【男子禁制】大 奥 vol2【女の園】

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11
大奥の制度や
将軍の正室・側室、女中などについて語るスレです

注意
・よそからの丸々コピペ
・院号ネタ
・初心者に優しく

を守ってください。

2江田島:2006/06/19(月) 12:22:35
31:2006/06/19(月) 12:23:23
4日本@名無史さん:2006/06/19(月) 17:48:39
・よそからの丸々コピペは、禁止
・院号ネタは、禁止
      ですよね。
51:2006/06/19(月) 19:13:14
ああそうだ。うっかり。
6日本@名無史さん:2006/06/20(火) 01:09:10
  |  l: :l: : : : |: : : : l i: : | l!: :|ハl ;.ィ|: : : : ト l、:l: / |!: ./!: : : : : :|: : : : |: : | \| |
  |  |: : |: : : l: !: : : : ト|、:.|,lィ::'|:~|! l|ヽ: : :| j/ノ`゙ '|: /、|: : : : : l: : : : :|: : :|\ ノ |
  |/|/!:|: : : |: ヽ: : :ィ' ヽ,、z≡ミ、  ! ヽ: :| ノ イ云Zゥ、 ハ: : : : /: l: : ∧: : :| |  ̄
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 _//: :| : ヽト| : : : ドヽ l ::;;;;::c}          | ::;;;;cj  /ィ: :ノl : : :.| |: : : :| | `丶、
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  ,' l: : :.|: : : : : |: : : : ト∧ ゞ''"´           `~"` /: : : : : |: : | | | : : : | |、
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 ! |: : : |!: : : : レ\: : : :'、 iヽ      ´`       ,.イ: : : : |: :.|  | ||: : : :,'| |  ',
 │: : :|l: : ト、/   \トム |: .丶、         , ィ //: : :_/_:_リ   | | |: : :;'│ |   !
  | |: : |ヽ: | |、      ` | : . : . `iヽ、    ,卍: .´´ ̄    |   j |/: :./ │ |  |  今日は来てくれる?
 .| │: | | | l ヽ 、    |: . : . : . :〉ヾ ミニ´彡'゙: .       |  / /: :/  | |  |
 1 '、: | | | ヽ ヽ'、    l  : . : . : . ,f⌒ヽ: . :       | ∠ _//    | |   |
 |  ヾ|! |│ ヽ ヘ    ヽ    __ ゞニン ___ ..      |   ´  / l  │ |  |
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7日本@名無史さん:2006/06/20(火) 01:36:47
荒らしは放置の方向でいきましょう。

さて、家康の居城、
岡崎→浜松→駿府→江戸→駿府
には側室もみな着いていったのかしらん。
とりあえず長勝院は違うよね
8日本@名無史さん:2006/06/21(水) 11:14:20
西郡局は最古参の側室として家康に付き従っていたと思われ。
京で没したってのも、家康の上洛に同行したのでは。
9日本@名無史さん:2006/06/21(水) 11:34:47
伏見城に側室大集合してるじゃん。
10日本@名無史さん:2006/06/21(水) 17:31:09
>>9
では当時生存した側室は、家康の移動に伴っていたってこと?
娘の輿入れや息子の転封先についていったりしてなかったの?
11日本@名無史さん:2006/06/22(木) 13:04:27
age
12日本@名無史さん:2006/06/23(金) 21:35:47
家康の死後はともかく、生前は共に居住していたのでは。
特にお勝、お夏、お六なんかは。
13日本@名無史さん:2006/06/24(土) 19:40:17
お万の方(永光院)はいつ落飾したの?
14日本@名無史さん:2006/06/25(日) 11:11:09
age
15日本@名無史さん:2006/06/28(水) 06:37:15
age
やばいな、前スレ内での新スレ誘導が出来なかったので、みんな戻って来れないのかな?
16日本@名無史さん:2006/06/28(水) 17:23:20
そうかも。前スレがいきなり消えたからねえ。
17日本@名無史さん:2006/06/28(水) 21:27:36
1000が近づいた時に、うかうかしてると突然倉庫入りって場合があるんだね。
これからは960ぐらいで、とりあえず新スレ立てしといた方がいいみたい。

いきなり途中で消えたので、ファイル保存するつもりだったけど出来なかった。
過去ログって読めないし、読む方法についての解説がむずかし過ぎて何が何だか理解できない。w
18日本@名無史さん:2006/06/29(木) 07:56:07
>>17>>16>>15
まあ、みんなが戻ってこれるように地道に書き込みを続けましょう。
19日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:06:10
家康の最初の正室の、築山殿・駿河御前は通称だよね。
瀬名姫っていうのは、本名?通称?眉唾?
20日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:35:21
通称だと思う。
実家の関口氏の菩提寺が静岡の瀬名地方だからじゃないの?
所領もそうなのかな?
21日本@名無史さん:2006/06/29(木) 11:58:49
所領もそうみたいだね。
22日本@名無史さん:2006/06/29(木) 12:37:54
諸田玲子の創作爆発ではあるが「月を吐く」は良かった。
23日本@名無史さん:2006/06/29(木) 13:24:48
つまり築山殿の本名については、チラっとも手がかりが無く不詳という事?
24日本@名無史さん:2006/06/29(木) 14:12:57
瀬名姫は濃姫みたいな出身地からきた通称なのね。
もしかして、お江の方も通称?出身地の江州にちなんだ名前なのかも
ちょっと前までお江よりも小督、督姫が使われることが多かったような記憶があるんだけど。
25日本@名無史さん:2006/06/29(木) 15:01:02
>>24
個人的感触だけれど、お茶々・お初・お江は両親が名付けた本名だと思う。
お江は多分、近江国の別名の江州にちなんで名付けられたのだろう。
女性は本名のひらがな書きの上1文字を、書簡に署名する風習があったので、
「ご」と署名されたお江の書簡が残っている、という文を見た事がある気がする。

小督・督姫はお江の意味や漢字書きを知らない人などが、雅びめかして書いた表記だろう。
お江与は、秀忠との結婚に際して1文字加えて改名したのではないだろうか。
達子(さとこ)は、死後従一位を追贈された時に付けられた実名。
26日本@名無史さん:2006/06/29(木) 17:29:46
家康側室のお竹、お万、お六なんかもそうだろうね。
本名なんだと思う。
27日本@名無史さん:2006/06/29(木) 17:52:14
お江与の本名(いみ名)は浅井徳子です。
出典は「日本の後宮」角田文衛著の女院表で東福門院(源(徳川)和子)の
生母として掲載されています。
28日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:47:50
>>27
じゃあ娘の松姫和子(まさこ)が、女御として入内した時か中宮に冊立された時に、
母のお江与も実名・諱(いみな)を徳子と定めたのでしょうね。達子は没後の改名wに当たる。

読みは徳子(とくこ)ではなく、多分建礼門院と同じく徳子(のりこ)でしょう。
江戸時代以前に公家社会内部、又は公家社会との係わりで使われた「〜子」は、
音読みでなく必ず訓読みです。訓読みでも徳子(のりこ)は古典訓み、和子(まさこ)は有職訓み。
29日本@名無史さん:2006/06/29(木) 23:51:00
御台所や将軍生母・世嗣生母以外の側室・愛妾はいくら子をもうけても官位を授かる事は無かったのかな。
阿茶局を除いて。
30日本@名無史さん:2006/06/30(金) 00:24:57
>>27
角田文衛著「日本の後宮」。持ってるんですか、それはすごい。
大昔に大書店で見かけたけど、とても手が出なかった覚えがあります。
ネットで調べたら昭和48年発行、定価\36,750。古書価格\65,000〜\90,000。
31日本@名無史さん:2006/06/30(金) 12:09:00
>>29
将軍正室・将軍生母・阿茶局を除いた、他の側室たちは、
世継生母や御三家御三卿生母でも、叙位に与かった人は多分いなかったと思う。
32日本@名無史さん:2006/06/30(金) 16:01:52
     '        ♪兼六園命    ヽ
    ′     ______      ヽ
    |     ´ ̄         ̄ヽ   |
    |    ´               ヽ |
    |    | ______/  \___  | |
    |    | _――――_――――_ | |
    |   || | ̄ ̄ ̄|  | ̄ ̄ ̄| | | |
    |    | \`――' ハヽ――‐/ | |
    |    |   ̄ ̄ ̄  |  ̄ ̄ ̄  | |   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |    |         |       | |  <削除放浪人だけど文句あっか!
    |    |\     ヽ_/      /| |    \__________
    |   |   ||||||||||||||||||||||||   | |
    |   \  ||| ー――ヽ|||  / |
   ___|    \ |||   ̄  ||| /   |___
 ―(  |     \||||||||||||||||||/     /  )―_
 ̄  ヽ ヽ                ′ ′   ―
    ヽ ヽ              ′ ´       ̄―
     ヽ `―――――――-‐´  ´           ̄――_
      \__―――____/        ―          ヽ
__        /能登七尾\        _― ̄             ヽ
 ―       |==========|      ―                  ヽ
    ―――-|   ●    |――― ̄                    |
         \__■__/                          |
    _― ̄ ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄―_         ヽ

33日本@名無史さん:2006/06/30(金) 16:28:25
>>31いる
34日本@名無史さん:2006/06/30(金) 17:01:51
>>33 えっ知らなかった、誰?
35日本@名無史さん:2006/06/30(金) 17:09:20
津田篤子は?
36日本@名無史さん:2006/06/30(金) 19:50:43
>>35
有難うございます。本当だ、家治の世継の家基の生母、蓮光院お知保の方が、
家基の50回忌に当たって、没後37年にして従三位を追贈されていますね。
篤子はその叙位の時の名前でしょう。家斉は随分長い間、家基を気にしてたんですね。
37日本@名無史さん:2006/06/30(金) 20:17:11
>>30
図書館で借りて全ページコピー。
著作権侵害の犯罪者です。私。
38日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:01:37
家斉の将軍就任には田沼や家斉実父の工作があったという説があるね。
そういう噂を断ち切りたかったのでは。
39日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:11:09


春画 は いいの〜
40日本@名無史さん:2006/07/04(火) 00:38:58
大奥女中における、候名と通称はほとんど同じようなものなの?
側室の名前もそう捉えて良い?
41日本@名無史さん:2006/07/04(火) 01:40:43
>>40
文意が分かりにくいので、具体例を挙げてみて話して下さい。
42日本@名無史さん:2006/07/04(火) 02:10:14
>>37
わーい
43日本@名無史さん:2006/07/04(火) 14:05:32
>>41
つまり、奥入りしたときに女中は本名ではなく、
女中としての名を与えられるよね。
それは候名でもあり、通称でもあると思うんだけど。
例、岡野・藤江・浜多・嶋田など。

それは側室となって名を改めた場合にも適用されるのかしらん。

例、十二代将軍家慶側室・清涼院
お久(御中臈としての名)、お定(1819年11月2日、男子出生の際に改名)
44日本@名無史さん:2006/07/04(火) 16:10:03
大奥再放送はじまったーヽ(゚∀゚)ノ
45日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:36:18
>>44
どの地方で、大奥のどのシリーズですか?
46日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:07:48
>>43
本名:一般女性の場合は親が付けた幼名を本名と言い、あまり改名せず一生使い続ける事が多い。

女中名:奥女中は就職時に本名とは別に女中名を与えられ、異動により改名される場合も多い。
おおむね上級職は苗字風の三字名、中級職は本名風の二字名、下級職は源氏名。
「〜院」という院号も、現将軍生母以外は身分上一生奥女中なので、女中名の一種とも言えよう。

候名:公家方の女房名を候名とも言うが、候名という言い方は武家方では殆ど使われない。

通称:通称とは本名・女中名以外の呼び名の事で、大典侍の北の丸やお伝の方の五の丸など少数。

側室といっても職制はお手付きの御中臈か上臈で、待遇は御客応答上座〜上臈御年寄上座の場合もあるが、
奥女中である事に変わりなくその名前はすべて女中名。お久もお定も女中名。清涼院もいわば女中名。
47日本@名無史さん:2006/07/05(水) 03:54:51
>>46
候名って宮仕えをした女性に付けられる名前だとばかり思ってた。
で、以貴小伝に「宮仕にまいりしに」という表現が使われていたから、
奥女中も候名をつけられたものと。勘違いだったんだな。
48日本@名無史さん:2006/07/05(水) 05:00:12
基本的に機能上は、候名=女性の仕え名=女中名、だろうけど、
大奥女中の場合には、女中名とは言っても候名とは殆ど言わない、という事。
49日本@名無史さん:2006/07/05(水) 12:17:03
>>48
なるほど。
常磐井は候名だけど、右衛門佐は女中名ってことか。
50日本@名無史さん:2006/07/08(土) 15:28:59
age
51日本@名無史さん:2006/07/09(日) 09:17:45
将軍家の姫には、○○子って名前はつけられたのかな?
52日本@名無史さん:2006/07/09(日) 12:04:47
家斉の成人して結婚した娘には全員ついていたよ。
あとは東福門院くらいじゃない?
53日本@名無史さん:2006/07/10(月) 14:31:57
有吉佐和子の小説は、あくまでも小説ですか?
そういう説は他にもあったのでしょうか?
お詳しい方、是非ご回答ください
54日本@名無史さん:2006/07/10(月) 15:10:42
>>53
小説は「小説」として書かれたものです。
有吉佐和子の小説は、非常に面白く優秀な文芸作だと思うけれど、
あれが世間に流布したせいで、身代わり説が世間に蔓延もした。
本当に面白い物語だと愛読書の一つではありますが。

