いわゆる中下級武士(足軽)は武士ではない

このエントリーをはてなブックマークに追加
425日本@名無史さん
まあ隠密同心も御先手組与力同心も御右筆も御徒も勘定吟味役も御代官も東京府士族だな
426日本@名無史さん:2011/03/30(水) 21:22:52.88
>>425
移封の際に整理されなかった者は静岡県士族じゃないのか?
427日本@名無史さん:2011/03/30(水) 23:22:38.16
郎党の定義も難しいな。

>>346の言うように、承平・天慶の乱では従類・伴類と呼ばれ、従類は主人(軍事貴族)の隷属的戦力(ただし、騎乗の権利を有する)であり
伴類は動員された自由民である田堵・負名層(律令制での良民で騎乗・徒歩の両方)で軍事貴族の郎党として戦力を担ったし
他に因縁と呼ばれる所領を有する同盟者・与党も居たからね。

王朝期での源頼光とその四天王の関係は棟梁と与党の関係であっても郎党と呼ばれている。
即ち、郎党とは上級武士及び中級武士であり隷属的郎党(所従、従類)も時代を経て中級武士の身分を獲得する者と奉公人のままの者も居ただろう。
428日本@名無史さん:2011/04/01(金) 01:02:50.08
移封の際に整理されなかった者は、平民におとされた
429日本@名無史さん:2011/04/01(金) 06:04:40.67
>>428
移封に着いて行った者は静岡県士族だよ。
430日本@名無史さん:2011/04/01(金) 11:38:52.77
静岡県民は手堅い性格と言われるが、士族は何割程度なんだろう
431日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:09:38.12
江戸に残った旗本御家人は、朝廷に忠誠を誓って任官が認められたごく一部のもののほかは、
士籍はく奪で農商にされた。
432日本@名無史さん:2011/04/02(土) 02:10:39.48
江戸に残ることを選択した旗本御家人は、朝廷に忠誠を誓って任官が認められたごく一部のもののほかは、
士籍はく奪で農商にされた。


433日本@名無史さん:2011/04/02(土) 08:53:16.96
浪人は平民にされたってことだね。
434日本@名無史さん:2011/04/02(土) 11:19:00.91
派遣切りの嵐だな
435日本@名無史さん:2011/04/03(日) 20:51:25.09
明治期の士族だったかどうかに何の意味もないでしょ。
実態でものを判断しなくちゃ。金さえあれば御家人株も旗本株も簡単に変えるんだから。
436日本@名無史さん:2011/04/03(日) 20:54:41.61
明治期の士族なんて大半は人力車夫だもんな。
437日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:02:39.46
それが、没落しにくいんだな。没落しても、1代後には浮上していたり。

没落した階層は、どこからか埋めることになるし。
で、どこが埋めるかというと一代前の同じ階層。結局元の鞘に戻る。
438日本@名無史さん:2011/04/03(日) 21:14:56.57
>>437
また妄想か・・・
士族階級といってもピンきり。
即効没落するような下級士族なんて、どうやって浮上した?
その浮上したやつあげてくれないか?いてもごくごくごくごく少数。
まれに伊藤博文のようなコネを持つものもいたんだろうが。
娘を身売りしてる士族ごろごろ要るけどな。
下級の士族なんて当時どの分野にも相手にされてないぞ?薩長以外では。

明治後の平民豪商や名主村長はその後政界や経済界にがんがん根を生やしてるが。
439日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:44:56.47
旧主君の配慮にもよるでしょう。
440日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:47:22.04

