復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?vol.2

このエントリーをはてなブックマークに追加
1日本@名無史さん
男子無大小、悉黥面文身。自謂太伯之後(晋書)
倭者、自云太伯之後。俗皆文身(梁書)

神武天皇は入れ墨をしていた!

前スレ
復興!周王室(天子)!倭人は呉の末裔か!?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1189507021/
2日本@名無史さん:2008/03/31(月) 13:41:20
2 :黥面文身:2007/09/11(火) 19:40:25
天皇こそ正統周王家の生き残りなのです。

4 :黥面文身:2007/09/11(火) 19:54:44
銅鐸がなぜ巨大化していったのかという
古代史の謎をここに解き明かしましょう。
呉の末裔達が列島に渡来してしばらく後
かられは列島の青銅器の一部、とくに
銅鐸を鼎に相当するものとして扱うようになりました。

しかし、鼎にはかつて楚の荘王からその大きさを問われた
苦い過去がありました、(いわゆる「鼎の軽重を問う」)

そのトラウマから銅鐸や銅剣の一部が巨大化してつくられるように
なっていったのです。
3日本@名無史さん:2008/03/31(月) 14:34:44
長江文明を担ってたと思われる倭人、越人(渡来系弥生人)のY染色体(O2b)
大和民族を決定ずける(縄文系弥生人)のY染色体は(D2)である。

アイヌ        0 %  (D2  88%)
東京         26%  (D2  40%)
北琉球、沖縄   30%  (D2  39%)
南琉球、八重山  67%  (D2  4%)
漢民族、華北   0%   (D2  0%)
チベット       0%   (D1  16%  D3 33%)
朝鮮族       51%  (D2  0%)
満州族       4%   (D2  0%)
漢民族、華南   0%   (D2  0%)
ベトナム      14%  (D1  3%)
インドネシア    20%
タイ         6%
ミャオ族       0%   (D1  7%)
マレー        0%   (D1  3%)
4日本@名無史さん:2008/03/31(月) 15:12:57
民族ルーツ血統は今の日本がそうであるように幾種かのDNAグループ
なのよw

単純にバラしゃ良いってもんじゃない。近親相姦の基地外集団じゃ
あるまいし。
5日本@名無史さん:2008/03/31(月) 15:47:10
台湾人って国連の敷地に入っていいの?
6日本@名無史さん:2008/03/31(月) 20:22:45
またキチガイスレが建ったか
どうせ中共の工作員だろう
7日本@名無史さん:2008/04/04(金) 09:34:15
ベトナム顔の台湾中華だろ。

台湾人=98%元江南人
8日本@名無史さん:2008/04/04(金) 09:48:52

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならない。

それにRM1-b遺伝子の稲はかつては朝鮮半島にも存在したが、
単に定着しなかっただけという事も十分に考えられうる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
9日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:32:32
刺青はBC50Cには既に登場している。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として
記録されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
10日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:34:20
台湾人って最近まで人喰ってたんだよね。
11日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:46:34
kwsk
12國學院:2008/04/05(土) 20:51:37
呉は倭人のルーツ。これ定説。
13日本@名無史さん:2008/04/05(土) 23:05:49
入墨は日本起源か。
14國學院:2008/04/06(日) 15:02:20
倭人が呉の子孫であるのは学界も認めた
通説。
15日本@名無史さん:2008/04/06(日) 17:32:33
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
16日本@名無史さん:2008/04/06(日) 17:34:54
米が日本に伝わった紀元前200年頃、稲作の民である楚が漢に敗れて滅んだ
楚人が災禍を恐れて日本に避難した可能性はある
17日本@名無史さん:2008/04/06(日) 19:00:23
人って喰ったら旨いのかね?
18日本@名無史さん:2008/04/06(日) 21:07:51
孝明天皇の礼服に刺繍されていた
北斗七星は何を現していたのか!?
19日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:59:21
>>16
はいアホ珍w
縄文時代から稲作やってたろ。
20日本@名無史さん:2008/04/07(月) 10:20:32
一般には水稲農耕伝来が弥生時代の幕開けとされているようなので縄文時代に稲作というより弥生時代が遡ると解釈した方が適当かもしれません。
現在では弥生時代の幕開けは紀元前10世紀後半まで遡るのが有力説です。
よく言われる弥生人の特徴を持った人骨が出土するのは北部九州から山口県山陰にかけてです。
胴長短足の彼らの特徴を我々現代日本人は顕著に受け継いでいます。
面白いことに同じ北部九州でも西よりの長崎県や熊本県の浜辺・離島部からは四肢の末端が長い縄文人の特徴を持つ人骨が同時代の遺跡から多く出土します。
土井ヶ浜遺跡人類学ミュージアムの松下館長が中国で出土する周代末期から前漢の人骨を調べた結果、先の九州北部山口県山陰で出土する弥生人の人骨と酷似するものが多数発見され縄文人の特徴を持った人骨は皆無だったそうです。
「日本の縄文末期から弥生時代に中国東部にいた人々は九州北部山口山陰型弥生人と同じ形質だったと考えられる」と結論付けてらっしゃいます。
その土井ヶ浜遺跡からは集団埋葬跡地が発掘されているのが有名で、発見された人骨は300体を超えます。
その人骨すべてが響灘から大陸を望む西方に顔を向けて埋葬されているのです。
朝鮮半島の位置する北方ではなく呉の位置した西方にです。
祖国を滅ぼされ海を渡り日本列島に移住してからも祖国である呉を想い続けた我々の祖先の思いが偲ばれます。
21日本@名無史さん:2008/04/07(月) 10:42:05
北方アジア抜き偏向調査骨屋のバカ松下が金関に撃ち落される瞬間wwww



松下 多元的であり多様的だと思う。弥生人には地域差があり、その由来は
日本列島だけを見ても分からない。ところが中国をみると、広い国土に
さまざまな民族や文化を持った人々が暮らす。そうした人々が入ってきたはずだ。


金関 縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm
22日本@名無史さん:2008/04/07(月) 10:43:47
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm


23日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:11:55
>>20
紀元前200年の話じゃなかったのかよw
24日本@名無史さん:2008/04/07(月) 23:54:02
>>19
アホはおまえ
日本に稲作が伝わった頃の中国の中原地方は、あまり米が普及しているわけではない
揚子江流域に偏在していた
25日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:06:59
なかばるは何処の領域だ?黄河流域のことか
26日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:39:30
糞スレ。
またおっ立ちやがった
27日本@名無史さん:2008/04/08(火) 00:51:06
>>24
だから日本の稲作と関連付けんのはおかしいんだよw
28日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:49:08
貫頭衣はただ単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
29日本@名無史さん:2008/04/08(火) 09:55:03
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html
30日本@名無史さん:2008/04/08(火) 12:32:30
衣服の伝統は長く残りますからね
31日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:00:22
最もなシンプルな形式なんだから伝統も糞もない
32日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:06:33
>>30
和服の原点はチベット服だよね
33クルセーダー:2008/04/09(水) 00:25:37
>>32
和服は韓国服をパクった。
34日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:28:05
下品なチマチョゴリなんぞ誰も相手にせんわ
35日本@名無史さん:2008/04/09(水) 00:52:41
和服で乳丸出しはしません><
36日本@名無史さん:2008/04/09(水) 20:30:10
歌垣は8C頃に百済から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
37日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:20:19
脈絡ねーよ。歌垣か百済から伝わったなんてどこにも書いてねーしw
和歌はずっとそれ以前からあるわけだが。
38日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:40:36
じゃあ、どこから伝わったんだ?w

お得意のベトナム顔の台湾人の故郷の江南か?wwww
39日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:04:15
どうして起源を外国に求めるのか?

40日本@名無史さん:2008/04/10(木) 00:23:29
朝鮮半島では今も歌垣は健在だからね。

それに古典文献でも歌垣の近くには嫌と言うほど
百済が付いてまわるのだよ。
41日本@名無史さん:2008/04/10(木) 03:02:23
歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンや
インドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日本においても、歌垣の風習が民衆の間で
広く行われていたことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を
掛け合う行事であり、性の解放を伴っていたとされる。語源は「歌掛き(懸き)」であり、東国
方言の「かがい(?歌)」も「懸け合い」に由来すると考えられている。時期としては春秋に行われ、
生産の予祝・感謝としての性格を持っていたとされる。場所は、山頂、海浜、川、そして市など、
境界性を帯びた地が多く、常陸筑波山、同童子女松原、肥前杵島岳、摂津歌垣山、大和海石榴市、
同軽市などの例がある。

奈良時代に入ると、中国(唐)から伝来した踏歌と合流し、宮廷芸能の一つとなった。
天平6年(734年)2月には平城京朱雀門で、宝亀元年(770年)3月には河内由義宮で歌垣が
開催され、それぞれ貴族・帰化氏族が二百数十名参加する大規模なショーであった。

歌垣はその後の歌合、連歌に影響を及ぼしたとされている。現代にも歌垣の残存は見られ、
沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや
秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣の遺風が見られる。

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。
このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を
築いていたという見方もある(照葉樹林文化論など)。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3

朝鮮関係なくね?
中国の踏歌が後に影響しているようだけど。
42日本@名無史さん:2008/04/10(木) 03:03:25
>歌垣は8C頃に百済から伝わっている。

これが電波であることは証明されたな。
43日本@名無史さん:2008/04/10(木) 03:04:54
在日が寿司にぎったら寿司は朝鮮起源だと電波飛ばすようなもの。
44日本@名無史さん:2008/04/10(木) 03:22:17
>>40
北方系民族特有なもん持ってこんと上流には立てんぞ。
特に民俗学系はw
45日本@名無史さん:2008/04/10(木) 12:54:37
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
46日本@名無史さん:2008/04/10(木) 13:00:41
日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
47日本@名無史さん:2008/04/10(木) 23:35:06
鵜飼も日本起源か
48日本@名無史さん:2008/04/11(金) 12:28:37
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm
49日本@名無史さん:2008/04/11(金) 22:37:58
なれずしはタイヤベトナムなどインドシナ起源だわな
50日本@名無史さん:2008/04/12(土) 15:16:48
んなもん暑くなりゃ勝手にできる。
51日本@名無史さん:2008/04/12(土) 15:23:56
抜歯は世界中の原始社会で見られ、日本では先土器時代から行われて
風習としては4000年前頃に仙台湾周辺から始まっている。


原始・古代の世界中に、抜歯風習はあったという。ことに長く続いたのが、アフリカ、
中国、日本だとされてますね。中でも目立ったのが、縄文・弥生の日本列島。
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub12..html

歯を抜いたり、歯を削り歯を飾る風習は、日本だけでなく中国、台湾、
アジア、オーストラリア、アフリカにもみられた。
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/wa_bassi/index.htm

抜歯の儀式は、世界の狩猟採集民族のなかでは、比較的あたりまえに
行われていて、それほど奇習というわけでもないのです。現在でも
アフリカ、東南アジア、オーストラリアの一部の民族に残っています。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai5/kodai-64.html
52日本@名無史さん:2008/04/12(土) 15:26:45


佐倉市にある国立歴史民俗資料館の春成秀爾氏によると、抜歯そのものは
縄文時代以前の先土器時代にもあるが、風習としての抜歯は約四千年前頃に
東北地方の仙台湾周辺ではじまり、それ以後に関東地方をはじめ全国に
広がったという。国立歴史民俗資料館前館長の佐原真氏によると、こうした
抜歯は現在でも世界のいくつかの民族の間に風習として残っており、
子どもから大人になるための儀礼(成人儀礼)としての事例、近親者が
亡くなると歯を抜く事例、勝利の明かしに捕虜から歯を抜く事例などが
あって、このうちも最も多いのは成人儀礼にともなう抜歯であるという。
http://www.ichiyomi.co.jp/rekisi/index4.html
53日本@名無史さん:2008/04/12(土) 15:27:07


佐倉市にある国立歴史民俗資料館の春成秀爾氏によると、抜歯そのものは
縄文時代以前の先土器時代にもあるが、風習としての抜歯は約四千年前頃に
東北地方の仙台湾周辺ではじまり、それ以後に関東地方をはじめ全国に
広がったという。国立歴史民俗資料館前館長の佐原真氏によると、こうした
抜歯は現在でも世界のいくつかの民族の間に風習として残っており、
子どもから大人になるための儀礼(成人儀礼)としての事例、近親者が
亡くなると歯を抜く事例、勝利の明かしに捕虜から歯を抜く事例などが
あって、このうちも最も多いのは成人儀礼にともなう抜歯であるという。
http://www.ichiyomi.co.jp/rekisi/index4.html
54日本@名無史さん:2008/04/13(日) 14:37:57
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
55日本@名無史さん:2008/04/14(月) 12:16:17
丸木弓は弓矢が普及する中石器時代から既に北方まで伝わっている。


弓矢が普及するのは、中石器時代(→石器時代の「中石器時代」)以降と考えられている。
矢は、旧石器時代の槍(やり)や投げ槍にくらべて携帯に便利であり、動物相の変化に
より小型獣を狩猟対象とするようになった当時においては格段に効率的な狩猟具であった。
なお中石器時代に属するマグレモーゼ文化期(前8000〜前5600年)の弓として、
ホルメゴール遺跡(デンマーク)からイチイガシ(→ カシ)製丸木弓が全形で出土しており、
当時の代表的な遺品とされている。

http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1421501287/content.html
56日本@名無史さん:2008/04/14(月) 23:24:30

後漢の王充が書いた『論衝』には周代に倭人は貴州にいたと記されているが?
57日本@名無史さん:2008/04/14(月) 23:52:47
>>48-49
文化人類学のフィールドワークだと
スシベルト:日本〜中国中南部山地〜インドシナ〜ボルネオ
納豆の大三角:日本−ジャワ−ヒマラヤ南麓−日本
58日本@名無史さん:2008/04/15(火) 11:26:34
日本刀が完成するのは平安時代後期頃で、それまでは鉄剣や鉄刀であった。


古墳時代には武器の鉄製化も進んだ。刀剣では、それまでの銅剣に代わって
鉄剣が作られた。一般的に、両刃を剣とし、片刃の刀と区別している。
なお、古墳時代の刀剣は、のちの日本刀に見られるような反りはない。
刀に反りができるのは、平安後期以後である。

http://www.yurihama.jp/town_history/2hen/1syo/04040400.htm
59日本@名無史さん:2008/04/16(水) 12:40:28
瓦の登場は6C。百済から伝わり、飛鳥寺で初めて使用された。


地球上に瓦が誕生したのはおよそ2800年前の中国とされる。日本には
西暦588年、百済から仏教と共に伝来。飛鳥寺で初めて使用された。
様式は平瓦を並べ、その上に丸瓦を並べる様式である。飛鳥時代、
瓦が使用された建物は寺院に限られていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6

西暦538年(宣化三年)に、百済の聖明王が釈迦仏像や経典等を朝廷に
贈り仏教が公伝されました。間もなく瓦博士も渡来して造瓦の方法を伝え、
のち西暦588年(崇峻元年)に蘇我馬子が飛鳥の地(奈良県高市郡
明日香村)に法興寺(飛鳥寺)を建立しました。この瓦が日本最古の古瓦の
遺品とされています。「素弁蓮花文鐙瓦」様式です。
http://kabin.ohugi.com/6/2.html
60唐松山:2008/04/16(水) 21:03:03
RM1-b遺伝子を簡単に言うと 人間の血液型にあたる。
一度入り込んだ血液型を 抜くことは出来ない。
>8 の書き込みは、半島の研究者はバカである の証明?
61日本@名無史さん:2008/04/17(木) 09:51:44
>一度入り込んだものを抜くことは出来ない



ほほうw

そうすると稲作伝来時の稲作が弥生前期までに伝わってきていた北陸や
東北にRM1-b遺伝子がないのだから、そっちの方が稲作は中国から
伝わったものではない事が確定的になってしまいますが何か?


62唐松山:2008/04/17(木) 19:37:36
半月型石包丁には 種類が5種類くらいあり、
それぞれの 分布域から
日本の石包丁は、長江流域から伝わった、
半島の半月型石包丁にも同型が見られるが、半島から日本に伝わったと見るより
長江流域から伝わったと見る方が、自然。
半島の半月型石包丁分布図より。
63日本@名無史さん:2008/04/17(木) 19:58:38
では何で最古の水田遺跡である菜畑遺跡に水田稲作&半月型石包丁と
ともに大陸から伝わったニュータイプの土器は長江の中国土器では
ないのかね?w

長江にいたときと変わらず、最初はまず長江の鼎や鬲といった土器で
米を炊けば良いじゃないかw
64日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:47:14
呉服は百済経由で伝わってきている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)
等(ラ)の祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は
卓素(タクソ)、また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を
貢上(タテマツ)り、また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、
漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、また酒を醸(カ)むことを
知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は須須許理(ススコリ)等
(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
65唐松山:2008/04/17(木) 21:06:12
東北にRM1-b遺伝子がないのだから、そっちの方が稲作は中国から
伝わったものではない事が確定的になってしまいます

何故?
中国には 全ての遺伝子が在る
日本の6割がb型、 
半島b型0割
中国長江の6割がb型

一度取り込まれた遺伝子を 半島ではどの様に 廃棄したのですか?
人間の血液型と同じく 外見では判断できない。
どうしてもと言うなら 半島では、日本に稲作を伝えてから、1度全ての籾を廃棄した。
つまり 稲作が1粒もされない時期が在った となります。
何時になりますか?

3足土器風の物は、縄文時代東北地方より、出土例あり。
籾の流入 初回BC40c A型のみと思われる 
2回目 BC5c この時B型も入ったらしい
3回目 AC1c 
とりあえず 半島から B型のプラントオパールが出ないと 主張出来ないネ。





66日本@名無史さん:2008/04/17(木) 22:37:33
>>65
お言葉に甘えて、俺は君の説を採用する事にしたからご心配なくw

RM1-b遺伝子の稲は朝鮮半島には入っていない。これで問題ない。

ただし、日本のRM1-b遺伝子の稲は拡散具合から稲作伝来時から
1000年以上は遅れて入ってきてるね。

実際のRM1-b遺伝子の稲が入っきた年代は例の池上曽根遺跡や奈良の
唐古・鍵遺跡のRM1-b遺伝子の炭化米を炭素年代測定しないと分からないが
紀元後のものだろう。

ところで、何で三足土器は青森に伝えて水田稲作が伝わった九州北部には
伝えていないのかね?w

ちなみに金関は青森の鬲は挹婁との交流物ではないかとコメントしていたが。
67サガミハラハラ:2008/04/17(木) 23:30:06
>>66青森の三足土器は朝鮮北部からダイレクトで伝わったものです。
九州や山陰を経由していません。
日本海を東西に横断して交易していた証拠となります。
68日本@名無史さん:2008/04/17(木) 23:43:56
もちろん俺も金関説を支持してるよ。

鬲以外の中国土器の器形が無いからね。

特に鬲を伝えて鼎を伝えなかったところがポイントだね。

それに龍信仰も亀卜も中国の服飾文化も何も伝わってはいないのだから。
69日本@名無史さん:2008/04/18(金) 03:31:05
まったく電波が多いぜ
70日本@名無史さん:2008/04/18(金) 10:34:05
風呂は6Cに仏教と共に朝鮮から伝来し、最初は蒸し風呂であった。


蒸気浴の方法を世界的にみると、もともとイラン系の遊牧民スキタイ民族の
間で行われていたとか。日本には6世紀半ば、仏教の伝来とともに朝鮮を
経て伝わりました。仏教では、「沐浴(湯や水を浴びて身を清めること)」の
功徳を説いており、七堂伽藍(寺として備えるべき7つの建物)には浴堂が
加えられており、仏教伝来時に風呂もセットで伝わりました。「枕草子」や
「今昔物語」にも、焼石に水をそそぐ蒸し風呂が普及していたことが見えます。
以来、江戸時代初期頃まで、日本では蒸気浴が主流だったそうです。
http://homepage3.nifty.com/miya-s/myhome-page.files/Miya's_008.html
71唐松山:2008/04/18(金) 19:30:20
ところで 半島には 鬲や鼎は何時頃入ってますか?

米の伝来を 半島経由とした時、北回り(楽浪経由)は気候から考えられない
麦やコウリャンなら北方から 半島に入る、三日月型のナイフと共に
半島にはこの北方式?三日月型のナイフが各地から出る。もちろん倭から出る長江型三日月型のナイフも有る。
そこで 半島の米作りと倭のそれを比較
新羅本紀第ニ・第九代 伐休尼師今
3年(AD186) 三年 春正月 …夏五月壬辰晦 日有食之 秋七月 南新縣進嘉禾
南新縣進嘉禾 南新縣が稲籾を上進した。(嘉禾=喜ばしい穀物)やっと半島南部で米を上進するくらい出来るようになった。
この50年後の倭では 老若男女、酒を好んで飲む と言う状態
老若男女とは 庶民であり 言い方を変えると 農奴階級 
日本で酒と言えば 米から作られた酒しかない
半島の様に 馬乳酒や雑穀酒は 無い 

この時点で どちらが 米作りの技術が高かったか 判るでしょう。

その前に 百済本紀を 早く 歴史に合わせて下さい。
日本は 西暦193年崇神6年  西暦273年神功元年日食 
72日本@名無史さん:2008/04/18(金) 19:55:49





だから、何で三足土器は青森に伝えて水田稲作が伝わった九州北部には
伝えていないのかね?w






73日本@名無史さん:2008/04/18(金) 20:15:53
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
74唐松山:2008/04/18(金) 21:11:00
今 覗いてみたが 文字だけで
形による 分類が出来ていない。

最後の写真は見た 日本の石包丁は、穴位置がもう少し左よりだった様に思う
確認しておく。

ウイグル自治区の石包丁は、半島に広く分布する
この石包丁が、米作に関係有ると言う 証拠は有るのですか?
ウイグル自治区は寒く水も足りない 此処で 米作の証拠は有るのですか?
麦等なら 認めやすいが
75日本@名無史さん:2008/04/19(土) 02:00:25
頭の緩む季節だな
76日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:05:49

●ロシア・カムチャツカ半島における水産資源の生態・利用・管理

サケの燻煙は、二重の意味で重要である。一つには、ハエが大量に発生し、
卵を産みつけようとするので、そのハエを防ぐために燻煙する。さらに、
サケは、不飽和脂肪酸が多く、酸化しやすいという欠点があるが、燻煙に
よって味覚的にも優れたものになる。最後は天日干しで十分に乾燥させ、
村に持ち帰って★高床式食料保存庫★に収納する。
http://www.minpaku.ac.jp/research/sr/11691053-05.pdf#search='%E9%AB%98%E5%BA%8A%20%E5%8C%97%E6%96%B9'
77日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:07:56

エスキモーとも親しく付き合っている若い日本女性の案内で、
ロッジの近くの原野を散策したあと、一青年が原野を拓いて独力で
建てている立派な丸太小屋の住居(上)と、熊から食糧を守るための
★高床式の丸太組みの食糧貯蔵庫★(右)に案内された。
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfbgx603/alaska.travel.98/newpage9.html

※エスキモーの高床式倉庫
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfbgx603/alaska.travel.98/851100501.jpg
78日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:09:42

◎ケート Ket

中央シベリア、エニセイ川中流で伝統的漁撈・狩猟生活を送るケートと、
押し寄せる近代文明の点描。

自然環境(森、川、川岸の村)、川岸のチュム骨組に樹皮布を掛ける
(煙突は真上に出る)、製作中丸木舟に穴を開ける(火おこしの形を
した錐)、川に漕ぎ出す、魚(トナカイ肉?)を干す、日常生活
(洗濯物、子供のブランコ、食事、墓)、呪いの杭にトナカイの頭蓋骨
が掛かっている、★高床式蔵小屋★、素晴らしいアクセサリーの着いた
シャマンの枠太鼓、

http://tokyocinema.net/centralsiberialist.htm
79日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:10:44

ハントィ:自然環境、家屋等に関すること(家の飾り・トナカイ頭蓋骨、
デコイ、★高床式の狩猟用倉庫・鼠返し★、季節物衣料の取出し)

コミ:自然環境、家屋(木造家屋、隙間を苔で埋める)、狩猟(移動に
スキー、犬、鳥を餌に罠を仕掛ける、狩人寝床の用意、毛皮を剥ぐ)、
★小型高床式倉庫(狩猟用荷物、獲物を仕舞う、鼠返し)★、歌

マンシ:自然環境、家屋(丸太小屋、東側の外壁についた呪いの
ような物)、★高床式倉庫★、漁猟舟の櫂類、創生期に関する昔話、

http://tokyocinema.net/westsiberialist.htm
80日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:16:29

◎ナナイ人(ホジェン)の高床式倉庫(模型)

http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/nanai181.jpg.jpg

その他に、水がめ、料理するためのもの、魚皮なめし具、臼、織物を
する道具、糸まき、肉や魚を料理する時に使う道具、はし、食べ物を
保存するためにつくられた★高床式の倉庫★の模型、木の枝と泥でつくられる
家の模型、漁や交易に使う船(実物ならば700キロも載せられる)の模型、
鹿や魚を捕る為の道具などがありました。

http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/eastnanai.htm
81日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:20:02

これは銛を使ってクジラを捕っている線画だが、アム−ル川下流域と
サハリン北部のニブフもまた、板をつなぎ合わせた板船に5-6人で
乗り込み、アザラシやサケなどの捕獲を生業にしていた。
地吹雪のなかを訪問した北方民族館には、このニブフに代表される
北海の海辺と河川の民の風俗や生活用品の数々が陳列されていた。
彼らは、冬には保温性の高い竪穴式住居に住み、夏には魚干し棚や
★貯蔵庫のある高床式住居★で暮らし、衣装には木綿や魚皮で作った
布を用い、白樺皮製の帽子をかぶり、アザラシ皮や魚皮の靴を
履いていたようである。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7754/liuhiyounoshiluet.htm
82日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:21:18

ウリチ人とニブフ人は一年中定住村の住居と作業場兼用の建物に住んでおり、
ナナイ人、ネギダル人、オロク人、オロチ人、ウデゲ人は、冬は森の中の
定住村に住み、夏は魚の採れる川岸の季節村に移りました。定住村も季節村も
川岸に沿って細長く展開し、それぞれの住居は互いに離れており、そばには
★高床式の納屋★がついていました。

http://www.npec.or.jp/northeast_asia/cultural/index.html
83日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:22:23

ナナイ人は、現在400人程度いてハバロフスク市内から約1時間15分
ぐらいのアムール川の近くに集落があります。東洋系の顔でなぜか親しみを
感じました。生活は国から、援護を受けていて仕事はしなく、川で釣り
ばかりしているそうです。家は、小さくてみすぼらしく、貧しさが感じられ
ました。村長は特別扱いみたいで、家も立派で学校より大きく丘の上にあり
権威の象徴を感じました。

http://www.toya-kohei.jp/cgi-bin/diary/wwwnikki.cgi?view=kako20050807.html

ナナイ人の高床式食糧倉庫
http://www.toya-kohei.jp/cgi-bin/diary/graph/20050807-1123390934.jpg
84日本@名無史さん:2008/04/19(土) 18:25:11
高床式建物を、

主に住居として利用しているのが南方系の高床式建物文化。
主に倉庫として利用しているのが北方系の高床式建物文化。

日本の弥生人たちが主に利用していた高床式建物文化は、
住居、倉庫、さてどっち?

ちなみに江南の河姆渡遺跡の高床式建物は主に住居の方である。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%B2%CF%D5%A8%C5%CF%B0%E4%C0%D7%A1%A1%B9%E2%BE%B2%BC%B0&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1
85日本@名無史さん:2008/04/20(日) 16:19:08
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
86日本@名無史さん:2008/04/20(日) 19:27:59
石包丁
少し古い本より 著者直木浩二郎氏
石包丁の分類
A 打製、両側に打ち欠きの在る物
B 磨製、長方形
C 磨製、半月形直線刃
D 磨製、半月形外彎刃
E 磨製、紡錘形
北九州から山口県へかけては、D型が多くB,C,E形式も少しはある
田の地域を考慮すると、最も多いのはD形式 ついでC形式である
後者は華北、中国の東北地区、北朝鮮にあるが これらの地域には、前者の
形式は見られない。
後者は華北、台湾、南朝鮮である。
石包丁の分布からしても、弥生の稲作は、華北_朝鮮ルートと見るより、
華中地方からの渡来とするのが良さそうで…。

揚子江→半島南部→日本 は有っても 楽浪経由は無い。
2世紀後半から3世紀半ばで、半島南部の稲作も日本より遅れている。
87日本@名無史さん:2008/04/20(日) 19:32:01
高床式建物文化。
シベリアの冬に高床式建物で寝たら 凍死まちがいなし。
江南の河姆渡は水害地帯 地べたで寝たら 溺死まちがいなし。
88日本@名無史さん:2008/04/20(日) 19:49:41
86,87は、私です、 稲作、半島北回りの証拠を出して下さい。
89唐松山:2008/04/20(日) 19:50:31
すまん 又忘れた。
90日本@名無史さん:2008/04/20(日) 19:51:27
華中から渡来しておいて水田稲作や石包丁や高床式建物と一緒に
伝えた新型土器はなぜ華中の中国土器とは全く系統が違うのかね?w

まず最初は土器の鼎や鬲で米を炊けばいいじゃないかw
91唐松山:2008/04/21(月) 11:16:36
半島の 稲作遺跡
金海貝塚(貨泉出土)より古い水田がない
AD の事だから 倭人が渡海して 作った。 
AD186南新縣進嘉禾 
これが 半島の 水田稲作です。
半島の 水田稲作は、倭人が伝えた。
92日本@名無史さん:2008/04/21(月) 20:38:57
詐欺を働くのはやめような台湾人=98%元江南人くん。



韓国でも1970年以前、稲作の開始は1世紀ころと考えられていました
が、そんな常識がつぎつぎに破られました。75年に京畿道欣岩里(フナム
ニ)遺跡の発見により、その起源が紀元前6世紀ころにさかのぼりましたが、
さらに最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。

伝来ルートは、中国の江南から山東半島あるいは遼東半島を経由して入っ
たとする北方ルートが韓国では有力です。遼東半島では紀元前1000年ころ
の遺物で炭化米などが発見されました(注)。

(注)韓炳三『NHK人間大学、韓国の古代文化』日本放送出版協会、1995
http://www.han.org/a/half-moon/hm072.html
93日本@名無史さん:2008/04/21(月) 20:42:34
刺青はBC50Cには既に登場している。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
94日本@名無史さん:2008/04/21(月) 21:27:10
今の日王が桓武をコリアンだと認めた
だから日王は韓国系。
95日本@名無史さん:2008/04/21(月) 21:49:02
朝鮮人のふりも大変だな台湾人=98%元江南人w
96日本@名無史さん:2008/04/22(火) 02:28:16
>>94
チョン乙
97唐松山:2008/04/22(火) 16:04:24
仰韶文化期の人々は粟・黍を栽培し、豚・犬を飼い、また鹿などの狩猟も行っていました。
この文化に 米が取り入れされたとしても
ソウル辺りなら 焼き畑作物 
それでソウル辺りから 古い水田は、出たの?
98日本@名無史さん:2008/04/22(火) 16:10:30
当時の新羅王族ってのは中国人な
いまみたいはハングル語を話す朝鮮人は当時は農民とかエタ非人で被支配民族
okpk?
99日本@名無史さん:2008/04/22(火) 18:12:32

朝鮮人が長江越人、倭人O2b+漢族O3e華中O3+北方ジアC3の
ハイブリッドじゃないのか!

日本人は長江越人、倭人O2b+縄文人D2+華中O3(O3e平均9%)
+北方アジアC3+アルタイ、ウラル系N(最大8%)

日本人と朝鮮人は長江越人、倭人O2bを40〜67%ほど共有してる
タイ←インドネシア←ベトナム(越南)←「南琉球」→北琉球→九州→本州
南琉球を最大に東西に広がって行った集団、漢族では0%
100唐松山:2008/04/22(火) 20:41:07
仰韶文化が 縄文時代に 半島→日本へ伝わる。
その後 中国本土と同じく北方民族が半島に南下(扶余族)それが今の半島人。
101日本@名無史さん:2008/04/22(火) 22:35:24
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



102日本@名無史さん:2008/04/23(水) 08:54:17
>>101
まさに呉の習俗ですね!
103日本@名無史さん:2008/04/23(水) 09:05:27
だったら証拠くらい出せやこの詐欺ワンコロw
104日本@名無史さん:2008/04/23(水) 12:00:55
>長江系の繋がりでみると、台湾と日本は近しい存在






とどのつまり、これが言いたいだけなんだろが(爆





105日本@名無史さん:2008/04/23(水) 12:50:19
歌垣は8C頃に百済から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
106唐松山:2008/04/23(水) 17:06:22
倭人在帶方東南大海中,…人性皆嗜酒。國多婦女,不淫不妒。無爭訟,
高句驪者,…人性凶急,喜寇抄。多與夫餘同;其俗喜歌舞,國中邑落男女,毎夜群聚歌戲。
其俗好淫,男女多相奔誘。
百濟者,夫餘之別種。今言語服章略與高驪同,

ホ05002 ワカのマクラコトハのアヤ モロカミの カミはかりして
モノヌシが マクラコトバのユヱをとふ
和歌は 神代の昔から有る。
半島の歌垣とは、上記が初め 。
つまり 先祖を捜しても あの夜の歌垣…までしか辿れません。
でも余り落ち込むな 日本にも伝わっている ただし 祭りの夜のみ。
107日本@名無史さん:2008/04/24(木) 02:25:29
>>105
とっくに論破されてる電波コピペをまだ持ち出すのかw
108日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:58:30
>長江系の繋がりでみると、台湾と日本は近しい存在






とどのつまり、これが言いたいだけ(爆





109日本@名無史さん:2008/04/24(木) 12:16:56
>長江系の繋がりでみると、台湾と日本は近しい存在






とどのつまり、これが言いたいだけ(爆





110日本@名無史さん:2008/04/24(木) 12:17:35
>長江系の繋がりでみると、台湾と日本は近しい存在






とどのつまり、これが言いたいだけ(爆





111日本@名無史さん:2008/04/24(木) 12:55:13
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
112日本@名無史さん:2008/04/24(木) 12:58:02
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html
113日本@名無史さん:2008/04/24(木) 14:08:21
天皇の祖先は朝鮮半島から日本に島流にされた犯罪者だよ
豪族も朝鮮半島から来た
おまえら犯罪人の子孫をありがったがってるバカ
日本で高貴な家柄ほど朝鮮の血が強く
下々ほど混ざってる割合が少ない
それを束ねるため天皇は古事記を編纂させ朝鮮半島を高天原という架空の存在に仕立て自分は高天原から来た神の子孫ということにした
114日本@名無史さん:2008/04/24(木) 14:36:02
朝鮮人を演じるのは楽しそうだね台湾人w
115日本@名無史さん:2008/04/24(木) 17:22:57
高天原=朝鮮半島
天皇=朝鮮からの流刑人
116日本@名無史さん:2008/04/24(木) 17:31:54
>>115
半島の原っぱから来たのか?草原か?

