697 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2007/01/29(月) 18:47:54
騎馬民族説は扶余が4世紀に北九州を征服し、
4世紀後半あたりに河内を征服だったね。
で、5世紀の古墳にみられる馬具などの騎馬文化がその証拠だったね。
この説はやっぱり無理だな。
というのも日本の初期馬具(七観古墳や新開1号墳)は、
北燕の鮮卑系宰相・馮素弗(ひょうそふつ)(?〜414) の墓と直結してる。
という事は日本の初期馬具は5世紀(414年以降)であって、4世紀の事象とは関係ない。
>652でも言ったけど、
誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した2領の国宝の「金銅製透彫鞍金具」も
中国遼寧省喇嘛洞UM101号墓で最近出土した鮮卑族の鞍と「細部に至るまでほとんどまったく同一。
藤ノ木古墳の鞍も鮮卑、
新沢千塚126号墳も鮮卑だ。
http://inoues.net/ruins/niizawasenduka_museum.html キーワードは「北燕崩壊」と「鮮卑」だな。
つまり5世紀からの騎馬文化は北燕崩壊により日本にもたらされたというべきだろう。
老司古墳
ttp://www.lit.kyushu-u.ac.jp/~kouko/roujikohun.htm X 被葬者像
人類学からの推定では2号石室では兄弟関係、4号石室では親子関係の可能性が指摘されている。
ともあれ5世紀前半代におけるこの地域の最高首長クラスの家系であるが、顔面の特徴はいわゆる
渡来人渡来人的でなく、縄文人的特徴をも有している点で「弥生時代以来の混血を経た形質」である
とされたことは重要な示唆を与えてくれる。すなわち伝統的な在地型首長の家系を引く首長層である
ことを意味しており、一部の副葬品に加耶系遺物があることのみを重視して、渡来系首長であることを
主張する向きがあったことに対する警鐘である。
7 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 23:59:09
test
8 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 07:45:14
>>3 コピペにレスするのも何だが・・・
>金海型の祭祀用土器が5世紀前半の大阪周辺の古墳から多数出る。
高句麗の圧迫によって移住してきたのだろう。
何も問題ない。
9 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 08:01:01
伽耶に扶余が来たなんて証拠は何もない。
だいたい扶余の考古学的遺物がほとんどないのに、
どこの誰が、どういう理由で扶余だと推類してたのだ。
「頭の中に江上説がある男」の妄想だろう。
じゃ北方式木槨墓と言われるのは誰の墓か。
東漢氏ではないか?
彼らは最新の製鉄技術を持った民だったし。
おそらく北燕崩壊により流れてきた人達だったと思う。
10 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 19:26:56
>>5 >日本の初期馬具(七観古墳や新開1号墳)は、北燕の鮮卑系宰相・馮素弗(ひょうそふつ)
>(?〜414) の墓と直結してる。
最近「馮素弗の墓」が流行るが、その説は次のページ:
http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/clm/yw0085.html (およびシリーズ)
で批判されている。
つまり、馬具の専門家ではないと自称する尾野善裕氏が、日本の初期馬具を
5世紀後半以降に持って行きたいという意図を持って、意識的に中間の朝鮮を飛ばして、
あるいは無視して、両端の日本と馮素弗の墓とを比較したものである。
馮素弗墓の馬具が日本の初期馬具と似ているというなら、朝鮮のほうがもっと
似ているし、馮素弗墓のように単発ではなく、変遷するシリーズとして、
また他の部品とのセットとして、日本と朝鮮が相互に位置づけ可能である、
という主旨だ。
11 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 21:25:10
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
12 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:16:40
>>10 それは違う。
尾野善裕と言う人が意識的に中間の朝鮮を飛ばして、
あるいは無視して、両端の日本と馮素弗の墓とを比較したものではない。
尾野は専門家でもないのに口出ししてきた事に白井さんが怒ってるのだ。
「馮素弗の墓」が流行ってるんじゃなくて、
日韓の馬具のルーツになってるのは事実。
ただ韓国では福泉洞48号墳の例のように,
馮素弗墓より明らかに古い鐙も見つかっているので、
今のところ韓国での初期馬具は5世紀初頭になってるようだ。
日韓の馬具を研究し、編年した金斗侮≠ヘ、
福泉洞10・11号墳が5世紀第2四半期の末ごろ(440年代くらい)と考えているので、
日本の新開1号墳や七観古墳を5世紀第3四半期の前半(450年代くらい)に位置づけている。
ならば応神天皇の時代からさらに遠くなってるではないか。
13 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 00:03:42
>>10 >つまり、馬具の専門家ではないと自称する尾野善裕氏が、日本の初期馬具を
>5世紀後半以降に持って行きたいという意図を持って、意識的に中間の朝鮮を飛ばして、
>あるいは無視して、両端の日本と馮素弗の墓とを比較したものである。
どこをどう読めばそんな曲解が生まれるのだ?w
14 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:28:09
>>12 >「馮素弗の墓」が(中略)日韓の馬具のルーツになってるのは事実。
>今のところ韓国での初期馬具は5世紀初頭になってるようだ。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku209.htm を見て見よ。3〜4世紀の伽耶の轡の絵が出てるぞ。
またその祖形を示す意味か、中国老河深の「古式」の轡の絵も出ている。
この老河深(吉林省・楡樹)は他でもない、扶余の遺跡だ。
満洲地方で、漢人、鮮卑、扶余などが互いに影響し合って騎馬戦術/馬具
を発達させ、それが3世紀末に伽耶に到達し、その後日本に及んだ、という
ことなのだから、これら地域範囲の内部で新古を問わず似ているものがある
のは当たり前だ。
なお、このページの講演者は騎馬民族説の立場ではない。
>尾野は専門家でもないのに口出ししてきた事に白井さんが怒ってるのだ。
学者はそんなことで怒るのか?! 白井氏は下の
>>13のように、尾野氏の論理が
インチキであると言っているのだよ。
15 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:31:27
>>13 >どこをどう読めばそんな曲解が生まれるのだ?
私は(およびシリーズ)と書いたはずだ。
#85でも十分読みとれるが、白井氏は#84で次のように書いている:
(C)で論争の主題を「韓国と日本の馬具」から「馮素弗墓と日本の馬具」に摩り替え
た尾野氏は,「いずれの考え方が正鵠を得たものであるのかの判断」などという
言い回しで,(C)での摩り替えをさらりと受けとめ,さらに一般論を挟んで,
「金斗?ハが指摘するように」とダメ押しの挿入句を入れて,金斗?ハの論文の中心
主題を隠しとおしています。(中略)
尾野氏が言うように,外来系遺物の年代は,起源地の年代で上限が押さえられて
いる,というのは,そのとおりです(外来系遺物の年代の上方硬直説)。しかし,
何年遅れるかは決まりがありませんし,必ず遅れると決まっているわけではあり
ません。ただ,上限が決まっているだけです。
その上,起源地での年代が確定しない場合もありますから,実はこの論理,多く
の“一般論”がそうであるように,個別の問題には論証の手続きがなければ適用
できません。原則中立なのです。
ところが,尾野氏はこういう中立な“一般論”を,自説への道を開くように巧み
に操っています。ここでは,金斗?ハの研究から韓国の馬具に関する論議を抹消
することによって,日本の馬具の年代に頭打ちで底なしであるかのようなイメージ
を与えているのです。
16 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 20:37:56
>>14 馬具革命が@鏡板及び引手付き轡の出現(三世紀ごろ)、鐙の考案(四世紀初頭)
A鐙が左右に吊される(五世紀前半)
B後輪傾斜鞍の出現(六世紀初頭)の3段階だと、穴沢和光・馬目順一「武器・武具と馬具」には書かれている。
この@だろう。
箸墓の木製鐙もそうだろうが、別に珍しくないものだろう。
騎馬民族説で言われてるのは北方騎馬民族特有の「副葬品」としての馬具。
17 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 20:50:02
>>15 日本の初期馬具がさかのぼれる上限が5世紀前半であるけども、
実際は何年後に来たかの下限は分からない。
馮素弗墓の数年後かも数十年後かもしれないしね。
それをいいことに、尾野という人が、
韓国の学者金斗侮≠フ研究をうまくごまかしながら、
5世紀後半になる可能性を言ってきた事に白井さんが怒ってるようだ。
実際、金斗侮≠ヘ日本の初期馬具を5世紀半ばに編年してるのだから。
18 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 21:22:28
申教授の意見だね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
三世紀末、金海に突然、北方遊牧・騎馬民族的な文化が出現する。たと
えば、騎馬用甲冑・くつわといった馬具類、長身の鉄鉾、陶質土器、人や馬の
殉葬、折り曲げた武器の副葬など、典型的な騎馬文化遺品が大成洞古墳から出
土した。
突然の変化はそれだけに止まらず、それまでの墳墓(木棺墓)を破壊し
て新しい様式の木槨墓に変った。こうした変化はこの地域に騎馬民族、おそら
く扶余族が押し寄せ、支配者が交代したのではないかと思われる。
その結果、国名が狗邪韓国(弁辰)から金官加耶(または単に加耶)に
変わったのではないだろうか。
ところが、五世紀になり高句麗の圧力が強まると、奇妙なことにこの金
官加耶から支配集団が突然いなくなってしまった。彼らはどこへ行ったのか?
倭へ行ったのか?
19 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 21:32:57
3世紀末という根拠は何なんだろう。
陶質土器は韓国でも4世紀後半だったはずだ。
>五世紀になり高句麗の圧力が強まると、奇妙なことに
>この金官加耶から支配集団が突然いなくなってしまった
ところが白井さんによると、申教授は
福泉洞10・11号墳が日本の七観古墳や新開1号墳などと同時期と主張しているらしいね。
5世紀前半〜半ばであろう新開1号墳と同じ時期なら支配者は消えてないじゃん。
何これ?
20 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 23:38:25
>>15 日本の初期馬具の祖形が馮素弗墓だと言ったのは尾野ではない。
尾野なんて全くの門外漢だ。
日本の初期馬具の祖形が馮素弗墓だと言ったのは穴沢和光・馬目順一が最初で
日韓の考古学者でこれに異論を唱えてる人はいない。
おまえら前スレ消費してからやれよ
22 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 08:03:13
>>19 >5世紀前半〜半ばであろう新開1号墳と同じ時期なら支配者は消えてないじゃん。
申教授が言っているのは、金海地区の支配者が消えたということ。
そして釜山地区の支配者が残って金官の支配者になったが、申教授はこれを
別系統であるとする。
23 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 18:01:00
逆に考えて、東漢氏は製鉄の民でもあるのだし、
「あや」という名前も伽耶ゆかりの名前だし。
北方式木槨墓は彼らの墓であると思う。
24 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 19:55:46
馮素弗墓を重視する人の言いたいのは、次のどちらか、あるいは両方だろう。
* 馮素弗墓の鐙が最古だから朝鮮、日本の鐙(したがって騎馬文化?)の上限である。
* 馮素弗墓の鐙が祖形だから朝鮮、日本の騎馬文化は鮮卑系である。
しかし本当にそう言えるのか? 中国から一つだけ教えて貰って喜んでいるだけ
ではないのか?
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/osirase/y.momozaki.htm によれば、
「近年、吉林省帽児山墳墓群では、3〜4世紀のものを含む夫余の支配者層の墓が
見つかっており、木心銅板張輪鐙など、重要な遺物が出土しているが、詳細は公表
されていない。」と言う。
これが事実なら話はまったく別である。中国は例の高句麗論争で敏感になっている
から、韓国、日本に、扶余遺跡についてあまり詳しいことを教えないのだろう。
25 :
日本@名無史さん:2007/02/26(月) 20:05:59
>>24 >中国から一つだけ教えて貰って喜んでいるだけ
>ではないのか?
>5にもあるけど、
誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した2領の国宝の「金銅製透彫鞍金具」も
中国遼寧省喇嘛洞UM101号墓で最近出土した鮮卑族の鞍と「細部に至るまでほとんどまったく同一。
なんでそんなに扶余にしたがるんだ?w
26 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 08:01:56
>>25 そのことによって、「3〜4世紀の扶余遺跡の 木心銅板張輪鐙」の重要性が
消えるわけではない。
また、伽耶/日本の騎馬文化が鮮卑系であったとしても、問題の性質は変わらない。
「扶余征服説」が「鮮卑征服説」に置き換わるだけのことだ。
27 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 08:35:49
>>26 なんで征服に飛躍するんだ?
5世紀の半ば、鮮卑人の誰に日本が征服されたと思うのだ?
5世紀から日本に展開する初期馬具は、
秦氏や漢氏がもたらしたと考える方がよっぽど自然だろ。
28 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 08:40:05
あれだろ、仏教国はアーリア民族に征服されたんだろw
29 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 10:39:37
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
30 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 20:09:46
>>27 征服者を鮮卑系にしたければ、3世紀末の伽耶の征服者を扶余ではなく鮮卑と考えれば
よい、という意味で言ったのだが、私がそれを主張しているわけではない。
それは置いて、喇嘛洞古墳の鞍金具を北燕系と書いてある資料もあるが、北燕は応神と
同時代か、それより若干後だ。このように時代的に横並びでまったく同じものが東西に
あるということは、系統や移住を示すと言うよりも交易関係を思わせる。
つまり、5世紀に出現した、満洲南部から朝鮮半島、日本列島を含む騎馬王朝ベルト
の王侯のファッションだったのであり、それを満足させるような広域の交易があった
のではないか、ということだ。
例えば高句麗や新羅に製造元があって、そこから東西に流れた可能性だってあるのでは
ないか?
31 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 20:29:17
★古代日本人によるカラ半島南部の統治と教化★
■楽浪郡=駒の国の歴史■
古代日本と交流があった『駒の国』『コマ』とは、楽浪郡・帯方郡のことである。
駒(コマ=馬)が多い国なので『コマの国』と呼ばれたのである。
高句麗は『コマ』ではない。高句麗が『コマの国』と呼ばれるようになったのは8世紀以降であり、
それは、古代日本人の意識から『楽浪郡』についての記憶が消滅した時代であり、古代日本人が楽浪郡と高句麗を
混同した結果、高句麗を『コマの国』と呼ぶようになったのである。
■三国志(魏書=東夷伝・倭人伝)の記録】
馬韓(任那。4世紀には帯方郡も任那の一部となり、百済と呼ばれた)は54国に分かれていた。
三国志(西暦220年〜280年頃の記録)によれば、馬韓は制度が整っておらず、統治が行き届いていなかった。
馬韓人は穴(土室)を掘って住み(縄文人のような生活様式である)、囚人か奴婢のようで礼俗を備えていなかった、
という。
同じ三国志が、倭人の風俗は規律正しく、盗みも訴訟も少ないと記述しているのとは対照的である。
これらの記録から分かるのは、3世紀の馬韓は、ヤマト(日本国)よりも文化レベルが低かったということである。
この時代の馬韓には、文字はまだ無かった。また三国志は、弁韓・馬韓人の多くに入れ墨の習慣があった事を
記録している。魏志倭人伝の記録では、入れ墨は倭人も習慣としており、弁韓と馬韓南部は明らかに倭と同様の文化を
持っていたことが分かる。
32 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 20:30:36
(続き・・・)
3世紀以前は、明らかに日本列島のヤマトのほうが文化レベルは高かったのである。
3世紀半ばからは任那日本府が韓(カラ)を統治して、韓人(からびと)を教化したことにより、任那の文化水準は向上したようだ。
韓人(任那人)に漢字を教えたのは、古代日本人(ヤマト人)なのである。
水田稲作のやり方を韓人に教えたのも、日本人だった。楽浪郡=帯方郡が高句麗に滅ぼされた時、旧楽浪郡=帯方郡の難民たちを
保護したのも、当時、半島南部を支配していた日本人である。
ヤマト朝廷は、任那に亡命した漢人・倭人の一部を日本列島にも移住させ、これらの漢人・倭人を通じて楽浪郡の漢文化を
吸収したのである。
したがって、韓国人がよく主張する「古代韓国人が原始的な日本人に文化を与えた」という説は誤りなのだ。
逆なのである。
我々日本人が、任那人(馬韓人=からびと。倭人系民族)に、日本文化と大陸文化を与えたのである。
そして、この任那人は朝鮮人ではない。朝鮮人の先祖は、カラ半島・東北部(現在の韓国=江原道地方)に住んでいたのだ。
朝鮮人の先祖=ワイ族
33 :
日本@名無史さん:2007/02/27(火) 21:10:07
>>30 俺の意見は「金銅製透彫鞍金具」がまず允恭天皇(443年即位461年に歿)にドカーンと贈呈され、
その後、各地域の有力首長(新開1号墳の埋葬者など)にそれなりのお宝がくばられたと思うんだ。
誰が持ってきたかと言えば、やはり秦氏が最有力なんだ。
34 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 20:20:07
■-韓国人教授の妄言-■
【日韓】 金容雲漢陽大名誉教授「日本語は全て古代韓国語から始まった」★3[08/25]
「お前がいくら私を嫌いダケド、私はお前が好きだ。」
ここで「〜ダケド」は「〜だとしても」を短く発音した慶尚道(キョンサンド)の方言だ。
「ダケド」は日本語でも同じ発音と意味で使われる。
金容雲(キム・ヨンウン)漢陽 (ハニャン)大学名誉教授は、現代日本語が慶尚道全羅道(チョンラド)の方言と
似ており、日本語は韓国語に由来したと主張する。金教授は最近出版した著書『日本語は韓国語だ』
(カナブックス)で、「ダケド」のように現代日本語に残っている慶尚道と全羅道方言を紹介する。
日本語の「〜だっけ」と「申し」は、全羅道方言の「〜(ダンケ)」と「(マシ、言葉)」に、それぞれ由来したというのだ。
金教授は7世紀以前まで、古代韓国語の発音が日本語のようにパッチム(終声になる子音字)がなくて、母音が単純で
形態がそっくりだったと説明する。
また嶺南と湖南地域では、日本の東海(日本海のこと)隣接地域と往き来してお互いに意思疎通をしたはずだという分析だ。
金教授は、「言語は文化」と言い、「日本語は韓国文化を収容した歴史と一緒に発展した」と強調した。
慶尚道でよく使う方言である「(イパク、話)」が日本語の「イワク (曰く、おっしゃる)」と変形された例は、
韓国人が書く言葉を『高級語』として崇めた彼ら(日本人)の歴史が盛られているという説明だ。
【日本語は全て古代韓国語から始まった】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1156556821/100-1001 >韓国人が書く言葉を『高級語』として崇めた彼ら(日本人)の歴史が盛られているという説明だ。
↑
(苦笑
35 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 12:22:31
江上波夫の騎馬民族征服王朝説って、天神が外来神(騎馬民族)で、国神が日本にずっといる神としているよね。
外から来た外来神(騎馬民族)が国神を支配したと。
となれば、国神といえば出雲にいる神のことを指すから、騎馬民族は北九州から畿内に行くのではなく、
北九州から出雲に行かなければ国神を支配したということにはならないのでは?
36 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 18:29:49
★古代日本人によるカラ半島南部の統治と教化★
■楽浪郡=駒の国の歴史■
古代日本と交流があった『駒の国』『コマ』とは、楽浪郡・帯方郡のことである。
駒(コマ=馬)が多い国なので『コマの国』と呼ばれたのである。
高句麗は『コマ』ではない。高句麗が『コマの国』と呼ばれるようになったのは8世紀以降であり、
それは、古代日本人の意識から『楽浪郡』についての記憶が消滅した時代であり、古代日本人が楽浪郡と高句麗を
混同した結果、高句麗を『コマの国』と呼ぶようになったのである。
■三国志(魏書=東夷伝・倭人伝)の記録】
馬韓(任那。4世紀には帯方郡も任那の一部となり、百済と呼ばれた)は54国に分かれていた。
三国志(西暦220年〜280年頃の記録)によれば、馬韓は制度が整っておらず、統治が行き届いていなかった。
馬韓人は穴(土室)を掘って住み(縄文人のような生活様式である)、囚人か奴婢のようで礼俗を備えていなかった、
という。
同じ三国志が、倭人の風俗は規律正しく、盗みも訴訟も少ないと記述しているのとは対照的である。
これらの記録から分かるのは、3世紀の馬韓は、ヤマト(日本国)よりも文化レベルが低かったということである。
この時代の馬韓には、文字はまだ無かった。また三国志は、弁韓・馬韓人の多くに入れ墨の習慣があった事を
記録している。魏志倭人伝の記録では、入れ墨は倭人も習慣としており、弁韓と馬韓南部は明らかに倭と同様の文化を
持っていたことが分かる。
37 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 18:30:31
続き・・・)
3世紀以前は、明らかに日本列島のヤマトのほうが文化レベルは高かったのである。
3世紀半ばからは任那日本府が韓(カラ)を統治して、韓人(からびと)を教化したことにより、任那の文化水準は向上したようだ。
韓人(任那人)に漢字を教えたのは、古代日本人(ヤマト人)なのである。
水田稲作のやり方を韓人に教えたのも、日本人だった。楽浪郡=帯方郡が高句麗に滅ぼされた時、旧楽浪郡=帯方郡の難民たちを
保護したのも、当時、半島南部を支配していた日本人である。
ヤマト朝廷は、任那に亡命した漢人・倭人の一部を日本列島にも移住させ、これらの漢人・倭人を通じて楽浪郡の漢文化を
吸収したのである。
したがって、韓国人がよく主張する「古代韓国人が原始的な日本人に文化を与えた」という説は誤りなのだ。
逆なのである。
我々日本人が、任那人(馬韓人=からびと。倭人系民族)に、日本文化と大陸文化を与えたのである。
そして、この任那人は朝鮮人ではない。朝鮮人の先祖は、カラ半島・東北部(現在の韓国=江原道地方)に住んでいたのだ。
朝鮮人の先祖=ワイ族
38 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 18:34:16
ワイ族が古代日本に移住した事実は無い。
しょせん、韓国人の妄想=捏造だよ(w
39 :
白馬青牛:2007/03/01(木) 23:05:42
>>36-37 カルト原理主義信者は、妄想を繰り返すわい。
韓人に漢字を教えたんは古代日本人じゃ云う根拠ものうて。
古代日本人も成立しとらんのに。せいぜい漢人に奴隷を供給する奴隷民じゃ
当時の列島民は。
>>38 濊族が古代日本に移住した事実がない云う根拠は何か?
古墳期の大量移住民に濊族に関して拒絶する理由でもあったんか?
相変わらず、つまらんこと云うのう、嫌韓カルト君は。
40 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:10:13
>>39 エジプト人が古代日本に移住した事実がない云う根拠は何か?
古墳期の大量移住民にエジプト人に関して拒絶する理由でもあったんか?
相変わらず、つまらんこと云うのう、嫌日カルト君は。
41 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:17:30
>>39 >韓人に漢字を教えたんは古代日本人じゃ云う根拠ものうて
お前の言う「日本は騎馬民族に征服された」という「根拠」も無いな
根拠がないからおかしいというのならば、お前はどうなんだ?と
>古代日本人も成立しとらんのに
古代朝鮮人も成立してないなw
>古墳期の大量移住民に濊族に関して拒絶する理由でもあったんか
その根拠がないからコイツはそう言ってんだろ?
お前の妄想よりははるかにマシだよ
42 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 23:51:07
333 名前:白馬青牛[] 投稿日:2006/12/21(木) 23:56:35
>>320 海を渡って百済、新羅を破った云うんは、日本史学者の解釈じゃろう。
仮に列島から半島へ出兵したとして、伽耶地域時点で兵士の多くは
現地民に依存せざる得ん。近代軍隊と違いそれ以前は征服地の住民を
前線に出し、征服行動を取るものは後方で督戦するんが普通じゃしのう。
後世の倭寇も朝鮮じゃあ、済州島や半島で賤視された楊水尺等屠殺業者
後の白丁集団に騎馬遊撃戦闘に依存し彼らも倭寇であったこと。
韓国の学者は倭寇を列島の集団と決めつけとるゆえ認めんであろうが。
何れにせよ現地民の協力なしに遠征は出来んよ。現地民と利益が一致せんと
出来んことじゃ。
>>321 わしの質問によう答えんけえ、わしの質問をそのまま返すたァ、オームか。
「ばってん」たァ、わりゃ、九州か。まあええが、フイールド・ワーク
たァ、まず足を使うて現地の文化に触れることじゃ。文献からは
妄想だけで何も生まれんよ。
――――――――――――――――――――――――――――――
>海を渡って百済、新羅を破った云うんは、日本史学者の解釈じゃろう。
広開土王碑にちゃんと書いてるでしょ。中国でも認めてる話。
と云うか、これ認めてないのって最早半島の電波歴史学者で殆どじゃん
自説に都合が悪いからってこれはないわw>>白馬青牛
43 :
白馬青牛:2007/03/02(金) 01:34:58
>>40 エジプト人が列島へ大挙移住したんか?初耳じゃのう。
人類学的根拠でもあるんか?
>>41 騎馬民族に征服されんかった云う根拠もないど。人類学的に渡来系が
多いことから騎馬民族云々は別として渡来系が支配者層であろう云う
確率論じゃ。列島から半島へ人が流入云う方が根拠のない妄想じゃ。
同時期の島国の英国のケルト系が、ゲルマン地域に侵入したホラ話でも
作るんか。日本人も朝鮮人も成立しとる訳あるまい。伽耶地方だけで
列島の大量移住に足りる訳もない。半島北部の濊族の移住がない云う方が
不自然じゃ。カルト君よ。
>>42 広開土王の倭が当時の日本列島の倭じゃ云う根拠もないのに妄想しよる。
倭は後世の倭寇のようなエスニック集団と解釈する方が自然じゃ。
韓国の、おどれ流に云うと半島電波学者が、後世の倭寇を日本列島人と
決め付けよるが、嫌韓厨が後世の倭寇が朝鮮人や中国人も多数を占めた
ことを認めながら、古代の倭は列島日本人じゃ妄想ぬかしあがる。
歴史に韓国の学者が如くナショナリズムを持ち込むなや。カルト原理主義の
神学じゃないど。カルト電波君よ。
45 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 02:35:17
半島電波学者
→倭が海を渡って百済と新羅を破ったなんて認められないニダ!日帝が改竄したに決まってるニダ!
→倭寇は全部倭人ニダ!ウリは被害者!
白馬青牛
→倭が海を渡って半島の覇権を争ったなんてズルイ!そんな事は認められない!
そんな事を認めてるのは日本史学者だけッ!
それに、もしそんな事を認めるんだったら、御前は倭寇が全部倭人だって認めるんだな!?
ほぉら!認めないんじゃないか!!!
だったら、勿論碑文の倭が列島の倭じゃないと認めるんだな!?この倭は半島の倭だったんだよなッ!!?
倭は海なんて渡らなかったんだッ!!!解ったかッ!?この嫌韓厨めッ!!!
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
広開土王碑
→百残新羅旧是属民由来朝貢而倭以辛卯年来渡海破百残□□新羅以為臣民
『朝鮮王朝実録』「世宗実録」
→倭人不過一二而本国之民仮著倭服成党作乱
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
自説を通す為に史料批判に耐える決定的な箇所の一次史料ですら完全に無視する白馬青牛が、
ちょっと追い詰められれば途端に妄想カルト電波神学だと吐き散らかす事で
自説の異常さを正当化して、寧ろ他人を異常者に仕立て上げるこのオカシさ
歴史にカルト電波イデオロギーを持ち込んでる異常者は御前だ>>白馬青牛
46 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 06:30:41
>>43 俺はスレ立て人じゃないけど帰ってくれませんか。
その「〜じゃないという根拠もない」と言うのなら話にならないでしょう。
もともと江上が崇神天皇や応神天皇が扶余ではないかと立てた説を、
さてどう思うかと皆であーだこーだ言うスレなんで、
扶余だという根拠が崩れればそんな説は成立しないというだけです。
言い換えればあなたがここで発言するのは、
応神天皇が騎馬民族・扶余であると言う「根拠」だけでいいのです。
それを示せず「〜じゃないという根拠もない」と参加するのはやめてください。
47 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 10:43:25
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
おい広島のクズ、おまえもう出てくんな。飽きた。
50 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 20:57:55
もし、本当にそのような事が行われたのなら、恐ろしい犯罪であるが・・・。
★慰安婦拉致は本当にあったのか?★
なぜ、目撃者がいないのか・・・。
■■■■■
■■◎■■
■■■■■
■ ←これが地域住民の朝鮮人の家。
◎ ←これが拉致されたという慰安婦の家。
「日本軍がとつぜん土足で家の中に上がり込み、父母の目の前で私を拉致したのです」
このような発言をする元慰安婦がいるらしいが、なぜ、地域の住民が気づかないのか?
拉致=強制連行が実際にあったのなら、必ず地域住民が目撃しているはずだ。目撃されるはずである。
『女狩り』をする軍は、ひじょうに目立つであろう。地域住民に気づかれることなく、
女性を連れ去ることなど、不可能である。なぜ、目撃者がいないのか?
51 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 21:02:24
>>39 3世紀(卑弥呼の時代)の頃、日本人は漢字を使っていただろ。
帯方郡に使節団を派遣する際に、漢字の文書を持たせていただろう。
その頃、馬韓では文字が使われていなかった。
だから、日本人が馬韓人を教化して、彼らに漢字を教えたのだろうな。
52 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 21:08:26
そもそも、「3世紀の半島南部の文化レベルが日本よりも高かった」という、
この前提が、根拠のない妄論だからね。
ここから出発する『騎馬民族征服説』は、とうぜん妄論。
文化にレベルも高低もない。
あるのは差異。
54 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 21:34:09
>>53 朝鮮人が言うには、文化レベルの高低があり、
古代の日本人より、古代朝鮮人のほうが文化レベルは高かったんだそうな(w
55 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 21:55:17
>>54 今も昔もダメじゃ悲しすぎるからなぁ、彼らはw
56 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:31:54
>>43 >騎馬民族に征服されんかった云う根拠もないど
証拠があってこそ騎馬民族征服説は裏づけされるのだ。騎馬民族に
「征服されなかった」根拠がないと言ったからって、その反対が正
当化されるわけじゃないぞ
>列島から半島へ人が流入云う方が根拠のない妄想じゃ
半島と列島の交易・日朝にまったく関係ない「中国の史書」に載っている
ことが「根拠の無い妄想」か?
バカw
>同時期の島国の英国のケルト系が、ゲルマン地域に侵入したホラ話でも
作るんか。
はあ?ゲルマン地域にケルト人が移動しなかったのは「そうする理由がなか
った」からだ。
列島と半島の間は往来が活発だったし、列島勢力が強大化して半島の南端
を支配下におさめたのも「各国の史書」からわかることだ
状況の異なる欧州の例を出しても何にもならんぞ
57 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:34:28
>>43 >列島の大量移住に足りる訳もない。
その前提こそ間違っていると何故わからない?
お前は前から「頭の形が・・」だのどうのこうの屁理屈をまくし立てて
いるが、みな体よく論破されているじゃないか
少しは客観的な見方をしてみろ。
それとも、論理的な思考ができないのか?反日カルトはw
58 :
白馬青牛:2007/03/02(金) 23:38:21
>>45 わしが、云うとらんことで妄想し読解力すらないんはカルト君らしい。
井上秀雄氏は、広開土王碑文の倭が列島の倭でなく、朝鮮南部の倭であると
云われたがその通りであろう。おどれら低脳嫌韓厨と一緒にすなや。
一次資料云うんも嫌韓ネットウヨクが常用する用語じゃのう。
資料に一次も二次もない。文献内容をどう解釈するか云う個人の主観じゃ。
追い詰められとるじゃ云うて自己を優位に見せたい空威張りも嫌韓
ネットウヨクの特徴じゃのう。わしも嫌韓用語集を使うたろう。
「ワレは、火病か。」電波イデオロギーは嫌韓ネットウヨクじゃろう。
こんなら(こいつら)嫌韓連中は、皆同じ見解で同じ用語を使い、同じ
鋳型で作られし者らが大量生産された現象であろう。洗脳され易いのも
無理はない。じゃけえ自分の意見を持たずに住む国でも移住したらええよ。
59 :
赤馬黒牛:2007/03/02(金) 23:46:53
>>58 井上秀雄が正しいと言う根拠は何なんじゃ、おどりゃぁ!
ゴタゴタ言ってたら金玉引き抜いて宦官にするどボケクソが!
60 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 23:51:56
井上秀雄から孫引きする事で自説の正しさが担保されている事にしてしまう白馬青牛w
しかも史料と資料の区別も付いてないらしいアフォのようだw
61 :
赤馬黒牛:2007/03/02(金) 23:58:18
>>58 >自己を優位に見せたい空威張りも嫌韓ネットウヨクの特徴じゃのう
それは お ま え だ!
62 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 00:09:10
みなさん餅ついて耳の穴をかっぽじいて良く聞いて下さい><
衝撃の事実!
倭は騎馬民族だったんです!
この理論で万事解決ですね><b
63 :
白馬青牛:2007/03/03(土) 00:29:32
>>46 わしに、こう云えいじゃ強制するんは余計な世話ですよ。あなたこそ
言論の自由のない国へ移住した方が良いでしょう。
>>48 罵倒しか出来んクズが、何カバチ垂れよんなら。
>>51-52 3世紀の倭人社会は、大林太良氏がアメリカ民族学者ロバート・カルネイロ
氏の社会進化の尺度から、『魏志』に倭人社会に舗装道路や贅沢禁止令が
なく、統治者は謁見を賜うの項目には当てはまる。倭人の社会レベルは、
マダカスカルのタナラ族かマルケサス島民あたりに位置であり、
岡田英弘氏の云われる、われわれが考える国家でなく、「国」はむしろ
交易都市を意味することを示している。その段階で漢字を使うとったんか?
馬韓人の方が楽浪との接触も多いんじゃに。ほいであんたの云う文化
レベルたァ何なら?
64 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 00:36:09
白馬青牛って、まさか江上の騎馬民族征服王朝説信じてんの?
65 :
白馬青牛:2007/03/03(土) 01:11:30
>>56-57 証拠云うんも嫌韓ネットウヨク用語じゃないか。
歴史に証拠などないんじゃにのう。「各国の史書」を嫌韓厨の都合の
良いよう解釈しとるだけのことじゃ。人類学的にも列島から半島へたァ
難しいのう。西洋においても北方民族の南下じゃ。頭は環境の変化で
変容するわいのう。じゃが、列島土着民の低顔が渡来系の高顔に変化する
可能性は低いわい。
>>59-61 わりゃ、わしをおどしとるつもりか。ほう、どがいな方法でわしの金玉を
引き抜くんない。そのやり方を伺いたいもんじゃ。ほいで、その後の始末は
どうすんなら。詳しゅう書けや、赤馬黒牛さんよ。冗談で済ませる話じゃ
ないど。
>>60 史料と資料の区別たァ何か具体的に書けえや、カルト君よ。
66 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 01:36:07
○∪○
67 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 07:46:19
とうとうこのスレから祟り神を出してしもうた…
68 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 07:51:29
>証拠云うんも嫌韓ネットウヨク用語じゃないか。
そうすると江上も嫌韓ネットウヨクだなw
学者はみんな嫌韓ネットウヨクだなw
お ま え 出 て 行 け!
69 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:56:16
>3世紀の倭人社会は(以下省略)
いつの時代の本だよ。w
あんた読んでる本が古すぎ。
マバカ古墳の庄内式土器は3世紀前葉しか答えがないんだけどな。
70 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 12:19:02
>>69 前葉は言い過ぎだ。
3世紀だとは思うが。
71 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 13:27:05
>>65 >「各国の史書」を嫌韓厨の都合の 良いよう解釈しとるだけのことじゃ。
バカが
都合のいいように解釈しているのはお前だ。
朝鮮と日本を叩いても何の利益もない当時の中国人が、しっかりと「任那」
を記述している。
資料も読まずに妄想するな
http://www.hoolulu.com/zh/ >人類学的にも列島から半島へたァ 難しいのう。
お前は本当におつむが弱いな。
誰が「民族移動」の話をした?経済的・政治的な理由で「列島勢力」が
半島に力を伸ばし、日本人が半島に渡ることは自然だろ
人間は民族移動以外の理由では移動しないのか?
>頭は環境の変化で 変容するわいのう。
はあ・・・
お前な、現在の説じゃ「混血説」と「変形説」双方の理由が考えられんだよ
そんなに渡来人が日本を征服したと思い込みたいか?
じゃあ古墳時代に弥生時代より背丈が低くなったのはどう説明するんだ?
72 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:10:26
>>63 >3世紀の倭人社会は、大林太良氏がアメリカ民族学者ロバート・カルネイロ氏の
>社会進化の尺度から、『魏志』に倭人社会に舗装道路や贅沢禁止令がなく、統治者は謁見を賜うの
>項目には当てはまる。倭人の社会レベルは、マダカスカルのタナラ族かマルケサス島民あたりに
>位置であり、岡田英弘氏の云われる、われわれが考える国家でなく、「国」はむしろ交易都市を
>意味することを示している。その段階で漢字を使うとったんか?
>馬韓人の方が楽浪との接触も多いんじゃに。
■三国志(魏書=東夷伝・倭人伝)の記録
馬韓(任那)は54国に分かれていた。
三国志(西暦220年〜280年頃の記録)によれば、馬韓は制度が整っておらず、統治が行き届いていなかった。
馬韓人は穴(土室)を掘って住み(縄文人のような生活様式である)、囚人か奴婢のようで礼俗を備えていなかった、
という。
同じ三国志が、倭人の風俗は規律正しく、盗みも訴訟も少ないと記述しているのとは対照的である。
これらの記録から分かるのは、3世紀の馬韓は、ヤマト(日本国)よりも文化レベルが低かったということである。
この時代の馬韓には、文字はまだ無かった。また三国志は、弁韓・馬韓人の多くに入れ墨の習慣があった事を
記録している。魏志倭人伝の記録では、入れ墨は倭人も習慣としており、弁韓と馬韓南部は明らかに倭と同種の文化を
持っていたことが分かる。
73 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:10:59
■梁書の記録
梁書によれば辰韓(新羅)には文字が無く、木に刻み目をつけて印としていたという。
また、三国志(魏書・東夷伝)によれば、弁韓(志羅紀=シラキ)の風俗は倭と似ていたという。
これらの記録は、古代ヤマトと志羅紀が同じ民族だったことを示している。
74 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:37:25
後漢書弁辰伝では、
「弁辰と辰韓は言語と風俗は異なる。倭に近い故に全身に刺青を施している者も少しいる。」
新羅の前身の斯羅は辰韓に属している。
どこが「古代ヤマトと志羅紀が同じ民族だったことを示している」?
これは、弁辰人と辰韓人は人種が異なることを意味している。
75 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 14:44:45
76 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 16:43:24
>>74 弁韓人と辰韓人は違うだろ。
弁韓人は倭人系だろうが。日本列島の住民と同族だよ。
天日矛も弁韓人だろ。
辰韓人はワイ族。朝鮮人の先祖。
77 :
白馬青牛:2007/03/03(土) 23:10:39
今日も火病カルト信者がヒステリックに吼えよるのう。
>>71 任那は伽耶人のことじゃが妄想になるんかいの。経済的・政治的理由たァ
何なら?日本在来民が半島に勢力を伸ばすこと等、世界的な気候寒冷化の
北方民族南下現象に逆行しとる。寒冷期の北方民族の南下は世界的現象で、
日本だけが例外なら日本は地球から離れた宇宙か。新興宗教妄想にゃあ、
あきれるわい。
昭和30年頃までの渡来(混血説も含む)と移行(変形)説のことか。
前者の代表は金関丈夫で、後者の代表は鈴木尚氏じゃった。
「それから20年後、いまでは鈴木でさえも西日本への渡来説を承認するに
至り」(池田次郎氏)移行説派は苦しいのう。まあ、現在DNAやHLA等
遺伝子から本土日本人は在来民よりも渡来人の影響が強い裏付けもあるけえ
旗色が悪りいのう、移行(変形)派は。渡来人が日本を征服したんは、
思い込みより、人類学的にそう云える訳じゃないか。
身長は、環境、栄養等の要素で変化する。昭和期の日本人の身長の伸び等。
近代の身長の小進化は別として、金関丈夫氏によると土井ヶ浜(渡来系)
弥生162.8p、西日本古墳161.5pじゃが、古墳期が
若干低いんは、人骨から渡来系と在来系が混血が多かった理由もあろう。
渡来系、在来系、混血も無視して、時代的平均値を出しても意味がない。
78 :
日本@名無史さん:2007/03/03(土) 23:32:33
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
79 :
白馬青牛:2007/03/03(土) 23:50:18
>>72 馬韓の穴居はシベリア系文化。縄文人も記述の時代の佐伯部もそうじゃ。
渡来系弥生人じゃのうて在来系弥生系は穴居が多かったろう。
倭人だけじゃのうて濊人の特徴も『魏志』に「少嗜欲、有廉恥」と共に
「少寇盗」とあるではないか。「欲がなく廉恥を知り、盗みも少ない」
特徴は、『漢書』「地理志」の朝鮮の民は「門戸の錠もなく、婦人は貞信、
みだれひがまず」と同じじゃ。長幼の序や男女の別が無い習慣じゃった
んは習慣の問題で低文化と決め付けられんよ。
「通典馬韓伝」の「闘争があれば攻め合うが、屈服した相手は丁重に
扱う。」と、自己抑制文化を持っとる処は、降人(捕虜)の殺害する
残忍関東武士に聞かせてやりたいのう。
近代の日本軍も捕虜の扱いは「つはものの道」に外れる者じゃったわい。
80 :
白馬青牛:2007/03/04(日) 00:20:36
>>76 弁韓も辰韓も多民族の複合。大林太良氏は「今日の世界地図の国境区分の
ような、非常にきれいな区分が、いったい当時の状態でどこまでいえるのか
という問題である。というのは、東南アジア大陸部の未開農耕民、つまり
だいたい文化レベルからいって、三世紀当時、朝鮮南部とか、あるいは
日本列島の住民に比較できるような、未開農耕民を見ると、実は色々な
民族が入り乱れて住んでいることがしばしばあるのだ。山の高さによって
民族が違う。高度による違いというものもあるが、そればかりでなく、
比較的同じような高さにおいても、入り乱れている場合もある。」と。
井上秀雄氏の倭の解釈は、「中国で倭ということも時代によって変化して
いる。前漢時代では北方、現在の内蒙古地方の倭と南朝鮮の倭があったと
みられる。後漢時代の倭は北方、南朝鮮のほかに南方の倭もある。
魏・晋時代でも南朝鮮の倭は日本列島の倭人より中国人にとって確実な
存在であった。」とされる。
列島の渡来系弥生人と南朝鮮が同一文化要素が強いんは「甕棺」被葬者
じゃったこと。伽耶(倭)と北九州(倭)は同一文化圏じゃろう。
81 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 00:33:37
82 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 13:23:12
■後漢書・東夷伝-【弁韓と辰韓の文化の違い】■
>『弁韓と辰韓は雑居しており、城郭などいずれも同じだが、言語と風俗は異なる』
「弁韓と辰韓には城郭がある」という記録がある。これは、弁韓(シラキ)と辰韓(シンラ)が戦争していたことを
示している。
【梁書における弁韓についての記録】
其の国(弁韓)は倭に似ており、身体に刺青をした者がひじょうに多い。
83 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 15:14:30
84 :
日本@名無史さん:2007/03/05(月) 20:31:05
おーい、簒奪説氏、元気か?
これ木槨墓の編年だけど興味深いぞ。
http://www.heritagebusan.com/webj/0112/jap.htm 馬具に関して言えば、木槨墓3期の福泉洞48号に鐙が出てるらしい。
で、4世紀後半にもポツポツ出土してて、
終末の5期の「くつわなど鉄製馬具類の登場」にみられるように、
この時期にかなり出土するみたいだけど、
これは竪穴式石槨墓出現時と重なるんでそちらの文化的影響だろうな。
で結局、馬具という意味では実質、竪穴式石槨墓が登場してからだな。
だからこそ白井さんの編年が5世紀からになってたのだろう。
つまり北方式木槨墓の人たちは最初から騎馬文化持って伽耶に来たのではなく、
彼らも騎馬文化を途中から「受容」したということではないのか?
面白いのは木槨墓4期の日本系土器の登場だな。
簒奪氏は充電中か
86 :
白馬青牛:2007/03/06(火) 00:35:46
>>81 スレ違いじゃないど。様々な観点から考察すべきじゃろう。
江上説じゃあ、応神天皇期を征服王朝期とされよるけんのう。
まあ、扶余とまで断定出来んが、応神天皇期に、馬飼育、疫病と
北方民族の渡来が多かったんじゃろう。
87 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 20:17:12
>>71 あれ?まだいんのかコイツ・・
>日本在来民が半島に勢力を伸ばすこと等、世界的な気候寒冷化の
北方民族南下現象に逆行しとる
なんでもかんでも「世界世界」言ってもなんにもならんぞw
日本には「邪馬台国」を初め大きな地方政権がとっくにできてた。
そして「ヤマト王権」が朝鮮に勢力を伸ばしたことも事実。
お前の言うように「漢人に奴隷を供給する」奴隷民じゃなかった。
そして、日朝間の盛んな交易、日本勢力の浸透も見られる。
てか、朝鮮に日本のものがあることはどう説明するんだ?
>遺伝子から本土日本人は在来民よりも渡来人の影響が強い裏付けもあるけえ
少し考えてみろ。
1000人の縄文人の村に、毎年2・3人の渡来人がやってくる。
1000年経てば、渡来人は「遺伝子的に」縄文人を同化したといえる。
さて、この村は渡来人に征服されたのか?
ああ、そうそう、お前もっかい俺の文章読み直せ。
「混血説」だけでも「変形説」だけでも説明できんのだよ。
>人骨から渡来系と在来系が混血が多かった理由もあろう
おーい、おい。
弥生時代は混血がなかったってことか?
渡来人は渡来人だけで集団を作ってたのか?
こりゃすごいご都合主義だなw
88 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 21:56:47
89 :
白馬青牛:2007/03/06(火) 23:45:23
90 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 00:02:16
>「邪馬台国」が大きな地方政権云うても遺跡はあったんか?
>ヤマト政権が朝鮮に勢力を伸ばした事実もないのう。
纒向から少量だが韓式土器が出てるが?
>文献じゃあ列島の倭人は、中国に生口(奴隷)を献上しとるよ。
それが漢人への隷属を意味するなら、
いつどのような形でその隷属が終わったのさ?
何となく終わったでは隷属を意味しないよ。
91 :
白馬青牛:2007/03/07(水) 01:05:12
>>90 韓式土器は列島の物じゃないじゃないか。
『旧唐書渤海靺鞨伝』にある大暦十二年(777年)、渤海国の使者が
日本国舞女十一人を唐に献上しとるよ。渤海の間接舞女売買か。
その後も隷属は終わらんかったんじゃないか。民間なら「唐行きさん」
云う言葉も残っとるし、戦前まで日本女性(特に九州の女性)は
人身売買されたけんのう。
92 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 07:41:48
>>91 >韓式土器は列島の物じゃないじゃないか。
その通りだよ、だから?
駿河、尾張、山陰・北陸、吉備、河内などの土器が、
纒向に持ち込まれてるのだが、
ごくわずか韓式土器も持ち込まれてる。
弥生時代の生口の話をしてて、
急に8世紀に飛び、で、戦前の話もか?
そういう事象もあるにはあったけど、
総合的に見て、日本はどこかの国の隷属下にはなかったという話なのだが…
よほど日本人が奴隷にされてたごくわずかの事実を
ことさら探り当て晒すのが好きなマゾヒスト的変態みたいですね?
93 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 17:30:30
>>88 yes
>>89 >文献じゃあ列島の倭人は、中国に生口(奴隷)を献上しとるよ。
それは倭国王帥升や卑弥呼の遣使の話か?
「外交儀礼」での奴隷の献上がそのまま「日本人は奴隷民族だった」
ということは結びつかんぞ
>交易は当然じゃけえ、朝鮮にも日本列島の特産である勾玉等があるが、
日本勢力の浸透に結びつかんわい
「A民族・その支配域に特有の産物がB民族の地域にあったからといって
それでB民族がA民族の支配下にあったと言えない」
ということだな?
では「騎馬民族特有の産物が日本にあったといって、日本が騎馬民族に
支配されたとは言えない」とも言えるな。
墓穴掘ってるぞ
94 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 17:54:41
>>89 >また妄想か。縄文人の村に2、3人渡来したら喰われるか、奴隷化される
わい。武力と経済力の背景がないとのう
お前の中の渡来人は一体どんな化け物なんだ?ww
大陸人が2・3人渡来して、そいつらが鉄製の武器と馬と金を
持ってたとして、一部の例外もあるが獲得経済中心の縄文人1000人
を、どう征服できるんだ?
教えてもらいたいもんだw
観念論を言ってるんだぞ?今は。
>弥生時代の渡来系は北九州・山陰が主な地域で限定された渡来系の多い
地域と西九州の在来縄文系弥生人の多い地域は違う云うたんじゃ。
>「混血の進行」に、とくに近畿は古墳時代に多くの渡来人が来た反映が
あり、関東・東北地方にも渡来系の影響がおよんでいることが書いてある
なあ、お前の中の渡来人は、縄文人に対してどんな特徴を持ってるんだ?
弥生時代は縄文人と渡来人の混血が少なかったから身長が低かったんだな?
古墳時代は混血が進んでいたから身長が高くなったんだな?
お前のしがみついている金関丈夫氏は「大陸人の渡来は一時的かつ極少数だ
ったので、古墳時代にはゆり戻しが来た」と言ってるが?
で、混血が進んだことがどうして「渡来人が日本人を征服した」となる?
朝鮮半島において、中国人と朝鮮人の混血が進んだから朝鮮人は中国人に
征服されたのか?
95 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 21:50:09
まだ弥生人が縄文人を征服したなんて言ってるやつがいるんだね。w
96 :
白馬青牛:2007/03/07(水) 22:51:05
>>92-93 日本列島内においても、人身売買はえっと(沢山)あったじゃないか。
戦国時代の乱取り等そのええ例じゃ。8世紀でも、「王臣及び国司ら、
争って狄馬及び俘奴(原住在来民蝦夷の奴隷)を買い利潤を貪る」
778(延暦六年)年『日本後記』。
前にも云うたが、「漢委奴国王」金印から列島の倭人が漢に隷属されとった
が、同時代の雲南の滇国は「滇王之印」で漢の字がなく、滇王は漢の隷属国
ではない。少なくとも列島倭人は漢に尻尾を振った隷属民じゃった。
倭人は日本人の先祖の一部で全体じゃのうて、日本民族が成立しとらん
時代じゃが。
騎馬民族特有の産物たァ何なら?笑うたわい。特産物は地元在来民の
物じゃわい。
97 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 23:16:31
>>96 >少なくとも列島倭人は漢に尻尾を振った隷属民じゃった。
どれくらいの頻度でどれくらいの尻尾の振り方だったんだ?
屁みたいなものだろう。
隷属だなんだとあなたは大げさすぎるんだよ。
98 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 23:33:43
>>90 >纒向から少量だが韓式土器が出てるが?
たしか百済式でも伽耶式でも新羅でもない。得体の知れない土器片だったよね
99 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 23:42:37
>>98 >たしか百済式でも伽耶式でも新羅でもない。得体の知れない土器片だったよね
半島のどこなのか気になってたが、まだ分からないのかなぁ?
100 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 23:44:30
どうせまたフジムラJrのゴッドハンドでも使ったのだろ?
101 :
白馬青牛:2007/03/07(水) 23:55:54
>>94-95 わりゃ、ほんま低脳じゃわい。
まとまって武装した開拓集団じゃないと現地土着民に喰われるわい。
2、3人じゃ漂流者じゃないか。漂流者は漂着先で種や文化を残した
実例でもあるんか?『バタン漂流記』みたいな、奴隷にされん為、
殺されてもつまらんけえ、逃げるしかないよのう。
東南アジアの港市民による現地山民(狩猟採集+焼畑民)狩りは、
農業奴隷労働力確保と奴隷の転売じゃ。
わしゃは、渡来系の高顔、縄文系の低顔特徴と環境で容易に変化する身長は
違うゆうたんじゃが。金関丈夫氏のそれは「北九州・山口地方のごく
限られた地域に一時的に移住して、縄文人と混血したが、量的に縄文人より
劣っていたために、やがて土着の縄文人に吸収されてしまった一団である。
もう一つの系統は、北九州・山口地方への渡来者より時期的に遅れて、
近畿地方に到達した一団で、彼らは弥生・古墳両時代を通じて間断なく
おしかけ、この地方の住民の体質を一変させてしまった。」じゃろう。
池田次郎氏によると、金関氏の縄文人的体質に逆もどりの根拠に用いた
古墳人骨は、大部分が、中部九州と中国地方の古墳人骨じゃそうな。
外来者が土着民を征服するんは世界史の常じゃが、朝鮮半島の倭人や韓人も
外来満洲あたりの東北アジア人に征服されたんじゃに、韓国人国粋派も
日本の国粋派、マルクル史観者と同じで事実を認めんのう。元々
東北アジア人じゃ、東夷民族じゃ云うて。ほんま日本の騎馬民族説批判者
連中は韓国国粋派と似とるわい。
102 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 01:30:53
>>101 >わりゃ、ほんま低脳じゃわい。
お前に言われたかないな
>現地土着民に喰われるわい
へえ、縄文人は食人の「風習」があったのか。初耳。
>東南アジアの港市民による現地山民(狩猟採集+焼畑民)狩りは、
農業奴隷労働力確保と奴隷の転売じゃ。
ミレトスは小アジアの住民を奴隷化したか?
