1 :
日本@名無史さん:
♪邪馬台国 ドンと来い♪ 30
ひ / ∩___∩ \_WW/
・ ≪ | ノ ヽ ≫ ひ ≪
み ≪ / ● ● | ≫ ・ ≪
・ ≪ | ///( _●_)//ミ ≫ み ≪
こ ≪ 彡、 |∪| 、`\ ≫ ・ ≪
! ≪ / \ ヽノ /_> / ≫ こ ≪
≪ \|-─●─●-/ / ≫ ! ≪
MMM\ | / ̄ /MMM\
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\_)
九州も畿内も四国も朝鮮もエジプトもコテハンもドンと来い!
出来るだけソースを出して後はお好きに!
*良識ある言動をしましょう。煽り、粘着禁止。荒しはスルー。
前スレ ♪邪馬台国 ドンと来い♪ 29
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1212482324/l50
2 :
日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:26:10
>1 otu
\ ∩___∩ /) /∩___∩
\ | ノ ヽ ( i )))/ | ノ --‐' 、_\
∩___∩\/ ● ● | / / / ,_;:;:;ノ、 ● |
| ノ ヽ \ ( _●_) .|ノ/ ,,・ | ( _●_) ミ
/ ● ● | \∧∧∧∧/ ¨ ,・ ,彡、 |∪| ミ
| ( _●_) ミ < クマ > ’ / ヽノ ̄ヽ
彡、 |∪| 、` < 予 し > / /\ 〉
/ __ ヽノ /´> < か > / /
─────────< 感 い >──────────
./ /| < な > 〈⊃ }
∩ ∩/ : ::| < !!! い > ∩___∩ | |
| ̄ ̄ ̄ ̄| : : ::::|::::: /∨∨∨∨\ | ノ ヽ ! !
|● ●|:::::::::::|::/ \/ ● ● | /
| (._●_.) |:::::: / ∩ ∩ \ ( _●_) ミ/
|__|∪|._| / (-(ェ)-) \ |∪| /
/ (∩∩) \ ノ /
4 :
日本@名無史さん:2008/06/26(木) 00:43:04
三国志東夷伝の韓伝にある、「州胡」は、現在の「済州島」ってことでよいんでしょうか?
そうだとしたら、なんで「馬韓の西の海上」なんてトンチンカンな方角になっているのだろう・・・
>>1 これは卑弥呼が天の岩戸から出てきて、アマノウズメに
手本を見せようとしているところですね。
6 :
前スレ992:2008/06/27(金) 12:17:46
前スレからの引継ぎ
「238年」問題
邪馬台国の遣魏使は景初二年(238)・・・公孫淵討伐の真っ最中
邪馬台国の遣魏使は景初三年(239)・・・魏の明帝死して喪中
まあ個人的にどっちでも良いがw
どちらにせよ遣使には難のある状況。
倭と言うより魏の方に切羽詰った理由があったっぽいw
魏にすれば別に当時倭国での最大勢力(畿内ヤマトを中心にした首長連合)でなくとも
兎に角タイミング優先で遣使の打診があった九州邪馬台国を「渡りに船」で迎えたとか?w
ぶっちゃけて言えば
「明日の百万円より、今日の十万円」wwww
7 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 12:43:56
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
8 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 13:25:00
>>4 韓(馬韓)の南海上の西側と、言う意味ですよ。
9 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 17:27:27
古墳時代の皇后に九州出身者は1人もいない。
したがって邪馬台国は大和である。決定!
10 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/06/27(金) 19:52:57
畿内には推古まで女天皇は存在しない。したがって女王国は畿内にあらず。
女王国は九州所在である。畿内にあれば女王国の実態が中国人の書いた倭人伝
以上に、日本人が書いた記紀に載る。載ってないことは畿内朝廷の勢力内に
女王国がなかったからである。九州が朝廷の傘下に入り出した始まりは雄略世の
ころであり、そのころでも九州全域の支配ではない。卑弥呼の活躍時代は3世紀
前半だから朝廷は九州を当然支配しておらず、景行とか神功とかの行幸啓が
特別にあって九州を経験したくらいに留まる。九州支配がなければ九州の状況は
朝廷は把握しておらず女王国のデータは0に近いから、記紀に卑弥呼の記事が
独立して無いわけである。つまり女王国は畿内の支配の及ばない畿内から遠隔の
九州に所在したのである。
ドツボ
┏━┓ ┏━━━━━┓ ┏━┳━┓
┏━┛ ┗━┓┃ ┏━┓ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃┃ ┗━┛ ┃┏━━━━━━━━━┓ ┃ ┃ ┃
┣━ ━┫┃ ┏━┓ ┃┃ ┃ ┃ ┃ ┃
┃ ┃┗━┛ ┃ ┃┗━━━━━━━━━┛ ┗━┻━┛
┗━┓ ┏━┛ ┃ ┃ ┏━┳━┓
┗━┛ ┗━┛ ┗━┻━┛
監視警戒!
>10
天照大神
15 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 20:36:24
>>6 >魏にすれば別に当時倭国での最大勢力でなくとも
>兎に角タイミング優先で遣使の打診があった九州邪馬台国を
>「渡りに船」で迎えたとか?w
ダメ。
少なくとも玄海灘諸国の連合程度ではインパクトが無い。
この地域は、漢委奴國として漢代から朝貢を受けていた勢力。
つまり、新開地というわけでは無い。
大月氏と同格の称号を与える相手なのだから、
前朝の手垢のついた小国連合より、
遠来の未知の大国である方が都合がよい。
帯方の新任太守にも、司馬懿にも都合がよい。
魏志の邪馬台国に対する戸七萬や陸行一月などの表現は、
そう言った視点で見れば「はは〜ん」と合点がいくところである。
>>15 >大月氏と同格の称号を与える相手なのだから、
前朝の手垢のついた小国連合より、
遠来の未知の大国である方が都合がよい。
自分が書いたこのことの意味、理解していますか?
17 :
15ではないが:2008/06/27(金) 22:16:55
>>16 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
いつもの持って回った言い方だなw
さっさと突っ込み入れたらどうだ?
自分の手に負えるか否か。
自分のテリトリー論法に引きずり込めるか否か。
内心びくつきながら値踏み探りを入れているようにしか見えないんだがwww
18 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 23:10:30
私の誓い
12時すぎたら書き込みをしません。
>>17 >自分の手に負えるか否か。
自分のテリトリー論法に引きずり込めるか否か。
内心びくつきながら値踏み探りを入れているようにしか見えないんだがwww
手に負えないネタなら口は挟まない
20 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 23:22:08
>>18 >私の誓い
>12時すぎたら書き込みをしません。
「何時まで」を明記せにゃ誓いにはならんぞよ。
もう今は、きのうの夜12時は過ぎておる、なのに18は
>>18をレスしたではないか!
21 :
日本@名無史さん:2008/06/27(金) 23:43:41
>>15 ぶっちゃけ後漢と同じであれば恩の字じゃね?w
それに同じ『倭国』と言う認識なんだし。
ただ・・・
>魏志の邪馬台国に対する戸七萬や陸行一月などの表現は、
>そう言った視点で見れば「はは〜ん」と合点がいくところである。
これに付いては同感。
里から日数に変わったところはある程度の地理情報があった九州から
情報の少ない遠隔の地に投馬国や邪馬台国があったから
・・・と考えるのが一番自然w
22 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/28(土) 13:38:16
>>4 >三国志東夷伝の韓伝にある、「州胡」は、現在の「済州島」ってことでよいんでしょうか?
違う。
「州胡」は、現代名「安民島」。
「済州島」は、隋書[身冉]牟羅國及び隋書「[身冉]羅國」。
23 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 21:11:21
24 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/28(土) 23:50:42
>>22は何故か書き間違えました。以下に修正します。
>>4 >三国志東夷伝の韓伝にある、「州胡」は、現在の「済州島」ってことでよいんでしょうか?
違う。
「州胡」は、現代名「徳積島」。
「済州島」は、隋書百済伝の「[身冉]牟羅國」及び隋書俀國伝の「[身冉]羅國」。
>>24 「有州胡在馬韓之西海中大島上」
徳積島だと「大島」と言えますかね?
黄海群島の中でも大きい方ではないですよ。
>>16 >> >大月氏と同格の称号を与える相手なのだから、
>> 前朝の手垢のついた小国連合より、
>> 遠来の未知の大国である方が都合がよい。
> 自分が書いたこのことの意味、理解していますか?
そういう御本人はその文章の意味、理解できたのだろうか?
27 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/29(日) 23:04:32
>>25 徳積島は徳積群島で最大の島です。
白翎島は州胡ではありません。
黄海群島って何?
王朝さん
「東西以海爲限」と記載されてますよ
韓の東西は海限定
29 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/29(日) 23:57:06
>>28 州胡は韓ではありません。
馬韓の周辺の異人(非韓)のひとつです。
馬韓の西方海中の島に住んでいる異人です。
『又有州胡在馬韓之西海中大島上 ←「又」は馬韓でない人が又の意味。
其人差短小言語不與韓同 ←身体的特徴と言語が韓と異なる。
皆髠頭如鮮卑但衣韋好養牛及豬 ←風俗が韓と異なる。
其衣有上無下略如裸勢 ←風俗が韓と異なる。
乘船往來市買韓中』←韓にやってくる人、即ち韓には含まれない。
>>29 編纂者は、韓の東西には海しか存在しない(そう認識しろ)と言っているのです。
31 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/30(月) 01:12:17
>>30 編纂者は、韓の東西の海は韓に含まれない(そう認識しろ)と言っているのです。
32 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/30(月) 01:29:19
>>30 編纂者は、韓の東西の海で韓の限りをなす(そう認識しろ)と言っているのです。
これは、大好きさんの主張が正しい。
原文は「韓の東西は海をもって限りとなす」としか解せない。
海の中のことについては、言外のイメージとして伝わるだけ。
で、件の島は韓伝の付属事項としてはいるが、
読めばわかるとおり韓ではない。
倭人伝の黒歯國のようなもの。
河童説の根源は、「接」問題に絡んでの誤解。
南北の場合と違って東西には、
接する相手がいないから「限る」のだ、
だから海の向こうには何も無いと、こういう主張だと思う。
これは、韓地の「大まかな」位置説明で言えることで、
この時点では、州胡のごとき小さな存在は、
表現上省略されているに過ぎない。
付属記事に至って、「在馬韓之西海中」と書かれている以上、
そう解するしかない。
多分、このレスには「お得意」の漢文ぶったぎり読法による
反論が用意されているはずだが、
その内容までは、想像できないので、後はご両人に任せます。
河童氏が絡むと論点が、なかなか顕らかにならず、
無駄レスが増えるのでお節介ではあるが解説させて頂いた。
34 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/30(月) 09:35:32
>>33 州胡が韓域でないなら、韓伝に組入れない。
“それだけ”
反論がある場合、韓域でもないのに韓伝に組入れられている理由を、明確に述べてもらいたい。
>黒齒國と同じ
これは、黒齒國を十分理解した上でないと判断出来ない内容ですね
“同じ、違う”は明らかに比較ですので、両者を理解した上でないと
安易な発言となるでしょう。
>>34 凄い「論理」ですね。というか相手を馬鹿にしているとしか思えない。
相手からは既に幾つかの推論が呈示されているにもかかわらず、
それを一切無視して(読まずに)「理由を、明確に述べてもらいたい」と宣たまうわけですか?
挙句に倭人伝の事例については「十分理解した上でないと判断出来ない」と。
では、貴方は「州胡」に対しては「十分理解した上で判断」したのですか?
貴方の州胡に対する説明は「韓伝にあるから韓」だけ、まさに“それだけ”です。
、まさにダブスタの見本のようなレス、
もう一度、論点を書きます。
韓の西は海をもって限られています。そして、「州胡」は馬韓西海中の島です。
州胡を韓に含めるというのであれば、この点について何か答えが用意されていると思います。
出し惜しみ(無駄レス)していないで、さっさと呈示してください。
また、裸國、黒齒國は其(倭)の東南、船行一年ほどで至るところにあります。
そして倭地を問えば、絶在海中洲島之上、或絶或連、周旋可五千餘里の地形です。
船行一年の遠隔地が周旋可五千餘里の範囲に収まるわけも無く、
倭人伝の付属記事であっても、倭人の域では在り得ません。
つまり、貴方が主張する「州胡が韓域でないなら、韓伝に組入れない。」は成立しないのです。
最後に、貴方の文章をちょっと弄るとこうなりますが、これの暴論が通るなら何でもありです。
> 黒齒國が倭人域でないなら、倭人伝に組入れない。
> “それだけ”
> 反論がある場合、倭人域でもないのに倭人伝に組入れられている理由を、明確に述べてもらいたい。
> >州胡と同じ
> これは、州胡を十分理解した上でないと判断出来ない内容ですね
> “同じ、違う”は明らかに比較ですので、両者を理解した上でないと
> 安易な発言となるでしょう。
36 :
日本@名無史さん:2008/06/30(月) 21:58:07
>>34 韓伝の記述。
韓には三種ある。馬韓・辰韓・弁韓。馬韓は西にある。その馬韓の西に州胡はある。
韓域の西部に存在する馬韓のさらに西にある州胡。
さて、この州胡を韓と言えるのか。
単独で伝を立てるほどの地域ではない。地理的に馬韓に近い。
なら、馬韓の記述の末尾に付記するのに何の疑問もない。
韓伝に書いてあるから、皆韓だというのは、あまりにも短絡的。
>>35 >相手からは既に幾つかの推論が呈示されているにもかかわらず、
それを一切無視して(読まずに)「理由を、明確に述べてもらいたい」と宣たまうわけですか?
すでに
>>8にて、自分の意見は述べています。
よって、「韓伝にあるから韓」という記載は
>>8の追記と言う形になります。
韓域以外であるならば、弁辰韓伝の後に補足と言う形をとるのが文章の流れとしてはスジ
韓伝をじっくり眺めてください
韓伝は洛陽から眺めて東に位置しする東夷伝の一部、しかも帯方郡の南に位置しています。
つまり、地勢の紹介も帯方郡の南に位置し、洛陽に一番近い韓の西部(馬韓)から馬韓の西に位置し帯方に近い辰韓そして南の弁辰
規則正しく紹介されています。
このような文章構成に、韓域以外の州胡が入り込む余地はないのです。
州胡が韓域の一部であるが故の馬韓伝中記載なのです。
しかし、馬韓とは海で隔てられているため馬韓伝の最後の記載ということです。
これでもまだ不十分ですか?
黒齒國とはまったく環境がちがうのです。
39 :
どくだみ:2008/06/30(月) 22:22:29
>>38 読みが浅いのではないですよ。
虫説というのは、春秋の筆法などという言葉を振り回して、
漢籍のあちこちの断片を引っ張ってきて張り合わせ、
原文に書いていないことを読み込み、
自分だけのイメージを作ってしまいます。
理屈を捏ねまわして原文から遊離するのが特徴です。
原文に書いていないことを勝手に読み込むので、
出来上がった解釈は、非常に情報量が多い。
それに比べて、我々の読みは、書いていないことは読まないので、
情報量は少ない。
情報量が多いから読みが深い、少ないから読みが浅いというものではありません。
書いていないことを読み込んで、本当に古漢籍が読めたと思うのも、
そういう勝手な読みをしない人を、読めてないというのも、
まあお好きなようにとしか言いようがありません。
>>39どくだみさん
>読みが浅いのではないですよ。
虫説というのは、春秋の筆法などという言葉を振り回して、
漢籍のあちこちの断片を引っ張ってきて張り合わせ、
原文に書いていないことを読み込み、
自分だけのイメージを作ってしまいます。
理屈を捏ねまわして原文から遊離するのが特徴です。
つまり、
>>37のレスはまるで出鱈目であり
記載されている内容もぜんぜん違う内容ということですね
馬韓は韓の西部でもないし、帯方の南にも位置してないという事ですね
了解しました。
>>37訂正
馬韓の西に位置し・・・・・・・・×
馬韓の東に位置し・・・・・・・・○
しかし、どくだみさんの意見を取り入れると
訂正しないほうがせいかいかもね?
>>39 どくだみさん
>まあお好きなようにとしか言いようがありません。
と、言いながらレスをしている貴方の神経もそうとうですよ。
普通、お好きなようにというなら、いちいちレスをしないものです。
42 :
どくだみ:2008/06/30(月) 22:52:12
>>40 >馬韓は韓の西部でもないし、帯方の南にも位置してないという事ですね
韓在帯方之南 馬韓在西 と書いてありますよ。
書いてあることを否定しろとは言っていません。
>韓(馬韓)の南海上の西側と、言う意味ですよ。
の南海上という部分が出鱈目であると言っているのです。
なぜなら
「又有州胡在馬韓之西海中大島上」
とわざわざはっきり書いてあるのに、
なぜ南という書いていないものを読み込まなければならないのですか。
そこには、独特の理屈をこねなければならないでしょう。
だから、原文から遊離しているというのです。
>普通、お好きなようにというなら、いちいちレスをしないものです。
これまで、言葉を尽くして間違いを指摘してきましたが、
それでも虫説を信じるなら貴方の自由です。お好きなようにというしかありません。
でも、貴方が虫説を書き込む自由があるように、私にも、それは違うとレスする自由があります。
そういうことです。
>>37 > >相手からは既に幾つかの推論が呈示されているにもかかわらず、
> それを一切無視して(読まずに)「理由を、明確に述べてもらいたい」と宣たまうわけですか?
> すでに
>>8にて、自分の意見は述べています。
はあ?既に説明されている事項を無視し、明確に答えろと言うのはおかしい、と言っているのですよ。
その答えが「自分の意見は述べています」ですか?意味が通じていません。
> よって、「韓伝にあるから韓」という記載は
>>8の追記と言う形になります。
>>8 韓(馬韓)の南海上の西側と、言う意味ですよ。
>>34 州胡が韓域でないなら、韓伝に組入れない。“それだけ”
これが「自分の意見」ですか?
これを読んでも、大概の人は貴方が何を根拠にそう思うのかわからないのです。
> 韓域以外であるならば、弁辰韓伝の後に補足と言う形をとるのが文章の流れとしてはスジ
州胡は馬韓と結びつきがあるのです。馬韓の付属記事であることに何の不自然もありません。
> 韓伝は洛陽から眺めて東に位置しする東夷伝の一部、しかも帯方郡の南に位置しています。
> つまり、地勢の紹介も帯方郡の南に位置し、洛陽に一番近い韓の西部(馬韓)から馬韓の西に位置し帯方に近い辰韓そして南の弁辰
> 規則正しく紹介されています。
いえ、本論には関係ありませんが、韓伝の構成は、かなり不自然です。
馬韓の条に続いて記されるのは辰韓、弁韓では無く、桓靈〜以降の三韓の総括記事であり、
その後に辰韓、「弁辰」の条が続くと、錯綜しています。
倭人伝には域外の記事があること、韓は東西以海爲限であること、以上により、
貴方の言っている「州胡が韓域でないなら、韓伝に組入れない。」は根拠として立証されません。
>>42 >これまで、言葉を尽くして間違いを指摘してきましたが、
それでも虫説を信じるなら貴方の自由です。お好きなようにというしかありません。
でも、貴方が虫説を書き込む自由があるように、私にも、それは違うとレスする自由があります。
そういうことです。
よほど脅威なのですね(笑)
>>43 貴方から私へのメッセージは届きました。
そして貴方の意見として受け取っておきます。
貴方は州胡を韓域外と捉え、私は韓域内と捉えると、いうことですね?
>>43 私が記載した
『韓域以外であるならば、弁辰韓伝の後に補足と言う形をとるのが文章の流れとしてはスジ 』
という文言は、故意に削除されたのでしょうか?
47 :
どくだみ:2008/06/30(月) 23:49:26
>>44 基礎を知っている者からすれば、高校の授業からやり直してこいっていうレベルですが、
漢文をよく知らない人にとっては、とても脅威だと思います。
ノストラダムスにしろ聖書の預言にしろ、そういうものの方が素人には面白いですから。
現に、もし私が否定の書き込みをしなければ、
貴方の書き込みを見て、そうなのかと思いこむ方もおられたのではないでしょうか。
春秋の筆法なんていう何やら難しそうな言葉で煙に巻かれる人もいるでしょうね。
私の知らないところでなら関知しませんが、
少なくとも目の前のPC画面に間違ったことが書かれていて、
よく知らない人が信じ込むかもしれないと思ったら、見過ごすのはちょっとなあと思います。
ところで、私の上から目線の書き込みに気を悪くされているようですが、
貴方のレスはいつもこの調子ですよ。
貴方の師匠が、「馬鹿トピ」とか「どんぐり病」などと言って、
他人を嘲笑している影響なのでしょうね。
私の書き込みに気を悪くされるのなら、普段の貴方の書き込みの改善を検討してください。
相手を見下すことなく、正面から論拠を提示し証明を誠実に行うようにしてください。
本を書くつもりだからここは明かせないとか、事情があればそのように書けばいいのです。
それまで追求しようとは誰もしないでしょう。
思わせぶりだと、読んだ人の反感を買います。
他人を嘲笑する者は、他人に嘲笑されているものです。
>>45 >
>>43 > 貴方から私へのメッセージは届きました。
> そして貴方の意見として受け取っておきます。
> 貴方は州胡を韓域外と捉え、私は韓域内と捉えると、いうことですね?
議論放棄と言うことですね。
まあ、
>>8 韓(馬韓)の南海上の西側と、言う意味ですよ。
>>34 州胡が韓域でないなら、韓伝に組入れない。“それだけ”
こんな文章だけで自分の意見を理解しろしか言えないんじゃ放棄せざるを得ないでしょうね。
ただ、貴方の
>>34のレスには、なんか哀れみを感じました。
>>46は削除取り消します。
私の主観だけで述べても意味がありませんので
失礼しました。
>>46 > 私が記載した
> 『韓域以外であるならば、弁辰韓伝の後に補足と言う形をとるのが文章の流れとしてはスジ 』
> という文言は、故意に削除されたのでしょうか?
はあ?
>>43でちゃんと答えてるでしょう。
貴方、他人のレスなんて真面目に読んでないでしょう。
○自分の考えは説明しない。
○他人のレスは読まずに非難する。
これが、貴方のスタンダードです。
一応、貼っときますね。
> > 韓域以外であるならば、弁辰韓伝の後に補足と言う形をとるのが文章の流れとしてはスジ
> 州胡は馬韓と結びつきがあるのです。馬韓の付属記事であることに何の不自然もありません。
>>47 >ところで、私の上から目線の書き込みに気を悪くされているようですが
『全然』
ここは相手の見えない文字だけのネットです。
見えない相手に対し、いちいち感情変化をつけていたら体が持ちませんよ
感情変化は最小限に抑えています。
> 私の書き込みに気を悪くされるのなら、普段の貴方の書き込みの改善を検討してください。
相手を見下すことなく、正面から論拠を提示し証明を誠実に行うようにしてください。
多分、どくだみさんと直接席を交えての会話でないから、こんな記載の仕方になるのです。
ネット上でキャラを作ってはいけないのですか?
ネットでも、素を出し合い会話しろということでしょうか?
>少なくとも目の前のPC画面に間違ったことが書かれていて、
よく知らない人が信じ込むかもしれないと思ったら、見過ごすのはちょっとなあと思います。
つまり、自分の意見は正しい。ということでしょうか?
流石の私でも、そのような事は一度も思ったことがないので・・・・・
そこまで、他人のことを考える余裕もないですから(凄い自信ですね)
53 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 00:20:10
河童虫は、結局のところ
「州胡は韓(馬韓)の南海上の西側にある」
の意味を説明しないつもりだな。
王朝さんにワケワカランレスを仕掛けておいてトンズラじゃ失礼じゃないか。
他人にケチ着けしておいて、説明無しかよw
54 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 00:22:24
>>52 >
>>49にて削除取り消しを宣言したものをネタにしますか?
はい、削除理由に偽りがあります。
偽 私の主観だけで述べても意味がありませんので
真 他人のレスをちゃんと読んでいなかったので
>>48 >議論放棄と言うことですね。
十分議論したではないですか?
その結果、貴方は韓域外と捉えることに変化がなく、私も韓域内と捉えることに変化がない
それだけでもお互いの認識を確認し合えたわけだから、有意義であったと私は捉えていますよ
後は貴方の感じ方ですから、私にはわかりません。
>こんな文章だけで自分の意見を理解しろしか言えないんじゃ放棄せざるを得ないでしょうね。
ただ、貴方の
>>34のレスには、なんか哀れみを感じました。
相手が誰かも判らないネットの書き込みに対しいちいち『哀れみ』を感じていては、体が持ちませんよ
56 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 00:32:39
州胡の位置について、貴方が何を言いたくて出てきたのか、誰にも分らなかったと思うよ。
>>54 > 偽 私の主観だけで述べても意味がありませんので
真 他人のレスをちゃんと読んでいなかったので
そうですね、それで貴方が納得するのであれば 認めましょう。
これ以上この話を引きずっても意味がありませんから
私が貴方のレスを見逃していました。ということでよろしいでしょうか?
58 :
どくだみ:2008/07/01(火) 00:40:16
>>51 >『全然』
気を悪くしていないのなら、良かったです。
>ネット上でキャラを作ってはいけないのですか?
私にしても無意識ですが、素の自分より丁寧なキャラになっていると思います。
ですから、キャラを作るのは構いませんが、
人を不快にさせるキャラをわざわざ作る必要はないと思いますよ。
どうせなら、愛されるキャラを作ればいいのに。
>つまり、自分の意見は正しい。ということでしょうか?
これは、一概にそうとは言えません。
古典籍は、これが絶対に正しいとは、なかなか断言できないものです。
ですが、それは間違いだというのは言えることがあります。
つまり、こう読むべきだというより、そうとは読めないという方が簡単であることが多いのです。
>>56 >州胡の位置について、貴方が何を言いたくて出てきたのか、誰にも分らなかったと思うよ。
それでもいいんじゃないかな〜?
少なくとも、貴方の目にはとまった事だし(目にとまることが大事なんだよ)
伝えたいことが速攻でなくてもいい、十年後二十年後に思い出し
何かのキッカケになってくれれば それで十分
>>57 もう、私の方はどうでもいいですから、
貴方の最初の相手である大好きさんに対しては、
はぐらかしたり、勿体つけたりしない、
責任あるちゃんとしたレスを返していただきたいところですね。
61 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 00:46:41
>>59 > 伝えたいことが速攻でなくてもいい、十年後二十年後に思い出し
> 何かのキッカケになってくれれば それで十分
無い!
それは絶対に無いw
>>58どくだみさん
>私にしても無意識ですが、素の自分より丁寧なキャラになっていると思います。
ですから、キャラを作るのは構いませんが、
人を不快にさせるキャラをわざわざ作る必要はないと思いますよ。
どうせなら、愛されるキャラを作ればいいのに。
こんなネタばらししてもしょうがないんですが
愛されるキャラよりも、こんなキャラの方が印象深く残りますから
>古典籍は、これが絶対に正しいとは、なかなか断言できないものです。
ですが、それは間違いだというのは言えることがあります。
つまり、こう読むべきだというより、そうとは読めないという方が簡単であることが多いのです。
その意見には同意します。
しかし、断言してしまった方のが
後で自分の為にもなることを学びました。
断言してしまえば、多少なりともその断言に対し責任も自覚もでて来ますし、反論も導くことも
推論よりも的確にでてきます。(どくだみさんがそうであったように)(笑)
反論が出れば当然その反論に対し必死になり
より短期間に集中し、知識を得ることが出来ます。
これが曖昧にぼかしてしまうと、当然それ以降もボケたままになり
いつしか自分でもわすれてしまうものです。(自分のためになりません)
>>60 >貴方の最初の相手である大好きさんに対しては、
はぐらかしたり、勿体つけたりしない、
責任あるちゃんとしたレスを返していただきたいところですね。
今日のレスだけで判断しないで、長いスパンで見ることは出来ないのですか?
>>61 > 無い!
それは絶対に無いw
その否定が、自分の脳に色濃く焼き付けていることに気づいていないのですか?
今は感情的に否定していますが・・・・・・・・楽しみです。
長いスパンで判断してくれというお願いはつまり
河童虫氏自身が現状の限界を認めているという事かな?
66 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 07:56:09
長いスパンつーのは、回答を保留すると言う意味だろう。
州胡は馬韓の南の海にあると言って、九州王朝氏にちょっかいを
出したもののまともな論拠は持ち合わせていなかったんだろうね。
都合が悪くなれば、例によって時系列がどうのこうのと
原文いじくってごまかすつもりだったんだろうが、
フルボッコ状態になって、それすら出来なかったつーことだよ。
68 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/01(火) 10:12:26
「韓在帯方之南東西以海以限南與倭接方可四千餘里」
ここはこれで一つの文章。内容は、韓と呼ばれた地域の地勢環境を帯方郡を視点に表し、その地勢環境を基にした規模を語られた文章です。
この、「帯方郡を視点に」が重要なのです。
視点をあっちこっち動かしてしまうから間違いが生じるのです。
(帯方郡から見ると)
・韓域は帯方の南側(つまり韓域の北側しかも陸続き)
・東西は海(しかも限定)もし、これ以降東西側に何かを設定するのであれば、「爲限」等の語句を使用せず(東西は海)とだけ、表現すればいいのですから
この文章は、方可四千餘里とする韓域の規模を確定させる為の環境設定、
韓域の四方が、海であるか陸続きかと言うだけの説明。
「限」を挿入したのも、東西側には海以外(島を省くため)何もないとする条件としたわけです。
だから西には海以外、何もない設定なのです。
以降韓伝は、そういう設定を基に書かれています。
69 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/01(火) 10:55:35
韓伝と倭人伝の違いの一つに、こ文頭の違いを上げておきましょう。
韓伝は文頭にて、四千と言う具体的な数値の範囲内で組み立てられているが、倭人伝は「大海之中」という、数値化されない地理的自然環境を範囲とし組み立てられています。
つまり、単純には両者を比較出来ない文章構成になっていると言う事
70 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/01(火) 11:37:33
さて、ちょっと難易度の上がる南側
ここは文章を整理するとわかりやすいかも?
(北側)
・韓在帯方之南
(東西側)
・韓在帯方之南、東西(以海)爲限
(南側)
・韓在帯方之南、(以海)、南與(倭接)
帯方郡から韓を見ると、帯方の南に韓が在り
その韓の東西側は海で、他になにもない“爲限”
(視線が北から南に移動しています。)
南側は東西と同じように海だけど、東西のように爲限ではない。
では
どんな状況かと言えば、海の南側には地が在る
(これが南も以海爲限としない理由です。)
で、その地とは
「倭」であり、馬韓伝中に記された「州胡」なのです。
これは
帯方郡に視点を置く事により、可能なひょうげんです。
先ず、帯方のすぐ南側を見、そして東西側、最後に南側と
そしてその延長線に『倭人伝』があるのです。
71 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/01(火) 12:58:04
『州胡』とは、
馬韓伝と倭人伝に挟まれた馬韓域内に在る海中です。
72 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/01(火) 13:26:23
ちょっと覗かない間に、論戦になっていますね。
僕の考え方を示しておきます。
韓の定義
『韓
在帶方之南・・・・@
東西以海爲限・・A
南與倭接・・・・・・B
方可四千里・・・・C
有三種(馬韓・辰韓・弁韓)』・・D
『州胡 ←州胡は州胡であって、馬韓、辰韓、弁韓のどれでもない、即ち三種ではない 州胡はDに反する
在馬韓之西 ←馬韓ではない、即ち韓ではない 州胡はDに反する
海中大島上 ←「海を以って限りを為す」の「限り」の範囲外の海中島である Aに反する
其人差短小 ←韓人とは異なる人
其言語不與馬韓同 ←韓人とは異なる人
乘船往來市買韓中』 ←韓へ来る人
州胡は上記6項目から韓には含まれないと結論づけられる。
河童虫さんと意見が異なるところ
「○○與倭接」と「○○與倭接界」の「接」違いについて。
僕には河童虫さんにうまく説明できません。
73 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 13:31:57
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
74 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/01(火) 15:17:48
>>72王朝さん
「接」=AとBの関係。
これは“どくだみ”さんの方が詳しく説明出来ると思いますが、
説文に
接、交也
接、近也 と、あります。
そして
これら接、交、近に共通するものと言えば
(AとBという二種がなければ存在しえない)と言う事です。
75 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 21:12:39
>>71 > 『州胡』とは、
> 馬韓伝と倭人伝に挟まれた馬韓域内に在る海中です。
もったいぶってないで、州胡が韓の南の海に「在る」理由を早く説明しなよ。
何言ってんだか、全然通じてないぞ。
オマエの話が難解なんじゃない、意味プーなだけだ。
>>75 >>68と
>>70を参照ください。
韓の東西は海以外何も無いというのが韓伝の設定です。
しかし、南は東西と違い海以外何もないというような設定ではありません。
つまり、韓域に島を設定できるのは南側だけと言うことが
解ります。
>>75 あとさ〜 できれば せめて一ヶ月ぐらい考えてから質問してよ
78 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 22:46:52
>>70 「有州胡在馬韓之西海中大島上」
この文章を訓読してみてよ。
話はそれからだ。
どこをどう切っても都合が悪い文章だと思うけどねw
>>34 >韓域でもないのに韓伝に組入れられている理由を、明確に述べてもらいたい。
横レスだが、クヤ韓国は倭の領域だから倭人伝に組み入れられていると解釈してよろしいか?
>>78 韓伝全体で判断しなよ
そんなことしてたら何時までも概略すらつかめないよ
>どこをどう切っても都合が悪い文章だと思うけどねw
韓伝から切り抜いてる人がよくゆうよ
>>39 スレ違いだが、ノストラダムス解釈の川尻博士を思い出した。
>>79 >横レスだが、クヤ韓国は倭の領域だから倭人伝に組み入れられていると解釈してよろしいか?
狗邪韓國って書いてあるのに
ワザワザ倭領に組み入れる必要も無いだろう「韓國」なんだから
83 :
79:2008/07/01(火) 23:06:04
>>82 ダブルスタンダードですね。
わかります。
>>79 >クヤ韓国は倭の領域だから倭人伝に組み入れられていると解釈してよろしいか?
それに
倭人伝に記載されている「狗邪韓國」の役割は
単に目印としての役割
浜松町駅の位置を説明するのに、東京タワーの東側にあるJRの駅と言ってるだけ
つまり、この東京タワーと同じ役割が「狗邪韓國」
>>83 話にならないよ
もう少し全体を読みこなしてから出直してください。
今の貴方のレベルでは、とてもじゃないけど(マジな話です)
86 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:14:52
で「狗邪韓國」は韓伝には記載されているの?
87 :
79:2008/07/01(火) 23:17:40
>>85 心配しなくても、これ以上あなたとこの件で議論する積もりはないよ。
ダブスタを明らかにしておきたかっただけなのでね。
>>86 >「狗邪韓國」は韓伝には記載されているの?
普通に考えれば「弁辰狗邪」がこれに該当します。
弁辰の域にある狗邪だから「弁辰狗邪」
倭人伝という他伝に登場し、韓伝の中に記載しているから「狗邪韓國」
後漢書倭伝には 倭は 倭在韓東南大海中
倭人伝には 倭人は 倭人在帶方東南大海之中
と、倭や倭人は全て「大海之中」としていされています。
因みに
大海之中=四方海に囲まれている状態
>>87 >心配しなくても
何故心配しなければならないか 意味わかんね〜
一億二千万分の一の、存在感のない名無しさんに心配しなくちゃならないの?
>議論
初めから ナイナイ
90 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:31:59
記載されていないんだね
「弁辰狗邪」がこれに該当、とのことだけど
「弁辰狗邪」と「狗邪韓國」の関係も明記されてないんだね
つまり別の国と考えることもできるんだね
91 :
79:2008/07/01(火) 23:35:36
>>89 >何故心配しなければならないか 意味わかんね〜
心配してないならそれでいい。安心した。
>>議論
>初めから ナイナイ
それは知っている。
92 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:37:40
>>80 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
>韓伝全体で判断しなよ
>そんなことしてたら何時までも概略すらつかめないよ
「有州胡在馬韓之西海中大島上」を訓読すると「概略」がつかめなくなる、と言う意味の発言ですね。
この件に関して、貴方の考えを「明確」にして下さい。
いつもの貴方流の言い回しでは、何を言わんとしているのか理解するのに時間がかかります。
なので、三択を設定しました。
敢えて訓読しない理由を次の中から選んでください。
1 「有州胡在馬韓之西海中大島上」を訓読する能力が無いから。
2 「有州胡在馬韓之西海中大島上」を自説と整合を持たせた訳すことはできないから。
3 他の人が訓読するのひたすら待っているだけ。
州胡について直接記されたこの文章を貴方がどのように解釈しているのか判らなければ、
それ以外の貴方の説明も他の人には理解できないことがわかりまさんか?
>>90 それを判断するのはあなた自身です。私ではありません。
貴方が韓伝と倭人伝をどう読み解くかで、この後様々に思考が変化するでしょうから
じっくり自分の力で解読することを期待します。
>それを判断するのはあなた自身です。私ではありません。
当然ですね
貴方が韓伝と倭人伝をどう読み解くかで、この後様々に思考が変化するでしょうから
じっくり自分の力で解読することを期待します。
君の説は採れないよ
ではバイバイ
>>92 >州胡について直接記されたこの文章を貴方がどのように解釈しているのか判らなければ、
それ以外の貴方の説明も他の人には理解できないことがわかりまさんか?
私の書き込みを理解してもらおうなどとは考えていません。
それに、人を説得する力もありませんし、
>三択
これは間違いなく@でしょう。
常日頃から古代漢文の難しさを痛感していますから
A、Bは全く違います。
自説と整合性を持たせる必要性もありませんし、考えてもいません
他人(会った事もない人)が訓読したものに全く興味がありません。
>>94 >君の説は採れないよ
ではバイバイ
お疲れ様でした。
97 :
日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:54:43
>私の書き込みを理解してもらおうなどとは考えていません。
だとすれば、書き込み自体が迷惑なんですが。。。
>私の書き込みを理解してもらおうなどとは考えていません。
ここは大聖堂じゃないけど、落書きはやめてくれないかな。
>私の書き込みを理解してもらおうなどとは考えていません。
チラシの裏に書けば他人に不愉快な思いをさせなくてすみます。
他人に不愉快な思いをさせる意図があるのなら、このまま書き込みを続けて下さい。
>>97-98 ここは公開掲示板です。
迷惑なら、削除依頼でも出されたらどうですか?
貴方個人の掲示板なら、貴方の主張はかなうでしょうが
>>99 私は貴方に指図され行動している訳ではありませんので、私は私の意志で行動します。
102 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:08:31
>>100 >ここは公開掲示板です。
>迷惑なら、削除依頼でも出されたらどうですか?
>貴方個人の掲示板なら、貴方の主張はかなうでしょうが
ここは公開掲示板です。
迷惑だからそれを表明してるまで。
103 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:11:02
>>101 >私は私の意志で行動します。
ぜひそうしなさい。
多数の人を不快にさせる結果になるが、そうしなさい。
>>103 >多数の人
何故、多数とわかるのですか?
私には理解できません。
105 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:18:04
他人をわざと不愉快にするというのは、コミニュケーションの一種なんだよな。
不愉快という反応が得られるので、コミニュケーション欲を満たすことができる。
これは、コミニュケーションに飢えてる人が取る最後の手段なんだよ。
秋葉原の事件で、ネットで無視されたから、ってのがあったろ。
虫君があんなふうにならないためにも、もっと反応してあげた方がいい。
間違ってもNG登録したりスルーしないことだ。
不愉快だ、不快だ、とそのつど反応してあげよう。
106 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:19:30
>>104 >何故、多数とわかるのですか?
ごめん。訂正する。
×多数
○複数
107 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:27:27
>>95 参考までに私の訓読(理解)を記しておきます。
「州胡有り、馬韓の西、海中の大島の上に在り。」です。
この訓読に従えば、州胡は馬韓の西に存在し、馬韓とは別の存在です。
また、韓の西に位置する以上、州胡の大島は海をもって限られる韓西辺の海中にあることになります。
貴方の説を成立させうる訓読なら次のような文章でしょう。
「州胡有り、馬韓の南辺(西海中は誤り)の大島の上に在り」
これ以外に整合性のある解釈は在り得ません。
何故なら、貴方は州胡を「海陸を含めた馬韓」の域内にあると定義しています。
しかし、原文には州胡は馬韓の西に在る、つまり馬韓の域外に存在すると明記されているのです。
この不都合な事実を「漢文が読めないから」という言い訳で読み飛ばし、
「そんなことしてたら何時までも概略すらつかめないよ」と暢気を装い宣たまうわけですねw
108 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:30:06
河童も最近釣りを覚えたようだなw
109 :
判定:2008/07/02(水) 00:40:38
勝負あり(一本)
110 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:43:33
そもそも河童虫とかその師匠の言語虫とか言う奴は
中国語をネイティブで話せるのか?
話せなくとも中国人相手に筆談でコミュニケーションとれるのか?
史書五経や老荘でも原文をすらすら読めるのか?
漢詩の一つでも即興で創れるか?
通説の読み下しを否定してこれが正しいと言い切るのなら
そこらへん問われるだろうw
そもそも日本語と中国語は別系統の言語なんだろうが
なまじ漢字と言うものを共有するから
辞書牽きゃ大意ぐらいは分かると言うのが落とし穴なんだろうなw
111 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 00:49:22
>>95 >私の書き込みを理解してもらおうなどとは考えていません。
>それに、人を説得する力もありませんし、
つーか、「理解」と言うコトバの意味が貴方と他の人たちとは違っています。
貴方は「理解してもらう」=「賛同してもらう」ことと思っていませんか?
私たちが使う「理解」は言っていることの意味が解かると言うことです。
つまり、私たちは貴方の言っていることが「理解」できないのです。
貴方の説明を読んでも何が論拠で、何処をどう考証したのか読み取ることができません。
どのようなことが「理解できない」と表現されるかと言うと
・用語法、用語の定義が一般人と異なる
・質問しても聞いてもいないことを返す
・主題が無く、比喩や婉曲だけの文章が多い
・A=B、A=C、B≠Cが成立すると思っているらしい・・・等々
まあ、こんな感じなんですけど違いますか。
それとも、本気で他人に理解されようとは思わない、と言ってるわけですか?
だとしたら・・・悲しすぎませんか。
112 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 01:05:23
まあ河童虫・言語虫の言う事をそのまま信じて恥じをかいても
本人の自己責任と言う事でw
113 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 07:53:07
しかし、河童虫って「恥」と言う感覚が人とは違うんだろうな。
匿名掲示板上のこととは言え、無知性、無目的な書き込みを
よくもマア続けられるものだ。
おそらくドツボ辺りからも下に見られてるだろうに何が楽しくて
ここに居るのかな?
114 :
ばかな荒らしよりコレ見ろ!:2008/07/02(水) 09:14:24
【ニュー速報+板からきますた】口コミで出来るだけ多くの人達に広めて下さい!!!