身代わり説は昔から、高貴な姫の幕末悲劇を大衆が色々と憶測した中に
発生していたようなこともあるらしいけれど、
信頼できる書物や、当事者のご子孫などの話や御用掛の日記、
幼児からの婚姻後の書風も変わっていないいう識者の方の意見、
楽器を奏していた、茶事も楽しんでいた等、
たくさんの和宮関連の書籍を読んだ結果、
あれは小説の中の出来事と(自分は)認識しています。

手っ取り早く、ここで聞けば教えてくれる人もいるだろうけど、
自分で図書館の歴史棚に出かけてみることもいいもんですよ。
色んな人の意見を読んで、自分なりに考えるのが最良かと。
また、wikiの内容は玉石混交、出鱈目もかかれていますので
全面信用はしないほうが良いと思います。
55日本@名無史さん:2006/07/10(月) 15:41:09
>>54
なるほど、ありがとうございました。
自分でもいろいろ探して読んでみます。
初心者レベルですみませんでした。
56日本@名無史さん:2006/07/13(木) 00:30:59
家慶の御手付御中臈は子を生まなかった者も含めて、15人が確認されていると何かの本で読んだ。
誰か詳しく知らない?
57日本@名無史さん:2006/07/14(金) 23:38:23
浅宮顕子の生母って誰かご存知ですか。
某サイトで宇喜多秀家の娘と書いてあったけど、
秀家の娘は前田家に引き取られた娘のみだった記憶があるのですが。
58日本@名無史さん:2006/07/17(月) 23:45:04
age
59日本@名無史さん:2006/07/18(火) 08:53:34
>>57
宇喜多秀家の娘でも、豪姫腹じゃなくて脇腹の娘じゃないの?
60日本@名無史さん:2006/07/21(金) 09:14:12
江戸時代初期には武家の娘が宮家や公家に嫁ぐこともわりとあったんだねえ。
61日本@名無史さん:2006/07/21(金) 13:41:15
山様が一言↓
62日本@名無史さん:2006/07/21(金) 13:50:37
17歳うめぇwwwフヒヒ
63日本史@名無史さん:2006/07/21(金) 22:42:31
実は17歳以下だと噂も……
64日本@名無史さん:2006/07/29(土) 05:52:06
先生!質問です!
御台所の給与というか収入はどうなってたんですか!?
65日本@名無史さん:2006/07/29(土) 15:48:10
お江の方は知行地を持っていました。
嫁いでくるときに秀吉から貰ったのではないでしょうか?
66日本@名無史さん:2006/07/29(土) 19:58:49
他の御台所も知行地を持っていたということ?
幕府直轄地からなのかしらん。
67日本@名無史さん:2006/07/30(日) 01:00:25
化粧料、ってやつかな?
高台院(寧々)は家康から一万石以上の化粧料を
与えられて、大名並みの扱いだったそうだし、
お輿入れに化粧料○千石持って行く姫様もいたそうな。
逆にお公家さんはビンボーだったから、
血筋の良い嫁はもらうな(化粧料が少ないから)
が合言葉だった事もあるそうです。

出所は…わからんw
68日本@名無史さん:2006/07/30(日) 01:24:27
お江は秀吉の養女として秀忠に輿入れしたから、
天下人のご威光を見せ付ける意味もあって
それなりの持参金?を持っていったと思う。
徳川の時代が固まってからは(家光夫人・鷹司孝子以降)
大奥の予算+献上の金品でやりくりしていたのでは?
御台所のお里は天皇家・宮家・五摂家と言えど、
お金がない(いわゆる貧乏)から当てにできないし。

69日本@名無史さん:2006/07/30(日) 06:52:33
では、御台所の財産や収入というのは、
特に取り決められてたわけではないということですか?
70日本@名無史さん:2006/07/30(日) 08:36:11
幕府直轄地の中に御台所の取り分がある可能性は
否定できない。が、確実な資料を(少なくとも自分は)
見たことが無い。
71日本@名無史さん:2006/07/30(日) 11:56:21
3代以降の御台所は御合力金(衣装料)の額は、年間何千両とか定められていたので、
その中から余剰金は出ただろうが、知行地は持っていないはず。

大奥御殿の経費や奥女中の組織は、将軍と御台所の私生活に奉仕する為の物なので、
大奥の予算で、御台所を丸抱えしていた状態と見る事が出来ると思う。
72日本@名無史さん:2006/07/30(日) 15:08:21
奥女中って代替わり後はどうなったの?
みんな解雇されたんだろうか・・・
73日本@名無史さん:2006/07/30(日) 15:36:38
>>72
表向きは総入れ替えだが、実際は
結構な人数が残ってたそうな。
2〜3代の将軍に仕えることも珍しくはなかった。
74日本@名無史さん:2006/07/30(日) 17:09:39
>>73
ありがとう!参考になりますた。
75日本@名無史さん:2006/07/30(日) 22:10:35
滝山は4代に渡って仕えてたしな
76日本@名無史さん:2006/07/30(日) 23:40:42
>>75>>73
お目見え以上の女中とか、高級職に限られたことではないの?
77日本@名無史さん:2006/07/31(月) 06:54:43
>>76
「江戸奥女中物語」という本を持っているが、
御使番という下から二番目の役職(もちろんお目見え以下)
の女性が十二〜十四代将軍の時代に大奥に仕えた、
とあるから、そうでもないみたい。
78日本@名無史さん:2006/08/01(火) 10:11:59
2008年のNHK大河ドラマが宮尾登美子さん原作の「天璋院篤姫(てんしょういん
あつひめ)」(講談社)に決まったことが31日、分かった。宮尾作品が大河ドラマに
なるのは「宮尾本平家物語」「義経」が原作だった滝沢秀明(24)主演の「義経」
(05年)以来となる。

「天璋院―」は薩摩の島津家の分家に生まれ、藩主・斉彬の養女となった篤姫
(1836〜83年)がヒロイン。斉彬から見込まれた篤姫は、政略によって13代将軍
家定の正室として江戸城に送りこまれ、やがて大奥3000人のまとめ役となる…
というストーリー。

03年のフジテレビ系「大奥」でも主人公(菅野美穂)となっているが、NHKらしい
新たな切り口が加えられ、描かれることになりそうだ。1日に正式発表される。

ソースはhttp://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20060801-OHT1T00074.htm


79日本@名無史さん:2006/08/01(火) 11:02:47
脚本家と主演女優しだいだな。
人気や話題性より、時代考証能力と演技力。
浅野妙子が平気で、篤子(とくこ)と読ませていたのには萎えた。
80日本@名無史さん:2006/08/01(火) 11:19:12
徳川将軍家の大奥では、元旦に、「おさざれ石」という儀式があった。

御台所は午前4時に起床する。化粧をおえたあと、廊下に出る。
廊下にはすでに毛氈が敷かれており、なかほどにタライがすえられている。
その中に石が三つならべられている。
やがて御台所がタライの前に着座すると向こう側に座った中揩ェ一礼し、
「君が代は千代に八千代にさざれ石の」と、となえる。
御台所はそれをうけて「いはほとなりて苔のむすまで」 と下の句をとなえる。
そのあと中揩ェ御台所の手に水をそそぐ。 
そういう儀式のあったあと将軍家に年賀を申しのべる。
この元旦儀式は将軍家だけでなく、国持大名級の奥にもあったという。
その元は徳川家の創始ではなく遠く室町幕府の典礼からひきついて
いるのではないかと想像される。       司馬遼太郎
81日本@名無史さん:2006/08/01(火) 18:04:06
>>79
何かで読んだんだけど、11代正室の茂姫って篤子(とくこ)だった時期あるみたいね。
近衛タダ子(漢字がでてこん)に最終的になったらしいので、
島津家の時代かな?

ちなみにヒロイン、伊東美咲あたりになりそうな悪寒。
82日本@名無史さん:2006/08/01(火) 18:40:27
広大院は、島津寔子(ただこ)・近衛茂姫(しげひめ)。
天璋院は、島津敬子(すみこ)・近衛篤姫(あつひめ)。

・・・だったのじゃないかと、自分は理解しているのだけれど。
広大院の篤子というのは、天璋院の篤姫との混同・混乱という気がする。

篤子は(あつこ)以外に、訓読みの有職読みも行なわれた可能性はあっても、
(とくこ)という音読みでは、武家でもまず名付けられる事はなかったと思う。
83日本@名無史さん:2006/08/01(火) 19:01:30
脚本は田淵久美子だって。
大丈夫か?この人
84日本@名無史さん:2006/08/02(水) 20:15:38
>>82
広大院
本名・・・篤姫、茂姫
近衛の養女になった時の名・・・寔子(茂子)

天璋院
本名・・・於一
斉彬の養女になった時の名・・・篤姫
近衛のになった時の名・・・敬子

じゃないの?
天璋院の篤姫は、広大院の本名にあやかってだったと思う。


85日本@名無史さん:2006/08/03(木) 18:21:22
>>79
大河ドラマに時代考証なんて求めちゃイケナイですよ。
NHKの大河は大衆向けに作っているから、歴史オタから見れば
突込み所、満載ですよ。
86日本@名無史さん:2006/08/06(日) 01:20:40
過去放映作や吉屋信子のパクリまくりの浅野妙子脚本に
根拠を求めるのは難しいことだと思う。
全てが浅はかな思いつきなのだろうから・・・

>>85
そういう考え方もじゅうぶんに気持ちが悪い。


87日本@名無史さん:2006/08/08(火) 22:49:56
>>84
そういえば、本人の署名とかは全部「敬子」だったって聞いたことがある。
88日本@名無史さん:2006/08/15(火) 13:03:48
徳川慶喜って正室腹だよね?
89日本@名無史さん:2006/08/15(火) 14:39:30
慶喜の生母は登美宮吉子女王。
天璋院自筆の書状を見たことあるけど、「敬子」と署名してました。
篤姫というのは、和宮と同じで通称のようなものでしょう?
和宮は「ちか子」と署名してましたよ。「ちか」が平仮名だったのが印象的。
ちなみに角田先生の『日本の女性名』が参考になりますよ。
90日本@名無史さん:2006/08/28(月) 01:29:18
映画大奥にお須免の方が出るけど、家継の代にはもう大奥にはいなかったよね。
どう絡ませるんだろうか。
91日本@名無史さん:2006/08/28(月) 02:39:56
くだらないこと書くなよ
92日本@名無史さん:2006/08/29(火) 11:30:40
フジの映画の大奥って家宣時代もやるの?家継だけ?
93日本@名無史さん:2006/08/29(火) 16:54:33
そんなこと知りたいなら、フジのHPでもみろよ。
94日本@名無史さん:2006/08/29(火) 20:22:08
95日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:29:11
天璋院の大河ドラマ、タイトルってどうなるんでしょう?
タイトル中に天璋院とか、篤姫とか出ると史上初の単独タイトル
女性名が付くドラマになるんですよ。なんか興奮しますね。
利家とまつは単独じゃなかっだすでからね。
96日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:40:44
「篤姫」。

って、あの童顔の宮崎あおいに期待してるんだ・・・?
97日本@名無史さん:2006/09/11(月) 17:46:27
>>95
春日局
98日本@名無史さん:2006/09/11(月) 20:37:37
>>97
候名じゃなくて、本名、法名なんですけどね。
春日局って言ってみりゃ女官名な訳だし。
99日本@名無史さん:2006/09/11(月) 23:22:25
笑うような言い逃れ
100日本@名無史さん:2006/09/12(火) 11:10:27
ちなみに「篤姫」ってのは近衛家の養女になってからの名ね。
101日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:54:21
>>100
「近衛篤子」だったの?
島津篤子→近衛敬子 だったり、
島津敬子→近衛篤子 だったりするから、本当のとこはどうなんだろう?
102日本@名無史さん:2006/09/12(火) 17:58:21
島津で篤子なんて聞いたことが無いが・・・
103日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:20:58
実名 敬子
通称 篤姫

104日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:48:27
過去スレ嫁
105日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:19:06
藤原敬子ぢやーッ!!!!
106日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:21:25
基本事項すら理解してないんだね
107日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:34:29
菅野の大奥みて、「とくこ」が史実とか思い込んでる奴よりマシじゃん。
108日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:23:50
紀子殿
今度生まれた男児は私が嫡母として引き取ってあげましょう。
生母が「弟宮の妻」程度では格落ちして将来に触りましょう故にのう。
それに生母の父親が3DKの団地暮らしといった有り様では余りに不様ですしネ。
おほほほ、戯れ言でしたぞゑ。
         雅子語録より
109日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:36:26
院号の読み方

順性院 じゅんしょういん
実成院 じつじょういん
専行院 せんぎょういん

であってますか?
110日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:38:02
家斉の男色相手は何人居たか知っているかゑ?




111日本@名無史さん:2006/09/15(金) 23:51:12
紀子殿
今度生まれた男児は私が嫡母として引き取り手許で養ふてあげませうぞ。
生母が「弟宮の妻」程度では格落ちして将来に触りませう故になう。
それに生母の父親が3DKの団地暮らしといった有り様では余りに不様ですしネ。
おほほほ、ほんの戯れ言でしたぞゑ。
         雅子語録より



112日本@名無史さん:2006/09/16(土) 08:51:46
平民風情が大半を占める今の皇室など
最早や存在価値なしぢゃ!!!!!!

皇族と摂家の血統たる当家の方が遙かに高貴であるぞ!!


