期間中に出来るだけ己が勢力を赴任地に扶植すべく努めるようになる。
その際、最も有効的な手段が有力在地豪族と姻戚関係を結んでしまうことなのだ。
そうしてその有力豪族をわが一族として取り込んでしまえば、以降最悪二度と受領任官が回ってこなくても、かつての赴任地に留住、土着して土地の長者として暮らして行くことができる。
また、再び他国の受領に任じられる機会に恵まれたなら、次の赴任地でまた同じことをやるだけの話。
そうやって「保証」を増やして行く。
また、王朝国家期以降になると時代の要請により、主に軍事貴族がこの役回りを演じることが多くなって行く。

以上みてきたように、
中央貴族と地方豪族の婚姻は、決して在地豪族側のメリット(上昇志向、見栄、etc)からだけによって行われてきたわけではないのだ。

246日本@名無史さん:2011/05/19(木) 11:16:33.19
姓を藤原に付け替えておかねば国司に難癖つけられて私営田取り上げられるか、近隣のヤツに強奪されやすいか、分家に離反・横領されやすいので。
247日本@名無史さん:2011/05/19(木) 11:18:34.22
将門は同族との戦争で敵方の所領を焼き払っている(占領して我が物にするということではなかった)。
248日本@名無史さん:2011/05/21(土) 09:06:41.00
将門に限らずそれが当時の戦の形態
249日本@名無史さん:2011/05/22(日) 06:47:29.44
え?!敵方の土地をぶんどらないの?
じゃ、ぶんどるのは奴隷にする人間?当時は土地が広く人手が少ないから?
250日本@名無史さん:2011/05/22(日) 07:18:19.96
やはり倭人化した関東・東北の原住民が
射騎にすぐれ勇猛かつ礼儀正しかったので、
貴人のガード「さぶらう者」として利用したことが
淵源ではないかなあ。

それに西国配備の俘囚軍なんかもくわわって。
251日本@名無史さん:2011/05/22(日) 08:21:45.69
>>250
「俘囚軍」が有ったという出典を提示してくれ。
252日本@名無史さん:2011/05/22(日) 10:44:43.68
軍事貴族や在地豪族が私的に俘囚をその兵力に加えて行った。
また、軍事貴族自体がある意味私的なものでもある。
253日本@名無史さん:2011/05/22(日) 10:48:52.85
元々貴族の弓馬の技術はなかなかのもの。
柔和なイメージのある菅公ですら弓の腕前は百発百中だ。
254日本@名無史さん:2011/05/22(日) 11:19:19.66
>>253
騎射は違う

一部の貴族が嗜んだのは歩射の方だよ
騎射は実戦と狩猟から学ぶものだから
255日本@名無史さん:2011/05/22(日) 12:54:01.09
>>254
勘違いは君の方だと思うぞ。
近藤氏の著作を読みなさい。
256日本@名無史さん:2011/05/22(日) 13:06:57.98
鎌倉で発掘された頭蓋骨は長頭の特徴があるという。
長頭は後頭部の発達により動体視力及び空間把握能力に優れていると一般的に
言われている。
因みに野球の優秀なバッターは長頭種族が多い。
257日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:25:59.28
>>255
脳筋の本を読んでもあんまり・・・
258日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:34:47.03
 義経にしても『平治物語』(下巻)によれば、騎射を行うのは鞍馬を出てからである。
つまり義経は下総を根拠とする坂東武者である陵助重頼を語らってその手引きで鞍馬を出る。
その重頼を誘う義経の言葉の中に「物射て遊ばん」というのがあるが、義経は鞍馬を出て近江の鏡宿で自分で元服した後、
重頼に弓箭と馬を用意させ、東国への道すがら、重頼に「馳挽、物射」(つまりは騎射、歩射)を習いながら下ったという。
その後、義経は下総で一年ほど過ごすが、そこで狩猟をしていたことが記されている。
いずれにしろ義経が騎射術を習得したのは、鞍馬を出てからと考えるのが妥当であろう。
とすれば『平治物語』にみえるように、奥州に向かう途中(諸国流浪中)や、また、名馬の産地である奥州に行ってからであろう。
義経の身体能力をもってすれば、騎射術の修得も早かったのではなかろうか。
 それにしても、戦術的能力の向上には実戦経験が重要である。
自力救済(公権力に頼らず当事者相互で紛争を解決すること)の私戦を繰り返している東国武者とは違い、
義仲追討戦以前の義経に実戦経験があったかどうか疑問である。
あったとしても、鞍馬にいた時の辻冠者原との戦闘ぐらいであろうし、奥州では戦闘はなかったと考えられる。
そうした実戦経験という面では、義経が鞍馬から直接奥州へ赴かずに、諸国を流浪し、しかもその間、恵まれた生活はしておらず、
山賊や野盗まがいのことをしていたと考える方が、戦士能力の育成をという面では、筆者には説得力がある。
 しかしその一方で、義経の戦士能力は、戦術的能力よりも戦略的能力にあることを第三章で指摘した。
その点では、戦術的能力が劣っているのは、実戦経験が少なかったからであるとも考えられる。
 結局は類推の積み重ねで何とも言えないのだが、鞍馬を出てから義仲追討戦に向かうまでの義経の実戦経験の有無については気になるところである。

近藤好和『源義経』ミネルヴァ書房(2005年)
259日本@名無史さん:2011/05/22(日) 14:36:42.62
『御堂関白記』(長和元年十二月四日)
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。
依りて的を打たしむと云々。
射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如し。」

弓場始(歩射)
能射の者が伺候していないので的を射るものがいない。
それで的を打たせた。
弓で矢を的に射当てる事が出来ないので仕方なしに手で投げるようにして矢を的に打ち当てたの意。
260日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:14:48.89
フランス・ジャパンエキスポ(2011)にて、韓国の偽剣道:Haidong Gumdo(ハイドン・グムド)
が公開されます。 彼らはこれを、「古代高句麗王朝に起源を発する韓国の伝統的な刀剣武術で、
しかも日本の剣道の起源だ」 と主張していますが、全くのでたらめです。
Haidong Gumdoは日本の剣道をコピー・改変しただけのものです。

この偽剣道を中止するよう、みんなで抗議の声をあげましょう!

ジャパンエキスポにおけるHaidong Gumdoの紹介ページ
http://www.japan-expo.com/en/contenu/haidong-gumdo_396.htm

ここに抗議のメールを送ってください! (ジャパンエキスポの公式HP)
http://www.japan-expo.com/en/nouscontacter/

在日フランス大使館にも抗議しましょう
http://www.ambafrance-jp.org/spip.php?article4246

「ジャパン・エキスポ2011での偽サムライと偽剣道: ある文化略奪について 」
http://www.youtube.com/watch?v=zt3fZc3ZqHQ

(この偽剣道について抗議している動画です↑素晴らしい動画なので一度ご覧になって下さい)

261日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:25:21.02
>鎌倉で発掘された頭蓋骨は長頭の特徴があるという

さもありなん。
前から思ってたけど、「幕府」って日本では
征夷大将軍の前線司令部、「本陣」のことなんだろ?

室町幕府はまあ京都に名目的に「朝廷とは違う最高権力」として
司令部をおいてにらみをきかせたと思う。

けど鎌倉幕府はなぜあの場所で「本陣」なんだろう。

ひょっとして鎌倉以東を一種の「仮想敵」とみなし、
大義名分上の征「夷」前線基地として幕府を開いたわけか?

意味とりにくくてスマソ。
262日本@名無史さん:2011/05/22(日) 16:37:10.77
> 長頭

みずからを「東夷」と称するわけだ
263日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:00:14.19
鎌倉武士ってイチローみたいな奴らだったのだろう。
264日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:10:17.64
外野手は空間把握能力は必須。
さらに位置予測能力も必要。
昔の戦闘機乗りが言ってた「予測射撃」は騎射と通じるものがある。
265日本@名無史さん:2011/05/22(日) 19:18:42.60
必死で逃げる獣を馬の上から弓矢で射殺すとか
むかしは世界中でやってたけど
よく考えたらとんでもなく難しい事だと思う。
266日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:28:56.00
そんなこと言ったら
昔の人にいくら教えても現代日本の狭い駐車場で車庫入れなんてできねえってwww
能力が使われる対象が変わっただけで、空間把握力自体は変わってないよ
267日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:30:32.47
だから車庫入れ出来ない人は短頭人種だってば。
268日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:34:29.62
お前ら日本人は単一民族じゃねーて事ぐらい理解しとけよ。
269日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:35:39.12
あんまり関係ないんじゃね?
戦前の陸海軍のパイロットは長頭種の米軍パイロットを全然問題にしてなかったでしょ
270日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:37:23.76
お前は自分の嫁が同一民族とでも思っているのか?
271日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:39:43.43
>>269
だから生き残った帝国軍人パイロットを統計調査しろよ。
272日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:41:32.96
>>267 >>256
こういう酷い電波を信じる人はいないよなw
電波と言われたくないなら、長頭・短頭とIQスコアの相関のソースでも出してみ
273日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:57:38.86
>>272
なんじゃそれ?「IQスコア」とは?
先ずお前が脳神経科を受診しな。
274日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:02:43.88
陸海帝国パイロットは厳しい訓練選別があったから短頭種がパイロットになることは稀だったよ。
275日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:35:22.06
>>273
IQすら知らずに『空間把握能力』とか書いてたのかww

どのIQテストにも必ず空間把握力の測定に当たる項目があるから。
最も使われてるウェスクラー式知能検査なら『絵画完成』『積木』『組合せ』だ。
言うまでもなくIQ測定の試みは、当初アメリカの軍隊で徴兵検査や軍人の適性を測るために発展・普及したものだ。
自衛隊でももちろん入隊時に行う。
空間把握力を最も客観的に測定してくれる基準は動作性IQだからね。

君の言うように空間把握力と頭の形に相関があると『一般的に言われている』なら、
当然データ化されてるだろ。
それを出してみなって。
276日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:46:29.08
>>275
お前は短頭種?
277日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:51:41.50
短頭種って理屈っぽいんだよな。
278日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:59:11.41
短頭種は特攻要員。
長頭種は本土防衛パイロット。
279日本@名無史さん:2011/05/23(月) 12:49:41.45
280日本@名無史さん:2011/05/24(火) 05:51:11.46
平成日本だっていまだに
東日本と西南日本が中頭〜長頭型だ。
この一帯が古来、武士団を生み出している。
今でも自衛官や警官は多い。
281日本@名無史さん:2011/05/25(水) 00:45:20.02
>>258
近藤好和『源義経』読んだ。
>>214
水澤龍樹『日本のまつろわぬ民』も読んだ。

両者とも、同じ平安末期の武士について論考しているが、「日本のまつろわぬ民」
の指摘の方が的確であったと思う。特に、クグツと騎射と源氏武士団の関係、後白河
法皇と鞍馬の天狗と源義経の関係など、おもしろかった。
282日本@名無史さん:2011/05/25(水) 01:00:14.13
武士の起源は鎌倉幕府でしょ。
こんなもん小学生でも知ってる。

283日本@名無史さん:2011/05/25(水) 03:06:58.63
私は、四日町小学校の、麻子です。武士のことについて、質問します。
教科書には、豪族(ごうぞく)が、武士になったと、書いてあったんですが、
そちらのホームページには、農民が、武士になったと、書いてありました。どちらが、本当ですか?教えてください。

ゲンボー先生

麻子さん メールをありがとう.

同じです.武士は基本的には農民なのです.農民にも大きい小さいがありますから,
大きな領地を持つ農民である豪族(ごうぞく)が小さな農民をしたがえていきました.
そうして,各地に武士団ができましたが,その武士団をさらにまとめた大武士団の棟梁(とうりょう=ホームページを見てください)が
源氏や平氏などの皇族や貴族の血筋(ちすじ)を持つ人達なのです.この質問は下につづきます.

こんにちは。四日町小学校の麻子です。

この前は、武士のおこりについて教えていただきまして、ありがとうございました。
今日も、質問があるのですが、貴族と豪族(ごうぞく)と武士の違いは何ですか。
みんな力のあった人のようで、時代が違うので呼び方が違うのかと思っていたのですが、調べてみると同じ時代にも登場してくるのです。
なんとなく違うふうなんですが、よくわかりません。教えて下さい。

ゲンボー先生

そうですね.みんなそのことで混乱しています.

豪族(ごうぞく)は農民だったり漁師だったり,牧場主であったり様々です.力のある地方の支配者のことです.この人達は武士でもありました.
貴族や皇族は都に住む有力者で農民ではありません.律令によって守られ広い領地を持って豊かな生活をしていました.しかし時代と共に子孫が増えて地方役人となって出て行く人もありました.
力はあるが貴族よりは身分の低い豪族(ごうぞく)達は,こうした人達を利用して豪族(ごうぞく)同士が結びついて武士団を作るときの,ボスになってもらいました.
この人を棟梁(とうりょう)といいます.これが源氏や平氏です.ですから皇族や貴族から武士になったものもいたのです.この人達は豪族(ごうぞく)とは呼ばれません.
284日本@名無史さん:2011/05/25(水) 04:58:48.00
このセンセ、50年前で時間が止まってんのかよw
「農民から武士へ」とか、「不輸不入の荘園が増えて税収が減り云々」とか…
ガキ相手に時間潰してないで、寧ろ堂々と今の学界で発表してもらいたいわw




ってうちのすぐ隣町の大学教授かいw!

285日本@名無史さん:2011/05/25(水) 06:00:27.36
武士の本質は封建領主。かれらが律令農民を農奴化しながら在地領主制を発展
させて古代国家を掘り崩していったのです。そして、鎌倉幕府に結集して
中世封建国家を打ち立てました。
286日本@名無史さん:2011/05/25(水) 11:04:25.15
職能的ブス機嫌論
287日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:12:25.33
武士の本質は奴隷軍人。かれらが律令農民を農奴化しながら在地領主制を発展
させて古代国家を掘り崩していったのです。そして、鎌倉幕府に結集して
中世封建国家を打ち立てました。
288日本@名無史さん:2011/05/25(水) 22:33:49.69
>>285,>>283
んな単純な話じゃないよ。
少なくとも東国の騎馬武者の台頭は、環オフォーツク文化圏の問題として見る
必要がある。
当時の北東アジアの動乱が、武士の成立に関与している。
                         by「日本のまつろわぬ民(新人物往来社刊)」
289日本@名無史さん:2011/05/25(水) 23:50:31.26
弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
          回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140  11  7.9(%)  14  最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240  181 75.4(%)  12
290日本@名無史さん:2011/05/26(木) 03:52:19.09
武士の起源を論ずるにあたって、壬申の乱で高市皇子に従い武功を上げた彼等こそ重要である。
民大火、赤染徳足、大蔵広隅、坂上国麻呂、古市黒麻呂、竹田大徳と、胆香瓦臣安倍。
彼等に共通することは東漢氏などの渡来系軍事氏族出身であることだ。
壬申の乱の武功で破格の高位を得て、その系統からは軍事官僚を輩出した。
後の軍事貴族となる大蔵氏には注目にされてよかろう。
291日本@名無史さん:2011/05/26(木) 04:04:43.40
なんか
駐日米軍に守られた某政府みたいだね。
292日本@名無史さん:2011/05/26(木) 04:09:52.94
連投スマソ

米軍がこのまま日本に土着したら300年後にはNEO武士になるのかな?
293日本@名無史さん:2011/05/26(木) 04:14:51.31
映画「地獄の黙示録」ではカーツ大佐は一代も掛けずに土着(?)してるね。
294日本@名無史さん:2011/05/26(木) 10:09:42.58
>>292
では悪いことしたらハラキリ・切腹してもらうわ。
295日本@名無史さん:2011/05/26(木) 11:15:22.52
>>290
> 渡来系

藤原利仁の母系氏族は秦氏だしな。
藤原秀郷にまつわる伝承では、秀郷が建立したとされる神社は何故か稲荷社(秦氏系)ばかりだし、
清和源氏に関しては摂津、河内など渡来系のメッカを本拠地にしている。
平氏では将門の母系の県犬養氏もそれっぽいよな。
296日本@名無史さん:2011/05/26(木) 11:22:16.38
奥州安倍氏の遠祖が壬申の乱勲功者だとしたら大発見だ!
297日本@名無史さん:2011/05/26(木) 12:09:37.65
武士の生みの親は高市皇子である。
298日本@名無史さん:2011/05/26(木) 13:34:13.47
じゃあ係累の清原真人氏は筋目正しいもののふの家なんだな
299日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:35:35.18
高市皇子の母系を見てみ。
胸形(宗像)氏=宗像大社 因みに壬申の乱で大きな軍事的役割を果たした尾張氏=熱田神宮は
同族である(海人氏)
さらに後の世の源氏の尊崇を集めた八幡宮の総本社宇佐八幡宮は宗像大社の流れを汲む。
300日本@名無史さん:2011/05/26(木) 16:49:58.61
関係無いと言われるかもしれないが
壬申の乱とは白村江で敗戦し東アジアに於けるパワーバランスの中で
孤立した天智(近江)朝に対する海人族の軍事クーデターである。
301日本@名無史さん:2011/05/26(木) 17:01:40.47
墾田永年私財法で私有地を手に入れた有力農民が土地を護るために武装し、
もっと有力な者の保護を求めて武士団が形成される。その武士団の
頂点に立ったのが、都で出世できずに国司として赴任して土着した貴族だ。
これが真実。
302日本@名無史さん:2011/05/26(木) 17:51:06.16
>>301
50年前の文部省推奨
303日本@名無史さん:2011/05/26(木) 18:49:48.42
304日本@名無史さん:2011/05/26(木) 19:17:11.95
やってしまった・・

>>300
継体〜斎明までと、天武〜称徳までが同系天皇で久米氏系。
この間、あいだの天智天皇だけが別系(大和系)天皇で、白村江敗戦後(668年)に大津で天皇位に即位し、
戦勝国盟主である唐に対して、唐に逆らった賊(=斎明までの久米氏系天皇政権)を倒したので自らの政権を認めてほしい旨交渉してそれが承認され、領土の割譲を免れることに成功する。
しかし、前政権側の天智に対する反発心はすさまじく、天智没後、大海人を担いだ前政権側の久米氏勢力が再び政権を奪回する。
305日本@名無史さん:2011/05/26(木) 22:10:26.64
久米氏は現在のどのあたりを支配してたんでしょうか?
306日本@名無史さん:2011/05/26(木) 22:18:38.26
久米宏は武蔵七党児玉党族久米氏の末裔
307日本@名無史さん:2011/05/26(木) 23:58:59.38
>>305
久米(来目)は北九州が元来の本拠地だよ。熊襲と境を接していた。
308日本@名無史さん:2011/05/27(金) 00:01:34.02
>>307
岡山の久米郡は関係ないのでしょうか?
309日本@名無史さん:2011/05/27(金) 03:29:48.52
裏朝廷は海人族が支配している。
310日本@名無史さん:2011/05/27(金) 03:51:01.00
>>307
筑後川流域と推定されてる。
311日本@名無史さん:2011/05/27(金) 13:12:13.17
>>308
久米は播摩(鴨氏)と強く繋がっていた。岡山には播摩の属領的な地域もあったので、岡山(美作)の久米郡はその関係かもね。
他にも伊予、伯耆などの久米郡も当然久米氏と関係あると思われる。
特に伊予は元はやはり播摩の勢力が大三島経由で進出したものであり(大山祇神社祭神である大山積神は元々播摩鴨氏の主祭神。鴨氏の移動とともに播摩→大三島→伊豆などに移動)、それと連動する形で久米氏勢力もかなり伊予方面に進出していたものと考えられる。

>>310
そうだね。いまの久留米がその本拠じゃないかな。
312日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:03:43.12
313日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:15:10.93
海人族そのものの戦闘能力が高かった訳ではなく
交易を通じて取り込んだ渡来系軍事氏族や財力がその力の源泉だったんじゃないの
314日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:19:28.04
そうすると武士の起源は継体朝あたりまで遡れそうだね。
315日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:43:46.64
>>311
ありがとうございます。
岡山が属領的地域だったとは知りませんでした。
度々すみませんが、鴨氏や久米氏と清和源氏は関係ありますか?
316日本@名無史さん:2011/05/28(土) 08:58:59.77
確か近藤氏の本で8世紀の鴨社例大祭での騎射奉納について触れていたな。
317日本@名無史さん:2011/05/28(土) 09:48:12.59
久米氏と同族の大伴氏、その支族の中臣氏の故地は九州北部だよ。
天孫族の東征の先導をして大和に進出したと言われてる。
318日本@名無史さん:2011/05/28(土) 11:09:19.20
>>317
大伴氏も中臣氏も久米氏も瓊瓊杵尊に従って天下りしたことになってる。
つまり本拠は日向だ。
319日本@名無史さん:2011/05/28(土) 11:34:42.77
蝦夷や俘囚兵強すぎ、まさに蝦夷無双
320日本@名無史さん:2011/05/28(土) 11:39:55.34
本拠は現在の大分県直入郡という研究もある。
321日本@名無史さん:2011/05/28(土) 11:47:29.77
今ここでの論題に沿ってくれ頼むから。
322日本@名無史さん:2011/05/28(土) 13:15:38.75
>>315
吉備の一部ね。
渡来人の入植地だった吉備や丹波の勢力に、日本土着系の播摩の方が元々は侵食されかかっていたの。岡山のは「羅」とか「温羅」とか言われている奴ら。播摩勢力はこれら「温羅」や丹波や北陸の「越」のような渡来人勢力を「鬼」と呼んでいた。
そこで南方から来た製鉄技術をもった集団(隼人の一部)を受け入れて製鉄技術を習得し、また播摩の山間部からは砂鉄地が発見され自前で鉄を調達できるようになったこともあり、強大化した播摩は岡山の渡来人勢力を駆逐するようになっていく。
更に後の仲哀帝(大和系)やその妃の神功皇后(久米系)の時代に三韓征伐に与力して九州に赴く途中、播摩鴨は与力した報償として仲哀帝に、憎き敵の地である吉備の一部を望み、それが叶えられた。
桃太郎はそれらが合わさって伝説化したお話。
323日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:25:06.89
>>315
> 鴨氏や久米氏と清和源氏は関係ありますか?