まず、中級武士と同等以上の農民・町人は、絶対人数で言うとかなり少ないし。
識字率でも武士階級の100%で、農民・町人では2・3割ってところ。

着の身着のままの財産なしでも、もともと教養があった層と、教養がない層では異なる。

下層からのし上がる人は多いけど、その1〜2代前は上にいたりする。

つまり、下層→下層→上層 より、

上層→下層→上層 が多い。
441日本@名無史さん:2011/04/03(日) 22:48:28.44

明治時代の帝大は、士族だらけだったしな・・。

とはいえ、さすがに100年単位では士族は徐々に没落している。
442日本@名無史さん:2011/04/03(日) 23:45:53.00
>>440
士族は全員上層だと勘違いしすぎでは?
>>441
歴代総理大臣の出自見れば薩長系の例外抜かせば、どの層が実態としては強かったのか一目瞭然でわかるのでは?
443日本@名無史さん:2011/04/05(火) 03:38:42.34
武士道にはノブリオブリージュなんて無いんだもん。
今までの特権はイザというときの貯蓄、これからも特権を享受するには危機に際して率先して血や財産を賭して戦う、
なんてものが無いんだもん。
建前と欲だけ。恩賞が出ないのは、欲が満たされず、名誉を汚された、というふうになる。
武士はもともと貴族じゃないもの。貴族のしない汚れ仕事をする階級。
かつかつだもの。会社くるしいからずーっと給料無しで働いてって言われても
無理でしょ
国にお金ないからタダで奉公しろって言われても出来ないでしょ
444日本@名無史さん:2011/04/10(日) 11:02:53.59
奉行所や加役の同心は下級でも武士だというのは明らかだけど、
その指図で棒やさすまた持って捕物やってるのは、あれは武士なの?
足軽?
大名旗本の登城の時荷物持ちしてる奴さんは?
445日本@名無史さん:2011/04/10(日) 11:13:17.73
渡り中間
446日本@名無史さん:2011/04/10(日) 15:50:07.46
大名行列の籠持ちて、飛脚業者とかじゃないの?
447日本@名無史さん:2011/04/17(日) 12:42:56.19
お前は言い訳するなといってるだろうが!w
現実の『募金』というものがどのようなものかを指摘することは大事なことってわからないの?
左翼が政治機関誌で募金やボランティアを美化することは、政府の責任を否定することにしかならないってわからないのかな。-それと、「募金を呼び掛けること」、自前で救援することとは、あくまで別の次元。
ハッキリいってしまえばグローカル宮部一派(故いいだものさんと栗原幸夫さんはちがうだろう)は、資本主義と闘う論理がもはやゼロのネオリベ転向者であり
西欧輸入借り物の「緑」であり、社共のように資本主義に若干の修正を加えようとする志向さえも、「制度左翼」「官僚主義」として蔑視し、
いまやその正当性さえもあまり信じていない。
尼崎市で彼女・彼らがどういう政治をしているかわかるだろう。
国家の責任のもとに行なわれる福祉という憲法25条さえ、止めて当然のごとく思っている度し難い反動さ。
成り上がりのルンプロであり、プチブル市民志向なので。アワレ!

あさのに言い訳する権利など一切なーい


448日本@名無史さん:2011/04/17(日) 17:54:55.49
>>444 >その指図で棒やさすまた持って捕物やってるのは

長吏といわれた被差別部落の人たち。
449日本@名無史さん:2011/04/17(日) 18:37:56.52
>>448
長吏じゃないですよ
奉行所雇いの足軽中間や町方同心の雇人や手先です
450日本@名無史さん:2011/04/21(木) 17:45:20.92
あの「御用だ」「御用だ」「御用だ」と言って、犯罪者を取り囲んで押さえつけた、
あの「御用だ」と言った、ちょうちんを持ってチャンバラ映画の中に出てくるあの人間たちは、
一体、何者なのだという話もしなければいけない。 非人頭(ひにんかしら)・車善七(くるまぜんしち)と、
弾佐衛門の闘いのことも。非人の頭たちが、長吏(ちょうり)とも呼ばれたことも。そこに日本史の真実があるのだ。
451日本@名無史さん:2011/04/22(金) 07:32:29.67
>>449
>奉行所雇いの足軽
これが同心クラス。与力から上がこのスレでいう正式な武士

捕物をやっているのが長吏であるのは被差別部落の旧家から捕物道具
が出てくる事でわかる。
452日本@名無史さん:2011/04/22(金) 08:09:09.76
被差別部落は江戸市中では捕物やってないよ。
行刑の執行役のとき槍や捕物道具が必要なんだよ。あと支配下の非人の取り締まりはしてたけどね。
同心の他に奉行所雇いの足軽中間がいるんだよ。
453日本@名無史さん:2011/04/24(日) 13:08:17.19
岡っ引きも被差別なんだろ
銭形は何?
454日本@名無史さん:2011/04/24(日) 17:25:47.15
学問を学んだ所が寺子屋でなくて藩校

だと定義としてどう?
455日本@名無史さん:2011/04/24(日) 17:29:03.72
藩校がない大名もいる。
大名家によって入学資格が異なる。
だから定義できない。
456日本@名無史さん:2011/04/24(日) 17:31:41.45
>>453
江戸の岡っ引は町人か百姓で同心の私的な協力者だよ
いわゆる髪結いの亭主だ
457日本@名無史さん:2011/04/24(日) 18:02:38.85
岡っ引が武士ではないのは確かだね
458日本@名無史さん:2011/04/24(日) 22:45:55.83
岡っ引きは同心の私的使用人。
459日本@名無史さん:2011/04/26(火) 17:21:50.85
>>458
そうそう。今風に言えばインフォーマント。