113日本@名無史さん:2006/09/16(土) 09:19:32
>>112

んなこたぁない。皇族だろうが摂家だろうが外祖母は庶民ばかり。昔からね
114日本@名無史さん:2006/09/16(土) 09:33:52
それは言い過ぎ。
いまの皇室はちょっと平民化が進みすぎなのは事実。
115日本@名無史さん:2006/09/16(土) 13:49:46
男色スレが無くなったからここに住み着いたのか
ホモ吉乙
1161:2006/09/16(土) 15:20:08
かゑは禁止です。
117日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:54:59
>>113
雅子や紀子の母方は大奥の側室の出自以下の悲惨さ
118日本@名無史さん:2006/09/28(木) 06:32:07
何で歴史板の住人は差別が好きかねぇ。
自分だって被差別者の可能性を無視して。
119日本@名無史さん:2006/09/28(木) 12:10:48
115番のド変態!!!!
サッサと死に腐れーイッ!!!!!!!!!!


120日本@名無史さん:2006/09/28(木) 20:00:58
母方の身分を重視しなくなったのは、いつ頃から何だろ?
武家でも公家でも、時代が進むにつれて生母の出自が低くくなってる気がする
121日本@名無史さん:2006/09/28(木) 20:36:25
>>120
白河が土台を作って、鳥羽、後白河辺りから実行された
122日本@名無史さん:2006/09/29(金) 23:18:07
いまの皇室は平民化が進んでるなあ・・・。
徳川冬子さんが皇太子妃になってたらどうなってたんだろうね。
何故か徳川家から皇室入りした人は子宝に恵まれないけれど。
123日本@名無史さん:2006/09/30(土) 06:39:59
徳川和子は、十分恵まれ過ぎてると思うが。
124日本@名無史さん:2006/09/30(土) 07:34:22
失敬。確かに和子は子福者だが、肝心の男の子がみな早世している。
高仁親王の死はきなくさいもんがあるけどね。
125日本@名無史さん:2006/10/01(日) 01:56:52
和子が子をあげるまで、他の女房たちは堕胎を強要されたり
流産させる薬を服用せられたりしたのだから、和子は恵まれた環境w
126日本@名無史さん:2006/10/02(月) 22:22:13
大奥をネタにしたAVが出たね
127日本@名無史さん:2006/10/03(火) 12:53:41
紀子殿
此の度生まれし男児は東宮家で養育して差し上げませうぞ。
ゆくゆくは愛子の聟に迎えて皇婿として遇することと致しませう。
さうです。愛子女帝の配偶者として上げると言ふて居るのですよ。
生母が「弟宮の妻」では、よもや将来、天皇として登極出来る等
といふ大それた非望を抱いては成りませぬ故になう。
      「雅子語録」より

我が東宮家と内廷外の平宮家ズレとを一つに思ふては相成りませぬぞゑ。

128日本@名無史さん:2006/10/03(火) 12:57:19
>>127
あちこちにコピペしてるけど面白くないよ
129日本@名無史さん:2006/10/06(金) 09:00:09
光格天皇だって生母は田舎生れの平民だぞ。
130日本@名無史さん:2006/10/10(火) 17:41:30
>>129
当時は平民なんて身分は無かったわけだが
131日本@名無史さん:2006/10/16(月) 00:41:42
やなツッコミ
132日本@名無史さん:2006/10/25(水) 18:43:28
過疎スレage
133日本@名無史さん:2006/10/26(木) 15:50:46
大奥モノの本で、瑞春院お伝の方について落飾後の醜聞が云々…でも事実じゃないだろうって記述があった気がしたんだが、お伝は何したのよ。
134日本@名無史さん:2006/10/26(木) 16:57:35
だから、何もしてないんだろ。
135日本@名無史さん:2006/10/26(木) 19:43:17
いや、それは分かるけど、どんな噂が立てられてたのよ。
136日本@名無史さん:2006/10/27(金) 14:55:53
お伝の方にスキャンダルってあったの?
新典侍の間違いでは?
137日本@名無史さん:2006/10/27(金) 18:49:58
「大奥オナニーの乱」男同士のAVが発売された。
138日本@名無史さん:2006/11/01(水) 01:53:37
その後のお伝の方について、巷説はいくつかの醜聞を伝えているが
事実とも思えないので、ここには省略する。
(徳川妻妾伝)
139日本@名無史さん:2006/11/01(水) 20:05:09
醜聞ってまさか吉宗とじゃないよな。
140日本@名無史さん:2006/11/02(木) 02:01:10
だから、興味本位で書かれたただの巷説なんじゃね。
141日本@名無史さん:2006/11/05(日) 21:34:17
水野家の大奥工作のため、家慶側室になったお琴。

家斉側室にもお梅・お歌と水野氏が二人いるよね。
この辺りも何か裏があるんだろうか。
142日本@名無史さん:2006/11/08(水) 14:12:58
皇室ネタとテレビネタは、スレ違いなので書き込まないように。

>>141
家慶側室のお琴の方の父は、紀伊徳川家の御付家老で3万石余の城主。
家斉側室のお梅の方の父は、小姓組の旗本。
家斉側室のお宇多の方の父は、小普請組の御家人。

御付家老の水野家と旗本御家人の水野家は、多分江戸時代には無関係だと思う。
戦国時代以前に同祖だとしても、有名大名等と同苗字の旗本御家人は腐る程いる。

>>109
確証はないけれど自分も、あなたの院号の読み方の方が、仏教的で正しいという気がする。

順性院 ○?じゅんしょういん ×?じゅんせいいん 家光側室お夏の方
専行院 ○?せんぎょういん  ×?せんこういん  家斉側室お美代の方
実成院 ○?じつじょういん  ×?じっせいいん  紀伊斉順側室お操の方(家茂生母)
143日本@名無史さん:2006/11/08(水) 14:29:55
大奥が幕府を滅ぼした。
予算使い過ぎ。
144141:2006/11/08(水) 18:08:03
真性院お梅の方は家斉三男(女子説あり)を生んだが、産後の肥立が悪くて病死した。

お梅の臨終間際の願いにより、家斉はお梅の甥・水野忠篤を登用したといわれている。
忠篤はお梅の本名が「おみの」であったことから、美濃守となった。

ってコレは…デマか…
三侫人のルーツかと思ってワクワクしたのに。
145日本@名無史さん:2006/11/08(水) 18:12:07
>>144
どっちみち時の流れには逆らえなかったと思われ。
大奥の破格の予算が無くても、あのままの体制では幕府そのものを維持出来なかったとオモ
146日本@名無史さん:2006/11/08(水) 18:21:43
宝池院お歌の方の実父は、徳川実紀や徳川幕府家譜では水野守鑑とされている。

徳川夫人伝なんかでは水野忠直。

同一人物?それとも養父か?
だとすれば、紀伊新宮藩との繋がりもあったのでは。
という妄想。
147145:2006/11/08(水) 19:01:26
×144
>>143
148日本@名無史さん:2006/11/11(土) 08:18:48
贅沢だったとはいうけど、貧乏な公家育ちの御台所やその側近たちは
案外つつましやかな生活してたんじゃないかなあ。
149日本@名無史さん:2006/11/13(月) 00:27:43
豪奢な大奥で、その女主がなぜつつましく暮らすのだ?
御台様の体面ってもんがあるだろう。
京都からついてきた上臈たちには支度金も出ただろうしな。
ちゃんと棒給だって貰ってるんだから
東夷の地で一生奉公するかわり、
貧乏な実家での困窮を味わわずに済む・・・という輩も多かったし。

貧乏旗本や御家人の娘の奉公なら、宿下がりの手土産やなんかで
困ってたことも多々あるだろうけどね。
150日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:13:22
そう、御台所の意思に関わらず、衣食住他のすべてにわたって、
御台所が大奥1番の贅沢をせざるを得ないような、システムが出来上がっていた。
賄賂等の裏収入はともかくとして、上臈は御年寄よりも俸給等が多い事だし。

それに公家というものの本質的体質は、使える金さえある状況ならば、
無駄で優雅な金の遣い道に関する知識や知恵や欲求は、武家よりも上だったと思う。
151日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:42:48
ああ、その茄子をわらわに下されませ!!
152日本@名無史さん:2006/11/13(月) 17:56:57
>>148
貧乏公家というけれど、将軍家や大名家と比べての事で、
五摂家や宮家は上級旗本並みで、その姫は使用人にかしずかれる生活育ち。

まあ上臈たちは、おおかた御家人並みの生活だったろうが。
正式の奥女中たちの出身も、だいたい貧乏旗本か貧乏御家人。

逆に奥女中の私生活に無給で奉仕する又者の部屋方たちは、富裕な町人農民出身。
上臈や御年寄の部屋方になるためには、年間数十〜数百両も親元から「お付け届け申し上げ」て、
嫁入り前の花嫁修業として、「行儀見習いをさせて頂く」、という建前だった。
153日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:04:02
上臈年寄たちなんて、大奥での奉公引退後は屋敷を賜ったり
悠悠自適の老後だもんな。
154日本@名無史さん:2006/11/14(火) 01:14:33
御年寄職の御用掛と大年寄とは違うの?
155日本@名無史さん:2006/11/14(火) 02:10:18
>>154
大年寄や筆頭御年寄という言葉は、映画等で聞いた事があるけど、
実際に存在した地位や言葉だったのかどうか、怪しいと思う。
大奥の決済事は御年寄が、小事は輪番で大事は合議で決する。
新参古参や実力の違いはあっても、身分上は御年寄一同同列。

御用掛というのは江戸時代後期に置かれた職らしく、御年寄又は上臈から1人兼務。
表役人である御用御取次と、常に密談する役。
156日本@名無史さん:2006/11/14(火) 22:50:00
>>146
そういえば、お歌の方は他の家斉側室よりも一日遅れて落飾してるな。
他の美代・八重・糸・蝶・瑠璃が感応寺事件に関わっている事を考えると、色々と想像が膨らむ。
157日本@名無史さん:2006/11/15(水) 09:00:06
世嗣が西の丸に移ったら、その生母も一緒に西の丸で生活するの?

それから、側室の生んだ子が御台所お養いになったら、手許で育てるわけではないの?

いまいちそのへんが分からない。
158日本@名無史さん:2006/11/15(水) 10:25:23
>>157
将軍・御台所、大御所・大御台所、正式の世嗣・世嗣御簾中は、真様。
世嗣以外の将軍の子女・養子女は、次様。 将軍生母・前将軍生母は、仮様。
以上の3種類が将軍の家族扱い(上通り)で、長局でなく御殿に住めて奥女中の主人となれる。

側室は現将軍生母にならない限り、世嗣生母でも上通りにはなれずに身分は一奥女中。
奥女中には必ず主人が決まっている。側室の主人は将軍・大御所・亡将軍。


世嗣が西の丸に移っても生母の主人は世嗣ではないので、生母は大奥長局住みで将軍に仕える。

将軍の子女は御台所お養いかどうかにかかわらず、お上通りなので大奥御殿で育てられる。
(家斉時代は、さすがにどうだかわからないが)
将軍子女の生母は奥女中なので、大奥長局で暮らす。所生の子女を手許では育てられない。
159日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:11:51
手元で育ててないわりには、自分の産んだ子をプッシュする側室多いような気がする
>将軍生母・前将軍生母は、仮様。
この辺のことに関わってくるからだろうか

なんかうまく書けなくてスマソ
160日本@名無史さん:2006/11/15(水) 12:50:23
>>158
宝樹院お楽は西の丸に家綱と一緒に移ってなかった?

家慶生母・香琳院お楽も。
161日本@名無史さん:2006/11/15(水) 13:43:32
>>159
大奥女中はすべて大奥長局に住み、長局から勤務場所である大奥御殿に、日勤夜勤で日々出仕する。
側室は、乳母や侍女に育てられている大奥御殿の我が子に、しょっちゅう「拝謁」した事だろう。
子供と同衾や授乳は出来ないが、母性愛や我が子の行く末を心配する気持は、世間と変わりない。

ゴメン、自分もなんかうまく言えなくて、ピント外れかもしれない。
162日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:12:59
>>161
なるほど。
母親といえども生んだ子を手許で育てる事は出来なかったわけだ。

じゃあ、子供の縁組や官位を授かるときなんかは事前に知らされてるのかな?
成長して大奥を出た後も拝謁する事は出来たのか?
163日本@名無史さん:2006/11/15(水) 15:54:39
>>160
家光側室の宝樹院お楽の方は、子の家綱と共に、大奥→二の丸→西の丸→大奥と移ったようだね。
綱吉以前は制度が整っていなくて、又将軍個人の恣意がまかり通ったので、云わば例外じゃないかな。

家斉側室の香琳院お楽の方は、御中臈上座→御年寄上座→御内証の御方(お万の方)同格と出世。
お楽が子の家慶と共に西の丸居住というのは、『幕府祚胤伝』のお楽の死亡記事からかな?

