1 :
日本@名無史さん:
皆さんはどう思いますか?
一般庶民にはありえないことだと思いますが…
貴族など、位が上の人の間にはあったのではないでしょうか。
2 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 01:09:12
江戸時代の生活習慣病と言えば脚気だな
江戸患い、京患いとも言われ
大都市の中流層を中心に広まった
3 :
名作鑑賞:2006/07/15(土) 10:13:26
寄生虫は生活習慣の中に入る?
平安期の貴族は糖尿病と見られる症状が出ていたらしい。
世界の貴族と同じ。
だが、後に日本の支配者となった武家にはそのような記録はほとんどないはず。
長年支配者だったくせに武家の食事が質素なのが不思議といえば不思議。
5 :
日本@名無史さん:2006/07/15(土) 10:51:12
昔:主食は玄米、肉を食わずに野菜中心、動物性蛋白は魚から摂取
今:主食は白米、肉も魚がおかずの中心、野菜をあまり食わない
今ほど習慣病にはならないわけだ
6 :
1です:2006/07/15(土) 23:23:14
>>2 脚気ですか!!調べてみます。
ありがとうございました。
>>3 寄生虫は生活習慣病に入らないと思います…
しかし、当時ははやっていたんですかね?
>>4 糖尿病って当時からあったんですか。
初めて知りました。
貴重な意見ありがとうございました。
>>5 玄米を食べていたら、ビタミンB1はとれますよね。
それならば、脚気はどうしてはやったのでしょうか…?
江戸時代に脚気が流行ったのは、江戸では精米した白米を多食したから。
これを江戸患いという。
だから、江戸を離れるとまた玄米や麦飯に戻る為に治癒した・・という説が一般的。
ついでに明治の軍隊でも、白米を多食したために脚気だかが流行り、後に麦飯に改められている。
8 :
日本@名無史さん:2006/07/16(日) 09:43:34
森鴎外だな
鎌倉時代の『病草紙』の中に、肥満した金貸しの女が出て来ますね。
『今昔物語集』には、中納言敦忠が医者に相談して湯漬け・水漬けを食べる
ダイエットを始めたものの、量が多過ぎて意味がなかったとある。
藤原摂関家は、飲水病(糖尿?)患者が多い。道長も晩年にはこれと緑内障
に苦しみ、更に風邪もひいた状態で念佛を唱えながら亡くなった模様。
寄生虫といえば、寸白(サナダムシ)ですね。胡桃を虫下しに服用しました。
徳川家康も、一時期これに苦しんでいます。
大酒呑みの脳卒中とかは昔からある。
貝原益軒の「養生訓」なんかは主に生活習慣病に対する講釈だから
今ほどでは無いにしろ色々あったんじゃないかな?
>9は私です。『病草紙』に出てくるという事は、要するに肥満も病気扱いだったという事。
貴族階級ではふくよかな容貌が好まれましたが、太り過ぎは嫌われました。
藤原道長って糖尿で死んでるだろ。何かの記録で、尿から栄養全部放出して死んだ
とか書いてあったキガス
14 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 22:44:23
15 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 23:20:46
16 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 21:17:50
17 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 21:45:52
18 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 22:00:01
平安時代が嫌いなのか?
このそこら中のスレにプラム云々書いてるヤカラは板を潰すのが目的か?
21 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 18:27:21
いまは死んだみたいだ
22 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 17:56:17
生きてるよ
23 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 18:02:08
脳卒中は多いだろう。
あの時代は冷蔵庫がなかったから、今よりも漬物にしても
干物にしても味噌汁にしても塩分を多くしていたと思うから。
24 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 12:49:29
胃ガンも多かったよ
何しろ塩たっぷりの食事だからね
25 :
日本@名無史さん:2006/12/24(日) 13:03:59
字義通り解釈するなら脚気も生活習慣病だね。
贅沢病だったし
源頼朝の死因は色々と怪しげな憶測をされるが
一説に糖尿病だったってのもある。
27 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 12:30:18
塩は高血圧じゃない?
28 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 15:07:29
一番の生活習慣病は、栄養失調による基礎体力不足。
これにより、現代では死亡率の非常に低い感染症で多くの人が寿命を縮めた。
日本人の平均寿命は、明治初年の40歳から現在80歳まで延びましたが、
これに貢献した一番の要素は、食生活の充実といわれています。
医学の進歩は2,3歳の延びにしか貢献していないと指摘するのが、
現代の疫学と人口学の定説です。
29 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 16:15:22
生活習慣病は昭和前半生まれのクソジジイ世代特有の現象となるだろう。
ただでさえカネをたんまり持ってる上に、
人格形成期には貧しくてカネの使い道を知らないから全部食費に化ける。
動物と同じ次元で、食いたいものを節操なく食う。
いまのガキンチョどもがジジイになる頃には、
糖尿病で失明なんて自堕落でふざけた奴もいなくなることだろう。
30 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 19:32:48
梅毒は、昔の日本人にはお馴染みでしたね
風邪みたいなもんですよ
江戸時代のお墓を発掘すると一割以上も重度の進行者の骨がでてきますよ
頭蓋骨の頭頂に穴が空いてる骨が出てくるからね
31 :
日本@名無史さん:2007/01/03(水) 21:38:03
>>26 頼朝の死因は落馬の際の怪我で傷口から破傷風菌が入って
それが元で死んだという説もある。
このスレに興味ある人は『武将の死因』とか
『徳川将軍家十五代のカルテ』あたりの本を読むと
タメになるかと思います。
32 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:23:33
ho-
33 :
日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:45:21
脚気
時々でいから、室町時代のこと、思い出してあげてください。
35 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 11:12:37
でもしょっぱい食事が好き
どうしたらいいのやら・・・
漬物とか干物とかだい好物
俺は長生きできまいなぁ・・・
36 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 12:06:22
某医者によると、現代人は塩分の取り過ぎより運動不足による発汗の少なさが問題らしい。
発汗がないと塩分が排出されないから。
塩分は体内に留まらなければ体温を上げ活力をもたらし害はないらしい
37 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 12:30:45
江戸時代中期以降は
江戸、京など都会の富裕層は
白米食うのがが日常標準になったために
脚気になりやすかった。
>>8 脚気
病原菌説に固執して
軍の飯を玄米や麦飯にさせなかった軍医の代表者が
陸軍の森鴎外だ
海軍は麦飯男爵高木兼寛が強引に麦や玄米を推進したおかげで
脚気が激減。
38 :
日本@名無史さん:2007/03/19(月) 12:43:09
白米食ってもビタミンBが豊富な漬け物や魚介類をたくさん食べていればまだ良かったんだろうけど、そこまでは裕福ではなかったのか。
貧乏で麦飯や雑穀くっているか、副食豊富なほど裕福な階級か。
39 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 19:32:12
>>12 体内に寄生虫を宿すと花粉症にはなりにくいようだが
40 :
日本@名無史さん:2007/03/21(水) 21:06:06
奥州平泉の館跡の発掘調査で、厠の跡を掘ったら、
川魚にいる寄生虫の卵の痕跡が検出されたそうな。
41 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 19:38:05
アニマックスの一休さんで、足利義満が脚気になっとる。
42 :
日本@名無史さん:2007/03/22(木) 21:42:17
唐辛子の常食が火病体質を生むとしたら
それは生活習慣病?