因みにルイ14世時代のフランスにも岡っ引きと同じような存在がいて、こっちは「アージャン・プロボカチュール」と呼ぶ。
460日本@名無史さん:2011/05/10(火) 09:27:57.11
所詮ご維新後は不要なリストラごみ要員
国家のお荷物、給付金泥棒
いまの地方公務員と同レベル
461日本@名無史さん:2011/05/10(火) 17:38:30.48
最近、武士の一分をいまさらながら見たんだけど笹野さん演じる徳平って中間なんだなw
あれで武士というのはさすがにちょっとって感じだったわ
中間ていってもピンキリなんだろうけどさ
462日本@名無史さん:2011/05/10(火) 19:18:08.04
>>1 まあ、明治維新は武士扱いされなかった下級武士が高額年金生活者の上級武士階級を廃止するために起こした革命だったしな。
463日本@名無史さん:2011/05/10(火) 20:18:57.94
よく下級武士たちのエネルギーが維新の原動力とか言ってる馬鹿がいるけど明治維新の元勲における下級武士率は高くないよ?
464日本@名無史さん:2011/05/10(火) 22:34:07.65
長州は上士でも百石どりというくらい減封ではじまった藩だときいたけど
場所によるんじゃないかなあ

伊藤俊輔や山県狂介は下級武士らしいが
465日本@名無史さん:2011/05/11(水) 11:09:50.68
所詮「元和えん武」後は不要なリストラごみ要員
466日本@名無史さん:2011/05/12(木) 15:08:03.62
>>463 明治維新で活躍した殿様、重役階級などがいたのか?

 せいぜい公武合体論で活躍しただけだろう。
467日本@名無史さん:2011/05/12(木) 20:56:37.22
長州の場合は高杉晋作、桂小五郎、井上薫、周布政之助、国司信濃、益田右衛門介らが元来の上級武士
吉田松蔭は中級武士の出。
品川、伊藤、山県、村田らは下級武士或は庶民出身だが累進とともに中級武士格に進級している
468日本@名無史さん:2011/05/12(木) 21:13:07.15
板垣退助、福岡孝近、横井小楠、小松帯刀、大隈重信や陸奥宗光とかも中上級武士だね
469日本@名無史さん:2011/05/16(月) 13:37:40.90
下級武士といっても明確に士分の徒士と厳密には士分でない足軽(同心)の区別がね。
470日本@名無史さん:2011/05/16(月) 14:18:48.34
領地によって違うよ。当時は地方自治だから。
足軽が武士じゃない領地もある。長州萩とか。
471日本@名無史さん:2011/05/17(火) 02:44:28.94
長州萩の足軽?直参の足軽は士族になってるよ

472日本@名無史さん:2011/05/17(火) 04:21:34.69
後藤象二郎は上級武士
473日本@名無史さん:2011/05/17(火) 09:03:58.04
桂小五郎は藩医の出で元は武士じゃないんじゃなかったっけ
474日本@名無史さん:2011/05/17(火) 10:21:22.02
桂は典医の家から上級武士の家に養子に入った
475日本@名無史さん:2011/05/17(火) 10:28:20.90
典医は士分じゃないのか?
476日本@名無史さん:2011/05/18(水) 02:36:27.26
典医は、苗字帯刀を許され、武家地のなかに屋敷を持ち、身分は武士に準ずる。
ふつうは藩内にその資格を持った家が何軒かあり、その中から人格識見技術が優れたものが御典医として指名された。
一時期に何人かが選ばれ、交替で城に詰めた。特に用がない時は、藩主の私的な話し相手や、碁の相手などをしていたようだ。
藩主やその家族が病気やけがをした場合は、全員が集まって合議で治療にあたった。
非番のときは自宅で開業していた。藩からもらう石高はそれほど高くないのがふつうだったが、診療の報酬があるので腕さえ確かなら豊であった。
477日本@名無史さん:2011/05/18(水) 08:40:40.43
漏れの先祖の一人は傘張り、質屋を経て刃物商に替わり
藩と商売上の繋がりが出来武士に登用され御徒歩並み迄登りつめますた。
尊敬します。
478日本@名無史さん:2011/05/18(水) 23:58:02.08
久坂も典医の家で松下村塾のころも医学勉強中だよね
士分にはいつなったのだろ
479日本@名無史さん:2011/05/19(木) 15:28:55.82
玄さんはたしか松陰の娘か妹をめとってなかったっけ
480日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:33:56.18
このスレのテーマは興味深いな。
歴史の本で説明されてる中世の武士は領主・武将クラスの武士だが、
時代劇でもお馴染みの近世の武士は中級・下級のサラリーマン武士なので、
どうしても両者がストレートに結びつかなかった。

