復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.3

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1日本@名無史さん
男子無大小、悉黥面文身。自謂太伯之後(晋書)
倭者、自云太伯之後。俗皆文身(梁書)

神武天皇は入れ墨をしていた!

前々スレ
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1189507021/
前スレ
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1206938431/
2日本@名無史さん:2008/11/02(日) 10:05:24
2 :黥面文身:2007/09/11(火) 19:40:25
天皇こそ正統周王家の生き残りなのです。

4 :黥面文身:2007/09/11(火) 19:54:44
銅鐸がなぜ巨大化していったのかという
古代史の謎をここに解き明かしましょう。
呉の末裔達が列島に渡来してしばらく後
かられは列島の青銅器の一部、とくに
銅鐸を鼎に相当するものとして扱うようになりました。

しかし、鼎にはかつて楚の荘王からその大きさを問われた
苦い過去がありました、(いわゆる「鼎の軽重を問う」)

そのトラウマから銅鐸や銅剣の一部が巨大化してつくられるように
なっていったのです。
3日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:53:19
4日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:07:16
5日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:54:44
>>3>>4
ご紹介ありがとうございます!
特に縄文時代の渡来文化の痕跡には驚かされますね。
文明はすべて朝鮮半島経由と教え込まされてきた者にとってはまさにオーパーツに等しいほどの衝撃です。
なぜ日本史の教科書はこういった縄文時代の高度な技術による製作物の発掘を記載しないのでしょうね?
半島経由説にとって都合が悪いからなのでしょうか?
貝符だけ別世界から出土したように美しいですねw
6日本@名無史さん:2008/11/02(日) 22:02:49
3は対岸の沿海州南岸から直伝した文物に過ぎず、

4はトーテツ文ではないし、生産した弥生後期〜古墳前期はトーテツ文の
時代から1000年以上過ぎているし、中国の同じ時代の同じ文様の貝符の
出土例もない。
7日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:12:39
むしろ、いまの中国人の祖先の大部分が
春秋戦国以前の文明を築いたひとたちでないことを問題にしろ
戦乱と虐殺と流亡で黄河文明の民はほとんど死に絶えた
辺境から流入した様々な異民族が言葉と文字を受け継いだだけ
8日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:44:33
漢代まで三足土器時代は続いているし、
王朝のシンボルも鼎だったがなwwww
9日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:53:04
また電波か
10日本@名無史さん:2008/11/03(月) 02:40:44
で、このスレを信用している馬鹿ってどれくらいいるの?
11日本@名無史さん:2008/11/03(月) 09:45:19
>>7

意味不明ww 中国人が雑多な民族で構成されていることは誰でも知ってる。 
それは程度の差はあれ日本人もおまえのような朝鮮人も同じだよ。
いずれにせよ、このスレを通じても多少は示しているだろう。
いまの中国人は朝鮮人(これも出自が不明w)が起源とでもいいたいのか?
朝鮮人の発想だなww おまえらより中国人を相手にしたほうがよさそうだ。
古代歴史に関心のある中国人でも投稿して欲しいね。東北工程とかいうのもいいね。
捏造朝鮮人はいらんww
       

>>8

漢字は中原では殷から始まり、楚も楚文字を持っていたが、
呉越は文字を持たない。春秋戦国は何百年あったと思ってる?
文字は巫祝、史という祭祀と記録に従事する者しか関与しなかったからだ。
鼎も主として祭器として用いられている。それに日本で銅が発見されたのは708年だ。
土製の三足土器はどっかで発掘されていると思ったぜ、興味があるなら調べろよ。

>>10

捏造の歴史をつくって得々としている捏造歴史家と、
それにふさわしい国民で構成されている朝鮮人とはちがう。
ここに出しゃばるなよ、日本に寄生するより、
人口の1割も餓死し、墓を掘って死者を食べ、
いまや強盗盗人の国と化している北朝鮮の首領を非難し、
強盗盗人と一緒に生きろよww

ここはみなが言っているように、歴史を検証しているだけだ。
邪魔するな

12日本@名無史さん:2008/11/03(月) 13:25:16
朝鮮人よりもさらに醜悪で汚らしい家畜同然の中国人なんかが祖先で
何か嬉しいのか?w
13日本@名無史さん:2008/11/03(月) 16:19:07
>>12

祖先かどうかはいま検証中だ、そう簡単には解明できんよw
それに中国も民族が入り乱れているからな、いまの中国人とはちがうよ。
それでも、歴史には伝統があるからな。素晴らしい歴史家を生んでいる。
捏造史しかない朝鮮人歴史家と品性下劣なおまえたちとはちがうな。

少なくとも新羅の後であるいまの犯罪王国の朝鮮人は日本人は嫌うだろう。
実際に、歴史を検証していくと、新羅の後の朝鮮人ではないことがわかるし、
わかればそれをみなにも知らしめないとなww

皇室が周そして呉の王家の、あるいは楚の王家の血をひいていたとしても問題はないね。
いまはもう実態が定かではないが、しっかりした文明を江南に築いていたのだからww

新羅系帰化人は1%しかいないことを肝に銘じておけよ、
その1%だって新羅系ではなく中国系かもしれないw
こうやって日本の掲示板で悪さをする朝鮮人は永久に日本人の敵となるだろう、これマジで。





14日本@名無史さん:2008/11/03(月) 16:42:04

ここに粘着している朝鮮人工作員はそれほど中国人が馬鹿にしたいなら、
中国名を返上しろよww
統一新羅後に中国名に全員で変えてそのままなんだろうw
15日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:58:29
■串間から穀璧が出土した

 中国の周の国は、紀元前1027年ごろ、
すなわち、縄文時代に興った国だが、これより下って日本の弥生時代には漢の国が興った。
このころ天子や諸侯の権威を示す「シンボル」とされたのが、圭であり、璧である。
 
 両方とも硬い「ガラス製品」で、鉄より硬いといわれる。
 
 周の天子より与えられた穀璧が串間にあったことが記録されている。
16日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:59:41
■平子鐸嶺(ひらこたくれい)氏の所見

 湖山長愿の箱書きに対し、平子鐸嶺は所見を述べているが、
最後に「即ちこれ周代子爵諸侯の天子享用の器たりしもならむ、
真に貴世の珍宝と称すべし。」とあり。
これにより雑誌の紹介文も「伝えとはいへ発掘地も分かっているのであるからその正否を確実にしたいものである」と記し、
「このように、これが日向の地からでたものとすれば、学界の一大事実と言わねばならぬ」と結んでいる。

 平子鐸嶺は、明治十年、伊勢(三重県)の商家に生まれた。
明治三十二年日本画・西洋画を修め、日本古美術の研究をなす。
また、中国考古学の研究もなす。

周礼による爵位の印

 周礼、すなわち周の官制を書いた書物によると、
天子が諸侯を封ずるとき、賜るものとして圭と璧がある硬玉の「ガラス」製品である。

 圭は上が尖り下が四角な玉である。
 璧は薄く、環状で中央に穴のある玉である。

 王の位には、 「鎮圭(ちんけい)」
 公爵の位には、「桓圭(かんけい)」
 侯爵の位には、「信圭(しんけい)」
 伯爵の位には、「躬圭(きゅうけい)」
 子爵の位には、「穀璧(こくへき)」
 男爵の位には、「蒲璧(ほへき)」
17日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:00:53
■串間出土の穀璧
 
 穀璧は、前述のとおり子爵の位の人に与えられたものである。
 中央に穴(孔)がある円形で直径が三十三・三センチメートル、
中央の穴の直径が六・五センチメートル、厚みが〇・六センチメートル、重さ一六〇〇グラムの完全な玉器である。
 壁は、硬玉で鉄より硬いといわれる。
 この壁の表裏両面に見事な文様が施されている。
 この壁の表面には、同心円で三帯に区切られている。
一番外側には五つの竜首文が配され、外周と内周の間に壁を識別する穀粒文が、
整然と並んでおり、一番内側の内周には、三体の鳥文が波形状に彫刻されている。

 壁の入れてある箱は桐製で、蓋の表には、中央に「古玉璧」、
左下には「多気志樓蔵」と墨書されており、箱の裏に、湖山長愿の箱書きがある。
18日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:02:35
■宮崎県教育委員会の発掘調査

 明治二十八年(一九五三)一月二三日より二九日まで、
瀬ノ口伝九郎・石川恒太郎・鏡山武・日高正晴・吉野忠行の諸氏をして
佐吉の発掘場所といわれる今の「王子谷」を調査したが、確証は獲られなかった。

穀璧は誰が持っていたか

○ 奴(な)の国王節
○ 狗奴国の国王説
○ 朝鮮半島各郡太守亡命説 薬浪郡・帯方郡
○ 卑弥呼からの戦利品説
○ 中国春秋時代「呉の国王夫差」と「越の国王勾践」とが戦ったが、
「呉王夫差」が破れた。呉王夫差はこの時子爵の位であったから当然穀璧を持っていた。
また、呉の国は戦には敗れたが水軍は健在であった。
「この呉の国王夫差か、その子孫が穀璧を持って海流を利用し島伝いに串間に亡命したという説」もある。

いずれにせよ、この穀璧を持つ子爵の位の人が串間にいたことには間違いはない。
かって、銭亀塚(今の中央公民館付近)を発掘したとき「トンボ玉」と呼ばれる「ガラス製」で
表面に青白赤三色の筋が斜めにめぐらされている高さ三ミリメートル、
直径四ミリメートルの丸形の玉が見つかったが、これは台湾の高砂族が部族の祭りに使う神聖な宝物で、
これがやはり海を渡って串間に来たのであった。
すなわち海流や島を利用し中国から「呉王夫差」か、その子孫が串間に亡命してもおかしくはないのである。
19日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:03:11
朝鮮人よりもさらに醜悪で汚らしい家畜同然の中華類人猿なんかが祖先で
何か嬉しいの?w
20日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:43:35
倭人がどこから来たのかは知らんが、言語から見て朝鮮とは無関係であることは確実だ。
21日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:45:23
>>18
なるほど!
串間出土の穀璧=子爵=呉王夫差
みごとにつながりますね!
出土したものが仮に蒲璧だとか圭のどれかだと呉との繋がりはありえませんよね。
穀璧だからこそ呉との繋がりが見えてきますね!
22日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:18:41
↑ひとりごと乙
23日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:33:35
台湾中華ワンマンショー(爆
24日本@名無史さん:2008/11/04(火) 07:55:44
>>22 >>23

中国名をやめてから出直してこい(大笑)
中国にはびくびくご機嫌取りしているくせに、日本には強気だなw
なめるなよ
25日本@名無史さん:2008/11/04(火) 16:21:22
本気で朝鮮人だとでも思っているのでせうか(爆
26日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:31:19
>>25
チョウセンジンそのものだねwww 
日本人にも中国人にもいないな、
おまえのような下司野郎は
27日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:08:47
居るんだよな皆が和気あいあいと、楽しんでるのを見ると邪魔したくなる
それを嫌がる顔を見て想像してニタニタと歓ぶ奴、
世の中の秩序を乱して歓ぶ暴走族みたいな奴、困り顔を見てニタニタ歓ぶ奴。
28日本@名無史さん:2008/11/06(木) 18:09:26
日本と呉のなんらかのつながりはあると思うが、
呉と周王朝で血のつながりがあるってのは・・・
29日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:26:06
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、張所長は、鐸が中国南部の越から日本
に直接伝わった可能性があると指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
30日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:28:06
日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
31日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:30:27
32日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:33:55
陝西龍山文化系三足土器は何と無く弥生っぽく親しみ湧くね。

紅陶雙耳鬲(陝西龍山文化系、BC2500〜1500)
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/gallery-576.html

バイカル石板墓時代(春秋)三足土器。
http://www.museums75.ru/images/arxeo9.jpg
33日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:49:07
1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
34日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:51:04
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
35日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:54:05
36日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:56:05
37日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:06:23
宮崎県串間市に 穀璧 のロマン 平成17年3月に、宮崎県串間市の穀璧 ...平成17年3月に、
宮崎県串間市の穀璧がテレビ報道で紹介されましたが、この穀璧については、市制施行
40周年記念事業で編纂された串間市史に、その記述が詳しく掲載してありましたので、
その記述内容を、原文のまま紹介したいと思います。 第2編 原始 ...
http://www.city.kushima.miyazaki.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::2823
「穀壁」レプリカ
http://blog.q-ring.jp/img/1191/hmlUIlJo_s.jpg


38日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:13:29
■串間から穀璧が出土した

 中国の周の国は、紀元前1027年ごろ、
すなわち、縄文時代に興った国だが、これより下って日本の弥生時代には漢の国が興った。
このころ天子や諸侯の権威を示す「シンボル」とされたのが、圭であり、璧である。

両方とも硬い「ガラス製品」で、鉄より硬いといわれる。
周の天子より与えられた穀璧が串間にあったことが記録されている。
http://www.city.kushima.miyazaki.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::2823
「穀壁」レプリカ
http://blog.q-ring.jp/img/1191/hmlUIlJo_s.jpg
39日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:20:31
まだダマされる馬鹿脳弱低能がいるとでも思ってるのでせうか(爆
40日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:21:35
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
41日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:22:13
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
42日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:22:55
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
43日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:07:37
>>40 >>41 >>42

ソースを出せよwww 

朝鮮人、息を吐くように嘘3連発www

44日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:46:45
金城武の孔明役がしっくり来るのは
何故か?
45日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:16:07
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
46日本@名無史さん:2008/11/09(日) 11:43:26
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
47日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:00:51

いたっていいじゃん、でも朝鮮人はお断りだねww
48日本@名無史さん:2008/11/11(火) 13:18:41
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
49日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:59:13
「最後の狩猟民族」エヴェンキ族が激減
     ↓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1225978802/
50日本@名無史さん:2008/11/12(水) 18:23:28
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
51尽忠報國學院大學卒:2008/11/12(水) 19:24:49
最近、中国戦国末に忽然と
姿を消した墨家集団が
じつは日本に渡ったのでは
ないかと推定しています。
52日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:22:13
ああそうだね
忽然と姿を消したユダヤ人支族も日本に来たんだね
何もかも日本だね
53日本@名無史さん:2008/11/13(木) 14:22:08
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
54國學院大學卒:2008/11/16(日) 21:41:44
天皇はあきらかに古代中国の
理想君主の伝統を踏襲しています。

これは中国ではその君主像が
時代とともに王朝交代とともに変わっていったのと対象的です。

「無為にして治める者は、それシュンなるか。
それ何をかなさんや。
己を恭しくして正しく南面するのみ」(孔子)
「太上は下これ有るを知るのみ」(老子)
55日本@名無史さん:2008/11/16(日) 21:50:10
つまり天皇は中国皇帝よりも
古い君主だったということですね。

ズイのヨウダイが日本からの
国書に対し怒りながらも
答礼の使節を送らざるを得なかったのも
このためだと思われます。
56日本@名無史さん:2008/11/17(月) 17:49:17
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
57日本@名無史さん:2008/11/18(火) 12:34:56
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
58日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:07:32
ありゃ〜〜〜
59日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:13:09
ぷぎゃー
60日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:24:27
てけてけhぴ
61日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:27:35
ほいてるま
62日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:34:14
>>56 だいたい弥生人もシナ人ではないが、シナから来たんだろう。
63日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:52:19
ギャ羽
64日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:56:23
【国籍法改正案】 「多くの国民が、改正案に反対の意思表明してる」…自民党の一部議員、採決前に退席★
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1227017983/
65日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:16:27
るりいるぱ
66日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:33:48
ぴぽげ
67日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:35:44
ぬらぬらぽん
68日本@名無史さん:2008/11/19(水) 02:00:27
馬君に変えてマー君!
69日本@名無史さん:2008/11/19(水) 02:03:40
>>62
シナ人もチョン人も多分アフリカから来たんだろね。
70日本@名無史さん:2008/11/19(水) 02:09:05
>>68

馬君は反日だからね。
71日本@名無史さん:2008/11/19(水) 02:13:20
ヨーロッパは来てくれないのね
72日本@名無史さん:2008/11/19(水) 13:28:30
>>71 ポルトガル人が来て鉄砲を伝え、オランダ人が蘭学を伝えたが。

 シナ、朝鮮経由ではなかったな。
73日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:07:50
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
74日本@名無史さん:2008/11/20(木) 16:59:55
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!


中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)
合     計     129万0959人 (構成比 27.9%)

 
◆国籍(出身地)別新規入

韓     国   129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国  (台湾)  76万0,322人 ( 〃  16.4%)←注目!!!!!!
米     国    59万6,494人 ( 〃  12.9%)
中     国    27万6,297人 ( 〃   6.0%)←注目!!!!!!
英     国    17万6,940人 ( 〃   3.8%)
中国 (香港)    16万0,426人 ( 〃   3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア    15万6,418人 ( 〃   3.4%)
フ ィ リ ピ ン    13万1,834人 ( 〃   2.8%)
カ  ナ  ダ   11万2,744人 ( 〃   2.4%)
英国 (香港)     9万3,914人 ( 〃   2.0%)←注目!!!!!!
そ  の  他    87万4,694人 ( 〃  18.9%)
合     計   463万3,892人 ( 〃 100.0%)
75日本@名無史さん:2008/11/23(日) 18:53:04
子いわく、道行われず。
「ふ」(いかだ)に乗りて海に浮かばん。

(先生は言われた。乱世じゃ。いかだに乗って東海の先にある日本にでも行こうか)
76日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:00:47
不思議発見!
蛇なんて爬虫類は気味が悪いので、人類のきらわれモノなのに
なに故に鏡餅までとぐろを巻いたへびがモデルなの?
海千山千で竜に変身したり、なんとか姫が蛇と情を通じたり。
何故にこう崇めたてまつられてきたのだろう?
日本にはいのししとか、ツキノワグマとか、その他もろもろの動物がいるのに。
どうして蛇なの?
77日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:51:44

まずは目にあるだろう、蛙をすくませる威力のある眼光、
目の光は太陽の光や鏡の光にも通じている、
また蛇は脱皮を繰り返すから再生を具現している不思議な生き物として、
再生、生まれ変わり、不死にあやかりたい、
同じような力を得たいと崇めたのかもしれない。




78日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:51:36
>>76
>蛇なんて爬虫類は気味が悪いので、人類のきらわれモノなのに
日本に限ったことじゃないけど、別に嫌われもんでもなかったでしょ。
古代での蛇の神格化などごろごろあるし。
79日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:06:35
劉備玄徳の日本名は何でしょうか
80日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:47:58
蛇は米を食うネズミやスズメを食う益虫だったんではないか?
81日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:38:48
呉音方言と日本に残る呉音読みの研究を調べた資料を読んだ。

PDF 中国呉方言と日本呉音の研究
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/1029/1/18_0018.pdf
要約すると、関係があることは間違いないと言われていたが
呉といっても何時の呉なのか?
三国時代の呉?南北朝期の呉?それとも秦以前の呉?
南北朝期に仏教文化を介して入ってきたものか?と思ってたけど
どうも秦前のが(つまり呉越の呉)ちらほらあるような感じ?

南北朝時代に仏教文化がたくさん輸入されてるのは事実で
それ由来の呉音もあるけれど
秦の始皇帝が統一する前のほんとに古い呉の音が日本に何故か残っているという指摘。
82日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:50:43
最近はDNA調査で国民党移入以前の台湾人(内省人)が漢人というより
越人の系譜というのが出て、独立派が勢いづいたりしてるな

台湾人は漢民族ではなかった―DNA調査がもたらす新民族形成の夢
http://mamoretaiwan.blog100.fc2.com/blog-entry-232.html
台湾人は漢民族とは異なる南アジア・越族の子孫
http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H13/1307/130715taiwan-gene.html
独立派のはなし
http://rinnkennryou.blog24.fc2.com/blog-entry-68.html
なんか後半は独立派の中国文化嫌いばかりですが

台湾が越難民の国で、日本が呉難民の国であれば、なんだかおもしろいな。
越人は漢族と離反すればいい。呉人としては越人も信用しないけど。
83日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:32:32
この説は一定の説得力を持ってしまうところがアレだよな

呉ってことは周の王族の流れだし
周ってことは内陸の奥地の陜西の小国が元で東進した国で
チベット人と現代日本人が特殊なDNA型で一致してることの傍証になりえたり
呉の滅亡と弥生文化発生時期が一致したり
呉音が日本に多く見られたり
墳丘墓が中国では呉支配地域特有だったり
傍証がいろいろ一致してしまう。
84日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:56:40
>>83

弥生時代の始期はいまは紀元前1000年に遡っている趨勢にある。
ということは周が殷を倒した時期と重なる。殷人も沿海族、
文身もある。もともとは山東省の出身。
85日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:08:09
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南は江蘇省無錫のある呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(嘲笑)

86日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:17:59
夏王朝(越人系)末裔→越
殷王朝(漢人系)→漢人→現代中国人
周王朝(チベット系)→呉
ってことだろう

呉越を同族のように言う説も多いけど
交雑もあるけど、根本的に別民族だからこそやはり対立するのだと思うね
越は夏王朝を開いた禹の末裔ということだけど、
周はチベット系と言われるし、呉越地域に行き着いたとはいえ、
呉には周の民も多く流れてるはずなのでやはり違う民族なのだろう。

南部、河姆渡文明の夏。
地域的には北部、黄河文明の殷。
そして西方から進出してきた周。
その後周の残党である呉は河姆渡文明地域に行き着き
越と対立しつつ、南方の文化と習合しつつ呉文化を形成。
87日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:22:18
>>85
呉越地域には沢山の部族があったというから、
日本に伝わるより多様な文化があっても矛盾はしないよ

まあこのへんは古墳やら神社の下やら全部穴掘ったらはっきりすると思うけど
現代の科学技術じゃ保護ができないからまだ開けないほうがいいな。
88日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:26:59
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南は江蘇省無錫にある呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(嘲笑)

89日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:37:16


いやあ、弥生時代の江南は江蘇省無錫にある越の土トン墓の遺跡からは、

楽器やら、玉器やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、鈕やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、具座やら、
佩玉やら、龍形佩やら、雙龍佩やら、龍鳳佩やら、龍首珩やら、龍形珩やら、
琉璃釉盤やら、蛇玲瓏球形器やら、羊角器やら、璧やら、越式鼎やら、
筒形やら、盅やら、器蓋やら、鎛やら、

もうさーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、もうありとあらゆる
摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・

何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(ウルトラ嘲笑)

http://www.cuhk.edu.hk/ics/ccaa/talk9.htm
90日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:39:16
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%89_(%E6%98%A5%E7%A7%8B)
父王に末弟に劣ると言われた兄が家督譲って蛮族の地に下るとか
王になった弟が呼び寄せようとすると、蛮族の印の刺青を入れて断るとか
非礼な扱いを受けた王が助命を断って自害を選ぶとか
なんか名誉をめちゃくちゃ重視する侍チックな思想が日本ぽいな
91日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:40:45
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南は江蘇省無錫にある呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(嘲笑)

92日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:41:46

いやあ、弥生時代の江南は江蘇省無錫にある越の土トン墓の遺跡からは、

楽器やら、玉器やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、鈕やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、具座やら、
佩玉やら、龍形佩やら、雙龍佩やら、龍鳳佩やら、龍首珩やら、龍形珩やら、
琉璃釉盤やら、蛇玲瓏球形器やら、羊角器やら、璧やら、越式鼎やら、
筒形やら、盅やら、器蓋やら、鎛やら、

もうさーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、もうありとあらゆる
摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・

何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(ウルトラ嘲笑)

http://www.cuhk.edu.hk/ics/ccaa/talk9.htm
93日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:42:44
>>89
全て平地墓となってるので、墳丘墓文明の呉人とは別の時代と考えないと。
恐らくもっと後の時代だろう。
94日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:46:32
なんでこの人はこんなコピペ何度もしたりして必死にこんな半分ヨタ話しにムキんなってんの?
周王家の末裔が来てるなんてのは胡散くさにしろ
弥生人骨類似が出てるように、弥生人の祖がここいらから九州に来たというのはまあ間違い無いだろう

朝鮮人だから朝鮮経由じゃないと我慢ならないとかそういうありがちなはなし?
95日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:57:53
超ウルトラ大馬鹿。

弥生人骨は沿海州やアムールと一致しているんだが何か?

それは全く語られずに、中国とも一致した事だけを
中華工作員(台湾含)どもが声を大大にして張り上げて
無限に唱え狂って世論誘導を行って(中共式刷り込み洗脳法)、
頭からっぽの馬鹿だけがダマされているだけの話だろがカス。
96日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:05:53
甕棺だけ見ても、関係は深いとしか言い様がないと思う
(それが呉かはさておき)
http://home.b06.itscom.net/kodaishi/page011.html

本来大陸に広くあった風習だが、当時廃れて
甕棺は呉越支配地域にだけ残ってた風習で
それらが滅びて大陸から甕棺が消えると同時に九州に出現する。
その後100年ほど経って朝鮮南部にも出現する。
北朝鮮に全く見られないことから、北経由で伝播とは考えにくい。

日本人の祖は呉というのは飛躍にしても、
呉系の難民国家が九州に登場した可能性は高い。
彼らが使節を送った際に「我々は呉の末裔!」と名乗ったのではないか。
もちろん彼らがそのまま日本人の祖、すなわち天皇家の祖というのは飛躍ありすぎるが
ある程度の規模で渡来していると考えていいと思う。
97日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:08:24
>>95
>弥生人骨は沿海州やアムールと一致しているんだが何か?