43 :
婆 ◆HKZsYRUkck :2007/03/22(木) 23:10:36
痛風もずいぶん昔からあちこちの文章に出てた気がする。
44 :
日本@名無史さん:2007/03/26(月) 07:56:33
そういえば、最近、腰の曲がった爺さん婆さんを見ないけど。
あれって、昔の生活習慣に起因する病気だったの?
>>28 >日本人の平均寿命は、明治初年の40歳から現在80歳まで延びましたが、
これに貢献した一番の要素は、食生活の充実といわれています。
1番の要素は乳幼児死亡率の激減だろ。
出典忘れたが、江戸時代のどっかの村の15歳以上の平均寿命は59歳だったと言う統計があったぞ。
46 :
日本@名無史さん:2007/03/30(金) 10:38:21
>>45 なぜ、乳幼児死亡率は激減したのだろう。
鬼頭宏によると、江戸時代の乳児死亡率は、1000人中300〜400人。
漏れの記憶によると、大正10年頃は、1000人中127?人。
この変化を、激減と見るか、近代化に伴う穏当な変化と見るかは、意見が分かれると思うが、
その減少要因は、食生活や医療や衛生環境などの発達が絡むのだろう。
生活習慣病とは関係ない話なのですが、身体に関する話なのでお尋ねします。
日本人の身長は平安時代の一時期数十年間だけ異常に高く、平均170センチを越えていた
という話を聞いたのですが、本当なのでしょうか。
本当だとしたら、何が原因なのでしょうか。
48 :
日本@名無史さん:2007/03/31(土) 18:54:25
ズバリの回答はできませんが、分かる範囲で。
学問分野的には、人類学(文化人類学ではなく、自然人類学とか形質人類学と称される理系の学問)になると思います。
自然人類学は、一昔前は「骨人類学」と俗称されていたぐらいですから、人骨には詳しい。
事実だとすれば、人類学では大きなトピックでしょうから、一般向けの本の中にも出てくるでしょう。
文献記録に、そのような記述があったとしても、検証のしようがありませんので、
正否を決定するのは、文献史学ではなく、出土した人骨を調査する自然人類学だと思います。
49 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 21:46:14
訂正:
正否を決定するのは、文献史学ではなく、出土した人骨を調査する自然人類学と「考古学」だと思います。
考古学板で聞いてみたらどうでしょう。
50 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 23:17:18
幕末〜明治初期でも風呂・洗濯の習慣が薄い(無い訳ではないでしょうが)都市部以外では皮膚病が普通だったようですね
51 :
日本@名無史さん:2007/04/01(日) 23:35:19
イザベラ・バード『日本奥地紀行』にも、日本人の間には、皮膚病がはびこっているという記録があったような。
あとやっぱり、不潔というか衛生観念の欠如がもたらしたものに、眼病の「トラホーム」がある。
明治の小学生の間にはかなり、はやっていたようだ。
川村邦光が『幻視する近代空間』のなかで、一章を使って書いている。
52 :
47:2007/04/01(日) 23:51:31
53 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/04/02(月) 04:02:48
>>47 平安時代ではなく平安時代末期から鎌倉時代ではないの?
その時期の高身長は発見された骨が北関東出身者(関東武士)のものであっただけ。
北関東の人は現代でも高身長。
54 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 07:08:33
北関東の人間はみんなチビだよ。北関東で170あれば学年で何番目くらいの高身長だが、東北にいけば真ん中ぐらいの高さ。
実体験だから間違いない。
55 :
日本@名無史さん:2007/04/02(月) 10:22:17
平安時代末期から鎌倉時代にかけて、って言っているのに、
「実体験だから間違いない」とは、どういうこと?
あなたの思考能力は生活習慣病にむしばまれているのでは?
>>55 横からスマナイが、
>>53をよく読み返した方が良いんじゃないかな。
いや、キミの脳が糖尿病だなんていうつもりは無い。少し疲れているんだろう。昼寝をした方が良い。
57 :
55:2007/04/02(月) 15:57:35
>>56 よく読んだ。最後の1行が目に入っていなかった。
2chのせいで、目が生活習慣病ぎみか。寝ます。
>>54 んな小さかねぇよ。昭和一桁生まれなのか?
東北や北陸は高いがな。
背が低いのは西南日本。
59 :
54:2007/04/05(木) 07:29:45
>>58 いや、北関東はちびが多い。
オレは昭和末期だが、北関東で初詣の時はどんなに混んでいても遠くから拝殿まで見えるけど、東北では前に来るまで見えない。
>>59 北関東がチビなら、南近畿や九州はこびとになるぞ
沖縄はどうなるんだ
62 :
日本@名無史さん:2007/04/05(木) 23:33:11
63 :
日本@名無史さん:2007/04/06(金) 00:08:45
>>62 以前の大河ドラマ「春の波頭」で、尾藤イサオが演じる女形出身の俳優が白粉からくる痛みを和らげるためにモルヒネに走って狂死してたな
64 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 02:22:51
江戸時代、日本は眼病国だったらしい。日本を訪れたヨーロッパ人の日本滞在見聞記
には「世界のどこの国をとっても、日本ほど盲目の人の多いところはない。その理由
は、眼病の治療法をまったく知らないことにその大半の原因がある」と。
寺社に平癒を願って、寺社の閼伽水や神水で目を洗って、これが感染源になる眼病も
多かったらしい。
道路が舗装されていない江戸の町は砂ぼこりもひどかったのかもしれません。
目が細いのをつぶれてると勘違いしたなんてオチじゃないよね
67 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 01:56:09
イロリの灰や煙を毎晩浴びる生活が、目には良くなかったらしい。
言ってみれば、毎日、小さなキャンプファイヤーやっているようなものだからな。
68 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 07:29:09
じゃあヘビースモーカーは眼病が多いのかよ?