なあよ、原はなによw
117日本@名無史さん:2008/04/24(木) 18:11:43
また自家発電かよ台湾人w
118日本@名無史さん:2008/04/24(木) 22:55:50
チョンは高天原を朝鮮だといつも電波発信するよなw
119日本@名無史さん:2008/04/25(金) 09:13:37
高天原は単に宮中や大王が居る場所の事だろ。

劇団ひとりの台湾人115=118w
120日本@名無史さん:2008/04/25(金) 12:35:10
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
121日本@名無史さん:2008/04/25(金) 12:40:11
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
122日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:42:34
両班たちが国を潰した。
賎民は両班たちに鞭打たれて、殺される。
殺されても、殴られても、不平は言えない。
少しでも値打ちがあるものを持っていれば、両班が奪っていく。
妻が美しくて両班に奪われても、文句をいうのは禁物だ。
両班の前では、全く無力な賎民は、自分の財産、妻だけでなく、生命すらその気ままに委ねられている。
口一つ間違えればぶったたかれるか、遠い島へ流される。
両班の刃にかけられて、生命すら保つことができない。
『血の涙』李人稙(1862-1916)

両班を 日本の武士に例えないで下さい。
こんな国に文化なる物が存在できるのか?
日本に半島を通して文化が伝わった? 半島は通過地点 半島には何もない。
123日本@名無史さん:2008/04/27(日) 11:03:32
古代中国では東海蓬莱国=日本
は全古代中国人の憧れ。

国を失った呉人が日本を目指したのは
なるほど道理。
124日本@名無史さん:2008/04/27(日) 11:10:06
天神地祇が正しく祭られているのは日本だけ。

王道が現存しているのも
日本だけ。

古代中国の正統が日本に
移ったのは
間違いないでしょう。

台湾とか朝鮮とか低俗な話しはやめてくださいね。
偉大なる至道至教の話しなのですから。
125天孫降臨:2008/04/27(日) 11:17:09
「高天原」と古代中国の
「天」と王家ゆかりの「中原」の概念が
習合したものです。

さらに長い航海のすえに
天(アマ)と海(アマ)
の概念が習合したのです。
中国の歴史書には
天皇の氏は「天」氏と明記されています。

姓が天とはつまり
他ならぬ正統天子の子孫ということです。

正統天子子孫これがつまって
「天孫」の概念になりました。
126日本@名無史さん:2008/04/27(日) 11:17:49
「高天原」とは
127三譲:2008/04/27(日) 11:20:48
天子は「天」を祭るのが
使命ですが
それが他ならぬ伊勢神宮なのは
もはや説明はいらないでしょう。
128日本@名無史さん:2008/04/27(日) 11:31:51
はっきり言って半島だろうが
台湾だろうが、そんなのは
どっちでもいい。

大事なのは正統天子の
伝統が日本に伝わっている事実だ。
129日本@名無史さん:2008/04/27(日) 12:12:57
>>128
ボンクラ、そこにつけ込まれてんだよ。
国家の中心性にナw
130日本@名無史さん:2008/04/27(日) 21:20:18
>長江系の繋がりでみると、台湾と日本は近しい存在




高貴な日本人様の先祖が、

おまえらみたいな醜悪なウンコくせえ

ベトナム顔の長江江南ゴリラなわきゃねーだろが(ゲラゲラ嘲笑)



131日本@名無史さん:2008/04/27(日) 21:22:28
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm
132日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:16:54
>>125
アマ族の「アマ」のことだろ。
アメノタリシヒコが聖徳太子であるという通説ね。
蘇我蝦夷の可能性も否定されたわけじゃない。
133日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:33:02
自家発電乙
134日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:44:29
>>123
蓬莱は架空の島
日本だっつうのは後世のあとづけこじつけ
135日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:51:50
>>131
寿司はインドシナ起源だっつうの。
136日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:52:31
しかし支那工作員はキモイな
137日本@名無史さん:2008/04/27(日) 23:19:08
シナじゃなくて台湾人=98%元江南人
138日本@名無史さん:2008/04/28(月) 12:21:47
抜歯は世界中の原始社会で見られ、日本では先土器時代から行われて
風習としては4000年前頃に仙台湾周辺から始まっている。


原始・古代の世界中に、抜歯風習はあったという。ことに長く続いたのが、アフリカ、
中国、日本だとされてますね。中でも目立ったのが、縄文・弥生の日本列島。
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub12..html

歯を抜いたり、歯を削り歯を飾る風習は、日本だけでなく中国、台湾、
アジア、オーストラリア、アフリカにもみられた。
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/wa_bassi/index.htm

抜歯の儀式は、世界の狩猟採集民族のなかでは、比較的あたりまえに
行われていて、それほど奇習というわけでもないのです。現在でも
アフリカ、東南アジア、オーストラリアの一部の民族に残っています。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai5/kodai-64.html
139日本@名無史さん:2008/04/28(月) 12:23:28


佐倉市にある国立歴史民俗資料館の春成秀爾氏によると、抜歯そのものは
縄文時代以前の先土器時代にもあるが、風習としての抜歯は約四千年前頃に
東北地方の仙台湾周辺ではじまり、それ以後に関東地方をはじめ全国に
広がったという。国立歴史民俗資料館前館長の佐原真氏によると、こうした
抜歯は現在でも世界のいくつかの民族の間に風習として残っており、
子どもから大人になるための儀礼(成人儀礼)としての事例、近親者が
亡くなると歯を抜く事例、勝利の明かしに捕虜から歯を抜く事例などが
あって、このうちも最も多いのは成人儀礼にともなう抜歯であるという。
http://www.ichiyomi.co.jp/rekisi/index4.html
140日本@名無史さん:2008/04/28(月) 14:41:20
「南インドからやってきたのは単に言葉ではない。文明がやってきたのだ」

今の日本に英語があふれているのはなぜですか、米国の文明が優れているからでしょう
南インドから優れた文明がやってきて、弥生時代の幕を開けた言葉はそれと同時にやってきた。

行事や習慣など民俗面の類似性。さらに土器に刻まれた記号や墓などの共通性。
弥生時代の特徴として水田稲作、鉄、機織りの三つを挙げ、一つひとつ日本と南インド
がつながる可能性を提示してゆく。
 最も論議を呼びそうなのは、「タミル語と朝鮮語」だろう。日本語(500語共通)
だけでない、朝鮮語にもタミル語と共通する言葉が多いというのだ。具体的に112語を
示し、音韻と意味の類似性を主張する。うち45語は日本語も含めた3言語で共通するという。
「タミル語は舟にのって日本列島にやってきた。同じ海でつながる朝鮮半島にも影響が
あって何の不思議もない」との考えを示し、「日本語と朝鮮語は出発点を共有する関係に
あると考えるべきでは、との仮説を提起したい」と語る。
141日本@名無史さん:2008/04/28(月) 14:42:24
「南インドの巨石(ドルメン)文化」
・稲作・鉄器・崑崙船・甕棺墓・土トン墓・子持ち土器・鏡餅・正月のとんど焼き・

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E5%8D%97%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%80%80%E9%89%84%E5%99%A8&btnG=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=lang_ja
142日本@名無史さん:2008/04/28(月) 14:45:06
143唐松山:2008/04/28(月) 22:54:24
ひな祭りや七夕も神世の時代から有る。
照葉樹林帯文化圏 ですね。

半島に 古い水田無し。=北方文化
144日本@名無史さん:2008/04/28(月) 23:36:26
倭人はパクチョンの末裔だよ
145日本@名無史さん:2008/04/28(月) 23:46:13
そのなんでも上流から意識やめろよ。危ないから。
場合によっちゃぁ、ユーラシアの付け根から消えて無くなるぞ。
146日本@名無史さん:2008/04/29(火) 03:23:06
支那人は宇宙人
147日本@名無史さん:2008/04/29(火) 11:37:39
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
148日本@名無史さん:2008/04/29(火) 11:47:39





弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf




149581:2008/04/29(火) 11:55:49
周の末裔のはずがありません。
日本語はアルタイ語族ですから。
150唐松山:2008/04/29(火) 13:14:49
韓国南部は 北部九州と1体であり 韓国南部が先であった証拠にはなりません。
暖かい 九州で技を磨いて 韓国南部に広めた
この方が 農業としてみた場合 通りやすいので
もっと北部での出土は?
この一つの遺跡だけでは、韓国南部で水田を試したが うまくいかず放棄して
倭に渡海 となってしまう。 
この場合 MR-1遺伝子が出土すれば、良いが…


151日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:16:45
>>150
いいこと言うね。
152日本@名無史さん:2008/04/29(火) 13:38:33
>>150
韓国南部の最古の水田は前11世紀だと歴博が明記しているだろが。

反面、日本の最古の水田は前10世紀。

朝鮮の水田の方が古いんだよ。

たとえ学会でも自分のマスターベーションに都合が悪い事は
一切見えない、一切証拠にならないってか(爆
153日本@名無史さん:2008/04/29(火) 14:01:31
僅か百年の調査だろww
154日本@名無史さん:2008/04/30(水) 02:34:32
前20世紀どす
155日本@名無史さん:2008/04/30(水) 18:52:45
*周の文王(武王の父)→陝西省の山地出身 →黄河を船で下って中原攻め
  →道中、釣りをしていた太公望と出会う

*神武天皇 →高千穂の山から出発 →瀬戸内海を船で進軍
  →道中、釣りをしていた棹根津彦(サオネツヒコ)と出会う
156日本@名無史さん:2008/04/30(水) 20:15:54
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf


157日本@名無史さん:2008/04/30(水) 23:07:49
やはり古代中国から
もってきた青銅器は
溶かしてリサイクルしていたようです。

55:奈良県桜井市 :2008/04/30(水) 22:17:02
>>54他ソース
銅鐸片出土、リサイクル用に壊す? 奈良・大福遺跡で見つかる
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080430/acd0804302057007-n1.htm
弥生の銅鐸を再利用? 奈良・大福遺跡
http://www.chunichi.co.jp/s/chuspo/article/2008043001000719.html
158日本@名無史さん:2008/04/30(水) 23:18:40
一つも残らんのか馬鹿w

古代中国から一緒に持ってきた中国土器はどこへ行ったんだよ
このボケナスw
159唐松山:2008/05/01(木) 00:52:22
やはり 銅鐸は、リサイクルか

「孔列文〜突帯文土器は、半島に置いてきた。」船賃だな。


160唐松山:2008/05/01(木) 01:18:03
神代からの歴史
一応頭に入れてください。 弥生情勢図
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/g01.files/12/ad50jousei.gif
神代の長さは 1020年+57年です。
読むことの出来る書物は、 ほつま伝
http://www.k3.dion.ne.jp/~yamas/kodaiy2k/hotumika/hotumika.htm
数字をほつま干支に直す
E6=CHOOSE(MOD((E6-1),10)+1,"き","き","つ","つ","お","お","さ","さ","ね","ね")
&CHOOSE(MOD((E6-1),12)+1,"あえ","あと","みえ","みと","やえ","やと","しえ","しと","なえ","なと","うえ","うと")
1=きあえ 1021=きあえ→この58年後が 神武 元年=私は西暦38年頃と見ています。

ホ28003 ヰソススの チヱのハタトシ アメかわる コヨミまだとて モノヌシが イセにもふでて これをとふ
チヱのハタトシ=1020年
161日本@名無史さん:2008/05/01(木) 01:50:01
なにが「中国から持ってきた青銅器はリサイクルしてなくなった」だよ
副葬品等として若干は出てきてもよさそうなもんだw
162唐松山:2008/05/01(木) 16:11:26
日本人はブームに弱いから 鏡がよいとなれば全て鏡にしてしまう。
163日本@名無史さん:2008/05/01(木) 18:56:13
弥生文化は稲作だけでなくさまざまな文化要素の複合体である。大林太良氏が
指摘したように日本にあって朝鮮半島に存在にない南方的な要素が数多くある。

たとえば、鵜飼、割竹型木棺、げた、納豆、生魚を食べる習慣、みそ等、江南の
照葉樹林地域と同じような文化要素が存在する。

また、前回の講演会で述べたように、日本の弓は朝鮮半島とは異なり、南方に
同種の弓が分布している。

言語の近さ、日本語は、確率論的に、インドネシアやカンボジアなどの言語と
偶然とはいえない近い関係にある。しかし、朝鮮語とは疎遠であり、朝鮮半島
から人々が来たとは考えにくい。

日本語は、朝鮮半島南部と九州に倭人がいて、そこに南からカンボジア系などの
言語が混合して成立したクレオール言語と考えられる。
164日本@名無史さん:2008/05/01(木) 19:16:14
高句麗語と古代日本語は似てるって話しがあったなあ…
165日本@名無史さん:2008/05/01(木) 20:15:17
朝鮮半島から来たはずの稲作農具、金属の発音がまったく違うもんな
稲イネ、田タ、鍬クワ、鋤スキ、釜カマ、金属カニ、カネ、蛇ヘビ、ナガ
166日本@名無史さん:2008/05/01(木) 22:14:39
丸木弓は弓矢が普及する中石器時代から既に北方ユーラシアまで伝わっている。



弓矢が普及するのは、中石器時代(→石器時代の「中石器時代」)以降と考えられている。
矢は、旧石器時代の槍(やり)や投げ槍にくらべて携帯に便利であり、動物相の変化に
より小型獣を狩猟対象とするようになった当時においては格段に効率的な狩猟具であった。
なお中石器時代に属するマグレモーゼ文化期(前8000〜前5600年)の弓として、
ホルメゴール遺跡(デンマーク)からイチイガシ(→ カシ)製丸木弓が全形で出土しており、
当時の代表的な遺品とされている。

http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1421501287/content.html
167日本@名無史さん:2008/05/02(金) 02:08:47
>>162
日本人じゃなくて中国人なんじゃなかったのか?w
日本の地を踏んだ途端に頭の中身が一瞬で日本人になったって?
168日本@名無史さん:2008/05/02(金) 11:46:41
日本刀が完成するのは平安時代後期頃で、それまでは鉄剣や鉄刀であった。


古墳時代には武器の鉄製化も進んだ。刀剣では、それまでの銅剣に代わって
鉄剣が作られた。一般的に、両刃を剣とし、片刃の刀と区別している。
なお、古墳時代の刀剣は、のちの日本刀に見られるような反りはない。
刀に反りができるのは、平安後期以後である。

http://www.yurihama.jp/town_history/2hen/1syo/04040400.htm
169日本@名無史さん:2008/05/03(土) 18:52:59
呉服は百済経由で伝わってきている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)
等(ラ)の祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は
卓素(タクソ)、また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を
貢上(タテマツ)り、また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、
漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、また酒を醸(カ)むことを
知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は須須許理(ススコリ)等
(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
170日本@名無史さん:2008/05/03(土) 19:42:57
モンゴルJAPは百済人支配者と呉人(アボリジニ)奴隷の雑種
171日本@名無史さん:2008/05/03(土) 19:51:49
>>170
軒先貸して母屋乗っ取られたんだよ。

トドメ刺されることがあるとすれば、そこw
172日本@名無史さん:2008/05/03(土) 19:52:22
↑江南ベトナム顔ゴリラの台湾汚物の>>1wwwww
173日本@名無史さん:2008/05/03(土) 19:56:17
>長江系の繋がりでみると、台湾と日本は近しい存在




高貴な日本人様の先祖が、

おまえら台湾ゴリラみてえな醜悪なウンコくせえ

ベトナム顔の長江江南ゴリラなわきゃねーだろが(ゲラゲラ嘲笑)



174日本@名無史さん:2008/05/04(日) 00:29:11
>>169百済は日本の一地方だったからうなずけるな
175日本@名無史さん:2008/05/04(日) 02:18:46
>>174
倭の領域じゃなかったっけ?
白村江で半島から撤収してから日本って国名使うんじゃなかったったっけ?
176日本@名無史さん:2008/05/04(日) 02:27:44
百済は植民地
177日本@名無史さん:2008/05/04(日) 20:18:54
風呂は6Cに仏教と共に朝鮮から伝来し、最初は蒸し風呂であった。


蒸気浴の方法を世界的にみると、もともとイラン系の遊牧民スキタイ民族の
間で行われていたとか。日本には6世紀半ば、仏教の伝来とともに朝鮮を
経て伝わりました。仏教では、「沐浴(湯や水を浴びて身を清めること)」の
功徳を説いており、七堂伽藍(寺として備えるべき7つの建物)には浴堂が
加えられており、仏教伝来時に風呂もセットで伝わりました。「枕草子」や
「今昔物語」にも、焼石に水をそそぐ蒸し風呂が普及していたことが見えます。
以来、江戸時代初期頃まで、日本では蒸気浴が主流だったそうです。
http://homepage3.nifty.com/miya-s/myhome-page.files/Miya's_008.html
178日本@名無史さん:2008/05/05(月) 14:09:32
瓦の登場は6C。百済から伝わり、飛鳥寺で初めて使用された。


地球上に瓦が誕生したのはおよそ2800年前の中国とされる。日本には
西暦588年、百済から仏教と共に伝来。飛鳥寺で初めて使用された。
様式は平瓦を並べ、その上に丸瓦を並べる様式である。飛鳥時代、
瓦が使用された建物は寺院に限られていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6

西暦538年(宣化三年)に、百済の聖明王が釈迦仏像や経典等を朝廷に
贈り仏教が公伝されました。間もなく瓦博士も渡来して造瓦の方法を伝え、
のち西暦588年(崇峻元年)に蘇我馬子が飛鳥の地(奈良県高市郡
明日香村)に法興寺(飛鳥寺)を建立しました。この瓦が日本最古の古瓦の
遺品とされています。「素弁蓮花文鐙瓦」様式です。
http://kabin.ohugi.com/6/2.html
179日本@名無史さん:2008/05/05(月) 15:39:06
>>177>>178
そして百済の領域(百済が存在した当時の新羅領も含む)
からは日本より古い湯殿も瓦も発掘されてない事実
つまり中華文明、文化の交流が楽狼群などから百済、新羅を通過点(経由でなく)として
日本と行われていたという事
日本に残るシルクロードを通じた古代の東西文化の交流の品物は、そこを通ってきた
なぜ半島に残っていないのか?
それは通過点に過ぎず砂漠や海と同じ陸の廻廊でしかなかったからだ
でないと1000年後の李氏朝鮮は日本の植民地となるまで文化、文明が退行、衰退し続けた事になる
ちなみに文字で例を示すなら自国の文字ハングルの発明が近世で普及が近代日本による教育まで待たねばならない
180日本@名無史さん:2008/05/05(月) 16:13:14
>>179
日本より古い瓦が出てるじゃねえか このクソ台湾サギ師w




首都圏の中心部である北漢山仁寿峰(プクハンサン・インスボン)一帯で
百済(ペクチェ)初期の漢城(ハンソン)百済時代(BC18〜AD475年)
のものと見られる瓦の破片が大量に発見された。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69884&servcode=700§code=700



181國學院友:2008/05/05(月) 18:56:56
すばらしいスレですね!
182日本@名無史さん:2008/05/05(月) 22:28:59
>>180
その年代なら明らかに楽狼群の遺跡じゃないか
百済がいつくらいから存在した古代国家か知らないのか?
楽狼群が存在した年代は数多くの文献に残ってるぞ
北アフリカの国が古代ローマ遺跡を発見して自分達の先祖が作った物だと言うのと
>>180が言ってるのは同じだ
183日本@名無史さん:2008/05/05(月) 22:32:33
>>180
後もう1つ、おそらく君は勘違いの妄想をしてるだろうから言っとく!
高句麗は中華の歴史、文化、文明である
日本との協同調査の方がはるかに真実が探究できる
184日本@名無史さん:2008/05/05(月) 23:55:54
>>181
日本史板の中でもトップクラスのハイレベルな議論が展開されてますものね
185日本@名無史さん:2008/05/06(火) 00:25:24
トップレベルのハイレベルな電波が飛びかうスレですものね。
186日本@名無史さん:2008/05/06(火) 01:55:45
>>185
だな
187日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:22:04
高床式倉庫はシベリアやアムールにも見られる。


●ロシア・カムチャツカ半島における水産資源の生態・利用・管理

サケの燻煙は、二重の意味で重要である。一つには、ハエが大量に発生し、
卵を産みつけようとするので、そのハエを防ぐために燻煙する。さらに、
サケは、不飽和脂肪酸が多く、酸化しやすいという欠点があるが、燻煙に
よって味覚的にも優れたものになる。最後は天日干しで十分に乾燥させ、
村に持ち帰って★高床式食料保存庫★に収納する。
http://www.minpaku.ac.jp/research/sr/11691053-05.pdf#search='%E9%AB%98%E5%BA%8A%20%E5%8C%97%E6%96%B9'
188日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:24:13

エスキモーとも親しく付き合っている若い日本女性の案内で、
ロッジの近くの原野を散策したあと、一青年が原野を拓いて独力で
建てている立派な丸太小屋の住居(上)と、熊から食糧を守るための
★高床式の丸太組みの食糧貯蔵庫★(右)に案内された。
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfbgx603/alaska.travel.98/newpage9.html

※エスキモーの高床式倉庫
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfbgx603/alaska.travel.98/851100501.jpg
189日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:25:13

◎ケート Ket

中央シベリア、エニセイ川中流で伝統的漁撈・狩猟生活を送るケートと、
押し寄せる近代文明の点描。

自然環境(森、川、川岸の村)、川岸のチュム骨組に樹皮布を掛ける
(煙突は真上に出る)、製作中丸木舟に穴を開ける(火おこしの形を
した錐)、川に漕ぎ出す、魚(トナカイ肉?)を干す、日常生活
(洗濯物、子供のブランコ、食事、墓)、呪いの杭にトナカイの頭蓋骨
が掛かっている、★高床式蔵小屋★、素晴らしいアクセサリーの着いた
シャマンの枠太鼓、

http://tokyocinema.net/centralsiberialist.htm
190日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:27:09

ハントィ:自然環境、家屋等に関すること(家の飾り・トナカイ頭蓋骨、
デコイ、★高床式の狩猟用倉庫・鼠返し★、季節物衣料の取出し)

コミ:自然環境、家屋(木造家屋、隙間を苔で埋める)、狩猟(移動に
スキー、犬、鳥を餌に罠を仕掛ける、狩人寝床の用意、毛皮を剥ぐ)、
★小型高床式倉庫(狩猟用荷物、獲物を仕舞う、鼠返し)★、歌

マンシ:自然環境、家屋(丸太小屋、東側の外壁についた呪いの
ような物)、★高床式倉庫★、漁猟舟の櫂類、創生期に関する昔話、

http://tokyocinema.net/westsiberialist.htm
191日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:28:09

◎ナナイ人(ホジェン)の高床式倉庫(模型)

http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/nanai181.jpg.jpg

その他に、水がめ、料理するためのもの、魚皮なめし具、臼、織物を
する道具、糸まき、肉や魚を料理する時に使う道具、はし、食べ物を
保存するためにつくられた★高床式の倉庫★の模型、木の枝と泥でつくられる
家の模型、漁や交易に使う船(実物ならば700キロも載せられる)の模型、
鹿や魚を捕る為の道具などがありました。

http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/eastnanai.htm
192日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:42:08
まとめサイトつくれよ
193日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:54:25

これは銛を使ってクジラを捕っている線画だが、アム−ル川下流域と
サハリン北部のニブフもまた、板をつなぎ合わせた板船に5-6人で
乗り込み、アザラシやサケなどの捕獲を生業にしていた。
地吹雪のなかを訪問した北方民族館には、このニブフに代表される
北海の海辺と河川の民の風俗や生活用品の数々が陳列されていた。
彼らは、冬には保温性の高い竪穴式住居に住み、夏には魚干し棚や
★貯蔵庫のある高床式住居★で暮らし、衣装には木綿や魚皮で作った
布を用い、白樺皮製の帽子をかぶり、アザラシ皮や魚皮の靴を
履いていたようである。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7754/liuhiyounoshiluet.htm
194日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:55:16

ウリチ人とニブフ人は一年中定住村の住居と作業場兼用の建物に住んでおり、
ナナイ人、ネギダル人、オロク人、オロチ人、ウデゲ人は、冬は森の中の
定住村に住み、夏は魚の採れる川岸の季節村に移りました。定住村も季節村も
川岸に沿って細長く展開し、それぞれの住居は互いに離れており、そばには
★高床式の納屋★がついていました。

http://www.npec.or.jp/northeast_asia/cultural/index.html
195日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:56:33

ナナイ人は、現在400人程度いてハバロフスク市内から約1時間15分
ぐらいのアムール川の近くに集落があります。東洋系の顔でなぜか親しみを
感じました。生活は国から、援護を受けていて仕事はしなく、川で釣り
ばかりしているそうです。家は、小さくてみすぼらしく、貧しさが感じられ
ました。村長は特別扱いみたいで、家も立派で学校より大きく丘の上にあり
権威の象徴を感じました。

http://www.toya-kohei.jp/cgi-bin/diary/wwwnikki.cgi?view=kako20050807.html

ナナイ人の高床式食糧倉庫
http://www.toya-kohei.jp/cgi-bin/diary/graph/20050807-1123390934.jpg
196日本@名無史さん:2008/05/06(火) 15:57:55
高床式建物を、

主に住居として利用しているのが南方系の高床式建物文化。
主に倉庫として利用しているのが北方系の高床式建物文化。

日本の弥生人たちが主に利用していた高床式建物文化は、
住居、倉庫、さてどっち?

ちなみに江南の河姆渡遺跡の高床式建物は主に住居の方である。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%B2%CF%D5%A8%C5%CF%B0%E4%C0%D7%A1%A1%B9%E2%BE%B2%BC%B0&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1
197日本@名無史さん:2008/05/07(水) 12:17:07
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
198日本@名無史さん:2008/05/07(水) 12:20:38
刺青はBC50Cには既に登場している。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
199日本@名無史さん:2008/05/07(水) 16:27:11
>>1
つまり、中国本土の正当な支配権は
日本にあるという話なのか?
200日本@名無史さん:2008/05/08(木) 00:53:32
>>197
そのコピペを繰り返す意味がわからん
201日本@名無史さん:2008/05/08(木) 12:12:27
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露紒 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm



202日本@名無史さん:2008/05/08(木) 12:18:18
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
203日本@名無史さん:2008/05/09(金) 01:35:29
>>202
まだ論破されたコピペ貼ってやがるw


歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンや
インドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日本においても、歌垣の風習が民衆の間で
広く行われていたことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を
掛け合う行事であり、性の解放を伴っていたとされる。語源は「歌掛き(懸き)」であり、東国
方言の「かがい(?歌)」も「懸け合い」に由来すると考えられている。時期としては春秋に行われ、
生産の予祝・感謝としての性格を持っていたとされる。場所は、山頂、海浜、川、そして市など、
境界性を帯びた地が多く、常陸筑波山、同童子女松原、肥前杵島岳、摂津歌垣山、大和海石榴市、
同軽市などの例がある。

奈良時代に入ると、中国(唐)から伝来した踏歌と合流し、宮廷芸能の一つとなった。
天平6年(734年)2月には平城京朱雀門で、宝亀元年(770年)3月には河内由義宮で歌垣が
開催され、それぞれ貴族・帰化氏族が二百数十名参加する大規模なショーであった。

歌垣はその後の歌合、連歌に影響を及ぼしたとされている。現代にも歌垣の残存は見られ、
沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや
秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣の遺風が見られる。

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。
このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を
築いていたという見方もある(照葉樹林文化論など)。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
204日本@名無史さん:2008/05/09(金) 09:09:26
>>203
朝鮮半島に歌垣がある事には一切触れていないインチキ偏向ソースを
出して何が論破なの?(爆
205日本@名無史さん:2008/05/09(金) 11:54:00
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm
206日本@名無史さん:2008/05/09(金) 12:03:12
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html
207日本@名無史さん:2008/05/09(金) 16:51:13
>>204
「万葉集」に登場する「歌垣」は
続日本紀が記す称徳天皇の時代の記事より古いがなw
208日本@名無史さん:2008/05/10(土) 01:09:33
>>204
朝鮮より古い時代から日本に歌垣があるんだからチョン起源じゃねえだろw
209日本@名無史さん:2008/05/10(土) 20:19:12
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html
210日本@名無史さん:2008/05/10(土) 20:20:35
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84
211唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/05/10(土) 21:40:43
朝鮮半島に歌垣がある事には一切触れていないインチキ偏向ソースを出して何が論破なの?

