【奈良】連投が日本史を語るスレ【京都】

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1日本@名無史さん
国内旅行板で空気を読まない連続投稿を行っている
自称『連投タン』に思う存分日本史、特に古代史を
語って頂くスレです。

参考スレ(国内旅行板より)
【連投用】関西をマターリ語るスレッド3
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/travel/1198122981/1-
2日本@名無史さん:2008/01/23(水) 16:17:10
3日本@名無史さん:2008/01/23(水) 17:33:00
431 :列島縦断名無しさん :2008/01/23(水) 17:05:21 ID:aZWAhUspO
違う
ここまでのころころと話が変わった自分の過去のレスを写すのが、まんどくさいから、板を遷すなら、張り付けてって言ったの!
はっきり言って飛鳥は南伝仏教とアンコール王朝以前の水信仰、景教の教えが隠された他に類を見ない土地
邪馬台国の壱は卑弥呼ではなく、卑弥呼の後継であった壱の字をもつ少女のことを指すのかもしれない
微妙に年代が重なる可能性がある
ぎ志倭人伝のみでなく、三国志にも、卑弥呼はその名を遺す
だいたいの推理は前レスの通り、甘樫の丘を調査する必要性も感じる
水信仰の影響をみる中で重要な寺、桜井の聖林寺だ
城壁のような石垣に建つ寺、水信仰の名残、南伝仏教の影響を受けた寺の可能性がある
火教ではなく、さまざまな要素を含む南伝仏教が稲作と同時に日本に伝わる
アンコール王朝以前、アンコールの基になる水信仰の影響を受けた水と石の都が卑弥呼によって飛鳥から巻向にかけて造られる
その後景教を信仰する蘇我馬子や橘氏が登場し、卑弥呼は飛鳥の地を追われ、まきむく遺跡から、山の辺の道へと追われた
やがて、平城京の時代を迎え、卑弥呼の地を引く藤原氏が歴史の舞台に踊り出る
この頃からまた信仰は、南伝仏教へと傾斜していく
今まで、邪馬台国の位置が特定できなかったわけ
それは、歴史のプロが、中国と韓国にばかり目を向けて、南伝仏教を考慮にいれなかったから
卑弥呼の鏡に通じる長江文明に目を向けなかったからだ
カンボジアの長江文明の影響を受けた都市を視野に入れて、邪馬台国の位置を探って行くと、矛盾のないルートが見えてくる
飛鳥の水落遺跡、石神遺跡は邪馬台国の謎を解く重要な鍵だ
また、甘樫の丘も単なる丘ではない可能性がある
今回の日文研(京都市)の発見に通じる要素があまりにも多い
水の祭壇を伴う円墳墓が隣接した重要な遺跡の可能性が高い
4日本@名無史さん:2008/01/23(水) 17:34:06
432 :列島縦断名無しさん :2008/01/23(水) 17:08:44 ID:aZWAhUspO
少なくとも、アンコール王朝以前のカンボジアと邪馬台国、南伝仏教と邪馬台国の関係、水信仰と飛鳥の石遺跡の関係を記した文献を連投タンは知らない
これらのすべてを視野に入れて、分析しないと、邪馬台国の謎は解けないはず
置田雅昭先生と天理大学が持つレーダ調査技術に期待します!
5日本@名無史さん:2008/01/23(水) 23:35:54
天理参考館で、
古代天理の火葬墓
というめずらしい展示がもうすぐはじまるらしい
楽しみだ
6日本@名無史さん:2008/01/23(水) 23:42:53
実は、桜井には、ガイドブックに載らない古代の墳墓がたくさん存在する忍坂(おっさか)という地域がある
ここにあるのが、石位寺だ
山の辺の道のかよう環状集落をぬけると、手白香皇女ふすま田陵がある
ひときわ大きな円墳だ
7日本@名無史さん:2008/01/23(水) 23:55:18
この近くには、夜都岐(やとぎ)神社という神社があり、春日大社の四神をまつる
四神は高松塚古墳に共通する
金屋の石仏という繊細な線で刻まれた釈迦如来と弥勒様
平等寺や大御輪寺(現若宮神社)のような大神神社の神宮寺もある
神武天皇の后、五十鈴姫が住んでいたとされる地域の狭井(さい)神社には、狭井のご神水と言われる薬井戸がある
8日本@名無史さん:2008/01/24(木) 00:01:00
実は連投タンが、柿本人麻呂の歌に出てくる伊勢について、すごーく気になる神社がある
日本書紀にも登場する檜原神社だ
崇神天皇が天照大神をまつり、三種の神器のうち、剣と鏡を安置したと言われる神社だ
9日本@名無史さん:2008/01/24(木) 00:08:15
伊勢斎王宮後から、檜原神社を通り、淡路島の伊勢の森をに結ぶ線のように、春分と秋分に太陽が通ると言われている
同じような伝承は、南山城地域の浄瑠璃寺の石灯籠にもある
太陽信仰は確かにあったようだ
10日本@名無史さん:2008/01/24(木) 07:19:34
と、くるくる付きがいっておりますゆえ手と手を合わせてなんまいだーと念じましょう
11日本@名無史さん:2008/01/24(木) 11:39:18
まだ、ある!
その檜原神社からは、折口信夫の死者の書でも、重要視されている二上山が見えるんだよ
夕日みたら、ごっつうきれいなんだお!
大神神社は三輪山がご身体、かつては、二上山がご身体であった可能性もある
しかも、卑弥呼の墓とも言われている箸墓とこの檜原神社、すごーく近くにあるんだな
あと、景行天皇陵が巻向駅の近くにあってな、この近くに相撲神社があり、巻向が相撲発祥の地と言われているんだな
あと、歴史があまり書かない神社に穴師坐兵主神社というのがある
三輪山の奥深く、巻向山の最高峰・弓月ケ丘に上社、ここに下社があったが、中世のころにここに一つにまとめられたという
大神神社や石上神宮と並ぶ大社だったのに、祭神、由来のすべてが謎に包まれている
背後にはこんもりとした山
今から、すごいことを書く
卑弥呼が死んだ時に百人もの人間が、同時に死んでいる
『穴師』『兵』『主』神社
この神社、卑弥呼ゆかりの可能性を否定できないと思う
しかも、まきむくといえば、景行天皇纏向日代宮のあった地である
しかも、飛鳥に近い
飛鳥を追われた卑弥呼(仏教)VS景教の戦い(勢力争い)は、飛鳥から、山の辺の道にまでの広範囲に及んだ
石上神宮は石神遺跡に通じ、かつては、武器庫
檜原神社と石神神宮、日本書紀にも登場するこれらの神社は卑弥呼ゆかりの神社である可能性がある
平安時代に始まった奈良のおん祭りにおいても、相撲が奉納される
卑弥呼の舞とは、おん祭りに登場する古式ゆかしき祭りで、怨祭り、怨みを鎮める祭りであった可能性はないだろうか?
鯖が限界に来て、この板に追いやられたけどな・・
12日本@名無史さん:2008/01/24(木) 11:49:59
三輪山の三輪とは、火・水・日を意味する可能性はないだろうか
檜原神社の鳥居は三ツ鳥居である
祭神ではなく、水の祭壇のようなものがあった可能性はないだろうか?
穴師坐神社の小さな三つの神殿にまつられているのは何か?
そこに邪馬台国をひもとく鍵があるかもしれない
坐神社といえば、飛鳥にも、飛鳥坐神社というのがあり、ここにも飛鳥坐神社のおんだ祭りという奇祭がある
「おん」は「御」に通じ、「恩」に通じ、たは「田」に通じる。
また、「おん」まつりの「おん」にも、通じる
飛鳥坐神社の天狗とお多福のセクルの真似ごとは有名であるが、これは、五穀豊穣
13日本@名無史さん:2008/01/24(木) 11:51:58
三輪山の三輪とは、火・水・日を意味する可能性はないだろうか
檜原神社の鳥居は三ツ鳥居である
祭神ではなく、水の祭壇のようなものがあった可能性はないだろうか?
穴師坐神社の小さな三つの神殿にまつられているのは何か?
そこに邪馬台国をひもとく鍵があるかもしれない
坐神社といえば、飛鳥にも、飛鳥坐神社というのがあり、ここにも飛鳥坐神社のおんだ祭りという奇祭がある
「おん」は「御」に通じ、「恩」に通じ、たは「田」に通じる。
また、「おん」まつりの「おん」にも、通じる
飛鳥坐神社の天狗とお多福のセクルの真似ごとは有名であるが、これは、五穀豊穣や子孫繁栄、国の栄を祈った祭りではなかったか?
奈良のおん祭りと飛鳥坐神社のおんだ祭りと、長江文明における祭りを比較することも、卑弥呼研究には、無意味ではないと思われる
14日本@名無史さん:2008/01/24(木) 14:19:48
連投タンが卑弥呼の謎を解く上で気になる存在
それは、万葉集や日本書紀に登場する海石榴市(つばいち)だ
この海石市榴には、小さな観音堂がある
海石榴市観音と言われる自社だ
加えて謡曲『三輪』に登場する興福寺の高僧玄賓が晩年庵を結んだとされている玄賓庵だ
連投タンはこの古寺に邪馬台国、古代奈良の歴史の謎を解く鍵となる文献が眠っている可能性をかんじている
15日本@名無史さん:2008/01/24(木) 14:31:58
玄賓←何か気付きませんか
『玄』武
『賓』客
玄賓とは、飛鳥ゆかりの人物かもしれない
16日本@名無史さん:2008/01/24(木) 14:42:58
継体天皇と手白香皇女にまつわる逸話と、柿本人麻呂の辞世の句、すっきりいかない?
飛鳥〜山の辺の道にかけて、争いがあったり、卑弥呼と関連があるんじゃないかなも、大和の古道も重なりあうでしょ
柿本人麻呂の辞世の句とされているのは、実は、挽歌、弔歌だった可能性もある
こうなると、柿本人麻呂の没年は、これまでの伝承とは異なる
となると、この歌を送られた人物は、継体天皇にゆかりがあり、謀反等でその地位をおとしめられた人間となる
17日本@名無史さん:2008/01/24(木) 14:57:44
手白香皇女と橘仲皇女、春日山田皇女は兄弟
そして、天皇系譜には、市辺押盤皇子が手白香皇女の数代前に登場する
また、失われた三代、三代略としか表記されない皇室系譜は、継体天皇と橘諸兄の前にしか登場しない
18日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:19:28
もし、柿本人麻呂の辞世の句とされている歌を弔いの歌とするなら、柿本人麻呂=橘諸兄説は成立する
石位寺を持つ忍坂(おっさか)を平家の落ち武者のように卑弥呼の落ち武者、あるいは、景教の落ち武者が隠れ住んだ里と考えたら、つじつまがあわないだろうか?
市辺押盤皇子と海石榴市の関連性も気になるところだ
天皇系譜初代の名は応神天皇、神に応ことを意味する名前である
卑弥呼との関係は否定できないと思う
19日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:26:43
忍坂と石位寺を視野に入れると、邪馬台国の矛盾は極めて少なくなる。
柿本人麻呂の辞世の句とされている歌を弔いの歌と考えると、これ、また、矛盾はうんと少なくなる
20日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:35:58
柿本人麻呂研究をする上で必要なこと、それは、柿本人麻呂の歌と神祇歌、関西の寺社仏閣の縁起、古墳の年代の比較だとおもいます
21日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:41:48
こう考えると、近江京やしがらきの宮は、すごーく大切な歴史上の場所
その発掘を途中でやめるとは、もう、あほか、馬鹿かと
世界遺産の可能性すら、ないわけではないのに
22日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:48:45
市辺押盤皇子の話を考慮に入れると、矢の神話の話もつながるよ
23日本@名無史さん:2008/01/24(木) 15:52:06
神話の二本の矢についてのレスをくださった方へ
前レスが回答だお
プァオーン
奈良の鹿タン、かわいいお(*^_^*)
でも、煎餅あげたら、お辞儀しておねだりする礼儀正しい食い意地のはった奴だよ
24日本@名無史さん:2008/01/24(木) 16:53:26
飛鳥と景教や南伝仏教と聖徳太子の関連を考える上で重要な仏教経典にしょうまん経がある
これを訳したのは、求那ば陀羅
インドのはしのく王の娘しょうまん夫人が、仏徳をたたえ、仏法の真実を説き、聖徳太子が加筆したとされているものだ
ちなみに聖徳太子がしょうまん経を講じたとされているしょうまん院は大阪市の天皇寺区にあり、本尊は愛染明王
25日本@名無史さん:2008/01/24(木) 16:53:56
訂正
天皇寺区→天王寺区
26日本@名無史さん:2008/01/24(木) 17:21:12
というわけで、しょうまん経を視野に入れると、連投タンの長江文明の影響を受けたカンボジアの都市経由説や南伝仏教説も矛盾しない
これも、論破したお!
問題はしょうまん経典の内容だな
27日本@名無史さん:2008/01/24(木) 18:14:26
ちなみに愛染明王を旅行レスで出したのは、それで
安倍文殊院は、文殊菩薩が獅子に乗っていて、獅子がほえているから
文殊菩薩としょうまん経って、関係あるのかな?
28日本@名無史さん:2008/01/24(木) 18:35:36
また、古代インドの学問の分類で、五明(ごみょう)の一つに声明(しょうみょう)があり、中世には声明師と呼ばれる陰明師も登場する
ダビデの星に似た五角を持つ星は、五明に通ずる
これが、陰明師を出した理由
29日本@名無史さん:2008/01/24(木) 18:55:26
因明(いんみょう)は古代はインドの論理学
因明論疏明燈抄という文献もあり、日本では、奈良時代に中国から伝わり、元興寺を中心に研究されたとされているが、元興寺は飛鳥寺を遷した寺である
30日本@名無史さん:2008/01/24(木) 19:02:51
インドの学問である五明とは、因明、声明、工巧明、内明、医方明を指し、これらは、飛鳥の文化に通ずる
31日本@名無史さん:2008/01/24(木) 19:13:15
とすると、気になるのが、安倍文殊院を創建したとされる安倍倉梯麻呂と、西、あかい、くさ墓の三つの古墳になってくる
32日本@名無史さん:2008/01/24(木) 19:24:46
ガンジス川地域、インドを含めて、飛鳥をみると、五明という観点から、桜井と飛鳥がつながる
そして、安倍倉梯麻呂は明日香姫と橘氏に関係して、飛鳥につながる
これが、飛鳥と卑弥呼、陰明師と安倍晴明の関係を指摘して、安倍文殊院の古墳も重要なポイントとした理由
今日の連投タン的歴史考察はここまでです
33日本@名無史さん:2008/01/24(木) 19:29:37
そして、隠された十字架につながる謎
それは、当時五明の内、内明(仏教学)ではなく、因明(論理学)が学ばれていたことだ
34日本@名無史さん:2008/01/24(木) 19:36:19
日本史板の皆さんこれでイイのかな?

443 :列島縦断名無しさん :2008/01/24(木) 19:32:06 ID:kZLg+us4O
日本史スレで論破してやった!
隠れたスポットも紹介したお!

賢明な日本史板の皆さんがスルーしているのを勘違いした
連投のバカが国内旅行板で勝利宣言してますな。
35日本@名無史さん:2008/01/28(月) 00:14:19
ロシア聖教と景教と共通する教義とか、あるのかな?
ロシア聖教の寺院って、どうみても、シルクロードの雰囲気があるんだよね
36日本@名無史さん:2008/01/28(月) 11:41:45
あと、ロシア聖教は、教会じゃなくて、アラビア風のモスクなんだよね
欧米の影響が出て、今のような形になった
祈りの場所も、当初のロシア聖教と今のロシア聖教で異なる
ロシア聖教のモスクが数多く残り、欧米の影響を受ける以前のロシア聖教のモスクが残るところは、エルミタージュになる
ロシア聖教のモスクの頂上も、神様や仏様の宝珠の形って、良く似ているよね
もしかしたら、景教やキリスト教が、シルクロードを通り、中国や日本にくるうちに、寺社やモスクに形を変えたのかなと思ったんだよね
宝珠の形とモスクの頂上がスライムみたいな形で、共通していることが気になるんだよね
一つ気になるのが、奈良の十輪院
元は元興寺の別院であったこと
時代は鎌倉で合わないけど、本尊の地蔵菩薩と弥勒菩薩の浮き彫りと天女の線描
取り壊されたお寺が、鎌倉時代に復興されたことが多いこと
これって、キリスト・マリア・天使に通じるんだよね
あと、南東語だとイエスキリストはジーザス・クライシスだったと思う
ジーザス→地蔵の可能性はないのかな
地蔵信仰と景教に何等かの関係があった可能性
あと、狐信仰とどうして纏向まで広げる必要があるのかの理由は、旅行板に書いてある
37日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:41:31
馬鹿が手を抜いたのでコピペ

453 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:19:21 ID:iCLs9meJO
もうすぐ節分だ!
奈良はイベント多いよな!
でも、あおによし鹿男の舞台って、奈良だよね
連投タンの疑問
どうして、奈良を代表する源九郎稲荷じゃないんだろう?
四月には、源九郎稲荷白狐って、イベントもあるのにな

454 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:24:53 ID:iCLs9meJO
じゃあ、もう一つ、歴史ネタ、行きますね
すんごくマイナーだけど
連投タン的が、纏向だけでなく、吉野も視野にいれるべきと言った根拠となる吉野の神社を下に書く。ガイドブックに載らない神社だ
いくぞ
浄見原神社
この浄見原神社には国栖奏という行事があって、旧暦正月十四日に行われるのだ
この意味がわかるかな?
( ̄―+ ̄)ニヤリ
38日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:42:37
455 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:49:22 ID:iCLs9meJO
あと、稗田阿礼を考える上で、避けられない神社が奈良にあるんだな
売太神社
奈良の売太神社には、阿礼祭りというお祭りがあるんだな
なぜ売太神社なのか、なぜ阿礼の名を冠した祭りがあるのか?
この意味、わかるかな?
(屮゜Д゜)屮

456 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 11:56:23 ID:iCLs9meJO
連投タン的には、八月の阿礼祭りの舞いと巫女舞いを比較したいと思っている
奈良のおんまつりにつぐ規模のちゃんちゃん祭りと源九郎稲荷白狐が同じ四月なのも、気になるところ

457 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:00:48 ID:iCLs9meJO
売太神社の祭神は、稗田阿礼なんだよね
歴史的に謎の人物がまつられている
さらに山『壱』国 『売』太神社
どちらも、かむりは『士』
『壱』にはヒが入り、『売』には八が入る
気になりませんか?
39日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:47:16
458 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:14:24 ID:iCLs9meJO
しかも、稗田阿礼の『稗』は『卑』弥呼に通じる
ちなみにこの売太(めた)神社って、JR大和郡山から歩いて20分ぐらいのところにあるんだな
今は童話の神様になってるんだな
だから、阿礼祭りでは、人形劇や童話の読み聞かせもあるんだな
あと、地蔵信仰の研究をするのに重要な文献が、この売太神社の近くの矢田寺(近鉄郡山駅からバスで20分ぐらい)の矢田地蔵縁起(文献)なんだよな
しかも、春日神社がまつられているし、天武2年に勅願で智通が建てている
矢田練り供養が有名
創建当時は、七堂伽藍が建ち並び、僧坊四十八を数える大寺院
連投タンは四月の郡山城祭りが、屋台いっぱい、でっかい金魚タンもいて、大好きなんだよね
今は桜より梅、月ヶ瀬梅林の季節ですね

459 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:23:38 ID:iCLs9meJO
矢田地蔵縁起に『小野たかむら』って出てくんのね
『小野』と『小野たかむら』、関係ないのかな?
ちなみに矢田寺は飛鳥時代のお寺なんだよな

460 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:29:54 ID:iCLs9meJO
小野たかむらって、小野妹子の子孫なんだよね
40日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:48:19
461 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:37:10 ID:iCLs9meJO
小野妹子は『日出づる処の御子』という文面で、中国の皇帝を激怒させている。
日出づる処の御子は卑弥呼に通じる
この小野妹子の文面も邪馬台国を語る上で重要な文献かもしれない

463 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:49:25 ID:iCLs9meJO
浄見原神社の国栖奏には、天津神の御子が登場するんだよね

464 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 12:57:50 ID:iCLs9meJO
そりとな、かつて二大宗教勢力があったことを示すものに、天津神と国津神があり、稗田の阿礼が関わった古事記には、別天津神という天津神に対してのみの矛盾があるんだな
吉野は大事だよーん!
節分には、鬼火の祭典があるし、東吉野は樹氷も見られるし、いいところだよな
以上、宗教勢力に対する論破、おちまい