69 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 07:33:37
喫煙者はニコチンでの細胞が破壊されているから痴呆が多い。
ましてや今どき喫煙している香具師なんて自分の名前もろくに書けないようなのばかりだから言わずもがな
70 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 07:35:25
もしくは相手の眼を見つめずに伏し目がちにしていたのを眼病と思われたとか
71 :
日本@名無史さん:2007/04/11(水) 19:38:10
>>67 キャンプファイヤーはいくら何でも、大げさだろう。
せいぜい、焚き火ね。
毎日、焚き火にいぶされていたら、目も悪くなろう〜て。
72 :
日本@名無史さん:2007/04/12(木) 10:25:46
じゃあヘビースモーカーは眼病が多いのか
タバコと焚き火は煙の量が違う。インド北部からネパールにかけての地域ででも眼病が多い。原因は不衛生な環境、乾燥からくるほこりに加えて、屋内での煮炊きによる煤も大きい。
そういえば、焚き火の煙は目にしみるが、
タバコの煙はほとんど目にしみた記憶がない。
目に与える影響が違うのか?成分の違いor量の違い?
75 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 21:07:05
盲人が生きて行けた社会だった・・・ってのはダメかな?
本当に盲人が多かったのかいな?
>>75 日本に来た韓国人が、「日本は障害者ばかりだ」と言っていたのを思い出した・・。
韓国が障害者に異様に厳しくて障害者が表に出歩けない社会だという裏返しなんだが
77 :
日本@名無史さん:2007/04/13(金) 22:44:29
幕末から明治初頭にかけて来日した欧米人の滞在記をみると、
盲人が多いという印象を記しているものが多いようだ。
幼児期に罹った天然痘が一番の原因と指摘するものもある。
塙保己一
79 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 08:43:04
山本勘助や独眼流政宗も天然痘で、隻眼に。
江戸時代、天然痘は、輸入感染症ではなく、日本に自生していた。
80 :
日本@名無史さん:2007/04/14(土) 08:50:58
ああ、そうかぁ
検行とかが発達していて、外を出歩く人が多くて、それで西洋人に目の付く事も多かった・・
って部分もあったのかも
世界の未開地に医師を派遣するNGO団体のレポートを読んだことがあるんだが
未開地の奥地に行けば行くほど、眼病患者の多さが極端に増えるそうだ。
派遣された医師は、普通の内科医でも、眼科治療ばかりするハメになるらしい。
奥地に行く医者は大量のほう酸と眼滴用の小さな容器を大量に持っていく事が必須だそうだ。
82 :
日本@名無史さん:2007/04/15(日) 00:18:22
おもしろい情報をありがとう。
そういえば以前、テレビでアフリカかアフガンに行った医師が同じ事を言っていた。
>>51にもあるように、明治の小学生も多くがトラホームを患っていたらしい。
眼病疾病率は、衛生観念や医療環境を知る指標となるのか。
83 :
日本@名無史さん:2007/05/01(火) 17:05:17
江戸時代の生活習慣というか社会的慣習として、男性の遊郭通いがあった。
そのため江戸後期、日本中に梅毒が蔓延していた。
東北の鉱山に専従した医師の記録によると、山奥にもかかわらず、梅毒の頻出が目立つという。
江戸っ子の間でも、鼻が欠けて初めて、一人前の粋な男とみなす川柳がある。
梅毒には、恥ずかしい病気という認識がなかったことが不思議だ。
明治期の政治家などの写真には、鼻が欠けたのがいないみたいだけど。
あと、梅毒って胎児には伝染しないんだっけ?
85 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 01:12:19
>>84 スマン、名前は思い出せないが、幕末の志士の中に梅毒で倒れたのがいた。
あと、胎児は母体内で感染します。
86 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 15:34:48
平安時代の貴族は糖尿病が多い。
史料には「飲水病」と書かれ、水を異常に欲しがる様子が描かれ、
糖尿病のことらしい。
後一条天皇、藤原伊周などはこれで死んだらしい。
あと、虫歯。
特に治療法はなかったのか、
三条天皇は、手の小さな女官に痛む歯を抜かせている。
87 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 18:56:10
>>86 平安貴族に糖尿病が多かった理由は何なんでしょうか?
それと、なぜ、平安時代なのでしょう。
鎌倉以降の公家は、なぜこの病気にそんなに罹らなかったのでしょうか?
収入の変化によるんじゃね?
89 :
日本@名無史さん:2007/05/02(水) 21:53:17
酒池男林
90 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 01:24:30
平安貴族といえども、そんなに贅沢三昧の食生活ではないのでは。
冷蔵庫がないし、流通網も発達していないので、
平安京近郊の生鮮食料か、あとは全国から送ってくる干物か塩蔵か発酵食品だけ。
おそらく、今の日本の庶民のほうが圧倒的に豊かな食生活だろう。
91 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 09:27:46
92 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 09:52:36
平安時代のお酒って糖分が異常に多いらしいです。
今の日本の庶民のほうが圧倒的に豊かな運動量だろう。
94 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 11:23:21
それは怪しい
車乗ってる事務職なんて、ほとんど「歩かなくて」良い生活だし
私ら庶民は駅まで歩きますし
96 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 13:02:40
>>92 江戸中期ぐらいまで、日本酒の糖度は、今の2,3倍あったと言うから、甘い酒の飲み過ぎか?
しかし、甘ったるい酒をそんなに多量に飲めるかな。
あま酒みたいなものを浴びるほど飲むのは、かなりきついだろう。
肴は、塩か?
97 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 17:47:52
江戸時代の生活疾病
糖分が多すぎる酒、白米、魚の食べ過ぎ、および運動不足による脚気
風呂や選択を怠るによる不衛生な皮膚病
吉原、奥山、島原、祇園、堀之内などの精水を媒介とした笠(梅毒)
鯛の天ぷら、饅頭、木イチゴの食べ過ぎによる食中毒、頓死
運動不足度 江戸庶民>現代庶民>平安貴族(男)>平安貴族(女)
99 :
日本@名無史さん:2007/05/03(木) 19:09:58
フィルタも無い煙草ばかりだったから肺癌多かったのかな・・・
それとも、一服の量が少なかったから、そうでもなかったのか
スモーカーの識者、御意見頼む
101 :
日本@名無史さん:2007/05/05(土) 01:54:01
>>100 そういえば、肺ガンって江戸時代はあまり聞かないな。
まあ、診断も容易に付かなかっただろうが。
そもそも、ガン自体が戦後増加したのは、それまでは、だいたいガンに罹る年齢に達する前に
死ぬ人が多かったから、と聞いたことがある。
紙巻きじゃくて、一服の量も少ないから、今の煙草よりましなんじゃないか。
細く刻んでちょっとづつ飲むからね
104 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 00:29:30
以前と比べると、盲腸になる人って減っているのだろうか。
昭和40年代に、小中高を過ごした俺の記憶では、年間一クラスに一人は
盲腸で入院していたような気がするのだが。
砂や泥が付いたものを食べると盲腸になりやすいって聞いていたけど
あれは迷信?
