》》》決定;九州説チャンピョン

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1日本@名無史さん
九州説にも、有名な説として、
吉野ヶ里説、山門郡説、安本東遷説、九州王朝説、
日向説、平原説、九州一週説、等があります
(ベスト7を上げてみました)
九州説のチャンピョンを決めましょう。

注:畿内派は御自身の説を論じる事をご遠慮願います。
 自分を殺して公平なる審判員に回って下さい。
2日本@名無史さん:2010/09/10(金) 19:32:24
>>1乙です
とりあえず前回までの簡潔な流れのレスのみコピペしたいと思います

13 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/04(土) 14:32:30
ここはバトルの場です。
チャンピョンを決める場です。

豊前宇佐説の方
後から出て来た佐賀と福岡の中間説を自力で倒さなければ、貴方は失格となります。

自説をいうだけなら誰にでも出来ます。

15 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/04(土) 15:52:48
スレは動いています。
豊前宇佐は脱落。

取り合えずは、
筑後平野説が仮チャンピョンに。

21 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/04(土) 16:21:47
筑後平野の方
防衛戦がんばって下さい。
チャンピョンの責任をもって戦って下さい。
他九州説の方に引きずり降ろされないように。
3日本@名無史さん:2010/09/10(金) 19:35:01
51 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/05(日) 07:28:43
で、現チャンピョンは、吉野ヶ里遺跡
、平塚川添遺跡のどちらかという事ですね。

やはり、審判が必要です。
九州の何処に決まっても利害の及ばない人に。


54 名前:北海道政策委員会[] 投稿日:2010/09/05(日) 09:32:19
>平塚遺跡群というのは安本美典氏の説に近く、吉野ヶ里遺跡は奥野正男氏の説に近いですね。

安本 対 奥野
かよ。

>平塚川添遺跡の中心部分は背後のブリジストン工場下にあると予測しています

予測は加点要素にならないよ。なんとかして絶対的な根拠を見出して下さい。
厳しく行きましょう。

>実際あの地形だと
背後の丘の上に何かないとあっという間に上から急襲され陥落してしまうでしょう

うーん、これも創造の域ですね。苦しい。

規模的には吉野ヶ里が優位ではなかろうか・・・
年代が違う点に関しては、新しいよりは古い方がまし。
吉野ヶ里に1票投じます。

私は中立の北海道民です。名無しの投票は無効という事ですので。
4日本@名無史さん:2010/09/10(金) 19:37:51
63 名前:北海道政策委員会[] 投稿日:2010/09/05(日) 17:10:55
本居宣長に免じて、
記紀が根拠とされている所を加点しよう。
吉野ヶ里説はブームを起こさせた過去の実績も若干加点しました。

山門郡説 30点
平塚川添遺跡 30点
吉野ヶ里説 55点

以上3説は入選。おめでとう。

正式な九州説初代チャンピョンになれるかは、今後の諸氏の力量に掛かっている。
という所だな。


65 名前:北海道政策委員会[] 投稿日:2010/09/05(日) 17:46:48
情緒ではない。
むしろ、情緒は加点要素にない。

記紀での記述文章、遺跡、実績
が絡み合っての採点です。
いずれ、何かの現物史料、遺跡、等と関連付けて下さい。


67 名前:北海道政策委員会[] 投稿日:2010/09/05(日) 18:32:33
良く見ると、
山門郡説もなかなかいい線いってる。
+10で40点だ。

山門郡説 40点
平塚川添遺跡 30点
吉野ヶ里説 55点
5日本@名無史さん:2010/09/10(金) 19:41:01
70 名前:北海道政策委員会[] 投稿日:2010/09/05(日) 18:58:17
記紀の記述、
遺跡の規模、
が基準。

・これは確かに記紀に記述がある↓
ヒラバルの女王、古くは筑後山門郡の田油津媛などが候補。
田油津媛以外、神夏磯媛にしても、北部九州勢力圏内の伝承では
ヒコ・ヒメ制の残滓が伺える。倭人伝が伝える女王・男弟の政治体制とも
整合性がある。
だが、遺跡での加点はしなかった。

>なんの基準もなく○○説が優勢

だから基準はある。いい加減にして下さい。同じこと言わせないように。


72 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 19:22:15
審判が一人だと問題だな。
ご本人は公平を意識しているのだろうが、やはり片寄りはあるだろう。
あと何人か審判員が必要だと思うよ。
各九州説に対し「公平」にと言うことなら畿内説の人でも十分だと思うが。
つーか、改めは畿内説だったような・・・
6日本@名無史さん:2010/09/10(金) 19:43:06


75 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/05(日) 21:12:11
魏志倭人伝によると、
投馬国の南に邪馬台国があるんだから、日向か鹿児島が邪馬台国になるんじゃないの。
すると3候補地は大きく減点だな。
山門郡説 -30点
平塚川添遺跡 -40点
吉野ヶ里説 -55点
宮崎が九州説新チャンピョンにって事になる。
魏志倭人伝に従おう。


91 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 07:07:01
河童待望!

92 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 07:40:07
>縄文人さん、乙です。w どうぞいくらでもやってください。

一晩あけたら、
九州説新チャンピョンは日向説から縄文人説に移っていました。
まるで、論雄乱立戦国時代だ。
縄文人説もいつまで持つか?

93 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 07:42:44
河童は我々の期待に応えてくれるよ。
きっと来てくれる。
再三出馬要請をしてみる事です。

河童さーん、宜しくお願いします。
7日本@名無史さん:2010/09/10(金) 19:52:49
皆に問う!
縄文人がチャンピョンでいいのかよ?
8日本@名無史さん:2010/09/10(金) 20:25:26
素朴な意見だが、このスレ要る?
9日本@名無史さん:2010/09/10(金) 21:29:49
要らない、この非常時に糞スレ立てやがって
SSDサルベージの邪魔になるだけ
10日本@名無史さん:2010/09/10(金) 21:31:48
今は全員がスレ立て自重中だから
11日本@名無史さん:2010/09/10(金) 21:37:32
まだ成功するとは限ってないし
ただスレタイはもう少し考えて欲しかった「その1.5」とか
12日本@名無史さん:2010/09/10(金) 21:41:35
「畿内説の根拠を探ろう」
スレの方が要らない。
13日本@名無史さん:2010/09/10(金) 21:45:44
良スレだと思うよ。
邪馬台国論争自体、実質的には九州説で持っているようなものだから。
14日本@名無史さん:2010/09/10(金) 21:51:20
いやどちらも

今 は い ら な い

サルベージ成功したら削除依頼、失敗したら利用という臨時避難所にするのなら
各時代ごとに臨時スレを立てるべきだった
そのため自治スレがかなり早い段階で立ち上がったのに
空気読めない童貞連中が先走っている

今はライブdatが元どおりになるのかすら判らず、復活した場合でも定数維持のための回線が
100mbpsしかないため、住民によるサルベージが困難と見られている
サルベージしそこなったライブdatは、そのままデッドdadにおちる
この2つのスレのために、古参スレが2つ死ぬんだ
15日本@名無史さん:2010/09/11(土) 20:59:03
九州説、万歳!
16日本@名無史さん:2010/09/12(日) 16:29:19
>>14
他の学問板はサルベージされない前提でどんどんスレが立っているぞ。

空気読めないのはお前じゃないかな?
17河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/12(日) 23:19:21
なぁ、ここのスレの流れがわからないんだけど
誰か親切な人、掻い摘んで説明してくれないか?

縄文人さんがチャンピオンとか、いったい何のチャンピオンなの?


暫らくご無沙汰だったし、過去が消えてるからさっぱりわからんわ。
18日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:04:28
畿内説の人が九州説を唱えた場合のチョンピョンを決めるところらしい。
専ブラだから過去ログは持ってるが説明するほどのネタはなさそう。
19河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/13(月) 00:14:50
>>18

ありがとう  m(__)m

なるほど、畿内説の連中が仕掛け人と言うわけですね。と、なると
こんなスレ立てる人は、ある程度絞られてくるね

20日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:18:40
えへ、では再び前九州スレ92以前の流れをコピペします


84 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 00:13:51
魏の使者は、邪馬台国を傘下に置くことで、呉と対抗するのに
どれだけ有利になるか、呉から魏を守る効果がどのくらいあるのかが、
関心事だったはずだ。

呉軍を威嚇する効果のない、呉軍と接触する可能性の薄い
畿内や内陸部などには、ほとんど関心が無かっただろう。

呉が恐れるのは、福岡・長崎・佐賀・熊本の水軍だ。
邪馬台国は、ざっくりとこの4県だとみてよいと思う。

87 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 03:05:52
>>84
近攻遠交は外交の基本ですからね
ただ、三国時代の大陸各国は魏にしても呉にしても蜀にしても
うち続く戦乱のせいで、どうやら相当中央の力が弱まっていたようなので
邪馬台国を傘下にというのは少し大げさでしょう、体面や名目上は別としても

88 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 05:04:38
正直な話魏志倭人伝から推測すると邪馬台国=九州なのは間違いないでしょう
問題はなぜ畿内説が必死に巻向遺跡=邪馬台国と言い張るのか?
実際に畿内説を採る考古学者も予算的な問題以外巻向が邪馬台国に当たるとは思ってないのはもはや明白だと思うが
邪馬台国がヤマト王権になったかどうかもはっきりしないし正直どうでもいい話
21日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:20:37
91 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 07:07:01
河童待望!

92 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 07:40:07
>縄文人さん、乙です。w どうぞいくらでもやってください。

一晩あけたら、
九州説新チャンピョンは日向説から縄文人説に移っていました。
まるで、論雄乱立戦国時代だ。
縄文人説もいつまで持つか?

93 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 07:42:44
河童は我々の期待に応えてくれるよ。
きっと来てくれる。
再三出馬要請をしてみる事です。

河童さーん、宜しくお願いします

100 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 09:17:48
>>98
河童のやってることは古代史ではない。よくいってやれば別の学問(言意学)だな。河童が自ら来るのは
止め様がないが、呼ぶのはスレを混乱させるだけだ。呼びたいならお前の作ったスレに呼べよ。タコ坊主。

101 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 09:22:18
河童を恐れてどうする!
縄文人よ、貴方は九州説新チャンピョンだ。
受けて立てば良い。
22日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:22:40
119 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 13:35:31
プラム=河童虫の議論は、ホツマツタヘや古神道から倭人伝を読み解く人と同様、
だれも同じ土俵に立てないので、議論の対象外となり、ほとんど無意味。
まあ、締め出すほどのことはないが。

120 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 14:00:16
つまり、河童が言おうとしているのはこういうわけで
たとえば、朝方でた倭人在帯方東南大海之中の一文にある
東南一つにしても、東と南の中間八方位をいうのではなく、北東区域、東南区域、南西区域、北西区域と四つに区分される一つの東南区域を意味していると
今までにない考え方を述べているに過ぎないわけで、別に特別な考えではないのではと最近思う。

121 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 15:45:32
いや、何かやってくれそうだから、呼ぶんだよ。
かつての人気者NO.1、千両役者の出現を望む。
みーんな、陳腐な既存の邪馬台国論争にあきあきしている。

つーか、今、縄文人が九州説チャンピョンに君臨するという
信じがたい事件になっている。世の中これでいいのか?

河童さーん

124 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 16:56:16
ほな、いくでええ〜〜。

世界は河童を待っている。僕らは河童を待っている。河童、河童、ここへ来い。

僕らは河童を待っている。地球は河童を待っている。河童は宇宙のスーパースターだ。

河童、河童、ここへ来い、河童、河童、やって来い。 オーイェーアアアア。

河童、河童、河童、河童、河童、河童、河童、河童、僕らはずっと待っている。
23日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:24:32
132 名前:127[sage] 投稿日:2010/09/06(月) 19:34:09
先ず九州説を評価すると言っても
「文献史料(と言ってもほぼ魏志の単一史料だが)」と「考古学的資料」をどう用いるのか?によって話が違ってくるわな。

まあ個人的な理解だが…
ざっくり言って文献と言うかここの九州説のメイン行程記事の読み解きと言う事で言えば
九州中部・南部が有利になるのは自明。
放射式に読もうが連続式に読もうが南と言う方角に合致し距離が”稼げる”のは間違いないのだから。
あと南方の風俗を思わせる記事も有利に用いる事ができるかもしれない。
(まああまり南過ぎると狗奴国の比定が難しくなるがw)
が、考古資料となるとかなり苦しい。

逆に北部九州と言うか玄界灘周辺地域だと考古資料は豊富になるが
行程記事とのすり合わせが困難になる。
それらの地域は「伊都国」であり「奴国」であると言うのが通説だからだ。

今日九州説といえば保守本流と言うか本命と言えば
筑紫平野・筑後川下流域・山門説と言うのが相場だと思うが
文献・考古どっちも中途半端といえるかもしれないw
あと「腐っても鯛」じゃないがやっぱり老舗と言う事もあるんだろうw

 文献だけなら南が有利
 考古持ち出しゃ北部が有利
 間をとって 足して二で割る筑後川 老舗の貫禄山門説

…てなところか?www

逆に言えば北は文献とのすり合わせ、南は考古資料による補強がテーマかな?
24日本@名無史さん:2010/09/13(月) 00:27:07
134 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2010/09/06(月) 20:12:19
132
で旨く纏めてくれました。

何か物足りないな。
乱入。バッサリ。
とかがなくちゃね。
で、主題の九州説チャンピョンはどうするのよ。

間をとって 足して二で割る筑後川 老舗の貫禄山門説
て所なのか?



―――以上、キリがないのでもうこのへんで

m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m m(_ _)m
25日本@名無史さん:2010/09/13(月) 07:28:36
>畿内説の人が九州説を唱えた場合のチョンピョンを決めるところらしい。
専ブラだから過去ログは持ってるが説明するほどのネタはなさそう。

違うだろう、九州説の人が九州説を唱えた場合のチョンピョンを決めるところだよ。
畿内説は口を出さない所だ。
せっかく河童が来たのに、出て行かれたじゃないか、ボケ!
26河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/13(月) 07:57:12
消失レスを貼ってくれてありがとう。
これで流れが掴めます。


この中にある>>120なんだけど
現在の地名で言えば、西南諸島なんかがこれに相当する。
東北地区があるから、その対的な位置に西南諸島と言う、点や線ではなく
面で表現されたもの。そういう感覚でいいと思う。

それに一つ加えるなら

大海之中と大海中の違いなんかも加えてくれると、もっとベストかな。
27日本@名無史さん:2010/09/13(月) 09:00:12
九州説チャンピョンの縄文人は何処言ったの?
3日以内に帰って来なかったら、チャンピョンベルト返上!

九州説チャンピョンは別の者が名乗りを上げるだろう。
28日本@名無史さん:2010/09/14(火) 00:11:56
素朴な疑問なんだが
どうして皆チャンピョンって言ってるの?
辞書を引いても載ってないよ…
チャンピオンじゃダメなわけ?
29日本@名無史さん:2010/09/14(火) 00:13:20
チャンピョンというのは朝鮮語だよ。英語じゃない。
30日本@名無史さん:2010/09/14(火) 01:37:28
張平
31日本@名無史さん:2010/09/14(火) 12:23:25
長平
32日本@名無史さん:2010/09/15(水) 18:10:05
九州説なんぞまともな議論になるわけねえだろ。
もう、止めちまえ。
33日本@名無史さん:2010/09/15(水) 18:45:04
ここに本当の九州説の人いないし
34日本@名無史さん:2010/09/15(水) 19:35:11
だったら、尚更こんなスレやめちまえよ。
なーにが、九州説チャンピョンだよ。
35日本@名無史さん:2010/09/15(水) 19:50:25
まったくだ。
誰だよ、こんなクソスレたてたのは。
36日本@名無史さん:2010/09/15(水) 23:27:25
このスレは忘れてやれよ。
37日本@名無史さん:2010/09/16(木) 02:43:01
女王国の東は海なんだから、九州の東海岸を含んでるはず
38日本@名無史さん:2010/09/16(木) 06:55:58
だから、もう九州説はやめろよ。
39日本@名無史さん:2010/09/16(木) 07:57:18
だったら来るなよ
スレの存在忘れろよ
40日本@名無史さん:2010/09/16(木) 08:26:17
君もな。
41日本@名無史さん:2010/09/16(木) 11:29:01
>>40
それは違う
オレはスレの存在や九州説を否定していないから
42日本@名無史さん:2010/09/16(木) 18:53:30
帯方郡-邪馬台国 12,000余里
帯方郡-不弥国  10,700余里
水行10日陸行1月や水行20日は不弥国-邪馬台国である最大1,300里を越えてしまう
だから水行10日陸行1月や水行20日は帯方郡からの日数と解釈するのが自然だと思う
43日本@名無史さん:2010/09/16(木) 20:36:17
それを辻褄合わせのご都合主義と言うんだよ。
44日本@名無史さん:2010/09/17(金) 12:56:09
>だったら、尚更こんなスレやめちまえよ。
なーにが、九州説チャンピョンだよ。

だけど、畿内説と論じていたって不毛な議論なんだし・・。
時間を有効に使いたいし・・。
45日本@名無史さん:2010/09/17(金) 19:28:18
私見、妄想、になればなるほど、世間には理解されなくなる。
この関係は間違いなく比例する。
46日本@名無史さん:2010/09/18(土) 08:15:06
今更、天動説をまともに検証する人もいないし
47日本@名無史さん:2010/09/18(土) 13:10:35
九州説から畿内説に鞍替えした
奴ほど質の悪い者は、この世に二つとない。
48日本@名無史さん:2010/09/18(土) 17:50:45
ひっこみがつかなくなって片意地張ってる奴よりは増しだろう。
49日本@名無史さん:2010/09/18(土) 21:32:56
キミタチは梅干2000粒でもゴッドハンドしてなさい
50日本@名無史さん:2010/09/18(土) 22:19:00
49、わけが分からん?
51日本@名無史さん:2010/09/19(日) 00:32:14
伊都国:佐賀市北部(富士町・大和町)
奴国:佐賀市東南部、神埼市、みやき町、上峰町、鳥栖市
不彌国:小郡市
投馬国:うきは市、久留米市、八女市、筑後市、柳川市、大川市、みやま市、大牟田市
邪馬台国:熊本県北部、中部
狗奴国:熊本県南部
52日本@名無史さん:2010/09/19(日) 02:12:45
大陸の超大国に自国の位置を正確に教えるわけがないだろ
53日本@名無史さん:2010/09/19(日) 05:25:39
>>51
邪馬台国の東は海なので失格
54日本@名無史さん:2010/09/19(日) 08:02:52
自国の内情どころか、ケツの穴まで見せる。
55日本@名無史さん:2010/09/19(日) 18:42:05
>>53
んじゃ、邪馬台国:熊本県(北部、中部)+宮崎県(北部、中部)でどうじゃ。これなら東に海もあるし、戸数7万余も
いけるじゃろ。
56日本@名無史さん:2010/09/20(月) 07:49:48
>>55
邪馬台国と女王国をごっちゃにしてないか?
57日本@名無史さん:2010/09/20(月) 09:07:29
>>1
>九州説のチャンピョンを決めましょう。

無理。

そもそもチャンピオンを決めたいのならルールを決める必要があるが
九州説の場合それがほぼ不可能だろう。

サッカーと野球、テニスにバスケットボール…と寄せ集めてチャンピオンを決めろといっても
そりゃ無理な話wwwww

現状では「とにかく畿内じゃない」と言う一点だけがルールと言えばルールなんだろうからwwww
58日本@名無史さん:2010/09/20(月) 09:57:28
そもそも、無意味なスレなんだよ。
邪馬台国は九州じゃないんだからね。
不毛な議論をしてどうする?
59日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:18:40
そもそも九州説でない者が、割り込んでくること事態変。
九州説は隔離しろといいながら
隔離出来ない奴がいる
60日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:33:10
>>57

先ずは、希望者を募って、一次試験を実施したらどうだろうか?
余りにもレベルの低いのが混じるとスレの流れが悪くなる。
簡単なペーパーテストをクリアしたものが二次考査に進出し自論を開帳。
ここで、一般ユーザからの質問に答えてもらい、回答内容、態度等を踏まえて投票。
最後は、上位3〜4名によって論者同士で議論してもらい、最終投票でチャンピオンを選ぶのだ。

一次試験はこんな感じで・・・

問1) 次の白文を訓読せよ(5/50)

[ 從郡至倭循海岸水行歴韓國乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里]

問2) 卑彌呼の景初朝貢時の魏皇帝は誰か(5/50)



問3) 次の論者の邪馬台国所在地を答えよ(各5/50)

(1) 本居宣長 (2)新井白石 (3)内藤湖南 (4)白鳥庫吉 (5)津田左右吉
(6)
大和 岩雄 (7)黒岩重吾 (8)内田吟風 (9)大羽弘道 (10)後藤幸彦

45点以上で二次考査へ

 

61日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:39:24
で、誰が採点するんだよ?
設問1と3はいいが
設問2は、景初二年と三年問題をどうする?
62日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:41:12
>>61 それも含めて回答すべし
63日本@名無史さん:2010/09/20(月) 10:58:55
それだったら、
問題1を

從郡至倭を、郡より倭に至ると読み下した時、
この時の主語は何か答えなさい。


問題2

魏志倭人伝に書かれている、東南大海之中と
後漢書倭伝に書かれてる、東南大海中の違いを述べよ

一次予選でレベル上げとかないと、永久に予選会することになるよ。
64日本@名無史さん:2010/09/20(月) 13:17:47
とりあえず、最初の提案者60のやつで行こうよ。
誰がみても、答えが正確に定まっていそうだし。

63は見た感じ、人によって七面倒になりそうだから。

テストに私見・解釈を持ち込むのは喧嘩の元だしね。
65日本@名無史さん:2010/09/20(月) 18:40:34
ググれば誰でも答えが書けるような問題でいいのか?
66日本@名無史さん:2010/09/20(月) 18:43:27
後藤幸彦!? wwwwww
67日本@名無史さん:2010/09/20(月) 19:29:58
問題

邪馬台国はどこにあったか?
68日本@名無史さん:2010/09/20(月) 19:46:16
>>67

お答えします。

それは日本です。
69日本@名無史さん:2010/09/20(月) 20:22:41
>ググれば誰でも答えが書けるような問題でいいのか?

いいや、九州論者は特別だ。
それぞれ、答えがまちまちになる、と思うけど。
ここは1+1=3の世界なのだよ。
70日本@名無史さん:2010/09/20(月) 20:57:01
>>68
不合格
君にこのスレへの参加資格はありません
71日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:09:35
>>70
何時から判定員になったんだ?

生意気な態度してると潰すぞ。
72日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:17:57
判定員などというものを設定しなければならない
このスレのコンセプトそのものがおかしい。

このスレのコンセプトが妥当か
コンセプトが成立できるのか、
といった判定をまずは行う必要があるだろう。
73日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:24:15
>>71
お前が不合格になったその時からだよ
アフォ
74日本@名無史さん:2010/09/20(月) 21:33:35
>>73
じゃあ、おれの不合格は判定員ではないお前が寝言垂れたという事で
無効だな

これで解決めでたしめでたし
75河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 08:01:46
從郡至倭ではなく、郡至倭。
倭人は、郡至に住まう。
郡至とは郡の極みであり、郡の管轄限界地域

郡至倭とは、郡が管轄する限界領域倭

だからこれ以降の文中に簡単ではあるが、歴韓国が登場する
76河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 08:57:01
韓もまた郡の管轄範囲、その韓の先に倭があり
倭を以て郡管轄の極みとなる。

これが郡至倭の日本語解釈。何が從郡至倭じゃ
行程距離の積み重ねなら、從じゃなく計從とする。
77日本@名無史さん:2010/09/21(火) 09:16:36
>>78

>行程距離の積み重ねなら

どこの何方の訓読で「距離の積み重ね」なんてものが登場するの?
漢文読む前に日本語が読めないんじゃしょうがねーなw
78河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 09:29:12
>>77
漢文だよ。
訓読みするなよ

漢文は漢語で読み、日本語で意味解釈すればいい。
漢語が出来なければ、意味を解すだけで、日本語で読む必要はない。
79河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 09:51:06
たとえば循海岸水行だが、これを

海岸に循い水行し、

なんて日本語を並べる必要はなく、循海岸水行と漢語読みすればいい。
後は日本語の意味を付け足せば、漢語を知らない日本人にも理解出来る  

海岸に循い

なんて日本語文を書かれても、結局「海岸に循い」とはなんぞや?と
国語解釈しなければまとまらないわけだし、日本語文を書いて理解したような錯覚に陥るのが関の山。
80日本@名無史さん:2010/09/21(火) 09:59:03
>>78

じゃ、「訓読」じゃなく「イメージ」と言おう。
「距離の積み重ね」なんて「イメージ」を持っているのは何方かなw
誰にも思いつかないようなことをいきなり否定例として出されたから笑ってるんだよ。
81河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 10:21:16
距離の積み重ねはほんの一例だろう。
これから続く行程を積み重ねる事で、全ての一関係を掴むことが出来る

これは後に北史倭國伝で使われてい筈

計とはそういう意味だよ。しかし、この倭人伝はそういう類の内容じゃない
帯方郡が魏のものとなり、遥か東方の彼方の地を支配する前書きだ。数字を合わせて邪馬台国が何処だなんて
言うしろものじゃないから、計従とはしなかったし、従郡至倭みたいな
郡より倭に至るなんて旅行記みたいな文にはならないのさ
82河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 10:27:03
>>80
顔の見えない掲示板で笑うより、
本人の目の前で笑った方が効果あると思う。

どうだい、本人の目の前で大笑いしてみないか?
それ相当の覚悟は必要かとは思うが。
83日本@名無史さん:2010/09/21(火) 10:46:26
>>81
>距離の積み重ねはほんの一例だろう。

それは河童脳の中での一例だろう。
他の誰が出したことのある「例」なのかw

これが河童脳内の「イメージ→これから続く行程を積み重ねる事で、全ての一関係を掴むことが出来る
珍奇なこと言ってウケを狙ったようだが、引き合いに出した「例」も一般人には珍奇だったとは気付かなかっただろうw

>計とはそういう意味だよ。

河童脳中では話が進行してしまっているが、一般人にはいきなり「そう言う意味だ」と言われても付いていけないのだが・・・

>>82
0
> 顔の見えない掲示板で笑うより、
> 本人の目の前で笑った方が効果あると思う。
> どうだい、本人の目の前で大笑いしてみないか?
> それ相当の覚悟は必要かとは思うが。

じゃ、明日の20時に上野の西郷さんの前でな。
土産に納豆パイでも買ってきてくれよ。
84河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 11:20:06
なに?
わざわざ電車賃使って出向けとな?
しかも土産付きで

出てこいよ茨城観光に
85河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 11:28:32
一般人には珍奇とか、一般人には付いていけない。

それじゃあ、倭伝は無理だよ。ま、倭伝とは限らないけどな。

86河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 11:47:53
>>83
何処がどのように理解出来ないのか
具体的に上げてくれないと、こっちも説明のしようがない。
87日本@名無史さん:2010/09/21(火) 11:59:52
85 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ [sage] 投稿日:2010/09/21(火) 11:28:32
一般人には珍奇とか、一般人には付いていけない。

それじゃあ、倭伝は無理だよ。ま、倭伝とは限らないけどな。



86 名前:河童虫 ◆EY2wfgakAQ [sage] 投稿日:2010/09/21(火) 11:47:53
>>83
何処がどのように理解出来ないのか
具体的に上げてくれないと、こっちも説明のしようがない。

自分が何も説明していないことに気付かないのか・・・・
88河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 12:00:22
漢字の計とは

物事を纏める。とか、物事を〆る。
という基本的な意味があり。
そこから、数えるとか、はかるとか、企てるとかいう意味が生まれた。    
数える、はかる、企てるという意味の共通したものが、物事を纏める・〆る
と いう言い方も出来る。
物事とは、多種多様なモノが絡み重なり合ったもの
89河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 12:03:28
>>87
気付かないのか?
じゃなく、気付いたら
ここを説明してくれと言えば済む事だろう。

違うか?
90河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 12:11:18
自分からモノを言わないが、人の言動にはうるさいんだな。
人にアレコレ言う前に、自から進んで手本を示すのが礼儀だろう。

さあ、やってミソ
91河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 12:44:22
どうやら突っ込み専用みたいだから

第二門。
景初二年とする人は明帝だし、景初三年とする人は三少帝

第三問は、
それこそググればわかる事。一々述べる事でもないし、最後のサガミさんは
本人がこの掲示板にいるんだからググる必要もないでしょう。
92日本@名無史さん:2010/09/21(火) 13:09:44
>漢字の計とは
物事を纏める。とか、物事を〆る。
という基本的な意味があり。

これのソースはなんでしょうか?
普通の人間だったら貴殿のいう事を、信じるも信じないも、そのソースを見て確かめてからだと思います。
確かな裏を取っているのでしょうか?
93河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 13:36:43
>>92
ソースですか?

漢字にソースなんて存在しませんよ。
漢字は文字そのもので意味を表現しているから
漢字の形そのものが証言です。

だから古くから中国でも、釈名や説文解字として書に残したと考えますよ。              敢えてソースを出すのであれば、漢字そのものを提供します。
94日本@名無史さん:2010/09/21(火) 13:40:57
そんなんで納得できるわけねーだろ。
ソースも示されないのに、あー、そーなんですか、と納得する馬鹿はいない。
95河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 13:48:34
>>94
誰が何時、納得しなさいと強要しましたか?
納得するも自由、納得しないも自由です。
学問板なら、出されたネタに対して否定意見を見付けるもよし、肯定的なネタを探し出すもよしで
それが学問じゃありませんか?
相手の言葉足らずを補うのも学問。打ち崩すも学問です。
ものぐさしないで下さい。
96日本@名無史さん:2010/09/21(火) 13:51:46
漢字のソースじゃなくて
お前の主張のソースが求められているんだろ
97縦目仮面:2010/09/21(火) 13:55:29
www あどうも、お帰りなさい、やってますね。
98日本@名無史さん:2010/09/21(火) 14:05:27
>誰が何時、納得しなさいと強要しましたか?

私は完璧な説を求めてるだけだ。
99河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 14:11:42
>>97
おひさしブリブリです。


>>98
ここは学門板。
求めるのではなく、自分でさがすのです。
求めるのは答えじゃなくヒントきっかけです。
100日本@名無史さん:2010/09/21(火) 14:16:51
役に立たない奴だな
101日本@名無史さん:2010/09/21(火) 14:22:12
おや、いつの間にか河童節が炸裂している!
この歯切れの良さ。
河童が九州説新チャンピョンだ。
河童さん、他の妄想九州説に負けるなよ、チャンピョンを譲るなよ、
フレー、フレー、河童虫、
ガンバ、ガンバ、河童虫。
102河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 14:25:59
同じ説明書を読んで組み立ててみたけど
片方はうまく電源が入り起動したが、片方は起動しない。

>>100
同じ説明書なんですよ。
早く起動出来るように、説明書をちゃんと読んでください。
努力さえすればきっと起動しますから
103日本@名無史さん:2010/09/21(火) 15:20:46
>同じ説明書を読んで組み立ててみたけど
片方はうまく電源が入り起動したが、片方は起動しない。

当たり前だ。
ソースがない。

>>100
同じ説明書なんですよ。
早く起動出来るように、説明書をちゃんと読んでください。
努力さえすればきっと起動しますから

絶対に起動しない。
ソースがないから。
104河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 15:28:34
>>103
努力すれば起動します。
漢和辞典持ってますよね?
だったら起動します。
文献があり、辞書があれば十分起動します。
辞書は先人達の努力の固まりです。
ただ、スペースという限りがあるので
足りない部分はありますが、足りない部分は自分の脳で
解決しましょう。
105河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 15:37:30
そうそう
日本語を読解する能力はありますよね?

それなら心配ありません。頑張って下さい。


106河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 15:59:32
從郡至倭
郡より倭に至る。

こんな呪縛にとりつかれていると、何にも解決しない。
一日も早く呪いから解き放たれる事を祈る。


107日本@名無史さん:2010/09/21(火) 16:40:26
こいつももうおしまいだな。
108日本@名無史さん:2010/09/21(火) 16:49:23
>足りない部分は自分の脳で
解決しましょう。

駄目だ!
妄想厳禁。甘えるな。
学問とは厳しいのだ。
109河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 18:57:52
脳を使わなければ、文字も読めない
字も書けないだろう。

それともなにか?
ここの連中は、脳無しか?

ま、いいや
能無し連中にくれてやる

從郡至倭ではなく、郡至倭。
無理に読み下さなくてもいいんだが、それでも読み下ししたかったら
郡が倭に至る。と下す

意味は、東夷における帯方郡の支配管轄は、倭で極まる。と解釈する。

これで理解出来たろ。
110河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 19:33:15
「A至B」の用例なら、腐るほど出てくるので
各自調べてくれ。
            読み方は、
AはBに至る と読み
AはBにまで達する とか
AはBで極まる と訳す。
111日本@名無史さん:2010/09/21(火) 19:57:29
アホクサ
112日本@名無史さん:2010/09/21(火) 20:06:42
強制なのか?
つーか、ソースがなければ強制力はないけどね。
自分で考えた仮説にしかならない。
113河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 21:11:17
>>96

>お前の主張のソースが求められているんだろ

解釈の部分のソースは
各言語を組み合わせ、文章を構成している
意味に関しては各国語辞典ならびに各漢和辞典をベースに構成され
原文は中国二十五史の中の魏志倭人伝の原文の一部を用いています
漢文から日本語文への翻訳は、文法にのっとっているつもりですが
その判断と投稿は、本人の最終判断で執行されています。
用例も漢籍にて確認していますが、その判断も本人の最終判断となります。
114日本@名無史さん:2010/09/21(火) 22:00:09
>解釈の部分のソースは
各言語を組み合わせ、文章を構成している

君はその言語の意味を取り違えている。
ソースがなければ君のいう事は、自由な発想にて君の編み出した妄想に過ぎない。

>意味に関しては各国語辞典ならびに各漢和辞典をベースに構成され

何処にも、あなたのいう意味が記載されていない。

>原文は中国二十五史の中の魏志倭人伝の原文の一部を用いています
漢文から日本語文への翻訳は、文法にのっとっているつもりですが
その判断と投稿は、本人の最終判断で執行されています。

本人の最終判断ではなく、専門家の翻訳文を忠実に使うべきでは。
本人が間違った解釈をしていたら元もこうもない。
因みに専門家は公認されている文法を絶対に違えない。彼らは私見をいっさいに禁じている。

>用例も漢籍にて確認していますが、その判断も本人の最終判断となります。

本人が間違った解釈をしていたら元もこうもない。

親切にかみくだいてレスをしてあげました。
115河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/21(火) 22:33:47
>>114

>何処にも、あなたのいう意味が記載されていない。

どの部分の意味が記載されていませんか?具体的にどうぞ


>因みに専門家は公認されている文法を絶対に違えない

公認と言う範囲内で行われているので間違いはないでしょう
つまり、間違いか間違いでないかという判断も
公認と言う範囲内で公認という物差しをもって判断されているので、当然と言ったら当然のことでしょう

では質問します。
「郡至倭」=郡が倭に至る(郡は倭に至る)

ここで公認されない文法が存在しますか?
116日本@名無史さん:2010/09/22(水) 07:01:57
>どの部分の意味が記載されていませんか?具体的にどうぞ

物事を纏める。とか、物事を〆る。
という基本的な意味があり。
そこから、数えるとか、はかるとか、企てるとかいう意味が生まれた。  

>>因みに専門家は公認されている文法を絶対に違えない
>公認と言う範囲内で行われているので間違いはないでしょう
つまり、間違いか間違いでないかという判断も
公認と言う範囲内で公認という物差しをもって判断されているので、当然と言ったら当然のことでしょう

了解

>では質問します。
「郡至倭」=郡が倭に至る(郡は倭に至る)
ここで公認されない文法が存在しますか?

まずは、「計」からにしよう。
一つ一つ間違えを明らかにしていきましょう。


117日本@名無史さん:2010/09/22(水) 07:40:47
〉110:河童虫◆EY2wfgakAQ
〉読み方は、
〉AはBに至る と読み
〉AはBにまで達する とか
〉AはBで極まる と訳す。

『至』に『極まる』なんて意味を感じるとは!

至は二次元座標の任意の点に達すること示す。
動詞として、至ると訳すことに誰も異存は無いだろうが、極まる、は無いだろう。
極は座標の終端点にしか使えない。
多分、『至高』とかの究極状態を示す熟語の意味にひきづられて、
『至』単体にそう言う意味が有ると誤解しているんだろうな。
この人のいつもこのパターン。
118河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 08:00:25
>>117
それはどうでしょう

見方を変えれば、東夷の最東端倭は、座標の最単点ですよ。
119河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 08:54:53
>>116

>先ずは「計」からに

いいえ、その必要はないでしょう。
その理由は、解釈に際して任意による私見をともなうものだから、公認と言う形がとれません。
とれない以上、それを検証するのは時間の無駄と考えるからです。
ただ、この無駄と判断したのも私見による判断なため私が判断していいのかは疑問ですが        私の考えと言う事で
120河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 08:58:15
>>117
>「至」単体に意味が

それはまったくの誤認識。名詞以外、漢字単体に意味がないというのは私の持論です。
121日本@名無史さん:2010/09/22(水) 09:11:08
>>118-119

意味不明。
落ち着いて、ちゃんと考えてからレスしろ。
先ずは肩の力を抜いて、深呼吸するんだ。
そして考える。
相手のレスをようく読んで、それで判らなければ質問すればいいんだよ。
議論と言うのは言葉のキャッチボールだ。
相手の球を捕球しなければ投げ返すことは出来ないのだ。
後逸したまま拾いに行かないのでは、そこで終わりだよ。

まあ、昔からアドバイスしつづけても変わらないみたいだけど。
122日本@名無史さん:2010/09/22(水) 09:11:29
>いいえ、その必要はないでしょう。
その理由は、解釈に際して任意による私見をともなうものだから、公認と言う形がとれません。
とれない以上、それを検証するのは時間の無駄と考えるからです。
ただ、この無駄と判断したのも私見による判断なため私が判断していいのかは疑問ですが
        私の考えと言う事で

要するに妄想なんだろう。


123河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 09:27:26
>>122
いちいち尋ねなければわかりませんか?
根拠とするものが、公認とするモノサシに納まらなければ、それは根拠と認められないものだから
根拠と認められない以上、それは個人的な私見によった妄想と判断されるでしょう。
そしてそれは、本人の判断ではなく、第三者によって判断されるものだから
本人に妄想だろう?と、聞くのは変ですよ。

間違っていますか?
124河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 09:37:53
>>121
最初に公認と名札を貼りつけボールを送り返された。私はその名札を剥がすわけにはいかないから
そのボールを投げ返さないだけですよ。

それとも
その名札を剥がし返球してもいいのかな?
仮に私がしばしの間、剥がさず公認モノサシの範囲でキャッチボールを続けても、何時かは必ず
剥がさなければならない時がきます。
それを前倒で行動しているだけの話しです。
125日本@名無史さん:2010/09/22(水) 09:44:44
ダメダメ。
逃げないでちゃんと考えなさい。
126河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 10:34:19
別に逃げてはいないよ。

計の意味解釈は私見をともなうので置いといて

計從帯方至倭國だが
これを計從A至Bと置き換え
計を動詞
從A至Bを目的語としたいんだが、文法のルールに反してるかな?
そしてこの時の從を格助詞として、日本語のヨリとし起点とし
AよりBに至る。と日本語にし、全体を計に対する目的語と考えたいんだが
ここまでに違反している部分は?
127河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 11:06:10
倭人伝に記されている
從郡至倭。
この時の從の品詞は何?

郡より倭に至とした場合、ここでの從の役割は格助詞として扱われている事になるが、それでいいの?
128日本@名無史さん:2010/09/22(水) 11:10:37
ただの前置詞の「従」じゃないの。意味は「〜より」でおk。何話を難しくしてんだか?
129河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 11:22:01
そして從を格助詞とした場合、文中に終助詞を見つけなければならす。
それは至に終助詞としての役目をしてもらわなければならない。
それで 郡より倭まで。という文が完成するのではと考える。

しかし、こうした場合
文の後には「〜す」という言葉が続くのが用例から見ても一般的な文の構成ではないかと思うのだがどうだろう?
ま、私見を挟むなと言われればそれまでだが
ルールに従ったつもりで書いているので、そこは大目に

で、倭人伝にはその〜すの部分がないんだが
ないのであれば、從を格助詞として扱えないのではという考えだ。

さあ、ここまではどうかな?


130日本@名無史さん:2010/09/22(水) 11:24:31
バカバカしいけど、まあ後半を聞かないとね。「従」はじゃあどの構文とつながってるのかな?
131河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 11:30:58
>>128
日本語に前置詞なんてあったかな?

>>130
後は貴方達の意見を聞こう。
132日本@名無史さん:2010/09/22(水) 11:37:31
日本語に訳すと考えるから間違ってる。書き下しにした時点で原文とはもう意味が違ってる
だろう。書き下しは昔からの便宜的なもので、しっかりしたルールはあるけど、ルールに縛られれば
意味を失う場合もある。

別にこんなとこ、漢文の前置詞の「従」でおk、意味わからないとこでもないし、そのまま読んでいけ
ばよい。だいたい現代中文をいちいち日本語訳して読むのは初学者で、漢文だって読み慣れれば
(時代時代で違うけど)別に書き下す必要はない。
133河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 11:37:50
バカバカしいと捉えらるてるようだから
止めますね。

今まで書いてきた事がバカバカしいのであれば、これから語るべき事は
そのバカバカしい話に積み重ねたもの。
バカバカしいものに何を積み重ねてもバカバカしい事に変わりなく
これ以上は書くだけ無駄な時間と
134日本@名無史さん:2010/09/22(水) 11:43:00
漢詩を書き下しで読むと魅力は半減とまでは言わないけど、かなり減衰する
だろう。(まあ、個々の発音は諸説あるけど)
135日本@名無史さん:2010/09/22(水) 12:17:05
スレの流れを追ってみたけど、
結局、河童は何だったのよ?
136日本@名無史さん:2010/09/22(水) 12:19:43
>>135
掲示板ってそういうもんだ。
137日本@名無史さん:2010/09/22(水) 12:36:58
そっとしておいて上げましょうよ。
138日本@名無史さん:2010/09/22(水) 12:40:59
チャンピオンは?
139日本@名無史さん:2010/09/22(水) 12:49:08
サガミ先生がチャンピオンでいいんじゃない。
140日本@名無史さん:2010/09/22(水) 13:08:26
河童は文字と文字の組み合わせで新たな意味を創出する、
熟語とか複合語とか言う機能について語りたいのだよ。
言わんとしていることの本質は、世間一般の概念と違い(無知なるがゆえ誤っている部分があるが)は無い。
ただ、それをとんでも風にアレンジして説明しようとしているだけ。
さらには、その『説明』自体が、ご当人の日本語能力の為せる業で意味プーなので、
いつもと同じ幕切れでジエンドです。
ま、河童の勤務先は豪勢なシルバーウィークを与えてるな。
141日本@名無史さん:2010/09/22(水) 13:35:46
思いつきで書いてるからだよ。「從郡至倭」を前後の文脈に関連付けて「郡より倭に至る」以外に
読むためには、大変なアイデアが必要だけど、それがないまま書いてるから途中で詰まってしまう。
142河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 13:59:17
>>141
思い付き評論ですき勝手な事いってるね。
ま、言ったもの勝ちだけどな。

バカバカしいんだろ?
バカバカしい事を評論する事こそ、バカバカしい事はないよ。

止めとけ、止めとけって。
143日本@名無史さん:2010/09/22(水) 14:24:06
もともと『至』に最終端を表す機能など無いのだから都合のよい文字をあてがっても無駄。
『至』の機能を簡略に説明すれば『目的地』に対する指示詞だ。
『従』出発地・郡、『至』目的地・倭。
144河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 14:39:54
>>143
出発地と解釈した場合、主語は何?
何が郡を出発するの?

それに出発地を書いた場合、当然そこには目的地の他に到着場所も明記されるんじゃないの?
対的関係にある到着地があるから、出発地と明記出来るわけだし。
145日本@名無史さん:2010/09/22(水) 16:04:44
出発地?到着地?目的地?
わけの分からん疑問をもたれたものだ・・・
うーん、使った用語が悪かったのかもしれんが、
どう捻っても普通はそう言うところで引っかからないのだが。

『従』に主語が有ろうが無かろうが、キミの言いたいことは理解できない。
146日本@名無史さん:2010/09/22(水) 16:57:25
プラム時代から知ってるが、古代史に関する知識がなく、自演と荒らしを繰り返した
成れの果てがこれだよ。
147日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:14:35
>>146

www 言語にこだわるくせに漢文の知識もない苦肉の策なんだろうな。
しかし、「河童はやっぱり最高だね」「みんなが河童さんを待ってる。早く出てきて」
なんて自分で書ける神経はたいしたもんだよ。
148河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 17:19:06
>>145

まだ理解できませんか?

かんたんに言えばこういうことですよ

「従A至B」を一つの定型として用いられていることは否定しませんが
この倭人伝に於いてはその定型としては使用できないという事です
つまり、姿形は同じように見えるけれど実は別人だったというお話。


>>146

あんたはそれしか言う事ができないのかね?
まったく淋しい限りだ   少しは進歩してると思ったが
そして
古代史の知識があると自負したいなら、どうどうと書き込めばいい
そんな遠回しな言葉で自分を売り込まないで

わかったか?    わかったら返事。
149河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 17:29:31
>>147

そんなこと言ってるようでは
絶対に相場に手を出すなよ

あんたは絶対に相場を読むことが出来ない人間のようだからな〜

ま、逆に
相場の世界に足を踏み入れて、相場の流れを体験するのもいい勉強になるんだが
あんたの場合は
一文無しになって、電車を止めるのが関の山になりそうだから止めとけ

ここでそんな読みしてるようじゃ、どの道大成はしないだろうから
150日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:33:12
知識が無いこともあるが、それ以前に論理性が無い。
それも致命的なレベルだ。
また、コトバの成り立ちにこだわることをモットーとしている割には、
己のコトバ使いはぞんざいだ。
意味を取り違えて使っているコトバも多く、指摘されても糞理屈で言い繕うとするので、
ますます、わけの分からん話になる。
まるで腐れ女と話してるみたいな時もあるよ。
『あれは白いから雪よ、だって雪は白いんだもの』
『アナタの言うことは正しいかもしれないけど私は嫌なの』
『私がそう思うからそうなの』
151日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:33:26
相場?? 何を言い出すんだ急に。www 自分の土俵に引っ張り込みたい
わけか?こっちは宝くじすら買ったことはないよ。
「やったあ、さすが河童さんだね。いいとこついてる。河童さんの完勝だね」wwwwwwwwww
152日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:37:51
あーあ、やっちゃったよ。みんなわかってても言わないのに。・・・まあ、これで河童さんの自演が
どう変わるか、一つ楽しみが増えたかな。
153河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/22(水) 17:46:09
わかったわかった

もう、君たちの時間だったね。
ストレートに
邪魔だから遠慮してくれないかって言ってくれれば退いたのに。
邪魔して悪かったな!
後は任せたよ


(^ .^)y-~~~
154日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:47:48
今は、ブラジル債権がいいよ。
もし、河童が、数ヶ月前にインド株を購入していたのなら、本物の相場師だね。
155日本@名無史さん:2010/09/22(水) 17:57:56
河童虫の文章は魏志倭人伝並に難解
正しいかどうかもわからない河童虫の文章を解読するくらいなら
自分で魏志倭人伝の解読をした方がいい
156日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:11:14
河童虫のレスに答えるには、古代史の知識も漢文の知識もいらないんだよな。漢和一冊あればいい。
しかも論理には穴がある(はじめから河童自体が真面目に考えてない)から、誰でも余裕と優越感を
持って論争することができる。だから多少の人気を呼んだ。それだけだろう。あとは上でさんざん書か
れてるような、自分が登場する前や退場した後の自演、これで河童には人気があると錯覚する人も
いるんだろうな。古くからの住人には失笑のタネでしかないが。
157日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:29:21
スレが荒れるから河童さんは失格。
158日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:38:43
全体を見渡しても、荒れてないときがないだろ。
河童氏が来てからやっと歴史の話になったような気がするぞ。

横からツッコミを入れさせていただきました。
159日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:52:01
九州説の人は、自分たちで論争することによって畿内説が有利になると
思ってる節があるんじゃないかな。だからなかなか話が進まない。
160日本@名無史さん:2010/09/22(水) 18:54:45
九州から近畿地方に遷都するとしたら
当時ならどれくらいの時間がかかる?
161日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:02:17
一応九州説
まあ、俺だけかも知れないが論争は望んでいない。
論争で勝ったからと言って、それが真実とは限らないからね。

それよりもいろいろな知識やものの見方。
見落とした情報などをいろいろと出したり
考察してくれる方がありがたい。

全員かどうかは知らないが、九州説の人は、定説とは違う持論を
持っているもんなんだ。はじめから余所と違うことは当たり前。
定説を聞いて、様々な情報や考察から、あれ?、おかしいぞ?
と定説と違う説を自分で採用したんだから。

それよりも自説の修正や補強に繋がる情報の方がありがたい。

逆に言えば、十分に信頼性のある情報に触れれば
九州説を放棄する可能性もあるよ。
あくまでも自分が相手なんで、目の前の人間を
論争でねじ伏せることには興味がないといったほうが正しいかな。

だから、チャンピョン、などというものにも興味がない。

論争に勝つことより、真実を探り出す方に興味があるだけなのよ。
だからマイペースなのだ。
162日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:12:42
定説の九州説、要するに主に北九州説なんだけど、これは明らかにおかしいよな
距離も方角も滅茶苦茶
それじゃ有力な物証があるかというと、そうでもない
163日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:17:23
知的好奇心としては
チャンピョンを決めることより、まだ
畿内説の根拠を探る方が面白いからな

たとえ九州説の人間だとしても。
164日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:37:18
河童が失格じゃこのスレも覆水盆に返るで
歴史からまた遠退きそうだな。
165日本@名無史さん:2010/09/22(水) 19:49:43
平原説が出てこないね。
九州説の中でもマイナーなのかな。
166日本@名無史さん:2010/09/22(水) 20:09:27
7世紀に太宰府が九州の地方行政都市と成り得たのには理由があるはず
167日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:27:06
河童だけあってスレが仕手化したなw
で河童が消えると閑散売り一色w
168ローガン:2010/09/22(水) 21:36:39
>>161
九州説支持ではないけど…
レスの内容には同意します。
169日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:39:41
そうかな。九州説同士が血みどろになって戦う姿を見てみたいもんだが。
170日本@名無史さん:2010/09/22(水) 21:51:34
>>169
それは絶対無理だよ。一部の畿内厨が必ず邪魔するから
171日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:07:00
畿内説論者ももっと畿内厨を排除する努力をするべきだと思う
畿内厨は畿内説論者の味方じゃないぞ
172日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:11:32
九州説でも誰が勝ち残るか興味がある。
河童の退散は最初から予測がついてたけど。
この先、河童には公の事実にある程度は妥協してしまう勇気が必要!
でなければ、数発でノックアウトされて退散の繰り返し。
173日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:13:23
ま、勝ち残れるのは、やっぱ、現実的九州説なんだよ。
174日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:27:53
畿内厨が邪魔しなければ河童は退散しないと思う。
175日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:33:49
だから無理だって九州説にチャンピオン出せと言っても。

前にも言ったが競い合うために共通ルールを決める必要があろうがそれができない。
それぞれが「オレサマルール」を譲りっこないんだからwwwwww

まあこんな匿名の掲示板で
「九州説同士の論議ができないのは畿内説の介入乱入だからだ」と言った所で

現実的にも比定地の一本化ができないのに変わりは無い。

いや「比定地を一本化しろ」と言えばそりゃ横暴だと言うだろうが
少なくとも倭人伝の読み解きで位置が分かると言うのなら

「正しい読み方」を提示しろって話で

連続式で読んだり放射式で読んだり、膨大な日数は郡からの所要時間といってみたり
そもそも魏使は卑弥呼の下まで行っているとかいないとかetc・・・

もはや同じテキストを読んだとも思えない統一感のなさwwwwwwww

176日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:37:48
んなこたどうでもいいんだよ

それっぽく語れればよ
177日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:40:58
>>175
先ずは畿内厨の乱入をなくしてみればいいんじゃないか。
乱入がなくなったら次に進めばいいだけで
178175:2010/09/22(水) 22:42:24
結局邪馬台国ブーム以降の九州説なんてのは

「こう言う読み方もできる」としてその解釈の自由度を際限なく広げてきただけで
結局、多岐亡羊、粗製濫造、悪化は良貨を駆逐する…を地で行って最期はグダグダでフェイドアウトしてしまいましたとさ

・・・と言うのが現実wwwwww

謝銘仁の日数に関するアイデアがわりと最近の新しいモノだと思うが
アレが出たからと言って九州説が息を吹き返したなんて事も無かった。

結局は自由度・選択肢を単に押し広げただけw
179日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:55:12
>>178
畿内説が駄目だから腹いせに九州説に食って掛かっているんだな。気持ちは分からんでもない。畿内説は面白くない。
アホみたいな連合論を聞かされたら小学生でも馬鹿にするわな。
180日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:56:14
>>178
いい加減にしろ。スレタイ嫁
181日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:58:41
日向説は邪馬台国が熊襲になってしまうのが難点
人種的に一般に受け入れられることはないだろう
182日本@名無史さん:2010/09/22(水) 22:59:52
いや、ふだんから関係者やマスコミが畿内説を根拠もなくヨイショしているのに、
いくらなんでも畿内説はウソっぽいな、と国民誰もが感じるときがあって、
その時が九州説のブームというだけ。

いつもは畿内説詐欺を押しまくっているから、九州説は抑圧されっぱなし。
183日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:00:48
これ、ゲームブック方式はどうだろう?例えばこんな感じ。

末盧國を出発しました。どちらに進むか選んでください。 

122 地図上の東南に正確に進む。距離は短里を用いる。
123 考古学的な遺物の多い糸島に進む。距離は信用しない。
124 それ以外

では、122、123を選んだ方は、それぞれの到達地点と根拠をお書きください。
124を選んだ方は、進む方角、距離等を詳しく書いてください。
184日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:02:24
>>174
河童が参加すると何処ともなく何時も同じ名無しが湧いてくる。これってお決まりだよね
185日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:07:03
>>182
この馬鹿っぽさはサイキバか?w
邪馬台国ブームのとき九州説を大プッシュしたのがマスコミだろうがアホwww

報道のみならずそれこそ漫画から小説から、今で言うメディア・ミックスと言うところか?w


実際、最近、河童が出て来て固定客もやって来てこのスレも回りだしたが
それまで九州説同士の議論なんて全然進んでいなかった。

河童が何だかんだ言って重宝されるのは九州説でスレを回せる人材なんだからだろうwwwww

186日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:07:15
それ、お前だろ?
187日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:09:09
>>184
いつも河童が来るのを待ってスレを見張ってるとか思うわけ?それストーカーの基地外だろ。
あれぞ河童流自演の術。上手だよね。

188日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:23:37
>>187
河童さんにそこまでの技はない。
189日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:27:26
まあ「九州説チャンピオン」というか「すなお読みチャンピオン」を決めて欲しいなw
無論このスレ限定で畿内説は論外と言う事で良いからwww

ここのゴミクズ九州説はとにかく倭人伝の読み解きでその位置が分かると言うスタンスなんだろうから
「正しい読み方」が統一できなけりゃ話にならない。

取りあえず「連続式」と「放射式」どっちが「すなおな読み方」「正しい読み方」なんですか?とwwwwww
190日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:33:21
ところでこの中に九州説はいるのか?という問題。
畿内厨がエセ九州説論者を名乗って紛れ込んでるのが90%なんてことないよね?
191日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:37:07
「あなたはさきほど○○と言いましたが、この例ではそうなってはいませんね。しょうがない人ですね。」
192日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:53:14
九州説どうしで邪馬台国の比定地がバラバラなのは、何の問題もない。
発掘が進めば、解明されていくからね。

△鏡だの箸墓だの、「これぞ邪馬台国卑弥呼の証拠」と叫びまくる
畿内説の詐欺っぷりには、あいた口がふさがらない。
193日本@名無史さん:2010/09/22(水) 23:57:46
>>192
>発掘が進めば、解明されていくからね。

つまり結局は考古資料に頼ると言う事かな?