一つくらい 半島経由にしないと 半島人がかわいそうだろ
史記に 半島人は、好淫と書かれ 倭人は 淫ならず と書かれているのだから。

日本の祭りで 祭りの夜に 歌垣が有ったのは 渡来人の村です。
歌垣が 半島で生まれた文化と言う意味ではありません。
212日本@名無史さん:2008/05/11(日) 01:45:58
日本に古くから歌垣の風習があるのに、百済から伝わったなどと電波発信すんなw

>日本の祭りで 祭りの夜に 歌垣が有ったのは 渡来人の村です。

これが電波w
渡来人の村以外で歌垣が行われていないという決め付け
213日本@名無史さん:2008/05/11(日) 12:59:37
歌垣には百済や帰化人が付いてまわるが、ベトナミー長江とか、
ベトナミー江南とか、ベトナミー呉なんて一切出てきませんが、
クサくて汚らしいベトナム顔の台湾国策工作員よ何か?wwww
214日本@名無史さん:2008/05/11(日) 15:49:59
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html
215日本@名無史さん:2008/05/11(日) 15:51:19
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg
216日本@名無史さん:2008/05/11(日) 16:08:17
「串間の穀璧」の話は出た?
217日本@名無史さん:2008/05/11(日) 16:26:32
ガラス璧は九州北部の弥生遺構でもたくさん出てるよ。

単に楽浪遺物か朝鮮経由の交流品。

間違っても周とか低レヴェルな事を言わんでくれよw
218日本@名無史さん:2008/05/11(日) 20:01:44
戦国の呉と三国志の呉は
つながりはあるのでしょうか?
三国志の呉といえば
孫家三代ですが、「孫」といえば
天皇は天「孫」の子孫。

このあたりにも運命の符号を感じます。
219日本@名無史さん:2008/05/11(日) 20:05:03
ちなみに泰伯の故事を
知るものなら、
日本に大陸からの遺物を
持ち込んでいないのは
当然と言えば当然。

三足だとか鼎だとかに
こだわっている者は
泰伯の故事を調べてみたまえ。
自分の愚かさに気付くかな?
220日本@名無史さん:2008/05/11(日) 20:07:41
のちに始皇帝や漢の高祖の子孫が
こぞって来朝して帰化した
事実も見落としてはならない。
221日本@名無史さん:2008/05/12(月) 00:47:02
電波浴にはもってこいのスレだぜ
222日本@名無史さん:2008/05/12(月) 11:57:40
抜歯は世界中の原始社会で見られ、日本では先土器時代から行われて
風習としては4000年前頃に仙台湾周辺から始まっている。


原始・古代の世界中に、抜歯風習はあったという。ことに長く続いたのが、アフリカ、
中国、日本だとされてますね。中でも目立ったのが、縄文・弥生の日本列島。
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub12..html

歯を抜いたり、歯を削り歯を飾る風習は、日本だけでなく中国、台湾、
アジア、オーストラリア、アフリカにもみられた。
http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/wa_bassi/index.htm

抜歯の儀式は、世界の狩猟採集民族のなかでは、比較的あたりまえに
行われていて、それほど奇習というわけでもないのです。現在でも
アフリカ、東南アジア、オーストラリアの一部の民族に残っています。
http://www.city.fujiidera.osaka.jp/rekishitanbou/kodai/kodai5/kodai-64.html
223日本@名無史さん:2008/05/12(月) 11:59:59


佐倉市にある国立歴史民俗資料館の春成秀爾氏によると、抜歯そのものは
縄文時代以前の先土器時代にもあるが、風習としての抜歯は約四千年前頃に
東北地方の仙台湾周辺ではじまり、それ以後に関東地方をはじめ全国に
広がったという。国立歴史民俗資料館前館長の佐原真氏によると、こうした
抜歯は現在でも世界のいくつかの民族の間に風習として残っており、
子どもから大人になるための儀礼(成人儀礼)としての事例、近親者が
亡くなると歯を抜く事例、勝利の明かしに捕虜から歯を抜く事例などが
あって、このうちも最も多いのは成人儀礼にともなう抜歯であるという。
http://www.ichiyomi.co.jp/rekisi/index4.html
224日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:35:47

稲作が中国から直接日本に伝来した事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が既に弥生前期末には
伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にはないRM1-b遺伝子の稲の存在がすなわち、
稲作が中国から直接日本に伝来した事の証拠にはならないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
225日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:38:39
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、ハトムギが
通説の江戸期伝来よりも5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
226日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:42:13
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf


227日本@名無史さん:2008/05/13(火) 22:41:49
>>218>>219>>220

説得強いですね
228日本@名無史さん:2008/05/14(水) 00:10:11
妄想力なw
229日本@名無史さん:2008/05/14(水) 11:54:11
丸木弓は弓矢が普及する中石器時代から既に北方ユーラシアまで伝わっている。



弓矢が普及するのは、中石器時代(→石器時代の「中石器時代」)以降と考えられている。
矢は、旧石器時代の槍(やり)や投げ槍にくらべて携帯に便利であり、動物相の変化に
より小型獣を狩猟対象とするようになった当時においては格段に効率的な狩猟具であった。
なお中石器時代に属するマグレモーゼ文化期(前8000〜前5600年)の弓として、
ホルメゴール遺跡(デンマーク)からイチイガシ(→ カシ)製丸木弓が全形で出土しており、
当時の代表的な遺品とされている。

http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_1421501287/content.html
230日本@名無史さん:2008/05/14(水) 11:55:58
日本刀が完成するのは平安時代後期頃で、それまでは鉄剣や鉄刀であった。


古墳時代には武器の鉄製化も進んだ。刀剣では、それまでの銅剣に代わって
鉄剣が作られた。一般的に、両刃を剣とし、片刃の刀と区別している。
なお、古墳時代の刀剣は、のちの日本刀に見られるような反りはない。
刀に反りができるのは、平安後期以後である。

http://www.yurihama.jp/town_history/2hen/1syo/04040400.htm
231日本@名無史さん:2008/05/14(水) 12:05:09
大韓を粉食文化だと妄言を吐いている劣等モンゴルJAPがいるが
大韓こそが米食宗主国なのだ
その証拠に世界最古の水田は大韓で発見されている
中国最古水田より5千年以上古い
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf
232日本@名無史さん:2008/05/14(水) 12:11:25
ついにキレたかw

江南ベトナム顔の台湾ゴリラw
233日本@名無史さん:2008/05/14(水) 12:45:10
コテハンになってよ
234日本@名無史さん:2008/05/15(木) 00:15:52
>>231
pw
235日本@名無史さん:2008/05/15(木) 12:06:42
呉服は百済経由で伝わってきている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)
等(ラ)の祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は
卓素(タクソ)、また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を
貢上(タテマツ)り、また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、
漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、また酒を醸(カ)むことを
知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は須須許理(ススコリ)等
(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
236日本@名無史さん:2008/05/15(木) 12:10:53
風呂は6Cに仏教と共に朝鮮から伝来し、最初は蒸し風呂であった。


蒸気浴の方法を世界的にみると、もともとイラン系の遊牧民スキタイ民族の
間で行われていたとか。日本には6世紀半ば、仏教の伝来とともに朝鮮を
経て伝わりました。仏教では、「沐浴(湯や水を浴びて身を清めること)」の
功徳を説いており、七堂伽藍(寺として備えるべき7つの建物)には浴堂が
加えられており、仏教伝来時に風呂もセットで伝わりました。「枕草子」や
「今昔物語」にも、焼石に水をそそぐ蒸し風呂が普及していたことが見えます。
以来、江戸時代初期頃まで、日本では蒸気浴が主流だったそうです。
http://homepage3.nifty.com/miya-s/myhome-page.files/Miya's_008.html
237日本@名無史さん:2008/05/15(木) 12:15:51
瓦の登場は6C。百済から伝わり、飛鳥寺で初めて使用された。


地球上に瓦が誕生したのはおよそ2800年前の中国とされる。日本には
西暦588年、百済から仏教と共に伝来。飛鳥寺で初めて使用された。
様式は平瓦を並べ、その上に丸瓦を並べる様式である。飛鳥時代、
瓦が使用された建物は寺院に限られていた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%93%A6

西暦538年(宣化三年)に、百済の聖明王が釈迦仏像や経典等を朝廷に
贈り仏教が公伝されました。間もなく瓦博士も渡来して造瓦の方法を伝え、
のち西暦588年(崇峻元年)に蘇我馬子が飛鳥の地(奈良県高市郡
明日香村)に法興寺(飛鳥寺)を建立しました。この瓦が日本最古の古瓦の
遺品とされています。「素弁蓮花文鐙瓦」様式です。
http://kabin.ohugi.com/6/2.html
238日本@名無史さん:2008/05/15(木) 12:18:56
コテハンになってよ
239日本@名無史さん:2008/05/16(金) 00:23:21
電波脳マンセー
240日本@名無史さん:2008/05/17(土) 19:34:51
歌垣は朝鮮半島では今も残っている。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
241日本@名無史さん:2008/05/17(土) 19:43:15
韓国って
粉食文化じゃなくて
糞食文化なんでしょ?
242日本@名無史さん:2008/05/17(土) 21:50:33
>>240
司馬さんも朝鮮人を茶化しちゃって罪なお人だ。
日本ではグループで騒ぐ花見を歌垣とは言わんけど、見合いとかに利用したりと名残はあるかもしれん。
しかしまぁ源流は、中国の今は少数民族の風俗なんだろうな。
243日本@名無史さん:2008/05/17(土) 22:47:51
歌垣は甘粛、青海など、華北にも見られる。
楽浪経由で朝鮮に入り、帰化人時代に日本に入ってきただけだろうね。


突如若者たちが公園へ行こうという。花児(ホアル)を聞かせたいらしい。
青海で盛んな歌垣の歌である。情歌や恋歌などを独唱やかけあいで歌うが、
決して村内や親のまえでは歌えないという。声自慢の青年が歌いはじめ、
やがて公園中あちこちでかけ歌が聞こえ始める。
http://www.minpaku.ac.jp/publication/gekkan/200508txt.html

「花児」は甘粛、青海、寧夏一帯の漢族、回族、トゥー族、トンシャン族、
パオアン族、サラール族、ユーグ族、チベット族の間で流行している民謡で
ある。年一回の花児会は、庶民が自発的に開催する対歌(双方が一問一答の
形で歌う)や競歌(歌を競い合う)の集会として代々受け継がれてきた
いわゆる歌垣
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/200612/36minjian.htm
244日本@名無史さん:2008/05/18(日) 00:33:28
>>>>243
だから>>203を読めとw
245日本@名無史さん:2008/05/18(日) 12:35:48
朝鮮半島に歌垣がある事を隠蔽しているようなインチキソースは不要。
246日本@名無史さん:2008/05/19(月) 00:38:08
>>245
馬鹿w
お前の朝鮮歌垣より古い時代から日本に歌垣があるというソースだろうがw
247日本@名無史さん:2008/05/19(月) 09:36:06
>朝鮮歌垣より古い時代から日本に歌垣がある


そんな事がどこに書いてあんの?

詐欺はやめましょう。

248日本@名無史さん:2008/05/20(火) 01:20:16
>>247
よく読め馬鹿w
249日本@名無史さん:2008/05/20(火) 01:41:54
電波スレあげ
250日本@名無史さん:2008/05/24(土) 17:41:09
劉備玄徳は倭人
251日本@名無史さん:2008/05/24(土) 20:39:16
華雄も倭人。倭人は義の人種なり。
252日本@名無史さん:2008/05/26(月) 13:28:09
隋書 巻八十一 東夷伝 倭国
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/47/43/enjoyjapan_13/47000/46467.jpg
隋書 原文
右4行目から五行目
「新羅百済皆以倭為大国多珍物並敬仰之恒通使往来」

「新羅と百済は日本を大国で珍しい物が多い国だとしており、ともに日本を敬い仰ぎ、
つねに使いを送り、往来している 」

上記の記述は日本人が朝鮮半島経由で形成されたならありえない事実です。
やはり周→呉→日本の流れがあればこそ、朝鮮半島よりも文明が発達していたわけです。
253日本@名無史さん:2008/05/27(火) 01:06:33
ボケw
日本は支那なんぞ関係無しに発達しておったわ
254日本@名無史さん:2008/05/27(火) 09:35:40
日本は沿海州と交流していたからね。

三内丸山や桜町の高床式『倉庫』はそのときの名残だろう。

弥生開始と同時に九州北部に高床式『倉庫』が突如現れる事を考えても
彼らがどこから来たかなど容易に知れよう。
255日本@名無史さん:2008/05/28(水) 01:04:27
三内丸山は縄文時代だろがボケw
256日本@名無史さん:2008/05/28(水) 01:30:17
少なくとも大量移民は無かったわけでして。
在来人に対する渡来人の割合が0.1%としても年2.9%の増加率ならば新たな流入無しで300年後には全人口の8割を占めることは可能です。
ですので呉から農耕技術を持って日本に移住した人々が倭国の主要構成員になるのは自然なことなのです。
しかも征服集団にありがちな男だけの集団が移住してきたわけでもないのです。
以前にもここで語られました母方のみが遺伝するmtDNAの話でもわかるとおり大陸系の遺伝子が日本人の中に受け継がれております。
弥生時代初期の遺跡から出土する生活用具は常に在来のものと混在して出土します。
おそらく長い時間をかけて呉から移住してきた祖先は縄文人と混血しながら爆発的に人口を増やしていったのでしょう。
257日本@名無史さん:2008/05/28(水) 01:56:56
またエラい都合のいい計算だな・・・
258日本@名無史さん:2008/05/28(水) 02:47:14
かなり控え目な計算ですよ。
縄文時代晩期の日本の人口は7万6000人ですからその0.1%となると76人です。
増加率をもう少し抑えて計算したとすれば、例えば年1.3%の増加率として人口比率の10%(先の例でいえば7600人)の渡来した人々がいれば同じ結果になります。
呉の文明をもってすれば8000人くらいの人々が無事に日本列島にたどり着けたでしょう。
充分ありえる数字ではあります。
259日本@名無史さん:2008/05/28(水) 03:43:52
だから、都合のよすぎる計算なんだよ
それ総人口は変わらず、縄文人の人口は増えずに渡来系のみ増加しつづけて
渡来人の増加分は縄文人が減るって計算だろう
260日本@名無史さん:2008/05/28(水) 05:57:28
現在のモンゴルJAPを見ればわかるように
縄文人はアボリジニなので魅力に乏しく
大百済帝国領呉出身大韓民族は雄大な肉体を持ち美しく非常に魅力的なので
アボリジニ女どもは大韓民族男性に群がっていた事であろう
そしてあぶれた劣等醜悪モンゴルJAP男の間ではホモセックスが盛んに行われていた事が推測されるのだ
261日本@名無史さん:2008/05/28(水) 09:43:28
8000人もクセエ潰れ広鼻ベトナム顔の呉リラがやって来ておいて
何で呉の文物が何も伝わってねえんだよ?

サギはやめろ。
262日本@名無史さん:2008/05/28(水) 10:08:27
8000人もやって来て土器鼎一つ伝えられねえ。

8000人全員、記憶喪失かよw
263日本@名無史さん:2008/05/28(水) 17:16:16
>>259
縄文人現状維持なら総人口は増えるよその計算だと
264日本@名無史さん:2008/05/29(木) 00:38:56
>>259
弥生時代の人口が約60万人ですから、ねずみ算で80人の渡来人が年2.9%の増加率を維持すれば300年でちょうど計算が合うはずです。
大陸のように民族同士の大量殺戮が無い日本列島では農耕によって人口は爆発的に増えたのでしょうね。
>>261>>262
8000人は一例でありまして80人かもしれませんし800人かもしれません。
たとえ8000人としましてもまとまって渡来したのではなくおそらく少数集団に分かれて渡来したと考えるのが自然ですね。
船もそんなに大きくなかったでしょうし積載能力を考えれば妥当かと思われます。
265日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:53:06
>>263
いや縄文人が減るって計算だろそれ

>>264
だから弥生人だけ増えつづければって計算だろうが
266日本@名無史さん:2008/05/29(木) 09:11:15
記憶の話をしてるのに誰が持ち込みの話なんかしたんだよ馬鹿。

話をすり替えんな、この醜悪極まりない長江江南ベトナム顔タイワン呉リラ。

鼎の器形なんか一匹でも充分伝えられるだろがヴォケ。
267日本@名無史さん:2008/05/30(金) 22:15:02
無理です
268日本@名無史さん:2008/05/30(金) 22:22:37
>>266
書いてることがサッパリわからん^^中卒市ね!
269日本@名無史さん:2008/05/31(土) 00:38:34
>>268は小卒
270日本@名無史さん:2008/05/31(土) 15:57:41

稲作が中国から直接日本に伝わった事の根拠としている
RM1-b遺伝子の稲は稲作が伝わったときの稲ではない。

なぜなら九州・西日本に伝わった最初の稲作が早くも弥生前期末には
既に伝わってきていた北陸や東北にRM1-b遺伝子の稲が無いからである。

ゆえに朝鮮半島にないRM1-b遺伝子の稲が日本にあるというだけでは
稲作が中国から直接日本に伝わった事の証拠にはできないのである。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif
271日本@名無史さん:2008/06/02(月) 15:57:31

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ここは台湾の田舎町。どこからか南方太鼓を叩く音が聞こえてくる。

見てみると叩いているのはそう、東南アジア人風の台湾人。

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

半裸で意味不明の南方語の掛け声を唱えては太鼓をしきりに叩いている。

叩く。叩く。しきりに叩く黒い手。

そして黒い顔に潰れた広い鼻。突き出した口元とゴツゴツとした輪郭。

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

ツカポコタカ♪ツカポコタカ♪セローイ!

一瞬、ニューギニアの奥地に居るような感覚に私は襲われたのである。
272日本@名無史さん:2008/06/04(水) 00:15:57
>>265
弥生人だけが増え続けるというわけではないですが、その認識でも間違いではないですよ。
なぜなら縄文人は最終的には姿を消すのですから。
その計算では弥生時代に弥生人が全体の8割になる計算ですから弥生時代の人口は59万人ですのでその8割である47万人弱が弥生人で2割の11万人強が縄文人になりますね。
ですので縄文人だけに注目すれば7万6000人から11万人強に人口は増えています。
しかし縄文人の生活様式では農耕技術を持つ弥生人の人口増加率にはるかに及ばず最終的には飲み込まれ消えてしまったのでしょうね。
273日本@名無史さん:2008/06/04(水) 01:14:30
また都合のいい計算だな
縄文人に弥生人が吸収されたとみるのが自然
274日本@名無史さん:2008/06/04(水) 09:20:04
縄文人に徐々に吸収されながら精子の段階から弥生遺伝が縄文遺伝を
乗っ取っていったというのが正しいね。
275日本@名無史さん:2008/06/05(木) 01:13:42
ないないw
日本人の外見がどうみても支那チョンとは違うのみればわかる
276日本@名無史さん:2008/06/05(木) 13:54:38
読め脳弱。ただし弥生人は沿海州人だがな。


◎精子数少ない縄文人、弥生人より2割以上も

読売新聞ニュース速報

 男性だけに存在するY染色体の違いで日本人男性の精子を調べたところ、縄文人(原
日本人)の系統とされるタイプの男性の精子数が、弥生人系より二割以上も少ないこと
が、中堀豊・徳島大医学部教授らのグループの研究でわかった。厚生省の研究班の一環
として行った研究で、九月一日発行の「ジャーナル・オブ・ヒューマンジェネティクス
」に発表される。
 Y染色体は、父親から息子に直接受け継がれる性染色体で、こう丸や精子の形成にか
かわっている。この染色体中の3つのDNAの型を元に、日本人男性は「タイプ1」か
ら「タイプ4」まで四つに分けられる。
 中堀教授らは、子供を持つ百九十八人の精子数を調査し、タイプ別に統計分析した。
その結果、大陸や半島から数十年前に渡来した弥生人系とされるタイプ1、3、4では
、精液1CC中の精子数が一億〜一億二千万個あったのに対し、縄文人系のタイプ2は
八千万個と二割以上少なかった。無精子症になる確率も、タイプ2は二倍ほど高いこと
もわかった。
 ヒトの系譜を調べるには従来、細胞内のミトコンドリアDNAを使ってきたが、母方
の系統しかわからない。今回のY染色体分類は、父方の系統を調べる方法として注目さ
れ始め、五万年前に縄文人と弥生人の2タイプに分岐したと推定できるという。
 中堀教授は「縄文系が遺伝的に精子数が少ないのか、環境ホルモンなどへの抵抗性が
低いためなのかは不明だが、精子数の基礎データをそろえる上で、タイプ別の集計が重
要となる」と話している。

[1999-08-07-21:27]
http://www.mmjp.or.jp/miyake-w-clinic/news/data/sperm-count7.html
277日本@名無史さん:2008/06/06(金) 01:15:24
ありゃー300年で弥生人8割じゃなかったのかよw
随分縄文人多いじゃないの
278日本@名無史さん:2008/06/11(水) 20:44:10
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
279日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:53:50
つまり古代から稲もはと麦も日本にあったといういことだな
280日本@名無史さん:2008/06/12(木) 02:28:18
長江流域に逃れた苗族は、先住民である倭族を蹴散らして、掠奪闘争は
玉突き的に広がっていく。このように国を建てた苗族も再び、同じ北方系
の漢民族に攻められ、辺境へと追いやられていく。
しかし、これらの地域には倭人系で南方に追いやられた民族のほうが多く、
その中にまじって、苗族、ヤオ族は高床式を作らず、米よりは雑穀を好む
北方民族の生活習慣を今も守っているという。

そして日本に辿り着いた弥生人は苗族ではなく倭族とのこと。

http://bbs.jinruisi.net/blog/2006/12/000070.html
281日本@名無史さん:2008/06/14(土) 02:08:31
高床式を伝えたのに住まわず、最初からもっぱら倉庫として使って
なぜか北方系の竪穴式住居に住み、水田稲作と同時に長江江南の
土器とはまーったく系統の異なる北方系の土器を伝えてしまった
挙動不審きわまる奇行集団の長江江南倭族な(爆

282日本@名無史さん:2008/06/17(火) 22:28:47
それは渡来系の人々が軍事的侵攻をしたのではなく長い年月をかけて縄文系と混血していった証拠ですよ。
だから急激な生活様式の変化を伴っていないのです。
そもそも渡来系縄文系なる出土人骨の分類は「この人骨はどちらかといえば渡来系(縄文系)に近い」という程度のものなのです。
正確に言えば渡来系と縄文系の拡散混血は近世江戸時代まで続いていたのです。
例えば関東において鎌倉時代や室町時代に渡来系の人骨の割合が低下しているのです。
原因として考えられるのは縄文系の特徴を色濃く残した関東周辺や東北地方の豪族クラスの人々が都市部に流れ込んだからではないかと考えられています。
新田義貞の鎌倉攻めや北畠顕家の上洛など戦乱による人々の移動が考えられます。
283日本@名無史さん:2008/06/18(水) 10:15:17
おっかしな理由付けだなw

長い年月をかけて縄文系と混血する事と、長江江南から倭人がやって来ておいてだ、
せっかく高床式を伝えたのに最初から北方系の竪穴式住居に住んで、高床式は
北方アジアのようにもっぱら倉庫として使って住まわず、水田稲作を伝えたのに
同時に進んだ炊飯器や調理器のある長江江南の土器文化は一切伝えず、
代わりにまーったく系統の異なる北方系の土器文化を伝えてしまうといった
極めてトンチンカン、はなはだ挙動不審、奇行きわまる現象と一体何の関係があるんだよ?w
284日本@名無史さん:2008/06/18(水) 12:54:45
285日本@名無史さん:2008/06/18(水) 22:07:34
256なんて全く理由にならんよ。

いいか馬鹿。

伝わっているんだよ。伝わっているの。

新しい器形と新しい文様と新しい焼成技術を持った大陸の新型土器が。

それなのにそこには三足やラッパ型や楽器の器形などの当時の長江江南の
土器文化に特徴的な器形がまーーーーーーーーーったく見当たらず、
スタンプ方式で器面全体に装飾される幾何印文という当時の長江江南の
土器文化に特徴的な幾何学文様がまーーーーーーーーーったく見当たらず、
中国では8000年も前から登場して当時の長江江南の土器文化では至極当然の
はずの原始的な窖窯(あながま)の跡がまーーーーーーーーーったく見当たらず、

代わりに覆い型野焼きという長江江南にあるまじき焼成法を伝えてしまったのであった(爆
286日本@名無史さん:2008/06/18(水) 22:53:01
江南地方には百越と呼ばれるように多様な人々がいたのだからその一部が戦乱を逃れて日本にたどり着いたと考えれば伝わっていない文化や技術があっても不思議ではない
それに高知県の居徳遺跡のように春秋戦国時代の技術で作られた木胎漆器が出土してるのだから長江江南文化がまったく伝わっていないと言うのは嘘だ
加えて魏志倭人伝に記された倭人の風俗は圧倒的に南方的であり朝鮮半島の風俗はまったく南方的ではない
神社建築の千木やかつお木・高床式の建物・刺青の風習・貫頭衣など日本の古い文化の中に南方的な要素が多く含まれている
環濠は長江中流域が起源である
そもそも半島経由説を妄信するのは怪しい歴史学者だけで植物学や民族学の権威は長江から直接の伝来を支持してる
287日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:25:30
サギを働くのはやめような台湾土人。

漆器は日本の方が古いだろ。

高床式倉庫文化は北方アジアの文化だし、刺青は日本が最古、
貫頭衣は世界中の原始社会に現れる単に服飾の原型、
環濠は華北、朝鮮、北方でも見られる。

南方とは直接的には関係がないの。

すべては朝鮮経由、あるいは沿海州から朝鮮東岸経由、
あるいは日本海を越えて入ってきている。

では半島経由を強固に主張する弥生文化の権威、金関は
怪しい考古学者なんだな(爆
288日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:31:38

●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
289日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:32:33
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif



290日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:37:17
ただの漆器ではない
漆の塗り方や構造が春秋戦国のそれだったわけだ
高床式は南方文化だというのは常識
そういう基礎的な部分で間違ってたら話にならない
>貫頭衣は世界中の原始社会に現れる単に服飾の原型
だが朝鮮半島の習俗ではない
『隋書』流求国伝に流求国の国王の居処を三重の濠と柵で囲み濠に水を流していたことが記されている
濠と柵を三重に巡らした景観は吉野ヶ里などに近い
流求国を沖縄とする説と台湾とする説があるがいずれにしても環濠の伝統は南方からと思われ朝鮮半島を伝わってきたとは考えにくい
要するに環濠は半島説の根拠となりえないどころかむしろ否定する物証になるわけだ
韓国の稲作は欣岩里遺跡の時代に始まり松菊里遺跡の時代に安定的に行われるようになっ
昨今の研究の成果から弥生時代の幕開けが500年ほど遡るようになった今では朝鮮半島での稲作と日本の稲作の時期が似たり寄ったりになり従来の半島稲作先進説の根拠が崩れ去った
沿海州のオホーツク文化は東北北部や北海道の縄文人と結びつき今のアイヌになった
291日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:56:00
朝鮮半島では紀元前一〇八年に漢によって設置された楽浪郡で発見された
現在の中国・四川省産の漆器が有名だが。
貫頭衣は時代は違うだろうが朝鮮半島にもあっただろうな。
あんなものはどこの原始世界にも出現する。
高床式倉庫文化は北方アジア文化だというのは常識。
環濠なんか松菊里にあるじゃねえかこの極悪サギ師。
朝鮮最古の水田遺跡はBC11Cで九州よりも古いだろが。

どこまでもどこまでもサギと勝手な妄想だけのベトナム顔の台湾学者でした(爆
292日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:08:08
町田 今回は、楽浪郡以前の系統にある漆器を確認できた。
朝鮮半島南部には楽浪郡より早い段階で、別なルートで漆技術が
伝わり、独自に発展したようだ。中国北部の遊牧民族の中には、
漆器が重要なものとして存在している。中国の東北地方などとの
関係も考えられるのではないか。また、韓国では紀元前四世紀の
漆遺物が今のところ最古だが、中国や日本の出土例から考えると、
韓国にもより古い漆文化の存在が予想される。
http://www.toonippo.co.jp/kikaku/korekawa/news2004/1115_2.html
293日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:17:00
>>284
そんな「渡来人ばかりが延々と増えつづけるという都合のいい計算」なんかあてになんねーよタコw
294日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:19:45
なるほど高床式=倉庫と勘違いしているわけだな
それこそ怪しい歴史学者の勝手な決めつけ
誰が日本で出土する高床式建造物すべてが倉庫だと証明したのだろう?
水田を作るのに適した低湿地に住まうのに身分の高いものが竪穴式住居にわざわざ住まうという発想がおかしい
証拠に銅鐸や鏡に描かれている建物はすべて高床式である
高床式「住居」は南方の文化だというのは常識
遼東半島や朝鮮北部で水耕田跡は発見されていない
朝鮮半島での確認された炭化米は紀元前2000年が最古であり畑作米の確認しか取れない
一方日本では紀元前約3000年前に稲作が伝来している
295日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:22:11
高床式建物を、

主に『住居』として利用しているのが長江・江南の高床式『住居』文化。
主に『倉庫』として利用しているのが北方アジアの高床式『倉庫』文化。

さて、日本の弥生人たちが利用していた高床式建物文化は、
『住居』、『倉庫』、どっちだったかな?

ちなみに江南の河姆渡遺跡の高床式建物はもちろん高床式『住居』の方である。

http://search.yahoo.co.jp/search?p=%B2%CF%D5%A8%C5%CF%B0%E4%C0%D7%A1%A1%B9%E2%BE%B2%BC%B0&fr=top_v2&tid=top_v2&ei=euc-jp&search.x=1
296日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:23:21
>一方日本では紀元前約3000年前に稲作が伝来している



ほほーう、

で、これの証拠は?w


297日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:29:07
間違えた
紀元前ではなく約3000年前(紀元前10世紀頃)だ
298日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:32:00
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf


299日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:34:06
なるほど。古代中華文明の正当な末裔は大和民族だったわけか。
じゃあ現在、中原を支配している「漢民族」とかいう蛮族は
服属国に戻るべきだな
300日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:45:37
大和民族は関係ないだろ。半島系だから。
301日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:48:54
大和民族は呉の末裔と縄文人の混血です。
302日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:56:33
正解は沿海州沿岸の北方アジア人と縄文人の混血。
303日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:04:45
政界は純粋縄文人
304日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:10:14
>>302
それはアイヌ
305日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:19:13
アイヌもだな。

だが北海道に入ったものは沿海州北部の集団でアイヌとの混血は
わずかだろう。

弥生人は沿海州中部以南の沿岸にいた刻目突帯文土器人が
ヴァイキング化したもの。
306日本@名無史さん:2008/06/19(木) 09:25:49

●鴻山越國貴族墓地發掘情況介紹

鴻山越國貴族墓地位江蘇無錫鴻山鎮東部,該區保存大小規模土墩近百座。南京博物院考古研究所及
錫山區文物管理委員會組成聯合考古隊,於2003年4月至2004年12月期間,對該範圍內土墩進行搶救性
發掘。

是次發掘7座墓葬,出土共計2000餘件隨葬器物,其中丘承墩就出土1100餘件精美成套的青瓷禮器、
樂器和玉器。 根據墓葬的封土規模、墓葬結構和隨葬器物的種類、質地、組合關係,7座墓葬可以
分為5個等級:
307日本@名無史さん:2008/06/19(木) 09:27:48
第一級別為丘承墩,該墓封土為長方形覆斗狀,是墓地中唯一的深坑墓,墓坑平面為「中」字形,
並有壁龕;隨葬品中青瓷禮器數量眾多,器類齊全;青瓷樂器既有中原式的鈕、甬鍾、磬,
亦有越式的ロ于、丁寧、鐸、勾、鈴形器、具座,還有以往從未確認的缶;玉器中,既有葬玉、
劍飾,亦有佩玉,而成雙成對的龍形佩、雙龍佩、龍鳳佩、龍首珩、龍形珩等組成的佩玉,
當為春秋戰國時期最高等級的佩飾;此外還隨葬琉璃釉盤蛇玲瓏球形器等象徵特殊意義的器物;
第二級別為老虎墩,該墓封土亦為長方形覆斗狀,埋葬方式為平地鋪木,隨葬器物中除生活用品外,
還包括成組的原始青瓷樂器和硬陶禮器、樂器;第三級別為萬家墳,與老虎墩的封土規模和平地
鋪木的葬制相同,然隨葬品中僅有成組的硬陶禮器、樂器而不見原始青瓷樂器;第四級別為曹家墳、
杜家墳,為長方形覆斗狀封土;第五級別為老墳墩、鄒家墩。這4座墓葬均無成組樂器隨葬,為長圓形
饅首狀封土。
308日本@名無史さん:2008/06/19(木) 09:28:36
鴻山貴族墓葬的特徵大致可歸納為以下幾點:
1. 長方形覆斗狀或長圓形封土;
2. 除特大型墓葬為深坑墓外,皆為平地起封;
3. 除特大型墓葬為「中」字形外,其餘皆為長條形墓葬,大型的還有墊木或分室用的木板等用於
構築墓室;
4. 隨葬器物主要為原始青瓷器和硬陶器;
5. 特大型墓葬的隨葬品中有組玉;
6. 隨葬器物中常見原始青瓷或硬陶的勾、ロ于、丁寧、鐸、羊角器、璧、鈴形器以及越式鼎、
筒形、盅、器蓋等;
7. 高等級的器物紋樣中常見蛇。而以蛇為器物紋樣也是越人圖騰崇拜的體現。
309日本@名無史さん:2008/06/19(木) 09:30:19
這些特徵中多為越國墓葬獨有,其中墓葬形制和隨葬品的質地、器形、器類與浙江紹興印山越王墓
以及安吉、海鹽、長興等地的越國貴族墓葬相同,尤其明顯的是均隨葬陶、瓷禮器和樂器,如ロ于、
丁寧、勾、鎛、甬鍾、磬、鈴形器、缶、具座、羊角器、璧以及越式鼎、筒形、盅、器蓋等;
根據墓葬的規模、形制和在墓地中的位置,以及隨葬器物的數量、種類和等級推測,鴻山貴族墓地
中丘承墩墓主的等級應為僅次於越王的越國大夫,此墓主室和後室總長僅次於紹興印山越王墓,
遠高於其他中小型越國貴族墓,而出土的隨葬器物則是目前已發掘的越國墓葬中等級最高、
質地最好且器類最為齊全的。

7座墓葬的隨葬品中,皆有完全相同器物,如壇、、碗、盅、器蓋等,其年代應相同;而大型或
中型墓葬中則有造型相同的鍾、鎛、磬、鈴形器、璧、羊角形器等,其年代亦應相同;而從印紋硬陶
和原始青瓷基本生活用品的形態、僅見麻布紋和米字紋等紋飾以及器物的組合關係,根據長江下游
土墩墓的分期,其年代應為戰國早期;出土玉器中,儘管有少量紋飾保留春秋晚期特徵,而絕大多數玉器
的造型和紋飾都呈現戰國早期的特徵。因此鴻山越國貴族墓地的年代可定為戰國早期,即越國最強盛的
越王勾踐時期。
310日本@名無史さん:2008/06/19(木) 09:31:25
鴻山越國貴族墓地中,丘承墩位於墓地的西北角,而其他大、中、小型墓葬則圍繞在丘承墩的東南呈
扇形分布,墓葬與墓葬之間既有一定的分布規律,又存在著嚴格的等級差別,為是次考古發掘最重要的
收穫之一;丘承墩墓為目前僅次於紹興印山越王墓的越國第二大墓,而丘承墩出土的大批精美成套的玉器、
青瓷禮器和樂器,應為迄今為止江浙一帶所發現的最高等級的越國隨葬器物,同樣為是次考古發掘最重要的
收穫之一。其墓地的完整性和禮器、樂器組合的完整性,尤其是越國的禮樂文化中將中原系統和諧地融入
越系統中,為越國史的研究和解決一系列春秋戰國時期的重要學術課題提供了一批極為珍貴的實物資料,
對於越文化乃至百越民族史的研究和越國考古學的研究將起著積極的推動作用。
http://www.cuhk.edu.hk/ics/ccaa/talk9.htm
311日本@名無史さん:2008/06/19(木) 09:51:40


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の越の土トン墓からは、

楽器やら、玉器やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、鈕やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、具座やら、
佩玉やら、龍形佩やら、雙龍佩やら、龍鳳佩やら、龍首珩やら、龍形珩やら、
琉璃釉盤やら、蛇玲瓏球形器やら、羊角器やら、璧やら、越式鼎やら、
筒形やら、盅やら、器蓋やら、鎛やら、

もうさーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、もうありとあらゆる
摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・

何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(ウルトラ嘲笑)

312日本@名無史さん:2008/06/19(木) 10:47:00
2ちゃんねるは統一協会が運営(3:20から)
2ちゃんねるは朝鮮カルト、ユダヤ権力にとって不都合な発言をする人間のIPアドレスを集めたり、個人情報を集めるための道具
http://jp.youtube.com/watch?v=D9_KTEk2ukE

【社会】「言いたいことは言えたので、スッキリ」 ベンジャミン・フルフォードさん、山口組総本部前で拡声器で抗議活動★2
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1213784588/
山口組の本部に行ってきました・・ベンジャミンさんのブログ
http://benjaminfulford.typepad.com/benjaminfulford/2008/06/
レポ・・ベンジャミンの山口組本部「道場破り」見に行ってきますた。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/20
92/1213458949/50-51   ←↑接続

公明党支持者の金さん殺される

在日なのに同和幹部(?)で元ヤクザで創
価の金さん 妻に射殺される http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1213694629/ 

