【土塁】中世の城に(;´Д`)ハァハァ汁【切岸】

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1日本@名無史さん
中世の城を熱く語りましょう。
砦クラスの中世の城も熱く語りましょう。

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2日本@名無史さん:2007/09/19(水) 18:35:06
2get!
3日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:05:13
中世の城で現在でも往時の雰囲気が残っている城ってどこ?
4日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:15:49
中世の雰囲気ってことは、中世風の城門とか建てて整備されている
加賀の鳥越城とかが希望か?
5日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:19:33
>>4
雰囲気は良さそうだが、土塁の低さが気になるが。
6日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:34:45
鳥越城の近くに岩倉城というのがあって
ここは縄張りもしっかり残ってるし、土塁も良い
何より多様な虎口が魅力
7日本@名無史さん:2007/09/20(木) 08:28:19
虎口を通過するとグネグネって感じか?ハァハァ
8日本@名無史さん:2007/09/20(木) 20:57:37
中世の城って残ってないだろw
発掘すらされてないのもあるし

戦国期には一村に一つ城があったというしな
9日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:00:48
>>8
というか、村自体が城砦化しているだろう。
環濠で防衛しているのだし。
村の入り口を土塁で虎口を形成していたのも珍しくないのでは?
10日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:05:04
>>9
村自体防御するのは日本にはあまり無い
戦国期でも堺と小田原城くらい
攻めてきたら丘の城に逃げ込むのが標準スタイル
11日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:08:03
>>10
全国各地で環濠集落があったが。
現代でもその遺構が残っているところも多いし。
また寺内町ならどこでも、町自体が城塞化しているだろう。
12日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:11:31
>>11
寺は城の代替品みたいなものだし
戦国期の近江の城の数は半端じゃないぞw
織田信長良く制圧できたなw
13日本@名無史さん:2007/09/20(木) 21:15:13
>>12
ほとんどの城は放置プレイしてたんじゃない?
ほとんどの小規模な城(砦)は土豪が管理しているだろうから、
土豪は基本的に攻撃せずに手懐けるものだろう。
14日本@名無史さん:2007/09/21(金) 08:46:29
そうだな。放置レイプだろ
15日本@名無史さん:2007/09/22(土) 00:52:02
ほのぼのレイプ
16日本@名無史さん:2007/09/26(水) 11:46:55
age
17日本@名無史さん:2007/10/02(火) 17:40:28
18日本@名無史さん:2007/10/04(木) 19:28:20
昨日、NHKの熱中時間という番組で、岡山の森本基嗣さんが出て藪漕ぎを
していました。見てて思ったのですが、ジーパン姿で山に行かない方がいい
と思うのですが。
19日本@名無史さん:2007/10/05(金) 00:17:03
えっ俺もジーンズで薮入って行くけど?
20日本@名無史さん:2007/10/05(金) 08:56:25
ジーパンで山登りするのは素人。
プロはもっと伸縮性があり、動きやすいズボンを選ぶ。
21日本@名無史さん:2007/10/05(金) 10:07:24
ジャージ最強!!
22日本@名無史さん:2007/10/05(金) 12:40:04
やっぱ敬意をもってスーツだろ
23日本@名無史さん:2007/10/05(金) 16:21:14
どうでもいいけど、名前出してやるなよ。
素人さんなのに…。
24日本@名無史さん:2007/10/05(金) 20:03:29
公共の電波にのってきた情報を公開すると何かまずい事が発生するのか?
25日本@名無史さん:2007/10/07(日) 15:53:05
23は、NHKに出た森本氏に対して言ってるのかも。

で、自分もそれ見てここへたどり着いた。
自分ちから半径20キロ以内に城跡がいっぱいあるんで、行ってみたくなった。
上のほうで出てる、虎口が何かもわからない(読み方も判らん)んだけど、
どっか童貞にお勧めのHPに誘導してくれませんか。
山城めぐり、とかで検索してもいまいち良いのに引っかからない。
26日本@名無史さん:2007/10/08(月) 07:30:42
虎口とはこんなものだというような童貞的なページは見た事ないね。

知識が少ない人は建物写真に走り、
知識が多い人は深い知識を見せようとする。

2726:2007/10/08(月) 07:39:51
日本のお城 という有名サイトの基礎知識に簡単な説明がある。
簡単とはいえ全体の分量はある。

そもそも城郭用語は明確な定義がされてないから大変そうだね。
28日本@名無史さん:2007/10/08(月) 09:46:32
>>25
首都圏なら小机城

>>27
内藤と三浦じゃ違うみたいだし。
2925:2007/10/08(月) 23:19:01
>26
サンクスです。日本のお城行ってみます。
とりあえず近所の城跡いくつか行ってみて、思ったことから調べていく方が良さそうですね。
この辺、織田信長が攻めたところみたいなので、
その順番に行ってみるのも面白いかな。(日本史苦手だったけど・・・)
30日本@名無史さん:2007/10/09(火) 18:00:08
播磨の山城の全容を今に 推定復元図描く神戸の男性
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1184301495/72
31日本@名無史さん:2007/10/11(木) 07:20:00
もうすぐ城攻めに良い季節でつね
32日本@名無史さん:2007/10/11(木) 07:59:39
やばいでつ
33日本@名無史さん:2007/10/11(木) 11:03:34
34日本@名無史さん:2007/10/12(金) 21:04:29
紅葉渋滞で難儀する季節でもありまつでつ
35日本@名無史さん:2007/10/17(水) 19:33:57
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
36日本@名無史さん:2007/11/14(水) 21:31:22
今日、国人クラス城主の山城に行った。猿の群れが居て襲撃されそうに
なった。
37日本@名無史さん:2007/11/15(木) 10:14:49
猿の群れは若狭の国吉城で遭遇したくらいだな
主郭の切株で休憩していたら、木の影からこっちをジロジロ見ててカワイイ
38日本@名無史さん:2007/11/15(木) 12:33:09
おいらはカモシカに遭遇したよ。熊は見えなかったけど、ホカホカの
糞があって、木の上には熊棚があって幹に新しい爪痕があったんで
近くに居たと予想出来た時はあった。

ところで、質問なんですが、
南出羽の伊達氏関連城郭と越後の国人の黒川氏関連城郭の関連性に関して
知りたいのですが、いい文献を御存知の方はいらっしゃいますか?
39日本@名無史さん:2007/11/16(金) 13:00:02
某山城を登ってたら土塁の陰で青姦やってる若い男女に遭遇したことある
40日本@名無史さん:2007/11/17(土) 11:55:59
>>39
青姦やつはものどもが夢の跡
41日本@名無史さん:2007/11/21(水) 23:53:15
大河ドラマ「風林火山」にチラッと出てくる
中世城郭を、考証・監修しているのは誰なんだろう?

平井聖? 考えにくいし…。
42日本@名無史さん:2007/11/21(水) 23:59:40
城内のセットがやけに立派な気がするが・・・
主郭にせいぜい小屋・木戸口・柵しかない所も有りそうなもんだが。
43日本@名無史さん:2007/11/22(木) 01:23:57
茨城の小田城ってどうよ?
今度近くに行く予定なんだが
44日本@名無史さん:2007/11/22(木) 19:56:58
真壁は大改修の痕、門跡だから縄張りの人はウハウハでは?
小田はしらん
45日本@名無史さん:2007/12/13(木) 21:49:52
今年は雪が降らんのでまだ行けそう。新潟からでした。
46日本@名無史さん:2007/12/20(木) 22:27:45
>>42
武田の城では重要な場所で石垣や礎石を用いてるからあなどれんよ。
47名無し:2007/12/22(土) 21:44:06

『人は石垣人は城』武田信玄は城を作らなかった。しかしこれは人を信頼した
からだけではない。武田信玄の本拠地・甲斐の国は周囲を山に囲まれていて軍

勢が侵入出来る所は限られている。その限られた侵入路に監視搭を設けその監
視塔と屋形との間を狼煙で結んだ。これにより甲斐の国そのものが堅固な城に

なった。ただし甲斐の国の外の領土には城を築いている。
48日本@名無史さん:2007/12/26(水) 22:08:56
人は石垣

信玄の城には石垣は少ないんだよ。
にわかファンだろ?
49日本@名無史さん:2007/12/29(土) 02:34:38
躑躅が崎は立派な城だがなw尾崎行雄
50日本@名無史さん:2007/12/29(土) 10:05:13
>>47>>48
中世の城は石垣を使わないのが普通。おまえら
バカだろw
51日本@名無史さん:2007/12/29(土) 13:14:21
今、帰省の途中に鉢形城に来ています。
この城は石垣を部分的に使ってるようです。
案内板に発掘調査の写真がありました。
それにしても秩父曲輪とか昔は薮だったのに綺麗になってて驚いた。
52日本@名無史さん:2007/12/29(土) 18:14:55
>>50
石垣を使わないというのは言いすぎだろう。
太田金山城などがある以上、それを主張するのはバカだろう。
とはいえ、>>47のように石垣が主体のようにとらえるのも違うだろう。
少量ではあるが必要な箇所には用いていたって程度だな。
53日本@名無史さん:2007/12/29(土) 19:31:50
今「城の日本史」って専門書?っぽいの読んでるんだが・・・・
南北朝以前は俺たちの考える「城」ってのは存在しなくて、土壁と簡単な
寝殿造りみたいなのしか無かったって書いてある。
鎌倉辺りの城塞ってどんななのかね?
54日本@名無史さん:2007/12/29(土) 20:14:09
山の尾根に塁を盛り堀を切り柵をめぐらしたもの
55日本@名無史さん:2007/12/29(土) 20:31:33
>>53
「城の日本史」って内藤昌著かな?
「中世武士の城」っていう齋藤慎一著にも似たような話があるよ。

鎌倉では発掘しても館から堀すら出てこない。
武士の生活を描いた館の絵図にも堀すら描かれていない。
全く根拠のない話ではないだろうね。
56日本@名無史さん:2007/12/29(土) 20:34:26
>>55

>内藤昌

そう、それ。
たださ・・・・ロマンが欲しいんだよ・・・
鎌倉とか千早城とか・・・ね。
57日本@名無史さん:2007/12/29(土) 21:56:09
学校の校地って、舘址が多くありませんか?

自分の通っていた高校は高さ30mぐらいの台地の端にあって、
三方を急崖に囲まれて、もう一方の正門側は今は平坦になっていますが
もとは土橋だったそうです。また、崖の途中に腰曲輪が認められます。

また、校地に隣接した社家の屋敷は土塁と空堀に囲まれています。
(こちらのほうが本来は、主郭なのでしょう、この神主家は
元々は、鎌倉御家人として荘園の預所でした。南北朝までには
この地に土着していたようです。)

そのお屋敷の門前へ直接登ってくる道(未舗装で今は学校への裏道として使われている)
は、禰宜さんのお話によると道幅が馬一騎の通れる幅なのだそうです。

時通学していた当時には、さほど気にも留めませんでしたが、
今では改めて、身近な所にも歴史の面影が残っているのだと
思っています。
長々と失礼いたしました。
58日本@名無史さん:2007/12/29(土) 22:43:33
>>56
研究者は真実を追究するからねぇ。ロマンは語らないだろうねぇ。
内藤氏の安土城復元案にはロマンを感じるけどね。
59日本@名無史さん:2007/12/29(土) 23:01:13
>>55

最近の発掘調査の結果でも、今見る中世山城の大半は
15世紀半ば以降に造られたものらしいね。
60日本@名無史さん:2007/12/29(土) 23:15:58
>>58
ロマンを語り求めるのは構わないが土木技術の発展の推移を無視したロマン的な解釈を学説として発表されても困るわけだが
61日本@名無史さん:2007/12/29(土) 23:32:57
>>60

日本建築史に興味を抱いてきたわけだが、土木技術の水準に関して
オススメの本ある?
62日本@名無史さん:2007/12/30(日) 00:17:04
>>57
確かにそうかも・・・。
俺が昔通った高校も似たようなところだったよ。
南東北の小藩の城の、今はもう埋め立てられ
国道となってしまった外堀のすぐ近く、
また付近には関ヶ原に参戦しなかった為に改易となった
小大名の山城も近い小高い丘にあったその高校の裏側には
確か某八幡宮の宮司の住んでいる屋敷があった。
周辺には年代物の墓石が多い墓地もあったような?
その家は鎌倉時代から続く旧家で昔はその屋敷は土塁に
囲まれていたらしくその一部は今でも残っている。
でも高校の時は知らなかったな。
近くにある今はもう共学になってしまった元女子高の
あたりの方が小藩の城跡が目の前になっていたから、
そっちの方ばっかりに目が向いてたよ・・・。
63日本@名無史さん:2007/12/30(日) 13:09:33
>>59
そうなんだろうね。実際に発掘すると
千早城のように14世紀の遺物が出てくる事は非常に珍しいんだろうね。
64日本@名無史さん:2007/12/30(日) 20:59:40
>>57です。
>>62さん、「南東北の小藩の」って、もしやあなたも盤庚の
ご出身ですか!

駅裏の丘全体が、(今は線路と国道で切り離されてしまった
山城も含めて)中世の舘址群のようですね。近世の城跡もふくめて
一見ただの住宅地のようになってしまいましたが…
65日本@名無史さん:2007/12/30(日) 23:00:05
>>61
藤岡通夫氏の本は個人的に特に気に入ってる
城戸、内藤、三浦氏の本も良いけど
66日本@名無史さん:2007/12/30(日) 23:48:41
そんな本とかどうでもいい
その目で足で感じろよ
67日本@名無史さん:2007/12/31(月) 00:35:21
>>66
城は建物と土木で成り立っているから建物について
知っておかないと土台が理解できない事も多々あるんだけどね。
68日本@名無史さん:2007/12/31(月) 00:36:03
知識は邪魔にはならんわな
69日本@名無史さん:2008/01/03(木) 17:25:11
山に立て籠もる行為自体を「城」と呼んだという中井均みたいな人もいる。
70日本@名無史さん:2008/01/06(日) 22:24:46
「城」と呼んだ人、土地柄などによって「城」の定義もいろいろありそうだね。
71日本@名無史さん:2008/01/07(月) 19:40:10
国史跡八王子城跡曳橋改修工事のお知らせ
 国史跡八王子城跡にある曳橋の改修工事を、下記の期間の予定で行います。
 工事中は、古道から曳橋、御主殿へと続く道がご利用できません。
 大変ご迷惑をおかけしましすが、皆様のご理解とご協力をお願いします。

工事予定期間 平成19年9月15日土曜日から平成20年2月28日木曜日
工事予定時間 午前8時から午後6時
http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/event/011990.html
72日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:05:58
age
73日本@名無史さん:2008/01/28(月) 13:40:56
城って、本来の意味としては「都市」という意味ではなかったかな?
日本では、要塞というと都市や居館じゃなくて、
山城みたいなものじゃないのかな?
74日本@名無史さん:2008/02/06(水) 22:48:47
共に信州の城址を巡るパートナーを探しています。
希望は20歳未満の柚木ティナ似の女性です。
興味のある方は遠慮なく、このスレに書き込んで下さい。
75日本@名無史さん:2008/02/07(木) 12:39:34
お前に選ぶ権利など無い!!
76日本@名無史さん:2008/02/07(木) 15:12:41
そうだそうだ!
77日本@名無史さん:2008/02/07(木) 18:04:45
>>75
そんな言い方しなくたっていいじゃん。
78日本@名無史さん:2008/02/07(木) 19:05:47
>>74
興味あります!
79日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:31:53
>>77
ソフトバンクのCMの北海道犬のお父さんの発言だと思いな。
80日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:51:24
だれか鉢形城址の虎口の堀切の蔭でバスボンバスボンはめ合わないか?
それがし、短髪色黒ガチムキ体型の超エロい漢です。烏帽子直垂姿で待っておる。
81日本@名無史さん:2008/02/07(木) 21:59:55
はあ?
82日本@名無史さん:2008/02/10(日) 18:10:42
>>74
そもそも城を観光じゃなく趣味として見にいく女の子はあまりおらん罠。
江戸城のお堀端を歩いたら「ジジくさい」といわれ、八王子城(詰の城)に
連れて行ったら「きついし何も無いしばかみたい」って言われた(´・ω・`)
83日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:20:40
彼女の事を考えたら、藪漕ぎに同行させる気にはならない。
山城行って喜ぶ女なんてまずいないよ。いたとしても、考古学で
飯を食っているデブで大飯食いで大酒飲みの豪傑みたいなクマみたいな
女しかいないよ!酒をミルクで割って飲むような女!!
84日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:36:34
まあ藪漕ぎや沢登りは別として
比較的整備されているハイキングコースのような
城跡もあることだしw
85日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:37:47
>>80
まだ鉢形城にいる?いま藤岡から高速にのるからまだいるなら行くよ?
86日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:42:14
>>84
自分の知っている女は、発掘現場の近くの食堂の定食を全制覇
したようなデブだったぞ。連れて行ってくれと頼まれても
お断りだ。クマと間違われて猟友会に撃たれる巻き添えは
ゴメンだ。
87日本@名無史さん:2008/02/10(日) 21:48:12
>>80
そういうことだ
諦めるんだなw
88日本@名無史さん:2008/02/10(日) 22:31:44
>>82
八王子城は心霊スポットしては女の子からも人気がある。

城としては誰も寄り付かないけどねぇ。
89日本@名無史さん:2008/02/11(月) 10:58:13
ハイヒールにワンピースの彼女と一緒に安土城に登った
発掘調査中だったので、通常より遠回りに登らされた
むちゃくちゃイヤミ言われた



今では、嫁と二人の子供と一緒に城めぐりしてますw
9082:2008/02/11(月) 20:32:20
おっ、急に伸びたなw
逆に女の子を連れて行って喜ぶ城なんてある?(シンデレラ城除く)
小田原城のウメコちゃんも・・・なんだかなあ・・
91日本@名無史さん:2008/02/11(月) 20:57:15
中世の山城(南北朝)は規模が小さいものが多いけど
市町村単位である城は居城としての性格もあったのでしょうか?
それとも戦いの時だけに使われたものでしょうか?
たいていその町を見下ろすことができる景色のよい
所にありますよね。 教えて下さい。
92日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:12:18
>>91
国衆や戦国大名クラスの城なら、居城スペースを持つとされるものも
あるけど、大概、居館と分離している。
93日本@名無史さん:2008/02/11(月) 21:53:01
>>90
彦根城は女の子にも喜ばれるよ!ひこにゃん人気も手伝って。
足をのばせば観光スポット、多いし。

大阪城も、まあベタすぎるけどあきたら城周辺をのーんびり散歩すりゃいいし。

あっという間に時間が過ぎてしまう。
94日本@名無史さん:2008/02/12(火) 04:19:24
小弓城は萎えるよ
95日本@名無史さん:2008/02/12(火) 09:55:48
>>94
埋文センター脇にもかかわらず、ゴミだらけ。一部墓地。
「犬にフンさせるな。ゴミ捨てるな」と言った看板が有るし。
城跡からの展望も近くに分譲住宅。土塁なんだか不法投棄のゴミの
山だか区別が付き難いとこもある。今はキレイになったのかな?