してないよ…
近年のDNA測定による一致で、形状一致で弥生人に似てるニダ!って話しではないのだよ。
残念ながら沿海集やアムールなど北で弥生人の骨が出たことはない。
必死だな、朝鮮人。文化を伝えてやったニダ!チョッパリはウリの末裔ニダ!と言いたいんでしょ。
98日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:18:16
それでは、これらの渡来者たちは、そもそもどこを出発点としたのだろうか。
朝鮮半島はアジア大陸の一角だから、この土地で、一つの集団が孤立していた
とは考えられない。そこで、さらに視野を広げ、シベリア、東アジアの集団を
含めて、分析してみることにしよう。次ページの図は、朝鮮半島やシベリアの
集団、およびアイヌを含め、さらに新石器時代から現代にいたるまでのさまざま
な集団を処理、Qモード相関係数行列を二次元的に表現したものである。
この図を見て驚くのは、土井ヶ浜および三津の弥生人が、シベリアのいわゆる
寒冷地民族に酷似していることである。金関氏は弥生時代の渡来者が北部朝鮮
から来たことを示唆したが、今回の分析結果により、さらに北の中国東北地方や
シベリアと、強い類縁性のあることが示された。もっと具体的にいえば、
北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住むツングース系
民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。


日本人の起源〈増補〉 埴原和郎編 朝日新聞社 より抜粋
99日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:19:05
必ず弥生人はどこかから海を渡ってきてるわけです。
これはもうどうしようもない事実。
人骨見れば、縄文人と弥生人という2種類に大きくグループ化できるのは
否定できない現実。

そこでどこから来たか?という話しがあるわけで、
蘇州地域がやはり一番妥当と言うしかない。
どうしても朝鮮経由説をゴリ押ししたい人が居るもんだけど
無理あると思うよ。米のDNA見ただけでも否定されてるじゃないの。
100日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:20:24
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
101日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:21:50
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
102日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:22:35
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
もっと具体的にいえば、北九州型の弥生人は、北アジアの蒙古人や、アムール川流域に住む
ツングース系民族、あるいは沿海州の諸民族などにきわめてよく似ているのである。
103日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:23:26
弥生人北経由説は近年のDNA用いたり
炭素年代測定技術など科学的見地が入ってきたことで
ほぼ否定されたと言っていいんじゃないかね

そういう論理で理論打ち立ててきた人は持論否定だから
おいそれと認めれずなんだかんだあがくだろうけど
半島経由説はもう終わった説ですよ。
科学的データに対し、説明できないことや矛盾が多すぎる。
人骨が似てると*思う*とか、土器が似てると*思う*なんて情緒的なものでは
もういくら言っても反証できない。
104日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:26:33
歴史は純然たる事実を追い求めるもので科学あり、小説じゃあない。
新たな証拠が出てきたら素直にどんどん持論を修正するのが学者としてあるべき姿。
持論にしがみ付いて事実をゆがめるのは学者の仕事じゃないよ。
弥生人の朝鮮経由説はもう諦めましょう。まずありえない。
105日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:27:25
朝鮮人がファビョってるな
106日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:30:41





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm




107日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:41:48
くだらんコピペで流すのやめてくれ。うっとうしい。
108日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:49:54
>>106
よく意味が分からん。
青銅器はたくさん弥生遺跡から出てるじゃないのさ。
なにをもって金属器が出てないと?

109日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:50:06





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm




110日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:50:55





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm




111日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:54:29
確か呉型の特徴のある銅剣ってどっかで出てなかったっけ?
桃氏銅剣だっけ?
北九州と南朝鮮から出てたはず。
112日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:54:54
いつ弥生遺跡から中国青銅器が出たんだカス!




◎中国青銅器のさまざまな器形

http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-shape.html



113日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:56:22
>>111
遼寧でも出てる。

遼寧・朝鮮経由で入っただけ。
114日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:57:47
桃氏銅剣は長江流域の特徴の細身の剣で、
九州の遺跡数箇所と、朝鮮半島の西南地方でのみ出土していて
江南地域とその一体に交流があった証左とされています。
だから「同時期の中国土器や金属器はない」はただの勉強不足。
115日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:59:49
>>113
ソース
116日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:06:00
朝鮮から輸入した剣一本で弥生人中国認定か。

おめでてえなあ在日中華(含台湾)はw
117日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:06:38
縄文土器が世界最古なので土器の起源は日本
118日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:09:12





朝鮮人よりもさらに醜悪で汚らしい家畜同然の中国人なんかが
祖先で何か嬉しいの?w




119日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:14:23
むしろ弥生人南進説はDNAの観点だろ。
米のDNAもそうだし、江南地域の呉時代人骨のDNAが弥生人だったり
またチベットと日本を結ぶYAP+優勢民族の謎も
この地域の少数民族にちらほらYAP+優位民族が存在することで埋まるし
(プミ族に至ってはYAP+が90%にも達する)
120日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:16:27
朝鮮人はほんとこの説大嫌いみたいだね
台湾だ中華だとか言っていろいろ言うけど
呉だとしたら、台湾(越人)でも中国(漢人)でもなく
チベット系の周なわけで、むしろ別だよ。
安心しなさい。日本人は中国人じゃないしあくまで日本人だ。
ただ朝鮮由来じゃないだけ。
121日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:18:31
いいか馬鹿ども、遺伝子というものはな、人だろうが稲だろうが、

別のハプロタイプに変化してしまったり、

頻度が激変してしまったり、

欠損消滅してしまったりと、

経年変化するから全くあてにならんのだよ。

だが、土器や青銅器の、器種、器形、文様というのは経年変化しない。

何もかも当時のまま。

何もかも当時のままなのだよ。
122日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:24:42
123日本@名無史さん:2008/11/28(金) 05:42:31
>>121
遺伝子は欠損はしても出現はしないもんだ
YAP+なんてY遺伝子の形質は民族支配の構図を如実に表すもので
民族という視点で考えた場合、重視すべきものだよ

土器の「…のように見える」なんて情緒的なもののほうが
時代やどの文化圏の遺物かを無視してつなぎ合わせて如何様にでも方向付けれちゃう
124日本@名無史さん:2008/11/28(金) 05:59:11
そもそも蛮族地域の呉越地域で鬲って本来使われてたのか?
刺青やら生贄の風習無くして中原化以後との文明の切り分けをしないと
鬲の問題はなんとも言えないな
125日本@名無史さん:2008/11/28(金) 10:27:49

鬲は祭器として使われている。祭祀を行なう時、祭器で牛などの動物を煮て捧げた。
またその後にみなでそれを食べた。
祖霊(神)とともに食事することで祖霊の御加護があり、
パワーが増すと思ったのだろう。

日本で土器の三足土器は出ているが青銅器は出てないのは当然である。
銅が初めて発掘されたのは和銅1年(708年)、まず材料がない。
また青銅器の鼎はかなり熟練した職人が必要でそう簡単には製作できない。
銅鏡、銅鐸も既にあった青銅器を壊して再製した可能性があるし、
中国人の学者によれば呉人の職人が製作に携わっている可能性もある。

さらに鼎で祭祀するには祝といわれる祝詞を書ける祭祀官が行なった。
殷周の時代はこの祝が記録した。一般は読み書きできんよ。

日本にこの祝、吉士、史が入ってきたのは応神から雄略の頃、
百済経由で渡来しているが、楽浪郡や帯方郡の滅亡後に地続きの百済に入り、
また倭の要請で渡来してきたのだろう。
雄略の頃には大和朝廷も勢力を全国に広めている。
食料や兵隊をどれだけ送るかといった重要な仕事にはその数、
送り先を書き止める記録官を必要とした。
偶然渡来してきたのではなく、楽浪郡・帯方郡と接触がある倭の要請だろう。
百済も似たような時期に漢字が中国人博士により伝わったとある。


126日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:51:52
滅びた文明の高度な製造物が
その子孫に伝わっている
ことは少ない。

インダス文明やアステカ文明、マヤ文明など。
127日本@名無史さん:2008/11/29(土) 00:59:25
>>125
鬲、鼎が炊飯器、煮沸器のみならず、王朝のシンボルや祭器としても
使われた重要器種であったならば、渡来系の最初の定着地であり、
渡来系の初期の中心地であった九州北部、山陰に無い事で、
ますます音をたてて江南でむぱ、中華でむぱが崩れていくじゃないかw

あほだろおまえw
128日本@名無史さん:2008/11/29(土) 01:20:30

●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif



129日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:32:03
インディアンはマヤ文明の
重要機器を伝えていないな
130日本@名無史さん:2008/12/01(月) 12:39:01
どうしても無理に朝鮮経由にしたい輩がいるな。
必死さからのパターンから、日本の祖先に半島はほとんど関係無いと確信した。
131日本@名無史さん:2008/12/01(月) 12:47:35





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm




132日本@名無史さん:2008/12/02(火) 01:35:03
チョン乙
133日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:44:30
弥生人=稲作を伝えた人々とするならば
最近の発掘事例からは、周や呉ではタイミングがおかしいね。
周成立あたりの時期になってしまう。
つまり殷の難民が弥生人と考えたほうが理屈に合う。

あと朝鮮経由説は無いです。
半島南部にまで中国の戦乱の影響が及ぶのははるかにあとで、タイミングが合わない。
弥生人とはなんなのか?という話しは中国大陸の戦乱で直接以外に無い。
134日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:20:34
>>133

倭の初出は、王充の「論衡」で、
「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
成王(在位前1021年? - 前1002年)の在位では、約三千年前のこと。
殷から周に王朝が交替した後のこと、
すでに漢字は存在し、祭祀や記録を行なう史官もいるから、
王充は周の史官の記録を読んで書いたのだろう。信憑性は高い。

ただ、周は殷を倒した後、近くに殷人の集団を置いて監視しかつ利用しているし、
宋という殷人の国さへ与えている。殷人と倭人が同じなら、
殷人をよく知る周人はなんらかの説明を加えたであろうから、
殷人と倭人は別種族ではないかという気がする。

135日本@名無史さん:2008/12/05(金) 17:34:01
>>134 殷人が倭人だったら漢字を発明したのは倭人になってしまうな。

 甲骨文字の文法は日本文法ではないので、倭人ではありえない。
136日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:56:31
>>133
泰白が南に下ったのは
周成立の直前。
137日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:12:32
劉邦は日本人だったかも
138日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:48:21





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm




139日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:30:51
「相撲」という単語はスイコデンにも見え、酒の「トソ」なども中国由来ですが、
両方とも中国には現存しません。

中国には現存せず、日本に
連綿と伝わっている事実。
まるで古代中国がそっくり
日本に移住したようでは
ありませんか。
140日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:58:05





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm




141日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:31:16
相撲という単語は水滸伝にさーっぱり見えず、



屠蘇を呑む習慣は、中国では唐の時代に始まり、日本では平安時代から
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%81%9D



という訳で、ちーっとも古代中国が日本に移住したようには感じない。

感じるのは中華(含台湾)工作員の悪意だけ。
142日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:23:48
遣唐使が伝えたのかな
143日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:25:07
ちなみにライシャワー博士は
世界史上類を見ない平和的文化使節と
遣唐使を絶賛している。
144日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:14:03
ハッカクくせえベトナム顔の茶色豚が祖先で何か嬉しいか?
145美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 20:26:19
>>135
甲骨文字と漢字とは違う文字だよ
漢字を作ったのは古代漢人(現在の中国遼東付近に住む漢語を話す少数民族)


つか文字なんてのは誰でも作れるし、大したことじゃない
むしろ字を作る事より統一文字として普及させる事が偉大な事だよ
ちなみに漢字を作ったのは古代漢人だけど、漢字を普及させたのは漢人じゃないよ
ちなみに百済の倭人や遣唐師やなどは唐や随や晋に儒教や仏教と共に漢字を漢以外の民族に伝えてたよ
146美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 20:30:30
遣唐師や遣随師ってのは、空海が遣唐師だった事から解るように宗教伝道師だよ

キリスト教で言う宣教師みたいなもん
そういう活動があったから仏教や漢字や旧暦ってのはアジア一般に普及したんだよ
147日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:35:06
豚くせえ茶色広鼻のハオハオ原人が祖先で何か嬉しいか?
148美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 20:57:05
>>99
「弥生人」の定義は何?
現在の日本人が弥生人って奴だとして、例えば同じ黄色人の東南アジア人やアジア人やモンゴル人や中東人も弥生人なの?
白人や黒人は弥生人じゃないなら何人なの?
縄文人って奴は日本で発祥した人種で、古代人(縄文人)発祥の地は日本なの?
149日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:10:31
ハッカクくせえベトナム顔の茶色豚が祖先で何か嬉しいか?
150日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:11:15
>>149 ベトナム人に似ていると言われて怒る日本人は少ないが、朝鮮人に似ていると言われると大部分の日本人は怒り出すだろう。
151日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:44:10
俺はベトナム人の方が嫌だけど何か?w
152日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:33:02
>>151

嘘言うなww 韓国人はベトナム女性を金で買って女房にしてるじゃないか、
嫌われているけどな、フィリピンでも韓国人の男には注意が喚起されている。
みんな金に汚いホストのような寄生虫www
153日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:37:49
豚くせえ茶色広鼻のハオハオ原人が祖先で何か嬉しいか?
154日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:52:02
>>153

朝鮮人より醜い存在はないねwww 帰れよ全員!!
日韓併合前はいなかったんだからw
155日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:52:39
ハッカクくせえベトナム顔の茶色豚が祖先で何か嬉しいか?
156日本@名無史さん:2008/12/08(月) 13:13:18
>>155

とチョンが申しておりますダニダ
157日本@名無史さん:2008/12/08(月) 13:41:21
とカンボジア顔の汚らしい台湾の江南豚が申しておりますハオハオwww
158日本@名無史さん:2008/12/08(月) 16:13:43
現代日本人のやたらチベット系に近い
中央アジア由来のY遺伝子が多い特性を考えると
(これは現代人の比率からして縄文人由来だけとは考えにくい。弥生人もそうとしか考えられない)
秦や周が中央アジア系が出所で東進してきた民族なので考えられる。
周は特に周の流れを汲む呉の末裔と倭人がそう言ってるので一致するところではあるが
しかし弥生人発生時期と呉の滅亡は時期が一致しない。
一致するのは殷崩壊時なのだよなあ。

殷は他の中国歴代王朝とかなり異質な文化の謎の民族だが、
太陽神信仰や異常な巫女や呪術への系統は、日本っぽくもある。
首都を転々としてるのも遊牧民ぽいし、殷も中央アジア由来なのかもしれない。

実際には、弥生人は殷の難民でもあり、呉の難民も入ってきてるというのが
実際のところではないかな。統一して天皇家になったのがどれかはあるにせよ。
159日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:44:56
マニラ臭ただよう江南ギョロ目ツブレ鼻茶色ロイドが祖先で何か嬉しいか?
160日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:17:56
>>0
呉太伯に結びつけるのは
あくまで三世紀の中国人の憶測。
史実性はないよ。

そもそも太伯自体が呉にコジツケられたのが
戦国時代のことであって太伯と呉は関係なかった。
161日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:27:26
ハッカクくせえベトナム顔の茶色豚が祖先で何か嬉しいか?
162日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:22:45
突き出た土人口でハオハオ言ってる広鼻ブラックが祖先で何か嬉しいの?
163日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:52:29
>>162 最近、南鮮の男はそういう人種との国際結婚が多いらしいな。
164日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:56:47
>>162 その点、うちの近所にいるバングラデシュの女はやや肌が浅黒いだけで南欧人のような美人だ。
165日本@名無史さん:2008/12/11(木) 12:22:57
南欧人はブサイ
166日本@名無史さん:2008/12/13(土) 01:53:27
ハッカクくせえベトナム顔した茶色豚が祖先で何か嬉しいの?
167日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:16:01
>>166 南鮮の男はハッカクくせえベトナム顔した茶色豚を嫁にもらって何か嬉しいの?
168日本@名無史さん:2008/12/13(土) 13:25:46
ブラック!ブラック!広鼻ブラック!江南ベトナミーが祖先で何か嬉しいの?
169日本@名無史さん:2008/12/13(土) 15:18:13
>>168

うるせえチョン
170日本@名無史さん:2008/12/13(土) 15:26:42
ハオハオ言ってるハッカクくせえ茶色広鼻の類人猿が祖先で何か嬉しいの?
171日本@名無史さん:2008/12/13(土) 19:09:55
広鼻の穴から香港スラムの汚臭を漂わせる汚物が祖先で何か嬉しいの?
172日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:14:16
人類の先祖は皆、ウホウホ言っていたアフリカの土人だ。

ああ、朝鮮人だけは黒い何とか原人だったな。
173日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:41:55
>>172

朝鮮人は腹が黒いから腹黒原人ではないの?
174日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:43:39
ベトナムくさい東南アジア顔面の江南豚が祖先で何か楽しいの?
175日本@名無史さん:2008/12/14(日) 16:22:30
ギョロ目で口元が突き出したウンコ色の生き物が祖先で何かイイ事あるの?
176日本@名無史さん:2008/12/15(月) 22:27:31
臭くて汚らしい醜悪な東南アジア人が祖先で何か嬉しいの?

177日本@名無史さん:2008/12/16(火) 01:53:29
なにこのキチガイ?
178日本@名無史さん:2008/12/16(火) 22:56:14
香港スラムの腐った屎尿臭のするツブレ広鼻土人が祖先で何か楽しいの?
179日本@名無史さん:2008/12/16(火) 23:11:41
香港や広東(=華南)は、春秋の呉越(=今の華中)とはぜんぜん別系統。
そもそも場所からして違う。
180日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:47:08
マニラのスラムの腐った屎尿臭が漂う江南ベトナピーノが祖先で何か嬉しいの?
181日本@名無史さん:2008/12/17(水) 23:32:35
>>180 クソを嘗めていた朝鮮人よりはましだろうな。
182日本@名無史さん:2008/12/17(水) 23:56:54
突き出た土人口でハオハオ言っちゃう広鼻ブラック!が祖先で何かイイ事あるの?
183日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:28:37
このスレの薄汚い罵倒レスみてると
朝鮮人の根性の醜さに辟易するよな
184日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:38:52
タラコ唇でハオハオ言ってるウンコ色で潰れて広がった鼻が祖先で何か喜ばしい?
185日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:45:59
>>184
いったいどこの何人のことをいってるんだ???
186日本@名無史さん:2008/12/20(土) 01:12:34
そんなプノンペン顔した茶色い醜悪な生き物が祖先で何か嬉しいの?
187日本@名無史さん:2008/12/20(土) 14:17:34
上海も広東もフィリピンもカンボジア
ごっちゃにして何か楽しいの?
188日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:59:29
そんなハッカクくせえ江南ビエンチャン顔の生き物が祖先で何かイイ事あるの?
189日本@名無史さん:2008/12/20(土) 16:44:25
                                
★『高麗』の建国神話

 『王氏高麗』は10世紀に建国された国なので、もともと神話は存在しない。
しかし、建国王=王建の先祖に関する『神話』が、「高麗史」という史書において
創作されている。
                                                                
■出典:『高麗史』
 http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/2goukan/ohter/korea/story4.htm
                                    
 高麗の建国に関する神話である。建国者から7代ほど逆のぼり、まだ国の影も形も見えなかった時代から、
物語は始まる。これは明らかに「狩猟民族の神話」である。この神話は、韓国人の先祖が農耕民族ではなく、
遊牧民族でもなく、狩猟民族=ワイ族であることを証明しており、ひじょうに興味深い。

【初代】
 あるとき、虎景(聖骨将軍)という弓の名手が仲間たちと平那山で狩りをして、日が暮れたので
洞窟で一夜を明かそうとした。すると、大きな虎が現れて、洞窟の入り口を塞いで出られなくなってしまった。
 虎は自分たちを食べようとしている。そこで、冠(ぼうし)を投げ、虎のくわえた冠の持ち主が犠牲となって、
他の仲間を助けようということになった。
 果たして、虎が加えたのは、虎景の冠だった。虎景は虎と戦おうとするが、虎は逃げ出してしまい、
洞窟は崩れて、中に残った仲間たちはみな生き埋めになってしまう。
 ひとり平那郡へ戻った虎景は、このことを報告し、仲間たちを葬ることにした。
 山の神を奉ると、雌虎が現れた。この虎は連れ合いをなくした山の主で、虎景を夫として
共に山を治めることを望む、と言って彼を拉致して消えてしまう。
 かくして虎景は山の神として奉られたが、人間であった頃の妻が忘れられず、夜な夜な妻の夢の中に現れて
共寝した。この結果、妻は身ごもり、康忠という息子が生まれた。
190日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:28:48
                                                       
YOUTUBEで有名な少女、ベトナム系アメリカ人のCAPICHANです。
日本のポップカルチャーが大好きだそうです。

YOUTUBE★CAPICHANの動画
http://jp.youtube.com/watch?v=9QJCIZm2yDs



191日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:41:39
>>189

王建という名前が中国人じゃないか?www
192日本@名無史さん:2008/12/20(土) 18:07:52
193日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:43:01
ハッカクくせえベトナム顔した茶色豚が祖先で何か嬉しいの?
194日本@名無史さん:2008/12/24(水) 11:10:37
>>193

日本から出てけチョン
195日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:12:28
>>193 ニンニク臭えヒラメ顔より一億倍マシニダ
196日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:57:08
日本人はツングース系とアイヌの混血だろ
基本中国人はあんまり関係無い
197日本@名無史さん:2008/12/24(水) 16:32:40
>>196 日本語とツングース語、アイヌ語とはあまり関係ないがな。もっと古い時代から列島にいた
のが日本人の先祖だろう。
198日本@名無史さん:2008/12/24(水) 20:59:37

日本人はすね毛があるんだ、朝鮮人や中国人にはないかきわめて薄い
199日本@名無史さん:2008/12/24(水) 23:13:41
>>196
60点

縄文人は地続き時代の朝鮮半島経由で35000年前に入ってきた
古モンゴロイド。

アイヌは樺太経由で入ってきた古モンゴロイドで本州縄文人とは
関係が薄い。

弥生人は沿海州から船で朝鮮東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
九州北部までやって来たツンギーデのヴァイキング。

中国なんてさーっぱりさらさら関係ないの。
200日本@名無史さん:2008/12/24(水) 23:46:17
ツングース系とか朝鮮系なんて関西人そのものじゃん。

しかし古代日本の自然崇拝とかシャーマニズム、文字でなく口伝
さらに刺青www こういうのは、環太平洋間の海洋土着民族に共通してる。

つまり体格がよくて手足が長く、目がパッチリ鼻立ちのクッキリ
してる系統ね。南ポリネシアとかだな。熊襲なんかもそうかもな。

つまり元々居た環太平洋系の土着民族に、中国や朝鮮人が押し寄せて
来て関西なんかに住み始めた、そういうこった。
201日本@名無史さん:2008/12/24(水) 23:48:19
熊本は中国そのものです
202日本@名無史さん:2008/12/25(木) 00:03:16
マニラ臭ただよう江南ギョロ目ツブレ鼻茶色ロイドが祖先で何か嬉しいの?
203日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:03:32
>>202

中国江南へ行ってほざいてこいよ、中国人は恐いぞ、
この間も韓国の沿海警備艇のひとりが中国人漁師にたたき殺されても韓国人は文句もいわぬ。
そういえばソウルにも江南地区というのがあるな、真似したのか?ww
204日本@名無史さん:2008/12/25(木) 12:23:13
タラコ唇でハオハオ言ってるウンコ色で潰れて広がった鼻が祖先で何か喜ばしい?
205日本@名無史さん:2008/12/25(木) 21:52:23
そんな東南アジアのハッカクくせえ生き物が祖先で何か嬉しいの?
206日本@名無史さん:2008/12/26(金) 20:49:01
>>158
>現代日本人のやたらチベット系に近い
>中央アジア由来のY遺伝子が多い特性を考えると

やっぱり南方からの渡来人の血だろうね。
チベットからシナ大陸南部を通過して、福建から台湾へ、
そして、沖縄→奄美というルートで、島伝いに日本列島に
移住した民族グループがいたんだろう。


207日本@名無史さん:2008/12/26(金) 21:11:01
>>199
>弥生人は沿海州から船で朝鮮東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部までやって来たツンギーデのヴァイキング。

馬鹿なの?
弥生人は縄文人なんだよ。縄文時代後期の縄文人を「弥生人」と呼んでいる。
単に、それだけのこと。
弥生人は日本列島の先住民であって、外部世界とは関係ない。

>弥生人は沿海州から船で朝鮮東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部までやって来たツンギーデのヴァイキング。

古代半島における農業の中心地は、日本列島の倭人が移住し支配していた
南部なんだが。とくに西南部。いわゆる馬韓地方。

日本列島→半島南部  これが稲作の伝播ルートだよ。




208日本@名無史さん:2008/12/26(金) 21:39:45
                         
紀元前の時代は、半島南部の「政治」の中心地は東南部だったが、
これは日本列島から移住してきた倭人が、東南部に政府(日本府)を置いたからだよ。
この政府は、3世紀半ばに西に移動して、任那日本府になった。


209日本@名無史さん:2008/12/26(金) 22:21:21
                                          
YOUTUBEで有名な少女、ベトナム系アメリカ人のCAPICHANです。
日本のポップカルチャーが大好きだそうです。

YOUTUBE★CAPICHANの動画
http://jp.youtube.com/watch?v=9QJCIZm2yDs


210日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:12:35
211日本@名無史さん:2008/12/27(土) 16:39:15
そんな醜悪極まりない江南ベトナム顔土人が祖先で何かメリットあるの?
212日本@名無史さん:2008/12/28(日) 01:28:42
>>211 最近、南鮮ではベトナム人、フィリピン人との国際結婚が多いらしいな。
213日本@名無史さん:2008/12/29(月) 00:46:40
半島血統がギャーギャー言う問題じゃない。
何そう必死こいてんだよ。
214日本@名無史さん:2008/12/29(月) 00:50:14
そんな醜悪極まりない江南ベトナム顔土人が祖先で何かメリットあるの?
215日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:01:37
穴だらけの万里の長城造っといて中華ウン万年とホザク
混血人種に良くそこまで必死になれるなw
216日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:05:01
>>214 そういう人種と朝鮮人との混血なら化け物みたいなのができるんだろうな。
217日本@名無史さん:2008/12/29(月) 01:21:39
顔面からハッカク臭を出す東南アジアの茶色豚が祖先で何かイイ事あんの?
218日本@名無史さん:2008/12/30(火) 16:14:03
ハッカクくせえ中国語を話す東南アジア潰れ広鼻類人猿がそんなにイイの?
219日本@名無史さん:2009/01/01(木) 03:27:44
昨日、NHKでベトナムの枯葉剤による障害者の話をしていたが、沖縄人によくある容貌だった。

 シナ人にも朝鮮人にも見かけない容貌で、やはり東南アジアと日本は人種的に近いな。
220日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:52:41
>>212
>最近、南鮮ではベトナム人、フィリピン人との国際結婚が多いらしいな。

韓国人と南方アジア人との国際結婚が増えているのは、韓国政府の国策なんじゃね?
つまり、人種改造政策じゃないかな。
韓国人の遺伝子に、南方系(倭人系)の遺伝子を増やすことで、韓国人の顔立ちを日本人に近い
顔立ちに変えようとしているんじゃないのかな?
そうでなきゃ、「民族の優秀性」だの、「民族の純潔性」だのを強調している韓国人が、
なぜ、南方アジア人と国際結婚したがるのか、説明がつかないだろう。




221日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:23:23
アングロ混ぜようが何混ぜようが新モンゴロイド形質は強い。
黒人形質には負けるかも知らんが。

新モンゴロイドを古モンゴロイドにするのは不可能。
一重目を二重にするには整形しかない。

222日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:34:37
■在日中国人が75万人を突破

2008年12月22日、在日中国人向け新聞「中文導報」は、
日本で暮らす中国人の数は75万人を超えたと報じた。中国新聞網が伝えた。

記事によると、昨年1年間に日本国籍を取得した中国人は10万5813人で、
永住者は12万8501人に達した。 特別永住者は2986人増えて初の13万人台を突破。
日本人の配偶者は5万6990人、永住者の配偶者は5212人増えた。
日本に定住する中国人の数は43万人を超えるという。