最近の子供が盲腸にかかりにくくなったのは、食生活の変化のためなの?
105 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 01:28:14
江戸時代は肺癌と結核を同じ病気にしてたような気がする。
106 :
日本@名無史さん:2007/05/06(日) 01:33:13
江戸時代なんて江戸から江ノ島まで、ちょっと歩くけど近場に散歩がてらの旅行扱いしてた。爺さんも歩いて江ノ島行ってたし。現代人なら歩いて東京から江ノ島なら24時間テレビの過酷マラソンレベル
乳幼児死亡率が高かったから平均寿命は短かっただろうけれど、成人まで成長するような連中は
淘汰をくぐり抜けてきた頑健な奴ばかりだから、今の日本人より健康だったんじゃまいか。
基礎体力と免疫抵抗力と筋力は現代人からみたら半神レベルなのか。
・・・・ビンボな報が生活にガッツが入るのかねえ、やっぱり。
109 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 03:44:34
>>107-108 江戸時代にも、健康に非常に気を遣っていた人はたくさんいた。
家康は自分で、滋養強壮剤みたいなものを調合していたし、
貝原益軒の『養生訓』は、近世を通して大ベストセラーだったというし。
でも、庶民の多くは、栄養不足の食生活で、体調が悪くてもその日の糧を得るために、
ガッツで働きに行くという生活だったのでは。
過労死するまで働き続ける一部の現代人と、ある意味、そんなに変わらないかもね。
110 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 09:08:20
>庶民の多くは、栄養不足の食生活で
この辺は、どうなのかな?
現代と較べたら、将軍・大名でも「栄養不足」と言えそうだし
庶民が、いつもお腹空かしていた・・って感じもしない
111 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 09:50:09
>この辺は、どうなのかな?
>庶民の多くは、栄養不足の食生活で →偏った食生活の意味
だって、江戸の庶民が脚気に悩んだのは、ビタミンB1不足。
夜盲症は、ビタミンA欠乏症。
動物性タンパク質だって圧倒的に不足していただろうし。
白米は結構食べれたけどね
113 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 12:37:23
ていうか、白米に片よりすぎたのね。
普通の人でも1日5〜6合、食べていたと言うし、
大工や籠かきに至っては1升飯って言ってたものな。
ご飯以外は、味噌汁とお付け物、たまに野菜の煮物や干物の魚程度か。
明治期の庶民の食生活を聞き取り調査した石毛直道は、
「庶民の食事は、ひたすら飯を食べる食事であった。
味噌汁や塩気の強い漬け物は、ご飯を飲み込みやすくするための嚥下剤の役割りに過ぎなかった」
って言ってるものね。
俗に「五合飯(ごんごうめし)」と言うしなあ
昭和初期でも
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
(雨ニモマケズ@宮沢賢治)
でしょ。今の感覚だと大食漢w
115 :
日本@名無史さん:2007/05/08(火) 20:12:38
脚気は江戸患い
大都市以外は糧飯だと思う
116 :
日本@名無史さん:2007/05/09(水) 12:14:50
>俗に「五合飯(ごんごうめし)」と言うしなあ
>大工や籠かきに至っては1升飯って言ってたものな
最近はあまり聞かないが、「胃下垂」は、日本人に特徴的な病気だったという。
そりゃ、一升も飯を詰め込まれたら、胃も垂れるわな。
117 :
日本@名無史さん:2007/05/11(金) 02:28:02
昔、胃下垂は開腹手術をするぐらい、結構深刻な病気だったが、
最近では、あまり胃下垂に悩んでいる人っていないよな。
それと、昔は、中年男性が多かったような気がするが、最近は若い女性が胃下垂とか言っている。
下っ腹の脂肪のたるみを胃下垂と勘違いしてるのかね。
118 :
日本@名無史さん:2007/05/28(月) 01:15:59
はしか(麻疹)で大騒ぎしているけど、麻疹の予防接種って実施は遅いんだよね。
1978年から。
つまりそれまでは、予防手段がないから、感染の仕放題。
30歳以上の世代が、今回の大流行で、なぜ罹らないかというと、ほとんど子供の頃に
罹って、獲得免疫を持っているからだよ。
つまり、はしかは、子供の頃にほとんどの人が一度は罹る「国民病」だったのだよ。
「はしかのようなもの」という言い回しは、若いときに一時的に何かに熱中するという意味もあるけど、
「たいした問題ではない、ほっとけばそのうち治るから」という一過性の熱病という意味もあるんだよ。
良い身分になるほど栄養失調になるという不思議さ。
漁港の近くなんか、どんなに貧しい人でも動物性タンパク質は豊富。
>>113 白米食えたのは江戸や大坂の比較的豊かな人達。
大工や駕篭かきなんてのは玄米の握り飯とたくあん程度。
120 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 22:21:49
>良い身分になるほど栄養失調になるという不思議さ→どういうこと?
>漁港の近くなんか、どんなに貧しい人でも動物性タンパク質は豊富
漁村近郊の人口なんて、日本全体から見れば、微々たるもの。
少なくとも山梨と長野と、群馬と栃木にはゼロ。
121 :
日本@名無史さん:2007/06/03(日) 23:02:38
脚気は「江戸患い」とか「京患い」とか言って
田舎の人は罹らない不思議な病気だった
白米食によるビタミンB1不足が原因なんて誰も知らない
「さしこみ」って何?
急性の胃痙攣?