茨城県って駄目だなあと思う。霞ヶ浦方面の市町村では古墳がいつの
間にか消滅しているし。古墳潰して、土地は住宅、土砂を販売した
土建屋もいた。庭の飛び石が石室の石材というお茶目な農家も
いっぱいあるよ!
96日本@名無史さん:2008/02/12(火) 10:02:52
>>95
ゴメン!!
昔行ったんで、茨城県と混同してた。千葉県でした。
謹んで訂正いたします。下段の書き込みはお忘れください。
97日本@名無史さん:2008/02/12(火) 11:15:39
滝山城に出かけたら、街道沿いの「道の駅・八王子滝山」にもよって
純米酒「氏照」 吟醸酒「氏照」 純米吟醸酒「氏照」の
どれかを買って帰りましょう。

生産地は米沢なんだけどね。
98日本@名無史さん:2008/02/13(水) 11:02:00
城にちなんだ酒とかもけっこう多いな。「大多喜城」とか「鹿島城」とか。
袋井(静岡県)に行ったときは「久野城」なんてお菓子もあった。
99日本@名無史さん:2008/02/16(土) 23:24:43
長篠城復元希望
100日本@名無史さん:2008/02/17(日) 08:00:14
初めまして
嫁が歴史に全く興味ないので,城巡りは専らひとりで出張時に行きます。
スーツで竹田城に登ったのはきつかったけどあの景色は圧巻!良かったです。


ところで土塁フェチにオススメの山城はどこですか?
101日本@名無史さん:2008/02/17(日) 11:47:27
春日山城
102日本@名無史さん:2008/02/17(日) 12:32:19
小机城
103日本@名無史さん:2008/02/17(日) 13:27:28
>>100
何処の方かは存じ上げませんが、後北条氏関連の城に行けば
土塁はいっぱい見れますよ。杉山城みたいに築城年代が論争されている城も
必見です。
104日本@名無史さん:2008/02/17(日) 16:07:14
小弓城
105日本@名無史さん:2008/02/17(日) 17:25:02
吉見の百穴近くの松山城は空堀がすごかった
106日本@名無史さん:2008/02/17(日) 19:17:35
あの辺で土塁が見事なのは菅谷館趾だな
107日本@名無史さん:2008/02/18(月) 00:25:43
厳密には城跡とは呼べないかもしれないが、
目黒自然教育園内の長者丸遺跡の土塁は見事。
江戸期には大名屋敷の庭だったにもかかわらず、
かなり明確な形で残っている。
自然公園内ということで開発を免れたのが幸いしたのだろう。
108武陽隠士:2008/02/18(月) 00:50:54
>>107
うん確かにそうだ。
ちょっと高速うるさいけど、山手線環内にあんな自然があるなんて嬉しい。
おまけに土塁(こっちが本題か)。
私は毎年夏になると必ず訪れてるよ。
109日本@名無史さん:2008/02/18(月) 11:44:09
逆井城にでも行ってきますかな
未だ行った事無いので。
関宿は休館日だし
110日本@名無史さん:2008/02/19(火) 00:25:15
ああ、西ヶ谷先生プロデュースの城ね。
111日本@名無史さん:2008/02/19(火) 03:15:53
東海道筋では丸子城なんかも結構見ごたえがあると思うぞ
112日本@名無史さん:2008/02/19(火) 14:22:22
>>107 >>108
そんなたまらない所にはイカネ
113109:2008/02/19(火) 15:08:40
昨日はやめて、今日午前から逆井城に行ってきた
いいね、あそこ。
建物は直接関係無いものもあるけど、空堀が判りやすくていいな
普通の山城だと、木や雑草とかで判りにくいから、ここはいい。
見学者は自分一人だけだった、平日はそんなもんなのかな?
それから、ナビで調べたら関宿まで10キロも無かったので
関宿城博物館にも行ってきました。
本当の城跡は、離れたところにあるんで、復元天守閣を楽しむ
だけでしたけれどね。
時間が無かったんで、元々の城跡は行けませんでした。
114日本@名無史さん:2008/02/20(水) 15:44:49
昨日、武州松山城に行ったんだけど本丸付近の土塁に営業マン風の若い男が座りこんで北条五代記らしき本を読みながら酒飲んでた!
115日本@名無史さん:2008/02/21(木) 01:01:17
昔、越後春日山城に正月に行った。唸り声が聞こえるので、何だと思って
見たら、地元の爺ちゃんが雪の積もった主郭で詩吟をしていた。
もちろん、日本外史の「鞭声粛々・・・」だった。
116日本@名無史さん:2008/02/21(木) 01:10:56
高天神城の本丸跡へいくと、城主小笠原長忠と
その奥方の記念撮影用のパネルがあるぞ(顔出して写真取るあれ)w

117日本@名無史さん:2008/02/21(木) 12:56:08
関ヶ原の戦があった日の前夜に松尾山城行ったら・・・


鎧兜に陣羽織着た人が一人いた(((;゚Д゚))
深夜2時にね

その人は小早川秀秋になりきってたんだろうなw


最初はお化けかと思ったよ
118日本@名無史さん:2008/02/21(木) 14:17:30
>>117
お化けだよ、それは・・・・
119日本@名無史さん:2008/02/21(木) 23:20:12
宇和島城で羽織袴で刀差した老人を見たことあるよ。
120日本@名無史さん:2008/02/22(金) 00:23:59
>>117
そんな時間に何してたんだ??
121日本@名無史さん:2008/02/22(金) 00:34:09
関ヶ原が好きでよく行くんだけど、夜は初めてだったし、開戦前夜に関ヶ原を回る事で布陣した当時の武将達を妄想したかったから行ったんだw
ちなみに笹尾山の三成本陣には寝袋で寝てる人もいた(((;゚Д゚))
その後に松尾山行ったもんだから、関ヶ原マニアがコスプレしてるんだろうと思った訳です(笑)
122日本@名無史さん:2008/02/22(金) 00:36:17
>>121
あの時の物好きは君か!
やぁ。
123日本@名無史さん:2008/02/22(金) 03:07:48
険しい崖地を登りジャングルのような薮を抜け、
やっと本丸にたどり着いたら、畑を耕してる爺さんがいた時は泣けたよ
124日本@名無史さん:2008/02/22(金) 12:22:13
それは下調べをしてない証拠だな
125日本@名無史さん:2008/02/22(金) 12:38:47
高校生の時に杉山城に行ったんだけどなんか人の気配がするな〜と思いながら土橋を渡って進んでいくと、本丸に総勢8人くらいのヤンキーが溜ってて速攻で絡まれた。
逃げたんだけど追っかけられて土橋でもたついてると土塁の上から投石されたり空堀や土塁の上を自在に走り回り大手口に先回りされてたり大変だった
126日本@名無史さん:2008/02/22(金) 15:07:40
昔からそういう連中はいたんだろな
127日本@名無史さん:2008/02/22(金) 17:30:25
ヤンキーの城かw
128日本@名無史さん:2008/02/23(土) 01:11:53
>>121
そんな貴方には八王子城をお勧めします。

落城した旧暦の当日は
昼でも楽しいイベントが盛り沢山用意されてます。
129日本@名無史さん:2008/02/23(土) 01:38:20
夜の八王子城(;´Д`)ハァハァ
130日本@名無史さん:2008/02/23(土) 12:32:37
八王子城は知らないが、滝山城に夜に侵入した時、階段を下から上に落ち武者の生首が転がりながら駆け上がってきたって話は聞いた事あるね
131日本@名無史さん:2008/02/23(土) 19:32:30
城総合スレにもレスあるけど、
千早城って遺構がどうなってるのかよく分らないよね。
行った事がある方、堀などの遺構の解説お願いします。
132日本@名無史さん:2008/02/23(土) 20:15:23
まぁ城ヲタに幽霊がどうのこうの言っても無駄だよな
むしろ会って色々話を聞きたい
133日本@名無史さん:2008/02/24(日) 03:34:24
城オタには幽霊なんぞ見えてこないよ。
真摯な気持ちと愛をもって歩き回るんだから。

興味本位のオカルトスポット好きには見えるだろうけどね。
134日本@名無史さん:2008/02/24(日) 04:45:24
伝説とか怪談とかは城にはつきものだからな
135日本@名無史さん:2008/02/25(月) 01:46:11
芥川城を見てきたが・・・本当にあんなところで合戦があったのかと思える
(ちなみに山城初体験)

やたらめったら狭いし城に籠もれるのは数十人くらいなんじゃないのか

本丸とか主郭とか本当に狭い 真北にあるキャンプ場のほうがはるかに広そうだ

暗い山ん中だし、「戦う場所」というより「こっそり隠れる場所」って感じ 色んなサイト
の探訪記には「壮大な規模」とか書いてあるが、これで壮大だったら他の山城は
なんなんだと思える

ま、樹木が無く建物・石垣があれば城の存在はふもとから確認できただろうが・・・
基本的に山奥であることは否めない

歴史書には「三好長慶が入城」「織田信長が入城」とか出てくるけど、本当に
文字通りに入城したんだろうか?と思える 「入城する権利を得た」だけで、実際は
近隣の寺や有力者の館に泊まってたんじゃないかと思う
136135:2008/02/25(月) 01:59:42
籠城したら敵兵より先に蚊・蜂・虻・百足・蛇・猪・野犬・熊?とかの害虫・害獣に
やられそうだ

糞尿の始末の問題もあるし、食い物・水の安定供給も厳しそうだ それぞれの
郭を移動するだけでツルッと滑って捻挫・骨折しそうだし、とにかく山城の生活環境は
厳しい
137武陽隠士:2008/02/25(月) 23:36:09
>>136
なんか君(たち?)は勘違いしてないか?
確かに自然林の中にある山城(急こしらえとか。砦みたいな)もないことはないと思う。
しかしほとんどの今著名な中世の山城は(人為的)禿山だ。
たとえば全国的に有名な後北条氏の八王子城の樹木はすべて落城後に生えたもの
山城を見るとき気をつけなくてはいけないのは現状の草木に覆われた山を
城が存した往時と同じだと思ってしまうことだ。
138日本@名無史さん:2008/02/25(月) 23:48:54
>>137
まあ、遺構の上に木々が生い茂っているとか珍しいことでもないしな・・・・
というか、縄張り図とか、古図とか資料館などにあるような再現したものを見れば
武陽氏が言っているような状態だと思うんだが。
139日本@名無史さん:2008/02/25(月) 23:54:44
>>135
138さんもおっしゃるように縄張り図を手に実地踏査すべきだよ君は。
芥川山城には5回行ったが、当時の遺構としては規模は大きいほうだよ。
あ、それから君はもっと他の遺構も回ってみて勉強したほうがいいと思うよ。
140日本@名無史さん:2008/02/26(火) 00:23:48
塩田城も森に埋もれてしまったんで何とかしてほしい
141日本@名無史さん:2008/02/26(火) 00:26:42
君が毎日行って少しずつ伐採しなさい
142日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:11:11
塩田城がどうかは知らんが、私有地の木は無許可で伐採してはならんぞ
143日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:16:07
隠れて切ればいい
144日本@名無史さん:2008/02/26(火) 01:40:41
>>137
http://www.ne.jp/asahi/shiga/home/History/akutagawa.htm

ある程度は木を切っていただろうが、全てを切っていたとは思ってなかったわけで・・・ 

特に周りの山の木はほとんど手付かずだったんじゃないだろうかと(知らんけど)

三好山の北側の斜面とか塚脇古墳群の北あたり あと、地図の緑色の箇所の山とか
145日本@名無史さん:2008/02/26(火) 15:27:43
135がどのような遺構を想像して登ったのか判らんが、
芥川城が中世の山城にしては大規模だったのは事実。
他の城跡も巡って更なる精進をされたし。
能勢町あたりには遺構がゴロゴロしているので、
行かれてみては如何?
146日本@名無史さん:2008/03/15(土) 13:58:49
雪も溶けてきたしこのスレも活気づこう。

147日本@名無史さん:2008/03/15(土) 19:13:56
>>146

関東じゃもうヘビやらお目覚めでシーズンオフかも
148日本@名無史さん:2008/03/17(月) 10:00:52
俺のシーズンはGWまで
149日本@名無史さん:2008/03/17(月) 20:44:27
薮蚊はブンブン飛んでるよ
150日本@名無史さん:2008/03/17(月) 20:46:07
蝮の季節もすぐだ
春のうちにレッツゴー
151日本@名無史さん:2008/03/18(火) 15:47:13
山城攻めて来たんだけど
登山中、岩壁に洞窟を見つけた。
奥行き15mぐらいで最奥部は20畳ぐらいはあろうかと思われる空間だった。
その洞窟を守るかの如く小郭が2つ配されてた。
なんかの貯蔵庫かな?

http://f.pic.to/oold3
152日本@名無史さん:2008/03/18(火) 22:20:03
>>151
切断面が機械的なので、近年に石灰岩とかの採掘調査をしたのでは
153武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/18(火) 23:04:01
>>151
そういうのは近所の農家がこしらえたか、
戦時に作られた掩体壕防空壕のたぐいかも?
後代の人間の作為が遺跡にはよくある。
まあ君の見たものが、そうだと断定する材料が私にはないんで、本当のところは何ともいえない。
154日本@名無史さん:2008/03/19(水) 01:44:33
では黙っとけ!!!
155日本@名無史さん:2008/03/19(水) 21:26:04
横穴の話は聞いたことがあるが、実見したのは新潟県長岡市にある
栖吉城の切岸に開いているもの。巾7,80cm程だったが奥行きは意外と
有りそうだった。只、開口部には樹木が有り、根本の室かも知れず。
動物関連の穴の可能性もある。結局、穴に入る勇気が無いので未見。
周辺で蜂の被害が多いので。
156武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/19(水) 23:15:25
>>155
ほう。面白そうだ。
157日本@名無史さん:2008/03/21(金) 19:45:26
>>155

長尾氏の居城ですな。
158日本@名無史さん:2008/03/22(土) 00:36:41
都内の山城にも横穴が数個連続してあった所があったけど、
だいぶ埋もれてて何なのか全く分からなかった。

すぐ近くに水が湧き出てる場所があって、
現在でも利用してるらしく簡易の貯水池があったから、
水神様でも祭ってたのかなって思ったけど。
159日本@名無史さん:2008/03/22(土) 01:57:25
白滝城ってのが何所にあるのか知らないけど
溶岩洞窟って適当に言ってみる(苦笑
160日本@名無史さん:2008/03/23(日) 06:35:55
>>158
そのケースは生活用水を得るために城館でなくてもよくみられる。
鎌倉の十井の中にもあるよね。
多摩ニュータウンの発掘調査でも報告されていたと思う。
161日本@名無史さん:2008/03/23(日) 13:26:12
兵庫県の城山城や愛媛県の松葉城では、登城道近くに横穴があり、
それには坑道跡と解説されていた。
こういう可能性もあるのでは?
162日本@名無しさん:2008/03/23(日) 14:25:06
防空壕とか…
163日本@名無史さん:2008/03/23(日) 21:21:32
>>159
白滝城は愛媛県です
伊予の白滝城というサイトがあるけど洞窟については触れてません。
やっぱり遺構とは関係ないかもね

ちなみに>>161のいってる松葉城の坑道はこれ↓
http://n.pic.to/l5dsp
164日本@名無史さん:2008/03/30(日) 19:10:10
>>113
えらく亀レスだけど、本当の城跡(本丸の一部)は、土手沿いに徒歩2分ぐらい。土手の
すぐ下にありますよ?
165日本@名無史さん:2008/04/01(火) 17:14:57
福島県の白河の関跡は、関所の跡ということだが、実際には城塞跡そのもの。
関が異国との最前線であった歴史が偲ばれる。
166日本@名無史さん:2008/04/01(火) 20:32:51
中世の城最強は千早城?
167日本@名無史さん:2008/04/01(火) 20:48:01
>>166
千早城の縄張りや構造など詳しく分っているの?
土塁とかある?
168武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/01(火) 21:59:08
>>165
なにぶん子供の時の旅行なのでうろ覚えなのですが、関所跡(説)は実は2ヶ所ありましたよ。
どちらですか?
169日本@名無史さん:2008/04/01(火) 23:14:25
白河の関跡と推測される場所は、現栃木福島県境の境の明神と、
福島県の白河の関跡の2カ所有るようですが、
私が言っているのは、福島県白河市の白河の関跡の事です。

松尾芭蕉が奥の細道の旅をした、江戸時代には、既に関跡の所在は定かではなく、
芭蕉もこの二カ所を訪ねたようです。
170日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:40:04
白河の関って、平安時代以前の史跡ってイメージがあるけど
今残ってるのは明らかに中世の城跡だよね。
171日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:52:32
交通の要所は何年経っても交通の要所であり続けるということだ
172日本@名無史さん:2008/04/02(水) 21:55:10
かつての三関はどうだったのだろう?
不破関とかは、周囲に土塁を巡らした要塞だったらしいが。
(単なる築地塀じゃなく土塁ということから単なる関所では無いとは思うが)
173武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/02(水) 22:31:44
>>169
行ったんですか?
基本的にフィールドワークしなかった史跡は、レスしない主義なんだけど私。
このスレでレスされてる城跡に対して私がほとんど言及しないのもそのためだ。
君のレスは山川歴史散歩どころかネット上にもあるデータじゃない?
恥ずかしくないのかな?
ちなみに県境のところにある跡は私が訪れたときは人影ほとんどなかった。
174日本@名無史さん:2008/04/02(水) 23:38:08
>>173
白河の関跡は、実際に行っております。
説明看板が多く立てられていたので、
知らず知らずのうちに看板の受け売りになってしまい、
似たような表現になってしまったのでは無いかと思います。
整備されている上に土塁や堀切上を実際に歩けましたので、
なかなか楽しかったですよ。(文化財保護的には?なのですが。)
ツーリングの帰りについで立ち寄ったのですが、
長居しすぎて後の日程がきつくなってしまいました。
境の明神は、実は素通りしてしまいました。
白河の関跡候補地だったことは、後から知りました。
今思えば、多少無理しても寄っておけば良かったと後悔してます。
175武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/03(木) 01:28:23
フニャー
これからは>>174のような実見レスじゃないと、叩きますよ私。
では寝ます。
176日本@名無史さん:2008/04/03(木) 01:36:23
お前の都合など知るか。
177日本@名無史さん:2008/04/03(木) 05:13:28
まぁ、実地見学すればいいってもんじゃないけどな。
個人的には、城のサイトみていて「わざわざ現地まで行って何
を見ているんだろう」っていう感じる内容のものも多いが、それ
も人の見方の問題で良し悪しの話じゃないからな。
てめえの価値観を人に押し付けるなってことだ。
178日本@名無史さん:2008/04/03(木) 11:41:43
整備された遺跡・城跡の場合は、整備した側の思惑、
見方に左右される事が有るので要注意ですね。
明らかに何かの痕跡なのに、華麗にスルーされていたり、
おかしな解釈の説明板がたっていたりすることも有ります。
白河の関跡も、歌碑の説明板とか、石碑、木の説明は丁寧だが、
中世の城跡についてはさらっとふれている程度、
どういう勢力の城だったとか、全く考察されていない。
築城時に関の遺跡をつぶしている可能性があるので、
余りふれたくないのかも。
179日本@名無史さん:2008/04/03(木) 13:05:52
引き篭もりの低学歴コテを、生暖かく見守るスレはココでつか?
180日本@名無史さん:2008/04/03(木) 16:23:13
>>175
会津・薩長関連スレで暴れて来な。
181武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/03(木) 22:51:01
>>177
だってここはそういうスレじゃない?
学問的には拙劣でも実地に行く人たちが書いてるから、私はあまり文句も言わずロムってた訳だよ。
実地じゃないんなら、これから文献に基づいた妥当な見解をいっぱいレスして、おバカなレスに反駁でも加えようかな?
今まで、実際に現地見学してきた方々に敬意を表して黙ってたんだけど。
自分の趣味は止めて、まっとうな史学で潰すとしようかな(笑)
追伸:城跡って人気がなくて怖いとこばっかだから、あんまり行けないんだよね。
結局、人がいっぱい来てる城跡しかいけない。
182日本@名無史さん:2008/04/03(木) 23:31:40
>自分の趣味は止めて、まっとうな史学で潰すとしようかな
学部生ですらない専門教育を受けていない素人の言う「まっとうな史学」ってなんなんだろう(苦笑