830 : カー・コローグ・ヨメ(コネチカット州):2008/06/18(水) 09:10:12.30 ID:LfOctBI0O
ニュースで流れた金さんの自宅の表札が日本名だった件

ヤクザの9割は「在日と同和」、彼らは恐喝のために右翼団体を名乗る
http://www.youtube.com/watch?v=2uTFIS1RDJg

偉人渡辺昇一が何十年も考え続けて得た結論。
「反日思想の源泉」 渡部昇一
http://www.youtube.com/watch?v=BzfpilmxgBU

勝谷誠彦 【在日特権】三重県伊賀市 住民税減免問題
http://jp.youtube.com/watch?v=ChfpqdwyBTA
313日本@名無史さん:2008/06/20(金) 00:00:48
幕末機関説ならぬ弥生機関説
314日本@名無史さん:2008/06/20(金) 00:54:37
http://kyoiku-gakka.u-sacred-heart.ac.jp/database/sozai/13/jpg/13_0301m.jpg
弥生時代の日本製のダガーナイフ(全長30センチ前後)
315日本@名無史さん:2008/06/24(火) 23:43:18
今の日本人は呉からの移民系・7割縄文系3割で構成されてるそうです
316日本@名無史さん:2008/06/25(水) 00:56:22
>>315
ハイハイまた今日も電波発信乙彼さん
317日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:26:18
国さん、元気みたいっすね
318日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:54:41
国さんて誰だよw
319日本@名無史さん:2008/06/25(水) 20:23:10
この↓江南サギ台湾ベトナム顔土人を嬲って楽しもうぜwwww




>古代シナ大陸南部に栄えた『呉』は、倭人(越人)の国であり、呉人は
>人種的・文化的には日本人と同系であった。しかし、だからといって
>我々日本人は、「呉人は日本人だった」とか、「呉を建国したのは
>日本人だった」とは言わない。呉人が倭人系民族だったとしても、
>日本列島の倭人とは、民族(政治的グループ)が異なるからだ。
>『呉』という国は、日本列島の倭人が建国したわけではないし、
>歴史上、日本列島の倭人がシナ南部の倭人を支配下においたことは
>一度もない。日本列島の倭人とシナ南部の倭人は、民族が別である。



320日本@名無史さん:2008/06/25(水) 20:23:42

●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土


新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。

展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
321日本@名無史さん:2008/06/25(水) 20:24:02
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。

後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
322日本@名無史さん:2008/06/25(水) 20:45:47
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(ゲラゲラ嘲笑)(ゲラゲラ嘲笑)

323日本@名無史さん:2008/06/28(土) 17:17:56
今日も酒の肴に、この↓江南サギ台湾ベトナム顔土人を嬲って楽しもうぜwwww



>古代シナ大陸南部に栄えた『呉』は、倭人(越人)の国であり、呉人は
>人種的・文化的には日本人と同系であった。しかし、だからといって
>我々日本人は、「呉人は日本人だった」とか、「呉を建国したのは
>日本人だった」とは言わない。呉人が倭人系民族だったとしても、
>日本列島の倭人とは、民族(政治的グループ)が異なるからだ。
>『呉』という国は、日本列島の倭人が建国したわけではないし、
>歴史上、日本列島の倭人がシナ南部の倭人を支配下においたことは
>一度もない。日本列島の倭人とシナ南部の倭人は、民族が別である。


324日本@名無史さん:2008/06/28(土) 17:18:21

●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土


新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。

展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
325日本@名無史さん:2008/06/28(土) 17:18:42
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。

後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
326日本@名無史さん:2008/06/28(土) 17:19:02
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(ゲラゲラ嘲笑)(ゲラゲラ嘲笑)

327日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:08:45

●鴻山越國貴族墓地發掘情況介紹

鴻山越國貴族墓地位江蘇無錫鴻山鎮東部,該區保存大小規模土墩近百座。南京博物院考古研究所及
錫山區文物管理委員會組成聯合考古隊,於2003年4月至2004年12月期間,對該範圍內土墩進行搶救性
發掘。

是次發掘7座墓葬,出土共計2000餘件隨葬器物,其中丘承墩就出土1100餘件精美成套的青瓷禮器、
樂器和玉器。 根據墓葬的封土規模、墓葬結構和隨葬器物的種類、質地、組合關係,7座墓葬可以
分為5個等級:
328日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:09:51
第一級別為丘承墩,該墓封土為長方形覆斗狀,是墓地中唯一的深坑墓,墓坑平面為「中」字形,
並有壁龕;隨葬品中青瓷禮器數量眾多,器類齊全;青瓷樂器既有中原式的鈕、甬鍾、磬,
亦有越式的ロ于、丁寧、鐸、勾、鈴形器、具座,還有以往從未確認的缶;玉器中,既有葬玉、
劍飾,亦有佩玉,而成雙成對的龍形佩、雙龍佩、龍鳳佩、龍首珩、龍形珩等組成的佩玉,
當為春秋戰國時期最高等級的佩飾;此外還隨葬琉璃釉盤蛇玲瓏球形器等象徵特殊意義的器物;
第二級別為老虎墩,該墓封土亦為長方形覆斗狀,埋葬方式為平地鋪木,隨葬器物中除生活用品外,
還包括成組的原始青瓷樂器和硬陶禮器、樂器;第三級別為萬家墳,與老虎墩的封土規模和平地
鋪木的葬制相同,然隨葬品中僅有成組的硬陶禮器、樂器而不見原始青瓷樂器;第四級別為曹家墳、
杜家墳,為長方形覆斗狀封土;第五級別為老墳墩、鄒家墩。這4座墓葬均無成組樂器隨葬,為長圓形
饅首狀封土。
329日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:10:45
鴻山貴族墓葬的特徵大致可歸納為以下幾點:
1. 長方形覆斗狀或長圓形封土;
2. 除特大型墓葬為深坑墓外,皆為平地起封;
3. 除特大型墓葬為「中」字形外,其餘皆為長條形墓葬,大型的還有墊木或分室用的木板等用於
構築墓室;
4. 隨葬器物主要為原始青瓷器和硬陶器;
5. 特大型墓葬的隨葬品中有組玉;
6. 隨葬器物中常見原始青瓷或硬陶的勾、ロ于、丁寧、鐸、羊角器、璧、鈴形器以及越式鼎、
筒形、盅、器蓋等;
7. 高等級的器物紋樣中常見蛇。而以蛇為器物紋樣也是越人圖騰崇拜的體現。
330日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:11:34
這些特徵中多為越國墓葬獨有,其中墓葬形制和隨葬品的質地、器形、器類與浙江紹興印山越王墓
以及安吉、海鹽、長興等地的越國貴族墓葬相同,尤其明顯的是均隨葬陶、瓷禮器和樂器,如ロ于、
丁寧、勾、鎛、甬鍾、磬、鈴形器、缶、具座、羊角器、璧以及越式鼎、筒形、盅、器蓋等;
根據墓葬的規模、形制和在墓地中的位置,以及隨葬器物的數量、種類和等級推測,鴻山貴族墓地
中丘承墩墓主的等級應為僅次於越王的越國大夫,此墓主室和後室總長僅次於紹興印山越王墓,
遠高於其他中小型越國貴族墓,而出土的隨葬器物則是目前已發掘的越國墓葬中等級最高、
質地最好且器類最為齊全的。

7座墓葬的隨葬品中,皆有完全相同器物,如壇、、碗、盅、器蓋等,其年代應相同;而大型或
中型墓葬中則有造型相同的鍾、鎛、磬、鈴形器、璧、羊角形器等,其年代亦應相同;而從印紋硬陶
和原始青瓷基本生活用品的形態、僅見麻布紋和米字紋等紋飾以及器物的組合關係,根據長江下游
土墩墓的分期,其年代應為戰國早期;出土玉器中,儘管有少量紋飾保留春秋晚期特徵,而絕大多數玉器
的造型和紋飾都呈現戰國早期的特徵。因此鴻山越國貴族墓地的年代可定為戰國早期,即越國最強盛的
越王勾踐時期。
331日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:12:22
鴻山越國貴族墓地中,丘承墩位於墓地的西北角,而其他大、中、小型墓葬則圍繞在丘承墩的東南呈
扇形分布,墓葬與墓葬之間既有一定的分布規律,又存在著嚴格的等級差別,為是次考古發掘最重要的
收穫之一;丘承墩墓為目前僅次於紹興印山越王墓的越國第二大墓,而丘承墩出土的大批精美成套的玉器、
青瓷禮器和樂器,應為迄今為止江浙一帶所發現的最高等級的越國隨葬器物,同樣為是次考古發掘最重要的
收穫之一。其墓地的完整性和禮器、樂器組合的完整性,尤其是越國的禮樂文化中將中原系統和諧地融入
越系統中,為越國史的研究和解決一系列春秋戰國時期的重要學術課題提供了一批極為珍貴的實物資料,
對於越文化乃至百越民族史的研究和越國考古學的研究將起著積極的推動作用。
http://www.cuhk.edu.hk/ics/ccaa/talk9.htm
332日本@名無史さん:2008/07/01(火) 14:46:24


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の越の土トン墓からは、

楽器やら、玉器やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、鈕やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、具座やら、
佩玉やら、龍形佩やら、雙龍佩やら、龍鳳佩やら、龍首珩やら、龍形珩やら、
琉璃釉盤やら、蛇玲瓏球形器やら、羊角器やら、璧やら、越式鼎やら、
筒形やら、盅やら、器蓋やら、鎛やら、

もうさーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、もうありとあらゆる
摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・

何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(ゲラゲラ嘲笑)

333日本@名無史さん:2008/07/05(土) 20:30:31
大阪のあるマンション工事現場の行程表に「遺跡調査」って書かれてたんだよね
1週間くらい調査期間が書いてあったから楽しみにして毎日フェンスの隙間から覗いてたんだよ
でも一向に調査どころか土をいじる気配すらないんだよね
そのうちに期間が終わっちゃったので「延長かな?」と思ってたら
次の日からショベルカーがガンガン土を掘り始めました
そりゃ遺跡も遺物も出てきませんよこんな国では
334日本@名無史さん:2008/07/05(土) 23:53:47
現場では結構でて来るんだがそんなのいちいち報告してると
工事が止められてしまうから見ないふりしてほってしまう
335日本@名無史さん:2008/07/07(月) 21:15:33
日本や中国で栽培されるイネ「ジャポニカ」の起源が、インドネシアやフィリピンまでたどれることがわかった。
農業生物資源研究所(茨城県つくば市)の井澤毅・主任研究員らが、もみの大きさを決める遺伝子の変異を
手がかりに突き止め、6日付の米科学誌ネイチャー・ジェネティクス(電子版)に発表する。

もみの幅が広くて米粒が大きいジャポニカは、これまでの考古学的な調査によると、約1万年前の長江中・
下流域が起源との説が有力だ。

研究チームは今回、ジャポニカの「日本晴」とインディカの「カサラス」の2品種を比べ、米粒の大きさの変化
にかかわる遺伝子(qSW5)を発見。この遺伝子が変異してジャポニカのもみが大きくなったことを確かめた。

この変異と、もみを穂から落ちなくする遺伝子変異、もちもちした食感にする遺伝子変異の計3種類について、
アジア各地の古い栽培品種142系統を調べた。

その結果、フィリピンやインドネシアの品種で、三つの遺伝子に変異のないものと、もみを大きくする変異のみ
をもつものが見つかった。このため、この地域でイネの遺伝子が変異してもみが大きくなり、その後、インドシナ
半島や中国大陸で他の二つの変異が組み合わさって現在のジャポニカができたという。

総合地球環境学研究所の佐藤洋一郎教授(植物遺伝学)の話 もみの幅を広げる遺伝子の変化をとらえた
ことは大きな発見で高く評価できる。ただ、遺伝子の変化を、直接イネの栽培化と結びつけるのは難しい。
考古学資料とのすり合わせが必要だろう。

http://www.asahi.com/science/update/0706/TKY200807060196.html
336日本@名無史さん:2008/07/07(月) 21:19:02
やはり周→呉→日本列島ですね
337日本@名無史さん:2008/07/08(火) 01:02:40
西アジア起源の麦を栽培したから中国人の祖先はアラブ人だな
338日本@名無史さん:2008/07/08(火) 01:23:25
今日も酒の肴に、この↓ウンコくせえ江南サギ台湾ベトナム顔土人を嬲ってやるかwwww



>古代シナ大陸南部に栄えた『呉』は、倭人(越人)の国であり、呉人は
>人種的・文化的には日本人と同系であった。しかし、だからといって
>我々日本人は、「呉人は日本人だった」とか、「呉を建国したのは
>日本人だった」とは言わない。呉人が倭人系民族だったとしても、
>日本列島の倭人とは、民族(政治的グループ)が異なるからだ。
>『呉』という国は、日本列島の倭人が建国したわけではないし、
>歴史上、日本列島の倭人がシナ南部の倭人を支配下においたことは
>一度もない。日本列島の倭人とシナ南部の倭人は、民族が別である。


339日本@名無史さん:2008/07/08(火) 01:25:17

●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土


新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。

展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
340日本@名無史さん:2008/07/08(火) 01:26:47
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。

後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
341日本@名無史さん:2008/07/08(火) 01:28:34
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(ゲラゲラ嘲笑)(ゲラゲラ嘲笑)

342日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:39:57
343日本@名無史さん:2008/07/10(木) 22:49:36

トビウオのアーチを潜り抜けて宝島(日本列島)に着いた頃、何も失わずに同じでいられると思う?

344日本@名無史さん:2008/07/11(金) 22:28:49
本日東京富士美術館の「大三国志展」をみてきた。
驚いたことに倭人センが展示してあった。文字をよみとろうとしたが最上部の有の月がよみとれるがほかは全くだめ。
文字があることすらほとんどわからなかった。
345日本@名無史さん:2008/07/11(金) 22:52:39
5000年前に身長180cmの古代人、日中関係のルーツ解明か―江蘇省徐州市 ...
この人骨には、日本でも渡来系弥生人の間で流行した祝い事や服喪の際、
健康な上顎側切歯(=上前歯の両横にある歯)を抜く「抜歯風習」の跡が
見られるという。【 その他の写真 】 徐州博物館の考古学専門家、
原豊(ユエン・フォン)氏は、「ここに埋葬 ...
headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080619-00000008-rcdc-cn - 関連ページ
346日本@名無史さん:2008/07/11(金) 22:56:50
韓国でも何処の歯の抜歯かで何処の集団か判断するのは常識。

2000年前、韓国・泗川市の勒島(ヌクト)に日本人がいた - OhmyNews

韓国ではこの時代を、原三国時代と呼んでいます。勒島は、『日本書紀』にいう三韓のうちの、
弁韓の位置にあります。 ... 女性2体に、抜歯の風習が確認されたそうです。上顎の両側の犬歯で、
時期的に見て、中国ではなく、日本の山陰から西九州一帯との関係 ...
www.ohmynews.co.jp/news/20080415/23494/print - 17k - キャッシュ - 関連ページ

enjoy Korea勒島の出土遺物は、西暦紀元前3世紀~3世紀、ということですから、ちょうど弥生時代です。
韓国ではこの時代を、原三国時代と呼んで ... 女性2体に、抜歯の風習が確認されたそうです。
上顎の両側の犬歯で、時期的に見て、中国ではなく、日本の山陰から西九州一帯との ...
bbs.enjoykorea.jp/tbbs/popup/jprint.php?board_id=thistory&nid=1956805&start_range=1956794&end...
347日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:08:08
つまり日本人がすべての祖なんだな
348日本@名無史さん:2008/07/12(土) 02:04:35
ほーら、これが抜歯人骨と一緒に出土した大モン口文化の土器ですよw


左下の写真
http://www.recordchina.co.jp/group/g20558.html


三足で、大きな把手と、注水口が付いた、『キ(規の下に鬲)』という水器ですねw

我が国には縄文時代も弥生時代も、三足や、大きな把手や、注水口なんかが
付いた土器などは一切伝わっておりませんね〜w

不思議ですね〜奇妙ですね〜キモイですね〜

いやあ、中国土器ってホントに楽しいですねw

ではまた!(爆
349日本@名無史さん:2008/07/12(土) 09:42:43
三足土器なら青森県の縄文遺跡から三点出土しております。
北部朝鮮からダイレクトでつたわったものとおもわれます。
350日本@名無史さん:2008/07/12(土) 15:38:54
津軽縄文が豆満江あたりにいた部族と交流して土産に鬲を一つ持ち帰ってきて
コピーを作ったんだろう。

日常土器として定着してないし、他の中国土器もないからね。
351日本@名無史さん:2008/07/12(土) 19:04:12
>>335
インドネシアとフィリピンはもみを大きくする遺伝子だけだろ。

だったら、インドネシアやフィリピンから直接イネが来たなら
もみが大きくなるだけでジャポニカにならねえだろがドアホw

結局、イネは中国を経由して山東半島から遼東半島に入って朝鮮半島に伝わり、
それを沿海州から弥生人が船で朝鮮半島東岸を通過してくる最中に水田稲作を
知って九州北部に運び込んできただけの話。

以前と何も変わらないねw


〜 THE END 〜

352日本@名無史さん:2008/07/13(日) 00:54:43
チョンが介在する必要性皆無だなw
353日本@名無史さん:2008/07/13(日) 10:29:50
渡来人ってのも縄文人を征服したのではなく
元からいた縄文人が支配階級として渡来人と混血し倭人が形成されていったそうだね。
男系の遺伝子は縄文系が優勢
縄文人がもし被支配層だと説明できないらしい。


338 :名無しさん@九周年:2008/07/13(日) 07:25:38 ID:wqhlK1Q90
>>337
そりゃそうだよ。
弥生人なんて極少数だったし
そもそも弥生人&弥生混血と見られる骨の出土数は
悲しいほど少ない。


339 :名無しさん@九周年:2008/07/13(日) 07:47:33 ID:fXjFpqG00
弥生人という呼称をあてるべきかはさておき、渡来人は同時代の他の地域の人骨とDNAで
照合すれば少ないのが一目瞭然なはず
354日本@名無史さん:2008/07/13(日) 21:19:41
大和民族の形成
紀元前20000年以上前、朝鮮経由で日本にブリヤート民族が入ってきた。
これが日本の旧石器民族である。
紀元前16500年、台湾・西南諸島経由でレプチャ民族が陸稲を伴い渡来。
ブリヤート民族と交わって縄文人を生み出した。そしてこれが後のサンカ。
紀元前1000年、対馬暖流ルートでミャオ民族が水稲を伴い渡来。
縄文人を伴って弥生人、今の大和民族を生んだ。
250年代前半、百済扶余民族王朝の王族沸流が日本に渡来。
これが崇神天皇である(それ以前からも畿内地方に大王はいた)。
今の天皇家は、大和民族+扶余民族である。
要するに
ブリヤート民族=旧石器人
ブリヤート民族+レプチャ民族=縄文人(サンカ)
ブリヤート民族+レプチャ民族+ミャオ民族=弥生人(大和民族)
ブリヤート民族+レプチャ民族+ミャオ民族+扶余民族=天皇家(天孫民族)
355日本@名無史さん:2008/07/14(月) 01:02:50
男性のY遺伝子グループだとなぜか日本人と同じグループなのは
チベット人と地中海地域の人らしいんだな
356日本@名無史さん:2008/07/14(月) 12:15:19
大野晋教授は日本語の起源が印度のタミル語だと証明されました
ご冥福をお祈りいたします
357日本@名無史さん:2008/07/14(月) 21:19:52
邪馬台国当時の日本のライバルの新羅は、箕子といって殷王朝末期(前12世紀頃)の賢人の子孫を自称していました。
血筋でいえば時代もずっと新しく庶子で詐欺師の徐福の子孫では明らかに新羅に格下扱いされてしまいます。
 自分達を「呉の太伯」の子孫を自称したのです。
呉の太伯と言えば孔子が理想とした周の文王の叔父にあたる賢人です。まさに名門中の名門です。
これに勝る血統は、中国でも五帝か孔子ぐらいしかないでしょう。
新羅や隋、唐の血筋など比べものになりません。これにより唐と対等な関係を結ぶ腹積もりを診てとれます。
 勿論、子爵の箕子<伯爵の太伯となります。

358日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:44:49
日本人から見れば、呉の太伯だろうが徐福だろうが孔子だろうが、

ただの、


ダサイ!クサイ!ブサイ!イモイ!カッコワルイ!


の代名詞であるチャンコロ土人ですから〜



残!!念!!(爆


359日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:59:38
>>357
隋、唐×
魏○
360日本@名無史さん:2008/07/15(火) 00:53:49
まぁ日本人は縄文人なわけだが
361日本@名無史さん:2008/07/15(火) 08:17:15
日本人種の最大の特徴はD2系統のy染色体にある。

日本の本土、沖縄、アイヌの最大勢力のy染色体はD2系統

推定3000万人(男だけなので)

D2系統はアイヌ88%琉球56%日本42〜56%

(参考までチベット33%) 韓国ほぼ0

アイヌに88%と高頻度にD2系統があるように見えるのは南方系のOが無い
ためで結果的には本土日本人と大きな差があるわけではない。



y染色体D2の系統がアイヌは10人中8人沖縄、本土は10人に5人となる。 
(韓国人10人中0人)

ようするに日本人と韓国人は系統が全然違います。

良かったですね
362日本@名無史さん:2008/07/15(火) 13:34:02
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
363日本@名無史さん:2008/07/16(水) 15:02:24
>>1
弥生時代の始まりを紀元前5世紀初頭とすれば正しく思われ、
紀元前10世紀でも、呉城を呉と出来れば正しい。
364日本@名無史さん:2008/07/16(水) 18:10:46
>自云太伯之後

まあ当時の倭人は少なくとも自分達のルーツが呉にある自認していたのは間違いないね

豪州とかのアングロサクソン達に尋ねても多分同じような返答するとおも
「ワタシタチ〜ハ エリザベースジョノ コドーモタチデ〜ス」w

世界最強の侵略者であるアングロサクソンとてグレートブリテン特有の文化文物を
丸々豪州には入れていない、特有の文化が継続されていないから、
残っていないから、と言う理由だけで否定するのなら、朝鮮半島はどうなるんだろね?w

教えて!細目の在チョン!www
365日本@名無史さん:2008/07/16(水) 18:51:34
今、中国の桃源郷を訪ねるつうnhkのドキュメンタリーを見てるけど
チワン族やミャオ族の半農半漁っぷりとか、集落の雰囲気とかが
日本の原風景みたく、ものすごく親近感を覚えるw
366363:2008/07/16(水) 21:36:08
…そうだよな、紀元前1000年なら呉城文化じゃなくて句呉だよな。
367日本@名無史さん:2008/07/17(木) 00:18:53
百越の一派が渡来したんだろ。ウィキ房じゃないけど
 
稲作、断髪、鯨面(入墨)など、百越と倭人の類似点が中国の歴史書に見受けられる。
現代の中国では廃れたなれずし(熟鮓)は、百越の間にも存在しており、古い時代に長江下流域から日本に伝播したと考えられている。

長江文明を担った民に呉人も越人もない、単に倭人の出自が江南地方ってだけでしょ。
368日本@名無史さん:2008/07/17(木) 00:57:40
電波乙
369日本@名無史さん:2008/07/17(木) 10:02:32
電波というか何を文句言ってるのかさっぱりわからん。

呉越という周期の国家崩壊よりも時間的に先行して日本に越族が来ているって言いたいのか?
そりゃ通説通りだ。
370日本@名無史さん:2008/07/17(木) 16:35:26
平安時代の日本書紀の講義の中で「この国が姫氏とよばれるのはどうしてか?」という質問に
講師が「始祖の天照大神が女神、神功皇后が女帝だったから」との問答が記録されている、資料がある。

因みに、周や呉の姓は「姫」氏だが、太伯はここの出であり姫氏だと思われる。

時代が下るにつれ要らぬ想像が邪魔をする、出来れば同時代の資料があれば一番。
371日本@名無史さん:2008/07/18(金) 00:35:36
>因みに、周や呉の姓は「姫」氏だが、太伯はここの出であり姫氏だと思われる。

これこそ下らぬ想像だがw
372日本@名無史さん:2008/07/18(金) 06:43:43
>>371
多分そうだと思うよ。
太伯が新しい姓を名乗ったと言う記述もないから。
373日本@名無史さん:2008/07/18(金) 16:20:20
奈良時代に皇室の姓は「姫」氏であると講師が答えているが
では何故「姫」氏と呼ばれていたのか?
明確に答えられるペテン師はいるか?

「始祖の天照大神が女神、神功皇后が女帝だったから」というダボな答えは無しだぞ。
374日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:47:19
>>373
奈良時代というのは、近現代の日本が欧米崇拝であるのと同じような感じで、
盲目的な支那崇拝であった。
だから天皇家も、土着の酋長のままではカッコ悪いので、
支那の有名人(この選定は単に好みの問題)の姓を勝手に借り受けたのである。

本来、日本とは何のゆかりもないエンペラーという称号を、
誇らしげに天皇に与えている現代日本人と同じ構図だ。
375日本@名無史さん:2008/07/19(土) 00:47:36
↑チョン乙w
支那崇拝だったら皇帝より字の意味的に上位の天皇なんて名乗るわけないんだなw
376日本@名無史さん:2008/07/19(土) 09:31:39
>>374 >>375
邪魔
377日本@名無史さん:2008/07/19(土) 19:29:28
まーた朝鮮煙幕を駆使して祖地長江江南に我田引水を謀る台湾国策工作部隊が湧いてるのか。

台湾半二グロは朝鮮人と一緒に死ねよ。
378日本@名無史さん:2008/07/20(日) 07:23:52
>>370
史料に基づく学術検証。
Ekuserento!
379日本@名無史さん:2008/07/20(日) 07:28:32
はっきり言って「天」
を信仰するものが
農業をやれば、太陽を信仰するようになるのは
当然の成り行き。

天照皇大神への信仰こそが
なによりの証拠。

ちなみに伊勢神宮がじつは
天(極星)を祭っているのは
知る人ぞ知る事実。
380日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:35:59
おまえの台湾国策工作脳内だけでなwwww
381日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:39:22
馬鹿じゃねw
農業やるから太陽信仰するんだろうが
最初に「天」信仰なんて必要ないものを無理やりねじ込むなw
382日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:58:03
朝鮮煙幕で日本人の目を煙に巻いて長江江南創作をねじり込んでいる
のはおまえら台湾国策工作部隊の方だろがこのウソコキw

383日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:02:47
伊勢神宮が天を祭っている事実を知らないのか
384日本@名無史さん:2008/07/23(水) 00:40:44
↑話を理解できない馬鹿
385日本@名無史さん:2008/07/23(水) 15:55:01
なぜに江南≒台湾工作員?
被害妄想?バカチョンってほんと不思議な生き物だねw
シネバイイノニ
386日本@名無史さん:2008/07/24(木) 06:47:26
>>382>>385
ほんと不思議な生き物だねw
387日本@名無史さん:2008/07/24(木) 14:31:45
ほんと卑劣で悪質で悪辣な生き物だね台湾国策工作部隊ってw
388日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:02:11
日本人は台湾人を歓迎するよ、在日はとっとと祖国え帰れヤ
389日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:57:24
>>373
同じく同じ頃、皇室の姓を「天氏」と
答えていた資料(たしか中国の)も
あったと記憶しています。
「天」を姓とするとは
正統な天子の末裔でなければ
ありえないと思います。
390日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:59:00
>>383
その話したしかに聞いたことあります。
たしか、太一とかその他にもいろいろ。
391日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:00:08
>>379
たしかに!
392日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:36:19
>>387>>388
頼むからそれぞれの猿山に戻ってくれんか、
ここは人間が書き込む場所なのよ。
393日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:42:28
>>383
支那の天と関係ないっつうのw
こじつけ乙
394日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:58:51
>>388
何で敵国人の台湾ゴリラなんか歓迎すんだよ。

うぬぼれるな。
395日本@名無史さん:2008/07/25(金) 18:26:41
親日的で温厚な人が多い台湾人は歓迎!

反日で下品で人のうちにズケズケと上がりこみ
我がもの顔のお前のような在日はとっとと祖国へおかえりwww
396日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:29:26
台湾ゴリラも在日だろが馬鹿。

台湾ベトナム顔ゴリラは朝鮮人とともに日本から出てけ。
397日本@名無史さん:2008/07/26(土) 00:44:24
いや朝鮮猿だけでいい、台湾子ちゃんは萌えカワだからいてください
カルト教団に、ヤクザ・街宣右翼・犯罪者・朝鮮スリ団、朝鮮メス豚売春婦は即刻強制送還〜
398日本@名無史さん:2008/07/26(土) 04:19:21
台湾土人うぜえ。

両方とも敵国人。

台湾人と朝鮮人は日本から即出ていけ!
399日本@名無史さん:2008/07/27(日) 16:51:06
400日本@名無史さん:2008/07/27(日) 17:12:07
台湾人や朝鮮人が敵国人とか頭おかしいの?
太平洋戦争当時台湾も朝鮮も日本帝国の植民地だったんだけど
(ちなみに戦後彼らは戦勝国人でも敗戦国人でもない「第三国人」と呼ばれた)
つかスレ違い
401日本@名無史さん:2008/07/28(月) 03:09:47
植民地だなんて70年代にも無かったことば。
80年代になってから朝鮮系工作員が言い出したことば。

私の親世代は朝鮮が植民地だなんて、そんな意識もなかったし、
植民地の呼称すら朝鮮に対してはなかったわよ。
そもそも日本国内を犠牲にしてまで膨大な投資で
インフラ整えて教育を授けたのに
本当に恩知らずね。朝鮮人は。
402日本@名無史さん:2008/07/28(月) 03:10:07



また罪のない人たちを拷問かよ・・・
http://www.faluninfo.jp/2004/08/html/040820_phss.htm

美人女性の顔面を スタンガンで破壊するっ!!!





http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/occult/1214588603/

中国のマジ本物のレイプ拷問殺人動画画像っ!!!
403日本@名無史さん:2008/07/28(月) 04:12:05
>>400-401からベトナムの肥溜めに似たタイワン臭が漂ってるねw
404日本@名無史さん:2008/07/28(月) 22:40:59
遺伝子の話に戻しましょうか。
面白い部分で酒に対する強さの遺伝も日本人のルーツを知るうえで参考になります。
お酒に強い弱いを決定付けるのはALDH2という酵素の働きであります。
お酒に弱い人はこの酵素の変異型を持っております。
原田勝ニ教授の研究によれば近畿、中部、中国地方で変異型(お酒に弱い)が多くそこから離れるほど少なくなる(お酒に強い)とのことです。
変異型のALDH2はコーカソイド(白人)やニグロイド(黒人)には皆無であります。
日本全体では44%の人が変異型を持ちそれに次いで多いのが中国南部の41%です。
変異型の遺伝子はおそらく中国南部で生まれ呉の滅亡などで日本列島に渡ってきた人々が持ち込んだのでしょう。
縄文人は通常型でありお酒に強かったようです。
ちなみに韓国での変異型の割合は28%と少ないです。
405日本@名無史さん:2008/07/29(火) 01:11:20
下戸遺伝子は新モンゴロイドの特徴だろ
華南は古モンゴロイド系だぞ
406日本@名無史さん:2008/07/29(火) 12:45:14
>>401
こーいう奴に限ってGHQを全否定する。
407日本@名無史さん:2008/07/29(火) 14:04:23
>>401
別に植民地という言葉が気に入らなければ「領土」でもいいよ
>>403
なんだこいつは。台湾人に親でも殺されたか
408日本@名無史さん:2008/07/29(火) 15:22:49
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
409日本@名無史さん:2008/07/29(火) 16:51:03
朝鮮工作員にしてみれば
弥生人が水田稲作を日本列島に持ち込んだ民族(従来の歴史)であるとするのなら
弥生人の故郷は朝鮮半島ではなく中国江南ということになるが
「人も技術も与え教えたのはウリなら先祖に決まっているニダ!ホント胸糞悪いニダね!」ってことなんだろうねw
近年の科学的ミトコンドリアDNA鑑定によって、稲および弥生人のDNAが中国江南のそれと完全に一致したのも
歴史板古代史関連全般で必死になる要因だろうねwww
410日本@名無史さん:2008/07/29(火) 16:54:26
普段は下品な言葉は使わないが、目ぼしい板を荒廃させる目的なら
別に気を使うこともないし、奴らにしても都合がいいんじゃないか?
チョソどもは本当にやる事が姑息。
411日本@名無史さん:2008/07/29(火) 17:05:53
「自云太伯之後」
朝鮮民族がユートピアとして檀君の末裔であることを誇りとしていることよりは現実的
412日本@名無史さん:2008/07/29(火) 17:47:38
>>405
多分奴隷だと思う、倭海賊が半島沿岸から大量の労働力をしょっ引いてきたのさ
時代は繰り返されて秀吉の朝鮮出兵時も同じように、陶工など優秀な技術者以外は奴隷に下女や下部となった
世界の奴隷市場が大暴落するくらいに朝鮮奴隷は世界に羽ばたいたとさ。
413日本@名無史さん:2008/07/29(火) 17:54:44
当時の奴隷の値段
南米系奴隷400スクード、アフリカ系奴隷150スクード
朝鮮の使えない捕虜≒奴隷、2.4スクード
414日本@名無史さん:2008/07/30(水) 01:09:39
>>412
おまえ言ってることコロコロかわりすぎだw
415日本@名無史さん:2008/07/30(水) 01:22:54
>>409-413
朝鮮煙幕台湾国策工作部隊 乙枯w
416日本@名無史さん:2008/07/30(水) 14:25:15
417日本@名無史さん:2008/08/02(土) 07:22:15
遺伝学の発達により天皇家が縄文系である可能性が高いと言う
説が最近湧き上がっている。というのも日本人男性の多くがY染色体D系統
という、他のアジア地域には存在しない得意な遺伝子を持っている事が
明らかになっている。この遺伝子は縄文人由来。

そして日本の王家である天皇家もD系統に属している可能性が高いと言われて
いる。天皇家は少なくとも5世紀から1500年以上現在まで君主として君臨して
きて、多くの皇子が平民に下っている。

あのチンギス・ハーンは一代のみであったが、同じY染色体を持っている父系
子孫は1600万存在する事が判明している。つまり1500年以上前から何代にも
渡って膨大な数の皇子を平民に下らせた事を考えれば、天皇家の父系子孫は、
日本人男性の大部分を占めていると思われる。

日本人は父系のY染色体にこのような特殊系を表しているということは、
D系統を持つ縄文系の男性が有力者として天皇家・支配層に就いていた事を
示す可能性が高い。少なくとも逆のパターンはありえない事になる。

418 サガミハラハラ :2008/08/02(土) 08:13:39
天皇の先祖が居住していた高天原は佐賀県北部の脊振山地の高原地帯である。
彼らは、北部九州の平野部がまだ水浸しであったころから、その地で縄文畑作をおこなって生活したようである。
よって、天皇の先祖は外来ではなく在来種の縄文人であったと考えられる。
419 サガミハラハラ :2008/08/02(土) 08:15:50
只今邪馬台国小城天城節の宣伝強化月間中です。
邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡です。
420日本@名無史さん:2008/08/02(土) 13:18:17
摂津地方に呉人渡来伝承があり彼等を祀る神社(呉服神社・池田市)が
あります。もろもろ考えますと近畿地方は呉人の入植地であったことは
否定できないように思います。ただし、天皇家の先祖はもともとは、私
も縄文系の有力者がまつりあげられ神格化されたのではないかと漠然と
した考えをもっています。それから、ついでに言いますと、呉越同舟と
いいますか、舟のような形をした日本列島の日本海側には越人が渡来し、
越中、越前、越後などの地名と関係があるのかなとも思います。
出雲王権は越系の入植者となんらかの関連がないかなとも漠然と考えて
います。

421日本@名無史さん:2008/08/02(土) 19:33:19
越前とかの「越(こし」はエツとは関係なさそうだが。
畿内にくるのに「山を越してくる」という意味ではないか?
422日本@名無史さん:2008/08/02(土) 23:58:37
でも琵琶湖とか吉野とか山を越さない所も越
423日本@名無史さん:2008/08/03(日) 00:26:39
日本の越は「エツ」じゃなくて「コシ」だよ。
越国も旧来は「高志国」と書いて「コシノクニ」だし。
支那の越とは関係なし。「コシ」は大和言葉だろ。
424日本@名無史さん:2008/08/03(日) 01:31:32
pegadinhas
425日本@名無史さん:2008/08/03(日) 01:51:56
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)
等(ラ)の祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は
卓素(タクソ)、また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を
貢上(タテマツ)り、また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、
漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、また酒を醸(カ)むことを
知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は須須許理(ススコリ)等
(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt
426日本@名無史さん:2008/08/03(日) 03:51:45
>>418
佐賀が高天原なら九重高原は何だ? 高々々天原か?

