【岐阜】「ナシ語」と古代日本語に共通点 ナシ族出身高山市の交流研修員に武庫川女子大教授が聞き取り調査
952 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 09:53:05 ID:7AE6ks/l0
>>948 ひとつ確かなことは、日本人と中国人が同じ地で生き続ければ日本人は駆逐され消滅する
日本人は距離をおいて生きるしかない
953 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 09:54:33 ID:F6sTeLRE0
>>948 というか、中国が近代化して色々学術的な発見を広く世界に発表するまで、
明治神話の、色んな物は韓国からやってきたを受け入れていたのが不思議。
なんだよ。
中国が調べれば調べるほど、韓国よお前は日本から文化輸入してないか?
って話になるわけで。天皇家がとても怪しいというだけで、日本文化はむしろ
中国南部との結びつきが深い。
あと、中国は多民族国家を自称してるのと、
その手の発言は色々政策的な意味もあって、慎んでる。
954 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 09:56:22 ID:C6vozuTLO
またイ・ナムギョかと思ったら違う教授かよwww
955 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 09:56:35 ID:WuOmthwZ0
ついでに大和の起源と邪馬台国について…
日本では大和は結構重要に扱われてる地名だ。
かつての奈良盆地は縄文時代から弥生初期には湖だった。
湖水は生駒山狭窄部から、今は埋め立てられた「旧」大阪湾に流れ出ていた。
奈良盆地の地下はすぐに花崗岩になっていて、その上に湖があった。
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/edo/index.html ↑ここは視覚的でわかりやすく詳しい。
んで、弥生時代に入ってから湖周辺の森林を大量に伐採するようになった。
縄文人とは人種が違う弥生人と呼ばれるヤシラが侵入してきたためだろう。
大量のスエキ製作で木材が必要になり、森林伐採したと思われる。
あちこちに窯を作っては周囲の森林を伐採した。
周囲に森が無くなると、窯を新たな森に移動しては、また森林伐採を繰り返した。
そういう窯後には失敗作のスエキや土器が大量に捨てられた。
燃え残りの炭素や土器の形式などで、窯のあった大体の年代が求められている。
京都地方が紀元前後、摂津の方が3−4世紀、石川の方が7世紀前後だったかな?
奈良が少し古かったかな、数字はあやふやだが、とにかく弥生時代になってからだ。
この資料は確か大阪府教育委員会かな、そこが調査して公表したはずだ。
現代と同様に、森林伐採することで、山肌が崩壊して、土砂が湖や川に流れ出した。
雨が降る度に、山の土砂が崩れ、湖や河川は氾濫を繰り返して
そうやって、奈良盆地にあった湖はだんだん浅くなり、やがては消滅した。
記録によると、何とかという天皇が、洪水防止目的で生駒山狭窄部で河床掘削を行ったそうだ。
花崗岩の上に薄い土砂層があるだけという地層構造のために、
奈良盆地ってのは、飲料水に厳しい地域だと聞いた記憶がある。
逆にいったん雨が降ると、この地域は、すぐに洪水になりやすいのではないだろうか。
元々が湖だった地域だからね。
韓国人学者がアップを始めました
957 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 09:58:06 ID:hiJgYcZC0
変態新聞だから日本人のルーツが中国だみたいなかんじだけど、
日本人のルーツのひとつは中国人(漢族)に追い出された人たちというほうが正確だろ。
環境破壊で北からやってきた漢族に揚子江流域にいた日本人のルーツが追い出されたんだよな。
追い出された人たちは、周辺に散って少数民族になったり、別の国をつくったり。
だからけっこう似ている民族多いよな。チベットとかブータンとかそっくり。
958 :
南米院 ◆ULzeEom5Pip0 :2009/09/21(月) 09:58:47 ID:klOaDbDk0
< そんな話はナシッ!!!!
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959 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 09:59:34 ID:TMi7cKxW0
>>945 >朝鮮語とかは残されている文献が1600年以降ぐらいしか無いらしいし。
なんで、そんな悲惨なことに?
