1 :
日本@名無史さん:
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い! 出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。
前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 71
2 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 23:44:06
>1乙
3 :
日本@名無史さん:2010/05/22(土) 23:50:12
4 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 00:13:44
前スレで人口のお話が出ていたんで
「九州で百万楽勝!」なんて与太はともかく、少しマシな話を振ってみるwww
前スレにも出した鬼頭の数字だと
近畿の人口も良く見ると弥生時代じゃあ「畿内」より「畿内周辺」のほうが多い。
逆転するのは慶長5年(1600年)でやっと。
弥生時代 1800B.P
畿内 30200人
畿内周辺 70300人
(ちなみに同時代の北九州 40500人)
畿内:大和・山城・摂津・河内・和泉(京都・大阪・奈良)
畿内周辺:近江・伊賀・伊勢・志摩・紀伊・淡路・播磨(滋賀・三重・和歌山・兵庫)
ここら辺で「見る銅鐸」が大和じゃあ、あまり見られず
近江や東海(三遠)と言った地域にしか見られなくなる現象も説明できない物だろうか?
一種の「ドーナツ化現象」と言うのか、それに対し
実は見る銅鐸もヤマトに生産拠点があって
政治的な意味を持って各地に配布された
(「境界祭祀」に通じる発想?)
…なんて話はどうも分かりにくいwwww
6 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 01:24:23
九州で100万人だと
平野面積で考えても
日本全体で1000万程度だからなあ
そんなに無理のある数字ではないな
また基地外談義が始まったか・・・・・・うーん、残念。
8 :
図解:2010/05/23(日) 02:31:17
〜 〜 〜 〜 ,ヘ、〜/ ┃ /ヘ /
〜 〜 {ヽ_ / {_/ ┃ 「対馬国」 ▲/ /
〜 ヘ/ ★末盧国 ┃ ∠ノ / ニイガタ
/ヘ~ ┃ /
┃ 「一大国」 /
_ |ヽ■伊都国 ┃ /▲フ /
/ヽ/ |/ | 伊吹山 ┃ | 「 /
| ヽ ★奴国 ┃ | |__/
ヽ, 水行 ヽヘ ★不弥国 ┃ / トヤマ
| ↓ / ┃ ↓ / カナザワ
┌ ' ノ ┃ ↓ /
/ / ┃ ↓|フクイ
丿 水行 / ̄ ┗━━━━━━━━━━━
|_ ↓/ ̄
/ _/ヘ/▲投馬国
| | \ 末盧国・・・敦賀市 (気比の松原)
/ > 天 \ 伊都国・・・旧伊香郡 (古保利古墳群)
/ / 安 \ 奴国 ・・・長浜市 (国友鉄砲村)
\ | 川 不弥国・・・米原市 (息長稜)
∨ ☆呼邑国 投馬国・・・野洲市・近江盆地
(日本最大銅鐸、伊勢遺跡)
▲邪馬国 天
岩 ☆為吾国 邪馬国・・・旧信楽町
戸 呼邑国・・・甲賀市 (手裏剣=鉄?)
為吾国・・・伊賀市 (同上)
☆巴利国 巴利国・・・名張市 (同上)
☆烏奴国 烏奴国・・・宇陀市 (辰砂・丹の産地)
☆奴国 奴国 ・・・奈良盆地
9 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 02:32:53
斯馬国 = しま/志摩
巳百支国 = みまき/御牧(京都府久世郡)
伊邪国 = いせ/伊勢
都支国 = とき/土岐
弥奴国 = みの/美濃
好古都国 = かがつ/各務原
不呼国 = ふわ/不破? ほこ/矛→関市?
姐奴国 = しゃが/志賀(“シャガ”の花?)
対蘇国 = とそ?/伏見(酒)?
蘇奴国 = そね/彦根?大阪?(“ソネ”の木)
呼邑国 = こお/甲賀
華奴蘇奴国 = かねすな/高島市(砂鉄産地)
鬼国 = くぃ/栗太郡(栗)
為吾国 = いが/伊賀
鬼奴国 = くぬ/五條市(クヌギ)
邪馬国 = 信楽??
躬臣国 = きし/和歌山市(雉)
巴利国 = はり/名張 「針」?
支惟国 = きい/紀伊郡(京都市南区)
烏奴国 = うだ/宇陀
奴国 = 奈良盆地??
狗奴国 = かが?/大阪?香川?淡路?吉備?
10 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 03:05:54
まあ九州説連中
(と言ってもリアルの九州説じゃあなくて2ちゃんのこの板限定だがw)
の「倭人伝ウソつかない」式の
『 弥生九州百万人説 』は
そっちはそっちで科学的考証をしてもらうしかないなw
で、それが正しいとなったら奈良時代あたりまでに横ばいどころか
かなり減少してしまっていると言うことは
3世紀から8世紀の間までに
『 九州大絶滅 』
とでも言う現象があったと言うことだろうから
そっちも考証してもらうとwwww
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw
579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576 それと・・・
「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w
590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590 >きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww
595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw
598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)
793 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 10:33:18
わたしたち九州説悪魔超人は軟弱な畿内説どもに比べて
鍛え方が違う!
精魂が違う!
理想が違う!
決意が違う!
794 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 11:50:07
>>793 つまり「悪魔六騎士」ばりにキャラは揃ってんだなwww
博多説、甘木説、日向説、山門説、宇佐説、阿蘇説あたりかw
そんでもって残虐超人が、東遷説と九州王朝説wwwww
798 :日本@名無史さん:2010/05/21(金) 13:20:35
このスレもキャラ立ってるひと多いから、九州説王位決定戦とかやればいいのにw
次々と仮面(ハンドル)を代えるテクニシャン、九州説ゼブラ縄文人
何と言われようが我が道を行く、九州説マリポーササガミハラハラ
人の意見は気にしない俺が書けたらそれでいい、九州説ビッグボディ美濃もん太
俺だけが素直に読んでいるから正しいのだ、九州説フェニックス日向厨
卑怯・反則こそが信条、脳内で勝てばそれでいい、九州説ソルジャーサイキバ
>>12 やめてあげてサイキバ君のHPはもうゼロよ。
これ以上やったらサイキバ君が死んじゃう〜! ><
∩___∩ /゙ミヽ、,,___,,/゙ヽ
| 丿 ヽ i ノ `ヽ'
/ ○ ○ | / `(○) (○)´i、 先生助けてっ!、
| U ( _●_) ミ 彡,U ミ(__,▼_)彡ミ サイキバちゃんが息をしてないのっっ!!
彡、 |∪| ,,/ ,へ、, |∪| /゙
/ ヽ ヽノ ヾ_,,..,,,,_ / ' ヽノ `/´ ヽ
| ヽ ./ ,' 3 `ヽーっ / |
│ ヾ ヾl ⊃ ⌒_つ ソ │
│ \__`'ー-⊃⊂'''''"__,,,ノ |
` ̄´ ` ̄´
なんだかんだ言ってサイキバ君人気者だよな。
…みんなのオモチャ的意味でw
18 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 08:29:57
>>4 >>6 弥生末は鬼頭の数字を十倍くらいすると、良いってことかも知れないな。
鬼頭の数字を見ていて気がついた。
@ 弥生時代までは北九州より南九州の方が人口が多い。
A 弥生時代までは、南九州は畿内の二倍以上の人口があった。
B 奈良時代になって、いきなり畿内は南九州の二倍以上の人口になった。
そして、北九州と南九州の比較でも、北九州の人口が多くなった。
鬼頭の弥生時代までの数字は、遺跡数に一定の係数をかけて出したものだ。
ということは、考古学的には、奈良時代より前(古墳時代までかもな)は南九州が
人口密度の高い地域だったというこになる。それが、奈良時代になるや、人口は畿
内に集中、南九州は北九州よりも少なくなる。
これは、考古学的には、南九州から畿内への東遷の裏づけありと言えるのかもな。
>南九州から畿内への東遷の裏づけありと言えるのかもな。
ばかか・・?
20 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:19:36
>>4 この数字を出した鬼頭の計算拠を知りたいな。
倭人伝の記述では3世紀の九州内に在った對馬國、一大國、末盧國、伊都國、奴國、不彌國戸数の合計が三万戸。
北部九州の一部だけで三万戸、鬼頭は一戸を一人で計算したのかな?
21 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:25:10
>>18 「考古学的には」という言葉を考古学も知らずに使うなっての。
人が移動した証拠は、A地点の住居跡や日常的な道具が、ある時代からB地点に見られる場合。
日向に特徴的な「なんとか住居」が畿内で見つかれば、日向から畿内に人が移動した証拠になるが、
そういう具体性のある証拠は無い。
一方、東海系土器が奈良で見つかってることから、東海の人が奈良にやってきたことがわかる。
奈良の人口増加は、東海勢力による要因の方が大きい。
あと、三種の神器が九州から畿内に伝播したことを東遷の証拠だと言ってるバカがいるが、
日常品でない工芸品は、単なる文化の伝播にすぎない。
明治時代になって日本人が洋服を着だしたのは、西洋人が東征してきたからではない。
22 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:38:36
>>18 >鬼頭の弥生時代までの数字は、遺跡数に一定の係数をかけて出したものだ。
地域によって遺跡の残りかたは違うし
係数も正しいかどうか分からない
鬼頭の弥生時代までの数字は、全然あてにならないってことでしょう。
23 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:38:45
鬼頭は倭人伝は信用できないっていう畿内説論者の話を真に受けていたんだろう。
どんどん妄想を膨らませすぎて、現実に帰って来れなくなっても知らんぞwww
ところで人口大減少派に面白いことを教えてやろうかw
奈良時代にはな、天然痘と思われる感染症が大流行した可能性がある。
なんで記紀大好きなおまいら九州説が言い出さないのか不思議なんだけど、それは続日本紀に明記されている。
さあ餌は与えたぞ。もっともっと妄想を育てて、俺を笑わせてくれwww
25 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:44:56
>>22 そうだね。畿内のように遺跡が注目される地域は、数が多くなる可能性が高い。
にもかかわらず、弥生時代(正確には奈良時代より前)までの畿内人口は北九
州や南九州に比べて少ない。九州勢力の進出にとても抵抗できる状態ではなか
ったということだろうな。
鬼頭の係数はまったくあてにはならないが、各地の人口を対比してみると、どこ
が人口がおおかったのか、おもしろいよ。
>>25 ところが弥生遺跡が一番多く出土しているのは、高知県
発掘回数が一番多いのは、東京都
弥生遺跡総面積が一番広いのが、愛知県
(前々スレより)
福岡や奈良が最先端で、人口が多かったという前提そのものを見直すべきではないか?
27 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:50:18
たいした技術の進歩も無いのに3世紀〜8世紀のたった500年で人口が10倍とかありえねよな
多少開墾して農地広げても2倍くらいだろう。
鬼頭は頭が可笑しくねえか?
大陸での楚と漢の戦いで生じた難民が大挙して九州に押し寄せるなどして
一時的に九州での人口が膨れ上がった可能性はありますね
風向きが良い季節に天候の良い日を選んで舟を出せば
江南からまっすぐに東に一晩で長崎、熊本、鹿児島あたりにたどりついたでしょう
それらの膨れ上がった人口が九州での倭国大乱を引き起こし
その結果として人々がさらに東へ東へと移動していったということも考えられます
29 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:54:10
>>24 人口は、普通ならば徐々に増えていくが、飢饉、災害、戦争などにより、急激に大場
減少をすることがある。そんなことは、常識だろう。別に天然痘が云々なんて言う
必要はないな。
30 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:58:15
何処でも等しく遺跡として残れば
>>26の言う通りだが
同じ所に人間が住み続けた福岡などは現在でも大都市で
遺跡が残る確立も低いだろうし
発掘回数も少ない。
発見された遺跡の数や総面積で弥生の人口を推定するのは危険だろう。
31 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 09:59:39
>>27 鬼頭の本は読んでないが、鬼頭が畿内説を信じていたんならば、倭人伝がつたえる
総戸数を列島全部のものと思い込んだってことも考えられるな。
>>29 君の急激ってのは、マンガレベルなんだわwww
普通は10分の1でも、記録的な減少(何しろ10人に1人が死ぬ)なのに
半分(10人のうち5人が死ぬ)やら九割(10人のうち9人が死ぬwww)やら、どんだけ絵空事なんだよ
今日びのSFアニメですら、そこまでリアリティのない減少は設定しないんだぞwww
核戦争でもそんなには減らんぞwww
33 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:07:14
>君の急激ってのは、マンガレベルなんだわwww
半分やら九割やらってどこから出てきたんだ?
私はそんなことは一言も書いてないぜ。
>>30 いや逆、まったく逆www
長年人が住み続けた土地ほど、遺跡が見つかりやすい。
都心部のほうが、残存確立も格段に高くなる。
せっかく福岡を例に出しているのだから、主要弥生遺跡が春日市のどの辺りにあるのか地図で確かめてごらん。
出来れば現代の市街地が載っている白地図に、遺跡を書き込んでいけばいい。
長年人が住み続けているところほど、発掘されやすい、つまり見つかりやすいことが一目瞭然だから。
35 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:08:38
人口は、食料がどれだけあるかによって決まる。
難民が押し寄せても食い物がなければ餓死するだけ。
稲作が始まって1300年以上たった3世紀には稲作に適した土地は開墾されつくして
3世紀〜8世紀は稲作の耕作に適さない低湿地の開墾や水のない土地に灌漑するなど
大規模な土木工事がないと人口は増えない。
大規模な土木工事しても500年で2倍は厳しいな。
>>33 弥生期の人口が奈良期より多かったとかいう、妄想説なんだろ?君は。
君はそういってるつもりが無いから、そんな阿呆なことを平気で書けるんだよ。
冷静になって、まさに「素直に」考えろw
それトンデモの中でも、タコ型の火星人が攻めて来ます!ってレベルだぞ。
37 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:15:07
>>34 再開発とか公共工事なら確りと遺跡の発掘するけど
民間は個人負担だからな、なかなか偶然がないと。
見つかりやすいから見つかっているんだが
殆どの土地の上には民家があり未発掘だよ。
>>37 道路を私有している奴なんてほとんど居ないでしょw
上下水やガス電気などの補完工事のおかげで、だいたい判るんだよ。
家の敷地を直接調べずとも、まわりには必ず道路という公有地がある。
むしろ判りにくいのが農地しかも水田。
畑作はまだしも、かなり初期に掘削して水田化した場合は、本当に基底部だけしか残らないケースもある。
水田は表土が流れ出る上に、土器片などのゴミも人的に取り除かれ、しかも微細砂が幾層も堆積するから、かなり厄介。
逆にそれ故に奇跡的な保存がなされたのが、吉野ヶ里なんだ。
39 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:28:47
>>36 >弥生期の人口が奈良期より多かったとかいう、妄想説なんだろ
そんなことを言った覚えはないな。
奈良や平安の人口だってどれだけ信憑性があるかは問題だと思うし・・・
>それトンデモの中でも、タコ型の火星人が攻めて来ます!ってレベルだぞ。
何の話だ。私のどの意見について言ってるんだ?
他人の話とまちがえてるのかな?
>>39 お互い名無しでやってんだから、違うんだったら最初に違うって言ってくれやwww
今はその弥生カンブリア大爆発が、猛威を振るってるんだよ、この板では。
まあとりあえず、君の説をある程度明らかにしてから参加頼むわ。
まあ混同しちゃったのは悪かった、すまんね。
縄文人に間違えられるのはいくら九州説でも気の毒。単なる風邪と肺がんくらいの違いがある。
42 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:53:57
43 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 10:57:35
で、現代の学者の出した数字が信用できないと言うのは一度置いといて…
一方の倭人伝の「五万戸」とか「七万戸」とか言う数字の検証はどうなったんだ?
「倭人伝ウソつかない」
「根本経典を疑うのは信心が足らんのじゃあっ!」
…とかいう話じゃないんだろう?wwwww
44 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 11:02:57
小山も鬼頭と同じ誤りを犯しているだけだな。
弥生〜奈良の僅か500年で10倍に人口が増えた理由の説明が無い。
縄文時代が専門で弥生は適当な数字かな?
鬼頭氏の人口グラフの弥生時代以前は、小山氏に依頼して作成したもの。小山氏はこの後、自説を訂正して弥生末で100万
超としている。
46 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 11:18:08
九州政権が難波京に首都機能を移転して、北部九州からごっそり畿内に人口が移住した。
移転後に畿内の九州政権が、九州に残った唐傀儡政権樹立軍を討伐し続けたので、
内戦が長引き、ますます九州の人口が減ってしまった。
難波京以後の人口から、白村江以前の人口を考古学的に推定しても、間違える。
昭和19年6月の東京の住宅数から昭和初期の東京の人口を推定するようなものだ。
九州で発展してたのは北九州のみ。ここが伊都国
伊都は大和の一大率で管理されていて、貿易の玄関口。
この一大率が後の大宰府である。
「延喜式」によるAD900年頃の九州について転記しておく
西海道
国名 水田面積 郷数 戸数 水田面積/戸 推定人口
筑前 18,500町歩 102郷 5,100戸 3.63町歩/戸 153,000人
豊前 13,200町歩 43郷 2,150戸 6.14町歩/戸 64,500人
肥前 13,900町歩 44郷 2,200戸 6.32町歩/戸 66,000人
豊後 17,500町歩 42郷 2,100戸 8.33町歩/戸 63,000人
筑後 12,800町歩 54郷 2,700戸 4.74町歩/戸 81,000人
肥後 23,500町歩 99郷 4,950戸 4.75町歩/戸 148,500人
日向 7,400町歩 28郷 1,400戸 5.29町歩/戸 42,000人
大隅 4,800町歩 37郷 1,850戸 2.59町歩/戸 55,500人
薩摩 4,800町歩 35郷 1,750戸 2.74町歩/戸 52,500人
壹岐 620町歩 11郷 550戸 1.13町歩/戸 16,500人
對馬 428町歩 9郷 450戸 0.95町歩/戸 13,500人
計 756,000人
49 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 11:25:13
>>44 縄文時代も問題なんだろう。小山の方式も遺跡の数×係数。その係数が
縄文の場合も弥生の場合も小さすぎるんだよ。
50 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 11:28:13
平安時代の資料は、延喜式も和名抄も、あてにならないんだよなあ。
各地に荘園ができてしまって、その実態はほとんど把握できていない。
51 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 11:31:43
>>45 >自説を訂正して弥生末で100万超としている。
それは日本全体でか?九州でか?
前者の場合先のリンク先じゃあ約60万
仮に2倍になったとしても九州の人口は20万だが…
出来ればソース出してもらえればありがたい。
ネットでアクセスできる物なら入れ替えておくからwwwwww
小さい頃、ばあちゃんに
「悪い事してたら蜘蛛出てくるで!蜘蛛!!」って怒られたが
今思うと蜘蛛って土蜘蛛の事じゃないかと思った。
53 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:01:13
>>12-
>>17 ジョーカー☆自演乙☆サイバカが必死すぎてワロタ
発掘を手伝っていただけの60過ぎの独身ジジイが毎日このスレを
生きがいにしていると思うと、もっと笑える。
>>50 その辺も吟味の必要がいる
延喜式も和名抄もあてにならないの一言で一蹴するには勿体無さ過ぎる資料だ
なんせ女王国の版図が九州に納まるかどうか、という重要な数字だからな
55 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:05:17
壱岐の人口推移
平成21年(2009年) 29,516人
明治5年(1872年) 33,010人
享保6年 (1721年)19,993人
(900年頃)16,500人
(240年頃)15,000人?
56 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:06:21
>>51 縄文からみた弥生の人口 小山修三 で出てくるよ。
57 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:16:26
>>54 韓の戸数十四、五万。それから考えれば、倭人伝が伝える戸数(15万戸+
旁国=およそ20万戸)は九州の戸数としてごく妥当な数字だ。
北九州の数字としては不自然だということになるがね。
10世紀の延喜式、和名抄を引っ張り出すより、よほど合理的な思考方法だ
よ。それに、荘園の実態など到底分かるわけはない。
58 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:22:21
>>56 おおっありがとう。
で、この部分かな?
>弥生時代の人口は遺跡からの計算では約60 万となった。
>ただし、弥生時代の遺跡の重み付けを関東地方の遺跡からとったため、全体量が低くなりすぎたようである。
>その後の発掘によってわかった、吉野ヶ里遺跡をはじめとする西日本における弥生集落の大きさを考えると、
>弥生末期には100 万を越えていたのではないかと考えている。
しかし、この文脈だと、どう考えても「100 万」と言うのは日本全体の話だよな?
逆に九州だけで100万なんてやちゃったら日本全体が膨らみすぎるだろう流石に…
まあ、ここの九州説の連中なら平気で「九州以東は無人列島」とか言い出しそうだがwww
59 :
第三者:2010/05/23(日) 12:23:51
古代の人口について
「弥生時代の人口<奈良時代(又は平安時代)の人口」ということについての初老教授の指摘は「それは
十分に検証されたものではない」というものである。実際、「人口は時代とともに増え続けるものだ」と
いう単純な考えから生み出された仮説としか見えない。
人口の増減にはいろいろな要因がある。食糧生産力、戦争、自然災害、伝染病、等々。
そして、例えば食糧生産力には耕地面積、栽培技術、作物の品種、天候、病虫害、農民に対する政策その他いろ
いろな要因が関係する。このようなことについて緻密に考察した上での「弥生時代の人口<奈良時代(又は平安
時代)の人口」ではないのである。
8世紀には急激な温暖化が起ったという気象学者の研究報告があるが、この点についても考察が必要であろう。
その温暖化が事実であれば、作物の栽培に重要な影響があった可能性がある。稲の病害虫被害や異常気象による
不作がより多く起こり得る。疫病などの伝染病も起こり易くなる。そのようなことが起れば「弥生時代の人口<奈
良時代(又は平安時代)の人口」どころでなく、「弥生時代の人口≧奈良時代(又は平安時代)の人口」という事
態も有り得るのである。
初老教授はその点を指摘したのであるが、それに対するレスの中には主旨を理解出来ずにヒステリックに罵声を浴
びせているものがある。そのような被害妄想に囚われた人のレスは見苦しい。反論は堂々としたものでありたい。
確実にいえることは当時の人間は寿命が短く、
子をたくさん産んでたであろうって事だ
61 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:27:34
>>59 >次々と仮面(ハンドル)を代えるテクニシャン、九州説ゼブラ縄文人
ねえ、マジ自演じゃなくて、俺らを笑わせてくれるためにやってんだよね?
ここ、笑いどころでいいんだよね?
62 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:29:14
>>60 もっと確実に言える事は、新生児の死亡率はむちゃくちゃに高かっただろうって事だよね
63 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:30:58
壱岐の人口推移
平成22年(2010年)34,116人
明治5年(1872年)29,684人
享保6年 (1721年)16,467人
(900年頃)15,615人
(240年頃)5,000人?・・・下島だけかな?
64 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:32:00
>>63訂正
対馬の人口推移
平成22年(2010年)34,116人
明治5年(1872年)29,684人
享保6年 (1721年)16,467人
(900年頃)15,615人
(240年頃)5,000人?・・・下島だけかな?
65 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:37:00
>>58 簡単に10万が100万に変わる程度の精度の推定ですから信用しない方がよいでしょう。
壱岐や対馬の人口から考えると
一戸は5人くらいで
900年頃も240年頃も大して人口は変わらなかったようだ。
延喜式などは、読み方にも諸説ある様な魏志倭人伝より、よっぽど扱い易い
逆に、その資料性ゆえに否定がしにくい
九州説を抹殺しかねない数字ゆえに、このスレでは封印されている
>>59 縄文人死ね(けしてヒステリックではなく冷静な口調で)
68 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:38:28
>>58 邪馬台国時代の人口について、鬼頭宏は、次のようにのべているそうだ。
三世紀の邪馬台国時代の人口についてであるが、『魏志倭人伝』にある邪馬台国
以下29力国の戸数から、180万人以上あったと推計できる。同書には邪馬台
国ほか7国の戸数が書かれており、その合計は15万9千余戸となる。
一戸あたり人員をどれくらいに見積もるかが問題であるが、3〜5世紀の住居跡
から推定される世帯の規模を参考にこれを10人とすれば、8力国の人口は159
万人余となる。戸数記載のない斯馬国以下12カ国の戸数を仮に各国千戸として加
えれば、倭人伝29力国の総人口は180万人余になる。しかしこれらの国はすべ
て西日本に位置していて、この180万人の中には東日本の人口が含まれていない
ということも考えられる。もしそうだとすると、弥生時代と次に見る8世紀の地域
人口構成を参考に、東日本人口を推計してこれに加えて、当時の人口を300万人
内外はあったとみなくてはならないだろう。(『日本二千年の人口史』PHP研究所刊
69 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:39:44
>>59 >「弥生時代の人口≧奈良時代(又は平安時代)の人口」という事態も有り得るのである。
だーかーらー
「有り得る」じゃなくてその『異常事態』がどんな物だったのか提示してもらわないと
話が進まないって話だアホ。
そりゃ、「ありえる」だろうさ
隕石が落っこちてきたとか、列島の火山が連鎖して噴火とか、宇宙人が襲ってきたとかw
「たられば」言えばきりがない
イチャモンのためのイチャモンじゃなくて話し前に進めてもらえないかな?
縄文人でも、初老教授でも、他のキャラでも良いからwwwwwwww
>>55 なぜ、壹岐という辺鄙な島国を引き出すのか?
71 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:43:54
>>68 そりゃ倭人伝の話をまに受ければって事だろう?
じゃあそれを採用して最終的に数字の出された物があるのか?
それが先に挙げた2000年以後のものなら
こっちも鬼頭の説は変わったと認識するが?
72 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:50:09
>>65 >簡単に10万が100万に変わる程度の精度の推定ですから信用しない方がよいでしょう。
はあ?何を言ってるんだお前は?
仮に十倍になったとて今後も十倍に修正されるとは限らない。
現行ある資料で考えるしかないな。
第一、じゃあ一方の倭人伝の数字の根拠なんて何がある?って話だがw
73 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 12:52:16
7C末に、北部九州から畿内に首都を移転したので、
北部九州では 弥生時代の人口≧奈良時代(又は平安時代)の人口
畿内では 弥生時代の人口≦奈良時代(又は平安時代)の人口
74 :
第三者:2010/05/23(日) 12:54:11
私はいささか初老教授のことを存じ上げているが、人格は山よりも高く学識は海よりも深い。アカデミズムの中の九州説としては最高峰
に連なる一人であること疑いのない人物である。その彼が、平安・弥生時代の人口について再考を促しているのだから、このスレでもも
うすこし真面目に取り上げる必要があるだろう。
そう、勘案すべきは古代における疫病等の流行。天然痘はむろん、四日市喘息や水俣病、牛脳食が日常化していたことによるクロイツ
フェルト・ヤコブ病などを考慮すれば、弥生末期を最高数として人口は幾何級数的に減り続けていたことは間違いない。ただし九州人口
だけは増加を続けていた。これは渡来人の流入と、豊富な鉄による疫病消毒力によるところが大きいのは論を待たないであろう。
そもそも、現在の常識で古代を推し量ろうとする考えは不遜である、とするのが初老教授の主張の根幹であり、北部九州の発掘状況か
ら、ムササヒの皮を用いたハンググライダーの出土や、完全防水のタールを塗った甕棺に空気穴と舵のついた小型潜水艇の存在を挙げ
ることができる。九州は当時中国よりはるかに機械技術を含む文明に優れ、世界の中心地として各国からの巡礼があったのは、九州諸
遺跡から出土する、ペルシア、ローマ等の土器が物語っておる。このように人口増加を続ける九州に邪馬台国がなく、人口まばらな畿内
にあるとするのは極めて奇妙な意見であり、常識では考えられない。
畿内説など珍説奇説の類ですよ。
ムキになって自分に都合のいいように詭弁を弄する姿を見物するのは楽しいものです。
論理的に痛いところを衝かれると人格攻撃が始まるというお決まりのパターンもお約束です。
76 :
ローガン:2010/05/23(日) 13:02:06
前スレに書いたんですがどうですか?
飛鳥の天智代の木簡に「白髪部五十戸…」とあり、行政単位と考えて良いでしょう。その当時の戸は郷戸だと思う。1戸当たり20〜25人。23人として50戸で1150人。
西南大学の高倉洋彰氏は、以前読んだ本の中で、青銅器分布から奴国連合を福岡平野、佐賀平野、筑後平野とし、奈良時代の行政単位で87郷とされていました。 とすれば、87郷×1150人で100050人。
3世紀も同水準だと仮定して、後漢書郡国志の1戸5〜6人を当てはめると約20000戸。とするとこの領域、福岡平野から佐賀平野、筑後平野まで包含するのが奴国。
では倭人伝に書かれた奴国以外の人口を、九州の残りの土地に求めるのが果たして現実的な解釈であろうか?
77 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 13:04:01
古墳時代中期 誉田、大仙陵古墳が造られたことは事実だ。
これを勘案すると、この時期に人口爆発があった証拠品である。
この人口爆発は、自然増を上まわる増加率であるから、人が大量に流入せねば説明出来ない。
時期を特定すれば、5世紀初めに、百済が高句麗に大敗する前に、積み石塚や牧場経営を知る
人々でなくてはならない。
百済が百済人を輸出したら、百済自身が疲弊してしまう。
となると、百済が強国であり高句麗が弱国の時、北方の民を連行し倭国にもたらす。
時期は4世紀末までしかない。
78 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:09:00
>>74 相変わらず「芝居っけ」の多い奴だな、おいwwww
あれだろう?
問題提起する人間(初老教授)と、それを受けてイチャモンつける人間を分けておけば
答えに窮するような都合の悪いことは最初のキャラにおっかぶせて
(外野と言う立場で)ワンサイドゲームできると考えたんじゃないのか?(ゲラ
いつぞやのように他のキャラ(初老教授)じゃなくて自分が博学多才な人間だとほざかないのか?w
>なお、俺は土木関係者ではない。知識は持っているが、俺の知識は化学、物理、生物、農業、林業、工業、文学、宗教学、
>心理学、病理学その他と極めて広いのだ。また人に頭を下げて商売する必要はないのだ。人に頭を下げられることはしょっ
>ちゅうあるがね。俺の生活の心配などしないでおまえら勉強に励め。
どうやっても長文書くと癖とか志向みたいなものは出てくるなw
逆に言えば「初老教授」のキャラ・文章は”作る”のに時間がかかるから
レスの応酬には向かないとか?どうだ?wwwwwwwwww
79 :
第三者:2010/05/23(日) 13:09:19
そもそも畿内にある前方後円墳をして、文化伝播をいうのは大きな間違いであろう。あの前方後円の形を見ればわかるとおり、あれは
大いなる鍵穴であるといえる。そして初期の前方後円墳の向きがばらばらであるのはいったい何を意味するのか。初老教授のお考え
としては、邪馬台国の国庫の金庫ダイヤル番号をまわすための方向指示機能を持つものとされる。つまり、作られた順の古墳の向きに
金庫のダイヤルを回していくというもの。
このようなことに多大な工夫を用いて大規模工事を行っていたことからも、当時九州にあった邪馬台国の権力基盤の大きさがしのばれる
であろう。また、当時の鳥居は時を超え空間を越えてのワープを可能にする時空の門であった。これは宮内庁と神道庁によって極秘に
研究されていることで、一般人には知る由もないだろうが、初老教授はこのプロジェクト・チームのトップであり、この私のようなものでも
漏れ聞くことができたのだ。
邪馬台国は3世紀における世界の中心であり、巨大な霊力は富士山を基点とする霊波アンテナにより世界中にとばされ、往時の世界
首脳を遠隔支配していたのである。このような事実を知らずに行われているこのスレの議論のなんと片腹痛いことであろうか。初老教授
はお嘆きである。次の降臨を伏して待つがよかろう。
80 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:13:32
>>79 ここらあたりになると「縦目仮面」の可能性も考えておかないとならんなw
しかしこれを縄文人のレスと見ても何ら違和感がないのだがwww
81 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:24:41
>>77 >古墳時代中期 誉田、大仙陵古墳が造られたことは事実だ。
>これを勘案すると、この時期に人口爆発があった証拠品である。
何故、古墳が人口爆発があった証拠品???
「クイズの人」はぜひともコテをつけて欲しい。
そのクイズの人が見てたら質問したいのだけど、九州と他の地域で住居の構造に
大きな違いがありますか?
83 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 13:29:00
>筑後平野まで包含するのが奴国。
当然 吉野ヶ里も含まれますよね、そして吉野ヶ里の衰退したのは、弥生中期で
倭国乱で衰退したグループに属する。
だからこの時期に北九州に王墓は造られない。
倭国乱の場所は九州です。
残念ながら九州にはこの乱を平定して大王と成った者が存在しない。
大王は後に全国に前方後円墳をばらまいた大和政権。
この時代、九州を平定し大和に覇権を唱えた大王は存在しない。
84 :
第四者:2010/05/23(日) 13:31:26
初老教授は学会においてはまだ若年の身でありながら、国家規模のプロジェクトにいくつも関わっておられるのは無論その人域
をはるかに超越した知能のためであられる。教授は環境都市工学、農学、法学、天体物理学、易学、生態学、医学、獣医学、美学
など数十の学位と、七つの博士号、十一の修士号を持っておられるのだ。幼少のみぎりの知能指数は180を越えておられたともいう。
それほどの偉才でありながら、普段は趣味である冶金学で、鉄から水銀を作り出す研究のために鉄工所に所属して工員として働いて
おられるのである。しかしながら教授は常時30機ほどの携帯電話を持ち、その一つは民主党鳩山総理と直通するものである。貴君ら
に少し秘密を伝授するならば、多数の携帯電話の入った紙袋をカートに載せ、引いておられる人物を福岡近辺で見かけたら初老教授
であると考えて間違いはない。
初老教授は一時に十人の話を聞いて受け答えをすることがお出来になるし、その誕生際には天空に巨大な彗星が出現したともいう。
初老教授と肩を並べて語ることができるのは、耶蘇主か釈迦如来くらいであろうか。それほどの偉人であり、先般も少しその眉をお上げ
になっただけで、米国で政権交代が起きた。初老教授がお生まれになった時、来訪して言祝いだのはオバマ大統領の母方の祖父で
あった。
まったくの素人としての質問なんですが
僕の家の近く(関西某所)にも
大きな前方後円墳がいくつかあるんですが、
あれは畿内ではじめて作られたんですか?
普通に考えると小さなものから大きなものへと
発展していきそうに思うんですけど、
ある学者の先生と話をしたとき、
いやそれは違う、大きなものが小さくなって地方に分散したのだと
何かそこに疑問を感じました
最近前方後円墳は九州で発生してそれが畿内に来たという説を読んだんですが
何かそっちのほうがしっくりくるなぁと
よかったらどなたか教えてください
86 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:39:49
>>76 佐賀平野まで入れる必然性はないね。
まあ、北九州の大国が奴国だったってことはいいだろう。
となれば、その奴国と争ったのがどこなのか? 九州内部とみる方が
自然だな。遠くて弥生時代の痕跡が少ない畿内を考える方がどうかしてる。
87 :
第三者:2010/05/23(日) 13:44:57
>>69 初老教授の論旨からすれば結論は簡単に出る。「弥生時代の人口<奈良時代(又は平安 時代)の人口」には
明確な根拠がない。「弥生時代の人口≧奈良時代(又は平安時代)の人口」ということも有り得ると考えられる
「8世紀における急激な温暖化」という人口変化要因となる事象についての研究報告もある。
証明できないことを、しかも疑うべき十分な理由があるものを、議論の前提に用いることは出来ない。これが
結論である。
88 :
初老教授:2010/05/23(日) 13:48:00
>>85 むろん前方後円墳は九州発生である。君は実によい疑問を持ったし、きっと知能も群を圧する程度に高いのであろう。所詮通説
と呼ばれるものは畿内説御用達学者が作り出した幻影であり、疑ってかかるのは正しい態度だ。九州こそすべての文化の発祥の
地であり、世界有数のサンクチュアリであった。
前方後円墳は、幼少時から隔離され巫女としての修行をつまされた卑弥呼が、時折の自由時間に作って遊んだ砂山の形が元に
なっておる。それは極秘の神聖意識として発掘され、肥後の山中にパゴタとして祀られている。その場所は今上陛下の他には時の
総理大臣しか知らされることはないし、総理経験者はその秘密を墓にまで持っていくもとになっている。もしこの秘密を漏らそうとした
ならば伊藤博文のようなことになる。君は伊藤博文の最期を知っているだろう。
この発掘調査では二千年近い時を越えて残る卑弥呼の霊力のために、発掘に関わった関係者数十人が非業の死を遂げた。なんと
も悼ましいことであるが、この巨大な霊力を封ずるために卑弥呼の死の当時百余名の殉葬者が必要であったことは、いわば必然で
あるのだ。わかったかなよい子よ。
89 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:48:49
>>82 コテはね、もう阿呆どもの自演の道具に堕してしまったから使いたくないんよ。
で、住居形式だけど、これはもう九州いや北部でも玄界灘と宇佐などは違うし
中南部九州でも東と西で違う。
吉備と出雲がよく似ていた時期もあれば、まったく異なる時期もある。
畿内も三遠もどこでもそうで、確かにその地域に多く見られる形式というか傾向はあるのだが
その総てが同形式で塗りつぶされるわけではない。
前スレでもあったように、各地域(各経済ブロック・各クニ)でさえ、面として纏まっていたなどという痕跡は一切無いのよ。
ここまで文化や技術の浸透もしくは統一が、あの北九州でさえも弥生後期後半に至っても成されているとは言いがたい。
でももっとややこしいのは、それだけ同地域でばらばらなくせに
遠隔地にまったく双子同様だとしか思えないほど、シンクロする集落遺跡跡もあるんよ。まあ偶然ってのは有り得ない。
あとは面白いサイトがあるので、紹介しておくね。ここで調べると位置関係が判り易い。
[遺跡ウォーカーβ版]
http://www.isekiwalker.com/
90 :
初老教授:2010/05/23(日) 13:51:07
神聖意識→神聖遺跡 すまぬのう。
91 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/23(日) 13:58:09
なんで九州の倭国乱を収めたのが景行である、に行き着かないのかな?