甘木まで博多湾から徒歩一日じゃね?地図みてみな。
水行10日を説明できる水路の長さは有明海の九十九島と天草だろ。
(よほど大きな地図をみないと100ぐらい島があるのは見えないが)
陸路一ヶ月かかるのは、50ぐらいは山を越えないといけないだろうな。
トンネルもない時代だからな。

だいたい、朝廷があった中国南部と朝鮮から見て見える倭国って
九州西岸だろ。邪馬台国から東の海を越えて倭人の住む別の国。
これって四国と本州だろ。もう場所は「あの辺り」しかないわけ。

大体、「邪馬台国」の「邪馬」って山の意味以外ありえんしな。
427 サガミハラハラ :2008/08/03(日) 15:09:53
九重高原一帯はア馬(アマ)です。安本美典先生はそこが高天原であるといっています。
しかし、記紀のさす高天原は脊振山地です。(すごく古い時代においては、高天原は複数あったかもしれない)
単に高地であるだけでなく、十分な人口を養うだけの平地耕地があります。またその後の天孫降臨やその後の事件をかんがえると、
脊振山の北麓にその活躍の場がみられることから、記紀にいう高天原は、脊振山地であると確言できるわけです。

邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡です。
428日本@名無史さん:2008/08/03(日) 16:22:19
                              
シラキの第7代王(イセ・キミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。
                             
■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョホン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、新羅滅亡(935年)まで金氏の王統が続く・・・>
429日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:33:15
>>427
つまり君の思い込みだけか。。。。

430 サガミハラハラ :2008/08/03(日) 18:38:23
いえ記紀の記述と合致いたします。
431日本@名無史さん:2008/08/04(月) 11:17:33
ここのスレの趣旨に則るなら、

高天原 雲南だか四川だかチベットだか
葦原中国 長江下流域
大八島国産み 長江下流民族の日本列島への移住

だろ。
432日本@名無史さん:2008/08/05(火) 00:44:38
8月4日の産経新聞夕刊で日本人の遺伝子からのルーツが一面に掲載されてましたね。
東京首都圏は圧倒的に弥生系が多かったです。
沖縄・東北・飛騨地方などが縄文系主体の地域です。
意外だったのが北九州や山口県・島根県など半島に近い地域で縄文系が多かったこと。
東京首都圏だけが圧倒的に弥生系が多かったことが目立ってました。
433日本@名無史さん:2008/08/05(火) 01:57:45
ニューカマーの密航支那人だなw
434日本@名無史さん:2008/08/05(火) 15:17:42

●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土


新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。

展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
435日本@名無史さん:2008/08/05(火) 15:19:32
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。

後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
436日本@名無史さん:2008/08/05(火) 15:20:19
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺構では
さーっぱり見た事がない摩訶不思議な物や文様が出るんですねえ(ゲラゲラ嘲笑)(ゲラゲラ嘲笑)

437日本@名無史さん:2008/08/05(火) 18:45:38
>>436は漢字が読めないらしい、気の毒にな(ゲラゲラ嘲笑)。
438日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:59:12
>>432
これか
ミトコンドリアDNAから弥生、縄文の構成計算
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080804-00000057-san-soci
439日本@名無史さん:2008/08/08(金) 00:02:11
>>438
すごいなこれは
440日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:28:52
>>436
外国人たちが稲持ってきても
列島人は従来の食器でそれを食べましたとさ。
終わり。
441日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:44:49
いいえ、従来の食器なんかでイネを食べてませんよ。

なぜか同時代の沿海州中南部に見られる口縁部に刻目のある新形土器で、

なぜか甕という新器種で、

それを食べたのである。

中国土器とも朝鮮無文土器とも関係のないね。

終わり。
442日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:10:01
なるほど
やはり日本人は呉の遺臣の子孫である可能性が濃厚ですね
443日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:05:07
↑あたま悪すぎ
444日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:09:44
長江江南ベトナム顔呉リラの罪日台湾国策工作呉リラのおまえだけなw

広鼻ブラック、ギョロギョロ目、潰れ広がる広鼻、突き出した口元、
タラコ唇、骨張った輪郭、

ウンコくせえ東南アジアむき出しの長江江南ゴリラの台湾ニガーは
生きてる価値がない。

潔く、死にましょう。
445日本@名無史さん:2008/08/20(水) 03:17:07
日本には縄文時代から弥生時代に至るまで中国土器はない。その影響土器もない。
中国金属器もない。朝鮮半島も楽浪開始頃まで中国土器はない。

弥生人が支那から朝鮮半島を経由して流入した人々であったのなら、
彼らが伝えるのは中国土器か朝鮮無文土器のはず。

しかし、彼らが最古の水田遺構と同時に伝えたのは中国土器でも朝鮮無文土器でもなく、
口縁部に刻目を持つ当時の沿海州中南部あたりが故郷と見られる土器。

輸入したと見られる朝鮮無文土器は少量見られ、その影響を受けた弥生土器も見られるが、
朝鮮無文土器そのものを生産していた集落遺跡がない。

弥生人は沿海州中南部の沿岸部にいた口縁部に刻目のある土器文化を持った
海洋的性格の強い北方蒙古人種。

沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。
446日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:07:58
ワイン大好きなスパリエ(イギリス人)はちょっと思ってました。
「フランスワインがbPなのは当たり前だけど、アメリカワインも美味いと思うんだよね。」
ソレを聞いた人々は大爆笑。当時アメリカワインは無名でした。
1976年アメリカ独立200年記念で友好国フランスとお祝いムードのなか
スパリエ「フランスワインとアメリカワインの対決とか面白くね?」とパリを舞台にワイン対決が実現しました。
スパリエは万が一にそなえバッチリ勝てるフランスワインを選びフランス贔屓の審査員をそろえました。
対決方法は目隠し利き酒方式。
なごやかに楽しく採点は終わりました。
開票してみたらアメリカワインの圧勝www
審査員はパニクって点数を書き直そうとしたり大混乱になりました。
その後納得のいかないフランス側は86年と06年に再度対決しましたがどんどんアメリカワインが圧勝していきます。
そんな勝敗を見て有名ワイナリーオーナーがひとこと
「アメリカの醸造家の日々の努力とあきらめない心の勝利だね」オーパス・ワンのオーナーであるロバート・モンダヴィ
「土を愛し樹を愛し日々畑に立つ。それだけのことができない者は敗れて当然。」ブルゴーニュの神様アンリ・ジャイエ

なんか野球と共通してるところがあるよね〜
447日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:14:27
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
448日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:22:14
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。

http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf
449日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:23:52
450日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:25:37
>銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土
>張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性がある




青磁どころか灰陶もなけりゃ印文陶もないし、弥生土器の器形に鐸もない。
だいたい鼎の一つくらい伝えろや、このスットボケ南京博物院が(嘲笑)



451日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:30:06
>>448
だったら何で銅鼓、貯貝器という器種自体が真っ先に伝わらんのだ。

アホだろおまえ。
452日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:36:27
>>451
じゃ瓜二つの紋様は空を飛んで来たのかね??

珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
453日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:40:45
>>451

紋様を伝えるのと機器を伝えるのは別物だろ。
454日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:45:40
>>450>>451
俺は茶碗や鍋を毎日使うが、作ってみろと言われても作れないぞ。
専門の職人しか作れないよ。
455日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:53:02
>>450>>451

じゃ瓜二つの紋様は鳥がくわえて飛んで来たのかね??答えてみろ。
456日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:14:20
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html


457日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:16:03
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
458日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:46:05
>銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土
>張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性がある




青磁どころか灰陶もなけりゃ印文陶もないし、弥生土器の器形に鐸もない。
だいたい鼎の一つくらい伝えろや、このスットボケ南京博物院が(嘲笑)



459日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:50:06
>>456
だったら何で銅鼓、貯貝器という器種自体が真っ先に伝わらんのだ。

激アホだろおまえ。

つか、長江江南広鼻ブラックの台湾ウホウホ類人猿だろおまえw
460日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:10:42
>>458>>459

じゃ瓜二つの紋様は鳥がくわえて飛んで来たのかね??答えてみろ。
461日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:17:47
逆S字なんか世界中に見られるだろがアホ。

そういう事は雷文、トウテツ文、龍文、鳳凰文の一つくらい
伝えてから言えよ詐欺師。
462日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:29:48
463日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:35:07
>>461
一部を取り上げて否定しても駄目だぞ、全体的に一致点が多すぎるだろ
これらは偶然の一致か?鋸歯紋、鋸歯紋の内部の斜線、流水紋、波紋、
窓枠様の構成等々、頭に羽の羽人像、太陽、船先の鳥(イビス神)
これらは誰が伝えたって言うんだよ。答えてみろ!

>>462  馬鹿の一つ覚えみたいに同じ文章コピペすな。
464日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:26:39
465日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:45:39
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
466日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:53:20
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
467日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:55:16
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
468日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:08:47
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
469日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:47:05
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
470日本@名無史さん:2008/08/25(月) 06:41:07
チベットの末裔です
471日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:44:38
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html

472日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:46:33

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
473日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:48:47
474日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:45:52
>>471>>473

遂に出て来たか、呉越の水軍とはな矢張りと言うべきか。
南九州の隼人系なんか其れっぽいもんな。
475日本@名無史さん:2008/08/25(月) 19:04:32
臨淄がどこにあったかも知らない夏坊らしいw
476日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:20:17

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
477日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:56:02
「越」あるいは「百越」と呼ばれ,多くの部. 族からなっていた。「百越」の諸族は
BC五〇〇〇年ころ長江下流域に住んでいましたが、漢族の発展とともに故郷を
追われ中国華南から南西部へ、やがて中原の. 漢民族の殷・周に吸収されたり
あるいは. 追われたりした.「越」の一部はボートピ. ープルになり海を渡り,
日本列島に渡来. して,越前・越中・越後という北陸の米作 ...

http://toshichan.be.fukui-nct.ac.jp/araki/050228.pdf
478日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:29:21

●鴻山越國貴族墓地發掘情況介紹

鴻山越國貴族墓地位江蘇無錫鴻山鎮東部,該區保存大小規模土墩近百座。南京博物院考古研究所及
錫山區文物管理委員會組成聯合考古隊,於2003年4月至2004年12月期間,對該範圍內土墩進行搶救性
發掘。

是次發掘7座墓葬,出土共計2000餘件隨葬器物,其中丘承墩就出土1100餘件精美成套的青瓷禮器、
樂器和玉器。 根據墓葬的封土規模、墓葬結構和隨葬器物的種類、質地、組合關係,7座墓葬可以
分為5個等級:
479日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:31:44
第一級別為丘承墩,該墓封土為長方形覆斗狀,是墓地中唯一的深坑墓,墓坑平面為「中」字形,
並有壁龕;隨葬品中青瓷禮器數量眾多,器類齊全;青瓷樂器既有中原式的鈕、甬鍾、磬,
亦有越式的ロ于、丁寧、鐸、勾、鈴形器、具座,還有以往從未確認的缶;玉器中,既有葬玉、
劍飾,亦有佩玉,而成雙成對的龍形佩、雙龍佩、龍鳳佩、龍首珩、龍形珩等組成的佩玉,
當為春秋戰國時期最高等級的佩飾;此外還隨葬琉璃釉盤蛇玲瓏球形器等象徵特殊意義的器物;
第二級別為老虎墩,該墓封土亦為長方形覆斗狀,埋葬方式為平地鋪木,隨葬器物中除生活用品外,
還包括成組的原始青瓷樂器和硬陶禮器、樂器;第三級別為萬家墳,與老虎墩的封土規模和平地
鋪木的葬制相同,然隨葬品中僅有成組的硬陶禮器、樂器而不見原始青瓷樂器;第四級別為曹家墳、
杜家墳,為長方形覆斗狀封土;第五級別為老墳墩、鄒家墩。這4座墓葬均無成組樂器隨葬,為長圓形
饅首狀封土。
480日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:32:54
鴻山貴族墓葬的特徵大致可歸納為以下幾點:
1. 長方形覆斗狀或長圓形封土;
2. 除特大型墓葬為深坑墓外,皆為平地起封;
3. 除特大型墓葬為「中」字形外,其餘皆為長條形墓葬,大型的還有墊木或分室用的木板等用於
構築墓室;
4. 隨葬器物主要為原始青瓷器和硬陶器;
5. 特大型墓葬的隨葬品中有組玉;
6. 隨葬器物中常見原始青瓷或硬陶的勾、ロ于、丁寧、鐸、羊角器、璧、鈴形器以及越式鼎、
筒形、盅、器蓋等;
7. 高等級的器物紋樣中常見蛇。而以蛇為器物紋樣也是越人圖騰崇拜的體現。
481日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:33:55
這些特徵中多為越國墓葬獨有,其中墓葬形制和隨葬品的質地、器形、器類與浙江紹興印山越王墓
以及安吉、海鹽、長興等地的越國貴族墓葬相同,尤其明顯的是均隨葬陶、瓷禮器和樂器,如ロ于、
丁寧、勾、鎛、甬鍾、磬、鈴形器、缶、具座、羊角器、璧以及越式鼎、筒形、盅、器蓋等;
根據墓葬的規模、形制和在墓地中的位置,以及隨葬器物的數量、種類和等級推測,鴻山貴族墓地
中丘承墩墓主的等級應為僅次於越王的越國大夫,此墓主室和後室總長僅次於紹興印山越王墓,
遠高於其他中小型越國貴族墓,而出土的隨葬器物則是目前已發掘的越國墓葬中等級最高、
質地最好且器類最為齊全的。

7座墓葬的隨葬品中,皆有完全相同器物,如壇、、碗、盅、器蓋等,其年代應相同;而大型或
中型墓葬中則有造型相同的鍾、鎛、磬、鈴形器、璧、羊角形器等,其年代亦應相同;而從印紋硬陶
和原始青瓷基本生活用品的形態、僅見麻布紋和米字紋等紋飾以及器物的組合關係,根據長江下游
土墩墓的分期,其年代應為戰國早期;出土玉器中,儘管有少量紋飾保留春秋晚期特徵,而絕大多數玉器
的造型和紋飾都呈現戰國早期的特徵。因此鴻山越國貴族墓地的年代可定為戰國早期,即越國最強盛的
越王勾踐時期。
482日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:34:54
鴻山越國貴族墓地中,丘承墩位於墓地的西北角,而其他大、中、小型墓葬則圍繞在丘承墩的東南呈
扇形分布,墓葬與墓葬之間既有一定的分布規律,又存在著嚴格的等級差別,為是次考古發掘最重要的
收穫之一;丘承墩墓為目前僅次於紹興印山越王墓的越國第二大墓,而丘承墩出土的大批精美成套的玉器、
青瓷禮器和樂器,應為迄今為止江浙一帶所發現的最高等級的越國隨葬器物,同樣為是次考古發掘最重要的
收穫之一。其墓地的完整性和禮器、樂器組合的完整性,尤其是越國的禮樂文化中將中原系統和諧地融入
越系統中,為越國史的研究和解決一系列春秋戰國時期的重要學術課題提供了一批極為珍貴的實物資料,
對於越文化乃至百越民族史的研究和越國考古學的研究將起著積極的推動作用。
http://www.cuhk.edu.hk/ics/ccaa/talk9.htm
483日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:43:20


いやあ、弥生時代の江南の江蘇省無錫の越の土トン墓からは、

楽器やら、玉器やら、酒器やら、原始青磁やら、印紋硬陶やら、鈕やら、
甬鍾やら、磬やら、ロ于やら、丁寧やら、勾やら、鈴形器やら、具座やら、
佩玉やら、龍形佩やら、雙龍佩やら、龍鳳佩やら、龍首珩やら、龍形珩やら、
琉璃釉盤やら、蛇玲瓏球形器やら、羊角器やら、璧やら、越式鼎やら、
筒形やら、盅やら、器蓋やら、鎛やら、

もうさーっぱり見た事も聞いた事もない代物まで、もうありとあらゆる
摩訶不思議な物や文様が、出るわ、出るわ、出るわ、出るわ・・・

何でこんなイイモン、日本の弥生遺構から出んのやろ?(ゲラゲラ嘲笑)

484美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/26(火) 05:07:22
>>483
日本は世界で唯一現存する古代国家だからだよ
過去に滅んだ国や都市とは違うんすよ
485日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:41:15
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html

486日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:44:01

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
487日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:45:18
488日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:47:19

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
489日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:50:45
「越」あるいは「百越」と呼ばれ,多くの部. 族からなっていた。「百越」の諸族は
BC五〇〇〇年ころ長江下流域に住んでいましたが、漢族の発展とともに故郷を
追われ中国華南から南西部へ、やがて中原の. 漢民族の殷・周に吸収されたり
あるいは. 追われたりした.「越」の一部はボートピ. ープルになり海を渡り,
日本列島に渡来. して,越前・越中・越後という北陸の米作 ...

http://toshichan.be.fukui-nct.ac.jp/araki/050228.pdf
490日本@名無史さん:2008/08/27(水) 12:32:56
>>484

天皇家はエジプト文明、オリオン座の三ツ星信仰も継承してるな。
北極星、北斗七星、信仰は中国でも有るが、三ツ星信仰は滅多に無い。
エジプトのイビス神(エビス様か?)の天の鳥船と云い、アメン(雨)神
、アテン(天)神、太陽神ラー(羅、空ソラ)などオールスター揃い。
491日本@名無史さん:2008/08/27(水) 13:46:36
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
492日本@名無史さん:2008/08/27(水) 13:58:46
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




493日本@名無史さん:2008/08/27(水) 14:00:03
弥生時代に印文土器、越式鼎なんて一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif


494日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:19:16

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!
495日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:27:13
>491〜493

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。
496日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:48:31
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html

497日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:50:07

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
498日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:51:24
499日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:52:48

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA

500日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:54:40

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。
501日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:17:44
>>500
韓国人が伝えたって云いたいが残念ながら、弥生前期末BC500年頃の
半島からは一切「幾何印文」が出てこないんだよ。
502日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:08:24
アムール沿海州から伝わっている。

渦巻き文(S字文)、鋸歯文(のこぎり文)、流水文は世界中に
見られるっての馬鹿ワンコロ。
503日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:20:38
アムール沿海州ってコテハンになれよ
504日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:53:20
●越族 えつぞく

中国の長江中下流以南に広く分布していた民族。粤(えつ)とも書かれる。地域によって,於越(于越),
甌越(越東海,東甌),ビンエツ※注1※(東越),揚越,山越,南越,西甌(甌),駱越(駱)などが
あり,総称して百越(百粤)と呼ばれた。於越は春秋戦国時代に浙江省北半部を本拠に越という国を
建てた。甌越は浙江省南部の甌江流域により,ビンエツ※注1※は福建省ビンコウ※注2※流域を中心
とした。揚越は揚州にいた越で,西甌,駱越は広西壮族自治区,あるいは北ヴェトナムにまでひろがって
いたとみられている。秦代末期の混乱に乗じて,趙佗(ちょうた)が番禺(ばんぐう,広東省広州市)を
都に南越(南粤)国を建て,5代97年のあいだつづいたが,漢の武帝の前111年(元鼎6),漢に滅ぼされた。
越族の習俗については,入墨・断髪などが知られ,文化については,新石器時代から春秋戦国時代まで
盛んにつくられた幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている。
http://www.tabiken.com/history/doc/C/C080C100.HTM
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
幾何印紋土器が越族の文化の一つと考えられている
505日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:54:10
●越式鼎


江南名物「越式鼎」(エツシキテイ)。中原の漢式鼎よりも足が長い。
陶製と青銅製がある。



越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif




506日本@名無史さん:2008/08/27(水) 19:54:55
弥生時代に印文土器、越式鼎なんて一切伝わっていない。



●印文土器
http://www.kobijutsuizumi.com/new%20079.jpg



●越式鼎
http://www.npm.gov.tw/english/exhbition/han9909/handynisty/live/pictures/art16.gif


507日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:22:36

土器人ちゃん銅鐸の存在が相当目障りみたいだな。

私が一番言いたいのは額縁で区切られた絵画、窓枠様の中に書く構成方法
これらが銅鐸と長江周辺の銅鼓等々の、紋様の構成方法と同じだと云いたいんだ
まるで漫画のカット割の様に場面場面ごとにトンボ、カエル、などを書き込む。

理解出来る土器人ちゃん、まっ土器人ちゃんの能力では無理か。!
誰かハングルに訳してクレ〜〜。

508日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:03:13
長江江南ベトナム顔ゴリラの台湾類人猿は、銅鼓、貯貝器という器種器形を
ちゃんと伝えてからそういうエラそうな事を言いましょうねw
509日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:21:50
朝鮮人扱いされてばかりだなw
510日本@名無史さん:2008/08/28(木) 00:44:31
そうだよ嫌味な事ばっかり言うから朝鮮人扱いされるんだよwww
511日本@名無史さん:2008/08/28(木) 01:57:49

>これは同じ水軍人物像だよ!! 待てよチブサン古墳って起源前か!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」(アクセス変更の様なのでコチラヘ)
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
512日本@名無史さん:2008/08/28(木) 02:06:14
冠をかぶるくらいの上位層が来たなら鼎と金石文くらい残るだろがカスw

それに臨しは華北だぜw
513日本@名無史さん:2008/08/28(木) 02:10:43

糞カスに貸すと云われても全然。
514日本@名無史さん:2008/08/28(木) 02:26:19

土器人ちゃん腹に円く、白く描いてるのは小型の銅鏡じゃないか。?
515日本@名無史さん:2008/08/28(木) 03:25:45
6Cだと呉越時代と1000年以上も違うだろうがヴォケw
結局、冠も朝鮮経由で伝わっただけ。


チブサン古墳(国指定史跡)

 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)
の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ている
ところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。
http://www.dandl.co.jp/gold/chibusan/
516日本@名無史さん:2008/08/28(木) 07:32:47
女房
517日本@名無史さん:2008/08/28(木) 12:17:55
>>515
実は今一部の考古学研究者の間で、頭の痛い問題が起こってるんだよ、九州中部
ある古墳のC14年代で調べた結果、なんと驚くなかれ紀元前の結果が出て、
何回繰り返しても同じ結果らしい、今までの常識じゃ有り得ない話だから、公表
も出来ず只ひたすら精度を高める為の日々らしい。
若しかしてチブサン古墳も古い墓の再利用かもよ。
518日本@名無史さん:2008/08/28(木) 15:10:00
その弁解、久々に大笑いさせてもらったよw
519日本@名無史さん:2008/08/29(金) 23:57:28
>>517
なるほど!
古墳は紀元前の頃にすでに存在したわけですね。
やはり呉から渡って来た我々の祖先の墓ですかね。
520日本@名無史さん:2008/08/30(土) 01:10:09
なわけねーだろタコw
521日本@名無史さん:2008/08/30(土) 02:28:43
台湾人はウンコくせえ長江江南のベトナム顔を鏡に映して、
その土人なギョロ目で見てみな。

そしてEラインから思いっきり突き出した土人な口元のタラコ唇を
ガチョーンと開いて「ハオハオ」言ってみ。

ほーら香港ツブレ広鼻茶色マフィアの出来上がりwwwww
522日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:53:21
レッドクリフの孔明役が
金城武なのはただの偶然ではあるまい。
523日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:49:18
歌垣の話に戻しましょうか。
この写真は日本人と先祖を同じくするかも知れない白族(ぺー族)の少女です。
http://homepage1.nifty.com/mamoruokada/image2/pei1.jpg
本当に日本人と良く似て優しい表情をしております。
歌垣はこの文字を持たない雲南の少数民族に今も風習として生き続けております。
日本でも古くは古事記の文体の中にも歌垣があるようにかなり古くから大和民族の中にしかも集落単位で神話が歌われていた模様だと工藤隆・大東大文化大学教授も分析されてます。
歌垣の文化は中国大陸南部の少数民族のほか、チベット、ブータン、ネパールにも広がっております。
東南アジアではタイ、ベトナムなどで散在しておりますが、インドネシアなどの島嶼部にはみられません。
しかし沖縄の風習である「モーアシビ」は歌垣に似ております。
逆に中国大陸北部から朝鮮半島、モンゴルではみられず北海道のアイヌにもありません。
以前にも水田稲作の伝播に関して議論がありましたが、水田稲作は百越少数民族の原郷といわれる長江流域で始まりアジア各地に広まったことは異論がございません。
先の工藤教授は「歌垣は稲作にともなう農耕儀礼として日本列島に持ち込まれた」と推測なさってます。
朝鮮半島に歌垣文化が希薄であることから呉から沖縄を経由し黒潮ルートで稲作と共に日本に伝わった可能性が濃厚です。
古事記には日本書紀にはない出雲神話が入り込むなど必ずしも天皇家中心の国家観が貫かれているわけではありません。
縄文時代から海流に乗って呉の移民以外にも様々な少数民族が渡来し南方神話や歌垣をもたらし異色の古い痕跡を古事記にとどめたのかもしれませんね。
524日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:15:33
フィリピンやインドネシアにもあると>>41にあるけど。
稲に関してはジャポニカ米の原種はフィリピンにあるとつい最近判明したね。
525日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:18:32
インドネシアとフィリピンはもみを大きくする遺伝子だけだろ。

だったら、インドネシアやフィリピンから直接イネが来たなら
もみが大きくなるだけでジャポニカにならねえだろがドアホw

結局、イネは中国を経由して山東半島から遼東半島に入って朝鮮半島に伝わり、
それを沿海州から弥生人が船で朝鮮半島東岸を通過してくる最中に水田稲作を
知って九州北部に運び込んできただけの話。

以前と何も変わらないねw


〜 THE END 〜

526日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:26:48
北方系は夜、口笛を吹きまくるだろw
無理するな。
527日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:37:26
>>525
何でファビョってんの。
原種がフィリピンなんだからそこが源流でしょう。
稲作は沖縄経由だよ。
528日本@名無史さん:2008/09/02(火) 08:59:03
ジャポニカイネの起源をめぐっては「中国長江説」や「アッサム(インド)雲南(中国)説」がある。今回の調査では、中国の
イネもジャポニカイネと同じような遺伝子変化をたどっていることが判明。
 井沢主任研究員は「現在、東南アジアで栽培されている『熱帯ジャポニカイネ』が中国に伝わり長江付近で水田化され、
『温帯ジャポニカイネ』が誕生し、さらに日本に伝わったと考えられる」としている。

ソース(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080707/sty0807070204000-n1.htm

フィリピン→長江→沖縄→日本の順に伝わったようですね。
529日本@名無史さん:2008/09/02(火) 13:57:15
沖縄に稲作が伝わったのは平安期の11Cだがなw
530日本@名無史さん:2008/09/02(火) 14:07:13
歌垣は朝鮮半島に今も残されている。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm
531日本@名無史さん:2008/09/02(火) 18:20:59
>>530
それはプンムルノリとかサンムルノリとか言いまして朝鮮時代に広まったものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E6%A5%BD
532日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:54:40
>>529
バカ乙
533日本@名無史さん:2008/09/03(水) 19:59:24



|  柳田國男説か??
534日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:18:56

朝鮮人は脛毛がないんだww 
535日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:49:56
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
536日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:51:20

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
537日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:53:37
538日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:55:11

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
539日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:56:46
「越」あるいは「百越」と呼ばれ,多くの部. 族からなっていた。「百越」の諸族は
BC五〇〇〇年ころ長江下流域に住んでいましたが、漢族の発展とともに故郷を
追われ中国華南から南西部へ、やがて中原の. 漢民族の殷・周に吸収されたり
あるいは. 追われたりした.「越」の一部はボートピ. ープルになり海を渡り,
日本列島に渡来. して,越前・越中・越後という北陸の米作 ...

http://toshichan.be.fukui-nct.ac.jp/araki/050228.pdf
540日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:59:36

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。
541日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:02:21

天皇家はエジプト文明、オリオン座の三ツ星信仰も継承してるな。
北極星、北斗七星、信仰は中国でも有るが、三ツ星信仰は滅多に無い。
エジプトのイビス神(エビス様か?)の天の鳥船と云い、アメン(雨)神
、アテン(天)神、太陽神ラー(羅、空ソラ)などオールスター揃い。
542日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:04:24
ジャポニカイネの起源をめぐっては「中国長江説」や「アッサム(インド)雲南(中国)説」がある。今回の調査では、中国の
イネもジャポニカイネと同じような遺伝子変化をたどっていることが判明。
 井沢主任研究員は「現在、東南アジアで栽培されている『熱帯ジャポニカイネ』が中国に伝わり長江付近で水田化され、
『温帯ジャポニカイネ』が誕生し、さらに日本に伝わったと考えられる」としている。

ソース(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080707/sty0807070204000-n1.htm

フィリピン→長江→沖縄→日本の順に伝わったようですね。
543日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:06:27
歌垣の話に戻しましょうか。
この写真は日本人と先祖を同じくするかも知れない白族(ぺー族)の少女です。
http://homepage1.nifty.com/mamoruokada/image2/pei1.jpg
本当に日本人と良く似て優しい表情をしております。
歌垣はこの文字を持たない雲南の少数民族に今も風習として生き続けております。
日本でも古くは古事記の文体の中にも歌垣があるようにかなり古くから大和民族の中にしかも集落単位で神話が歌われていた模様だと工藤隆・大東大文化大学教授も分析されてます。
歌垣の文化は中国大陸南部の少数民族のほか、チベット、ブータン、ネパールにも広がっております。
東南アジアではタイ、ベトナムなどで散在しておりますが、インドネシアなどの島嶼部にはみられません。
しかし沖縄の風習である「モーアシビ」は歌垣に似ております。
逆に中国大陸北部から朝鮮半島、モンゴルではみられず北海道のアイヌにもありません。
以前にも水田稲作の伝播に関して議論がありましたが、水田稲作は百越少数民族の原郷といわれる長江流域で始まりアジア各地に広まったことは異論がございません。
先の工藤教授は「歌垣は稲作にともなう農耕儀礼として日本列島に持ち込まれた」と推測なさってます。
朝鮮半島に歌垣文化が希薄であることから呉から沖縄を経由し黒潮ルートで稲作と共に日本に伝わった可能性が濃厚です。
古事記には日本書紀にはない出雲神話が入り込むなど必ずしも天皇家中心の国家観が貫かれているわけではありません。
縄文時代から海流に乗って呉の移民以外にも様々な少数民族が渡来し南方神話や歌垣をもたらし異色の古い痕跡を古事記にとどめたのかもしれませんね。
544日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:28:01
545日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:55:35
>>543
またかよw
インドネシアやフィリピンにもあるって出てるのにw
546日本@名無史さん:2008/09/04(木) 08:28:41
「地下の弥生博物館」といわれる青谷上寺遺跡から出土した木製盾から緑色顔料「緑土」が確認されたと鳥取県埋蔵文化財センターから発表がありました。
今まで東アジア最古とされてきたのは高句麗・徳興里古墳とされておりましたがそれよりもさらに200〜300年前とのことです。
やはり文明は呉→日本列島だったのですね。
547日本@名無史さん:2008/09/04(木) 09:21:35
↑電波乙
548日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:30:05
青谷上寺地遺跡からは建築関係の出土品としてほぼ完全な形の大小2枚の格子窓などがあります。
格子窓といえば呉と越が激しく戦った蘇州の蘇州古典園林が思い浮かびますね。
549日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:35:08
↑電波こじつけ乙
550日本@名無史さん:2008/09/05(金) 09:55:31

朝鮮工作員が盛んに土器土器と叫んでいるが、土器の伝播ということも考える必要があるだろう。
移動する集団が土器職人を連れて移動するかどうかだ。逆に三足土器がないならない理由を考えるべきだろう。
古代史は全体で考えなくてくてはな、呉楚越の文化が日本に入っているのははっきりしている。
呉音がいまでもいっぱい使われている。朝鮮語じゃないんだよww
551日本@名無史さん:2008/09/05(金) 11:22:30
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
552日本@名無史さん:2008/09/05(金) 11:27:32
1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
553日本@名無史さん:2008/09/05(金) 11:37:24
一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...
554日本@名無史さん:2008/09/05(金) 15:23:26

陝西龍山文化系三足土器は何と無く弥生っぽく親しみ湧くね。

紅陶雙耳鬲(陝西龍山文化系、BC2500〜1500)
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/gallery-576.html
555日本@名無史さん:2008/09/05(金) 15:33:13
滅漢興満 ロシアの一部なんかも満地域だなあ
556日本@名無史さん:2008/09/05(金) 15:34:15
満州民族の先祖は日本人なんだな。
557日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:12:03
>>山形県から「殷の青銅刀子」が出てました。

山形県境の飽海郡遊佐町女鹿地区の三崎山からの青銅刀子の発見は他の
遺物から判断して紀元前1000年頃の殷の時代の物とされて ...杉沢出土
遮光器土偶. 吹浦出土の縄文土器, 三崎山出土 青銅刀子, 鶴岡出土の土偶 ...
http://homepage2.nifty.com/hekisui/choukaisan/choukasan%20%2004%20seidoutousu.htm
558日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:50:14
さすがは縄文人だな
支那まで交易に行ったとはな
559日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:47:57
Amazon.co.jp: 縄文時代の渡来文化―刻文付有孔石斧とその周辺 (考古学 ...
第2章 刻文付有孔石斧の発見と周辺の遺跡(山形県の縄文遺跡から出土した
中国古代の有 孔石斧中川代遺跡と庄内地方の縄文中期 ... 第5章 刻文付有孔石斧
と刻文の分析研究(刻文付有孔石斧のレプリカ法による観察刻文付有孔石斧に付着
する物質の分析 ほか) ...
www.amazon.co.jp/.../dp/toc/4639017774 - 104k - キャッシュ - 関連ページ

当時庄内内海の南に位置する羽黒山麓の中川代遺跡から驚きの「刻文付有孔石斧・オノ」
が出土した。
この斧は殷の時代には、宝器、または身分や集団への帰属を示すものとして使用された。

560日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:51:12
さて、くっせえくっせえ広鼻ブラック!