>外来者が土着民を征服するんは世界史の常じゃが
だからさ、「混血の進展」がなんで「外来者の征服」になんだ?
征服より交易・移住の可能性が高と、何度も論破されただろ?お前。
韓国人国粋派も 日本の国粋派、マルクル史観者と同じで事実を認めんのう。
103 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 05:33:41
広島のバカはこうしていつまでも恥を晒し続けるのであった
105 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 21:49:26
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
106 :
白馬青牛:2007/03/08(木) 22:50:13
>>102 縄文人の食人の風習は、以前にも書いたが初耳たァのう。
http://cscd.osaka-u.ac.jp/user/rosaldo/030314morse.html 下段の方にあるが、熊本県の貝塚民も食人風習があったようじゃ。
江戸期は飢饉による食人もあったよ。岩手県じゃあ、老婆の死体を
五百文で売買し、嬰児を食う母親もあったそうで。
薩摩も「ひえもんとり」、つまり、罪人の人胆を取り、陰干し固め薬と
して服用する。琉球では死者の供養の為の食人もあった。遠い親戚を
「脂肪親類」近い親類を「親肉親類」と区別したようじゃ。
そう云やあ、瀬戸内海でも殺され真相未解明のまま死体が沈められ、
シャコ等の甲殻類に喰われるが、そのシャコを美味しゅう頂いとる
広島人も間接的食人にゃあ違いないが、シャコを喰うんは、そういう墓に
這入らんまま、沈められた人達の供養にもなるんじゃ云うて、こまい
(子供の)頃から教えられたもんじゃ。
古代ギリシャ人の殖民港市は、現地奴隷民の労働力で暮らしとった。
ポリス市民は、軍人から農民(農場主)も含む特権階級で、植民地奴隷
農奴と違うよ。ドーリア人でもイオニア人でも。
混血でも渡来系が多数を占めた日本列島で、人種的に渡来人に征服された
云うことじゃ。論破じゃ云うて虚勢を張る癖も嫌韓厨や他スレの関東人の
特徴じゃのう。ワレの妄言が論破たァ笑いが止まらん。わりゃ笑わすなや。
>momijiusi
嫌○厨と一緒にするなよ。
108 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 23:18:45
混血が進むと征服されたことになる・・・・・・のか?
アメリカには黒人がいるということはアメリカはアフリカに侵略されているのか?
さっぱいわかりもはん
109 :
白馬青牛:2007/03/09(金) 00:07:18
>>108 >アメリカに黒人がいるということは、じゃけえ西日本にも奴隷の
縄文人系(俘奴)がおった云うことと同なじじゃ。
110 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 00:21:16
>>106 縄文人という民族「特有」の「風習」だったのかと聞いている
一部の地域の風習を例にして全域を語るなんてできないぞ
お前はどうも極わずかな例を全体に当てはめるフシがあるな
>古代ギリシャ人の殖民港市は、現地奴隷民の労働力で暮らしとった
!!??
ちょっと待て、お前スパルタを代表とするドーリア人ポリスと
そのほかのギリシア人ポリスをごっちゃにしてないか?
確かにスパルタは現地住民の上に君臨し、その反乱を防ぐために
軍国主義的国家体制を敷いたが
ギリシアポリス全部が全部現地住民を奴隷にしていたわけじゃないぞ?
アテナイなどは、債務奴隷などが中心だ。
知ったかぶりをするな
>混血でも渡来系が多数を占めた日本列島で、人種的に渡来人に征服された
云うことじゃ
本当に頭の悪い在日だな。
圧倒的多数の縄文人に少数の渡来人が長い年月をかけて少しづつ
入り込み、その人数が元の縄文人人口を超えたとして、彼らは
「渡来人」なのか?
111 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 00:22:54
>>109 少数の渡来人がどうやって縄文人を奴隷化したのか?
112 :
白馬青牛:2007/03/09(金) 01:04:26
>>110 縄文人特有の風習の訳あるまい。食人は中国、東南アジアやオセアニアに
広う見られる。
ポリス市民たァ何なら。上層階級で平民じゃないど。従属市民と奴隷民を
搾取する階層の連中じゃ。
http//www31.ocn.ne.jp/~ysino/koekisi1/page010.html
「ギリシャ人が農業領域の獲得、先住民がいる内陸に押し入り、かれらの
土地を取り上げ、かれらを隷属した(させた)。」ことが出とる。
港市、海洋勢力に奴隷は付きもんじゃ。ドーリア人、イオニア人、
エオニア人もその点変わりない。教科書的な知識しかない者が、
知ったげに云うてもつまらん。
論破されたら相手を在日じゃ云うんは、ネットウヨク嫌韓カルト信者の
特徴じゃのう。戦前でも、貴様それでも日本人か。非国民か。云う連中は
前線の戦闘でビビル臆病者の用語じゃったが今も受け継がれとる。
何も自ら正体をばらさんでもええのに。少数じゃあ喰われるんじゃに、
長い年月をかける訳あるまい。渡来者は、武装開拓民じゃろう。
113 :
白馬青牛:2007/03/09(金) 01:09:21
114 :
白馬青牛:2007/03/09(金) 01:21:17
>>111 本土日本人は渡来系が多数派で、在来縄文系が少数派じゃったけんのう。
>112
横レスだけど、どう見ても論破されているのはあんたの方なんだが。
肝心なことについては全然答えてないし、
そのくせ余計なことばっかり書いてるし。
>教科書的な知識しかない者が、 知ったげに云うてもつまらん。
本当に博学な人ってこういう言い方しないと思うけど?
もっと理路整然と語れない?
変な方言使ってて読み難いし。
116 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 08:55:25
古代、異民族同士が接触したら、
すぐ征服だ隷属だしか考えられないのかねぇ…
人間なら、まずは共生しようとするだろう。
そして、よほどの場合においてのみ戦うだろう。
そういう発想(征服だ隷属)しかできない白馬青牛は、
よっぽどの小心者なんだろうね。
117 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 12:04:49
>>112 ・・・お前と話してると頭が痛くなってくる・・
俺が言ってるのは「一地方の縄文人の風習をそのまま日本全国の縄文人
の風俗に当てはめるな」ということだ。
>ポリス市民たァ何なら。上層階級で平民じゃないど。従属市民と奴隷民を
搾取する階層の連中じゃ
・・・お前さあ、自分で提示するブログはしっかり内容見とけよ・・
>アテナイはスパルタと違って、土地持ち市民と無産市民に分かれた。
>特権市民が従属市民(自由人)と奴隷を支配、搾取し、
>そのうえ、建設後に植民市と母市とのあいだで、あるいは、植民市と原住
民とのあいだで、交易が活発化するということも生じたから
>ギリシアの植民活動は「すべてではないが」、近代植民地と同じよ
うに先住民がいる内陸に押し入り、かれらの土地を取り上げ、
かれらを隷属した。
>この「大植民の時代」を、桜井万里子氏はこう結んでいる。「ギリシア人は
、トラキア人やスキタイ人など、多くの異民族と、それまでよりはるかに密
接な交渉をもつようになる。植民の際に原住民を従属民の地位に陥れること
もあったし、周辺の異民族から奴隷を調達することもしだいに頻繁になって
ゆく。異民族をギリシア人はバルバロイと呼んだ。だが、前8、7世紀には異
民族を蔑視する傾向はまだ現れてはいない」
本当に、お前は都合の良い部分しか読まない。
118 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 12:11:10
>年月をかける訳あるまい。渡来者は、武装開拓民じゃろう。
>本土日本人は渡来系が多数派で、在来縄文系が少数派じゃったけんのう。
知識もないのに妄想するな。
弥生時代を従来と同じく前4世紀としても、渡来人は奈良時代まで
1000年は断続的に渡来していた。
武装開拓民?それならば、何故国内に「渡来人だけ」の村が少ない?
縄文人の奴隷化?そういった痕跡が見当たらないのは何故だ?
119 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 15:45:42
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
120 :
白馬青牛:2007/03/09(金) 22:45:38
>>115 あんたの個人的感情論はどうでもええ。博学な人ってこういう言い方しない
と思う云うんも、あんたの希望的観測、先入観じゃ。ほいじゃが、わしゃあ
無知で博学じゃない。そのわしから見ても嫌韓カルト信者の低脳振りにゃー
あきれるよ。
>>116-117 人間なら共生しようとする云うて、その実例を挙げんじゃないか。
ユーラシアや新大陸の移民と現地民の歴史から征服と隷属は明らかなこと。
共生云う甘いロマンに酔うても意味がない。
特権階級市民は、征服民で土着奴隷民じゃないど。すべてに「」を付け、
「前8、7世紀には異民族を蔑視する傾向はまだ現れていない」の所だけ
都合よう解釈しとるんはワレじゃないか。後文の「大殖民の時代」は
大拡張の時代であり、異民族蔑視の始まりであった。は無視かいのう。
わりゃ、姑息な手段を使うのう。日本人の恥になる行為はすなや。
121 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 23:10:48
114 :白馬青牛 :2007/03/09(金) 01:21:17
>>111 本土日本人は渡来系が多数派で、在来縄文系が少数派じゃったけんのう。
はい?
あんたの言う渡来系は一体いつどこから来たんだ?!
122 :
白馬青牛:2007/03/09(金) 23:29:15
>>118 わしが知識がないんは自覚しとるが、残念ながらワレほどの妄想低脳じゃ
ないわいのう。奈良時代迄と区切れるかどうかも問題じゃ。
平安期、日本列島を侵攻した新羅水軍の移住を考慮したら。
生田滋氏は、西洋のバイキングの活動と極東水域の新羅海賊の活動は
匹敵し、同時代のパラレル現象とされる。
渡来人が、継続して渡来せんと紀元後〜1000年間の世界の人口成長
年平均0,044%に達せん。「渡来人だけ」の村?春成秀爾氏の
受け売りか?例の新沢千塚古墳群はどうなるんか。朝鮮半島と類似の土器
や積石塚等。渡来系が縄文在来系を凌駕しとるんが、痕跡じゃないか。
新大陸で、西洋系移民がアメリカ原住民を奴隷化した痕跡がないのは
何故だ?と質問するんと等しい愚問じゃのう。
123 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:04:29
>例の新沢千塚古墳群はどうなるんか。朝鮮半島と類似の土器 や積石塚等。
>渡来系が縄文在来系を凌駕しとるんが、痕跡じゃないか。
>新大陸で、西洋系移民がアメリカ原住民を奴隷化した痕跡がないのは
>何故だ?と質問するんと等しい愚問じゃのう。
俺は>118ではないが、
新沢千塚は明らかに渡来系の古墳だろう。
しかし征服者ではない、帰化民だろう。
地域的にも時代的にも東漢氏の可能性が極めて高いからね。
したがって、西洋系移民がアメリカ原住民を奴隷化した云々とは全然違う話だ。
何言ってんだ、おまえ。
124 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:07:17
>>122 ・・・・・話をずらすのが得意だな・・ま、良い。
>平安期、日本列島を侵攻した新羅水軍の移住を考慮したら
移住・・・ねえ・・・・
いずれの来寇も撃退されたし、度重なる来寇に腹を立てた現地人
に在留新羅人が迫害されたと聞くが・・・
>渡来人が、継続して渡来せんと紀元後〜1000年間の世界の人口成長
年平均0,044%に達せん
だから渡来人が少しづつ渡日したと何度言えばわかるんだ?
本当にイライラしてくるな。
>「渡来人だけ」の村?
結局出せないんだな?
>例の新沢千塚古墳群はどうなるんか。朝鮮半島と類似の土器
や積石塚等。
>渡来系が縄文在来系を凌駕しとるんが、痕跡じゃないか。
・・・古墳時代なんだがな・・ま、良い。
朝鮮系の遺物が多く見受けられるから渡来系が多かったなら
任那にある日本式古墳にも日本式の遺物が沢山あるから任那
は日本人が圧倒的だったということになるな。
125 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:11:43
>>120 >特権階級市民は、征服民で土着奴隷民じゃないど
お〜い、バカ、奴隷が土着民だけじゃなかったことは無視か?
>すべてに「」を付け
お前本当にブログの中身を見てないんだな
>「大殖民の時代」は 大拡張の時代であり、異民族蔑視の始まりであった
それが何か?
問題は「ギリシア人植民地における奴隷は全て征服した現地人であったか
否か」だろ?
異民族を蔑視しても、それが異民族の現地人を奴隷化したことにはならない
頭を使え
126 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:30:43
>>122 勾玉は単に装飾品ではなく、
縄文から続くスピリチュアルな文化だよな。
今も三種の神器の一つとして続いてる。
何で続いてるのか。
縄文文化に弥生人が埋没し、
古墳時代の渡来人も埋没したと考えたら説明できるよね。
しかしアンタは、後から来た人間が先住民を征服し奪ったと考えるんだな。
よほど品性下品な人間だな。
反論に「勾玉は中国のどこそこ文明で」とか、
毎度おなじみの意味不明な事言うなよ、関係ないから。
アンタいつもそれを言うけどね。
先に言っておくぞ。
127 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 00:56:37
>>126 コイツに正論を言うのはやめておけ
疲れるだけだ
128 :
白馬青牛:2007/03/10(土) 01:58:36
>>123 東漢氏は、弓馬の家柄でもあり、上層支配者階級で平民や在来奴隷民じゃ
ないけんのう。
>>124 新羅人の来寇を撃退か?戦況が苦しゅうなっても敵米軍をした云う、
戦時中の大本営発表じゃあるまいし。自国の文献資料たァその程度の
もんじゃ。813年の100余名の新羅人の侵攻で9人が殺害され、
100余名が拉致されとるのう。820年、869年、893年等侵攻は
あるが、1093年も日本船を襲い水夫を拉致しとる。日本側は弩があり
、水際作戦が取れた時は新羅海賊を撃退出来た。まあ日本側でも866年
肥前郡司新羅通牒事件もあり、九州は新羅にも属した要素もある。
新羅人は816年、818年、822年も帰化しとる。新羅水軍は、
西日本の水軍の形成に多いに貢献した面もある。
>>125 ワレが、問題をどがいに誤魔化しても、ギリシャ人が植民地の現地民
奴隷労働力の上に乗ったんど。嫌韓カルト君っは、姑息な手段しか使えん
脳みそしかないらしい。
>>126 馬鹿々しい鎖国妄想に合わせられるか。勾玉の起源は玦状耳飾で内蒙古、
遼寧の紅山文化が起源じゃないか。
129 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 08:32:08
>>128 アンタの
>渡来者は、武装開拓民じゃろう。
に対して>118氏が、
>何故国内に「渡来人だけ」の村が少ない?
>縄文人の奴隷化?そういった痕跡が見当たらないのは何故だ?
と言った。
それに対しアンタが
>新沢千塚古墳群はどうなるんか
俺が横レスで、新沢千塚古墳(埋葬者)を
>征服者ではない、帰化民だろう。
と言った。
じゃアンタは反論として、【征服者】と言ってくるのかと思いきや、
>上層支配者階級で平民や在来奴隷民じゃないけんのう
帰化民という論点をずらす…ふざけてるのか?w
勾玉の事もアンタは、
>玦状耳飾で内蒙古、 遼寧の紅山文化が起源
それを言うな、何も関係ないからと先に言ってるのにな…
縄文から続くスピリチュアルな文化が続いてる事は無視ですか、あぁそうですか。
130 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 09:03:21
>>128 >肥前郡司新羅通牒事件もあり、九州は新羅にも属した要素もある。
870年 太宰少弐藤原元利万侶らを新羅国王と通牒した嫌疑で捕らえる。
873年 9月に対馬に漂着した新羅人を帰国させる。
874年 対馬に漂着した新羅人を帰国させる。
ちゃんと処理してますがな・・・
なんで「九州は新羅にも属した要素」になるんだ?苦笑
132 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 19:42:09
>>128 >新羅人の来寇を撃退か?戦況が苦しゅうなっても敵米軍をした云う、
・・・はあ・・・
最初の弘仁の役では基肆軍団の校尉が2月29日そのように伝えたそうだな。
軍人がそう伝えたんだろ?
住民を連れ去られたなら敗北か?
じゃあ応永の外寇は日本側の敗北か?
>新羅人は816年、818年、822年も帰化しとる。
だから帰化民・居留民が迫害されたと言っただろ
>ギリシャ人が植民地の現地民奴隷労働力の上に乗ったんど。
お前がどう言おうと、「ギリシャ人全員が現地民を奴隷化した」わけ
ではない。
ギリシャ人を「ドーリア系ギリシャ人」とすれば話は別だが。
本当にお前は低脳だな。129・130氏も呆れてるよ
133 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 19:47:04
サンケイウェブからの情報<(2007/03/05 07:37)>
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070305/usa070305000.htm ■国際コリアン勢力は『6ヵ国協議』にタイミングを合わせて、日本非難決議を求めた■
これは、国際コリアン勢力の陰謀なのである。
6ヵ国協議において、日本政府が『日本人拉致問題』を理由に、北朝鮮への援助を拒否することを予測した
国際コリアン勢力(北朝鮮人・韓国人・在日コリアン・韓国=朝鮮系アメリカ人で構成されている)は、
日本政府と日本国民を牽制するために、朝鮮人が捏造した『慰安婦強制連行説』を、6ヵ国協議の時期に合わせて
アメリカ下院に対してアピールし、下院での決議を求めているのである。
つまり、我々日本人から金をフンダくる目的で、今の時期に騒ぎ出したのである。
134 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 20:37:15
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
135 :
白馬青牛:2007/03/10(土) 23:39:23
>>129 東国じゃあ、武蔵の高麗郡、新羅郡、上野の193人の新羅人が
766年改姓し子午足が吉井連になったよう、799年甲斐も百済人
190人が改姓しとる。これらは渡来人の村の連中じゃないか。
渡来系は上層階層であり土着民ヵらすると征服民じゃ。
日本文化の起源は、縄文期から紅山文化の影響が強いよう(縄文文明派も
認めとるようじゃ)、弥生以降も遼寧青銅器文化、日本の馬具等、
旧満州の内蒙古地区の南西部から沿海州にかけての文化要素が大きい。
新沢千塚古墳、つまり東漢氏の鮮卑慕容部要素も同じく。
三種の神器も吉田敦彦氏の云われるよう、スキタイ、北方遊牧民神話の
影響じゃけんのう。
共産主義的自民族発展段階の大陸農本的、鎖国、国粋、閉鎖、専制、
隷属農奴史観のあんたらカルト信者と違い、わしゃあ、開放、交易、自由を
重視する海洋思考。じゃけえ、我が日本国の人種、文化も外から来たん
じゃ、云うとるんよ。
136 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 00:18:42
>>135 何が「海洋思考。じゃけえ」だよ
目の前にある事実も認めないで、自分の妄想を押し付けてるだけじゃ
ねえか
で、結局「渡来人が縄文人を征服した決定的な証拠」は何なんだ?
137 :
白馬青牛:2007/03/11(日) 00:29:51
>>130-133 816年の新羅人180名帰化、翌年144名帰化、822年40人帰化と
文献にあるが、実際はもっと大規模じゃったろう。海民の移動は激しいし、
820年遠江、駿河の新羅人700余名の反乱等、西日本の留まらず、
東国へ移された者も多かったろう。東海地方は新羅系移民が前時代から
多かった故か。824年新羅人54人を陸奥に移す等蝦夷地に移住
させられたことを云うとるんか。その東北も柴田郡新羅郷もあるし、
東北の利権支配は百済王系敬福や東漢系坂上氏らが持っとったろう。
磐井の乱や肥前郡司が新羅についたんがいけんのか。近代的国家概念尺度を
持ち込んで意味がない。文禄・慶長の役の島津氏の明国と内通疑惑もある
けんのう。じゃが九州は朝鮮的要素が強いわい。弥生期の支石墓から
中世の倭寇は済州島民や朝鮮で賤視された禾尺楊水尺(後の白丁)等、
屠殺、売春業を営む集団も含め共同戦線じゃった。九州の儒教朱子学の
影響も、李氏朝鮮が仏教を弾圧し、儒教国家薩摩も一向宗を弾圧した。
隠れ念仏になるしかなかったよう、浄土真宗王国の広島から見たら、
九州と朝鮮は文化的に同族じゃ思うよ。
ドーリア人に関わらずイオニア人も殖民地土着民を奴隷にしたゆうたん
じゃが。生産労働力が現地奴隷民じゃに、妄想すなや。
138 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:05:53
>>137 >816年の新羅人180名帰化、翌年144名帰化、822年40人帰化と
日本軍に「降伏」して帰化したんだろ?
俺が言った「帰化民が現地人に迫害された」事と何の矛盾がある?
>東北の利権支配は百済王系敬福や東漢系坂上氏らが持っとったろう
初耳だな。ソース見せてもらおう
>磐井の乱や肥前郡司が新羅についたんがいけんのか
いけないかどうかの区別じゃなくて
実際日本の支配化から離脱しようとしてできなかった
実際に九州は朝鮮の支配下になったことはない
ということを130氏は言ってるだけだが?
>じゃが九州は朝鮮的要素が強いわい。弥生期の支石墓から
九州以外の墓制にも朝鮮や大陸の影響が見られるが・・
>中世の倭寇は済州島民や朝鮮で賤視された禾尺楊水尺(後の白丁)等、
屠殺、売春業を営む集団も含め共同戦線じゃった
・・・それがどうした?だから九州は朝鮮文化圏だったとでも
言うつもりか?
139 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:15:57
>>137 >儒教国家薩摩も一向宗を弾圧した
・・・・領内の反抗的な勢力を弾圧することが朝鮮の影響か?
じゃあ信長も家康もみんな朝鮮の影響を受けたんだな
>九州と朝鮮は文化的に同族じゃ思うよ。
寝言は寝て言え
歴史上の数少ない事例を取り上げて、自分に都合の悪い
事実は目をつぶるのか?
九州が朝鮮文化圏ならば、何故九州には朝鮮式の城塞都市が無い?
何故九州に武士がいた?何故九州に神社があり、朝鮮には無い?
何故九州では日本語・かな文字が使われている?
>ドーリア人に関わらずイオニア人も殖民地土着民を奴隷にしたゆうたん
じゃが。
お前の言うように「奴隷全てが征服した現地人だった」わけではないが。
なるほど、満州人は中国人を奴隷として華北に連れ去ったが、彼らは中国人
全てを奴隷化したのだな?
お前の論理ではそうなるぞ
>>135 >渡来系は上層階層であり土着民ヵらすると征服民じゃ
半島からいろんな事情で帰化しただけだろ。
なんで【征服】なるんだ?
おまえさぁ、マジ頭おかしいだろ。
もう病気だな…
141 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:17:13
さて、最初はこれが焦点だったな。
渡来人が縄文人を奴隷化した証拠を提示せよ
142 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:21:30
>>135 140氏を見て思いついた
なるほど、朝鮮征伐で朝鮮に寝返った沙也加も征服者だな。
朝鮮人から見れば。
143 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:24:46
>>135 縄文から続く勾玉を弥生人たちも持ち、
また古墳時代でも副葬品にもなってる説明をして欲しいのだが?
「先住者の物を奪った」というのがおまえの意見なんだろ?
144 :
白馬青牛:2007/03/11(日) 01:41:46
>>136 目の前にある事実も認めないで、自分の妄想を押しつけとるんは、
おどれら嫌韓カルト信者じゃわいのう。結局人類学的にも土着民は
渡来系に圧倒されとるのに、まだ事実を認めん狂信者らしいのう。
>>138 現地民も拉致されん為必死じゃろう。それが渡来侵攻者と土着民の
関係じゃ。平和的共存など、妄想に過ぎんことを認めたんか?
九州は民俗学的にも朝鮮文化圏に近いよ。下野敏見氏の云われる、
「長床鋤・打ち鍬・縄筵等朝鮮半島の少なくとも南部と共通要素が
見られる。」下野氏はこれを「東シナ海文化圏」とされる。
政治区分で分けるだけじゃ、民俗・文化要素が解釈出来んよ。
145 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 01:53:39
>>144 >九州は民俗学的にも朝鮮文化圏に近いよ。
半島南部に前方後円墳があったり、
海女さんがいたりするからなぁ。
半島南部は九州文化圏に近いんだろうね。
146 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 02:06:19
広開土王碑を無視して倭は海を渡らなかったとか言い出す白馬青牛の能書きはファンタジーだからな
147 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 02:17:14
>>144 >結局人類学的にも土着民は渡来系に圧倒されとるのに、
>まだ事実を認めん狂信者らしいのう。
圧倒されたと征服されたは意味が全然違うんだよ。
そこの所をごまかさないでくれるかなぁ。
148 :
白馬青牛:2007/03/11(日) 02:18:44
>>138 続いて、陸奥の国主様、百済王敬福は、東北の金を献上しとらんか。
現地民の労働のカスリを取る訳じゃ。軍事面は坂上氏で経済と軍事の
両輪が揃うのう。ほいで東シナ海と黄海の制海権を持っとったんは、
海洋国家新羅じゃ。その頃の日本は引き篭もりで嫌韓厨と
同じじゃったのう。
>>139 おやおや、領内を弾圧するんが朝鮮の影響じゃ云うとらんのに、
短絡的見解を出すのう、カルト君らは。
歴史上数少ない事例と判断する根拠は何なん?文献等ごく一部の事例に
過ぎんのに。寝言が好きじゃのう。
朝鮮式山城はどうな?武士たァ何や?豪族で武装したら武士じゃし、
海賊でも別名海士じゃし、日本的な呼び方に過ぎんよ。神社に、高麗、
百済、新羅の各神社があるんは何でなら?言語や文字も政治的要素の
問題じゃ。現地民全てを奴隷化したじゃの、わしが云うとらんことまで
論理になるんか?わりゃあ真っ当な反論が出来んけえ、わしの言を
手前勝手な妄想解釈する火病でも起こしたんか?
149 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 02:33:37
>>148 >陸奥の国主様、百済王敬福は、東北の金を献上しとらんか。
百済王ともあろう者が 東北に行かされるんだからね、
落ちぶれたくないよね。
>現地民の労働のカスリを取る訳じゃ。
いかにも広島の下民らしい発想だね。
>東シナ海と黄海の制海権を持っとったんは、海洋国家新羅じゃ。
海洋国家でなく海賊国家の間違いじゃないの?
>その頃の日本は引き篭もりで嫌韓厨と同じじゃったのう。
毎日書き込んでる高齢引き篭もりのおまえが言うな。
154 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 13:16:29
>>144 >結局人類学的にも土着民は渡来系に圧倒されとるのに
「圧倒された」のは「遺伝子」だろ?
だから縄文人が渡来人に「政治的・経済的・社会的」に従属させられた
証拠・根拠を見せてもらえないかなあ。
>平和的共存など、妄想に過ぎんことを認めたんか?
・・・?
ヤマト軍に敗北し、帰化した百済人は「平和的に」土着民と
共存しなかったのか?
「帰化」ってお前の中ではどういう意味を持ってるんだ?
>「長床鋤・打ち鍬・縄筵等朝鮮半島の少なくとも南部と共通要素が
見られる。」
だから特定の事実を全体にあてはめるな。
そう言うなら、朝鮮南部の前方後円墳・・・
って、145氏が指摘してるか。
155 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 13:28:32
>>148 >領内を弾圧するんが朝鮮の影響じゃ云うとらんのに
>九州の儒教朱子学の影響も、李氏朝鮮が仏教を弾圧し、儒教国家薩摩も一向
宗を弾圧した
主張に一貫性を持たせろ
>朝鮮式山城はどうな?
それは亡命した百済人に作らせたものだろ?「ヤマト朝廷」が。
九州の文化とするには苦しいな
>武士たァ何や?豪族で武装したら武士じゃし、 海賊でも別名海士じゃし
、日本的な呼び方に過ぎんよ。
ほう、では朝鮮の「武士」に相当する集団を教えてもらおう。
あるんだろ?「武士が日本的な呼び方にすぎない」なら。
まさか武官や豪族を言い出すんじゃないだろうな?
>神社に、高麗、 百済、新羅の各神社があるんは何でなら?
「帰化」した朝鮮人を安置した「神社」がどうかしたか?
「朝鮮半島」に「神道」の基づく「神社」があるか?
日本の神々を神体とする「神社」が。
九州に「朝鮮のシャーマニズム」の神々を神体とした「神社」があるか?
>言語や文字も政治的要素の問題じゃ。現地民全てを奴隷化したじゃの
おいおい・・・
九州で朝鮮語が使われた「事例」を提示してみろよ
現地人全てを奴隷化?何だそりゃ?
156 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 13:31:45
本当に年ばっか食って知性も知識もないなこの老人は
157 :
品陀和気:2007/03/11(日) 15:24:13
応神天皇は4世紀中ごろ遼東からやってきた鮮卑慕容部の傭兵隊長です。
九州で土着勢力などと結託して、畿内の崇神王朝と対立しました。
しかし、4世紀末には東進し、畿内政権とも融合した「倭の五王」政権の礎となりました。
158 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:12:04
>>157 昔、金官伽耶の傭兵隊長だとずっと言ってたのに、
鮮卑慕容部の傭兵隊長にアレンジしたんだね。w
でも残念、日本では4世紀代の馬具なんてほとんど出ないんだ。
今度は違うパターンを考えてきてねw
159 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:13:12
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
160 :
白馬青牛:2007/03/12(月) 00:08:25
>>149 東北は金、馬、俘奴と取るもんがようけあるのう。海洋国は被害者側から
云うと海賊国じゃ。ほうよ、わしゃあ、最近旅にもせんけえ、引き篭もり
じゃわい。
>>152 ツングース系は、騎馬より水軍として活動した方が早い。満洲、沿海州等。
>>154 遺伝子的にも形質的にもじゃが。政治、経済、社会の中心地の畿内は
渡来形質じゃし、製鉄技術も渡来系じゃ。現地民の経済力たァ何が
あったんか?ヤマト軍に敗北したんか?百済が何時の事か?
井上秀雄氏の云われるよう、広開土王碑文の倭は、朝鮮海域の倭じゃ
ろうし、『日本書記』の朝鮮半島の記述は『百済本記』を元にした
加羅諸国と百済の外交資料じゃないんか。
全体的、複合的に解釈しとらんのはワレど。前方後円墳は朝鮮北部のもんか
どうか今んところ解らん段階じゃのう。
161 :
白馬青牛:2007/03/12(月) 01:19:38
>>155 九州は、特に東シナ海側は儒教の影響が強いど。肥後菊池氏の桂庵玄樹を
招聘、菊池重朝は孔子廟を建てとる。薩摩も桂庵玄樹を招聘し、
薩南学派が出来るじゃないか。ドナルド・キーン氏は日本自体が
儒教文化圏であると云われるが、わしは日本人の仏教の影響が強いと
思うとるし、列島地域差もあろう。
朝鮮式山城も渡来文化の一つじゃ云うたんじゃが、九州だけの文化じゃ
ないで。日本の武士は、『普通唱導集』(1297年)にあるよう、
世間の芸能で遊女・白拍子・音曲・博打・と同類の芸能人であり、
武士たァ、武、殺人を含めた芸を職能とした芸能人じゃ。折口信夫氏の
云われる芸術売買の徒で、ヤクザと同じでカタギじゃない。
どこの国でも殺生人や武装集団はあるど。
神道はシャーマニズムと道教の影響で出来たもんじゃし、風土によって
様々じゃ。列島的バージョンに過ぎんよ。廟を祭ったら神社と同じじゃ。
言語については詳しゅう知らんが、野村正良氏は日本列島の西国方言は
朝鮮語の変形と網野善彦氏に云われたそうじゃ。まあ、大雑把に日本が
北アジアのアルタイ系語順を使うとるんは間違いあるまい。
162 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 06:52:05
ゴチャゴチャ煩いオッサンやなぁ。
結局、渡来系が支配したという何の証拠も提示できてない。
今まで自分が読んできた本の知識を披露したいだけ。
163 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 08:19:29
聖徳太子の正体はトルコ人(突厥)だという説はどうなったんだ?
164 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 09:01:49
倭は海賊だったら
七枝刀の倭は海賊の賊長かw
165 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 09:04:27
広開土王碑に倭が海を渡って百済と新羅を破ったと書いてるのに
朝鮮海域の倭だってwww
166 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 09:06:00
>>160 >政治、経済、社会の中心地の畿内は渡来形質
>製鉄技術も渡来系じゃ
あれ?邪馬台国は?
あそこにも高度な社会が存在していたが、渡来形質じゃないよな?
それに、畿内に渡来系の血が多いと言ったって、それが直接征服に
は結びつかんわなあ。
なるほど、明初の北京には外国人が多くいたが、北京の中国人は征
服されていたわけだ。
>ヤマト軍に敗北したんか?
新羅の海賊がな。
>朝鮮海域の倭じゃ ろうし、
そんな少数意見を軸に説を展開されてもな・・・
>前方後円墳は朝鮮北部のもんかどうか今んところ解らん段階じゃのう
なるほど、お前の頭の中は10年遅れているわけだ
高句麗の古墳は積石塚古墳で、「前方後円墳」じゃないよな?
167 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 09:20:18
>>161 >九州は、特に東シナ海側は儒教の影響が強いど
九州は朝鮮に近いんだから、朝鮮の文化的影響もあるだろうが
日本文化圏だよな?
>朝鮮式山城も渡来文化の一つじゃ云うたんじゃがー161
>朝鮮式山城はどうな? −148
>九州の儒教朱子学の影響も、李氏朝鮮が仏教を弾
圧し、儒教国家薩摩も一向宗を弾圧した ー137
だから主張に一貫性を持たせろってのに
>どこの国でも殺生人や武装集団はあるど
だからさ、朝鮮の「武士」に相当するものって何よ?
武芸を生活の中心とする朝鮮の集団って何よ?
>神道はシャーマニズムと道教の影響で出来たもんじゃし、風土によって
様々じゃ。列島的バージョンに過ぎんよ。
何度言えばわかる?
日 本 の 神 々 を 祭 っ た 宗 教 施 設 が
朝 鮮 に あ る か ?
168 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 09:25:11
>>161 >言語については詳しゅう知らんが、野村正良氏は日本列島の西国方言は
朝鮮語の変形と網野善彦氏に云われたそうじゃ
ソレにしては差異が大きすぎるなw日本語と朝鮮語w
語順が同じだからって同一言語とはいえないぞ?
169 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 10:38:55
まあ、大雑把に日本が北アジアのアルタイ系語順を使うとるんは間違いある
まい。
・・・南インドのタミル語系という大家の説もあるな。
それと日本語にはアルタイ系に見られない接頭語があったり、が行鼻濁音
や声調があったりするという南方、東南アジア的要素も多いらしい。
170 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 17:09:44
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
171 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 20:32:58
>>169 >南インドのタミル語系という大家の説もあるな。
いま読売新聞で連載している。日本語の「田んぼ」がタミル語の「タンブル」(泥沼)
だとか、相変わらずやってるな。
水田と泥沼では違うし、「田んぼ」の「ぼ」は「尾っぽ」「葉っぱ」の類の接尾語だろう。
つまり「田んぼ」には「た」という語幹がある。それが「タンブル」にもあるのか?
そういう分析は言わないでひたすら比較する。
「大家」が老いてとつぜん語呂合わせになってしまうのは見ていて痛々しい。
172 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 21:25:13
>>171 日本語の語順ははアルタイ系なのか、タミル語やヒンドゥー語とも
共通するSOVにすぎないのか、アルタイ系と断定できるのかが問題だ。
173 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 22:19:09
何だお前ら・・・
174 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 22:30:48
>>160 >前方後円墳は朝鮮北部のもんかどうか今んところ解らん段階じゃのう。
あんなの調査もしてないしスルーするのが適当でしょう。
だいたい江上、森、上田という北朝鮮からすれば「心地良い学者」を招待して、
外見を見てもらっただけだし、韓国にもない四隅突出墳が北朝鮮にあるなんて不自然過ぎ。
はっきり言うけど俺は捏造だと思ってる。
175 :
白馬青牛:2007/03/12(月) 23:16:25
>>162 よいよ、低脳じゃのう。歴史に証拠など無いわい。文献妄想しとるんか。
戦前でさえ都合の悪り文書が焼却し隠蔽したんと変わらんよ。学問たァ、
多面的考察から総合的に判断するもんじゃ。
>>163 小林恵子女史の説じゃろう。トルコ系遊牧民が直接的に日本へとは
思わんよ。日本は乳製品利用文化に乏しい。間接的影響は否定出来んけど。
>>166 邪馬台国が何処にあったか解らんのに、しかも高度な社会が存在?
高度な社会たァ何なら?遺跡すら解らんのに人類学的に渡来系か
縄文系か判断出来る訳あるまい。青銅器時代に北方形質で、遺伝子的にも
北方グループの華北人を例に挙げても以前に基本的人種は成立しとるよ。
ヤマト軍?奈良、平安期は日本云う国号があるよ。
新羅側の拉致、収奪目的で勝利も敗北もない。倭をどう捉えるかに、
意見の少数も多数もない。高句麗古墳が積石塚だけじゃった云う珍説は
面白い。その根拠を伺いたいのう。
176 :
白馬青牛:2007/03/13(火) 00:17:43
>>167 文化領域は、断絶じゃのうて隣の影響を無視出来ん。九州は、本州日本の
影響と共に朝鮮の影響も受ける訳で、青色と黄色の間が緑色となるように、
色合いが多少違う云うことじゃ。本土日本でも西と東は社会構成が違う。
一貫性云う近代国家の政治的領土区分でのみ分けられる訳あるまい。
武士武装集団の呼び名は違うても、新羅、高麗でも武臣(武斑)はおるし、
高麗末期の地方地主らの私兵も日本の軍事貴族の領主と同じ役割じゃ。
日本の神々を祭った?日本統治時代じゃあるまいし。
>>168-169 西田龍雄氏のチベット・ビルマ語説等色々あろうが、少なくとも文法は
近隣の漢語やタイ語系、モン・クメール(越)語系と違う。
タミール語説の大野晋氏は、特に関東・東北の方言とタミール語の類似を
示唆される。オーストロ・ネシア語は、日本、朝鮮、極北のイヌイット語
まで見られるので、東南アジア云うより、古アジア的言語かも知れん。
人的、物的交流があれば影響があるのは当たり前。
これだけでもって征服の結果とは言えない。
多数の中国・朝鮮・日本の資料全てが倭の優位で一致してる。
新羅も百済も倭に朝貢との記述もあれば人質を出したなどもあり。
倭が押されていたとする文献って一つでもあるの?
178 :
白馬青牛:2007/03/13(火) 00:26:52
>>174 スルーする云うことは、探求を放棄したことになるど。
四隅突出墳の方形プランや石を並べる処は高句麗の影響が無いとも
云えまい。捏造は日本の考古学者もやるし、他国のことを云える立場じゃ
ないのう。
>武士武装集団の呼び名は違うても、新羅、高麗でも武臣(武斑)はおるし
武官と封建領主を一緒にするな。
坂上田村麻呂を武士って言うか?
180 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 07:26:32
>>178 まともな調査もしてないものを例に出すなと言ってるのだ。
181 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 07:31:12
>>175 >歴史に証拠など無いわい。
>その根拠を伺いたいのう。
矛盾してるじゃないかボケが。
182 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 07:59:09
>新羅側の拉致、収奪目的で勝利も敗北もない。
なら何故、>128の
>九州は新羅にも属した要素もある
になるのだろう。
この人はいったい何なのだろう。
自虐的変態だろうか。
おそらく50代後半〜60代前半だろうな。
この世代はこんな考えのオッサン多いんだ。
まぁ俺らよりずっと年上だけど、
こいつら「甘えの世代」なんだな。
草の根世代に甘えてたお坊っちゃんが多いんだな。
183 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 09:54:19
>>172 私は「大家」のタミル語説が「語呂合わせ」だと言っているだけだ。
だから日本語がアルタイ系だ、とは言っていない。
強いて私の考えを言えば、中国語が中国北部で発生したように、日本語が
日本列島で発生してなぜいけないのか、ということだ。
184 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 12:06:48
185 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 12:20:26
>>176 >九州は、本州日本の 影響と共に朝鮮の影響も受ける訳で、青色と黄色の
間が緑色となるように、色合いが多少違う云うことじゃ
日本文化が青、朝鮮文化が黄色とすると、九州の文化はすこし緑がかった
青か。
>本土日本でも西と東は社会構成が違う。
言っておくが
朝 鮮 で も 地 域 ご と に 社 会 構 成 が 違 う ぞ
>、新羅、高麗でも武臣(武斑)はおるし
日本でも「武官」はいたぞ?
だが武官と武士は違うものだ。その武班は武士のように国家の意思の
そとにいたか?
>高麗末期の地方地主らの私兵
おいおい高麗末期っていつの話だ?
武士ってのが地方の武装勢力の「日本での呼び名」なら、朝鮮にも
「朝鮮の武装勢力」がいたはずだ。同時代にな。
>日本の神々を祭った?日本統治時代じゃあるまいし
自分で墓穴を掘るな。宗教が異なることはこれでハッキリしたな。
186 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 16:42:36
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
187 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 21:08:46
おまえらは朝鮮半島にこだわり過ぎる。朝鮮半島は人も文化も通過点だ。
殷の箕子の箕子朝鮮は朝鮮北部、燕の衛氏朝鮮は北部から中部あたりまで、
漢になると南部を除く全土が漢の領土となっている。
三韓の韓も中国春秋戦国の韓の亡国の民に由来している可能性がある。
つまり、古代の朝鮮半島は中国亡国民でいっぱいなんだ。
遼東以北にも内陸の中国亡国の民が進出している。
山東半島には、中国歴代の皇帝が封禅の儀式を行なった。山東半島に坐す神々を訪れ祭る。
兵主神社、地主神社などの由来だ。龍田大社の風の神や広瀬大社の雨の神も風伯雨師に由来する。
朝鮮の神様を祭っているから日本人は朝鮮人だって?
通過点でも長く住めば自分たちの神様を祭る。それを持込んだのであって、
古くからの土着朝鮮人の神様ではない。
だから、朝鮮では祭られていないのだ。
188 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 21:16:53
>>187 >朝鮮半島は人も文化も通過点だ
>遼東以北にも内陸の中国亡国の民が進出している
そんなの常識のレベルだろ
>三韓の韓も中国春秋戦国の韓の亡国の民に由来している可能性がある
その説は初めて聞いた。
詳しく教えてくれ
>朝鮮の神様を祭っているから日本人は朝鮮人だって?
あ、いやそういう意味じゃなくて
朝鮮と九州が同じ文化圏なら、宗教も同じだろってこと。
189 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 23:14:59
カルト原理主義信者は、妄想を繰り返すわい。
韓人に漢字を教えたんは古代日本人じゃ云う根拠ものうて。
古代日本人も成立しとらんのに。せいぜい漢人に奴隷を供給する奴隷民じゃ
当時の列島民は。
エジプト人が古代日本に移住した事実がない云う根拠は何か?
古墳期の大量移住民にエジプト人に関して拒絶する理由でもあったんか?
相変わらず、つまらんこと云うのう、嫌日カルト君は。
広開土王の倭が当時の日本列島の倭じゃ云う根拠もないのに妄想しよる。
倭は後世の倭寇のようなエスニック集団と解釈する方が自然じゃ。
韓国の、おどれ流に云うと半島電波学者が、後世の倭寇を日本列島人と
決め付けよるが、嫌韓厨が後世の倭寇が朝鮮人や中国人も多数を占めた
ことを認めながら、古代の倭は列島日本人じゃ妄想ぬかしあがる。
歴史に韓国の学者が如くナショナリズムを持ち込むなや。カルト原理主義の
神学じゃないど。カルト電波君よ。
190 :
白馬青牛:2007/03/13(火) 23:23:23
>>177 中国・朝鮮・日本の資料全てが倭の優位で一致?
南朝の『宋書』でも、高句麗王の第二品は当然であるが、倭王の第三品下、
安東大将軍は、軍事支配権を主張した百済王の第三品上、鎮東大将軍よりも
低い。東アジアの国際社会での倭の評価は高こうない。
時代の違う資料を並べてものう。『日本書紀』は720年で、
南朝の『宋書』と300年以上差があるんに。朝鮮の『三国史記』は、
もっとも遅い。現代書かれた日本の資料と江戸時代に書かれた中国の資料を
歴史事情として比較しても意味がないよ。
井上秀雄氏は「『宋書』は外交上正式な国書で、『日本書紀』は
『百済本記』に付会した造作記事やせいぜい伝承記事に過ぎない。
このような条件を考慮すればいずれの資料を尊重すべきかは、きわめて
明白なはずである。」と、される。
191 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 23:28:57
>>189 >韓人に漢字を教えたんは古代日本人じゃ云う根拠ものうて
お前の言う「騎馬民族征服説」やらと「せいぜい漢人に奴隷
を供給する奴隷民じゃ」というものの根拠も無いな
>エジプト人が古代日本に移住した事実がない云う根拠は何か?
縄文人が能動的に渡来人を受け入れていたという事実がない根拠は何だ?
>広開土王の倭が当時の日本列島の倭じゃ云う根拠もないのに
そこから妄想。
「倭が海を渡ってきた」
朝鮮に倭があったらこんな記述はないな。
>古代の倭は列島日本人じゃ妄想ぬかしあがる
お前が言うな
192 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 23:32:27
>>190 >東アジアの国際社会での倭の評価は高こうない。
ほう、中国での官位の高低で強さが決まるのか?
妄想も大概にしろ
で、
百 済 や 新 羅 が 日 本 よ り 優 位 に あ っ た
と い う 根 拠 は ?
193 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 00:03:06
>>179 封建領主ゆう共産主義史観的云い方は、石母田流『在地領主論』の
マルクス史観の影響かいのう。封建領主を強調する人達が、西欧の
騎士と類似を指摘しても西アジアの軍事土地制度、イクター制と
比較せんのは、西洋に対する隷属、奴隷根性じゃろう。
土地経営云う広い意味で捉えるなら、西欧・イスラム圏の西アジア・
中国・朝鮮・日本と地域差があるが、同時代的共通点が多い。
日本は独自の宇宙じゃのうて世界的現象と連動しとるんじゃに。
坂上田村麿は、弓馬の家柄で「もののふ」「つはもの」であり、
武芸を職能としとるけえ、後世の呼び名「武士」でもええ。
>>180-181 日本列島の遺跡でも、まともに調査しとるんか解らんじゃないか。
意見の裏ずけの「根拠」と事実であるあかしを示す「証拠」と違おうが。
まあ、「証拠」なんぞ無いし、事実を隠滅しとる者がしばしば使う用語と
国語辞典に載せたらええよ。
194 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 00:22:22
>>193 >封建領主ゆう共産主義史観的云い方
じゃあお前はなんていうの?
封建制って共産主義だけの言葉か?
お前一体何年生きてるんだ?語彙が貧弱すぎだぞ
>騎士と類似を指摘しても西アジアの軍事土地制度、イクター制と
比較せんのは、
は?西洋従属?ただ単に近代の歴史は西洋を中心に語られることが多いから
だろ?
>武芸を職能としとるけえ、後世の呼び名「武士」でもええ。
「武士」と「武官」の違いを言ってみろ
知識が貧弱すぎだ
>日本列島の遺跡でも、まともに調査しとるんか解らんじゃないか。
おーい、おい、ウソ言うなよ
>まあ、「証拠」なんぞ無いし、事実を隠滅しとる者がしばしば使う用語
苦し紛れにファビョんな
>>190 官位がどうこうじゃなくて海を渡って倭を制圧した。と言ったような記述が一つでもあるの?と
倭が攻めて百済・新羅を臣民にした、だの新羅首都が包囲されただのはあるが
逆の記述は見たことないぞ
>倭は後世の倭寇のようなエスニック集団と解釈する方が自然じゃ。
エスニック集団に臣民にされた百済・新羅
それを破って誇らしげに碑に刻む高句麗ですか。
その後もたびたび軍事行動してるようですが凄い集団ですね。
他の資料と整合性とれるんだから倭=日本列島にあった国家と見た方が自然だろ。
>安東大将軍は、軍事支配権を主張した百済王の第三品上、鎮東大将軍よりも
低い。東アジアの国際社会での倭の評価は高こうない。
そもそも軍事支配を主張出来るのがパワーバランスの現れだと思うけどな。
ちなみに
「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭王」
に任命されたってことはどー見るの?新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓やらが入ってますが。
196 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 00:35:55
>>182 九州だけじゃのうて、後世でも「大内氏やその家臣たちをはじめ、
瀬戸内の海の領主たち、さらには若狭にいたる山陰・北陸の領主たちは、
先を争うように、いっせいに朝鮮国王に対する慶賀の使を送り、
また伊勢氏、山名氏など、室町幕府の最有力な大名が最大級の敬意を
払って、朝鮮国王からの物資の下賜を求めている。これは瀬戸内や山陰・
北陸地方、北九州の大名・領主たちと、朝鮮の関係が、緊密だったことを
前提にしなくては理解し難い現象といってよかろう。」
と、高橋公明氏の云われる。高橋氏も倭寇が済州島民、朝鮮で賤視された
集団を含むとされたことで、韓国人史家から評判は悪りいけど。
近代国家概念で古代・中世を考察するんは政治思想や新興宗教に
洗脳されたカルト信者ど。
自虐たァ何なら。捏造美化された日本を妄想自慰してもつまらん。
ありのままの日本が嫌いなんか?
特に加羅・秦韓・慕韓あたりが入ってるのは騎馬民族征服説上だとかなりまずいんじゃ?
宋書の官位に括ったところでこんなもんだろ
198 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 01:00:45
>>183 中国語でも、華北方言はアルタイ系要素の強い漢語じゃろう。
日本語が日本列島で発生していけん云うこたあなあわい。
アルタイ語順や膠着語の要素を近隣の南方系語族で確認出来ん以上、
北東アジアのアルタイ系語族の要素が強いと考えられる云うことじゃ。
>>184 倭人社会のどの部分が高度なんか具体的に云うとらんじゃないか。
馬韓を例に挙げとるがどの部分が高度じゃったんか?
また嫌韓厨得意の人の意見を勝手に捏造か。中国の青銅器時代に北方系
が多かったんと、日本の弥生期にまだ縄文系が多かった違うど。
日本云う国号じゃが、日本と倭国が同一云う根拠もなしに、倭国が
大和政権じゃ云う根拠を伺いたいもんじゃ。大和と倭国は同じか?
積石塚のみを云うたんはワレど。
>>198 嫌韓厨どうこうとか言うなよ。無駄に荒れるから。
とりあえず根拠が薄弱すぎる。
>広開土王の倭が当時の日本列島の倭じゃ云う根拠もないのに妄想しよる。
>倭は後世の倭寇のようなエスニック集団と解釈する方が自然じゃ。
なんででそう思うのかとりあえず言ってみ?
広開土王碑には倭が何度も出てくるが全て倭寇のようなエスニック集団か?
宋書の倭も倭寇のようなエスニック集団なのか?時代的にこの二つはほど同時期だが
200 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 01:38:23
>>185 朝鮮でも北と南じゃ、だいぶ違う。更に南部の西の全羅道と東の慶尚道も
のう。北でも特に平安道や咸鏡道の連中は気性が荒い。遼寧や吉林の漢人
に似た気質かのう。戦前でも南の京城(現在のソウル)じゃあ、
内心は日本人に反撥心があっても笑顔で歓迎して呉れるが、平壌等の
北の連中は石を投げて来る者も多かったそうで、北の連中の喧嘩の強さに
満洲の漢人やロシア人も一目置いとったようじゃ。女性の服装も
カラフルな南に対し白衣の北じゃのう。また、京城(ソウル)に美人は
少ないが、平壌は美人の宝庫じゃった。と、戦前世代の方は云われる。
高麗末期の地方地主勢力が武力を持っとったことじゃが。
朝鮮の宗教に李氏朝鮮以降、特に儒教の影響が強いが、政治的特色で
古代から日本と朝鮮の宗教が全然違うとも云えんよ。九州に儒教の
影響が強いんは東シナ海文化圏ゆえ、中世以降の交流も無視出来ん。
201 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 02:50:59
>>191 反論するんなら抽象的じゃのうて具体的にせえや。
倭人が海を渡ったんか、高句麗が海を渡って倭を撃破したんかは、
解釈で様々じゃが、森浩一氏は、好太王碑の文に王自ら水軍を
ひきいて残国を討伐したとする個所で、吉林省文物考古学研究所長の
王健群氏も水軍と判読しておられることから、高句麗水軍が陸路を取らず
海路によって倭軍等を攻めたとされる。
黄海の物資輸送は海路に頼っておったし、後世の倭寇も黄海の物資を
襲うた訳じゃ。朝鮮半島南部の倭も高句麗も海路を使うんは当然じゃ。
それが何で日本列島になるんか?
北前船で近畿から東北へ行くんも海を渡ったことに違いないんど。
>>192 じゃけえ、倭の五王は朝鮮南部の倭(九州北部も支配したかは解らんが)
で、日本じゃないよ。日本と倭国が同一じゃ云う根拠もあるまい。
>>194 ほいじゃあ、ワレの武士論たァ何なら。職能か?国衙か?
わしをウソつき呼ばわりしとるが、まともに調査した根拠でもあるんか?