倭人伝読んで分かるのは「畿内なんかじゃない九州の何処か」までだとwww
194日本@名無史さん:2010/09/23(木) 00:00:24
>>191は誤爆か?
195日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:01:54
>>193
いや、魏志倭人伝の補助として、考古学を援用するだけ。
土の中から「邪馬台国」や「卑弥呼」の文字は出てこないから、援用しかできない。
196日本@名無史さん:2010/09/23(木) 12:47:10
>>195
心配しなくても、考古学者がリップサービスで
出土物に台詞を付け代弁するから。

今までもそうしてきたし、これからも変わらない。
197日本@名無史さん:2010/09/23(木) 13:21:25
>>196
心配どころか、考古学者は何でも畿内説の証拠にしてしまうから、これを排除したいわけ。
198日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:01:28
>>197
そりゃ無理だ。
今や考古学者は演出家であり脚本家であり役者でもあるから
199日本@名無史さん:2010/09/23(木) 14:28:52
スレが一足先に晩秋をむかえたようた。
間もなく冬眠です。
200日本@名無史さん:2010/09/23(木) 15:07:00
まあ図らずも>>192がここのゴミクズ九州説の本音だなw

てめえらの「すなお読み」同士をぶつけても結論がでない事は分かっている。
最後は考古資料に頼るしかないのも分かっている。

でも考古資料による推測もあくまで九州限定と言う前提。

畿内や九州以外で語る考古学はゴミクズ九州説の連中にとって邪教であるとwwwwwww

「考古学」に対するこの憎しみに満ちたカキコ、サイキバだろうなw

しかし考古資料をもって九州説チャンピオンを決めると言うのなら
このスレの実質的前スレ?の『》》》今でこそ邪馬台国九州説を救え』で畿内説の人間が
ゴミクズ九州説の雑音に耐えて出した結果…

「北部九州主導説」が少なくとも現在のところ最有力だなw

位置としては糸島〜福岡平野の玄界灘周辺地域だが
考古学者の言う広域首長連合の中に九州邪馬台国を見るというのはここのゴミクズ九州説にとっては
「そりゃ畿内説とかわらない」って事で到底受け入れられないのだろうがw



201日本@名無史さん:2010/09/23(木) 15:26:30
>>200
ほら、肩の力抜いて、腹一杯食べて。
いい加減冬眠しろよ。
202日本@名無史さん:2010/09/23(木) 16:02:42
半日以上前のネタをわざわざ拾ってきて食いつくとは
ごみくず爺さんもよほと食いつく餌がないんだな。

飢え死に寸前のようだ。
203日本@名無史さん:2010/09/23(木) 16:06:42
掲示板はチャットじゃないぞ・・・
204日本@名無史さん:2010/09/23(木) 16:08:18
半日って・・・
そんなに常駐していられるのはニートくらいなもんだろw
205日本@名無史さん:2010/09/23(木) 16:12:38
このスレはサイキバ君によって24時間チェックされていますW
206日本@名無史さん:2010/09/23(木) 16:49:06
>>200のように、コミクズと書きまくってオナニーしているだけの畿内説って、哀れだよな。
207日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:17:46
日本史板邪馬台国関連スレ警備員の歌

♪ さあ来たぞ、書き込みだ。また出た悪魔の畿内説。
 
  俺は邪馬台国警備員、悪魔の畿内説許すまじ。詐欺の畿内説撲滅だ。

  ああ、父が泣く、母が泣く、24時間見張ってやるぞ。俺は邪馬台国警備員。

♪ また出たぞ、書き込みだ。悪魔のwww(わはは)がやってきた。

  俺は邪馬台国警備員、地獄の畿内説と戦うぞ。詐欺の畿内説天誅だ。

  ああ、アスペの薬を飲み忘れるな。24時間見張ってやるぞ。俺は邪馬台国警備員。

  
208日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:25:45
>>207
秀逸だな。
209日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:28:29
元ネタがわからん
210日本@名無史さん:2010/09/23(木) 17:34:11
畿内説は既得権益や利権が絡んでいるから、大変そうだな。
211日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:13:44
しかし実際のところ九州説同士で議論しようなんて動きここまで皆無だよなw

もう畿内説(と言うか通説)にイチャモンつけることでしか自己の存在を示せないと言うか…
212日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:29:11
>>210
その「既得権益や利権」を具体的に言え・・・と今まで散々繰り返し言ってきた事を言っても
いつものピンポンダッシュなんだろうなwww

恐らくサイキバ君だろうが一体何がそこまで君を駆り立てるのか?

本当のところ古代史になんか興味もさほど無いんじゃないのか?www
213日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:34:15
また今夜も既得権益が彼を駆り立てているようです
214日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:39:48
横失礼
突然ですが2chが攻撃を受けた模様

http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/operate/1284115810/
215日本@名無史さん:2010/09/23(木) 18:46:03
まあ実際のところ「金をもうけた」と言う話で言えば
今の畿内説=通説なんかブーム下の九州説には遠く及ばないw

吉川英治文学賞受賞の宮崎康平『まぼろしの邪馬台国』
松本清張『古代史疑』
…を皮切りに安本や古田の書籍群初め有象無象のイッパツネタ的なものまで

一種、出版会の『邪馬台国バブル』とでも言うべき現象があったんだろうwwww



216河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 19:10:29
ごめん。レス中止
今からベストキッド見に行こうと、突然かあちゃんに誘われたから
ジャスコのシネマに行ってくる。
8時過ぎると1200円なんだって。

m(__)m
217河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2010/09/23(木) 19:26:48
ごめん
誤爆しちゃった。
218日本@名無史さん:2010/09/23(木) 20:45:07
ふむ、畿内説名物の壊れさんがまた出てきたか。
これもゴミクズ爺さんなのか、それとも別の畿内説なのか?

畿内説論者ってこんなのばかりなのかね。
219日本@名無史さん:2010/09/23(木) 20:48:21
河童は九州説だよ。本人はもうこだわってないだろうけど。
220日本@名無史さん:2010/09/24(金) 00:41:32
河童さん退場にしたからスレがががががぁ
221日本@名無史さん:2010/09/24(金) 00:58:56
いいことじゃね?
222日本@名無史さん:2010/09/24(金) 01:15:54
まあ九州説オンリーでスレを回せるとしたら河童ぐらいしかいないからなあ(中身はアレでも)

この板で九州説同士の突っ込んだ議論なんか見た事が無い。

精々散発的に(恐らくは九州の土地勘がある同士で)
九州のあそこが怪しい、ここが怪しいと並べるだけで終わると言うか・・・

結局、比較検証しようにもその基準が打ち出せないからなんだろうがwwww



223日本@名無史さん:2010/09/24(金) 01:19:27
結局九州説なんて未だに妄想ごっこしてるだけだな。
224日本@名無史さん:2010/09/24(金) 01:39:03
なんで何度見ても「九州説ガチャピン」に読めちゃうんだろう
225日本@名無史さん:2010/09/24(金) 01:47:26
まあ九州説は、発掘で何が出ても飛躍的に卑弥呼と結び付ける、畿内説みたいなマネはしないのさ。
226日本@名無史さん:2010/09/24(金) 02:12:21
チャンピョンとか言う時点で魅力ナス
227日本@名無史さん:2010/09/24(金) 05:52:51
>>225
またまたご冗談を。
228日本@名無史さん:2010/09/24(金) 05:53:44
志賀島の金印とか装飾古墳とかw
229日本@名無史さん:2010/09/24(金) 06:13:09
志賀島の金印を邪馬台国の証拠だとか言う奴はいないだろ
230日本@名無史さん:2010/09/24(金) 06:16:09
この板にはいますが?
231日本@名無史さん:2010/09/24(金) 08:53:09
トンカラリンが卑弥呼の祭祀場所とかね。
何でもありなのが九州説です。
232日本@名無史さん:2010/09/24(金) 11:59:53
河童さんの他にスレ回せる奴いないの。
233日本@名無史さん:2010/09/24(金) 23:14:13
畿内説の根拠を探ろう、のほうはゴールしましたねえ。
234日本@名無史さん:2010/09/27(月) 08:42:20
私見を語るのが九州説。
235日本@名無史さん:2010/09/27(月) 10:00:02
だから、罵倒されやすいんだよね。

結局、公で認められる証拠が不足する。
236日本@名無史さん:2010/09/27(月) 10:33:45
日常生活ではありえない事。

公の証拠がないからといって、罵倒される事はない。罵倒が日常的に起こったら、犯罪だらけの世界になるな
掲示板は異常也。
237日本@名無史さん:2010/09/27(月) 10:45:29
公の証拠なしに
「今日からこの土地は俺のものだ!」と言って通るならそれこそ無法地帯だなw


238日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:04:49
何でもあり、
になっちゃったら、終わりだね。
239日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:14:40
だからしくしくと民裁でケリを付ける。
罵倒はありません。
240日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:18:43
>>237は、読解力が足りないようだね
241日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:23:21
無法を取り締まる線引きが必要だね。
無法者には絶えられないだろうけど、まぁ、退散して下さい、だね。
242日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:26:55
公のルールに従えなければ、それも致し方ないだろう。
243日本@名無史さん:2010/09/27(月) 11:32:10
だけど、無法者がいるから盛り上がる、という事もある。
公の権威と戦う無法者は人気者となる。敗れ去る者には情が集まる。
244日本@名無史さん:2010/09/27(月) 12:09:44
最近やけに左利きが増えてきたようだけど、参加者がそう
いう年頃なのか?
245日本@名無史さん:2010/09/27(月) 12:11:25
宇佐説
「この土地は俺のものだ!」
福岡平野説
「この土地は俺のものだ!」
山門説
「この土地は俺のものだ!」
山門説
「この土地は俺のものだ!」

宇佐説・福岡平野説・山門説・山門説…ら合唱
「とにかく公(アカデミズム)の承認があっても大和のものじゃねえ!」

246アマギハラハラ ◆.L.MXSPOgc :2010/09/28(火) 10:21:22
サガミハラハラ大先生は偉大である。サガミハラハラ大先生は正しいのである。

張政が来た邪馬台国は小城甘木で、張政が見た卑弥呼の墓は小城公園の桜ヶ岡である。
そして卑弥呼の時代、邪馬台国は吉野ヶ里〜朝倉甘木にあり、卑弥呼の都は朝倉甘木であったのだ。
梯儁は福岡を通り朝倉甘木の邪馬台国に至ったのである。これは安本氏も同様の説を述べている。
それが台与の時には遷都し、小城甘木が邪馬台国となっていたのである。

感の良い者は気づいているだろうが、邪馬台国はヤマト国ではない、アマギ国なのである。
247日本@名無史さん:2010/09/28(火) 10:36:20
>>246「二」さん。
ハンネを変えて先生をヨイショとは、何か裏があるのかな?
248日本@名無史さん:2010/09/28(火) 16:10:35
サガミは曲がりなりにも本を出していて

そこを「二」は妬んでいるんじゃないのか?
249日本@名無史さん:2010/09/28(火) 19:56:36
俺んちの裏山が卑弥呼の墓
250日本@名無史さん:2010/09/28(火) 23:09:56
俺んちから100メートル無いくらいのところに
円墳があって、俺のうちの土地には掘っ立て柱の
跡があるらしいんだな

宮殿の跡かもしれん。
251アマギハラハラ ◆.L.MXSPOgc :2010/09/30(木) 08:55:14
もっと素直に見てもらいたいな。
サガミハラハラ先生の話は正しいと言っているんだ。

この邪馬台=アマギ説は手強いよ。
252日本@名無史さん:2010/09/30(木) 11:49:26
>>251
じゃあ手ごわくない、軽くひねる事ができる九州説ってどんな説?





253日本@名無史さん:2010/09/30(木) 11:49:48
サガミ先生は、半島の中をふらふら歩いているんだよ。
それが正しいのか?
254日本@名無史さん:2010/09/30(木) 12:04:23
>>252
単に「二」は、先生を誉め殺し
自分を遠回しで売り込んでるだけだろう。
255日本@名無史さん:2010/09/30(木) 13:16:33
「二」ってたまに名前だけ見るけどどんな説なの?

説の内容について批判されているところ見たことがない。
256日本@名無史さん:2010/09/30(木) 15:08:06
宣伝ばかりで誰にも相手にされないだけだよw
257日本@名無史さん:2010/09/30(木) 15:43:26
>>257
一つのものが二つに分かれて、二つの資料が一つになった。
という、まるで手品のような説だ。
258日本@名無史さん:2010/09/30(木) 22:45:54
>>255
「二」が書いたものを読んだことがあるが、論理が滅茶苦茶だからアホらしくなって途中でやめた。
例えばこんな調子だ。

>これらをまとめると、以下のようなことが言えます。
>・倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている
>・倭人伝には末盧国から佐賀平野へ抜けるルートが書かれている
>・倭人伝には2度の使いがあったことが書かれている

>ここから導き出される結論としては、
>1)魏の2度の使いは、共に福岡平野へ抜けるルートを通った
>2)魏の2度の使いは、共に佐賀平野へ抜けるルートを通った
>3)魏の2度の使いは、福岡平野へと佐賀平野へのそれぞれ別のルートを通った
>の3つのうち、最後の3)になるでしょう。
>他の2つの候補は、考えにくいものであることが良くわかるのではないかと思います。

259日本@名無史さん:2010/10/01(金) 00:33:18
2ルート厨の説か…

「倭人伝の記事が複数の原資料からなる」と言って
それを否定する(できる)奴もそうそういないだろうが

「複数の資料からなる」と言っても大抵の場合「継ぎ足し」と言う形で

 資料Aによる行程→資料Bによる行程→資料C…

…みたいなのが精々だと思うのだが

2ルート厨の場合二つの資料を一度方向と距離でバラバラにして
そこからまた組み立てているような印象www

鵺(キメラ)なら、まだ「顔は猿で胴体は狸…」とその元ネタと、どう言う”繋ぎ”をしたのか見えてくるが
細胞レベルで混ぜちゃったら、どうにもこうにも分からないって感じw

恐らくそこら辺が分かり難さとなって誰も弄らないのだと思うw

260日本@名無史さん:2010/10/01(金) 07:52:33
>>259
それ以前に、二つの資料そのものがないんだから
話にならない。
261日本@名無史さん:2010/10/01(金) 08:47:36
さらに二つの資料が存在しなかった証拠を出せと言い張る
262259:2010/10/02(土) 01:40:18
ただこの「2ルート厨」のアクロバチック極まりない説でも

「それは理論的に絶対にありえない」なんて”悪魔の証明”ができるわけじゃない。

邪馬台国ブーム以降の九州説はこうやって「解釈の選択肢」「解釈の自由度」を拡張し続けていって
最後グダグダになって自滅、フェード・アウトしたって所なんだろうなwww

そもそも「倭人伝の行程記事なんか当てにならない」と言っている人間に対して
それを根拠に反論しても話が噛み合わない。

むしろその根拠を自分と同じ「暗号解読ゴッコ」に求めている連中相手にこそ論争し
どちらが正しいのか白黒つけるべきだろうが

このスレの進み具合を見てもそれができない。
競い合うにも共通のルールを決められない。「オレサマルール」絶対なのだからw

まあそこら辺が連中の限界www
263アマギハラハラ ◆.L.MXSPOgc :2010/10/02(土) 12:41:23
>>254
誉め殺しなんて酷いな。
私はサガミハラハラ先生の説が正しいと考え、
その説を補強するアイデアを述べているんだよ。

私の説を遠まわしに売り込んでるのは確かだけどw
264二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/02(土) 12:55:15
>>255
私の説を簡単にいうと、

梯儁ルート:
末盧國(唐津市)→伊都國(前原)→奴國(福岡)→不彌國(宇美町)→投馬國(筑紫野市〜久留米)→邪馬壹國(筑後川下流域)

張政ルート:
末盧國(唐津市)−[東南500里]→(古湯温泉)−[東南100里]→(佐賀市大和)−[東100里]→邪馬壹國(筑後川下流域)

という説です。

詳しくは、下記を参考にしてください。
http://yamat-2007.blogspot.com/2009/10/blog-post.html
http://yamat-2007.blogspot.com/2009/11/blog-post_9920.html


>>257
「一つのものが」といいますが、郡の使いが梯儁と張政の2度あったのは確かですよね。これも認めないのでしょうか。

>>258
だから、あなたが理解できないのは分かりましたから、どこが分からないのか言えば教えてあげますよ。

>>259
そんなのはいいから、私の説の内容について何かいえないの?というのが >>255 さんの書き込みだと思うのですが。
私の説は、3つも4つもルートを想定しているものではないですし、梯儁と張政が同じルートを通ったという説でもないのですが。
他の説でも、梯儁と張政が全く同じルートを通ったとする説は意外に少ないのですが、分かっていますか?
265258:2010/10/02(土) 14:15:48
>>264
>>258
>だから、あなたが理解できないのは分かりましたから、どこが分からないのか言えば教えてあげますよ。

じゃあ先ず、 ・倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている  というのを矛盾無く説明してみろ。
266日本@名無史さん:2010/10/02(土) 14:16:27
>>264 2ルート厨

久しぶりに見たわそのブログ、相変わらずコメントは憑いて無いみたいだがwwww

>また魏使のルートとは別に次の情報が混ざっていると考えています。
>E國(投馬國2) 琉球(沖縄)        「水行20日」
>(水行10日陸行1月は郡から邪馬壹國までの日数(倭人からの伝聞情報)で、水行20日の目安のための情報)

これって”第三の資料”じゃないのか?w

しかもこの場合だと最終目的地が邪馬台国で無いものでもOKと言う話になるwwww

以前、見た時コレで閉口した記憶がある。

この自由度を拝借すれば畿内に持っていくのもやれそうだ(てか以前やったっけな?)wwww

267266:2010/10/02(土) 14:48:03
この2ルート厨のみならず九州説にとって梯儁張政ら魏使による詳細な報告書があった
…と言うのは自分達の暗号解読ゴッコを成り立たせる為の必須条件なんだろうがw

素朴な疑問として…

じゃあ張政の報告書があったとして、なんで狗奴国とのいざこざの事の顛末が書かれていないのか?

それが無ければそもそも報告書としての体を成さないと言うか
「張政お前は何の為に倭国までいったんだ?」って話だと思うがwwwww
268日本@名無史さん:2010/10/02(土) 15:23:51
ぴょん(笑)
269日本@名無史さん:2010/10/02(土) 15:30:30
そう言えば…

>他の説でも、梯儁と張政が全く同じルートを通ったとする説は意外に少ないのですが

と言うか、異なったルートを想定した説って有名どころでどんなのがあるんだ?

正直記憶の中に無いw

誰でもいいから後学の為2・3教えてもらえないだろうか?
270日本@名無史さん:2010/10/02(土) 22:47:19
末盧國      唐津市東唐津、松浦川流域(古松浦湾南岸)、中原遺跡
伊都國      佐賀市大和町惣座、肥前国庁跡あたり、惣座遺跡、末盧國の東南500里(35km)
奴國       佐賀市、市街中心部、佐賀城あ、伊都國の東南100里(7km)、領域佐賀平野中部西部
不彌國      吉野ヶ里町、吉野ヶ里遺跡、伊都國の東100里(7km)
投馬國      不彌國に南接、有明海側、大川市市庁舎付近、帯方郡まで水行20日、領域佐賀平野東部と筑後平野
邪馬壹國     不彌國に南接、内陸側、久留米、領域筑後平野北東部筑後川中流下流
271日本@名無史さん:2010/10/03(日) 14:26:30
九州説にチャンピオンなんて存在しないよ。
どの説もゴミクズでしかないから。まともな議論にはならないだろう。
つーか、それを分からせるのがこのスレの狙いなんじゃ……。
272日本@名無史さん:2010/10/03(日) 15:48:59
>>270
>投馬國      不彌國に南接、有明海側、大川市市庁舎付近、帯方郡まで水行20日

この、「帯方郡まで」、が、異様で唐突な感じを受ける。

原文で、投馬國と、その前後の記述を示そう。

東南至奴國百里。官曰■馬觚、副曰卑奴母離。有二萬餘戸。
東行至不彌國百里。官曰多模、副曰卑奴母離。有千餘家。
南至投馬國、水行二十曰。官曰彌彌、副曰彌彌那利。可五萬餘戸。
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十曰、陸行一月。 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳■。可七萬餘戸。

これで、なぜ、「帯方郡まで水行20日」、などと解釈できるのだろうか?
273日本@名無史さん:2010/10/03(日) 16:49:37
>これで、なぜ、「帯方郡まで水行20日」、などと解釈できるのだろうか?

解釈できない。
また邪馬壹國までの水行十曰陸行一月を帯方郡ー邪馬台国間の日程とする解釈もできない。帯方郡ー邪馬台国間は
自郡至女王國萬二千餘里と結ばれている。
274270:2010/10/03(日) 18:32:54
不彌國で女王國に到着。
「郡〜女王國」はすなわち「郡〜不彌國」
里数距離表記による行程記事は不彌國でおわり。

「南至投馬國、水行二十曰」は、郡から投馬國までの直通行程。
その直通行程が水行20日。
魏が倭の大國投馬國に水軍を派遣する場合の所要日数。

魏が倭の大國邪馬壹國に陸軍を派遣する場合の所要日数は水行十曰陸行一月。

なお「南」は不彌國から見て南方向。
帯方郡からは東南方向であると最初に言っているからダブらないように書いた。

里数距離表示がなくなっているのは、距離が0里であるので、
不彌國の南に投馬國と邪馬壹國が共に隣接しているから。
275日本@名無史さん:2010/10/03(日) 19:03:30
>>274

感想。
とてもじゃないが納得できない。
無暗矢鱈に技巧を凝らした読み方、だな。w
たとえば、

>水軍を派遣する場合の所要日数
>陸軍を派遣する場合の所要日数

wwwww
276273:2010/10/03(日) 22:32:24
>>274
>不彌國で女王國に到着。

自女王國以北其戸數道里可得略載とあり、不彌国は女王国の北方にあり戸数道里が記載されている。つまり、不彌国は
女王国に含まれない。

女王国=邪馬台国(と邪馬台国に接する属領国)
277二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/04(月) 00:05:48
>>265
>>じゃあ先ず、 ・倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている  というのを矛盾無く説明してみろ。 

「倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている」という日本語が分かりませんか?
福岡平野へ抜けるルートを取るというのは、伊都國を前原、奴國を福岡平野に比定する説です。
これには、多くの北九州説、これには博多、久留米、宇佐説などがありますね。
他に畿内説もほとんどこれに当ります。四国説や日向説でも九州の東を水行して南下するとする説もこれに入るでしょう。

もうお分かりいただきたいのですが、「倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている」というのは現状認識の部分です。
私の説というものではありません。

ところで、矛盾というとAとBとが矛盾しているという様に言えるものですが、あなたは「矛盾」の意味を分かって使っているのでしょうか?
278二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/04(月) 00:13:33
>>266
2つのルートというのは邪馬台国に至るルートですよ。何の話をしているのか理解できていないのでしょう?
貴方は書き込むだけ自分の頭の悪さを皆に知らしめているだけですよ?

まぁルートという言葉に脊髄反射しているバカには分からんだろうw


>>この自由度を拝借すれば畿内に持っていくのもやれそうだ(てか以前やったっけな?)wwww 
やった?なにを勘違いしてるんだ。やれていないだろ。
ゆとりだなぁ



279二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/04(月) 00:15:47
>>267
>>じゃあ張政の報告書があったとして、なんで狗奴国とのいざこざの事の顛末が書かれていないのか? 

倭人伝も読んでないのか。
張政は何をしに倭に来たと思ってるんだ?
そして何をしたと思ってるんだ?

説明してバカをさらしてみろw
280二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/04(月) 00:32:09
>>269
>>と言うか、異なったルートを想定した説って有名どころでどんなのがあるんだ?

水行20日や水行10日を、まったく同じ國に寄りかつ同じ國以外には寄らなかったとでも考えているのでしょうか。
立ち寄った國が違っていて同じルートと言えますか?
陸行1月も、同じ國のみに泊まり同じ國を素通りしたとでも言うのでしょうか。

不彌國はよく立ち寄っていないといわれる國ですが、後に書かれている餘旁國との関係で2人とも立ち寄っていないと
考えるのは難かしいので、梯儁か張政のどちらかだけが立ち寄ったと考える説が多いですが、これは2人が同じルート
ではないということになります。

末廬國も、1人しか立ち寄っていないとよく考えられている國です。伊都國=前原には、船でそのまま水行できますから。
あとレアですが末廬國は唐津だが1人だけは呼子に付いたとする説もあったりします。

狗邪韓國も2人とも寄ったとは考え難い國ですね。


見方を変えましょう。

A國からB國に行くのに、A國からC國の北を通ってB國に行く、A國からC國の南を通ってB國に行くと書いたら、
同じルートでしょうか?違うルートでしょうか? また、A國からB國への同じルート(つまりC國の北と南のルート)を、
A國からD國を経由してB國に行く、A國からE國を経由してB國に行く、と書いたら、同じルートでしょうか?違うルートでしょうか?

同じ國のなかの違う通りをとおるのは別のルートでしょうか。
同じ道の右側をとおるのと左側を通るのは別のルートでしょうか。

あなたが同じルートといっているのはどのようなものを想定されていますか?
張政が、梯儁の歩いた所を一歩も踏み外さずに歩いたという主張をされているのではないですよね。
281日本@名無史さん:2010/10/04(月) 00:37:32
>>277
>「倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている」というのは現状認識の部分です。

末盧国を唐津近辺として伊都国を前原に、奴国を福岡平野に比定するには倭人伝の記述にある「東南陸行五百里到伊都國」
の方角を間違いとしなければならない。また、伊都国を前原とすれば一大国から直接船で行けばよいものを末盧国で上陸し
て困難な陸路で行くというのは馬鹿げたことである。こういう不合理な点があるのだ。それでも君は伊都国=前原、奴国=
福岡平野を正しいとして「倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている」とするのか?
282日本@名無史さん:2010/10/04(月) 00:59:05
>>280
何をぐだぐだ推測だらけの話をしているのだ?
倭人伝には一つのルートしか書かれていない。資料は複数存在したかも知れない(むしろ単一資料は考え難い)が、
ルートが二つあればそのように書かれるのが自然だろ。

漢書西域伝には下記のように二つのルートが記載されている。陳寿が漢書を読んでいない筈はないだろ。

自玉門・陽關出西域有兩道。
從鄯善、傍南山北、波河西行至莎車爲南道。
南道西踰葱嶺則出大月氏・安息。
自車師前王廷、隨北山、波河西行至疏勒爲北道。
北道西踰葱嶺則出大宛・康居・奄蔡焉。(漢書西域傳上 中華書局本3872頁)
283274:2010/10/04(月) 05:24:22
>>276
>不彌国は女王国に含まれない。
「自女王國以北」、以北だから女王國も含まれる。

>女王国=邪馬台国(と邪馬台国に接する属領国)
女王國=邪馬壹國+投馬國+不彌國+奴國

帯方郡〜不彌國は12000餘里
帯方郡〜奴國も12000餘里
何故なら
帯方郡〜伊都國は11900餘里
伊都國〜不彌國は100里
伊都國〜奴國も100里


>>275
>無暗矢鱈に技巧を凝らした読み方、だな。たとえば、
>水軍を派遣する場合の所要日数
>陸軍を派遣する場合の所要日数

交戦状態にある狗奴國との戦争に魏援軍派遣を考えての所要日数。
壹與の代になって張政が軍事顧問として派遣され長期逗留している。
これは魏水軍陸軍派遣の代わりだ。
284日本@名無史さん:2010/10/04(月) 10:10:35

ただいまニュース速報+板にて激論中!!!

【文化】邪馬台国はどこ? ライバルを迎え企画展 吉野ケ里公園
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286040481/
285悶々:2010/10/04(月) 18:05:19
>>283
「自女王國以北」に女王国が含まれるというのは現代的な解釈だが、その問題はおいといて、奴国も不彌国も女王国に含まれる
とすると女王国より北にある国としては伊都国、末盧国、一大国、對海国だけになるぞ。
286日本@名無史さん:2010/10/04(月) 18:10:58
>>279 2ルート厨

だから「告諭」してどうなったって話だよ日本語の通じない馬鹿だなw

「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ

実は報告書によって得られた情報なんかじゃなくて単に魏に残っていた外交記録からとった…でも別にいいって話。
(当然、そこには魏の対応として詔書黄幢を携えた使者を派遣した事を書いてあっても
 どの道を、どう通って行った…なんて事は書いていない、一々そんなものまで書けないwww)


>>280 2ルート厨

話を摩り替えるなゴミクズ

お前の能書き・ご高説は良いんで2ルートを想定した説を展開した学者・研究家の具体的な例を挙げろつってんだよw

>他の説でも、梯儁と張政が全く同じルートを通ったとする説は意外に少ないのですが、分かっていますか?

この『他の説』って具体的に何処の誰の説なんだよ?って話だが、ニホンゴワカリマスカ?

「ゴメンナサイ、勢いで書いちゃいました!」と言う話なら正直に言ってもらえば
俺も鬼じゃ無いんだからそこで終わりにするがw

まあ在野の研究家、ネット上の無数のサイトを当たれば幾つかは出てくるかもしれんが
必死に探しても見つからなかったのかな?wwwwwwwww
287日本@名無史さん:2010/10/04(月) 18:12:03
結局この2ルート厨にすればここで自説を弄ってもらえるのは本望なんだろうが
賞賛じゃなくてこうやって批判のばかりと言うのはアテが外れた状態なんだろうw

この馬鹿から「所詮2ちゃんねるだから煽り叩きしかねえよ!ウアアン モウコネエヨ!」と言う捨て台詞が出てきそうだがw

無論それもあるんだろうがwそもそも構造的な問題として…

他の九州説にしても魏使による詳細な報告書がありそれを陳寿が参考資料としているというのが前提だが
この2ルート厨はさらに、それが二つあり陳寿が同じ1つのルートについてかかれたものと錯誤した…と言う前提が加わる。

「オレサマ前提ルール」を強いておいて、それで従来の他の説より「ボクちゃんの説はすごいでしょう」と言われても苦笑を誘うだけwww
(無論2ちゃんねるじゃあ苦笑だけじゃ済まないw)

これで他の説と同じ前提条件でやって、その上で多くの矛盾疑問を解決できれば
それなりのアドバンテージも認められるんだろうが…
所謂「オッカムの剃刀」と言う奴かな?w

まあ、この手のお話はこの馬鹿以外にも腐るほどあって
結局、九州説同士で比較検証する事ができない根本原因になっているんだろうwwwwwwwww
288日本@名無史さん:2010/10/04(月) 18:59:57
>>287
何様のつもりか知らんが、そんな評論能書き垂れて何になる。
同じ穴のムジナと云うことか。
289283:2010/10/04(月) 21:17:03
>>285
>女王国より北にある国としては伊都国、末盧国、一大国、對海国だけになるぞ。

女王國以北にある国としては、餘旁國21ヶ国もある。
女王國より南の国は、女王國と戦争状態にある狗奴國のみ。

余談
餘旁國の「次有奴國」の奴國は旧倭奴國(福岡平野、須久岡本遺跡?)
290二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/05(火) 12:34:23
>>281
>>それでも君は伊都国=前原、奴国=福岡平野を正しいとして「倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている」とするのか?

現状認識の部分は、あなたが挙げた>>258のとおり3つ書いているのですよ。

>・倭人伝には末盧国から福岡平野へ抜けるルートが書かれている 
>・倭人伝には末盧国から佐賀平野へ抜けるルートが書かれている 
>・倭人伝には2度の使いがあったことが書かれている 

この内ルートは上の2行、福岡平野へ抜けるものと佐賀平野へ抜けるもの。
>>277 の書き込みは「福岡平野へ抜けるもの」を、あなたが説明してくれというから、それを説明したのですよ。

これだけ多くの人が、魏志倭人伝に「福岡平野へ抜けるルート」が書かれている、と主張するのは、
魏志倭人伝に福岡平野へ抜けるルートが書かれているからだと考えています。


それに対して>>281のあなたの疑問は、2行目にあたる「佐賀平野へ抜けるもの」です。
2行目も現状認識ですので、佐賀平野に抜ける多くの説のことです。佐賀平野説、佐賀平野経由の久留米や八女説、
有明海を南下する日向説、鹿児島などの南九州説など、がこれに当たります。

これだけ多くの人が、魏志倭人伝に「佐賀平野へ抜けるルート」が書かれている、と主張するのは、
やはり私は、魏志倭人伝に佐賀平野へ抜けるルートが書かれているからだと考えています。


現状の認識はよろしいでしょうか?
291二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/05(火) 12:52:24
>>282
あなたが「異なったルートを想定した説」というものの認識できていないので親切丁寧に分かりやすく書いたのですよ。
既存の説も詳細に見れば、梯儁と張政のルートを異なるものとしているものが、ほとんどなのです。

むしろ逆に、2人のルートがある程度は異なるというのは、実は当然の前提なのですよ、という話です。


パラダイムシフトというか、それが理解できるまではなかなか理解できないものなのかも知れません。
292二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/05(火) 13:03:27
>>286
この「ゴミクズ」の頭の悪さに笑たw

>>「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ 

だから、魏志倭人伝には何と書いてあるのかい。
別にこんなの私の主張でもなんでもなくて、陳寿が倭人伝に何と書いてるのかという話だろ。
だからお前が倭人伝に何が書いてあると思っているのか、ここに書いてみろ(そしてバカをさらせ)って言ってるんだよw

>>この『他の説』って具体的に何処の誰の説なんだよ?って話だが、ニホンゴワカリマスカ? 
日本語が分かっていないのはお前のほうだよw
1つ前の誰かの書き込みで説明してるから繰り返さないよ。バカなりに理解してくれw

>>287
>>ウアアン モウコネエヨ!
そういえば、2年くらい前にお前さんをさんざん叩いたあと、しばらく潜んでいたようだが、お前がそういう状態だったんだね。

そろそろ言える事がなくなって「東遷厨」とか「畿内説はすでにそういうレベルではない」言い出して、一人ループを始めるころか?
293猿にも分かる論理:2010/10/05(火) 14:55:42
>>290
倭人伝に書かれている行程について「末盧国から福岡平野へ抜けるルート」と解釈する人も居るし、「末盧国から佐賀平野へ抜けるルート」
と解釈する人も居る。さらにはそれらとは異なるルートだと解釈する人も居る。同じ倭人伝の文章に異なる解釈があるというだけである。
つまり、倭人伝には一つのルート「東南陸行五百里到伊都國」が書かれているのに複数の解釈がなされているというだけである。

複数の解釈の全てが正しいとは言えないだろう。どれかが正しければ他は間違っている。君は複数の解釈があるということを以て倭人伝に
複数のルートが書かれていると主張している。そろそろ己の浅はかな過ちに気付きなさい。
294日本@名無史さん:2010/10/05(火) 17:14:18
>>292  2ルート厨
>だからお前が倭人伝に何が書いてあると思っているのか、ここに書いてみろ

ん?だから書いてあるだろう?日本語読めよこのゴミクズ九州説のアホが。

 「告諭したと」言う事だけあとは分らずじまい。

それ以上は書いて無いと思っているし、それ以上の情報は読み取れない
キッパリ書いておくわ。これで良いかな?

ちなみに狗奴国のその後がハッキリしないが故に
いろんな憶測が持ち上がる要因にもなっている。
狗奴国東遷説とか、狗奴国こそが実はヤマトで結局、邪馬台国は狗奴国に滅ぼされ
その狗奴国=ヤマトの女王壱与が晋に卑弥呼の一族のものと僭称したとかその他諸々…
で、アホの2ルート厨君にはどう突っ込んでもらえるのかな?
こっちは俎上の鯉だ、ナイスなツッコミ頼むぞwww

>1つ前の誰かの書き込みで説明してるから繰り返さないよ。

1つ前?>>280の事か?
その他のレスを見てもお前のご高説を繰り返し垂れ流しているだけだが?
脳内に別人格がいてそれで多数の人間が唱えている(脳内提唱者多数)って設定になっているのか?w

一人としてお前以外の人間の名前が上がって無いぞ馬鹿者。
例えば放射説なら、誰もが知る「榎」やそれ以前の「豊田」とかそれを唱えた・支持した学者研究家の名は直ぐに上がるだろうに…
…ったく

>他の説でも、梯儁と張政が全く同じルートを通ったとする説は意外に少ないのですが

とてめえで大風呂敷広げておいて最後は誤魔化してトンズラ計るのか…
馬鹿丸出しの上に卑怯姑息も上乗せだな、このゴミクズは…
(いや正直に言うと自信満々に言うから本当にメジャーなものかと思ったわw)
295日本@名無史さん:2010/10/05(火) 17:15:05
>>292 2ルート厨
>そういえば、2年くらい前にお前さんをさんざん叩いたあと、しばらく潜んでいたようだが、お前がそういう状態だったんだね。

ええっ?初めて聞いたぞ、そんな話www

ひょっとして俺は、この2ルート厨の脳内で
コテンパンにやっつけられたって設定になってんのか?wwwwwwwww
2962ルート厨をサンプルに見る暗号解読ゴッコの限界:2010/10/05(火) 17:18:11
この2ルート厨と言うのは今のところ東遷説や九州王朝説への傾倒は見せていないが
その分、純粋に「暗号解読ゴッコ」の痛いサンプルとしては分かりやすいのかもしれない。

恐らく本人としては方向のズレ?やその他
従来の説では十分に説明できない部分を良く説明しうる画期的なアイデアとして
この板に意気軒昂に乗り込んできたんだろうが(良くあるパターンですハイw)

傍から見ればその説を成り立たせる為に新たに付加した前提条件こそを証明してくれって話で
本人が得意満面で説明したがっているその説の内容なんて二の次以下、殆ど興味が無い状態。

各論に行く前にその前提条件を証明してくれ…と言う話。

「暗号解読ゴッコ」に興じている連中はどんな条件を付加しても良いから
如何に矛盾なくお話を進められるか?その”ストーリーテーラー”としての腕前を競っている感はあるがwwwwww

無論「オリジナリティ」に溢れる物であればあるほど高評価w

297猿にも分かる論理:2010/10/05(火) 17:44:52
>”ストーリーテーラー”

なるほどね。物語の仕立て屋 story tailorか。
298日本@名無史さん:2010/10/05(火) 17:51:31
>>294
ゴミクズ九州説のレッテルは二ルート厨専用で頼む。
299モンクあっか?:2010/10/05(火) 18:00:16
WWWよ

邪馬台国の何が面白いかと言えば
それは謎解き、暗号解読だ!!
300二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/06(水) 10:56:02
>>293
>>複数の解釈の全てが正しいとは言えないだろう。どれかが正しければ他は間違っている。
すべてが正しいとは言わない。竹島だの伊万里や松浦市だのいうものは明らかに間違い。
しかし、正解が1つなどというのは誰が決めた?あなたが勝手にそう思っているだけだよ。

先生が作った問題しかやったことがないから、そんな風に正解が1つだとか勝手に決めてるんじゃないかい?
301二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/06(水) 11:06:36
>>294
だからなんで
>>「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ 
なんて言ってるんだ?逃げずに説明してみろ、ドアホが。


ルートに関しては、繰り返すが既存の説のほとんどが全く同じルートを通ったとは想定していないという現実があるんだよ。
水行10日とか水行20日とか、全く同じ國々のみに寄って行ったと言う主張をしている者が畿内説に居るのか?
寄った國が違って同じルートといえるのか?それなら私の説さえも同じルートに含まれてしまうのか。

お前の頭の悪さはもうわかったから、もうすこし考えてから書き込んだらどうだい?
「暗号解読ごっこ」とか、また一人ループに逃げ込もうとしてるようだけどさw
302猿にも分かる論理:2010/10/06(水) 13:56:14
二ルート厨には論理など分からんようだ。
倭人伝には「東南陸行五百里到伊都國」という一つのルートが書かれているだけなのに、伊都国を前原に比定する説と佐賀に比定する説
があることを以て二つのルートが存在したと主張する。

倭人伝に書かれた伊都国は一カ所に存在した筈だ。前原にも伊都国があり佐賀にも伊都国があったとすれば二つのルートが有り得るが、
伊都国が一つしかなければルートは一つだ。

>しかし、正解が1つなどというのは誰が決めた?

誰かが決めるようなことではないだろ。論理的にそうなるだけのことだ。キミは中学生以下の頭脳レベルのようだからも少しだけ説明
してあげよう。

「複数の解釈の全てが正しいとは言えないだろう。どれかが正しければ他は間違っている。」というのは伊都国の比定地の解釈につい
ての論である。「伊都国の比定地のうちどれかが正しければ他は間違っている」と等価の内容である。
303日本@名無史さん:2010/10/06(水) 17:40:59
>>300
>先生が作った問題しかやったことがないから、そんな風に正解が1つだとか勝手に決めてるんじゃないかい?

2ルート厨にしては珍しくいいコトを言ったなwwwwwww

そう「先生が作った問題しかやったことがないから」その問題には必ず正解が存在し
解くことができる問題だと思っているのが「暗号解読ゴッコ」九州説w
304日本@名無史さん:2010/10/06(水) 17:43:43
>>301 2ルート厨
本当にクズだなこの馬鹿は、まあ大体予測の範囲内の”持って行き方”だがwww
ここまでの流れを言うと…
先ず

『 自分と同じような別ルートを想定した説を具体的に挙げる事が出来ない 』

だからルート上の「寄った國」が違えば
それは「全く同じルートを通ったとは想定していない=別ルート」と言う理屈にもっていくw

「水行10日とか水行20日」をもってきた魂胆は、当然その長い日数の途中には幾つかの場所に寄港していて
それが全く同じ所だったかどうか?と言う話にもって行きたいのだろうwww

例えば…
 ある時は潮の流れや天候その他の条件が良く
  A→D→G と一気に航行して
 ある時は潮の流れや天候その他の条件が悪く
  A→B→C→E→F→G と小刻みに進んだ
これで「全く同じルートを通ったとは想定していない」と言う理屈が成り立ち

『 途中寄ったクニグニまで厳密に同じとしていないのであれば、自分と同じ複数ルートを想定している説と言える 』

…と言う論法なんだろうなw

畿内説で言えば日本海ルートと瀬戸内ルート二つのルートが一つに記載されている…なんて説を俺は知らないしw
(水行陸行の長い日数の間に)途中寄ったクニグニが違えば別ルートなんて考え方もはじめて聞いたwww

本当クズぶりがドンドン酷くなるなこの2ルート厨はwwww
ガキが嘘を隠す為に更に嘘をついて後には退けなくなった状態w

最初に「この着想はボクちゃんのほぼオリジナルですう」と言っておけば傷口を広げずに済んだものをアホがw
305日本@名無史さん:2010/10/06(水) 17:45:07
「単一ルートか複数ルートか?」と言う抽象的な部分で
このゴミクズ2ルート厨は誤魔化してトンズラ謀っているようなんでw

少し具体的に質問の形を変えておこう。

>>264に出ている様に
末盧國(唐津市)から福岡平野方面に抜けるルートと、佐賀有明方面に抜けるルートの二つを一つの行程記事の中に見る説って
実際のところ過去に名の知られる学者研究家によって発表された事があるのか?

どうせゴミクズ2ルート厨はまともに答えないだろうから他の誰か
知っている人間がいたら教えて欲しい。

まあゴミ2ルート厨のオリジナルかどうかと言う事とその説の妥当性は別の話なんだが 
こんな超絶アクロバチックな説、他にあったのかどうか念には念で確かめておきたいwww

前者の「福岡平野方面」と言うのは昔からある最もスタンダードな解釈で、対し
後者の「佐賀有明方面」は放射説とか些かアクロバチックな解釈を必要とする場合が多いと思うが
最終的に山門にもっていくと言う点からすれば九州説にとってはこちらこそが本命か?w

確かにこの二つの最大公約数みたいな説なら
糸島や福岡平野の考古学的成果もとれるし
比定地を(九州説のある意味老舗、保守本流wの)山門にも持って行けると言うことで万々歳ではあるんだろうがwwwwww
306日本@名無史さん:2010/10/06(水) 17:47:49
>>303
九州説を攻撃するためなら犬のフンでも口にするんだな。
307日本@名無史さん:2010/10/07(木) 18:45:01
2ルート厨はどうしたんだ?他人のことを頭が悪いなどと評していながら、ちょいと突っ込まれると返事も
出来ない。誰かが言っていたが、中学生以下だな。
308日本@名無史さん:2010/10/07(木) 18:46:39
チョンチョンスレは何をやっているんだろ。
309日本@名無史さん:2010/10/07(木) 18:48:27
ゴミクズ爺さん、相手してもらって楽しそうだな。
310日本@名無史さん:2010/10/08(金) 01:23:26
>>309
と言うかかつての邪馬台国ブームを忘れられないゴミクズ九州説説の連中の方が爺だと思っているんだがwww

まあ九州説と言うか邪馬台国論争自体がもはや『 昭和の思い出 』だなwwwwww
311日本@名無史さん:2010/10/08(金) 22:31:36
結局、畿内説で飯を食ってる奴の押切勝ちだな。
詐欺だけどな。
312二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/10(日) 09:55:45
>>302-305
「ゴミクズ」wwwと縄文人だろうが、面倒なのでまとめてレスする。

倭人伝には梯儁と張政の2回の使いが書かれている。2ルート説はこの2回の使いに立脚した説といえる。
2回の魏の使いがあったことで、他の多くの説でも2人のルートを異なるものと考えているものが多くある。

しかしこの「ゴミクズ」どもは、この2回の使いが別のルートを取ると考えると、2ルート説を否定する根拠を
失ってしまうため、梯儁と張政のルートを同じものという主張をするしかない状態に落ちいっているのである。
当然、2人のルートが同じなどという根拠はまったくない。

結局「2ルートありえない、2ルートありえない」と根拠のないことを小学生の口げんかのように繰り返すしかない。

313二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/10(日) 09:57:47
>>304

>>>>294 
>>だからなんで 
>>>>「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ  
>>なんて言ってるんだ?逃げずに説明してみろ、ドアホが。 

「クズ」の「ゴミクズ」、逃げずに答えろ、「ドアホ」。
314日本@名無史さん:2010/10/10(日) 10:40:48
>>312 2ルート厨
おいおい>>302って縄文人なのか?w
もう頭に血が上って錯乱状態かな?wwww

先ず『梯儁と張政のルートは違うルート』と言うことを立証する責務を負うのは
当然それをほざいているお前だクズ。

二人の魏使の名が出ているから二つのルートを想定すると言うのなら
二つのルートを示すクニの名も出てなければおかしいだろうという話。

極端な事を言えば
仮に魏使の名が百人分でていれば百のルートがあった=百分割OK 
…という話になるw

まあ福岡平野方面に進むルートと有明方面に進むルートこの二つがゴチャマゼに書かれているなんてのは
ほぼお前のオリジナルなんだろうよw

相変わらず

>2回の魏の使いがあったことで、他の多くの説でも2人のルートを異なるものと考えているものが多くある。

と言っても相変わらずその具体的な論者の名前も出さないが
「ボクは一人じゃないんだぞ」と言う自己暗示か?ドアホwwwwwwwww




315日本@名無史さん:2010/10/10(日) 10:45:15
>>313 2ルート厨

この馬鹿が何を必死に噛み付こうとしているのかワカランがw
何度も何度も言っているように「告諭した」で終わってそれ以上は読み取れないと言っている。

ニホンゴワカリマスカ?ゴミクズチャンw

もしちゃんと事の顛末が知れると言うのであれば
「報告書があったにしては中途半端」としてその存在を疑う根拠の一つにしている俺が間違っていたと言う話。

何が言いたいんだこのゴミクズは?

316日本@名無史さん:2010/10/10(日) 11:13:08
しかしこの馬鹿の2ルート厨の説なら

二つの報告書をひとつのルートのように書いてしまった陳寿が(いくら倭国の地理なんか知らなかったとは言え)馬鹿だったのか?w
それとも読んだ人間にそのような錯誤をさせる報告書を上げた魏使が馬鹿だったのか?

考えれば考えるほどワケワカラン話だw

もっとも「そんな事はなかった」なんて悪魔の証明はできないがwwwww
317302:2010/10/10(日) 13:00:52
>>312
>面倒なのでまとめてレスする。

面倒なんじゃなくて反論をしようと散々考えたが何も思いつかないんだろ。その証拠にレスの内容が空っぽだ。
人間誰にでも過ちはある。如何に頭脳明晰な賢人でも間違いを犯すことはある。あのアインシュタインでさえ量子力学
を否定しようとしたことがある。それを思えば二ルート厨が愚にもつかぬ説に拘り続けるのは当然と言えるのかも知れない。

しかし、賢人は己の間違いに気付き改めることができる。愚人は己の過ちを改めることができぬどころか過ちに気付くこと
もできない。二ルート厨の書き込みを見る度に可哀想に思えてならない。
318二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/11(月) 00:03:58
>>314
>>先ず『梯儁と張政のルートは違うルート』と言うことを立証する責務を負うのは 

だから、張政が梯儁の歩いたところを1歩も違わずに歩いたとうなら「同じルート」だろうが、そうではないだろ?
だから、どれだけ同じか=どれだけ違うか、という話になる。

その上で「同じルート」というなら、それを立証すべきはそちらだ。
だいたい、どの程度を”同じ”といっているのかさえ、おまえ自身わかっていないんだろ?

