謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!39

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201日本@名無史さん
こんばんは、奈良県民です。
さて、奈良の台風の影響についてですが、
毎年のように一応、台風は真上を通るようですが、普通の雨だけだったり、どんよりした曇りだったりで
学校に行ってた頃は警報がすぐ解除になったりしてがっかりしたものです。

ニュースでよく見る
車がひっくり返るような凄い風が吹いたり、
浸水した道路とか、奈良では見たことがありませんね。
202縦目仮面:2009/10/07(水) 21:02:56
古代と台風というのも難しいお題だね。弥生時代の台風に関する気象学的な本というのは見たことがない。
考古学的には、洪水で埋まったムラの例はけっこうあり、有名どころでは安倍川の氾濫で埋まった静岡県
の登呂遺跡などもそうだったと思うが、台風のせいかはわからない。

昔は野分と表現していたのかな。これなら確か枕草子などにも出てくるね。
203日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:47:30
菅原道真の祟りだと言われた、
大極殿の落雷も台風とか夕立だったんかな?

お、奈良県防風警報。
ほぼ無風なんだがな…ちょっと雨降ってる
204縦目仮面:2009/10/07(水) 22:52:00
えーと、日本では風の神は志那都比古(シナツヒコ)神で、イザナギ・イザナミの神産みのさい生まれた
とされる。以前、伊勢の太陽信仰の話題になった際に調べた。(シナ)とは(息が長い)という意味らしい。
ずっとマイナーな立場だったようだが、弘安の役の際、神風を吹かせたとして伊勢神宮では別宮に格上
げになった。
205ゴジンム:2009/10/07(水) 22:56:04
神州ハ不滅ナリ
206日本@名無史さん:2009/10/07(水) 22:56:53
そうすると学級閉鎖もなかったわけだな
207日本@名無史さん:2009/10/07(水) 23:04:04
奈良は暴風域に入ってるの?
当方、奈良だけどそんな激しくないんだけど…
208縦目仮面:2009/10/07(水) 23:09:55
志那都比古神は後代、風邪を治す神としても信仰されているね。あとは・・・弥生時代の古代の稲は1
50cmくらいの高さだったとする説もあって、これだと台風などの際倒れやすいので、品種改良で現在
の高さになったともいわれる。
209唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/07(水) 23:30:31
▼御所・玉手

 御所市玉手の京奈和自動車道予定地で、県内最古級となる弥生時代前期(約2500年前)から後期(約1900年前)
までの水田跡が見つかった。同市教委が1日、発表した。水田跡はあぜで細かく区切られ、同中期(約2200年前)
になると区画が大きくなるなど、約700〜800年間の弥生時代を通しての水田の変遷を示す貴重な遺跡とわかった。
210唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/07(水) 23:37:57
>弥生時代の古代の稲は150cmくらいの高さだったとする説もあって

この稲の長所は、丈の長いことであり、大和湖の湖畔に植えても水没しない。
大雨は大和湖の水位を上げても稲は水没せず、かえって豊作になることもあった。
211縦目仮面:2009/10/07(水) 23:47:37
>>209
まあ、その水田跡を見ても、整地と引水に苦労してるようで、最古の層は一辺が2mもない小区画水田。
その後、引水の利便性が良い多角形になり、さらに1枚ずつが大きく整った区画へと変遷するようです。
まあ、中国漢代あたりでも、掛け流し式の梯田が多いですね。てか、中国では今でもあります。

http://www.chikyu.ac.jp/sato-project/news_letter/news_letter_24.pdf この下の方の写真参照。
212縦目仮面:2009/10/08(木) 00:08:55
>>210
御所市玉手といえば孝安天皇の御陵がありますが、この天皇も事績がほとんどなく、俺には系図の
つなぎ役にしか思えません。治世が異様に長いことと、長子相続でないこと・・・なにか他に面白い話
がありますかね。
213唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 00:18:31
>最古の層は一辺が2mもない小区画水田。
この水田は、水の少ない北方系の区画です。

http://iseki.blog5.fc2.com/blog-entry-1512.html
自動車道建設に伴い約6800平方メートルを発掘。水田跡は洪水で運ばれた砂で4層にわたりパックされた
状態で見つかり、弥生前、中、後期の各時期の水田 が確認できた。前期は長辺約3・5〜5・5メートル、
短辺約1・5メートルの長方形で、農作業の人の足跡も検出した。中期は長辺が3〜10メートルと区画 が
やや大きくなる。後期は長辺が4〜8メートルで面積は同程度だが、水路に沿って規則正しく造られ、
水路には護岸のためのくいも打たれていた。こうした変 化は稲作の本格化によるものとみられる。
214唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 00:27:33
書き込めない?