考古学が年代を古い方へ動かす=書紀の編年も同じく動かす。
こうしないと考古学の数字と書紀を合わせられない。
纒向遺跡=2世紀後半=崇神即位
92 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 13:59:59
93 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:03:34
現在のところどう計算しても九州で百万なんて数字は出てこないなあw
まあ、どの道積算根拠どころか
そのクニの位置すら定かではない
倭人伝の戸数の記事なんかあてにならない・・・という結論だなwwwwwww
>>89 ありがとうございます。
とりあえず、地域性があるというのは分かりましたが平均的な住居に住める人数は
九州と他の地域で格段の差があるわけじゃないですよね?
九州説の人の言う100万人を証明するには、住居や集落に他の地域と大きな違いが
あるか、相当の密度で遺跡が存在しない限り無理じゃないかと思って質問してみました。
95 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:09:21
96 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:19:34
97 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:21:40
>>94 北部九州を例に取ると、これはもう狭い平野にごちゃごちゃと中小のクニが並列していて、まあ密度は高かったといっても良い。
ただ遺跡分布図などを見れば一目瞭然だが、農地となるべき場所が非常に少ない。
まず自給自足など無理だろうと言う事が簡単に判る。
どこからか輸入せねば、北部九州のクニグニの経営は成り立たない。
またその狭い平野内で、ドンパチやりあった痕跡も無い。
弥生中期あたりまでは、近隣で小競り合いをやっていたようだが、後期に入るとその形跡さえ薄れる。
何が言いたいのかというと、もし九州にかなりの人口を想定するならば
その交易対象となる巨大な勢力を、日本国内にしかも複数想定せねば成り立たないということ。
あと環濠に防衛とかの大した意味は無いから、環濠外のムラムラにどれだけ住人がいたかなどを丁寧に拾わないと、机上の空論になる。
まあ一生かけてやるくらいのボリュームはある。片手間に出来るものではない。
98 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:23:14
>>88初老教授
>むろん前方後円墳は九州発生である。
>前方後円墳は、幼少時から隔離され巫女としての修行をつまされた卑弥呼が、時折の自由時間に作って遊んだ砂山の形が元になっておる。
>れは極秘の神聖意識として発掘され、肥後の山中にパゴタとして祀られている。
>その場所は今上陛下の他には時の総理大臣しか知らされることはないし、総理経験者はその秘密を墓にまで持っていくもとになっている。
>もしこの秘密を漏らそうとしたならば伊藤博文のようなことになる。
妄想以外の何物でもない。
このような妄想をいくら積み重ねても、九州説は立証できない。
むしろ九州説を戯画と化し、評価を落とすばかりで、他の真面目な九州説論者にとっても傍迷惑の限りである。
99 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:28:42
たぶん縄文人の自演である「初老教授」を
途中から縦目あたりが乗っ取って遊んでるんじゃねえか?
100 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/23(日) 14:30:07
>>92 奴の主張は殆どデタラメだよ。カルト・ホツマの権威こそ至上のものと
した妄想脳の完成が、奴のインチキの始まりなのだ。
だから資料との照合に無理があっても、ごり押しで景行を卑弥呼の代に
しなければ気がすまないのがあいつの脳内なのさ。つまり景行至上という
考えで、これが根拠無しに公理だとの奴のお脳のご採択であり、公理が
合ってればそれはどこの資料とも矛盾は出ず、もし矛盾に見えても仮の
錯覚で、不合理がなくなるが、もともと公理の景行至上がインチキの妄想
だから、ところどころに論の欠陥、シッポが見え見えとなる。その典型が
臣下を天皇とした伊支馬が垂仁だとの「猿の惑星」式論であり、こんな
ことをまともに言えば、嘲笑の的になるのが当選確実だ。
妄想の果ての脳内があいつの書きこみなのさ。ww 騙されるな。学術的
論説に見せかけてるだけであり、化けの皮をはがせばホツマ・カルトの
洗脳の行動であり、古代史思想においては、大麻、覚醒剤的治療困難に
至る恐ろしいもので、一端憑り付かれると逸脱は困難になる妖魔の論だぜ。
101 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:32:15
それか太国の自演だなwww
鼻で笑うような中途半端なオカルトなんか、彼の芸風そのまんまだし
102 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:34:09
>>96 先ず比率だなw
九州だけで百万人なんてしたら日本全体で余りにも膨れ上がって
とてもじゃないがそんな数出している学者もいないって事だがwww
海外の学者で弥生(200年)の日本全体200万と言うのはあるらしいが
まさか九州の占有率が50パーセントなんて話はないとw
まあ、ここの九州説と言うか「すなおに読んだら教徒」は
そんな与太でも平気で言いそうだがwwwwwww
弥生終末期(2世紀後半)の九州全体の総人口は247万8千四百程度でありましょうか。この計算にはIBM社のスーパー・コンピュー
タを用いたのですが、端数まで算出することは不能でした。諸条件は完璧に入力されておるのだが、ハードがそこまで追いついていな
いということでしょう。しかし、後数年すれば1人単位まで算出できるようになります。民主党の事業仕分けが大規模演算部門に及ばな
いようにしたのはこの私ですから。
北部九州(邪馬台国領域を除く)に62万人、邪馬台国領域で94万人、その他の中部域に21万人、残りが南九州と、概数ですが間違
いはありません。私の配下組織である「国家鎮護団」がそのような間違いをおかすはずはありません。教授を含めた京大工学部全体よ
り、はるかに優秀な人材がそろっています。
日本全土における計算はしていませんが、北海道を除いて八百万超というところでしょうね。これは当時の世界と比較して超越的な人口
密度であるといえます。個々の集落の状況は、特に住居の形態などは様々でしょうが、卑弥呼の鬼道によって心は繋がっていたのですよ。
これにより、当時の人々は発声によらない会話を行うことができました。肥後のある場所から、富士山を中継して倭国全土に卑弥呼の霊
力が分配されていたのです。
104 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:36:38
105 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:40:32
>>85 あなたの感覚は正常だと思うよ。
日向の古墳について考えてみる必要があるね。日向にはいわゆる纏向型古墳もあれば箸墓型
もいくつかある。また、いわゆる手鏡式という前方部が細長いやつも数多くあるんだが、大
正時代にお偉い先生方が日向の古墳を調査したと称して「日向の古墳は5世紀以降だ」と言
ったとかで、井上の「日本国家の起源」でも「日向の古墳は前期古墳と認められるものはな
く、中期以降である」などとされ、つい20年ぐらい前まで、それが常識とされてきた。
だが、最近、それがまちがいだと分かってきた。発掘調査の結果、3世紀半ばのものと認
められる古墳がいくつか出てきたわけで、そうなると、日向の古式古墳はぞろぞろとその形
態が示す本来の時期に修正されていくということになる。今はその修正がなされつつあると
いう状態だよ。そして、日向に初期古墳が多いとなれば、畿内勢力が日向に進出してそれら
を造らせたなんて話がおかしいことは明らかだ。
初期古墳は、生目古墳とか、結構内陸部にも存在する。しかも、古墳と横穴墓の副葬品と
を比べると、横穴墓からも古墳と同じ鎧や剣を出土しており、横穴墓の人々と古墳を造った
人々とが対立していたとは考えられない。となると、日向の方が先に古墳を造ったのかも知
れないということになる。少なくとも、その可能性は否定しがたい。
106 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:40:56
全国的に雨だから、みんな暇なんだろうねw
俺も朝からiTuneの整理やら動画などの分類を、ここぞとばかりにやっているわw
改行パターン青 縄文人です
>>105 >発掘調査の結果、3世紀半ばのものと認
>められる古墳がいくつか出てきた
それらの古墳名は?
109 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:45:54
「美濃モン太の凍結を、現時点を以って解除する」
「なによ、サイキバの時は出さなかったくせに・・・」
110 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:47:03
>>102 おいおい、鬼頭だって、300万の可能性を考えているんだぜ
>>68 300万が600万かも知れんじゃないか?
九州に百万ぐらい、何でもないことよ。
111 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:47:29
>>108 聞いてやるなよw
そんなもの存在しないのだからw
112 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 14:50:31
そう言えば、青と緑ってどうして分かれるの?
そうですね。今日は暇ですから昼酒をやりながら書き込みをしています。場所はむろん日本ではありませんよ。窓からカラコルム
山脈が見えます。今日は皆さんに取って置きの情報をお教えしましょう。卑弥呼は死んで、径百歩の塚に葬られたと倭人伝にはあ
りますが、実は生きているということも出来ます。どうですか、驚いたでしょう。
卑弥呼の墳墓(前方後円型をしていますが、通常の前方後円墳とは少し違います。全国に伝播した前方後円墳は当然ながら卑弥呼
の墳墓を祖形としつつも、完全な形の模倣は許されていないからです。)肥後山中にある卑弥呼の墳墓の中央には樹齢千八百年に
ならんとする大木が植えられています。これが卑弥呼の死してなお残る霊力を全国に今もなお分配し続けている、といったら驚きませ
んか。
纏向遺跡が注目されているようですが、あれは無人都市です。卑弥呼の霊力を、肥後→三輪山→高野山→富士山と中継する拠点の
一つにすぎない。いくら掘っても集落跡など出ませんよ。ただし、墓域としては優秀です。霊力に満ちていますから。私もこの後、歓喜仏
の一軒が片付いたら、帰国して秋葉原詣でをするつもりです。
あと、けっして肥後山中に卑弥呼の墳墓を探しに行くことはやめてくださいね。完全武装の自衛隊一個中隊に守備されています
から。地図にはただの山脈の連なりとしか載っていないし、航空写真も加工されています。やっかいなのは各国の衛星からの
観測ですが、これは衛星を持つ国すべてとの協定ができています。彼らももちろん知っています、古代から自国が卑弥呼や台
与の霊力によって発展してきたことをね。
いい加減にしとけ!出鱈目野郎め!
トヨタン・・・・・・・・・・
デタラメというのは、「弥生人口>平安・奈良人口」とか「前方後円墳九州発生」というのも同じだよ。ただ、目が曇って
そう見えないだけ。
>>115 あなたが出鱈目と評されるのはかまいませんが、私はスレ違いを書いているわけでも、他人の人格攻撃をしているわけでもない。
邪馬台国と卑弥呼についての自説をただ展開しているだけです。ご不満があるなら根拠をあげて反論してくださればよい。
119 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:22:09
しかし、これをやられるとすべてが馬鹿馬鹿しくなる。
120 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:27:18
>>117 まあ日本政府が自衛隊使って卑弥呼の墓を守護している話と
畿内説が実は世界征服をたくらむ悪の秘密結社だという話に、まったく差は無いわなw
ついでに言えば
>発掘調査の結果、3世紀半ばのものと認められる古墳がいくつか出てきたわけで
なんてのは、アダムスキーが金星人の円盤に乗って、金星に行って帰ってきました。そんな話と変わらん。
真っ赤な嘘なのですが、騙してやろうと思い書きましたという浅はかな詐欺師気質が見て取れる。
まあこんな見え透いた嘘しかつけない時点で、詐欺師としての才能も無いのだけどね。
121 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:30:06
>>118 まあそういうことだわなw
初老教授の「現在の中の人」が痛いと思うのなら
それはそっくりそのまま「素直な妄想」を垂れ流す自分自身に帰ってくるわけだからな
122 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:31:43
>3世紀半ばのものと認められる古墳
これ、できるかどうか微妙だけど、南九州と畿内土器その他の編年が進めば面白いことになる。諸刃の剣なんだよ。
123 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:37:12
>>119 まあ、ここの九州説の(俺が「自爆テロ型」と内心命名している)芸風だなwwwww
とにかく都合が悪いことは、ほぼ世間一般ですら「自明の理」と言う事も
「説明しろ!」と繰り返すw
まあ子供に「なぜ?なぜ?なぜ?」と説明するたびに繰り返されると
ニッチもサッチもいかなくなると言うパターンw
弥生時代より奈良時代の方が人口が増えていると言われて説明求めるなんて事もないだろう。
逆に減っている、横ばいだというのなら疑問に思って説明を求めるということはあるかもしれんが。
まあ一度百万まで増えた九州の人口をヤマト王権が九州に乗り込んで
「百万人殺した」とも言われる南京大虐殺をリアルにやっちゃって
人口激減と言うシナリオなら説明つくか?wwwwwwwww
124 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:41:01
>>118初老教授
>邪馬台国と卑弥呼についての自説をただ展開しているだけです。ご不満があるなら根拠をあげて反論してくださればよい。
他者へは根拠の提示を求めながら、なぜ自説には根拠を挙げないのか。
125 :
初老教授:2010/05/23(日) 15:47:43
>>124 むろんこの板の九州説、特に縄文人に対する揶揄・嫌がらせだからです。
126 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:50:05
漢・魏の薄葬を踏襲していない巨大古墳がある畿内こそ、邪馬台国とは無縁の地だな。
弥生の倭錦(絹)や中国錦が圧倒的に出る北部九州が邪馬台国だな。
127 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 15:54:55
>>126 そういやあ、曹操の墓が見つかったっけ
魏の薄葬とやらは、えらく豪華で派手なんだなw
128 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:07:24
129 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:09:58
大和三輪山を首都にもつ出雲王朝。大和の布都族の須佐男時代島根遠征。
今内陸から朝鮮半島を征服した今日の朝鮮半島の朝鮮族とは異なり、
稲田姫に対し川上から「箸」から須佐男は同族に認定。
古代朝鮮半島で稲作から女長を置き天神思想を共有した北宮崎の日向王朝。
日向王朝(男系)神武が大和遠征征服し、和談し歴代皇后を出雲王家(女系)からえて統一。
統一(神武を祖にする)のその大和政権が、日向王家末裔の南宮崎にある隼人に軍事制圧。
天神思想(女長を置き稲作)から後の時代に残存可能な地はこの隼人地区。
大和政権下で三輪山の祟り騒動(出雲から物部より皇后出たり、結果日向の天照の御霊を伊勢に出す)の中、
出雲王家の巫女を大和地内に置いた周辺。
古代半島(ルート)から船で高志(越前地域)に漂着し淡海(琵琶湖)や島根
から大和や九州が王道。
130 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:16:34
>>128 君は言葉を知らんのかね。「もしそうだとすると」というのは、確かにそうだと
断定はしていないが、可能性があることを前提とした文章だよ。
それとも、鬼頭は、あの文章に続けてまったく可能性はないと明言してるかな?
131 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:16:49
>>128 つーかこの「邪馬台国人口論」なる本の記述を信じるならば
その元になっている縄文期の火山灰土の堆積データやらも信じなきゃいかんことになるが・・・
あれ?考古学で地層から出土年代が判断できるとかは「嘘だ」とか、ここの九州説はおっしゃってたよねwww
132 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:22:48
>>130 可能性なんて、犬の糞みたいなものにすがるな、みっともない。
もしそのあとに「仮定を前提として論を進めるならば」とまず前置きしてから
「可能性」ではなく「蓋然性」を論じてこそ学問だ。
可能性なんてのはそれこそ無限にあって
今から5分後に一億円入ったトランクが俺に渡されるかも知れないし
また同時に、君が全裸の柳原加奈子に押し倒されてマウントポジションで犯される可能性もゼロではない。
その程度の低い確率に拘る必要がどこにあるというんだ?
133 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:25:05
>>130 だから都合の良い所だけ切り取って言うのではなく
鬼頭が全体を修正したものを出せって話だ分からないアホだなw
弥生九州で100万なら日本全体で500万を超える計算か?
鬼頭(2000)のモデルなら奈良時代に並ぶ数字。
当然それ以後の数字も修正が必要になるだろうと言う話だが
134 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:30:17
>>132 どの程度の可能性を考えているのかは、鬼頭本人に聞いてくれ。
鬼頭が全体を修正したのかどうかは、興味があるならば自分で探せばいい。
文章の読み方を言えば、鬼頭がどこからを西日本としているのかを確かめる
べきかな。
135 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:34:54
136 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 16:40:29
>>135 そんなことはないだろう。北九州説は、北九州だけで少なくとも十万戸ぐらいを
考えるんだ。全国となれば(本州、四国を含めれば)、五百万以上を考えるだろ
う。四百万というのは、九州説論者としては控えめな方じゃないかな。
137 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 17:04:46
>>127 ああ、畿内説は全滅だね。
曹操を含めた多数の墓全体で、たった50mしかないんじゃ、
300m近い箸墓などあり得ないからね。
138 :
第三者:2010/05/23(日) 17:09:46
私のニセモノが出没しておりますが、我ながら人気の高さに呆れています。
人口問題につきましてはいろいろな意見が出されましたが、倭人伝に記された戸数5万だとか7万だとかの
大国が九州に存在したことを否定し得る材料は提出されておりません。鬼頭氏や小山氏の推定も再検討の必
要がありましょう。
ところで、昔誰かが奈良湖の話をされていましたが、私も弥生中期後半か後期前半において唐古・鍵の集落が
水没した形跡があることから見て、其の当時は標高45m以下の盆地低地部は沼沢の状態ではなかったかと思い
ます。
唐古・鍵の水没を川の氾濫によるものとする見方が採られているようですが、そうだとすると自然法則を変え
なければならないことになります。
唐古・鍵は盆地内の微高地ですが、ここが川の氾濫で水没するためにはその側に巨大な天井川の存在が必要です。
ところが唐古・鍵の側にそのような川が存在した形跡はありません。
川は自然に放っておけば流路を変えます。土砂などの堆積により川底が高くなれば水はより低い所を流れるからです。
天井川は人が堤防を作って流路を固定する場合に形成されます。唐古・鍵にそのような堤防跡があれば天井川の存在の
可能性もありますが、それは発見されてはいないようです。
唐古・鍵が水没するとすれば湖水の水位上昇しか考えられません。大和川の盆地出口近辺で落石かなにかで川底が高く
なり、大雨の時期に排水が間に合わなくなって湖面が数メートル上昇して水没したのでしょう。
唐古・鍵の集落はその後も修復して存在したようですから、湖の排水ができるようになったのでしょう。
∧,,,,,,∧
ミ,,´∀`彡
ミ ミつ
ミ,,,○,,,,,,,,,ミ
140 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 17:29:39
>我ながら人気の高さに呆れています。
なぜ「第三者」が人気なんだよ?「初老教授」じゃないのか?それとも「縄文人」のことか?自分で混乱してるだろう。wwww
141 :
第三者:2010/05/23(日) 17:37:13
74,79,84は私とは別人です。あ、84は第四者か。
142 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 17:49:59
>>140 なんつーか自演が下手糞な奴ばかりで、笑うというより脱力するよなwww
と言うか、参加者全員に完全に見抜かれているのに自演する意味がわからん
逆効果以外の何者でもないことは、小学生にだって理解できるはずだが・・・
心に病を抱えているんだろうなあとしか、考えられない
いや、馬鹿にしたり揶揄じゃないんだわ
本気で哀れに思ってしまったからね、つい
>>137 九州に何もないからってケチ付けちゃあダメだよw
笑われるだけだね。
あと、曹操は魏の皇帝じゃないからね。曹丕が初代だよ
144 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:12:39
しかし弥生時代後期・末期の人口の修正については
年代観の見直しがかなり影響しているんだろうなあw
どの道、九州のみを増やそうなんて話にはならない。
九州以東も当然増える。
そこで鉄器の有用性もここの九州説が考えているような
万能性もなくなるという話www
145 :
第三者:2010/05/23(日) 18:14:13
>>132 >可能性なんてのはそれこそ無限にあって
>今から5分後に一億円入ったトランクが俺に渡されるかも知れないし
そんなことは「可能性が低い」と言うのだ。蓋然性とは思考上において「有り得る確率の高さ」であり、
通常に言われる可能性とほぼ同じ意味だ。勘違いして偉そうなことを言っちゃいかんぞ。
146 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:20:54
>>145 おいこら縄文人。
そのキャラの文体は「ですます」調か「である」調かどっちかで統一しないのか?w
お得意の盆地湖のネタも出したし次は神武鉄器軍団の東征劇か?www
147 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:33:29
>>143 いや、馬鹿な畿内説が曹操墓の話を出してきたから、逆手に取ったまでw
曹丕だろうが誰だろうが、魏は薄葬。
>>88>>105 ありがとうございます!
やっぱ九州から来たんじゃないかなぁと思うんですけど
九州の一番古い前方後円墳の候補には
どんなのがありますか?
149 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 18:38:59
>>126 しかしこの「絹」とか「薄葬」ネタはサイキバ君の十八番だったなw
他の九州説であろうが超万年ループネタ。
まあ薄葬に関して言えば径百歩がどれくらいだろうと墳丘を築く時点でアウトw
徇葬なんかもっての他w
九州にもやがて古墳が作られるのだから
そこでここの九州説が言うところの「なんちゃって薄葬文化」も絶えるとw
まあ九州王朝のような与太は無理って事やねwwwwww
>>53 祭器場クン、どうしたw
元気無いぞwww
151 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:10:08
さあ
>>148が厳しい質問を浴びせてきましたw
これが自演か否かは別にして、具体的にどの墳墓の名が挙がるか非常に楽しみw
具体的に頼むよ、具体的にね。
きちんと名前を挙げて、○○古墳群のどれかとかで逃げるのは無し。
出来れば根拠となる副葬品や墳墓築造形式、様式、祭祀具なども挙げてね。
>>151 え?
普通に「81」の事言ってたんじゃなかったのか?www
153 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:18:56
154 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:21:51
>>152-153 知らないねえ、ニヤニヤ
下手な自演はいいから、畿内より古い九州最古の古墳マダー チンチン
156 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:28:20
>>148 おせっかいかもしれないが、妄想家の“初老教授”(
>>88,113,114)にそんな質問しても、全く無駄と思うが。
157 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:30:33
>>148 日向では、上に出てきた西都原の81が3世紀前半ではと言われているが、そのほか、
古いといわれるのは、99、100、生目の1号、持田の45、44など。
形がはっきりしないが下屋敷1号もあるな。
そのほか、古式古墳とされる柄鏡式が三十基あまりあるから、楽しみだよ。
北九州では、石塚山、那珂八幡、御道具山、久里双水などが出現期古墳といわれてるよ。
158 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:30:49
>>155 どうも話が噛み合わんな
>つうか
>>88にマジレスしている
>>148はネタか?www
当然そうだろう。だがそのネタのなかで、彼は
>>105にも話を振っている。
で、
>>105は例によって、日向厨なわけだ。
だから畿内より古い最古の前方後円墳を、
>>148とともに俺も尋ねているわけなんだがね
159 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:38:16
>>157 おまい本当に息をするように嘘つくなあ・・・しかも下手糞な奴を・・・。
正しいのは5行目だけ。
2〜4行目は1行目さえなければ、そして様々な条件を省略しなければまあ許してやらんことも無い。
問題は1行目だ。西都原81号墳だと???
どこの基地外がそんな出鱈目抜かしてやがるんだよwww
そんなこと「言われてさえ居らんわ」。まあ基地外同士の会合ではどうかは知らんがな。
おまい、ここの住民がみんなサイキバや縄文人レベルだとか思ってやしないだろうな?
初心者でも騙せないような嘘は見苦しいからやめろ。
もっと、もしかして・・・それ有り得るかもとか思わせるような、高度な嘘をついてくれ。
160 :
縦目:2010/05/23(日) 19:43:31
88,90,102,113,114,118は俺の悪戯だ。125は知らん。
久里双水から出てきた木片を14Cで測定したら
紀元”前”7世紀と言う数字が出てきたそうな
まあ九州王朝説の本で見たんだけど
九州王朝スゲーwwwwwww
162 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:50:38
163 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:53:15
>>159 ほほう。下記の報道は嘘だと言うのか?
宮崎県西都市の西都原古墳群にある前方後円墳が、宮崎大学の調査で18日までに、国内最古級と確認された。
築造は3世紀中ごろから後半とみられ、畿内で同じ型式の古墳築造が始まったのとほぼ同時期。大和政権の影響下
に古墳が広まったとする説に一石を投じ、古墳の成立を研究する上で貴重な発見となりそうだ。
確認されたのは、「西都原81号墳」。後円部の長さが約33メートル、前方部が約19メートル。前方部が短く
ばちの形に開いた「纒向型前方後円墳」で、本格的な前方後円墳の前に造られたとされる。南九州では最古という。
後円部の墳丘付近から土器数点が出土。その特徴から築造時期が判明した。
(共同通信社)('05/05/18
164 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:53:27
まあ正直なところ日向厨には失望したよ。
今更、まさに今更西都原81号墳とかの、使い古されて黴や埃まみれのネタをオチに持ってこられるとはおもわなんだ。
宇宙人の証拠だとか言われて、連行されているグレイの写真見せられたような気分だ。
ホントに今更感の漂うオチというか、捻りがないというか・・・
最初からやり直せ
とりあえずリテイク、これは不採用。
もっとそれっぽいのを考えてから来い。
ホントがっかりだよ、おまいには。
165 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:56:53
166 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 19:56:55
>>162-163 ネタが割れているのにしつこい、男らしくない。
西都原81号墳が畿内纏向型に先行する可能性は皆無。
それくらい知ってるくせに見苦しい。
知らんのなら古代史を語る資格無し。
とりあえず帰れ、本当に見苦しい。
お前にはがっかりだ
167 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 20:02:57
>>149 敵対した隋から、薄葬の指図を受ける謂われはないだろ。
こんなようだから畿内説は詐欺って言われちゃうんだよ。
卑弥呼の墓は径百歩だから、せいぜい25mぐらいじゃないか。
箸墓300mなんて言語道断。
しかしいつもここの九州説の言う薄葬って意味が分からんw
畿内と比べて墓の大きさが小さければ薄葬なんか?www
172 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 20:32:48
>>166 何を騒いでいるのかと思ったら、柳沢が今年2月に81は4世紀初頭前後と訂正
したんだって? 知らんかった。しかし、西都原は3世紀前半からという点は今
も主張しているそうだね。
だいたい、81が遅くなったからといって喜ぶところがおかしいな。
81が遅くなれば、同じ形をした近畿の古墳の年代も怪しいってことだ。81が
遅くなったからといって、「畿内纏向型に先行する可能性は皆無」なんて単純に
は言えんのだよ。
173 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 20:45:40
>>172 >西都原は3世紀前半からという点は今も主張しているそうだね。
あたり前だろ、弥生墳丘墓があるから。しかしそれはどこにもある。
174 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 20:51:11
>>148 これはワナなのか?油断できないな。www
西都原81号墳とかホケノとか発掘当事者の意見が一人歩きしちゃう傾向があるよね。
176 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 20:56:06
>>173 ほう、2世紀の弥生墳丘墓はないのかな?
墳丘墓とか古墳なんてのは、現代人が付けた名称。
古代人にとっては区別はない。
2世紀となると出雲の四隅だろ
179 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 21:27:55
>古代人にとっては区別はない。
そうか?形態の変化は祭祀の変化だろ。
>>157 ありがとうございます!
西都原にその候補のひとつがあるということですね
そして前方後円墳に関しては
どこで発生したのかは今もってよくわからない、と
これからの研究が楽しみです
それにしてもここはスレの流れが速いんですねぇ
何となく素人考えで邪馬台国は
僕の住む畿内にあったもんなんだと思ってたんですけど
何かそれも違ってるんじゃないかという気がしてきました
「正しい意見というものは自信に満ちた静かな声で語られ
間違った意見というものはひきつった嘲笑と
相手を感情的に中傷する罵声とともに叫ばれる」
というモーロワの言葉を何となく思い出しました
書き込むのは何か怖いので
これからもちょくちょくのぞかせてもらいます
ありがとうございました!
また新しい悪魔超人か
182 :
ローガン:2010/05/23(日) 21:56:21
>>167 > 敵対した隋から、薄葬の指図を受ける謂われはないだろ。 こんなようだから畿内説は詐欺って言われちゃうんだよ。
隋って…変換間違いではなさそうだけど。何だろう? 薄葬の指図とか。詐欺とか「なんで?」って聞いてみたい。
これみてサイキバ君かなあってついみんな思ったでしょ? でも違う。本当の九州王朝のサイキバ君はレスのアンカーを後ろに付けるんですよ。
きっと今サイキバ君扱いされてる御仁には濡れ衣。
183 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:00:36
>「正しい意見というものは自信に満ちた静かな声で語られ
>間違った意見というものはひきつった嘲笑と
>相手を感情的に中傷する罵声とともに叫ばれる」
>というモーロワの言葉を何となく思い出しました
君もそうなんだねえ。僕も「アホ」だとか「馬鹿」だとか「クズ」などの罵声を発する人達のレス
を見ているとなんと心の貧しい人だろうと感じるね。畿内説の人に多いみたいだね。
でかい墓があったところが邪馬台国な訳ではないし
邪馬台国が日本のすべての権力を握ってた訳でもないからね〜
他候補地のネガティブキャンペーンまでする意味はないんだけど。
185 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:09:34
>>88 >むろん前方後円墳は九州発生である。
縄文人よ。おまえは東遷説じゃないとか言ってなかったか?
東遷説なら東遷説だってはっきり言えよ。いくじなしめ。
186 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:13:06
>>183 安本なんか、畿内説を罵倒しまくりだが?
187 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:13:14
www真の冊封なら、毎年の朝貢、中国元号・暦の使用が義務付けられ、
王室の儀礼も中国に倣うのが望ましいが、これは形式的なもので、
遠国ではまずやらない。なぜ薄葬のみ受け入れる必要があるのか?
・・・と普通に歴史を学んだ人なら考えるけど、まあその程度のレベルの
人が書いてるんだろう。
188 :
畿内説:2010/05/23(日) 22:14:33
wwww これまで最も下品な罵倒を受けたのは、九州説の「伊作」という人からだな。ローガンさんもそうでしょう。
190 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:25:31
日本、古倭奴也。去京師萬四千里、直新羅東南、在海中、島而居、東西五月行、南北三月行。國無城郭、
聯木爲柵落、以草茨屋。左右小島五十餘、皆自名國、而臣附之。置本率一人、検察諸部。其俗多女少男、
有文字、尚浮屠法。其官十有二等。其王姓阿毎氏、 自言初主號天御中主、至彦瀲、凡三十二世、皆以尊
爲號、居筑紫城。(新唐書 日本伝)
宋の時代に書かれたものだが、これによると日本はもと倭奴と言い、尊は筑紫城に居たと言うからこれは
九州のことだわな。
191 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:29:16
192 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:29:31
>>190 神武東征まで、筑紫に住んでたってことなら、日本書紀にも書いてあるが?
193 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:32:41
■妙見山古墳国史跡へ 調査整備の意義再確認を
愛媛新聞 社説 2010年05月22日
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201005226308.html 斎灘を見下ろす標高80メートルの丘陵上にある妙見山古墳(今治市大西町)が、国史跡に指定されることが決まった。県内12件目、古墳としては初の指定となる。
古墳としての評価を、文化庁は「出現期の古墳のあり方や当時の政治社会を検討する上で重要」とする。在地の独自性を認めた上で、出土土器などから畿内や吉備地域などの影響を見て取るものだ。
調査で判明した古墳の特徴は、海上交通の要所で活躍した人々の存在を証言する。古代に輝いていた地域の力は、現代に生きるわたしたちに活力を与えてくれよう。
復元整備の手法も先駆的だった。全国でも例のない竪穴式石槨(せきかく)の保存公開や景観保存に配慮した墳丘整備は、遺跡を活用した施設として初めてのグッド・デザイン選定(97年度)に結びついた。
築造時の姿が忠実に再現された意義は大きい。身近に触れることのできる本物の前方後円墳として、歴史体験や教育への活用が期待される。
(つづく)
194 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:33:27
(つづき)
1967年発見の1号墳は今では瀬戸内を代表する古墳出現期(3世紀後半)の前方後円墳として知られる。契機は旧大西町の「藤山健康文化公園」整備計画。古墳をランドマークとし、愛媛大考古学研究室の協力を得て90年から4年間かけて調査した。
当時、復元整備を前提とした本格的な学術調査は本県では画期的だった。文化財保存活用の模範として県内外に与えた影響は大きい。
調査の結果、2段築成の墳丘から二重口縁壺(こうえんつぼ)や特殊器台(壺などを載せる筒形土器)が出土。埋葬施設は後円部と前方部に竪穴式石槨があり、中国後漢時代の斜縁獣帯鏡が見つかった。
県民としては古墳の在地性に注目したい。愛媛大研究室が2008年にまとめた報告書では、西部瀬戸内(高縄半島以西の愛媛と大分・広島)の古い前方後円墳に共通する特徴が強調されている。
前方部が極めて短いことや九州経由で入手したとみられる後漢鏡の副葬、礫(れき)石積みの石槨、墳丘上での小型飲食器を使った祭祀(さいし)などだ。
加えて特殊器台の独自性が際だつ。弥生時代後期後半の西部瀬戸内の伝統を反映するもので、形や文様から「伊予型特殊器台」と命名された。
こうした成果は、わかりやすいかたちで地域に還元される必要がある。96年に開設され出土資料を展示している公園内の資料館も、来年度以降ようやく展示替えがされるという。あわせて発信拠点としての役割強化も課題だ。
旧町村の文化を尊重しつつ新市としての一体性を探るためにも、古墳などの文化財を生かさない手はない。国史跡指定を新たな活用・発信への機運につなげたい。
※妙見山古墳(みょうけんさんこふん):伊予の前期古墳 (愛媛大学考古学研究室ホームページ)
http://www.h.ehime-u.ac.jp/~archaeology/myoukenzan.htm
>>180 >「正しい意見というものは自信に満ちた静かな声で語られ
>間違った意見というものはひきつった嘲笑と
>相手を感情的に中傷する罵声とともに叫ばれる」
>というモーロワの言葉を何となく思い出しました
いいコト言うね〜。鶏群の一鶴だな。
www野郎に聞かせてやりたい。ww
196 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:43:59
>>192 190に引用した新唐書日本伝の続きだが、彦瀲子神武立、更以「天皇」爲號、徙治大和州 とある。
神武が天皇を称したとあるが、天皇の称号が用いられるようになったのは7世紀後半辺りとする説が
有力だそうだから、神武東征は7世紀かも知れんな。
新唐書ねえ。日本伝の最後に「邪古・波邪・多尼三小王」とあるのは、「屋久(島)・隼人・種子(島)の三人の小国王」のことで
あるという説が有力で、つまりこの時点でも、隼人の居住域は日本ではなかった。wwwwwwww
198 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 22:56:09
199 :
日本@名無史さん:2010/05/23(日) 23:52:52
>>196 こんなレベルばっかりかよ。
使えない板だな。
200 :
ローガン:2010/05/24(月) 00:18:22
>>189 いやあ伊作さんの罵倒は、自説に賛同を得られない苛立ちが、分かりやすく微笑ましい。もっとも 計算ずくかも知れないけど。
私が、薄気味悪いと感じたのは、zanて奴。別に何も話してないのに、突然、罵倒して来て…
なんか、怖かった。
それより怖いのが、詐欺を自覚していない畿内説の面々。
202 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 01:28:43
ローガンは、おそらく橿原関係者だろうと思われる。
都合悪いと七誌になるコテ(縄以外も当然な)も同じ糞だからなぁ
>僕の住む畿内にあったもんなんだと思ってたんですけど
>何かそれも違ってるんじゃないかという気がしてきました
まあ俺もド素人だが「邪馬台国が畿内にあった」と言う感覚じゃあないなあ…
「畿内ヤマトが邪馬台国と呼ばれたいたに過ぎない」と言う感覚
恐らく九州説にとっては「(自分たちが必死にその姿を追い求めている)邪馬台国なんかなかった」と言われているに等しいw
邪馬台国はあくまで倭人伝の中にか描かれたクニで
人口七万戸の巨大な人口を擁し卑弥呼と言う女王が鬼道と言う
何やら妖しげな力で人々をマインドコントロールw
死に際しては百人の奴婢の徇葬もあったと…
倭人伝を読んでそこから受けるイメージそのままのクニなんて
あるはずもないだろうなあ〜と言う実に夢のないお話wwwwww
九州説が畿内説を否定するのは簡単で、倭人伝を持ち出してきて
「ここが違うあそこが違う」と連呼すれば良い。
が、それは自分達にも跳ね返ってくる話で
じゃあそんな”まんまなクニ”が九州にあるのかと言えば
現在その影すら見えないのが実情w
言いかえれば
・邪馬台国と呼ばれたクニを探しているのが畿内説で
・邪馬台国そのものを探しているのが九州説
(ある意味、トイレにもいかない、歳もとらないプロポーションも性格も理想通りの
2次元アイドルを現実の世界で探す永遠の夢追い人ドリーマーみたいな?(↑ゴビアゲ
…かな?wwwwwwwww
205 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 09:14:04
東遷説のほうが、もっと意味がわからんぞ。
卑弥呼が死んだ後で東遷したそうだが、
それならなんで卑弥呼が生きてる間に東遷しなかtったんだ?という。
九州の邪馬台国の支配領域が近畿まで広がるってことは、
それだけ、邪馬台国のすごさを魏にしらしめ、人口の問題も解決。いいことだらけ。
なのに、かたくなに九州だけに拘る意味がわからん。
206 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 09:25:38
邪馬台国が北部九州に在ったことは間違いない。
邪馬台国は卑弥呼〜壱与の時代には東遷していない
一戸を5人程度と考えれば七万戸は35万人で3世紀の北部九州の人口として問題ない。
当時の畿内がどのような状態だったかは分からないが
裸国やK歯国が畿内周辺の国であろう。
207 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 09:50:14
弥生時代の国が米の生産力で決まってたとすれば
大きな平野がある勢力に収束していくのは当然と思う。
北部九州、畿内、関東
出雲や吉備にもそれなりの平野があるが、
最終的に上の三つの平野に収束する。
逆に、出雲や吉備が収束されない時期は
まだ、これらの巨大平野勢力は
収束していないと思って良い。
209 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 11:29:54
まあ、畿内説でもいいんだが、根本矛盾が多すぎるんだよね。
大きな国が畿内にありました、というだけならいいんだけどね。
210 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 12:17:29
倭は3世紀には鉄を朝鮮半島南部に依存していた。
朝鮮半島南部に在った倭人の国が投馬国であり
北部九州に在った倭人の国が邪馬台国である。
211 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 12:32:45
邪馬台国は志賀の島だって(日野智貴曰く)
212 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 12:35:00
邪馬台国は志賀の島だって(日野智貴曰く)
いちいち報告すんな
214 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 13:16:43
>>199 早とちりしてはいけんよ。
>>196は冗談に決まってるよ。文献などの断片を繋いだらとんでもない結論
が導けるという例を示したものよ。遊んでいるのよ。
1人の食い分が年間米1石が標準
例えば、16表2人扶持の中村主水は6.4石取りであり、家族と足軽2人を養う米を貰っている
@延喜式によれば、九州は117,448町歩の水田があり、それを平均して中田と見なすと穫稲400束/町歩とれるので、
400束×117,448町歩=46,979,200束
1束を脱穀して玄米にすると2升(3.6L、約3.08kg)とれるので、
46,979,200束×2升=14,657,510kg
石にすると、14,657,510kg÷150kg=964,640石
よって、およそ100万人を養いえる
Aまた、戸籍による集計では九州に25,200戸あり、
およそ75.6万人という人口が導き出せる
@Aとも近い数字であり、AD900年頃の九州には75万〜100万人くらいは生活可能である
倭人伝に出てくる14万戸、つまりおよそ70万人の数値は、AD900年頃の開墾率(生産力)と等しいとした場合には可能である
ただし、弥生末期に平安初期レベルの開墾率(生産力)が既にあったとする想定は中々頷き難いであろう
216 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 13:45:41
大幅な農業技術の発展が無ければ
あとは面積拡大しか、生産力向上は難しいな。
で、弥生時代と奈良時代で
どれだけ農業生産技術が違うかということ
217 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 13:58:59
>>216 で、どれだけ違うのか言えよボケ。
逃げたのか?