大体、人数ではなく魏の使いが2回あったと言っているのに、百”人”とか頭にウジでも沸いたか?
2回の魏の使いがあったことで2ルート説を否定しようとするすべがもう無くなってるんだろ。

リアルで引きこもっていて、ネットでも頭の悪さをさらされてボロカスに言われて引きこもったら、どこにいくのかな。
しばらく ママーママー 言いながら真っ赤な顔に涙目で手を震わせながらキーボードを叩いて、
自分の理解できてる万年一人ループに引きこもって、その後しばらく姿を消すのか?
319二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/11(月) 00:06:00
>>315

>>「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ 
とは「ゴミクズ」のお前がいったことだろ?

>>何度も何度も言っているように「告諭した」で終わってそれ以上は読み取れないと言っている。 
というなら、上のお前自身の問いに答えてみろ、「ドアホ」

お前のほうこそニホンゴワカリマスカ?頭が悪くてわからないか・・
320二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/11(月) 00:08:27
>>317
お前のレスのほうが空っぽだからな。
wwwと縄文人ではないなら、もう一人同程度の頭の悪いやつがこのスレに居たというだけの話だが、
どんだけバカが集まってるんだよw
321日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:19:44
>>318 2ルート厨
>だいたい、どの程度を”同じ”といっているのかさえ

ん?程度問題になるのは分りきっているんで、だから話を

 『末盧國(唐津市)から福岡平野方面に抜けるルートと、佐賀有明方面に抜けるルートの二つ』

…に限定しているワケだがwww

ちなみ畿内説だと日本海ルートにしろ瀬戸内ルートにしろ投馬国は諸説あったりするが
それでも「異なるルート」とは言わないだろうな普通wwww

そもそも最終的に「筑後川下流域」に向かうに
有明方面に向かわず福岡平野、宇美町に向かうなんてのは
(目的地から遠ざかる方向に向かっている)

流石に「途中宿泊したクニが違った」と言う範疇に収めて済むのかって話だがw

そのような2ルート説はお目にかかった記憶も無いし
このゴミ2ルート厨もその論者の名前をあげる事が出来ないようだw


322日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:41:48
> ゴミ2ルート厨

さてこの馬鹿のお話を整理すると

2ルートを想定する根拠は
取りも直さず梯儁張政の二人、二回卑弥呼の下に赴いた記事が見えると言う事だが

それはあくまで『必要条件』に過ぎない(一人一回なら複数もクソも無いわけでw)
別に二人が同じルートを通ったとして何ら矛盾は無い。

それをこの馬鹿は
「二人でているんだから二つに割らなきゃならない」
とばかりに無理矢理一つのルートとして書かれているものを二つに割って見せただけ。

二人の魏使の名が書かれていても二つのルートが書かれているわけじゃない。
(たしかこの馬鹿にしてもそこは陳寿の錯誤と言うことだったと思うが)

まあこのスレの趣旨は「九州説チャンピョン」を決めろと言う事で
他の九州説との比較検証をするならこのアホの説の「売り」とすれば

・糸島や福岡平野の考古資料をとって伊都国奴国を従来の定説どおりに置き
 尚且つ方向のズレを解決し 
 最終的には九州説の王道w筑後川下流域にもって逝ける

…と言う事だと思うがここまで述べたようにそのために相当の「たら・れば」の前提条件を付加しなければならず

他説に比べて本人が自惚れてハッピーになっているほどのアドバンテージは無いだろうとwwww
323日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:48:28
まあ、まあ、二さん、落ち着いて。
ゴミクズ爺さんは他人のネタを引っ掻き回すのが
仕事なんだから、少し離れたところから客観的に
処理するといいよ。
あとは煽ることしか出来ないんだから。

新しい独自のネタを出す創造力は皆無と言っていい。
遊んであげると喜ぶけどほどほどにね。
324日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:52:01
>>319  ゴミ二 ◆.L.MXSPOgc

なあゴミクズ、頼むからもう少し意味の通る日本語を使ってくれないか?
アホのお前が頭に血が上って必死になって食い下がっているのは分るんだが

一体、俺に何を言わせたいんだ?

「それ以上は読み取れない」と言ってる人間に何を言えと?

だからこの場合一番お前がカッコイイのはだw

「こいつは「それ以上は読み取れない」とか言ってますが
 きちんと倭人伝を読めば、コレコレコウイウコトが分るわけです。
 それは張政の報告書に基き書かれているのであって
 報告書の存在を疑うなんて根拠なんて的外れです。
 ボクチャン大勝利(笑)」

と言う展開に持っていくとばかり思っていたんだがwww

325日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:54:03
>>323
>新しい独自のネタを出す創造力は皆無と言っていい。

詩や小説、絵画あるいは楽曲を創るのなら「オリジナリティ」は尊重されるんだろうがなw

何か勘違いしているだろう?お前wいつものサイキバ君ッぽいがwwwwww



326横からだけど:2010/10/11(月) 00:54:18
二ルート厨君

梯儁が辿ったルートと張政のそれが同じであったか違っていたかについては、それを明らかにできる資料が得られていない。
二人のルートの相違について倭人伝には何も書かれていない。

仮に二人のルートが異なっていたとしてもいいが、倭人伝には一つのルートしか書かれていないのだ。また、二人のルートを
ごちゃ混ぜにしたとしてもいいが、倭人伝には一つのルートしか書かれていないのだ。

末盧国から東南陸行五百里到伊都国という文章の何処に「福岡平野に抜けるルート」と「佐賀平野に抜けるルート」の二つが
読み取れるのかね。
327日本@名無史さん:2010/10/11(月) 00:55:44
おーおー、煽るねえ。まあ頑張れ
328日本@名無史さん:2010/10/11(月) 02:17:09
A「俺にはこの動物は馬に見える」

B「俺にはこの動物は鹿に見える」

二ルート厨
 「じゃあ両方とってこの動物は馬鹿と言う種類だとしましょう」

A B
 「てかお前が馬鹿なんじゃね?」
329二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/12(火) 12:50:19
>>321
>>それでも「異なるルート」とは言わないだろうな普通wwww 
だから、言わないだけで実際は異なるルートでした、というのでは、私の説さえ異なるルートといわない説になってしまう。

すでに「ゴミクズ」ひきおたニートの「2つのルートはない」という主張は根拠を持たない。
330二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/12(火) 12:54:17
>>324

>>294
>>「告諭したと」言う事だけあとは分らずじまい。 
>>それ以上は書いて無いと思っているし、それ以上の情報は読み取れない 

>>286
>>「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ 

ほら「ゴミクズ」、お前の書いた文に、お前の書いた文が反論してるぞ。
逃げずに説明しろ、「ドアホ」。
331二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/12(火) 12:56:57
>>326
>>末盧国から東南陸行五百里到伊都国という文章の何処に「福岡平野に抜けるルート」と「佐賀平野に抜けるルート」の二つが 

丁度よい例えに馬鹿がでていたな。
馬が「東南陸行五百里」で、鹿が「到伊都国」か。

「馬や鹿など書かれていない、書かれているのは”馬鹿”だ。」
という主張を馬鹿と言っているようなものか。
(あぁこれでは怒られるのも当然かw)
332日本@名無史さん:2010/10/12(火) 17:39:40
>>330 クズニルート厨

うーんお前がヒステリー起こしていることは分るんだが…
何が言いたいのか正直良く分からん、ゴメンなゴミクズ君wwww

俺は「告諭した」と言う以上以後の情報は読み取れないと言っている。

しかし「その情報が読み取れる」として

”「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれ”
( =以後は省略したが言わずとも読む人間には十分に分かる話 )

と言う事なら、てめえがそのお話を言ってみろという事なのだが?
そもそもおまえ自身は狗奴国のその後についての情報を読み取れるのかどうなんだ?

一体何が言いたいんだこのアホは…?
333日本@名無史さん:2010/10/12(火) 17:40:29
>>329 ゴミニルート厨

この馬鹿のやろうとしているゴマカシを分りやすく極端に言えばだw

前の人間の通った道を横に数メートルでも外せば別ルート
寄ったクニが前後に一つでもズレれば別ルート
…だったらどれ程離れていようが、向かう方向が違っても別ルートと言う事では同じ…と言う理屈だなw

で、その辺の曖昧さを排除する為に
「てめえ以外に(福岡平野方面)(佐賀平野方面)の二つをあの行程記事に見ている奴はいるのか?」
と聞いているが下らない抗弁が返ってくるだけで
具体的な論者の名はこの馬鹿の口からは未だ出てこないw

まあ本来オリジナルでも正当性とは関係ないんだが
「必要条件」をなんとかして「十分条件」にまで引き上げたいと言うこの馬鹿なりの焦りなのか?w

そもそも、一度は目的地から遠ざかるようなルート(これは自体は遠賀川を遡上して有明に向かうような説であったと思うが)と
真っ直ぐそこに向かうルートまで一つの行程記事に見るというのが土台無理筋で

どの道、結局は一つのルートとして表現されているんだから
そこでまた色々と”ヲハナシ”を付加しなければならない羽目になるw

アホはゴクロウサンwwww
334326:2010/10/12(火) 17:51:23
>>331
??? 何が言いたいのかさっぱりわからん。だめだこりゃ。
335提案:2010/10/12(火) 20:35:54
二ルート厨というのは特殊な頭脳構造を持っている希少種ではなかろうか。生物多様性が議論されている今日においては
保護して観察の対象とされるべき人間かも知れない。あのような思考傾向(非論理的思考)の人間が生きてゆける不思議
について調査すべきではなかろうか。
336日本@名無史さん:2010/10/12(火) 21:43:43

ニュー速+板でやってます。
ただいま6スレ目。


【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★6
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286884673/
337ローガン:2010/10/13(水) 00:33:37
崖っぷちの二ルートを応援しよう。
魏世匈奴遂衰更有烏丸鮮卑爰及東夷使譯時通記述隨事豈常也哉!
使訳通じる時、事に従いて記述、あに常ならんや。
「(夫余や高句麗のように軍隊が踏査したわけではないが。)通使の記録があったので、不正確な情報が混じっている可能性もあるとは思うが、取り敢えずそのまま記述しておきます。」
どう?
338日本@名無史さん:2010/10/13(水) 14:21:08
ローガン翁も「崖っぷちの二ルート」という認識でおじゃるか。ま、当然のことではある。
じゃが、このレスでは応援にならんじゃろう。二ルートにはローガン翁が何を言っているのか分からんじゃろうからな。

二つの解釈(末盧国から福岡平野へ抜けるルートと佐賀平野へ抜けるルート)があるからという理由で倭人伝には二つの
ルートが書かれているというのが二ルート厨の主張である。後世の読者の解釈を理由にルートの数を決めるという常人に
は思いも及ばぬ論を展開して悦に入っていたのである。「僕の説で全て解決だ!」と浮かれていたのだ。

その愚行を指摘されても理解できないでいる二ルート厨に救いはあるか?
339日本@名無史さん:2010/10/13(水) 20:06:20

ニュー速+板でち。7スレ目タッタヨー。(◎ο◎;) 


【考古学】邪馬台国はどこにあったのか?★7
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286964478/
340日本@名無史さん:2010/10/14(木) 00:08:22
>>337 老眼翁

正直それがニルート厨の援護射撃になるのか、どうかが良く分からないwwww

まあ通使の記録がいい加減なもので
故に読んだ人間に本来二つのルートが一つのように錯誤させる程度のものであった
…と言う想像はできるが。

むしろ正確な地理情報なんてのはそのまま軍事情報で
その情報の収集は軍のもっぱら軍の役目。

少なくとも通使はそんな情報の収集を役目とするものではない。

…とすれば魏使による詳細な(邪馬台国までの道程を含む)報告書が存在したと言う
大方の九州説の前提自体が怪しくなってくる話では?



341ローガン:2010/10/14(木) 15:49:27
>>338 >>340
あはは。もし私が二ルート説の提唱者なら…
倭人伝には裴注が極端に少ない事に注目。行程部分にはない。という事は付加出来る情報が他書にはなかった。
すると行程の情報は全て倭人伝に記載されていることになる。
そこで、上に挙げた「評」の述べる所を「情報の取捨が出来ないので取り敢えず並べて書いておきました。」と解釈。
陳寿は単一資料に基づいて記述した訳ではない。複数ある検証不可の記録を、整理もせずに、全て書き並べた。
書いた本人が情報間の整合を疑問視している以上、ルートも複数あった可能性を考えてみるのは当然で、あ〜る。
342日本@名無史さん:2010/10/14(木) 21:13:39
筑後に、南北にはしる国道209号線と東西にはしる国道443号線の
がっちゃするところに山ノ井という場所があります。
北上して久留米・福岡、南下して山門瀬高・大牟田、
東は八女市内・星野・黒木矢部・熊本、西は柳川・大川・佐賀。
邪馬壱と山ノ井が似てなくもないなとふと思いまして。
343日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:35:06
>>342
八女は遺跡がいっぱいあるところですが、あの辺りは投馬国でしょうね。筑後市に下妻という地名が残っていますが、
昔はこの辺りは妻(投馬)と呼ばれていたそうです。
344日本@名無史さん:2010/10/17(日) 22:53:23
ニルート厨は「もう来ねえよ!ウワアアン!!」状態なのか?

他人様に

>そういえば、2年くらい前にお前さんをさんざん叩いたあと、しばらく潜んでいたようだが、お前がそういう状態だったんだね。

とか全く意味の分らない事ほざいておいて、てめえがトンズラかよw
(…と書けば「ボクチャンはそんなに暇じゃないんですよ」と言って書き込むんだろうがwww)

しかしこれは本人にも何回か言ったがこの厨のアクロバチック極まりない説とて
「そんな事は理論上ありえない」と断言しうる「悪魔の証明」ができるわけじゃない。

…が、逆に説が証明される事がありえるのか?

例えば筑後川下流域から徇葬百人の跡を伴う円墳が見つかって
そこから親魏倭王の金印が出て位置論争に完全決着したとしてもw

それでこの「ニルート説」が証明できたわけでもない。
筑後川下流域なんて九州説の中ではメジャーな比定地なら様々なルートが想定されているだろうから…

否定も肯定(証明)もされない説(これは他の九州説の肯定記事解釈とて同じ)と言うのは
そもそも議論の遡上に乗せる事が無理があるんだろうwww

無限ループ突入確実な神学論争と言うかw

「九州説チャンピョン」を決めろと言うのが土台無理な話。

「無理だと言う事が分った事」がこのスレの唯一の収穫wwwww
345日本@名無史さん:2010/10/18(月) 08:17:06
よく読んだら、何か否定しているわけじゃないのな
煽ってるだけで
346余計なお世話だけど:2010/10/18(月) 13:16:29
>>344
>そもそも議論の遡上に乗せる事が無理があるんだろうwww

遡上(さかのぼる)じゃなくて俎上(まな板の上)な。 変換ミスだろうけどな。
347日本@名無史さん:2010/10/18(月) 21:59:28
>>345
というかこのニルート説以外でも「暗号解読ゴッコ」の九州説は最終的には否定できないw

他の中国史書に例が無いような読み方であろうとも
陳寿が拠った原資料がそのように書かれたいて
そのまま切り貼りされた…なんて可能性までを考えれば完全否定しきれないwww

結局そうやって「こうも読める」「ああも読める」としてアイデアの発表を競うようにして
グダグダになってしまったのが九州説w

「チャンピオンを決めろ」と言うのは些か扇動的だが

比較検証そのものが無理だろうって話www
348日本@名無史さん:2010/10/18(月) 23:36:43
自分もそれを否定するわけじゃないが
じゃ、このスレいらないよな、ということに………
349日本@名無史さん:2010/10/19(火) 00:39:05
とりあえず「チャンピョン」のスレタイだけ何とかして欲しい
もしくは純粋に
「邪馬台国九州説について語るスレ」とかで良いんじゃないでしょうかね
350日本@名無史さん:2010/10/19(火) 01:07:39
もともとこのスレは九州説をおちょくるために建てられた。
そして、対抗して、九州説の人間が「畿内説の根拠を探ろう」を立てた。
「畿内説の根拠を探ろう」の方は比較的真面目なスレで、
スレ消滅の際も、新たに建てられて、最後まで進んだ。

こちらは初めから真面目なスレではなく、最近では
ゴミクズ爺さんくらいしか書き込みはない。
351日本@名無史さん:2010/10/19(火) 01:21:47
>>350
デタラメ言ってるんじゃねえぞ昭和ノスタルジーにしがみ付いているゴミクズ爺がwwww

先ず最初に、「 》》》今でこそ邪馬台国九州説を救え 」スレが立てられた。
畿内説同士で議論して現行まあ可能性(と言っても相当にか細いがw)がある九州説としては
「北部九州先導説」あたりに収束する。

ゴミクズ九州説は建設的な意見は殆ど出なかった。

スレ中のレスにもあったが
「こんなものは畿内説と変わらない」と言うのがゴミクズ九州説の本音w

「大九州主義」「九州版皇国史観」から離れられないwww

畿内説同士による九州説の検証をいかにゴミクズ九州説が嫌がっているか・・・

>994 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/09/04(土) 10:03:59
>またゴミスレ立てやがったな。
>そんな状況なら
>「畿内説の根拠を探ろうスレ」とか
>「今でこそ畿内説は詐欺でしたと言える勇気を持とう!」スレ
>立てても問題なさそうだ。
>スレ立て合戦だな。
>そんな状況になりたくなければ
>速やかにスレ削除を行なうことを希望する。

「畿内説の根拠を探ろう」スレにしても結局ゴミクズ九州説の
いつもの与太話の羅列に終わってしまったのが実際w

352日本@名無史さん:2010/10/19(火) 01:25:24
>ゴミクズ爺さんくらいしか書き込みはない。
以上
353日本@名無史さん:2010/10/19(火) 01:51:50
ゴミクズ爺さんはまあ、頑張って最後まで進めてくれ。

>994 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/09/04(土) 10:03:59

これは自分の書き込みだが
ゴミクズ爺さんの逆鱗に触れて嬉しい限りだ

相当前の書き込みのはずだが、よほど気になったらしい
ごゆっくりどうぞ。
354日本@名無史さん:2010/10/19(火) 16:14:41
ふうむ。しかし九州説といっても、東部、北部、南部ではかなり違っている。畿内説批判
だけでなく、九州説どうしでドンパチやらないと結論は出ないし、信用もされないだろう。
355日本@名無史さん:2010/10/19(火) 19:04:59
様々な可能性を提示しつつも、最後の決め手がない、
というのは、九州説論者のほぼ一致するところ。

だから決め手が出るまでは互いに様子見。

そして、決め手がないのに巻向箸墓に決めてしまう
畿内説に嫌悪感。
356日本@名無史さん:2010/10/19(火) 19:27:48
畿内説=箸墓 程度のレベルでしか理解できない人間には
何故、九州説と言うか邪馬台国論争自体が終わってしまったのかは理解できないだろうなw

無論マスコミの喧伝によるところが大きいのだろうが
そのマスコミを批判しつつてめえが踊らされていたら世話は無いw

『最後の決め手』と言うのは何だ?

恐らくは結局は考古学的な新たな発見に頼るしかないのだろうwww

が先にも言ったようにそんなモノが出てきたとて
果たしてどの様な行程記事解釈が正しかったのかは別の話。

『最後の決め手』を待っていると言う言い訳は良しとしても
少なくとも「倭人伝の読み解きで位置を特定しうる」と言うのなら

「どの様な読み方が正しいのか?」 は結論を出せと言う話だなw

放射読み連続読み、膨大な日数は群からのトータル所要時間、1ルート2ルートw
挙句、魏使は卑弥呼に会っているとかいないとか…

およそ同じテキストを読んでいるとは思えないフリーダムwwwwww



357日本@名無史さん:2010/10/19(火) 19:33:14
わあ、ゴミクズ爺さんが出たあ
358日本@名無史さん:2010/10/19(火) 19:35:57
>>357
昭和ノスタルジーにしがみ付いている年寄りは黙っとけアホw

戦争が終わったのにも気づかずジャングルで一人戦争を続けている元日本兵かよお前ら爺はwww
359縄文人 ◆0rB789L7QY :2010/10/19(火) 19:54:42
>>358
そっちこそ相変わらず好き勝手をほざいておるようだな。考古学で、ここが邪馬台国ですと書いた木簡でも出るというのか、馬鹿馬鹿
しい。邪馬台国というのは文献史学に与えられた命題であって、どれほどの考古資料を積み上げようとそこに届くことがないのは、お前
自身がよく知ってろだろう。しかも考古資料というのは都合によっていくらでも恣意的に解釈できるものだ。「ゆるやかな連合」など、所詮
はまやかしの言葉遊びに過ぎない。いい大人なら、もっと足を地につけた現実的な思考をするべきであろう。
360日本@名無史さん:2010/10/19(火) 20:17:44
>>359 ゴミ蝿
ホントお前らゴミクズは「ゆるやかな首長連合」に噛み付くのが好きだよなwwwww
馬鹿でも噛み付きやすいテーマなんだろうが

少なくともまともな大人なら九州の一大帝国なんかマジな歴史としては考えない。

「ゆるやかな首長連合なんかありえない」なんていっている学者はいない
というか聞いた事も無い
ゴミクズに聞いても名が挙がるわけでもない。

要するに特殊な電波をキャッチできるアンテナを持っている
ここのゴミクズ九州説以外は全部子供と言う話だなw

いい加減現実を見ろアホw


…ったくどのスレでもやることは同じ、自説の与太を垂れ流すだけ。

少しはスレの趣旨に沿って自分の九州説が他の九州説に対しどのようなアドバンテージがあるか?
九州説を比較検証するにどの様な基準が適当か?

…ぐらいの話をしてみろよゴミクズw

361日本@名無史さん:2010/10/19(火) 20:28:14
別に勝ち負けなんかに興味はないからなあ。
九州説同士で戦うなんて発想はこれっぽっちもないね。
むしろ互いに情報出し合って参考にする同志だろ。

ただ、根拠もないのに主張する畿内説、それはねえだろ、ってだけだ。
畿内説でもきちんと根拠を解釈しているなら、同志だぜ。とても参考になる場合もある。

しかし、ゴミクズ爺さんはずいぶんと「戦う」のが好きだねえ。なんのために
「戦う」のか教えて欲しいもんだ。
362縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/19(火) 20:51:36
久しぶりに覗いてみたら、たまたま私のニセモノが登場していた。それにWWWが(勘違いして)噛み付いている。
よっぽど私の存在が気になるらしい。恐らく、奈良湖の論争で馬鹿をさらしたのが心の傷として疼いているのだろう。
363日本@名無史さん:2010/10/19(火) 21:03:28
>奈良湖

この馬鹿このネタまだ引っ張ってんのか?

しかし倭人伝や記紀を混ぜ混ぜしたら地質学の分野からは聞えてこない
紀元後、弥生時代後期の奈良の巨大盆地湖の存在まで導き出せると言うのだから
(俺が知らないと言うだけであると言うのならソースつけて明示ヨロ)

こいつらの自称「ブンケンシガク」ってなんだろうって話だなwww

それにしてもタイミングがいいなw
蝿文人は複数のトリを使っているのかな?wwwwww

片方が墓穴掘ったときの保険で
同じハンドルなら文体が似ていても問題にされないからとか?






364ひょっとこ:2010/10/19(火) 21:21:32
俺のサモナーとしての腕もまんざらではないな。ww
365日本@名無史さん:2010/10/19(火) 21:32:14
まあ、何だかんだ言い訳したり話を逸らそうとしているが

九州説同士で比較検証できないというのが結論だなwww

倭人伝を
連続式で読もうが放射式で読もうが
日数を郡から数えようが
魏使が卑弥呼に会わなかったとしようが
その他 etc etc …

兎に角、比定地を九州内に収める物であれば何でもok!とwww

366日本@名無史さん:2010/10/19(火) 22:54:57

■【書評】『「邪馬台国」はなかった 解読された倭人伝の謎』古田武彦著

産経新聞 2010.10.9
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/101009/bks1010090744001-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/101009/bks1010090744001-n2.htm

 ◆論理的かつ実証的な結論

 読まない人にとっては、うさん臭くみえ、読んだ人には「目からウロコ」が落ちる本である。私自身、その驚嘆すべき結論(邪馬台国の所在地)に衝撃を受けた。
 これほどスリリングな本にそう滅多に出合えるものではない。30年以上、編集者として専門書をつくってきたが、これほど見事に論理的かつ実証的な論を進める著者は皆無である。網野善彦や阿部謹也の社会史のおもしろさとは全く異質のものである。

 本書を読んだのは30年前のこと、丁度「邪馬台国」論争が今よりももっと盛んなりし頃である。
玄人も素人も、近畿説であれ九州説であれ、我田引水の本が満ちあふれ、史料の少なさをいいことに、みな女王国のありかを好き勝手に設定し、「論争」にかこつけて、何でもありがまかり通っていた。
 そんな古代史に辟易していた。だから、書名を見て、まゆつばものがまた出たかと、しばらく読まずに放っておいた。

 たまたま読み始めるや、著者の文献解読の手堅さや論理展開の精緻さに舌を巻きつつ、400ページを超える大著を3日で読了した。
 「これで勝負あった」
 それ以降、次々と刊行される古田武彦の本を読み漁ったが、最初の読後感は変わらず、ほんものだと確信した。

 書店に並ばなくなって久しい本書を、埋もれさせてはならない、という一念で、〈古田武彦・古代史コレクション〉の一冊として刊行した次第である。(ミネルヴァ書房・2940円)

 ミネルヴァ書房 代表取締役社長兼編集部部長 杉田啓三

・『「邪馬台国」はなかった』
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/books/101009/bks1010090744001-p1.jpg


※参考 ミネルヴァ書房サイト(試し読みあり)
http://www.minervashobo.co.jp/book/b51465.html
367縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/19(火) 22:56:54
弥生時代の奈良湖の存在について理解できぬ人達がいるので、改めてその根拠を述べよう。

唐古・鍵の環濠が埋もれた形跡について河川の氾濫によるものとする説があるが、地形から見れば河川の氾濫で埋没することなど
考えられない。水は低い方へ流れるのであって、平野部の微高地にある唐古・鍵が水没するには水が(低いところから高いところへ)
逆流しなければならない。それはどういう場合に起るか。

唐古・鍵遺跡より1〜2m低いところが湖水面であれば、盆地出口の大和川が地滑りによる閉塞を起こすか、大雨が続くかなどによる
水位の上昇によって水没するであろう。遺跡環濠の埋没はそれが起ったことを示しているのである。

368日本@名無史さん:2010/10/19(火) 23:20:08
>>367 蝿
>それはどういう場合に起るか。

水位の上昇。
終わり。
馬鹿は死んでおけ。

つうかお前の理屈なら普段の川の水位から少しでも高い位置にある場所は水害にあう心配ゼロって話だが
これだけ毎年水害のニュースが伝わってくる日本においてよくそんなアホな事がいえるなwww












369日本@名無史さん:2010/10/19(火) 23:21:09
縄文人はアホーーーーーーーー。
370日本@名無史さん:2010/10/20(水) 00:57:25
>>362 蝿
>恐らく、奈良湖の論争で馬鹿をさらしたのが心の傷として疼いているのだろう。

まさかひょっとして
「その巨大プロジェクト土木工事のおかげで下流域が水害にあう」
と言うお話の事かな?

もしその事を言っているのなら
現代においてそれまで川の水位を調整していたダムがなくなった場合の事を考えてみろアホ。

上流にいつからか九州からやってきたヨソモンが地元の人間こき使ってなにやら工事して
湖がドンドン小さくなり年々雨が降るたびに川の水位上昇が激しくなる。

チョットした豪雨でもあれば直ぐに川が氾濫しやすくなる。

それを下流域の人間が看過したって話だ。

それも無敵の鉄器軍団が力づくで黙らせたのか?w











371縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/20(水) 20:41:25
>>368>>369>>370
こちらの予想どおりの反応だ。素人とは言え、これほど道理の分からぬ人も珍しいな。

水害が起る地域の地形を知らないから理解できないのだろう。水没するのは必ず低地だ。
唐古・鍵遺跡近辺の地形を調べてみるがいい。唐古・鍵遺跡は奈良盆地のほぼ中央に位置するなだらかな平野部の微高地
にある。東西に大和川と寺川がある。それらの川は湖の水位が低下した後に形成されたものだから弥生時代には無かった
であろうが、仮に存在したとしてもそれらの川の氾濫で唐古・鍵が水没する可能性は極めて低い。ただし、盆地出口の大
和川が閉塞していないという条件の下でだ。

今日、いかに大雨が降っても唐古・鍵は水没しない。しかし、大和川が落石などで閉塞すれば水没するであろう。
唐古・鍵の環濠の埋没はそのような状況、つまり湖の存在が引き起こしたものなのだ。

>湖がドンドン小さくなり年々雨が降るたびに川の水位上昇が激しくなる。

君は奈良湖を貯水ダムとでも思っているのか?
川の水は湖から溢れて来るものだ。湖が満杯であれば盆地に降った雨は全て溢れ出る。盆地出口の大和川の川床の高さが
減れば湖の水位は下がるが、川の流量はほとんど変わらない(注)。つまり、溢れ出る水の量は降水量に依存するのだ。

盆地出口の大和川の石などを取り除いて川床を下げる場合はダムの水門を開くのとはわけが違って、一気に行えるもので
はない。数百メートルの長さに亘って浚渫をすることになるから、当時の人力による工事では年間5〜10cmの湖水面低下
が起る程度のものだったろう。このようなものであれば大和川下流には殆ど影響がないのだ。

372日本@名無史さん:2010/10/20(水) 21:09:29
九州説チャンピオンを決めようよ
373日本@名無史さん:2010/10/20(水) 21:13:25
>>371 蝿

要するにこの馬鹿の能書きは
川の出口がふさがってなければいくら大雨が降ろうが排水できて水没の心配はない…と言うアホの戯言w

じゃあ仮にその巨大盆地湖があったとしよう。

その湖はどれくらいの期間存在したんだ?
数千年か?数万年か?
当然、湖底にはその間の堆積物があるだろう。
それも、そう深い地層じゃない古墳時代の直ぐ真下にだw

そんなモノがあればとっくに地層サンプル等から直ぐに分って
「紀元後弥生後期の巨大盆地湖があった」なんて常識になっとるわドアホw

でコイツのシナリオなら巨大古墳造営の国力の基になったはずの
新たに出現した低地の住居郡や田畑の跡も示せない。

巨大土木工事に必須であったろう大量の鉄器を生産する為の技術供与の跡も示せない。

それほど大規模なプロジェクトをやってのけた土建屋「神武組」は
九州でさぞ大きな工事実績を残したいたんだろうがそれも出てこない

 ♪ナイナイ尽くしのナイ尽くし〜wwwwww

何れにせよまともな大人の言う話じゃない。

正直に言っちゃえよ
「このネタは自分がこの板に来たとき引っさげてきたネタで
 馬鹿だと分っているが今更引っ込められません」ってw
374373:2010/10/20(水) 21:24:52
ちなみに寺沢の『王権誕生』に「奈良盆地の地域構造」として
弥生時代の盆地の小集落を示した図があるが

これをみれば少なくとも盆地全体を覆う巨大湖なんてのが与太である事は直ぐに分る。
375日本@名無史さん:2010/10/20(水) 21:30:55
>>371 蝿
>当時の人力による工事では年間5〜10cmの湖水面低下
>が起る程度のものだったろう。このようなものであれば大和川下流には殆ど影響がないのだ。

ああ、やっぱり意味が分って無いんだなw

工事によって放出される推量じゃなくて湖の保水能力の事なw




376375訂正:2010/10/20(水) 21:54:57
×推量→○水量
377縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/20(水) 22:24:25
>>373
>数千年か?数万年か?
>当然、湖底にはその間の堆積物があるだろう。
>それも、そう深い地層じゃない古墳時代の直ぐ真下にだw

キミは所詮シロウトの浅智慧しか持っていないからそんな程度の低い反論しかできないのだ。
まあ、数千年だろうな。縄文時代から弥生時代にかけてだ。堆積物は土砂だよ。それ以前のものと同じだよ。また、古墳時代
になっても土質が急に変化することもないから区別は難しいよ。

>でコイツのシナリオなら巨大古墳造営の国力の基になったはずの
>新たに出現した低地の住居郡や田畑の跡も示せない。
>巨大土木工事に必須であったろう大量の鉄器を生産する為の技術供与の跡も示せない。

弥生時代の奈良湖の存在についての議論に関係ないだろ。






378縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/20(水) 22:25:20
>>374
>これをみれば少なくとも盆地全体を覆う巨大湖なんて・・・

そんなことは言っていないだろ。盆地全体が同じ標高の平地ではないのだからな。唐古・鍵のように微高地のところは陸地だ。

>>375
>ああ、やっぱり意味が分って無いんだなw
>工事によって放出される推量じゃなくて湖の保水能力の事なw

キミこそ意味が分かっていないようだ。
湖の保水能力(貯水能力のことか)は湖が満杯でないとき(大和川下流に水が流れないとき)に生ずるものだ。盆地出口から水が
溢れ出しているとき(大和川下流に水が流れているとき)には盆地に流れ込んだ水はそのまま排出されるのだ。
379日本@名無史さん:2010/10/20(水) 22:56:54
>>377
>弥生時代の奈良湖の存在についての議論に関係ないだろ。

アホか?

巨大工事があり、それによって居住可能、農耕可能な広大な土地をゲットでき
それが巨大古墳造営につながり古墳時代の幕開けになった…と言う
お前のシナリオにそってのお話だぞwwww

「出てきたモノ」に関しその解釈を巡って考古学を批判する自分は
「何も出てきてもいない」のにストーリーを作る、アホがw

まあ与太話と言うのは往々にして否定するより
肯定して「じゃあその結果どう言うものが出てくるか?」を考えた方が分りやすいってのは良くあるwwww

結局のところ

その湖の存在も巨大工事も何れの根拠も一切なし。

倭人伝や記紀をマゼマゼしてお話を作ると言うゴミクズ九州説のパターン。

与太同士で話がかみ合うはずもなくチャンピオンどころかまともに比較検証もできないのが現状w
380日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:03:14
ところで縄文人よw

>>371
>こちらの予想どおりの反応だ。素人とは言え

>>377
>キミは所詮シロウトの浅智慧しか

お前は一体何のプロなわけだ?wwwww

以前土木関係者と言う話があってお前は否定していたが…
あと昔自分は自然科学や人文学様々な方面に精通している知識人と言うような事をほざいていたと思うが

はっきり言って工房厨房レベルにも劣る知ったかぶりのオッサンとしか思えないんだがw

381日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:03:16
九州説チャンピオンとやらは一体どうなったの??
382日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:06:25
>>381
それを決めるには共通ルールを制定する必要があるが
それがここの九州説連中にはできない。

下手するとそれによって自説が瞬殺されかねないwwww

結局九州だったら何処でもOK。

よりどころである倭人伝の解釈も比定地を九州に納めるものなら全てOKと言う話wwww
383縄文人 ◆iaH1brmL6. :2010/10/20(水) 23:42:48
私は実は大学教授だ。このことは秘匿しておきたかったのだが、何のプロかと聞かれたら答えるしかないだろう。専門は古生物学
だ。年に数回はゴビ砂漠やアリゾナに出かけて中生代の化石を掘るのがここ数年のルーティーンになっておる。ゆえに地質学にも
精通しておるし、比較的分野の近い考古学の知識にも通暁しておるのだ。はっきり言ってお前などのような高専出の素人とは知識
量も違うし、頭脳の回転も違う。社会的にも責任のある立場であり、ネット住人ごときとは比べようもなく偉いのだよ。
384日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:45:19
>>383
>私は実は大学教授だ。

なんという大学ですか? 何県にありますか?
385日本@名無史さん:2010/10/20(水) 23:45:39
>>383
もうええからお前はアラビア語でも勉強しとけw
386日本@名無史さん:2010/10/21(木) 02:27:35
>>383
>ネット住人ごときとは比べようもなく偉いのだよ。

誰がやねんwwwwwwwww
387日本@名無史さん:2010/10/21(木) 03:06:58
考古学と古生物学を「分野が近い」なんていってる時点で電波決定
388日本@名無史さん:2010/10/21(木) 04:22:11
>>386-387
だーかーらー
「ゴビ砂漠」だの「古生物」だの出てきた時点で縦目だろうって話だよwwww

まあ、あの知ったかぶりの縄文人ならそんな事でもいいそうではあるがw


389日本@名無史さん:2010/10/21(木) 11:30:19
藻前ら今日はハロワに行かなくてもいいのか?
390縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/21(木) 20:15:40
>>379
>アホか?

そう問われてハイと答える者はおるまい。答えは否定に決まっておる。答えの決まった問いなど発しても無意味だからやめとけ。

>巨大工事があり、それによって居住可能、農耕可能な広大な土地をゲットでき
>それが巨大古墳造営につながり古墳時代の幕開けになった…と言う
>お前のシナリオにそってのお話だぞwwww

なぬ?私の説を随分と改竄してくれたな。換骨奪胎に近いぞ。
巨大工事? 大和川浚渫工事のことか?あれはな、工事の齎した効果(広大な耕地が得られたこと)が巨大であったということで
あって、工事そのものは巨大ではない。ほぼ1世紀かけて川床を5mほど下げたという地道な作業だ。

ただ、話を面白くするために神武と崇神を登場させたのだ。ここが私のサービス精神の現れだ。2世紀後半の半ば頃、つまり倭国乱
の頃、九州からやって来た神武らが奈良地方のボスに成り上がるには土着の連中に感謝されるような事業を行ったに違いないだろ。
武力で押さえ込むだけでは人はついて来ないからな。そのうってつけの事業が湖の干拓だったという訳だ。

その事業がほぼ完成するのが4世紀の崇神の時代だとすれば、箸中山古墳などの大型前方後円墳の築造開始とうまくつながるのだ。
391サモナー:2010/10/21(木) 20:43:19
よし、よし、縄文人もっとやれ。
392日本@名無史さん:2010/10/21(木) 21:50:09
>>390
>あれはな、工事の齎した効果(広大な耕地が得られたこと

で、新たに得られた耕地の田畑や居住区の跡は?

ゴマカシに時間軸を伸ばしたところで
”ある時期”から今までより低い標高の位置に田畑や居住区ができて国力が増加し
巨大古墳造営も可能になったと言うシナリオに変わりは無いわけだが?w

もしそんなモノがなければ
3世紀であろうが、4世紀であろうが、5世紀であろうが

川の氾濫による水害リスクのエリア(標高)は大して変わらなかったと言う話だがwwww

どうせ何処ぞのサイトで
「標高○m以下には遺跡が無い、これは巨大湖の証」
とか言うのを見て飛びついちゃって
そのネタを引っさげて意気軒昂にこの板に乗り込んできた馬鹿がお前なんだろう?wwwwwww




393縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/21(木) 22:54:45
>>392
>で、新たに得られた耕地の田畑や居住区の跡は?

ホウ!なにか?キミは奈良盆地の低地部の耕地跡が現在まで残っているべきだと言うのか?そんなもの永い年月の間に掘り返されて
判別不能になっとるわい。

>”ある時期”から今までより低い標高の位置に田畑や居住区ができて国力が増加し
>巨大古墳造営も可能になったと言うシナリオに変わりは無いわけだが?w

居住区は低地にはあまり作らんだろう。作ったのは主に耕地だ。湖水面が1mも低下すれば従来の居住区の周囲の耕作可能面積は
数倍に拡大した筈だ。食糧生産力が増せば人口も増える。他地域からの流入もあろう。1世紀で人口は10倍くらいに増えたかも知
れん。現に4世紀には巨大古墳が作れたんだからな。

>どうせ何処ぞのサイトで
>「標高○m以下には遺跡が無い、これは巨大湖の証」
>とか言うのを見て飛びついちゃって
>そのネタを引っさげて意気軒昂にこの板に乗り込んできた馬鹿がお前なんだろう?wwwwwww

ちょっと違うな。こちらは地勢、地形、地質などをより深く考察するとともに唐古・鍵の環濠埋没という歴史的事実を証拠として
提供する科学的な説だ。私を貶めたいというキミの願望に応えられなくて悪いね。
394日本@名無史さん:2010/10/21(木) 23:03:53
>>393 蝿
>ホウ!なにか?キミは奈良盆地の低地部の耕地跡が現在まで残っているべきだと言うのか?そんなもの永い年月の間に掘り返されて
>判別不能になっとるわい。

じゃあお前が言っているある標高以下の湖面の下だったはずの地域の居住区跡田畑跡も
”永い年月の間に掘り返されて判別不能になっとる”と言う話だなw

わざとやっているのか?馬鹿丸出しwwww

こんな自爆しまりの何ら科学的根拠の無いものを「科学的な説」っていうのもギャグだよな?w


これは少しまじめに聞くがw

「長らく湖底にあった時期の堆積物」といって土砂とか言ってたが
有機物と言う発想はなかったのか?


395日本@名無史さん:2010/10/21(木) 23:11:54
>>383縄文人さん
>私は実は大学教授だ。

なんという大学ですか?
396日本@名無史さん:2010/10/22(金) 17:48:56
>>395
大学名は秘密だけど東京駅から東北およそ60kmのところにある大学でしょう。そこで見かけたような(気がします)。
397日本@名無史さん:2010/10/22(金) 17:52:31
「チャンピョン」っていう表記、すっげー気になる。というかなんかイライラする
スレ立てしたのは耄碌したジジイかババアか?
398日本@名無史さん:2010/10/22(金) 18:04:16
>スレ立てしたのは耄碌したジジイかババアか?
張平という人らしいよ。
399日本@名無史さん:2010/10/22(金) 18:05:16
違う。長平だ。
400日本@名無史さん:2010/10/22(金) 21:24:40
>>394
>こんな自爆しまりの何ら科学的根拠の無いものを「科学的な説」っていうのもギャグだよな?w

これだからシロウト相手の議論は進まん。せめて高校の理科を理解できる能力があればすぐに分かるものを。やれやれ。
科学的根拠の一つとして唐古・鍵の環濠埋没を挙げているだろが。あの地形のところでどうしたら水没が起るのか、その
メカニズムを考えてみろ。仮に、現在の状況と同じであった(湖が無かった)としたら盆地に1000mm/日の大雨が降っ
ても唐古・鍵の環濠は水没しないぞ。

>「長らく湖底にあった時期の堆積物」といって土砂とか言ってたが 有機物と言う発想はなかったのか?

湖底堆積物については調査研究もされているが、これは現役の湖や水が抜けても間もない時期のものが対象だ。つまり、
かく乱されたり空気に触れたりしていない状態のものだ。奈良湖は消失して千年以上も経過しているので有機物は消失
したり変質している。つまり、陸上で形成された有機堆積物と区別できないのだ。
401縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/22(金) 21:26:42
400は私のレスだ。名前が落ちていた。
402日本@名無史さん:2010/10/22(金) 23:50:18
>>400 蝿

…と言うかお前が小学生レベルも理解できないアホなわけだがw

河川が通常の水位を保って流せる水量には限界があるって話だよ馬鹿者。

台所へ行ってペットボトルでも適当な空の容器に漏斗さしこんで
先ずそこにケトルやコップで水を注げ。
それぐらいなら普通に容器の中に水が注ぎ込まれるだろうが

じゃあ今度はバケツから一気に水を注いでみろ。
容器が一杯にならずとも漏斗の水を落とし込む能力キャパを超えたら
水は漏斗から溢れる。

細かい話を言えば(日常意識はしないだろうが)水や空気にも粘性はある。

お前の理屈なら河川がその出口を塞がれない限りこの世に河川氾濫による水害は存在しないわなw
毎年伝わる水害のニュースは全て河川が塞がり堰き止められた事によって起こるという理屈になるな。

ちなみに奈良でも平成19年に大和川流域で床上浸水被害が発生している。

自分がどんなアホな恥ずかしい事を言っているのか理解できないんだろうなこのゴミクズはw

まあとっくに自分がどんなアホを言ったかは分ったが今更後には退けない。
どうせ匿名の掲示板だから強弁するだけしているだけなのかもしれないがwwwwwwww
403402:2010/10/23(土) 00:01:16
つまりこの縄文人と言うアホは「水位」と言うことしか頭になく
「時間」と言うファクタが完全に欠落している。

「高校の理科」とほざくのならせめて時間・長さ・質量 ぐらいは頭の中に入れておけと言う話だなw

そりゃ時間を無視すればどれだけ豪雨に見舞われようが川が塞がらない限り浸水なんてしないと言うお話www
404日本@名無史さん:2010/10/23(土) 00:20:04
例えば河内湖の痕跡を探るために大阪平野の地質分析をすれば、ある地点で、河成三角州層(水草の根等を含む)←
←汽水成砂層(ハマグリ・マテガイ含む)←海成粘土層(ヒメカノコアサリ・シズクガイ含む)←海成シルト層(ヒメヌマコダ
キガイ等)というような結果が得られている。

これは縄文海退により河内湾ができ、さらにそれが砂州によってふさがれて河内湖となり、さらに河川水の流入によって
汽水から淡水化が進んだことをはっきりと表している。地質学をなめてはいかんぜよ。
405日本@名無史さん:2010/10/23(土) 00:24:38
>>400
>奈良湖は消失して千年以上も経過しているので有機物は消失したり変質している。
>つまり、陸上で形成された有機堆積物と区別できないのだ。

これも何を言っているのか良く分からないな。

僅か千年で有機物が確認できなくなると言うのなら
良く科学のニュースなんかでも聞く藻類や微生物の化石と言うのはどうやって形成されるのか?w
千年で化石にはならないのかもしれんが、化石になる前にその形が無くなれば化石になりようがないという話でwww

微生物の痕跡がなくなるというのはどう言う理屈なのか?

まあ確かにこっちは素人だがこの馬鹿は何のプロなのか?w
およそ科学的な思考ができる人間のようには思えないのだがwwwwww

参考)wiki 『微化石』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AE%E5%8C%96%E7%9F%B3

406日本@名無史さん:2010/10/23(土) 00:29:50
>>405
アホなんだよ。奈良湖が何年存在したのか知らんが、堆積物はすべて表面にしかないと思ってるんだろう。
たとえ湖底であっても堆積物は確実に積み重なり、下部層は空気に触れることもなく、ほとんどが攪乱され
ずに残る。
407日本@名無史さん:2010/10/23(土) 03:17:23
>>to all, >>400 縄文人 ◆cM49xEAzX6

奈良湖が存在した証拠として湖岸にできる自然堤防がある。

誰もこのことに触れていないが、何故?

このスレは地勢地質についての無知蒙昧の集まりだからか?

これらの湖岸にできる自然堤防は、奈良盆地平地部全体に分布している。

誰かこの問題について話せる者は居らんのか?
408日本@名無史さん:2010/10/23(土) 08:33:47
琵琶湖が伊賀上野から移動してると同じ意味
409日本@名無史さん:2010/10/23(土) 08:38:18
古代の琵琶湖と奈良湖は同じ湖で良いのでは?
現在の琵琶湖は移動して現在の位置にあるらしいね。
410日本@名無史さん:2010/10/23(土) 08:46:11
九州のトンカラリン最新情報ないのかな?
間違いなくエジプト系?住民が居た筈だから
九州の海底で見つかった謎の神像 鳥を頭に乗せた人両性具有像?
あれはエジプトの神ゲブ神その物だね。
ゲブ神は鳥を頭にのせている画像もあるしね。
エジプトからの移民もあったとなるのかな?
411407:2010/10/23(土) 10:27:42
>>408-409
>琵琶湖が伊賀上野から移動してると同じ意味
>古代の琵琶湖と奈良湖は同じ湖で良いのでは?

見当違いの認識不足。
湖岸にできる自然堤防は、
現在の標高70m〜50mの位置(奈良盆地底部平坦地)にある。

これは、奈良湖の水位が標高80mにあったものが、
標高50mの位置まで徐々に下がり、
最後に奈良湖は消失したことを物語っている。
湖水があったことを示す地名が、標高40mから80mに分布していることからも、
奈良湖の水位が徐々に下がたことを裏付けている。

奈良湖の水位が下がり始め消失した時期は、
縄文後期から弥生末期(3世紀)にかけてである。

奈良湖の水位が下がり始めるまでの奈良湖の水の流出口は、
奈良盆地北部の「ならやま」付近で、流出した水は木津川と合流していた。

奈良湖の水位が下がりつつあるころの奈良湖の水の流出口は、
現大和川の亀瀬の崩落のところ。
即ち、生駒信貴山系の亀瀬の部分で山が地震等で崩落して、
奈良湖の新しい流出口が形成されたのある。
412日本@名無史さん:2010/10/23(土) 12:00:46
時代を遡れば 琵琶湖は現在の位置より南にあり 
伊賀上の辺りにあったと調査されている。
古い湖が 分断されたとするなら奈良湖は 琵琶湖の一部では無いのかな?
413日本@名無史さん:2010/10/23(土) 15:45:47
古琵琶湖のお話しが出てきてるんでついでに言っておくと

伊賀あたりも古代は湖底でその名残で土壌が粘土質で
乾燥すると直ぐにひび割れがおきて水田に向かなかった。

子の為出稼ぎに出ねばならずそれが忍者の起源に大きく関与しているとかいないとかw

まあその古琵琶湖にしてもン十ン百万年前とか言うスケールの話
それでもかつて湖底であった痕跡は色濃く残ると言うお話wwwww

あと『湖岸にできる自然堤防』のお話をしている奴がいるが
一体それはいつ頃形成されて、その盆地湖はいつ頃消失したんだ?

ン万年とか言うお話なら邪馬台国とも何も関係ない
純粋に地質学のお話しだろうから板違いだ。
414低地がダメなら高地があるじゃないかwww:2010/10/23(土) 15:53:53
>>393 蝿
>居住区は低地にはあまり作らんだろう。作ったのは主に耕地だ。湖水面が1mも低下すれば従来の居住区の周囲の耕作可能面積は
>数倍に拡大した筈だ。食糧生産力が増せば人口も増える。他地域からの流入もあろう。1世紀で人口は10倍くらいに増えたかも知
>れん。現に4世紀には巨大古墳が作れたんだからな。

こっちにも突っ込んでおくが
その数倍にも膨れ上がった人口を擁した集落郡は何処にあるんだ?

「低地はリスクが大きいから居住区は作らなかった」
…まあ、とりあえずそれを良しとしよう。

が食糧生産が一気に増大すれば比例して人口も一気に増大する。
リスクの高い低地じゃなくても比較的標高の高い地域に
ある時期から居住跡が増え始めたわけだがw

その痕跡は?

4世紀に入って急激な集落の増加人口の増加の痕跡が見られるという話を聞いたことが無い。

どうせこの馬鹿は「古墳の出現」と言うのだろうが
それは元々それだけの”地力”があったという考え方ができる以上根拠になりえない。

「リスクの高い低地には造らなかった」…で逃げられる話じゃないぞ
出たとこ勝負でツギハギ重ねてもブザマを晒すだけのお話www
415日本@名無史さん:2010/10/23(土) 16:05:04
あのー、きゅ、九州ちゃんぴょんは・・・??
416日本@名無史さん:2010/10/23(土) 16:10:13
長崎ちゃんぴょん
417日本@名無史さん:2010/10/23(土) 16:23:29
長崎県諫早か福岡県山門郡
418日本@名無史さん:2010/10/23(土) 16:25:05
>>415
だからそのチャンプを決めようにも
その為の共通ルールーを決められないのだからいくらここで待っていても無駄。

ただこのスレの実質的前スレと言っていいだろう

『 》》》今でこそ邪馬台国九州説を救え 』
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1281697816/l50

で畿内説側の人間が考えた一番可能性のありそうな説と言うのは大体の意見の収束が見られる。

419縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/23(土) 17:02:41
>>402>>406>>414

やはりシロウトだの〜。それで弥生期の奈良湖の存在を否定できたと思っているのか?私のレス>>400を理解できなかったようだな。
仕方ないからもう一度最初から分かり易く説明してやる。

唐古・鍵の環濠集落の環濠の話だから弥生期のことだと分かるだろ。化石みたいに生成時期について何千年も幅のある話ではない。
その唐古・鍵の環濠が埋没した。その埋没はどうして起ったのかというところが問題なのだ。だから>>400ではそのメカニズムを考
えてみろと言ったのだ。その肝心なポイントを外して枝葉の議論で反論できた気になっているからダメなのだ。

河川の氾濫によって埋没したのであれば、その川はどこを流れていたと言うのだ?唐古・鍵は盆地中央部のなだらかな平野のなかで微
高地をなしており、この微高地が埋没するような川の氾濫が起るためにはその川は唐古・鍵遺跡の中かすぐ側を天井川として存在して
いなければならない。そのような形跡があるのか?