難文だけど、お楽は家斉に仕えて大奥居住・療養所で没・西の丸に遺骸移動、だと自分は思うな。
この時点で既に元服妻帯している、家慶が喪主に立つために、西の丸で通夜を執行したのだろう。
164日本@名無史さん:2006/11/15(水) 17:16:43
>>163
香琳院お楽が家慶を生んでから家斉の子女を生んでいない事を考えると、西の丸に移ったようにも思えるけど…
同時期に真性院お梅や宝池院お歌が御中臈に昇進してるのなんて、お楽の代わりに召し出されたようジャマイカ
165日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:10:05
>>164
家慶の西の丸入りは、多分家慶5歳の時。 家斉の側室には多産者が多いのに、
お楽が家慶以後出産が無いのは、産後体調を崩して、お褥すべりか石女になったのでは。
お褥の御用はなくなっても、名目上の主人は家斉なので、大奥居住だと思うけどな。

お楽も西の丸に移るには、お楽の主人が家斉から家慶に移る、「お付け替え」の正式辞令が必要。
我が子付けの侍女になるというのは、どんなもんだろう、考えにくい気がする。
御年寄上座・御内証の御方同格は、大奥内での他の側室・御年寄との席次配慮だと思うけど。
166日本@名無史さん:2006/11/15(水) 21:24:09
>>165
ふへー。
じゃあ「主人である将軍から、世嗣の養育を託された」という事もないのか。無いだろうな…。

>>162
なんとなくだけど、事後報告っぽい気が。
167日本@名無史さん:2006/11/16(木) 00:21:29
>>166
しつこいようで、どうもごめんなさい。
奥女中はお付けの主人の身近で働くものであるので、現将軍付けで西の丸居住はないと思う。

お手付き女中はたとえ一晩限りのお手付きであっても、将軍生母とならない限りは、
将軍没後でも一生飼い殺しで、奥女中の境涯を脱して引退する事は許されなかった。
同様の厳しさでお手付きには、お清とは異なりお付け替えが有り得なかったのじゃないだろうか。
168日本@名無史さん:2006/11/16(木) 00:29:22
朝廷も似ていた筈です。
孝明・明治・大正の三帝の母は全て女官だが正室の妃として育てられた。
孝明生母は正妃が全部死んだ後に女院号が与えられたが、明治大正生母は女院制度の廃止によりそれすら与えられなかった。
169日本@名無史さん:2006/11/16(木) 01:01:29
>>162  将軍子女の縁組や朝廷への授位の働き掛けは、将軍の意を受けた表役人の仕事。
内定結果が大奥の御年寄にもたらされたら、生母など関係者にはすぐに知らされた事だろう。

>>162  御目見え以上の奥女中の奉公中の宿下がりは、親の病気の時などのみ。
寺社詣でには寛大だったらしいが、御台所名代でもない限り我が子の大名邸訪問などは無理。

将軍の子でも成人男子は大奥内に入れないが、姫たちは毎年大奥を訪れ将軍夫妻に拝謁した。
その折には、実母との面会も必ずあった事だろう。
170日本@名無史さん:2006/11/16(木) 16:31:12
>>165>>167
そうかーやっと納得。
こちらこそウダウダとすまんです。

ちなみ御内証御方というのは、将軍家の家族と見なされたという事では無いの?
171日本@名無史さん:2006/11/17(金) 12:20:53
>>170
お内証の方……う〜ん定義がイマイチ、自分はよく理解できてない。

吉屋信子「徳川の夫人たち」での、世嗣以外の男子の生母たる側室や、
お台場「大奥」での、内緒で将軍・世嗣の女性初体験の相手を務める女性、
という使われ方は、間違いのようだね。
172日本@名無史さん:2006/11/17(金) 16:16:11
御内証御方…
家重側室・お逸の方、家治側室・お知保の方、家斉側室・お満の方、家慶側室・お美津の方。
御内証御方同格…
家斉側室・お楽の方。

他に吉宗側室お須磨の方もそうだったかも。

やはり将軍家の一員としての称号なのでは?
仮に世嗣生母の称号だとすれば、お逸の方が引っ掛かってしまう…
173日本@名無史さん:2006/11/17(金) 16:21:23
そういや御部屋様の称号もよく分からん。
徳川幕府家譜なんかでは側室はほとんど御部屋様だw
174日本@名無史さん:2006/11/17(金) 18:33:26
>>173  お部屋様の方は分かり易い。
大奥女中はすべて、大奥長局に住居用の「局部屋」を賜わるが、
独立して1人で1区画を貰えるのは、筆頭中臈以上の職制の者だけ。
並の中臈以下の者は、同僚2〜3人以上での相部屋となる。

上様付きの中臈でお手が付いた者は、御年寄・上臈・御客会釈など高級職の監督を受ける意味で、
それらの高級職のうちの誰かの部屋の、2階部屋に住居を移される。
妊娠し大奥御殿北の御部屋(産室)で出産を果たすと、1人で独立した局部屋を新たに与えられ、
例えお手付き中臈には変わりなくとも、お部屋様・お〜の方様・お腹様と呼ばれるようになる。
175日本@名無史さん:2006/11/17(金) 18:38:13
じゃあ御内証御方ってのは御部屋様の筆頭格だっていうのはどうよ?
それなら世嗣生母に相応しいし、それ以外の側室でもそう呼ばれる可能性はある。
176日本@名無史さん:2006/11/18(土) 10:40:22
>>172>>175
御内証の方の例を色々調べると、>>172で挙げてくれた他に、
吉宗側室の、田安宗武生母のお古牟の方と、一橋宗尹生母のお梅の方もそうだった。
家重生母のお須磨の方は、吉宗の将軍就任以前に没なので、大奥制度とは無関係。
家重側室で家治生母のお幸の方も、御内証の方ではない。

時代によって御内証の方の意味が、変わっていったのじゃないでしょうかね。
家重以前の時代は、「徳川の夫人たち」のように、世嗣以外の将軍の男子の生母を指す言葉。
家治以後の時代は、格上げされて、世嗣生母など側室筆頭1人だけを指す言葉。

こう考えれば辻褄が合うような気がします。
御内証の方が将軍家の家族扱いではないという、自分の考えは変わりませんけど。
177日本@名無史さん:2006/11/18(土) 18:20:48
大奥ってあれだけ金も暇もあって人数も多かったけど
平安時代の後宮のように文化的な活動が全くなかったのかな?
源氏物語や枕草子までいかなくても、同人レベルのはなかったのだろうか?
178日本@名無史さん:2006/11/20(月) 09:33:03
新潮新書の「大奥の奥」はおもしろかったよ。
作家が書いてるからどうかと思ったけど、入門書としてはいいんじゃない?
179日本@名無史さん:2006/11/20(月) 22:44:46
その新書、幕末会津藩の山本覚馬や直江山城の小説書いた女性作家だろ。
それなら、あまり深くは無いだろうな、
時期からいって映画の大奥の便乗かな。
180日本@名無史さん:2006/11/21(火) 06:41:05
でも新書だし安いし出版されたばかりだし、大奥好きとしては取り敢えず入手したいな。
あら探しでもして楽しもうか。 >>178さん、情報提供ありがとう。
・『大奥の奥』http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=%91%E5%89%9C%82%CC%89%9C
181日本@名無史さん:2006/11/21(火) 08:39:15
>>177
文化的な活動‥。殆どなかったでしょうね、年中行事は公家風のものも多かったけどね。
他には永光院お万の方や右衛門佐が、奥女中たちに文学の講義をしたらしいけど。

月光院は、天英院の仲介でか冷泉為久を添削の師として、和歌をよくした。
残された歌集『車玉集』の名には、「玉の輿」を暗示する自嘲気味のほろ苦さが感じられる。
・50歳の賀での詠草 「かくばかり老となるまでうきたびに いけらん身とは思わさりしに」

大奥ではないが、柳沢吉保の側室正親町町子(右衛門佐の養孫女)は、
栄華物語の藤原道長に吉保をなぞらえたような、『松陰マツカゲ日記』を残した。
擬古作ではあるが、江戸期の女流文学の中に数えられる。
182日本@名無史さん:2006/11/22(水) 20:14:15
>>181
講義をしたっていうのはお台場大奥や徳川家の夫人たちにもあったけど、ソースは何なのよ?

大奥は文化的活動というよりは、政治的・社会的活動の場というイメージがある。
183日本@名無史さん:2006/11/22(水) 23:34:35
>>182
自分は181じゃないけどさ、
希望する女達にたいして源氏の講釈くらいやったんじゃないの?
184日本@名無史さん:2006/11/23(木) 15:20:53
「大奥は礼儀作法を学ぶ場だから、きっと講義をしたはず」なんて、ちょっと無理があるけど。

それと、ソースをきちんと出すってのは大事なことだよ。
185日本@名無史さん:2006/11/23(木) 22:11:22
>>184
「大奥の女性は将軍の世継を孕むことが第一の目的、第二が将軍の快楽のためだから
教養なんて関係ないやい!!教養がある女は理屈くさくてつまんねぇ。
きれいで体が丈夫で穴さえあればいい。ってはず。」

という考え方もできるもんな。
186日本@名無史さん:2006/11/24(金) 02:52:38
>>184
習い事としては生花や茶道や和歌なんかがメインで、それらの教養の有無が昇進や将軍側室の条件の一つだった。

とあった気がする。
187日本@名無史さん:2006/11/24(金) 03:11:58
>>186
つ 玉
188日本@名無史さん:2006/11/24(金) 03:22:04
絵島は熟れた肉体をもてあます34歳だろ
仲間じゃ無理あるぞ今度のドラマ
189日本@名無史さん:2006/11/27(月) 03:20:52
>>188
スレ違い。

190日本@名無史さん:2006/11/27(月) 14:19:21
>>186
めっちゃ思いつきだけど、江戸時代と平安時代では「女の教養」ってのも
違うんだよなあっていうのを思った。
平安時代には茶道も華道もなかったわけだし、それで文化的なものっていうと
文学とか創作の方にむくようになっていたのかも。
もちろんそれだけじゃないんだけど、江戸時代のほうが身につけるべき、あるいは
没頭できる文化活動も色んな種類があったぶん、文学に対する需要もなかったのかも。
191日本@名無史さん:2006/11/27(月) 22:56:13
永光院や右衛門佐の講義云々ってのはソース無しって事でいいの?
つまり創作だと。
192日本@名無史さん:2006/11/27(月) 23:17:27
江戸時代の武家の女性に関しては、
男性よりも遥かに武士らしさを美徳としたってな話もあるみたいよ。
海音寺潮五郎の「剣と笛」では、
剣やら馬術はおろか、切腹に介錯、追い腹までした武家の女性の話が出てる。

>>190
そもそも平安時代と江戸時代では女性の社会的立場が違うよね。
平安女性は男性と対等な王朝サロンの住人だったけど
江戸時代では男性と女性の文化的な居住空間はすっぱり分離してるし。
193日本@名無史さん:2006/12/02(土) 00:52:01
あんまり大奥とは関係ないんだけどさ、側室の埋葬地ってのは幕府によって定められるわけだよね。
家斉没後に生存していた側室(東叡山がほとんど)と、そうでない側室(伝通院か増上寺)の埋葬地が違ってるのは、寺社との兼ね合いなのかしら?
194日本@名無史さん:2006/12/04(月) 23:34:10
徳川将軍家の菩提寺として、寛永寺と増上寺は同格だろう。
伝通院には将軍は埋葬されないので、かなり格落ちだが。
195日本@名無史さん:2006/12/05(火) 02:45:19
いや、そういう事ではなくて、家斉没後に生存してた側室は一緒くたに上野東叡山に葬られたのか、それとも家斉側室同士の派閥闘争みたいなのがあって葬地が違うのかって事が言いたかったんだ。
196日本@名無史さん:2006/12/05(火) 06:52:34
>>193の寺社との兼ね合い・>>195の派閥闘争、何を指すものなのかよく分からないけど。
単純に、原則としては家斉存命中に没した側室は、伝通院に葬られて、
家斉没後に存命した側室は、家斉と同じ東叡山に葬られた、っていう事じゃないかな。

家斉以前に没の者で葬地が伝通院なのは、お梅・お利尾・お美尾・お屋知・お八百・お志賀・お登勢。
例外は、現世継の家慶の母のお楽が寛永寺。前世継の竹千代(早世)の母のお万が増上寺。
現清水徳川家当主の斉彊の母のお袖が寛永寺。

家斉以後に没の者で葬地が東叡山なのは、お以登・お宇多・お蝶。
例外は、維新後の没のお美代が駒込の長元寺。葬地が不明なのは、お八重・お瑠璃。
197日本@名無史さん:2006/12/13(水) 00:53:23
家斉は泰姫の後に子をもうけてない。
どうしてだろう。
198日本@名無史さん:2006/12/13(水) 01:08:43
>>197
インポじゃない?54歳だしバイアグラなんてない時代だし。
それより32歳で保科正之をもうけて以来子供がいない秀忠のほうが不思議。
199日本@名無史さん:2006/12/13(水) 15:09:20
普通に嫁が怖かっただけでわ
200日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:24:01
>>198
そっか、男としての定年を迎えたわけだ。
秀忠は一夫一妻制を貫いたって事では?
お江与の嫉妬云々てのは俗説に過ぎないと自分は思ってる。
201日本@名無史さん:2006/12/13(水) 21:51:38
秀忠は丹羽長重への愛を貫いたから
正室とは将軍の義務として子作りしただけ。
202日本@名無史さん:2006/12/13(水) 22:09:20
つうかさ平安時代の宮中の女房は(下っ端)貴族の娘で和歌なんかの素養も無きゃ駄目だったけど
中宮の家庭教師的なこともやってたから
大奥とは下地が違ったんじゃないのかね

203日本@名無史さん:2006/12/14(木) 00:02:35
>>201
その話よく聞くんだが
いわゆるソースというか史料はあるのか?