69:名無しさん@全板トナメ参戦中 :2008/06/30(月) 17:36:03 ID:2aGz0rPl0
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■横浜の女装祭りはゲイの宣伝になる
■かつてパールハーバーと南京大虐殺を起こした日本政府が、児童性愛者向けのマンガを作ってオタクを自衛隊にひきつけようとしている
■熱海の伊豆山神社のある木は、屠殺人の木またナギと呼ばれ、その後イザナギと呼ばれたが、
■イザナギは神道伝説の神話の神であり、日本列島は彼のこぼした精液から生まれた
俺は河童氏のレスをもう一度検証してみようと思う。
俺は今まで、郡を視点に考えた事など無かったし、「馬韓之西」にしても、馬韓ら見た言葉ではないと思う。
116 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 10:49:17
>>115 あの〜、馬韓の西は、視点が変わると馬韓の東になったり北になったり南になったりするのかなあ。
117 :
115:2008/07/02(水) 11:24:08
>>116 西は西だと思います。でも、河童氏が言うように、「東西以海爲限」は明らかに強調文であり、韓の東西は海だけしか無いを強調してるように読める。
だとしたら、韓の東西に島を望む事は出来ないと思います。
島を望むとしたら、後は南側の海に在る済州島が候補に、済州島まで馬韓だったら馬韓之西海中と書かれてもいいと思う。
馬韓伝の最後に書かれているのも、郡を視点にすると頷けるから。
118 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/02(水) 12:41:24
>>107 違うでしょ
「以海」…「南與」の文によって、馬韓(韓)の南も海である事は
先の文頭にて設定されているので
>馬韓の西、海中…
ではなく、「馬韓の西海中…」ではありませんか?
119 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/02(水) 12:45:12
>>117 >韓の東西に島を望む事は出来ないと思います。
そうです、韓域の東西には島がないのです。
ところが現実の地図を見ると、韓域の東西には島々があります。
即ち、これら島々は韓域には含まれていないのです。
韓域の西の海の中にあるこれらの島々のひとつである大きな島に、州胡が在るのです。
120 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/02(水) 13:01:29
それに、馬韓の西辺に広がる海は
馬韓の西の海ではなく、「韓の西の海」
州胡が馬韓の西辺に広がる海中に在る場合、文中記載は
「…韓之西海中…」
と、なります。
地勢は全て「韓」と言う総称が対象に表現されていますから、州胡が韓の別域扱いであるなら
当然「韓の西辺」です。
だから
文頭にて、倭接の対象が「南與」になっているのでは?
121 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/02(水) 13:17:54
>>119王朝さん
>地図を見ると
えっ? 何時の時代を設定に、語られているのでしょうか?
四世紀の人に、地図を見せますか?
これじゃあ
話しが噛み合わないわけです。
>>118 >「以海」…「南與」の文によって、馬韓(韓)の南も海である事は
>先の文頭にて設定されている
また嘘を言う。韓の南は倭と接している。
>>121 意味がわからないです。なぜ地図を見たらだめなのでしょうか?
124 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/02(水) 13:50:20
>>122 言ってる意味がわかりません。
後漢書にも魏書にも、倭と韓の地勢的関係は
「南與倭接」と書いてあります。(與す南は倭と接す。)
與す=韓
125 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/02(水) 14:28:06
「南與倭接」の「接」の解釈は“地勢的な関係”
つまり、地域と地域の「接」は
直接的に地続きか?
間接的(間に自然環境が関与)に隣か?
このどちらかの選択。
126 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 15:26:35
河童虫は、
字 引 を 勝 手 読 み す る だ け の 駄 レ ス
127 :
日本@名無史さん:2008/07/02(水) 15:52:41
わたしは河童虫さんはスルーですよ。
128 :
115:2008/07/02(水) 16:55:49
>>119 九州王朝大好き氏。
私は河童氏の
>>120に納得しました。貴殿のレスに横レスを入れるほど賢くはありませんが、今は河童氏のレスに注目してます。
>>127氏
私は河童氏のレスに注目していますし、彼のレスには新鮮さがあります。
>>124 >言ってる意味がわかりません。
あなたを説得しようとは考えていない。
あなたの嘘を指摘しておくだけで十分。
>>129 >あなたを説得しようとは考えていない。
あなたの嘘を指摘しておくだけで十分。
クスッ
貴方、嘘の意味しらないでしょう。
>>118 > >馬韓の西、海中…
> ではなく、「馬韓の西海中…」ではありませんか?
まあ、「馬韓の西海中」でも構いませんよ。
馬韓の南海中でなければ意義に違いはありません。
貴方は「馬韓之西」について自分の訓読を表明するのをひたすら拒否して来ましたが、
今回のレスにより、その理解がようやく(毎度のことながら手間のかかること)判明しました。
貴方の思う「馬韓之西」とは「馬韓の西域」の意です。
つまり、「西」は「馬韓」に内包される地域だと。
この「之」とは指示代名詞として使われる場合、移動の意の動詞の場合などもありますが、
もっとも多い用例は、ただ前後の文字をつなげるだけの機能として使われる場合です。
日本語の接続助詞「の」とほぼ同じ機能でしょう。
文字自体に強い機能が無いので、意味は用例で判断しましょう。
東夷伝から「地名+之+方位」組合せの用例を幾つか示します。
先ず韓伝、「韓在帶方之南」「辰韓在馬韓之東」どちらも方位で示される地域は「之」でつながれる地域には含まれません。
倭人伝「當在會稽東冶之東」、東沃沮伝「在高句麗蓋馬大山之東」、高句麗伝「在遼東之東千里」、夫餘伝「在長城之北」
何れの例も「地名+之+方位」の組合せでは、方位で示される地域は域外の例ばかりです。
貴方は、ただ一つ「有州胡在馬韓之西海中大島上」だけは例外だと言うわけですね。
いくら、現在の地図上に州胡に合い相応しい島が存在するからと言って、
それに合わして漢文の読み方まで変える必要はありません。
喩え、西方に島が無くても、魏志が州胡は馬韓之西に在ると書いている事実に変わりわないのです。
では、ある地域の一部を方位で示す場合、東夷伝ではどのように表記されるのでしょうか。
高句麗伝の有名な隧穴の記事では「其國東有大穴」のように表記しているようです。
>>131 >「地名+之+方位」の組合せ
ではありません。
方位ではなく地域です。
馬韓+之+(西海中)です 西海中とは、韓域南辺に広がる海の西部の中
用例もいいですが、もう少し全体の文章構成も考慮ください。
頭がいいからこそ起きてしまう、固定観念と見ましたが
>東夷伝から「地名+之+方位」組合せの用例を幾つか示します。
先ず韓伝、「韓在帶方之南」「辰韓在馬韓之東」どちらも方位で示される地域は「之」でつながれる地域には含まれません。
倭人伝「當在會稽東冶之東」、東沃沮伝「在高句麗蓋馬大山之東」、高句麗伝「在遼東之東千里」、夫餘伝「在長城之北」
何れの例も「地名+之+方位」の組合せでは、方位で示される地域は域外の例ばかりです。
私がこんな身近な用例を見逃すとでも・・・・・
133 :
131:2008/07/02(水) 22:30:51
追記
一番大事なことを書き忘れていました。
「馬韓の西海中」・・・この解釈に対するコメントを書きそびれました。
州胡は「馬韓」と言う地域に内包される「西海」の中の大島上に在ると読む場合ですね。
しかし、貴方の説に立って韓域には倭との間の海域が含まれるとしても、
それは「馬韓南部海域」と呼ばれる地域でなければなりません。
韓は「東西以海爲限」以上、内包できる海域は南方だけです。
その南方海域内にさらに想定される西方海域をどう呼べば善いのか(西南海?)分りませんが、
「馬韓の西海中」をそのように解するのはダブスタです。
貴方の説によれば、州胡の在る「西海」もその基点となる東側も海なのですから、
位置関係において海を強調する必要はありません。
海を強調するのは、引き続く大島上に所在する旨の記述のときです。
>>131の末尾に示した用例に従えば、「馬韓西南有州胡、在海中大島上」と記せばよいのです。
既に韓伝前文にて「馬韓在西」と記載されていることをお忘れでしょうか?
馬韓は韓の西部側、韓を東西に分けた西部側に位置すると
さすれば当然、南辺に広がる海も馬韓南辺は広がる海の西側となります。
つまり、「有州胡在馬韓之西海中大島上」の西海中の西は
馬韓の西ではなく、海の西側となるのです。
だから私は最初に、視点を帯方郡にと言ったし、古漢文はムズイと
>>133 >「馬韓西南有州胡、在海中大島上」と記せばよいのです。
????
なぜ貴方は、現地名(済州島)州胡が馬韓の南西に位置していることを知っているのです?
馬韓之西海中と記載されたのは、
馬韓が韓を東西に分けた、韓の西部に位置していることしか本文にて記されていないからですよ
先走りもいいとこです。
136 :
131:2008/07/02(水) 22:59:05
>>134 > 既に韓伝前文にて「馬韓在西」と記載されていることをお忘れでしょうか?
> 馬韓は韓の西部側、韓を東西に分けた西部側に位置すると
> さすれば当然、南辺に広がる海も馬韓南辺は広がる海の西側となります。
その解釈はおかしいです。原文をよく読んでください。
「韓」の南辺に広がる海の馬韓側は「西側」かもしれませんが、
それは「馬韓の西海」ではありません。弁辰側に対する「西側」に過ぎないでしょう
さらに弁辰領を後世の伽耶地域を含むと想定すれば、馬韓には倭と接する余地もないのですが。
> つまり、「有州胡在馬韓之西海中大島上」の西海中の西は
> 馬韓の西ではなく、海の西側となるのです。
それは、
>>134でも説明しましたが、東と西が海で片方だけを「海」と強調するのは不自然です。
> だから私は最初に、視点を帯方郡にと言ったし、
言っただけです、それが貴方の説のどの部分にかかるのかはその意味は不明のままですね。
>>135 >「馬韓西南有州胡、在海中大島上」と記せばよいのです。
>なぜ貴方は、現地名(済州島)州胡が馬韓の南西に位置していることを知っているのです?
そんなことは一度も言ってません、なぜそう思うのですか?
その文章は、貴方の主張にそった州胡の位置を漢文化しただけです。
「現地名(済州島)州胡が馬韓の南西に位置していることを知っている」のは貴方でしょうw
> 馬韓之西海中と記載されたのは、
> 馬韓が韓を東西に分けた、韓の西部に位置していることしか本文にて記されていないからですよ
これも意味がわかりませんな。
>>136 >「韓」の南辺に広がる海の馬韓側は「西側」かもしれませんが、
それは「馬韓の西海」ではありません。弁辰側に対する「西側」に過ぎないでしょう
何処に弁辰が登場するのでしょうか?
>さらに弁辰領を後世の伽耶地域を含むと想定すれば、馬韓には倭と接する余地もないのですが。
そんなところまで考えているのですか?
>東と西が海で片方だけを「海」と強調するのは不自然です。
不思議ではありません。
南も海で限定してしまうと、州胡も登場しなくなるし、倭人伝にも続きません。
ましてや「南與倭接」の語句もなくなります。
>言っただけです、それが貴方の説のどの部分にかかるのかはその意味は不明のままですね。
それは常日頃、郡を基点に物事を考えていないからです。
>その文章は、貴方の主張にそった州胡の位置を漢文化しただけです。
「現地名(済州島)州胡が馬韓の南西に位置していることを知っている」のは貴方でしょうw
ほら、また勘違いしている。〜
州胡は馬韓の西海中に位置すると述べているのです。
つまり現代風に言えば、州胡は馬韓領海域中にあり、その海域は韓の南辺海域を東西に分けた西側部分
韓伝で、海は韓の東西南辺だけ
ましてや範囲を馬韓だけに絞れば、馬韓に認められた海は南部海域だけで、馬韓の西辺に海は認められていません。
馬韓南辺を除くと、全て韓の海
139 :
131:2008/07/02(水) 23:54:52
>>137 > それは「馬韓の西海」ではありません。弁辰側に対する「西側」に過ぎないでしょう
> 何処に弁辰が登場するのでしょうか?
じゃ、何処ですか?馬韓が西なら、その東は弁辰24国の領域でしょう。
何か意味のある問いかけなのでしょうねかね?問答みたいなものは苦手なのです。
できたら、私にはまどろっこしい言い回しはしないで頂きたいのです。
禅互いに要点だけを出してポンポン行きましょうよ。
> >東と西が海で片方だけを「海」と強調するのは不自然です。
> 不思議ではありません。
> 南も海で限定してしまうと、州胡も登場しなくなるし、倭人伝にも続きません。
南は「限定」していないのでしょう?私は貴方の説の前提に立って話をしているつもりですが。
> >言っただけです、それが貴方の説のどの部分にかかるのかはその意味は不明のままですね。
> それは常日頃、郡を基点に物事を考えていないからです。
それは「説明しない」と言う意味にとってよろしいのですね。
> >その文章は、貴方の主張にそった州胡の位置を漢文化しただけです。
> 「現地名(済州島)州胡が馬韓の南西に位置していることを知っている」のは貴方でしょうw
> ほら、また勘違いしている。〜
勘違いはしていません。貴方が振ったネタです。
私が言ってもいない事を「言った」と思う理由を尋ねたのです。
これも「答えられない」と言うことでよろしいのですね。
> つまり現代風に言えば、州胡は馬韓領海域中にあり、その海域は韓の南辺海域を東西に分けた西側部分
何度も言いますが、対置すべき「東」が文中に無いのに「西」を使う意味はありません。
馬韓の陸地に接する海域全体を現すのであれば「馬韓の南海」です。
140 :
131:2008/07/03(木) 00:01:25
>>138 > 韓伝で、海は韓の東西南辺だけ
> ましてや範囲を馬韓だけに絞れば、馬韓に認められた海は南部海域だけで、馬韓の西辺に海は認められていません。
> 馬韓南辺を除くと、全て韓の海
これは独り言ですか?
・・・意味不明な点にツッコミをと思いましたが、単なる書き間違いですね。
スルーした方がよいでしょうね。
141 :
どくだみ:2008/07/03(木) 00:07:20
正直、もう面倒だから昨夜はスルーしていました。
その途端、
>>115のような人が出てくるから、やはり何が違うのかはっきり書かなきゃなあと思う次第です。
>>117 >韓の東西は海だけしか無いを強調してるように読める。
>だとしたら、韓の東西に島を望む事は出来ないと思います。
それは違います。
史記 梁孝王世家
漢廣關,以常山為限,而徙代王王清河.
漢は関を広め、常山を以て限りと為し、而して代王を徙して清河に王たらしむ。
漢は関内を広くして、常山を限界とし・・・
呉楚以梁為限,不敢過而西,
呉楚は梁を以て限りと為し、敢えて過ぎりて西せず。
呉楚七国の乱のとき、梁が防壁となって呉楚の軍はそれ以上西進できなかった。
晋書 天文志
夫天之晝夜以日出沒為分,人之晝夜以昏明為限.
夫れ天の昼夜は日の出没を以て分と為し、人の昼夜は昏明を以て限りと為す。
人の昼夜は、昏と明で区切られている。
常山や梁や昏明の先に他のものが存在するのは明らかなので、
>・東西は海(しかも限定)もし、これ以降東西側に何かを設定するのであれば、
>「爲限」等の語句を使用せず(東西は海)とだけ、表現すればいいのですから
という主張が誤りなのは明白。つづく
142 :
どくだみ:2008/07/03(木) 00:09:38
「以○為限」という句形は、○に入るものが、区切り・限界・境界線をなすということで、
「○以外何もない」という意味に使われた例は、4000年の歴史の中でありません。
「以海為限」も「海までが韓域の限界だ」「海が韓の支配の防壁になっている」「韓の領域は海で区切られている」
という普通の意味に解釈して何の問題もありません。
それなのに、なぜこの魏志韓伝の一例だけ、
特殊に「見渡す限り海」「海以外存在しない」と解釈しなければならないのでしょうか。
「限」について「見渡す限り海」のような誤った解釈をしたのでしょうか。
そもそも、言語はパターンの集積だから、見ず知らずの人間同士が意思疎通可能なのです。
河童さんが一般のパターンに無い、特殊な言葉の使い方をするから、
このスレの他の人が意味を理解できないのが良い例です。
4000年の歴史でただ一度現れる解釈は、言語ではなく暗号です。
143 :
日本@名無史さん:2008/07/03(木) 00:26:46
>>142 ちょっと横レス。
韓の東西に対する河童虫氏の考えは、東西には「接する」相手がいないくらいの意味です。
河童虫氏が信奉するYahoo!の「大先生」、言語虫さんじゃない方の人ですが、
その人が説明した言い回しを自分流に解釈してコピってるだけです。
144 :
日本@名無史さん:2008/07/03(木) 00:29:39
>>141 で、その用例がなにか?
全然参考用例になっていませんよ。
>常山や梁や昏明の先に他のものが存在するのは明らかなので
勝手に思っているに過ぎないんじゃありませんか?
思い込みで
>誤りなのは明白
と言われても・・・・・・・
>>143 >その人が説明した言い回しを自分流に解釈してコピってるだけです。
それって天誅さんの事? 適当な発言しないでね
逆に、天誅さんも同じ意見ならラッキー
私と虫さんと天中さんが同じ意見になる。
天誅さんの2万弱のレスを調べればわかること
147 :
どくだみ:2008/07/03(木) 00:41:41
>>143 州胡は馬韓と接している訳ではないので、接する相手がいないとうのは、まあいいのではないでしょうか。
ただ、「以海為限」というのは、上記の用例などから判断すると、もう少し強い意味で、
韓は制海権は持っていないくらいまで読んでいいのではないかと思います。
>>145 関内の外は延々と常山が続くのですか?
呉楚の西は地の果てまで梁の国土ですか?
昏(夕暮れ)の後は夜が来ないのですか?
明(夜明け)の後は昼が来ないのですか?
ずっと白夜ですか?
148 :
どくだみ:2008/07/03(木) 00:53:49
レスがないようなので、失礼して連投させていただきます。
>>70の文章の整理の仕方は違います。
以前言いましたが、其死,有棺無槨,封土作?.の例では、
其死が大主語あるいは条件提示部となるので、以下の有棺無槨と封土作?のふたつの部分に分配できます。
この文の場合、大主語・条件提示は韓だけで、在帶方之南は文の要素の一つです。
1、韓在帶方之南,
2、(韓)東西以海為限,
3、(韓)南與倭接,
4、(韓)方可四千里.
このように整理すべきです。
さて、河童さんは、3の文に以海を補って「(以海)、南與(倭接)」としています。
おそらく2の文に以海があるので、繰返しを避けるために省略したとでも解釈したのでしょう。
本当にそれは可能でしょうか。疑問点を挙げます。
繰返しを避けるための省略の例は、この文にもあります。韓という字です。
2、3、4の文に於いて、韓という文字はあってもなくても意味は変わりません。
意味が変わらないから省略が可能なのです。
ところが、南與倭接と南以海與倭接では文の意味が変わってしまいます。
文の意味が変わってしまうのに、これは省略されていると勝手に判断して補って良いものでしょうか。
補わない限り意味が通じないなら仕様がないですが、補わなくても意味が通じるのに、わざわざ補って良いものでしょうか。
韓の三方が海だという予備知識を持っている河童さんの予断ではないですか。
まず、疑問の一。
つづく
149 :
どくだみ:2008/07/03(木) 00:54:47
以海為限という句形は文法的にはあり得ますが、意味があるでしょうか。
海・山・川というものは、人間の境域を隔てるものです。
漢籍の中でも、そのように観念されています。
つまり、隔てるもので接するとは自家撞着の表現だと思うのですがいかがでしょうか。
私の知らないところで、そのような用例があるかもしれませんので、
もしあればお教え願いたいと思います。疑問の二です。
先のレスで示した通り、韓は東西の海に制海権を持たないと思われます。
それなのに南方海上だけ制海権を持っているのでしょうか。
これも不自然に思います。疑問の三です。
以上の理由から、3、(韓)南與倭接,の文に以海を補うのは間違いだと思います。
>>142 >「以○為限」という句形は、○に入るものが、区切り・限界・境界線をなすということで、
ま〜これの解釈は大差ないかな
>「○以外何もない」という意味に使われた例は、4000年の歴史の中でありません。
ただ、そう読む知識がなかっただけじゃありませんか?
>「以海為限」も「海までが韓域の限界だ」「海が韓の支配の防壁になっている」「韓の領域は海で区切られている」
という普通の意味に解釈して何の問題もありません。
問題があるからこうしてレスしています。
ただたんにどくだみさんの判断でしょう?
>「限」について「見渡す限り海」のような誤った解釈をしたのでしょうか。
だれもそんな解釈していませんが・・・・「韓の東西は海だけ(島や陸地は存在しないという設定)」 韓を説明する環境づくり
どくだみさん
明日も仕事があるのでこのへんで・・・・・
時間があったらまた明日 では、zzzzzzzzzzzzz
152 :
どくだみ:2008/07/03(木) 01:08:24
上記のように、馬韓之西海中は、南方海上の西部ではありえません。
さらに、「言語不與韓同」とあります。
もし、州胡が韓ならば「他の韓と同じではない」と書くはずでしょう。
「九州の言語は日本と同じではない」と言われたら、九州人は日本人ではありません。
「九州の言語は、他の日本の言語とお恥ではない」と言われれば、
九州は日本の一部で、方言があるんだなと解釈できます。
>>151 ゆっくりお考えください。
115さん
これでも、まだ河童虫説に納得しておられますか。
私などは、馬韓之西海中と書いてるのを、
わざわざ
>>120のように韓之西海中と読み変えなければならない必要を認めません。
153 :
115:2008/07/03(木) 09:42:11
どくだみ氏、レスありがとうございます。私には貴殿に返レスする能力が有りませんので、簡単に。
まず、河童氏の言われる様に、韓の地理的な地勢紹介文であるなら、どくだみ氏の言語紹介文の例にて反論致すのは、間違いではないかと思います。
地理的紹介文には、他の地理的紹介文を用い反論し、初めて互いが同じ土俵についた事になると、私は思います。
154 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/03(木) 11:38:47
>>153 理解してくれたようですね。
>>150 さてっ、どくだみさん。
「以海爲限」の日本語解釈、これはへんですね。
>@「海までが韓域の限界だ」
>A「海が韓の支配の防壁になっている」
>B「韓域は海で区切られている」
この文章は再三述べてるように、帯方の南にある韓の位置的な環境地勢紹介。
だから、@とAの解釈は絶対に有り得ない解釈、Bも区切るとする語句は変です。
@ABの文には、人が生活する匂いがします。
帯方の南にある、韓と名付けられた地に対する環境紹介に
「支配、防壁、区切り」
等の言葉はいりません。
必要なのは
海や陸や島が、どのような配列になっているかを、郡からの視線で
北から南へ、西から東へ移動し紹介しているのです。
155 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/03(木) 12:38:36
「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接方可四千餘里」
この文はこれで一つの文節です。
先ず最初に、韓と言う地域の外部環境から説明されています。
そして、まだ陸地内には触れられていないことに注目。
・韓域の北側は「帯方之南」と言う文言から、陸続きである事が確定します。
そして東西なんですが、既に北側に対する対象(主目的)が“陸続き”と言う事ですので、当然、東西に対する焦点も、陸続きであるかどうかに絞られます。
で、解答はと言うと
「以海爲限」
陸続きではなく「海」だと、しかも「爲限」付き。
ただ海があるのではなく、(海に限る)と、
海には当然、島もその先にあるであろう陸地も考慮せず、海以外考えない。
と 設定され
韓域の(北、西、東 )外部環境が確定します。
もう、この説明だけで
どくだみさんが用例を出しながら説明されたものが、誤用であり
ここに記された「以海爲限」に、適用出来ないことが
どくだみさんの韓伝に対すする認識は、このスタート部分で
既に、躓いていたのです。
156 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/03(木) 13:52:23
この定型文と言われるであろう「以〇爲限」の形
基本的な解釈の形はあるだろうけど、
やはりこれも扱いは漢字一文字と同じ、
文章内容によって、意味の解釈は異なり、これと言った決まった形はありません。
あくまでも文意にそくす事が優先されます。
「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接方可四千餘里」
に、付された「以」は(区切り)とするもの、
つまり、前文の「陸」と後文の「海」を分ける役割のもじです。
これは『…卑弥呼以死…』も同じ。
「以海」の(海)文字によって(以)の前文は“陸”後文は“海”
「以死」の(死)文字によって(以)の前文は“生”後文は“死”
と、なるのです。
だから南も海と解釈出来るのです。
157 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/03(木) 13:57:49
>>155 僕はどくだみ氏とほぼ同じです。
>「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接方可四千餘里」
>この文はこれで一つの文節です。
上記取り上げ方については肯定できない。
下記の様にワンセットで取り上げなければならない。
韓
在帶方之南東西以海爲限南與倭接方可四千里 ←地理について記述
有三種一曰馬韓二曰辰韓三曰弁韓 ←人についての記述
次から同意見
又下記で異なる
>ただ海があるのではなく、(海に限る)と
爲限は韓域(韓の勢力範囲)についてであって、海は爲限の区分場所を示しているにすぎない。
河童虫さんの韓伝に対すする認識は、これら上記のスタート部分で
既に、躓いていており、どくだみさんから4000年に1回の理解と言われるのです。
158 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/03(木) 14:16:29
>>157王朝さん
ぶつ切り解釈ではなく
私の様に、最初から順序よく
解釈説明してミソ。
間違って解釈している人から、なんて言われようが平気のへの字です。
『韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接…』
だけでいいから。
159 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/03(木) 15:39:08
>>158 歴史書の読者は、後世の言語が異なる価値観も異なる不特定多数を想定しているから、
単純素直に読むのが最もよろしい、先入観は排除して。
文の構成は下記の通り。 ( )内は繰り返し省略部分:主語+動詞3回、主語のみ1回 計4回
韓在 帶方之南東
(韓在)東西以海爲限
(韓在)南與倭接
(韓在)方可四千里
(韓)有三種
一曰馬韓
二曰辰韓
三曰弁韓
>>141どくだみさん
折角どくだみさんが用例を探し出し、添付してくれたのだから、少し弄ってみますか。
>史記 梁孝王世家
漢廣關,以常山為限,而徙代王王清河.
漢は関を広め、常山を以て限りと為し、而して代王を徙して清河に王たらしむ。
漢は関内を広くして、常山を限界とし・・・
折角添付してくれたのに、一番肝心な所が抜けていては、この文章がかわいそうですよ
この文は前後に
『・・・子義立是為代王。十九年漢廣關以常山為限而徙代王王清河。清河王徙以元鼎三年也。
初武為淮陽王十年而梁王勝卒諡為梁懷王懷王最少子愛幸異於他子。・・・』
【十九年漢廣關以常山為限而徙代王王清河】が、一つの文節と考えます。
つまりこの文は、この十九年という紀年を挟んで文章が分かれる事を『以』という文字にて表して
「十九年漢廣關(以)常山為限」(十九年に漢は関を常山しかも為限まで広げ)、これ以降に記載されている「而徙代王王清河清河王徙以元鼎三年也・・」
の文章は、関を常山まで広げたという設定のもとに、関が移動するまで文は「以」の効果で構成されています。
しかし、十八年までは「十九年漢廣關(以)常山為限」の「以」の効果により常山まで関が広がっていないという設定で組み立てられています。
「十九年漢廣關(以)常山為限」
の
「為限」=限界
「東西(以)海為限」
の
「為限」=限定
この違いを見逃しています。
>>157王朝さん
>下記の様にワンセットで取り上げなければならない。
韓
在帶方之南東西以海爲限南與倭接方可四千里 ←地理について記述
有三種一曰馬韓二曰辰韓三曰弁韓 ←人についての記述
ワンセットにしてしまったら
「有三種一曰馬韓二曰辰韓三曰弁韓」まで、海物語になってしまいます。
ここは
「韓在帶方之南東西以海爲限南與倭接方可四千里」で、一旦切り、「以海」で始まった海物語を終了させましょう。
「韓在帶方之南」・・(陸物語)
(帯方の南)「東西以海爲限南與倭接方可四千里」・・(海物語)
163 :
どくだみ:2008/07/04(金) 01:33:00
>>154 河童さん
>この文章は再三述べてるように、帯方の南にある韓の位置的な環境地勢紹介。
>だから、@とAの解釈は絶対に有り得ない解釈、Bも区切るとする語句は変です。
>@ABの文には、人が生活する匂いがします。
韓って何ですか?山や川のような自然の造形物ですか?
人の営みによって存在するものではないのですか?
人が決めた韓という領域が、人が決めた帯方郡という領域の南にある。
それって環境ですか?地勢ですか?人の営みではないですか?
『韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接』
という文の内、「韓在帯方之南」「南與倭接」という部分は、人の生活がなければ成立しえませんよ。
それなのに「東西以海爲限」の部分だけ、人の生活を排除しなければならないのですか?
人が営む韓という領域が、東西で海という自然の領域と関わる。
どのように関わっているかの説明が「以海為限」ですが、
そこに人の生活はありませんか?韓という人が住む領域の話なのに。
韓伝の記述は、帯方郡と馬韓・辰韓・弁韓・倭の相互位置。
住民の暮らしぶり。そこにある国々の名前。
そういうものだと思いますよ。人の営みそのものではないですか?
地勢ではなく地政ですね。
貴方の言葉をお借りすれば、まさにスタートの部分で躓いてますよ。
観念的に理屈を捏ねまわすより、原文に即して解釈しなければなりません。
まずは、その辺りから考えてみたらどうですか。
>「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接方可四千餘里」
>に、付された「以」は(区切り)とするもの、
これ、日本語として意味が通りません。
「以」は(区切り)の役割をするもの
という意味ですか?
164 :
どくだみ:2008/07/04(金) 01:38:04
>>153 115さん
そういうわけで単純に地勢の話ではないのですが、
たとえ話題が地勢であろうと古代中国語を使用していることには変わりないでしょう。
だから問題ありませんよ。ざっくりと例え話で言うと、
1、「韓の東西は海が境界です」2、「人の昼夜は朝夕が境界です」
という日本語の表現は、「○○は△△が境界です」という言い方の話題が異なるものです。
話題が異なると、この形の言い方の働きが変わりますか。
1の文では「海しかない」という意味になり、
2の文では「昼と夜の間に朝夕が介在する」という意味になりますか。
言語はパターンの集積だから見ず知らずの者同士がコミュニケーションできるのです。
同一パターンはその形が変わらない限り、担う役割は話題に限らず同じです。
「以○為限」という句形は、地勢紹介文であろうとそれ以外の文であろうと、同じ働きをします。
虫説に興味を持つのを無理に止めは致しません。(出来もしませんが)
ただ、虫説は普通の漢文読解からすれば、間違いだらけです。
普通の基礎を身に付けてから、それでも尚、虫説に魅力を感じるなら、
それから学んでも遅くはないんじゃないですかとお勧めするのみです。
165 :
どくだみ:2008/07/04(金) 02:15:45
>>161 >「十九年漢廣關(以)常山為限」
>の
>「為限」=限界
>
>「東西(以)海為限」
>の
>「為限」=限定
なぜ同じ「為限」が限界と限定というふうに意味が変わるのですか?
同じ言葉を違う意味で解釈しなければならない理由と、
そのように解釈できる根拠は何ですか?
「十九年漢廣關(以)常山為限」の場合「「為限」を限界の意味に解釈しろと
指示しているモノは、文中のどの要素ですか?
「東西(以)海為限」の場合「為限」を限定の意味に解釈しろ
指示しているモノは、文中のどの要素ですか?
貴方の解釈では、意味が変わっているだけではありません。
限界とは「何かの限界」で、限定とは「何かを限定する」ですよね。
同じ言葉が文中で違う働きをしていますが、それは何故ですか。
限界とは何の限界なのですか?限定とは何が何を限定するのですか?
166 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/04(金) 10:37:04
どくだみさん
どくだみさんも、以前剣道をなさっていたからわかると思いますが、
初心者など経験の浅い人は、相手の攻撃を
手元や竹刀、身体の動きで察知しますが、
経験を積んでいきますと視線は変わり、目の動きや左足の動きに重点を置きます。
古代史も同じ。
視線の違いです。
167 :
日本@名無史さん:2008/07/04(金) 12:30:25
上から目線発言きました。
168 :
どくだみ:2008/07/04(金) 13:17:01
>>166 それでは答えになってません。視線が変わろうと文献の達人になろうと、
人が定めた領域が自然の地勢には見えてきません。
>>154で、
>だから、@とAの解釈は絶対に有り得ない解釈、Bも区切るとする語句は変です。
>@ABの文には、人が生活する匂いがします。
と言ってますよね。その理由は、
>海や陸や島が、どのような配列になっているかを、郡からの視線で
>北から南へ、西から東へ移動し紹介しているのです。
だからですよね。
ところが、「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接方可四千餘里」の文のなかの
韓も帯方郡も倭も自然の造形物ではなく、人の営みによって定められた領域ですよね。
海にしても、韓という人が定めた領域と海とがどう関わるかという記述ですよね。
北から南へ、西から東へ移動し紹介しているのは、帯方郡と韓域の位置関係であり、
韓域の中の馬韓・辰韓・弁韓の位置関係であり、そこに暮らす人々の習俗・政治ですよね。
>帯方の南にある、韓と名付けられた地に対する環境紹介に
>「支配、防壁、区切り」
>等の言葉はいりません。
という貴方の主張は間違いではないですか?
169 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/04(金) 13:55:51
>>168どくだみさん
陳壽が描こうとする画用紙には、まだ人は乗っていませんよ
定めるのは陳壽の筆一本。
私が言えるのはそれだけしかありません。
>>167 >上から目線
当然です。
上から目線以外に、既に鍔には親指が、
何時でもいいから踏み込んでみなさい。
華麗に胴を抜いてあげますから。
171 :
どくだみ:2008/07/04(金) 14:13:57
>>169 陳寿が「韓」と書いたとき、そこには人が居ます。
以下、その理由を説明します。
無人の地に天の神様が韓と名付けたわけではないです。
帯方郡 韓 倭 と言った時点で、既に人はいます。
例えば泰山なら、人が名づける前から存在します。
しかし、帯方郡にしろ韓にしろ倭にしろ、
人が住み、区切り、支配し、守らない限り存在しません。
自然が「ここから北は帯方郡、ここから南は韓」と決めたのですか?
人が決めたのでしょう。
だから、陳寿が韓と書いたとき、それは天然自然には存在しない人の領域であり、
「支配、防御、区切り」の対象なのです。
さて、次は河童さんが
>陳壽が描こうとする画用紙には、まだ人は乗っていませんよ
という理由を説明してください。
どうぞ、綺麗に胴を抜いてみてください。
>>171どくだみさん
人をのせた形跡は
『有三種一日馬韓……古之辰國者』
ここ待たねばなりません。
待てますか?
173 :
どくだみ:2008/07/04(金) 15:14:38
>>172 どうも、私の言っている意味が良く解っていないみたいですね。それとも、わざと解ろうとしないのか?
貴方の主張は、二つの意味で間違っています。
まず一つ目。
「日本列島は中国大陸の東にあります。」
「日本は中国の東にあります。」
この二つの違いが解りますか?
前者は地勢であり、後者は地政です。日本列島・中国大陸は自然の造形物です。
日本・中国は国家であり、領土であり、人の営みによって生まれるのもです。
日本列島は人が居る居ないに関わらず存在します。しかし日本は日本人がいなければ消滅します。
さて、韓はどちらですか? (指摘の1)
もう一つの間違い。例え話をしましょう。
「人が居ます。日本に住んでいます。日本は中国に東にあります。」
こんな書き方をしますか?
「日本は中国の東にあります。そこに住む人々は〜」
これが普通の書き方ですよね。「そこに住む人々は」に至るまで
「日本は中国大陸の東にあります」と書いてあるあいだは日本は国家ではなく自然の造形物になっているのですか?
日本という言葉を使っている以上、書き方の順番によって、ここまでは人は関係ない、ここからは人の事とは言えません。
韓伝についても同じです。
記述がまだ住民そのものに及んでいないとしても、
韓が「人が住み、区切り、支配し、守る」領域であるという性質は変わりません。 (指摘の2)
「人のことは書いてないから人とは関係ない」と言い、以海とは書いていないのに「省略だ」と勝手に補う。
原文から遊離して観念の遊戯になっていると批判する所以です。
スタートから躓いてはいけませんので、指摘の1と2について、ご意見を賜りましょう。
174 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/04(金) 15:41:29
>>173どくだみさん
それって
全てどくだみさんが考え得る範囲での質問ですよね?すると、
どくだみさんの
思考範囲外での答に関しては、NOと返事がくる事がわかっている質問ではありませんか?
質問の設定に不備があります。
貴方が森羅万象の支配者或は、陳壽の代弁者なら話しは別ですが。
文頭の『韓』とは
陳壽が白紙の画用紙に、便宜上記した 白紙地の仮名称
この『韓』が仮を外され効力を発揮するのは、伝が終了したときです。
私はこう考えています。
韓伝は
文の始まりを『仮称韓在帯方……』
で、始め
韓伝を書き終えた時「仮称」を消し
『韓在帯方…』と、したと。
これは現在でも
平成二十一年予算案
承認されれば『案』を消し平成二十一年予算
と、なります。
176 :
どくだみ:2008/07/04(金) 16:39:15
>>175 予算案と予算は別文書です。韓伝は、完成された一つの文章です。
河童さんが言っているのは、既に承認された予算の冒頭の言葉が仮で、
最後まで読まないと意味が決まりませんといっているのと同じです。
そんな公式文書ってあり得ますか?
「有三種」って「韓有三種」の省略ですよね。
1、韓在帶方之南,
2、(韓)東西以海為限,
3、(韓)南與倭接,
4、(韓)方可四千里.
5、(韓)有三種
こういう構成になっています。漢文は同じものを省略します。
河童さんが言うように、冒頭は人が居ない韓で、「有三種」では人が居るというのはおかしいですね。
だから目線が違うと
>>166で言ったのです。
竹刀の動き、身体の動き、手元を見ている人には、左足の動きに注意している人の行動が
かといって
そう言われても、なかなか実戦で左足の動きを見る事は出来ませんし、見えません。
意識し実戦を積み重ねなければ出来ない行為です。
私の書き込みは意識を促す行為で、実戦を積み重ねるのは各個人で、強制し出来る事ではありません。
と、言う事で
今宵は稽古がありますので、この辺でしつれいします。
お付き合い有難うございました。
河童虫さんさあ、つまんないよ。
お経読んでんじゃないんだからさあ。
どくだみさんにぼっこぼこにされながら
今日はこれぐらいにしといたるわ、って
言ってるようにしかみえないよ。
これが河童流、マゾ系掲示板道w
181 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 06:39:55
182 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 07:43:42
>ここから北は帯方、ここから南は韓
帯方の範囲を決めたのは皇帝や帯方に携わる人々、帯方と韓の区別をしたのは陳壽です。(誰か他に、帯方郡と韓の区別をした人がいましたか?)
韓と名付けられた地が
有人だろうと無人だろうと関係ありません。
だいいち、当時「韓」なんて国もないし地域もありません。
細かく分かれていた地域を便宜上三種に区分し、 それら全てを韓と称したにすぎません。
だから「韓」の領域も防壁も区切りもありません。
いや、存在すらしないのです。
あえて区切るとするのであれば、「韓」と称した漢人達外部です。
>>182 そんなことよりさ、
馬韓の南に位置する「海」を何故「馬韓之西海」と表記しなけりゃならないのか、
その理由を早く説明しなさいな。
馬韓之東海ってのが存在するって言うなら別だけどなw
184 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 10:10:13
185 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 10:21:31
>>183 「西海と東海」
西海と記載されれば、必ず西とする基点或は東海が存在する。(西が方位の場合)
こんな事当たり前で、書く必要性もない。
東京があれば、必ず東京の西に基点となる京 或は対となす西京がある
>>184 その「説明」はどのレス番のことですか?
東の無い西は在り得ませんよ。
「東京」のように「固有名詞」していれば別ですがね。
でも、「馬韓」の固有地名「西海」と言う主張じゃないですよね。
>>185 >必ず西とする基点或は東海が存在する。
じゃ、「馬韓の東海」は「存在」するのですね。
それは、何処のことだと?
188 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 10:40:57
>>187 >何処
知らない。
言えるとすれば、馬韓南辺に位置する西海の東側
馬韓で海を望めるのは西辺と南辺
『有州胡、馬韓之西、海中…』
と考える人は、西辺に広がる広大な海中を探せばいいだけ
『有州胡、馬韓之西海中、…』
と考える人は、西辺は有り得ないから南辺を探る。
189 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 10:43:35
>>188 > 知らない。
えっ、何で?
> 言えるとすれば、馬韓南辺に位置する西海の東側
またまた、回りくどい言い方ですね。
「馬韓南辺に位置する西海」って言うのは、
先ずは、馬韓の南に海があって、その西側部分のことなの?
前の説明じゃ、馬韓の南の海全体が「西海」だったように読めたが。
つまり、馬韓南東部の陸地の南に在る海(前の説明と微妙にニュアンスが違うな)のことね。
で、「西海」と言うのは馬韓南西部の陸地の南に在る海のことか。
まとめて「南海」と呼べば良いようなものを何で東西に別けるの?
> 『有州胡、馬韓之西海中、…』
> と考える人は、西辺は有り得ないから南辺を探る。
あー、これが理由でしたね。
そんでもって「南」が「西」に成っちまうわけか。
>>189 >
>>186 > 海と設定されたその海の西部
それは「韓の」ですか?「馬韓の」ですか?
簡潔に解かりやすく説明いただけるよう、二択にしましたよ。
193 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 11:35:50
>>190 地図帳を見ながら語る人と、文章地図を描きながら語る人の差
「馬韓之」と記載するだけで、対象海域が韓域南辺の馬韓幅分が対象とわかるの。
194 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 11:41:00
>>191 どれにも該当しない。
韓域南辺に位置する海域の馬韓側(韓域西部)の西部海域
これが「馬韓之西海(中)」
195 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 11:54:08
>>193 じゃ、馬韓の陸地西南部先の海域のことなんでしょう。
で、その海域には「大島」が有って。
何で簡潔に表現できないのかなw
でも、これで話が進められるようになった。
「西海」と言う表現が何を表すか?
貴方の好きな「視点」の話ですよ。
この「西海」の場合、文中での視点は何処にありますか?
私は、東西成分については「西海」の領域とその東側の領域の中間点、
若しくは中間点より東側にあると思います。
南北成分については、少なくとも海岸線より南に無いと成立しない表現だと思いますね。
しかし、韓伝中には視点をそこに移動させるような文章は無いのですね。
其俗少綱紀、國邑雖有主帥、邑落雜居、不能善相制御〜以降の文章は、
馬韓全体を捉える視点です。
「西海」と言うのが馬韓内の既知の固有地名で無い限り、
一度、馬韓南部へ視点を移動してからで無ければ南の一部だけを取り上げて、
「西海」とは呼ばないと思うので。
貴方が漢文のプロなら、そのような用例を呈示して欲しいところですがね。
>>195 でも貴方の説では「韓」に含まれる地域なんでしょう。
だったら、韓に内包されることに違いはありません。
そうで無ければ、馬韓の「西海」が馬韓に内包されると言う
貴方の説の大前提も否定することになりますよ。
>>196 視点は帯方郡です。
簡単に説明しないのは、文章地図だからです。
馬韓以外に視点があるから「馬韓之西海中」
>>197 「視点」は移動しないのですか?