中世武士が地頭クラスの武士なら、近世の大名や上級旗本、大藩の重臣クラスしか、
それには該当しない。
481日本@名無史さん:2011/05/22(日) 17:58:45.13
テレビ時代劇や映画、その原作の時代劇小説の悪影響だね。
町人が八丁堀や浪人風情に「お武家様」なんて言うからね。
それは現代で言えばフィリピンパブで「シャチョーサン」て言われるのと同じ。
482日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:00:40.44
八丁堀は「旦那様」あるいは「旦那」だよね
483日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:04:26.95
江戸の町人も本来は由緒正しい地所持ちなんだけどな
484日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:21:58.77
江戸の町人は大阪同島浜から連れて来られた子孫だよ。
常識だよ。
485日本@名無史さん:2011/05/22(日) 20:48:53.15
武蔵や三河や駿河もいるけど?
486日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:08:22.80
常識・・・?
487日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:21:23.72
>>485
屁理屈捏ねるんじゃねーぞ。
488日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:24:40.09
それは江戸弁が関西由来って事で証明されてるんだがな。
489日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:31:02.02
証明されてる?
はあ?
490日本@名無史さん:2011/05/22(日) 21:31:58.72
たぶん幕府が規定した町人の意味をわかってないんだろうな
491日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:08:47.27
まぁ家康が大阪の漁師を贔屓にしたのは確かにあるな
492日本@名無史さん:2011/05/22(日) 22:33:51.37
>>489
勉強しろよな。
493日本@名無史さん:2011/05/23(月) 00:06:59.92
>>488
誰が証明したんだ?
494日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:22:26.64
今北産業
495日本@名無史さん:2011/05/23(月) 01:34:48.43
大阪から呼び寄せた漁師。それが江戸の町人のルーツ?
はあ?
496日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:08:09.28
家光の頃までは江戸の町人は一律苗字帯刀御免だったらしいね
497日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:18:23.90
江戸の地名は三河由来が多いよ
498日本@名無史さん:2011/05/23(月) 02:35:28.38
駿河もだね。駿河台とか。
499日本@名無史さん:2011/05/23(月) 04:47:37.78
答えはでてる。

基本武士なんてのはありません。そんな用語もありません。
守護です、基本守護

平安からずっと守護ってよばれてきました。

武士とかいわれたのは19世紀以降の造語で武士とはいわん。


平安〜鎌倉   守護
戦国〜江戸   侍

で農民です。全部農民あがり

平氏、平安いこう、平家、農民、守護が旧公家、武士?たたき潰して
じぶんで武士作ったのが武士の始まりで大半農民あがりです。

だから、戦国武将なんて足利、島津、伊達
以外は農民あがりですよ。
上級武士なんて用語も存在も存在しないし、役職名はあっても階級名なんか存在しません。
ほとんど農民あがりですよ。

足軽はその中でも傭兵で、ただの傭兵
中級w 武士なんてのは用語もなんも存在しないし、ただの農民で功績たてたり金持ってたり(ただしこれって階級より地方差)しただけで
別にたいしたことない。

農民がクワもって金ためて、武将の下にいって就職すれば、江戸時代でも侍あつかい
そもそも江戸時代でも階級区別中途半端で戦国なんかは役職名と侍しかなかった
500日本@名無史さん:2011/05/23(月) 04:54:15.68
いわゆる


武将
知行
あとは専門職
までしか存在してなくて、階級が存在してないも同じ
で、江戸時代も武士が300万とかいたとかいわれてるが、厳密な武士扱いされてるのは
100万の知行だけです。もっと少ないかも、で、残りは勤めてれば農民階級でも侍いわれてました。