http://iseki.blog5.fc2.com/blog-entry-1512.html
自動車道建設に伴い約6800平方メートルを発掘。水田跡は洪水で運ばれた砂で4層にわたり
パックされた状態で見つかり、弥生前、中、後期の各時期の水田 が確認できた。
前期は長辺約3・5〜5・5メートル、短辺約1・5メートルの長方形で、
農作業の人の足跡も検出した。中期は長辺が3〜10メートルと区画 がやや大きくなる。
後期は長辺が4〜8メートルで面積は同程度だが、水路に沿って規則正しく造られ、
水路には護岸のためのくいも打たれていた。こうした変 化は稲作の本格化によるものとみられる。
215縦目仮面:2009/10/08(木) 00:28:22
>前期は長辺約3・5〜5・5メートル、短辺約1・5メートルの長方形で

これは傾斜地の等高線にそって作られたもので、整地が難しかったからでしょう。最古層はさらに畦で
区切られてるようです。
216日本@名無史さん:2009/10/08(木) 00:43:35
玉手(笑)
懐かしい。御所工業高校があるとこやな。
あそこも葛城領なんだよね。
「考」の付く大王って葛城領内に御陵があるよね。
葛城氏の大王なんだろうか?
217日本@名無史さん:2009/10/08(木) 00:55:03
台風18号

皇居の真上を通過すればいいのに(笑)
218日本@名無史さん:2009/10/08(木) 02:15:31
てすと
219日本@名無史さん:2009/10/08(木) 06:47:47
ほらね、ご覧のように台風は
奈良を避けて行きましたとさ。
220日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:26:34
つーか、古代大和の人は、台風が大和を避けた事をどのように知るんだ?
つー前に、台風が避けたなら、台風が近くを通り過ぎたことすら気付かないのでは?
つー事は、台風自体を知らない。
221日本@名無史さん:2009/10/08(木) 09:46:59
昨年、本年と九州は台風来てないなあ。

かなりみんな慣れてるから、対策と行っても
仕事出るときに、風で飛びそうなものを玄関に入れておくだけだが。
222日本@名無史さん:2009/10/08(木) 10:08:42
>>219
9807で直撃したはずだが。
223日本@名無史さん:2009/10/08(木) 13:20:38
今回の台風は 綺麗に避けたな(笑)
紀伊山地ありがとう
224日本@名無史さん:2009/10/08(木) 13:38:12
>>220
目と口と足があれば、知ることは可能。

例えば、
河内で被害→家失う→違う土地に移動
→大和は被害が少ないと知る→皆に報告

とかね。
225日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:14:35
>>224

>大和は被害が少ない。

河内は被害が多い
と言う事は、河内で家を失っても何度かその地にて建て直した事の裏付け
すると>>224での
家を失う→大和に移動は矛盾するし、
大和に移動しても河内よりも安全が確保されるか不明のままの移動こそ考えられない行動。

よって、全て河内よりも大和が安全とする前提がありきの話しの流れ。
226日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:21:04
>>225
河内にも大和にも住民がいて、彼らが交流を持ってたとは考えないのかね。
227日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:28:06
>>226