貴方の言う「視点」とは意味合いが違うのいだと思いますが、魏志では本来の「視点」は京都です。
そして、韓伝では「韓在帶方之南」により「韓」に移動します。
視点が「韓」に移動しているからこそ「馬韓在西」と言えるのです。
続く「東西以海爲限〜古之辰國也。」までの一文は「韓」に視点が有ります。
「馬韓在西〜」以降の視点は当然「馬韓」です。
視点が京都に戻るのは、「侯準既僭號稱王〜」から。
この朝鮮由来の故事による史的記述は、「〜二郡遂滅韓。」まで続き、
「其俗少綱紀〜」以降は「其」の示す「韓」に戻り、「辰韓在馬韓之東。」により「辰韓」に移動すると言う流れです。
つまり、基本は京都、主題が提起された以降は、視点はその主題に移動しているわけです。
「馬韓之西海」についてですが、視点は「韓」全域から移動はしていません。
「西海」が西の海と言う普通名詞であるならば、韓の海なり、南岸なりへ視点を移動させる題目を立てなければ、
西と言う方位は認知されないと思います。
海と言う題目が立てられない限り、そこは韓全域から見た馬韓の南部なのです。
199 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 13:45:12
>>196 州胡が韓に内包しているかいないかに、こだわりを持っているようだが、
それで何かが変わるのかい?
「韓」なんて名称はそもそも便宜上なんだし
州胡が馬韓伝の一列からはみ出して記載されるのも、州胡が国じゃないから
三種別には区分出来ないだけだろう。
だから
「市買韓中」と
★韓中= 韓と言う範囲の一つ一つの国
200 :
198:2008/07/05(土) 13:56:06
「西海」が著名な固有地名だと言えれば、「馬韓之西海」は成立します。
喩え方位に由来する命名であったとしても、固有地名「西海」は何処から見ても「西海」です。
しかし、著名でない地名を地名を表示するのであれば、「有西海」のように題目を立てなければならないし、
そして、普通名詞なのであれば、視点に拘束されてしまいます。
視点が「韓」にある限り「馬韓の西海」は不自然で、読者には読みきれない表現なのです。
よって、漢文において「在馬韓之西海中大島上」は「在馬韓之西」の「海中大島上」で、
韓在帶方之南、辰韓在馬韓之東等と同じく普通に読まれるところなのです。
201 :
198:2008/07/05(土) 14:18:17
>>199 > 州胡が韓に内包しているかいないかに、こだわりを持っているようだが、
> それで何かが変わるのかい?
州胡が韓に内包されない地域であれば、韓の西方、海の中に在ることを否定できないでしょう。
貴方の「韓の西辺は有り得ないから南辺を探る。」が誤りだと言うことになりますが。
その理由は「韓の東西領域は海岸まで」と言う「東西以海爲限」の解釈じゃなかったのかな?
そして、韓伝に記載されるから韓の領域なのだと。
> 「韓」なんて名称はそもそも便宜上なんだし
> 州胡が馬韓伝の一列からはみ出して記載されるのも、州胡が国じゃないから
そんなことを言ったら「小水貊」だって「国」じゃなくなるし、
それこそ「国」かどうかなんてのは表現上の問題だけだ。
> ★韓中= 韓と言う範囲の一つ一つの国
これの文章は意味がわかりません。
韓は韓でしょう。
帯方の南に在って東西を海に南を倭に囲まれた土地に居る集団のことですよ。
貴方の言う「韓」はその場その場で使い分けられるダブルスタンダードの韓なんですよ。
あー、これで話が振り出しに戻っちまったみたいだから・・・・
ダブスタの理屈が理解できない以上、話は無限ループですね。
202 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 14:18:39
>>200 >著名な固有名詞
三世紀当時、何処に著名な固有名詞なんて存在するのです?
韓も便宜上、馬韓も便宜上、西海も州胡も
>馬韓之西
遠くは大陸の海岸まで対象になりますね。(探すの大変だ)
203 :
198:2008/07/05(土) 14:35:35
>>202 >三世紀当時、何処に著名な固有名詞なんて存在するのです?
>韓も便宜上、馬韓も便宜上、西海も州胡も
また、そういうまぎらわしいことを書くw
「西海」は固有名詞じゃないんでしょう。
それと、著名じゃなくても「韓」「馬韓」「州胡」は固有名詞。
著名じゃないからこそ、先ずは「有州胡」と提起されるわけじゃないですか。
「西海」には、それが無いのですよ。
>探すの大変だ
だから「海中」と書かれてるんでしょう。
まー、よく考えてみてね。
204 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 14:46:53
>>203 だから最初に「東西以海爲限」なんでしょ
こう書けば
東西に島を見付ける人は、現代人しか居ませんから。
205 :
198:2008/07/05(土) 14:51:33
>>204 > だから最初に「東西以海爲限」なんでしょ
> こう書けば
> 東西に島を見付ける人は、現代人しか居ませんから。
だから「東西以海爲限」だと何で島があっちゃいけないの?
あ〜あ、無限のループだね。
206 :
日本@名無史さん:2008/07/05(土) 15:00:58
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
207 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 15:01:53
>>203 >西海にはそれがない。
既に定義されているものだから、改めて書く必要もないでしょう。
東西以海爲限
東西以海爲限南與倭接
馬韓在西
これだけ書いてあれば
十分ですよ
★西海=海とする範囲の西側
208 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 15:09:15
>>205 文章構成上、海だけとする用語だから
海= 島が存在しても海
以海爲限= 島の存在を一切無視した海
209 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 15:34:02
何度も繰り返して申し訳ありませんが
「……東西(以海)爲限……」
この「以海」
同文節内に於いて、文の内容を分ける働きがあります。
(以海)なら
前文である
「韓在帯方之南」は(陸の文)
「東西以海爲限南與倭接方可四千餘里」は(海の文)
…自女王國以北其戸數…
の場合
(以北)によって
「……水行十日陸行一月」は(南の文)
「…自女王國以北其戸数…」は(北の文)
と、なります。
…誰も教えてくれない倭人伝……
210 :
どくだみ:2008/07/05(土) 16:48:48
>>209 >同文節内に於いて、文の内容を分ける働きがあります
まず、文節という言葉を勝手な意味に使うと混乱を来す。
次いで、以にそんな働きはない。
無いとする人は永遠にないし、ある人はあります。
ただそれだけ。
212 :
どくだみ:2008/07/05(土) 16:55:30
南與倭接と南以海與倭接は意味が違う。
それは、貴方も認めますね。
213 :
どくだみ:2008/07/05(土) 17:21:57
河童さんと明示していないのが悪かったかな?
ねえ、河童さん。
南與倭接と南以海與倭接は意味が違う。
それは、貴方も認めますね。
>>212 はい、違いますね
以海の文字が無くても、南も海であることがわかりますから
「韓在帯方之南東西以海爲限南與倭接…」
南與倭接=與す南は海を挟んで倭
215 :
どくだみ:2008/07/05(土) 17:33:48
じゃあ、
>>70の
>・韓在帯方之南、(以海)、南與(倭接)
というのは(以海)が省略されているという意味ではないのですか?
216 :
どくだみ:2008/07/05(土) 17:35:47
もうひとつ質問しておきます。
「與す」とは「くみす」と読ませるんでしょうが、どういう意味ですか?
何が何に「くみす」るんですか?
217 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 17:51:14
省略してあるという意味ではありません。
與す=集める事により、受け皿をつくる
組す=受け皿に集まる
與す=東西南北の地勢。
218 :
どくだみ:2008/07/05(土) 18:02:01
>>217 與す=東西南北の地勢。
くみすは動詞。地勢は名詞だから=では結べません。
もう少し詳しく。
この文での與の具体的な意味は何?
かつ、漢文は、主語・動詞・目的語などの要素からなっています。
「くみす」が動詞なら、他の文字と、どのような関係で結びついているの?
「女王卑彌呼“與”狗奴國男王卑彌弓呼素不和」
ここの“與”も、南與倭接の與と、同じ解釈です。
…誰も教えてくれない倭人伝……
220 :
どくだみ:2008/07/05(土) 18:21:45
221 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 18:33:36
>>218 東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がる。
それが“與”
(與す南は海)これが「南與」
です。
222 :
どくだみ:2008/07/05(土) 18:39:59
なるほど。
「東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がり、その南は海を挟んで倭」
ということでいいですか?
223 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/05(土) 18:52:03
「南與倭接」
「(南與)(倭)(接)」
倭=地(韓が地を対象にしているので)
接=関係
地(韓)と地(倭)の関係は南で海を挟む(間接的隣)
★其トクロ國南與接界
>>223訂正
★其トクロ國南與接界……×
★其トクロ國南與倭接界……〇
m(__)m
225 :
どくだみ:2008/07/05(土) 19:10:00
>>223 「東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がり、その南は海を挟んで倭」
ということでいいですか?
「(南與)(倭)(接)」
これに何を補って解釈しても言いですが、解釈を書き込むたびに主語が違うのですが、何故ですか?
とりあえず、七時なのでいったん休憩します。
では、失礼。
>>225 それは部分解釈しているから
帯方之南…(主語は 北側だけ決まった韓)
帯方之南東西以海爲限……(主語は 北、東、西側が決まった韓)
帯方之南東西以海爲限南與倭接……(主語は、四方決まった韓)
>>226は誤解を招きそうなので、改めて
「韓在帯方之南」
(位置が決まり、同時に主語が、北側が確定した韓に)
↓
「帯方之南東西以海爲限」
(主語は北側が確定した韓に、同時に東西側が確定した韓に)
「帯方之南東西以海爲限南與」
(主語は北・東・西が確定した韓に、同時に四方が確定し與す韓に)
「帯方之南東西以海爲限南與倭接」
(主語は四方が確定し、與す韓に)
に、訂正
228 :
どくだみ:2008/07/05(土) 20:38:46
>>227 >「韓在帯方之南」
>(位置が決まり、同時に主語が、北側が確定した韓に)
つまりは「韓在帯方之南」の最初の文字「韓」が主語ということですか。
それから以降の文で「在」が抜けていますので、ちゃんと補った形で
もう一度お願いします。
229 :
どくだみ:2008/07/05(土) 21:13:37
河童さんのレスを待っている間に、昼間、私がいなかった間の書き込みで気になった点を挙げます。
>>182 >帯方の範囲を決めたのは皇帝や帯方に携わる人々、帯方と韓の区別をしたのは陳壽です。
>(誰か他に、帯方郡と韓の区別をした人がいましたか?)
魏略に辰韓・馬韓・韓人という言葉が使われています。
帯方郡は後漢末から存在します。陳寿以前にこれらを区別していないというのは暴論ですね。
韓と称したのが現地人であれ漢人であれ、その地域を韓と呼んだのは事実ですね。
韓の領域も区切りもあったことは明白ですね。防壁は無かったかもしれませんね。
>細かく分かれていた地域を便宜上三種に区分し、 それら全てを韓と称したにすぎません。
陳寿以前に、少なくとも魏によって便宜的に韓と称されたのなら、
そこは魏にとって韓の領域であり、魏の領地とは区切られ、
特定の人種が住むひとまとまりの場所であることは間違いないですね。
あるものを存在すらしないとは、ちょっと暴論が過ぎやしませんか?
>>228 >それから以降の文で「在」が抜けていますので、ちゃんと補った形で
もう一度お願いします。
いいえ
抜けていません。はずしたのです。
文頭の『韓在』は、全てが整ったときに効果する主語、文頭の『韓在帯方之南』の韓在はモノの始まりで、
これだけで終了させても差障りがないからです。
231 :
どくだみ:2008/07/05(土) 21:32:49
>>229 >魏略に辰韓・馬韓・韓人という言葉が使われています。
ここには触れないでおきます。
>帯方郡は後漢末から存在します。陳寿以前にこれらを区別していないというのは暴論ですね。
で、それを何処で確認しますか?
>韓と称したのが現地人であれ漢人であれ、その地域を韓と呼んだのは事実ですね。
魏書でね
>陳寿以前に、少なくとも魏によって便宜的に韓と称されたのなら、
そこは魏にとって韓の領域であり、魏の領地とは区切られ、
特定の人種が住むひとまとまりの場所であることは間違いないですね。
あるものを存在すらしないとは、ちょっと暴論が過ぎやしませんか?
それを何で確認するのです?(私は魏略には触れませんから)
233 :
どくだみ:2008/07/05(土) 21:37:47
待っている間にもうひとつ、指摘。
帯方郡からの視点だと河童さんは主張していますが、
>>198さんがおっしゃるように、それは変ですね。
方位というのは、中心から東西南北が決まりますよね。
韓が帯方の南にあるというのは、視点が帯方郡にあるから、帯方から見て南にあると言えるんですよね。
視点がそのまま帯方郡にあるのなら、韓あるいは馬韓の西は、帯方郡の視点から見たら東南ですね。
馬韓の西というためには、視点が韓もしくはそのうちの馬韓になければなりません。
視点が帯方郡にあるのに馬韓之西というのは矛盾です。
234 :
どくだみ:2008/07/05(土) 21:38:51
>>234 >なんで魏略に触れないの?
触れたくないから
>>233 帯方から見ても馬韓の西と言えますよ
>>233 >方位というのは、中心から東西南北が決まりますよね。
はい、そうですね
仮に視点が馬韓にあるのなら『西』でいいのでは?
中心から決まるのは東西南北だけですよ
馬韓という名称を挿入するのは、少なくとも馬韓に視点がないからでしょ
馬韓に視点があることが明白なら、わざわざ馬韓の西などと表現しませんよ
237 :
どくだみ:2008/07/05(土) 22:07:21
まあ、話題があちこち行ったら収拾がつかなくなるので、もとに戻して、
「韓在」が主語なんですか?
>>237 >「韓在」が主語なんですか?
『韓在帯方之南』と、韓伝全文の主語です。
239 :
日本@名無史さん:2008/07/05(土) 22:26:21
北九州論者は
奥野正男「邪馬台国はここだ」井上光貞「神話から歴史へ」榎一雄「邪馬台国」藤間生大「埋もれた金印」松本清張「古代史疑」
畿内論者は
原田大六「邪馬台国論争」直木孝次郎「国家の発生」和歌森太郎「私観邪馬台国」肥後和男「邪馬台国は大和である」坂田隆「卑弥呼をコンピュータで探る」
あたりを読むと良いのではなかろうか。
特に奥野正男「邪馬台国はここだ」
原田大六「邪馬台国論争」はオススメ。
240 :
どくだみ:2008/07/05(土) 22:30:32
>>238 普通、主語って名詞なんですが、「韓在」ってどういう意味なんですか?
>>201 >> ★韓中= 韓と言う範囲の一つ一つの国
これの文章は意味がわかりません。
同じような語句で『氏子中』というものがあります。
これはよく神社などで見かける寄進碑の天額に刻まれているものですが
これは(氏子全体や氏子一同)という意味ではなく、その石碑に刻まれている
寄進氏子者一人一人の事です。
氏子という範囲内で寄進した一人一人です。
>>240 >普通、主語って名詞なんですが、「韓在」ってどういう意味なんですか?
韓在という意味ではないでしょうか?
>普通、主語って名詞なんですが、
つまり、どくだみさんが言いたいのは「韓」と「韓在」の違いを?
ごめんなさいね、そこまでは細かく配慮していません。
どくだみさん
そろそろ私に対する質問は、この辺でいいでしょう?
どうです?
この辺で、どくだみさんがネタを落としてみたら
出来れば、今まで誰も触れたことのないようなネタがいいですね
244 :
198:2008/07/05(土) 23:18:37
>>241 > >> ★韓中= 韓と言う範囲の一つ一つの国
> これの文章は意味がわかりません。
> 同じような語句で『氏子中』というものがあります。
> これはよく神社などで見かける寄進碑の天額に刻まれているものですが
> これは(氏子全体や氏子一同)という意味ではなく、その石碑に刻まれている
> 寄進氏子者一人一人の事です。
はあ、貴方が「韓中」をどう解釈したかは判りました。
つまり、ある集合内の各要素を示す(それが集合の全部であるか、否かは問わない)と言うことですね。
※面倒でも「正解」の場合は返事をいただけたらと思います、そのままになってることが山ほどありますね。
で、「地域名+中」と言う組合せで、そういった用例があるのですか?
その貴方がご存知だという神社の寄進碑云々では、漢文の用例としては認めがたいのですが。
また、貴方の説に立てば「乘船往來」も「韓中」の出来事、
ならば、わざわざ「韓中」などと重複表記する必要も無く、「乘船往來市買」と書けば事足りるはずですが。
> 氏子という範囲内で寄進した一人一人です。
余談ですが、茨城では「氏子中」をそのような意味で使うのですか?
他の地域では「氏子中」と言えば氏子組織総体か構成員そのもを示めします。
寄進物などには、個人名を出さずに単に「氏子中」と記したりしますが、
「氏子の内の一部」と言う意味では使われません。(私は東京ですが)
245 :
どくだみ:2008/07/05(土) 23:34:27
>>243 そう言うわけにもいかないんですよ。
河童さんの説が違うと批判しようとすれば、
河童さんの説がどうであるか確認しなければならないでしょう。
私が一生懸命批判を書いても、そうは言ってませんと言われればおしまいですから。
それで、貴方が書いた解釈をコピペして、この解釈でいいですかと確認すると違う答えが返ってくる。
答えが違うからまた確認する。確認するたびに違う答えが返ってくるんだから、
「結局貴方の説は何なの?批判のしようがないなあ」というのが正直な感想です。
>つまり、どくだみさんが言いたいのは「韓」と「韓在」の違いを?
>ごめんなさいね、そこまでは細かく配慮していません。
細かいですか?「韓」と「韓在」って、一字と二字ですよ。文字数倍ですよ。
まあ、要は「韓」も「韓在」も区別せずに、文字の羅列を漠然と解釈してるわけですね。
だから意訳しかできないわけだし、韓伝全文の主語などという妙なことを言い出すのだと納得しました。
氏子中については、私の認識も198さんと同じです。
亀山社中の中ですね。
それにしても、それって日本語じゃないですか?漢籍読解に氏子中って用例にならないと思いますよ。
246 :
198:2008/07/05(土) 23:41:04
>>208 > 文章構成上、海だけとする用語だから
> 海= 島が存在しても海
> 以海爲限= 島の存在を一切無視した海
はあ・・・・「東西以海爲限」は韓の領域を示す文章なんでしょう?
「限」が「島の存在を一切無視」する意で使われてしまうと、「文章構成上」バランスが悪いですね。
ま、私の説では州胡の所在は、ただの海では無く「海中」ですから、
それの読みでもこちらには問題がないのですが。
247 :
日本@名無史さん:2008/07/05(土) 23:50:57
水行十日陸行一月なんだから、関東か東北だよ。
九州はそんなに奥行き有り得ないし、水行十日で関西に上陸、後一月なら最低関東、古代でも東北まで行けるでしょ。
関西まで瀬戸内海を十日もかからん気がするな。
方位が違う?
九州説も大和説もあんだけ方位や日数を読み変えてんだからなんでもありじゃんかワラ
日本中どこでも誘致できますわな。
>>245 で、私にどうしろと
愚痴を聞いていればいいですか?
>結局貴方の説は何なの?
貴方が永久に納得しない説です。
>細かいですか?「韓」と「韓在」って、一字と二字ですよ。文字数倍ですよ。
まあ、要は「韓」も「韓在」も区別せずに、文字の羅列を漠然と解釈してるわけですね。
だから意訳しかできないわけだし、韓伝全文の主語などという妙なことを言い出すのだと納得しました。
場末の素人です。
そんなに集中力はありませんよ 仕事でもないし、歴史なんて興味ないし
249 :
どくだみ:2008/07/06(日) 00:04:40
>>248 私の意見は、「南與倭接=與す南は海を挟んで倭」は成り立たない、です。
私の質問は、今のところ、これだけです。
「東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がり、その南は海を挟んで倭」
ということでいいですか?
漢文は、主語・動詞・目的語などの要素からなっています。
「くみす」が動詞なら、他の文字と、どのような関係で結びついているの?
>>244 >余談ですが、茨城では「氏子中」をそのような意味で使うのですか?
他の地域では「氏子中」と言えば氏子組織総体か構成員そのもを示めします。
寄進物などには、個人名を出さずに単に「氏子中」と記したりしますが、
「氏子の内の一部」と言う意味では使われません。(私は東京ですが)
地域の差ではありませんよ
正しく使われているかどうかの差です。
例え、氏子中が日本語であろうとも、漢語の ○○中にそった使われ方をしているものもあれば
そうでないものもあるということです。
本来漢語で ○○中は (範囲を区切る)とか(範囲内の点)という意味でしようされます。
試しにご自分で
正始中や大海中を考察してみてください
ただ、家中や心中は家や心は範囲全体で全てですから 読んで字の如くです。
251 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 00:06:24
S+V+O 水で割ったら チャイニーズwww
252 :
どくだみ:2008/07/06(日) 00:18:18
ついでに、待っている間に書いたものを投下。河童さんが160で書いていた「以の効果」なるものについて。
孝文帝凡四男:長子曰太子,是為孝景帝;次子武;次子參;次子勝.
孝文帝?位二年,以武為代王,以參為太原王,以勝為梁王.
二?,徙代王為淮陽王.以代盡與太原王,號曰代王.
參立十七年,孝文後二年卒,謚為孝王.子登嗣立,是為代共王.
立二十九年,元光二年卒.子義立,是為代王.
十九年,漢廣關,以常山為限,而徙代王王清河.清河王徙以元鼎三年也.
これが梁孝王世家の前後の文です。以下、ずっと何年には何があったという記述が続きます。
世家は年紀によって出来事を綴っています。
孝文帝即位二年、二歳、參立十七年、立二十九年、十九年
年の記述で全て文章が分かれています。
孝文帝?位二年,以武為代王,以參為太原王,以勝為梁王.
これには以が三個もあります。
二?,徙代王為淮陽王.以代盡與太原王,號曰代王.
以の入りどころが後ろですね。
參立十七年,孝文後二年卒,謚為孝王.子登嗣立,是為代共王.
立二十九年,元光二年卒.子義立,是為代王.
これらの文には以が入っていません。しかし文章は分かれています。
>>160で河童さんが書いた「以の効果」など存在しません。
>>249 私はどうやら
>>245のようですから、貴方の
>>249の質問に答えることは出来ないと思います。
答えても、結局
>>245のようになってしまっては、時間の無駄ですし
貴方に対し、集中力を維持し、完璧なミスの無いレスを返す自身がありません。
以上の理由により、
>>249の質問に答えることは遠慮いたします。
254 :
蝦蟇虫 ◆I.THkUKc4Y :2008/07/06(日) 00:23:26
河童虫さん
『韓在帶方之南』
『(韓在)東西以海爲限』 ()内は重複するので省略されている。
『(韓在)南與倭接』
『(韓在)方可四千里』
『(韓)有三種』
『(韓在)東西以海爲限』について
限りを為すのは韓域(韓地)です。
何を以って限りと為すのか?
海を以って限りと為すのです。
言い換えれば、韓域(韓地)と非韓域を区切る処は海であると書いてあるのです。
海については、島があるとか、何もないとか、何も書かれていません。
どくだみさん、198さんとの議論を読んできましたが、
議論はもうおしまい。
僕はもう参加しません。
>>252どくだみさん
折角用例を出したところで申し訳ありませんが、同じような環境にある地理志からの用例が適当と思いますよ
>>254蝦蟇虫さん
ご意見しかと読ませていただきました
おつかれさまでした。
257 :
198:2008/07/06(日) 00:37:37
>>250 余談の方にご返事があって本論の方はスルーですか?
>「地域名+中」と言う組合せで、そういった用例があるのですか?
>わざわざ「韓中」などと重複表記する必要も無く、「乘船往來市買」と書けば事足りるはずですが。
これが本論ですよ。
>正始中や大海中を考察してみてください
「又有州胡」により主題は切り替わっています。
つまり、私的に言えば視点は州胡に移動しています。
「正始中」などと言う表現を正始年間に使用するのはかなり例外的なもの以外あり得ないでしょう。
その事例で言えば、貴方の説により「韓中」とされる州胡が、
乘船往來市買することにわざわざ「韓中」と書足す必要がないことと同じです。
そう言う用例があるのかと問うているのです。
解かりましたか?
258 :
どくだみ:2008/07/06(日) 00:46:11
>>255 >>160では、史記梁孝王世家の文を題材に「以の効果」なるものを説いておられたではないですか。
同じ題材で論じたまでです。
>私はどうやら
>>245のようですから、貴方の
>>249の質問に答えることは出来ないと思います。
東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がる。それが“與”
南與倭接=與す南は海を挟んで倭
この二つの文章は、貴方が書いたのですよ。それをなのに
「東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がり、その南は海を挟んで倭」ということでいいですか?
という質問に、何故そうですと答えられないのですか?
yesかnoかだけの問題じゃないですか。
まあ、さすがに疲れましたので、今日はこの辺で失礼します。
>>252 >これらの文には以が入っていません。しかし文章は分かれています。
>>160で河童さんが書いた「以の効果」など存在しません。
それは変な苦情ですね。
「以」があるのに、文章がわかれていないというような苦情ならまだしも
入ってないのに文が分かれていると苦情を言われても
知りませんよ
>>257 >「地域名+中」と言う組合せで、そういった用例があるのですか?
知りませんし、「地域名+中」で調べたことなどありません。
因みに「名詞+中」でならありますが
>わざわざ「韓中」などと重複表記する必要も無く、「乘船往來市買」と書けば事足りるはずですが。
重複して見えるのですか?
私には見えませ。 だから答えようがないのです。
>>258 >この二つの文章は、貴方が書いたのですよ。それをなのに
「東西南北の地勢が集まる事で、韓と名付けられた枠組みが出来上がり、その南は海を挟んで倭」ということでいいですか?
という質問に、何故そうですと答えられないのですか?
yesかnoかだけの問題じゃないですか。
仮にyesと答えようとしたのに、yseとミスタイピングをし、後でそれについての尾ひれを避けるためです。
>>257 乘船往來は市買の韓中の出来事ではありません。移動手段。 韓中は市買
263 :
198:2008/07/06(日) 02:23:12
>>262 > 乘船往來は市買の韓中の出来事ではありません。移動手段。
そんなところは関係ありません。
もう一度、貴方にわかりやすく書きます、
貴方の説により「韓中」とされる州胡が、市買することにわざわざ「韓中」と書足す必要がない。
そう言う用例があるのかと問うているのです。
264 :
どくだみ:2008/07/06(日) 03:47:18
>>259 あ〜、なんだか目が覚めてしまった。
>入ってないのに文が分かれていると苦情を言われても知りませんよ
一緒に並んでる文は、みな以があろがなかろうが、年紀の記述の前後で切れてる。
そこで切れていることに以は何の関与もしていない。
たまたま有名人の近所に住んでいたおっさんが、あいつはオレが育てたって言うみたいなもの。
265 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/06(日) 07:23:08
>>247 女王国は南だ。関東、東北ではない。水行十日陸行一月と言ったって、停泊は
するし、道に迷って日数は経過するし、女王国で歓待も受けるだろうし、日数
月数に不審はない。黒部の秘境だと200m進むのに5日もかかるほど厳しい所が
ある。九州はそれほででもないだろうが、準密林を右往左往して九州探検を
やって、ある日たまたま女王国を発見し、遣使役をしてそこの住民、兵隊と
ねんごろになれば、そのくらいかかってもおかしくはない。さらに女王国に滞在
したければ二月三月だってかかっていい。だいたい一本線的の単純計算をして
るからそんな誤説を考えだすんだよ。
266 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 07:51:16
>>265 そのとおりですね。古代の道は今みたいに整備されてなかったはず。地図で十キロでも実際には十五キロ、二十キロかも。
それに我々だって、日に十キロも歩けばうんざり。そのへんを想像できないとね。
邪馬台国や投馬国を関東だ、東北だというのは明文に反している、そう進めなかったのではというのは行程記事のどこにも反してはいない。
267 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/06(日) 07:59:53
>>247[ 水行十日陸行一月なんだから、関東か東北だよ]
当時一つのクニが今で言う郡単位の大きさ。
伊都国が一大率でありそこから30ヶ国がくっついていた、つまり「小国相接す」のであって、
山口県までは含まれない。邪馬台国連合は「奴国を以って境とする」の記述どおり
北部九州内に収まる。
268 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/06(日) 08:06:46
邪馬台国連合に山口県までは含まれない理由として甕棺墓の分布が挙げられる。
南は熊本平野を境にして山口県からは見つかっていない事からも
これをもって邪馬台国連合の葬制の文化圏内と考えられる。
>>263 州胡は市買で使われている韓中ではありません。
だから市買韓中と
州胡は韓と名付けられた地勢範囲内の点
市買韓中の点は数多くわかれている国々
全然対象となるものが違います。
>>267 >つまり「小国相接す」のであって
くっついていたという意味ではない
(小国ゆえに、互いに助け合う)という意味
・・地多山林無良田食海物舊有百餘小國相接・・
どう見ても、国と国の位置関係を表す文ではない
271 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/06(日) 09:48:29
>>270 くっついていたという意味ではない (小国ゆえに、互いに助け合う)という意味 ]
そういえば以前もそう言ってたような。勝手に歴史を改ざんしないように。
倭に百ヶ国が在った頃は「倭國相攻伐」、互いに攻め合っていたとある。{倭国大乱}
「百余小国相接す」とは国境が接していた為、互いに攻め合った結果30ヶ国程度に淘汰されたもの。
弥生時代に互いに助け合うクニグニなど無い。
272 :
198:2008/07/06(日) 09:51:26
>>269 > 全然対象となるものが違います。
州胡と半島側が区別されて然るべきだ、ということですよね。
島と半島と言う地形が違うのは当たり前でしょうw
273 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/06(日) 09:54:46
>>270・地多山林無良田食海物舊有百餘小國相接・・
どう見ても、国と国の位置関係を表す文ではない 」
否!立派に倭国の実情について述べている箇所。
山林多くして良田が無く海産物を食べる。
百余国あって小国相説し・・云々と続く。
>>272 >島と半島と言う地形が違うのは当たり前でしょうw
その知識、何処で判断しましたか?
そこが最大の問題点。
地図で得たものか?文章にて把握したかの?
>>271 時代観ばらばらの繋ぎ合わせですね
>倭に百ヶ国が在った頃は「倭國相攻伐」、互いに攻め合っていたとある。{倭国大乱}
「百余小国相接す」とは国境が接していた為、互いに攻め合った結果30ヶ国程度に淘汰されたもの。
晋書の「舊有百餘小國」も魏書の「舊百餘國」も後漢書の「凡百餘國」
も、
全て漢書の「樂浪海中有倭人(分爲百餘國)以歳時來獻見云」
からの参考引用
一方(倭国大乱)は後漢書によると「桓靈間倭國大亂更相攻伐」とあり、全く年代の相違するものですが
276 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/06(日) 12:09:36
>>275「七八十年倭國相攻伐」と有る。
卑弥呼が70才くらいまで生きているから倭国大乱時に卑弥呼は擁立された。
卑弥呼の在世は邪馬台国連合は30カ国余。従ってそれ以前が「有百餘小國」に当たる。
277 :
日本@名無史さん:2008/07/06(日) 12:49:19
>>247 >日本中どこでも誘致できますわな。
違う。
別に日本に限定する必要無しw
>>274:河童虫◆EY2wfgakAQ
>>その知識、何処で判断しましたか?
はあ?
韓伝に書いてあることでしょう。
漢文を漢文として読めないし、読まないと広言するような人に
言われるようなセリフじゃないな。
漢文を漢文として読まずに字面だけ眺めて、意味を読み取ると
言うことは、現代人である貴方の知識、感性(それも偏狭な)だけで
古文を解釈し得るなどと考えていること。
そんな方と議論してもしょうがないので、もうレスはいただく
必要のないことを申し添えて起きます。
279 :
日本@名無史さん:2008/07/07(月) 01:11:37
字引を勝手読みするだけの駄レス = 河童虫
280 :
日本@名無史さん:2008/07/07(月) 01:45:03
>>279 そもそも河童に限らずこの板の九州説の殆どがそんなもの。
魏志倭人伝のあそこをあー読んで、ここをこー読んで
邪馬台国は九州の○○辺り…で自己完結の自慰行為w
281 :
蝦蟇蟲:2008/07/07(月) 01:55:10
>>280 >そもそも河童に限らずこの板の九州説の殆どがそんなもの。
河童虫氏だけの特異現象。
282 :
日本@名無史さん:2008/07/07(月) 17:23:49
>>280 真理を衝いてますな。
放射式読み方説なんかその最たるもの。
まあ、畿内説にも「伝世鏡」説やら「畿内自立説」やらの間違った説はあるけどな。
一昔前の九州説論者はそういう間違った説を批判しただけで畿内説を否定し、九州説を肯定できたと思っていた。
283 :
198:2008/07/07(月) 20:57:05
>>282 > 真理を衝いてますな。
> 放射式読み方説なんかその最たるもの。
私は畿内説で「放射式」支持者ですが・・・
284 :
日本@名無史さん:2008/07/08(火) 03:58:42
まあ、アレだなこの板の九州説は歴史と言うより
『 暗号解読ごっこ 』として邪馬台国と言うネタを選んでいるんじゃないかとw
↓河童虫が思わず漏らした本音w
>>248 河童虫 ◆EY2wfgakAQ
>歴史なんて興味ないし
九州説と言っても実際の九州の地に邪馬台国を見ているんじゃなくて
魏志倭人伝の行間に見ているのかもwww
285 :
日本@名無史さん:2008/07/08(火) 14:15:46
286 :
198:2008/07/08(火) 19:56:07
>>285 > それは微妙な位置に立っておられますな。
何で?
287 :
日本@名無史さん:2008/07/08(火) 21:21:38
暗号解読にしてもレベルが低すぎ。
魏志倭人伝だけ見て、他の資料は見ようとしないからな。
記紀やその他の民間伝承とつきあわせれば、
邪馬台国に相応なクニは畿内大和王権になるわけだが。
288 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/08(火) 21:49:32
>>287「記紀やその他の民間伝承とつきあわせれば」
それこそレベル低すぎで計測の針が0以下に振り切れる。
記紀は大和朝廷側が自分達の都合のいいように造った自伝。
奇麗事で無い部分があるのはリアリティを持たせる為。
ギリシャ神話の最高神ゼウスも嫉妬したりして人間臭いのと同じで
被征服民にも同感させ親しみを持たせる為である。
そんなもの穴が開くほど見つめても真実は何も見えてこない。
289 :
日本@名無史さん:2008/07/08(火) 23:24:04
文盲に記紀を読めというのは可哀想だったかw
>288
日本書紀は、所々に「一書曰(またのふみに曰く)」と書き始める傍伝を記述している
全くの自作なら終始一貫して一本の筋で通しているはず
あえて某伝を併記した所に、実際に伝わっていた原典に忠実であろうとする正直さが伺えると思うのだが・・・・
291 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 01:18:30
>290
甘いねえ。そう思わせようとしているだけですよ。そこを見抜かねば・・。
>>290 一書曰はほとんど神話のところじゃなかったかなあ。
大筋として天皇国家の正統性を表現できてればいいんで、
その方針から逸脱しない限り、カミサマの時代のお話は
無理矢理まとめなくてもまあいっかーみたいな感じな
気がする
293 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 14:19:35
日本書紀は疑って、魏志倭人伝は信じるってどんだけアホなんだ。
294 :
ローガン:2008/07/09(水) 15:12:35
小野、粟田、春日、柿本、和邇氏の祖は孝昭。
葛城、波多、平群、阿部、膳、高橋の祖は孝元。
吉備、下道、笠、牟久の祖は孝安。
多、太、意富、小泊瀬の祖は神武。
など、日本書紀は各氏の系譜の祖を、総花的に縦に列べたものではないかなあ?と思います。
295 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/09(水) 15:13:31
そうなると、中国古文献も中国側の都合のいいように造られてあるという論も
言えてくる。??
296 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 15:56:58
>293 >日本書紀は疑って、魏志倭人伝は信じるってどんだけアホなんだ。
自国の書を信用したいというのは、人情かも知れませんが、物が違うのですね。
日本書紀の場合は、天皇の命で削偽定実したはずの古事記とちがう話がかなりあります。
しかも、ちがう理由の説明がなく、古事記をことさらに無視している感があります。
常識的な感覚をもって読めばおかしな記述がたくさんあります。
一方、倭人伝はそのような不自然さはありません。もちろん、里の長さとか、今の我々には理解しにくい部分も
ありますが、当時分かっていたことを素直に書いているとみて不自然ではないのです。
297 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 17:13:11
>>296 当時わかっていたこと、もしくは誤って思い込んでいたことを素直に書いている。
298 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 17:16:30
>>296 >一方、倭人伝はそのような不自然さはありません。
距離と方位が矛盾が無いなんていってたら、なんでもアリだろうな。
299 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/09(水) 18:25:14
>>296 〜となると倭人伝から「邪馬壹国」だな。
300 :
日本@名無史さん:2008/07/09(水) 21:34:07
>距離と方位が矛盾が無いなんていってたら、なんでもアリだろうな。
距離と方位に矛盾があると思い込んでいますね。最初から、倭人伝をまともに読む気持ちがないのでは倭人伝は理解できません。
301 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:08:23
距離と方位に矛盾が無いなら、邪馬台国の位置はすぐに算出できますね?
どうぞお答えください。
302 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:08:46
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
303 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:26:30
>>301 では、結論のみ。伊都国は有明海沿岸。そこから放射説。投馬国は薩摩川内、邪馬台国は日向(宮崎か都城)。
行程記事どおりです。疑問点あればご質問をどうぞ。
304 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:35:51
記紀も相当に危ないw
記紀だろうが魏志倭人伝だろうが
九州説論者にとっては九州説の補完材料
畿内説論者にとっては畿内説の補完材料にしかならない。
一度文献離れてみた方が良いのではないか?
九州か畿内かそれとも日本の何処かにあったクニが魏より冊封された。
その結果何が起こるか?
先ず考えられるのは楽浪での銅鏡の独占的入手ではないかな?
で、畿内説だとそれが画文帯と言う事になると思うが・・・
305 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 02:37:53
>>303 北九州には鉄器などが豊富ですが、日向にはほとんどありません。
なぜですか?
>>295 太国さんおっしゃるとおりですよ。
三国志も日本書記も、書かせた奴の都合のいいように...
307 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 10:15:50
ほとんどないというのは誤解です。古墳などからも出土しています。鉄鏃も福岡、熊本、大分に次いで出土しているとか。近畿より格段に多いそうですよ。
ほとんどないというのは銅器ですね。銅器の時代には取り残されていたが、鉄はそれなりに手に入れることができたのかと。
308 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 10:17:15
↑ >305への答えです。
309 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 14:04:53
>>296 非常に恣意的選択だな。倭人伝以外の中国古文献はどうなのか? 自然だ自然で
ないなどとは具体性が薄く、抽象的域を脱せず自分の好みで決めているような
もの。
310 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 14:34:06
>>307 銅器は、近畿のほうが大量にあったことは認めるわけですね?
鉄器・銅器あわせれば、近畿のほうが九州を上回るのではないかと。
311 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 14:43:40
記紀によると、皇統は、高天原から日向そして大和という流れになっている。
日向から大和は、神武東征としてよく語られるが、意外に高天原から日向への
流れ、つまり天孫降臨伝説として残るものがあまり語られないと思う。
九州の西側から日向への勢力の移動あるいは拡張という流れがあったと思うし、
そのように考えればいろんな事がうまく説明できるのではないかな。
たとえば、膨大な阿蘇の鉄もひとつ山を越せば日向とつながる。
その境目が高千穂なのだが。
延岡からは鉄器工房跡も見つかっていたはず。
312 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 14:45:15
>310
日向について述べただけで、九州と近畿の比較ではありません。
313 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 15:00:57
>>309 >倭人伝以外の中国古文献はどうなのか?
中国の史書にも玉石があるでしょうが、陳寿以外の者が書いた書はあまり関係がないと思います。
自然、不自然では具体性が薄いとのことですが、何分、短い文章で表現してますからね。
倭人伝に何か不自然な記載ありましたか?
314 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 15:45:48
だから「壹」でいいのか?
>陳寿以外の者が書いた書はあまり関係がない
意味不明的。どうして関係ないになるのか? 具体性がここにもない。
315 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 16:48:39
>>314 史書が信用できるかどうかは、書いた人やその内容で判断するものだと思います。
316 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 17:01:54
>>313 短い文章なら具体的に言えるのがより容易だろう? 長けりゃぁ長いだけボロが
出るしな。こういうわけで「壹」が信用できるとか「陸行一月」はこういうわけ
でおかしくはなく自然で信用できるとか、「卑」の字とか「邪」の字は中国側の
都合のいいようにこさえたものではなく当たり前の採用されるべき文字であると
か、女王国を囲って魏国の勢力保全を都合のいいようにしむけるための文では
ないとかの具体的状況を説明してこそ真の信用が出来うるものであり、詳細の
説明がなく、上っ面の言い回しで倭人伝のほうが信用がおけるとか言ったって
相手方はそうだとは言わんぜ。
317 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 19:31:09
なるほど。そんなところに不自然さを感じるわけですか。
「壹」は、伝写の過程のミスでしょう。倭人伝本来の信用性には関わりません。
「陸行1月」は、隋書の南北3月から考えれば、せいぜい百キロ程度の話。不自然とみる理由はない。
「卑」「邪」は、魏志韓伝などみればゾロゾロ出てくる文字。いちいち意味を考えて使っているとは思えない。
「女王国を囲って云々」・・倭国って、筆を曲げて囲うような国ですか?
318 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 20:31:46
>信用性にかかわらない
ミスは信用性を落とす典型的なもの。あんたのは詭弁。数日前だった
か、裁判官の令状に押印がなく執行して関係者は処分されている。
〜これもミスだよ。そんな令状じゃぁ無効なのさ。
>いちいち意味を考えて使っていると思えない
思えない理由が何も出してないぜ? あんたの恣意的都合のいいほう
を採る勝手な言い分。説得力はまるで0.
>囲うような国ですか
そうかも知れないぜ? そこも調べないで信用があるとはなるまいね。
319 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/10(木) 21:02:00
天孫降臨という架空の出来事が記紀という御伽噺の始まり。
ありえない出来事。しかし倭人伝は3世紀のわが国の様子を留めた貴重な資料。
「目上の者に対して拍手を打っていた」だとか「地位の高い者に遭遇すると
草むらに分け入って道を空ける」など後の日本の風習の原型が垣間見える。
倭人伝には作り話は無く倭国の様子が魏使の率直な感想と共に綴られている。
320 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 21:10:46
神武以前とは別ですな。昔が伝説でも後代は史実ですよ。勿論迷信伝説も後代
は少しはあるでしょうが、それで信用度が落ちるものでもないですがね。
倭人伝だって鬼道とか伝説上の鬼がどうのと言ってますよ。w
321 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 21:11:27
>ミスは信用性を落とす典型的なもの。
意味が分かってないようですね。陳寿のミスではないと言っているのです。
裁判官の礼状は、ミスだから無効なのではない。要件不備です。
>思えない理由が何も出してないぜ?
読解力不足。
>そうかも知れないぜ? そこも調べないで信用があるとはなるまいね。
ちがうかも知れないぜ? そこも調べないで信用がないとはなるまいね。
322 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 21:16:59
>昔が伝説でも後代は史実ですよ
記紀で天皇の年齢がちがうようですが。いずれも史実ですか?
323 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 21:22:17
ミスはミスさ。w 裁判官のはあんな令状で処分くらうよ。現実と違うことを
さも当たり前のように言うなよ。
お前のは事由が上っ面だなだけ。具体性がない。最下段の言い分など抽象的
事由にもならないね。w 読解力不足というのはお前の事由にもならんがねぇ?
まぁそういうのを出せないなら退却したほうがいい。だって事由が出てこない
んだから〜モチゴマが無いのかねう?