う〜ん、清和源氏は確かに八幡菩薩を奉じているけど、むしろ秦氏他渡来人系伴造集団との関係の方が深いような。
まあ清和にしろ、陽成にしろ光仁以降の大和系子孫と考えれば、
大和と播摩鴨と久米は密接に(もう殆んど糾える縄の如くに)姻戚関係などで絡まってきているので、「関係ある」と言えるのだろうが、どうもそれだとこじつけの域を出ない感じかな。
むしろ、伊勢平氏の方が(旧)播摩勢力の血が入り込んでいる。
324日本@名無史さん:2011/05/28(土) 20:25:39.37
最初から本当に鬼と呼んでたのですか?
325日本@名無史さん:2011/05/28(土) 21:14:19.48
渡来系勢力の一部から虐待を受けてたからね。
326日本@名無史さん:2011/05/29(日) 03:57:07.89
久米=熊襲?
327日本@名無史さん:2011/05/29(日) 04:53:15.17
武士って平安中期に成立したんじゃないの?
328日本@名無史さん:2011/05/29(日) 05:06:11.77
1万年前の縄文時代から続く狩猟の風習が起源でいい。
329日本@名無史さん:2011/05/29(日) 05:50:06.00
ブスの起原なら半島だね
330日本@名無史さん:2011/05/29(日) 07:23:55.30
>>329
つ鏡
331日本@名無史さん:2011/05/29(日) 08:06:03.59
>>327
武士に限らず「家」は王朝期に成立。
院政期に「家業」が固定化された。
今、ここでの議論は武士の起源だよ。
332日本@名無史さん:2011/05/29(日) 08:22:27.30
墾田農民の武装、在地領主性、これが武士発生を理解する
キーワード。職能起源説、等々は枝葉末節。
古代奴隷制から中世封建制への移行がどのように進行したかを
階級闘争の視点から考察しなければ社会科学としての歴史学にはならない。
333日本@名無史さん:2011/05/29(日) 08:54:18.60
武装しても戦闘技術(騎射など)が無ければ武士へは繋がらない。
だから、その技術はどこから伝播しどのような人々が担っていたかを究明しなければ
武士論はなんら意味を持たない。
334日本@名無史さん:2011/05/29(日) 09:04:00.36
世界史的に見ても農民から封建領主への階層移行はない。
ドイツのユンカーは貴族や宮廷官僚の庶流の末裔。
335日本@名無史さん:2011/05/29(日) 09:22:25.02
「狩猟民」だけをクローズアップしても
「縄文人系狩猟民」「渡来人系狩猟民」「蝦夷狩猟民」「逃散農民型狩猟民」
さらに「生活生産の為の狩猟」「儀式祭祀の為の狩猟」を分類検証しなければならない。
336日本@名無史さん:2011/05/29(日) 09:31:58.06
日本社会が奴隷制→封建制→資本主義へと法則的に発展して来た中で
武士階級はどの歴史的段階でどのような歴史的役割を果たしたかを
解明するのが科学的歴史学の任務。騎射戦術の起源がどうのこうのは
軍事オタに任せとけ。
337日本@名無史さん:2011/05/29(日) 09:43:55.28
高い戦闘技術を保持し「穢れ」の思想が薄いのは
「渡来人系狩猟民」と「蝦夷狩猟民」だね。
338日本@名無史さん:2011/05/29(日) 10:41:00.87
基地害の連投自演はもうウンザリなんですわ
339日本@名無史さん:2011/05/29(日) 11:16:33.48
渡来人系狩猟民w

造語乙
340日本@名無史さん:2011/05/29(日) 12:31:16.26
やけに渡来人を押したい人が一人居るよね
341日本@名無史さん:2011/05/29(日) 13:40:55.39
>>326
隼人、熊襲が元々同族。
そのうち隼人には南方から製鉄技術を有した集団が渡来してきて隼人族の首長となっていく。つまり、隼人自体が複数の部族から成る製鉄技能集団となり、熊襲とは分化していく。
また、隼人は交易集団でもある。鉄も自領からは産出しないので輸入で手に入れる他なかった。
久米は元々真珠貝の採取に優れており、その真珠で隼人の鉄製品と交易していた。
真珠は大陸で珍重されたので、隼人は鉄の原料を得るために久米と積極的に取り引きを行うようになり、それで久米も栄えて行くこととなる。
熊襲はこの三者の中でちょっと置き去りにされた感じ。
尚、日本神話の海幸彦は隼人のこと。隼人は鉄製品を近隣部族(特に熊襲に)に貸し与えることで利益を得ていた。神話において山幸彦に貸し与えた(交換した)「鉄の釣り針」の話はまさにそのことを表している。
342日本@名無史さん:2011/05/29(日) 17:00:48.09
古墳時代の豪族と武士って似てないかい
両方武装した領主だし
343日本@名無史さん:2011/05/29(日) 18:16:05.70
>>341
>南方から製鉄技術
どこからの製鉄技術なの?
344日本@名無史さん:2011/05/29(日) 18:52:42.40
>>339
クグツの生活様式の一端だろ
345日本@名無史さん:2011/05/29(日) 18:53:32.53
基地の自演はもうウンザリ
346日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:06:35.34
>>342
信濃、上野など東国古墳の副葬品に馬具や武具の遺物が多いことから
武士の淵源を名も無き古代地方豪族に求める向きが古代史、考古学にはある
347日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:23:49.08
>>345
もう帰れよ。
それより南方系の製鉄を示せよ。
348日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:27:21.06
>>345
ウンザリで済ますバカはお前だろ?
349日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:30:28.51
>>348
そのとおり。
350日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:34:26.67
江南台湾工作員はここにも居るのか。
351日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:42:53.50
南方系製鉄技術は一体どこから?
352日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:46:31.44
武士の起源と少しずれるるが……
小浜基次が昭和二十年代に調査した、各地の頭長指数が気になってる。
日本人二重構造モデルのヒントになった論文。

近畿と西日本が短頭で、東日本と西南日本が中頭。
アイヌが長頭なんだ。
そしてその短頭の地域で、人権問題が深刻になってる

これは決して偶然ではないと思う。
353日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:51:59.68
短頭は現朝鮮民族だろ
354日本@名無史さん:2011/05/29(日) 20:54:25.71
南方系製鉄技術とは?
355日本@名無史さん:2011/05/29(日) 21:04:43.35
なにこの堂々とした自演はw
356日本@名無史さん:2011/05/29(日) 21:13:50.99
なんか三流アマチュアの民俗学趣味の電波が酷すぎる
357日本@名無史さん:2011/05/29(日) 21:15:09.34
>>355
南方系の製鉄のソースを示せよ。
358日本@名無史さん:2011/05/29(日) 21:17:43.01
>>356
アマチュアと思うならそのレスと論拠を示せよ。
359日本@名無史さん:2011/05/29(日) 22:40:24.61
言い訳メイビー
360日本@名無史さん:2011/05/29(日) 22:50:56.09
堂々と自演しといてアマチュアの論拠示せとか自演指摘されてソース示せってこいつマジ基地だな
361日本@名無史さん:2011/05/29(日) 22:54:59.54
>>360
基地で結構。
ソース示せよな。
362日本@名無史さん:2011/05/29(日) 22:59:08.69
南方の製鉄(笑)
363日本@名無史さん:2011/05/30(月) 00:07:15.63
基地でけっこう(キリッ
364日本@名無史さん:2011/05/30(月) 00:19:50.03
たぶん2ちゃんで電波系民俗学趣味のスレッド建てて自分で書き込むのがこいつのささやかなライフワークなんだよw
リア基地はほっとけって
365日本@名無史さん:2011/05/30(月) 00:36:09.15
そういえば人権問題(最早過去の遺物)って西日本の歴史ある町ばっかり。
366日本@名無史さん:2011/05/30(月) 00:55:29.65
電波が一人で延々と自演するスレ
367日本@名無史さん:2011/05/30(月) 01:28:28.67
>>365
リア基地害自演乙〜
368日本@名無史さん:2011/05/30(月) 01:40:15.59
>>343
確証は持てないが呉とか越とか楚とかそのあたりではないだろうか。
彼らが南九州に渡来し土着民と融合して製鉄の民、交易の民隼人となっていく。
ただし>>341で言ったように隼人の地は鉄を産しないので交易でそれを賄う一方、彼らは国内(列島内)にも産鉄地を求めて各地に調査隊を派遣する。
日本神話における大和東征神話も実体はその調査隊のようなもので人数も極少数(30人前後くらい)のものだった。
彼らは海路河内に上陸し、そこから大和に入ろうとしたところで大和の土着勢力の攻撃に会いリーダーの兄(イツセ)が命を落としてしまう。
>>322で言った播摩が受け入れた隼人とは実はこの時大和に討たれて引き返してきた一行のこと。
リーダーの名前はウル。
ウルの一行はこの播摩の地で製鉄技能をさずけ、一生を終えることになる。
この隼人を迎え入れた播摩、そして久米などが密接に結び合わさって、のちの本当の意味での「大和東征」が行われることとなる。
ざっくり言うと彼ら(の後裔)がのちのヤマト王権を構成する母体となって行く。
369日本@名無史さん:2011/05/30(月) 01:42:10.61
リア基地外まだ自演してるよ(笑
370日本@名無史さん:2011/05/30(月) 05:46:14.69
人権問題じゃなくて"同和問題"と書け。歴史板でくだらん婉曲表現使うな。
371日本@名無史さん:2011/05/30(月) 08:04:02.40
まちBBSではレス即刻消された。
中学に同和地区あったけど自分の代は同級生も保護者も特に問題なかった。
最近のモンスターペアレンツの方がよっぽど凄まじい。
噂ではあの場所が日本で最も古い部落らしい。
372日本@名無史さん:2011/05/30(月) 09:14:25.02
モンスターは童話と在日ばかりだよ。
373日本@名無史さん:2011/05/30(月) 09:33:47.13
それは偏見。
自分の知ってる限りではね。
あなたは同和と呼ばれる地域の子と机を並べて勉強しましたか?
一緒に修学旅行に行きましたか?
374日本@名無史さん:2011/05/30(月) 20:59:34.48
俺の予想通りに古代妄想自演連投のマジ基地による同和問題ネタになったな
こいつ何年間も2ちゃん人権板とか日本板で部落とか在日朝鮮人とか菊池山哉とかのネタで馬鹿みたいにガンバってるリアル基地外だからなw
こいつはたぶん学と金と社会性が無くてリアルに貧窮してる社会不適合者だよ
ほっといて晒し者にするしかないが誰も見てないから己の愚行に気づく機会も無い哀れな廃人
375日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:39:03.86
同和かあ。
俺んとこは学校や子供の家に怒鳴りこんでいったりするのは決まって同和の親やったな。
俺が同和の子と喧嘩した後に俺の家まで親が何回か来た。
まあ、モンスターかどうかは知らんがなあ。
376日本@名無史さん:2011/05/30(月) 22:44:20.30
>>375
おまえ身元や名前は割れてるからとことん追い込んでやるけどいいな?
377日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:47:14.10
自演で喧嘩とかありきたりだけど自演するやつの精神構造がしりたくなった
378日本@名無史さん:2011/05/30(月) 23:56:16.49
太田亮と菊池山哉が好きなんですね?
379日本@名無史さん:2011/05/31(火) 00:01:05.09
>>376
おまえアホやな。
375で書いたのはこのスレでの2回目の俺の書き込みやで。
380日本@名無史さん:2011/05/31(火) 02:00:33.18
2ちゃんで口語体関西弁
自演マジ基地の典型的パターンだなw
381日本@名無史さん:2011/05/31(火) 02:04:47.92
2ちゃんで関西弁=関東人だろ
382日本@名無史さん:2011/05/31(火) 10:28:11.57
武士=貴族の随身、従者、用心棒

383日本@名無史さん:2011/06/02(木) 01:35:41.28
384日本@名無史さん:2011/06/02(木) 05:17:26.67
武士=武装開拓農民
385日本@名無史さん:2011/06/02(木) 06:24:45.42
上(中央)からは軍事貴族(4〜5位の諸大夫、6の侍品)が受領、押領使、追捕使などとして下向、
下(地方)では多くは国造などに系譜を持つ郡司・富豪層が健児制のもと世襲軍人化。
王朝期に国衙への大幅な権限移譲がなされ、その両者が結びついたもの(国衙軍制)それが武士。
386日本@名無史さん:2011/06/02(木) 11:37:18.90
>>384   0点
>>385  65点
387日本@名無史さん:2011/06/02(木) 13:42:56.56
武士=俘囚、放免が系譜である穢れ仕事をさせられていた肉弾奴隷
388日本@名無史さん:2011/06/02(木) 14:16:21.54
>>382  33点
>>387  25点
389日本@名無史さん:2011/06/02(木) 18:44:13.32
訂正
>>387  −25点
390日本@名無史さん:2011/06/02(木) 19:13:23.78
武士=開発領主
391日本@名無史さん:2011/06/02(木) 19:21:04.87
あと30年もたてば軍事貴族説も国衙論も
「昔の人はこんな珍説信じてたんだ、プッ」って扱いに変わるだろうな
392日本@名無史さん:2011/06/02(木) 20:22:35.89
>>391
軍事貴族説と国衛論ってなんだ?
393日本@名無史さん:2011/06/02(木) 20:29:25.33
>>392
ggrks
394日本@名無史さん:2011/06/02(木) 20:37:38.37
国衙軍制論は今時点でもすでに「そんなにシステマチックに機能してたか疑わしい」と唱える学者もいる。

職能論(軍事貴族)は、
王朝国家期以降の朝廷において軍事動員が必要な事態になった時、
その責任者に任命された者たちの顔ぶれ(満仲、千晴、春実、直方、頼信、頼義、頼俊、義家、義綱、正盛、忠盛、清盛、義仲、頼朝、義経、秀康、etc)が全て承平・天慶勲功者(=軍事貴族)子孫であることからも、
細部はともかくその根幹が大きく書き換えられることはもう無いんじゃないかと思う。

395日本@名無史さん:2011/06/03(金) 00:01:30.54
軍事貴族(笑)とは言われてそう
396日本@名無史さん:2011/06/03(金) 00:06:24.46
???
397日本@名無史さん:2011/06/03(金) 02:57:58.12
武士=西洋でいうところの騎士
398日本@名無史さん:2011/06/03(金) 02:59:31.47
中世の人間はみな武装していた。
399日本@名無史さん:2011/06/03(金) 08:36:49.53
>>397
武士団棟梁が武士であり王臣末裔ということ
騎乗身分の領主ということ
400日本@名無史さん:2011/06/03(金) 11:18:43.65
武士=今でいうところの暴力団が警察権を持った状態
401日本@名無史さん:2011/06/03(金) 14:21:58.25
武士=インフレ状態になった支配層

402日本@名無史さん:2011/06/03(金) 18:41:21.43
藤原利仁って何した人。芋粥しか知らないが、いちおう鎮守府将軍だったんだね。
403日本@名無史さん:2011/06/03(金) 20:45:25.76
北陸の王者富樫介の祖だよ
404日本@名無史さん:2011/06/03(金) 23:04:03.25
>>402
藤原北家魚名流。
祖父は越前守高房、父は民部卿時長、母は越前国の豪族・秦豊国女、妻は越前敦賀の豪族・有仁女。

関白藤原基経に仕え、
延喜11(911)年上野介、
同15(915)年鎮守府将軍、
同16(916)年上総介に任じたとされる。

しかし、これらの経歴は全て尊卑分脈など後世の史料の記載によるもので、確実な史料からは確認出来ない。
唯一、「侍中群要」に藤原「利平」が延喜14(914)年に鎮守府将軍に任じられた記事が見え、この「利平」が「利仁」の誤記なのであろうとこれまでは考えられてきた。
しかし、藤原北家内麻呂流に藤原利平は実在しており、時代的にも符合することから、今日では利仁の鎮守府将軍補任は疑問視されるようになりつつある。
405つづき:2011/06/03(金) 23:27:32.76
何よりも、平高望らとともに延喜期の東国に赴き、当時同地で蜂起していた群党の鎮圧に功を立てたとされるわりには、
坂東の地に利仁の子孫が勢力を築いた痕跡は認められず、
従って次の時代に起こった承平天慶の乱(将門の乱)においても、
あれほど坂東の地を騒がした大争乱であるにも関わらず、
将門側、貞盛・秀郷側いずれの側にも、その与党として利仁流の人物の名が一人も上がってこないのが不可解。
この点、高望流とは大違いである。
406日本@名無史さん:2011/06/04(土) 00:13:41.01
407日本@名無史さん:2011/06/04(土) 01:30:15.34
>>400  100点
408日本@名無史さん:2011/06/04(土) 01:45:19.31
>>404 >>405
検証の余地あありますね。
今後の研究成果が待たれるところであります。
409日本@名無史さん:2011/06/04(土) 06:22:38.51
ゲルマン戦士みたいなもので、傭兵的な縄文系戦闘集団が
土着、支配層化したのでは?
410日本@名無史さん:2011/06/04(土) 07:44:49.99
スキタイは遊牧スキタイと農耕スキタイの二層構造であり
かつての農耕異民族を支配下に置く軽装騎兵である遊牧スキタイが支配者である。
古ゲルマン社会は農耕牧畜社会でありゲルマン戦士とは歩兵中心であったと思われるが
時代が下り支配者階級である騎士が重装騎兵であったことは日本の武士と共通し興味深い。
411つづき:2011/06/04(土) 07:50:46.29
農耕社会が重装騎兵を維持するのは土地の生産性との相関関係において他ならない。
412つづき:2011/06/04(土) 08:44:23.08
古代末期の坂東の地は耕地及び牧の生産性が優れて高く、また平安海進により
内陸部まで水運が発達し氷川神社など富の集積拠点が考古学的に発掘確認されている。
その東部地域で粗鋼生産が有ったことを裏付ける炉の跡も発掘確認されている。
413日本@名無史さん:2011/06/04(土) 17:27:39.35
鉄と馬か。
平将門の領域周辺ではどっちも発見されてるな。鉄原料や鉄生産品とその輸送は一体のものだったろうからな。
414日本@名無史さん:2011/06/04(土) 23:21:38.90
常陸と下総と鉄と馬と福田豊彦
415日本@名無史さん:2011/06/04(土) 23:57:05.00
尾崎前山製鉄遺跡(茨城県結城郡八千代町尾崎)

長洲馬牧(茨城県岩井市長須)

大結馬牧(茨城県結城郡八千代町大真木)
416日本@名無史さん:2011/06/08(水) 01:15:21.46
417日本@名無史さん:2011/06/08(水) 01:17:16.41
418412:2011/06/09(木) 02:40:42.80
戦場において対峙した敵を「ものの数ではない」という言葉があるが、現代語に訳せば
「正式の戦闘員(=武士)の数ではない」ということだ。
一人の武士(=重装騎兵)には準戦闘員の郎党(この場合、武士身分ではないが騎乗資格を有する者)、
補助戦闘員の従者、非戦闘員の馬の轡持ち、荷駄要員等10人以上が付随する。
鎌倉幕府軍10万騎、20万騎の表現は実際には数千人の武士=重装騎兵のことであり
諸国追捕使の動員は数百名程度の武士であったことと推測される。
419412:2011/06/09(木) 04:13:02.63
一国数百名の武士=重装騎兵の数は偶然にも健児の数と一致する。
それが物語っているのは重装騎兵の維持と土地生産性の相関関係に他ならない。
多少土地生産性の向上が有ったとしても中世以前は緩やかな漸増に過ぎない。
古代内乱の鎮圧勲功者子孫を取り込んだ母系こそ国造系郡司層、伴造古代軍事氏族
等の富豪層であったことを示唆している。
420日本@名無史さん:2011/06/09(木) 05:10:11.53
>>418
一騎は騎馬武者とそれに従う者をひっくるめた単位だろ。
「七騎落」は名のある武者七騎だよ。
421日本@名無史さん:2011/06/09(木) 07:38:07.84
佐藤進一氏や上横手雅敬氏によると、
中世武士の郎党には、主人に隷族的な郎党と、
契約による同盟者的な郎党との2種類があるそう。

422日本@名無史さん:2011/06/10(金) 03:55:58.60
>>420 25点
423日本@名無史さん:2011/06/10(金) 04:01:19.39
>>421 90点
424日本@名無史さん:2011/06/10(金) 04:03:25.32
「ものの数」である武士の部屋ずみは郎党になったの?
425日本@名無史さん:2011/06/10(金) 04:30:20.96
>>115
>官人として武装しており、律令官制の中で 訓練を受けた常勤の公務員的存在
>ただし、官人として武に携わることを本分とした武装集団ではあった。

この違いがよくわからない。武装とかの必要経費を自費負担するってこと?
ていうか、武官と武士が同時に存在してた時代もあるんだろうけど、
互いのことはどう思ってたんだろうか。
「武官やってるけど食えないから武士になるか」とか思ってたんだろうか。
426日本@名無史さん:2011/06/10(金) 05:03:13.86
軍事貴族たる武士が軍事官人や健児を配下に取り込んでいったんじゃないの?
427日本@名無史さん:2011/06/10(金) 06:41:23.94
中央軍事貴族が、武装原住民や俘囚放免を
取り込んでいつたんだとおもう。
428日本@名無史さん:2011/06/10(金) 08:23:31.75
点数つけてる奴って上横手オタか。
くだらねえ
429日本@名無史さん:2011/06/10(金) 12:02:00.74
百済ネエ
430日本@名無史さん:2011/06/10(金) 20:30:31.66
言語としての武士なんてのは存在しない

階級、地域、言語として武士は存在しない。

元は将門国の坂東国、坂東平氏、それが最初の守護団、武士といわれた守護団の走りだよ。

最初の武士が誰かってーと坂東守護
で、あとは近隣の源氏がリスペクトうけて、12〜13世紀までにこうをたてたのが
大半の守護団、戦国武将

だから、戦国なんかは大半が12世紀の坂東守護ないし、近隣の守護が末裔なんだよね。
で12〜13世紀にちったのが戦国武将だよ。

で、たまにキチガイ上杉とか
守護じゃなくて、農民、守護がぶっころした公家の末裔
奥州征伐の残党
守護じゃない

で江戸以降のキチガイは、あれは武士でもなければ家系でもなく
ただの主に、おわり付近はいかのヲマエ農民だろなやつ。山内みたいなアホも農民だろうな。
正式な守護、武士みたいなのは
島津、伊達、足利?相馬?とかじゃないの?
江戸以降きゅうにでてきたのはなし
431日本@名無史さん:2011/06/10(金) 20:33:14.18
学術的には

そもそも武士という言語がない。
武士という階級すらあやしい、実質役職でしかない

厳密には
坂東国、坂東守護走りの12〜13世紀にちっていった、守護、戦国武将、源氏流、平氏流
が武士という

これが学術的定義だが、厳密には武士という言語が存在してない。
つわもの、もののふ?、守護
としかいわない。
侍というのは、あれは農民だろうと階級とわず、優秀で官公につとめてるのを侍といった
だから、武士?でも侍とはいわなかった。
432日本@名無史さん:2011/06/10(金) 20:33:47.68
だから武士そのものが

そもそも
定義が空想かつ妄想

だからその妄想について漫然でしかないし、学術、学説でもない
433日本@名無史さん:2011/06/10(金) 21:08:34.59
武士=中世日本に発生した(聖職者以外の)支配階級

というだけの話
中世の支配階級が自ら武装しているのは当たり前のこと。
434日本@名無史さん:2011/06/10(金) 21:14:15.99
>>430 >>431 >>432
勘弁してくれよ。
現在の武士論を蒸し返すなよ。
それを究明するのが学問だろ?
435日本@名無史さん:2011/06/10(金) 21:19:18.40
>>433
中世というものを考えてみよう。
中世とは近代になる為の必要条件とした歴史学者の所業じゃないのか?
436日本@名無史さん:2011/06/10(金) 21:31:35.56
「武士」が空想かつ妄想だったら
「中世」なんてなおさら空想の産物だよね
437日本@名無史さん:2011/06/11(土) 00:22:47.90
古代半島で発生したキャバクラブス
438日本@名無史さん:2011/06/11(土) 02:28:47.31
>>430-431
「武士」という語は奈良時代初期には初見しますよ。

『続日本紀』巻八養老五(721)年正月甲戌《廿七》◆甲戌。(中略)又詔曰。
文人武士。國家所重。醫卜方術。古今斯崇。宜擢於百僚之内。優遊學業。堪爲師
範者。特加賞賜。勸勵後生。」

(訳)また次のようにも詔した。
文人と武士は国家の重んずるところであり、医術・卜筮・方術は昔も今も貴ばれる。百官の中から学業を深く修め、人の模範とすべき者をあげて、報奨を与え、後進を励ますこととしたい。
439日本@名無史さん:2011/06/11(土) 14:47:56.93
軍事貴族論とは別に
実際の戦闘武力としての武士の一考察ではあるが
下向井龍彦氏の律令下に於ける国衙軍制論に準拠して論ずるならば、「弓馬の便なるもの」
を登録し追捕官符により動員され武装する権利を持った者が武士であろう。
近藤好和氏の論を引用するならば武士の戦闘技術は律令期から王朝期まで断絶しておらず
騎射(馳射)の技能は6世紀にまで遡ることが出来る。
従って「武士」と「中世」を結びつける論こそ全く無意味である。
440つづき:2011/06/11(土) 15:08:37.57
日本の封建制「中世」は王権によってもたらされたものであり、新時代を画した主役が
獲得し打ち立てたものではない。
軍事的政治的有力者に委任され領封されただけであり、承久の乱を端緒として南北朝の
争乱を経て足利義満で完成と捉えるのが日本の「中世」の正しい姿である。
さらに言及するならば日本には「近世」は存在せず、幕藩体制は「中世」の継続であり
西南戦争でいきなり「近代」に突入した稀有な国家である。
441つづき:2011/06/11(土) 16:20:17.97
平安、鎌倉、室町前期までの「荘園」はプランテーションであって領邦ではない。
守護大名の登場をもって西欧封建制に比肩しうる「中世」に移行する。
442つづき:2011/06/11(土) 16:46:48.52
律令制度以降の日本の歴史は
古代王朝国家  →  建武の親政失敗、南北朝合一(古代王朝の終焉)
鳥羽法皇の院政開始 ← 中世の萌芽
従って両者(古代王朝とプレ中世)が拮抗共存した時代が少なくとも300年続いたことになる。
443本田:2011/06/11(土) 17:12:05.15
いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1287805800/425-525
>521 :日本@名無史さん:2011/05/26(木) 20:17:17.19
> 足軽=賎民
> もともと朝廷の警察権力であった武士は戦闘にあたって土民を徴発できた
> 農民を動員しすぎると農業生産に障害が出るから山地や川地の賎民を狩り出すことも多かった
> 賎民は原住民系、渡来系双方あったが朝廷権力から捨てられていた階層が室町時代、初期戦国時代の原動力となった
> 応仁の乱でも足軽層の位置付けは、生きた盾であって正規戦闘員でない
> 住民皆兵に近くなるのは戦国後半である
> 信長は弾正つまり賎民監督官、豊臣秀吉と徳川家康は自身が賎民出であったから江戸時代にいたって古代の貴賎は逆転したとも言える
> やくざ文化が武士文化の影響を強く受けているのは
> 武家に付属した賎民が江戸時代に博徒となり武家屋敷で賭場を開いて武士の裏経済を支えていたからだ
> 系図は偽造と思ってよく江戸時代のほとんどの武士が戦国勝者になれた賎民の末
>
> したがって足軽も立派な武士である
444日本@名無史さん:2011/06/11(土) 22:41:11.85
近藤義和はもとより軍事貴族説の一派。
下向井も軍事貴族の亜種にすぎない。
言ってること、最初から変。
445つづき:2011/06/11(土) 23:18:28.44
>>444
前置きとして改行して書いてるだろ?
軍事貴族論をおいて置いたとしてもの意。
446つづき:2011/06/11(土) 23:29:43.10
武士の成立と時代区分の中世は全く一致してないということ。
447日本@名無史さん:2011/06/11(土) 23:37:38.06
>>444
んだね。
仮に戦闘法(特に騎乗戦術)が律令期から続いてるものとして、
よって武士の起源も同時期まで遡らせることが出来るなんて考えることとは全く別。