人口の増加に伴い、全国各地に中国人コミュニティが形成されている。
横浜の中華街や神戸の南京街は有名だが、最近は東京のお台場(江東区)、立川市、
愛知県名古屋市の大須(中区)、大阪の上海新天地(大阪市)など新興の
“中華街”も続々と誕生。埼玉県大宮市の東宮下団地や川口市の芝園団地などは
居住者の大部分を中国人が占めるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081223-00000004-rcdc-cn
223日本@名無史さん:2009/01/01(木) 15:12:47
>>221
>新モンゴロイドを古モンゴロイドにするのは不可能。

ところが沖縄には、沖縄人との混血により、古モンゴロイド型の顔になった
朝鮮人が多いのよ。
母親が沖縄人で、その子供は沖縄顔、そういうタイプの朝鮮人が多い。


224日本@名無史さん:2009/01/01(木) 15:43:25
なめてんのかw
225日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:47:20
                           
白人と韓国人が混血すると、その子供は白人風の顔になる。
白人の顔は、古モンゴロイド型だよ。

つーか、古モンゴロイドのほうが白人型の顔をしているのだが。


226日本@名無史さん:2009/01/01(木) 20:43:47
ハッカクくせえベトナム顔した茶色豚が祖先で何か嬉しいの?
227日本@名無史さん:2009/01/02(金) 02:01:17
何で沖縄にチョンがいんだよ。大阪だろ。
228日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:15:42
>>227
沖縄には2万人以上の朝鮮人が住んでいるんだが。

沖縄の社民党議員や社会大衆党(沖縄のローカル政党)の議員は
全員が朝鮮人だよ。

金城とか、新垣とか、宮里とか、島袋とか、沖縄風の苗字で生活している朝鮮人、
多いよ。アイドル・グループ『SPEED』のヒロ(島袋寛子)も朝鮮人だしね。
あと、仲間由紀恵も朝鮮人。
229日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:01:22
                           
★韓国の首都名・「ソウル」は古代日本語か。

 韓国の首都は「ソウル」という名前だが、韓国人はソウルの語源が分からないという。
中世・古代の韓国語(朝鮮語)をいくら調べても、ソウルの意味は不明だそうだ。

 この「ソウル」は、実は古代半島の南部=カラに住んでいた倭人たちの言葉ではないか。
つまり、古代日本語ではないだろうか。
 おそらく、「ソウル」とはソ・ウラ(曾浦)の意味であろう。ソ(曾)は、熊曾・クマソのソであり、
古代日本語で「遠くの」あるいは「遠い土地」という意味の言葉である。ウラ(浦)は日本語で「海辺」の
意味である。
 ようするに、ソ・ウラとは「遠方の海辺」という意味であり、半島南部(馬韓)に住んでいた倭人たちが、
京畿湾の沿岸地方をソ・ウラと呼んでいたのだろう。
 8世紀以降、半島南部の倭人が滅びた後も、ソウラという呼称は使われ続け、ソウルと訛って、
今に至っている・・・これが真実であろう。
 ソウルの語源が日本語古語であるならば、中世・古代の朝鮮語に語源を求め、いくら研究しても、
語源は絶対に見つかるまい。
 たとえば、現在の日本にはファーストフード店が無数にあるし、それらの店ではハンバーガー、
チーズバーガーが売られている。ハンバーガー、チーズバーガーはもともと英語である。
もし、日本人の誰かが、ハンバーガーやチーズバーガーを日本語だと勘違いし、古代日本語や中世日本語に
語源を求めて調査しても、語源は見つからない。もともと外国語だからだ。
 それと同じように、韓国の首都名・ソウルが、実は古代日本語だったとしたら、いくら中世以前の朝鮮語を
調べても、語源は見つからないであろう。
 ソウルの語源は、やはり、古代日本語に求めるべきではないか。韓国人はこの説を受け入れたくない
であろうが。
 韓国の首都名が日本語であるという事実は驚くべきことだが、古代倭人文明の残像が、今の韓国にも
残っているということなのだ。

今のイタリアに、異民族・ローマ人が残した古代文明遺跡が残っているようなものだ。
230日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:43:01
>>228 仲間由紀恵も朝鮮人

・・・そういえば全然沖縄人顔ではないな。朝鮮顔なのかどうかも分からんが。
231日本@名無史さん:2009/01/03(土) 02:16:41
>>228
お前が電波チョンなのはよく分かったw
232日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:31:40
>>230
仲間由紀恵は、正確に言えば朝鮮人と沖縄人の混血。
母親が沖縄人だと、子供はああいう目鼻立ちがはっきりした顔になるよ。



233日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:00:19
>>229 ソウルはソフリとかソラボルとかが語源という俗説もあるな。

 ソ・ウラというのももっと厳密な説明がなければ、それらと同じ語呂合わせだろう。
234日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:59:06
仲間は普通にのっぺりだろw
235日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:25:07
宮里藍は典型的な沖縄顔だな。
236日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:42:35
また在日認定かよチョンw
237日本@名無史さん:2009/01/04(日) 13:43:58
>>233
韓国人が主張している「ソウルとは古代朝鮮語で『都』の意味だ」という説は、
根拠がない。
ソウルが都の意味なら、新羅の首都・金城もソウルと呼ばれるだろうし、
高麗の首都・開城もソウルと呼ばれるはずだ。
また、大日本帝国の首都・東京も、戦前の朝鮮人からソウルと呼ばれたはずだ。
だが、東京が戦前に、朝鮮人からそのように呼ばれた事実はない。
ソウルと呼ばれるのは、今の韓国の首都・ソウル市だけだ。
ソウルというのは、やはり、京畿道の西部(黄海沿岸地方)を意味する言葉なんだろう。


238日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:10:27
そんなプノンペン顔した茶色い醜悪な江南の生き物が祖先で何か嬉しいの?
239日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:47:01
>>238

統一こけてひろゆきこけたwww おめえもやばいんじゃないのw
240日本@名無史さん:2009/01/04(日) 23:39:26
そんな東南アジアのくっせえ江南ベトナム顔ロイドが祖先で何か誇らしいの?
241日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:39:16
そんな醜悪で汚らしい江南茶色人種が祖先で何か自慢なの?
242日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:41:14
そんな中国語を話す東南アジア潰れ鼻ロイドが祖先で何か誇る事でも?
243日本@名無史さん:2009/01/05(月) 01:05:15
結局チョンは万年植民地
244日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:13:41

シンガポール法人はこの息を吐くように嘘をつく朝鮮工作員を排除しろよ、頼むぜ
統一は自民党の一部と癒着しようが、一般日本人からは蛇蝎のごとく嫌われている。
それにもう求心力を失って崩壊するだろうよwwwwww
中国人の悪口も執拗に言い続けているからな、日中でチョンをやっつけるか再教育しようぜww
245日本@名無史さん:2009/01/05(月) 22:21:57
東南アジア香るウンコ色した江南カンボジーデが祖先で何か嬉しいの?
246日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:20:52
ウンコ色の肌、ハオハオ潰れ広鼻、ハオハオ突き出た口元、ハオハオギョロ目が祖先で何か喜ばしいの?
247日本@名無史さん:2009/01/07(水) 07:31:12
>>245
>>246

朝鮮帰れよ、なぜ日本にいるんだ?嫌われているのにwwww
連れて来られたなんて嘘をつくな、どうせ文無しの親が密航でもしてきたのだろうww
悪さするなよ、コラ

248日本@名無史さん:2009/01/07(水) 07:33:15
>>245
>>246

わかった祖先は白丁だろうwww 卑しさが文章に滲み出ているw
249日本@名無史さん:2009/01/07(水) 12:33:26
そんなプノンペン顔した東南アジアの江南類人猿が祖先で何か楽しいの?
250日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:03:59
この人って別に日本人の祖先は現代朝鮮人と言っているわけじゃないよね?
なんで朝鮮人認定されてんの?
251日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:14:46
邪魔な日本人には朝鮮人認定して潰すのが悪どい中華人(含台湾)の
やり方だからさw

中華工作員の工作のやり方は、

必ず朝鮮煙幕&朝鮮人認定してから中華論理に我田引水。

いつもこれ。

まるで朝鮮人の魔の手から救ってくれる正義の味方のようなふりをして
もっと関係の無い中華に誘導するという何とも許し難い卑劣な手口。

この巧妙な手口の繰り返しに2ch全部がダマされてきたという訳だ。

これが中国4000年の中で作られてきた中華最高峰の、
卑怯卑劣極まりない必勝の戦い方なんだろうな。
252日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:27:35
そんなハッカクくせえ豚くせえプノンペンくせえ茶色い生き物が祖先で何か嬉しいの?
253日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:58:12
OH!そのまんま江南!




d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)

茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。
中国南部から東南アジアに広く分布。



254日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:10:13
顔面からハッカク臭とベトナム臭を放つヨゴレが祖先で何か喜ばしいの?
255日本@名無史さん:2009/01/09(金) 07:25:12
>>145
>甲骨文字と漢字とは違う文字だよ

(゚Д゚)ハァ?
256日本@名無史さん:2009/01/09(金) 08:48:45
>>145 つか文字なんてのは誰でも作れるし、大したことじゃない

・・・日本では万葉仮名(漢字)から仮名を作るのに100年ほどかかり、朝鮮では漢字使用時代からハングル製造まで

1000年ほどかかったが。その間に民間で誰でも簡単に私的文字を作っていたという記録でもあるのか?
257日本@名無史さん:2009/01/09(金) 14:30:08
なんでここは候補が中国と韓国だけなんだろうか
258日本@名無史さん:2009/01/09(金) 16:09:01
橋は三つしか架かってねぞw
259日本@名無史さん:2009/01/10(土) 03:25:24
橋は八つ。
260日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:37:27
中国語を話す茶色広鼻のベトナム人が祖先で何か嬉しいの?
261美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2009/01/11(日) 01:44:27
>>256
神代文字
いわゆるシュメール文字ね


あと仮名文字は漢字から作った訳じゃなく、仮名文字は仮名文字として以前からあった文字だよ(神代文字の一種)


ちなみにハングル文字ってのもいわゆるシュメール文字で、日本人が韓国に教えたんだよ
あと満州やモンゴルも文字を持ってたよ



つか俺が言ってる「文字」ってのは「表音文字」の事すよ?(神代文字、仮名文字、ハングル文字、モンゴル文字、シュメール文字等)

神代文字という表音文字を文字を持ってたから、漢字を取り入れても表音文字(諏佐之男とか)として使ってたりしてるんだよ

んで、漢字は表音文字としててきさないから、表音文字の仮名文字と混ぜて使うようになっただけ
ちなみに今では日本人は漢字だけじゃなくローマ字も独自に使いこなしてるでしょ?


ちなみに中国人は表音文字を持ってなかったんだよ
だから毛沢東は表音を表す文字をローマ字で作ったんだよ
262日本@名無史さん:2009/01/11(日) 02:04:38
電波ユンユンw
ギャグにしては捻り不足。
263日本@名無史さん:2009/01/11(日) 04:00:02
消えた
朝鮮ネタで荒らすことを目的とした連中が
264日本@名無史さん:2009/01/11(日) 04:52:26
工作がばれまくってるから中止命令でも出たんだろ
265日本@名無史さん:2009/01/11(日) 11:32:43
>>264
中華(含台湾)と主語を入れるように。
266日本@名無史さん:2009/01/11(日) 12:16:22
朝鮮ネタ荒らしにはピエロ役(日本貶し)と朝鮮人認定係があるなw
267日本@名無史さん:2009/01/11(日) 15:14:04
そう。

劇団型工作なんだよなw

中国人と台湾人、両方とも朝鮮煙幕を使って工作してるんだけど、
劇団型は台湾人部隊の方だろ。
268日本@名無史さん:2009/01/11(日) 22:08:16
そんな中国に住むただの東南アジア人を日本人の祖先に仕立てて何か楽しいの?
269日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:33:59
そんなハッカクくせえベトナム顔した茶色豚を日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいの?
270日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:39:20
>>264
工作隊が旧正月に入ったんじゃ無いか?
271日本@名無史さん:2009/01/13(火) 23:13:02
いい加減、朝鮮煙幕作戦がバレてきたので一時撤退したんだろ。
272日本@名無史さん:2009/01/13(火) 23:42:41
【日韓歴史】 古代の韓流スター武寧王は倭武王だった!日本飛鳥文化の源流![01/11]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231855264/

【歴史】中国神話や伝説は韓国が起源。黄帝、伏羲、周公、中国四大美人の一人西施などは韓国血統★2[12/16]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1229476517/

273日本@名無史さん:2009/01/14(水) 00:03:36
何年か前に、日本の鉄器を調査したら中国大陸より古かった、というのがあったが、
あれはどうなったんだっけ?
日本は青銅器時代飛ばしていきなり鉄器だったとか
274日本@名無史さん:2009/01/14(水) 14:34:44
日本に伝播 青銅器、商・西周と共通点 特殊な鉛含有

 新井氏は、青銅器材料に含まれる微量の鉛を測る鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析。
弥生関連の1052個を鉛同位体の比率の違いに注目して分類、共通点を探った。
 その結果、弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器は、
中国最古の王朝とされる商(殷、前17〜11世紀)や西周(前12〜8世紀)の時代に
多く見られる青銅器と、鉛同位体比が一致することが判明した。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。

 弥生時代については、国立歴史民俗博物館(歴博)が4年前、放射性炭素年代測定による分析の結果、
弥生期の幕開けは紀元前10世紀へさかのぼる−と発表して話題を集めた。
従来の定説では、日本へ青銅器が初めて流入したのは、前250〜200年。
遡上説をとる歴博によると前370年ごろ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000904-san-soci
275日本@名無史さん:2009/01/15(木) 23:10:11
↓こんな東南アジアの醜悪な類人猿を日本人の祖先に仕立てて何か喜ばしいの?




d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)


茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに
広く分布。


276日本@名無史さん:2009/01/16(金) 13:35:00
277日本@名無史さん:2009/01/16(金) 22:38:58
そんな口元の突き出た中華ホッテントットを日本人の祖先に仕立てて何か素敵な事でも?
278日本@名無史さん:2009/01/17(土) 19:36:07

黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!


赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。


それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。

台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。

赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
279日本@名無史さん:2009/01/18(日) 16:20:03
そんな東南アジアの茶色ウンコ色ツブレ鼻ハッカク土人を日本人の祖先に仕立てて何のつもり?
280日本@名無史さん:2009/01/19(月) 00:00:35
そんな、黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!を日本人の祖先に仕立てて嬉しいか?
281日本@名無史さん:2009/01/21(水) 00:16:43
そんな南方中華の茶色広鼻ロイドを日本人の祖先に仕立てて何の徳があるの?
282日本@名無史さん:2009/01/22(木) 00:12:54
そんな東南アジア顔したクッサイ汚らしい生き物を日本人の祖先に仕立てて気持ちがいいのか?
283日本@名無史さん:2009/01/24(土) 02:16:15
朝鮮人が絶滅して前部台湾人と入れ替わったらいいのに。
284日本@名無史さん:2009/01/24(土) 02:51:12
>>150
言えてる。朝鮮人は現実を見なくちゃ
285日本@名無史さん:2009/01/24(土) 11:43:58
荒れてますね。他スレより転載。

507 :我が輩はぬこである 故に名無しさん ◆fyIbSRssDU :2009/01/23(金) 20:21:22 ID:Hu2dXsSO
>>496
宮内庁が認めていないのは陵墓の発掘であって、歴史自体を隠せと言う話は聞いたことが
ないな。うちの大学だと、朝交代説が支持されていたな。ちなみに、物部→神武→継体の方
 実在は崇神天皇からで、その前の神武天皇は始祖王として神話化された複数の王で、イ
ワレビコという最初の王が、同族のニギハヤヒを下して橿原の王になったところから始まるっ
て話だね。
 物部氏と大伴氏を従えた橿原の王が周辺諸国を制圧したところで、大和としての崇神朝
が始まり、応神の系譜である継体が最終的に今の天皇家の直接の先祖にあたるという説。

決して半島人が日本を作ったという妄想なんかではないよ。私の大学は左寄りだったけど、
神話学は故・松前健先生を招いて講義していただいたので、祭祀形態から推測するに、スキ
タイ系ではないかと、私の居た時点では教えられていたね。元々の皇祖神はタカミムスビで
これは高木に神が降りるという信仰だそうだ

壇君神話は、壇君自体が穀霊神でなく、熊女も水の女神であることから考えて、朝鮮の神
話の方が派生であるということらしい。地方神話に天孫のモチーフを重ねたっていう解釈だ
った

最近のウリナラファンタジーを見ていて思うんだけど、線路の無いところに駅などできるはず
も無いのに、いきなりペンキ塗り立ての駅を指さして、「これが世界最古の駅ニダ」言うのは
やめた方が良いと思うんだ調べていけば大体日本神話は線路がどこから続いていたかわか
るのだけどね…

ちなみにスサノオは半島経由で来た説が有望だったけど、どうも米のルーツとかを考える
に中国南部から来た蚩尤の系譜の神話な気がしている


286日本@名無史さん:2009/01/24(土) 11:46:34
>>507
ふむふむ。興味深いお話ありがとう御座います。

倭の人の呼称自体が、当時の海洋民族を指しており、
倭の国は、地域的には台湾・琉球・日本列島・朝鮮半島
ほか一部現在の中国海岸部を含めた所とされている為、
朝鮮半島での動乱が、日本列島内の豪族の趨勢に影響を及ぼしていたり、
中国への朝貢によって倭の国の中での優劣が定まったり等々で、
朝鮮半島は日本の歴史にとって切り離す事が出来ない土地。

まあ、今の住人と、当時の住人は別物なので、
古代朝鮮半島の住人を『半島人』と呼ぶのは失礼かと思いますがw

稲作そのものは長江近辺から直接伝来した説が決定的ですよね。
287日本@名無史さん:2009/01/24(土) 11:48:09
516 :我が輩はぬこである 故に名無しさん ◆fyIbSRssDU :2009/01/24(土) 00:45:33 ID:1NdRpz+v
そうですね。日本語では海も空もアマと発音し、高天原のように
天にだけ極楽があるのではなく、琉球地方のようにパイパティローマやニライカナイといった
海の果てにも楽園があると考えられていました。どちらかというと、その感覚では倭と言うか
東夷全体を差している感じですね

ソウルの語源が不明という話で、祖降るの地という考えがあって、朝鮮族が持たなかった、
タカミムスビの信仰を当時のあの辺りの人間が持っていたらしいという比較神話学説的な
説から考えると、アムール川辺りから来たスキタイ系の民族(弥生人A)と徐福の時代か、
それ以前にに米を持ってやって来た呉人や越人といった人々(弥生人B)がポリネシア系
やツングース系の縄文人と混交して日本人になった。だから、日本神話ではそれぞれの
崇める祖神を合一して神話としたという解釈を行うのが適切であり、一つの民族の伝承で
は説明がつかないんですよね。まあ、実際にスキタイ人が何人かはわかっていないので
あくまで、信仰系統としての話なんですけどね

結局、後から半島に来た今の朝鮮人の先祖が、何もかも中国風にしちゃったので、きちんと
した資料が無くて検証の仕様がないんです。文法的類似はあるのですが、単語とかになる
と共通語彙を少しづつ検証するしか方法がないわけで…実際、百済王の称号コニキシも
何を意味するのかわかっていませんしね

だから、今の言ったもん勝ちな風潮になってしまうのでしょうね。あと、問題は南部では、
掘っても掘っても倭人の遺跡しか出てこないことでしょうか。少なくとも彼らの主張する
根拠か独自の形式の起源を示す証拠がなければ、どこまで言っても妄言の域をでない
のですよ
288日本@名無史さん:2009/01/24(土) 11:49:56
517 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん:2009/01/24(土) 01:40:03 ID:P/r83vOz
>>516
追加レス、ありがとう御座います。

おまけで、ココ向けな話題に戻ると…、

百済などの古い遺跡を、文字通り 『我が物のように』 誇る、今の彼等は滑稽ですよね…。

倭の中の一部分(日本列島&北海道+樺太&琉球)が、現在の日本国になっているだけで、
国号を日本と改め云々の時も、別に倭の国の『盟主』って意識はなかったと思うし…。

ただ、現在の韓国人や中国人から、現在の日本人を見ると、
国土を異民族が入り乱れ、国境も変化してきた自国に対し、
由緒の深さや民族の連続性や国土の不変性など、羨望されて当然のものを、
生まれながらにして既得してしまっているんですよね。

誰にも変えられない事実が、現在の彼等が欲するもの、そのもの。
子孫に恥ずかしい思いをさせずに済む過去(=つまり現在)を、今、開拓していけば良いのにね。
289日本@名無史さん:2009/01/24(土) 15:55:28
そんなツブレた広鼻のクッサイ中華土人を日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいの?
290日本@名無史さん:2009/01/24(土) 23:03:02
そんなハッカクくせえプノンペン顔した茶色い豚を日本人の祖先に仕立てて何か楽しいの?
291日本@名無史さん:2009/01/25(日) 00:31:51
↓こんな江南の醜悪な東南アジア類人猿を日本人の祖先に仕立てて何か喜ばしいの?




d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)


茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに
広く分布。





292日本@名無史さん:2009/01/25(日) 18:35:18
そんなウンコ色の肌に潰れ広がったウンコ鼻をした江南ウンコ土人を日本人の祖先に仕立てて何かときめくの?
293日本@名無史さん:2009/01/25(日) 22:56:43
そんなプノンペン顔した東南アジア江南のクッサイ生き物を日本人の祖先に仕立てて何かイイ事あんの?
294日本@名無史さん:2009/01/25(日) 23:44:09
>>289-293をアク禁にする方法はなにかありませんか?
下品で汚らしくて、朝鮮人の恥でもある。
295日本@名無史さん:2009/01/25(日) 23:44:50
精神異常者は繰り返す・・・ - 響きあう人と心 - 楽天ブログ(Blog)其の後も、Yの
行動は繰り返し続いております私の方も切羽詰ったのでこの内容を移動理由とし労作性
狭心症の悪化のため申し入れをいたしました私の場合Yから与えられる精神的労作と
しては、怒り、苦しみ、悲しみは、 30年となり並大抵のものではは ...
plaza.rakuten.co.jp/neko132/diary/200701160000/ - 38k - キャッシュ - 関連ページ

特定アジアニュース: 姉妹を繰り返し性暴行して、姉を妊娠させた父親に ...2008年6月24日
... 姉妹を繰り返し性暴行して、姉を妊娠させた父親に判決がでたニダ(着火付)! ...
あわせて「自分たちの父親である被告人の性的犯行により、精神的・肉体的に深刻な衝撃を
受けた娘たちの今後の予後がとても心配だ」とつけくわえた。 ...
specificasia.seesaa.net/article/101400406.html - 47k - キャッシュ - 関連ページ
296日本@名無史さん:2009/01/26(月) 01:25:58
そんな東南アジア江南の、

ブラック!ブラック!広鼻ブラック!


広鼻、


ブラーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーック!!!!!


を日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいの?
297日本@名無史さん:2009/01/26(月) 09:05:30
先祖が朝鮮人以外ならピグミー族でも嬉しいよ ('∀`)
298日本@名無史さん:2009/01/26(月) 12:33:46
また始まった
299日本@名無史さん:2009/01/26(月) 13:01:04
どうせ最初は猿だったんだから。
300日本@名無史さん:2009/01/26(月) 22:01:26
301日本@名無史さん:2009/01/27(火) 08:29:56
ベトナム人かっこいい!
チョン醜い('A`)
302日本@名無史さん:2009/01/27(火) 09:31:33
そんな東南アジア顔した江南のクッサイ汚らしい生き物を日本人の祖先に仕立てて何か気持ちがいいの?
303日本@名無史さん:2009/01/27(火) 12:57:27
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
このレスをみたあなたは・・・3日から7日に
ラッキーなことが起きるでしょう。片思いの人と両思いになったり
成績や順位が上ったりetc...でもこのレスをコピペして別々のスレに
5個貼り付けてください。貼り付けなかったら今あなたが1番起きて
ほしくないことが起きてしまうでしょう。
コピペするかしないかはあなた次第...
○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○。・。○
304日本@名無史さん:2009/01/27(火) 13:57:47
>>302
チョンは性格が気持ち悪い。特にお前みたいな奴な
305日本@名無史さん:2009/01/27(火) 14:36:56
北方アジアから流れてきた巨大頬骨の陰湿細目人種なんか
ご先祖様じゃないやい ・゚・(つД`)・゚・
九pチンポのクセに俺たちの親戚ヅラするんじゃねえぞゴミども
306日本@名無史さん:2009/01/27(火) 16:28:46
>>305 吉外チョンなんか相手にするな。
307日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:27:08
250 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2009/01/07(水) 22:03:59
この人って別に日本人の祖先は現代朝鮮人と言っているわけじゃないよね?
なんで朝鮮人認定されてんの?
308日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:39:53
そんな汚らしいウンコ色したツブレ鼻の東南アジア江南広鼻土人を日本人の祖先に仕立てて何かメリットあんの?
309日本@名無史さん:2009/01/28(水) 07:26:05
遠交近攻ってこともあるよね。
ご先祖様に祭り上げたベトナムと組んでチョンを叩き潰すとか
いいかも。
310日本@名無史さん:2009/01/28(水) 12:09:17

太平洋の島々へ移住した部族の祖先は台湾の農耕民だったことが判明。
およそ6000年前、すでに農耕技術を持った人たちが太平洋に漕ぎ出し、
たどり着いた先々で農耕を始めながら島々へ移住していった姿が浮かび上がってきた。
従来は「農耕=定住」という固定観念でとらえられがちだったが、
農耕技術が移住の原動力になったという新たな視点をもたらした。

島影も見えない壮大な海の旅を可能にしたのは、農耕の技術であった。
栽培された作物は船上での食料になっただけでなく、島での生活を支える要にもなった。
こうして人類は、広大な海に進出できたのだ。
http://www.nhk.or.jp/zero/contents/dsp228.html


311日本@名無史さん:2009/01/28(水) 12:47:31
そんなホーチミン顔したハッカクくせえ江南ホッテントットを日本人の祖先に仕立てて何か楽しいの?
312日本@名無史さん:2009/01/28(水) 17:24:24
他スレより

>今のところ縄文人は古モンゴロイド、
ユーラシア内陸を横断してシベリア・バイカル湖アムール流域に到達した初期型モンゴロイドの系統と考えられている。
白黒黄人種への分化があまり明確でない段階の人類の直系子孫と考えられているのはオーストラリア先住民グループ。

そして日本列島孤に流入してきた古モンゴロイドも一系統だけではなく、
アムール河口から現樺太・北海道を通って南下してきて定着したグループや、
寒冷期に大陸側を南下して華南・東南ア域あたりで暮らし、温暖化とともに北上して来て
日本列島に流入して来たグループなど、 系統も時期も幾波かが考えられている模様。


313日本@名無史さん:2009/01/28(水) 19:24:37
>>310>>312
グッドジョブ
314日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:20:28
そんな汚らしいラオス顔した茶色広鼻の醜悪なクッサイ生き物を

日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいの?
315日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:26:42
つか「太伯」って金星の事でしょ?