324 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 21:25:50
>>322 今は記を言ってるんでないの。紀のほうだよ。まだ言うなら
倭人伝「壹」→「臺」他古文献の一部
でないの? これもお前に反問する。
325 :
日本@名無史さん:2008/07/10(木) 22:01:13
>>323 事由という言葉の意味を知らないようですね。文章の意味が不明です。
>>324 >今は記を言ってるんでないの。紀のほうだよ。
私は記紀の関係を尋ねています。逃げないでね。
後半の文章は意味不明。
326 :
九州ですが ◆UEukKMcVo2 :2008/07/10(木) 22:12:54
>>320 「鬼道とは黄巾なり」とあるんですけど。
327 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 22:25:41
>>325 お前は文も読解できないほどお前の豆脳がテンパッており、
お前の回答は極めて支離滅裂であ〜る。そろそろ精神科へ行って
診てもらったほうがいいだろう。w
328 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 22:32:11
329 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 23:28:58
倭人伝には伝説上の想像動物である鬼のほかに、架空の龍の害を除い
たとかいうで伝説的記述が堂々と書かれている。だから紀が架空だと
かいうとなると伝も伝説架空ということになる。
330 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/10(木) 23:45:45
倭人伝には日本に関して「卑」だとか「邪」だとか、日本のやって
る信仰に関しては「鬼」だとか、非常に日本を見下した記述が多々
あり、これらは中国側に非常に都合のいいように造られた文であるの
である。
331 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 01:09:57
332 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 07:18:31
>>329 犬国
>倭人伝には伝説上の想像動物である鬼
中国の「鬼」は日本のそれと違ってもっと実体の無い
もやっとした怨霊のようなものらしい。
333 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/11(金) 07:26:33
お前の豆脳はそんなものか?w だから邪教までは行かないかも知れぬが、
むこうの大脳を誇る連中がカルトのようなつもりでよくない信仰のように書き
こんでるような感じの記述。
334 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/11(金) 07:37:23
倭人伝には龍伝説とか想像上動物の記述とか、日本を卑下する記述
が多々あり、こういうことは中国側とその為政者にとって都合のいい
ように記載されたものが倭人伝なのである。
335 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 08:06:01
蛟龍や鬼道は理由にならないが、
思想の伴わない書物などありえないので、
太国の言うことではあっても、
結論部分だけは正しい。
336 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 11:32:45
>>335 >思想の伴わない書物などありえないので、結論部分だけは正しい。
全ての史書は信用しないという立場ですね。
337 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 11:45:45
まあ、太国さんの独自の見解は別として、倭人伝に特段、不自然な記載はないということは御理解いただけたかと思います。
そこで、倭人伝の伝える行程記事に従えば、伊都国は有明海沿岸。そこから放射説。投馬国は薩摩川内、邪馬台国は日向(宮崎か都城)。ということになると思いますが、ご意見がありましたら、どうぞ。
338 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 14:47:56
日向は弥生時代が弱い。
たとえば、都城の北側を見ると、縄文時代の遺跡はたくさんある。
古墳時代も栄えている。しかし、弥生時代だけが欠落している。
これに対して、九州北部は、前漢鏡も出るし後漢鏡も出る。弥生時代から
大陸との交流があったことが認められる。この差は大きい。
やはり日向は後発だろう。では、いつ頃から栄えたか。
たぶん、卑弥呼のあとではないかと思う。
倭人伝の記述で見ると、伊都国・奴国は佐賀平野、同じく不弥国も以前の
諸富町あたりに比定するのが妥当ではないかと考える。
だから、投馬国や邪馬台国はその南。
水行十日、二十日、陸行一月などの距離から日向が妥当ともいえるが、
そういうわけで日向まで持っていくのは無理があり、熊本にせざるを得ない。
山鹿、菊池あるいは阿蘇地方というのが今のところ可能性高いかなと思う。
339 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/11(金) 15:13:44
倭人伝は中国側政体が自分達の都合のいいように造った読み物。
日本の神代を想起させる伝説上の夏王朝の自伝をチラつかせて、架空の想像動物
の龍をどうしたとかいう伝説話を交えて、日本をも卑下し、大陸連中の都合の
いいように出来上がった構造のものである。
340 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/11(金) 15:15:19
>>339 訂正
× 日本の神代を想起させる ○ 中国の神代を想起させる
341 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 16:23:52
>>338 >山鹿、菊池あるいは阿蘇地方というのが今のところ可能性高いかなと思う。
その中なら、菊池だろ。
でも、菊池説ってあんまり聞かないな。
九州説論者はバカなの?
342 :
↑↑↑↑↑↑:2008/07/11(金) 16:51:02
ただお前が馬鹿なだけ。
343 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 16:54:22
同志社大不名誉教授森浩一、和泉黄金塚古墳の
シンポジウムで画文帯神獣鏡について妄想を語る。
「4世紀の終わりか5世紀の初めに、日本で作った
と考えている」などと妄想を展開。
科学的根拠は何もないぞ、ボケたかジジイ!
(7月11日毎日新聞夕刊参照)
344 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 17:18:25
>>338 考古学的に日向はないというお考えですか。考古学は「学者の九割が大和説」などと言われることから明らかなように、あてにならない学問です。考古学で先入観を持つのはやめましょう。倭人伝の行程記事を徹底的に検討してから考古学的な面を検討した方か間違いがないかと。
あなたの行程記事の読み方を示していただければと思います。
なお、せっかくですから、若干述べておきますと、日向にも弥生時代の遺跡は結構あると思っています。それに、縄文時代の遺跡が多く、古墳時代にも栄えたと認められるというならば、その中間の弥生時代にそうさびれていたとは思えません。
日向は卑弥呼の後と言われますが、最近、日向の古墳はかなり古そうだという見方が出ています。
従来、日向が大和に服したのは遅いという先入観で、古墳が古いことを見過ごしてきたように思いますね。北九州に鏡が多いことは確かですが、卑弥呼が北九州にいたならば、鏡には食傷していたはず、南九州だからこそ鏡に興味をもったのかと。
345 :
ローガン:2008/07/11(金) 18:40:05
>>337 > そこで、倭人伝の伝える行程記事に従えば、伊都国は有明海沿岸。そこから放射説。
何故放射説が、倭人伝の伝える行程記事に従う事になるのでしょう?
急ぎませんのでお手すきのおり、ご教示ください。
346 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 18:47:49
347 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/07/11(金) 18:48:33
山鹿や菊池を出すんなら何故日田が出ない?
日田には、朝日宮がある。
348 :
日本@名無史さん:2008/07/11(金) 22:50:19
>>345 当然のことながら、倭人伝が放射説で書かれているからです。
そのことは、榎が指摘して以来、論議されていますが、最も大切な放射式に読むべき指示が見過ごされてきたということです。
「世有王皆統属女王国、郡使往来常所駐」。これは伊都国に関する記事とされてますが、後漢書をみると、そうではありません。
「国皆称王世世伝統」、国は皆王を称し世々統を伝える、要するに各国の話です。
そこで倭人伝も各国の話と考えると、以下のように解釈できるそうです。
伊都国までの国には王がおり、皆女王国に属す。各国は郡使の往来に常に駐する所。
つまり、伊都国までは郡使が通過する国で、それ以降の国は通過しない国だとなります。
したがって、これは放射式に読むべき指示にほかならず、そのため、榎らが指摘したように、語順にも変化がつけられているというわけです。
349 :
ローガン:2008/07/12(土) 00:45:43
>>348 > 当然のことながら、倭人伝が放射説で書かれているからです。
> 「世有王皆統属女王国、郡使往来常所駐」。これは伊都国に関する記事とされてますが、後漢書をみると、そうではありません。
はい。後漢書のその記事については伊都国云々に言及していません。よって、この記事と魏志の記述の比較は
あまり意味がないのではないかなあとも考えられます。
> そこで倭人伝も各国の話と考えると、以下のように解釈できるそうです。
> 伊都国までの国には王がおり、皆女王国に属す。各国は郡使の往来に常に駐する所。
魏志の「丗有王皆統屬女王國」と後漢書の「國皆稱王丗丗傳統」の記述の類似が貴説の根拠にあるとしたら、
類似の原因が後漢書の刪潤の可能性を排除出来ない以上
> したがって、これは放射式に読むべき指示にほかならず、
とは言い切れないように思います。
350 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:41:47
ちなみに…
放射説と言えば榎一雄が有名だが
実際は豊田伊三美が1922に発表している。
これ豆知識なw
351 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:45:02
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
352 :
改めドツボ監視委員会:2008/07/12(土) 03:38:15
>>343 森浩一氏による和泉黄金塚古墳の画文帯神獣鏡ってことは
景初三年銘の平縁画文帯神獣鏡のことかな?
多分、縁の形状は違うものの主要な文様は寸分違わず同じものが三角縁の中にあると言う事で国産。
年代は古墳自体からと言う事じゃないのかな?
しかし氏の本で紀年鏡の説明にラーメンどんぶりの「乾隆年製」の文字を例えに出したあたり
思わず納得してしまったりwww
353 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 07:29:16
>>349 >後漢書のその記事については伊都国云々に言及していません。よって、この記事と魏志の記述の比較は
あまり意味がないのではないか
「魏略」には、伊都国記事に続き「其国王皆属王女也」とあり、各国の王と解釈されている。倭人伝や後漢書も同根の記事と解される。
「「世有王」以下が伊都国の王の話ならば伊都国記事の冒頭に書かれるはず。伊都国については「千戸あり」で終わっている。(「邪馬台国の暗号」安田哲也の指摘する理由)
伊都国の記事ならば、一国なのに「皆」はおかしい。王だからというならば、「統属」(集まり属する)が不自然。
以上の諸点から、伊都国一国の記事ではなく、伊都国までの諸国の記事とみる。
伊都国についてのみ歴史を書くはずはない。また、伊都国は倭国乱で女王国に服した国のはず。歴代王が女王国に服従したというのは不自然。などなど、いろいろあり、それらを総合した判断ですが。
354 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 08:34:03
>> 「世有王皆統属女王国、郡使往来常所駐」。
>> 魏の治世、伊都国には王がおり、皆(倭の国々)を女王国に属す。郡使の往来に常に駐する所。
魏の治世には、伊都国には女王の王都があり、倭の国々を女王国の下に支配していた。郡からの使節の往来では常に留まる所である。
355 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 10:03:48
伊都国と邪馬台国は同じとか?
356 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 13:11:15
>>344 >考古学的に日向はないというお考えですか。
>考古学は「学者の九割が大和説」などと言われることから明らかなように、あてにならない学問です。
>考古学で先入観を持つのはやめましょう。倭人伝の行程記事を徹底的に検討してから考古学的な面を検討した方か間違いがないかと。
本末転倒だなw
じゃあ、かつて九州説が優勢だった頃は考古学は”あてになる学問”だったのかよ って話でw
先入観と言うのなら文献を自己解釈して考古学的事実を無視するのは止めましょうとw
357 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 13:18:12
そもそも「太平御覧」なんかにも
「又南水行二十日至投馬國」「又南水行十日陸行一月」と連続式で記載されているわけで
なんでそんなややこしい、「中国人もビックリ!」の暗号の如き表記をせねばならないのか?
はっきり言ってもはや笑い話の範疇だろう?www
358 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:29:23
>>352 森浩一さんはブレがないねえ。
40年前の説が今でも通用する。
359 :
ローガン:2008/07/12(土) 15:24:44
>>353 > >後漢書のその記事については伊都国云々に言及していません。よって、この記事と魏志の記述の比較は
> あまり意味がないのではないか
引用は正確に願います。
> 「魏略」には、伊都国記事に続き「其国王皆属王女也」とあり、各国の王と解釈されている。倭人伝や後漢書も同根の記事と解される。
同根であることには同意しますが、其国を各国と訳す事については?です。
> 伊都国の記事ならば、一国なのに「皆」はおかしい。王だからというならば、「統属」(集まり属する)が不自然。
「皆」が同時存在ならおかしいでしょうが、連続したものなら1国に複数人いてもおかしくないでしょう。
統屬の用例が同じ三國志にあります。黄忠傳では、黄忠は劉表配下の中郎将でありながら、長沙太守に「統屬」しています。
この用例から、倭人伝の統屬は旧来からの上下関係ではないが、「現状における構成員」と云うでニュアンスで読むべきだと思います。
360 :
日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:36:11
>>359 >其国を各国と訳す事については?です。
橋本説ですが、私もそれが正しい読みと思います。魏略にあたってみられては?
>「皆」が同時存在ならおかしいでしょうが、連続したものなら1国に複数人いてもおかしくないでしょう。
私は統属は同時存在の話のように感じます。それはともかく、卑弥呼が共立されてから、伊都国では複数人の王が交替したという見解ですか?
361 :
ローガン:2008/07/12(土) 23:59:57
>>360 > >其国を各国と訳す事については?です。
> 橋本説ですが、私もそれが正しい読みと思います。魏略にあたってみられては?
はい。ご指示に従い魏略をあたってみました。「其國王」=「各国王」とすれば、「其大官」=「各大官」と云う事になりますね?
とすれば、「置官至對同」とは何ですか?
又、其=各であるとして。当然、伊都国も「各」に含まれると思いますが、とすれば「置〇日爾支」はどう解釈しましょう?
362 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 06:19:07
ところで、ローガンさんは、
全体としては誰の説に近いんでしたっけ?
363 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 06:55:46
>>361 「其国王」が「各国の王」だからといって「其大官」が「各国の大官」ということではありません。「其大官」は対馬の大官ですね。
「置官至對同」は難しいですが、「置官亦対同」の誤りで「対馬と同じ官を置く」ということかと思います。
「置〇日爾支」というのは、私が持っているコピーは単に「置曰爾支」となってますが、伊都国には爾支という官を置くという意味ですね。
以上は単純に各国別の記載です。しかし、次はそうは読めません。
「其国王皆属王女也」は直前に「世有王」がありません。伊都国ならば王は1人のはずなのに「皆」とあるので、各国の王であることが明らかです。
364 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 07:07:52
>>361 忘れてました。「卑弥呼が共立されてから、伊都国では複数人の王が交替したという見解ですか?」という質問に回答をいただきたいのですが。
365 :
(・へ・):2008/07/13(日) 08:28:08
>>355 邪馬台国の中枢が伊都国と奴国。
卑弥呼を共立し邪馬台国を立ち上げの中心となったのが伊都国と奴国。
卑弥呼の居る国が伊都国。
女王国は伊都国と奴国。
邪馬台国は北部九州一帯。
366 :
(・へ・):2008/07/13(日) 08:31:26
「其国王皆属王女也」
倭の国の王は皆、女王に属す也。
367 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 09:10:19
現在の日本に何のしがらみもない、魏志研究史の中国人は、畿内と
九州のどちらに軍配をあげているのが多数なのだろうか。
日本人では、何かしらのしがらみがあるので、後付けでの解釈が
乱発されている。
368 :
198:2008/07/13(日) 09:31:29
文献専門の「倭人伝」研究者ってほとんど居ないと思います。
居ても、そこから所在地を求めようなんて人は皆無かも。
また、中国人でも「研究者」レベルなら、何らかの「しがらみ」があるかと思います・・・
それに多数決で決めるものでも無いような・・・
369 :
ローガン:2008/07/13(日) 11:11:33
>>363 >「其大官」は対馬の大官ですね。
はい。私もそう思います。對馬の大官ですね。直前の記述を指すものでしょう。
> 「置官至對同」は難しいですが、「置官亦対同」の誤りで「対馬と同じ官を置く」ということかと思います。
> 「置〇日爾支」というのは、私が持っているコピーは単に「置曰爾支」となってますが、伊都国には爾支という官を置くという意味ですね。
そうですね。其大官の「其」が「各」とは読めない事は明らかですね。
> 「其国王皆属王女也」は直前に「世有王」がありません。伊都国ならば王は1人のはずなのに「皆」とあるので、各国の王であることが明らかです。
そうすると、「丗有王」の記述のある史書が貴方の説を否定しませんか?
370 :
ローガン:2008/07/13(日) 11:24:55
>>362 > 全体としては誰の説に近いんでしたっけ?
詳しくは解りませんが
近藤義郎氏でしょうか?ただ余り邪馬台国には言及されていないようなので。
まあ、ごく普通の畿内説支持者です。
371 :
ローガン:2008/07/13(日) 12:00:44
>>364 共立が何年かは定かではありませんが、仮に40年程度なら複数人の王を想像する事に不自然さは感じません。
372 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 12:05:53
>>370 >そうすると、「丗有王」の記述のある史書が貴方の説を否定しませんか?
否定しません。魏略や後漢書と同じように、各国の王についての「皆統属女王国」という文章に、更に「世有王」という説明を加えただけだとみるべきです。
したがって、「世有王」も各国の話で、伊都国の話ではありません。
373 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 12:06:07
>>371 既に営まれ終えた過去の事に、自然不自然など有り得ないのでは?
374 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 12:15:27
>>371 「年已に長大」。卑弥呼は共立された時すでに老婆です。40年などという前提がおかしいと言わねばなりません。
375 :
ローガン:2008/07/13(日) 12:44:59
>>374 >
>>371 > 「年已に長大」。卑弥呼は共立された時すでに老婆です。
さてそうでしょうか?
出掛けますので又後程。
376 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 13:08:41
>>374 >「年已に長大」。卑弥呼は共立された時すでに老婆です。
横レスだが・・・
その場合当時の女性の婚期を逃していると言う意味じゃなかったか?
下手すりゃ20代かもw
>>370 > 近藤義郎氏でしょうか?ただ余り邪馬台国には言及されていないようなので。
その人の著書は1冊も読んでないんだけど
考古と文献の併用を避ける所謂「峻別派」の代表格としてある本に書かれていたな。
378 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 13:21:37
>>376 婚期を逃しているという場合、何が長で何が大なんだ?
意味わからん。
それに人の年齢を強調したいのなら、年とはせず歳とするのではないかなと思う。
379 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 13:36:58
>>378 426 名前:どくだみ[] 投稿日:2008/06/16(月) 22:57:57
漢書 師古注
師 古 曰 : 「 少 壯 , 猶 言 稍 長 大 . 」
師 古 曰 : 「 少 壯 者 , 言 漸 長 大 也 . 少 讀 如 本 字 . 」
この顏師古の注は、
「少壮とは、稍く長大になったというようなもの」
という意味だから、「長大」を「壮年」=「おとな」という意味で使っている。
だから、「年已長大」は、必ずしも「ばあさん」という意味にはならない。
「もういい御年なのに、結婚していない」
と、私は解釈します。
380 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 14:16:52
>>370 幾つか質問に答えていただいてよろしいでしょうか?
1、邪馬台国の成立に関して、
「最初から畿内で誕生した」「北九州の勢力が征服した」
どちらの立場に近いと思われますか?
2、「伝世鏡(鏡は長い間使われて埋められるので古墳の年代と鏡の年代は一致しない)」
と言う説がありますが、この説についてどう思われますか?
3、卑弥呼や台与を魏志倭人伝の中の何者かに比定しますか。
また、比定するとして誰ですか。
381 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 14:59:55
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
>>379 乃共立一女子爲王、名曰卑彌呼、事鬼道、能惑衆、年已長大、無夫壻、有男弟佐治國
は、年已長大、無夫壻ではなく
事鬼道、能惑衆、年已長大ではありませんか?
383 :
どくだみ:2008/07/13(日) 15:31:42
>>382 句読の切り方ではなく、長大という単語の意味として老人・老婆ではなく成人という意味であろうということです。
禮記・曲禮「人生十年曰幼學二十曰弱冠三十曰壯有室四十曰強而仕五十曰艾服官政〜」
(十歳を幼学という。二十歳を弱冠という。三十歳を壮という。結婚する。以下百歳までつづく)
つまり、長大≒壮年=三十歳以上四十歳以下
杓子定規に四十歳以下だとは言いませんが、老婆に限るということはないでしょう。
384 :
ローガン:2008/07/13(日) 16:13:34
>>380 > 幾つか質問に答えていただいてよろしいでしょうか?
今日は我が方は夏祭りで。もう呑んでますので、変な事書いた際にはご容赦を。
> 1、邪馬台国の成立に関して、
> 「最初から畿内で誕生した」「北九州の勢力が征服した」
> どちらの立場に近いと思われますか?
前者です。
> 2、「伝世鏡(鏡は長い間使われて埋められるので古墳の年代と鏡の年代は一致しない)」
> と言う説がありますが、この説についてどう思われますか?
古墳の年代が、鏡の年代と押並べて一致するものではないと思います。
> 3、卑弥呼や台与を魏志倭人伝の中の何者かに比定しますか。
> また、比定するとして誰ですか。
魏志倭人伝の中の?
倭の女王と卑弥呼の宗女です…
>>383 >句読の切り方ではなく、長大という単語の意味として老人・老婆ではなく成人という意味であろうということです。
いえいえそのような事ではなく、区切りの違いにより意味も自ずとちがってくるのではないかと言うことです。
長大が長大≒壮年と言う意味しかないのであれば、貴方のレスどうりでしょうが
身体に関すものにも確か長大が使用されていたような記憶です。
その場合も、長大≒壮年ですか?
386 :
ローガン:2008/07/13(日) 16:59:54
>>383 どくだみさん。こんにちは。
魏略逸文が話題ですが。引用している「翰苑」の注記の史料性についていかがお考えでしょう?
漠然とした質問ですみませんが…
387 :
385:2008/07/13(日) 17:35:49
長大≒壮年の意味で用いられているのなら、年已長大などと書かず
素直に年已壮、または年已壮者と書かなかったのか?という疑問も同時に湧きますが
388 :
どくだみ:2008/07/13(日) 18:10:05
>>385 三国志武帝紀に
「年二十,舉孝廉為郎,除洛陽北部尉,遷頓丘令,?拜議郎.」
というのもあります。別に年齢なら?でなければならないことはありません。
同様に年已壮であろうと年已長大であろうと表現としてはおかしくありません。
ただ、壮という表現は男性に相応しいもので、女王に対して壮は、かえっておかしくはありませんか。
長大はもちろん、体格が大きいことにも使いますが、そういうわけで
「年已長大」を「年齢は已に成人に達していた」以外に読む必要性はなかろうと思います。
そして、何に対して「已」なのかと考えると、「事鬼道、能惑衆」に適齢期はありません。
むしろ老齢であるほど権威が備わると考えられます。
ですから、「無夫壻」に対応する「已」であろうと考えるのが一番自然です。
「事鬼道、能惑衆、」とうい状態で、「もう長い年月が経っている」というご意見かもしれませんが、
それこそ「年已長大」の表現は、相応しくないと感じます。
>>386 ローガンさん
こんにちは
翰苑は、魏略の佚文として貴重な資料だとは思いますが、
何しろ誤字脱字が多いので、一字を取り上げてどうこう判断すべきものでもないと思います。
389 :
358:2008/07/13(日) 19:38:08
>>388 無夫壻に関係するのは年已長大ではなく、有男弟佐治國では?
夫も居ないし、嫁にも行かない独り者ゆえ
男弟が佐治していると読め、
そうなると、年已長大、無夫婿は直接には繋がりません。
390 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 20:23:53
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
391 :
どくだみ:2008/07/13(日) 20:24:12
>>389 >無夫壻に関係するのは年已長大ではなく、有男弟佐治國では?
その根拠は?
長大を年月に対して使用するのは、違和感を感じます。
年齢に対して使用する方が自然です。
年月に対して長大を使用している用例を見つけたらお教え下さい。
「もう良い大人なのに結婚していない。男弟がいて治国を助けている。」
というふうに自然に解釈できるのに、
わざわざ不自然に長大を年月の意味に解釈する必要はないと思います。
392 :
ローガン:2008/07/13(日) 20:53:23
>>378 > それに人の年齢を強調したいのなら、年とはせず歳とするのではないかなと思う。
臨風(木+少)秋樹対酒長年人酔貌如霜葉(白居易)
と云うのもあります。「長年」もありなのでしょうね。
>>391 年は歳とは違い期間ですから、長は年に対し具体的に表すのではありませんか?
394 :
日本@名無史さん:2008/07/13(日) 21:09:04
>>384 >今日は我が方は夏祭りで、
こちらもですよ。こういった地域の祭は大事にせねばいかんですなあ。
>前者です。
なるほど。所謂「畿内自立論者」と言うことですか。
>古墳の年代が、鏡の年代と押並べて一致するものではないと思います。
±どれぐらいの差があると思われますか?
>魏志倭人伝の中の?
ですから、卑弥呼=倭迹迹百襲姫命、台与=倭迹迹姫命といった具合です。
これまでのやり取りから察すると、同じ畿内論者でも我々は少し違う立場に居るという事ですな。
私は原田大六氏の説を支持しておるもので。
原田氏の説については氏の著作「邪馬台国論争」を参照ください。
古い本ですが、図書館などで探してみてください。
原田氏の説を支持しない方でも、興味深いと思える一冊です。
395 :
385:2008/07/13(日) 21:27:38
>>391-392 お二方はどうやら年已長大を、年すでに長大と考え、長大の意味を探っているようですが、
私の場合は
年(時間)+已長/已長大と考え、ある時を起点にそれより長/長大と考えています。
もともと年已長大の捉え方が違っていましたね
396 :
ローガン:2008/07/13(日) 21:55:45
>>394 > こちらもですよ。こういった地域の祭は大事にせねばいかんですなあ。
恐れいります。かなり酩酊中…
> なるほど。所謂「畿内自立論者」と言うことですか。
というか、銅鐸に因る集団としての祭祀廃絶後、各地方の葬儀を総花的に受け入れた新しい「首長霊祭祀」が前方後円墳であり、
其処に至る画期として倭国乱を考えています。
> ±どれぐらいの差があると思われますか?
一概に云えないというか、判らないですね。リアルタイムに近いものもあれば、そうでないものもあると思います。
ただ、オリジナル三角縁鏡は240年頃、日本に到着したといまだに考えています。
反対意見が多数あることもわかっていますが…
> ですから、卑弥呼=倭迹迹百襲姫命、台与=倭迹迹姫命といった具合です。
あ!国内資料にてらすと、と云う意味ですね?
記紀の系譜は成立当時の有力氏族の祖を縦系図としたものでないかなあ?と思っています。
よって、記紀の中の登場人物に当て嵌めようとは思っていません。
> 私は原田大六氏の説を支持しておるもので。
> 原田氏の説については氏の著作「邪馬台国論争」を参照ください。
若い頃読んだ覚えがあります。ご指示に従いおりをみて、読んでみます。
397 :
どくだみ:2008/07/13(日) 22:29:06
>>395 あなた、河童さんでしょう。
河童さんとは、かなりレスの遣り取りしているから、なんとなく匂いを感じます。
398 :
385:2008/07/13(日) 22:34:44
>>397 >あなた、河童さんでしょう。
いいえ、私は名無しです。
399 :
(・へ・):2008/07/14(月) 11:18:44
已=やむ、すでに、はなはだ、ああ。
「年已長大」は「年ははなはだ長大」・・・「長生きした」の意味。
最初から老人・老婆ではなく、即位した時は子供。
光和中(178年〜184年)卑弥呼が共立され倭を治め始める
正始八-十年(247年〜249年)頃、卑弥呼死亡
最初から老人・老婆では計算が合わん。
400 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 11:34:22
>>399 計算が合わんから卑弥呼は二人いたなんていう電波を飛ばすやつがいるんだよなあ
401 :
名無しさん:2008/07/14(月) 11:51:35
15歳で即位し、80で死亡?
402 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 12:09:59
>>399 倭人伝の年已長大に、年齢なんて関係ありません。
「年」は期間
「已長」は区切りから長い
403 :
(・へ・):2008/07/14(月) 12:13:34
>>400 自分で誤訳して矛盾を作り、ハチャメチャな電波を飛ばす。・・・多いな。
>>401 即位は6歳くらいだろうと思う。
阿蘇の火炊き乙女に近い存在で、ただ一度なったら一生そのままなのが違うけど。
即位が6歳とすると死んだのは69〜77歳?
404 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 12:39:02
「…卑弥呼事鬼道能惑衆年已長大…」
★卑弥呼が事鬼道能惑衆した期間はこれまで長く、影響力が大
そんな卑弥呼に 共立一女子爲王とし、復活。
しかし、卑弥呼というのは壻も貰わず嫁にも行かない独り者ゆえ、男弟が国を佐治した。
これが
『…及共立一女子爲王名日卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫壻有男弟佐治國…』
405 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 12:45:20
卑弥呼なんて当時、何百人も居たんじゃない。
だから「女王卑弥呼」
406 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 13:42:41
ひみこの跡取り女王のトヨちゃんは誰?
やっぱり某神社の系図に載ってる
名前の似た二人なのかね。
ヒミコとかトヨとか昔のAV女優だな。
410 :
(・へ・):2008/07/14(月) 15:09:00
>>404 確かに年が年齢なのか、鬼道能惑衆した年数なのかは漢文では読み取れないな。
>復活
???
>>410 >確かに年が年齢なのか、鬼道能惑衆した年数なのかは漢文では読み取れないな。
読み取れない原因は『以』と『已』の使用区別が出来なかったからではないでしょうか?
『以』と『已』はどちらも区切りという共通した使用方法がありますが、
各々、視点と起点の違いという使用区別があります。
「以」は 視点と起点は同じところにあり
「已」は 視点と起点が別のところにあります
例えば、(三以上)という場合の視点と起点は三にあり
(行年已長)の場合の視点は、行年と付けられた亡くなった年
起点は、亡くなった故人の誕生の年
つまり、生まれた年を起点に亡くなった年(視点)まで時間を下る期間なわけです。
たぶん辞書にはここまで詳しくは説明されていないでしょう。
だから『…及共立一女子爲王名日卑彌呼事鬼道能惑衆年(已)長大無夫壻有男弟佐治國…』
の視点は「共立一女子爲王」であり、起点は「共立一女子爲王」の過去となります。
では、
この「過去」とは何時の時期かということは、魏志倭人伝には具体的には記されていません。
この具体的な過去が何時の時期かを探ることは不可能なのかといえば、そんなことは
ありません。
これは魏書の一部ですから、魏王朝が始まってから共立一女子爲(視点)の期間は、その対象にすっぽりと収まってしまうこととなり
、起点は魏時より遡るところに存在することが、わかります。
413 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 20:06:57
>>412 貴方の言いたいことがわかりません。
例えば「遡る」の意味、普通の人と逆に使ってませんか?
それ以外にも意味プーだらけですが、
もしかして、貴方は先だっての世間知らずな自演さんですか?
>>413 貴方こそ意味プーですね
時代を遡る=魏時が視点に遡れば後漢時、漢時
脊髄反射的なレスは無用です。しっかり勉強してからレスしましょう。
415 :
どくだみ:2008/07/14(月) 20:53:20
>>414 ばればれなのに名無しでやってる意味あるのかはさておき
>>410 日本語では、年齢は「高い」と言いますが「長い」とは言いません。
逆に、期間は「長い」とは言いますが「高い」とは言いません。
言葉には相応しい言い回しってありますよね。
漢文では「長大」という単語は、期間が長いことには使わないんじゃないですか。
416 :
日本@名無史さん:2008/07/14(月) 23:33:30
「長大」は長も老人を意味する文字、大も老いるという意味をもつ文字。つまり老人を意味する言葉です。
もちろん、言葉はいろいろな使い方ができますから、「ようやく長じて大となる」などといえば、一人前になるといった意味かとも思いますが、卑弥呼についてそんな意味でないことは明らかです。
倭国乱を2世紀末と考えると、共立された時に老人ではつじつまが合いませんね。
そこで、共立された時は若かったとか、長大は老人の意味ではないなどという主張が出てきましたが、いずれも珍解釈の域をでません。
そうではなく、倭国乱を2世紀末と考えたのがまちがいなのです。榎が「乱れたのは卑弥呼即位の直前で、239の少し前では」と主張しています(「邪馬台国」増補版)。
その主張を見直すべきですね。
というわけで、伊都国の王が歴代女王国に従属するなどという期間はなかったのです。
417 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 00:11:37
>564 名前: 河童虫 ◆EY2wfgakAQ 投稿日: 2008/07/12(土) 14:06:50
>何とでもご自由に
>たんに、あっちと掛け持ちするのメンドクサクなっただけだから
>2ちゃんは、たまに自スレに書き込むくらいがちょうどいいよ
>君も何時までも同じネタの循環は卒業したら。
>じゃあね(^O^)/
結局、三日ともたなかったのかw
できないなら始めから言わなきゃいいものをwww
【2ちゃんねるでの法則】
もう来ねえよ!ヽ(`Д´)ノウワァァン・・・と言って去った香具師は必ず返ってくる!
みんな知ってますね?
>>471 泣かないの
泣きながらレスすると、スレが湿っぽくなる
それに河童虫なんていねぇし、夢でも見たか?
419 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 01:10:58
まあ幾らハンドルを名無しにしようが、多少文体を変え様がモロバレだわなw
文章を文字一字づつに分解してそれにマイ解釈を加え
元の文章とは似て異なる別物にしてしまう独特の手法…
文体やハンドルの上っ面では誤魔化せないw
420 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 02:12:32
「長大」は「成年に達した」という程度の意味であるという説もあるよね。
中国の文献では、そのような使い方をされているという根拠で。
もし卑弥呼が老年に達していたら、「老」という文字を使ったはず。
わざわざ「成年に達した」という意味にも取れる言葉を使うかな。
421 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/15(火) 04:53:02
漢文読むとさ
× 卑弥呼と言う名前の女王
○ 女王の国あり。卑弥と呼ぶ
邪馬台国は女王が納めた国ではあるだろうけど、その女王の名前は別に「卑弥呼(ヒミコ)」じゃないよ
そもそも中国大陸のどの語源(支那、上海、満州、唐、蒙古、長江、他多数)の中にも「卑弥呼」に「ヒミコ」なんて読みを当てる語源は無いよ
明らかに近代の日本の歴史学者達が「そう解釈した」ってだけの読み方だよ
>>414 >魏時が視点に遡れば後漢時、漢時
日本語で頼むw
423 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 07:37:44
>>421 卑弥と呼ぶ?
すんまへん。
倭人伝のどこをどう読み訓だしたのか例示してくれませんか?
424 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/15(火) 08:42:34
425 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 08:53:26
その前に「長大」を議論している事自体に問題有り。あそこは
(時間)+已長
……
………。
429 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 13:25:17
430 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 13:32:45
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
431 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 14:32:01
432 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 19:42:41
>>431 すんまへん。
どこら辺でウケれば良いんでしょうかw
433 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/07/15(火) 20:57:25
台与≠倭迹迹姫命は生まれて直ぐ母親と共にアチラの国へ旅立たれましたが、
お盆に付きお戻りに成られたのでしょうか?。
434 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/15(火) 22:04:31
>>425 漢文を読む?
漢文って表意文字であって読んだり発音を当てる表音文字とは違う文字だよ
あくまでも解釈するもの、意味を読み取るものだよ
435 :
本田:2008/07/15(火) 22:27:49
>>434 漢詩や科挙に合格した教養のある人が書いた漢文に、
韻があることも知らないとは。
>>434 >漢文って表意文字であって読んだり発音を当てる表音文字とは違う文字だよ
あくまでも解釈するもの、意味を読み取るものだよ
なんとなくわかる。
でも、今の学問では決して受け入れられないものでもあります。
ここにも、関連スレにも、受け入れてもらえないそういうコテがいただろう?
学問とは
真実の探求ではなく、いかに大勢の中に溶け込むことかだよ
だから、大勢の中に溶け込めさえすれば
真実なんてどうでもいいこと、特に歴史はね
過去を実見聞できる人なんて居ないんだから
今、大勢の中に溶け込めた事象が歴史。つまり、過去の歴史は過去に経過したものではなく、今、その場その場で作られ埋められていくものです。
>>435 >漢詩や科挙に合格した教養のある人が書いた漢文に、
韻があることも知らないとは。
知っていたらどうなるの? 何か変わります?
439 :
本田:2008/07/15(火) 22:56:23
>>438 三角縁神獣鏡の銘文
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/innritu.htm >森博達教授は述べる。
>
>そもそも魏の時代は、曹操父子を中心として詩壇が形成され、
>「建安詩」「正始詩」の時代として文学史上高く評価されている。
>詩は銘と同じく韻文であり、
>音韻の知識も深まっていた。
>卑弥呼を親魏倭王に任命した景初三年は、
>まさにこのような詩文隆盛の時代である。
>
>そのとき明帝(曹操の孫)は卑弥呼に銅鏡百枚などを賜わり、
>次のように詔した。
>「これらすべてを汝の国内の者たちに示し、
>わが国家が汝をいとおしく思っていることを知らしめよ。
> それゆえに鄭重に汝に良き物を賜与するのである」
>
>この荘重な詔書とともに、
>「景初三年」銘の三角縁神獣鏡が下賜されたと、
>魏鏡論者は主張する。
>魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、
>押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
>「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。
>親魏倭王のみならず、
>皇帝自身の権威にも傷がつく。
>こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。
> 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。
440 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/15(火) 22:57:29
>>436 学問がどうとかは良くわからないけど
単に解釈の相違だと思うよ
「邪馬台国が日本の発祥だ」
見たいな解釈も理解は出来るけど
俺はどっちかって言うと「倭が治めてた幾つかの國(地域)の1つ」程度の立場だし
それに古代は中国大陸の朝廷が偉かった見たいな解釈も違うと思ってるよ
そもそも中国大陸が統一統治されたのは60年前の事で、あそこは多民族多文化の土地だしさ
だいたい北京と長江じゃ民族すら違う民族だよ。もちろん語源も文化も違うんだし
「古代の中国の朝廷は、、」
っても、まず古代に中国なんて国は無い訳だから、その時点でおかしいんだよ
秦も夏も唐も漢も元もそれぞれ中国とは関係ない王朝だよ
それにとっくに滅んでるし
441 :
どくだみ:2008/07/15(火) 22:57:48
>>434 >漢文を読む?
>意味を読み取るものだよ
自分で読むって言っちゃってるよ。
呼卑彌の語順でないと「卑弥と呼ぶ」とは読めません。
「呼ぶ」と動詞に読むなら「卑彌」が主語になって、「卑彌が呼ぶ」にしかなりません。
>>438 単純に表意文字だなんて言わなくなります。
442 :
(・へ・):2008/07/15(火) 23:06:13
>>魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、
>>押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
>>「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。
>>親魏倭王のみならず、
>>皇帝自身の権威にも傷がつく。
>>こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。
>> 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。
これに対する反論はないの?
443 :
本田:2008/07/15(火) 23:11:04
>>442 >森博達教授の研究に対する考古学からの説得カある反論はまだ出ていないようだ。
444 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/15(火) 23:11:23
>>441 まさに解釈の相違すね
あなたと俺とでは、まず「漢文」って言うものに対しての「解釈」が違うから話が合わないんだよ
俺ん中じゃ漢文って主語も熟語も文法も無い文字でしか無いから、解釈するしか無い文字で、読み手によっては違った解釈が出来る文字だよ
そう言う解釈してるよ
それに例えば魏志倭人伝を書いたのが古代漢民族だとしたら、漢民族の語源は、今の中国が建国されてから中国統一語源とした支那民族の北京語とは、言葉も文法も違うよ
それに中国は日本人見たいに漢字を上手く使えて無いから日本人の感覚で考え無い方が良いよ
445 :
本田:2008/07/15(火) 23:13:20
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew さん中卒なの?
高校卒業してても底辺校なの?
>>445本田さん
お久しぶりです。
へ〜っ
本田さんって、そのような価値観で人を見るとは知らなかった。
意外な発言にビックリ。
447 :
どくだみ:2008/07/15(火) 23:24:50
>>444 >俺ん中じゃ漢文って主語も熟語も文法も無い文字でしか無いから、解釈するしか無い文字で、読み手によっては違った解釈が出来る文字だよ
そんなもの文章でも言語でもない。
読み手によって違った解釈ができる文書で国家の運営は成り立たない。
現に秦・漢以来、国家は文書によって運営されていた。
よって君の考えは間違い。
448 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 23:25:34
どうも奇妙な説をとなえる人は、日本語がおかしいという共通点があるなあ
449 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 23:37:51
450 :
本田:2008/07/15(火) 23:38:49
>へ〜っ
>本田さんって、そのような価値観で人を見るとは知らなかった。
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew さんの書き込みは、高校2年生レベルの常識も無いと判断した。
>>450本田さん
了解。
でもね
私は彼の内容ではなく、ああいう慣性好きだな〜
絶対に努力では身につける事の出来ない、持って生まれた彼の慣性。
また プラムはマリアナ海溝の泥の中に沈みます。
452 :
日本@名無史さん:2008/07/15(火) 23:55:21
>>447 「国家」ってのは近代の観念だよ
ちなみに中国に初めて国家が出来たのは70年ぐらい前の満州国家が初の中国大陸の国家だよ
後に毛沢東が満州を滅ぼして今の中国国家を建国
それ以前の清や明とか唐とかは朝廷があっただけだよ
つか毛沢東も中国を統一したときに中国統一語源をどうするかで大分苦労したんだよ
とりあえず北京語を中国の共用語とはしたけど、中国は北京、長江、上海、満州、四川、、
とにかくそれぞれ違う語源の民族な訳だから
毛沢東は漢字を使うのを辞めて表音文字として使えるローマ字を共用文字としようとも考えてたぐらいだよ
453 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/16(水) 00:03:08
つか表音文字と表意文字の違いが解んないんかなあ?
ひらがなは表音文字
ローマ字も表音文字
漢字は表意文字
ただし日本人は古くからその漢字に複数の日本語の音を当てて表音文字としても発音出来るようにした
(中国では漢字の音には意味がなく表音文字として使えない)
意味解るかなあ?
454 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/16(水) 00:11:11
逆の言い方した方がわかりやすいかな?
要は「中国には表音文字が存在しない」って事だよ
だから中国が建国されて語源を北京語を共用語として統一するさいに、発音表記はローマ字でするようにしたんだよ
中国ってもモンゴル民族やチベット民族とかはちゃんと発音表記出来る文字を持ってたりするから中国の全ての民族がって意味じゃ無いけどさ
455 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 00:34:26
>>439 >三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。
まあその銘が韻を踏んでいないと言うのは否定材料の一つになりうるだろうが
そもそもその銘文に魏がどれだけの神経を払ったのかが疑問。
先ず後漢末の戦乱で年号鏡の製作は鏡の生産組織が維持されていた
江南の地に委ねざるを得なかったと言う事だし
事実「赤烏」とか呉の年号を持つ鏡も出ているわけで。
「前漢末に現われ、後漢に流行した」鏡の銘文と比べるのはどうなんだろうな?
456 :
455:2008/07/16(水) 00:43:33
そもそも景初三年は本来なら明帝が死んで喪に服していなきゃならない時期で
韻云々言う前にその年号の鏡を下賜するなんてのがおかしな話ではあるんだよなwww
あと”国家の品格(w)”にかかわる話で言えば三角縁って言う形状自体がどうなのよ?
…って問題もあるw
457 :
どくだみ:2008/07/16(水) 00:51:38
>>452 国家という言葉は、先秦の文献にある。
「国家」という言葉に君がどんな観念を抱こうが、
君主が居て官僚が居て民が居て、支配機構が存在したことは間違いない。
中国という言葉も、古い文献に已に登場していることを以前に紹介したが、
それも聞く耳持たないようですね。
ひとつ聞きたいが、
>漢文って主語も熟語も文法も無い文字でしか無いから、解釈するしか無い文字で、読み手によっては違った解釈が出来る文字だよ
こんな風に思うに至った原因はなんだったんですか。
458 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/16(水) 00:55:18
「中国大陸は多民族、多語源国家」
って事をちゃんと理解した方がいいよ
清朝廷があった時代を考えれば解るかな?
