平安時代の貴族といえば「源氏物語」の光源氏みたいな風流な貴公子を
まず想像するでしょう。
しかし実際には暴行や恐喝事件、果ては殺人事件を起こすような光源氏とは
ほど遠い貴公子もいたわけです。
ここではそんなDQNな貴族を語っていきましょう。
平安時代のDQN貴族といえばやはり藤原伊周と隆家兄弟だな
花山法王が自分の女の所へ通っていると勘違いして法王の家臣を殺して結果的に法王に
刃向かった結果になったバカ兄弟
自分から墓穴を掘って政治の世界から転がり落ちた珍しい例ですな
4 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 13:52:25
本の受け売りスレですな
5 :
日本@名無史さん:2006/07/17(月) 13:58:51
ですな
6 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:44:46
「日本史上最強の変態ドスケベ野郎は誰だ?」のスレで、379番の藤原頼長の記事を読んだ。
ひでえ・・・
ホモ貴族といえば実資しか知らなかったが、まだ上がいたとは(汗)
7 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 18:57:01
画像貼らないと文句をいうやつだろ
8 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 17:37:00
9 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 19:35:19
>>6 つか、ホモ貴族といえばまず後白河法皇だろ。
次が藤原頼長。
実資しか知らないおまいのほうが珍しい。
10 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 19:53:17
平安時代のホモ貴族の実態
1 :日本@名無史さん :2006/07/16(日) 19:13:04
平安時代の貴族といえば「源氏物語」の光源氏みたいな風流な貴公子を
まず想像するでしょう。
しかし実際には暴行や恐喝事件、果ては穴掘事件を起こすような光源氏とは
ほど遠い貴公子もいたわけです。
ここではそんなDQNな貴族を語っていきましょう。
11 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 20:44:41
12 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 20:46:24
13 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 23:02:44
14 :
日本@名無史さん:2006/08/20(日) 00:06:34
15 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:56:11
16 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 17:54:24
17 :
イランジン:2006/10/14(土) 18:52:11
/ V! ハ. / `ヽ/ \|. | | ||
W レ// |ト、| | ||
从1 // || | | ||
| .//─- _ _|| | N | ||
W从i// _`ヽ、 , -‐''"´ || V .ゝIvフ|
| | / ーミ====' /、 _. || トvヘ、l |.|
| | | `==チ j.| !.| \j | そろそろマスコミも皇室存続の問題提起
| | | | l /// | | | |
| | | | 、 /〃 | |// するべきだわ。
| |l | | / 〃' l j//
| || | |.、 ー─‐‐ // / / /
ヽ.l| | | \ // / ./ / 皇室外交は動物園のパンダの貸し出しくらいの
.レ |、 丶、 / / / // / /
|\ `7ー-< /// // / / 役にはたってるみたいね。 ヒロヒトラーーーとか言われてるけど。
\. |\ \ ハヽ. \ ` く// // / /
\\ ヽ \ \! | } ヽ // // / /
18 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 16:38:30
平安の大物ホモ藤原頼長の日記「台記」の研究を読んでるんだけど
「受領讃」こと大僕卿孝標とかいう男が笑えた。
孝標日記(仮)
1. 頼長から手紙でしつこく言い寄られる。うざい。無視。
つーか俺には愛する妻もいるし。
2.このまま無視し続けるつもりだが、どうやら
俺とヤりたいがために坊主に加持祈祷までさせてるらしい。キモすぎ。
3.元上司の藤原忠雅さんは頼長の愛人の1人だったらしく、
俺と頼長の仲を取り持ってポイントを稼ごうとしてやがる。
これはかなり断り辛い。最悪。
4.しかたなく1回だけ会ってやる。会うだけだ。
それに忠雅さんも同席してもらって3人で。妙なことにはなるまい。
5.忠雅さんが頼長と別れたらしい。なんかかなり嫌な予感がする。
6.頼長のやつ調子にのって、今度は陰陽師に祈祷させてるらしい。テラキモス。
つーかストーカーだろ完全に。
1度会うだけの約束だったじゃねーかよ。祈祷のせいか最近夢見が悪い。
19 :
日本@名無史さん:2006/10/21(土) 16:39:09
7.久しぶりに忠雅さんから呼び出されたので、
何の用かとおもって家まで行ったら、ニヤニヤした顔の頼長がいた。
畜生、ハメられた。
って言うかこの日は忠雅さんの手前、断りきれずに
とうとう実際に「ハメ」られてしまった。ケツが痛ぇ……。痛ぇよ…。
8.妻が難産で死んだ……。子供も死産だった。欝だ。俺も死にたい。
とか言ってる矢先に、玄関先まで頼長が来てるらしいと従者から連絡が。
馬に乗って駆けつけてきたらしいが「空気読め」と百万回言いたい。
なんでこんな奴が藤原氏の氏長者なんだクソが。
馬より鼻息荒らそうで想像するだけでキモい。顔も見たくない。
もちろん追い返すように従者に言った。はぁー。
8.妻が死んでからは頼長も言い寄ってこなくなった。
さすがに俺の胸中を察してくれたのかな。
噂では今は年上の男と乳繰り合ってるらしいがもうどうでもいい。
9.と思っていたが妻の四十九日が終わった直後、
忠雅とさん一緒に頼長がうちまで押しかけてきた。
思わず警戒したけど普通に2人してお悔やみを言って帰って行った。
ホッっとした。意外と常識はわきまえてるんだな。
10.俺が甘かった。2日後にまた、頼長が今度は1人でうちまで来やがった。
もちろんまた俺のケツを掘ろうと必死に迫ってきたよ……。
開き直って交換条件を出したらOKしてくれた。
クソーこうなったらとことんコイツを利用して出世してやるしかねぇ。
ヤケクソだ。
なんかこんな感じだったw
続きが気になる人はヒストリア84号を読もう。
真面目な論文なんだけどそれだけに妙に生々しい。
証券取引法施行令31条(公開買付けに準ずる行為)
法第百六十六条第六項第四号 及び第百六十七条第一項に規定する公開買付けに準ずる行為として政令で定めるものは、
証券取引所に上場されており、又は店頭売買有価証券若しくは取扱有価証券に該当する株券
(外国法人の発行する証券又は証書で株券の性質を有するものを含む。)の発行者である会社の発行する株券、
新株引受権証書、新株予約権証券、新株予約権付社債券(外国法人の発行する証券又は証書で、
これらの有価証券の性質を有するものを含むものとし、内閣府令で定めるものを除く。)又は
その他内閣府令で定める有価証券(以下この条において「株券等」という。)を買い集める者
(その者と共同して買い集める者がいる場合には、当該共同して買い集める者を含む。以下この条において同じ。)が
自己又は他人(仮設人を含む。以下この条において同じ。)の名義をもつて買い集める当該株券等に係る議決権の数
(株券(外国法人の発行する証券又は証書で株券の性質を有するものを含む。)については株式に係る議決権の数を、
その他のものについては内閣府令で定めるところにより換算した株式に係る議決権の数をいう。以下この条において同じ。)の合計が
当該株券等の発行者である会社の総株主の議決権の数の百分の五以上である場合における当該株券等を買い集める行為
Orkut(Google提供のSNS)で琉球王国についてのスレッドが立っているのですがこのように書かれています。