李氏朝鮮の成立から100年程度経つまで、まともに公的記録とか作られなかったの?
960 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:00:58 ID:rSxcP+Mi0
山梨だからナシ語なのか
ナシからナシ語なのか。
961 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:03:37 ID:FqMyflyd0
>>959 それまで漢語が支配派層の文語だったから。
>>937 >>1はそのレベルの話かも知らんが、
比較言語学ではそんないい加減なトンデモなこじつけ暴論は許されない。
バラけた単語を言語間で比較するんじゃないぞ。
意味的にまとまった語群(親族名称、身体部位名称、数詞、家畜名称・・・)について比較するんだよ。
>>945 falsifiableかそうでないかで言えば、unfalsifiableだよなー。
日本語については対照言語学的考察やら類型論的考察はできても
系統論は(琉球語を除いて)ダメポだよって
比較言語学者がさんざ言ってきたことを知らんふりする人の多さには参るね。
963 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:05:41 ID:BQL4E5Rb0
リン語とイチ語も日本語の原点。
タマ語とサン語は関係無い模様。
964 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:09:58 ID:WuOmthwZ0
さらに、大和という地名は、縄文−弥生時代にあった湖周辺に、字・大字のように
円周上というか、まあ湖岸上に分布していると、歴史・地名研究家は指摘している。
そりゃそうだ、湖だった時代には、湖の上に地名が存在するわけがないw
さらにさらに、「やまと」の漢字表記は
「大和、倭、山門、日本」などとバラバラで一貫性がない。
こういう漢字表記群では、どこが「や」で、どこが「ま」で、どこが「と」かを
正確にわかる人は少数だろうな。
ただ唯一に共通しているのは「yamato」という音、「やまと」という読み方だけだ。
ここまで準備しておいて、大和(yamato)をアイヌ語で考えてみる。
アイヌ語で「to」は「海、湖」のことだ。
ya(陸)+mak(奥)+to(湖) > yamakto > yamatto(yamato) > やまと(大和)
アイヌ語辞書によると「yamakto」みたいな「kt」つながり部分は、
発音では「tt」になるそうだ。
アイヌは縄文時代から「陸の奥の湖」と大和地方を呼んでいた。
正確には「アイヌ語を話す先住民が yamato という地名で呼んでいた」ということだ。
大和がアイヌ語地名であるということは、縄文時代に奈良地方にもアイヌが先住していた証拠だ。
九州には、例えば
薩摩(satuma=sat+tomam、乾いた−湿地)
というアイヌ語地名等があるから
アイヌは北海道だけでなく、日本列島全域に先住民として暮らしていた事になる。
さらにアイヌが先住していた地域は、日本列島や樺太だけでなく、朝鮮半島や沿海州にも及ぶ。
地名をアイヌ語で解読しようとする馬鹿は
地名を朝鮮語で解読しようとする馬鹿と
同程度の馬鹿
966 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:12:38 ID:WuOmthwZ0
だ か ら 「邪馬台国は大和だ」と声高になっている勢力がいるが、
それは大きな間違いだということ。
大和地方が邪馬台国だったことは歴史上、一度もない。
ただあやかりとか、今風に言うなら村おこしとか、権威付けとか、
そういうので、滅びてしまった邪馬台国、たぶん倭・倭国で、
倭の五王、白村江や広開土王碑等に登場する倭国だろうが、
その倭国の歴史、倭国の支那・朝鮮での地位、倭国の権威を
パクって、後付して、史料とやらをそれらしく、潤色することはあるだろう。
実際は潤色された資料を史料と現代で呼んで、尊んでいるんだろう。
また、邪馬台国は九州北部のことで、大和に東進したことも、ありません。
yamato は縄文時代から現代まで、一貫して yamato でした。
邪馬台国と呼ばれたことは、一度もありません。
「大和は邪馬台国だ」とか喚いてるヤシラは、全員がカタリです。
967 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:14:00 ID:9U/M3TLwO
アイヌ語の痕跡は東北地方だけだろw
968 :
959:2009/09/21(月) 10:14:24 ID:TMi7cKxW0
>>961 従前通り、公文書は漢語で残すようにしていればよかったんじゃないか?