>人気がなくて怖いとこばっかだから、あんまり行けないんだよね
その昔、人のいない渓流の平岩で寝そべって涼をとっていたとき、ふと新聞の「○○山中で数十年ぶりに熊発見」
という記事が出ていたのを思い出し、慌てて車に逃げ帰ったことがあるのは苦い思い出だw
183武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/03(木) 23:32:15
↑は冗談なので気にしないで欲しい。このスレは
好スレだ。
184日本@名無史さん:2008/04/03(木) 23:34:04
荒れるから来ないでくれ。
185武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/04(金) 01:11:32
>>184
確かにそうだ。
ロムるだけにしようかな。
186日本@名無史さん:2008/04/04(金) 02:21:55
そうしとけよ。
もし出てきても高飛車なカキコは止めとけ。
187日本@名無史さん:2008/04/04(金) 12:22:00
大河原城に行ってみたい
188武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/04/05(土) 14:32:43
>>182
一応はしくれだ。君よりかは上だよ。
私の書き込みを院生レベル以上の奴にみして見ろ。
なんにせよ君がバカなのはよく分かる。
あと人気なくて怖い云々だけど、熊とかじゃない私の場合。
人気がないとこで怖いのは人だよ。
189日本@名無史さん:2008/04/05(土) 20:22:04
人気のない場所で怖いのはDQN集団
190日本@名無史さん:2008/04/05(土) 21:14:50
実際に荒れ果てた山城趾で地元ヤンキー勢に絡まれて追撃されたことあるよ
土塁や空堀を上手く利用して侵入者を撃退、本丸の土塁の死角でアンパン吸引してる無敵ローカルヤンキー集団だった
191日本@名無史さん:2008/04/05(土) 21:50:55
城跡でサバゲーしてた人たちも危険だった・・・

まぁ、おかげで虎口の素晴らしさが分かったのだが。
たしかにココに火線を集中すれば進入を防げるなぁ・・・と。
私が発見された瞬間、撃つの止めちゃったけど。
192日本@名無史さん:2008/04/06(日) 14:35:07
徳島県藍住町の勝瑞城、
長年、細川・三好の守護所跡だとされてきたが、
近年の調査により、16世紀末に築城され、
極短い期間で廃城になった事が判明。
長宗我部の阿波侵攻に備え造られたものだったとの事。
短い期間しか使われてない上、建材は徳島城の築城時に転用されたらしい。
それでも堀や土塁はしっかりと現代まで残されました。

193日本@名無史さん:2008/04/06(日) 15:08:50
しかし、あんだけしっかり跡が残っていたら、
守護所跡だと信じてしまう罠。
急造の城にしては立派。
おれもすっかり信じてしまっていた。
元の守護所跡は、田畑や住宅の下に埋まっていて、
全く痕跡がないのと非常に対照的。

194日本@名無史さん:2008/04/06(日) 16:11:17
え!そうなんや!
帰省するたびに立ち寄って線ご先祖様を偲んでた俺はどうなる。。。。
195日本@名無史さん:2008/04/06(日) 16:46:37
>>194
ドンマイ!!
196日本@名無史さん:2008/04/06(日) 22:12:18
>>192
それ同じことをかなり前にここにコピペしたが・・・
197日本@名無史さん:2008/04/07(月) 20:08:34
ここってどこじゃい?
198日本@名無史さん:2008/04/08(火) 13:02:38
ココ壱番屋
199日本@名無史さん:2008/04/08(火) 20:23:34
大阪、京都、奈良周辺で、土塁や切岸が往時の状態で良好に残っている城跡ないでしょうか?
200日本@名無史さん:2008/04/08(火) 22:53:14
城ではないが、近江の「玄蕃尾城」は土塁が見事。
賤ヶ岳の戦で柴田勝家が布陣した砦です。
201日本@名無史さん:2008/04/08(火) 23:18:40
近畿地方で木や草ボウボウの城じゃなく当時の状態がよく残ってる城ってどこ?
やっぱり竹田城?
202日本@名無史さん:2008/04/09(水) 02:32:19
竹田城に昨日行ってきたよ。桜がよく似合ってたよ!
203日本@名無史さん:2008/04/09(水) 07:49:39
竹田城は土塁はないよな。
大阪とかでは土塁又は切岸が当時の状況で残っている城跡はないのかなあ?
204日本@名無史さん:2008/04/09(水) 13:12:59
芥川城(山城のほうね)なら残っているがダメか?
205日本@名無史さん:2008/04/09(水) 14:27:15
>>203
竹田城に土塁はあったように思う
206日本@名無史さん:2008/04/09(水) 14:40:36
249 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2008/04/09(水) 05:33:51 ID:rOouDfjf0
うわー日本にいる中国人留学生バスつかって、全員長野に集合だとよ・・・
しかも日給まで支払われるらしい。
どういうこったい。
こりゃ油断したら、沿道歓迎ムード一色だな

ttp://www.xiaochuncnjp.com/bbs/viewthread.php?tid=487677&extra=page%3D1


833 名前:名無しさん@八周年[] 投稿日:2008/04/09(水) 06:45:50 [早朝] ID:K0dcjZvv0 (PC) New!
日当は4500円から5000円か

いったい奴らの資金源はどこだ


834 名前:名無しさん@八周年[sage] 投稿日:2008/04/09(水) 06:46:48 [早朝] ID:YJkdXOYvP (p2) New!
>>833
本国からだろ。
金払ってまでやるって・・・
でもそろそろ日本でも大きな行動おこっても良いと思うが
207日本@名無史さん:2008/04/09(水) 23:18:50
市川の国府台城跡は、ここの括りで良いのでしょうか?
年代的にはやや微妙な気もしますが。。。
208日本@名無史さん:2008/04/10(木) 17:43:40
>>204-205
切岸では、大阪・京都方面でよい城は無いですか?
209日本@名無史さん:2008/04/10(木) 19:03:29
高幡城に行ったけど本丸跡しかなかった。
210日本@名無史さん:2008/04/10(木) 20:16:59
>>207
国府台は近代に入って陸軍施設が造られたのでどれが城郭
遺構なのかよくわからないっす

>>209
そんなことはないっす。
城としては単純簡素でわかりづらいけど。
211日本@名無史さん:2008/04/14(月) 01:54:31
山と高原地図「奥武蔵・秩父」を見てて、西武秩父線吾野駅の東の尾根に「館跡」と書かれた小さな点があって、
その背後の標高約350メートルの山の名前が「りゅうがい山」とあったのを発見。
「りゅうがい」は「要害」の転訛したもので城や砦などのあったところが多いというのと、館跡の背後の山と言う事
で、この山は詰めの城と確信。先日、登城してきました。
館跡に行く道も、りゅうがい山山頂に行く道も、山と高原地図「奥武蔵・秩父」には記載されていなかったので、
つまりはまともな登山道もないということで、これは、楽しそうだと期待に胸を膨らませて、吾野駅に降り立ちまし
た。とりあえず、駅前の道を東に歩いてみると、線路の下をくぐるトンネルを発見、そこを進むと広い空き地に出て、
プレハブの建物?とか、貸家みたいな家が数軒、右手には館跡のある尾根の先端がありました。登り道などなさ
そうなので、とりあえず山中に分け入って尾根を登りました。斜面はそれほどきつくなかったです。
しばらく上ると、広い削平地に出ました。端の方に岩が突き出ていて祠がありました。ここが館跡なのでしょう。
削平地の右側から入っていったのですが、本来の入り口は、どこだったのか。左側の奥のほうに四角い出っ張
りがあったのが気になりました。
ここは、あとで調べたら岡部屋敷跡とか言われているらしいです。
そのあと、背後のりゅうがい山登頂を試みましたが、急斜面にビビッて断念、一旦、麓に下りて駅の近くまで戻って、
その辺りの斜面には墓地があるのですが、その横に登山道があり、それを使うことに。
結構、急なのぼりですが、途中で左の尾根に入り、かすかな踏み跡を頼りにりゅうがい山登頂に成功しました。
で、ここに城はあったのか?途中、堀切というか竪掘というか、そんな場所はあったのですが、あとは普通というか
とりたてて目立つ遺構は目に付かなかったのですが、もしかしたら、下に腰郭とかあったのかも。
山頂は狭いので篭城はつらいかな。物見の場所だったのかな。

212日本@名無史さん:2008/04/14(月) 04:03:42
おい 山に行くんなら地図とコンパスが必携だろうが、おまいらはどんなのを
使ってるんだ?
213日本@名無史さん:2008/04/14(月) 07:23:31
シルバ
214日本@名無史さん:2008/04/14(月) 10:38:19
ガーミン
215日本@名無史さん:2008/04/14(月) 13:38:38
スント
216日本@名無史さん:2008/04/14(月) 15:35:39
俺もスントじゃ
217日本@名無史さん:2008/04/14(月) 16:00:01
コンパスというかGPSが主流か 金持ちやの〜
218日本@名無史さん:2008/04/14(月) 21:41:50
おれはPSP+みんなの地図2(GPS付き)だ。
肝心なとき電池切れ起こすことが多いけどな。
219日本@名無史さん:2008/04/14(月) 22:43:38
プロトレック
220日本@名無史さん:2008/04/14(月) 23:27:14
おいら、みんなみたいに金持ちじゃないんで、教材の古い方位磁石
を使ってる。25,000分の1地図で何とかしのいでる。磁石が壊れたら
腕時計を太陽に向けてるよ!
最近は自治体で地図買う金も無いんじゃ。
221日本@名無史さん:2008/04/15(火) 00:07:13
>>220
さすが自然児!
しかしひと昔前までは皆そうしてたんだよな・・・
文明の利器に頼りすぎて人間は弱くなってきているような・・・
222日本@名無史さん:2008/04/15(火) 00:15:17
先日、東武東上線武蔵嵐山駅から菅谷館跡、そして、都幾川、槻川沿いに歩いて嵐山渓谷を
抜け、小倉城跡に行ってきました。青山城は時間がなくなって断念。
菅谷館跡は、館跡というよりは立派な城郭跡で、主要な郭が3つくらいありましたっけ。どれも
結構な広さがあります。
きれいに整備されていて晴れた日などは散策すると気持ちいいところですが、土塁や空堀、水
堀など見事に残っています。横矢も掛けられていて、伝承では畠山重忠の菅谷館跡だと言わ
れていますが、遺構を見る限り、戦国時代に大きく改修を受けているような感じです。案内板を
見ると、やはり、そのようなことが書いてありました。

都幾川、槻川沿いに歩いて嵐山渓谷を抜け、ときがわ町、小川町、嵐山町の3町が交わる辺り
の橋を渡ると、すぐ右手に小倉城のある尾根の先端が見えます。ただ、地図上では、ここから
登る道はないので、ずっと奥に進んで正山の麓辺りまで来て、右手に舗装された登り道がある
ので、そこを上って、途中で小倉城の案内板があるところで山中の道に入ります。途中、尾根
伝いに仙元山や青山城に向かう道と分岐しますが、小倉城への道を上ると、すぐに城郭跡に
つきます。小倉城の保存状態もかなりいいです。無数の腰郭が見えます。竪掘も立派なのが
あります。所々に平たい石を重ねた石積みが顔を出しています。
このあと、そのまま、奥に進んで、尾根伝いに先ほどの橋のそばまで下りていきました。地図上
に道はないものの、踏み跡は途中まではっきりとあって、迷うことはありません。途中、ちょっと
した小さなピークがあって、ちょっと気になりました。ここも小倉城の城域なのかも。

223日本@名無史さん:2008/04/15(火) 01:37:42
方位磁針と地図だけで十分だろ
224日本@名無史さん:2008/04/15(火) 01:47:29
2500分の1地図ってどこに売ってるんだ?
225日本@名無史さん:2008/04/15(火) 04:45:32
でかい本屋の地図コーナー
226日本@名無史さん:2008/04/15(火) 08:51:12
閲覧するだけなら、国土地理院のサイトで見られる。
そこで見て、必要な分だけ購入すればOK
227日本@名無史さん:2008/04/15(火) 08:59:38
印刷できんのか?

もし、印刷できなかったらキャプチャして、それを印刷するとか

キャプチャもできんようにしていたら悪質だな
228日本@名無史さん:2008/04/15(火) 10:57:41
カシミールで閲覧、印刷するのが一番便利
緯度経度線や磁北線とか記入できるし。
さらにガーミンあたりがあれば確実に目的地に着ける。
しかしボチボチシーズンオフだな
もうハチとかヘビとかいるよ。
229日本@名無史さん:2008/04/15(火) 15:50:03
俺は縄張り図くらいしか持たないよ。地図は不要。
地図のない城攻めの旅に出ないか?
230日本@名無史さん:2008/04/15(火) 21:37:10
>>222
小倉と腰越は縄張厨にはとても良い城。
埼玉で3つ選ぶとしたら必ずいれる。
231日本@名無史さん:2008/04/15(火) 22:19:11
>>225
本屋にない
>>226
パソコンない
232日本@名無史さん:2008/04/15(火) 23:28:21
GWはおまいらどこの城行くの??
233日本@名無史さん:2008/04/16(水) 21:36:27
標高の高めの城はもう行った。これからは近所の藪漕ぎの少なそうな所に
行く。うちは北陸方面だけど、深山の城はシーズンオフかな。これから
コンデション悪過ぎ。熊のホカホカウンチいっぱい落ちてるし。
そんな所に未発見の城址を見つけたりするけど。
234日本@名無史さん:2008/04/16(水) 23:54:56
未発見の城址を発見してみたい。
秩父の山中に眠ってないかな。

>>230
残りの一つはどこ?
235日本@名無史さん:2008/04/17(木) 00:17:45
俺は骨折中で歩くのきついから古城関連書物でバーチャルトリップするよ・・・。
おまいら気をつけて行ってきなよな!
またレポでもしてくんろ!
236日本@名無史さん:2008/04/17(木) 08:53:41
菅谷館の説明板は古いので博物館の学芸員に話を聞くといいですよ。
237日本@名無史さん:2008/04/17(木) 12:43:52
埼玉あたりだと、城館址近くの農家なんか関係者の子孫と言っている家が
あるから、その辺の爺ちゃんに訊いて見るといい。婆ちゃんは、
「わたし、嫁で来たんで知らんと」言われることが多い。

>>234
秩父の何処だったかで、「畜生塚」と言う塚があるんだが、地元の
言い伝えでは、武田の人数が攻め込んできて、北条方の人数がそれを
反撃して全滅させ、葬った塚なんだそうだ。それにしても「畜生塚」
とはね。そんな感覚の地域だから、未発見の砦なんかは結構
有りそうな気がするが・・・
238日本@名無史さん:2008/04/17(木) 17:55:25
>>231
俺は図書館で必要な箇所をコピーしてるよ。
近ければ事前に登城予定地の地元の図書館にいって、
下調べ用の資料と詳細地図を手に入れる。

住宅地図は特にお勧め!
藪に埋もれてしまってる道も載ってるから
239日本@名無史さん:2008/04/17(木) 18:49:04
未発見の城跡の発見の仕方を教えて下さい
240日本@名無史さん:2008/04/17(木) 19:25:40
まず、既に発見されている城館址周辺を洗う事。
次ぎに古道や城館址の位置関係から推測される尾根などの
ルートを歩いてみる。
最後に一番多いのが、間違った尾根に登ったり、迷子になる事。
241230:2008/04/17(木) 20:13:38
>>234

定番だが、個人的には杉山城を入れる。
ただし、杉山はいろいろと話題になってはいるが、さほどオリジナリテイ
はないように思う。
その点、小倉や腰越は貴重。

空堀・土塁厨には松山や菅谷のほうがお勧めだけどね。

しかし全部比企だなw

242日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:44:07
>>239
山の麓の地図にも載らない様な神社や祠を探す。
その神社の裏から山へと通じる獣道を探す。
あったら迷わず登る。

埼玉なら花園城で一度練習するといいです。
秩父の石垣の規模に慣れておかないと見落としてしまいます。
243日本@名無史さん:2008/04/18(金) 13:11:11
塩田城はそこそこの登山用の装備した方がいいよ。
244日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:10:47
了解、ニッピン行ってくる。
245日本@名無史さん:2008/04/19(土) 00:51:59
ニッピンよりもさかいやだろ
246日本@名無史さん:2008/04/19(土) 13:28:57
>>237
畜生塚なるネーミングならば全国各地に存在しているよ

有名どころでは豊臣秀次の妻子を埋葬した塚もそう呼ばれた
247日本@名無史さん:2008/04/19(土) 17:48:53
>>246
当然知ってるだろ。個別の事例を言ってるだけじゃないか?場所は
確かじゃないが・・・
248日本@名無史さん:2008/04/21(月) 13:32:44
花粉症でダウンです。対策して山に行きましょう。
249日本@名無史さん:2008/04/23(水) 02:09:23
>>230
小字を当たるのがかなり有効。
「城山」「城の内」「取出」「寄居」「垣内」などはかなりの確率で城館跡がある。
「前田」「佃」「堀の内」なども。

「備前屋敷」って小字で当たって堀跡を発見。届け出たら埋蔵物梱包地に指定され、地主に恨まれた苦い経験が。
250日本@名無史さん:2008/04/23(水) 02:22:03
↑失礼。>>239 です。