事象に対するデータの比較と交流は別物です。
大和と河内の自然災害に対する比較は、全体像で見なければならない客観性を伴うものです。
228日本@名無史さん:2009/10/08(木) 14:36:37
河内が大和に比べて自然災害が少なく、河内で災害に見舞われ
家を失い大和に転居し、大和で自然災害の少ない穏やかな生活が営めるのなら
災害の度に
河内から人が移動し、結果人の住まない地域になりますね?
229日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:07:15
>>227 
主題からずれた話が続いているので、言葉遊びに加わえてもらおうかな。
「事象に対するデータの比較」とは何を意味するか?
対する=向かい合う、対立する、反対する。 事象の対極にあるデータの比較?
「大和と河内の自然災害に対する比較」は「(大和と河内)が(自然災害に対して)(比較する)」という
意味(大和と河内が主語)なのか、(大和の自然災害と河内の自然災害)(の)(比較)なのか判然としな
い。
「全体像で見なければならない客観性を伴うものです」も難解な文章である。
(全体像で見なければならない)は(客観性)の修飾語ともとれるが、「全体像で見なければならない客観
性」とはどういうものか見えてこない。「全体像をみる必要があり、かつ客観的でなければならない」と言
っているのだろうか。
230日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:12:56
>>229
主題からズレたって?
最初から主題なんて存在したか?
231日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:17:35
たしか謎の女王卑弥呼は誰か?が主題だったような・・・
232日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:23:53
>>231

うっそ〜
初めて知った。

あったんだあ〜
233日本@名無史さん:2009/10/08(木) 15:47:21

卑弥呼=モモソヒメ

よって卑弥呼の墓は箸墓古墳
邪馬台国は畿内

これにてスレ終了
みなさん乙枯れ
234日本@名無史さん:2009/10/08(木) 16:11:36
一般的にはそれで決着ついてるよね。
自称研究家が認めないだけで。
235日本@名無史さん:2009/10/08(木) 16:14:24
>>233からの要望により、このスレの削除依頼を出してきます。
236太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 16:25:40
記紀に(伝から借り物でない)独立して卑弥呼の記事が無いという
ことは、また当時の崇神前後に卑弥呼という女天皇が皇統譜にないと
いうことは〜大相撲の番付に載ってなければ大相撲の協会の力士に
籍がないということと同然で、番付にそういう力士名がなければ
両国等でやる本来の相撲取りの力士ではないことを意味する。記紀の
当時の皇統譜に女王(女天皇)が無いということは大相撲の番付での
女横綱が存在しないことを意味しており、そういう女横綱がいて
大相撲の協会のの番付にその名が無いということは、別の女相撲の
団体の横綱だということなのだ。

だから卑弥呼は畿内の女天皇(女王)ではなく、日本の別の地域の
女王だったというのが合理的考察なのである。ということは卑弥呼
は畿内でない九州の女王だったと観るのが賢察なのだ。
237日本@名無史さん:2009/10/08(木) 17:18:35
>>233 >>234
おまえらコドモか?又は馬鹿か?あるいはボケ老人か?それとも知恵遅れか?
238日本@名無史さん:2009/10/08(木) 17:56:02
>>233 お待たせいたしました。
只今スレッドの削除依頼を提出してきました。

http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1125573948/


327 :"削除"依頼人:09/10/08 17:51 HOST:softbank221052122136.bbtec.net<8080><3128><8000><1080>
削除対象アドレス:
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254400875/201-300

削除理由・詳細・その他:
既にスレッドとして問題も片付き、存続させる意義も無くなったので
住人からも終了の意見も出された。
サーバーの負担軽減を考えると、一つでも無駄なスレッドの早期削除を
お願いしいたします。
なお、関連した議題のスレッドは、他にもありますので
ここがどうしても必要であるとする理由はありません。
239日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:10:35
そんなこと言ったら2ちゃんねるがなりたたないだろ。
240神奈川県民:2009/10/08(木) 18:15:54
>>238
却下

softbankの河童虫くん 
一度、精神科にでも観てもらったほうがいいんじゃないの?