1879年に、明治の政府は琉球王国の併合を発表しました。
琉球の王の特使は王国を救うために3日間、北京での中国の内閣総理大臣Yamenのにひざまづき救いを請いました。
しかしながら、清の皇帝は西洋の強国と日本の侵入から弱められていました;
したがって、軍を送り保護を求める琉球の要求は承諾されませんでした。
しかしながら、中国は外交的に反対しました、そして、元の合衆国大統領のユリシーズ S. グラントが仲裁するように頼まれました。
彼は島への日本のクレームが、より強かったと判断し日本の好意で判決を下しました。
琉球のクレームは無視されました。
琉球の人の強い中国へのルーツ、反日本感情、および中国への一般的な好意を一掃するために。
日本が琉球を占領した後に、琉球人の人口の主要な部分は日本の軍隊による一連の大虐殺により殺されました、
当時生き残ったほとんどの琉球の人がやむを得ず日本語、文化、および識別を採用しました。
輪廻の世界全体をブラウマ−と捉えるのならば原始仏教も現在の仏教もその
克服と理解したらそう乖離もしていない。個々の信徒が一切苦と言う世界を
克服する(解脱でもいいけど)と言う発想はウパニシャッドの頃からそれほど
進歩してないように思うけどな。仏陀の発想はアートマンを発展させたものだと思うよ。
古代インド全盛のかなり豊かになって繁栄していた紀元前5-6世紀の話しだろ。
形式的な統制の強い時代から言わば自由な個人主義の時代だな。
輪廻と言うものはリグベーダの時代からある当時の自然観からきたものだ。
言わばこの時代の自然界全体の循環。今で言えば環境論だろ。
当時の科学と言うか法則性みたいなものだな。ここから自由になる
と言う発想が当時の思潮だろ。
その布教手段として仏陀の前にブラウマ−神を跪かせる発想の起源
が正しく梵我一如と言う発想だと思うけどね。修行や苦行に拘ると言うのも似ているな。
キリスト教やイスラム教だとボランティアや断食や寄付程度なんだが、それ以上の
ものになっている。この延長にタオと言う発想が重なって行くのが日本の〜道だろ。
神道が仏道から学習して行く過程だな。道教には無い発想だろ。
仏教は簡単に言うと仏陀と言う個の教えが悲喜こもごもの世界を克服して行く過程だろ。
アートマンを仏陀のそれに限定したものが仏教の教説だろ。これが外見的には
仏陀の魂の尊重と言う発想に繋がって既存の信仰と妥協習合しながら
仏塔や仏舎利や仏像の尊重にいきつくんだろうな。
因みに仏塔の起源はヒンドゥー教にも見られる御神体、つまり性器の交歓だよ。
インドの古い仏塔や今の日本の首都のど真ん中にもある円形の仏塔はそれと酷似している。
ストゥ−パとはそもそも聳え立つ、勃起すると言う意味。
農産物に富んだ南部の統一までに至り繁栄を享受した当時の時代の反映でもあるんだろうな。
リグベーダの時代の輪廻の人間での現われも精子と母胎なんだよねww
この時代はアーリア人の比較的厳格な統制の強い支配欲と言うか北方の禁欲的な
思潮が強いように思える。森林の厳格な教えと言う感じなんだな。これが南下して
また習合発展したらしいけどな。
輪廻のなかでアートマンが発展変化する世界がブラウマンでありこの合一を梵我一如と言い
当時の自然界と人間を説明したわけだよ。この場合アートマンは祖霊とも言える。ブラフマン
は自然だろうな。人生観と自然観の融合と言うことだろうな。それを生活観にも合わせたんだろ。
人間の苦しみが死に至るものならその克服が生の起源たる性やその快楽に行きつく
と言うのも至極当然のように思える。
うーん、インドだなー、産めや増やせやww
25 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 21:52:55
テラワロス!
26 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 09:50:16
テラマロス!
27 :
日本@名無史さん:2006/12/18(月) 18:25:38
光源氏も病気だと思う
28 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 04:31:40
富と権力で男漁り
29 :
日本@名無史さん:2007/02/03(土) 21:17:08
当時のかんざしとか匂い袋とか商ってた小間物商人って公家の姫君と密通とかしてなかったのかな?
ありそうなんが
30 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 07:50:35
藤原定家は宮中で、ある貴族とガチの殴り合いをして一時出入り禁止
31 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 10:55:46
平安時代は入浴する習慣がなく、せいぜい蒸気で体をたまに蒸す程度という。
艶やかな十二一重の襟首は垢で真っ黒だったそうだ。臭いのポテンシャルもハイで、たまらないので香を焚いたとのこと。
白粉は鉛が含有され、シラミやダニが寄生し、それはそれは厳しい生活環境のだったらしい。
ただ、当日とすれば、それが当たり前な生活だから果たしてホントに苦痛だったのかどうから知らない。
>>31 まあ俺たちも後世の人間から見たら耐えられない環境に身を
置いてそうだな。
いや、案外そこまで汚くなかったって話を聞いたことある。
今より空気がきれいから雑菌の繁殖が抑えられるってのと、
髪や肌は毎日洗う方が臭くなりやすいらしい。
しょっちょう洗わないほうが、身体の自浄作用が高くなるんだってさ。
屋敷の外には腐乱死体が並んでいたのに?
35 :
日本@名無史さん:2007/02/08(木) 13:31:05
平安期は死体放置は京都でもザラだよ。
殺人強盗強姦もやり得でOK。よほどドジじゃない限り捕まらない。
屋敷に死体が入り込むと、平安貴族の病的な側面が現れて来るわけだが。
紫式部「顔なの!?これ、顔なの!?ねぇ!瓜!瓜に子供の顔かいたの!?」
清少納言「あぁ、かいたよ」
紫式部「本当!?可愛いの!?微妙じゃない!?」
清少納言「あぁ、うつくしきものだから大丈夫だよ」
紫式部「そうかぁ!私紫式部だから!紫式部だからうつくしきものわかんないから!」
清少納言「そうだね。わからないね」
紫式部「うん!でも可愛いんだ!そうなんだぁ!じゃぁスズメの子と同じだよね!」
清少納言「そうだよ。萌えていいんだよ」
紫式部「よかったぁ!じゃぁねず鳴きしようね!ねず鳴きしよう!」
清少納言「うん、ねず鳴きしようね」
紫式部「あぁ!ねず鳴きしたからスズメの子が踊りながらやって来るね!ね、清少納言!」
清少納言「うん。そんなうまくいく訳ないけどね」
紫式部「あぁーこんな適当な内容の文章が後々の時代まで伝わっているよー!気をつけようねぇー!」
38 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 13:34:26
この時代の奴らはマジで風呂入らねのか
1ヶ月の間、洗髪しないことも珍しくない。
40 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 15:55:51
オェ
汚ギャル元祖は平安時代なんだな。
41 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 18:15:16
>>34 死体は犬が食うから腐乱死体は並んでないと思う。
インドがまさにその状態で、植物性のゴミは牛が食うし
動物性のゴミは犬が食うから案外街にゴミは少ない。
大量の犬が死体を漁ってうろちょろしてたら、屋敷へ頻繁に死体が紛れ込んで
貴族・官人パニック、都の政治機能がストップしちゃうw
河原に運んで捨てるから、それで取り合えずはOK
43 :
日本@名無史さん:2007/02/10(土) 20:50:18
内裏でも腕をくわえた犬が儀式の最中に走り回ったと記録にあるからな
44 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 00:13:26
タフな時代だな。お姫様なんかもタフなんだろうな。
むしろタフなのは庶民であって
王朝貴族は穢れにおののく怖がりな人たち。
46 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 08:26:33
こいつらは肉とか食いまくってたんじゃね?