あとは城跡現場を踏んで、自然地形と遺構の区別を付けられるように。
研究者の縄張図でも結構怪しい部分があったりする。
251日本@名無史さん:2008/04/23(水) 22:13:10
山城の場合だと、川沿いの集落や古い街道からみえる独立した小山とか尾根のピーク
を探してみる。
山里を歩きながら、周囲の山並みを眺めて、自分だったら、どこに砦や城を築くか
などと妄想してみる。
252日本@名無史さん:2008/04/23(水) 23:01:23
古墳巡りと同じだな。
253日本@名無史さん:2008/04/27(日) 16:48:27
西武秩父線の西吾野駅と吾野駅の中間に秩父御嶽神社というのがあるのですが、
その背後に吉田山と呼ばれる山があり、その北側の尾根に城跡があるらしいとのこ
とで、行って見ました。
御嶽神社から行くのが最短距離なんですが、西吾野駅の近くに本陣山というのが
あるので、ついでにそれも見ておこうと思い、遠回りしてみました。
西吾野駅から高麗川を渡りゲートの脇を抜けて、山中に入り沢伝いに森坂峠まで
のぼり、右手の本陣山へ。標高442メートルの山頂には、遺構らしい遺構はなく、
ただの何の変哲もない山頂でした。
そこから森坂峠まで戻り、さらに直進してイモリ山を抜けて送電線の鉄塔を過ぎて
天寺十二丁目石が倒れている脇を過ぎて小床峠方面へ入り、吉田山へ向かいまし
た。イモリ山付近から天寺十二丁目石くらいまでの道は、岩場の多い急斜面の痩せ
尾根を歩く、結構スリリングな道のりでした。
吉田山の山頂に着くと、左手の尾根に入りました。しばらく行くと、明らかに人工的な
堀切(浅め)があり、その先には多少広めの平坦な場所が出現。更に奥に行くと、更
に深い堀切があって、その先は巨岩が並ぶ狭い平坦地が出現。その下を見ると、
腰郭と思われる平坦地が見えますが、降りる道が見当たらない。無理して降りてみる
と、緩斜面という感じで、その先から、斜面を登って先ほどの巨岩の並ぶ場所に戻れ
ましたが、岩の間をすり抜け、笹竹の茂る中を進んでいくという感じで、こちらから進
入するのは容易ではないという印象です。
規模から言って、城というよりは、砦という感じですが、ここだけ笹竹が生えているの
が、ちょっと気になりました。
254日本@名無史さん:2008/04/27(日) 22:26:18
>>253
城発見?
新編武蔵風土記稿なんかを詳細に調べると、
記述があるかも知れませんよ。

埼玉は未知の城を探す事には消極的だから、
積極的に探せば、結構見つかる場所だと思ってます。
255日本@名無史さん:2008/04/28(月) 02:05:12
吉田山北尾根の城跡は、地図にも城跡とあるので、未発見というわけではないです。
ネットで検索すると、既に何人か、訪れている模様。
でも、ここに城郭跡があると確認されたのは、最近のようですね。

256日本@名無史さん:2008/04/28(月) 19:50:21
>>255
関口(和也)さんが論文発表してますね。
埼玉西部は関口さんの功績が大きい。

ただし、実際本当に城址なんだろうか?、って場所も少なくない。
結構、近代の石灰岩調査とかでそれらしき痕跡が残ったりしている
ので特定は難しいよ。
257日本@名無史さん:2008/04/30(水) 00:48:42
そろそろマムシさんの季節…
258日本@名無史さん:2008/04/30(水) 01:23:50
マムシよけには阿州足利家のまじない札が良いらしい。
259日本@名無史さん:2008/04/30(水) 03:31:51
吾野(埼玉県飯能市)を歩いたついでに旧正丸峠を越えてみた。
旧正丸峠は、伊豆ヶ岳から尾根伝いに北上するメジャーなコースと交差するので、
左右には階段があるのだが、峠の南側の前後に平坦な部分があるのに気付いた。
飯能側は、結構広めの平坦地で、秩父側は、道より一段高いところに狭い平坦地が
ある。
この峠は、鎌倉街道下つ道から秩父へ入る最短経路上で、中世からあった道らしい
ので、ちょっと気になった。まあ、気のせいかもしれないが。

260日本@名無史さん:2008/04/30(水) 08:47:21
茶屋でも有ったんではなかろうか、>平坦地
261日本@名無史さん:2008/05/02(金) 03:41:28
言われてみると、飯能側の平坦地は、茶屋の跡地としてはふさわしい感じだったな。
正丸トンネル開通前か、もっと以前の正丸峠を通る旧道ができる前は、茶屋みたいなものが建って
いたのかもしれないな。

甲斐・武蔵国境の雁坂峠手前の、武蔵側の栃本の関所は武田の家臣が関守だったって話だから、
秩父の最奥部は武田領だったんだね。いつの頃からかはよく知らんが。
とすると、秩父のあたりには、村人たちの避難所みたいな城郭も眠っているかもしれない。

262日本@名無史さん:2008/05/02(金) 07:55:24
>>211
遅レスですが、あなたの行動力に敬服!想像ですがおそらく物見の拠点あるいは狼煙くらい
のレベルの城跡とはとても呼べない遺構だと思いますが、そんな場所へ文面から察するに
そうとうの苦労をして登られるとは拙者にはとてもまねできない。
263日本@名無史さん:2008/05/06(火) 21:24:45
埼玉の秩父や東京の青梅・奥多摩方面は村城が整ってたはず。
甲斐からの侵攻を数時間で川越城に報告出来たってくらいだから、
現在、狼煙台程度の扱いでも、
当時は砦や城規模だったと思う。
264日本@名無史さん:2008/05/07(水) 21:35:40
>>263

意味がよくわからん。

265日本@名無史さん:2008/05/08(木) 00:46:29
秩父方面には村の食糧を守る為に、山の中に村城と言う貯蔵施設を持っていたらしい。

その施設は周辺の各村が連携してて、
狼煙を使って連絡してたらしい。

上杉時代に武田に備えたもので、北条が侵攻してからは本来の貯蔵施設になってたらしいけど。
266日本@名無史さん:2008/05/08(木) 01:22:18
秩父は氷を作る地下施設もあるな
267日本@名無史さん:2008/05/11(日) 00:33:51
秩父と青梅はちとちがうやろ
268日本@名無史さん:2008/05/13(火) 23:28:15
辛垣の 南の山の 玉手箱
開けて悔しき 我が身なりけり


三田一族と藤田一族の違い?

資料集めに青梅に行くと三田最強!で
八王子に行くと北条最強!ってのが笑える。
でも青梅と秩父ってどうなのかな?
石垣は同じ石を使ってるけど、謎が多い地区だとは思ってる。
269日本@名無史さん:2008/05/14(水) 22:37:39
シーズンオフだからか本当にわかっているんだか
にわかなのか謎な書き込みが多い
270日本@名無史さん:2008/05/15(木) 01:37:05
埼玉西部の城郭の最近の発掘成果によると、
杉山城のほかにも、菅谷館、高松城、石戸城なんかも、15世紀後半から16世紀前半までの
遺物の出土がメインだったらしいね。
つまり、後北条氏の川越夜戦より前、扇谷・山内上杉氏の時代。
小倉城は15世紀末くらいから、鉢形城も同じ頃から遺物が出始めるらしい。

こう見てくると、武蔵の城郭は、北条氏が入ってくる頃には、もう、かなり高度な水準まで進化し
ていて、北条氏の時代になって大きく進化したわけではないのかもしれないね。

> 秩父方面には村の食糧を守る為に、山の中に村城と言う貯蔵施設を持っていたらしい。
村城って、山入り用の城のことかと思ったが、食糧貯蔵用の城というのもあったのか。
271日本@名無史さん:2008/05/15(木) 01:56:41
この間、八高線明覚駅の西南にある愛宕山山頂に上ってきたけど、山頂には二段の平場が
あって、高い方の平場に小さな社殿があって、愛宕神社と書かれていた。
他に堀切とかの遺構は見当たらなかったので、ただの神社なのだろうが、独立した山塊で、
登り道も険しく、物見には絶好の場所に思えた。
この辺りって、焼き討ちにあった慈光寺への道筋でもあったろうから、何かしらありそうな気もするんだけど。

愛宕神社って、こういう独立した山塊の山頂にあることが多いような気がする。
京都の愛宕神社もそうだし、虎ノ門にある愛宕神社もそう。
なんでだろう。
272日本@名無史さん:2008/05/15(木) 05:08:17
人っ子一人いない草深い山奥に明らかに人工の構造物址たまんねぇ
273日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:57:22
>>270
埼玉だけではなく神奈川なんかでも数年前からそういう流れに
なっているけどね。
個人的にも関東の城郭史が著しく発達したのは永享・享徳・
文明あたりだと思うし、一時、もてはやされた後北条流城郭など
というものは実際には目新しいものがなかったような気がしてい
る。

一方で、現在重要視されているカワラケによる年代推定というも
のはもう一波乱あるとみている
274日本@名無史さん:2008/05/16(金) 00:15:31
武田が落とせなかった滝山城を捨てて
八王子城を築いた理由って何?
275日本@名無史さん:2008/05/16(金) 05:10:41
>>274
実際に落城寸前まで追い詰められていたが、小田原城
攻略をまえに戦力消耗を恐れた信玄があえて包囲を解
いたとされる。

あとその時の武田軍別動隊の進路が後北条氏の裏を
かいて甲州街道沿いに侵攻してきたため、甲州街道と
陣場街道を両方抑えられる八王子城を築いたとされる
276日本@名無史さん:2008/05/16(金) 13:58:09
>>273
地方によっては、奈良平安の須恵器なんかも色々有ったもんなあ。

関東でのカワラケの一波乱、ってどう言う事なんですか?興味有ります。
当方、関東じゃないんで・・・
277日本@名無史さん:2008/05/17(土) 00:31:05
>>275
そうなんですか!?

滝山城下の案内板には武田をけちらした位の勢いで書かれてたんですが、
やはり、上のレスにあった通りに地域の思い入れがあるのですかね?
278日本@名無史さん:2008/05/18(日) 17:12:29
大阪中南部か奈良で、
土塁の遺構が良好に保たれて、
見るのにお勧めの城はありますか?
279日本@名無史さん:2008/05/19(月) 00:18:41
武蔵に限って言えば、特に享徳の乱が、城郭技術の発達の上では、大きい
契機になったと思うけど、築城技術を発達させた主体ってどういう人たちなの
だろう。在地土豪か、管領や公方の家臣か。
280日本@名無史さん:2008/05/19(月) 22:39:14
>>279
畠山重忠さんじゃないのか?

ところで畠山重忠さんは青梅に落ち伸びて生存してたって
青梅の田舎の方で言い伝えがあるんだけど、
可能性は有りなんでしょうか?
281日本@名無史さん:2008/05/20(火) 01:14:36
畠山重忠さんは元久二年(1205)に討死。
享徳の乱は、享徳三年(1455)に勃発。
無関係だと思うけど。
282日本@名無史さん:2008/05/20(火) 01:15:53
>>274
それは古い論で中田正光氏ですらその論は唱えていない。
理由は甲陽軍鑑特有の手に汗握る熱戦は信用できない事と
古文書には城外の戦闘しか記述されていないから。
よって八王子城は対豊臣という位置付けになると思う。

永享・享徳・文明は勉強しなおさないとなぁ・・・
283日本@名無史さん:2008/05/20(火) 01:27:22
山すそに突然、野面積みの石垣が十数メートルにわたって続いていて、
なんだろうと思ったけど、イノシシよけの猪垣らしいね。
あと、植林されている杉林の山を下りていたら、腰郭状の平場が三段程度、
重なってる場所があったけど、あれは、植林作業用に作った場所なのかな・・・
284日本@名無史さん:2008/05/20(火) 05:08:04
>>280
青梅はむしろ平将門伝承で有名

>>282
八王子城は天正4年(1576年)頃には築城を始めていたと考えら
れているから、対豊臣戦は当然視野に入れていないと思われ。
対豊臣戦を前に改修したのは間違いないが。

>>283
神奈川の山林の中には野獣除けの堀切もあるでよ
285日本@名無史さん:2008/05/20(火) 19:54:33
八王子城築城は諸説あってそれはその中の1つで決定打ではない。
詳しくは八王子市史を。
おそらくその論は甲陽軍鑑をそのまま信用して生まれた論だと思うよ。
286284:2008/05/20(火) 20:16:06
>>285
たしかに改めて調べてみたら現在では天正10年から天正12年
説の方が有力になっているようだ。
この時期に後北条が豊臣を意識していたかどうかは微妙だが、
武田氏崩壊で近隣勢力が大きく変わったことで危機感を感じて
築城ということなのだろうか。
287日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:21:12
滝山から八王子へと西へ動いている事から西の甲斐を意識していると思うんだけど、
武田滅亡後は織田の川尻、その後徳川ですから
危機感が現れるのは豊臣だろうというのが対豊臣説だね。
288日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:32:51
         ハ,,ハ  
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289日本@名無史さん:2008/05/21(水) 00:10:09
尾根伝いに歩いていて、鞍部に1メートルほどの深さの堀切が。
近くに行ってみたら尾根を横切る峠道だったということがあった。
290日本@名無史さん:2008/05/21(水) 00:45:27
>>289
堀切を利用して道にしてることもあるよ
291日本@名無史さん:2008/05/21(水) 08:15:02

松ヶ崎城が大変なことになっています!!

http://www008.upp.so-net.ne.jp/chijoken/chijyoken2.htm
292日本@名無史さん:2008/05/21(水) 16:56:18
堀底道ってのもある。

北陸の方で、メインの虎口が枡形上の発展をせず、喰違い部分と堀底道の
併用パターンが見られる。
293日本@名無史さん:2008/05/21(水) 22:04:34
>>291

俺も中世城郭を見るのは好きだが、あまりヒステリックに中小クラスの
城郭まで現況保存を訴えている人たちをみると正直ひく。
294日本@名無史さん:2008/05/21(水) 23:10:40
保存運動家が国や市町村から維持費を引き出すとこまでやってくれるのならともかく、
ただ闇雲にいじるな壊すなじゃあ、持ち主からしたらたまったもんじゃないよねえ…。
295日本@名無史さん:2008/05/21(水) 23:48:06
八王子城も圏央道に潰されるんじゃなかったっけ?
反対派は高尾ファンばっかりだけど、
そのおかげで死守してる状態なんだけどw
296日本@名無史さん:2008/05/22(木) 00:04:18
>>290
>>292
尾根伝いにうろうろしてみたけど、遺構らしきものはみあたらなかったので、
ただの切通しの峠道だったように思います。
297日本@名無史さん:2008/05/22(木) 00:16:03
中世城郭跡の保存というのは難しい問題がいろいろあるからね。
どんな小さな砦跡でも残してほしいのはやまやまだが、保存・維持
には金がかかるし、そのまま、放置しておいても、私有地だったら
所有者にとったら、無駄に遊ばせてる土地になる。
かと言って、一旦、破壊してしまうと、貴重な史料を永久に失ってし
まうことになるわけで。

近世城郭だと石垣だの白亜の櫓だのと人目を引くものがあるけど
中世城郭だと、土のでこぼこだけだからね。一般の注目はひかないよね。

一つの可能性としては、塀や櫓とか橋とか、郭内にあった建物などを
再現して、観光地化することかな。
これも、発掘調査の結果を元に専門家がきちんと指導してくれないと、とんで
もないものが再現されかねないし、観光地化することで遺跡破壊などのリスク
もある。
298日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:04:10
コスト度外視すれば、実物の遺跡の隣接地あたりに「観光用の復元バージョン」を作るのが一番理想的かなあ。
299日本@名無史さん:2008/05/22(木) 04:55:47
これ文化財保護の問題点を端的に示しているね

文化財 柏市に無断で工事
松ヶ崎城跡の土地所有者

ttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/chiba/news/20080521-OYT8T00072.htm
300日本@名無史さん:2008/05/22(木) 07:53:56
いい記事だね。

>>295
八王子城は潰れるといっても北側斜面にトンネルが通るだけで
登山者の目に触れやすいところは地下を走ってるから
分からないと思う。(といってもイヤだけど)
301日本@名無史さん:2008/05/23(金) 20:40:56
>>299
>市の許可なく城跡内の土地を農地に転用する工事を進めていることが分かり

以前見に行った時は近くで建築工事程度だったが、そんな工事が始まってはどうしようもないな。
ただ個人で維持と言っても限度があるだろうから難しいところだな。
俺が見に行った時は少し荒れているように感じたし。
302日本@名無史さん:2008/05/25(日) 22:39:08
303武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/25(日) 23:23:00
>>295>>300
滝が涸れたよ。
血染めの滝がね。
あと八王子城のすぐ近くにある浄福寺城の一部も破壊された。
高尾山に関して言えばあそこの坊主ども
は圏央道に賛成してる。
なんもかももういいや
って感じだな。
304日本@名無史さん:2008/05/26(月) 00:20:36
完全に枯れたのか?梅雨になったら一時的にでも元に戻るだろうか・・・
工事始まってから周辺の民家の井戸が濁りだしたり、水位が低下してるそうだな

八王子城戦国資料館を作る構想はどうなったのだろうか
305日本@名無史さん:2008/05/27(火) 11:42:18
老朽化した資料館の立て替えに伴って八王子城付近に移転という話だろうけど、
実際には厳しいんでないかい?