218 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:45:54
白村江以降7C末に、北部九州から首都機能を畿内に移転したため、
北部九州で人口の減少があったはずである。
九州では唐軍の指示で戦う唐の傀儡政権樹立勢力が、
畿唐からの完全独立を画策する九州政権@畿内軍と、
激しく戦った舞台となった九州は、さらに流民が増えて、
田畑が荒らされ、人口が減っていったことだろう。
ご承知の通り、北部九州は稲作先進地帯だったが、
古代から漁労が盛んであり、纏向のように、食糧を
農業だけに依存したいるわけではない。
7C末以降は、九州から畿内に人口が移動していったわけで、
その後の平安時代の統計から算定すると、大いに誤るのである。
219 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:50:44
国家の下部組織、一機関を「朝廷」と呼ぶことは不可能だ。
「遠の朝廷」と呼ばれた大宰府(に比喩される首都機能は、
年代的に「遠」い「朝廷」だったと考えざるを得ない。
220 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:51:17
通説だと、平安時代まで農民は竪穴式住居なんだな。
鉄器農具は、少なくとも九州では弥生から出土するから
鉄器農具以降、技術レベルは頭打ちで、
案外平安時代まで、代わり映えしなかったかも知れない。
221 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:55:13
鉄の農機具が一般農民に普及するのは、11世紀じゃないか?
平安初期に私有地を鉄で耕していないはず。
222 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:55:25
古い農村家屋みてると、
巨大なかやぶき屋根に、土間
ちょっと壁がついただけで
竪穴式住居からの日本農村住居の
ルーツなのかも知れないな。
223 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 14:58:34
吉野ヶ里で、何度も何度も再利用したような、鉄の農具展示してあるよ。
さすがに鉄が貴重なのか、木製の鍬の先端だけに
薄い鉄板をはめ込むような構造になってる。
しかも、交換部品も一緒に出ている。
吉野ヶ里は弥生中期だそうだけど、もうかなり普及しているんだろう。
224 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 15:33:44
北海道には、埋まりきっていない竪穴式住居の穴が
まだ残っているらしい。
225 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 15:40:38
>>222 >古い農村家屋みてると、
>巨大なかやぶき屋根に、土間
>ちょっと壁がついただけで
>竪穴式住居からの日本農村住居の・・・・・
いやいや、それはない。
広い土間がある古い農村家屋もやはり畳敷きの寝間があるのだから
基本的には高床式が元になっている筈。
226 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 16:46:05
古代の高床式住居では炊飯は外でしたの?
所詮「弥生九州100万人説」なんてのは少なくとも現時点では与太レベル。
九州にそれだけの人口を見込むと当然九州以東も比例して増やさねばならない。
九州のみの修正で済まない。
その後の時代の数字も変えなければならないが
当然奈良時代にもなると文献史料も残っている。
それとの整合性を問われるのは当然。
今のところそれに答えられるような物を見た事がない。
(この辺はここの九州説の連中は「知ったこっちゃない」て話だろうが)
では弥生時代の九州の数字だけ弄って後は
従来の数字でお構いなし…なんて事を言ったら
九州の人口は横ばいどころか減っているなんて話になる。
500年間増加を抑制するどころか減少に向かわせた原因とは何なのか?
それとも100万から増えたがある時期に人口が激減したようなこと(空前絶後の天変地異)があったのか?
…と言うツッコミが当然出てくる、もはやお笑い話w
(ここら辺、安本センセイはクリアしてんのかね?)
もし今後「弥生九州100万人説」をクリアできる状況になったら
それは世界中、少なくとも東アジア地域の古代の人口の算出方法が根本的に変わった時か?
228 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 17:28:44
高床式の床の下の空間で炊飯やったら
火事になるかな。やっぱり
高床式でも、一部の土間を設けて
炊事するのが一番妥当なやり方だろう。
………って、昔の家じゃん。
229 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 17:38:05
鉄は武器としても有効だが、農具としても有効。
国力としては、武器に使うのと、農具に使うのと
どちらが有効なんだろうね。
230 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 19:36:58
鉄が武器として有効って、どこのファンタジー?
231 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 19:51:18
>100万から増えたがある時期に人口が激減したようなこと
東遷だな。都が畿内に遷った。だから、激減したんだよ。
232 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 19:59:56
別に減らなくても良いんでないの。
現状維持で。
233 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:15:09
東遷?
どこのファンタジー?
234 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:18:44
>>230 鉄が武器として有効でないとしたら
石や木が武器として有効?
235 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:28:12
九州説だけど、別に東遷しなくても
困らないけどなあ。
そして、たとえ東遷したとしても、人口が減るほど
一気に移動したとは考えにくいけどな。
地元は地元で確保しといて、政権の収入源として残す。
新開地には別の人間を投入するんじゃないかねえ。
開墾したり灌漑するのは、数十年単位の大事業なんだから。
236 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:39:45
九州説に「弥生九州100万人説」は必要ない
60〜70万人程度で十分に九州説は成立する。
237 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:44:20
いわゆる東遷とはちがうが、北部九州から副都の難波京にほとんどの首都機能を移転している。
238 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 20:50:28
>>233 神武東征なんて皇国史観だから検討するまでもなくダメだな。
事実だろうが何だろうがダメなものはダメだな。
239 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:03:16
240 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:05:19
>>239 直接証拠など望むべくもない古代史では、状況証拠などから真実を突きとめていくものだよ。
>>240 この場合おそらく、状況証拠とは文献を指すのだろうが
比較史料のない文献を証拠としている時点で、すでに空想の域を出ない。
君のフレーズを借用するが、正しくはこう。
直接証拠など望むべくもない古代史でも、文献を徒に状況証拠などとして扱うべからず。
242 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:27:06
仮説に仮説を重ねたら妄想。
243 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 21:28:19
神話的個所は要注意の保留だが、ニセでない限り重要な文証だ。
244 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:38:43
やっぱ大分だなww もう間違いない。
最近仕事で行ったんでついでに西寒多神社にいったんだが、
ここで祭られてる西寒多大神は天照皇大御神、ってことになってるが
これは公然の秘密で違うんだと。
元々いた土着の巫女女王(おそらく日本書紀に出てくる宇佐の女王かその系統?)
を祭っていたのを体面を保つためアマテラスにしちゃったんだと。当時の
祭祀場と霊山も残って「この女王が実はあそこの・・」として祭られているう。
こいつら。。。
宇佐神宮の比売大神が独りで宗像三女神のわけねえよ。ただの看板。
大体、何のつながりもなければ、宗像三女神の話も何もない。
245 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:39:56
246 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:41:41
>>244 それ、景行天皇に滅ぼされた九州の土蜘蛛の女酋。
248 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:42:15
景行記にでてくる宇佐の女王、つまり俺が思うにトヨ。
畿内の崇神天皇のころに、トヨの前の前の女王卑弥呼が大分にいた。
大和の支配下になし。
倭人伝とも記紀とも全部つじつまがあう。
249 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:44:44
>>246 ちゃんと読めな。滅ぼされてない。投降して迎合する。
土蜘蛛というのは、大和朝廷関係ない住民のこと。
記紀の記述では、景行天皇のころまで九州は大和ではない。
250 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:47:18
大体、宇佐では比売大神は船で畿内へ行ったと言い伝えがある。
宗像三女神になんでそんな話がくっつくんだ。
251 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 21:48:28
>>248 だいぶ正解に近いな。
ただ大分かどうか何ともだし、イヨの読みのが正解に近いだろ。
イヨタン・・・・・・・・・・
253 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:51:15
■前中津市長らが自説披露 邪馬台国論争大会−−30日、宇佐市 /大分
毎日新聞 2010年5月18日
http://mainichi.jp/area/oita/news/20100518ddlk44040724000c.html ◇多彩な5人の論者決まる
アマチュア研究家が古代史最大の謎に迫る「第6回全日本邪馬台国論争大会」(宇佐市観光協会など主催)を前に15日、宇佐神宮上宮本殿前広場で、ミニ独立国「新邪馬台国」の高橋宜宏(よしひろ)総裁(同市議)らが会見し、弁論者を発表した。
会見にはミス卑弥呼の銀行員、佐藤博美さん(23)とミス壱与の信金職員、行時未加さん(22)=ともに市内在住=が邪馬台国の礼装で姿を見せ、花を添えた。
大会は神宮参集殿で30日午前10時から。コーディネーターは「新・武士道」などの著書がある作家・評論家の岬龍一郎さん。
中津市長を4期務め、「卑弥呼の使い」など著書があり、邪馬台国に造詣が深い鈴木一郎さん(75)が「福岡県飯塚市」を主張する。鈴木さんは「自信を持って16年間の研究を披露したい。意見交換が楽しみだ」と話した。
他に「佐賀平野」の茨城県土浦市の獣医ら4人が自説を披露する。応募17件のうち1件だけ畿内説があったが、論理的ではないとして採用されなかった。
新邪馬台国は、故高木彬光さんが「邪馬台国は宇佐」を推理した小説「邪馬台国の秘密」から着想したパロディー国家。国旗、国歌も制定した。先進国サミットならぬ「後進国サミット」を開催したこともある。
89年に鎖国をしたが、昨年開国し、23年ぶりに論争大会を復活させた。参加料は昼食付き2000円。問い合わせは同観光協会(0978・37・0202)。【大漉実知朗】
※宇佐市観光協会 イベント情報・全日本邪馬台国論争大会
http://www.usa-kanko.jp/news/1005-yamataikoku.html
254 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 21:51:42
>>250 それ、新羅から来たアカルヒメのことだろ。
255 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/24(月) 22:07:22
>>250 言い伝えの出所等、もうすこし詳細をどうぞ。
256 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 22:21:50
>>207 弥生時代の国が米の生産力で決まってたとすれば
大きな平野がある勢力に収束していくのは当然と思う。
北部九州、畿内、関東
弥生時代の大きな平野だと濃尾平野が最大じゃなかったかなぁ
関東平野はまだ現在ほど開けていなかった。現在の平野の中でも国内第二位の面積を
誇る濃尾平野。
257 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 22:28:48
>>256 濃尾平野は大部分が海だった。
それでも農地は広かったらしいが。
258 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 22:53:02
>>250 宗像三神は海の神様じゃなかったっけ
>>256 濃尾平野も大きいな。
畿内と隣合わせなんで、見過ごした。
つーか、これこそ、かなり早期に勢力の大激突が起きても
よさそうな位置関係なのだが。
九州説だが
狗那国 VS 邪馬台国 をちょっと考えなくもない。
259 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 23:07:31
>>235 都が遷ったときに何十万人もの人々がくっついて移動するわけではないよ。
京都から東京へ遷ったようなもんだ。数十年、あるいは数百年を経る中で人々が
都の周辺に住むようになっていくということさ。
260 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 23:09:01
>>259 東遷しないと何か困るんですか?
くすくす
261 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 23:32:37
>>259 唐が上陸して九州が内戦状態となり、みな引っ越したわけで、明治とは違う。
>>261 唐???
昨日から隋やら唐やら・・・もしかして九州王朝?
263 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 23:43:23
白村江のあとで
そりゃ、支配者層は逃げ出すかもしれんけど
農民層までは無理だろうと思うよ。
>>256 関東は平野といっても凸凹しすぎだね。
昔はあれがさらに酷かった。
それに比べると濃尾平野は本当に平らだね。
白村江が、九州王朝から大和朝廷に
変わるきっかけになったのかもね。
266 :
日本@名無史さん:2010/05/24(月) 23:47:22
>>229 >鉄は武器としても有効だが、農具としても有効。
人口で絶対数と共に地域間の比率と言う物がある。
もし鉄が農耕の作業効率を著しく高めて生産性を上げたなら
当然人口に反映するだろうが
そんな数字が出ていないのが実情。
今後も九州の人口”だけ”を引き上げるような事態は出てこないだろう。
こっちは絶対数より更に深刻w
少なくとも俺には想像もつかない。
九州内ですら鉄器の多数出てくる北部より南部の方が人口が多かったとされる始末。
実際、寺沢らの体をはった実験でもある程度肥えた土なら木製でも十分で
鉄製の物は、やはり開墾とか土木作業に向くらしい。
まあ、軍事戦争に関しても古来より「勝は大兵にあり」が原則。
長期遠征なんて事になったらそれを支えるだけの国力=人口も必要になる。
縄文人とかが言う「無敵の神武鉄器軍団東征劇」のような東遷説は、もはや漫画レベルとしか言いようがないwww
267 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:05:05
>>258 つーか、これこそ、かなり早期に勢力の大激突が起きても
よさそうな位置関係なのだが。
だから、畿内(邪馬台国)VS濃尾(狗奴国)だろう。
268 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:09:01
671年唐軍2千人が九州に上陸。
九州政権は、唐傀儡政権樹立派と、唐勢力追放派に分かれた。
唐勢力追放派の天武は、九州から畿内を我が物とし、
九州系畿内政権を打ち立てて、唐傀儡政権樹立派と戦った。
これはいわゆる「東遷」というものではないが、人口移動としては、
それに似た現象を生んだ。
>>268 まあ九州王朝説さんもさあ、あわてて書く前に番号コテくらいつけてくれないと
せっかく長文を書いても、誰も読んでくれないよ。
これとこれは自分でしたってんでもいいから、あとでまとめといてね。
それやってくれないと、ただの落書きどころかノイズ扱いになる。
270 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:16:17
>>266は馬鹿じゃねえのか。
>鉄は武器としても有効だが、農具としても有効。
は事実であり鉄の登場で歴史は変わった。
>鉄が農耕の作業効率を著しく高めて生産性を上げた
のも事実であり
>九州内ですら鉄器の多数出てくる北部より南部の方が人口が多かったとされる始末。
このようなことは証明されていない、推測の誤りだろう。
寺沢?が何をしたのか知らんが農業の素人だろう?
271 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:16:27
a
272 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:21:56
>>172 そんな話があったんだ、一体どう言う根拠で修正したんだろう?
詳しい話が欲しいところ。
しかし初歩的な事なんだろうが南九州の編年って
畿内のものとダイレクトに比較できないもんなのかな?
やっぱり間に北部九州のものを挟む必要がある?
まあ南九州・日向説の連中にとっては「畿内より古いかどうか」にすぐ飛びついちゃうんだろうが
先ず北部九州のものよりどうなのかって話だな。
>>270 しかしまあ・・・あんたの頭の中は昭和40年代から
全然進歩してないんだねえ
股縄人だか犬国だか知らんが、統一しろよ統一
だいたい「寺沢?」・・・何このクサい素人なりきり芝居www
鉄の実用性については、この板でさえも完全に論破されたろうが
いわんや現実世界ではどうだ?今時鉄器の優位性とか言ってる学者は居るのか?(いや実は少数だけ居るんだけどねw)
あんたが考えを今更改められないというのは、もう仕方ないのだろうが
クサい芝居やら自演は、あんたの人生そのものを無駄にしてるだけだよ
俺らが呆れ果てて、万一ここが「鉄器軍団マンセー」スレになったとしよう
で、その時に現実世界ではどうなってるの?あんたのやってることって全然現実とリンクしてないのよ
ホントにもう人生残り少ないんだから、時間を無駄にするなって、な
274 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:31:30
>>266 木製の農耕具と鉄を使った農耕具では耐久性が何十倍も違う。
木製の農耕具でも鉄を使った農耕具と同じくらいの作業効率があっても
木製の農耕具は次々にダメになってしまい、その都度新しい農耕具を造らねばならない。
僅かな地を耕すなら変わらない作業効率があっても
広い土地を耕す本格的な農業では木製の農耕具は鉄を使った農耕具には全く敵わない。
ヒッタイトの歴史でも読んだら。
>>272 むかしは畿内の古墳の形が1,2世紀遅れて北陸、九州に伝わったという説が主流だった。
その後の発掘の成果で少なくとも北陸の古墳は同時代に同じ形の古墳が初期から
伝わっていたことが確認されている。
但し、地方では埼玉古墳群のように途中のある形の古墳だけが長く続くこともあったようなので、
一概に同じ形だから同じ時期とは言えないようである。
しかし、畿内で時代遅れになった古墳の形が突然遠方に伝わるというのも考えにくいので、
その形の古墳が先行して近場にないと伝わりようもないということは言える。
276 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:33:02
>>270 縄文人かサイキバか…何れにせよ馬鹿はお前だ。
自分の馬鹿さ加減を自覚しろ馬鹿。
鉄器の豊富さが農業の生産性を著しく上げたなら何故人口にそれが反映されていない?
畿内に古墳時代がスタートしても鉄器の普及はむしろ後追いのような状況であるのは
誰が見ても分かること。
「鉄器が豊富な九州は良い国強い国」なんて幼稚なレベルで思考停止して
古代のおける鉄の役割を考えてみようともしないクズ。
イチャモンレベルで何一つまともに反論できていない脊髄反射のケチレス。
>>276 サイバカ☆自演乙☆ジョーカー
畿内説は言っていることが支離滅裂だな。
鉄の出土量で九州が圧倒的に優位であることを認めるのか?
最近の畿内説では淡路島に巨大な製鉄所があったとか騒いでいるぞ。
そこで作られたはずの鉄が弥生時代に出ていないというトンデモだが。
要するにアレは古墳時代にしかなりようがないのだが、みっともなく騒ぎまくっている。
どうしてか?
鉄の優位性が否定できないから。
お前は畿内は鉄の普及が遅れたというが、それを頑なに認めない学者が畿内説には
少なくないだろ。
どうしてだ?
278 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:38:03
>>273 皆からサイキックバカと呼ばれるだけのことはある本格的な脳タリンだな。
>鉄の実用性については、この板でさえも完全に論破されたろうが
知らんな、本当なら再度説明してみろ。
>いわんや現実世界ではどうだ?今時鉄器の優位性とか言ってる学者は居るのか?(
今更鉄器の優位性など言わなくても分かりきったこと
学者で鉄器に優位性が無いなどと言うものはいないよ。
残り少人生無駄にしてるのはサイバカだよ。
279 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:43:35
畿内説の歴史は弥生時代の鉄器の出土料が九州に圧倒的に劣ることを
隠し続けてきた戦後の長い歴史でもある。
その隠蔽が限界に達して、一部の学者はしぶしぶ「畿内が少しだけ劣る」という
ニュアンスで認め始めたのが約10年前のことだ。
今でも鉄器での劣位に言及しないクズは多数居る。
弥生時代の遺跡から出土する鏡も九州が畿内の100倍近い量であることも
畿内説の学者は言いたがらない。
一方で畿内説の学者は古墳から出土した漢式鏡を「伝世」としてあたかも弥生時代の
畿内に九州に匹敵する多数の鏡が存在して、それが古墳時代に埋められたかのように
書きたがる。
畿内説の歴史は、ゴマカシとウソで塗り固められているだけ。
280 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:43:41
>>274 そのヒッタイトは結局何処の馬の骨とも分からない
謎の民族に滅ぼされてしまいましたとさ♪チャンチャン w
だから土木開墾には有用性が認められるが
一度耕して耕地になったところは木製でも十分ってのが寺沢が再現実験してみた実感だそうだが…
第一磨耗・破損した鉄を打ち直すにはまた大量の木材がいる。
その木材で木製のものをいくら作れるのかって事も失念してるだろう?w
だいたい、じゃあなんで「人口に開きが出ていないのだ?」と言う根本的なことに答えていない。
鉄器の豊富な地域に関しては何か特殊な算出方法が必要なのか?
脊髄反射のイチャモンレベルはもうウンザリだな。
281 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:43:50
>>276 都合の悪いことは誰でもサイキバにするな。
しかし本とにおまえバカだな・・・あきれるぜ。
>鉄器の豊富さが農業の生産性を著しく上げたなら何故人口にそれが反映されていない?
当然人口に反映される
だが鉄器が使用され始めた時期は古代だ
誰も統計など取っていない。
しかたのないバカだな。
282 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:43:55
>>277 そうやって、鉄の優位性を語れば語るほど、
4世紀に畿内にヤマト王権ができて九州が平定された理由が説明できなくなるだけ。
あ、もしかして東遷なんてファンタジーを信じてるのボク?
283 :
ローガン:2010/05/25(火) 00:46:21
>>226 >古代の高床式住居
ちょっと話は違いますが、倉敷の女男岩遺跡の「台付家形土器」て何なんでしょうね?脚部はモロ特殊器台やし…。
大林太良は雲南省タイ族の祠「アイバーン」との共通点を示唆。
「広場の真中に、四角い柱が立ち、その上に小さな家が乗っていた。太さ30cm高さ約2mほどの角柱の上に、40cmほどの切妻型の家を乗せている。(中略)このモチーフは女男岩の家形土器と同じではないか。」(心のなかの宇宙、p.154)
きっとこのての話は縦目さんが詳しいだろう。見解を待とう。
284 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:50:38
>>280 寺沢は何町耕したんだ?
>>282 >4世紀に畿内にヤマト王権ができて九州が平定された理由が説明できなくなるだけ。
これが誤りだ、7世紀末が畿内にヤマト王権が九州が平定した時期だ。
285 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:55:26
なんだ、サイキバ(祭器場
>>12)かwww
まあお前は何度教えても覚えないし、知ってることでも知らない振りをして自覚的に荒らしてるから
他の参加者で、なぜ鉄の優位性がさほど関係ないといのが主流なのか知りたい人居る?
あと畿内説のほとんどは、北九州の鉄器優位を認めている
つーか、もうそれが前提に進められてるの
まあ、ゆっくり説明すればみんなナルホドと思うだろうから、疑問がある人は書いておいてね
良い子の九州説は、サイキバ(祭器場
>>12)みたいになっちゃだめだよw
287 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:56:53
こうやってここの九州説は自分に都合の悪いことは
「そんなものは間違いだ信じないぞ!」
と連呼するだけもうどうしようもない。
まあ実際、鉄の量=国力(人口等)と素朴に考えられていた時期もあって
今でも首長連合の求心力を鉄資源の確保分配に重きを置く学者も多いのだろうが
ここの九州説どものような短絡思考はもはや通じないんだろうなw
「畿内説も昔は鉄にこだわっていたのにキイイイイッ!」
式のヒステリー恨み節は勘弁してくれ。
サイキバってのは、なんでここに常駐しているのだろうか?
ほとんどの論争に首を突っ込んで、自分が主導権を取らないと気がすまない。
疲れる人生だなあ。
289 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:59:21
>>286 土建屋☆自演乙☆最バカ
畿内説の認める九州の鉄器優位は、九州が「少しだけ」多かったというニュアンスなんだよね。
まさか数十倍とはっきり書くわけにもいかんわな。
鏡での「絶対的な劣位」なんてそれこそタブー中のタブーだな。
いまだに「伝世」でごまかすクズが大杉。
んで、淡路島のは古墳時代でFAなのかな?
じゃあ、あれを弥生と言い張るバカは最低のクズでもあるわけだ。
290 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 00:59:57
もん太こねぇかな
291 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:01:17
>>285>>286説明も出来ずバカ君は自演で逃げか。
日本広しと言えど鉄器の優位を認めないのはバカ君でけだよ。
ワーワー言い張っても無駄。
でサイキバ(祭器場
>>12)に忠告なw
ジョーカー氏をサイキック・バカと呼んで、彼がサイキバであると誤認させる方法
これ無駄無駄無駄www
何でだと思う?嘘も百回言えば本当になるって話だけど、ここではそうならないんだ。
あのな・・・このスレに居るのは「常連」ばかりなのよwww
「ご新規さん」とかは居ないのwww、通りすがりのフリして釣る人は大勢居るんだけどねw
だから、君のやってることすごく無駄、かなり無駄、あれも無駄、これも無駄、たぶん無駄、きっと無駄www
みんなはね・・・よく飽きないもんだなあ、さすがアスペルガーwww怖い怖いwwwって笑ってるの
だから違う手を考えようね・・・というか、まず文章力をつけよう
文体(もう変換から倒置から何から、もっと捻ろうよね)はせめて5つは分けれるようにしようね
293 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:05:19
九州説のよりどころは鉄器の優位性しかないもんな。
でも、それだと畿内に王権が生まれた説明が永遠にできない。
>>284はかなり重症な頭の不自由な人。
294 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:08:05
もうレベルが低すぎてどれがサイキバやらwww
いやレベルが低いと言うのなら大概俺も他人の事は言えないが
ここの九州説の馬鹿どもは学習ってものを一切しないから疲れると言うかw
で馬鹿はほっといて
人口の地域間の比率を見れば鉄の有用性が本当に『ガン無視状態』なわけだがw
それについて何か合理的な説明がつくのかな?
賢明なる畿内説諸兄の意見をば拝聴したいwwwwwww
295 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:08:22
>>277 >淡路島に巨大な製鉄所があったとか騒いで
淡路市の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡ですか?(垣内遺跡から名称変更)
あれは鉄器工房(鍛冶遺跡)ですよ、あなたは各紙報道をちゃんと読みましたか?
「製鉄所」ではありませんよ、そんな報道は一紙も無かったですよ
>アレは古墳時代にしかなりようがないのだが、
あなたはウソを重ねて言ってます。反省なさい。
296 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:10:37
>>294 おまえこそ、東遷なんて夢ばっかみんなよ。
賢明な九州説なら、邪馬台国は4世紀までに滅んだと考えるだろうさ。
>>288 アスペかどうかは知らないけど
少なくとも通院加療は必要な段階の人だとは言える。
ただ最近の傾向として、ヒステリー気質の人は家族の理解と協力をもって
ネットから離すというのがよく行われているとの事(知り合いの精神科勤務からの話)
これだけで驚くほど快方に向かうらしい。
あまり症状が進むと、攻撃性が小動物や子供などに向けられるので
その前に勇気出して、いや本人より家族が勇気もってカウンセリングさせることをお勧めするよ。
298 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:11:07
魏志倭人伝に出てくるもろもろのものが、畿内にはほとんどないという言えない事情を、畿内説ではひた隠し。
299 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:11:25
>>295 難癖の割りに書き逃げの自演乙☆ジョーカーだな。
あの時代の日本で製鉄をしているわけがなかろう。まあ可能性なら否定できんが。
んで、あの鉄器工房とやらで作られた鉄器はどこに行ったのかな?
全部リサイクル?
さすが畿内説、メルヘンの度合いが違いますなあ。
オカルト、メルヘンなんでもアリ。
300 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:13:55
>>297 あのさあ、散々wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwと草をはやして
今も自演でレスしている土建屋君がそんなことを言えた義理か?
君が一番治療を必要としているよ。
俺なんか仕事が忙しくてこの時間しか君と遊べないんだから。
301 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:17:11
>>298 それが倭国の風土・風習・産物として紹介されているのなら何ら問題なし。
まあこれももう何百回も説明されているんだろうが馬鹿は学習してこなかったし
恐らく今後も学習しない、馬鹿が馬鹿とされる所以である馬鹿馬鹿しい
ひょっとしてこの板の九州説って実はこっちの語にテキトーに反論するように作られた
所謂「人口無能」何じゃないかとさえ思う今日この頃wwww
>>296 もう誰が誰やら区別ついてないみたいだなwww
>>294 >人口の地域間の比率を見れば鉄の有用性が本当に『ガン無視状態』なわけだがw
>それについて何か合理的な説明がつくのかな?
これはまだ仮説段階だねえ・・・
今夜はもう無理だけど、村上恭通の最近の論文と、あと北条のと、それと2,3くらい
そのあたりに言及していそうな奴をピックアップして、論文名とその骨子をやれるだけまとめとくわ
畿内説だけでなく、このネタに興味がある九州説のひと、つまり古代史ファンの人の参考になるようなもの探しとくわ
>>300 おまい深夜もだし、平日昼間やゴールデンウィークも書きっぱなしだったじゃんかwww
働けwwwお母さん泣いてるってwwww
いいから働けwwwwwwww
304 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:20:43
>>302 期待している。
あまり凝ったものでなくて良い、本当に骨子だけでも良いんで気が向いたらヨロ。
305 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:27:19
>>301 纏向で真冬に生菜が食えるのか?これだから畿内説って馬鹿にされちゃうんだよ。
306 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:28:24
村上恭通の資料だと、確か、
ヤマト王権ができて畿内に鉄器が増えたとき、
東海の鉄器は減ってるんだよな?
そのへん、東海との関係がどうなってるか知りたいな。
307 :
305:2010/05/25(火) 01:31:23
…
先ず
>>305の一行目を(近所迷惑にならない程度に)声を出して
百回ぐらい読んでからレスしろ馬鹿。
308 :
301:2010/05/25(火) 01:33:37
間違えた、もう寝るわw
>>305 先ず
>>301の一行目を(近所迷惑にならない程度に)声を出して
百回ぐらい読んでからレスしろ馬鹿。
>>283 >女男岩遺跡の「台付家形土器」と雲南省タイ族の祠「アイバーン」との共通点
名前が出てるようですが、こんなのわかりません。雲南省タイ族というのはタイ本国でルー族と呼ばれている人たちのことで
しょうか??・・・タイ本国でも田舎に行けば柱の上にのったサンチャーオという祠はありますが、あれのことを指しているんで
しょうかね?タイは敬虔な仏教国ですが、サンチャーオはもっと素朴な精霊信仰で、お化け(ピィー)除けのようなものです。
タイ族の祖先が今の雲南省から南下したときに持ってきた信仰だとすれば相当古いものでしょうが・・・。台付家形土器との関
連というのは あえて言えばシャーマニズムだけど、葬具ではないし・・・ただ形が似ているだけではないですかねえ???
311 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:38:39
>>310 てめえもいいかげん自演はやめろ。
畿内説なら、もっと意義のある議論をしろよな。
312 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 01:41:01
>>311 名無史で書いてはいるが、自演はしていない。ただし、縄文人のなりすましはやってる。
縦目もずいぶんサイキバに恨まれてるようじゃねえかw
そりゃ後から、あれは俺だよって言って笑いものするのはちょっと酷いよwwwでもバカウケしたけどね
俺は自分で書いたレスに対して、別人のふりをして自分で答えるという形の自演はしていない。それは過去ログを読めば
わかると思う。縄文人は生理的に嫌いなので、様々な形の嫌がらせをしている。あと名無史では、かなりふざけたことも書
いているが・・・。
いずれこのスレではコテで書く気はしない。
>>310はローガンさんから質問されたから。
>>316 これ不思議だよなあ・・・というか特殊器台そのものが成立や発展進化に諸説あって、はっきりしないんだよな。
で破砕されるものもあれば、自然損壊のものもあって、いまのところ法則性は見出せない。
このあたりも資料や論文の骨子が欲しいね。
318 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 05:04:05
>>301 >それが倭国の風土・風習・産物として紹介されているのなら何ら問題なし。
北九州のことは、国別に適宜書いてある。男子は大小となく皆・・・以下の風土・風習・産物
の記事は、倭国のどこかということではなく、女王国のことを書いた記事だ。
当然、その中心は邪馬台国であり、ここに書かれていることは邪馬台国に当てはまらなければ
おかしい。それを、倭国のどこかに一致すればいいなんて逃げ口上を言わなければならんとい
うのは非常に苦しいね。
319 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 10:07:26
>>288 サイキバはサイキックバカが作り出している幻。
サイキックバカが答えに窮して反論出来ない 時に相手を罵倒する手段。
320 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 10:13:09
>>293 畿内に王権が生まれた説明ができないのはサイキックバカ。
鉄が国内で生産可能になったのが5世紀。
畿内に王権が日本を統一したのが7世紀末。
5世紀以後徐々に力を付けた畿内王権が7世紀末に日本を統一した。
分かった?
畿内説の人たちは「鉄器」という言葉が出てくるたびに
哀れなほど狼狽しますが、これは何か理由あってのことなのですか?
322 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 10:31:09
鉄器が少ない→弱小国→邪馬台国のはずはない。
324 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 10:50:36
>>321 鉄器の優位制を認めてしまうと
4世紀にはヤマト王権が日本を統一したとの畿内説の主張が説明できなくなるから。
325 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 10:51:22
畿内説はうろたえるけど、南九州説は大丈夫なんだよ。
女王国が万二千里から始まるってことを忘れてはいかんな。邪馬台国はもともとは日向だけど、
薩摩や肥後を支配下にいれていた。だから、鉄も結構手に入れていたんだな。
326 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 11:09:58
手に入れていた鉄の出土が少ないのはなぜ?
327 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 11:30:44
>>294 現在、日本の3世紀の総人口も分かっていないのに
各地域人口など分かるはずもなく
何を根拠にバカ君は鉄の有用性がないなどと戯けたことを言っているんだ。
バカ君は中卒のニートで引きこもりとの噂は本当かな。
>>327 wwwの知能レベルを考えれば、そのあたりが妥当。
>>319 祭器場クン、今度は自分の存在を完全に否定したなw
330 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 12:24:14
続々と発見されてる弥生遺跡を無視して、くだらん優位性を語る九州説信者もどうかと思います。
331 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 12:35:25
>>329 いもしない祭器場、祭器場とやはりお前はバカ君だな。
332 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 12:37:59
>>330 都合の悪い弥生遺跡を無視してるのは畿内説信者だろがバカ君。
>>319 うそを言ってはいけませんよ。↓
576 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。
なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw
579 名前: 569 投稿日: 2008/08/03(日) 11:25:33
>>576 それと・・・
「 祭 器 場 」 って何なんだ?
祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・
初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?
それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w
590 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:26:47
それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
593 名前: 579 投稿日: 2008/08/03(日) 12:28:52
>>590 >きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw
な、なるほど!
それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww
595 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw
598 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)
334 :
330:2010/05/25(火) 12:53:10
>>332 俺、特に畿内説儲ではないんだけど。君にはそう映るだろうね。残念だよ。
335 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 12:57:06
>>333 今ここに祭器場ってヤツはいない
バカ君の幻覚ってこと。
>>334 バカ君は中空っぽなんだ。
もうすでに祭器場を無かった事にしなければ、精神が持たないようだ・・・
人として、終わったな
>>334 畿内説儲 ってなんだ?
またあたらしい造語?
サイキック・バカ=サイキバごまかし作戦が失敗し
祭器場ログがテンプレ化した今
危機に陥ったサイキバ君と思いきやなんと
「サ イ キ バ な ど い な い」
起死回生の反撃に出た!
しかもサイキック=サイキバと逆に混同されることに
気付き新たな攻撃を思いつく
「バカ君」
サイキバ新喜劇<続>
>>335 wwwをそんな変な呼び方すんのは君しかいないぞw
339 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:07:20
>>326 戦場に送るからだよ。南九州が攻め込まれたことはないからね。
>>337 横からだが「儲」=「信者」という
2ch開始当時いやそれ以前からある初歩のスラングだよ
その程度のことも知らなかったのか?よく2chやってられるなあ
341 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:08:57
342 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:09:56
343 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:11:23
ついでに教えてくれ。厨ってなんだ?
>>315 七氏で書いてるの自分で言うな
荒らしと似たようなもんだろ
コテの風上にも置けんので二度と出てくるな
345 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:12:44
>>340 なるほど人名の「矢吹」を「知欠」ってするみたいなもんか
346 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:14:19
でもコテハンで言えば「九州王朝大好き」もよく名無しで書いてんよね?W
堂々とコテで書くがよろし
348 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:18:42
>>343 中学生並の思考能力ってこと。
自分の考えを曲げない反抗期の幼い能力の持ち主ってことだよ。
まあ真面目に議論したい奴は、こんなIDの出ない板ではやらん罠
350 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:25:27
>>338 サイキバとやらはおまを「バカ君」とは言わんよ。
ID非表示板での自演を防ぐための
覗きツールがあるとかもサイキバ君なんかは知らんのだろうなあ
ちなみにサイキバ君の
>>318以降のIDは、ID:NcN679St
352 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:28:28
>>339 >戦場に送るからだよ。
農耕には使わなかったのかよ?