47 :
日本@名無史さん:2007/02/11(日) 22:52:28
鎌倉か室町時代かでも、ある天皇があぼんしたが葬儀の費用が無く
49日あたりまで布団に放置プレイされたことがあったらしい
48 :
日本@名無史さん:2007/02/12(月) 11:15:56
尊き玉体…ご発酵…あそばされたのかい?
ありゃ〜。
49 :
日本@名無史さん:2007/02/12(月) 15:32:56
それは、後土御門天皇(1442−1500、位1465−1500)でしょ。
1467年に応仁の乱が起こるから、最悪なときに在位していた。
50 :
日本@名無史さん:2007/02/12(月) 15:37:03
確か、花山天皇の皇女(女王)が、盗賊に拉致されて
裸で都大路に放り出されて凍死した上、遺体は犬に食い散らかされるという
痛ましい事件が今昔物語集に出ていた。
51 :
日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:08:01
皇女を拉致って強姦調教出来る時代なんてウラヤマシス
一般人のお嬢様や芸能人なら堪能したことあるけど・・・・
皇女は近づくのも無理だしな〜
本当にウラヤマシス
52 :
日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:32:00
ドラえもんいねーかなー
平安時代へいきたい。あの時代はまだ梅毒はなかったからな。淋病やクラミジアはあっただろうがエイズもない。
53 :
日本@名無史さん:2007/02/13(火) 23:16:53
少年は掘られる
54 :
日本@名無史さん:2007/02/14(水) 22:15:51
姫は貫かれる
ベトナム戦争での米軍のPTSDは薬剤によるもの
幾つかのケースでは、7000人を超すアメリカ兵が、同意も得ずに「MKウルトラ」の実験にかけ
られた。「タブン」 「サリン」 「ソマン」といったナチスの致死化学物質を含む神経ガス、それに
「LSD」を含む精神化学薬品類が何も知らぬ志願兵にテストされ、これによって死亡した者や、生
涯不具になった者までいる。
この実験の最初の犠牲者となったのは、自ら人体実験を志願したジョージ・ドナルド大佐で、彼は「L
SD」を用いたマインド・コントロール実験の最中、死の欲望に駆られ、部屋でピストル自殺してしま
ったのである。
56 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:40:01
この時代のお姫様は何を食ってたのだろか?
57 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/02/15(木) 20:57:27
「お姫様」限定でもなかったでしょうが、料理・食材は往来物に出て来る
もので、お分かり頂けるでしょう。日記も説話集もある。
58 :
日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:51:24
ヤツハシ
59 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 09:32:38
「平安貴族」って聞くと優雅さを連想するが、一方で道に死体ゴロゴロ、ホームレスゴロゴロ、都からちょっと離れたら盗賊ゴロゴロとしてる社会でもある。
このギャップがたまらないね。
60 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 14:33:19
61 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 15:40:38
62 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 15:54:13
野糞は仕方ないとして、どうやって尻を清めていたんだろうか?
葉っぱ? 縄? それとも糞がついたまま放置?
>>62 板状のちっさい木じゃね?割り箸サイズの。
昔なんかの本で、昔の人はこういう木の板でふいていたというのを見たことがある。
ただ下痢の時はどうするんだろうな
64 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 18:08:42
>>61 3世紀頃のイタリアとかカルロスの頃のイベリアのつもりだったんですがなにか?
近代まで、民間では木のへらが使用されていました。
平安京では、平安後期には紙が使用されています。
66 :
日本@名無史さん:2007/02/16(金) 21:57:42
>>62 「餓鬼草紙」「病草紙」に排便の場面が描かれているお。
「餓鬼草紙」「病草紙」と言えば、国立博物館なんかで絵はがきを売っているけど、買っても使う人いるのかな?
そんな絵はがきが来たら嫌だよな。
68 :
日本@名無史さん:2007/02/17(土) 00:48:23
張ってる縄を跨いで腰を前後に振って拭いたとどっかで見たことがあるような
貴人がオシコした後を舐める係りが居た
70 :
日本@名無史さん:2007/02/17(土) 22:08:53
>>50 それって首謀者は藤原道雅っぽいんでしょ?
血を見るのは嫌いでも、暗殺者を雇って殺させるからお手軽殺人。
72 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 20:11:08
麗しい貴族の姫君も風呂に入ってなかったの?
マジ?
73 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 21:30:10
養育費は配偶者同士の義務ではなく、親から子に対する義務です。
そのため、親の再婚を理由として一方的に支払いを拒否することはできません。
たとえ再婚相手と子どもが養子縁組をしたとしても実の親との関係が失われることはありませんし、
再婚後の経済状況にかかわりなく、
子どもを養育する費用は実父・母・養父が共同で負担することになります。
但し、親権者でない親が再婚し子どもができた場合や、収入が減少したなどの事情がある場合には、
養育費の減額や免除を求めることができます。
また逆に、親権者の収入が減少したり子どもの進学などでお金が必要になった場合には、
養育費の増額を求めることもできます。
しかし、現実問題として、再婚後の家庭生活が経済的に安定しているのであれば、
特に子どもが小さい場合などでは、養育費の免除を視野に入れて話し合うことが良いケースもあります。
74 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/02/18(日) 21:59:04
>>72 物詣前の洗髪ぐらいですかね。病気の際に「茹で」と称して、今日の
風呂のように湯船に入れることはありました。
当時風呂といえば蒸し風呂、やや下って打たせ湯ですが。
75 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:00:57
76 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/02/18(日) 22:20:43
温泉自体、あまり知られていませんね。当時から有馬の湯は知られて
おり、湯治もありましたが、いちいち行く所でもなし。
院政期の『東山往来』に、温泉とは何故生まれるのかという質問が出
ており、あまり知られているものではなかったようです。
なお、返答は「地下の火輪に暖められた水が湧き出しているものであ
り、塩辛い湯が出ているものは、地獄に通じているもの」というもの
でした。火輪云々は、仏教的世界観に基づいた説明です。
77 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 22:35:22
>>76 つまりそれほど贅沢なものでは無かったということでしょうか。
清少納言か誰かが、玉造、榊原、有馬を挙げてたのでそれなりに当時から
湯治は知られてたものかと。
78 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/02/18(日) 22:42:12
贅沢というか、行くだけで大変ですよ。当時は。
病関連でよほど思う所でもないと行かないでしょう。
とりわけ女性はそうです。
『枕草子』にも玉造は出て来ますが、本文に混乱がある箇所です。
しかし、少なくとも温泉を指したものではないらしい。
温泉が出るところに住んでいた百姓は温泉に入っていたかも。
80 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:12:32
猿や鹿さんも入ってるしね。
風呂に入ってない相手にオーラルセックスはかなりきついものがあるな。
夜に忍び込む寝室もほとんど照明らしい照明はなかったろうから、
性器や感じてる表情もほとんど見れないし案外つまんない性生活だったかもしれない。
婢なんかに対しては、やりたい放題だったんだろうか?