科挙でも漢語は必須科目なんだから、少なくとも役人になる奴なら読み書きできるだろ。
つーか、16世紀以前の漢語の文献はどこにいっちまったんだ?
まさか全部、朝鮮出兵で焼かれた訳じゃないだろうに。
969 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:17:20 ID:DkVHA+ts0
>>964 ヤマトの漢字に一貫性がないのは、漢字はあくまでも借字であり当て字だからだね。
「ヤマト」の語源には諸説あるけど、日本最古の神社である大神神社がご神体とする三輪山の麓。
巻向遺跡などの場所を「山の処」と読んでたからじゃないかと思う。
970 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:17:53 ID:BZFK9iiY0
温かいとホットする
冷たいとコールド
971 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:19:09 ID:7AE6ks/l0
>>967 関東にもあるらしいぞ
研究があまり為されてないみたいだから解からんがな
西に行けば行くほどアイヌ語と分化した時代が古くなるから研究も難しいだろうよ
972 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:22:25 ID:BZFK9iiY0
山の都が倭
水の都が港
973 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:22:26 ID:P388pV0m0
中国大陸に縄文人がコロニーを持っていた可能性が有るのを御存知でしょうか。
越の国があった長江南岸、現在は上海の近郊です。この遺跡は、「馬橋文化」
と中国で呼ばれています。時代は、BC2,000〜BC700。
この遺跡からは、縄文土器がゴロゴロ出土しました。中国側は「拍印縄文陶」
と呼称しています。芸能や民俗に詳しい諏訪春雄は、「日本人はるかな旅4」
に「中国江南の遺跡と縄文・弥生文化」という一節を設け、そのなかで
(p161)、--- 馬橋文化(4,000〜2,700年前)も、基本的な性格は江南の
農耕文化であるが、良渚文化との大きな相違は、大量の玉器が出ていないこと
である。それにかわって大量の縄文土器が出土している。中国の考古学者が、
拍印縄紋陶とよんでいるものである。直接手にとってこの土器を見せて貰った
が、私の眼では、日本の縄文土器との区別がつかないほどよく似ている。---
と述べている。もし西日本縄文人が、現在の上海に近い地域(馬橋遺跡)の
コロニーで、縄文土器を大量に作っていたとすれば、なかなか愉快なことでは
ないか。----
さて、「馬橋文化」が終了した時期にご注目下さい。BC700。これは、日本の
九州北部、佐賀県、菜畑に日本初の水田「菜畑遺跡」が出現した時期に相当
します。現代風に言えば縄文商社員が、現地の苗族やナシ族をリクルートして
日本へ帰国し、日本初の水田を始めたと考えたら愉快ですね。菜畑以前に、
岡山では6,000年前のジャポニカ稲種のプラントオパールが出土しているので、
長江の人々は、海の彼方に「蓬莱国」が有ると昔から知っていたのでは
ないでしょうか。
974 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:30:22 ID:mTK3ayIQ0
>>962 とは言っても、どこかの少数民族だけに残された希少語と
日本語が結びつくかもというドリームを捨てきれない学者も多いじゃね。
>>966 神話って全く荒唐無稽な作り話とも思わないけど。
俺は魏志倭人伝の倭人の習俗から邪馬台国は九州にあったと思うが
中国人の当て字した「やまたい」という語は「やまと」に起因するんじゃないか。
邪馬台も当時の中国音では「やまどぅ」だと聞いたこともあるし。
やはり古事記の東征神話は何らかの勢力が九州から大和に移ってきたことを
暗示しているじゃないの。
それが今の天皇家につながるのか、首長連合軍みたいなものだったのかは知らんが。
975 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:36:00 ID:DkVHA+ts0
>>966 漢字があくまでも借字であり当て字だから
ヤマトに「邪馬台」の漢字を当ててもぜんぜん不自然ではない。
むしろ邪馬台国を「ヤマタイコク」と最初に読んだのは江戸時代の本居宣長だしな。
>>974 > とは言っても、どこかの少数民族だけに残された希少語と
> 日本語が結びつくかもというドリームを捨てきれない学者も多いじゃね。
言語学関連の諸学会で相手にされてないよ、そういったドリーマーは。
マスコミと出版社が儲かるからドリーマーを定期的に発掘するんだよ。
ドリーマー自身は、学者としての学問的なドリームよりも
俗人としての金銭的なドリームに魅かれる人。
978 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:48:18 ID:WuOmthwZ0
> ヤマトに「邪馬台」の漢字を当ててもぜんぜん不自然ではない。
全然不自然だなw
そもそも、大和が邪馬台国なら、なぜ記紀にそう書かなかったのか?