武士は過去ログでも多く言われてるように、やはり王朝時代における「家」の確定期(それは従来の母系・双系制社会から父系制社会への移行、そして確定期ということでもある)、
そしてそれに伴う家業の成立(期)と軌を一にしていると見るべき。
そして武においてその家業化を担うことが許されたのは、
やはり既に多く言われてるように第一に寛平・延喜勲功者子孫であり、そして更にそれを強固にした形での承平・天慶勲功者子孫たち。
448つづき:2011/06/11(土) 23:47:42.64
少なからず王権の守護と考えていた武士が南北朝時代までいたということ。
449つづき:2011/06/11(土) 23:57:31.04
「家」の確定期は王朝期ではなく院政期だよ。
その院政も今上天皇の家長の資格で担保された。
450日本@名無史さん:2011/06/12(日) 00:02:27.51

いや気付いて直そうと思ってたところ。ご指摘には感謝する。
しかし、大勢に影響はないよ。
451つづき:2011/06/12(日) 00:21:48.27
近藤好和が武士の戦闘技術が律令時代から継続していると著述しているのは
「院政の展開と内乱」元木泰雄(編)吉川弘文館 の中でだよ。
元木泰雄は懐深いね。
452つづき:2011/06/12(日) 00:27:50.40
即ち一流の学者でも「武士論」に定説を提唱できない程慎重だということ。
453日本@名無史さん:2011/06/12(日) 00:36:15.75
戦闘技術の継続性については高橋昌明氏も唱えてるね。
近藤氏とは若干趣を異にしてるようだけどね。
高橋氏は衛府武官、特に近衛府武官との戦闘法の連続性を主張してる。騎乗戦術だけでなく歩射等も含めて。
この2人ちょっとやり合ったことがあるらしい。
454日本@名無史さん:2011/06/12(日) 00:40:08.33
>>447
>仮に戦闘法(特に騎乗戦術)が律令期から続いてるものとして、
>よって武士の起源も同時期まで遡らせることが出来るなんて考えることとは全く別。

同意。
武器や武器の使い方は武士とは関係ない。
それ言い出したら、
刀や甲冑の起源は古墳時代。
和弓や弓術の起源に至っては縄文時代まで遡ることになる。

>>452
五味文彦氏の言うことは
頑なな軍事貴族論者以外の中世史研究者には広く受け入れられてると思うけどね
455日本@名無史さん:2011/06/12(日) 00:41:58.45
>>453
ちょっとやり合ったどころじゃなくて
むしろいつもやりあってる印象なんだがw
高橋の「武士の射撃技術は低下した」に対して
近藤が「武士はいつだって最強だ」と反論するw
456つづき:2011/06/12(日) 00:54:22.63
>>454
日本の中世の認識はこれでいいのか?
12世紀は中世初期なんかじゃないよ。
11世紀から14世紀中葉までは古代王朝と(仮)プレ中世の並立時代だよ。
457日本@名無史さん:2011/06/12(日) 01:05:54.39
なにもヨーロッパの中世と日本のそれとをピタリと完全に一致させなければならないというものでもあるまい。
日本なりの中世というものは10c初頭の王朝国家時代の幕開け(=律令制の弛緩ないしは実質的な崩壊)とともに始まっているとみることに、さして無理は感じないしな。
458日本@名無史さん:2011/06/12(日) 01:07:49.67
弓射儀礼(歩射)の成績(『中右記』、『吾妻鏡』)
          回数 命中 命中率 射手数
1096年(京都) 140  11  7.9(%)  14  最高成績:源明国(多田源氏) 40%
1260年(鎌倉) 240  181 75.4(%)  12
459つづき:2011/06/12(日) 01:15:29.98
>>457
始まった時期を言うのであれば
武士の始まった時期は軍事面で言えば6世紀にまで遡ることができる。
460日本@名無史さん:2011/06/12(日) 01:27:11.94
>>459
いやだからそれは「武士の起こり」ではなくて、あくまでも律令期(以前)から武士成立期に至るまでの「戦闘技術の継続性」というこどだろう。

そして技術(の一部)が継承されるなんてのは当たり前のことなんだよ。
逆に言えば、戦闘技術が前時代からの何の脈絡もなく王朝期になって突然ゼロから湧き起こったなんて考える方がよほど不自然なんだよ。
繰り返すけど、それと家業としての武の家(すわなち武士)の成立とは全然別のこと。
こんなことは高橋昌明氏も下向井龍彦氏も否定してないと思うが?
461つづき:2011/06/12(日) 01:35:12.11
東漢氏系坂上田村麻呂の説明はどうつけるんだ?
直系の先祖は壬申の乱、恵美押勝の乱鎮圧にも活躍してるぞ。
462日本@名無史さん:2011/06/12(日) 01:35:37.29
近衛舎人は弓矢を具すといえども武勇には及ばぬものなり。
(『続古事談』)
463つづき:2011/06/12(日) 01:39:56.83
大蔵氏、佐伯氏の説明はどうつけるんだ?
464つづき:2011/06/12(日) 01:42:02.12
>>462
特定の武門の系譜が認められてたってことだね。
465つづき:2011/06/12(日) 01:54:20.85
>>460
それは社会システムが家業固定化の流れに即して「武門の家」に押し込められただけのこと。
例えばそれ以前の橘氏からは著名な文人も輩出されてるし第一勲功者の家じゃないのか?
466日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:03:54.62
>>460が言ってる「武士の起こり」と「戦闘技術の継続性」が別物だっていうことに
正面から反論すべきでは?


ところで軍事貴族論者に言わせると、平安前期・中期くらいに
弓馬の技の伝承を受けた貴族、すなわち「武士」って
同時代に数十〜数百名くらいしかいないってことになるのか?
どうなの?
467日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:11:07.12
馬具も実戦向きに進化していってるし、前代の技術なんてお笑い草でしかないよ
カビの生えたような故実ならば、それはそれで結構なんだろうけど
468つづき:2011/06/12(日) 02:11:17.46
>>466
別物だという論がどこから沸いて来るのか論拠を提示して貰わねば反論も出来ぬ。
469つづき:2011/06/12(日) 02:14:42.43
>>467
馬具のどこが?
鐙はスキタイで完成されてるし、6世紀の後期古墳時代には完成の域にまで達した馬具が副葬されている。
470日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:17:44.74
>>469
平安、鎌倉以降の馬具と比べてごらんよ
例えば鐙なんて全くの別物だから
471つづき:2011/06/12(日) 02:22:53.09
>>466
ずいぶん前のレスで
国内武士(国衙軍制論)は偶然にも健児の数と一致すると述べている。
繰り返すがそれは重装騎兵と土地の生産性との相関関係に他ならない。
472ワッカ:2011/06/12(日) 02:27:52.26
古代起源から言うと、武士のことを「さむらい」と言うのは、オオクニヌシが
アマテラス軍に敗北させられた時に、こう言った、
「これからは(私オオクニヌシは天皇アマテラスに)さもらい(わずか=さ、
もらい=給金)なむ(わずかな給金でお仕えします、警護でも何でも)」と言った。

その「さもらい」(わずかな給金で天皇体制の警護に仕える)が、武士(さむらい)
になった。

意外かもしれませんが、武士のルーツは、天皇体制警護の人たちでした。
オオクニヌシの「さもらいなむ」の言葉は「古事記・上巻」に出ています。
473つづき:2011/06/12(日) 02:29:17.83
>>470
機能の面で実証した例を挙げてくれ。
474つづき:2011/06/12(日) 02:32:23.48
>>461 に答えて下さい。
475日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:34:15.00
>>468
いや、だから、
「武士の起こり」と「戦闘技術の継続性」のふたつを結びつけて主張してるのは君なんだから、
なぜ「武士の起こり」と「戦闘技術」に関連を見出すべきなのか論じてみては。
476日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:46:33.09
>>461
坂上氏が武士の起こりなんて論は誰が唱えてるの?
初耳なんだが?
477つづき:2011/06/12(日) 02:50:14.69
つはものとは弓馬のみちなり。
478日本@名無史さん:2011/06/12(日) 02:50:44.72
>>463
大蔵氏については、承平・天慶勲功者である春実を以て以降と考えること以上の何がある?
佐伯氏は王朝国家期以降に兵の家と位置付けられたという根拠は?
又、佐伯氏のどの人物?
479つづき:2011/06/12(日) 02:54:30.98
>>476
恥ずかしながら小生が唱えております。
480日本@名無史さん:2011/06/12(日) 03:06:23.69
>>465
> それは社会システムが家業固定化の流れに即して「武門の家」に押し込められただけのこと。

だから、その
>家業固定化
を以て武士の起こりとすることに何の無理があるの?
それ以降の時代では承平天慶勲功者子孫以外で、武の分野における責任者に任じられた例は、戦国時代の到来まで待たなくてははならないのだが?

> 例えばそれ以前の橘氏からは著名な文人も輩出されてるし第一勲功者の家じゃないのか?

ちょっと何を言ってるのか分からない。

遠保が承平・天慶勲功者となって橘氏の中で兵の家になって行ったというそれだけのことなのに。
何故、「以前以後」に拘るのかその理由が分からない。
それを言ったら藤原氏も、利仁、秀郷の出現以前は同じことだろうに。
481つづき:2011/06/12(日) 03:08:41.58
>>478
天慶の乱(939〜941)に藤原純友の次将となった佐伯是基は、海賊を率いて佐伯院を襲い、
収納してあった官財を略奪したとある。
また大神惟基から分かれた子孫には、佐伯三郎、佐伯四郎など佐伯の地名に
輩行を添えて呼ぶものが多い。
これらのことから、大神惟基と佐伯是基とは同一人物で、
是基(惟基)は佐伯を領してそれを子孫に伝え、
佐伯氏の名字が定着したものと考えられる。
そして、それは平安時代末期から
鎌倉時代の初めにかけてのことであろうと推察される。
482日本@名無史さん:2011/06/12(日) 03:12:43.57
>>481
ああ大神姓佐伯氏のことね。
どちらにしてもそれならやはり承平・天慶勲功者子孫のことになるじゃないか。
483日本@名無史さん:2011/06/12(日) 03:33:12.53
ちなみに、

藤原秀郷、平貞盛、源経基、平公雅、平清幹、橘遠保、大蔵春実、藤原為憲、藤原貞包、巨勢広利、大神高実、藤原遠方、藤原成康、藤原倫実、越智用忠

下向井龍彦氏によると、以上が承平・天慶勲功者(後半は推定を含む)。
484日本@名無史さん:2011/06/12(日) 03:41:50.92
>>480
それを言ったら「すべての家業は院政期に起こった」 シャンシャンだね。
485日本@名無史さん:2011/06/12(日) 06:14:15.36
>>484
本当に?
院政期より前には代々の職人や商人なんて存在しなかったのか?
486日本@名無史さん:2011/06/12(日) 07:19:49.52
>>484
少なくとも貴族社会においてはそうだよ。
それも兵の家だけじゃなく、陰陽道、明経道、明法道、紀伝道、算道・・・等もみんな院政期の「家」の確立によって起こったこと。
前スレ以来散々論じられてきたことじゃないか。
487日本@名無史さん:2011/06/12(日) 07:49:23.79
>>473
実証も何も輪鐙や壺鐙で戦う武士がどこにいるよ
清原元輔なんてただの乗馬(賀茂祭)だけで落馬してるもんな
488日本@名無史さん:2011/06/12(日) 08:28:16.37
前半レスで、首かりは普遍的(?)みたいな結論が有ったけど
「ハラキリ」はどうなのかずっと疑問に思っていました。
腹を切れるほどの刀、胆力、その辺が武士の根元ではと。
489日本@名無史さん:2011/06/12(日) 12:29:53.18
割腹は奥州の習俗じゃないの?
490つづき:2011/06/12(日) 13:21:08.02
源頼朝は、源氏再興の旗挙げの3年前、1177年(治承元年)に密かに三浦を
訪れているという説がある。 その際にすでに鎌倉を本拠とすべく偵察していたという。
そして、鐙摺山は、その三浦微行の際に、頼朝が山を登るときに「馬の鐙が地に摺れた」
ことから付けられた名といわれている。
491日本@名無史さん:2011/06/12(日) 13:26:36.89
頼朝は落馬の名手
492つづき:2011/06/12(日) 13:27:10.59
この故事が何を物語っているか
鐙が日本に伝わり600年近く経ていた当時、それを発明した北方アジア騎馬民族からは
寧ろ退化した使用法に変化していたことを 示唆している。
それは「馬の鐙が地に摺れた」のは鐙紐を長くし過ぎているということで足をダラリと垂らして
足休め程度の使用法だったことを 物語っている。

493つづき:2011/06/12(日) 15:04:35.26
騎兵が鐙を最大限に活用し効果を挙げるのは現代の競馬騎手にも通じる鐙の位置を高く設定し、
中腰の姿勢をとることで疾駆する馬の振動を緩和するサスペンション的使用法であることは
言うまでもない。
高い鐙位置で中腰の姿勢をとることで騎兵は目標に向かっての突撃の威力が増すのである。
さらに、騎兵の最大の戦闘技術である馳射、パルティアンショットも可能となるのである。

以上より平安末期には騎兵(武士)の戦闘技術の低下があったであろうと推測される。

494日本@名無史さん:2011/06/12(日) 15:16:40.60
>以上より平安末期には騎兵(武士)の戦闘技術の低下があったであろうと推測される。

それ言うと近藤好和が激怒するぞw
495日本@名無史さん:2011/06/12(日) 15:21:33.78
だからそれは単に頼朝って個人が馬乗りがド下手クソだったからなんだって!
496 忍法帖【Lv=1,xxxP】 :2011/06/12(日) 15:24:28.99
テスト
497日本@名無史さん:2011/06/12(日) 15:53:56.06
 古墳時代初期の馬具は、鞍だけをみると金銅製の金具を被せたりした豪華なものがあり、
埴輪から推定されるように居木の上に前輪と後輪を前後に屹立させ、腰をはさみつけるようなものであった。
馬上の運動がしにくいもので他の飾り具と併せて、実用と言うより儀仗用の色彩が濃いものであったと思われる。
しかし轡や鐙は当初から実用の用途を考慮して制作されたものであり、ほとんどの後期古墳から轡が出土していることから、
移動するための乗馬ぐらいはすでに行われていたものと推定される。
 中世の馬具は、平安時代に入ると、轡、鞍、鐙に変化が生まれる。
鞍はほとんどが木製の鞍で、後輪が傾斜した鞍になり、全体が重厚な造りになり、大鎧を着て乗馬しても乗り降りしやすく、
またこれによって垂直の前輪と後輪に挟まれた古代の鞍より刀や槍を振るうなどの馬上での運動が行いやすくなった。
鐙も古代の輪鐙や壺鐙からスリッパ形となり、馬上で立ち上がりやすくなり世界でも独特の舌長鐙へと変わっていった。
(末崎真澄)


六世紀後葉
 甲冑の基本形態は変わらず、桂甲の増加は順調であるが、西日本よりもむしろ東日本で著しく、
小規模な古墳や横穴から出る場合もある。
馬具の量は増加し、群集墳中の盟主的な位置を占める中位クラスの人々にまで騎馬の装備が普及したことを示す。
その背後には列島内における馬具生産の本格化が推測出来よう。
この時期に普及する馬具の多くは、素環轡などからなる簡素で実用性の高い素型で、これら中位クラスを主兵力とした
戦場での一定程度の馬の使用が想定される。
 これに対して前方後円墳などから出る高位有力者の馬具は、装飾的な傾向が強い美麗な品で、戦場での実用というよりも
そこも含めたさまざまな場で威儀や身分を表示する役割が顕著であったと見られる。
(松木武彦)
498日本@名無史さん:2011/06/12(日) 16:46:27.00
古代の騎馬による戦闘は、甲冑の造りが鉄製の短甲、桂甲、そして鞍橋の実際から考えても、馬上で武器・武具を持っての運動はかなり難しい。
したがって実戦の際は馬から下りて戦ったものと推測され、むしろ騎乗しての移動が中心であったと考えられる。
一方、平安・鎌倉時代は革製の小札を糸で威した大鎧や中世鞍と武蔵鐙などの舌長鐙の登場で、馬上での運動がかなり行いやすい装備となった。
これによって大弓なども振るいやすくなり、その活躍する姿は中世絵巻・屏風等で知ることができる。
この後の室町時代、戦国時代にかけても騎馬の役割は、欠かせないものがあった。
(末崎真澄)
499つづき:2011/06/12(日) 17:53:05.76
>>498
この末崎真澄ってやつ何も分ってねーな。
短甲・桂甲についてどんな研究してんの?
近藤好和(「院政の展開と内乱」元木泰雄編)のU武具の中世化と武士の成立p147〜153を読めよ。
500つづき:2011/06/12(日) 18:08:03.35
>>497
舌長鐙の方が「足休め」として楽なだけだろ?
下半身に負荷が掛かる重装騎兵としては自然な選択の結果。
それは西欧の鐙についても同じだ。
501日本@名無史さん:2011/06/12(日) 18:52:20.94
>>499
末崎氏は馬の博物館の学芸部長で馬についての研究では第一人者の一人だよ
短甲は打物歩兵用の鉄甲
>>500
近藤氏の主張とまるで違うし
502日本@名無史さん:2011/06/12(日) 19:10:29.38
>>499 >>500
近藤の主張のうち、自分に都合いいごく一面だけとって
都合いい電波武士論組み立てるなよ。
箔付けにすらならない。

>>490-493もひどい論理展開だ。
「鐙が退化した」って言いたいならそんなどっかの山の伝説じゃなくて
まともな史料から複数の事例を引っ張ってこい。
503つづき:2011/06/12(日) 19:15:48.57
>>501
>>500 は小生の主張だよ。

>短甲は打物歩兵用の鉄甲
これが素人。
桂甲は両当系、短甲は方領系であり、桂甲も短甲も鉄札甲であり単に「鉄甲」とは言わない。
それは義務教育レベル。
それに「打物歩兵」なる兵科は古代にも上古にも存在しない。
504つづき:2011/06/12(日) 19:36:05.04
沓履きを放棄した鎌倉時代の騎兵には輪鐙、壺鐙は使い辛いのは当然。
古代は騎乗の基本は沓履き。
舌長鐙は沓履きと同じ機能を持たせたもので騎乗技術の進化とは言わない。
505日本@名無史さん:2011/06/12(日) 19:39:08.81
>>503
打物歩兵を否定するなら近藤氏に言えよ
>>504
落書きかよ
506つづき:2011/06/12(日) 19:44:46.13
お前バカそうだから念のため
沓=木製。
507日本@名無史さん:2011/06/12(日) 20:53:27.39
>>506
うわあ本物の馬鹿だwww
508つづき:2011/06/12(日) 21:12:38.71
史料バカは歴史学(この名称もなんだかな)から退場する時期だよ。
総合人文科学でいいんじゃないの?
考古学とテクノロジー工学でこの際いいよ。
509つづき:2011/06/12(日) 21:15:10.02
ついでに言うと学芸員なんかも理系オンリーでいいよ。
510つづき:2011/06/12(日) 21:22:47.39
>>507
救いようの無いバカだなお前。
舌長鐙自体が木製だろ?
沓と同材質での同機能を追求した結果の産物。
511日本@名無史さん:2011/06/12(日) 21:45:03.23
2ちゃんに大勢いるよな。
「史料を出せ」と言われると、出す能力がないから
「文献史学はとっくに時代遅れ」とか訳分からん史学批判を始めるバカw
512日本@名無史さん:2011/06/12(日) 21:58:56.49
文献史学は、すでに井沢先生によって死亡宣告されている。
513日本@名無史さん:2011/06/12(日) 22:49:17.59
「湿気の多いわが国じゃ沓なんか履いてると水虫になっちまうよ。」
「足袋と草鞋が快適だね。」
「そうだ!鐙に沓を付けちゃえ。」
こんな感じじゃね?
514日本@名無史さん:2011/06/13(月) 07:08:22.09
案の定マニアックな方向に走り出したわ。
スレ始めの頃の、短弓だ長弓だ、の時と同じだな。
弓にしろ、鐙にしろ、このテの話になると決まってテーマと外れた所へ一人歩きしてしまうという陥穽にハマることになる。
武具の話がしたいんなら武具専門のスレたててそっちでやれよ。
515日本@名無史さん:2011/06/13(月) 11:13:24.98
武具スレはもうあるんだけどね
516日本@名無史さん:2011/06/13(月) 18:42:20.32
武士の起源は百済のサウラビ
517日本@名無史さん:2011/06/13(月) 23:09:13.80
誰でも知ってる事を堂々と…
518日本@名無史さん:2011/06/13(月) 23:34:51.18
いつか教科書に載りますかね、サウラビ。
519日本@名無史さん:2011/06/13(月) 23:48:50.49
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%93
wikiの「サウラビ」の項目だけど
ひどいね。文献史学のネトウヨの作文だろ?
520日本@名無史さん:2011/06/14(火) 00:16:35.60
>>519 朝鮮人の語呂合わせを常識的に批判しているだけの文章だ。

 朝鮮では大学教授が語呂合わせ遊びしているんだな。
521日本@名無史さん:2011/06/14(火) 00:32:24.26
>常識的に批判しているだけの文章だ。
そこに根深い相互不信感ああるのでは?
522日本@名無史さん:2011/06/14(火) 00:36:44.51
相互不信感の源流は
白村江からの一連の流れを再考する余地がある。
523日本@名無史さん:2011/06/14(火) 00:47:46.12
日本史板のこの手の電波って
釣り目的なのか、本物の在日が書いているのか気になる。
524日本@名無史さん:2011/06/14(火) 00:49:11.90
>>519
文献史学は反日ブサヨの巣窟だ。
奴らは唯物論者のマルキシストでコミンテルンのスパイ。
525日本@名無史さん:2011/06/14(火) 04:07:47.62
文献史学じゃない史学は、ただのアマチュア民俗学です(キリッby東京大学
526日本@名無史さん:2011/06/14(火) 06:26:15.98
東大は日本コミンテルン総本部
527日本@名無史さん:2011/06/14(火) 06:35:02.00
朝鮮の起源捏造はもう世界的に有名なんで、
やればやるほど馬鹿にされてる。

「オレの先祖はエラかったんだ」と偽家系図見せて
「オレのことを尊敬しろ!」と
わめきちらしている田舎のプチ成金みたいなものだな。
528日本@名無史さん:2011/06/14(火) 06:36:51.65
武具の話もスレタイに沿った上でするなら構わないと思うけどね。
近藤氏も高橋氏も武士の起源については、寛平延喜〜承平天慶期の勲功者たちにあることに異論を唱えてるわけではない。
ただ、戦術については律令期以前の軍団制、健児制、衛府武官の戦術等にその淵源をたどり得る、といっているわけで。
両氏とも、武士階級の誕生までその時点に遡らせた言説を唱えているわけではない。

だから上で誰かも言ってたけど、もし(階級としての)武士の起源まで律令期以前にあると主張したいのなら、そう主張するだけの論拠を明確にする責任が唱えてる側にあるんだよね…

ただ俺も「つづき氏」の主張の中には同調する部分があるんだけどね。
例えば国造の系譜を引く郡司富豪層から成る健児や一部の伴造が、軍事貴族の母系氏族となっていったという下りなんかは、まんま、俺の主張と同じであるからね。
529つづき:2011/06/14(火) 09:23:38.43
板の皆さまおはようございます。
天武天皇の男系子孫が貴族社会から没落したのは何故か?
文室氏が軍事貴族として残る可能性はなかったのか?
高階氏の後裔である高氏までもが武家社会から抹殺されたのは何故か?
530日本@名無史さん:2011/06/14(火) 10:13:09.13
政治の中心点の移動のため。
久米系の天武系から大和系の光仁系に政権が移動し掌握されて後は、久米系諸氏は奥羽や九州など辺境の地の国司に宛がわれるなどして、政治の中心から遠ざけられていく。

531つづき:2011/06/14(火) 10:30:27.28
源平藤橘はすべて天智天皇と縁が深い。
武門は源平藤橘の神話はいかにして作られたのか?
532日本@名無史さん:2011/06/14(火) 10:43:51.97
「橘」は敏達帝裔だから久米系、しかし三千代は不比等の後妻に入って藤原氏との関連の方が深くなってるからその意味では天智(大和)系との縁の方が深いとは言える。
そもそも「氏」の成り立ちからして、橘氏は父方の敏達よりも母方の犬養橘三千代との縁故の方を拠り所にしている。
533つづき:2011/06/14(火) 10:57:24.69
連投スマソ
捏造してまで「尊卑分脈」を作成させた足利義満にカギがあると思う。
彼は日本中世の完成者でもあるし

あと考えられるのは藤原不比等の未来への布石かな。
藤原四家と嫁の系統の橘氏
534日本@名無史さん:2011/06/14(火) 12:09:20.04
犬飼部、鷹飼部、鵜飼部、猪飼部、馬飼部みんなあるのに猫飼部だけないなんてオカシイ!
535日本@名無史さん:2011/06/14(火) 16:33:39.28
猫は家畜としては役に立たないし
536つづき:2011/06/14(火) 17:42:56.35
平治の乱で誅殺された信西は藤原氏でありながら養家高階氏に義理立てしたことも原因なのかな?
537日本@名無史さん:2011/06/15(水) 03:10:59.23
>>531>>533
満平藤橘神話って何?
尊卑分脈?