そいえば秀忠の嫁は信長の姪だが
長重の嫁は信長の娘だったな。
長重の嫁さんもなかなかコワイ人だったようだが。
204日本@名無史さん:2006/12/14(木) 04:02:03
将軍側室が死んだら、それまで幕府から貰ってた給与はどうなるの?
他の誰かが相続したりするの?
205日本@名無史さん:2006/12/14(木) 07:08:55
>>204
御付の人や実家などに一時金が行ったかも知れんが、
大奥の予算が浮くので他の用途に使われる。
新しい側室へのお手当てになる事もありえる。
206日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:17:33
秀忠は男としてはまだまだだったが、
お江与の方の方が年齢上外聞もあるし、自ら女としての定年を決めたのでは。
お静の事で側室を持つのは面倒だと思った秀忠は、紳士面をして女には手を出さず、
内々に小姓で処理するか、自分で処理でもしてたのだろう。
207日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:12:55
>>203
レスアンカーを付けて特定の人に対して、回答でなく質問をする場合は、
ことさらぞんざいな口調を使うのは、相手に対して失礼だと思います。

相手は無礼な感じを受けて、答える気にもならないでしょう。
尊敬語を使うべきと迄は言わないけど、詰問調でない丁寧語尾でが穏当だと思われます。
208日本@名無史さん:2006/12/14(木) 23:41:29
209207:2006/12/15(金) 00:10:16
>>208
自分>>207>>201ではありませんけれど。感じた事を述べた迄です。
あなたは>>203>>208なんでしょうかね。
210日本@名無史さん:2006/12/15(金) 01:13:42
>>207>>208>>209
超どうでもいい。他でやれ。
211日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:49:03
宿直の女って、目の前で上様と正室や側室がセックスするのを
見るのってどうなんだろうな?
宿直まきこんで4Pすることとかあったのかな?
212日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:57:05
距離をとった別の褥で、背中向けてたんじゃないの?
その間には御簾おろしてたり、室内具を設置してたはずだし、
目の前で直視してたわけじゃないだろ。

それに「宿直」ってさーwww
213日本@名無史さん:2006/12/19(火) 10:57:38
あんまりおもしろいもんじゃなかったんじゃないかな?
女が派手に声出したりするのもだめ。
フェラチオだめ。
アナルだめ。
縛ったりもないだろうし、オナニーの見せっことかもしないだろうし
だめが多すぎて楽しくなさそう。
将軍が女を感じさせようとか喜ばそうという発想はないだろうから、
すぐ入れてすぐ出しておしまいっていう性交だったんじゃないのかな。
214日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:06:30
おまえ、どんな性生活してんだよ。>213

でも3Pとか4Pとかやんないのは、もったいない気がするな。
せっかく大量の美女が大奥にはいるのに。
俺が将軍さまなら裸にした女を20人とかはべらせて、次から次に
おまんこを渡り歩いてみたいな。
215日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:33:04
将軍って夜しかSEXしないの?
公務ない日はダラダラ一日中布団の中にいて
「次は○○を呼べ」
とかやることないのかな?

おいらこの前、ボーナス出たんで、ラブホのフリータイムに入って
ホテトルを4人続けて呼びました。それぞれ別系列の店。
朝から夕方までやりっぱなしにやりました。
4人目は生中出しOKだったんで振り絞って出しました。
半年に一度の贅沢ですが、
216日本@名無史さん:2006/12/19(火) 11:51:17
50人くらい子供がいた将軍いなかったっけ?
かなりやりまくってたんじゃないの?
217日本@名無史さん:2006/12/19(火) 15:29:57
大奥の設置目的上性生活の話題がでるのは仕方ないけど
故意に下卑た言葉つかってる下卑な奴が来てるみたいだな。
218日本@名無史さん:2006/12/19(火) 18:54:57
>>211以下
お添い寝役は上様と側室の両側に、上様付きの御伽坊主とお清の中臈が1名ずつ。
間に御簾などはなく上様と側室に背を向けて、眠らずに聞き耳を立てるのが役目。
翌朝に昨夜の様子を御年寄に報告する。御台所との場合にはお添い寝役は付かない。
宿直の御年寄などは、襖を隔てた次の間に詰めて夜明かしをする。

将軍には公務のない日はない。大奥泊まりは夜のみ。前後の入浴は中奥。
将軍は遅くとも当日昼過ぎ迄に、指名して大奥泊まりの意思表示をする事が必要。
219日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:23:26
>>218
お添い寝役は別のお手つき中臈じゃなかったっけ?
で、隣の部屋に御年寄とお清の中臈が寝ずの番。
220日本@名無史さん:2006/12/19(火) 20:43:31
>>219
御台所の場合だけお清。

あと、疑問に思ってたんだけど、御腹様や御部屋様になっても御添寝の当番はまわってくんのかな。将軍子女を何人も生んでるのに添寝させられる側室…可哀想。

221日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:27:20
お添い寝はお手付きが務めるのが規則だったというのは、
高柳金芳の筆先がすべった眉唾なのかもしれない、という気もするが。

将軍にとって最初のお手付きや、家定・家茂のようにお手付き中臈が1人しかいない場合は、
お添い寝にお手付きを充てる事自体が不可能。
222日本@名無史さん:2006/12/19(火) 23:34:47
俺が将軍なら絶対にお添い寝まじえて3Pとか4Pをやるね。
内山理名に尻の穴舐めさせながら、菅野美穂に中出ししたら気持ちいいだろうな。
223日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:01:30
>>222
おまえ、趣味悪いな。
自分が将軍様なら藤原紀香と浅野ゆうこと川島なおみと4Pやる。
ん?川島なおみは大奥にいなかったっけ?
かわりに高岡早紀でもいいや。
224日本@名無史さん:2006/12/20(水) 00:07:48
そういうことならだんぜん滝川クリステル。
今、テレビ見ながらそう思っただけだけど。
225日本@名無史さん:2006/12/20(水) 01:20:09
ボクならば歴代モーニング娘。全部と乱交したいです。
変になる前に広末涼子も奥に召し上げてましたね。
226日本@名無史さん:2006/12/20(水) 02:25:49
ああ、絵島さま・・・これくらいでもう堪忍してくだされ
227日本@名無史さん:2006/12/20(水) 19:17:36
いつのまにか性的願望を書き連ねるスレになってますな

どうせ将軍やるんなら50,000人くらい集めてオーディションで決めたいのぉ
228日本@名無史さん:2006/12/21(木) 20:29:22
下劣…しかも下ネタ禁止ですよね。
229日本@名無史さん:2006/12/22(金) 04:47:33
上臈は御台所付と将軍付の者がいますよね?
御台所付の上臈は輿入れなどに従って京から下向してきた公家の娘。
将軍付の上臈も公家の娘だったのでしょうか?
230日本@名無史さん:2006/12/22(金) 06:11:00
>>229
将軍付の上臈や小上臈も当然公家、正確には堂上家の娘です。
堂上家でも摂家・清華・大臣家の娘は、宮廷女房・武家女中に奉公はしないものなので、
上臈は羽林家・名家・半家の娘か、最低限正式の養女でしょう。地下人や旗本の娘では無理。
天皇直属の女官だったら、典侍・掌侍になれる家柄です。

上臈は御台所付・将軍付ともに、各1〜3人ぐらいは常置のようなので、
将軍付の上臈は、御台所付や先代御台所付からのお付け替えか、
コネ採用か、京都所司代を通じて適宜補充採用されたのでしょうかね。
上臈は最初から上臈か年若ければ小上臈に任じられ、下からの出世はしません。
231日本@名無史さん:2006/12/22(金) 20:46:14
>>230
ありがとうございます。
ただ、気になるのが徳川家定の乳母ともいわれる、上臈・歌橋なのですが…
将軍の側近く侍る者ということで特別待遇だったのでしょうか。
232日本人:2006/12/22(金) 22:38:27
大奥の財源はオランダ東インド会社の支払った出島使用料。
カピタンは江戸参府の折銀55貫を直接持参した。
233日本@名無史さん:2006/12/22(金) 23:27:40
肥後ズイキ【大奥セット】

肥後ずいき【大奥セット】は、新商品「異国人」を同封した肥後美人と肥後伝統の媚薬のセットとなっております。
世界最大のハーレム大奥では、男は将軍様のみの世界ですから、自分はいつ抱いてもらえるのか分からない世界です。
そこで肥後ずいきが大人のおもちゃ(通称こけし)であることを知り、ずいきを男代わりにして寂しさを紛らわしたという言い伝えがあります。
もちろん「小さいものより大きなものを!」というのは今も昔も変わりません。

http://www.higozuiki.com/oooku/
234日本@名無史さん:2006/12/23(土) 00:50:54
とても詳しい方がいるので、質問。

氏家幹人氏の著作に引用されていた逸話で(出典までは失念)
和宮が大奥入りしたとき、顔じゅう毛がぼうぼうで奇異だった、
と、奥女中の回顧談にあると。
氏家氏も、顔中毛むくじゃらは大袈裟なので
頻繁に顔のうぶ毛を剃っていた江戸大奥の女に比べて
顔のうぶ毛が目立った・・・くらいのことだったのでは?と
書いてあったのですが、
京と江戸武家の化粧の違い?、または皇族の女は顔にカミソリを当てない、
みたいな事からのことなのでしょうか?
それとも単にうぶ毛の濃い体質なだけだった・・・のかな?
235日本@名無史さん:2006/12/23(土) 10:33:10
>>234
奥女中の回顧談という事であれば、以下の書籍あたりでしょうかね。
三田村鳶魚著『御殿女中』青蛙房刊。旧東京帝国大学史談会編『旧事諮問録』青蛙房刊。
自分は持っているけど読みにくくて、一通り丁寧に読み直しての確認作業は苦痛。
古書サイトで入手して、ご自分で検証をして下さい。
236日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:02:54
>>231
将軍家定付きの上臈御年寄の歌橋については、女中分限帳に、
宿元(身元保証人となる実家の男子当主)との続柄が、「由緒」となっている。
奥女中の宿元は江戸近郊在住者に限るので、江戸に実家のない公家方の女中は、
縁故や紹介により旗本等を宿元に立てて、続柄は父兄弟甥等とも言えず「由緒」とする。
これにより歌橋は、公家方の出身である事がわかる。

歌橋が家定の乳母であるというのは、田井友季子の『江戸女人物事典』に記述があるが、
自分は、授乳をした本物の乳母出身ではないと思っている。
世継家定付きの筆頭女中として、養育係・乳母代わりの役目を負った上臈ではないだろうか。

家斉・家慶時代は、将軍子女の乳母に旗本の娘を採用する事が難しく、
採用された御家人以下の娘は御目見得以下の身分なので、授乳時子供に顔を見せないようにし、
授乳期が終わればお役ご免になった、という文を何かで読んだ事がある。
237日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:22:22
>家斉・家慶時代は、将軍子女の乳母に旗本の娘を採用する事が難しく、
なぜ難しくなったのでしょう。
238日本@名無史さん:2006/12/23(土) 16:42:44
>>237
さあ、よく分からない。w  やっぱり子女の人数が多いからじゃないの。
将軍や世継の子女1人について、昼夜交代要員として乳母2人ぐらいは必要かもしれないし、
グッドタイミングで充分に乳が出て、その上御殿奉公を望む女を、
旗本の娘でかつ旗本の妻の中からだけでは、探し切れなくなったんじゃないのかな?
239日本@名無史さん:2006/12/24(日) 00:37:12
>>236
ありがとうございます。
ちなみに『女中分限帳』というのは、どこで見れるものですか?
近年に出版された文献に記されているのでしょうか?

自分もどこかで目にした気もするのですが思い出せず、気のせいだったかも…
240日本@名無史さん:2006/12/24(日) 01:39:15
>>235
回顧談というので、明治期になってからの
御殿下がりの女性の話だとは思うのですが。

自分が知りたいのは、京と江戸武家の化粧の違い・・・というか、
顔のうぶ毛の処理方法が異なるのか?ということなんですよね。
回顧談の中に「和宮毛むくじゃら」の真相が書かれているわけでは
無いようなので、化粧史や御所風のおつくりに詳しい方はいないかな?
と思い、聞いてみたのです。
241日本@名無史さん:2006/12/24(日) 14:58:00
>>222 :俺が将軍なら絶対にお添い寝まじえて3Pとか4Pをやるね。
内山理名に尻の穴舐めさせながら、菅野美穂に中出ししたら気持ちいいだろうな。

拙者が将軍なら
正室には、高円宮の姫君をもらい
側室には、馬場典子、島田彩夏、笛吹雅子、島田彩夏らをはべらせ
足の裏は、高島彩、小林真央らに舐めさせるであろうな!!
242日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:48:25
真性院お梅の方の奥入り当初の役職、御抱守って何?
育児担当の女中ってこと?
243日本@名無史さん:2006/12/25(月) 01:39:54
養老院
244日本@名無史さん:2006/12/25(月) 08:03:50
>>239
自分の手持ちの本で女中分限帳の一部が見れるのは、以下の書籍です。

・教育社歴史新書『日本の女性名(下)』の中で、家斉付と和宮付女中の連名。
・青蛙房『御殿女中』の中で、家斉付女中名の一部と諸手当表。
・新人物往来社『歴史読本』平成10年6月号『徳川15代将軍家の夫人たち』の中で、
家定付の女中分限帳、家定・篤姫・本寿院付の女中の諸手当表。
245日本@名無史さん:2006/12/25(月) 10:44:34
国土地理院
246日本@名無史さん:2006/12/25(月) 14:26:08
>>242
乳母より格下の育児要員みたいなもんじゃないの?
247日本@名無史さん:2006/12/25(月) 14:58:28
伊集院
248日本@名無史さん:2006/12/25(月) 22:12:46
修道院
249日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:00:35
ところで今回の大奥の映画では誰か脱いだの?
仲間の乳首が見れるんなら金払ってでも見に行くが・・・
250日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:05:27
>>242>>246
お梅は父が旗本で淑姫御抱守なので、多分乳母より格上の育児要員じゃないだろうか。
ただし御抱守という役職名で、正式の職階名が存在していたものかどうか疑問。