清は民族は支那民族で、北京に朝廷を置き、言葉は北京語を使って、文字は表意文字である漢字を使ってた国
魏志倭人伝を書いた古代漢民族とは民族も場所も言葉も違うよ
文字だけは同じ表意文字の漢字を使ってるけど、古代漢民族と清の支那民族が漢字を同じ使い方をしてたかどうかは俺は良く知らないや
漢字の使い方なんて国や朝廷や民族によってそれぞれだしさ
韓国やタイ見たいに漢字をほとんど使わなくなった国や民族もある訳だし
ちなみに「古代漢民族」って書き方をしたのは、中国が建国された戦後と戦前では「漢民族」が指す民族の意味が違うからだよ
「漢民族」
戦前まで→遼東半島付近に住む漢語を話す少数民族の漢民族を指す言葉
中国建国後→毛沢東が中国統一の為に、1つの中国政策を掲げ、個別の民族と呼ばれる事を嫌い、支那人や満州人や上海人や中国に住む多数の民族の総称を「漢民族」と定めた
現在漢民族って呼ばれる人達と古代の漢民族とは違う民族
459 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/16(水) 01:07:52
>>457 古い文献もなにも「中国」って言葉は記紀にも出てくるよ
ちなみに読み方は「なかつくに」で、意味は「中心の国、統治地域」とか言う意味だよ
要は今の日本人にとって「なかつくに」は日本の事だよ
ちなみに戦国時代になると毛利(だっけ?)が治めてた土地が「中国地方」と呼ばれるようになり、秀吉が毛利を攻めに行った時の事は「秀吉は武力を率いて中国に遠征し」とも書かれたりしてる
あと今の中国ってのは「中華人民共和国」を略して中国って呼んでるだけだよ
もっと言えば戦前までは中国ってのはショウカイセキの中華民国を指す言葉で、今の毛沢東の中国の方は、ショウカイの中国と区別する為に「中共」って呼ばれてたよ
例えば日中戦争の中国ってのも中華民国の事だよ
460 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 01:20:12
>>444 美濃もん太 ◆hF.jG29Cew
>俺ん中じゃ漢文って主語も熟語も文法も無い文字でしか無いから、
>解釈するしか無い文字で、読み手によっては違った解釈が出来る文字だよ
もはや言語としての機能すら持たないなwww
461 :
どくだみ:2008/07/16(水) 01:24:54
>>459 古事記の編纂は712年。中国という言葉がある詩経や書経などは先秦の文献。始皇帝の即位は紀元前221年。
900年以上の差があるのに、何を言ってるやら。
清以前の時代に使われた中国という言葉が、現代の中国という言葉と概念を異にするのはあたりまえ。
中国は、民族ではない。天命を受けた天子が居て、天子の定めた礼に従う民が住む地域を中国という。
天子は、どの民族の出身者でも構わない。天命を受けているかどうかだけが条件。
多民族・多言語の国家を一つにまとめたのが儒教の教養。
>>460 荒らし君
君はここでおとなしくしてろよ
他所のスレ荒らすな
>>460←みなさん こいつとココで一緒に仲良くしてね。
少し性格悪い荒らしだが、「簡潔ですが・・・」とか言って遊んでやって。
他のスレ荒らされてたまらん
>>455>>456>>
>>460 …って問題もあるw 君
おい 終止符スレ荒らすな
おまえはここのスレ主の「熊さん」こと「イヨたん・・・・・・・・」さんと
仲良くしてろよ。
おまえは神奈川県民から終止符スレ出入り禁止言われたんだろ?
それにお前のオ家はこっちだろw
まったく〜変な奴ばかり住み着いてるよなww
465 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/16(水) 01:59:36
>>461 だからローマ帝国の初代皇帝が即位したのも紀元前220年前後だってば
ちなみにローマ帝国は中国大陸をも統治してたよ
つか過去に中国を統治してたモンゴル帝国と今の中国や清や唐が別の国だって事ぐらい解るでしょ?
それに天子だなんだって何言ってるか意味解らんし
今の中国は共和国で天子だのなんだのとか関係ないよ
清やモンゴル帝国にだってそんなのいないし
中国をも治めてたチンギスハンやフビライハンは天子なんかあ?
別の国だってのがわかんないかなあ?
ちなみに中国はまだ60年ぐらいしか歴史が無い国だよ
あと清や明は仏教国だぞ
中国が儒教を国家宗教に定めて他の宗教を禁じたのも、今の中華人民共和国になってからだよ
中国は共産党が建国した国なんだってば
>>464 改めドツボの殴り込み
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━━!!!!!
467 :
どくだみ:2008/07/16(水) 03:05:59
>>465 >今の中国は共和国で天子だのなんだのとか関係ないよ
今の中国と文献に出てくる中国は、全く別の言葉。きちんと区別するように。
>清やモンゴル帝国にだってそんなのいないし
清史稿や元史を読め。皇帝は天子として書かれている。
>中国をも治めてたチンギスハンやフビライハンは天子なんかあ?
チンギスハンは征服者で天子の自覚があったかは疑問だが、
フビライが国号を元に定めた時点では、明確に天子の自覚があった。
>ちなみに中国はまだ60年ぐらいしか歴史が無い国だよ
文献にある中国という言葉は、君のいう現代風の国のことではないと何度言わせる。
>中国が儒教を国家宗教に定めて他の宗教を禁じたのも、今の中華人民共和国になってからだよ
中国共産党は儒教を弾圧している。儒教が国教化されたのは漢の時代。
以降、官吏登用は儒教の教養を基本にしている。
>あと清や明は仏教国だぞ
仏教もあったが、道教も儒教もあったぞ
清の大学では儒教の経典が教えられていた。だが仏教は科目に無い。
468 :
日本@名無史さん:2008/07/16(水) 03:19:21
美濃もんたが言っているのは、多分「State」を翻訳する時に用いられた
「(近代)国家」であって
どくだみが言っているのは翻訳に当てられた元々の中国で用いられていた
国家と言う言葉。
この手の話で良く出てくるのを言うと
「God」の翻訳の「神」と日本や中国の古来の「神」は概念の根本において異なる
…とかかな?w
まあ美濃もんたの噛み付き方が間違っているわなwww
つーか、もんちゃんの相手をすること自体が「間違ってる」。
今回の御登場は、試験休みにしちゃチョイ早いような気がするが。
470 :
日本@名無史さん:2008/07/18(金) 01:30:23
九州の遺跡に詳しい人間とかに聞きたいんだけど
魏志倭人伝に人口「二万戸」と記された奴国
通説では筑前那珂郡と言う事だそうだが
そのクニの中心は 比恵・那珂遺跡でいいのかな?
もしそうなら後に畿内と結び
(具体的には近畿系土器の範型の導入や初期の前方後円墳=那珂八幡古墳の築造等々…)
勢力を伸ばす地域が魏志倭人伝の中で
既に九州北部で相当な勢力を得ているあたり
投馬国に至るその前に、既に九州の中のクニで
畿内説の蓋然性が担保されているとかいないとかwwwwww
471 :
名無しさん:2008/07/18(金) 11:19:29
>>470 意味不明。
主語・述語をちゃんと分けるか、結論を先に言ってくれ。
472 :
470:2008/07/19(土) 00:15:42
確かに我ながら分かりにくいなw
要するに魏志倭人伝中の「奴国」の中心が比恵・那珂遺跡であるならば
既に畿内ヤマトの影響が北部九州に及んでいたのではないか?と言う推測。
473 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 00:51:24
「奴国」の中心は比恵・那珂遺跡ではない。
「奴国」の中心は佐賀市中心部。
474 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 01:18:55
奴国=筑前那珂郡、現在の福岡市の一部と春日市と言うのが通説ではないのか?
475 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 01:20:46
476 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 02:39:15
>>467 だから古い文献にもし「中国」って記述があるなら、それは今の中国国家や中国大陸の事じゃないってば
支那が「中国」や「中国大陸」って呼ばれるようになったのは数十年前の事なんだってば
つか古い文献だなんだって、どの文献の事をいってるんです?
例えば清朝廷は自らを「支那」って呼んでた訳だし
あと例えば古い文献の「中国」の使用例としては記紀での「中国」とかは「なかつくに」の意味で、支那の事を指してる訳じゃないよ
477 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 02:43:59
「中国の歴史」ってのも間違った解釈されてる部分が多いよ
例えば漢字を作ったのは古代漢民族であって今の中国人ではない
唐や随や漢にしろ中国大陸を統治してた国家じゃなく、大陸に幾つもあった過去に滅んだ朝廷の1つに過ぎないよ
478 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 05:48:03
そんなこといったら、日本の歴史も明治からだろ。
「自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。」(出典:魏志倭人伝)
480 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 09:48:46
>>478 「近代国家」とか「国」って観念で考えるとややこしくなるけど、要は民族の歴史の事をいってるんだよ
例えば今の日本も江戸幕府も鎌倉幕府も倭も大和も扶桑も、日本民族の治めてきた国だよ
一方の中国大陸は、清は北京の支那民族
元はモンゴル民族
チベットはチベット民族
タイはタイ民族
満州は満州民族
香港は香港民族
とにかく沢山の民族がある土地だってば
例えば古代漢民族は今の中国人とは違う民族なんだし
481 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 09:53:30
>>479 だからそれ「なかつくに」って意味だっての
その時代に「中国」なんて名前の国や朝廷は無いよ
「中心の國(地域)、都(朝廷)などのある國(地域)、我々の國(地域)」
とかそう言う意味だよ
それを今の中華人民共和国の事って解釈するとおかしなことになるよ
小せー奴だなw
中国じゃ民族なんか関係無いんだよ。
モンゴルでも扶余でも何でも中原を獲った奴が支配者。
そして、その支配下が「中国」で、皇帝も臣民も「中国人」。
それ以外は皆全て夷蛮の類で「外国」。
483 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 09:59:28
例えば
・中国の朝廷
これは「中心の朝廷」って意味
江戸時代なら江戸幕府や京都の御所の事だよ
反対語は
・他國の朝廷
だよ
魏志倭人伝や古事紀にも「中国」って言葉は出てくるけど、その書物を書いた執筆者(や氏族)にとっての「中心の國」が「中国」って意味だよ
484 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 10:05:40
>>482 だから「中国人」なんて民族は存在しないっての
例えば「ヨーロッパ人」なんて民族は居ないでしょ?
ヨーロッパはフランス民族やゲルマン民族やイギリス民族や、、沢山の民族がそれぞれの王朝や朝廷を築いて、支配したり支配されたりだよ
ヨーロッパもアジアも同じだよ
毛沢東が「中華人民共和国」として多民族を統一しようとした国が中国なだけだよ
>>481 > それを今の中華人民共和国の事って解釈するとおかしなことになるよ
「中国」って書かれたレスを見て、
それが「中華人民共和国」のことだなんて思っちゃう人は、
一応、ここは歴史板だからさ、キミ以外には居ないと思うよ。
だから、同じことグダグダ書いてないでキミの考えだけを改めなさいな。
486 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:11:34
>>476 >つか古い文献だなんだって、どの文献の事をいってるんです?
君は、私のレスを読んでないね。文献名は書いてある。
487 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 10:12:52
>>485 そっか。ならオッケーだよ
例えば日本の古い文献に「中国の朝廷に貢ぎ物をし、、」って書いてあれば、それは日本の中心の朝廷(なかつくに)に貢ぎ物をしたって意味だよ
他国の朝廷に貢ぎ物をしたって書いてある訳じゃないよ
488 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:17:18
>>480 長いレスは読まないようだから、短いレスを連投します。
>「近代国家」とか「国」って観念で考えるとややこしくなるけど、要は民族の歴史の事をいってるんだよ
ここが根本的に間違ってる。
民族の歴史ではなくて、地域の歴史。
今、中華人民共和国がある地域に興亡した様々な民族や王朝の歴史であって、
一つの民族の歴史の話をしているのではない。
489 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:19:20
>>481 >「中心の國(地域)、都(朝廷)などのある國(地域)、我々の國(地域)」とかそう言う意味だよ
世界中の国が、自分の国を真ん中にした地図を作っている。
日本人も「中国人」も、自分の国を世界の「真ん中」と思っていたわけだ。
490 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 10:24:03
>>488 じゃあアジア大陸の歴史を土地の歴史で考える?
って大陸のどの土地の歴史を考えるの?
北京の歴史?
上海の歴史?
長江の歴史?
491 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:24:27
>>481 >だからそれ「なかつくに」って意味だっての
字面は同じ「中国」でも、日本の文献中の「中国」と漢籍中の「中国」は、まったく違う単語だって解ってる?
>>487 キミは、
歴史板での中国≠中華人民共和国
の証明をしたかもしれないが、
日本の古文献の中国=日本の中心
の証明は一切行っていないが、
そんなことも理解できないアレなのか?
プラム級の脳だな。
493 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 10:30:17
>>491 つかそもそも「國」ってのが「地域」って意味だよ
今で言う「市町村」の意味だよ
古い文献上では「國」は国家って意味じゃないよ
そもそもその時代に国家なんてのは存在しない観念だから
494 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:36:09
>>484 まさに漢籍文献上の「中国」というのは「ヨーロッパ」というのと同じ。
民族のことなんか指していない。
おおざっぱに言えば、中国=中華=夏
この地域のこと。
>って大陸のどの土地の歴史を考えるの?
>北京の歴史?
>上海の歴史?
>長江の歴史?
なんで、そんなに細切れにする必要がある?
たとえばヨーロッパの歴史をドイツとかイギリスとかフランスとかの一国だけ見ていて語れるか?
ヨーロッパの国々が、互いに戦争と講和を繰り返してきたのがヨーロッパ史だろう。
495 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 10:40:58
>>494 あなたはさっきから「中華思想」の事を言ってるんですか?
中華思想って思想自体がショウカイセキ、毛沢東の時代に生まれた思想で、近代中国人の思想だよ
清や明や満州の時代にはそんな思想は無いよ
496 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:43:22
>>493 >そもそもその時代に国家なんてのは存在しない観念だから
「その時代」って、いつの時代?「国家の観念」ってどういう観念?
実際、紀元前97年に編纂された史記には、「国家」という単語は沢山でてくる。
言葉の意味をいい加減にしたまま、現実に存在するものを
存在しないと決めつけても意味ない。
史記の用例を二つほど
延及孝文王、莊襄王,享國日淺,國家無事.
鎮國家,撫百姓,給餽?,不?糧道,吾不如蕭何.
497 :
どくだみ:2008/07/19(土) 10:54:53
498 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 10:58:48
もんたは、おばかで嘘つきでプラム脳w
499 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 11:26:49
>>498 あんたそれは違う。
嘘つきは、本当の事を認知しているからこそつけるもの。たんなる認識不足と嘘つきはまるで違う世界だ。
馬鹿者が。
500 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 11:53:10
>>497 そこにも書いてあるじゃん
中国=中心の国
ちなみに漢民族の思想で、漢民族以外の他民族は夷として扱うとも書いてあるじゃん
今の中国人はこの時代の漢民族とは違う民族だぞ
勝手に漢人を名乗ってるだけで支那人だったり上海人だったりだよ
501 :
美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/07/19(土) 11:56:02
ちなみに漢王朝があったのは乾国の祖冨里(漢城)であって、今の中国じゃないよ
違うのは貴方の方。
おばかでも何でも嘘はつける。
貴方のことはを借りれば、知り得た範囲の事象については、
そのことについて嘘はつけるわけだ。
だから、おばかはおばかはなりに知り得た範囲の嘘はつけるんだよ。
貴方はここのおばかさん達の発言を
全て無知のなせる業かのように誤解しているが事実は違う。
彼らはおはかさん同士、嘘をつきあい、それを楽しんでいるだけだ。
503 :
どくだみ:2008/07/19(土) 13:31:58
>>500 日本人も「中国人」も、自分の国が世界の中心と思ったの。
で、日本人は自分の住む土地を「なかつくに」と呼んだの。
「中国人」は自分の住む土地を「中国」と呼んだの。
それで、日本人は「なかつくに」という言葉を表記するのに
「中国」という漢語を借りてきたわけ。
「なか」「つ」「くに」は倭語。
「中国」という漢字に「なかつくに」なんて音は、もともと無い。
訓読みというのは、漢字を倭語に翻訳しているわけだね。
だから、「なかつくに」と「中国」は、ほんらい別の言葉。
504 :
どくだみ:2008/07/19(土) 13:40:53
>>500 >今の中国人はこの時代の漢民族とは違う民族だぞ
だから、「民族」という思い込みを一度頭から叩きだせ。
漢民族というのは純粋単一民族ではない。
「中国」は地域の呼称であって民族の呼称ではない。
ウィキペディア「漢民族の形成」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%B0%91%E6%97%8F この言葉が用いられ始めたのは19世紀以後で、
清朝を建てた満州人と、元々の居住者を区別するためであった。
漢族という用語は
【人種的分類ではなく文化的な民族分類であり、】
その実体は中国の歴史で繰り返された漢族の周辺の異民族との混血の結果である。
故に【異民族でも漢族の文化伝統を受け入れれば、漢族と看做される。】
506 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/07/19(土) 15:41:26
現中国政府の公認は 赤い物は正しい。
に成るんじゃないの?。
507 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 17:10:55
最近では上海に、赤いきつねだけでなく、緑のたぬきも店頭にならんでいるから、大分丸くなった
508 :
日本@名無史さん:2008/07/19(土) 18:50:14
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
509 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/07/19(土) 19:17:26
猫なら 白でも黒でも良い時代から大分たつからな(感慨)。
510 :
どくだみ:2008/07/21(月) 00:10:30
>>505 現中国政府の公認にどれほどの意味があるかと突っ込みたくなりますが、
まあ、内容の信憑性を疑った結果、政府公認云々ということなのだと解釈してお答えします。
漢族という言葉が19世紀以降であるかについては、私は知識が無いので断言できません。
中華=中国=諸夏を夷狄と区別する「華夷の区別」、「中華思想」は、
【人種的分類ではなく文化的な分類である】
【異民族でも諸夏の文化伝統=礼を受け入れれば、夏と看做される。】
というものであることは、思想史的に事実です。それは断言できます。
「その実体は中国の歴史で繰り返された漢族の周辺の異民族との混血の結果である。」
ということについても、唐の初代皇帝、高祖李淵は鮮卑族出身だと言われていますし、
妥当な意見だと考えています。
漢族とは何かについては、これ以上不用意なことは書かないようにしたいと思います。
民族の問題はとてもデリケートなので、中国人の心情も忖度しなければならないと思うのです。
結局のところ、もんたは何を根拠にして、何を結論としたかったのか?
この夏もまた居つくんだろうなあ。
512 :
日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:34:13
もん太とプラムは、字引を引っ掻き回すだけが命w
513 :
日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:56:20
九州説論者にはローガンみたいな真面目で謙虚な奴はいないね。
>>513 ローガンさん!それはちょっと違います。
515 :
夏祭:2008/07/26(土) 06:26:43
>>514 >>513は本人じゃなくて俺だよ。彼の名誉のために言っとくけど。
昨日までそう思ってたんだけどさ、さっき大和認めないのスレみてたら
彼レベルの立派な奴がいたよ。
516 :
ローガン:2008/07/26(土) 15:09:05
517 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:28:22
邪馬台国は無かった
518 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 13:06:26
>>513-514 >九州説論者にはローガンみたいな真面目で謙虚な奴はいないね。
九州論者にも真面目で謙虚な方がいますよ。
倭奴國さん
橿原一派さん
519 :
日本@名無史さん:2008/07/28(月) 21:53:04
大己貴は「己」に大と貴がついたもので、もともとは一人称だったのではないか。
「御屋形様」が国ごとにいたように、「大己貴」も出雲にも甘木にもいたのだろう。
奈良大神神社には配神として、大己貴神と少彦名神が祀られている。ここに祀られて
いる「大己貴神」は、少彦名神と共に祀られている事から、大物主=大己貴とは考えにくい。
この大己貴は甘木にある大己貴神社に祀られている大己貴神(おんが様)であろう。
(ちなみに、摂社大宮社に祀られている「日向御子神」は神武天皇の事であろう。
大神神社が設立されたのは崇神・垂仁天皇の頃であり、十分記憶に残る時期だと思う。)
甘木「大己貴神社」はおんが様とも呼ばれており、ここに至る時遡った川が遠賀川だったのだろう。
ポイントはおんが様は遠賀川に接しておらず、玄界灘からは「南に水行」した後、
「陸行」しなければならない事である。
520 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 09:45:24
どっちでもいいよ!
邪馬台国はなっかたの勝ち!
あった事を証明できないマニア達
や〜い や〜い
521 :
夏祭:2008/07/29(火) 10:35:09
>>520 皆が納得できる説明が出来ない時点で
お前の負けだよ。
522 :
日本@名無史さん:2008/07/29(火) 15:26:23
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。
岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
523 :
夏祭:2008/08/02(土) 12:53:29
九州王朝説スレにて、
「クマソタケル兄弟・兄=狗奴国王、弟=邪馬台国王」説が出現した。
524 :
日本@名無史さん:2008/08/03(日) 22:44:59
妄想信者の夏祭が、何を観察しても無駄です。
525 :
日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:10:29
妄想だけではね。それとも何か根拠が?
526 :
夏祭:2008/08/04(月) 08:31:02
>>524 なるほどね、俺が言ってるわけじゃないから真実だ、と。
527 :
日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:17:00
ヤマトタケルと言えばクマソタケル殺害の件を
一種の成人儀式・通過儀礼の暗喩と見なす説があったな・・・。
少女の格好をしたオウスがクマソタケルを殺害した事により
ヤマトタケルの名を得た。
つまり一人前の男になったと言うストーリーと言う事らしいが・・・
そう言えばヤマトタケルはクマソタケルに聞かれて
自分が纏向の日代の宮からやって来た旨を答えている。
ヤマトタケルは纏向の人だったのか?
まあ架空の人物だとは思うがw
528 :
夏祭:2008/08/05(火) 08:01:15
>>527 まあ、雄略天皇あたりをモデルにしたんだろうね。
纏向とはマキムク?
530 :
日本@名無史さん ::2008/08/07(木) 12:14:32
大和武尊は架空でしょ
531 :
日本@名無史さん:2008/08/07(木) 22:17:01
大和武士はタイホされちゃったね。
532 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 09:52:01
九州説の結論だけと畿内説への中傷だけのレスが後を絶たない
そこまで九州説の質も低下したか…
533 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 14:02:23
>>532 まあ所詮2ちゃんなんだし
「煽り・叩きは 2ちゃんの華」って事で良いんだけどw
どうも一発ネタで書き逃げと言うのが・・・
534 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:40:34
適当に九州説を煽って、九州説のレベルを計ってはいるが、程度が落ちてるのは確か。
畿内説をきちんと説明してもいいだけど、それだと九州説を信じてる人が可哀想すぎるからな。
畿内説同士で情報交換できないことは残念だが、2ちゃんねるの限界だな。
だいたい、素人は九州説から入ってもいいが、
古代史や考古学を3年以上みっちり研究すれば九州説は幻想だと気付くものなんだが。
535 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:29:02
ただ畿内説に今後の課題、付きつけられた宿題が多いのも事実。
それも文献との付き合わせ作業の段階に入っているからこそなんだろうけど・・・・
まあ学校にきちんと通っていればこそ宿題も出されるわけで
この板の九州説は不登校で家に引きこもり、自分の部屋の中で
「ボクちゃん天才」
「俺サマ最強」
とぶつぶつ言っている状態www
536 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:30:28
古代史や考古学を3年以上みっちり・・・洗脳に3年か〜。
きちんと畿内説の説明なんか出来ないだろう、畿内説の説明はいい加減で根拠のない妄想と謎の塊。
世間で相手にされないのも当然。
537 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:44:47
>>535 >それも文献との付き合わせ作業の段階に入っているからこそなんだろうけど・・・・
文献とつきあわせたとき、なにか畿内説と齟齬が出る?
538 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:01:56
>>537 畿内説は文献とは矛盾や理解不能なことだらけ、何十年も壁に突き当たり一歩も前に進めないでいる。
539 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:02:38
>>537 例えば纏向を邪馬台国と言うか卑弥呼の居した場所とした場合
「宮室・楼観・城柵、厳かに設け常に人あり兵を持して守衛す」
とされた宮や楼観がまだ見つかっていない。
特に「楼観」については今まで発掘された所からも太い柱の跡が見つかっておらず
石野なんかも今後も見つからないだろうって予想をしていた。
・・・とかな?
もっとも、じゃあ弥生中期から続く環濠集落を想定したら今度は
「婢千人を以て自ら侍せしむ」
の部分がネックになってくるんだろうがwww
540 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:23:31
>>539 >「宮室・楼観・城柵、厳かに設け常に人あり兵を持して守衛す」
唐古・鍵遺跡を見て書いたのでは?
纏向を独立したクニと考えるのは視野が狭すぎるのでは?
唐古・鍵から数キロしか離れてないのに。
>「婢千人を以て自ら侍せしむ」
ネックになるのはどうして?
541 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:33:24
>>540 無論、纏向を単独でクニとは考えないけど、魏志倭人伝の前の部分からの流れとして
「宮室・楼観・城柵、厳かに設け・・・」の部分は卑弥呼のいた宮の描写とするのが自然では?
恐らくその点に付いては畿内説も九州説も同じだと思うが・・・
>ネックになるのはどうして?
どうしてって考えられている吉野ヶ里の人口が1000〜1200人。
流石に卑弥呼一人のお世話に千人も必要であったわけじゃ無し
宗教・祭祀の専従者としてそれだけの人数養える環濠集落ってちょっと想像できないw
まあ千人と言う数を誇張として数百人程度としても、そんな宗教・祭祀に特化した集落は纏向以外に考えられないのでは?
542 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:42:29
>>534 門脇が六十年間畿内説を説いてきて、最後に、どうしてもだめだと九州説に変わったのを知りながら良く言うね。
543 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 17:53:32
>>541 >宗教・祭祀の専従者としてそれだけの人数養える環濠集落ってちょっと想像できないw
それは、「宮室・楼観・城柵、厳かに設け」と「婢千人」のどちらかが誇張と考えるべき、ということでは?
現実的に、千人の専従者がいたというより、祭りの日に近隣のクニから集められる祭祀関係者の人数と思うのだが。
邪馬台国は連合国なんだから、百余りのクニから十人づつ集まれば千人になるよね。
纏向は、地元住民として100人くらいの人口はあったと思うけど、
ただの倉庫群・食料庫・宝物庫という考え方でいいんじゃないだろうか?
もちろん、宗教的権威で集めた貢物を納める倉だったろう。
近隣国から貢物を運ぶ人が集まれば、自然と「市」もできるだろう。
海石榴市はそうして出来たんだろうね。
>>542 門脇一人の変節を鬼の首でもとったかの如く言わない方が良いんじゃないかな?
九州説から畿内説への転向。
畿内説から九州説への転向。
人それぞれあったろうけど趨勢として
アカデミズム全体が畿内説に傾いているのは事実だべ?
あまりしつこいと信仰宗教で有名人を引っ張り出して
「○○さんは昔は神を信じていませんでしたが
今は我らの教団に入信し毎日幸せな日々を送っています!」
なんて宣伝するのと変わらないよwww
545 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 18:03:07
>>541 >宗教・祭祀に特化した集落は纏向以外に考えられないのでは?
邪馬台国時代だって日本中に人々が住んでいたのです。
その遺跡がどれだけ残っており、どれだけ発見されていると思っているのですか?
ほとんどの遺跡は、後代の人々によって破壊され、消えてしまったと考えるべきです。
たまたま残った纏向をみて、これが最大だとか、ここであろうなどというのは愚の骨頂。
546 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 18:09:41
>>545 前方後円墳墓の出現が纏向なんだから、宗教関係施設と考えてもかまわんだろ。
しかし、纏向に卑弥呼が常駐していたとは思わん。
いたとしたら、唐古・鍵遺跡にいたはず。
547 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 18:10:31
>>544 >アカデミズム全体が畿内説に傾いているのは事実だべ?
まったく根拠がない話のように思いますよ。最近、畿内説論者のまともな論稿が出てますか?
まったく心当たりがありませんね。
548 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 18:20:38
549 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 18:23:28
卑弥呼が、唐古・鍵遺跡にいたという根拠だけど、
ヤマトトトヒモモソヒメ(卑弥呼)の父の孝霊天皇の廬戸宮が、黒田にあるとされてるから。
「モモソヒメという巫女の父王の宮が黒田にあった」という伝承が記紀を書かせたわけだろう。
それは、古代の奈良盆地に、唐古・鍵遺跡という数百年続いた環濠集落があったという事実と一致する。
唐古・鍵遺跡に孝霊天皇の廬戸宮が置かれたことは事実だろうし、
そこでモモソヒメが生まれ育ったということを記紀は伝えているわけ。
550 :
キーナイ・セッツ・ザビ:2008/08/14(木) 19:49:22
>>548 ふっふっふっ、圧倒的じゃないか我が軍は。
551 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 20:28:57
圧倒的に7人しかいないな。
552 :
サガミハラハラ :2008/08/14(木) 20:47:33
1991年8月12日、神奈川県相模原市の小学校教員の後藤幸彦は、邪馬台国の一隅の土生遺跡に到達しました。この日が邪馬台国発見の日となります。
邪馬台国の宮室等はそこから北のほう、小城市甘木で、卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡(サクラオカ)です。
553 :
キュウシュウリア・ザビ:2008/08/14(木) 20:51:05
554 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 21:23:02
>>552 サガミハラ先生が毎年8月12日に自宅で
その記念日をお祝いしてもなんの問題もありませんよw
555 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:03:00
>>548 >「福岡県小郡市埋蔵文化財センター技師」の肩書きの人間
この程度の人しかいないの? 倭人伝読んだことあるのかな?
556 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:23:57
>>544 門脇の変節を無視しようとするのは、それこそ問題だと思うな。
元々の九州説論者が批判しても畿内説論者はいわれなき非難、中傷だとして聞こうとはしない。
しかし、門脇は畿内説の立場から疑問点を出したのだ。しかも、まともな学者が恥を忍んでね。
そこに言われている疑問点は、単なる杞憂なのか、それとも本当に無視できないものなのか?
徹底的に検討すべきなのに、畿内説論者は裏切り者扱いで知らん顔だ。
真実が何かではなく、ただ畿内説が多数になればいい、そんなことでどうする?
557 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:39:01
>>556 そもそも学者がそのスタンスを変えるのが恥なのか?w
物理学者のアインシュタインやホーキングは自説を後になって否定してたと思うがww
それに「裏切り者扱いで知らん顔」の畿内説論者って誰よ?www
558 :
日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:52:46
>物理学者のアインシュタインやホーキングは自説を後になって否定してたと思うがww
彼らは間違っていたことを恥と思わなかったのかな?
教育者たる者、真実を教えるべきだろ。間違いを教えたなら恥と思わなきゃいかんよ。
「恥」とか「裏切り者」とか悲壮感漂ってるな九州説は(笑)
560 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:06:32
門脇の変節とかいうけど、実際に門脇が何に拘って畿内説を捨てたのか説明してほしいな。
「気分的に」じゃあるまいし。
>>560 個人的には正直どうでも良いw
そんな事は
「○○さんは昔は神を信じていませんでしたが
今は我らの教団に入信し毎日幸せな日々を送っています!」
・・・と宣伝材料にしたい九州説の方でやっておくれwww
562 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 01:11:37
>>561 やっぱり真面目に考える気はないということですね。
まあ、考えたら畿内説を維持できなくなるから、仕方ないですね。
563 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 01:22:38
>>562 グダグダ言って無いで
「畿内説を維持できなくなる」ネタ でも持ってきなw
門脇の変節にそれだけ凄いネタがあったって話なんだろう?www
ガンバ!wwwwwwwwwww
564 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 01:38:35
何だ、まだ門脇の本を読んでないのか。
565 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 08:45:32
>>562 門脇一人の転向に拘ってる人間は、
「ほら、あの金田一少年のさとうふみや先生だって入ってるんだ。
あの人は推理漫画の巨匠だよ、だから間違いないよ。君も幸福の科学に入りなよ。」
て言われたら入るのかね。
566 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 10:12:01
門脇の転向は真実を追求する者として考えるべき価値があるんだよ。あなたの例はその価値がない。
567 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 10:38:55
>>560 3千円の本を数行にまとめるのは難しいが・・・次のような所が目についた。
畿内説をとる以上、内藤の南は東という説に従わざるを得ない。それは従うとしても、諸処にきしみがでてくる。
特に、韓の方四千里などと対比した場合の距離感の不具合。例えば、周旋五千里は、せいぜい岡山あたりのはずで、近畿大和や一部の者が狗奴国に比定する東海地方を入れることは到底無理。
また、径百余歩が後円部の直径に合うなどというが、殉葬百人等の記述まで考えると、大和の初期古墳のイメージにはまったく合わない。
あの年にもなると自由にモノを考えるようになれるのだろう。
彼の若かりし頃は、「畿内の後進性」を100年近く無視し続けてきた時代の
真っ只中にあった。
九州では鉄器が畿内の20倍以上という考古学の結論も無視してきた。
環濠集落の時期に確実に遡る鏡が、九州以外では皆無ということは、いまでも
タブーで口に出す学者は少ない。
三角縁が日本でのみ500面以上出土している事実も無視されて、いまでも
学界の主流は舶載説にある。
そんな世界の一線から退くと、後世の史家が自分をどう評価するかの方が
気になるのだろう。あの年で死と向き合うことによって自由を得たのであろう。
569 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 14:19:54
>>567 サンキュ
でも
>>568 の話も含めて
「なんだそんな程度w」って言うのが正直なところかなあ。。
570 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 14:36:36
571 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 14:46:38
そもそも
>>567のレベルまでに文献・魏志倭人伝との整合性を持たせようなんてのが
今の畿内説の主流とは思えないw
例えば「殉葬百人」なんてそんな物実際あるなんて確信してる人っているのかな?
ある学者は後に学問の神様「菅原道真」を輩出した土師氏の末裔が
その魏志倭人伝の「殉葬百人」の記事を見てそこから祖先の事績として記紀に書き込んだ
・・・と言う言わば「逆輸入バージョン」みたいな話を想定してたw
無論、現在まで一例も確認できていない「殉葬」なんてものは実際には無いだろうと言う前提でwww
結局「魏志倭人伝」の内容に拘泥した古いタイプの畿内説論者が
晩年その整合性の無さに不満を募らせ転向したと・・・
しかし
>>568の 恨み節w に出てくる畿内説ってやっぱ古い印象があるなあwww
倭国大乱卑弥呼共立の動きを鉄器の入手ルート確保に求めない意見も普通にあるし
(4世紀以降鉄器の保有数が畿内と九州で直ぐさま逆転したわけじゃない)
銅鏡の話にしてもその分布の逆転は画文あたりを契機にしてそれ以前の中心は九州ってのが
今の畿内説の主流だと思ってたけど・・・
三角縁も倣製説が普通に出てて、舶載説も流石に出土全部を舶載とするわけにいかずw
必死に編年して舶載を絞りこんでいるのが現状だろう?
タブーって何?w小林の論文が学会を席巻してた頃のお話?www
572 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 14:52:52
恐らく畿内説は今後もコロコロ変わるんじゃないかな?w
畿内説の中でも「鉄」や「銅鏡」を始め色んな点で意見対立があるからね。
でもコロコロ変わって何が悪いのかとwww
それが無きゃ学問として前進しないんじゃないの?
まあその中で離反していく人間が出てきてもしようがないわなwww
573 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:14:10
>>566 人間の考えなんて変わりたいように変わる。
その説が正しいかなんて関係ない。
ある一人の人間が変わっただけでは、
そいつの新説が正しく、旧説が間違い、と言う証拠にはならない。
そんな当たり前の事を九州説論者は忘れたのかね。
言っておくが、
仮に安本美典や奥野正男や古田武彦が畿内説に転向しても、
我々はそれを「畿内説の証拠」とするつもりは微塵も無い。
574 :
太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/15(金) 15:19:33
女王国が畿内にありゃぁ、記紀に卑弥呼の記事が倭人伝以上にわんさ
と載るよ。畿内に女王国は推古の世からさ。
575 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:47:09
576 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 17:23:25
>>573 >仮に安本美典や奥野正男や古田武彦が畿内説に転向しても、
>我々はそれを「畿内説の証拠」とするつもりは微塵も無い。
わははは。まったくその通りだ。むしろ、九州説を押し通してくれ。
577 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 17:48:02
まあ笑い話にはなると思うけどなw
正直、2ちゃんでネタにしないことはないだろうwww
578 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 19:01:17
もし、太国が「古神道を検証したところ、邪馬台国は畿内にあったと判明した」なんてことを言い出したら、
畿内説が一気に胡散臭くなるしな。
キワモノは九州説を説いてもらってたほうが、有難いってことだな。
高城修三の畿内説は頭痛がする。
579 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 20:26:16
>>578 >キワモノ
九州説の場合、タレントにはこと欠かないなw
580 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 21:19:06
>>579 > >キワモノ
> 九州説の場合、タレントにはこと欠かないなw
けど九州王朝説のつもりの、あの何も知らない病気の馬鹿の妄想より遥かに太国の方がまとも。オレは応援してるww
581 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 21:24:48
誰の説だから信用出来るとか出来ないは権威主義に毒された愚民の言う事。
問題は誰の説かでなく説の中身。
最初に結論ありきの恣意的な説ではないか、
理論に矛盾や飛躍はないか、
証拠は科学的に証明されているのかが問題。
582 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 21:54:32
>>580 いや、畿内説wスレの方の奴の発言を見ると、
奴も結局は名無しの九州王朝ジゴロと変わらないように思える。
佐賀説のサガミハラハラや畿内説のローガンは立派だね。
どんな相手に対しても侮辱するような発言はしない。
>>581 そう、それが一番大事。
○○が転向したからその説が正しい、なんてのは愚の骨頂。
583 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 21:56:54
>>580 >けど九州王朝説のつもりの、あの何も知らない病気の馬鹿の妄想より遥かに太国の方がまとも。オレは応援してるww
うん、太国はまともな方だと思うよ。他のバカに比べたら。
やたらと考古学を否定してないとこは好感が持てる。
584 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:21:20
>>583 まあ、確かにね。
少なくとも、敬語で論をぶつけてくる人間に敬語で返すことの出来る
知性はあるよ。
585 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:41:40
>>581 >証拠は科学的に証明されているのかが問題。
ここ、ポイントだね。
3世紀の九州・畿内の地域の優位性を検証していけば畿内説になるけど、
魏志倭人伝”だけ”読んだ印象を重視すれば、邪馬台国は九州だろうね。
邪馬台国という名称は魏志倭人伝にしか出てこないわけだから。
魏志倭人伝を無視して、邪馬台国を探すことは意味が無い。
また、魏志倭人伝が存在しなければ、邪馬台国も存在しなくなり、
3世紀から畿内に王権が生まれ、大和朝廷に発展した、で終わる話。
3世紀に、邪馬台国という連合国があったというなら、
科学的に考えれば畿内で決着なんだが、
九州にあると思えば、九州にある。
絶対に九州に邪馬台国は無かったという証明は出来ない。
が、それは、科学で決着すべき問題を、形而上の問題にすりかえだけ。
九州説は存在する以上、九州説は無くならない。
九州説が無くならないということは、畿内説が正しいと認知できない。
畿内説が正しいと認知できないなら、畿内説は間違ってることになる。
というロジックになる。
門脇は、このロジックに嵌まり込んだようだ。
586 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:59:42
選びに選び抜かれた10人による実録邪馬台国論争
1、福岡説代表・藤間生大(次点・安本美典)
2、大分説代表・関裕二(次点・高橋ちえこ)
3、熊本説代表・黛弘道(次点・渡辺豊和)
4、宮崎説代表・尾崎雄二郎(次点・高津道昭)
5、鹿児島説代表・王仲殊(次点・加治木義博)
6、南西諸島説代表・木村政昭(次点・小林惠子)
7、畿内説代表・河合敦(次点・直木孝次郎)
8、四国説代表・大杉博(次点・大森忠夫)
9、吉備説・薬師寺慎一(独走状態)
10、出雲説・大川誠一(独走状態)
こんなんで映画撮ったら面白くなると思う
587 :
日本@名無史さん:2008/08/15(金) 23:30:47
>>583 いや太国の場合、考古学を否定するとかしないとか言うより
鼻から全く知らず、それゆえに言及が無いだけだと思うw
>>585 畿内説のダメなところが満載だな。
結論を叫んで論拠なし。大本営学派による「戦後の空白の60年」そのまま。
なぜ3世紀と断定できるのか。年代論の根拠がない。
とにかく年代遡上で狂奔しているが、根拠がないのが今の畿内説。
そこで三角縁の紀年を捨てきれず、舶載説にしがみつくトンデモ集団。
4世紀の鏡を平気で3世紀前半にもってくるごまかし。
位至三公鏡はどう遡っても魏の時代以降、しかも流行は晋になってからで300年頃。
ゆえに日本に来たのは300年以降。日本では古墳時代のすこし前以降に出土。
まず九州に入って古墳時代の直前から流行し、後に畿内では古墳から多く出土する。
この鏡の流行期のあとにほぼ全部が古墳から出土する画文帯の時期が来る。
さらに、その後に三角縁の時期が来る(三角縁は350年前後頃からと確定!)。
この事実を素直に認めるだけで畿内説の年代遡上はアウト!
ついでにいうと、位至三公鏡の少し前に中国で流行した小型鏡を模倣したのが
国産の小型鏡で、日本でも位至三公鏡の少し前の環濠集落の末期から流行している。
これを年代観に組み込むと年代遡上のアウトのダメ押しになる。
590 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:56:23
>>588 また、何気なく独断を織り交ぜて自説を組み立てているなw
>位至三公鏡はどう遡っても魏の時代以降、しかも流行は晋になってからで300年頃。
>ゆえに日本に来たのは300年以降。
晋で流行ってから日本に来たと言う根拠は?
登場したとされるのが魏の時代。
よって魏晋なら220〜316の幅がありその中で恣意的に最晩年に持ってくる根拠があるのか?
それに北方の位至三公鏡と南方の画文を同じ系列にして年代を語る事に無理がある。
じゃあ日本で出土した最古の位至三公鏡っていつの時代のものよ?
阿波鳴門の萩原一号墓や纏向のホケノより古いものがわんさかあるのか?
591 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 01:38:18
ちなみに神原神社古墳出土の 景初三年銘 の三角縁神獣鏡にも
景初三年 陳是作鏡 自有経述 本是京師 杜地?出 吏人(言名)之 位至三公 母人(言名)之 保子宜孫 壽如金石兮
とあるw
是が何故か例の「邪馬台国の会」には載せられていないのが不思議なんだがwww
>
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku236.htm >日本で出土した「位至三公鏡」
・・・参照 (上記で島根県は玉造築山古墳のみ )
上記のリンク先でも分かるようにその出土の大半が「古墳」だww
位至三公→画文→三角
などと一つの線上に並べた編年なんて無理無理wwwwwwwwwwwwwww
592 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:08:56
>>591 日本語OK?
位至三公鏡については、「日本では古墳時代のすこし前以降に出土。」と
書いたので「大半が古墳出土」というのと整合するが?