おどれ自身が監督した訳じゃあるまいし。ウソつきはワレの方じゃのう。
>>195 井上秀雄氏は「『宋書』倭国伝の倭の五王を、日本史の研究者が、
『記紀』の天皇に当てようと努力されていますが、その気持ちは
兎も角として、史料の正確に応じた解釈とは云えないものが多い。
正式な国書ですから、記載された賛などの五王、対外的に決めた王名は、
その王朝が続いているなら、何らかの形で残っているものです。
ところが『日本書紀』などの史料では、これらの五王の名前がまったく
出てきておりません。文献上でいえば、まったく手も足も出ないはず
ですが、日本の学界では動かし難い史実ということになっています。」
日本の学界の「妄想、幸せ回路」の皮肉を云われたんじゃろう。
途中じゃが、わしゃあ、はあ、寝るけえ、今日はここまでじゃ。
>倭の五王は朝鮮南部の倭(九州北部も支配したかは解らんが)
上表文とどうやって折り合いつけるんだ・・・無茶苦茶すぎる。
203 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 05:44:47
>>200 >平壌等の 北の連中は石を投げて来る者も多かったそうで、
>北の連中の喧嘩の強さに 満洲の漢人やロシア人も一目置いとったようじゃ。
喧嘩は強いけど知能低いから餓えてるのかなw
おい、クズ。
おまえ他のスレに行け。
204 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 06:11:46
>>196 あなたが言った「九州は新羅にも属した要素もある」の説明になってないんですけど。
室町時代の大名の話なんて全然関係ないんですけど。
205 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 08:31:33
>>198 >倭人社会のどの部分が高度なんか具体的に云うとらんじゃないか。
社会体制が高度だったんだよ
お前はよっぽど日本を貶めたいようだな。
魏志倭人伝も呼んだことがないのか?
>中国の青銅器時代に北方系が多かったんと、日本の弥生期にまだ縄文系
が多かった違うど。
お前は本当に頭が悪いな。
「政治、経済、社会の中心地に外国人の数が多かったらそれは征服の証拠
になる」んだろう?
それじゃあ「明代」の北京も古墳時代の畿内も同じだろ?
「青銅器時代」に「北方系」?
ほ〜、春秋・戦国時代は「漢民族」が周辺民族を征服しながら領土を拡大
していったはずだがな・・
>日本と倭国が同一云う根拠もなしに、
お前の言う「倭」って一体どこだ?
206 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 08:39:12
>>200 >朝鮮でも北と南じゃ、だいぶ違う。
わかってるじゃないか
>高麗末期の地方地主勢力が武力を持っとったことじゃが。
わからないかな
「武士」というものが「地方の武装集団の日本での呼び名」であり
朝鮮にも「武士」に相当するものがあるなら
同時代、少なくとも高麗前期に「武装集団」がいなけりゃ「朝鮮の
武士」というものに矛盾が生じるだろ?
>政治的特色で古代から日本と朝鮮の宗教が全然違うとも云えんよ
ハ?
宗教って「政治」的特色なのか?
へえ、国家が強制するんだ。初耳。
>中世以降の交流も無視出来ん。
お前は「九州と朝鮮は文化的に同族じゃ思うよ」って言うけど
「朝鮮と中国北部は文化的に類似点が非常に多い。
だから朝鮮は中国文化だ」
っていえると思ってるのか?
毎度ながら、実に頭が悪い
207 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 08:44:32
208 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 08:50:45
>>201 >倭の五王を、日本史の研究者が、『記紀』の天皇に当てようと
努力されていますが
>これらの五王の名前がまったく出てきておりません。文献上でいえば
、まったく手も足も出ないはず
だから10年以上前の知識でお前に都合の良い学者の言を引用しても
意味無いってば
朝鮮南部に倭があったなら、何故加羅諸国は統一国家ではなかった?
まさか新羅や百済が「倭」だという気じゃなかろうな?
全く持って頭が悪い
209 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 08:56:25
倭が海を渡って破った相手は百済新羅だと書いてるのに解釈は様々だがと勝手千番な様々を持ち出す始末www
210 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 09:00:46
倭が海を渡って新羅百済を破ったと云う一文を続けて解釈する事から逃げ回る白馬青牛の汚らしさ
薄汚さ
211 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 09:03:59
212 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 12:19:53
>>201 倭の五王は朝鮮南部の倭(九州北部も支配したかは解らんが)
で、日本じゃないよ。日本と倭国が同一じゃ云う根拠もあるまい。
・・・倭の五王は倭国の東方で毛人を平らげたと書いてあるが、朝鮮半島東部に
毛人国があったのか?
213 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 17:07:15
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
214 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 18:10:10
215 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 18:12:57
216 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 18:45:32
>>212 毛人=異人、だろうな。
異人と書いてケビトと読む。ケは『外』の意味。
つまり、日本人とは異なる国外(辺境)の異人という意味だろう。
アイヌが毛人と呼ばれたのは、体毛とは関係ない。
外人(ケ〔外〕の人)ということ。
217 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 19:25:20
218 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 19:32:17
今日の夕刊によれば、
5世紀後半の未盗掘の勝負砂古墳から保存の良い鉄製鎧、馬具、槍・・
これらは崩落した土の上に出ているものをファイバーで見ただけで、
今後、土をどかせば何が出てくるかわからない。わくわくするな。
219 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 22:56:57
>>201 井上秀雄氏は任那日本府を否定してたみたいだけど、
韓国の前方後円墳についてはどんな見解持ってたのだろうか?
220 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 23:29:00
>>195 『漢書』地理志の「楽浪海中に倭人あり」から『後漢書』の「奴国は
倭国の極南界なり」で、朝鮮半島を中心に北九州にも勢力が及んだと
考える方が自然じゃし、人類学的にもそうであろう。
海賊集団が民族の出自を問わず混成された集団なんは倭寇もそうじゃ。
井上秀雄氏の倭軍=南朝鮮集団見解よりも、わしは広範囲に山東や
黄海沿岸の海賊集団も活動したんじゃないかと思う。その倭軍も高句麗に
撃破され四散したんじゃろう。
南朝の宋がエスニック集団の倭よりも百済を重視しとることも、
高句麗に倭以上の百済よりも高い第二品の地位を与えたことも、
鮮卑・氐・羌等の北朝に対するパワーバランスであろう。
>>197-199 江上説では、辰王の存在を補強する意味で、扶余系の伽耶の木槨墓人が
対高句麗、広開王の主導者となり、北九州に南下し畿内に移り王朝を
作ったとされるが、仮にその通りとしても、戦乱に参加した連中は、
エスニック集団であろう。当時に近代国家や民族概念もなく、
離合集散は当然で略奪利益があるんなら参加するが、旗色が悪うなると
組織が解散、自然消滅をたどる。
221 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 23:56:47
>>220 >朝鮮半島を中心に北九州にも勢力が及んだと
どうして「邪馬台国」の記事を「大和王権」に引用するんだ?
>その倭軍も高句麗に撃破され四散したんじゃろう。
撃破されて四散したのに、倭も百済もしっかり軍事活動してるよな
>当時に近代国家や民族概念もなく、離合集散は当然で略奪利益があるんな
ら参加するが、旗色が悪うなると組織が解散、自然消滅をたどる。
古代の話に中世の話を持ち込むな。
海賊が国家を作れるか?
そんなに結合の弱い国家がどうして九州北部まで勢力を伸ばせたんだ?
魏志倭人伝をよお〜〜〜〜〜〜〜〜く読め
222 :
白馬青牛:2007/03/14(水) 23:56:59
>>202 外交文書で自国を大きゅう見せるんは小国のハッタリが常で、
倭国も南朝に自国を大きゅう見せたかったんじゃろう。
>>203 あらゆる人種・民族に優劣の差は無いよ。風土・習慣によって違う
だけじゃ。個人単位でも優秀な人間等ある訳ないのに、嫌韓カルト信者は
民族や個人に優劣があると妄想しとるんか?ナチスの人種論を受け売りした
ネオナチの日本バージョンじゃのう。優秀な民族や個人と劣等な民族・
個人云うんがあるんなら脳の構造がどう違うんか?具体的に伺いたい。
洗脳されとる北朝鮮の人と洗脳されとる嫌韓厨はどう違うんか?
わしゃあ、クズな人間じゃが、罵倒・火病を繰り返すおどれらも、
クズじゃないんか?
223 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 00:02:01
>>222 >倭国も南朝に自国を大きゅう見せたかったんじゃろう。
だからなんで「東」の異民族が出てくる?
それに倭の五王が「自分を大きくみせようとして」誇張したとしても
高句麗と戦うだけの強力な軍事力があるんだから
それに見合う強大な国家でなければならないな
で、
ど ん な 中 国 の 文 書 に 加 羅 諸 国 が 強 力 な
連 合 勢 力 に な っ た こ と が あ る ?
224 :
白馬青牛:2007/03/15(木) 00:35:13
>>204 国際交流の盛んじゃった室町時代が何で関係ないんか?
鎖国史観にゃあ、あきれるよ。
>>205-206 社会制度がどのように高度じゃったんか?聞いとるんに日本を貶めたいよう
じゃの幼稚な答えしか返ってこんのう。
>春秋・戦国時代「漢民族」が周辺民族を征服しながら領土を拡大?
「漢民族」たァ何なら?春秋・戦国時代の秦は羌系牧畜民の流れで、
山東の斉も、羌族系と文献的にはそうなっとる。燕も文献では周系と
なるが、遼寧文化系で出自も解らんし、周自体も西方の流れじゃろう。
中山国も北方系の可能性が強い。漢民族たァ文化要素で夷狄と違う
云うことじゃに。小学生からやり直せ。
李氏朝鮮始祖の李桂成も地方勢力じゃないか。高麗期や新羅でも武装集団が
おらにゃあ可笑しかろうに。政治的特色で云うたら、国家が強制することに
結びつけるんか?またワレの云う中国北部と朝鮮の文化的類似点たァ
何か?朝鮮が中国文化要素だけじゃ云うたこたあないど。また人の文を
勝手に捏造しあがるのう。
225 :
白馬青牛:2007/03/15(木) 01:09:24
>>207-208 広開土王側の自慢話で百済が高句麗に朝貢したかも事実は解らんよ。
■の部分も解釈も学者によって見解が分れるんじゃし。
高句麗が騎馬戦を使うた云う前提条件が確認出来んし、ツングース集団は
挹婁のように騎馬より海賊的要素の伝統が長い。鮮卑や高句麗の重装騎兵も
軽装騎兵重視の遊牧民の戦法と異なる。軍事活動が陸側からのみと考える
方が可笑しい。馬も船も輸送手段じゃ。高句麗は重装歩兵矛兵が高句麗
壁画にあるが、歩兵は馬より船の方が輸送し易く、上陸戦でも前線に
活用出来る。わりゃあ前提条件だけつけるわりに「軍事活動」の
考察に乏しいのう。
井上秀雄氏の朝鮮南部の倭を都合よう朝鮮南部の支配と捏造したんは
嫌韓連中じゃないか。新羅・百済の海域民も倭人じゃろう。
倭人は水界民の総称と解釈した方がええ。『魏志』倭人伝でも倭人を
農耕民じゃのうて海民として記述しとる。
未盗掘石室に馬具やよろい、5世紀の岡山・勝負砂古墳
岡山県倉敷市にある5世紀後半の勝負砂古墳(前方後円墳、全長42メートル)で、未盗掘の竪穴式石室から
馬具やよろいなど大量の副葬品が見つかり、岡山大学考古学研究室が14日、発表した。
天井石8枚のうち1枚が割れて石室に落ち込んでいるだけで、ほぼ完全な姿。石室は古代朝鮮半島の古墳
とよく似た工法で築かれており、松木武彦助教授は「被葬者は半島と関係の深い人物かもしれない。五世紀
の未盗掘墳が見つかるのは全国的にも例がなく、埋葬時の様子が分かる貴重な発見だ」と話している。
確認された副葬品は銅鏡1枚、鉄製の馬具とよろい、黒漆塗りの柄がついたやりか矛、やじりの束、
土器など。木製品や革の一部も残っていた。
同研究室によると、石室は崩落した天井石や土砂で床面の半分近くが埋もれており、さらに多くの副葬品
が見つかる可能性が高い。壁一面に、魔よけや長寿の薬とされた朱が塗られていた。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20070314STXKD008614032007.html
韓国南部の慶尚南道固城(コソン)郡の松鶴洞1号墳で、
内部を赤色顔料で朱塗りした横穴式石室(六世紀前半)が、
同国の東亜大付属博物館の調査で二日までに確認された。
日本(倭)独特とされた朱塗りの石室が、韓国で確認された
のは初めて。日本の須恵器も出土していることから、日本の
古墳祭祀(さいし)文化の影響とみられる。大陸や朝鮮半島
から文化を一方的に導入しただけではなく、日本も文化を伝
えていたことを示す重要な成果として注目される。
石室は墳丘北側で、長さ約九・八メートル、幅〇・八五〜二
メートル、高さ一・四五〜一・五八メートル。天井や床、壁が
ベンガラ(酸化鉄)とみられる顔料で真っ赤に塗られていた。
朱色は、古代中国で血につながる生命力の象徴や不老長寿願望
を反映したものと考えられていた。朝鮮半島ではこれまで発見されていなかった。
松鶴洞1号墳は一九八三年、韓国の研究者が「前方後円墳」と
紹介し、日本独自とされていた前方後円墳のルーツではないかと論争になった。
一帯には、日本と交流のあった伽耶(かや)諸国(四世紀初め〜
六世紀半ば)があったとされ、「日本書紀」などでは「任那(みまな)」と呼ばれる。
沈奉謹・東亜大付属博物館長は「日本に近く、葬送儀礼に倭人がか
かわったとも考えられる」と話している。(10月2日15:34)
『木棺中央部に大量の貴重な水銀朱』1月12日発表
竪穴式石室に敷き詰められていた朱(赤色の顔料)のうち、被葬者が安置された木棺中央部だけに貴重な
「水銀朱」を大量に使い(厚さ4、5cm)、石室内のほかの部分の顔料はベンガラ(酸化鉄)を用い、
使い分けをしていたことが分かった。
このような使い分けは、弥生中期末の北部九州地方が国内最大の出土例としてある。吉備地方(岡山県
南部)の弥生末期の墳丘墓でも水銀朱を木棺内に厚く敷き詰めた例があることから、初期大和政権が
西日本各地の葬礼様式を取り入れていたことを裏付ける発見といえそう。
朱は死者の再生祈願の呪術(じゅじゅつ)としてまかれるとされる。
ベンガラは鉄分を含む土を焼けば簡単に作れるが、水銀朱は原料の「辰砂」の産地が限られ、製法も
複雑なことから貴重で、これほど大量に使われた例はまれという。
魏志倭人伝は、水銀朱について「その山は丹(辰砂)あり」と倭国の特産物とし、卑弥呼が正始四年
(243年)に魏に献上したと記載。邪馬台国時代に大量に使われていた可能性が高い。
畿内にも「大和水銀鉱床群」があり、邪馬台国が大和にあったとすると入手は容易で、魏志倭人伝の
記述と一致するとの指摘もある。
ttp://www2.begin.or.jp/sakura/kurotuka3.htm
230 :
白馬青牛:2007/03/15(木) 01:51:49
>>211 国家に付属しとるんが「武官」「役人」で、国家の統制外にある
武装集団が「武士」になるんか?笑うたが、
ほいじゃあ、国家に統制された水軍は「武官」で、国家統制外の海賊集団ら
のみ「武士」になるんか。朝鮮の倭寇に加わった済州島民や禾尺・
楊水尺集団(後の白丁)も武士じゃのう。その説にゃあ賛成するよ。
じゃが後半でマルクス左翼史観の石母田流在地領主論になっとる。
まあ日本も、従来の「兵の家」「武勇の家」「家を継ぎたる兵」の
職能武士から軍事貴族の地方土着の都の衛士「京畿に馴れたる輩」とも
違う、源平合戦の治承・寿永以降「器量に堪えうる者」、「武器に足る輩」
たるセミプロ軍事集団の村落領主も武士に加えたけんのう。
ワレ自身が付き添い捏造がないか確認した訳でもないのに、調査報告を
挙げても意味がないし、ましてや嫌韓サイトを根拠にしたんじゃあ、
私は嫌韓人カルト信者です。と、おどれ自身の正体をバラして
どうすんない。50年前頃のマルクス左翼史観の受け売りはおどれらじゃ
ないか。
231 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 01:56:57
232 :
白馬青牛:2007/03/15(木) 02:21:48
>>212 外交文書のハッタリを額面通り解釈しても意味はないが、
倭国東北の毛人は、畿内政権の話を自分の手柄にしたんか、
>>216氏の云われる異人伝説モチーフかも知れん。
>>219 井上秀雄氏は、「任那日本府が大和朝廷の出先機関であるという史料は
見当たりません。日本古代史における定説は、いずれも根拠が不明で、
しかも戦前よりも定説としての地位を確立している。『日本書紀』の
対朝鮮記事の分析から神功紀より仁徳紀にかけての朝鮮関係記事が、
六九一年以降に、新しく作られたものであろうと提言しました。
任那日本府についても、任那地方の政治集団で、大和朝廷と隷属関係の
まったくないものとして『日本書紀』に描かれていることなど述べて
きました。」と、される。
韓国の前方後円墳についての見解は読んどらんので答えようがない。
233 :
白馬青牛:2007/03/15(木) 02:47:21
>>221 邪馬台国と大和王権と一緒にしたこたァないど。
倭国と大和王権を同一視出来んよ。
海賊が国家を作った例は、ヴァイキングが作った、北海のクヌード国、
英国のノルマン朝、キエフ公国もそうじゃし、生田滋氏は高麗王朝を建国
した王建も海賊出身とされる。わりゃあ幼児並みの知識しかないんか?
>>220 >『漢書』地理志の「楽浪海中に倭人あり」から『後漢書』の「奴国は
>倭国の極南界なり」で、朝鮮半島を中心に北九州にも勢力が及んだと
>考える方が自然じゃし、人類学的にもそうであろう。
『漢書』地理志「楽浪海中に倭人あり 分かれて百余国をなし」
だね。朝鮮南部は陸続きだし、倭=倭寇なんてどこにも書いてないぞ。さらに国として見られてたようだが?
『後漢書』倭伝
「倭在韓東南大海中,」「奴国は倭国の極南界なり。」
だね。倭の位置に関して「倭は韓の東南海中にあり」と書いてあるが?
>南朝の宋がエスニック集団の倭よりも百済を重視しとることも、
エスニック集団の海賊、倭よりも低く見られた新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓の立場が無いって再三言われてるがその反論は?
>>222 >外交文書で自国を大きゅう見せるんは小国のハッタリが常で、
>倭国も南朝に自国を大きゅう見せたかったんじゃろう。
朝鮮半島南部にあったら「北に海を渡りて、平らげること九十五国」がおかしいじゃないか。西も変だし。
>>225 >広開土王側の自慢話で百済が高句麗に朝貢したかも事実は解らんよ。
君は軽視してるようだが百済本記、日本書紀等で裏付け取れるのだし。その後百済が衰退していくことからも予想付くだろ。
>倭人は水界民の総称と解釈した方がええ。
外交やったり官位受けたり他国と戦争したりするのは国家以外の何者でもない。史書を見ても国として認識されていたようですが?
任那・加羅・秦韓・慕韓などの他の半島南部国家が「韓の東南海中にあり」とか「楽浪海中」とか書かれてないだろ?
仮に半島南部にあったならこれらと同じように書かれるはず。
倭が半島南部の国家として書かれている史料は一つも無い。
邪馬台国は「親魏倭王」だし、そもそも,「奴国は倭国の〜」の文章から
当時、倭が国として見られていたのは間違いない。
237 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 05:40:20
>>232 >韓国の前方後円墳についての見解は読んどらんので答えようがない。
一番重要な事じゃないか、このボケは。
早く読んでこい、ボケ。
238 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 06:18:42
>>224 >国際交流の盛んじゃった室町時代が何で関係ないんか?
>鎖国史観にゃあ、あきれるよ。
また論点すり替え及びごまかしですね。
「九州は新羅にも属した要素もある」の説明になってないのですが。
239 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 11:06:02
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
240 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 11:34:30
>>224 うおっ!?書き込み多すぎだろ!!
まあ良い
>社会制度がどのように高度じゃったんか?聞いとるんに日本を貶めたいよう
階級社会がしっかりとして、刑法・政治体制が整備されていたら
それは高度な社会とは言えないか?
>「漢民族」たァ何なら?
>春秋・戦国時代の秦は羌系牧畜民の流れで
>山東の斉も、羌族系と文献的にはそうなっとる
だからよ、「漢民族が勢力を拡大していくなかで異民族が
同化され、漢民族の居住圏は拡大していった」
と言ってるだろ
支配層が異民族はありえるだろうが、今の論点は
「一定地域の圧倒的多数派の民族はどこだったか」
だぞ?
なるほど、周も秦も燕も趙もみんな「異民族国家」だったのか。
しかも文献で斉が夾族系?初耳だな
>燕も文献では周系となるが、遼寧文化系で出自も解らんし
「遼寧文化」というものは「新石器時代からの中国文化の一つ」だぞ?
そこんとこ、理解してるか?
241 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 11:45:03
>>224 >李氏朝鮮始祖の李桂成も地方勢力じゃないか
だから「武力」を生業としていたか?
>高麗期や新羅でも武装集団がおらにゃあ可笑しかろうに
だからその具体例を出せと言うに
「いなきゃおかしい。だからいるはずだ」
ってのがお前の考えか?
朝鮮人そっくりだな
>朝鮮が中国文化要素だけじゃ云うたこたあないど
九州が朝鮮文化要素だけじゃないな。
論理矛盾犯してるぞお前。
お前は弥生時代の道具・儒教・墓制という「ごく一部」の
事例を引っ張り出して「九州と朝鮮は文化的に同族じゃ思うよ」
と言った。
ならば
中国と朝鮮では専制国家体制・儒教・仏教・思想等に類似点が見られること
から、「中国と朝鮮は文化的に同族である」
と言えないか?
242 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 11:59:24
>>225 >高句麗が騎馬戦を使うた云う前提条件が確認出来んし、
www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/2004_11_14.htm
>ツングース集団は挹婁のように騎馬より海賊的要素の伝統が長い
その前提条件は確認できないな
>鮮卑や高句麗の重装騎兵も軽装騎兵重視の遊牧民の戦法と異なる。
異なるからって「騎馬戦術を用いなかった」とまで言うのは
苦しいな
>歩兵は馬より船の方が輸送し易く
高句麗の主戦力を歩兵に限定しているお前の「前提条件」は
おかしいな
>わりゃあ前提条件だけつけるわりに「軍事活動」の
考察に乏しいのう
お前の言うように「高句麗が海からの侵攻を行ったという
根拠があれば信じれるんだがな
「高句麗は海から侵攻したに違いない!!」
「だから高句麗は歩兵中心だったにちがいない!!」
「そうであって欲しい歴史」は史実ではない
243 :
242追記:2007/03/15(木) 12:00:00
>倭人は水界民の総称と解釈した方がええ。。『魏志』倭人伝でも倭人を
農耕民じゃのうて海民として記述しとる。
「魏志倭人伝」ではどう考えても日本列島としか考えられないところに
「邪馬台国」があったな。
ということは「倭人の国」は「日本列島」にあったということだな。
そして弁韓伝・辰韓伝・馬韓伝があることから考えると
倭 人 は 日 本 列 島 の 住 民 だ な
244 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 12:15:50
>>232 >ほいじゃあ、国家に統制された水軍は「武官」で、国家統制外の海賊集団ら
のみ「武士」になるんか。
国家に統制された海上武装勢力が「水軍」であり、国家の統制の外にある
それは「海賊」だ。
だから平安末期では海賊を討伐しても、水軍を解散させる海賊になる
といったいたちごっこが頻発していたのだ
>朝鮮の倭寇に加わった済州島民や禾尺・楊水尺集団(後の白丁)も武士じ
ゃのう。
武士というより「海賊」という概念が合うな。
>職能武士から軍事貴族の地方土着の都の衛士「京畿に馴れたる輩」とも
違う、源平合戦の治承・寿永以降「器量に堪えうる者」、「武器に足る輩」
たるセミプロ軍事集団の村落領主も武士に加えたけんのう。
だから墓穴を自分で掘るなというに
朝鮮にはセミプロ「軍事集団」がいたか?
軍事を生業とする「軍事集団」がいたか?
いたならぜひ教えてもらいたい。
豪族の私兵って「傭兵」だろ?
>ましてや嫌韓サイトを根拠にしたんじゃあ
なるほど、50年前から進化しないわけだ・・
自分に都合のわるいものは全部「嫌韓」にするもんな
245 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 12:20:16
>>232 >「任那日本府が大和朝廷の出先機関であるという史料は
見当たりません。
>韓国の前方後円墳についての見解は読んどらんので答えようがない。
お前はそうやって新しい情報を拒絶して生きてきたわけだ
体だけ老化して精神年齢は全く進歩しない。
246 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 12:30:44
>>233 >北海のクヌード国
カヌートは「一国の君主」で
海 賊 で は な い
>英国のノルマン朝
ノルマンディー公国はフランス国王がヴァイキングを封じて建国されたが
すでに「土地を与えられて土着していた」のだから
海 賊 で は な い
>キエフ公国
ヴァイキングはキエフにある「原住民の社会」を征服したのであって
海 賊 が 国 家 を 建 設 し た の で は な い
>高麗王朝
水軍を統率したからといって
海 賊 と は 断 言 で き な い
しかも王健は
地 方 領 主 だ
247 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 15:02:12
>>224 >春秋・戦国時代「漢民族」が周辺民族を征服しながら領土を拡大?
「漢民族」たァ何なら?春秋・戦国時代の秦は羌系牧畜民の流れで、
山東の斉も、羌族系と文献的にはそうなっとる。
・・・それならフランス人は牧畜民のゲルマン系民族でラテン民族とは言えないと
いうようなものだな。
満州に居てシナ語をしゃべっている満州系シナ人も漢民族ではないということに
なる。
248 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 18:17:48
>>217 朝鮮人は、外人(ケビト)だろ。
日本人と区別するために外人と呼ぶんだろう。
249 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 19:12:02
250 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 19:36:57
>>248 朝鮮人は体毛が薄いので毛人と表現されることは考えられないだろう。
毛人国は日本列島東部にあったとしか思えない。
251 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 20:49:33
>>226 興味深い発掘だね。
5世紀後半なら百済経由の金キラ細工が出てくるかもね。
楽しみだ〜
朱を塗ってるというのなら埋葬者は倭人だろな。
252 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 22:32:52
毛人の国とは上つ毛と下つ毛だろうな。
253 :
白馬青牛:2007/03/15(木) 23:06:35
>>234-235 井上秀雄氏は、『漢書』について「漢人が船で行く地域のことを海中に
ありというのですから、朝鮮半島自体でもよい訳です。」と。船で行けば、
陸続きか否か関係あるまい。新羅は高句麗を通じて北朝に朝貢する
ように南朝とは疎遠じゃった。井上氏は、『魏志』倭人伝についても、
「(日本史の方たちは)よほど強引に倭の全てを日本列島の中におし
込めてしまいたいという前提が働いているように思えます。倭についての
日本の学界での定説には極めて突飛な発想によることの多い。『魏志』
倭人伝の諸国は北から南に書いてあるものだとおっしゃるけれども、
必ずしも北から南ではありません。方位は南を主としながら東も指しており
、全体として「倭人は帯方の東南にあり」としています。
更に「通訳をつれた使節がときどき通交するので、事に従いて記述する。
あに常ならんや」とあります。これは魏志倭人伝のすぐ次の評にです。
たった二行なんですが、日本史をやっていると倭人伝のところだけを
取上げてお読みになる。」とされる。方角も信憑性に乏しい。
弁辰十二国のように、多少まとまった村落単位を近代概念の国家と当て
はめても意味があるまい。
254 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 23:32:03
>>253 >船で行けば、陸続きか否か関係あるまい。
「倭は韓の東南海中にあり」
しっかりと本文をよんでから反論しろ
255 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 23:48:21
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
256 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 00:06:13
>>236 倭人の範囲は、東部モンゴル〜九州に至る広い範囲に及ぶ訳じゃが。
>>237 一番重要云うても、井上氏は文献史家じゃ。
>>238 また井上秀雄氏の引用じゃが、「北九州の旧倭国が、ちょうど中世の
大内氏のように実質的には、かなり独立外交をしていたのではないだ
ろうか。」九州についても歴史・民俗学等多面的考察で云うたんで。
>>240 書き込みが多いんは、あんたらの愚問に答えよるけえよ。
魏志に見える倭人社会の進化尺度に舗装道路と贅沢禁止令がない。
階級社会がしっかりして刑法・政治体制が整備されていたら?
現代の北朝鮮みたいな共産主義の方が、階級社会の面じゃ進化しとる
言いたいんか?高度云う概念の社会進化尺度が何処と較べて高度なんか?
漢民族の拡大だけじゃのうて、異民族の華夏進出も無視出来んよ。
周の文王、武王の妃は羌族で姜姓じゃけえ周ものう。斉の太公望も姜姓で
周王朝の協力者じゃ。「遼寧文化」にゃあ、燕、山戎、濊貊も含むよ。
257 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 00:47:58
>>256 >倭人の範囲は、東部モンゴル〜九州に至る広い範囲に及ぶ訳じゃが。
幼稚園から人生やり直して来い
>一番重要云うても、井上氏は文献史家じゃ
「現在の議論」に一番重要だってことだ
国語力が低いな
>北九州の旧倭国が、ちょうど中世の大内氏のように実質的には、かなり
独立外交をしていたのではないだろうか。」
独立外交=新羅の領土になった
わけは無いが
258 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 00:55:17
>>241 前提条件を付けて、ああじゃこうじゃ云うとるんはどっちなら。
列島内でも西日本の民主制の強い、村落の代表も選挙で決め、農民も
契約小作制、横社会の合議制や末子相続と違い、東日本では専制社会で、
村落の代表も世襲で、郎従、下人の隷属度も強く、隷属農奴縦社会で
長子相続と違いがある。東日本の長子相続制は朝鮮の儒教社会と似とる。
宗族制の発達じゃのう。モンゴル人やアイヌ人の末子相続じゃし、
中国の相続制は長男が祭祀料だけ余分に貰うだけで、東日本と朝鮮の
社会制度は長男が大切にされ隷属縦社会と、ほんまよう似とるのう。
民俗的に朝鮮人に近いんは九州人じゃろう。朝鮮人作家の金達寿氏は、
「九州は、一番日本の中で我々の体質に合うようです。日本にこんな
ところがあるのか、という感じです。慶尚道の人間に気質が似ているん
じゃないかな。」とされる。
確かに九州人と朝鮮人は気質も似とる。両者とも戦前の慰安婦の産地
じゃったし、自分を大きゅう見せ、虚勢を張る見栄っ張りな部分ものう。
なるほど肥前の郡司が新羅側に通牒する訳じゃのう。
椅子文化(宋代以降じゃろうが)男子が厨房に入る中国と、家屋で靴を脱ぐ
女性に料理をまかす朝鮮は文化的に違うよ。
259 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 01:09:53
>魏志に見える倭人社会の進化尺度に舗装道路と贅沢禁止令がない。
舗装道路と贅沢禁止令がなかったら社会が発達してないのか?
じゃあ周代の中国は社会が発達してないんだな
>階級社会がしっかりして刑法・政治体制が整備されていたら?
邪馬台国に独自の社会体制が形勢されていたことをよっぽど
認めたくないんだな。
>漢民族の拡大だけじゃのうて、異民族の華夏進出も無視出来んよ。
そりゃ西晋以降だろ
青 銅 器 時 代 に 異 民 族 の 大 量 移 住 が
あ っ た か ?
>周の文王、武王の妃は羌族で姜姓
確かに中国人は母方の血筋を重視するが、今は「王族が漢民族か
否か」のはずだ
妃 の 一 人 が 異 民 族 だ か ら っ て そ の 王 家
は 異 民 族 系 統 に な る の か ?
>燕、山戎、濊貊
お前一体何の話をしてるんだ?
中国の新石器時代からの「遼寧文化圏」は現在の華北省一体の地域だぞ?
お前こう言ったよな?「漢民族たァ文化要素で夷狄と違う云うことじゃに。」
文化要素が同じなら、なんで山戎・濊貊が「七雄」からの「夷荻」たりえ
たんだ?
260 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 01:20:00
>>258 >列島内でも西日本の民主制の強い、村落の代表も選挙で決め、農民も
契約小作制、横社会の合議制や末子相続と違い、東日本では専制社会で、
村落の代表も世襲で、郎従、下人の隷属度も強く、隷属農奴縦社会で
どんだけ偏見持ってるんだ?
村請制は畿内から始まったんだぞ?
>東日本の長子相続制は朝鮮の儒教社会と似とる。宗族制の発達じゃのう
>東日本と朝鮮の社会制度は長男が大切にされ隷属縦社会と
朝鮮人は、中国人と同じように風水をかたくなに信じているな。
朝鮮人は、中国人に実に良く似ているな
>民俗的に朝鮮人に近いんは九州人じゃろう
だからって九州の文化が朝鮮と同族だとはいえないが
朝鮮人に一番近いのは中国人だぞ?
何故か知ってるか?
>確かに九州人と朝鮮人は気質も似とる。両者とも戦前の慰安婦の産地
じゃったし、自分を大きゅう見せ、虚勢を張る見栄っ張りな部分ものう。
なるほど肥前の郡司が新羅側に通牒する訳じゃのう
俺は東北の人間だから九州の人間がどうかは知らんが
九 州 人 を バ カ に す る の も 大 概 に し ろ
261 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 01:21:13
>椅子文化(宋代以降じゃろうが)男子が厨房に入る中国と、家屋で靴を脱ぐ
女性に料理をまかす朝鮮は文化的に違うよ
履物文化 靴を履く朝鮮と、下駄を履く九州は、文化的に違うよ
262 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 01:36:18
>>242-243 三上次男氏は新石器満洲の文化を、「西部草原地区=細石器を中心にした
遊牧民文化。満洲東部山谷地区=有文土器、無文土器と二つの系統を
持つ漁労文化層の上に農耕文化層。熱河丘陵地区=満洲東部・華北・
モンゴル草原文化の混合で農耕、遊牧、漁撈を同時にやった。
遼東平原地区=満洲東部の文化を土台に華北の農耕文化が混じった。」
と、される。満州河川地帯は漁撈文化が最初で遊牧民的軍事組織が
流入した訳で、水軍活動が早いと見るべきであろう。満州北部の室韋も
唐代でも騎馬民族化しとらん。
「そうであって欲しい歴史」はあんたら嫌韓の感情的妄想じゃないか。
>>244-245 >水軍を解散させる海賊になるといったごちゃごちゃ?日本語を話せや。
水軍を解散させて海賊になる云う例はどこの水軍なら。
海賊も海士であり武士じゃないんか。朝鮮の両斑の武斑は軍事集団
じゃないんか?セミプロも地方私兵が相当する。
嫌韓サイトの受け売りが進化か。嫌韓サイト情報以外を拒絶しとる哀れな
ネットウヨクさんは面白いことを云う。
263 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 02:19:57
>>246 クヌードは、デンマーク王でもノルウエー王を兼ねイングランド国王にも
なっとるんじゃが。デンマーク・ノルウエー・イングランドの北海に
またがる海洋王国じゃ。土着したら海賊じゃないじゃつまらん
断定しとるがノルマンの連中はイングランドだけじゃのうて、
海路で地中海まで活動しとるし、スエーデン人系海賊は、東方ルートの
水路で黒海、カスピ海まで行きよったで。海賊表現は被害者側の表現で、
活動する連中から云うと水軍でもええ訳じゃ。
>>247 フランス人でも北部ドゥイ語と南部のオック語は多少違うんじゃろ。
ゲルマン農耕民の影響の強い北部の三圃制、前輪の付いた犂使用、
集村強い共同体規制に対し、南部のニ圃制、前輪のない犂使用、散村弱い
共同体規制と違いがあるよ。更に先住民ケルト、ガリア的要素があるけえ、
複雑じゃ。ポリネシアンが英語を喋り、米国民としてもアングロ・
サクソンじゃないけえ、言語だけで判断出来る問題じゃない。
264 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 02:50:29
>白馬青牛
標準語でカキコしてくれよ。読みにくくてしょうがない。
ただでさえ電波が強烈で目眩がしてくるのに。
266 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 07:33:28
>>263 満州人のように言語を失ってしまうと、もはやシナ人に同化吸収されて
独立民族とは言えない。
清朝は最初は異民族支配だったが、数代後には皇帝がシナ語を話す中華帝国に
なってしまったのと同じ歴史がシナで続いているのだろう(元朝を除く)。
267 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 08:17:32
>>256 >一番重要云うても、井上氏は文献史家じゃ
考古学を無視するオッサンの事をこれ以上出さないでくれ。
お願いだ。
268 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 08:42:23
>>258 金達寿の話なんかして何の意味があるんだ?
【九州は新羅にも属した要素もある】の説明せいや。
井上とか言うオッサンの「かなり独立外交をしていたのではないだろうか。」
を例にだすな。
「だろうか」だからな。
「だ」を言え。
広島の奴隷君、分かった?
269 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:05:29
>>262 >満州河川地帯は漁撈文化が最初で遊牧民的軍事組織
海賊の定義は何だ?
>満州北部の室韋も唐代でも騎馬民族化しとらん。
匈奴や突厥は無視か?
>水軍を解散させて海賊になる云う例はどこの水軍なら。
これだから歴史を知らない奴は困る。
ja.wikipedia.org/wiki/水軍
まあウィキを出す俺も俺だが
>朝鮮の両斑の武斑は軍事集団
両班は
国 家 の 官 僚 だ
>セミプロも地方私兵が相当する
その地方私兵とやらは
独 立 し た 戦 闘 集 団 だ っ た か ?
270 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:09:02
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
271 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:11:26
>>263 >海洋王国
海賊じゃないじゃん
>土着したら海賊じゃないじゃつまらん
領土をもらって社会を築いてそこに土着して
ま だ 海 賊 行 為 を し て い た の か ?
>スエーデン人系海賊は、東方ルートの
水路で黒海、カスピ海まで行きよったで。
それがどうした?
>海賊表現は被害者側の表現で、活動する連中から云うと水軍でもええ訳じゃ
>水軍を解散させて海賊になる云う例はどこの水軍なら。
何度言えばわかる?
主 義 主 張 に 一 貫 性 を 持 た せ ろ
272 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:19:50
>>264 >華北省とありもせん省を云うとるんは笑うたわい。
おっと、正式には「河北省」だな。
>東北は隷属農奴社会じゃったんを
それを裏付ける資料も何も提示してはいないな。
広島こそ、海賊や無頼衆の根拠地だったな。
お前はその子孫だから論理的な思考を持ち合わせていないのか?
>それとも東北が百済系渡来人の奴隷民じゃったんをまだ根にもっとるんか?
おいおい
渡来人が入植させられたのは関東だろ?
歴史を知らんなあ
まあ一番初めに大和王権に従属したお前たち広島の人間よりは
蝦夷の方が気概あるよ
273 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:21:39
で、
>お前こう言ったよな?「漢民族たァ文化要素で夷狄と違う云うことじゃに。」
文化要素が同じなら、なんで山戎・濊貊が「七雄」からの「夷荻」たりえ
たんだ?
>妃 の 一 人 が 異 民 族 だ か ら っ て そ の 王 家
は 異 民 族 系 統 に な る の か ?
これらについて答えて欲しいんだが?
逃げ回らずに
274 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 13:43:52
>>244 >朝鮮にはセミプロ「軍事集団」がいたか?
新羅のチャンボゴ親分なんかはどうかな?
275 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 18:58:14
>>250 >朝鮮人は体毛が薄いので毛人と表現されることは考えられないだろう。
だから、体毛は関係ないんじゃね?
ケ(外)という音が重要であって、ケビトの「ケ」は、外の意味だろ。
日子を「彦」と書いたり、「比古」と書いたりするじゃん。
ケビト(外人)を「毛人」と書いてるだけじゃね?
276 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 21:34:50
277 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 22:03:34
278 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 22:49:03
>>260-261 朝鮮人と中国人の類似点は何か?まだ具体的によう云えんのか?
日本でも上層部は平安期頃迄靴を履いとったろうに。
>>265 丁寧な返答なら標準語でなんとか対応出来るかも知れんが、罵倒・中傷で
返答される御仁に対し感情的表現に対応出来るほどの標準語も知らんけえ
のう。電波云々は、嫌韓厨のあんたらじゃ。
>>266 満洲族が自己のアイデンティティに誇りを持っとる限り、漢民族じゃのうて
満洲族じゃ。チベット人も同じく。民族の尊厳を愚弄する根性にゃあ、
あきれるよ。
>>267 井上氏は、考古学を無視しとられんよ。むしろ考古学者の方が、文献と
辻褄を合わす迎合しとんじゃないか。
>>268 断定表現するんは、カルト信者の妄想じゃ。
朝鮮人と九州人は気質が似ている、という理由で、九州人=朝鮮人を唱える馬鹿はどこにいますか?
それはずばりカルトです
九州人と朝鮮人をくっ付ける妄想の前に、朝鮮人は明確に中国人(漢族と限定しない)
の支配を受けていますが、そっちの検証のほうが先かと。
古代だけでなく、中世も侵攻されまくっているからには、古代の朝鮮半島居住人と現代の朝鮮人
の関係を疑ったほうがいいですな。
その資料は日中にゴマンとあります。
281 :
白馬青牛:2007/03/16(金) 23:18:31
>>268 続いて、九州が新羅に属した要素は、わしが、筑紫の磐井の乱や肥前郡司
通牒事件を書いたけえ、自ずから解ろう。
>>269 海賊たァ文書を残す、被害国、為政者の意に沿わぬ集団を指すよ。
匈奴や突厥はモンゴル高原の遊牧騎馬民族じゃないか。大興安嶺以東の
満洲地域と同一視する方が可笑しい。自己反省するんならウィキみたいな
教条的建前論でものを云うなや。朝鮮の武斑が国家の官僚なら、
京畿のプロ職能武士も同じじゃないか。ほいで私兵が独立した戦闘集団たァ
何から独立しとったんか?日本でも地方セミプロの東国武士団も流離する
貴種(平将門・源頼朝)の権威を借りて京都政権に異を唱えたんじゃが。
皆がこやつの訛りをやめろと言うが、こやつから広島弁もどきを奪ったら何も残らない。
金なんとかと同じことを言っているだけだから、目新しいものはない。
在日の夢を広島訛りを借りて語っている。
283 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 23:32:18
白馬青牛 京都出身の自称広島人
284 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 23:43:16
>>278の広島奴隷民
>井上氏は、考古学を無視しとられんよ。
>むしろ考古学者の方が、文献と辻褄を合わす迎合しとんじゃないか。
だから井上というハゲは韓国の前方後円墳について何と言ってるんだ?
と元に戻る質問しなきゃいかんのだが…
285 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 23:48:43
>>281 >続いて、九州が新羅に属した要素は、わしが、筑紫の磐井の乱や
>肥前郡司通牒事件を書いたけえ、自ずから解ろう。
新羅が磐井を操ってたのか、磐井が新羅を操ってたのかは分からないが、
磐井が死んだ後も九州は新羅に属してたのか?
おまえの意見ではそうなるよね。
287 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:10:16
>断定表現するんは、カルト信者の妄想じゃ。
おまえが「九州は新羅にも属した要素もある」と、
断定表現したから文句言ってるわけだが?
おまえホントふざけてるのか?
288 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:15:49
>>278 >朝鮮人と中国人の類似点は何か?まだ具体的によう云えんのか?
日本でも上層部は平安期頃迄靴を履いとったろうに。
専制君主政治・儒教中心思想・祖先崇拝・税制・軍制
言いはじめるとキリがないが、こんなところか。
>>281 >海賊たァ文書を残す、被害国、為政者の意に沿わぬ集団を指すよ。
それこそ近代の思想に他ならないじゃないか。
ヴィクトリア王朝の私掠船はどうなる?
>匈奴や突厥はモンゴル高原の遊牧騎馬民族じゃないか。
満州も勢力下に置いたけどな
>朝鮮の武斑が国家の官僚なら、京畿のプロ職能武士も同じじゃないか
武士とは「京畿のプロ職能武士」だけじゃないけどな。
しかも彼らは「国家の認可」を受け、官位はあるものの
国 家 の 俸 禄 で 生 活 し て い た の で は な い
>私兵が独立した戦闘集団
どこで「俺が」そう言った?
289 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:17:49
日本でも地方セミプロの東国武士団も流離する貴種(平将門・源頼朝)
の権威を借りて京都政権に異を唱えたんじゃが。
朝廷の権威を借りたことと官僚であることは
全 く 異 な る
290 :
白馬青牛:2007/03/17(土) 00:23:59
>>271 海洋王国の戦士と海賊を区分出来る根拠はあるんか?
領土を貰うてもノルマンは南イタリアやシシリアに手を伸ばしとる。
フランク国王が領土を与えたから海賊行為をやめなさい云うても、
その通りですと合意出来る訳であるまいし。おどれらの短絡的妄想で
主義主張に一貫性をもたせえじゃ?馬鹿らしい。
>>272 遼寧文化は、河北省だけじゃのうて、内蒙古や文字通り遼寧省一帯の文化
じゃ。東北の隷属農奴社会は村落構成、東北の名子制度等から西日本と
同じよう、契約小作、村落の代表者を選挙で決める要素が見られんの
じゃが、異論があるんなら東北の村落組織の民主制や農奴、下人が
隷属や永代小作農奴から解放された実例を挙げて貰いたい。
ほうよ、わしゃは、海賊(水軍)と共に、セミプロ東国武士の子孫じゃ。
当然蝦夷の血も多かろう。論理性が無いんは、海賊か、関東・東北の
血か判断出来ん。
東北は百済王敬福の金収奪カスリだけじゃのうて、陸奥国柴田郡新羅郷、
824年新羅人54人を陸奥に移す等、新羅人要素も無視出来んねえ。
大和民族でもない東北蝦夷の戯言か?西日本の独立性の強い「君」姓が
多いんと較べ、東国は天皇家の権威に結びつく「直」姓が多いことも、
権威を利用せんと生きれん東国の後進性じゃ。俘奴を中央貴族に献上した
蝦夷に大和民族を批判される筋合はない。不満があるんなら西日本の
大和民族に対抗し、東夷民族国家でも作りゃあええんじゃ。
征服された東夷の異民族が被害者意識で、我ら大和民族を批判すなや。
291 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:32:07
>>290 ・・・・・・
>海洋王国の戦士と海賊を区分出来る根拠はあるんか?
ほ〜
じゃあ高麗王朝の戦士もみんな海賊だ。
日本は南宋帰順兵士と海賊の連合軍と戦ったのか
そりゃ勝てるはずだ
>領土を貰うてもノルマンは南イタリアやシシリアに手を伸ばしとる
ノルマンディー公国を建国したロロは
ノ ル マ ン 人 の 一 首 領 だ
292 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:39:51
>>290 >遼寧文化は、河北省だけじゃのうて、内蒙古や文字通り遼寧省一帯の文化
じゃ。
お前の考えを聞いているんじゃないんだよ。
後世の文化圏を聞いてるんじゃなくて
青 銅 器 時 代 の 遼 寧 文 化 圏 を 聞 い て い る ん だ
>異論があるんなら東北の村落組織の民主制や農奴、下人が
隷属や永代小作農奴から解放された実例を挙げて貰いたい。
www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/87/06matsuura.ri.pdf
www.morikado.net/culture-nihonshi/culture-nihonshi032.html
お前の目は事実と妄想の区別をつけることができないらしい
>ほうよ、わしゃは、海賊(水軍)と共に、セミプロ東国武士の子孫じゃ。
ウソつくなよ。
戦後に日本に不法入国してきた白丁の子孫だろ?
東国武士?
お前の祖先は何氏だ?
293 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:48:13
>>290 >東北は百済王敬福の金収奪カスリだけじゃのうて
その敬福はどこで死んだ?
そしてそいつは何故東北へ行った?
>824年新羅人54人を陸奥に移す等、
たったの54人か。
関東に比べてはるかに少ないな
>大和民族でもない東北蝦夷の戯言か?
俺たち蝦夷は大和と同じ民族だ。
少し文化は違うがな。
まあお前たち朝鮮人とは全く違うが
>西日本の独立性の強い「君」姓が多いんと較べ、東国は天皇家の権威に
結びつく「直」姓が多いことも、権威を利用せんと生きれん東国の後進
性じゃ。
戊辰戦争の折、広島藩が早々と新政府軍に従属したのに比べ、東北
諸藩は幕府のために命がけで戦った。
何時の時代も強いほうにつくのは広島の奴隷根性を現している
大和民族大和民族うるさいなあ
汚らわしい朝鮮人のお前が軽々しく大和を口にするんじゃない
294 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:50:33
大和民族でもない東北蝦夷の戯言か?西日本の独立性の強い「君」姓が
多いんと較べ、東国は天皇家の権威に結びつく「直」姓が多いことも、
権威を利用せんと生きれん東国の後進性じゃ。俘奴を中央貴族に献上した
蝦夷に大和民族を批判される筋合はない。不満があるんなら西日本の
大和民族に対抗し、東夷民族国家でも作りゃあええんじゃ。
征服された東夷の異民族が被害者意識で、我ら大和民族を批判すなや。
反論できなくなったから罵倒しかいえなくなったか?白丁よ
295 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 00:51:01
>>290 たった54人で【新羅人要素】にまで飛躍するおまえの感性って…
ま、広島奴隷民が朝鮮人差別してる構図は大笑いなんだが…
296 :
白馬青牛:2007/03/17(土) 01:26:05
>>272 そういやあ、江上波夫氏も龍造寺氏の末裔じゃのう。龍造寺隆信の次男
家種の系統で。ご自身を半ば水軍、半ば海賊の血とされる。
日本三大(瀬戸内・九州西部・紀州)水軍(海賊)の肥前系じゃ。
>>273 中原に進出した民族が、漢化するんは、鮮卑北朝でも考文帝以来漢化政策を
取ったんで同じこと。自己の出自をカミングアウトし北方民族の意識を
持ったんは、契丹の遼以降じゃないか。
遼寧文化は中原人と胡族の混合文化じゃ。濊貊・山戎は中原人と同化した
段階じゃあないで。周は殷に較べ、西方オアシス農耕、牧畜民要素が強う
なった華北西方的風土の影響じゃろう。
>>274 チャンホゴ親分か。正式に云うと新羅の張保皐(張宝高)さんは、
日本、中国にも知られた、黄海、東シナ海の海賊大親分。
その張保皐さんを殺した新羅政権は、徐々に海洋国家から後退した。
朝鮮半島の海民蔑視がもたらしたんじゃろうねえ。
297 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 08:45:42
>>296 >日本三大(瀬戸内・九州西部・紀州)水軍(海賊)の肥前系じゃ。
海賊を勢力に取り込んだ大名は
海 賊 か ?
>中原に進出した民族が、漢化するんは、鮮卑北朝
晋代以前にそのようなことは無かったけどな
>遼寧文化は中原人と胡族の混合文化じゃ。
だからお前の意見を聞いているんじゃないってば
それなりの根拠を出せ
青 銅 器 時 代 以 前 の を な
>濊貊・山戎は中原人と同化した段階じゃあないで。
少なくとも
「青銅器時代」にお前の言ったように「中国の青銅器時代に北方系
が多かった」事は無いな
298 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 08:47:15
>>297 >朝鮮半島の海民蔑視がもたらしたんじゃろうねえ。
国家として海賊を許すわけには行かなかったんだろうな
お前の感性は
ど う か し て る よ
>プロ・セミプロ
わろすわろす
>流離する貴種(平将門)
留住貴族。
つまり、母方の地方豪族の援助を受けた田舎(下総常陸)の出身だが、中央とのパイプも欠かさない王胤の末裔。
>日本三大(瀬戸内・九州西部・紀州)水軍
北九州は。
伊勢は。
九州の筑紫船は、京文化・奈良の寺社・坂東武者の弓と同様、中世廣島山地農民にとって憧れの存在。
300 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 15:15:57
>>290 >海洋王国の戦士と海賊を区分出来る根拠はあるんか?
>領土を貰うてもノルマンは南イタリアやシシリアに手を伸ばしとる。
以前にも話が出ていたが、ノルマン人は船に乗った海賊として南イタリア
に行ったのではない。
馬で、あるいは徒歩で、アルプスを越えて陸路で行った。
それも集団ではなく、個人や小グループで、したがって平和的にイタリヤに
入った。その後の征服事業はもちろん平和的ではない。
はじめは傭兵として、後には領主として、武力で勝ち取った。
その個人的な征服事業の合計が「ノルマン人の南イタリヤ征服」である。
そしてシチリアはその延長線上にあった。
シチリヤ征服のためには当然、南イタリヤから船で渡った。
彼等と船との関係はこのような形でしかなかった。
つまり、南イタリヤのノルマン人たちは海賊ではなく騎馬冒険者であった。
301 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 15:27:37
>>296 チャンボゴ親分は海賊であると同時に、山東半島に支配地を持っていた。
新羅からも唐からも半独立だったから「私領」と言っても良い。
こういうところは誰かがしきりに主張する「武士」の条件ではないか?