そもそも、いくら古代人とは言っても天井川の危険性は知っているだろう。その側に居住区など作るか?
420縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/23(土) 17:32:53
>>402
>お前の理屈なら河川がその出口を塞がれない限りこの世に河川氾濫による水害は存在しないわなw
>毎年伝わる水害のニュースは全て河川が塞がり堰き止められた事によって起こるという理屈になるな。
>ちなみに奈良でも平成19年に大和川流域で床上浸水被害が発生している。

あのな。ひとの話の要点を理解できずに幼稚なことをごたごた並べるのはやめてくれ。河川の氾濫が起るのは水量がその河川の
容量をオーバーするからだ。なにも全て河川が塞がり堰き止められた事によって起こるとは言っていない。唐古・鍵が水没する
には標高45m程度までが水に浸かるような湖の存在が必要だと言っているのだ。つまり、盆地出口の大和川の川床が現在より高
くなって(ある意味では閉塞して)いたということを言っているのだ。一般の河川の氾濫の話ではない。

あの時代に湖が無かったと大和川の流域での浸水被害はあるだろうよ。そういうときに唐古・鍵遺跡が沈んだのか?
421縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/23(土) 17:37:34
420訂正
あの時代に湖が無かったと大和川の流域での浸水被害はあるだろうよ。そういうときに唐古・鍵遺跡が沈んだのか?
  ↓
大和川の流域での浸水被害はあるだろうよ。そういうときに唐古・鍵遺跡が沈むのか?
422日本@名無史さん:2010/10/23(土) 17:51:03
卑弥呼「この御人はなぜ、このように愚にもつかないたわごとを長レスしておるのじゃ?」

男  弟「乱心しておるので御座いましょう。お近づきなされないほうがよろしいかと。」
423日本@名無史さん:2010/10/23(土) 17:51:34
まあ結局のところ
この縄文人とか言う何の専門家かは知らんがw学者然と振舞いたいのらしい知ったかぶりのオッサンのご高説は

先ず地層等に見られるような直接的な証拠が無い。

そして、そのお話を是とした場合、起きるであろうような事=状況証拠、を示す痕跡も無い。

結局は唐古鍵が湖面上昇によって沈んだと言う脳内ストーリーのみw

そんなもの局所的な地形で川の氾濫がそこまで及んだのか
あるいはより高い位置から土砂が流入したかは分らないだろうが

湖面の水位上昇と考えた場合、先に言ったような痕跡・証拠が全く無い

…と言うか現在の地質学者が(2000年弱なんて地質学的時間感覚で言えばつい最近だろうに)知りえなかった事を
記紀や倭人伝をマゼマゼしたこのおっさんが突き止めたと言うのなら
地質学者ら全員このおっさんの前で土下座しろと言う話だなwwwwww
424日本@名無史さん:2010/10/23(土) 18:03:51
便所の落書き2chごときと馬鹿にして乗り込んだはよいが、
畿内説はもちろん九州説にも相手にされず、まっこと哀れよのう。
425日本@名無史さん:2010/10/23(土) 18:18:56
この縄文人とか言う狂人の前提の一つには
人口の急増が古墳造営の原動力と言うシナリオだが・・・

じゃあ九州の場合、九州最大の古墳は日向にあるわけだが
日向が古墳時代に入って北部九州地域を圧倒して人口が増えた
もしくは大量の人口流入があったのか?

・・・そんな話も聞いたことが無い。

(流石に全長200mオーバークラスともなると近畿以外では4つしかない)

もともと鬼頭らの人口推定でも北部より南部の方が大きいとされているわけで
地図にも載っているような大型環濠集落を見てそのイメージで人口を想像するような事自体が
何の事は無いてめえが「シロウト」であると言っているような物だwwwwww
426縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/23(土) 18:59:17
>>423
地質学者がちゃんと調べれば何らかのものが出るかも知れんが、今ではもう撹乱されていて大した成果は得られんだろうな。

>>425
>人口の急増が古墳造営の原動力と言うシナリオだが・・・

またひとの説を短絡的に要約してからに。どうしようもないの〜。
私の説のポイントは
「弥生時代の奈良では食糧生産力が小さく戸数7万餘と倭人伝に記されるような大国は存在し得なかった」というものだ。
古墳などは主題ではない。
427日本@名無史さん:2010/10/23(土) 19:18:20
>>426 蝿
>今ではもう撹乱されていて大した成果は得られんだろうな。

数千年か数万年か数十年レベル形成された湖底の地層
それを盆地の殆どで攪拌してしまったというのだからたいそうなお話だなwww

当然それより上にある古墳時代以降の地層もグチャグチャになっているって話だろうが
「奈良盆地では弥生後期以後の地層は攪拌により判別不可能になってます」
なんてお話も聞いたことが無いがw

結局、証拠が提出できない事の言い訳か・・・
それの何処が「科学的」なんだ?馬鹿がw

脳内ストーリーで大風呂敷広げるだけ広げて根拠は出せず
言い訳だけして誤魔化すと言うのはゴミクズ九州説の常だな。

九州説と言うより九州王朝説で良く言う
「九州王朝の痕跡は大和朝廷によって徹底的に破壊された」とか言うパターンにそっくりだwwww


428日本@名無史さん:2010/10/23(土) 20:20:55
>>426
>私の説のポイントは「弥生時代の奈良では食糧生産力が小さく戸数7万餘と倭人伝に記されるような
>大国は存在し得なかった」というものだ。古墳などは主題ではない。


倭人伝に書かれている諸国の戸数が、一体いつの時点でのものか、という問題があります。

わたしは女王台与の時世における戸数だと思っています。
魏王朝の最末期ですね。ひょっとすると晋朝に入っているかもしれませんが。

もしこの時点なのだ、とするなら、それが弥生時代かどうかは大いに疑問があります。
倭人伝に「当時、倭は弥生時代だった」なんては、一行も書いてありませんからね、ま、これは冗談ですが。w

注目すべきは、台与即位の前に書かれている女王卑弥呼の墓の記述でしょう。
これは古墳を造った、ということにはならないでしょうか。

卑弥呼の墓がもし古墳であるなら、女王台与の時世はすでに古墳時代であった、と思えてくるのです。
429日本@名無史さん:2010/10/23(土) 20:23:36

トヨタン・・・・・・・・・・
 
430日本@名無史さん:2010/10/23(土) 21:01:53
トヨタンを作ってみた。製作時間6分+画像探し20分。よい出来ではないな。

http://uproda.2ch-library.com/306304UI4/lib306304.jpg
431縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/23(土) 21:11:30
>>427
もう負け惜しみはいい加減にしとき給え。

弥生時代における奈良湖存在の証拠は唐古・鍵の環濠埋没で十分だ。その埋没のメカニズムについては君の頭脳では理解不能のようだが
君に理解できないことを否定の理由にはできんだろう。
432日本@名無史さん:2010/10/23(土) 22:04:54
>>431

馬鹿が。

弥生後期の奈良盆地湖なんて言っているのはお前の方だ。
立証の責務はお前にある。

シロウトの俺が理解できないだけ…と言うが
じゃあお前のその説を世間で支持しているプロの学者はどれだけいるんだよって話だがw

「私は神の声を聞いた。真実は私だけが知っている」
とかほざいているキチガイと何ら変わりが無いってはなしだな、クズがwww

433縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/23(土) 22:14:20
>>432
>弥生後期の奈良盆地湖なんて言っているのはお前の方だ。
>立証の責務はお前にある。

だ〜か〜ら 唐古・鍵の環濠埋没を証拠として挙げているだろが。

>じゃあお前のその説を世間で支持しているプロの学者はどれだけいるんだよって話だがw

まだ唐古・鍵の環濠埋没の意味に気付いた学者がいないんだろ。私が初めて提唱したことだからね。

しかしなんだな。君は馬鹿だとかクズだとかという汚い言葉を発すれば他人より偉くなれるとでも思っているのか?
哀れなことよの〜。
434日本@名無史さん:2010/10/23(土) 23:10:29
>>433 蝿
>だ〜か〜ら 唐古・鍵の環濠埋没を証拠として挙げているだろが。

証拠として挙げたつもりでもそれに証拠のしての能力が無いというお話。
環濠埋没が湖面上昇によるものなら日本国中、湖だらけだったという話になるw



435ちなみに…:2010/10/23(土) 23:18:22
wiki『大和川』によると
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C%E5%B7%9D

平均流量 13.51 m3/s
(柏原観測所 1994年)
流域面積 1,070 km2

と言うことらしい、もっともこれは大阪平野の流域を含んだ数字だろうから
奈良盆地湖のお話とは違うが(上流部で「流量」がこれを超えるとも思えないが…)

あと所謂「豪雨」と言うのは通常50mm/hを超え記録的なものだと100mm/hを超える。
wiki『集中豪雨』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E4%B8%AD%E8%B1%AA%E9%9B%A8

で、平均流量 13.51 m3/sに対し50mm/hの豪雨が大和川流域に秒間降り注ぐ水量は

(0.05/3600)×1070*1000^2≒14861m3/s

無論そもそも流域に降り注いだ雨が全て川に流れ込むわけじゃなく
(特に最初は、地面に染み込んだりチョットした水溜りにプールされるんだろうが)
豪雨なんてそうそう何十時間も続くわけじゃないので
こんな計算もあまり意味が無いと思うが

それでも、これに局地的な地形が加わればそりゃ水害なんてひっきりなしに起きるだろうと
いわんや古代ならと…

 ※この手の知識ある人はどう言う計算がより現実的なのか
  後学の為簡単にレクチャーしてくれるとありがたい。

まあ「怪我の功名じゃない」がこの馬鹿に付き合って改めて「水(雨)の怖さ」を数字でも確認したと言うか
「自然をなめたらあかんぜよ」って話だなwww
436日本@名無史さん:2010/10/23(土) 23:46:38
あのー、そのー・・・・、九州チャンピョンの話は、一体どこへ・・・・???
437411:2010/10/24(日) 10:06:03
>>413
>あと『湖岸にできる自然堤防』のお話をしている奴がいるが
>一体それはいつ頃形成されて、その盆地湖はいつ頃消失したんだ?
>ン万年とか言うお話なら邪馬台国とも何も関係ない
>純粋に地質学のお話しだろうから板違いだ。

だから無知蒙昧だと書いたのだ。

奈良湖の湖岸堤防(標高70mの平野部)ができだしたのは縄文中期から後期。

奈良湖が干上がって消失したのは弥生後期3世紀(崇神6年)。
最後の奈良湖の痕跡は広瀬神社境内の池(標高43m)。
438437:2010/10/24(日) 10:22:18
>>435
>それでも、これに局地的な地形が加わればそりゃ水害なんてひっきりなしに起きるだろうと
いわんや古代ならと…

だから明治末でも河川氾濫は頻発していました。
ただ村落は自然堤防上にあり、水に浸かるのは水田で、実害は少なかった。
439日本@名無史さん:2010/10/24(日) 10:30:05
>>437
>奈良湖の湖岸堤防(標高70mの平野部)ができだしたのは縄文中期から後期。

ほう、縄文人と同じ穴の狢かwww

じゃあ同じ事を聞くが恐らくは数万年単位で形成された湖底の堆積は
地層の中に見出せるのかな?

何処ぞの神社の境内の池なんかどうでもいいw
なんか根拠があるのか?www

440日本@名無史さん:2010/10/24(日) 10:45:19
>>437=411

ところで以下の纏向スレのカキコお前かな?

これまた香ばしいクソ馬鹿が出てきたと思っていたんだがwww

>929 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/10/23(土) 01:13:52
>>あんなもの与太も与太、詐欺ペテン勘違い商法の類でしか無いんだからwwww
>日本史じゃなくて縄文史だからな。
>別にこういう人は一生日本史だけをやってれば良いじゃない。
>毛嫌いするのも勝手だよ、だけど変ないちゃもんつけるなよ。
>日本書紀とか皇国史観一点張りの連中みたいで不快だわ。
>縄文、弥生史の編纂はすでに始まってきているというのに
>そういう事言われると正直腹立たしい。

>930 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/10/23(土) 13:42:38
>腹立たしいから縄文史スレに行くわ。
>実際スレ違いだった。
>不快だ。
>あばよ。

言っておくがココ縄文史スレじゃないぞ?w
441日本@名無史さん:2010/10/24(日) 10:59:28
モンドセレクション金賞…都城市
モンドセレクション銀賞…宮崎市
442二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/24(日) 11:23:04
>>332

>>しかし「その情報が読み取れる」として 
「ゴミクズ」、誰もそんな事言ってないぞ。お前が勝手に一人芝居しているだけだ。
何をどう読んだら「読み取れる」な話になってるんだ?
443二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/24(日) 11:41:18
>>333
お前は2つのルートはありえない=同一ルートだと主張しているが、

・水行20日の瀬戸内は2つの別ルートでもいい。
・不彌國には1人しか来ていなくていい。
・末廬國には1人しか来ていなくていい。

であっても同一ルートだと主張する。果たして何が同一なのか。
それでいて私説の北九州別ルートの説は「ありえない」という。
しかし、その根拠は答えられない、というか無い。


>>「てめえ以外に(福岡平野方面)(佐賀平野方面)の二つをあの行程記事に見ている奴はいるのか?」 
まず、誰もいなかったから私は自分の説だと主張している。
他の誰かが唱えているようなら、私はその者の説を支持するという。
また、私が唱えてから、この説を支持する者は少なからず居るようだ。
2chの書き込みだし、私以外何人いるのかは分からん。

まぁこいつが言えるのは「ぼくちゃんのきょうかしょにはのってないからまちがいにきまってる、うわぁあん」みたいな事だろう。
言ってみればコペルニクスに対して地動説なんて誰も言ってないから間違えだ、誰か同じ事を言ったやつを挙げてみろ、と
いうのと同じで、どれだけアホで間抜けで恥ずかしいことを言っているのか分かっていないのだろうな。
まぁ分かってないから、こんな死ぬほど恥ずかしいバカさらしを平気で書き込んでいるのだろう。


>>そもそも、一度は目的地から遠ざかるようなルート(これは自体は遠賀川を遡上して有明に向かうような説であったと思うが)と 
いいかげん理解しろよ、頭わるすぎだろ。
福岡ルートは奴國=福岡平野、不彌國=宇美町、そこから筑紫平野に抜けて筑後川下流域の邪馬台国。
普通は、批判する説を、正しそうか間違えかは別として、正しく理解したうえで説の批判を行う。
こいつは頭が悪すぎて「ぼくちんりかいできません、だから、ただしくないです」みたいな幼稚なことしか言えないのか。
444日本@名無史さん:2010/10/24(日) 11:42:38
>>442 ゴミニくん
あん?

じゃあ、お前も「読み取れない」って事でいいんだよな?

だったら

「張政の報告書なるものがあったとするなら
 狗奴国との事の顛末が明記されて無いのはその存在を疑う材料に足る」

…と言う意見にも文句は無いんだな?
一体何のために噛み付いてきたんだこのアホは??

まあ、じゃあこれで終わりだw なんか疲れる奴だなwww
445二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/24(日) 11:49:55
>>337
崖っぷち、とは酷い表現だなw
私説は、まったく揺れてはいないぞ。批判されてもいない、と言っていい状態。
別の話をしたいなら、人をダシに使わなくても良いよ。

その文章の意味は、そんなところでしょう。
446日本@名無史さん:2010/10/24(日) 11:56:40
日向と豊後の中間辺り。だったらいいなぁ。
447日本@名無史さん:2010/10/24(日) 12:17:52
>>443 クズニくん
>まず、誰もいなかったから私は自分の説だと主張している。

うむ、よろしい。最初からそう言えばいいものをw
こっちは別にオリジナルであっても良いと再三言っているんだが(苦笑

>他の説でも、梯儁と張政が全く同じルートを通ったとする説は意外に少ないのですが、分かっていますか?

とか以後さも自分以外に提唱者がいるような引っ張り方をしたからなあwww

あと直接佐賀平野を目指さず迂回すると言う意味では福岡平野から南東へ行こうが
遠賀川の遡上でも同じだろうにw
やっぱり「一緒にするな!」と言うことか?葛煮君が何にご立腹されているのか良く分からないがwww

で、結局のところこのニルート説のアクロバチックさと言うのは
倭人伝の行程記事はあくまで1ルートで書かれていて
別のルートの記事をひとつのものと勘違いした陳寿がアレなのか?
それとも読み手にそのような勘違いをさせるような報告書を書いた梯儁張政がアレなのか?
…と言う「お話」を付け加えねばならないと言う事だなwww

その分は他の九州説に比べても分が悪いと思うがw

まあ「魏使の報告書」なるものがあったのか?それを陳寿が見たのか?なんて事も検証しなければならないんだろうが
このスレの趣旨はあくまで九州説同士の比較なんでそこは前提と言うことで良いとしてw
448437:2010/10/24(日) 12:50:36
>>432
>シロウトの俺が理解できないだけ…と言うが
じゃあお前のその説を世間で支持しているプロの学者はどれだけいるんだよって話だがw

歴史についてのプロの学者は地勢学については全くの奴素人です。
彼等はあなた同様に理解できないのでしょう。
449日本@名無史さん:2010/10/24(日) 13:07:10
>>448

はあ?
「プロの学者」って言ってもこの場合、地質学者(実際にはもっと細分化されているのかな?)をいったつもりだが?

とりあえずお前は

>>407
>このスレは地勢地質についての無知蒙昧の集まりだからか?

と大きく出てるんだからwその「地勢地質」とやらで盆地湖の存在を立証してくれ。

まあ橿原遺跡がギリ標高70mぐらいかな?
が、それより低い地域に遺跡が無い…なんてお話は無しな。
元々採取狩猟に重きを置いていたであろう縄文人が河川の氾濫リスクの高い
低地に住む理由が無いんだから。
(橿原〜御所の観音寺本馬遺跡で人の植林によると思われる栗林が見つかっている)




450437:2010/10/24(日) 13:12:14
>>439
>>奈良湖の湖岸堤防(標高70mの平野部)ができだしたのは縄文中期から後期。
>ほう、縄文人と同じ穴の狢かwww
>じゃあ同じ事を聞くが恐らくは数万年単位で形成された湖底の堆積は
地層の中に見出せるのかな?

縄文人の説が正しいから正しいと補佐しているだけです。
縄文人説を補佐するものとして、奈良湖の湖面水位の変動がありますが、
これを持ち出すと素人の混乱を増幅させるだけですので、ここでは控えます。

自然堤防の地質は2000年〜5000年前のものです。
最も古く見積もっても8000年以上を遡るものではありません。
(自然堤防は、前氷河期が終わってから形成されたもの))

湖底の堆積地層がどれだけ古いかは関係ありません。
湖底の堆積地層の上に乗っかっているのが自然堤防の地層。
湖岸の自然堤防ができた時が、其の時の湖面の位置だからです。
451437:2010/10/24(日) 13:18:58
>>440
>>437=411
>ところで以下の纏向スレのカキコお前かな?
>これまた香ばしいクソ馬鹿が出てきたと思っていたんだがwww
>>929 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/10/23(土) 01:13:52
>>あんなもの与太も与太、詐欺ペテン勘違い商法の類でしか無いんだからwwww
>日本史じゃなくて縄文史だからな。
>別にこういう人は一生日本史だけをやってれば良いじゃない。
>毛嫌いするのも勝手だよ、だけど変ないちゃもんつけるなよ。
>日本書紀とか皇国史観一点張りの連中みたいで不快だわ。
>縄文、弥生史の編纂はすでに始まってきているというのに
>そういう事言われると正直腹立たしい。
>>930 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2010/10/23(土) 13:42:38
>腹立たしいから縄文史スレに行くわ。
>実際スレ違いだった。
>不快だ。
>あばよ。


私は昨日初めてこのスレを読んだ者なので、
上記は私のカキコではありません。

452日本@名無史さん:2010/10/24(日) 13:20:44
>>450
はあ?
言ってることが良く分からない奴だな。

「〜年前」と一方的に言われても何の根拠も無い話だ。

それと「堆積地層」のお話はその古さとかの問題じゃないぞ?
ココまでの話、読んでるか?

その中に含まれる微生物なり藻類なり魚貝類なりの有機物の残滓のお話なんだが・・・

それが地層からスッパリ消えて無くなったってお話なのか?


453437,407:2010/10/24(日) 13:41:04
>>449
>その「地勢地質」とやらで盆地湖の存在を立証してくれ。
>まあ橿原遺跡がギリ標高70mぐらいかな?
>が、それより低い地域に遺跡が無い…なんてお話は無しな。

盆地湖の存在を湖岸自然堤防で立証していますが?
又、湖岸自然堤防は標高50m(最も低いものは標高42m)から70mまでの範囲に分布していますから、
遺跡は標高42m以上の全範囲に存在することになります。
又この水位問題を複雑に見せているのは、奈良湖の湖面水位変動もあるからです。


「最も低いものは標高42m」
この自然堤防は「湖岸自然堤防」ではなく、「河川自然堤防」とも考えられます。
ここにある遺跡は、奈良湖湖面の再上昇により、再水没したようです。
454日本@名無史さん:2010/10/24(日) 14:06:07
正直言えば、そもそも『湖岸自然堤防』なる言葉自体が良く分からないw
河川により形成されるものならイメージもできるが・・・

勿論検索もしたがw出てくるのは人工のものばかり・・・

そもそも湖岸に土砂を押し上げるってどう言う力が働くんだ?
湖に注ぎ込む川から大量の土砂が流入してきてもスピードが一気にダウンするだけだろうに・・・

そもそも自然堤防で・・・

>奈良湖の湖岸堤防(標高70mの平野部)

”平野部”が形成されるってどう言う話なんだ?

所謂「沖積平野」とも別の話だし・・・



455縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/24(日) 16:09:14
>>434
>証拠として挙げたつもりでもそれに証拠のしての能力が無いというお話。
>環濠埋没が湖面上昇によるものなら日本国中、湖だらけだったという話になるw

まだ理解できていないようだな。唐古・鍵という奈良盆地のほぼ中央に位置し、なだらかな平野部の微高地の水没という特殊案件の話を
しているのだ。日本国中に適用できる話をしているのではないぞ。悪いなりにも頭を働かせろ。

証拠能力を認めないということが理解能力のないことを物語っているので無駄かも知れんが、我慢してもう一度相手をしてやろう。

先ず、河川の氾濫であの環濠に土砂が流れ込んで埋没したということについては>>419で論じたように否定できる。これについての反論を
してみろ。できるか?

次に、
仮に奈良盆地に湖が存在しなかったとしたら(標高40m以上の所は陸地だったとしたら)唐古・鍵の環濠が埋没するために標高48m以上に
水位が上昇するにはどのような大雨が降ればよいと思っているのだ?これに答えられるか?

なお、川の流量は雨量に依存する。流域の降水量が少ない場合は小さく降水量が多いと大きくなる。大和川の平均流量で排出能を計算するのは
ナンセンスである。(実測データがあるかどうか知らないが)50mm/hの豪雨時の流量なら参考になるだろう。
ところで、平成19年に大和川流域で浸水被害がでたと言っていたようだが、その時の雨量はどれくらいだ?そしてその時唐古・鍵の遺跡は水没
したのか?これにも答えてもらおう。話はそれからだ。
456日本@名無史さん:2010/10/24(日) 16:18:45
九州説チャンピョンは・・・・埋没してます。。。 ><
457日本@名無史さん:2010/10/24(日) 17:13:13
大雨で冠水した道路を、ボートを引きながら警戒に当たる鹿児島県警奄美署員=鹿児島県奄美市で2010年10月20日午後(共同)
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20101020/5.html

水没した乗用車=鹿児島県奄美市の住用総合支所周辺で2010年10月20日午後1時ごろ(奄美市役所提供)
http://mainichi.jp/select/jiken/graph/20101020/8.html

秋雨前線の影響による大雨で冠水し、乗用車などが浮く鹿児島県奄美市住用町=20日午後1時ごろ(奄美市役所提供)
http://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/disaster/101021/dst1010210030001-p1.htm

大雨で泥水が流れ込んだ鹿児島県奄美市役所住用総合支所の庁内=20日午後(同県提供)
http://sankei.jp.msn.com/photos/affairs/disaster/101021/dst1010210842002-p1.htm
458日本@名無史さん:2010/10/24(日) 17:15:24
>>455

> 先ず、河川の氾濫であの環濠に土砂が流れ込んで埋没したということについては>>419で論じたように否定できる。
) これについての反論を してみろ。できるか?

他人に聞いたような口を使う前に、先ずは、自分で環濠集落とはどのような構造なのか、ちゃんと勉強してみたらどうかな?

 http://www.karako-kagi-arch-museum.jp/serch/img/kanngou.jpg

459日本@名無史さん:2010/10/24(日) 17:20:25
最初の琵琶湖は三重県の大山田村にあった。
今そこを流れる服部川の河床からは古琵琶湖層群のひとつ・上野層群が見られ、ゾウやワニの化石が見つかっている。
湖の名を「大山田湖」という。約400万年前の断層運動の結果できたもので、次第に流送土砂により埋まっていった。
この頃の日本列島の気候は亜熱帯。

 いったんなくなっていた湖は約300万年前に再び現れる。
これが阿山湖で、大山田湖からは北へ移動している。
これも次第に埋まり、また北側に別の湖ができる。
甲賀湖といい、深い湖だったという。これは土地の隆起によりなくなった。
またこの頃、湖水は古瀬田川を通って古桂川を入れたあと奈良盆地に流れ込み古奈良湖を形成した時期もあったという。
水は大和川を通して大阪湾に注いでいた。
コピペ
琵琶湖と奈良湖の係わり合い。
460日本@名無史さん:2010/10/24(日) 18:42:01
>>455 蝿
なんか一気に質問攻めにきたなw

参考1)『災害リスクマネージメントのための環境考古学』
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/lt/rb/593PDF/takahasi.pdf

先ず唐古・鍵なんてすぐ西(100〜200mぐらいかな?)に寺川、東には初瀬川があって
これだけでも相当にリスキーw

この寺川、もう少し北西の下流、近鉄「結崎」付近で橿原線が交わる当たりに三角点で48.0mと言うのが地図に見えるから確認してくれ。

で、先に挙げたpdfによると

>弥生時代の集落として有名で奈良盆地の中央にある唐古・鍵遺跡は,
>現在の地形分類図では条里型土地割の展開する後背湿地に位置している。
>しかし,遺跡の西側を流れる寺川が形成し現在の集落が立地する大規模自然堤防や,
>遺跡の東側を流れる初瀬川の大規模自然堤防は,発掘調査の結果,
>16 世紀頃に形成されたものであることが知られている。
>弥生時代には,遺跡の中心である唐古池付近が自然堤防として微高地をなしていたのである(第1〜3図)。

・・・とまあ、更にリスキーなお話だったらしいwww

ここまでくりゃ河川の益水でも(河川の水面上昇、水頭差がなくなることによる)排水不良でも簡単に起こるだろうよw

461日本@名無史さん:2010/10/24(日) 18:50:45
>>455 蝿
まあ>>460で挙げたヤツの『第3図 唐古・鍵遺跡周辺の微地形と埋没微地形』と言う図を見ればイメージが描きやすいと思うが・・・w

と言うかだな、こんなシミュレーションで、ああだ、どうだ言わずとも
物証=長らく湖底にあった事を示す地層サンプル等 を出せばイッパツでケリがつく話じゃないのかよwww

お前がやるべきことは
湖面上昇の証拠として唐古鍵の埋没を出す事じゃなくて
それが湖面上昇によるものであることを証明する事だろうにw
462縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/24(日) 21:32:38
>>460
>この寺川、もう少し北西の下流、近鉄「結崎」付近で橿原線が交わる当たりに三角点で48.0mと言うのが地図に見えるから確認してくれ。

その3角点の標高48mのところまで水没する必要があるということだ。(そこの川底の高さが48mじゃないぞ。)しかもそれは一時的に水没
したのではダメなんだぞ。土砂が堆積するに要する期間だから数年以上の水没だ。ということは唐古・鍵はかなりの期間湖に沈んでいたという
ことになるのだ。

>遺跡の西側を流れる寺川が形成し現在の集落が立地する大規模自然堤防や, 遺跡の東側を流れる初瀬川の大規模自然堤防は,発掘調査の結果,
>16 世紀頃に形成されたものであることが知られている。

弥生時代に寺川や初瀬川があったら自然堤防の形成が16世紀まで遅れる筈はなかろう。つまり、その二つの川は弥生期には無かったのだ。湖が
あったのだから当然だ。

463日本@名無史さん:2010/10/24(日) 21:40:25
>>462 蝿
>土砂が堆積するに要する期間だから数年以上の水没だ。
>ということは唐古・鍵はかなりの期間湖に沈んでいたということになるのだ。

は あ ぁ ?ナ ニ 言 っ て ん だ ? こ の 馬 鹿 は ・・・

大雨の災害で一気に土砂が家屋の中にも侵入して来た映像は
いくらお前でもニュースで見たことはあるだろう?

お前本当にニホンジンデスカ?w

もう情けない抗弁はいいから、
さっさと「科学的」と自称するに相応しい科学的根拠をいもってこい。







464縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/24(日) 21:46:59
>>461
>物証=長らく湖底にあった事を示す地層サンプル等 を出せばイッパツでケリがつく話じゃないのかよwww

あのな。奈良湖は琵琶湖などのような湖ではないのだ。水深は最大でも7m程度の浅いものだ。そしてその存在期間は
数千年だ。海水は恐らく入っていない。そこに生息する生物(藻や微生物も含めて)も河川や沼のものと大差ない。そ
れらの堆積物があったとしても小さな池のそれと区別もできんだろ。
465日本@名無史さん:2010/10/24(日) 21:51:54
と言うか出がらしの縄文人の定番与太より
今は新たに出現した奈良湖厨(仮)のご高説に注目だな。

誰でもいいから『湖岸自然堤防』ってやつの事例を教えてもらえないだろうか?

その自然堤防で平野部を形成するってどう言うプロセス・メカニズムなんだ?

想像もできないが・・・

466縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/24(日) 21:53:57
>>463
>大雨の災害で一気に土砂が家屋の中にも侵入して来た映像は いくらお前でもニュースで見たことはあるだろう?

あるよ。だがそれは山裾に近い、傾斜地の低地だろ。奈良盆地の中心部辺りで浸水被害がでたところで土砂に埋もれた
ところがあるのか?
467日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:03:03
>>464
>水深は最大でも7m程度の浅いものだ。

その水深が最大になってた場所はどこ?王寺町かな?
468日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:05:51
あれ?九州チャンピョンは保留?
469日本@名無史さん:2010/10/24(日) 22:44:04
>>466
そりゃかなりの護岸工事が成された現在
盆地中心部にまでに至る土石流なんてものはそうそう無いだろうが

そんなものは土砂崩れを起こした場所
その土石の量水の流量流速・・・によりけりって話で

「じゃあその土砂は何処から流れてきたのか説明しろ」ってお話になるのか?w

と・り・あ・え・ず・だ…ここまでで

大雨、河川の氾濫による唐古鍵の「 水 没 」の可能性を認めるのか否か?

どっちなんだ?とりあえずそれに答えろ。

途中で整理しないと
またほとぼり冷めたら一からと言うのも下らないからなwwww

470日本@名無史さん:2010/10/24(日) 23:10:19
>>466
最近は上流部でのダム建設や土手の整備など治水対策が進んでいるから
奈良盆地の中心部あたりの浸水被害でも大量の土砂が流れ込むことはまずないだろうね

さて,縄文人さんは比較的大きな河川の中流域の景観をみたことはあるかい?
洪水防止のために建設された土手に挟まれてはいるが
その幅いっぱいに水が滔々と流れているのではなく
土手あるいは河川敷の内側に河原が形成されていて
その河原の中を縫うように水が流れているような状況のはずだ
この河原を形成する大小の礫や砂粒はどこで生じたものか?
上流域で浸食された岩石や土砂が堆積したものであることは中学生でも知っている
つまり
河原の石や土砂は増水時に上流から流されてきたものが
通常の水位に戻ったときに流路の周辺に取り残されたものだ
ということなのだが,ここまでは理解できるよな?

さて地理の用語に「氾濫源」というものがある
現在は治水工事のために固定されてしまった河川の流路が
かっては好き勝手に流れを変えていた範囲とでも理解すればいいだろう
この氾濫源はいわば広大な河原
氾濫源の範囲であれば増水時に運ばれてきた土砂が堆積しているのは
当たり前の現象だといえる
河川の自然堤防も氾濫による土砂の押し流しで形成されるものなので
多めに増水した際には自然堤防上に土砂が堆積することもある
唐古・鍵はつまりそういうこと


471437,407:2010/10/24(日) 23:27:48
>>464
>奈良湖は琵琶湖などのような湖ではないのだ。水深は最大でも7m程度の浅いものだ。
>そしてその存在期間は数千年だ。

縄文人さんの言っている奈良湖は縄文後期以降の奈良湖ですよ。
縄文期の奈良湖の北岸は奈良市内で、水深も最深部で30m程度ありました。
472縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/24(日) 23:35:04
>>469
唐古・鍵の環濠の埋没については現地に即して議論する必要がある。河川の氾濫にしても地形の異なる地域の例を適用する
ことはできない。その点については同意できるだろうな。

唐古・鍵遺跡が水没するための条件として私は水面の標高が45m程度の湖の存在が必要だと主張している。
唐古・鍵の環濠が河川の氾濫で埋没したとするならば、その川は唐古・鍵の中か側に流れる天井川しか考えられないが、その
天井川の形跡はないし、そもそも危険な天井川の傍に住居を構えるほど弥生人は愚かではあるまい。

ここで天井川でなければならないとしたのは、天井川であれば決壊によって大量の土砂を唐古・鍵の集落に流入させる可能性
があるが、それ以外の川では如何に大雨であっても流域(川幅)が広がり(したがって流速も大きくならず)土砂は沈降して
高い位置にある唐古・鍵の集落に流入する量は少ないと考えられるからである。

さらに重要なことは、唐古・鍵の遺跡はどの程度の降雨があれば水没するかということである。その点について参考になるの
は奈良盆地における過去の水害の状況である。唐古・鍵の遺跡が水没し土砂が流れ込んだという水害の記録があれば私とて納
得するにやぶさかではない。
473縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/24(日) 23:37:47
>>471
そうですね。
474437,407:2010/10/25(月) 00:22:39
>>465
@>誰でもいいから『湖岸自然堤防』ってやつの事例を教えてもらえないだろうか?
A>その自然堤防で平野部を形成するってどう言うプロセス・メカニズムなんだ?

@湖岸に波風で砂が吹き寄せられ湖岸が堤防のように盛り上がる状態。
  洪水等の湖面水位上昇時に形成される。
  潮の干満で形成される海岸の砂浜や砂丘のようなもの。
  >>470さんは「河川自然堤防」の形成について説明されています。
自然堤防の簡単な地図なら下記でも見られます。
>>http://riodb02.ibase.aist.go.jp/db084/index.html
自然堤防が奈良盆地平野部全域に分布しています。
自然堤防は微高地になるので、其処には古い集落があります。
初瀬川と大和川周辺の自然堤防には河川自然堤防も含まれます。

A違います。後世湖面水位が下がった時に、平野となるところで湖岸自然堤防が形成するのです。
  水深が急に深くなる湖岸では湖岸自然堤防は形成されません。
  同様に河川自然堤防は流れのゆるやかな平野部に形成されます。
  奈良盆地平野部で河川自然堤防が形成可能な河川は、初瀬川だけでしょう。
  他の河川では、平均流量が少ないのと、増水時に運ばれてくる土砂量が少なすぎるので、
  河川自然堤防ができる可能性は殆どありません。
475日本@名無史さん:2010/10/25(月) 00:32:39
>>472 蝿

まるで駄目、やり直せ。

先ず天井川でなくとも川の水位が上昇して水位差がなくなれば排水の機能を失う。
全く同じにならなくとも余りに緩やかなスピードになった時点で水害になる。
これも降雨量との兼ね合い。
ニュースで見る一面水浸しになった街や田畑、あれとて相当にゆっくりとは流れているんだろう。

土砂の流入にしても氾濫が起きているのなら上流でも既に起きているわけで
そこから土砂が流れてくる。

直ぐ横を流れている川から流れに対して垂直方向に土砂が流れるとでも思っているのか?w

それに自然だろうが人工だろうが堤防自体の決壊もあるだろう
根こそぎでなくともその上部がなくなればそこから溢れる。

で最後にご丁寧に

>唐古・鍵の遺跡が水没し土砂が流れ込んだという水害の記録があれば私とて納得するにやぶさかではない。

つうか普通納得せざるを得ないわなw
だから最初に

>異なる地域の例を適用することはできない。
>その点については同意できるだろうな。

・・・と振っている訳だな。見え見栄だなこの姑息な縄文人とか言うおっさんはw


476日本@名無史さん:2010/10/25(月) 01:03:07
>>472

> 唐古・鍵の環濠の埋没については現地に即して議論する必要がある。河川の氾濫にしても地形の異なる地域の例を適用する
> ことはできない。その点については同意できるだろうな。

> 唐古・鍵遺跡が水没するための条件として私は水面の標高が45m程度の湖の存在が必要だと主張している。
> 唐古・鍵の環濠が河川の氾濫で埋没したとするならば、その川は唐古・鍵の中か側に流れる天井川しか考えられないが、その
> 天井川の形跡はないし、そもそも危険な天井川の傍に住居を構えるほど弥生人は愚かではあるまい。

ここがおかしい。
遺跡全体の水没と環濠の埋没では、条件が異なる。
まず、微高地上に有る遺跡全体を水没させ、土砂を堆積させるには「天井川が必要」と言う理屈も成り立たないが、
もともとの話は、遺跡の埋没では無く、接続河川と同水位である「環濠の埋没」なのだろう。
論証だか何だか知らんが、環濠から遺跡全体へと話が途中ですり替わってるじゃないか。
477日本@名無史さん:2010/10/25(月) 01:35:30
>>474

「湖岸自然堤防により形成された平地」と言うのは
要するに「巨大盆地湖の縮退の痕跡」とでも理解すればいいのかな?

でもその湖岸自然堤防を形成した土壌ってのは元々湖底のものだよな?

まあそれが陸地に打ち上げられてあらたな地層になるのかどうかは知らないが
それが元々同じ土壌だったと証明されているものなのか?
先に問うた有機物の痕跡とか・・・

と言うかこの件に関した何かのプロらしい縄文人と言う奴と違って
コチトラ素人で良く分からないんだがこれって「地質学」とか言う分野で
一般に認知されたお話なのかい?いや歴史学者が知っていようがいまいが関係なく・・・w
478日本@名無史さん:2010/10/25(月) 03:13:04
>>474
>奈良盆地平野部で河川自然堤防が形成可能な河川は、初瀬川だけでしょう。
>他の河川では、平均流量が少ないのと、増水時に運ばれてくる土砂量が少なすぎるので、
>河川自然堤防ができる可能性は殆どありません。

提示されてるURLの図を見てみると奈良盆地内の微高地は
初瀬川のほかにも葛城川,曽我川,飛鳥川,布留川,菩提仙川,岩井川などの
各河川の流路に沿って発達しているようだが
これは各河川によって形成された自然堤防ではないのか?
※各河川が自然堤防を形成できるかどうかが問題なので
 形成年代は問題ではない 念のため

あるいは湖岸自然堤防があなたの説明通りの形成プロセスをたどるなら
それらは汀に沿って=等高線に沿って分布しなければならないはずだが
そうはなっていないようなのはなぜなのか?

説明を願いたい
479縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/25(月) 18:11:14
深夜にレスされても(こちらは忙しい身であるから)翌日の夕方にしか見ることが出来ん。キミらは昼間は寝ているのか?

>>475
君は上から目線でものを言いたいという相当強い願望を持っているようだが、それにしも偉ぶっているわりには書いていることが要領を得ないな。
特に前半の部分は何が言いたいのかわからん。よく考えてから書き直せ(と言っても君の頭では無理かな?)。

例えば次の文は意味不明だ。
>先ず天井川でなくとも川の水位が上昇して水位差がなくなれば排水の機能を失う。

「水位差がなくなれば」というのはどことどこの水位差なのだ?私が言うように湖が存在すれば湖水面と環濠の高度差が小さいから
盆地に大雨が降ることによって、あるいは盆地出口の大和川に落石などによる閉塞が起ることによって、環濠の水没が起りやすいのだが。

>>唐古・鍵の遺跡が水没し土砂が流れ込んだという水害の記録があれば私とて納得するにやぶさかではない。
>つうか普通納得せざるを得ないわなw

だから、そういう記録があれば出してみろと言っているのだ。ただし、弥生期のものではないぞ。近年の水害時に唐古・鍵が水没したことがあった
かと聞いているのだ。

>>476
君は環濠が直接河川に接続していると考えているのか。つまり、環濠の水位と河川の水位は等しいと言うわけだ。
それは何を意味するか考えたのかな?唐古・鍵の遺跡は周囲より小高い位置にある。その遺跡の環濠と水位が等しい川という
ことは天井川だろ。実際問題として唐古・鍵にそんな川があったのか?
480日本@名無史さん:2010/10/25(月) 18:30:11
>>479  蝿
>君は上から目線でものを言いたいという相当強い願望を持っているようだが

お前に言われるとは笑ってしまうなwww

様々な分野の学問に精通したとかほざいていたが
その知識知性の片鱗すら感じさせないw

相手を素人と呼ぶのが好きなようだが一体何のプロやらwww
(まあこっちは素人で良いんだがw)

匿名の掲示板で学者然として振舞いたい願望が見え見えw

まあ水位差(水頭差)と言うのは現実の水害を自分で調べてみろ。
河川からの益水のみが水害じゃないってことだなw





481日本@名無史さん:2010/10/25(月) 18:42:31
で、問題は「河川自然堤防」とやらで、そもそもそれによって形成された地層が
奈良盆地に広範にありそれが

>できだしたのは縄文中期から後期。
>奈良湖が干上がって消失したのは弥生後期3世紀(崇神6年)。
>最後の奈良湖の痕跡は広瀬神社境内の池(標高43m)。

なんて事が地質学の分野で常識として通用しているのなら
そもそもこの 縄文人 とか言うおっさんが必死にこんなところで盆地湖ネタを叫はずとも
もう常識になっているだろうにwwww

>>407によればこの話が理解できない人間は『無知蒙昧』で
それは歴史学者も含まれるのだろうが
その歴史学者が認めないことによって一般的にも知られていないということなのか?

あるいは歴史学者が理解できないのではなく何らかの理由目的をもって認めないとか?
>>440であげた纏向スレの書き込みに出てくる「皇国史観一点張りの連中」とか?

何れにせよ狂人サイキバがわめき散らすような「陰謀論」だなwwwww



482縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/25(月) 18:42:41
>>480
>河川からの益水のみが水害じゃないってことだなw

また訳の分からん言葉を使う。益水とは何だ?
483日本@名無史さん:2010/10/25(月) 18:46:05
>>482
すまんミスった「溢水な」w
484縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/25(月) 18:52:45
>>483
まあ、そうだろうと思っていたよ。「河川からの溢水でなく湖の増水によって環濠が水没した」ということでよかろう。
485481:2010/10/25(月) 18:52:55
スマン間違った
>>481は「河川自然堤防」のことじゃなくて「湖岸自然堤防」の事な。





486日本@名無史さん:2010/10/25(月) 19:02:27
>>484 蝿

だから根拠が無い。

で河川の氾濫大雨被害による水害による埋没を否定する認めない事で
自説を強弁しているのが今の状況だろうがwww

そもそも盆地全体の水没を環濠集落の環濠の埋没で示そうなんてのが無理筋。
普通ならもっと客観的な根拠をあげて更に具体的な事例としてあげるような話だろうw

じゃあ日本各地の盆地にある環濠集落の環濠が埋没したならそれはそこに湖があって・・・と言う話なのかとw
何れにせよまともな大人が言うようなお話じゃない。
匿名の掲示板だからいえるようなネタでしかないwwww

487日本@名無史さん:2010/10/25(月) 19:14:36
まだやってんのかよw
早いこと決着つけて、話を九州チャンピョンに戻そうぜよ
488日本@名無史さん:2010/10/25(月) 19:20:59
>>486
>じゃあ日本各地の盆地にある環濠集落の環濠が埋没したならそれはそこに湖があって・・・と言う話なのかとw

そらそうだわなw
それと盆地以外にある環濠集落の環濠だって埋没しとるぜよ、吉野ヶ里とかいっぱいあるぜよ
489日本@名無史さん:2010/10/25(月) 19:23:25
この「巨大盆地湖ネタ」がゴミクズ九州説−特に東遷厨な連中−に根強い人気があるのは・・・

畿内説を、それこそ「物理的に無理」 として潰せるからなんだろうwww

まあ暗号解読ゴッコも直ぐに打ち止め頭打ちになるからw
こうやって自説の証明と言う方向じゃなくてなんとか畿内説(と言うか邪馬台国論争も関係ないようなところまで)を否定するネタを
必死に編み出そうとしているのがここのゴミクズな九州説のみなさんで、本当にゴクロウサンですwwwwww

>>487
はっきり言って九州説の人間には需要がなさそう
…と言うより「余計なお世話」とか、むしろスレの存在自体が目障りなんじゃないか?w
実質的前スレの「九州説を救え」で畿内説同士による九州説の構築は
見てても結構面白かったがwww
490縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/25(月) 21:58:42
>>486
>じゃあ日本各地の盆地にある環濠集落の環濠が埋没したならそれはそこに湖があって・・・と言う話なのかとw

またまた短絡した考えを!盆地にある環濠集落の全てが同じ環境下にあるものではないだろが。環濠埋没の事情も同じ
ではないだろ。唐古・鍵の環濠は水害によって埋没したとされている。その水害はどういうものであったかを考察すれば、
湖水の増水によるものというのが最も道理に適うということだ。
491日本@名無史さん:2010/10/25(月) 22:02:23
>畿内説を、それこそ「物理的に無理」 として潰せるからなんだろうwww

だから畿内説派は必死になって潰しにかかるのだ。
492日本@名無史さん:2010/10/25(月) 22:23:31
>>490 蝿
で、結局何が言いたいんだ?w
唐古鍵における特殊事情って何なんだよ?具体的に教えてくれwwwww

「他の環濠集落における埋没例を出されたらその原因を峻別する根拠が出せない!」
と思ったお前は前もって

>>472
>唐古・鍵の環濠の埋没については現地に即して議論する必要がある。
>河川の氾濫にしても地形の異なる地域の例を適用することはできない。
>その点については同意できるだろうな。

と保険をかけたつもりだった・・・って程度のお話なんだろう?(ゲラ

>>491
まあ地質学とかの分野から
それが当たり前だと言う声でも聞えてくれば少なくとも俺はあきらめるが?w
こんなお話リアルのアカデミズムの場で論争の種になっているのかとw

「2ちゃんで与太が叩かれている」事を「畿内説の急所を突いた!」が如きお話に脳内変換は止めような?wwwww
493日本@名無史さん:2010/10/25(月) 22:35:23
まあ、河内湖の消長は詳細に調べられて地質学の論文にも事実として書かれている。
その古奈良湖が本当に弥生時代にまであったというなら、怪しげなブログなどではなく、
なぜ地質学や地理学の論文に出てこないのか、ということだな。
494日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:04:15
古奈良湖でググッたら、結構出てきた。
地質専門じゃないから、論評できる知識はないが
読んでみれば?
495日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:07:59
>>494
いや、だから、

問題はそれが弥生後期まであったってお話ね。

496日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:09:29
>>494
それは100万年前レベルで存在してた古奈良湖の話だろう。それは学会で承認された
事実だけど、縄文・弥生時代にもあったという話は論文レベルでは皆無だよ。
497日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:13:07
九州説チャンピオンと古奈良湖は何か関係あるのか?
498日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:13:37
まあ「恐竜がいた」と言うお話と
「恐竜が現代にもいる」と言うお話は別物ですからw
499縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/25(月) 23:17:34
>>492
>唐古鍵における特殊事情って何なんだよ?具体的に教えてくれwwwww

何回も説明しただろが。
唐古・鍵の集落遺跡は奈良盆地のほぼ中央に位置し(これは極めて傾斜の小さいなだらかな平野部にあり、その近辺を流れる川
の流れはゆったりしているということ)、小高い丘となっている。この地形だと河川が急流となって集落を襲うことは考え難い。
もし、河川の氾濫で集落を囲む環濠に土砂が流入するとすれば、集落の傍に天井川が存在しその堤防が決壊したことによるものと
しか考えられない、

だが、そのような天井川の形跡はないし、そもそも危険な天井川の傍に集落を築くほど弥生人は愚かではない筈だ。
さらに、湖のない近、現代において唐古・鍵の遺跡の場所が水没したという記録もない。湖ができないほどに盆地出口の大和川が
閉塞していなければ唐古・鍵の遺跡の場所は水没し難いことを示している。

とすれば、唐古・鍵の環濠が埋没した時期には湖が存在していて、大和川の落石による閉塞や大雨による湖水位の上昇により水没
したと考えられる ということだ。
500日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:25:25
>>493
>なぜ地質学や地理学の論文に出てこないのか、ということだな。

地質学者がまだ調べてないか、気がついていないか、分かっていても発表を控えているか・・・
501日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:26:39
>分かっていても発表を控えているか・・・

出たな、陰謀説。wwwwww
502日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:27:24
ググッたのをざっとつまみ食いしてると、
事実なのか、勘違いしてるのかわからないけど
弥生時代まで古奈良湖があったという前提で書いている
古代史論がかなりあるね。
503日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:31:28
>>502
それは縄文人と同レベルの人が作った怪しいホームページだろう。ちゃんと図書館行かなきゃ。
504日本@名無史さん:2010/10/25(月) 23:41:27
>>499
べつに冠水が無くても、地面に溝を掘っただけで護岸を固めたりせずただ放っておれば、いずれは土砂で溝は埋まると思う。
505日本@名無史さん:2010/10/26(火) 00:08:06
>>479

> 君は環濠が直接河川に接続していると考えているのか。つまり、環濠の水位と河川の水位は等しいと言うわけだ。

普通の環濠はそうだよ。
河川に接続していないと「濠」を維持できない。
接続が無ければ「濠」じゃなくて、水の無い「壕」だろう。

> それは何を意味するか考えたのかな?唐古・鍵の遺跡は周囲より小高い位置にある。

貴方は人間の居住面と環濠の水面が同じだと思ってるのかな?
どこぞの水上生活者じゃあるまいし、農耕民はそんなところに家は建てない。

> その遺跡の環濠と水位が等しい川ということは天井川だろ。
> 実際問題として唐古・鍵にそんな川があったのか?

天井川、天井川と念仏のように呟いてれば、まともな反論をしなくて好いと思ってるのか?
唐古からは、環濠に接続する旧河道も発掘されてるが、居住地の標高は旧河道、環濠水面より若干高い。
そして、水害痕は居住地にも及んではいるが、「埋没」しているのは「環濠」の方だよ。
貴方の「天井川理論」は、「環濠の埋没」を「居住面全ての埋没」と脳内変換しないと成立しません。
506日本@名無史さん:2010/10/26(火) 00:26:55
まっ、奈良湖と言えば縄文人、縄文人と言えば奈良湖だからな
いまさら引けないだろうなW
507474,437,407:2010/10/26(火) 01:43:49
>>478
>初瀬川のほかにも葛城川,曽我川,飛鳥川,布留川,菩提仙川,岩井川などの
>各河川の流路に沿って発達しているようだが
>これは各河川によって形成された自然堤防ではないのか?

盆地南部の標高70m以上の地域については、河川自然堤防です。
これらの地域は縄文末までに陸化し、その時期から河川自然堤防が形成されたものと考えられます。

>あるいは湖岸自然堤防があなたの説明通りの形成プロセスをたどるなら
>それらは汀に沿って=等高線に沿って分布しなければならないはずだが
>そうはなっていないようなのはなぜなのか?