465 :列島縦断名無しさん :2008/01/28(月) 13:06:48 ID:iCLs9meJO
今年の浄見原神社の国栖奏は旧暦から計算すると、二月二十日ぐらいかな
今日の書き込みを好きに使っていいところ
・天理大学文学部全学科
・天理大学歴史研究会(学生クラブ)
・京都大学
・京都大学史学研究会
以上
あとは、ひろゆきがオケーしたところ
41日本@名無史さん:2008/01/28(月) 14:45:38
あんがと!
42日本@名無史さん:2008/01/28(月) 16:42:29
旅行板にこの続きあり、国津神の謎を解く鍵は水分(みくまり)神社にあるのかもしれない
ふふっΘ◆Θ
43日本@名無史さん:2008/01/28(月) 17:07:10
国津神社というのも、あるよな
( ̄―+ ̄)ニヤリ
44日本@名無史さん:2008/01/28(月) 19:04:34
大和水分神社は、葛城水分神社、宇太水分神社、吉野水分神社、都祁水分神社
いずれも、山があるところ
山壱国を山に壱国と読むこともできると思うのだが
45日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:23:53
邪馬台国、このルートだと、矛盾する
能登半島を日本の出発点にする
能登半島→出雲→津島→壱岐→伊予→座礁の多い瀬戸内海を避けて迂回→和泉→大和
46日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:27:49
津島から壱岐→座礁の多い瀬戸内海を避けて迂回→日向→伊予→和泉→大和
つまり、狗邪韓国を能登と加賀と見ると、畿内説でオケーなような気がする
能登半島に遺跡って、ありますか?
47日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:33:36
津島?対馬?どっち?
48日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:38:26
見つかってまつね!
しかも、奈良時代、能登半島と中国、関係ありましたね!
狗邪韓国は加賀半島、つまり、能登半島だと考えたら、畿内説は成立する
経由地点として考えたら、当時、官吏が住む都として、それらの土地に遺跡が残るのも、納得が行く
日向とは日に向かうを意味するのかもしれない!
このルートだと、行ける!
問題は加賀半島だったんだ!
49日本@名無史さん:2008/01/28(月) 20:51:35
加賀半島を中継点にすると、矛盾はなくなるんでは?
連投タン歴史考察
狗邪韓国=能登半島
地形的に似てるよね
50日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:00:37
そして、狗奴国(=熊野)だと、矛盾しないのでは?
熊野には、熊野信仰と呼ばれる独特の信仰がありますよね
奈良の南の方になるような
51日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:09:55
狗奴国を熊野古道ととらえると、和歌山県の堅田遺跡から、日本最古の三世紀ごろの青銅器が見つかっているので、矛盾しない
『紀』『伊』の国だよね
だとしたら、和泉国に行くと、すぐに、邪馬台国の軍勢と合流することになるかもしれない
52日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:19:33
熊野古道と考えたら、記紀とも、矛盾しませんね。
( ̄―+ ̄)ニヤリ
53日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:26:27
47
ミスパン、めんご
対島が正しい
46でも、矛盾する?を矛盾するって、しちゃったお(^_^;)
46のルートだと、畿内説でも、オケーなはず
直接壱岐に行くのではなく、壱岐に向けてだと思う
辿りつくのは、迂回して四国
54日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:29:16
能登半島→出雲→対馬→壱岐(壱への分岐点の意味か?)→伊予→出雲→大和です
能登半島なら、大和の北岸でも、おかしくない!
55日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:30:04
畿内説の矛盾は能登半島を無視したところに生じた可能性あり
56日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:37:54
連投タンルートだと、遺跡や環濠集落がつながりまつ!
57日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:39:25
連投タン歴史考察邪馬台国航路は、旅行板に書いているところは、使っていいお
58日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:55:50
紀には始まりという意がある
始まりの『伊国』とも詠めませんか?
59日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:23:10
ごめんお
伊予→出雲は間違い
伊予→阿波→和泉が正しい
60日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:25:14
最終結論
能登半島→出雲→対馬→壱岐→迂回ルート日向まわり→伊予or阿波→和泉→大和
61日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:39:17
邪馬台国と狗奴国の戦が和歌山と奈良の県境であった、あるいは、もともと邪馬台国が吉野にあったとしたら、卑弥呼が山の辺の道に向かって逃げて行ったとしても、おかしくない
洞川、大峯山、女人結界の地が多い場所である
洞川・大峯山→吉野→→飛鳥→桜井→纏向→山の辺の道
というルートだ
62日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:04:11
邪馬台国の可能性を感じさせる遺跡が奈良の吉野にある
宮の前遺跡だ
宮滝遺跡も、それに関わる遺跡の可能性がある
狗奴国に追われた邪馬台国の民は吉野→阿部野→大阪→兵庫、吉野→飛鳥→桜井→纏向→山の辺の道へと散り散りに流れていく
宮の前遺跡が邪馬台国に関わる遺跡であることは否定できない
また飛鳥に石神遺跡、山の辺に石上神宮があることから、卑弥呼は吉野→飛鳥→桜井→纏向→山の辺の道のルートを辿った可能性が高い
邪馬台国は吉野を追われた後、転々としながら、自らの信仰を守り続けていたのかもしれない
63日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:16:28
奈良県吉野の宮の前遺跡からは、奈良にはめずらしい暖性植物が発見されている
これは、他国との交流を示す、あるいは、暖性地域から持ち込まれた可能性を示すのではないか?
今日の連投タン歴史考察はここまで!
64日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:20:51
すいません
奈良県吉野の遺跡は、
宮の平遺跡
でつ!
この宮の平遺跡こそ、邪馬台国の臭いがプンプンしまつ
リアルでおしまい!
65日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:32:46
川上村を流れる川は、奈良県の東南部を流れます
卑弥呼の墓は、吉野から山の辺にかけてを調査すべきと、連投タンが言った理由です
邪馬台国畿内説を探る方法としては、宮の平遺跡から発掘された品々の数々を科学鑑定することかもしれませんね
少なくとも、宮の平遺跡が倭国大乱に関係があった可能性は高いと思います
鍵を握る場所
それは、吉野です
(ToT)
ダムに沈んだのは残念ですが、幸い記録はある
是非、発掘品の科学鑑定をお願いしたいと思いまつ!
66日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:34:10
連投タンが畿内説を支持する理由
そりは、宮の平遺跡!
では、今日はここまで!
67日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:35:55
卑弥呼の墓、邪馬台国の謎は、吉野から山の辺の道を見ないと見えてこないと思います!
橿原考古学研究所様、是非、お願いします!
68日本@名無史さん:2008/01/28(月) 23:44:36
ここでいう宮滝遺跡は、奈良県吉野の宮滝遺跡のことだよ
連投タン、文献もちゃんと読んでいまつよ
妄想で、吉野を出したわけではないでつ!
(; ̄_ ̄)=3
69日本@名無史さん:2008/01/29(火) 09:41:44
吉野の宮の平遺跡は縄文から弥生時代に渡り、倒壊した建物跡が見つかるというまさに邪馬台国、倭国大乱にピターリの設定なんだよね
他にも、連投タン的に思うところがある
70日本@名無史さん:2008/01/29(火) 09:48:06
あと、方位を考えた場合なんですけど、当時の中国の四神からも、能登→対馬→韓国→奈良
という図が自然かもしれない
71日本@名無史さん:2008/01/29(火) 10:09:17
まず、ぎ志倭人伝を韓国から、日本を見た方位で見る必要はないでしょうか
航路は星が頼りだったし、羅針盤もありましたから、今と同じでしょうが、占い師が方位を見るとするなら、韓国から、日本を見た方位になると、思います
韓国から見て、日本は北になります
玄武は亀に蛇が巻き付き瀕死の状態の邪馬台国を意味します
西の白虎は対馬ヤマネコのいる対馬を意味します
朱雀は中国を意味します
平城京の門は、朱雀門であり、青龍門ではありません
朱雀、それは、不死鳥、火の鳥、フェニックス、永久の栄を意味したのではないでしょうか
だとしたら、中国からも、南、奈良からも、南の出雲大社に火がまつられているのも、自然です
東の青龍、これが能登でしょうか?
実は、韓国から見た真東は、東北地方になるんです
72日本@名無史さん:2008/01/29(火) 10:42:41
また、地名を漢音表記で読まれた当て字と見る必要もあると思うっす
次レスに漢音表記で読むと、どうなんだろうをやってみようと思います
また、本来、『伊』には、これ、このを指します
伊国をこの国と読むことも可能です
そして、中国の旧国名で、伊州なる地があります!
現在の新疆ウイグル自治区のハミ
瓜の名産地です
伊都は漢語では、イツになります
この伊が伊州なのか、イツという発音に通じる地域なのか、伊の都なのかが一つのポイントですね
とすると可能性があるのが、日本→韓国→中国→韓国というルートの可能性です
他には、「この国」、あるいは「伊予」です。
実は、伊予の『予』には、機織りの横糸を左右に走らせるための道具から転じた象形文字という性格があります
『機織りの女が死んだ』という神話は、伊予が墜ちたという意味にも、取れるわけです
イトは伊予と考えてもいいかもしれません
他の地名も漢語や漢字から、調べていきます(また、ばかって言われたりして・・)
73日本@名無史さん:2008/01/29(火) 10:56:05
帯は漢語読みでタイになります
広はゲンです
郡はグンです
広いは王に通じる語、中国の漢代に始まった『郡国』という制度があり、郡は天子に直属していました
今から、すごいことを書きます
実は、倭の使者が、登場するのは、ぎ志倭人伝が最初ではないんだよね
時代考証、めちゃくちゃですとな?
次レスに書きます(長くなるので)
74日本@名無史さん:2008/01/29(火) 11:25:30
その1
出典・・『漢書』地理志
この頃(B.C.100)、百余国の小国家群である倭より、楽浪郡に定期的に入貢
出典・・准南子・史記・説苑・戦国策・列女伝
王昭君、きょうどに嫁す(B.C.33)
とあります。きょうどとは、当時、中国の北西方にいた遊牧民俗で中国に侵略を繰り返していました。
そして、印授については、邪馬台国以前の記載になります
出典・・後漢書東夷伝
倭の奴国より、後漢に入貢。光帝より、印授を授かる(57)
このころの使者について、しっかり書かれている文章もありますよ。
安帝の永初元年(107)年、倭国王師升等、謁見を願う
この、倭国王師升が、倭国大乱、大和朝廷の鍵を握る人物かもしれないですね
ちなみに67年に中国には、仏教が伝わり、白馬寺という寺が建ち、105年にサイリンなる人物が紙を発明
166年には、党コの禁が出され、ローマとの交流がアントニウスの使者により、始まります。
その後、184年の黄巾の乱、208年の赤壁の戦いを経て、220年に後漢は滅亡します。
その後、ソウヒ(ソウソウの子)により、ぎ王朝が建国されます。(都はらく陽です)
邪馬台国が中国の記録に登場するのは、この頃です
75日本@名無史さん:2008/01/29(火) 11:36:57
また、ぎ志倭人伝では、卑弥呼は邪馬台国の女王、壱与は倭の女王とされています
出典・・ぎ志倭人伝
邪馬台国の女王卑弥呼がぎに遣使、「親ぎ倭王」の称号と銅鏡などを授かる(景初3年、239)
ぎより、答礼の使者派遣、邪馬台国及びその周辺の国々の状況を書き写す。また、倭の女王壱与(イヨ)、らく陽に遣使
とされています
伊予と壱与はどちらもイヨです
76日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:18:29
つまり、金印あげたとは書いていない
倭には、いっぱい国々があって、ぎに倒された漢と仲良しだった
そして、卑弥呼がぎに行ってしばらくしてから(249)、ソウソウの臣であった司馬イが政権を掌握する
中国で竹林の七賢人、清談が大流行
263にショクが滅亡します
やがて、265年にぎは滅亡します
壱与がらく陽を訪れた266年は司馬炎が晋王朝を建国して、まもなくなんですね
その後、
出典・・好太王碑文
倭国は辛卯の年(391)に朝鮮半島に出兵、百済、新羅を破り、高句麗と対戦
この頃の日本の古墳群(例:江田船山古墳、稲荷山古墳)から、漢字表記のされた太刀が見つかります
そして、
出典・・ソウ書倭国伝
倭の五王(讚・珍・済・興・武)がソウに遣使を送り、順帝の昇明二(478)年、倭王武が上奏文を奉りました
朝鮮半島からの渡来人により、漢字、仏教、儒教、鉄器製造、製陶、機械、金属工芸、土木などの技術が伝えられます。
王仁(わに)・阿知使主(あちのおみ)が、「論語」と「千字文」を献じています
西文(かわちのふみ)氏、東漢(やまとのあや)氏、弓月君(ゆつきのきみ)の渡来があったのも、この時期
弓月君、古代の謎の鍵を握る人物かもしれないですね
実は、北ぎ、東ぎ、西ぎがどんどん滅亡していく中、日本でも、二つの宗教が摂取されだします
出典・・上宮聖徳法王帝説(538)
百済から、五経博士が渡来して、儒教が盛んになります
百済の聖明王は、欽明る天皇に仏像と経論を献じ、仏教が公伝されだします
医・薬・暦なども、日本にやってきます
次にすんごく重要な今日、最後のレスを書きます(疲れてきた)
77日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:33:11
飛鳥文化は、中国南北朝の影響を受けた文化です
法隆寺や仏教はどちらかというと、北ぎの影響を受けています
ところが、どういうわけか、時に、南梁の影響があるんだよね
これが、連投タン的歴史考察のネタ
つまり、中国と日本を合わせて見ないとダメといったのは、中国と日本の文献を組み合わせないと見えない日本の権力者と中国の権力者のつながりがあるから。
宗教間の対立は、今日のレスの通りね
あと、飛鳥の週末期には、新羅、唐と組んで百済を滅ぼし、斉明天皇が百済にお願いされて兵を出したものの、白村江の戦い(663)で、新羅と唐の連合軍にコテンパンにやられてしまう。このころ、百済から、たくさんの貴族がやってきて、漢詩文が流行る
この頃にできたのが、『懐風藻』って、最古の漢詩集
これが、たぶん万葉集の万葉仮名のもとかな?
この頃、とにかく漢詩が流行ったんだよね
78日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:35:34
一応、時代考証めちゃくちゃについて、中国と両方見ないと、国の乱立はあるわ、連合軍の可能性はあるわ、宗教が入り乱れているわでわからないってことね
鍵を握るのは、中国の白馬寺かもしれないですね
79日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:38:20
連投タンは記紀だけじゃなくて、中国文献の倭も、読んでいます
ごめんお!
(; ̄_ ̄)=3
漢書読むと、疲れるんだよね
ゆっくり時間がある時に説明するつもりでした
80日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:56:59
あと、倭国王と帥升は別人と思いますよ
帥には、太宰府長官、侍の長って意味がありますから
倭国王が警護の武人の長の升を連れてやってきたという意味でしょうね
加えて帥には率いるという意味もあります
役人たちを引き連れてやってきたという意味だと、連投タンは思います
81日本@名無史さん:2008/01/29(火) 13:03:37
また、和書と漢書を読むので、続編は、また、今度(*‘‐^)-☆
82日本@名無史さん:2008/01/29(火) 13:19:00
あと、伊都国は伊州(三重県)の可能性も否定できないと思いますよ
熊野古道を出したのは、それでっす
83日本@名無史さん:2008/01/29(火) 13:38:06
あと、末ロ国ですが、末には細かい、ロには儚い、米櫃という意味があり、瀬戸内海の小さな島々を指すと見るほうが、語彙からは、自然だとおもいます
あと、一大国(一支国)でしたっけ?
これを漢語で読むと、イツタイかイツシになる
支にも岐にも、わかれるという意味がある
あと、九州を経由するとなると、東シナ海を通る
84日本@名無史さん:2008/01/29(火) 13:59:40
一大国(一支国)は、壱岐といかないが距離的に無理!
85日本@名無史さん:2008/01/29(火) 14:11:48
一大国を一つの大国ありと読むほうがいいと思う
これが、おそらく通過点である九州
不弥国は、不の読みは漢語にないから、弥ではない、長くなかった国をさすのかもしれない、投馬国は、トウバ国となる
投げるには送る、寄せるの意味もある
馬を送る国、馬を投げ入れる国になる
86日本@名無史さん:2008/01/29(火) 14:33:04
見えてきました
対馬から九州経由で日向経由、政敵のいる伊勢志摩から、伊勢、伊賀、(もしかしたら山城を通過したかもしれません)を抜けます
続きは次レス
87日本@名無史さん:2008/01/29(火) 14:41:05
川をくだって、馬を使ってくださいの使いがいる国につきます
お馬で一月かけて、邪馬台国につきます
おんまつりにも、ちゃんちゃん祭りにも、お馬さんパカパカが登場するのは、そういうことかもしれません
一月とは、馬で一か月かかるという意味だとおもいます
つまり、おんまつりの行列の距離×30ぐらいの距離、あるいは、険しい山道をこえるためにそれぐらいかかるということかもしれないですね
88日本@名無史さん:2008/01/29(火) 14:42:33
投馬国とは、お馬さんをくれるところ、お馬パカパカ乗るところという意味だとおもいます
藤原京でも、馬具、見つかってますよね
89日本@名無史さん:2008/01/29(火) 15:01:08
奈良でお馬さんと関係がある地名は信貴・生駒がある!
往馬神社は、すごーく古い古社
平群は古代の豪族平群氏がいたところで、長屋王の墓がある
大和川につながる生駒川や龍田川もある!
しかも、暗峠には、石垣あるし
うふっ、聖武天皇の勅願寺、中国風山門の王龍寺には、中国風の山門や石仏、石信仰をおもわせる造りだ!
ここで馬もらって陸行なら、桜井・吉野方面まで一ヶ月ぐらいになりますよね
おしまい
柿本人麻呂の歌に伊勢がでたり、万葉集で伊勢が歌われるのは、たぶんこの頃の関係かもしれない
90日本@名無史さん:2008/01/29(火) 15:07:53
お馬さん、テクテク
お馬さん、テクテク
ということは、ちゃんちゃん祭りのルート、大和神社の祭りは、これに関係があんのかもしれない
山の辺の道は外せないな
91日本@名無史さん:2008/01/29(火) 15:13:58
これなら、畿内でも、矛盾しないと思うっす
92日本@名無史さん:2008/01/29(火) 15:24:59
今日の歴史お笑いネタ
昔、阿保親王というすごく素晴らしい名前の親王がいました
93日本@名無史さん:2008/01/29(火) 15:30:13
今日の連投タン歴史考察は、ここまででつぅ
ピンパンパンポン
次回をお楽しみに!
94日本@名無史さん:2008/01/31(木) 23:59:48
難しい
今、ここからの展開を考慮中です
95日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:13:36
橘諸兄から追いかけたところ、地蔵院という橘諸兄ゆかりの寺が近鉄三山木駅の近くにあることは把握できました
また、天平仏である十一面観音立像をもつ天武天皇の勅願寺が近くにあること
聖徳太子ゆかりの神童寺が、JR棚倉駅の周辺にあること
何とこの寺には、役小角の伝説も残ること
南山城を出した理由は、このレスの通りです
箸墓ゆかりの逸話に「夫が蛇」というのがありますが、JR棚倉駅近くの蟹満寺にも、「蛇に求婚されて困っていた村娘を夥しい数の蟹が助けた」という逸話があるんですよね
『蛇』が誰か、気になるところ
「蛇」を音で読むと『じゃ』
高松塚古墳の玄武の絵も亀に蛇が巻き付いていましたね
亀が卑弥呼、蛇が夫としたら、玄武が守る方角に卑弥呼の墓がある可能性もありますね
96日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:34:35
しかも、この辺りで卑弥呼ゆかりの鏡がいっぱい出た椿井大塚山古墳が見つかってるんだよね
これらの寺って、歴史的に大きな意味があるお寺の可能性があると思うんだな
97日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:35:54
蟹満寺、神童寺、地蔵院のつながりが気になるところ
98日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:43:26
しかも、蟹満寺の蟹さんって、家紋みたい
似ている家紋としては、近衛家の牡丹があるけど、同じではない
別物
蟹満寺の蟹が家紋やお印としたら、誰の家紋なのか、誰のお印なのかも気になるところ
99日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:51:37
近衛家の本姓は藤原氏
ここでもやはり、藤原氏が絡む
あと、蟹満寺の蟹さん
どうみても、植物を模したものにしか見えない
この時代のプレイ・ボーイ、必殺女好きで、藤原とくると、私のイメージだと、藤原業平になるのだが
源氏物語の光源氏を地でいくぐらいのプレイ・ボーイ
100日本@名無史さん:2008/02/01(金) 00:57:16
だけど、藤原業平は平安時代の歌人なんだよね
おそらく対立する宗派、対立する関係を意味するんだとは思う
101日本@名無史さん:2008/02/01(金) 01:00:34
あと、大神神社には、巳さんが住んでいる、つまり、蛇さんが住んでいるという伝説があるんですよね
102日本@名無史さん:2008/02/01(金) 23:15:03
蛇とは、誰か?
これがわかると、案外解決が早いかもしれない
103日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:06:24
連投タンが卑弥呼とのつながりを感じるのは、飛鳥坐神社なんだよね
理由は通称『チンコ石』と言われる幾つもの石柱
卑弥呼が死んだ時に、たくさんの人が人柱になったって話とつながりはないのかなって
卑弥呼の祟りをおそれて、建てられた可能性はないのかなって、思うわけね
近くには、日本最古の飛鳥大仏があったり、厄除けで有名な岡寺があったり、少し行くと橘寺があったりね
石神遺跡や水落遺跡があるのも、気になるところ
眠れる古墳、卑弥呼の墓が吉野〜奈良のどこかにあるかもしれない
取りあえず、文献的に矛盾とされている部分は、ここまでで、ある程度説明できたと思う
ここまでの書き込みを使っていいところ
京都大学
天理大学
(大学院やクラブ等を含む)
104日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:07:34
ひろゆきとアスキー・アートは、もちろん、オケー
明日は飛鳥坐神社のおんだ祭り
105日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:23:06
奈良に山と関係あるところ、ありますよ
飛鳥坐神社の祭神や大神神社の祭神
しかも、しかも、飛鳥坐神社は、日本書紀にも、登場するんだよね
しかも、しかも、川原寺の金堂があったところに建ってんだよね
あと、両性具有が神聖視されたことが海外であったり、正倉院の宝物でふたなりの男ってなかったかな?
106日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:34:47
蛇に巻きつかれた亀タン、蛇に巻き付かれた獅子タン
両性具有
ゾロアスター教
なんか、卑弥呼や蘇我馬子との関係がひっかかっるんだよね
しかも、蘇我馬子ってさ、蘇る我、厩の子ってまんま、キリスト伝やん
キリスト教の布教のための紙芝居か石芝居を持ってきてて、言葉が通じないから、そこから、名前がつけられた可能性ってないの?
だとしたら、飛鳥寺、最強やん
世界に類のない、数少ない景教の遺産になるよね
大秦寺ってのが、景教の寺院でしたっけ?
秦氏と秦氏の関係は、どうなんだろう?
107日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:36:42
飛鳥家
卑弥呼とか、蘇我馬子とか、聖徳太子とか、すごい家柄だったりして・・
108日本@名無史さん:2008/02/02(土) 11:46:16
飛鳥坐神社の四座の意味するものとは?
高松塚古墳の四神の意味するものとは?
蘇我馬子や聖徳太子に関係する最強の古墳の可能性もありそうだ
109日本@名無史さん:2008/02/02(土) 12:00:58
もう一つ、いくお
飛鳥には、甘樫坐神社というのがある
ここ、クガタチの神事とか、かなり、神事が多く、日本書紀にも、登場すんだよな
当時の人達の関心って、卑弥呼よりは、卑弥呼の営む神事だったと思うんだよね
だから、記録があるとしたら、卑弥呼が営む神事として記載されたんじゃなかったかなと
甘樫坐神社
ここも、卑弥呼がらみで、気になる神社です
ここまでも、今日の書き込みに含まれています
前レスのところ、もちろんオケー!
110日本@名無史さん:2008/02/02(土) 12:09:26
明日村には、邪馬台国畿内説で矛盾しているとされている点をくつがえす要素を持った要素が神社レベルである
卑弥呼と高市(明日香村)は、切り離して考えられねえと思うんだな
飛鳥まで広げて考えるべきだの理由だよ。
パォーン!
111日本@名無史さん:2008/02/02(土) 12:12:44
今日はここまで
また、何か閃いたら、来るわ
112日本@名無史さん:2008/02/02(土) 17:47:08
書いていい?
三重県に面白い地名がある
鳴呼見の浦
あみのうらって、呼ぶ
あと、奈良には、蛇穴と書いてさらぎと呼ぶ地名があり、蛇につながる
あと、逝くという字が入るゆさきのおかとかもある
あと、兵庫には、倭の字が入る倭文とかいて、しとりと読むところがある
113日本@名無史さん:2008/02/02(土) 17:51:54
奈良には、倭文神社というのがあるから、倭に通じるな
114日本@名無史さん:2008/02/02(土) 17:56:18
蛇穴(さらぎ)は野口神社の汁かけ祭が有名な奈良県御所市にあったんじゃなかったかな?
115日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:03:43
ごめんお
ゆさきのおかじゃなくて、ゆきさのおか
しかも、このさきっていう字、日本じゃあ、使わない字
ゆきさのおか、気になるお
116日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:04:18
さきじゃなくて、ゆきさのさ
これ、日本じゃあ、使わない字
気になるお
117日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:11:03
逝くってのが入った丘で、万葉集に逝廻丘って、明日香川を詠んだのがあるな・・
あとは、蛇穴(さらぎ)か・・
118日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:14:21
邪馬台国と明日香、ますます、気になります
明日香〜桜井〜葛城
何しか倭文神社は奈良にあるし、当麻にも、通じるな
119日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:20:02
倭文神社と蟹満寺の蟹タン、つながるお!
ビバ!蟹満寺!
120日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:31:13
野口神社の祭神の日子八井部って、稗田阿礼が関わった古事記には登場して、日本書紀には登場しない不思議な神様なんだよね
阿蘇氏伝には登場する
121日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:43:41
野口神社
役小角にも関係あるし、祭神は娘で神倭と毘古命の文字が入る
しかも、役小角に汁をかけられて、亡くなった娘
奈良県御所市の野口神社、気になるお
汁かけ祭か・・
飛鳥坐神社のチンマン石
御所市の野口神社の汁かけ祭、気になります
蟹満寺でも、野口神社でも、蛇は悪者
蛇っていったい・・
122日本@名無史さん:2008/02/02(土) 18:54:41
嗚呼見の浦
柿本人麻呂の歌に歌われてるぐらいだから、奈良時代に港があったんだ。
連投タンの推理した航路に近付いてきたお
しかも、しかも、野口神社の祭神って、兵庫、奈良、熊本、いろんなところでまつられている
ビバ!蟹満寺!
ビバ!野口神社
また、考えたら、来るわ
今日の書き込みは、これでおしまい
123日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:04:03
小出し好きの連投タン
追加一行
日本最初の女王は
ヒメタタライスズヒメ
だったと思う
124日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:09:07
志摩の港
嗚呼見の浦
明日香の逝廻丘
万葉人の歌に出てきますぅ
どう考えても、邪馬台国は畿内です
明日香は大事だよ
125日本@名無史さん:2008/02/02(土) 19:10:40
リアルで、今日はここまででつ
126日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:44:29
鍵を握る奈良県磯城郡田原本町のお勧め寺社については、旅行板、連投スレに
127日本@名無史さん:2008/02/03(日) 01:33:25
奴には、男の召使、他人を罵って言う語
女卑(ひ)には、女の召使と、わらわ、女性が自分をへりくだっていう語の意味がある
後、稗田阿礼に関することだけど、中国古代には、稗官(ハイカン)と呼ばれる役人がいた
あと、卑弥呼の弥だけど、広く行き渡るという意味がある。
漢語読みでは、ビなんだよね
弥撤(ミサ)の当て字でも、つかわれる
あと、呼は漢語読みでも、コ
これは、呼んだり、叫んだり、今と同じ。他には、息という意味がある。
卑には、地位・身分が低い、いやしい以外に自分をへりくだる、身近なという意味がある
ややこしいのは、辺鄙等の鄙の代わりにつかわれたりもすること
この場合は田舎という意味をもつ
ちなみに奈良にある逝さ丘のさは、けいがまえ(まきがまえ)の中に巳を書く回の別字
逝くに回るで、逝さ丘になる
128日本@名無史さん:2008/02/03(日) 01:42:30
あと、奈良にある逝さ丘のさはまきがまえに巳と書いて、サと呼ぶ回の別体、まきがまえは漢語のケイに通じ、遠く離れた国境の地を示す
逝さ丘に大物主に通じる人物に関係ある何か、卑弥呼に関わる何かが存在する可能性は皆無ではないと思われる
しかも、万葉集にも、逝廻丘、歌われてるし。
129日本@名無史さん:2008/02/03(日) 02:06:09
すいません
逝き廻る丘と万葉集に歌われた地名は、ゆきみのおかですね
石舞台古墳のあるところです
130日本@名無史さん:2008/02/03(日) 21:20:20
ふふ
連投タン丸秘情報だよ
飛鳥坐神社だけど、リアルで石垣の神社なんだよね
しかも、農耕信仰
おんだ祭りを見ると、よくわかるよ
131日本@名無史さん:2008/02/03(日) 21:21:42
飛鳥坐神社にも、大神神社にも、農耕信仰のおんだ祭りという祭りがあるんだよね
132日本@名無史さん:2008/02/03(日) 21:23:47
しかも、飛鳥坐神社の社の一部の造りは比売神社に似ている
133日本@名無史さん:2008/02/04(月) 11:35:07
あと、甘樫の丘の周辺に、卑弥呼の墓があったり、飛鳥坐神社の中から、卑弥呼の墓が出てくる可能性もあるような気がする
置田雅昭先生、レーダー探査よろしく
甘樫の丘周辺の川辺のドームみたいなのとか、飛鳥坐神社のこんもり塚になっているところとか
134日本@名無史さん:2008/02/04(月) 11:36:56
飛鳥坐神社のこんもり塚の具体的な場所、書きますね
太陽のような、炎のような変わった石がまつられている辺りに小さな山みたいなのがあります
135日本@名無史さん:2008/02/04(月) 11:41:38
石垣、2m以内のこんもり塚、元川原寺の金堂後、農耕信仰、飛鳥寺周辺、三輪神社との関係、どう考えても纏向遺跡、邪馬台国、卑弥呼関係で飛鳥坐神社は切りはなせないでしょうね
あの変わった石、青銅のイメージもあるし、成分検査とかしても、いいかも?
昨日、売ってたおんだ祭りの笹酒、卑弥呼の酒かもしれないね
136日本@名無史さん:2008/02/04(月) 11:46:00
だってさ、飛鳥坐神社と大神神社はつながる
夫は蛇って逸話がある
三輪神社は山がご神体
昨日の飛鳥坐神社のおんだ祭りの天狗とお多福の結婚式は巫女舞に始まった(すごーくきれいな巫女さんだった)
あの巫女舞、もしかしたら卑弥呼の舞が伝承として遺されたものかもしれない
すごーく面白かった
137日本@名無史さん:2008/02/04(月) 11:48:02
飛鳥坐神社、邪馬台国の謎を解く鍵があるかもしれない
あと、もう一つ気になる飛鳥の地名檜前(ひのくま)、昔は別字だったらしい。
卑弥呼の前、卑弥呼ゆかりの地の可能性はないのかな?
138日本@名無史さん:2008/02/04(月) 11:54:49
檜前って『ひのくま』ってよむんだよね
おみあし神社ってのもある
旅の一行の足を洗ったところとか、そこを境に卑弥呼の地に入るから、足を洗った可能性ってないのかな?
飛鳥と卑弥呼、すごーくつながりを感じる
纏向遺跡と卑弥呼のつながりは、飛鳥坐神社と大神神社の関わりだとおもう
139日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:02:07
おみあし神社って、
於美阿志神社
って書くんだよね
於 美 阿 志 神社
お馬さんパカパカをお供えした神社だったりして
140日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:11:52
本日の連投タン歴史考察(キリッ)
纏向遺跡は邪馬台国の中の一部である
邪馬台国の謎についての答え(キリッ!キリッ!)
それは飛鳥坐神社と大神神社をつなぐルート、つなぐ地域のすべてを包括する
飛鳥京・藤原京は歴史的にめちゃくちゃ重要
連投タン
畿内説支持
理由:飛鳥坐神社〜大神神社をつなぐルートを想定すると、矛盾がなくなるから
141日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:14:03
今日までの書き込みを使っていいところ
・京都大学
・天理大学
・関西大学
あとは、ひろゆきとアスキー・アートの判断で、ドゾー
142日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:22:25
飛鳥坐神社と大神神社をつなぐと、女神、和、かめ、ぎ志倭人伝のキーワードがそろう
(キリッ!)
143日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:28:16
昨日、飛鳥に行ってきますた
飛鳥氏、飛鳥坐神社、卑弥呼ゆかりのすんごいすんごい神社かもしれない・・
144日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:36:52
しかも、八坂神社が飛鳥坐神社の中にありました
京都祇園の八坂神社、飛鳥坐神社の中の八坂神社、ますます謎は膨らみまつ!
古そうなお稲荷さんもありました
145日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:46:32
八坂神社の縁起って、明治を境にして、違うのね
しかも、京都の八坂神社にも、美脚神社ってあんのね
大和郡山を絡めると、稗田阿礼の稗田にも、通じるんだな
京都と飛鳥、つまり、山背と飛鳥がつながるんだな
ということで、飛鳥〜山の辺の道〜奈良〜京都はつながるんだな
舞妓、舞う巫女、八坂神社は舞妓はんの神社
(キリキリキリッ...... ( ̄□ ̄;)!!)
146日本@名無史さん:2008/02/04(月) 12:47:21
今日はここまでだお!
147日本@名無史さん:2008/02/04(月) 13:26:54
あと、一つ、連投タン的には、
・卑弥呼が授かった金印は一つではない可能性(ぎ⇔邪馬台国の各関所で卑弥呼の使いかどうかの確認のためにつかわれた。かなり高い)
・卑弥呼の墓とともに埋葬された(この可能性は低い)
・後の政治を行うものに利用された(国に繁栄をもたらす外交ルートは遺したいはず。かなり高い)
・使いの乗った船が難破した(否定できない)
金印は確定の材料ではないと思う
148日本@名無史さん:2008/02/04(月) 13:29:45
つまり、邪馬台国のあった地とは、その後もぎとの交流が深い地となる
使いが無事邪馬台国についたとしたら、卑弥呼の金印の出る可能性が高いのは、飛鳥、檜前辺り、高市郡あたりかな?
とにかく飛鳥の可能性が高いと思う
149日本@名無史さん:2008/02/04(月) 13:58:28
金印みました
偽物ではないと思います
ただし、卑弥呼ではなく、漢の使者が持っていたものの可能性が高いと思う
委と倭は別字
委とは、まかせるの意味があり、漢でも、呉でも、『イ』と読む
倭は呉にしかない読みで『わ』
卑弥呼の時代に重なる中国の国には、漢と呉がある
倭国大乱については、後漢書に詳しい記載があり、桓霊之間倭国大乱とある
意味は、桓帝と霊帝の治政中に倭の国はすごーく乱れましたとある
また、倭国については、古代の日本列島にあり中国に朝貢していた小さな国家群の総称とある
倭は呉、委は漢であることから、金印は歴史的には、すごーく価値があると思うけど、卑弥呼の印とは別の同じ時代の国命を受けた漢の使者が持ってたものだと考えるほうが自然だとおもいます
150日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:04:09
ちなみに日本の漢字音には呉音と漢音があって、呉音が先
倭は呉音
つまり、委と倭を同じにするのは、倭の年代が古いことから無理があると思う
それよりは桓帝と霊帝が誰なのか、後漢書を読むほうがいいと思う
連投タン的には、卑弥呼の金印はまだ眠っている可能性が高いと思う
151日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:27:51
吉備とはどこなのか?
これも謎を解く鍵でしょうね
152日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:29:27
孝霊天皇の吉備平定
このあたりかな?
飛鳥坐神社、ただのチンコマンコ神社じゃないような気がします
153日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:37:29
吉備で一つなのか、吉と備なのかも考えないとね
ちなみに奈良には、吉隠(よなばり)、兵庫には倭文(しとり)という地名がある
やはり、畿内かな?
154日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:45:30
連投タン、文献を読んでないわけではないのでつ
(; ̄_ ̄)=3
155日本@名無史さん:2008/02/04(月) 14:59:03
倭国が吉備国でしょうね
となると、自然、九州説は否定される
また、二つの国を平定させるわけですから、吉と備とするのが正当でしょうね
田原本周辺に備で始まる地名があるかどうか?
九州説よりは、吉備国の関係
また、孝霊天皇の宮は奈良県磯城郡田原本町にあったと比定されている点にも、考慮が必要ですね
156日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:03:48
飛鳥坐神社、大神神社
ともに神奈『備』山が関係します
157日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:05:39
飛鳥坐神社、確かにチンコマンコ石で有名な神社ですが、おんだ祭り、かなりエロいですが、ただのチンコマンコ神社でないように思います
158日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:21:37
大神神社は神奈備山と言われて、万葉集にも、うわたれている
飛鳥坐神社のある山は神奈備山とも言われる
吉備国全体に倭の小国が幾つもあり、邪馬台国は山の辺の道〜飛鳥〜葛城にかけて後域、つまり、岡山方面から、奈良方面にどんどん逃げて行った倭の週末期に登場する国で、卑弥呼を倭の終末期の女王とすると、纏向遺跡で矛盾しないと思います
飛鳥坐神社のおんだ祭りは、この二つの集団(古代国家)を平定させるたもの、二つの民の前で行われた公開性事であり、その後国が平定したために祭りとなった
農耕民俗と狩猟民俗の和合であったために、農耕を伝えるために『おんだ祭り』という祭りが産まれた
弥生時代の米作に通じます
籾米もらっても、田植えの方法知らなかったら、米、できません
159日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:22:47
基本、卑弥呼が弥生時代の巫女ですから、おんだ祭りは避けられないと思います
160日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:33:17
つまり、二つの民俗の長の結婚により、国は平定した
こう考えるとすんなりいきます
しかも、もともと飛鳥坐神社があったのは、飛鳥神奈備というところ
石垣の神社、おんだ祭り、要素はあります
また、敵対する民俗が結婚したことを示すには、公開性事が一番でしょうし、当時は性に対してさほど閉鎖的ではなかったはず
時代を経て着物等が変わった可能性はありますけどね
161日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:40:05
なぜ孝霊天皇が吉備平定をする必要があったか?
理由は一つ
葛城と飛鳥は孝霊天皇の宮のある田原本に近い
自分の宮に危険が及ぶ
もまいら、結婚しろ
なんでだお、いいからしろ
当然、反対して、暴れる椰子も、出て来ます
うるさい、つべこべ言うな、御尻ペンペンでつ!
v(`∀´v)
162日本@名無史さん:2008/02/04(月) 15:41:04
連投タンって、馬鹿か利口かわからないキャラでつね
163日本@名無史さん:2008/02/04(月) 16:14:51
倭と邪馬台国で食生活が変わることも一つのポイント
倭とは吉備国全域
邪馬台国は奈良県を指す
こう考えたら、自然だとおもいます
つまり、倭国は四国、岡山から奈良県の広い地域にかけて、幾つもの集落がある地域だった
民俗間のこぜりあいが続いて国は大きく乱れた
うち、奈良県チームと岡山チームで兵庫県を舞台に戦が始まる
奈良県チーム負けそう
どんどん奈良県にせめてくる
ぎにへループ!
孝霊天皇、やばい、まずい、もまいら結婚しろ
邪馬台国はなくなったのではなく、結婚により、戦はおしまい
飛鳥、ミカン、とれるよ
あと、柿、よそにない柿(あの柿も調べないとね)
連投タン的推理
倭国:岡山から奈良県
邪馬台国:畿内
なんでわざわざ遠回りしたか?
敵がいたから
能登→壱岐→九州→三重県ルート
(遠回り:方角は違っていない)
あと、飛鳥、あんまり雪降らないらしい
寒いのは、めずらしいとか。
( ̄―+ ̄)ニヤリ
164日本@名無史さん:2008/02/04(月) 16:19:17
あと、倭が出るのが、隋書の倭国伝ですね
165日本@名無史さん:2008/02/04(月) 16:38:08
>>162
しかし、空気が読めない人物なのは確か(藁
国内旅行板のスレでは、本人が精神科通院歴がある
ような事を書いていた気がするが?
166日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:09:19
そんなことは書いてないですよ
たしかに空気は読めませんけど・・
167日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:13:31
岡山→兵庫→大阪→奈良←船で和歌山に回る
はさみうち
と考えるとつじつまがあうような
海洋戦があれば、九州に漂着もある
168日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:32:53
倭=邪馬台国とするから、混乱する
倭の一国が邪馬台国と考えるべきでしょうね
倭国のある国(出雲や吉備)倭国の小国をどんどん支配して統一する中で大和朝廷の近くにある邪馬台国に及ぶ
大和朝廷と倭国が当時の二大勢力
環濠集落や短命の都の理由
まず、倭を大和朝廷が征したのでしょうね
そして、倭を統一した
卑弥呼とは、大和朝廷の支配下に置かれた倭国を統べるための女王
倭国をどんどん統一していた人物は、大和朝廷の支配下に置かれた
倭国を統一した後、大和朝廷が邪馬台国の女王卑弥呼を王に据えたのは、大和と吉備の中心だから
孝霊天皇の吉備平定とは、倭国を支配下に治めたことをいう
こう考えると、不自然でも、何でもありません
倭国≠大和朝廷
邪馬台国は倭国の一国
大和朝廷とも交流があり、大和朝廷の息が及ぶ邪馬台国の女王卑弥呼を王にした
そういうことだとおもいます
あとは、大和朝廷の範囲の比定でしょうか?
169日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:38:47
大和朝廷の全国統一は倭国を完全に支配下に置くことで完全する
その後、倭国は、大和朝廷の地方国家として、成立する
170日本@名無史さん:2008/02/04(月) 17:52:00
そう考えると、倭の五王、おかしくないですよね
では、大和朝廷の支配者はとなると、やはり、孝霊天皇になるのかな?
邪馬台国の謎は、飛鳥なしには、解決しないと思います
飛鳥坐神社が気になるとした理由です
171日本@名無史さん:2008/02/04(月) 23:51:43
あと、邪馬台国に登場する織物は、奈良晒ではないかと思います
古事記にも、登場する奈良の有名な布です
蚊帳としても、つかわれます
172日本@名無史さん:2008/02/05(火) 11:44:40
飛鳥坐神社のエピソードにも、登場する高取城
この高取城は、奈良から吉野へ向かう壺坂峠越えの地点に位置します
高取城主 植村氏 2万5千石
高取城(別名芙蓉城)の規模です
しかも、壺坂寺から、高取城跡に向かう道の途中には、五百羅漢が並びます(すごーく歩きます)
しかも、奈良の元興寺は飛鳥寺を遷したものとされ、壺坂寺は元興寺の僧弁基により、開山された寺
8世紀に孝謙天皇の勅願により建てられた子嶋寺には、高取城の二の門が移されている
国宝の子嶋曼陀羅は、京都神護寺のものと並んで両界曼陀羅の最高傑作とされている
実は、飛鳥から、高取までは5キロぐらいの距離
邪馬台国表記の石垣のある地域とは、標高584mの高取山頂を指し、高取城はその石垣の上に建てられた可能性はないのかということだ
高取、飛鳥、どちらも石垣が多い町並みである
高取城の城は取り壊されたため、すでにないが、石垣は残っている
この石垣の年代が気になるところだ
あと、飛鳥の石との関係もだ
173日本@名無史さん:2008/02/05(火) 11:48:09
丹波勢と吉備勢の戦いが昔、ありましたよね
中間点は、奈良になります
貴族の都は、奈良と京都
吉備国系貴族と丹波国系貴族が存在したと考えると、ごく、自然ですね
174日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:06:16
奈良には、もう一つ栄えた都があったようですね
その里は椿で有名だったようです
連投タンが気になる万葉の歌はこれです
巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春野を
坂門人足
巨勢山(こせやま)
巨勢の春野を
です
しかーも、この歌、万葉集の巻一に入っています
卑弥呼伝説とつながりませんか?
巨勢とは、現在の奈良県御所市古瀬一帯の地を指します
紀伊国への交通の用地です
武内すくねの系譜につながる巨勢氏の本拠地でも、あるんです
そして、連投タンが、気になる一番のポイントは、高市郡と巨勢郡の県境に巨勢山があるということなんでつよ!巨勢の春野
偲ぶ
すごーく意味深ですね
熊野を出した理由です
またまた小出しが好きな連投タンでした
椿で有名な地域、桜井市にありますね
椿山山の辺
しかも、春四月が椿の季節ですね
175日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:15:39
巨勢古墳群は国内最大級
しかも、高市郡と御所市の境にあるのが巨勢山
しかも、御所には、阿吽寺という寺がある
阿吽といえば、狛犬タン
連投タン、そろそろ邪馬台国を比定しようと思います
椿山山の辺の道から、巨勢にかけての広大な地域
中心地は巨勢山です
従って戦いの地は巨勢を通るルートです
176日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:16:34
箸墓が卑弥呼の墓である可能性は高いと思います
177日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:20:31
ちなみに奈良県御所市の阿吽寺は、万葉集にうたわれたつらつら椿で有名なお寺です
178日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:26:08
椿山山の辺の道は、椿山山の辺のほうがヒットするかもしれませんね
四月には、椿の花が咲き乱れる美しい地域です
邪馬台国に関係する古墳とは、おそらく巨勢山古墳群と纏向遺跡になると思います
179日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:33:59
あと、日本書紀に卑弥呼は登場しませんが、悲劇の姫である影姫は登場します
あと、椿山こそ、海石榴市があった地なんですよね
巨勢山こそ、古代史の謎を解く鍵かもしれませんね
今日の書き込みを使っていいところ
京都大学
天理大学
あとは、ひろゆきとアスキーアートがオケーしたところ
一応、今日は、万葉集から、考えてみました
180日本@名無史さん:2008/02/05(火) 12:43:13
九州が西都原を出すなら、畿内は巨勢山古墳群を出します
しかも、
万葉集にも、歌われています!
181日本@名無史さん:2008/02/05(火) 14:02:55
連投タン的には、前レスの二大学と御所市教育委員会に巨勢山古墳群の再調査をお願いしたいとこら
加えて、正確な炭素判定も
大和朝廷、吉備平定、飛鳥の謎に迫る遺跡の可能性が高い
石舞台古墳と形が似ていることからも、単純に済ませるような古墳ではない
纏向遺跡の調査に加えていただきたい
天理大学の置田雅昭先生、京都大学の史学関係の先生方、是非、御一考ください
国際的な世界遺産が見つかる可能性もありますね
奈良県にも、お願いします
182日本@名無史さん:2008/02/05(火) 14:24:57
もう一度、書きます
奈良県・御所市教育委員会・京都大学・天理大学・天理大学歴史研究会での、大胆な発掘調査をお願いしたい
範囲天理山の辺の道(特に纏向遺跡から御所市巨勢周辺)
御所市教育委員会
あの調査は不十分です
リーダーは、京都大学一名・天理大学一名で(学際的な知識が必要です)お願いしたい
なお、京都大学、天理大学の関係者の方がたには、ここまでの連投タン歴史考察を使う場合の加筆訂正を認めます
183日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:08:17
邪馬台国は消失したわけではなく、倭の一国として、次代の為政者の支配下に置かれていたのかもしれませんね
邪馬台国の卑弥呼の墓を満たす遺跡となると、どうしても巨勢山古墳群
高市郡と御所市の境の山であることから、邪馬台国時代と飛鳥時代の古墳が混在する可能性
また、水に使っていたことから、年代にずれが出ている可能性がある
巨勢路 古墳の数800基
邪馬台国と飛鳥朝の古墳の混在があってもおかしない
現実に4世紀〜8世紀です
時代鑑定にここまでの開きがある墳墓はありません
マスコミ等で見た方は少ないんじゃないですか?
倭国大乱、邪馬台国、飛鳥京、藤原京のすべての謎に迫る遺跡です
徹底的な調査が必要です
連投タン的には、御所市の巨勢山古墳が卑弥呼関係、箸墓は壱台関係ではないかとふんでいます
一つ一つの墳墓が大切なんです
184日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:18:27
前レス2大学の調査が必要
京都大学なら、正確な科学鑑定も可能でしょう
天理大学なら、フットワークの軽さ、ホトケノザ古墳を見つけたレーダー技術がありますね
科学鑑定の必要なこの遺跡の調査にうってつけなのは、この二大学だとおもいます
(えこひいきではありません)
是非、検討してください
大学の立地条件、手持ちの技術、すべてを視野に入れて検討した結果、一番調査に適したのは、上記二大学であろうという結論に至りました
京都大学は以前から、邪馬台国畿内説を語っていますしね
あと二つ加えるなら、関西大学と橿原考古学研究所かな?
飛鳥に拠点がありますから
とにかく巨勢山古墳群こそ、邪馬台国と飛鳥の謎に迫る遺跡だとおもいます
邪馬台国について、観光と文献で出した結論はここまで
京都大学・天理大学・関西大学の史学関係の先生方、是非、巨勢山古墳の学際的調査をお願いします
連投タン的歴史考察邪馬台国編(完)
※別ネタでまだ続く
185日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:32:02
もちろんホケノ山古墳が卑弥呼関係の墳墓である可能性、邪馬台国や倭国がらみの古墳であることも否定できません
だからこそ、天理大学歴史研究会の皆さんには、是非、参加していただきたい
186日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:33:37
ホケノ山古墳
個人的には邪馬台国とのつながりあると思います
187日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:38:06
184はホトケノザではなくて、ホケノ山ですね
ごめんお!
京都大学と天理大学、頑張ってください!
関西大学も仲間入りしていいお!
188日本@名無史さん:2008/02/05(火) 15:59:43
>>187
そこまで言うならお前が金を出せ!
189日本@名無史さん:2008/02/05(火) 16:05:58
あと、気になるのは、坂門人足という読み人の名の意味するところですけどね(特に人足)
190日本@名無史さん:2008/02/05(火) 16:12:17
坂門人足(さかとのひとなり)
「坂門」「人なり」
気になりませんか?
191日本@名無史さん:2008/02/05(火) 16:27:46
つらつら(列列椿)は、つらなって咲く椿
だが、列には、それ以外に、動詞に用いて、引き連れる、引き連れられてゆくの二つの意味がある
偲ぶには、讃美すると懐かしく思うの二つの意味がある
椿を讃美するのみでなく、過去に思いをはせる歌でもあるわけです
192日本@名無史さん:2008/02/05(火) 16:27:55
この人ってド厚かましい身の程知らず?それとも単なる馬鹿!?
193日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:24:25
だって、レーダー探査器を持ってるの天理大学と琉球大学しかないやん
すでに発掘されている四、五世紀のものなら、チェックできるやん
194日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:25:36
天理大学歴史研究会、行くかもしれないな
195日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:26:47
九州説
破れたり( ̄―+ ̄)ニヤリ
196日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:28:45
連投タン、貧乏ですから、お金ないです
涙ぐましい努力をして観光してます
(スーパーやデパートの半額セール他)
197日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:37:32
ひろゆきとアスキーアートはもちろん、連投タンの書き込みを加筆訂正して使っていいよ
198日本@名無史さん:2008/02/05(火) 17:41:27
文化庁様教育委員会様、お願いします
199日本@名無史さん:2008/02/05(火) 18:35:49
巨勢山古墳群の最寄り駅は吉野口駅
現在の住所で古瀬の辺りです
200日本@名無史さん:2008/02/05(火) 19:21:30
列なる
ちなみに王氏をいでて人臣に列なる
という表現もありますね
あと、万葉集には、こんな歌も歌われてますよ
布施の海に小船列並めまかいかけ
201日本@名無史さん:2008/02/05(火) 19:34:31
布施の海は富山県氷見市
万行遺跡とか勅使塚がありますね
万葉集に歌われるということは、当時、富山・石川と大和をつなぐ航路があったことを意味します
(*‘‐^)-☆
202日本@名無史さん:2008/02/05(火) 19:48:17
稗田阿礼が誰かについては、舎人親王から考える必要があるでしょうね
彼は万葉集に三首の歌を残していますね
続きは、また、今度
203日本@名無史さん:2008/02/05(火) 20:06:43
他に葛城ゆかりの人物というと、雄略天皇、雄略天皇と鹿狩りの腕を競った一言主ですね
204日本@名無史さん:2008/02/05(火) 20:09:52
とにかく巨勢山古墳は邪馬台国ゆかりの古墳、卑弥呼がらみもあり
箸墓は卑弥呼あるいは壱台(とよ)に関係する古墳の可能性があると思います
邪馬台国の中心が、巨勢山古墳群の辺りにあった可能性は高いと思います
205日本@名無史さん:2008/02/06(水) 11:03:25
比売神社 売太神社
売太神社は、稗田阿礼にちなむ神社
『売』という漢字が共通する
206日本@名無史さん:2008/02/06(水) 12:26:49
あと、比売は、姫に通じますね
卑弥呼には、へりくだって名を呼ぶという意味があり、祭られているのは、比売神社です
『売』『太』神社、何か気づきませんか?
『古事記』の筆録者は太安麻呂です
そして、『古事記』は稗田阿礼の誦習する『帝紀』と『旧辞』が筆録されたもの
この太安麻呂、舎人親王のもとで、日本書紀の編纂にも、参与している
古事記の誦習を稗田阿礼にさせたのは、天武天皇、太安麻呂に筆録させたのは、元明天皇
二人の天皇が関係しているのです
この二人に関係する人物はじょめいという人物です
応仁〜仁徳〜履中〜武烈・手白香皇女・橘仲皇女・春日山田天皇女と続く皇室系図はそれ以上続きません
他にとぎれる系図があります