241日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:25:36
>>239

>>233が終了宣言したからです。終了宣言しなければ、削除依頼を出す事はなかったでしょう。

後の判断は削除人に委ねるだけです。
242神奈川県民:2009/10/08(木) 18:36:09
>>241

余所へ行って下さい m(__)m

243日本@名無史さん:2009/10/08(木) 18:53:45
>>237
ファビョるなおっさんw
事実なんだから仕方ないでしょ。
244愛知県民:2009/10/08(木) 19:48:33
歴史教科書は両論併記と思ったが?
学生諸君、今の教科書は違うの?
245唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 20:16:21
>>233
モモソ媛の箸墓は築造に何年ぐらい要しましたか?
246日本@名無史さん:2009/10/08(木) 20:33:52
>>227
河内東部から奈良西山間部は
葛城氏の領地です。
自分の領地の被害を把握してないとでも?
247日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:42:06
>>246

いつの時代の話をしているの?
248日本@名無史さん:2009/10/08(木) 21:47:44
>>247
卑弥呼・祟神の時代ですが、何か?
なんだったらそれ以前でも良いですよ。

スレに沿っての話してるのに何をほざいてるの?
249唐松山 ◆V0F34EbmQA :2009/10/08(木) 22:53:57
卑弥呼は崇神時代では無い。
これが問題なんだ。
250日本@名無史さん:2009/10/08(木) 22:56:17
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
251日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:01:58
>>246
>河内東部から奈良西山間部は
葛城氏の領地です

証明してください。
252太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 23:15:14
卑弥呼は崇神年代だ。景行は無関係。唐松山の言い分は殆どが
デタラメである。日食が数日間続くんだそうで、その不合理を〜
こちらが不合理なようないい草で「日本書紀の年代を考える」のスレ
ではぐらかしをし、そのの抗弁に余念がない。ww
253太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 23:20:33
>>252
同スレ等で幾回も解説してきたが卑弥呼の活躍は崇神の年代であり

 崇神即位元年=237年=景初元年

である。このことと倍暦計算で崇神没年が259年を得ており、これは
菅政友と橋本増吉の同没年258年説がほぼ真であることを物語って
いるの。
254縦目仮面:2009/10/08(木) 23:29:21
「日本書紀の年代を考える」は見てますけど、すごいバトルですよね。しかし俺には理解できない記述が
多々あります。特に、「天津神算木(天津金木)」というのは、延喜式祝詞にあるやつですよね。檜で作られ
た四分角ニ寸の角柱とかいう。あれをどう使うんですか?
255太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/08(木) 23:33:16
それは確か水谷清著の「三種の神器」に解説があったな。これと
翁のは、真物へのイザナイ物。
256縦目仮面:2009/10/08(木) 23:56:29
古神道の秘儀ですか・・・「大石凝霊学全集」とか、時間があれば図書館で読んでみます。

少し倭人伝でもやりますか。風俗記事の、 >男子は大小と無く、皆黥面文身す。
黥面は顔のイレズミ、文身は体のイレズミでいいのかな。

>文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異なり、あるいは左にし
  あるいは右にし、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。

このイレズミの風習は改めさんのいうように南方系を思わせますね。ポリネシアでは、3000年ほど前
の入れ墨用の道具類が出土してます。ただ、ポリネシアあたりだと女性のイレズミも多い。日本ではかな
り古い縄文土器にもイレズミらしき文様が見られます。

もとは鮫などの害を避けるためにしていたイレズミが、やがて飾りとなり、地域やその人物の尊卑によっ
て異なっている・・・上レスで少し書きましたが、身分によって別種のイレズミをしていたとしたら、倭人の
身分制というのは、かなり早い段階から固定されてきているといえそうです。

257日本@名無史さん:2009/10/09(金) 00:15:46
お前ら!河童虫が此処に来たら追い出しコールしろよ。
絶対中に入れるな
あいつは人間の屑だゴミだばい菌だ。
258縦目仮面:2009/10/09(金) 00:19:20
ただポリネシアというのは比較対象で、倭人のイレズミは、魏略をみても太白や夏后小康の子という
中国起源のイレズミ譚と関連付けて語られている。

ところで、記紀ではあまりイレズミの記述は出てこないんですが、神武東征の記述に、配下である大
久米命は「黥利目(さけるとめ)」(おそらく目尻のイレズミ)をしていて、神武帝の皇后となる女性が驚い
たというような記述があり、久米氏の戦闘歌である「久米舞」が現在でも古代舞踊として残っているが、
このあたりを考えると、イレズミに関しては九州説に有利なのかなという気もするね。