行なう役目は御抱守だけれど、お梅が形式上任命されていた職階は、
例えば「御次」あたりじゃないだろうか。
あるいは例えば「御次格御抱守」といった職階が、将軍子女付には存在したのだろうか。
子女付の女中分限帳を見た事がないので、はっきりした事は何も言えないけれど。
251日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:13:21
仲間は無理だろう。
麻生裕未か中山忍あたりはリーチかかってるんだから
本来脱がさないといかんのだが。
フジテレビ肝いりだと無理かな。
五社監督あたりなら木村多恵でも脱がすところだがな。
杉田かおるは脱がなくてもいい。
252日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:25:38
このスレは、大奥の制度や、将軍の正室・側室、女中などについて語るスレ。
以上と無関係な、テレビ・映画のドラマネタ、下ネタ、院号ネタはスレ違いなので、
書き込まないように。
253日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:49:25
ググってみたら、将軍家ではないものの、出産に合わせて乳母や御抱守を募ったと出てきた。
やはり臨時の女中だったのではないかと思う。
何で読んだかは覚えていないが、泣いている子供をあやしたり、寝かし付けたりする女中がいたらしいので、御抱守がもしそういった類のものなら尚更に役職としては御次よりも下なのでは?
254日本@名無史さん:2006/12/26(火) 01:51:20
俺も木村多恵の乳首見たい
age
255日本@名無史さん:2006/12/26(火) 02:05:13
仲間由紀恵は乳首が異常に大きいという噂がある。
たぶん脱ぐ事はない。
今回の監督は悪魔のキスで常盤貴子(当時無名)に乳出させたディレクターだから
自由にやらせればどこかから有望な無名女優を見つけてきて脱がすか
ちょい落ち目女優を脱がすくらいはやっただろうに惜しい事をした。
現役女子アナの高島彩でも脱がせれば史上最高の祭りになってただろうが、それは無理か。
256日本@名無史さん:2006/12/26(火) 02:53:29
ここ見てると、上様の大奥での性生活ってつまらなそうですね。
将軍タンかわいそう。
子作りが仕事なんだから多少はムラムラやる気になる仕組みでも作らないと
奥泊まりを避ける将軍も出そうな気がする。
257日本@名無史さん:2006/12/26(火) 13:05:07
奥泊まりだけど女と寝ないというチョイスはあるの?
キャッキャッと側室達と呑んで騒いでそのまま寝るみたいな・・・・。
必ずやんないといけないってのも変なプレッシャーで楽しくないよね。
258日本@名無史さん:2006/12/26(火) 13:56:52
学習院
259日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:07:15
>>256
つ 徳川家光
奥泊まりがいやだったことで著名な将軍

もっともその理由たるや根っからのゲイだったから
というのが有力説だが
260日本@名無史さん:2006/12/26(火) 20:29:42
やっぱり大奥はセックスのワンダーランドにしとかないと世継問題出てくるよね。
今の千代田城もちゃんと世継製造所にしないとダメだよなぁ。
261日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:15:54

テレ東の恒例のトンデモ歴史番組で家重女性説をやってた。
家治がいるから、はじめからトンデモだが、
増上寺で発掘された骨盤が女性の骨盤の特徴があったよ。

あの骨盤の写真が本物だとしたら、考えちゃうよ。
まともな学者はどう説明しているのだろう。

262日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:16:51
逆に家治は誰の子なんだ?
263日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:25:35
>>262
吉宗とか?
264日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:47:43

家重女説の補足。

家重が生まれた頃、吉宗は尾張の吉通と将軍後継で張り合っていた。
吉通に先に世継ぎが生まれたので、11カ月後に生まれた家重は
男である必要があった。

言語不明瞭で大岡忠光としか話さなかったのは、女の声を隠すため。

吉宗が大奥のリストラをやったのは、大奥の女中を息のかかった者だけにし、
家重が女であることを隠すため。

家重が政治をしないで、大奥に入り浸っていたのに、側室が二人しか
いなかったのは女だったから。

家治の存在をスルーするとか、都合の悪いことは出さないので、
番組だけ見てい香具師は騙されていたと思うよ。



265日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:00:10
もしそれが事実なら、家重の逸話(酒や女色に溺れた)はどうなるのだろう。
この頃になると子女をもうけた者のみが側室って感じだろうから、側室の人数は関係ないと思うけど。
266日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:36:50
>増上寺で発掘された骨盤が女性の骨盤の特徴があったよ。
>
>あの骨盤の写真が本物だとしたら、考えちゃうよ。

こっちの方が気になる。
写真を間違えて張り付けたとか言う可能性はないんだろうか。
最も写真取り違えって学術調査報告書にはあるまじきミスだが。
267日本@名無史さん:2006/12/27(水) 00:40:59
テレ東の歴史ものは「所さんのトホホ人物伝」の流れだし、
とんでも理屈づけや、無理なこじつけも多いんだけど
ポッと面白いことを発表するよね。

でも、いつも出てくる加来耕三が大キライなんだけどさ。
268日本@名無史さん:2006/12/27(水) 01:08:28
家重女性説追加

小便公方→膀胱炎はたいてい女性
将軍は竹筒で小便を済ますのに個室の便所をたくさん作った
269日本@名無史さん:2006/12/27(水) 01:38:54
安野モヨ子の「大奥」の方がまだまし。
270日本@名無史さん:2006/12/27(水) 02:32:49
三十路引退
女の性欲や喜びが満たされない!

坊主の寺で毎晩やりっぱなし
271日本@名無史さん:2006/12/27(水) 03:43:37
仲間由紀恵のクリをペロペロクニクニしてグチャグチャにしたいお
272日本@名無史さん:2006/12/27(水) 09:06:08
仲間って乳首だけじゃなくクリもでかそう
273日本@名無史さん:2006/12/27(水) 09:46:29
仲間由紀恵似の女子小学生が近所に住んでるんだけど
しっかり舐めてるよw
274日本@名無史さん:2006/12/27(水) 13:59:06
一億総白痴とは、よく言ったものぢゃ!
275日本@名無史さん:2006/12/27(水) 16:48:53
映画のおかげで荒れまくり。
下ネタ・院号ネタ・映画やドラマネタは放置で。

自分は三田村鳶魚の著にある、奥女中の題目派と念仏派の派閥闘争が深く知りたいんですが、詳しい方いらっしゃっいますか?
276日本@名無史さん:2006/12/27(水) 18:11:30
人事院
277日本@名無史さん:2006/12/27(水) 19:17:08
まぁ大奥なんかより小中学生を強姦するほうが楽しいよ
選り取り見取りで一生ものの傷を与えられるからね
278日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:22:32
国学院
279日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:36:52
家光はホモ!ホモ万歳!
280日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:38:02
>国学院
それはどこのバカ大学?
281日本@名無史さん:2006/12/27(水) 21:50:16
ホモ最高
282日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:23:45
自分は土屋アンナがいいな。
283日本@名無史さん:2006/12/27(水) 22:48:08
整体院
284日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:09:53
ドライブ院
285日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:30:31
東横院
286日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:25:31
ズーム院朝
287日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:29:00
手淫
288日本@名無史さん:2006/12/28(木) 01:40:18
キャ院
289日本@名無史さん:2006/12/28(木) 02:56:49
院乱
290日本@名無史さん:2006/12/28(木) 10:57:50
鍼灸院
291日本@名無史さん:2006/12/28(木) 11:59:32
接骨院
292日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:27:12
衆議院
293日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:29:40
少年院
294日本@名無史さん:2006/12/28(木) 15:48:43
参議院
295日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:27:23
貴族院
296日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:46:11
伊集院
297日本@名無史さん:2006/12/28(木) 16:59:30
病院
298日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:17:52
大奥(再)
299日本@名無史さん:2006/12/28(木) 17:25:44
院果応報
300日本@名無史さん:2006/12/28(木) 18:22:33
笑えたのは287だけだな
つまらんから、いいかげんやめろ
301日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:11:23
湯布院
302日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:23:24
原子力安全保安院
303日本@名無史さん:2006/12/28(木) 19:29:12
正倉院
304日本@名無史さん:2006/12/28(木) 20:13:53
学士院
305日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:03:32
枢密院
306日本@名無史さん:2006/12/28(木) 21:35:04
大学院
307日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:03:53
院かげんやめろ
308日本@名無史さん:2006/12/28(木) 22:35:32
家重はエジプトのアメンホテプ4世みたいな感じだったんじゃないか?
病気で女性的な体型、でも子供は出来た
309日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:33:24
大奥での共食い行為(同性愛)はなく、単に「殿の胤をもらうに邪魔な者を消す」という
陰湿で女性らしい謀略があっただけ。女を生きるのに知能はいらないとはよく言ったもので、
女が10人集まると、とたんに粛清の嵐を巻き起こすというように、女は男より「上に立つ」行為が
好きなのだ。騙されてはいけない。彼女らは、下の口と上の口にモノが入れば、満足なのだ。
彼女らを人間と思ってはいけない。生殖器のみで動いている、エイリアンと思わなければ。
女性の知能はIQでいうと20くらいなのだ。後はすべて「生殖行為」に費やされているのだ。
こんなバカな「サル以上、人間未満」の生き物は根絶すべきではなかろうか。
310日本@名無史さん:2006/12/29(金) 00:37:38
大奧の女達は三十路になるとリストラされたってのはマジでつか?
311日本@名無史さん:2006/12/29(金) 02:58:55
奥女中の定員について知りたいです。
よく、「御年寄は定員七名」とか「上臈は定員二名」などというのを目にするんですが、これって時代によってまちまちなんですか?
それとも、規則として定めてはあるものの、特に守られなかったんでしょうか?
312日本@名無史さん:2006/12/29(金) 04:09:09
ヤマハ音楽院
313日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:36:46
美容院
314日本@名無史さん:2006/12/29(金) 06:46:06
陰核
315日本@名無史さん:2006/12/29(金) 12:15:22
精神病院
316日本@名無史さん:2006/12/29(金) 17:10:55
平等院
317日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:13:37
ボ院
318日本@名無史さん:2006/12/29(金) 18:14:16
差別院
319日本@名無史さん:2006/12/29(金) 19:38:34
歯科医院
320日本@名無史さん:2006/12/30(土) 01:52:44
>>310
「おしとね寝下がり」させられます。
30歳になると丈夫な赤ちゃんを産めないということで将軍と寝ることはできません。
将軍と他の側室との寝屋の添寝役(二人の様子や会話を報告する役。
以前将軍に対してある側室が柳沢吉保に百万石を与えるよう密約したことがあり大騒動となった)などをしていた。
将軍ご逝去後は桜田御殿だったかな?で隠居生活。

321日本@名無史さん:2006/12/30(土) 02:00:45
>>311
私も定員について知りたいです。
家斉は50人位側室いたらしいから、定員はあってなかったようなものなのかな。
詳しいこと知ってる方教えてください。
それから将軍のお手付きになったからといって、
全員が自動的に御中臈になれるものだったんでしょうか。
322日本@名無史さん:2006/12/30(土) 04:22:15
>>320
ついこの間も話題に出たが、御添寝役はお清の御中臈がするもの。
家斉の時代のように御手付があまりに多いようなら話は違うかもしれないが。

それから、柳沢吉保の側室・染子がどうのこうのは俗説に過ぎず、ましてや御添寝には関係ないと思う。
323日本@名無史さん:2006/12/30(土) 10:19:25
たとえば将軍がアナルセックスをしたくなったときには誰が止めるんでしょうか?
324日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:42:52
少年院
325日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:44:19
大奥(笑)
326日本@名無史さん:2006/12/30(土) 13:47:15
>>322
大奥での御添寝は考えられない。彼女は大奥にさえ上がっていないのだから。
だが、柳沢邸御成りの際はわからない。
俗説と断じる根拠もない。
327日本@名無史さん:2006/12/30(土) 15:48:51
うろ覚えだが、『徳川綱吉(人物叢書)』に牧野成貞の室や柳沢吉保の側室などに手を付けたという事実は近年否定されている、とあった気がする。

桂昌院や鶴姫、お伝の方、大典侍などへの待遇を考えると、綱吉はフェミニストだったのではないかと自分は思う。
328日本@名無史さん:2006/12/30(土) 16:10:35
>321
詳しくは知らないが、時代によって大奥の規模が違うし、人員整理も度々行われてきていることからも、定員は特に定められていなかったのではないかと思う。
『定本江戸城大奥』に収録されている、元奥女中の話によれば、御中臈の人数には変動があったという。
御年寄の人数も「ただのが○人、上臈御年寄が○人」とあって、自分はここからも上臈と御年寄を兼任した者が上臈御年寄となるのではないかと思っている。
329日本@名無史さん:2006/12/30(土) 17:03:16
自分の寵妃を家臣に下げ渡したり、家臣の妻女に手をつけたりするのは、
今とは違って、、当時倫理的な抵抗感もなくふつうに行なわれていた。
綱吉がフェミニスト・・・確かにそんな気はする。
吉保に賜った染子の弔い方をみても・・・吉里が我と染子と間に生まれた落胤
では?と、綱吉が疑っていたという説もこんなあたりが傍証になっている。
330日本@名無史さん:2006/12/30(土) 21:39:46
>>329
家康を除いて正式な側室や御手付御中臈を家臣に下げ渡したことはない、というのが前スレでの見解だった。
当時の習慣としてそういったことが行われていたとしても、武家の頂点たる徳川将軍家が下々と同様だったとは思えない。