人名ってより肩書きとかそういう意味じゃないの?

倭人が太伯の子なら、太伯ってのも倭人だよ


大陸は表音表記出来る文字を持ってないから、人名とか地名とかを大陸人が発音のまま表記したり出来ないんだよ?
316日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:32:48
そんなウンコ臭ただようただの東南アジアの醜悪な類人猿を

日本人の祖先に仕立てて何か喜ばしいか?
317日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:41:51
>>315
もんた?
318日本@名無史さん:2009/01/30(金) 00:03:39
>>311>>314>>316
チョンさん。
律儀にレスご苦労様。
相当顔にコンプレックスをお持ちの様で・・・。

御愁傷様です。
319日本@名無史さん:2009/01/30(金) 10:25:15
そんなクッセエ東南アジアの茶色広鼻の汚らしい生き物を

日本人の祖先に仕立てて何かイイ事あんの?
320日本@名無史さん:2009/01/31(土) 00:16:10
そんな下品で品性下劣で醜悪極まりない東南アジアの茶色広鼻の劣等土人を

日本人の祖先に仕立てて何か気持ちイイか?
321日本@名無史さん:2009/01/31(土) 16:00:48
そんな東南アジア丸出しの臭く醜く汚らしい江南ベトナピーノを

日本人の祖先に仕立てて何か快感か?
322日本@名無史さん:2009/02/01(日) 00:20:57
>>319-321

みごとにさらし甲斐のある朝鮮人の醜悪さのサンプルですねw
323日本@名無史さん:2009/02/01(日) 16:18:55
そんなウンコ色、ウンコ鼻、ウンコ口した東南アジアのウンコ顔のヨゴレを

日本人の祖先に仕立てて何か楽しいの?
324日本@名無史さん:2009/02/01(日) 17:47:12
スレ破壊が目的か
325日本@名無史さん:2009/02/01(日) 20:37:32
そんなビエンチャン顔したハッカクくせえ江南の汚らしい生き物を

日本人の祖先に仕立てて何か胸が躍るか?
326日本@名無史さん:2009/02/02(月) 21:44:57
そんなハノイのスラムの公衆便所のような凄まじい屎尿臭を顔面から発する人間未満を

日本人の祖先に仕立てて何か心ときめくか?
327日本@名無史さん:2009/02/03(火) 21:10:38
そんなハッカクくせえ東南アジアの汚らしいウンコ色ツブレ鼻土人を

日本人の祖先に仕立てて何か萌えるか?
328日本@名無史さん:2009/02/04(水) 00:54:29
>>325-327

みごとにさらし甲斐のある朝鮮人の醜悪さのサンプルですねw
329日本@名無史さん:2009/02/04(水) 15:39:57
>>315
太白=金星
太伯=句呉(後の呉)の太伯
330日本@名無史さん:2009/02/04(水) 21:13:02
そんな顔面から東南アジアの汚臭がただよう醜悪な江南ウンコ土人を

日本人の祖先に仕立てて何か面白いか?
331日本@名無史さん:2009/02/05(木) 02:02:44
何このバレバレ工作員w
332日本@名無史さん:2009/02/05(木) 22:33:27
そんなマニラのスラムに転がっている人糞のようなニオイを顔面から発する生き物を

日本人の祖先に仕立てて何か爽やかか?
333日本@名無史さん:2009/02/06(金) 17:34:08
そんな、



d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)


茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに
広く分布。



を日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいか?
334日本@名無史さん:2009/02/07(土) 05:27:22
台湾と共闘して韓国を潰そう
335日本@名無史さん:2009/02/07(土) 19:31:27
そんなハッカクくせえ、ベトナムくせえ、豚くせえ、ウンコくせえ生き物を

日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいか?
336日本@名無史さん:2009/02/08(日) 11:30:46
>>335 ベトナム人の彼女にでも ふられたんか?
337日本@名無史さん:2009/02/08(日) 16:09:45
そんな東南アジアの茶色広鼻の醜悪でクサくて汚らしい台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かハッピーな気分か?
338日本@名無史さん:2009/02/08(日) 22:07:35
そんな汚らしいガンボジア顔したハッカクくせえ台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かウハウハか?
339日本@名無史さん:2009/02/09(月) 23:01:34
そんなウンコとハッカクを混ぜた悪臭を顔面から発射する茶色広鼻の醜悪な台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か気分爽快か?
340日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:24:57
そんな広鼻くせえウンコ色でウンコの香りがする東南アジア丸出しの台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かウキウキするか?
341日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:57:03
ちょんさん・・・。
しつこいわ。
342日本@名無史さん:2009/02/11(水) 06:49:58
ウンコ臭いのは朝鮮が有名なんだがな。嘗糞や道路に汚物をまいたり、国会での汚物撒き散らし事件など。
343日本@名無史さん:2009/02/11(水) 19:24:42
そんな熱帯雨林丸出しの顔面そのものが汚物の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か心晴れやかか?
344日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:17:41
いまだに糞尿で顔を洗う訓練を続けているお隣の土人より、東南アジア人の方が文明人だ。
345日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:35:12
そんな高温多湿で町中に腐乱臭がただよう褐色ツブレ広鼻の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かワクワクするか?
346日本@名無史さん:2009/02/12(木) 03:59:18
すげーな
このスレ
沿海州 VS 工作員
347日本@名無史さん:2009/02/12(木) 12:10:35

黒い!潰れた広鼻!ぶ厚い唇!土人!南方ヅラ!マニラ顔!


赤の遺伝子afb1b3。 南方モンゴロイド。


それはマニラのスラムに漂う腐った屎尿の臭い。
この世で最も不浄な臭くて汚らしい穢れた遺伝子。

台湾人、中国人、朝鮮人にもたっぷりと入っている。

赤の遺伝子afb1b3が入ると南方人になり、日本人種が穢れる。

gm遺伝子
http://www3.mahoroba.ne.jp/~npa/narayaku/image/dna_map.jpg
348日本@名無史さん:2009/02/12(木) 22:53:34
そんな汚らしいベトナムの肥溜め臭を顔面から放つ台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か素晴らしい心境にでもなるか?
349日本@名無史さん:2009/02/13(金) 12:39:53
被害妄想で人格崩壊を起こしているようだな。早く精神病院へ行った方がいい。
350日本@名無史さん:2009/02/13(金) 15:02:48
>>348

印鑑などの販売会社「新世」だってよ、相変わらずだな悪党ども、
さっさと帰れよ汚らしいボケチョン、日本人のふりするな汚らしいボケチョン
351日本@名無史さん:2009/02/14(土) 17:50:37
そんな熱帯雨林にただよう腐臭を嗅いだような二グロ鼻をした台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か元気が湧くか?
352日本@名無史さん:2009/02/14(土) 22:30:49
そんな不快指数1000%の醜悪極まりないスマトラ顔した台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か気持ちいいか?
353日本@名無史さん:2009/02/14(土) 23:40:27
>>351 >>352

印鑑などの販売会社「新世」だってよ、相変わらずだな悪党ども、
さっさと帰れよ汚らしいボケチョン、日本人のふりするな汚らしいボケチョン
354日本@名無史さん:2009/02/14(土) 23:48:08
そんな粗野で品性下劣で醜悪極まりないボルネオ顔した台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か楽しいの?
355日本@名無史さん:2009/02/14(土) 23:54:58
そんなブッ潰れた鼻、ウンコ色の肌、突き出した口、ギョロ目、骨ばった輪郭の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か喜ばしいの?
356日本@名無史さん:2009/02/14(土) 23:58:54
そんなチビ黒サンボみたいなクッサイ容姿容貌の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か爽やかな風でも吹いてくるの?
357日本@名無史さん:2009/02/15(日) 17:38:19
そんなムエイタイみてえな顔面をしたハッカクくせえ台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいか?
358日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:44:45
359日本@名無史さん:2009/02/16(月) 22:30:58
そんなくっせえベトコンヅラした東南アジア種に分類される台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か殊勝な気分になるか?
360日本@名無史さん:2009/02/16(月) 23:03:30
朝鮮ではなぜか、顔面整形手術が流行しているらしいな。東南アジア人のような二重瞼にするのが序の口らしい。
361日本@名無史さん:2009/02/16(月) 23:38:20
そんな東南アジア人のような黒ウンコ肌、ニグロ鼻、ホッテントット口、ギョロ目、骨張った輪郭をした台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か心洗われるか?
362日本@名無史さん:2009/02/17(火) 22:29:55
そんなカンボジア顔したハオハオ言ってるハッカクくせえ台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かすがすがしい気分になるか?
363日本@名無史さん:2009/02/18(水) 12:24:16
そんな下品で下劣極まりないインドシナの屎尿臭が顔面にしみ込んだ台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かクールな気分になるか?
364日本@名無史さん:2009/02/18(水) 13:52:05
朝鮮人は顔面整形手術してわざわざ東南アジア顔にするのは何故なんだ?
365日本@名無史さん:2009/02/19(木) 12:01:12
そんなブッ潰れた鼻、ウンコ色の肌、突き出した口、ギョロ目、骨ばった輪郭の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かエレガントな気分になるか?
366日本@名無史さん:2009/02/19(木) 22:40:14
そんなクッサイ蒸れた足の裏のようなベトナム臭を顔面から放つ台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か麗しい気分になるか?
367日本@名無史さん:2009/02/20(金) 20:22:44
そんなハッカクくせえベトナム顔した茶色豚みてえな台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かフレッシュな気分になるか?
368日本@名無史さん:2009/02/21(土) 19:28:05
そんなハオハオ言ってる豚くせえミンダナオ顔した茶色広鼻の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて心澄みわたるか?
369日本@名無史さん:2009/02/21(土) 23:10:28
名古屋市北区の病院の建設現場から、日本最古となる弥生時代の舟の形をした木棺が見つかりした。
木棺が見つかったのは、北区の病院の建設現場にある平手町遺跡です。

出土したのは、長さ2.5メートル、幅80センチの舟型の木棺で、
これまでに確認されたものより数百年ほど古く、弥生時代中期、
およそ2000年前のものとみられます。
また足の骨や歯なども見つかり、埋葬さたのはおよそ150センチの成人とみられます。
学芸員「こんなきれいに見つかるのは貴重」。
この木棺は来週掘り出され、およそ1年ほどかけ保存処理されたあと、
一般公開される予定です。(21日11:57)

http://hicbc.com/news/pict/00026D20_0221122248.jpg
http://hicbc.com/news/detail.asp?cl=c&id=00026D20


やはり日本人は呉の国滅亡後船で日本列島に渡ってきた証拠ですね。
死後の世界では船でまた故地に帰れるようにと願って船型の木棺に埋葬したのでしょう。
祖先の苦難がしのばれます。
370日本@名無史さん:2009/02/22(日) 03:22:14
電波乙
371日本@名無史さん:2009/02/25(水) 19:13:00
そんなマニラ臭ただよう江南ギョロ目ツブレ鼻茶色ロイドの台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か心地良いか?

372日本@名無史さん:2009/02/26(木) 12:13:34
そんな突き出したタラコ唇でハオハオ言ってるウンコ色で潰れ広がった鼻の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か一服の清涼剤にでもなるか?

373日本@名無史さん:2009/02/26(木) 23:26:40
そんな汚らしい東南アジアのハッカクくせえ生き物の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かエクスタシーでも感じるか?
374日本@名無史さん:2009/02/27(金) 22:54:56
そんな醜悪極まりない江南ベトナム顔土人の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かメリットあるか?
375日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:45:07
>>369
たしかに紀記にも舟葬を
思わせる記述があったと
思います。

日本人はやはり海を渡ってやって来た海の民の末裔なのだと思います。
376日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:48:20
人種差別的な醜い書き込みを
している人はスレッド自体を
妨害しているつもりでしょうが
傍目に見て恥ずかしい行いですよ。
377日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:51:47
>>310
かつて日本の結婚式で
歌われていた「高砂」は
このことを歌っていたのかもしれない。
378日本@名無史さん:2009/02/28(土) 14:27:26
そんな顔面からハッカク臭を放つ東南アジア茶色豚の醜悪な台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か穏やかな気分になるか?
379日本@名無史さん:2009/03/01(日) 13:10:45
そんなハッカクくせえ中国語を話す東南アジア潰れ広鼻類人猿の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か素敵な気分になるか?
380日本@名無史さん:2009/03/02(月) 03:30:31
なんなのこのキチガイ?
381日本@名無史さん:2009/03/02(月) 21:00:53
そんなくっせえプノンペン顔した茶色い醜悪な江南土人の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か心に春風が吹いてくるか?

382日本@名無史さん:2009/03/03(火) 12:08:52
そんな東南アジアのくっせえ江南ベトナム顔ロイドの台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か誇らしいか?
383國學院大學卒:2009/03/03(火) 21:58:21
台湾ではなく長江下流です。

弥生時代の
高床穀倉(高床倉庫)というのは
朝鮮半島にはないものです。
稲作の始まりは長江下流。
高床穀倉は稲作とセットの
建築文化なので日本で開発されたのでなければ
朝鮮半島ルート以外の
ルートで稲作とともに
伝来した建築文化と考えられます。

すなわち長江下流域からの
直接渡来の可能性も高いと
言えます。
384日本@名無史さん:2009/03/03(火) 22:28:09
別の研究では弥生人の渡来ルートは5つほども
あるとも言われています。
385日本@名無史さん:2009/03/03(火) 23:13:06
弥生人は、別に数万人規模で一斉に列島にわんさか押し寄せてきた
わけじゃあるまい。
ちいさなグループが少しずつ渡来してきて、集落を構えて来ただろう。
それは長江から沖縄渡った、南からかもしれないし、大陸を北上して
半島を経由して来たかもしれないしね。
386日本@名無史さん:2009/03/03(火) 23:34:49
387日本@名無史さん:2009/03/04(水) 01:13:19
則天武后も周だけど・・・こっちはイメージが余り良くないな・・・
 
388日本@名無史さん:2009/03/04(水) 02:54:12
何かに連なりたいと思うのは万国共通なのかね
389日本@名無史さん:2009/03/04(水) 12:16:38
そんな臭くて醜悪で汚らしい江南茶色人種の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か自慢になるか?
390日本@名無史さん:2009/03/04(水) 16:17:53
ベトナムでのの染色体構成は、O系統が主だが、一番影響の強いのは日本人
にある、O2b系とは異なり、O2a系である。が10%ほどO2bも持っている。
それに、おそらく昔、漢族などに陵辱された歴史背景からか、漢民族に
よく見るO3系が多くの割合で入っている。
つまり、日本人とベトナムの祖先のO2b系統は千年前いくつかに枝分かれし、
先住民と仲良く暮らせるようになったグループ。
漢民族に支配され陵辱され、元々の民族の肉体的形態を変えていったグループ。

などに分かれていった。逆に言えば、朝鮮人の祖先はベトナムに近い
といえるかも知れない。
391日本@名無史さん:2009/03/04(水) 16:32:19
まとめ(仮)先にあるほうが肉体的影響が大きいほう。
日本人
縄文人D2+渡来人(O2b長江系・漢民族に追われ主に海を北上グループ)+α
ベトナム
O2a民族+O2b(長江系・漢民族に陵辱され南下していった)
朝鮮人
O2b+(長江系・海を渡らず大陸を北上。漢民族に数千年陵辱されつつ半島に到着。その数千年前には日本は弥生期)

補足
朝鮮人の染色体にはO3系(漢民族など)が40%ほど入っている。
日本人にはO3系は10〜20%。
この違いから弥生人と、朝鮮人は祖は同じといえど、到来した時期は違うのではないかとも
思える。
392日本@名無史さん:2009/03/04(水) 19:57:50
長江から東南アジアへの
移動はもっと昔。

長江から日本への移動は
春秋戦国から漢代。

全然時代が違います。
393日本@名無史さん:2009/03/04(水) 20:07:12
じゃあそれ追加ね。
394日本@名無史さん:2009/03/04(水) 20:29:12
遺伝子的には
日本人と韓国人の遺伝距離は
ゼロとのことたので、
やはり大部分は半島経由だったのでしょうか。
395日本@名無史さん:2009/03/04(水) 21:32:05
そんな醜悪で汚らしい台湾人みたいな、



d.パレモンゴリーデ(南蒙古人種)


茶黄色、低身短頭で、顔は丸くやや広鼻。中国南部から東南アジアに
広く分布。



を日本人の祖先に仕立てて何か嬉しいか?
396日本@名無史さん:2009/03/04(水) 23:53:53
うれしいうれしくないってクソレス多いけど、それが事実だったら事実で
受け止めているだけで、
そういう色々な部分を解明しようとしてるだけだろ。
そこから朝鮮と日本の共通性とか相違性などを探っていってるんだろうが。
397日本@名無史さん:2009/03/05(木) 00:25:44
台湾ニグロ乙(プ
398日本@名無史さん:2009/03/05(木) 12:06:59
そんな中国語を話すクッセエ東南アジア江南ツブレ鼻ロイドの台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かアルファー波でも出るか?
399日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:30:25
そんな屎尿くせえ東南アジア香るウンコ色した江南カンボジーデの台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かファンタスティックな気分になるか?
400日本@名無史さん:2009/03/06(金) 12:00:37
そんなウンコ色の肌、ハオハオ潰れ広鼻、ハオハオ突き出た口元、ハオハオギョロ目の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かルンルンした気分になるか?
401日本@名無史さん:2009/03/06(金) 23:58:57
そんなプノンペン顔した東南アジアの醜悪な江南類人猿の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かうっとりとした気持ちになるか?
402日本@名無史さん:2009/03/07(土) 23:26:54
そんなハッカクくせえ豚くせえプノンペンくせえ茶色い生き物の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か心のより所になるか?
403日本@名無史さん:2009/03/08(日) 15:28:24
そんな顔面からくっさいハッカク臭とベトナム臭を放つヨゴレの台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か清々しい気分なるか?
404日本@名無史さん:2009/03/08(日) 22:24:49
そんな中国語を話す茶色広鼻のベトナム人みたいな顔つきをした台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か微笑ましいか?
405日本@名無史さん:2009/03/09(月) 19:31:17
そんな中国に住む臭く醜く汚らしいただの東南アジア人の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何かエキサイトするか?
406日本@名無史さん:2009/03/10(火) 19:20:00
そんなハッカクくせえベトナム顔した汚らしい茶色豚の台湾人の祖先を

日本人の祖先に仕立てて何か気分爽快になるか?
407日本@名無史さん:2009/03/11(水) 19:29:40
408日本@名無史さん:2009/03/11(水) 23:04:19
九州と半島南部で同系統の民族が分家して
住んでいた可能性も考慮せねばな

というか、そうであって当然だと思う。

ちなみに、縄文・弥生の二重構造説そのものも疑問視されてはいるが、
縄文=南方系 弥生=北方系というのは
「未開な南洋の土人を進んだ大陸の人間が駆逐した」という思い込みが多分に影響していて、
考古学的、言語学的なデータからは、むしろ縄文文化がシベリアと共通性があり、
水稲耕作や記紀をも含め、いわゆる弥生文化には東南アジアの色彩が濃かったりもするのだw


409日本@名無史さん:2009/03/11(水) 23:05:39
ちなみに弥生=いわゆる渡来人ではないので、そこんとこよろすくw

もちろん、領域国家成立前には断続的に色んな人間が流入したことであろうが
ウリは大きく分けて三波の移民を想定している。

第一波=シベリア系(いわゆる縄文系)
第二波=南方系(いわゆる弥生系)
第三波=三国時代の動乱や百済滅亡に伴う渡来人系


410日本@名無史さん:2009/03/11(水) 23:10:21

YAP+ は日本ではアイヌや琉球に多く分布するんすが、
DNAデータは所詮共時的な分布しか示せないので通時的な移動を調べるにはチョト弱い。

さらに免疫グロブリンのデータでは、アイヌ東北の人間がバイカル周辺にちかいとか
ま、色々、南方北方の二元論では語れない話もでてきちゃってる

やはり考古学的なものをメインにすえて、集団遺伝学はそれをサポートする目的に使うが吉かとw


倭人というのは長江流域からベトナムにかけての刺青をして髪を剃る民族のことを
漢民族から呼んだ蔑称。
春秋時代の呉などは倭人とされる。
後には日本人を倭人というようになる。


411日本@名無史さん:2009/03/11(水) 23:16:46
百済の故地に、さしたる文化、文明の遺跡、遺構、遺物がないのだよ。
せいぜい、寺院の礎石が少し、あるだけ。じつに、お寒い現状。
そもそも、半島には日本みたいに、古代の大きな都市の遺構がないの。
それどころか、灌漑の跡すらない。
かの地は、当時の日本から比べると、はるかに遅れていたアジアの辺境なんだよ。

「支那と地続きだから、文化的に進んでいたはすだ」というのは、華北や満州の荒野
を念頭に入れていない、愚かな思い込み。
かの楽浪郡も、結局は維持できず、戸数五千戸の寒村にすぎなかったのが史実。


412日本@名無史さん:2009/03/11(水) 23:27:39
葬送儀礼、豊饒儀礼(新嘗祭・大嘗祭)三種の神器(航行の護符がルーツ)
等からみて、皇室の発祥地は南方海洋漁撈稲作文化圏以外にありえない。

かたや、半島は北方大陸牧畜畑作文化圏であり、真逆の異文化地帯である。
完全に文化の異なる民族が、なぜか、日本に文化を教えたと言い張り、
しつこく恩に着せてくる。そして、威張り、誇る。
大変に異常で、かつ醜い行為である。
しかも、その半島には、他国に教えるほどの文化の遺跡、遺物が存在していない。
いくら戦乱が続こうと、石組みや礎石くらいは残るものである。
もはや、あきれて、言うべきこともなし。

そもそも半島に大規模な古墳など無いだろ。
前方後円墳は、日本のほうが古いし。
なぜ朝鮮がでてくるんだ。

それに朝鮮と言う名前を名付けたのは漢だろ。
固有の名じゃない。
ヤマトは日本固有の自分で名乗った名だが。

九州の豪族の勢力範囲は半島南部に及んでいた。
古墳の規模、数を考えれば小学生でも分かる話なんだが・・・

ヒトモドキの知能指数では逆に半島の勢力範囲が日本に・・・という事になるw


413日本@名無史さん:2009/03/12(木) 00:55:25
この世で一番か二番かくらいの凄まじい限りのデムパ乙w

勝手なウソコキ材料で弥生人を南方誘導し、
最後は朝鮮煙幕で総仕上げか台湾人w

そんなでむぱ、食う馬鹿って実際いるの?(ゲラゲラ
414日本@名無史さん:2009/03/12(木) 01:02:00
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



415日本@名無史さん:2009/03/12(木) 01:06:25
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



416日本@名無史さん:2009/03/12(木) 02:10:57
分類学的には遡れば黒白何人だろうが
ひとつの系統に収束するはずだが
分類学的・民俗学的にも
いつどこで「分化」したのか?が知りたい。
417日本@名無史さん:2009/03/12(木) 20:18:20
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

418日本@名無史さん:2009/03/12(木) 20:19:48
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
419日本@名無史さん:2009/03/12(木) 20:21:18

その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

そして世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
420日本@名無史さん:2009/03/13(金) 12:08:21
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
421日本@名無史さん:2009/03/13(金) 12:10:04
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
422日本@名無史さん:2009/03/13(金) 12:12:27
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
423日本@名無史さん:2009/03/14(土) 03:44:50
>>420-422
また同じコピペかよキチガイw
とっくの昔に論破されてんだろ
日本のほうが古いし
424日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:01:45
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
425日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:02:29
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
426日本@名無史さん:2009/03/15(日) 18:50:29
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
427日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:36:54
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
428日本@名無史さん:2009/03/16(月) 23:38:31
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
429日本@名無史さん:2009/03/17(火) 23:19:04
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



430日本@名無史さん:2009/03/18(水) 23:12:05
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
431日本@名無史さん:2009/03/19(木) 20:21:11
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
432日本@名無史さん:2009/03/20(金) 08:58:56
つまり呉から百済を経由して
日本へ
433日本@名無史さん:2009/03/20(金) 21:44:11
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
434日本@名無史さん:2009/03/20(金) 21:50:59
>>430
>朝鮮半島から稲作の伝播とともに

稲作がはたして朝鮮半島から伝播したのかどうかから問題にせにゃならんな。
ヒンツ:ジャポニカ米の存在
435日本@名無史さん:2009/03/21(土) 08:55:08
稗田無礼:2009/03/20(金) 15:07:20 ID:OJy8Gjq8
日本人が
>先住系の縄文人と渡来系の弥生人のブレンド
というのはその通りなんだが、
かつては(といってもここ数年前)
古モンゴロイド=縄文人を新モンゴロイド(なぜそういう区分があるかというと、
新は氷河期にシベリア辺りに閉じこめられ体質変化したモンゴロイドだから)
の弥生系の人々が征服して、混血し、やがて国の成立をみた、と考えられていた。
その弥生系の人々は朝鮮半島から稲作等の先進文化を持っていて、
土着の縄文人を取り込んでいった、というのが定説だったが、
その定説がこの1年ほどで覆ってしまった。
それは稲の最新のDNA鑑定の結果によって、
稲の伝播はむしろ日本から朝鮮半島へという流れが科学的に明らかになったことによる。
そしてまた人体のDNA鑑定により、日本人は現在のシベリア地方のブリアート人に近いという結果が出た。
さらに現代シベリア地方に住んでるビリアート人は新モンゴロイドではなく、
古モンゴロイドの中でも北方モンゴロイドだということがわかった。
だからシベリア=新モンゴロイドという通念からすると、
古モンゴロイドの縄文人のDNAがぬけおちてしまうのだが、これで解けたわけだ。
考古学的な発見の積み重ねもあった。
今まで弥生時代の遺跡の下から縄文の遺跡がかなりでてきていて、
しかもそれは弥生縄文ともにだいたいが縄文人の人骨が多いということもわかった。
それはどういうことかというと、
一部には確かに弥生人と縄文人との争いの痕跡があって、
それが弥生人によるが縄文人の征服の証拠とされたが、
実際は縄文人の多くは稲作を中心にした弥生文明を受け入れて、
(受け入れなかったのが蝦夷=アイヌ人)
少数の渡来の弥生人と混血し、日本人ができ国家が形成されていった。
このことは考古学的科学的な日本の歴史にも合致しているとみなされるようになった。
文献学的にもそう。歴史的な事績云々は置いて、天孫降臨のニニギノミコト以下
稲作を持って渡来してきた(弥生系)天皇家の子孫はほとんど土着の(縄文系)の娘と婚姻して、
子が代々天皇家を継いでいる。
436日本@名無史さん:2009/03/21(土) 21:06:16
http://www.asahi.com/culture/update/0321/OSK200903200060.html
>  兵庫県立考古博物館の石野博信館長(考古学)は「3世紀段階で建物が軸を
> そろえて並ぶのは極めて異例だ。建物をきれいに配列する中国の思想を既に受
> けていたのだろうか。ここが邪馬台国とすれば卑弥呼の宮殿の一角なのかもし
> れない」と推測する。