妄想も大概にしろよ。
353 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:33:06
>>352 あれは覗きツールなんでしょうかね。
名前欄に「山崎渉」と打ち込むだけで出来るのですから、標準装備の仕様でしょう。
354 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:38:04
>>352ではなく
>>351でした。
お詫びに便利な山崎渉の使い方です。
例えば縄文人の自演がどれかを知りたいときは、「山崎渉@縄文人」と名前欄に入力します。
本人が名乗ったハンドルネームとも対応する機能があるんですね。
355 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:39:28
>>351 ならオレがサイキバでないと分かるだろ。
356 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:40:04
ジョーカーの自演を知りたいときは「山崎渉@wwwwww」
(草の回数は、それらしいレスにあるものに合わせてください)
357 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:40:49
358 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 13:59:23
>>352 貴重な鉄は、まず、戦いに使うんだよ。余裕がでてきてから農具だ。
359 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 14:22:26
ねぇ、農器具とかって話になっているが、農業生産力なら濃尾平野の
尾張国じゃねのー。
易林本の節用集によると尾張国は肥沃(地厚土肥)な大上国と記されており、その富裕な農業生産力や畿内への地理的な近さを背景にして朝廷を支えていた。
>>354 >例えば縄文人の自演がどれかを知りたいときは、「山崎渉@縄文人」と名前欄に入力します。
>本人が名乗ったハンドルネームとも対応する機能があるんですね。
入力するだけなの?投稿するわけ?専用ビューワじゃだめなのかな
>>360 投稿して下さい。内容はtestだけでも構いません。
専プラからでももちろん可能です。
362 :
ローガン:2010/05/25(火) 16:18:02
>>310 レスをどうも。 乗っかってる家はよく似ているけどなあ。
>>317 特殊器台の様式変化…
上に乗る壺の穿孔が焼成前か後か。 又共伴高坏の量の減少を、相嘗祭祀の形骸化象徴化と考えれば、
それに伴う特殊器台の編年は自ずと決まってくるんじゃないんですかね?
363 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 17:09:54
>>361 まず、お前が登校しろよ。登校拒否すんなよ。
364 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 17:10:24
>>316 >倉敷の女男岩遺跡の「台付家形土器」
単純に考えて 器台+壷=朝顔形埴輪 と同じ発想では?w
家屋の形も「切妻」じゃなくて「寄棟」だよな?
古代の建築方は良く分からないが、やっぱり「寄棟」の方が手間隙かかって
よりステイタスを強調するんじゃなかろうか?wwwww
話は変わるが、倭人伝に倭人は「ヘントウ(高杯)を用いて手食する」とあるが
近畿でも第Xあたりから増加しているらしい
あれも実用性よりはちょっと特別な物、ステイタスシンボルっぽいw
中には祭祀に使われた物もあるとか。
上手く言えないが「うやうやしく高く掲げる」と言う発想は器台に通じる物があるようにも思う。
366 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 17:16:43
>>327 少なくともその話は人口の絶対数ではなくて比率だからなあ。
日本全体の人口と言うのなら遺跡にかける係数の見積もり等で違ってくるだろうが
九州だけその値を大きくしようとすれば、別個パラメータが必要になるんじゃないかな?
謎のパラメータ『 2ちゃん九州説係数 』とでもしておくかな?w
残念だがもう少し脳味噌使って書き込みましょう。
ゴミクズのケチレスレベル採点対象外。
やり直せ馬鹿者。
それから言っておくが「鉄に有用性が無い」なんていった覚えは無いぞ?
その見直しが必要とは言ったが。
少なくともお前みたいなゴミが言うような万能性は無理だろうって話だw
中々難しい話だろうから馬鹿は無理に入ってこなくて良い
(まあプロの学者でも評価が分かれるところで、俺ももっぱら聞く側に回るしかないんだろうがw)
キサマごときアホは「無敵の九州鉄器軍団大勝利!」とかほざいておれば宜しい。
367 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 17:21:48
>鉄器の優位制を認めてしまうと
>4世紀にはヤマト王権が日本を統一したとの畿内説の主張が説明できなくなるから。
と言うかむしろ
『鉄器の優位性を過大評価するなら、5世紀までのヤマト王権発生は抹殺しなければならないっ!』
…だな(歴史教科書も書換えの必要あり、えらいこっちゃw)
九州王朝説的にはOKなのかな?
5世紀から細々と製鉄に励んで版図の拡大を図っても生産性で言えば「 鉄鉱石>砂鉄 」
どうやって九州をその版図に納めるか?
その前に吉備・出雲の中国地方も難敵
(まあそこで畿内王権は九州王朝の分家末裔とか言うデンパがでるんだろうがw)
いや更にその前に…
そもそも奈良大阪に優良な砂鉄採取場所があったか?
近畿圏でも大規模な製鉄がスタートしたと言えば丹後とか近江とか
どちらかと言えば日本海側じゃなかったか?
日本全国を手中にするどころかあっという間に征服されそうだがw
いっそ越近江から継体が製鉄技術を携えてやってきてヤマトを征服
そこからヤマト王権がスタートしたと言う話のほうがマシか?w
九州王朝説のド基地外どもはそこら辺のストーリーいくらでも出て来るんだろうが…
スレ違いなんで自重するように。
368 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 18:00:41
>>367 >『鉄器の優位性を過大評価するなら、5世紀までのヤマト王権発生は抹殺しなければならないっ!』
どうもここ最近の九州説はそういう設定らしい。
ヤマト王権は7世紀からなんだと。
九州王朝説しかいなくなったのかも知れん。
369 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 18:22:37
古代の人口を考古学的に推定する方法はあるのだろうか?
集落の数は推定できるのだろうか?
耕作地の種類と広さは推定できるのであろうか?
作物栽培技術の地域差及び年代差は推定できるのであろうか?
気象条件の変化と食糧生産性の関係をどのように評価できるのであろうか?
人口の変動(増減)要因を把握できるのであろうか?(自然災害、病虫害、伝染病、戦争などがいつ
起こり、どの程度の影響があったかなどを正確に評価できるだろうか?)
こんなことを考えるとこれまでに発表された数値は絵空事にしか見えないが。
370 :
ローガン:2010/05/25(火) 18:43:51
鉄挺の出土分布とかは話題に上がらないんですねぇ。
371 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 18:44:36
ていうか、畿内王権って、いったん滅亡しちゃってるから、連続政権じゃないわけで。
373 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 20:32:09
一応、畿内では淡路島で鉄器加工跡が出ているわけだが
畿内の鉄器の絶対量がきわめて少ない。
やはり畿内では、かなり中央集権が進んでいて
鉄器加工を淡路島にあつめ、独占的に扱う権力があったんだろうと思う。
その政権は鉄の重要性を熟知し、鉄地金の輸入の独占権がある
かなり成熟した政権だったのだろう。
374 :
ローガン:2010/05/25(火) 20:49:43
>>372そうです。近畿の弥生時代の薄葬では 有っても残りにくいでしょう。古墳時代の厚葬により残りがよくなったんです。
>>374 >有っても残りにくいでしょう。
そうでしょうか。弥生末から古墳前期にかけて社会体制がドラスティックに変化したのです。例えばメスリ山古墳の鉄製品の量。
これは一例ですが、4世紀初頭にして畿内の鉄は他を圧しています。これは東遷などの話ではなく、弥生末にヤマトの勢力が
鉄の入手ルートを独占したとしかえられません。4世紀中葉から5世紀にかけて、ヤマト王権の対外軍事行動が始まるとともに、
同盟関係を持った地方の首長に対し、対価として鉄?が配分されていることが、その分布からはっきりとわかります。
376 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 21:14:21
銅鐸の畿内政権が滅ぼされて、九州に畿内を乗っ取られただけだ。
だから鉄器が多くなった。
377 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/25(火) 21:16:04
ナはアメヒボコ ヲトチコに クニをゆづりて ヤツカレは ヒジリノキミに
まつろいぬ ツカイかえりて これをつぐ よりてハリマの イテサムラ アハチシシアワ まゝにをれ
淡路島の鉄器加工も、崇神の任那以降になる。
だから崇神が倭王ではない。
任那建国は、新羅 209年 浦上八国が加羅を侵略、加羅王子の救援要請で援軍を送る
この記事の近辺であり、最初の朝貢が、216年にあたる崇神末年である。
朝貢団は垂仁3年迄大和に逗留、珠城宮の造営に意見をする。
>>375 これはいわゆる白石太一郎の、鉄の交易ルート奪取説だね。
それに反証をあげる形で、村上、北条らが「古墳時代像を見直す」という論文集を出している。
一度これも読んでみて、また検討するのも面白いと思うよ。
379 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/25(火) 21:41:10
>銅鐸の畿内政権
これは、近江(伊勢遺跡)の大物主
大物主は崇神6年秋に譲位する。
2世紀末の出来事。
僕のことをアスペルガーとか書いてるやつがいるけど、そんなことはないよ。
僕は天才なんだ。その証拠に、何年後の何月何日の曜日を間違わずにいう
ことができる。確かに一日中ネットに張りついているけど、畿内説なんてものが
この世にあることが耐えられないんだよ。だから「畿内説は詐欺」と書き込む度に
何か自分に与えられた使命を果しているという気がするんだ。
381 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 22:14:26
>>380 畿内説にふさわしい馬鹿っぷりに感心した。
382 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/25(火) 22:24:29
216年≠崇神末年=259年←右辺は橋本増吉、菅政友の258年説がほぼ正解
であったことが把握される。
僕の生きがいはネット。僕は小学校6年生の頃から実際の人と
話をするのはやめたんだよ。トラブルばっかりだったし。
みんながどうして、僕の話に対して怒るのかよくわからないんだ。
僕はただ正直に自分の感じたことを話してるだけなのに。
だから僕は毎日起きているときはずっとパソコンに向かう。
そして畿内説の悪口をカキコむんだ。
僕が小さい頃、トラブルを起こすと母親がかばってくれた。
何度学校に呼び出されても、「お前は悪くないんだよ。」と
言ってくれた。・・・だけどある日「カウンセリングに行ってみない?」
この日から、母親は「クソババア」になった。僕は学校に行かなくなり
「クソババア」はこの部屋に食事を届けるだけの存在。
385 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 22:48:48
サイキバVSサイキック・バカ。これって厨坊引きこもりと中年引きこもりの対決か?
386 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 22:50:24
>>385 日本は病んでいるという明証じゃないのか。
天津日嗣の天津高御座に坐しまして・・・・
第一次大極殿みてきた、でっけえ
唐の大明宮に影響されたというが、あんな壮大な空間を作り上げた時期が日本にもあったんだな
大仏といい、藤原京・平城京といい、奈良時代ってすげえ
100年の違いなのに飛鳥時代とは隔絶感がある、政治の違いというより、これは趣味・発想の違いだ
でっかい前方後円墳を作った時も、ちまちまとした銅鐸祭祀なんか忘れちゃったんじゃないかな
388 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 23:07:55
3世紀の鉄はみんな溶けてしまいましたが
4世紀の鉄はいっぱい残っているということでしょうか?
389 :
サイキバ:2010/05/25(火) 23:13:36
僕だって馬鹿じゃない。自分はだいぶ他の人とは違ってるってことくらいはわかる。
ウイキのアスペルガーの項は何度も読んだ。
引きこもりは毎日が日曜日で、いい身分だと思う人もいるんだろうけど、
実は不安で一杯の日々。
だけど僕はこのスレと九州説を見つけた。「畿内説は詐欺」とカキコむと、
そのときだけふっと気が晴れるんだ。
>>388 畿内説によるとそういうことのようです。
オカルトというか何というか、凄い理論ですね。
391 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 23:21:49
3世紀の終りに、鉄が溶けるほどの酸性雨が、長い間降り続いたのさ。
392 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 23:36:48
他人に成りすます卑劣なレスが多くなったな。
393 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 23:40:58
>>390 九州説では、鉄の無い畿内が九州を支配できた理由が説明できないだろ?
あれ? まさか東遷説なんて信じてないよね? くすくす
東遷説なんて、誰も語ってないのに
東遷説になっていく?
395 :
日本@名無史さん:2010/05/25(火) 23:58:23
396 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:04:32
北部九州、少なくとも吉野ヶ里は弥生中期から
鉄器が農具にまで普及している。
4世紀の古墳時代から畿内で鉄器が普及し始める。
しかも、その時も。北部九州で、鉄器の出土が減っているという
情報はない。
普通に九州から広がっていったんだろう。
九州から、職人を連れてきて
淡路島に隔離していたのかもしれない。
製造技術や鉄地金を独占するために。
>>394 「東遷」という言葉に何故か怯えるのですよ、畿内厨は。
九州説の人達のうち、東遷説を唱える人は半分もいないんじゃないですか?
398 :
ローガン:2010/05/26(水) 00:18:42
>>375 >そうでしょうか。弥生末から古墳前期にかけて社会体制がドラスティックに変化したのです。
もちろん、そうかもしれない。否定は出来ません。ただ、私は鉄をめぐる闘いとかあまり考えられなくて。
「鉄保有の多寡が覇者の統治能力のバロメーターであり、鉄こそがクニ経営の根幹…」みたいな感覚を持てないのですよ。
魏志に「國出鐵韓ワイ倭皆從取之諸買皆用鐵如中國用錢又以供給二郡」とありますね。鉄器が全てを制す!という感じなら、もっと奪い合う様子が記述されていても良いんじゃないかなあと思う。
399 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:39:48
天皇家の代々の伝承で、神武は日向からやって来たっつーてんだから
そうなんだよ。証拠もなにも、そういってんだから。
ただ、記紀も読まず都合〜〜〜のよいとこだけちょこっととる御馬鹿な
畿内説は天皇家が宮崎出身なんて思いたくないんだよなあww
卑弥呼の時代=崇神天皇、九州まで支配してたっつーのも記紀では
否定されるからしんどいよなあ。 数代先の景行天皇まで九州は土着の
女王に支配されてるって書いてたんだから。
400 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:45:40
景行天皇だって大和へ帰ってきてるじゃん。別にそれから大和が九州を
支配したとは書いてない。
401 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:53:08
>>397 東遷などというものは認めてはなりません。
神武東征を事実と教えていた戦前の軍国主義に後戻りしますよ。
ですから東征につながるものは全て無視しなければなりません。
そうしなければ教授の肩書きはもらえませんよ。
402 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:54:53
>>400 読まない畿内説出てきたww 鳩山みたいな言い訳してる。
お前自分で何言ってるかわかってないだろ。
景行〜タケル〜神功 ここら辺からだよ、大和が九州支配できたころは。
403 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 00:56:04
景行天皇って熊本回った天皇だろ。
ほんとに大和に帰ってきたのかね?
同じく仲哀の香椎
神功皇后
案外地元の人じゃないかって、気がするんだ。
古墳の被葬者はあまり信用できないそうだし。
404 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:03:58
どうして何度も中国に使者を送ってやり取りも慣れてる日本の朝廷が
遣隋使になっていきなり外交音痴で呆れられるような
「記紀のお話」の日本の始まりを説明したりするのか。なんでいきなり
日本になってて自分達が全部ずっと支配していたような言い回しをするのか。
実のところ、記紀で言われてる内容は大体合っている。
神功記の内容と登場人物は百済記とも整合するんで。
405 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:05:15
>>399 神武東征は紀元前ですよ。
なんで畿内説が神武東征を否定する必要があるの?
406 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:07:17
>>403 本当に、お前全然、記紀読んでないんだな。
しかも、神功皇后が地元って・・・・アフォすぎて馬鹿としかいえない。
さすが記紀読んでない畿内説
407 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:10:22
記紀よんでれば、神功皇后が卑弥呼なんだから、
邪馬台国は畿内だろ。
どっちが記紀を読んでないんだ?
408 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:15:47
記紀では、神功皇后のことを倭人伝に出てくる卑弥呼だと示唆してる
ところがある。
つまり編纂者(古事記と日本書紀)は、倭人伝の卑弥呼など誰のことだか
全くしらず、見当つけてるぐらいだ。
しかし、隋書百済伝ぐらい読めば、神功記と整合性があり
神功皇后は実存性はともかく時代は卑弥呼よりずっと後だとわかる。
つまりだな、倭人伝の卑弥呼も邪馬台国も、記紀を編纂した時代の朝廷の
人間は全く知らなかった。
天皇家に一番近い人間どもが、ありったけの伝承と、語り部と、史料と倭人伝を読んだ上で
知らなかったんだから、これはもう卑弥呼もトヨも畿内にいたとはありえん。
409 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:18:03
>>407 お前、読んでないのを必死でごまかしてるね。馬鹿が馬鹿の上塗り。
畿内説者は記紀も史料も読まない、読めない。
だから畿内説。
410 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:27:24
遣隋使を初めて中国へ送り、過去の「倭国=日本」と中国の歴史など
露知らず、「ウチの天皇が日本を創造したんです」といっただけ。
景行天皇の子供が 日 本 武尊 とか 倭 建 命とかって、
名前みろww
大和朝廷が日本を支配したのも、神功は朝鮮支配までいけたのも
やはりこの頃に大和朝廷が九州まで勢力をのばした証拠。
それ以前は何にもない〜〜〜
411 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 01:32:09
隋書では、中国人は、邪馬台国は大和だって認めてるじゃん?
おまいらまだ記紀とか倭人伝とかやってんのかwwwくだらんwwwwww
しかも幼稚な考察同士で何やってんだか。
>>408 >しかし、隋書百済伝ぐらい読めば、神功記と整合性があり
それを知ってるんだったら、きっちり60年ズレていることも当然知ってるだろwwww
そこを述べずに砂上の楼閣を建てているわけなんだから・・・わざとやってるでしょw
>>412で勘違いがあった。60年じゃなくて120年。つまり干支二回りだったなwww
414 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 02:04:27
関もそのへん知ってて無視してるな。
415 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 02:05:23
また話が単なる九州王朝説になっているな…
九州王朝説は該当スレでやれ、ゴミはゴミ箱に。
416 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 02:06:03
そうそう、安本も、古代の天皇の治世がどんどん短くなって、
天照大神の時代が卑弥呼だとか言ってたが。
天皇の治世が10年くらいだとした時代の前に、卑弥呼が70年治世してたのって矛盾だろうが。
417 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 02:40:51
しかし安本が
「弥生時代の日本の人口400万」
なんて事をぶち上げていたなんて知らなかったなあ…
スビバセン甘く見てますたwww
「倭人伝ウソつかない」式で弥生時代の人口を弄るのは良いが
後世の(それなりに日本側の文献もでてくる)数字との整合性は取れているのか?
それともここの九州説の連中みたいに
「後は野となれ山となれ」と言うことなのか…
418 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 02:46:32
明日も楽しみ、オカルト畿内説。
鉄器九州軍をバタバタ倒す、木器畿内軍。凄いぞ凄いぞ!
419 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 02:54:10
>>411 「隋使がやってきた地も九州の何処か」なら九州説にとって問題ないwww
と言うか中国史書における方角の記述に間違いが無いという立場なら
理屈じゃあそうならざるをえない。
まあここの九州説の連中は覚悟完了か無自覚か分からないが
大方は九州王朝説にならざるをえないって話じゃないかな?
逆に言えばだから邪馬台国ブーム以前の学術的論争では
「南」と言う方角の一字だけで論争に終止符が打てなかったわけで
九州説の学者もそれだけで突っぱねるのは無理だと言うことは
暗黙の了解と言うか常識の範疇の話として承知していたんじゃないのかな?
420 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 03:25:00
ぐるりと回る行程で、初めの出かけしなが南向きなら南と書くのさ。
朝鮮人は嫌いなのですが
景行、仲哀、神功あたりは半島から侵入してきたのではないかとも感じます
その出身地は半島南部の多羅でしょうか
422 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 06:46:26
>>411 隋書は、隋使が訪ねた先は倭人伝にいう邪馬台だというだけで、そこが大和だ
なんてことは一言もいってない。419のいうとおりだよ。
日本書紀だって、隋使がきたとは一言も書いてないだろ。
来たのは大唐の使者だ。唐時代になってから、また裴世清がきた、こんどは大和
へきたという話になっている。
423 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 06:49:48
>>420 古田式の場当たり的解釈だな。だから、古田は学者から相手にされないんだ。
424 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 08:15:30
>>417 そう言えば、安本は「もし南九州なら都城あたりだ」って言ってたな。
425 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 08:42:17
>>417 >「弥生時代の日本の人口400万」
3世紀から10世紀までぐらいは日本の人口はほぼ横ばい状態だったとの考えでしょう。
全くありえない話ではないな。
さい☆きば
427 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 11:38:47
>>419 九州王朝説に近い九州説がたくさんあると思う。畿内説からも無視できない存在だ。
また、本人が自覚しているかどうかは別として、九州王朝説自体がすでに古田個人から離れて、
多くの人のものになっている。
428 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 11:48:36
旧唐書も倭国伝、日本国伝と分けて書いている。倭国伝が九州のことだと
読んだ方がすっきりと理解できる。
429 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 11:55:27
で、九州王朝説さんは、九州に前方後円墳があることはどう説明すんの?
>>428 倭国と日本国が別々の国であったということの証左でしょうね
倭国は対馬海峡をはさんで九州北部、半島南部に広がっていたのでしょう
日本書紀には無く好太王碑文にある、何度となく攻めてきたという「倭」はこれでしょう
福岡近辺には早良(サワラ)、背振(セフリ)、加布里(カフリ)など
どことなく半島語の響きを連想させる地名が多くありますね
431 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 13:00:30
青谷上寺地遺跡とか見ると、北部九州の後進性が観てとれる。
お前ら、手で飯喰ってんだろ!裸足でうろうろしてたんだろ!
やっぱり、邪馬台国は九州だよ。畿内なんて御免こうむる。
432 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 13:41:31
で、九州王朝説さんは、九州と朝鮮半島にも前方後円墳があることはどう説明すんの?
433 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 13:55:24
別に、前方後円墳は、どこが最初であろうが、かまわないことだよ。
九州が最初かも知れないし、九州の勢力が東征した先で始めたことかも知れないしね。
でも九州に前方後方墳があることは、まったく説明できないわな
435 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 13:59:30
高度な文明社会を誇っていた漢民族は蛮族蒙古によって滅ぼされました。
今、中国では自らを漢民族とか公言していますが、お前ら蛮族の子孫なんだよ。
436 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 14:03:52
>>434 どうしてかな? 言ってる意味が分からないが。
>>436 意味が判らんとか。。。その程度かい。。。
あのな、前方後円墳をヤマト王権の特許と思っちゃいかんぞ。
当事のいわば流行だな。
関東、東北、韓国南部にも流行したってわけ。
439 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 15:06:52
>>438 だったら、鏡、剣、玉の三種の神器も、東遷の証拠にはならない、ということでいいね?
>>438 そう、前方後円墳と銅鏡配布をセットにした、支配域拡大説は
黒塚古墳や椿井大塚山の再調査報告などから今では疑問視する声が多い。
だからといって九州説やら東遷説なんかが
のこのこ顔を出す話にはならないが。
そしてこのカオスに拍車をかけるように存在するのが、前方後方墳。
更には前方墳(長突墳)が巨大化し最盛期を迎える時代でも、その隣に普通に造られる円墳や方墳。
一元的な支配や征服などではまったく説明できないというのは、もはや古代史を少しでも齧った者にとっては当たり前の共通認識となっている。
>>439 もともと三種の神器は、東遷とは関係ない。むしろ関係があると必死に主張しているのが東遷説。
442 :
ローガン:2010/05/26(水) 15:19:40
>>422 >そこが大和だなんてことは一言もいってない。
> 日本書紀だって、隋使がきたとは一言も書いてないだろ。
「一言も言っていない。一言も書いていない。」 ものは間違いである、という論調やね?
なら、そもそも史書に書かれてない九州王朝なんてものがあったと考える事自体が間違い と云う事。
そうでないとただのダブスタ
まあ前方後円墳のルーツが九州だとか、何でも起源は韓国ニダと同レベルの妄想を垂れ流している池沼どもには
この手の話について来れないだろうから、書いても無駄だろうし判る人だけと話せればいいんだけどね。
>>442 まあ正統派の九州王朝説(笑)ってのは
史料に書かれたことはすべて無条件に信じることから始まるそうで・・・
あと発見者や提供者は、決して嘘をつかないいい人というのも信じなきゃいけないらしい。
だから、屋根裏の天井が抜けて資料が発見されたとの話は、たとえその家に屋根裏部屋が無くても疑ってはいけない。
その資料が平安期に書かれた物の写本のはずなのに、冥王星とかムー大陸とかあっても、これを疑うのはご法度。
もっと詳しい資料が欲しいと願ったら、またどこかの天井が落ちて発見されましたと持ち込まれても、喜んで大金を支払って買い取る。
こういうスタンスでやってるわけだから、いまローガン氏や俺が適当に新史料を捏造しても多分疑わないんだよ、あいつら。
ましてや身内に近い連中が新発見した史料なんてのはもう、何があっても信じるわけ。
だから彼らだけが持っていると言う触れ込みの、門外不出の禁書が山ほどあるわけさ。
ちなみに九州王朝の存在を記した「史料」というのは、それこそ腐るほどある。
どれもこれも古田武彦が提唱した後に、「蔵から見つかりました」「○○家の家伝です」とかの売込みが殺到したからだ。
そのほとんどが昭和の紙に昭和の墨で書かれていたと言うのは、まあご愛嬌というべきかな。
今でも九州王朝説にかぶれている人というのは、どこかの詐欺師にリアルに騙されているか
こういう偽書を見せられて信じ込んでしまったケースが多い。
これは新興宗教にまつわる問題と同じく、前者は明らかな犯罪だが、後者の場合は善意の勧誘であるため本人の自覚によらねばならない部分が大きい。
まあ文献やら古文書やらは、それ専門の詐欺師が跋扈する世界であることは知っておくべきだろうね。
神社縁起なども神主が偽造した例などは枚挙に暇が無い。
446 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 15:51:57
>>440 文献的な話をしていいかわからんが、
大和王権は古墳時代初頭から天照大神を倭媛に託して今の伊勢神宮に祭るわけだが、
伊勢に巨大前方後円墳が無いあたり、
古墳の形状と天照大神祭祀は何の関連もないと。
447 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 15:52:26
>>442 もうろくしたな。411が「隋書では、中国人は、邪馬台国は大和だって認めてる」
というから、そんなことは書いてないといったまでだ。良く読め。
448 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 16:00:48
>>439 どっからそんな話がでてくるの? 大丈夫か?
449 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 16:32:49
>>448 え?
鏡、剣、玉の三種の神器も、東遷の証拠に な る ん で す か ?
450 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 17:36:50
東遷の証拠ばかりで困るな。
日本の神話は、淡路島が最初だというのに
淡路島には前方後円墳が無いの。
次のできた徳島は多いみたいだけど。
徳島も、大和と同じ地名が多いとかテレビでやってたけど。
もともとのヤマトは四国ってことはないかい?
452 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/26(水) 19:00:31
韓国古墳の資料
1,石村洞第3号 ドルメン(ドルムジ・ムドム)
3号古墳は方形、または長方形の段築積石塚である。A.D. 3世紀中葉の超大型級積石塚として
近肖古王( クンチョゴワン、346 〜374)の御陵である可能性が大きい。
2、石村洞第4号ドルムジ・ムドム
典型的な高句麗積石塚に「封土墳」の要素が加味された段階の形式として、松坡区一帯の百済古墳の中では確実に旧式であり、したがってそれは公州に遷都した475年以前に築造されたものと見るべきである。
3.石村洞第1古墳
平面の模様がこの積石塚と殆ど同じものとして、高句麗の積石塚である中国吉林省ファンイン県ゴリョミョザチョン第15古墳、平安北道小庵里第45古墳などがある。
5.石村洞第2号土壙墓廟(トグァンミョ)
積石塚の地層より階下に位する点から考えて、トグァン廟は積石塚より以前の時期の墓だったものと推定される。
7.内円外方形積石塚
日本の古墳には後部が平面で円形、前部が平面で方形である前方後円墳というものがあるが、その形態はこの積石塚の基壇平面模様とよく似ている。
453 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/26(水) 19:06:11
>神功記の内容と登場人物は百済記とも整合するんで。
登場人物が同じでも、時代が違う。
近肖古王を積み石塚と考えるのが、百済本紀を正しいとする読み方。
好太王碑に書かれた。高句麗の南下が書かれていない。
百済の王朝は、326年頃から発展する。そして墳墓に土壙墓廟を選ぶが、400年前後の戦で
新羅の如く、高句麗軍の監視の下に置かれる。その時の墳墓が、石村洞第3号 ドルメンなどであろう。
初期には、前方後円墳も造られる(7.内円外方形積石塚)
この高句麗による支配を嫌ったガイル王は逃げ出すが、殺されてしまう。
454 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 19:08:53
>>428以降に出てくる、畿内説の主張がさっぱり理解できない。
「犯人は訳の分からないことを口走っており・・・」という状態。
455 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 19:16:58
>>454 それほど、九州説のみなさんは理解度が低いってことなんでしょう。
456 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 19:37:03
畿内説は専門家にしか分からない特殊な理論で構成されており
一般人が聞いても理解することは難しい。
畿内説を理解するには長時畿内説を繰り返し繰り返し間勉強する必要がある。
457 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 19:45:46
わからんから、九州説でいいや。
畿内説は、すでに形而上学として完成しました。
一般シロートの理解は超えています。
エリートにしか理解できません。
459 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 19:55:58
橿原に行き72時間ヘッドギアをつけ、寝ずに畿内説を聴かされると、やっと理解できます。
460 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 19:56:34
九州説は、シンプルで素直だからいいね。
461 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:01:26
そりゃ、バカには畿内説は高尚すぎるだろう。
462 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:03:44
畿内説は高尚な信仰を要求します。
463 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:05:59
畿内説は、決して疑問に思ってはなない個所が多数あり、これを永年にわたって学習し、
疑うことを忘却する信仰が必要となるのです。
464 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:07:37
465 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:31:00
>>454 >
>>428以降に出てくる、畿内説の主張がさっぱり理解できない。
428は畿内説ではないだろう。畿内説と思うから理解できないんだよ。
まあ初心者は九州説、学者やマニアレベルは畿内説というのが事実なんだからね。
467 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:33:18
>>465 428を畿内説だと思ったのは、お前だけだろ。
469 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 20:42:36
>>468 そうやって並べると、畿内説のレベルが分かるな。
学問である畿内説と、個人の妄想である九州説とのレベルの違いがね・・・よく判るだろ
471 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 22:01:08
>>470 そういうことであれば、学問とは根拠のない話を事実であるかの如く言いくるめることなのだな。
472 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 22:03:29
畿内説では、オカルトを学問と呼んでいます。
473 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 22:24:23
>>454>>465>>468 おそらく
>>438は、
>>434が提示した話題が前方後「方」墳であることに気付かず、
前方後円墳だと思い込んでレスしてしまった公算大。
>>436も同じ可能性あり。(同一人かも)
>>467 まず
>>428は九州説であるのは明らか。古田の九州王朝説そのままの主張だから。
したがって
>>465は適切なレスをしてる。(「
>>428は九州説だ」というのが
>>465の意見、ということ)
ところが
>>467は反対に、「428を畿内説だと思ったのは、お前だけだろ」と、逆に捉えており、まるで頓珍漢。
で、明確にまるで頓珍漢≠ネのは結局
>>454、
>>467、
>>469の三つ。
他のレスの内容を吟味することなく、「とにかく畿内説を貶めたい」の一念だから、頓珍漢になる。
>>422 日本書紀をよく読んで、当時の日本人が中国の国家・諸王朝をどう呼ぶのが習わしだったかを調べてから、もう一度レスされたい。
473は、じっくりよく読んでるねえ。
473はよく読んではいるが、
>>434が何故「いきなり」な質問を唐突にしたのかに触れていない。
これはかなり不思議な点ではある。
なぜ?
>>429>>432が前方後円墳の説明を求めたところ
>>433がトンデモ解説をはじめた。
しかしその程度のこじ付けでは、後円墳の辻妻あわせにしかすぎず
後方墳に至ってはまったく説明が出来ないだろうということで
>>434がある
それに対し
>>436は円と方の区別がつかなかったのか、意味がわからないと返し
>>437に呆れられている。
477 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:14:01
■「邪馬台国宇佐説」 年内にも漫画出版へ
大分合同新聞2010年05月26日
http://www.oita-press.co.jp/localNews/2010_127483506313.html 「邪馬台国宇佐説」を唱える古代史研究家の山上智さん(61)=横浜市=と漫画家の小林裕美子さん(36)=東京都=が宇佐説をモチーフにした漫画の出版に向け、宇佐市や豊後高田市を取材で訪れた。
山上さんは以前から宇佐神宮を中心とした地が邪馬台国の所在地で、頂上にストーンサークル(環状列石)がある豊後高田市の猪群山(いのむれやま)が卑弥呼の墓―と主張。宇佐説を題材にした山上さんの構想を原作に、小林さんが漫画を描くという。
タイトルは「古代史探偵タケル」。
中学生3人組が主人公で、所在地を突き止める旅をしながら、魏志倭人伝などのさまざまな謎解きに挑む―という内容。
今回の取材では宇佐神宮、猪群山、宇佐風土記の丘などを4日間かけて巡り、「引き込まれるものがあり、パワースポットのような印象を受けた。漫画で分かりやすく魅力を伝えたい」と小林さん。
2人は30日の全日本邪馬台国論争大会にも参加し、漫画は年内をめどに出版する予定。山上さんは「できれば大分の出版社から出したい。宇佐・国東半島を邪馬台国の所在地として有名にしたい」と話している。
・邪馬台国宇佐説を題材にした漫画の出版に向け、宇佐神宮を取材する古代史研究家の山上さん(左)と漫画化の小林さん
http://www.oita-press.co.jp/mobile/data/local_news/2010/05/2010_127483506142.jpg
478 :
メ:2010/05/26(水) 23:15:08
だれも死にたいと思って
死ぬ人はいないのではなかろうか。
479 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:39:57
477と478と、畿内説の論理がさっぱり分からない。
480 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:46:45
>>479 また意味不明なことを。
宇佐でも畿内説でもない日向厨かなんか?
481 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:49:58
>>480 サイキバなんじゃね?
彼の場合は、他人どころか自分のことをさっぱり分かってないのだしね。
482 :
日本@名無史さん:2010/05/26(水) 23:52:05
俺様は、キナイバだ。
>>480 >また意味不明なことを。
今更弁解も出来ないからさ、今度はわざとやってるんだよww
サイキバは引きこもりで学校の授業さえ受けてないんだろう。安本の本を数冊読んだ
程度じゃね?
485 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 00:16:59
安本の本を統計とかインチキを見破るには、
自分でいろいろ研究しないと無理だからな。
しょうがないよ。
486 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 00:33:52
>>473 >当時の日本人が中国の国家・諸王朝をどう呼ぶのが習わしだったか
唐ができる前から唐とよんでいた? まさかそんな予知能力はないだろうな。
487 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 00:45:10
>>484-485 サイキバ君は過去の書き込みを見る限り
安本と言うより古田の九州王朝説っぽい。(恐らく比定地としては福岡平野?)