259日本@名無史さん:2009/10/09(金) 00:24:56
>>257
スレ違い

260縦目仮面:2009/10/09(金) 00:33:38
>王となりしより以来、見るある者少なく、婢千人を以て自ら侍せしむ。ただ男子一人あり、飲食を給し、
  辞を伝え居処に出入す。

一般人が見ることができない王というのは世界的に類例が見られるが、このあたりは、森浩一氏が面
白いことを書いている。ラグビーのウオー・クライで有名なマオリ族の王には、自分で飲食をせず両手を
後ろに回して、かしずく女性に食事を食べさせてもらうという風習(王が食物に触れると神聖さを失う)と
を紹介していて、「飲食を給し」の部分がそれにあたるというもの。まあ、この当否はわからないが、卑弥
呼が、弥生時代によく見られる大量の貝の腕輪などをしていたとしたら、自分で日常の用はできなかった
可能性はあるかもしれない。

261縦目仮面:2009/10/09(金) 00:48:11
>年已に長大なるも、夫婿なく、男弟あり、佐けて國を治む。

この「男弟」というのを、260の  >ただ男子一人あり、飲食を給し、辞を伝え居処に出入す。
の「男子一人」と同一視するむきもあるようだが、俺にはそうは思えない。「男弟」には戦闘のほか、お
そらく治水や集団農耕の指揮、新田開発等の仕事があり、そうそう卑弥呼にひっついてもいられない
と思うからだ。これは、祭祀を担当する巫女王と実務面を担当する男性との「ヒメ・ヒコ体制」といえる
のかもしれない。そして、俺には三角縁神獣鏡等に見られる東王父と西王母の画像がどうしても連想
されてしまう。
262縦目仮面:2009/10/09(金) 01:01:47
>婢千人を以て自ら侍せしむ。

侍女千人というのはかなりの数で、まあ江戸時代の大奥の女性が最大三千人という話もあるけど、この
人数が一つ所で生活するとすれば、かなりの規模の神殿が必要とされるだろう。このあたりも倭人伝には
誇張があるのかなあと考えてる部分なんだけど、どうですかね?
263日本@名無史さん:2009/10/09(金) 02:49:45
>>262 縦目
>侍女千人というのはかなりの数で

まあ普通に考えて誇張なんじゃないのかな?

数もさる事ながらその役目が気になるところ。

単なる農耕作業にも従事する下戸のような人間なのか?
それとも宗教儀式だけに従事していた人間なのか?

畿内説なら後者で各地から纏向にやってきた
有力者の血縁女性と言う見方も出来るだろう。

まさに
『 ヤマトだ!三輪だ!女だらけの纏向だっ!!』
だなwwwwwwwwwww
264日本@名無史さん:2009/10/09(金) 07:44:21
>>262
何も、千人が同じとこに住む必要ない。
必要な人材だけ宮殿に住めば
壁や濠で囲った中の住民であれば、家から通えばいい。
または別の下宿施設があれば問題ない
265日本@名無史さん:2009/10/09(金) 12:41:58
六尺一歩は公式だ。とすると
帯方郡から3000q先の對海国って何処だ?
末廬国はその800q先だ。
266ローガン:2009/10/09(金) 16:33:23
>>265
如淳注 在帯方東南萬里、 後漢書 於〇〇倭韓萬里朝献
萬里って遠いくらいの意味ですよ。 魏志では二千餘里を付加しているんだから、こちらが新しい知見によりえられたものでしょう。
金印の奴國から、800km程、離れて一月位歩ける所に女王都があったんでしょう。
267日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:55:16
>>266
だから九州内。
九州は島だから、一月歩こうが一年歩こうが、島の中からはでられない。
SF忍者なら、海の上でも歩くのでしょうが
268日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:59:21
>>266
遠いに二千余里付加しても、やはり遠い。
都合で萬里を遠いとしないでください。
269日本@名無史さん:2009/10/09(金) 17:08:33
萬里が遠いの意味ならば、何処が遠いのかを示す名詞が
萬里の後にくるのではありませんか?>>266
270日本@名無史さん:2009/10/09(金) 19:29:09
未だに九州説を言ってる人っているんだね(笑)
271日本@名無史さん:2009/10/09(金) 20:47:03
>>270
おまえさんは時代の進歩について行けない哀れな人だね。畿内説は最後のあがきをしている段階なんよ。
272日本@名無史さん:2009/10/09(金) 21:46:06
>>271
釣り針デカすぎワロタwww
273日本@名無史さん:2009/10/09(金) 21:59:10
>>272
考古学者の「倭人伝はともかく」ってのはみるけど、文献史学者の畿内説の本て
最近みたことないなあ。もう、駄目だって諦めてんだろ。
274日本@名無史さん:2009/10/09(金) 21:59:34
>>260
>婢千人を以て自ら侍せしむ。