とうとう出ましたね。
邪馬台国ではないにしてもこのように方角で整然と並ぶ建物群が機内に存在したのは事実です。
私が調べた限り朝鮮半島には同時代このように方角で整然と並ぶ建物群は存在していないようです。
大陸の史書に邪馬台国が初めて登場した頃にはすでにこのような建造物が日本列島には存在していたという事です。
大陸と初めて接触したのになぜ大陸の高度な建築様式が存在するのか?
今までの日本史観ならば矛盾しますね。
この疑問は日本人が呉の国から渡ってきた移民だとすればすっきりと解決します。
大陸の史書に邪馬台国が登場したときにはすでに呉の文明を受けついだ日本人の国家が存在したということです。
437日本@名無史さん:2009/03/21(土) 22:00:30
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
438日本@名無史さん:2009/03/21(土) 22:02:45
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



439日本@名無史さん:2009/03/21(土) 22:06:33



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


440日本@名無史さん:2009/03/22(日) 10:35:31
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパール調査の精度自体が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
441日本@名無史さん:2009/03/22(日) 21:14:28
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
442日本@名無史さん:2009/03/23(月) 19:56:36
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/



443日本@名無史さん:2009/03/24(火) 18:55:52
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

444日本@名無史さん:2009/03/24(火) 18:56:42
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
445日本@名無史さん:2009/03/24(火) 18:57:43

その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

そして世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
446日本@名無史さん:2009/03/26(木) 09:08:28
前に無くなった高円宮殿下の顔とか見ると
たしかに南方と関係ありそうだな。
447日本@名無史さん:2009/03/27(金) 19:24:11
南方といえば呉の国の風俗もそうでしたよね。
448日本@名無史さん:2009/03/28(土) 00:07:39
青銅器がどうのと貼ってるのが多いが、
日本は鋳潰して大量の銅鐸にしてるよ。
何に使ったのかは不明だが。
449日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:52:08
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
450日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:54:54
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
451日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:57:33
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
452日本@名無史さん:2009/03/29(日) 19:05:34
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
453日本@名無史さん:2009/03/29(日) 19:06:15
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
454日本@名無史さん:2009/03/30(月) 23:57:31
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
455日本@名無史さん:2009/03/31(火) 19:45:52
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



456日本@名無史さん:2009/04/01(水) 21:53:59
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
457日本@名無史さん:2009/04/02(木) 22:28:14
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
458日本@名無史さん:2009/04/02(木) 22:30:47
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
459日本@名無史さん:2009/04/03(金) 12:16:02
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
460日本@名無史さん:2009/04/04(土) 20:42:38
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
461日本@名無史さん:2009/04/05(日) 17:25:13
神武天皇=太伯
462日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:11:32
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
463日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:12:27
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



464日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:13:28



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


465敬天老師:2009/04/05(日) 22:53:20
伊勢神宮にあると言われた「三譲」の額の真偽やいかに?
466日本@名無史さん:2009/04/06(月) 04:00:09
コピペチョン工作員乙
467日本@名無史さん:2009/04/06(月) 20:41:06
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
468日本@名無史さん:2009/04/06(月) 20:41:51
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
469日本@名無史さん:2009/04/07(火) 22:05:31
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/



470日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:39:15
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

471日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:39:55
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
472日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:40:42

その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

そして世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
473日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:53:37
この板には、どうして同じ文章をあちこちに何度もコピペする輩が多いのだろうか?
洗脳でもしたいのだろうか?
学問とは客観的でなければ信用できないものだが、
問答無用の連続コピペをすればするほど
反学問的なプロパガンダと堕していく。
474日本@名無史さん:2009/04/09(木) 21:18:03
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
475日本@名無史さん:2009/04/09(木) 21:19:04
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
476日本@名無史さん:2009/04/09(木) 21:19:57
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
477日本@名無史さん:2009/04/10(金) 04:25:09
またチョンの論破済みコピペかw
バカだね〜w
478日本@名無史さん:2009/04/10(金) 11:56:46
屁理屈の域を出ない独り善がりな脳内論破な(爆
479日本@名無史さん:2009/04/10(金) 12:38:34
シンクーシンクー
480日本@名無史さん:2009/04/10(金) 23:28:06
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
481日本@名無史さん:2009/04/10(金) 23:30:50
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
482ビリー・ザ・マッド:2009/04/11(土) 02:49:57
スレのテーマは興味深いのに
変ななレスばっかで萎える・・・

過去の栄光(笑)にこだわるのは儒教の最もな害悪なんだろうな。
483日本@名無史さん:2009/04/11(土) 04:51:24
>>478
屁理屈にもなってない独りよがりな脳内電波乙w
484日本@名無史さん:2009/04/11(土) 17:22:01
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
485日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:59:37
おしっこしてはいけません
486日本@名無史さん:2009/04/12(日) 04:28:11
このコピペ豚はコピペすることでなんか主張してるつもりなんだろうか。
487日本@名無史さん:2009/04/12(日) 20:04:00
アク禁してよ
488日本@名無史さん:2009/04/12(日) 22:06:38
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



489日本@名無史さん:2009/04/13(月) 19:12:31
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
490日本@名無史さん:2009/04/13(月) 20:36:25
【卑弥呼】倭迹迹日百襲媛命【邪馬台国女王】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1239621756/
491日本@名無史さん:2009/04/14(火) 04:23:34
朝鮮に寿司なんかねーよw
勝手に経由地に捏造すんな
492日本@名無史さん:2009/04/14(火) 12:10:48
どこに寿司なんて書いてある?

食酢を使う寿司は発酵食品のなれずしとは別の料理ですよ。
493日本@名無史さん:2009/04/14(火) 22:27:43
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
494日本@名無史さん:2009/04/14(火) 22:28:26
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
495日本@名無史さん:2009/04/15(水) 04:53:03
>>492
>「すし」のルーツは

って自分でコピペしてんだろうがw
コピペしか能がないのな
496日本@名無史さん:2009/04/15(水) 10:34:29
>>494 北方シナの隋人が南方シナの鵜飼を知らなかっただけだろう。
497日本@名無史さん:2009/04/15(水) 16:52:32
このコピペチョンって別のいろんなスレにも湧いてるけど
あらし行為は止めろよ。
498日本@名無史さん:2009/04/15(水) 20:58:02
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
499日本@名無史さん:2009/04/16(木) 04:42:30
なぜチョンはバカなのか
500日本@名無史さん:2009/04/16(木) 20:41:35
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
501日本@名無史さん:2009/04/17(金) 04:31:07
と、いつもの捏造w
502日本@名無史さん:2009/04/17(金) 20:22:00
まあ百済の支配層は倭人だったからね。
503日本@名無史さん:2009/04/17(金) 23:35:55
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
504日本@名無史さん:2009/04/17(金) 23:36:36
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



505日本@名無史さん:2009/04/17(金) 23:37:37



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


506日本@名無史さん:2009/04/18(土) 04:39:33
コピペ豚は会話の出来ない池沼だな
507日本@名無史さん:2009/04/18(土) 07:25:25
>>505 かつては朝鮮半島にも鵜飼、鳥居、高低アクセント、なれずし、剣道、茶道、歌舞伎、浮世絵の原型、RM1-b遺伝子の稲は存在したが
朝鮮半島の自然環境に適応できずすべて消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。
508日本@名無史さん:2009/04/18(土) 16:07:03
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
509日本@名無史さん:2009/04/18(土) 16:07:55
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
510日本@名無史さん:2009/04/19(日) 04:51:48
>>507
いいギャグだな
511日本@名無史さん:2009/04/19(日) 17:15:27
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/



512日本@名無史さん:2009/04/20(月) 05:28:19
コピペ豚は自分が何やってるのかもわかってないな
513日本@名無史さん:2009/04/20(月) 19:13:50
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

514日本@名無史さん:2009/04/20(月) 19:14:43
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
515日本@名無史さん:2009/04/20(月) 19:15:29

世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
516日本@名無史さん:2009/04/20(月) 20:27:42
>>515 たしかアイスマンも入れ墨をしていたがアイスマンより古かったかな?
517日本@名無史さん:2009/04/21(火) 23:47:54
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
518日本@名無史さん:2009/04/21(火) 23:49:53
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
519日本@名無史さん:2009/04/21(火) 23:50:43
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
520日本@名無史さん:2009/04/22(水) 09:12:49
歌垣を根拠に朝鮮起源説を主張するとは間抜けなやつだなあ。

歌垣こそ雲南〜江南の先漢民族群のメルクマールなのに。
521日本@名無史さん:2009/04/22(水) 10:23:08
>>519 司馬さんは「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。

・・・歌垣がチャングのリズムにのって肩を揺すりながら踊り狂うものとは思えないがな。


522日本@名無史さん:2009/04/22(水) 19:22:40
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
523日本@名無史さん:2009/04/22(水) 19:23:24
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
524日本@名無史さん:2009/04/23(木) 22:05:16
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
525日本@名無史さん:2009/04/24(金) 09:54:24
>>524 鳥居のようなものは銅鐸にも描かれていて、東南アジア、シナの雲南地方にもあっただろう。
526日本@名無史さん:2009/04/24(金) 12:18:48
じゃあ、何で飛鳥時代の鳥居もその跡も遺物もない?

鳥居の登場は奈良時代以降。
527日本@名無史さん:2009/04/24(金) 20:36:09
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



528日本@名無史さん:2009/04/25(土) 17:29:02
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
529日本@名無史さん:2009/04/25(土) 17:32:34
>>528 朝鮮半島経由といっても半島倭人から列島倭人へ伝えただけだろう。
530日本@名無史さん:2009/04/25(土) 17:39:18
違う。

ほとんどものが朝鮮経由で伝わってきたが、単に九州北部と半島南部の
交易や交流を通じて伝わってきただけの話。

渡来人なんか関係ないの。
531日本@名無史さん:2009/04/26(日) 14:49:36
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
532日本@名無史さん:2009/04/26(日) 14:51:08
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
533日本@名無史さん:2009/04/28(火) 23:24:31
>>502百済の支配層は扶余では?

で、天皇家が周王室の末裔であるという根拠は?
534日本@名無史さん:2009/04/29(水) 13:58:33
中国人なんか全然日本人と似てないだろ・・・
535日本@名無史さん:2009/04/29(水) 20:28:55
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
536日本@名無史さん:2009/04/30(木) 14:21:17
>>533
魏略逸文
「自謂太伯之後」
537日本@名無史さん:2009/04/30(木) 17:21:03
なんだただの自称か
538日本@名無史さん:2009/04/30(木) 18:28:33
少なくとも倭人は呉という国や太伯という人物を知っていたんだな。

 東シナ海を往来していなかったら知るはずがないんではないか。
539日本@名無史さん:2009/04/30(木) 18:52:17
『大夫』:周王室および諸侯に仕える小領主

57年
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱『大夫』

238年
景初2年6月 倭女王遣『大夫』難升米等詣郡 求詣天子朝献
540日本@名無史さん:2009/04/30(木) 20:31:34
>>538
倭人が東シナ海を往復していると天皇家は周王室の末裔だったことになるんだ、へーw
>>539
単に中国人が自分たちの位を倭人に当てはめただけじゃね?
541日本@名無史さん:2009/04/30(木) 20:49:34
>>540
建武中元二年    建武中元二年(57年)
倭奴國奉貢朝賀 倭奴国は貢物を奉じて朝賀した。
使人自稱大夫   使人は自ら大夫と称した。
542日本@名無史さん:2009/04/30(木) 21:27:39
じゃあ倭人が中国の位を真似したんでは
543日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:21:15
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
544日本@名無史さん:2009/04/30(木) 23:45:43
>>543
また池沼くんか。

呉服の呉は、三国時代の孫権やらの呉。このスレで云々されている呉は呉越同舟の呉。
何度言われても、同じようなことを繰り返すんだな。
545日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:35:58
>>542
倭人が古の大夫を自称したから訝しがってわざわざ記録した
546日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:40:45
天皇家ってチョン顔か縄文顔ばっかで
全然中国人ぽいのいないけどな
547日本@名無史さん:2009/05/01(金) 00:58:39
>>546
東シナ海沿岸全域に広がっていた倭人は、大和政権の担い手にはならなかったってことかな。

朝鮮・縄文連合政権=大和ってのは、けっこうおもしろいかも。
548日本@名無史さん:2009/05/01(金) 01:53:16
東シナ海沿岸全域に広がっていた倭人 ← こっからウソじゃねえかよw中華誘導サギw
549日本@名無史さん:2009/05/01(金) 02:02:03
国立民族学博物館やらがさんざん言ってきた説に対して単にウソと言われても。
550日本@名無史さん:2009/05/01(金) 04:52:30
コピペしてるやつ
倭人とかに関係あるスレの至る所に張ってるな
気持ち悪いんだけど。
551日本@名無史さん:2009/05/01(金) 17:23:48
コピペ貼るやつに気持ち悪くない奴なんているのか?w
552日本@名無史さん:2009/05/01(金) 20:04:25
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
553日本@名無史さん:2009/05/01(金) 20:05:47
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



554日本@名無史さん:2009/05/01(金) 20:06:49



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


555日本@名無史さん:2009/05/02(土) 21:40:42
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
556日本@名無史さん:2009/05/02(土) 21:41:45
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
557日本@名無史さん:2009/05/03(日) 04:14:11
>>554
推測ですか。
実証しましょう。
558日本@名無史さん:2009/05/03(日) 13:59:15
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
559日本@名無史さん:2009/05/03(日) 18:21:21
どっちにしろ、起源でも何でもない水稲導入の微妙な先後関係になんでそんなにこだわる?
560日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:23:01
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/



561日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:38:02
普通に呉からも越・楚からも、朝鮮半島経由(黄河文明系や満州系)もそれぞれ全部渡ってきてそれぞれの部族(部落)小国家を形成したんじゃないの
どれが大和王朝を作ったのかは分からんけど
562日本@名無史さん:2009/05/03(日) 20:46:26
普通に呉からも越・楚からも黄河文明系も文物が一切伝わっていない
から来てなんかおりません。
563日本@名無史さん:2009/05/04(月) 02:27:13
弥生時代の環壕集落と環濠集落の関係ってどうなんですかね?
壕の方は北方で、濠の方は南方で系統が違うという。
564日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:08:09
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

565日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:09:28
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
566日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:10:14



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

567日本@名無史さん:2009/05/04(月) 22:49:55
日本初の高度炉技術による 須恵器ってあるでしょ
これだれか解説してくんないかなー
ウィキによると高度炉技術は、本来は呉越の技術なんだろ。
ほかは、日本が支配していた地域の伽耶から出土してんだろ。
それなのに、なんで朝鮮から伝わる技術ってウィキにあるんだ?
倭が開発したか呉越から伝わった技術でよくね?
568日本@名無史さん:2009/05/05(火) 01:38:06
何でもかんでも半島で都合の良い部分もあったろうが
これからは、そのつけを払う時代だなw
569日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:15:57
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
570日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:16:49
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
571日本@名無史さん:2009/05/05(火) 20:17:41
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
572日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:30:09
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
573日本@名無史さん:2009/05/06(水) 22:31:03
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
574日本@名無史さん:2009/05/07(木) 20:21:11
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
575日本@名無史さん:2009/05/08(金) 22:20:48
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



576日本@名無史さん:2009/05/09(土) 15:31:24
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
577國學院大學卒:2009/05/09(土) 22:01:56
子いわく、泰伯はそれ至徳というべきのみ。
578日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:30:20
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
579日本@名無史さん:2009/05/10(日) 18:31:05
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
580日本@名無史さん:2009/05/11(月) 02:31:19
魏志東夷伝 邑婁    >>朝鮮人の先祖発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)
風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。
581日本@名無史さん:2009/05/11(月) 13:02:37
コピペ厨消えてよ
582日本@名無史さん:2009/05/11(月) 20:22:40
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
583日本@名無史さん:2009/05/12(火) 06:44:26
俺の先祖は始皇帝と劉邦だから皆さんとは違うね
584日本@名無史さん:2009/05/12(火) 11:26:48
>>567 ウィキによると高度炉技術は、本来は呉越の技術なんだろ。
ほかは、日本が支配していた地域の伽耶から出土してんだろ。
それなのに、なんで朝鮮から伝わる技術ってウィキにあるんだ?

・・・「朝鮮から」といっても半島倭人から列島倭人へ伝わった文化も多いだろうな。
それなら倭人同士の交流にすぎないんだが。
585日本@名無史さん:2009/05/12(火) 12:00:42
おまえリアルな馬鹿か?

当時の呉越江南は青磁のメッカだぞ。

そこに磁器も中国陶磁器の器形もないからに決まっとろうが。



須恵器=加羅の朝鮮陶質土器



こんなもの常識。
586日本@名無史さん:2009/05/12(火) 22:25:09
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
587日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:09:59
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
588日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:11:10
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



589日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:12:13
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
590日本@名無史さん:2009/05/13(水) 21:40:37
遺伝子レベルでは、稲の伝来については、解明されているのに、
どんなに貼り付けても変わらないよ、最後のあがきだな。
591日本@名無史さん:2009/05/13(水) 23:37:19
鑑定技術は公開されてるんだから、地元の学者が鑑定してるだろ。
んで、今のところ結果は×だから、記事にならんのだろ。

寒冷地用栽培に向いた変種の水稲が朝鮮半島から、古墳時代あたりに
入ってきた可能性は高いが、導入時の水稲品種の栽培は、朝鮮より日本の
方が向いている。
592日本@名無史さん:2009/05/14(木) 20:20:55
日本最古の稲作遺跡から出てきたプラントオパールからは
耐寒遺伝子がみつからなかったが、朝鮮最古の稲作遺跡から
出てきたものからは耐寒遺伝子が見付かっている。

もし、朝鮮半島から稲がやってきたのなら、こんな現象ありえない。
要するに、日本と朝鮮半島では恐らく稲の伝わったルートそのもの
が違う。

ちなみに稲作=水稲ね。
陸稲は縄文時代から栽培されていたから。


593日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:47:55
日本では、小麦作は約6000年前からですが、何か問題でも?(嘲笑)


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
594日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:49:37
日本では、小麦作は約6000年前からですが、何か問題でも?(嘲笑&嘲笑)


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
595日本@名無史さん:2009/05/14(木) 22:51:25
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
596日本@名無史さん:2009/05/14(木) 23:26:13

朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前ですか、
日本では、稲作や麦作は約6000年前からですが、何か問題でも?

真実は、
日本が韓国に稲作文化や麦作を伝えた。
でしょうね。

597日本@名無史さん:2009/05/15(金) 00:48:17
>>596
別のアホウか?
つーか、いつも>>595他をコピペしてるやつの偽装レスか。
いいかげんにしろよ、ゴミ。
598日本@名無史さん:2009/05/16(土) 18:31:27
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




599日本@名無史さん:2009/05/17(日) 00:12:16
至徳と言われた太伯の
子孫が生きていると
したらなば、シナ大陸の
真の継承者は彼と彼の子孫だろう。
しかし、太伯がそんなことを望むはずがない。
そこで「天から来た」という神話にして、自らの出自を隠したのでしょう。
600日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:10:44
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
601日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:11:44
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
602日本@名無史さん:2009/05/17(日) 19:13:04



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


603日本@名無史さん:2009/05/18(月) 21:54:56
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
604日本@名無史さん:2009/05/18(月) 21:56:05
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
605日本@名無史さん:2009/05/18(月) 21:56:44
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
606日本@名無史さん:2009/05/18(月) 23:01:57

歌垣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3

古代の朝鮮半島に歌垣の記録はあるの?
朝鮮半島の地名が載っていないのだけど。

607日本@名無史さん:2009/05/19(火) 20:07:47
すごい執着心だな。
金でも貰ってコピペしてるのか?
608日本@名無史さん:2009/05/19(火) 21:03:36
倭人は、呉の太伯の子孫と言ったが、太伯の弟の子孫とは言っていないようだ。
つまり、句呉の国を弟に譲って、自ら日本列島へ渡って来たという事か?
本当に倭人が太伯の子孫なら、いわゆる万世一系の思想にも通じそう。
九州の方には、太伯関連の伝承の有無はどうなのだろうか?

609日本@名無史さん:2009/05/19(火) 23:11:14
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
610日本@名無史さん:2009/05/19(火) 23:12:06
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
611日本@名無史さん:2009/05/20(水) 20:52:54
日下   まさに当時は「弱肉強食」の時代でした。戦争が終わって秩序が崩壊したときは、
「自分のものは自分のもの、他人のものも自分のもの」とばかりに、平気で破廉恥なことをした人が儲かった
んです。敗戦直後のイラクみたいなものですがそうは思っていても、やらない人はやらなかった。日本人が
そうです。
露骨にやったのが、韓国人、それから台湾人。破廉恥な行為を正当化するために「我々は日本人ではなく、
連合国民だ」と言ったんです。

「戦勝国民」だから、税務署に税金は払わない、警察の命令には従わない。それで闇市の堀って小屋みたい
な店に「戦勝国民の店」と書いた札を張って、税務署と警察を遮断しましたから、かなり儲かったことでしょう。
売るものをどこから調達してきたかというと、彼らは、「陸海軍が潰れたときに倉庫にあったものを持って来た」と
言っていました。
早く言えば盗んできたものです。それからアメリカ軍にも物資の横流しをする人がたくさんいました。それで韓
国人、台湾人に成金がたくさん出ました。

日下公人 
その上、不動産泥棒をする。都会は丸焼けになったものだから、元の地主が分りません。持ち主が焼死せず疎
開先の田舎から戻って来たら、自分の土地が占領されている。白昼堂々、不動産を囲って、ここは私の土地だ
と主張している。法律は、不動産に泥棒はないということを前堤にできていますから、法律に訴えても無駄でし
た。
それから十数年たって、ようやく不動産を元の持ち主に返せという判決が出ました。それが有名な「大阪駅前訴
訟」です。
それまで、十数年間は、土地を囲んでしまえは、自分のものにしてしまえたわけです。そうした不動産泥棒が日
本中いたるところにいました。
上野の駅前でも、新宿でもいたるところでそれと同じことが起きました。そういうふうに、不動産泥棒をしてビル
を建てて成金になっていきました。
http://korea-log-01.hp.infoseek.co.jp/1077429167.html
612日本@名無史さん:2009/05/20(水) 23:04:38
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
613日本@名無史さん:2009/05/21(木) 06:30:52
おならぷひ〜
614日本@名無史さん:2009/05/21(木) 10:41:08
倭人は呉越戦争で滅ぼされた呉の戦争難民だ。
呉の太伯云々はそれを指している。
しかるにその後にやってきた朝鮮人に滅ぼされたニダ。
呉人は海を祭るが、朝鮮人は天を崇める。
推して知るべきだろう。
615日本@名無史さん:2009/05/21(木) 12:58:45
古代半島人は呉越戦争で滅ぼされた呉の戦争難民だ。
中国青銅器や陶器・磁器はそれを指している。
しかるにその後にやってきた北方遊牧民に滅ぼされたニダ。
呉人は海を祭るが、遊牧民は天を崇める。
推して知るべきだろう。

>614 のパロディー
616日本@名無史さん:2009/05/21(木) 13:36:34
古代半島南部人は倭国の戦争で滅ぼされた列島の小国の難民だ。
前方後円墳はそれを指している。
しかるにその後にやってきた北方遊牧民に滅ぼされたニダ。
半島南部人は海を祭るが、遊牧民は天を崇める。
推して知るべきだろう。

>614 のパロディー2
617日本@名無史さん:2009/06/06(土) 10:27:23
言い伝えによると、新羅以前に辰の国が存在していた。
そのしんの国は、秦の始皇帝の圧政から逃げてきた大陸からの農民たちの国で
彼らが日本列島に大陸の技術と文化を持ってたくさんやって来た。
その彼らが、一重まぶたのノッペリ顔の遺伝子を日本人に広めた。

俗にチョン顔といわれるエラの張った民族とは違う民族なのである。
618日本@名無史さん:2009/06/06(土) 15:31:12
魏志倭人伝には倭人が『断髪』をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



619日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:53:55
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
620日本@名無史さん:2009/06/08(月) 20:58:08
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
621日本@名無史さん:2009/06/08(月) 20:59:20
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
622日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:14:38
南インド方面の交易海民に注目しては中国内陸文化は無視出来るよ、マドロスさんの文化だからね!