平基親が1200年頃に著した『官職秘抄』には、
「外記史に四姓の人を任ぜず」とあって、遅くとも鎌倉初期の公家社会にはこのような認識が存在していたことが分かる。
実際にはこの認識は平安期にまで遡ると見て良い。

源平藤橘(四姓)は外記史(ほか律令四等官制における第四等官=主典)に任じてはならない(ということは、四氏は第三等官である判官以上に任じるものである)とでもいった意味。

だから『分脈』の成立した南北朝期よりもずっと以前だし、足利義満がどうこうでもない。
538日本@名無史さん:2011/06/15(水) 03:43:21.12
つづきはどれだけ偏った情報源から知識を得てるんだろ?
いや、こういう人間にとっては近藤も高橋も下向井も全て
つづきの偏光フィルターを通すと捻じ曲がって理解されてしまうのか
539537訂正:2011/06/15(水) 06:38:29.83
> 満平藤橘神話って何?(×)

> 源平藤橘神話って何?(○)
540日本@名無史さん:2011/06/15(水) 10:01:47.34
花郎が侍の起源である事は、口には出さないが皆知っている
541つづき:2011/06/15(水) 10:10:48.25
伊勢神宮と高階氏の関係
542日本@名無史さん:2011/06/15(水) 13:17:08.76
おまんこスレ
543つづき:2011/06/15(水) 21:15:00.08
>>537
小生が言っているのは平某なんて関係ない。
「尊卑分脈」の信憑性に言及してるんだよ。
「もののふ」として最強だった高師直兄弟を葬った足利宗家の隠された意図を示唆してるだけだよ。
544つづき:2011/06/15(水) 21:32:50.45
>>537
見事に墓穴を掘ったな。
高師直兄弟及び係属は三等官以上の功績を挙げていた。
平某の言を借りるならば余りにもイレギュラー過ぎるってことだよ。
545つづき:2011/06/15(水) 21:40:31.59
連投スマソ
足利義満はある青写真に忠実だっただけ。
藤原不比等の未来への布石にある時気付いたのだよ。
546日本@名無史さん:2011/06/16(木) 03:49:39.89
>>543-545
お前さん何を言ってるのさっぱりかわからないわ。

まず、
>源平藤橘の神話
とお前さんが>>531で唐突に持ち出してきたから、「神話」って何だ?と>>537で質問してるんだが?
そしてその「神話」とやらが足利義満によって
>捏造
されたものというなら、それは違うということも>>537で言ったまで。
「源平藤橘」四姓を高貴姓とみなす風潮は、少なくとも平安末期いらいの公家社会では既に見られるということ。
足利義満の時代ではない。

そして
>墓穴

>青写真

>藤原不比等


何が何やらさっぱり分からん。

もったいつけてないでまずはお前さんの言う「神話」の意味するところを説明するのが先だと思うが?

547日本@名無史さん:2011/06/16(木) 04:21:33.17
武士じゃない「武官」っていつごろまでいたんだろう
最後の武官の記録とかないんだろうか
548つづき:2011/06/16(木) 06:08:59.99
>神話
の説明になるか分らないが、藤原不比等(ふひと)は本来「史(ふひと)」であった筈だが「不比等」
の字を当てた意図は下賜された藤原朝臣の姓を自身の子孫のみに継承させ、出身氏族とされる中臣氏をも
太政官から排斥したことからも覗える。
549つづき:2011/06/16(木) 06:18:33.07
母方の祖父鏡王は敏達天皇の皇孫であり、もし仮に不比等が天智天皇の落胤であったならば
血統的には皇位の資格は十分なのだが鎌足の子ということでその道はあり得ないものではあったが
その代わり娘を臣下出身としては初めての皇后光明子とし、天皇家の外戚となることに成功した。
不比等の後妻三千代を祖とする橘朝臣のみを例外として古代氏族、皇別氏族(とくに天武系)
を不比等の死後も中央政界から排除していく布石を打っていたのだ。
550つづき:2011/06/16(木) 06:25:18.47
連投スマソ
天武系皇族に半ば強制的に真人の姓をもって臣籍降下させたのは天皇家と
婚姻させない為である。
551日本@名無史さん:2011/06/16(木) 07:28:17.75
>>547
武士(軍事貴族)の成立後も六衛府等は存続しているので、武士と武官とはそれなりに併存はしているはず。
つまり、武官は武士の部下的存在になっていったと考えられる。
ただし、律令期の紀氏や坂上氏や文室氏のように、叙爵(五位以上の位階を賜ること=貴族階級になること)の栄誉に授かるような存在はほぼ皆無となり、侍品(六位官人)以下の存在に身分が下がっていったということじゃないか。
坂上氏でいえば、10c初頭の坂上好蔭が陸奥権介‐右近衛少将に任じられたのが最後かな。
以後、これらの氏族は文官に「転職」し、やがて中央官界からフェードアウトしていく。
552日本@名無史さん:2011/06/16(木) 07:43:41.55
>>548
あのさ、雲を掴むような話ならもういいよ。
論題から外れまくっているし。
あんたの言う不比等や三千代の青写真やらと、
スレタイの「武士の起源」、「武士の成立」と一体どんな関係があるんだよ?
あんたは>>531で自分が言った「源平藤橘神話の捏造」の説明もさっぱりしてこないしはぐらかしてばかりだ。

553日本@名無史さん:2011/06/16(木) 09:31:16.93
つづきはつくづくひでえ電波野郎だな。
長頭がどうしたとか言ってる馬鹿と電波ツートップだな。
起源スレってのはキ印を誘引する匂いか何か出してるのだろうか
554つづき:2011/06/16(木) 11:31:59.21
勲功者子孫でない高氏(高階氏)は「兵の家」ではないと
足利宗家の根本被官ではあるが武家方の有力武将であり最強の「もののふ」
であった高師直兄弟が武士ではないことになる。
555日本@名無史さん:2011/06/16(木) 11:49:13.20
>最強の「もののふ」

何それwww
556つづき:2011/06/16(木) 12:21:43.69
>>555
だから「もののふ」だよ。
557日本@名無史さん:2011/06/16(木) 12:26:17.59
最強とか厨すぎる
558つづき:2011/06/16(木) 12:28:20.91
>>553
小生を罵倒したければするがいい
高師直兄弟は足利宗家から粛清され結果として四姓のみ武家とした神話が
作られたと小生は見ている。
559つづき:2011/06/16(木) 12:31:23.17
>>557
高師直兄弟の武功はそれに値する。
560日本@名無史さん:2011/06/16(木) 13:17:10.41
見境なく残虐だっただけで、すぐ滅亡
561つづき:2011/06/16(木) 13:25:56.94
みなさん、すいませんでした
ほんとごめんなさい
侍のルーツは花郎でした
562つづき:2011/06/16(木) 13:26:36.69
高師直の破廉恥な残虐性の強調は胡散臭いと思わないか?
たとえ文献として残されていたとしても歴史は勝者のものだからな。
563日本@名無史さん:2011/06/16(木) 13:47:58.04
しかし、高師直程度が摂関家の姫君を側室にするのは
さすがに正攻法では無理なんじゃないか?
二条家の姫(関白二条道平の妹)が師直の側室になったのは間違いがないし
564日本@名無史さん:2011/06/16(木) 14:23:33.55
承久の変を経てそれだけ公家の力が零落してたということでしょ。摂関家とて例外ではない。
565日本@名無史さん:2011/06/16(木) 14:45:40.29
足利将軍家でも中流貴族日野家の息女を正室に迎えるのがやっとだったのに
家臣の分際で天皇家に次ぐ摂家の姫を側室にすることが当然なわけないよ
566日本@名無史さん:2011/06/16(木) 15:33:03.57
それと
高氏以外に四姓でない武家は鎮西武士には菊池氏、阿蘇氏、大蔵系諸氏
大神系諸氏、関東には宇都宮氏などがいる。大夫層ではないが三等官以上に
任じられている。この事実を持っても四姓のみというのはおかしい。
上で誰かが言ってた平某の記述は平氏である彼自身の考えに過ぎぬのでは?
567日本@名無史さん:2011/06/16(木) 16:33:03.05
>>566
当該レスとその前後関係をよく読んでくれ。
>>537>>546で言っているのは、公家社会では源平藤橘四姓は「高貴姓」と認識されており、第四等官たる主典などに任じるものではないと主張しているという事実を言っている。
武士(軍事貴族)たる者はこの四姓からのみしか出してはならない、などと論じたものではないし、俺がそのような主旨のレスをしている訳でももちろんない。

またその「官職秘抄」だが、
源平藤橘四姓といえども、平安後期以降にはその数が増えすぎ、実際には第四等官である主典に任じられる者も現れれば、また諸大夫層から漏れて六位の侍品以下の身分に落ちる者も多く現れていた。
そんな諸状況への嘆きや、或いはそんな諸状況を改善すべきであるという強い主張から書かれたものとも言われる。
大蔵氏、大神氏などについては既に>>478>>483などで述べている。
つまり、武士の起源については既に何度も述べているように、寛平延喜〜承平天慶期に起こった一連の反乱に対する鎮圧勲功者に求められるべきだというのが俺の主張。
結果として源平藤橘四姓が多くなっているが、勲功者の中には大蔵氏や越智氏など四姓以外の氏族も存在している(>>483参照)。
568つづき:2011/06/16(木) 18:14:22.31
>>567
だれのレスか分らないのでハンドルネームつけてくれ。
因みに>>566は小生のレス。
569日本@名無史さん:2011/06/16(木) 18:21:11.34
なんだやっぱり・・

わざわざアンカー明示して応答してんだから
>分からない
も無かろう。

>分からない
振り、なら分かるがw

570つづき:2011/06/16(木) 18:21:29.21
後白河の院近臣で高階氏が復活してるが長続きしなかった。
571つづき:2011/06/16(木) 18:25:48.09
尊卑分脈で義国流を河内源氏嫡流としているのは明らかに捏造。
572日本@名無史さん:2011/06/16(木) 19:12:15.65
「つづき」よ、
言っとくけど
>>528でも述べたように俺はお前さんの>>419の意見には賛成だよ。
健児の数が一国数百人というのはちょっと多すぎるとは思うが、
俺も在地豪族というのは基本的に郡司富豪層が、中央軍事貴族あるいは地方に留住・土着した辺境軍事貴族から婿を取って自身も源平藤橘化したものだろうと考えているんでね。
それと高氏云々視点からではなく、足利氏関連の史料・伝承にはある種の胡散臭さが付きまとうというのもその通りだ(例えば『難太平記』における、「我七代の子孫に生まれ変はりて天下を獲らん」等と源義家が吐いたなんて下りはその典型だ)。
だからこの線に沿った上でのもっと活発な議論が出来ると踏んでいただけに残念だった。
お前さんはこのスレ以外にも、足利氏スレや平家スレでやたら高階氏や高師直を持ち出す輩と同一人物なんだろう?
高師直ゆかりの人物か?
だとしたら逆効果もいいところだよ。
己に所縁や贔屓の武将だけを持ち上げたいってのがこのスレでも各スレでもありありで、そんなのは各スレ住人の反発を買うだけだし、第一学術板に相応しい態度とは言えない。
現に平家スレでもやんわりとたしなめられてただろう。
そして何よりスレが荒れる。

せっかく良い視点も持ってんのに勿体ないね。
573つづき:2011/06/16(木) 19:25:16.34
>>572
ありがとう
しかし小生は足利スレや平家スレには出没していない。
素人学問ではあるが今後一層の精進に勤めよう。
574つづき:2011/06/16(木) 21:02:09.40
小生が高氏を取り上げているのは「仮名手本忠臣蔵」などの後世の迷信で謂れ無き悪名を
現代に伝え庶民が妄信的に信じ込んでることに対する警鐘のつもりだ。
575つづき:2011/06/16(木) 21:18:38.33
以前このスレで書いたように徳川幕藩体制は近世などではなく室町幕府を規範として
実質的に中世が継続していたと言いたいまでだ。
織豊政権で一瞬近世(世界史的な)方向が見えていただけに惜しい。
藤原不比等の下りは1000年近く後までもその「未来への布石」はそら恐ろしいものを感じる。
信長は天皇家をも超えようとしていたし、太閤秀吉は第五の姓を創出して滅亡の道を歩むことになる。
576日本@名無史さん:2011/06/17(金) 14:06:22.07
大江氏も武士になったね。
577日本@名無史さん:2011/06/17(金) 19:29:03.26
三善とか中原とかもね。
頼朝のブレーンの文官下級貴族が鎌倉行政機構の創設に携わってそのまま武士化。
中原は途中から近藤(古庄)・波多野の軍事貴族系が嗣いだが。

それ以前に源義朝によって主に東国で武士階級の裾野はグッと広げられているんだけどね。

578づつき:2011/06/17(金) 19:33:19.83
俺の偽者が暴れてるらしいな
579日本@名無史さん:2011/06/17(金) 22:16:06.13

左遷された武装土人が武士
580日本@名無史さん:2011/06/18(土) 12:32:50.05
だから、日本型の中世支配者階級のことにすぎないんだって!
581つづき:2011/06/18(土) 13:11:18.62
承久の乱から西南戦争までが日本型の中世の勃興から残照の消滅だとしたら
全期間を通して存続した薩摩(島津氏)は日本型の中世の典型だね。
しかし皮肉にも倒幕の主力となった薩摩武士(士族)が鎮圧されて日本型の中世
支配者階級の役割を終えるんだね。
582日本@名無史さん:2011/06/18(土) 16:58:34.87
島津は秦氏だから軍事貴族の出じゃない。
のちには色々出自を飾っているが。
伊達は藤原北家実宗流で利仁なんかと近い家筋だが、実宗流そのものは「家を継ぎたる兵の家」(=軍事貴族)の出ではない。
南部は系図グダグダで近世南部氏は果たして本当に義光流源氏なのかどうかも分からない。
相馬は良文流なので微妙(少なくとも天慶勲功者子孫ではない)。
伊東、相良は為憲流藤原氏だから、本来は歴とした承平・天慶勲功者の家筋。しかし始祖・為憲をはじめその子孫たちは、乱後朝廷で武官職に就くことを嫌い、木工助職を望みこれに就任した。つまり「家を継ぎたる兵の家(=軍事貴族)」とはならなかった。

よって幕末まで存続し得た、軍事貴族由来の家筋としては、佐竹(但し養子相続あり)、小笠原、北条、岩城、立花、喜連川など本当に数えるほどしかない。
583日本@名無史さん:2011/06/18(土) 17:18:16.26
秋月氏(春実流大蔵氏)を軍事貴族由来で幕末まで存続した家に追加。
584日本@名無史さん:2011/06/18(土) 18:10:18.02
足利は軍事貴族の末裔で幕末まで武士だった。
585日本@名無史さん:2011/06/18(土) 18:13:10.90
藤姓足利>>>>>>>>>>>>源姓足利
586つづき:2011/06/18(土) 20:01:40.87
と言うことは徳川幕藩体制は日本型の中世の継承を騙った乗っ取りだったんだね。
587日本@名無史さん:2011/06/18(土) 21:39:12.99
別に徳川一家だけを他と切り離して論じられる問題じゃないし。
応仁の乱以降の帰結だわな。
588日本@名無史さん:2011/06/18(土) 22:55:24.63
昔の偉い先生も言ってるだろ。
応仁の乱以前の歴史は外国史と同じだ。
589日本@名無史さん:2011/06/19(日) 00:12:46.69
内藤コナンか
590日本@名無史さん:2011/06/19(日) 00:26:20.37
「大体、今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ、
応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。
それ以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感ぜられませぬが、応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります」

内藤湖南『応仁の乱について』
591日本@名無史さん:2011/06/19(日) 02:27:15.41
"関ヶ原合戦絵巻"の朽木隊が後方でカレーを煮込んでる件(画像有)
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/mitemite/1306046832/
592つづき:2011/06/19(日) 03:22:47.78
そうしたら
承久の乱から応仁の乱までが中世で、それ以降はインチキ中世(織豊政権は除く)。
593づつき:2011/06/19(日) 09:23:43.13
カレーやて!?
594づつき:2011/06/19(日) 09:27:54.12
だーーまーーさーーれーーたーー!!
595日本@名無史さん:2011/06/19(日) 09:31:56.05
日本の中世は律令制度が厳密な意味で成立し得なくなった時から始まると見て良い。
すなわち、個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される菅原道真〜藤原忠平期より始まる。
596日本@名無史さん:2011/06/19(日) 09:34:51.09
この忠平に支えていたのが若き日の平将門であるというのが面白い。
597日本@名無史さん:2011/06/19(日) 09:38:49.05
支えて(×) → 仕えて(○)
598日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:27:16.72
また電波か
599日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:31:00.83
>>595
王朝期は古代末期なのであり、受領と任用をもって中世的税制と断ずるのはおかしい。
知行国制が始まる鳥羽院政期を中世の黎明期とするのが正しい。
600日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:38:01.95
>>599
それ言ったら知行国制度開始を以て中世の始まりと
>断ずる
のもまた同様に
>おかしい
ということになるよ。
専門家間でも諸見解のある問題だから。

俺は古代国家としての完成体である“律令制日本”がすっかり綻んでしまった時点を以て「古代」という時代の終了と見ているんでね。
601日本@名無史さん:2011/06/19(日) 13:44:46.49
>個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される
これは歳入手段たる税制のテクニカルの転換であり、国家財政の変質ではない。
即ち国庫へ収められ分配される国家財政から知行権を与える財政への転換こそ重要なのである。
602日本@名無史さん:2011/06/19(日) 14:12:02.19
>>601
全然違うよ。
個別人身支配(戸籍の作成、班田収受etc)こそが律令制の中核を成す部分だ。
律令制度というのは地方の隅々までも中央政府が統制しようというもの。
換言すると、日本の全国各地の末端農民一人一人の名前まで把握しようとする膨大なエネルギーと経費を要するもの。
そんなのは最初から無理があったのだが、当時(天智〜天武朝期)の為政者たちは本気だった。
そしてそれが何とか実を伴っていた時期が8c初頭〜後期まで。
それ以後は律令農民の逃亡、偽籍が頻発して律令制は早くも実を成さなくなって行く。
>テクニカル

そんなことをいったら知行国制を含めて、徴税システムの変更は全て
>テクニカル
な問題に過ぎないということになる。

>知行国制
なんて10c初頭に始まる土地基調課税が幾つかのグラデーションを踏んだ上で行われたもの、
つまり土地基調課税の延長線上のものに過ぎないんだよ。
603日本@名無史さん:2011/06/19(日) 14:15:19.89
第一、知行国制を以て中世の開始と定義づけるならば、
同様に南北朝〜室町期の同制度の終焉を以て中世の終わりと定義づけないとおかしいということにもなるよ?
604日本@名無史さん:2011/06/19(日) 15:46:54.59
問題をすり替えるなよ
税制論を持ち出して時代区分をするのを間違ってると言ってるのだ。
時代区分は国家の在り方の根幹である財政論だと俺は思っている。
お前さんの論を採るならば、消費税を導入する以前と以後では別の時代となる。
605日本@名無史さん:2011/06/19(日) 15:51:52.66
失礼
知行国制を総論たる知行制に訂正する。
606日本@名無史さん:2011/06/19(日) 15:54:46.26
俺の持論としては道州制地方分権をもって次の時代に移行すると思っている。
607日本@名無史さん:2011/06/19(日) 16:45:20.36
>>604
>問題をすり替えるなよ
> 税制論を持ち出して時代区分をするのを間違ってると言ってるのだ。

個別人身支配から土地基調課税への「税制」転換、このことの重要性を理解できずに、単なる小手先の「テクニカル」な問題、と矮小化させることこそ
>すり替え
と表現することに等しいんだよ。
っていうか、あんた本当に律令制を理解してる?

608日本@名無史さん:2011/06/19(日) 17:14:39.45
実は、律令法は藤原忠平が摂政となり個別人身支配を廃止させるその以前から、
菅原道真や三善清行らによって、既にその限界が幾度も唱えられていた。
曰く「国司は律令法をそのまま守っていては国を治めることが出来ない」と。
これは裏を返せば、律令法施行の最前線である地方に赴任していた国司たちにとっては、現地では律令法などはとうに意味をなさなくなっており(律令農民の逃亡、偽籍の頻発などによって)、
国司の裁量によって現地の実情や慣習に合わせた施策が取られ続けていたことを承けてのものでもある。
忠平による個別人身支配(班田収受)廃止、土地基調課税実施はいわば全国の国司により、とうの昔より行われていたことの追認に過ぎないという面もあるのだ。
609日本@名無史さん:2011/06/19(日) 18:27:42.04
だから財政論について何も言及出来てないのはお前さんだろ?



610日本@名無史さん:2011/06/19(日) 19:05:54.23
太閤検地までが古代でその後が中世だ。これで終わり。
611日本@名無史さん:2011/06/19(日) 20:30:05.27
>>609
それを説明すんのは言い出しっぺであるお前なんだよw

だいたい、俺の古代‐中世の変遷の定義は上で何度も述べたように律令制度の根幹たる個別人身支配の放棄‐土地基調課税の採用時期だ。
ここより封建制の萌芽が始まる。
612日本@名無史さん:2011/06/19(日) 20:33:12.64
>>610
おかしいね。
知行国制度の始まりが中世の始まりなら、同制度の終了時期(南北朝‐室町期)が中世の終わりになるはずだが?

何故そうならないのかの説明も言い出しっぺであるあんたに頼むこととするよw
613日本@名無史さん:2011/06/19(日) 22:13:22.58
湖南先生が言ってるだろwつんぼw
614日本@名無史さん:2011/06/19(日) 22:24:35.92
>>613
だから?
湖南説は神聖にして侵すべからずかw?

言っとくけど
>>590の湖南の引用文を出したのは俺な。
だからといって俺は湖南説に別に同意しているわけではない。
615日本@名無史さん:2011/06/19(日) 22:39:16.99
財政論について何も言えないのか
616日本@名無史さん:2011/06/20(月) 00:10:39.36
お前が言ってないんだよ
617日本@名無史さん:2011/06/20(月) 00:15:26.68
税制が変われば時代区分がかわるんだと
アホか? こいつ
618日本@名無史さん:2011/06/20(月) 01:06:27.76
国際日本文化研究センターに質問しろ!
619日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:16:45.00
>>617
人別支配体制から土地支配体制への一大政策転換のどこが「(単なる)税制の変化」なのだ?

自分で振っておきながら相変わらず「財政論」の中身も論じて来れないみたいだし、言葉遊びもいい加減にしとけやw
620日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:19:07.17
基地害があばれてるね
621日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:22:27.35
財政論(爆笑)
こいつマジ基地だわw
622日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:28:34.68
財政論厨には、その「財政論」とやらの具体的説明が全然ないのだよ。
623日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:46:58.49
>>619>>620>>621>>622>>
自演乙w
624日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:51:30.85
税制で時代区分が変わるんだと(爆笑)
625日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:53:18.83
>>623
その4つの中で俺のレスは>>619>>622だ。


さあ「財政論」とやらの中身について聞かせてもらおうか!
626日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:53:56.96
湖南先生に同意出来ない理由も言えない厨w
627日本@名無史さん:2011/06/20(月) 21:58:58.64
先ず税制論を持ち出したのはお前だからw
律令制度が戸籍と班田収受だってことぐらい小学生でも知ってるがなw
628日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:02:44.70
>>626
なに湖南だw?

それに答えたら「財政論」の具体的説明に入るんだなw!