滝の水は流れるようになったけど昔ほどでないし、
トンネル工事の状況からして水量は増えないと思う。
トンネルが水脈を分断しているんだろうね。
306日本@名無史さん:2008/05/28(水) 22:25:47
あ〜あ・・・
こんなになってたのね・・・

http://jp.youtube.com/watch?v=elGYwXWDxh8&feature
307日本@名無史さん:2008/05/28(水) 22:50:41
滝の箇所だけホースで水を引いてるのか・・・
これでは北条武者の霊が安まらん
308日本@名無史さん:2008/05/29(木) 06:43:56
ふむ
309日本@名無史さん:2008/05/29(木) 07:14:38
毎週末、車飛ばして遠隔地まで出向いて、訪問数を競い合っている
城オタにはケチはつけられないけどな
310日本@名無史さん:2008/05/29(木) 07:31:02
>>306
このビデオは2007年08月30日のもの。今はまた流れ始めている。
トンネル工事を知っていれば完成前と後で水量が違うのは当たり前。
最悪であった昨年の画像を見せるのではなく、ありのままの今の状況を見せるようにした方がいいと思う。
311日本@名無史さん:2008/05/29(木) 17:08:29
崩落したトンネルも結局完成したの?
312日本@名無史さん:2008/05/30(金) 09:27:15
技術的に完成しないトンネルなんてありませんからw
313日本@名無史さん:2008/06/08(日) 15:15:55
久しぶりに造海城に登ってみたが、季節も季節なので、藪もなかなかだったが
あちこち土砂崩れや根こそぎ倒れた倒木もあって、すごい状況だったな。
灯篭坂大師裏の岩盤を削った堀切から入って、帰りは十二天神社の尾根から
出るつもりが、方向がわからなくなって、海に出てしまった。

幕末に砲台が設けられたから、そのときの遺構も混じっているというが、あの
荒れ放題の城跡では、中世の遺構か、それ以降の遺構か、区別がつかない。
痩せ尾根上に石列が埋め込まれていたが、目的は不明。
あと、岩盤を鋭利に掘削した切通しから古そうな石段が続いていて、それをた
どって降りていくと、海岸に下りてしまった。城郭遺構というよりは寺社にあり
そうな石段だったので、昔、ここに社でもあったのだろうか。
歩いていて、突然、道が途切れたので、近づいてみると、岩場の断崖だったりと
この山自体、いたるところに岩の絶壁が顔をみせるので、気をつけないと危険。
314日本@名無史さん:2008/06/15(日) 21:42:04
         ハ,,ハ  
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315日本@名無史さん:2008/06/16(月) 01:59:57
武州松山城に行ってきた。
空堀が深くて迫力があった。
郭は狭くはないがそんなに広くもない程度。しかし、主要な郭は良好に残っていて、
藪もほとんどなく、気持ちよく見学できた。

空堀はところどころ、畝のような高まりがあり、畝堀?とも思ったが、橋の土台
だったのかもしれない。

岩室観音に出る谷、あれは竪堀なのか、自然地形なのか、ちょっと迷った。
しかし、あそこは粘土状の土質でちょろちょろと水がしみ出ていて、非常に滑り
やすかった。で、ずるっと滑って手が泥だらけ。参った。
岩室観音堂は、最初、山門かと思った。板敷き一枚敷き詰めた床を歩くのは
ちょっと怖い。

あと、神社か何か建っていたのか、本郭と二の郭に土台だけ残っていた。

市野川からの登城口、いきなり本郭に到達するので、あれは搦め手口だったのか。
三の丸から入る入り口はかなりわかりづらいが、こちらが大手か。
316日本@名無史さん:2008/06/20(金) 13:23:45
今週末に杉山城を攻める予定
317日本@名無史さん:2008/06/21(土) 01:03:38
2ちゃんに数多くある城スレだけど、
此処だけ何故か埼玉と多摩に強いよねw

318日本@名無史さん:2008/06/21(土) 10:03:12
城と山以外何も無いところだからな。
319日本@名無史さん:2008/06/21(土) 20:30:20
関東勢ばっかりだな。
320日本@名無史さん:2008/06/24(火) 02:51:38
関東以外の城跡突撃レポはないのか?
321日本@名無史さん:2008/06/25(水) 01:06:38
今回の東北の地震で旧最上領の城跡は無事なのか?
322日本@名無史さん:2008/06/26(木) 06:08:02
松前大館に突撃したら、いきなり熊の糞のお出迎えにあいました。
大館と小館の堀切はなかなかいいけど、いかんせん藪だらけ。
323日本@名無史さん:2008/06/26(木) 12:58:28
北海道で熊ウンチ、やば過ぎ。
チャシなんかやってる人は怖いなあ。ヒグマじゃ助からんからなあ。

ツキノワグマが近くにいたことがあったけどねぇ。
324日本@名無史さん:2008/06/26(木) 17:58:14
ヒグマはトモダチ  byつばさ
325日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:17:35
関東勢云々と有ったんで、他地域ネタを。ちょっと前の話なんだが。

新潟県新発田市にある、佐々木氏系の竹俣氏の要害、滴水(竹俣)城。
標高280mに位置する。登城者は近年少なく、登城口も判りづらく、
鉄塔管理道路の痕跡を探し、地形から判断して登城。曲輪は尾根線に
東西に並ぶ。尾根端のピークに主郭が同心円状の曲輪構成で古式な様相を
呈す。弱点の主郭南東方向には、三段の大型の土塁を伴う腰曲輪と堀切を
設ける。主郭手前の曲輪には径5mの大井戸が有る。特筆すべきは、
南斜面には巾二間程の城道が雷状に残っており、道を下った地点で緩やかな
斜面に出、小曲輪を経て渓水沿いに有る旧道の痕跡に繋がる。
その先は道は消滅。渓水の水量が増え水浸し。かつては、麓から城跡まで
馬で登れたようだ。雷状の城道は有名なんだが、その下のネタは知られて
いない。
面白いのは、現在藪だらけで殆ど人の入らないこの城跡に「滴水城址」の
石碑が有ることだ。周辺の竹俣氏関連の城館跡にも同じサイズの石碑が
建つんだが、この石碑は全て皇紀二千六百年の記念事業で昭和15年に
建てられたもの。

クマ棚やウンチがありました。奇妙な発信機の音も聞こえました。
326日本@名無史さん:2008/06/28(土) 15:09:01
山に行って持ち主不明のリュックが転がっていると焦る。
327日本@名無史さん:2008/06/28(土) 19:22:07
笠間城跡に突撃して来ましたが天守台と天守台へ続く石段が神秘的でした
ただ蛇とスズメバチの襲撃に・・
来週はいわき上遠野城跡に行ってみようかと
328日本@名無史さん:2008/06/29(日) 13:28:53
TBS系「噂の東京マガジン」に松ヶ崎城問題が登場!
329日本@名無史さん:2008/06/30(月) 07:59:47
今日仕事で大月行くんだが岩殿城って短時間で登城するのキツイ?
330日本@名無史さん:2008/06/30(月) 09:50:22
岩殿は片道1時間以内くらい。
舗装されていてフルシーズンokだが
革靴だとヤバそう。
331日本@名無史さん:2008/06/30(月) 11:48:45
>>330
ありがと
今着いたけどあの山登るのキツそうだな
332日本@名無史さん:2008/07/22(火) 12:22:11
3月から、山城に行ってない。うちの方は整備されていない山ばっか
なんで、藪漕ぎばかり。最近は、暑くて気力が湧かない。
みなさんも体にはくれぐれもお気を付け下さいませ。

と言う事で、早めの暑中御見舞いあげ。
333日本@名無史さん:2008/07/24(木) 01:40:35
ここのところの暑さで、山城に入る気力が湧かない。

真夏の藪こぎは気が滅入る。
334日本@名無史さん:2008/07/24(木) 19:40:08
茅ヶ崎城址公園を部分公開します。
http://www.city.yokohama.jp/me/kankyou/kisha/h20/080625-2.html
335日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:45:17
>>331
あれ、当時でも遠くから見ただけで
「攻めるのやめよかな、、、」
って思ったんじゃないかな、と思うよな。
336日本@名無史さん:2008/07/31(木) 21:05:05
猪崎城はとっくに既出かな?
地元の中世城郭なんだが、遺構の残りもよい上に
整備されてるから初心者向けだし。
正直そんなに城攻めはしてないほうだが、
近江八幡の北の庄城はなかなか迫力あったな。
山の上まで上がるのはしんどいけど。
337日本@名無史さん:2008/07/31(木) 21:16:28
そういや、仕事で中世の山城を測量していたときは、
切岸を登りきれなくて滑り落ちたり、
足を滑らせて堀切や横堀の底に転がり落ちたりしたな。
身を持って城の防御を体感したw
338日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:51:03
おいらも切り岸から落ちて、足の指の爪を剥がしてしまった。
新潟の荒砥城に冬に行ったときは、城の下に帯曲輪状の
細長い段があったんで調べたら、雪崩防止の段でした。そん時、
目の前は真っ白。スープの中みたいだった。
339日本@名無史さん:2008/08/03(日) 22:45:05
今週末、静岡県裾野市の葛山城に行ってきました。

下草も刈られ、案内板が設けられたりと良く整備されていました。
比較的単純なな連郭式の山城でしたが、 要所に竪堀が切ってあったり
主郭の左右の尾根を二重に掘り切ってありました

同行した先生がこのあたりの城郭群に詳しく、その先生が言うには

この辺りの戦国末の山城の遺構ではとても良く残っているとのことで、
主郭部に入る虎口の廻し方や竪堀等からして全体としては
今川の城の色合いが濃いとのことでした。
ただ、大手口や城の裾のほうの帯曲輪には武田色をかんじるので
武田によって奪取されたた際、手が加えられたのだろう、との事でした。

素人の自分には「へえーそうなんですか」とただ頷くばかりでしたが
たいへん興味深い体験でした。
340保守:2008/08/27(水) 07:09:14
そろそろスズメバチが攻撃性を増す時期になりますね。山城巡りに適した時期ってホント短いなあ。
341日本@名無史さん:2008/08/29(金) 06:48:07
春日山城を徹底的に復元してくれい!
342日本@名無史さん:2008/08/29(金) 14:01:25
おいこら
古河城だれか探検してくれや
まじでよ
343武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/30(土) 00:29:13
>>342
行ってきたよ。
ま、私が行く(行ける)ってことは
険しくないトコってことだなw
訊きたければ訊けば?
罵倒はしないからさ。
344日本@名無史さん:2008/09/19(金) 04:02:27
クソコテ晒しage
345日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:06:14
>>341
三十年位前、新潟県で予算が余ったんで、当時の君知事が復元話を出した
ことがあった。周囲の反対で即沙汰止みになった。

こっちは新潟だけど、今年は熊が多く出そうだなあ。
346日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:21:12
来年の大河ドラマの直江兼続に便乗してなにか動きださないだろか
将来は躑躅ヶ先館も復元されるし
一乗谷の詰めの山城も復元計画があるが、一乗谷は城よりも城下町のほうが面白そうだが
347日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:18:41
埼玉三名城

川越城
岩槻城
忍城
348日本@名無史さん:2008/10/04(土) 22:01:11
>>345
なんで周囲は反対したのかな?

もっとも俺も反対だが。
だってどーせまともな史料がないから掘時代の復元にしかならない。
白塗りのコンクリート建築なんていらねぇ。
349日本@名無史さん:2008/10/07(火) 20:35:32
>>348
当時、殆ど発掘調査がされていなかった為。
総構地区の調査が始まる前の話だと思った。昭和50年代の話。

春日山城の発掘調査報告書って、纏まった形で報告書は出たのかな。
実城地区の発掘調査は聞かないんだが。
何故か家に概報が何冊か有る。総構地区のやつ。

ちなみにこんな話がある。
昭和43年に実城の天守台の標柱のある箇所を検土壊器(自分は
どのような方法知らん)で調査。三×四間?の柱穴が見つかった。
『信濃』21巻1号 昭和44年 に書いてあった
筆者、室岡博。
350日本@名無史さん:2008/10/07(火) 20:48:46
春日山の最新史料による再現図は半年ぐらい前にでたCG本かね
351日本@名無史さん:2008/10/07(火) 21:05:34
逆井城に行った事ある人いる?
352日本@名無史さん:2008/10/10(金) 13:49:33
茨城県の逆井城なら今年行ったよ。
模擬二層櫓が古くなりかかっていたが、風情があってよかったよ。
ただ、復元された主殿は大台城のものを復元したそうだし、門は関宿城のものを移築しているし、
復元するならこの城ならではというものがもっと欲しかったな、資料がないんだろうけど。
でも悪くはなかったよ、中世の城を復元している城としてはおすすめの城の一つだよ。
353日本@名無史さん:2008/10/10(金) 21:51:17
逆井城は西ヶ谷戦国ランドだからなあ。
354日本@名無史さん:2008/10/19(日) 02:43:01
>>352
ここの土塁は萌える
355日本@名無史さん:2008/10/19(日) 19:15:13
逆井城の写真見たことあるが、
なかなかいい感じの復元の仕方だな。
一度行ってみたいが遠い。
356日本@名無史さん:2008/10/19(日) 23:15:38
逆井は西ヶ谷流築城術の最高傑作だな。
357日本@名無史さん:2008/10/20(月) 11:24:13
西ヶ谷先生と言えば、夢の熱海城にある日本城郭資料館なんだが、
今でもあるの?
先生、昔は福島や茨城で発掘やってたみたいだけど、最近は
聞きませんね。逆井城もその一つだったんだが。
358日本@名無史さん:2008/10/23(木) 19:36:55
山城って、攻城戦中の寝泊りはどうしてたんだろう?
http://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/Nagano/Haibara/index.htm
この埴原城という城跡を見にいったんだけど、戦闘配置だけならともかく、
何百人が寝泊りできる感じではないんだよな・・・

夜も戦闘配置のままうずくまって寝たのかな?
359日本@名無史さん:2008/10/24(金) 19:08:31
西ヶ谷先生はどこぞの仕事を請け負っているんじゃないかな。
城だけで飯を食ってるから何もしてないわけがないし。
今の時代は安易に派手な建物を建てられないから目立ちにくいだけとか。
360日本@名無史さん:2008/11/03(月) 16:16:24
2008年度長崎新聞文化賞の選考基準に疑問あり。
361日本@名無史さん:2008/11/07(金) 18:52:26
【社会】熊本の鞠智(きくち)城跡から百済系仏像 7世紀後半、百済の遺臣が携行?
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1225799992/
362日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:59:32
ずいぶん前の話だけど、将門の故地を調べに行ったとき、ついでに逆井城も見に行った。
史跡と再現の狭間で、工夫を凝らしている印象があったな。
363日本@名無史さん:2008/11/13(木) 18:07:31
>>362
西ヶ谷先生プロデュースだもん。二階櫓は、消防法の関係で思ったように
復元出来なかったんだそうだよ。日本城郭史学会に入って、見学会に行けば
先生から色々話が聞けるかもよ。年会費六千円也。入会金は幾らか忘れた。

話は違うが、最近5,60代のオッサンのやってる城郭系ブログが増えたんで、
たまに守備範囲の情報を親切にもですます調で教えてやっているんだが、
礼の一言も無く、更に質問し続けてくる奴が多いな。
で、腹が立つんで自分のコメントを削除してやると、
ハイ質問厨の一丁上がり。
364日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:37:34
>>363
かつて城郭史学会員でしたが、色んな会に参加して多くの人の意見を聞いた方がいいですよ。
世間では西ヶ谷氏の論が通用しない事に気付きますから。

例えば西ヶ谷氏提唱の比高二重土塁は北条流って話なんて誰も信じません。
埼玉県の菅谷館に比高二重土塁がありますが、博物館に行けば北条の城ではなく、
それ以前の城だと説明してくれます。
当然、これだけではないし、事例はたくさんある。
365日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:30:08
>>364
あらら、自分も旧会員ですた。関東じゃないんで、薫陶は受けてませんw
見学会もあまり行け無かった。
北条流、武田流なんて言っている人は、まだいるのかなあ。
たまに個人のブログで見る事が有るけど。

先生って、以前、戦国史研究でも論文書いていたよね?
先生の話は駒大出身者のルートでたまに聞いておりましたです。
366日本@名無史さん:2008/11/19(水) 21:36:24
そういう事でしたか。納得。

○○流については「戦国の堅城」で西股氏も盛んに説明してるよ。(笑)

戦国史研究に氏の名があるのは知ってるけど、
どんな論文を書いているのかまだ読んだ事はないです。
元々、カメラマンなのでどこまで書けるんだろうね。
という期待を込めてそのうち目を通そうかと思っているけど。
367日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:08:49
個人の城好きの方のブログを読んでると相変わらず、
「北条流」なんて結構書いてあるねぇ。
三流歴史小説家?が中世城館関係の本を出版したりしてるしねぇ。
その辺の影響かなあ。
368日本@名無史さん:2008/12/05(金) 03:25:25
関東の広範囲を制圧して、いろんな勢力を制圧吸収した北条氏。
各地にあった技術を当然集約、いいとこ取りしたわけで。
いわば「いろんな関東技術の集大成」。
それを使って建てた城は「北条流」と呼んでも差し支えないかと。
それぞれ個別の技術には、
そりゃあ元祖や起源があるだろうけれどさ。
369日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:16:52
>>367
個人のサイトは城郭大系やなんやら文献を書き写すだけのものが多いから。
ひどいのになると他のサイトからカット&ペーストで書き写しているものも
あるよ。
とくに訪問数を競い合っているサイトはそういう傾向が強いよね。
史跡めぐりというよりオリエンテーリングをやっている感覚なんだろうね。
370日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:19:56
北条流は駄目だろう。今更、軍学的視点でアプローチはナンセスかと。
近世の色眼鏡じゃ不味いよな。自分は問題は有ったとしても基本は
史・資料を根拠にしたネタ以外信用しない。軍記・軍談は参考に見る事
はあるけど。小説を参考にするアホはさすがにいないとは思うけれど。

>>369
歴史齧った人がやってるサイトは参考になるけど、大概観光ガイド
程度に見ている。アクセス数の多いサイトでの誤った記述も結構
多い。自分が見学した箇所などで、実際行ってないのに行ったように
記述した物もたまにある。
自己満足でやってるんだろうから、いいんだけど。
371日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:59:51
>>369
たまに暇な時、誤りを見つけると丁重に質問している。暇潰しになるよ。
372日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:47:06
ナンセンス
とか言ってるオッサンが一番ナンセンスかと。
373日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:08:39
>>368
「俺流」と称していたものが実は他人の物を真似しまくりだった場合、
普通は似非って言わないか?
374日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:07:50
軍事的アプローチねぇ。確かにまずいよねぇ。
一例だけど長野県の山城の山頂は殆どが狼煙台になってない?
根拠なんてないのに観光用に狼煙台という碑を建てたりしてしまう。
あんなに根拠ない物を建てて違ってたらどうするんだろうね。
375日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:32:58
まあ、北条氏関連文書で築城関係の集団なり個人なりが城名と
併記される形の物が複数有って、かつ「北条流」とされる特色を持つ
城と一致すれば「北条流」も有りなんだが。まあ無いだろう。

実際の戦国大名権力と「城つくり」の関係って、どうなってるんだ?
376日本@名無史さん:2008/12/09(火) 09:28:24
375自身が詳しそうじゃんw
377日本@名無史さん:2008/12/09(火) 13:57:58
>>374
新潟県胎内市にある高つむり城跡が狼煙台と言われてきたので、
2005年に市が調査したら、窪地状の遺構から炭化物が纏まって出土した。
その為、狼煙台の可能性が高まった。
炭化物を分析したら18Cのもので、現在は狼煙台の可能性は低いと言う
事になっている。

なんで、本調査しないと中々分からんね。
378日本@名無史さん:2008/12/09(火) 15:12:12
>>377
勉強になるなぁ。
そういえば新潟って狼煙リレーやってたねw
379日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:10:20
18Cの炭化物か…
ちょいと、知り合いのお城屋さんから聞いた話。

城郭類似遺構に、近世の旗振り山があるらしい。
旗振山とは、相場の値を知らせるために旗を振ってリレーするってもの。
城郭同様山頂に平場を設けるわけだけど、この平場を中世城郭と誤認するとか。
のろしを使って伝達してたんじゃないかって話も同時に聞いたっけ。

この話は大阪近隣地域の話だけど、他地方でも同じような事例があるかもね。
380日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:29:17
>>379
「旗振り山」の情報面白い!初めて知った。
ぐぐったら、堂島から江戸まで8時間で米相場の情報が伝達された
そうだよ。広島・岡山にも旗振り山がある。
この分野はまだ余り研究されていないそうだ。
柴田明彦氏が『旗振山』(ナカニシヤ出版)を出している。

>>377
の城跡は、日本一小さい山脈、櫛形山脈の尾根線にある城で、日本海も
見える位置にある。
381日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:45:21
でもそれだと切岸や堀切がないからあまり間違えたりしないのでは?
382日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:03:37
城のある山だからといって立派な遺構が必ずあるとは限らないから。
これは城館であるという定義は凄く難しい。
383日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:22:15
これか。

旗振り山 柴田 昭彦 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E6%97%97%E6%8C%AF%E3%82%8A%E5%B1%B1-%E6%9F%B4%E7%94%B0-%E6%98%AD%E5%BD%A6/dp/4779500761/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1228825178&sr=8-1

気になるなぁ。もしかして白旗山もその類かなぁw
384日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:14:24
>>377
の高つむり城、位置も遺構もいまいちの城なんだよなあ。