ちなみに画文帯はほぼ全部が古墳から出土。
くわえて言うと、画文帯になると分布の中心が畿内に移っているので、
この点でも、位至三公鏡→画文帯の流れは理解できる。
日本での流通は、位至三公鏡→画文帯出あることは、明らか。
これでOK?こんなの基本だよ!認めない人なんているのかな?
>>590 萩原一号墓とホケノは340〜350年頃。
年代遡上に脳汚染されていなければ、騙されない。
位至三公鏡については、中国では50年も前に晋の時代の墳墓から年代が特定できる
複数の発掘例がある。その年代は300年頃。「洛陽晋墓的発掘」を参照。
逆に魏では、銅の流通が停滞していた上に、薄葬令もあって確実な出土例は少ない。
中国の学者が魏晋鏡という場合、ほとんどが晋の時代のものである。これも基本ね。
従って、位至三公鏡が日本に来たのは穏健に考えれば、300〜310年以降となる。
日本でその後に流通する画文帯はその後になる。さらに三角縁はその後になる。
593 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:20:15
>>592 >萩原一号墓とホケノは340〜350年頃。
>年代遡上に脳汚染されていなければ、騙されない。
ホケノの木棺でのC14測定のお話はお前なら知っているよな?
少なくとも、煽り文句挟んだ「俺サマ年代観」だけじゃお話にならないwww
で結局、画文も位至三公鏡も古墳時代なら
位至三公鏡の日本での最古の物っていつの物なのよ?って話だよwwwwww
まあ、できればそれが「内行花文」や「方各規矩」と同じ出土なんてのが数例でもあれば上等だが・・・
594 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 03:07:45
>>592 >くわえて言うと、画文帯になると分布の中心が畿内に移っているので、
>この点でも、位至三公鏡→画文帯の流れは理解できる。
理解できませんw
つか意味不明ww
明らかに日本国内で位至三公鏡が画文に先行する根拠が無い。
ついでに中国内で位至三公鏡が画文に先行する根拠が無い。
正直、位至三公鏡の中国での発生時期がイマイチ分からないが
ググっても大抵、後漢末で魏代なんてのはないなあ・・・。
ついでに今出してきた本によると弥生後期中国鏡構成比率で
双頭龍文鏡が全体の3%
画文帯神獣鏡が全体の2%
と大差ないw
(ちなみに内行花文と方各規矩で約70%)
結局「位至三公鏡が画文に先行する」と言う結論ありきの牽強付会wwwwww
595 :
594:2008/08/16(土) 03:20:33
>>594 訂正
誤)正直、位至三公鏡の中国での発生時期がイマイチ分からないが
↓
正)正直、画文帯神獣鏡の中国での発生時期がイマイチ分からないが
596 :
591:2008/08/16(土) 06:46:15
ゴメン!
>>591は取り消します!!
位至三公鏡=位至三公の銘文がある鏡じゃなくて
あくまでもその文様が「双頭竜文」なんだから言っている事がおかしいな・・・orz
>>594 日本での鏡の流通は環濠集落の時期に九州で始まる。九州以外では
確実に環濠集落の時期に遡る鏡の出土は皆無である。
んで、古い鏡ほど九州を中心に分布し、新しくなると畿内に比重が移る。
この点で見れば、位至三公鏡が画文に先行するのは明らか。
これは日本での流通の話なので、中国での前後関係とは別の話。
古墳出土の鏡は三角縁、画文に限らず、同型鏡でキズまで一致するものが
多い(『同型鏡とワカタケル』を参照)ので、大半は国内での複製であろう。
位至三公鏡の基本のデザインは双頭龍文鏡であるというのは、正しいが、
双頭龍文鏡=位至三公鏡というとちょっと違う。双頭龍文鏡は常にその中央に
デカデカと「位至三公」と書いてあるかと言うとそうではないから。
598 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:27:34
>>597 まあ違う人だろうけど、サンキュ!
OK、じゃあ
「位至三公鏡が画文に先行する」
・・・コレは真という事で。
ただ産地系統が違う鏡なのだから
位至三公鏡が国内に流通してある程度の時間を経て
次に画文がやって来たと言うのは確証ないべ?
つまり画文が位至三公鏡にチョイ遅れで日本に入って来たと。
現に位至三公鏡のかなりの部分が古墳時代にも副葬されているんだし・・・
それと位至三公鏡が日本に来た時期を
中国で一番流行った時期の後にすると言うのも無理矢理だと思う。
大陸からジワジワ流行が伝播してきたと言うわけじゃ無し
威信財たる銅鏡は言わば統制交易品であったろうし。
599 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:26:46
>>588 >なぜ3世紀と断定できるのか。年代論の根拠がない。
ヒステリックになってるのは、年代論の根拠への不信感か。なるほど。
では、どんな根拠を提示すればいいのかな?
鏡でもC14でも年輪でも受け付けないんだろう。
科学が信用できないなら、文献で説明してもいい。
崇神天皇の崩年干支は258〜318年であり、崇神天皇の治世は3世紀になる。
崇神紀に登場する箸墓も3世紀に作られた計算になる。
どう否定するつもり?
>>597 > 日本での鏡の流通は環濠集落の時期に九州で始まる。九州以外では
> 確実に環濠集落の時期に遡る鏡の出土は皆無である。
「皆無」は無いでしょう。
貴方の言う「環濠集落の時期」が弥生時代のことなら、岐阜の瑞龍寺山の内行花文鏡が有る。
ここは、土器編年で言えば畿内V様式並行期で、五銖銭も出土している(らしい)典型的な弥生遺跡ですね。
> んで、古い鏡ほど九州を中心に分布し、新しくなると畿内に比重が移る。
これは、間違い無いですが
> この点で見れば、位至三公鏡が画文に先行するのは明らか。
> これは日本での流通の話なので、中国での前後関係とは別の話。
ここが、おかしい。
九州の弥生遺跡で後漢代に主流であった鏡(方格規矩文鏡や内行花文鏡など)が多く出土することと
「位至三公」鏡等の双龍文系鏡と画文帯神獣鏡等の日本での流通の先後は無関係です。
「位至三公」鏡が出土するのは、基本的には中期古墳です。
画像鏡、神獣鏡は、内行花文鏡などとも併出しますし、前期の古墳から出土することも普通のことです。
> 古墳出土の鏡は三角縁、画文に限らず、同型鏡でキズまで一致するものが
> 多い(『同型鏡とワカタケル』を参照)ので、大半は国内での複製であろう。
そうですね。
でも、これも先後関係が「明らか」などと決め付けるこの根拠には成らないですね。
>>600 瑞龍寺山墳丘墓
http://www.geocities.jp/tk_ogw21/gosyusen.html これが環濠集落の時期に遡るかというとちょっと難しい。
環濠集落の時期は、基本的に環濠内部か近隣に墳墓を作るのが基本。
環濠の外に作れば荒らされるからであろう。
環濠が解体されてから、外に墳墓が作られるようになり徐々に大きくなる。
あと、古墳時代になっても墳丘墓は作られている。
以上から、基本的には環濠解体〜古墳時代前期の間のものと考えた方が良い。
五銖銭は流通期間が長いので証拠としては弱い。
洛陽の西晋墓から出土した3391枚のうち「五銖」銭は3304枚、貨泉は70枚。
(『貨幣の中国古代史』263頁参照)
>>601 瑞龍寺山墳丘で採取される土器様式は山中式。
大垣市側になるが、古墳時代の濃尾平野で荒尾南遺跡などが隆盛する廻間式より古い様式。
「環濠解体〜古墳時代前期の間」にはならないと思う。
603 :
初心者:2008/08/16(土) 17:13:37
東海の編年なんか初めて聞いた希ガス・・・
604 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 18:32:46
605 :
日本@名無史さん:2008/08/16(土) 21:30:46
■カラ半島の諸民族
7世紀以前のカラ半島は、大きく3つのブロックに分けて考える必要がある。
まず、紀元前から漢人が住み、半島文明の中心地だった西北部=楽浪郡地方。
そして、太白山脈の東側(半島東北部)にあり、文明とは無縁だったワイ地方。
最後に、日本文明圏の一部であり、古代ヤマトの領土であった韓(カラ=南部)である。
これらの3つの地方は、異なる民族が住んでいたのだ。
朝鮮人の先祖が住んでいたのは、この3ブロックのうち、文明がほとんど発達していなかった
ワイ地方(半島の東北部)であった。ワイ族が半島全域に移住するのは8世紀以降である。
7世紀の『白村江戦争』は、半島南部の倭人連合と半島東北部を本拠地とするワイ族連合の
戦争であった。
606 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:12:04
巻向はどんなに遡っても
せいぜい4世紀前半なんだけど
「邪馬台国」に固執した人達によって歪められているのが
現状。
ここの「考古学」板じゃないこの「日本史」板に常駐している奴らの
ことだよ。
607 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:25:39
「巨大古墳がいっぱいあるマキムクこそ邪馬台国」
→邪馬台国に巨大古墳が多数あったという記録はありません。
むしろ魏の時代は薄葬の風が強く、憚る傾向にありました。
「三角縁神獣鏡がたくさん出る大和こそ邪馬台国」
→卑弥呼がもらった約100枚の鏡の5倍も出土しているので
卑弥呼がもらった鏡とはいえません。中国からは全く出ない
三角縁神獣鏡は、国産としか考えられません。
→邪馬台国の後継国=イ妥国には阿蘇山ありという記述が
隋書にあります。畿内大和に阿蘇山はありませんし、
6世紀後半ですら大和国は播磨国を支配していませんから、
九州阿蘇山の支配は不可能です。
→邪馬台国は中国以外の唯一の絹織物=錦の生産国でした。
日本列島で倭錦が出るのは圧倒的にほとんど福岡県です。
大和からはほとんど出ません。
608 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:38:44
>>606 >ここの「考古学」板じゃないこの「日本史」板に常駐している奴らのことだよ。
まあまあ、泣き言いいたいのは分かるけどw
当の考古学板のローカル・ルールにも邪馬台国は日本史板って誘導があるんだしwww
609 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:39:41
>>607 >邪馬台国の後継国=イ妥国
隋書にはそんなことは書いて有りませんね。
正しくは、こう書いてあるのです。
イ妥(倭)國在百濟、新羅東南、水陸三千里、於大海之中依山島而居、魏時、譯通中國。三十餘國、皆自稱王。
夷人不知里數、但計以日。其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下。
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。
「イ妥(倭)國」とは「魏時譯通中國三十餘國」、邪馬台国以下の諸国、つまり倭國です。
そして、都は邪靡堆、魏志で言うところの邪馬臺也。
阿蘇山が有ったのは「邪靡堆」ではありません。
イ妥(倭)國に有ったのです。
>畿内大和に阿蘇山はありません
こんな珍読を何時までも叫び続けて何か哀れですねえ。
611 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:59:15
要するに、畿内説はまったく成り立たない、という証明がなされているわけです。
>>607 > →邪馬台国は中国以外の唯一の絹織物=錦の生産国でした。
> 日本列島で倭錦が出るのは圧倒的にほとんど福岡県です。
> 大和からはほとんど出ません。
白珠や孔青大句珠は福岡からも出ないだろうにwwwww
613 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 01:04:36
何十年も発掘してきた畿内。そういう理由で、出土物の量が違います(笑
614 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 01:05:06
阿蘇山と金印は畿内から見つかっていません。
○チガイの相手はする気は無い。
もう寝るよzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
616 :
4世紀前半?寝言は寝て言えwww:2008/08/17(日) 01:22:25
纏向におけるC14や年輪年代についてメモしておく・・・w
石塚古墳
周濠出土の板材から年輪年代で
AD175+2
纏向勝山古墳
周濠出土の板材から年輪年代で
AD198+1
ホケノ山古墳
木棺からC14で
AD120中心に75〜215
AD120中心に80〜155
ただし上記のアメリカの機関の出した数字を最終的に
日本で「築造年代を3世紀前半」とした
・・・年輪年代は樹木の伐採時期とのズレ等あるがそれも確率の問題で
少なくとも
>>606 >せいぜい4世紀前半なんだけど
を証明するような物がわんさか出たなんて話聞いた事が無いw
他にもあったかしらん?
あれば御教示願いたい。
617 :
616:2008/08/17(日) 01:29:03
日頃九州説側から
「年代遡上けしからん!」
とお叱りを受けている畿内説だが
俺みたいな素人からすれば
年輪年代やC14のはじき出す数字に
当の畿内説の学者自身がビビってw
かなりマイルドな口当たりの数字にしてしまっているのではないか?
と言うのが正直なところwwwwww
618 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 01:33:12
九州の弥生時代は、畿内よりずっと古くてあきれてしまう、というのが真相。
畿内はC14でも大して変わらないのが多いが、九州のはド〜ンと古いのが多い。
619 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 01:42:11
>>618 まあ九州から始まった弥生時代が400〜500年は早まるって話だからなw
それが何か?
ウリナラ起源説のメンタリティで
「うちのが古い!偉いんじゃあ!」
と言われてもねえwwww
620 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 02:15:27
年代遡上も妄信的なところが強すぎて、どうも付いていけない。
C14も国際標準をそのまま当てはめずに、根拠不明の補正をして予定調和の
数値を出して、しかも出た数値の中から任意にどれかを取り出して決めている。
愛知の朝日だったかで、古墳時代が紀元100年頃になるなんて数値がでたが、
正体不明の補正をやらないとああいうのが出てくる。
ホケノ山も実は米国で300年を越える数値が出たのもあるが、無視される。
彼らがこの60年の間に何をやってきたのかを考えれば、信用できるわけがない。
鏡では年代遡上のために、中国で50年前に出ている中国の定番文献も全力で
無視するとか。異常な連中だな。三角縁舶載説なんぞその典型。
621 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 03:35:14
C14もトンデモ数字が出易いみたいだし
出てくる数字も幅が大き過ぎる。
年輪年代も伐採時期と対象の遺跡の築造時期とのズレがある。
でも全体として昔言われていた年代、と言うか小林の年代観からすれば
相当古い方を示している傾向は否定しようが無いんじゃないのかな?w
まあ畿内説でしかも九州説なんざあボロクソに言ってた小林の年代観に必死にすがっている
九州説と言うのはある意味ブラック・ジョークな気がしないでもないwww
622 :
ローガン:2008/08/17(日) 07:21:23
>>620 > C14も国際標準をそのまま当てはめずに、根拠不明の補正をして予定調和の
> 数値を出して、しかも出た数値の中から任意にどれかを取り出して決めている。
>
> 愛知の朝日だったかで、古墳時代が紀元100年頃になるなんて数値がでたが、
> 正体不明の補正をやらないとああいうのが出てくる。
> ホケノ山も実は米国で300年を越える数値が出たのもあるが、無視される。
インティカルで補正後4山のピークの内遺物により、遡れない古くでた数字は採用しなかったと記憶してますが。
手元に資料が無いので違ってたらごめんなさい。
INTICALは国際標準ですね。
中村がんばれ
624 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 14:34:45
山間僻地の交通量ゼロ道路も、役人が鉛筆を舐めれば、一気に採算路線。
社会保険庁は、「消えた年金も自然に解消」という「立派な理論」を振りかざした。
考古学では、土器編年でもC14でも、畿内説学者は鉛筆舐めてます。
「邪馬台国は、何が何でも、畿内ヤマトでなければならない」
という「立派な信仰」が大前提になってます。
625 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 14:44:59
>>588 >なぜ3世紀と断定できるのか。年代論の根拠がない。
ヒステリックになってるのは、年代論の根拠への不信感か。なるほど。
では、どんな根拠を提示すればいいのかな?
鏡でもC14でも年輪でも受け付けないんだろう。
科学が信用できないなら、文献で説明してもいい。
崇神天皇の崩年干支は258〜318年であり、崇神天皇の治世は3世紀になる。
崇神紀に登場する箸墓も3世紀に作られた計算になる。
箸墓(マキムク)が3世紀の遺物という文献からの考察と、
鏡、土器、C14、年輪、が示す年代と齟齬が無いのは事実ですな。
626 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:11:31
箸墓と同時代の古墳(崩されたものも含めて)は多数あるだろう。
石舞台みたいに、石室が残存しているならまだわかるが、
土が崩れて胡散霧消すれば、古墳の跡などわからない。
漢の時代から中国では薄葬の風があり、柵封されていた邪馬壱(台)国
では、当然遠慮がちに塚をつくる指導を受けただろう。だから、卑弥呼の
墓は、一見巨大権力の威圧感など感じないような造りにしないと
中国側の承認が得られなかっただろう。例えば、自然地形を利用した
径100余歩の墓にするのも有り得ただろう。
また日本列島に卑弥呼と同時代人は100万人ぐらいはいただろう。
列島に王族や豪族が相当いただろう。彼らの墓ではなくて、
卑弥呼の墓だと特定する、何らかのものが無いと駄目だな。
627 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:16:11
628 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:22:05
629 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:22:47
箸墓と同時代の古墳(崩されたものも含めて)は多数あるだろう。
石舞台みたいに、石室が残存しているならまだわかるが、
土が崩れて胡散霧消すれば、古墳の跡などわからない。
漢の時代から中国では薄葬の風があり、柵封されていた邪馬壱(台)国
では、当然遠慮がちに塚をつくる指導を受けただろう。だから、卑弥呼の
墓は、一見巨大権力の威圧感など感じないような造りにしないと
中国側の承認が得られなかっただろう。例えば、自然地形を利用した
径100余歩の墓にするのも有り得ただろう。
また日本列島に卑弥呼と同時代人は100万人ぐらいはいただろう。
列島に王族や豪族が相当いただろう。彼らの墓ではなくて、
卑弥呼の墓だと特定する、何らかのものが無いと駄目だな。
630 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:58:09
鏡の話に戻すと・・・
素朴な疑問
「じゃあ公孫氏が半島を支配していた時日本に流入した鏡は何だったのか?」
と言う事を聞きたい。
恐らくここの九州説の立場なら
「それは内行花文や方格規矩、等の後漢末とたいして変わらないものであって
中国での出土状況がそれを物語っている」
と言う事になるんだろうか?
確かに魏と公孫氏の燕が対立したからとて
魏から燕への鏡の流入が全くのゼロになった訳じゃないだろう。
しかし長く続いた戦乱で魏の銅鏡製造組織が壊滅していて
呉地の製造に頼らなければならなかった現実がある。
もし呉系の意匠が強いとされる画文神獣鏡が楽浪経由で日本に来たとすれば
この時が一番必然性が高いのでは?
ついでに呉の年号を持つ鏡も同時期とすれば分かりやすい。
・・・と言うのはどうでせう?www
631 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 16:18:14
ここの九州説の人は、「結論」めいたことを連呼するか、
意味不明の罵倒を繰り返すだけだからねえ。
いくら論点を提示したところで、その内容は理解できていないと思う。
632 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 16:29:23
拙論から入るのが、畿内説のように見えるんだが・・・
633 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 16:31:03
ごめん、拙論じゃなくて結論からね。
634 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 17:24:11
いや、拙論で十分だよ。
変換もできるし。www
635 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 17:45:27
そう言えばホケノは「画文」と「内行花文」の組み合わせだったっけ?
もし「内行花文・方格規矩」と「位至三公」の組み合わせがわんさかあって
比して「内行花文・方格規矩」と「画文」の組み合わせがレアとか言うのなら
位至三公→画文
と言う流れも蓋然性が高いと言えるのかもしれんが
実際どうなんだろう?
636 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 19:15:58
>>588 >位至三公鏡はどう遡っても魏の時代以降、しかも流行は晋になってからで300年頃。
>ゆえに日本に来たのは300年以降。日本では古墳時代のすこし前以降に出土。
うーん、、、
ネット上で探しても「日本では古墳時代のすこし前」に出た位至三公鏡ってのが見つからない。
>588の知っている範囲、もしくは他の人でも良いから位至三公鏡の最古のもので
確実古墳時代より前の物って何処から出土した物なん?
本当に位至三公鏡は画文帯に先行するのか?
637 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 19:25:32
>>635 三角は全部が国産で流通時期も350〜400頃と短期間で、時期ごとにデザインや細部の
文様に変化もあるので、年代を決めやすい。
対して、画文帯は、流通期間が長く、デザインや文様から時期が決めにくい上に、
複製したものが500年以降も流通している。
位至三公や獣帯鏡などは、オリジナルも複製も流通時期が300〜400頃なので、画文帯よりは
年代が絞りやすい。
出土状況からは九州に比重のある位至三公の方が古いと考えるのが素直であるが、
同時期に来ていたのが道教思想の流行で画文帯の複製がさかんに行われただけと考えれば
オリジナルの到来は同時期になる可能性もある。
638 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 20:15:07
>>637 >三角は全部が国産で流通時期も350〜400頃と短期間で、時期ごとにデザインや細部の
>文様に変化もあるので、年代を決めやすい。
君って馬鹿なの?
639 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 20:43:47
>>636 安本な人が言う「古墳時代」と言うのは、4世紀のことなんだからさ、
多分、双頭龍紋鏡は3世紀後半くらいに輸入開始と言いたいんじゃないかな。
なので、画文帯の出たホケノの実年代は
4世紀以降でなければならない、つー論理なんだろう。
640 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:14:35
>>637 >出土状況からは九州に比重のある位至三公の方が古いと考えるのが素直であるが
まあ一般論としてはそう考えるのが普通なんだろうけど
その九州の出土と言うのが、横穴式石室や、埴輪のある古墳とかだけなら、この場合話にならない訳で・・
うーん、確実に鳴門の萩原やホケノより古い墳墓から出た位至三公ってあるんかいな?
641 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:17:11
安本な人の主張の基本論理は、内行花文鏡などの早期の分布が、
九州中心で「位至三公」鏡も九州中心に出土するのだから、
両者の輸入時期は近いだろう、
これが神獣鏡群になると畿内中心になる、
これは流通機構が畿内に移動した後世の鏡だからだ、
こんな感じかな。
しかし、実際には「位至三公」鏡は、
中期古墳から出土する鏡なのであって、
弥生墓からも出土する後漢鏡群と
出土の地域分布が類似するからといって、
伝来時期までが近似するなどとは言えないだろう。
「位至三公」鏡の出土地域の偏りは、
単に、その意匠が畿内に成立した銅鏡配布機構に
受け入れられなかったと言うことを意味しているに過ぎない。
神獣鏡群との出土数の差がそれを明確に証明している。
642 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:31:09
なんか安本に恨みのある人が来たねww
>>639 双頭龍紋鏡じゃなくて、そのうちの位至三公鏡の年代の問題だよ。
これを魏晋鏡とする中国の学者の年代観に従えば、魏では銅が不足し(不足というより
貨幣経済が崩壊して絹本位制レベルになっていたのだが)、銅鏡の製造が復活して
きたのは呉を滅ぼした280年以降になる(実際にも、300年前後の墓碑のある墳墓
での出土が複数ある。)。
当然、位至三公の流通はその後になる。
呉の領域の鏡である画文帯が魏で製造、流通するようになったのもその後である。
すると、どんなに早くてもこれが日本に来たのはその後になる。
穏健に考えれば300年以降(より穏健に行けば310年以降)ということになる。
中国の常識的見解をそのまま認めるだけで、年代遡上は即アウト!
学者として誠実に行動したならもう少し違った主張をしていただろう。
643 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:39:47
>>640 萩原が古いと考えるのは先入観でしかないよ。ホケノも。
ホケノは土器で言えば、布留0で基本的には箸墓とほぼ同時期。
箸墓と4C後半型古墳は基本的に連続するから、もともと年代遡上なんて無理。
というか、あれを本気で学説と認識して主張しているのか、理解しがたい。
644 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:42:22
>>643 じゃあさあ、具体的に「位至三公」の最古の物って九州の何処の出土の物よ?
なんか中々出てこないんですが?www
645 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:51:51
>>641 中期古墳じゃなくて、前期中ごろの意味かな?
上の方でも書いたけど、環濠集落の時期に確実さかのぼる鏡の出土例は九州以外では皆無。
九州以外の地域では、九州のような時代ごとの段階的な鏡の変遷がほとんどなく、
基本的には、方格も内向も位至三公もほぼ同時期から流通が始まる。
つまり、九州から外に鏡が出始めた時期(300年頃)には、ある程度まとまった種類がもちこまれ、
その多くは複製であろうと考えられる。
複製の対象は、その地域に伝わった鏡である(伝わっていないものは複製が不可能である)。
位至三公が九州から多く出土し、画文帯は北部九州では少ないことの理由は基本的には複製の
時期と場所に違いがあると見た方が良いであろう。
646 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:52:13
>>642 安本に反応したということは、おまえは例の東遷説クンだろ?www
647 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:55:05
>>642 呉地の銅、銅鏡が呉滅亡まで魏に入ってこなかったと言うのが間違いだろう?
魏は呉地で作られた魏年号の神獣鏡を明帝太和元年(227)まで使用している。
それは戦乱で魏の銅鏡生産組織が壊滅していて
魏と呉の冊封関係もあったから。
つうか>642は魏と呉の冊封関なんか知らなかったんじゃないのかな?w
648 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:56:43
>>644 単純に古墳から出たものが、墳墓より新しいとは言いにくいので、
なんともいえない。だから、出土分布で話している。
長生きしている間に古墳時代に突入すると古墳から出土してしまう。
逆に、古墳時代の複製でも、持ち主が早死にすると、長生きしたオリジナルよりも
古い古墳に入れられることになる。
ようするに、従来は5〜10年で変遷するとされてきた古墳の規格を30年位に
引き伸ばす年代遡上説では、この現象は説明不可能ということでもある。
649 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:00:27
△鏡は国産なんだから、位至三公より後と考える必要はどこにもないだろ。
650 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:05:40
>魏と呉の冊封関
義弟関羽を殺された劉備がぶち切れ呉に進軍。
呉にすればこれを退けても、そこを魏に叩かれれば堪らんので
魏に臣従する事により後方の憂いを無くした。
なんて話だっけ?
651 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:12:07
>>648 なんかアレやコレやと言っているが
何れにせよ一世代のズレだな。
「それも考慮しなければならない」と言う条件を付けても良いから
位至三公の最古の物って何処の出土の物よ?
いい加減出したら?www
「古墳時代より少し前」って言ってるんだから
それに該当する物があっての話なんだろう?
>>642 >双頭龍紋鏡じゃなくて、そのうちの位至三公鏡
同様式の「君宣高官」銘鏡とかもあるのだから、「位至三公鏡」と括るのもイマイチだな。
ならば吉祥四字銘龍文鏡とか言いたいところだが、今度は鳳文地、虎文地のパターンが
あるから困ったもんだw
>の年代の問題だよ。
別に「年代」に問題は無いのでは?
「日本では概ね4世紀に輸入された鏡」で問題ないんだろう?
論点は画文帯(特に同向式)との先後関係の方だろう。
まずは、萩原一号墳の黒谷川2式と言う編年を実年代では何時頃とするかだ。
そして、双頭龍文鏡では山鹿遺跡石棺出土のそれっぽい破片が傑出して古いが、
単に「双頭龍文鏡」としか認識しておらず、これが
>>642氏の言う「位至三公鏡」かどうか私には判らない。
>>645 > 位至三公が九州から多く出土し、画文帯は北部九州では少ないことの理由は基本的には複製の
> 時期と場所に違いがあると見た方が良いであろう。
と言うより、位至三公鏡は、出土数が極端に少ない(20例くらい)こともあるが、
踏み返しなどの同範鏡は、一つも確認されていない、単発の舶載鏡とも言える。
画文帯や三角縁のような国内製造・配布関係自体が成立していないんじゃないかな。
654 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:57:49
三角縁神獣鏡は改良を得意とする日本人の本領が発揮された典型的な例。
量産性に優れ、保存性もよい。大量に出土しているのが何よりの証拠。
あまり大事にはされなかったが、これはコストダウンに成功したという
利点と見てよい。
>>648 >長生きしている間に古墳時代に突入すると古墳から出土してしまう。
>逆に、古墳時代の複製でも、持ち主が早死にすると、長生きしたオリジナルよりも
>古い古墳に入れられることになる。
昔々、藤崎遺跡出土の三角縁について、舶載説の連中が言ってたことと同じ言い訳だな。
656 :
日本@名無史さん:2008/08/17(日) 23:38:05
>>655 多分自分が叩いてきた相手の言い訳を
今度は自分が拝借したんじゃない?w
657 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 00:12:18
>>653 複製がないとしたら、その頃はその技術がなかったのだろうか?
とすると、平原は位至三公鏡の流入よりあとになるのか?
658 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 00:31:30
参考
http://6309.teacup.com/kobutu/bbs/487 西晋時代(265〜316)にはとくに流行した。
洛陽の西晋時代の墓から出土した沢山の銅鏡のうち、三分の一がこの位至三公鏡
わが国では29面出土しているが、福岡県・佐賀県・大分県を中心とする北九州
からの出土が圧倒的に多い。
参考
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku236.htm 中国の社会科学院考古研究所の所長であった考古学者・徐苹芳氏の発言
「位至三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、
西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、呉と西晋時代の南方においては、
さほど流行してはいなかったのです。
日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で
流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか
輸出できなかったものと考えられます。」
>>658 よく調べたね。
>岩屋遺跡
私の持っているデータベースは2003年版でちょっと古いのだが、発掘時の判定ではV期、
柳田編年に直すと西新の前で下大隈式の時代と言うところか?
箱式石棺墓埋納と言うことだけど、まあ妥当な判定なのかな。
後、佐賀の町南遺跡の竪穴住居跡出土鏡が西新式期でしょう。
これ以外に古いのは知らない。
神獣鏡類では原の辻の甕棺墓から出たのが一番古いが、
画文帯だとやはり萩原1号墓出土の同向式鏡が、古く見て庄内初期並行だろう。
三角縁では藤崎遺跡の石棺墓から出てくるのが一番早い埋納で西新式の時代。
661 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 08:34:23
まづ手始めに天皇陵(古墳)を調査せねば邪馬台国の謎の解明は進みません。
陵墓参考地は現在調査できませんが、これは、
「我が国の歴史研究はするな!」と言ってるのと同じです。
考古学界や歴史学の研究者の人たちはらわたが煮えくり返る思いを
されてると思います。
”天皇家が天孫降臨の一族でない!”ことが証明されてもべつに良いと
思います。
まあ天から降りてきた一族と信じている人は誰一人いませんが。
天皇家は出はたぶん お百姓さん だと思います。
ただ、真実を知る権利が国民にはあると思います。
662 :
日本@名無史さん:2008/08/18(月) 19:31:29
>>653 平原のは、国産だとしてもオリジナル。
コピーを大量生産して鏡を配布すると言うシステムとは無縁。
そういった配布システムが九州にあったのは銅鉾の時代まで。
配布される銅器は地域によって銅剣だったり銅鐸だったりする。
で、それがいつ迄存続し、鏡の配布システムがいつ成立したか?
そこが論点なんだよな。
鏡の配布システムは、前代のものより広域で、
前方後円墳とともに全国に及ぶ。
まあ、それを4世紀以降にしないと九州説は成立しないわけだが。
664 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:20:09
>>660 「岩屋遺跡」だけでググると兵庫県伊丹にあるらしい同名の遺跡が出てくるんで
「岩屋遺跡 福岡県」でググったら出てきたよw
ただ柳田編年だと下大隈式は後漢の200年あたりまでじゃないの?
この問題の提起者・安本な人(仮)wだと
その年代を西晋の265〜316年あたりまで持ってこなきゃならないなあ。。
庄内・布留に並行する西新式なんかどうなるんだろう?
・・・しかし、いつも「世界の笑い者、日本の土器編年」とかほざいている
アホの九州王朝論者、九州の土器編年の話なのに出てこないな。
ったく要らん時はゴキブリの様に沸いてくるのにwwwwwwwwww
665 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:26:47
良く自覚してるね、考古学最大の信仰集団、畿内説信者は(笑
「世界の笑い者、日本の土器編年」 → ズバリ世界の常識です
666 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:34:23
ちなみに常松幹雄って人の編年表だと、弥生終末期後半は「西新T」って事になり300年まで。
(300年から「西新U」って事になり古墳時代・・・)
667 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:37:39
>>665 一発ネタのゴキブリ君
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
まあ折角だから九州の土器編年とその実年代について
君の意見でも書いてみたまえwwwwwwwwww
668 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 02:59:09
いまの土器編年が、ぐちゃぐちゃで、それを根拠にした
「邪馬台国畿内説」はデタラメです、ってだけだなあ。
馬鹿が感染るから、俺にあまり話しかけるなよ、ウジ虫君
>>667
669 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 03:06:33
つうかこの一発ネタの九州王朝説のアホは
畿内の編年と九州の編年の対応の何処がおかしく
実年代の設定の何処がおかしいのか?
・・・なんて自分也に考えた事無いんだろうなw
670 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 03:17:29
馬鹿だなあ。九州国立博物館で聞いてごらん。
この年代特定は、どうやって決めたのですかって。
畿内の土器編年から判定してますだってさ。
C14で測ったことはありませんだとさ。
671 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 03:21:43
どの博物館でも、学芸員が答えに窮してしまうのが、土器編年。
学芸員に九州においても土器編年の絶対年代が正しいという理由を尋ねると
「土器編年は、ずっと先輩たちから、そう伝わっていますから」
これが学芸員が「答える正しい理由」です。こんなのが学問とは云えないなw
672 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 03:30:58
まあこのスレ限定だけど
この一発ネタの「古田な人」より「安本な人」の方がマシだなwwwwww
673 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 04:08:02
ああ、あのレプリカを大真面目に鑑定した人ねw
674 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 04:16:47
「同じ土器が出土したら、全く離れた場所であろうと、一切関係なく同一年代。
なぜなら、畿内大和が日本列島を支配していたから。」
→ こんな妄想を前提とした土器編年を、世界中が笑ってます。
いつかつっこまれると思ってた九州の土器編年(笑
編年の意味くらい解ってから書けや。
痛いだけだぞ。
677 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:43:08
九州の土器編年(笑
678 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:11:00
>>671 地域毎の正しい土器編年の作成を何故考古学者はしないのでろう?
679 :
訂正:2008/08/19(火) 15:12:05
>>678 地域毎の正しい土器編年の作成を何故、考古学者はしないのだろう?
680 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 17:22:44
>>660 位至三公鏡を魏晋鏡であるとすると、岩屋遺跡(=下大隈式)は、220年以降が確定。
位至三公鏡が晋で流行した280〜310頃に日本に来たとすると、その頃まで続いて
いたことになる。
まあ300年頃まで続いていたとしても、年代遡上を否定する立場からは問題はないが。
>>680 岩屋遺蹟が実際に下大隅かどうかは知らない。
畿内V様式並行と言う判定を柳田編年に読み替えただけだ。
で、柳田の実年代への比定を流用すると岩屋は二世紀後葉から末。
まあ、楽浪漢墓からも出土する鏡でもあるので、
仮定した実年代を否定する根拠はないが、
直感的には、何だかなあと言うところだね。
しかし、貴方の様に極端に(3〜4世代も!)遅く考えてしまうのは、
中期古墳の開始年代や韓国の土器編年と矛盾が生じてしまうんだよね。
682 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:08:27
>>681 楽浪漢墓は楽浪郡が滅亡した313年までのものが含まれるので、位至三公鏡が
出土するのは、むしろ当然では?
たしか「洛陽」の後漢墓からは双頭龍文鏡は出ていても、位至三公鏡は出ていないはず。
双頭龍文鏡も位至三公より以前の段階で魏の時代になっていたという記憶。
確実に魏までさかのぼるかさえ怪しいので、位至三公鏡は基本的には晋の時代と
みる方が穏健ではないかと思っていたのだが・・・
まあ、266年の朝貢のときに持ち帰った可能性もあるので、日本ではその頃から
存在した可能性はあるとは思うが、基本的には3C末葉に位置づけた方が良いのでは?
>682
「極端に遅い」と言ったのは、古墳時代の開始年代のことだよ。
念のため。
684 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:40:59
土器編年の妄想
「俺の家では去年初めてパソコンを買った。
俺様は宇宙の支配者だ。
どこかでパソコンが出土したら、それは2007年以降の異物だ。」
「畿内では10年15年単位で土器の様式がわかっている。
畿内は日本を昔から支配していた。
だから同じ様式の土器が出土したら、九州でも同じ年代だ。」
・・・世界中から大笑いされている、土器編年の妄想です。
685 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:47:37
それは2chの笑われものであるキミだけの妄想。
>それは2chの笑われものであるキミだけの妄想。
2chで尊敬されるよりはマトモでしょう。
687 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 22:53:38
2ちゃんねるにおいて、学問的に自説を証明しようとする九州論者は潰えた。
口を開けばあちらこちらで、「妄想畿内説」「畿内説だめじゃん」「畿内説撃破w」
結論と罵倒のみで構成されているのが2ちゃんの九州論者。
だが忘れるな、
「XはBではない、従ってXはAである」と言う論理は通用しないことを。
>>687 >口を開けばあちらこちらで
それ、皆同じ人の書き込みだと思うよ。
689 :
サガミハラハラ :2008/08/19(火) 23:12:43
学問的に自説を証明しようとする九州論者は潰えたって、勝手におもいこまないでください。
学問的に証明できているでしょう。邪馬台国小城甘木説のスレをよくよんでください。
邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内の桜ケ岡(サクラオカ)です。
>>689 >桜ケ岡(サクラオカ)です。
「桜ケ岡」って書いて「サクラオカ」って読むのか。
面白いな。
691 :
サガミハラハラ :2008/08/19(火) 23:35:03
国土地理院の2万5千分の1の地図では桜ヶ岡と記載されておりますが、
これは誤記であり、桜岡が正しいのです。しかし、訂正されないうちは、公的な桜ヶ岡と記述
することにしました。本来はサクラオカとよぶのが正しく町のひとは皆、桜岡(サクラオカ)とよんでいます。。
解説小津
693 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 23:55:40
>>691 だったら、高天原が九州じゃないことも認めろよ。
九州の方言では原はハルだからな。
694 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 23:56:18
サガミ氏は、私と同じ相模原市内の住民だが、邪馬台国小城甘木説の「サワリ」を説明するのが下手。
小城市の人に聞いてみても知らないと言っている。小城市に蔵書を寄贈されたそうだが、効果のほどは?
695 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 00:05:14
>>688 >
>>687 >
> >口を開けばあちらこちらで
>
> それ、皆同じ人の書き込みだと思うよ。
同意!
696 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:00:02
つうかだなアホの一つ覚えでC14C14って・・・
理化学的年代測定こそ畿内説のアドバンテージと言う事を
あのアホは分かって・・・ないんだろうなあ。
697 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:41:05
笑
[理化学的年代測定こそ畿内説のアドバンテージ]
698 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 04:02:30
まあ理化学的年代測定で九州の遺跡・遺物全体が古くなったら
岩屋遺蹟の位至三公の件もクリアだなw
アホの九州王朝説、古田な人によって
安本な人の努力も水泡に帰すと・・・
まあ信者同士で仲良く心中してくれwwwww
理化学的年代測定で言うと、九州の雀居遺跡の杉の木をくりぬいた容器から、AD100と言う数字が出ているとか
んで下大隈式段階の土器も近年ボツボツ出てるとかいないとかw
いずれにしても岩屋遺跡自体と、問題の位至三公の出土状況とかの詳しい情報が欲しいところ・・・
699 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 05:28:42
>>687 >2ちゃんねるにおいて、学問的に自説を証明しようとする九州論者は潰えた。
・・・と言うか元々が 「九州説」 と言うより 「アンチ畿内説」 だからw
700 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 08:29:06
>>689 そういやあんたがいたね…
あんたは違う説の人間も中傷することなく
敬語で丁寧に自説を説明してたね…
701 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 15:11:39
>>698 >岩屋遺蹟の位至三公の件もクリアだなw
逆だろ、300年頃のものが150年の遺跡から出てくるわけがないww
702 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:17:43
703 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 22:27:25
吉備王権の存在をもって畿内説を否定する人間が居るが、
吉備王権が投馬国だったとすればどうだろう。
魏志倭人伝によれば、邪馬台国が7万戸の大国なのに対し、
投馬国も5万戸の、邪馬台国に次ぐ大国だ。
また、投馬国は邪馬台国の勢力内に入っている。
このように、畿内のすぐ側に大国が存在することが、
必ずしも畿内説を否定するとは限らないのである。
704 :
日本@名無史さん:2008/08/20(水) 22:54:56
個人的にこうだわ
・末盧国=佐賀県東松浦郡(名前の由来・松浦)
・伊都国=福岡県糸島郡(名前の由来・怡土)
・奴国=福岡県福岡市(名前の由来・儺)
・不弥国=福岡県嘉穂郡(名前の由来・穂波)
・投馬国=吉備王権(名前の由来・鞆)
・邪馬台国=大和王権(名前の由来・大和)
・狗奴国=毛野王権(名前の由来・毛野)
705 :
698:2008/08/21(木) 00:10:22
>>701 ゴメンナサイ。
脳味噌沸いてますた。。orz
706 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:43:54
>>703 >吉備王権の存在をもって畿内説を否定する人間が居るが、
吉備は大和とともに邪馬台国の一部だよ。
というか、邪馬台国はヤマト(倭国・日本国の総称)と読むわけだが。
707 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 00:59:07
ヤマトと読みたい三国志魏志倭人伝には、「邪馬壱国」しかでてこないから、
どうやってもヤマトとは読めないわけだが。
708 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:05:43
>>704 >奴国=福岡県福岡市
もう少し絞って比恵・那珂遺跡。
近畿系土器や前方後円墳の導入して勢力を伸ばしているし
さすれば畿内の邪馬台国への行程記事に出てくるのも理解できる。
しかも「二万戸」と中々に勢力を持っている。
問題は須玖遺跡との地位・勢力の逆転がいつ頃起こったか?・・・かな?
>投馬国=吉備王権
これに付いては「陸行一月」の記述の関係上日本海コースをとりたい。
瀬戸内から行った場合
「なんで大和川の遡上と言う徒歩より楽な手段を選ばなかったのか?」
と言う疑問がある。
具体的な地名としては太平御覧の「於投馬」を「えとも」に当てて
現在の、松江市鹿島町 恵曇(えとも) としたい。
続くwwwwwww
709 :
708の続き:2008/08/21(木) 01:13:58
>>704 >狗奴国=毛野王権
普通に九州の菊池でアカンかな?w
少なくとも東海・関東が畿内と敵対する理由が見つからん
前方後方墳や三遠式銅鐸の文化圏で対立軸を見出そうとするのは
あまりに強引と思うw
関東・東海にすれば纏向は瀬戸内を通ってきた西からの文物を
ゲットする重要な拠点。
方向の問題は倭人からの申告の方角と
中国人が勝手に考えた方角がゴッチャと言う事でwwwwww
710 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 08:29:09
>>707 もう沢山の人間が「原本も邪馬壱国であった可能性は少ない」と説いているのだが。
「邪馬壱国の陰謀」読んでみ。
711 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 09:49:19
>>709 >普通に九州の菊池でアカンかな?w
だめだろ。
大和王権が西日本〜関東まで制覇してたなら、
仲が悪いなどと菊池が独立していられるはずがない。
712 :
サガミハラハラ :2008/08/21(木) 09:53:18
これが正解です。
マツロ国 唐津市
伊都国 佐賀県多久市南多久
奴国 佐賀県肥前山口
不弥国 佐賀県小城市不二町
投馬国 宮崎県西都市
邪馬台国 佐賀県小城市甘木
狗奴国 熊本県熊本市
713 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 10:19:42
古墳時代になっても、東海は銅鐸祭祀は続いてたし、
三角縁にしても、東海は普及が遅かった。
クナ国として大和と仲が悪かった証拠じゃないだろうか?