なら答えてやる。
簡単だよ。
別に応仁の乱以前の歴史を「外国の歴史」とも感じなければ、「身体骨肉に触れない」歴史とも感じないからだ。

さあ、約束だ!
「財政論」の中身頼むよw
629日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:04:01.21
>>627
真性の馬鹿?
630日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:04:10.20
>595 :日本@名無史さん:2011/06/19(日) 09:31:56.05 返信 tw
>日本の中世は律令制度が厳密な意味で成立し得なくなった時から始まると見て良い。
>すなわち、個別人身支配が放棄され、土地基調課税へと政策転換される菅原道真〜藤原忠平期より始まる。

お前の妄想だろw
631日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:07:20.94
>>629
勝手に約束するんじゃねーぞw
>>629
真性の馬鹿はお前だよw
632日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:27:17.71
>>630
律令制度の根幹たる個別人身支配がが8c末には成り立ち得なくなっていたのは多くの専門家が認める歴史的事実だ。

律令制度というのは地方の隅々まで役人が分け行って、末端百姓一人一人の存在まで把握するというのがその原則だ。
それだけ中央に強大な権限を集中させるシステムだった。
その不可能を中央が「公式に」悟ったのが藤原忠平による一連の政策だ。
班田の不実施、戸籍、計調の廃止(とうに公民の実数を把握出来なくなっているので当然だ)。
そしてここより(前期)王朝国家体制が始まる。
在地の統治は一々国に指示を仰がせずとも国司にの裁量に任せて行なわせる。
具体的には「富豪の輩」と呼ばれる在地名望家に土地の経営、徴税を請け負わせる負名体制の始まりだ。

まあ、この一連の「行政改革」を単なる「税制転換(w)」としか捉えられていない時点でお前の底の浅さがとうに知れてしまっているんだけどね。

633日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:36:30.76
>>632
単なる税制変革だろwたわけw
634日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:45:49.02
行政改革だと(ぷっ)
635日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:46:35.80
そして
>>596でも述べたように、この忠平に若き日の平将門が仕えていたというのがやはり面白い。
面白いし、示唆的だ。
636日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:49:45.46
>>633
具体的なレスが出来ないんなら以後無視するわ。

スレが勿体ない。
637日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:51:23.24
自画自賛のレスで誤魔化すんじゃねーぞw
638日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:54:23.19
>>636
絶対書き込むなよw
639日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:55:07.37
>>637
ただの荒らしに成り下がってしまったね。
>>636で述べたようにもう無視するわ。

底を見せた奴に興味は無いし。
640日本@名無史さん:2011/06/20(月) 22:58:03.16
>>639
お前の妄想税制論はお手上げか?
641日本@名無史さん:2011/06/20(月) 23:00:38.83
>>635
駄文を作文するんじゃねーぞw
642日本@名無史さん:2011/06/20(月) 23:07:15.20
>>632
それを中世というお前は白痴か?
643日本@名無史さん:2011/06/20(月) 23:14:48.91
>底を見せた奴に興味は無いし。
「底」って何だー?
644日本@名無史さん:2011/06/20(月) 23:37:05.31
8c後半の律令制個別人身支配の崩壊
→郡司一族、地方留住・土着貴族らによる在地富豪層の形成
→地方における国司による富豪層への土地単位請負い体制(事実上の「名」体制)始まる
→9c末‐10c初頭群盗蜂起の発生
→群盗、海賊鎮圧過程を通した初期軍事貴族の成立
→10c初頭の藤原忠平による土地基調課税への政策転換(実態の追認)‐ここより王朝国家体制幕開け(土地支配負名体制の公認)
→反受領闘争の激化
→平将門、藤原純友の乱
→同乱鎮圧過程を通した軍事貴族の成立


このように律令制の崩壊と軍事貴族(武士)の発生とは密接に関連していることが分かる
645日本@名無史さん:2011/06/21(火) 01:47:34.94
さて、律令制の動揺・崩壊期である9世紀に入ると、
任期を終えた国司の内、都へ戻らずに旧赴任地やその近隣諸国に留まって「私宅」を構える者たちが現れ出し、それが国衙や都で問題とされるようになる。
そして、国解や太政官符、あるいは牒によって彼ら「浪人貴族」に対して都への帰還を促す通達がたびたび出されるようにもなる。
加えて、国造に淵源を有する郡司層と、地方留住・土着貴族との婚姻等による結びつきが見られるようになるのもこの頃からであることが分かっている。
これらの味するところは明白であろう。

彼らこそが、土地単位課税に移行してのち、公田経営請負業者となった田堵負名層の始祖(富豪の輩)に当たると考えられるからだ。

646日本@名無史さん:2011/06/21(火) 02:34:53.11
やがて、国司は彼ら田堵負名層に対し様々な圧迫を加えて行くようになる。
当然、これに反発した田堵負名層も反国衙闘争・反受領闘争を展開して行くこととなる。
そうした一連の流れの中で起こったのが、寛平延喜東国の乱であり、承平南海賊の乱なのであった。
これら乱の首謀者たちはいずれも地方に土着した王臣子孫と在地富豪層とが結びついた者たちである。

一方、中央でもこうした流れを受けて、所謂「任に堪える者」たちを各部署、国司などに任じる能力主義の機運が生じてくる。
平高望や藤原利仁や源仕などが東国の国司、押領使等に任じられて群盗鎮圧に赴き、藤原純友が西国の国司に任じられて海賊鎮圧に赴いたのも、この能力主義政策に則った上でのことだと考えられる。
647日本@名無史さん:2011/06/21(火) 03:47:15.51
財政論(バカじゃね?)
648日本@名無史さん:2011/06/21(火) 05:00:14.15
マルクス主義者の内ゲバうざい。消えろ。
649日本@名無史さん:2011/06/21(火) 16:09:48.52
国際日本文化研究センターに質問しろ!
650日本@名無史さん:2011/06/21(火) 18:14:10.67
>>648
マルクス主義者ってどんな意見のことさ?
651日本@名無史さん:2011/06/21(火) 19:09:03.95
>>650
あんたのこと
652日本@名無史さん:2011/06/21(火) 19:22:32.40
わからずに使ってんのかよw
653日本@名無史さん:2011/06/21(火) 22:51:44.68
654日本@名無史さん:2011/06/22(水) 04:25:11.67
>>649
京都大学は今では二流大学だよ
655日本@名無史さん:2011/06/22(水) 06:47:35.13
武士の起源は中世の起点をどこに置こうと関係ない。
656日本@名無史さん:2011/06/22(水) 06:55:33.62
「武士=封建領主」、「中世=封建制時代」というドグマの上に立って
中世の始まりと武士の起源を一体で説明しようとするのは根本的に
間違い。単なるイデオロギーだ。
657日本@名無史さん:2011/06/22(水) 11:03:45.30
中世の支配階級が自ら武装するのは当たり前。
658日本@名無史さん:2011/06/22(水) 12:03:33.74
そもそもは中世がないと近代化は不可能という欧米ドグマが
日本にも中世がなければならないという要請を産んだと思うが
659日本@名無史さん:2011/06/22(水) 12:03:54.09
>>657
は?アホですか?
660日本@名無史さん:2011/06/22(水) 13:27:09.74
会津士魂とは、時代を超えた武士の魂ではない
ただのハッタリだな(失笑)

ただの保身のチキンよりもこの国の行く末を憂
えていた分まだ三島由紀夫のほうが個人的には
立派で理解出来る。

所詮、観光史学の連中は自分で自分を褒めてあ
げたい痛い人々なのだろう。

661日本@名無史さん:2011/06/22(水) 13:31:41.94
>>658
元々は西欧では、ルネサンス期の自分たちを過大評価したいがあまり、それ以前の中世の段階を文化も何もない暗黒時代とか言って、中世の評価を不当に低くするものだった。
半世紀くらい前から見直しが始まってる。
662日本@名無史さん:2011/06/22(水) 13:35:58.26
>>660
お前さ、勝手に荒らすなよ。自分の巣だけでやれよ。
663日本@名無史さん:2011/06/22(水) 17:40:53.86
武士=軍役を負担する主君を持つもの
664日本@名無史さん:2011/06/22(水) 18:39:17.13
>>663
それは違うね。
軍役を負担する理由をもつもの。なんだよ。
主従関係は絶対服従関係ではなく、
自分の土地権利を保障してくれるものに、
見返りとして奉公するというもの。
土地を持って、その権利を保障してもらうために軍役を負担するもの
というのが正解。
665日本@名無史さん:2011/06/22(水) 18:44:24.03
武士とは、ここに書いてある583〜597に書いてあることが正解。
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1287805800/l50
666日本@名無史さん:2011/06/22(水) 18:53:27.85
>>663
だから、下級武士は、自分の土地や権利を保障してもらうものではなく、
三度の飯を保障してもらうための絶対服従であり、これは中世武士の主従関係ではない。
下級武士は百パー武士ではないということ。
667日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:08:23.59
まんま在地領主論じゃん
668日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:15:39.11
つづきの電波や職業殺し屋説よかよっぽどマシじゃん
669日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:16:35.26
だって本来武士とはざいちの地侍以上のもののことだろ。
これらは軍役を負担する理由があったし、あくまで主従関係。
これが中世古来の本来の意味での武士だが?
武士という職種は土地から切り離して存在できたのは江戸期以降だが?
知行もちならまだしも、給金取りの下級武士は、
本来の意味では一切武士に値しないから、自分の主君にすらお目見え以下の糞身分なんでしょ。
670日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:24:29.45
>>665にも書いてあるとおり、武士の大前提は「土地」だから。
これらとちとその権利を保障してもらうために軍役を負担する。
また、自分の土地を守るために、武装して自衛するものを武士というんですよ?
わかりますよね?
三度の飯の食わしてもらうために傭兵になるのが武士ではないですよ?
そういうのを足軽、下級武士というんですよ。
671日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:31:31.33
また電波か
672日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:51:01.50
何が電波なの?土地持たなく住所不定でも武装してれば武士とでも言うの?
じゃあなぜ上級公家は武士にならない?
本来なら古代から公家はもっとも武士化する地位にあるはずだろ。
でもなぜ武士化しなかった?
武士として武装して自衛しなくても立場や財産や地位は無条件に保証されてたからだろ

673日本@名無史さん:2011/06/22(水) 19:55:57.93
「近世前後以降の武士論」だな、そりゃ。

土地が前提?

石母田正や安田元久や竹内理三の段階の説だな、そりゃ。

それでは、源氏や平氏や藤原氏の一部等からなる武士初期段階が説明できなくなるから、次の佐藤進一氏や戸田義実氏や石井進氏らの登場による段階を経た職能的武士論を待たなくてはならなかったのだ。

高橋昌明氏に至っては、「在地?所領?んなもん目じゃねえよ!武士は公家社会から発している以上、都での職掌にこそその要諦があるんだよ!」と、ある意味江戸期のそれに近いような論まで展開してる。

674日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:00:33.13
そこからあぶれた一部公家は武士化して自分の権利や土地を自衛に走らざるを得なく武士化していった。
僧侶もそうだろ?土地や財産が無条件保障でなくなれば戦国期のように僧侶も武装して武士化した。
武士というのは中世は、自己の権利や財、土地を武装して自衛する手段が総称で武士と呼ばれる形であって、
職業武士として土地から切り離された存在として確立され、徹底服従化されるのは近世だから。
これは本来の武士でも武家でもない。職業として武士をしてるものは武士ではなく、
傭兵としての足軽下級武士程度の奉公人風情ということです
675日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:00:43.48
そして必ず江戸期の出自の怪しい(大名を含む)武士たちに比べて、名主や庄屋の偉いことといったら(以下略)・・・ となるから近世武士論スレにはウンザリなんですわ
676日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:08:14.50
>>672
武士の発生理由についてはもうとっくに>>644-646他で説明してるんですが。
677日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:09:10.55
あくまで武士化する必然性には、「土地」があり、そこに付属する権利権益を保障、自衛するための手段として武装化したものが総称で武士と呼ぶに過ぎない。
これは文化的にも動物的にも非常に自然の成り行きだよ。人間に近いチンパンジーに武士なんて必然的にいるのか?www
>>673
当たり前だろ。近世以前の武士スタイルが本来の武士で、
戦国期以降の野党の輩の傭兵としての武士化した武士なんて武士なわけないだろ。
なんだ?、自分の服従してる主君にもお目見え以下ってwwwwwそんなのが武士ってwwばかばかしい。
678日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:11:05.13
>>677
巣でやってくれよ
679日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:17:58.91
>>675
それを覆せる根拠も事実も、それら出自不逞の輩には存在しないんだから、君はうんざりしてるんだろ。
>>676
武士の発生期限の言ってるのではなく、中世武士の武家と呼ばれる真のの武士のあるべき形をいってるのだよ。
近世の武士の下級武士は完全に古来より何にもそれらに当たらない。
唯一該当するのが野党。これらには性質も形態も、また出自まで当てはまる。
680日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:19:30.66
>>677
だからここは近世武士スレじゃなくて、武士の「発生論」スレなの!
そしてそれは所領とか領主とかいうものの実体がまだ非常に不安定で不明瞭な時期でもある。
たしかに在地においては「私営田領主」とか「初期荘園」などという言葉も使われるが、それは後世における所領などではなくて、あくまでも公田の一部を国衙に許可を貰って借り受けることで行う請負農業。
681日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:22:18.44
>>679
ていうか名主三役の子孫には君のようなのが多くてウンザリしてるから
682日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:30:15.38
「武士の起源」スレだから平安時代のお話なの。
戦国〜江戸のお話は別のスレでどうぞ。
683日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:31:10.85
武士に対してどんなルサンチマンがあるんだか知らないけどね。
684日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:33:20.57
「いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない」のスレを立てた人だね。
自宅へ帰りなさい。
685日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:35:22.45
いやいや、上級武士は認めますよ。そしてルサンチマンといわれても、マー心当たりもある。
しかし、下級武士ごときになんのルサンチマンですか?www
野党上がりにルサンチマンてww
江戸期も名主庄屋層は下級武士にこんな感情ですよ。
しかし、現代では下級武士まで武家なんて時代劇で読んじゃって工作はなはだしい。
私は事実を言ってるんです。下級武士なんて本百章以下の野党上がりだと。
下級武士の福利厚生見れば簡単にわかるでしょwwwwなんですかあれは?www
686日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:37:34.23
>>677 >>672 >>679
こうやって一所懸命に主張すればするほど人は遠ざかっていくというw
687日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:41:02.42
>>685
いやだから、自分に反論する人間は全て「足軽」と規定するその悪癖をやめなさいってw


さあ巣穴にお帰りなさい。
688日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:42:35.04
「あ庄屋」っていたよな?
ヤツなんじゃね?
689日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:43:02.25
江戸期、名主庄屋と下級武士の株、金で買う場合、どっちがどれほど高いかわかるかい?www
屋敷跡見て、どちらがどれほどの栄華を誇ってたかわかるかい?ww
くやしかったら、名主クラスの屋敷跡ある下級武士、一人でもいいから紹介してくれないか?ww
で、すべて格下なのになんで下等武士にルサンチマンという発想になるかな?ww
いみわからないんですけど。名主庄屋層に旧大名家はごろごろいても、野党なんてほとんどいないんだが。
690日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:47:42.90
>>689
今からすぐに
元木泰雄、高橋昌明、下向井龍彦、野口実、関幸彦、近藤好和etc
このあたりを読んでこい!

話はそれからだ!
691日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:49:23.19
キ○ガイですね。
692日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:49:27.47
>>686
まーそうかもしれませんね。なぜか武士神話がはびこってますからね。
現実、名主以下の下級武士だという事実に胸糞が悪いのでしょう。
今では武士とは、間違えてることなら殿様にも物申す筋の通った人間の総称となってますからねww
もはや武士としての本文まで一切継承されてない妄想武士思想になってますからw
693日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:50:54.99
やっぱり「あ庄屋」・・・
694日本@名無史さん:2011/06/22(水) 20:54:13.02
>>690
なんていう本ですか?
695日本@名無史さん:2011/06/22(水) 21:02:13.42
>>694
さしあたって元木なら「武士の成立」
高橋なら「武士の成立 武士像の創出」
下向井なら「武士の成長と院政」
野口なら「武家の棟梁の条件」
関なら「武士の誕生」近藤なら「騎兵と歩兵の中世史」
このあたりで良いだろう。
出版社は自分で調べろ。

分かったら「帰宅」しろ!
そして読書に励め!
そして二度と荒らすな!

良いな!
696日本@名無史さん:2011/06/22(水) 21:03:40.84
>>695
くわしくありがとうございます。
697日本@名無史さん:2011/06/22(水) 22:36:41.05
武士、自衛、ただの電波だろ
698日本@名無史さん:2011/06/22(水) 22:45:58.93
平安貴族や院の暴力装置
699日本@名無史さん:2011/06/22(水) 23:36:23.94
ていうか、王権の「暴力」が兵(軍事貴族)にアウトソーシングされたんだよね。
700日本@名無史さん:2011/06/23(木) 00:10:24.70
ということは鎌倉幕府以降の幕府は軍事クーデタ政権で、日本では軍事独裁政権が800年つづいたということだな。

 明治維新でまた朝廷が権力を回復した、とは言えないな。明治から第二次大戦終了までも軍事国家だったから日本は900年間軍事国家だったということか。
701日本@名無史さん:2011/06/23(木) 00:13:58.77
いやあ鎌倉時代というのは、鎌倉&平安時代ですよ。
「平安時代」は幾分切り取られたとはいえ、引き続き存続中です。
702日本@名無史さん:2011/06/23(木) 00:36:13.64
将軍様の泰平の世
703日本@名無史さん:2011/06/23(木) 00:52:13.03
>>655-656
おっと見逃してたわw

その通りなんだよ。

学界指導要領では一応、日本の中世は院政開始期とするようにと定めてはいるが、そんなのは便宜的なものなんだ。

学界の意見は様々。
中には
日本にはそもそも古代という時代が存在しない、有史以来の歴史はありゃ中世だ、
なんて凄まじい説を唱える者までいるほど。
704日本@名無史さん:2011/06/23(木) 10:18:47.12
>>703 江戸時代の人相書、全国指名手配など今も同じで近代国家かと思うしな。
705日本@名無史さん:2011/06/23(木) 11:15:36.94
江戸時代を初期近代という研究者もいる。
706日本@名無史さん:2011/06/23(木) 12:30:51.68
>>705
それはふつう。

近世は英語で
early modern ages

直訳だと初期近代。
707日本@名無史さん:2011/06/23(木) 16:10:39.54
日本の真実は中世からいきなり現代だよ。
1945年8月革命説。
708日本@名無史さん:2011/06/23(木) 16:48:27.60
古代の定義が奴隷制経済だとしたら日本の古代は有史以前に遡るな。
709日本@名無史さん:2011/06/23(木) 16:50:31.13
>>706
欧米礼賛主義はやめろよな。
710日本@名無史さん:2011/06/23(木) 16:52:50.29
分った日本は原始からいきなり現代ってことだな。
711日本@名無史さん:2011/06/23(木) 17:15:33.69
>>708
アメリカ合衆国は南北戦争以前は古代ってことになるw
712日本@名無史さん:2011/06/23(木) 18:54:48.84
>>711
いやアメリカの場合
原始時代→近代
713日本@名無史さん:2011/06/23(木) 19:01:01.58
>>709
礼賛なんてしてないが?

一般に江戸時代は「近世」とされるということを言ったのみ。

その「近世」と「初期近代」とは同じ意味で、それは英語に直してみれば分かるということを言ったまでだよ。
714日本@名無史さん:2011/06/23(木) 19:14:52.59
日本に西洋式の歴史学が成立する時代には明治以後は歴史学の対象じゃなか
ったんだ。「近世=近代」だったわけ。
715日本@名無史さん:2011/06/23(木) 19:48:42.86
だったら中世は古中世で
近世は新中世。
明治(版籍奉還以降は)から新憲法公布までは近世
宮沢内閣までは近代で
今は現代ってことで桶?
716日本@名無史さん:2011/06/23(木) 20:38:18.76
現代日本はバブル崩壊以降とは寂しい。
717ロックンロール:2011/06/25(土) 10:17:27.82
我が家も家系ロンダリングでも良いから家系図ないかな。
718日本@名無史さん:2011/06/26(日) 15:00:04.21
中央軍事貴族が築いた文化遺跡が世界遺産登録とは感慨深い。

鎌倉五山なんかも、将来的には有望だと思うがどうだろう?
719日本@名無史さん:2011/06/29(水) 13:01:38.06
ありもしない美徳にしがみ付いて日本は優秀と嘯いても、
実際の美徳は清貧武士道を叫ぶ連中が尽く破壊し、実態が残っていない。
平成の清貧武士道は、清く正しく美しくと叫んでいながら、実態は汚濁に満ち虚偽に溢れどうしようもなく汚かった。

失業者、自殺者、犯罪者、全てが会津武士道と共に日本に蔓延した。

720日本@名無史さん:2011/06/29(水) 13:04:49.28
>>719
会津の「精神性」は、「他人を貶める」という意味なのだから、
彼らがそういう人格なのは承知すべき

松平容保による坂本龍馬暗殺の時と同じ、
本人だけは正しいことをやっているつもりなのが、会津武士を標榜するということ

松平容保は坂本龍馬を暗殺した時も、大政奉還撤回を求めて徳川慶喜の意思に逆らい続けていた。
しかも周囲の制止を押し切って敗戦、敗戦責任を旧幕府の全体に広げ、
それでいて忠臣のつもりなのだから、とんだ佞臣ということになる

721日本@名無史さん:2011/07/08(金) 15:39:59.28
第215回 2011年07月07日(木)
「JAPAN EXPO」、盛況の裏の知られざる攻防!
フランスで行われた日本文化の祭典「JAPAN EXPO」。
参加者も年々増え盛況となる一方で、日本のコンテンツ輸出をめぐるある問題も
みえてきました・・・

http://www.tbs.co.jp/radio/dc/thu/

722日本@名無史さん:2011/07/09(土) 00:00:52.40
723日本@名無史さん:2011/07/12(火) 03:33:48.00
日本中世を考える上で
上横手雅敬氏は特に鎌倉時代の幕府内部史よりも公家政治史を重視すると言っている。
724723:2011/07/12(火) 03:43:34.04
日本中世の分断について
内藤湖南氏は文化史の観点から応仁の乱を転換点と指摘し
網野善彦氏は社会史の観点から南北朝の動乱に始まると指摘している。
両者に共通する視点は「大衆化」である。
725723:2011/07/12(火) 03:50:05.99
同様に軍事的にも「足軽」と「槍」の登場は画期と見るべき。
726723:2011/07/12(火) 03:55:57.29
大量殺戮兵器「槍」の登場によりそれ以前の死傷者数を大きく凌駕している。
727日本@名無史さん:2011/07/12(火) 05:28:13.29
槍よりも足軽こそ大量殺戮兵器だね。
728日本@名無史さん:2011/07/12(火) 06:29:15.69
棹よりも尻軽こそ大量セクロス名器だね。
729日本@名無史さん:2011/07/12(火) 18:09:52.03
貞観の治から南北朝の動乱まで古代と中世が共存してるのが日本。

偶然にも醍醐天皇から後醍醐天皇まで
730日本@名無史さん:2011/07/12(火) 18:18:45.55
>>729 訂正
×貞観の治→○延喜の治
731日本@名無史さん:2011/07/12(火) 19:31:23.49
奴隷制と封建制が共存してたと言いたいのか?
奴隷制なんかなかったのに。
「総体的奴隷制」とかいう、カルトのジャーゴンを持ち出さないでくれよな。
732日本@名無史さん:2011/07/12(火) 20:45:58.67
律令制はアジア型国家社会主義とも言える。
然らばそれは近代である。
日本史の時代区分は
原始
古代(氏姓制度)
旧近代(律令制度)
前期中世
後期中世
新近代(明治国家)
現代(敗戦後)
ということになる。
733日本@名無史さん:2011/07/12(火) 21:47:42.53
たしかに、日本列島にはユーラシア大陸のように「総体的奴隷制」といえるようなアジア的専制は成立しなかった。
それ以前の氏族社会・部族社会の延長上に部族連合国家ができ、それが大陸から輸入された律令制度を表面的に真似しただけといってよかろう。
734日本@名無史さん:2011/07/12(火) 21:55:39.91
律令国家はサヨク
735日本@名無史さん:2011/07/12(火) 21:59:59.92
明治国家は王政復古の大号令から始まるからな。
736日本@名無史さん:2011/07/12(火) 23:07:16.70
国造制度というのはどう見ても封建制度。
従って日本は古墳時代からは既に中世。
737日本@名無史さん:2011/07/13(水) 01:32:13.07
日本にも売買の対象とされていた奴(やっこ)や奴婢の存在があったのだから奴隷制はあっただろ
738日本@名無史さん:2011/07/13(水) 02:57:52.41
やっぱ古墳時代って封権制度だよな。
739日本@名無史さん:2011/07/13(水) 04:56:01.19
>>737
南北戦争の前のアメリカが奴隷制だったというような意味でなら日本に
奴隷制はあったよ。いわゆる中世の下人所従にも奴隷はいた。
奴隷の存在を古代のメルクマールにするなら江戸時代の初めまでは
古代だな。
740日本@名無史さん:2011/07/13(水) 05:18:32.73
尊王攘夷派が当時の国学の中に見出した上古の国家体制を維新(近代国家)の範とした。
741日本@名無史さん:2011/07/13(水) 05:48:35.23
日本史が歪で奇天烈なのは明治国家に責任がありそうだな
742日本@名無史さん:2011/07/13(水) 06:50:50.00
>>739
その理屈だと南北戦争前のアメリカや、アメリカ独立戦争前の新大陸に植民地を持つヨーロッパ諸国もみな古代国家になるんだが?
743日本@名無史さん:2011/07/13(水) 10:06:18.66
国際アムネスティに言わせれば、日本にはまだ性的奴隷制度があるそうだ。だからまだ古代。
744日本@名無史さん:2011/07/13(水) 17:00:50.80
ヨーロッパ人にとって「古代」っていう時代は、遅れたとか野蛮なとかいう意味でとらえてるわけじゃないんだよ。
ルネサンスは古代への憧れによって起こったわけで、歴史学における時代区分もこの時代に生まれた。

古代=ルネサンス期>>>>>>>>中世

↑がヨーロッパ人の歴史に対する定型的な評価だった。
745日本@名無史さん:2011/07/13(水) 17:03:57.68
諺に「泣く子と地頭には勝てぬ」というのがあるが
本当に地頭はガメツイ存在だったのか?