湖岸自然堤防といえども、湖岸自然堤防が形成可能な地形と砂を供給する河川が必要です。
この場合には一時的なスポット形成になるので、長細い自然堤防状にはなりません。

各河川の流路に沿って細長く発達している自然堤防は、
河川の河口で形成された湖岸自然堤防が、奈良湖の後退縮小と共に発達し続けたものもあります。
この場合河川の流路があまり変動しない地域でなければなりません。
大和高田市と橿原市付近の河川は平行して流れているので、
流路の変動はそれほどなかったと見做せます。(川がそれほど蛇行しなかった)
これは各河川沿いの細長い自然堤防が平行していることからも言えます。
508日本@名無史さん:2010/10/26(火) 02:38:34
>>507
>大和高田市と橿原市付近の河川は平行して流れているので、
>流路の変動はそれほどなかったと見做せます。(川がそれほど蛇行しなかった)
>これは各河川沿いの細長い自然堤防が平行していることからも言えます。

え〜と,流路については現在のものを見ていってるのかな?
もしそうならば見立て違いだよ
奈良盆地の河川の流路は古代以降の条里制によって付け替えられているからね
それから,現状で確認できる河川沿いに発達した自然堤防は16世紀にできたものだよ
509474,437,407:2010/10/26(火) 11:49:27
>>508
仮定の話です。
各河川沿いの細長い自然堤防が湖岸自然堤防とするならばの話です。
16世紀の河川自然堤防なら、土質も湖岸自然堤防と異なり、砂利混じりの大粒の砂だったのでしょう。
湖岸自然堤防なら、土質もきれいな小粒の砂でなければなりません。

初瀬川と寺川沿いの発達した自然堤防は河川起因によるものですが、
(桜井市と田原本町の寺川は初瀬川の分流であるので、歴史的には初瀬川水系の一部と見做せる。)
高田川、葛城川、曽我川沿いの、各々の自然堤防の形成原因を特定するには、
其々の土質を調べなければなりません。


平城京跡は自然堤防の空白地域となっていますが、
平城京跡の自然堤防は、平城京建設の時に古墳もろとも平坦に整地されたようです。
しかし、元湖岸堤防があったと思われる場所ではきれいな均質な砂が発見されます。
510縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 18:26:06
今日は冷えますな。皆さん、風邪にご用心下さい。

>>505
>普通の環濠はそうだよ。
>河川に接続していないと「濠」を維持できない。

普通の環濠集落の話ではなく、唐古・鍵の環濠集落の話なのだが。

まあ、環濠に水をはるために導水路を設けるよね。だが、その導水路は大量の土砂を運べるような川ではいけない。その導水路が川に接続している場合、
その川が氾濫したとき大量の水や土砂が流入して来ては困るからだ。導水路は溝みたいなもので、一定容量以上の水は流れない。古代人と言えども(むし
ろ自然の怖さをより知っていた古代人だからこそと言うべきか)水害を防止する工夫をしていた筈だ。

>貴方は人間の居住面と環濠の水面が同じだと思ってるのかな?

(当然のことだが)人間の居住面と環濠の水面が同じだとは思っていないよ。環濠の縁部は盛り土で少し高くなっている部分もあるだろうが、環濠の水位
は居住面より低く設計するだろう。だが、環濠の縁部が居住面より2mも3mも低いということはない。僅かに低いというだけだ。(続く)
511縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 18:30:47
510の続き
>>505 
>貴方の「天井川理論」は、「環濠の埋没」を「居住面全ての埋没」と脳内変換しないと成立しません。

天井川というのは周辺平地より川床の高い川のことである。唐古・鍵の遺跡は小高い丘にある(周辺の低地より高いところにある)。
その唐古・鍵の環濠も周辺の低地より高いところにあるから、その環濠の水位と同じ水位の川であれば天井川と呼べるわけである。
ここで誤解しないでほしい。私はそのような天井川は唐古・鍵には存在しなかった筈だと言っているのだ。

なお、埋没した環濠は弥生後期に再掘削が行われ集落が再建されたとされている。環濠の埋没が起きた時期集落も水没してかなりの
期間放棄されたのだろう。

>唐古からは、環濠に接続する旧河道も発掘されてるが、

それは本当に川だったのか?環濠に土砂が流入するのを防ぐために導水路の途中に設けられた沈殿池ではないのか?
512日本@名無史さん:2010/10/26(火) 18:55:22
…ったく馬鹿馬鹿しい、そもそも環濠自体の機能の一つに水害対策・排水が挙げられていて
その時点で「天井側がなけりゃ水害も無い」なんていっている時点で、どんだけアホを晒しているんだって話でw

・近くに天井側が無い
・比較的なだらかな平地

…なんて唐古鍵の特殊事情でもなんでもない。

じゃあ九州の吉野ヶ里はどうなんだ?
古代どころか昭和二十年代に大雨洪水被害で甕棺が露出したんじゃなかったっけ?
低湿地・微高地にあった環濠集落で水害にあわなかった方が珍しいじゃないのか?

自分がどれだけ馬鹿な事を言ったかは流石に気がついたが
今更後に退けず幼稚な強弁しているだけのお話だなwww
513日本@名無史さん:2010/10/26(火) 19:12:04
それよりこの「湖岸堤防」なるお話がサッパリ分らないのは俺だけか?w

そもそも湖表面にたつ「さざ波」程度で湖底に沈殿した土砂を攪拌する事もできないだろうに…
河川の自然堤防とは全く別のお話だと思うが…

湖に注ぎ込む川からの土砂が堆積するに多少の影響を受けて何処かの方向に偏り
湖の縮小でそれが確認できるって程度のお話なのか?

形成のプロセスがサッパリ見えてこない。
誰か親切さんがいたなら分りやすく教えて頂けないだろうか?w

そもそも「湖岸堤防」なんて(他の適当な語句もつけたりして)検索しても
出てくるのは人工のものばかりだが…

まあ何でもかんでも検索すりゃ出てくると言うものでもないが
河川による自然堤防なら幾らでも出てくるのに・・・と言うのが疑問だなw

ちなみに”湖表面にたつ「さざ波」”ってお話なら連想するのは堤防と言うよりむしろ「浸食」だなw
全国多くの古墳が周濠を利用した「ため池」に接していてそこで浸食が起こり遺跡の保守で関係者の頭を悩ましているとか
箸墓も数メートルは削られているらしいw





514日本@名無史さん:2010/10/26(火) 20:29:47
九州ちゃんぴょん、どうなったんだ?
515日本@名無史さん:2010/10/26(火) 20:42:15
>>510

>>普通の環濠はそうだよ。
>>河川に接続していないと「濠」を維持できない。

>普通の環濠集落の話ではなく、唐古・鍵の環濠集落の話なのだが。

唐古は「普通」の環濠集落じゃないとでも言いたいのですか?

>まあ、環濠に水をはるために導水路を設けるよね。

>唐古・鍵の遺跡は小高い丘にある(周辺の低地より高いところにある)。
>その唐古・鍵の環濠も周辺の低地より高いところにあるから、その環濠の水位と同じ水位の川であれば天井川と呼べるわけである。

今度は「微高地」を「小高い丘」と脳内変換しましたねw
丘と呼べないような高低差だから微高地なんですけどね。
で、「小高い丘」の上に造られた唐古の水濠に付近の河川からどうやって導水するんですか?
516日本@名無史さん:2010/10/26(火) 20:55:41
唐古・鍵遺跡の当時の河川・水濠などが書き込まれた図面だ。
遺跡想定域のほとんどは、未発掘なので一部「推定」部分もあるかと思うが、
一番外の周濠は、自然河川に接するように描かれているね。
なんと、集落内にも旧河道のような表記まであるが。

http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=200703/12/31/a0016431_18474894.jpg
517日本@名無史さん:2010/10/26(火) 21:11:08
>>516
分りやすいな。
こんなもん近くの寺川の氾濫でなくとも大雨でそこの水位が上がっただけで
排水能力が著しく低下かなり危険な状態になったと思うがw

ちなみに直リンからは上手く飛べないみたいでURLをコピペしたらいけるようだ。
518縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 21:33:14
>>515
>今度は「微高地」を「小高い丘」と脳内変換しましたねw
>丘と呼べないような高低差だから微高地なんですけどね。
>で、「小高い丘」の上に造られた唐古の水濠に付近の河川からどうやって導水するんですか?

「微高地」と「小高い丘」の表現の違いに文句を付けてきたか。あの程度の高低差では丘とは呼べないというのだろうが、
「小高い」という形容詞をつけても駄目か?

唐古・鍵の環濠の水は内部(集落)に降った雨を貯めたものかも知れんよ。私はあの近辺に天井川はなかったという見解だから、
河川から導水したとは考えていない。

519517:2010/10/26(火) 21:33:16
すまん、今もう一度やったら専ブラからでも普通に飛べた。
520日本@名無史さん:2010/10/26(火) 21:39:11
>>518
>私はあの近辺に天井川はなかったという見解だから、河川から導水したとは考えていない。

別に少し上流からとればいいだけやんけwww

近くに天井川がなければ導水を諦めなければならないのか?
もうここまで来ると中学小学生通り越して幼稚園児なみだなwww



521縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 21:57:46
>>517
当時湖がなくて、盆地出口の大和川の川床の標高は40mであったとしよう。標高48mまで増水するにはどれだけの
雨が降ればよいと思うのだ?
522縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 22:01:00
>>520
>別に少し上流からとればいいだけやんけwww

ホウ。で、その上流とは何処なのだ?
523縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 22:09:26
>>520
522で書くのを忘れていた。

河川から導水しなくても集落に降った雨水で十分だったのではないか。現在の唐古池も河川から導水しているようには
見えんが。
524縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 22:21:42
>>512
>…ったく馬鹿馬鹿しい、そもそも環濠自体の機能の一つに水害対策・排水が挙げられていて

すまん。見逃していた。
環濠がどうして水害対策になるのだ?それも川に接続していたらかえって危ないだろが。
525日本@名無史さん:2010/10/26(火) 22:35:56
横からですが、吉野ケ里の環濠も
どうやっても導水できない場所にあります。

竪穴式住居の場合、雨が降って地下水面が上がると
水が染み出てくる筈です。

環濠はその地下水面を下げ、速やかに排水するためのものと
思っています。
526縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/26(火) 22:45:06
>>525
そうですね。排水の機能なら納得できますね。

521〜524へのレスを待っていたのだが、もう今夜は寝ないといかん。明日は朝5時に出かけねばならんので。では。
527日本@名無史さん:2010/10/26(火) 23:06:29
>明日は朝5時に出かけねばならんので。

縄文人は何処へ行く……
528日本@名無史さん:2010/10/26(火) 23:06:56
環濠は排水機能が目的だとすれば、
普段は水がなくても良いのではないでしょうか。
529日本@名無史さん:2010/10/26(火) 23:12:04
>>526

あまりの惨さに、みんなアホらしくなって、かまう気も無くなったみたいだよ。
530第三者:2010/10/27(水) 12:21:32
>>529
これまでのやり取りを見ると縄文人の勝ちだと思うけどな。WWWらが521〜524に答えることができないということは
致命的ではないか。
531ローガン:2010/10/27(水) 16:09:33
上から ざっと読んでみました。
>464:縄文人 ◆cM49xEAzX6 2010/10/24(日) 21:46:59 AA
461
>>物証=長らく湖底にあった事を示す地層サンプル等 を出せばイッパツでケリがつく話じゃないのかよwww

>あのな。奈良湖は琵琶湖などのような湖ではないのだ。水深は最大でも7m程度の浅いものだ。そしてその存在期間は数千年だ。

まあ、「奈良湖」など全く存在しなかったと云う人は居ないでしょう。普通に考えれば、弥生海退により、水が引け 湿地でを農耕をはじめたという事。
唐古・鍵遺跡が水深7mもある湖の 湖畔集落だったなら、貝塚とかありそうだけど(笑)。
532日本@名無史さん:2010/10/27(水) 17:23:42
>>530 第三者
立場が第三者であってもジャッジを下すには知能が足りんな、縄文人なみに。

大和川に注ぐ各河川、さらにそこに注ぎ込む無数の河川において流量のキャパを超えれば
そこで局所的な氾濫なんか起こりうる。

コイツの理屈なら盆地出口が塞がらなければ盆地の何処にも水害なんか発生しない。
水害とは盆地の出口が塞がりそこを起点として水位が上昇するパターンのみ。
時間当たり100mmだろうが200mmだろうがドンと来い。
川が無限のキャパで幾らでも下流に流してくれるw

まあ逆に言えば奈良盆地の何処かで水害が発生したら
それより低い土地は既に水没した後と言うお話、気は確かか?ってレベル。

こいつの言う事が正しければ
弥生人は近くに天井川がなければ水害なんて心配しなくて良かったらしいw
現代の日本ですら平野部で浸水被害があるが
あれは川の出口部分が塞がった結果と言う事になる。

以前にも何処かで言ったが、こう言った基地外の与太レベルのお話は
否定するよりむしろ肯定した場合を考えればその荒唐無稽さが良く分かるwww
533日本@名無史さん:2010/10/27(水) 17:42:26
そもそもこのお話のおかしいのは「環濠の掘削」がいつの間にか集落全体の埋没に変わっているところだなwww

よろしい。

じゃあ、集落全体が湖底に沈み堆積物に埋もれたとしよう。
果たして、それを示す調査結果があるのか?

集落全体が湖底であったと思われる地層に覆われていると言うものがだ。

別に唐古鍵でなくとも良い、もっと小さな集落(寺沢の「王権誕生」に盆地の集落として図示されたような)でも良い。
単純に標高の問題だ、唐古鍵限定なんて事は言わないぞwwww

兎にも角にも集落が湖底にあったと言う根拠を出せと言う話だなw





534日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:01:33
丸一日かかって、一生懸命考えた結果がこの程度か。
535日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:27:33
>>534
で、何か具体的に突っ込む事はないんかアホ。
536日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:36:50
しかし縄文人もたいしたもんだ。畿内説の連中が血眼になってレスしている。スーパースターと言っていいな。
唐古・鍵の環濠埋没については現地の地理に則って議論すべきだという縄文人の主張は正しい。WWWらは現地の
状況を知らないでレスしてるのではないか?
537日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:41:01
>>535
こんなつまらんネタで、なにかつっこまんといかんのか?
538日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:48:52
>>536
ん?じゃあお前や縄文人は当時の地形
それこそ小さな溝、数十センチ単位の高低差に至るまで完全再現できるのか?w

結局、そんな巨大湖の存在を示す証拠は何も出せない。

だから

「河川の氾濫、大雨被害により環濠の埋没下と言う事を証明しろ。
 それができなければ湖面上昇による埋没を認めろ」

と話を摩り替えているんだよなw

で、当時の地形の完全再現を要するところまで話を持っていく
…と言うのが今の流れだよw

539岡目の乙女:2010/10/27(水) 18:49:00
>>532
>大和川に注ぐ各河川、さらにそこに注ぎ込む無数の河川において流量のキャパを超えれば
>そこで局所的な氾濫なんか起こりうる。

だったら、近、現代において唐古・鍵が水没したということを示したらどうなの?近年では豪雨もたびたび
起っているだろうから、調べたらわかるんじゃないの?それとも弥生時代と現代では河川の位置も地形も比
較できないほど変わっているから意味がないとでも言うの?そんなに変化しているんであれば湖底の地層な
んて無くなっているんじゃないの?
540日本@名無史さん:2010/10/27(水) 18:50:45
微妙に「悪魔の証明」を要求しているような気がする。
541日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:01:18
平塚川添遺跡のばあい(コピペ)


環濠から採取された珪藻化石の完形殻の出現率が40%と低く、異地性珪藻化石を多くと考えられる。
また、環濠堆積物上層は、沼沢湿地付着生種群が優勢し、陸生珪藻を比較的多く伴うこと、止水性の
珪藻化石も産出する。これらのことから、弥生時代終末の環濠は、 定常的に水没していたとは考えにくく、
しばしば干上がり乾燥することもあるような状態であり、周囲の土壌が混入して埋積した可能性が有る。
542日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:02:22
>>539
唐古鍵と言うピンポイントでは少なくとも俺は知らんが…

奈良県のHP
http://www.pref.nara.jp/dd_aspx_menuid-14602.htm から

「浸水常襲地域における減災対策緊急プログラム」をDLして見てみろ

近年でさえ大和郡山市や他が浸水被害にあっている。

ゴミクズ九州説に人気の縄文人与太理論ならそもそもこんな浸水被害起こりようが無い
近くに天井川がなければwww

じゃあ、どうしてこのような被害が発生するのか>>539岡目の乙女 のお前が説明してくれ。

でこうやって盆地の各地での事例を出されると不味いから「唐古鍵ピンポイント」に絞っているわけだw

そう>>540の言うように一種の悪魔の証明で誤魔化そうとしているわけだなwwww
543日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:12:57
もともと平地なんて、水域が土砂で埋まって出来るものだからねえ。
灌漑技術でも、水を引くよりは、水を抜く方の技術の方が
先に出来たのかも知れないね。

奈良にしろ京都にしろ、盆地は何もしなければ、広大な湿地が
かなり残っていただろうから。
544日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:24:57
縄文人はまた多コテを使って自画自賛か? 相変わらず薄汚い手法だ。
545日本@名無史さん:2010/10/27(水) 19:44:01
縄文人やそれに賛意を示している連中に是非教えて欲しいんだが・・・

近くに天井川が無い平野部でも浸水被害なんて頻繁に日本の何処かで起きているわけだが

これってどう言う理由からなんだ?

全て川の下流出口が塞がった事による物なのか?



546日本@名無史さん:2010/10/27(水) 20:02:35
突然の繁栄と衰退は、唐突に出現した開拓容易で 肥沃な土壌
(しかし高い生産性は長くは続かない)によって説明できるのでは。

どうしても邪馬台国に固執したいのなら、自然のものにせよ、人工的なものにせよ、
都合のいい水抜きの年代を想定すればいいんじゃね。
547日本@名無史さん:2010/10/27(水) 20:14:45
>>546
言っている事が意味不明。

例えばある時期から、ある標高以下に突如田畑の跡や住居跡が出現しているのなら
それはその土地が

>唐突に出現した開拓容易で 肥沃な土壌

と言う推測もあるいはできるかもしれないがそんなものは無い。

548岡目の乙女:2010/10/27(水) 22:32:58
>>542
>ゴミクズ九州説に人気の縄文人与太理論ならそもそもこんな浸水被害起こりようが無い
>近くに天井川がなければwww

縄文人は「奈良盆地出口の大和川の排水容量が十分でなかったために湖が出来ていたから、つまり、標高45mくらいまで水位が
上がっていたから、唐古・鍵集落の水没が起きた」と言っているんでしょ。天井川は関係ないでしょ。
あ、そうか、湖が無かったら天井川が集落のそばを通ってでもいなければ環濠の埋没は考えられないと言ってましたね。

でも、縄文人はそのような天井川はなかった筈だと言ってますよ。
ひつような水位の上昇が僅かで(2m程度かな)済んだ」と言っているんでしょ。私も天井川があったらそのそばには住みたく
ありませんね。古代人だってそうでしょう。

奈良だって浸水被害はありますよ。河川も排出容量以上の水が流れ込めば溢れますよ。だけど、問題は唐古・鍵の遺跡の場所が
水没するかどうかでしょ。田原本町だって川のそばの低地部では浸水被害が出るでしょうが、唐古・鍵のあの場所が水没したこと
がありますか?
549日本@名無史さん:2010/10/27(水) 22:40:50
>>531
>まあ、「奈良湖」など全く存在しなかったと云う人は居ないでしょう。普通に考えれば、弥生海退により、水が引け 湿地でを農耕をはじめたという事。

奈良湖の消失に海退は関係ないよ。奈良盆地出口の大和川の川底は現在の海面より40m高いからね。
550岡目の乙女:2010/10/27(水) 22:44:16
548の7行め
「ひつような水位の上昇が僅かで(2m程度かな)済んだ」と言っているんでしょ。」は削除します。
551日本@名無史さん:2010/10/27(水) 22:49:54
奈良から中国に使者を送れる国が奈良で滅んだわけ??
552日本@名無史さん:2010/10/27(水) 22:53:49
>>548 岡目の乙女

なんと言うか、もう少し考えを整理して書けないかな?w

>奈良だって浸水被害はありますよ。河川も排出容量以上の水が流れ込めば溢れますよ。

ここまで分っていてなんで唐古鍵の事例だけ特別視するんだ?

天井川のない平地の何処ででも水害の起こることは認めざるをえない。

だから唐古鍵だけを特別枠に押し込めて
「過去にその事例が無い限り認めない」と強弁しているだけ、馬鹿馬鹿しいw






553日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:11:00
そもそもこの話

地層に見る湖底の痕跡等、本来なら掲げるべき直接的な証拠を挙げる事が出来ないから

「湖面上昇以外で水没する事はありえない」と言うトンデモから始まっている話。

普通に河川の氾濫、大雨被害でそれが起こりうると認めた時点でアウトってお話。

・・・で最後の抵抗として

「じゃあ過去に唐古鍵が水没した事例を示せ」

と言っているに過ぎない。

ったくみっともない連中だwwwwwwwwww
554岡目の乙女:2010/10/27(水) 23:14:38
>>552
>だから唐古鍵だけを特別枠に押し込めて

だって唐古・鍵の環濠の埋没の話でしょ。唐古・鍵の現場を離れて議論できるのですか?あなたは一般論をしたいのですか?
唐古・鍵は微高地に過ぎませんが簡単には水没しないでしょう。現代では大和川の流域に住宅も増え、舗装部も多くなって保水
能が落ちて、降った雨が短時間に河川に集中する度合いは古代よりはるかに高くなっているはずです。まあ、河川の整備も進ん
でいるので一概には言えないでしょうが、近年の集中豪雨でも唐古・鍵が水没して土砂に埋まったというような話は聞いたこと
がありません。あなたありますか?
555日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:20:58
>「じゃあ過去に唐古鍵が水没した事例を示せ」 と言っているに過ぎない。

いや、重要なことだろう。
過去(と言っても湖消失後)に水没したことがないということは、湖の存在が無ければ水没は起り難いということだろう。

556日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:21:52
>>554 岡目の乙女

そこまで言うなら現在再現されている楼閣は
池のほとりと言うか中に建ってるじゃねかw


その上流部でも下流部でも大雨氾濫被害があって
でも唐古鍵だけは湖面上昇で沈んだ以外考えられませんってどんな理屈だよアホwwwww
557日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:23:49
>>555
じゃあ盆地の他の水没している地域はどうなるんだ?

唐古鍵だけをピンポイントで別枠にして考えられる合理的理由を教えてくれ。

558岡目の乙女:2010/10/27(水) 23:28:03
>>556

再現されている楼閣?なに馬鹿なこと言ってるの。

>その上流部でも下流部でも大雨氾濫被害があって

そこは低地部でしょうが。
559日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:40:29
>>558
>そこは低地部でしょうが。

桜井市でも天理市でも被害ありますが?

560日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:45:46
まだやってんのかW
561日本@名無史さん:2010/10/27(水) 23:49:03
平地部なら水没しても数十センチのオーダーだと思うのですが。
あと、水が流れる方向や集まる場所があるので、
ピンポイントなら地形を考慮する必要があるのではないかと。
562日本@名無史さん:2010/10/28(木) 00:05:52
一応断っておくが

>>469
>大雨、河川の氾濫による唐古鍵の「 水 没 」の可能性を認めるのか否か?
>どっちなんだ?とりあえずそれに答えろ。

>>469
>唐古・鍵遺跡が水没するための条件として私は水面の標高が45m程度の湖の存在が必要だと主張している。
>唐古・鍵の環濠が河川の氾濫で埋没したとするならば、その川は唐古・鍵の中か側に流れる天井川しか考えられないが、その
>天井川の形跡はないし、そもそも危険な天井川の傍に住居を構えるほど弥生人は愚かではあるまい。

と言質をとってあるからなw

この岡目とか言う奴みたいに(天井川でなくても)通常の河川氾濫の可能性を認めた時点で
縄文人の基地外理論は崩壊するって話なw

「湖面上昇以外に あ り え な い 」と言う事を証明して
他の可能性を排除できて 初めて成り立つ理屈で
「ありえる」と認めてしまったら負けだよw

こんなお話はおよそリアルじゃ意味の無いお遊びだろうが
そのお遊びですら勝てないような穴だらけと言うオチwwww

563日本@名無史さん:2010/10/28(木) 01:12:16
探せばあるもんだなwwwwwwwww

以下に昭和57年の浸水域が示してあるが
これだと唐古鍵もスッポリ入っていると思うが?

これで縄文人以下ゴミクズ九州説の皆さんにも納得いただけるのかな?wwwwwwww


『田原本町洪水ハザードマップ:田原本町』
 http://www.town.tawaramoto.nara.jp/05_others/disaster-prevention/flood_map.html

→『過去の水害』
 http://www.town.tawaramoto.nara.jp/05_others/disaster-prevention/pdf/flood_map/flood.pdf






564日本@名無史さん:2010/10/28(木) 01:14:56
もう一丁。

こっちが広域に分りやすいかな?

『大和川流域浸水実績図(奈良地域)中央部 5』

http://www.kkr.mlit.go.jp/yamato/knowledge/sinsui5.html
565日本@名無史さん:2010/10/28(木) 02:08:26
本気で畿内説を信じて主張している学者は居ないよね。

彼らはいつも都合の良いことにしか目を向けない。
酷い発表をした同業者の批判さえもしない。

あれで学者を名乗るというのも解せない。
566日本@名無史さん:2010/10/28(木) 03:24:31
>>563

探索乙、これは決定的だな
縄文人は完全ノックアウト、もう二度と立ち上がれないだろうw
567日本@名無史さん:2010/10/28(木) 11:46:22
私は奈良湖の湖岸自然堤防(奈良盆地の微高地)説が奈良湖が存在したとする立場だ。

縄文人さんはノックアウト状態から程遠い。
益々意気軒昂だと思うよ。

明治時代までは年行事のように洪水があった。(明治前半生まれの祖母の話)
ところが人の住むところは微高地なので、人の住むところに被害なし。
唯、水田が水に浸かるだけ。これは想定済みで洪水被害にはならない。

昭和の洪水は、水田だったところに人が住むようになったから、起こるべきして起きた洪水。
私も洪水の経験がある。それは昭和のジェーン台風の時。
台風の目に入ったときチョット外に出てみた。
集落の周りの水田はまるで湖のようだった。
今は、湖の様な水田であったところに住宅がある。

縄文人さんの言う水没は、奈良湖の水位上昇以外にはありえない。
奈良湖の水位上昇の原因は亀瀬の山塊の巨大崩落でダムができた為と考えられる。
亀瀬の明治大崩落では王寺町の一部が水没しただけ。
568567:2010/10/28(木) 11:52:29
昨日奈良にいた。子供の頃育ったところだ。
569第三者:2010/10/28(木) 14:30:26
畿内説の人達が有力な資料を見つけて勝利宣言してますな。縄文人はどうするのかな?今日も仕事で外出かな?

ところで、
567さんは現地のことをよくご存知のようだ。564が示した図では唐古や鍵の地域が全面的に塗りつぶされていてあたかも全域が
水没したかのように見えるが、問題は唐古・鍵の遺跡の場所が土砂によって埋没するような水害を受けたかどうかではないかと思
うのだが?環濠が埋没するには土石流とまではいかなくてもかなりの土砂を含んだ濁流にかなりの期間浸かっていなければならな
いのではないだろうか。
570567:2010/10/28(木) 16:25:58
>>668
唐古鍵遺跡の近くが祖母の実家があったところで、最近は行ったことがない。

昔の景色を思い出しながら、地質データーをつき合わせながら考察してみる。
遺跡の東の法貴寺と西の今里は集落があり微高地(河川自然堤防)であるが、
唐古鍵遺跡はこの付近の低地であるの現状である。
東西の微高地は、初瀬川と寺川(古初瀬川)による河川自然堤防である。

弥生時代には、唐古鍵遺跡は人がいたところであるから、微高地でなければならない。
つまり唐古鍵遺跡の東西の微高地(河川自然堤防)は弥生時代になかったものであるといえる。
唐古鍵遺跡は古大和川(古初瀬川・古寺川)によって作られた河川自然堤防(微高地)上にあったことになる。
河川自然堤防である微高地が長期間水没することはありえない。
もし遺跡が洪水になるとすれば、古大和川の濁流が遺跡を直撃した場合だけである。
その場合、遺跡は大小の礫まじりの砂で破壊され、それらが遺跡と共に出土されなければならない。
礫まじりの土砂が遺跡と共になければ、水は静かに増水して遺跡は長期間水没し続けたと考えざるを得ない。

私は奈良湖の水位上昇により唐古鍵遺跡は水没したものと考えます。
奈良湖水位上昇の原因は亀瀬の山塊崩落によるダムの形成。
明治の亀瀬の山塊崩落でもダム化され大和川の上流側水位が上がっています。
奈良湖の消失は3世紀(崇神6年)と推定しています。
571日本@名無史さん:2010/10/28(木) 16:51:11
地図で見る限りでは、唐古鍵遺跡は平地のど真ん中で異様な低地だな。
土地勘がないので、おおざっぱなことしか言えないが
微高地と言えるほどの高台もなさそうな雰囲気。

これなら、ちょっとした洪水でも水没しそうだ。

むしろ、奈良湖の湖底になっていて、だんだん水が引いていく過程において、
水が残っている湿地帯で耕作を始めたような感じ。

よくこんな所に住んでたな。普通は山裾だろうに。
572日本@名無史さん:2010/10/28(木) 17:02:28
周りの川の走りを見ると、水勢が弱く、大和川による、盆地の排水能力は余り高くないと思われる。
激流や川の氾濫による洪水ではなく、排水仕切れずに、水がたまっていくパターンだろう。
573567:2010/10/28(木) 17:42:50
>>571
>微高地と言えるほどの高台もなさそうな雰囲気。

現在の唐古鍵遺跡の東400mと西400mは微高地です。


>>572
>排水仕切れずに、水がたまっていくパターンだろう。

雨が止んで、水の供給がなくなれば、直に水は引きます。
574日本@名無史さん:2010/10/28(木) 18:39:12
まあ全体として予想どうりの反応。
最後の最後には当時の地形小さな溝、数センチの高低まで地形を再現して見せろと言う話になるんだろうw
「当時の地形に則して」と言うのはそう言った逃げ道確保の布石w

>>567 >>570
>縄文人さんの言う水没は、奈良湖の水位上昇以外にはありえない。

もうここまで来ると宗教じみているな。

お前が子供の頃見た風景、それが何の関係があるんだ?
何かの根拠になるのか?

元々縄文人の与太理論は
天井川がなければ浸水被害すらないのならどう考えても湖面上昇しかありえない と言う理屈だからなw
(自説以外の可能性が無い事を示す=消去法 で成り立つ理屈)

河川氾濫による土砂の流入の可能性を認めざるを得ない時点でアウト。

そもそも地層に湖底の痕跡を見る等々の真っ当なやり方じゃなくて
環濠の埋没からそれを引っ張ろうというやり方に土台無理がある。
(勿論ネット上でしかお目にかかれないようなネタレベル、与太話でしかない)

575日本@名無史さん:2010/10/28(木) 18:42:46
それと>>567はこの間から「湖岸自然堤防」を喧伝している奴か?

奈良盆地の何処がその「湖岸自然堤防」にあたるのか云々以前に
いまだに「湖岸自然堤防」なるものの概念が分らん

先ず…

>湖岸に波風で砂が吹き寄せられ湖岸が堤防のように盛り上がる状態。
>洪水等の湖面水位上昇時に形成される。

と言うのならそれは湖の縮小に伴い等高線に沿って形成され盆地全体を覆い尽くすはず。
もし湖の縮小がそれを形成するスピードより早すぎた場合でも
等高線に沿って扇状だかドーナツ状だかの形で残るはず…と突っ込もうとしたがw

>湖岸自然堤防といえども、湖岸自然堤防が形成可能な地形と砂を供給する河川が必要です。

…ってそりゃなんじゃ?単に堆積平野のことじゃないのか?ワケワカラン…

この「湖岸自然堤防」って物自体がコイツが脳内で編み出したトンデモの類のような気がするんだがw
それとも地質地理の分野でイロハのイの字ぐらい基本的なことなんだろうか?

理解できてないのは俺だけか?w
576日本@名無史さん:2010/10/28(木) 18:45:18
>>570
>その場合、遺跡は大小の礫まじりの砂で破壊され、それらが遺跡と共に出土されなければならない。
>礫まじりの土砂が遺跡と共になければ、水は静かに増水して遺跡は長期間水没し続けたと考えざるを得ない。

だったら…

長く湖底にあってその堆積物に埋もれたとするのであれば
遺跡を覆おう土砂の層にそれだけの時間経過を示せるものが発見されなければならない…だな。

そもそもいつから「環濠の埋没」が「集落の埋没」に話しが摩り替わったんだ?

環濠のみならず集落全体が埋没したと言う根拠は何なんだ?

ソースを出せ。

別に発掘時の土壌を分析して…なんて物じゃなくて良い

一般書籍レベルで良いから「遺跡全体が土砂に埋もれた」と明言してあるものだ。

577日本@名無史さん:2010/10/28(木) 18:47:17
>>570 湖岸堤防くん(仮)
それとこれは理論上の間違いと言う話でも無いかもしれんが…

「湖の消失」をそんな○年なんてピンポイントで限定できるのか?
地理地質学的にOKなんか?

しかもそれをBPでもなくAD・BCでもなく「崇神6年」って…違和感と言うかトンデモ臭を感じてしまう(苦笑

なんか地理地質の分野と史学の分野をマゼマゼした新しい分野の学問って感じだなw
578日本@名無史さん:2010/10/28(木) 18:59:21
ねえねえ、九州チャンピオンの話はどうなったの?
579日本@名無史さん:2010/10/28(木) 19:12:29
>>578
縄文人がチャンピオン
580日本@名無史さん:2010/10/28(木) 19:28:20
まだ続けるのか、これ。奈良県人なら昭和30年代頃何度も水害にあってるだろうに。
田原本町もそうだよ。唐古池なんか何度も溢れている。
581日本@名無史さん:2010/10/28(木) 19:33:01
縄文人が妄想大王。キング オブ キングス
582日本@名無史さん:2010/10/28(木) 19:46:12
そもそもどう考えたって古代より現代の方が条件はいいとおもうけど
それでも水害にあってたら話にならないね
583縄文人 ◆pXzSf4zxeZgu :2010/10/28(木) 19:47:34
私の支持者の多いことはどうだ。やはり真の知力というものは伝わっていくものなのだな。所詮wwwの言うことなど畿内説
御用学者の受け売りに過ぎない。それに対し、私は自由に想像の翼を広げ、仙界に舞うがごとくにレスを書き込む。器が
違うとしか言いようがない。私は凡百の2ch住人の上にまさに君臨する知恵と知識があるのだよ。

いずれにしても、弥生奈良湖の存在はこれで実証することが出来たので満足だ。
584日本@名無史さん:2010/10/28(木) 19:56:52
>>583

リクエストなんだが…

一回「www」の騙りをやってもらえないだろうか?wwwwww
585日本@名無史さん:2010/10/28(木) 20:55:13
>>574

>>572 が述べているように(盆地中央部は非常に傾斜が小さく)河川の流れはゆるやかである。濁流が渦を巻いて土砂を運ぶような
流れではない。浸水もじわじわと水位が上昇して起るものである。山裾に近い流れの速い所での氾濫とは様子が異なる。だから、唐古・
鍵の環濠が土砂で埋まるような水害ならば天井川の決壊しか考えられないというのが縄文人の主張だろう。そして、そんな危険な天井川
のそばに集落を構える筈はないから天井川はなかったと言っている。

>>564 の図ではあたかも唐古・鍵遺跡を含む地域の全域が水没したかのような印象を与えるが、これはあの地域の低い部分が網の目み
たいに連なって浸水したのであって、遺跡部分がどの程度の水害を受けたのか明らかではない。
586日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:08:35
これだから地元に住んでないものはしょうがない。昭和57年の洪水は
田原本町はほぼ全冠水だった。王寺町もひどかった。唐古・鍵ももちろん冠水。
587日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:16:40
この台風10号は九州でも大被害だったはずだが、覚えてないのか?
588日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:21:47
>>586
あなたは地元の人ですか。昭和57年の洪水で唐古・鍵が冠水したと言われましたが、そのときは濁流が押し寄せて
きたのですか?また、土砂の堆積はありましたか?
589日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:27:58
大和川の増水により各支流が氾濫したのです。田原本では特に寺川が大きかった。
土砂が押し寄せてということはないですが、水が引いた後に土砂が残った。これはどこの
水害でもそうでしょう。
590日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:30:36
湖岸堤防厨あたりが考えている水害と言うのは、雨が止んでお天道様が顔をだしたら
水も直ぐに退いてすっきり元のままの姿が現れるって話なんだろうなwwwwww

591日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:39:04
さて湖岸堤防厨が言うように唐古鍵の集落があった場所は古代から
如何なるときにも冠水しない様な、ありがた〜い場所であったならばだ・・・

そこには古代から現代まで営々と集落が築かれていてそうな話ではあるw

奈良には良く現代にも残る環濠集落と言うものが紹介されているが
そんなモノがあってもよさそうではあるw

が少なくとも地図で見る限りむしろ遺跡の東西の河川堤防上に集落があるように見えるが?

無論、河川が氾濫したらその集落とてアウトだが現在遺跡のある場所は通常の雨が降っても水はけが悪く
人が常時済むには適していないのだろう。
592日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:43:36
この台風10号による57水害で、この地域が大きな被害を蒙ったため、蔵堂地区
から八田地区の4kmばかりで大和川の流路を変える工事をして、今ある直線的な
水路になったんですよ。唐古遺跡もこの年から発掘主体が田原本町教育委員会になった
はずです。
593日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:50:44
ところで…

>>585
> というのが縄文人の主張だろう。

と言うかそこまで本人に代わって、その言い分を斟酌するって・・・お前 縄文人 本人だよな?w
594日本@名無史さん:2010/10/28(木) 21:56:35
この台風10号洪水によって唐古遺跡が冠水したことで危機感をいだいた
田原本町が、それまで橿原考古学研究所が主導していたものを町独自の発掘
調査を行うようになったんです。理由はそれだけではないんですが。それで、遺跡
に近い堤防の補修をしながら13次以降の発掘調査が進められたのです。
595日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:00:07
とりあえず現在の話の流れは
「冠水被害があったなかった」のラインではもはや抵抗のしようがなく

それにより大量の土砂が運ばれるのか否か・・・ここまで抗戦ラインを下げちゃったという事で良いのかな?wwwww

まあ今度は
「じゃあその土砂は何処から運んできたのかそれを説明証明しろ」
見たいな話しでゴマカシを謀るんだろうなwwwwww

もっと言えば最後の最後には
「いやそこは陸地化して(地下水が抜けたりして)地盤沈下を起こしている可能性がある
 古代にはもっと標高が高かった」
なんてお話も出てくるんだろう。

以前、縄文人のアホがそんな事を言っていたと思う。

もうね最初に脳内ストーリーありきの病気としかw



596585:2010/10/28(木) 22:00:44
違うなあ。レスを読めば分かることを書いただけ。おまいさんは疑り深い人みたいだね。
597日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:06:44
専門ではないのでよくはわかりませんが、護岸していない当時なら、
河川の反乱によって削られた土砂が水に溶け込んで、水が引いた後に
残るのではないでしょうか。大量といえるかどうかはわかりかねますが、
台風10号水害では、各家々でスコップが大活躍してましたよ。
598585:2010/10/28(木) 22:09:15
>それにより大量の土砂が運ばれるのか否か・・・ここまで抗戦ラインを下げちゃったという事で良いのかな?wwwww

そのこと(大量の土砂が運ばれるのか否か)が問題で天井川の議論をしていたんじゃなかったっけ。「抗戦ラインを下げちゃった」んじゃなくて
最初からの論点だったように思うか、どうかな。過去レス読み返してみたらどうかな。
599日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:09:52
>>597
>各家々でスコップが大活躍してましたよ。

まあそんな光景は毎年の本の何処かの浸水被害にあった地域の復旧作業のニュースで
それこそ嫌でも目にするものだがwww

まして環濠なら掘った土を、その濠直ぐ近くに盛ってある場合が多いしなwwww
600日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:22:30
>>598
こっちは>>469

>と・り・あ・え・ず・だ…ここまでで
>大雨、河川の氾濫による唐古鍵の「 水 没 」の可能性を認めるのか否か?

と確認とっているんだがなw

その辺が縄文人とかいうおっさんの毎度の姑息さで
水没の可能性を認めるとも言わず曖昧にしているが

…できれば水没自体認めたくないんだろうがw


まあ良いじゃあ兎に角だ。

浸 水 被 害 の 可 能 性 は 認 め る ん だ な ?

>598 も 縄文人 もハッキリ答えろ。

で、河川氾濫による浸水被害を認めるなら
どうやっても土砂流入があったなかったを判別するんだ?基準は?根拠は?

「湖面上昇以外環濠の埋没はありえない」と言えてこその縄文人の与太論だがw

 


601日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:26:16
水稲耕作に必要な道具を、主として木器や石器に頼る時代には軟弱な土質の
土地が居住地として選ばれました。当時は特に地表面を平らにすることが難しく、
しかし水稲耕作には水位が同じ高さの耕地が必要です。

ここ唐古・鍵遺跡も、大和川が縦横に乱流して造り出した沖積土の上に立地して
おり、少し掘れば水が溜まり、環濠を張り巡らすには格好の土地です。
しかし,当然ながら,低くて平らな沖積地では洪水の恐怖と常に隣り合わせとなります。
集落に幾重にも巡らされた環濠は、洪水が襲った時には洪水調整池として機能し、被害を
軽減することが一つの役割であったと考えられます。
602585:2010/10/28(木) 22:34:54
>>各家々でスコップが大活躍してましたよ。

>まあそんな光景は毎年の本の何処かの浸水被害にあった地域の復旧作業のニュースで
>それこそ嫌でも目にするものだがwww

土石流が襲ったところでは別だが、平野部の洪水で堆積するのは泥だろう。ホースで放水して流せば流れるようなものね。

そこで思うんだが、唐古・鍵の環濠が埋没した原因が一過性の洪水によるものだったら修復は容易だったのではないかな。
環濠の一部を外側から掘って排水路を作り、水で泥を洗い流せばよい。川から導水していたのならそれが出来るだろう。環
濠をかき混ぜながら水を流せば出て行く。導水していなくても板みたいなもので押し出せばよい。
ところが、埋没したままかなりの期間放置されたのち弥生後期に再掘削されているそうだ。

ということは、集落もその期間放棄されていたのではないか。そうだとしたら、それは何故か?
湖に沈んでいたとしたら説明がつくんだが。

603日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:46:02
と言うかだな。

もし長らく湖底にあったならその濠を埋め尽くした堆積物は集落内部にも当然堆積している。
もう一見して元の集落の姿も確認できないだろう。

まあ大型の木造建築物ならあるいはまだ形をとどめていたかもしれないが。

再利用と言う形で復興されるのは少なくともその形が残っていたという話で
濠が埋まって機能不全それで放棄されたというのが最も合理的。

まあ集落自体が最盛期よりは衰退していてもはや復興作業もできなかったのかもしれない。
604日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:47:42
605日本@名無史さん:2010/10/28(木) 22:51:43
もう電波だな。長く湖底にあったというならそれは必ずわかることで、
発掘の際に堆積土層を全面からはぎ取る作業が必要だったろうよ。
606日本@名無史さん:2010/10/28(木) 23:00:12
>>605
それも唐古鍵限定の話じゃないからなw

盆地の弥生時代の標高50m以下にある大小の遺跡全てにおいてだからな。
もう発掘にあたった考古学者や関係者が必死に秘匿しているとでもしないと無理だろうwwww

607日本@名無史さん:2010/10/28(木) 23:01:59
>>604
まあ、電波の人たちは置いておくとして、その図で重要なのは◎のついた環濠への土器の大量投棄
だろうね。環濠の役割が終了する新たな状況が発生した。これは環濠を必要としない、新たな、画期的な
遺跡の誕生と無関係ではない。
608日本@名無史さん:2010/10/28(木) 23:10:35
唐古鍵遺跡の標高って、何メートルくらいなんだろ。
結構宇美から遠いよね。
609日本@名無史さん:2010/10/28(木) 23:11:28
>>607
まあ吉野ヶ里も最後は庄内併行土器が大量に濠に廃棄されてジ・エンドだっけ?w

>これは環濠を必要としない、新たな、画期的な遺跡の誕生と無関係ではない。

その遺跡とは?考え方は二つあると思うが
(1)依然として立地は河川氾濫リスクの高い微高地にあったが新しい土木技術で治水対策ができている。
(2)河川氾濫リスクの低い高地にあって尚且つそこでも低湿地と同じような農業生産を可能にした
  もしくは生活資源を全て外部に頼れるような都市だった。

ぶっちゃけ後者が纏向と言うことなのだろうがw

この話は纏向スレのほうに移すかな?
610608:2010/10/28(木) 23:15:03
自己解決しました。
ググるアースで、47mと標高が表示されました。
611585:2010/10/28(木) 23:27:40
>>603>>604

唐古・鍵の環濠集落が湖に沈んでいれば、湖に流入して漂う泥が堆積するだろう。だが、その泥は水の揺らぎで撹乱される。そして
より低い所へ移動する。その結果として環濠の凹みに集中的に堆積してゆくことになる。水が引いた後では集落部の堆積泥土は雨で流されるようなもの
だろう。集落を再建した人達が掃除した可能性もある。「発掘の際に堆積土層を全面からはぎ取る作業が必要だったろうよ。」とは言えないだろう。

なお、環濠の埋没から再掘削までかなりの期間が経っていたのだろうが、十数年かそこらではないだろうか。

>濠が埋まって機能不全それで放棄されたというのが最も合理的。

ウイキペデイアによれば「集落南部では木器の未成品や青銅器鋳造関連遺物や炉跡、北部ではサヌカイトの原石や剥片が纏まって出土する所などがあり、
各種工人の居住の場所と推定される。南地区の中央部に高床建物がたっていた可能性が高く、中枢部と考えられる。このようなことから大環濠内では、各
種の機能別に区画されていたと考えられている。」そうだ。

そのような集落で環濠が泥で埋まったのを修復もせず放棄するだろうか?602で述べたように泥の排出くらい簡単な作業ではないか。現に、弥生後期には
再掘削されていると言うではないか。機能不全と言うならばそれは水没状態だからということだろう。
612日本@名無史さん:2010/10/28(木) 23:30:22
>>609
ああそうか、ここはチャンピョンスレだったか。じゃスレチだった。では、縄文人に心ゆくまで奈良湖
説を展開してもらって、九州説の王になってもらえばいいんだな。ww
613日本@名無史さん:2010/10/28(木) 23:52:22
>>611
でお前は

浸 水 被 害 の 可 能 性 は 認 め る の か ?

で、河川氾濫による浸水被害を認めるなら
どうやっても土砂流入があったなかったを判別するんだ?基準は?根拠は?

614日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:05:07
標高50mまでが水没してると言っても、
標高47mの地点なら、2〜3m水没しているだけでしょう。
この程度なら、下手をすれば、現在でも河川工事を行ってなければ
あり得る数字ではないでしょうか。

そして、雨が過ぎれば、そう長い時間を待たずに水は引くでしょう。
まして、大量の土砂が流入する可能性は低い穏やかな地形ですので、
僅かな補修で再利用出来ると思うのです。

615日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:12:29
まあ土砂云々で言えば縄文人の天井側のお話は
要するに比重の大きい土砂は”上”から降って来る時のみ集落にまで届いて
河川の増水と言う”下”からジワジワやってくる形では到達しえないという理屈なんだろうが

馬鹿馬鹿しいにも程がある。
土砂なんてのは大抵上流からやってくるもんだ。

無論古代の河川に護岸工事がなされているとも思えない。
土砂がはるか上流から投げれてくる必要も無い。
濠を掘った土が側に盛られていれば、それがそのまま濠の中に入ることもあるだろう。
雨が止んで直ぐに水が引くわけでもない。

浸水被害を認めて尚且つ土砂の流入はなかったなんて言い切れる根拠が一体何処にあるのか?

それとも、まだ浸水被害そのものが無かったとでも言うのか?


616日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:19:13
そもそもこの弥生時代の奈良湖なんて基地外なお話は誰が言い出したんだ?

Y本か?
それとも誰かが「万年」単位の古代お話を気づかず、もしくは愉快犯的に面白おかしく広めた
都市伝説の類なのか?

617日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:22:01
古奈良湖、弥生でググれ。
嫌というほど出てくる。
そういう人たちには既定の事実らしい。
618日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:23:28
>>617
いやネット上に転がっているのは百も承知。

何処の馬鹿が言い出したのかとw
619日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:30:43
ところで、今更の縄文人の与太より「湖岸自然堤防」の方が新鮮味もありw今回はこっちが本命なんだがwww

本人やあるいはその他から

「”湖岸自然堤防”なんて地理地質の常識!
 無論、奈良盆地以外日本にも世界中にも腐るほどある。勉強不足にもほどがある!
 例えば○○、××、何れも”湖岸自然堤防”の典型として有名!!」

…ぐらいのお話は聞えてくると思ったんだが、

やっぱ湖岸堤防厨の脳内地質学の産物なのか?www



620567:2010/10/29(金) 00:33:20
>>606
>盆地の弥生時代の標高50m以下にある大小の遺跡全てにおいてだからな。

弥生以遺跡は、唐古鍵以外に標高49mレベルで2〜3ヶ所しかなかったと思う。
標高42mの縄文遺跡として箸尾遺跡があるが、これは?と思う。
621日本@名無史さん:2010/10/29(金) 00:48:49
まあ唐古鍵が水害そのものにすら逢わなかったというのなら
濠の埋没もそれ以外に原因を考えなければならないだろう。

が水害の可能性を認めるなら
奈良湖の存在の根拠としては別のものをもってこいと言うお話だなw

一体どれぐらいの土砂が大和川を塞いだのかは知らないがその地すべりって確認できないのか?
盆地全体に広がるかつての湖底の地層
考古学者は発掘のときに気づかず
本職の地質学者も気づいて無いらしい。

まあネット上の都市伝説みたいなものか?
622567:2010/10/29(金) 01:26:43
>>619
河川自然堤防は河川の氾濫により形成されたもの。
礫混じりの土砂の堆積が特徴。

湖岸自然堤防は、海辺の砂浜のようなもの、湖岸にできた砂浜砂丘と考えればよい。
均質な砂の堆積が特徴。
湖は沿岸流や波が小さいので海岸の様には形成されにくい。
琵琶湖の砂浜を思い起こせばイメージできると思う。

河川自然堤防は氾濫による砂礫の堆積であるが、
湖岸自然堤防は、河川より湖水に砂が排出されることと、
その排出された砂を運ぶ沿岸水流が発生する地形が必須条件。

自然堤防である微高地の土質が、礫まじりであればそれは河川自然堤防。
自然堤防である微高地の土質が、均質な砂であればそれは湖岸自然堤防。

湖岸自然堤防は間違っても湖底の泥が巻き上がって形成されるものではありません。
河川より湖に排出された砂が自然堤防の原料です。
湖岸自然堤防は河口から少し離れた両岸に形成しやすいです。
河口の自然堤防は、湖岸自然堤防か河川自然堤防はの分別は困難です。
均質な砂層の部分は湖岸自然堤防(波と水流による砂の運搬があった)、
礫まじりの土層の部分は河川自然堤防(氾流による礫の運搬があった)
と判別します。
623567:2010/10/29(金) 01:51:57
>>586
>昭和57年の洪水は 田原本町はほぼ全冠水だった。王寺町もひどかった。唐古・鍵ももちろん冠水。

微高地部分(自然堤防部分)は冠水していませんよ。図をよく見て確認してね。
624日本@名無史さん:2010/10/29(金) 02:03:33
>>622
すまんサッパリ分らない。
それって単に川砂が氾濫原に堆積しているだけのお話にしか理解できない。

別にそこに湖の存在を想定する必要は無い。

「判別が困難」と言うのは、そりゃそうだろう。
礫も川砂も一緒に流れていて氾濫原におかれた後も河川の氾濫のたびに混ぜられるだろうしなw

参考)wiki『氾濫原』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%BE%E6%BF%AB%E5%8E%9F
>また、氾濫原の構成物質は、礫をはじめ、砂・シルト・粘土からなり、その分布は堆積時の状況に応じ、一様とは限らない。
>更に、氾濫の度に上流から粘土や植物の種などが流れ着き(漂着)、植物が繁茂しやすい。


はっきり言えば川砂の多い河川堤防を適当にピックアップして

「ここが湖岸自然堤防の痕跡、かつて湖のあった証拠です」

と言っているだけにしか思えないwwww

そもそも、これって地質地理の常識なのか?
それともお前のオリジナル?

本当に湖の痕跡が認められるなら、とっくにそんな話は一般にも知られていると思うが?

当然、縄文人とか言う馬鹿が必死に唐古鍵の埋没なんてネタを叫ばずに済んでいるって話wwwwww




625日本@名無史さん:2010/10/29(金) 02:24:59
   ∩___∩
   | ノ      ヽ/⌒)
  /⌒) (゚)   (゚) | .| この情弱め>◆pXzSf4zxeZgu
 / /   ( _●_)  ミ/
.(  ヽ  |∪|  /
 \    ヽノ /
626日本@名無史さん:2010/10/29(金) 03:31:46
>>622 湖岸堤防厨

あー、やっと分ったかもしんないwwwwww

あれこれ調べたが、ひょっとして「湖岸自然堤防」と言うより「浜堤」と言う名称の方が一般的なのかな?

後は後日

627日本@名無史さん:2010/10/29(金) 08:00:34
自然堤防なるものができるのかどうかは分からんが、もしできるとすれば、

普段から河川に土砂がたまっている状況で、水流が多い時期に決壊する。
決壊したすぐ外では水が広がって、土砂を流す勢いがなくなり、堆積する。

水量が減ると、周りに堆積した土砂が堤防のようになる。
水流の早い河川中央部は削られて低くなる。

こんな具合だろうか。
628567:2010/10/29(金) 08:27:07
>>626
>「湖岸自然堤防」と言うより「浜堤」と言う名称の方が一般的なのかな?