と思って出したわけ。
302 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 16:26:28
>>301 そのチャンポゴだかが「日本人」だったら「武士」になるだろうね。
303 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 16:34:44
>>276 >じゃ外人と書きゃ話は早かったのにな。
その通りだが、10世紀以前の日本では、こういう例が多い。
往日命(イナヒ・ミコト)を稲飯命と書いたりね。
土籠(ツチコモ)のことを土蜘蛛(ツチグモ)と書くしね。
304 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 18:56:40
>>303 >土籠(ツチコモ)のことを土蜘蛛(ツチグモ)と書くしね
たとえそうでもあっても倭の五王の上奏文の内容とかみ合わないな
毛人=朝鮮人
305 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 21:02:59
シロウマは、妄言やめれ。
306 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 22:38:02
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
307 :
日本@名無史さん:2007/03/17(土) 23:29:53
スサノオは胡人の象徴だろ。
馬、製鉄、仏教。
蘇我という胡系人が日本を簒奪しかけた。
大化の改新で胡人の王、入鹿を殺した。
怨霊が怖い。
ものすごく怖い。
で、どうしたか?
古来の神にし、奉った。
それがスサノオだ。
308 :
白馬青牛:2007/03/18(日) 00:30:39
また、抽象的な言で妄想しよるもんらの妄想か。つまらん。
>>283 わしゃあ京都人じゃないよ。
>>288 儒教中心思想?日本の江戸期も儒教の影響も強いよ。ドナルド・キーン氏は
日本も東アジアの儒教国家の一員とされとるねえ。以前にも云うたよう、
九州は中世から儒教の影響も強い。肥後熊本藩士の末である江上波夫氏も
「孔子と騎馬民族型の人間像」で孔子の人本主義について書かれて
おられるし、薩摩人作家の海音寺潮五郎氏も「中庸を至高の徳とした
儒教の教えなど、地球全体が小さい閉鎖社会となった今日では、大いに
参考になるはずである。無限の前進をよしとするアメリカ方式は、
儒教では淫ー恣欲過度として中庸と反対の最大の悪徳とするのである。」
まあ、わし自身も恣欲に溺れることもあるクズであり、反省しよっても
過ちを繰り返すつまらん人間じゃが。
ヴィクトリア朝期の私掠船云うて、どこの私掠船か?
草原騎馬民族の匈奴・突厥と満洲の室韋と風土の違いを云うたんじゃが。
国家の俸禄が有ったんか無かったんか、どっちない。
309 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 01:31:14
広島(?)訛りと一貫性のない論理、二重の意味で何を言っているのか分からない。
310 :
白馬青牛:2007/03/18(日) 01:51:15
>>292 いちいちワレのわざとらしい愚問に答えとってもレスの無駄じゃ。
>>300みたいなノルマン勢力アルプス越えなどと物語を作るなや。
遼寧青銅器文化圏の影響なら朝鮮や日本も含むことになる。
隷属小作の答えになっとらん。東北の名子制度が契約小作じゃったと
捏造でもするんじゃろう。わしの血流は、関東の沿岸系や関東以外の
東日本系の血が入っとる。何氏か詳しゅう聞きたいんなら、わしと
直接会うしか手段はないよ。わしがネットで云うて色んな人達に迷惑を
かけるんは避けたいけんのう。
戦後たァ違うが、白丁の血が入っとっても不思議はない。瀬戸内の海士は
三韓から来襲した鉄人の士卒の子孫と河野氏の伝承『豫章記』にあるし、
中世の海民交流から、白丁の前身の賤視された禾尺や楊水尺の血が入った
かも知れん。
そういやあ、戦時中、わしの親類の家じゃあ朝鮮人と共に暮らしとったよ。
朝鮮人の家族が空いとる門番の部屋に住んどっちゃったんじゃ。他の家でも
暮らしとった方や、一軒屋を自分で建て暮らした朝鮮の人達もおられた。
ほいで、風呂にも親類の家族が済んだ後、朝鮮の家族の人達に使わせて
あげたんよ。田舎じゃあ朝鮮人に対して親切で酷いことはせんかったし、
朝鮮の人達も律儀じゃったけえ、戦後になっても都市部のような揉め事は
無かった。その人達は朝鮮へ帰られたそうじゃが、後の消息は解らんそう
じゃ。
311 :
白馬青牛:2007/03/18(日) 02:14:01
>>293 文献の54人しか移住せんかった訳あるまい。関東より少なかったで
あろうが。蝦夷と大和が同民族?大和民族は蝦夷民族を同民族じゃ
思うとらんよ。サントリー佐治氏の蝦夷と熊襲を間違えたんも笑うたが、
東北の不買運動の状況は現在どうなったんか?
戊辰戦争の相馬方面で、広野、駒ヶ峰の戦闘にて寡兵の安芸広島藩の
神機隊に対し、多数を持って負けた奥羽同盟軍の東北諸部隊の弱兵を
自慢したいんか?
312 :
白馬青牛:2007/03/18(日) 03:18:35
>>299 坂東蛙君か。流離する貴種の権威を借りんと何も出来ん関東武士じゃ。
北九州は、宗像大宮司家が宋商人の王氏や張氏と通婚しとるよのう。
じゃが九州の水軍の産地は肥前じゃろう。日本の水軍にとって船を
輸送の手段で、大陸中国のように船体自体を武器とする大型船は
発達せんかった。大型船に追われたら日本の水軍は小船ゆえ、小回りが
出来るけえ、狭い川に逃げることも出来る。日本の水軍は海軍よりも
敵の船に乗り込んだり、上陸戦闘する海兵隊じゃわい。
伊勢も熊野灘と接し、紀伊熊野水軍と近いよ。
中世廣島山地農民なら平野の多い坂東武者より弓も上じゃろう。
あんたが挙げる詩も編集した文化人の色が入っとるし、創作したんか
解らんよ。仮に山県郡としても山県郡の何処の地域か挙げとらんじゃ
ないか。吉野・十津河の遠矢、東国なら平野の関東たァ山地の信濃・
甲斐が上じゃのう。
>>301 張保皐親分は、戦闘と槍術にたけ唐の武寧少将でもあったと、
『新唐書』新羅伝に出とるね。『新唐書』東夷伝でも、国家の難事に際会
して、「互いに憎みあわず、国家の憂いを先に考える者に、晋代では祈奚、
唐代では郭汾陽や張保皐がいる。どうして(東)夷に(立派な)人が
いないといえようか。」と、人徳も優れ、精神的にも武士の中でも本物の
立派な武士じゃと思う。
313 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 07:46:57
いいかげんスレ違いはやめてくれんか。
こりゃ某研究者と同じ症状だな。
315 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 09:57:59
>>312 信濃・甲斐よりも、戦国末まで騎兵を重要視してたのが関東武士。
軍事貴族の多くが関東発祥。義仲も関東生まれ。信長公記。
甲信を強調するのは、江戸中期以降に隆盛した弓馬故実の小笠原が垂れ流した電波だっての。
日本で最も馬の成育に向かない畿内に、騎馬民族の王権が誕生したなんてことは
全くありえない話だ。
残念ながらね、usiちゃんよ。
317 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 11:49:42
>>310 >>300みたいなノルマン勢力アルプス越えなどと物語を作るなや。
どこが物語か?
南イタリヤのノルマン人が海賊だったというほうがよほど物語だ。
イギリスを征服したノルマン人からしてすでに海賊ではない。騎兵1500騎を
ようする堂々たる軍勢だった。
そのイギリス征服にあぶれた一旗組が南イタリヤに行ったのだ。
だから戦力の基礎はもはやバイキング船ではなく、騎兵戦術にあった。
ノルマン人は中世騎士文化の、最も優れた具現者だったのだ。
318 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 18:30:08
319 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 18:37:36
>>308 >儒教中心思想?日本の江戸期も儒教の影響も強いよ。
朝鮮と江戸日本を同じにするな。
日本は統治の正当化のために利用しただけだが
朝鮮は統治の正当化どころではなく、彼らのアイデンティティの形勢にも
使用したのだ。
彼らの社会では、儒教こそが社会道徳であり、論理性であり、社会であった。
>九州は中世から儒教の影響も強い。
例えば?
何故儒教道徳の必要性のある中央政権から遠く離れた九州で影響が強い?
>ヴィクトリア朝期の私掠船云うて、どこの私掠船か?
どこの私掠船か?って・・・
お前本当に何も知らないんだな・・
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%B3%8A >草原騎馬民族の匈奴・突厥と満洲の室韋と風土の違いを云うたんじゃが。
満州も彼らの文化圏だったが・・
てか、扶余という騎馬民族が満州にいたが?
本当に何にも知らないんだな・・・
320 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 18:58:24
321 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 19:01:57
>>311 >関東より少なかったであろうが。
広島よりは「もっと」少ないであろうが
>大和民族は蝦夷民族を同民族じゃ思うとらんよ。
イギリスもアメリカを同じ民族とは思ってないな。
>戊辰戦争の相馬方面で、広野、駒ヶ峰の戦闘にて寡兵の安芸広島藩の
神機隊に対し、多数を持って負けた奥羽同盟軍の東北諸部隊の弱兵を
自慢したいんか?
あれ?
新政府に取り入ってできるだけ近接戦闘にならないようにしたのか?
なるほど、新兵器でもなければ東北武士に勝てなかったのか
広 島 藩 の 弱 兵 は
322 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 19:11:00
>>312 >流離する貴種の権威を借りんと何も出来ん関東武士じゃ。
だ か ら と い っ て 武 士 が 両 班 の よ う な 官
僚 で あ る と は い え な い な
>日本の水軍は海軍よりも敵の船に乗り込んだり、上陸戦闘する海兵隊じゃ
わい
>中世廣島山地農民なら平野の多い坂東武者より弓も上じゃろう。
何 故 斬 り あ い を 戦 闘 の 中 心 と す る 水 軍
が 坂 東 武 者 よ り 弓 が 得 意 な ん だ ?
>あんたが挙げる詩も編集した文化人の色が入っとるし
どこで断定できる?
「断定表現するんは、カルト信者の妄想じゃ。」
どこで断定できる?カ ル ト 信 者 よ
>人徳も優れ、精神的にも武士の中でも本物の立派な武士じゃと思う。
>武士たァ何や?豪族で武装したら武士じゃし、
海賊でも別名海士じゃし、日本的な呼び方に過ぎんよ
実 に 頭 が 悪 い
323 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 19:15:52
>>312 なるほど、中国にも認められていたのだね。引用ありがとう。
チャンボゴ親分は新羅王室の外戚になったか、なろうとしたかで、妬みを
買って殺されたのでなかったかな。
そうであれば、そのあり方は日本で言えば「平家」に似ていると思う。
水軍と関係が深いところも含めて。
324 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 19:37:21
先日、俺の親戚が85歳で亡くなったんだが、
多分、チャンボゴ親分の話なんて知らずに亡くなったろうし、
それを後悔してはいないだろう。
325 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 21:37:10
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
326 :
日本@名無史さん:2007/03/18(日) 22:52:43
>>304 >たとえそうでもあっても倭の五王の上奏文の内容とかみ合わないな
>毛人=朝鮮人
朝鮮人=毛人
アイヌ人=毛人
こういうことだろ。
フィリピン人=毛人、と。
328 :
白馬青牛:2007/03/19(月) 22:51:44
>>316 関東の騎馬兵云うんは、歩兵に速度を合わせた騎兵じゃけんのう。
軍事貴族が、九世紀以降温暖化により関東に移住した者も多く、関東発祥
じゃあるまい。関東へ移住した河内源氏も畿内の出身。小笠原流以前でも、
西国の新居宗長に対抗出来たんは、甲斐の浅利与一で、坂東武者は
「東八箇国には此矢に射勝すべき者覚えず」の拙劣な状態じゃった。
関東武者の弓下手は、西国や甲斐にも通用せんかったんじゃろう。
日本の馬飼育は河内からじゃし、東国の牧の馬も、摂津・河内・播磨に
送られ、「津(摂津)の国飼いの駒」とあるよう、楠葉・鳥飼・垂水御牧で
飼養された。馬飼育下手の「東国の御牧」の馬を再飼育したんかのう。
騎馬技術下手の関東人でさえ、関東山麓の高句麗系や関東低湿原の
東漢氏系の檜前牧等渡来系馬飼育文化の影響もあろうに。
軍事貴族(一応、学術用語だが)の使い方間違ってるぞ。
(和田義盛)
「船には乗らず、馬に打ち乗って渚にひかえ、甲をば脱いで人に持たせ、
鐙の鼻踏みそらし、よっぴいて射ければ、三町の内外の物は外さず強くう射けり」
↓
(平家方)
「遠矢を射る者は少なかり」
そこで伊予国の仁井親清が召しだされ、遠矢を射返す
↓
(源氏方)
甲斐の浅利与一が遠矢で対抗、仁井を射殺す。
和田(騎射)、新居と浅利(歩射)。適当に文章構築するなよw
長野や群馬などの牧で育った馬を京都へ送る時に、規模の小さな畿内の牧へ一時的に預けておいて
それから都に送っただけ。
その程度の役割だよ、近都牧は。
また武蔵の檜前か。
それは東漢氏と関係ないぞ。
330 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 23:44:36
>>328 >「東八箇国には此矢に射勝すべき者覚えず」の拙劣な状態じゃった。
一体どこから引用してきた?
>檜前牧等渡来系馬飼育文化
飼育文化?
何だそりゃ?騎馬戦術なら4世紀にすでに入ってきてるが?
毎度ながらスゴイ妄想するな・・
331 :
白馬青牛:2007/03/19(月) 23:59:03
>>317 ノルマンも海路で南イタリア・シシリアに行っとる。
ノルマンのヴァイキング系海民、封建領主だけじゃのうて、フランク国の
農民兵も含めイングランドを侵攻したんじゃが。歩兵弓兵と騎兵の間断ない
攻撃によってイングランド軍は撃破したんじゃ。騎兵だけの功じゃないよ。
しかも農耕民のフランス式重装騎兵の採用でステップ遊牧騎馬民族の
戦闘法じゃない。海賊集団の風土、文化的影響における騎馬採用じゃ。
>>319 ドナルド・キーン氏は司馬遼太郎氏との対談で、日本の世間の哲学が儒教
で義理人情は仏教や神道ではなく儒教的言葉とされた。
司馬氏がザビエルが見たころの薩摩人が儒教以前と言い訳されたんに対し、
キーン氏は「藤原惺窩がはじめて儒教を勉強したいと思った時に薩摩に
行ったでしょう。」司馬氏は「これだからキーンさんの前ではうっかり
したことは言えない(笑)。」と。後の議論も司馬氏の言い訳論になり、
最後の日本自国のオリジナルなモラルは、親鸞聖人の「悪人正機説」
を挙げたんじゃ。司馬氏も播州門徒じゃけえ浄土真宗を語り、
中国や朝鮮と概ね似とるが細部で違う言われりゃあ、良かったのに。
わしが
>>161で挙げたよう、薩摩の儒教の薩南学派は中世であり、それを
無視した司馬氏の失態じゃ。慈悲・供養などは儒教の影響でなく仏教の
影響であろう。まあ、日本人と中国や朝鮮の人達と共有する価値観に
儒教は欠かせん。日華事変でも敵味方に分かれた日本兵と中国兵も信義・
仁義を尊重し、欧米の人達と違う価値観共有意識とも云えるが、逆に
米軍も日本人の斬り込み攻撃はスポーツ精神に反すると批判し、ドイツ軍に
対する共有価値観意識も、東洋と西洋の思惟の違いじゃろう。
>>330 >檜前牧等渡来系馬飼育文化
usiは檜前牧東京説を採用してるんだろうけど、丘陵地の埼玉北部説のが有力なんだよね。
丹党と関わりが深い檜前舎人直もこの辺りだったか。
で、usiは
大和国の東漢氏族の檜前直と、武蔵国造一族の檜前舎人直を以前から混同してる。
檜前なんて上総にも上野にも居るし、それも国造系だし、もちろん東漢氏と関係なしw
usiは薩摩嫌いだね^^
333 :
白馬青牛:2007/03/20(火) 00:47:54
>>319-320 ワレの挙げたつまらんウイキでも、19世紀のビクトリア朝のこと
じゃないのによう捏造するのう。まあ、大西洋で活躍した海賊は、英国等の
本国より民主的じゃったとも云える。
満洲の風土を無視して政治圏で解釈するんも強引なこじつけになるのう。
政治圏としても契丹・室韋は突厥だけじゃのうて高句麗にも属しとったよ。
話をそらすんはワレじゃし、遼寧青銅器文化の影響を無視して東アジアは
語れまい。
東北を含め東日本の村落組織は、宮本常一氏や長島信弘氏も、
村の代表は世襲で親方子方縦社会とされ、村の代表を選挙で決め、
横型合議制の西日本と違うよ。中国地方でも差異があるんは当然じゃ。
山口県大島出身の宮本常一氏も、「郷里には権力による秩序があり、
人々の気持ちの底には階級社会に屈する気持ちが残っていた。
芸備(広島県)は、地主と小作の家などほとんど見分けることが出来ない。
これが関東や東北ならば、たいていそれとわかるのである。」
東日本は昔から格差社会じゃけんのう。東日本は共産国家の党員と非党員の
中間層のない社会二分化格差と変わらんし、資本主義でも最近のグローバル
経済賛美の傾向じゃけえ、中間層が没落し社会のニ分化と成りつつある。
東北は、山人であるマタギの獲物を平等に分ける平等主義は別として、
支配者と隷属農民の格差社会じゃったけえ、日本自体の東国化現象か。
>>333 あほだな
横浜の辺りじゃ名主の世襲制なんて江戸期を通じてほとんど崩れてるぞ。
あと例えば、酒田の本間家。あそこも成り上がり邪険能。
宮本常一は25年以上前のおとっつあんだろ。農村史としても古過ぎる罠。
335 :
白馬青牛:2007/03/20(火) 01:24:26
>>320 まあ、西日本でも封建的隷属性が残った地域でも東日本と較べると
はるかに民主的であろう。坂本龍馬の海援隊も水夫も含め給与は
平等じゃった。関東の新撰組の組織なんかは、給与の格差が強いねえ。
給与を獲物であり共同体の一員に平等に分けるか、給与を農耕生産労働力と
して生産力を持つ方と持たん方に格差をつけるかの違いはあろう。
その点で、東北のマタギ狩人やアイヌの人達は、東北日本社会の構成員
から逸脱した存在なんじゃろう。
李氏朝鮮の白丁の前身である、高麗の禾尺・楊水尺を云うたんで。
わしゃあ戦前世代の人達の昔話をよう聞いたけえのう。
朝鮮人や台湾人が戦勝国ズラして非道な行為をしたんはその通りじゃ。
戦地でも、朝鮮人は日本軍の権威を利用し中国人のカスリを取っておったが
終戦後日本人を国府軍や売る背信行為をやったんじゃが、日本人も関東軍
は、満洲で日本人開拓民を置いて逃げるし、シベリア抑留でもソ連の犬に
なり同胞の日本人を売ったり、、ロシア人が投げるパンに群がり争うて
取り合う動物園の動物以下の奴隷性を発揮した日本人もおるけえ、
他民族の行為ばっかし悪う云える立場にないんは残念じゃ。
336 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 01:36:59
>>331 はあ・・・
>日本の世間の哲学が儒教で義理人情は仏教や神道ではなく儒教的言葉とされた
儒教はどこの階級のものだった?
>藤原惺窩がはじめて儒教を勉強したいと思った時に薩摩に
行ったでしょう。」
数少ない事例を言われてもな・・・
>日本人と中国や朝鮮の人達と共有する価値観に
儒教は欠かせん。
ベトナム人忘れてるぞ
337 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 02:01:01
>>333 >大西洋で活躍した海賊は、英国等の本国より民主的じゃったとも云える
どのへんが?
ヴィクトリア朝の時代わかるか?
>1856年のパリ宣言でヨーロッパ列強は私掠船の利用を放棄した
とあるが・・
>満洲の風土を無視して政治圏で解釈するんも強引なこじつけになるのう
だから扶余は?
扶余も騎馬民族じゃないんですか?
>話をそらすんはワレじゃし、
遼寧文化圏の構成民族の話から始まって今その影響を論じているのは
お 前 だ ろ
>村の代表は世襲で親方子方縦社会
>村の代表を選挙で決め、横型合議制の西日本と違うよ
待て待て待て。
村の代表を選挙で決める?地下請じゃないんだから。
東北でも地下請は行われていたし、それは住民{といっても田を
持つ者だけだが}の総意で選ばれた者だ。
しかも庄屋が選挙制?東西変わりなく有力者が世襲してるんだが・・
338 :
続き:2007/03/20(火) 02:07:57
>芸備(広島県)は、地主と小作の家などほとんど見分けることが出来ない。
一体いつの時代の話をしてるんだ?
幕藩体制以前なら、それは東日本でも同じだし。
以後なら、この話は成立しない。
>人々の気持ちの底には階級社会に屈する気持ちが残っていた。
村請制を基盤として幕藩体制が成立してるんだから、そりゃあるわなあ。
>東日本は共産国家の党員と非党員の中間層のない社会二分化格差と変わらんし
共産主義の内部で格差が生じているから東北は格差社会なのか。
随分と狭いな。お前の世界は
>中間層が没落し社会のニ分化と成りつつある
それは日本全国に見られることだが・・・
>支配者と隷属農民の格差社会じゃったけえ、
中国地方も、富農と貧農の格差社会だったな。
なあ、中国地方で選挙によって庄屋が決められたという具体例出してくれんか?
339 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 02:16:48
>>335 >関東の新撰組の組織なんかは、給与の格差が強いねえ。
新撰組はどこの組織に属していたか知らないのか?
東北の南部三閉伊一揆を知らないか?彼らは藩の重税に耐えかねて
連判を作り、一揆を起こした。
中国地方の隷属農民とは違うよ。
>、高麗の禾尺・楊水尺を云うたんで。
海賊がいた。だからそれの血が日本人に入っているに違いない
この論理で行くと
後漢末期、ローマ皇帝の使節が中国に来た。
中国人にはローマ人の血が入っている
ということになるが・・
>動物園の動物以下の奴隷性を発揮した
極限状態の下で、お前はそうならないという自身があるか?
抑圧するものも自身に危害を加えるものも無い状況で、戦勝国民と
ほざきながら略奪・暴行など
弱 い も の い じ め
をした朝鮮人は
極限状態の中、生きるために他人を押しのけた日本人と
同 じ な の か ?
340 :
白馬青牛:2007/03/20(火) 02:35:29
>>321-322 その近接白兵戦よ、他藩の政府軍が躊躇した中、広島神機隊は単独
抜刀攻撃で奥羽軍を撃退したんじゃ。弱兵はどっちなら。
武士の「武」が付く限り都の武官が関係ない云う方が可笑しかろうに。
水軍・西日本の打物戦・遠矢と、坂東の組打ち戦・近矢説もあるが、
遠矢の技術がない云うことは、戦闘集団として欠落しとった云うことにも
なるんじゃないか。関東のセミプロ軍団は。
>>329 関連しとるが、浅利与一が射殺したんは新居宗長(阿波)と山本幸司氏の
引用じゃが、坂東蛙君は誰の引用したんか?大和の檜前は東漢氏じゃろう。
武蔵の檜前牧は現在の浅草付近で、「荒」地名も多いんじゃないか。
>>323 新羅の文聖王が張保皐親分の娘さんを王妃にする予定が中央貴族連中に
邪魔され、その対立から殺されたことになっとるが、新羅中央貴族連中の
海洋軽視は平清盛も福原遷都を都の中央貴族に反対されたことの方に
類似点を考えるけど。中国でも海民は蔑視されたよう、東アジア全体の
傾向じゃろうねえ。
>>340 今宵はusiより遅寝じゃけん
地方豪族の子弟が担ったのが日本の軍団制な。
東国舎人とは言ったもんだ。
遠矢は余技。坂東の「馬上」が抜けてるぞ。
セミプロとか下らないからやめとけ。高橋氏も今じゃ触れられたくない過去だろうw
伊予新居は『平家物語』、もしかして阿波の新居は『源平盛衰記』か。
どちらにせよ四国武者だし大した違いではない。
遠矢でも畿内武者の出番なし、歩射の遠矢は九州・瀬戸内武士。
騎射の遠矢で活躍・梶原景季。相模武士は恐ろしいのう。
荒→安羅を指したいのか?さすがの想像力w
荒れてるから荒川だろう。
武蔵の檜前氏はね、檜前舎人部の伴造氏族。
で、丹党が丹治比真人姓を称してるのも宣化天皇繋がりで、だからその影響だろう。
牧の否定地は諸説あるもんだよ。
この東人は常にいわく 額に箭(矢)は立つとも 背に箭(矢)は立てじ
『続日本紀』
あづまをのこは いでむかひ かへりみせずて いさみたる たけき軍卒
『万葉集』
広島を自慢したいために関東や東北を貶めて罵るとは、
呆れたクズだな>白痴青牛
春休みで舞い上がってるそのへんの厨房ならいざ知らず、
いい年したオヤジのくせしてこれだ。死んでいいよ。
343 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 06:57:43
>>331 >日華事変でも敵味方に分かれた日本兵と中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
中国兵も信義・仁義を尊重し
笑うところですか?
344 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 07:07:02
>>335 敗戦でシベリアに抑留され仕方なく、
「ロシア人が投げるパンに群がり争うて取り合う動物園の動物以下の奴隷性を発揮した日本人」
と、
「戦勝国ズラして非道な行為をした」朝鮮人を一緒にすんなクソ。
おいクソ。
おまえ死ね。
345 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 12:19:16
>>340 >抜刀攻撃で奥羽軍を撃退したんじゃ。
撃退?
抜刀で?
お前何の戦いを言ってるんだ?
広島の人間がお前のような妄想家だと思いたくないものだ
>武士の「武」が付く限り都の武官が関係ない云う方
おやおや、反論できずに持説の押し付けか?
武士と武官の違いは何かな?
>新羅中央貴族連中の海洋軽視
へえ〜
なるほど
どこの馬の骨とも知らない成り上がりが国王と結婚するのが海洋軽視?
お 前 本 当 に お か し い よ ?
347 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:34:14
>>331 >ノルマンも海路で南イタリア・シシリアに行っとる。
私も実はそのような先入観念があった。その原因は高校世界史にある。
私が習った教科書の、ヴァイキングの征服を示す図には、ジブラルタル海峡を
通ってシチリアに至る、太い矢印が引かれていたのだ。このような図から
受けるイメージは、地中海を押し渡るヴァイキング船の船隊だ。
それが単なるイメージであって事実ではないことを知ったのは最近になって、
南イタリヤのノルマン人たちのことを本で読んだからだ。
ネットにも資料は多いよ。
348 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:39:21
>>331 >歩兵弓兵と騎兵の間断ない攻撃によってイングランド軍は撃破したんじゃ。
>騎兵だけの功じゃないよ。
私が1500騎の騎兵と言ったのは、軍隊の規模を示すためだ。
当時の軍隊構成から言って、その数倍の歩兵、弓兵がいたのは当然。
だから全体は約7000人の人数だった。
>ノルマンのヴァイキング系海民、封建領主だけじゃのうて、フランク国の
>農民兵も含めイングランドを侵攻したんじゃが。
上記のような数・構成の軍隊であれば、当然ヴァイキング系だけでは足りない。
侵攻軍は多くのケルト系、ゲルマン系の土着民を含んでいた。
だいたい、ノルマン人という言葉自体が、字義通り「北の人」つまりヴァイキング
を指すのではない。ノルマンジー半島の人、という意味だ。
このことを最も端的に示すのが、ノルマン公ウィリアムが純粋のヴァイキング系
ではなかった、という事実だ。彼の母は、彼の父が外回りのときに一目惚れして
めとった土着民の娘だった。
349 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:40:18
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
350 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 21:42:04
>>331 >しかも農耕民のフランス式重装騎兵の採用でステップ遊牧騎馬民族の
>戦闘法じゃない。
誰が「ステップ遊牧騎馬民族」の話をしたのかな?
私はノルマン人が「中世騎士文化の最もすぐれた具現者だった」と言ったのだが。
>騎兵だけの功じゃないよ。
歩騎混成の軍隊だから、当然、騎兵だけの功ではない。しかし当時の戦争で、
騎兵は戦力の中核だった。今日、飛行機と戦車がなければ近代戦を戦えないのと
同じだ。
ヘースティングスの戦いの決着をつけたのも、何回かの失敗の後に夕方になって
行われた、最後の騎兵集団の突撃だった。
>歩兵弓兵と騎兵の間断ない攻撃によってイングランド軍は撃破したんじゃ。
その通り。そして、そのような戦闘を行う7000人の軍隊を、もはや海賊とは
呼べないだろう。
351 :
白馬青牛:2007/03/20(火) 23:06:47
>>332-334 檜前埼玉北部説たァ誰の説か?武蔵国造一族とする根拠もないし、
上毛野氏も渡来系かどうか解らん。後世の徳川氏が一時藤原氏系を名乗り
よったんを源氏新田氏系にしたのう。古代の系譜なんぞええかげんな
もんじゃ。
宮本常一氏が25年前?関東蛙君も馬鹿たれじゃのう。村落構成の考察は、
時代が現代に近うなるほど昔のことを知る長老がおらんようになり、
文献の手前勝手な解釈妄想が横行するんじゃ。まあ鎌倉期に作られた
『平家物語』で自慰する関東人の共産主義史観妄想じゃのう。現在に
近ずく¥ほど根拠に乏しゅうなる。宮本氏は現地を訪れ、
フィールド・ワークされとるよ。民俗学的考察も無しに文献上の農村史を
語りよっても空理空論じゃないか。
>>341 遠矢が余技?モンゴル帝国軍の遠矢歩射も余技になるんか?
現在でもナーダムで弓競技の遠矢歩射はどうなるんか?
高橋昌明氏が触れられたくない過去とする根拠は何なら?
近畿南部の吉野、十津河の指矢三丁遠矢八丁は無視か。
徴発された東国奴隷兵を自慢しても、関東兵は弱かったけんのう。
せいぜい越後人の奴隷市場で売られんようにせにゃあのう。
352 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 23:35:35
>>350 前高句麗の領土を扶余が通ったと主張していた人か?
353 :
白馬青牛:2007/03/20(火) 23:59:46
>>336-337 ええかげんな妄想のワレの一言コメントに答えるんもレスの無駄じゃが、
まあ、知らん人もおろうけえ、海賊社会の民主的性格でも挙げたろう。
http://www.wound-treatment.jp/next/dokusho78.htm 下の方に、海軍の下級兵士達の足枷をはめられた奴隷扱いと較べ、海賊船の
規則の厳正や船長とヒラ水夫の取り分が1,5倍と民主的じゃ。
日本の海賊の方が平等じゃ云う批判もあろうが、陸の農耕組織よりも
海民の方が民主的なんは日本も変わらん。山海の獲物は平等に分ける。
それと山の民の山分け(彼らも獲物を平等に分ける)も、民主的じゃ。
遊牧民も平等な山分けで、農耕民は生活様式から、頑張って生産力を
上げた方が報酬を貰うんが、それだけ努力したゆえ当然云う社会なん
じゃろう。遊牧民は農耕民と交易するが、商談不成立の時は掠奪する。
一生懸命働いた農耕民のカスリを取る寄生が国家形成につながったん
じゃろう。
354 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 00:26:42
>>353 ふうん。勉強になったよ。
で、
>山海の獲物は平等に分ける。それと山の民の山分け(彼らも獲物を平等
に分ける)も、
海にも山にも地下請制が存在してて、それは平地でも同じで、
日 本 全 国 ど こ で も 平 等 性 が 貫 か れて た
けど、
それでも
東 日 本 は 不 平 等 社 会 な ん だ w
>一生懸命働いた農耕民のカスリを取る寄生が国家形成につながったん
じゃろう。
なあ、匈奴ってどうやって国家を形成したか知ってるか?
>>351 牧の比定地に根拠を求めても資料的に制約があるが、檜前馬牧は北埼玉説が有力って事。
甲斐・信濃・上野・武蔵四ヶ国の勅旨牧で、最大規模の牧は武蔵多摩郡の小野牧(つまり西東京)だけど、
これもはっきり場所を比定出来るわけじゃない。
小野牧と横山党の例を見ても、牧と武士団の形成は密接。
なのに、usiが騎馬民族にしたい畿内は馬牧に向かない土地柄で、評価の低い馬を生産してたという不思議さw
『浅草寺縁起』に檜熊というのが出てきて、それが南東京説に繋がってるんだろうけど、
檜前に関していえば史料的にも武蔵北部の方がメジャー。
馬具などが出てる中堀遺跡が、加美郡の豪族・檜前舎人直の近くだったか。
舎人直ってのは、都で軍事的奉仕をした舎人の長って意味。大和の檜前直は大和国高市郡檜前の檜前氏だから全く違う。
>その他まとめて
古代名族の上毛野朝臣と、室町期の徳川・・・松平家を同列に論じてもな。
平家や太平記をネタに広島風ソースでからめながら妄想してるがusi
宮本常一(1981没)
一揆や打ち毀しが頻発してた安芸が平等社会のわけないし、それと安芸・備後はえたが多いな。
馬上での弓射が余技。
無意味な越後ネタは飽き飽き。上杉家は鑓がお好き。北条は馬上好き。武田は良い塩梅。
356 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 00:33:00
>>353 で、
何 時 の 時 代 に お 前 の 言 う 平 等 な 西 日 本
農 村 社 会 が 存 在 し た ん だ ?
1 西日本社会の江戸時代における庄屋選挙制度の実例
2 東日本社会の江戸時代における村請制の存在を否定する資料
これらを見せてもらおうか?
俺 の 主 張 を 妄 想 と わ め く な ら
357 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 00:34:58
358 :
白馬青牛:2007/03/21(水) 00:44:18
>>355の訂正:馬上弓射における遠矢が余技。
>>357 usi遊びは楽しいよ♪
おすすめ戦国板の(=゚ω゚)を見習いたい。
>>358 リンク先見てないけど、東西に分断するusi説は極端すぎ。
石原も田舎者。現代社会を象徴するDQNは角英新潟と大阪。
360 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 07:51:58
いい加減、スレ違いは や め ろ!
363 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:08:53
>>358 >「東北日本の双系制同族村落」と「西南日本の父系的な年齢階梯村落」、
あのさ、それは村落内の構成単位の話だろ?
西日本の父系的な年齢階悌村落って、封建的じゃない?
しかも
>関東・坂東では家屋はそれぞれが自立的傾向をもっていて
らしいが?
>下の方に、東西日本の社会構成の違い〜
今 は 村 落 の 話 を し て い る ん だ ぞ ?
何だ?在郷町なのか?ブログに出てるのは?
>東日本の支配者対農奴、西日本の共同体との違いを〜
そのブログの主、村請制を全く理解していないな
どうやら幕藩体制の下での話をしてるようだが、富農が隷属農民を従えていた
というのは
室 町 以 前 だ
{鴨谷ゆり子氏・研究対象 信州下伊那郡}
しかも、それは太閤検地によって
江 戸 初 期 に は 消 滅 し て い る
364 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 14:15:46
いくら本職じゃない人間の話を引用したって意味が無いんだよ
1 西日本社会の江戸時代における庄屋選挙制度の実例
2 東日本社会の江戸時代における村請制の存在を否定する資料
早く出してくれよ
いつまでも続く
大林賢栄VS大林賢栄の
バレバレ問答w
騙してるつもりwww
366 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 20:47:45
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
367 :
白馬青牛:2007/03/21(水) 23:47:44
>>342 おどれは、人に対し死ねじゃあ?どがあな躾されとるんか知らんが
日本人は人様に対し死ね云わんよ。何処の国の者なら?
>>355-359 どういう点で檜前牧の北埼玉説が有力なんか具体性がないど。
史料的に云うんは何処の史料か?中堀遺跡の馬具の形態についても詳しゅう
書けえや。抽象的過ぎるわい。加美郡は荒川流域を遡った途中の新羅郡も
含め上州の新羅系ラインか檜隈集団の漢氏系と重なりあう地帯かのう。
森浩一氏説じゃあ、河内胡等、川原の馬飼育は百済系(漢氏、史氏も含む)
で、関東や信州の台地や山麓の牧は高句麗系とされる。荒川流域は、
甲信地方や関東西部(小野牧・石川牧等)の台地・山麓の牧と違う集団の牧
じゃったろう。ほいで馬の体格は、台地・山麓の牧で飼育したら高句麗の
果下馬のように小形になるんか?わしゃあ馬について詳しゅうないけえ、
関東馬文化に詳しいんなら知っとろう思うて聞くんじゃが。
広島風ソース云うてお好み焼きじゃあるまいし。宮本常一氏は、安芸広島を
郷里の周防山口よりも、封建制の薄い権力から解放された地域とされる。
一揆や打ち壊しの文献だけで、関東・東北の地主と小作の家に格差のある
隷属農奴社会の概念を当てはめられてものう。我が家が大きゅうなって
「我に見習え」云う東日本と、村全体の為に尽くす西日本との差や、
東北には被差別民を生む余裕、キャパシイもない隷属農奴社会と
宮本常一氏は指摘されておられる。
越後人の開いた奴隷市場で売られた関東人の越後に対する劣等感か。
日本列島は西のユーラシアプレートと東の北米プレートと地質も違う。
列島東西は異民族じゃろう。
368 :
白馬青牛:2007/03/22(木) 00:32:38
また、マルクス共産主義の時代的な発展段階説やヴァイキング非海路説等の
妄想東北人の連投か。嫌韓サイトか、ウイキの受け売りぐらいしかない
洗脳されたカルト君じゃわい。ワレは大和民族でないのに、朝鮮人を
憎悪することで大和民族に入れて呉れ等、憐れな媚よのう。
ワレが、何度も同じ言を繰り返しとる西日本の村落の選挙制か。
http://www1.ocn.ne.jp/~hanajima/newpage204.html 下段の「村方入札」の解説にある「本百姓」による選挙。
今TVで秦の兵馬俑を観よるんじゃに。ふむ、秦の先祖以来の
遊牧民的要素か。ほいで、ワレの連投はつまらん。
>>367 だから、武蔵北部加美郡の豪族・檜前舎人直との関係性から有力視されてるって事だろ。
中堀遺跡?マニアックでしょ。埼玉県の調査報告書でも読まなきゃ知らね。
馬具っつたら、騎馬民族wの畿内じゃなくて、奴隷民wの関東において実戦的な進化を遂げてきた事実が不思議ちゃんだよな。
宣化天皇の檜前であって、安羅系渡来氏族漢氏の檜前とは関係ない。
usiは氏姓制度を勘違いしてるんじゃないのか。
武蔵石川牧は元石川か本牧あたり、横浜市域の馬牧だが、これも横山党と関係してる。
当時の荒川流域(元荒川)なんて武蔵屈指のど田舎だし、
加えて、新羅系ラインとか檜隈集団がどうとか、何の根拠も無い事を(笑)
畿内の小規模な牧、東国の規模の大きな牧>森氏
高句麗に密接なのは信濃。高井とか。
常一は西国マンセー史観。山城の革島氏なんてどうよ。大和の狭川は。
越後ワロス。
370 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 08:41:08
>>367 おいおいファビョんなってw
>安芸広島を郷里の周防山口よりも、封建制の薄い権力から解放された地域
結局
西 日 本 は 民 主 的 な 天 国 じ ゃ 無 か っ た っ
て ワ ケ だ
>関東・東北の地主と小作の家に格差のある隷属農奴社会の概念を当てはめ
られてものう。
隷属農民が困窮して打ち壊し・一揆が頻発したんだろう?
権力の影響の薄い地域の農民が、何故反体制運動をするんだ?
>村全体の為に尽くす西日本
だから、地下請にせよ村請にせよ、その中心は村内の農民であって、彼ら
は互いに独立・対等で、村への帰属意識は極めて強かった。
それは西でも東でも同じだ。
つまり、お前の言う奴隷農民社会とは、村請制の下では存在しない。
だから、俺はお前に問うたんだ
「東日本に村請制の存在しない根拠は一体何か?」
とな。
グダグダ「先生がこうのたまっておられました〜」とほざいてないで
根拠を出して見せろ
371 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 09:02:18
372 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 21:55:14
>>368 >ヴァイキング非海路説等の 妄想東北人の連投か。
9世紀、10世紀のヴァイキング海賊ならもちろん地中海にもいた。
しかし彼等のやったことは海賊行為であって、征服事業ではない。
南イタリア、シチリアを征服したのは11世紀のノルマン人である。両者を
混同してはいけない。(君が最初に言ったのも、フランク王から土地をもらった
ノルマン人、と言うのだから後者の話だったはずだ。)
上記の二つのケースについて、下記のページが記述している。
http://www.public.coe.edu/~theller/soj/nor/nor07.html まずヴァイキング海賊について。ヘースティングスという有名な海賊船長がいた。
彼はイタリアのトスカナの、ある港に着いて、教会に使者を出して、船長が死んだ
から葬式を挙げて欲しいと頼ませた。そして棺のなかに生きた首領を入れて教会
に入り、お祈りの最中に暴れ出して教会の人達を殺し、貴金属を盗んで逃げた。
彼等は確かに船でイタリアに行った。しかし単なる海賊であった。
373 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 21:58:25
>>368 次ぎに、後にノルマン人のリーダーとなるロベールギスカールが、すでにイタリア
に住んでいた兄ドロゴを頼ってアマルフィに到着したところの記述。
彼等は5人の騎士と30人の従者であったが、ずだ袋と杖を持った巡礼者の姿を
していた。なぜ巡礼者か。ローマ教皇がすでにノルマン人を警戒し始めていた
ので、教皇領を通って旅をするために変装を余儀なくされたからである。
ノルマン人たちが陸路で南イタリアに行ったことがわかる。
私の習った世界史教科書も、地中海のヴァイキング海賊と、ノルマン人の
シチリア王国建設とをごっちゃにしていたわけである。
374 :
白馬青牛:2007/03/22(木) 23:25:59
>>369 加美郡の豪族檜前連だけで何で檜前牧を北関東説が有力になるんか。
実戦的な変化たァなんなら。関東のどこか実戦的なんか具体的に
云わにゃあのう。関東の豪族は直木孝次郎氏の云われるよう「東国の
国造は神八井耳命(神武の皇子)、大彦命(考元の皇子)だとか、
天皇や天皇の子孫を祖先と称している地方豪族が多い。
ところが西国の国造は、皇別よりも、祖先の不明なものが多い。
独立的なものが多くいて、東国は、天皇家と結びつくことによって
権威を維持していた。」と云われる。系譜等ええ加減なもんじゃが、
坂東蛙君は、まさか実在人物か解らん神武天皇の皇子の子孫と
信じとるんか?ほいじゃあこのスレの嫌韓厨と変わらんど。
関東は将門や頼朝の貴種の権威を借りにゃあ何も出来ん隷属性があるのう。
荒竹清光氏の云われるよう、武蔵新羅郡、深谷市の幡羅、男衾郡の幡多、
児玉郡、賀美郡から上野に至り多胡郡吉井の新羅人等、荒川沿いに
周辺の地域に広がった面もあろう。高句麗は相模の大磯、武蔵の狛江郷、
高麗郡の関東西部の丘陵、山麓地帯じゃろう。
東国に多い牧の量より内容や形態じゃ。ほいで馬の馬格について解らんけえ
質問したんじゃが、関東で飼うと大形化したんか小形化したんか?
375 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 23:36:57
>>374 >関東のどこか実戦的なんか具体的に云わにゃあのう。
受け入れたくなくとも、事実はそこにある。
>関東は将門や頼朝の貴種の権威を借りにゃあ何も出来ん隷属性があるのう。
確かに、西日本の平氏も太宰府も、みんな朝廷の権威のおかげでその勢力
を維持できたな。なるほど
西 日 本 勢 力 は 隷 属 性 が 強 い
>>374 神武とか関係ないことを(ry
朝鮮は荒れるからやめとけ。
今回の長文レスは昨日で終わったけえ。
377 :
白馬青牛:2007/03/23(金) 00:23:08
>>370 火病で連投しとるんはワレじゃないか。その山口でも隷属東日本と違うよ。
宮本常一氏の云われるデモクラティックな安芸広島の地主と小作の家に
格差の少ない形態と関東・東北の地主と小作の格差を同一視出来る訳
あるまい。資産が10として有力者の取り分が多かったら、残りを取る
分け前が少のうなるんは小学生でも解ろう。
村請制云う言葉で列島東西、全国が均一云う意味にならんよ。一揆が
出来るんも村落の共同体の団結があるゆえで、例えば対馬の永代奴
(逃亡したら捕縛され下人状態が続く)が一揆を起こせまい。また、
一揆も村落社会構成で地域によって同一視することも出来ん。東北の
「最上っ子」のように数珠繋ぎにされ関東へ売られた社会と西日本が
同一社会とするんも強引なのう。村落の社会構成も知らずに文献から
手前勝手な解釈しても意味がないよ。
378 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 00:34:41
>>377 >火病で連投しとるんはワレじゃないか
普 通 に 反 論 し て る だ け で す が ?
>デモクラティックな安芸広島の地主と小作
「デモクラティック」な「小作」か・・・
日本語勉強しろよ。
>格差の少ない形態と関東・東北の地主と小作の格差を同一視出来る訳
そんなの聞いたことも無いな。
どれほど差があったんだ?
>一揆が出来るんも村落の共同体の団結
そ れ が 村 請 制 と い う も の だ
>永代奴 (逃亡したら捕縛され下人状態が続く)
そりゃあ五人組から逃げ出したら重い罰が待っておろうな
http://www.city.tsushima.nagasaki.jp/live/education/education08_03.html 対馬でも一揆が起きとりますが?
>東北の 「最上っ子」のように数珠繋ぎにされ関東へ売られた社会
何故「奴隷売買」の話になる?今は「農村社会」の話をしてるんだぞ?
ごっちゃにしてるんじゃない。
379 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 00:35:24
毎度ながら、反論できなくなると手前勝手な妄想を連投するな。
この広島人は。
380 :
白馬青牛:2007/03/23(金) 01:33:34
>>371 東日本の世襲名主が少ない云うより内容の問題じゃ。地主層が大きな家で
暮らしとったら、村民の利益が減るんは算数の問題じゃ。下の方の三河は
フォッサマグナ以西で、習俗的にも西日本に属する。近畿政権が美濃から
東国にするんは政治的要因で、文化的には糸魚川〜浜名湖ラインか駿河
まで西日本に加えるか分れる地帯で畿内の京都も西日本から東日本の移行
地帯で西日本と断定出来ん状態じゃ。
民俗学的に考察を無視して文献上の表面上の「入札」をキーワードにしても
何ら意味をなさんよ。文献を解釈出来るんは社会的経験が無いとのう。
まあ、江上氏の云われる研究室だけ通う世間知らずの若造と変わらん。
その点で、学問板にゃあ理解出来ん馬鹿がおるけえ書いとこう。
文書じゃあ、現代でも休暇を取るのに病気じゃ、昼間遊んどって報告書に
訪問した会社を書くんも同じじゃ。文献など虚偽報告書に過ぎんのに、
未来の人間が文書に残っているのだから真実云うても、本当に病気で
休んだじゃあ、本当に他者を訪れ仕事をしよったじゃあ、文書で正直な
報告する者がどこにおるんかいのう。
都合が悪りいと日本分断工作じゃ、朝鮮人じゃ、勝利宣言云う用語も
嫌韓厨の受け売りステレオタイプじゃのう。ワレは反論云うより、
大和民族に加えて呉れ云うて吼えとるだけじゃないか。
戦前は、蝦夷人も含め朝鮮や台湾も日本人じゃったよ。
村落の衆よりも家を重視する朝鮮人と東日本人の同族がお互い憎悪しとるん
も笑えるよのう。
381 :
白馬青牛:2007/03/23(金) 02:53:14
>>378 ほりゃ、見てみんさい。わしが対馬の永代奴が云うたんが、
対馬に一揆が無かったじゃあ云わんのに、毎度の短絡的文脈揚げ足取りする
しかないたァのう。ほいで農村社会の列島文化領域の話じゃないんか?
>>380 >文献を解釈出来るんは社会的経験が無いとのう。
おいおい(呆
一体おまえのどこが文献を「解釈」してるというんだ?
ろくすっぽ検証も分析もせず、
頭から「そんなもん虚偽!」と決めつけてるだけだろうが。
いい加減にご都合主義をやめろ、見苦しい。
383 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 22:37:49
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
384 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 23:14:51
>>380 >東日本の世襲名主が少ない云うより内容の問題じゃ
>東日本は昔から格差社会じゃけんのう
おーい、随分主張を変えたな。
>地主層が大きな家で暮らしとったら、村民の利益が減るんは算数の問題
じゃ。
西日本の庄屋が東日本の名主より一般農民との冨の格差が小さかったと
いう根拠は何か?
>フォッサマグナ以西で、習俗的にも西日本に属する。
フォッサマグナで文化が異なるとわけではないぞ。
関が原付近で文化が変わるという説もあるがな、
東 日 本 の 明 確 な 定 義 な ど な い の だ よ
385 :
日本@名無史さん:2007/03/23(金) 23:21:34
>>380 >民俗学的に考察を無視して
入札は立派な「社会制度」だ。
民俗学というのは「現実の村落共同体」を無視するものなのか?
なんら意味を成さない?
今は
「東日本の村落共同体は封建的であったか」
もしくは
「西日本の村落共同体は民主的であったか」
が論点だろ?
入札という選挙制度が東日本の村落共同体にあったことは「東日本
の村落共同体は封建的である」という命題を否定するものだろう?
意 味 を 成 さ な い の は お 前 の へ 理 屈 だ
386 :
続き:2007/03/23(金) 23:29:04
>ワレは反論云うより、大和民族に加えて呉れ云うて吼えとるだけじゃ
ないか。
グダグダわめく前に、ちゃんと立派に反論してみせろ。
お前達朝鮮人は、本当に理性的な反論ができないな
>村落の衆よりも家を重視する朝鮮人と東日本人の同族がお互い憎悪しとるん
も笑えるよのう。
どうやら俺の出した資料を読んでないらしい。
村請制という「自治組織」「村落共同体」の存在が明らかなのにも関わらず
駄々をこねているな。
しかも、朝鮮人が重視するのは家じゃない。血縁だ。
自分で妄想して、それを事実と勘違いする。
ナ チ ス ド イ ツ と 同 じ 思 考 だ
>わしが対馬の永代奴が云うたんが、対馬に一揆が無かったじゃあ云わんの
>例えば対馬の永代奴 (逃亡したら捕縛され下人状態が続く)が一揆を起こ
せまい
自 分 の 発 言 に 責 任 を 持 て
387 :
続き:2007/03/23(金) 23:31:42
>>386 >どうやら俺の出した資料を読んでないらしい。
白馬青牛は都合の悪い文献資料は
「全部虚偽」だと思い込んでいますからw
389 :
白馬青牛:2007/03/24(土) 00:59:03
>>382 ワレの検証や分析たァ何や?虚偽じゃのうて報告書に過ぎんじゃないか。
社会構成の違いから、村役の役割が同一云う方が可笑しい。
>>384 列島東西社会の相違は以前からゆうとるよ。富の格差は云うたはずじゃ。
日本分断論の梅棹忠夫氏も関ヶ原を東西の国境に云うとられるが、
伊吹〜鈴鹿ラインじゃあ、畿内政権の文献上の政治的区分で、習俗から
東海地方の浜名湖で別けるか、伊豆の箱根で別けるか困難じゃが、
京都〜東海は東西移行地域で明確な線は引けん。宮本常一氏も東西の
境界線を明示されてない。江上波夫氏は牧民的性格について、
「日本では、だいたい線を引くと静岡県の半分ぐらいから、富山県ぐらい
までなんだよ。それから西と、特にそれが一番すごいのは畿内から
瀬戸内なんだ。(中略)朝鮮を経由して、北方系のやつがずっと瀬戸内から
畿内を通って、伊勢湾、東海まで一部入っているんだよ。そういうのが
あるから、日本はそのときのチャンピオンを出しているんだよ。国際的な
チャンピオンを出すわけだ。じっとしていなきゃならないときは、
そっちのうまいやつもいるわけですよ。」と云われる。
江上氏の言は埴原和郎氏の形質人類学やHLA遺伝子の分布とも
関連し、人種論と誤解を招くかも知れんし、江上氏の個人と共同体の解釈に
疑問があるが、文化領域では妥当な考察であろう。
390 :
白馬青牛:2007/03/24(土) 01:49:28
>>385-386 フィールドワークの現実を無視して、研究室にて文献の文字面で解釈する
世間知らずの妄想論の方が問題じゃろう。文献のAとBが同じ文面で
あっても内容は同一じゃない云うんと同じで、会社によって、昼間サボル
理由を文面でどこまで受理するかじゃあ、上司が部下がサボっとるんが
解っても、文面を書き直せ云うて本人が書いた物が文書として残るような
もんじゃ。それが現実でリアリズムじゃないか。文献を額面通り
受け止めるんは、余程のお人好しか、宗教神学の解釈論じゃわい。
同地域においても村落形態は様々じゃが、実際を見聞せずに、妄想解釈
しても意味がない。戦後は東西の差異も薄れてきたが、戦前わしの親類も
学生として各地に知り合いがおって、東北地方を訪ね日本と異質な社会との
認識はあったよ。使用人に対する意識や贅沢な者と身売りせにゃあいけん
貧民との格差よのう。
自分の意見が否定されたら、在日じゃあ、朝鮮人じゃあ云うんは
嫌韓厨のワンパターンじゃないか。わしの文脈の揚げ足取りも、ワレが
読解力の無い低脳と自称しよるようなもんじゃ。
家の重視も、家族的結合で東日本は宗族制が発達した為か、朝鮮の
儒教宗族制と似とる。同族家結合の中国、朝鮮、東日本の極東3兄弟に
包囲されとる西日本も業(ごう)なのう。
391 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 12:36:08
>白馬青牛氏
スレ違いばっかり書き込んでおられるので質問。
韓国の前方後円墳についてのあなたの見解を。
393 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 18:20:31
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
394 :
続き:2007/03/24(土) 19:02:41
>>389 >列島東西社会の相違は以前からゆうとるよ。
お前の意見を聞いてるんじゃない
>富の格差は云うたはずじゃ
「東北農民は奴隷だった」
「西日本の農民は豊かだった」
これしか言ってないじゃないか。
根 拠 は 何 か ?