仮に城の遺構や立地からして完全な城館跡と認識出来たとする。
その遺構に狼煙台状遺構が有った場合、一応疑って見た方が
いいかもね。城跡を後世に「旗振り山」として利用した可能性が
出てくる。
385日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:42:28
そもそも狼煙というものが存在したのかどうか、
狼煙台と城がセットになっているのかどうか、
城とは別に狼煙だけの山があるのかどうか、
さっぱりわからん。

考古的、文献的に立証された狼煙のモデルってあるの?
文献的には江戸時代や怪しい軍記物の記述しか知らんし、
一次史料なんてあるのかねぇ?
386日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:55:56
狼煙のあげ方が分からないから、炭化物の出土状況だけで特定するのも難しい。
たいまつを振り回してたら、どの程度遺物が残るのかも分からない。
そもそも、狼煙台を置いたが、一度も使われなかったという可能性もある。

>>385
戦国だと北条と武田でそれぞれ1通あるくらいだと思う。
あくまでも「狼煙をあげろ」という命令だけで、具体的な手段は不明。
387日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:34:43
>>385
多摩・秩父方面では狼煙は重要な役割をなしてたらしい。
武田の進軍が川越城に数時間で伝わったとか・・・

狼煙台の配置を探って城跡を一つ見つけた。
388日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:46:52
>>386
狼煙の復元という物が難しいというのが理解できる話ですねぇ。

>>387
どちらさんの城跡で?
389日本@名無史さん:2008/12/10(水) 02:26:23
>>381
二段に削平してあったり、近隣に竪堀状或いは堀切状(に見える)地形があると、誤認されやすいみたい。
→境界土塁や、境界を区切る堀切、或いは通路としての堀切なんていう、城郭とは無関係な施設も要注意だね。

>>384
379で出した旗振り山は、教えてくれた知り合い曰く、
>>384さんが仰るように中世城郭を大きく改変したんじゃないか、と。
ちなみに紀伊の事例。


(ちらしの裏)
旗振山にしろ、のろし台にしろ、そもそも中世のお城…もっともっと、文献と遺構の交流ができないもんかねぇ。
もっというと、お城屋(縄張論)と、考古屋(発掘)と、文献屋(文献史学・歴史地理等)の成果をもっと突合せられないか、って。
三つのうち二つの融合ができてるやつはあっても、三つできてる研究って見ないなぁ、と…
390日本@名無史さん:2008/12/10(水) 11:13:48
のろし関連でぐぐってたらこんなのが有った。
九大の服部英雄氏のサイトから。参考までに。
>>http://www.scs.kyushu-u.ac.jp/~hatt/noro.html
391日本@名無史さん:2008/12/20(土) 21:59:03
天地人で春日山城のオープンセットを造るのかと期待してたが風林火山館で代用するのか・・・
392日本@名無史さん:2008/12/21(日) 14:17:36
>>391
謙信の頃の春日山城の建築は大したこと無いんじゃない?
中心部に塀が巡ったのも天正くらいからだったよね?
なんで、どうでもいいんで風林火山館になったんだろうね。

御館の乱があるから、その辺でも使うのかなあ。御館は過去に
発掘調査されているけど。
393日本@名無史さん:2009/02/05(木) 20:35:59
大河の春日山城のCG、海に近過ぎ!
394日本@名無史さん:2009/02/05(木) 21:50:04
>>393
あれが当時の海岸線なんだろ
395日本@名無史さん:2009/03/15(日) 22:10:57
古墳時代の館が室町時代の館と似てると思った
http://www.mediajoy.com/chikatsu/cs/data/j.html
396日本@名無史さん:2009/04/26(日) 22:47:36
>>276
かわらけ編年の波乱がまだやってこないのですが
いつ頃くるんだろう。
397日本@名無史さん:2009/04/27(月) 02:36:31
GWはおまいらどこの城行くの??
398日本@名無史さん:2009/04/27(月) 13:10:29
天地人関連と言うわけじゃないけど、先週天気が良かったんで、
新発田重家の乱(新発田合戦)関連の城に行ってきた。と言うか
その地域。
放生合戦関連の浦城、虎口が意外にキチンと残っていた。先達の縄張り図
だと表現されていないけど。遺構の面白い部分は現況藪。主郭付近は
切り払われ、軽なら入れそうな路もある。
関ヶ峰(赤谷)城、葦名の被官小田切氏の城。新発田と葦名の連絡線遮断
の為落城。クマの通り道だそうだ。蜂も多い。現況藪。
笠萱城、内の倉ダム近くの桟敷段状曲輪+堀切一条の古式な縄張りと
される城。新発田合戦の時期は違うけど。新編会津風土記によると、
関ヶ峰城を設けたことにより古城であるここが廃城になったとされる。
現況藪。何故か潅木の枝に太目のビニール紐が懸かっていた。

>>396忘れた頃にやってくるとか?現在かわらけ編年をリードしている
研究者たちが退職するまで来なかったりして。
399日本@名無史さん:2009/05/05(火) 21:25:36
古い1/25000の地図を頼りに見学に行ったら、道間違えた。
気が付いたら上流域まで行ってしまった。しかも道が崩落して
無くなっていた・・・
400396:2009/05/07(木) 21:16:51
>>398
それでは来ないに等しい話だねぇ。

昨年の石和のシンポの本がぼちぼち出版されるみたい。
内容は考古と縄張り編年についてで、杉山も議題にあったと思う。
401日本@名無史さん:2009/05/09(土) 09:09:07
>>400
土器の件は、発掘屋さんは文献屋さんより風通しが良くないから
ですかね?w
シンポの本が出るのですか。考古と縄張り編年、早く読みたいですねぇ。

話は違うんですが、都道府県発行の城館跡悉皆調査報告書の縄張り図を
参考にして城館跡見学に行って、「こんなアフォな!」と思うことが
ありませんか?最近、中部北陸の某県の報告書の縄張り図を参考に
見学に行ったら、最長100m以上の大曲輪が描かれてるんで、
行って見たら全く違いました。どうせトレースの、し忘れだとは思って
いたのですが、やはりと言った感じでした。おまけに縮尺も出鱈目でした。
402日本@名無史さん:2009/05/19(火) 21:27:42
>>401

あれは都道府県によってレベルが違いすぎるね。
この前鳥取県のを見たら、総論部なのに調査した城跡についてはほとんど触れず、
文献史料だけで話を進めていたのにはぶったまげたw
403日本@名無史さん:2009/05/20(水) 06:35:37
地元びいきが過ぎると、どんどん城域を拡大して巨大城郭にしちゃったりするよね。
404日本@名無史さん:2009/05/20(水) 12:43:52
で、知り合いの市町村の文化財担当やその関係者に「縄張図が変」とか
話すと、都道府県教委を恐れてか話を曖昧にするw

>>402
新潟県のものなど中々だよ。トレース忘れが有ったり、スケールが違う図
を地形図に貼り付けているのもザラだし、地形図上のスクリーントーンで
示された位置の誤りも散見する。そして1980年代発行で仕方ないが、
描法が統一されていない。掲載城郭で存在の確認が出来ないものも有る。
報告書発行前に既に消滅しているのにそのまま掲載、消滅の旨が記載無し、
などなど。
明らかに殆どの図が、自治体編纂史に掲載された図をトレースしたか
そのコピーみたいだ。
405日本@名無史さん:2009/05/20(水) 20:52:36
連休中岐阜県の報告書をコピーして飛騨地方の城跡巡ってきたけど
遺跡も報告書もなかなかよかったぞ。
比較的小さい盆地なのに、畝状竪堀群や織豊系の桝形や石垣がある城がたくさんあった。

ただ報告書では織豊系の遺構はすべて金森長近以降のものにしていたが、
それ以前の三木氏も佐々成政を通じて織豊系の影響を強く受けていたと思うが…
406日本@名無史さん:2009/05/24(日) 10:08:53
悉皆調査報告書は都道府県で確かにレベルの差が大きいね。

自治体編纂史書は改訂する訳じゃないし、自治体の文化財担当も
城館跡の踏査なんて個人的理由か開発が絡まないとやらんだろうし・・・

最近は新ネタ探すのに、地元郷土雑誌や民俗学関連雑誌(戦前の
バックナンバー)、登山関係者の著作で見つけている。
まあ、この辺りだと炭焼窯を円形の「阻塞」なんて書いてあったりする
事があるけどね。ハズレもあるけど、手掛かりは取れる。
407日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:31:35
俺が関東・首都圏に行くところ行ったところに必ず大田道灌と
その血統関係の名が必ず出てくる。どんだけ・・・w
城ではないが伊奈氏の築いた小室(こっちはもと城)陣屋や赤山陣屋も中世
らしくて好きなんだが、つまるところ自然の要害を取り入れているか
どうかがネックと言うか、自分の中でのポイントになるというか・・・。

408日本@名無史さん:2009/06/30(火) 23:17:05
虎が岡城に登ってきました。最後の階段の急登がきつかった。
秩父鉄道波久礼駅から簡保の宿の入り口脇のハイキングコースに入って
尾根づたいにアプローチしました。
409日本@名無史さん:2009/07/09(木) 01:10:27
近くで山城の発掘調査があり、現地報告会に行ってきた。

比高20m位の痩せ尾根。30平米ほどの狭い主郭部からは篝火用の石造火鉢や石臼などが出土。
そこまでは良かったけど調査担当さん、
「主郭に入る前に〜回屈折していますので、16世紀後半の〜」と開陳。

いや、これはどう見ても元々の地形がそうなのだが。
生半可な知識じゃいけないね。
410日本@名無史さん:2009/07/09(木) 01:12:43
>>404
新潟県ってマトモな城跡あんの?
411日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:35:06
>>410
新潟城
新発田氏の図面が池田家に残ってる
412日本@名無史さん:2009/07/09(木) 13:41:42
墨俣城はまるで羽柴誠三秀吉社長の城のようだ
金鯱とはふざけとる
413日本@名無史さん:2009/07/09(木) 23:23:46
栃尾城、村上城もお忘れなく。
414日本@名無史さん:2009/07/10(金) 21:21:05
>>409
それって、織豊系城郭?
>>410
有名所は、春日山城、平林城、坂戸城などなど。県北に面白い城跡が結構
有るけど、藪山、クマさんの関係で入山者が少ないんでマイナーですね。
415日本@名無史さん:2009/07/10(金) 22:52:09
新潟城って聞かない名だわと思ってググったら
場所もわかんねー超マイナー小城なんですって?
県の名がついてる割にはアレなんですね。
416日本@名無史さん:2009/07/11(土) 22:11:20
村上城の北にある大場沢城は畝状竪堀群がよく残っていて見ごたえあるよ。
畝状竪堀群といっても普通なら帯曲輪にするような緩傾斜に畝作ってる。
なんかスペースの無駄使いに思うけど、兵力不足を補う為のものなのかな?
417日本@名無史さん:2009/07/12(日) 12:51:44
大場沢城周辺は、過去には湿地・湿田が多い所だったんで、畝状竪堀でOk。
現況より堀は深かかっただろうし。

畝状竪堀は緩斜面に多いけどね。
418日本@名無史さん:2009/08/18(火) 03:04:24
>>414
遅レス失礼。 地域でいえば武田領。長野県小諸市。
でも疑っちゃうくらい小規模で、発掘で遺物が出なければただの「山城伝承地」というほど。

阻塞的な意味の少ない遺構の性格を考えさせられた。
土豪間の抗争レベルでは有効だったのかな
419日本@名無史さん:2009/08/18(火) 22:40:05
>>418
屈曲とかいうと千田先生の『織豊系城郭の形成』を思い浮かべるけど
武田氏の城郭でもそういう編年があるの?
420日本@名無史さん:2009/08/20(木) 01:20:33
>>419
主郭に入る前までの空間と屈折数は、確かに年代が上がるほど複雑になるのだけれど。
意識した構築が残っているならばともかく、自然地形の多い山城にまで当てはめるのは無理がありそうです。

近年の研究で、杉山城が十五世紀後期の構築だったとの報告もあり、なんとも言えない気分ですね。

武田氏関係で注目されているのは「馬出し」の有無と構造ですが、編年研究が編まれているとは聞いた事ないです。
詳しい方が居られましたら教えてください
421日本@名無史さん:2009/08/23(日) 10:53:05
>>420
頭に描いてるもの(こういう形状の馬出は〜の時代あたりとか)を
聞かせてもらった事はありますけど、編年については聞いたことないっす。
ほぼ不可能なんじゃないっすかね?
422日本@名無史さん:2009/08/26(水) 14:39:30
北畠顕家がいた頃の多賀城ってどんな感じだったんでしょ?
423日本@名無史さん:2009/10/01(木) 21:34:52
上杉謙信のルーツ 長尾砦は横浜の栄区にあるが
今も堀がのこる
424日本@名無史さん:2009/10/23(金) 12:47:48
>>420
学生時代考古学をかじった者だか、杉山はちょっと気をつけた方がいい。
在地土器編年とか怪しすぎるし、出土鉄砲玉無視してるし。
虎口に限らず遺構編年は無理かと。千田氏のだって分類&序列化、という感じだし。


>>423
長尾台の遺構は戦国期に玉縄城の支城として築かれた時のモノと思われ。
425日本@名無史さん:2009/10/23(金) 19:26:37
西宮に船坂城って本当にあったの? あったとしたらセブンイレブンの裏山かな
426日本@名無史さん:2009/10/24(土) 21:15:10
>出土鉄砲玉無視してるし。

某所でそれを質問したら、学芸員が口をつぐんだ。

ただし、都合の悪いデータはみてみないふりするのは縄張論者も同じだよ。
深大寺あたりは伝承や発掘の結果がなければ、北条流城郭と言っていたと
思うぞw
427日本@名無史さん:2009/10/25(日) 21:38:30
>>426
スマン、縄張の動向は良く知らんw
嵐山は全体として上が言ったらそれに盲目的に従う「徒弟制」と、
何かと年代を古くしたがる考古の2大悪癖がモロに出てしまってる気がする。
428日本@名無史さん:2009/10/25(日) 22:17:13
名古屋市千種区の末盛城、現在は城山八幡宮の境内だが、神社参道の左側の部分、市が公園として整備するようで、工事が始まった。
ただこの区域の西側、民家との境のあたりは、私見によれば大手口のあった部分。調査されるんだろうか。
429日本@名無史さん:2009/10/26(月) 15:16:40
>>426
深大寺を後北条にするのは流石に90年代の縄張論レベルじゃねーか?てか田中氏レベル?
大庭城だって杉山掘る前の90年代の終わりには「上杉じゃね?」って論が出てたろ?
430429:2009/10/26(月) 15:18:19
>>429
スマン、田中→中田
431日本@名無史さん:2009/11/02(月) 21:37:11
>>424
在地土器ってどれを指してるのだろう。
重要なのは山内上杉系のかわらけ(在地じゃないよね?)で、
先のシンポでも中井均氏はこれは動かないと認めておられました。
これの事ですかね?

鉄砲玉は中世の面から出た遺物ではありませんからねぇ。


>>420
名は出せないけど馬出しの編年研究をされてる方は居ます。
居ますけど、論文にしてないと思います。
論文にすればボコボコにされるので出さないで欲しい。
432431:2009/11/03(火) 10:17:43
鉄砲玉についてもう少し・・・

鉄砲玉は1点でしたよね。地層も違う。
これが数点あって、中世の地層だったら考慮する必要が十分あったと思います。

といっても瀬戸美濃数点で杉山の時代を考古屋さんが測定しても
一部の縄張り屋さんたちは数点じゃ足りないと言ってたくらいですから
鉄砲玉1点なんて無視していいんじゃないですかね。
瀬戸美濃と鉄砲玉とでは意味も違うし。
といっても考古屋さんが鉄砲玉の材質調査をすると言ってましたから
また今度会った時に聞いてみるといいと思います。

個人的には後世の鉄砲玉では〜という結論につながっていくような気がしています。
433日本@名無史さん:2009/11/04(水) 01:00:18
>>432
発掘で当時の生活面なんて、中世じゃそうそう分からんよ?
地山まで開けてピット跡がやっと判別できるのが普通。その鉄砲玉は宝永の上から出たのかな?
434431:2009/11/04(水) 01:58:27
>>433
大量のかわらけでも出土すれば分かりますよね。
435日本@名無史さん:2009/11/04(水) 02:30:28
>>434
杉山で大量のかわらけって出てたっけか?
436431:2009/11/04(水) 02:32:08
>>433
別に山内上杉の地層を言ってるんじゃなかったですね。すみません。
鉄砲の地層からは遺物が出てないから分からないで正解でしょうね。

とはいえ、杉山はT期しか確認できていませんからねぇ。
山内上杉のかわらけが土塁の下にもぐりこんでたとか確認できれば
縄張り屋さんたちが大喜びだったでしょうけど、そうではありませんし。
437431:2009/11/04(水) 02:33:11
>>435
報告書にあります。
438日本@名無史さん:2009/11/04(水) 02:50:33
>>436
中世の関東掘ってる考古屋は宝永を指標の一つにしてる、と思ってたんだけど、
杉山からは見つからなかったのかね?
>鉄砲の地層からは
地層判別って弥生や縄文でも難しいのに凄いなぁ。

>>437
>報告書にあります。
杉山って短期間に陣城的に使われてたって聞いてたけど、大量にかわらけ出てたとは驚きだわー
439431:2009/11/04(水) 03:08:11
>>438
>地層判別って弥生や縄文でも難しいのに凄いなぁ。

論法として致命的に間違ってます。

大量という言葉を極端な方向に理解されても困りますけど
詳細は報告書の数値をみてもらえればと思います。
440日本@名無史さん:2009/11/04(水) 03:29:00
>>439
ゴメンゴメンw 文献の人かS藤シンパの方かな?