ただ根っこが「とにかくアンチ畿内説!」なので東遷説だろうが
その比定地が何処だろうが畿内説を叩ければそれで良いと言う無節操さがあるなwww
「安本のインチキ」については最初に出してくるデータ自体は
嘘じゃなくて事実であるところが味噌なんだろうw
1から10までの項目のうち2・3の項目を恣意的にチョイスして出してくる
(結論において自説を支持しているように思わせる為)ある部分だけを出してくる…等々
全部が嘘じゃなく、むしろ話を変な方向に持っていくのは最後の結論部分で
それがさりげなく切れ目のない話の中で出てくるから俺みたいな初心者にはかえってたちが悪いwww
逆に「何処で誤魔化してくるのか?」とトリックを見破るように読むと言う楽しみ方もあるのかもしれんが…
まあ素人にはおすすめ出来ない諸刃の剣www
488 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 00:57:22
>>477 >宇佐説を題材にした山上さんの構想を原作に、小林さんが漫画を描くという。
>タイトルは「古代史探偵タケル」
「名探偵コナン」の劣化コピーにならなければ良いが…w
しかし今も昔も漫画と相性のいいのは九州説だなwww
まあ「暗号解読ゴッコ」と言う謎解き形式のストーリーとしては九州説は向いているんだろう。
舞台を九州に限定するあたり
良くミステリーで出てくる、外界と連絡もとれなくなった孤島とか嵐の山荘とか
確かそう言うシチュを「クローズドサークル」って言うんだっけ?w
で、その事件を新聞記事の切り抜きや捜査資料だけで安楽椅子に腰掛けたまま
パイプで煙を燻らせつつ解決してしまう「安楽椅子探偵(アームチェア ディテクティブ)」が登場とwww
「犯人はおまえだ!」…いいえ、”すなおに読んで”正解にたどり着いているのは一人です。
あとはみんな犯人ですwwwwwwwww
箸墓は卑弥呼の墓。三角縁神獣鏡は魏鏡。
490 :
今宵のマジレスzzz:2010/05/27(木) 01:25:58
>>440 >一元的な支配や征服などではまったく説明できないというのは
>もはや古代史を少しでも齧った者にとっては当たり前の共通認識となっている。
そこで
「各地域の主体的・能動的な枠組みへの参画があった=ゆるやかな首長連合の形成」
…と言う理解でよろしいでしょうか?w
実際、古墳の形状や大きさ、鏡の形式や大きさ枚数でヒエラルキーの構築を読みとことしても
(地域や時代を限定して)一定部分は上手くいっても、やはり全体的には無理があると…
確か都出がその試みが上手くいかなかった事を書いていたような気がするが(ウロ
同じ試みをした他の学者の例等々知っている人がいたなら教えてもらえるとありがたいw
最も資料が多い北部九州でも、古墳時代初期でも小集団乱立という感じだから、鏡の分与や古墳造営の許可などは、
ヤマトを中心とする勢力の、地方へ勢力を伸ばす戦略の一つじゃないかな。前方後円墳も、その地域で最も勢力がある
集団が必ずしも造っているわけではない。
492 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 01:35:33
>>488 謎解きゴッコでも、「3世紀の宇佐はこんな様子」でしたと、
きちんと解説してくれればいいんだが、
なんの根拠も無く「これは3世紀の遺物に違い!だから宇佐が邪馬台国だ!」
なんてやられると噴飯物というか。
それに、宇佐の女神だって、伝承には、宇佐津媛とかアカルヒメとか、出てくるわけだから、
卑弥呼に決め付けると、「本当の伝承」を消滅させてしまうんじゃないか?という。
それは郷土の歴史研究にとって良い結果は生まないと思うんだけどな。
493 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 01:42:16
敢えて厳しい物言いをするならば
古田は狂信者、安本は詐欺師と言ったところ。
古田的史観は
>>444-445 安本的手法は
>>487 共にその語り口の巧妙さと鮮やかさから、一般人特に九州在住の人から支持が高い。
しかし両者とも近年翳りが見られるのは
古田は東日流外三郡誌でミソをつけ、その後の迷走で呆れられ
安本は会員への貪欲なほどの寄付呼びかけが嫌われたからだろう。
494 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 01:44:45
>>493 自分の信念に正直なだけ、古田のほうが人間味がある。
安本は、あれはダメだ。
九州説がウケるとわかってて、金儲けのために九州説を喧伝してるだけだからな。
悪い意味のプロだな。
495 :
ではマジレス:2010/05/27(木) 02:04:23
>>490 >そこで
>「各地域の主体的・能動的な枠組みへの参画があった=ゆるやかな首長連合の形成」
>…と言う理解でよろしいでしょうか?w
まあ皆さん詳しい人ばかりだから、あえて但し書きをつける必要な無いのだけど
「現時点においてもっとも整合性が高いと考えられている仮説」との理解が正しいわけだね。
だから新事実や新見解と主に暫時変化していくのは必然であって、その為にも新たな情報をそれこそ飢えた狼のように求め続けねばならない。
「ヤマト王権」の拡大というか、交易連合の販路膨張化の理由については、まだ分からないというのが一番正直なところ。
ただこの手の研究に身を投じているのは、やはり若手(でも40代や50代www)だったりする。
やっぱあと2〜30年はどうしても必要だろうから、お年寄りは尻込みしちゃってる。
面白いのは、北条氏の3年ほど前の論文。
古墳初期における関東での集落開発は、最初から開拓、前方後円(方)墳、遠隔交易が三点セットとして存在する。
つまり集落や農地開発の際に余った残土が、墳墓建設にそのまま流用されるという一石二鳥システムが見られる。
そうして新設された小集落は、最初から東海や北陸、畿内、阿讃または吉備、出雲などの外来式土器が出土する。
そして少しずつ土器形式に独自性を発揮しはじめ、西よりも東北と綿密な関係になる集落も出始める。
連合に参加した各有力首長たちが、新たな販路開拓を関東以北に求めたという考え方は可能みたいだ。
また首長たちが一枚岩ではないのも各新設集落ごとに、外来式の特徴が違うことから推し量れる。
496 :
スレ違いwww:2010/05/27(木) 02:17:23
>>488 ミステリの世界も東西を問わず色々変化してて
日本ではやはり綾辻行人以降の新本格連中が、クローズドサークルなどのガジェットを駆使していて面白いよ。
中には嵐の山荘で、まず「じっちゃんの名にかけて」解決しようとする少年探偵が2人目の被害者となり
そのあとを継いだ「真実はひとつ」の子供が3人目になるものまである。
そこで残った人たちがまた我も我もと推理するが、みな返り討ちにあう。
で、この話のオチは、最終的に警察の科学捜査で犯人が判るのwww
推理なんて無駄、名探偵不要というアンチミステリ。
まあ現実なんてこんなもんさという夢の無いお話なんだけど、邪馬台国論争とそっくりでしょwww
497 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 06:36:58
>>476 円と方の別? どうでも良さそうな話だな。
少しデザインを変えるなんてことはどこにもあることだ。
498 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 09:56:31
499 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 12:14:43
>>497 お前みたいのが居るから九州説が馬鹿にされるんだよ。
九州説の俺から言わせてもらえば、消えろ無知な
>>497。
500 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 13:14:19
>>499 もっとましなこと書きなはれ!にせ九州説派さんよ。バレバレやないか。
501 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 13:36:39
どうせサイキバ君も、畿内説のヤラセ工作員
502 :
ローガン:2010/05/27(木) 14:07:39
>>486 >唐ができる前から唐とよんでいた? まさかそんな予知能力はないだろうな。
なんで?書紀の成立時の認識なんだから 「予知能力」は必要ないと思う。
503 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 14:36:38
497に畿内説論者からは何の反論もない。やはり大した話ではなかった
ってことだ。
504 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 14:39:49
505 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 14:53:51
>書紀の成立時の認識なんだから
書紀を良く読んでね。そこが問題なんだから。
>>505 こういう思わせぶりのレスって、無駄だろ。
本人は嬉しいのかもしれないけれど、傍から読んでるとイラッと来るんだよね。
問題点があるんならスパッと指摘すれば、反論もすぐできるだろ。
良く読んでね
↓
何が問題
↓
それはね・・・・
↓
いや、ちがう・・・
てな感じで、2レス余計に消費するだろ。
507 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 15:09:16
日本書紀の成立時は中国のことを唐とか適当に書いてたってことだろ。
「1000年前のアメリカでは…」と言う様なもので。
508 :
スレ違いwww:2010/05/27(木) 15:14:12
>>506 こういうのは問題点を提示できないものが、それでも何とかいちゃもんをつけるための苦し紛れのレスというか
まあ詭弁ディベートテクのひとつだから、あまり気にスンナ。2ちゃんではよくありやり方
ちなみに無視していると「やっぱり答えられないんだねwww」とかいう常套句が現れるのも、定番。
>>503などがその典型的な例
いずれにせよ、議論が得意でなかったり知識が未熟なものが多用する、初歩の初歩の詭弁なので、議論慣れ&2ch慣れしている者は恥ずかしくて使う気にもなれない糞テクだ
509 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 15:17:01
510 :
ローガン:2010/05/27(木) 16:12:00
>>505 >書紀を良く読んでね。そこが問題なんだから。
だったらその問題点をネタ投下してよ。鏡→鉄→人口のローテーションにもいささか厭きたし…
もっとも今、職場なんで書紀は手元に無いけど。あんな重い本、持ってウロウロ出来ないしね。
「よく読め」と云うなら 指摘してみて。該当箇所後で読んでみるから。
とりあえず今の認識を云うと、書紀は倭を日本、評を郡、隋を唐という具合に成立時の名称で記載しているという事。
又、中国は北朝を唐、南朝を呉としている。 ただし、推古16年だったかの呉国は「南朝」とは思えず隋代の流求国討伐に関連付けて考えるべきだという事。ぐらいかな?
間違ってたら 正して下さい。
511 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 16:50:22
他のスレでも聞いたんですが、レスがなかったので、ここでお尋ねします。
『後漢書』には、
「自武帝滅朝鮮 使驛通於漢者三十許國 國皆稱王 世世傳統 其大倭王居邪馬臺國」
「(前漢の)武帝が朝鮮を滅ぼして(紀元前108年)より〜中略〜大倭王は邪馬臺國に居る」
とあります。
つまり、前漢の頃すでに邪馬臺國があったと考えられませんか?
512 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 16:51:22
>>510 >隋を唐という具合に成立時の名称で記載しているという事。
もしそうならば、日本書紀には隋という国名は出てこないはずだということになる。
しかし、推古十九年あたりだったかな、隋という国名が出てくるよ。
513 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 17:10:01
>>510 >又、中国は北朝を唐、南朝を呉としている。
なるほど。
「呉服」という言い方も、南朝の服が伝来したことが由来なわけかな?
>>511 お説のようにも読めるが、
「武帝のころに始まって・・・・と続き・・・、そして現在は大倭王は邪馬臺國に居る」
と時間の経過を示す説明とも読める。
この場合、「現在」とは後漢代。あるいは、これを書いた時点。どっちかしら?
>>514 レス、ありがとうございます。
>お説のようにも読める
この言葉を待ってました。
そう読むことが可能であるかどうか知りたかったんです。
本当にありがとうございます。
516 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 18:05:14
>>495 ゆるやかな首長連合とか交易連合とか前方後円墳とかが邪馬台国とどのような関係があるのだ?
倭人伝にはそんなものは書かれていないぞ。
倭国には王が居て各国には官が居る。一大率が諸国を監察している。「ゆるやかな首長連合」じゃね〜だろ。
誰にでもわかるように説明してみろ。こんにゃろめ!
>>516 >倭人伝にはそんなものは書かれていないぞ。
もうこのフレーズひとつで、まともなレスは返ってこないだろうなwww
というか、釣りだろwww 縦目乙
518 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 18:09:58
>>518 そうなのか?
いやあ縄文人と、そのパロディをかます縦目の区別って難しいなあwww
サイキバパロネタは、けっこう笑えるのが多いから好きなんだが
520 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 18:20:57
>>511 >つまり、前漢の頃すでに邪馬臺國があったと考えられませんか?
514の「「武帝のころに始まって・・・・と続き・・・、そして現在は大倭王は邪馬臺國に居る」
と時間の経過を示す説明とも読める。」の方が正しい。
>>514 >この場合、「現在」とは後漢代。あるいは、これを書いた時点。どっちかしら?
後漢書だから「現在」とは後漢代。
後漢書は三国志の倭人伝を引き写しているが、誤認があったのであろう。
邪馬台国は前漢の時代にも存在した可能性はあるが、倭王がそこに居たのは2世紀末の卑弥呼から
だろう。
521 :
ローガン:2010/05/27(木) 18:45:58
>>512 >しかし、推古十九年あたりだったかな、隋という国名が出てくるよ。
それって因以言…遣使の言だからでしょう。それに、26年の使者の言に隋煬帝と出てくるんだから、それに先立つ推古16年が唐にはなりません。
522 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 19:04:50
その辺で、書記では間違って大唐と書いちゃったんだっけ
中国とか大陸程度の意味で間違ったのかしらん
523 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 19:36:10
>>521 >それって因以言…遣使の言だからでしょう。
そうゆうことを言うときには、同じような用法の中で、唐が出てこないかを確
かめてから言うべきだろうな。推古16年の妹子の言葉に「唐帝」とあるよ。
あなたの論法からすれば、ここは「隋帝」のはずだが、そうはなっていない。
だいたい、隋との交渉を、隋と一言も書かないで、唐で押し通すというのは不
自然だと思わないかな? 大唐の隋煬帝とか、大唐の魏書などという使用例で
も見つけてくれ。そうでなければ、あなたの主張は合理的な裏づけがあるとは
言えない。
つーか、日本書紀の「唐」の訓は「もろこし」でしょ?
525 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 20:07:28
応神が呉と云えば、それは東晋である。
雄略の呉は宋だな。
温暖で夏も冬も野菜を食べ、寿命は70、80に近い。
海にもぐって魚介類を取る。
ヤマタイ国はものすごく温暖な場所って描写だと思いますが、本当に日本国内なのでしょうか?
雪の描写が無いので畿内説だと紀伊半島南部の沿岸部でも苦しいような。
528 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 20:45:05
まあ、佐賀か熊本の有明海側でしょう。
529 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:09:15
冬はわかめを採って食べていた。
530 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:14:38
福岡でも雪が降ることをしってて、わざと隠してるあたりが微笑ましいね。
>九州説
531 :
スレ違いwww:2010/05/27(木) 21:15:57
まあ「牛馬なし」とまで言及しておきながら
豚を飼っていたことについては一言も触れていないというのは、なんだかなあ・・・。
お前ちゃんと見たんか?と突っ込みたくはなるわな
532 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:20:53
洛陽も楽浪も冬は、大地が凍る
福岡は充分暖かい。
533 :
516:2010/05/27(木) 21:21:17
>>517 縄文人だとか縦目だとか関係ない人間に間違えるんじゃねえ。
>>倭人伝にはそんなものは書かれていないぞ。
>もうこのフレーズひとつで、まともなレスは返ってこないだろうなwww
この野郎フザケやがって。おんどりゃ〜邪馬台国や卑弥呼のことを何で知っとるんじゃ。遺跡や出土物
に名前でも書いてあったか?倭人伝に書いてあるから知っとるんじゃろが!!こんにゃろめ!
534 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:27:49
>>533 いや、もう邪馬台国も卑弥呼も居なくていいんだけどね。
535 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:31:07
>>533 >遺跡や出土物に名前でも書いてあったか?
えっ?知らなかったのか?
1998年に佐賀県甘木市の平塚川添遺跡そばの用水路から、「卑弥呼饅頭の食べかす」が出土してるぞw
また2005年には福岡市板付遺跡からは「清酒 邪馬台国の空瓶」が多数出土した。
もちろん纏向でも、「卑弥呼弁当の空き容器」が現場説明会の際に多数確認されている。
お前、素人だなwww
536 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:33:58
「牛馬なし」とは、博物誌の部分に書かれているから野生をさす。
537 :
メ:2010/05/27(木) 21:37:33
死にたくて
死ぬ人はいないのではなかろうか。
538 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:38:37
>>536 ??? じゃあ野生ではない家畜としての牛馬は居たと解釈しているわけかい?
そんな形跡など、どこの遺跡にも無いぞ。何が根拠なんだ?
まだ見つかってないとか、いい加減な話はなしで頼むな。
539 :
516:2010/05/27(木) 21:40:48
>>534 そんならこのスレに来るんじゃねえ。ここを何処だと思っとるんじゃ。ブア〜かもん!!
>>535 >1998年に佐賀県甘木市の平塚川添遺跡そばの用水路から、
平塚川添遺跡は福岡県甘木市(現朝倉市)にあるんじゃけどな。お前、素人だなWWW
540 :
メ:2010/05/27(木) 21:41:38
牛馬のように使役されて
死んでいくのではなかろうか?
541 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:44:12
>>539 おおそうかwww
佐賀とかあまりに地味過ぎて、福なんとか県と勘違いしたわwww
542 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/27(木) 21:46:36
肉は食べる、骨は田の肥やし。
まあ両方が肥やしでも良いが、
天照大神も馬さえ居なければ、斑駒の皮など投げ込まれなかったんだが。
543 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 21:54:06
>牛馬のように使役されて死んでいくのではなかろうか?
巨大古墳築造の時代だな。
でも古墳築造に牛馬は使用されたのか?
544 :
516:2010/05/27(木) 22:05:43
>>541 ふふ〜ん。近所の高校生達に聞いたら奈良には行ったけどな〜んも無かったと言うとったぞ。
545 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 22:09:02
>>544 そりゃそうだろwww
奈良に田畑と公園と寺社と鹿以外、何がある?
で、佐賀ってどこにあるの?新潟の横?
546 :
516:2010/05/27(木) 22:19:44
>>545 お前なあ、地図も見れんのか?自分で探せ!!
ついでに教えてやる。伊都国とはイタリアの都、すなわちローマの国のことだ。覚えとけ。
547 :
スレ違いwww:2010/05/27(木) 22:22:51
>>546 そ、そうだったのかぁ!!!
やっぱり邪馬台国はエジプトだったんだ!
548 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 22:29:25
>>547 アホぬかせ!ローマの南はリビアじゃ。お前、地図を斜めに見とるんか?
549 :
スレ違いwww:2010/05/27(木) 22:31:51
>>548 だって木村鷹太郎先生がそう仰ったんだもん。。。。ぷんぷん。。。
もはやネタスレ化したな
551 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 22:41:29
佐賀と聞けば、サガミ先生が黙っていません。
552 :
516:2010/05/27(木) 22:48:59
553 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 23:42:05
なんだなんだ
>>516に答えられる奴はいね〜のかよ。
考古学者の書いたものを鵜呑みにして知ったかぶりをしていた奴ばっかりだったのかよ。
考古学者に歴史が語れるのかよ。遺跡や出土物から分かることには限界があるということが
分からんのか。愚か者どもが!!
ゆるやかな首長連合など想像の産物だというのが分からんのか!!口惜しかったら何とか言え!
554 :
日本@名無史さん:2010/05/27(木) 23:47:05
555 :
サガミハラハラ:2010/05/28(金) 00:02:12
呼んだー。
佐賀県甘木市じゃなくて佐賀県小城市甘木です。
このスレはコテが名無しで馴れ合いそして罵り合います。
また祭器場(サイキバ)と呼ばれる2ch初心者の電波を
叩いて鍛えそして成長を生暖かく見守ることで皆がなごみます。
そんな悪意あるスレッドなのです。
557 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:13:48
>>553 どうして「ゆるやかな首長連合」なんてのが出てきたのか。
卑弥呼共立との辻褄あわせかな。
倭国の大乱で各国が疲弊したので、戦いを止めて奈良に都を作り、卑弥呼を
女王にした、ということなのかな。
しかし、戦国時代ではあるまいし、いや戦国時代でさえ限定的な地域での
争いだったにもかかわらず、倭国の大乱を全国的な争いにしてしまうのが
わからない。
何が原因で、この時期に全国的な争いをしなくてはならないのかの説明もない。
さらに、どうして決着の付かない戦いで、共通の王を作らなくてはならない
のかもわからない。普通は、休戦条約でも結んで国に帰る、なんてことに
なるわけなのだろうが。
畿内説の場合は、鉄がなければなくてもいいんだに集約されるかも。
畿内説に合致することは理屈が通らなくても正しい。畿内説に合わないものは
合理的でも間違っている、ということだろうな。
558 :
ローガン:2010/05/28(金) 00:15:49
>>523ごめん。一杯やってて遅くなりました。
>>521読んでくれたんならわかること思ったんだけど、言葉足らずだったかなあ。
「遣使の言」ってなんて書いてある?30万の帝国軍を破って得た捕虜の二人を奉ります…でしょ?
国内的には「天皇を中心とし唐を模した小中華思想」に模範的な記事。でも、書紀が漢文で記されているという事は、読者に中国を意識している。つまり唐人。
では、ここは唐とは書けない。唐とは書かなかったけど嘘じゃない。隋の時の話なんだから。
まさに外交を意識した事を物語る記述でしょう。 こうよまずに「いや、唐客と書いてあるから唐代の話だ。」なんて言ったら、時系列に無理があるでしょ?
…って書いたら、よく「ほう?どんな無理があるんだねwww」とか。でも、あなたからはそんなつまらないレスがかえって来ないだろうと期待します。面倒くさいんで…
559 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:17:53
>>556 そういう初心者の間違いにいつまでもこだわり続けなくてもいいんじゃないかい。
畿内説としては、そういうことを攻撃するしか手がなくなってしまったんだろうな。
560 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:19:03
>>553 「ゆるやかな連合」は畿内説の詐欺理論です。
圧倒的な九州の出土物、鉄や錦、吉野ヶ里の風景と倭人伝との整合性、
これらを「畿内によるゆるやかな九州支配」と言い逃れんがための詐欺理論です。
561 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:19:11
>>557 いや、倭国大乱が実際にあったとは考えていないんだよ、連合説は。
だから卑弥呼共立の記事にしても、どこまで本当なんだろうってスタンス。
というか文献記事を根拠としていない、純粋に考古学的見地から発生した説だと理解しておいておくれ。
そう言い切ってしまっていいものかどうかは悩むが、何かの記述に合わせたり釣られたりしたものでは始めからないんだ。
563 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:32:02
>>560 その、圧倒的に有利な九州が、どうして4世紀に畿内王権に従うようになったの?
九州説ってのは、歴史の前後を全く無視してるんだよな。
564 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:37:26
>>563 その歴史そのものが、大和朝廷を祖とする今の日本国を挙げての歴史捏造で
九州王朝を歴史から抹殺したというのが、彼らのスタンスだから。
アイアンキングや鋼鉄ジーグに出てきた敵組織みたいなもんさ。
565 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:40:36
>>563 持統天皇は、初めて自分自身が大嘗祭を主催した天皇だが、
それ以前は、部下が大嘗祭に主催した記録があるのに、
天皇自身が大嘗祭を主催したことがない。
要するに、畿内の王者は、九州配下だったんだよ。
566 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 00:42:45
畿内政権って、銅鐸作ってた国でしょ?
いったん、滅んでるじゃん。
九州に滅ぼされ、支配されちゃったのでは?
567 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:20:14
>>563 >圧倒的に有利な九州が、どうして4世紀に畿内王権に従うようになったの?
九州が従ったというのが、まったくの思い込みだね。
566 のように、銅鐸作ってた国は九州に滅ぼされ、九州に支配されたと考えるべきだ。
568 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:23:31
>>567 だったら、邪馬台国の時代には、九州は畿内を支配してたんだよね?
つまり邪馬台国の範囲は九州から畿内まで及ぶと認めるわけだね?
569 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:27:51
>>568 はあ?
たくさんある首長国のうち、九州の邪馬台国(ないし女王国)がリーダーになり、
畿内の首長国はその支配を受けていただけだろ。
570 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:51:42
>>569 だから、邪馬台国の支配領域は、九州から畿内に広がってたってことでしょ?
自分でそういったでしょ。
571 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 01:59:00
>>568 東遷説というのは、九州にあった邪馬台国が、その後大和に東遷したということ
なのだが。つまり、近畿地方が支配下に入ったとしたら、卑弥呼時代の後と
いうことになる。
572 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:01:48
邪馬台国の時代はまだ3世紀だ。567は九州が銅鐸をつくってた国を滅ぼした
というが、その九州の勢力が邪馬台国だとは言っていない。
573 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:07:15
九州が銅鐸を消したんなら、
その後にできた邪馬台国は、九州の邪馬台国で、
畿内まで支配してたってことだろが。
何が違うんだ?
574 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:19:58
九州勢力が畿内に進出したのは3世紀初めかも知れない。銅鐸の消滅がそれだ。
となると、その九州勢力はまだ邪馬台国ではない。
北九州が最初に畿内に進出した。その後、九州内で倭国の乱があり、北九州は
敗北、勝者となった邪馬台国が3世紀後半に畿内に進出して、先にきていた北
九州勢力をも従えた。そんな順序も考えられそうだ。
575 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:28:01
>>574 記紀には二段階の東征が書かれている。最初にやってきたのは饒速日命。
その後が神武天皇。ただ、その年代はどちらも卑弥呼の後でないと説明が
付かないことになる。
まあ、東遷説的には、庄内期の始まりは、畿内説の言うのよりはかなり後に
なり、当然、銅鐸の消滅もその頃になるわけだが。
576 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:29:17
じゃあ卑弥呼の敵であるヒミココココ?はどこにいたんだろ?
九州なら熊本あたりなんだろうけど。
577 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:30:45
578 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:31:56
神武天皇は卑弥呼より後なのか?
579 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 02:59:19
饒速日命とか神武天皇というのは、実在の人物ではない。記紀だって
紀元前数百年の話として書いているだけだ。
だが、九州勢力の東征が二度にわたっていたというあたりは、何か伝
承があったのかも知れない。それを物語にしたのでは?
あとは、考古学的に銅鐸の消滅、古墳の始まりがいつかが分かれば、
それに合わせて考えればいいだけのことだ。もし、銅鐸の消滅が3世
紀後半ならば、いきなり邪馬台国の東征も考えられる。
>>578 前に決まってるさ。ヒミコは崇神の大叔母なんだから。
崇神の前代まではヤマトにいても「ヤマトの支配者」ではなかった。
だから「欠史」なの。
だけど、一族からヒミコが出、さらに娘のトヨが「共立」されるに至って、
崇神の一族が求心力を得るようになったわけ。それが魏志倭人伝「後」の話ね。
考古学的にも、後世ハツクニと称されるにふさわしいのは、ポストヒミコ=布留の時代。
581 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 03:20:33
>>578 東遷説は基本的に、天照大神=卑弥呼だから、時系列的には当然、神武東征の
方が後になる。
582 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 09:36:24
隠れ東遷説が沸いてきた?
天照大神=卑弥呼なわけないだろボケが。
魏志倭人伝とか記紀とか読んでるのか?
卑弥呼は障害独身。
アマテラスの子孫が神武だ。
都合よくつまみ食いするんじゃない。
583 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 10:54:03
>>582 まあ最後まで話しを聞いてあげようよ
それと
>>581 >東遷説は基本的に、天照大神=卑弥呼だから
この考え方をする東遷説というのは、典型的な安本説なのだけど、その自覚はある?
自分の考えが誰から影響を受けていて、それに対するどのような反論があったか把握できているかな?
そのあたりを自問自答した上で、自分は大丈夫と思うなら続けてレスしてちょうだいな。
584 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 11:29:41
>>583 新参の独演会でスレを無駄に消費するのが良いこととは思えんが……
自問自答を促すといってもそれナンセンスだろ。
自問自答した結果が、天照大神=卑弥呼で納得してるんだから。
それが、いかに不合理かは、早めに教えてあげたほうがいんじゃないか?
まず、東遷説なら、天照大神=卑弥呼の信仰が奈良に東遷したというのだから、
奈良で天照大神が祀られてなければおかしいが、奈良で祭られてるのは大物主。
近畿一帯に視野を広げても、天照大神を祀ってるのは伊勢神宮だけで、天照大神を祀ってる地域なんて無い。
どこに天照大神=卑弥呼の東遷があった痕跡があるのだ?ということ。
585 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 11:37:20
>>558 結局、あなたの説は、隋時代に相当するところに書いてあるから、唐とあっても
隋とのことだと読むべきだというにすぎない。
しかし、隋との通交を書くのに、隋という国名を書かないのは、どうみても不自然。
内容的にも、隋が訪ねた倭王は男王、書紀が書く天皇は女性。書紀はあなたみたいに
誤解してくれる人がいることを期待して、ごまかしを書いただけなんだよ。
586 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 11:38:57
>>583 天照大神=卑弥呼なんて一番ポピュラーな説だろ。
安本だけの功績にするなよ。
そんなに安本を偉大にしたいのか?
てゆうかサイバカ☆自演乙☆土建屋☆ジョーカーは
相変わらず自演癖が抜けないな。
>>583=
>>584
587 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:05:27
>>582 隠れ東遷説ではない。バリバリの東遷説。
天照大神も生涯独身となっている。
なお正確には、天照大神=卑弥呼+台与だが、台与も多分、生涯独身だろうな。
だいたい、記紀も、独身の女性を皇祖神とするのが設定としてはおかしい。
物語として、こんな不自然なものはないので、史実の反映と考えた方がいいと
思う。
天照大神の子となっている天忍穂耳命は、天の安の河原の誓約のとき、
素戔鳴尊が天照大神が首にかけていた八坂瓊の五百箇御統を噛み砕いて空中に
噴出したときに生まれたとされる。
非常に現実離れした生まれ方をしている。実の子とは考えにくい。
>>583 安物美典は、それまでの東遷説を纏め上げただけで、独自のものは少ない。
地名の類似性を基にした甘木説だけは彼独自のものだが。
天照大神=卑弥呼+台与は、総合的に考えた場合に行き着く自然な帰結の
一つと考えた方がいいだろうな。
588 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:16:51
>>584 大物主神が祀られた経緯を知らないのかな。
崇神天皇の御世に、災いが多発した。疫病で半数以上が死んだとなっているし、
反乱する者も後を絶たなかった。
これは、大物主の祟りに違いないと言うことで、大物主が祀られた。
そのとき、確か、宮殿に祭られたいた天照大神はよそに移された。
どうしてか?
恐らく、大物主の祟りの原因が天照大神にあると考えられたからだろう。
これを記紀から探ると、いわゆる出雲の国譲りに行き着く。
天照大神が主導した出雲の国譲りは、かなり壮絶な征服戦争だった可能性がある。
589 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:19:04
>>587 >天照大神=卑弥呼+台与は、総合的に考えた場合に行き着く自然な帰結の
>一つと考えた方がいいだろうな。
不勉強な人が簡単に思いつくってだけだろ。
奈良では大物主が祀られ、天照大神は伊勢においやられてるわけだが、
東遷説では、どう説明してるのかね?
奈良に居座ろうと思ったけど、大物主が祟るから伊勢に逃げたとでも?
それは、九州により畿内支配とはほど遠い話だな。
590 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:23:57
東遷説の自己矛盾だよな。
九州から天照大神を信仰する集団が東遷してきたけど、
奈良の大物主が祟るから、天照大神を祀れませんでした、って。
ぜんぜん、東遷になってないだろ。
「九州から、天照大神を祀る信仰集団が奈良に流れてきたが、奈良も追い出されたので伊勢にいきついた」
とでに言ったほうが整合性がある。
しかし、それは九州が畿内を支配したという話ではない。
591 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:25:17
>>588 記紀を100%信用している時点でダウト。
君の意見に、何の評価もできない。
592 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:31:07
さらに、伊勢で天照大神を祀ったものの、
伊勢に巨大古墳があるのか?無いよな。
九州から来た「天照大神を祀った集団」は王権にまったく関与できなかったことになるが?
崇神は、天照大神を祀ったが、それ以上に大物主を恐れて祀ってる。
他から征服してきたのに、征服した土地の神を恐れる征服者なんて、古今東西聞いたこと無いね。
これのどこが東遷なんだね?
593 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:35:45
>>590 大物主は出雲の神様だよ。
出雲の神様がどうして奈良で祀られなくてはならなかったのか。
祟り神を鎮めるということだろうな。
594 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:42:38
>>591 しかし、けっこう筋は通っているだろう。
高天原の天照大神は出雲を征服した。大物主は滅ぼされた。
その子孫であり、大和にいる崇神天皇がその大物主の祟りを恐れた。
595 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 12:42:47
>>593 出雲の神が、どうして奈良で祀られるわけ?
奈良は、出雲の聖地だったの?
どこかの九州説は、マキムクは無人都市とかいってたが。
どうして出雲の神を、九州から来た王が恐れて祀らないといけないの?
そんな弱腰な王権が、どうして全国支配できるんだよ。
武力制圧できる力があるなら、大物主なんて恐れる必要ないしな。
記紀は矛盾だらけだってことに、いいかげん気がつけよ。
それでも、適当に辻褄を合わせてくるんだろうが、そんなものは辻褄あわせの域を出ない。
596 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:01:53
以上、サイバカ☆さんの自演ですた。
>>595 京都には隼人の神を祭る神社もある、北九州の宗像三女神を祭る神社もある
藤原氏の氏神である春日神社も東国の鹿島神宮から勧請されたものだし、
源氏は宇佐八幡から京都の石清水八幡宮を持って来ている
都とは人・物・神が集まる場所かも
598 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:14:17
>>597 その、集まってきた人・信仰の中で、
一番優勢だったのが大物主だろ。
天照大神=卑弥呼の東遷説は破綻してるわけだよ。
599 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:20:14
九州北部は、前方後円墳にそんなに固執していないから
畿内勢力とは別もの。
日向はかなり古墳に固執してるから
もし、つながりがあるとすれば、日向勢力だろう。
記紀にもそう書いてあるし。
600 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:23:23
>>595 祟り(たたり)って知ってる?
昔の人は、これを災いの大きな原因にした。今でもその傾向はあるが。
有名なのは、菅原道真。道真が死んで京にさまざまな災いが起きた。
これは、道真の祟りに違いないと恐れた。
そこで、道真の霊を鎮めるために太宰府天満宮が創建された。
宇佐神宮もそう。西暦720年の大規模な遠征で隼人はついに滅ぼされた。
隼人の首を百ほど持ち帰ったというのもある。
その後、災いが多発した。これは隼人の祟りに違いないと恐れられ、
隼人の霊を慰めるために宇佐神宮が整備された。
崇神天皇の御世の災いは半端ではなかった。疫病で国民の半数以上が死んだと
される。反乱も相次いだ。そこで、大物主を祀ったところ収まったとされる。
恐らく、この後、大物主については、祟りを恐れてあまり触れたくなかったと
思われる。
伝承にも気を使っただろうし、記紀編纂にも多少影響しているかもしれない。
601 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:23:41
>>599 九州で鏡が配布されてたのは、北部九州。
日向とかには鏡は配布されてない。
こういう矛盾にもっと目を向けろって話。
602 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:26:03
>>600 隼人を滅ぼしたというが、記紀が隼人を神武の親戚にしてるのはどうしてかね?
こういう矛盾をきちんと考察しろよな。
603 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:27:00
>>601 え?大和が中央政権だって、認めちゃうのか?
604 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:30:01
>>603 もちろん邪馬台国は大和だろ。
卑弥呼は天照大神じゃない。
大物主を祀ってたモモソヒメ=卑弥呼なんだからな。
605 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:33:15
>>600 ハヤトは滅んじゃいないよw
大和言葉の古形を残す地域が今もあるだろ。朝鮮民主党が潰したがってる場所。
606 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:50:43
607 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 13:59:40
>>660 祟りを恐れて、相手のカミを祀るという発想が、
「ゆるやかな連合」なの。
「ゆるやかな連合」を否定し、九州が畿内を征服したと主張する東遷説なら、
征服する側のカミを恐れたなんて理論を持ち出したらダメだろ。
608 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 14:10:39
609 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 15:17:02
610 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 15:28:45
安本どころか井沢怨霊説が来ちまったよwww
甘やかした結果がコレだよw
611 :
ローガン:2010/05/28(金) 16:13:25
>>585 >隋との通交を書くのに、隋という国名を書かないのは、どうみても不自然。
なんで?では、「日本」っていつから?諸説あるとしても、6世紀まで上がらないでしょ?
じゃあ、例えばこれは何。「日本必有主々日本者非陛下而誰」(武烈即位前紀)
同じ物差しで考えれば、隋を唐と書いても別におかしくないやん。
>書紀はあなたみたいに誤解してくれる人がいることを期待して、ごまかしを書いただけなんだよ。
おかしな事言いますねえ。時系列事象の操作までして、それ程「ごまかし」たいの何かがあるなら、初めから隋って記載すればいいだけの事。
>隋が訪ねた倭王は男王、書紀が書く天皇は女性。
確かに書紀が書く天皇は女性。しかし隋使が会った倭王の性別は記載されていない。
612 :
少し鉄のネタを引っ張ってみる:2010/05/28(金) 17:43:20
相変わらずここのゴミクズ九州説は「ゆるやかな首長連合」に脊髄反射するしか能がないようだが…
じゃあ九州30カ国を強力な面支配したその邪馬台国なんて何処にあるんだ?
『九州百万人説』なんてものを併せたら戦国でも大々名
「一大帝国」「大九州王朝」といっても過言ではないwww
そんな物夢想する学者はいないし
素人でもそんな与太飛ばしているのはこの2ちゃんとか
言いたい放題、言った者勝ちのネット上なんじゃないのかな?
否定の為の否定、単なるイチャモンじゃなくて
より蓋然性のある仮説を出せアホども。
「弥生時代後期になって九州以東で一様(一気)に鉄器の普及が進み
それを主導する形でヤマト王権が起こった」
…と言う考え方に批判的なのが村上らって事になるんだろうが
その村上にしてもやがて東日本にも鉄が流れていく状況に
畿内の果たした役割を認めているわけで
新たな交易体制が起きている事を否定するものでもないだろう
その交易体制を「ゆるやかな首長連合」と言って何の問題もない。
問題はその交易体制初期には鉄はあまり重視されなかった。
簡単に言えば、 青銅器の祭祀・宗教性>鉄器の実用性
…と言ったところか?
正直、自分も全く抵抗がないわけでもないが
現状はそう考えざるを得ない状況。
恐らく問い直されているのは「鉄の有用性その評価」
「鉄器豊富な九州にこそ邪馬台国があった!」なんて短絡一直線、幼稚な話は
もはや誰も一顧だにしていないのが現状だろうw
613 :
少し鉄のネタを引っ張ってみる:2010/05/28(金) 17:44:19
鉄器に関して色々従来の考え方を改めねばならないと思うのは
例えば
「畿内の鉄は何度もリサイクルされた」というような話で
むしろリサイクルの技術は九州のほうが進んでいて
その技術が普及していない事も鉄器の普及の遅れの一因になったのではないか?
「先端が小片にポッキリ折れた」「使用に耐えないぐらい小さく磨耗してしまった」
”効率的な”リサイクルの技術がなければそこで破棄するしかない
(確か村上がその著書の中でそうやって廃棄された実例を上げていたと思うが…)
あと
「鉄器の登場により石器が駆逐されその姿を消していった」
と言うような想定も果たして正しいのか?
土器で言えば須恵器が出て来て土師器が追われて姿を消すわけじゃない。
いくら「使えば便利な道具」であろうが”コストパフォーマンス”を一切無視して
使えるわけじゃないだろう。
まあここの板の九州説どもには興味がない話ではあろうがw
弥生末期の鉄器の出土分布でさっさと邪馬台国の位置を割り出してくれ。
やはり玄界灘周辺地域と言うことになるのかな?
「菱鉄鉱」やら「褐鉄鉱」とやらで国内での鉄資源供給の可能性が言われているのも読んだ事があるが
生産性では鉄鉱石を原料にする場合とでは大差があると思うが…
614 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 18:06:36
>>611 >初めから隋って記載すればいい
露骨に嘘を書いたってばれるじゃないか。
>倭王の性別は記載されていない。
タリシヒコを女王だというのかな? 苦しいねえ。どうみても、
男王の名前だよ。
615 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 18:20:39
中国人の書いた王が誰かなんてのは、中国人が誰を相手に外交したかでしかないだろ。
今、日本の王は天皇だが、だからといって、天皇と交渉する外交官はいない。
616 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 18:26:50
>>613 何年か前、福岡県八女市で大規模な鍛冶工房跡(製鉄遺跡?)が見つかったとき、
そこの教育委員会が何かの人が「膨大な出土量を誇る熊本県に少しでも
追いつけば…」みたいなことを言っていた。
弥生後期の鉄器という点からすれば、熊本県が群を抜いているらしい。
須恵器と土師器では使い方が異なる。須恵器では煮炊きが出来ない。
役割が違うから共存する。今でも土鍋は使うし。
石器と鉄器の関係とは同じじゃないな。
617 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 18:46:50
>616
まあ須恵器と土師器で役割分担されるのは承知で書いたが
何れにせよ、じゃあ鉄器豊富な熊本に九州の他の地域を圧倒して人口が多かったようなデータがあるのか?
威信材が集中して出てくるような状況があったのか?