「日本中世史像の再検討」山川出版社 石井進「中世の荘園と村」は通説から鮮やかに
より近いその実像を浮かび上がらせてくれた。
結論から言えば、開発領主が武装したのではなく鎌倉殿公認の武装した人々「地頭」が
従来の官省符荘の識の重層構造(本家ー領家ー下司)に侵食(下地中分)する一方、
それらからも独立した新田の開発にこそ力を注いだ事実があったのだという。
西国、九州
746訂正:2011/07/13(水) 17:08:09.94
×識→○職
747745:2011/07/13(水) 17:11:50.05
西国、九州における新補地頭は周知のように関東下り衆であり、彼らと利益が相克し
抵抗した在地の下司(荘官)は古代氏族後裔(伴氏、大中臣氏など)であった。
承久の乱で下司層は領家と伴に没落し、地頭は一円支配を強めていくのであるが
地頭は武士としての経済基盤確立の為に生産性の向上を目指し彼らの祖先が坂東の地で
やったように荒地、低湿地を開墾したのである。中世の荘園像は地頭らの手によるのが
実は大きいといえる。
748日本@名無史さん:2011/07/13(水) 17:22:35.76
>>745
> 本当に地頭はガメツイ存在だったのか?

公家や荘園領主(現地管理人)による印象操作もあるっぽいな
749日本@名無史さん:2011/07/13(水) 18:31:54.62
中世初期の荘園は古来の口分田、国衙領を掠め取っていたんだから
田堵負名層が略奪者であり受領は搾取者であり本所(本家)は寄生者。
750日本@名無史さん:2011/07/13(水) 18:40:35.47
あまりにも武士=職能説、軍事貴族説に傾いてしまうと事実を見誤る危険性がある。
今の学界の最先端の研究はどうなんだろ?
751日本@名無史さん:2011/07/15(金) 00:02:51.99
↑ググれカスw
752日本@名無史さん:2011/07/15(金) 00:29:15.53
と、職能殺し屋説信者が申しております

まあ五味氏の弟子たち、東大史料編纂所の人の本・論文が一番偏ってなくていいよね
753日本@名無史さん:2011/07/15(金) 08:17:48.09
だから・・・中世の支配層が武装してるの当たり前なの。
武士といって不思議に思うことなんかなにもなし。
754日本@名無史さん:2011/07/15(金) 08:35:48.71
武装=武士 池沼?
755日本@名無史さん:2011/07/15(金) 13:17:52.63
ナッ!
756日本@名無史さん:2011/07/15(金) 15:35:30.76
>>752
>五味の弟子
は何と言ってるの?

>弟子
って誰?
本郷?

五味さんたち一派を武士職能論と反目する一派と捉えるならそれは違うなあ。
「2つの王権論」は元々、佐藤進一氏の提唱したいわゆる「東国国家論」を(石井進氏などの段階を経て)更に敷衍させていったものだし、そもそもその佐藤氏こそが武士職能論を最初に唱えた人なのだから。
五味さんが批判したのは、今をときめく職能論者たち(たぶん高橋さんや野口さんあたり)の「武士=ヤクザ、ならず者、無法者」とみなす風潮に対してだろう。
第一、「2つの王権論」は鎌倉政権誕生後のことだろ?
武士(軍事貴族)の発生はそれより3世紀も前のことだし、時間的にもズレがありすぎる。
757日本@名無史さん:2011/07/15(金) 22:14:22.27
地頭に限らず古今東西の支配層はみんながめついだろう。
それくらいの意欲がないやつは支配層になんかなれない。
だから地頭だけががめついわけじゃなく特に非難されるべきでもないが、、
大概の地頭はがめついだろう。
758日本@名無史さん:2011/07/16(土) 00:33:43.95
いきなりですが、戦国時代の武士はどういう武術の修行や鍛錬をしていたのでしょうか?
忍者の修行や鍛錬は良く見ますが、武士の鍛錬や修行はあんまり見ません。

集団戦の集団訓練でなければ、武士は鍛錬や修行はしていなかったのでしょうか?
759日本@名無史さん:2011/07/16(土) 00:54:15.25
東京大学史料編纂所の見解では時代区分としての中世は建武の親政の時代からとなっている。
「中世的〜」論とは一線を画しており清々しさを感じる。
760日本@名無史さん:2011/07/16(土) 01:21:16.79
>>759
ウソはいい
761日本@名無史さん:2011/07/16(土) 01:34:19.28
>>760
ホムペ見ろ チンカスw
762日本@名無史さん:2011/07/16(土) 01:39:40.64
日本の中世は延喜の治まで遡ると言ってたチンピラは「中世的〜」論信者
763日本@名無史さん:2011/07/16(土) 06:07:02.14
邪馬台国から中世
764日本@名無史さん:2011/07/16(土) 08:00:30.21
>>761
お前こそページ見ろよw
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/kodai/index.html

第3室(第3編)
教 授 田島  公
□古代・中世の古典籍の伝来と
 禁裏・公家文庫の研究

助 教 藤原 重雄
□中世文化史・社会史
□絵画史料論

第4室(第4編)・第5室(第5編)
教 授 近藤 成一
□中世における文書の機能と政治
 構造との関係についての研究

准教授 本郷 和人
□中世政治史と史料論


5室しかない古代史料部の3室までが「中世史研究者」で占められている。
単に奈良・平安の史料が乏しいから、組織編成上のバランス取るため、鎌倉時代の文献を古代史料部で扱ってるだけ。
「中世の始まりが建武の親政」だなんて電波誰も飛ばしてないよ。

嘘だと思うなら、東大史料編纂所の高橋慎一朗や高橋典幸らの書いた本を読んでみろ。
どれも、院政が中世の始まりと書いてあるから。
765日本@名無史さん:2011/07/16(土) 14:58:36.38
戦後の東大はなんだかんだ言われながらも日本中世史に関しては、
佐藤先生→石井先生→五味先生
と大物が続いたのに、今は正真正銘の極左・村井章介だものなあ。

これに比べりゃ高橋や野口なんて可愛もん。
二人ともポーズで左装おってたようなものだから。

そして、村井の次はあのネラーみたいな小物・本郷が来るのか?(嘆息)
766日本@名無史さん:2011/07/16(土) 15:40:14.19
中世の定義については専門家レベルでは色々と議論があるようだけど、
ここではとりあえず文科省が定めた学習指導要項どおり「院政期から」ということでいいと思うよ。
じゃないと水掛け論争になってそれだけでスレが消費されちゃう。
どうしてもやりたいなら、「中世の定義について」とでも銘打ったスレ立ててそこで思う存分やればいい。
767766:2011/07/16(土) 15:41:19.48
学習指導要項×

学習指導要領○
768日本@名無史さん:2011/07/16(土) 16:47:13.39
宗教史の観点では
西欧中世の定義としてはカソリック教会(ローマ教皇)を頂点としている。

わが国においては仏教による鎮護国家の思想は上古からあったが天皇を一種のシャーマンとして
見た場合、それこそ部族連合国家であった古墳時代から中世と言えなくもないが
戒律を持たない宗教は原始宗教であり、中世の定義には当てはまらない。
聖武天皇の東大寺、国分寺はその魁であるが律僧が育っていなかった為、鑑真を招聘することになる。
道鏡についての研究はまだこれからだと思うが8世紀末には中世国家が出現していた可能性もある。
769日本@名無史さん:2011/07/16(土) 17:14:54.17
古墳時代の天皇(大王)は、自らが軍隊の先頭に立って勇ましく戦ってますがな。
つまり「俗」の部分も併せ持っているわけ。
だから祭政一致の時代に聖(シャーマン)の部分だけ特化して見るなんてナンセンス。
「シャーマン」といったってそれは天皇(大王)に限ったことではなく、他の氏族(の長者)だって同じことなのだから。
770武士起源論@:2011/07/16(土) 18:19:19.43
>>699
いい答えだね!GJ!この中で一番的を得た答え。
いいか、君たちもこれから私が書く起源論を読め。
それが答え。
アウトソーシングでは厳密にはない。
古代武士の起源論を論ずると、
古代荘園領主の用心棒(用は警察機構かな)の「委託」を受けた集団が起源。
あくまで「委託」に過ぎなかった。
しかし、
771武士起源論A:2011/07/16(土) 18:30:33.16
しかし、これらが次第に力を持ち、その荘園領主の保持する他の権限や権利を
奪うようになり、これらのもつ許可権や執行権等まで行うようになり、
事実上の「委任権」といった形になる。委任統治領的な。
結果権限の大半を委任という形で奪われ、存在価値も奪われて追い出され、
土地まで奪い、台頭した集団が武士と総称される集団の起源。
奪ったものは奪われるのが世の常。当時のそれらこそよく自覚している。
それが武装自衛集団と更なる拍車をかけるということ。
そして、
772武士起源論B:2011/07/16(土) 18:39:55.92
そして、それら烏合の衆が自らを正当化しはじめ、確立したのが鎌倉武士たる、
ご恩と奉公の関係であり、そこに「土地」というものが介在したかたちでの「武士」が
確立していったということ。
いい?どうしておまえらはふくざつにわざわざ武士の期限を肉ずけする?
当時はサルの集団と基本の心理状態は同じと考えてよい。用は単純社会ということ。
いいか?もしあんたらの言うとおり、武士という存在意義自体が複雑怪奇なキリスト教主国のような世界観なら、
それらが築き上げた社会はもっと高度な支配体制なはず。
しかし、
773武士起源論C:2011/07/16(土) 18:57:19.35
しかし、鎌倉期ころには中世欧州では国王や武装貴族たちの中央封建社会がもうすでに没落していくときだぞ。
鎌倉期発生ころには王権神授説やマグナカルタ等、当時の支配階層や国王貴族の存在意義や、
権限、権利主体が徹底的に議論されて、否定肯定されて存在意義を問われ、これらによって逆に、
それらの封建体制が崩壊への一途をたどる。
しかし、
774武士起源論D:2011/07/16(土) 19:09:12.18
しかし、武士と呼ばれた集団は、合法的、公的身分の総称では一切なく、よって、
自分たちの存在の意義を投げかけるというのも、疑問視するものも何もなく、
自らを正当化する根拠に{土地」や権限の保障といったご恩と奉公という、
封建体制花盛り体制を根拠においたんだろ!
その後古代西欧のような中央集権にたどり着くのも江戸期だし。
その、
775武士起源論E:2011/07/16(土) 19:19:05.18
そのご恩と奉公になんら自らの存在意義を否定も肯定もせず、
行き着く先に他人の儒教をモチーフにさらに封建的ご恩と奉公の武士理論!?
というより武士の観念世界を拡大発展させたのが近世武士道というものに終始したわけだ。
いい?軍事貴族化の発想に偏るのは危険だ?www笑わせるよw
でもそうでもある。
ようは、

776武士起源論F:2011/07/16(土) 19:29:27.60
ようは西欧は貴族という身分にすべてが付加される。
武士というものはだれから武士というものに任命されるわけでもない。
武士というものに主体性があるわけではなく、権力持つものの側面に武士化があるということ。
君たちが考えてるほど、当時の人間たち(武士と呼ばれるもの)は
その武士という側面にそこまであんたたちみたいに、また1200年代の西欧諸国のように、
こむずかしく理論化した上での「職業武士」だったということではないということ
777武士起源論G:2011/07/16(土) 19:51:02.35
西欧のような軍事貴族のように貴族になることに意味があったわけだが、
武士というものにあらゆる権限や権力が備わったうえでの意味を成すものなら、
西欧のような軍事貴族化が一番の自然な流れなんですよ。
もしそうだっったなら、すくなくとももっとはやくに明治のような武士の存在意義が問われていただろうからな。
そうではなかったことが、1600年代まで武士という価値観が一切変化しなかった理由だろ。
変わる必要性がない側面的な意味をなすものに「武士化」する理由があり、
あらゆる支持基盤の根幹に、武士になることがあったわけではないということ。
武士化する理由があっての武士ということ
778武士起源論H:2011/07/16(土) 20:01:26.93
戦国期、寺社が武装し自衛を図るため武士化していったが、
あれらは武士にあこがれて武士化してるの?www
僧兵は武士にあこがれてたわけじゃないだろw
まさにこれら戦国期が古代でも程度がおちた状態で行われていたというだけ。

武士というのはあくまで側面的意義であり、
それに主体性が帯びたのが江戸期武士だろ。
土地から切り離されたことで職業武士化した。
わかるよね?
以上。俺が答えだよ。
779日本@名無史さん:2011/07/16(土) 20:05:25.56
石母田の『中世的世界の形成』には、たと
780日本@名無史さん:2011/07/16(土) 20:07:14.73
田堵出身の輩も平気で源とか平とか藤原なんか名乗っているが、それが一般的だったんだろうな。
781武士起源論 おわりに:2011/07/16(土) 20:09:45.97
それから職業殺し屋説といてる人誰?wwwwww
これ読んだときカップめん食ってて、めちゃ笑ってパソコンにぶちまけちまったよwwwwww
GJ!!!君たちもさ、どうせまともなこといえないなら、これくらいの笑い取れや。www
782日本@名無史さん:2011/07/16(土) 23:25:48.76
「しかし」は幼稚園児か?
誰か連れて帰ってくれ。
783日本@名無史さん:2011/07/17(日) 05:37:39.57
自称"庄屋の子孫"だな。
784日本@名無史さん:2011/07/17(日) 06:26:06.61
俺も思ったw
北関東の引きこもり“あ庄屋”w
785日本@名無史さん:2011/07/17(日) 13:01:24.38
在日ってまじバカだな
786日本@名無史さん:2011/07/17(日) 15:22:08.70
wが異常に多くて読みにくい
頭悪いの丸出しで読む気も失せるが
787日本@名無史さん:2011/07/20(水) 16:39:13.40
ところで鐙って誰が発明したの?
788日本@名無史さん:2011/07/20(水) 19:18:25.13
>>787
漢の将軍亜武味。
789日本@名無史さん:2011/07/25(月) 04:09:44.39
ひらたくいえば、

武士はその強烈すぎる会いでぃんてぃティで武士の成立は定義できる。
平安年間以前のつわもの、もののふというのは、用語、多少関係するかもしれないが全く別
それまでの隼人など在地反乱軍みたいなのはアイデンティティ的ににるが全く別


イデオロギー的には
反宗教的
物理主義
在地農主義、農民主義、郷里主義

であって、守護団結成、千葉小次郎、千葉氏とかその結成が求められるが

その性質は
日本刀の製作、騎馬の製作、貴族、階級つぶし、農民主義とか、関東開拓とかに求められ。

つまり、将門公、将門公が最初の武士ということになる。


千葉氏とかが静かに力をたくわえてってなるけど。
790日本@名無史さん:2011/07/25(月) 04:23:12.20
歴史的には

全国多数反乱

農民主義
日本刀の製作、和鎧の製作、騎馬の製作、砂鉄事業化ける、鉄農耕器具の作成(厳密には蹉跌事業化以降急激に鉄農機具が普及)

将門公(イデオロギー的に、宗教破壊、階級破壊?やったとされる。在地ストーリー、千葉の話にそこらへんがきかれる)

守護団の結成 (千葉小太郎)千葉氏 村岡次郎(中村氏) ただし、グン組織ではなく準軍組織、独自グン組織であって経済開発が大半である。   いわゆる坂東八平
治承・寿永戦争 院生撃破 天皇撃破→オレラの武士の時代キターーーーーw
であと奥州征伐以降
全国に散らばっていった坂東武士の流れ組む当時地方に就任したのが武士だぞ。

あれが武士でメインの武士ってソレ系。

ぶっちゃけ、
それ以外になぜか武士とか武将カウントされてしまったのは。
あいでぃんてぃティ違う、ろくでもないことしかしない。
でひどいのばっかだけどな。


ただ、呼称としての武士は構成で当時は守護としかいわない。せいぜい戦国年間以降じゃね?武士なんてつかうようになったのは
しかも武士ってのは
守護(農民)あがりの新のもののふ、武人みたいなのを指して初めて言う。

そして
あいでぃんてぃティ、イデオロギ、日本刀の製作、砂鉄事業化、鉄器の普及的に
将門公は最初の武士というだろう。

で、当時的に武士の期限や歴史はわかるんだが、意図的にけされる。しかし調べれば武士期限分かる
791日本@名無史さん:2011/07/25(月) 04:35:10.09
1 旧来もののふといわれてるものは違う
2 在地反乱軍 隼人などは似てるが違う
3 イデオロギー、機器の普及は将門公 最初の武士
4 集団を結成して最初の武士集団(守護)を作ったのは千葉小太郎 村岡次郎(将門公甥?いとこ?)
5 後世呼称としての武士が使われ始めたのは?戦国くらい以降  意味として誰からだれまでを武士といわず
  新の武士を武士といった。

で、ほかの武士に関する話は

で戦国終わった以降の武士ってマジで武士じゃねーし一切関係ねーよ。
調べてもいない。
定義も知らない。
かくたる武士の資料、論拠、定義すらもたない。
ぶっちゃけ与太レベル

戦国以降、千葉なんかは農民だったけど武士だったし、武士階級にとどまってたのが直接的な武士を意味しない。
浪人くずれで浪人あがりで、実質武士扱いされない。逆に農民でもつかえれば武士扱いされた。
戦国以降のおちぶれ浪人は武士でもないし、武士扱いされない 一切関係ない 
浪人、大半が武士じゃない。

アホみたいに大量の数が流れて、食いつぶれで、取り潰しでもとくにアクションおこさず、今スデにアイデンティティすら失ってるのは
武士じゃない。だから浪人
792日本@名無史さん:2011/07/25(月) 04:36:07.28
武士らしい武士の話なんか

最初〜戦国年間くらいまでしかもとめられないだろう。


はっきしいって、西国とかは九州除いて武士いないしな。
793日本@名無史さん:2011/07/27(水) 08:36:21.71
あ庄屋を病院に入れたほうがいいんじゃないかな。それとも保健所かな。
794日本@名無史さん:2011/07/27(水) 14:59:27.40
俘囚起源説かなあ。

俘囚とまではいかなくても、和人化縄文系武装民起源とか。
795日本@名無史さん:2011/07/27(水) 16:49:57.59
武士の起源は農民だよ。農村の名家には戦国時代まで武士だったのが
幾らでもある。
796日本@名無史さん:2011/07/27(水) 18:26:12.72
武士はボランティアだよ。装備も食料も自弁。守るべきものを持っているから
それでも戦うんだ。戦争を生活の糧にしている足軽雑兵は武士じゃない。
797日本@名無史さん:2011/07/27(水) 19:46:58.04
>>795
時系列も分からない池沼か
798日本@名無史さん:2011/07/27(水) 20:15:30.42
>>797
庄屋屋敷を見たことがあるか?りっぱなもんだよ。武士のルーツが
ここにあるんだなと感激するよ。中央政府が統治能力を失って地方の
治安が乱れたとき地域の平和と自分の土地を守るために武装した
農民のリーダーが武士なんだ。武士の本質は農兵だよ。
799797:2011/07/27(水) 22:48:44.49
>>798
一応義兄(姉婿)が北関東の大庄屋のK家だけどね。
屋敷は重文指定だよ。
最も子孫は東京暮らし。
某外車輸入商社の創立者一族はそのK家の番頭だった。
でも だからどうっ?て感じ。
800日本@名無史さん:2011/07/27(水) 22:55:17.83
すごいねー
801日本@名無史さん:2011/07/27(水) 22:56:48.04
いやすごくないよ。
親は公務員だし息子(姉婿)はサラリーマン。
802日本@名無史さん:2011/07/28(木) 05:23:47.91
自警団のリーダーが本来の武士だね。資産と家柄と名望を兼ね備えた地域リーダー
が武士だ。これが発生期から戦国時代までの武士の基底的存在形態。
兵農分離は武士階級の解体だ。
803日本@名無史さん:2011/07/28(木) 06:39:45.71
動産が主体だった時代に発生した武士の
>本質
とやらが
>農兵
のわけが無かろう。
804日本@名無史さん:2011/07/28(木) 08:26:17.70
中央貴族が生産の現場から浮き上がって腐敗堕落したとき
古代帝国の辺境だった東国の草深い農村で開拓と農場経営に
従事していた有力農民が国司や荘園領主の支配をはねのけて
在地支配者になりあがろうとする動きが古代国家を掘り崩して
中世的世界を切り開く原動力となったんだよ。わかるかな?
805日本@名無史さん:2011/07/28(木) 10:37:56.14
誰が言ってんの?
参考文献挙げて。
806日本@名無史さん:2011/07/28(木) 13:11:42.62
石母田っぽいなw
807日本@名無史さん:2011/07/28(木) 13:20:41.25
日本で盾が発達しなかったのも、
農民の両手で鍬を振り下ろして耕す動作と、
両手剣の引いて切る動作が合致してるからじゃない?
808日本@名無史さん:2011/07/28(木) 16:48:42.80
>>807
関係ない。
809日本@名無史さん:2011/07/28(木) 22:33:57.04
南北朝時代くらいまで
基本的に刀は片手打ちだからな
810日本@名無史さん:2011/07/29(金) 05:25:27.09
馬上では片手で使う。両手で使ったら落馬するか馬の首を斬ってしまう。
地上でも宮本武蔵や丹下左膳のように片手でも使える。日本刀は
片手でも使える重さと長さに設計されている。
補足;大きく分ければ騎馬武者が使ったのは太刀、江戸時代の武士が
    差していたのは打刀。
811日本@名無史さん:2011/07/30(土) 07:21:16.06
守るべきものがあっての武士化だよ。武士化に意義があったんじゃない。
で、守るべきものとは何か。それは農地と農村での地位なんだよ。
わかるかな?武士はけっして職業軍人ではない。職業化したら
武士じゃない。本業は農業だよ。
812日本@名無史さん:2011/07/30(土) 08:44:38.74
司馬遼太郎「義経」(上下巻)を読むと武士が何であるかがわかりやすい。
813日本@名無史さん:2011/07/30(土) 15:50:38.01
軍事貴族は武士じゃないよ。農村から遊離した武士が貴族に取り込まれて
堕落しただけだ。だから、平氏政権は農村からの反乱であっけなく潰えたんだ。
わかるかな?武士はけっして貴族じゃない。草深い農村で開墾と農場経営に
勤しむ農村リーダーが武士だ。
814日本@名無史さん:2011/07/30(土) 20:23:00.98
だから参考文献挙げろってのw
815日本@名無史さん:2011/07/30(土) 20:25:47.30
もうひとつ。

>腐敗堕落した貴族
なんてのは今日もはや通用しない概念だぞ。
816日本@名無史さん:2011/07/30(土) 21:01:09.15
>>814 闘戦経
読むとこれだわっておも
817日本@名無史さん:2011/07/30(土) 22:02:54.09
>>815
上級貴族は遊宴とナンパに明け暮れてたんだよ。源氏物語を
読んでみなさい。だから武士に政権を奪われたんだ。
818日本@名無史さん:2011/07/30(土) 22:48:09.00
>>817
後世の人間が、フランス文庫を読んで、平成人は腐敗堕落していたと判断するのと同じ愚
819日本@名無史さん:2011/07/31(日) 01:36:24.08
>>818