顔と身体がよさそうなのを買ってきて身の回りの世話させながら、きれいに洗って
明るいうちからいろんなことをできると貴族に生まれた価値もあるかもしれない。
82 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:21:33
日本に温泉が無かったら風呂に入るという習慣も生まれなかっただろうな。
83 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:27:08
栄養状態も良くないだろうけど、精力絶倫の貴族は居たのかな。
84 :
日本@名無史さん:2007/02/18(日) 23:40:13
>>81 千年後の人間から見たら、今の漏れ達もとんでもなく汚いことしてるかもよ。
ていうか、貴族じゃないけど。
平安貴族なんてセックスするのが仕事みたいなもんなんだから、
それはそれなりに楽しくできるように考えてたんじゃないの?
源氏物語や○○日記にも性行為じたいの描写は少ないんで
行為そのものは超秘事とすることによる興奮とか通い婚のゲーム性とかで
つまんないどころか楽しい性生活だったかもよ?
86 :
日本@名無史さん:2007/02/19(月) 00:54:13
真っ暗だから爺さん婆さんでも気にせずに、抱かれたり抱いたりできるだろ
着エロこそがセックスの極致であると私は思う。
藤原紀香を十二単着させたままで潮吹かせたい
鼻は10分もすればどんな臭い匂いも麻痺するというか、
なれて楽になるよ。元柔道部のおいらが断言する。
>>85 同意、秘すれば花と思いますよ。
噂や、姫君の兄弟から美しい姫だろうなぁって妄想したり、
手引きをしてもらうためにあれやこれやしたり、
楽しいと思いますよ。
91 :
日本@名無史さん:2007/02/19(月) 08:19:20
近親相姦もやってたのかな?
>>88 おまえ、、、、
俺も昨日のニュース見たあと手淫したが、潮吹かすことまでは妄想しなかったぞ。
十二単の着衣のまま四つんばいにさせて、一枚ずつめくりあげて袴脱がせて
バックからやることってできるんだろうか?
江戸時代や明治くらいまでの十二単の春画ってある?
話はちょっと違うが十二単のAVってないかな?制作費的に無理かな?
京の都は馬糞だらけ
95 :
日本@名無史さん:2007/02/19(月) 20:28:46
スカトロと獣姦もか…すげぇーマニアックな時代なんだなー
96 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 01:30:42
今と大して変わらないじゃん
コスプレイはないだろうな。
巫女の衣装着せてやったりはしてたんじゃないか?
江戸時代の吉原とかには公家の娘とかもいたというが、十二単プレイみたいなオプションがあるとウケてたかも
99 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 11:41:03
巫女プレーいいねー
101 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 20:35:35
>>90 花山院はDQN 中のDQNだよね。まるで暴走族のリーダーみたいだ。
藤原兼道がこの男を天皇から引きずりおろしたのは私欲の為だったけど、
ある意味正しかったとも言える。
102 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:04:38
定子さまに意地悪したのはゆるせん!
103 :
日本@名無史さん:2007/02/20(火) 21:28:53
兼道じゃなくて兼家だった。
確か藤原兼家は海音寺の悪人列伝に載ってたけど、何でだっけ?
この時代のもっと悪い奴いくらでもいるだろうに。
といっても、兼家より素行の悪いのは兼家の子孫だけどね。
104 :
日本@名無史さん:2007/02/22(木) 11:26:13
かなり以前に、本で読んだ時の記憶だが、平安時代の公家達はオナラを人前でしても無作法ではなかったって。姫君なんかも同じ。
105 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 01:18:09
貴族の平均寿命はどれくらいだったんですか?
106 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 03:46:01
昔は幼児死亡率が高いのと
病気になると死ぬことが多いんで
平均寿命はかなり短くなるけど
長命な人は90歳以上生きてるから
何事もなければ現代人と同じくらい生きる
平安時代の貴族の邸宅はトイレが無く、男も女も木のオマルにしていて
召使かが夜にこっそり捨てにいくと何かで読んだんだが
大きい方は大丈夫でも小なら木のオマルだと漏れないか?
それとも小は別のにしたか、そこらの影でやっていたのかな
108 :
日本@名無史さん:2007/02/23(金) 22:38:58
下水道とかの発想は無かったのかな
藤原京だったかの模型の写真では、邸宅横の道路の水の流れた溝を邸宅内にも引き入れて
その上に木の板を二本置いてトイレにしているのは見たことがある。
溝には水が流れているから排泄物はそのまま邸宅から外の溝に再び流れるって仕組みだった。
だけどこれって水が少ない時や大雨とかで溝の水位があがった時とか危ないな。
110 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:40:19
大雨限定でウォシュレットも可能だなんで平安文化は新鋭だな。
糞尿通
道端の側溝で排尿排便するのが当時当たり前だったからね
疫病が度々流行ったのもそのせいだよ
113 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 19:34:35
>>109 藤原京→平城京遷都の理由の一つはそれ。
藤原京は都の中央部が大内裏でしかも低地だったから、
大雨のとき溢れた糞尿混じりの水が御所へ・・・・
114 :
日本@名無史さん:2007/02/24(土) 23:17:56
日本一高貴な場所が糞尿まみれか(笑)
想像しただけでも凄いからなー(笑)
115 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 01:16:55
同時期の北京やパリだって糞尿まみれの都だったんだから仕方ない。
116 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 01:29:42
117 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 01:37:52
パリはナポレオン3世時代の都市改造まで
道路中央の溝に糞尿垂れ流しでしたね。
118 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 05:30:48
全然関係ないかもしれないが、
東京国立博物館にある、秋草文壷ってなんで国宝なの?
平安時代の作品なのに柚薬かかってるから?
たしかに絵のデザインはぶっ飛んでるが、
国宝、、さっぱりわからん、、
119 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 13:38:23
東京では平成の世でも公園や路上でウンコしてるオヤジいるよ。
120 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 17:02:13
>>93 「小柴垣草紙」という絵巻があるお。
原本は12世紀の作品と思われるが、写本しか現存しないみたい。
春画の画集には古典中の古典なので大きな本屋に行けばたいてい見つかると思う。
あとね十二単ってのは、着るのはめんどうだけど、一瞬で脱ぐことができるんですよ。
121 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:23:38
122 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 19:43:49
何の変哲もない仏像の「台座」のみ国宝、なんてのもあるよな。確か
123 :
日本@名無史さん:2007/02/25(日) 23:48:35
124 :
日本@名無史さん:2007/02/28(水) 20:27:22
平安時代の公家が使用してたオマルなんか現存してたら国宝になるのかな?
どうよ文化庁
125 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 11:43:30
126 :
日本@名無史さん:2007/03/01(木) 21:46:03
実際に国宝オマルはあるのかな?