「人口」「銅鏡」と言ったものと鉄器の豊富さがリンクしていない事に変わりはない。
「鉄器豊富な地域こそ強国、邪馬台国に相応しい」
…なんてここの九州説の短絡思考はおめでたいとしか言いようがない。
618 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/28(金) 18:54:36
>>616 須恵器は煮炊き出来ますよ。厚さが薄いので火の通りが良いです。土鍋は須恵器に分類されます。
土師器は水で強く洗ったら溶けます。発掘作業に参加して気合を入れて土器を洗ってください。
619 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 18:59:10
>>617 また馬鹿があるはずが無い3世紀の人口データをがあるのかと無意味な質問している。
620 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:15:39
>>618 一般的には、土師器の方が煮炊き用。須恵器は食器や供え物用あるいは貯蔵用、
ということだろう。
621 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:18:51
>>619 「絶対数」じゃなくて「比率」の問題だと何度いったら分かるんだ馬鹿。
九州の遺跡だけ他の地域の遺跡より大きな係数をかけて人口をはじきだすのか?って話だが
まあ絶対数の話にしても「500年横ばい」とか
何処かで「大絶滅」とでも言うようなことがおきて
一度どん底まで減少したなんてのはまあ与太としか言いようがないわけだがwww
更に地域間の比率の問題は香ばしい電波飛ばさないと説明も出来ないwwww
622 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:31:00
>>621 現在発見されている遺跡の数を数えて比率が大きい小さいと論じてもね。
現在遺跡が多く発見されている地域が当時人口比率が大きかった地域と言えるのか疑問だ。
623 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/28(金) 19:40:27
邪馬台国九州説、東遷説、九州王朝説、全部まとめて「罷免」だって。
624 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:40:47
>>622 要するに九州にはまだまだ発掘されていない遺跡が他地域より圧倒的にある
…なんて話だな、下らない。
じゃあ畿内ヤマトにも実は巨大集落郡がまだまだ発掘されずにあり
そこには九州を圧倒する鉄器が埋もれている…なんてのもアリだなwww
そうやって都合が悪くなったら「ちゃぶ台返し」よろしく
テーブルをひっくり返す。
ネット上で負けを認めたくないと言うチンケな動機からかもしれんが
現実からはどんどん乖離していくw
まあ自覚症状はないのだろうがwwwwwwwwww
625 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:44:48
畿内説のお通夜会場か。ここは?
ずっと、愚痴がねちねちと続いているな
626 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:50:54
>>625 そうだねえ、
九州説は君一人なんじゃないの?
627 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:54:30
しかし、そろそろ次のステップに移ってもいいころなんだがなあ。
ゆるやかな連合を組んだ九州〜近畿の諸国が、
どういう経緯・目的で畿内の女王を立てることになったのか?
そのプロセスの動機の解明をしたいところだが。
すでにいくつか仮説があるけど、
いまだに九州説VS畿内説なんでどうしようもないな。
628 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:59:17
約1名(サイバカ)が必死に自己レス自演を繰り返しているね。
629 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 19:59:58
とりあえず、公孫氏との関係だな。
公孫氏の登場で、九州は中国に朝貢できなくなった。そして衰退。
一方、近畿は公孫氏に朝貢し、九州とパワーバランスが逆転する。
公孫氏に朝貢してたのは、もちろん、畿内の女王卑弥呼というわけ。
異論は無いだろ。どう考えても。
630 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 20:02:39
>>624 >要するに九州にはまだまだ発掘されていない遺跡が他地域より圧倒的にある
奈良周辺と比べるなら九州の調査は進んでいない。
>そこには九州を圧倒する鉄器が埋もれている…なんてのもアリだなwww
勿論有り得る。
>>626 オレも当然九州説。
631 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 20:10:11
ねちねち愚痴られてもなあ
もう一通り終わったネタをほじくり返しているだけなんで、
何も書き込む気にならねえ。
633 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 20:30:13
畿内の九州支配を言わんがために、畿内説が持ち出す詐欺理論は「ゆるやかな連合」論。
無理やりねつ造した詐欺理論、三角縁神獣鏡詐欺も、箸墓詐欺もバレちゃったし、
最後の砦が、すべてを包括して畿内が九州を支配していたという「ゆるやかな連合詐欺」。
もうとっくにバレてるんだよ、畿内詐欺の手口。
634 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 20:30:57
>>629 >公孫氏の登場で、九州は中国に朝貢できなくなった。そして衰退。
何故中国(漢)に朝貢できなくなったぐらいで九州が衰退するんだ?
>一方、近畿は公孫氏に朝貢し、九州とパワーバランスが逆転する。
証拠は?
>異論は無いだろ。どう考えても。
異論も何も根拠が示されていないから考えようもないな。
635 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 20:32:17
「ゆるやかな連合」の実態について、きちんと説明しないのは畿内説の責任だな。
でも、賢明なオトナの社会人なら、「ゆるやかな連合」の実態は容易に想像できるから、
クドクド説明しなくても済むようなものではあるのだが。
636 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 20:35:51
>>634 九州が中国と交易できなくなったのは事実だろ。
朝鮮半島で鉄を取ってたからって、それが何になる?
637 :
ローガン:2010/05/28(金) 21:21:19
>>614 >露骨に嘘を書いたってばれるじゃないか。
しっかりしてね。書い嘘の露見が嫌ならなんで26年に「二十六年秋八月癸酉朔高麗遣使貢方物.因以言隋煬帝興三十万攻我,返之為我所破.故貢獻俘虜貞公、普通二人及鼓吹、弩、石之類十物,并土器、駱駝一匹」なんて記載したの?露骨にばれるやん。
>タリシヒコを女王だというのかな? 苦しいねえ。どうみても、男王の名前だよ。
隋書を読んでご覧なさい。「日出処天子致書日没処天子」とある。致書なんだから上表じゃない。対等を意識したのが見てとれる。
その7年前も同様。臣として上表したわけではないので、号姓名なんか名乗っていない。
しかし勿論、隋が「称臣不明なんて認める訳がないから、アメタリシヒコを個人名扱いしただけ。ワカミタフリも同じ事。 同様の事例は後に玄宗が「日本主明楽美御徳」と、個人名にしているが聖武の名前がスメラミコトだった訳ではない。
よって、タリシヒコは称号。性別は関係ない。
ミタラシダンゴ
タリシヒコには後宮があったような記憶があるが・・・
640 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 22:35:30
都合の悪いことには知らん顔。
舒明即位前紀、推古帝のもとには采女や女孺がいたって書いてあるからな、後宮はあったろうよ。
642 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 22:44:10
>>637 >露骨にばれるやん。
ん、どうゆう嘘がばれるというわけ?
>称臣不明なんて認める訳がないから、アメタリシヒコを個人名扱いしただけ。
ふーん。書紀によれば、使者は推古に会っているよな。称臣不明だから名前をつけて
おこうということなら、何も女を男として描く必要はないだろ。
タラシヒコには妻がいたような記憶があるが・・・
644 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 22:53:57
>>636 中国と交易がそんなに重大なことかな、
距離も遠いし量も微々たるもので実利は殆ど無いんじゃない。
朝鮮半島の鉄の方が重要でしょう。
645 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 22:56:09
『隋書』倭国伝「王妻號雞彌 後宮有女六七百人」
646 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 22:56:54
>>635 ゆるやかな連合なんてのがどこから出てきたのかが問題。
要するに、突出した勢力の否定ということなのだろう。
しかし、倭人伝の伊都国の記述。つまり、代々王がいて、みな女王国に統属
するという記述、あるいは一大率がいて諸国を検察する、みなこれを恐れ憚る
という記述とは明らかに矛盾する。
だいたい、近畿地方の勢力が九州北部から壱岐・対馬を経て狗邪韓国から
中国までの航路を確保しているというのがそもそもの矛盾なのだが。
647 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:01:55
>>646 >だいたい、近畿地方の勢力が九州北部から壱岐・対馬を経て狗邪韓国から
>中国までの航路を確保しているというのがそもそもの矛盾なのだが。
「航路」と言ったな?
では、その航路を運営してた船主がいたね?
そして、その船主は、九州だけの王のために、人や物を運んでいたと考えるのかね?
どういう忠義があってのことかね?
まさか、タラシヒコさんの奥さんがキミさんで息子がワカミタフリ君だと思ってるのか?
649 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:07:55
金印を出土した志賀島の首長は阿曇氏というが、
阿曇氏は、九州だけと交易してたわけじゃない。
東は安曇野まで勢力範囲は広がってる。
舟に乗ればどこにでもいける海の民が、九州と朝鮮半島だけを行き来して、
近畿との交易には目もくれなかったなどという話がいかに滑稽か。
日本地図を眺めてよく考えるがよろしい。
650 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:13:50
交易範囲と勢力範囲を同視しているのか?
651 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:19:01
「ゆるやかな連合」とは交易による繋がりのことだよ。
652 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:24:43
それともなにか?
九州の王とか卑弥呼とかは、「近畿とは交易するな」と、
阿曇氏に圧力かけてたのか?
舟で海に出たらそんな縛りは何の役のも立たない。
交易範囲は広い方が利益になるのは説明するまでもあるまい。
それともそれとも阿曇氏は、自分で近畿とは交易しないと決めて、九州専属になってたとでも?
>>648 いいえ、
タリシヒコさんの奥さんがキミさんで息子がワカミタフリ君なんです。誰が読んでも。
654 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:49:07
>>649 阿曇氏って何ですか?
東は安曇野まで勢力範囲は広がってたって本当ですか?
>>653 なるほど。中国様の書物だから一言一句誰が読んでも信用できる内容が書かれているという御意見の持ち主さんですか。
ぜひあなたには、「明史」でもって日本の安土桃山時代について史実を復元していただきたいものですw
656 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:50:59
>>647 航路の確保は重要だよ。後になって白村江の戦いの後、新羅などの勢力が強く
なると、朝鮮半島を通れなくなる。だから、遣唐使などは南航路で大陸に
向かわざるを得なくなった。遭難も多くなるわけだが。
対立する勢力の周辺を通るのは厄介なことなのだよ。
657 :
日本@名無史さん:2010/05/28(金) 23:53:30
>>656 まさか、九州と畿内は対立してないよな。
658 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:18:06
>>657 邪馬台国畿内説の問題点はそこにもある。
近畿地方の勢力が、瀬戸内海を通り、まあ日本海でもいいが、九州の北岸を
通り、朝鮮半島から大陸まで自由に往来する。
当時それほどの体制を築いていたのか。これは大和朝廷顔負けの勢力範囲と
考えられる。
九州だったらそれもありえない話ではない。九州からなら近畿地方よりも
朝鮮半島の方が近いということもあるし、大陸に近い朝鮮半島に力を注いだ
方が利益があるというのもあるし。
659 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:21:37
鉄を押さえていた九州が、「ゆるやかでない連合」を厳しく仕切っていたとしか読めないな。
660 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:22:03
>>654 ググれば?
なんにしろ、阿曇氏の交易範囲が、どれくらい広かったか考えれば、九州説には大打撃。
九州説を強弁するなら、阿曇氏は九州より東は無視してたとするしかないんだろうなあ。
瀬戸内海の高地性集落も、阿曇氏の東進と関係し、
阿曇氏が畿内と交易関係を結べば、畿内王権成立のきっかけにもなるというもの。
661 :
ローガン:2010/05/29(土) 00:24:53
>>642 >ん、どうゆう嘘がばれるというわけ?
>>614を揶揄した文章だという事が理解出来ないの?
>ふーん。書紀によれば、使者は推古に会っているよな。称臣不明だから名前をつけて おこうということなら、何も女を男として描く必要はないだろ。
「称臣不明」なら名前要らないんですよ。 全く理解出来てないでしょ。
どういう意味で書いたの? 「称臣不明だから名前をつけておこうということなら」って。
662 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:26:08
ある部族の交易範囲が広いことと、国家関係とは直接関係がない。
敵対している国の双方に、クルド人や朝鮮族、中国人が住んでいて、
交易をしていたりする。
663 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:27:09
>>661 天子を自称したから、それを認めなかっただけだろ。
664 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:28:32
>>658 まだ、理解できないようだな。
「近畿地方の勢力」が朝鮮半島まで行き来する必要など無いの。
九州の阿曇氏が畿内まで交易販路を広げてたなら、
そして、
>>659のように、「九州が畿内との交易を仕切ってた」というなら、
邪馬台国の勢力範囲が九州だけとは言えなくなるということさ。
はい、九州説、崩壊。
665 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:39:00
>>662 >ある部族の交易範囲が広いことと、国家関係とは直接関係がない。
しょうがないなあ。ここまで阿曇氏について無知だとは。
阿曇氏は、「ある部族」じゃないよ?
「漢倭奴国王」金印を管理してた氏族だぜ?
志賀島は阿曇氏の拠点だったんだからさ。
ある意味、奴国王が阿曇氏だと言ってもいいくらいのもの。
666 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 00:49:17
で結局、推古帝には、後宮はあるけど妻はいないの?
668 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 01:06:24
>>664 いや、軍事的に九州の庇護下で、畿内が交易していただけだろ。
669 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 01:08:31
九州を中心として東北にまで広がっていた装飾古墳。
阿曇氏が九州を中心として全国に広がっていても、畿内説に不利なだけの話だな。
670 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 01:09:22
妻木が投馬だといいのになぁ〜
イギリスでは王の妻をクイーンというらしい。
672 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 01:22:10
>>669 残念。不利なのは九州説と。
畿内は朝鮮と交易航路がつながっちゃってるんだもの。
阿曇氏が金印を管理してた頃の1世紀の貨泉も、阿曇氏の交易ルート沿い(瀬戸内海)に出土してる。
もう、九州説は無理だな。
673 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 01:52:14
674 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 07:34:36
>>661 揶揄した文章だと嘘には意味がないのかな? 無意味なことは言わんこっちゃね。
>どういう意味で書いたの?
あなたの言う「アメタリシヒコを個人名扱いしただけ。」
言うことなくなって、困っているみたいだな。
以前、老眼はもう少しましなことを言っていたように思うが。
675 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 08:02:34
>近畿地方の勢力が、瀬戸内海を通り、まあ日本海でもいいが、九州の北岸を通り
>朝鮮半島から大陸まで自由に往来する。
>当時それほどの体制を築いていたのか。これは大和朝廷顔負けの勢力範囲と考えられる。
範囲=量において変化しているんじゃなくて。
質において変化している。
最初は単なる通商同盟からスタートして最後の最後には律令等の法体系下において支配されるところまでw
そもそも「ゆるやか首長連合」と言うのは単に邪馬台国論争なんて限定されたものから出ていた訳じゃなく
日本の古代史全体の理解する上である意味必然として出てきたもの。
日本の古代史全体に通る一本の縦糸として
「中央集権を目論む畿内ヤマト王権(まあこれも寄り合い所帯の可能性があるんだろうがw)と
それを阻もうとする抵抗勢力のせめぎあい」
…と言うのがある。
脊髄反射しか出来ないここの九州説はじゃあヤマト王権の時代ごとの
(強固な支配体制の下にあった)勢力範囲その版図を説明できるのかと。
いや、その前に九州を強力に面支配した邪馬台国って何処にあったのか?
それを説明しろって話だなw
イチャモンのためのイチャモンじゃなくてwww
実際、威信材の集中等、3世紀の九州にそんな巨大勢力を想定できないと言うのは
九州を研究している学者の方が良く分かっている話なんじゃないかと思うがwwwww
676 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 08:44:06
>3世紀の九州にそんな巨大勢力を想定できない
未開地本州のことは無視していいだけのことだよ。九州の中で倭国の乱があった。
そして、勝者は、九州の中で最大の勢力となった。
本州は銅鐸祭祀を続けていたが、鉄も武器もなく、九州を傍観することしかでき
なかった。そんなところだな。
677 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 08:45:42
>>672 阿曇氏が1世紀頃既にいたか分からないし
まして金印を管理してたとか
畿内は朝鮮と交易航路がつながっていたとかはバカの妄想。
678 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 09:16:01
>>676 ここの九州説の連中の頭の中の世界観=設定wが
そう言うものであるのは分かっているからwww
まあ半世紀ぐらい前なら通じたのかな?
そうやって現実と乖離した世界の中心で九州説を叫んで何が面白いのか
俺には理解できんが、学問じゃなくてファンタジーならそれもあるのかwwww
>>677 バカの妄想ではありません。
せめて阿呆のしあわせな白日夢と言ってあげましょう。
680 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 10:09:21
681 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 10:25:28
>>678 現実と乖離していない畿内説は、何をもって弥生時代の畿内、特に大和に大国が
あったと考えるのかな。
遺跡、遺物といったところで、弥生時代のものとしては大したものはない。
強国のあったことを示す痕跡などといったものは見当たらない。
強国があったからには、強国が生まれる条件といったものがある程度は
備わっているはずだろう。
@ 広大な平野があり、気候、風土が農業を営むに適していた。
A 交易の拠点となるに適した地理的条件が備わっていた。
B 強力な武器を入手していた。
C 人口の集中があった。
畿内は、平野は狭く、気候的にも農業に適しているとは言えない。
地理的にも不便、海もない。強力な武器を入手していた形跡もない。
人は少なかったようだ。どこからみてもパッとせんなあ。
前から思ってた事だけど、ここの九州説の考える畿内というのは奈良盆地だけなのかw
683 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 10:38:52
>>681 何か強国の条件を提示してるが、
奈良にヤマト王権ができたのは事実だし?
東遷説なら、どうして1〜4を否定する場所に東遷したのか?
これまた自己矛盾。
684 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 10:55:20
>>682 畿内説が奈良盆地を中心に考えているんじゃないかな?
畿内が連合して、無人地帯だった奈良盆地に新庁舎を建設したというなら
別だが、そんな考え方ではないだろう。
685 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:08:41
>>683 強国がなかったところに、いきなり強国らしきものが出現したとなれば、
ほかから来た可能性を考えるべきだよ。
>どうして1〜4を否定する場所に東遷したのか?
東遷説とは少しちがうが、ほかから来て奈良盆地に入った理由ということで言えば、
基地を置く場所として適当だった、もともと住んでる人が少なかったから、基地を
造りやすかったってことだろうな。東国まで征服した場合には、東国と九州を結ぶ
中継地点として便利な所なんだよ。
686 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:09:54
奈良にヤマト王権存在した確かな期間は7世紀末から、
邪馬台国の時代から400〜500年後のこと、
矛盾はないでしょう。
687 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:25:22
まあここの九州説による
強国による陣地拡大、陣取りゲーム式の国家形成
…と言うのは結局、九州王朝説による「九州版皇国史観」になるんだよなw
邪馬台国を九州に比定している以上
「邪馬台国九州説」の看板で間違いはないんだろうが
その実態は「九州王朝」とか「邪馬台国東遷説」の
更に悪い所どりのハイブリッドwwww
688 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:35:55
>>687 なんだ、なんだ。畿内説は、私を信じて下さいと言って、強国風は吹かさず
東北から九州までゆるやかな連合を築いたってことか。
もう、そんな話には誰も騙されんぞ。
まあ九州説も近畿説も
邪馬台国がどこかという議論なら
的外れだな。
邪馬台国は伊都からはるかに離れたところと書かれているのだから
政治の中心から見て僻地にある。
議論を王朝の所在と、その宗教中心の所在と分けなければだめだ。
690 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:41:12
「ゆるやかな連合」って畿内説を批判するために九州説儲が考案したものだよね?
あたりまえの事だけど、巻向は中央集権の開始だからね。
691 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:41:57
>東国まで征服した場合には、東国と九州を結ぶ
>中継地点として便利な所なんだよ。
まあこれも幼稚すぎて笑うしかないお話だが
既に東国まで含めた交易体制があったなら
そりゃ大和の地の利も認識できようが
ある日突然九州の勢力が カミのお告げかなんか知らんが
「pipipi神からの電波をキャッチしますた。
大和こそ全国支配にもってこいの地。
さあ皆の衆大和へ行くべさ!」
…とぶち上げて実行したとでも言うのか?wwww
692 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:43:35
>>691 そんな痛いところ突いてやるなよ。紳士的じゃないぞ!
693 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:45:42
九州以外の発掘成果完全無視が九州説論者なんだよなぁ〜。
694 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:50:43
>>693 恐らくここの九州説の連中の頭の中じゃあ
関門海峡以東は毛皮まとった原始人が石斧や石槍でマンモス追っかけているイメージだと思われwww
695 :
689:2010/05/29(土) 11:51:49
つまり
王朝が九州にあったというのなら、邪馬台国が近畿にあったというのは理屈が通るし
王朝が近畿にあったというのなら、邪馬台国が九州にあったというのも理屈が通る。
まあ互いに緩やかな連合wをもって議論するのがいいのかと。
696 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 11:57:26
>>695 巻向は中央集権なんで「ゆるやかな連合」とは無関係。
697 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:01:07
>>691 まあこれも幼稚すぎて笑うしかないお話だが、東征説の意味を、九州勢力が、ある日突然、
大和へ東征してきたってことだと思ってるの?
神武東征の物語ですら、安芸に何年、吉備に何年とかあったろうが。もっとじっくりと中
国地方、四国地方を勢力下に入れつつ、勢力をのばしてくるんだ。当然、近畿の先、東国
についても十分に分かってから基地を造るんだよ。
漫画的発想しかできないとは情けないな。
698 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:05:19
>>693 と言ってはみても、ろくな物はない。困ったねえー。
ま、確かに九州にはろくな物がないな
700 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:09:35
>>689 邪馬台国が伊都からはるかに離れたところと書かれている?
寝ぼけたことを書かないでね。
701 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:12:18
>>697 じゃあ、そのじっくり時間をかけて「東進」したと言う証拠・痕跡を出せって話だなw
こっちの予測を全く裏切らない脊髄反射www
普通なら東へ東へと足がかりを築いては移しつつ東進。
やがて更に東日本との交易もや進出も謀るようになり
大和に遷都した・・・とまあこれぐらいの話ならまだリアリティもあるが
そうなったら当然、考古学的資料を迫られる。
だからそれはごく短い間に一気になされたと言う話にせざるをえない。
だがその場合「そもそも何でそんな無理無茶せねばならないのか?」と言うツッコミがある。
どっちにしても無理があるって事やな
所詮与太話の東遷説wwww
702 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:16:05
703 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:19:19
身も蓋もないが
所詮「神武東征神話」なんて
悪者の手を逃れ辺境の地に流れ着いた王子サマが
やがて立派な青年に成長して故国と王位を取り戻す
・・・といったお話の類。
天孫族たる神武が、約束された地=大和 に帰還するお話www
704 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:20:41
>>698 はぁ?君が物知らずだけじゃないの?
あれ、親知らず生えてないの?尻青かったりして・・・
705 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 12:21:05
九州には、乱の証拠がある。←鉄鏃
しかし、乱を平定した痕跡がない。←王墓、王宮
大和には、長く続く乱の痕跡が無い。←書紀の記事に無い。
つまり卑弥呼は九州で、邪馬台国は大和である。←倭人伝に倭女王と倭王に書き分けられている。
これを独占して、一人の人物として理解しようとした処から、邪馬台国論争は始まる。
>>681 横からですが
>何をもって弥生時代の畿内、特に大和に大国があったと考えるのかな。
畿内説では、纒向遺跡を「女王之所都」に比定しているんでしょう?
纒向遺跡は庄内式期に、それまでの遺跡がみられない空白地帯に造られたのだから、
<弥生時代>という設定はどうなんですかね?
>@ 広大な平野があり、気候、風土が農業を営むに適していた。
奈良盆地は、その条件には適合しているでしょう。
>A 交易の拠点となるに適した地理的条件が備わっていた。
西と東の中間地点として、その条件にも適合しているでしょう。
>B 強力な武器を入手していた。
「ゆるやかな連合」という想定に対して、その条件は必要でしょうか?
>C 人口の集中があった。
人口の話はパス。
707 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:39:34
> 畿内説では、纒向遺跡を「女王之所都」に比定しているんでしょう?
冷静な畿内説な人は比定なんてしてないよ。なんの根拠もないし。
むしろ、巻向=邪馬台国なんて言ってるやつのことが迷惑。
708 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:42:06
>>A 交易の拠点となるに適した地理的条件が備わっていた。
>西と東の中間地点として、その条件にも適合しているでしょう。
奈良は交通の便が悪い、交易の拠点には不向き。
709 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:49:12
>>707 一応畿内説だろうということでレスさせてもらうが…www
確かに纏向遺跡だけをもって邪馬台国なんてのはナンセンスだと思うが
纏向の現在知られている姿からは
「祭礼都市」「宗教都市」としても違和感がないようなものだと思うが
そこに倭人伝に書かれた卑弥呼のような宗教的権威を持った人物がいたとしても
矛盾はないと思うのだが…
710 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 12:53:39
奈良県で、海に沈没して海産物を採り、冬に生菜を食っていたと考える畿内説って、おかしいだろ。
711 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:09:41
>>703 その神武東征神話のおかげで、大和が記紀の舞台になるわけだが。
それ以前は、高天原と日向が舞台で、大和は全く記紀に登場しないわけで。
大和がずっと記紀の舞台であって、突然、日向から神日本磐余彦なる人物が
やって来たというのとはわけが違う。
712 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:26:03
宮崎は、九州でも陸の孤島といわれたりするのだが、あそこで九州最大の
古墳文化が花開いたというのも面白いな。
考えてみれば、大和の辺鄙なところで決して豊かな地とも言えない。
何を基盤に大和朝廷が誕生したのやら。
713 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:26:12
>>711 どうして、神武東征は紀元前なのを無視するの?
714 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:30:23
>>708 >奈良は交通の便が悪い、交易の拠点には不向き。
もう少し詳しく説明してもらいたいね。理由は?
纒向遺跡から出土した土器には外来土器が平均15%もある。
他地域の人々との交流は多かったようだ。
>>712 だから何で僻地に九州からやってきたんだよw
わざわざ僻地を選ぶ理由がわからんわw
717 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:40:36
海洋民族には不便な未利用地に、墓をつくるのさ。 纏向とか宮崎とか。
そう。神武東征は3〜4世紀の話と考えられる崇神天皇のはるか以前の話。つまり記紀を傍証として取り上げるのなら
この年代観についても受け入れる必要がある。つまり神武から邪馬台国の時代まで欠史八代をはさまねばならない。
ところが、欠史八代を非実在としてしまえば記紀の記事の信頼性が揺らぐ。ここは3世紀、4世紀に東遷を想定する説
にとっては大きなジレンマとなる。
>>710 >奈良県で、海に沈没して海産物を採り、冬に生菜を食っていたと考える畿内説って、おかしいだろ。
誰が「奈良県で」って言ってるのかな。
キミが想定している“畿内説”像がおかしいんだろ?
720 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 13:46:51
>>712 近畿以外で全長200mオーバーの古墳が何処にあったのかをピックアップすると面白いw
日向に一つ、毛野に一つ、吉備に二つの合計四つ。
日向と毛野、東(北)と西(南)に最大のものがあると言うのは
何やら戦略的なものを感じるw
まあ吉備の二つに関しては
「そんなもの作っちゃうからヤマト王権に睨まれちゃったんだよ
いつの世にも実力あるNo2はトップの人間には粛清の対象」
と言うことでwwwww
>>719 お前だけが畿内説の異端派だって、気づいてた?
722 :
719ではないが:2010/05/29(土) 13:51:09
>>721 と言うかお前が考えている畿内説の保守本流ってのが知りたいわwww
723 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 14:20:10
衝撃の事実!奈良は海に面していた!
纏向で盛んだったアワビ漁! byオカルト畿内説
725 :
ローガン:2010/05/29(土) 15:22:54
>>674 >揶揄した文章だと嘘には意味がないのかな?
※しっかりしてね。始まりは、これ。
>>585>ごまかしを書いただけなんだよ。
→
>>611私>時系列事象の操作までして、それ程「ごまかし」たいの何かがあるなら、初めから隋って記載すればいいだけの事。
→
>>614>露骨に嘘を書いたってばれるじゃないか。
→
>>637私>書いた嘘の露見が嫌ならなんで26年に(中略)なんて記載したの?露骨にばれるやん。
※ほらね、嘘とか、ごまかしがあるとか主張しているのは貴方。
>>642>ん、どうゆう嘘がばれるというわけ?
自問自答。
> あなたの言う「アメタリシヒコを個人名扱いしただけ。」
反論になってない。根拠を明記して論証してご覧なさい。
>>722 橿原に行って、纏向教の洗礼を受けてこい。
まきむくまきむくなむなむ・・・
728 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 17:13:46
>>725 私が
>>614で「嘘」と書いたのは、隋使が大和に来ていないのに来たと主張すること。
あなたが
>>637でいう「嘘」は意味が違うのかなと思ったのだが?
>反論になってない
説明しただけで、反論したつもりはないよ。
729 :
初老教授:2010/05/29(土) 19:05:41
そもそも邪馬台国畿内説というのは、京大の考古学者達が帝国大学時代の史学者、内藤虎次郎の説を盲目的に踏襲したもの
でありまして、そこには何ら学問的な矜持はない。ただただ、己の栄達と出世のための方便に過ぎず、同じく史学を志すものに
とってはまことに嘆かわしいこと限りない。
この内藤説にしても、卑弥呼を無根拠に記紀に登場する「倭姫命」に否定するなど、当時の学問的レベルを考慮したとしてもトン
デモの批判を免れ得ないものでして、この内藤説から日本史学における大きな誤った潮流が開始されたといってよい。誰かが
盛んに、「畿内説=詐欺」を唱えているようですが、詐欺は言葉が悪いとしても、その実態をいい得ているといってよいでしょう。
内藤説は、説の体を為していないばかりか、東京帝大の白鳥説に対する批判は、口を極めたそれは醜いものだった。畿内説に
今も残る罵詈雑言の伝統はまさにこの頃からのものなのでしょうね。
730 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 19:09:39
>>709 >「祭礼都市」「宗教都市」としても違和感がないようなものだと思うが
それはネタで言っているのか?
まず、「都市」でないことはすでに確定済み。この時点でアウト!
祭礼や宗教の施設が多数出土した事実もない。よってこれもアウト!
マキムク信仰による幻想でも見ているのではないかな?
731 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 19:13:45
太国倍年説は、説の体を為していないばかりか、唐松山の増し説に対する批判は、口を極めたそれは醜いものだった。
>>729 さすが、初老教授さん、核心を突いたことをおっしゃる!
733 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 19:53:53
>>729 初老教授=縄文人
>内藤説は、説の体を為していないばかりか、東京帝大の白鳥説に対する批判は、口を極めたそれは醜いものだった。
ほほう。
じゃあそれをソースを明示して具体的にどのような言であったのか挙げてもらおうか?
734 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 19:59:07
>>733 ほほう。
2chでそんな大論文を書きこむ奴がいると、本気で信じてるのか?
735 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:03:09
>>734 「大論文」?
アホかお前は基地外のサイキバか?
それとも知ったかぶりのアホの縄文人か?
それが如何に学術的批判を逸脱していたようなものか
該当箇所を2・3でも抜き出して書けば事足りる。
ぎゃあぎゃあ言わずにさっさと出せゴミクズwww
736 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:15:15
もしこの板のゴミクズ九州説を無理やり学統・系譜のようなものの上におくとしても
内藤・白鳥らによる学術的論争の系譜と言うより
60・70年代からの邪馬台国ブームで出てきたセンセーショナリズム・コマーシャリズムに乗っかった
それまでの流れとは一寸違った、まあハッキリ言えば「 ト学流 」とでも言うかwwww
文献解釈は古田流、考古資料の理解は安本流ってところだろうか?w
もう過去の九州説の悪い所どりというかwwww
737 :
初老教授:2010/05/29(土) 20:20:59
738 :
初老教授:2010/05/29(土) 20:39:17
さらに畿内説は、内藤の畏友であった富岡謙蔵による「三角縁神獣鏡」魏鏡説によって混迷の度を深め、害毒を垂れ流してゆく
のです。氏の「古鏡の研究」は有名ですが、この中には出土地などの客観的事実以外は一つの真実もない。例えばこれは有名
ですが、
・洛陽の「洛」は、漢代にはラク(各+ふるとる)の字が使われ、「洛」の字は魏晋以後に用いられたこと。
・また、「師」の字は、晋代には開祖の司馬師の諺を嫌って、使っていないのでそれ以前の文章ということが判る。
この二点にしても明確な誤りであることがはっきりしています。しかしながら、これ以後京大の考古学教室ではこのような誤った説
が踏襲され今に至るわけです。まことに残念でなりません。
739 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:43:32
>>737 初老教授=縄文人
その程度で「口を極めたそれは醜いものだった」と言われてもなw
じゃあ橋本増吉なんかの湖南への痛烈な批判はそれと同列と言うことなのかな?
大体それがキサマの言うところの
>当時の学問的レベルを考慮したとしてもトンデモの批判を免れ得ないもの
であるなら等しく当時の九州説もトンデモと言うことで終わる話w
これ縄文人じゃないんじゃね。
741 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:52:22
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆
縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm 小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
742 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 20:52:59
>>740 さあねえ、どうだろうか?
縄文人のアホが論争史をチョット齧ってハンドル変えて書き込んでいるぐらいの話にも思うがwwww
結局「畿内説=詐欺」と言うような一種の陰謀論に持っていこうってんだから底は知れているw
根っこはサイキバと同列www
743 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/29(土) 20:53:46
>卑弥呼を無根拠に記紀に登場する「倭姫命」に比定するなど、
モモソ媛よりましでしょう。
これならまだ景行の出番があるが(九州が登場する)、
モモソ媛では、混迷が深まるばかり。
744 :
初老教授:2010/05/29(土) 20:58:50
さらに畿内説の錯誤は、同志社普通学校卒であり大学を出ていないことに強烈なコンプレックスを持った奇人、梅原末治に受け
継がれる。氏には業績の独占や弟子との確執など枚挙に暇ないほどのゴシップがつきまとい、京大の退官時にあっても記念論
文集が出版されないというほどの有様でした。
氏は「三角縁神獣鏡」魏鏡説を中国考古学の立場から敷衍しているが、何が中国考古学なものか、中国本土からは一枚も出土
していな鏡種が、あれよという間に舶載となってしまったのである。この罪は、氏一人だけのことではなく小林行雄や、樋口隆康など
に連綿と続いてゆくのです。
745 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:02:26
ていうことは、歴代詐欺師による、
壮大なトンデモ説が、畿内説だったわけですね!!
746 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:13:58
>>744 初老教授=縄文人
>小林行雄
まあその小林のおかげでここの九州説のアホどもが必死にしがみついている年代観
「古墳時代は4世紀から」と言うのが長らく定説みたいになっていたんだから
皮肉としか言いようがないwww
で、その辺の醜聞を書くなら小林が井上光貞を裁判に訴えた云々の話も持ってきたらどうだ?w
747 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:17:01
壮大な詐欺理論の系譜が、畿内説だったわけですね。よく理解できました。
748 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:18:10
「初老教授=縄文人」と言われても、否定もせずに淡々と独り言を書き連ねる芸風は、
縄文人と同じだよ。
ははは。
749 :
初老教授:2010/05/29(土) 21:23:56
小林行雄の年代観というのは、当時における文献史学の考古学に対する学問的優位から出たものに他なりません。氏は戦前に
おいて古墳時代の開始を3世紀と見ていたのは、その著書等から伺うことができます。ところが文献史学における崇神没年4世紀
の潮流に飲み込まれ、学問的矜持を保つことなく己の説を変質させたのです。このあたりの事情を知る老学者はいまだ多数存命
されておれれますから、お尋ねなさってみたらどうでしょう。
所詮当時の考古学など、遺物の系統的な裏付けもなく恣意的に組み立てられたものであったということです。小林説にしてもこの
程度、畿内説考古学のお里が知れるというものではないでしょうか。
縄文人が「卑弥呼考」とか読んでるとは思えない。縄文人はすべて脳内妄想だろ。
751 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:34:22
>>749 初老教授=縄文人
まあ文献史学に影響されたと言う話なら上田正昭の「県主」の研究にも配慮したような話を
都出が何処かでやっていたがw
小林説が間違っていたのならそれから脱却すれば言いだけの話。
学問は宗教じゃない常に漸進すれば良い。
自分達が攻撃している学者(のネームバリュー)によって長らく定説の座にあった説だけは
ちゃっかり頂いているというのがここの九州説の馬鹿さ加減www
初老教授の言説の方が筋が通っている。
www野郎は、京大系だけあって、言葉が汚く、底が知れてる。
753 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:35:36
九州説が元気だった頃の議論を懐かしんで引っ張り出して、
往時を懐かしんでいるのだろう。
いま、小林をどうのこうの言うより、現役考古学者について批判してみたらいかがだろうか?
754 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:39:45
>>750 まあ「ネットの世界は広大」だからなw
ここでこの初老教授とか名乗っている馬鹿が入っているような事を
そのまま述べているようなサイトもあるかもしれんw
いくら資料を引用しようが最後の結論は「畿内説は詐欺」の如き与太話なら
所詮はアホ。
まあありえないが
仮にこいつが旧帝大の教授だったとしてもその言は引っ込める気はないぞっとwwww
755 :
初老教授:2010/05/29(土) 21:44:16
>>746 このあたりのレスで貴殿の半端な知識のありようがわかります。あの裁判沙汰の顛末は詳しく新書にも載っておりますがお読みに
なったでしょうか?
もともとは井上光貞と上田正昭による卑弥呼の時代の社会体制(「原始的民主制」か「総体的奴隷制」か)についての議論であった
のですが、これに森浩一による、小林行雄「伝世鏡」理論の批判が絡んで紛糾したのです。しかし学術論争に裁判を持ち込む小林は
どうかと思いますよ。このような体質が当時の畿内説にはあったということが如実にわかるでしょう。
さらに、小林の伝世理論というのは、古墳時代開始を4世紀としたため紀年鏡の存在との整合性がとれず無理にしつらえたという側面
があったのです。昨今の年代観により、これらの恣意的錯誤がすべて一掃されたことはなんとも爽快であると思っています。
756 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:46:11
>>752 京大系?
一体何処からそんな推測が出てくるんだ気は確かか?www
俺が言っているような内容は日本の義務教育受けた人間なら
数冊の本を読んだら仕入れられる知識の範疇。
逆に言えば俺なんかに叩かれている奴は
古代史云々言うよりもう一回義務教育からやり直した方がいい。
まあ実際には無理だろうからいっそ回線切ってコードでくb(ry
757 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 21:46:24
さすが真の教授級ですなぁ。唐松山インチキ教授とは天地の差だな。w
758 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:49:46
だからね、小林論文なんて現在の畿内説でも参照すること無い古いものなんだから、
それについて、「どうだ!畿内説は大間違いだろう!」と胸を張られてもなんだかなあという。
それより、九州のどこに邪馬台国があったのか、そっちの方を述べてくれんかね?