その理由は、執筆者が書けなかったんだよな。
当時7世紀ごろには邪馬台国は九州で、大和は倭の別種だったのは
日本列島でも支那でも常識だった。
だから記紀では、特に日本書紀には、邪馬台国は大和です、とは書けなかったw
>>977 >俗人としての金銭的なドリームに魅かれる人。
違うんじゃないの?
”自分だけ、真実を知っている。自分だけは特別だ。”
という感情なんじゃないかな。
980 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:49:14 ID:P388pV0m0
>>966 騎馬民族の朝鮮人が、日本列島のドジンを征服したと信じたいヒト?
頑張ってね。日本の遺跡を見れば、九州筑紫勢力が東遷した証拠なら
いくらでも有りますよ。筑後の山や川の地名を、丸でお盆に乗せて、
そっくり大和へ移動したかの様な、地理的相似形を持つ奈良地方の地名。
筑後勢力が大和地方へ移動して故郷の山川の名前を付けた可能性が有ります。
AD270頃、大和地方では、墓の様式が劇的変化をとげ、筑紫地方が起源の
前方後円墳になります。近畿地方で長年、大切にされていた銅鐸が、山中に
隠されてしまい、替わりに登場したのは、筑紫地方が起源のニュー新宝、
「銅鏡、青銅武器、勾玉」などなど。
近畿の文化を劇的に変更した
このスレには
安本美典かぶれがいるようですw
982 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:52:22 ID:/6ROGlNk0
みさくら語に近い言語を話す少数民族の所に行ってみたい
983 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:53:59 ID:F6sTeLRE0
>>980 今の天皇家は、韓国からの乗っ取り政権なんじゃないだろうか?
口ばかりでかくて実質なにもしてないとか、生産性の無さとか、
色んな意味でそう思う。
なので、九州説をそう大喜びて唱えるのはどうかと思う。
>>979 存命中の比較言語学的功績で有名だった某I博士の言をちょっといじった。
同博士は
>>977ほど下品なおっしゃり方はなさらなかったが、趣旨は一緒。
985 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:56:13 ID:WuOmthwZ0
> 邪馬台も当時の中国音では「やまどぅ」だと聞いたこともあるし。
どこに書いてあるんだ?
> やはり古事記の東征神話は何らかの勢力が九州から大和に移ってきたことを
暗示しているじゃないの。
歴史だけど、従軍慰安婦や南京大虐殺を例に出すまでもなく
敗軍は賊軍とされて、歴史を書くことは難しい。
倭国は白村江以前は堂々たる大国だったけど敗北した。
だから倭国の記述は、倭国以外にしか残っていない。
白村江後に唐の軍事使節団が九州に来たって記述があった。
生き延びた大和は倭国の歴史や権威をパクリたかったと思う。
だけど邪馬台国とは書けなかった、敗北した倭国=邪馬台国は九州だったから。
986 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:57:59 ID:P388pV0m0
>>981 いまだに偽書、「東日流三外史」を本物と信じているドリーマーの古田武彦氏
の信者の方でいられますか?
987 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:59:03 ID:DkVHA+ts0
>>980 最古級である3世紀の前方後円墳は大和の方が多いのでは?