>宮本常一氏も東西の境界線を明示されてない。
だから、「東西の社会制度の差異」は「冨だの民主的だの」に
結 び つ か な い じ ゃ な い か
395 :
続き:2007/03/24(土) 19:10:47
>文化領域では妥当な考察であろう。
だから、お前の意見を聞いてるんじゃないって
>フィールドワークの現実を無視して
村請制も知らないで「農奴農奴」と連呼するお前に言われたかないな。
>文献のAとBが同じ文面であっても内容は同一じゃない云うんと同じで
村落共同体の自治=村請制の存在の可否を一方はあると言い、一方は
無いと言う。
同 じ 文 面 か ?
>献を額面通り受け止めるんは、
お前と違って、日本史を専攻してたんだよね。俺は。
だから分析も検証もしたよ?
>同地域においても村落形態は様々じゃが、実際を見聞せずに、妄想解釈
しても意味がない
お前の主張は「東日本の村落は、強権的な地主と農奴しかいなかった」
一方、戦後の研究によって村請制の実態が明らかになり、東日本方面の
状況もわかるようになってきている。
こ の 事 実 を 無 視 し て い る の は 誰 だ ?
396 :
続き:2007/03/24(土) 19:22:49
>>390 >東北地方を訪ね日本と異質な社会との認識はあったよ。
俺も「はだしのゲン」を読んで思ったよ。
西 日 本 は 犯 罪 者 天 国 だ
ってね。
戦前は保身を第一に考える広島市民に陰湿ないじめを受け
戦後は好戦的なヤクザや不良にからまれまくり
麻薬や軍属品の不法な取引で儲けた特権階級が金にものを言わせて
支配者になるような広島に生まれて
ゲンは本当にかわいそうだと思うよ。
>使用人に対する意識や贅沢な者と身売りせにゃあいけん
お前本当は戦前に生まれてないだろ。
農村の状況は全国どこでも同じ{寄生地主}だし
身売りなんて飢饉のときしか無いぞ?
妄想で東北を貶めるのはやめろ
>家族的結合で東日本は宗族制が発達した為か
だから「宗族制」ってなんだよ?
根拠を出せって
397 :
白馬青牛:2007/03/25(日) 00:25:33
>>391 スレ違いじゃないでしょう。列島東西文化領域は江上説に関わる問題でも
ありますよ。
韓国の前方後円墳ですが、現在前方後円墳の起源も明らかでない状態です。
韓国のそれは5〜6世紀の半島西南部のものでしょう。列島へ移ってから
戻った人達の墓か、列島の集団が百済人の臣下となった人達の墓かも
明らかでない状況で、判断し難い問題です。日韓共にナショナリズムで
一方の文化流入に拘っておるようですが、文化交流は、一方的じゃのうて、
商品、技術の相互交流を忘れてとるように思う。
>>394-395 またワレか。西日本の農民が豊かじゃ云うたこたァないど。宮本氏は
東西の境界線を明確に示しておられんが、美濃、尾張あたりから西に
属するとされとるよ。村請制が何でイコール自治になるんか。
わしが学生の頃の学科専攻まで云わんが、わりゃあ日本史専攻?
それにしちゃあ論理性もない、嫌韓厨と同じ一言コメントの連投するんかい
のう。東日本の状況もわかるようになってきている云うんは「どのように」
が無い抽象的言葉遊びしよりあがるだけじゃないか。わりゃあ卒論で、
そがん抽象的な文を書いたんか。再度小学校からやり直ししんさいや。
398 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 00:57:47
>>397 >美濃、尾張あたりから西に属するとされとるよ。
「誰に」だ?
お前の主張を聞いているわけではないと
何 度 言 え ば わ か る ?
>村請制が何でイコール自治になるんか。
>わしが学生の頃の学科専攻まで云わんが
愚かな奴だ。
村請制も知らないで「隷属農民」やら「デモクラティックな小作」
を論じていたのか?
まずな、南北朝の動乱から、村落共同体の自治・自衛が必要になるに連れ
「惣村」という「村落共同体」が形成された。
その力が強くなるにつれ、地主への年貢の納入を「村単位」で行うようになった。
これが「地下請制」だ。
惣村は「集落」という構成単位から成り立っているが、太閤秀吉の太閤検地
により、それまでの集落を再編成し、「新しい村落共同体」が成立した。
しかし、それが自治の消滅を意味したのではない。
江戸時代においても、引き続き村落共同体内の自治は相変わらず行われた。
「村請」とは元々「地下請」を意味していたが、後に「江戸時代の村落共同体
社会」を指すようになる。
つまり、「村請制」とは江戸時代の村落共同体の自治制度である。
知 っ た か ぶ り で 妄 想 を 投 下 す る な
399 :
白馬青牛:2007/03/25(日) 00:58:44
>>396 わしゃは、「はだしのゲン」を読んどらんけえ、よう解らんが、
戦前の保身、いじめ云うて何なら。戦後のヤクザや不良にからまれ、
麻薬や軍属品の不法な取引で儲けた特権階級?軍需品が売買され
儲けた者がおるが特権階級じゃないよ。不法な取引は占領下全国的な
ことじゃ。ヤミ市自体不法じゃないか。法を厳守して飢え死にせえ云う
ても出来る訳あるまい。
東北の娘っ子の身売りをゆうたんが、何で東北を貶めることになるんか。
東北は、近親相姦や赤子殺しの間引き等多くあったが、習俗と貧困の
問題じゃ。儒教は血族、同族の家族結合じゃないか。東日本も家を
重んじる社会で、縦型組織は特に朝鮮に近い。東日本の宗族制、長男を
重視する処ものう。
400 :
続き:2007/03/25(日) 01:07:29
>西日本の農民が豊かじゃ云うたこたァないど
では西日本の庄屋が貧しかっただけか。
東西の村落共同体指導者の冨の差が、どうして
>東日本では専制社会で、村落の代表も世襲で、郎従、下人の隷属度
も強く、隷属農奴縦社会
だの
>関東は将門や頼朝の貴種の権威を借りにゃあ何も出来ん隷属性があるのう。
だのに繋がるんだろうか?
>東日本の状況もわかるようになってきている云うんは「どのように」
が無い抽象的言葉遊びしよりあがるだけじゃないか
では言ってやる
東日本社会は村落共同体の結合が近畿に比較して弱く、かつ広い範囲で成立
していた。
しかしそれは自治の存在を否定するものではなかった。
後進地域と思われていた東日本においても、村請制は存在していた。
401 :
続き:2007/03/25(日) 01:15:52
>>399 >戦前の保身、いじめ云うて何なら
平和を求める主人公一家が軍国主義にそまった広島市民から
陰湿ないやがらせを受けることだ
>軍需品が売買され儲けた者がおるが特権階級じゃないよ
軍需品にありつけるのは誰だ?軍人かその関係者だろう?
>不法な取引は占領下全国的なことじゃ。ヤミ市自体不法じゃないか
公 的 な 物 資 の 横 流 し が 不 法 じ ゃ な い と ?
特 権 階 級 じ ゃ な い と ?
>東北は、近親相姦や赤子殺しの間引き等多くあったが、習俗と貧困の
問題じゃ
それはいつの話だ?言ってみろ
>東日本も家を重んじる社会
家を重んじるのは西日本の犯罪組織だろう?
>縦型組織は特に朝鮮に近い。東日本の宗族制、長男を
重視する処ものう。
それは何度も聞くがど ん な 根 拠 の 下 に そ う 言 え る ?
402 :
続き:2007/03/25(日) 01:17:51
根拠も何も示さないな。何時まで経っても。
「えらい人がこう言いました。だからこうなんです」
しか言えないのか?
全く資料批判どころか知識も何も無い奴だな。
人生を空費してきたのだな。
403 :
白馬青牛:2007/03/25(日) 01:18:08
>>398 また連投ご苦労さんじゃのう。近畿、東海、北陸の一向一揆や
安芸も兵糧を石山本願寺に送ったが、東日本は、町衆が領主に自治権を
要求したこともないどころか、人身売買で売り飛ばされる奴隷に過ぎん
かった。その東西が同一の社会の訳あるまい。マルクス主義の時代的
発展段階説で解釈するんが好きじゃのう。
404 :
白馬青牛:2007/03/25(日) 01:44:42
>>401-402 軍需品の隠物資は、裕福な者は買うて、貧乏な者は盗人したんじゃ。
終戦後の戦地や戦後に法がまかり通る訳あるまい。
近親相姦や間引きは江戸〜戦前の東日本、特に東北じゃあ普通じゃろう。
ほいで何回も云うが東日本の長子相続制のことじゃ。
えらい人がこう言うどう言うじゃじゃのうて、現地調査された人達や戦前の
人達の見聞から解釈するほうが妥当な事は当り前じゃろうが。
つまらん時間取らすのう。
てか安芸だけじゃないし
406 :
続き:2007/03/25(日) 01:51:18
>>403 >東日本は、町衆が領主に自治権を要求したこともないどころか、
人身売買で売り飛ばされる奴隷に過ぎん
だから、根拠は何だ?って・・
町衆が自治権を要求?まさか堺がそうだから西日本はそういう傾向
があったとか言う気じゃないだろうな?
人身売買で売り飛ばされる?
残念ながら、中国地方でも人身売買はひどかったぞ?
特に「江戸時代」はな。
大体、日本で人身売買が行われたのは古代と近代だぞ?
しかも飢饉のとき
毎度ながら、自分の世界に閉じこもってるな
407 :
続き:2007/03/25(日) 02:04:57
>>404 >軍需品の隠物資は、裕福な者は買うて、貧乏な者は盗人したんじゃ。
貧乏な奴が「軍」から盗めるか?
貧富の差はない。
軍需物資でたっぷり稼いで、汚い金で選挙で勝つ。
なんと汚らしい根性だろうか。
>近親相姦や間引きは江戸〜戦前の東日本、特に東北じゃあ普通じゃろう。
普通「じゃろう」
確かに東北には「夜這い」が横行していたが、明治政府がそれを禁じた。
何のために男子・女子の村落内組織を作ったと思ってるんだ?
>現地調査された人達や戦前の人達の見聞から解釈するほうが妥当な
事は当り前じゃろうが
そうだな、一次資料からの研究が必要不可欠だな
http://www2.ipcku.kansai-u.ac.jp/~hamano/eap/japanese/2.htm >また西日本の家族は北西ヨーロッパの直系家族と全く異なるとは言いきれず
ふむふむ、西日本の家族は縦社会中心だな
408 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 12:28:15
>>397 >韓国の前方後円墳ですが、現在前方後円墳の起源も明らかでない状態です。
それは韓国側がはっきり調査しない事が問題だと思う。
調査すればするほど「倭」の遺物が発見されるので、
積極的にはしないというのが現状だろう。
したがって「日韓共にナショナリズムで」と言うあなたの言い方はおかしい。
北朝鮮にも前方後円型の積石塚があるらしいが、
これも調査すればいいだけ。
やらずに江上や森に外見だけ見てもらって、
認知してもらおうという政治的意図がみえみえ。
>>397 前方後円墳の起源は
100%は日本だよ。
何故なら、日本で発掘される前方後円墳は
2〜3世紀の畿内の巻向が最初であり
朝鮮半島に距離的に近い九州のものは
4世紀〜5世紀と新しいんだよ。
よって、明らかに前方後円墳は日本の畿内を中心に広がっている。
410 :
fusiannasan:2007/03/25(日) 15:20:02
>>326 毛人をケビトと読むのは訓読みだが、シナへの上表文に訓読みを使うのか?
411 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 19:39:38
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
412 :
白馬青牛:2007/03/25(日) 23:04:39
413 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 23:33:52
>>412 >町衆が自治権を主張したんは堺だけじゃあるまいし。
東北にも大きな町は発展したんだが、何故彼らは自治権を要求しな
かったんだろうな?
>古代の倭人が生口を対外的交易の代価して活用し、
それにしては、「倭国は奴隷の産地である」とか記述している
資料が無いな。
妄想はやめろよ。
>中世の人身売買は当然のことじゃないか。
ふうむ、確かに人身売買は存在したようだな。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7 朝鮮征伐で多くの朝鮮人奴隷で賑わい、倭寇の略奪奴隷でも
栄えたようだから
西 日 本 で は 奴 隷 制 度 が 発 達 し た よ う だ
キリスト教寺院も、西日本の奴隷を海外に輸出して大いに稼いだしな
まだ騎馬民族征服説なんて、アホなこと言っている奴がいるの?
日本の地形上、騎馬部隊は唯一の利点である機動力を発揮出来ず、大陸ほど有効じゃない。
むしろ、的が大きいだけ、弓兵の格好の餌食。
近代でも、硫黄島戦や沖縄戦に投入された米戦車部隊はほとんど役に立たず、日本軍砲兵部隊によって多数撃破された。
軍事的観点において、少数の騎馬部隊による日本征服など単なる幻想。
415 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 23:52:02
>>412 >朝鮮半島(辰韓、弁辰)の鉄と交換する為倭人奴隷の生口と交換したんじゃろう
倭が金官の鉄を支配してたなら交換なんて必要なし。
417 :
白馬青牛:2007/03/26(月) 00:03:24
>>407 「続き」君は、大学時代社会学科じゃったんか?
そのサイトの落合恵美子女史を始め、ジェンダー史観のフェミニストで、
嫌韓厨、ネットウヨクの敵対思想者達じゃなかったんか?
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/kazoku1-2.html の落合女史批判文にあるよう、家族を崩壊させ個人単位になることを
マルクス左翼的社会発展段階説で説明しよるだけじゃ。
ワレはフェミニズム信仰か別として、嫌韓ネットウヨク時代的段階説で、
マルクス・ウヨクゆえ共感を覚えるんか?ジェンダー社会論が第一次史料
かいのう。さっきから笑いが止まらんよう。
ほいで、生活に困った者が軍需品の隠匿物を終戦後盗むんを批判出来る
立場に当時の人達はなかったし、「戦時中でも私利私欲の亡者が、戦地へ
不発弾を送り、その資材を流用する闇商売で、巨富を築き、戦後は
一流の紳士面で社会を闊歩した」連中もおることじゃし、何も広島に限った
ことじゃない。汚らしい根性は利権屋さんらじゃ。
418 :
白馬青牛:2007/03/26(月) 00:25:27
>>408 韓国側に不都合じゃったら前方後円墳も隠すんじゃないですか。
また、日本の東北の石器捏造に近いこともやろうとしたら出来る訳です。
日本側だけ信用出来るとも思いません。江上波夫氏が戦前でも「考古学者
にもいるんですよ。出ても隠しちゃうんだ。私はその先生と喧嘩して
嫌われちゃったけど、全部出すのが本当だっていいたい。」と
云われたよう、残念ながら日本の隠蔽体質も伝統じゃ。戦後、軍人でも
証拠隠滅の為、文書を焼却したことも考えたら、日本人の知識階層は信用
出来んよ。日本国内の遺跡も外国人に調査させた方が良いと思うよ。
>>416 実際、日本の軍事史上、騎兵が決定的役割を果たしたことなどほとんどないよ。
騎兵がその機動力を活かせるのは、あくまで広大な平原だけ。
機動力を封じられる地形では、単なるでかい的に過ぎない。
だからこそ、日本では歩兵と弓兵が主力となり、騎兵は脇役になった。
せいぜいが、少数が伝令などに用いられたぐらい。
420 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 00:42:39
>>418 >韓国側に不都合じゃったら前方後円墳も隠すんじゃないですか。
最初は韓国の前方後円墳は日本の前方後円墳のルーツだとかで、
大々的に発表したみたい。
しかし調べれば調べるほど前方後円墳ではなかったり、
日本より遅い時期の古墳だったりで、
たちまちトーンダウンしたというのが実情みたい。
422 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 00:52:57
>>417 >そのサイトの落合恵美子女史を始め、ジェンダー史観のフェミニストで、
嫌韓厨、ネットウヨクの敵対思想者達じゃなかったんか?
俺が「ネットウヨク」とやらに見えるのならそうなんだろうが
「ネットウヨク」=反フェミニスト・反自由主義とは思えんね。
ここにいる連中も、そうだろう
>汚らしい根性は利権屋さんらじゃ
広島には多いよな
>
>>421 武士の戦いも、主力は歩兵と弓兵。
騎兵が戦場で決定的役割を果たしたことなどほぼない。
>>424 だから、騎兵はあったが、それが決定的役割を果たしたことはあったか?
俺はそれを聞いているんだが?
はよ、その事例を出してちょ。
>>425 あほすぎる質問だ。
つ蝦夷
つ将門の従類
つ小右記の九州武者
>418
>戦後、軍人でも証拠隠滅の為、文書を焼却したことも考えたら日本人の知識階層は信用出来んよ。日本国内の遺跡も外国人に調査させた方が良いと思うよ。
ほんと、おまえみたいに致命的なバカを見ると、
広島の人権平和教育はつくづく罪だと思うしかないね。
たとえ降伏したにせよ、軍事機密が敵の手に渡らないよう
文書を焼くなんてのはごく当然の処置であって、
それをしない方が怠慢なんだよボケ。
将門って、どうやって死んだっけ?
429 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 09:46:55
>>418 >「出ても隠しちゃうんだ。私はその先生と喧嘩して
>嫌われちゃったけど、全部出すのが本当だっていいたい。」
その先生は何を隠したんだろう、気になる。
ま、そういう江上先生も老司古墳の在地型人骨の事実を隠したけどね。
430 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 17:14:24
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
431 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 19:50:39
韓国のマスコミでも書かれていたな。
朝鮮半島南部に前方後円墳が出てくるが
これは、倭系の遺跡だって。
で、韓国のマスコミや学者らは、これは、
倭に移民した半島人が再び戻って、半島南部に前方後円墳を作った
ことにしたいらしい。
でも、韓国の学者の間でも、流石にそういうふうに言うのが辛くなっている。
これまで、半島南部と倭の交流を九州に限定する向きが韓国サイドにあったが
あれは、出てきた木材は、明らかに畿内が起源であり
伽耶が交流していた倭というのは、西日本全体を支配していた
大規模な王権だった可能性が高い。
また、前方後円墳の起源を韓国にすることは殆ど不可能だ。
何故なら、日本国内にある前方後円墳の分布状況は
明らかに、3世紀初頭の畿内の巻向より始まっており、
半島に近い九州の前方後円墳は明らかに新しいのだ。(4世紀)
そして、その流れに沿って、5世紀〜6世紀にかけて
半島の南部に出現する。
433 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 00:31:55
5世紀以降、伽耶の鉄を支配してたのは倭だと思ってたが、決してそうとは言えないな。
というのも、日本式土器もあるほど交流があった北方式木槨墓に代わり、
竪穴式石槨墓が現れてから新羅の色彩が強くなってくる。
それが理由なのか、5世紀になり、倭は新羅とかなり戦ってる。
で、葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)が新羅の美女にうつつをぬかして3年間帰って来ないとかの話もあって、何だか苦戦してる感じだな。
そして南西部(全羅南道)に前方後円墳が出来始める。
倭の拠点が南西部に移ったという事だろうか。
434 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 08:05:13
葛城襲津彦(かつらぎそつひこ)が新羅の美女にうつつをぬかして3年間帰って
来ないとかの話
・・・朝鮮は古代からハニートラップをやっていたんだな。古代版山拓か。
435 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 14:46:09
>>432 >あれは、出てきた木材は、明らかに畿内が起源であり
>伽耶が交流していた倭というのは、西日本全体を支配していた
>大規模な王権だった可能性が高い。
「伽耶が交流していた倭」というのは4世紀のことだ。
で、「出てきた木材は、明らかに畿内が起源であり」というのは百済の古墳から
出た棺材のコウヤマキのことだと思うが、この古墳は6〜7世紀のものだ。
百済と倭の王朝は親戚づきあいのようなものだから別に不思議ではない。
436 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 19:18:37
だから、
伽耶には前方後円墳がない。
半島西南部には5〜6世紀の前方後円墳がある。
6〜7世紀の百済の古墳からコウヤマキの棺が出る。
というのは、「倭に移民した半島人が再び戻って、半島南部に前方後円墳を作った 」
という韓国人の説と、別に矛盾しない。
437 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 22:44:02
5世紀、高句麗の好太王が南進して新羅を配下に置き、
そして伽耶まで来た。
日本の初期馬具はその時の新羅との接触から、
あるいは避難してきた伽耶人からもたらされたみたいだな。
その後、5世紀後半の百済の熊津遷都(475年)の時、
百済系の馬具技術が急速に日本に伝わったみたいだ。
群馬県剣崎長瀞遺跡などはその典型みたいだな。
438 :
白馬青牛:2007/03/27(火) 23:10:40
>>413-415 東北の大きい町は発展云うてどがあに発展したんかのう。自治権以前に
農奴社会じゃないんか。倭国の東北千里多婆那国出身と云う新羅の昔氏、
『三国遺事』に「昔氏是吾家取他人家故」(他人の家を取った故昔氏と
する。)の脱解王じゃが、「七宝奴婢満載」奴婢を連れて新羅の地に
行ったんじゃろうのう。奴隷の産地じゃ云うて史料にいちいち書く訳
あるまい。日本列島は戦前まで奴隷輸出国じゃったんは、ワレが挙げた
つまらんウィキにも出とるじゃないか。西日本でも九州は長崎・平戸の
奴隷市場から、薩摩人の高麗おごじょ狩り、近代の、いい仕事があると
騙され海外へ売られた、からゆきさん・天草娘子軍とえっと(沢山)ある
のう。ほいで、古えから西日本人の奴隷は東国・東北じゃった。蝦夷の
奴隷の「俘奴」なんか典型であろう。近代でも貧困地帯の東北は哀れじゃ。
同じ奴隷の境遇でも、隷属農奴縦社会の東日本より、横社会の西日本の方が
ましじゃ。
439 :
日本@名無史さん:2007/03/27(火) 23:32:20
440 :
白馬青牛:2007/03/27(火) 23:54:45
>>419 日本の風土で、騎兵が役割をほとんど果たせんかった面については
同意じゃ。記述じゃあ壬申の乱で騎馬の奇襲を提案した河内の田辺史が
百済人の多い近江朝で採用されんかった事。東漢氏と同族の田辺史が、
鮮卑文化の伝統を考慮する必要もあるが、風土的には騎馬は脇役であろう。
遊牧騎馬文化は満洲西部、熱河地区の農耕・遊牧・漁撈混合文化迄で、
満洲中・東部からは漁撈と農耕の混合した文化で、満洲人も馬の飼料は
麦や黒豆と農作物じゃった。ただしモンゴル人と直接隣接した関係で
騎馬要素も強いとも云える。
熱河地区の遼河と「河」地域(蒙古・華北・満洲西部の乾燥地帯)に較べ、
満洲も東へ行くと松花江、黒龍江、「江」地域(満洲中東部・朝鮮・華南の
水界民の世界)の違いは地理風土的に重要で、日本列島も地理風土的に
「江」地域に属する。
441 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 00:28:43
442 :
白馬青牛:2007/03/28(水) 00:36:30
>>427-429 広島の平和教育云うて、教育は他所も似たようなもんじゃろう。
生憎わしゃあ、戦前世代の人達の話を子供の頃から聞いとったけえ、
左翼や右翼の妄想にゃあ付いていけんよう。
軍事機密たァ何なら。石井部隊の細菌兵器の資料を米軍に渡しとるよ。
証拠隠滅は失敗じゃのう。自己保身の為なら手段を選ばんのがお偉方の
やることよ。まあ、盗人に証拠を出せ云うても、証拠を自ら出す盗人等
おらんのと同じじゃ。文書を焼くんが当然云うんは隠蔽を肯定しとんか。
戦争の作戦失敗例を、繰り返してはならん教訓とする事も出来んのでえ。
戦前の軍の責任をとらん体質が、戦後の政官済の人達に受け継がれとるんは
日本の恥部であって名誉じゃないよ。
江上氏が老司古墳の人骨を隠した云う根拠は何か?
老司古墳の縄文形質は、少数の九州の渡来弥生系が多数の在来縄文系に
吸収された現象で、渡来形質は畿内から全国に拡散し、渡来系が
在来縄文系を圧倒し渡来系が現代本土日本人の主流になった云うことじゃ。
443 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 01:04:32
>江上氏が老司古墳の人骨を隠した云う根拠は何か?
江上は老司の人骨について一切触れてません。
もっとも大事な事だったはず。
>老司古墳の縄文形質は、少数の九州の渡来弥生系が多数の在来縄文系に
>吸収された現象で、
扶余ではないという時点で江上説は否定されたわけですね。
444 :
白馬青牛:2007/03/28(水) 01:20:16
>>434 渤海に送られ、その後唐に献上された日本舞女も、売女外交かのう。
日本も、戦後進駐軍に女性を提供したけんのう。
許し難いんは、娼婦と呼ばれる職業の女性達に日本婦女子の防波堤になれ
じゃぬかしたことじゃ。彼女らにも誇りがあるんじゃ。
敗戦の責任を彼女らに押しつけた云うても過言ではあるまい。
>>439 ウィキの安東氏や八戸を挙げても、答えになっとらんよ。
『魏志』等の倭人の生口献上は外交文書で出とるが、私交易の奴隷を漢人に
提供まで書く訳あるまい。近代でもいちいち日本から何人「からゆきさん」
を購入したとか書くんかいのう。文献等ごく一部を採り上げ語っても意味が
ないど。延暦六年の『日本後紀』「王臣及び国司ら俘奴を買い利潤を
むさぼる」は、残念ながら関東に限定されとらんよ。
防人は、徴発された隷属東国人を、独立性の強い親新羅の九州に置いた
ことが、奴隷民じゃなかったとでも云いたいんか。幸せ回路じゃのう。
445 :
白馬青牛:2007/03/28(水) 01:52:40
>>443 江上氏は、騎馬民族は少数で多数の現地民を支配する云われておられる。
あんたが江上説に反論されとるんなら江上氏の著作を何冊か読んで
おられるじゃろうけえ、解ろう思うたんじゃが、読まずに批判しとるんか。
縄文系形質の人骨が出ても、池田次郎氏の云われるよう韓国南部は
縄文形質も人達もおったわけじゃし、韓国の礼安里出土の人骨も
北方渡来系の高顔と縄文系に近い低顔の両方が存在する。
朝鮮南部から低顔系を仲間に加え連れて来たとしても不思議はない。
江上説否定の条件にゃーならんよ。
>>444 >日本も、戦後進駐軍に女性を提供したけんのう。
許し難いんは、娼婦と呼ばれる職業の女性達に日本婦女子の防波堤になれ じゃぬかしたことじゃ。彼女らにも誇りがあるんじゃ。
敗戦の責任を彼女らに押しつけた云うても過言ではあるまい。
・・・つくづく呆れたね。おまえって本当に何も知らないんだな。
日本が降伏してから僅か1ヶ月間で、神奈川県下だけで290件もの
アメリカ兵による強姦事件が起きた。
で、これに頭を悩ましたGHQ司令部が、日本に対して慰安施設を
作れって「要求」したんだよ。
敗戦国がこれを断れると思うか?
断ったとしても、それで民間の女性が強姦され続ければいいとでも
ほざくつもりか?
なお、慰安所を設置したにもかかわらず、
占領期間中の7年余りで3万件ものアメリカ兵による強姦事件が
起きている。
アメ公はこの数を「極めて少ない。いかに米軍の軍規が厳粛だったかの証だ」などと言ってるが、
もし慰安所を設置しなかったら、とてもこんな数じゃ済んでないぞ。
広島のクズよ、おまえはおまえの周囲にいた性根の腐った
大人どもから、日本「だけ」は悪玉だってことを刷り込まれて
育ったんだな。
で、その洗脳から一歩も外に出られずいい年した、こ汚いオヤジに
なっちまったってわけだ。くだらねえ。
いい加減、無知は黙ってろ。
447 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 05:40:44
>ウィキの安東氏や八戸を挙げても、答えになっとらんよ。
>東北の大きい町は発展云うてどがあに発展したんかのう。自治権以前に
農奴社会じゃないんか。
自 分 の 発 言 に 責 任 を 持 て
>私交易の奴隷を漢人に提供まで書く訳あるまい。
「貿易の主商品」だったんだろう?
倭人伝には「真珠・青玉を出だす」とある。
何故「倭は奴隷を多く出だす」とか書かれないんだろうな?
>文献等ごく一部を採り上げ語っても意味がないど。
朝貢で生口を献上したことだけで「日本が漢人に奴隷を提供するための
属国に過ぎなかった」と解釈するお前に言われたかないな
448 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 05:45:50
>俘奴を買い利潤をむさぼる
それだけでどうして
西 日 本 に 回 さ れ た と 言 え る ん だ ?
どうして
西 日 本 の 奴 隷 は 無 視
するんだ?
>独立性の強い親新羅の九州
>>130 >肥前郡司新羅通牒事件もあり、九州は新羅にも属した要素もある。
870年 太宰少弐藤原元利万侶らを新羅国王と通牒した嫌疑で捕らえる。
873年 9月に対馬に漂着した新羅人を帰国させる。
874年 対馬に漂着した新羅人を帰国させる。
ちゃんと処理してますがな・・・
なんで「九州は新羅にも属した要素」になるんだ?苦笑
449 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 09:36:56
>>445 >韓国南部は 縄文形質も人達もおったわけじゃし、
>韓国の礼安里出土の人骨も
>北方渡来系の高顔と縄文系に近い低顔の両方が存在する。
しつこいね。
あんたは扶余は北方渡来系の高顔だと前々スレで言ってたよね。
老司古墳の人骨は北方渡来系ではなかったんだよ。
という事は扶余でないと子供でも分かるよね。
じゃ江上説は成立しないんだよね。
あんた江上カルト信者?
450 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 09:45:19
書き忘れた。
>朝鮮南部から低顔系を仲間に加え連れて来たとしても不思議はない。
ふざけるな。
福岡平野の5世紀前後の「首長」が低顔系なんだよ。
というか3世紀後半から何の断絶もない在地系なんだよ。
北方系が低顔系を仲間に加え連れて来たという根拠だせや、クズw
一生オナっとけや。w
451 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 09:54:31
>>445 >江上説否定の条件にゃーならんよ。
そういう言い方は、
今の古代史会で江上説が定説になってる場合に言う事であって、
定説にもなってないのに否定の条件なんて言う方がおかしい。
あなたが江上説を支持するなら、
定説になるような根拠を示すのが筋。
452 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:20:32
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
453 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 18:44:53
454 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 18:48:31
455 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 18:58:26
★日本軍とは無関係に『韓国人慰安婦』が登場する映画★
■虹の映画館
http://www2.saganet.ne.jp/nijino7/mov8.html#554 [作品No.554]
タイトル『38度線』FIELD OF HONOR 19 <カラー95分> オランダ映画
監督 ハンス・シープマーカー
出演 EVERETT McGILL、ミン・ユー
舞台は朝鮮戦争が始まって1年経過した1951年の朝鮮半島。
当時国連軍の名の下に3418名のオランダ兵士が参加していた。この映画は、そのオランダ軍での事実に基づく映画だそうだが、
最初から言うが、全く面白くない映画だ。
映画は最初に戦禍を避けて逃げる韓国の人々を映し出す。その中にキム少年とその母と姉の家族もいる。
少年が、とある民家の前に来ると、民家の戸口が乱暴に開き、全身素っ裸で、酒に酩酊した人相の悪い男が現れ、
野卑な言葉を吐きながら風呂と思われるドラム缶に小便をする。この下品な男が主人公のサイア軍曹で、この登場の仕方のため、
共感が全く感じなくなる。
この男は体質的に戦場が好きで、オランダに帰るより戦場に居たいという男。
さて、サイア軍曹が、キム少年の母と姉を部隊に連れてきて売春させている(慰安所である)時に、中国軍が攻撃してくる。
彼は危うく死を逃れたが、トラックの下敷きになる。お人よしの中国兵が助けてくれたのだが、廃屋に身を隠していると
キム少年と姉に再会する。
そこへ再び中国軍の攻撃が始まる。必死に防衛していると、やがて援軍が来て軍曹と少年が助かるというお話。
見どころはありません。悪しからず!(2000/6.11)
この映画はビデオで出ている。ツタヤでレンタルしているのではないか。
457 :
日本@名無史さん:2007/03/28(水) 21:08:30
>>454 シナ人が毛人という文字を見て、毛=異だと日本語で解釈して外人のこと
だと思うのか?
シナ人にそんな語呂合わせができるはずがない。
458 :
白馬青牛:2007/03/28(水) 23:34:41
>>446 >日本が降伏してから僅か1ヶ月で、神奈川県下だけで290件もの
アメリカ兵による強姦事件が起きた。これに頭を悩ましたGHQ司令部が、
日本に対して慰安施設を作れって「要求」した?
わりゃ、ネットウヨクの作り話でも引用したんか。馬鹿々しいわい。
http://www.isc.meiji.ac.jp/~takane/ronbun/hisenryou.htm 第二節 初期進駐 横浜 土浦の事例
に、神奈川県では、八月三〇日から九月五日に最も心配された暴力行為は
強姦四件(内未遂二件)、人員拉致四件(内女性二件)を含めても、
1ヶ月がその5倍と単純計算しても290件に到達せん。290件云うんは
何処に記されとるんか?まあ文書に記録されるんはごく一部ではあるが。
第5節 特殊慰安施設
には、我が広島県出身の後に総理大臣となった池田勇人氏が、「日本婦女子
の貞操が守られるのら安い」と発言されたんが真実であれば同県人として
申し訳ない。マニラ会談の直後「慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」が、
連合国側の公式な要求か判断出来んにしても、アメリカ側の強制、要求か
日本側の自発か定かでない。少なくとも戦後の強姦事件から慰安所は根拠に
薄いのう。政府は従軍慰安婦と同様、民間業者に委託する形態を取ったが
資金源は政府から出て、政府の監視下にあり、日本の国家売春であり、
高見順氏の「無垢な処女をだまして戦線に連れ出し、婬売を強いたその
残虐性が、今日、形を変えて特殊慰安云々となっている」現在も我が
日本は、慰安婦問題で隠蔽、誤魔化しで国際的に非難されとるよ。
459 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 00:03:30
>現在も我が日本は、慰安婦問題で隠蔽、誤魔化しで国際的に
非難されとるよ。
日本政府側の強制、要求か韓国側の売春か定かでない。少なくとも戦中の強
姦事件から慰安婦は根拠に薄いのう。
460 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 01:05:41
>>446 また
>>458の続きじゃが、ー総括にかえてー
の、「為政者に対する卑屈、卑下、目下の者に対する傲慢・尊大。」を、
嫌韓ネットウヨクの日本の為政者に対する卑屈・卑下と共に
アジア諸国に対し傲慢・尊大な態度も、奴隷根性丸出しで面白い。
日本の恥部行為美化するんは、左翼の日本が全て悪い云うんと違わんど。
日本の美点も欠点も含め祖国に愛情を持てん人間は悲しいわいのう。
ほいで、わしを汚らしいやら罵倒しよるが、わしの目の前でよう云わん
カバチ垂れあがるわい。
>>447-448 津軽安東氏の社会構成や自治権要求について聞いとんじゃ。おどりゃあ
自分の発言に責任を持てんのんか。倭人伝で生口を献上した漢に隷属した
んは奴国の金印にあるど。
俘奴買いの王臣は、東日本じゃ都合のええ解釈よのう。肥前の群司山春永ら
が新羅側と結んだ条件は「弩器械之術」つまり弩の製法を教えることで、
つまり軍事機密を売ることでえ。弩は追撃に弱いが敵上陸の防御に優れる
技術を売る行為をした肥前郡司らは新羅に属した要素も強いわ。
大宰府だけの問題じゃあるまい。
>>449-450 扶余が征服する過程で北方系の扶余だけじゃのうて、征服地の人間を
活用する方が普通じゃ。満洲族もモンゴル人を仲間に加え、更に漢人も
仲間に加えとるよ。現代の本土日本人、特に西日本人の北方形質となった
んは扶余以外にも大量の北方形質が渡来した要素が強い云うとるんで。
福岡平野に土井ヶ浜的北方渡来系が弥生期におらんかった云う珍説披露か。
>>451 定説云うて新興宗教じゃあるまいし。閉鎖古代史学界の定説とやらを
云うてみいや。その何処の部分に妥当性があるんかをワレが意見せえや。
>わしの目の前でよう云わん
ネットじゃ無理w
462 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:15:24
>>460 老司の埋葬者は在地系だと言う事実も認められない糞カルトよ。
朝鮮南部から低顔系を仲間に加え連れて来たというおまえのアホ説なんか、
永遠に認められないわなwww
そんなに江上を支持してるんなら、はやく江上の所に行けwww
463 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:16:30
464 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:21:53
>>460 >嫌韓ネットウヨクの日本の為政者に対する卑屈・卑下
そりゃお前の妄想。
安部マンセーなネットウヨクっているのか?
俺は外交政策とか煮え切らない態度とか
だ い っ 嫌 い だ け ど な
>アジア諸国に対し傲慢・尊大な態度も
あれだけ反日やられたら反感持たないほうが変。
お前のようにな。
>津軽安東氏の社会構成や自治権要求
www.geocities.jp/npowaro/raku-137.htm
まあ安東氏自体が町衆に近かったからな。
西 国 の よ う な 専 制 権 力 は 東 国 に は な い の で
465 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:26:28
>>460 >倭人伝で生口を献上した漢に隷属したんは奴国の金印にあるど。
「建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬」
ど こ に 奴 隷 を 献 上 し た と 書 い て あ る ?
>俘奴買いの王臣は、東日本じゃ都合のええ解釈よのう
だから、西日本の奴隷は東国の人間だけだったという根拠を
>技術を売る行為をした肥前郡司らは新羅に属した要素も強いわ。
鎮 圧 さ れ た け ど な
あ っ さ り と
百済も日本と結んでその軍事力を頼みにしてたな。
ということは百済は日本に属していたのか。
466 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:26:30
>>460 だいたいおまえに代表される50後半以降のアホ世代が、
アジアに対して(と言っても中韓だが)、
軟弱な外交をしてきたツケが今日までまわってきてるのだよ。
土下座外交のアホ世代は早く死ねや。
467 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 01:28:06
>>459 日本政府、軍の関与は、女子挺身隊を輸送して戦地で慰安婦にしたんは
明らかじゃないか。韓国側が慰安婦を活用して下さい云うたら、
日本軍はアジアの解放の為戦うとる。申し出はお断りする云うんが筋じゃ。
輸送して前線兵士の性的処理に活用した限り責任は日本側にあるんで。
責任も取れんお偉方の弁護してもしょうがない。
そがいなんが、外国人から観たら日本人が、嘘つきで誤魔化しとる
云われるんじゃ。ほんま風が悪りい(恥ずかしい)ことよのう。
468 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:32:14
>>467 >日本政府、軍の関与は、女子挺身隊を輸送して戦地で慰安婦にしたんは
明らかじゃないか。
女子挺身隊
ja.wikipedia.org/wiki/女子挺身隊
慰 安 婦 じ ゃ な い ぞ ?
>韓国側が慰安婦を活用して下さい云うたら、日本軍はアジアの解放の
為戦うとる。申し出はお断りする云うんが筋じゃ
へえ、アジアの開放のために戦ってるのに
兵 士 の 現 地 住 民 へ の 乱 暴 は考えないのか?
>外国人から観たら日本人が、嘘つきで誤魔化しとる
云われるんじゃ。
まあ朝鮮人もベトナム戦争の責任で逃げ回ってるし
言 わ れ る 筋 合 い は な い な
469 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:32:56
一体この自称広島の老人は何をして生きてきたのだろうか?
470 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:35:58
>外国人から観たら日本人が、嘘つきで誤魔化しとる云われるんじゃ
外国人って誰なんだ?w
売春がなかった歴史を持つ民族があるのか?
471 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:38:16
ま、広島の田舎老人のたわごとですからw
472 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:46:01
>>460 >閉鎖古代史学界の定説とやらを云うてみいや。
老司古墳出土物のどこに騎馬民族が征服したという根拠があるのかな?
ワレが云うてみいや。
473 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 01:54:30
>>463 ほうですか。あなたが、わしの金玉潰したいんなら広島へ来て下さったら、
よろしいと思いますよ。金玉潰したる云われた発言に責任を持つように
願います。
東北か関東の方ですか。何県の方ですか。こちらから出るとしても、
なるだけ人目につかん所がええですね。人様に迷惑をかけることも
避けたいんですよ。あなたが会いたいとされても、身の回りの始末も
ありますし、1ヶ月、時をもらえませんか。
474 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 01:56:05
475 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 02:03:47
>>474 ですから、何月何日に会いたいんですか。
弱いか弱くないか、あなた自身が確かめりゃあええことですよ。
まず、あなたは何県の方ですか。
476 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 02:10:17
477 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 02:11:44
>>476 弱いものいじめはやめとけ
後々面倒だぞ
478 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 02:15:26
ていうか騎馬民族征服説は韓国人も不愉快らしいな
479 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 02:18:38
463さん、あなたの返答がありませんでえ。
>>476 日本人ですよ。
>>477 あなたは、463さんじゃないんですか。
480 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 02:21:04
>>478 蒙古に征服された事実があるので、
それより前に扶余に征服されてても、
不愉快だと感じるのは変でしょうねwww
481 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 02:31:13
463さん、まだ返答がないようですが、ほいじゃあ明日でも
返答してもらえませんか。
482 :
463:2007/03/29(木) 02:36:09
4月2日、午後2時、博多駅で待っとけ!
483 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 09:31:24
日本も相撲界は騎馬民族に征服されてしまったな。
白馬青牛‥‥
今どきこいつほどくだらないコテ野郎も珍しい。
スレに無関係な話題(いわゆる「従軍慰安婦」問題とか、
やれ関東東北の人間は奴隷根性だの)にまで延々言及し、
おまけにネット上の相手に無闇にキレてはカバチがどうのと
頭のおかしなことばかりほざいていやがる。
この痛過ぎるキャラを目にした日には、
前スレで僅かなから存在していたこのクズの「同志」も、
さっぱり姿を見せなくなったのも当たり前だな。
さすがに恥ずかしいだろ、こんなのと仲間と思われたら。
485 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 12:00:51
>>479 論理的に反論できなくなったから
相手の皮肉を良いことに暴力に及ぼうというのか?
全く、広島の人間というのは実に野蛮だな。
486 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 15:33:32
>>450 >福岡平野の5世紀前後の「首長」が低顔系なんだよ。
>というか3世紀後半から何の断絶もない在地系なんだよ。
3世紀後半から続く「在地系」の首長が、5世紀になって騎馬化しても
なんの不思議もないが、それがどうかしたのか。
487 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 16:56:52
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
488 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 17:12:42
>>486 それが騎馬民族征服説の裏づけになると思ってはいないよな?
489 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 18:45:55
>>486 >それがどうかしたのか。
どうもしないが?
490 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 19:54:23
>>488 どうしてそれが、騎馬民族説の反証になるのか、という話をしているのだが。
491 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 20:25:56
492 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 21:42:33
>>490 老司の例は福岡平野の3世紀後半から続く在地系首長が5世紀にも続いてたという話だ。
493 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 22:21:26
463さんは、博多ですか。広島駅もそうですが博多駅じゃあ人目が
多いでしょう。博多と広島の中間あたりの小郡まで来れるじゃないですか。
わしの旅費で小郡から少し旅してもろうて瀬戸内の島であなたの言い分を
語る方がよいと思います。廻りに人がおってんない処であなたとわしの
二人だけです。準備もありますから5月の方がええと思います。
自動車で来られることはなさらないように願います。二人の間の問題
ですから。まずあなたが博多におられるんなら博多弁で返答されるように。
494 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 22:28:08
>>493 広島人というのは
実 に 好 戦 的 だ な
原爆に焼かれておかしくなったのか?
495 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 23:03:45
>>464 安倍さんの個人崇拝者じゃのうて、ネットウヨク一般のことじゃ。
中国や韓国の反日教育に疑問を呈するんはええが、反日云うだけで、
日本の行為を正当化したり排斥する方が変じゃないか。
津軽安東氏の社会構成のう。
http://www.geocities.co.jp/npowaro/raku-137.htm 「ただし、西国における領主と湊の関係と違い、町衆の自治権は強く
ない。」「だが安藤氏の場合は、通常の農耕社会を基盤とする領主とは
異なり、」を重視すべきであろう。西日本でも内陸の農民よりも海民の
方が民主制が強く、西日本に較べ東日本は民主制に薄い縦社会じゃが、
東日本でも内陸農民より沿岸海民の方が民主的じゃ。ただし、中国地方の
山窩や東北のマタギの人達のように、農耕集団から離脱し専業化したは、
民主性が強いと云える。
496 :
463:2007/03/29(木) 23:13:06
>>493 どうせ二人っきりになれば、すまんかったと謝るんじゃろう。
博多駅に来い!
わしは騎馬民族の格好で待ってるからすぐ分かる。
497 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 23:38:52
>>495 >反日云うだけで、日本の行為を正当化したり排斥する方が変じゃないか
60年前にあったことを、自分達のことは棚に上げて捏造までして反日さ
れた日にゃ、いくらなんでも怒るわそら。
>西日本に較べ東日本は民主制に薄い縦社会じゃが
だから、
お 前 の 妄 想 を 聞 い て る ん じ ゃ な い っ て ば
お前は「こうならなければならない」から出発してるんだよ
>農耕集団から離脱し専業化したは、民主性が強いと云える。
だったら、村請制はどうなる?
村 内 の 団 結 が 強 く
代 表 者 は 村 人 の 総 意 で 選 出 さ れ
自 治 を 行 っ た
惣村はどうなる?
498 :
白馬青牛:2007/03/29(木) 23:46:43
>>465 『魏志』の倭人伝の生口を都合よう無視しよってものう。
鎮圧したんか掠奪されたんか解釈次第じゃし、百済と倭の間か、
百済と畿内政権の間のことか。どっちかいのう。
>>466-468 50後半がわしの世代かは別じゃが、外交をするんはお偉方で世代の問題
じゃあるまい。軟弱外交じゃのうて強硬外交出来る立場に日本がありゃあ
ええが、土下座外交は中韓よりも対米外交の方で現代も続いとるんでえ。
じゃけえ、奴隷根性のワレが勝手に自決すりゃあええことじゃ。
挺身隊云う言葉で誤魔化すなや。若い娘を挺身隊の美名のもとに騙されて
連れてこられたんが慰安婦じゃ。日本軍兵士も外地現地民に、
中国国民党軍も同国民に乱暴したんは、他板の帝国陸軍師団スレにも
書いとるよ。韓国でも左翼系は逆に責任を追及する側じゃないんか。
韓国左翼系の言い分が全て正しいたァ思えんが。韓国も軍事政権化よりも
民主化した現われと解釈も出来るよ。我が日本の隠蔽体質の方が恥ずか
しいわいのう。
499 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 23:57:29
>>498 >『魏志』の倭人伝の生口を都合よう無視しよってものう。
まさかそれだけで日本は
奴隷中心の経済だったとでもいう気であるまいな?
>鎮圧したんか掠奪されたんか解釈次第じゃし、
へえ、元自分の領土だったものを再び自分のものにするのが
略奪?
そうか、日本も朝鮮を略奪されたわけだ。
>どっちかいのう。
お前本当に何も知らないんだな
>奴隷根性のワレが勝手に自決すりゃあええことじゃ。
お前ほど江上に隷属してる奴も珍しい
500 :
日本@名無史さん:2007/03/29(木) 23:59:02
いいから騎馬民族説の話しろよ。
質問者(突っ込み者)が列を成して待っている。
501 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 00:06:59
502 :
白馬青牛:2007/03/30(金) 00:07:54
>>496 463さんは、博多弁を話せんのですか。博多におる云う嫌韓厨の好きな
用語「証拠」がありませんど。騎馬民族の格好たァ何ですか。
ステップ地帯の民族別に服装も異なりますよ。
二人っきりになるんは人目の少ない方がええでしょう。
人様に迷惑になりますけえ、瀬戸内の島で証拠の残らん処で、
あなたが謝るなり、逆らうなり、すりゃあええことですよ。
503 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 00:27:32
まあネットの中ではどのようにも言えるからな・・・
504 :
463:2007/03/30(金) 00:34:40
>>502 ヘタレのくせによく言うぜよ。
こげんカバチは見たことありゃせんでごわすw
505 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 01:18:46
渡来人の墳墓というのは、やはり何となく異質なんだよね。
金製の豪華な副葬品で知られる新沢千塚126号墳が、
長方形という珍しい古墳であったり、
同じく金製副葬品が出た群馬県剣崎長瀞西遺跡10号墳などは、
朝鮮半島そのものの方墳であったりする。
まぁ前方後円墳で勾玉と一緒に馬具が出てる程度で、
それが騎馬民族の墓なんて無理だね。
506 :
白馬青牛:2007/03/30(金) 02:09:39
>>504 463さんよう、博多弁に「ごわす」はないど。
「ぜよ」じゃ土佐弁まがいを云うたり、わりゃ、ほんまあ何処のもんなら。
自分の国も云えんのか、つまらん人間じゃのう。
はあ、わしゃあ寝ぬど。嘘吐き相手にゃあくたびれるのう。
507 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 02:12:46
>>493 おまえ、本当に「大人」なの?
自分で自分のこんな書き込みを読んで恥ずかしいと思わないのかね?
>>458 相も変わらずてめえにとって都合のいいサイトの、
都合のいい箇所から、都合のいい解釈しかしないバカの三段論法w
しかもこのサヨク論文ですら
「米兵四人に連行され約三十名の米兵に輪姦せられましたが斯る行為が敗戦の結果に来るものなら日本婦人全部は原子爆弾にて最後を遂げた方が寧ろ幸福だろう」(娼妓)という強烈な証言も見られる。」
だの
「こうした事件はその性格上、届け出られることが少なく実数はこれをはるかに上回ったものと思われる。」などと書いてあるんだがな。
>マニラ会談の直後「慰安所等斡旋ヲ要求シ居リ」が、
連合国側の公式な要求か判断出来んにしても、アメリカ側の強制、要求か 日本側の自発か定かでない。
定かでない?判断出来ない?
おまえは日本語の文脈も読めんのか。
どう見ても、これは相手に要求されているじゃないか。
しかも公式だろうが非公式だろうがそんなこと問題じゃない。
敗戦国は非公式の「要求」でも拒むことは難しいんだよ。
いずれにしてもだ。
慰安所については、とにかく何もしないで放置しておいたら
米兵の日本の民間人への暴行事件がひどくなる恐れがある以上、
相応の対策が必要だった、ということだ。
もちろんその対策は決してお上品なものとは呼べないだろうが、
それを非難するなら、じゃあどうすりゃ良かったと言うんだ?
何か他に、スバらしい代案がおまえにあるとでもいうのか?
あったら早く言ってみろクズ。
おまえがその当時、日本の指導層の立場にいたとして、
果たしてどれだけご立派なことが出来たやら、
そういう想像力すら無いものだから、
そうやっていつまで経っても
小学校の学級会レベルの正義感を振りかざして得意になってるんだよ。いい加減、恥を知れバカ。
511 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 11:36:11
>>492 >老司の例は福岡平野の3世紀後半から続く在地系首長が5世紀にも続いてたという話だ。
そして5世紀には騎馬化していたというのだろう?
だから、どうしてそれが騎馬民族征服説の反証になるのか、と聞いているのだよ。
512 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 12:27:38
>>511 >騎馬民族征服説の反証になるのか、と聞いているのだよ。
なんで征服になるんだ。
文化受容だろう。
513 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 15:06:59
>>512 だれも老司の例が征服だとは言っていない。
文化受容だと推定される例が一つあれば、なんで騎馬民族征服説ぜんたい
を否定するべき証拠になるのか、と聞いている。
514 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 17:47:00
>>513 明らかに騎馬民族征服説を証明する遺跡の例を出してから言うべきだろう。
515 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 20:09:15
>>513 お前が老司のことを言い出したから、それに限定して議論しているのだ。
少なくとも 老司によって騎馬民族説を否定する根拠を言うべきではないか?
真面目に議論する気がないのならいいよ。
516 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 21:03:35
>>515 何を意味不明なこと言ってるんだ。
老司から馬具が出たと言われてたが、
あれは馬具でないという意見もある。
ならどこに騎馬民族的要素があるんだ?
老司古墳から騎馬民族説が成立する根拠を言え。
また変なのが現れたね
江上ファンは濃いよね
519 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 08:26:28
>>516 お前は騎馬民族征服説を否定する材料として老司古墳のことを
持ち出したのではないのか?