実際、兵成人は腐敗して堕落してますやん
820日本@名無史さん:2011/07/31(日) 06:29:35.22
検地帳に載ってるのが本来の武士だ。下級武士は水呑み百姓か寄せ場人足の
同類で武士じゃない。
821日本@名無史さん:2011/07/31(日) 07:31:32.77
下級武士が武士じゃないとしてだ、
名主とか庄屋もそれ以上に十分武士じゃないから。
お前の言いたいことは後者なんだろ?
あ庄屋君。
分かったら巣に帰れ。
822日本@名無史さん:2011/07/31(日) 10:22:24.08
>>820
それはない
823日本@名無史さん:2011/07/31(日) 20:31:00.63
食いつめ者あぶれ者が戦国大名に雇われたのが下級武士の祖先。
だから土地も屋敷も家系もない。庄屋名主クラスの百姓には戦国時代まで
武士だったものがごろごろいるよ。中世の武士にまで遡れる下級武士
があるか。
824日本@名無史さん:2011/08/01(月) 00:34:29.22
武士でなくて地侍だろ
825日本@名無史さん:2011/08/01(月) 01:06:52.42
どうして地侍は武士に含めないの?
織田氏・宇都宮氏のような神官が武士に転じたものは、軍事貴族説論者にとってどういう扱いなの?
826日本@名無史さん:2011/08/01(月) 01:16:36.74
武士は貴族じゃないよ。貴族及び貴族化した武士戦って政権を奪い取ったのが
武士だ。平家はもちろんだが、頼朝も貴族性を抜けきれなかったから源氏将軍は
三代で絶えて坂東武者に幕府を乗っ取られたんだ。武士はけっして貴族ではない。
827日本@名無史さん:2011/08/01(月) 01:23:50.53
>>823
下級武士って
戦国末期でいうと、どの辺の階層を指してるの?
828日本@名無史さん:2011/08/01(月) 02:01:19.81
>>825
頼朝以降は非軍事貴族でも御家人になった者なんていっぱいいるから。

それが頼朝やそのブレーンや北条氏などによる狙い=パラダイム転換だったのだから。

829日本@名無史さん:2011/08/01(月) 02:11:01.17
大体、このスレではすぐに「軍事貴族論者は〜」と持ってくるが、現在の学界で職能的武士論否定論者なんて存在するのか?
いまだに石母田や安田の在地領主的武士論の段階に留まって、学界でもそのような論文を発表し続けている研究者っているのか?
いるなら是非ご教示願いたい。
830日本@名無史さん:2011/08/01(月) 08:38:57.61
戦国時代には下級武士なんかなかった。社会の底辺から
掻き集められた足軽雑兵が江戸時代の下級"武士"になる。
本来の武士の多くは平和になって土地を武力で守る必要が
なくなったので武器を捨てて庄屋名主になった。
831日本@名無史さん:2011/08/01(月) 09:52:19.03
鎌倉時代は暗黒史でもある。
軍事貴族、京武者の嫡流が悉く葬られたからね。
832日本@名無史さん:2011/08/01(月) 16:52:52.88
>>831
平将門に始まる「平氏による関東独立」のためというのが表向きの味方だが、
鎌倉幕府には今につづいている「惟宗姓」の島津とかの渡来人(秦氏、漢族など)
がいたから話がややこしい。
833日本@名無史さん:2011/08/01(月) 18:17:11.70
軍事貴族クソくらぇ論者は下向井せんせ
834日本@名無史さん:2011/08/02(火) 02:07:15.43
>>832
惟宗島津氏の初期は軍事貴族系の比企氏を母系につけることで箔づけしてる。
835日本@名無史さん:2011/08/02(火) 02:08:17.75
836日本@名無史さん:2011/08/02(火) 05:01:45.71
武士は貴族じゃない。貴族が京都で遊び暮らしてたとき
東国で開墾に勤しんでたのが武士だ。貴族が統治責任を
放棄して地方が乱れたので自警団を作ったそのリーダーが
武士。武士の揺籃は東国の農村。かれらが在地支配を
固めるために国司や荘園領主の支配をはねのけて古代国家を
掘り崩していった。日本がアジア的専制国家を脱して中世封建制に
移行できたのは帝国の辺境である東国から起こった武士の力に
よる。
837日本@名無史さん:2011/08/02(火) 07:30:24.72
ってのが50年前までの学界でまとこしやかに説かれていた学説ね。
しかしそれでは桓武平氏、清和源氏、秀郷流藤原氏などの貴族階級から成る武士の棟梁、或いは盟主の存在を説明することができず、
また初期荘園の精密な研究により、「腐敗堕落した上級貴族が地方を搾取していた」、などという稚拙な概念がもはや成立し得なくなったことなどにより登場したのが職能的武士論(このスレでは軍事貴族論と言われている)なのだ。

838日本@名無史さん:2011/08/02(火) 08:17:30.48
源氏物語を読めば平安貴族が公務に無関心だったことがよくわかるよ。
男女関係を中心にした私生活が彼らの関心事項のすべてだったんだ。
839日本@名無史さん:2011/08/02(火) 10:02:47.57
どう分かるんだ?
具体的に!

紫式部は男の政治の場にも際限無く顔を突っ込んでは、そこでの公達の有り様を隈無く観察していたとでも言うのか?
所詮は物語だ。
840日本@名無史さん:2011/08/02(火) 13:42:38.53
高い官職に就いているはずの光源氏が公務に従事している場面が
一度も描写されないのは当時の上級貴族が職務を放棄して
遊び暮らしていたからだ。
841日本@名無史さん:2011/08/02(火) 14:07:53.45
後宮のみしか知らない女房の物語だからね。
842日本@名無史さん:2011/08/02(火) 14:48:42.19
そそ。

御堂関白記も小右記も知らないかまってちゃんなんか無視無視!
843日本@名無史さん:2011/08/02(火) 22:24:39.53
>>840
フランス文庫を読んで、平成人は仕事もしないで淫行ばかりしていると判断するのと同じ愚
844日本@名無史さん:2011/08/02(火) 22:42:39.36
年中朝から晩まで、おめこしか興味のないおなごのことを貴族の代表にすなや。
845日本@名無史さん:2011/08/02(火) 22:47:53.46
>>840
職務が遊びみたいな儀式だったと考えるんだ
でも当人たちは意外に真面目だったと
846日本@名無史さん:2011/08/02(火) 22:56:07.67
一昔前まで、男の最大の仕事は子孫残すことだったしなぁ
平安時代の貴族や武士ならなおさら
847日本@名無史さん:2011/08/03(水) 02:21:59.37
>>833
このセンセの著作を読むと、トンデモ発言が散見されており、こちらが赤面
しそうになります。「何々と想定したい」が口癖のようです。
848日本@名無史さん:2011/08/03(水) 03:36:17.20
849日本@名無史さん:2011/08/03(水) 03:45:04.31
>>831
その通り。
源氏と並び立つような名門の氏族は例え鎌倉方についたとしてもなるべく政治の中枢から遠ざけたり、庶流の者を政治の要職につけたりした。
あとは上であるように、兵の家出身でなくとも守護などの重職に取り立てる。
850日本@名無史さん:2011/08/03(水) 08:26:26.88
>>840
天皇の前で舞を舞ったり左大臣家右大臣家の宴に参加したり
天皇の雑談相手になったり源氏は「公務」やってるぞ
>>842
御堂関白記を呼んでもわが娘中宮様のもとでこんな行事やりました、
ってのばっかだぞ
小右記にも行事のしきたりと出世の愚痴は描かれてあるが
「公務」そのものについてはほとんど記録がない

851日本@名無史さん:2011/08/03(水) 08:40:04.33
公務はあっても政務はないわけだ。なぜなら政務は摂関家政所で
中下級貴族が家司となって執り行ってたから。
852日本@名無史さん:2011/08/03(水) 09:08:47.46
一般に平安時代の貴族たちに対する理解というのは、彼らが遊宴と恋愛のみに熱意を示し、毎日ぶらぶら過ごしていた、というものであろうと思われる。
しかしながら、それは主に、女流文学作品に登場する男性貴族たち(象徴的には光源氏)の姿を、現実の平安貴族の生活のすべてと勘違いしてしまったことによる誤解である。

仮名文学を記した女性たちにとっては、男というものは自分たちのいる場所に夜になると遊びに来る生物なのであり、その世界においてしか知らない。また、読者層も女性が多かったであろうから、政務や儀式の有様を述べたところで、喜ばれるはずもない。
だいたい、男性貴族の活動する世界に女性はほとんど立ち入ることはなかったのであるから、政務や儀式の詳細を記述できるはずもないのである。
853日本@名無史さん:2011/08/03(水) 09:16:04.14
↑は
「藤原道長『御堂関白記』全現代語訳」(講談社学術文庫)著者、倉本一宏氏による同書『上』巻の「はじめに」(p5)より抜粋。

854日本@名無史さん:2011/08/03(水) 10:56:07.79
>>851
>政務は摂関家政所で中下級貴族が家司となって執り行ってた
あたたっ、今時こんな考えがまだまかり通ってるとは。
そりゃあ20世紀前半以前の認識でしょ。
855日本@名無史さん:2011/08/03(水) 11:42:50.44
儀式が公務だったんでしょ?

実務は下っ端。

中国王朝もそんあものだったんでしょ?
856日本@名無史さん:2011/08/03(水) 12:20:42.03
>>852
儀式のことを「遊宴」ともいう
光源氏が朱雀院五十の賀で頭中将と一緒に舞ったのも立派なご公務
朱雀帝が伊勢斎宮の出発式で斎宮の髪に櫛を差し秋好を見初めるのも立派なご公務

御堂関白記でも道長は東三条院詮子四十の賀やら
道長の孫親王たちの五十日祝いはかなり力入れて書いてるからな
857日本@名無史さん:2011/08/03(水) 13:09:05.59
釜山をまもる戦士を「ぷし」といい
それが日本につたわり武士となった
858日本@名無史さん:2011/08/03(水) 14:50:52.39
>>831
河内源氏嫡流義忠流を継承した義高とその子義成は解官させられ
多田源氏嫡流源行綱の所領を没収し
清和源氏嫡流摂津源氏頼光流源三位頼政の孫有綱は源義経とともに粛清されている。
859日本@名無史さん:2011/08/05(金) 22:27:42.32
御堂関白記にも小右記にも、除目とかさまざまな定を行った記事が多量に記載されて
いるはずだけどね。
当然ながら、日記には自分で覚えておくべきこと、覚えて子孫に教えるべきことが記
載されるわけで、除目や定の結果などという、必要なときには公式記録を調べさせれ
ば事足りるようなことを一々全部記録したりはしないだろう。
860日本@名無史さん:2011/08/05(金) 23:51:12.12
それが、ライバルの家との席順とか向こうの代表は誰で結果はどうだったとか、
そういうことは事細かに記述してあるのが平安貴族の日記なわけで、
代わりに日本史上の大事件には関心が乏しかったりする
861日本@名無史さん:2011/08/06(土) 00:45:14.43
武士の上層部は貴族でガチ
862日本@名無史さん:2011/08/06(土) 00:46:35.36
死に歌よみの公卿
863日本@名無史さん:2011/08/06(土) 00:54:38.09
秀郷流藤原氏の嫡流は鎌倉時代残ってたの?
864日本@名無史さん:2011/08/06(土) 00:59:46.51
>>863
奥州藤原氏が秀郷嫡流。
将門の子孫、坂東八平氏が戦った。
865日本@名無史さん:2011/08/06(土) 01:11:53.84
政治は人事だよ。
866日本@名無史さん:2011/08/06(土) 01:26:05.74
>>864
リベンジ
867日本@名無史さん:2011/08/06(土) 01:29:34.74
そして軍事貴族はいなくなった
868日本@名無史さん:2011/08/06(土) 03:00:05.47
>>863
中央軍事貴族としての秀郷流藤原氏嫡流は、代々検非違使左衛門尉を勤めていた佐藤氏。
治承寿永期の当主は内舎人仲清(西行の弟)で、仲清は紀伊国池田荘、田仲荘などの預所を勤めていた。
頼朝の頃になると、支族で鎌倉御家人となった尾藤氏に紀伊国の所領を譲らせられ嫡流筋は衰退していく。

在地勢力(辺境軍事貴族)としての秀郷流の惣領的存在は下野の足利氏(藤姓)。
こちらも一門内の内紛もあって庶流筋の小山氏が頼朝により下野守護職に任じられ、以後同職を世襲していくことになる。
869続き:2011/08/06(土) 03:37:19.87
ちなみに、鎮守府将軍藤原頼行の子・淵名兼行の長男が藤姓足利氏初代・成行で、こちらの家系は下野に留住を経て土着するが、
次男孝綱の系統はその後も京武者として存続している。
この孝綱の玄孫が藤原秀康。
かつて白河・鳥羽両院によって平忠盛が引き立てられ、その後の平家の隆盛の礎を築いたように、
秀康は後鳥羽上皇によって引き立てられ、各国の受領を歴任した後、承久の変での後鳥羽院方大将に任じられる。
870さらに続き:2011/08/06(土) 04:02:42.65
また、相模国波多野荘司波多野氏も秀郷流藤原氏で佐藤氏族。
こちらも代々鳥羽院、崇徳院の蔵人所衆や受領職を勤めている京武者の家系。
また義朝次男朝長を産んだ家系でもあるが、それが故に、惣領家はやはり頼朝により逼塞を余儀なくされ、庶流筋の大友氏が大きく引き立てられることとなる。
871日本@名無史さん:2011/08/06(土) 06:30:42.16
武士の本質は地主
872日本@名無史さん:2011/08/06(土) 07:55:17.22
>>858
清和源氏でいえば、頼朝あるいは義朝流を清和源氏嫡流なんて位置付けて「義朝-頼朝神話」をこさえていったのは鎌倉幕府創設以後だからね。
そして、室町幕府創設時には足利氏がさらに怪しい「八幡太郎伝承」をこさえて、上の「源氏神話」の上塗りをしていった。
武田氏が言った「一門更に優劣なし」というのが本当のところでしょう。

桓武平氏でいえば、京武者・中央軍事貴族としての地歩を築き上げていたのは国香流(特に貞盛流)であり、平家滅亡後は直方流の北条氏がその後継者を自認したんでしょう。
だから同じ直方流の熊谷氏はフェードアウトさせられ、三浦党や中村党などの良文流平氏にはそこそこの権限は持たすが、一族を分割して庶流に力を持たせ、邪魔になった時点で各個撃破させていった。
873日本@名無史さん:2011/08/06(土) 09:26:15.39
>中央軍事貴族としての地歩を築き上げていたのは国香流(特に貞盛流)であり、平家滅亡後は直方流の北条氏がその後継者を自認したんでしょう。

↑馬鹿だね君はw
874日本@名無史さん:2011/08/06(土) 09:37:04.29
>>873
どう馬鹿なの?
875日本@名無史さん:2011/08/06(土) 09:47:25.31
武士の本流は在村地主。その子孫が江戸時代の庄屋名主。
だから、庄屋名主は上級武士と頻繁に養子縁組したし
庄屋名主が召し抱えられたら上級武士待遇だ。
庄屋名主から下級武士になった者など一人もいない。
876日本@名無史さん:2011/08/06(土) 09:58:36.78
ソースは?
877日本@名無史さん:2011/08/06(土) 10:00:41.39
おたふく
878日本@名無史さん:2011/08/06(土) 10:10:12.00
中濃だろう
879日本@名無史さん:2011/08/06(土) 10:22:59.80
>>874
きっと大学者様で、なにか非常に難解なお考えがおありになって、
我ら無知なる輩にも理解できるようかみ砕いて説明するようなことはできないんですよ。
880日本@名無史さん:2011/08/06(土) 14:19:07.43
>>872
熊谷は武蔵七党の傍流のそのまた傍流、暴龍・・・
881日本@名無史さん:2011/08/06(土) 17:09:54.63
それは分からない。
北条氏の系譜の謎の部分は、熊谷氏に伝わる伝承を繋げると以外と辻褄が合ってくる。
882日本@名無史さん:2011/08/06(土) 17:28:15.99
鎌倉時代を生き抜いた軍事貴族嫡流を無理して名乗れるのは足利と新田くらいで
武田、佐竹、小笠原、南部、美濃源氏土岐、近江源氏佐々木などは苦しい。
建武親政で後醍醐帝は北畠顕家や庶流の皇子を新軍事貴族にしたかったのだろう。
883日本@名無史さん:2011/08/06(土) 17:50:42.58
武田、佐竹、小笠原はOKだろ。

それから佐々木は寛平延喜勲功者子孫でも承平天慶勲功者子孫でもないから、嫡流だろうが庶流だろうが元より軍事貴族ではない。
884日本@名無史さん:2011/08/06(土) 19:15:25.16
軍事貴族の条件に寛平延喜勲功者子孫、承平天慶勲功者子孫に加えて
鎮守府将軍に就ける家格を加えてもいいと思う。
885日本@名無史さん:2011/08/06(土) 19:28:12.57
その両者は一致してるっしょ
886日本@名無史さん:2011/08/07(日) 01:03:47.22
北畠顕家は鎮守府大将軍であり建武以降の武家の棟梁となるのを期待されていたんだろう。
887日本@名無史さん:2011/08/07(日) 01:15:12.35
軍事貴族だけじゃ戦時も平時も機能しない。
軍事貴族を支えた層も要注目。
888日本@名無史さん:2011/08/07(日) 14:09:16.63
一時的にせよ護良親王は征夷大将軍に叙任されてるから武家の棟梁。
しかし武士ではない。
鎌倉幕府の摂家将軍、宮将軍しかり。
上の方で基地外が言ってた武士は地位でも存在でもなんでもなくて
(或る種の)概念だろうね。
近世武士がアイデンティティを求めた結果だね。
889日本@名無史さん:2011/08/07(日) 14:44:34.10
武士とは軍事貴族を包括する封建制の萌芽とともに現れた軍事的概念。
890日本@名無史さん:2011/08/07(日) 14:52:12.47
武士の本質は在村地主
891日本@名無史さん:2011/08/07(日) 14:54:16.67
江戸時代で下級武士じゃなくて庄屋名主が本来の武士。
下級武士は賤民。庄屋名主は上級武士とは幾らでも
養子縁組したけど賤民である下級武士とは絶対にしなかった。
892日本@名無史さん:2011/08/07(日) 21:44:31.56
護良親王とて殺されず将軍職世襲化に成功していたら武士といわれていたでしょう。
鎌倉幕府の摂家将軍、宮将軍しかり。
893日本@名無史さん:2011/08/07(日) 22:14:54.66
やっぱり新軍事貴族構想はあったんだね。
894日本@名無史さん:2011/08/07(日) 23:43:49.98
北畠顕家の父親親房は淳和奨学両院別当に補任されて源氏長者となっている。
護良親王と気脈を通じていたわけだから新軍事貴族構想は確かにあったのではないかな。
895千ず利休:2011/08/08(月) 02:58:55.49
つーか低脳が多すぎなんだけど。
>>856
あんたさ、こんなんが政治的公務なんて本気で当時の人間が思ってるから、
速攻滅ぼされるんだろ。馬鹿なの?
何が立派な公務だよ。
政治主体の運営能力上げてみろよ。厨房の学級会よりひデーだろ。
ああいう政治をお遊び公務と勘違いしてるから野党武士につけあがられるんだよ。
政治と公務と一緒に考えてるのか低脳廚は?
お前は偏差値いくちゅだ?w
896千ず利休:2011/08/08(月) 03:07:29.01
>>888
まーそのとおりだよね。君、さすがだよ。基地外は余計だがw
武士とは総称であって主体性を帯びた独立性のある固有名詞じゃない。
そのとおりで、
当時の支配階層が意味する複合的価値の中の一つの形態にすぎず、
それが、貴族と唯一相反するものであるため、
そこにアイデンティティとしての存在意義を求めた結果の総称としての武士という側面であって、
武士たることが絶対と勘違いしてる低脳はそこがわかってないんだよ。
偏差値低すぎてw。
897千ず利休:2011/08/08(月) 03:12:40.58
>>892
オタ!言われてないだろwww
だれが鎌倉宮将軍が武士なんていってるの?
電波良好だとでも思ってるわけ?
森永親王が武士化してたら、少なくともまた形が変わってたろうな。
>>891
おしいな。
下級武士は選民中の選民というのは大当たりだが、
上級武士は名主庄屋とは養子縁組の例はいくらでもあるが、
下級武士との縁組なんて皆無ということだ。
君、いい線ついてるね〜
898千ず利休:2011/08/08(月) 03:40:25.11
そしてキングオブ低脳は>>829な。
こいつは、いつも他人のおっさんの意見の説を取り上げ、
武士の発祥はこの説だ!と思い込みたいようだがさ、
いい?武士なんて起源なんて一つとでも考えてるのか?
腐ってんな頭。武士という存在意義そのものは野党の類なのに、
勃興は一つのビッグバンからの潮流によるものと考えてるお前は、
いい加減歴史に傾倒するのやめたら?w
899千ず利休:2011/08/08(月) 04:05:42.31
武士化していく変成の中で一般化されるまでの起源なんて、
それこそすべての説の経由は間違えてないよ。
その中でも在地権力者の武士化が,
全国的にもっとも比重の多い武士化のルートだといってるんだよ。
わかるか?武士化するルートは一つしかなかったと思ってるのか?
武士化することに意義があったわけじゃないといってるだろ。
900千ず利休:2011/08/08(月) 04:19:53.25
武士化は、

「封建制の中での在地権力者層の包括する権威利権の萌芽とともに拡大肥大化していった、 自衛という一側面の誇張」

に過ぎないといってんだよ。
そして現代で武士という一側面のみが断片的に固有化してるのは、なぜだかわかるか?
馬鹿にはわからないだろうけどな。
901千ず利休:2011/08/08(月) 05:03:22.47
そしていい例が下級武士だろ。
下級武士ごときのような野党や雑多の賎民出自風情でも、
まさに時代の寵児がごとく、この様ななんの必然性もない存在主体でも、
戦国期なし崩し的に武士化が容易に簡単になされたろ。
こんなんが江戸期、武士もどきとなったから、幕末にテロ三昧が横行したんだろ。
存在に確定的意義が皆無のため、行き着く先が、
職業化してる下級武士の野党的倫理観の本領発揮だったわけだ。
902千ず利休:2011/08/08(月) 05:21:10.15

こんなもんなんだよ古代武士の勃興なんて。
だからこそ鎌倉武士はご恩と奉公というアイデンティティを土地を介在にしての武士としての大義名分を確立したんだ。
下級武士の出自とブザマさみれば、古代、これらの程度が落ちたものが武士化のルーツとわかるだろ。
時代は違っても価値観なんて日本では戦国期も古代も基本はほとんど変わってないんだから、
古代武士の勃興の流れは基本似たようなものとなぜわからない?