「浜堤」と言うと、海辺のものを指すので間違ったイメージを与えるのを避けました。
湖岸にできる「堤」は、海岸にある「浜堤」ような大規模なものではありません。
「浜堤」は、「砂浜」と「砂丘」の中間的な規模のものです。

「湖岸自然堤防」と、「砂浜」「浜堤」「砂丘」との共通点は、「均質な砂」でで作られていることです。
最も大きな違いを繰り返しますが、
「河川自然堤防」は、礫(小石)混じりの土砂(砂・シルト・粘土)で作られていることです。
629日本@名無史さん:2010/10/29(金) 15:30:43
630日本@名無史さん:2010/10/29(金) 17:37:34
>>628 湖岸厨
>「浜堤」と言うと、海辺のものを指すので間違ったイメージを与えるのを避けました。

イメージは兎も角、琵琶湖みたいな湖でも 「浜堤」と言う語は使われているみたいだが?
まあ今後こっちは「浜堤」でやらせてもらう。
ROMしたり途中参加する連中も「浜堤」なら検索すればその概要が掴めるし
そもそも「湖岸堤防」じゃあ人工のものしか出てこない
また形成されるプロセスが湖と海で違うとも思えない(規模等は除いて)

とりあえず形成される原理は大体わかったが
それでもこのお話が与太であると言う疑念は一向に消えないわけだがwwwww

先ずそもそも奈良盆地に浜堤が存在しその年代が紀元後と言うような認識がされてるのか?
そのような説がまかり通っているのなら弥生時代の盆地湖なんてとっくに常識になっているはずw

次に位置的に河川堤防と区別もつかないのなら、そりゃ単に河川堤防じゃないのかって話。
浜堤は性質上湖岸線に平行にできる(=等高線をなぞった形・方向にできる)
かつての湖底であったところに川が流れる場合、当然湖底を目指すように流れるだろう。
河口近くなら、それこそ両者が直角の確度をとっていても良さそうな話だw
 
どう見ても河川の氾濫原でもなく等高線に沿うような形で”砂山”がありゃ
それは浜堤の痕跡と言う話もできるのかもしれないが
浜堤が小規模なもので氾濫原の中に納まってしまうと言うのなら
元々それで盆地湖の存在を証明する事自体が無理なんじゃないのか?
「河川堤防を掘り続けたらいつかは混じりッけなしの砂山が出てくる!」
って話ならゴミレベル九州説でおなじみの「ホレホレサギ」だ。

話 は そ れ が 出 て き て か ら だ な www

お前さんの話は盆地湖があったを前提にして河川堤防を
無理に浜堤に仕立て上げようとしているとしか思えない。
631630訂正:2010/10/29(金) 18:31:30
>>630
誤) かつての湖底であったところに川が流れる場合、当然湖底を目指すように流れるだろう。

正)かつての湖であったところに川が流れる場合、当然湖底を目指すように流れるだろう。

 もしくは・・・

正)かつての湖底であったところに川が流れる場合、当然かつての湖底最深部を目指すように流れるだろう。
632日本@名無史さん:2010/10/29(金) 18:39:41
縄文人氏は奈良湖があった、www氏は奈良湖はなかった。
という議論でいいんですかね?なんかよく分からなくなった。

「奈良湖は縮小していて、時々水没していた」は有り?、無し?
633日本@名無史さん:2010/10/29(金) 20:47:33
一昨日の朝から宮崎県の高千穂町に出かけていて今日の午後4時過ぎに帰宅した。観光ではない(けれども普通の人が訪れるところは一通り見たのだが)。
もうすぐ退職する友人から第二の人生において春から秋にかけて過ごすための古民家を探すのでついて来て欲しいと頼まれたのだ。飲料とする湧き水は十分
にあるか、豪雨による地滑りなどの危険はないか、病院などのある町の中心部への車道が不通になる恐れはないか等々検討しながらあちこち見てまわった。

ところで、このスレの展開は予想どおりだな。

昭和57年の台風10号に伴う雨は空前のものであった。唐古・鍵地区の住宅の殆どが浸水被害を受けた。しかし、あの集落遺跡の場所に土砂が堆積することは
なかった。浸水被害を受けたところで水が引いたあとに数mm〜数cmの泥土が残っただけである。濁流が土砂を巻き上げて襲ったのではなく、水位がゆるゆ
ると上がってきたのである。

このような水害であれば泥が1mも堆積するには数十回の冠水が必要だろう。古代にはそれほど頻繁に大雨が降ったのか?

こんなもので「河川の氾濫で環濠が埋没した」という証拠になるか?逆に、大雨による河川の氾濫では唐古・鍵の環濠の埋没は極めて起り難いということを
示す材料の一つになるだろう。

しかも、現在の唐古・鍵地域は湖の消失による地下水位の低下により地盤が沈下しているのである。一方、寺川や大和川は逆に川底が高くなっている。その
ことを考慮すれば「河川氾濫による環濠埋没」説は不利となるのだ。

今日は又いまから友人と会わねばならん。文句あるなら書き込んどけ。明日にでも暇があったら見てやろう。ほなな。



634日本@名無史さん:2010/10/29(金) 21:18:01
>>633

古代の河川に護岸が施されていたわけでもあるまい。

また濠を掘った土をそのまま傍に盛っていたらそれが再び濠に入るだけでも相当に埋まる。
現在の東西の河川堤防もなく、どう考えても今よりはあらゆる面で条件は厳しい。

元々この縄文人の与太理論は
「環濠の埋没は湖面上昇以外に”ありえない”」と言えてはじめて成り立つ
(本来なら湖の存在なんてもっと地質学的な直接的根拠をあたるのが普通だろう)

水害にすらあわなかったと言えるならそれも成り立つだろうが

水害による冠水は認めてもそこに土砂の流入はなかったなんて何の根拠も無い。

しかし>>595で言っていた「地盤沈下」がやはり出たかw
これも根拠を聞いた記憶が無いがwwww

まあこうやって「湖の存在の証明」ではなく「河川氾濫による埋没の否定」に話のベクトルが変わるw

最後には
センチ単位で地形を再現してどの様に氾濫が起きて、土砂が何処から流入してきたのか
その経路等々を綺麗に再現して見せろ!…というお話になるんだろうwww








635ローガン:2010/10/30(土) 00:38:13
味間遺跡の報告書見ても、川の氾濫による土砂の堆積が確認されていますよ。
636二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/30(土) 09:35:00
>>444
「ゴミクズ」はつくづくバカだな。

「張政の報告書なるものがあったとする」

「狗奴国との事の顛末が明記されて無いのはその存在を疑う材料に足る」 
は因果がない。

オマエが勝手にそう考えているだけだ、「ドアホ」。

だから、何でそう考えたのか話してごらん、って言ってるのだよ。
ぼくのかんがえたさいきょうの倭人伝いいかげんせつ、ってのを。
もちろん笑うためにだけどね。


もともと、この「ゴミクズ」が書きこんだ
>>「告諭したと」言う事だけ書いてあとは言わずとも分かってくれって言うんじゃあ  

てのが、どんだけ頭の悪いものなのか、そろそろ気づけよ、ほんとに「ドアホ」だな。


ところで、張政の報告書みたいなのがありえないような話にしたいようだが、
卑弥呼の死や墓はどうやって魏に伝わったと考えているんだ。

記録に残らないようにして倭に観光旅行にでも行ったやつがいて、
墓の大きさ100歩を測ってきたとでも考えているのか?基地外なみだな。


こんなくだらない、私の説とまったく関係ない話はしててつまらんのだが、
「ゴミクズ」wwwがどんだけ頭わるいのか、唯一理解できてない本人に
わざわざ教えてあげてるようなものなのだから、感謝されたいくらいだよ。
637二 ◆.L.MXSPOgc :2010/10/30(土) 09:40:47
>>447

>>とか以後さも自分以外に提唱者がいるような引っ張り方をしたからなあwww 
オマエの読解力がないだけだ。
ニ ホ ン ゴ ワ カ ッ テ イ マ ス カ ?

>>倭人伝の行程記事はあくまで1ルートで書かれていて 
どこでどのように間違いが入ったのか、などは正直調べようが無いだろ。

畿内説では方向も距離もデタラメだという主張だが、なぜデタラメが書かれているのか、
なんて話をてんこ盛りにつけなきゃいけない説だって分かってないだろ?
638日本@名無史さん:2010/10/30(土) 10:03:29
「ゴミクズ」「ドアホ」はやめれ
639日本@名無史さん:2010/10/30(土) 10:58:47
>>636-637 ゴミニルート厨くん

つうかね。そもそもこのお話この馬鹿が

>>279
>倭人伝も読んでないのか。
>張政は何をしに倭に来たと思ってるんだ?
>そして何をしたと思ってるんだ?

と言う謎賭けから始まっているんだなw

ゴミニルート厨君はきちんと”倭人伝を読んで”
張政が何をしに倭に来たか?
そして何をしたか?

…を正確に理解していると思ったんだがw

俺は「狗奴国とのいざこざの事の顛末は分りません読み取れません」と正直に言っているワケで

そこでこの馬鹿ゴミニルート厨が颯爽と
「倭人伝をきちんと読めばコレコレの事が分る」
と指摘すれば良いわけでwww

一体このゴミクズは一人でナニに対して、ヒステリー起こしているんだ?www






640639:2010/10/30(土) 11:09:50
まあついでに書いておくが…w

もし歴史上、魏も邪馬台国ももっと長く存在し
遣使も、もっと多く記録に出ていたとする、行程記事はあのままで。

そこに10人10回の記録があれば10ルート
20人20回の記録があれば20ルート想定するのか?って話で

まあ梯儁張政二人の名が見えるのは精々頑張っても
2ルートを想定しうる「必要条件」にすぎない。

2ルートであったとする「十分条件」にはなりえない。

先の10ルート20ルートの例で考えてみれば分りやすいと思うがwwww

まあこのゴミクズニルート厨の力作は精々誰かが「手品のようだ」と言っていたように
「一つのルートを二つに割ってみました」
と如何に倭人伝をユニークに読むかを競っているようなマニアにしか受けない話なんだろうwwwww
641日本@名無史さん:2010/10/30(土) 11:23:58
>>637 ゴミクズニルート厨
>どこでどのように間違いが入ったのか、などは正直調べようが無いだろ。

これもいい加減酷い話だなwwww

「正直調べようが無い」と言うのなら
方向の錯誤がどのようにして生じたのかも「正直調べようが無い」わなw
(まあ、お話だけなら幾らでも作れるんだがwww)

無論、魏使の報告書なるものが存在していてそれを陳寿が見たのかどうかもだwww










642日本@名無史さん:2010/10/30(土) 11:53:53
そもそも、説の中に魏使の報告書なんていう代物を題材に
組み立ててある事が間違いの始まり。
まあ素人個人の想像的な産物だから、そう目くじらを立てるような話でもないんだが
643日本@名無史さん:2010/10/30(土) 12:12:33
>>630
>琵琶湖みたいな湖でも 「浜堤」と言う語は使われているみたいだが?

海岸沖で形成される「第二浜堤」が水位が下がって陸化したものに似ているので、
筆者は適当な用語がないので「浜堤」と書いたのでしょう。
縄文期に海中で形成された「第二浜堤」が完全に陸化した典型的なものは、唐津の「虹の松原」だと思います。


>先ずそもそも奈良盆地に浜堤が存在しその年代が紀元後と言うような認識がされてるのか?

明らかな湖岸自然堤防とわかるものは紀元前のものです。
紀元後と思われるものは河川自然堤防との区別が地質図からは判別できません。
判別するには、堤を形成している土砂が、「礫混じり土砂」か「均質な砂」かを調べなければなりません。


>浜堤は性質上湖岸線に平行にできる(=等高線をなぞった形・方向にできる)

海では大規模な長い浜堤ができるので、海岸線と平行に発達しますが。
湖では、波や水流が小さいので河口の両側にできる程度です。
しかも湖岸自然堤防が陸化した後、川の流路が変らなければ、その上に河川自然堤防が重なることもあります。
だから、地質調査をしなければ自然堤防の成因判別ができないといっているのです。


>お前さんの話は盆地湖があったを前提にして河川堤防を無理に浜堤に仕立て上げようとしているとしか思えない。

盆地湖説は、>>629にも先人の説として示されています。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku205.htm
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/09/000591.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/kaguyama.html
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=201616

湖岸自然堤防説は奈良盆地湖存在を示す傍証のひとつです。
644日本@名無史さん:2010/10/30(土) 12:39:47
>>643
>湖岸自然堤防説は奈良盆地湖存在を示す傍証のひとつです。

だ〜か〜ら〜

その湖岸自然堤防説=浜堤が見つかってからのお話だよwwwww

奈良盆地湖の存在を仮定すれば何処かに「湖岸自然堤防説=浜堤」があるだろうって話で
傍証でもなんでもない。

仮説に基いた仮説が傍証になるわけねえだろうとwwww

645日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:08:08
>>644
>その湖岸自然堤防説=浜堤が見つかってからのお話だよ

大和郡山市と奈良市で、既に確認できています。
646日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:18:28
>>645
>大和郡山市と奈良市で、既に確認できています。

所在地地名をもっと詳しく。
647日本@名無史さん:2010/10/30(土) 13:27:24
>>645
>大和郡山市と奈良市で、既に確認できています。

話の流れから言って紀元後のものだよな?

ソースは?

地質学の分野で承認されているようなお話なら
それは紀元後の奈良湖の湖岸がそこにあったと言う事が公認されていると言う事だともうが・・・

ここまでのお話では相当判別が難しいと思うのだが?
氾濫原あるいはかつての川底に堆積した川砂とどうやって区別したのか?…等々

648縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/30(土) 15:24:23
>>632
申し訳ない、うっかり見過ごしていた。このレスには重要な事柄が関係していますね。

盆地出口の大和川は断層帯に沿っていて、亀の瀬辺りは近年でも地滑り落石の危険地帯とされています。古代においても地震による
落石で川の流れが阻害されることがあったと推定されます。ただし、三郷から国文寺大橋にかけては標高差10mというかなりの急勾配
の流れになっていますから、大雨の場合は水が逆巻くように流れ下り、塞いでいた石が流されることもあったでしょう。

そのようなことで、湖の水位は時には上がり、時には下がっていただろうと推定されます。そして、弥生人の手が加えられるようになって
湖は縮小して行ったと推定されます。
649日本@名無史さん:2010/10/30(土) 16:46:48
実に愚かだな、縄文人。
650縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/30(土) 17:41:54
>>649
なんだか幼児みたいなレスだな。こんなレスなら猿でもできる。
651日本@名無史さん:2010/10/30(土) 17:45:03
>>650
乳児レベルの分際で何をほざく。
652日本@名無史さん:2010/10/30(土) 17:58:23
縄文人さん、あんなレスはほっときなさい。まともな議論ができなくて悪態つくしか能が無い連中だから。
653日本@名無史さん:2010/10/30(土) 18:13:57
最近の縄文人さんに向けられる悪態雑言は
以前は河童さんに向けられていたもので、それを最近縄文人さんが一手に引き継いだ形になって
ますねww
654日本@名無史さん:2010/10/30(土) 18:28:16
似た者同士、どっちもどっちですからね。
655日本@名無史さん:2010/10/30(土) 18:28:18
イタイ九州説の系譜か
656日本@名無史さん:2010/10/30(土) 18:36:44
河童と言えば言意学
縄文人といえば奈良湖か…

キャラを立てる代名詞的なものがあるのは強みかな?w
どっちも与太である事には違いないんだろうがwwwwww

まあ本来唐古鍵が湖底にあった期間堆積した地層は
同じ標高の盆地の各地で見つかるはずなんだが

集落のものは再利用にあたり綺麗に流され(なんか唐古鍵がタイル貼りだったみたいな話だが)

他の盆地各地のものも長い年月の間耕されたりですっかり姿を消したというトンデモにありがちなご都合主義なんだが

少なくとも唐古鍵の濠の中には残っているはず、そうタイムカプセルみたいにw

濠の発掘でそんな事がわかりそうなものだがw




657日本@名無史さん:2010/10/30(土) 18:42:57
しかし

>>633
>しかも、現在の唐古・鍵地域は湖の消失による地下水位の低下により地盤が沈下しているのである。
>一方、寺川や大和川は逆に川底が高くなっている。

この与太話も根拠を聞いた記憶が無いなw

まあこの縄文人とか言う知ったかぶりのおっさんや
この話にすがり付いているゴミレベル九州説にすれば

地盤沈下する前の古代の唐古鍵は今よりもっと標高が高く土砂どころか浸水もしなかった

…というのがベストなんだろうがw
658日本@名無史さん:2010/10/30(土) 19:48:27
>>648
>盆地出口の大和川は断層帯に沿っていて、亀の瀬辺りは近年でも地滑り落石の危険地帯とされています。
>古代においても地震による落石で川の流れが阻害されることがあったと推定されます。
>ただし、三郷から国文寺大橋にかけては標高差10mというかなりの急勾配の流れになっていますから、
>大雨の場合は水が逆巻くように流れ下り、塞いでいた石が流されることもあったでしょう。
>そのようなことで、湖の水位は時には上がり、時には下がっていただろうと推定されます。

上記は以下のように修正すべきだとおもいます。
盆地出口の大和川は断層帯に沿っていて、亀の瀬辺りは明治時代にも、山塊の地滑り崩落で大和川が堰き止められダム化しました。
古代においても山塊の崩落により大和川が堰き止められることが何回も繰り返されたことがあったと推定されます。
ただし、三郷から国文寺大橋にかけては標高差10mというかなりの急勾配の流れになっていますから、
大雨の場合は水が逆巻くように流れ下り、塞いでいた土石が土石流となって流されることもあったでしょう。
そのようなことが繰り返され、湖の水位は、山塊崩落の時には上がり、侵食により徐々に下がっていただろうと推定されます。
そして数千年の歳月と共に奈良盆地湖の水位は上下しながら全体としては徐々に下がっていったものと推定されます。
659日本@名無史さん:2010/10/30(土) 19:55:30
あと、この奈良湖と言う与太が仮に本当だったら・・・

白亜紀末期の大絶滅の前後で生態系ががらっと変わったように
その湖面上昇の前後で遺跡群もかなり様相が違ってくるだろう。

湖面上昇の頃に何故か殆どの遺跡が活動を停止。
暫くの空白期間をおいて、また違った遺跡群が出現する。
(唐古鍵だけが例外的に継続した)

それとも一度は湖水に沈んだ遺跡がことごとく再利用されたのか?

唐古の近場で言えば清水風や保津宮古とか一緒に水没したはずの遺跡もあるが
そのような現象が見られたなんて聞いたことが無いwww
660縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/30(土) 20:00:58
>>658
修正されたもので結構だと思いますが、私は湖の縮小には弥生人の手も加わったという見解です。
661日本@名無史さん:2010/10/30(土) 20:01:27
論点は、弥生時代に湖が存在していたかどうかだろう。
亀の背のメカニズムを語るなら、当時の流路が今より50メートルも高い所にあったかどうかを検証しろよ。
対岸の王寺側は、崩落の無い安定した地形だから、あの渓谷が2000年くらいで今の姿まで深くなったかどうか、
調べてみりゃいいじゃん。
662縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/30(土) 20:18:09
>亀の背のメカニズムを語るなら、当時の流路が今より50メートルも高い所にあったかどうかを検証しろよ。

意味がよく分からんので、も少し詳しく説明してくれませんか。
663日本@名無史さん:2010/10/30(土) 21:41:37
お〜い、九州説チャンピョンはどうなったんだ?
664日本@名無史さん:2010/10/30(土) 21:46:04
>>663
そんなことより畿内説のゴキブリどもを退治するほうが面白いぞ。
665日本@名無史さん:2010/10/30(土) 21:54:44
>>663
少なくともこの板の九州説の論者をランキングするとしたら
殆どが査定対象外だなw

全くゴミクズレベルの寄り集まり





666日本@名無史さん:2010/10/30(土) 21:57:42
>>662
たぶん、661は王子辺りの大和川の標高が40mであることを知らずに書き込んだんじゃろう。クックック・・
667日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:02:43
>>665
ゴキブリホイホイを置いたらさっそく漁りに来た奴がいるな。最近のゴキブリは悪態だけは達者だ。
668日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:06:13
>>664
>そんなことより畿内説のゴキブリどもを退治するほうが面白いぞ。



>>1
>九州説にも、有名な説として、
>吉野ヶ里説、山門郡説、安本東遷説、九州王朝説、
>日向説、平原説、九州一週説、等があります
>(ベスト7を上げてみました)
>九州説のチャンピョンを決めましょう。
669日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:19:13
>>668
>九州一週説

そう言えばこれは知らないな…

どんな説なんだ?

邪馬台国が常に移動していて九州をぐるっと一周下と言う話なのか?

まあ、それなら九州説論者同士の間では手打ちができて
八方丸く収まるのかもしれんがwwwwww
670日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:28:54
>>669
九州一周説ではなく九州一週説 だ。ちゃんと見ろ。
671日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:35:48
>>670
いやそんな事はどうでも良いw

内容の分らないのだからどう言う字を当てるのが正解なのかも分らないwwww

「コレコレこういう理由で”週”が正しい」と言われないとワケワカランw

これってここのゴミレベル九州説の間では常識なのかい?

672日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:43:01
九州に1週間いて、残りの水行・陸行の行程は九州島外ということじゃないの。
673日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:43:30
>>671
>いやそんな事はどうでも良いw

良くない。言葉は正確に使わんといかん。こんないい加減な性格だから倭人伝を読めんのだ。反省しろ。
674日本@名無史さん:2010/10/30(土) 22:50:04
>>673
まあ>>1が一周を一週と間違えて打った可能性もあるしなあwwwww

つうかお前自体知らないんじゃないのか?w

>>672

♪月曜には末盧国に着き 火曜には伊都国にいた〜

…みたいな?wwww
675日本@名無史さん:2010/10/30(土) 23:35:59
>>670
>九州一周説ではなく九州一週説 だ。ちゃんと見ろ。

うむむ・・・・たしかに・・・・(汗
す、すると、九州に邪馬台国が一週間だけあった、が、あとは畿内邪馬台国になった・・・・と・・・・
676日本@名無史さん:2010/10/30(土) 23:42:57
>>674

九州一周説って河童さんの説でしょ。で、復有国で四国に渡り、何たらかんた
らといった具合に
以前そんな話を河童さんが言ってました。
677日本@名無史さん:2010/10/31(日) 00:44:44
『九州一週説』とは…

月曜日…邪馬台国は佐賀県にあったことにする!
火曜日…邪馬台国は福岡県にあったことにする!
水曜日…邪馬台国は長崎県にあったことにする!
木曜日…邪馬台国は大分県にあったことにする!
金曜日…邪馬台国は熊本県にあったことにする!
土曜日…邪馬台国は宮崎県にあったことにする!
日曜日…邪馬台国は鹿児島にあったことにする!

これでみんな納得喧嘩もなし

 『俺達仲良く、邪馬台国九州説!!』
678日本@名無史さん:2010/10/31(日) 01:24:57
九州説一蹴!
679日本@名無史さん:2010/10/31(日) 03:24:33
>>453,474,507,509,567,622,628,643,645
>湖岸自然堤防

一見これは、地学・地理学等の専門用語かのように思えるが、果たして……。


  * * * * * * * * * * * * * * * * * *


我々がしょっちゅうお世話になるグーグルのサイト。
http://www.google.co.jp/

このグーグルの検索窓へ、検索オプションとして「フレーズを含む」検索を行わせるために、
チョンチョンカッコ(二重引用符ダブルクォーテンションマーク)を付けて、

  "湖岸自然堤防"

を入れ、検索ボタンをクリックしてみられよ!

果たしてあなたは何件のヒットがあっただろうか?
 
680日本@名無史さん:2010/10/31(日) 05:00:06
>>679
本来の用語は「自然堤防」だけだ。
河川の傍にできる自然堤防を「河川自然堤防」とし、
湖岸にできる自然堤防を「湖岸自然堤防」としている。

湖岸にある微高地を、ある者は「浜堤」とし、
海岸に使われている用語を借用している。
この者は淡水系の微高地用語「自然堤防」を
「河川自然堤防」「湖岸自然堤防」と2つに細分化し、
その2つを使い分けている。
681日本@名無史さん:2010/10/31(日) 06:35:29
>>659
>唐古の近場で言えば清水風や保津宮古とか一緒に水没したはずの遺跡もあるが

清水風遺跡は唐古鍵遺跡より標高が高いので水没しません。
保津宮古遺跡は後期のものとされ新しいので水没しなくなってからできたものです。
682日本@名無史さん:2010/10/31(日) 06:48:22
>>647
>氾濫原あるいはかつての川底に堆積した川砂とどうやって区別したのか?…等々

河川自然堤防(氾濫原あるいはかつての川底に堆積)の場合の土質は、
礫(小石)混じりの土砂(砂・シルト・粘土)。

湖岸自然堤防の場合の土質は、均質な砂。
683日本@名無史さん:2010/10/31(日) 09:39:25
>>679
障害者乙www
684日本@名無史さん:2010/10/31(日) 10:44:25
>似た者同士、どっちもどっちですからね。

俺は、河童の方がぶっ飛んでいて、
相手にしていて楽しかった。
よーわからん、言意学、とやらも暇人達には大受けだったようだし……。

685日本@名無史さん:2010/10/31(日) 10:49:45
極論をいえば、芸術とは「破壊」ですから。
既存のものを全く新しいものに創り返る能力が必要とされます。
河童のいう芸術がいたく感動されるのも当然です。
686日本@名無史さん:2010/10/31(日) 10:54:31
「九州一週説」だろう。

「水行」は水曜日に出かける、
とかいう説じゃなかった?
確か、月曜日とか金曜日とかにも面白い事を行っていた、と思うけど。
687日本@名無史さん:2010/10/31(日) 11:01:31
その説を発表したのは、河童じゃないよ。
今は亡きゾンビスターが過去に言語虫の掲示板でいっていた説だな。
688日本@名無史さん:2010/10/31(日) 11:07:43
zombiemsterだったな。
689日本@名無史さん:2010/10/31(日) 11:08:11
そうですね
河童さんが言ってたのは、一週じゃなく一周です。間違えでした。
690日本@名無史さん:2010/10/31(日) 11:20:47
>>681
>清水風遺跡は唐古鍵遺跡より標高が高いので水没しません。

はて?地図で

唐古鍵 47.9m
清水風 養護学校の東国道24号線上で47m 養護学校の北で45.7m

を確認しているんだが?一体どれくらいの標高差があると言うのかな?

>保津宮古遺跡は後期のものとされ新しいので水没しなくなってからできたものです。

まあ明確にそれ以前の出土を記したソースは見当たらないんで下げても良いが
少なくとも後期からとされているものは知らないが・・・もしあるなら教えてくれ。

何れにせよ他の遺跡も一蓮托生で沈んだはずで
唐古鍵の環濠埋没期に盆地の遺跡群の再編成劇(かつての生物の大絶滅のような)のような事がおきたと言うのも聞かないし
勿論湖底の堆積物と思われるような地層に覆われていたなんて話も聞かない。

このお話がキ○ガイレベルの与太である傍証だな。



691日本@名無史さん:2010/10/31(日) 11:27:50
>>679-680
まあ用語の件はこの「湖岸自然堤防」と言うのが湖岸厨の造語だとしても
浜堤の生成プロセスのようなものが頭にあれば自ずと言わんとすることが分るのだろうw

問題は既に確認されていると言う奈良市と郡山市の湖岸自然堤防=浜堤とやらだな。

本当にそれが立証できてれば縄文人とか言う知ったかぶりのおっさんが必死に唐古鍵の埋没なんて
痛いネタを叫ばずともとっくにけりがついている話だと思うがw

先にも書いたが
盆地湖があったなら湖岸自然堤防=浜堤もあるはず…なんて仮定の上に仮定を重ねたお話じゃあらちがあかない。

湖岸堤防と河川堤防の土壌の違いとかを力説されても全く意味なし。




692690:2010/10/31(日) 12:26:11
>690の水没したであろう遺跡で
今確認のために見た地図等に直ぐ見えたものをせっかくなんでついでに書いておく

川西町 下永東城遺跡
 縄文・弥生・,古墳・鎌倉・室町
 標高は遺跡の西、結崎から北に伸びる近鉄を挟んだ地域で45m
 
まあこうやって並べていけばきりが無いんだろうが
細かく拾っていけば湖の範囲なんてかなり限定されて
結局は現在の河川の姿に近づくんだろう。

唐古鍵なんて一般の地図にも載っているような遺跡やその他いくつかを適当に配して
如何にも…と見せるゴミクズレベル九州説のサギペテンだな。

そもそも(人工的手段にしろ自然経過にしろ)新しく農耕地・居住地を得て
それが巨大古墳造営を始める古墳時代への原動力になったと言うのなら
その新しく得た標高の低い土地に進出した痕跡がなければ話のつじつまが合わない。

この時点で既に子供だまし。

まあゴミクズレベル九州説のサギペテンの中でもこの盆地湖のネタは相当なクズ。



693日本@名無史さん:2010/10/31(日) 12:29:36
>何れにせよ他の遺跡も一蓮托生で沈んだはずで
>唐古鍵の環濠埋没期に盆地の遺跡群の再編成劇(かつての生物の大絶滅のような)のような事がおきたと言うのも聞かないし
>勿論湖底の堆積物と思われるような地層に覆われていたなんて話も聞かない。

何をくだらんことを得意げに吹いているのだ?
唐古鍵 集落の水没期間は十数年だろう。その程度の短期間での湖底堆積物とは何だ?泥土だろ。そんなもんどこにでもあるだろ。
694日本@名無史さん:2010/10/31(日) 12:33:12
>>690
>>清水風遺跡は唐古鍵遺跡より標高が高いので水没しません。
>はて?地図で
>唐古鍵 47.9m
>清水風 養護学校の東国道24号線上で47m 養護学校の北で45.7m

二階堂養護学校は微高地の上にある。二階堂養護学校は微高地の北端にある。
国道24号は微高地の下、微高地の一部を削って幅員を拡張している。

清水風遺跡(二階堂養護学校)の居住跡は弥生中期以降からだ。
水没後の再陸化してからできた集落。
古墳期の集落といっても良い。

私は、奈良盆地湖が消失したのが、崇神9年だから3世紀初頭と考えている。

「広瀬大社縁起」
崇神天皇9年(前89年)に、廣瀬の河合の里長に御神託があり、
水足池(みずたるいけ)と呼ばれる荒涼とした沼地が一夜で陸地に変化して、
橘が数多く生えた。このことが天皇に伝わり、この地に社殿を建てて若宇加乃売命を祀るようになったという。

広瀬大社の奇祭「砂かけ祭」
終末期奈良盆地湖の湖岸自然堤防の均質な砂があったから、このような奇祭が始まったのであろう。

>>691
>湖岸堤防と河川堤防の土壌の違いとかを力説されても全く意味なし。

では、広瀬大社の奇祭「砂かけ祭」に使われる均質な砂地層の成因は何だね?
695日本@名無史さん:2010/10/31(日) 12:44:28
>>694
清水風遺跡の標高については結局かつて削られる前はもっと高かったってお話で
現在の測量結果ではないのか?
所詮たらればのお話だな。

「砂かけ祭り」の砂?

馬鹿馬鹿しい。

氾濫原あるいはかつての河川の底に堆積した川砂でもなんでも考えられる。
そうやって質の良い量も取れる場所でよくコンクリート用の砂が採取されたり
あとダムも長年の間に底に砂が溜まるなんてお話は素人の俺でも聞くようなお話。

別に地質学的な根拠があったわけじゃないんだな。

BPでもAC・DCでもなく崇神9年なんて何処から来たのかと思えばそんなお話だったのか。

まあそれをヒントにして辺りを調査かつての浜堤の姿を描き出してきっちりとした結論が出ているという話なら兎も角
「良い砂が出ますよ」なんてお話で根拠になるのかと言う話だな実に下らない。




696日本@名無史さん:2010/10/31(日) 12:58:02
>>962
>川西町 下永東城遺跡
> 縄文・弥生・,古墳・鎌倉・室町
> 標高は遺跡の西、結崎から北に伸びる近鉄を挟んだ地域で45m

これも奈良盆地湖消失直前から始まった遺跡。
つまり2世紀後半以降の遺跡。
697日本@名無史さん:2010/10/31(日) 13:07:29
>>696
お前の脳内モデルと縄文人の脳内モデルとでは違うんだろうが
ややこしいからできれば統一して欲しいところだw

で、2世紀後半頃にはそこは陸地でまた水没したり…と言うシナリオなんかな?

もう水位を上げたり下げたり大変だな、と言うかご都合主義と言うか・・・

もう直接的な湖底にあった時期の堆積物とか示してもらわないと
延々と「たられば」の繰り返しだと思うが
698日本@名無史さん:2010/10/31(日) 13:14:25
>>695
>清水風遺跡の標高については結局かつて削られる前はもっと高かったってお話で
>現在の測量結果ではないのか?
現地へ行って二階堂養護学校の敷地と国道24号の高さを見てきたら?

>氾濫原あるいはかつての河川の底に堆積した川砂でもなんでも考えられる。
>そうやって質の良い量も取れる場所でよくコンクリート用の砂が採取されたり
>あとダムも長年の間に底に砂が溜まるなんてお話は素人の俺でも聞くようなお話。

底に溜まるのは泥。
均質な砂が溜まるのは川から水溜りに入るところの喫水線の下。
喫水線の下に溜まった均質な砂の地層が水溜りの水面上に露出したものを、
「湖岸の砂浜」とか「湖岸自然堤防」と言う。
699日本@名無史さん:2010/10/31(日) 13:21:03
>>698
とりあえず何処ぞの神社のお祭りに使われる砂こそが
そこにかつて湖岸堤防=浜堤があった証拠で
それはかつて盆地湖があった証拠でもある

・・・と言うのはお前のオリジナルって事で良いんだよな?

いや、地理地質の分野で既に確認されているようなお話なのかな?と思ったんで
700日本@名無史さん:2010/10/31(日) 13:43:34
>似た者同士、どっちもどっちですからね。

自分の私見は棚に上げるも、他人には厳しい河童虫。

Re: 今更、かったるいが・・・ 2010/10/31 12:52 [ No.18049 / 18050 ]
投稿者 :
kappa_mushi7019

そんな現代の解説なんてどうでもいいんですよ。

>みずがめ座の時代

で、その「みずがめ座の時代」って二十五史の何処に書いてあるのか?
結局は妄想の域の上に組み立てられた想像でしょ
その想像の上に、史書の内容を適当に振り分け重ねた
ということですよね

701日本@名無史さん:2010/10/31(日) 13:55:28
「ゴミクズ」「サギペテン」はやめれ (別の言い方なら可)
702日本@名無史さん:2010/10/31(日) 14:04:12
>>696
>つまり2世紀後半以降の遺跡。

しかし下永東城遺跡は縄文も複合だぞ。
まさかお前は縄文時代が2世紀後半まで続いていたとでも?
703日本@名無史さん:2010/10/31(日) 14:23:37
まあその神社のお祭りに使われる砂がこの湖岸厨の言うようなプロセスでできたとしても
それは300万年前に出現したと言う奈良湖が縮小する過程で起こりうる現象。

一体年代の根拠はなんだ?って話だな。

まさかその神社の縁起と言うわけにもいくまいにw


704日本@名無史さん:2010/10/31(日) 16:33:52
>>697
>もう水位を上げたり下げたり大変だな

何回も水位の上下はありませんよ。
紀元前2000年頃から紀元後200年頃までに4回程度の水位の上下があったようです。


奈良盆地湖があったこと示す地名は盆地各地にあります。
「大和田」「大輪田」「北浦」「南浦」「舟戸」等
705日本@名無史さん:2010/10/31(日) 16:36:58
沖積層が地下水位の低下で地盤低下を起こすことは常識だ。大阪でもそれが問題になっただろう(下記参照)。
http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000064234.html
上記URLに出ている資料2に大阪市の観測結果が記載されているが、昭和10年から平成19年までの累積沈下量が
此花区西島で292cm、西淀川区百島で245cmにも達している。

現在の唐古・鍵の集落の標高は奈良湖が存在していた頃より1〜2m程度下がっていると推定される。推定ではダメだと言う人も
いるだろうが、湖が消失した頃の測量記録など無いのであるから推定するほかしようがない。


706日本@名無史さん:2010/10/31(日) 16:48:47
>>702
>しかし下永東城遺跡は縄文も複合だぞ。
>まさかお前は縄文時代が2世紀後半まで続いていたとでも?

箸尾遺跡と下永東城遺跡を縄文と弥生の複合遺跡と判定基準は疑問です。
どちらも弥生2世紀後半以降の遺跡です。
707日本@名無史さん:2010/10/31(日) 17:05:44
唐古・鍵の出土物を見ても石器など縄文時代の物と似ている。あの辺りは弥生時代でも縄文時代と同じような物が使われていたのだろう。
708日本@名無史さん:2010/10/31(日) 17:14:08
709日本@名無史さん:2010/10/31(日) 17:49:21
>>705
勿論推定ではダメ。
なんで集落のところが都合良く地盤沈下起こすんだ?
世間ではそれをご都合主義と言う。

もうこじつけのオンパレードだな。キリが無い。

ニッチを見つけては
「こういう可能性もある」をねじ込むだけ。

やっぱり、さっさと唐古鍵の濠の中の土壌のサンプルでもとってもらって
長期間の堆積があった事を示す物証をもってこいと言う話だな。

まあこう言えば
「じゃあ洪水で埋没した事の証拠をもってこい」
なんていう奴が出てくるんだろうが、そんなものは
「湖面上昇で水に没した」と言っている奴がやれよと言う話。

立証の責務はそれを主張しているものが負え。

幾らご都合主義よろしくその期間を短く設定しようが
濠が埋まるだけの堆積があったってお話しなんだからな。


710日本@名無史さん:2010/10/31(日) 18:36:09
>>709
>やっぱり、さっさと唐古鍵の濠の中の土壌のサンプルでもとってもらって
>長期間の堆積があった事を示す物証をもってこいと言う話だな。

亀瀬の山塊地滑り崩落によってダム(ダム高標高約50m)ができ、
奈良盆地湖の水位が静かに上昇したのでたとえ100年水中にあっても堆積は殆どない。
たとえ堆積物があっても粘土質の泥と腐敗植物である。
再び地上に露出すれば、雨で簡単に流れ去る。


711縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/31(日) 19:39:03
なんだ?畿内説の面々はまだ諦めていないのか?

>>709
>勿論推定ではダメ。
>なんで集落のところが都合良く地盤沈下起こすんだ?

別に集落のところだけが”都合よく”沈下するわけではない。沖積層なら地下水位が低下すれば、水が抜けた部分は収縮するので
地盤沈下が起る。常識だ。

ところで、>>633で指摘したことだが、
昭和57年の水害でも唐古・鍵は土砂で埋まることはなかった。これは環濠が河川の氾濫で埋没したとする説には都合の悪い材料
だろう。あの辺りでは濁流が勢いよく襲いかかるのではなく、じわじわと水位が上昇して浸水するのだ。

こんな水害では環濠の埋没は起きないだろう。
古代ではもっと激しい雨が降ったとでもいうのかな。


712日本@名無史さん:2010/10/31(日) 20:25:33
>>704

> 奈良盆地湖があったこと示す地名は盆地各地にあります。
> 「大和田」「大輪田」「北浦」「南浦」「舟戸」等

もう、何だってアリだなw

「舟戸」は川船水運に因む地名だろうし、「大和田」「大輪田」に至っては、何でそれが湖岸地名なのか皆目わからん。
広域水面を連想させるのは「浦」だけだけど、これとて何時の時代まで遡れるのかな。
713日本@名無史さん:2010/10/31(日) 20:33:34
縄文人はもう太国と同じ扱いでいいんじゃね。
714日本@名無史さん:2010/10/31(日) 21:08:00

いまNHKスペシャルで、認知症は治る、認知症は予防できる、っていう番組やってますよー

みなさん、ちゃんと観てくださいねー
715日本@名無史さん:2010/10/31(日) 21:29:00
>>714
お前が一番気にしてるんだろう
716日本@名無史さん:2010/10/31(日) 21:56:19
>>711 蝿
>これは環濠が河川の氾濫で埋没したとする説には都合の悪い材料

要するに

「お前達が言っている事と全く同じ事が起きていない」

と言う話なら

「じゃあ盆地が亀が瀬が塞がる事により唐古鍵が水没した実例を示してみろ」
…で済む話だな。

実に下らない。



717縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/31(日) 21:59:43
あ、ここに反論してたのか。
>>634
>また濠を掘った土をそのまま傍に盛っていたらそれが再び濠に入るだけでも相当に埋まる。
>現在の東西の河川堤防もなく、どう考えても今よりはあらゆる面で条件は厳しい。

環濠を掘った土をそのまま傍に盛っておくなど考えられるか?大部分の土は湖岸の埋め立てや整地に使うだろう。一部は環濠の縁に
盛ることもあるだろうが、ちゃんと突き固める筈だ。雨で流れるような置き方はしないだろ。それにだ、盛り土をした直後に水没し
たのならともかく、時間が経てば草が生えるだろう。そうなれば簡単には崩れないぞ。

「現在の東西の河川堤防もなく」?あそこ辺りの寺川と大和川(初瀬川)の堤防はそんなに高いか?
718日本@名無史さん:2010/10/31(日) 22:04:05
>>717 蝿
>環濠を掘った土をそのまま傍に盛っておくなど考えられるか?

ここまで来ると笑えるな。

濠の機能が語られる時に
「土を外側に盛ってあるのは防衛施設として考えるには理屈に合わない」
とか言う話を聞いた事が無いのか?
(全ての環濠集落でそう言う傾向なのかは知らんが)


719縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/31(日) 22:09:44
>「じゃあ盆地が亀が瀬が塞がる事により唐古鍵が水没した実例を示してみろ」

弥生中期後半から末にかけて埋没したとされる唐古・鍵環濠集落の環濠がその実例なんだがな。


720日本@名無史さん:2010/10/31(日) 22:13:27
>>719 蝿
>弥生中期後半から末にかけて埋没したとされる唐古・鍵環濠集落の環濠がその実例なんだがな。

だ か ら 

じゃあ河川氾濫による環濠の埋没も

「生中期後半から末にかけて埋没したとされる唐古・鍵環濠集落の環濠がその実例なんだがな」

で済む話だな、下らない。

 

721縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/31(日) 22:15:01
>>718

レスのその部分だけでなく全部を読んで答えろ。肝心なことには答えず枝葉末節を論じるのはよせ。
722縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/31(日) 22:18:13
>じゃあ河川氾濫による環濠の埋没も
>「生中期後半から末にかけて埋没したとされる唐古・鍵環濠集落の環濠がその実例なんだがな」
>で済む話だな、下らない。

その河川の氾濫による埋没は近年の水害の例を見ても可能性が低いということなのだ。
723日本@名無史さん:2010/10/31(日) 22:30:31
>>721 蝿

枝葉末節?
そもそもお前が高低を問うている堤防と言うのは一体何処の事だ?

>>460には現在の集落のある自然堤防が16世紀に形成された事を述べているものを挙げておいたが
いい加減学習してくれ。


724日本@名無史さん:2010/10/31(日) 22:34:02
>>722 蝿
>その河川の氾濫による埋没は近年の水害の例を見ても可能性が低いということなのだ。

近年の河川氾濫による水没した記録はある。

じゃあ過去に唐古鍵が亀が瀬の閉塞によって水中に没した記録は何回あるのかな?と言うお話だな。


1:0でも話にならないわけだが?



725日本@名無史さん:2010/10/31(日) 22:37:23
>>712
>「舟戸」は川船水運に因む地名だろうし、「大和田」「大輪田」に至っては、何でそれが湖岸地名なのか皆目わからん。

それはお前さんが無知だから。学べ!
726縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/10/31(日) 23:24:30
>>723 蛆(これはおまえが蠅と書いていることへのお返しだ)

>そもそもお前が高低を問うている堤防と言うのは一体何処の事だ?

>>634におまえが書いているだろが。もう忘れたのか?「現在の東西の河川堤防もなく、どう考えても今よりはあらゆる面で条件は厳しい。」と。
これは現在唐古・鍵の東西を流れる寺川と大和川には堤防があるが、弥生時代にはそんな堤防はなかっただろうから水害が起りやすい という意味じゃ
ないのか?だから、現在の堤防は唐古・鍵の浸水を防げるほどに高いのかと聞いておる。堤防と言うほどのものは無いぞ。護岸は川を跨いで通っている
道路の高さと殆ど同じじゃないか。 今日はこれまでだ。ほなな。
727日本@名無史さん:2010/10/31(日) 23:38:15
>>726 蝿

スマンが質問の意味が分らない。

現在の堤防が唐古・鍵の浸水を防げるほどに高いのか

・・・と言われても
とりあえずここまで昭和57年の浸水の例を挙げたからその時点ではまだ不十分で
現在はいろいろ改善されているんだろうがそれがどれ程の雨量に耐えられるものか?は知らない

まあ調べれば分るのかもしれないが・・・

何が言いたいんだ?
728日本@名無史さん:2010/11/01(月) 00:28:13
>>725
> >>712
> >「舟戸」は川船水運に因む地名だろうし、「大和田」「大輪田」に至っては、何でそれが湖岸地名なのか皆目わからん。
>
> それはお前さんが無知だから。学べ!

貴方のような曲解力とご都合主義は、常人にはどんなに努力しても習得しかねます。
729二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/01(月) 11:31:30
>>639
「ゴミ」
聞いているのはこちらだ。
逃げずに答えろと言っているのに、いつまでたっても答えないな。

>>「張政の報告書なるものがあったとする」 
がどうして
 
>>「狗奴国との事の顛末が明記されて無いのはその存在を疑う材料に足る」  
なんて話になるのか?

オマエの頭の中でなにがどうつながって、そのような結論に至ったのかなど、
わかるわけないから聞いているのだよ。

ニ ホ ン ゴ ワ カ リ マ セ ン カ ?
730二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/01(月) 11:37:57
>>640
「ゴミ」
何を一人で、ナイ頭を使ってるんだ?

二回の郡の使いがあったことは、2ルートであったとする「十分条件」だ。
それが同一ルート(とみなせるようなもの)には「必要条件」となる。

731二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/01(月) 11:46:07
>>641
>>642
バカ相手ついでに書いておくが、では魏略や三国志の倭についての記述は、
どこから出てきた情報を書き留めたものだと考えているのか教えてくれ。

倭に行ったと書かれている梯儁と張政が、その情報の多くを伝えたのだと考えられているのは
広く一般に認められていることだと私は思っていたし、そう考えているが。

陳寿が妄想でデタラメ書いたとか、本気で言ってるのか?
732日本@名無史さん:2010/11/01(月) 15:48:21
>>728
「ふなと」「おおわだ」の意味を学ぶ為の一助を示そう。

《 ふなと 》
「船戸」「舟戸」「船門」「舟門」
類似語
《 つと 》
「津戸」「津門」

「と」は、「舟の行き止まり」の意、下船するところ。


《 わだ(わた) 》は「海」の意
「和田」「輪田」

派生語
《 おおわだ 》
「大和田」「大輪田」は「大きな海」

《 わたつみ(わだつみ) 》
「海積」「海神」「和田積」「渡津見」「度津見」
733日本@名無史さん:2010/11/01(月) 17:37:42
>>729 ヒステリー起こしちゃっているゴミニルートくん

この ヴぁかぁ は、なんかもうヒステリー起こして(ひょっとしておばちゃんだろうか?)
兎に角抗弁の文章を書きなぐっているって感じだなwww

そりゃお前、報告書がありゃ
「因りて詔書黄幢を齎し難升米に拝仮し檄を為りて之に告諭せしめて」
どうなったのかって書いてあるだろうって話だが?

その「事の首尾」が書いてなきゃおかしいだろうって話だが?

行くだけは行ってきました。
何やらそこへ行く道は書いてあっても事の首尾は書いていない…なんじゃそりゃって話だが?w

例えるなら
「私ニルート厨はA社に商談に行って参りました。A社への道順はこうこうこうです…」
…で肝心の商談の結果が書いていない。

何の為の報告書なんだ?って話だなwww

734日本@名無史さん:2010/11/01(月) 17:39:47
>>730 ヒステリー起こしちゃっているクズニルート厨ちゃん
>ニ回の郡の使いがあったことは、2ルートであったとする「十分条件」だ。

ほう、ではその事だけで1ルートであったことを如何に排除できるのか説明してみろ阿呆。
” それのみで十分 ”他を要せず証明できるから十分条件なんだぞ?

本来なら梯儁はAルート、張政はBルートとそれぞれ分けて書いてあれば一番問題ないわけだ?
ここまでは分るよな?ヒステリーちゃん?

しかし現実ルート自体の記述は1ルートの如くにしか書いていない。

これを二つに割って見せようとするんだから2回2名の遣使を挙げる事は
” とりあえずは必要 ”な条件なわけだ。

1名の遣使しか挙がっていなければ分割も糞も無い話だからなwww

2人は同じ道を通ったかもしれない、ひょっとしたら違う道を通ったかもしれない。

それが2回の使者の名が見えるだけで、どうやって2ルートを” それのみで十分 ”として確定しうるのか?

説明してみろゴミクズちゃんwwwwww
735日本@名無史さん:2010/11/01(月) 17:41:58
>>731 ヒステリー起こしちゃっているアホニルート厨さん
>陳寿が妄想でデタラメ書いたとか、本気で言ってるのか?

これこれゴミクズさん、誰もそんな事は言って無いぞ、勝手にヒートアップしないようにw

「情報源」と言う話なら幻の報告書wも含め、他にも郡からの報告書とかも考えられるし
どうやって報告書を見て陳寿が書いたと言う確定ができるのかって話だがw

先の張政等派遣の「事の首尾」以外にも色々
例えばその報告書は魚豢は目にすることはできなかったのか?
目にすることができたなら何でそれを引かなかったのか?
と言うような疑問も出てくる(無論、適当な理由付けは幾らでもできるが…)

確定されていない(できない)ような事を前提にした論は砂上の楼閣だと言うごく当たり前のお話。

そこに持ってきてこのニルート厨は
何故か2ルートが1ルートの如く書かれたというお話を付け加える。
(読み手に誤解させるような報告書を出した人間がアレなのか?読んで誤解した人間がアレなのか?www)

そりゃアクロバチックさにも磨きがかかるってもんだwwwwwww
736メ(早寝早起):2010/11/01(月) 18:57:10
お みんな来い、来い

「二」と「ジョーカー」がやりあってるぞ(二ルートが切れた)w
注目注目!!
737メ(早寝早起):2010/11/01(月) 19:30:04
「二」と「ジョーカー」

ほら 二人ともどーした?! 
勝った方が「↑」にいけるゾ 負けた方はさっさと「↓」に下がれょww

ジョーカー >>張政が何をしに倭に来たか?「告諭したと」言う事だけ書いてある。
二 >>倭人伝も読んでないのか。
ジョーカー >>ゴミニルート厨君はきちんと”倭人伝を読んで〜
二 >> ニ ホ ン ゴ ワ カ リ マ セ ン カ ?

お前ら、何レベルの低い議論しとんねんwwwwwwwwwwwwww
この二人の「告諭した」件、ここのスレの奴じゃわからないだろうな・・・
俺が判定してやる〜確かに一方がおかしいわなw
738メ(早寝早起):2010/11/01(月) 19:55:45
>>264-735まで、「二」と「ジョーカー」 の議論をざっと読んだけど〜

ロムラーは(とくに初心者さんには)どっちが「馬鹿」か分からないだろう?
まあ、そういう人のために教えてやろうか。


ジョーカー ←こっちが馬鹿だぜw 恥ズww
おめーもう一回勉強して来いwwwwwwwwwwwwwwwwww
739日本@名無史さん:2010/11/01(月) 21:49:01
あれ、奈良湖の話は終わったの?
740日本@名無史さん:2010/11/01(月) 22:22:31
>>738
でたら”メ”を言うたらあかん。どう見ても二の書き込みがマズイやないか。二はおばちゃんくさいわ。
メはジョーカーとかに恨みでもあんのか?私情で判断が狂ってるようやな。
741メ(寝る前):2010/11/01(月) 22:45:28
>>740
あのねぇ わたしは〜君とどっちが正しいかゴッコしてる暇はない。
分からないんなら、君がもっと勉強すればいいだけの話。

トロくさい日本@名無史が〜スッ込んでろょwww
742日本@名無史さん:2010/11/01(月) 23:06:00
メちゅうのは話の通じない奴だな。
743日本@名無史さん:2010/11/01(月) 23:25:38
>>742
話が通じないのは河童以上
744日本@名無史さん:2010/11/01(月) 23:27:42
>>741

「メ」良かったな

河童を凌ぐものがあってwww
745日本@名無史さん:2010/11/02(火) 01:50:24
まあ「おばさんぽい」と言うのなら
こうやって周りを「ナベ奉行」よろしく仕切りたがるドツボの方が上かな?wwwww

「ホラ○○さんあんなこと言ってるわよ、しっかり言い返さないと!」
…みたいな感じで、リアルでこんなキャラだったら周りからさぞ鬱陶しがられているんだろうなw

張政の件より何より笑撃的wなのは

>二回の郡の使いがあったことは、2ルートであったとする「十分条件」だ。

これ本人が「十分条件」「必要条件」を知った上で書いているなら
それこそ今までの九州説(この板限定じゃなくてリアルのほぼ全ての九州説が対象)が
このニルート厨のアイデア跪けという凄い話になるんだがwwwwwwwwww

二人の遣使の名が見えることで
「ニ分割できる」を通り越して「ニ分割で確定」までもっていけるのか?