仁徳〜反正と仁徳〜充恭(いんぎょう/字は少し違います)〜白髪皇子(稚足姫/わかたらしめ)・清寧・春日大娘皇女(仁賢帝皇后)です
白髪皇子の別名は、稚足姫、飛鳥のおみあし神社につながります
しかも、欽明天皇の時代には、安閑、宣化という天皇が存在し、宣化天皇の娘として、石姫皇女が登場し、欽明帝皇后になるものの、その後の歴史は途絶えます
その系譜とは別に欽明天皇の系譜に崇峻・推古・用明・桜井皇子・吉備姫女王が登場、吉備姫女王は茅おおきみの妃になります
そして、ちぬのおおきみの系譜は娘がじょめい帝皇后になり、有間皇子で途絶えます
この系譜から、卑弥呼は、むしろ、姫命(ひめみこ)と呼ばれる存在であり、仁賢か雄略の系譜に登場する人物だとおもうのです
そして、飛鳥の時代には、宣化の血を引く石姫皇女(橘仲皇女は宣化帝皇后です)、継体〜欽明の血を引く系譜が登場する
難波皇子から橘諸兄までの三代は略されています
石姫皇女と宣化天皇
仁賢天皇の系譜の手白香皇女、橘仲皇女、春日山田皇女が邪馬台国の鍵、邪馬台国から飛鳥への流れに関わる存在だとおもいます
207日本@名無史さん:2008/02/06(水) 12:41:06
舎人親王は天武の系譜、元明は天智の系譜
ヤマトタケルを武烈とし、稗田阿礼を仁賢の血を引くもので武烈の姉妹の皇后とすれば、悲劇的な表現も理解できますね
また、皇后となる身であれば、皇史を誦習することは当然でしょう。
仁賢天皇、宣化天皇、安閑天皇、石姫皇女が古代の謎を解く鍵かもしれないですね
あと、天武天皇、天智天皇の系譜には、古人大兄皇子の娘で、天智帝皇后となった倭姫王(やまとのひめのおおきみ)が存在します
倭姫王です。
倭国の姫ですね。
卑弥呼の血を引く姫、倭国の血を汲む姫ととれませんか?
208日本@名無史さん:2008/02/06(水) 12:53:12
そして、仁徳天皇には『うじのわきいらつこのみこ』と『わかけのふたまたのみこ』という兄弟がいる
継体天皇につながるのは、『わかのけふたまたのみこ』で、その後三代が略されて、継体天皇につながる
209日本@名無史さん:2008/02/06(水) 12:53:52
しかも、この『ふたまた』は二派という漢字なんだな
210日本@名無史さん:2008/02/06(水) 13:06:29
もう少し、突っ込んでみましょう
仁賢天皇の系譜には、市辺押いわの皇子と中帯姫命(安康帝皇后)が登場します
気付きませんか?
他のみこが皇女なのに対して、この皇后だけが、神につながる『命』という文字を持つのです。
しかも、市辺押いわの皇子
天の岩戸伝説に通じませんか?
211日本@名無史さん:2008/02/06(水) 13:23:40
石姫の他には、香火姫皇女とか、この頃、自然の名を冠した姫も多いんですよね
212日本@名無史さん:2008/02/06(水) 13:34:13
つまり、倭国を広範囲の吉備国ととらえて、邪馬台国を倭の一国ととらえると、記紀、神話、天皇系譜、古事記、日本書紀の矛盾はなくなる
稗田阿礼は、仁賢の系譜とする皇后であった可能性が高いと思われる
213日本@名無史さん:2008/02/06(水) 13:43:07
これで、伊予とも、つながりましたね
売太神社というのは、大和郡山にある神社なんですね
夏には、阿礼祭があって、独特の舞が舞われるんですね。
九州説、破れたり
( ̄―+ ̄)ニヤリ
214日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:03:43
もし、倭姫王が、夫が自らの父を殺した相手だと知らないまま、結婚、何かの折にそれを知ったらどうでしょうか?
箸で陰をついてというのもわかるような気がしませんか?
卑弥呼―吉備姫王、壱台―倭姫王と考えるか、倭という文字がここにしかないことから、倭姫王―卑弥呼と考えるのが自然ではないでしょうか?
だとしたら、たくさんの人物が卑弥呼に仕え、殉死したとしても、不思議ではありませんね
215日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:22:00
連投タンがやんごとなき方の近親相姦で思い出すのは、源氏物語の紫の君。
好きだった相手にそっくりな娘を、好きだった相手にそっくりに育てというのがありましたね
父と母がいないわけですから、当然、倭姫王を育てた誰かは存在するわけですね
216日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:28:01
血筋のつながりのない近親相姦や、素姓を知らないままの父を殺した相手との結婚なら、あり得ますね
父が死んだ時、倭姫王はまだ幼かった、真実を知らないまま、結婚した可能性はありますね
217日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:30:39
あるいは、中帯姫王が卑弥呼か?
謎を解く鍵はこの辺りにありそうですね
♪♪†*†♪♪+*†
218日本@名無史さん:2008/02/06(水) 14:49:41
しかし、そうなると時代は重ならない。
200年ぐらい開く
つまり、卑弥呼とは、倭姫王のひいひい婆さんと見るのが自然
倭姫王を卑弥呼の子孫と考えて系譜を見るといいだろう
倭の五王が中国を訪れたのは、順帝の昇明二年(478年)だから、倭国はまだこの頃、存在したことになる
邪馬台国の終焉は、倭国の終焉とは言えない
むしろヤマト王権の支配下に置かれていたと見るのが自然だろう
倭姫王のひいひい婆さんとは、倭姫王の先祖とは誰か?
そこがポイントになると思う
219日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:00:29
連投タン的には、箸墓は倭姫王か吉備姫王の墓で、卑弥呼の墓は別にあると思う
壱台が仲姫王、卑弥呼が神后天皇と考え、畿内説をとるほうが妥当だと思うのでしゅ
220日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:04:02
神功天皇ですね
すいやせん
221日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:35:27
ところが、ここで決定的な文献の不一致が起こる
仲哀天皇と神功皇后の新羅遠征は倭国辛卯の年(391)と好太王碑文にあり、年代が一致しないのだ
つまり、神功が実在したなら、391年、つまり、卑弥呼の子孫ではあるが、卑弥呼ではないということになる
壱台がらく陽に赴くのは、266年
考えられること、
有り得ないのだ
しかし、応神天皇について、阿直岐氏と王仁氏を招きとある
阿直岐氏と王仁氏は、正没年不詳でありながらも、四世紀末百済より渡来したことはわかっている
阿直岐氏がうじのわきいらつこに経典を教え、博士王仁を招いたとされるからだ
だとすると、年代はぴったし合う
神功天皇はおそらく実在したが、卑弥呼はそれ以前、つまり、神功皇后の祖母か曾祖母、壱台を母か祖母に当てるのが妥当になる
つまり、神功天皇の生没年が問題なのだ
222日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:38:40
となると倭国は弥生から飛鳥にかけて、つまり、弥生時代から大和時代にかけて、長期間存在したことになり、消滅したわけではなく、政治の支配下に置かれていた
邪馬台国はなくなったが、倭国は存在していたとするのが妥当だろう
223日本@名無史さん:2008/02/06(水) 15:41:10
連投タン的には、卑弥呼は神功皇后の曾祖母辺りだとおもいます
224日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:22:44
つまり、彦坐王から神功皇后にかけての系譜の中に卑弥呼は存在する
彦坐王の治めた国々が倭国であり、非常に多くの国々からなる連邦国みたいなもの
国内では争いが絶えず、ちょうど中央にあった近畿に向かって、小国の戦が起こる
畿内には大和朝廷と倭国の自治国家邪馬台国が存在した
あと、後漢書の倭国大乱については、彦坐王が支配した倭国を想定したほうがいい
後漢(25〜220)の滅亡は220年
卑弥呼がぎを訪れる以前だ
卑弥呼とは、彦坐王の娘辺りかもしれない
となると、誰になるのかな?
邪馬台国は倭国の一国で、彦坐王の娘が嫁いだ地、卑弥呼とは、彦坐王の娘とするのが自然だろう
つまり、倭国の中央政権は彦坐王の宮から、娘の嫁いだ邪馬台国に遷されたと考えるといいだろう
225日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:23:48
連投タンって、文献、すごーく読んでるな
変な奴!
226日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:45:44
しかも、稗田阿礼が誦習した古事記には、彦坐王の子孫、全部、登場するんだよね
つまり、坐神社というのは、古墳時代、つまり、ぎ志倭人伝に登場する古墳時代の倭国の王族にまつわる神社
彦坐王亡きあと、内乱が勃発しまくった
世襲政治により、国家を安定させようとしたが、うまくいかない
やがて彦坐王の娘の一人の邪馬台国の女王により、倭国は安定しました
しかし、国家は内乱により、衰退
国の安定を図るために、卑弥呼は、父彦坐王と交流のあった強大なぎに助けを求めました
結果、国家は安定しました
しかし、邪馬台国は次代の政権の地方自治国家となり、邪馬台国はそのころの中央政権の地となり、しょうしつします(大和になる)
数年後、卑弥呼の一族は倭国再生のために、当時の政府と交流が深かった新羅を制圧することで、再び倭国を再生しようとします
おーっ!古事記につながるではないか!
つまり、倭国とは、坐神社の存在する地で、坐神社は倭国各国の中心地域に置かれていた
227日本@名無史さん:2008/02/06(水) 16:47:40
今日の書き込みを好きに使っていいところ(加筆訂正オケー)
京都大学
天理大学
関西大学(おまけ)
ひろゆき
アスキーアート
228日本@名無史さん:2008/02/06(水) 17:06:04
つまり、邪馬台国が坐神社を中心に栄えた都
坐神社の神主や巫女なら邪馬台国の描写も、あっちこっちに行くのもおかしくない
彦坐王にはその前がいるから、九州から畿内に遷っていったで納得もいく
もともとの倭国の中央政権が九州なら、いろんなところで邪馬台国に似た文明があってもおかしくない
よって、一番の決め手は鏡になるわけだ
229日本@名無史さん:2008/02/06(水) 17:08:39
奈良県の葛城には、火幡神社と葛城火雷坐神社がある
火巫女に通じる
火信仰を出したわけです
ただし、邪とか馬とか入る坐神社があるかどうかも要チェックでつ
230日本@名無史さん:2008/02/06(水) 17:12:53
隋史に邪馬台国と大和を結びつける記載がありますね
♪♪♪♪るん♪♪♪♪
231日本@名無史さん:2008/02/06(水) 18:31:48
ショボイ奈良県をナメルなよ
232日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:24:21
彦坐王の父は開化天皇、崇神天皇の父でもある
つまり、開化天皇を父とする彦坐王と崇神天皇二人の兄弟がいたことになる
邪馬台国が彦坐王の流れなら、崇神天皇が大和朝廷ということになる
逆に崇神天皇が邪馬台国なら、彦坐王が大和朝廷になる
233日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:42:41
開化天皇は古事記では
若倭根子日子大毘々命
と表現されている
倭国を起こした人物と見るのが妥当だろう
つまり、倭国は開化天皇の流れを汲む倭国とヤマト王権二派の流れになり、やがてヤマト王権が倭国を地方自治体に置くことで統一される
701年に日本となったのは、おそらく開化天皇の原点に戻ろうという意味でだろう
飛鳥以前に途絶えた王国、彦坐王の一族こそ、倭国の一族なのだ
234日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:46:09
開化天皇こそ、天照大神にふさわしい存在である
日子、毘毘命
ひこ、ひひみこと
の御子
日子の御子であり、毘毘命の御子
こう考えると時代は矛盾しない
235日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:55:40
つまり、古代のミステリーは、好太王碑や中国の歴史書との比較対照を行うことなく、古事記、紀記のみを頼りに歴史をひもとこうとしたために、神后天皇を卑弥呼にしてしまった結果、産まれた誤解であり、実在の人物を架空の人物にしてしまったところにある
236日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:01:24
227に書いたところ
使ってオケーです
あと、邪馬台国は纏向だけ見ててはだめっていったのは、卑弥呼の末裔としての意味はあるけど、卑弥呼そのものに近付くには、葛城〜山の辺の道に範囲を広げていく可能性があると思ったから
これで、旅行板から始まった邪馬台国論の理由解説は終わったかな。
すべて客観データに基づいての歴史考察です
237日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:18:53
崇神天皇は彦坐王の異母兄弟ですから、年代を慎重に考える必要がありますね
滋賀県が考古学に力を入れないとか、近江京の発掘をやめてしまうのは、連投タン的には?
だって倭国につながる考古学の貴重な調査を自ら放棄するようなもの
京都大学は滋賀に近く、天理大学は葛城から纏向〜山の辺に近いですよね
238日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:28:27
>>227
いっぱしの2ちゃんねら〜を気取っている割には
投稿時の注意を読んでいないのか?(呆れ
239日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:41:41
彦坐王の母は比売
比売子(ひめこ)ということで、彦坐王が卑弥呼の可能性も否定できないと思うけどね
比売神社
比売は葛城の女
240日本@名無史さん:2008/02/06(水) 23:44:16
著作権はAAに属するんでしたね
でも、著作者が使っていいというと、使えるってなかった?
241日本@名無史さん:2008/02/07(木) 01:01:57
水行は川を行く
葛城は川が集まる地ですね。
242日本@名無史さん:2008/02/07(木) 09:25:25
何!?このスレ???
243日本@名無史さん:2008/02/07(木) 09:56:36
面白いやん!
中国/日本/皇室系譜/宗教のすべてを総括した分析ってなかったよね
244日本@名無史さん:2008/02/07(木) 09:57:40
昔、
天才は狂気に近い
って言った偉人がいたと思う
245日本@名無史さん:2008/02/07(木) 10:03:40
自演で自画自賛してるんですねw
こんな異常者のスレを覗いた私が愚かでした。さようなら
246日本@名無史さん:2008/02/07(木) 10:22:57
227に書いたとこ、今日も、使っていいお
飛鳥と田原本には、邪馬台国を裏付ける坐と比売の名の双方を持つ神社がある
坐 比売でぐぐると出てくるかも?
しかも、田原本の方は弥冨という字が入る
富める弥生の国、冨弥国になる
飛鳥 坐 比売
田原本 坐 比売
でぐぐるといい
邪馬台国への使いのもののルートは、比売神社と坐神社(つまり、先祖の神社)を経由したとみると、自然なのだ
247日本@名無史さん:2008/02/07(木) 11:47:37
>>245
連投はID表示されないのを利用してのジサクジエンを学習したようだな
それとも悪知恵(と言うほどのものか?)が付いたとか(藁
248日本@名無史さん:2008/02/07(木) 14:10:45
飛鳥の方は、飛鳥川上 坐 比売 じゃないと無理かもしれないよ
確か、たきとか入るところでしょ
249日本@名無史さん:2008/02/07(木) 14:35:44
飛鳥川上坐宇須多イ支比売神社のことかな?
確かに仁徳をまつったりしてるな
250日本@名無史さん:2008/02/07(木) 14:45:49
多ぎ比売命神社でしょ
他は比売神社だけど、そこは比売命神社
東漢氏にも関係ある神社でしょ
251日本@名無史さん:2008/02/07(木) 15:04:10
自作自演を続けるこいつ・・・狂ってる・・・
252日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:15:18
比売神社を卑弥呼の祖先がまつられていた神社と考えるとどう?
最初に先祖の神社に参って、邪馬台国へGO!
だったら、つじつま、あうんだな
253日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:27:58
ちなみに邪馬台国その後で気になる人物がでてきた
清水寺に関係する坂上田村麻呂
坂門、坂上
あと、吉野や奈良、修験道にまつわる仏が多い
近くの地主神社には陰明道に通じる要素が多い
清水寺の参道には、聖徳太子をまつる寺があり、祇園にはめやみ地蔵(壺坂寺に通じる)、しかも、清水寺の音羽の滝には青龍が関係する
音羽の滝の近くには役行者と不動明王だ
阿弥陀信仰と観音信仰、地蔵信仰の寺
清水寺の赴きは京都よりは、奈良葛城〜山の辺の道に近い
他に奈良と似た行事もある
御寺泉涌寺の十二菩薩のお練りは、矢田寺練り供養に似ている
坂上田村麻呂、気になる存在だ
しかも、良く見て歩くと、清水寺のあちこちに石信仰があり、参道の聖徳太子を祭った寺も、石信仰なのだ
飛鳥に通じる何かを感じる
254日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:30:39
しかも、清水寺には胎内くぐりという儀式があり、修験道の大きな数珠を頼りに石に願をかけ、祈るという行事がある
加えて地主神社には、苔むした地蔵がまつられていた
255日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:47:37
坂上氏は奈良県添上群の系譜になる
まだある
稲荷・大黒は商売繁盛・財運の神様
はい、因幡の城兎を思いだしましたか?
因幡の白兎で大黒様が声をかけて、兎さんが渡っていったのは鮫でしたね
島根では、酒を食います
兎はどこかな?
因幡の白兎が誰かを考えた上、この話を読むと面白いかもしれないですね
256日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:48:55
坂上氏は奈良県添上群の系譜になる
まだある
稲荷・大黒は商売繁盛・財運の神様
はい、因幡の城兎を思いだしましたか?
因幡の白兎で大黒様が声をかけて、兎さんが渡っていったのは鮫でしたね
島根では、鮫を食います
兎はどこかな?
因幡の白兎が誰かを考えた上、この話を読むと面白いかもしれないですね
だまされた白兎は、どこに行ったのかな?
どこに帰ったのかな?
257日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:56:03
島根では、鮫をわにと呼び、食います
258日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:01:11
京都の石垣の寺、坂上田村麻呂も高市郡につながるんだな・・
259日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:04:43
あと、気になるのは、清水寺にらく陽という中国にちなむ名の建物が存在することだ
260日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:38:53
>>259
洛陽三十三所観音のこと?
11番〜14番の札所が清水寺にある。
平安時代から、京都を中国の都である洛陽に例えてそう呼んだのだから
不思議でも何でもない。洛陽工業高校なんかもあるし。
261日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:46:06
おーっ!
連投タン的歴史考察を裏付ける結果が明日村ででてまつねえ
真弓・・
262日本@名無史さん:2008/02/07(木) 22:59:00
明日香村
真弓かんす古墳
ふふ・・
263日本@名無史さん:2008/02/07(木) 23:02:07
真弓かんす塚古墳
真弓かんす塚古墳
真弓かんす塚古墳
ふふ・・
264日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:22:18
卑弥呼の時代に限定せず、邪馬台国を比定するとどうなるか?
まず、奈良の朱雀門と清水寺の音羽の滝を直線で結びます
更に二等分します
あとは、飛鳥の高松塚古墳にえがかれた四神の方角に合わせて、円を描くといいですね
卑弥呼とは、卑しい御子、つまり、正室以外の子である彦坐王の系譜、崇神天皇以外の系譜を示したものの可能性がありますね
祇園に八坂神社、飛鳥坐神社に八坂神社があることは書きましたね
次は、長くなるから、次レスを使います
265日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:29:34
彦坐王の次の系譜にやましろという語の入る人物が登場します
しかし、このやましろは山代と書きます
山に代わるです
これがおそらく京都東山に邪馬台国の中心があった時代の邪馬台国の王でしょうね
山に代わるとは、おそらく巨勢山に代わるという意味でしょうね
坂上田村麻呂、彼こそ、彦坐王の血を引く人物であり、壱台の血を引く人物であった可能性がありますね
おそらく、朱雀門と清水寺を結び、円を描いた中には、大きな古墳がいっぱい存在すると思います
266日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:52:24
そして、祇園といえば、舞妓で有名です
舞妓が卑弥呼の流れを汲む系譜の可能性はないでしょうか?
年中行事絵巻の舞妓の物の具姿の中で、昔の舞妓の絵がえがかれたものがあります
これは、現在の舞妓の衣裳とはずいぶん異なり、中国の影響を受けた平安貴族の十二単衣の簡略化に近いものがある
雅楽にこの舞妓の衣裳に近い衣裳を着て舞うものがある春鶯囀(しゅんのうでん/中国語ではシュンアウー)だ
唐の高宗の命により作られた曲とされている
そして、白拍子には祇王なる人物が登場する
この祇王もまた、卑弥呼ゆかりの人物であった可能性はないだろうか?
白拍子と坐神社や比売神社の巫女舞いに共通点があるかどうか?
白拍子と舞妓の舞に共通点があるかどうかが鍵だろう
唯一あるとすれば、扇の文化だろうか?
『あふ』は『あふぎ』に通じ、貴族の世界では『また、お会いしたいものでつ』とか、『ご縁がありますように』みたいでつかわれたりもした。
巫女が扇子を持って舞う舞いは飛鳥坐神社に存在した
扇子を使う舞いは神仏と人間、あるいは聖なるものを結びつける儀式であった可能性がある
更に、文学的見地からの解釈を次レスに書く
267日本@名無史さん:2008/02/08(金) 08:58:42
万葉集に『空蝉の(うつせみの)』という言葉が登場する
実は中国文献をいやになるほど読むと出会う中国のある民俗文化がある
昔、中国では子供の魂が蝉に乗ってやってくるとされ、家に迷いこんだ蝉をつかまえたら(食べたかどうかは不明)、子が授かると言う言い伝えがあった
万葉集でも、人、魂という形で歌が読まれたものがあるが、あれを厳密に中国故事から考えると、子供の魂と解釈するほうが妥当である
今日の書き込みを好きに使っていいところ
京都大学
天理大学
ひろゆきとアスキーアートはもちろん
268日本@名無史さん:2008/02/08(金) 09:11:18
飛鳥美人が書かれていた高松塚古墳の壁画には、うちわみたいなのがえがかれてなかったかな?
高松塚古墳の壁画にはうちわみたいなのが、えがかれてなかったかな?
あれは、おそらく卑弥呼、壱台ゆかりの人物の可能性があり、えがかれていた美人こそ、卑弥呼か壱台の可能性があると思う
あの絵は卑弥呼の舞にちなむ絵の可能性があるだろうと
中国の風習で、お妃様登場の時にあの相撲の行事が持っているうちわみたいなのが、関係しますよね
269日本@名無史さん:2008/02/08(金) 09:12:35
なぜ、京都を中国の都、らく陽に喩えたかだな
270日本@名無史さん:2008/02/08(金) 09:13:59
つまーり、卑弥呼の血は壱台を通じ、坂上田村麻呂、また、祇王等に受け継がれたわけだ
271日本@名無史さん:2008/02/08(金) 09:45:11
別の丸の書き方は、朱雀門を中心に丸、青龍を中心に丸を、朱雀門と清水寺の音羽の滝を結ぶ線で二等分した半径の円に重ね合わせる
272日本@名無史さん:2008/02/08(金) 09:56:36
真弓かんす塚古墳
これは、すごい発見かもしれない
明日村教育委員会様
調査してくださって、ありがとうございました
追葬の後もあったようですね
埴輪が出てないようですね
殉死の可能性も否定できないようですね
是非、厳密な時代鑑定をお願いします!
273日本@名無史さん:2008/02/08(金) 10:04:07
明日香の地を治めた彦坐王の系譜の可能性はないでしょうか
あるいは、額田王にまつわる人物の可能性も否定できないと思います
274日本@名無史さん:2008/02/08(金) 10:18:34
あと、その頃の人物で、敏達という国際的な天皇がいる。蘇我馬子につながる人物だ。
兄弟は用命天皇(子が聖徳太子)、推古天皇、桜井皇子(子が吉備姫大王)、穴穂部間人皇女(用命帝皇后)、崇峻天皇
該当するなら、敏達天皇になる可能性もある(蘇我馬子は敏達天皇の臣だった)
あるいは用命天皇か?
いずれにせよ、欽明天皇に関係する人物だろう
明日香と新羅の関係を築いたことに関係することは確かだ
白羅との関係修復?は欽明天皇の遺言
275日本@名無史さん:2008/02/08(金) 10:35:08
飛鳥坐神社のあった辺りは元伊勢と呼ばれています
息長真手王は滋賀県ゆかりの人物です
となると、その前の人物は誰かですね。
今日はここまで。
ふふ
真弓かんす塚古墳!
これは、すごい発見でつぅ!
276日本@名無史さん:2008/02/08(金) 10:49:56
飛鳥坐神社では、尻叩きをする
実は彦坐王には、獣へんをつけると猿になる字を含む『おけつひめのみこと』という名前のひめみこがいる
おけつ、おけつである
猿の獣へんをとると『エン』と読み、この『エン』を訓読みすると、遠ざかるという意味になり、尻には臀部以外に、端という意味がある