染子は柳沢家家臣の娘に過ぎないというのが私の意見。
331日本@名無史さん:2006/12/31(日) 01:12:26
もうすぐ今年も終わり。
皆さんありがとうございました。
このスレで色々な事を学ばせてもらいました。
332日本@名無史さん:2007/01/05(金) 17:21:58
>>320
「おしとね寝下がり」 → 正しくは、「お褥(しとね)退(すべ)り」
333日本@名無史さん:2007/01/05(金) 22:22:11
>>332
御褥辞退ともいうけどな。
334日本@名無史さん:2007/01/07(日) 06:47:53
>>311>>321>>328
大奥女中の定員については、主人となる大奥居住の将軍家族の人数が時代によってまず違う。
大奥女中の主人たる大奥居住の将軍一族が、将軍1人だけだった時代と、
家茂・和宮・天璋院・本寿院・実成院がいた家茂時代では、当然大奥女中の総数が違うだろう。

家茂時代は和宮降嫁に付き添って来た京方女中の、長局の割り振りが難しい程だったそうだ。
上臈3人御年寄7人などと言うのは、1人の主人付きあたりの最大限人員の目安だろうと思う。

>>322>>327>>328>>330
多分同一人物の方の書き込みと思いますが、自分もなかなか同感する所が多いです。
質問に対する回答だけでなく、たびたびの書き込みをお願いしたいです。
335日本@名無史さん:2007/01/07(日) 08:54:51
>>321
将軍に見初められた者、御台所献上・御年寄合議での推薦・お庭御目見え等で将軍が納得した者は、
必ず、将軍付でない者は将軍付にお付け替えされ、
中臈未満の者は例え御目見え以下でも中臈に昇進した上で、閨に召されお手付中臈となります。

中臈より上の職階の者は、御客応答・御年寄等は大方30歳以上なので召される事はないけど、
公家方の娘である上臈・小上臈がお手付となった例はありますね。


家斉時代のお手付50人などは俗説に過ぎず、子女出産者は御台所を含めて家斉生涯で17人。
側室死亡や出産者の御客応答上座等への昇格で、将軍付中臈の定員は破綻しなかったと思います。
多産者が多い点から、家斉自身が側室の人数を無闇に増やさないように気を付けていたのでは。

側室たちの死亡・病臥・御褥すべり・生理・妊娠等により、お相手がいない時期にだけ、
新たなお手付を召すように、できるだけ家斉は気を使っていたように思えるのですがね。
それでもきっちり月に数回の奥泊まりを欠かさないだけで、あの子女数になったのでしょう。
30歳御褥すべりの制度と妊娠発覚後の交合禁止の点が、現代とは大きく異なります。
336日本@名無史さん:2007/01/07(日) 20:26:52
>>334
そう言って頂けるとありがたいです。Web上で大奥について知識を得たり議論できる場所は少ないし、自分にとってもこのスレは勉強になるところが多いです。

>>335
三田村薦魚によると、他におとや(登屋?)・おすか(須賀?)・百瀬が御手付御中臈といわれているが、その出自までは触れられていない。
将軍就任時から没するまでかなり長期に渡って女色を好んだ家斉だが、それでも御手付五十人は多いだろう。
実際は子女をもうけた者も含めて二十〜三十人ほどだったと思われる。
337日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:40:45
紀州から吉宗を持ってこざるを得ない状況っていうのは
それほど本家の体制がダメダメだったろな
338日本@名無史さん:2007/01/08(月) 00:44:44
江島、生島っていうのは当時っていうよりは、明治になってからだよね
興行としも歌舞伎自体が関わってるから、題材としてオモシロよね
339日本@名無史さん:2007/01/08(月) 14:30:28
>>338
日本語でおk
340日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:06:06
綱吉と信子の夫婦仲ってどうだったのかなあ?
比較的良好な方だったって説と、不仲説があるよね。
341日本@名無史さん:2007/01/09(火) 01:06:11
>>337
家継は第二次性徴前
342日本@名無史さん:2007/01/18(木) 17:58:47
>>340
家光と孝子も、元々不仲だった説と、春日局によって
別居させられた説とあるし、
天英院が吉宗を推薦した説もあれば、月光院が
推薦した説もある…
どれを信じてよいか解らんね
343日本@名無史さん:2007/01/18(木) 18:52:07
夫婦仲がどうのって、限りなく巷説の彼方のことだと思うので
あまり論考しないことにしてるけどね
344日本@名無史さん:2007/01/18(木) 21:57:11
>>340
本理院の別離の理由として、原因が家光にあるという説、春日局説、秀忠説がある。
関係ないけど、孝子が忠長と家光の仲を取り持とうとしたために春日局が怒ったとかいうのが何かの小説であったな。

浄光院が綱吉と不仲だとするのは桂昌院や瑞春院との対立に端を発するのだろうが、真相は不明。当時の将軍家の慣習として、正室に距離を置いて接していたのではないかとも思える。
345日本@名無史さん:2007/01/20(土) 21:14:26
>>343
公的な文書に書かれてるような類の話でもなく、
所詮は稗史家の記したものや
後世の作家の想像でしかないよな。

○○と××の本当の夫婦仲なんて、いくらでも創作できるし
本当のことなんて誰も知りえないことだ。
346日本@名無史さん:2007/01/21(日) 10:29:36
>>344
実際ありうるかどうかはともかく、
話としては本理院が家光と忠長の仲を取り持とうとしたのは、
何だか惹きつけられる話だね。
347日本@名無史さん:2007/01/21(日) 16:43:49
お万の方が春日局や土井利勝から懐胎を禁じられていたって話、
ほんとうかな?
もしそうなら、将軍個人の感情とは別に、宮家や公家が外戚になるのを恐れて、
御台所をことさら遠ざける幕府の政治的意図を感じるけど。
348日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:22:07
避妊薬を飲まされていたというのはいくらなんでも違うだろう。
流産させられたというのも、当時の医術では母体に負担がかかり過ぎるのでは。
たまたま懐妊しなかったお万の方に対する揶揄・邪推の類に過ぎないと思うが。

家康が徳川の血筋に公家の血を入れないように命じたというのは嘘か真か。
349日本@名無史さん:2007/01/22(月) 10:51:45
>>347
そういう逸話も実証するものが無いんだからさ。
(公的な文書や日誌にとどめられる類の話でもないけど)

後の人々が状況や政治的背景を考慮して考え付いた推測は、
現代の自分たちでもうなづける部分の多い論ではあるけど
面白おかしく創作しようと思えば、なんとでも作れる理由だ。

お万に関しては、上級公家の娘でもなく、
その血をひいた子が誕生しても大勢に影響するとは思えない。
ただ江戸の武家女たちからすれば、都の女が将軍の種を宿すことへの
嫉妬羨望中傷は渦巻いたであろうけどね。
350日本@名無史さん:2007/01/22(月) 11:39:15
>>340
信子の母親は秀忠の陰謀で悲惨な生涯を送ったから、その孫の綱吉の嫁なんかになりたくなかった。
351日本@名無史さん:2007/01/22(月) 15:43:49
>>350
詳しくお願いします
352日本@名無史さん:2007/01/22(月) 23:49:02
>>350
梅宮のことを言ってるんだろうが、彼女が仏道に入った年と信子の出生年とが合致しないので、梅宮=信子の生母というのはちょっとなあ。
353日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:36:31
お万の実家六条家は歌学の家で、政治的にはメジャーじゃないですが、
従二位権大納言を極官とする羽林家。暦とした上級公卿と思うけど。
実際、お万の弟忠元は高家に取り立てられているし、
姪は、綱吉から吉宗の代まで30年以上も老中を勤めた土屋政直の正室になっている。
もし将軍生母となっていたら・・・って考えると。
それに、当時はまだ幕府にとって朝廷は脅威で、それだけに介入しきりの時代でしたから。
354日本@名無史さん:2007/01/23(火) 02:27:12
六条家は羽林二十五軒のうちに入ってはいるが
羽林家ってたくさんあるし、そんなに力のある家とも思えない。
355日本@名無史さん:2007/01/23(火) 03:09:59
家光の代で朝廷は脅威と呼ぶほどの力はないだろ。
356日本@名無史さん:2007/01/23(火) 07:35:21
>>353
羽林家は上級公卿ではありません。中級貴族です。
本当の上級公卿は、宮仕えなどはしません。
本来の上級貴族は、摂家、清華家、大臣家。
羽林家でしかも、家禄が265石の家の娘は出家
するしかないのが当時の常識なのです。
そんな意味では、永光院幸せだったし、周りにも
幸せを与えたんだと思う。

>355
そんな永光院の実家だからこそ脅威にはならないと思う。
朝廷はちょっと微妙だけど。
357日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:32:06
上級、下級、まして中級なんて仕切りは確たる根拠がなく、
そう区別する人の主観なんだろうけど、
「上達部」と呼ばれる大中納言・参議、その他三位以上の人は公卿の中でも上位だろうな。
まあ三位自体が「上階」と呼ばれているし。一つの基準になるのかも。
>>356の言う財力は、必ずしも公卿の家格を反映しない。
358日本@名無史さん:2007/01/23(火) 21:56:21
>>357
今問題になってるのは六条家の家格ではなく、家光とお万の間に子が出来た場合に、幕政に口を挟んだりするなどの影響があったかどうかではないでしょうか。

>>356が言うように、貧乏公家ではそうした事は不可能だったと思いますが。
359日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:38:10
>>358の意見は、やや脇道に逸れ気味の話題の修正になるね。
ただ、お万の実家がどうたらこうたらというより、
大きく朝廷・公家勢力というカッコで括って、それが徳川将軍家の血統に
血を扶植されることを嫌ったとはいえないだろうか?
後水尾〜霊元帝に至るこの時期、朝幕関係は緊張状態にあったうえ、
朝廷はその後もずっと幕府にとっては潜在的脅威だったと思うよ。
360日本@名無史さん:2007/01/23(火) 22:59:17
やはり側室で、同じ羽林家の梅渓道条の娘お幸の方は、家治を産んで将軍生母となった。
嫉妬心が強すぎて、家重に疎まれたらしいが。
時代背景が違うって、叱られるかな。
361日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:10:01
公家の力を過大評価したがる人がいる。
362日本@名無史さん:2007/01/24(水) 23:49:48
綱吉〜家宣の時期は積極的に公家の息女を側室にしてるよなあ。
何か公家の血を入れたくないってのがピンとこない。
363日本@名無史さん:2007/01/25(木) 00:19:40
>>361
そうそう、俺もそう思ってた。
朝廷は権威があっても貧乏過ぎて話にならん。
364日本@名無史さん:2007/01/25(木) 08:39:44
>>362
綱吉家宣は歴代将軍の中でも公家文化が大好きな人だから。
家光の時代に公家が嫌われたのは
和子入内で朝廷との関係が悪化したためかもしれん。
365日本@名無史さん:2007/01/26(金) 14:12:35
>>364
この本ぐらい読みましょう
『近世公家社会の研究』橋本公宣
366日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:54:19
綱吉は、桂昌院の影響があったのでは?
彼女は町民出で、武家対公家みたいな対抗意識が強くなく、
お万の方の引き立てがあったからこそって背景もあるから。
それに、学問芸能に親しんだ綱吉を惹きつけるため、右衛門佐や大典侍など
教養人を桂昌院あたりが選んだってこともあると思う。

家宣は、なんと言っても熈子の実家、近衛基熈を最大のバックボーンにしていたし。
武家諸法度を和文調に改めるあたりなんかも、公家流に流されていた感じ。
まあ、お須免の方は吉保の保身策からだろうけど。
367日本@名無史さん:2007/01/28(日) 08:43:52
5代将軍綱吉の正室の鷹司信子と
6代将軍家宣の正室の近衛熙子は
いとこ
368日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:35:04
鷹司信子の母親は佐々成政のむすめではないの?
369日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:17:56
>>367
母親が、いずれも後水尾の娘だからね。
でも信子と熙子の仲って、どうだったんだろうね?
少なくとも実家同士は、興福寺社務職をめぐって対立しているけど。
ま、当時五摂家は血統的には近衛対鷹司一族に分かれていたはず。
370日本@名無史さん:2007/01/28(日) 10:28:14
>>368
それは、家光正室の鷹司孝子では。
371日本@名無史さん:2007/01/28(日) 12:28:25
>>369
生母が共に後水尾の娘だったのですか?
妾腹では無かったのですね。
二人の生母の名前ないし院号が分かれば教えて下さい。
よろしく。
372日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:07:15
前レスにもあったが、だから違うでしょう、
梅宮文智女王を信子の母だとするのは。
禅宗に帰依したからとか、病弱だったからとか原因ははっきりしないが、
梅宮が鷹司教平と離婚し、出家したのが1640年。
信子が生まれたのが1651年。
信子の享年については52歳、59歳など諸説あるけど、
いずれにしても信子を梅宮が産んだとは考えにくい。
373日本@名無史さん:2007/01/28(日) 13:55:17
>>372
じゃあ、信子の実母は誰なのかな?
その名に信憑性があるのなら、納得するけど。
もともと宮や公家の出家って、結構いい加減だからねえ。