マジレスして悪いが、
国宝っつのは概ね美術的価値、ないしは美術史的価値によって
決められると思うんだが、
上代以前のものは、確かに美術的に大した価値なくても史料的価値で認定されるんだよね。
美術的国宝と史料的国宝とに分けた方がわかり易いとおもう。
国宝にはならんだろ
重要文化財になら指定されるだろうが
129 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:20:53
>>126 オマルとして使用されていた壷がいつの間にか別の用途に使われてて
気付かないうちに国宝になってたなんてことはあるかも。
確か、家康に蒔絵の便器が献上されたけど家康が「バカバカしい」といってぶち壊した。
壊さないでとっておいたら今頃「家康の弁当箱」として重要文化財になってたかも。
130 :
日本@名無史さん:2007/03/02(金) 22:36:28
>>125 キズやシミさえなければ、500万はするんですがね。残念なことです。
歴史的価値はございますので、おうちで大事になさってください。
いやぁ、いい仕事してるわ・・・
132 :
日本@名無史さん:2007/03/04(日) 23:27:52
平安の姫君はイヤらしい悲鳴をあげて秘めごとしてたんだろうな〜。どうしよう、羨ましいよ超羨ましい。
133 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 10:48:33
当時のご馳走って何だろうか?
知ってる人いる?
134 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 14:34:05
「王朝絵巻」(毎日新聞社 1990)という本の中で貴族の食生活が
見開き2ページ写真入りで紹介されている。
とびきり超高級食品は「蘇」(牛乳を煮詰めて固形にしたもの)だったみたい。
推定復元した食事のお膳がカラー写真で紹介されているが、
結論を言うと詳しいことはわからないようでつ。
135 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 16:25:15
>>133 やっぱり美人の処女だろう。
ミカドの寵愛うけている姫をこっそりいただくとかいうのもおいしかったと思う。
136 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 19:16:57
当時は天然痘のアバタまみれで いたす時に顔を見るのが失礼だったりする(失礼ってより萎えるのでは?)
って古典の先生に習った
平城京の貴族はそれなりのものを食べていたが、
平安貴族はろくなものを食べてないってイメージはあるな。
仏教の影響で肉を食べなくなったってことも有るんだろうけど。
138 :
日本@名無史さん:2007/03/06(火) 22:04:05
つーか、男も女も風呂に入る習慣がないから、香料の開発と種類の多品種化が促進。
139 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 03:04:27
うーん
平安人って痒そうだね
若い奴はこっそり肉を食ってたんじゃないかと思うけどな
141 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 05:52:15
今のホームレスの方がいいもん食ってるって古文の教師が言ってた
142 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 08:48:30
まあ女より食の方が好きな奴は平安時代には行かないこった
あまりに貧弱すぎて研究者も意欲がわかないんじゃないのかと邪推さえしてしまう平安の食
潔癖症には、向かない時代だな。
風呂もないのに部下とアナルセックスとか、もう信じられん。
145 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 20:10:15
ホームレスが美しく映る時代が平安時代か・・・・
147 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 22:44:54
>>140 藤原兼家は毎朝に鶏を締めて食ってたぞ。
もっともそれは貴族の間では非常に評判の悪い行為だったが。
ついでに兼家は妻が3人いて、「三目錐」と呼ばれていた。
つまり「三人の女に穴を開ける」という意味。
148 :
日本@名無史さん:2007/03/07(水) 22:48:52
ちなみのその三人の妻のうちの一人が「かげろう日記」で有名な藤原道綱母だな。
149 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 00:04:20
古典の平安時代の日記なんかをみると、虱や蚤が全盛のようです。
また死者の供養の最中に、口や鼻や下の方から、回虫・真田蟲がうじゃうじゃ
とか・・・腹中蟲は、その人を操るとか陰陽師では真剣に議論されてましたよ。
当時はお金のかかる火葬は皇族・貴人がほとんどで、京都でも風葬が普通でした
からね。市内でも化野や鳥辺野や「野」がつく地名のところははよく今でもザク
ザクでますが、西行法師はその辺に出かけては骨を揃えて返魂術とかしていたら
しいです。夏はすごい臭いだったとか。
またいまはアベックのデートスポットですが、千年に渉って処刑場であった三条
・四条の鴨川の河原には白骨が散乱していたとか・・・
内裏に人の腕を咥えた犬が迷い込んで、宮中行事が中止になった記録もあります。
土葬にはしなかったんですかね
埋めるだけなら大して金もかからないし、今の感覚なら遺族としては野ざらしは耐えられないですね
伝染病を予防するために、戦闘後の忙しい軍隊ですら埋葬はすると思うんですが
151 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 14:27:50
>>150 多分遺族すらいない境遇の人が多かったと思う。
貴族の娘で若い頃ブイブイいわせてたのも、
息子がいないと晩年悲惨な境遇におちいるし。
あの小生意気な清少納言なんかも晩年は惨めだったとか。
152 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 14:51:07
清少納言には息子がいたはずだけど先に死なれたのか?
153 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 22:01:35
それよか、道長の墓さえどこにあるかわからないお
木幡のあたりらしいけど、子孫が現代まで続いてもこの有様
それは天皇でさえ一時期そのような状況だったから
墓に関しては致し方ない。
155 :
日本@名無史さん:2007/03/08(木) 22:21:20
>>149 雅な京都の夏は五山の送り火ですが・・・もろリアルな腐敗死体の集団処理行事だったのでは?
156 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 05:30:32
火葬にするような気の利いたマネはしない。ぶん投げて終わり。
あれじゃね?道長の墓とかわからなくなったのって
(1)鎌倉時代以降徐々に摂関家の勢威が落ちてきて、管理に手が回らなくなった
(2)藤原氏自体がいくつかに分裂(近衛や九条とか)して、平安時代含、以前の先祖の管理はおざなりになった
(3)意外にも余り古い先祖のお墓の管理には頓着しなかった
というのが挙げられるんじゃね?
(3)では、平安時代の中頃に天皇陵を調べた人がいたそうで、
「まだ100年ぐらいしか立ってないのに、嵯峨天皇の墓が分からない」
という記録を残している人がいるそうだ。
158 :
日本@名無史さん:2007/03/09(金) 23:39:08
159 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 02:35:40
>>157 平安時代って先祖を祀る習慣が薄かったんじゃないの?
墓を作ってお参りして先祖に感謝という現代の形式は儒教が一般的になってからのやりかたで、
平安時代は死者が成仏してしまえばそれで終わりみたいな。
>>158の主人公も母親が成仏したら「あーよかった」みたいに町に出てきたし。
160 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 02:47:34
もう一つ言うと当時は通い婚で、息子は妻の実家で育つから
父子の間が疎遠で情が湧かないというのもあるかもね。
161 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 07:46:52
>>132 当時の「美人」の感性って今とは違って、デブのお多福顔だったんだが。
栄養事情が悪い時代だから財力の象徴でもあった肥えた女がもてはやされた。
平安時代の日本画をよくみろ。平安時代はデブ専全盛期。
162 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 07:53:47
まさに、なんとメタボリック!!(藁
穀物と魚や野菜でデブになるのもなかなか大変ですな。
運動はしないとしても、冬なんか酷寒で代謝も上がっただろうに。
砂糖はあったのかな。
>>161 平安時代の日本画にデブなんか描かれているか?