地方差いじょうに生活差がそれほどないんで、残りの200〜400万は農民でもできたし
ちがいがない。


平安時代に
平将門があばれて、農民がマジギレして公家、貴族が基本なくなってしまったんで階級がなくなった。




で守護団つくった。

いわゆる、強ければ、誰でも入れる、防衛、自警、役職仕事での集団でしかない。
で守護っていってた。


だから武士
武士階級w はそんざい してません。

江戸いこうでかつ、中途半端な権力でした
501日本@名無史さん:2011/05/23(月) 04:54:46.47
いわゆる


武将
知行
あとは専門職
までしか存在してなくて、階級が存在してないも同じ
で、江戸時代も武士が300万とかいたとかいわれてるが、厳密な武士扱いされてるのは
100万の知行だけです。もっと少ないかも、で、残りは勤めてれば農民階級でも侍いわれてました。

地方差いじょうに生活差がそれほどないんで、残りの200〜400万は農民でもできたし
ちがいがない。


平安時代に
平将門があばれて、農民がマジギレして公家、貴族が基本なくなってしまったんで階級がなくなった。




で守護団つくった。

いわゆる、強ければ、誰でも入れる、防衛、自警、役職仕事での集団でしかない。
で守護っていってた。


だから武士
武士階級w はそんざい してません。

江戸いこうでかつ、中途半端な権力でした
502日本@名無史さん:2011/05/23(月) 05:05:34.66
だから

官公庁内では下級武士は武士ではないといわれます。なぜなら階級が農民だからですw
で町にかえれば 侍といわれます。

また、実務的なこともかなりやってて知行  以外の大半は実務と予備役だけ
って形なんだよね。で、ソイツラ畑を耕してるだけという。

だから、役職的には
知行
役職持ち
中級だろうが、下級だろうが武士

で中級はあんま権限ないでで中級の中だけで下級はみなさないという妄想ルールがあるが
農民、町の中では侍以外の何者でもないという。

だから、くわしくしらないけど、金次郎なんかは農民だけど厳密な農民に区分けされない階級になる。
で、武家奉公人→すなわち実務  中級武より権力上になる。

だから中級、下級武士とか地域差もあるし、厳密な階級われはしてないが、あれは
予備役だったり、地主に近い階級であり、かつ扶ちもらい

それが中級、下級武士で
さすがにばか使うわけにはいかないんで、実務は農民、武士とわず頭いいのがやってた。
それが実態です。

だから中級だろうと、武士ってのは別に役職はあるわけでないないし、
武以外はやらせてもらえなかったてか、実務は頭いいのがやってた。

これが実態
503日本@名無史さん:2011/05/23(月) 05:11:06.45
下級武士〜とかは
間違った像

厳密には中級も下級
中級は酷使
504日本@名無史さん:2011/05/23(月) 07:32:41.98
早朝からすげー頭が悪いのが出没してるな
505日本@名無史さん:2011/05/23(月) 07:42:02.94
頭が悪いというよりキ○ガイなんだろ。
506日本@名無史さん:2011/05/24(火) 11:46:12.56
下級武士と足軽を混同してはだめ。

区分としては
・上士 :騎馬
(中士)
・下士 :徒士
・足軽
でしょう。
上士、下士の士分は原則世襲
足軽は名目的には1代限り(実質的には世襲していたり、足軽身分の郷士は制度的に世襲)
507日本@名無史さん:2011/05/24(火) 18:42:42.26
幕府で言うと
旗本が上・中級武士
御家人=中の下〜下級武士
よく同心=足軽と言われるが実際に将軍家に直接雇われた足軽は存在せず旗本の雇いに足軽がいる
なお幕府の場合は諸組同心=足軽ではない
諸組同心にも少数ながら中間などの家来もいるし、同心とは別に町奉行所や代官所や大身旗本にもれっきとした足軽がいるから
508日本@名無史さん:2011/05/24(火) 19:27:45.33
時代劇の捕り物のときに出てくる捕り方って、奉行所の職員なの?
与力や同心の私的な手下?
町人のボランティア?
509日本@名無史さん:2011/05/25(水) 02:54:13.85
時代劇の捕物話は空想だから真に受けないほうがいいよ
まあ提灯片手に手甲脚半で鉢巻き姿の捕片は与力同心の私的な従者と協力者と町奉行所の中間足軽といった設定だろうね
510日本@名無史さん:2011/05/25(水) 08:03:11.89
時代劇や小説の主人公で描かれる、普通の侍ってどのくらいの身分なんだろう
具体例が出てこないんだが・・・例えば武士の割合で一番多い身分はどのくらいの地位なんだろう
511日本@名無史さん:2011/05/25(水) 08:27:34.02
時代劇や小説の登場人物なら設定があるだろ?
仕える家によるだろうけど基本的に身分は下にさがるほど数が多いから徒歩級以下が多いのは確実
512日本@名無史さん:2011/05/25(水) 18:35:12.13
幕末物のキャラでお馴染みの高杉とか桂とかなら100石前後だな。
平均的な中級武士(大藩の上士の大半)である馬廻は100石〜150石くらいが多い。
513日本@名無史さん:2011/05/25(水) 18:43:35.22
350石もらってた忠臣蔵の片岡源五右衛門とか、
300石の乾(板垣)退助、400石の大隈八太郎(重信)などは、
一般武士としては高禄の部類に属する。