中世考古、といっても色々あるけど、こと戦国時代が本格的に考古学の対象になったのって
たかが30年くらい、要するに縄張屋と同じくらいの歴史しかないんだよね、その割りに古代や
先史やってる連中より自信満々に見える奴がいて怖いんだけどさw

他所から見ると、こんな印象なんだよ↓

ttp://nakatake05.blogcoara.jp/nakanishiyalab/2009/07/post-6caf.html
>瀬戸美濃編年に安易に乗って年代を古くしただけですのでそんなたいしたものではありません。


>一部の縄張り屋さんたちは数点じゃ足りないと言ってたくらいですから
そりゃそうだよ。そんな事したら吉野ヶ里の堀も室町になっちまうw
441日本@名無史さん:2009/11/04(水) 04:24:31
ちなみに、焼き物の編年って中世のそれより遥かに研究者も、対象遺跡も多く
歴史も重ねている弥生ですらこんな感じなのだ。
ttp://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/doki/doki.html

中世城郭遺跡の報告書は概ねクソ、という前時代的な先入観がオレにあるので
杉山の発掘もS藤氏やらの論文のまとめしか目を通してないんで何だが、
よく四半世紀単位以下で年代断言できるなぁ、と怖くなってしまう。
俺は戦国考古とか門外漢もいい所ではあるが、ざっと瀬戸美濃やら小田原土器の
論文見た限りだと、相対編年は合ってるんじゃないかなー、とは思うが絶対編年は
まだ紆余曲折がある、と思う。

てか、そう思うのが当然じゃなかろうか?
「椙山の陣」で論文書いてたT井氏(だっけか?)とか、文献屋なのに考古編年を
やけに信用してるように見えるが、城郭の研究史やる前に先史土器編年の研究史を
紐解いて欲しいw

ちなみにリンク先の「年輪年代」は、日本の奴は妖しい通り越してオカルトだと思っている。
文系の考古学者が理系に騙されてるような気がしてるけどけど、文系なので理系的
反論が出来ず右往左往している、というのが現状な気がするw
理由は以下の通り。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1168695342/-100
442431:2009/11/04(水) 10:54:18
どこかのシンパでもないけど。

>>440
確かに縄張りと考古の歴史は同じくらいです。
現状は考古は編年を作ったけど、縄張りは編年すら作れていません。(中世城郭の話)
同じ土俵に上げるのであれば縄張りの編年を提示してもらって
縄張りの編年っておかしいよねとか議論したいですね。

しかし、縄張りからは築城主体・築城年代は明らかにできないという事を認めていますから
編年は作れない。先史と同等かそれ以上に難しいわけですよね。
443日本@名無史さん:2009/11/04(水) 11:07:08
安土城はこのスレの分類に入る?
それ以外では小谷城とか観音寺城とかは行ったことあるのだが。
444日本@名無史さん:2009/11/04(水) 13:03:02
>>441
戦国期土器編年批判は頷けるけど、瀬戸&美濃は史料との摺り合わせが進んでるんでほぼいいのではないかと、横穴掘ってた俺が突っ込み。
土器と違い使い捨てじゃないから標式と坂東の田舎城じゃズレて当然だと思うけど、一応竹氏の名誉の為に。

しかし竹氏は文献屋として刺激的な論文連発してかなり優秀な研究者と思うんだが、いつまでNヶ谷の下にいる気だ?このままじゃ八王子忍者道と一緒にされかねんよw

あと、杉山は土層しゃなくて焼土面があったから生活面を確定できたらしい。
土層はなあ…津久井の現説行ったら表土が数センチしかなくて驚いたけど、あれとか層取りようが無いよなあ。
ちなみに遺物は15〜16初頭が主体だったとさw
千葉の小西も永禄の史料があるのに今の所同じような様相なんだそうだが、関東の城ってどこ掘っても概ね杉山と同じ調子なんじゃないかと疑っている。今の土器編年に乗っかったままだと。
同じ考古屋としていい加減誰か何か言えよと思うんだけど、徒弟制だから難しいわなw
445日本@名無史さん:2009/11/04(水) 13:42:02
>>442
編年作ったからって偉くもないわw
440氏の批判点はそこじゃなくて、一部の何故か自信満々な考古屋とそれに「容易に乗っかって」鬼の首取ったようにはしゃいで縄張屋批判してる歴史好きの親父レベルの連中だろ?発掘なんかやったことも無いのにさ。
城では大名系否定して土器で山内系とかってワケワカラン。根っこは同じ形態論なのに。
瀬戸物と違って土器は小田原城のは小田原周辺、杉山のは杉山周辺で焼いたもの使ってるイメージで瀬戸や美濃のような短期間の統一的流行は考えにくくて、編年ってかなり難しいと思うよ?史料ないから先史と同じレベルで。
スレ見返すと考古やってそうな奴が杉山に慎重で、考古やってなさそうな奴が鵜呑みにしてて、まるで考古やってたN股氏とやってないS氏の構造そっくりで興味深いw
考古の城スレも読んだ方がいいよ、曲輪作っちゃった話とか笑えんw
446日本@名無史さん:2009/11/04(水) 13:52:21
>>441
そうそう、もう一つ突っ込みw
宝永スコリアは比企にはかかってません。

>「年輪年代」は、日本の奴は妖しい通り越して、オカルト
そこでC14ですよ!w
447431:2009/11/04(水) 22:03:12
>>445
>一部の何故か自信満々な考古屋とそれに「容易に乗っかって」〜

そんな他人の事を言われても知らないとしか言いようがない・・・
しかし、もはや縄張り側が折れてしまってるわけですから
その人たちには先見の明があったと言えるんじゃないかな。
縄張り屋さんはキライじゃないけど、現実を認識しておかないと
次のステップで同じ過ちを繰り返してしまいますよ。

N股氏の発言についてはやたら仮説を根拠や事実に置き換えるクセがありますよね。
発掘やってた〜という肩書きは鵜呑みにしない方がいいと思いますよ。

それと遺物に関する記述ですけど、書籍や詳しい人から調べるなりした方がいいですよ。
448441:2009/11/05(木) 00:35:19
>>444-445
容赦ない指導ありがとうw
完全に趣味になるが、城の報告書もちゃんと当たってみるか。
しかし、城掘りたい奴が掘れなくて、掘りたくもない、中世なんか
よく知らん、なんて奴が掘ってるのが問題の根底にある気がするが、
いつまで続くのやら…

>ちなみに遺物は15〜16初頭が主体だったとさw
>千葉の小西も永禄の史料があるのに今の所同じような様相
あー、それは絶対編年危険だね、普通に考えると。
関東の戦国期遺跡で、かわらけの標式ってどこなの?

>そこでC14ですよ!w
そして全部の城が南北朝期ですよ!w
449441:2009/11/05(木) 00:47:50
>>447
>しかし、もはや縄張り側が折れてしまってるわけですから
あんたそればっかだね。縄張屋を安易に信用してよかったの?w

>発掘やってた〜という肩書きは鵜呑みにしない方が
考古の編年(オレは発展序列レベルだと思うが)鵜呑みにするのに是如何に?
同じ考古屋なんだから信じてあげては?

>縄張り屋さんはキライじゃないけど、現実を認識しておかないと
>次のステップで同じ過ちを繰り返してしまいますよ。
天正の津久井城を大永以前にする編年で進む次のステップって何?
藤村が切り開いたステップみたいなの?
450431:2009/11/05(木) 02:09:04
>>448
> 中世なんかよく知らん、なんて奴が掘ってるのが問題の根底にある気がする

それはあるでしょう。でも公表できる話でもないし。

>>449
> 考古の編年(オレは発展序列レベルだと思うが)鵜呑みにするのに是如何に?

その通りで、100%信用してないし、0%の信用でもない。その間。
縄張りは0%に近い状態。あくまで中世城館の編年ね。
相対的に縄張りに賭ける信用は0%でないにしても低いものです。

津久井はもう少し時間を与えてじっくり掘って欲しかった。
451日本@名無史さん:2009/11/05(木) 03:33:00
杉山も深大寺も後北条流だろJK
452446:2009/11/05(木) 13:11:09
>>448
>関東の戦国期遺跡で、かわらけの標式ってどこなの?
小田原。初期は都市機能を失う前の鎌倉。次に時代が限定される八王子か?京の影響受けた小田原製てづくねが祭祀用に後北条氏各主要支城に搬入、現地の土器に影響与えて在地系土器が小田原系真似た奴作り始めたということらしい。
それ自体は、ふーんそうかもね、と思うのだが普通やる胎土分析とかやってないみたい。理由は知りませんwまあ城に限らずこの時期の発掘例が少なすぎるんで、標式になっとらん気がする。

>そして全部の城が南北朝期ですよ!w
いやいや、古代以前だと古く出たりするC14だけど山中城でやったら半世紀ばかり新しく出てみんな江戸初期になってしまったのだ。だから少なくとも嵐山の連中はやるまい、絶対に。
だって「定説覆して俺たち大実績!」が、ヘタすりゃ永禄にされて「やっぱ縄張様の言うとおりでした」になって水の泡だもんね。少なくとも新旧関係は分かるんだし、C14の連中は精度も上がってると言い張ってるんだからやってみりゃいいと思うけど。

あと学生さんなのかな?藤村一人に責任被せるのは酷でっせ。奴は下手人ってだけ。
ttp://yamatai.cside.com/katudou/kiroku223.htm
O野氏もどうかという学者だがw
453446:2009/11/05(木) 13:42:34
>>450
考古の人でも文献屋に「たかが紙だろう!」とか「机に向かってるだけで遺跡見た気になってやがる!」とか言う奴いるけどさ…
>もはや縄張り側が折れてしまってる
>やたら仮説を根拠や事実に置き換える
>同じ過ちを繰り返してしまいます
>縄張りは0%に近い状態。
>縄張り屋さんはキライじゃない
都道府県悉皆に縄張導入してる時代に凄いねぇ、上から目線の根拠は見えないけど。

手元の中世城郭研究23号見てみるとほとんどの論文が考古・文献に当たって、それに構造論を加味し考察している。号を遡ると考古の話が減るけど発掘が今より少ないからだろう。文献はあまり減らない。
本職文献屋や考古屋が混じってるので当たり前だが要するに連中は考古や文献無視するどころか可能な限り当たっている、誰かと違い謙虚にもw
つまりキミは考古屋も文献屋も批判してるわけだ無意識だろうけど。過ちとやらが具体的に何指してるのか知らんけど発掘してない、文献もない城に関して構造論だけでめったなこと言い過ぎ、
という不信感が批判の源だと思うが発掘が今後急速に増えるわけないので史料がない遺構は構造論でやるのは当たり前。古墳と同じ。
しかも発掘されてない&史料ない城の方が圧倒的多数なのに縄張上から目線で見る感性が理解でいない。村田氏が80年代に今後城郭研究は考古学が主流になると言っていたが、
100年後中世城郭の過半が面的発掘を受けるとは到底思えないので、2080年代でも主流派は縄張論だろうと俺は見立てている。

書き込み内容からして万が一にも研究者じゃないだろうけど、万一研究者なら失礼ながらその資格がないので退かれたほうがいい。
少なくとも考古では他分野に関して大言壮語する先生に碌な奴はいなかった。
454日本@名無史さん:2009/11/05(木) 18:31:32
>資格がない
まぁまぁ…
研究者なんか自分以外みんな間違ってると信じてる基地外多いんだから、これくらいいいじゃないか…
455431:2009/11/05(木) 22:19:01
>>453
都道府県悉皆に縄張導入しているって・・・
これは資料として導入はしているけど、縄張り図をどのように扱っていいのか分かってなくて
今後、どのように活用するか考えましょう・・・という
現在はよく分からない資料集という位置付けですよね。
下手すると永遠によく分からないままかもしれませんけど。

中世城郭研究ですか。確かに多くはよく書けてます。

>発掘してない、文献もない城に関して構造論だけでめったなこと言い過ぎ、

というのはあるでしょう。で、次のステップで

発掘した、文献も出てきた城に関して構造論だけでめったな事を言い過ぎ

という方向に進んでいる現状があります。
これが杉山であったり、諏訪原であったり・・・その他諸々出てきそう。
本当に古墳と同じなんですかね?

>だから少なくとも嵐山の連中はやるまい、絶対に。

やるわけないですよ。やる必要がないと思ってるから。
それより瀬戸美濃をなんとかしないといけないでしょう。
456441:2009/11/06(金) 03:12:10
>>452
>古代以前だと古く出たりするC14だけど山中城でやったら半世紀ばかり新しく出てみんな江戸初期になってしまったのだ。
普通に驚いた。C14は古くなるのが当然と、歴博の動向で思い込んでたわ。

>あと学生さんなのかな?藤村一人に責任被せるのは酷でっせ。奴は下手人ってだけ。
いや。藤村はシロウトさんにも通じるように書いただけです。
岡村とか言ったって分かんないかなぁ、と。

>>455
>本当に古墳と同じなんですかね?
発展は別々だけど、動機は良く似てるよー。べらぼうに数が多い、地表面で観察できる、
何より重要な大王墓が止ん事無き事情で掘れないので構造論が先に発達した。
城郭は古墳より遥かに複雑なので、その後の発展の仕方は全然違うだろうけど、
縄張論は考古学の一種だと俺自身は思っている。あれだけ地表面観察できる遺構を、
戦国期に興味を持つ考古学者が掘るまで指咥えて見るなんて、ナンセンス。

>発掘した、文献も出てきた城に関して構造論だけでめったな事を言い過ぎ
正直、意味不明。論争があってしかるべきなんじゃないの?
この辺の感覚が俺らと全然違うから、話が噛み合ってないんだろう。

第一彼らの主張が遺構論だけに立脚してないのは、446氏が教えてあげてんじゃん?
あんたの中での縄張屋は、N田や西ヶYだけなのかなー?

ためしにあんたの書いた事を考古学語に訳してみっか?
「池上悟先生が新たな論考を出されたので、横穴屋は四の五の言わず従えー!」
「今村峯雄先生がC14データベース完璧版出されたから、土器屋は四の五の言わず従えー!」
…徒弟制はびこるこの業界でも、こんなのは通らない。議論になって当たり前。
議論にならなかったら最早宗教だけど…戦国期考古って宗教家の集まりなの?

宗教家と話しが噛み合うわけない罠w
457446:2009/11/06(金) 12:52:35
>>455
>現在はよく分からない資料集という位置付けですよね。
そんなものに金と時間かけて図面なんか乗せるわけないじゃん。だったら埋文地図から抽出すりゃいい。1日で済む作業。
自治体によって質に箆棒な差があるが、わざわざ少ない金と人と時間割いて踏査して図面載せてるのは遺構論に役立つ可能性を作り手が見越しているからに決まってるだろ。

>下手すると永遠によく分からないままかもしれませんけど。
キミにハイそうですかと従ったら少なくとも今後100年はそうなるだろう。なりっこないがw目の前に貴重な文化財があるのに文献も発掘もないから活用しないなんてトンデモ発想ありえない。古墳でも城でも同じ。

で、諏訪原かw
手元の「戦国時代の城」から引用すると、文献で武田とされる高根城で15末〜16初頭の遺物が99%、高天神も同じ様相。キミの頼みの綱の諏訪原も同じ。最近徳川段階がやっと少し出て何故か徳川の遺構になったが9割16頭以前でなんで今川じゃねーんだろうなw
1582年で動きっこない新府でも出るのは大窯Tが主体。先に触れた小西も津久井も同じ。キミは津久井の結果を発掘不備のせいにしたがってる様だがあれだけ開けて15〜16初頭なら、全部開けても同じ事だろう。
以上の城の縄張図見て15末〜16初頭と判断する縄張屋はいるまい。つまり文献屋と縄張屋は一致してるのに考古が半世紀狂ってる…おやおや?杉山がレアなのかなぁ?「その他諸々出てきそう」なのはどちらかなぁ?w
458446:2009/11/06(金) 13:07:40
>>456
>「池上悟先生が新たな論考を出されたので、横穴屋は四の五の言わず従えー!」
俺に対する挑戦か?w

込み入ってきたんで整理しようか?縄張屋と十把一絡げにしてるが、杉山に関して整理するとこんな感じ。下に行くほど山内否定派。
S藤氏→史料も出たし決まりだろ?縄張ばっか見てちゃやっぱダメだなw
Y巻氏→関東は早くから戦国化してっから山内あんなの造るのかなぁ。
M岡氏→正直ワカランwもっと議論せんとダメだなコリャ。
N股氏→考古屋だから言うけど考古ちょっとおかしくね?慎重に行こうよ?
N井氏(関西の)→山内の城でもあり、戦国末の城でもあるんだよ。てか縄張から織豊の陣城だろjk
N西氏(九州の)→ヘボ編年の尻馬に乗ってるアホどもバカスwwwwwwそれで研究者気取りかよwwwww

以上のように431君に評判悪いN股氏は実は最右翼ではないのだ。もし不足あるなら>>431くんフォローしてよ?一応詳しいと自分じゃ思ってるんでしょ?漠としたことばかり言ってないで。
つまり別に縄張屋は一致団結して杉山後北条氏論を唱えておらず議論百出の状態。連中は中世城郭研究誌上でも平然と相互批判をしてるが開けてていいねぇ当然の姿勢だけどwさらに最新号で赤星批判かまされて複雑な心境だが。

藤村の話が出てたが似てるよ。少なくとも関東じゃ戦国専門にやる考古屋が少ない、土器編年論文書く奴は限られ相互批判をしない&できない…上に挙げた諸城郭の現状を無視して考古屋が一致団結して山内と言ってるのなら末席にいるものとして危機感を感じる。
459441:2009/11/07(土) 00:40:40
>>458
>俺に対する挑戦か?w
本当に挑戦する気なら、米粒状土製品を持ち出してますよ古糞屋さんには。

調べてみたら、N井氏の立場は遺物推定は合ってるけど、現状の杉山城の
遺構は戦国末期で動かない、つまりAでもありBでもある論なのね。
織豊系陣城の是非はともかく、わりと受けいれやすいな個人的に。

>最近徳川段階がやっと少し出て何故か徳川の遺構になった
これも正直、意味不明なんですけど…何故?
例えば9割4世紀なら、4世紀の遺跡になるでしょ普通?
460446:2009/11/10(火) 12:20:03
>>459
>古糞
悔しいけどワラタw
胎土分析くらいしろよ、ワケワカランモノを何でも宗教祭祀に結びつけんなよって話だよな。ただこのウンコを実際に疑似米として儀式に使ってる古社があるんで一概に否定できないかもしれないが。
N井氏の論は織豊系という結論のインパクトでかき消されてしまったが傾聴に値すると思う。俺も1年位前は一番頷ける説だった、他の遺跡でもある事だし。
その後よく俯瞰すると考古・文献が一致して縄張がズレるケースより縄張・文献が一致して考古がズレるケースの方が多いと思い調べると年代根拠の編年が絶対編年とするには危ない(特に土器)と感じN井説は二番目に後退したが。
今評判悪い70〜80年代の報告書当たろうかと思ってる。神奈川の松田の報告書に気になる記述があって考古屋が城を今ほど注目してない時代の方が冷静な目で考察してるんじゃないかと思ったので。考古も研究史やるべきだと思うんだがな。
461日本@名無史さん:2009/11/10(火) 16:57:37
スレタイ通り(;´Д`)ハァハァしようぜ
・・・と言いながら相変わらず堅めの話かもしれないけど。

先日観音寺城を4年ぶりに訪れた。
やっぱり、平井丸の虎口部の石垣と、そこに至る尾根道沿いの郭(あるいは塔頭)の石垣が(;´Д`)ハァハァポイント。

最近、守護や守護代クラスの居城によく行ってるんだけど、
文献から見ると裁判が「登山」して行われた事例がまま見える。
六角やってる人に聞くと、観音寺もその例の一つとか。

裁判行われた曲輪が分かって、かつその曲輪に巨石を使った石垣などの権威付け装置があるって事例、ないのかなあ。
そしたらもっと(*´д`*)ハァハァできるんだけどなあ。
462(´Д`;)ハァハァ城主 ◆Frn4wTNV/A :2009/11/13(金) 11:08:08
土塁(´Д`;)ハァハァ
空堀(´Д`;)ハァハァ
463日本@名無史さん:2009/11/17(火) 13:49:16
加賀岩倉城行ってきました。土塁とか虎口とかよく残っててハァハァしてきますた。
しかし、この時期の山登りは緊張感いっぱいですね。登山道に猪が掘った跡がいっぱいあってマジで怖かった
464日本@名無史さん:2009/11/17(火) 20:53:32
蜂か蚋かツツガムシかと思ったら、猪かいw
熊よけの鈴は持ち歩いているの?