馬具うんぬんは知らないが、馬に関連する壁画もあるし、5世紀
の老司古墳が騎馬化を示していることを私は別に否定していないよ。
あらためて聞こう。
5世紀の老司古墳が騎馬化を示しているが、人骨は在地的であった、
という事実(お前の書いたことによる)は、騎馬民族征服説ぜんたい
を否定する材料にはならない、ということでいいのだな?
520 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 11:42:17
>>519 壁画とは何の事だ?
老司古墳にあるのか?
あらためて言おう。
5世紀の老司古墳が騎馬化を示しているとは言えない。
そして人骨は在地的であった。
よって騎馬民族征服説を証明なんてとうてい出来ない。
何をしつこく絡んでるんだ?
521 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 16:33:19
お前ら無意味な争いはやめれ
522 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:35:59
>>520 騎馬壁画は6世紀はじめの王塚古墳の間違いだった。
私が、老司古墳が騎馬民族征服説を証明している、と主張しているわけでも
ないし、
お前が、老司古墳が騎馬民族征服説を否定する証拠になる、と主張する
のでなければ、別に論争する必要はないよ。
老司なんてなんで出て来たんだろう。
523 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 21:03:14
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
>522
なんなんだよあんた。流れを読んでないのか?
525 :
白馬青牛:2007/04/02(月) 23:38:26
>>501 江上波夫氏の友人であった高見順氏の文を詳しく引用しょう。
http://d.hatena.jp/vir_actuel/20060903 終戦の年、十一月十四日の日付けが出ておるが、「占領軍のために
被占領地の人間が自らいち早く婦女子を集めて淫売屋を作る例がーー。
支那ではなかった。南方でもなかった。懐柔策が巧みとされている支那人も
、自ら支那の女性を駆り立て、淫売婦にし、占領軍の日本兵のために
人肉市場を設けるというようなことはしなかった。かかる恥しい真似は
支那国民はしなかった。日本人だけがなし得ることではないか。
日本軍は前線に淫売婦を必ず連れて行った。朝鮮の女は身体が強いと
いって、朝鮮の淫売婦が多かった。ほとんどは、だまして連れ出したようで
ある。日本の女もだまして南方へ連れて行った。酒保の事務員だとだまして
、船に乗せ、現地へ行くと「慰安所」の女になれと脅迫する。おどろいて
自殺をしたものもあったと聞く。自殺できない者は泣く泣く淫売婦になった
のである。戦争の名の下にかかる残虐が行われていた。
戦争は終わった。しかし「愛国」の名の下に婦女子を駆り立て、淫売婦に
したてている。無垢の処女をだまして戦地へ連れ出し、淫売を強いた
その残虐性が、今日、形を変えて特殊慰安婦云々となっている。」
隠蔽したい階級や職務の人達を除き、戦争体験者を含め当時の人達の
共通認識じゃ。国家意思で朝鮮娘をだまし、自国の日本娘をもだました。
このサイトの文にあるよう、否定する連中は「幼稚な形而上学的駄々を
こね」とるんじゃろう。
526 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 23:46:26
>>525 おまえいい加減にせいよ。
極東板あたりに書いてこい。
たちまち論破されるから。
527 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 23:49:46
>終戦の年、十一月十四日
負けたとたん、自国の文句を言い始めたヘタレ売国奴がたくさん居たんだね。
528 :
白馬青牛:2007/04/02(月) 23:53:25
529 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 23:55:19
高見順
東京帝国大学英文科卒業。
在学中より「左翼芸術」などに作品を発表し、
プロレタリア文学の一翼を担う作家として活動する。
在学中より「左翼芸術」などに作品を発表し、
プロレタリア文学の一翼を担う作家として活動する。
在学中より「左翼芸術」などに作品を発表し、
プロレタリア文学の一翼を担う作家として活動する。
在学中より「左翼芸術」などに作品を発表し、
プロレタリア文学の一翼を担う作家として活動する。
在学中より「左翼芸術」などに作品を発表し、
プロレタリア文学の一翼を担う作家として活動する。
530 :
白馬青牛:2007/04/03(火) 00:39:45
>>526 日本軍の軍紀について、極東板に書いたことはあるが、明解な返答は
無かったのう。論破する云うて誰が?政治版でも論破されとるんは
ネットウヨクの方じゃないか。田中清玄氏の意見はどうか?
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/miyamotoron/miyamotoron_4-3.htm 【官僚批判】に、外務省の奴隷根性、日本の官僚は平気で嘘をつく。
慰安婦問題について、田中清玄自伝(文芸春秋社)P290〜291の文を
このサイトでは省略してあるが、慰安婦について引用すると「軍命令で
あり、政府決定だ。知らん顔して押し通す積もりだったんでしょう。
官僚たちがともに隠し合い、傷をなめ合ってごまかしている。
このごまかしをはっきりしない間は、アジアは日本を疑うし、俺も疑う。
「いつか軍国主義に戻るんだ。戻ったら同じことを、もっとっひどく
やるぞ」とね。仮に自分の娘や細君が、よその国によって力ずくで、
工場に働かせるのだと行って動員され、それが実際は売春婦であったと
したら、どう思うか。文句を言わないか。同じことじゃないか。
この日本の悪さ加減が問題なんだ。これが日本の指導階級、中流階級の
連中の考えだ。驚くほど欠点だらけの民族だねえ。よくもまあ、
神国だの神兵だのって、うぬぼれたもんですよ。」
まあ、満洲でも自国民を置き去りにして逃げる軍部が他民族に対し愛情が
ある訳もなく、本物の憂国の士である田中清玄氏の言は重いのう。
531 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 00:47:35
>>530 てめぇの意見に都合の良い発言ばっかり集めるなと言ってるんだ。
そういうのをトートロジーと言うんだろが。
532 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 00:54:31
>>530 あんたの論理は、
昔、高見順がこう言いました、
田中清玄がこう言いましたと言ってるだけ。
この二人の発言で事実が証明されるとでも?
だいたいスレ違いなんだよ、死ねおまえ。
>>528 だからさ、
>>509は「じゃあどうすればよかったのか?」って
聞いてんだろうが。
早く答えてみろ。
代案もないのに批判ばっかりするなクズ。
534 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 17:16:55
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
白馬青牛>スレ違いの話題を出すことでますますバカっぷりを
晒け出しているな。
ある種の情報及び感情だけでモノを断定的にきめつけてしまう、
きわめて浅薄な人間だわ。心底どうしようもないよ、こいつは。
536 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:07:29
537 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:10:51
>>525 >「幼稚な形而上学的駄々をこね」とるんじゃろう。
お前ってさ、「形而下」の証拠や物品を出さないな。
全て「形而上学的」な「偉い先生のお言葉」を引用してるな。
でさ、結局
慰 安 婦 は 挺 身 隊 じ ゃ な か っ た ん だ ろ ?
>>526 その必要はない。
すでにここで論破されまくっている。
538 :
日本@名無史さん:2007/04/03(火) 20:15:57
>>530 >日本軍の軍紀について、極東板に書いたことはあるが、明解な返答は
無かったのう。
お 前 が 逃 げ て る だ け だ ろ ?
>慰安婦について引用すると
だから
形 而 下 の 証 拠 や 物 品 は ?
形而上の物事しか出してないのは
お 前 だ よ
>満洲でも自国民を置き去りにして逃げる軍部が
ん?確か似たようなことがベトナム戦争や中越戦争であったような・・
>本物の憂国の士である田中清玄氏の言は重いのう。
無 知 と 言 う の は 恐 ろ し い も の だ
>>532 >あんたの論理は、 昔、高見順がこう言いました、 田中清玄がこう言いましたと言ってるだけ。 この二人の発言で事実が証明されるとでも?
そう。白痴青牛の論法はそれしかない。
江上波夫センセがこう言いました、
井上秀雄氏がこう言ってます。
で、反論されると嫌韓厨だのネット右翼だの
関東東北の奴隷根性だのと感情的に罵倒するだけ。
‥‥ほんと致命的に頭が悪い。
540 :
白馬青牛:2007/04/04(水) 00:12:52
今日も低脳ネットウヨクのヒステリーかいのう。
>>536 上の方のサイトは、つくる会の繋がりじゃないか。
やっぱしカルト原理主義宗教集団の人間じゃのう。
下の方のサイトは、慰安婦のこと云うより南京事件の言い訳じゃろう。
中国軍も撤退の際に同国民も民家を焼き払うんは、戊辰戦争の奥羽同盟軍も
同様の行為をしよったわい。
日本人が、同胞重罪人に厳しい処遇をしたから他民族に情け容赦ない処置を
とっても残虐行為じゃない云いたいんかのう。
斬首出来んもんは臆病者か。「降人(捕虜)をなだむるは古今の例なり」
「窮鳥懐に入れば、猟師もこれを殺さず」と云う日本人の古来からの道徳を
無視し、残虐とは考えなかったと日本兵士を愚弄する。自虐史観そのもので
あろう。
慰安婦を民間業者にまかせたじゃの、軍は慰安婦の監督にとどまったんなら
輸送船に乗せ前線に送る必要もあるまい。強姦する者は慰安所があっても
やるよ。慰安婦と性交渉したら性欲が防げると考えたとしたら、最近の
教条的馬鹿教師並みじゃわい。女を囲うた将校や憲兵のモラルを問題と
すべきであろう。軍上層部の弁護についやし日本軍兵士を馬鹿にしとるよ。
このサイトは。まあ、多少意識的にボロを出しとるんが面白いけど。
当時の兵士の記録より軍将校クラスやマスコミの動向から、つまり、
だます側の見解だけ載せて論じても意味がないわい。
↑
ほんとに馬鹿なんだな、こいつは・・・
542 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 01:22:37
>>540 ほんといい加減にしてくれ。
スレタイに戻して、
騎馬民族(鮮卑・高句麗・扶余・新羅も?)が、
日本を征服し、王朝を打ち建てたとお考えなのか?
>>540 >上の方のサイトは、つくる会の繋がりじゃないか。
「つくる会」と聞けば脊髄反射のようにインチキだと決めつける、
そうした態度は学問的に真摯とはいえないだろ。
おまえが信奉している意見と、それに対する反対意見、
ちゃんと双方の言い分を比較し、吟味した上で判断してみろよ。
そういういい加減さ、不真面目さ、ご都合主義なところが
おまえの「騎馬民族征服」説にもろに出てるんだよ。
ま、どうせ感情的になって、安っぽい正義感で逆上しまくっている
おまえには無理な話なんだろうが、これ以上恥をさらさない内に、
とりあえず3年くらい頭冷やしてから出直してこい。
544 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 14:27:05
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足士器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html
545 :
日本@名無史さん:2007/04/04(水) 19:34:48
昔、教科書から東郷平八郎が消えて(今もか?)、
韓国のジャンヌダルクとかぬかす柳?ナントカが載って、
いったどこの国の教科書なんだ、これじゃいかん!
と「つくる会」が発足されたんだよね。
何が悪いのか聞きたいよな。
546 :
白馬青牛:2007/04/05(木) 00:28:23
>>542 江上氏のように騎馬民族に全部含められるかどうかは別として、
在来縄文土着民より渡来系(現在本土日本人の主流)が支配層となった
可能性の方が自然じゃ。
>>543 「つくる会」の連中のどこが学問的なんか?
安っぽい正義感?わりゃは正義感に値段をつける守銭奴か。
奴隷根性・自虐史観のネットウヨクの妄想よのう。
証明じゃの証拠じゃの歴史学にゃあ空虚な言葉を連発するだけじゃろう。
547 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 07:47:28
だめだこりゃ・・・
>>546 >安っぽい正義感?わりゃは正義感に値段をつける守銭奴か。
‥‥呆れたな。日本語特有の比喩もわからんらしい。
あんた、本当に日本人か?
自分は何も責任も無い安全な立場から、
過去の日本人をエラそうに断罪していい気になっている。
これを指して安っぽい正義感と言うんだよ。
恥を知れクズ。
>546
空虚な言葉って‥‥自分のことだろ?
他人を学問的じゃないと罵倒するおまえの方が
全然学問的じゃないじゃん。
天に唾するとはおまえのことだよ。
550 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 14:33:02
>>546 >在来縄文土着民より渡来系(現在本土日本人の主流)が支配層となった
>可能性の方が自然じゃ。
意味不明だな。
弥生人が渡来系であり、仮に本土日本人の主流になったとして、
騎馬民族説はその日本に4世後半、北方民族が来て、
日本の支配者になったかどうかという説でそ?
あんた話がずれてるよ。
551 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:02:33
>>540 >上の方のサイトは、つくる会の繋がりじゃないか。
お 前 の 出 し た サ イ ト は 左 翼 系 の 人 間
繋 が り じ ゃ な い か
>日本人が、同胞重罪人に厳しい処遇をしたから他民族に情け容赦ない処置を
とっても残虐行為じゃない云いたいんかのう。
日本人が間接的にが朝鮮人慰安婦にかかわったのは悪いけど
米軍が日本人に売春を強いたことは良いことなのか?
>日本人の古来からの道徳
>残虐とは考えなかったと日本兵士を愚弄する。自虐史観そのもので
あろう。
中国人も儒教というものがありながら有史以来信じられん虐殺行為を
繰り返してきたな。
意味がわかるか?
552 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:06:28
>慰安婦を民間業者にまかせたじゃの、軍は慰安婦の監督にとどまったんなら
輸送船に乗せ前線に送る必要もあるまい。
民 間 業 者 に 戦 線 に 行 け と 言 う の か ?
>慰安婦と性交渉したら性欲が防げると考えたとしたら、最近の
教条的馬鹿教師並みじゃわい。
なるほど、では米軍も同じだな。
日本人売春婦を囲っても結局強姦を繰り返したもんな。
>当時の兵士の記録より軍将校クラスやマスコミの動向から、つまり、
だます側の見解だけ載せて論じても意味がないわい
お前の言う兵士の記録とは
左 翼 に 都 合 の い い 作 ら れ た 歴 史 だ ろ ?
553 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 19:13:38
554 :
白馬青牛:2007/04/06(金) 01:16:15
>>550 弥生人が渡来系?弥生人は、渡来系だけじゃあるまいし。
在来縄文系弥生人は無視か。騎馬民族説の4〜5世紀は世界的民族移動期で
江上氏の騎馬民族説は、その一部分の現象じゃ。
>>551-552 左翼系云うて田中清玄氏は左翼か?まあ、わしから視たら、おどれら
ネットウヨクがマルクス左翼史観の自民族発展段階説を継続しとるけえ
ネットウヨクは左翼の自虐史観じゃ思うわいのう。
米軍が売春を強いたか疑問じゃが、8月22日に日本側も女事務員募集云う
名目で18〜25歳の自国の娘を慰安婦にさせとる。
RAAの問題で米国を責めても、彼らは、日本側が勝手に女性を提供した。
我々に責任はない云うじゃろうのう。強姦もソ連軍じゃったら米軍どころ
じゃあるまい。
有史以来中国人の虐殺行為と同様有史以来の日本の虐殺行為を棚に上げて
云うたらいけんよ。人身売買・拉致・虐殺を隠すんは日本人の恥に
なろうが。
慰安婦を輸送船に乗せ、前線に送ったんは事実じゃないか。
前線で血みどろの戦闘をした兵士の記録が左翼か?連日将校クラブ
(慰安所)に通い朝帰りする痴呆けた人達が愛国者かいのう。
前線兵士を貶め将校連中は正しかったんか。都合がええのう。
つまり上の者には諂い、下の者は威張る奴隷根性を持っとるようじゃのう。
わりゃあ戦記など読んだこともないんじゃろう。ほんま空虚な妄想を
繰り返すわい。
555 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 01:25:54
白馬青牛は列島は騎馬民族に征服される対象で在るべきと云う前提を保障する為に
広開土王碑に倭が海を渡って百済新羅を破った事を認めないようなキチガイなんだよ
「倭こそは騎馬民族が海を渡って破られた筈なのに!そんな馬鹿な!!!!!!
よーし、この倭は半島の倭と云う事にしてしまえ!!!
いっそ海も渡ってない事にしろ!!!!!!」
白馬青牛はこんなヤツ
556 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 01:31:59
いやただの朝鮮人だと思うが。
557 :
あれ?:2007/04/06(金) 01:45:40
>>554 >騎馬民族説の4〜5世紀は世界的民族移動期で
世界的に普通のことだった!!だから例外なはずがない!!
という論理だな。
>左翼系云うて田中清玄氏は左翼か?
「つくる会」がカルト原理主義宗教集団か?
俺から見れば、お前のような朝鮮ウヨクが騎馬民族絶対主義を標榜しとるけえ
朝鮮ウヨクはネットウヨクと同じだわいのう
>米軍が売春を強いたか疑問じゃが
日本軍が慰安婦を強制連行したかは疑問じゃが
>8月22日に日本側も女事務員募集云う名目で18〜25歳の自国の娘
を慰安婦にさせとる
朝 鮮 も そ う だ な
>RAAの問題で米国を責めても、彼らは、日本側が勝手に女性を提供した
慰安婦の問題で日本を責めても、キーセン国家の朝鮮では伝統どおり売春婦
を日本に提供した
>我々に責任はない云うじゃろうのう。
ウリたちは被害者ニダ!!わめくじゃろうのう
何でだろう?コイツの言うこと全て単語をちょっと変えるだけでそのまま
慰安婦の弁護になる。
558 :
続き:2007/04/06(金) 01:50:54
>強姦もソ連軍じゃったら米軍どころじゃあるまい。
朝鮮では反共産主義教育を受けていたのかい?
>有史以来中国人の虐殺行為と同様有史以来の日本の虐殺行為を棚に上げて
云うたらいけんよ。
有史以来の朝鮮人のキーセン文化と、米軍に強要された日本の売春行為を同じに
云うたらいけんよ。
>慰安婦を輸送船に乗せ、前線に送ったんは事実じゃないか。
「輸送船」か?
>前線で血みどろの戦闘をした兵士の記録が左翼か?
それが改作・捏造されたものと考えられないか?
>連日将校クラブ(慰安所)に通い朝帰りする痴呆けた人達
連日朝鮮総連に出入りする売国奴たちの書いた記録を信じられるか?
559 :
続き:2007/04/06(金) 01:56:15
>つまり上の者には諂い、下の者は威張る奴隷根性を持っとるようじゃのう。
どこをどう読んだらこういう考えに辿りつくのかさっぱりわからんな。
理論の飛躍がひどすぎる。
あ、そうそう。上にはへつらい、下には威張る奴隷根性って
朝 鮮 人 そ の も の だ よ ね
お前も「偉い先生がこうおっしゃった」から事実だ。
「右翼系集団が書いたから偽者だ」と決め付けてるね。
お 前 も 奴 隷 根 性 な ワ ケ だ w
>わりゃあ戦記など読んだこともないんじゃろう。
お前の言う戦記ってナニ?
奴 隷 根 性 の 染 み 付 い た お 前 が 読 む 自 分
に 都 合 の 良 い 戦 記
ってあるの?
560 :
続き:2007/04/06(金) 01:58:38
おい、奴隷根性の染み付いた奴隷広島在日よ。以下に示すものを
提示しろ
1 騎馬民族が日本を征服したと断定できる物品・痕跡
2 九州が新羅の統治下にあったという文書
3 従軍慰安婦の同時代資料
騎馬民族説は、1980年代に
日本で盛んになった説だな。
でも、今では殆ど、相手にされない説。
あんまりにも、論理的に無理があるから。
また、最近では、考古学の発展や、文献史学の発展で
ますます、騎馬民族説は外へ追いやられているというのが実情。
>>561 でもこの白痴青牛とかいうクズには自分の言ってる説が現在の学界
では甚だしく異端、 もしくは主流ではないという自覚が全く無い。
主流でない説を主張するからには、色んな矛盾点を1つ1つ丹念
かつ実証的に検証していくしかないはずなのに、
このバカはそんな必要は無いとさえほざく有り様。
そしてひたすら「俺はこう信じる!!信じたいんだ!!
おまえらこれを信じないなんて狂ってるニダ!!嫌韓厨ニダ!
ネット右翼ニダ!」 と喚き散らす。
こんなくだらない態度で、何で学問板に居着いているのやら、
全くもって不可解千万。
563 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 16:27:26
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
日本文化チャンネル桜は、平成十九年三月三十一日をもってスカイパーフェクTV!Ch.767における
24時間放送を休止し、同Ch.241「ハッピー241」の夜の時間帯で放送を続けることになりました。
※「ハッピー241」での放送時間(4月1日?)は、以下のとおりです。スカイパーフェクTV!
の受信環境があれば、どなたでも無料でご覧になれます。
【月?金】18:30?21:30/23:00?24:00
【土・日】21:00?24:00
http://www.ch-sakura.jp/index.html
565 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 20:14:22
まあ、騎馬民族征服説なんて、学会からぜんぜん相手にされていない
妄説なんだけどね(w
566 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 20:52:55
そういう事。
江南妄想と騎馬民族妄想はいつも学会の笑い種。
567 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 20:56:51
江南とは、たしかに文化交流はあったけどね。
568 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 21:20:08
古墳期以降だろ。
それより前は無いね。
青磁の壺の一つくらい持ってこいよw
大和民族は南なんか考える必要ねぇだろw
半島だけ見てろや。
>>569 見てるよ。
大和民族の故郷、アムールをなwwww
572 :
白馬青牛:2007/04/08(日) 01:59:31
またも、ネオナチ・ネットウヨクの妄想の繰り返しか。
ネオナチ排外主義でしか自国を愛することが出来ん哀れな連中じゃのう。
>>558 日本も有史以来奴隷輸出じゃったんは無視、米軍だけじゃのうて
我が日本の為政者から業者までの責任を無視か。
兵士の日記、手記、中隊記、回想録が捏造に至っては日本兵士を馬鹿にする
自虐史観も甚だしい。ネットウヨクは当時の軍部、上層部の擁護だけで、
日本国民に対する愛情や誇りのかけらもない。あるのは権力に迎合する
奴隷根性ぐらいじゃろう。ネットウヨクは弱虫さんじゃけえ、
権力を持つものに憧れとるんじゃろうて。
573 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 08:00:55
>>572 >日本も有史以来奴隷輸出じゃったんは無視
希少な文献の中の極わずかな「外交」の献上品だけを挙げて妄想するのは
もうやめろ
その論理が通るなら、朝鮮は有史以来日本の属国だ
>兵士の日記、手記、中隊記、回想録が捏造に至っては日本兵士を馬鹿にする
自虐史観も甚だしい。
だから、出してみろって。
南 京 大 虐 殺 現 場 に い た 兵 士 の 記 録
従軍慰安婦が国家によって強制されたという根拠
574 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 08:13:18
白馬見ていると、騎馬民族説を唱える人は、学術的にどうというよりも、
特定の政治思想がその動機になっていることがよく分かった。
南京虐殺は、中国の兵隊が日本兵を模倣した庶民の虐殺レイプと略奪。
当時日本の敵で中国の味方だったアメリカ人の住民が多数証言している。
つまり南京虐殺は自虐殺。
だからバカ中国人が南京大虐殺の本を書いてもアメリカで非難轟々ww
結局 自責の自殺するしかなかったわけ。あ〜あw
>>574 超大国連中の国家戦略も似た様なもんだよw
ほころびがあれば付込む。無理を通せばなんたらで言ったもん勝。
577 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:18:24
*'``・* 。 みんなキムチにな〜れ!
| `*。
,。∩∧酋∧ *
+ < ‘∀‘ > *。+゚
`*。 ヽ、 つ *゚*
`・+。*・' ゚⊃ +゚
☆ ∪~ 。*゚
`・+。*・ ゚
578 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 20:55:24
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
579 :
日本@名無史さん:2007/04/08(日) 21:22:45
まだまだっ
弾幕薄いぞっ!
580 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 10:04:54
学界の定説か・・
船山鉄剣の「タジヒノミズハワケ」大王も学界の定説だったな。
稲荷山鉄剣が出てくるまではね。
それ以前に「ワカタケル」大王であることを予言した人がいたら偉い。
江上波夫はまさにそのようなことをやったのだ。
金海大成洞遺跡が現れる以前に、江上以外の誰も、伽耶に扶余が来たこと
を予言した人はいなかった。
「学界の定説」などを根拠にするのは恥ずかしいことだ。
581 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 19:00:58
582 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 19:25:08
>>581 過去に何回も出ている。
考古学上の事実はどうしようもない。
583 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 20:40:44
>>580 だから定説を覆すような証拠や根拠を提示してから語れ
584 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 21:30:56
>>582 北方式木槨墓が扶余の墓なら、
竪穴式石槨墓の「騎馬民族」に滅ぼされた可能性が高いと思うが。
585 :
白馬青牛:2007/04/09(月) 21:54:44
私のここ15年くらいの観察によると、以下のことを発見しました。
騎馬民族説を信じている人は南京大虐殺を信じているし、
南京大虐殺を信じている人は、騎馬民族説を信じている。
騎馬民族説を主張する人が減ってきたのに同調するように、
南京大虐殺を主張する人も減ってきました。
両説の不思議な関係。
587 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 22:59:11
588 :
日本@名無史さん:2007/04/09(月) 23:16:02
>>585 >おいおい、戦前の「からゆき」さんはどうなるんなら。
文献に現れるんはごく僅かじゃ。
少なくとも「文献」に残ってるな。
証 言 だ け で な く
>朝鮮が有史以来日本の属国じゃったんは近代の日本統治時代以外確認出
来んよ
つ百済 新羅
>兵士日誌や将校の日記からも殺戮数は多かろうに。
だから
何 故 そ れ が 別 の 資 料 で 確 認 で き な い ?
>学術的にも国際的にも通用せん、ナチス的排外政治思想が動機じゃけえ
哀れじゃ。
お前の主張は学術的にも国際的にも通用するのか?
「〜がこう言った」「〜がこう書いている」
だけだな。これが学術的に通用するかは甚だ疑問だ。
589 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 09:35:35
この広島のオッサンは日本社会全部が敵なんだろう。
うだつの上がらない自分の不満を社会全部にぶつけてるのだろうな。
相対的に見て日本が非常に良い国という感覚も持ってないから、
シナやチョンと同程度くらいに思ってる哀れなヤツなんだよw
590 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 10:19:25
百人斬りの遺族が名誉回復の為に裁判を起こして敗訴したのが現在の状況。
591 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 13:37:46
>>583 だから定説を覆すような証拠や根拠を提示してから語れ
まず前スレなどの証拠や根拠を読んでから語れ
>>584 >北方式木槨墓が扶余の墓なら、
>竪穴式石槨墓の「騎馬民族」に滅ぼされた可能性が高いと思うが。
竪穴式石槨墓とはいつ頃、何処にあった墓か?
592 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 13:55:13
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
593 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 18:03:24
594 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 18:49:11
かなり贔屓目で見ても騎馬民族説はオhル。
先ず
地政学的に あ り え ん
民俗学的にも ム リ ポ
言語学的にも 関 連 性 薄
デムパ的には オ ッ ケ ー
595 :
日本@名無史さん:2007/04/10(火) 20:06:32
>>591 >まず前スレなどの証拠や根拠を読んでから語れ
それに対する反論を見てからそれを言え。
>>594 ワロタw
596 :
白馬青牛:2007/04/11(水) 00:30:10
>>588-589 文献なんぞ、権力者集団の都合のええ部分しか残さんもんじゃ。
兵士の記録の方が信憑性が強いんは云うまでもない。しかも多くの
兵士の記録ようのう。古代と違い近代は末端兵士の記録も残っとるけえ、
隠蔽し難いのう。兵士の記録(戦記・日誌)が捏造云うんはネットウヨク
ぐらいのもんじゃろう。ネットウヨクらは、我が日本兵士を侮辱する
自虐史観じゃわい。
我が日本の恥部まで隠蔽し、日本の全てを美化するんは、日本の歴史に
恋をしよるだけで、日本を愛することたァ違うわいのう。
恋は冷めるよ。
日本を美化した幻想世界に閉じこもったネットウヨクが、
幻想から覚めたら祖国を裏切る売国奴となる可能性が強いんは云うまでも
ないが、日本の上層部の美化じゃけえ、権力欲が絡んどる。
最初から日本民族への愛情よりも権力欲に溺れた連中の美化と弁護じゃ。
日本語を読める外国人が、あんたの発言をどう思うんかのう。
あんたを武士道精神を持った人間たァ云わんじゃろう。
ネットウヨク発言に、わしゃあ、日本でも東の大和民族じゃない連中で、
日本人全体の意見じゃないと説明するほかなかったよ。
日本人の誇りを傷つけ、いらん恥をかかすなや。ネットウヨクさんらよ。
597 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 01:00:18
>>596 >文献なんぞ、権力者集団の都合のええ部分しか残さんもんじゃ。
ほう、では奴国王が奴隷を献上したことも信憑性が無いな。
日本は奴隷輸出国でなかったわけだ
>しかも多くの兵士の記録ようのう。
>兵士の記録(戦記・日誌)が捏造云うんはネットウヨク
ぐらいのもんじゃろう。
だ〜から、その兵士は「慰安所に配置された慰安婦」と「戦場の一部分」
しか見れないワケだろ?
お前の言う「慰安婦問題」「南京大虐殺」の肯定には結びつかんぞ?
>日本の歴史に恋をしよるだけで、日本を愛することたァ違うわいのう。
お前は朝鮮の歴史・騎馬民族征服説に恋するだけで、真実に近づこうという
意思が全 く 無 い な
>日本の上層部の美化じゃけえ、権力欲が絡んどる。
どうしてもそう思い込みたいんだな?
米議会やらマイク・ホンダは「国家権力が慰安婦を連行した記録」とやら
を証拠としているらしいがそ れ ら も 信 憑 性 が な い わ け だ
598 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 01:00:49
>日本でも東の大和民族じゃない連中で、
日本人全体の意見じゃないと説明するほかなかったよ。
日 本 人 で な い 反 日 バ カが
騎 馬 民 族 説 を 必 死 に 叫 ん で る
ようにしか見えないぞ?
自分の都合の良い「証言」しか認めないお前が
そ ん な こ と 言 っ て も 説 得 力 な い よ
599 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 07:20:57
>日本を美化した幻想世界に閉じこもったネットウヨクが、
日本はダメだ〜という白馬青牛的左翼に刷り込まれた幻想を断ち切ってくれる本。
「逝きし世の面影」(渡辺京二著)
どなたかのブログだが感想が書かれてる。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/47209/ 今度の都知事選での浅野の支持者に、
北朝鮮による拉致などないと断言する教授がいて、
逆に支持率下げたらしいが、
マスコミや左翼が浅野を明らかに支持する空気を有権者が読み始めてるんだね。
良い傾向だ!
600 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 10:41:35
>>593 >4世紀末〜5世紀初に現れた墓。 馬冑をはじめとする騎馬民族的副葬品は、
>基本的にこの墓とともに現れる。
593の文献は釜山地区のみについて述べたものだ。
金官伽耶の中心は5世紀初頭まで金海地区(大成洞古墳群)だ。
>>595 :日本@名無史さん :2007/04/10(火) 20:06:32
>それに対する反論を見てからそれを言え。
出土物という物証を否定するわけにはいかないから、反論の主なものは
文化受容説だ。
お前は文化受容説なのか?
601 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 11:15:06
>>600 だから大成洞古墳群も5世紀初頭に消えるのだろ?
高句麗に一時支配された騎馬民族・新羅の台頭で消えるのだろ?
602 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 17:49:24
>>601 新羅が騎馬民族国家なんて始めて聞いたが・・
百済の支配者層が騎馬民族ってのは聞いたことがあるが、新羅に関しては初めて。
604 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 18:59:16
>>602 高句麗・好太王の南進により、
新羅が一時的に高句麗の支配下に入ったと思われる。
そして伽耶もその新羅に圧迫されたみたいだな。
その証拠に金官伽耶の土器が日本に現れる。
その後、高句麗は半島南部に居続けはしなかったが・・・
605 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 19:47:11
>>601 >だから大成洞古墳群も5世紀初頭に消えるのだろ?
その通り。金海大成洞古墳群は3世紀末から5世紀初頭まで、北方的騎馬文化
を示した後、5世紀初頭に消えた。
それを知っているのなら、金海とは別の釜山地区の話を、場所も特定せず持ち出して、
4世紀末以前は騎馬文化は極めて薄い、などと紛らわしい話をするな。
606 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 19:49:52
>>604 ・・・
高句麗の支配下に入ったから騎馬民族系統の国家に大変身か・・
それなら、日本の支配下に入った加羅も日本系国家ということになるな・
607 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 20:05:39
>>605 >金海大成洞古墳群は3世紀末から5世紀初頭まで、北方的騎馬文化
>を示した後、5世紀初頭に消えた
具体的にどんな文化だ?例を出してくれ。
608 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 21:17:24
>>605 大成洞古墳群は3世紀末から5世紀初頭まで、北方的騎馬文化
を示したというが例えば甲冑はどんなのだ?
騎馬文化というからには桂甲か?
福泉洞の木槨墓では鉄製短甲だよな。
609 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 22:48:30
答え待つ間に見つけた。w
大成洞では4世紀に北方民族の甲冑である桂甲や馬具が出てるみたいだね。
馬具はどんなのか見てみたいのだが写真がないな。
で、その「騎馬民族」が5世紀初頭に消えるんだな。
残念ながら日本には来てないな。
百舌鳥古墳群・黒姫山古墳から大量の甲冑が見つかってるが、
それらは短甲だ。
桂甲はもっと後に入ってくる。
610 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 23:03:51
逆に古市や百舌鳥の古墳は4世紀から築造開始されてるしね。
611 :
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。:2007/04/11(水) 23:06:24
こんばんは
612 :
スレ違い:2007/04/11(水) 23:45:06
さようなら
613 :
白馬青牛:2007/04/12(木) 01:12:12
>>599 日本の全てが駄目じゃゆうたこたァなあが、無理に恥部を隠蔽してまで
美化するんは自画自賛以上で風が悪りい(恥ずかしい)よ。
ほう、わしが左翼になるんか。ネットウウヨクのマルクス左翼史観を借りた
自民族発展段階説を唱える方が左翼じゃないか。
ブログ云うて、あんたの云うマスコミ、産経じゃないか。
ジャナリズムは、朝日であろうと産経であろうと世論誘導なんに一方だけを
持ち上げる洗脳された馬鹿じゃと自負しとるんか?
ブログにモース氏の言も書いてあるが、モース氏は縄文人の食人習慣に
言及されたことをわしが挙げた時の反応と違うのう。
バードとあるんはイザベラ・バード女史で、日本人の美点を抽出しとるが、
http://www7.plala.or.jp/juraian/ibird.htm イザベラ・バード女史の東北奥地紀行と朝鮮紀行は、各民族の長所や
自身の体験で不愉快なことも書いてあるんじゃがのう。
東北の不潔さも、「しらくも頭、たむし、ただれ目」や「女たちの酷い
労働と焚火のひどい煙のために、顔もゆがんで全く醜くなっていた。」
「彼らの身体や着物、家屋には害虫がたかっている。独立勤勉の人達に
対して汚くむさくるしいという言葉を用いてよいものならは、彼らは
まさにそれである。」
江戸後期の岡山県人の古川小松軒も、『東遊雑記』に東北内陸部を義理も
礼法も知らん人物賤しく、あわれな暮らしと記しておられるが、
東北も朝鮮を云えたもんじゃない。バード女史によると容貌と体格は
朝鮮じゃそうな。都知事選のことなどどうでもええが、広島市長選に
変節分子の元参議院、「木+白」村氏が落選して良かったよ。当選
しとったら広島の恥になったわい。そのマンガ道場氏も他板じゃあ、
ネットウヨクの人気があったようじゃのう。反日分子発言で。
614 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 01:22:17
日本各地の神社で、鬼を追い払った口承があるのを知らないのか?
なぜ彼らが鬼と呼ばれていたかは、彼らが牛を神として信仰していたからさ。
鬼=牛を信仰する民族=遊牧民は殺されたか、朝鮮半島に逃げて行きました。
615 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 01:29:14
鬼とは、渡来人の中でも生産手段を持たず、山に砦をつくって篭り、自分たちは働かずに、現地の民衆から略奪し、虐殺を行う者たちを限定して鬼と呼んだそうです。
播磨で鴨族と戦った渡来人は姫路の山のほうに逃げましたが、
現地の人々にまじないと薬草の知識を教え、貢献したため、神として崇拝されたそうです。
そして、その地で牛を崇拝する神として根付いたそうです。
たとえ、自分たちと敵対する者であっても、生産手段を持たず、日常的に略奪と虐殺を行わない者以外は、悪神と表現したようですね。
鬼と断定される場合は、かなり酷い虐殺と略奪を行う者たちだけに限定されたようです。
鬼に指定される基準はかなり厳しく、よほど酷いことをしないかぎり鬼に指定されることは無かったそうです。
なぜ、ここまで厳しく鬼の基準を限定するかというと、生産手段と生産技能をもった渡来人には敵対した場合でも降伏を促し、
服従すれば労働に従事させたからです。
貴重な技術や生産手段をもった人々を殺してしまっては、大きな損失になります。
鬼はまったく生産手段を持たない略奪者ですので、根絶やしにされたようです。
主に鉄鋼の技能ももたない脱走兵などの集団ですね。
これは、北方系であろうと、南方系であろうと厳しく罰せられたそうです。
牛を信仰する民族=遊牧民?
牛は農耕系民族だろw
俺のところじゃ病気で死んだ牛を拝所に祀ったりしとるがな。
まあ、闘牛もさせるがなw
617 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 01:32:42
粛慎は北方系のモンゴルとかに近い種族ですね。
蝦夷は日本の原住民だと思っていましたが、
あの地域には大量に靺鞨人が流入していますね。
618 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 01:33:41
>>616 無知なやつだ。
自分で調べて勉強してから出直して来い。
619 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 06:37:11
>>613 「逝きし世の面影」の外国人たちは日本礼賛ばかりではない。
当たり前だよそんなの。
ただ10のうち8を褒めてるとして、
その褒めてる部分をスルーし、
残りの2ばかりを強調してきたのが、左翼の手法だ。
あなたもそうさ、自分では気づいてないかしれないが。
南京事件の例で言えば、
恥部が本当に恥部ならいいのだが、
あったかどうか論争してる時点なのに、
もはやあったと断定し、日本の恥部として晒そうとしてる。
ほとんど変態の所作だね。
620 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 06:59:55
>>613 上杉鷹山の米沢藩だかを「エデンの園」と称して絶賛してたのはバードじゃなかったか?
おまえはマゾヒストか?
621 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 22:34:13
>>613 大体のところは上で散々叩かれてるから残った部分を言おう
>わしが左翼になるんか。ネットウウヨクのマルクス左翼史観を借りた
自民族発展段階説を唱える方が左翼じゃないか。
事 実 に そ ぐ わ な い お 前 の 妄 想 を 窘 め て い る だ け だ
>モース氏は縄文人の食人習慣に言及されたことをわしが挙げた時の反応と違うのう
お前もそろそろ事実を認めたらどうだ?
>東北の不潔さも、
東 北 の 農 村 を 槍 玉 に 挙 げ て も 中 国 地 方
が す ば ら し い と な る わ け で は な い ぞ 。
まあ、中国地方の人間の汚らしさは、実話に基づいて書かれた「はだしのゲン」
でよく知っているが。
>東北も朝鮮を云えたもんじゃない。バード女史によると容貌と体格は
朝鮮じゃそうな。
東 洋 を 蔑 視 し て い た 当 時 の 西 洋 人 か ら
、 黄 色 人 種 の 顔 が 見 分 け ら れ る か ?
622 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 22:37:46
>都知事選のことなどどうでもええが、広島市長選に
変節分子の元参議院、「木+白」村氏が落選して良かったよ。当選
しとったら広島の恥になったわい
自 分 の 気 に 入 ら な い 人 物 が 落 選 し て 大
喜 び だ な 。
まあ前々からわかっていたことだが、人間性が最悪だよ。お前。
ま あ 朝 鮮 人 だ か ら な w
なあ、お前さ、
生 ま れ て こ の か た 何 し て き た の ?
何 を 学 ん で き た の ?
何 を 知 っ て る の ?
何 で 生 き て る の ?
623 :
白馬青牛:2007/04/13(金) 01:28:54
>>619 10のうち8褒める云うんもあんた流の解釈じゃないか。
全てが悪いとした左翼と不都合な部分を隠蔽し美点だけを書く
ネットウヨクは同類じゃのう。
南京事件も兵士の手記や将校クラスの手記からも否定出来る要素がないんが
現実じゃ。妄想はたいがいにせえや。
上杉鷹山は豊後大分人で、隷属東北社会で苦労されたのう。
米沢の藩政改革や庄内じゃ東北でも特に豊かな地域を基準と捏造
しよるんか。山形県でも新庄の最上っ子は数珠つなぎにされて関東へ
売られたけんのう。売りあるくんは「最上婆」と呼ばれたそうじゃ。
>>621-622 中国地方の人間の汚らしさの根拠が「はだしのゲン」か?
あんたの自己判断力がないことが自慢なんか?
広島県人の変節分子が落選したんは喜ばしいよ。消去法でネットウヨクに
評判の悪りい関東人の陸軍中佐の息子さんの方がええと
広島市民が判断したことじゃ。
ワレが気に入らん人間は皆朝鮮人にするんはネットウヨクの法則じゃのう。
生まれてこのかた、生きてきたわい。ネットウヨクの様に洗脳されんことを
学んだかのう。わしゃあ無知ゆえ知らんことが多いが嫌韓ネットウヨクほど
低脳じゃない。生きとって何が楽しいんか解らんネットウヨクたァまし
じゃけえ、命を貰うとるんじゃろうて。
624 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 08:03:09
>10のうち8褒める云うんもあんた流の解釈じゃないか。
読んでから言えよな。
だいたいスレ違いなんだよおまえ。
625 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 23:24:58
626 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 23:33:15
>>623 >全てが悪いとした左翼と不都合な部分を隠蔽し美点だけを書く
ネットウヨクは同類じゃのう
じ ゃ あ お 前 は サ ヨ ク な わ け だ
>隷属東北社会で苦労されたのう。
まあ、中国地方の奴隷農村の管理よりは苦労されたろうな。
言うこと聞いてくれないもんな。
>山形県でも新庄の最上っ子は数珠つなぎにされて関東へ
売られたけんのう
そ れ は 鷹 山 公 の 知 世 か ?
>あんたの自己判断力がないことが自慢なんか?
お前は「偉い〜先生が・・」「〜氏がこう言ってるけえのう」
って
一 次 資 料 に よ ら な い 他 人 の 言 を 持 っ て く る か ら
俺は「実際に被害にあった人の描いた」はだしのゲンを出したのだ。
>消去法でネットウヨクに
評判の悪りい関東人の陸軍中佐の息子さんの方がええと
消去法で言えば、
お 前 の よ う な 低 脳 が 日 本 か ら 先 に 消 え る べ き だ な
>。ネットウヨクの様に洗脳されんことを
あらららら・・・
サ ヨ ク に 洗 脳 さ れ ち ゃ っ た ワ ケ か w
>>623 >中国地方の人間の汚らしさの根拠が「はだしのゲン」か?
いいや、おまえという存在が何よりの根拠だw
>広島県人の変節分子が落選したんは喜ばしいよ。
秋葉のように十年一日の如く反戦反核さえ唱えていれば
平和が守られるとほざいている大ボケの方がマシだとは、
さすが広島は糞サヨの巣窟w
騎馬民族説というのは学説というより、政治思想。
いまや数少ないサンプルのひとつが白馬さん。
629 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 19:46:32
>>609 >大成洞では4世紀に北方民族の甲冑である桂甲や馬具が出てるみたいだね。
>残念ながら日本には来てないな。
>百舌鳥古墳群・黒姫山古墳から大量の甲冑が見つかってるが、それらは短甲だ。
>桂甲はもっと後に入ってくる。
桂甲が北方騎馬民族の甲冑で、短甲は日本オリジナルだと言いたいのかな。
伽耶でも、日本と同様に短甲と桂甲の両方が出るのだよ。
日本最古と言われる猫塚(?)の鉄製短甲の起源が老河深にあるという話もある。
630 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 19:52:06
631 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 22:08:18
>>629 短甲はほぼ日本オリジナルだろ。
弥生時代からあるみたいだしね。
伽耶でも、日本と同様に短甲と桂甲の両方が出るけども、
仁徳天皇陵出土品は短甲だ。
騎馬民族の大王なら桂甲でなきゃ。
632 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 22:16:54
633 :
白馬青牛:2007/04/14(土) 23:42:46
>>627-628 あんたらネットウヨクが、政治思想でどうじゃ、こうじゃ、つまらん妄想
垂れよるんでえ。おどれらの方が縄文在来系が渡来系と平和共存じゃ、
リベラル派の一国平和主義の影響を受けとるんじゃないか。
選挙は候補者の思想たァ、人間として誰がつまらん人物かの問題じゃ。
柏○氏は、RCC、サテライトの頃から、気にいらなんだわい。
広島は保守王国で左翼じゃあるまい。自民党支持層でも秋○氏の方が
柏○氏よりも票が多かったろうに。
>>630 YAP単独の遺伝子じゃあ判断出来んよ。多数の遺伝子から全体的な
傾向を判断せにゃあのう。DNAじゃあ本土日本人は琉球人やアイヌ人より
も韓国人に近いし、HLAでも韓国人に近く、チベット人とも近い。
これはYAPとも共通するか。じゃがHLAで40%以上日本人と
一致する民族集団は確認出来ん。
下のサイトの、「征服なくして文化伝播なし」には同意じゃ。
弥生や古墳期の渡来系子孫が威張って、それより前や後に渡ってきた人
たちの子孫は虐げられている。ベルツの満洲、朝鮮から渡来した上流階級や
本州西南日本に多い長州型と庶民形質の薩摩型との違いじゃろうね。
>あんたらネットウヨクが、政治思想でどうじゃ、こうじゃ、つまらん妄想
>垂れよるんでえ。おどれらの方が縄文在来系が渡来系と平和共存じゃ、
>リベラル派の一国平和主義の影響を受けとるんじゃないか。
縄文系と渡来系が衝突した痕跡がない。
痕跡もないのに想像であれこれ語るのが白馬さんの流儀ですかね?
635 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 00:21:25
636 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 09:47:52
しかし5世紀中頃〜後半に巨大古墳があり過ぎなんだよな。
天皇陵と認定されてもおかしくない巨大古墳が沢山あるし。
それらも含めると天皇の数と合わない感じだな。
不思議だ。
637 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 10:24:58
400m級時代の200m古墳まで含めちゃうからそうなっちゃう。
巨大古墳=天皇という図式が違うんじゃないか
639 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 20:28:43
>>634 >YAP単独の遺伝子じゃあ判断出来んよ
少 な く と も 日 本 人 と 朝 鮮 人 の 遺 伝 子
の 違 い が 実 証 さ れ た な 。
>DNAじゃあ本土日本人は琉球人やアイヌ人より
も韓国人に近いし、
D N A っ て 何 の 略 か 知 っ て る か ?
>HLAでも韓国人に近く、
HLA遺伝子単独では判断できんよ
>下のサイトの、「征服なくして文化伝播なし」には同意じゃ。
へえ〜、日本には中国の文化が伝播してきたが
中 国 に 征 服 さ れ た の か
へえ〜、朝鮮には中国の文化の影響が根強く残ってるが
朝 鮮 は 中 国 に 征 服 さ れ た の か
確 か に 朝 鮮 は 中 国 に 征 服 さ れ た な 。
>弥生や古墳期の渡来系子孫が威張って、それより前や後に渡ってきた人
たちの子孫は虐げられている。
散々論破された内容の妄想を使いまわして楽しいか?
640 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 20:29:30
>ベルツの満洲、朝鮮から渡来した上流階級や
本州西南日本に多い長州型と庶民形質の薩摩型との違いじゃろうね
残念。
お 前 達 朝 鮮 人 と 西 日 本 人 は 違 う 人 種 な ん だ な あ・・
641 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 20:58:55
>>631 >仁徳天皇陵出土品は短甲だ。
>騎馬民族の大王なら桂甲でなきゃ。
心配要らない。同時に蒙古型鉢兜(金銅製眉庇付き兜)が出ている。
その名の通り北方系で、しかも王侯クラスのものだ。
>>632 短甲については日韓の学者の説がまったく違うから一方だけを見ても
なんとも言えない。
福泉洞で4世紀後半に方形板革綴短甲が出ていると言う資料もある。
日本では5世紀からではないか?
引用の資料は短甲に鋲留めと言う技法が用いられたのが日本が先だと
いうことを言っているだけだろう。
>>635 >その騎馬民族が日本を支配したとして、
>弥生時代から続く呪器とも言われる巴形銅器を埋葬なんかはしないだろう。
心配要らない。4世紀の金官ではちゃんと巴型銅器、筒型銅器を埋葬している。
>>636 >しかし5世紀中頃〜後半に巨大古墳があり過ぎなんだよな。
同感。おまけに従来の年代も段々新しくなる。ウィキペディアは
応神陵が5世紀末〜6世紀だと言っているし。
642 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:05:05
弥生は朝鮮半島は東沿岸を船で通過してきただけの
オホーツク海洋民だから朝鮮人と何の血縁関係も無いよ。
643 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 21:13:09
むしろ朝鮮人と血縁関係にあるのは縄文の方なんだよ。
やはり陸分岐以前の名残なのだろう。
644 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 22:49:58
>>641 桂甲が日本で出るのは5世紀半ばからだそうだ。
河内で言えば長持山古墳から桂甲が出てる。
なら同時期である河内の大王が、
もし騎馬民族なら桂甲を埋葬するだろう。
蒙古型鉢兜もペルシャグラスも文化受容だろう。
だいたい河内王朝開祖ともいうべき津堂城山古墳から、
騎馬民族的副葬品が皆無なのは致命的だ。
>心配要らない。4世紀の金官ではちゃんと巴型銅器、筒型銅器を埋葬している。
伽耶には倭人がいたからだろう。
短甲についても同じことだろう。
645 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 23:00:09
朝鮮語と日本語には語彙がほとんど関係無いが、聞いた感じが似ているのは
朝鮮語の下層に倭人語の発音習慣が残っていて、その上にツングース語やら
シナ語やらが被さっているような印象を受けるな。
646 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 23:15:23
>HLAでも韓国人に近く、チベット人とも近い。
HLAで韓国人に近い(近いと言っても4割)のは確かだが、
チベット人に近いってのはウソだな。
そんなドキュメントは見聞した事もない。
本当ならばソースなり証拠を提示してくれ。
それに日本人が朝鮮人と遺伝子が近いのは渡来によって
もたらされたものではなく、陸分岐以前にもたらされたものだよ。
647 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 00:28:05
>ウィキペディアは 応神陵が5世紀末〜6世紀だと言っているし。
これカンペキ錯誤だよな
648 :
白馬青牛:2007/04/16(月) 01:47:38
>>646 徳永勝士氏、斉藤成也氏によるHLAの近縁図が他に探してもないけえ、
また、他スレのように安倍総理が祝電を送った、原理新興宗教集団の
サイトを挙げにゃあいけんのんかいのう。やれやれ。
http://www.iifwp-jp.org/news/pdf/Heiwa043.pdf 2の右の図に出とるよ。HLAの北方集団と南方集団が。近縁図から
モンゴル人よりもチベット人や韓国人の方が日本人に近い。
筑摩書房の斉藤成也氏の引用で捏造じゃなかったけえ挙げとくよ。
じゃが、ネットウヨクの親分のサイトを挙げたんはまずかったか。
まあここに来る嫌韓厨は下っ端工作員じゃけえのう。上層部は日韓仲良し
じゃけど。
649 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 08:41:38
>>648 >徳永勝士氏、斉藤成也氏によるHLAの近縁図が他に探してもないけえ、
H L A 遺 伝 子 だ け で は 断 定 で き な い ぞ
自分の都合の良いように話を曲げるな
>まあここに来る嫌韓厨は下っ端工作員じゃけえのう。上層部は日韓仲良し
じゃけど。
朝鮮人必死だなw
あれあれ?ノムチョン大統領は大の日本嫌いじゃなかったかな?w
650 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 09:30:22
>>641 >同時に蒙古型鉢兜(金銅製眉庇付き兜)が出ている。
微妙な違いかもしれないが、あれは蒙古型鉢兜ではない。
蒙古型鉢はもう少し上が細い。
651 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 09:48:24
同じ話がループするが・・
結局騎馬民族が日本を征服したのならば、なぜ日本或いは日本の皇族は大陸言語(シナチベット語系)を話さないのか記録に残さなかったのか?
なぜ自らの出自を明らかにしなかったのかという根本的な問いに答える必要がある。
交易があれば物が移動し、出土するのは当たり前で
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。
前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤〜6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。
日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。
654 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 11:41:16
少なくとも古代朝鮮半島の歴史に関しては日中ではある程度の一致が見られる。
当然といえば当然で、両国には豊富な文献と遺跡があるため学術的態度に基づく限り、導き出されるものは似通ってくる。
655 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 13:51:48
上層部は日韓仲良し
・・・色々利権が絡んでいるようだからな。
656 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 16:10:08
それと古代史にどういう関係が?