仮にもう一人遣使が登場していたら3分割、計4人なら4分割か?w



746日本@名無史さん:2010/11/02(火) 02:09:06
>>732
>《 わだ(わた) 》は「海」の意
>「和田」「輪田」

和田
福島県本宮市、福島県須賀川市、千葉県四街道市、東京都杉並区、
東京都多摩市、神奈川県横浜市保土ヶ谷区、長野県松本市、長野県小諸市、
長野県小県郡長和町、福井県福井市、大阪府堺市南区、兵庫県加古郡稲美町、
福岡県糟屋郡篠栗町、福岡県福岡市南区

大和田
福島県白河市、茨城県古河市、栃木県真岡市、埼玉県比企郡吉見町、
埼玉県新座市、千葉県八千代市、千葉県市原市、静岡県掛川市

Yohooに聞いてみたらたくさんヒットしたので
最初の方にあがったところの内,海とは関係ないっぽいのをリストアップ
ちなみに輪田はヒットせずで大和田は奈良の1箇所のみヒット

よーするに和田や輪田という地名があったところで
そこが海(だった)とは限らないってことだわな
747日本@名無史さん:2010/11/02(火) 07:02:17
外交記事の内容を地理記事に重ねる時点で
ハァ?なんだが。

外交の遣者二人を取り上げるなら、外交に関する対比と考える方が自然だろ
748日本@名無史さん:2010/11/02(火) 07:52:01
>>732
「と」が船が行き止まる意なら、
トリの「と」も、トモダチの「と」も、トンデモの「と」も
船が行き止まる意なの?
749日本@名無史さん:2010/11/02(火) 09:00:08
>>748
「と」は「とまる」(止まる、泊まる、留まる)
転じて「戸」「門」

「とぶ」の「と」は別語


>>746
>よーするに和田や輪田という地名があったところで
>そこが海(だった)とは限らないってことだわな

上記の「和田」の地名については由来をよく調べなさい。
縄文弥生期には、湾、湖、広大な池沼であったところがあるよ。
750日本@名無史さん:2010/11/02(火) 10:14:54
>>746
屁理屈を捏ねてあがいても無駄。
素直に勉強しなさいよ。

奈良盆地湖の存在は否定しようがないのだから。


ちなみに、王寺町の「舟戸」と河合町の「大輪田」がある。
ここには大和川を挟んで南北に船戸山と三室山がある。
ここ舟戸の奈良盆地湖の湖底には南北に走る山脈があったのである。
(この地質データー閲覧は有料。かって無料版にも記載されていた。)
亀瀬の水位の低下と共に奈良盆地湖の水位が下がり、
この船戸の南北に走る湖底山脈は湖面に露出し、西側の奈良盆地湖が消失し、東側の奈良盆地湖が残った。
この船戸の山脈が奈良盆地湖のダムとなり、湖の流出口となった。
この時の奈良盆地湖の水位は標高60m〜50mと推定される。
又、この時期は、縄文遺跡の分布からみて縄文中後期から弥生前期であろう。

舟戸の東の大輪田は奈良盆地湖の西の端の大海原であり、
舟戸は奈良盆地湖航行の行き止まりの意となる。
舟戸から下流は流れの速い瀬となっており航行不能。
現在の亀瀬から国分間の大和川と同様の状況。
751日本@名無史さん:2010/11/02(火) 10:49:12
>>750
>舟戸は奈良盆地湖航行の行き止まりの意となる。
>舟戸から下流は流れの速い瀬となっており航行不能。
>現在の亀瀬から国分間の大和川と同様の状況。

完全な出鱈目と思う。
だが理由を述べる前に、貴殿に一つ訊いておきたいことがある。
貴殿はJR三郷駅〜王寺駅間を乗車し、車窓から大和川を眺めた経験がおありか。
べつに電車からではなく、この間の大和川の景色なら道路からでも構わないのだが、如何か。
752日本@名無史さん:2010/11/02(火) 11:08:00
>>749

>「とぶ」の「と」は別語
別語のわけないじゃん。同じ日本語だぜ
どこがどう別語なのよ?
ちゃんとチガイを説明して
753日本@名無史さん:2010/11/02(火) 11:31:38
>>751
私は元地元の人間です。
今は住んでいませんが、本籍もあり親戚もたくさん居ります。土地も保有しています。

子供の頃、初孫の私は祖父や祖母に連れられてあっちこっち行きました。
西の空に大阪空襲を見ました。奈良盆地でのグラマン戦闘機(P51偵察機?)の機銃掃射も覚えています。
都市化する前の奈良盆地をよく覚えています。

今でも年に数回行きます。先週も行って来ました。
今週か来週も所用があって行きます。

754日本@名無史さん:2010/11/02(火) 17:56:18
九州説チャンピヨンはまだ決まらんのか?
755日本@名無史さん:2010/11/02(火) 18:04:47
微妙に畿内説ちゃんぽんになってるような気がする
756日本@名無史さん:2010/11/02(火) 19:15:20
横からだが

>>750
>奈良盆地湖の存在は否定しようがないのだから。

宇宙人がいて地球に飛来している。
ネッシーがいる。

何れも可能性はゼロではない否定できない。
無い事を証明する悪魔の証明は誰にもできない。
証明はお前がしろと言う話だな。

「湖岸堤防」だかなんだか知らんがきちんと地質学的資料が揃っていて
何故一般に認知されていないんだ?

そもそもこいつの言う「湖岸堤防」が実にぁゃιぃ。
堤防と言うのだから沿岸流によって運ばれて堆積したものかと思いきや必ずしもそうじゃないらしい。
「袈裟のような衣のような…」と言う実に曖昧www

はっきり言えばこの湖岸厨の脳内定義ぽい。
(まあ地質学的お話にいきなり崇神9年とか言う実年代が出てきた時点で
 なんとなく与太話だとは分ったがw)

「私だけが知っている古代の秘密」と言うここのゴミクズレベル九州説にありがちな
(この湖岸厨が畿内説なのか九州説なのかは知らんが)

自分が打ちたてた新しい学問の分野=自分だけの世界の中のお山の大将を気取る
一種のナルちゃんタイプのキ○ガイだなw


757756:2010/11/02(火) 19:24:53
この湖岸厨のゴマカシは

主に地質学的な事は年代がン百万年ン十万年前にならあったろうお話で
それ自体はまあ、あまり無理も無い話なのかもしれないが

その年代と言うお話になると
何処ぞの神社の縁起やら地名のお話になる。

こうやっていろんな方面を適当につまみ食い・寄せ集めすると言うのも
トンデモにありがちなお話w


758日本@名無史さん:2010/11/02(火) 19:27:52
うんうん
古田武彦もそんな感じ
759日本@名無史さん:2010/11/02(火) 19:45:18
そう。神社自体歴史が奈良時代以前に遡れるものは極めて少ない。
ただし、その社伝などでは自らの歴史を古くかつ大業に記述しているものがほとんど。

唐松山先生の「ホツマ」もその一つだが、江戸時代の神道家には古史・社伝をでっちあげ
ることを生業としているものがいて、同一人が書いた社伝として研究対象となってるものもある。

古奈良湖は100万年レベルの太古には存在していたのだから、その痕跡のようなものはそれ
なりに残っているのかもしれない。しかし、地質学ははっきり決着がついているものだし、弥生の
奈良湖などという論文はない。2chだけで通じる与太話。


760日本@名無史さん:2010/11/02(火) 19:58:52
しかし、昭和に入ってからでさえ水没してるからな。
その昭和水没の痕跡は見つかるのかねえ。
761日本@名無史さん:2010/11/02(火) 20:22:23
S57年の水没の後、13次(だったか、その次か)の発掘調査では泥を取り除いて行ってる。
この時から、唐古・鍵の発掘主体が橿原考古研から、田原本町教育委員会に代わり、
町は堤防補修などと並行して発掘調査を続け現在に至る。遺跡は保全されているんだよ。
762日本@名無史さん:2010/11/02(火) 20:38:46
昭和でさえ水没しているからには
それまでに数回、あるいは数十回水没していると思うんだよね。
その土砂の蓄積状況ってどんな状態なんだろうね。

まさか、弥生の昔から保全を続けてきたわけじゃないだろ?
763ローガン:2010/11/02(火) 21:15:01
マジレスするの大人げないけど…
昭和57年に橿考研が田原本の味間で、東西方向にほぼ一直線に300mのトレンチを入れてる。
検出した遺構はトレンチの西端20m(第4トレンチ内)に溝3条。溝SD2底に庄内式土器。
遺構のベース土は黒灰粘質土。 「このシルト層の厚さは確認していないが、1m以上あることは間違いない。」(田原本町味間遺跡 発掘調査報告書 P.5)
東側の約100m(第1トレンチ)では、6層黒灰粘質土の上層、4層床土C(18cm)5層灰粘黄葛土混入(約20cm)
「この第1トレンチの大半は4層と5層の間に部分的に灰色砂、葛粘砂、灰褐粘砂等の砂層が形成されていたので、恐らくかがり川の氾濫原であったと考えられた。」(同)
遺構面標高は49.7m。 トレンチの東側にはかがり川が流れている。この川の氾濫による土砂が標高約50mの地点で堆積しているという事。 そして、この氾濫原は西側第3トレンチまで及んでいない。
仮に盆地湖なるものがあり、それに由来する土砂の堆積なら、遺構のベース土全面を覆っているだろう。
764日本@名無史さん:2010/11/02(火) 21:22:07
水害といっても規模の問題があるけど、他から運ばれた土砂が堆積したのなら、
まず地層として残るから、トレンチを掘ればわかる。焼け土の層があれば火災が
あったなどのこともわかる。唐古・鍵の場合も遺跡周辺の地層を掘ればある程度は
わかるんじゃないか。
765日本@名無史さん:2010/11/02(火) 22:56:13
>>750

オマエ、王寺には近世まで大和川水運の港が有ったことを知らないのかw
港は海にも有れば川にも有るんだよ。
766日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:08:43
まあ小野妹子と一緒に日本に来た裴世清はどうやって奈良盆地まで来たのか?ってい話だなwwww
767日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:28:45
>>763 
>マジレスするの大人げないけど…

なにを気取っているのかな、このおっちゃんは。

同じ田原本町にある遺跡でも唐古・鍵と味間では地勢が異なる。味間は唐古・鍵から南に数kmほど離れており、東方にやや高くなった
土地が広がっている。大雨の際にはその土地からの水流を受ける地勢にある。上流の土地を開墾して畑にしていたらその耕土が流出して
堆積した可能性があるだろう。これで盆地湖の存在を否定できるものではなかろう。

768日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:28:57
>>763

普通地層は表面から1層2層と数えるから

上方向
表面
〜〜〜〜
4層床土C
灰色砂、葛粘砂、灰褐粘砂等の砂層(かがり川氾濫原)
5層灰粘黄葛土混入
6層黒灰粘質土で1メートル以上(遺跡ベース土)
下方向

こういう解釈でいいのでしょうかね。
そして、かがり川氾濫原は、西側までは広がっていない、
かな
769ローガン:2010/11/02(火) 23:41:34
>>768
そうそう。
もうじき寝るので、なんか有れば 書いといて。
770750:2010/11/02(火) 23:41:41
>>765
>王寺には近世まで大和川水運の港が有った

上記は間違い
正しくは、「王寺には近世では大和川水運の港が有った」

それを真似て、王寺から堺まで舟の川下り実験をした人がいたなぁ。
浅瀬が多くて、水の中をボートを押し歩きをしたりして大変だったそうだ。


>>766
裴清は久留米に着いたんだよ。
771ローガン:2010/11/02(火) 23:43:58
>>767
おや、樋口さん。お久しぶり。
772日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:54:54
>>769
こらこら寝るな。767にあんさんの陰謀論を指摘されてるやろ。条件の異なる二つの遺跡を(あたかも同じ条件下にあるかの如くというか、
条件の違いを隠して)結びつけて論じる ようなやり方は見抜かれておるんやで。
773日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:55:45
>>770
>それを真似て、王寺から堺まで舟の川下り実験をした人がいたなぁ。
>浅瀬が多くて、水の中をボートを押し歩きをしたりして大変だったそうだ。

関西ローカルの深夜番組「探偵ナイトスクープ」やな
大和川を下って通勤できるかどうかの実験と言うw

それでも朝出発して夕方堺(だったかな?)のオフィスに終業時刻のギリ前には着いていたが

もう少し水量水深があれば普通に下れたんじゃないか?
(特に付け替えで大きく変わっているだろうし)

やればできるもんだと結構感心した記憶があるがww


774日本@名無史さん:2010/11/02(火) 23:59:16

あのさあ、九州チャンピョンはどうなるの?

>>771
ポカーン
樋口さんて誰?
775日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:01:46
梅干し博士。ウソ。
776日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:03:09
>>772
>陰謀論

そもそも、この弥生時代の奈良湖と言うのが陰謀論だな。

>>770を見ると九州王朝説も絡んでいるらしいw

そもそも>>767が何が言いたいのか良く分からん。
上流から土が流れてこようが遺跡全体を覆う堆積層が無いことには変わりは無い。

唐古鍵の濠を埋め遺跡全体を覆っていたはずの同じ堆積物がだ




777日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:07:29
細かい粘土質をシルトと呼ぶんでしたっけ。
粘土質は流れの少ない水中で堆積し、
砂質は流れのある河川からの流入でしょうね。


778日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:09:04
シルトを知ると…
779日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:10:55
>>778
バ〜カ
780日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:15:02
5層は全面的に堆積していると考えていいのかな。

6層でほぼ水が引き、唐古鍵の集落ができはじめる。
しかし、一時的には5層のように再び水没した。
その後再び水が引いて、度々川からの砂質の流入がある。
4層は田んぼの土?

5層で別の土も混入しているらしいので、
ここでまた湖に戻ったりしていたのかもしれませんね。
781ローガン:2010/11/03(水) 00:22:45
>772
> こらこら寝るな。

え。ねたらあかんの。

>条件の異なる二つの遺跡

かがり川 どこへ流れているの? それにかがり川だけが氾濫する?
他の河川はゆっくり流れ、かがり川のみ氾濫? そして味間で土砂全部落としたとか云うつもり?
あのね。「自分の意見が正しい。弥生末に奈良に盆地湖があって、神武さんが水抜きしたんだあ〜」って云うなら、
こんな場末で素人相手してないで、論文でも出版したらどう?

買いますよ。
782日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:36:10
地名用語では「ワダ」は川が曲がったところや、やや広い平地をいい、全国各地によくある地名だ。

ttp://www.e-koto.co.jp/useful/chimei_suginami/p227.html

昔の人は海や川が湾曲しているところを「わだ(輪処)」と呼んでいたことから、この地名がうまれ、
こういう場所は港に適していたことから各地に存在することがわかりました。

ttp://asahi.co.jp/call3/diary/yamaken/chimei_44.html

次に「きしわだ(岸和田)」を取り上げよう。ご承知のとおり、「だんじり祭」で全国的に有名な市である。
江戸時代には岡部氏が治める5万3千石の城下町であった。建武年間に和田新兵衛高家が開いたところで、
その和田氏の「和田」と、大阪湾に面して「岸」があったから、その「岸」とが合わさって
岸和田と呼ばれるようになったとされている。「きし」は大阪湾の海岸に近いことや、
いくつかの川があって岸が存在したであろうことから、納得できるところであるが、
「わだ」は「和田氏」の「和田」に由来するというより、川が蛇行して湾曲してできる丸みのある平地である
「わだ」に由来すると思う.

周知のとおり、「和田(わだ)」は各地に存在する地名である。この「岸和田」も実際に春木川、
牛滝川などが蛇行して平地ができあがっているからなるほどと納得いく。
そういう土地に拠点を置いた地方豪族だから「和田氏」を名乗ったというのが正確ではないかと思う。

ttp://asahi.co.jp/call3/diary/yamaken/chimei_08.html
783日本@名無史さん:2010/11/03(水) 00:46:57
>>750 >>770
>裴清は久留米についたんだよ

…勉強の仕方を間違ってますね
784日本@名無史さん:2010/11/03(水) 09:53:40
>>783
>>750 >>770
>>裴清は久留米についたんだよ
>…勉強の仕方を間違ってますね

あなたはものの見方が間違っていますね
偏見でものを捻じ曲げないで素直に読みましょう。

多利思北孤の都も卑彌呼の都も久留米になります。

九州説チャンピオンは久留米説だよ。
785日本@名無史さん:2010/11/03(水) 10:02:47
>>782

「わだ」の本来の意味は「水溜り」「水のよどんだ処」
786日本@名無史さん:2010/11/03(水) 10:57:22
だから、河川の湾曲部などの呼称としても使われる。
湾曲の内側は流れが緩やかになるため、陸上からの親水性が高い。

つまり、河川地形としても海浜地形としても成り立つ地名なのに、
ひたすら「弥生奈良湖」が在った証拠だと連呼する御都合主義者氏は反省を。
787日本@名無史さん:2010/11/03(水) 11:45:18
>>786
>つまり、河川地形としても海浜地形としても成り立つ地名なのに、
ひたすら「弥生奈良湖」が在った証拠だと連呼する御都合主義者氏は反省を。

@「大輪田」「大和田」と「大」と形容されているから、ただの河川地形と言えない。

A「舟戸」(ふなと)の地名は「津戸」「津門」(つと)に通じる。

B「北浦」「南浦」「豊浦」の地名がある。

@ABの地名からも縄文弥生期の奈良盆地湖の存在は否定できない。

(T)上記は縄文弥生期の奈良盆地湖を地名より考証したものである。

地名以外の検証方法として、
(U)地質地形によるもの(湖岸自然堤防・亀の瀬山塊崩落・舟戸の大和川と直交する尾根筋地層)、
(V)伝説によるもの(広瀬大社縁起)
があり、
これらは互いに独立しているが、補完する関係でもある。
788日本@名無史さん:2010/11/03(水) 12:00:26
「大和田」は「小和田」と対になって地名となっていることもある地名。
川の褶曲は、大小が連続して出現するもの。
他の「和田」より相対的に大きければ、その特徴を捉えて「大和田」と呼称されることが多いのではないのか?

「舟戸」も古代からの王寺地区の港湾機能にひたすら目を瞑り、港だ港だと連呼するしかないのね。
そう、港かもね。川のだけどw
789日本@名無史さん:2010/11/03(水) 12:12:30
>>785
では、「わだかまり」のワダを、その意で説明してくれ
790日本@名無史さん:2010/11/03(水) 12:13:09
ただし、「浦」については、それが地形由来地名で有れば河口につながったような入江のケースを除いて、
河川にかかわることばでは無いと思う。
「豊浦」の表記が何時成立したのか分からないが、少なくとも万葉集には一首も出てこないので、
トヨ・ウラ→トユラと言う変遷が有ったのか、自分には判断しかねる。
791日本@名無史さん:2010/11/03(水) 12:25:18
>>787

> (V)伝説によるもの(広瀬大社縁起)

亀の瀬から河合橋付近までは、浸食が激しく、唐古なんかとは標高が違うんだ。
実際、亀の瀬崩落による自然ダム湖の出現そのものを否定するものはいない。
河合橋付近が弥生時代に水面下になっていたとしてもおかしくない。
おかしいと思うのは、その水面が奈良盆地中央部まで広がっていたと言う話。
なので、そんな伝承は何の役にも立たない。

白黒つけるのには、湖岸自然堤防厨が詳細な資料提供をするのを待つしかない。
792日本@名無史さん:2010/11/03(水) 12:31:23
吸収節って所詮、機内節を否定するだけの節じゃん。
793日本@名無史さん:2010/11/03(水) 13:14:51
>>787
>@ABの地名からも縄文弥生期の奈良盆地湖の存在は否定できない。

他でも書かれているように
「和田」「輪田」は河川地形で、「舟戸」は川船でそれぞれ説明可能だし
「浦」は「裏」と同源だからこれも海や湖でなくても説明可能
地名的には否定もできていないけど肯定もできてませんよ

>(T)上記は縄文弥生期の奈良盆地湖を地名より考証したものである。

現在に残る地名が何時の時代につけられたものなのか全く検証できていないのに
それらが即自説に都合よい時期のものだと結論してしまうのは
九州説の癌の一人安物センセイと同じ思考回路なんでしょうね

794ローガン:2010/11/03(水) 14:11:41
>>780

> 5層は全面的に堆積していると考えていいのかな。

そうです。

>5層で別の土も混入しているらしいので、

混入土は東側のみ。つまりかがり川由来のものという判断。

> ここでまた湖に戻ったりしていたのかもしれませんね。

湖などありません。王朝さん。
795日本@名無史さん:2010/11/03(水) 16:17:41
>>794
5層は全面的に堆積しているのに、かがり川由来のものは
西側にしか堆積していない???

混入と言う言葉からすると、5層はかがり川由来のものと、別の由来のものが
混ざっていると考えていいのでしょうか???

西側以外の5層は別???

>湖などありません。王朝さん。
たぶん九州王朝氏のことだと思いますが、残念ながら違いますです。
796日本@名無史さん:2010/11/03(水) 17:28:51
ローガン翁を九州説チャンピオンに推薦します。翁は博学にして抜群の文章家であり、その論理は極めて精緻である。
まさに古今東西類を見ぬ英才であります。
797日本@名無史さん:2010/11/03(水) 17:36:48
WWW氏(ジョーカー氏)を九州説チャンピオンに推薦します。氏は温厚にして篤実、誠実なレスで知られる日本古代史界の
重鎮である。その上品な文章は内に秘められた深い学識から滲み出るもので、多くの読者に感激の涙を流させてやまないもの
であります。
798ローガン:2010/11/03(水) 17:37:36
>>795

>>794
> 5層は全面的に堆積しているのに、かがり川由来のものは 西側にしか堆積していない???

いえ、東側だけです。西側は混入土の見られない灰粘質土。「第4トレンチの土層は第1トレンチの土層とは違い安定した状況を示した」と。第1トレンチは東側、第4トレンチは西側。かがり川は第1トレンチの東にあります。

>残念ながら違いますです。

それは、失礼。
799日本@名無史さん:2010/11/03(水) 17:42:02
ローガン翁とジョーカー氏を来年の文化功労者として推薦したいがどうだろう。賛同者を募る!!!
800日本@名無史さん:2010/11/03(水) 21:23:01
>>799
そういうことは、ニュー速+で聞いておくれ
801日本@名無史さん:2010/11/03(水) 22:20:22
>798
>西側にしか堆積していない???

西側と東側を間違えました。申し訳ない。

5層は全面的に灰粘質土で覆われているが
東側は砂質の混入があり、西側は無いという解釈でいいですか?

つまり、全面的に灰粘質土(粘土?)が20pほど沈殿する状況で
東側は、時折砂の流入がある、かな?
802ローガン:2010/11/03(水) 23:53:29
>>801
> 5層は全面的に灰粘質土で覆われているが
> 東側は砂質の混入があり、西側は無いという解釈でいいですか?

はい。

> つまり、全面的に灰粘質土(粘土?)が20pほど沈殿する状況で 東側は、時折砂の流入がある、かな?

20cmとは、何をもとに出て来た数字ですか?
803日本@名無史さん:2010/11/04(木) 00:16:42
(4)水田農耕のはじまりと村の起こり
奈良盆地の主な河川が集まる海抜四十メートル位の低地部には、
今まで縄文時代の遺跡がないと考えられていた。
ところが、最近県営第二浄化センター用地の「箸尾遺跡」の調査で、
縄文後期頃に、この低地にも人びとが生活していたことが確認され、
注目を集めている。

小泉俊夫「石器のふるさと香芝」
香芝市HP(ttp://kashiba-city.net/wiki/wiki.cgi/sekki)より
804日本@名無史さん:2010/11/04(木) 00:57:45
>>803
>縄文後期頃に、この低地にも人びとが生活していたことが確認され

勝負あったな
805日本@名無史さん:2010/11/04(木) 01:17:27
>>804
いやいや、ここまでの(と言うよりこの板における過去の)展開を見れば甘すぎる見方だなw

先ず

「それが縄文の遺跡遺物なのか疑わしい」
と来て仮に縄文時代のものと認めても

「その時代には湖面は下がってまた上昇した」
と言う話が出てくるだろうw なんなら

「その地域は地盤沈下したもので古代にはもっと標が高かった」
という飛び道具でも何でもありだww

しかしひょっとして この湖岸厨=九州王朝大好き なのか?

>>753
>奈良盆地でのグラマン戦闘機(P51偵察機?)の機銃掃射も覚えています。

…ってすげーなw
邪馬台国ブームでの九州説の隆盛、あるいは九州王朝説をリアルタイムで経験しているってことか…
806日本@名無史さん:2010/11/04(木) 12:18:40
>>802
>20cmとは、何をもとに出て来た数字ですか?


>5層灰粘黄葛土混入(約20cm)
こういう文章がありましたので、書きましたが
違う解釈でしょうか?
807ローガン:2010/11/04(木) 14:58:03
>>806
ごめんなさい。私の書き方が悪かったですね。「安定した状況を示した」第4トレンチの5層灰粘質土は2〜3cmです。
808日本@名無史さん:2010/11/04(木) 15:20:24
>>807
議論の前提そのものがリセットされちゃいましたね。
809日本@名無史さん:2010/11/04(木) 21:14:18
>>805

その通り。甘すぎる。弥生奈良湖論は難攻不落の堅城なのだ。いかなる攻撃にも屈することはない。

>「それが縄文の遺跡遺物なのか疑わしい」

こう来るだろうと先手を打って牽制にきたな。だが、そうは問屋が卸さぬというのがこの世界だ。
あれは縄文の遺跡ではない。古墳時代のものだ。縄文の遺物と勘違いされたものは貧しい下層民が使っていたものか
子供の遊び道具だろう。

>「その時代には湖面は下がってまた上昇した」
>と言う話が出てくるだろうw なんなら

これはないな。崇神が大和川の浚渫工事をほぼ完成させた後のことだ。4世紀のことね。

>「その地域は地盤沈下したもので古代にはもっと標が高かった」
>という飛び道具でも何でもありだww

地盤沈下は有り得るよ。

810日本@名無史さん:2010/11/04(木) 21:22:18
完全な基地外だな。
811日本@名無史さん:2010/11/04(木) 21:43:07
>>810
今後は太国扱いでいいんじゃないかな。
812日本@名無史さん:2010/11/04(木) 22:37:43
>>807

老眼がちゃぶ台をひっくり返したか。
エグいな。
813ローガン:2010/11/04(木) 23:11:18
>>808
ん?なんで?
第1トレンチと第4トレンチの違いには既に言及したんだけどね。
814日本@名無史さん:2010/11/04(木) 23:29:36
>>809
>地盤沈下は有り得るよ。

そりゃ 「有り得る」さw

だから「有り得る」から「あった」にする為の根拠をもってこいと言う話だな。

「現地の地形に則して考えるべき」それも
「奈良盆地じゃなくて唐古鍵の集落のあったあの場所」と散々言っておいて
てめえらの時は >>705 のように平気で他の事例を持ち出す。

せめて奈良盆地のものをもって来て唐古鍵のそれを論じるなら兎も角。

舐めているのか阿呆。

815日本@名無史さん:2010/11/04(木) 23:37:33
『 》》》決定;九州説(裏)チャンピョン 』

とりあえず

太国…倍暦(天津金木)
縄文人…弥生奈良湖
河童…言意学
九州王朝その他…九州王朝説
怨み節東遷厨その他…邪馬台国東遷説
ニルート厨…ニルート説
サイキバ他…悪の巨大組織「キナイセツ」による陰謀説

エントリーとしてはこんなところだろうか?w


816ローガン:2010/11/04(木) 23:50:38
>>815
サガミ先生は…?
817日本@名無史さん:2010/11/05(金) 00:08:15
>>814
いや、地盤沈下が起こっているとは考えがたいけどねぇ
地盤沈下が起こる原因は大きく二つあって
ひとつは、軟弱地盤上にその地盤が支えきれないほどの重さの造成土や建築物が載せられた時
もうひとつは、本来地下の土壌に含まれていた水分やガスなどが失われてそれまでパンパンだった土壌がスカスカになった時

ここで主張されてるのは後者なんだろうけど
奈良盆地湖の水が大阪湾に流失して湖が無くなったところで水源であった河川がなくなったわけではないから
地下水脈などはほとんど変わりなく存続しているはずなんだよね
むしろそれまで地盤の上にのっかっていた何万トンもの水が無くなったわけだから
重しがとれたのと同じで地盤が僅かながらにでも隆起する可能性だってあるくらいだと思うんだ
818日本@名無史さん:2010/11/05(金) 00:24:14
>>816

スイマセン実は先生の著書を拝読した事が無いんで…

一応はリアルと接点を持っていてなんとか正気を保つ事ができるであろうと言う事と

ここでのカキコを見る限り「九州王朝説」や「邪馬台国東遷説」のような
「大九州主義」のような妄想に囚われているようにも思えなかったんで・・・w

やっぱエントリーすべきっすか?
できたら推薦理由を言ってもらえるとありがたいwww

あと「日向厨」も追加かな?

佐賀大和基点の放射説はまだしも(これについては人によって評価が分かれるところだろうが)
それ以後のストーリーの壮大さ(言い換えればトンデモさ)はこの板でも1・2を争うんじゃないかと思うwww
819日本@名無史さん:2010/11/05(金) 00:59:39
たしか東遷の前に、南九州と北九州の大決戦があって、南九州が勝つというやつだな。
820日本@名無史さん:2010/11/05(金) 01:17:13
日向って鉄器の出土数は大和なみに少なかったんじゃ…
821日本@名無史さん:2010/11/05(金) 20:43:37
>>809
>崇神が大和川の浚渫工事をほぼ完成させた後のことだ。4世紀のことね。

崇神が大和川の浚渫工事をした時期を、4世紀とした根拠は何?
私は3世紀前半と見ているのですが。
822日本@名無史さん:2010/11/06(土) 14:59:03
不都合な事実からは全て目を逸らす湖岸自然厨であった
823日本@名無史さん:2010/11/06(土) 15:14:40
不都合な「事実」は何もありません。
「不都合な事実」とは何ですか?

by 湖岸自然堤防
824日本@名無史さん:2010/11/06(土) 15:40:59
さあ!
中国の国旗を燃やそう。
825日本@名無史さん:2010/11/06(土) 17:11:00
私も縄文〜弥生時代の奈良盆地中心部が湿地帯であることは間違いないと思うのですが、
湖岸自然堤防氏は、なぜ、それを「湖」と呼びたいのでしょうかね?
「湖」じゃないと何か都合が悪いのですか?


826日本@名無史さん:2010/11/06(土) 17:21:32
万葉集 舒明天皇の歌

山常(やまと)には、群山(むらやま)あれど、
とりよろふ、天(あめ)の香具山(かぐやま)、登り立ち、
国見(くにみ)をすれば、国原(くにはら)は、煙(けぶり)立ち立つ、
海原(うなはら)は、鴎(かまめ)立ち立つ、
うまし国ぞ、蜻蛉島(あきづしま)、八間跡(やまと)の国は


奈良盆地に「海原」があることにしたいんじゃないの
湖なら、近くにでかいのがあるのにね
827日本@名無史さん:2010/11/06(土) 17:29:27
ひー、梅干し博士だ。
828湖岸自然堤防(浜堤):2010/11/06(土) 19:35:44
>>825
>私も縄文〜弥生時代の奈良盆地中心部が湿地帯であることは間違いないと思うのですが、
>湖岸自然堤防氏は、なぜ、それを「湖」と呼びたいのでしょうかね?
>「湖」じゃないと何か都合が悪いのですか?

>>826さんの指摘のように万葉集には海原があります。

奈良盆地平野部には、今でも百合鴎が生息しています。

829日本@名無史さん:2010/11/06(土) 20:21:33
>>828
百合鴎は川があれば渡ってきますよ。
830湖岸自然堤防(浜堤):2010/11/06(土) 21:29:42
>>829
>百合鴎は川があれば渡ってきますよ。

百合鴎は山越えもする渡り鳥です。

百合鴎の生態
基本的には魚や甲殻類を食べるが、環境によっては昆虫や雑草の種子などを食べ雑食となる。
昼間は餌場におり、夜間はこれとは異なる海上や大きな湖で過ごす。

奈良の百合鴎が夜間過ごす場所ですが、京都の百合鴎が琵琶湖で過ごすのとは違います。
奈良盆地から生駒信貴山系金剛山系を越えて大阪湾へは遠すぎます。
奈良の百合鴎は、古代の習慣で夜間も奈良盆地内で過ごします。

(昔の京都の百合鴎は夜間は巨椋池で過ごしていたように思います)
831日本@名無史さん:2010/11/06(土) 21:33:11
今度は飛鳥時代の歌か…
崇神9年に湖が消失したんじゃなかったのか?

こうやって言っている事に一貫性がなくなるのもトンデモ・サギ・ペテンの特徴だな。

湖岸厨の言っている事が事実なら、湖底が陸地化してまた湖底に沈んで…を数度繰り返した事を示す地層が
盆地のいたるところで見つかるはずで

そう言った真っ当な証拠に当たれないから地名だの万葉の歌などをつまみ食いして出してくる。

もし 湖岸厨=九州王朝大好き なら確かにこの展開は九州王朝説のペテン手法に似ている。


832日本@名無史さん:2010/11/06(土) 21:39:57
ペテンカケタカ
833日本@名無史さん:2010/11/06(土) 22:19:38
>>823

↓これは不都合な事実でしょw

803 :日本@名無史さん:2010/11/04(木) 00:16:42
(4)水田農耕のはじまりと村の起こり
奈良盆地の主な河川が集まる海抜四十メートル位の低地部には、
今まで縄文時代の遺跡がないと考えられていた。
ところが、最近県営第二浄化センター用地の「箸尾遺跡」の調査で、
縄文後期頃に、この低地にも人びとが生活していたことが確認され、
注目を集めている。

小泉俊夫「石器のふるさと香芝」
香芝市HP(ttp://kashiba-city.net/wiki/wiki.cgi/sekki)より


834日本@名無史さん:2010/11/06(土) 23:20:23
>>833
県営第二浄化センターは北葛城郡広陵町萱野にあるんだが?
835日本@名無史さん:2010/11/06(土) 23:34:31
>>834
そこで縄文時代の住居跡が見つかったのか?
836日本@名無史さん:2010/11/06(土) 23:37:15
>>834
それが何か?
837日本@名無史さん:2010/11/06(土) 23:49:32
>>836
いや、なに、そこに縄文の遺跡があるなんて知らなかった。聞いたこともないんでね。
838日本@名無史さん:2010/11/06(土) 23:55:57
>>837
湖岸堤防厨風に言えば「もっと勉強してください」
ちなみに見つかってるのは住居跡ではなく土器棺墓
839日本@名無史さん:2010/11/07(日) 00:06:23
>>837
このスレでも話題になったことがあるよ

620 :567:2010/10/29(金) 00:33:20
>>606
>盆地の弥生時代の標高50m以下にある大小の遺跡全てにおいてだからな。

弥生以遺跡は、唐古鍵以外に標高49mレベルで2〜3ヶ所しかなかったと思う。
標高42mの縄文遺跡として箸尾遺跡があるが、これは?と思う。

706 :日本@名無史さん:2010/10/31(日) 16:48:47
>>702
>しかし下永東城遺跡は縄文も複合だぞ。
>まさかお前は縄文時代が2世紀後半まで続いていたとでも?

箸尾遺跡と下永東城遺跡を縄文と弥生の複合遺跡と判定基準は疑問です。
どちらも弥生2世紀後半以降の遺跡です。


840二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/07(日) 09:18:49
>>733

>>そりゃお前、報告書がありゃ 
>>「因りて詔書黄幢を齎し難升米に拝仮し檄を為りて之に告諭せしめて」 
>>どうなったのかって書いてあるだろうって話だが? 

何度も書かないと分からないほど頭が悪いのだな、あいかわらず。
「告諭」したのは書いてあるよな?報告書があったとしても告諭したことは書かれる。
そ れ で ?
このバカは告諭したら狗奴國が(超能力でそのことを知って?w)即座に降伏でもしてくるとでも?
それとも邪馬台国の軍隊がスパルタの重装歩兵のような無敵軍団にでもなってすぐに狗奴國を打ち負かした?

張政は告諭してすぐに郡に戻っている(と私は考えている)。
報告書に告諭したことまでが書かれてたと考えて何の問題もない。

ぜひ、お前がどんな妄想をしてるか教えてくれw

というか、本当に倭人伝の内容を理解できてないんだなこの「ごみくず」くんは・・
841二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/07(日) 09:27:36
>>734

>>” それのみで十分 ”他を要せず証明できるから十分条件なんだぞ? 
数学用語を使うなら、もう少し数学的な書き方をしろよ。頭の中身はまったく小学生だな。

「郡の使いが2回あった」と「郡の使いのルートが2つあった」は、言うなれば同値。
まーもちろん数学的な厳密な意味ではないが。
(大体、普通の会話に数学用語持ち出すというのがバカなんだよ。数学を分かっていない証拠)

逆に「郡の使いが2回あった」から「郡の使いのルートは1つ」というのは、何の根拠もないw
どんだけバカなんだ、こいつは? といういつもの話にしかならないんだよな。

ついでに書いておくと、私の説は「本当は2つの別ルートが、1つのルートのように書かれている」というものなので、
倭人伝に「1つのルートしか書かれていない」というのは、私の説に反しない。反論になっていない。
842二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/07(日) 09:36:31
>>735

>>「情報源」と言う話なら幻の報告書wも含め、他にも郡からの報告書とかも考えられるし 
今度は郡の役人が妄想でデタラメ書いたとか言い出したよw

妄想でないなら、その報告書というのはどうやって手に入れたものだ?
倭など遠く渡海も命がけで、観光旅行なんていくやつはいないぞ。
さらに記録に残らずこっそり行くやつが居たと考えるのか?何の目的もなく?

まーこう書くと、伊都国の「常所駐」を持ち出すのかも知れんがw
それが郡の使いが何度も倭を訪れたという証拠にはなりはしないんだよ。多分わからないだろうが。

「ゴミ」には「君の主張は倭人伝はでたらめなんだから、それもでたらめという君の主張どおりだよ」という程度が分かる限界だろうか。
843日本@名無史さん:2010/11/07(日) 10:04:45
>>841 ゴミニルート厨
>「郡の使いが2回あった」と「郡の使いのルートが2つあった」は、言うなれば同値。

馬鹿が早速馬脚を出している。
同値になるわけねえだろう低脳w

「郡の使いが2回」あっても「郡の使いのルートが一つだった」可能性は排除できないのだから
もう少し脳味噌使えドアホ。
(理論上の話なんだからそれこそ先のルートを1センチも外さず全く同じタイムスケジュールとして構わないって話だがw)

>逆に「郡の使いが2回あった」から「郡の使いのルートは1つ」というのは、何の根拠もないw

わかって無いなこのヒステリーちゃんは…

>ニ回の郡の使いがあったことは、2ルートであったとする「十分条件」だ。

…に関してはそれを照明する必要は無い。

その可能性がある、排除できないと言う事でこの馬鹿が言うところの十分条件は満たさないと言う話だw

この馬鹿はいつぞや自然科学の分野にもと言うよりむしろそっちが自分の興味の対象のような事を言っていたが
なんつうか理論的(と言っても小中学校レベルだがw)な思考ができないタイプの人間だなw



844843:2010/11/07(日) 10:09:03
ちなみにこのアホ丸出しのニルート厨のロジック

「郡の使いが2回あったから2ルートが自明の理」と言うのなら

その使いの記事が3回あれば3ルート、4回あれば4ルートなのか?
と言う馬鹿馬鹿しい突っ込みもできるわけでwww


845日本@名無史さん:2010/11/07(日) 10:20:03
>>841 クズニルート厨
>ついでに書いておくと、私の説は「本当は2つの別ルートが、1つのルートのように書かれている」というものなので、
>倭人伝に「1つのルートしか書かれていない」というのは、私の説に反しない。反論になっていない。

 
 馬 鹿 で す か ? と言うより真性馬鹿丸出しwwww


「本当は2つの別ルートが、1つのルートのように書かれている」
…と言うのはお前の仮定に過ぎない。

で現実には「1つのルートしか書かれていない」のだから
何故そのような事になったのかを説明するのはお前だぞ馬鹿w

むしろ分割したルート案を見せるよりそっちの方が肝要。
まあ馬鹿は「ボクちゃんナイスアイデア!」と舞い上がったんだろうがww

「オレサマルールでこういう事にします」で突っ走って
それで完全無敵の理論とかほざくのはどこのキチ○イって話だw
846日本@名無史さん:2010/11/07(日) 10:29:46
>>840 ヒスニルート厨
>ぜひ、お前がどんな妄想をしてるか教えてくれw

おまえなあ…

「告諭してその後どうなったのか分らない」
と散々言っている相手に何を言わせたいんだ?

ニホンゴワカリマスカ?
リアルでコミュニケーションに障害持って無いか?

お前その答えを言わせたくて散々このネタ引っ張ってきたのか?

呆れたヒステリーおばちゃんだな。

847日本@名無史さん:2010/11/07(日) 10:37:58
縄文人他ゴミクズレベル九州説の皆さんへ

ところで唐古鍵が地盤沈下したというお話に関して
せめて奈良盆地での地盤沈下の例ぐらいは出せないのかな?

「現場の地理に即して考えるべき」
「盆地じゃなくて唐古鍵のあったあの場所がどうのこうの」

…と散々ほざいておいて

せめて奈良盆地での事例ぐらいは出さないと話にならないと思うのだが?w

無論出していただいたら色々考察させてもらいますって話だがwww





848日本@名無史さん:2010/11/07(日) 15:26:42
「ニ」さんも普段ならこんな失敗はしないんだと思う
相手を煽って正しい判断力を失わせて間違ったところを一気に叩くジョーカーの常套手段だね
ひっかかっちゃった「ニ」さんにはご愁傷様としか...
849縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/11/07(日) 17:00:50
このところあちこちで祭が行われているので休暇をとって友人達と遊び歩いた。そういう訳でご無沙汰していたが、その間に名無しで
私を想起させるような書き込みも行われているようだ。縦目の仕業かとも思ったが、彼は贋ハンドルネームを用いるから別人のものだろう。
さて、それでは本物の縄文人のレスをご覧に入れよう。

>>817>>847
なにを勘違いしてはしゃいドルんじゃこのおっさん(達?)は。所詮はシロウト、問題の本質が見えとらん。

>ところで唐古鍵が地盤沈下したというお話に関して
>せめて奈良盆地での地盤沈下の例ぐらいは出せないのかな?

大阪の地盤沈下の例を示したのは測定例があったからである。軟質粘土層を含む地層で地下水位が下がれば地盤沈下が起るという実例として
示したのだ。
ところが、奈良湖消失に伴う地下水位の低下および地盤沈下については測定値がない。1500年以上も前のことだから無いのは当然だ。現代のデータでは意味がないことが
分からんのか?地盤沈下が起ったのは湖の消失後数十年の間のことだぞ。
850縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/11/07(日) 17:01:52
849の続き
>奈良盆地湖の水が大阪湾に流失して湖が無くなったところで水源であった河川がなくなったわけではないから
>地下水脈などはほとんど変わりなく存続しているはずなんだよね 奈良盆地湖の水が大阪湾に流失して湖が無くなったところで水源であった河川がなくなったわけではないから
>地下水脈などはほとんど変わりなく存続しているはずなんだよね

あのな。盆地湖が存在していた頃には標高50m以下の土地は水面下にあったのだぞ。つまり、標高50mまでの地層は飽水状態だったのだ。それが湖の消失によって陸地となった。
そのため地層から水が抜けて行き収縮したのだ。地下水位も下がったのだが、この場合は地層からの脱水が地盤沈下を引き起こしたのだ。

>むしろそれまで地盤の上にのっかっていた何万トンもの水が無くなったわけだから
>重しがとれたのと同じで地盤が僅かながらにでも隆起する可能性だってあるくらいだと思うんだ

おいおい。チミは湖底が不透水層で覆われていたとでも言うのか?分かり易く言えば、湖底がビニルシートのような水を通さない層で覆われていてその上に何万トンもの水が重しの
ように乗っていたと言うのか?透明な筒に水をはり、土砂を入れて沈降させ、安定させた後嵩高を測り、次いで水を抜いて土砂層の高さを測る実験をしてみるとよい。土砂層は隆起
するのではなくむしろ収縮するぞ。
851大宰府治:2010/11/07(日) 17:18:27
関西人だが
大宰府にあったと思う。
北を警戒しつつ、南と対峙、
北九州おさえるにはあそこしかない。
852日本@名無史さん:2010/11/07(日) 17:57:52
>>849 泥縄
>分からんのか?地盤沈下が起ったのは湖の消失後数十年の間のことだぞ。

って言われてもなあ。

過去の事を透視できるような超能力も無いし。
この縄文人とかゴミクズレベル九州説のお歴々は持っているのかもしれんがwww

その為にそれを推測しえる根拠を聞いているわけで
「シロウト」とか以前の問題、つうかおのれは何のプロやねんwwww


853852:2010/11/07(日) 18:11:51
そもそも「湖の存在」自体に根拠がなく
「それの消失による地下水位の低下」と言う現象は仮想仮説の上にさらに仮想仮説を重ねただけ

まあ結局このスレを費やして弥生時代の盆地湖なるネタに何の根拠も無い事を再確認しただけだったw

途中、湖岸厨の「湖岸自然堤防」なるなにやら地質学的な裏づけのあるかのごときお話が出てきたが
それも結局、与太だったwww



854日本@名無史さん:2010/11/07(日) 18:14:48
弥生時代
>盆地湖が存在していた頃には標高50m以下の土地は水面下にあったのだぞ。つまり、標高50mまでの地層は飽水状態だったのだ。それが湖の消失によって陸地となった。

現代
三室山と船戸山を南北に走る地層と、東西に流れる大和川が交わる地点の大和川の水位は標高35mである。
この南北に走る地層は透水しにくいので、この地層の東側の飽水地層の上面は標高35mである。
つまり船戸を南北に通る地層のラインの東側の奈良盆地では、地下の標高35m以下の地層には奈良盆地湖が現在でも存在するのである。
(これは京都の街が京都地下盆地湖の上に乗っているのとよく似ている。)
これが奈良盆地には自噴井戸があった理由である。
自噴井戸は、奈良盆地への工場進出と共に地下水位が下がり少なくなってきた。
奈良盆地に散在する農業用の池の中には自噴井戸があったものが多い。


弥生時代から現代においての地下水位の低下は標高50mから標高35mの15mである。
盆地内の地盤沈下は、15mの飽水層の脱水によるものと考えられる。
855日本@名無史さん:2010/11/07(日) 18:31:56
>湖岸厨の「湖岸自然堤防」なるなにやら地質学的な裏づけのあるかのごときお話が出てきたが
それも結局、与太だったwww

地層データは2チャンで出すわけにはいかん。
土地の所有者に迷惑がかかるかもしれないからだ。
自分の土地から遺跡のがでてもひた隠しするのが普通だ。
地下1m以上の掘削は禁止されている地域も多い。
たとえ許可を得て掘削し、遺跡が出てくるなんてトンデモないこと。
偶然遺跡が見つかったのがバレても、追加発掘を住民がこぞって阻止しているのが現状だ。

遺跡は公共工事でしか出てこない。
856日本@名無史さん:2010/11/07(日) 18:42:08
>>855

はあ?地層データと遺跡の有無がどう言う関係があるんだ?