あまり深く考察したわけではないが、この婢というのは、恐らく
記紀万葉などに出てくる采女(うねめ)と関係があるような気がする。

■采女  (提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%87%E5%A5%B3

■古代の三重から多くの「采女」  (三重県庁サイト「県史あれこれ」)
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/arekore/detail.asp?record=49

なぜそう思うかというと、律令官制では主水司や内膳司に采女が配されているから。

采女は、隋・唐を真似た律令制度で初めて取り入れたものなんかでは決してあるまい。
律令以前からあったわが国古来の天皇家(大王家)〜地方豪族間の風習が元になっており、
それを令制の中で制度化けしていったものと思われる。

とりわけ主水司(もいとりのつかさ、もんどのつかさ)の職務は浄水の管理ということで
近年の考古学の成果である「水のまつり」(聖泉・井戸、湧水、導水施設、導水埴輪など)との関連が気になる。
「はそう」を捧げ持つ巫女埴輪の存在もまた然り。

■郷ヶ平古墳出土人物埴輪  (文化遺産オンライン)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=135601
275日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:15:41
>>273
確かに妄想で書ける
小説家は九州説論者だね(笑)
276日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:21:10
>>273
当てにならない物だと判断したからね。
今は、巻向が発掘調査解禁になって
何かが発見されるたびに
畿内説が有利になってるんだよ。

九州に何かある?
277日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:28:12
>>273
考古学ならまだしも、文献やってる人は、邪馬台国じゃあ業績にならんのじゃない。
オレの印象だけど。
お年を召してリタイアしたとか、
業績を気にせず趣味としてやれる方でないと手を出せないような気がするが。
278日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:31:32
>>264
一つ所というのは、一つ屋根の下という意味とは限るまい。
電車は無いんだから、家から通うには、
家は卑彌呼の住まいの周辺にかたまってないとね。
そんで、千人が出仕するわけだから、
三交代制としても、300人くらいが働ける施設が必要になるね。
279日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:31:58
>>276
そういえば、木のお面が出てきたとか言ってたな。邪馬台国があったという
有力な証拠になりそうだね。
280太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/09(金) 22:32:04
卑弥呼が畿内朝廷の女でしかも女王だとなれば、彼女の活躍当時の
時代相当の記紀の個所に、女天皇(女王)として皇籍に明確に載る。
それが全く(伝からの仮もの以外)女王らしき記事が相当の時代
(崇神世あたり)の記紀の条に無いんだから、彼女は朝廷の女王(女
天皇)ではない。

日本相撲協会の番付に力士の名として無けりゃぁ、同協会の力士で
ないことは一目瞭然で分かる。しかも現今の番付には女横綱が無いん
だから、女横綱だと何かの現今の情報にあるのなら、これは両国で
大相撲をやる日本相撲協会の力士ではない。こういう女横綱の現今
での存在情報があるんなら、それは例えば日本相撲協会の女横綱
ではなく。別の相撲団体の女横綱だということだ。

