952 :
日本@名無史さん:2009/09/27(日) 17:48:51
唯授一人ってなんて読むんですか?
954 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:01:41
955 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 00:06:10
織田信長の家臣であった弥助(黒人)についての資料を探しています。
どなたか良い資料をご存知でしたら教えてください。
956 :
日本@名無史さん:2009/09/28(月) 02:26:43
>>953 すみません、その人じゃないです。
思い出したので追加の情報です。
本来は先端が一枚刃だった鍬を先端が3つに分かれた鍬にした人です。ちなみにその鍬はその土地の鉄を使っています。
その鍬を広めるために全国に営業した。現在の東国原知事みたいなもの。
今まで発行していた債券を全額買い戻し、新たな債券を発行して貨幣の信用を戻した。
鍬田佳祐じゃ。
>>956 たぶん、大蔵永常 かな?
少し間違った情報が混ざっている気がする
よっしゃこい
960 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 02:09:59
>>957 違います。
>>958 ここまで農業に特化した人ではないです。区別するなら財務大臣みたいなものです。
情報は最近テレビで特集やっていて、とても印象残っているので、自信持って言えますが間違っていません。
それなのに名前だけが・・。
961 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 02:11:02
山田方谷だと思われ
よっしゃこい
>>961 だね。歯が複数に分かれてる鍬ってのは備中鍬だ。
山田なら備中鍬とは何の関係もないんじゃない?
彼が生まれたときには関東でもすでに一般的な農具だったよ
よっしゃこい
>>961 当たりキター!
本当にありがとうございました。
答えていただいたのに恐縮ですが、鍬の件は放送では先に言った通りで番組が作られておりました。
965 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 11:17:23
歴史学博士は歴史学修士に降格となりました
歴史博徳 れきしのぽすどく
967 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 19:40:39
968 :
日本@名無史さん:2009/09/29(火) 23:08:10
時代劇とかで見る昔の掛け布団って、
着物の形をしていますが、あれはそのまんま着物なんでしょうか。
969 :
日本@名無史さん:2009/09/30(水) 00:03:41
石田三成が関ヶ原に陣を敷かず大阪城に籠城したらどうなっていただろう。
掻巻(かいまき)、丹前、どてら。
袖のある夜具として、室内着にも使った。
掻巻や丹前はまだ使われてるよね。
このあいだテレビショッピングで売ってるのをみたわ。
もともとは布団とかなくて着物をかけて寝てたところに始まるわけだけど。
972 :
968:2009/10/01(木) 02:00:49
973 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 05:42:16
借用仕金子之事
合五拾枚(黒印)者
右此秋八田伊与代官之内 (右=本文タテ書きです)
にて慥返進可仕候、此由
御申上頼入候、以上
岡山中納言(黒印)
ひと月前に上記を訳していただきましたが、下記のように訳された三行目以降
について再度の質問です。
>右この秋八田伊与代官のうちにてたしかに返進(へんしん=返すこと)
>いたします、このことを申し上げ頼み入ります
八田伊与代官の「うちにて返進」とは、具体的にはどう解釈すればいいので
しょうか。この代官のことは全く不明です。
>>973 秀秋の直轄領のうちで、八田という代官が管轄しているうちで、
この秋の年貢収納から返す、という意味です。
代官は、直轄領の年貢をゴニョゴニョする人。八田が担当している分から返す、と。この秋のね。
米かどうかは書いてないが、米と考えるのが普通かな。
よっしゃこい
やっぱり博士はすごいや( ゚∀゚)
返す前に秀秋死んで御家断絶→借金チャラか。
977 :
日本@名無史さん:2009/10/03(土) 23:17:57
江戸時代の大名の何とかの間詰めとかはいつ決まったの?
>>977 「詰間」(つめのま)あるいは「殿席」(でんせき)というんだけど、
初期からある。だたし、初期の実態は不明。
時期による異同があって、よく辞書とか概説書で説明されているのは、
ある時期以降の話。
ある時期とはいつかというと・・・ 忘れた。
ある時期に、儀礼面が明文化されたかなんかしたはず。
とにかく初期からあることはある。
よっしゃこい
854なんだが、俺様よりも
>>855の方がいい回答じゃん。
確かに、観阿弥は南朝と関係の深い母を持つという説がある。
伊勢に北畠氏がいたのは知らなかった。ありがとう、
>>855 京都に戻ってこれたかどうかは、結局判らないか…
一応質問してる奴も基礎知識くらいはあんだからな!
せめて専門分野くらい御開帳しようや。
博士ともなりゃあ、「広く浅く」の正反対だろう?
「○○時代の××分野にしか答えられない」でおkだよ。
そこの分野で質問したい!
>>979 京都に戻れたかどうかは「不明」と言っているだけ。
学問的にまさに「不明」だから「不明」と言っているだけ。
>>855氏とは別な話。
何で噛み付いているのか意味が分からん。
よっしゃこい
981 :
日本@名無史さん:2009/10/04(日) 07:24:19
>>974 重ね重ねありがとうございました。
ずっと気になっていたので、すっきりしました。
mixiなどの他のサイトではお会いできませんか?
>>981 mixiはやっていません
よっしゃこい
庶民が名字を持つことが原則禁止されていたのは徳川時代だけですか?
984 :
日本@名無史さん:2009/10/05(月) 00:08:24
そうです
もっとも江戸時代でも内々に名字を名乗っている庶民はいましたが
よっしゃこい
便乗質問。
何で庶民は名字を許されなかったんですか?
武士の権威を相対的に高めるため?
986 :
日本@名無史さん:2009/10/05(月) 01:36:43
墾田地系荘園と寄進地系荘園の違いを分かりやすく教えてくれませんか?
987 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 00:25:19
大和源氏はどこにいったのでしょうか?
988 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 01:03:54
>>986 学校の教科書的には
墾田地系=寺社や貴族らが自ら開墾した「田地」。
寄進地系=地方有力者(郡司、郷司、保司ら)がみずからの支配(管轄)する「領域」を寄進して成立した地方の私有地かつ行政地
といっても墾田地系も寄進や買得も多い。
だから田地なのか領域なのかで区別したほうがいい。
989 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/06(火) 02:05:05
ラウンジに次スレのスレ立て代行を依頼しました。
しばしのお待ちを
重複を避けるために自重を
990 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 03:59:01
邪馬台国はどこにあったのでしょう?
992 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:49:35
邪馬台国は君たちの心の中にある
邪馬台国にかかわるとバカボンになるよ。
994 :
日本@名無史さん:2009/10/06(火) 22:15:31
博士〜邪馬台国はどこにあったの〜♪ ドンドン、パフパフ。
ここにあったよ
996 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/06(火) 23:16:46
997 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/07(水) 00:26:43
>>983 >>985 苗字帯刀が武士の身分表象になったから。
何か逆説的なんだけど。
よっしゃこい
998 :
日本@名無史さん:2009/10/07(水) 00:42:07
邪馬台国はどこなのさ? はーかーせっ♪
999 :
歴史学博士の俺様 ◆QOYuzJdqhs :2009/10/07(水) 01:10:33
1000 :
繁体字 ◆PXsK1HtVZQ :2009/10/07(水) 01:17:47
1000ゲットちゃん降臨。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。