南インドには突帯文式甕棺墓、支石墓、箱式石棺、子持ち壷(楽器)、金属器(カネ)、
BC1000年頃より鉄器、青銅器を使用。北部はナンだが南部は稲作、弥生前期の北部九州人?
[PDF]http://jomon.sakura.ne.jp/kiyou2-fukao.pdfファイルタイプ:
PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
Gクダイッカル―ドーム状の石を地上に置いて、甕棺を納めた地下の墓室を閉じたもの。
H掘抜式墓室(ロックカット=ケイブ)―石窟墓とも呼ばれ、ラテライト岩盤中に墓室を
掘りこんだもの。 南インドの巨石文化においては、ストーンサークル(環状列石) ...
jomon.sakura.ne.jp/kiyou2-fukao.pdf - 類似ページ

台湾の海底遺跡と巨石遺跡
http://www.kitombo.com/gimon/0729.html
ストーンサークル,支石墓(ドルメン),
製鉄跡がある国東半島の重藤遺跡は紀元前695年±40年
http://homepage3.nifty.com/megalith/r-komekami.htm
623日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:16:00

南インドの文化と弥生文化の同質性
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn3/003_06tamiru_go_to_nihonn_go.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%AF%E7%9F%B3%E5%A2%93
支石墓 - Wikipediaまた、屈葬の採用や甕棺を伴うことなど、一定の独自性も認められる。
日本の支石墓は、弥生時代前期が終わる頃に、ほぼ終焉を ... インドには古代の巨石遺跡
が約4000箇所ほどあるが、明確に支石墓と見られるものは、紀元前1000年頃の南インドに
出現した。 ...
ja.wikipedia.org/wiki/支石墓 - 36k - キャッシュ - 類似ページ
624日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:51:59
大野晋も日本語はドラビダ系起源だと主張してたね。
ただDNA上の脈絡があまり見いだされていないように思う。

日本語の古層になった以上、相当の人数が日本列島に入ってきたはずだが、
どういう理由かほぼその血が絶えてしまったってことになる。

縄文期の陸稲の起源は、長江流域とは異なり東南アジアだと言われているから、
誰が持ってきたのか?という問いには符合するけど。
625日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:59:08
中国がまともじゃないからなw
D2が絡む民族集団だろ。
626日本@名無史さん:2009/06/09(火) 00:24:52
>>625
たしかベンガル湾に居る海洋少数民族に、D祖型の遺伝子が多いと聞いたが!
私はO2bの様な気がするな、インドネシア、ベトナム、タイ山岳部、
沖縄八重山群島、韓国南部、日本、に多い遺伝子。
O2bは古代交易海洋民族かもしれんな。
627日本@名無史さん:2009/06/09(火) 22:23:16
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
628日本@名無史さん:2009/06/10(水) 20:15:12
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
629日本@名無史さん:2009/06/11(木) 19:43:15
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
630日本@名無史さん:2009/06/11(木) 19:44:42
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



631日本@名無史さん:2009/06/11(木) 19:46:31
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
632日本@名無史さん:2009/06/12(金) 19:28:51
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
633日本@名無史さん:2009/06/12(金) 19:30:29
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
634日本@名無史さん:2009/06/12(金) 19:31:28
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
635國學院大學卒:2009/06/13(土) 22:10:13
皇室が最後の東洋正統王家という証拠は残っている。
「群書治要」は中国では
すでに失われており、
我が国にのみ伝わっていた。
中国には清朝道光年間に
我が国から逆輸入された。。
636日本@名無史さん:2009/06/13(土) 22:57:32
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




637日本@名無史さん:2009/06/14(日) 20:34:31
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
638日本@名無史さん:2009/06/14(日) 20:35:17
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
639日本@名無史さん:2009/06/14(日) 20:36:07



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


640日本@名無史さん:2009/06/15(月) 23:37:13
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
641日本@名無史さん:2009/06/15(月) 23:38:16
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
642日本@名無史さん:2009/06/15(月) 23:39:18
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
643日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:39:45
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
644日本@名無史さん:2009/06/16(火) 20:40:34
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
645日本@名無史さん:2009/06/18(木) 08:50:27
三足土器は鼎の日本版だろ
646日本@名無史さん:2009/06/18(木) 18:41:06
倭人が呉の太伯の子孫と言っても、太伯の弟の李歴の子孫とは言っていない事には、だれも触れないな。
647日本@名無史さん:2009/06/18(木) 19:14:19
>>646
詳細希望
648日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:47:26
>>三足土器人ちゃん

植物は種子が伝来すれば(気候・生育環境さえ適切なら)そのまま伝わる。商人が運ぶだけでよい。
最低限でも継代栽培の基礎知識だけ伝われば(≒百姓が何人か移住すれば)よい。

農具、工具などの技術的加工製品は根本素材(石器の原石、土器の胎土、金属の鉱石等)が
継続的に流入するか、伝来先で新たに産出源が発見されない限り、安定的に伝承されない。
さらに採掘、中間加工、最終加工の技術もまとめて伝わらないと(≒技術者が集団的に移住しないと)
伝承不可能。
649日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:49:05

稲作が朝鮮半島から伝わったのなら、日本列島になぜ古代朝鮮半島の
農機具も伝わっていないのだ?

弓山里遺跡から石鍬、角鍬、猪牙鎌などの農耕具が出土してるのに、
日本列島は木製農機具ばかりだぞ。

また、朝鮮半島では、石犂、石鎌も智塔里遺跡から出土している。
農機具で、稲作の伝わり方を説明するのには、江南、朝鮮半島どちらも
矛盾が出てくるんだが、三足土器人どう反論する。
650日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:53:51
まず稲作が来て、遅れて青銅器や鉄器が入った。
来たルートが違うと考えるのが自然だ。
半島ではBC10世紀に既に青銅器時代に入っている。

稲作を持ち込んだのが半島人なら、青銅器だって持ってきただろう。

鉄器は半島でもBC3世紀。日本では青銅器と鉄器が同時だ。
651日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:51:09
>>この関連性はなんだ?

歴代君主―(春秋.呉クレ、句麗に音が近い)司馬遷の史記「呉太伯世家」
1,寿夢――(第19代、寿夢じゅぼう王、扶余系、高句麗、始祖,朱蒙に音が近い)
2,諸樊
3,余祭――(百済の王姓余と関連か?王子.余豊璋)
4,余昧――(百済の王姓余と関連か?)
5,僚
6,闔閭――(コウリョ、高麗、句麗、に音が近い)
闔閭の弟、夫概の後裔夫余を氏の説有り
風俗通に[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]
7,夫差――(夫概、夫余氏と関連か?)

652日本@名無史さん:2009/06/24(水) 21:52:23
司馬遷の史記「呉太伯世家」(紀元前585年頃 − 紀元前473年)【天皇紀2600年に近い?】
[魏略]の逸文注1)の【その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという】
晋朝注2)の史書[晋書][梁書]の倭人伝中の【自ら太伯の後と謂う】

呉は西暦前473年に滅亡。越は呉の後を追い都を山東半島の根本の琅邪(徐福の出地)
に移します。しかしこの越も西暦前334年に楚に滅ぼされます。
*この頃より九州北部「吉武高木遺跡」に三種の神器を持った王が現る。

*始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には
「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、
外越は会稽の東海の彼方にいる越で、交流を絶つべしと命ずる。
653日本@名無史さん:2009/06/29(月) 22:51:02
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
654日本@名無史さん:2009/06/29(月) 23:41:20
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]
http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したと
いうのが定説だが、張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性
があると指摘し模様の表現方法も類似している。なお青銅製楽器も磁器製で出土。

朝鮮半島のは遊牧系の模様の無い鐸で、北方ルートで渡来した物と思われる。
半島からは日本,江南の模様付銅鐸の出土例が無い為、直接伝わった可能性がある。

稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、発掘結果を
めぐる今後の議論が注目される。
655日本@名無史さん:2009/06/29(月) 23:53:45
>銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土
>張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性がある




青磁どころか灰陶もなけりゃ印文陶もないし、弥生土器に鐸という器種もない。
だいたい江南名物の鼎の一つくらい伝えろや、このウソコキ南京虫が(ゲラゲラ嘲笑




656日本@名無史さん:2009/06/30(火) 01:02:11
>>655  少し読解力の勉強してからおいでね。

>なお青銅製楽器も磁器製で出土。
って書いてるだろ、
数種類の現物は青銅製でも埋葬用は磁器製で出土してる。
腐食防止の為と思われる、見てきなさい。
657日本@名無史さん:2009/06/30(火) 01:12:25
>>646
それ前から凄く気になってる。
太伯は子が無くて弟の系統が継いでるんだよね。
尚氏の為朝落胤説と近いものを感じる。
658日本@名無史さん:2009/06/30(火) 01:21:04
で、日本のどこから、いつ磁器や磁器製楽器が出たんだ馬鹿ワンコロ?w

で、江南の銅鐸は?(ゲラゲラ嘲笑

おまえ爆笑させるるのも大概にせえよw
659日本@名無史さん:2009/06/30(火) 01:42:58
>>655,658

お馬鹿ちゃん相手じゃ時間の無駄だから、もう寝るわ「オヤスミ」
660日本@名無史さん:2009/06/30(火) 21:04:21
魏志倭人伝には倭人が「断髪」をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



661國學院大學卒:2009/06/30(火) 21:11:32
古代中国以来、正しく
天を祭ってきたのは
日本の天皇だけです。
662日本@名無史さん:2009/07/01(水) 22:59:35
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
663日本@名無史さん:2009/07/01(水) 23:38:40
>>相変わらずのニダー人の妄想。

7C頃に朝鮮経由で伝わる。

中国、朝鮮をへて
664日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:13:26
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
665日本@名無史さん:2009/07/02(木) 20:14:22
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
666日本@名無史さん:2009/07/03(金) 12:40:26
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
667日本@名無史さん:2009/07/04(土) 00:08:38
>>666
現在、中国遼寧省といわれるユーラシア大陸のある地域で何かが見つかった
というだけの話。人間が住んでいたら何か痕跡が残るってことだろう。
その頃、中国って国もなければ日本という国もない。まして・・・・・。
そういうことだ。
668日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:35:49
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
669日本@名無史さん:2009/07/04(土) 18:40:28
>>668 また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。

・・・百済が日本の朝貢国だったことがよく分かる文章だな。
670日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:19:36
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
671日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:20:22
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



672日本@名無史さん:2009/07/05(日) 16:23:42
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
673日本@名無史さん:2009/07/06(月) 00:26:30
>>671
弥生時代の始まりと深く関連しているのは中国南部。
674日本@名無史さん:2009/07/07(火) 22:42:59
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
675日本@名無史さん:2009/07/07(火) 22:44:01
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
676日本@名無史さん:2009/07/07(火) 22:47:14
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
677日本@名無史さん:2009/07/08(水) 20:43:57
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




678日本@名無史さん:2009/07/09(木) 14:19:08
このコピペキチガイなんなんだろうな?
679日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:24:58
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
680日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:25:58
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
681日本@名無史さん:2009/07/09(木) 22:26:59



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


682日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:16:05
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
683日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:17:01
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
684日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:17:47
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
685日本@名無史さん:2009/07/10(金) 12:30:02
歌垣の事なら、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
よく読むと、何か分かるよ。
686日本@名無史さん:2009/07/10(金) 15:18:26
>>685
歌垣と日本との関係でいえばやはり中国雲南省でしょう。
これはもう定説になっている。半島に日本から伝わったか
どうか今の段階ではなんとも言いがたい。
687日本@名無史さん:2009/07/10(金) 18:34:00
朝鮮の歌垣はエベンキ、ギリヤークと同じらしいな。
688日本@名無史さん:2009/07/11(土) 16:52:07
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
689日本@名無史さん:2009/07/11(土) 16:53:13
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
690日本@名無史さん:2009/07/17(金) 12:45:26
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
691日本@名無史さん:2009/07/18(土) 00:47:19
彦ホホデミという人物は語順から見て日本語としてはおかしいな。

 これは南方系、ベトナムかインドネシア系としか思えない語順だ。

 カム・ヤマト・イワレヒコもややおかしいと思う。やはり倭人は南方系か?
692日本@名無史さん:2009/07/18(土) 11:45:41
彦ホホデミという語順は「帝舜」、「帝堯」と同じく古代シナ、ベトナム、インドネシア語と同じ語順で日本語の語順ではない。

 カム・ヤマト・イワレヒコも同じだ。これは倭人が呉の末裔という伝承と一致する。
693日本@名無史さん:2009/07/18(土) 18:19:50
魏志倭人伝には倭人が「断髪」をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



694日本@名無史さん:2009/07/19(日) 16:30:45
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
695日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:26:30
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
696日本@名無史さん:2009/07/20(月) 22:27:28
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
697日本@名無史さん:2009/07/21(火) 04:31:18
もう孤独なコピペ豚しかいなくなったな…
698日本@名無史さん:2009/07/21(火) 19:53:20
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
699日本@名無史さん:2009/07/21(火) 21:54:40
なんだこのスレw

感想:朝鮮人の魂は汚れている
700日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:11:18
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
701日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:33:01
日本書紀に言う「呉」は「クレ」と読み、高句麗の「クリ」の事なんだがや。
百済は高句麗人が作ったし。呉服は高麗服だろ。
702日本@名無史さん:2009/07/23(木) 22:53:55
和邇吉師(ワニキシ)、卓素(タクソ)、西素(サイソ)、仁番(ニホ)亦(マタ)の名は須須許理(ススコリ)

・・・これらの名は日本人と全然違う異民族と分かる証拠だな。
703日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:19:23
>>701
呉は呉音でクレと発音するんだろう。
百済を高句麗人が作ったというのは珍説だな。
高句麗と高麗を混同しているのも痛いな。
704日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:20:08
中国語は、(上古において)それぞれ別の言語を話していた商人が中原地帯で取り引きを行う片言(かたこと)から生まれた人工的な言語。
しかも、漢末期からの混乱期に、本来の漢族は実質的に絶滅。
その後の歴史で、大量に流入した北方民族が改めて中国語を形成した。
つまり、古代中国語と現代中国語には断絶がある。
古くから続く漢文(文章中国語)は本来、片言を記録するための記号列であり、そのため品詞の区別や時制など文法の本質的要件を備えていない。
当初から言語(話し言葉)とは別の、通信・記録の手段。現代中国語の古語ではない.
ようするに純粋な古語を今なお承継しているのは日本人の日本語のみであり、春秋戦国時代に呉が滅亡した後に日本に移り住んだ人々の子孫として古語を今に伝えているわけである。
705日本@名無史さん:2009/07/23(木) 23:24:49
>>703 呉は呉音ではゴngoなんだがな。

 高句麗と百済は夫余族という同族だ。

706日本@名無史さん:2009/07/24(金) 04:33:51
また珍説登場か
707日本@名無史さん:2009/07/24(金) 12:14:41
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
708日本@名無史さん:2009/07/24(金) 12:16:50
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



709日本@名無史さん:2009/07/24(金) 12:19:14
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
710日本@名無史さん:2009/07/25(土) 02:27:09
>>703
>>705
呉音とは呉人によってもたらされた漢字仏教経典の音読発音のこと
のようだから、クレは呉語音というべきだろうな。
百済は日本の勢力圏だったから、支配層が日本語つかって
いた可能性は否定しないが。
711日本@名無史さん:2009/07/25(土) 10:05:21
>>710 シナ語は呉音だろうが漢音だろうが、古代から単音節語でクレなどという2音節語は無い。

 鎌klem、風plang、楽glakという単音節語はあったがな。
712日本@名無史さん:2009/07/25(土) 16:33:06
>>711
それをどうやって証明するんだ。
713日本@名無史さん:2009/07/25(土) 20:48:19
>>712
卑弥呼の使者が通訳無しで魏国の人々と会話していた事実が物語ってる。
714日本@名無史さん:2009/07/26(日) 00:25:22
呉音は経文の発音であって、呉人の日常語ではない。
クレビトの話しことばの手がかりは日本古語にしかないのでは。
呉語はシナ語と別系統ではないのか。
古代にクレという言葉があり、クレハは呉服という漢字をあてた。
呉の服とか呉人服とかの意味じゃないのか。古代日本人は中国の江南
あたりやもっと南遠のことを呉と意識し、総称していたかも。黒潮に乗っ
て交易にやってきたひとびとをクレビトと呼んでいたかも知れないし、
勿論仏教文物なども彼等が関与して漸次もたらしたのだろう。
王仁とか和邇とかの名もクレビトの名なのだろうと推測する。
715日本@名無史さん:2009/07/27(月) 02:04:58
王仁楽浪郡官吏の末裔だろ
716日本@名無史さん:2009/07/30(木) 16:35:49
>>714 クレというのは高句麗の句麗だろう。意味はたしか「金」GOLDだった。
717日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:38:07
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
718日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:38:52
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
719日本@名無史さん:2009/07/30(木) 22:40:08
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
720日本@名無史さん:2009/07/31(金) 01:04:06
>>716
高句麗自身は高麗って名乗ってるがな。
721日本@名無史さん:2009/07/31(金) 12:12:09
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




722日本@名無史さん:2009/07/31(金) 22:12:11
表5
  O・プロコプ,W・ゲーラー著.石山c夫訳:『遺伝血清学』(学会出版センター)より
民族 被検査数 頻度(%) 頻度(%)
       O  A  B  AB σm p q r
日本 301千 30.5 38.2 21.9 9.4 0.1 27.6 17.1 55.2
朝鮮 9,434 27.7 31.5 30.7 10.0 0.5 23.9 23.4 52.6
アイヌ 509 17.0 31.8 32.4 18.4 2.2 29.7 30.1 41.2
蒙古     32.1 23.4 36.3 8.2
東胡     30.1 28.3 32.7 8.9
広東 1,000 45.5 22.6 25.0 6.1 1.6 16.0 17.4 67.4

 日本人はA 38% B 22% O 30% AB 9% とA型が多くB型が少ない。
 朝鮮、モンゴル、ツングースはA型よりB型の方が多い、またはほぼ同じ比率。

 日本人のようにA型が多い民族は東亜にはいない。

 渡来人が来たのなら西日本にB型が多いはずだが、実際は東日本の方が多い。

 ・・・これから見ると日本に大量の渡来人が来たとは考えられない、という説がある。(水野祐「王朝はひとつだったか」)
723日本@名無史さん:2009/08/04(火) 20:29:17
こういう話は好きだなマロンがあって。

ルーツ系のスレでたまに天皇家は姫姓っていう書き込みみるんだけど
それは何の話だか文献だかが元なの?
ぐぐったけどよく分からんかった。
724日本@名無史さん:2009/08/04(火) 23:45:38
>>674
シナ殷墟出土の青銅人面「禾皿」と日本縄文土器の人面注口器は、ほとんど同じものだ。

 こんなものが別々に独立して作られるわけがない。
725日本@名無史さん:2009/08/05(水) 02:47:11
>>723
「日本書紀私記」という書物に天皇の姓が「姫」であるとの記載がある。
日本書紀私記は、平安期の学者が日本書紀の講義をする際のコメンタール。

国史大系 日本書紀私記・釈日本紀・日本逸史 (新訂増補 新装版) 吉川弘文館
http://www.amazon.co.jp/dp/4642003096
726日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:30:35
>>725
727日本@名無史さん:2009/08/05(水) 09:53:22

姫姓である天皇家には、正当な中国支配権があるのだなw

728日本@名無史さん:2009/08/05(水) 11:30:30
その「姫」というのは、呉の太伯の子孫云々というのが根拠なのかな。
それとも皇祖神が天照大神だから?
729日本@名無史さん:2009/08/05(水) 12:59:40
287 名前:出土地不明 :2009/08/05(水) 12:26:36 ID:gOAKrwB8
じゃあ何で「カ」(禾の下に皿)という器種自体が伝わっていない?

足を見てみろ。

何で「環足」が伝わっていない?

何でその青銅人面の体を飾っている「雷文」が伝わっていない?

人面土器は世界中から出ていて、それだけでは全く証拠にならん。
730日本@名無史さん:2009/08/05(水) 15:55:39
正に至徳日本国天皇。
位を譲り東方に移る。
天皇の徳により日本は栄える。
姫氏の栄光は昔の話し。
今は氏なき天皇。
731日本@名無史さん:2009/08/05(水) 20:06:38
732日本@名無史さん:2009/08/05(水) 20:08:17
倭人が言ったとあるんだからなんかはあるんだろ
733日本@名無史さん:2009/08/05(水) 20:42:20
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
734日本@名無史さん:2009/08/05(水) 20:43:20
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
735日本@名無史さん:2009/08/05(水) 20:44:35



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


736日本@名無史さん:2009/08/05(水) 21:42:51
>>725
サンクスコ
こういう研究おもしろそうだな。

もし本当に周の末裔だったりしたら姓をなくしたのは正解だったね。
易姓革命を逃れることになったのだから。
737日本@名無史さん:2009/08/05(水) 23:07:15
>>736
いや、今でも天皇家の姓は「姫」。名乗らないだけ。

日本書紀私記では姓が姫の理由は、アマテラスが女だったからだと記している。
春秋呉の系譜だなどとの記述はどこにもない。

じゃあ、関係ないだろ、ということになるが、
祖神が女の神なんてのは、世界的に珍しくもない事例なのに、
これが理由じゃ根拠薄弱でいかにも苦し紛れの回答に見える。

ってんで>>1の可能性は如何?だが、
「姫」姓を名乗ることで何らかの権威上もしくは実利的なメリットがあった時期が
日本書紀私記が書かれた時代以前のどこかの時点であったんだろう。

そのメリットの中身が文字通り呉王の血筋を誇るためだったかどうか、
となると、信じている人間はごく少数となる。
そもそも日本書紀私記の記述などほとんどの人間など知りはしないし。
738日本@名無史さん:2009/08/06(木) 20:08:40
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
739日本@名無史さん:2009/08/06(木) 20:09:25
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
740日本@名無史さん:2009/08/06(木) 20:10:11
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
741日本@名無史さん:2009/08/06(木) 21:54:50
>>738 しかし日本には朝鮮人の心の故郷アリランが伝わっていない。
742日本@名無史さん:2009/08/07(金) 00:05:56
魏志東夷伝 邑婁(ユウロウ) >>古代韓民族成りすまし邑婁人(現在韓国人)発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる

風俗は皆、髪を編み(女官の髪型)、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。

586 :天之御名無主:2009/08/02(日) 16:33:28

       晋書  『粛慎、邑婁伝』
井戸も釜戸もない、?(むしき)を作り、四、五升は食べる。坐るときは両脚を投げ出して座り、
足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)肉を食べる。凍った肉はその上に坐って暖める。
土には塩も鉄もない(前漢代の塩鉄なら専売制度を意味するが)。木を焼いて灰を作り、その灰汁
を注いで、これを食す(意味不明)。

 風俗は皆、髪を編み(女官の髪型)、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る、径は尺余、これで前後
を覆う。嫁を娶るときは、男が毛羽を女性の頭に挿し、女性を連れて帰る。その後に婚礼をする。
妻は貞淑だが(未婚)女性は淫乱、若尊老卑。死者はその日に野原で葬儀を行ない、木組みの小さな
槨(ひつぎ)を作り、豚を殺して、その上に積み、死者の糧(かて)となす。
743日本@名無史さん:2009/08/07(金) 23:08:42
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
744日本@名無史さん:2009/08/07(金) 23:09:22
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
745日本@名無史さん:2009/08/08(土) 16:22:30
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
746日本@名無史さん:2009/08/09(日) 10:14:24
本来の漢民族は黄巾の乱あたりの
五コの移住で絶滅していると
聞きますが本当でしょうか?
747日本@名無史さん:2009/08/09(日) 21:27:40
魏志倭人伝には倭人が「断髪」をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



748日本@名無史さん:2009/08/10(月) 09:07:01
>>747 沖縄の民族衣装で頭を布で巻いているのが倭人の原型か。
749日本@名無史さん:2009/08/10(月) 23:57:21
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
750日本@名無史さん:2009/08/12(水) 00:06:16
韓国の遺跡から土笛が出たって聞かないね不思議?後世雅楽の楽器としては有るが。
日本では縄文、弥生遺跡から数多く出土している。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg
http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前?(けん)と呼ばれる土笛が発見
され、これが最も古い ...土笛の役割 陶?(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の
儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........

弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカ
これも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html
751日本@名無史さん:2009/08/12(水) 04:11:47
日本起源だから
752日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:16:35
 ● 殷・周の貝貨.....宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A005.htm
貝貨 15-21mm 0.5-2.0g
  中国では新石器時代の晩期の紀元前30世紀ころから、墓地に宝貝が埋葬されています。
  宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。はるか海上
の道を伝って運ばれたものです。宝貝の裏面は丁寧に削り取っています。
  殷王朝[下の地図@]の末期から西周王朝の末期にかけて、王や王族が家臣に宝貝を
下賜した記録が残されています。
  西周第5代の天子穆公は、治世13年(紀元前989年)6月6日、西域の赤烏の王に、
  墨車4輌、黄金40鎰(800両)、貝帯50、朱薬300嚢
を下賜したとの言い伝えがあります。
  柳田国男さんは『海上の道』の中で、琉球諸島の宝貝が殷王朝に供給された可能性を
強調されています。
753日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:17:37

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo023.jpg
これは福岡県のスダレ遺跡から出土した弥生時代の壺です(高さ約40cm)。
その形状から子持ち壺と呼ばれているものですが、用途は不明とされているそうです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo031.jpg
これは古代の南インドの墓から出土したもので、楽器を模した土器です。
副葬品として墓に埋めていたものらしい。大きさはおよそ40cmで、
上の福岡県から出土したものとほぼ同じ大きさです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo011.jpg
これは南インドで今でも実際に祭りで使われている楽器(太鼓の一種)で、
大きさは高さが110cmあるということです。この楽器の存在がなければ、
上に挙げた日本の子持ち壺が楽器か、あるいはそれを模したものであろうと
いうことは判明しなかったと云えます。
754日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:20:03
>>殷王朝は縄文人王朝で有る!!!!!かな?<<

人面付注口器のフタの部分が人面に成ってる処など、偶然とは思えぬ精神性の同一で有る。

ワシントンにあるフリア美術館にある殷の青銅器。「人面?(カ)」
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

『人面注口土器』福田貝塚出土
http://business2.plala.or.jp/azumatw/dai1.htm
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4e/e6470a1845686117fa87f9ac7e26120b.jpg

『人面付注口土器』埼玉県埋蔵文化財調査事業団
http://www.museum.spec.ed.jp/monoshiri/stock/maibun/ma0102.html
755日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:21:50
756日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:24:41
>>754
「ののの」の字状の模様が両方に有る。!!!

(おまけ)
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/006_1tairiku_karano_toraibunnka.html
757日本@名無史さん:2009/08/12(水) 21:26:53

>此れが学問的に検証され公開されれば確実だね。勇気ある考古学者出て来イヤー!!

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
758源勝正朝臣:2009/08/13(木) 00:10:11
お。オレの先祖は、呉太伯だったのか。。。了解
759日本@名無史さん:2009/08/16(日) 09:34:35
>>757
遂に真実があきらかに!
760サガミハラハラ:2009/08/16(日) 10:13:24
木炭の年代がBC695年だったということです。
大木の芯の部分が偶然測定されたのでしょう。
761日本@名無史さん:2009/08/17(月) 04:49:36
ただの交易品
762日本@名無史さん:2009/08/19(水) 11:14:26
287 名前:出土地不明 :2009/08/05(水) 12:26:36 ID:gOAKrwB8
じゃあ何で「カ」(禾の下に皿)という器種自体が伝わっていない?

足を見てみろ。

何で「環足」が伝わっていない?

体を見てみろ。

何でその青銅人面の体を飾っている「雷文」が伝わっていない?