知能があるならな。
759 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:56:10
出自、経歴、すべて詐欺だった畿内説。
もう畿内説など、だれも信じないほうがいい。
760 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:56:12
初老教授=縄文人の芸風はお見通しなんだよな。
ちょっと前の、九州説VS畿内説系の本を読んで、
畿内説を痛烈に批判する記事を見つけてきては、酒を飲みながら2ちゃんに書き込むと。
少しでも、最近の考古学の成果に則って、九州のどこの遺跡が邪馬台国なのかを論じることができれば、
(論じる知能があれば)ちょっとは初老教授のコテハンも生きてくるってものだが。
まあ、本人にはそこまで手間かけて教授ぶるつもりはあるまい。
予言しておく。
「最近の考古学の成果に則って、九州のどこの遺跡が邪馬台国なのか論じることは、初老教授にはできない。
761 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 21:57:20
うーむ確かに縄文人ならもう切れている頃だがwwww
>>755 >昨今の年代観により、これらの恣意的錯誤がすべて一掃されたことはなんとも爽快であると思っています。
じゃあ少なくとも庄内を3世紀にもっていくような年代観でいいんだよな?
その上で九州説を唱えるのかい?
仮にそうならどう言ったものになるか言ってみ?
それとも私怨か何かで「畿内説は過去こんなんだったんですよ!」と言いたいだけなのか?wwwww
>>756 おまえって、本当に単純な人間だなァ。
かならずコメントを返す点は、几帳面さが表れているぞ。
までも、君のおかげでこのスレが盛り上がっているようなもんだからな、感謝しとるよ。
763 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 22:04:44
>>758 紀無いのどこにあるんだか、能があるならハッキリさせろ。
764 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:04:56
>>762 流石に否定しておかないと恥ずかしいからなw
なんかこの板じゃあ俺みたいな素人にドがつく人間でも
考古学の現場に近い人間とかになっちゃってるし・・・
一体ここの九州説どんだけレベルが低いんだよって話だなクズwww
765 :
初老教授:2010/05/29(土) 22:05:19
さて、王仲殊氏が巻き起こした旋風について述べましょうか。当時は私も一介の助手として研究にいそしんでおりましたが、王
氏の講演から巻き起こった波紋の大きさは今でも忘れられません。私のまわりでも「小林先生のお気持ちを考えてみろ」といった
ような言辞が日常的に飛び交ったものです。
三国時代に入って、呉の銅鏡製造は後漢代から引続き隆盛し、呉主孫権が黄初2年(221)から黄武年間を経て、黄龍元年(229)
まで都を武昌に定めたことで鏡職人も武昌に移動させられ、ここが鏡製造の新たな中心地となりました。それに対し魏の領域では、
戦乱による経済疲弊が進み銅鏡製作も衰退に向かい、三角縁神獣鏡と共通点が多い画像鏡や神獣鏡は西晋の泰始年間(264〜
274)後期までは全くといっていいほど作られていません。
これらのことから三角縁神獣鏡が卑弥呼が魏朝からもらった鏡でないことを時間的に示しているとする王説は非常に明瞭であり、
また、中国事情に不勉強な畿内説においては大きな衝撃でありました。
766 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:11:02
>>765 コピペ貼るときは行頭に「>」をつけような。
約束だぞ?
767 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:14:27
>>765 初老教授=縄文人
で、そのコピペはいつまで続くのかな?
そんな物だらだら書いたところで製作地論争は邪馬台国の位置論争に関係ない話だがw
(厳密には三角が魏鏡であれば九州説は即死という話だがw)
768 :
初老教授:2010/05/29(土) 22:17:33
>>761 庄内が3世紀であるとするのは定説であり、これは否定のしようがないものでありましょう。これは前述の小林氏による須恵器年代観
とも深く関わっており、ここでも氏の罪の深さを問わずにはおれません。また一方、当時から私を含めた若手研究者の間では、古墳
時代開始4世紀とする年代観に疑義を唱える声が底流としてありましたが、京大学派に遠慮し、声なき声としてささやかれるだけであり
ました。これもまた不幸な歴史であり、年代遡上の声は、単に池上曽根遺跡の年輪年代によるものではなく、それ以前の小林氏の死去
から始まっていたのです。
769 :
初老教授:2010/05/29(土) 22:20:19
>>767 失礼な人ですな。これはコピペではなく、当時私が王氏の講演をノートして理解したものです。
770 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:26:06
>>7687 初老教授=縄文人
と言うかだな、そんなお話は今更聞くまでもない、俺の如き素人でも知っているような話だw
お前は何が言いたいんだ?
九州説というわけでもないのかな?
ただ一般に畿内説といわれる物に対して
「過去こんな経緯があったんですよ酷いでしょう!」
と恨み節を言いたいだけなのか?www
そんな物はチラシの裏にでも書いておけドアホwwwww
771 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:27:42
>>769 王氏が畿内説を支持してることについては何も言うことはないの?
772 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 22:30:34
>>770 オマエはジョーカーか〜? オマエの持ち駒は悪態なのか?
資料、根拠の持ち駒がないことがミエミエになるぞ。これらの持ち合わせ
がないから、悪態を持ち駒としてるようだな。それをしなければオマエは
いい奴なんだが?><
773 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:34:24
>>772 犬国
原田実なる人物がこの板のお前と甲乙付けがたい痛いコテ「唐松山」を
雑誌上で批判したなんて電波飛ばしている基地外は、だーっとれドアホウ!
774 :
初老教授:2010/05/29(土) 22:38:20
>>771 それは当然周知のこととして書いているのですが、このスレの方々はご存知ないのでしょうか?景初3年鏡の銘文「本是京師
絶地亡出」と正始元年鏡の「本自州師、杜地命出」の王氏解釈として、この鏡を作った職人の「陳氏」は元々中国の揚州の京
城の鏡作りの職人であったが、亡命により故郷を出て絶地(僻遠の地)と称される倭の国に至った。・・・ということです。
これは現代人ではあるものの、中国科学院で重要な地位にある人物の解釈であり尊重せねばなりません。また王氏は鏡研究者
として産地を魏ではないとしただけであり、その日本での出土状況から鏡分配の中心地を畿内と見るのもごく自然なことでありま
しょう。さらに、紀年を実年代と見ておられるのも周知のことでしょう?
775 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 22:38:42
ジョーカー
今日はえらくシャッフルwwwが少ないではないか〜〜?
少しは冷静になれ。オマエは根拠、資料の持ち駒がもう無いから、悪態を
持ち駒として補充戦力にしてるだけのことよ。pupupu
776 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:45:25
>>775 犬国
何か勘違いしているようだが…
この「初老教授」と名乗っている奴が言っているのは要するに
「畿内説と言われる物には過去こんなことがありましたよ」
と言うだけの話で本人が九州説にでも立たないのなら
こっちは基本、反論も糞もないんだが?
馬鹿はすっこんでろw
まあ単なる愚痴を延々聞かされているようなもんだwwww
どう見ても縄文人じゃない。
778 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/29(土) 22:49:32
ジョーカー
オマエ、893さん声のマネはすんなよ。まるで恫喝のような叫び声に聞こえ
てるぜ。これではバットマンに敗北だな。pp
779 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:49:34
>>765 初老教授
で、お前も「単なるコピペ」と言われるのは不本意らしいから
こっちで質問をしてやるがw
じゃあ王仲殊の論も参考にして三角の年代ってどう考えているんだ?www
780 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 22:53:49
罵詈雑言だろうが、当時の学者は談合せずにまともに論争しようという気概があった。
それがない今の畿内説に対して、当時の学者を引用するのは筋違い。
今の畿内説は、邪馬台国というえさで発掘費用を捻出し、本を売る材料にして、
教授や研究員のポストを得ている。
畿内説の学者は最初から自分の説が正しいかどうかなどという次元で行動していない。
政治的か権力闘争のなかで言うべきことを言っているだけ。
実際にも畿内説の学者で自説を信じている者など居ないのではないか。
781 :
初老教授:2010/05/29(土) 22:53:50
>>776 >本人が九州説にでも立たないのなら
もちろんこれまで書いたことでわかるように、私は九州説ではありませんし、九州説を唱える国立大教授らがどれだけいることやら、
きわめて心もとない数でしょうね。
ただ、これまでこのスレを読んで感じることは、西にばかり目を向けすぎているということですね。伊勢遺跡の発掘が一つの起爆剤
になればよいのですが、九州における鉄器の優位を認めないのであれば、同じように東国に対する畿内の優位もそう大きなものでは
ないと考えることもできるでしょう。
782 :
初老教授:2010/05/29(土) 22:59:28
>>779 三国志、魏書の記載によれば、明帝は景初三年正月に死去し、少帝(斉王芳)がすぐに即位しました。少帝は新皇帝が位を継承した
その年はそのまま先帝の年号を踏襲するという慣例に従い、その年は景初3年と称その翌年に改元して正始元年となったのです。
この景初4年鏡の存在からいうことができるのは、景初4年が存在しないことを知っている後代のものではないこと。そして、改元という
か帝の崩御の情報が伝わらない僻遠の地で造られたこと。紀年は実年代と見ます。
783 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:11:41
>>782 「景初4年の存在しない後世には景初4年と書かれない」というのは実証されざるドグマですね。
晋書には「景初4年」と何回か書かれています。こんなの常識レベルの基礎知識です。
A、後世には魏の細かい改元のことなど詳しく伝わっていなかった。
B、よく知らずに文書を書く者がどの時代にも存在する可能性がある。
という理由だけで簡単に後世に「景初4年」が使われる説明ができます。
従って、
>>782のような理屈はもとより論外。
学者がこのような低レベルな理屈の述べれば嘲笑の的になるでしょう。
784 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:12:31
>>774 >それは当然周知のこととして書いているのですが、この
初老教授さんよ、王氏は本当に畿内説支持だったかい?
いつの論文にそう書いてあった?
785 :
初老教授:2010/05/29(土) 23:18:39
>>784 >「関干日本三角縁神獣鏡的問題」「考古」一九八一、第四期
.邪馬台国と魏との交渉は緊密であり、呉の職人はこの邪馬台国に居住しており三角縁神獣鏡を作る際に、その銘文に魏の
「景初」「正始」という年号を使用したとしても不思議はない。
というような趣旨であったはずです。
786 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:20:27
787 :
初老教授:2010/05/29(土) 23:21:06
>>783 それは説明できる、というだけですね。後代に年号に関する錯誤があった・・・というのも一つの想定であり、仮説です。
私はその他の理由も加味して実年代と見ているのです。これは水掛け論でしょう。
近江で最古の土偶が見つかったとか。
まぁ土偶は九州も畿内もそんなに関係ないか
789 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:25:27
>>785 おかしいな?
王氏は、1981年の段階で、邪馬台国シンポジウムで九州説に邪馬台国があったと主張したはずだが?
790 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:25:32
>>788 縄文時代だからなw
でもあれって「縄文のビーナス」と言われている土偶にフォルムが似ているような気がするwwww
791 :
初老教授:2010/05/29(土) 23:26:39
>>784 そうか、これはすみません。邪馬台国で作られたとあってもはっきり畿内とは書いていませんね。今読み返して気付きました。
しかし来日講演の際には質問に対して、出土状況から畿内であろうと述べられています。また、実年代説は間違いありません。
792 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:28:22
>>791 では、王氏の論文を引用しつつも、
初老教授自身は、畿内説ということなのかね?
793 :
縄文人:2010/05/29(土) 23:29:22
ということで、今晩はこれくらいにしておきましょう。みなさんお休みなさい。
794 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:30:42
>>785 卑弥呼の時代に呉の人間が日本にいたかどうか。
まあ、なんとも言えないが、いたとすれば地理的に九州のような気がしないでも
ないのだが。
795 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:31:19
もうギブアップかよ。
ゲラゲラ
796 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:38:55
初老教授のデタラメぶりには笑った。
>>791 >しかし来日講演の際には質問に対して、出土状況から畿内であろうと述べられています
王氏がそんなこと言うわけが無いし。
どこの脳内講演で聞いたのやら。
>>794 前に不思議発見でベトナムやってたけど、
どこかの民族が高床式の住まいに住んで、貝や米を食べて生活してた。
亀石(蛙みたいなデザインで飛鳥のにそっくり)もあって、その石は雨乞いに使っているとか
あとその民族の伝説で、ワ族という民族が中国の強国(統一前の魏?もしくは呉)に追われて
夜のうちに海に逃げて忽然と姿を消したという伝説があるそうですし、
あちらにも浦島太郎伝説がありますよね。
ベトナムの博物館にある金印も、日本で見つかった蛇をあしらった全く同じ金印があります。
僕は畿内説ですが、この伝説話も面白いかな、ルーツはここかもと思っています。
798 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:45:00
うーん、あの芝居っ気の多い、数々のハンドルを使った縄文人でも
流石に畿内説というロープレはやらないかwww
この初老教授という奴が何をやりたいのか良く分からんなw
現在の考古学会、京大学派とか言う物に恨みつらみがあって
その愚痴を書き込みに来ただけとか?www
もっともその中身は「コピペ」と言われるように
この板ですら目新しい物でも何でもないわけだがw
799 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:46:31
793に縄文人と書いてあるよ。
800 :
797:2010/05/29(土) 23:52:11
天孫っていうのも孫呉の『孫』じゃね?とも思いますねw
あの地域は三国時代は南蛮でしたね。南の蛮族で南蛮
801 :
王:2010/05/29(土) 23:52:41
記年鏡は呉の職人の作である可能性があるが、製作の年代はAD280(呉が滅んだ年)以後であろう。
呉の滅亡により国外に逃れた鏡職人が列島に辿り着くとすればそこは九州である可能性が高い。
802 :
日本@名無史さん:2010/05/29(土) 23:56:59
>>801 まだいたのかwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>799 まあ考えられるシナリオとしてだw
かつて「理化学的年代測定の批判+奈良盆地の巨大湖ネタ」で畿内説をやっつけられると
意気軒昂に乗り込んできたは良いが、かる〜く返り討ちにあって位置から勉強しなおして
九州説は無理と悟り畿内説に転向。
しかし素直にここで畿内説を肯定する立場をとるのも癪だから
畿内説の過去の紆余曲折のお話を持ち出しとか?www
まあ結局、外出ネタの羅列だけで、そこから発展性も何もないお話は
縄文人レベルにしか見えないって事だなwww
>>801 は本物の縄文人だろう。偽縄文人は中文の論題を引いてるからまた縦目が
また遊んでるんだと思う。この
>>785の日本語題は「日本の三角縁神獣鏡の問題について」で
で、論文の最後に、
>邪馬台国の所在地が九州か、はたまた畿内かは、当然、今後の継続的な研究をまつべきである。
しかし、私は三角縁神獣鏡が東渡の中国工匠の手で日本でつくったものだといっても、このことによ
って、『畿内説』が不利な立場にはならないと思っている」
とあるのは確かだね。
805 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 00:10:35
>>801 それが自然な考えだと思う。
鏡作りの工人が、何にもないのに訳のわからないところに船出するというのは
考えにくい。
国が滅ぶような異変があれば、それも考えられる。
呉からやってくる可能性があるのは九州だろうが、その頃の九州で、鏡作りに
変化が起きたかどうかが一つの問題かな。
>>780 >実際にも畿内説の学者で自説を信じている者など居ないのではないか。
これもこのイタのイタイ九州説の常套句だが…
むしろこれって九州説だろう?古田・安本の両巨頭は別格にしてもw
高島なんて吉野ヶ里の例の「宮室・楼観・城柵」3点セットでもって
魏使の訪れた3世紀はまだ環濠集落が全盛期とか何とか言ってそこから年代観を組み立てる
…もう畿内説とか九州説とかはるかぶっちぎって以前の問題
考古学者としてどうなのよ?って話だがwww
畿内説の年代観というより
九州の考古学の年代観からしておかしいだろうとwww
807 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/30(日) 00:15:58
>>801 呉の鏡職人が鏡を作ったら「平縁」になります。「三角縁」にはなりません。魏だと「斜縁」になります。
したがって三角縁神獣鏡は斜縁に似ているので魏鏡と言うことになります。
>>805 >その頃の九州で、鏡作りに変化が起きたかどうかが一つの問題かな。
280年頃の北部九州なら、魏晋鏡は全く入らず、
ヤマト王権からの分与を小集団が争ってるような状況。
809 :
王の中の王:2010/05/30(日) 00:17:30
畿内説の愚か者どもが何を知ったふうなこと抜かしとるんじゃい。
卑弥呼の貰った鏡は銅鏡なんかじゃねえ。鉄に錫を貼った鏡面を持ち、裏面には金や銀の象眼加工を
施されたものだ。
鉄だから土中に永く置かれていると錆びてしまう。だからもう出てこねえよ。
810 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 00:20:05
魏鏡でも呉鏡でもなければ問題なし
811 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 00:37:18
初期の△鏡は九州から出土してるって話はどうなってるの?
俺は、画文帯のほうが興味あるからどうでもいいが。
812 :
縄文人:2010/05/30(日) 08:07:40
私は王の中の王、学究の中の学究にして偉大なる知性である。文句があるか?
>>812 ないですよ旦那さん。まあ一杯どうすか。朝酒もなかなかよろしいもので。
814 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 08:21:48
>>809王の中の王さんへ
>卑弥呼の貰った鏡は銅鏡なんかじゃねえ。鉄に錫を貼った鏡面を持ち、
>裏面には金や銀の象眼加工を施されたものだ。
まさか、銅の成分はゼロ、ということですか?
では、魏志倭人伝に記録されている魏帝の詔の中には、
卑弥呼への贈り物の鏡について、どう記載されていましたか?
815 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 10:20:18
△はどこで作られたかが問題にされるが、どこで作られたにせよ、邪馬台国との
関連は考えないといかんだろうな。魏鏡でなければ、邪馬台国とはまったく無関
係という言い方には問題があるのではないかな。
裸の王様
817 :
王の中の王:2010/05/30(日) 11:41:44
>>814 ほいほいその返答を待っていたのだ。おめ〜さんは畿内説派かい?畿内説派だとして答えよう。
倭人伝は信用できないだの、間違いだのと騒いでたくせにここでは倭人伝を持ち出すのかよ。
御都合主義だのお。これだから畿内説はダメなんじゃ。
おめ〜らの論法を真似すればこう言う事もできるぞ。
魏帝の詔は慌ただしい最中に書かれたのでとりあえず銅鏡100枚をやるとして目録には書いたが、
翌年準備の段階で粗末な銅鏡じゃなんだからちゅうんで変えたのだ。だから梯儁が持参した物の
記述には銅の文字を外して鏡だけにしとるだろが。よ〜く読みやがれ。
ど〜だ畿内説派は倭人伝を自分に都合のいいように使っているだけだということがわかっただろ。
818 :
縄女人:2010/05/30(日) 11:48:53
縄文人はコロコロハンドルを変えるのお。
これだから縄文人はダメなんじゃ。
819 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 11:53:09
伊作さんじゃぁ〜ないのかなぁ〜??w
821 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 12:07:35
>>820 日本人の地図感覚(東が下)を、中国人感覚(南が下)で見ると、
魏志倭人伝の通りに、邪馬台国(畿内)は南となるわけだ。
>>817 井の中の蛙=縄文人
ふむこれは最初から縄文人テイスト全開だなw
>ここでは倭人伝を持ち出すのかよ。
理解できていないようだが畿内説というか「倭人伝ウソつかない」式の
ここの九州説連中でもなければ普通はその情報の確度にメリハリを付ける。
基本的に倭人による朝貢等、大陸で起きたことは確度が高いと考えるのが普通・基本。
餓鬼が駄々こねているんじゃあるまいしフォビョルるなドアホwwww
無論可能性としては本当に”銅”鏡だったのか?数も100枚だったのか?を疑うことは出来るだろうが
じゃあ今度はこっちが九州説のアホどもが馬鹿の一つ覚えで繰り返していることを言わせてもらうw
三角で良く「中国から一枚も出ていない」と言うのだから
当然その鏡は確実魏代のものとして多くの出土例があるんだよな?wwwww
何枚ぐらい出ていているのかな?まあ象眼加工まではなくても良いが…
ソースを明示して出してもらおうか?
「曹操集訳注」には、>御物有尺二寸金錯鉄鏡一枚 という記述があって、一尺二寸の金錯嵌の鉄鏡所有していたということ。
日用品としてはかなり大きいから威信財なのだろう。皇后が銀錯嵌だったか・・・しかしいくら卑弥呼の朝貢を好意的に捉えて
たとしても、100枚は無理だろうよ。
824 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 13:48:49
>>822 要するに、倭人伝の記述をここは正しい、ここは間違っていると勝手に解釈して
行けば、邪馬台国はどこにでも比定可能ということだ。
つまり、畿内説でも成り立つということだな。
>>823 日本でも、金銀錯嵌の鉄鏡が出ているけどね。
826 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 13:55:23
>勝手に解釈
記紀とホツマでは唐松山の得意技。w
827 :
縄文人:2010/05/30(日) 13:56:07
わしは縄文人やで〜。天才歴史家やで〜。わしは縄文人やで〜。奇跡の解法やで〜。わしは縄文人やで〜。あらゆる学問に
通暁しとんのだよ〜。
>>824 >日本でも、金銀錯嵌の鉄鏡が出ているけどね。
そんなのドツボだって知ってる。じゃあ聞くがあれは出土品か?
829 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 13:58:44
ハハア〜、伊作さんだ〜。w
830 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 14:05:23
>>825 あの地図には方位が書いてない。
北を上にする現代の地図に慣れた我々が勝手に上が北だと解釈しているだけ。
古代は、上を北にする習慣なんてなかったからね。
831 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 14:08:07
>>828 言っている意味が良くわからないが、出土したのは日田市のダンワラ古墳と
言われている。
832 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 14:16:21
当時大陸には日本側の知識が狭小で、このためかような方位狂いの地図を
こさえたことは否めない。しかしこの者は現地に行ってないからで、卑弥呼
の女王国へ行った者らは、北斗と日の出日の入りで確実に方位を把握でき
ているね。それは雨天曇天ならそれがいささか難しくはなろうが、毎日
悪天候ではないわけだから、倭人伝の方位に関しては南を東に鞍替え
するのはマズく、間違いだ。
834 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/30(日) 14:28:07
邪馬台国っていうのはなかったんだよ。強いてあるとするならば、大陸側
の畿内朝廷の国につけた国名とか日本全体をそう呼んだんだろうとかいう
ことだ。卑弥呼の国は邪馬壹国だよ。大陸側はこれと誤解して邪馬台国
としたか、混迷して折衷的国名で邪馬台国として鳥とも蝙蝠とも判別し
難い邪馬台国の名でまぁ〜誤魔化したということでもあるな。
>>831 この鉄鏡は、「伝日田出土」といわれることが多いが、それは発見者が善意から地元の小学校に寄贈したものの校舎建て替えの時に
行方不明となり、その後奈良の古美術商で発見されたから。ダンワラ古墳出土なのは間違いないと思われるが、古墳そのものが破壊
されているため確証とまではいかない。国の重要文化財であるが国宝とならないのはこのためと見るむきもあるし、考古学者に積極的
に取り上げられることが少ないのもこの発見の経緯から。
噂では、この小学校には鉄鏡とともに出土したとされる馬具(轡)や玉類も展示されていたというが、すべて売られたのか行方不明らしい。
素晴らしい鏡だが不幸な生い立ちというしかない。ただ馬具と言うのは気になるなあ。
836 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 14:52:05
>>835 確か、ダンワラ古墳自体は新しいはず。6世紀くらいじゃなかったかな。
しかし、鉄鏡は、後漢の時代のものだと思う。金錯鉄帯鈎も同じ。
特に、鉄帯鈎は、後漢の皇帝が諸侯に配ったとされる。
魏の皇帝も同じような鏡を持っていたとされるので、卑弥呼がもらったと
考えれば一番妥当なのだが、残念ながら目録にない。
他に可能性があるとすれば、帥升あたりかもしれない。
ただ、鉄鏡が出土したのがかなり新しい古墳なので、これと邪馬台国を直接
結び付けていいものかどうかはわからないが。
>>836 そう。このダンワラ古墳との結び付きに確証がないから、まとまったことを言うことができないんだよな。鉄鏡は後漢代でいいか
もしれない。洛陽市焼溝漢墓から比較的似たものが出ていたはず。しかしダンワラ出土ならずいぶん長い伝世になるし、墳墓と
副葬品が釣り合わない。邪馬台国との関連は難しいだろうね。
839 :
縄文人:2010/05/30(日) 15:12:07
わしは縄文人やで〜。天才歴史家やで〜。わしは縄文人やで〜。奇跡の解法やで〜。わしは縄文人やで〜。わしは文学・哲学
社会学・人類学・地質学・古生物学・天体物理学・量子力学・民俗学・冶金学・生態学・環境都市工学・分子生物学・経済学・医学
獣医学・易学・心理学・農学・法学等々等々あらゆる学問に通暁しとんのだよ〜。
840 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 15:13:54
>>838 しかし、こういう鏡が日田から出てきた事はやっぱり考えなくてはならないな。
個人的には邪馬台国熊本説なので、日田の鉄鏡は自分のシナリオと合わない。
帥升にしろ、卑弥呼にしろ、あの辺りにいてくれては困る。
しかし、重要な鏡だと思うので、シナリオと合わないから無視するというわけ
にもいかないし。
841 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 15:20:15
>>840 紀元後の熊本・佐賀・福岡は比較的に近い文化圏であり、都市国家的な当時の国々は、
ある程度近似していたと思う。そんなに悲観するほどのことはない。
甕棺墓でみると日田は分布の東限にあたるよな。古代に今の県境などは意味が無いが、大分県としてのまとまりからは離れた地域
だろうね。ちなみに南は熊本県宇土半島が限界線になる。
843 :
縄文人:2010/05/30(日) 15:37:44
わしは縄文人やで〜。天才歴史家やで〜。わしは縄文人やで〜。奇跡の解法やで〜。わしは縄文人やで〜。
わしの悪罵は世界一じゃ。
844 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 15:37:57
>>809 >卑弥呼の貰った鏡は銅鏡なんかじゃねえ。鉄に錫を貼った鏡面を持ち…
>>817 >魏帝の詔は慌ただしい最中に書かれたのでとりあえず銅鏡100枚をやるとして目録には書いたが、
>翌年準備の段階で粗末な銅鏡じゃなんだからちゅうんで変えたのだ。だから梯儁が持参した物の
>記述には銅の文字を外して鏡だけにしとるだろが。よ〜く読みやがれ。
それはあまりにも穿ち過ぎた解釈だよ。w
「銅鏡百枚を贈ります」→そののち→「鏡を賜りました」
こう書いてあるのだから賜った鏡はやはり銅鏡と解するのが自然。
「銅」の字がないから銅鏡じゃなく鉄鏡だなんてのは独り善がりというか奇妙奇天烈というか…w
日記で「母から電話あり。リンゴジャムを送るよと」→そののち→「ジャムが宅急便で届いた」
べつに届いたジャムをわざわざイチゴジャムと解釈する理由はないよ。ww
もう少し日田について述べると、ここは江戸期には天領地で九州統治の拠点の一つだったよな。古代にあっては国東半島方面から
影響力を伸張しはじめたヤマト王権の拠点地と考えられる。日田市の小迫辻原遺跡は古墳時代初頭、日本最古級の豪族居館跡で
有名な複合遺跡だが、大和や出雲の土器が出土し、地の利を得たヤマトの軍事拠点と見られているね。
鉄鏡はないな。魏帝詔書(木簡かな)は封印されて答礼品とともに送られるわけだから、詔書とその品が違うというのは常識では
考えられない。まさに縄文人ワールド。ww
847 :
縄文人:2010/05/30(日) 16:00:35
アホウどもが、この古代史の神 縄文人に逆らうのか(怒)
848 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 16:01:35
>>841 まあね。
ただ、鉄鏡に関しては、仮に卑弥呼が持っていたとしたら、それを受け継いだ
のは台与と考えられる。そのあと誰が受け継いだかというのも問題かな。
梁書によると、台与が王になってからまた男王がたった。共に中国の爵命を
受けたとなっている。これを境に、男王の系統と女王の系統に分かれたのかも
しれない。
男王の系統が歴史の表舞台に立ち、女王の系統は、歴史の裏に埋もれてしまう。
トヨタン・・・・・・・・・・
850 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 16:04:33
>>845 現代では考えられないが、古代ではあるいは中世でも日田は交通の要所
だったのだろうな。
851 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 16:06:29
今度は、関信者が沸いてきたのかな?
はいはい、トヨは神功皇后ってことで。
852 :
外人:2010/05/30(日) 16:57:37
>>847 オウ、アナタハ GOD ダッタノデスネ。ミスタージョモンジ。
853 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 17:18:05
縄文時代にほとんど人が住んでいなかった関西地方の言葉を、
縄文人がしゃべるのはなぜだろう?
>>843とか。
しかしなんだかんだ言っても縄文人は凄いよ。このスレの主じゃね?
855 :
王の中の王:2010/05/30(日) 17:53:04
>>822 >ソースを明示して出してもらおうか?
わしゃ和食党だもんでソースは使わんのだよ。どっか他所に行ってくれんかの。
>>844 あんた初心やねえ。あれはね、畿内説派の論法だとああ言う事もできるという例なんよ。
>>809は釣り針だったのよ。案の定食いついてきたでやんしょ。それで連中の御都合主義
を皮肉ったんよ。わかったかな〜。
856 :
縄文人の子孫:2010/05/30(日) 18:13:16
kakakaka 釣りだってよ。コーウンはどこまでいってもコーウンだな。
858 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 18:53:42
>>822 >理解できていないようだが畿内説というか「倭人伝ウソつかない」式の
>ここの九州説連中でもなければ普通はその情報の確度にメリハリを付ける。
>基本的に倭人による朝貢等、大陸で起きたことは確度が高いと考えるのが普通・基本。
九州説論者はまるで史料批判をしないかの如き偏見の持ち主だな。認識不足だ。
それにだ、君は
>>817の論旨を捉えきれていない。誤解して吠え立てても滑稽なだけだ。
859 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 18:58:49
おれ九州説だが、卑弥呼がもらった鏡は銅鏡だよ。
860 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:12:51
861 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:14:40
2ちゃんで何がブザマと言って
「後付による釣り宣言」ほどブザマなものはない…
人それを「負け犬の遠吠え」と言うwwwwwwwww
862 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:20:12
>>858 「論旨」云々のご高説はそんなものどうでも良いが…
「九州説とてきちんと史料批判してるぞ!」と言いたいんだろうが
素朴な疑問、じゃあ九州説で
「この記事は信用性が劣る」として峻別している部分て何処よ?wwww
ここの九州説から聴いた記憶がないんだがwwwwww
863 :
伊作1017:2010/05/30(日) 19:28:58
ほげあっ!!もう頭にきた。我慢がならね。さあだれでもよい、かかってこいやあ。
864 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:32:31
ここの九州説だって、本気で九州説を信じてるやつなんていないだろ。
九州説を書けば、畿内説が釣れると思ってるだけなんだよな。
それが証拠に、いつまでたっても、具体性な邪馬台国像が九州の中に描けないでいるわけで。
特定の遺跡を出したところで、そこから発展性が無い。
弥生時代末から古墳時代まで、営々と発展し続けた遺跡が九州には無いってんだから笑う。
そんな状況で、九州のどこに邪馬台国を見出せばいいのか?
865 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:37:16
九州説お決まりの、「九州には鉄がいっぱいあった」という話も、
何のことはない、統計的に、合計すると九州が多いってだけで、
個々の遺跡だけでみて、鉄器が多く出土した遺跡が、
邪馬台国時代を通じて発展し続けていたのか?というと、そんなことはなくて、
途中で衰退して放棄されてるわけだ。
小国が乱立して、鉄はいっぱいあるが、どこもリーダーシップがとれない状況ってのが、九州の有様。
それで、九州の考古学者も邪馬台国探しをあきらめたという。
866 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:41:13
>>864 >弥生時代末から古墳時代まで営々と発展し続けた遺跡が九州には無いってんだから
いや北部の早期前方後円墳(いわゆる纏向型)があるところなら
そこはクリアできるんじゃね?(例えば那珂とか)
まあそれでも相当に限られてくるわけで…
ここの九州説の連中が畿内説を否定する時に挙げるネタを
全て満たしたものがあるのかどうか…
もっともここの九州邪馬台国と言うのは倭人伝の行間や
自分の脳内にあればおkみたいだから問題ないのだろうがwwww
867 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/30(日) 19:42:38
だから、倭国乱は九州にしか想定出来ないんだ。
868 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:43:21
那珂遺跡はどう考えても奴国じゃね?
869 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:45:57
北部や東部の早期前方後円墳があるところは、離散集合はあっても全体的にヤマト化王権化されていくのが
如実にわかるからなあ。
>>868 普通はねwww
恐らく単純に考古学的に言えば福岡平野が九州説の最右翼になっているはずなんだろうが
文献の通説の読み解きではそこは奴国と言うジレンマwwww
まあ「短里」やら「日数の記述は郡からのトータル所要日数」とか
「砂鬼四荼羅経」の解釈は九州説の連中でやってもらおうとwwwww
>>869 それも北部にあった九州邪馬台国が首長連合に参加していた
…というシナリオなら問題ない
ただ、ここの九州説には全く人気がない説wwww
それなら魏晋の滅亡により連合内での地位が相対的に低下
やがてゆっくりヤマト王権の体制に飲み込まれていく
…とその終末の姿も無理のないものも出来るんだがwwww
872 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:58:43
873 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 19:59:33
>>871 九州に邪馬台国があったとしても、そういうシナリオしかありえんわな。
北部九州は、畿内ヤマト連合に参加しつつ、
魏に対しては、倭王は九州の卑弥呼様じゃと言うことは出来るだろう。
で、怒った景行天皇に九州は直接支配されてしまうと。
>>845は(本人が認識しているかどうかは別にして)まんま関説なわけだがwwww
今話に出てきている「早期前方後円墳」は宇佐にも赤塚古墳があって
そこからは桜井茶臼山とか椿井大塚と同笵の鏡が出ていたりと
(ちなみに小林行雄が三角の分有関係を椿井大塚を中心にして図解したものでもダイレクトに線で結ばれているを確認したw)
関説は別にしてもwどうも大分あたりの動きは北部とまた違った印象を受ける。
この辺九州の考古に詳しい人間の意見を拝聴したいところだが
まあここの九州説からは「コテコテの宇佐説」が出てくるのが関の山かwwwwwwww
875 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 20:23:56
>>874 宇佐って地勢は、ヤマト王権との繋がりのほうが濃いはずなのに、
宇佐神宮を巻き込んでまで宇佐説を興そうとしてる九州説信者がやっかいだ。
今でも、北九州市以東と博多市って文化が違うんだろ?
876 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 20:26:16
前方後円墳が3世紀に始まったという証拠が欲しいね。誰も知らないんだろ?
877 :
弔問人:2010/05/30(日) 20:26:57
この度はご愁傷様です。ペコリ。
878 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 20:28:45
>>875 博多市だって くくくくっく。いい加減なのが居るな。
879 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/30(日) 20:45:51
>魏に対しては、倭王は九州の卑弥呼様じゃと言うことは出来るだろう。
その前に魏は倭国の情勢を正しく把握していた、だから女王をたてながら
大和政権に倭王の称号を授与している(正始元年の倭王)
そして女王の了解の元、奴国王と景行が合同で、九州平定にあたるが、
その最中に卑弥呼が死亡、さらに一年後くらいに奴国王(男王)も死亡する。
九州平定後に五百野姫を筑紫に送り込む。
880 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:08:28
神武が日向を出発して、宇佐に滞在して
いろいろやったと記載してある。
つまり熊本−福岡は通っていない。
確かに日向から畿内に行くなら
宇佐を経由して、瀬戸内海沿いに
上がっていく方が自然である。
北部九州勢力は、日向宇佐勢力とは
なんの関係もない。
881 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:19:38
>>875 その時期、大和は関係ないと思うな。関係あるとすれば出雲だろう。
そういえば、宇佐神宮と出雲大社の拝礼の仕方は同じじゃなかったかな。
あんまり関係ないか。
882 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:24:40
死拍手?