>656
白馬青牛は別に学問的な古代史をやりたいわけじゃないので。
658 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 20:51:24
>>648 これは疑って申し訳なかった。
確かに日本人はHLA的にチベット人とも近いようですね。
おかげさまで、日本人の遺伝子が朝鮮人に近いのは渡来によって
もたらされたものではなく、やはり陸分岐以前にもたらされたものだ
という事が更に強く確信できました。
659 :
日本@名無史さん:2007/04/16(月) 21:49:43
確かにチベット人は呉服のような着物を着ているが、朝鮮人は着ていないな。
660 :
白馬青牛:2007/04/16(月) 23:48:47
>>658 >>651 日本は北方民族のアルタイ系文法でチベット・ビルマ語系はシナ語系より
文法的にはアルタイ系寄りじゃけどねえ。出自を隠すんは北朝の鮮卑も
そうじゃが、高句麗・百済が隠さんかったんは、黄海で大陸と直接接触した
ゆえであろう。日本海側の新羅となると、征服者は北方民族であろうが、
出自を中国側に云わんかった。
>>658 陸分岐以前じゃったら、4世紀頃の寒冷期の世界的北方民族の南下、
民族形質人類学的な変化を無視することになりますよ。
>>659 古墳時代は埴輪から考察出来るよう、魏志倭人伝のポンチョや袖の広い
呉服じゃのうて、北方民族の筒袖胡服。
661 :
YAP?:2007/04/16(月) 23:52:05
Y染色体DNAハプロタイプでいえば、日本人の30〜40%を占める
「D2」は、チベット陣では、50%近いが、朝鮮韓国人では、少ない。
まあ「D2」は,縄文系のものと考えられ、あいぬでは多数派らしいが、
まだ霊数が少なく、将来頻度が変わる可能性がある。
一方、韓国朝鮮人と日本人で共通するのは、日本人の30%ほど存在すり
「O2b」だ。韓国では、「D2」がほとんど存在しないために、
「O2b」の頻度は、日本人よりも当然高くなる。
同じ[O」でも、「O3e」などは、おそらく漢民族由来だろうが、これは
日本人では、「O2b」の半分ぐらいの15%前後とされている。
チベット人では「D2」の次に「O」が多いのだが、この[O」が、
「O1][O2」「O3」のどのサブグループに属するかが、不明だ
(目が悪くなったので英語の文献など読む気がしない)。
青、日本人には、10%程度の「C」が存在するが、これも、
南北加羅北と考えられる主な二つのサブグループに分かれる。
もう少し待てば、全世界で、調査されている多くの少数民族の
Y染色体DNAハプロタイプのデータがそろうだろう。
『NATIONAL GEOGRAPHIC』か何かで、
前にキャンペーンしていたぞ。
その気があれば、口腔粘膜の細胞か何かで、男は、y染色体DNA、
女はみとこんどりあDNAのハプロタイプを調べてくれるそうだ。
662 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 00:15:19
>>661 専門の人かい?
>>660 相も変わらず屁理屈を・・
>出自を隠すんは北朝の鮮卑も
出自を隠してるんじゃなくて
た だ 事 実 を 言 っ て る だ け
まあお前達朝鮮人には血筋が死ぬほど大切なようだが・・・
>高句麗・百済が隠さんかったんは、黄海で大陸と直接接触した
おいおいw
た っ た 数 百 年 で 征 服 者 の 言 語 が 変 わ る の か ね w
確かに、百済は支配層と被支配層の言語が異なっていたと「中国の史書」
にあるが、日本はそうじゃなかったよな?
日本の利益を守る必要性の低かった当時の中国人が、何故ヤマト王権の
ために出自を隠すんだろうね?w
>陸分岐以前じゃったら、4世紀頃の寒冷期の世界的北方民族の南下、
そ れ が 成 り 立 た な い か ら 言 っ て る ん だ ろ
>古墳時代は埴輪から考察出来るよう、魏志倭人伝のポンチョや袖の広い
呉服じゃのうて、北方民族の筒袖胡服。
プw
それが征服の根拠になると思ってるのか?w
663 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 00:30:06
>>660 形質変化時代はもっと前ですよ。
例えば、中国においては、江蘇省あたりなどは新石器時代の中頃まで
低顔で彫りの深い頭蓋だったのが、新石器時代が終わる頃には高顔で
扁平な頭蓋に変化している。
日本も弥生時代前期末、つまり2700年くらい前までには九州北部は
高顔で扁平な頭蓋に変化している。
おそらく3000年ほど前までにアジア中への北方モンゴロイドの拡散が終わり、
2000年ほど前までには形質変化はほとんど完了していたと思いますね。
664 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 00:31:22
シナ人は今でも満州服を着ているが、あれは征服の根拠になるな。
日本人も今は洋服を着ているが欧米による征服の印象があるので、夏は
アロハシャツにでもすべきだ。
665 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 09:46:38
古代中国でも騎馬民族に勝つために胡服と騎射を取り入れた将軍がいたが、征服されたことになるのか
666 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 09:51:02
征服者は己の出自を隠さない。
騎馬民族征服説はこの世界史の原則を崩さない限り、成り立たない。
667 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 10:02:12
邪馬台国=大和説が確定したら、騎馬民族征服説も完全にボツになるな。
668 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 19:53:58
>>644 >河内王朝開祖ともいうべき津堂城山古墳から、
>騎馬民族的副葬品が皆無なのは致命的だ。
津堂城山古墳は確かに痛い。河内王朝初代の大王墓に間違いないしね。
しかし言い訳を考えることはできる。
例えば副葬品等については、人心収攬のために過渡的に従来の葬制に従ったとか。
(実をいうと、大成洞古墳群も、3世紀末に一挙に墓制が変わったという風に
話して来たが、完全に北方系に変わる前に短い折衷期がある)
あるいは土着系の大王を戴いて制覇をなしとげた後に簒奪があったとか。
いずれにしても津堂城山古墳は問題だ。そして、従来の皇統の考え方のなかでも、
なぜ津堂城山がこれほど無視されたままなのか、不思議だ。
<4世紀の金官ではちゃんと巴型銅器、筒型銅器を埋葬している。>
>伽耶には倭人がいたからだろう。
その通り。金官では支配民族(扶余)の下に、土着の倭人がいた。
そして騎馬民族征服説が想定するのもこのような支配構造だ。
金官の状況は巴型銅器が倭國征服後も埋葬されることを裏付けているわけだ。
669 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:01:52
>>650 >微妙な違いかもしれないが、あれは蒙古型鉢兜ではない。
>蒙古型鉢はもう少し上が細い。
しかし、そのように呼んでいるようだ。その名前で検索できる。
たしかに初期の伽耶出土品のようにとがっていないが、細い鉄板を円周方向
に並べて作ること、鉢の天辺に下向きの皿状の板を置いて、さらにその上に
上向きの皿状板が蓮台のように乗る(房の台の役目をする)ことは同じだ。
>>666 >征服者は己の出自を隠さない。
>騎馬民族征服説はこの世界史の原則を崩さない限り、成り立たない。
唐の王朝は、己が鮮卑系であることを公表したのか?
670 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:10:42
>>669 >唐の王朝は、己が鮮卑系であることを公表したのか?
隠したっけ?
671 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:28:06
>>668 >金官では支配民族(扶余)の下に、土着の倭人がいた。
>そして騎馬民族征服説が想定するのもこのような支配構造だ。
>金官の状況は巴型銅器が倭國征服後も埋葬されることを裏付けているわけだ。
そうかなぁ。
北方系で、4世紀後半から日本系遺物が出土するほど倭人と交流があり仲が良く、
進んだ製鉄技術を持ってた故に伽耶に住んでた。
で、5世紀前後に消えて日本に来たかもしれない人達だよね。
秦氏だろうな。
672 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 20:43:14
673 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 21:47:22
騎馬民族研究者から見ると初歩の初歩なんでしょうが、
私のような弥生人&弥生文化研究者の目から見ると、
騎馬民族征服説にはこんな矛盾点が最初に頭に
よぎってしまうのですが。
放牧文化やゲル文化が伝わっていない。
騎馬民族の主食である乳製品を作り出す羊を連れてきていない。
モンゴル語と共通する言葉がない。特に馬具に。
騎馬民族説は素朴な疑問だらけですよ。
675 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:46:26
ウマという日本語がシナ語起源だというのもおかしいな。
ヤギも羊が語源ではないか?
ウシはモンゴル語ウヘルと関係ありそうだ。馬でなくて牛が共通?
676 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 22:56:35
誉田天皇 十四年 百済の弓月氏(ゆつきのきみ)が誉田天皇に対し、
百済の民人を連れて帰化したいけれども
新羅が邪魔をして加羅から海を渡ってくることができないことを告げる。
天皇は襲津彦を加羅に遣わして百済の民を連れ帰るように命令するが、
三年なんの音沙汰もなくなった。
誉田天皇 十六年八月、
天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)・的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)に
「襲津彦が帰ってこないのはきっと新羅が邪魔をしているのに違いない、加羅に赴いて襲津彦を助けろ」といって、加羅に兵を派遣した。
新羅の王はその軍勢に怖じけづいて逃げ帰った。そして襲津彦はやっと弓月氏の民を連れて帰国した。
この話おもしろいね。
この弓月の民が伽耶の木槨墓の人達なら、
彼らが消えた後、伽耶で新羅系の要素が強くなってくる事と矛盾しない。
677 :
白馬青牛:2007/04/18(水) 02:03:21
>>663 形質的変化については、前スレや
>>101に何度も書いたはずですよ。
弥生時代は北九州や山口等限定された地域だけ高顔で、九州の西部や
南部、瀬戸内の低顔ですよ。
>>665 趙が戎衣を戦闘用に取り入れたんと、胡服が古墳期の日本に現れるんは
違うよ。単に中国文明を取り入れるんなら袖の広い漢人の服にする。
征服民、支配層が胡服と解釈する方が自然じゃ。
>>669-670 唐王朝は鮮卑出自を隠し、隴西の李氏を名乗ったね。
>>673 満洲族もゲル文化もなく、家畜の乳を利用しません。
江上氏の騎馬民族は非遊牧民を含んでおる訳です。
678 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 07:10:16
>征服民、支配層が胡服と解釈する方が自然じゃ。
帰化民が持ってきた文化じゃ。
679 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 08:51:59
>>677 >形質的変化については、前スレや
>>101に何度も書いたはずですよ
完膚なきまで論破したよね。
>弥生時代は北九州や山口等限定された地域だけ高顔で、九州の西部や
南部、瀬戸内の低顔ですよ。
古墳になってゆり戻しが来たよね。即ち縄文系が遺伝子的に優位だったわけ
だ。
>唐王朝は鮮卑出自を隠し、隴西の李氏を名乗ったね。
あれ?軍閥だったんだから自然だろ?
ちょっと考え直してみろ
680 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 19:10:43
>>673 満洲族や、問題の扶余族が遊牧騎馬民族でないことは白馬青牛氏が言われる
通りですが、
もうひとつ、この手の反対説は、そのような文化要素が入って来たら必ず
「後世まで」あるいは「現在まで」伝わるはずだ、という前提に立って
います。しかしこの前提は証明されません。
奈良時代にはあったが、現在は残ってないものは数多くあるのではありませんか?
よく言われる「去勢」も、いったん入ったものが、理由はわからないが二次的に
消滅した、と私は思っています。
そりゃまた、言語から去勢まで何もかも見事に消えたもんだなw
消滅したと言えばなんでも許されるのか!
683 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:00:21
>>672 ごめん、「蒙古型鉢兜」ではなく「蒙古鉢型(形)兜」だった。
「蒙古鉢」までが一つの言葉だ。「鉢」とは兜のヘルメット部分のことだ。
細い鉄板の縦はぎで、天辺に皿をかぶせて作ったものが「蒙古鉢」なのだ。
だから「蓮台」のあるなしは関係ない。
684 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 20:11:53
前にも書いたが、5世紀に朝鮮半島からの養馬技術集団が入ったことは、
馬牧場遺跡ふきんの古墳から証明されている。
反対派の言うように朝鮮半島までは去勢の習慣が来ていたのなら、その習慣は
この集団が日本に持ち込んだことは確実だ。
その上で、現在は日本に去勢の習慣がないのなら、その理由は:
1)いったん持ち込まれたものが二次的に消滅した。
2)そもそも朝鮮半島にも去勢の習慣がなかった。
この二つしかない。他にあるのなら言って見よ。
685 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 21:05:24
>>680 いや、別にそういうスタンスで私は言ったのではなく、
私のような弥生人研究者という部外者の目からしますと、4C前後の畿内の
遺物にその騎馬民族であろう彼ら満州族なり扶余なりの故郷に関する
同時代の文化遺物も、馬具であれ、馬具以外であれ、何らかの形で
残っているはずではないのかなとただ漠然と思っただけなのです。
だから100年ほどでほどなく消滅してしまい、現在は残っていなくても
一向に構わないのですよ。
ただ騎馬文化を初めて日本に持ち込んだ伝道集団ならば、乗馬や馬具に
関しての言葉が一つくらい残っていてもおかしくないだろうとは思います。
>>684 馬の去勢も人間の去勢も真似してやってみたが・・・つまらないのでやめた。
687 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 22:20:45
昔のように騎馬民族が来たか来ないかで言えば、
来たと思う。
信州あたりには、明らかに高句麗系と思われる古墳も多く、
近くに馬を生産してた牧もある。
が、彼らが王朝を建てたかと言われれば、
それはないだろうという話。
騎馬文化民族とでも言えばすんなり^^
というか、亡命難民ふくめて日本は渡来人を受け入れて、住まわせていることは記紀にも
書いてあるし、どうと言うこともないのだが。
それに日本に住まい始めた渡来人なんて人数的にはたかが知れているからな。
異国文化の紹介くらいの役割しかできないだろう。
690 :
白馬青牛:2007/04/18(水) 23:15:32
>>679 どこの文がわしを論破しとんなら。古墳期は畿内を中心に全国的に
高顔型が増えとる時期ど。わりゃあ同じ言の繰り返ししか
脳が無いんじゃろうて。
>>689 記述はごく一部を述べたもんに過ぎん。実際渡来系の高顔が列島全国に
拡散し、本土日本人の主流になった。低顔縄文在来系の方が少数派に
なったけんのう。
691 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 23:58:10
>>690 >どこの文がわしを論破しとんなら。
>>70〜
>>120をまず見て、
>>115の感想を見ろ
>古墳期は畿内を中心に全国的に高顔型が増えとる時期ど。
・・・・
>>89 >弥生時代の渡来系は北九州・山陰が主な地域で限定された渡来系の多い
地域と西九州の在来縄文系弥生人の多い地域は違う云うたんじゃ。
>記述はごく一部を述べたもんに過ぎん。
お前は一体歴史学をなんだと思ってるんだ?
>実際渡来系の高顔が列島全国に拡散し、本土日本人の主流になった。
それに反する内容が山ほどあるんだが・・
692 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 10:18:26
>>687 >が、彼らが王朝を建てたかと言われれば、それはないだろうという話。
私はここではその議論はしていない。
私は「去勢の習慣による反対説」が成り立つか成り立たないかを言った
のだ。
だからまずそれについて議論してもらいたい。
>>685 >同時代の文化遺物も、馬具であれ、馬具以外であれ、何らかの形で
>残っているはずではないのかなとただ漠然と思っただけなのです。
それを言うなら古墳時代中期の文化全体がそれに当たるでしょう。
ただそれが征服の結果か、文化受容かで分かれるだけです。
>乗馬や馬具に関しての言葉が一つくらい残っていてもおかしくないだろうとは
>思います。
4世紀、5世紀に話された言葉がわからないから何とも言えません。
693 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 10:26:35
>>685 「文化全体」というと語弊がありますね。例えば前方後円墳は違うから。
しかし古墳から出る埴輪の風俗や、馬関係の出土品を考えていただけば
私の言わんとするところはおわかりでしょう。
>>680 >よく言われる「去勢」も、いったん入ったものが、理由はわからないが二次的に 消滅した、と私は思っています。
どうしてそう思うの?
695 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 15:47:01
696 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 21:33:54
>>684 ウマという語がシナ語起源で朝鮮語起源ではない、ということは馬飼いが
来る以前にもウマは日本に居たということだろうな。
魏志倭人伝には倭国に牛馬なしと書いてあるが。
697 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 22:00:09
朝鮮語で馬は「マル」と言うそうだから、朝鮮語もシナ語から
来てるんだろう。
というか、当時は中朝日とも単に「マ」だったんだろう。
698 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 00:28:44
>>697 マがマルに変化することはないだろう。朝鮮漢字音から見るとマルなら
シナ語ではmatが語源でなければならない。これが日本へ入ったとするとマツに
なる。
そうなっていないのは日・中と朝鮮の馬は別起源ということだろう。朝鮮語は
モンゴル語morinの方が近い。
699 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 00:34:19
広島老人よりはまともな人間が出てきたか。
700 :
白馬青牛:2007/04/20(金) 01:11:43
>>691 馬鹿じゃのう。
>>115は、おどれらネットウヨクに追従しとる
だけじゃないか。程度が低いのう。
渡来系高顔が拡散して本土日本の主流になった。に反する内容が山ほど
あるんなら、はようゆうてつかい。
>>697-698 青海のモンゴル系は、馬を「マル」と云う。まあ、東アジアは、馬はM音
じゃろう。
魏志倭人伝に馬なしというが、東北では馬の骨が見つかっている。
現実に発掘された、或いは発掘されている遺物よりも、異国の倭人伝を鵜呑みにしている日本の考古学会が異常なだけだ
学問の小中華思想というべきだろうな
702 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 10:00:34
>>701 魏志倭人伝の倭国に東北は含まれていないだろう。あれは毛人国だ。
703 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 12:20:59
その倭人伝で日本の全てを断定しようとしている日本の考古学会は変。
文献至上主義と中華主義が入り混じっている。
日本の記紀に書いてあることは、神話の時代の含めて
弥生時代が突入して、大分、時間が経過した話だろう?
最近の稲作時代の始まりが従来の説よりも早かったことが分かってきているし
652 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:13:02
中国の学会では、
任那日本府はほぼ事実だと受け入れられている。
前方後円墳は3世紀中頃の日本の畿内で始まり
4世紀には、ほぼ九州から関東まで全国へ拡大し
5世紀終盤〜6世紀初頭には、朝鮮半島の南部に出現する。
日本書紀や古事記の記載の大枠どおりだ。
653 :日本@名無史さん :2007/04/16(月) 11:18:45
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=73998 韓国の考古学会でも、権威のほうでは
その考古学会者としての探究心から
大和政権の三韓への勢力拡大は既定路線で語られてきている。
中国の社会科学院でもそうだ。
認めたがらないのは、韓国右翼と韓国マスコミだけ。
706 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 20:42:43
>>700 >
>>115は、おどれらネットウヨクに追従しとるだけじゃないか
自分の嫌いな者は何としても認めたくないようだな。
本当にどうやって生きて来たんだ?
>渡来系高顔が拡散して本土日本の主流になった。に反する内容が山ほど
あるんなら、はようゆうてつかい。
その渡来系について調べてみろ。
中 立 的 な 観 点 で な
707 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 20:54:14
>>705 たしか古墳の北限は会津あたりで
紀記に記された大和王朝の勢力範囲
どおりなんだよね
708 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 21:20:30
応神天皇より継体天皇の方がなんだか騎馬民族チックなんだよね。
もちろん証拠なんてないけどね。
証拠のねえ話は白馬ちゃんの話で食傷気味です。
勘弁してください。
710 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 21:58:41
舒明は義慈元年に王の名代として倭国に派遣された男だよ
711 :
日本@名無史さん:2007/04/20(金) 22:12:42
渡来系高顔というのは佐賀に多い武田鉄也のような顔のことか?
712 :
日本@名無史さん:2007/04/22(日) 23:41:36
475年、高句麗の圧迫による百済の熊津遷都で、
多くの渡来人(北方系)が帰化し、
実質、日本の騎馬文化が始まったみたいだな。
多くといったって、たかが知れているからな。
デパートでやる物産展みたいなものだ
714 :
白馬青牛:2007/04/24(火) 00:58:16
>>709 証拠云うて、あんたタイムマシンで古代へ行ってその時代でも
見てきたんか?その脳内報告を真剣に聞け云うんか?
歴史に証拠なんか無いのに馬鹿らしい。じゃけえ多面的要素で考察する
だけじゃ。
>>711 渡来高顔型は畿内に一番多いんじゃないか。武田鉄矢氏も高顔であるが。
ベルツ氏の云われる本州日本の西南部や貴族階級に多い長州型。
715 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 03:03:23
>>714 そっくりそのままお前に返してやる
証拠だ事実だわめいて、お前タイムマシンで古代へ行ってその時代でも
見てきたのか?
証拠も無いのに妄想を正当化できるのか?
歴 史 に 証 拠 が 無 い の な ら
お前の言う
騎 馬 民 族 征 服 説 は 妄 想 中 の 妄 想 だ
>渡来高顔型は畿内に一番多いんじゃないか。
歴 史 に 証 拠 が 無 い ん じ ゃ な か っ た の か ?
>武田鉄矢氏も高顔であるが。
>ベルツ氏の云われる本州日本の西南部や貴族階級に多い長州型。
そ の 脳 内 報 告 を 真 剣 に 聞 け 云 う ん か ?
言うに事欠いてタイムマシンまで出して来るとは、
この広島の団塊オヤジの脳味噌は、もう溶け始めてるんだろうな。
しかも返す刀でまたしてもバッサリ論破されてるし
(あいにく本人にはそんな自覚はさっぱり無いんだろうけど)
717 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 07:03:07
>証拠云うて、あんたタイムマシンで古代へ行ってその時代でも見てきたんか?
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718 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 17:57:30
嘘つき江上をタイムマシンに乗せれば良かったな。
>>714 >歴史に証拠なんか無いのに馬鹿らしい。
馬鹿らしいのはおまえだよ。おまえ、何で歴史学やってるんだ?
>じゃけえ多面的要素で考察するだけじゃ。
おまえのどこが多面的要素を考察してるのかと。
一部のセンセイの言うことを真に受けてるだけじゃないか。 アホらし。
720 :
日本@名無史さん:2007/04/24(火) 23:25:33
>多面的要素で考察するだけじゃ。
考古学、文献史学、形質人類学を含む文化人類学(よくわからないがw)でみればいい。
一番重要なのは考古学だろう。
721 :
白馬青牛:2007/04/26(木) 00:50:01
>>718 負け犬が今日も吼えとるのう。
>>719 何時から歴史学が証拠学?とやらになるんや。歴史における証拠たァ
何なら?まあ証拠自体あるはずもない。あるんは多面的考察で考慮した
それぞれの人の見解じゃ。一部のセンセイ云うてわしゃあ江上氏と全く
同じ見解じゃないでえ。嫌韓サイトの情報を鵜呑みにして、同じような
言を繰り返すネットウヨク連中こそ、同じ鋳型の大量生産信者じゃ
ないか。アホらしいんはわしの云うセリフじゃ。
多面的に見ているからこそ、騎馬民族説は学会では遠のいているのです。
723 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 01:25:21
>>721 >何時から歴史学が証拠学?とやらになるんや。
また今日も頭の悪いバカが吼えてるのう
お前さんの言う「証拠学」とは何なら?
>歴史における証拠たァ 何なら?まあ証拠自体あるはずもない。
証 拠 が 無 い な ら 騎 馬 民 族 征 服 説 も 成 り
立 た な い の う
反日サイトの情報を鵜呑みにして、同じような
言を繰り返すバカ痴呆、白馬青牛こそ、同じ鋳型のカルト信者じゃ
ないか。アホらしいんはわしの云うセリフじゃ
歴史学における証拠なるものをここまで否定しておいて、
今後もし騎馬民族征服説につながる有力な証拠が出てきたら、
白馬狂牛はどうするんだろうか?
もちろん、「ほれみんさい」とか言って、
鬼の首でも取ったように騒ぐんだろうがw
要するに白馬狂牛が「証拠」を軽視するのは、
現在のところ、自説にとって有力な証拠や根拠となるべき物証が
極めて少ないことの裏返しに過ぎないってわけだな。
つくづくバカバカしい奴w
725 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 05:43:33
>>721 _| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|__| ̄|_| ̄| | ̄|_| ̄|_| ̄|
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726 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 13:23:52
三輪王朝が金官加羅を征服して服属させた、というのも証拠のない「多面的考察」だろう。
反対派の立場は、土着系王朝による統一は「当然だから証拠は要らない」というものだ。
727 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 18:16:56
>>726 >三輪王朝が金官加羅を征服して服属させた、というのも証拠のない「多面的考察」だろう。
伽耶において4世紀後半から日本系土器が増えてくるのは、
広開土王碑の碑文とほぼ合致するのでは?
728 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 19:03:39
729 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 20:26:17
広開土王碑に「倭人は、新羅の国境に満ちていた」などと書いてあるよね。
そして4世紀後半から伽耶に日本系土器が増えてくる。
文献からも考古学からも証明されてるよね。
伽耶は4世紀中も倭の領地であって、
五胡十六国の動乱で逃げてきた北方系の製鉄技術者がいたのだろう。
730 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 20:38:05
応神大王は金官加羅からやってきた傭兵隊長ですが、何か。
逆に考えるんだ。日本列島が倭の領土だったと。
732 :
日本@名無史さん:2007/04/26(木) 23:54:28
>>731 倭の概念なんて、
いつの時代の話か、また誰から見たものかで変わるよ。
「東国」と同じで非常にあいまいだ。
733 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 10:23:27
>>729 その「倭」とは金官・倭連合王国のことだ。
その証拠に、広開土王碑には、その時点で南鮮最大の軍事要素であったはずの金官が
出てこない。出てくるのは地名としての任那加羅だけ。
敗走した倭軍は任那加羅の城に逃げ込み、そしてその城が降伏する。
つまり 広開土王碑は倭と金官を区別せず、一体のものとして記述している。
734 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 13:01:31
>>733 >広開土王碑は倭と金官を区別せず、一体のものとして記述している。
そりゃそうだろう、金官は倭の植民地だったんだから。
連合王国・・・
そうか、ヤマトに中心をおく「連合王国」か。
ていうか、お前の言う「連合王国」の根拠がそれだけでは、とても信じ
られんぞ。
735 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 15:33:06
>>733 伽耶に騎馬文化が来るのは実質4世紀後半。
なら4世紀初めから続く木槨墓はどんな人たちの墓か考えなきゃ。
連合王国というほどのものではないよ。
736 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 16:25:54
倭の領地であった伽耶では高塚を作るのを許されなかったのじゃないか?
だから地下式木槨墓になってるのではないか?
737 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 18:20:03
>>733 >南鮮最大の軍事要素であったはずの金官が出てこない
五胡十六国の動乱から逃れた北方系の製鉄技術に優れた民族が、
大和の軍事力に護られ住んでただけ。
だから北方要素もありながら日本特有の巴形銅器も出るのだ。
で4世紀後半〜5世紀初頭、
同じように戦乱を逃れた北方民族が桂甲を持って伽耶にやってくる。
その後、高句麗の好太王が南進をはじめ、
新羅を半支配下に置き、そのまま伽耶まで圧力をかけてくる。
その北方民族の大半は日本に逃げてくる。
それが秦氏だ。
だいたいこんな感じのストーリーだろうな。
738 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 20:38:09
>>734 >お前の言う「連合王国」の根拠がそれだけでは、とても信じ られんぞ。
お前の言う「倭の植民地」の根拠が土器だけでは、とても信じ られんぞ。
>>735 >伽耶に騎馬文化が来るのは実質4世紀後半。
伽耶に騎馬文化が来るのは3世紀末だ。発掘の成果はどうしようもない。
>>736 >倭の領地であった伽耶では高塚を作るのを許されなかったのじゃないか?
>だから地下式木槨墓になってるのではないか?
北方式木槨墓が伽耶に現れた3世紀末に、倭がそんな力があったのか。
>>737 :日本@名無史さん :2007/04/27(金) 18:20:03
>五胡十六国の動乱から逃れた北方系の製鉄技術に優れた民族が、
>大和の軍事力に護られ住んでただけ。
仮にそうだとして、騎馬戦術と製鉄技術(と鉄資源)を有する北方系民族を、
それらを持たない4世紀初頭の倭がどうやって征服したのか?
>だから北方要素もありながら日本特有の巴形銅器も出るのだ。
最近、面白い話がある。「筒型青銅器」はどうも半島起源ではないか、
という説が、日本人学者の間で強くなってきている、と言う。
その根拠の一つは、半島では筒型銅器が一箇所から複数出るが、
日本では必ず一箇所1個しか出ないのだとか。
739 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 21:00:17
>>738 何か勘違いしているようだが、俺は
>>729ではないぞ?
それは良いとして、お前の考える「連合王国」の概観を教えてくれないか?
>北方式木槨墓が伽耶に現れた3世紀末に、倭がそんな力があったのか。
つ邪馬台国
つプレヤマト王権
>仮にそうだとして、騎馬戦術と製鉄技術(と鉄資源)を有する北方系民族を
さて、人口も経済力も桁違いの倭に、加羅が対抗できたかどうか・・
で、加羅と倭が連合政権だったとして、高句麗軍との初期の戦闘において
倭軍が歩兵中心で、騎馬戦術への対抗戦術を持っていなかったのは何故だ?
740 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 21:02:45
>>738 >伽耶に騎馬文化が来るのは3世紀末だ
何を持って騎馬文化と言ってるのだ?
単発で鐙が出てるくらいで騎馬文化とは言えない。
騎馬戦術というからには桂甲が出てから言え。
伽耶において桂甲が3世紀後半にはないぞ。
騎馬戦術は5世紀初頭か早くても4世紀後半だ。
741 :
日本@名無史さん:2007/04/27(金) 21:17:08
>>738 >仮にそうだとして、騎馬戦術と製鉄技術(と鉄資源)を有する北方系民族を、
>それらを持たない4世紀初頭の倭がどうやって征服したのか?
君は何故そんなに征服だなんだ鼻息荒い事ばっかり考えてるのだ?
日本は秦氏を5世紀前後に受け入れてるよね。
その後、漢氏も受け入れたよね。
なら大和の領地・伽耶でもっと早く受け入れてたとも考えれるよね。
両氏とも北方から来た優れた製鉄の民だから。
742 :
白馬青牛:2007/04/27(金) 23:53:30
>>722-724 学界云うて、日本の隠蔽体質縦社会の考古学界のことか?
>歴史学における証拠なるものを?抽象的な言じゃのうて具体的に
云ええや。何が証拠になるんか。騎馬民族説が有力な説になっても、
論の根拠の要素には出来るが、歴史に証拠や証明は出来んよ。
>>732 その通り、倭は古くはモンゴル東部、遼寧地方。時代を経て朝鮮、九州、
日本全体と地理的概念が変わる。4世紀頃は朝鮮〜九州じゃろうね。
少し後の隋書倭国伝も阿蘇山とか九州のことは書いてあっても、
畿内の記述らしい処がない。難波や飛鳥も出とらん。
畿内王朝と文献の倭国を同一視も出来ん要素もあるねえ。
743 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 01:10:06
>>724 >歴史に証拠や証明は出来んよ。
なるほど・・・・じゃあこう言って良いな?
騎 馬 民 族 征 服 説 は 頭 の お か し い 痴 呆 ジ ジ
イ が ほ ざ い た 妄 言 で す
>その通り、倭は古くはモンゴル東部、遼寧地方。時代を経て朝鮮、九州、
日本全体と地理的概念が変わる。
待て待て
モンゴル東部?遼寧地方?
ソ ー ス 出 せ
>4世紀頃は朝鮮〜九州じゃろうね。
何が証拠になるんか。
>
744 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 01:11:36
>少し後の隋書倭国伝も阿蘇山とか九州のことは書いてあっても、
畿内の記述らしい処がない。難波や飛鳥も出とらん。
畿内王朝と文献の倭国を同一視も出来ん要素もあるねえ。
何 が 証 拠 に な る ん か 。 騎 馬 民 族 説 が 有 力
な 説 に な っ て も 、 論 の 根 拠 の 要 素 に は 出
来 る が 、 歴 史 に 証 拠 や 証 明 は 出 来 ん よ 。
>742
>少し後の隋書倭国伝も阿蘇山とか九州のことは書いてあっても、
畿内の記述らしい処がない。難波や飛鳥も出とらん。
畿内王朝と文献の倭国を同一視も出来ん要素もあるねえ。
おまえ、文献なんて捏造だらけで信用できんとか言ってなかったか?
ああ、隋書倭国伝だからいいのか。
「隠蔽体質」の日本の史料じゃないもんねw
746 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 13:26:16
叩かれまくってるなあ・・・
747 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 20:21:28
>>739 >人口も経済力も桁違いの倭に、加羅が対抗できたかどうか・・
お前じゃないのかも知れないが、五胡十六国の一つが伽耶に来て
倭に「保護」された、という説に対して、それに沿って質問したのだ。
五胡十六国はそれぞれその当時の「中国」だ。まだ祭祀国家であった
倭とは文化、戦力とも格が違う。そのような勢力をどうやって「保護国」
にしたのか、と聞いたのだ。
>>740 >騎馬戦術というからには桂甲が出てから言え。
>騎馬戦術は5世紀初頭か早くても4世紀後半だ。
3世紀末の大成洞18号墳からいわゆる蒙古鉢形兜が出ている。これは
高句麗の壁画でもわかるように騎兵用の桂甲とセットで用いられるものだ。
また同時に長身の鉄製矛が出ているが、これも騎馬戦用である。
前記の蒙古鉢形兜は吉林省の扶余遺跡でも出ている。
748 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 20:24:35
>>741 >日本は秦氏を5世紀前後に受け入れてるよね。
>その後、漢氏も受け入れたよね。
倭が「受け入れた」と考えるのがすでに固定観念である。
私は、半島での(扶余を中心とする)支配体制がそのまま国内に持ち込まれた
から、このように外国系の取り巻きが多いのだと考える。
清国の満洲王朝の取り巻きに蒙古がいたのと同じだ。
あるいはまた、すでに半島での関係があったから、後から呼び寄せるのも
抵抗がなかった、とも言える。
三輪王朝が、馬や鉄を持つ勢力を簡単に受け入れたのなら、それは簒奪
の危険と隣り合わせだ。歴史上、傭兵に簒奪された王朝は多い。
>なら大和の領地・伽耶でもっと早く受け入れてたとも考えれるよね。
狗耶韓国や金官が大和の三輪王朝や、九州(?)の邪馬台国の領地であった
と考えるのなら、それは新説だ。
河内王朝なら別だが、もっと早い時期を言っているのだろう?
倭人居住地域であることと、倭国(邪馬台国、あるいは三輪王朝)の「領土」
であることとは違う。
749 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 22:24:57
>>747 >3世紀末の大成洞18号墳からいわゆる蒙古鉢形兜が出ている
福泉洞とは1世紀以上の隔たりがあるね。
近いのに変だね。
それと吉林省帽児山墳墓群では、
3〜4世紀の扶余の支配者の墓が見つかってるんだよね。
これとも合わないよね。
750 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 22:42:46
>私は、半島での(扶余を中心とする)支配体制がそのまま国内に持ち込まれたから、
>このように外国系の取り巻きが多いのだと考える。
津堂城山古墳からは騎馬文化は出ないし、
仁徳陵出土物も騎馬民族的ではない。
だいたい扶余が伽耶に来たというのも韓国の一人の学者の仮説だ。
何度も言う。
あの時代、あの場所に秦氏集団がいたのは事実だ。
そして彼らが北方系文化を持っていても不思議でない。
居たかどうか分からない民族より、
居たことが確実な民族について考える方が先だろ?
751 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 22:55:03
>>747 >まだ祭祀国家であった倭とは文化、戦力とも格が違う。
>そのような勢力をどうやって「保護国」にしたのか、と聞いたのだ。
大成洞あたりのショぼい地下式集団墓地を見ると、
例えば吉備や筑紫などの日本の一地域でも充分彼らを支配下におけるだろう。
たとえ相手が騎馬戦術を持っててもそんなの意味がない。
752 :
日本@名無史さん:2007/04/28(土) 23:09:17
>>738 >仮にそうだとして、騎馬戦術と製鉄技術(と鉄資源)を有する北方系民族を、
>それらを持たない4世紀初頭の倭がどうやって征服したのか?
・・・魏志倭人伝には3世紀に倭人が半島南部で鉄を採取していたと書いて
あるな。
753 :
白馬青牛:2007/04/28(土) 23:16:15
>>745 文献を全面的に信用するか、全面否定するかの是非二元論を云うたこたァ
なあど。わりゃ、勝手に人の見解を捏造すなや。文献や出土品で残るんは
特殊な事象で、ごく一部しか残らんもんで、記録や出土品に現れんもんを
多面的考察するんが歴史じゃないか。文献の記録なら年表になっても、
歴史にならんよ。
754 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 00:02:48
>>753 >文献や出土品で残るんは特殊な事象で、ごく一部しか残らんもんで、記録
や出土品に現れんもんを多面的考察するんが歴史じゃないか。
記録や遺物に残らないもの?何だそりゃ?
推 測 に 過 ぎ な い も の を 勝 手 に 「事実」 と 決
め 付 け る の が お 前 の 言 う 「多面的考察」 か ?
>>754 文献を全面的に信用するか、全面否定するかの是非二元論を云うたこたァなあど。
そうだよね。きみは、きみにとって都合のいいところ「だけ」を
切り貼りする人だもんね。
で、気に食わないところは「捏造」なんでしょ?w
756 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 08:21:21
「北方式木槨墓の○号墳から蒙古鉢形兜が出たのだ」と言われても、
それがどうしたと言わねばならない。
5世紀の初め、
大成洞古墳群を消滅させた高句麗広開土王系勢力の「騎馬民族度」を10とすれば、
4世紀の北方式木槨墓の騎馬民族度はせいぜい3か4だろう。
出土量が違いすぎる。
木槨墓からぽつりぽつりと騎馬文化が出るからと言って、
騎馬戦術があったと断定するのも間違い。
それは日本の5世紀前半の古墳から馬具が出てるからと言って、
騎馬軍が居ただろうと言うのと同じ。
馬具が出てない古墳がほとんどなのだから。
というか騎馬軍がいたから強いというのも間違い。
757 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 15:15:50
イザナミと称する韓国人が、ミョーな文を投稿している。
自分を百済人の末裔だと信じ込んでいるようだ。
韓国人は朝鮮人であって、百済人(倭人)ではないのだが・・・。
http://chrysanthemum.iza.ne.jp/blog/folder/7251/ また、第1次百済を建国したのは、高句麗に楽浪郡を滅ぼされた楽浪郡出身の
漢人・倭人の役人たちであり、彼らはヤマト朝廷の援助を受けて百済を建国した。
つまり、日本人が支援したことにより、百済は建国できた。
百済に対するヤマト=日本国の絶対的優位性を、韓国人は理解しなければならない。
また、
1)百済は日本人の国であり、韓国人とは無関係であること。
2)韓国人は百済に対していかなる権利も持っていないこと。
以上の2つを認めなければならない。
758 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 15:29:16
>>757 >イザナギとイザナミが結ばれて日本の国土が誕生した。
>日本を建国したのは百済渡来人です
>日王も百済渡来人をルーツに持ちます
>私も百済王朝が栄えた地域の生まれです
>私のルーツをたどると百済王族の末裔だとわかるんです
>ですから日本との運命的なつながりを感じて日本に来ました
>もちろん私は親日です
↑
こんな親日いらんわ。
759 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 15:46:31
任那日本府など、当時の朝鮮半島南部を支配していたのは大和朝廷と言うのは、世界中で教育していることだ。
イギリスのオックスフォード大学の子会社のカナダ出版社が世界50カ国の学校に販売している教科書にもそう書いてある。
最近、それに気が付いた韓国人がオックスフォード大学に抗議のメールを送ったらしい。
「5世紀の日本列島を支配していたのは百済人だ!!」という主張らしい。
760 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 16:15:22
百済人は韓国人ではないんだけどね。
韓国人は朝鮮人の子孫。つまりワイ族。
北朝鮮の連中と同族なんだよ。
この事実から目を逸らしたらいかん。
百済人とは無関係だからね(笑
761 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 18:39:09
969 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2007/04/29(日) 01:53:16 0
白馬青牛とかジジイ気取りのただのリアル中学生だろ。
書き込み内容の精神年齢をプロファイリングしたらそんくらいだな。
762 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 20:56:07
>>749 >福泉洞とは1世紀以上の隔たりがあるね。 近いのに変だね。
このことは実に示唆的である。福泉洞(釜山)にいたのは土着の氏族で、
金海の大成洞にいた扶余に支配されていた、と考えられている。
5世紀に金海の扶余が行方不明になった後、福泉洞が代わって金官加羅
を代表するのだが、それが5世紀までは(出土物を見る限り)騎馬化して
いなかった。そして5世紀以降に明確に騎馬化する。
ということは、金海の扶余は騎馬戦術を独占していたのではないか?
それが、金海の扶余の支配の仕方だったのではないか?
(戦争の時は自らは騎兵を担当し、周辺諸国に歩兵を出させる)
そのように考えれば、4世紀の金官加羅が、仮にどこか日本列島の倭人の
国を支配したとしても、その倭の國が騎馬化する必要はないわけだ。
だいぶ説明が楽になって来た。
>それと吉林省帽児山墳墓群では、 3〜4世紀の扶余の支配者の墓が
>見つかってるんだよね。 これとも合わないよね。
帽児山はどうも朝鮮国境の近くらしい。この辺は扶余の属国ヨクソの領域だ。
ヨクソは直接に鮮卑の攻撃を受けないから、その支配者は4世紀も存続
したのだろう。別に不都合はない。
(3世紀末に一次滅亡した扶余はこのヨクソを経由して伽耶に行ったと
考えられる)
763 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 20:59:54
>>750 >だいたい扶余が伽耶に来たというのも韓国の一人の学者の仮説だ。
仮説ではなく、発掘の成果の解釈の問題だ。
3世紀末の狗耶韓国(金官の前)の急激な北方化について、これを「文化
受容」と考えるか、人の移入を伴う変化(つまり征服)と考えるか、が
まず第一段階の判断。
そして後者だと判断するならば、移入したのはどの北方民族か、が第二段階の
判断。そして以前に言った理由で、北方民族のなかで扶余が最も蓋然性が高い。
>>751 >例えば吉備や筑紫などの日本の一地域でも充分彼らを支配下におけるだろう。
経済力や人口だけで戦闘的な少数民族を支配下におけるのなら、明国、ペルシャ、
エジプト、アステカなどの滅亡はなかっただろうに。
764 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:02:11
>>756 >大成洞古墳群を消滅させた高句麗広開土王系勢力の「騎馬民族度」を10と
>すれば、 4世紀の北方式木槨墓の騎馬民族度はせいぜい3か4だろう。
>出土量が違いすぎる。
高句麗は4世紀の伽耶のたった1枚の騎兵壁画を除いて、甲冑、武器の
出土品はゼロだから、騎馬民族度10というのは0の間違いじゃないの?
冗談は別として、「出土量」と「騎馬民族度」とは比例しないことがわかるだろう。
3〜4世紀の金官に騎兵戦術があったというのは「扶余である」という判断と、
出土品と、両々あいまったものだ。扶余であれば、長く鮮卑と戦って来た歴史や、
東夷伝の記述、楡樹遺跡の出土品などから、騎兵戦術を有したことは間違いない
のである。
765 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:31:45
>>762 >ということは、金海の扶余は騎馬戦術を独占していたのではないか?
>それが、金海の扶余の支配の仕方だったのではないか?
独占してようが騎馬戦術なぞ大したことはない。
ないよりある方がまし程度。
というか伽耶に居たのが扶余だと決めてかかってるが、
秦氏と考えて文献史的にも考古学的にも何の矛盾もない。
それでも扶余だと言うなら、
そしてその扶余が日本に来た事にしたいなら、
日本最古の須恵器が見つかった宇治に扶余の痕跡を探し出してみろ。
秦氏なら地域的に整合性があるぞ。
766 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 21:37:15
>>762−764
なるほど伽耶に騎馬戦術をもつ扶余がいたとして、
5世紀初頭、好太王軍が来て彼らは大成洞からいなくなったのだよね。
滅んだか連れ去られたんだろうね。
それだけの話。
767 :
日本@名無史さん:2007/04/29(日) 22:56:09
>>763 >経済力や人口だけで戦闘的な少数民族を支配下におけるのなら、明国、ペルシャ、
>エジプト、アステカなどの滅亡はなかっただろうに。
戦闘的であろうがほとんどの場合、少数民族は支配下におかれる。
768 :
白馬青牛:2007/04/29(日) 23:49:22
>>755 都合のええ捏造は、あんたらネットウヨクの手口じゃないか。
>>756 山地の樹林地帯で果下馬に乗る高句麗が騎馬民族度10とすれば、
満洲平原の扶余は20以上になるか。高句麗は攻城や籠城の戦闘が中心で、
攻撃は重装歩兵の役割が強かったんじゃないか。
>>757-758 嫌韓厨の戯言じゃのう。
>>760 三上次男によると、濊と倭は同質のもので、濊(わい)は、水辺民にして、
満洲の扶余も濊と同様、松花江、嫩江の漁業民と深い関係にあり、倭も
北東アジアの水辺民にたいする一つの総称的な名称とされる。
『後漢書』烏桓鮮卑伝の満洲の倭人の記述や水辺民の濊・倭は
陸界農民的な韓人たァ違うんじゃないか。
769 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 00:16:07
>>768 >山地の樹林地帯で果下馬に乗る高句麗が騎馬民族度10とすれば、
>満洲平原の扶余は20以上になるか
そういう意味で言ってなくて、
伽耶においては、5世紀初頭、
大成洞の地下式木槨墓が作られなくなり、
福泉洞では竪穴式石槨墓に代わってしまう。
それは高句麗・好太王の南進が原因でしょう。
その好太王勢力の騎馬民族度が10とすれば、
4世紀での伽耶の地下式木槨墓の騎馬民族度は3か4という事。
770 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 09:30:39
>>764 訂正:
「4世紀の伽耶のたった1枚の騎兵壁画」から「4世紀の伽耶の」を削除する。
文章を書き換えていて文字が残ってしまった。
高句麗の騎兵壁画は北朝鮮にある。
771 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 19:50:49
>>765 >というか伽耶に居たのが扶余だと決めてかかってるが、
>秦氏と考えて文献史的にも考古学的にも何の矛盾もない。
4世紀の金官王朝が秦氏であるという考えと矛盾しない文献史的、および
考古学的資料はどんなものか? ぜひ教えて欲しい。
>>766 >5世紀初頭、好太王軍が来て彼らは大成洞からいなくなったのだよね。
>滅んだか連れ去られたんだろうね。
好太王碑は、南鮮のいくつかの村の村人をごっそり拉致したことを、
「王の徳を慕ってついて来た」という風に、誇らしげに書いている。
(北朝鮮の物の言い方はむかしから変わらないね)
もし金官の王を殺したか、連れ帰ったのなら碑が書かないはずはない。
書いてないということは、そんなことは起こらなかったのだ。
たぶん、福泉洞に避難したのだろう。
>>767 >戦闘的であろうがほとんどの場合、少数民族は支配下におかれる。
明国は戦闘的な少数民族である満洲族を支配下に置いたのか?
ペルシャは戦闘的な小国、マケドニアを支配下に置いたのか?
エジプトは戦闘的なマケドニア人の一派を支配下に置いたのか?
アステカは戦闘的なスペイン人の小集団を支配下に置いたのか?
772 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:32:00
>>771 >書いてないということは、そんなことは起こらなかったのだ。
扶余の事なんて書かれてないから居なかったんだよ。
773 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 20:41:55
774 :
日本@名無史さん:2007/04/30(月) 21:46:37
>>772 >扶余の事なんて書かれてないから居なかったんだよ。
その通りだ。
高句麗が扶余を知らないわけがない。
居たら居たと書くはず。
775 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 06:46:19
>>771 >たぶん、福泉洞に避難したのだろう。
なら大和を簒奪しただなんだの意味が不明になってくるが?
776 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 15:06:59
>>773 4世紀後半の畿内に伽耶系の陶器製造民がいたのはわかる。
また同じ頃秦氏が畿内にいてもよい。
そんな資料ではなくて、4世紀の、金官王朝と秦氏とを結びつける資料だ。
>>775 別に意味不明ではない。福泉洞に一時避難した後、本格的に日本列島に
本拠を移せばよい。日本列島の本格的な騎馬化は5世紀に起こるのだから。
日本列島に本拠を移した後、伽耶は「旧領」になって行く。
それが任那日本府のもとだ。
>>774 だから「倭」と書いているのが金官のことだ、と言っている。
あるいは金官と倭の一部が合同した勢力だ。
百済が扶余だと知っていても「扶余」と書くわけではない。
おっと、高句麗自身が扶余だったね。
777 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 15:58:32
>>776 >金官王朝と秦氏とを結びつける資料だ。
悪いけど王朝とは思ってないんだ。
なぜなら王は大和に居たから。
子供の頃から河内王朝の巨大墳墓を見て育った俺には、
あの地下式墳墓はショボすぎる。
何で「王墓」が20世紀に発見されるのだ?
高句麗なんて素晴らしい積石塚を作ってるではないか。
つまり伽耶は三輪王朝が主となって支配してた土地で、
北方系の秦氏集団が雇われる形で鉄を採掘してたんだと思う。
伽耶の古墳から鉄ていや斧状鉄板が出るのは彼らが生前、製鉄に関わってたから。
そして彼らは高塚を作る事を許されるほどの身分ではなかった。
>福泉洞に一時避難した後、本格的に日本列島に
本拠を移せばよい。日本列島の本格的な騎馬化は5世紀に起こるのだから。
昔、4世紀半ばとか言ってなかったか?w まぁいいや。
じゃ簒奪成功したのは何天皇だと考えてるんだ?
778 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 17:37:39
>>776 あなたの簒奪説が成り立つには、
4世紀前後に伽耶に来た地下式墳墓の連中が、
三輪王朝に対して武力で圧倒的に優位に立ち、
そして鉄の供給源を握るというのが前提だな。
http://www.momoso.net/articles/seifukusetsu/777.html 「808」
鉄製武器は、すでに弥生時代から日本列島でさかんに使用されています。
剣も大刀も鉾も槍もあります。鉄鏃も、
古墳時代前期に大きさ重さともに半端なものではなくなっています。
もちろん鉄製の甲冑もあります。楯も大小揃っています。
古墳時代前期・中期を通して、「倭」軍中核は装甲長槍歩兵集団です。
装甲長槍歩兵集団にとって、騎兵がさしたる脅威にならないことは、
ご存知だと思います。まして、騎兵が短弓しか装備していないと仮定するならなおさらです。
しかも、「倭」軍は弓と長剣を装備した軽装歩兵も豊富でした。
(岡安光彦)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
騎馬兵といえども優位に立てなかったみたいだな。
779 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 20:55:53
>>777 >悪いけど王朝とは思ってないんだ。
王朝と呼ぶかどうかは言葉の問題だ。金官の支配者には違いない。
>北方系の秦氏集団が雇われる形で鉄を採掘してたんだと思う。
つまり秦氏が金官の支配者だったというのだな。
では秦氏が北方系であることを説明する資料を教えてくれ。
「秦氏が金官加羅で木郭墓を築いたからだ」などと言うのはだめだよ。
>昔、4世紀半ばとか言ってなかったか?
福泉洞が4世紀に騎馬化していなかったことがヒントになって、考え
が変わった。この支配方式を倭の一部(九州か中国地方)に拡大すれば、
4世紀の倭が騎馬化している必要がない。
恐らく、広開土王のときにその倭の一部が金官の要請によって歩兵集団を
半島に送った。これが碑文の「倭渡海」の意味だ。
そして広開土王に敗れた後、日本列島に移った金官と、上記倭の一部とが、
記紀に書かれた「神功/応神」の東征を行う勢力となった。
これが現在考えているすじがきだ。
780 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 20:58:27
>>778 >三輪王朝に対して武力で圧倒的に優位に立ち、
>そして鉄の供給源を握るというのが前提だな。
その通り。金官は武力で圧倒的優位に立ち、しかも鉄の供給源を握って
いた。これ以上の優位はない。
>騎馬兵といえども優位に立てなかったみたいだな。
そんなのはある一人の人の文章、あるいは文学に過ぎない。
騎馬戦術の優位がなければ、5世紀の倭が「馬の世紀」と言われるほど
騎馬化に狂奔する理由がない。
781 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:30:59
>秦氏が北方系であることを説明する資料を教えてくれ。
秦氏については出自が謎なんで何とも言えないが、
後の東漢氏もそうだが製鉄の民でもあったという事は、
伽耶に滞在してたのは間違いないだろうし、
五胡十六国の動乱から逃げてきたのなら、
鮮卑など北方民族との接点は充分だと思う。
>「神功/応神」の東征を行う勢力となった。
5世紀になってからならきついぞ、その筋書きは。
4世紀後半の津堂城山古墳も説明できないし。
>5世紀の倭が「馬の世紀」と言われるほど騎馬化に狂奔する理由がない。
三輪王朝の古墳の出土品が玉類などが多く、
なんだか穏やかで戦闘的な感じがしないのだが、
まぁそれはそれで結構強かったろうという事だ。
5世紀の倭は騎馬化ももちろんないわけではないが、
まずは物資の流通手段としての馬だろう。
782 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:33:59
続き。
つまり、
>金官は武力で圧倒的優位に立ち、しかも鉄の供給源を握っていた。
などとは決して言えないという事だ。
783 :
素人:2007/05/02(水) 01:38:43
日向の天孫族って何か関係あるんですか?