123 :
日本@名無史さん:2007/06/06(水) 21:58:00
>>122 胃痙攣を含む急性の腹痛じゃない。
腹に何かをいきなり差し込まれたような急な激痛。
癪(シャク)とか疝気(センキ)も突然痛むものらしいが、
「持病の癪が・・・」なんて言い方もあるので、
こちらの方は、慢性疾患だろう。
実際に戦前まで、日本人は腹の中に回虫を飼っている人が多く、
それこそ、腹の虫の居所が悪いと、急性の腹痛に悩まされた。
>>120 海岸線では中国よりもずっと長い長い日本で、海の幸を得られない地域も珍しい。
漁港がなくとも貝は拾える。漁港だけが海の幸の入り口ではない。
とはいえ、輸送に限界のある時代では魚は晴れの日の御馳走であったことも事実。
良い身分になるほど栄養失調というのは、例えば徳川将軍の食事を見れば分かる。
青魚より白身魚、玄米より白米、まるで精進料理のようにどんどん野趣滋養が抜け落ちる。
>>124 魚は鱚ばかりで、名前が縁起悪いからダメとかそんなアホな食事管理をやってたらしいね。
そら、どんな天才でも綱吉君みたいになるわな。
あー。なんだ。
将軍継嗣問題で揉めた。
あの13代将軍が脚気だ。
侍医が診た時には手遅れだった。
明治天皇も脚気だ。
この人は麦飯食えば楽になるという高木兼寛あたりの説は耳に入れていて、
真偽を知るほどの専門知識はないながら、
麦飯食えばよくなるというなら食ってみれば良かろ、
くらいには考えてた。
ドイツ仕込みの侍医団が転地療法を勧めた時は、
「俺はそれでええか知れへんが脚気は国民病や。
国民全部が転地するわけにもいかんやろ、
別の治し方あらへんのか」
くらいのことは言ったらしくて、転地を断っている。
確認はしてないが天皇が麦を食べていることを
裏付ける資料もあるらしいよ。
127 :
日本@名無史さん:2007/06/06(水) 23:58:00
おまいらつべこべ言わずに玄米食え!
おかずは漬物だけでええんじゃ。ただし、しっかり半年以上熟成させた
タクワンじゃなきゃいかんぞ。
それだけで西欧の宣教師が驚いたほどのパワーが出せるぜ!
>>127 もっと言えもっと言え。
最近いい沢庵って本当にないんだよ。
甘酸っぱく漬けた砂糖酢漬けみたいな沢庵が殆どでさ。
きちんと干すところから作ってあって、
水気がほどよく切れてて噛めばポリポリ、いい感じにしょっぱく、
飯が進み、噛んでるうちにほのかに甘くなり、
最後にとりわけ渋いお茶で洗い流す。
絶味。
そういう沢庵を作る業者が本当に少ない。
あんな大根の酢漬け、沢庵じゃねえよ!
…ここ何板?
129 :
日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:49:23
酢漬けや砂糖漬けはひでえよ
梅干もそうじゃ。梅酢漬けでなんで梅干を語る?蜂蜜入りなんてアホか?
減塩の梅干って、塩がなかったらしっかり熟成せんやろが。
みんなもっと本物を食おう!因みに醤油は湯浅の天狗醤油がほんのり甘くて
美味だぞ。
130 :
日本@名無史さん:2007/06/07(木) 00:50:05
酢漬けや砂糖漬けはひでえよ
梅干もそうじゃ。梅酢漬けでなんで梅干を語る?蜂蜜入りなんてアホか?
減塩の梅干って、塩がなかったらしっかり熟成せんやろが。
みんなもっと本物を食おう!因みに醤油は湯浅の天狗醤油がほんのり甘くて
美味だぞ。
131 :
日本@名無史さん:2007/06/08(金) 02:52:26
NHK 知るを楽しむ 『歴史に好奇心』 教育テレビ 6月7日 午後10:25〜10:50
「藤原道長の食卓・衝撃の偏食」
平安時代、宮廷や貴族の祝宴で出された「大饗料理」は、第一に見せる料理である。
塩辛い「乾きもの」が多く、味付けはいたってシンプルだったが、素材の切り方、盛り付け方には異様なほど
神経を使った。
「この世をば我が世とぞおもう」の藤原道長は毎日のように大饗料理を食べ、糖度35パーセントという猛烈に
甘い日本酒を愛飲して中年期から糖尿病に苦しんだ。
しかも牛乳を濃厚なチーズ状にしたものにたっぷりと蜜をかけた「道長スペシャル」ともいうべきデザートを
手放せず病気を悪化させていく。見栄えは良いが多すぎる塩分と糖分で生活習慣病を頻発させた平安貴族の
食生活を描く。
道長スペシャル!
133 :
日本@名無史さん:2007/06/25(月) 02:12:30
うわ、おもいきり裸足で遊んでたんだけど・・・
何年ぐらいで症状出るの?
135 :
日本@名無史さん:2007/06/28(木) 22:25:36
平蔵のグルメ3ch
136 :
日本@名無史さん:2007/06/30(土) 03:25:05
137 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 02:56:02
山梨県は最後まで苦しんだんだよ。
138 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 03:27:38
>>123 癪は女性がなることが多かったことから
心因性の病気(ヒステリーの一種)という説を聞いたことがあるりますね
胸が痛くなる慢性疾患がそんなに流行り放題だったとは思えないので
私はこの説を支持します
139 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 03:49:00
>>138 確か川柳に「癪持ちは上手に癪になり」とかいうのがあった。
上手に癪になるとは、都合が悪くなると、突然、癪の発作が出て、
その場から逃れられると言うこと。
学校に行くのが嫌な子供が、登校時間になると急に腹痛を訴えるのと同じで、
確かに、心因性の要素が絡んでそうですね。
140 :
日本@名無史さん:2007/07/07(土) 05:00:45
「傾城のしゃく人を見ておこる也」というのもあったなぁ。
141 :
日本@名無史さん:2007/07/13(金) 00:47:41
一皇族がカミングアウトしたからというわけじゃないが、
アルコール依存症やアル中、酒乱ってのは、
支配者層には、かなり昔からいたんじゃないだろうか。
その気になれば、いくらでも飲めるわけだから。
142 :
日本@名無史さん:2007/07/20(金) 05:05:56
病草紙に、病人の病床の周りを小人が群れなしている図がある。
あれは、アル中患者の幻影を模写したものか。
もっとも、幻影を見る精神疾患はアル中に限らないが。
当麻寺、なんてのもあるぐらいだし。
麻が薬として処方されてたりすれば、幻影見まくりだったかもね。
煙草って薬だと思われてたってほんとか?
ホントらしい。伊達政宗は一日三回、規則正しく吸ってたそうな。
ヤツの死因を考えると、どうもタバコの副作用っぽいけどw
今でもジャングルの奥地とかじゃあ煙草は薬だってされてるみたいだぞ
病気の幼児に吹き付けたりしてるし
ジャングルでは虫除けになるよ
昔に古本屋で立ち読みした記憶だが。
ネイティブアメリカンは、
狩りに行く前に使用したり、怪我の痛みを紛らわせるために使用した。
また神へのささげ物としても扱っていたとされる。
既出かもしれませんが、藤原道隆は糖尿病だったと何かで読んだことがあります。
糖尿病だったかな。?