277日本@名無史さん:2008/02/08(金) 10:50:54
つまり、飛鳥坐神社の結婚式はおけつの結婚式だったのかもしれない
278日本@名無史さん:2008/02/08(金) 10:59:09
おけつは彦坐王の妃である
あの天狗とお多福の公開ファックは、彦坐王とおけつの結婚、田植え行事を子子孫孫に伝える行事であった可能性がある
おけつ、おけつが大事なのだ!
279日本@名無史さん:2008/02/08(金) 11:06:11
そして、おけつの父ちゃんに天足人国押人がいて、その母ちゃんに毘売命ってのが、いるんだな
追加したけど、今日はここまで。
ふふ
高市郡と葛城は大事だよね
280日本@名無史さん:2008/02/08(金) 11:26:23
古事記に卑弥呼に関する記述がないなんて、どこから?
おけつ、毘売命から当たっていけば、ありますね
邪馬台国が北九州説と畿内説に分かれるのも納得ですね。
つまり、卑弥呼とは、毘売命と呼ばれる彦坐王の系譜につながる人物を指し、ぎ志倭人伝に書かれている卑弥呼とは、その時代の彦坐王の毘売命を指すわけです
となると、北九州にも、吉備にも、畿内にも、倭国の王のルーツはあるわけですね
むしろ、議論としては、ぎ志倭人伝に書かれている卑弥呼って誰なの?のほうが正しい
281日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:02:03
神話をそのまま読み解くと、豊玉毘売命の母が卑弥呼となり、邪馬台国のルーツは九州に比定される
だが、時代が合わないという問題が生まれる
となると、ぎ志倭人伝に書かれている卑弥呼とは、後の天皇の系譜につながる豊玉比売命の血筋のものと考えるとうまくいく
梅原武先生の島根説
島根は鮫をわにと呼んで食う辺りからすると、九州よりは、厳島かな?
邪馬台国の女王卑弥呼の先祖の墓は高千穂の西の山とある
その辺りにおそらく卑弥呼ゆかりの古墳はあるだろう
その古墳の年代がわかると、ぎ志倭人伝にえがかれた邪馬台国の女王卑弥呼は、倭国(=吉備国)の中心が、倭国のどの国にあった時代の女王なのかがはっきりするだろう
高千穂の西の山がどこかが、邪馬台国比定の鍵
九州地域でこれができるのは、琉球大学のレーダー探査しかないかもしれないですね
282日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:06:18
おまえなぁ
いつも一人でホザいてないで一度別の邪馬台国関連のスレに参加すれば?
おまえの自信満々の「歴史考察」を披露してたっぷり議論してこいよ。
そんな勇気ないか?w
まぁおまえなんかコテンパンにされて早々に追い出されるのがオチだけどなwww
283日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:08:19
高千穂の西の山の毘売命の墓がぎ志倭人伝に符号するか、それ以前かですね
おけつがおけつの名をはずかしがって、毘売命だけを名乗ったのが、卑弥呼になった可能性もあります
名をへりくだって呼ぶですね
まずは、高千穂の山の古墳の考察がないと、謎は謎のまま
284日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:22:31
神話では、豊玉毘売命の母は海津見神
おそらくこの海津見神が卑弥呼とすると、つじつまはあうだろう
ぎ志倭人伝に書かれている卑弥呼の時代、倭国の中心、邪馬台国は畿内に存在した
卑弥呼のあと、壱台が治めた邪馬台国は敵に終われ、壱台は九州の地の権力者に嫁ぐ
ただし、倭国の王、卑弥呼の系譜は、その後継体天皇の系譜に受け継がれていく
285日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:25:11
バツ一とか、リストラとか、だまされたとか、捨てられたとか、悲しい男女は、豊玉毘売命のまつられている神社にお参りすると、御利益があったりして(ないかもしれないけど)
286日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:36:10
もし、卑弥呼が綿津見神で畿内、豊玉毘売命が壱台(トヨ)なら、金印を娘に託すのは自然
畿内鏡たくさん古墳も、金印九州もつじつまがあうし、九州に新たな邪馬台国を造ろうとして、畿内の古墳の小さいバージョンがたくさんあるのもわかるでしょ。
卑弥呼とは、海津見神であり、海津見神神話の残る地域に眠っている可能性が高い
287日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:46:52
ごめんなさい
綿津見神です
綿津見神を祭る神社がある地こそ、卑弥呼ゆかりの地である可能性が高い
ま、古事記読みの古事記知らずでしょ
古事記をしっかり読むと、邪馬台国には辿りつく
日本の文献にも、卑弥呼はいた
ただ、見つけてなかっただけ。
小出しが好きな連投タンなのに、いっぱい出しちゃったよ
じゃあ、本当にばいばい!
次回をお楽しみに
288日本@名無史さん:2008/02/08(金) 12:54:19
連投タンが葛城にこだわっているのは、宇陀にある海神社が、綿津見神、豊玉毘売命を祭る古社であるから
289日本@名無史さん:2008/02/08(金) 13:00:37
追加
京都にも、綿津見三神があります
290日本@名無史さん:2008/02/08(金) 13:01:27
古事記読みの古事記知らず
知性は大事だね
291日本@名無史さん:2008/02/08(金) 14:59:52
↑自画自賛?馬鹿らしいw
292日本@名無史さん:2008/02/09(土) 09:39:55
やめられないんだったら「今日はここまで」とか「バイバイ」とか書かなきゃいいのに
293日本@名無史さん:2008/02/09(土) 11:17:12
いや、やめるつもりなんだけど、アイデアが次次に
あと、南山城の蟹満寺を出した理由だけど、豊玉毘売命の出産に蟹を掃いたって坊さんの話があるのね
蟹満寺では、蟹タンは味方なのに、お産では邪魔する人
蟹タンって、誰だろうが気になるんだよね
玄武は亀と蛇
蟹満寺にも、蛇が絡む
鍵屋の辻と言われる伊賀上野の地は、伊勢街道と奈良街道の分岐点
ちなみに伊賀上野には、上野天神祭という祇園祭とだんじり祭をミックスしたような祭がある
しかも、菅原神社のお祭りで、御幣や七福神、鬼が出るというもの
江戸時代に始まったとか
菅原神社といえば、奈良にもある
菅原道真も無念を梅を用いて歌った
万葉の時代には、花といえば、梅だった
あおによし
奈良の都は
咲く花の
の花は桜ではなく、梅なのだ
しかし、平安に入ると
奈良の都の八重桜
今日九重に
と桜になる
清水寺のお守りにも、桜がつかわれたりもしている
菅原と藤原の系譜が気になるところだ
294日本@名無史さん:2008/02/09(土) 11:32:06
ちなみに、もう一つの万葉集がある人は、何人ぐらいいるだろう?
菅原道真が撰に加わった『新撰万葉集』が、それである。
菅原道真と奈良、何の関係もなさそうに見えるが、祖父の菅原清公は、奈良時代の770年の生まれ
平安の時代、遣唐使として、唐に渡り、日本に帰り、『凌雲集』などの編纂に関係している
また、春日大社のおんまつりが始まったのは、平安とされているが、必ず登場するのが、郡山藩の大名行列
田原本に通じる大和郡山市には、菅田の池があり、姿を映すという逸話が残る
295日本@名無史さん:2008/02/09(土) 11:48:39
彦坐王にちなむ名の神社が平安時代に修験道の道場として、有名になる
彦山と呼ばれた福岡て大分の中ほどの英彦山がそれ
中岳に英彦山神社がある
壱台が眠るなら、おそらく、この周辺だろう
また、源氏物語に倭姫王に通じる話が出てくる
玉鬘の章に登場する
髭黒の大将だ
髭黒の大将は、玉鬘に夢中になり、無理やり連れ帰るのである
これは、飛鳥坐神社のおんだ祭りの天狗とおたふくの結婚式にも、通じる
ちなみに京都の泉涌寺の旧名は『法輪寺』
くしくも、奈良斑鳩に奈良時代に存在した寺と同名
皇室の菩提寺となったのは、四条天皇の葬儀以降
そうなると、それ以前に、皇室の菩提寺はどこにあったのかになる
296日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:00:11
あと、900年代に檜垣のおうなと呼ばれる生没年不詳の女性の歌が、『後撰和歌集』に記されている
297日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:08:24
また、菅原道真を登用し、『新撰万葉集』の撰進を命じた宇多天皇は、藤原氏を抑えている
加えて、万葉集の訓読を伊勢祭主の大中臣能宣が行っていたのである
ちなみに父は、宇陀法皇の大堰川(おおいがわ)行幸に供奉している
298日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:20:24
つまり、奈良にあった邪馬台国は、やがて、九州に移り終焉を迎えるという考察につながる邪馬渓は英彦山にあるわけです。
九州説を主張するなら、西都原ではなく、むしろ、こちらに目を向けるべき
ひっそりと邪馬台国の系譜は生きているのです
つまり、邪馬台国の卑弥呼の系譜、卑弥呼の巫女舞いは、九州の英彦山に受け継がれたとみるといいでしょうね
卑弥呼の時代は、兵庫県の雪彦山が信仰の対象だったのでしょう
299日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:30:51
もう一つ、新潟に弥彦山が存在する
この弥彦山には弥彦神社があり、万葉集にも、歌われている
はい、日本地図を頭に描いてみましょう
もし、新潟の彦坐王にお参りしてから、畿内の邪馬台国にいくなら、能登半島を経由しても、変ではないですね
新潟と東北は米どころ
もう一つの邪馬台国は新潟に存在するのかもしれないですね
300日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:35:16
今日の書き込みを使っていい大学(加筆訂正オケー)
京都大学
天理大学
あとは、ひろゆきの判断
新潟にもう一つの邪馬台国があれば、東征とも、矛盾しません
壱台は九州へ
弟王の一族は新潟へ
ですね
301日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:44:45
なぜ、雪彦山を卑弥呼の山に比定したかも、書きますね
新潟と福岡の神社は、弥彦神社と英彦神社の男性名に対して、雪彦山だけは賀生神社という女性名、しかも、推古天皇(彦坐王)の系譜に通じるんです
奈良→大阪→兵庫→九州or新潟ですね。
だとしたら、義経が東北に逃げたのもわかるような気がしませんか?
謎に包まれた義経の終焉の地は、弥彦山だったのかもしれないですね
古事記の記述にも、あってきます
302日本@名無史さん:2008/02/09(土) 12:48:29
ごめんなさい
賀野神社です
伊賀の野→賀野
熊野に散った卑弥呼を称するなら、これほどぴったしくる名前はないですよね
303日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:05:20
宇多天皇についての詳しい記載は、宇多天皇しん記って古典文献があったけど、現在は消失
ただし、仁和三年から寛平九年までの断片的な記事だけが、古文書等に残り伝えられている
歴史的業績を調べるなら、『寛平の治』がある
別名 亭子院 朱雀院
朱雀院の方は、奈良に通じる名前
304日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:06:03
宇多法皇という名もある
305日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:16:53
あまり知られていないが、菅原道真が書いた歴史書がある
『類じゅう国史』が、それ
あと、仁和寺の御室は宇多天皇が朱雀院と同じく、退位後の御所としたところ
306日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:33:22
もう一つ忘れてはならないのが、尊卑分脈である
尊卑分脈において、毘売命が、卑弥呼となった可能性は否定できない
毘は毘沙門天に通じる文字である
毘沙門天とは、多門天
日本では、護国神として、信仰された
国を護る神を売るとは、けしからんというわけだ
毘沙門天(多聞天)は聖徳太子の逸話に通じ、毘売命に通じる
307日本@名無史さん:2008/02/09(土) 13:58:38
あ、賀野神社って、科野にも、通じますよね
長野との戦いなら、戦った仲間が新潟に国を作って、祭っても、おかしくないや
卑弥呼の兵士たちの町→新潟
娘壱台の町
→九州
かな?
308日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:00:35
今日の連投タン的歴史考察でございました
終わります
書き込みます
なかなか終了を書かせてくれないから、続いていくんだよ!!
309日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:39:30
どうして他の邪馬台国関連のスレで議論しようとしないの?
それだけご自慢?の『考察』なのに・・・やっぱ他者と議論するのは自信ない?
310日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:40:36
おまけ
高天原は比定が困難ですが、高間の山という地名は、古典に出てきます
大和の国、奈良県御所市の金剛山の別称です
金剛山とは金剛山脈
雲や一言主神と役行者にちなむ歌が多い地でも、あります
高間の山と一言主をかけあわせて、高天原と呼んだ可能性は否定できません
高天原とは、高間の山の見える原という意味だったのかもしれないですね
311日本@名無史さん:2008/02/09(土) 14:54:41
奈良には他に高円山(たかまとやま)
濁ったのは、最近
当て字で高天下ともかけるよね
312日本@名無史さん:2008/02/09(土) 15:09:14
他に、奈良県御所市には、高天寺、高天彦神社があり、高天原と呼ばれていたんですね
投馬国は相撲の発祥の地、当麻じゃないかな?
もともとは馬を投げていたけど、今の形になったとか
313日本@名無史さん:2008/02/09(土) 16:51:38
一時的な入植地だよ。奈良は・・
314日本@名無史さん:2008/02/09(土) 17:12:13
倭国は吉備国全体だと思います
邪馬台国は
新潟→奈良→九州→奈良
だとおもいますよ
奈良にあった邪馬台国の地を追われた十三才の壱台は九州へ行き、後、二十才ぐらいで奈良か京都へ戻る
和邇氏に敗北、飛鳥を追われた状況が因幡の白兎だとおもいますよ
大和朝廷≠倭国です
むしろ、九州を邪馬台国を追われた壱台が造った第二の邪馬台国と見るほうが自然です
315日本@名無史さん:2008/02/09(土) 17:40:07
白兎を助けたのは、大黒様
大黒様は昔は、戦勝の神だったんですよ
つまり、九州に渡った壱台を助けて、戦いに勝利させた可能性もある
そうなると、玉鬘の話にも、通じるし、奈良県の古墳群と九州の古墳群の年代の違いにも、通じていきます
あと、清水寺に夜叉がまつられていました
あと、万葉の時代、神聖視されたのは、特に高い山か頂きが二つの山です
高天原にぴったりで坐神社にも、通じる歌を紹介しますね
大和の国の鎮めとも座す神かも宝とも生れる山かも駿河なる不尽の高嶺は見れど飽かぬかも(万葉集三 319)
昔、特に高い山や頂きが二つの山には、神が降下するとされていました
となると、該当するのは、二上山です
残念ながら、九州のあの耶馬渓を隠れ里とするほうが、自然ですね
台には、皇族、貴人に対する敬いの意味があるんですよね
貴台、尊台、台臨、台覧のように
ですから、地名ではなく、邪馬台国の意味は邪馬様の国とも、とれるわけです
あるいは、邪馬殿の国ですね
もう一つは、令制の役所の名
弾正台という言葉です
つまり、倭国の首都が置かれていた場所が邪馬台国で、それは、時代により変化した可能性もあれば、山を神とした地、あるいは、支配者が耶麻と呼ばれていた可能性もありますね
山には、ご陵の意味もあります
高天原を満たすのは、すごーく高い山か、頂きが二つの山である必要があります
316日本@名無史さん:2008/02/09(土) 17:53:07
いえ、高天原につながるのが、万葉の時代の山についての考え方です
昔、山は神が降下するための依代でした
山依代国です
神聖視されたのは、特に高い山か、頂きが二つある山
万葉集にも、こう読まれていますよ
大和の国の鎮めとも座す神かも宝とも生れる山かも駿河なる不尽の高嶺は見れど飽かぬかも
この時代、高天原(神が降下する地として、神聖視されたのは、富士山と二上山です
そうなると、当然、別の山を神聖視することは、鬼神を敬うことになりますね
三輪山のご身体は巳ですね
清水寺にも、白い蛇がまつられています
確かに耶麻渓はあるが、時代が合わない
むしろ、大神神社や賀野神社のある雪彦山を邪馬台国卑弥呼が崇めた彦山と見るほうが自然です
317日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:08:36
つまり、耶馬渓=邪馬台国、耶麻渓=耶馬台国とはしがたい
なぜなら、皇族、王族を意味する台がないから
耶麻台渓ならわかります
九州は娘壱台の隠れ里とした理由です
邪馬台国を比定するためには、山信仰、しかも、富士山と二上山以外の山信仰が必要になってくる
すると、大神神社になる
従って雪彦山が先祖信仰
卑弥呼たちの神を大神神社
そう考えた上
兵庫〜山の辺の道〜奈良を邪馬台国のあった地ととらえて、高天原を二上山ととらえておくのが自然です
山は神の依代
邪宗の山をまつる王の意味があった可能性もあります
高天彦神社のある金剛山か大神神社が該当地になります
九州を一時的な入植地にするほうがいいと思います
318日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:10:57
台には、敬称があること、万葉の時代、山は神の依代であったことが、山岳信仰の紀元であったこと
このことを念頭に置いた上で邪馬台国という名を見ないといけません
319日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:25:19
漢字の意を考えた場合、壱与ではなく、台与なら、王権を与えるということ
邪馬台国の王権を与えるということになります
つまり、卑弥呼がいた畿内の邪馬台国の王権を与えられた壱与が九州に行った
あるいは、台与、王に与えるという意味かもしれないです
一度九州地域の豪族に王権を奪われた邪馬台国が、大和の血で返り咲くわけです
九州と熊野ではさみうちの理由です
320日本@名無史さん:2008/02/09(土) 18:31:47
あと、耶麻郡だったか、邪馬郡だったかが、福島にありますね
こちらには隠台
王が隠れたって地名まであります
耶麻は九州だけの名前ではないんですよ
321日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:17:03
あと、奈良にも、馬取柿や馬司という馬にまつわる地名は多くあります
京都にも、馬町がありますね
イエズス会は、かつては耶蘇会
十字架の隠れた地には、耶の字があっても、おかしくないですね
耶とは、かつて、イエス・キリストを指したのかもしれない
耶馬台国とは、女王の都のある景教の地に入る
そういう意味であったのかもしれないですね
つまり、景教の台頭に国の存続が難しくなった毘売命が中国に助けを求めたが、秦氏等の豪族連合郡に敗北する
飛鳥に景教の時代が来る
九州や東北・北陸の隠れ里に住んでいた卑弥呼の子孫が、やがて奈良時代を築く