714 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:41:25
完全版・重要な国比定地
・末盧国=旧長崎県松浦郡(首都・佐賀県唐津市菜畑遺跡)
・伊都国=福岡県旧糸島郡(首都・福岡県前原市平原遺跡)
・奴国=福岡県福岡市(首都・福岡県福岡市比恵・那珂遺跡)
・不弥国=福岡県旧嘉穂郡・宇美町(首都・福岡県飯塚市立岩遺跡)
・投馬国=吉備王権(首都・岡山県倉敷市楯築遺跡)
・邪馬台国=大和王権(首都・奈良県桜井市纏向遺跡)
・狗奴国=毛野王権(首都・群馬県高崎市水沼遺跡)
大体こんなものではなかっただろうか。
715 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:57:03
完全だと思っているのはご本人だけ。
716 :
日本@名無史さん:2008/08/21(木) 22:20:45
>>714 最後の3つはとくに違うだろ。全部九州内。
717 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:30:39
畿内説で瀬戸内ルートをとる場合
大和川を使わずに徒歩と言う事になるんだろうが
そこらへんは、どう言う理由になるのかな?
纏向の位置は大和川の水上交通による立地の良さもウリやん?www
念の為確かめておくけど
湖上や川を舟で行く時「陸行」なんて表記になるって事は無いよな?
718 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:53:53
卑弥呼時代、畿内にたどり着いても、寒村しかないんだけど。
719 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:07:50
720 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:46:14
まあ九州王朝説のアホがいくら妄想を根拠にして何をほざこうが
その時代九州が他地域を圧倒する人口を擁していたなんてデータないんだけどなw
あったならソース付けて出してみなサイキバ君www
意外に関東・東海が凄いんだよねえ。。
721 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:50:40
>>711 まあ菊池とピンポイントでなくとも広く熊襲も含む南九州では?
熊襲にてこずったのは大和王朝の記紀にも書いてあるんだし
それに邪馬台国の時代緩やかな連合体の中で
邪馬台国が号令を発しても連合国から兵を供出した訳じゃないんじゃない?
722 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:56:13
いくら掘っても寒村の畿内。
卑弥呼って、うら寂しい奈良県の寒村で掘立小屋に住んでたの?
723 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:02:43
データもソースも何も無し。
ただただ、妄想だけで一発ネタを書き込むだけの九州王朝説信者(通名)サイキバ君w
724 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:09:31
まあアホのサイキバ君から「掘建小屋」のお話が出たんでついでに聞いておくw
なんでも卑弥呼の住居について、建築史の宮本長ニ郎なる人が
「卑弥呼の住居を高床式の建物ではなく、竪穴住居であったのではないか?」
と言う説を述べ、佐原眞氏もそれを支持しているなんて事をとある本で読んだが・・・
誰か詳細知らない?
725 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:14:36
完全版・重要な国比定地
・末盧國=旧長崎県松浦郡(首都・佐賀県唐津市)
・伊都國=佐賀県佐賀市大和町(首都・佐賀市大和町大字久池井)
・奴國=佐賀県佐賀市(首都・佐賀市城内)
・不彌國=佐賀県神崎郡吉野ヶ里町(首都・吉野ヶ里公園)
・投馬國=福岡県大川市柳川市みやま市(首都・大川市)
・邪馬臺國=福岡県久留米市筑後市八女市(首都・久留米市)
・狗奴國=熊本県長崎県南部(首都・熊本県菊池市)
大体こんなものではなかっただろうか。
726 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:19:50
奈良の寒村に、諸国大連合国家の卑弥呼の都があったの?
発掘しても卑弥呼の時代、奈良には寒村があっただけですね。
727 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:39:54
>>726 きちんとその発掘調査の資料を出してから言ようねサイキバ君w
脳内データだけじゃあ、お仲間の九州王朝説のアホどもにしか伝わらないよwwwww
728 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 03:10:01
なんにも出てこないんだけど?
729 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 04:07:03
ん?アホの九州王朝説論者のサイキバ君は嘘を言っちゃいけないね。
正直に 「アホなボクは知りません」 と言ようねwww
奈良盆地中央から南部にかけて造られた環濠集落
紀寺南遺跡
東大寺山遺跡
長寺遺跡
岩室・平等坊遺跡
布留遺跡
唐古・鍵遺跡
矢部遺跡
多遺跡
芝遺跡
坪井・大福遺跡
四分遺跡
中曽司遺跡
新沢一遺跡
鴨都波遺跡
etc・・・
無論、畿内全域となれば池上曽根遺跡や田能遺跡なんかも加わる。
で結局人口において九州が畿内を凌駕するなんて事は無いんだなこれがwww
そもそも都=都市をどう定義するかだが(所謂「弥生都市論で」よく問題になる・・・)
一次産業の従事者のいない纏向遺跡がそれに相応しいと言えば言えるかな?w
まあアホのサイキバ君は、せめて布留遺跡、唐古・鍵遺跡ぐらいの名は覚えようねw
あ、ゴメンまた漢字間違うかもしれないから読み書いておくねw
布留=ふる 唐古・鍵=からこ・かぎ 分かったかな?wwwwwwwwwww
730 :
729:2008/08/22(金) 04:43:43
あ、布留遺跡 は環濠集落の括りからは外しておいてねw
731 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 06:30:29
>>721 狗奴国を菊池付近に求めるのは、狗古智と菊池の音の類似と邪馬台国が山門あたりすれば狗奴国は菊池付近のはずということだけでしょう。
しかし、音の類似はほとんどこじつけというべき程度ですから、初心に返って検討すべきではと思います。
狗奴国は邪馬台国と対立していた大国と思われがちですが、倭人伝を良くみれば、狗奴国は旁国の一つなのでは?(戸数道里がない)。
旁国は小国を意味します。狗奴国は倭人伝以外、伝えるものがない(後漢書は倭人伝とちがった所にあったように書いている)。
大国だったならば、独自に中国と交渉した記録があってもいいが、それが全く残っていない。
狗奴国をさほど考慮する必要のない小国(九州最南部)とみれば、邪馬台国勢力はほぼ九州全土に広がっていたという見方が成立します。
732 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 11:08:11
邪馬台国九州説を採るなら、クナ国は畿内になるんだけどな。
誰もそんなこと言わないのが不思議だ。
733 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 12:07:24
>>731 倭で王がいたのは、伊都國、邪馬壹國、狗奴國の3ヶ国だけ。
伊都國王は名前も記述されない実権のない旧体制の王。
倭に実権のある王がいたのは、
邪馬壹國連合である女王國王卑弥呼と、
狗奴國王卑彌弓呼だけである。
狗奴國は、狗奴國連合の盟主、もしくは女王國に匹敵する大国とみなせる。
狗奴國があったと見做せる熊本県は、
3世紀に先んじる時代から鉄加工遺蹟(製鉄遺蹟?)があり、
もともと大きな経済力のある地域でもあった。
筑紫の視点から見て、熊本と球磨の「クマ」は熊襲の「クマ」ではなかろうか?
邪馬臺國が魏と通交を公孫氏滅亡後緊急におこなったことは、
狗奴國はそれ以前から呉と通交があったからであると考えられる。
これは、女王國の検察組織一大率が一大國と同じ名前なのは何故かへとつながります。
後世の「肥」の範囲が熊本県と長崎県に及んでいることとも関連しています。
734 :
サガミハラハラ :2008/08/22(金) 12:08:07
狗奴国はクト国と発音するのが正しいです。
熊本県北部に宇土半島があり、これはクトの転訛残存地名とみられます。
よって狗奴国は熊本県北部です。
735 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 12:32:41
736 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 13:14:23
>>733 >倭で王がいたのは、伊都國、邪馬壹國、狗奴國の3ヶ国だけ。
では、他の国々の官は誰が指名したのですか?
737 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 13:31:13
2ちゃんねる邪馬台国論争業界において今最もホットなのは、
「畿内説VS九州王朝説」なのではないだろうか。
738 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 13:46:13
>>733 倭に魏の公職としての王は倭王一人です。
伊都國にいた王が邪馬壹國の女王です
魏が王と呼ぶのは邪馬壹國の女王だけです。
狗奴國の王は自称の王で、魏は狗奴國を倭の一部と見なしています。
739 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 14:11:54
>>736 狗奴國の官以外は女王の指名。
各々の国の官は各々の国の元王・首長であろう。
狗奴國の官は男王の指名。
>>738 >倭に魏の公職としての王は倭王一人です。
そうです。
>伊都國にいた王が邪馬壹國の女王です
邪馬臺國にいた王が女王國の女王です。
>魏が王と呼ぶのは邪馬壹國の女王だけです。
そうです。
>狗奴國の王は自称の王で、魏は狗奴國を倭の一部と見なしています。
そうです。
呉は、女王國の王が自称の王で、邪馬壹國を倭の一部と見なしていたとも考えられます。
740 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 14:17:04
>>伊都國にいた王が邪馬壹國の女王です
>邪馬臺國にいた王が女王國の女王です。
伊都國が邪馬臺國の王都なのです。
741 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 14:22:25
>>739 >狗奴國の官以外は女王の指名。
それならば、狗奴国以外は、卑弥呼が支配する一つの国のはずですが。
742 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 14:28:32
>>740 >伊都國が邪馬臺國の王都なのです。
『邪馬壹國女王之所都』
邪馬壹國が女王國の王都だと書いてあります。
743 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 14:31:57
>>741 >それならば、狗奴国以外は、卑弥呼が支配する一つの国のはずですが。
狗奴国以外は、卑弥呼が支配する国々です。
744 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 14:35:05
>『邪馬壹國女王之所都』
>邪馬壹國が女王國の王都だと書いてあります。
邪馬壹國が女王國の王都だとは書いてない。
邪馬壹國には女王の都があると書いてあります。
伊都國には『世有王 皆統屬女王國』と書かれており、
「(伊都國)には魏の治世に王がいた。皆(倭の国々)は、女王國(伊都國中心の連合国)に統屬していた。」と書かれています。
745 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 14:58:17
>>744 王の都があるところが王都です。
伊都國には『世有王 皆統屬女王國』と書かれており、
>「(伊都國)には魏の治世に王がいた。皆(倭の国々)は、女王國(伊都國中心の連合国)に統屬していた。」と書かれています。
「(伊都國)には以前から王がいた。皆(世有王)は、女王國(邪馬壹國中心の連合国)に統屬されている。」と書かれています。
女王國の構成国は、奴國、不彌國、投馬國と邪馬壹國の4ヶ国です。
理由は、奴國及び女王國の入り口国である不彌國が帯方郡より萬二千餘里になるからです。
746 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 15:35:29
>王の都があるところが王都です。
邪馬壹國には女王の都がある。
邪馬壹國の都が女王國の都。
邪馬壹國が女王國。
>女王國の構成国は、奴國、不彌國、投馬國と邪馬壹國の4ヶ国です。
「狗奴国以外は、卑弥呼が支配する国々です。 」と矛盾しませんか?
>奴國及び女王國の入り口国である不彌國が帯方郡より萬二千餘里になるからです。
『自郡至女王國萬二千餘里』は「帯方郡庁より女王國の都に至は萬二千餘里』の意味ですよ。
「女王國の入り口国」ではありません。
747 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 16:31:19
>邪馬壹國には女王の都がある。
>邪馬壹國の都が女王國の都。
>邪馬壹國が女王國。
邪馬台国に女王の都があり、邪馬台国が女王国の都だとしても、邪馬台国=女王国ということにはなりません。
748 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 16:37:09
>>746 >『自郡至女王國萬二千餘里』は「帯方郡庁より女王國の都に至は萬二千餘里』の意味ですよ。
これはあなたの勝手な読み方。女王国の入り口の方が正解。
749 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 16:42:51
>>746 『自郡至女王國萬二千餘里』は「帯方郡より女王國に至は萬二千餘里」の意味ですよ。
奴國と不彌國でそれぞれピッタリ萬二千餘里になります。
だから奴國と不彌國は女王國に含まれる国々となります。
不彌國の南に邪馬壹國があるので、不彌國は女王國の玄関国となります。
>「狗奴国以外は、卑弥呼が支配する国々です。」と矛盾しませんか?
狗奴国以外は、女王國が支配する国々です。
倭30ヶ国の内、女王國が支配する国々は、狗奴國と女王國を構成する4ヶ国を除く25ヶ国です。
卑弥呼女王が支配する国々は、狗奴國を除く29ヶ国となります。
>邪馬壹國には女王の都がある。
>邪馬壹國の都が女王國の都。
>邪馬壹國が女王國。
『邪馬壹國女王之所都』
邪馬壹國が女王の都するところ。
即ち邪馬壹國が女王の都である意味です。
邪馬壹國は女王國4ヶ国の中の1ヶ国
750 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 16:43:06
>邪馬台国が女王国の都だとしても
邪馬台国は女王国の都ではありません。
7万戸ほどもある領域国家です。
邪馬台国に女王の都があった、邪馬台国=女王国ということです。
751 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 16:51:41
九州王朝大好きさんの考える、女王國と倭と卑弥呼の関係がよくわかりせん。
752 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 16:52:14
>>750 >邪馬台国は女王国の都ではありません。
>7万戸ほどもある領域国家です。
邪馬臺國と言う都市国家が7万戸の領域を持っているのです。
吉野ヶ里遺跡は不彌國と言う都市国家でその領域を持っているのです。
753 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 17:01:52
>>750 邪馬台国に女王の都があり、邪馬台国の都が女王国の都だとしても、邪馬台国=女王国ということにはなりません。
754 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 17:06:18
7万戸もある都市国家などありません。
邪馬臺國は倭の都市国家の連合国家です。
女王の都(伊都國)と奴國を中心とした連合国家です。
なぜ吉野ヶ里遺跡を不彌國に当てるの?
755 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 17:09:05
756 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 17:11:54
>>751 >九州王朝大好きさんの考える、女王國と倭と卑弥呼の関係がよくわかりせん。
倭人の国々は30ヶ国あります。
卑弥呼女王が支配する国々が29ヶ国(連合倭國)。それに狗奴國。
女王國は上記29ヶ国の中の4ヶ国(女王國連合)。
卑弥呼女王が都としているのが邪馬壹國。
余談
倭人の国30ヶ國に狗耶韓國が含まれ、狗奴國は除く見方もあります。
倭人伝に狗耶韓國が出てくるので狗耶韓國は倭人の国であるが、
韓地にある狗耶國なので狗耶韓國と表記されたと。
この見方については、僕は今否定も肯定もしません。
757 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 17:27:48
>>754 >なぜ吉野ヶ里遺跡を不彌國に当てるの?
魏志倭人伝と隋書俀國伝を重ね合わせて行路記事を読むと、
吉野ヶ里遺跡の位置に不彌國の都市国家城郭の位置が重なるのです。
758 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 17:35:39
>>755 >女王の都がある国が女王国でしょう?
帯方郡から丁度万二千餘里の所が女王國です。
不彌國と奴國の城郭が丁度万二千餘里の位置にあるので、2国は共に女王國となるのです。
759 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 18:11:13
>女王國は上記29ヶ国の中の4ヶ国(女王國連合)。
何で?意味が分からん。
>卑弥呼女王が都としているのが邪馬壹國。
認識に重大な誤りがあります。
邪馬壹國は7万戸もある都市国家の連合国です、卑弥呼女王の都ではありません。
>吉野ヶ里遺跡の位置に不彌國の都市国家城郭の位置が重なるのです。
どうやって?
>不彌國と奴國の城郭が丁度万二千餘里の位置にあるので、2国は共に女王國となるのです。
奴國は丁度万二千餘里の位置にあるが、不彌國は違うでしょ。
760 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 18:29:07
(´・ω・`) さん
隋書俀國伝の邪靡堆と魏志の邪馬臺は同じ場所です。
此れがキーワードです。
又、有明海が吉野ヶ里のすぐ南まで北へ入り込んでいました。
761 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 18:52:08
>隋書俀國伝の邪靡堆と魏志の邪馬臺は同じ場所です。
隋書は7世紀に書かれたもの、3世紀の邪馬臺についての記事は後漢書や三国志などを
参考にしており「邪靡堆と魏志の邪馬臺は同じ場所です」との断定は出来ません。
>又、有明海が吉野ヶ里のすぐ南まで北へ入り込んでいました。
それで?
762 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/22(金) 19:57:18
>>761 『都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也』隋書
上記が出鱈目と言うのであれば議論の余地はありません。
『又經十餘國、達於海岸』隋書
同じく上記も出鱈目であると言うのなら、
地勢の変化を含んだ問題点も論ずることができません。
763 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 20:58:12
>『都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也』隋書
上記が出鱈目と言うのであれば議論の余地はありません。
出鱈目とは言っていない。
3世紀に伊都国が北部九州一帯を邪馬壹國(女王国)の下に統一し、
6〜7世紀には太宰府あたりに邪靡堆なる都があったとしても、
『都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也』と表現されても問題ないでしょ。
邪馬壹國=邪靡堆ではなく邪馬壹國⊃邪靡堆だと考えています。
764 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 21:33:37
三国志魏書の
『南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月 官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮 可七萬餘戸』
からは邪馬壹國は70,000戸ほどの大国で、都市国家では絶対ありません。
70,000戸もの大きさですから、北部九州一帯を統一した都市国家の連合国家です。
隋書の『都於邪靡堆 則魏志所謂邪馬臺者也』の邪靡堆は都であり同一ではありません。
都の邪靡堆は魏志の邪馬臺国の一部と考えるべきでしょう。
765 :
(´・ω・`) :2008/08/22(金) 21:49:21
伊都國には『世有王 皆統屬女王國』と書かれており、
「(伊都國)には魏の治世に王がいた。皆(倭の国々)は、女王國(伊都國中心の連合国)に統屬していた。」と書かれています。
伊都國が女王國の首都であり、北部九州には都市国家の連合国である邪馬壹國(女王國)があったのです。
766 :
日本@名無史さん:2008/08/22(金) 22:27:39
まっ、どっちもどっちかな。
767 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 00:49:30
>>763 >邪馬壹國=邪靡堆ではなく邪馬壹國⊃邪靡堆だと考えています。
魏志東夷伝全体を読んで下さい。
魏にとって東夷の各国々の一部国に城郭がないことが特異なことで、
その様な国については、城郭のないことを特記しています。
魏志東夷伝においては、○○國領域内の城郭がある処を○○國と表現しているのです。
つまり、邪馬壹國領域の城郭があるところを邪馬壹國と表現しているのです。
500里や100里の各国間の距離は、各国の城郭間の距離です。
(島国である對馬國と一大國については島全体を指しています)
隋書俀國伝において邪靡堆は城郭のない都だと書いています。
邪靡堆も城郭に準じるような狭い範囲の土地を指しています。
以上により、邪靡堆≒邪馬壹國なのです。
768 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 00:56:44
>>749 >奴國と不彌國は女王國に含まれる国々となります。
女王国を邪馬台国中心の複数国とみたのは結構だと思いますが、奴国、不弥国を入れるのは不自然です。
奴国、不弥国は一大率に厳しく検察されていた国。構成国と非構成国とに分ける以上、構成国(同盟国)には穏やかに、非構成国(従属国)には厳しかったとみるべきでしょう。
あなたは、万二千里から奴国、不弥国を構成国とみてますが、万二千里の計算に古田の島巡り読法を使っているのですか?
あれは非常識。島では主要な港に入り、そこから出るはず。島の周囲を計算すべきではありません。
女王国は邪馬台国と旁国をまず考えるべきでしょう。旁国の意味は、大国の傍らにある国ですから。
769 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:27:14
>>768 >あれは非常識。
当時、非常識だったという根拠は何?
770 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 07:56:59
>>755 >女王の都がある国が女王国でしょう?
それはそうでしょう。しかし、邪馬台国が単一の国で、女王国が邪馬台国を含む複数の国からなる場合、どうなりますか?
邪馬台国の都が女王国の都だからといって、邪馬台国=女王国にはなりません。邪馬台国よりも女王国の方が大きくなります。
771 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 08:38:38
>邪馬台国よりも女王国の方が大きくなります。
それは無い、
邪馬台国は7万戸もある国で、
ですから馬韓、弁韓、辰韓などと同じような国です。
馬韓、弁韓、辰韓を含むのは韓です。
邪馬台国を含むのは倭です。
邪馬台国は単一の国ではありません、
馬韓、弁韓、辰韓などと同じで都市国家の連合体です。
女王国の正式な名前が邪馬台国です。
7万戸もある邪馬台国は、九州の北半分以上を占めます。
北部九州に他に国が在ったとは、とても考えられません。
772 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 09:03:02
>邪馬台国は7万戸もある国で、ですから馬韓、弁韓、辰韓などと同じような国です。
単なる思い込みですな。馬韓などには官は書かれていません。邪馬台国の場合は、「官に伊支馬あり」などと書かれています。
それまでの単一国と同じ書き方です。邪馬台国は単一の国とみるべきです。
>7万戸もある邪馬台国は、九州の北半分以上を占めます。北部九州に他に国が在ったとは、とても考えられません。
邪馬台国は北九州だと決めつけてかかるから、まちがった読み方をすることになるのです。
思い込みは捨てましょう。倭人伝を正しく読むことを心がけるべきです。
773 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 09:43:43
>馬韓などには官は書かれていません。
馬韓には官名が書かれていますよ。
>それまでの単一国と同じ書き方です。邪馬台国は単一の国とみるべきです。
投馬國からは、距離が里ではなく水行二十日と日数表示になり、戸数が断定を示す有から可五萬餘戸と推測を示す可になってます。
邪馬壹國も水行十日陸行一月で可七萬餘戸ですね。
邪馬台国の官は邪馬台国の中央の役人で他は地方役人でしょう。
自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
残り1500里。
末盧国から伊都国まで500里。
残り末盧国から伊都国までの3倍の距離。
邪馬台国は北九州です。
774 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 09:54:44
>馬韓には官名が書かれていますよ。
どんなふうに?
>投馬國からは、距離が里ではなく水行二十日と日数表示になり、戸数が断定を示す有から可五萬餘戸と推測を示す可になってます。
投馬国も単一の国です。投馬国や邪馬台国が複数の国だという説がありましたら、出典をお教えください。
>「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
固執されてるようですが、それもそのような解釈がありましたら、出典を教えて下さい。
あなたの思い込みだけでは仕方がありません。
775 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 10:01:12
>>765 読解に違いがあります。
僕は下記の様に読みます。
伊都國には『世有王 皆統屬女王國』と書かれており、
「(伊都國)には魏の治世(=女王國の時代)に王がいた。
皆(伊都國の代々の王達)は、女王國に統屬していた。」と読みます。
>>768 >万二千里の計算に古田の島巡り読法を使っているのですか?
古田氏の読み方に現在でも修正すべきことはありません。
魏志の道程記事においての距離表現は、基本的に城郭間の距離で表記されています。
對馬國と一大國は例外表記になっているのです。
なぜなら、對馬國と一大國の場合は城郭の位置でなく、島全体であることを示す為に、
方可四百里・方可三百里と国の形状で表現しているからです。
ですから距離積算する場合、島に大きさがある為、島の2辺の距離を加えないと、
島の大きさ分の距離が抜け落ちることになります。
776 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 10:08:39
>どんなふうに?
『辰王治月支國 臣智或加優呼臣雲 遣支報安邪踧支濆臣離兒不例拘邪秦支廉之號 其官有魏率善 邑君 歸義侯 中郎將 都尉 伯長』
投馬国や邪馬台国が単一の国だとの確証はないでしょ。
自を辞書で調べると、象形 鼻の形。「鼻なり。鼻の形に象る」とあります。
自○○は○○の鼻です。
777 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 10:22:40
>>771 魏から見て、夫余、高句麗、韓と異なり、倭の国々は巨大であったのです。
過去の人口推計などに捉われてはいけません。
778 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 10:28:39
>>775 >伊都國には『世有王 皆統屬女王國』と書かれており、
「(伊都國)には魏の治世(=女王國の時代)に王がいた。
皆(伊都國の代々の王達)は、女王國に統屬していた。」と読みます。
「伊都國の代々の王達」が問題ですね。
「(伊都國)には魏の治世(=女王國の時代)に王がいた。 」と訳したら
「伊都國の代々の王達」の意味は消え、「伊都國の王」となります。
「皆(伊都國王)は、女王國に統屬していた。」となり、皆の意味が失われます。
「(伊都國)には魏の治世(=女王國の時代)に王がいた。 」と訳したら
皆は「伊都國の代々の王達」とは別の意味を考えないといけません。
779 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 10:32:49
>>777 >魏から見て、夫余、高句麗、韓と異なり、倭の国々は巨大であったのです。
限度というものがあります。
7万戸もある邪馬台国は巨大です。九州の北半分以上でも足りないくらいです。
780 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 10:35:00
>>773 >「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
>行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
>残り1500里。
「帯方郡庁から女王國の城郭に至るは12000里余り」の意味です。
對馬國の大きさを含む距離が800里(400+400)
一大國の大きさを含む距離が600里(300+300)
伊都國と不彌國の距離100里、又は伊都國と奴國の距離100里
帯方郡から不彌國又は奴國の距離は合計1200余里
よって、不彌國と奴國は女王國に含まれます。
781 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 10:39:57
>>778 女王國の時代数十年間の代々の伊都國王達が「皆」です。
>>765 > 伊都國が女王國の首都であり、北部九州には都市国家の連合国である邪馬壹國(女王國)があったのです。
まさに”ぷ”読wwwww
783 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 10:46:09
>>779 3世紀の倭の成人人口は100万〜150万と推定しています。
784 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 10:53:31
>>779 3世紀の北部中部九州の倭の成人人口は100万〜150万と推定しています。
785 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 11:00:35
>>781 『世有王』の王は単数ですから、
「女王國の時代数十年間の代々の伊都國王達」の意味とは採れません。
皆の指すのは倭の国々のことです。
女王國が伊都國の説明に現れるは、伊都國が女王國の王都だかれです。
786 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 11:01:57
787 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 11:23:30
>>781 >女王國の時代数十年間の代々の伊都國王達が「皆」です。
確かに一般的にはこのように読まれていますが、(´・ω・`)氏の批判が当たっています(同氏の読み方も滅茶苦茶ですが)。
記事には書くべき順序があります。王→官→戸数。伊都国の王の話ならば、伊都国記事の最初にこなければなりません。
伊都国個別の話は「千余戸あり」で終わっており、「皆」は既出の各国の王を意味します。榎などがその読み方を指摘しています。
>>775 >方可四百里・方可三百里と国の形状で表現しているからです。
これは面積の表示ですから、投馬国の2辺の和が必ずしも800里ではありません。ですから、2辺を足すなどというのは不合理な計算なのです。
788 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 11:33:06
では『郡使往來常所駐』の郡使は何処に常所駐したのでしょう?
789 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 11:42:13
>>787 >これは面積の表示ですから
面積と形状の同時表現法です。
方400里=1600平方里 1辺400里の正方形
韓は方4000里、高句麗は方2000里、夫餘は方2000里。
東沃沮は東北狹西南長千里で3角形
對馬國の2辺の和は800里です。
790 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 11:45:24
>>788 >では『郡使往來常所駐』の郡使は何処に常所駐したのでしょう?
女王國に隣接する伊都國に常所駐したのです。
791 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 11:54:53
>>787 >伊都国個別の話は「千余戸あり」で終わっており
『到伊都國、官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戸、世有王、皆統屬女王國。郡使往來常所駐。
『郡使往來常所駐』迄が伊都國についての記述です。
『郡使往來常所駐』は伊都國についての記述ではないのでしょうか?
792 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 11:56:50
>>789 形状までは表示していません。対馬国が真四角ですか? 違うでしょう。
200×800も1600平方里です。2辺の和は1000里になりますね。
793 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:00:38
コピーしたら間違えた。1600平方里→160000平方里
794 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:04:45
>>788 使者が往来するときに「いつも駒を止める所」。つまり宿泊するところです。
対馬国、一支国、末盧国、伊都国が、いずれも宿泊する所、すなわち経由国だという趣旨です。
795 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 12:15:25
>>786 >何を基に推定されたのでしょう?
韓の「家」と「戸」の関係からです。
「家」の構成人員は成人1.5〜2名としました。
倭では「家」表現は一大國しかありませんから。
土地の単位平地当りの食料生産力(倭>韓)
水産物捕獲可能量
等も加味しました。
796 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:17:21
>>791 >『郡使往來常所駐』は伊都國についての記述ではないのでしょうか?
上に書いたとおりで、伊都国だけの話ではありません。従来は確かに伊都国の話と誤解されてます。
しかし、往来とありますから、使者は伊都国に常駐するわけではありません。
往来するときに他よりも伊都国に長く止まる?そんなことをわざわざ書く必要があるとも思えません。
伊都国に一大率がいるということで、伊都国が重要な国であることは容易に推測できるのですから。
駐するが宿泊する意味であることに気づけば、各国ともそうであることが理解できると思いますが。
つまり、既出の4か国は経由国であると明示し、以降の奴国や不弥国などは経由国ではないことを示唆しているのです。
797 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 12:24:50
>>794 単に宿泊するだけなら「停」でしょう。
「駐」はある程度の期間がある場合。
798 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 12:27:37
>>796 『世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐』が既出の4か国の事だとすると、
他の国には王が居らず、女王國にも従っていなかった事になりませんか?
799 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 12:44:28
>韓の「家」と「戸」の関係からです。
「戸」は建物の数、「家」は家族数だと考えますが九州王朝大好きさんの考えは?
800 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:56:24
>「駐」はある程度の期間がある場合。
それは単なるあなたの印象でしょう。根拠は? それに対馬国などでもそれぞれある程度の休養をとったかも。
>『世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐』が既出の4か国の事だとすると、他の国には王が居らず、女王國にも従っていなかった事になりませんか?
既出の4か国について書いてあることを以後の国について全て反対解釈をすべきだということにはなりません。
他の国については良く分からないとかいうこともあるわけですね。
801 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 12:57:25
自分は「戸」も「家」5人くらい。
馬韓10万戸=50万人
弁、辰韓4〜5万戸=20〜25万人
邪馬台国7万戸=35万人
奴国2万戸=10万人
九州全体で60〜70万人
802 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 13:07:16
803 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 13:20:26
>>767 >魏志東夷伝においては、○○國領域内の城郭がある処を○○國と表現しているのです。
これはよい。
>つまり、邪馬壹國領域の城郭があるところを邪馬壹國と表現しているのです。
つまりが間違っている。邪馬壹國は女王の下に倭の国々が集まった国であり、一つの城郭しか持たない国ではない。
国間の距離も他と違い日数で示されている。
>500里や100里の各国間の距離は、各国の城郭間の距離です。
ここもよい。
804 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 13:26:00
>>799 「家」は1軒の家、長屋なら一部屋。核家族から単身者が構成員。
血縁者が数家集まって「戸」を構成する。
数家の血縁者集団は一つの門戸から外部と出入りすることから「戸」と呼ばれた。
「戸」は行政上の最小単位。
805 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 13:45:42
普通は「餘戸」「餘家」だが、一大國は「有三千許家」と「許」の字が使われている。
「家」が1軒の家のことなら「許」の字は使われない、
「家」は家族数だと考えられます。
>数家の血縁者集団は一つの門戸から外部と出入りすることから「戸」と呼ばれた。
「戸」は行政上の最小単位。
そうであるが、竪穴式住居では建物に門戸は一つ。
建物の数=「戸」の数だと考えられます。
806 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 14:23:58
>>802 『東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐』はやはり
全て伊都國に付いての記述として読むしかないでしょう。
『皆』は倭の国々の意味にしか採れない。
807 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 15:01:27
>>784 >3世紀の北部中部九州の倭の成人人口は100万〜150万と推定しています。
九州王朝大好きさんの説は人口問題で破綻してますねy。
808 :
どくだみ:2008/08/23(土) 15:06:42
>>806 >『東南陸行五百里 到伊都國 官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚 有千餘戸 世有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐』
は伊都国についての記述でしょうが、そう読めば、「皆」は倭の国々の意味にはとれないでしょう。
「世有王」は「代々王が居た」。その代々の王は「皆」女王國に統屬していた。
そうとしかとれないでしょう。
809 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 16:45:12
>>808 >「世有王」は「代々王が居た」。
これは明らかな誤りです。
三国志魏書の中で陳寿は代々には「世世」を使っており、
「世」一文字では「魏の治世」の意味に理解すべきです。
従って、「皆」は「代々王が居た」は指せません。
『皆』は倭の国々の意味にしか採れないのです。
810 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:36:15
>>808 >「世有王」は「代々王が居た」。その代々の王は「皆」女王國に統屬していた。そうとしかとれないでしょう。
そうゆう読み方が横行していますが、それでは王が国に統属することになり、おかしてのです。
女王国に統属するのは、やはり国でなければ、文章のバランスがとれません。
それで (´・ω・`) 氏のような考えも出てくるわけですが、行程記事の途中でいきなり「倭国の国々全部は」という文章が入ってくることは考えられません。
当然、「既出の国々は」という趣旨に解すべきことになるのです。
811 :
どくだみ:2008/08/23(土) 17:39:55
>>809 >三国志魏書の中で陳寿は代々には「世世」を使っており、
>「世」一文字では「魏の治世」の意味に理解すべきです。
これは河童さんが言っていた事だが、君は、本当に三国志魏書全文を調べたのですか?
812 :
日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:51:31
世有王皆統属女王國の皆は王に掛かり
皆によって王は複数と捉えます。
伊都國という、限られた範囲にいる複数の王が、皆
です。
813 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 17:55:50
>>811 三国志魏書
東沃沮 『戸五千 無大君王 世世邑落 各有長帥』
弁辰伝 『辰王常用馬韓人作之 世世相繼』
河童さんは言っていない。
814 :
どくだみ:2008/08/23(土) 18:02:29
>>813 魏書四三少帝
評曰:古者以天 下為公,唯賢是與.後代世位,立子以適;
魏書五后妃
漢制,帝祖母曰太皇太后,帝母曰皇太后,帝妃曰皇后,其餘?官十有四等.魏因漢法,母后之號,皆如舊制,自夫人以下,世有搗ケ.
魏書五后妃/文昭甄皇后
文昭甄皇后,中山無極人,明帝母,漢太保甄邯後也,世吏二千石.
魏書五后妃/明元郭皇后
明元郭皇后,西平人也,世河右大族.
魏書九 諸夏侯曹傳
爽以支屬,世蒙殊寵,親受先帝握手遺詔,託以天下,
魏書九
評曰:夏侯?曹氏,世為婚姻,故惇?淵?仁?洪?休?尚?真等並以親舊肺腑,貴重于時,左右勳業,咸有效勞.
「代々」に解さなければ意味が通じない文が、ちょっと探しただけでも、これだけ出てきます。
君が示した例は、「世世」が「代々」の意味で使用されているというだけで、
「世」が「代々」の意味で使用されないということの証明にはならないよ。
つまり、魏書の中で、「代々」の意味を表すとき、「世」と「世世」の両方の表現方法があったということです。
815 :
どくだみ:2008/08/23(土) 18:17:13
>>810 王が国に統屬しても何もおかしくないと思うのですが、
王が国に統屬するのはおかしいとする根拠は何ですか?
816 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 19:32:57
>>814 「世」漢の治世、魏の治世で意味通じる。
卑弥呼は俺が育てた
818 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 19:56:58
「世」を安易に代々と訳してない?
819 :
どくだみ:2008/08/23(土) 20:01:44
>>818 いろいろ言わずに、まず
古者以天 下為公,唯賢是與.後代世位,立子以適;
これを訳してみたら。
>>819 >いろいろ言わずに、まず
古者以天 下為公,唯賢是與.後代世位,立子以適;
これを訳してみたら。
その前に、世有王皆統属女王国と古者以天下為公唯賢是與後代世位立子以適
の関係は?
821 :
どくだみ:2008/08/23(土) 20:22:18
>>820 >>809の(´・ω・`)さんの書き込みを参照
>三国志魏書の中で陳寿は代々には「世世」を使っており、 ←これは事実
>「世」一文字では「魏の治世」の意味に理解すべきです。 ←これは事実無根
822 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 20:29:05
陳寿は「世世」と「世」を使い分けている。
使い分けているのに「世世」と「世」を同じ意味とするのは変でしょ。
823 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 20:34:27
>>807 >九州王朝大好きさんの説は人口問題で破綻してますねy。
なぜ?
今までの人口推定の常識が間違っているのですよ。
食料と人口の関係が重要なのですが、
食料問題については今までの研究は素人のレベル、
特に蛋白質摂取量についての研究が全くなされていません。
上記問題を歴史専門の研究者に求めるのは無理ですが。
人口密度
夫餘 :4戸/km2
高句麗:1.5戸/km2
韓 :2戸/km2
倭 :7戸/km2(推定値)
824 :
どくだみ:2008/08/23(土) 20:49:01
>>822 両方使っているのと、使い分けているのは別。
使い分けているというのなら、具体的にどう使い分けているのか、
三国志の文を引いて証明する必要がありますよ。
まずは814の六例を、「魏の治世」という意味に訳して通じるかやってみたらどうですか。
825 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 20:52:53
でも奈良時代の日本の人口が500万人ぐらいとか書いた本があったから・・・。
>人口密度
この基となった計算式も教えて。
826 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 20:59:23
>>808を支持
さらに付け加えると、
『世有王 皆統屬女王國』
(伊都國には)魏代に王がいた。
魏代に魏の皇帝が複数いた様に、
複数の伊都國王が当然いた、
以上の内容が言外にあります。
「皆」はその複数の王を指します。
「世」に代々の意味を求める必要がありません。
>>824 >両方使っているのと、使い分けているのは別。
使い分けているというのなら、具体的にどう使い分けているのか、
三国志の文を引いて証明する必要がありますよ。
その要求には少なくとも、中国語または(古代漢語)にて説明せよという条件が付くのではありませんか?
用例を和語にて翻訳すれば、そこには必ず和語化するときのその翻訳すると人の思考が介在するので、決してベストといえる方法とは思いません。
828 :
どくだみ:2008/08/23(土) 21:21:14
>>827 >その要求には少なくとも、中国語または(古代漢語)にて説明せよという条件が付くのではありませんか?
全ての用例を完全に分別せよというのなら、古代漢語を完全に理解している必要があるかもしれません。
文脈からだけなら、どちらにも解釈可能というのがありますから。
しかし、前後の文脈から「代々」と訳すべきか「魏(漢)の治世」と訳すべきか、どちらかに判断できるものがあります。
809の書き込みを否定するには、全てを完全に分別する必要はありません。
「魏(漢)の治世」と訳せない例が一つでも見つかれば充分です。
そういう意味で814の例を挙げました。
魏書の「世」を全て「魏の治世」あるいは「漢の治世」と訳さなければいけないというのが真実なら、
まず、これらの例をそれに沿って解釈してみてください。
「世」を安易に「漢の治世、魏の治世」に訳してないですか。
>>828 >「世」を安易に「漢の治世、魏の治世」に訳してないですか。
安易かどうかは受けてしだいで変わりますので判断しかねます。
>魏書の「世」を全て「魏の治世」あるいは「漢の治世」と訳さなければいけないというのが真実なら、
そのよう決まりなどありませんし、貴殿が申すように意味は文脈から読み取るものです。
>>826 >「皆」はその複数の王を指します。
「世」に代々の意味を求める必要がありません。
そうですね
「皆」は王に掛り、人の数が複数ということを表していますので、「世」を仮に代々と訳す場合
この代々は人の数(複数)を表すのではなく、複数に渡る時代を表現しなければいけないことになります。
ようするに帝国の時代ならば
・・・・秦王朝、前漢王朝、後漢王朝、魏王朝と続く「代々」
伊都国に「歴代王朝に渡り(代々)」王有り、皆・・・
831 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 22:06:39
>>824 陳寿は理由も無く代々に「世世」と「世」の両方使っているとお考えですか。
『世有王 皆統屬女王國』の場合は「魏の治世」ですが、
全て「魏の治世」ではない「○○の世」です。
○○は文の前後関係で変わる。
832 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/23(土) 22:06:51
人口密度
夫餘 :8万戸/方2000里=80000戸/140km平方=4戸/km2
高句麗:3万戸/方2000里=30000戸/140km平方=1.5戸/km2
韓 :15万戸/方4000里=150000戸/280km平方=2戸/km2
倭 :30万戸/方3月行=30万戸/方3000里=300000戸/210km=7戸/km2(推定値)
倭の戸数推定値:倭人伝7ヶ国の和15万5千戸、狗奴國7万戸(邪馬壹國と同規模)、その他22ヶ国の和7万5千戸
倭の面積:九州島の北部中部(南九州は含まれない)=東西南北3月行×3月行(隋書から引用)
1月行≒1000里。一方北部中部九州の大きさは200km×200km位である。
狗奴國(連合狗奴國を含む)の範囲は中部九州の肥國の範囲とした。
日向大隈薩摩は3世紀の倭の地域に含まなかった。
>>831 >陳寿は理由も無く代々に「世世」と「世」の両方使っているとお考えですか。
『世有王 皆統屬女王國』の場合は「魏の治世」ですが、
全て「魏の治世」ではない「○○の世」です。
○○は文の前後関係で変わる。
どのように変わるのか、例をあげて説明してくれ
834 :
(´・ω・`) :2008/08/23(土) 22:14:14
>>826 >「皆」はその複数の王を指します。
根拠の無い断定ですね。
「皆」が王を指しのは世有王が複数だからです。
世有王が単数なら「皆」は王を指せません。
>>833 >『世有王 皆統屬女王國』の場合は「魏の治世」ですが、
魏の治世伊都国に「世有王皆統属女王国」であって、世を(魏の治世)とは訳せません。
>>834 >根拠の無い断定ですね。
「皆」が王を指しのは世有王が複数だからです。
世有王が単数なら「皆」は王を指せません。
皆が複数ですので、それに掛るものは必然的に複数。
文中で複数となしえるものは「世」と「王」しか存在しませんので
皆は「王」に掛ります。
837 :
どくだみ:2008/08/23(土) 22:22:45
>>831 ですから、
>>814に挙げた例を、「○○の世」の線で解釈して見せて下さいと言っています。
『世有王 皆統屬女王國』を解釈して見せているのですから、古代漢語でなければ解釈できないとは言わないでしょう。
>陳寿は理由も無く代々に「世世」と「世」の両方使っているとお考えですか。
言語には、同一の内容に複数の言い方があるのが普通でしょう。漢語は貧困な言語ではありません。
陳寿に限らず、音読した時のリズムから世を使う場合と世世を使う場合があったのではないかと推測しています。
例えば、
「世有王 皆統属 女王国」(3字ずつ)
『無大君王 世世邑落 各有長帥』(4字ずつ)
>>834 貴方はもしかして「kusuo1」さんですか?