酒呑みだったらしいですが。
150 :
日本@名無史さん:2007/09/26(水) 13:34:47
既出だったかも。
中世の日本酒は、糖度30%?位と、ちょう甘酒で、その酒の飲み過ぎのため、
糖分の大量摂取が原因だったのではないかという説は、上のどっかにあったはず。
152 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 22:25:25
メタボはあったでしょう。越後屋あたりはな。
癌もな。結核はあたりめー。てやんでい。
153 :
日本@名無史さん:2007/10/13(土) 22:28:58
江戸時代には脚気で死ぬ人が多かった
江戸患い、京患い、浪花患いなどと呼ばれ
田舎の人は脚気にならないというヒントが隠されていたのだが
明治になってますます脚気による死がひどくなった
154 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 14:17:03
確か、「蘇」(チーズのような物だが、醗酵はしていない。)は、
奈良、平安時代から糖尿病の薬として扱われてきたと聞くが。あと蜂蜜も。
現代でも、乳製品や蜂蜜って医学的見地からどうなんだろう?
155 :
日本@名無史さん:2007/10/17(水) 20:29:11
age
156 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 16:17:17
糖度30%…じゃアルコールは?
157 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 16:26:12
>>149 >>151 藤原道隆は「飲水病」にかかった、とあるので
糖尿病だった可能性が高いです。
「飲水病」とは、異様に水をほしがる末期患者の症状のことで、
糖尿病患者の症状のひとつです。
大鏡にも道隆は大酒のみだったことが記されてあります。
29歳で亡くなった後一条天皇も「飲水病」だったとあり、
37歳で亡くなった藤原伊周も非常に太っていたことが
記されてあるので、糖尿病だった可能性が高いです。
一方、63歳まで生きた藤原道長は、病だ、病だ、と寝込むことが多い人でしたが、
晩年に至るまで「飲水病」の症状は記されておらず、死因は糖尿病ではないようです。
158 :
日本@名無史さん:2007/12/13(木) 17:10:57
貴族と言うのは極端にいうと全員が神官、つまり神社の神主みたいなもの。
酒と言うのは神さんには付き物でよく神社に樽酒やらビールなど置いているでしょ。
清めだ、祓えだといっては飲む。飲まなければいけないのだ。仕事なのだ。
木を切る時にもきこりが酒をまく。地鎮祭でも神主が酒をまく。
酒を飲むというのは体内に神を向かえる意味もある。
人と神の仲介者である貴族は飲むのが仕事になってしまうわけだ。
となると、奈良時代や平安時代の軍事・行政は誰が担っていたの?
160 :
日本@名無史さん:2008/01/30(水) 14:39:14
>>1 高度成長期まで、庶民は、貧弱な食生活が原因の、「栄養不良」という生活習慣病に
陥っていた。
この病気に罹っていると、他の病気に対する抵抗力が非常に低下する。
今では考えられないような病気が、致命的となった。
「はしかは命定め」の諺が、それを示している。
歯の病気、特に歯周病なんかは今と比べ物にならないくらいひどかったろうね。
それを考えると、70過ぎまで生きてた家康とか黒田如水とか、何食って生きてたんだ?
>>161 こないだテレビで見たが
家康は入れ歯を使用してたんだってね
木でできておりかなり丈夫だったみたい
163 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 07:09:24
昔の人はコレステロール低すぎて、
血管が弱くなって、
脳出血で死ぬ人が多かったそうだよ。
肉や卵を食べないから、コレステロールが上がらない。
魚はコレステロールを下げるしね。
164 :
日本@名無史さん:2008/04/07(月) 20:13:58
おお! なんという良スレ。
165 :
日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:03:43
このスレの最初の方で、貧乏人は玄米食ってたなんて書いてあるけど
米が手に入るんなら、わざわざ不味い玄米で食わないで精米して食うんじゃないの?
百姓とかは、換金作物の米はあまり食わずに芋や雑穀を食ってたんじゃないの?
精米することがたいへんだから玄米で食うわけですな
もちろん豊かでないとこは、玄米も食えないわけですが
167 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 02:06:04
その程度の手間を惜しんで、わざわざ不味く食べるの?
米みたいな高価な食料をさ
それとも搗き賃が高かったのかな?
戦中物の映画だと、一升瓶に玄米入れて棒で搗いてたけど
精米したら量が減るだろ
169 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 11:34:42
酒米じゃあるまいし、そんなに削んないよ
とにかく、玄米は不味い
白米は美味い
せっかく手に入れたお米を玄米のまま食うなんて信じられない
170 :
日本@名無史さん:2008/05/22(木) 21:13:09
平安時代から、花粉症らしき記述はあるらしいね。
何と呼称されていたのかな?
白米ばかり食うと脚気になるわな
172 :
日本@名無史さん:2008/05/24(土) 09:58:27
関係ないけど、俺は玄米、押し麦、その他雑穀や豆も混ぜて、白米が50%ぐらいの割合の飯を食べてるよ。
白米100%よりおいしい。とくに食感がいい。
うんこもモリモリ出るしw
まあ、白米も選べるからこその「贅沢」だけど。
ばぁちゃんに聞いたところによると、戦時中は米は配給、それも玄米でくる
わずな米じゃ米屋も精米してくれないから、どこの家も一升瓶で搗いてたそうだ
しかし、メチャクチャ労力がかかるらしい
数合の米でも何時間もかかったようだ
そこで、完全精米は諦めて、五分搗き、七分搗きで食べてたそうだ
それでも、炊きあがった時の飯の香りはするし、あの粘りも出る
それほどまでに白米を求めてたんだね
174 :
日本@名無史さん:2008/05/24(土) 14:53:05
江戸には米屋に米つき人がいて足踏みのつき臼でついてた。
各家を回る「つきし」もいて、杵と臼で精米してた。
精米の度合いは各家の好みらしい
地方ではこの手間を惜しんだのかも知れません。
各藩士も下級では玄米だったそうです。
日本の水車小屋は、米を搗いてたのかなぁ。
>>174 おそらく、「つきし」がプロとして食ってくだけの人口があったかどうかなんじゃないの?
江戸はあの当時でも世界有数の100万人都市だから。
地方は人口少なすぎて、「つきし」に払うカネも高くなる。必然的に高級品になる、と。
奈良時代の東国出身の防人たちって派遣先でどのように生活していたんでしょうか?
長期間に渡って拘束されてると、女色が恋しくなってくると思うんですが
九州で買春とかしてたんでしょうか?
豚は野生化して何代が経つとイノシシになるんでしょうか?