顔の形は確かに瓜実顔だが、体型はデブではないだろ。
デブ専は幾らなんでも言いすぎ。
恐らく一般に思われているほどは、
昔の人と現代人との間に、美の認識に対する違いはない。
あとあなたのレスは
>>132へのレスになってるが、
>>132の書き込みと
>>161の書き込みがどう関係するのか、よくわからんな・・
165 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 11:08:11
いや、米などの炭水化物は摂取過多だと適面に太る。
炭水化物→ブドウ糖に変わる。消費しきれなかったものは、脂肪として脇腹や尻などに蓄積。
166 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 11:17:12
絵画は理想が描かれるので、実際にはどこまで当時の理想の『美人』がいたのかはまた別問題。
でも当時の平安貴族は現代で言う糖尿病の類までいたそうなので、デブも結構いたのかもしれない。
それにしても武家の質素さが異常なのであって、権力者としては平安貴族のほうが世界標準(?)だな。
あと炭水化物は太りますな。運動をしないと。
古代ローマの闘剣士は試合前は麦だけを食べて太ったとかなんとか。
日本に砂糖が入ったのは754年に鑑真が持ち込んだのが最初らしいが、
使われている記録が散見されるんは14世紀後半かららしく、
その当時でも上流階級の間で贈り物として珍重されていたくらいだそうだ。
16世紀末にいたりようやく京都など先進地帯で一般に使用される程度に輸入量が増加。
少なくとも平安時代で砂糖が原因で肥満や糖尿病になるような人はいないだろう。
もっとも糖尿病らしい病気になった貴族はいるようだが、
ただそれはやはり、
>>165の通り米などの摂取過多ではないのでしょうか?
平安貴族は男も女も運動不足
169 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 11:34:27
>絵画は理想が描かれるので、実際にはどこまで当時の理想の『美人』がいたのかはまた別問題。
まあ今で言うのなら、ノリノミヤ風の顔ばっかりだったんだろうな
パタリロが光源氏をやっていて「ぼくのような顔が当時の美男なのだ」とか強弁していたとき、
タマネギ達が
>>165みたいなことを陰で言っていた。
172 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 14:18:48
北の人民は痩せこけてるけど
将軍様や正男は太ってるだろ
平安時代もそれと同じ
北の人民って誰よ。
174 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 16:12:41
伊達領か?
>>169 味覚の想像がつかない
干し瓜って、おかずなの?
176 :
日本@名無史さん:2007/03/10(土) 17:39:20
>>167 砂糖だけではあまり糖尿病ならんのよ。
砂糖ってデンプンよりかエネルギー低いし。
基本的に糖尿病は膵臓の機能障害だから、
暴飲暴食して脂肪の高いものを食べると膵臓に負担がかかって
糖尿病にやられる。
肉食ってる貴族って結構いたと思うよ。一応殺生戒があったけど、
欲望のために道徳を無視してるのも多いと思われ。
177 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 04:59:50
>>176 嘘ばっかw
膵臓に負担がかかるのは摂取エネルギーの問題ではない。
糖質を摂取すると、血糖値が上がって、それを下げるために
インスリンが急激に膵臓から放出されるんだよ。
そのことが膵臓に負担をかけるが、長年そんなことを続けていると
膵臓が疲弊し、やがてインスリンが分泌されなくなって、そうなると
糖尿病になるんだよ。
砂糖なんか最も血糖値が上がりやすい食品の1つで、たとえば
チョコレートなんかを一度に大量に食べれば、身体がぐたっとするけど、
あれは、含まれてる過剰な糖分により血糖値が上がりすぎたために、
インスリンが大量に出て、逆に身体の血糖値が低くなりすぎたためになるんだよ。
>>161 美人てのは「顔」の出来不出来。
痩せてる(やつれてる)より肥えてる(平均以上)方が魅力的なだけで、
太ってるから美人だった訳じゃないぞ。
179 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 10:21:25
平安時代の糖尿病の原因は、酒の飲みすぎだお
180 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 11:04:44
>>177 ちげーよ。
過剰な脂質やアルコールが摂取されるとアプトーシスがおこって膵臓機能が低下するんだよ。
糖だけじゃ起こらんよ。半端な知識で講義するな、このうすらバカ。
181 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 15:45:14
>>178 ポリネシアやアフリカにいってみな。
デブ専が今でも美人の条件。ガリガリ女はもてません。
これは社会構造上の問題で、単体のメスの容貌に関係ない。
特に妻通婚では、女に家の財力が反映されたのだよ。
肥え太っている方が、富と財力がある家の出であるとみなされた。
当然、出産能力の基準にも見られた。当時は子供の質よりまず量だったからね。
華麗なる一族ではないが、名家との縁を結ぶ為のタマは多いほうがよかった。
日本で身分に関わりなく一個人の女の肖像画が出てくるのは、江戸期の歌麿以後。
それまでは女は実家や屋敷や部屋とセットで初めて一人前に評価されていたんだよ。
182 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 16:09:22
それに美しい=希少価値という観点からすると、アフリカや数十年前までの日本では
デブのほうが珍しいわけで。
日本史上、いまほどデブの多い時代はないから、逆に引き締まった女性が美しく見える。
女だけでなく男も江戸時代や明治の写真を見ると、引き締まって実に筋肉質。顔も精悍。
183 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 16:15:06
そういえばさっきケーブルで映画陰陽師がやってました。
ところで平安時代の陰陽師、安倍晴明の子孫は実在するのでしょうか?
公家の土御門家が系統上での子孫になりますが、
血統がつながっているかどうか系図に詳しい人に任せます。
185 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 17:37:04
>>184
血筋的に関係あるということですね
陰陽道に詳しそうなので聞きたいんですけど映画でたしか、
陰陽道には命を他人に授ける、たいざんふくんのまつりがある、という風にいってましたが
本当にそんなこと出来るんでしょうか? それとあなたは陰陽道の法術は使えますか?
186 :
184:2007/03/11(日) 18:06:49
ご期待に添えなくて申し訳有りませんが陰陽道には詳しくありません。
血統の点は養子等で血縁ではつながっていないかもしれないのですが、
わたしにはよくわからないと言うことです。
それと土御門家の他に分家の倉橋家も公家の中にあります。
187 :
日本@名無史さん:2007/03/11(日) 18:11:05
>>186
わざわざすいません。
ありがとうございました。
晴明自身は女性と交わることなく童貞のまま亡くなっています。
そういう意味では子孫はいません。
>>181 太ってるのは裕福の象徴だが、
>>169のように太り過ぎは笑い話に書かれるのが現実。
当時は栄養状態が非常に悪くガリガリなのが普通で、
現代人の平均レベルでさえも当時の基準から見れば十分太ってるんだよ。
アフリカは聞いた事がないがポリネシア系の人は体質的に太りやすいし、比較する事すら間違ってるな。
ポリネシア系で有名なのは小錦(出身地自体はハワイ)だが、貧困生活から抜け出す為に日本へ来た。
その時点で今ほど太っている所からしても向こうの人が単純に太りやすく、
デブ専ではなく生きてればデブになるのが分かるだろ。
>>185 日本の美しい伝統信仰である陰陽道は明治に入って薩長のチョンどもの陰謀で全て抹殺されて、現在では殆どわからなくなっている。
こんな所まで会津厨乙
192 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 00:13:34
>>190 江戸幕府だって大分陰陽道を圧迫していたのだが。
>薩長のチョンどもの陰謀
餌食は修験、社家
>>185 晴明の子孫は土御門家を始め、たくさん存在します。
もちろん陰陽道を使えるのは数えるほどですが。
泰山府君祭は存在します。但し行えるのは限られています。
私は無理です。精々、式神を少々使う程度しかまだ出来ません。
195 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 22:02:57
芋粥食いてー
俺も芋粥むっちゃ食いたくなったことがあったんだけど
実際食ったら美味しくなかったよ。
子供の頃だから今とは味覚が違うかも知んないけど
もう食いたいとは思わん
芋見ただけでおなかいっぱい
197 :
日本@名無史さん:2007/03/12(月) 22:23:46
198 :
日本@名無史さん:2007/03/13(火) 06:38:20
病草紙にデブ女が描かれているお
今昔物語の芋粥の貧乏な五位は基経の時代の人ってことになってるけど、
あの時代の五位はまだそれなりに価値があって、貧乏な五位ってのは
リアリティに欠けるんじゃないのか?