言っている事がサッパリ分らないのだが
857日本@名無史さん:2010/11/07(日) 18:46:59
>地層データ

って何?
いつ調査したデータかい?
858日本@名無史さん:2010/11/07(日) 19:00:44
>地層データは2チャンで出すわけにはいかん。

年末のビートたけしが司会の番組で何処かのおっさんが
「地球にいる金星人のリストを持っているが公表するわけにはいかん」
と言ってたのを思い出したwww

859縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/11/07(日) 20:29:26
>>852
>その為にそれを推測しえる根拠を聞いているわけで

論点をずらしているな。
849は奈良における地盤沈下の例を出せというレス等に答えたものだ。そこんとこを理解しろ。話はそれからだ。


860縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/11/07(日) 20:35:51
>>853
弥生奈良湖存在の根拠はこれまでにも述べて来た。854、855を書かれた人も述べておられる。キミらが認めたがらないだけの話だ。
861湖やったら、あるやんか:2010/11/07(日) 20:41:38
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/              ┃           /ヘ   /
〜 〜 {ヽ_ /  {_/              ┃    「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/      ★末盧国         ┃          ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~                        ┃             /
                           ┃ 「一大国」      /
          _ |ヽ■伊都国       ┃      /▲フ   /
       /ヽ/ |/ |       伊吹山  ┃      | 「 /
      |      ヽ ★奴国       ┃      | |__/
       ヽ,  水行 ヽヘ  ★不弥国  ┃     /   トヤマ
       |      ↓ /           ┃ ↓  / カナザワ
     ┌ '        ノ          ┃ ↓ /
    /        ノ           ┃ ↓|フクイ
   丿      ノ ^’            ┗━━━━━━━━━━━
  |_ 水行↓,/
  /  _/ヘ/▲投馬国
  | |    \                   末盧国・・・敦賀市
 /  >   天 \                伊都国・・・旧伊香郡高月町
/  /     安 \               奴国  ・・・長浜市
\ |        川               不弥国・・・米原市
  ∨             ☆呼邑国    投馬国・・・野洲市・守山市
                          
      邪馬台国 ★ 天         邪馬台国・・・旧信楽町
               岩 ☆為吾国    
             戸             呼邑国・・・甲賀市
                           為吾国・・・伊賀市
            ☆巴利国        巴利国・・・名張市
      ☆烏奴国               烏奴国・・・宇陀市
  ☆奴国                    奴国 ・・・奈良盆地
862日本@名無史さん:2010/11/07(日) 20:42:42
湖岸自然堤防微高地は遺跡の宝庫
863日本@名無史さん:2010/11/07(日) 20:59:57
湖岸に自然堤防ができるのなら
土砂が湖から外に流れ出なければならないはずだが
うーむ?
864日本@名無史さん:2010/11/07(日) 21:44:29
湖岸自然堤防は、湖に流れ込む川の河口付近にできる。
865日本@名無史さん:2010/11/07(日) 22:14:14
この縄文人と言うコテは、アホーにいたヌナカワというへそ曲がりか?
866日本@名無史さん:2010/11/07(日) 23:21:59
>>860 蝿
>キミらが認めたがらないだけの話だ。

その”君ら”と言うのは地質地理の専門家含めて殆どの日本人の事になるわけだがw

下らない。




867日本@名無史さん:2010/11/07(日) 23:33:18
「湖岸自然堤防」…この言葉自体、湖岸厨(=九州王朝大好き?)の造語だからなw

その定義は自分によって好きにできるテクニカル・タームを作りたがるのもトンデモに良くある話www

868日本@名無史さん:2010/11/07(日) 23:56:17
>>859 蝿

それからだな、そもそもお前が根拠として持ってきた
>>705の大阪の事例
http://www.city.osaka.lg.jp/kankyo/page/0000064234.html

・・・これって「地下水の過剰な汲み上げ」によって引き起こされる事例だろうが?w

>地盤沈下は、地下水の過剰な汲み上げにより地下水位が低下し地層が収縮することや、
>軟弱層の自然沈下等により地表面が徐々に広範囲にわたって沈下していく現象です。

>地下水の過剰なくみ上げにより地盤沈下が生じる場合には、地下水の圧力が低下するため地下水位も低下します。
>そのため、大阪市では市内11地点において15本の観測井により、地下水位の変動状況を観測しています。


こんなもの持って来る時点で頭悪すぎなのが丸分りって話だなw
例として持ち出すならせめて、長く水中にあってそれが陸地化し、地域全体が沈んだと言う事例をもってこい。

>唐古・鍵の環濠の埋没については現地に即して議論する必要がある。
>河川の氾濫にしても地形の異なる地域の例を適用することはできない。
>その点については同意できるだろうな。

…などとほざいておいて

唐古鍵に残る痕跡で語るでもなく、奈良盆地の事でもない。
湖底等長く水中にあったものが陸地化したというケースですらない。

舐めてるのか?アホ

869日本@名無史さん:2010/11/08(月) 00:29:16
>>815
>太国…倍暦(天津金木)
>縄文人…弥生奈良湖
>河童…言意学
>ニルート厨…ニルート説
>サイキバ他…悪の巨大組織「キナイセツ」による陰謀説

このレスはジョーカーだな。
しかし、この順位は公平な感じがしてイイネ  上に名がある程、手強わそう。
やっぱ、思う事は同じかな。

畿内説側の メ、ローガン、www(ジョーカー)の順位が気になるね。
やっぱり、www(ジョーカー)が一番手強いと思われてるのかな?
九州説諸君 どう?
870日本@名無史さん:2010/11/08(月) 00:45:19
う〜ん 
太国と縄文人なら2ch歴の長い太国のが手強そうだ。
縄文人と河童なら考古を知ってる縄文人のが手強そうだ。
河童とニルートなら魏志倭人伝解析に長けてる河童のが手強そうだ。
ニルートとサイキバなら調べてから投稿してるニルートのが手強そうだ。
あくまでも私見なのでクレームはなしでw
871日本@名無史さん:2010/11/08(月) 01:07:48
どの道この板のゴミクズレベル九州説なんて、どれもこれもリアルじゃ通用しないゲテモノ・イロモノ揃い。

「手強さ」と言うのなら「とりつくシマが無いような電波キチ○イ度」を争うしか無いだろう。
その意味では太国の天津金木が 最 狂 。
なんせ古代賢人の千里眼だか予知能力を前提にしたお話で完全にアッチの世界。
もはや反論どころの話ではない。

>縄文人と河童なら考古を知ってる縄文人のが手強そうだ。

むしろ逆、自説をもっともらしく見せかける為にいろんな分野に手を伸ばせば伸ばすほど墓穴を多く掘る羽目になる。


872日本@名無史さん:2010/11/08(月) 01:32:47
もともと湖底だったのに陸地化した場所といえば
干拓事業による秋田県八郎潟の大潟村が思い浮かぶけど
別に地盤沈下は起きてないようだけどね
873日本@名無史さん:2010/11/08(月) 01:47:38
大潟村では地下水位には変化がありません。
地下水が海水から真水に代わっただけ。
874日本@名無史さん:2010/11/08(月) 01:49:50
京都は地盤沈下の痕跡がありますね
有明海筑紫平野の干拓地は、
今でもまだ地盤沈下がつづいているようです。

出雲はどんなもんなんでしょうか。
875日本@名無史さん:2010/11/08(月) 01:57:28
q
876日本@名無史さん:2010/11/08(月) 02:04:01
結局縄文人も自然湖岸堤防厨も都合が悪い事実はスルーw

>803 :日本@名無史さん:2010/11/04(木) 00:16:42
>(4)水田農耕のはじまりと村の起こり
>奈良盆地の主な河川が集まる海抜四十メートル位の低地部には、
>今まで縄文時代の遺跡がないと考えられていた。
>ところが、最近県営第二浄化センター用地の「箸尾遺跡」の調査で、
>縄文後期頃に、この低地にも人びとが生活していたことが確認され、
>注目を集めている。

>小泉俊夫「石器のふるさと香芝」
>香芝市HP(ttp://kashiba-city.net/wiki/wiki.cgi/sekki)より

877日本@名無史さん:2010/11/08(月) 02:14:38
>>847
有明海沿岸の地盤沈下は
軟弱地盤上における大規模構造物の設置や
農業用水への地下水くみ上げが原因のようですね
878日本@名無史さん:2010/11/08(月) 07:56:52
地盤沈下のネタなんて物理学の板かホームページでやれよ
879太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/11/08(月) 10:35:12
>>871
しようがないだよう。崇神紀に三輪の話がある。なんでこんな伝説的説話が
そこにあるのか? よく考えてみろ。

三輪山の三輪とは、これは半径r=3の円の輪のことだ。西遊記の話の
金兜山麓での妖魔から三蔵を守ろうとする孫悟空の金箍棒の三蔵らを中に
して画いた輪もこれと同然だろう。三蔵の三が半径の3を示唆している。

三輪の球化の数式を天津神算木といい、これは大石凝真素美という老人が
天津金木のことを神道の算木の意味で字を変えて言い出したことだ。老人
の生前はまだ昔で、現今のような科学的学は狭小、薄弱だったから、一寸
妄想哲学的内容であるのは否めないが、現代人のような高等教育の少ない
当時ではこれを責めるのは酷だということだ。オマエも当時の人物なら、
程度が同様の脳内であったろう。

天津金木(天津神算木)とは

 4πr**3/3=113.09733552923・・・

 1/13 B.C.97年 崇神天皇 即位 (通説、見かけの年代)

 1/3 皇紀973年 仁徳天皇 即位  (同上)
880湖岸自然堤防:2010/11/08(月) 12:01:39
>>876
>結局縄文人も自然湖岸堤防厨も都合が悪い事実はスルーw

既に下記で私の見解を述べています。

@ 706 :日本@名無史さん:2010/10/31(日) 16:48:47
>>702
>しかし下永東城遺跡は縄文も複合だぞ。
>まさかお前は縄文時代が2世紀後半まで続いていたとでも?
箸尾遺跡と下永東城遺跡を縄文と弥生の複合遺跡と判定基準は疑問です。
どちらも弥生2世紀後半以降の遺跡です。

《 素焼きの植木鉢の欠片が出てきても、その欠片は縄文土器でも弥生土器でもない。 》

A 620 :567:2010/10/29(金) 00:33:20
>>606
>盆地の弥生時代の標高50m以下にある大小の遺跡全てにおいてだからな。
弥生以遺跡は、唐古鍵以外に標高49mレベルで2〜3ヶ所しかなかったと思う。
標高42mの縄文遺跡として箸尾遺跡があるが、これは?と思う。

B 862 :日本@名無史さん:2010/11/07(日) 20:42:42
湖岸自然堤防微高地は遺跡の宝庫

《 奈良盆地の自然堤防微高地には、それが微高地となって以来人が住み続けている。》
《 古代遺跡の上に現代の古い集落があるのだ。古い集落の民家の敷地を掘れば遺跡が出てくる状態。》
881日本@名無史さん:2010/11/08(月) 19:15:43
>>871
やっぱ河童のが強いかな。
彼は考古以外なら知ってるし、たぶん始めたばかり人とかすぐやられてしまうだろう。

又、畿内説の縦目・どくだみ・水銀厨も含め、どいつが強くて・弱ちい思われてる?
九州説さんばかり弄られて不公平だしね。 誰か答えていいぞ。
882日本@名無史さん:2010/11/08(月) 19:25:46
いや 議論するとしたら『こいつならすぐに泣かせる』てやつを選ぶんだよww
お前はハッキリ言って弱ちいの〜て選びなさいw
これある意味、プライドに火が付きそうだなw
883日本@名無史さん:2010/11/08(月) 19:49:09
>>881
そういえば河童さんって、知らないわけじゃないのに乞食や日本初期の
ネタにもあまり口を挟まない
不思議な人
884日本@名無史さん:2010/11/08(月) 19:51:18
それだったら、すぐに泣いてくれる人を選んだ方が
おもろいぞ
885湖岸自然堤防:2010/11/08(月) 20:01:33

河童虫氏は漢文を読むのが趣味

漢籍しか読まない

漢文については言語虫氏を師と仰ぐ

別名「kappa_mushi7019」

ここへ行ってみたら
>>http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=l&board=1835208&tid=a1vr2bbva1a6oabfmeaa1w9tdx5adbbv2rc0o&sid=1835208&mid=18092
886日本@名無史さん:2010/11/08(月) 20:09:24
縄文人も混乱の時代なら日本のジェームズ・チャーチワードになれたかもな。
887日本@名無史さん:2010/11/08(月) 20:17:59
>>885
ところが言語虫氏は漢籍については素人で、
自分で考えだしたという言意学なるものを使った
パズルのような奇妙な解釈を得意としている。

素人に弟子入りした素人というのが実情。
888日本@名無史さん:2010/11/08(月) 20:20:58
ジェームズ・チャーチワードは無かったものを有ったと言った。

縄文人は有ったものを有ったと言っている。
889日本@名無史さん:2010/11/08(月) 20:53:31
>素人に弟子入りした素人

正〜解 
虫師匠って自分より格上にみえる?おれは見えんな(君等の目線では見えるのか?w)。
ふつう、彼レベルの弟子なんて・・・恥ずかしくて、恥ずかしくて。
890日本@名無史さん:2010/11/08(月) 22:12:37
>>885

> 河童虫氏は漢文を読むのが趣味
> 漢籍しか読まない

違う。

正しくは、

 河童虫氏は漢文を眺めるのが趣味
 漢籍は読めない

> 漢文については言語虫氏を師と仰ぐ

当然、師の言語虫も漢文、漢籍は読めない。
読めないから、言意学なる珍奇な趣向に逃避したのだ。
891日本@名無史さん:2010/11/08(月) 22:45:09
>>890
それは違うだろな。
これまでの河童の行動を見ると、河童は漢文を絵として見てるんじゃないか。

「倭」 ピカソ
「人」 シャガール
「在」 モネ
「帯」 ゴッホ
「方」 ダリ
河童にとって漢字は絵なんだと思う
漢籍はいわば名画全集みたいなもん。
892縄文人 ◆cM49xEAzX6 :2010/11/08(月) 23:00:58
>>868

849、850を読んでいないのか?。読んでも意味を理解できなかったのか?

「地下水の過剰な汲み上げ」であろうとその他の原因であろうと、飽水状態の軟質粘土層を含む地層から水が抜ければ収縮する
ことに変わりはない。大阪の例はキミ達シロウトに地盤沈下のメカニズムと程度が分かるようにということで示したものだ。

>舐めてるのか?アホ
文章には人格が顕れるから気をつけ給え。この一文にキミの下劣な品性が丸見えだ。これでは舐められても仕方ないな。

893日本@名無史さん:2010/11/08(月) 23:10:56
縄文人のほうがはるかに下品だよな。うん。
894日本@名無史さん:2010/11/08(月) 23:32:18
他人の悪口以外に内容の無い書き込みをする人達は・・・可哀想な人達なんだろうな。人生の勝負所で負け続けて自分に自信が
持てなくなったんだろうな。
895日本@名無史さん:2010/11/08(月) 23:34:20
縄文人は気に入らないことがあれば、すぐ罵倒や工作に走る。
日本人じゃないのかな??
896日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:05:17
蝿蚊人…
897日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:09:38
太国あつかいでいいと思うよ。真実を追求する気はないんだ。
898日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:20:29
>>892 蝿
>飽水状態の軟質粘土層を含む地層から水が抜ければ収縮することに変わりはない。
>大阪の例はキミ達シロウトに地盤沈下のメカニズムと程度が分かるようにということで示したものだ。

で、古代の唐古鍵でどうして現代において動力ポンプで大量に水を汲み上げるに匹敵するような
地下水の流失が起きたのか?そのメカニズムを説明しないと意味が無いぞ阿呆w

痕跡どころか、その原理メカニズムすら提示できないのか?

知ったかぶりのおっさんのあがきは続くwww



899日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:31:25
あとこれも意味が分らないなwwww(湖岸厨=九州王朝大好き かな?)

>>854
>奈良盆地に散在する農業用の池の中には自噴井戸があったものが多い。

そもそも”自噴”と言うからには自噴させるだけの圧力があったわけで
地盤沈下を起こすような有様になればその圧力も消失すると思うがw

それとも一度は地下水が流失して圧力も消失したが
地盤沈下で再び圧力が戻ってきたと言うパターンか?

もしそのようなお話なら後学の為
実際の事例を紹介してもらいたい。






900縄文人 ◆8D/aUdVQjM :2010/11/09(火) 00:36:06
ムー大陸滅亡の理由は、大陸の下には巨大な空洞があり、火山活動でひとたびそれが崩れると広範囲が一気に陥没する
地質的特徴を持っていたと言われる。奈良盆地もまた、規模こそ違え同様に広範囲に陥没してできたものだ。ヒントは弥生
大和湖とつながる地下湖の存在をあげておこう。
知ったかぶりをしているのではなく、知識として理解しているのだ。私の地球物理学に対する造詣はそれこそ湖よりも深い。
901日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:40:01
か、かっちょええぞ!縄文人。
902日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:42:43
だめだこりゃ ><;
903日本@名無史さん:2010/11/09(火) 00:43:24
>>900 縄仮面 
>私の地球物理学に対する造詣はそれこそ湖よりも深い。

縄文人のおっさんの説じゃあ水深は精々7mとか言ってなかったかな?w

どうせ与太ならいっそ「アガルタ」とかロバート・デニケンの「地球空洞説」でも出して欲しいところだがwww
904903訂正:2010/11/09(火) 00:57:26
ロバート・デニケン → エーリッヒ・フォン・デニケン 

うーん記憶も大概ゴチャゴチャになってるなw
905日本@名無史さん:2010/11/09(火) 03:25:57
箸尾遺跡は高田川と葛城川の合流地転に位置する縄文時代後期〜近世に至る
複合遺跡である。遺跡は、埋没条理水田が累積する上層遺構と、縄文時代から
古代にかけての集落である下層遺構に分けられる。集落が営まれた時期の景観
は現在と大きく異なり、集落が立地する二つの微高地と、それを囲む河道から
構成されていた。現在のような景観が出現するのは河道がすべて埋まる10世紀
後半以降である。
 上層遺構では、最初に広範囲に認められる条理水田(13世紀中頃埋没=T期)
と、その上層の条理水田(14世紀後半埋没=U期)を広く発掘している。一方、
下層遺構においては、縄文時代後・晩期の甕棺墓、弥生時代の竪穴住居跡、古
墳時代の竪穴住居跡・掘立柱建物跡・削平された古墳、古代の掘立柱建物・倉
庫・井戸などが発掘された。また、この辺りにあった東大寺領小東荘あるいは
興福寺領佐伯荘の経営に関わる人物が所持していたと考えられる銅印が出土し
ている。

吉村和昭「156 箸尾遺跡」
奈良県立橿原考古学研究所編『大和の考古学100年』、2002年より
906日本@名無史さん:2010/11/09(火) 07:45:51
ここは何時から畿内スレになったんだ?
昔、奈良に湖があろうがなかろうが関係ないやろう。
907日本@名無史さん:2010/11/09(火) 10:32:38
間違いを修正しておきますね。
判断ミスの原因は、縄文土器並みに焼成温度の低い甕を縄文時代に作られたと
断定したことだ。弥生後期の奈良盆地では、焼成時に割れ易い大型土器を弥生
土器並みの高温で焼成する技術が未だなかったと見るべきであった。

『箸尾遺跡は高田川と葛城川の合流地転に位置する弥生時代後期〜近世に至る
複合遺跡である。遺跡は、埋没条理水田が累積する上層遺構と、縄文時代から
古代にかけての集落である下層遺構に分けられる。集落が営まれた時期の景観
は現在と大きく異なり、集落が立地する二つの微高地と、それを囲む河道から
構成されていた。現在のような景観が出現するのは河道がすべて埋まる10世紀
後半以降である。
 上層遺構では、最初に広範囲に認められる条理水田(13世紀中頃埋没=T期)
と、その上層の条理水田(14世紀後半埋没=U期)を広く発掘している。一方、
下層遺構においては、弥生時代後期の甕棺墓・竪穴住居跡、古墳時代の竪穴住
居跡・掘立柱建物跡・削平された古墳、古代の掘立柱建物・倉庫・井戸などが
発掘された。また、この辺りにあった東大寺領小東荘あるいは興福寺領佐伯荘
の経営に関わる人物が所持していたと考えられる銅印が出土している。』
908日本@名無史さん:2010/11/09(火) 11:30:08
>>899
>あとこれも意味が分らないな

自噴井戸には天然のものと人工のものがある。
天然のものは地下水が砂礫層を通って噴出してくるもので「泉」と言う。
人工のものは20m程の竹筒を地面に差し込むと竹筒を通って水が噴出してくるものを言う。

自噴井戸の水源についても2種類ある。
上流の山野や川底で地下に染み込んだ水が砂礫層を流れてきて、その水圧で地表に噴出したもの。
標高35mに水面がある地下大和盆地湖の上層の地盤に穴(竹筒。砂礫層)があくと、その地盤の重力による圧力で水が噴出してくるもの。

上記どの場合でも上流の山野・川底から地下に浸み込む水の量が、噴出する水の総量を下回ると、地下水量が減少し、地盤沈下します。

昭和30年代より奈良盆地に大阪から工場が進出してきました。
この頃から井戸水が徐々に自噴しなくなり始めました。
地下水量の減少と共に地下水圧そのものが下がりだしたのです。

昭和20年代に大和八木(橿原市)付近の大手紡績会社に、小学校の校外学習で工場見学にいきました。
その工場の自噴井戸から大量の水がたれ流しで溢れていたのを覚えています。
その自噴井戸の横には漆の木が3本生えていたのも覚えています。

909日本@名無史さん:2010/11/09(火) 14:41:30
>>908の修正かも?
大和八木(橿原市)付近の大手紡績会社は間違いで、大和高田の紡績工場だったかもしれません。
レンガ作りの工場があったので、その工場は大和紡績(後の日紡・ユニチカ)のようにも思えます。
910日本@名無史さん:2010/11/09(火) 15:08:34

嘉幡遺跡(天理市嘉幡町、稲葉町)
 弥生時代前期〜古墳時代
 標高:約46m〜47m

別對遺跡(大和郡山市椎木町、西町北野、生駒郡安堵町岡崎)
 旧石器、奈良時代
 標高:約45m〜47m

八条北遺跡(大和郡山市八条町)
 縄文時代、弥生時代中期、古墳時代〜鎌倉時代
 標高:約44m〜48m

八尾九原遺跡(磯城郡三宅町石見字石辻、田原本町八尾字上九原ほか)
 弥生時代中期、弥生時代後期〜古墳時代前期
 標高:約43m〜44m
911日本@名無史さん:2010/11/09(火) 16:33:43
嘉幡遺跡(天理市嘉幡町、稲葉町)
 弥生時代前期〜古墳時代
 標高:約46m〜47m

別對遺跡(大和郡山市椎木町、西町北野、生駒郡安堵町岡崎)
 旧石器、奈良時代
 標高:約45m〜47m

八条北遺跡(大和郡山市八条町)
 縄文時代、弥生時代中期、古墳時代〜鎌倉時代
 標高:約44m〜48m

八尾九原遺跡(磯城郡三宅町石見字石辻、田原本町八尾字上九原ほか)
 弥生時代中期、弥生時代後期〜古墳時代前期
 標高:約43m〜44m

上記遺跡は自然堤防微高地にある。標高49m前後である。
書かれている標高は近くの低地水田の値。

別對道端遺跡を旧石器時代と八条北遺跡を縄文時代とした判断基準が不明な為コメントできない。

912日本@名無史さん:2010/11/09(火) 17:18:29

下永東方遺跡(磯城郡川西町下永東方)
 縄文時代晩期〜弥生時代〜古墳時代後期、奈良〜平安〜鎌倉〜室町時代
 標高:約44m〜47m

保津・宮古遺跡(磯城郡田原本町宮古字寺垣内、保津字伊多敷ほか)
 縄文時代〜弥生時代〜古墳時代、飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉時代
 標高:約44m〜47m

伴堂東遺跡(磯城郡三宅町伴堂)
 弥生時代中期〜古墳時代後期、平安〜鎌倉時代
 標高:約42m〜43m
913日本@名無史さん:2010/11/09(火) 19:35:43
>>908
>上記どの場合でも上流の山野・川底から地下に浸み込む水の量が、噴出する水の総量を下回ると、地下水量が減少し、地盤沈下します。

反論になっていない。

…と言うか何が言いたいんだ?この爺さんは・・・

こいつのレスの何処をどう読んでも昭和に工場が進出するまでは
人の掘った井戸に地下から水が噴出していて地盤沈下につながる話ではない。

ダラダラと思い出話も混ぜながら行を稼いでそれで何かしらの反論したつもりになっているのか?

この爺さんの芸風と言うかボケてんのか?


914日本@名無史さん:2010/11/09(火) 19:45:24
>>906
>昔、奈良に湖があろうがなかろうが関係ないやろう。

要は奈良に古墳時代直前まで湖があって
4世紀まではクニ自体が存在し得なかった

よって畿内説は成り立たず自動的に九州説が正しかった・・・と言う理屈だなw

まあ、こんな与太話しにすがらなければならないのが
この板のゴミクズレベル九州説と言うお話www

リアルの九州説にしても
九州の何処かピンポイントで否定する…と言うより畿内説の不備をつく形
邪馬台国が畿内で無い可能性から入っているものが多いんじゃ無いだろうか?


915日本@名無史さん:2010/11/09(火) 20:43:36
あのう、九州説のチャンピオンは?
916日本@名無史さん:2010/11/09(火) 20:57:33
つーかさぁ>>907をよくよく読めばこの湖岸堤防厨は
橿原考古学研究所の発掘調査による所見よりも自分の説が正しい
と、何の根拠も提示せずに言いっ切ってる訳だ
つまりこいつは事実の探究をしてるんじゃなく自説に対する信仰を吐露してるだけ
もう頭ガチガチでどんなソースを提示しても客観的に見ることができない状態
かわいそうな人みたいだからあんまり構ってやらない方がいいんじゃね?
917四国が怪しい:2010/11/09(火) 21:14:21
奈良湖の話題は畿内説にとってはよほど痛いというか不都合なものなのでしょうか。懸命に反論しているようですが、湖の消失以後、地盤沈下や河川の
形成などで地形はかなり変化している筈ですから、910〜912に挙げられた遺跡の存在と標高が湖の否定のための証拠としては弱いように思われます。
918日本@名無史さん:2010/11/09(火) 21:21:11
>何の根拠も提示せずに言いっ切ってる訳だ

この板の九州説はみんなそうだから。だからこそ最も大きなホラを吹いたやつが
チャンピョンになるってことで、その意味では湖岸堤防厨も、縄文人もスレの趣旨に
沿ったレスをしているわけだ。
自分では考えることができないから、ただただ畿内説に有利な材料を否定するだけ
だし、考えれば考えたで「古墳がまばら」などのトンデモ論説になる。古田と頭脳構造
が同んなじなんだな。
919日本@名無史さん:2010/11/09(火) 21:38:05
>要は奈良に古墳時代直前まで湖があって 4世紀まではクニ自体が存在し得なかった

唐古・鍵その他の弥生遺跡からの出土物からは王らしい王の存在が浮かばないし、大陸や半島との交流が盛んに行われていたとも思えない。
悪く言えば縄文時代からさほど進歩していないような生活状況ではなかったかと思えるほどだ。これは九州の状況と著しく異なる。

恐らく、弥生時代の奈良では山裾の小川沿いに水田が拓かれていただけであろう。盆地中央部は沼沢地帯で、ここでの稲作は湖の水位の予測
し得ぬ変動により難しかったであろう。そういうことで食糧生産力はさほど高くない。倭人伝に書かれている戸数7万余が誇大であるとしても
大国邪馬台国が存在し得る基盤はなかったであろう。
920日本@名無史さん:2010/11/09(火) 21:47:44
>>912
>>910と同じコメントになるので省略

>>913
奈良盆地湖の水位が標高50m付近から標高35mに低下したことにより、
15mの水位低下分の地盤沈下があったことは指摘済み。

>>914
>>914の内容は、君も妄想。

3世紀の九州の倭(卑彌呼王権)と同様に、畿内でも3世紀には畿内全体を支配することになる王権(崇神朝)が奈良盆地中央部で勃興してきたのである。
この畿内王権の経済的バックは奈良盆地湖跡地の大水田地帯化である。
大水田地帯化開始を象徴するものが、広瀬大社縁起の崇神9年の記事である。
3世紀(崇神9年)には地表の奈良盆地湖は完全に消失したのである。
以後21世紀まで地下の奈良盆地湖は、地下の京都盆地湖と同様に存続し続けている。

921日本@名無史さん:2010/11/09(火) 22:12:02
なお、神武は、2世紀に九州で戦いに敗れた難民団の一員で、奈良盆地湖の南岸に定着した部族長のこと。
922日本@名無史さん:2010/11/09(火) 22:32:30

清水風遺跡(天理市庵治町清水風、磯城郡田原本町唐古字壱ノ坪)
 弥生時代中期〜古墳時代、飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町時代
 標高:約44m〜47m

三河東遺跡(磯城郡三宅町石見、三河)
 弥生時代中期、奈良〜平安時代
 標高:約43m〜45m

伴堂遺跡(磯城郡三宅町伴堂字いお田ほか)
 弥生時代前期、古墳時代後期、飛鳥〜奈良時代
 標高:約42m〜43m
923日本@名無史さん:2010/11/10(水) 01:32:50
>>920

誤)15mの水位低下分の地盤沈下があったことは指摘済み。

正)15mの水位低下分の地盤沈下があったと妄想しているのは開陳済み。

924日本@名無史さん:2010/11/10(水) 01:37:52
>>917
>奈良湖の話題は畿内説にとってはよほど痛いというか不都合なものなのでしょうか。

まあここのゴミクズレベル九州説は邪馬台国論争でオツムイッパイイッパイなんだろうが

そもそも地質学とかの分野から聞えてくるお話じゃないからなwww


>湖の否定のための証拠

ゴミクズレベル九州説の十八番「相手に悪魔の証明を迫る」だなw
925日本@名無史さん:2010/11/10(水) 01:57:17
>>917
そっとしておいてやれよ。
武士の情けって言葉を知らないのか。

三角縁神獣鏡舶載説の人たちのようにカルトに向かった人には
安楽の場所を与えてやらないと・・・
926日本@名無史さん:2010/11/10(水) 02:00:28
>>907 九州王朝大好き爺さん
>間違いを修正しておきますね。
>判断ミスの原因は、縄文土器並みに焼成温度の低い甕を縄文時代に作られたと
>断定したことだ。

イマイチ何が言いたいのか良く分からないがw
このことに関して少し…

後代、須恵器が登場しても土師器が一斉に姿を消したわけでもない。

参考までに言っておくと『正倉院文書』に土師器・須恵器の大きさと価格があって
それだと土師器だから値段が安い須恵器だから高いと言うよりは
大きさや蓋付き/蓋無しで値段が決められているらしい(「土器の考古学」学生社)

要は土師器・須恵器それぞれに用途があったと言うことなのだろう。
新しい技術が出てきたからといって一斉にそれにシフトするワケでもない。

その意味において弥生時代にも縄文土器と同じようなものが作られていた可能性は普通にあるわけで
むしろそう考える方が自然。

発掘に当たった学者がその土器片の焼成温度のみを見て縄文・弥生を区別しているとも思えないわけだが・・・
927日本@名無史さん:2010/11/10(水) 02:11:23
複合遺跡なら地層ごとの遺物から判断して決めてるだろう。アホクサイ。
縄文ー弥生ー古墳と順番になってるはず。
928日本@名無史さん:2010/11/10(水) 08:28:57
>>926
近畿の縄文土器と弥生土器は制作技術の体系が全く異なるから
少なくとも「甕棺墓」と認定できるほど残っていたら
専門家なら簡単に判別可能だよ
むしろ焼成温度とか厚さなど教科書に載ってる程度でしか土器を語れない湖岸堤防厨は
土器について全く知識がないことを自ら語っているようなもの

で、これまで奈良では何十年もの間あちらこちらで調査が行われていて土器研究も進んでいるのだから、
縄文土器と見間違えるような土器が弥生にもあるのであれば
とっくに気付かれていて橿原考古学研究所あたりでは常識になっているはずなんだけどね
よーするに、この湖岸堤防厨は土器のことは全くわかってないのに
橿原考古学研究所を無能呼ばわりしている訳だ
どんなに異常な思考力かわかるでしょ
929日本@名無史さん:2010/11/10(水) 08:35:46
>>927
複合遺跡の場合、新しい時代の遺跡が形成される際に古い遺跡の遺構面が削り取られていることが多くて
層位的に遺構の時代観を決めることができることはあまりできないよ
930日本@名無史さん:2010/11/10(水) 12:43:12

箸尾遺跡(北葛城郡広陵町沢、萱野、北葛城郡河合町長楽)
 旧石器、縄文時代後期〜弥生時代〜古墳時代、飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町時代
 標高:約40m〜46m

東安堵遺跡(生駒郡安堵町東安堵、かしの木台1・2丁目、岡崎)
 縄文時代後期〜弥生時代〜古墳時代
 標高:約40m〜41m
931日本@名無史さん:2010/11/10(水) 18:55:42

下永東城遺跡(磯城郡川西町下永東城)
 縄文時代、弥生時代中期、古墳時代前期、鎌倉〜室町時代
 標高:約44m〜45m

宮堂遺跡(北葛城郡河合町川合字宮堂、涌田、不毛田)
 縄文時代、古墳時代、飛鳥〜奈良〜平安〜鎌倉〜室町?時代
 標高:約39m〜42m
932日本@名無史さん:2010/11/10(水) 20:48:12
>>926
>焼成温度のみを見て縄文・弥生を区別しているとも思えないわけだが・・・

「道の考古学」の展示で、土師器と須恵器の見分けがつかなかったので尋ねると、
須恵器と表示してある土器は、焼成温度が低かったため(←窯の不具合ではないか)
土師器と同じ赤い色をしているが、ロクロを用いて製作されているから須恵器とされた、
と説明を受けました。
933日本@名無史さん:2010/11/10(水) 21:03:51
専門家は作り方に注目してるって話だな
934日本@名無史さん:2010/11/11(木) 14:46:57
図書館で、縄文土器から今の焼き物まで解説した本があったが、
弥生土器以降は、釉薬かかっていなかったら、
形だけなら、大差ない感じがした。

だんだん緻密にはなっていくけど。
935日本@名無史さん:2010/11/12(金) 12:10:32
イヒッ
イヒヒヒヒッ
936日本@名無史さん:2010/11/12(金) 17:05:23
>>928
箸尾遺跡調査報告書を読みなさい。

>>926
>その意味において弥生時代にも縄文土器と同じようなものが作られていた可能性は普通にあるわけで、むしろそう考える方が自然。
>発掘に当たった学者がその土器片の焼成温度のみを見て縄文・弥生を区別しているとも思えないわけだが・・・

同じ見解ですけれど
937日本@名無史さん:2010/11/12(金) 18:19:00
>>936
>報告書を読みなさい

と言うか「弥生時代の奈良盆地湖」の存在を指摘しているような
地質学の分野での報告書・論文の類があれば良い話なのだがwww

938日本@名無史さん:2010/11/12(金) 18:20:40
発掘調査で見つかってもいないものを
「ある」と主張するのは不自然だけどね
939日本@名無史さん:2010/11/12(金) 22:42:18
>>937
>地質学の分野での報告書・論文の類があれば良い話なのだが

残念ながらその様なものはありません。
飯の種にはなりませんから。

京都の地下盆地湖はどの様ないきさつで飯の種になったのでしょう?
大規模な土木事業のなかった奈良盆地では、民間企業でのアーバンクボタの様なものも期待できませんし。
940日本@名無史さん:2010/11/12(金) 22:47:34
>>939
>飯の種にはなりませんから。

ハイハイハイ、ゴミクズレベル九州説お得意の陰謀論の類だな。
ウンザリだ・・・

で、ン百万年前の盆地湖は飯の種になって、河内湖も飯の種になる
しかし弥生時代の奈良湖は飯の種にならない・・・

言っている事が支離滅裂のリアルキチガイの戯言。




941日本@名無史さん:2010/11/12(金) 22:55:53
ちなみに・・・

>>939
>京都の地下盆地湖

確かに某スレで京都盆地は四方から流れ込んだ水の上に浮いている盆のようなものと言う例え話をしたのは俺だがw

「地下盆地湖」と言う表現は初めて聞く
これも「湖岸自然堤防」と同じくお前の造語なのかな?

以下適当にググッたものを参考までに

http://www.kyoto-np.co.jp/kankyo/mizuno_wa/09.html

確かにここに出ているCGだと地下に巨大な空間があって湖があるかのような印象を受けるがwwww


942日本@名無史さん:2010/11/12(金) 23:32:03
>>941
>確かにここに出ているCGだと地下に巨大な空間があって湖があるかのような印象を受けるが

自分の引用文を読めよ。
画像がパソコンの中で回転し、京都盆地の下が巨大な水がめのようになっているのが、立体的に分かる。
最も深い巨椋池周辺の岩盤までの深さは800メートルに及ぶ。
楠見教授によると、京都盆地の地下水量は211億立方メートル。琵琶湖の8割ほどもある。
水の出口は天王山(大山崎町)と男山(八幡市)の間の1カ所だけで、この2つの山の岩盤の深さは約30メートル−50メートル。
豊富な地下水を盆地にとどめる天然の地下ダムの役割を担っている。

京都地下盆地湖の「水の出口は天王山(大山崎町)と男山(八幡市)の間の1カ所だけ」は、
奈良盆地湖では「亀の瀬」であり、奈良地下盆地湖では「舟戸」となる2ヶ所である。

「地下盆地湖」は私の造語かも?
NHKのナレーションでは「京都の地下にある湖」と言っていた記憶。
943日本@名無史さん:2010/11/13(土) 00:08:21
>>942 湖岸厨=九州王朝大好き爺
>自分の引用文を読めよ。

はあ?何処に地底湖なんて語句が出てくる?
我が意を得たりとばかりにはしゃいだのか馬鹿が。

仮にNHKの番組で「京都の地下にある湖」と言う語を使っていたとしても比喩的表現だろう。

そうやって造語等で印象操作と言うのは
九州王朝説的サギ・ペテン・勘違い商法にも共通する芸風だなwww


そもそもお前の言う盆地湖の姿が本当なら
陸地化してまた湖底になって…と言う事を数度は繰り返した痕跡が盆地の各地にあるはずで

そんなものすら見つけられない地質学者ってなんなんだって話だがw

944日本@名無史さん:2010/11/13(土) 00:24:23
しかし・・・

>>942
>奈良地下盆地湖

崇神9年に消失したと言った盆地湖がなんと今度は地下に潜っていたという話しなのか?

もう行き当たりばったりも良いところだなwww

945日本@名無史さん:2010/11/13(土) 01:16:47
>>941
02/08/13に、私も書いています。
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/history/997530063/236
http://logsoku.com/thread/kamome.2ch.net/history/997530063/648
平安京は、京都市中心部から南へ桂川宇治川木津川合流地点にかけての巨大地下湖の上に、浮いているのです。

946日本@名無史さん:2010/11/13(土) 01:24:37
>>944
崇神9年に消失した奈良盆地湖は、現在でも奈良地下盆地湖として残っています。

奈良地下盆地湖の天然の地下ダムの役割を担っている場所が大和川の「舟戸」です。
947日本@名無史さん:2010/11/13(土) 01:42:16
九州説チャンピョンの話は一体どうなったんだ?w
948日本@名無史さん:2010/11/13(土) 14:29:43
>>943
>そもそもお前の言う盆地湖の姿が本当なら
>陸地化してまた湖底になって…と言う事を数度は繰り返した痕跡が盆地の各地にあるはずで
>そんなものすら見つけられない地質学者ってなんなんだって話だがw

前にも書いた様に、奈良盆地では、地質研究者の飯の糧になるような仕事がなかったからだ。
949日本@名無史さん:2010/11/13(土) 14:39:18
>>1 >>947チャンピョン? 何人よおまえ!チャンピオンだろうよ。
 これだからシナチク混血の中卒九州人は困る。

精神発作が起きすぎて既成の勉強が未だにできない、かわいそうな子ヒツジちゃん。
950日本@名無史さん:2010/11/13(土) 15:17:25
>>949

英語の発音をできるだけ忠実にカタカナにしようとするならば、
おそらく「チャンピオン」よりも、「チャンピョン」の方がより適切だろう。

こちら↓で確認してほしい。

I Am The Champion
http://www.youtube.com/watch?v=siWHIL9lJ20
951日本@名無史さん:2010/11/13(土) 15:37:04
952日本@名無史さん:2010/11/13(土) 17:46:28
>>948
>前にも書いた様に、奈良盆地では、地質研究者の飯の糧になるような仕事がなかったからだ。

アホかキチガイの戯言。

河内湖や百万年単位の古代の奈良湖
今の位置より随分場所の違う古代琵琶湖

それらは飯の種になって、何で弥生時代の盆地湖がハブられってお話だなドアホがw

地質学のみならず古代史の分野にも影響するお話で
それこそ学者にとっては美味しいとさえ思うがw

こうやって都合の悪い事は陰謀論の類に現実逃避しなければやってられないのが
この板のサギ・ペテン・トンデモの巣窟、ゴミクズレベル九州説www

少なくともそんな連中をランキングしてチャンピオンを決めろなんて無茶なお話w



953952:2010/11/13(土) 17:58:12
まあ「九州説チャンピョン」と言うより「九州説チャンポン」だろうな
この板の大方の九州説の連中は

九州王朝説と東遷説の悪い所取り。

大九州主義とか九州版皇国史観の産業廃棄物。

954日本@名無史さん:2010/11/13(土) 18:12:52
東遷は一時期、学説として認められている時代はあった。
九州王朝はまともな研究としてとりあげられることはこれまで一度もなく、
「九州王朝大好き」のような頭の悪い好事家の老人が金を搾り取られる
道具となっている。ただし、そうなったのは本人がすべて悪いんだが。
955日本@名無史さん:2010/11/13(土) 20:30:17
まあ現実問題「邪馬台国東遷説」はもはや芽は無いだろう。
もはやトンデモの領域。

(と言うか「三種の神器」とか「三角は中国で出ていない500:0!」とか
 ”勘違い商法”的なサギ・ペテンのオンパレードだがw)

とは言え恐らくは万人受けするネタで
今後は「奠都説」に姿を変えて続くんだろうなwww
956日本@名無史さん:2010/11/13(土) 20:43:12
>>955
畿内説の人って三角は銘文が韻を踏んでいないから中国で作られたものでは有り得ないって
指摘にはどう答えるの?
957日本@名無史さん:2010/11/13(土) 20:49:44
>>956
もうこの手の質問にもうんざりだが…
その質問に根本的な間違いがあるなw

少し考えてみようなwww
まさか、三角縁が全て国産だとしたら、それが邪馬台国九州説の「証明」だとか言う話か?
特に九州王朝説にとっては、それが何時の時代にどこで造られたか、これをどう仮定しても都合が悪かろう。
古墳時代における畿内と吉備を中心とした分有関係を否定しなければ自説の立てようが無い話、
あ、7世紀になって大和王朝に全部奪われたんだっけw
で、奪った鏡を再分配して、4世紀だの5世紀だのの古墳に埋め戻したつー解釈だったかなw
959ローガン:2010/11/13(土) 21:06:32
>>956

> 畿内説の人って三角は銘文が韻を踏んでいないから中国で作られたものでは有り得ないって 指摘にはどう答えるの?

横失礼。
A張是作鏡甚大好
上有仙人不知老
渇飲礼泉飢食棗
保子宜孫位至侯
王買鏡者富且昌

B太歳在丁酉時加未
師鄭豫作明竟
幽凍三章乃而清眼
服者大得高遠
宜官位為侯王
家□□□
家吏居已□□□孫子也
Aは黒塚の13号鏡、Bは紹興出土建安廿二年重列神獣鏡 その「指摘」とやらでは、Aが中国製、Bが日本製になりそうだけど、それでいいの?
960日本@名無史さん:2010/11/13(土) 21:22:43
…しかし話は変わるが今まで「老眼翁」なんて言ってきたが…

>>753のような
グラマン戦闘機の機銃掃射を記憶しているような爺さんから見れば
老眼もまだまだヤングマンだよなwwww
961日本@名無史さん:2010/11/13(土) 21:30:42
>>959
張是作鏡甚大好
上有仙人不知老
渇飲礼泉飢食棗
保子宜孫位至侯
王買鏡者富且昌

七言絶句なのかどうか知らんが、それ韻踏んで無いだろう。
少なくとも2句と4句は不正だと思う。
962ローガン:2010/11/13(土) 22:06:31
>>961
>七言絶句なのかどうか知らんが、それ韻踏んで無いだろう。
> 少なくとも2句と4句は不正だと思う。

あちゃー、間違ってますか?教えてください。
A 好(上皓)老(上皓)棗(上皓)侯(下平尤)昌(下平陽) 当然、侯王なんで 王でも(下平陽)。
B 未(去未)竟 (去敬)眼(上潸)遠(上阮)王(平下陽)也(上馬)
だと思うんですが。又、後できます。
963メ(明日休み):2010/11/13(土) 23:03:35
ここの話題は三角かぃ?

>>956
>畿内説の人って三角は銘文が韻を踏んでいないから中国で作られたものでは有り得ないって
>指摘にはどう答えるの?

中国で製造されてなくても、半島・あるいは倭で作られた可能性だってある。
しかし、鋳型が発見されてませんのでなんとも言えませんが・・・

>>957
>もうこの手の質問にもうんざりだが… その質問に根本的な間違いがあるなw

へぇ それは、どんな間違いだい?

>>961
貴方、詳しそうなので、ちょっとお聞きしたいのですが、
押韻というのは句末が「詩」になってて、
「好」「老」「棗」「侯」「昌」
これをみて韻踏んでる、踏んでないってどうやって分かるのでしょうか?
964日本@名無史さん:2010/11/13(土) 23:28:15
>>963

> 押韻というのは句末が「詩」になってて

無理して質問なんかしない方が好いよ。
965日本@名無史さん:2010/11/13(土) 23:43:43
>句末が「詩」になってて

タテ読みっすか?wwww


966メ(明日休み):2010/11/13(土) 23:51:57
>句末が「詩」になってて

あれ ごめん、違ってた?
967日本@名無史さん:2010/11/13(土) 23:54:01
やれやれ…(苦笑)
968日本@名無史さん:2010/11/14(日) 10:26:31
「好」「老」「棗」「侯」「昌」

棗好きな老人が昌さんの家に居る、つー句だな。

以上、ドツボ流河童読みでしたw
969二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/14(日) 12:41:00
>>843

2回の魏の使いがあったのだから、魏の使いのルートは2つ、これは小学生でもわかる当たり前のことだろ。

その2つのルートを同一のものと考えられるかどうか、は良いとして、
同一のものが考えられるから2つのルートはない、なんて言えない。

2つのルートを否定しようとして書いてることが、まったく否定になっていないってことだよ。
そんなことも理解できないんだな、この低脳「ゴミクズ」は。

>>同値になるわけねえだろう低脳w 
あと、同値も数学用語だ。ちゃんと調べて理解してから使ってくれ。
970二 ◆.L.MXSPOgc :2010/11/14(日) 12:51:27
>>846

>>「告諭してその後どうなったのか分らない」 
>>と散々言っている相手に何を言わせたいんだ? 

私はバカです、宣言はもういいから、それが何で、

>>じゃあ張政の報告書があったとして、なんで狗奴国とのいざこざの事の顛末が書かれていないのか? 

とか

>>「張政の報告書なるものがあったとするなら狗奴国との事の顛末が明記されて無いのはその存在を疑う材料に足る」 
  
なんて話になるんだ?と問うているんだよ。

これらは全部お前が勝手に言ってるだけのことだから、そのお前の頭のおかしさを教えてくれといってるんだ。



ところで、この「ゴミクズ」の”さいきょうのきないせつ”では、(南九州クナ国に続いてw)
「張政の報告なんてなかった」なんて、珍しく独自の主張をしているが、
>>842 で書いたように、では三国志に書かれた倭の情報はどこからどう手に入ったものだと
考えているのか、ぜひ教えてくれ。
郡の役人が超能力をつかって遠くの倭のことを書いたとでもいうのかな。
低脳すぎて、そういったものが蓋然性のある説明とか思い込んでるのかもしれないが。
971湖岸自然堤防:2010/11/14(日) 13:19:26

反論に行詰ると、最後は感情まかせのいつもの罵倒ですね。

972日本@名無史さん:2010/11/14(日) 13:50:14
>>970

> 郡の役人が超能力をつかって遠くの倭のことを書いたとでもいうのかな。

貴方は次の文章の存在をどう理解していますか?

「景初二年六月、倭女王遣大夫難升米等詣郡、求詣天子朝獻、太守劉夏遣吏將送詣京都。其年十二月、詔書報倭女王」
973日本@名無史さん:2010/11/14(日) 15:10:07
>>963
>中国で製造されてなくても、半島・あるいは倭で作られた可能性だってある。
>しかし、鋳型が発見されてませんのでなんとも言えませんが・・・

それじゃ普通考えて卑弥呼の鏡じゃないでしょ?
974日本@名無史さん:2010/11/14(日) 16:30:40
卑弥呼の鏡だなんて、どこにそんな所有権を確認出来るものがあるんだ?
ただ記録に、百枚の鏡が魏から送られたって話だけだろ。
送られた鏡も、他に類を見ない特別に作られたものだという記録もないし、その時代に
その百枚しか鏡が流通していないという保障もない。
975日本@名無史さん:2010/11/14(日) 16:31:51
>>969 低脳 ニルート厨
>2回の魏の使いがあったのだから、魏の使いのルートは2つ、これは小学生でもわかる当たり前のことだろ。

何処が当たり前なんだよアホ。
2回だろうが3回だろうがそのルートが一つと言う可能性をどうやって排除できるんだ? ド ア ホ

2回だから2ルートが自明の理なら3回なら3ルート4回なら4ルートと言うお話だ

少しは脳味噌使えヒステリーオバハンがwww







976日本@名無史さん:2010/11/14(日) 16:34:28
>>969 ヒステリーニルート厨
>「張政の報告なんてなかった」なんて、珍しく独自の主張をしているが、

はて?
そんな事を言ったかな?

あったと確定する材料もなかったと確定する材料も無い…と言う事で話を進めてきたつもりだがw

何処でそんな事を言っているのか指摘してくれゴミクズwww

977日本@名無史さん:2010/11/14(日) 16:42:12
まあ要するにこのゴミクズニルート厨の理屈は

先のルートを数メートルでもずれれば別ルート。
加えて、そもそもそこを進んだ時期=時間が違うのだから別ルート。

で、別ルートと言う”くくり”で佐賀平野と福岡平野に向かうルートも同じだろうと言う与太話w

そりゃ九州説の連中にすら相手にされない弄ってもらえないわけだw




978日本@名無史さん:2010/11/14(日) 16:54:30
>>969 ゴミクズニルート厨
>同一のものが考えられるから2つのルートはない、なんて言えない。

本当に凡そ理屈でものを考えることができない馬鹿だなコイツは・・・

”同一のものが考えられる” なら ”2つのルートがあったと確定する事はできない” だ馬鹿者。

それをお前は遣使が2回あったことで十分条件にしてしまっているのだから
それを如何にして排除できるのか説明しないと理屈にならない。

まあその与太話が成立したら最強の九州説かもしれないなw

少なくとも伊都国を通説の糸島におかず放射状コースをとっているような説はもはや用済みになるだろうしwwww

979日本@名無史さん:2010/11/14(日) 17:06:50
ルートなんて発想している時点で終わってる
980日本@名無史さん:2010/11/14(日) 17:27:22
切り分けができてないから、特に強い主張はしていないけど
松浦から、厳木超えて佐賀に行くルートや
伊万里湾から嬉野に抜けるルートは
昔からあるよ。
道沿いに縄文遺跡まであるくらいだから。

それと、糸島福岡から鳥栖を抜けるルートは
議論の余地はない基本的なルート。

ただ、そのどれを使ったかが記録からはっきりとは特定できないだけ。

糸島は外せないと思うが、倭人伝の距離と方向そのままだと
佐賀方面になってしまうのが悩ましいので、決めきれないでいる。
981誘導:2010/11/14(日) 17:38:27
邪馬台国スレ乱立してるので次スレは簡便な

ここが終了後はこちらへ
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1287354561/
982日本@名無史さん:2010/11/14(日) 17:45:56
グーグルアースで探検しろよ
畿内のわけがないw
983日本@名無史さん:2010/11/14(日) 17:47:18
>>981 そこは、書き潰してもメ思い入れのスレッドだから直ぐに次のが立っちまう。

 先に使い切るなら
 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1286731828/
 単発のこっちが先。
984日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:12:16
>>981,983
たしかに関連スレ乱立気味だが
このスレは九州説専門スレだから
継続する意味もあると思う。

ただせっかくの九州説専門スレなのに縄文人らが
相変わらず畿内説叩き(盆地湖など)を振るから
畿内厨も参入してグチャグチャの中身になる。
これが惜しまれる。
985日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:17:54
縄文人は比較的自分の九州説を展開しているほうではあるんだが。
・・・他の九州説の人も怖がらず堂々とやってほしい。
986日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:18:28
>>974
いやそのレスはイミが分からない。
卑弥呼の鏡は魏から送られたもんなんでしょ?
で三角は中国製ではないんでしょ?
じゃあ三角は卑弥呼の鏡じゃないでしょ?
987日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:24:28
>>984
>相変わらず畿内説叩き(盆地湖など)を振るから

と言うか自身の九州説を補強するより
畿内説を否定する方にエネルギーが割かれているからなwww

結局九州説なんて理論的可能性はゼロではないと言うレベルで言い出したら
九州の何処でもOK。

チャンピオンを決めろと言うのは些かアレだがw
比較検証する事すらできないのが現実。


988誘導:2010/11/14(日) 18:26:14
>>983-984

邪馬台国スレ乱立してるので次スレは簡便な
私の考えに従って貰おう。ここが終了後はこちらへ

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1287354561/
989日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:34:47
>>979
>ルートなんて発想している時点で終わってる

例えばニルート説は比定地としては(かなりメジャーなw)筑後川下流域だが
じゃあ 筑後川下流域から金印だの卑弥呼の墓だのが出てきて意邪馬台国自体の位置が決まっても
果たしてニルート説が正しかったかなんて別のお話。

筑後川下流域なら様々なルートが想定されているだろうから…

結局「その梯儁張政による報告書を出せよ」と言う話にしかならないだろうwww

他の九州説の比定地についても同じで
それどころか畿内説にしても畿内説がほぼ定説になっている今日でも
日本海ルート瀬戸内ルートどちらが有利不利になっていると言う話も聞かない。

行程記事の読み解きでルートを想定するということ自体が意味の無い
位置論争の問題解決の助けにならないと言うお話なんだろうw

990日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:35:06
>>988
>私の考えに従って貰おう。

謎の女王スレを立てたのは神奈川県民こと改め(メ)だが
やつは当時、2ちゃんにスレ立てしただけにもかかわらず
まるで自分のホームページのように私物化的書き込みをし
多くの住人から顰蹙をかっていたのを思い出すのである。
991誘導:2010/11/14(日) 18:44:11
>>990
メに議論でボコボコにされて涙目なのかしらんがw
そんなの君がヘボイだけだろう。住民にとってなんら関係ない。

邪馬台国スレ乱立してるので次スレは簡便な
私の考えに従って貰おう。ここが終了後はこちらへ

http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1287354561/
992957:2010/11/14(日) 18:44:41
一応スレが終わる前に >>957の宿題の答えを言っておく
(ここまで律儀にやる必要も無いとも思わないでもないんだがw)

銘文の韻の問題はあくまで魏朝からの下賜品として相応しいか否かの問題であって
中国で作られたか否かとは別の問題。

よいこのみんなわかったかな?wwwwww
993日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:46:00
ドツボは死ねばよいのに。
994日本@名無史さん:2010/11/14(日) 18:52:07
しかしドツボの

>押韻というのは句末が「詩」になってて

…これってある意味すごいなと思ったw

何処まで言っても底の見えない奴。

俺の如き凡俗の理解の範疇を軽く超えるwwww
995日本@名無史さん:2010/11/14(日) 19:09:47
九州説チャンピョンはドツボでいいんでね?
996日本@名無史さん:2010/11/14(日) 19:11:54
うん、そうだね。
多分、未だにどこが「笑い」を取ってるのかにも気づいてないんだろうな。
997日本@名無史さん:2010/11/14(日) 19:12:35
>>993
>ドツボは死ねばよいのに。

アンタは大生板で行われた自殺予告で煽っていた一人だな
煽った甲斐があって、自殺予告者は見事首つり実況したようだが

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1289303624/l50
998日本@名無史さん:2010/11/14(日) 19:18:02
ドツボ(メ)が金印の機能や中国古代の印章制度について何も知らず
住人の再三の指摘にもまるきり無理解だったことを思い出すのである。
http://museum.city.fukuoka.jp/je/html/221-230/222/222_01.htm
999日本@名無史さん:2010/11/14(日) 19:23:00
「重譯納貢」これを銅鐸と間違えていたのはヒットだった。
1000日本@名無史さん:2010/11/14(日) 19:39:36
ドツボ(メ)ドツボ(メ)うるさいなw
ここは、彼から一杯食わされた奴らの集まりか

1000なら改め卑弥呼
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