耶馬台国とは、景教の地、それゆえ、景教の寺がぶっこわされた歴史が必要です

耶か邪か、それが問題ですね
寺壊されまくりは、畿内、特に飛鳥に多いです
三つの宗教グループの戦い、あるいは、二つの宗教グループの違いがあれば、三濠集落も納得できますね
実は漢字の『耶』には、父を呼ぶ語と言う意味があるんです
耶嬢で父母という意味があるんですよ
ー天にまします我らが父よ―
ですね。
耶嬢については、中国文献にも、登場しますよ
耶嬢妻子走相送
とほ 兵庫行
父と馬様の国とも、取れるわけです
耶蘇でイ
322日本@名無史さん:2008/02/09(土) 19:46:00
邪だと、人に呪いをかけたり、人を惑わせるという意味です
耶馬台と邪馬台
中国人は日本を耶馬台と呼んだようです
やばたい/やまたい
です
耶は会意文字で耳とおおざとです
女王の都ですよね
あおによし奈良の都
あと、耶には、迷うという意味があります
どうして〜だろうか
従って、耶馬台国とは、どうして馬が王なんだろうとも、とれませんか?
イエズス会、すなわち耶蘇会の登場は、16世紀
となると、この耶は耶嬢―父母の父を意味する耶とすべきですね。
父馬王の国と読むべきでしょうね
323日本@名無史さん:2008/02/09(土) 20:17:38
また、音から、考えたら、耶馬台はyimatai か yibatai の可能性もありますね
また、yimato yibato も考えられます
八幡信仰ですね
あ、いました
源氏の氏神です
男山山頂に石清水八幡宮があり、
ほんだわけのみこと
おきながたらしひめのみこと
ひめおおかみ
が祭神ですね
伊勢神宮、賀茂神社に次ぐ国家の宗廟だったみたいですね
ますます謎が深まりましたね
大和にも、九州にも、山城にも、可能性がありますね
うーん、難しいな
324日本@名無史さん:2008/02/09(土) 21:08:26
取りあえず、神仏は古いほど位が高いとされますね
伊勢―賀茂―石清水
ですね
取りあえず、彦坐王の系譜にはつながるようですね
つまり、毘売命が治めた邪馬台国とは?
と考えたらいいわけです
馬頭観音も、関係するかもしれないですね
南都七大寺のが重要になるのかな?
では、さようなら
飛鳥の真弓かんす塚古墳、三時間待ちでしたね
楽しめましたか?
325日本@名無史さん:2008/02/09(土) 21:17:10
おまけ
蛇とは?
蛇とは、中国では水の神様
金印を持つところは、中国、西の国、東の国で分けられた
水信仰を出した理由です
326日本@名無史さん:2008/02/09(土) 21:36:15
おまけ
中国雲南省のタイ族の文化と日本の文化には、共通点が多いです
九州で見つかった金印と雲南省の漢の皇帝の金印は似ています
327日本@名無史さん:2008/02/09(土) 21:41:06
蛇紐の金印は卑弥呼前史にも、卑弥呼後史にも、登場する
卑弥呼を決定づけるもの、それは鏡以外にない
328日本@名無史さん:2008/02/09(土) 21:55:51
卑弥呼の時代は、中国の三国時代
ぎはそうひが建てた国で、河北省北部から、山西省に渡る範囲
雲南省とは、位置が違いすぎるのです
329日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:05:52
中国北部と南部、徹底的に位置が違うんです
つまり、卑弥呼の金印は、三国時代のぎの金印に似ていなければならないはず
卑弥呼の金印は、まだ眠っていると言った理由です
そして、ぎ志倭人伝のぎが三国時代のぎであるため、三国志に書かれている邪馬台国への道程が、確かなルートになるでしょうね
金印は卑弥呼以降のものか、九州と交流があった漢国のもの
ただ、中国では、蛇を水の神様と考えるようですから、ここだけは、無視できないとは思います
330日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:19:12
卑弥呼の金印に刻まれた文字は『ぎ親倭王』以外には、ないのです。
331日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:26:18
元伊勢と呼ばれる飛鳥
耶は父の意を持つ
真弓かんす塚古墳から、発掘された金の馬具
馬を父とする王の国
しかも、蘇我馬子前史
明日香村教育委員会は、卑弥呼ゆかり、邪馬台国ゆかりのとんでもないものを見つけたのかもしれません
三時間待ちで古墳をご覧になった方は、すごいものを見つけたのかもしれないですね
つまり、夫が蛇とは、夫が水信仰の者であったという意味かもしれないですね
332日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:30:32
真『弓』かんす塚古墳
卑弥弓呼の古墳の可能性も否定できません
333日本@名無史さん:2008/02/09(土) 22:36:02
もしくは、邪馬台国の男王の墓、彦坐王から神功皇后につながる中のすごい歴史上の人物でしょうね
334日本@名無史さん:2008/02/10(日) 10:31:41
今日は倭錦について説明します
錦の本来の意味は、絹ではないです
絹なら、倭絹が正しい
錦には他に五色の色彩や、金銀を用いた美しいものという意味があります
中国の陶器にも、多彩な色を用いた錦手があります
つまり、極彩色を用いるという意味もあるんですね
古墳文化において、極彩色の色彩を持つ古墳といえば、高松塚古墳しかありませんね
他に紅葉をいつの間にか錦と呼ぶようになりました
倭錦とは、日本の紅葉なのかもしれないですね
実際、七福神と紅葉が船に乗った絵もありますしね
絹としたらの説明は次レスでします
335日本@名無史さん:2008/02/10(日) 10:48:56
あまり知られていませんが、宮中には、お蚕場というところがあり、歴代皇后がお蚕様のお世話をするしきたりがあります
つまり、皇后様が蚕を育て、その繭から絹糸を作り、絹を織るわけです
京都で西陣織や京友禅の文化が発達したのは、そのためです
京友禅、加賀友禅、佐賀錦ですね
つまり、こちらは、皇室系譜の流れを汲むわけです
大和に邪馬台国があったなら、畿内のお蚕場は京都、福岡にお蚕場があったなら九州のお蚕場は佐賀、東日本にお蚕場があったなら、金沢
あとは、綿や麻の世話をしており、極彩色で彩色された布の献上もあるでしょうね
邪馬台国でよくでてくる植物に麻がありますね
あとは、
春すぎて
夏きたるらし
白たえの
衣ほしたり
天の香久山
天の香久山
香久山も当時、神様が降りるところとして、神聖視されていました
畝傍山、耳成山、天の香久山の大和三山は、神様が降りる山
うち、香久山にのみ、『天の』がつきます
この地を高天原と呼んだ可能性も否定できません
あと、白たへって、漢字でどう書くと思いますか?
きちんと教えてくれる国語の先生は少ないかもしれないですね
次レスに続きます
336日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:00:01
白袴とは、袴で織った白い布を言います
巫女装束は『袴』を着用しますね
袴をなぜ、袴というのでしょうか?
錦にはもう一つ真っ赤に染めた布という意味もあるんですね
七夕をなぜ七夕と呼ぶか知っていますか?
万葉のころ、織女は『たなばたつめ』と呼ばれたのです
万葉集にも、
わがためと織女のその屋戸に織る白袴は織りてけむかも
という歌があります
あと、万葉集に興味深い歌がありますよ
まそ鏡照るべき月を白袴雲か隠せる天つ霧かも
何となく意味深ですね
倭錦とは、当時織女が白袴を織ったとされていることから、白袴を真っ赤に染めた布と考えるほうが自然です
337日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:01:20
袴の原義はももひき
はい、高松塚古墳の飛鳥美人を思い描いてください!
338日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:10:43
七夕、彦星と織姫ですね
父(先祖)彦坐王と織姫です
はい、神社をイメージしましょう
男性は、白袴か水色袴、女性は緋袴(紅い袴)をはきますね
神社における男女の決定的な違いです
更に、巫女装束をイメージすると、春日大社や飛鳥坐神社の巫女装束の袴の上の着物の部分には、絵が入るんです。
彩色がほどこされた錦の巫女衣です
339日本@名無史さん:2008/02/10(日) 11:12:16
はい、飛鳥美人は何を着ていましたか?
何をはいていましたか?
あの絵は何を意味するのでしょうか?
340日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:10:01
あと、石垣のあるお寺は奈良市内の南都七大寺にも、一つあります
猿沢池近くの興福寺です
猿沢池からみるとよくわかりますよ
お寺にはめずらしく、鏡がまつられています
このお寺の特徴
それは、阿修羅がまつられていて、ある仏様がまつられていません
341日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:42:39
興福寺、それは、明らかに他の南都七大寺とは、性質を異にします
そこにこそ、邪馬台国の謎に迫る鍵があるのかもしれません
阿修羅とまつられていない仏
猿沢池に残るうねめの話、うねめ神社の持つ意味とは何かですね。
うねめ神社が当初向いていた方向には何があり、今向いている方には、何があるでしょうか?
壱台(台与)は一代、初代を意味します
新しい都での初代
その新しい都が九州だったのではないでしょうか
大和から九州への邪馬台国の移動です
つまり、九州と熊野の双方から攻められた卑弥呼は屈し、娘と王権を奪われたのです
やがて、九州に新生邪馬台国が産まれたの
新生であるため、元祖邪馬台国より小規模な模倣になったわけです
やがて、飛鳥京の誕生があり、卑弥呼の一族は政権を取り戻すため、影響力の強い新羅を攻めます
奈良の都、平城京としての復権です
飛鳥にあった都を奈良にどんどん遷していきます。
その前の王権により壊された寺を復興し、自分たちの宮にはなかった寺をバカスカつぶします。
宮を遷されて、遺された貴族、あるいは、男王の一族が卑弥呼の血族としての存在
崇神系の一族は面白くないでしょうね
342日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:48:18
取り残された九州の都の人々も面白くないと思いますよ
藤原氏はどちらかでしょう
奈良→平安→鎌倉
こう見ていくと面白いですね
つまり、古よりの豪族の覇権争いが、明治以前の歴史をつくってきたのです
ここから、伊勢神宮、賀茂神社、石清水八幡宮をながめるといいわけですね
神様は古いほど位が高い
343日本@名無史さん:2008/02/10(日) 12:49:17
倭錦とは、緋袴のことでしょう
344日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:10:12
個人的に倭国は吉備国の全域に及ぶ大きな都だったと思います
四方八方から狙われていて、あちこちで戦があったのでしょう
広大すぎて統制がとれなかったのかもしれません
男王だと、あちこちの倭国で戦が起こりますが、女王の場合、攻撃はその都に集中します
他の倭王が集団でその国を守るといいわけですから
ただ、隣接する倭国の倭王だけは、邪馬台国の護衛のために絶えず戦う状態が続くわけですから、大変です。
自分が王になった方がましと思うかもしれないですね。
個人的に邪馬台国は、兵庫〜京都〜奈良〜大阪に渡る広大な都
中心となる都は桜井纏向から飛鳥辺りだったと思います
あと、他板も読みましたが、もう少し、資料を伴った学際的な議論をしてほしいと思いました
何だか、卑弥呼の感情的な取り合いみたいで・・
卑弥呼が自分のところだと、感情的に主張するだけなら、子供のうまい棒の取り合いと変わりません
345日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:16:55
あと、毘には助けるという意味があります
毘沙門天が多聞天というのは、少し興味深いですね
山の辺の道〜桜井〜明日香村、邪馬台国を考える上で、非常に大切なポイントだとおもいます。
飛鳥を軽視しては、いけません
346日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:20:45
そして、男王が支配した邪馬台国の中心は、広大な高取城
飛鳥坐神社と高取城主の関係につながります
京都で弓と阿修羅といえば、三十三間堂ですね。
清水寺は、三十三間堂近くに建つ寺院です
347日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:30:21
緋袴が錦と言われていたのなら、紅葉を錦というのも、自然ですね
348日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:31:43
一応、純粋に古典と資料から検討しております。
349日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:42:53
青丹よし
奈良の都は
咲く花の
におうがごとく
今盛りなり