物語が書かれた時代ならいくらでも居ただろうけど。
説話だから、時代設定等は書かれた時代で良いと思われる。
人形浄瑠璃で、八幡太郎義家が江戸時代の服装とかしてるのと同じ。
現代の時代劇だって、
時代考証を全く無視して、どの時代・どこの地方の人でも同様に
意味不明の「・・・でござりまする」言葉使ってるしな。(なぜか「公家」だけを例外として)
そんなもんだよ
時代は道長の頃、芋粥を食わせるのが頼光くらいなら本当にありそうな気がする。
>>192 圧迫というより、土御門家自体が後期になると神職化を志向してきて、僧形
や葬儀への参加や呪いの実行に待ったをかけてきたというか。
修験とは祈祷の面で重なる点が多く、少なくとも江戸では18世紀半ばには
修験に押されてその数を減らしていたと言います。
>貧乏な五位
「年来になりて所得たる五位の侍」で、長年勤めた功で前年に叙爵していた
ということですが、こんな説明からして、成り立てだったのでしょう。
とはいえ、なったばかりでも五位の人物には違いない。
若い頃は一の人に仕えて、後に田舎で「勢徳ノ者ノ聟」となって財産を築い
ていたが、京都から離れていた利仁が、中央の権門に直接仕えて、五位にな
ったばかりでまだ困窮していた(今後の見込みがある)人物との間にパイプ
を築こうとしたという解釈もあります。
単なる親切心から出た行動ではなく、「接待」だったという。
芋粥を食えなくなったことに対して、「嘲り合へり」とありますが、陰口で
あったと思われ、その後一月間も「万ヅ楽キ事無限」という思いをし、牛馬
まで得て帰ったという話ですし、ただで出費して返したものかどうか。
(歴史的事実ではないにせよ、当時の行動を反映したと見た場合の話)
湯たんぽ代わりか夜伽役か、寝ている時に女まで来ていますね。
「パイプを築こうとしたという解釈」は非常に説得的ですね。
ただどうしても時代的に五位と困窮が結びつかないんですよね。
食うに困るほどではないけど、五位の下級貴族としての対面を維持するのは相当に苦しい。
つまり相対的な問題で、五位ないし下級貴族という階層の中では貧しい方だったでも考え
れば良いんでしょうか?
205 :
日本@名無史さん:2007/03/14(水) 22:53:38
中央貴族に対して、地方貴族の中には経営手腕を発揮して成功するような例
もあったよね。藤原三代等はよい例。
206 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 06:21:19
作者も読者も、もっと上の階級だったから、五位=貧乏 って感じじゃないの?
庶民なんてもっと貧乏だったでしょうけどね
>貧しい方だった
京都では山芋の入手が難しかったのかもしれませんね。
越前の丘の上で、周辺の下人に呼びかけてちょうどよい長さ・大きさを指定
して集めさせていますが、今のようにスーパーで同じ大きさの、それも本来
は山中にあるべきものを手にとる訳にはいかない。
そもそも、部屋住みで仕えているのですから、庭や台所を勝手に占拠して大
わらわの状態にも出来なかったでしょうし。
好き勝手の出来る空間がなかったのが問題だったのかもしれません。
同じ五位でも、自邸に住んでいたり、国司として赴任しているような人物で
あれば、叶えられた筈です。
>藤原三代
>地方貴族
五位の藤原経清の後裔ですが、母方が俘囚の安倍氏の出身で、藤原氏も同類
扱いされており、貴種の後裔とは見做されなかったようです。
後白河院への批判もあるでしょうが、秀衡が鎮守府将軍に就任するという時
には、『玉葉』があんな俘囚を任じられるとはと、メタメタに書いている。
また、12世紀前半までの軍事貴族は、都にも屋敷地などの一定の基盤を持
っているのが普通でしたが、それにも当て嵌まりません。
『今昔物語集』の作者というか、編者がよく分かりませんね。
北嶺あたりの僧侶で、前身は藤原三家か大江か菅原出身の文人貴族でしょうか。
そうだとしても、俗人だった頃の地位はやはり五位くらいになりますか。
208 :
日本@名無史さん:2007/03/15(木) 23:38:38
みちのく東方浄土平泉。
209 :
日本@名無史さん:2007/03/16(金) 11:01:52
みちのく一人旅。山賊に襲われ丸裸。
頼長公の濫吹日記。左大臣に襲われ丸裸。
211 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 19:26:48
御簾を上げて(これだけでも当時の貴婦人としては異例)、胸をはだける道隆の三女って、
今なら露出狂?
212 :
日本@名無史さん:2007/03/20(火) 19:42:55
フォ―――!!!
213 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 06:38:31
大宰府勤務も結構、儲かったようだけどね。
214 :
日本@名無史さん:2007/03/24(土) 21:59:46
日宋貿易でウマ〜
216 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 00:03:20
217 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 02:05:43
醍醐味ってチーズのことだったんだ。
牛乳まで飲んでたらしい
どんだけ西アジアの遊牧民の文化が蔓延してたんだ
西アジアっつーか、
仏教の経典が出どころだからインド文化?
219 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 02:17:12
イマモイッショ
220 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 13:18:40
ホントに平安貴族には入浴の習慣が無かったの?
栄花物語で、娘の危篤を知らされた道長は「入浴中」だったのでは?
源氏物語でも、確か「箒木」で女官が入浴に行くシーンがあったような。
(その間に源氏が女をゲット)
師輔が子孫に残した書き置きによると、入浴は日を選んで5日に1回とある。
ただし1日に入浴すると短命、8日は長命、18日に入ると盗賊に会うとか、
寅辰午戌は入試手はだめとかいろいろあって、さあ実際は何日入浴できたでしょう?
以上山口博著「王朝貴族物語」講談社現代新書より。
7月7日に賀茂川に出て洗う 宇津保物語
4月・5月・9月・10月は洗髪に忌むべき日で、髪を洗わない。
平安朝の生活と文化
223 :
日本@名無史さん:2007/03/25(日) 23:38:24
>>194みたいに
「式神使えるよ」って普通に宣う人がマイミクにいるんだが
どうなんでしょ?