俺は半月前に信貴山へ行ったときにスズメバチの警戒音を久方ぶりに聞かされた。
465441:2009/11/25(水) 00:19:39
>>460
その後作業は進んでる?
大昔の報告書って読むだけでもストレス溜まると思うけど、期待してまっせ。

とあるブログに触発されたのと、このスレの主旨に沿うため名護屋の陣屋に
ハァハァするべく九州行ってきて、思う存分ハァハァしてきた。
でも、陣屋なのに縄張から石垣の積み方まで微妙に違う。
あんな狭い範囲で、しかも一時期に一気に作られたのに、みんな個性があってビックリ。

S籐慎一氏が言ってる職能集団になぜ一括発注せなんだか、疑問だわー。
466日本@名無史さん:2009/11/26(木) 12:28:10
中世の城なら、愛媛県の松山市の道後温泉の近くに湯築城がそっくりそのまま残ってますよ。ぜひ道後温泉におこしください。
467日本@名無史さん:2009/11/26(木) 17:34:18
小田原城の堀切よかったなあ
468日本@名無史さん:2009/11/26(木) 19:06:56
こないだ、丹波八上城に行ってハァハァしまくってたけど、上茶屋丸で暴発しちまって、途中で下りてきた。
469(´Д`;)ハァハァ城主 ◆Frn4wTNV/A :2009/12/04(金) 20:28:30
菅谷館(´Д`;)ハァハァ
470日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:49:26
村岡良文の城って
熊谷? 藤沢?
墓は藤沢だけど。
471日本@名無史さん:2009/12/06(日) 14:23:28
>>470
藤沢にその名ものズバリの村岡城ってあるよな。
近くの二伝寺砦と言われる丘には墓もあった気が…今やただの公園だけど。埼玉のは知らない。
472446:2009/12/09(水) 13:11:39
>>465
まるで進んでないw 流石に年末は忙しすぎてと、自分に言い訳。ときにキミはこれ行った?俺は駅すぱが飛行機を勧めてきて断念したんだが。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/joukakukenkyuu/22684696.html

473日本@名無史さん:2009/12/16(水) 21:02:21
これから凸するには良い季節だ。
けど今年は雪多いんかな?
474日本@名無史さん:2010/02/07(日) 20:53:03
3月に上田市に遠征する。
上田城・砥石城の他に、これは、というのがあったら、教えて欲しい
475日本@名無史さん:2010/02/12(金) 01:08:52
>>474
上田限定なら、岡城がよさそう。
http://yamajiro.hp.infoseek.co.jp/oka-jou/index.html
ほかはそこのページの下のリンクから「リスト」に飛んで、探してみたら?

あとはベタだけどhttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/TokaiKoshin/index.htm
行った中では旧真田町の真田本城や矢沢城がよかった。
476474:2010/02/13(土) 01:04:27
http://yamajiro.hp.infoseek.co.jp/oka-jou/index.html
参考になりました。どうもありがとうございました。

今の所、
 戸石城 米山城 (120分)
矢沢城(30分)
 真田氏歴史館・真田館へ(50分)
 天白城へ(40分)
 真田本城へ(20分)
 松尾古城へ(40分)
 上田城(30分)
 塩田城(40分)
 岡城(20分)
を考えています。
しかし、信綱寺と横尾城も捨てがたいですね・・

477日本@名無史さん:2010/02/19(金) 01:52:21
出張ついでに積翠寺要害山に登って来た。 土塁、堀切にハァハァ
著名な方二人の縄張り図を持参していろいろ比較

大手の通路の方向がそれぞれの図で逆を向いていたのを確かめたかったのもあるが、いろいろ参考になった。
地表踏査の遺構の解釈はやはり場数を踏まねば
478日本@名無史さん:2010/02/22(月) 00:02:44
新府城、岩殿城、上田城、小諸城、鉢形城といったんだけど
他にも自然の断崖絶壁を要害としたお城があれば教えてもらえませんか?
479日本@名無史さん:2010/02/22(月) 20:56:57
上田や小諸もOKなら、台地の返縁にある城すべてということになると思うが、
とりあえず岩剣城を推しておく。
480日本@名無史さん:2010/03/05(金) 19:53:42
青葉城とかもいいんじゃね
481日本@名無史さん:2010/03/14(日) 20:26:24
最近基盤整備やらの盛り土が土塁に見えて仕方がない・・・w
自分で勝手に此処が馬出しでーとか、此処は本郭であの辺が搦め手だなー
とか末期的思考な痛すぎる自分乙
482日本@名無史さん:2010/03/19(金) 23:09:14
そう云う状態は、一般に「埋文病」と言う。
やがて、ブルーシートや標柱や盛り土にも反応する。
483日本@名無史さん:2010/03/26(金) 22:27:24
http://www.4gamer.net/review/live/sh_j.html
古いPCゲームで日本語版はプレミア物になってしまったが
お前らなら気に入ってくれると信じている
484日本@名無史さん:2010/04/27(火) 19:06:21
最近、ウォーキングを兼ねて中世戦国期の山城巡りをしています。
標高100〜400mの山頂に登ると、こんなところで生活していたとは思えないのだけど・・。

実際はどんなもんだったんでしょ?
485446:2010/04/27(火) 23:26:32
>>465
よーやっと規制明けたんだが生きてるか?ちなみに作業はまったく進んでないwてか自分の仕事で手一杯。
だが収穫あり。東国中世考古学研究会に参加した奴からレジュメのコピーと大体の当日の様子を聞いてきた。又聞きなんで不正確かも知れんが。
簡単に言うと中世考古やってる奴は宗教家ではなく、かわらけ編年はその緒に付いたばかりっぽい。ただ嵐山だけが突出、というか村上氏は最後失笑を買ったらしい、仲間(考古)から。
486日本@名無史さん:2010/04/29(木) 14:00:15
>>484
比高300mの滋賀県の鎌刃城なんかは発掘調査されていて
山頂から御殿跡や食器・碁石等の生活遺物が出土しているから
編年とかはともかく山頂で生活していた山城があったことは確実みたい。
487日本@名無史さん:2010/06/14(月) 16:12:07
>>478
藤岡市西平井の平井城も鮎川の崖っぷち。断崖に竹が生えていて断崖とは
見分けにくい。対岸も立ち入りがたかった。

余談だけど池波正太郎の上泉信綱を書いたものを読んで、箕輪城、平井城、
国峰城(山中途中で引き返し)、上泉城、大胡城の位置関係を確かめたく
て、先週土曜日ドライブした。

平井城は城跡のド真ん中に豚舎があって説明板も落ち着いて読めないほど
の臭いだった。
488日本@名無史さん:2010/06/16(水) 19:30:17
>>478
著名な山城研究者のとある方
ヤブこぎして開けた場所にでて、喜んで一歩踏み出したら豚舎わきの糞尿溜めだったとか
表面が乾いてて分からなかったらしい

フィールドワークには危険が付き物ですね
489日本@名無史さん:2010/06/20(日) 21:02:39
>>488
その本、読んだかも試練
草ぼうぼうの空堀だと思ってダイブしたら堀の底が肥溜で死ぬかとおもたとか
490487:2010/06/21(月) 08:54:43
先週書き込んで書き込みが途切れているのに気づいて白けていたけど
見ている人がいるんだ。

>>478
崖にあるお城の追加。
沼田、名胡桃、(岩山だけど)岩櫃、高遠、春日、高天神、長篠、
二股。

昔の人の評論をしても詮無いけど、新府城が真田昌幸の縄張りと
いう説明を読んで、なんかワンパターンな感じがしないでもなか
った。真田太平記は3回も読んだけど。
491日本@名無史さん:2010/06/21(月) 22:43:51
>フィールドワークには危険が付き物

群馬県、物語山付近の稜線上にて。
ク、クマー!? かと思ったら、岩に根付いた木が、岩ごと倒れて、
その後に寄生植物が付いたものだった(苦笑
http://userimg.teacup.com/userimg/8424.teacup.com/tozankyanpu/img/bbs/0000126.jpg
492日本@名無史さん:2010/06/23(水) 00:38:11
>>491
お。 いきなりご近所(笑) たしかにこれはドキッとしますねクマ〜!
下仁田周辺の岩山がちな立地の山城は独特な形式
稜線や山頂が痩せてて曲輪が設置しにくいので根小屋主体。山城部がオマケみたいになってますね。
根小屋内に集落が存在する城跡があるけれど、当時もそのような景観であったのであろか
493日本@名無史さん:2010/08/07(土) 21:52:14
長谷堂城大手門扉が残っているんだね。
参考
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/mainlib/rarebooks/nakajo/naoe2009.pdf
494日本@名無史さん:2010/08/07(土) 22:09:34
【民主党】朝鮮学校も無償化決定
金正日を礼賛する教育に税金を投入すべきではない。税金は日本人の未来のために使うべきです。
メール、電話、嘆願書を送ってください!

文部科学省〜御意見・お問い合わせ http://www.mext.go.jp/mail/index.html
※「高等学校の実質無償化及び高校奨学金に関すること」

首相官邸〜ご意見募集 http://www.kantei.go.jp/jp/iken.html

民主党HP〜ご意見はこちらへ https://form.dpj.or.jp/contact/
-------------------------------------------------------
朝鮮学校を無償化とする方針について、下記の理由により反対します。
1.朝鮮学校の民族教育が日本の高校に類する教育課程にあたらない
 日本国憲法で規定された基本的人権の尊重、平和主義は、わが国の教育の根幹であり、また高等学校教育において
 最も尊重されなければならない。しかし、朝鮮学校では金正日を絶対化した主体思想及び他国との共存を否定する
 先軍主義を基本とした民族教育がなされている。この両者は決して相容れないものである。
2.検討手段の適切さを欠く
 教育への助成は国費を投じての、次世代人材への投資であり、国民的合意が必要。
 非公開の外部有識者のみの決定では不十分。
495日本@名無史さん:2010/08/15(日) 20:15:09
多くの中世山城を見ました。歴史館では復元模型が展示されています。模型では山城周囲の木々は切り払われていますが実際はどうだったのでしょうか?
自衛隊でも自分が敵から見つからないように迷彩服を着たりカモフラージュで自分を隠すと思います。本当にこのように山が遠くから丸見えだったのでしょうか?教えてください。
496日本@名無史さん:2010/08/15(日) 20:33:08
>>495
視界や射界を確保するために周囲の木々を切り払うのは戦時の基本。

築城記にも、

城の外に木を植まじき也。土ゐの内ノ方に木を植て可然也。

と書いてある。
497日本@名無史さん:2010/08/15(日) 22:36:30
>>495
山火事って知らないの?
こいつバカなのかな
498日本@名無史さん:2010/08/15(日) 23:03:31
>>495
おまえには軍才皆無w
冬場に火攻めされたら即落城だろ?
まあ部分的には林必要だがな
歴史知識以前のバカ認定w
499日本@名無史さん:2010/08/15(日) 23:14:54
というより接近してくる敵を早期に発見して銃撃するために
城の周囲は見晴らしを良くしておかなければならない。
隠れて接近できるような樹木を残しておくはずが無い。
500日本@名無史さん:2010/08/15(日) 23:17:08
>>499
それもひとつ
しかし第一に火攻めのことは考えないとな
現代的な観点からだと火攻めの恐ろしさが感じられない
501日本@名無史さん:2010/08/16(月) 00:26:27
城がある人家近くの山なんて、近代以前までは
肥料や燃料にするために草木を刈まくっているから
禿山が多くて木なんてはじめからほとんど無かったはずでは?
502日本@名無史さん:2010/08/16(月) 15:12:58
射界になる樹木を伐採して木柵や逆茂木にすれば一石二丁。
503日本@名無史さん:2010/08/16(月) 20:48:06
食料になる、椎とか栗は植えていたらしい
504日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:32:56
環境考古学の本とか見てると里山が荒廃したのは近世になってからみたいだ。
中世までは調和がとれていたらしいが、どの程度の立木密度かは不明。

>>495
いずれにせよ復元模型のように城の周囲に木々は無く
山城が遠くから丸見えだったのは間違いないと思う。
505日本@名無史さん:2010/08/16(月) 22:39:19
山城跡で鉄砲の弾みたいの拾ったことある
青黒いパチンコ玉くらいのいびつな円球
506日本@名無史さん:2010/08/17(火) 01:25:57
>>505
曲輪が畑とかの現状ならば、注意して歩いているとかなり表採できるよ
土鍋片や砥石の破片とか
鉄砲玉はかなり珍しい部類かも
近くに歴博とかあれば見てもらってもいいかも(中世やってる人少ないけど)
507日本@名無史さん:2010/08/17(火) 20:58:34
これは現在の海上自衛隊下対馬警備所だが、往時の山城もこんな感じだったのでは?
http://www7b.biglobe.ne.jp/~chi-tan/shimotsushima.html
508日本@名無史さん:2010/08/17(火) 22:25:40
俺は山城跡を歩いてて土中から酷く錆びた鉄片が露出しているのを見つけて「刀か鎧かな」と思って引き抜いたら古い鎌だったことがある
確かに畑だった
509日本@名無史さん:2010/08/19(木) 21:10:22
山城は南北朝の時代が中心で1200〜1300のころ!
まだ鉄砲などはないと思う。
土塁は大きなものを幾重にも築いている。
歴史の専門的聞きかじりの知識が多少あっても軍事については素人に過ぎない
510日本@名無史さん:2010/08/19(木) 21:13:06
>>509
どうゆうこと?
511日本@名無史さん:2010/08/19(木) 21:36:56
歴史の専門的聞きかじりの知識が多少あって軍事についても詳しいつもりなのに、
素人に過ぎないから他人に理解できる文章を上手に書けないってことじゃねぃ?
512日本@名無史さん:2010/08/19(木) 22:45:07
たしかに>>509の文章は味不明だね
513日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:43:56
>>510
夏休みなんだということで
お子様がどこかで仕入れたあやふやな知識をご披露したかったんだと思う
514日本@名無史さん:2010/08/21(土) 20:59:21
オレの方がすごいんだぞ!って言いたいんだろ。
515日本@名無史さん:2010/08/23(月) 19:06:49
畿内で土塁の遺構が、
よく今でも残っている城跡はどこになるでしょうか?
516日本@名無史さん:2010/09/04(土) 16:13:25
山科本願寺址の土塁は素晴らしかったですよ
517日本@名無史さん:2010/09/04(土) 16:45:21
>>496
1つの史料のみで一般化できるのか疑問なんだよなあ。
軍事的な見地からすると、木々を伐採して眺望を確保するほうがよい
部分と、逆に、木々に覆われてカモフラージュしておくほうがよい部分が
あると思うんだよね。主郭にある城主の屋敷(殿舎)などは、城外からは
もちろん、他の郭から丸見えも困ると思うんだが。

言うまでもないけど、幕末の古写真や江戸期の絵図を見ると、城郭や
武家屋敷、神社仏閣の敷地内は異様なほど樹木が多いよね。
神社仏閣は信仰上の理由があるから別としても、
城郭や武家屋敷で樹木が多いのは、花鳥風月的な趣味の問題だけでなく、
目隠しとしての意味もあるのではないかと思える。
518日本@名無史さん:2010/09/04(土) 17:00:52
武蔵の忍城の城域は17世紀初頭の段階で鬱蒼とした木々が茂っていた
っていう記述をどっかで見たな。
里山を含めた樹木の伐採でいうと
それが酷かった地域もあるのだろうが、近世の幕府領(天領)では
狩猟場としても利用する目的で、樹木の伐採を厳禁した地域もあるね。
519日本@名無史さん:2010/09/04(土) 17:09:10
城の周辺に松や竹を植えると読んだ気も・・・

桜は論外
520日本@名無史さん:2010/09/04(土) 17:35:40
>>516
乙!
521日本@名無史さん:2010/09/04(土) 17:41:39
>>517

少し話がずれてないか?
>>496>>495 の山の木々によって城の存在自体を隠すという意見への反論であって、
特定の曲輪や建物を隠すことを否定しているわけではないよ。

特定の曲輪や建物を隠すことについては「築城記」でも、堀や土塁で城門を隠せと言っているし
外から城内が見えない「黒構」と城内が見える「透構」二通りの築城方法があるとも言っている。
また古写真などを見ても、木々があるのは城内側であって城外側にはあまり無いよ。
「築城記」でも城内側には木を植えてもいいって書いてあるし…

あと「築城記」は戦国時代の軍人が軍事的見地から書いているものだと思うよ。
522日本@名無史さん:2010/09/04(土) 21:09:30
上のほうで軍事軍事と言っている奴がいるが
碌に史料も読まないで当時の軍事知識を得られるものなのか?
ただ己の妄想に箔をつけるために軍事軍事と喚いているようにしか見えん。

そういう自称「軍学者」様は城郭研究が色物扱いされる原因になるので消えてほしい。
523日本@名無史さん:2010/09/04(土) 22:31:37
考古学の成果ではどこまで分かってるんだろう。木々の話。
純粋に軍事目的だけの急造の砦や陣城と
領主の居所・政庁でもある城とでは、また違ってくるのかもしれないね。
中世城郭でも、政庁としての性格を持つ城郭では庭園遺構が発掘されている
ものが相当数あるから、その部分に関しては、よくあるCG復元図とは
違った景観を呈していたのかもしれない。
524日本@名無史さん:2010/09/04(土) 23:10:01
写真で確認できるのは近世城郭となるが、例えば
因幡・鳥取城の二の丸を写した明治12年以前の写真を見ると、背後の山も
手前の森も、平成の現在、我々が日本各地で目にする山とたいして違わない
鬱蒼とした茂りかたをしている。
樹木の成長度から考えて、明治維新後放置された結果の繁茂には見えない。
近世では数少ない山城、大和・高取城の二の丸・三の丸の写真(明治20年頃)
は不鮮明だが、やはり丈の高い樹木が多く見られ、うち2本はアカマツと見られる
高木。アカマツは撹乱地・伐採地に生える二次林の代表的な樹種であり、城域内で人為的な
伐採が行われたことの証拠にはなる。だが、それにもかかわらずこれだけの樹木
が写りこんでいるという事実は、単なる放置の結果ではなく、この景観が
人為的な判断の結果生じたものであることの証拠にもなると考えられる。
525日本@名無史さん:2010/09/05(日) 00:06:54
中世城郭で唯一絵図が残る越後の村上要害
曲輪の内部には樹木があり、切岸より先の山の斜面は裸地になっている
他南北朝〜戦国期の合戦絵巻に部分的に描写される城郭も、城内には樹木があり城外は高い木は描かれていない

あと中世城館跡に竹(矢竹)やグミ、スグリなど実のなる樹木が多い
当時植えられていた植生が現在も残ってるらしいね
526日本@名無史さん
>>524
慶安5年の萩城図では山上の詰丸付近は木が描かれてない。
おそらく当初は鉄砲の射程距離分くらいは空けておいたが、
江戸後期になるにつれ管理が甘くなり木々が生い茂ったのではないかと思う。

もっとも、山城がある山には木がほとんどなかったというのは間違いかもしれん。
絵図や古写真などから曲輪のある頂上部周辺以外は木が茂っていたみたいだ。