花(梅)が白か赤かで、女王系か男王系かが変わってきますね
実はあをによしを使う歌には、こんなのもあります
悔しかも
かく知らませば
あをによし
国内ことごと
見せましものを
350日本@名無史さん:2008/02/10(日) 13:48:55
今日の書き込みを使っていいところ
京都大学
天理大学
ひろゆきとアスキーアートはもちろんオケーです
351日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:30:03
あまり習わない万葉集の枕言葉も、紹介しますね
【吾が心】清し、清隅、明石、筑紫にかかります
【茜さす】日、光、紫、君にかかります
【明星の】明く、飽くにかかります
奈良の弘仁寺には明星菩薩という仏様があります
【赤ら引く】日、朝、肌にかかります
【在根よし】対馬にかかります
【押し照る】難波にかかります
【大君の】三笠にかかります
【妹が着る】これも三笠にかかります
【日の本の】大和にかかります
【光る神】なりはたおとめにかかります
【高座の】やはり、三笠にかかります
【敷島の】大和にかかります
あと、高天原に通じる枕言葉もあるんですよ
【高しるや】天のみかげ
【高照らす】日
【高座の】三笠
【大口の】真神の原
神が含まれているのは
【神垣の】三室、三室山
【天降りそそぐ】神の香久山
飛鳥にまつわる枕言葉はすごいよ
【今日今日と】飛鳥
なんだよね
【久方の】には、天、光、かつら、都がかかる
【紐鏡】能登香
352日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:51:15
ちなみに卑弥呼に殉死の百人に通じる歌もある
【百敷の】大宮
他に地名として登場するのは、
【八重畳】平群
あと、
【神風や】伊勢、五十鈴川、御裳濯川、山田
【掻き数う】二上山
【旨酒】三輪、三室、三諸、神名備、鈴鹿
【沖つ島】鴨
【石走る】垂水、近江
邪馬台国の行程に関係ありそうな地名がどんどん
あと、錦も出てくる
高麗錦【紐】
これは、高麗からきた錦
万葉集にも、
錦紐解き交わし天人の妻問う夕ぞわれも偲はむ
と歌われている
【垂乳し】は母、吉備にかかる
【つぎねう】は山城
【白袴の】は紐、帯、衣にかかります
353日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:56:34
和歌の言葉から考えて、献上したのが錦(絹)なら、狗邪韓国(=能登)で作られたと考えるのが、自然だよ
354日本@名無史さん:2008/02/10(日) 14:58:25
あと、興福寺には、藤原鎌足と『鏡姫王』が関係します。
飛鳥も、関係します。
355日本@名無史さん:2008/02/10(日) 15:00:00
>>350
どこも誰も使わねえから心配すんなw
356日本@名無史さん:2008/02/10(日) 15:10:14
そうだね
357日本@名無史さん:2008/02/10(日) 20:57:22
真神は大神
光る神は雷神
雷ですよね
358日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:23:06
柿本人麻呂の歌からして、もともと飛鳥坐神社があった飛鳥神奈備は雷あたりかな?
甘樫の丘や雷丘の辺りになりますね
真弓は下つ道
中つ道がその辺りを通りますね
龍にちなむ龍在峠もありますね
竜門岳もありますね
面白いことを書きますね
竜門岳、鳥見山、高取山、天の香久山を結ぶときれいな長方形がかけて、飛鳥がすっぽり治まる
三笠山、竜王岳、金剛山、生駒山を結ぶと、やはり、きれいな長方形がかけて、最大の巨勢山古墳群と真弓かん子塚古墳が治まる
共通するのは、竜王岳
ちょうど、高松塚古墳の壁画にちなむ名前が飛鳥を囲むようにあり、竜門岳を基準点に都が遷されている
鳥と竜があるわけだから、玄武(亀か蛇)と白虎(虎)にちなむ名前があれば、四神がそろう
信貴山って虎だよね
信貴山、三笠山、竜門岳、金剛山を結んでも四角がかけるんだ
三笠、三輪、二上、生駒を結んでも、四角
神と名のつく山を結ぶと、とても面白いんだ
この四角の中のどこかが邪馬台国に該当するんじゃないかな?
359日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:33:15
はい、人麻呂の歌
大君は
神にしませば
天雲の
雷の上に
いほりせるかも
360日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:34:03
飛鳥坐神社、飛鳥寺等の近くですね。
361日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:44:01
雷神をまつり、神宮と呼ばれているのは、石上神宮である
まつられているのは、布都御魂大神
実は
大和(おおやまと)神社にまつられている祭神は大倭大国魂神
山の辺の道を無視できないっていう理由ね
362日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:51:14
倭大国、天皇二派に通じる神社は石上神宮だけなんだよね
363日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:54:20
ごめんなさい
間違い
倭大国、天皇二派につながる神社は大和(おおやまと)神社だけなんだよね
石上神宮が通じるのは、七支刀
これが、邪馬台国を山の辺の道〜飛鳥〜葛城とした理由ね
364日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:58:01
彦坐王―大和神社
卑弥呼―石上神宮
こう考えたら、万葉集にぴったりきますね
365日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:01:23
しかも、魂は霊魂という意味で使われます
366日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:14:49
今回真弓かんす塚古墳が見つかったのは、下つ道沿い
中ツ道
上ツ道沿いには皇族の古墳が多い
雷は中ツ道沿い、傍系の彦坐王の住まいには、ふさわしくないだろうか?
367日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:17:01
卑弥呼は王位を壱与(台与)に与えて亡くなっている
男王も卑弥呼に王権を譲っている
下ツ道か中ツ道沿いに卑弥呼の墓がある可能性が高い
368日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:20:14
今日はここまでです
一応、連投タンが旅行板で、邪馬台国を山の辺の道〜飛鳥〜葛城と比定した理由です
なぜ、山の辺の道が必要なのかの理由です
大和神社が鍵になると思います
369日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:30:09
書き加えると、飛鳥坐神社のおんだまつりの一週間後に、大和神社のお田植え祭が行われる
370日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:11:57
白絹が見つからない理由
―それは、おんまつりの細男(せいのお)の舞いにあります
細には、身分が低いという意味があります
卑弥呼とともに殉死した男たちを意味するのが、細男の舞いではないでしょうか?
細男は白装束ですね。
白絹五十匹はおそらく卑弥呼の墓に眠っていて、その瞬間に姿を見せるのかもしれません
邪馬台国の行程に存在する特徴的な古墳があります
双方中円墳
時代も、弥生に重なります
片側を王、片側を殉死者と考えたら、どうでしょうか?
ぎ志倭人伝の献上品を持つ表記通りの巨大な双方中円墳が、卑弥呼の墓なのかもしれません
もう一つの可能性、卑弥呼は、白絹をもらって、赤と青の絹を献上しています。
いただいた絹を染めて返した
あと、一つは、税金がありましたから、絹や蚕が吉備国のどこかからの献上品目だった可能性ですね
蚕が献上されて、織られていたのかもしれません
だとしたら、ばかすか見つかるものではありませんね
371日本@名無史さん:2008/02/11(月) 00:22:57
あと、有り得るのが、吉備国の中の『高麗』がつく地で絹糸が生産され、石上神宮周辺で織られていた可能性ですね。
飛鳥の渡来人の村なら、当時中国とローマの交流がありましたから、絹が出る可能性もあるでしょうね
372日本@名無史さん:2008/02/11(月) 01:39:29
旅行板に続きがあります
373日本@名無史さん:2008/02/11(月) 02:22:46
>>330
親魏倭王じゃないっけ?
374日本@名無史さん:2008/02/11(月) 08:18:31
ぎが変換できないんだよね
委鬼 だよ
あ、そうそう、鏡といえば、八尾にある鏡塚も、双方中円墳なんだよね。
双方中円墳の在る場所をみると、倭国(吉備国)とも、邪馬台国に至る課程とも、ぴったりくるんだな
375日本@名無史さん:2008/02/11(月) 08:35:02
卑弥呼の墓っぽいのが、天理にある櫛山古墳
発掘品をみると、かなり献上品目に一致するし、大きさも近い
それなのに、70年ぐらい再調査がされていない
旅行板でも、書いたけど、天理大学と京都大学に再調査をお願いしたいところ
あと、卑弥呼は男王に王位を譲っている
金印の文字は親委鬼倭(女)王なのか、親委鬼倭王なのかだね
今回の真弓かんす塚古墳の出土品に金を使った馬具があったでしょ
親委鬼倭女王なら、男王がそのまま使うことは、無理
何等かの加工が必要になると思う
あと、旅行板でも、書いたけど、双方から入れるということは、弥生時代に特徴的な双方中円墳の可能性もあり、馬具に使われていた金が卑弥呼の金印に関係する可能性もある
(王位を譲ることを示すために、金印を渡した可能性は皆無ではない)
つまり、卑弥呼を倒した男王か、邪馬台国の男王の可能性が否定できない
必要なことは、馬具に使われている金の産地と時代の鑑定だ
極めて貴重な巨大双方中円墳の可能性がある
岡山大学が発見した双方中円墳は、吉備国の王、すなわち倭国の王に結びつく可能性がある
歯が見つかっているなら、それを鑑定しては、どうだろうか?
違う歯なら、追葬の証明にもなる。
今回の真弓かんす塚古墳を飛鳥時代の地だから、6世紀と勝手に決めるべきではない
飛鳥前史の可能性、邪馬台国の可能性、または、邪馬台国から飛鳥時代に移りゆくラスト・エンペラーの可能性がある
理由は古墳が双方中円墳の可能性が高いからだ
376日本@名無史さん:2008/02/11(月) 08:44:28
一部が破壊された古墳でも、レーダーの波長を使うことで、破壊の状態をつかめると思うんだ
あとは、CGがかける会社か、大学の協力があればいい
大学だと、正確で緻密な再現図ですぐに頭に浮かぶのが、関西なら、京都大学情報研究科。
発掘品の緻密な科学鑑定も可能だろう。
少なくとも、70年間放置されている櫛山古墳と今回見つかった真弓かんす塚古墳、岡山大学が掘り当てた双方中円墳は倭国や邪馬台国に関係する可能性がかなり高いと思う
たぶん、変わった形の古墳ぐらいの感覚だったのかもしれないけど、日本地図の上にパワーポイントかコンピューターでも、使って双方中円墳を置くと、ぎ志倭人伝の描写に一致してくる
この古墳の位置とぎ志倭人伝の描写の距離をデータ解析すると、邪馬台国の位置がある程度まで、比定できる可能性もあると思う
今日の書き込みを使っていいところ
京都大学
天理大学
ひろゆきとアスキーアート
377日本@名無史さん:2008/02/11(月) 08:59:52
少なくとも、双方中円墳の埋葬品の正確な時代鑑定
所在地とぎ志倭人伝の描写の比較は必要だとおもう
378日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:00:50
他の古墳の形に比べて特徴的であり、数が少ないことも、理由の一つ
379日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:08:19
天理大学歴史研究会の皆さん、やってみませんか?
櫛山古墳の再調査を
380日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:09:38
天理大学歴史研究会の皆さん、あるいは、橿原考古学研究所、京都大学の皆さん、やってみませんか?
櫛山古墳の再調査を
381日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:28:21
連投タン的には、纏向だけでは不十分、大和古墳群、柳本古墳群、八尾の双方中円墳に続く範囲を調査しないと、古代勢力の分布も、古代の歴史も見えてこないということです
三濠集落の謎についてもね
何度も言いますが、連投タンは、文献(古典)や、古墳の分布図を元に解析して、語っています。
纏向だけを調査なら、木を見て、森を見ないようなもの
森を見るためには、大和、柳本、八尾を無視してはいけない
未調査が一番多い、大和、柳本に近い大学で考古学と歴史文化学科があるのは、天理大学になります
天理大学の置田雅昭先生及び天理市史学関係者の方々、やってみませんか?
382日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:45:46
あとは、飛鳥の石舞台を発見した雄のいる京都大学の最先端技術を用いての年代鑑定でしょう
天理よろづ病院も、天理大学も、京都大学とは長いおつきあい
協力してあげてください
なんか見つかったら、双方中円墳=邪馬台国の墓はどんどん使ってください
383日本@名無史さん:2008/02/11(月) 09:58:21
もう少し引っ張りたかったんですけど、結論に至りましたね
あと、石遺跡の謎も、邪馬台国関係かもしれないですね
他に何か日本の古代史や歴史の謎があれば、挑戦したいですね
384日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:02:38
旅行板で妄想だの、なんだのと叩いた方々、妄想ではないことをわかっていただけましたか?
考古学や歴史学も、マスコミ報道やガイドブックにとらわれない学際的研究が必要です。
ひろゆき、本にしたいなら、校正の上、どうぞ
本にするなら、原稿料は近畿(特に奈良と京都)の文化財の保存や再建のために使ってください
385日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:38:53
>>376
「投稿確認」より抜粋
・投稿者は、投稿された内容及びこれに含まれる知的財産権、(著作権法第21条ないし第28条に規定される権利も含む)その他の権利につき(第三者に対して再許諾する権利を含みます。)、掲示板運営者に対し、無償で譲渡することを承諾します。
386日本@名無史さん:2008/02/11(月) 12:43:40
>>384
1行目で妄想じゃないと主張してるレスの3行目でもう妄想爆発ってすごいなw
387日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:32:10
あ、あと一つ追加
倭国の中心邪馬台国が吉備→大阪→京都→奈良に至ることを証明するかのような遺跡があるんですよ
福知山市の広峯古墳群
盤龍鏡は出てるわ、縄文時代から人が住んでたことがわかってるわ、歴史上、かなり重要な地域であることは確かです。
京都の中では、倭国がらみではかなり重要な遺跡だとおもいます
388日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:39:34
広峯古墳群(広峰古墳群)の景初四年の盤龍鏡
福知山って、出雲・丹後勢力と畿内勢力の接点なんですよね
389日本@名無史さん:2008/02/11(月) 13:55:38
倭国は吉備国
今でいうなら日本
邪馬台国は吉備国の中心地
今でいうなら東京
日本の都が奈良→東京と変わったように、邪馬台国も中心となる倭王の地ということで、変遷した
卑弥呼の時代の邪馬台国は、山の辺から葛城だろう
男王の時代は、岡山や兵庫、京都福知山、高取辺りを考えるといいのかもしれない
390日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:06:03
時代的にも、一致しますね
海と陸からのはさみうちにも
広峯古墳群は、邪馬台国の滅亡を知る上で、とても重要な遺跡です
最近見つかった大きな古墳は、邪馬台国を倒した狗奴国に関係するねかもしれないですね
391日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:11:30
次に何を書こうかな?
本能寺の変とかかな?
個人的には信長は光秀以外の誰かに討たれたのだとおもいます
『敵は本能寺にあり』
これは、本能寺の信長に危機がせまり、光秀が、信長を守るために戻って、もろとも、討たれたことを示すのだとおもいます
当初から討つなら、隠密裏に直接向かうでしょう
わざわざ戻ることは、あり得ません
『殿が危ない!もどるぞ』
これが、
「敵は本能寺にあり」
だとおもいます
392日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:31:00
実は安土桃山時代に、あまり語られない気になる人物が登場する
藤原せいか
(お菓子屋さんじゃないよ、サブッ)
相国寺で高麗朱子学の継承者、李退渓の学統を学んでいる
もし、藤原せいかが本能寺にいて、信長を倒して、貴族の時代を復活させようとしていたら、どうだろうか?
大政奉還の流れは、官政医学の禁以降、激しくなる
藤原せいかの弟子林羅山が学問所を開き、林家の聖堂学問所を官立とし、昌平坂学問としてまもなく、大政奉還により、江戸幕府が終焉を遂げるのである
信長の敵とは、貴族の世の再来を願う藤原せいかだった可能性が高い
393日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:38:37
そういえば、信長の時代に古墳の上に団子屋か茶店があったとか言われてますね
おそらく、藤原せいかと信長の交流があったために、もてなしのために置かれていた茶店だとおもいます
親しく交流し、安心させることで、信長を油断させようとしたのでしょう
そして、腹では、いつか、信長を倒して、貴族の世をと願っていた
そのことを何かの拍子で明智光秀は知ってしまいます
「敵は本能寺にあり」
時遅く、信長は暗殺されていました
明智光秀はあだ討ちのために戦った、あだ討ちのために寺を焼き討ちにした
こう考えるとすんなりいきます
394日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:49:50
藤原せいかのせいはりっしんべんに星→小星、はうがんむりに八を書いて、過ぎるのしんにょうを取った字
395日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:57:11
藤原小星か
かは、くぼみとも読むあのカです
396日本@名無史さん:2008/02/11(月) 14:58:00
藤原小星か
かは、くぼみとも読むあのカです、ガンカ、ホウカのカですよ
397日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:13:33
相国寺は室町幕府ゆかりの寺
藤原せいかは、相国寺ゆかりの人物
足利尊氏は後醍醐天皇を倒して光明皇后を擁立した人物である
鍵は藤原せいかにありだよ
398日本@名無史さん:2008/02/11(月) 15:42:14
おそらく、黒幕は藤原せいかだろう
豊臣秀吉、徳川家康にも、重用されたかれが、どうしてあまりにも影が薄いんだろう?
明智光秀は、藤原せいかを重用してないんだよね
三日天下と言われるほど短命
逆に、重用した政府は長く続くんだよね
たぶん、それだけ政治に発言力があったんだと思うんだ
あと、鎌倉・室町には、五山僧というのが、あって、もともと相国寺で学んだ藤原せいかは民衆の声を聞く立場にあった
信長は進言を聞き入れるような将軍像ではない
外濠を攻めるか、聞くような将軍を立てるか
いきなり豊臣秀吉は無理だ
忠臣だし、逆に自分が討たれる可能性がある
信長の死は自刃、寺は火災により、消失
【敵は本能寺にあり】
藤原せいかを指したのかもしれない
藤原せいかは明智光秀が織田信長を討ったと豊臣秀吉に告げる
藤原せいかは豊臣秀吉にさまざまな情報を与える
要するに諜報部員的な働きだ
公家の意見が背後にあったなら、秀吉の検地と刀狩りも納得がいく
やがて、明智光秀は、豊臣秀吉に倒される
結果、豊臣秀吉は、真実を知らないまま、主君のあだ討ちを手伝った人物として、藤原せいかを重用する
そう考えると、矛盾しない
399日本@名無史さん:2008/02/11(月) 16:10:07
謎の四世紀は難しいな
これは、中国少数民俗や言語学すべてが絡むから、長くなると思う
ぼちぼちやるしかないですよね
たぶん、解決が困難なのは、中国の各省とその地域の少数民俗から見ないで、中国、韓国という大ざっぱな味方をしているからだと思います
中国の少数民俗に残る名前と、そのルーツ、そこから始めないと、難しいでしょうね
謎の四世紀ですか?
大きなテーマですね
400日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:31:19
>>384
突っ込みどころが多すぎて皆からスルーされているのがまだ解らないようですね。
自分を知らないって傍から見るとほんと滑稽でみっともないことですよ。
401日本@名無史さん:2008/02/12(火) 00:54:38
>>344
>もうすこし、資料を伴った学際的な議論をしてほしいと思いました
なんだか卑弥呼の感情的な取り合いみたいで・・
卑弥呼が自分のところだと、感情的に主張するだけなら、子供のうまい棒の取り合いと変わりません