883 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:26:46
>>881 続きだが、調べてみたら、両方とも「二礼、四拍手、一礼」だった。
普通の神社は、「二礼、二拍手、一礼」らしい。
宇佐神宮の注意書きには、
「当神宮では、古くから二例、四拍手、一礼の作法で祭典が行われております。
この形は往古より次々と受け継がれてきたもので、資料はなく、その起源は
不明であります」と書かれていた。
>>883 出雲は根の国であり黄泉だからだろう。
因みに出雲の大国主は参拝者に向かい合っていないらしい。横向きだとか
885 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 21:44:35
今度は井沢かよ。トホホ。
886 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 22:05:53
ちなみに伊勢神宮は八拍手。
四拍手なんて、伊勢神宮より格下という意味でしかないよ。
>>824 >ここは正しい、ここは間違っていると勝手に解釈して行けば、
>邪馬台国はどこにでも比定可能ということだ。
だから、その解釈の理由を説明する必要があるわけですね。
888 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 22:15:47
例えば、東南を東北だとか、陸行一月を陸行1日だとかね。
まちがいだという合理的理由がないにもかかわらず、自分の設定した目的地に
たどり着けるように改めようって説があるね。そんなのは駄目だ。
889 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 22:37:28
基本は原書に忠実にする。
修正するなら根拠を示せ。
だな。
890 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 22:48:40
畿内説詐欺では、
「畿内説に合わせて、漢籍の原文を自由に改ざんすべし」
「邪馬台国は漢籍にしか出てこなくとも、漢籍を一部または全部無視して、
邪馬台国という語だけ使って、考古学をねつ造して畿内と結論付けよ」
畿内説は、ゴッドハンドおじさんとは、詐欺のスケールが違います。
891 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:00:07
>>890 毎日毎日その事しか頭にないのかね。ごくろうさん。
>>888-890 >東南を東北だとか、
伊都国は三雲・井原遺跡群だから、東南は間違いですね。
根拠がありましたね。残念。
九州説論者「ね・捏造だ!!悪の秘密結社が嘘偽りを世論にのせてるに過ぎない!!」
畿内説論者「何言ってんのこの人・・・大丈夫かよ・・・」
894 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:11:22
>>892 こうゆうのが資料批判の根拠になると思っているところが畿内説論者の
駄目なところだね。
これが言えるならば、邪馬台国は畿内に決まっている、それに反する資
料は全部まちがっている。そうゆう論法が正しいということになってし
まう。ちょっと考えれば、分かりそうなものだが、あきれるね。
895 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:11:54
>>伊都国は三雲・井原遺跡群
え、?、根拠あったのか。
個人的には伊都国前原説なんで、
伊都国佐賀説を否定できなくて困っていたのだが、
良い根拠があったら教示願いたい。
場所的には、ちょっと方向が違うのだが
平原は玄界灘の勢力にとって
重要な位置であり、出土内容も重要だと思う。
897 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:23:17
畿内説は、箸墓を見ればその本性が見えてくる。
まず、箸墓を卑弥呼の墓に決めてしまう。しかし、年代が合わない。
合わなければ合わせればいいということで、どんな理由でもつけて合わせていく。
大きさが合わない。形が合わない。それは後円部が先に作られたのであって、
前方部は後になって付け足されたという壮大な仮説を立てる。
これで、大きさも形も合う。かくして、年代も大きさも形も違うものを
卑弥呼の墓にすることに成功。後は宣伝により、一般人の印象に刷り込む。
しかし、調査で前方部と後円部は同時に作られたことが判明。
でもそれは無視。一度決めたことは決定的に否定されない限り、うやむやを
押し通す。なんたって、調査されていないんだからわかるはずがない、と
いうことで。
>>897「ね・捏造だ!!悪の秘密結社が嘘偽りを世論にのせてるに過ぎない!!」
畿内説論者「何言ってんのこの人・・・大丈夫かよ・・・」
899 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:26:24
倭人伝を素直に読めば、九州島内のいろいろなところにたどり着く。しかもそこでは、女王の王都も卑弥呼の墳墓も
しごくあいまい。まるで脳内で不思議の国のアリスが見る夢のようなんだけど、ここでの登場人物は美少女ではなく、
中年・初老のひねこびた おっさん。www
>>899 このスレ出来て以来何度も言われている事がある。
『素直に・・・』とか『普通に読めば・・・』
って言う奴は全てデンパであり、根拠のない空想家
901 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:31:12
おっさんはロマンチストだから、こんなところに日がな書き込んで飽きもしない。ただし「素直に読む」ことがそれほど大事
なら、真の敵は倭人伝を考慮しない畿内説ではなく、倭人伝を「素直に読まない」他の九州説になると思うけどね。www
902 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:34:02
前原の地勢を考える時には
糸島半島の根元の旧道202号線、筑肥線付近は
海、または湿地帯であったと言う事を意識したほうがよい。
三雲井原集落の両側が川で切り離された
洲、のような地勢で、一見平地の真ん中にある
単純集落のように見えても、意外と防御しやすい地形となっている。
東側にある高祖山とその麓にある高祖神社は
由緒が神代となっており、その時代から
存在していた可能性もある。
後世に吉備真備によって作られた高祖城。
実はこの城がなんのために作られたかは不明である。
そのなに?『素直に読めばw』だと、北九州説は消滅するんですけどwww
904 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:53:36
>>901 素直に読むと言うのは、九州説全部には当てはまらないだろう。
九州説がみんなそう言うとは限らないということだな。
恐らく、伊都国の位置をどう考えるかで、素直?かどうかが決まるのかも。
905 :
日本@名無史さん:2010/05/30(日) 23:56:26
>>900 毎度そんなことしか書けないとはね。畿内説論者にまともな奴はいないのか?
>>901 畿内説も北九州説も敵だなんて思っていないよ。
御所市の秋津・室・名柄を掘れ!
907 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:03:37
908 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:13:53
素直に読んでも読まなくとも、畿内説が詐欺だということだけは、明確だ。
>>905 金輪際、「素直に読めば」といわない事だなw
素直じゃない素直なんてデンパでしかないから
911 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:26:32
三角縁神獣鏡は日本でだけ何百面、何千面見つかろうが、舶載です。
纒向は百回、二百回発掘しても、集落遺跡が出土しなくても、都市です。
弥生時代の九州の鉄器が畿内の百倍であっても、鉄器は文明度とは無関係です。
弥生時代の九州の鏡が、畿内の100倍以上でも、古墳時代の畿内で出土
した鏡はほとんど伝世なので、九州優位ではないです。
畿内説のために恥も外聞も捨てました。
by 畿内説
>>911 九州で大きい墓が出てきてから口を開けるんだなw
913 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:30:03
伊都国厨として言わせてもらえば
糸島半島の北が志摩国で三雲井原の内陸部が伊都国というのを
前提とし、名護屋城付近を上陸地点とすれば
かろうじて真東か東南といえなくもない。
、
914 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:32:48
大きい墓は邪馬台国優位の材料にならない。
後世の仁徳陵の時代に近いとは言えるかもしれない。
915 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:34:13
>>912 関係ないことで、ごまかすことしかできない畿内説www
てゆうか学者で本気で畿内説を信じている人なんていないから。
916 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:34:23
>素直じゃない素直なんてデンパでしかないから
意味不明。
917 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 00:45:00
基本的に古墳というのは後世になればなるほど
大きくなるものである。
大きいということは、その古墳が新しいものであると
いってもそう間違いではない。
918 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 01:25:53
>>917 そのような法則性は全く成り立たない。
君は大仙古墳が最も最後につくられた古墳と主張する気か?
古墳の規模は、その時の動員力に比例すると考えるべき
つまり支配範囲の広さのバロメーター
920 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 07:16:00
>>919 支配範囲の広さ(人口の多寡)を示す、支配者のいた近くに造ったと考えるとどうしても
理解できなくなる。邪馬台は最大の古墳地帯、次は投馬国、その次は奴国のはずだが投馬
国はどこだ? 北九州はけして3番目ではない。
各国は兵士のほかに古墳造りの要員を集めていたのか? とてもじゃないが無理な話だろ。
古墳は兵士が造っていた、古墳が大きい所に多くの兵士が駐留していたと考えるべきだよ。
古墳時代には、九州から本州まで、全部邪馬台国の勢力範囲。個別の国が自国に兵士を集
めているわけではなく、全国支配という観点から、軍を配置していた。
だから、必ずしも古墳が大きいところに邪馬台国があったわけではない。畿内は本州支配の
最大の基地が置かれていたから大きな古墳が造られた。時代、時代により、基地を動かすこ
ともあるから、大きな古墳が造られる場所は必ずしも一定していない。
921 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 08:36:05
>>917 古墳が一番多い県は千葉県だ。
後期の小型古墳が多い。
922 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 10:37:06
古墳の大きさは、倭国と百済が蜜月であった時代に最大となり、
百済が高句麗の臣下と成った時代に、倭王の朝貢がはじまる。
高句麗臣下の百済は、倭国と通好しない。
923 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 11:29:51
>>912 .____
../_ノ ヽ、_\ ぷぎやぁー
,. -- 、, o゚((●)) ((●))゚o ,. -- 、
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{ Y----‐┬´ 、. | | | / 、 `┬----‐1 }
/'、 ヽ |ー´ ヽ, | | | / `¬| l ノヽ
{ ヽ ヽ lヽ_!´ ヽ`ー'ォ./ 、 !_/l l / }
', ヽ ヽ ,/ } { \ l / ,'
ヽ ヽ 、,__./ / .\ ´`ヽ.__,ノ / ノ
\ ヽ__/,' _ / \ ヽ、\ __,ノ /
 ̄ ヽ、_ 〉 ,!、__/
924 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 11:59:17
wikipediaより
日本の古墳所在件数が最も多いのは兵庫県で16,577基にのぼる。
以下、千葉県13,112基、鳥取県13,094基、福岡県11,311基、京都府11,310基とつづき、
全国合計では161,560基となる(平成13年3月末 文化庁調べ)[4]。
奈良、大阪、宮崎が出てこないのが以外だった。
前方後円墳以外の小規模古墳が多いのかな。
925 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 14:42:53
岡山、広島も入っていないのか。広島は古墳が多いと聞いたことがあるんだが。
926 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 15:49:08
鷲崎さんの掲示板より
鷲崎弘朋
ホケノ山古墳の築造年代は、年輪年代法・炭素14年代法が登場する以前の通説では290〜320年頃(箸墓と同時期または、
やや早い)と見なされていました。
2001年の橿原考古学研究所の『ホケノ山古墳調査概報』では、埋葬施設の炭化木材を炭素14年代法での測定結果から3世
紀前半としました。
ところが、2008年11月の『ホケノ山古墳の研究』(最終報告と考えられる)では、中心埋葬施設の木の小枝2点が同じ炭
素14年代法でAD250〜420年、中心はAD300〜350年となりました。これにより、2001年発表の3世紀前半
築造説は否定され、従来通説に戻ることになります。
科学的と称する当初の炭素14測定値は、同じ炭素14年代法で否定されました。当初のDNA鑑定が、後に同じDNA鑑定で
否定されたのと同じです。従って、ホケノ山古墳の築造をAD240年頃とする説は成立しません。
927 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 19:09:03
奈良や大阪の古墳は中世までに破壊された所も多いのでは無いだろうか。
現存する古墳数が必ずしも築造された古墳数と比例しているとは限らないと思われ。
928 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 19:11:11
>>926 その鷲崎弘朋氏なる人物がどういう立場の人かは知らないが、もし引用文どおりのことを書いているとすれば、かなり問題があるね。
『ホケノ山古墳の研究』 シリーズ橿原考古学研究所研究成果第10冊 六一書房 橿原考古学研究所 (2008/11 7000円)
完全にソースを提示した上で書くが、要するに異なる二つの時代のものと思われる木片が出土したということで、前回の測定が否定されたわけではない。
なので築造歴年代に関しては、白紙に戻ったというのは事実だが、決して氏の書くように
>ホケノ山古墳の築造をAD240年頃とする説は成立しません。
に至るとはいえない。
これは単純な築造歴年代にとどまる問題ではなく、築造過程そのものに対する疑義であることは報告書を一読すれば明白であるので
氏が恣意的な引用をしたか、あるいはこのにコピペした引用者もしくは掲示板利用者がそうしたかは判らないが、そういった内容のものではない。
例によって「邪馬台国の会」が、あちこちの発言や記述を恣意的に引用して、さも完全否定されたように見せかけているが
それにころっと騙されるような情報弱者であっては、古代史はおろか現実の生活においても苦労が絶えないであろう。
929 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 19:15:50
>>927 大阪などは昭和(戦後)になってからの破壊がひどく
百舌鳥古墳群などは判明しているだけでも百数十基の古墳(墳墓)が確認されているね。
930 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 19:17:42
ごめん、文章がおかしい。
>>929は、百数十基の古墳(墳墓)の破壊痕が確認されているね。
に訂正。
931 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 19:48:30
>>928 同じ地層から出た木材の年代を調べて、新しいのを古いのが出た場合どうするか?
99%の学者・・・新しい方が基準になる。
お前・・・・・・・・・・両方が基準になる。
こんなの初歩の初歩だろ。
まあその初歩さえ無視するのが畿内説のいつものやり方。
932 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 19:55:30
ホケノ山の木材のC14で4世紀を示すものがあるというのは、かなり前からこのスレでも
話題に上がっていた。
なぜか当初の報告ではこれが無視されていたが。
『ホケノ山古墳の研究』は、それを公式に認めたという意義がある。
まあ無視してもソースに問い合わせれば隠しようがないから認めたようにも思えるが。
こんな茶番をいつまで続けるのか?
>>895 >根拠あったのか。
>>892は、魏志倭人伝の記述に疑問をもつ根拠、ということなんだけどね。
>伊都国佐賀説を否定できなくて
どちらの説が妥当か? という問題なのだから、そこは議論でしょう。
ところで、「根拠」と「証拠」を混同してないですか?
倍歴から一年歴への変更、それに伴う複数次に亘る歴史の修正、修正から漏れた事柄と整合性をとるためのさらなる修正。
記紀の記述からそんな痕跡が諸々見受けられる。
そんな不確かな記述と無理やり比定することに何の意味があるのかと思う、今日この頃。
>>927 あと、奈良の場合は田んぼの真ん中に石室のみ残ってるような
墓も無数にある。埋葬者がよくわからないものが凄く多い
936 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 20:55:41
>>931 いや捉え方と考え方がおかしい。
この報告書で何を問題視しているかなのだが、それは単なる歴年代ではない。
どちらが基準だとか、そんなちっぽけな問題などではないわけだ。
言うなれば、あるひとつの古墳の築造について、例えば西暦300年ごろと推定していたにしよう。
そこでそれよりも古いと見られる木材が出土した。さらに新しいと思われるものも出土した。
これらの年代差は実に100年近くある。
つまり築造歴年代という考え方が、そもそも成立しないのではないかとの疑義が提出されたわけだ。
果たして現存する墳墓は、ある任意の時期のみに築造されたのか、それとも複数時代において手直しや増築がなされているのかと言うことだ。
君が思っているほど単純な話ではない。
だからこそ日本各地にある古墳歴年代の見直しが必要視されている。
邪馬台国なんてちっぽけな話では決して無い。
>>931 >同じ地層から出た木材の年代を調べて
そりゃ”地層”の場合ある時期にその表面を新しい地層が覆いかぶさることで「クローズド」になってしまったと言う前提での話だろうに…
だいたい
>同じ炭素14年代法で否定されました。
>当初のDNA鑑定が、後に同じDNA鑑定で否定されたのと同じです。
>従って、ホケノ山古墳の築造をAD240年頃とする説は成立しません。
とDNA判定の例を持ち出すなら” 同じ人間から採取した同じサンプル ”で測定されたってのが筋だろうに。
同じ木棺材で測定して違う数字と言うのなら意味があるだろうが
その話じゃあ違う人間から採取したDNA使っているようなもんだw違うのか?
(その理屈が通るなら遺跡の中で採取されたデータの一番新しい物が自動的にその遺跡の年代となる)
まあ個人的には
以前、このイタのイタイ九州説連中がはしゃいだwww
ホケノのすぐそばの堂ノ後古墳が5世紀だったと言うことも考慮すれば
継続的な(築造後かなりの長期にわたり何回かの)祭祀が行われていた可能性を考えた方が
合理的だとは思うが・・・
何れにせよ、毎度毎度、恣意的なミスリードご苦労さんwwwwww
938 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 21:02:14
鷲崎:纏向遺跡を邪馬台国の王都とする最近の考古学は、全くの誤り。年輪年代法・炭素14年代法による100年遡上論の全面的影響による。
纒向遺跡が2世紀末からなら、
崇神5,6年=新羅192,3年と対応させることができる。
まあこの様な文献を対応させることもせず、今の考古学を否定しても正解は得られない。
939 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:05:37
>>936 もしかしてそれで反論したつもりかな?
「複数時代の手直し」とか、古墳でそんなとっぴなことを言い出すのは苦しいよね。
それがそのまま畿内説の苦しさなんだよね。
>>937 もしかして、これも反論のつもりかな?
同じサンプルである必要などまったくない。それだけのことだが。
それさえも理解できないフリをしないといけないのは、苦しすぎるね。
940 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:07:29
>>937はジョーカー氏かな?簡潔に説明してくれて有難う。
今回の報告書が問題視しているのは、もし長期にわたって何らかの継続的な祭祀が行われていたにせよ
そのつど改修や設備の置換が行われていた可能性について言及されたもので
もしそうだとすると、新しい石室様式や形状に作り変えられた可能性すら考慮せねばならなくなる。
これによって新しいものだと思われていたものが古く遡る可能性まで出てきた。
九州説諸君に念のために言っておくが、九州の前方後円墳の築造歴年代も遡る可能性が出てきたと言うことだ。
そのあたりをよく理解し咀嚼してから書き込むように。
脊髄反射のレスは九州説諸君自らの首を絞めるだけだ。
941 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:09:12
>>939 いや本当に理解できないのか?それとも単に意地になっているだけか?
もう一度書く。
九州説諸君に念のために言っておくが、九州の前方後円墳の築造歴年代も遡る可能性が出てきたと言うことだ。
942 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:09:32
>>940 豪快な自演だなwwwwww俺の腹筋を壊す気かwwww
.____
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{ ヽ ヽ lヽ_!´ ヽ`ー'ォ./ 、 !_/l l / }
', ヽ ヽ ,/ } { \ l / ,'
ヽ ヽ 、,__./ / .\ ´`ヽ.__,ノ / ノ
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943 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:13:06
>>942 こりゃだめだな・・・ジョーカー氏と当方の主張の違いも判らないとは・・・
もう一度書いてやろうか?
築造歴年代が複数時代にわたるとなれば、九州説に有利となるかもしれない疑義が提出されたと言っているのだが、理解できるか?
944 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:16:41
945 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:17:43
サイキックバカ=ジョーカーは究極の与太関西人
946 :
937:2010/05/31(月) 21:23:17
>>939 苦しいのはお前だろうにw
いつもの「恨み節東遷厨」かな?
悪いけどお前の芸風と言うかパターンはもう見飽きたわw
とにかく何でもいいから一番新しい年代のものを持ってきてそれを基準にして話すという…
この場合じゃあ以前「木棺材」から弾き出された数字はどうするんだ?
技術的に問題があったとするのか?
それとも切り出して100年以上とか「寝かせた」古材を使ったか?
それとも棺の材料にリサイクル材使ったとか?www
まあ年代についてはやむにやまれない事情があるんだろうが
あまり詐欺的な手口は使わない方が良いと思うがwwwwwwwwwwww
947 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:25:26
>>940 要するに、古墳の年代なんてあてにならんということだ。
948 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:31:32
北朝鮮国営放送レベルの「橿原考古学研究所」の文章を、
絶対視して語っている
>>928には、返す言葉がない。
949 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:33:20
ちなみに
>>942とか
>>945は一見するとサイキバの馬鹿レスっぽいが
この恐らくは恨み節東遷厨が脳味噌発火して
” サイキバ化 ”したものじゃないかと思う今日この頃wwww
950 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:33:54
橿原考古学研究所に反対してりゃ、邪馬台国が九州に誘致できるって、
社民党とお脳が同じなんだろうか?
951 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:36:04
■邪馬台国いったいどこ? アマ研究家の珍説に爆笑 宇佐市で論争大会
西日本新聞 2010/05/31
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/175181 古代史最大の謎、邪馬台国の所在地について素人研究家が議論を交わす「第6回全日本邪馬台国論争大会」が30日、宇佐市南宇佐の宇佐神宮で開かれた。会場では論者の珍説に爆笑が起き、自説を繰り出す一般参加者も出て熱気に包まれた。
大会は昨年、23年ぶりに復活。今回は全国から約200人が参加した。
論者5人のうち、福岡県久留米市の福島雅彦さん(70)は同市説を紹介。卑弥呼の居場所を聞かれた倭人(わじん)が筑後弁で「天(あま)たい」と答えた際、魏の書記官は「やまたい」と聞こえた上、国名と勘違いしたという。
元中津市長の鈴木一郎さん(75)は、邪馬台国を邪馬壹(いち)国と呼び、銅鏡や甕棺(かめかん)が多数出土し、地名の由来に近いという同県飯塚市が卑弥呼の墓だと訴えた。
3回目の参加という日田市若宮町の藤井章照さん(57)は「素人の発想は専門家にない面白さがある」。
討論の進行を務めた岬龍一郎さんは「歴史は国民の共有財産。皆さんの知的好奇心を次世代につなげていこう」と大会を締めくくった。
会場には宇佐説を主張する横浜市の古代史研究家、山上智さん(61)と、東京都の漫画家、小林裕美子さん(36)が来場。邪馬台国の所在地を探して旅する中学生を題材にした「古代史探偵タケル」を年内に出版するという。
豊後高田市の猪群山のストーンサークルが卑弥呼の墓だとする仮説DVDも作成した。
【写真】邪馬台国など古代史を題材にした漫画をつくる漫画家、小林裕美子さん(左)と古代史研究家、山上智さん
952 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:36:12
橿原考古学研究所崇拝教 → 畿内説詐欺の実体です
953 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 21:36:44
崇神5,6年≠新羅192,3年
左辺当時は船舶がない。であるから百姓がメシも食えずに千人も渡海など
漁師経験もないのに出来るわけがない。それをイコールだとして強行して
るという人間は、まぁ大宇宙は広大無辺にして日本海などひとっ飛びの
クリプトン星から来るSのマークの人物とかがいる天体とか電送人間機とか
の機械が出来ていてとたんにその強力な大電波により畿内から半島へと
直接電送できる電波星とかがあるらしく、そういう電波星人等からの
大電波を受信できる人物なら、そういう論もまぁ否定するには早計なの
だろう。PuPuPu・・・・・
船舶が初めて造ったのは、崇神17年である。であるからして、こういう
電波星からの人間の電送できるほどの強力な大電波を受信してれば、
崇神17年より古い崇神5、6年においても電送人間機とか胸にSのマークの
人物の孫悟空的飛行により畿内と半島をひとっ飛びだとい言うのだろう?
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
まぁ二重在位とかを言ってる奴は、脳内が受信可能の脳力が強いのかも
知れない??ppp
まあ「邪馬台国 誘致・移設 」は期限がないからなあwwww
「最低でも九州内!」言い続けて(ブーム以後でカウントしても)半世紀近く?w
955 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 21:43:47
ホケノ山が4世紀になっても、
唐古・鍵が邪馬台国時代の首都になるだけじゃないの?
モモソヒメ=卑弥呼は、唐古・鍵にいたわけだし。
唐松山と太国は邪魔
やりあうなら別スレでやれ
>>897 >まず、箸墓を卑弥呼の墓に決めてしまう。
いったい、この板で箸墓=卑弥呼の墓と言ってるってのは誰なんだ?
脳内仮想敵“畿内説”なんじゃないか?
で、その脳内仮想的“畿内説”が言う「箸墓=卑弥呼の墓」の理由はなんなんだ?
根拠もない相手にそれだけ懸命に反論してるわけじゃなかろ?
>後円部が先に作られたのであって、前方部は後になって付け足された
という壮大な仮説かい? ふるいな。
958 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:02:53
>>948 橿原考古学研究所の発表を信じないはずの貴方が
なぜホケノ山の木材が新しいとの話を信じるのか不思議なのだが・・・
959 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 22:03:54
倍年さん、御自説で崇神5年=新羅192年を覆してごらん。
960 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:04:59
>>897 >しかし、調査で前方部と後円部は同時に作られたことが判明。
これどこが判明させたか知ってるかい?
橿原考古学研究所ですよwww
961 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:10:19
>>957 >箸墓=卑弥呼の墓と言ってるってのは誰なんだ?
たぶん考古学者のリップサービスを真に受けてしまって、仮想敵を脳内で設定してしまったんだろうね。
一方では九州にもまだ調査が十分でない遺跡がいくつもある、そこが邪馬台国かもしれないとも言ってるのにwww
掌で踊らされてるだけなのに、まったく気付いていないらしい。
962 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 22:19:24
>>959 どうやって船のないの渡海できたのかねぇ? そうだろう。オマエの論では
宇宙船=UFO とか電波星の電送人間機だな。プ、ゲラwww
そのうち三重即位とか五重即位とか言い出すんでないのか?ww
精神病院の診察は受けてきたか〜?
ところで
崇神即位元年=景初元年=237年
である。このことは 崇神没年=259年 からの逆算にて判明する。
これは 崇神没年=258年 説を唱えた橋本増吉、菅政友の主張がほぼ正で
あったことを意味するのだ。そこから 紀の崇神6年=238年 が確定し、
239年=景初3年 の銘文の鏡が畿内から多数出土するのは、前年の紀の
崇神6年 に天照大神宮が成立して、このとき日神の象徴たる鏡を祀っ
たことからの二次的鏡群であるのだ。
そしてこのことは卑弥呼の活動年代が崇神の代であることが明解となる。
963 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:30:05
問い詰められると「俺はそんなこと言ってない」と息をするように嘘をつく畿内説。
三角縁神獣鏡舶載鏡説やら箸墓卑弥呼墓説が、畿内説の主流派だったことを、
今になって知らぬ存ぜぬの一点張りとは、さすが詐欺畿内説。
964 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:36:14
…と言うかそもそも14Cの年代測定自体、ある時には
「日本の環境では誤差がありすぎる」とか言って否定して
それが自分に都合が良い数字の時には無条件に採用する…
それを同じ人間がやっているよな?wwwww
965 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:40:52
>>961 本当に自演が好きだねえ。土建屋☆自演乙☆ジョーカーさんは。
>>963 >三角縁神獣鏡舶載鏡説やら箸墓卑弥呼墓説が、畿内説の主流派だったことを、今になって
あっ、シツレイしました。おいくつなんですか?
そのころの畿内説を聞かせてもらえりゃ、面白いかも。
967 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:43:29
C14って、誤差ありすぎるのかねえ?
奈良時代以降の木造建築物などでは
木材の伐採年を考慮すれば、かなり正確に一致している
と聞いているのだが。
968 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:44:20
>>963 >畿内説の主流派だったことを
「だった」っちゅうのは過去形だよな?w
何?謝罪と賠償でも求めるのか?wwww
別にいいんじゃないのか?
現在の説とて新しい材料が出てくればそれに合わせて変えれば良い。
むしろ変わらなかったらおかしい。
まあ学問である以上はそうやって
より蓋然性のある仮説をとっていく…というのが正しいわなwwwwww
例えば、もはや成り立たない「邪馬台国東遷」にヒッシにしがみついているのは
あれはカルトか?wwww
969 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:45:17
>>963 舶載説がかつて主流だったというのは本当だが、その話そのものは誰も否定していないよな?
で、箸墓=卑弥呼説だが、これって「考古学者」で主張した人って誰?
「文献学者」の内藤湖南とかも俺らは同じ畿内説だからナカーマとか思わなきゃならんのか?
ならば狗奴国東遷説を打ち出した井上光貞を批判すれば、九州説を批判したって事になるのかねぇ・・・。
もう何が言いたいのか、君は自分でも判ってないんじゃね?
冷たい麦茶でも一杯飲んで、ぐっすり寝なさい。
970 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:48:27
C14で誤差が多いのは、日本向けの修正グラフと言うやつだ。
だが、原理上日本向けの修正グラフなど必要ない。
国際的な修正グラフで十分だ。
今使われているのはINTCAL04 だったかな
971 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 22:51:25
>>970 国際的にも誤差は大きいよ。
紀元前の暦年代が確立していたエジプトでは200年近い誤差が出ていて
C14の方が疑わしいと見られている。
暦年代のはっきりしないところではC14を否定する年代がないだけとも言える。
972 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 22:51:39
そんなつまらない数字より
纒向の最初の開発者は誰?
そのお方が船を持っていたらどうなる?
973 :
悩む人:2010/05/31(月) 22:57:27
日本の古い木材や他の植物体のC14年代測定についてはまだ検討すべき問題点が多い。例えば、産地
(海岸近くか内陸部か)によるC14含量の差異や年代による大気中C14濃度の変化をどう補正するか
などである。原理的には、伐採年が判明している古木資料を用いて較正曲線を求めればいいのである
が、肝心の古木資料が得られない。
ホケノ山古墳の築造年代は何によって決められるだろうか。C14年代測定法には上記の問題点がある。
それに加えて、測定値が100年程度の幅を持つものであることから、仮に正確な較正曲線が作られて
もこの方法での年代推定は大雑把なものにしかなり得ない。
ということで、C14年代測定法で遺跡や出土物の年代が250年頃だと分かったなどという発表などは
勇み足なのである。年輪年代法についても少なくとも6世紀以前については十分な古木資料が得られ
ない筈だからこれも信頼性に乏しい。
ホケノ山古墳の築造年代は何によって決められるのであろうか。C14法は上記のような問題がある。
出土した庄内式土器はどうか?この土器が作られた年代は判っているのか?画文帯神獣鏡はどうか?
この鏡は稲荷山古墳や江田船山古墳からも出ているが、これらの古墳とホケノ山古墳は同じ頃に築造
されたとしていいのか?決め手がないではないか。
974 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/05/31(月) 22:57:35
>>969 畿内説には、
都市牛利(たしうり)=タジマモリ =田道間守
伊支馬=イクメ=垂仁
伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランイワカ=磐鹿六雁
イヨ=五百野姫←伊勢神宮より筑紫へ下向
この様にお馴染みの名前を連ねることも出来る。
975 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 22:58:53
崇神17年より前のとき、持ってた記録を出すんだな。どうもクソもない。
976 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:02:24
もしかして、ここの痛い九州説の理想的な脳内仮想敵って・・・唐松山???
それなら少しは理解できる。あんな痛い畿内説も珍しいから。
>>972 >纒向の最初の開発者は誰?
そんなの判るはずないだろーがwwww
記紀のうちの誰かか?倭人伝の中の誰かさんか?
>そのお方が船を持っていたらどうなる?
「そのお方」ってwwwwwどこの誰様なんだよwwww
で、あんたはその「船」とやらはどんな構造をしてたと思ってるんだよw
空とぶ幽霊船でも想定してるのかねぇ。
977 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 23:06:17
連ねたらウラ取りをせねばまったがかかる。同姓とか同名は当時
でもうんといるし、単に少し似てるだけでは、イコールにはなら
な〜い。それを強行するとなると、これは猿の惑星では人間(天皇)
が猿以下(臣以下)であり猿(臣以下)が人間(天皇)以上と
なる論理であるからして、猿の惑星から強力な大電波をpipipiと
感知しているんであるんなら、まぁそういう論もありうる可能性を
否定出来な〜い。www
978 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:07:04
大国はゴジンムの頃に芸風が戻ってるなwwwwwwww
979 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 23:08:18
ジョーカー
奴は稀代のデ・・だよ。
>>963 いや、真面目な話「箸墓=卑弥呼の墓」説が畿内説の主流派だった、っていつの話ですか?
三角縁神獣鏡舶載鏡説が主流派だったのは、王仲殊氏の説が出る前?
いったい、東遷説っていつの時代の説なの? 誰が言い出したの?
981 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:11:27
世界でも日本でも、C14を20年単位程度のピンポイントで使用することは現状では無理だろうね。あと、大古墳には陵戸があって
長期間にわたって祭祀が続けられていたのは間違いなく、様々な年代の資料が出てくるのは当然だろう。
箸墓の前方部と後円部の築造年代とかいうのは調査前の推論の一つで、調査した結果そうではなかった、というのがすでに定説。
それだけのことに陰謀も何もないだろう。被害妄想としか思えない。また三角縁舶載鏡説は、その同じ時代に出された古墳時代開始
4世紀からという無根拠な説に畿内説全体が苦しめられていた、まあ不幸な時代であった。現在の年代遡上は九州説には不快な流
れだろうが、学問の進歩として当然の帰結だろうね。
982 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:14:18
983 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:16:23
箸墓=卑弥呼の墓、については
かたっぱしから否定されているというか
そもそも箸墓と卑弥呼をつなぐ根拠がないから
今のところ可能性は皆無だろう。
新しい情報が何かあれば別だが。
984 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:18:30
てか、九州説から宮内庁批判が全然出ないってのもおかしな話なんだよね。
なんかのイデオロギーでやってない?>九州説
>箸墓卑弥呼墓説が、畿内説の主流派だった
まあ「箸墓卑弥呼墓説」と言えば先ず名が挙がるのは
笠井新也だろうがそれ以前にもいたのかな?
しかし少なくとも小林説の支配的だった頃には主流になりえるはずもない。
卑弥呼の時代にはまだ前方後円墳なんて出てきていないはずだったんだからwww
そうすると「箸墓卑弥呼墓説」が主流と言えるものになるのは年代観が大きく変わった90年代以降か?
>>979 お前は唐松山にしか絡めない真性だろうwww
987 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2010/05/31(月) 23:25:27
>>986 ジョーカー
オマエ昨夜はコテンコテンに負けたんで、血迷っていたではないか?
オマエもbibiiNNNNNNN→∞と大電波を受信したいらしいな。www
988 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:27:58
このスレの現状を見てわかるとおり、九州説というのはただひたすら畿内説批判を繰り返すのみで、何スレ経過しても九州説
自体の姿が見えてこない。せっかく「九州説ドンと来い」スレができても、そこで九州説同士で議論を深めるということもしない。
万年ループの原因は九州説陣にあると思うが、畿内説批判自体が楽しいというならそれもしかたがないか、しょせん2chである
ことだし。
そもそも卑弥呼の墓なんて特定する材料なんか出てこないだろう?w
それこそ金印でも出てくるか奴婢百人の徇葬の跡が出てくるかでもしない限り…
仮に箸墓から人骨や歯が出てきて鑑定の結果それが女性の物だったとしても
古墳に女性が埋葬されたと考えられる前例がないわけじゃなし…
恐らくは「箸墓が卑弥呼の晩年と年代が重なる」程度が限界かとw
そもそも倭人伝の記述から卑弥呼が国内においても絶大な権力を持っていたかのような
推測自体俺は疑っているw
990 :
神無月巫女 ◆Nd2zKeMg.E :2010/05/31(月) 23:33:09
>>987 オイ!デブ国「O・MA・E・HA・A・HO・KA!」
991 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:33:54
>>973 >日本の古い木材や他の植物体のC14年代測定についてはまだ検討すべき問題点が多い。例えば、産地
>(海岸近くか内陸部か)によるC14含量の差異や年代による大気中C14濃度の変化をどう補正するか
>などである。原理的には、伐採年が判明している古木資料を用いて較正曲線を求めればいいのである
>が、肝心の古木資料が得られない。
いや、それらを用いて作成した国際補正曲線がINTCAL04なのだが。
原理的に大気中の炭酸ガスに含まれる炭素がC14の由来になっているので
日本だけ違う曲線になるとは考えにくい。日本の周りで空気が遮断されているのなら別だが。
問題にしなくてはならないのは、海洋由来の炭素が含まれている場合である。
大気循環している炭素に対して、海洋内部だけで循環している炭素があり
それらのC14の量は大気由来のものとは違うからである。
992 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:35:19
>そもそも倭人伝の記述から卑弥呼が国内においても絶大な権力を持っていたかのような
>推測自体俺は疑っているw
だよなあ・・・普通はそこを疑うもんなのだが
まあ「普通に読めば」組は、疑うなんてご法度のようでして・・・
このあたり、実はオカルト板にそっくりな事例があるのだけど、また次スレが出来たらそれ書いてみるね。
たぶんここの痛い九州説は、オカ板からの難民だと俺は睨んでいる。
993 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:38:14
>>992 え、?
普通に読んで、絶大な権力があるようには読めないのだが。
だから、巨大な古墳などありえない。
994 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:43:58
>>993 巨大な古墳云々ではなくてね(あんなの絶大な権力がなくとも造れる)
邪馬台国が北九州を面的に支配していたとか、東征可能な強大な軍事力を有していたとか
果ては西日本を手中に治めていたとか、その他諸々・・・。
とにかく、どうやったらそんなマンガでも持ち込みボツをくらうような破綻した設定を信じられるのか、よくわからん。
995 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:45:42
箸墓については卑弥呼うんぬんという以前に、なぜ天皇でもない倭迹迹日百襲姫命の墓が書紀に最初の巨大古墳造営の記事
として出てくるのか、という文献的な興味が大きい。これは同じ巨大古墳であろう崇神陵に先行するためだろうが、では天皇(大
王)と同等に近い権威を持った女性シャーマンとはどのような存在であったか、これは邪馬台国問題とは別にきわめて興味深い
考察対象。ただし箸墓が倭迹迹日百襲姫命のものではない可能性もあるあだろうけど。
>>995 まあ江戸時代には現在の崇神と垂仁の陵墓比定が逆で
むしろ土器から見るとそっちの方がしっくり来るとか言う話もあるとか無いとかw
倭人伝の「伊支馬」と「彌馬獲支」の序列?も気になるところwww
そこら辺含めて一度全て白紙に戻した方が良いかも。
997 :
日本@名無史さん:2010/05/31(月) 23:55:00
誰か次のスレ立てよろしく。
,..-─‐-..、
/.: : : : : : : .ヽ
R: : : :. : pq: :i}
|:.i} : : : :_{: :.レ′
ノr┴-<」: :j| <ソースを書きなさい!
/:r仁ニ= ノ:.ノ|! _
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{;ハ__,イ: :f | /´
/ }rヘ ├--r─y/
/ r'‐-| ├-┴〆 _, 、_ '⌒ ☆
仁二ニ_‐-イ | | ∩`Д´)
| l i 厂  ̄ニニ¬ ノ ⊂ノ < ヤダヤダー!!
,ゝ、 \ \ __厂`ヽ (__ ̄) )
/ /\_i⌒ト、_ ノrr- } し'し′
└-' ̄. | |_二二._」」__ノ
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。
前スレ
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 72
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1274539361/l50
998 :
日本@名無史さん:2010/06/01(火) 00:03:23
>そもそも倭人伝の記述から卑弥呼が国内においても絶大な権力を持っていたかのような推測自体俺は疑っているw
これは疑いたくなるところだよな。畿内「ゆるやかな連合」説に立てば、連合諸国はそれぞれの首長と首長霊を持っていたはず
で、おそらく前方後円墳の祭祀はそれらの首長霊間の調整機能があったのではないかと考えている。各首長が集まっての共食
儀礼のようなもの。そこで、神々の序列のようなものも決まってきたのではないか。
999 :
日本@名無史さん:2010/06/01(火) 00:18:14
で、地方への前方後円墳の広がりは、その採用によって、神々の系譜に参加することができたと。
1000 :
日本@名無史さん:2010/06/01(火) 00:25:15
つづく
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。