タイワン長江江南ベトナム顔類人猿を全部論破してみようかw
561日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:20:28
朝鮮半島や満州にも渦巻文(S字、逆S字)や鋸歯文(のこぎり)や流水文の原型もある。


朝鮮半島・旧満洲などで出土した多紐鏡には鋸歯文・渦文など銅鐸と同じ文様、
雷光文(稲妻 雷雨 水と連想出来る)は流水文に通じよう、だから銅鐸と一緒に
使われたのではなかろうか。
http://www.town.hikawa.shimane.jp/Contents/7D219A1367/book07b.htm


>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

>日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
>逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
>人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

>淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
>珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
>隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
562日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:27:14
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。勝手に中華認定するサギはやめろ。


>日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

>日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
>発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
>宗教感、使用目的がまるで違う。
>張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
>指摘し模様の表現方法も類似している。
>稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
>発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
563日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:32:09
チブサン古墳は6Cの遺構。呉越時代とは1000年以上も時代が違う。
結局、冠も朝鮮経由で伝わっただけ。これも勝手に中華認定するサギ。


チブサン古墳(国指定史跡)

 熊本県山鹿市にある全国的に有名な装飾古墳で、全長45m(後円部径24m、前方部幅15.7m)
の前方後円墳です。近くにはオブサン古墳、鍋田横穴群、弁慶が穴などが点在しています。
 古墳時代6世紀頃に造られたもの。石棺の正面の石板装飾の絵柄が女性の乳房に似ている
ところから「乳の神様」として現在も信仰が続いています。羨道をくぐり抜け、玄室へ入って見ませんか。
http://www.dandl.co.jp/gold/chibusan/
古墳時代6世紀頃に造られたもの
古墳時代6世紀頃に造られたもの
古墳時代6世紀頃に造られたもの
古墳時代6世紀頃に造られたもの
564日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:38:08
長江江南の土器文化が全くさらさら伝わっていない。
これも日本人の多数が中国土器を知らない無知を悪用したサギ。



>O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
>6000年前頃(鳥浜貝塚)からである。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは
>南下し、百越と呼ばれた。残りのO2bは北上又は東進し、山東省、朝鮮半島、日本列島
>に達した。長江文明の稲作、豆類、エゴマ、ヒョウタン、漆器、を持ち込んだと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA
565日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:43:06
これも中国土器を知らない多数の日本人の無知を悪用したサギ。



>「越」あるいは「百越」と呼ばれ,多くの部. 族からなっていた。「百越」の諸族は
>BC五〇〇〇年ころ長江下流域に住んでいましたが、漢族の発展とともに故郷を
>追われ中国華南から南西部へ、やがて中原の. 漢民族の殷・周に吸収されたり
>あるいは. 追われたりした.「越」の一部はボートピ. ープルになり海を渡り,
>日本列島に渡来. して,越前・越中・越後という北陸の米作 ...

http://toshichan.be.fukui-nct.ac.jp/araki/050228.pdf
566日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:47:37
印文とはスタンプ方式で型押しする文様。
いつスタンプ方式で型押ししたんですか?サギはやめろ。


>弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!

>弥生時代の幾何印文青銅器(銅鐸)は無数に有るぞ。!!!!!


>じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。

>じゃ銅鐸の幾何印文は誰が伝えたんだ、鳥がくわえて来たんか。
567日本@名無史さん:2008/09/06(土) 03:58:21
沖縄の稲作開始は平安期11C。
稲作の伝播が長江→沖縄→日本ならば、まず日本最古の稲作遺構は沖縄のはず
だし、長江の中国土器文化が沖縄に伝わっているはず。
それに九州北部ではなくて鹿児島から弥生時代が開始するだろが。このサギ師。


>ジャポニカイネの起源をめぐっては「中国長江説」や「アッサム(インド)雲南(中国)説」がある。今回の調査では、中国の
>イネもジャポニカイネと同じような遺伝子変化をたどっていることが判明。
>井沢主任研究員は「現在、東南アジアで栽培されている『熱帯ジャポニカイネ』が中国に伝わり長江付近で水田化され、
>『温帯ジャポニカイネ』が誕生し、さらに日本に伝わったと考えられる」としている。

>ソース(MSN産経ニュース) http://sankei.jp.msn.com/life/lifestyle/080707/sty0807070204000-n1.htm

>フィリピン→長江→沖縄→日本の順に伝わったようですね。
568日本@名無史さん:2008/09/06(土) 04:00:44
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html
569日本@名無史さん:2008/09/06(土) 04:02:44
>>568
また電波が始まったw
とっくに論破されてる歌垣もコピペ繰り返してバカじゃないのw
570日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:34:58
>>557
おお!
日本人のルーツが殷→呉→日本列島という裏づけがとれましたね!
571日本@名無史さん:2008/09/06(土) 10:00:21

殷文化が縄文と弥生文化が周文化と類似性があることは以前から指摘されている。
572 サガミハラハラ:2008/09/06(土) 12:53:22
確かに、倭人伝の行路記事が周尺の1里67・5mで記述されていることからみても、周文化の影響がうかがわれwるのであるが、
これらがまとまって研究されたりすることがいままではなかったようだ。
今後はこの殷周文化と日本文化とのかかわりの研究がすすむことを期待したい。
573日本@名無史さん:2008/09/06(土) 21:14:58
とっくに進んでいるよ。馬鹿が知らないだけで。





殷周(商周)の主な土器・青銅器の器種器形

http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-shape.html




574 サガミハラハラ:2008/09/06(土) 22:03:34
それはしりませんでした。
一般人もさんかできる研究団体グループ等ご存じでしたら教えてください。
575日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:57:54
そんな事よりもまず最先端の古代中国史の勉強をかるーくしてみたらどうかね?



中国の歴史(1)神話から歴史へ(宮本一夫・講談社)を強く推す。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2740516


576日本@名無史さん:2008/09/06(土) 23:02:06
おっと、もちろん買う必要はなく、図書館で軽く読みたまえよ。
577 サガミハラハラ:2008/09/07(日) 00:37:24
はあ、早速見てみます。
ところで、一般人も参加できる、>>573系の研究団体やグループ等わかりましたら教えてください。
578日本@名無史さん:2008/09/07(日) 01:30:35
金関恕のよくやってる団体ツアーにでも参加して金関先生に直に
聞いてみるのはどうか?
579日本@名無史さん:2008/09/07(日) 01:45:14
>>577
ご熱心ですな。
私も興味あります知りたいです。
580日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:10:49
自演やめれw
勾玉が出たから支那に縄文人が移住したっていったらおまえしんじるん?
581日本@名無史さん:2008/09/07(日) 07:44:27

福井県の鳥居浜遺跡と青森の三内丸山遺跡は、玉や瓢箪が出土している。
中国と同じもの。山口県の土井ヶ浜墓地遺跡(弥生前期から中期)の遺体は、
平均身長が縄文人より高いなどの特徴から渡来人といわれているが、
山東省のもとの斉の臨し跡で出土した遺体と同じ。
582日本@名無史さん:2008/09/07(日) 08:07:16

殷人は元は山東半島にいた、文身沿海族らしい。
姓がなく近親結婚が疑われている。内地に移動後、
南下していた苗族と敵対関係にあった。
583 :2008/09/07(日) 10:35:45
倭と殷周との文化の関わりなら、後藤幸彦が神功皇后は実在したのなかで、その研究の必要性を力説している。
彼は箕子朝鮮が重要な役割をもっていたとのべている。
584日本@名無史さん:2008/09/07(日) 15:24:19
>>山形県から「殷の青銅刀子」が出てました。

山形県境の飽海郡遊佐町女鹿地区の三崎山からの青銅刀子の発見は他の
遺物から判断して紀元前1000年頃の殷の時代の物とされて ...杉沢出土
遮光器土偶. 吹浦出土の縄文土器, 三崎山出土 青銅刀子, 鶴岡出土の土偶 ...
http://homepage2.nifty.com/hekisui/choukaisan/choukasan%20%2004%20seidoutousu.htm

584 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 15:30:16

「刻文付有孔石斧・オノ」

この斧は殷の時代には、宝器、または身分や集団への帰属を示すものとして使用された。

585日本@名無史さん:2008/09/07(日) 17:43:18
朝鮮北部や沿海州から間接的に入った交流物なだけだろが。
586サガミハラハラ:2008/09/07(日) 21:41:11
東北地方で発見される殷周の物品は直接日本海をよこぎって渡来したものとおもわれます。
587日本@名無史さん:2008/09/08(月) 00:26:41
YES. THAT'S RIGHT.

それに青森の鬲状三足土器もな。

なぜ青森の鬲状三足土器が中国で生産されたものではないと断言できるのかと
言うと、中国の鬲は粘土で作った器の内側から押し出して足まで作ってしまうが、
青森の鬲状三足土器は三足が後から付け足されており、この製法の鬲は
当時の遼寧から沿海州あたりの鬲の製法と一致するからである。
588日本@名無史さん:2008/09/10(水) 13:20:55
西暦230年に三国時代の呉の孫権は夷州・ 亶州に人狩りの軍船を派遣したと記録されている。
孫権は諸葛直と衛温という部下から東の海上の果てに夷州・ 亶州という土地がありそこの住人はもともと呉から移り住んだ人間だと聞かされた。
その夷州・ 亶州の住人は500年もの間故地である呉に帰りたがっていると聞き哀れに思うと同時に長引く戦乱によって人口不足に陥っていた呉の救済措置になると考え軍船を派遣することを決定した。
亶州に向かった諸葛直は失敗に終わり夷州に向かった衛温の後を追った。
船団は九州にたどり着いたが人狩りを始める前に内戦が起きた。
もともと呉の国は上には厚く下には薄いといわれ庶民への搾取が激しく人口不足に陥っている現状で逃亡する民衆があとを絶たなかった。
倭国の九州に到着した船団の中で倭に亡命を希望する者が続出し結局諸葛直と衛温は抗しきれず残留組を残して退却せざるを得なかった。
帰国後に諸葛直と衛温は失敗の責任を取らされ誅殺されたと記録されている。
夷州・ 亶州を沖縄・台湾とする説があるが秦の時代ですら伝説の三神山は東方かなたの海上にあるというのが常識だったのに台湾というのは無理がある。
諸葛直や衛温やその近しい人に倭の人間は呉に帰りたがってると吹き込んだのは倭人だったのかそれとも亡命希望者だったのかは今となってはしるよしもない。
しかし当時の東アジアでは大陸側も日本側も互いに積極的に接触を試みた事実が窺える。
589日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:45:18
このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
【国是】栄誉ある孤立化主義【鎖国】<XIII> [ニュース極東]
590日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:26:33
>>589
いまどきブラウザで見てるアホ乙
591日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:26:41
そもそもなぜ魏が女王卑弥呼率いる倭国と外交関係を築く必要があったのか。
それは遼東を支配し半独立国だった公孫淵を滅ぼすのに朝鮮半島を南に撤退され消耗戦になるのを恐れたからだろう。
そういう意味で満州の高句麗とともに倭国に同盟を求めた。
592日本@名無史さん:2008/09/11(木) 02:10:24
>>588
3Cからフタ付きの土器、双耳壺、竈、箸、ボタン付きの服飾、
瓦屋根の建築、漢字、木簡、儒学、仏教なんかが伝わっちまって、
もうそれはそれは日本史上の大発見だな(嘲笑
593日本@名無史さん:2008/09/11(木) 02:41:56
まだ電波飛ばしてんのか
594日本@名無史さん:2008/09/11(木) 20:03:36
>>592
亡命したのは主に庶民と精錬関係者。
人口不足の呉では武器職人が役人の監視の元で奴隷のようにこき使われていた。
厳しい監視にも関わらず魏や蜀に拉致される事件もあったらしいし遼東半島の公孫氏の領土へ船で逃亡する者も多かった。
そして倭に亡命した技術者は銅の精錬を倭人に伝授したので魏が女王に下賜した鏡を短期間でコピーできたわけだ。
595日本@名無史さん:2008/09/12(金) 14:18:19
3Cの呉から精錬関係者がやって来ておいて金銀細工や金メッキが
伝わっていないのはどうして?w

朝鮮には楽浪時代からわんさか出ているんだがw

3Cの中国ならフタ付きの土器、双耳壺、竈と釜のセット、箸、傘なんてのは
もうとっくに庶民レベルのものだよw

ああ、それに紹興酒もなw
596日本@名無史さん:2008/09/12(金) 23:37:13
金銀細工や金メッキの職人が亡命者に居なかったんだろ。
楽浪は漢帝国の領土だ。
高度な技術の出土品が出ても不思議じゃない。
九州が畿内に比べて鉄器生産がうえだったのは亡命者が九州に上陸したから。
そしてその技術を糧に神武帝が東征し大和朝廷を開いた。
597日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:09:54
なわきゃねえだろがこの台湾サギ師。

精錬関係者が金銀を溶かさずに誰が溶かすんだよこのスットボケ。

だいたい戦国時代の呉の時代よりも前から長江江南に金銀器は
あるだろうが。

『呉王・闔盧は、非常に悲しんで滕玉を郡の西の昌門の外に葬った。
金の鼎や玉の盃、銀の樽や珠の宝物を娘への贈り物とした、
そのとき白鶴があらわれ、舞い、人々は鶴とついて行った人々が
墓の門まで行った。』
http://www.ccv.ne.jp/home/tohou/siwa30.htm
金の鼎や玉の盃、銀の樽
金の鼎や玉の盃、銀の樽
金の鼎や玉の盃、銀の樽
金の鼎や玉の盃、銀の樽
598日本@名無史さん:2008/09/13(土) 01:26:37
それに3C当時、世界一の陶磁器先進国だった呉からやって来て
おいてだ、その器形一つすら弥生土器に伝わっていない。

青磁羊形器 三国時代(呉)3世紀
http://www.antiques-oota.com/photo/c04-seiji/401-450/443.jpg
青磁神亭壺 三国(呉)〜西晋時代
http://www.antiques-oota.com/photo/c04-seiji/401-450/436.jpg

こんなものを作っておいてだ、やれ焼き物屋が来ていねえから
伝わらねえだ?

おまえらウソもそれくらいにしとけやこの馬鹿タイワン土人!

おまえら台湾人はウソツキ朝鮮人のさらに一万倍ウソツキの
ウソツキの権化じゃねえか。

とっとと死ねよ。

http://www.antiques-oota.com/file/c-seiji.html
599日本@名無史さん:2008/09/14(日) 07:26:03
昨夜、「世界・ふしぎ発見!」のヒマラヤ大紀行を見て驚きましたな。
インドの北部、チベット族も住む地域にしめ縄,ほこら、神社や日本の
天守閣のような建築物、屋根の上のしび?(固有名詞を忘れた)等々。
まさに日本文化の源郷を思わせる。
「百聞は一見に如かず」と言われてますが、インド北部とわれわれの
DNAの繋がりもむべなるかなと感じ入ったしだいであります。
600日本@名無史さん:2008/09/14(日) 08:26:56
バジャマは印度の言葉が語源だと知って驚きました。
601日本@名無史さん:2008/09/14(日) 08:59:08
>>1で言ってる呉は、三国時代の呉じゃなくて、
春秋時代の「呉越同舟」の「呉」。

倭人が呉の末裔だと称していた、というのは各歴史書に共通している。
602日本@名無史さん:2008/09/14(日) 14:38:01

●戰國時代陶質編鐘在呉文化發源地無錫出土


新華網江蘇頻道南京4月16日電 (高幼元) 日前,在無錫市錫山區泰伯文化
藝術節上,一批最近出土的戰國時代陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示。
這批距今2000多年?青銅器的樂器中,最令人驚嘆的是,經修復後最大的編鐘,
高30多公分,造型十分精致。

展示會上,錫山區文管會同志介紹?,這裏是呉文化發源地。這批新出土的文物,
除編鐘、鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等各種
陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。有乳釘紋、水波紋、
方格紋、圓圈紋等。經考古專家初?鑒定,數量之多,品種之全,工藝之精,
在全國罕見。
603日本@名無史さん:2008/09/14(日) 14:38:52
這批珍貴的出土文物是當地村民發現的。今年2月19日,錫山區後宅鎮天仙
塘萬安橋村村民鄒曉峰和鄒春鋒,帶著20多件陶器,向區文管會報告,村裏
一個大土?上發現了“古董”。工作人員認出是極有價?的陶制編鐘。第二
天即?到現場。這個大土?是五年前,鎮上築新路取土用的,當時就有部分
古陶器被?出,村民見是陶土做的,沒在意。而這次錫山區考古人員卻十分
在意,“掘地三尺”,出土的陶片、陶器用1噸半?車裝了滿滿一車。隨後,
他們邊向上級部門報告,邊請專家來修復,並對來報告的兩村民給予了獎勵。

後宅鎮往南數公里的鴻聲鎮,正在發掘的彭祖?文化遺址,已有一大批距今
6000年至7000年的新石器時代文物初露真容。據南京博物院考古學家介紹,
彭祖?是長江三角洲文化層次堆積最厚、包含物最多、保存最好的一處?史文化
遺址,是當代研究太湖流域人類文明發展史最好的?史資料。該鎮的鴻山南麓有
一座被譽為“開發江南先祖”泰伯之墓,距今已有3196年?史。現在,後宅鎮又
新出土的2000年前的古編鐘,作為陶樂器隨葬品,非一般人可用,是墓主人身?
顯赫?還是當時這塊地主是個文化“繁榮”勝地?這還需專家來解謎。
http://big5.xinhuanet.com/gate/big5/www.js.xinhua.org/htm4/2041622.htm
604日本@名無史さん:2008/09/14(日) 14:44:06
>陶質編鐘等古樂器向中外遊客展示
>鐃、磬等樂器類陶器30餘件外,還有經修復的缸、罐、壇、鼎等
>各種陶器共五十多件。這些原始瓷或印紋硬釉陶器,紋飾繁多。
>有乳釘紋、水波紋、方格紋、圓圈紋等。


編鐘?????鐃?????磬?????缸?????壇?????
鼎?????原始瓷?????印紋硬釉陶?????乳釘紋?????
水波紋?????方格紋?????圓圈紋?????


いやあ、弥生時代の江南は江蘇省無錫の呉の遺址からは日本の弥生遺跡では
さーっぱりお目にかかれない摩訶不思議な物や文様ばかり出るんですねえ(ゲラゲラ嘲笑)

605日本@名無史さん:2008/09/15(月) 01:19:51
>>601
称してないw
606日本@名無史さん:2008/09/15(月) 08:23:58
>>567
沖縄での稲作は伝わってなかったのではなくグスク時代まで根付かなかったというのが正しいです。
東北と同じ理由ですね。
豊かな土地だと稲作などしなくても狩猟採取で生きていけますから。
607日本@名無史さん:2008/09/15(月) 18:09:46
時代はともかく、奄美の稲魂信仰にしろ北方は無縁だ。
608日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:07:18
みなさん誤解されてるようですが。
確かに従来の二重構造論には沖縄人=縄文的という謝った説が支持されておりました。
ですが土肥直美琉球大准教授が調査なさった結果のようにむしろ沖縄奄美の近世から近代の人骨は現代本土人よりもさらに平坦でのっぺりした顔つきだったわけです。
以前にもご紹介した百々幸雄北海道文教大教授の頭骨の形態小異変による各モンゴロイド集団の類縁関係分析でも現代沖縄人はアイヌや縄文人との関係では遠く弥生以降の本土人と同じグループを形成しております。
やはり呉が越に滅ぼされた後日本列島を目指した我々の祖先は沖縄にも立ち寄ったと考えるべきでしょう。
609日本@名無史さん:2008/09/16(火) 00:49:50
それに沖縄では真水がたくさん得られない島が多いから稲作出来ないところが多かった

>>608
近世以降ってごく最近じゃないのw
縄文時代の沖縄の頭骨はめっちゃごついぞ
610日本@名無史さん:2008/09/16(火) 20:43:28
古い時代でいえば沖縄本島北谷町のクマヤー洞穴や本島北方の無人島である具志川島岩立遺跡では、貝塚時代の人骨が出土していますね。
具志川島人骨は3500年前の縄文後期で顔つきは堀が深く低顔性の部分は本州縄文人に似てますが顔全体や身長は150cmくらいの小柄な人骨もありバリエーションに富んでいるそうです。
弥生時代の日本列島には渡来系弥生人と在来縄文人のほかに南九州・南西諸島弥生人と呼ばれる人々もいました。
代表例は鹿児島県種子島の広田遺跡の広田弥生人です。
この広田弥生人の顔つきは縄文人に似て立体的ですが身長は男154cm女143cmと超小型で頭部の前後長もかなり短いうえに扁平な過短顔で顔の高さも縄文人より低い特徴があります。
これほど小柄な集団は国内では古代人でも他にないと竹中正巳鹿児島女子短大准教授がおっしゃってます。
もしかすると「百越」と呼ばれる中国大陸南方の民族群の中にルーツを求めることができる人々かもしれませんね。
611日本@名無史さん:2008/09/16(火) 23:40:48

晋書の載記に、高句麗王族が自分達の祖先は顓頊高陽氏だと言っている。
高句麗の姓は高氏だが、高陽氏の高からきている可能性もある。
「史記・楚世家」では、「楚之先祖出自帝高陽。」とある。
612日本@名無史さん:2008/09/16(火) 23:50:14

百済には大姓八族がいる。木氏(姫氏・呉人)、苗(白)氏(楚人)、燕氏(燕国)、沙氏(長沙・楚系?沙相如?)、
真氏(陳氏?秦氏?)、解氏(扶余系?)、賛?氏、国氏(呉人?物部氏?石氏)である。
ほとんどが中国人の氏族であるww
木氏は日本では蘇我氏、紀氏など多彩である。大姓八族に百済王家の余氏が含まれてない。
呉の王族の姓には余もあるから、恐らく、余氏と木氏は同じ呉系の筈。

613日本@名無史さん:2008/09/16(火) 23:54:00

どうも古墳時代の倭に影響を与えたのは、春秋戦国の呉越楚ではなく、
五胡十六国時代の呉楚系民族ではないかと思う。
614日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:06:48

書紀に登場する百済の木満智(もくまんち)と蘇我満智宿禰(そがまちのすくね)が同一人では、
とは以前から指摘されている。呉人だと思う。
日本書紀垂仁紀に登場する都奴加阿良斯止神と崇神紀に登場する蘇那曷叱智(そなかしち)とは同一人だと思う。
「干岐」、「旱岐」は王を意味する。蘇我氏である。名前は「叱智/斯止/叱智・しち(しし)」。
阿良は安羅であろう。任那王である。
615日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:30:57
日本国民に南京大虐殺と同じ中共式刷り込み法で、
ウソ創作を本当になるまで無限に唱え殺して脳内真実にし、
日本国民を中華洗脳の檻に永遠にブチ込もうしている
全く許されざる極悪台湾人の国際テロ犯罪者が
はびこるスレはここですか?
616日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:53:56
台湾人は日本から出ていけ!
617日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:39:02
>>610
小さな島では体格が矮小化するんだよ
人間に限らず他の動物もな
618日本@名無史さん:2008/09/17(水) 07:34:48

新羅の王は北方民族の王の称号である「汗(ハーン)」に由来する「干」あるいは「今」を冠していることが多い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E5%90%9B%E4%B8%BB%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E6.96.B0.E7.BE.85
王の姓から判断すると、高句麗と百済は中国系、新羅は北方民族系である。
619日本@名無史さん:2008/09/17(水) 07:45:00

『後漢書』辰韓伝には、
「幼児はその頭を扁平にするため、皆でこれを石に押し付ける。」とある。
また、『晋書』辰韓伝には、
「初めの子が生まれると、石にその頭を押し付けて扁平にさせる。」とある。
http://baby.goo.ne.jp/member/topics_back/topics38/w_shanghai/13/02.html
上記のホームページに、
「中国では、生後1カ月以内の赤ちゃんは、少し固い枕を使って“仰向け”に寝かされます。
これだけ聞くと、「最近の日本と同じだわ、ふんふん」と思っていましたが、理由を聞いてびっくり!
 中国では「扁平頭」(絶壁と言われる後頭部ですね)の方が格好よいと思われているので、
頭の後ろが平らになるように、このような寝方をさせるのだそうです。」とある。
この中国というのは上海、中国江南である。

辰韓人は中国系の可能性がある。いまの朝鮮人は奴隷でもしてたんだろうww


620日本@名無史さん:2008/09/17(水) 07:51:50

新羅の始祖伝説に、紀元前57年(辰韓の時代)に卵から生まれた姓は朴氏、諱は赫居世がいる。
朝鮮の遺民からなる六村(辰韓の六部)の人々はこれを育て君主にしたとある。
音で赫(かく)は角(かく)、居世(こせ)は巨勢(こせ/ごせ)に通じ、
また春秋戦国に山東半島にあった呉と斉の呉斉(ごせ)にも通じている。
春秋の呉は周の太伯が始祖である。角は呉のシンボルである鹿の角を示している。
朴(ほほ)は日本特産である。倭人の瓠公もいる。
伝説の道具立てからみると、赫居世は倭から入ったことを暗示させているのだろう。
621日本@名無史さん:2008/09/17(水) 08:03:52

韓国の地図をみると巨勢氏は韓国南部の巨勢島、巨勢を所領していたのだろう。
韓国南部が日本のものだった頃にww 返せよ!!
http://www.fuzita.org/wldculture/korea/knallmap.htm

書紀で、スサノオを朝鮮半島に降ろしたり、半島奪還に執念を燃やしているのは、
もともと半島南部は日本の支配地だったからだ。

622日本@名無史さん:2008/09/17(水) 08:06:39

神社は韓国にないだろう。神社の鳥居や千木は中国に由来しているんだ。
623日本@名無史さん:2008/09/17(水) 09:13:57

広開土王碑を日本軍が改竄したと嘘をついた朝鮮人どもはどうしてるんだ?
ちゃんと詫びたか?中国社会科学院の徐建新先生が最古の拓本と照合して朝鮮人の嘘を見破った。
中国は立派な人がごろごろしているが歴史家にもいる。
権威に屈しない歴史家がいるね。ある王が誰かを殺したら、記録担当官は殺したと書いたので殺された。
そうしたらその担当官の弟も殺したと書いたのでまた王は殺した。
すると担当官のもうひとりの弟がまた殺したと書いた。流石に王は殺すのをやめた。
朝鮮韓国の歴史家はもちろん人物にもろくなのがいない。頭にひとりも浮かばない。
その根性はいまも同じ、ノーベル賞といわれた野郎も捏造で化けの皮を剥がされた。
盛んに、日本人と同祖説を主張しているが、一緒にするなよww
高句麗も中国史か満州史に属するものだぜ。

624日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:38:09

午前中は朝鮮工作員も出没しないな、働いてるんだなそれでもww
まじめならともかく、泥棒や強盗、強姦やっちゃあかんぞ、
入管の指紋採取で不良外人は入るのが難しくなる、あとは不良在日の処理残っている。
日本人の世論は、在日ヤクザや生活保護を大量受給している怠け者在日は追い出したいことで一致している。

外国人労働者の雇用なんて馬鹿こいてる政治家がいるが、
単純労働者を入れたら生活保護受給者が急増するのは目にみえている。
在日の生活保護受給者の多さでなぜわからないんだろうな。
日本ほど金持には厳しく貧乏人には生活しやすい国はないよ。
母国では日本の生活保護生活でも裕福だろうて。

625日本@名無史さん:2008/09/17(水) 19:05:48
>>617
>小さな島では体格が矮小化するんだよ
人間に限らず他の動物もな

NHKの番組で紹介された「慶良間島の鹿」がそうですね。
日本本土から慶良間に連れてきたんだそうですが、小ぶりになっている。
エゾシカ→日本本土の鹿→慶良間鹿と小柄になっているそうですよ。

626日本@名無史さん:2008/09/17(水) 22:36:09
  金印>銀印>銅印>泥印

日本は古代より金印(公印)>韓国は泥印(公印)銅印(私印)であり
中世の地位は琉球(金メッキ銀印)>朝鮮,銅印(公印)でしたとさ。
哀れ韓国。
http://www.geocities.com/lookeast20022002/wa.html
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pfriend&page=13&nid=50586

「倭国」・・「漢委奴国王」・金印
「邪馬台国」・・「親魏倭王」・卑弥呼,金印紫綬
「クシャン朝」・・「親魏大月氏王」・ヴァースデーヴァ(波調)金印紫綬
「雲南,滇王」・・「滇王之印」・金印
「光武帝の子」・・「廣陵王璽」・金印
627日本@名無史さん:2008/09/18(木) 00:09:46
>>625
体格が小さい=腕力が弱い=他部族によって離島山間部へ追いやられる・・・って可能性はないですかね?
628日本@名無史さん:2008/09/18(木) 00:16:32
腕力が弱くちゃぁ、船こげんだろ。
とっくに絶滅しとるw
629日本@名無史さん:2008/09/18(木) 00:48:51
やっぱもうこのスレ、犯罪でしょこれ?
630日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:22:01
>>622
新電波w
631日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:26:03
>>627
無理やりあべこべにしてどうすんだよ
632日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:29:51
後漢光武帝の建武元年(25年)に復設された制度として、諸侯王には金璽綟綬(きんじれいじゅ)、
公候には金印紫綬、九卿などの中二千石・郡太守などの中二千石・校尉や中郎将などの比二千石には
銀印青綬、以下は銅印黒綬、銅印黄綬が与えられている。

「倭韓遂屬帶方」倭韓は
帯方太守の管轄下にあったはずであるが、太守の銀印青綬より位の高い金印紫綬を卑弥呼は得ており、
「難升米を以て率善中郎將となし、牛利を率善校尉となし、銀印青綬を仮し」ということで、彼等が
同等となり、太守の心境は複雑であったろう。

使いの者と帯方太守が同等とは、倭国の評価がそれだけ高かったと言える。
633日本@名無史さん:2008/09/18(木) 07:38:00
>>630

白川静先生が著書で書いている、捏造朝鮮人じゃないんだよソースはww
634日本@名無史さん:2008/09/18(木) 08:25:35
大阪府柏原市の前方後円墳「玉手山3号古墳」の竪穴式石室跡から中国製かぶとの部品「小札」が50点以上出土したと大阪市立大学が17日発表しましたね。
現地説明会は21日午後2時から。
4世紀初めといえば中国では晋王朝が滅亡した頃ですね。
やはり亡命者でしょうか?
635日本@名無史さん:2008/09/18(木) 09:10:53