人面土器は世界中から出ていて、それだけでは全く証拠にならん。
763日本@名無史さん:2009/08/19(水) 12:23:25
土笛は弥生遺構でも数点しか発見されていない搬入物。

他の古代中国楽器が伝わっていないところを見るとやはり朝鮮経由。

だいたい土笛を作っておいて何で江南名物「鼎」の一つも伝えないのか。

子持ち壺ももちろん半島経由の搬入物。

子持ち壺は古墳期の加羅、安羅の半島帰化人が持ち込んだ朝鮮陶質土器、
つまり須恵器の器種によく見られる。

だいたいインド土器を伝える前に江南系中国土器が何で伝わってないのか。

鉄器が伝わるのは弥生早期。

弥生前期のBC7Cに鉄器が出土するのは当たり前。
764日本@名無史さん:2009/08/19(水) 12:25:36
トウテツ紋様の土器の正体は瓦。

弥生期の燕(今の河北省)は瓦のメッカ。

他の中国土器が一緒に見られないから、やはり朝鮮経由で宝器として搬入された物。

大分の中国鬲とは製法の異なる単発の鬲型土器も遼寧あたりの半島経由の搬入物。

江南は鼎のメッカで鬲は珍しい。

何で鼎が伝わらんのか。
765日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:06:24
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
766日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:07:20
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
767日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:17:53
>>763  捏造ウソはダメだぞ

島根県 : 土笛土笛は弥生時代前期から中期前葉(紀元前6世紀から紀元前3世紀)
にかけて作られました。福岡県北東部から京都府北部の丹後半島にかけてこれまで
約100点、約100点、約100点、約100点、出土しています。そのうちの約半分が
島根県で発見されており、なかでも松江市西川津町の西川津遺跡 ...縄文笛も有るぞ。
www.pref.shimane.lg.jp/.../syuzohin/tsuchibue.html - キャッシュ - 類似ページ


http://www.pref.shimane.lg.jp/maizobunkazai/syuzohin/tsuchibue.html
768日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:22:27
韓国の遺跡から土笛が出たって聞かないね不思議?後世雅楽の楽器としては有るが。
日本では縄文、弥生遺跡から約100点以上出土している。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg
http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前?(けん)と呼ばれる土笛が発見
され、これが最も古い ...土笛の役割 陶?(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の
儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........

弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカ
これも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html
769日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:24:10
 ● 殷・周の貝貨.....宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A005.htm
貝貨 15-21mm 0.5-2.0g
  中国では新石器時代の晩期の紀元前30世紀ころから、墓地に宝貝が埋葬されています。
  宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。はるか海上
の道を伝って運ばれたものです。宝貝の裏面は丁寧に削り取っています。
  殷王朝[下の地図@]の末期から西周王朝の末期にかけて、王や王族が家臣に宝貝を
下賜した記録が残されています。
  西周第5代の天子穆公は、治世13年(紀元前989年)6月6日、西域の赤烏の王に、
  墨車4輌、黄金40鎰(800両)、貝帯50、朱薬300嚢
を下賜したとの言い伝えがあります。
  柳田国男さんは『海上の道』の中で、琉球諸島の宝貝が殷王朝に供給された可能性を
強調されています。
770日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:25:48

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo023.jpg
これは福岡県のスダレ遺跡から出土した弥生時代の壺です(高さ約40cm)。
その形状から子持ち壺と呼ばれているものですが、用途は不明とされているそうです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo031.jpg
これは古代の南インドの墓から出土したもので、楽器を模した土器です。
副葬品として墓に埋めていたものらしい。大きさはおよそ40cmで、
上の福岡県から出土したものとほぼ同じ大きさです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo011.jpg
これは南インドで今でも実際に祭りで使われている楽器(太鼓の一種)で、
大きさは高さが110cmあるということです。この楽器の存在がなければ、
上に挙げた日本の子持ち壺が楽器か、あるいはそれを模したものであろうと
いうことは判明しなかったと云えます。
771日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:26:59
>>殷王朝は縄文人王朝で有る!!!!!かな?<<

人面付注口器のフタの部分が人面に成ってる処など、偶然とは思えぬ精神性の同一で有る。

ワシントンにあるフリア美術館にある殷の青銅器。「人面?(カ)」
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

『人面注口土器』福田貝塚出土
http://business2.plala.or.jp/azumatw/dai1.htm
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4e/e6470a1845686117fa87f9ac7e26120b.jpg

『人面付注口土器』埼玉県埋蔵文化財調査事業団
http://www.museum.spec.ed.jp/monoshiri/stock/maibun/ma0102.html
772日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:29:27
773日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:30:33
>>767
ほう、それは知らなかったな。

ただ捏造ウソはおまえら江南渡民の台湾人の足元にも及ばんがな(嘲笑

だいたい土笛を作るためにその手で土をこねてだ、何で江南の中国土器を作らんの?

何でついでに「鼎」のメッカ江南の「鼎」を作らんのだ?

ちゃんちゃらおかしい。
774日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:30:46
>>754
「ののの」の字状の模様が両方に有る。!!!

(おまけ)
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/006_1tairiku_karano_toraibunnka.html
775日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:33:03
>>773
お前はウソ捏造でしか反論出来ない只の糞キムチ!!!!
776日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:34:18

他の古代中国楽器が伝わっていないところを見ると土笛はやはり朝鮮経由の伝来物。

だいたい土笛を作っておいて何で江南名物「鼎」の一つも伝えんのか。

子持ち壺ももちろん半島経由の搬入物。

子持ち壺は古墳期の加羅、安羅あたりの半島帰化人が持ち込んだ朝鮮陶質土器、
つまり須恵器によく見られる。

だいたいインド土器を伝える前に何で江南系中国土器が全く伝わってないのか。
777日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:34:53
>>773  捏造ウソはダメだぞ

島根県 : 土笛土笛は弥生時代前期から中期前葉(紀元前6世紀から紀元前3世紀)
にかけて作られました。福岡県北東部から京都府北部の丹後半島にかけてこれまで
約100点、約100点、約100点、約100点、出土しています。そのうちの約半分が
島根県で発見されており、なかでも松江市西川津町の西川津遺跡 ...縄文笛も有るぞ。
www.pref.shimane.lg.jp/.../syuzohin/tsuchibue.html - キャッシュ - 類似ページ
http://www.pref.shimane.lg.jp/maizobunkazai/syuzohin/tsuchibue.html
778日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:37:49
今日はだいぶレス出来たから寝よ。
779日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:40:13

鉄器が伝わるのは弥生早期。

弥生前期のBC7Cに鉄器が出土するのは当たり前。

トウテツ紋様の土器の正体は瓦。

弥生期の燕(今の河北省)は瓦のメッカ。

他の中国土器が一緒に見られないから、やはり朝鮮経由で宝器として搬入された物。

大分の単発の鬲型土器も遼寧や沿海州南部あたりから搬入された半島経由の搬入物。

江南は鼎のメッカ。

何で江南第一の器種、「鼎」が伝わらんのか。
780日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:42:04
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
781日本@名無史さん:2009/08/19(水) 21:42:55
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
782日本@名無史さん:2009/08/19(水) 23:03:59
他の古代中国楽器が伝わっていないところを見ると土笛はやはり朝鮮経由の伝来物。

だいたい土笛を作るために土をこねておいて何で江南名物「鼎」の一つも作らんのか?

子持ち壺ももちろん半島経由の搬入物。

子持ち壺は古墳期の加羅、安羅あたりの半島帰化人が持ち込んだ朝鮮陶質土器、
つまり須恵器によく見られる。

だいたいインド土器を伝える前に何で江南系中国土器が全く伝わってないのか。

半島経由で鉄器が伝わるのは弥生早期。

弥生前期のBC7Cに鉄器が出土するのは当たり前。

トウテツ紋様の土器の正体は瓦。

弥生期の燕(今の河北省)は瓦のメッカ。

他の中国土器が一緒に見られないから、やはり朝鮮経由で宝器として搬入された物。

大分の単発の鬲型土器も遼寧や沿海州南部あたりから搬入された半島経由の搬入物。

そもそも江南は鼎のメッカで鬲は珍しい。

よりによって何で江南第一の器種、「鼎」が伝わらんのか。
783日本@名無史さん:2009/08/20(木) 04:36:25
このコピペ豚って金もらってやってんだろうな
784日本@名無史さん:2009/08/20(木) 08:21:15
史記には、太伯に子供がいないと書いている。
でも実際は、句呉は弟の李歴にまかせて、縄文末期の日本に来た可能性はあると思う。
今でも、戦争で戦死したと言われた人が、現地で家族をつくって生き延びているという報道は聞く。
785日本@名無史さん:2009/08/20(木) 08:55:37
太伯の弟の名前を間違えてしまった。
786日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:10:33
>>782  >日朝間には縄文頃より交流は有るが、木の曲げ物(杓子、樽作りの技術が無いので
甕を多く使う)水車等は明治に入るまで無かった。つまり幾ら交流が有っても興味が無い、必要性
(宗教上含)が無い、技術が無い、唐の様に絹の製法を国家管理してる場合などは伝達しにくい。

>朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても
金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、
朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。

787日本@名無史さん:2009/08/20(木) 22:56:47
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
788日本@名無史さん:2009/08/21(金) 12:15:50
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
789日本@名無史さん:2009/08/21(金) 19:31:49
>>788
「呉服」は百済経由で伝わっている。

勘違いしてるよ

また百済国に…
また呉服(ク…
また秦造(ハ…
また酒を醸(…

と、なっていて、全部別になっているんだよ
790日本@名無史さん:2009/08/21(金) 21:55:33
同じコピペばかり繰り返し繰り返し貼られてるけど、
よほどこのスレで普通のやりとりが進行するのが気に入らない粘着偏執狂がいるようだな。

倭人が呉の末裔とか語られたら、よほど都合がわるいのかw
791日本@名無史さん:2009/08/22(土) 17:44:19
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
792日本@名無史さん:2009/08/22(土) 17:45:11
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



793日本@名無史さん:2009/08/22(土) 17:46:12
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
794日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:27:20
朝鮮半島の米は測定の結果、紀元前約2千年(約4千年前)が最古だよ。
795日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:52:35
>>788
また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)……

つまり、百済の王は天皇に命令されて、和邇(あとで王仁に訂正される)と言う学者を差し出しただけです。
ちなみに、王仁さん本人の申告だと中国の人で戦乱を避けて百済に来ていたそうです。
796日本@名無史さん:2009/08/22(土) 20:59:44
ソースが一切出ない、流石は台湾政府諜報員(ゲラ爆
797日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:02:58
このスレがコピペキチガイに乗っ取られてるのはなんで?
よほどこのスレで普通のやりとりが進行するのが気に入らない粘着偏執狂がいるんだな。
798日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:25:00
>>796
ソースって?
王仁さんのこと?
日本書紀に、もっと詳しく書いてあるよ!
799日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:25:41
と、涙目で怒り狂う台湾政府情報工作員なのであった(ゲラゲラ大爆笑



台湾人 ← クサイ、キショイ、キモイ、ベトナム顔した醜悪な汚物wwwwww


800日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:30:43
続日本紀にも書いてある
801日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:31:41
>>798
だから、日本書紀なんかネット上にゴロゴロあるんだから、
その部分をここに出してみろよw


カンボシア顔のクーッサイクッサイ台湾汚物wwww


遺伝子がうんこクサイねw



802日本@名無史さん:2009/08/22(土) 21:51:04
台湾汚物で遺伝子がうんこクサイ…
って言ったら韓国人のこと?
ダメだよ!いくらトンスルーでも遺伝子までうんこクサイとはかぎらないでしょう!
803日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:03:27
韓国の中学の教科書にも載っている。王仁の名前でくぐれ
804日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:11:50
>>801  これで良いか。

『続日本紀』によると、子孫である左大史・正六位上の文忌寸(ふみのいみき)最弟(もおと)らが
先祖の王仁は漢の皇帝の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。このことから王仁は
楽浪郡出身で百済にやってきた漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。この記述が
真実であれば、王仁は313年の楽浪郡滅亡の際に百済へと亡命した楽浪王氏の一員ではないかと考えられる。

楽浪の時代を通じて強力な勢力をもった楽浪王氏は斉(中国山東省)の出自といわれ、前一七〇年代に
斉の内乱を逃れて楽浪の山中に入植したものという。おそらく、3世紀前半の楽浪郡の滅亡後に百済へ亡命、
その後、3世紀後半には日本へ移民したのであろう。

朝鮮半島の人間が中国風の一字姓を名乗りはじめるのは統一新羅以降の風習で、当時の百済の人間が
王姓を名乗っているとは考えにくく、この点から考えても楽浪王氏であるという説は説得力を持っている。

805日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:14:23
だからはやくその部分をここに出してみろよこの台湾人がw

このウソしかつかねえガンメン東南アジア丸出しのウンコ台湾政府工作部隊がw
806日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:19:44
>>804
で、それのどこに「王仁さん本人の申告だと中国の人」と書いてあんだよ?w
807日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:29:49
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
808日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:30:37
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



809日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:31:16
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
810日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:45:49
>>806
数百年後の子孫が先祖王仁は漢、項羽の子孫ですと自己申告してるんだから

千六百年後のあんたが違うっていっても話に成らんけえのう

私は中国人ですとは書いて無いが、百済人だとも書いて無いのう残念です。
811日本@名無史さん:2009/08/22(土) 22:50:19
>>801  これで良いか。

『続日本紀』によると、子孫である左大史・正六位上の文忌寸(ふみのいみき)最弟(もおと)らが
先祖の王仁は漢の皇帝の末裔と桓武天皇に奏上したという記述がある。このことから王仁は
楽浪郡出身で百済にやってきた漢人の家系に連なり、漢高帝の末裔であるとされる。この記述が
真実であれば、王仁は313年の楽浪郡滅亡の際に百済へと亡命した楽浪王氏の一員ではないかと考えられる。

楽浪の時代を通じて強力な勢力をもった楽浪王氏は斉(中国山東省)の出自といわれ、前一七〇年代に
斉の内乱を逃れて楽浪の山中に入植したものという。おそらく、3世紀前半の楽浪郡の滅亡後に百済へ亡命、
その後、3世紀後半には日本へ移民したのであろう。

朝鮮半島の人間が中国風の一字姓を名乗りはじめるのは統一新羅以降の風習で、当時の百済の人間が
王姓を名乗っているとは考えにくく、この点から考えても楽浪王氏であるという説は説得力を持っている。

812日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:13:48
王仁さん百済からのをなんで否定したいの?
韓国人を台湾汚物呼ばわりしたり、最低な人ですね!
813日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:15:37
何が中国の人だよw

単に楽浪人なだけだろがこの悪の帝王、台湾政府部隊が。

まるでチンクランドから直接渡来したかのような工作はやめましょう。

日本における悪の頂点、侵略者「台湾政府」部隊は。
814日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:45:25
楽浪郡が高句麗の領土になる前の話だが?
ひょっとして、楽浪郡の人なのに、中国人と言っているので怒っているのか?
815日本@名無史さん:2009/08/22(土) 23:59:46
楽浪郡から逃げ、百済に住んでいる時に日本に招き入れられた。
つまり、百済が関わっている。
台湾は関係ないんだが?被害妄想?
病院で見てもらったほうがいいぞ。
816日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:15:34
元々の文章が
[また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)…]…だから
誰も直接日本に来たなんて言ってないのに。

「まるでチンクランドから直接渡来したかのような工作はやめましょう。」
だもん。
よほどのバカでなければ頭の中の病気だね!
817日本@名無史さん:2009/08/23(日) 04:26:12
支那豚の工作ウゼーなここ
818日本@名無史さん:2009/08/23(日) 06:46:44
>ダメだよ!いくらトンスルーでも遺伝子までうんこクサイとはかぎらないでしょう!

「トンスルー」が、わからないです。教えて下さい。
819日本@名無史さん:2009/08/23(日) 14:01:04
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!
820日本@名無史さん:2009/08/23(日) 15:59:51
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
821日本@名無史さん:2009/08/23(日) 16:01:42
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
822日本@名無史さん:2009/08/23(日) 16:02:48
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
823日本@名無史さん:2009/08/25(火) 23:14:25
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://bunarinn.fc2web.com/gozaru1/gozaru/sakuratokaboto/sakuratokaboto.html
824日本@名無史さん:2009/08/28(金) 01:05:08
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




825日本@名無史さん:2009/08/28(金) 02:08:17
>>823 アクセス不良なのでコチラへ

**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakurahukugen/hukugen.html

826日本@名無史さん:2009/08/28(金) 02:23:51
>>824
その北方アジアの高床式「倉庫」はどこから伝わったんだよ。
827日本@名無史さん:2009/08/28(金) 04:43:27
つまり縄文起源
828日本@名無史さん:2009/08/28(金) 08:09:02
なるほど、日本からシベリアに伝わって、シベリアから韓国に伝わった。韓国人はロシア人に感謝すべきですね(笑)
829日本@名無史さん:2009/08/28(金) 12:18:56
その頃から、シベリアにはロシア人(スラブ民族)が住んでいたのですか。
土着の人たちでは?
アジア系とか。。。
830日本@名無史さん:2009/08/28(金) 12:22:36
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
831日本@名無史さん:2009/08/28(金) 12:23:37
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
832日本@名無史さん:2009/08/28(金) 12:24:48



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


833日本@名無史さん:2009/08/28(金) 13:11:09
>>531 アクセス不良なのでコチラへ
   *下記のアクセス先も潰されました。
*余程都合の悪い情報なんだな?民潭工作隊!必死さが目に浮かぶぜ。

**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakurahukugen/hukugen.html
834日本@名無史さん:2009/08/28(金) 18:03:21
>>世紀の大発見!!縄文時代土器の常識が覆すかも。櫛目文土器より曽畑式土器の方が可なり古い<<

この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から曽畑式土器。

発掘調査が待たれる茂の脇遺跡

案内板のある茂の脇遺跡は、八幡神社の周辺一帯をさすらしいが、縄文前期から古墳時代に至る
複合遺跡で、本によっては夫婦石遺跡とも呼ばれている。韓国新石器時代の土器、縄文前期・中期
の土器、石鏃、石斧、古墳時代の須恵器などが出土。考古学的には非常に重要な遺跡らしい。
今までは朝鮮半島の櫛目文土器に影響されて、九州の曽畑式土器が生まれたというのが学会の常識
であったが、この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から
曽畑式土器が見つかった。つまり、曽畑式が櫛目文に影響を与えたのかも知れないということに
なってしまう。
835日本@名無史さん:2009/08/28(金) 19:51:45
>>829
その頃から、シベリアにはロシア人(スラブ民族)が住んでいたのですか。
土着の人たちでは?
アジア系とか。。。

半島の南(つまり今の韓国)に住んでいたのも倭人とされているのですが。
韓国の人には理解出来ないので、ちょうどいいです(笑)
836日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:37:31
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
837日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:38:16
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
838日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:39:04
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
839日本@名無史さん:2009/08/29(土) 19:04:30
王仁吉師は漢人だそうだな。
つまり、歌垣は中国が起源?
840日本@名無史さん:2009/08/30(日) 03:07:19
>>839 苗族とかイ族、ペー族というのがまだやっているらしいな。
841名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 08:41:05
>>839-840 たった3行で起源捏造、失敗…
なんか、かわいそう(笑)
842名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:33:35
>>833
よう!

日本人のルーツを台湾人の祖郷江南に誘導する事がミッションの
侵略者チャイニーズタイペイ工作員くんw

馬鹿と低脳しかダマせない欺罔ネタはそれでもう終わりか?w

では、神の俺様から下々に向かってご神託をしてやろうw

その中で縄文高床式倉庫の証拠として使えるのは、数百以上の跡がある
三内丸山遺跡と高床式倉庫を構成する大部分の部材が出土している桜町遺跡だけだな。

跡や建材の一部だけだと、旧石器時代からある竪穴式住居のものだと言えてしまうからな。

で、肝心のその高床式倉庫の伝来先だが、三内丸山遺跡と桜町遺跡がある青森と富山に
当時登場してきた土器を見れば一目瞭然だな。
843名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:34:44
「円筒土器」は、東北地方北半部から北海道南西部にかけてと、不思議な事に
東北地方南部を飛び越えて北陸の富山から出土している。

で、この円筒土器、当時の遼寧から沿海州南部にいたる北東アジアに広がっていた
「平底筒形罐」と器形が全く一致している。

つまり、日本海を縦断した青森や富山から一番近い大陸だった「沿海州南部」との
交流を通じて、縄文高床式倉庫も円筒土器も玉ケツ(ケツ状耳飾)も伝わっただけなのである。

ただし縄文高床式倉庫と弥生高床式倉庫は連続していない。

西日本での縄文期の高床式倉庫の確証遺構が全く無いからである。

弥生高床式倉庫は弥生開始期と同時に九州北部に突如として登場するのである。
844名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:54:44
>>世紀の大発見!!縄文時代土器の常識が覆すかも。櫛目文土器より曽畑式土器の方が可なり古い<<

この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から曽畑式土器。

発掘調査が待たれる茂の脇遺跡

案内板のある茂の脇遺跡は、八幡神社の周辺一帯をさすらしいが、縄文前期から古墳時代に至る
複合遺跡で、本によっては夫婦石遺跡とも呼ばれている。韓国新石器時代の土器、縄文前期・中期
の土器、石鏃、石斧、古墳時代の須恵器などが出土。考古学的には非常に重要な遺跡らしい。
今までは朝鮮半島の櫛目文土器に影響されて、九州の曽畑式土器が生まれたというのが学会の常識
であったが、この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から
曽畑式土器が見つかった。つまり、曽畑式が櫛目文に影響を与えたのかも知れないということに
なってしまう。
845名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:42:16
朝鮮半島の櫛目文土器はBC40C頃から登場するんだから、
単に13層がBC4OCよりも新しいだけだろうが

で、10層・11層の時代になって半島から櫛目文土器が輸入されただけだろうが。

しかし、URLも出典先も無い、怪しさバツグンだな台湾政府w
846日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:42:16
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
847日本@名無史さん:2009/08/30(日) 21:43:12
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
848日本@名無史さん:2009/08/31(月) 22:29:34
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
849日本@名無史さん:2009/08/31(月) 23:21:14
鳥居の起源はチベット系部族の「精霊の門」だよ

これは4000年位の歴史があるね

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/42/Gate_leading_to_the_akha_hilltribe_village.jpg
羌族の鳥居
850日本@名無史さん:2009/09/01(火) 04:18:29
「現在の形」と「当時の形」
851日本@名無史さん:2009/09/01(火) 08:55:53
4000年位の歴史があると分かるのは遺物からだろ。

日本には奈良時代よりも前の鳥居の遺物が無い。

鳥居は奈良時代に遣唐使が持ち込んだだけだろう。
852日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:39:10
日本の場合、現在の形が確立したのが遣唐使によるものじゃなかったの?

呉人(姫氏)による政権が辰(半島南部から北部九州)を支配してた頃が起源じゃね?
これは中国に信頼できる資料が残ってるよ
853日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:41:54
日本人は失われたイスラエルの10部族なんですよ
854日本@名無史さん:2009/09/01(火) 19:47:51
支配までしとおいてだ、何で呉の文物が一切伝わってない?

一度、故郷の台北101の屋上から頭からダイブしてみたら?

そうしたらきっとおまえの悪い脳も治るよw




         治 る よ w



855日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:12:27
>>854
つまり、こう云うことじゃね?

ヒトモドキと人間の遺伝子の一致率

チンパンジー 98.8%
アカゲザル 97.5%
ウニ 70% 
チョウセンヒトモドキ 70% ←new!  
メダカ 60%
ハエ 40%
856日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:23:25
チョウセンヒトモドキ=劣化穢族(笑
857日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:29:37
確かに朝鮮人はヒトモドキだなw

で、台湾人はゴリラモドキだなw

醜悪極まりない茶色広鼻の東南アジアのウンコ顔がwwww

見るたびにウンコみたいなクッサイ東南アジア臭が目から鼻に抜けるよなw
858日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:41:03
ヒトモドキの自虐性むき出しにワロタwww
859日本@名無史さん:2009/09/01(火) 20:50:20
あくまでも俺を朝鮮人に仕立てて潰したいんだろ極悪ワン人w

俺が本当に朝鮮人ならこんなに否定して何か得する事でもあるのかアホウw

敵国人の侵略者台湾人は朝鮮人・中国人とともに日本から出てけよ。

この悪党どもが。
860日本@名無史さん:2009/09/01(火) 22:28:52
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



861日本@名無史さん:2009/09/02(水) 05:03:50
>>851
遣唐使が鳥居を持ち込んだなんて聞いたこともない
862日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:19:24
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
863日本@名無史さん:2009/09/02(水) 20:22:54
朝鮮パカは馬鹿ハングル板に逝け。
864日本@名無史さん:2009/09/03(木) 18:31:36
日本の文献で朝鮮から伝わった物は、大抵、朝鮮を素通りして、朝鮮には残っていないんだよね(笑)
865日本@名無史さん:2009/09/03(木) 21:25:46
「納豆」「ナレずし」こうした発酵食品は、弥生、縄文にまでさかのぼるといわれ
、魚貝のほか、シカやイノシシの獣肉やヤマドリのような鳥肉の保存食としても
生産されてきたことが考古学の発掘出土骨の研究からわかってきている。

 今でも、東北や北海道の郷土食にあるサケやハタハタの飯ずしは、このナレずし系
に属している。
866日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:26:28
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
867日本@名無史さん:2009/09/03(木) 23:27:46
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
868日本@名無史さん:2009/09/04(金) 12:03:45
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
869日本@名無史さん:2009/09/05(土) 22:57:58
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
870日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:30:22
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
871日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:31:10
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



872日本@名無史さん:2009/09/06(日) 23:32:25
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
873日本@名無史さん:2009/09/07(月) 06:01:36
>869
>「呉服」は百済経由で伝わっている。

→円(。)や点(、)の付ける位置が間違えている。
和邇吉師以外百済と関係ないよ。和邇吉師も漢人で百済に、たまたまいただけだそうだけど


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」 とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ) せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進 (タテマツ)りき、この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の 祖(オヤ)。

また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)。


また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り。


また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)。


また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は 須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
874日本@名無史さん:2009/09/07(月) 06:14:03
>>872
要するに>>870-871は捏造なのか?
韓国系の人も嘘ばかり言っていると本当の事も嘘だと思われるのに、なんで嘘をつくんだろう?
875日本@名無史さん:2009/09/07(月) 08:38:46
ただ単純に、佐藤洋一郎がスーパー詐欺師なだけ。
876日本@名無史さん:2009/09/07(月) 12:13:02
>>872
>中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

炭から遺伝子を取り出すなんて不可能なことをやれと言うのが無理。
佐藤洋一郎を詐欺師呼ばわりする奴のほうが詐欺師だわな。
しかし、縄文人が中国に行って稲作を学んできた、なんて言う佐藤洋一郎は馬鹿。

馬鹿を信じるか、詐欺師を信じるか?
君たちはどっち?
877日本@名無史さん:2009/09/07(月) 13:22:13
あのな、リアルお馬鹿ちゃん、佐藤洋一郎はな、
炭化米の遺伝子も長年調べてきた人だぜ。
878日本@名無史さん:2009/09/07(月) 19:56:52
縄文農耕の世界―DNA分析で何がわかったか 縄文への道
同著は著者の最新(本年9月刊)の書で、専門のコメを始めクリ・ヒエなどを沢山の植物が
『どうも縄文時代には栽培されていた』ということを、専門のDNA鑑定を通じて明確に
証明して行く。一方我々が「農耕」というとき、どうしても現在の整備され ...