903日本@名無史さん:2011/08/08(月) 06:39:35.00
基地外が「自衛」って言うから頭に蛆沸いてそーだけど
よーするに「自前」ね。
「土地を基盤とする重層的支配構造を包括する封建制による自前の軍事的概念」
904日本@名無史さん:2011/08/08(月) 06:59:17.76
あ庄屋よ まずはここのスレタイ百篇読んでから書き込め! な。
905日本@名無史さん:2011/08/08(月) 07:30:15.35
>>898
>こいつは、いつも他人のおっさんの意見の説を取り上げ、

学術板で学者研究者の意見を
>取り上げ
ながら考察することに異論を唱えてくるとは恐れ入る。
さぞかしあんたは専門家である
>おっさん
たち以上に博識を誇り、武士の起源について豊富な論拠を有してもいるらしい。

ならば、
>野党
とは具体的に何を指すのか?
そのような説を唱える学者・研究者の名前、及び参考文献を提示することを忘れずに是非ご教示いただきたい。
くれぐれも「俺の脳内ソースだけ」 なんてことは無しで頼みますよ。
906日本@名無史さん:2011/08/08(月) 07:53:25.32
 ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´Д`)(; ´J`) ∧_∧
/文室 \ 鎌倉 \ 上総 \ 三浦 (    ) パンツ脱いで待ってる 
| 忠光 .| |悪源太| | 曹司 | | 胤義 /     ヽ
||\  ̄ ̄ ̄ ̄   ̄  ̄ ̄  ̄  ̄ / .|   | | 藤原信頼
||\..∧_∧             (⌒\|__./ ./
||.  (    )             ~\_____ノ|  ∧_∧
  /    ヽ骨は拾ってやるよ  .     \|  (    ) 
  |     ヽ                   \/     ヽ. 負けたら絶交な
  |    |ヽ、二⌒)               / .|後鳥羽| |
  .|    ヽ \∧_∧           (⌒\|__. / /
  藤原隆家
907日本@名無史さん:2011/08/08(月) 08:18:21.85
>>873
北条氏が伊勢平氏の後継を自認してたの?
源家や将軍家の家人であり家宰だろ?北条氏が伊勢平氏の後継を自認?聞いたことねーぞ?
908日本@名無史さん:2011/08/08(月) 12:14:35.72
伊勢平氏じゃなくて、貞盛流の後継だろ。
伊勢平氏は、義家が関東に進出したあと、伊勢に逃げた貞盛流の平氏だが
当然残った平氏もいたわけで、北条はその末裔を名乗ってるのさ
909日本@名無史さん:2011/08/08(月) 14:11:49.02
時政以前が不明とされる北条氏であるが、
諸系図通り、直方流平氏で妥当と思える。
平直方-平維方-平盛方までは京武者であったが、盛方の代に同じ貞盛流の伊勢平氏・忠盛が台頭してくる。
盛方流熊谷氏の伝承によると例の平忠盛襲撃(殿上闇討事件)の時、その一味に平盛方が加わっており、その罪により盛方は処刑される。
この盛方処刑の為に盛方流の京武者としての地位が揺らぐ。この危機的状況に対処するため、盛方直系に代わって盛方の弟・阿多美聖範の子が中央での盛方流の地位を引き継ぎこの危難をしのぐこととなる。
これが伊豆北条氏のはじまりであろう。
阿多美聖範は伊豆阿多美郷の土豪の家の婿に入り、「開発領主」としてこの地域を開発て行く。
阿多美四郎を名乗り、伊豆北条氏の通字・四郎が始めて登場する。
また、罪人となった平盛方の実子も聖範が引き取り、阿多美郷を引継がせる。
聖範の実子である平時方は、当初は阿多美郷和田に居住して和田大夫四郎を名乗るが、処刑された盛方流を継ぐ為に都に上り宮仕えを始める。
時方は盛方と違い順調に出世し上総介や肥後守を勤めた後、晴れて伊豆守に任命された。
この時期の国司は徭任が多いが、時方は一族の多く住む伊豆に実際に赴任し三島の国府で業務をこなしたことだろう。
そして任期終了後も帰京せず三島国府庁舎の直ぐ目の前にある北条郷に「土着」する(実際はやはり同地の郷司、条司などの家への婿入りであろう)。
そして北条姓を名乗り、都での平直方流中央軍事貴族としてのキャリアを捨て伊豆在庁国司としての歩みを始める。
910日本@名無史さん:2011/08/08(月) 18:26:17.49
>>909
インチキ研究者の受け売り乙
911日本@名無史さん:2011/08/08(月) 19:26:10.31
>>910
じゃあ君はどう思ってんの?
それとも他人の意見にケチつけるのが専門で自分の意見は開陳できない人?
912日本@名無史さん:2011/08/08(月) 19:44:35.14
>>911
インチキ学者の与太話を鵜呑みにするよりマシだろJK
913日本@名無史さん:2011/08/08(月) 19:48:08.36
>>912
だから自説は展開できない人なの?
914日本@名無史さん:2011/08/08(月) 19:50:14.91
>>913
ムキになるなよ。
お里が知れるぞ。
915日本@名無史さん:2011/08/08(月) 19:53:25.17
>>914
どんな
>里
でもいいよ。

自説(もちろん論拠を備えた上での)の開陳お願い。
916日本@名無史さん:2011/08/08(月) 20:31:25.45
>>915
自分の尊敬する馬鹿学者様がコケにされたからってあんまムキになるなよ。
917日本@名無史さん:2011/08/08(月) 20:51:29.08
>>916
>学者
って誰?
918日本@名無史さん:2011/08/08(月) 20:54:07.69
919日本@名無史さん:2011/08/08(月) 20:57:35.47
>>917
ただ単に注目を集めたいだけで適当なことを抜かす連中のことだろ。
920日本@名無史さん:2011/08/08(月) 20:58:43.01
>>919
自己紹介乙!
921日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:00:40.01
>>920
程度の低い返し乙!
922日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:02:06.84
>>912
>インチキ学者の与太話

よりはマシな話が出来るのであろう君の話が聞きたいんだが?
923日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:04:46.99
>>921
だから君が
>程度
の高い説展開してみてよ。
あんたこれまで具体的に何も言ってないしw
924日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:04:49.95
>>922
2chなんかでムキになるなよ。
ヘッポコ学者w
925日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:05:35.48
926日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:11:17.56
>>925
池沼の相手してスレが埋まるの勿体ないから以後無視するね!
927日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:12:24.38
928日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:23:45.86
>>908
軍事貴族の貞盛流って伊勢平氏じゃないの?
929日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:30:09.88
>>928
伊勢平氏だけが貞盛流平氏ではないということ。
元々は直方流の方が伊勢平氏よりも貞盛流としての嫡流的存在だったしね。

930日本@名無史さん:2011/08/08(月) 21:41:02.51
>>929
北条氏がその後継を自認するという伊勢平氏以外の貞盛流の軍事貴族って何?

931日本@名無史さん:2011/08/08(月) 22:42:54.16
それから北条氏の身大の小ささを以て、周辺の大豪族よりも北条氏の家格が低いかのような説明がなされることがよくあるが(例えばWikiなど)、それは全く的はずれな見解だから。
後期王朝国家時代の幕開けたる寛徳荘園整理令の施行(11世紀中葉)以来、それまでの地方における令制システムだった国-郡-里(郷)のの支配原則が崩れ、
郡より郷が独立し、そしてその郷よりも更に小さな単位である、保や条や院などの行政単位がやはり独立して新たに編成されて行く。
郷は郡よりも下位の単位というわけではなく、保・条・院も郡や郷よりも下というわけではなくなり、
それぞれが対等の関係となって「国」の下に一元的に置かれることとなる。
これはつまり、郡司と郷司と保司と条司などの関係も上下関係から、対等の関係となったということを意味する(これらの行政単位を総称して「別名」という)。
そして、それら郡司、郷司、条司、保司などを勤める地方豪族=田堵負名層もこれと前後して、国司や押領使や国司郎等などとして赴任してくる中央(軍事)貴族やその子弟から婿を取って家を継がせ、自身「源平藤橘」化して行くようになる。
そのような時代的社会的背景を考えた場合、北「条」という条単位の領主であるからといって、それがゆえに郡単位の領主たちよりも身分的に下位であるなどとは言えないのである。
932日本@名無史さん:2011/08/08(月) 23:01:18.01
933日本@名無史さん:2011/08/08(月) 23:18:29.23
うんうん何度も論破されて悔しいから幼稚な嫌がらせで返すことに決めたんだよねw
その調子で続けてねw
934日本@名無史さん:2011/08/08(月) 23:24:33.95
とりあえず北条氏は平安時代の軍事貴族の後継ではないね
935日本@名無史さん:2011/08/08(月) 23:27:22.54
>>933
うんうん学会からも世間からも相手にされなくて悔しいから何の根拠も無い妄想を垂れ流し続けることに決めたんだよねw
その調子で続けてねw
936日本@名無史さん:2011/08/08(月) 23:33:05.74
>>934
軍事貴族の系譜じゃないと流人とはいえ頼朝と姻戚関係など結べないだろうね。
大夫など五位貴族への称号もつきようがないし、逆に軍事貴族系である状況証拠が揃い過ぎてもいるくらい。
937日本@名無史さん:2011/08/08(月) 23:35:15.89
>>936
ということにしたいんですねw
938日本@名無史さん:2011/08/09(火) 01:25:09.87
>>936はアホすぎるみたいだ
北条氏が軍事貴族の後継を自認してたの?
939日本@名無史さん:2011/08/09(火) 02:11:39.67
ああ、粘着厨は>>873か・・
やっと分かったわw
土曜日の朝から>>874に返せないでずっと恨んでたようだねww






ご苦労さんww
940日本@名無史さん:2011/08/09(火) 07:49:01.67
貞盛流の軍事貴族って伊勢平氏以外にあるっけ?
941日本@名無史さん:2011/08/09(火) 19:35:16.53
軍事貴族っていうほどの家はないんじゃないの?
北条氏は軍事貴族なんて目指してないし後継でもないよ
942日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:05:38.09
>>936
頼朝だって一人の人間だろ。
世話になってる家の娘と仲良くなって出来婚。
有り得ない話じゃない。
943日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:13:49.22
頼朝はどうでもいいけど北条氏が後継を自認した伊勢平氏以外の貞盛流の軍事貴族ってなんなの?
944日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:14:06.72
>>941
軍事貴族は
>目指
すとかいうものではないんだよ。
もうちょっと勉強してから書き込もうね。
945日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:16:50.03
流人の右衛門権介頼朝がはじめに通じたのは伊東氏の娘なんじゃないの?
946日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:28:07.66
>>944
鎌倉北条氏は伊勢平氏以外の貞盛流の軍事貴族の後継なの?
947日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:31:15.21
これがきっかけで荒れてんだな
>>858
清和源氏でいえば、頼朝あるいは義朝流を清和源氏嫡流なんて位置付けて「義朝-頼朝神話」をこさえていったのは鎌倉幕府創設以後だからね。
そして、室町幕府創設時には足利氏がさらに怪しい「八幡太郎伝承」をこさえて、上の「源氏神話」の上塗りをしていった。
武田氏が言った「一門更に優劣なし」というのが本当のところでしょう。

桓武平氏でいえば、京武者・中央軍事貴族としての地歩を築き上げていたのは国香流(特に貞盛流)であり、平家滅亡後は直方流の北条氏がその後継者を自認したんでしょう。
だから同じ直方流の熊谷氏はフェードアウトさせられ、三浦党や中村党などの良文流平氏にはそこそこの権限は持たすが、一族を分割して庶流に力を持たせ、邪魔になった時点で各個撃破させていった。
948日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:34:31.83
北条氏は中央軍事貴族の平家一門ではなく多数いる家人の内の一つでしかないんだが?
949日本@名無史さん:2011/08/09(火) 21:42:20.89
究極に自演くさい
950日本@名無史さん:2011/08/09(火) 22:03:55.55
伊東祐親は?
951日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:15:08.68
軍事貴族の家を惜しんで。娘が産んだ頼朝の息子を殺害。
惜しいほどの家柄でなかったのでスルーだった北条。
952日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:21:02.71
源頼朝という人物は、先祖・頼義の故事来歴を非常に「重んじる」人物でもあった。
平泉征伐などはまんま頼義の前九年役の焼直し。
例えば、平泉の炎上後もわざわざ全軍を率いて頼義が安倍貞任を討った場所である厨川まで進軍してみせたり、その際に頼義が用いた「御旗」と寸分違わぬ源氏御旗を新調させてみたり、
頼義が安倍貞任を八寸の鉄釘で梟首したのと全く同じやり方で、頼朝も藤原泰衡を梟首してみたり(しかも前九年役で頼義の命により斬首した貞任の首を受け取ったのは横山経兼であったが、平泉征伐時に頼朝の命により藤原泰衡の首を受け取ったのは経兼曾孫の小野時広である)、
安倍氏追討後、頼義が帰洛時に作らせたという矢と同じ形状の矢を、頼朝も奥州藤原氏討滅後に作らせて上洛してみたり、といった具合に(この奥州攻め以外にも「頼義故事」は多くある)。
なによりも頼朝が幕府創設地と定めた鎌倉こそが、頼義ゆかりの地であろう。
鎌倉は、頼義が平直方の家に婿に入り、直方より同地を譲られて以来の所縁の土地なのだから。
以上みてきたように、頼朝の足跡には「頼義故事」に準えたものが非常に多いのであり、
これに照らしてみても頼朝外戚となった北条氏が直方流平氏と推論することに何の無理もないということが分かるであろう。
953日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:23:45.02
954日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:27:26.11
軍事貴族「えっ、俺ら軍事貴族って呼ばれてんの?何それ」
955日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:41:13.37
>>948
>北条氏は中央軍事貴族の平家一門ではなく多数いる家人の内の一つでしかないんだが?
>家人
だから
>軍事貴族
ではないというのも変な物言いだ。
山内首藤氏などは幕府創設の遥か以前から河内源氏家人であるが、同時に五位の位階を有する中央軍事貴族でもあった。
幕府創設以後に御家人となった家でも、波多野氏や足利氏や比企氏や武藤氏など中央軍事貴族系の家は多く存在するし、また辺境軍事貴族(在地で五位以上の位階を有する家)なら千葉氏、上総氏、三浦氏、中村氏、大庭氏他より数多く存在してもいるのだから。

956日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:42:03.07
おいおい、北条、伊東とか在庁クラスが中央軍事貴族かよ?
ありえねーよw
957日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:42:21.66
>>954
呼ばれるわけねえだろ、馬鹿か!
958日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:44:08.46
>>956
辺境軍事貴族ね(>>955参照)。

伊東(他の為憲流藤原氏含む)は微妙。
959日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:53:36.19
北条って軍事貴族なの?
初めて聞いたわ
960日本@名無史さん:2011/08/09(火) 23:56:05.38
馬鹿だからだろw
961日本@名無史さん:2011/08/10(水) 00:32:43.26
もし>>952の言う通りなら頼朝は
「北条とかいう家が直方の子孫らしいな。
よし、そこの娘の婿になろう」
とか考えて縁もゆかりも無い家にわざわざ婿入りしたことになる。
962日本@名無史さん:2011/08/10(水) 00:56:56.09
北条が直方流なら
>縁もゆかりも
あるじゃないか。
963日本@名無史さん:2011/08/10(水) 01:20:35.00
北条って中央軍事貴族の後継を自認してたの?
しかも伊勢平氏以外の貞盛流の中央軍事貴族の後継を自認してたってどういうこと?
964日本@名無史さん:2011/08/10(水) 01:48:50.69
頼朝を支えたのは在長官人。
965日本@名無史さん:2011/08/10(水) 02:52:57.57
近年の研究者の間では北条氏が一介の田舎土豪にしか過ぎないなんて説はもはや過去のものになりつつある。
本郷和人氏や細川重男氏や上杉和彦氏や野口実氏などの最新の研究者の間ではね。
966日本@名無史さん:2011/08/10(水) 05:37:05.58
>>965
よお!!馬鹿の一つ覚えの研究者狂信厨w
相変わらず自分の考えもろくにいえない知識足らずの歴史オタのボンクラ中年w
967日本@名無史さん:2011/08/10(水) 06:37:00.82
>>965
ただ単に他人と違うことを言って注目を集めたいだけの連中だろ。
968日本@名無史さん:2011/08/10(水) 08:23:40.00
>>961
そーゆーところが受けたのかも?
伊東(工藤)氏の先祖も、源氏先祖との縁があったのかも?
969日本@名無史さん:2011/08/10(水) 08:28:15.28
>>968
後からのこじつけだろ。
勝った後なら何とでも言える。
970日本@名無史さん:2011/08/10(水) 08:45:09.75
桓武平氏・平貞盛の流れを汲む平直方の子孫を称し、時方のとき伊豆介となって伊豆国北条郷(現静岡県伊豆の国市)に在庁官人として赴任、土着し、北条氏を名乗ったという。
上横手雅敬の指摘によれば、土着したのはそう古い年代ではなく、また幕府内での世渡りの良さに鑑みるに、京都と極めて密接な関係にあったのではないかという[1]。

今日伝わる北条氏系図はいずれも時政以前の世系がまちまちで一致せず、疑点が多い。時政の本拠地である北条の地は、伊豆国田方郡に位置する。
「条」とは、郡・郷よりさらに小さい規模の領域を示す単位であり、郡規模あるいはそれ以上の範囲に領域支配を展開する他の東国有力武士団である三浦・千葉・小山・秩父などは、
どれも何代か前から多くの有力な一族を各地に分派させているが、北条氏にはそうした一族が少しもみられない。そして40歳を越えた北条時政が、ただ北条四郎と名乗っているのみで、
介はもとより、何の官位も持っていなかったのである。それらの点から考えて、
北条氏を桓武平氏直方の流れをひく伊豆の大豪族で、他の東国武士団より強い勢力を持っていたとは考えられない。頼朝挙兵時における同国の伊東氏の兵力は北条氏の十倍以上である。
北条氏は伊豆の在庁官人として北条の地に館をかまえる武士であったが、その規模は決して大きくなく、伊豆においてもその他大勢の中流クラスの存在であったとみられる。

一方、家紋研究家の高澤等は北条氏と同じ三つ鱗紋を用い、北条氏のように大蛇伝説を持つ九州緒方氏の祖でもある大和国大神氏の一族ではないかと論考している。

971日本@名無史さん:2011/08/10(水) 10:38:22.79
まあなんか都にコネクションがあったみたいだから、
一介の田舎土豪とは言い難いかもしれないけど、
どうみても大豪族じゃないよね。
972日本@名無史さん:2011/08/10(水) 11:04:18.84
>>966
>>905

他人の見解・考察にケチをつけることだったら誰にでも出来るわけだが。
お前はそのような他人のあら探しをしているレス以外で、
お前自身の
>自分の考え
とやらはこのスレのどこに書いているんだ?

加えて、お前のレス内容からすると、お前は学者研究者の学説を一切参考にせずに豊富な
>知識
とやらも有しているらしい。いい加減それらの披露をしてみてくれよ。
是非ともお前の考察と、学者諸氏の諸見解とを比較してみたいんでねw

その上で
あんたの考察の方が並みいる学者諸氏の考察よりも上を行っているならば、その時点で自分の考察・推論に修正を加えることも可能になってくるわけだからw


いいか、今度はくれぐれもはぐらかして逃げたりするなよw
粘着廃人君w!
973日本@名無史さん:2011/08/10(水) 11:05:45.36
>>971
北条氏の身代については>>931を参考にしてみて下さい。
974日本@名無史さん:2011/08/10(水) 12:22:14.66
都にコネクションが無かったら、いくら富裕強大でも、ただの不法土地占拠者扱いでしょ?
975日本@名無史さん:2011/08/10(水) 13:07:08.00
>>970
他スレにも書いたが、
北条、大和大神氏両氏の伝承および家紋に共通性が見られるのは大変興味深い事象だ。

土着=有力在地豪族への婿入り、
の公式に従えば、北条氏祖・平時方が婿入りした家は、国府や北条郷と同じ田方郡内における有力氏族、つまり三島大社の宮司か祢宜一族の家にと考えるのが筋だろう。
北条氏は、家紋や伝承などに大和大神氏と共通したものが多いことは比較的よく知られているが、
三島大社の祭神は大山祇神であり、同神を奉る氏族は大和大神氏と同族の古代氏族賀茂氏であることを思えば、両氏の家紋や蛇伝承の共通性はピッタリ辻褄が合うからだ。
そして、賀茂氏の一族で伊豆と関連する人物と言えば、有名な役小角が同地に流されていることがすぐに想起される。
976日本@名無史さん:2011/08/10(水) 14:06:35.79
>>972
と、ヘッポコ研究者の信者が吠えています。
977日本@名無史さん:2011/08/10(水) 14:07:58.62
>>973>>975
北条氏は被差別階級出身だと思う。
978日本@名無史さん:2011/08/10(水) 14:15:31.17
>>976
降参なんだねw
979日本@名無史さん:2011/08/10(水) 15:03:01.42
>>977
あの時代に、国府と目と鼻の先に領地を構えられ、
時方の伊豆守赴任に始まり、以後は代々在庁として伊豆介(北条介)を勤め五位に叙せられ、近隣の伊東氏のような大豪族とも姻戚関係を結んでいるような家が
>被差別階級出身
なんてことは有り得ません。
980日本@名無史さん:2011/08/10(水) 15:25:17.26
>>978
ヘボ学者乙
981日本@名無史さん:2011/08/10(水) 15:28:55.91
>>980
セリフが弱々しくなってきてるよ。





お可哀想にw
982日本@名無史さん:2011/08/10(水) 15:40:20.18
>>979
記録なんて後から何とでも書き換えられる。
983日本@名無史さん:2011/08/10(水) 15:42:22.11
>>981
つまり自分がヘボ学者だという事実を認めたわけだなw
984日本@名無史さん:2011/08/10(水) 16:02:52.28
>>982
系図や記録の記載がいちいち実際上の事柄と矛盾してくるというのならともかく、
一定地域の領主であったことが確実に分かり、
周辺豪族との姻戚関係があり、
同族熊谷氏に伝わる伝承と照らし合わせると矛盾なくの筋が通ってきたり、
等といった具合に、様々な状況証拠と突き合わせてみると無理なく筋が通ってくるわけだ。

その上でも
>あとから何とでも書き換えられる
などと、全否定するのは幼稚な態度以外の何物でもないわな。

まあ「下衆の勘繰り」って奴だね。
985日本@名無史さん:2011/08/10(水) 16:48:43.00
>>984
自分の考えを正当化するために都合良く解釈してるだけだろ。
986日本@名無史さん:2011/08/11(木) 07:03:48.60
>>985

>>972でも言ったはずだが?
他人の考察にケチをつけるだけなら誰にでもできると。

俺の推論を
>都合よく
>正当化
しているだけと主張するためには
>都合の
悪い
点をお前が具体的に列挙して行かないと意味が無いんだよ。

>>984で俺が言った
>系図や記録の記載がいちいち実際上の事柄と矛盾してくるという
点をお前が挙げてみろ。
それが出来ない以上、お前のやっていることは
>下民の勘繰り
に過ぎないんだよ。



繰り返すがここは
「学問板」
な。
学問板らしい態度で反論して来い!
987日本@名無史さん:2011/08/11(木) 23:25:49.13
北条政子=いまでいう腐女子、源氏物語のよーな絵草子を読んで頭の中で考える都の貴公子に憧れた非常識さ
sでもそれで、そのとき歴史が動きました
988日本@名無史さん:2011/08/12(金) 08:40:51.52
北条時政も頼朝を担ぐのには不本意だった。嫡子でなかったはずの義時が勝手にさせたようだ。
989日本@名無史さん:2011/08/12(金) 12:32:46.90
頼朝を北条の跡取りにするつもりだったのだろう。
990日本@名無史さん:2011/08/12(金) 21:26:46.43
>>985
ここは2chだぞw
ボンクラ研究者w
991日本@名無史さん:2011/08/12(金) 21:28:16.04
>>990訂正
>>986
ここは2chだぞw
ボンクラ研究者w
992日本@名無史さん:2011/08/12(金) 23:25:21.12
非軍事貴族なんかいるの?
993日本@名無史さん:2011/08/13(土) 03:56:19.81

wikiの「軍事貴族」を書いた奴w誰だ?
捏造と齟齬と妄想のテンコ盛りだろwww


994日本@名無史さん:2011/08/13(土) 05:42:15.13
中臣も神話の世界では軍事長官だし
物部も軍事を司った

大体、神社なんて神代では軍の集う場所という神話上の記述が随所にあり、
鹿島神宮や香取神宮では中臣や物部の先祖が軍神として祀られ、神官は武道剣道の祖にして刀鍛冶の祖なのだが。
大伴だって小野だって、およそ軍事に関わらない貴族がいたのか疑わしい
995日本@名無史さん:2011/08/13(土) 06:21:50.22
>>994
ちがうちがう。鹿島と香取の祭神は中臣の祖神でも物部の祖神でもない。
初歩的な事実を先ず知ってから発言しなさい。
996日本@名無史さん:2011/08/13(土) 13:32:36.49
>>991
お前だけが
>2ch
を理由に逃げているだけで、
他はみんなまともだよ。
997日本@名無史さん:2011/08/13(土) 14:12:47.66
>>994
大伴氏などの活躍した氏姓制度時代は、大王家を中心とした有力豪族たちによる連合政権であり、一般に彼らに対して「貴族」という呼称は使われない。
学界では、大伴氏や物部氏など主に軍事に多く携わった氏族に対しては、「軍事氏族」と言う名称が使われることが多い(元木泰雄氏、下向井龍彦氏など)。

@軍事氏族:律令制以前(氏姓制時代)。
物部氏、大伴氏、佐伯氏、阿倍氏など。

A軍事官僚:律令時代。
坂上氏、小野氏、清原氏など。

B軍事貴族(a):寛平延喜東国の乱鎮圧勲功者及びその子孫。
平高望、藤原利仁など。
B軍事貴族(b):承平天慶の乱鎮圧勲功者及びその子孫。
藤原秀郷、平貞盛、平公雅、源経基、橘遠保、大蔵春実 など

狭義の軍事貴族は特に(b)を指す。

中でも秀郷流藤原氏、貞盛流平氏、経基流源氏の三氏流がその代表格とされる。
998日本@名無史さん:2011/08/13(土) 14:17:31.31
>>996
そう思い込んでるのはお前だけだろ。
こんな所で吠えてる暇があったら早く社会に出て働けよ。
999日本@名無史さん:2011/08/13(土) 14:32:06.40
999なら北条氏は部落出身
1000日本@名無史さん:2011/08/13(土) 14:33:25.39
1000なら北条氏は在日出身
10011001
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