白川静先生はもちろん朝鮮半島についても調べておられる。
鳥居や千木のあった形跡はないということだ。

それと秦氏だが、五胡十六国の秦ではないかと小林恵子先生が推測されているが、
同音の晋も候補になるかもしれない。五胡十六国の秦は、氐、羌、鮮卑の民族が興亡している。
百済に久氐という人物がいるのが気になる。氐は楚に連なる民族?
636日本@名無史さん:2008/09/18(木) 09:14:21

いずれにしても五胡十六国の時代を記録した西晋の載記は検討の要があるな。
ネットでその一部を翻訳してくれている人がいるが全部みたいものだ。
http://nishikishingo.at.infoseek.co.jp/main.htm
637日本@名無史さん:2008/09/18(木) 09:19:56

好開土王碑を日本軍が改竄したと嘘をついた朝鮮人には日本で大学教師を続けている者がいるそうな。
信じられんな、韓国じゃあるまいし、刑法罰がなくともこの人の取り扱ったことを精査すべきだな。
その上で追放するかどうか決めろよ。ここは日本だ、資料の少ない古代史では推測は許されるが捏造はペナルティだ。
厳しくしないと癖になるww

638日本@名無史さん:2008/09/18(木) 14:27:51
>神社の鳥居や千木は中国に由来しているんだ。



遣隋使・遣唐使が持ち込んだだけだけどな。


639日本@名無史さん:2008/09/18(木) 14:42:16
>>638

ソースは?
640日本@名無史さん:2008/09/18(木) 15:02:38

中国に由来しているといっても白川静によれば、古代の殷・周王朝に鳥居や千木が、
鳥居は社の表象として、千木は学の表象として用いられているが、一緒には用いられていない、
別個に用いられているのだ。隋や唐の時代じゃないんだよww
なぜ古代の殷・周王朝の形式が日本に伝わったのかがわからないんだよ。
641日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:05:55
やはり周→呉→日本てすかね?
ところでこのような記事がありました。
【弥生人もコイ養殖 愛知・朝日遺跡】
弥生時代の代表的集落遺跡の朝日遺跡(愛知県、紀元前4−紀元4世紀)で、幼いコイの歯の化石が多数出土
コイを飼って食べていたとみられることが、滋賀県立琵琶湖博物館などの調査で分かった。

コイの養殖の歴史をたどることでも何かわかるのではないでしょうか?
642日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:07:58
643日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:09:03
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
644日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:39:03

白川静さんは中国の華表とみている。
だから、なぜ古代の殷・周王朝の形式が8世紀ごろに確立したのかということ、
千木家屋は銅鐸その他にもあるが、
鳥居との組み合わせをだれが案出したのかということ、
645日本@名無史さん:2008/09/18(木) 20:08:12
新井宏教授が鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析した結果
弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器と、中国最古王朝とされる商(殷)や西周の時代に多く見られる青銅器の鉛同位体比が一致。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。

これも故白川教授のお話と一致しますね。
646日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:31:50
にしちゃあ商周の中国青銅器の器形が全く伝わってねえじゃねえかw





殷周(商周)の主な土器・青銅器の器種器形

http://www.kotoken.co.jp/china/bronze/bronze-shape.html




647日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:16:55
>>633
誰の説であろうと電波は電波w
648日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:17:47
>>640
つまりこじつけだろう
649日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:40:31
しかし最新の発掘成果をみてますと日本の弥生時代古墳時代は従来考えられていた水準よりもはるかに高度な文明を持っていたのですね
百済がやっと建国された頃に日本では中国のかぶとと共に石棺に埋葬された貴人がいて
畿内よりもさらに東の愛知県の集落ではコイの養殖がなされていた
650日本@名無史さん:2008/09/19(金) 02:09:10
電波もいい加減にしろw
651日本@名無史さん:2008/09/19(金) 07:02:06
>>650

朝鮮帰れよww 反論ひとつできないでww
652日本@名無史さん:2008/09/19(金) 07:10:16
>>651

ここは勉強になります。朝鮮民族は捏造の歴史観しかありません。
電波は上がそう言えというのでなにもわからずに繰り返してましていました、すみません。
653日本@名無史さん:2008/09/19(金) 16:29:09
古代日本人 = 倭人 X

古代日本人 = 奴隷 O

倭人 = 南方モンゴロイドを総称

後代に倭=日本列島 倭人=日本人で意味が縮小

http://www.k3.dion.ne.jp/~hougen/essay/e2/2-1.htm
654日本@名無史さん:2008/09/19(金) 17:32:06
>>608
骨じゃ何もわからんよ

異父兄弟 日本韓国
異母兄弟 日本アイヌ

異父兄弟である日本人と韓国人
ttp://kuroneko.blogdns.net/HP/aicient-Japanese/Japan-Koria.htm
655日本@名無史さん:2008/09/19(金) 19:01:12

「異父兄弟である日本人と韓国人」と捏造してすみません。
もちろん、ノーベル賞の数からしても異父兄弟でなく、韓国人はただの変態馬鹿です。
中国と日本は韓国からみれば遠い遠い宇宙のような存在です、すみませんでした。
上からそう書けというのでなにもわからずに書きました、すみません。

656日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:12:13

スレちがいです、朝鮮人の方、投稿をおやめください
657日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:28:27
>>651
電波がまともな主張だと思っているのかチョンw
なぜか半島の王族は日本製の勾玉や柩に埋葬されてたと言うのになw
658日本@名無史さん:2008/09/20(土) 10:08:37
>>657

好開土王碑で百済・任那・新羅は倭の属国になっている。不思議はなかろう。
朝鮮人は奴隷でもやってたんだろうなww
みずからをチョンとは流石に劣等民族w

スレちがいです、朝鮮人の方、投稿をおやめください 、帰国ください
659日本@名無史さん:2008/09/20(土) 11:47:28
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
660日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:37:51
甦る長江文明−稲作と操船の民

中国文明といえばこれまで多くの人が黄河文明を想起する。たしかに黄河流域は中国文明発祥の
地であることは間違いない。漢代に司馬遷が著した「史記」には、黄河流域に栄えた夏、殷、周
などの古代国家が存在し、春秋戦国時代を経て秦・漢帝国が成立したことが記されている。

661日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:40:01
 それ以来の中国史は主に黄河中心に記述されてきた。中国文明が内陸から周辺地域に広がり、
朝鮮やベトナムなどの半島に成立した国や、日本のように海に囲まれた国を含めて、中国を
中核に東アジア世界が成立しても、黄河文明はその中心として意識されてきた。中国といえば
誰しもが茫漠とした内陸砂漠につらなる大陸をイメ−ジするようになり、北中国の北京、西安、
万里長城は観光の目玉として史跡の筆頭に掲げられ、今なお多くの人が押しかけている。

662日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:42:07
 たしかに黄河文明は中華の誇りだが、それだけが中国文明ではない。南中国には長江
(揚子江)が流れ、古くから稲作と操船の民の生活があった。中国の風土は「南船北馬」
、「南稲北粟」といわれるように、黄河流域の半乾燥地帯では畑作農民と草原の遊牧民
か混在し、長江流域の湿潤地帯には稲作農民と船を操るのに巧みな海民が交じり合って
生活していたのである。

663日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:44:14
その風俗は「北儒南道」の言葉が示すようにかなり大きく異なっていた。黄河流域では
父系家族で旭日を信仰し、上下秩序の厳しい掟を維持して、自然を改造しそれに働き
かける人間の行為を尊重していた。だが、長江流域の生活はそれと対照的に、母系ないし
は双系家族で日輪を母として信仰し、男女差の少ない生活秩序を保ち、自然環境に順応
することが尊重されていた。
664日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:46:34
 黄河の黄と長江の緑は中国文明の基調だが、 黄土地帯の写真と長江流域の青々とした
風景を比べて見よう。 左は甘粛省蘭州付近、右は四川省成都付近のもようだが、黄河の
黄と長江の碧はまさに対象的だろう。
665日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:48:23
 乾燥した黄土での麦栽培は容易ではなく、作物の生育に必要な保水の問題を解決する
ためにも、家族が男性中心に協力しあって、住みやすいように自然を改造する以外に
生きてゆく方法はなかった。そこに儒教的秩序が作られ黄河文明が成立した。だが、
長江流域は温暖で水が溢れ、自生した稲が生えていた。そこに自然に順応する道教的な
生活が展開していた。

666日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:50:27
この黄河流域とは自然環境も風俗も異なった地域の生活は、前者は「馬の文化」と
よばれ、後者は「船の文化」とよばれているが、秦・漢帝国の成立とともに、この
長江流域の「船の文化」は「馬の文化」に組み込まれ、黄河中心の歴史に埋没されてきた。
667日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:52:06
 だが、日本人に「三国志」で馴染まれている魏晋南北朝時代や、唐宋変革期には長江流域が
大きく発展している。宋代以降の中国も南中国を機軸にして、内陸ではなく海洋を舞台に発展
していった。しかも、そうした南中国の発展は秦・漢以後に限ったことではなく、それ以前の
紀元前一万年頃からの長江流域で始まっていたのである。

668日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:54:25
 これまでに黄河流域の約8000年前の裴李崗(はいりこう=河南省)の遺跡や、磁山
(河北省)遺跡の発掘で、約6000年前に半坡などの集落で小麦や粟などが栽培されて
いたことが明らかにされ、それが黄河文明の起源にされて、ひいては中国文明の中核
に押し上げられてきたが、長江流域の生活はそれより古く、また早期に都市文明への
歩みを進めていたことが、最近に解ってきた。

669日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:56:42
長江下流域の河姆渡(かぼと=浙江省)遺跡で約7000年前に稲が栽培されていたことが
発見され、さらに引き続いて約9000年前の彭頭山(湖南省)などの稲作遺跡の発見が相次
いだ結果、長江流域の発展は黄河より早期に始まっていたことが明らかになってきた。
メソポタミアの農耕発祥が約7000年前、長江流域はそれ以前に稲作を開始していたのである。 
670日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:03:00
高床式の来た道  06/07/03

1.倭人
弥生時代初期に、中国の江南(長江の流域以南)から日本列島へ渡来してきた集団は
倭人と呼ばれていました。3世紀後半の中国の史書『魏志倭人伝』(通称)には、
倭人に関する詳細な記述があり、その特徴として「稲作、貫頭衣(着物の祖形)、
断髪(ザンバラ髪)、黥面・分身(いれずみ)、潜水漁労、歌垣」などが挙げられています。

この『魏志倭人伝』の中の一節があまりにも有名であることから、一般的に「倭」
が日本の古称であることはよく知られています。「倭」の語義には諸説あります。
当時の日本列島人が「ワ」と自称していたとか、漢民族が日本列島人の身体的特徴から
「倭」と呼んだとか。この「倭」という名称も、大和朝廷の勢力拡大とともに、
語義を持つ漢字表記を避けて同音の「和」「大和」へ変更され、対外的には「日本」と
自称するようになりました。
671日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:05:29
 従来は、このように「倭人=日本人」と考えられてきました。しかし、日本列島
だけにとらわれず、広く東アジア全体から倭人の歴史を見渡すと従来の説とは違った
「倭人」観が浮かび上がってきます。このような立場から倭人を考察している研究者
に、古代史・文化人類学者の鳥越憲三郎がいます。鳥越は、倭人の特徴を「稲作と
高床式住居」とし、新しい「倭人論」を展開しています。以下、鳥越の説に言語学や
歴史学の成果を加味しながら、倭人の歴史を紹介していくことにしましょう。

時代をもっとさかのぼると、日本列島の倭人とまったく同じ特徴を持つ倭人と呼ばれる
集団が江南にも居住していたとの記述が散見されます。初出は、
周代(紀元前11世紀〜同8世紀)のことを記した史書『論衡』。このことは、漢民族が
日本列島人の身体的特徴から倭人(背が低い人)と呼ぶようになったというよりは、
江南にいた「倭人」が日本列島に渡来したことにより、日本列島人も倭人と呼ばれる
ようになった、ということを示しています。
672日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:08:59
ここで注意しなければならないのは、現代の江南に住む中国人と周代に同域に
住んでいた倭人とは異なる集団であった、ということです。この地域が漢民族
の支配を受けるのは、さらに時代が下った秦・漢の時代。黄河流域の漢民族は、
竪穴式住居(土間式)に住む畑作民、長江の倭人は、高床式住居に住む稲作民
で、それぞれまったく文化の異なる民族だったわけです。中原の漢民族は、この
ような江南の居住民を、未開の民と見下していました。

 倭人は、言語学的にはタイ語系であったと考えられています。華北の河川が
「河」であるのに対し、江南の河川「江」はタイ語語源ですし、江南の中国語方言
(上海語、広東語)の基層もタイ語と考えられています。これらのことは、倭人が
タイ語系であったということを物語っています。このように考えると、現代の
江南人は倭人が漢化した集団ということになります(幾多の民族移動があったので
、実情はもっと複雑でしょうけど)。
673日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:12:02
 稲作民である倭人の故郷は江南であったかというと、実はそうではありません。
1万2000年の稲作の歴史から見ると、江南で稲作が始まったのはそんなに古く
ないことが明らかになっています。それでは、倭人の故郷はいったいどこだった
のでしょうか? 諸説ありますが、最近の調査・研究では、イネの原生種が生育
するアッサム(インド北東部)・雲南(下図の円の部分)ではないかとされてい
ます。野生のイネを食糧とし人工栽培に成功、それとともに稲作に適した高床式
住居を発明。これが、倭人の誕生ということになります。

 7000年前、倭人はこの2つを携えて長江を下り東シナ海沿岸に到達しました。
4000年前、漢民族の進攻より苗族が圧迫されて南下した際、倭人は上流と下流に
分断され、下流の倭人は「越人」と呼ばれるようになりました(越と倭の古音は、
ともに「wo」)。さらに、春秋時代(紀元前8世紀〜同5世紀)には「呉」や
「越」を建国。史書では、呉・越人の特徴として「稲作、断髪、鯨面・分身、
潜水漁労」が挙げられていますが、これらの諸特徴は『魏志倭人伝』の倭人と
まったく同じです。そして、戦国時代、これらの人々は呉・越の滅亡による戦乱
と混乱をさけるため、「ボートピープル」となって中国大陸を脱出、稲作と
高床式住居を携え、江南とよく似た気候(照葉樹林帯)の日本列島西部に到着
しました。これが、弥生時代の幕開けとなったのでした。
674日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:32:35
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html
675日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:34:16

日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。
676日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:44:26

>これは同じ水軍人物像だよ!! 待てよチブサン古墳って起源前か!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」(アクセス変更の様なのでコチラヘ)
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360
677日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:49:16
〔 畳語の由来 〕

1畳語の由来
 日本語には畳語、つまり「グラグラ」するというように、同じことを二度くりかえす
言葉が多いが、南方語、取り分けマレー半島やジャワ、スマトラ、セレベスなどで使わ
れているマレー=インドネシア語にも、この畳語が非常にたくさんある。このことから、
日本語とマレー=インドネシア語との間には、何かつながりがあるのではないかという
疑問が生まれてくるが、マレー=インドネシア語をよく調べてみると、日本人がそれと
は気づかずに、日常の会話で使っている畳語の多くが、マレー=インドネシア語から
きているということがわかってきた。例えば、最初の「グラグラする」のグラは、これ
だけでは何のことかわからないが、マレー=インドネシア語の「動く」というgerak
(グラック)の語尾子音kがきえたものである。
678日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:51:16

2具体的な例
[畳  語][マレ・イン語][原  語  の  意  味]  [変化 や 脱落]
 マゴマゴ  mangu  驚きの為呆然となる意         u→o  n落
 クヨクヨ  kuyu  思いに悩む、悲しげなの意       u→o
 スゴスゴ  sungot 不平をいう意 いやいやながらの意   n落 語尾t落
 ボヤボヤ  boyak  香りのぬけた、うまみのない意        語尾k落
 シクシク  sik   ささやくの意、(すすりなきの様な場合)
 メソメソ  mesoh  悪態をつく意、(だだをこねる様な場合)   語尾h落
 クスクス  kuskus ささやく意
 ゲラゲラ  gelak  高笑いの意              ■→e語尾k落
 ヒソヒソ  bisu  おしの、という意           b→h、u→o
 パキパキ  pakik  金切声や大声をだす、叫ぶ、の意       語尾k落
 ハキハキ  pekik  上に同じ               ■→a語尾k落
 ペラペラ  perat  意味のわからぬことをいう意         語尾t落
 ペコペコ  pekok  湾曲した意                 語尾k落
 ベロベロ  belok  進みつつあるものが方向をかえる意      語尾k落
 トロトロ  tolo  頭など、鈍いぼんゆりした愚かなの意
 ウトウト  antok  ねむたい意              n→u、ak落
679日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:53:38
 シラジラ  silap  人の目をごまかす、目をくらますの意     語尾p落
 カサカサ  kasar  地のあらい、粗野な、の意          語尾r落
 スガスガ  sekar  壮快な、気持ちよい、の意   e→u,k→g語尾r落
 クラクラ  kelam  暗い、朦朧としたの意、(目がくらむ) ■→u語尾m落
 ブヨブヨ  buyut  ふとった、でぶでぶの意        u→o語尾t落
 ムクムク  gemuk  ふとったの意               語頭g■落
 ボロボロ  borok  みにくい、ボロボロの、意            k落
       buruk  上に同じ               u→o語尾k落
 ボロボロ  borot  したたるの意                語尾t楽
 ボチョボチョbochor もる意                   語尾r落
 ガブガブ  gabur  ほとばしり出るの意             語尾r楽
 ガツガツ  gatus  かむ、かみつく、の意            語尾s楽
 ゴロゴロ  guroh  雷、雷鳴の意             u→o語尾h落
 ガリガリ  garis  かく、の意                 語尾s落
 グルグル  gulun  たたむ、まく、の意             語尾n落
 クルクル  kurung 包む、くるむ、とりまくの意         語尾ng落
 バラバラ  balan  切断する、裂く、意             語尾n落
       belah  上に同じ               e→a語尾h落
680日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:57:59
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
681日本@名無史さん:2008/09/20(土) 22:01:44

1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf
682日本@名無史さん:2008/09/20(土) 22:17:52
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
683日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:27:27
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
684日本@名無史さん:2008/09/21(日) 01:15:55
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
685日本@名無史さん:2008/09/21(日) 10:50:19
>>682->>684

朝鮮工作員が発狂してるww 出る幕がないから帰国しろよww
さて日中そして南方アジアとは楽しく検討を続けようww
もちろん朝鮮半島も通過点だから関係はある。
蛮族朝鮮民族をどのように処しながら通過したということになww


686日本@名無史さん:2008/09/21(日) 12:35:05

殷には目に刺青をした媚という巫女集団がいて戦闘の時に、
前に並んで相手を呪いをかけ、負け戦では相手はこの巫女集団を殺すという。
琉球を島津が攻めたときやはり目に刺青をした巫女集団が並んで呪いをかけたが通用せず殺された。

では、琉球はいつからこういう風習を持っていたのか?
沖縄人がアイヌ人同様に縄文人の血を濃厚にもっていることは知られている。
縄文時代に殷文化との接触があったのか?
殷の時代に子安貝が貨幣として用いられたが、沖縄産ではないかという説もある。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/C001.htm


687日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:27:11
事実、中国の戦国、春秋の思想、社会体系をもっともよく残し
今に伝えているのは日本以外にはありません。

中国本土ではすでに春秋戦国の思想は博物館や遺跡以外には
まったく残っていませんし、半島のものは曲解された亜流が
かろうじて残っているだけです。

真伝は日本にあり!
688日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:29:16
仁義の道は見よここにあり!
689日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:34:05
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
690日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:34:26
日本のサブカルチャーである漫画の一つには
劉備玄徳は日本人であったという説を展開しているものも
ありますが、これは単なる妄想ではありません。

はるか昔、仁義の正伝が日本に伝わったことをこの作者は
感覚的に感じとっているのです。
691日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:38:34
>>679 無益な。
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁
692日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:40:08
間違えました
>>689
693日本@名無史さん:2008/09/21(日) 16:40:53
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信仁義礼智信
694日本@名無史さん:2008/09/21(日) 19:50:43
>>686

目に刺青ではなく目を飾るだった、訂正

>>690

司馬遷は「史記」で任侠をたっぷり書いている。
意味は日本の任侠と同じ、義侠もあれば朝鮮人のようなただの悪漢もあるww
日本のヤクザは在日が多いからもう任侠ではなく悪漢の世界、退治するしかないw
695國學院大學卒:2008/09/21(日) 20:04:11
たとえば玄徳や春秋戦国の
英雄達は天子を守るため
兵を挙げたが、
後世の世界では国内で兵を挙げるものは
そのほとんどが天子や王を
倒さんと企んだ。

一人我が国だけがこの天子を守るための
正義の挙兵を後世においても
貫いてきたのである。
696日本@名無史さん:2008/09/21(日) 20:09:40
>>694
いまや国内のヤクザの幹部の多くが在日朝鮮人だ
そうです。それは在日朝鮮人ヤクザのが
金儲けがうまいからだそうですね。

私は在日朝鮮人だからと
差別するのはよくないと
思いますが、
拝金主義の弱い者いじめのたかり屋どもには
天誅が下されることを願っています。
697日本@名無史さん:2008/09/21(日) 20:12:00
人の価値は金、貨幣で
決まるものに非ず。
徳によって決まるのだ。
これは古代中国、東洋の
偉大な教え。
698日本@名無史さん:2008/09/21(日) 20:23:06
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
699日本@名無史さん:2008/09/22(月) 00:20:08
>>696

悪賢い朝鮮人が多いから悪口も言いたくなるし、日本から追い出したくなるが、
中国から日本には朝鮮半島を通過しているので、朝鮮半島の資料が欲しいのだが、
北朝鮮は鎖国同然だし、韓国の学者は捏造しまくりで、百済任那の遺跡の保存も危ぶまれる。
都合の悪いことは隠すか捏造するか壊しそうだからな。
700日本@名無史さん:2008/09/22(月) 01:24:30
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
701日本@名無史さん:2008/09/22(月) 09:04:16
縄文人・弥生人、これはかなり誤解を招く表現ですよね。
まるで連続性のない異民族かと思わせる。
現代人が昭和〜平成人で明治・大正人から続いているように
縄文時代〜弥生時代の彼らだって民族の交代もなく綿々と続いてきたでしょう。

国立科学博物館の縄文人と弥生人の展示も、いかにこの両者が異なるかと
いう点を強調してますね。両者ともに日本人も容貌の範囲内なのにね。
縄文系代表として雅子さま。弥生代表として愛子さまを展示すると
もっとわかりやすいかと思います。

702日本@名無史さん:2008/09/22(月) 12:04:06
>>697

中国は中華思想があるから東洋という概念はないよ。
東洋は中国では日本人の蔑称、これを意外に日本人は知らない。
703日本@名無史さん:2008/09/22(月) 14:10:20
縄文人骨には弥生人骨のような北方モンゴロイド形質を
帯びた頭蓋など無いんだが。

ただ弥生代表は眞子さまの方が良いねw
704日本@名無史さん:2008/09/23(火) 01:08:04
>>703
弥生人の前に弥生人形質の頭骨があるわけないだろ。頭大丈夫か?
705日本@名無史さん:2008/09/23(火) 08:23:10
>>704 意味不明?

WIKIでおさらいすると、縄文と弥生の区別は主として水稲耕作の有無と土器の種類で区別されるが、
これまで縄文と弥生の狭間はBC3C、弥生と古墳の狭間はAD3Cだったが、水稲耕作がさらに古いことがわかり、
弥生はBC10Cに遡る可能性があること、また稲の伝わるルートは、遼東や朝鮮北部に水稲耕作がみられないことから、
南方ルートで列島に伝わりそれが朝鮮南部にも伝わったのだはという説が有力になっている。
弥生人の人骨の特徴だが、北方モンゴロイド形質というより中国江南人とそっくりという。時期は春秋から。
http://www.asukanet.gr.jp/tataki/yayoizin2.html
706日本@名無史さん:2008/09/23(火) 08:30:23
弥生人が江南起源だと
実にうれしい。
これホンネな。
707日本@名無史さん:2008/09/23(火) 08:46:34

でも梅原猛が中国でそれをいったら嫌がられたらしい。
中国としては中原の北方中国人が主で南方中国人は従という観念があるからのようだ。
とはいえ、日本が東方の天子として中国に対等外交を敢然と主張したのは、
北方中国人と南方中国人の対立構造あるいは民族の違いの反映かもしれないなww
708日本@名無史さん:2008/09/23(火) 11:38:40
2チャンと韓国との怪しい関係だってさ
http://resistance333.web.fc2.com/top_index.html


709日本@名無しさん:2008/09/23(火) 12:59:46
>>707
まぁその「北方中国人と南方中国人の対立」が発生し、
そして終りを告げたのが丁度その時代だったりするんだが。

ここまで把握していたのなら聖徳太子も大したもので。

710日本@名無史さん:2008/09/23(火) 14:06:46
>>709

その聖徳太子だが、平群郡額田部に熊疑(くまごり)精舎を建てている。
いまは葛城川の支流の地に移され、真言宗の百済大寺となっている。
この熊疑だが、楚の名君だった悼王(熊疑:在位紀元前401年 -
紀元前381年)にあやかった名じゃないかと思う。
711日本@名無史さん:2008/09/23(火) 17:55:18
>>705
じゃあ何で最古の水田遺構とともに新たに登場すた新型土器は
江南の土器系統じゃなくて沿海州の土器系統なんだよ?w

江南の土器系統を一切捨てて、はるばる沿海州まで出向いて行って
土器系統をマスターしてから、わざわざ九州北部までやって来たのか?w

そりゃずいぶん器用な集団だな(爆
712唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/09/23(火) 19:21:52
江南=天照大神系→少数
沿海州=大物主系→大多数
つまり 天照大神系は、暦(文字を含む)を持って大物主系と合体したんですよ。
記録は、天照 実際の行動は、大物主

713日本@名無史さん:2008/09/23(火) 21:41:28

倭の中国の書物での初出は「論衡」
WIKIによれば「成王時 越裳獻雉 倭人貢鬯」(恢国篇第五八)
(成王の時、越裳は雉を献じ、倭人は暢草を貢ず)
周の成王は姫誦、在位前1021年? - 前1002年?

これによれば弥生はBC10Cに遡ってもおかしくない。
714日本@名無史さん:2008/09/23(火) 21:59:00
>>711

そういえばいまの朝鮮韓国人の祖先の中国での書物の初出はいつなんだw
715日本@名無史さん:2008/09/24(水) 01:18:40
>>705
何が意味不明だw
何で縄文人に弥生人特徴があんだよ
バカじゃね?
716日本@名無史さん:2008/09/24(水) 01:31:41

幾ら土器煙幕→台湾煙幕→貼ろうとも倭人は呉の末裔、周王室(天子)で

有る事に変わりは無い。残念でしたね。!
717日本@名無史さん:2008/09/24(水) 02:33:13
>>716
電波乙w
718日本@名無史さん:2008/09/24(水) 09:17:26
>>715

そういえばいまの朝鮮韓国人の祖先の中国での書物の初出はいつなんだw

719日本@名無史さん:2008/09/24(水) 10:01:15
>>715

意味不明?
おまえのようなうざい在日に親切に答えようとしても意味不明w
もっと詳しく質問内容を資料をもとにしろよ、
日本語はどこで習った?なんだじゃねって?馬鹿じゃねw
720日本@名無史さん:2008/09/24(水) 17:56:48
どっからどう見ても715は在日には見えず、
719は江南に誘導している在日に見えるね。

それもいつもの朝鮮煙幕隊の在日台湾人に見えるが。
721日本@名無史さん:2008/09/25(木) 01:20:28
チャンコロもチョンも両方ウザイよ
722日本@名無史さん:2008/09/25(木) 01:28:00
なぜかワンコロを出さない白々しさw
723日本@名無史さん:2008/09/25(木) 02:41:39
嘗糞は中国が起源。



嘗糞の記録は中国の南北朝時代や唐代の説話にも見受けられる。
『二十四孝』や『日記説話』によれば、南斉時代に庚黔婁と言う
役人が父親が病気になったので帰郷すると医者に、糞を嘗めて
見ないと状態が解らないと言われ、その味が甘かったので憂いたと
言う「嘗糞憂心」の故事が残っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%98%97%E7%B3%9E


724日本@名無史さん:2008/09/25(木) 10:46:17

こんなところに出没するのは変質者の朝鮮人しかいないだろww
日本にどれだけ台湾人がいるんだ、しかも親日なのにw
725日本@名無史さん:2008/09/25(木) 11:16:39
朝鮮ネタでスレ破壊
726日本@名無史さん:2008/09/25(木) 20:08:23
>>702
そうなんですか。
それは知りませんでした。
東夷と同じような意味なのでしょうか?
727日本@名無史さん:2008/09/25(木) 20:15:00
>>705
やはり!貴重な資料を
ありがとうございます。
728日本@名無史さん:2008/09/25(木) 20:18:19
>>709
いや把握していたのだと
思います。
これまで怒り狂っていた
ヨウ帝がなぜ答礼の使者を
日本に送ったのか謎とされてきましたが
このような事情だったのですね。
729日本@名無史さん:2008/09/25(木) 20:20:20
たしかかの太公望も
生まれは「東夷の人」
すなわち日本人であったという記事が
あったかと思います。
730日本@名無史さん:2008/09/29(月) 23:06:18
呉=干=汗=藩=韓=倭=干越=呉越、 古代中国では左記の様だな。

魏志鮮卑伝には、「鮮卑王、檀石槐が烏侯秦水までやって来たが、川に魚が見えるのに
捕えることができない。汗人が魚を捕えるのに巧みであると聞き、東方に軍を出して
汗国を討ち、千余家を捕えて烏侯秦水のほとりに移住させ、魚を捕えて食料不足をしのいだ。
今に至るまで、烏侯秦水の付近には汗人数百戸が住んでいる。」という注が見られます。
この汗人は干人(呉人)とも、干(カン)は呉の別表現とされ、呉越は干越と表記されています。

後漢書では、この汗人が倭人に置き換えられているのです。中国、春秋時代の後半、
長江河口部には「呉」という国が栄え、南方の「越」や西方の「楚」 北方の「斉」と激しく対立していました。
長江河口部北方、呉の領域に干という地名が存在したようです。
これは【呉越同舟】で知られる「呉」の国のことです。
731日本@名無史さん:2008/09/29(月) 23:13:22
比干(ひかん、紀元前1092年〜紀元前1029年))は中国殷代の王子。帝辛(紂王)の叔父に当たる。
名は比で、干の国に封じられたので比干と呼ばれる。紂王が暴政を行い、西の周の西伯昌(後の文王)
の勢力が増大していた頃、紂王を諌めたが聞き入れられなかった。周で文王が死んで発(後の武王)
が立つと周の勢力はますます増大し、殷の他の者達は逃げ出してしまったが、比干は「臣下たる者は
命をかけて諫言しなければならない」と紂王に対して諫言をした。しかし紂王はこれを聞かず、
「聖人の心臓には七つの穴が開いているそうだ。」といって比干を殺害した。

その後、紂王は周の武王に討たれ、殷は滅亡した。武王は比干の墓に厚く土盛をして比干に対する
哀悼の念を捧げた。武王が比干の忠烈を称え比干の子の堅に「林」という姓を与えたことにより、
比干は林姓の始祖とされる。

732日本@名無史さん:2008/09/29(月) 23:56:41
日本人が中国人に対して抱く嫌悪感や恐怖心は、中国を追われた稲作民が
えげつない華北人に対して抱く感情に由来する?
733日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:16:26
ピッキング空き巣やひったくり、ATM強盗などに由来します
734日本@名無史さん:2008/09/30(火) 01:20:33
呉越軍の中に「干、汗の国」人集団、軍団が居たと云う事か?