この台詞、そっくりそのままオマエに返すよ。
自分のこと棚に上げてよく言うよw

402日本@名無史さん:2008/02/12(火) 13:27:23
じゃあ、謎の四世紀については、少しずつ、行きたいので、ぼちぼちいきますね
中国雲南省には、タイ族と呼ばれている少数民俗がいます
この民俗と熊本、宮崎には、共通点が多く、また、古くから、彼らが日本と交流していたであろうことを示す食い物文化があります
中国タイ族の市場では、コンニャクが売られています
これは、中国の他の市場では見られません
つまり、一大国というのが、中国雲南省のタイ族の住む地域を指した可能性もあります
あと、彼らはコンニャクとトマトを炒めた激辛炒めものを食べます
宮崎・熊本はトマト畑、ピーマン畑で有名ですね
蛇紐の『漢委倭王』の金印というのは、この地雲南省の漢帝が下賜したもの
つまり、倭国が吉備国、邪馬台国が畿内だとしても、九州にかなりの権力を持つ勢力は比定できません
そして、金印は、大和朝廷、邪馬台国、あるいは、それに近い勢力を持った古代国家に与えられたもので決して偽物などではないと思いますよ
加えて、このタイ族の村には、日本と似た寺社仏閣、風習が多いんですね
そういえば、からし明太子は福岡の名産でしたね
現在に残るタイ族の村を一大国としてください
そして、双方中円古墳の残る地をぎ志倭人伝の他の地として、距離計算をしてみてください
矛盾することなく、邪馬台国の距離が算出されるはずです
小出しが好きな連投タンでした
403日本@名無史さん:2008/02/12(火) 13:34:52
404日本@名無史さん:2008/02/12(火) 13:44:33
そういえば、東京大学の先生がこういう研究をされておられますよね
まだ青二才の連投タンが失礼、無礼を申し上げます失礼をお許しください
米作はタイと中国、日本に見られる農耕です
大和朝廷、邪馬台国、あるいはもう一つの勢力
これらの歴史、謎の四世紀を見る上で、タイ、中国雲南省タイ族の文化、九州の古代文化を比較文化学的に見ることは、無駄ではないと思います
一大国が中国雲南省のタイ族の村であるなら、畿内でも、距離的に矛盾しません
ただ、タイを専門とする学科って少ないですね
アジア・アフリカ研究所と歴史関係の学科や研究所を持つ京都大学
あるいは、国際文化学部にタイ専攻と文学部に歴史と考古学をもつ天理大学
あと、大阪外国語大学と統合した大阪大学ぐらいしか、頭に浮かばないんですよね
天理大学の歴史文化学科や考古学科とタイ専攻で共同研究とかされてみてはどうでしょうか?
謎の四世紀の何かが見えてくるかもしれませんね
研究をされている東京大学の先生の研究は、日本の古代国家を知る上で、非常に有用な研究だとおもいます
決して、軽視すべきものではありません
次レスにもう一つ、比較文化の上で重要なポイントを書きます
405日本@名無史さん:2008/02/12(火) 13:52:25
言語学の視点から、迫ります
重要になるのは、母音の発音、抑揚、ストレスです
一番のポイントは、母音の数と母音のタイプです
情報科学の新分野の音と口腔の形の関係も役に立つかもしれないですね。
実は、人間は三才までに耳にしなかった言葉は、聞き分けることも、発音することもできないと言われているんですね。
特に顕著なのが、母音です。
従って、日本の各地の方言と中国少数民俗の言語の音韻を対比すること、中国ぎの地域の発音と日本の各地の方言を比較対照すること
これらは、言語学的にも、民俗学的にも、非常に重要なんですね
以上、小出しが好きな連投タンがお送りしました
東大の先生、やってみませんか?
406日本@名無史さん:2008/02/12(火) 14:09:26
では、邪馬台国をどこと比較すべきかも、書いておきますね
かつてのぎに当たる地域には、秦始皇帝の陵墓があり、今も発掘が続けられています
中国と日本の邪馬台国の関係を知るのに、重要な地域です
秦氏という豪族の地は奈良飛鳥周辺ですね
邪馬台国と比較すべき古墳文化は秦始皇帝の古墳がある地域の同時代の文化です
古墳形状の比較についても、そういう比較対照が意味を持つと思います
個人的には、京都大学と天理大学が好きですが
407日本@名無史さん:2008/02/12(火) 14:24:07
ぎ志倭人伝の示す委鬼とは、秦始皇帝陵がある地、西安がある地です。
つまり、この地の古墳に近い形状や要素を残す地こそ、邪馬台国の可能性が高いわけです
408日本@名無史さん:2008/02/12(火) 14:33:49
つまり、卑弥呼があった委鬼の王とは、中国の始皇帝であった可能性が高い
強い勢力をもち、ついでにひろゆき同様きれいなお姉タンが好きな皇帝
卑弥呼はすごく美人だったのかもしれないですね
泉涌寺の揚貴妃観音、歴史的にも、すごく貴重なものかもしれないですね。
409日本@名無史さん:2008/02/12(火) 14:43:52
埴輪文化、兵馬よう
共通要素は多いですね。
即答できる状態には、あるんですけど、いきなり謎の四世紀とポンと出されても、どう答えていいかわからなかったので・・
要するに、古典に出てくる地ではっきりわかっているのは、中国ですよね
日本だけでなく、中国少数民俗の地域も含めて、日本の地域の墓を見て行けば、いいわけです
となると、邪馬台国の古墳は、秦始皇帝の古墳の形を元に類推していけばいいんですよ
そこを見ないと、答えはでない
秦氏の存在が重要だと言った理由です
ブツブツ(´A`)
410日本@名無史さん:2008/02/12(火) 14:54:43
秦氏とは、ぎの秦始皇帝に通じる人物
秦氏は養蚕機織を業とする
つまり、秦氏がいた渡来人の村にしか、蚕や絹はない
そういうことです
ぼこすか出るもんじゃないの意味です
411日本@名無史さん:2008/02/12(火) 15:00:37
大和朝廷(倭国)/邪馬台国(倭国の一国)/他の強い勢力(雲南省ゆかり)
ですよ
これが三濠集落につながるんですよ
い、いじめるな!
。°・(>_<)・°。
ちなみに、連投タンのお気に入りは、うまい棒のコーン・ポタージュ味とエビマヨでつぅ
412日本@名無史さん:2008/02/12(火) 17:08:32
連投タン、ずっと前に田原本町の秦楽寺が大事ですよっていいましたよね
山の辺の道が大事だよっていいましたよね
畿内から、絹が出るなら、田原本になると思いますよ
突っ込みに答えてみた
『秦』の始皇帝
『秦』ですよ
413日本@名無史さん:2008/02/13(水) 10:02:07
邪馬台国には、埴輪はもともとはなかった
しかし、秦始皇帝とつながりがあった卑弥呼の墓では、中国の兵馬ようを模したものが造られようとする
意味不明の人形、献上品目に一致する品々かてんこもり見つかった櫛山古墳が怪しいです
モモちゃんは、たぶん、卑弥呼の血族の誰かの墓なんだと思います
それも、三親等以内の卑弥呼の血族
414日本@名無史さん:2008/02/13(水) 12:44:37
鍵となるのは、長屋王の系譜の安宿王(あすかべおう)の万葉集の歌や、円女王たちの歌だとおもいます
415日本@名無史さん:2008/02/13(水) 12:50:59
ごめん、円方女王
416日本@名無史さん:2008/02/15(金) 03:19:06


417日本@名無史さん:2008/02/16(土) 13:15:45
橿原で三世紀ぐらいの田んぼの跡が見つかったね
418日本@名無史さん:2008/02/16(土) 13:16:57
橿原で弥生前期の田んぼの跡が見つかったね
農耕があったんだね
水車とかあったみたいだね
419日本@名無史さん:2008/02/16(土) 18:08:43
卑弥呼には、黄文王がからむんじゃないかな
420日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:09:51
長屋王と飛鳥の勢力の関係を考えることも大切かもしれないですね
421日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:11:25
手白香皇女
歴史上、すごーく大切な存在だとおもいます
422日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:19:37
資料の少ない橘奈良麻呂の乱だけど、藤原不比等、長屋王の系譜から調べると、いろいろ出てくるわけ
奈良時代にも、島流しはあったみたい
島流しというと、刺青
卑弥呼の時代にこの風習があったかどうかだとおもう
423日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:20:24
ちなみに滋賀県には、黄不動というのが、あるんだけどね
424日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:29:22
まだ少し早いけど、手白香皇女は花のご陵
春、桜の季節に石上神宮から散策するのが、お勧めです
425日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:32:29
手白香皇女ふすま田陵は、かよう環濠集落をぬけたところにある一際大きな円墳
おそらく、卑弥呼ゆかりの姫君だとおもいます
426日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:38:37
竹之内環濠集落とかよう環濠集落、すぐ近くにあるんだけどね
427日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:50:08
かようの漢字は『かんぞう』というユリ科の多年草の『かん』と生なんだけどね
携帯だから、変換できないや
かやぶき屋根の『かや』と生でかよう環濠集落
428日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:52:34
かやはくさがんむりに宣
429日本@名無史さん:2008/02/19(火) 13:02:55
ちなみに手白香皇女ふすま田陵のある辺りは当時大倭と呼ばれていて、それが大和国につながっていくんだな
430日本@名無史さん:2008/02/19(火) 13:09:04
この大倭と孝霊天皇、つながるんですよね
天理教の中山みき教祖が神がかりになった時に『我は元の神、実の神』と言ったとか
天理教の経典にも、『火・水・風』が関係しているんですよね。
431日本@名無史さん:2008/02/19(火) 13:11:02
手白香皇女と長屋王の系譜、環濠集落の謎を解くことが邪馬台国や卑弥呼の謎を解くためには、重要かもしれないですね。
432日本@名無史さん:2008/02/19(火) 22:01:45
連投タン、よくジャニ系って言われマツ
おばちゃんのくれるおでんの大根が好きでつ
あと、甘酒
433日本@名無史さん:2008/02/20(水) 16:31:46
↑何言ってんのコイツ?
434日本@名無史さん:2008/02/20(水) 22:46:02
ちなみに手白香皇女のふすま陵って、年代的に謎に満ちてるって言われてます。
435日本@名無史さん:2008/02/20(水) 23:54:56
中山みきが現在に生きてたら2ちゃんにスレ立ちまくってるだろうな
似顔絵AAも作られてさ
436日本@名無史さん:2008/02/21(木) 11:38:35
信者さんがいっぱい立ててたりしてね
それはいいとして、京都府下ですごいものが過去に見つかっている
かんとう太刀
これは、古墳時代の勢力を知る上ですごく重要な資料なんだ
あと、中山みきは天理のある寺(ごめん、忘れた)に足しげく通っていた。
これは、天理教の教祖伝に書かれている。
あと、天理教教祖が雨乞いづとめをしたと、書かれていたのが、大和神社
中山みきが通っていた寺と大和神社、大倭古墳群に、古代勢力の鍵が何かあることは、想像に値する
437日本@名無史さん:2008/02/21(木) 11:40:08
京都府教育委員会がかんとう太刀を見つけたのは、久美浜だったと思う
(久御山だったら、ごめんなさい)
邪馬台国のルートにも、つながるんだな
438日本@名無史さん:2008/02/21(木) 11:46:43
ちなみにかんとう太刀は環頭太刀って書きます
しかも、久美浜で見つかったのは、黄金の環頭太刀だったと思います
しかも、双龍環頭太刀
そして、双龍環頭太刀というのは、なんと、大陸に近い日本海側に集中しているんですよね
439日本@名無史さん:2008/02/21(木) 11:52:35
ちなみにめずらしい金銅の装飾のある双龍環頭太刀が見つかったのは、久美浜の湯船二号墳だったと思う
440日本@名無史さん:2008/02/21(木) 11:57:48
ごめんなさい
ミスパンでつ!
湯船坂二号墳
この古墳からは、すごいものがいっぱい出てまつ!
441日本@名無史さん:2008/02/21(木) 12:02:22
しかーも、この丹後の久美浜町湯船坂二号墳でみっけされた鏡は、卑弥呼に贈られた100枚の鏡の一枚かもしれないと言われているんだな
442日本@名無史さん:2008/02/21(木) 12:13:47
美怒王を視野に入れて考えると、飛鳥時代、九州と畿内に二大勢力があり、それに対立する勢力が畿内にあったことが、はっきりしますね
久美浜湯船二号墳からの出土品の科学鑑定の必要性を感じます!
443日本@名無史さん:2008/02/21(木) 12:22:14
ちなみに美怒王がらみで栗くま王ってのが、出てくんのね
飛鳥時代の豪族なんね
九州から畿内に呼ばれてんのね
なんか狗努王に通じんのね
橘氏の祖ってされてんのね
444日本@名無史さん:2008/02/21(木) 20:00:54
狗那王でしたっけ
つまり、畿内二大勢力+関連九州勢力ですね。
445日本@名無史さん:2008/02/23(土) 11:57:49
池田理代子の漫画「聖徳太子」の盗作疑惑がネットで話題となり
画像検証サイトが作られ、今年1月マスコミでも報道された(「週刊新潮」)。
池田事務所は一切反論できず、「ノーコメント」。
4月にある聖徳太子イベントのパネラーとして池田理代子が予定されている。
主催企業に対し盗作作家をパネラーにするのはおかしいとの声が複数寄せられたが、
「池田さんに依頼したのは報道前」として、予定どおり開催する構え。
企業のリスクマネージメント能力が問われることになりそうだ。

池田理代子『聖徳太子』盗作検証Wiki
http://www40.atwiki.jp/ikeda_cribbed/

漫画『聖徳太子』(作:池田理代子)盗作疑惑検証サイト
http://www40.atwiki.jp/syoutoku_taishi_2/

週刊新潮 2008年1月24日号が盗作疑惑を報道
http://www40.atwiki.jp/ikeda_cribbed/pages/65.html

大和ハウス文化フォーラム 「聖徳太子なら今の日本をどう活性化するか」
http://www.daiwahouse.co.jp/forum/
東京開催:2008年4月26日
パネリスト:池田理代子(劇画家・声楽家)
446日本@名無史さん:2008/02/25(月) 21:32:33
聖徳太子が超能力を発揮するシーンに、橘寺の三光石って、出てるの?
それらしき逸話が残ってる
447日本@名無史さん:2008/02/25(月) 21:39:00
あ、連投タン宇多天皇と双龍環頭太刀から、嵐山の仁和寺に行って見た
嵐電に乗っていろいろ調べたら、連投タン歴史考察につながる二つをハケーンした
・蛇塚古墳
→秦氏つながり
・太秦広隆寺
→聖徳太子つながり
・地蔵院(椿寺)
→奈良の聖林寺に共通する本尊地蔵菩薩
椿寺で始めてみたキリシタンの墓
日本におけるキリシタンの墓は十字ではなく、円と一が組み合わさった形をしている
448日本@名無史さん:2008/02/25(月) 21:42:31
蛇塚古墳の秦氏との関係と、太秦広隆寺、気になりますね
しかも、国宝第一号の弥勒菩薩だよ
近くに蚕の社もあるしね
449日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:52:02
連投タン秦氏の足跡を辿って、太秦映画村に行って、新羅の仏像や唐三彩の仏像に出会いました
嵐電って、本当にいいですねぇ
なんと明智光秀の秘密にも、太秦広隆寺の後に立ち寄った明智風呂の説明でであいました
なんと妙心寺に明智光秀の辞世の句(自刃しようとして、おじに会いにきた時のもの)が伝わっているんですよ
その辞世の句によると、享年55歳。
生没年不詳とされる謎に満ちた光秀の生涯に触れるもの
ちなみに妙心寺も徒然草に書かれているんですよ
450日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:54:19
ちなみに妙心寺の鐘は福岡で造られて、運ばれたもの
行く年来る年のオープニングの鐘の音が、この寺の鐘(今は引退)の音だとか
天龍図と明智風呂の説明、面白かった
451日本@名無史さん:2008/02/26(火) 20:55:04
ちなみにこの明智風呂、春日局にも関係があるお風呂だそうです
452日本@名無史さん:2008/02/26(火) 21:17:54
連投タンが明智風呂について少し詳しく説明するお
ちなみに明智風呂はもともと今は廃寺となった塔頭太嶺院にあったのを妙心寺に遷したもの
創建者は密宗和尚とされているんだよね
453日本@名無史さん:2008/02/26(火) 21:21:57
ちなみにこの密宗和尚は明智光秀のおじなんだけどね
454日本@名無史さん:2008/02/26(火) 23:11:32
明智風呂というのは、妙心寺浴室の通称名だよ
455日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:21:21
武士で蛇に通じるのは、蛇の目の紋所の加藤清正
加えて、もう一つ不思議なことが、明智光秀が織田信長を討ったとされていながら、明智光秀の紋所の桔梗は織田信長の紋所の木瓜に通じる
桔梗に関連する公家の紋所は六条家のりんどうぐらい
逆に豊臣秀吉の紋所太閤桐は、公家水無家の五七の桐をアレンジしたもの
しかも、明智光秀ゆかりの妙心寺の近く地蔵院(椿寺)に豊臣秀吉は椿を贈っている
鍵を握るのは、椿寺の切子丹の墓の年代かもしれない
水無家と豊臣秀吉の関係、これが明智光秀の謎、本能寺の変の謎を解く鍵になるかもしれない
456日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:23:37
ごめん
水無家→水無瀬家
457日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:34:16
連投タン、国内旅行板のほうが勢いがあるね〜
458日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:39:04
椿寺のキリシタンの墓に共通する紋所は加藤清正の蛇の目か足利義昭の二つ引き量になる
むしろ蛇の目のほうが、連投タンが見た切子丹の墓に近いかな?
邪馬台国のあとは、光秀というリクエストに応じてやってるけど
・明智光秀の生没年不詳については、妙心寺の浴室(明智風呂)から、辞世の句があることに辿りついた
・光秀が会いに言ったおじの僧の寺は、今は廃寺
・その近くに豊臣秀吉が椿を寄進した椿寺がある
・その寺には、切子丹の墓がある
・その近くには、秦氏ゆかりの太秦広隆寺がある
・秦氏ゆかりの蛇塚古墳がある
・『太』閤、『太』秦
ここまではわかりました
459日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:52:50
457
光秀の資料が少なすぎる
・辞世の句が乗っているもの
・徒然草
いずれにせよ、藤原せいかと密宗和尚、嵐電四条大宮〜帷子ノ辻〜北野白梅町にゆかりの寺があり、その辺りから探るしかないのかもしれない
ちなみに妙心寺には、石田三成の菩提寺の塔頭もあった
460日本@名無史さん:2008/02/27(水) 14:55:19
明智光秀の資料がリアルで少ない
明智風呂の位牌廃寺となった密宗和尚の太嶺院から遷したものなら、戒名が鍵になるのかな?
461日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:05:43
藤原せいかが遺した文献としては
@寸鉄録
Aせいか(漢字)先生文集
この辺りに鍵を求めるしかないのかもしれない
462日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:09:21
ちなみに明智光秀の辞世の句が書かれているのは、明智軍記
はっきり言って明智軍記からわかることは幾つかあるけど、不十分
藤原せいかや他の要素を参考にする必要あり
463日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:22:40
他に橘氏につながる人物に江戸時代の加藤枝直と加藤千蔭というのがいる
加藤千蔭のほうが、『万葉集略記』『うけらが花』を書いている。
464日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:24:14
まだまだ、読まないといけない本や行かないとわからんことが多過ぎる
勢いまでは、まだまだでつぅ
山の二合目(文献みっけた)ぐらいかな?
465あたご:2008/02/27(水) 15:31:03

靖国神社を支援する日本の仏教

本願寺派 宗教心など微塵も感じられない俗物組織だ 
靖国神社より先を走っていた。

近代日本の国家体制を作っていった時期に当たる明治13年に、
寺法は制定されました。大日本帝国憲法の、約10年前です。
それが、第二次大戦でピークを迎える、天皇制ファシズムの時代に入り、
本願寺派は、神祇不拝を放棄し、戦時教学を取り入れる。
宗教団体法施行(昭和15年)後に制定された真宗本願寺派宗制(16年)では
「王法為本ノ宗風ヲ顕揚ス是レ立教開宗ノ本源ナリ」と宣言するに至ると、
本願寺挙げて前面的に戦争協力を行います。

その後、新憲法(日本国憲法)制定の動きに合わせて、
新宗制・新宗法が制定されていくわけですが、これによって、
世俗法と宗教法とが、密接に関連して作り上げられてきたことが分かります。

http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p001.html#page6
466あたご:2008/02/27(水) 15:31:43

その後、新憲法(日本国憲法)制定の動きに合わせて、
新宗制・新宗法が制定されていくわけですが、これによって、
世俗法と宗教法とが、密接に関連して作り上げられてきたことが分かります。

http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p001.html#page6
467日本@名無史さん:2008/02/27(水) 15:41:19
うけらが花というのは、夏の季語で、夏から秋にかけて白か紅の花をつける菊科の多年薬
若芽は食用、根は漢方薬なんかに使われている
恋しけば 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出なゆめ
万葉集
468日本@名無史さん:2008/02/27(水) 16:45:05
野守は見ずや
の歌に通じますよね
469日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:22:45
宗教と政治の分離は欧米だと、マキャベリズムの後ですね。
ところが、日本の場合は、第二次世界大戦後までさまざまな形で宗教が政治に絡みますね
明治以前は仏教、明治から昭和初期までは神道ですね。
470日本@名無史さん:2008/02/27(水) 21:24:11
織田信長と豊臣秀吉、明智光秀についても、宗教をぬきにはできないかもしれないですね。
471日本@名無史さん:2008/02/29(金) 13:12:05
信長とマキャベリズムが重なると思ったんだけど、学問的には武田信玄なんだよね
472日本@名無史さん:2008/03/07(金) 14:22:02
纏向遺跡で最近面白いものがみつかりますた
他とは違うみたいだね
473日本@名無史さん:2008/03/07(金) 15:01:53
岡山―纏向―四国
共通する変わった埋葬のしかたがみつかっているんですね
倭国=吉備国
邪馬台国=その中心地
(連投タンの過去スレ)
を示すようにでつ!
474日本@名無史さん:2008/03/08(土) 19:17:25
邪馬台国
475日本@名無史さん:2008/03/08(土) 21:36:46
倭の五王ってあったっしょ
倭国の中心地となる一国が邪馬台国
そうでないなら、吉備国、邪馬台国、大和朝廷の三大勢力
うち、いずれかが飛鳥京、平城京、藤原一族にそれぞれつながる
476日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:38:43
連投タンだけど、今までどの歴史書にも教科書に書かれていない爆弾発言をしていい?
飛鳥邪馬台国ゆかりの地で、飛鳥坐神社のお祭りが邪馬台国に関係と言った理由さ
実は、古代中国と古代ローマ帝国は関係があったんだ
従って連投タン的には、三大勢力とは、土着の日本人(藤原京)+古代ローマ帝国からの渡来人(邪馬台国/飛鳥京)+大陸からの渡来人(平城京につながる人たち)の勢力だと思っている
イタリアといえば、柑橘類、ワイン(葡萄)、チーズ、キリスト教科
あとは、太陽の国なんだ
つまり、古代ローマ帝国と古代中国との史実も想定の範囲に入れて邪馬台国論を検討する必要がある
手白香姫ですか、なんとなく意味深ですよね
対立が生まれるなら、その地に定着したい古代ローマ帝国と大陸からの渡来人の間でだと思う
飛鳥京でも、古代ローマ帝国からの渡来人と大陸からの渡来人の対立があった
飛鳥の石上遺跡や石文化、水落遺跡は古代ローマ帝国から
寺社仏閣は大陸から伝わった
安定した富をもたらす米作をもたらした大陸によって古代ローマ帝国の文化は失われて行った
建築学的に古代ローマ文化と飛鳥京〜山辺の道の文化を比較したり、生物学的遺伝子から古代ローマ文化と飛鳥京〜山辺の道の文化の比較をする必要があると思う
ローマ文化が関連していたら、万葉集や源氏物語が生まれたのも当然だとおもいます。
477日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:40:16
加えて九州と古代ローマ文化
大秦寺とローマン・カソリックの関係
飛鳥時代の神々とローマの神々の比較もね
478日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:43:14
比較すべき植物群、手白香皇女の周辺や畿内の柑橘類とイタリアの柑橘類、九州の柑橘類の比較
479日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:44:32
比較すべき植物群、手白香皇女の周辺や畿内の柑橘類とイタリアの柑橘類、九州の柑橘類、四国の柑橘類の比較
古代ローマ帝国に行く途中、難破して、日本へとか、あったかもしれない
480日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:49:17
フェンネル=ういきょう
漢方薬でも、使われるよね
飛鳥鍋、蘇、どうみても欧米の食いもんです
481日本@名無史さん:2008/03/09(日) 09:54:49
ハイ、ここ、大事!
古代ローマ帝国と仏教の関係をチェックしてみましょう!
加えて、古代ローマ帝国から中国への航路もチェックしてみよう!
シルクロードを通じて、邪馬台国に古代ローマ帝国から、絹や絹糸が持ち込まれていた可能性あり
従ってあちこちでは、見つからないと思う
482日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:04:42
文献学的には、中国史書とぎ誌倭人伝の比較のみでなく、ローマ帝国の記載についても、考えるべきなんだな
置田雅昭先生がイスラエルを掘ってるのは、すでに目をつけているのかも?
やはり、彼はすごい!
置田先生のイスラエル発掘の経緯と中国史書を漢文で読んでいて、ここに気がついたんだな
今日の書き込みは、京都大学と天理大学だけ、使っていいよ
ひろゆきとアスキーアートがオケーしたとことね
483日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:07:02
連投タンは、萬萬堂の蘇の饅頭でも食って、続きを考える
お久しぶりは、その辺を書いた中国史書を読んでいたから
484日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:36:50
シルクロード=邪馬台国の秘密を握る鍵
日本と中国のおつきあい、日本の古代国際文化は、ローマ帝国と中国のおつきあいの中で生まれた
だから、倭はちょっとだけ
485日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:40:32
相撲はローマのコロッセオから伝わったのかも?
486日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:51:13
つまり、邪馬台国とは、畿内にあったローマ帝国からの渡来人の国
ローマ帝国への行程と、日本への行程がごっちゃになったのが、ぎ誌倭人伝
487日本@名無史さん:2008/03/09(日) 10:52:07
簡単にいうと、シルクロードと日本への行程がごっちゃになったのが、ぎ誌倭人伝
488日本@名無史さん:2008/03/10(月) 08:42:08
久しぶりのここ掘れ、わんわんを書くよ
古代ローマと畿内、特に飛鳥の関係を探る鍵になるポイント
それは、川原城跡や山田城等ぼこぼこにつぶされた寺
特に大理石やメノウの話が残る川原城
これを古代ローマの遺跡と比較することは意味があるかも?
加えて奈良は国際友好都市が多いから、共同研究や共同発表もしやすいと思う
クレオパトラの話の通りエジプトとローマには接点があった
古代ローマからの移民があったなら、古代エジプトからの移民があってもおかしくない
―ここからは小説です―
日本が全域を支配していたなんて言語学からはありえない
ただし、クレオパトラが生きていた可能性は否定できないと思う
ローマの衰退を知ったクレオパトラは、シーザを見限り古代中国へと向かう
中国の王は当時、古代ローマと古代エジプトの風習や文化の違いからなかなかまとまらなかった古代ローマの渡来人の地域にクレオパトラを派遣する
渡来人の地域にいた古代ローマの渡来人たちは、シーザが愛したクレオパトラが長になることで一つにまとまる
エジプトから猫がこの時期に入ってくる
これならおかしくない―小説おしまいー
三角縁神獣鏡とピラミッドの関係
双方中円墳や纏向遺跡と古代ローマや古代エジプトの墳墓を比較することは意味があると思う
白虎は実は猫たん、白い猫たんだったのかもしれない
欧米で猫は、シャットやキャットですね
489日本@名無史さん:2008/03/10(月) 08:57:22
つまり、日本には、紀元前より二つの民族がいた
土着の日本人+古代ローマとエジプトからの渡来人(ローマから逃げてきた人達+古代中国に行く途中で難破した人達+クレオパトラの子孫)
ここに大陸から文化がやってきて、三つの勢力になった
このあたりは言語学で方言と各国の言葉を比較することで勢力分布図をみることができると思う
たぶん、古い研究者なら服部四郎先生だったかな
アジア・アフリカ研究所と言語学のある京大や、歴史と国際文化学の二大柱を持つ天理大学が強いかな?
古代日本は国際国家、井の中の蛙ではなく、国際的な視点で歴史を見つめる必要があると思う。
490日本@名無史さん:2008/03/10(月) 09:07:01
イスラエルとエジプトつながるよね
書き込み使用可
京都大学
天理大学
アスキーアートとひろゆきがオケーしたところ
飛鳥は大事じゃ
忘れてはならぬ〜
忘れてはならぬ〜
491日本@名無史さん:2008/03/11(火) 13:19:01
ずいぶんスケールが大きくなったけど、古代ローマ⇔古代中国
邪馬台国=大和国の中心地、三大勢力
こう考えたら、航路は矛盾しないお!
問題はどの勢力とぎが関係していたかだけ
加えて、邪馬台国=大和国なら日本全域を指すわけだからいろんなものが各地で算出される
仁和寺の鐘は九州で算出されて、京都へはこばれた
そういうことっす
492日本@名無史さん:2008/03/11(火) 13:34:28
江戸末期の浮世絵で西洋人は天狗のように描かれている
飛鳥坐神社の天狗とお多福の結婚式、各地に残る西洋文明の香
あの天狗は古代ローマ⇔古代中国の航路の途中、日本に漂着したローマ人と倭国の女性の結婚式
あるいは、二大勢力の和解、二つの勢力の長の政略結婚による安定を示したのかもしれない
493日本@名無史さん:2008/03/14(金) 17:34:05
天理大学がイスラエルですごいものをハケーンしたようですね
494日本@名無史さん:2008/03/14(金) 17:39:35
天理大学が発掘しているのは、旧約聖書にある「アナハラト」との説があるイスラエル北部の「テル・レヘシュ遺跡」
発見されたのは、大規模な城門
この発見はすごい!!
495日本@名無史さん:2008/03/14(金) 17:42:38
天理大学には、写真もあるそうでつ
496日本@名無史さん:2008/03/14(金) 17:49:27
テル・レヘシュ遺跡とは旧約聖書「アナハラト」との説があるダビデ王やソロモン王が活躍した時代の遺跡です
497日本@名無史さん:2008/03/14(金) 17:52:19
天理大学キキキ、キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!
498日本@名無史さん:2008/03/14(金) 18:00:42
すごいですよ、これ!
国際的発見
日本の奈良の大学が世界史に残る遺跡を発見したんですから
499日本@名無史さん:2008/03/14(金) 18:12:02
旧約書いた奴って天才じゃねぇ?
500日本@名無史さん:2008/03/14(金) 18:16:13
こっちは来ますね
501日本@名無史さん:2008/03/15(土) 09:42:02
この天理大学の発見には『命の木』が描かれた面白い土器もあったそうです
502日本@名無史さん:2008/03/15(土) 09:59:59
連投タンがぎ志倭人伝は古代ローマと古代中国の交流の中で書かれたもので、邪馬台国とは大和国すなわち日本であり、問題なのは、中心地がどこであったのかだと結論づけた理由を書きます
これまでに書いていた人はいないかもしれない
あ、例のごとく、京都大学と天理大学は書き込みを好きに使ってくらはい
連投タンは当初、飛鳥の酒船石を水信仰と書いていたと思います
しかし、景教とのつながりの中である考えに思いいたったのです
命の木を表現した祭壇、実際に命の木にまつわる宝石が置かれていたために礎石だけが残った
酒船石の辺りには実は何か歴史的に重要な遺跡が存在する可能性あり
あと、石神遺跡や水落遺跡はどことなくローマにつながる
これも書きましたね
加えて、法華寺、海龍王寺には聖徳太子
不退寺には五明王がまつられているんですが、不退寺の観音様の髪型が聖徳太子と似てるんだな
しかも、海龍王寺には海龍王の祠があり、海の安全を祭るお寺なんですね
飛鳥と法隆寺も聖徳太子が関係しますよね
あとは、旧約聖書と命の木とよく似た構図の曼陀羅の存在
隠された十字架を新訳聖書ではなく、旧約聖書で考えてみると、飛鳥はかなりしっくり来ます
503日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:02:39
今回天理大学+慶應大学+立教大学+同志社大学が発見したイスラエルの遺跡の構造は、写真で見る限り、飛鳥の石上遺跡の構造と酷似しています
504日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:07:25
少なくとも、世界の謎の遺跡の謎は旧約聖書が関係すると思う
旧約聖書と景教教典の関係もみないといけないと思う
505日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:20:44
中でも大切なのは、旧約聖書と漢語訳聖書の比較や申命記の研究だとおもいます
春日大社『申』祭
荒神(申)信仰
ぼぼ猿や身代わり猿