784 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 10:04:11
>>781 >秦氏については出自が謎なんで何とも言えないが、
「出自が謎」で「何とも言えない」のなら「何も言えない」な。
それで終わりだ。
>三輪王朝の古墳の出土品が玉類などが多く、 なんだか穏やかで戦闘的な感じが
>しないのだが、 まぁそれはそれで結構強かったろうという事だ。
その通り。戦闘的ではないが「結構強かった」程度だ。
だから諸国連合のシンボルにはなれた。
>まずは物資の流通手段としての馬だろう。
流通手段ぐらいで国営馬牧場を作るのか? それよりは:
高句麗の脅威に対抗するために騎兵軍団を作ろうとした;
半島への馬供給基地になろうとした;
王朝の国内での権力基盤として馬を殖やした(埴輪に現れる馬の地位);
と考える方が妥当ではないか?
>4世紀後半の津堂城山古墳も説明できないし。
巨大古墳の年代は不確定だ。そしてどんどん新しい方に動いている。
応神陵を5世紀末〜6世紀にする説もあるし。
785 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 10:18:20
君が言う扶余とやらが、あの程度の少数で、
騎兵がさしたる脅威にならない三輪王朝に対して、
軍事的優位を作れるわけないだろw
夢を見るのは勝手だが。
>巨大古墳の年代は不確定だ。
それは逃げ。
そんな事言いはじめれば何も言えない。
786 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 15:14:40
>>785 日本書紀を見よ。神功/応神を外来者、あるいは少なくとも三輪王朝への
反逆者と見るならば、神功/応神は悠々と筑紫に滞在し、東征の途中で
吉備で軍備を整えている。
つまり、筑紫と吉備は始めから神功/応神の味方なのだ。
騎兵と鉄製武器を持つ少数者ではなく、それと国内勢力とを合わせた勢力を
考えなければならない。極端な話、扶余は単なるシンボルあるいはシャッポでも
よいのだ。
ちょうど、アステカに反逆した地方政権にとって、馬と鉄砲を持つ200人
のスペイン人がそうであったように。
787 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 15:48:17
>巨大古墳の年代は不確定だ。そしてどんどん新しい方に動いている。
応神陵を5世紀末〜6世紀にする説もあるし。
逆だろ? 最近では応神陵は5世紀初・前期といわれている。
大庭寺式やらTK−73やら、初期須恵器の編年が遡りつつあるからね。
788 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 18:17:00
>>786 >扶余は単なるシンボルあるいはシャッポでもよいのだ
だから何で扶余を無理やり話に参加させてくるのだ?
そこに扶余なんぞを絡めるから訳分からないのだ。
応神天皇を唐津にある久里双水古墳の系統と見なせばおもしろい。
前方後円墳なんだけど山の上の自然の傾斜を利用して作ってて、
副葬品なども畿内と文化が違うんだ。
三輪王朝にとっては「異端者」なんだな。
もちろん扶余でもなんでもないよ。
789 :
白馬青牛:2007/05/02(水) 23:32:54
>>769 4、5世紀頃は世界的北方民族の南下の時期ゆえ、伽耶に南下した
北方民族が高句麗より著しく騎馬民族度が劣ったと思えんよ。
>>778 だいぶ前のスレでも岡安氏の批判をしたが、「808」を読んで爆笑
したよ。倭が畿内を含めた列島集団じゃ決まった訳でもないのに、
決定事項じゃ云うて誰が決めたんかいのう。
鮮卑的騎馬集団と倭軍(列島?)の戦闘とやらも机上の希望的観測に終始
しとってじゃ。岡安氏は戦前の参謀殿の気分でおるんかのう。
武器の技術論等自軍に有利な構想を建て、戦闘する彼我の志気、錬度も
無く、クラウゼヴィッツの戦争技術論の影響もあるんか、技術推論による
空理空論じゃのう。岡安氏が指揮、あるいは作戦を企画したら、実戦も
解らん昭和の旧国軍参謀殿と変わらん結果になったろう。
重装の長槍歩兵も経済力がないと出来んし、戦闘も接近すればと騎馬戦闘の
基本の迂回戦闘を無視して正面で激闘するんか。重装騎兵が相手の攻撃の
壁となり、重装歩兵と共に攻撃に転じた時の対処も述べず、トンデモ論を
云うとられるんは岡安氏じゃないか。
これが現在の日本の学者のレベルじゃけんのう。論争する相手の難波氏に
対し、「838」管理人としての警告(もし論争を続けるなら)じゃ、
管理人と云う立場で優位に立とうとする空威張りや、岡安氏自身の空虚な
論を相手側の難波氏を、無知じゃ誤った判断じゃ愚弄してまでも正当化
したいんじゃろうか。こがいな姑息な手段を使う岡安氏は、日本人としての
誇りはあるんじゃろうか。少なくとも武士道を尊重されとると思えん。
外国人がブログを見たらどう思うか。あきれる云うか情けないよのう。
790 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 23:41:06
>>789 >4、5世紀頃は世界的北方民族の南下の時期ゆえ、伽耶に南下した
>北方民族が高句麗より著しく騎馬民族度が劣ったと思えんよ。
福泉洞古墳などは5世紀初頭の好太王南下後に、
騎馬文化が急激に増えてくる。
それ以前にもあるにはあったが絶対量が違いすぎる。
岡安氏という居ない人の批判はみっともないよ。
考古学者が「〜だと思う」ではなくて、
「〜です」と断定してるという事は、
ゆるぎない証拠があるから断定してるのだろう。
お〜っとあんたは歴史に証拠なんて必要ないと言ってたんだよねw
相変わらずusiは岡安氏が嫌いなようだw
>789
>決定事項じゃ云うて誰が決めたんかいのう。
>机上の希望的観測に終始しとってじゃ。
>戦前の参謀殿の気分でおるんかのう。
>空理空論じゃのう。
>実戦も解らん
>トンデモ論を云うとられる
>空威張り
>空虚な論
>相手側を無知じゃ誤った判断じゃ愚弄してまでも正当化したいんじゃろうか。
↑
全部そのままおまえのことじゃないかw
それと別な人も指摘しているが、なんでここにいない岡安という人の
悪口をここで持ち出すのかな?
>こがいな姑息な手段を使う白馬青牛氏は、日本人としての誇りはあるんじゃろうか。少なくとも武士道を尊重されとると思えん。
793 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 08:01:43
>789の女々しさに爆笑したよ。
794 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 10:21:21
外国人が白馬青牛を見たらどう思うか。あきれる云うか情けないよのう。
795 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:46:04
北方アジアは一切抜きの偏向調査で作為的に中国・朝鮮に誘致していた
スットボケ遺伝学者(嘲笑)
宝来センセイによると、韓国や中国にはそれぞれドミナントなミトコンドリアDNAがあるのに、
日本本土では、とくにドミナントなものがない。つまり系統的にさまざまな人たちから成り立って
いるのである。また、これまで、大陸から渡来した弥生人によって分断され、北に追いやられたのが
アイヌ、南に追いやられたのが琉球人といわれてきた。しかし、アイヌと琉球は少なくとも1万2000年
以上まえに分岐しており、紀元前3世紀以降に渡来してきた弥生人によって分断されたんではないという。
1万2000年前にそれぞれ日本に住み着いたアイヌと琉球人。そこへ紀元前3世紀以降になって渡来し、
稲作をはじめた中国・朝鮮系の人びと。こうした人たちの子孫がわたしたちなのだ。
それにしても紀元前3世紀以降の大陸からの渡来って、それ、秦の始皇帝のころの、徐福たちじゃない?
http://home.att.ne.jp/apple/tamaco/Yutenji/000115DNA.htm http://youtube.com/watch?v=iRD3k2j9BeA
796 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 15:48:41
宝来mtDNAデータのトリックとその欠陥を簡単に説明してやると、
朝鮮半島にしろ中国大陸にしろ、古代より北方アジア人の侵入定着が絶え間ない
地域であったのにもかかわらず、データの中に北方アジア人に関するタイプの
データが一切出てこない。
しかも、調査サンプルにも北方アジア人のサンプルが一つも無い。
つまり、宝来mtDNAデータは、北方アジア抜きの偏向調査で出された単なる
偏向データなのであって、ただひたすら中国や朝鮮からやって来たと
錯覚させるだけの非常に悪質極まりない欠陥データに過ぎないのである。
797 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 21:06:21
>>788 >だから何で扶余を無理やり話に参加させてくるのだ?
「シャッポ」という言葉が誤解を与えたようだが、どんな馬の骨でもシャッポに
なれるわけではない。
コルテスのアステカ征服を考えて見よう。コルテスの第一次アステカ入城の
ときは、親コルテスの皇帝がいたから、無血入城であった。しかしその皇帝が
殺されたあとの第二次アステカ攻略は、総勢数百人、騎兵数十騎程度の兵力
ではとうてい無理で、約5万のトラスカラ軍の協力があってはじめて可能になった。
トラスカラにすれば、日頃アステカに反感を抱いていたが、反乱を起こすまでの
勇気はなかった。それがコルテスに出会い、騎兵や鉄砲などの武器、そして
スペイン人の勇気や知略を目にして、彼等と協力すればアステカに勝てると信じた
から、協力したのである。すなわち数百人の軍勢しか持たないコルテスを
「シャッポ」として、反乱に立ち上がったのである。 逆に言えば、「シャッポ」
になるには上記のような、それなりの資格が必要だった。
798 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 21:11:05
金官の扶余もまた騎馬戦術を持っていた。これは5世紀に入ってもまだ倭が
持っていなかったものであった。騎馬戦術は高句麗と戦って行く上で必要
不可欠であり、またその後の倭国内の戦闘方式を革新することになる要素であった。
騎馬戦術を有することは、騎馬戦闘者(騎士)の集団を有するばかりでなく、
それを支える各種の技術者を抱えていることを意味した。
加えて金官王朝には、倭が同盟する百済、および倭が敵対する高句麗の両方に
対して「本家筋」にあたるという、「毛並みの良さ」があった。
西日本の地方政権が「東征」を起こそうとするならば、戴くべきシャッポ
として扶余王朝よりも適当なものは、当時、他になかったであろう。
私が言う「単なるシャッポでもよい」とは、上記のような意味である。
799 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 21:15:06
>>790 >福泉洞古墳などは5世紀初頭の好太王南下後に、騎馬文化が急激に増えてくる。
>それ以前にもあるにはあったが絶対量が違いすぎる。
大成洞を隠すトリックを、懲りもせずまたやっているな。
800 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 23:01:03
>>797-799 コルテスの例出しても意味ないんじゃないの。
騎馬戦術ったってそんなに効果ないって。
高句麗が伽耶に南下してきた時も
船団だったって話もどこかで聞いたぞ。
>>799 >大成洞を隠すトリックを、懲りもせずまたやっているな。
福泉洞古墳の状況をありのままに言っただけだよ。
大成洞から地下墳墓が消える原因になったのも高句麗だろ。
だから?
801 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 23:44:20
これが出土したら扶余だろうという確実な物なんてないわけでしょ?
たとえば帯金具なんてのも北方民族の共有文化だったりするはず。
したがって伽耶の4世紀の地下式墳墓からの出土品が、
扶余である証拠なんて極めて薄いんじゃない?
日本のことを考えても、
新沢千塚、仁徳天皇陵、安閑天皇陵からペルシャグラスも出土してるし、
東胡でなく西胡が来日なんて想定してもよいぐらいだ。
802 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 11:28:31
三輪王朝は鉄が豊富だった。
『記紀』では垂仁時代皇子の五十瓊敷命(いにしきみこと)が一千口の剣を作ったことを記す。
この作刀に携わったのが川上部(かわかみのとも)である。
この川上部は丹後の集団で、彼らこそ大和王権の鉄の入手と加工の担い手であった。
という事は弥生時代とは違い、九州を経過しないルートを持ってたのだろう。
そういうことが九州出身の応神天皇の東征になっていくのだろう。
803 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 21:02:42
>>800 >福泉洞古墳の状況をありのままに言っただけだよ。
お前は
>>609で、
>大成洞では4世紀に北方民族の甲冑である桂甲や馬具が出てるみたいだね。
と言って、もう一方の大成洞は4世紀に騎馬化していたことを知っている。
それを知っていながら、ことさらに福泉洞の状況だけを言うことがトリック
なのだ。
>騎馬戦術ったってそんなに効果ないって。
そのことはここでは議論していない。 重要なのは;
扶余と倭の相対的な大きさを問題にするが、東征した勢力は、それに協力した
地方豪族を合わせて考えるべきだ、ということだ。
このことは実は、扶余ではなく国内の一部族が中心となって東征を行ったと
しても、同じことなのだ。
>>801 金海(大成洞)に3世紀末に現れた民族が扶余である証拠は過去に何回も
書いたから繰り返さないが、扶余ではなく他の北方民族であったとしても、
すじがきは同じではないか。
804 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 21:45:35
>>803 大成洞であろうが福泉洞であろうが、
5世紀初頭の高句麗南下時以降が
本当の「騎馬民族」の襲来ではないのかと言ってるのだ。
(大成洞はなくなるが)
>扶余ではなく他の北方民族であったとしても、すじがきは同じではないか。
全然違う。
最新の製鉄技術をもった秦氏集団ではないかと言ってるのだ。
805 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 08:54:30
>>804 よくわからない。
「本当の騎馬民族」とは高句麗のことか?
「秦氏集団」と高句麗との関係は?
806 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 10:08:31
>>805 5世紀初頭、広開土王が南進してきてから伽耶の地下墳墓に騎馬文化が現れる。
そして福泉洞などに竪穴式石槨墓が現れる。
ただそれ以前の4世紀の木槨墓からも騎馬文化はあるけれども、
5世紀からのものとは濃度が違うんだ。
その4世紀の伽耶の人たちと大和に交流があったのは確実。
日本系土器が出るし、箸墓古墳の鐙もかれらとの交流からだろう。
じゃその4世紀に伽耶にいた人たちは誰だろうということなんだが、
製鉄に関わってたのは間違いないだろう。
それが5世紀前後に伽耶から居なくなり、
来日した可能性を考えれば、
秦氏しかないのじゃないかという事。
807 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:17:20
>>806 もう一度聞く。
#804 の「本当の騎馬民族」とは高句麗のことか?
それともそれ以外の民族か?
簡単に応えてくれ。
808 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 19:14:04
>>807 高句麗が南下したのは間違いない。
高句麗は伽耶に来る前にまず新羅に来てるので、
その半支配された新羅か、
高句麗そのものかは分からない。
809 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 20:19:31
>>808 すると4世紀に金海大成洞にいたのは:
「高句麗そのもの」か、または
「半支配された新羅」つまり「高句麗の影響を受けた新羅」か、
どちらかであり、それが秦氏だという解釈でいいか?
810 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 20:48:24
>>809 違う、違う。
「高句麗そのもの」か、
または「半支配された新羅」が伽耶に来たのは、5世紀初頭。
それらにより追い出されたのが秦氏ではないかと思うんだ。
811 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 23:02:42
ちょっと割り込んで申し訳ないが、「五十」と「八」という数字は記紀でもやたらに登場するが、
韓国南部にも「五十川」がある。この数字の意味をだれか知っているかな?
おれはおれなりにある意見があるのだが、それを出す前に誰かが何かをしっていたら教えてほしい。
参考までにいうと、1から10までの数詞は、韓国と日本は漢(呉)音数詞と固有数詞をそれぞれ持っているが、
固有数詞は日本と韓国はまったく異なり、日本と朝鮮半島の土着民族は民族が異なることを推測させる。
また日本は呉音数詞にほぼ一致し、韓国はかなり変化がみられる。
このことは、呉音をもった民族と固有数詞音をもった土着民族の二重構造が日本と韓国にあり、
日本の呉音数詞がほぼ完全であることから、呉音をもった民族は朝鮮半島より日本に強く影響していることを推測させる。
812 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 23:16:06
中国陝西省に霊山太白山(太伯山ともいう)がある。
周(紀元前1046年ごろ-紀元前256年)の武王が、太伯に報いるために名づけたことにある。
太伯は呉の始祖である。韓国の江原道には、寧越と太白という地名がある。
そして寧越の近くには小白山が、また太白の近くには霊山太白山がある。
さらに、日本には加賀白山がある。「越のしらやま」と呼ばれている。
これらに関係はないのかな?
813 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 23:20:20
>>812だが。重要なことを忘れていた。
朝鮮北部の白頭山は古くは太白山(太伯山ともいう)と呼ばれていた。
霊山である。新羅は朝鮮南部に移る前は朝鮮北部に斯羅としていたという史書が残っている。
814 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 08:13:13
>>810 すると「秦氏」が北方系だったということになるが、それでいいか?
815 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 08:28:21
>>814 東漢氏と同じで半島南部に昔から居た民ではない。
五胡十六国の動乱を避け北方からやってきたのだろう。
816 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 13:22:54
>>814 するとその、北方からやって来た「秦氏」が、北方式の木郭墓、殉葬の習慣、
騎馬の風習、蒙古鉢形兜や桂甲などの騎馬戦用の甲冑、吉林省楡樹遺跡と共通する
祭祀用銅壷、同じく祭祀用土器、などを持っていたわけだね?
そんならその「秦氏」が扶余だったのではないか?
(なお、上記は全て4世紀の大成洞遺跡に関するものだ。4世紀に大成洞にいた
民族の話であることを忘れないでね)
817 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 14:48:11
>>816 殉葬の習慣などは大成洞の末期5世紀初頭だよね。
甲冑にしても桂甲だけでなく短甲もあるし一元的に言えないな。
伽耶には複数の民族がいた可能性もある。
伽耶の副葬品である鉄ていが5世紀から日本でも見つかる。
加古川・行者塚古墳、滋賀・新開古墳らしい。
播磨や近江も秦氏に関わる土地だ。
818 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 19:46:58
>>817 >殉葬の習慣などは大成洞の末期5世紀初頭だよね。
違う。殉葬は4世紀初頭からある。
3世紀末に木郭墓が北方式になり、4世紀初頭から殉葬が加わるのだ。
ごまかしてもだめだよ。
>伽耶には複数の民族がいた可能性もある。
もちろんだ。第一、狗耶韓国以来の倭人がいる。
問題なのは支配者だ。私の挙げたものは全て支配者と見なされる墓から
出たものだ。
お前の説と整合させるならば、大成洞の支配者は北方から来た「秦氏」だったのか?
819 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 19:57:08
>>817 さて、4世紀の大成洞の支配者がお前の言うように「秦氏」であるのならば、自動的に
「秦氏=扶余」となる。
なぜならば私の挙げたいろいろな遺物は全体として「扶余」を指し示しているからだ。
東夷伝扶余条は、扶余の墓が「有郭無棺」すなわち郭はあるが棺は用いないこと、
殉葬が盛んに行われることを明記しているのだ。
これは大成洞の状況にぴったり一致する。
ただし言って置くが、私が「秦氏=扶余」と考えているわけでなないよ。
お前の言うことを立てれば、理論的にそうなるということ。
820 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 20:06:11
>>818-819 >4世紀初頭から殉葬が加わるのだ
俺が言ってたのは動物の殉葬だ。
伽耶では支配者層が扶余であって、
その下に秦氏がいたのかもしれないが、
日本の状況は扶余の渡来など持ち出さなくても、
秦氏の渡来で充分説明がつく。
じゃ支配者層であった扶余はどうなったか。
絶滅したのだろうなw
821 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 09:47:17
>>820 >伽耶では支配者層が扶余であって、その下に秦氏がいたのかもしれない
それならば、私が言っていることとほとんど同じだ。私は:
「河内王朝の取り巻きに渡来系豪族が多いのは、金官加羅の周辺諸国に
対する支配体制がそのまま移行したからだ」と言っているのだからね。
ただし、私は秦氏が大成洞にいたとは思わない。秦氏が大成洞の支配者で
ないのならば、なにも大成洞にいなくてもよい。秦氏は一般に言われる
ように、やはり新羅にいたのだろう。
以下は想像だが、秦氏は新羅にいたとき、金官(扶余)への協力者だった
のではないか。それが、扶余が倭に移行し、新羅が独立傾向を強めるに
つれて、新羅にいづらくなったのだろう。
ちょうど、米国の勢力が南ベトナムから撤退したときに、多くの南ベトナム
人が北ベトナムの支配を避けて米国に移住したようなものだ。
822 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 10:57:33
>>821 >「河内王朝の取り巻きに渡来系豪族が多いのは、金官加羅の周辺諸国に
>対する支配体制がそのまま移行したからだ」
時代をごっちゃにするな。
西漢、東漢は5世紀半ば以降だろう。
百済の熊津遷都でもたくさんの渡来人が来たのだろう。
だいたい河内王朝初現時に騎馬文化がないのに大成洞云々を言えないだろう。
また初期の鉄ていや馬具の出土で有名な古墳が、
河内よりは近江や播磨であると言うのも示唆的だ。
>秦氏は新羅にいたとき、金官(扶余)への協力者だったのではないか
秦氏はいろんな職能集団なんで、秦氏の製鉄関係の人達は伽耶にも居ただろう。
秦氏の墓制がどんなのかわからないが、地下式墳墓であってもおかしくない。
823 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 18:04:19
>>776 ★竹島は日本領土だ!!★
竹島(旧竹島)はもともと日本領土であった。
古代では宇流麻島(ウルマ島)、または宇流島(ウルシマ)の国と呼ばれ、日本人が住む島だったのである。
ウルマという地名の意味は、「潤う山(ウルヤマ)」という説、「ボンヤリと見える島」という説など、
いろいろある。
ウルマという地名は、現在も日本人の苗字として残っている。
漆間、宇留間、宇流島、宇留島、宇留嶋、など。
いずれも「ウルマ」「ウルシマ」と読む。
ウルマ島は現在、韓国に支配されており、鬱陵島(ウルルン島)と呼ばれているが、
ウルルンの語源は明らかにウルマである。
三国史記=新羅本記の記録によると、西暦512年にワイ新羅がウルマ国(于山島)を侵略し
併合したとある。
ワイ族:朝鮮民族の先祖
ワイ新羅:ワイ族が日本領=志羅紀北部を侵略して建てた国
824 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 18:13:33
★謎の民族=カラビトの正体★
古代のカラ半島南部に住み、日本語を話していた謎の民族=カラビト(韓人)とは何者なのか。
『渡来人』とも呼ばれた彼らの正体は、「倭人」である。
カラビトは、カラ地方(韓)に住んでいたことから、韓人=カラビトと呼ばれたわけだが、
彼らが話していた言語は日本語であり、大和言葉の方言である。古代カラ半島には三つの国が存在した。
シラキ、ミマナ、クタラの三国である。これらの国に住んでいたカラビトは、日本にも移住し、
古代日本の繁栄に貢献したが、彼らは倭人(日本人)なのである。
つまり、古代日本に、朝鮮人は移住していない。古代日本に朝鮮人は来なかったのだ。
戦後、朝鮮人は「古代日本には多くの朝鮮人が移住し、日本文化の発展に貢献した」という宣伝を組織的に
展開しているが、これはデタラメなのである。古代日本に移住したのはカラ半島に住んでいた倭人=カラビト
(韓人)であり、彼らは日本民族だったのである。
カラビトは、現在の朝鮮半島に住んでいる朝鮮人とは、民族が違うのだ。
現在の朝鮮半島に住んでいる民族は、志良岐(シラキ)の北方=ワイに住んでいたワイ人の子孫なのである。
古代日本人と友好関係にあった韓人(カラビト)と、現在の半島に住んでいる朝鮮人(ワイ人)を、
混同してはならない。
カラ=カヤ
http://www.kase-hideaki.co.jp/k005/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1237&e=res&lp=1216&st=0
825 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 19:51:37
>>822 >時代をごっちゃにするな。
>西漢、東漢は5世紀半ば以降だろう。
「そのまま」というのは「一斉に」という意味ではない。
タイムラグを置いてやってきても別におかしくない。
>だいたい河内王朝初現時に騎馬文化がないのに大成洞云々を言えないだろう。
移行期があってもよい。大成洞の北方系木郭墓にも、殉葬のない移行期があった。
>また初期の鉄ていや馬具の出土で有名な古墳が、河内よりは近江や播磨であると
>言うのも示唆的だ。
うん、示唆的だな。 西日本の一部は早くから金官に協力しただろうとは前に
言ったが、その過程で影響を受けてもよい。
>秦氏はいろんな職能集団なんで、秦氏の製鉄関係の人達は伽耶にも居ただろう。
なぜ、秦氏が大成洞にいなくてはならないのか、それがわからない。
826 :
日本@名無史さん:2007/05/07(月) 21:29:30
827 :
白馬青牛:2007/05/08(火) 00:30:35
>>790 岡安氏が、学者の権威に捉われず、ここへ来りゃあええことじゃ。
日本人学者の隠蔽体質や日本の考古学会の縦社会状況がご自身の意見に
反映しとるんかとか、疑問を問えば、色々面白うなると思う。
正直に答えられるか疑問じゃが、更に西洋とのみの軍事比較論や
歴史における証拠とやらの見解を聞いてみたいわい。
>>791 好き嫌い以前の問題じゃろう。
>>811 日本語と高句麗語の数詞、3(密・mi)、5(于次・itu)、
7(難穏・nana)、10(徳・towo)は一致するが、新羅語との関連は薄い
ようじゃ。ただし言語だけで、土着民族が異なるとも云えん。
英国東部と北欧の人種的近縁と英国西部の先住民ケルト系が英語国民と
なったし、独・仏も南北で人種が違うが同一国家で同民族とされとるに
過ぎん。DNAで本土日本人が琉球人より韓国人に近いんも同様じゃろう。
828 :
白馬青牛:2007/05/08(火) 01:07:07
秦氏の話題となっとるが、秦氏は、天皇家の騎馬護衛兵であると共に
土木技術に巧みであったこと等、チベット・羌族的要素が強いように
思える部分も多い。
>>823-824 松本清張氏は濊と倭は、中国語ではweiで同族とされる。
カヤ・カラ・ハラは、トルコ語・モンゴル語と同源言語かのう。
アルタイ系ツングース語でカラ・ハラ(kala・xala)は一族であり、
モンゴル系ダブール族でもハラ(哈拉)で古代トルコ語のカヤシ(kayas)
と関連し、渡来系東漢氏の腹(ハラ)も同様か。
日本語のハラカラ(同胞)も同じく。
829 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 07:41:40
830 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 08:04:45
>>826 いつも言っているが、「逆は必ずしも真ならず」だ。
北方式木郭墓であって、棺を用いなければ、扶余である可能性が高いが、
「そうでない」からといって「扶余でない」とは言えない。
扶余であることが明らかな百済も高句麗も、上記とは墓制が異なる。
831 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 08:07:47
>>830 棺を用いてなくても扶余とは言い切れないんだなw
832 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 12:03:20
しばらく見ないうちにずいぶん進んだな。
さて・・
>>768 >都合のええ捏造は、あんたらネットウヨクの手口じゃないか。
鏡見ろ
>山地の樹林地帯で果下馬に乗る高句麗が騎馬民族度10とすれば、
満洲平原の扶余は20以上になるか。
お前本当に読解力ないな。前後の文脈ぐらい読めよ。
>高句麗は攻城や籠城の戦闘が中心で、
ソ ー ス 出 せ
まさか煬帝の遠征を取って決め付けてるんじゃあるまいな?
>三上次男によると、濊と倭は同質のもので、濊(わい)は、水辺民にして、
満洲の扶余も濊と同様
また
「偉い先生がこういってるんだーーだから本当なんだーーー」
か?
しっかし、いつも叩かれまくってるな。お前w
833 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 12:11:05
>>827 >好き嫌い以前の問題じゃろう
好き嫌いで物事を決め付けてるお前の言えることか?
>日本語と高句麗語の数詞、
ふーん、高句麗語の数詞が日本語と似てるからって、同祖か?
>独・仏も南北で人種が違うが
ちょっと待て、人種が違う?クワシク
>DNAで本土日本人が琉球人より韓国人に近いんも同様じゃろう。
お前本当に自分の都合に悪いことは無視するんだな。
795は無視ですかい?w
>松本清張氏は濊と倭は、中国語ではweiで同族とされる。
ふむ、古代ギリシア人は周囲の異民族をバルバロイと呼んでいたが、
ペルシア人とエトルリア人は同族なのかw
日本語の「道路」と英語の「road」は発音が似ている。だから
同一母語から派生した
と考えてもいいんだな?
似ている単語があるからといって同一母語を持つとは限らん。
834 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 15:15:52
>>831 >棺を用いてなくても扶余とは言い切れないんだなw
この場合は言い切れる。
なぜなら、満洲の扶余遺跡と、時代が近い状況で「無棺」を含む多くの要素
が一致するからだ。
木郭墓も、墓の形式が発展していくなかでの一つの様相に過ぎない。
伽耶諸国の木郭墓はやがて石室や墳丘を持つものに進化して行く。
大成洞はそうなる前に消え去ったというだけ。
835 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 17:18:05
>>834 >伽耶諸国の木郭墓はやがて石室や墳丘を持つものに進化して行く。
>大成洞はそうなる前に消え去ったというだけ。
高句麗+新羅の連合軍が来て「変化させられた」んだろうに。
大成洞は彼らに「追い出された」んだろうに。
追い出された連中と河内の王墓は関係ないよ。
836 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 18:23:28
♯ 北九州市関係のスレに面白いコテハン君がいたよ
בCULTERとか言ったかな、誰彼構わず「院卒修士無職!」
って決め付けて騒ぐんだ。自分は中卒バイトで宇宙一偉い、「ヲヲーレ様」
なんだってw「北九州市都市開発スレッド」ってスレが隔離スレらしい。
未明アルバイターらしいが、間違っても「ゲリケーン」と言わないように
あっと言う間に「うひゃ〜り」と叫んで基地外モードになります。ご注意♪
あと多分同一人物別コテで「●愛郷無罪」と言う無職吉外も発生する
北九州(市)で検索すると転職関連スレで偏向した工作投稿やってます
キーワードは「*つぶつぶ人間」これ言うと一気にテンプラ油に火がついた
ような怒り方を始め意味も無く博多認定などします。マジで可笑しいゾ(笑)
837 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 19:49:38
>>835 想像は自由だよ。そのための材料は十分提供した。
>高句麗+新羅の連合軍が来て「変化させられた」んだろうに。
高句麗+新羅の連合軍が来て、「木郭墓はやめて石室つき墳丘墓にせよ」と
命令したのか? なんのために?
838 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 20:17:48
>命令したのか? なんのために?
石室つき墳丘墓より先に竪穴石槨墓になってるみたいだね。
同時にドッと騎馬文化が登場してくる。
新羅の影響だろうか。
839 :
白馬青牛:2007/05/09(水) 01:54:10
>>829 逆じゃろう。岡安氏が本名じゃあ、云えんこともあろうけえ、
ここで仮名で閉鎖学界の体質を述べりゃあ、面白いんじゃが云うことでえ。
ほいで、こんなあ、逃げじゃあ「隠蔽体質」とみなす。じゃあ、
命令口調でゆうとるが、わりゃ何様なら。
傲慢で、空虚な自己の優位性を愚弄する相手のわし以外の人間に示したい
つまらん見栄よのう。
>>832-833 あんた自身が、書物等で調べて、わしの云うとるんに対し、
それは違うんじゃないか云うんならええが、自分自身じゃ何も調べんで、
ソースじゃゆうて、おらんでも(吼えても)つまらんわい。
そがいな向上心ものうて、人の文章にカバチ垂れるんは幼稚園児でも
出来ることじゃ。まず自分自身で調べて、質問せにゃあのう。
840 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 10:11:45
>>838 お前は高句麗+新羅の連合軍によって「変化させられた」と言ったのだ。
高句麗+新羅の連合軍が「木郭墓をやめて竪穴式石郭墓にせよ」と命令した
ことになるではないか。なんのために命令したのか?
>同時にドッと騎馬文化が登場してくる。
またまぎらわしいことを言っているな。
伽耶全体として見れば「ドッと騎馬文化が登場」したのは3世紀末から
4世紀の金海地区(大成洞)においてだ。
5世紀にはそれが普遍化した。
つまり、新羅の影響が強かった福泉洞ばかりでなく、百済/倭の勢力圏
であった安羅、大伽耶などでも同様だ。
841 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 12:40:26
>>840 >伽耶全体として見れば「ドッと騎馬文化が登場」したのは3世紀末から
>4世紀の金海地区(大成洞)においてだ。
それは違うだろう。
長い間、伽耶の騎馬文化は5世紀の好太王南下によってもたらされたと言われてたが、
それ以前に大成洞にもあったと言う事だろ。
ただ質量とも5世紀からだろう。
842 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 12:46:14
>>839 >逆じゃろう。
何が逆なんだ?w
あんたが岡安さんに言いたいことあるんだろ?
ならあんたが行けよ。
おまえが何様なんだボケ。
843 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 13:24:39
844 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 17:17:10
>>842 > 長い間、伽耶の騎馬文化は5世紀の好太王南下によってもたらされたと言われてた
その通りだ。それが間違いだったのだ。
>それ以前に大成洞にもあったと言う事だろ。
「あった」などと言って済ませることではない。
さらにそれ以前にはなかったのだから「生じた」とか「現れた」とか言うべきだ。
しかもそれが1世紀の間、周辺伽耶諸国には伝播しなかった。
(お前が福泉洞について言った通りだ。)
これは実に注目すべきことだ。
それが好太王戦争の後、周辺伽耶諸国に伝播した。これも面白い。
(量的に増えたのは当然だし、質的に向上したのは自然の発達だ。)
これを単に「高句麗が来たからどっと増えた」などと言っていては
昔の間違いの繰り返しに過ぎない。
845 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 17:37:47
>>844 >これを単に「高句麗が来たからどっと増えた」などと言っていては
>昔の間違いの繰り返しに過ぎない。
5世紀以降、伽耶において新羅系土器が優位になってきてるんだけど、
どう説明するんだ?
846 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 19:41:38
>>839 >ここで仮名で閉鎖学界の体質を述べりゃあ、面白いんじゃが云うことでえ。
お前の言う日本学会の隠蔽体質とやらを具体的に説明してもらおうか?
>自分自身じゃ何も調べんで、ソースじゃゆうて、おらんでも(吼えても)
つまらんわい。
お 前 の 言 っ た 事 の 信 憑 性 が 乏 し く、か つ
そ れ が 多 く の 研 究 実 績 に 矛 盾 し て い る か ら
聞いているんだ。
>まず自分自身で調べて、質問せにゃあのう。
な い も の を ど う や っ て 調 べ る ん だ ?
結局ソースを挙げれないから逃げか。
低脳、妄想癖の上に卑怯者とは、救いようがないな。
847 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 19:53:42
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できる。
【日本語】 【韓国語】
空(そら)→ ハヌル
稲(いね)→ ビョ
米(こめ)→ サル
家(いえ)→ チプ
★米について
韓国人は、「古代韓国(そんな国は存在しないが)から弥生人(韓国人は古代韓国人だと主張)が日本列島に移住して、
古代ヤマトを建国した。稲作も韓国人が日本列島の原住民(日本人の意味)に教えた」と主張するのだが、
そんなことはありえないのである。
なぜなら、日本語と韓国語では、『稲』『米』の呼称がまったく違うからである。
日本語では、稲は「いね」であるが、韓国語では「ビョ」である。日本語では、米は「こめ」であるが、韓国語では「サル」である。
本当に、古代日本列島に韓国人が移住し、稲作を伝えたのなら、日本語と韓国語で『稲』『米』が同じ呼称でないのはおかしいのである。
日本語と韓国語◆その違い
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1542&e=res&lp=1488&st=0
848 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 22:09:37
>>847 稲作用語は朝鮮語との関係はほとんどなくてタミル語説の方がまだマシだな。
麦>ムギ、稗>ヒエから見ると米もkhmei?のようなシナ語由来かも知れない。
849 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 13:23:45
>>845 :日本@名無史さん :2007/05/09(水) 17:37:47
>5世紀以降、伽耶において新羅系土器が優位になってきてるんだけど、
>どう説明するんだ?
それは当たり前だ。5世紀以降の歴史は、伽耶が新羅に侵食されていく
過程であることは、日本書紀を読んでもわかる。
これを征服説にたって見れば、河内王朝の旧領が侵食される過程だ。
新羅は広開土王戦争以前から、高句麗の勢力を引き入れて、金海の扶余勢力
に対抗した。
その最初の侵食が福泉洞地区だった。福泉洞の4世紀末の新羅式土器は
そのことを示している。
850 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 14:32:22
>>849 で大成洞の扶余とやらはどうなったの?
どこに行った?
高句麗語は、ほんの断片しか現在に伝えられてないのですが、特に数詞の類似が
注目されます。「3」=mir、 「5」=uts 、「7」=nanin、 「10」=tok で、
日本語の「ミー」「イツ」「ナナ」「トヲ」に似ています。一方の韓国語は
「3」=sai、 「5」=tasas、 「7」=nilgup、 「10」=yal で全然、似ても
似つかない形をしています。古代高句麗語でわかってる4語がすべて日本語に
通じ、中期、現代朝鮮語とは全く似ていないのは何で???
852 :
フレンド:2007/05/10(木) 18:52:44
『日韓同祖論』という妄説がある。
学問的な根拠がまったくない、まさに妄説であり、狂説である。
日本人と韓国人が、何の関係もない別種の民族であることは、両民族の言語を分析すれば
すぐに理解できる。
【日本語】 【韓国語】
空(そら)→ ハヌル
稲(いね)→ ビョ
米(こめ)→ サル
家(いえ)→ チプ
★米について
韓国人は、「古代韓国(そんな国は存在しないが)から弥生人(韓国人は古代韓国人だと主張)が日本列島に移住して、
古代ヤマトを建国した。稲作も韓国人が日本列島の原住民(日本人の意味)に教えた」と主張するのだが、
そんなことはありえないのである。
なぜなら、日本語と韓国語では、『稲』『米』の呼称がまったく違うからである。
日本語では、稲は「いね」であるが、韓国語では「ビョ」である。日本語では、米は「こめ」であるが、韓国語では「サル」である。
本当に、古代日本列島に韓国人が移住し、稲作を伝えたのなら、日本語と韓国語で『稲』『米』が同じ呼称でないのはおかしいのである。
日本語と韓国語◆その違い
http://cgi.members.interq.or.jp/asia/showashi/cgi-bin/trees.cgi?tw=&log=&search=&mode=&v=1542&e=res&lp=1488&st=0
853 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 19:38:02
【日本語】 【韓国語】
鉄(てつ)→ チャル
金(かね)→ クム
↑
金属の意味
日本の金属文化は、朝鮮とは無関係であることがハッキリした。
金(かね)は日本語であり、朝鮮語とは呼び方が違う。
朝鮮人が日本に金属文化を伝えたのならば、日本語でも「クム」と言うはず。
実際は言わない。
つまり大和言葉で存在するものは、すべて日本古来のものってか。
アフォくさ
855 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 20:55:24
>>850 お前は大成洞の支配者が扶余であることを納得したのだろう?
で、それが「秦氏」を支配していたと。
今回はそこまででよい。
あとはサイクルに陥っているのでとりあえずここまで。
856 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:00:11
>>853 【日本語】 【韓国語】
鉄(てつ)→ チャル
・・・これはどっちも漢語でシナ起源ということだな。朝鮮語にも鉄という
固有語はないのか。金クムも漢語で朝鮮固有語ではないな。
857 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:03:25
>>856 日本語では、鉄は「くろがね」だな。
黒いカネ。
カネは日本語だな。
858 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:05:08
>>854 >つまり大和言葉で存在するものは、すべて日本古来のものってか。
>アフォくさ
>854
↑
泣き虫コリアン(笑
つまりこの国は、外来の物に決して和語を附けなかったと言うことが
確認されましたとさ、てかw
860 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:39:58
>>855 >お前は大成洞の支配者が扶余であることを納得したのだろう?
いや納得はしてないよ。
満州の扶余の墓と類似する出土品といっても、
北方民族共通ではないのかと思うし。
帯金具や青銅壺なんてのもそうだろう。
それと地下式墳墓は高塚を作ることを許されなかったと思ってる。
誰が許さなかったかと言えば大和だ。
861 :
日本@名無史さん:2007/05/10(木) 21:49:14
>>854 稲作がないところへ朝鮮から入って来たのなら日本でいちいち言葉
から作ったのか?朝鮮語を採用してそのまま使うはずだろう。
稲作用語が全然異なるのは朝鮮経由ではないことの証明だ。鉄器文化も
同じ。
862 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 13:25:14
>>860 >満州の扶余の墓と類似する出土品といっても、 北方民族共通では
>ないのかと思うし。
では具体的に、どの北方民族が大成洞に来たと考えるのか?
そんなにいくつもの民族はいないよ。
それと、扶余の「殉葬」については東夷伝扶余条に記述があるが、それ以外では
どの北方民族に、その記述があるのか?
>それと地下式墳墓は高塚を作ることを許されなかったと思ってる。
>誰が許さなかったかと言えば大和だ。
それなら服従のしるしに、小さくてもいいから前方後円墳を作らせればいい
ではないか。
現に5世紀の半島西南部ではそのようにした。
863 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 14:30:35
>>862 >それなら服従のしるしに、小さくてもいいから前方後円墳を作らせればいい
>ではないか。
前方後円墳はそれなりの人間にしか作らせない感じだね。
西都原でも地下墳墓は隼人または熊襲の墓だろう。
864 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 19:59:44
865 :
白馬青牛:2007/05/11(金) 22:52:05
>>842 じゃけえ、ワレが岡安氏にこのスレの「ボケ」についてどう思うか
聞いたらええことじゃ。
866 :
白馬青牛:2007/05/11(金) 23:01:44
>>846 ワレは、反論のソースも出さんで、他人に責任転嫁しゃあがる。
ほいで以前にもゆうたが、日本人が人様に「卑怯者」ゆう時は、
命のやり取りを覚悟してゆう言葉ど。わりゃどこで育ちょったんな。
日本人面しあがって、糞外道がカバチ垂れなや。
867 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 23:11:01
>>865 自分で行けないんじゃねーか、このヘタレがw
868 :
白馬青牛:2007/05/11(金) 23:23:34
>>867 爆笑したわい。ワレみたいな、糞ビッタレ(弱虫)からヘタレ云われても
ねえ。
はよう岡安氏に考古学会の縦社会じゃあ、捏造体質じゃあ云うボケが
います。ゆうて報告しんさい。
869 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 23:46:22
>>866 >他人に責任転嫁しゃあがる。
どこが「責任転嫁」だ?ただその根拠を聞いただけだが?
その根拠を見ないと、その説に対して反証をだせないんだがな。
まあお前の説は大体同じようなものを見てきたから想像できるが。
>命のやり取りを覚悟してゆう言葉ど。
広島ではそうなのか?「卑怯」なことをしている奴をどう表現するんだ?
日本人面するなや在日寄生虫がw
>はよう岡安氏に考古学会の縦社会じゃあ、捏造体質じゃあ云うボケが
だから具体的にどのようなところが隠蔽体質なんだ?
ド外道さんよ。
870 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:17:49
>>868 おまえが文句あるんだろが?
なら自分で行け。
何言ってるんだ?
おまえは親からまともな躾うけてないだろが。
白馬青牛って、これで何歳なんだろうな?
頼むから子供だけは作らないでほしい。
言いがかりと暴力、妬みそねみに見当違いの逆恨み節。
あっちの民族特有のDNAがこれからも続くのかと思うとおそろしくなる。
873 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 20:30:40
>>863 どの北方民族か、答えてくれ。
答えられなければ「扶余」で納得したと見なす。
874 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 20:35:42
>>873 勝手に見なすな。
秦氏でも説明できるのだからそれでいいではないか。
875 :
白馬青牛:2007/05/12(土) 21:32:47
>>869 「考古学界の体質」をネットで検索し、自分は違う見解を持っとる
云うんならまだましじゃが、自分で調べるんを放棄しよるじゃないか。
「卑怯者」が日本人にとって最大の侮辱言葉じゃ思うし、少のうとも
わしは、そう教育されたわいのう。わしゃは「卑怯」な行為をせんよう
生きてきた思うとるど。糞外道じゃ云われる筋合いもないわ。
>>870 その「躾」ようのう。宮本常一氏は、西日本と違い「東北日本では一般に
村の親方級の農家をのぞいた小作百姓には、シツケはそれほど要求せられて
いなかった。」と、されるが、なるほどわしに対して罵倒を繰り返す連中が
多くは東日本人によるもんじゃろうしのう。
>>871 そりゃあ、わしじゃのうて、あんた自身のことじゃ。
876 :
白馬青牛:2007/05/12(土) 21:53:43
>>872 わしに、ねんだくりよるんは、
>>875で云うたよう、ここでも何人か
おるじじゃないか。彼らは当然タコの糞が脳みそに張り付いとる。
糞(クソ)を使うんは、広島じゃあ普通じゃ。
「まん糞悪りい」じゃ、「牛の糞も段々」じゃ、えっとあるのう。
877 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 23:28:55
>>875 >なるほどわしに対して罵倒を繰り返す連中が
>多くは東日本人によるもんじゃろうしのう。
俺、西日本だけど?
居ない人の文句をここでコソコソ言うくせに、
いざとなれば言いに行けない君のようなヘタレは、
西日本であろうが東日本であろうが笑われるだけ。
878 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 23:46:07
>>875 >自分で調べるんを放棄しよるじゃないか。
だからさ、調べた結果「捏造は学会の体質・・」「論文の信憑性が・・」
とかは出てきたが「閉鎖性が・・」とか出てないから聞いてるんだろ?
>わしゃは「卑怯」な行為をせんよう
生きてきた思うとるど。糞外道じゃ云われる筋合いもないわ。
おいおいファビョんなよ。お前の民族ではそれで通るかも知れないが、
ここは日本だぞ?
お前のどこが「卑怯」ではないんだ?
論点すり替え、苦しくなったら他人罵倒
これのどこが卑怯ではないんだ?
>「東北日本では一般に
村の親方級の農家をのぞいた小作百姓には、シツケはそれほど要求せられて
いなかった。」
ほら出た「偉い先生がこう言ってるんだ〜〜〜」
では、そのえら〜〜〜い先生がのたまってる以外の
具体的な根拠を出してもらおうか?
ていうか、何で昔の例を出してくるんだよw
躾がされてないのは、お前達在日だろ?
嘘を言うのは日本人にとっては最も悪いことなんだぞ?
879 :
日本@名無史さん:2007/05/12(土) 23:49:13
>>875 >そりゃあ、わしじゃのうて、あんた自身のことじゃ
お前の価値観は、日本人とはかけ離れているようだな。
さっさと母国に帰ったらどうだ?
>>876 >糞(クソ)を使うんは、広島じゃあ普通じゃ
お前本当に広島の人間か?
俺の友達に広島人が沢山いるが、糞糞糞糞言ってないぞ?
方言丸出しだが。
ああ、お前の在日グループじゃそうなんだな。
880 :
白馬青牛:2007/05/13(日) 01:33:14
>>877 居ない人の文句をこそこそじゃのうて公然に云うとるんで。
わりゃ西日本のどこのもんなら?
>>878-879 調べた結果の学界の体質についてどう思うんか?ワレの見解を述べんさい。
わしの民族は大和民族になるんじゃろうが、東日本の東夷民族と違う
云いたいんか。日本は東夷民族の価値観だけが通用するじゃ傲慢なのう。
わしゃあ苦しんどらんのに、苦しゅうて他人罵倒するんは、あんたら
嫌韓共産主義にして、カルト宗教信者ネット・ウヨクらじゃないか。
宮本常一氏の文を引用したんがオドレらに都合悪るかったんか?
じゃが、東日本は親方・小方の主従縦社会じゃけえ仕方ないのう。
西日本の横社会と違う。疑問があれは、西日本と東日本の社会構成の
違いでも調べてからわしにねんだくれや。
糞を使わん、ニセ広島人のツレでもおるんか。在日グループ云うたら、
本土日本人は人類学的に大和民族であろうが、東日本の東夷民族で
あろうが、在来縄文系の強いアイヌや琉球の人達から見たら、
在日になるじゃろうて。
東夷は大和王権
882 :
↑:2007/05/13(日) 05:22:14
よく調べてみれば、だいたい”大和王権”っていう呼称すら無いわけなんだがね。
883 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 08:16:33
>>880 >こそこそじゃのうて公然に云うとるんで
言いたいことあるんなら掲示板に行けと言ってるんだろが、このハゲは!
884 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 20:48:12
>>880 年中ヒマなんだな。ニートか?どうでも良いけど。
>調べた結果の学界の体質についてどう思うんか?ワレの見解を述べんさい。
少なくとも、「隠蔽体質」ではないことは確かだな。
名誉のために捏造したり、未だに過去の定説の影響から逃れられてないけど。
>わしの民族は大和民族になるんじゃろうが、東日本の東夷民族と違う
云いたいんか。
いやいや、お前は{中華思想の序列では}中国の次に偉い「東方礼儀の国」
の民族だよw
>日本は東夷民族の価値観だけが通用するじゃ傲慢なのう。
ん?東夷なんて使うとは、やっぱり中華思想から抜け出せないんだな。
哀れw
それは置いといて、お前の価値観「事実よりあるべき歴史の方が正史で
あるべきだ」「捏造は卑怯ではない」
というのは、日本人の価値観とは相当離れてるな。
>宮本常一氏の文を引用したんがオドレらに都合悪るかったんか?
文を引用するのは良いけどさ、俺達日本人の価値観が以上だと言う
根拠を出しておくれよ。
たまには他人の引用ばかりじゃなくて資料の一つでも出してみたら?
885 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 20:54:36
>>880 >東日本は親方・小方の主従縦社会じゃけえ仕方ないのう。
まあ、在日社会や朝鮮の超差別社会よりは平和ですがw
>西日本の横社会と違う。
おいおいw東日本の村請制を何度も示してやっただろうが。
自分の認めたくないものは全て捏造ですか?ん?
>糞を使わん、ニセ広島人のツレでもおるんか。
お前の言う「広島人」とは随分下世話な連中なんだな。
類は友を呼ぶとは良く言ったものだ。
>在来縄文系の強いアイヌや琉球の人達から見たら、
在日になるじゃろうて。
プw
そうだろうね。お前の妄想「朝鮮人が日本を征服した」というのを
前提にすればそうだろうね。
現代日本人は縄文人が渡来人を取り込んでできたもの。
お前の祖国とはまるで違うのだよ。
お前の祖先の中国人と新羅人とはね。
>>883 >言いたいことあるんなら掲示板に行けと言ってるんだろが、このハゲは!
その度胸が無いからここでわめくしか無いんだよ。
この「自称」広島日本人は。
886 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 21:22:19
>>874 874 :日本@名無史さん :2007/05/12(土) 20:35:42
>>874 >勝手に見なすな。
>秦氏でも説明できるのだからそれでいいではないか。
「秦氏」は大成洞の支配者ではない、と自分で言ったではないか。
887 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 21:53:18
>>886 支配者か単に製鉄関係者かは分からない。
そんなもの分かる訳ないし。
もし「支配者」だとしても、
あの墓の規模から言って大した事はない。
好太王碑文にもあるように、
4世紀後半、倭が百済と新羅を臣民にしたのは、
大和が伽耶を拠点にして為したものだろう。
888 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 23:38:07
>>887 >大和が伽耶を拠点にして為したものだろう。
以前出されたものだろうが聞いておきたい。
ヤマト政権が伽耶を拠点にしていて、それでヤマトに
中心を移したというのはどういう事なのか?
氏姓制をどう考えるのか?
ヤマト王権の象徴たる前方後円墳が伽耶よりヤマトに近い地域において
大量に発見されるのは何故か?
889 :
日本@名無史さん:2007/05/13(日) 23:47:39
>>888 >ヤマト政権が伽耶を拠点にしていて、それでヤマトに
>中心を移したというのはどういう事なのか?
別に拠点を移してないんじゃないの。
弥生時代から伽耶は鉄の産地であって、
倭人が鉄を採ってただろうし、
4世紀になってもそれが続いてただけの事。
秦氏や漢氏という最新の製鉄技術者が北方からやって来たのだろうが。
890 :
白馬青牛:2007/05/13(日) 23:49:00
>>885 東日本と朝鮮は、縦組織、宗族制の発達とよう似た社会じゃないか。
宮本常一氏は、芸備(広島県)の村は、「地主と小作の家などほとんど
見分けることが出来ない。これが関東や東北ならば、たいていそれと
わかるのである。」関東や東北は、隷属縦社会じゃけんのう。
村請制云う木を見て森を見んで無視しても意味がないわい。
ほいで朝鮮と東日本の社会のどこが違うんか?
現代日本人、本土日本人は、在来縄文系よりも渡来系の末裔であることは、
人類学的に明らかで、渡来系を吸収じゃのうて、人類学的に、
渡来系が縄文系を吸収した云うことじゃ。
ワレが岡安氏の掲示板でいきさつを云うたらええじゃないか。
ほいで岡安氏の返答がいなげじゃったら、わしも行ってカバチたれ
ちゃるよ。ひった糞にせんと、わりゃ早う行ってこいや。
891 :
日本@名無史さん:
>>890 おまえ無理に広島弁書くなボケ!金玉ひねりつぶすぞ!
オマエが岡安氏に文句あるのだろ?
ならオマエが【男らしく】岡安氏に直接言え。
出来ないのか、このへたれオカマ!www