179 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/13(水) 00:52:21
>>178 ならないでしょ
金魚がフナにならないのと同じ
猪の中のある猪を掛け合わせて改良したのが
豚なんだからさ
まあ私も素人なんで
本当はよくわかんない(笑)
181 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/18(月) 23:14:32
へぇー
フナと金魚のパターンとは違うわけだ
182 :
日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:43:24
脚気といわれているうちのどれだけかは、
(特に脚気衝心と呼ばれる急性の経過を辿る状態)
ビタミンB1不足によるいわゆる脚気ではなく、
米に発生したカビ毒素による症状の可能性があるようです。
現在でもアフラトキシンが輸入されたナッツ類から検出されたり、
小児癌の原因として指摘されたりと、カビ毒素はなかなか侮れません。
183 :
日本@名無史さん:2008/10/15(水) 01:31:16
>>170 >平安時代から、花粉症らしき記述はある
花粉症って、高度成長期以降の病気って聞いたけど、平安時代にもあったの?
詳しく知りたいので、参考資料を教えてくれると嬉しいな。
184 :
日本@名無史さん:2008/10/15(水) 10:20:35
来週の篤姫で家茂が脚気衝心で死にますな。
予告編に、胸を押さえて倒れる描写がある。
関係あるかどうかは微妙だけど、今人里に下りてきているイノシシはたいていが豚との混血らしいな。
野生化した豚と混血した結果、生殖能力が上がっているそうな。
生粋のイノシシはむしろ減ってるらしい。
金魚だって人の手で選別しないと「フナ」にもどる
187 :
千葉御寮人 ◆/f5P9yVF6Y :2008/10/25(土) 21:13:46
明治期に灯油のカンテラや瓦斯灯が導入されるまで、平安以前の大昔から室内の照明器具は
基本的に魚油や獣油、それから菜種油等の植物油を用いた灯台や行灯だね。
(蝋燭は江戸期に量産化できるようになるまで超貴重品、その後も高級品)
庶民は節約のためもあって基本的に暗くなったら早く寝る生活だったらしいけど
知識人階級では、結構目を悪くする人が多かったんじゃないかな?と思う。
188 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:51:36
糖尿病性網膜症は考えられませんか?
189 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:38:52
痛風にはなったんじゃないの?
190 :
日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:13:01
弘化年間の話ですが、弐町目の石川さんが病死しますた。
「尤、早ウチカタにも候哉、頓死二候」(先祖の日記より)
この「早ウチカタ」ってのは心筋梗塞か何かでしょうか?
191 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 11:52:39
>>131 >>154 糖尿病になってしまいました・・・2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/shapeup/1224666751/161 161:名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/08(土) 21:45:07 ID:R1qmpxJL
現物教材 解説と入手方法 現物日本史18 古代の酥(そ)・蘇(そ)
蘇, 乳を加熱して10分の1に濃縮したもの。濃い煉乳。さらに水分が抜けて固体化 ...
miraikoro.3.pro.tok2.com/study/genb...
(抜粋)
…
吉田豊著(新版)『牛乳と日本人』(新宿書房2000年5月)
…
<吉田豊氏の説>
酥 乳を加熱して表面にできた乳皮をすくい取って容器に入れ(繰り返す)、温めてよく攪拌し、冷水を加えて固めたもの。
クリームもしくは粗製バター。
始めは日本でも作られたかもしれないがすぐに廃れ、次第に、同音の蘇が作られるようになっていく。
つまり、蘇と酥は異なる。 固体
蘇 乳を加熱して10分の1に濃縮したもの。濃い煉乳。
さらに水分が抜けて固体化すれば、チーズ。 液体固体
※ 厚生労働省令でいうと、チーズは、「牛乳などを固めて水分を除いたもの」と、おおらかな定義となっているので、
日本チーズ普及協会は、蘇をチーズとしている。
酪 乳を加熱して冷えたときに浮いてくる乳皮(クリーム)を除き、残りの乳に既製の酪をタネとして加え保温してつくる。
=脱脂の発酵乳、つまり、ヨーグルト状のもの。 液体
醍醐 酥をさらに精製加工して作るものとされているので、酥がバター状のものなら、醍醐はバターオイルとなる。 しかし、加熱濃縮型の蘇は脂肪とタンパク質が結合しているので、バターオイルはできない。
日本では、酥はあまり作られず、蘇が中心であったため、醍醐は輸入品のみが存在した。
結論、醍醐は、実際には日本では作られなかった。 固体液体
…
192 :
日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:19:04
多少スレ違いかも知れんが、
源氏物語の「若紫」の冒頭などに、源氏が
瘧病にかかるとある
(↑おこりやまい:間歇的、定期的に発熱する病気)
で、よくマラリアだと訳されている。
当時の都は湿地が多くて・・と説明されているが、
そんな暑い気候だったのか?