九州で確認できるのは宮崎の西都原だけだろう。
それと地名の類似については、大和の勢力が北九州を支配に修めたからとも考えられないか?
それと青銅武器の分布については出雲を中心とした山陰では?
天皇の三種の神器が銅鏡、勾玉、鉄剣(だと思われる)なのは興味深い。
国内の三大勢力の象徴を統合したものかもね。
988 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 10:59:33 ID:XmHy0Phc0
定期的に日本人のルーツに関わるこういうスレが立つのでひとつ提案をしたいのだが・・・
まずは、複雑な史料の解読などは後回しにして
簡単な常識を前提に「自分の頭で」考えてみようということだ。
例えば、当時の日本列島周辺の地形、海流、古代人の移動能力、など物理的な常識。
これらが正確にわかっているだけでも真実にかなり近づけるし
また、ばらまかれたウソを見破れるようにもなる。
989 :
959:2009/09/21(月) 11:01:12 ID:TMi7cKxW0
>>976 たった6年間の朝鮮出兵で、きれいさっぱり焼失したのかよw
100年間にも及ぶ戦国時代を経験した日本だって、それ以前の文物は残ってるだろうに。
990 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:02:03 ID:DkVHA+ts0
>>985 九州には古代国家があったのは事実だが、邪馬台国のような大きな勢力はないし、
邪馬台国を九州とする説は、もはや観光目的の九州の自治体が唱えてる程度の
亜流の説でしかないよ。
991 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:02:16 ID:WuOmthwZ0
大和が本当に邪馬台国なら、記紀に書いてるはずだ。
992 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:03:32 ID:F6sTeLRE0
>>988 でも、古代人の移動能力は相当低いレベルに誤解されているし、
海流などもいろいろおかしい(今を基準にしてる)。
稲の遺伝とか、考古学出土品文化とか、DNAとか、言語学(国語ではない)
からのアプローチの方が正しいと思う。
史書および史学者は嘘ばかり付いてるという事には同意するが
その先がおかしい。
993 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:06:37 ID:DkVHA+ts0
>>991 邪馬台=ヤマト。
隋書倭国伝には、「ヤマトに都す。これ魏書のいうところの邪馬台なり」とある。
994 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:06:38 ID:P388pV0m0
>>987 東遷は、神武に相当する勢力が一発で成し遂げたのではなく、ニギハヤヒの命の
故事に有る様に、筑紫勢力が波状的に九州から近畿地方へ勢力を広げつつ
移動したのだと理解しています。神武は、最終コンクェストを象徴する人物
なのでしょう。
995 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:09:02 ID:F6sTeLRE0
>>991 天皇家が亡命者による乗っ取り政権なら書かないのは当然。
つじつまが合わなくなる。
半島での政変で国を追われた人たちを連合国だった大和は
受け入れて多少の地領をあたえてかくまい、貴族扱いしていたら
いつの間にか我が物顔をし始めて、天皇位の簒奪が成されたんだと思う。
そう言うことしがちだし、仏教導入、祟りの恐れっぷり、等をみても
その辺が伺えるし、実際に相当祟られたはず。
996 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:11:18 ID:DkVHA+ts0
>>994 東遷説をとるなら、可能性があるのは西都原の古墳を作った勢力が何者かを
突き止めるしかないよ。
日本神話にも宮崎からの東遷が書かれてるし、筑紫よりも古くて大きな古墳があるから。
海流の流れから、日本は中国南部の影響を受けてるので、宮崎や鹿児島に高度な文明があってもおかしくない。
伊都を始めとする筑紫が発展したのはもっと後だと思うんだよな。
997 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:11:27 ID:pqfF3BJg0
上代日本人が台湾に移住したんだろ。
998 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:14:08 ID:WuOmthwZ0
999 :
名無しさん@十周年:2009/09/21(月) 11:14:46 ID:G2vMRuhEO
>>980 大和の類似地名がある朝倉は百済復興の軍の司令を置いて天皇が行幸した所だよ
その時に大和の地名が付けられた可能性がある
神功皇后が卑弥呼だっけ
1001 :
1001:
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