だから卑弥呼は畿内朝廷の女王ではなく、どこか別の国の女王だと
いうことになる。ならば畿内でない他の国となれば、これは九州に
女王国があったということが容易に分かる。畿内に卑弥呼の女王国は
存在しない。
281日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:33:40
>>277
業績にならんのは、まともなことを書きようがないからだよ。
282日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:34:29
九州説の倭人伝はもはやアナグラム
283日本@名無史さん:2009/10/09(金) 22:42:26
>>280
前から言ってるが、
ホントにアホですね。
284太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/09(金) 22:47:19
>>283
フフン〜オマエも盲象が強いな。あくまで天皇と女天皇(女王卑弥呼)
とチチクリアイをさせたいのか? pp

それは歓喜天ベッタリ盲象だぞ。ブハハハ・・・・・ww
ヒミコは九州の女だよ。第九♪でもい聞いてろ。wwwww
285縦目仮面:2009/10/09(金) 22:47:38
>>274
采女とすれば、祭祀を受け持つほか、地方豪族からの人質的要素もあるということでしょうかね。
ところで、この記述と関係ありそうなのが、

>国の大人は皆四、五婦、下戸もあるいは二、三婦。

これは長年の倭国乱で、男が少ない状況を表しているのですかね?
286縦目仮面:2009/10/09(金) 22:58:12
例えばイスラムの一夫多妻制度の確立は、正統カリフ時代、戦争が相次ぎ女性は寡婦となることも多く、
この際の経済的扶助手段として導入された。また教義的に結婚と社会的再生産を奨励するため、女性の
結婚する権利を重視するが、戦時など一時的に男女の数の不均衡が起こった際に女性の結婚権を保障
するために導入されたなどと説明されることが多い。

しかしこれも確証ある話ではないし、なんとなく制度の正当化くさくもある。
287縦目仮面:2009/10/09(金) 23:18:14
まあしかし、倭国乱のせいで男が少ないとすれば、婢千人というのは意外にも女性の救済事業と見る
こともできるかも。w
288日本@名無史さん:2009/10/10(土) 02:13:48
>>282
>九州説の倭人伝はもはやアナグラム

まあそのうちコンピューターに全文打ち込んで
何文字かおきに文字をピックアップすると
暗号文が浮かび上がってくるとか言い出す奴が出てくるんじゃないかな?w

もっとも今更そんなネタじゃあ誰も見向きもしないだろうがwwwwwwwww



289日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:13:39
>>288
 
まるで南を東に変えたり、墓の中を透視する畿内説見たいだな
290日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:25:17
帯方郡から約3000qの道程を経る對海国って何処だ?
291日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:27:18
對海国から約400q離れた一大国とは何処なんだ?
292日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:29:13
一大国から約400q、帯方郡から約4000q離れた末廬国って何処なんだ?
293日本@名無史さん:2009/10/10(土) 08:33:34
つまり1里を400m強として計算するのが間違いだということですよ。
邪馬台国論争ではまずこのことをおさえるのがだいじです。
294日本@名無史さん:2009/10/10(土) 08:58:39
>>293
しかしここでは念仏のように、「公式公式」と手を合わせて拝んでいるぞ?
だから卑弥呼の墓は144m だと騒いでいる人もいたな。
295日本@名無史さん:2009/10/10(土) 09:16:43
百歩なんて誇大宣伝であって、本当は十歩程度の粗末なものを分掛けしたのかもしれないし。
そうだとしたら、今まで神の様に崇めてきた箸墓信者は、日本代表クラスの間抜けだなコリャw
296日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:16:17
>>295
虚しい願望ですね、まあ証明できるよう頑張ってくださいw
現実は箸墓が卑弥呼の墓の有力候補に間違いないですから。
297日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:26:22
>>292
松浦
298日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:31:05
>>297
帯方郡から松浦まで4000キロあるか?
299日本@名無史さん:2009/10/10(土) 12:54:26
>>292
>一大国から約400q、帯方郡から約4000q離れた末廬国って何処なんだ?
よくぞ聞いてくれました。
末廬国とは舞鶴。京都府ですよ、京都。。
敗戦で日本に引き揚げてきた満州開拓民の帰港地。
海流の速い朝鮮海峡を渡るより安全な航路なのです。

卑弥呼の時代から使われていたことは間違いありません。
300日本@名無史さん:2009/10/10(土) 13:01:26
>>299
舞鶴まで帯方郡から4000qか?