幕府軍の中に強力な薩摩軍が居て、後に幕府国じゃ無く薩人、薩摩の国とか
云われたって事か。
735日本@名無史さん:2008/09/30(火) 15:49:34
>>730

面白い意見ではあるけど、荀子に
「干越夷貉の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、
長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして然らしむるなり。」
があり、解説に「干」は呉に併合された国、とある。

736日本@名無史さん:2008/10/01(水) 13:03:36

下のHPでは、
『「干」は呉に併合された国。
「越」は呉との抗争で、臥薪嘗胆、呉越同舟、会稽の恥といった語を生み出した南方の異民族の国。
「夷」は東方、「貉(ばく)」は北方の異民族。』
とある。南、東、北が明らかだから、干は西の民族になる。
鮮卑が「東方に軍を出して汗国を討ち、千余家を捕えて烏侯秦水のほとりに移住させ」
では東方と明記している。
http://members.jcom.home.ne.jp/diereichsflotte/XunziMencius/BlueIsBluerThanAIndigo.html
737日本@名無史さん:2008/10/01(水) 13:48:38
そこら辺は北まで廻り込んでるが元は同根だっつことだろw
738日本@名無史さん:2008/10/01(水) 15:22:36
739日本@名無史さん:2008/10/01(水) 15:38:04
>>735
日本軍として一括りだった朝鮮人部隊、台湾人部隊は消えて無くなったか?
日本軍としての縛りが無くなれば、朝鮮軍、台湾軍として復活したよ。

つまり呉越軍として活躍したが呉越国が崩壊した後、元の干、汗、倭族軍
に復帰したんじゃないか。
740日本@名無史さん:2008/10/01(水) 19:51:18

最近、理化学研究所で発表があった。
日本人は遺伝的に「本土型」と「琉球型」にわかれる。
「本土型」の方が、中国人と遺伝的により近かったそうだ。
2ちゃんでも盛んに朝鮮人工作員が、日鮮同根とか、
日本のものはなんでも朝鮮が起源を執拗に繰り返しているが逆効果だな、
これでわかっただろうww

韓国のネット新聞の中央日報にはコメント欄があるから日本人が多数投稿している。
いやいや見識も文章も達者な人がいっぱいるね。
あれが日本人を代表している。麻生は読んでいるね。
生意気な韓国人の記者に、隣同士は仲が悪いものと一蹴している。
これは韓国に行った塩野七生が、
「隣同士は仲が悪いもの、戦争さえなければよしとしなければ」
と韓国で発言した記事を読んだのだろう。
在日の参政権なんて1万年早いww 
人口比で10倍も犯罪の多い民族なんて追い払いたいのが日本人の心情。

中国はちがうよ、立派な人物がたくさんいるからな。
食の問題についても積極的になってきた。付き合える国だ。


741日本@名無史さん:2008/10/02(木) 01:28:44
>>738
BC3000年頃の紅山文化に有った黒陶、灰陶が、僅か500Km東南の
楽浪地方(今の平壌)へ伝わるのがBC2C〜3C年頃と云われる。

こんな近距離でも此れだけ伝わり難いんだよ、まして江南から列島へなんて
敗残兵や難民では高度な技術など簡単には伝わらないよ、青銅器は伝わったが。
742日本@名無史さん:2008/10/02(木) 01:56:11

ある日中韓の歴史学者の対談で、
中国の学者が遼東や朝鮮北部に水稲耕作の器具がないから江南ルートで伝わったと発言すると、
韓国の学者がいや朝鮮北部には炭化した米が出るから、
朝鮮から日本へ伝わったと反論した。
すると日本の学者がぼくの家でも多少のお米の備蓄はあるから、
火事で焼けたら炭化した米ぐらいでますよ、
炭化した米があるから水稲耕作地だというのは幼稚な子供騙しと皮肉を言った。


743日本@名無史さん:2008/10/02(木) 02:10:35
馬鹿。

黒色磨研土器は朝鮮半島では無文土器時代(BC13C〜)から
登場しているんだよ。

それに伝達が遅れたのは間接伝来だから。

BC2〜BC3Cに灰陶や青銅鼎や金銀器や金メッキや馬車や傘や貨幣や
瓦や龍信仰や漢字などが一挙に楽浪郡に伝わるのは漢の侵攻での
漢四郡の設置による人の移動での直接伝来だから。

古墳期以前に中国から直接伝来したものなど一つもないという証拠だね。

すべて楽浪を介して朝鮮半島との交流交易を通じて倭に伝来している。
744日本@名無史さん:2008/10/02(木) 02:12:59
>>742
おまえ放射性炭素年代測定も知らん厨房か?w
745日本@名無史さん:2008/10/02(木) 02:13:32
稲作にまつわる民俗学的な側面が出てこんよなw全般的に云えるが。
紙の歴史と考古遺物を拾い集め妄想するのは得意だが
肝心の己は何者かを規定する、まあ良いかw
746日本@名無史さん:2008/10/02(木) 02:36:02
>>743
中国から檀君やら箕氏朝鮮が平壌辺りに直接きてる話はうそか?
747日本@名無史さん:2008/10/02(木) 02:53:05
>>738
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...
748日本@名無史さん:2008/10/02(木) 02:55:03
>>738
1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf

749日本@名無史さん:2008/10/02(木) 03:49:50
491 名前:出土地不明 :2008/10/02(木) 03:15:04 ID:k72u6Xe6
今日も来たのかウンコくせえ醜悪な台湾江南ベトナム顔工作部隊員。

懲りねえなオマエも。


>>486-487
青森の三足土器は三足が後付けで中国本土のものと製作方法が異なり、
沿海州南端や朝鮮北端の一部にある鬲と製作方法が一致しているので
沿海州方面から持ち帰ったもののコピーだと解決済みだろが馬鹿。


>>488
BC7Cは弥生時代だが何か?

大分の三足土器も基本的に青森と同じ沿海州南端や朝鮮北端からの
輸入物だろうね。

何で渡来人の中心地、福岡平野で出ないのかをよく考えな。


>>489
その青銅刀子の輸入先の沿海州南部はBC10C頃にはもう青銅器時代に
入っているよ。
750日本@名無史さん:2008/10/02(木) 04:01:19
>>749
今日も来たのかキムチくせえ醜悪な朝鮮ウジムシ工作部隊員。

懲りねえなオマエも。
751日本@名無史さん:2008/10/02(木) 09:31:39
>>746

箕氏朝鮮は実在の人物、いまの朝鮮人と同じかどうかわからぬが、
朝鮮北部で君臨し慕われたようだ。
檀君はいつもの朝鮮人の後代の捏造、

日本人の本土型は中国人と似ていることがわかりこのスレの意義が上がる。

中国の歴史を満載して登場してくるww

朝鮮の歴史家は息をはくように歴史を捏造するww


752日本@名無史さん:2008/10/02(木) 09:36:35

箕氏朝鮮は実在の人物、いまの朝鮮人と同じかどうかわからぬが、
朝鮮北部で君臨し慕われたようだ。
檀君はいつもの朝鮮人の後代の捏造、
中国の歴史を満載して登場してくるww 中国の歴史の盗用w
朝鮮の歴史家は息をはくように歴史を捏造するww

日本人の本土型は中国人と似ていることがわかりこのスレの意義が上がる。


753日本@名無史さん:2008/10/02(木) 09:45:01
>>751が順番を間違えたので>>752に訂正した

「箕氏朝鮮は実在の人物、いまの朝鮮人と同じかどうかわからぬが、
朝鮮北部で君臨し慕われたようだ。 」

箕氏はもちろん実在の人物、中国人、
しかし箕氏一族が支配した朝鮮北部の被支配者が、い
まの朝鮮人かどうかわからぬの意。

この箕氏がつけた朝鮮が自分達の民族名に残っている不思議さ。
朝鮮人がなんとも思ってないようなのは、
長期にわたった中国の属国扱いになれているからだろう。
中国人が朝鮮半島は中国のものという発言に説得力があるし、支持するww




754日本@名無史さん:2008/10/02(木) 09:55:16
>>726

東洋ですが、そもそも中国にはヨーロッパを西洋ととらえる発想がありません。
中国を中心とする中華思想を持っているからです。ちなみに東洋については、
ネットから引用しました。
◇East/Orient
○中国での日本の別称。
◎東洋鬼(トンヤングイ)(日本人の蔑称)
◎元々は中国の広東(広州)から東南の海を「東洋」と呼び、
フィリピン・ボルネオ・モルッカ諸島を意味した。
シナ海は「小東洋」、太平洋は「大東洋」。西南の海は「西洋」と呼び、インド洋は「小西洋」、
ヨーロッパの西を「大西洋」と呼んだ。
http://w021.q.fiw-web.net/pddjapn/pddj.cgi?mode=log&no=133&page=16

日本は幕末から西洋に対する言葉として東洋が頻繁に使われているため、
東洋の心とか、東洋という言葉を聞いただけでいろいろなイメージが湧くが、
これは日本だけのものと知るべき。

755日本@名無史さん:2008/10/02(木) 10:13:51
>>744

おまえさんも幼稚な子供騙しの口w
この韓国の金なる歴史学者が放射性炭素年代測定をしたかどうか知らぬが、
たとえ古かろうが朝鮮北部にちょっぴり発掘される炭化した米で水稲耕作地の証明にはならない。
水稲耕作器具や灌漑設備があって証明になる。
それに日本の水稲耕作はBC10Cに遡るといわれているから、
列島から朝鮮南部に伝わったとも考えられる。
756日本@名無史さん:2008/10/02(木) 10:24:57

ここでみなに推測してもらいたいことがある。
高矢禮(ゴシレ)だ。WIKIに説明がある。禮」は「礼」である。

「野外で飯を食べる前に「高矢禮(ゴシレ、ゴスレ)」と叫んで、
食べ物を外で投げること。土神と水神に食べ物を捧げるという意味がある。」
と説明されている。
だが、少しうろ覚えだが、金達寿は、
これは高矢という人に水稲耕作を教えてもらったので、
感謝をこめて農家の人は野外で飯を食べる前に「高矢禮(ゴシレ、ゴスレ)」
と感謝すると説明していた。

つまり「高矢」という人は土着の人ではなくどこから来て水稲耕作を教え、
またどこかへ行ったということのようだ。これでも朝鮮起源は否定されるww
みずから教えてもらったことを伝統にしているw

それはそうと、「高矢」とは何者かいという疑問である。
日本の越は古代では「高志」あついは「古志」と呼ばれていた。
水稲耕作もやっている。いまのところ関連するかどうかわからない。
みなさんも推理してくださいw









http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%9F%A2%E7%A6%AE
757日本@名無史さん:2008/10/02(木) 11:08:45

箕氏は殷王の家臣、殷を滅ぼした周のおぼえがよく、朝鮮半島をまかされた。
もともと殷の人なんだよ。長く朝鮮北部を中心として支配が続いた。
そしてやはり中国からきた衛満に滅ぼされ箕準は朝鮮南部に逃げ偽って韓氏を名乗り王となった。
楽浪郡や帯方郡なども置かれた。

さてこれだけ中国人が古代の朝鮮半島を跋扈し、
殷出身の箕氏の長期にわたる支配があるから、
さぞかし鼎も半島のそこかしから大量に発掘されているだろう。
なにしろ殷では鼎は祭器として使われ、なかには牛を煮る大型の鼎もあった。
で、キムチ朝鮮工作員よ、朝鮮半島の鼎の発掘分布図と量でもコピペしてくれんかいな、
見たいんでのうww



758日本@名無史さん:2008/10/02(木) 13:22:21
俺は北方説のリアル日本人工作員だがなw

日本人ルーツ江南誘導工作に邪魔な日本人の事も江南ベトナミー
台湾ゴリラ用語でチョン、朝鮮人、キムチと言うみたいだがなw

さて、

朝鮮半島での鼎の出土は楽浪郡遺跡くらいしか聞いてないね。

朝鮮半島の鬲の出土は沿海州と朝鮮半島の境界線に位置する
豆満江あたりまでしか聞いていないね。

今のところな。
759日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:27:08
>>445
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。


ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

760日本@名無史さん:2008/10/03(金) 00:44:24
>>756
おい金達寿て有名な電波在日チョンのエセ歴史家じゃねーかw
761日本@名無史さん:2008/10/03(金) 02:08:53
>>760

知ってるよw 金達寿の話した説も信じちゃいないが、
「高矢」とは何者かという興味がある。
762日本@名無史さん:2008/10/03(金) 15:56:22

春秋戦国時代にはもう工人集団というのがある。しかも専門分野も細分化されている。
製造技術は自分達の商売でもあるから当然に秘密にしている。
もちろん製品や商品は運ぶことができるものなら広範囲で使用されるだろう。
殷王の家臣の箕氏の支配があれほど長期にわたっているのに鼎がさほど発掘されてないのは、
技術集団が来なくてただ購入していただけかもしれない。
あれだけ中国人が跋扈した朝鮮半島に鼎がなければ日本列島になくてもおかしくはない。
中国からの難民は工人を引き連れてくる余裕はなかったのかもしれない。
また優秀な工人は新しい征服者は逃さないだろう。
鼎だけじゃないだろう、いくらでもそういう物はある筈だ。

朝鮮人も統一新羅以前はよくわかっていない。新羅だって、
当初は斯羅と呼ばれ、朝鮮北部の太白山(いまの白頭山)を見えるところに住んでいた。
それが中国の騒乱の余波で朝鮮南部に移動した。朝鮮南部にも太白山がある。
太白は春秋戦国の呉の始祖だ。呉の首都があった姑蘇の名がつく姑蘇城も朝鮮南部にある。
馬韓は支配者と被支配者との言語がちがったともいわれている。
朝鮮人は出自だってわからないことだらけなんだよ。







763日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:03:39
>>759
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf


764日本@名無史さん:2008/10/03(金) 18:05:37
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎].... 朝鮮半島は縄文人の生活圏か?

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。
765日本@名無史さん:2008/10/03(金) 23:29:52
>>辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに
割譲したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻す
こと)と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

当時の秦語と云えば今の西安辺りの方言で、中国の中心言語、今の北京語に相当。
その彼らが苦役を逃れて新羅に亡命、こんな中国の中心集団が多勢来てるのに

粗製灰陶で出来ている鬲、灰陶を焼く原始的な穴窯も鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も兵馬俑、土器、青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。

如何してかな。中国人がウソを書いたのか、説明よろしく。
766日本@名無史さん:2008/10/04(土) 09:28:48
>>765

中国人の歴史家は大体にして信念と誇りがあるんだ、史とはそいうもの。
朝鮮人は一般人も歴史家も揃って息を吐くように嘘をつくww
767日本@名無史さん:2008/10/04(土) 09:36:01
>>765

ある地域にABCDなる文化や遺跡があり、
また別の地域にCDなる文化や遺跡があるとする場合、
ABがないから文化が伝わってないとはいえない。
768日本@名無史さん:2008/10/04(土) 09:48:30
蔚山(ウルサン)で調べたら面白いHPがあった。
「約2千年前、高度の騎馬文化と鉄器文化を持った国家、于尸山国が蔚山広域市蔚州群熊村面下垈にあった。
勢力では新羅と双璧であった于尸山国は、西紀450年頃に新羅と一戦を競って敗北し、温陽峙を越えて温陽村、
雲花里に移った。」
「また新羅軍が雲花里に現れるや蔚琴王は戦って戦死し、
王妃と9名の公主,臣民が火鉄嶺を越えて機張郡長安村、
奇龍里地域に移って于尸山国の命脈をつなぐ。<それで長安という地名ができた>。
しばらくして新羅軍が再度攻め込み、王妃は死んだ。
その時、公主たちは急いで自分の着ている衣装に土を入れて運び、
母后の屍を土で覆い、そして四方に散って行った。そのときのものが于尸山国王妃陵である。」
「公主である名が日本に渡り、神功皇后になったと言われている。
国が亡びると大勢の于尸山国人々が日本に渡って行った。
日本で皇后になった公主(神功皇后)は新羅に復讐を企て、
機張にまた渡ってきたので,
その女の諡号が機張を別の気長足姫尊になったことはそういう理由だ。」

いつもの朝鮮人の捏造と嘘でなければ興味深い。
于尸山国は中国人の国と思われる要素が多分に含まれている。
こういう歴史を韓国はどんどん捏造無く公開すれば良い。
いずれにせよ出自がはっきりしないのは日本も朝鮮も同じだからだw






http://www.busantabi.com/content/basic.asp?m_idx=13&s_idx=83&b_idx=194
769日本@名無史さん:2008/10/04(土) 09:56:40
別の韓国のHPにも興味をひくものがあった。
「ここに登場する居柒山国(コチルサン国)は現在南区の主山である荒嶺山のハングル読みである‘コチンメ(荒い山)
居柒山’と 関連して解釈されたりする。そして『三国史記』居道列伝に“新羅脱解王の時、
居道が干になり于尸山国と居柒山国を滅ぼした”という内容がある」とある。


また、
「竜塘洞にある神仙台と関連して“新羅末に崔致遠先生が神仙になってここでのんびり暮らした”と言い、」
云々があるがこれは朝鮮半島に神仙思想が渡っていた証拠だろう。


http://tour.bsnamgu.go.kr/japanese/country_inquiry/history02.htm
770日本@名無史さん:2008/10/04(土) 10:10:34

「国が亡びると大勢の于尸山国人々が日本に渡って行った。」
は、百済滅亡後、司馬遼太郎がいうように、
百済滅亡後に、百済人が国をあげて日本に渡ってきた様子に似ているな。
土着人は朝鮮半島にいるだろうから、于尸山国人も百済人も中国人の可能性がある。
同じあるいは似た民族かもしれない。
771日本@名無史さん:2008/10/04(土) 10:20:19
>>765

韓国には龍のつく地名が多いよ。
古代からの地名であれば龍信仰が入っている、自分でも調べろよw
772日本@名無史さん:2008/10/04(土) 10:23:50
倭人本人が呉から来たという伝承をもっていたんだから、根拠はあるん
だろう。

 朝鮮から来たのなら古代なら隠す必要もないのでそういうはずだ。
773日本@名無史さん:2008/10/04(土) 14:25:42

759 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:27:08
>>445
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。


ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
774日本@名無史さん:2008/10/04(土) 16:19:17

白川静が、殷は紀元前11世紀に滅亡したが、難民となった殷人はもとの山東半島に戻り、
一部は遼東半島、朝鮮半島から列島へ渡海したかもしれないと言っている。
ただ白川は殷人が列島にそのとき文化を持ってきたというより、
それ以前から共通の沿海族として列島にはなにがしらの基盤があったろうとも言っている。

殷で使われた青銅器の鼎は主として祭器、または家の宝とするもので、
かなり高度な技術職人の存在があり、また良質な銅も必要とあって、
そう簡単には作れないとも言っている。

殷の滅亡の時期と日本列島や半島南部の水稲耕作が同じ頃というのは興味深い。



775日本@名無史さん:2008/10/04(土) 17:03:25
>>774『貝と羊の中国人』加藤徹 (新潮新書)...殷と日本列島は貝がキーワード見たい。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A005.htm
三千年前、殷王朝の本拠地は、豊かな東方の地でした。彼らは遠い海から運んできた
「子安貝(宝貝)」を貨幣として用いました。財、販、貧、貸、貿、資、賜、賭…
など、有形の財に「貝」が含まれるのは、殷人の気質の名残です。殷の宗教は多神教で
神々は人間的でした。殷の「八百万の神々」は酒やごちそうなど物質的な供え物を好みました。
そんな殷の人々は自分たちの王朝を「商」と呼びました。これが、「商人」の由来となりました。
なお宝貝の産地は、琉球諸島、ベトナム、伊豆諸島、中国沿岸では取れません。

いっぽう殷を征服した周王朝は、中国北西部の遊牧民の気質を持ちました。彼らは「羊」
と縁が深かった。広漠たる大草原や砂漠地帯を移動しながら暮らす遊牧民たちは、
「空から大きな力が降ってくる」という普遍的・一神教的な信仰を持ちやすく、彼らは
唯一神である「天」を信じています。ここでの神は、物質的な供え物よりも無形の善行を
好みます。つまり周人の神々は、物質で買収することはできなかった。
義、美、善、養、儀、議、羨…など無形のよいことをに「羊」が含まれるのは、そのためです。
たとえば、孔子による儒教などの熱烈なイデオロギーは、この「羊」の感性によるものとなります。


776日本@名無史さん:2008/10/04(土) 17:11:47
子安貝はAD14C位までは国際通貨なみの扱いだな。!!

コヤスガイとは海で採れる貝殻で、ほらあのイタリアの女房たちがしている高い飾り
カラーによくついているあの貝である。このコヤスガイ80個が銀1サジオ(4.7g)、
すなわちヴェニスの2グロッシに換算され、純銀8サッジが純金1サジオに相当している。
 ” ・・・ 東洋文庫版
777日本@名無史さん:2008/10/04(土) 17:34:03

763 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:03:39
>>759
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf
778日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:27:49
>>772
そんな伝承ねーよw
司馬だの金達寿だの電波ばっか信奉してんじゃねーぞ
779日本@名無史さん:2008/10/05(日) 03:02:14
>>778 魏志倭人伝に倭人は呉の太伯の末裔と自称しているとシナ人が
記録している。

 魏志倭人伝は電波か?
780日本@名無史さん:2008/10/05(日) 03:24:42
世辞だろ世辞
日本側に伝承がないだろうが
781日本@名無史さん:2008/10/05(日) 05:10:56
>>779
あん?


どこにそんな事が書いてあんだよこのバカ!


単におまえの解釈がデムパなだけじゃねえかこのカス!


このサギ師!


この風説流布犯!
782日本@名無史さん:2008/10/05(日) 05:18:29
>>779
お前が電波なんだよ
783日本@名無史さん:2008/10/05(日) 05:28:33
779はいつもの台湾人。

おかしな朝鮮デムパ飛ばし狂ってるのもこいつ。
784日本@名無史さん:2008/10/05(日) 10:23:09

スレタイにもあるが、晋書と梁書にあるので、魏志倭人伝にはないだろう。
でも「大夫」を自称しているし、(太白)の呉の風俗を記した後に、
それと似た倭人の風俗を書いているから暗示させているとも読める。
785日本@名無史さん:2008/10/05(日) 10:39:07
>>784

蔚山(ウルサン)を教えてくれたので面白いのがある。
機張郡馬面高村里の遺跡跡だ。園池があり(慶州には鴨池があるという)、
「釜山の古代部族家、高氏の都城だという主張が以前からあった。
高氏の領域で製馬具と冶遺跡が多見され、騎馬民族を主張する江上波夫博士の、
その騎馬家ではないかと見られている。」

江上波夫の名が急に出てきたので驚いた。韓国では有名なんだな。
高氏は高句麗の王族の高氏かもしれない。高句麗の王族は交替している。
句麗の国名のときは解氏(百済大姓八氏に含まれている・付与族)、
高句麗の国名は高氏が政権のときだとある人が書いていた。この高は、
高句麗王族の高氏のひとりが顓頊高陽氏の後と言っているから、
高陽氏の高にちなんでつけたとも思われる。
顓頊高陽氏を祖とする氏族は多いが、有名なところでは春秋戦国の楚と越がある。
楚は鉄器政策と水稲工作が中原より早くに盛んとなり爆発的に発展した国でもある。

高志や古志も関連するかもしれない。



http://www.busantabi.com/content/basic.asp?m_idx=13&s_idx=83&b_idx=197

786日本@名無史さん:2008/10/05(日) 11:33:14

天皇家は太白の出自の周の姫氏系の呉系ではないだろうと思う。
周は牧羊民族だから近親結婚を嫌う。家畜を飼うから近親交配の危険を知っているからだ。
だから羌氏と結婚するのが一般だった。

しかし、天皇家は古代では近親結婚を繰り返している。天智天武はひどいね。
血の純潔を守るためだろうが、牧羊民族ではやらないのではと思うね。
もちろん異常に血の純潔にこだわれば別だが。

とはいえ、呉人は列島に流入しているだろう。
同じ中国人が間違えるわけが無い。不審があれば書き残すだろう。
呉の王族の姓である姫氏と同音の紀氏はもちろん、武内の子孫は呉系だろうと思う。
蘇我氏もそう、百済では木氏で通している。中臣氏、藤原氏、九鬼氏などもそうだろう。
姫氏の呉のシンボルは鹿、姓は姫氏のほかに余氏がある。ちなみに百済王家も余氏。

楚は苗族など多民族からなる。白川静は苗族も列島に来ていると推測しているようだ。
楚の姓は熊、そして千(千に似たビ)がある。


787日本@名無史さん:2008/10/05(日) 12:00:57

古代の近親結婚の時代はともかく天皇家は姫氏系(呉系)の氏の姫と結婚する例が多い。
桓武天皇もそう。周における羌氏のようなものだろう。

ついでに羌氏だが、殷を倒したときに協力したので羌氏の太公望が斉をまかされた。
斉には敗れた殷人の一部も残っているからだろう(宋として残りもするが)。
朝鮮の姓の姜はこの羌族に由来しているかもしれんなWW
もとは中国西部のチベットあたりにいて殷の時代にはつかまえられて生贄とされた。

禹、呉、高、劉、宋、田など朝鮮には中国名が多い。
大半は勝手に名乗っているのだろうW
788日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:21:20
ラーメンの起源は中国ではあるが、いまやラーメン文化の
もっとも成熟した国はわが国日本。ラーメンの本家はいまや
日本であるといえる。

同じように
古代中国の文化・思想をもっともよく伝えているのはわが国日本。
東洋文化の正統はいまやわが国日本にあるといえましょう。
789日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:23:52
>>754
中華思想には謙譲の精神がありませんね。
790日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:26:31








       こ こ に デ ム パ 極 ま れ り






791日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:28:29

759 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:27:08
>>445
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。


ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
792日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:41:34

光仁天皇の侍妾となった高野新笠(たかののにいがさ)がいる。
高野新笠は桓武天皇の生母である。藤原氏も多くの娘を天皇の妃としている。
いずれも呉系姫氏である。
793日本@名無史さん:2008/10/05(日) 14:11:55
>>788
ナルホド。大陸ではなくなってしまった「王道」が日本に
現存するのも偶然ではないということですね。
794日本@名無史さん:2008/10/05(日) 20:02:33

763 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:03:39
>>759
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf
795日本@名無史さん:2008/10/06(月) 00:36:37
>>793
もともと支那に王道など存在しないw
796日本@名無史さん:2008/10/06(月) 23:23:22
>>辰韓、古老は秦の逃亡者で、苦役を避けて韓国に往き、馬韓は東界の地を彼らに割譲
したのだと自称する。そこでは国を邦、弓を弧、賊を寇、行酒を行觴(酒杯を廻すこと)
と称し、互いを徒と呼び、秦語に相似している故に、これを秦韓とも呼んでいる。

当時の秦語と云えば今の西安辺りの方言で、中国の中心言語、今の北京語に相当。
その彼らが苦役を逃れて後の新羅地域に亡命、こんな中国の中心集団が多勢来てるのに

粗製灰陶で出来ている鬲、灰陶を焼く原始的な穴窯も鬲もさっぱり伝わっておりません。
秦王朝のシンボルである鼎も兵馬俑、土器、青銅器にもさっぱり伝わっておりません。
中国青銅器の龍文はもちろん、龍信仰さえさっぱり伝わっておりません。
縦笛の簫、磬、鐘、鐃、ロ于、鉦など、様々な楽器もさっぱり伝わっておりません。
漢字の前身、篆書などを刻んだ遺物などもさっぱり出土しません。

出土遺物が揃って無いからと云って、渡来を全否定出来るほど確かなものでは有りません。
ただ、馬鹿で、無知で、低脳の、頭の弱い人間だけがダマされる三足土器人の創作デムパです。
797日本@名無史さん:2008/10/07(火) 21:26:42
韓国陶磁の歴史 [伊藤 郁太郎]..朝鮮半島は縄文人の生活圏か?孔列文,突帯文,縄文系土器など。

朝鮮半島における近年の考古学上の収穫の一つは、土器の起源に関する新資料の発見である。
いうまでもなく、陶磁の歴史は先史時代の原始土器をもって幕を開けるが、朝鮮半島の場合、
櫛目文土器を最古のものとする見解が、従来の通説であった。ところが1969年から71年にかけて
釜山市影島区東三洞貝塚における櫛目文土器の層の下から、縄文土器系の尖底・円底無文土器
や平底隆線文土器などが発見され、注目を浴びるところとなった。それらは櫛目文土器とは
明らかに異なる特徴を持ち、その層位や伴出石器などから見て、櫛目文土器より古い文化層
に属するものと考えられている。放射性炭素年代測定によると、紀元前4000年紀を示し、それを
前提とする限り、西北シベリアの影響を受けたと考えられて来た櫛目文土器より、大幅に時代を
遡ることとなった。これら先櫛目文土器と名づけられたものは、東三洞のほか、慶尚南道新岩里
や咸鏡北道西浦項貝塚などからも発見され、最古の土器文化がひろい地域にまたがっていた
ことが推測される。そして、それらの中に含まれていた豆粒文土器が、わが国の長崎県泉福寺洞穴
や福井洞穴などから発見される日本最古[紀元前12000年紀]と考えられている豆粒文土器と
類似することは、日本との交流の歴史を考える上できわめて興味ある間題を提出している。
798日本@名無史さん:2008/10/07(火) 23:12:53
半島南岸に縄文人がかなり入り込んでいたんだろうな。

ただ日本にしろ半島南岸にしろ縄文時代から古墳期に至るまで
相互の土器文化の交流があるのに、何で中国土器文化が
日本には一切見られんのかね?

朝鮮半島にしても楽浪時代に入るまで中国土器文化がない。

日本には中国からの渡来集団などさらさら無かった事の証だねw
799日本@名無史さん:2008/10/08(水) 14:44:41

759 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:27:08
>>445
>沿海州から船で朝鮮半島東岸を抜けてくる最中に水田稲作を知って
>九州北部に上陸し最古の水田遺跡とともに刻目突帯文土器を残したのである。


ウソコケ!

寒流の流れる朝鮮東岸のどこで稲作なんかやってたんだよ?

稲作なんか日本より先にある訳ないだろ。

バーカバーカwwwwwwwww

この大嘘つきの馬鹿チョンwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
800日本@名無史さん:2008/10/09(木) 16:05:43

763 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:03:39
>>759
蔚山(ウルサン)



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf
801日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:24:31
紀元前3500年ごろには日本でも稲の栽培が始まったがな。
802日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:41:05

ここのところ朝鮮工作員批判したらたて続けにアク禁くらった。
>>800
このコピペは日本史はもちろんしまくりで他スレでも見るのだが、
アク禁くらう様子もない、不思議なことよww
803日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:03:01
2ちゃんの株をチョンがたくさん持ってるとかだろ
804日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:07:32

ニュース板のノーベル賞受賞者スレをのぞいたら、
朝鮮工作員がやたらにスレして日本人を貶めているのに驚いた。
日本史板などひどいものだ。
「日本は古代から韓国に支えられて成立しました」、
「『天照大神』は韓国女性だった」と判明」、
「★ 聖徳太子は朝鮮人だった!! ★」、
「天皇が朝鮮人なのって、もう常識レベルの事実でしょ」、
「日本史に登場する人物はほとんどが朝鮮人」、
などを乱立させたり、コピペを貼りまくたりしても規制されている様子も無い。
しかも、「一連の朝鮮関係スレは台湾国策工作部隊のしわざ」なるスレまでたて、
台湾人に罪を被せている。

どうやら、その裏には在日への参政権付与があるとにらんでいる。
日本への参政権を得たらそれを足がかりにして、
日本における朝鮮人の権益を拡大しようとするもくろみだろう。
もちろん正当な権益ではなく、得手勝手ないちゃもんつけての不当な権益にちがいない。

しかし、なんでもおれんち起源は逆効果と思うんだがww

>>803

広告にサラ金が多いなww
805日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:25:07
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
806日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:43:47
【白人とハーフ・モデル・日本人は猿】の投稿は総連の支持。「日本人を白人嫌いに...
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1214389597

削除されたブログには、挑戦総連の「学習組」の末端組織で、当初は総連の職員が
日本人の名で新聞に投稿し、いかにも国民が政府を信頼していないか、不満を持って
いるかと思わせる工作をしていたのが、予算のない現状から在日のアルバイトを使って
いるそうです。金がないから工作活動を辞めると本国に言えず、バカなアルバイターに
稚拙な投稿をさせているのだから、下劣なののしりが投稿されるわけです。


私も読みました。
朝鮮総連では長年、韓国系の民団と対立していたので、ネットや機関紙を通して韓国系
在日と日本人の対立を煽る工作をしていたけれど、最近では日本と中国、日本とアメリカ
の対立を煽る工作を盛んにやっており、この「知恵袋」のような人の言論が集まる場所には
在日のバイトを使って世論工作しているそうです。

この『白人とハーフ』も在日のアルバイターで、こいつのように白人のふりをして日本人に
白人を嫌いにさせることばかり投稿するのは、ヤフーばかりでなく、あらゆる掲示板、チャット、
ブログなどでやっているそうです。

しかし、実際に人種差別する白人がわざわざ流暢な日本語でしつこく「自分は差別してるぞー」
などと言うわけがないけど、まさにバレバレの不審船をよこす朝鮮人らしいやり方です。
807日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:04:49
>>807

ひろゆきに質問したいことがある。

1日本史板もひどいが朝鮮人工作員が跋扈しているが、
この規制はしているのか?

22チャンネルに在日朝鮮人を管理人として採用しているのか?
採用していればその概数および全体に占める割合

3ひろゆきおよび2チャンネルと朝鮮韓国との関係、
たとえばなにか弱味があるとかねww

4ここは日本の掲示板ということわかってるw
808日本@名無史さん:2008/10/10(金) 09:05:40

4ここは日本の掲示板ということわかってる?w
だ、訂正
809日本@名無史さん:2008/10/10(金) 15:49:34
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→朝鮮煙幕→台湾人祖郷江南誘導→
810日本@名無史さん:2008/10/11(土) 01:02:19
2ちゃんで反韓レスしてる人のIPとか集めてるって聞いたがw
811日本@名無史さん:2008/10/11(土) 09:46:31
>>810

反韓レスはきわめて普通の反応だろうww
中央日報のコメント欄みてみろよ、反韓一色だぜ、
記事が捏造と悪意に満ちていて、コメントはきわめてまとな意見が多いww

普通は反日の朝鮮工作員のIPを調べるのが普通だろw
野放しにしているのはさては2チャンは韓国と・・・
812日本@名無史さん
>>810

母国の掲示板か朝鮮祖国板でも作ってとじこもってろよ、
ここのスレタイをよくみろ、バカヤローめ

「皆のことを徒と呼び合い、秦語に相似しているが、燕や斉の名称ではない。
楽浪人を阿残と呼ぶ;東方人は自分を阿と言うが、楽浪人は本来、その残余の人だと言われる。
今はこの国の名称を秦韓とする。始めには六国あり、十二国に細分化した。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-sinkan.htm
『三国志魏書』辰韓伝だ。

徒とは仲間の意だ。仲間意識でやってたのだろう。
秦語に相似しているが、燕や斉の名称ではない。」
中国語としては秦語に似ているが燕語や斉語ではない。
阿は江南の方言、江南語なんだろう。楽浪人も江南人だという。
六国の支配者は神人、つまり外部からの侵入者だ。
土着人の上に立っている。この土着人がいまの朝鮮人の先祖だろう。
朝鮮人の出自の解明もやるから邪魔するな、
日本は自由な国でな、右翼もいれば左翼もいる、親韓もいれば嫌韓反韓もいる、
捏造と偏見にみた歴史観しかない民族とはちがうww