縄文農耕 とは
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に
稲もみの圧痕跡があることが判明、当時の稲作が確実視されるようになった。稲以外でも
小麦、大豆、三内丸山遺跡のクリや鳥浜貝塚のヒョウタンなどの栽培種が認められ、
打製石斧(石鍬)や石鎌、掘り棒、石包丁等の農具が多数出土し ...
879日本@名無史さん:2009/09/07(月) 19:58:42
>孔列文〜突帯文土器が 伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。

え〜と
現在、韓国が一番古いと言っている稲は確か測定結果約5000年前だから。
孔列文〜突帯文土器が5000年前の物だったってこと?
880日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:00:35
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
881日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:01:59
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
882日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:03:10
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
883日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:09:15
長江江南や華北→長江文明と黄河文明を一緒にしたらダメ
884日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:20:38
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器:主に華北から長江下流域から出土)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器:華北からインドシナ半島まで広く出土)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
885日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:25:21
>>880
全部、黄河文明の土器だな。
これが、弥生土器と違うのは、長江文明が日本に伝わる時に中国北方の陸上を通ってないことの証明だな。

後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
どっちかだな。
886日本@名無史さん:2009/09/07(月) 20:30:06
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)主に華北から長江中・下流域から出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
887日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:21:32
■朝鮮語

上が文字の読めない韓国(朝鮮)の人達の教育に使いだして、
1913年、日本統治下の韓国(朝鮮)において本格的に小倉昇平、金沢昇一郎博士によるハングル教育が始まりました。
韓国(朝鮮)のハングルの普及は、日本人言語学者と教育学者を中心とする専門家の努力によるものです。

そもそも、朝鮮語は、東北、西北、中都、西南、東方、済州島の六つの大方言区分に分かれ、
李朝時代には、言語的にはけっして統一されてはいなかったものを、日本の朝鮮総督府が体系化したものなのです。
888日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:33:56
>>885
日本に稲作が伝わるのは6000年前、長江文明に鼎が伝わる前だから、その辺は合うね
鼎が伝わる前の長江式土器が稲作と共に広がったのが弥生時代ってことだね
889日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:36:29
>>885
両方って可能性もある
890日本@名無史さん:2009/09/07(月) 21:48:36
>>871>>879(笑)
そうか、土器の年代の方が間違えていたんだ。
韓国ならあり得る。
だから、発掘された稲の年代を発表出来ないんだ。
891日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:13:27
>>888
鼎が登場する前の江南の炊飯器は丸底釜。

旧石器時代から江南にある器種だよ。

罐(壺)もな。

そして農耕具は石鋤。

なーんにも伝わってねえけどな。

炭化米から3500年前頃から縄文陸稲作があるにしてもだ、
江南から伝わっておいて何で農耕具も炊飯器も何も無いんだ?

そもそも何で水田稲作を伝えんのだアホウ!
892日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:31:04
>>886
>全部、黄河文明の土器だな。
>これが、弥生土器と違うのは、長江の稲作が日本に伝わる時に中国北方の陸上を通ってないことの証明だな。
>後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
>どっちかだな。

北周りルートなら、間違いなく朝鮮や日本に伝わっていたでしょうね。

893日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:38:34
長江ダイレクトルートなら、なおさら鼎だらけじゃねえかカス。

北周りルートはダイレクトルートじゃないからこそ、長い旅路の間に
中国土器の器種器形を失いながら朝鮮、日本と伝わってきたんだろうが。
894日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:52:52
縄文農耕の世界―DNA分析で何がわかったか 縄文への道
同著は著者の最新(本年9月刊)の書で、専門のコメを始めクリ・ヒエなどを沢山の植物が
『どうも縄文時代には栽培されていた』ということを、専門のDNA鑑定を通じて明確に
証明して行く。一方我々が「農耕」というとき、どうしても現在の整備され ...

縄文農耕 とは
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000〜4000年前(縄文時代中期)の土器に
稲もみの圧痕跡があることが判明、当時の稲作が確実視されるようになった。稲以外でも
小麦、大豆、三内丸山遺跡のクリや鳥浜貝塚のヒョウタンなどの栽培種が認められ、
打製石斧(石鍬)や石鎌、掘り棒、石包丁等の農具が多数出土し ...
895日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:54:54
米と同様に小麦も中国から早くに来ていたのですね。

小麦は紀元前7000年(およそ9000年前)のメソポタミアで栽培化されて
世界に拡がったということですが、紀元前4000年(およそ6000年前)の
河南省の遺跡からコムギの出土例がいくつか報告されていて、
中国における小麦栽培のごく早い例と考えられています。
http://furong.mabinogion.net/archives/2005/10/4000.html
仰韶文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%B0%E9%9F%B6%E6%96%87%E5%8C%96
896日本@名無史さん:2009/09/07(月) 23:56:05
有明海地域もお忘れなく。よろしく!

http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn2/002_03_01nettaijaponica_ha_dokokarakitaka.html
このように遺跡を、岡山ブロック、有明海ブロック、その他地域の三つに分類すると、
     ・岡山ブロック      9ヵ所 ( 30% )
     ・有明海ブロック    12ヵ所 ( 40% ) *注…31遺跡中、ワクド石遺跡が二度カ
     ・その他地域       9ヵ所 ( 30% )  ウントされているので実数は30遺跡。
驚くべきことに、岡山、有明海ブロックで全体の70%を占める。早い時期は岡山に重点があり、
時期が下ると有明海に重点が移る。しかし、両地域とも縄文前期・中期から後・晩期にかけて
継続的分布が見られる。
897日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:01:03
>>886
全部、黄河文明の素晴らしい土器だな。

これが、縄文,弥生土器と違うのは、長江文明が日本に伝わる時に中国北方の陸上(黄河文明地域)を通ってないことの証明だな。

後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
どっちかだな。
898日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:04:30
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
899日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:05:15
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
900日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:06:34
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
901日本@名無史さん:2009/09/08(火) 00:22:11
>>898-899-900
全部、黄河文明の素晴らしい土器だな。

これが、縄文,弥生土器と違うのは、長江文明が日本に伝わる時に中国北方の陸上(黄河文明地域)を通ってないことの証明だな。

後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
どっちかだな。
902日本@名無史さん:2009/09/08(火) 01:00:11
見よ!

これが6000年以上前の長江江南の炊飯器である。

(※双耳に注目!縄文土器にも弥生土器にも一切ない。)



釜(丸底釜)
http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
http://inoues.net/museum/kaboto_n07.jpg
http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/imgJ7/kaboto8.jpg


903日本@名無史さん:2009/09/08(火) 01:01:04
見よ!

これが6000年以上前の長江江南の炊飯器である。

(※双耳に注目!縄文土器にも弥生土器にも一切ない。)



釜(丸底釜)
http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
http://inoues.net/museum/kaboto_n07.jpg
http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/imgJ7/kaboto8.jpg


904日本@名無史さん:2009/09/08(火) 01:01:39
見よ!

これが6000年以上前の長江江南の炊飯器である。

(※双耳に注目!縄文土器にも弥生土器にも一切ない。)



釜(丸底釜)
http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
http://inoues.net/museum/kaboto_n07.jpg
http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/imgJ7/kaboto8.jpg


905日本@名無史さん:2009/09/08(火) 04:53:37
まだ頑張ってんのか工作員
906日本@名無史さん:2009/09/08(火) 06:32:36
>>905
そろそろ、他の餌が欲しいね(笑)
907日本@名無史さん:2009/09/08(火) 08:31:14
239 :名無しさん@十周年:2009/09/07(月) 05:42:25 ID:gFPG2cpe0
台湾は日本の敵である。

理由は、
(第二次上海事変〜支那事変を起こし、ナチスドイツと同盟を組んで)

日本を侵略し、第二次世界大戦を引き起こした。
(第二次上海事変こそが太平洋戦争〜第二次世界大戦の発端であり、
ナチスとソ連赤軍によるポーランド侵攻より2年も早い)

台湾は、南京大虐殺事件を捏造した。
(この嘘を支那が引き継ぎ、支那による反日運動に協力している)

数多くの無実の人間を、A〜C級戦犯にでっち上げて、処刑したのは台湾である。

尖閣、沖縄を台湾領(支那領)と主張し、実効支配を目論んでいる。
(台湾は沖縄を九州以北の日本本土と区別し、旅券業務などで自国扱いとしている)

現在の台湾は、日本領台湾を不法占拠している賊である。
(これは南鮮、北鮮も同じ)

台湾の賊と、日本が友誼を結ぶべきではない。
(支那の共産党は山賊であり、彼らとの関係も絶つべきである)
908日本@名無史さん:2009/09/08(火) 08:52:13
>>891
鼎が登場する前の江南の炊飯器は丸底釜。
旧石器時代から江南にある器種だよ。
罐(壺)もな。

日本にも丸底のが、あるね

>そして農耕具は石鋤。

木の耜ならあるね
石もあったような・・・

>そもそも何で水田稲作を伝えんのだアホウ!

水田そのものは、まだ見つかっていないけど、岡山の6000年前の稲作は、水田の雑草が一緒に出てきたので、水田だったって話しじゃなかった?
確かそんな続報があったはず
両方の稲作を伝えてくれたんだね
909日本@名無史さん:2009/09/08(火) 09:01:20
239 :名無しさん@十周年:2009/09/07(月) 05:42:25 ID:gFPG2cpe0
台湾は日本の敵である。

理由は、
(第二次上海事変〜支那事変を起こし、ナチスドイツと同盟を組んで)

日本を侵略し、第二次世界大戦を引き起こした。
(第二次上海事変こそが太平洋戦争〜第二次世界大戦の発端であり、
ナチスとソ連赤軍によるポーランド侵攻より2年も早い)

台湾は、南京大虐殺事件を捏造した。
(この嘘を支那が引き継ぎ、支那による反日運動に協力している)

数多くの無実の人間を、A〜C級戦犯にでっち上げて、処刑したのは台湾である。

尖閣、沖縄を台湾領(支那領)と主張し、実効支配を目論んでいる。
(台湾は沖縄を九州以北の日本本土と区別し、旅券業務などで自国扱いとしている)

現在の台湾は、日本領台湾を不法占拠している賊である。
(これは南鮮、北鮮も同じ)

台湾の賊と、日本が友誼を結ぶべきではない。
(支那の共産党は山賊であり、彼らとの関係も絶つべきである)
910日本@名無史さん:2009/09/08(火) 23:06:23
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




911日本@名無史さん:2009/09/08(火) 23:11:26
正直、なんでこのスレがコピペ房の荒らしの的になってるのかよくわからん。

なにがコピペ房の気にさわったんだろう?
912日本@名無史さん:2009/09/08(火) 23:19:12
要するに、日本人は「天孫族」であって、高天原から天下ってきた神の子孫とか、
日本列島で自然発生的に自生した独自の民族とか言わないと気にいらないんだろ。


バカか、コピペ野郎は。
913尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/09(水) 12:06:54
友達の話によると
英語のサイトの方で韓国の人と台湾の人が、
「どちらが日本に文明を伝えたか?」
で争っていた。
それが日本語のサイトに飛び火したらしい。
今このたぐいのスレは、みんな同じ状態だよ。
914日本@名無史さん:2009/09/09(水) 13:19:28
>>913 シナも朝鮮も日本に縄文文化は伝えていなかったがな。
915尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/09(水) 14:12:59
>>914
特に台湾と韓国ってのが笑えるでしょ!
どちらとも間違えられない名前を付けてみました
916日本@名無史さん:2009/09/09(水) 14:51:08
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




917日本@名無史さん:2009/09/09(水) 15:09:29
>>915
くっせえバレ防止工作だなワン人(プゲラ
918尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/09(水) 15:42:34
>>917
尖閣諸島だとわかんない?
それとも、竹島が独島でないとわかんない?

まあ、日本人ならわかるからいいや
919尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/09(水) 15:47:53
>>916
シベリアやアムールの高床式の建物って日本より新しいので、日本から伝わったって聞いてたけど、古いの見つかっの?
920日本@名無史さん:2009/09/09(水) 16:17:25
>>919

只今6000年位前の高床式建物遺跡を制作中なので暫らくお待ち下さい。
921日本@名無史さん:2009/09/09(水) 16:59:41




 今 日 も 白 金 台 の 台 北 駐 日 工 作 処 か ら 


 組 織 で 朝 鮮 煙 幕 焚 い て る の ? 


 い い ご 身 分 な こ っ た な あ w



922日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:11:33
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
923日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:12:42
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
924日本@名無史さん:2009/09/09(水) 20:13:36



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


925日本@名無史さん:2009/09/10(木) 20:47:12
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
926日本@名無史さん:2009/09/10(木) 20:48:08
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
927日本@名無史さん:2009/09/10(木) 20:49:07
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
928尖閣諸島と竹島は日本の領土:2009/09/11(金) 03:44:32
王仁さんは漢人だよ。百済からと言うのは、百済を通過してと言う意味じゃないかな?
929日本@名無史さん:2009/09/11(金) 05:05:22
『王』という姓はもろ中国系だ、百済の姓ではない。

歌垣の文化は『王』一族が日本で広げたと書いてあるので、日本にいる百済系人から韓国に伝えられたのだろう。
実際、百済系の人が日本で歌垣をしたことも書いてある。

漢人が日本に歌垣を伝えたのがわかった以上
もっと古い記録で、中国から韓国に歌垣を伝えたけど記録があれば、別だが、そうでないかぎり間違いない。
930日本@名無史さん:2009/09/11(金) 05:22:11
また妄想を…
931日本@名無史さん:2009/09/11(金) 05:53:20
韓国の焼き肉は、大阪の鶴橋から在日の人が里帰りの時に、韓国に伝えた。
歌垣も同じだったのだろう。
932日本@名無史さん:2009/09/11(金) 05:57:04
また電波を…
933尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/11(金) 06:45:30
ちゃんとした、反論しないところを見ると焼き肉は日本から伝わった、みたいですね(笑)

ひょっとして、キムチも・・・?
934日本@名無史さん:2009/09/11(金) 06:50:43
焼肉は日本起源だよ
そもそもチョン半島では肉を食えるようになったのはごく最近のこと
つか庶民が米を食えるようになったのも最近だし
935日本@名無史さん:2009/09/11(金) 06:52:57
戦後の闇市で廃材の鉄板使ってなんでもかんでも焼いて出す店がたくさん出るなかで生まれた料理
お好み焼きの起源もそうやってできたそうだな
936日本@名無史さん:2009/09/11(金) 07:26:10
>>933
キムチとは本来、漬け物の事。
漬け物(キムチ)自体は、日本の方が古い。
漬け物は塩を使い食材の味を引き出すのだが、朝鮮では、塩は専売品で高価なもの、代わりに唐辛子を使った。
キムチを唐辛子を使った漬け物と翻訳するなら、韓国からと言えるが、漬け物と翻訳するなら違うと言える。
現に、キムチを漬け物とする国では、起源を日本や中国と、している国もあるようだ。
937尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/11(金) 21:54:22
朝鮮人がキムチは韓国が起源と言っても、周りの国は、漬け物全ての事とは思わない。
結果、捏造失敗ってこと?
なんか笑える。
938日本@名無史さん:2009/09/11(金) 22:41:22
中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か

「文化的にも江南から影響有」という記事も見られる。
吉野ヶ里で発見された絹は、遺伝子分析により前2世紀頃中国江南に飼われていた四眠蚕の絹であることが分かった。
当時の中国は蚕桑の種を国外に持ち出すことを禁じており、
世界で最初に国外に持ち出された場所が、日本の北部九州であり、考古学的に証明された。

この記事だけでは、持ち出されたものか、すでに日本列島に存在していたのかは、わからないが、
弥生人が中国南部の出自であることを、生活文化技術面から補足するものであることは間違いない。

中国江蘇省無錫市の越時代の貴族墓から出土した鐸(共同)右日本の銅鐸(弥生時代)
『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、
原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、
日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。中国側研究者からは「日本の銅鐸は越から伝わった可能性があるのでは」との声が出ている。

そのほか「抜歯、イレズミ」の風俗、そして大社造の高床式の建物など、DNA鑑定とあわせると、
弥生人の出自は中国南部といえそうだ。

ただし中国南部とは、地図上でそういうのであって、その民族は中国人(漢民族)ではない。
今も残る中国の少数民族と、すでに消えてしまった民族が混血して出来たものであろう。
939日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:50:26
「四眠蚕」ネタは、弥生期に朝鮮半島に四眠蚕がいなかったという事を証明できないし、
中国より朝鮮経由でもたらされた絹という可能性もあるので材料として×

「青磁の鐸」ネタは、弥生土器には青磁も鐸という器種も伝わってないため材料として×

「抜歯」ネタは、抜歯は世界各地の原始社会で独自に見られるし、日本では東北の
仙台湾あたりで独自に始まっているため材料として×

「入れ墨」と「高床式倉庫」においてはここの洗脳解除コピペに出てくる通りなので
材料として×というのは今さら言うまでもない。

今さらこの程度の欺罔材料ではよっぽど知的水準が低い層しかダマせないねw
940日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:53:43
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
941日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:54:37
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
942日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:57:09
       中日共同調査団が発表、 「弥生人」の起源は江南地方か

共同通信によると、日本に稲作を伝えたとされる渡来系弥生人の人骨と、
長江(揚子江)下流域の江蘇省で発掘されたほぼ同時期の人骨の特徴がよく似ており、
DNA分析で配列の一部が一致する個体もあることが、18日までの中日共同調査団の調査で分かった。

その結果、弥生時代の直前に当たる春秋時代(紀元前8―同5世紀)から前漢時代にかけての江蘇省の人骨と、
渡来系弥生人の人骨には、頭や四肢の骨の形に共通点が多かった。

また日本列島では縄文時代から弥生時代にかけて前歯の一部を抜く風習があったが、江蘇省の人骨二体にも抜歯の跡があった。
江蘇省の人骨三十六体からDNAを抽出し分析した結果、春秋時代の三体でDNAの塩基配列の一部が弥生人のものと一致したという。

中国側団長の鄒厚本南京博物院考古研究所所長は「弥生人と江南人骨の特徴が極めて似ていることが分かり、
弥生人渡来の江南ルート説に科学的根拠が与えられた。
今後も多方面から研究を進め、弥生人渡来の実態を解明したい」と話している。
943日本@名無史さん:2009/09/11(金) 23:58:08
実は3000年前頃から縄文人たちは、九州あたりを出て朝鮮半島南部までの海を越えていたことが分かってきた。
対馬からほど近いこの慶尚南道や釜山広域市で、
最近相次いで日本列島から縄文時代の人々が渡っていたことを示す痕跡が見つかっている。
東三洞貝塚では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。

朝鮮半島には独自の土器があり、そこで出土する縄文土器は縄文人がやってきた確かな証拠品といえる。

朝鮮半島では銛や鏃といった漁労具や狩猟具に最適な黒曜石が産出されない。
このため半島で特に貴重であった黒曜石を携え、縄文人たちは交易にやってきたのではないかと考えられている
944日本@名無史さん:2009/09/12(土) 00:38:36
18000年前まで日本は大陸の一部だった訳だし、新石器時代中頃に
北方モンゴロイド形質の種族が北方から江蘇省あたりまで入り込んできてるんだから
弥生人骨が中国大陸とDNA分析で配列の一部が一致するのは当たり前だろうがw
945日本@名無史さん:2009/09/12(土) 02:18:55
弥生人骨と朝鮮人骨は一致しませんよう
946日本@名無史さん:2009/09/12(土) 05:30:40
>>944

北方モンゴロイド形質の種族が
弥生人骨や中国南部とDNA分析で配列の一部と一致しないんだよ
947尖閣諸島と竹島は日本領土:2009/09/12(土) 06:10:18
>>943
縄文人が朝鮮南部にまで海を越えて進出してたってことは、・・・
縄文人自身が、朝鮮南部から海を越えて、中国本土と直接交易していた可能性が大きくなったってことだね。

可哀想に、黄河文明の鼎が伝わっていないことで可能性が薄い、長江から北回りの文明の伝達説でも、・・・
韓国人が関わっていない可能性が出てきたんだね(笑)
948日本@名無史さん:2009/09/12(土) 14:16:13
釜山広域市の西に隣接する慶尚南道金海市。
吉野ケ里遺跡の発掘成果を参考にして整備したという鳳凰台遺跡公園内を進むと、

案内板に日本語で「国際交流を物語る中国系遺物(青銅鏡)や日本系遺物(弥生土器)など、
さまざまな人工遺物が出土している」と記されていた。

人工遺物の一つが、大型の甕棺(かめかん)だ。
甕棺は、吉野ケ里遺跡をはじめ、弥生時代の北部九州だけに見られる特徴的な埋葬形態だが、
鳳凰台遺跡に隣接する金海貝塚からは多くの甕棺が出土している

甕棺に埋葬された人々を「海を渡った倭人たちだった」と考えている。
「墓制は非常に保守的なものであり、民族を物語るものとされる」からだ。
949日本@名無史さん:2009/09/12(土) 17:05:09
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
950日本@名無史さん:2009/09/12(土) 19:07:32
>8世紀ごろに現在の形が確立している

現在の形って言ってもいろいろな形が有るんですけど?
元になったのは、どんな形で、いつ頃?
951日本@名無史さん:2009/09/13(日) 16:13:11
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



952日本@名無史さん:2009/09/13(日) 17:48:51
「韓」という由来ものは韓氏から来てるんですよね

まぁ何にせよこれらの韓氏は、半島に住んでいるとは言え、あくまでも楽浪郡等
シナの支配下乃至影響下にある地域に住む漢人の移民であって、
彼らがニダ人 の先祖の一部をなしている可能性は高いにしても、決してメインではないはずです。

しかし古代のシナから見れば、
当時の朝鮮半島なんて同じシナ人の韓氏が多数移住している蛮地程度の認識しかなかったでしょうから、
殊更に同国人の韓氏に注目してその地を「韓」と呼んだのは自然な成り行きではなかったかと。
953日本@名無史さん:2009/09/14(月) 23:33:18
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html
954日本@名無史さん:2009/09/14(月) 23:57:22
すしは、稲作(いなさく)と同じように、中国南部から九州を通って日本に入ってきたと考えられています。
奈良時代の文書にすしのことが書いてあるので、その頃(ころ)にはすしが食べられていたことがわかります。
早ければ縄文(じょうもん)時代の終わり頃に、すしは日本に入ってきていたのかもしれません。

韓国で「なれずし」が文献(ぶんけん)に登場するのは、1200年代になってからです。
http://www.kodomo-silkroad.net/denpa/food/sushi.html
955日本@名無史さん:2009/09/15(火) 12:12:35
かもしれません。かw

最古級のスシの記述はな、近畿から北陸ばかりなんだよ。

その他の地域はずっと後。

ナレズシは九州よりも近畿の特産だぞ。

だいたい九州にナレズシがないだろがw
956日本@名無史さん:2009/09/15(火) 16:01:30
朝鮮になれずしはあんのか?
957日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:55:10
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
958日本@名無史さん:2009/09/15(火) 20:57:00
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
959日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:30:02
各務原市/Web Magazine/のびのびマガジン2004年6月号/名勝木曽川で ...

そもそも鵜飼は、日本固有の習俗というのではなくインド、ベトナムそして
現在でも漁としてつづけている中国などのアジア地域や古代エジプト、
紀元前のペルーでも行われています。日本でも、「古事記」「日本書紀」
などの古い文献からも ...
www.city.kakamigahara.lg.jp/nobinobi/.../special1.html - キャッシュ - 類似ページ
960日本@名無史さん:2009/09/15(火) 22:48:22
のびのびマガジンねw

のびのびマガジンwwww
961日本@名無史さん:2009/09/16(水) 05:06:10
鵜飼は縄文人が大陸に伝えました
962日本@名無史さん:2009/09/16(水) 22:51:27
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
963日本@名無史さん:2009/09/17(木) 01:24:14
次スレはいらんだろ
964日本@名無史さん:2009/09/17(木) 20:48:58
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
965日本@名無史さん:2009/09/17(木) 21:23:49
>>964
あれっどうして金さん、李さん、朴さん、って居ないの?

百済って韓国人の国じゃないんだ!
966日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:23:01
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry
967日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:23:53
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



968日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:24:46
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
969日本@名無史さん:2009/09/18(金) 12:52:47

コピペ,アルバイトがやって来た来た来た来た北の方。
970日本@名無史さん:2009/09/18(金) 13:58:02
>>967
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。

え〜と、韓国の米がおよそ、3000年前で、日本の米がおよそ6000年前だから、あれ日本の方が古い?
逆だね(笑)
971日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:27:12
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器) ◆内蒙古・満州から長江中・下流域まで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器) ◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg
972日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:30:02
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
973日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:31:38
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
974國學院大學卒:2009/09/20(日) 12:52:17
カボト遺跡の玉は勾玉
に酷似しています。
975日本@名無史さん:2009/09/20(日) 14:18:22
土器もそっくりですねえ(爆


◆江南中国土器の様々な器形


鼎のオンパレード。鼎の初期器形の釜形鼎、日本には弥生末まで無い蓋に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=5
水差しのオンパレード。盉(カ)、簋(サン)、長頸壺、鳥型の三足土器の鬹(キ)。単耳、把手、圏足に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=4
蓋、器座という器台。日本には弥生末まで無い。使用目的さえ分からない支架。甑の双耳に注意。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=3
盂のオンパレード。日本には無い器種。日本には弥生末まで無い蓋。
http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5&page=2

976日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:14:18
【岐阜】「ナシ語」と古代日本語に共通点 ナシ族出身高山市の交流研修員に武庫川女子大教授が聞き取り調査
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1253086260/l50

また日本人と周王室とのつながりが補強されそうですね。
977日本@名無史さん:2009/09/20(日) 22:19:46
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/




978日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:16:48
「入れ墨」は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
979日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:18:10
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
980日本@名無史さん:2009/09/21(月) 18:19:15



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


981日本@名無史さん:2009/09/22(火) 14:05:43

どうも2chにはカルト,レス隊がウジャウジャ居る見たいだな。

だから議論,討論より先に結論有りきで、プロパガンダ洗脳が目的じゃろ。
982日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:15:58
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
983日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:16:48
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
984日本@名無史さん:2009/09/22(火) 16:17:40
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search
985日本@名無史さん:2009/09/22(火) 18:14:49
歌垣   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。
このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を築いていたという見方もある(照葉樹林文化論など)。
986日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:10:05
 
987日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:13:03
988日本@名無史さん:2009/09/22(火) 23:13:48
989日本@名無史さん:2009/09/23(水) 05:04:40
コピペ豚も飽きないなw
990日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:43:55
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
991日本@名無史さん:2009/09/23(水) 18:44:27
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00
992日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:20:30
 
993日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:22:33
 
994日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:25:06
 
995日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:26:15
996日本@名無史さん:2009/09/23(水) 22:27:31
 
997日本@名無史さん:2009/09/24(木) 05:01:15
さて梅
998日本@名無史さん:2009/09/24(木) 05:05:33
999日本@名無史さん:2009/09/24(木) 05:20:33
1000日本@名無史さん:2009/09/24(木) 05:22:41
梅1000
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