式神使えるって何よ
224 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 01:42:44
式神が使えるんでそ。
>>194 邪気眼みたいなもんだろ。
オカ板でもたまにそういうやついるよ。
電車の中で敵の式神と戦っただの、イタイ書き込み満載のスレがあった。
227 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 21:41:25
>>220 生活習慣としての入浴はまだこの頃ありませんでした。
一種の娯楽(海水浴の類)・治療(湯治の類)でした。
当時の家屋は木造で耐火性に乏しく、火を寝殿で日常的に
使うことは非常に危険でした。夜も蝋燭や油で火で明り取
りに使うのは贅沢な高級貴族だけの特権でした。
ほとんどは、まっくらの中で暮らしていたのです。
さすがに平安時代ともなると、庶民も床がある家に住んでたの?
物詣の際には最低でも洗髪は行っていましたが、一番衛生的だったのは寺院
でしょうね。温室(うんしつ)と呼ばれるサウナ風呂があり、経典にも僧侶
に温室を施す功徳が記されているため、施す人が多かった。
師輔の遺誡は、日本思想大系で読めますが、実資や宗忠は律儀に守っていた
ようです。他も大きな逸脱は無かった筈ですが。
実資といえば、『小右記』に上述の牛乳の記事があります。
>214
『栄花物語』に、不如意であった藤原行成が裕福になったと云々。
>228
地域によりますが、京都なら板床付きの筈。空き屋敷や荒れた門に勝手に住
んでいた人や、乞食や病者のようにまともな住居のない人もいましたが。
230 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 00:54:20
当時も夏は多少蒸し暑かったのではないの?
川にでも浸からないものか??
元祖汚ギャルじゃn
231 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 01:56:43
>>227 >生活習慣としての入浴はまだこの頃ありませんでした。
221に「入浴は日を選んで5日に1回」とあるのは何?
少なくとも貴族層には、あったと言うことにはならないの?
>>228 >庶民も床がある家に住んでたの?
おそらく経済状態によって、
1.全面床張り、2.土座住居で寝床部分のみが床張り、3.全面土座、と
分かれるでしょう。
明治中期でも、新潟のある地方では3分の1が、土座住居という記録が残っています。
232 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 04:50:22
馬小屋の方がマシだな
床はって靴脱いでなんてのは後進人のやること。
ジェントルマンは寝るまで靴は脱がない。
室内で靴脱いで畳や板の上でゴロゴロなんて、まあ野蛮なこと。
234 :
日本@名無史さん:2007/04/17(火) 07:51:02
>>233 欧米でも、家の中で靴を脱ぐ形式は、衛生的でくつろげる生活様式として、
この20,30年で、急速に広まっています。
これが日本の生活様式を真似したものであるかどうかは不明であるが。
235 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 08:08:50
栄養状態が悪いと、とことん醜くなるからな。非常に早く老けてしまうしね・・。
貧乏でやせ細っていた末摘花はブスの代名詞になっている。
あの当時の貧乏ブスは、今で言う「老醜」だったのだと思う。
それよりはそれなりに若く見える「デブ」のほうが大幅にまし。
236 :
日本@名無史さん:2007/04/18(水) 08:13:14
平安時代は、というより前近代は、現在でいうスリムでも
若々しく「少女的な」美女なんかいなかった。
「デブ」と「ガリブス(+若くして老醜)」の2つの選択肢しかない。
237 :
日本@名無史さん:2007/04/19(木) 00:30:56
真っ暗な中でやるんだからデブの方がいい
ああ、平安日本の摂政は藤原一族だったわけね
239 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 23:30:05
髪がとびっきり長くて、デブな女が、おれの理想
小笠原亜里沙
姫の寝所に招き入れられたら、あとは自由だったの?
御付のおばさんがいておかしなことをしないように監視されたりとかは
なかったんだろうか?
何を言ってるかというと、早いだの下手だだの言われて、
かっとして絞め殺したとかがないように監視がついてるとか、
縛ったり、アナルを犯したり、ろうそくを垂らしたりとかがないように
ちゃんと監視がついてるということはなかったのか?ということです。
マツコ・デラックス
243 :
日本@名無史さん:2007/05/04(金) 03:24:02
紫の上とかは華奢で可愛かった気がする
雲雁居は太ってしまって、女三宮に・・・
藤原保輔、すごいな。日本での切腹第一号。
兄よりも凄みがある。
245 :
日本@名無史さん:2007/06/19(火) 19:09:18
藤原保輔、何を思って切腹したのかわからんが・・・
兄貴の藤原保昌は、和泉式部の一番最後の夫だね。
夫がありながら親王と浮気、親王が死ぬとその弟宮と・・・
さんざん浮名を流してきた和泉式部を、最期に引き取った男。
246 :
日本@名無史さん:2007/06/21(木) 01:38:57
婆でも抱くのが男の中の男
247 :
日本@名無史さん:2007/06/21(木) 08:36:35
和泉式部と結婚した当時、保輔もいい年したおんさん
どっちもどっち
248 :
日本@名無史さん:2007/06/23(土) 03:00:10
だな
249 :
日本@名無史さん:2007/06/23(土) 04:33:24
公卿の館には、約何名の人が仕えていたのですか?
官職によって違うが、少なくとも何十人。男女入れて。
但し常時住み込みとなると少ない。
251 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/06/23(土) 22:25:47
>>244 『小右記』には自傷の末に果てたとあるのみで、切腹としたのは『続古事談』が最初のようです。
『平治物語』や『平家物語』にも切腹は出て来ますが、どれも13世紀の成立。
伊勢貞丈もそう古くはないと書いていたと思いますが、12世紀まででしょう。
頼光の四天王というのも、『古事談』が最初。
ほぼ同時代に成立した『平家物語』にも木曾の四天王が登場しますが、四天王という言葉が出て
くるようになったのも、この頃からでしょう。
兼好も和歌四天王の一人(ただし下の方とも)と称されており、『沙石集』にも貧乏な学僧四人
が四天王と呼ばれたが、多聞天がいないと言われたとあります。
252 :
日本@名無史さん:2007/06/27(水) 10:55:43
甘露寺泰雄ってお公家さん?
253 :
日本@名無史さん:2007/07/03(火) 09:13:36
>>231 平安時代には、現在のような、
「湯船につかる」という入浴方法がなかったということ。
当時は蒸し風呂で、板の合間から出てくる湯気で汗をかき、
その後、汗をふき取とっていた。
現在のように、湯船にお湯を張り、体を浸すようになるのは江戸時代から。
もっとも、武家や庶民に広まったこの入浴方法も、
公家には広まらず、公家は江戸時代を通して蒸し風呂だった。
『是害坊絵詞』に見られるような打たせ湯もありました。
『宇治拾遺物語』の鳥羽僧正の風呂は、ある程度の湯量を想像できそうです。
>湯船にお湯を張り、体を浸すようになるのは江戸時代から。
『慶長見聞集』によれば、上方では慶長年間より前に存在したようです。
前田利家が甥に悪戯された話も、ありえなくはありません。
温泉はあくまで「治療手段」だったということかしら。