よく上士の例にあげられる高杉晋作の生家が150石、
桂小五郎でも90石(もとは150石だが末期養子で半知召し上げ)だから。
514日本@名無史さん:2011/05/25(水) 20:17:47.07
吉田松陰の家は40石くらいだったっけ?
515510:2011/05/25(水) 22:58:49.22
なるほど、ありがとう
どうも「石」ってのが、知識として知ってても感覚的にピンとこないんだよな・・・
516日本@名無史さん:2011/05/25(水) 23:58:31.22
拝一刀は架空の役職
517日本@名無史さん:2011/05/26(木) 00:01:18.75
厳密には、「石」だけでは上級武士か下級武士かの明らかな分岐点にはなり得ない。
幕府には知行地を持たない蔵米取りの上級武士たる旗本衆が大勢いるし。
518日本@名無史さん:2011/05/26(木) 17:06:28.24
うーん
知行地を持ってても幕府や藩の倉から米を貰ってくるからなぁ
先日映画になった「武士の家計簿」の主人公の父親
知行地持ちだけど、どこそこの土地何石っていう書類だけ与えられて
年貢は藩の倉から支給なのよね。小物成に当たる銭や銀は盆暮れに領地の肝入りが届けてたけど。

あと。禄高は所属する藩で上下するのよ
同じ身分役職でも大藩と小藩では禄が全然違う
519日本@名無史さん:2011/05/26(木) 18:18:20.70
近世大名の半数以上を占める1〜2万石の小藩なら、
家老・年寄クラスでも百石前後だろうな。
520日本@名無史さん:2011/05/26(木) 18:52:16.75
三河田原三宅家の家老渡辺華山は100俵だしな
521日本@名無史さん:2011/05/26(木) 20:17:17.19
足軽=賎民
もともと朝廷の警察権力であった武士は戦闘にあたって土民を徴発できた
農民を動員しすぎると農業生産に障害が出るから山地や川地の賎民を狩り出すことも多かった
賎民は原住民系、渡来系双方あったが朝廷権力から捨てられていた階層が室町時代、初期戦国時代の原動力となった
応仁の乱でも足軽層の位置付けは、生きた盾であって正規戦闘員でない
住民皆兵に近くなるのは戦国後半である
信長は弾正つまり賎民監督官、豊臣秀吉と徳川家康は自身が賎民出であったから江戸時代にいたって古代の貴賎は逆転したとも言える
やくざ文化が武士文化の影響を強く受けているのは
武家に付属した賎民が江戸時代に博徒となり武家屋敷で賭場を開いて武士の裏経済を支えていたからだ
系図は偽造と思ってよく江戸時代のほとんどの武士が戦国勝者になれた賎民の末

したがって足軽も立派な武士である
522日本@名無史さん:2011/05/27(金) 00:38:45.18
足軽=農民だという意見は今やもう説得力がない。
足軽=農村社会からこぼれ落ちた雑多な浮浪の民と言うことになってる。
523日本@名無史さん:2011/05/27(金) 04:05:36.63
中下級ブス
524日本@名無史さん:2011/05/27(金) 05:04:08.17
上級ブスってどんなんだろうw
525日本@名無史さん:2011/05/28(土) 18:40:27.20
522
そのとおりでしょ。。実際書物にも合戦の死体から武具をさらい兵装したものが多いと
応仁の乱でかかれテル。
当時まっとうに農地のある本百章以上はそのような行為は行ってない。
基本、農村からもあぶれた集団がその後戦国期を通して足軽および、毛が生えた程度の
下級武士になってることはいうまでもないから。
下級武士の出自なんて江戸期以前はほとんどわからない。