飛鳥の猿石
なんとなくつながりますよね
506日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:23:01
すでに置田雅昭先生はぎ志倭人伝の邪馬台国につながる航路をご存じなのかもしれないですね
何か邪馬台国や奈良につながるものが出てくるかもしれませんね
507日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:35:59
実は南山城には九体寺と呼ばれる浄瑠璃寺があり、宗派は真言律宗、そしてこの真言律宗の総本山が奈良の西大寺
法華寺、海龍王寺、不退寺はこの西大寺の近くに存在します
そして、これらのお寺の近くには、ウワナベ・コナベ古墳と磐之媛陵が存在するのです
508日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:42:12
つまり、卑弥呼の時代からつながる時代の古墳が奈良の西大寺周辺にあるわけですね
509日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:53:56
何の接点もないように見える九州、四国、奈良だけど、真言律宗、空海でつながるんだな
しかも、海龍王寺からは、飛鳥時代から奈良時代にかけての瓦が見つかってるんだな
510日本@名無史さん:2008/03/15(土) 10:55:21
もう一つは海龍王寺で海の安全を祈るために書かれている各地の名前、これが古代の航路につながるかもしれない
511日本@名無史さん:2008/03/21(金) 22:00:53
飛鳥の猿石、ならまちのこうじんさん、八坂こうじん堂は猿でつながります
八坂こうじん堂は秦河勝ゆかりのお寺
ならまちと飛鳥も秦氏とつながるかもしれないですね。
秦氏といえば、嵐山の広隆寺、東山にも聖徳太子ゆかりのお寺があります
奈良市内にも、あります
飛鳥→奈良→京都はつながりますね
個人的には、白拍子、能楽、舞妓はつながるのではないかと思います
静御前のように時代の有力者に見初められた白拍子が白装束ではなく、美しい着物を着て舞ったのが舞妓の始まりではないかと
水揚げとは神に捧げる舞を舞う白拍子から人に舞いを捧げる舞妓になることだったのかもしれないと
512日本@名無史さん:2008/03/22(土) 11:39:33
連投タン推理では、秦氏が景教の僧であり、聖徳太子は景教の不況者であった、あるいは、聖徳太子は秦氏お抱えの景教の僧(牧師)であったのではないかというところです。
つまり、実在の人物です。
日本の信仰と中国の景教の寺があった地域の信仰に存在し、東南アジアや他の東アジア地域に存在しない神仏が景教の神仏なのかもしれません
513日本@名無史さん:2008/03/22(土) 11:40:21
失礼、景教の布教者ですね。
514日本@名無史さん:2008/03/22(土) 11:46:55
明日香村の猿石はこうじん信仰に姿を変えて、奈良から京都に異動して行った
秦氏は歴代時の権力者のお抱えとなった商人(貿易・外交・通訳担当)かつ景教の布教者だったのかも
もしかしたら景教の寺には、布教のための語学学校があったか、布教で覚えた言葉を使って貴族相手の貿易商をしたり、便利グッズを売って富を蓄えたかかもしれないですね。
515日本@名無史さん:2008/03/22(土) 11:52:43
孔雀タンとペルシアはつながります
玉虫の厨子のイメージは孔雀です
孔雀明王は日本に数少ない仏です
置かれている寺も少ない
孔雀明王はもしかしたら、景教の謎の鍵を握る仏かもしれない
516日本@名無史さん:2008/03/22(土) 12:00:34
南ソウ時代の孔雀明王が残る仁和寺は歴史から消えた宇多天皇ゆかりのお寺ですね。
517日本@名無史さん:2008/03/22(土) 17:09:04
本能寺の変も光秀スレで謎解き終了
日本史には、他にどんな謎があるんだろう?
518日本@名無史さん:2008/03/23(日) 02:28:53
なかなかおもろい 褒めてつかわす
519日本@名無史さん:2008/04/11(金) 21:23:30
age
520日本@名無史さん:2008/04/11(金) 23:51:14
はい、どうぞ。w
521日本@名無史さん:2008/04/12(土) 00:21:08
連投タン、妙心寺とつながる天龍寺で気になる名前をハケーンしました
妙智稲荷
天龍寺にある稲荷神社です。
しかも、山門不幸と書かれた塔頭がありました
徳川家光と後醍醐天皇の座像があるんですよね
明智光秀といえば、土岐源氏
しかも、天龍寺と妙心寺に共通するのは、天蓋龍
妙智稲荷、智積院、気になります
522日本@名無史さん:2008/04/12(土) 00:39:52
あと一つ、妙心寺塔頭にある植物と天龍寺にある植物は共通しているんですよね
加えて同じ嵐電沿線の仁和寺に唯一残されている高倉天皇のしんかん
最古の医学書である医心方、新修本草、
平安時代のものとして、三十帖冊子、孔雀明王同経壇承起請文、他に類のない大きさの愛染明王坐像、阿弥陀如来及両脇侍像
空海が中国にわたって写した経典が三十帖冊子に残されている。
空海という名前は天地創造につながる
細字華厳経は小型の写経類
一行に十七文字が記されている
三十帖冊子、景教についての謎を解く鍵となる古文書かもしれない
523日本@名無史さん:2008/04/12(土) 00:58:50
・知念和尚
智積院―光秀を弔う演技
・明智光秀
天龍寺の山門不幸と書かれている塔頭に匿われていた
この可能性はないだろうか?
山門不幸=三紋不孝
524日本@名無史さん:2008/04/12(土) 01:14:26
山門不幸とは、僧侶が亡くなることを指すので、当日天龍寺の塔頭で不幸事があったのか、ずっと山門不幸の札が立っているのかが問題なんですけど、葬儀らしい様子がなかったものですから
妙智稲荷、仁和寺の御室桜と似た心の桜
同じ臨済宗の同時代の寺
徳川ゆかりの大法院と天龍寺に共通の隈笹の庭の花の作り方
妙心寺の智是院
気になるところです
当初、光秀は一時期、天龍寺に身を隠し、智念和尚が建てた明智風呂で徳川家の忍者みたいなことをして、月ヶ瀬経由で柳生
こういう可能性はないでしょうか?
525日本@名無史さん:2008/04/14(月) 09:46:01
邪馬台国歴史考察、ガイドブックに出ない古墳を交えて少し書いて見ました
526日本@名無史さん:2008/04/19(土) 09:10:46
邪馬台国歴史考察
ガイドブックに出ていない古墳を交えては、旅行板の国内旅行・古墳板に詳細に書きました
527日本@名無史さん:2008/04/30(水) 12:37:48
連投タン
邪馬台国畿内説において伊吹山と小浜市の沖の石は重要な意味を持つと思います
528日本@名無史さん:2008/04/30(水) 12:43:45
近江八幡の水郷巡りでは島が幾つか見られるんだな
529日本@名無史さん:2008/05/03(土) 22:14:53
超超超スペッシャル情報
5月6日まで
先着1000名様に藤の木古墳を公開
5月9日から
キトラ公開
(壁画)
530日本@名無史さん:2008/05/04(日) 11:39:56
連投タンが邪馬台国論争で大阪を出した理由を旅行板に書いておきますた
531日本@名無史さん:2008/05/06(火) 21:13:10
連投タンの葛城王朝説を旅行板に書いておきました。
532日本@名無史さん:2008/05/06(火) 22:55:08
京都議定書は守れるか
533日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:28:28
柿本人麻呂のもう一つの謎が、辞世の句の島
連投タンはこの島は竹生島ではないかと思う。
伊勢と捕らえるからややこしくなるんじゃないかなと。
もしかしたら、竹生島は貴族たちの船遊びの場所だったのかもしれない。
また、柿本人麻呂神社は柿本人麻呂がなくなってから立てられたもの。
柿本人麻呂が連投タン歴史推理通り、石上神宮ゆかりの神職であったなら、当然、竹生島にある神社の神主だった可能性もある。
534日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:33:11
加えて竹生島からは、縄文時代から弥生時代にかけての土器が見つかっており、この島がぎ誌倭人伝に書かれている水路、伊勢湾方面から琵琶湖→奈良、または、若狭湾方面→琵琶湖→奈良、大阪湾方面→琵琶湖→奈良
このルートは巨大遺跡の流れにぴたりと符号する。
(続く)
535日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:37:33
卑弥呼の時代以前から竹生島は何か神聖な場所だったのかもしれない。
したがって、近江京の発掘をやめることは、歴史的に重要な遺跡やある時代の調査を中断するに等しい。
その点で滋賀県の決断は愚かとしか言い様がない。
今日の連投タンの書き込みを使っていいところ
・京都大学
・天理大学
・滋賀県教育委員会(発掘中止への抗議用)
536日本@名無史さん:2008/05/12(月) 09:43:56
滋賀の大曲(伊勢湾からの川)
淀む(淀川)
あわむ(この二つがあうお)
→琵琶湖
人麻呂タンて、かけ言葉、好きだっ他よね。
537日本@名無史さん:2008/05/12(月) 17:16:10
加えて、聖武天皇が建てたとされる宝厳寺と錦織の里という正暦寺周辺の名前だな。
浅井姫の謎だよな。
538日本@名無史さん:2008/05/12(月) 17:30:24
うんとね
日本三大弁財天は、550年ぐらいなんだな
あと、弁財天は水の神様なんだな。
連投タン的には、三大弁財天の鳥居で結ばれた地域が倭国(吉備国)だったと思っている。
そうすると、巨大遺跡郡、巨大古墳郡と重なる。
539日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:16:05
連投君、君は重要な点を見逃している。
キトラは四神、三弁財天ではなく、四弁財天
その三弁財天を頂点とする四角を書いたときにできるもう一つの頂点
そこが卑弥呼の地点とはかんがえられないかね?
現人神のいる場所、あるいは、神である卑弥呼の眠る場所だ。
ひろゆき、どこになる?
540日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:18:47
まて、四神は守りだ。
その対角線の交差する場所こそ、邪馬台国
卑弥呼の地、卑弥呼の眠る場所だ。
541日本@名無史さん:2008/05/13(火) 12:19:19
確実に九州はなくなったな
542日本@名無史さん:2008/05/13(火) 15:23:44
539
長四角は無理
ホソーイひし形
ほぼ直線
都の移動とした方がいい
それなら東征説に重なる
543日本@名無史さん:2008/05/13(火) 15:29:18
549
それはあるかもしれない
三大弁財天はほぼ直線だから、同じく直線に並ぶ他の三大神とかの線を結ぶと四角になったり、対角線になる可能性はあると思う
三大〇〇〇と呼ばれる七福神をまつる500年代の神社を見ていくと何か見えるかもしれない
それが卑弥呼に続く信仰か、あるいは卑弥呼をまつるものかもしれない。
544日本@名無史さん:2008/05/13(火) 15:30:53
弁財天の登場は500年以降だよね
卑弥呼が弁財天として祭られた可能性はない?
古墳と弁財天が同じになっているところってありますか?
545日本@名無史さん:2008/05/13(火) 15:36:15
巨勢の道→吉野→山の辺の道ですね。
546日本@名無史さん:2008/05/13(火) 15:44:55
櫛山玉比女古墳って葛城になかったかな?
で、櫛山古墳が天理
櫛山古墳→卑弥呼
櫛山玉比女古墳→壱与
どない?
547日本@名無史さん:2008/05/14(水) 09:18:53
旅行板からきました。
連投タンが近つ飛鳥で、奈良県や二上山を出した理由は、竹内街道ですよ!
奇想天外な大阪・滋賀・京都・和歌山に渡り、邪馬台国の滅亡と三大勢力を考えよう、相撲も視野には竹内街道から。
ついでに言うなら竹内峠という歴史の要所もあるんだな
548日本@名無史さん:2008/05/14(水) 09:28:01
別にどうでもいいけどさ、竹内街道を起点に考えたら、近江京(大津京)ない方がおかしいです。
ただし、竹内街道を視野に入れないから調査が進まなかっただけ
よって竹内街道を起点に範囲を推察、調査すべきでつよ!
549日本@名無史さん:2008/05/14(水) 09:37:31
そして、丹比道、丹比野に通じる丹比という名を持つ丹比郡には数多くの古社が残されている上、竹内街道につながる地域でもありまつ!
550日本@名無史さん:2008/05/14(水) 09:43:41
鍵は
琵琶湖⇔大阪⇔奈良⇔京都・和歌山
なのさ。
琵琶湖は重要拠点なのさ。
だから、調査を中断した滋賀県の判断は、歴史的には愚かな決断なのさ。
551日本@名無史さん:2008/05/14(水) 09:52:27
ちくぶ島が大切なのさ!
丹比郡の古社が大切なのさ!
552日本@名無史さん:2008/05/14(水) 10:03:24
連投タンが関西を語るスレッド 4
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/travel/1206534050/l50
553日本@名無史さん:2008/05/23(金) 10:20:20
やはり、連投タンの歴史考察はあたっていたようですね。
滋賀県の宮町遺跡で万葉歌、初の木簡が見つかりました。世界三大文明を見ても、川は外せません。
大津とはリアル大津ではなく、かつて川が出会うところを大津と呼んだと言われる大津だとおもいます。
そこにあった都を大津京と呼んだ。
こう考える方が自然です。
しかも、一面を飾るほどの大発見です。
竹輪島じゃなくて、竹生島が大切って言ったでしょ。
だから、歴史の宝庫がありながら、発掘調査に力を入れない滋賀県は何を考えているのかなと・・。
連投タンの場合、万葉歌と考古学の両面から手探りで古代から上代を見ているんだけど、結構、あたっているでしょ。
いわゆるどちらかへの偏りが科学的発掘調査の中断につながっていたわけだよね。
554日本@名無史さん:2008/05/30(金) 14:15:22
加えて、古事記には登場し、日本書紀には登場しない、油の神様をまつる神社を旅行板の連投スレで紹介しておきました。
これは、イスラエルを調査している天理大学と天理大学の置田雅昭先生を連投タンが高く評価している理由。
古事記に登場し、日本書紀に登場しない神様、矛盾を秘める神様、それにつながる大伴氏。
大伴氏の支族の謎を辿ることが古代日本氏の解明には必要だな。
555日本@名無史さん:2008/05/30(金) 14:27:53
ちなみに大伴氏を点とみると、大阪→飛鳥→→京都が線でつながる
ポイントになるのは、大伴氏ゆかりの神社のうち、最古のものはどれかだな。
天孫降臨に登場する大伴氏は佐伯氏の同族
むしろ、九州は流刑の地と考えてもいいと思う。
556日本@名無史さん:2008/05/30(金) 14:30:08
なんか、面白そう。
イスラエルに目をつけたところで、天理大学はこの点で一歩リードしてると思う。
557日本@名無史さん:2008/05/30(金) 14:41:41
くぷくぴ連投タンが気になるのは、大伴氏と佐伯氏がからむ地域とぎ誌倭人伝に登場する地域が重なること。
つまり、それぞれが隷属する小国家、または地方政権で、吉備国(=畿内大和)は中央政権ではなかったかと言った理由
今でいう東京都のようなものがあり、邪馬台国は霞が関のような政治の中心ではなかったかということ。
558日本@名無史さん:2008/05/30(金) 15:20:27
邪馬台国(大和⇔中国/朝鮮半島)→飛鳥時代(大和⇔西洋/中東地域)→奈良時代(大和⇔中国/朝鮮半島)→平安時代(中国/朝鮮半島)
いわゆる外交勢力の変遷で、邪馬台国も飛鳥も滅んだ
国際関係を視野に入れないと、琵琶湖や水路を視野に入れないと、邪馬台国の謎は解けないよ。
男性の研究者にはわかりにくいのが瓶つけ油
奈良時代や十二単衣のあの髪型は瓶つけ油がないと結えない
加えて高松塚古墳の壁画の飛鳥美人の衣裳の烏帽子は中東のものに近い。
559日本@名無史さん:2008/05/30(金) 18:56:15
ユダヤ教→キリスト教
ユダヤ教→景教
有り得る流れ
大伴氏ゆかりの神社がその鍵を握る
隠された十字架はそこに眠る
使っていいのは以下
アスキー・アート
(ひろゆきの会社)
京都大学・京都大学大学院
天理大学
奈良大学は天理大学がオケーすれば、ドゾー
560日本@名無史さん:2008/05/31(土) 17:15:01
京都大学にも言語学科はあるし、天理大学って語学の天理って言われてましたよね。
連投タンの大伴氏説に言語学的観点から迫れる文献があります。
服部四郎と泉井久之助の言語学関係の著書がそれです。
561日本@名無史さん:2008/05/31(土) 17:30:24
エホバ・エホバ・エホバ
562日本@名無史さん:2008/07/11(金) 16:17:57
久しぶりに旅行板に歴史考察の続編を書きました。
563日本@名無史さん:2008/07/18(金) 09:39:37
今日はさらに卑弥呼と飛鳥⇔奈良⇔京都、関西の歴史を解く鍵は祇園祭にありと言った理由を東アジア全域に広げて、旅行板に書きました。
564日本@名無史さん:2008/08/01(金) 14:01:09
あとスカンジナビア半島も大事
理由は旅行板の連投タンスレにあるお。
565日本@名無史さん:2008/08/14(木) 08:48:56
邪馬台国畿内説と九州⇔大和流通説の鍵を握る橿原市内の古墳と畿内及び畿内周辺から見つかった『ぎ』の年次入りの鏡について、旅行板の連投タンスレで紹介しておきました。
紹介した橿原市内の博物館+天理参考館を合わせて見学すると楽しめると思います。
566日本@名無史さん:2008/08/27(水) 15:19:59
旅行板で少し触れた紀氏だけど、「阿花王」って、中国語読みにしたら、「アファン王」
アファン王から阿呆親王をイメージできないかな?
567日本@名無史さん:2008/09/29(月) 19:26:57
【相撲】元若ノ鵬が記者会見 八百長に関し「アンフェアな取組を強いられた」、大麻については「他に使用してる親方や力士がいる」★2
1 :丁稚ですがφ ★:2008/09/29(月) 17:07:50 ID:???0
大相撲の八百長疑惑を報じた週刊現代の記事で名誉を傷付けられたとして、日本相撲協会と
横綱朝青龍関ら力士が発行元の講談社などに損害賠償などを求めた裁判で、大麻取締法違反容疑で
逮捕され協会を解雇されたロシア出身の元幕内力士、若ノ鵬(20)=本名・ガグロエフ・ソスラン=
が29日、東京都内で会見し、講談社側の証人として法廷で証言し、八百長を告発する考えを示した。

元若ノ鵬は会見で「現在の相撲協会は汚い。幕内に上がったらアンフェアな取り組みを強いられ
お金を渡された。それを断るとかわいがりをするといわれた。親方も黙認していた」と述べ、
自身も八百長にかかわっていたことを示唆。そのうえで週刊現代側の証人として
法廷で詳しい証言をするとした。

また大麻の使用についても「他に使用してる親方や力士がいるのに処分されていない。
その他の協会の悪事についても証言していく」と付け加えた。

裁判は東京地裁で係争中。10月3日の次回弁論で元若ノ鵬の証人申請をする。またこの日は
朝青龍関が出廷し、本人尋問が行われる。

元若ノ鵬は、解雇処分が厳しすぎるとして、処分の無効を訴え、地位確認を求める訴訟を
東京地裁に起こしている。

ソース:SANSPO.COM(★1から変更しました)
http://www.sanspo.com/sports/news/080929/spf0809291110003-n1.htm
前スレ:
【相撲】元若ノ鵬が記者会見 八百長問題について「無理やりお金を渡され、アンフェアな取組をさせられたことがある」
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1222657380/
568日本@名無史さん:2008/10/06(月) 09:59:49
榛原を中心にすると、連投タンの消えた記事にありました
569日本@名無史さん:2008/10/06(月) 10:00:22
誰が盗んだんでしょうね
570日本@名無史さん:2008/10/06(月) 10:29:29
旅行板異常なので  
571日本@名無史さん
毎日新聞かがん掲示板があやしい  削除依頼同時