逆に当時は歳差運動により地軸が現在と違い
(京都から南十字星が見えた)夏は、今よりかなり気候が
涼しかったはず。
マラリアなんかあるはずか無い。
・・・・と思いますがねぇ。
193 :
おれ:2008/11/10(月) 21:51:54
>>192 瘧とマラリアは正確には違う。
あなたが提示した「間歇的、定期的に発熱する病気」であってる。
漢方医学的には寒熱往来と言っている。
急に発熱したり、その後急に熱が引いたり、又は同時刻に毎日発熱があったり等。
要するにマラリア「様」の症状、それを「瘧」といっている。
194 :
日本@名無史さん:2008/11/10(月) 23:19:56
>>192 平安時代は地球温暖化時代だったという説もあったが。女性が薄着だったそうだ。
>>192 歳差と地球の気候はあまり関係が無い。少なくとも直接の関係は証明されていない。
なお、平安時代はかなり温暖な時代だった。
ヤマザクラの開花日は、今の京都より更にかなり早かった。
今の九州南部あたりの気候だったようだ。
京都は盆地なので夏も暑かっただろう。
「水無月のつごもり頃(今で言えば7月末から8月初旬あたりになることが多い)」とは、
死ぬほどの暑さを表す表現だった。
都市化の分を差し引いても、今の京都市街と同じかそれ以上だっただろう。
マラリアには、熱帯性と温帯性がある。広辞苑にも載ってるよ。
温帯性マラリアは、戦前まで、日本の各地で患者がみられた。
北朝鮮では今でも流行ってて、38度線を超えて、韓国に侵入して来ると、
韓国紙が最近報道していた。
197 :
129:2008/11/11(火) 13:52:01
129です。皆さんレスありがとうございます。
温帯性のマラリアと言うのは初耳です。
それなら当時にあったのかもしれません。
ただ「マラリア様」の瘧という別の病気だったのかも知れません。
そのあたりは永遠に?かなww
あと、完全にスレ違いですが、
私は地軸の変化は地球の大局的気候に関連していると言うのを
最近読みました。それをベースにして氷河期などの
きっかけのひとつになっているらしいと。(複合要因のひとつ)
何はともあれ、皆様ご意見ありがとうございました。
>>197 129じゃない 192です。ww
どもども 。
199 :
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:01:20
>>187 囲炉裏の煙で目を悪くする人が多かったらしい
と、江戸たてもの村の案内人の方が言っておりました。
「うわひ」や「そこひ」という古来からの病名を伝わっているくらいだから、
目を病む人は多かったのだろう。
眼病に御利益があるという薬師や地蔵も、多くの地方にあるので、需要が多かったものと思われ。
201 :
おれ:2008/11/14(金) 21:55:31
マラリア様の「ぎゃく」の症状、現代医学的に言えば脾臓肥大症だったり、腎臓の病でもあったはず。
『黄帝内経・素問』の瘧論篇に定義が載っている。
目の病気や虫歯に悩む人々は「病草子」に描写されているのでは。
行ったことがあるのは、京都の四条通りにある目やみ地蔵さんとか
東京の中野区の新井薬師とか幾つかあるけど、
眼病平癒の有名社寺はほんとに多いですね。
203 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 17:17:16
>>196 本当だね。
http://www.chosunonline.com/article/20090207000037 韓国の平均気温は1971年の12.35度から昨年は13.79度へと1.44度上昇した。
これに伴い、マラリアに感染する患者数も2005年には1369人、06年は2051人、07年には2227人と増加の一途をたどっている。
ダニの一種「ツツガムシ」が媒介する感染症「ツツガムシ病」も、温暖化の影響で発病率が高まっている病気の一つだ。
先月28日、忠清南道瑞山市に住む55歳の男性が発熱、黒いかさぶたが付いた発疹(ほっしん)が出たため、保健所を訪れた。
そこでツツガムシ病に感染していることが分かった。
先月20日以降も、ソウル市銅雀区に住む53歳の女性など全国的に十数人の感染患者が発生した。
全国に狂犬病注意報
疾病管理本部は6日、全国に狂犬病注意報を発令した。
同本部は「最近、動物間の狂犬病が江原道東部地域まで拡大しており、全国各地で狂犬病患者の発生に注意する必要がある」と発表した。
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
マラリアもツツガムシ病も狂犬病も、日本ではみんな歴史上の病気だが、
朝鮮半島では、現在進行形なんだな。
204 :
日本@名無史さん:2009/02/07(土) 20:55:55
>>200 糖尿病が悪化すると失明する危険性もある。
当時の酒は相当糖度が高かったんだよね?
三条天皇も藤原道長も先天的じゃなくて中年以降に眼病を患ったようなので
それかも。
205 :
日本@名無史さん:2009/04/15(水) 21:54:22
206 :
日本@名無史さん:2009/04/15(水) 22:45:11
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207 :
日本@名無史さん:2009/05/16(土) 18:35:28
buhaha
衆院選、民主勝利後の最悪シナリオ
民主が国政第一党になる
↓
公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立
↓
国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進
↓
人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる
↓
国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増
↓
在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅
↓
日本乗っ取り完了
「民主党の正体」 「ミコスマ」 「韓国は“なぜ”反日か?」で検索
209 :
日本@名無史さん:2009/08/29(土) 18:49:10
ほー
210 :
日本@名無史さん:2009/08/29(土) 21:46:07
>>204 三条天皇は日によって見えたり見えなかったりしてしるので、ストレス性のものと言われてるよ。
退位してからは眼病は無くなってるし、道長の嫌がらせが酷かったからね。
211 :
日本@名無史さん:2009/09/01(火) 02:51:12
失明の原因として、天然痘も多かったみたいね。
伊達政宗もそうだけど。
なんか近代の統計資料で見たんだけど、天然痘大流行の10年後ぐらいに、
盲人が非常に増えていた資料をみた記憶がある。
肥満になった金貸しの絵があったはずだが…
たしか鎌倉末期〜室町くらいの。
213 :
日本@名無史さん:2009/09/03(木) 12:59:08
214 :
↑:2009/09/03(木) 15:13:56
技術の時間カナヅチで3・3・7拍子や
脚気の検査をしてる奴、おるおる
216 :
日本@名無史さん:2009/09/08(火) 01:46:26
217 :
日本@名無史さん:2009/10/26(月) 02:37:28
あげ
218 :
日本@名無史さん:2009/10/26(月) 10:26:10
最近子供のアレルギー疾患が多いのはビタミン不足からくるというドクターが
いた。小学校で肝油をのませるのやめてからみたい。
219 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 14:22:18
源実朝とか明智光秀の妻とか高橋紹運の妻とか、天然痘で痘痕になったという
人が多いよね。
220 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 21:32:06
>>192 真田信之も瘧持ちだったはず
大阪の陣に出陣できなかったのは瘧による熱のため
生活習慣病じゃないけど
平安時代、白内障の手術を行っている絵を見たことあるけど・・
手術と言っても、白くなった部分を針で指して血を抜いていただけらしいが
西洋医学が導入される明治以前に、外科的な治療は行われていたの?
221 :
日本@名無史さん:2009/11/07(土) 23:17:19
>>220 宣教師が来ていた豊後府内では、外科手術も行われていたよ。
どの程度かは知らないが。
222 :
日本@名無史さん:2009/11/19(木) 15:11:35
>>219 確か徳川慶喜も、公家の娘と婚約していたが、
その娘が天然痘に罹ってアバタヅラになったら、
突然、婚約破棄したという前科がある。
お金持ってるやつらはとくに要注意だったのが
虫歯。
家茂とか和宮の虫歯はエラいことになってた。
大奥、花魁などが『鉛白粉』を使いすぎて鉛中毒になった。
歯ぐらい磨けよ。食べかすで虫歯になるぐらいの知識はあるだろ?
鎌倉時代の武士の遺骨で不自然に骨が削れているところがあって
調べてみると肥大した筋肉と腱によって削られていたことがわかったなんて話をどっかで読んだな
事実なら武士たちの壮絶な戦いからくる生活習慣傷害とでも言うべきものだな
平安時代に水呑み病で死んだって人は結構いるよ。
水呑み病は現在の糖尿病のこと。
228 :
日本@名無史さん:2010/02/14(日) 12:35:22
へえ。
三条天皇の眼病って、糖尿病性網膜症のような希ガス
230 :
日本@名無史さん:2010/02/15(月) 02:33:11
「病草紙」を読め
贅沢病
232 :
日本@名無史さん:
ほほー