>>837 >ですから、
>>814に挙げた例を、「○○の世」の線で解釈して見せて下さいと言っています。
「評曰:古者以天 下為公,唯賢是與.後代世位,立子以適;」
この用例を私が代わりに解釈しましょう。
この文章は二つの文で成り立つものです。
「古者以天下為公唯賢是與」
「後代世位立子以適」
と、いうように 前文はある時を境に前世(昔)、後文は後世と
後代世位立子以適の「世」を代々(世襲)と訳せるのは、前文の「古者以天下為公唯賢是與」
という前置きがあるからこそ、後文の「世」を代々と訳せるという環境下にある「世」です
840 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:45:44
「世有王」が「世々に王あり」と読むべきだという点はそのとおりでしょう。その意味は王は世襲だということだと思います。問題は、それを伊都国の話と解しているところですね。
史書で国の説明をする場合には、通常、王→官→戸数といった順序です。伊都国の王だけの話ならば、伊都国記事の最初にくるはずです。しかし、問題のところはそうではなく、「千余戸あり」の次です。
伊都国個別の話は「千余戸あり」で終わっており、「皆」は既出の各国の王を意味すると解すべきです。
結局、既出の4か国に世襲の王がいる、4か国は皆、女王国に統属している、と読むべきでしょう。
841 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:49:23
>>840の訂正
「皆」は既出の各国の王を意味する→「皆」は既出の各国を意味する
>>840 > 史書で国の説明をする場合には、通常、王→官→戸数といった順序です。
そんなことは無いと思いますが。
漢書、三国志、晋書・・・どれもその順番には記述されていませんよ。
> 伊都国の王だけの話ならば、伊都国記事の最初にくるはずです。しかし、問題のところはそうではなく、「千余戸あり」の次です。
王に関する叙述が戸数の後に来てはいけないというようなルールは前述のとおりありませんから、
それは通説の読み方を変える根拠にはなりません。
> 伊都国個別の話は「千余戸あり」で終わっており、「皆」は既出の各国の王を意味すると解すべきです。
> 結局、既出の4か国に世襲の王がいる、4か国は皆、女王国に統属している、と読むべきでしょう。
後漢書の「國皆稱王世世傳統」のようにはっきりと書いていてくれれば判りやすいのですが、
現行の刊本倭人伝の記述からは、後代の錯簡が原因なのかも知れませんが、そうは読みがたいのです。
後に「郡使往來常所駐」と続く(これも既出4国の記述と見なすのであれば別ですが)以上は、
ここまでが、一つながりの伊都国の記述でしょう。
「郡使往來常所駐」も4国の記述であるとすると、何か指示詞が欲しいところです。
私的には魏志は、伊都だけを別格視しているのではないかと思います。
郡使往來の常に駐るところでもありますし、一大率の治所でもありますから。
これは、全くの想像ですが、漢代の九州王権の後継者として認識された存在だったからかもしれません。
843 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:55:15
>>842 >王に関する叙述が戸数の後に来てはいけないというようなルールはありません
もちろん、ルールまであるとは言いませんが、王→官→戸数で書かれることが多く、常識的にもそれは当然のことと思います。
漢書や晋書に適当な例があるのか知りませんが、魏略は狗奴国につき王→官、魏志扶余伝や高句麗伝も王→官、韓伝の弁辰韓も王→官→戸数。
倭人伝は、対馬、一支、伊都と官→戸数は明白。狗奴国については王→官。逆転はない。
旧唐書も王→官。
>後に「郡使往來常所駐」と続く(これも既出4国の記述と見なすのであれば別ですが)
当然のことながら、これも既出の4国です。
>「郡使往來常所駐」も4国の記述であるとすると、何か指示詞が欲しいところです。
どんな指示? なければ、読めませんか?
844 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 11:57:10
>>842 >これは、全くの想像ですが、漢代の九州王権の後継者として認識された存在だったからかもしれません。
同じ想像をしています。
更に想像たくましく、
倭(面土)國王帥升の後継王
伊都國は面土國の本拠地(メタ国:米多国・目達国)
帥升は吉野ヶ里遺跡を本拠とした王者
845 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 12:29:13
>>842 >私的には魏志は、伊都だけを別格視しているのではないかと思います。
>郡使往來の常に駐るところでもありますし、一大率の治所でもありますから。
あなたの読み方では、何を言いたくて「郡使往來常所駐」と書いたのか、はっきりしませんね。
駐は駒を止めるの意味、つまりは宿泊。伊都国で宿泊することは分かり切ったこと。他の国だって宿泊するはず。
それとも、使者は伊都国に常駐して先へは行かなかった? そんな解釈をするようではおしまいですね。
実は「郡使往來常所駐」には重要な意味があるのです。→
>>796 そこで、
846 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 12:32:12
>>843 >王→官→戸数で書かれることが多く、常識的にもそれは当然のことと思います。
その通り。
しかし、
王→官→戸数→その他状況
です。
伊都國王は権力を失った形骸化した王です。
(魏が認識している権力を持った正当な王は、邪馬壹國の卑弥呼と狗奴國王卑彌弓呼)
形骸化した王と郡使往來はその他状況に含まれます。
形骸化した王といえども旧正当王なので郡使往來より先に書いたものと思われます。
847 :
842:2008/08/24(日) 12:52:26
>>843 > 魏志扶余伝や高句麗伝も王→官、
その二つは、王の前に戸数が来ていませんか?
つまり、戸数→王→官。 貴方が言うところの「通常の順序」に反する例じゃないですか。
ついでに言うと沃沮伝も「戸五千、無大君王」と書かれているので戸数→王の例に入れちゃいましょう。
> 韓伝の弁辰韓も王→官→戸数。
辰王は韓伝全体の流れを見ればそうですが、弁辰伝だけを見れば逆かな。
> >「郡使往來常所駐」も4国の記述であるとすると、何か指示詞が欲しいところです。
> どんな指示? なければ、読めませんか?
例えば、韓伝「其十二國屬辰王、辰王常用馬韓人作之世世相繼」みたいな感じかな。
「此四國世有王、皆統屬女王國」とか書いてあれば判りやすいでしょう。
指示が無ければ貴方のような読み方は私には出来ないです。
>>844 吉野ヶ里の王の後継者が伊都王になって、それより優位に立つ女王が邪馬台国に居たり、
「九州王朝」内の政権争奪戦は相かわらず熾烈ですねw
848 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 13:10:16
日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はワイ族の子孫である。この2つの民族は最初から別種なのだ。
戦前に唱えられ、現在も一部の無知な日本人や朝鮮人が唱えている『日韓同祖説(日鮮同祖説)』は学問的な
根拠がまったく無い、妄説である。
■倭人とは何か
シナ揚子江下流地域、浙江、福建、広東、広西、海南、ベトナム、ラオス、台湾、フィリピン、
沖縄諸島、九州、四国、本州、カラ半島南部などに住んでいた、南方アジア系=海洋民族の総称である。
漁業を生業とし、また内陸部の倭人は稲作を中心に農業も行っていた。
■ワイ族とは何か
古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖。
ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀後半には領土が西方に移動し、国号をミマナに改めた。
その後、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。
新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)に対して
侵略を何度も仕掛け、6世紀前半に、ついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。
849 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:18:48
新羅(ケリン)は、やはり原始的な国だったな。
建国王=キム・アルジの誕生伝説の中に、ケリンがシラキを侵略した証拠がある。
なぜ、新羅の役人たちは、全員が倭人だったのか?
ケリン族は漢字の読み書きができなかったから、征服後も倭人の役人を
そのまま使うしかなかったわけだ。
新羅の古い記録には捏造が多いが、それでも、所々に日本語の証跡が見える。
貴族階級を意味する『真骨』の読み方は、「ジンピョ」ではなく、「マホネ」だろう。
マホネは日本語だよね?
850 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:56:14
>>847 >魏志扶余伝や高句麗伝は、王の前に戸数が来ていませんか?
確かに来てますが、国の位置や大きさを書いたからそれに続けた例外的なものと考えます。
官→王は例外も見つかりませんでしたが。
>指示が無ければ貴方のような読み方は私には出来ないです。
まあ、できないと言われるならば仕方ないですね。ご精進次第によっては読めるようになるでしょう。
ただ、あなたの読み方では「世有王皆統属女王国」と「年已に長大」の間に違和感が残ると思いますが。
851 :
夏祭:2008/08/24(日) 22:33:52
サガミハラハラ氏は吉野ヶ里遺跡を邪馬台国としている。
いや、別にそれがいけないから辞めろとか言うんじゃないけど、
邪馬台国に限らなくても、例えば師升等の倭面土国とか。
これを「やまと」と読む説があるが、これはやはり「倭の面土(めど)国」と呼ぶ方が自然だ。
原田大六は、佐賀県目達原(めたはる)や米多(めた)集落に注目して、このあたりに面土地(彼は倭の面土地国とした)国があったとしている。
この目達原や米多集落からそう遠くない所に、なんと吉野ヶ里遺跡がある。
吉野ヶ里遺跡発見の際には、もっとこの原田の面土地国比定が注目されても良かったとは思うが、
邪馬台国の方が感じいいのは確かだ。
個人的には、倭の面土地国ではなくて面土国だと思う。
師升等が治めた国の名前で、長いものには「倭面土地」「倭国土地」「倭面土国」がある。
このことから、「倭面土地」は「倭の面土の地」、
「倭面土国」と意味は対して変わらないと踏んでいる。
852 :
842:2008/08/24(日) 22:57:21
>>850 > まあ、できないと言われるならば仕方ないですね。ご精進次第によっては読めるようになるでしょう。
そういう問題ではないと思います。
> ただ、あなたの読み方では「世有王皆統属女王国」と「年已に長大」の間に違和感が残ると思いますが。
何故?
853 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 23:10:18
>>851 3世紀前半卑弥呼の時代では、
倭面土國の城郭である吉野ヶ里は、もう既にに衰え、
女王國を構成する弱小な一国である不彌國へと変わっています。
魏使の行路が不彌國で終わっているのは、
魏使がここ吉野ヶ里の城郭に到着したことで女王國に到着したことになるからです。
854 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:11:44
夏 祭
と呼ぶ方が自然だ。
あったとしている。
良かったとは思うが
感じいいのは確かだ。
面土国だと思う。
変わらないと踏んでいる。
全 部 思 い 込 み と 主 観 だ け
855 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 23:23:23
三養基郡上峰町上米多にある老松神社に着目中。
857 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:29:18
858 :
日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:54:56
>銅鐸(どうたく)に形が似た青磁器の鐸がこのほど出土
>張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性がある
青磁どころか灰陶もなけりゃ印文陶もないし、弥生土器の器形に鐸もない。
だいたい鼎の一つくらい伝えろや、このスットボケ南京博物院が(嘲笑)
859 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:13:06
>>858 じゃ瓜二つの紋様は鳥がくわえて飛んで来たのかね??答えてみろ。
860 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:18:35
逆S字なんか世界中に見られるだろがアホ。
そういう事は雷文、トウテツ文、龍文、鳳凰文の一つくらい
伝えてから言えよ詐欺師。
861 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:28:51
862 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:31:20
>>860 一部を取り上げて否定しても駄目だぞ、全体的に一致点が多すぎるだろ
これらは偶然の一致か?鋸歯紋、鋸歯紋の内部の斜線、流水紋、波紋、
窓枠様の構成等々、頭に羽の羽人像、太陽、船先の鳥(イビス神)
これらは誰が伝えたって言うんだよ。答えてみろ!
863 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:37:28
>>861 馬鹿の一つ覚えみたいに同じ文章コピペすな。
865 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:54:19
866 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:56:24
867 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:03:02
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
日本には中国土器も中国青銅器も一切伝わってはいない。
868 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:09:51
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
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弥生土器には青磁も鐸という器種もない。サギはやめましょう。
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869 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:45:23
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
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弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
870 :
夏祭:2008/08/25(月) 07:57:57
>>854 >と呼ぶ方が自然だ。
「倭面土」で「やまと」と呼ぶのは明らかにコジツケ。
「倭」を「や」と呼ぶ根拠もないし、
「倭奴」で「倭の奴」なんだから、これも「倭の面土」と呼ぶほうが自然。
>あったとしている。
俺は事実を書いてるだけなんだが?
原田大六が倭面土地国をあの当りに比定した。
これは思い込みでも何でもない事実なんだが。
>良かったとは思うが
>感じいいのは確かだ
え、何か?邪教畿内教信者の俺には、物事の感想を書くことも許されぬ、と?
>面土国だと思う
ちゃんと根拠は示しているが?
>変わらないと踏んでいる
これも根拠は示した。
結論
こういう物の言い方はありふれたもの。
揚げ足取りでもしなければ自説を正当化できないか。そうかそうか。
871 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 10:35:23
>>850 >「年已に長大」
「年已長」しかも「大」
です。
874 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 12:06:16
875 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 12:41:18
876 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:35:30
>>875 >???
?付けるほどの事はないでしょう。
「…已」と「長…」を切り離し考える事の方が、?です。
877 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:38:28
878 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:41:44
879 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:47:07
>>878 すでに論破されたことを繰り返してるだけ
880 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 14:58:35
>>879 論破されたと思い込んでいるのは貴方の間違った判断だし、何がどう論破されたかを具体的に示せず(理解していない)、論破と言う言葉にただ酔いしれてるだけ。
881 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:20:49
>>880 じゃあ、871みたいな思わせぶりを書かずに、みんながなるほど納得というような説明したらいいじゃな〜い。
882 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:21:20
>>879 さあ!
論破されていると言うなら、どこがどのような間違いによって論破されたのか、具体的に示せるはずだ。
未だ出せないのか?
ここは学問板だ、寝言ほざく場所ではないぞw
883 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:41:54
>>882 そんな過去の他人の書き込み探し出すのめんどくせ。
それより、自分の頭の中にある「年已長」しかも「大」の根拠を提示すれば終わりじゃん。
簡単だろ。
884 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:51:09
>>883 簡単な事ではない。
「論破」と言う言葉を安易に使用しない為の布石にもなる内容だ。
論破されたとする言葉の中には必ずその論破された内容を把握するが故に出て来るモノである。過去レスなど探る必要性などなく、
ただ自分の頭の中にあるものをレスすればいいだけだ。
それともやはり、論破という響きに、恋い焦がれての発言か?w
885 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:56:15
>>881 それは違うぞ
「論破」と言う言葉が出た以上、その行為は過去にその事例があるのだから、それを再度提示する必要はない。「論破」されたと認識するヤシが存在するのだから、初披露ではないはずだ
886 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:58:31
>>884 論破という言葉を安易に使いすぎたわw
今、スレ内を検索したら、「年已長」しかも「大」なんていうこと書いてるやつ、
根拠を何も書いてないわ。
他の人同士が議論してるのに、横から根拠もなく書き込んでるだけだった。
だから論破も何も、議論になってなかったw
たしかに君は論破されてないよ。うん。議論してないから。
887 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 16:10:47
>>886 >>879は、はっきりと「論破」と言ってるんだから、君の「議論していない」と言う認識は違うだろう?
私が言ってるんじゃない。
>>879が、全世界に向けて発信したんだよ。
888 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 16:39:06
>>887 だから、879も886もオレ。
オレがオレ自身のレスについて、
論破という言葉を安易に使いすぎた。議論してないヤツが論破されるわけないわw
と、全世界に向って反省したわけ。わかったかい。
>>888 今日はこれ以上追及はしませんが、今後「論破」という言葉を見かけたら
これ以上の追及が用意されることを念頭においてください。
890 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:07:48
論破り
論破ールーム
こんな低レベルなやりとりもうやだ。
893 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:04:30
>>892 > こんな低レベルなやりとりもうやだ。
わかるぞ!ただ九州王朝説は全部そうだぞ!めんどくさいからって逃げたら 論破の合唱だぞ。
トンデモ君にはめんどくさいは通じないぞ!
書け書くんだ! 書け書くんだ!逃げるな!ヂョウ〜
894 :
日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:09:11
河童虫
改め
ドツボ
・・・こんな低レベルなスレは、特別天然記念物並み。
しかし、2ちゃんねるの歴史板で高次元の会話が交わされたことが
いまだかつてあったであろうか?
896 :
夏祭:2008/08/27(水) 08:21:39
897 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 09:00:27
>>895 >高次元の会話
最低二人居ないと成立しないし、独りで話し出したら、ここではトンデモ扱いが関の山。
898 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:07:59
夏祭とプラム・・・屁理屈と視野の狭さが高次元
899 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 12:07:43
まあ、歴史学的に考えると九州説だろうな。
対馬が女王国の勢力下にあったのは確かだし、朝鮮半島の南部の狗邪韓国も
ひょっとしたら同じような状況だったかもしれない。
邪馬台国畿内説を前提にすると、このような状況は非常にアンバランス。
まず、畿内を固め、瀬戸内海を制圧し、その後に九州あるいは壱岐・対馬に
勢力を拡大するのが普通だろう。もちろん、東側が手付かずというのも
ありえない。
そうなると、邪馬台国は、後の大和朝廷よりも強大な勢力を持っていたこと
になる。
この矛盾を解消するための奇説もあるらしいが、無理がある。
やはり、九州北部が最初に力を持った地域だろう。
そこから、勢力が拡大したとすれば、九州南部や中国地方へと伸びる。
そのあとに四国や近畿地方となる。そして東国。
歴史学的に全く無理がないし、記紀の記述もこれを裏付ける。
900 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 12:55:01
太陽神ラー信仰の国々
クダ羅(百済)、ア羅(安羅)、シ羅(新羅)、タン羅(耽羅)、カ羅(伽羅)
マツ羅(松浦)、ヒ羅(平戸)、
901 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 14:38:02
902 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:50:22
>>899 壱岐や対馬は倭人伝にあるとおり、自立した勢力ではない。
邪馬台国が何処にあろうと伊都をとおした関係になる。
心配ご無用。
邪馬台国の女王卑弥呼の墓説がある奈良県桜井市の前方後円墳、
箸墓古墳(3世紀半ば―後半、全長約280メートル)で、前方部正面に
幅60―70メートルと推定される外濠跡が見つかったことが27日、分かった。
外濠の幅は、同じ纒向遺跡にある箸墓以前に築造された古墳と
比べると突出した規模。調査した市教育委員会は「古墳は箸墓の時代から、
急に周囲と隔絶され近寄りがたい存在になった。被葬者の力が
他を圧倒していたことを示すのではないか」としている。
外濠跡はこれまで前方部の側面2カ所で確認されていたが、正面では初めて。
本格的な前方後円墳の始まりとされる箸墓の築造時の墳丘構造を
考える材料になりそうだ。
前方部の南西約60メートルで、古墳側に向かって落ち込む深さ
1.3メートル以上の傾斜を発見。底付近はアシなど湿地に生える植物と
泥が混ざった土層が堆積し、古墳築造時と同時期の土器が
出土したことから、外濠の端と判断した。
*+*+ NIKKEI NET 2008/08/27[18:06] +*+*
904 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:17:12
905 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 22:01:27
箸墓から馬具が見つかっているから、
卑弥呼よりずっと後の墓だと判明してます。
906 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 22:10:54
907 :
夏祭:2008/08/27(水) 22:15:07
>>899 >邪馬台国畿内説を前提にすると、
正確には「邪馬台国畿内自立説を前提にすると」だな。
畿内説は2種類存在する。
一つは、畿内自立説。
これは最初から邪馬台国は畿内で発生し、九州や他に進出した、と言う説。
代表的な論者に小林行雄等が居る。
もっとも、この説だと今お前が指摘している難点が出てくる。
もう一つは、筑紫東遷説。
北九州に発生した進んだ勢力が、畿内を征服して邪馬台国を立てた、と言う説。
代表的な論者に原田大六等が居る。
証拠として、2世紀後半における高地性集落の分布状況等が挙げられる。
畿内自立説よりマシだ。
最も、一部の狂信的な九州論者&九州王朝論者にはどうでもいい話だろうが。
>やはり、九州北部が最初に勢力を持った地域だろう。
>記紀の記述もこれを裏付ける。
まさしくその通り。
ただ、この東遷を2世紀にするか3世紀にするか、
それが邪馬台国東遷論者と東遷畿内論者の違い。
908 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 22:20:44
>それが邪馬台国東遷論者と東遷畿内論者の違い。
どっちも古いだろ。
丹後を忘れてどうする?
909 :
日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:27:01
>邪馬台国畿内自立説
これって、根拠がない説でしょ。
>邪馬台国東遷説
邪馬台国は漢籍にしか出てこない。漢籍に東遷の記述が
一切ないのに、東遷した根拠もまったくない。
百歩譲って東遷したとしても、東遷先は邪馬台国とはいいません。
オーストラリアや米国の両国がイギリスにってしまいます。
箸墓も三角縁神獣鏡も4世紀のものだから、
どちらの説も、成り立ちませんね。
910 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 02:06:28
911 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 02:27:32
土器人ちゃん腹に円く、白く描いてるのは小型の銅鏡じゃないか。?
912 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 14:49:03
箸墓古墳:天皇陵に規模匹敵「卑弥呼の墓」強まる? 周濠、推定より40メートル広く
http://mainichi.jp/enta/art/news/20080827dde041040006000c.html 邪馬台国(やまたいこく)の女王・卑弥呼(ひみこ)の墓との説があり、最古の巨大前方後円墳と
いわれる箸墓(はしはか)古墳(奈良県桜井市、3世紀後半)の前方部で、大規模な周濠(しゅうご
う)跡が見つかった。周濠の幅が従来の推定より約40メートル広く、天皇陵とされる後の大型前方
後円墳に匹敵する規模だったことが判明。ヤマト王権成立を巡る議論の新たな手がかりとなりそうだ。
市教委が5〜7月、前方部前面にあたる水田約110平方メートルを調査し、大きな溝状の落ち込み
(深さ1・3メートル以上)を33メートル分確認。底に水があったことを示す腐植層(植物が腐って
土になった層)があった。落ち込みと墳丘の位置関係や出土した土器の年代から、外濠の一部と判断した。
外濠はこれまで墳丘北側などで一部を検出していた。今回は墳丘南側で確認された。墳丘を一定幅で
一周する馬てい形で、内堤を挟んで内濠と外濠が巡る二重構造であることも、ほぼ確定。周濠を含む古
墳の全長は推定で一回り大きい約450メートルになった。
日本書紀は、箸墓古墳の築造を「昼間は人が夜は神が造った。大坂山の石を山から墓まで人々が連
なり手渡しで運んだ」と、その壮大さを伝えている。墳丘を一定の幅で囲む大規模周濠の存在が明ら
かになったことは、箸墓古墳が前方部の周濠が著しく狭い「箸墓以前」の前方後円墳と一線を画すこ
とを示す。これまで確認された墳丘のふき石や、内堤と墳丘をつなぐ渡り堤の存在と合わせて、箸墓
古墳が後の古墳の原形だったことを改めて裏付けた。【林由紀子】
◇解明へ大きな意義−−寺沢薫・県立橿原考古学研究所総務企画部長(考古学)の話
古墳研究の起点である箸墓古墳の実体がまた一つ解明され、大きな意義がある。前方後円墳の発展
過程で、墳丘の巨大化に伴い周濠の規模も大きくなったのだろう。周濠の深さや大きさは、王と地方
の首長や民衆との距離が一層、隔絶したことを示しており、箸墓古墳の時代にはヤマト王権の力が全
国に及んでいたと考えられる。以下略
913 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 16:44:44
卑弥呼の墓って前方後円墳じゃないって聞いたんだけど。
914 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 16:45:00
畿内大和が前方後円墳の発祥地でもないわけで、無理な論法。
馬具の出る箸墓は、馬のいなかった卑弥呼時代より後世のもの。
915 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 17:06:16
>>914 箸墓は治定陵で発掘できないはずだ馬具などない。
盗掘でもしたか泥棒め!
916 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 17:25:10
>>915 桜井市教育委員会が2000年に実施した周辺部の発掘調査によって、周濠内の堆積土から木製の輪鐙(馬具)が発見されている。
同時に出土した布留1式土器により四世紀のものとされるが、これにより列島内への騎馬文化の流入および東アジアにおける騎馬文化の伝播の理解が従来よりも古く修正されることになった。
ただし周濠内からの出土であることから、古墳本体の築造年代とは関わりのない後世の二次的な出土物である可能性もある。
917 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 18:20:16
>>916 周濠内の堆積土から出土した馬具だって!それをゴミと言います。
考古学的に遺跡の撹乱ですね。
古い携帯電話を周濠内に埋めることにしよう。古墳時代の携帯電話発見となる。
918 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 22:18:32
>>917 堆積層はきっちり層が分かれているから、後世のものが入ったわけではない
というのが、大半の学者の味方だよ。
馬具といっても木製のあぶみだから重みで沈むようなものでもない。
箸墓は布留0の時代に作られたけど、馬具は布留1の層。
馬具の使用が400年以降とする定説からは、箸墓は4C半ば以降になる。
しかし、この馬具がたまたま最古の馬具であったと考えれば箸墓が3Cに
なる可能性が絶対にないとまでは言えない。
>箸墓は布留0の時代に作られたけど
根拠、説明して貰って良いですか?
920 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:18:57
>>919 ウィキペディアに次のようにあります。
墳丘形態や出土遺物の内容から白石太一郎らによって最古級の前方後円墳であると指摘されていたが、陵墓指定範囲の外側の周辺部での発掘調査によって、
墳丘の裾の幅10メートルの周濠の底から布留0式(ふるぜろしき)土器が出土し、古墳時代前期初頭(3世紀半ば)の築造であることが確定した。
921 :
日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:44:05
>>920 箸墓が布留0の時期に作られて、布留0に埋葬祭祀が行われたことは争いがない。
ただし、布留0がいつ頃かは、定まっていない。
昔は布留式(1式以降)は4C後半とされてきた。この年代観では布留1は400年に
なっても使われていたので、箸墓の布留1の層から馬具が出ても矛盾しない。
その後、布留1の前に布留0を設定した。昔の年代観では4C半ばであるが、
今の畿内説は、布留0を3C後半、一方布留1を4C初めまで古くして帳尻を合わせている。
ただ、そうすると布留1の期間が長くなりすぎてちょっと不都合。
そこで、布留1の終わりを古くしたいが、そうもいかない。
一方で、布留0も短期間の型式のはずだったので、こっちも長く出来ない。
かといって、布留0を4C半ばとすると畿内説が成り立たない、という問題がある。
あきらめて布留0を4Cにすればよいのだが、そうもいかない畿内説というところか。
923 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:00:41
あきらめが悪いのは九州説も同じだけどな。
と無知蒙昧な
>>923が主張していますが、ここはスルーしましょう。
925 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:08:00
箸墓は大きすぎる。
だから、後円部が先に作られ、前方部は後から付け足されたなんて説ができた。
でも、発掘調査で同時に作られたことがわかった。
これからもわかるように、まず、「箸墓=卑弥呼の墓」という前提があり、
これを元に説が立てられる。
布留0式の年代設定も同じようなものだろう。
926 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:36:14
黒い馬でも白馬と言い切ってしまう畿内説。
>>922 元々の「布留0」提唱者の寺澤だと3世紀後半だったな・・・。
まあ古墳時代の始まりを3世期末〜4世紀とする昔の年代観の基になった小林の説だと
三角縁を舶載と言う事を前提にしているしなあw
九州説側がそれに固執するのは傍から見て滑稽と感じないでもないwwwww
928 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:50:23
邪馬台国九州説という思想。
邪馬台国畿内説という考古学。
929 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:54:48
× 邪馬台国畿内説という考古学。
○ 邪馬台国畿内説という捏造考古学。
年代観が畿内説、九州説と言う立場に関らずバラバラな現状ではねえ・・・
九州説でも纏向の初期型前方後円墳の出現を3世紀とする学者もいるし
何故かこの板だとほとんどいないみたいだけどw
まあ「九州王朝説」や「東遷説」からは到底認められんのだろうがwwwww
931 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:33:21
土器編年による地域間年代差推定に根拠なし。
C14からやり直し。
932 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:49:36
>>931 ホケノの木棺のC14測定で築造年代が3世紀前半に遡るってのはおk?wwwwwwww
933 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 03:05:53
邪馬台国九州説という迷信。
邪馬台国畿内説という科学。
934 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 03:17:29
邪馬台国九州説は学説。
邪馬台国畿内説は捏造に支えられた妄想。。
935 :
夏祭:2008/08/29(金) 07:33:37
邪馬台国論争業界の現状
九州説と言う小説(作家主導)
畿内説と言う科学(考古学者主導)
宮内庁推奨官製宗教: 畿内説
937 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:25:57
夏祭という非科学人間
938 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:31:47
サイキバ君乙w
939 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:32:25
>>932 しかし、布留0を3C前半にする学者はさすがにいないなあwww
940 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 13:47:59
邪馬台国九州説を語るホラ吹き大魔王。
邪馬台国畿内説を語る善良な国民。
941 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 14:46:31
・・・という妄想は畿内説の専売特許
942 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 14:56:51
>>932 C14の測定では、年代が古くなる傾向がある。
木材に残留する放射性炭素の量で、年代を調べるわけだが、そのためには、
もともとどれくらいの放射性炭素があったかが重要になる。
簡単な例を挙げると、
元々100単位の放射性炭素があったと想定されていて、現在90単位だとすれば、
10単位減っていることになり、これを元に木材の伐採年代が決まる。
しかし、元々98単位しかなかったとすれば、8単位しか減っていないことになる。
8単位しか減っていないのに、10単位減ったものとして計算される。
だから、古くなるのだろう。
較正曲線は、世界共通らしい。つまり、同じ時代ならば、世界中どこでも
同じ放射性炭素の量が基準となる。これがどうも怪しい。
各地で異なると考えるほうが自然だろう。
943 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 15:24:16
× C14の測定では、年代が古くなる傾向がある。
○ C14の測定では、土器編年で推定されていた年代と比較して
畿内の遺跡はあまり変わらないが、九州〜中国の遺跡は
年代が古くなる傾向がある。
944 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 17:05:02
土器偏年もどんなもんだろうねえ。
畿内の土器編年も、池上・曽根遺跡のC14と年輪年代による木材の測定から
遡ったわけだから。
土器の絶対編年は基準がないから、かなり難しい。
相対編年も、専門家が模様などに注目して、古い順に並べるわけだが、
なるほどと思わせるものはあるとしても、それが絶対とも言えないらしい。
いい加減に「編年」と言う言葉の意味を正しく理解しようよ。
「絶対編年」って何だよ・・・
>942
>しかし、元々98単位しかなかったとすれば、8単位しか減っていないことになる。
もともと98単位しかない可能性が想定しにくい。
自然界で存在する炭素のほとんどはC12、C13で占められており、C14は自然界にはほとんど存在しない。
C12、C13が宇宙からの放射線の作用により、C14へとある一定の確率で変化するが、それらのほとんどは
炭酸ガス由来の炭素と反応する。植物はその空気中の炭酸ガスから炭素を吸収して、組織を作る。
そのときに、C14も植物の中に含まれる。C14は多くの炭素の中の微少な割合の炭素に過ぎない。
太陽黒点などの状態により、放射線の量が変化する場合がある。C14の減少曲線はリビー値という
表で国際的に決められているが、放射線の変化により変化するため、その修正を行った修正リビー値という
物が今では普通に使われている。大気循環から考えて、日本周辺でドームで覆って、大気の入れ替わりが
無いとでも仮定しない限り、日本だけリビー値が違うという議論は出来ない。
947 :
夏祭:2008/08/29(金) 21:44:12
948 :
日本@名無史さん:2008/08/29(金) 22:30:25
違うだろ。
戦後に脚光を浴びた津田左右吉の、畿内自生説が官製説。
畿内自生説は、夏祭とともに絶滅予定。
949 :
(´・ω・`) :2008/08/30(土) 00:32:19
>>839 >後代世位立子以適の「世」を代々(世襲)と訳せるのは、前文の「古者以天下為公唯賢是與」
という前置きがあるからこそ、後文の「世」を代々と訳せるという環境下にある「世」です
前文の「前の世の代」の「古者以天下為公唯賢是與」に対し単に「後の世の代」でしょ。てどうして代々?
950 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 00:34:05
>>946 勉強になるっすwww
しかし出てくる値の幅が大きいし、土器に付着した炭化物だと
どうしてか古い年代が出てきてしまうとか言う問題もあると聞くし・・・
やっぱ年輪年代に期待wwwww
しかし考えてみれば、理化学的年代測定で九州説に有利な
それこそ「古墳時代は4世紀から」なんて年代観を担保するような
データってあったっけ?
951 :
どくだみ:2008/08/30(土) 01:47:34
>>949 「後の世の代」って、日本語としておかしいことに気付かないかい?
「後の世」「後代」どちらも同じ意味。同じ意味の言葉を融合して「後の世の代」
ついでに言えば、「後代世位立子以適」とは語順が変わってる。
「後代世」と区切って、「後の代の世」と読むんなら、
「世」と「代」って、それぞれ違う意味でなければならないけれど、どういう意味?
以上は揚げ足取り。本題は以下。
「古者以天下為公,唯賢是與.後代世位,立子以適」
という言葉は、礼記礼運篇の
「大道の世は、堯から舜へ、舜から禹へと、天子が禅譲によって位を賢人に与えた。
小康の世である夏・殷・周の時代になると、天子が自分の子を太子に立てて、
位を世襲するようになった」
という孔子の言葉を下敷きにしているの。
当時の儒者には常識以前の話。
読んだ人は、「ああ、あの話ね」とすぐにわかる。
だから、「後代世位」というのは、「夏殷周は位を世襲した」という意味で、
そもそも「後の世の代」になんてなりえない。
952 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 07:56:19
>>949 「世」が時間なら「代」は人
「世」が人なら「世」は時間
そう区別出来れば、世と代を並列使用しても違和感が無い。
953 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 09:37:55
『世有王皆統屬女王國』
ここに書かれている『世』を、治世と言う時代や人の世襲という時間間隔で捉える事は出来ない。
(それは何故か?)
既にこの文章には「女王國」と言う、女が王とする時間帯をもって、対象となる時間帯が限定されているから「世」を時間間隔とし、二重に時間を設定することはない。
↑意味プ。
>>954 意味プ。と言う抽象的な表現ではなく、具体的に指摘しよう。
956 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:05:11
>>948 久しぶりに笑わせてもらったよ。
君は津田左右吉が畿内論者だと思ってたのかい?
彼は自著ではっきりと「山門郡の女酋」と言ってるんだがね。
そして俺は邪馬台国畿内自立論者ではないんだが?
筑紫東遷畿内論者なんだがね。
大体、畿内自立論なんて「神武東征」を覆すような説を、
右翼思想に凝り固まった自民党が広めるわけもないだろう?
>>955 > 意味プ。と言う抽象的な表現ではなく、具体的に指摘しよう。
意味プラム
>>957 >意味プラム
それでヨシ。
以後注意するように(^O^)/
959 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:53:29
960 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 12:38:08
『世有王皆統屬女王國』
…魏志倭人伝…
『其國王皆屬女王也』
…魏略…
この二つの文の違いを考えるのも面白い。
961 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:09:31
>>956=夏祭
ほう、お前は、加齢臭漂う筑紫東遷畿内論者ね。
記紀に述べられている東遷ってどんな内容か、しっかり読んだことないでしょ。
軍国主義国家大日本帝国の国史(笑)そのまま、60余年以前の解釈だなあ。
962 :
(´・ω・`) :2008/08/30(土) 18:45:51
『後代世位立子以適』の意味
「後の代(夏殷周)には位を世襲(代々)した、子を立てるを以って適う」
では変でしょ
「後の世の代(夏殷周)には位に子を立てるを以って適う」
世位が世襲(代々)なら立子以適と意味がダブル。
963 :
(´・ω・`) :2008/08/30(土) 19:54:18
>>952 「代」は代わるの意味。
「世」は○○王朝の世。
「代世」は王朝交代。
後の交代した各王朝では、位に子を立てるを以って適う。
964 :
(´・ω・`) :2008/08/30(土) 20:31:24
「世」を代々なんて訳せいし必要もない。
やっぱり「世世」が代々だな。
>>962 ダブルじゃないだろう。
今の感覚で読んじゃだめだよ
それまでは世襲という概念がなく賢者による禅譲行為、それを
子供を後継ぎとする行為が、後の世行われた。
つまり
世襲の誕生だよ
世位(後の世襲)とはどのようなモノか説明した語句が「立子以適」
966 :
河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/08/30(土) 20:41:12
>>964 「世」も代々と言う意味を持つし、「世世」も代々の意味を持つ。
ただ、代々にも色々な使われ方があり、その使途により区別し使われる。
漢籍で調べればわかるはず。
967 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:36:56
以下、プラムが字引を引くだけのレスが、33回。
968 :
(´・ω・`) :2008/08/30(土) 21:37:31
>それまでは世襲という概念がなく賢者による禅譲行為、それを
>子供を後継ぎとする行為が、後の世行われた。
全体の意味は正しいけど
『世位』なる熟語あるの??
「『位立子以適』子供を後継ぎとする行為が
『後代世』後の世行われた。」では。
969 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:40:20
(´・ω・`) ← この人も倭臭のする漢文読みだね。
>>968 >『世位』なる熟語あるの??
誰か熟語なんて言ったの?
971 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 22:56:08
973 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:20:17
974 :
日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:53:34
邪馬台国九州説を語る得体の知れない細菌
邪馬台国畿内説を語る知的生命体
975 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:03:28
976 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:37:12
>>975 邪馬台国畿内説を語る人は知的レベルが高いということですね。
もうすぐ奈良県から率善中郎将の銀印が出土して邪馬台国は大和国になる。
977 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:41:14
もうすぐ大和三山から、田中貴金属製の金印と阿蘇山の碑が出てきて、
学会は一気に畿内説で統一される。(藤村新一氏談)
978 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:52:51
それから鏡百五枚を埋めとくけど、マキムクのどこがいい?
希望がなけりゃ、箸墓にこっそり埋めとくわ。(藤村新一氏談)
979 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:24:06
>>977-978 お金ないから金地金も銅地金も買えないお〜
ゴット・ハンド氏
学会追放されて一般市民になった人を実名フルネームですか・・・
980 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:45:19
彼と二人三脚で発掘してきたOさんは今何をやっているのかなあ。
・・・と思ったら、あの事件のあとも本を出しているね・・・
御用学者はつええな
982 :
日本@名無史さん:2008/08/31(日) 09:19:52
隋国の役人が、「即ち・・」と随書のなかで、ヤマトに関しての
混乱を断定形で正して見解している。
遣隋使の使者や返礼者としてヤマトを訪れた裴(世)清ら一行の報告
をもって、その混乱も解消した。
「即ち魏志に云うところの邪馬臺なり」
(原文=邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也)
この裴(世)清の来日の件は日本書紀では、推古天皇16年の条で大唐
とされている。
日本書記の編者らは隋から唐への革命による政権移行が正しく認識で
きていなかったことは事実である。
これをもって、九州説諸氏はこの条項に反論しているが、ヤマト側に
よる中国(隋や唐)の認識よりも、要は隋国の使者が正しくヤマト側の
ことを伝えていればそれでよいのである。
983 :
(´・ω・`) :2008/08/31(日) 09:36:01
>>970 誰か熟語なんて言ったの?
>>965 『世位(後の世襲)とはどのようなモノか説明した語句が「立子以適」』と世位を世襲と同じ熟語と言っている。
>>966 >漢籍で調べればわかるはず。
別に「世」に代々の意味が全く無いとは言っていない。
『後代世位立子以適』これ
『後代 世位 立子以適』×
『後代世 位立子以適』 or 『後代世 位 立子以適』○
984 :
(´・ω・`) :2008/08/31(日) 10:33:12
『後代世』の代を世、世を代々の意味に採るのは恣意的解釈。
代の本来の意味は代わる、世の本来の意味は世(30年くらいの年)。
代世の意味は世代に近い意味。
>>983 >『後代世 位立子以適』 or 『後代世 位 立子以適』○
「後代世位 立子以適」じゃない?
「古者以天下為公」の対となるのが「後代世位」
「唯賢是與」の対となるのが「立子以適」
古者以天下為公唯賢是與という慣習が、後に「立位立子以適」となり、「「立位立子以適」という行為が後に世襲」という
語句で表された
>>985 訂正
「立位立子以適」・・・・・×
「世位立子以適」・・・・・○
失礼しました。
ただここでの「後代世位立子以適」の「世」を(代々)訳す事はこの文章では
言えないという事は私も同じ意見
この文章だけでは
親から子に引き継ぐという意味にしかとれない。
親から子に引き継ぐ事と
親から子に、子から孫に、孫から曾孫に、曾孫から玄孫に
は、どちらも親から子に引き継ぐ行為だがいくぶん意味が異なる。
988 :
(´・ω・`) :2008/08/31(日) 11:32:30
「後代世位」では文章として中途半端で未完成。
切るなら「後代世」。
「立子以適」は「位」の説明とした方がすっきりする。
「世位」で「位を襲う」と言う意味が有るからねえ。
「世」と「位」は別けないで考えた方が判り易いけどな。
>>988 >「後代世位」では文章として中途半端で未完成。
そりゃ当然未完成だよ
「古者以天下為公唯賢是與後代世位立子以適」で一つの文章だから
991 :
(´・ω・`) :2008/08/31(日) 12:42:34
とにかく陳寿が魏書で、代々の意味には「世世」を使って「世」は代々ではないと分かればよい。
>>991 >とにかく陳寿が魏書で、代々の意味には「世世」を使って「世」は代々ではないと分かればよい。
いや、それは違う
陳寿は魏書内で「世」を(代々)という意味で使用しているし、「世世」も(代々)の意味でしようしている。
しかし、魏書内で「世」が全て(代々)という意味で使用されていないことも確かだ
魏書内の「世」の大部分が(代々)という意味で使用されているから、倭人伝内の「世有王皆統属女王国」の「世」も(代々)というのは余りにも
安易すぎるし、強引である事も確かだ。 文字の意味は文章に左右されるから
第一、この「世有王皆統属女王国」の世に(代々)と意味を解す環境はない。
993 :
どくだみ:2008/08/31(日) 13:54:29
>>962 >子を立てるを以って適う
「以」の読み方が間違ってますよ。これだったら、「以立子適」でしょう。原文は「立子以適」。語順が違うよ。
高校の漢文で習う基礎をバカにしてはいけません。基礎ができていれば、こういう間違いはしません。
この文は「後代世位,立子以適;若適嗣不繼,則宜取旁親明コ」
「後代 位を世(よよ)にし、子を立つるには適(ちゃく)を以てす。
若し適嗣繼がざれば,則ち宜しく旁親の明コなるを取るべし」
であって、世位は位を父から子へ伝えるの意味で、
立子以適は、世位では嫡子相続が本筋であると言っているのです。
だから意味はダブりません。ちなみに適と嫡は同じ意味に用います。
ですから、
>『後代世 位立子以適』 or 『後代世 位 立子以適』
このように句読を切ってしまうと、さっぱり意味が通らなくなります。
>『後代世』の代を世、世を代々の意味に採るのは恣意的解釈。
>代の本来の意味は代わる、世の本来の意味は世(30年くらいの年)。
一世三十年であることは、説文などにあるように、おっしゃるとおりです。
しかし、同時に、周礼・秋官・大行人の注に
「父死子立、曰世」(父死し子立つを世と曰う)
とあるように、恣意的な解釈ではありません。
九州王朝説は寄生虫のような存在である
その支持者のすることのできることといえば、
畿内説や日本書紀や古事記の記述の矛盾点を突くぐらいであり、
かなしいかな畿内説に依存する存在である
自分自身では何もできず、ただただ畿内説の矛盾を栄養源にして増殖するだけ
「九州説」なるものは実在しない
「アンチ畿内説」が存在するだけである
↓ ↓ ↓
そ れ を 言 っ た ら お し ま い で し ょ − が !
995 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:41:07
ここも夏祭が荒らしてるのか
おまえおもしれーな
おまえ九州説とか分からない奴だろ
つまらん奴がスレ汚しするな
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
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998 :
日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:57:37
夏祭は、少し反省したらどうだ?
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決着はつきましたね 九州王朝信者さん
やい九州信者君
せめて、「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」ことをどう説明するか言えよ
そしたら相手してやるよ
またはお前からお題を振ってみろ
絶対に黙らせてやる自信あるから
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。