果たして「円照寺」を創建した梅宮が、それをモデルに三島由紀夫が書いた
「月修寺」の聡子ように純潔を徹したかどうか?
前夫教平との関係が清顕と聡子のようになかったと言い切れるか。
生年から誰でも怪しいと考える経緯にあえて構わず、公けには信子を鷹司教平と
梅宮の子とする・・・禁忌なるがゆえにことさら触れぬが、そのあたりの事情は
歴史の行間から察してくれ・・・って感じがする。
374日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:01:08
私は>>372ではないですが、同意見です。

信子は鷹司房輔の子、生母は鷹司兼熙の母と同じ大江氏。
将軍家との婚姻において祖父教平の子となった。
そう考えるのが矛盾がないと思いますが。
375日本@名無史さん:2007/01/28(日) 15:16:28
信子は毛利輝元のひ孫にあたるのか。
376日本@名無史さん:2007/01/28(日) 18:15:53
悪いけど>>374の解説は常識だよ。
>>373は『各家成員リスト』など、あまりネットを過信しないこと。
ま、「朝廷は権威はあっても貧乏過ぎて話にならん」て一蹴して、
その権威が曲者だってことに気づかない人よりマシだけど。
377日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:06:02
でも信子が藤原紀香の顔と体なら、かなりいい。
俺なら毎晩紀香だけでいい。
側室なんかいらん。
378日本@名無史さん:2007/01/28(日) 20:50:29
あの、質問なんですけど・・・
家綱の子を身ごもったといわれる「おまる」についてなんですけど、
御手付き中臈になる前に家綱に先立たれたのですか?
「おまるの方?」になっていたのですか?
379日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:32:23
374ですが、朝廷が各地の大名らと連携し、実質的な力を持ち始めたのは、幕府が衰退してきた江戸後期の話なのでは?
それまでは日々の生活にも事欠くほどに貧しかった朝廷が、そこまで大きな存在だとは私には思えないのです。

薄学で朝廷公家に関して疎いので詳しくは分かりませんが…
その点についてご存じでしたらご意見お聞かせ下さい。

380日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:35:10
>>378
落飾して御位牌を賜り、尼屋敷に御引移。
381日本@名無史さん:2007/01/28(日) 22:36:34
>>366
何勘違いしてんの?
382日本@名無史さん:2007/01/29(月) 01:13:43
浅宮顕子、八十宮吉子、真宮理子、比宮増子、
五十宮倫子、楽宮喬子…
↑徳川家の正室のこの方々の名前、
どう読むんでしょうか…
あきこ、さなのみや、さざのみや…ある程度は
探せてもほとんど「読み」が見つかりません
383日本@名無史さん:2007/01/29(月) 19:57:41
>>382
手元にある”「大奥の謎」を解く”だと、

浅宮顕子(あさのみや あきこ)
八十宮吉子(やそのみや よしこ)
真宮理子(さなのみや まさこ)
比宮増子(なみのみや ますこ)
五十宮倫子(いそのみや ともこ)
楽宮喬子(さざのみや たかこ)

となっています。
384日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:03:10
質問
大奥の年寄りでだいたい禄高はいかほど支給されてたのですか?
385日本@名無史さん:2007/01/30(火) 00:30:49
>>384
ググれ
386日本@名無史さん:2007/01/30(火) 07:58:58
低レベル杉
387日本@名無史さん:2007/01/30(火) 12:39:11
みんな知りません。
以上!
388日本@名無史さん:2007/01/30(火) 13:49:11
>>383
ありがとうございます。意外と字のままの読み方が
多いですね
389日本@名無史さん:2007/01/30(火) 23:19:31
大奥の糞尿は、肥汲み屋により回収され、江戸川区葛西付近の農作物肥料としてリサイクルされたそうです。
390日本@名無史さん:2007/02/03(土) 16:41:45
江戸東京博物館で江戸城展やってるな。
行った人いる?

私は明日行ってきます。
391日本@名無史さん:2007/02/04(日) 05:39:39
江戸城展か、面白そうだな。俺も近々行ってみよう。
392日本@名無史さん:2007/02/04(日) 15:37:35
>>390-391
地方に住んでるんで、行けない。
感想聞かせてほしいなあ。
393日本@名無史さん:2007/02/05(月) 08:11:46
Wikipediaに大奥関係の記事が乱立しまくってんのね。
一つ一つの内容が薄杉。
394日本@名無史さん:2007/02/05(月) 09:50:41
>>384
まっとうな大奥本のようなものに普通に載ってることだけどね。
wikiなんて見ないで、図書館にでもいって調べてきなよ。

自分の手持ち本の記載は幕末の資料だろうけど
石高百石、十人扶持、合力金八十両、その他薪や炭、盆暮服拝領
その他に賄賂や取次料などで裏収入が多し。

>>390
江戸東京博での「江戸城展」には和宮の手鏡とかも展示されてるよ。
3月4日までね。
395日本@名無史さん:2007/02/05(月) 10:35:29
>>393
383の後、同様の記事が立てられてる…
396日本@名無史さん:2007/02/06(火) 01:51:18
>>395
ま、所詮Wikiですからね。
矢島局なんて娘を家綱の側室に斡旋したとか書いてある。
397日本@名無史さん:2007/02/07(水) 06:42:02
>>396
あれって間違いなの?信じてたよ…orz
398日本@名無史さん:2007/02/07(水) 13:53:59
>>397
新参者?
もっと勉強して下さい。
Wikiの大奥記事には誤りも多いので、ネットに頼らないこと。
特に、最近立てられてた記事は誤り以前の問題外。
399日本@名無史さん:2007/02/07(水) 16:06:33
wikiは大奥関連記事以外も(ry

戦国大名記事はコーエーガイド本の丸(ry
明治維新関係は会津厨の工さ(ry
近現代日本史関連では特定アジア系の工(ry

関連文献があがってない項目は注意して扱った方がいいよ。
400日本@名無史さん:2007/02/09(金) 23:21:23
でも日本女性人名辞典には、矢島局の娘お島が家綱の
側室になったという記述があるんだよな。手持ちの
それ以外の本ではお島の名すら出てこないが。
Wikiでは確か「お亀」と書かれてたっけ。
401日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:12:34
それを鵜呑みにするなんて…

矢島の娘は小島。
家綱の乳母を勤めた矢島の縁者ということもあって大奥に召し出された。

これが真実。
それを高柳金芳が曲解した。
402日本@名無史さん:2007/02/10(土) 00:16:52
つまり、ただの奥女中に過ぎない小島を「召し出された」=「側室に推挙されて御手付き御中臈となった」と解釈しているわけ。
403400:2007/02/10(土) 00:39:10
なんだ…ありがとう。
404日本@名無史さん:2007/02/11(日) 10:55:26
家綱が浅宮を正室に迎える頃まで、お万の方は落飾せず、
お梅の局として大奥に留まり、権勢を保った・・・ってほんとうの話なのかなあ?
405日本@名無史さん:2007/02/11(日) 15:34:26
お万がお梅と名を変えたという説もあれば、
全く別人という説もあるらしい。ただ、家光の死後
上老になったのは間違いないんじゃないかな?
406日本@名無史さん:2007/02/11(日) 16:45:36
「徳川夫人伝」「徳川妻妾記」・・・いずれも家光死後もお万が大奥に残った
とするが、上臈になったのは春日局死後のことだろう。
史料的には根拠薄弱で、お万とお梅は別人と見るのが妥当では?
これも高柳の先走り?
407日本@名無史さん:2007/02/11(日) 23:48:43
お梅も大上臈、お万も大上臈。弟が召し出されて高家となった点も共通している。
ここから、お万=お梅説が出ていると思われるが、実際には、お梅という人物はお万とは別に存在していた。
しかし、お梅が没したor引退した後、大上臈としての名「お梅」をお万が引き継いだ可能性は否定出来ない。
家綱の治世の初め、大奥老女の署名に「むめ」なるものがあり、これをお万と見ることも出来る。

ただ、将軍が死去した折に落職しなかった側室は、阿茶局のように特記されるはずで、その記録もない(というか落職の記録もないけど)お万が大奥に一女中として残ったというのは不自然。

明暦の大火の際に本理院と共に無量院に避難したのは、互いに子のない家光の縁者であり公家の出身であるからで、お万が大奥に残っていたからではないというのが持論。
お万は落職して、本丸近くの尼屋敷に引き移っていたのではないだろうか。
408日本@名無史さん:2007/02/12(月) 00:17:28
一度還俗した身だから落飾せずに残った、と
考えてたがそんな単純な話じゃないのか…
409日本@名無史さん:2007/02/12(月) 16:48:06
お梅の弟が高家?
お梅の素性は定かではないが、弟が高家ならその筋から素性を辿れる。
何という名か?ぜひ教えてほしい。

410日本@名無史さん:2007/02/12(月) 18:59:07
織田信長の五男、勝長の子孫
411日本@名無史さん:2007/02/12(月) 19:54:31
公家の樋口信孝の長女の梅が「大猷院殿上臈」で弟の信慶が御家人(のち旗本)に列して寄合になってる。
その息子信実が高家になって「中條」という苗字をもらっている。

ちなみにこの姉弟以外にも幕府仕えの次女、三女は尾張家で側室になっている。

梅の没年は天和三年
412日本@名無史さん:2007/02/12(月) 21:36:40
>>411
詳しいですね。
>>409ですが、ありがとう。
413日本@名無史さん:2007/02/12(月) 23:01:03
大奥って宮中サロンみたいに歌合とか、私家集編纂とかしなかったのかな。

文化的な側面も知りたいけど、大奥は才女ってイメージ無いよね。
414日本@名無史さん:2007/02/13(火) 02:07:35
まあ西洋に例えればフランス貴族の娘が
ロシア皇帝の妃になった王女に従って
雪深いペテルブルクへ行く感覚だろうし
パリの社交界の真似事をするのが精一杯では?
415日本@名無史さん:2007/02/13(火) 09:39:41
>>414
誰この無知
416日本@名無史さん:2007/02/14(水) 05:01:09
上級職に昇進するため、あるいは将軍の侍妾になるためには、ある程度の素養は当然要求される。
また、町人の娘が縁故を頼り、準備金を支払ってまで大奥に奉公に上がった理由の一つに、礼儀作法の他に華道・茶道・香道などの嗜みを学べるということが挙げられる。

そもそも京と江戸では文化の形態が違うし、宮中と大奥では存在意義が異なり、単純に比較することは出来ない。


417日本@名無史さん:2007/02/15(木) 00:35:38
右衛門佐や大典侍、新典侍を愛した綱吉みたいに、
京の雅に惹かれた将軍はいただろうけど、綱吉もいかにも儒学好きらしく、
その歌は古歌にせよ自詠の歌にせよ、芸術的というより教訓的だったらしい。
大奥の京風化が進んだといわれる、時の将軍家宣も自詠の歌は残っていないようだ。
まず将軍自身にとりあえず教養として身に着けるって感じはあっても、幼い頃から嗜むという
環境にはなかったからかなあ。
武家出の側室や女中の多くは、お伝の方のように嫉妬したクチでは?
418日本@名無史さん:2007/02/15(木) 09:27:07
だから、何度も言うが、京出身の女中と江戸出身の女中では奉公目的も違うし、勤務内容も違う。

嫉妬云々は推測の域を出ず、まして側室や老女同士の勢力によるもの。

奥女中による文化的影響は、関連書が出てるから、それを読んで勉強しろ。
419日本@名無史さん:2007/02/15(木) 20:24:28
エラそうな奴だな。
420日本@名無史さん:2007/02/15(木) 22:50:08
だが的確。
421日本@名無史さん:2007/02/15(木) 23:40:20
力んで偉そうに言うほどのこともない自明な指摘ばかりで、
的確もクソもないと思うがな…
まあ、スレ頭の>>1の忠告読み直すか、>>411のツメの垢でも煎じて飲むといい。
422日本@名無史さん:2007/02/16(金) 00:50:55
>>421
そんなあなたに「的確」以外の御指摘をお願いしますね。
私は418でも420でもないんですが、気になりまして。
あなたの言い方だとさぞ素晴らしい論説をお持ちなんでしょう。ワクテカ
423日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:00:32
さすがは大奥スレ
鬼女板とか同サロ板と同じ空気が漂ってきたわぁ(w
424日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:07:12
本当、ドロドロしてるわ。
425日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:13:18
昔はこんなじゃなかった気がするけどなぁ。
つってもこの流れにワクテカしてる俺。
どこまで自演か分からんが、早く>>421来ないかな。
426日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:24:48
大学院
427日本@名無史さん:2007/02/16(金) 01:38:22
工作院
428日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:45:20
俺は普段書き込まずに傍観してるんだが、レスを付けただけ>>418のが正しい気が。
何の反応も示さずにダメ出しするやつの気が知れん。
429日本@名無史さん:2007/02/16(金) 15:50:07
>>421を責めるのはお門違いも甚だしい。
というより、もうこの手の話題は終わりにしましょうよ。
430日本@名無史さん:2007/02/17(土) 00:26:21
将軍側室の子女が、御三家をはじめとした大名家へ養子に入ったり輿入れしたりすれば、当然その側室と大名家との繋がりが出来たと思うんですが…

その点に関して詳しい方いらっしゃっいますか?
調べるとして、諸藩の日記や書簡等は活字化されているのでしょうか?
431日本@名無史さん:2007/02/21(水) 16:33:25
閑古鳥
432日本@名無史さん:2007/02/24(土) 11:02:20
ああ。
433日本@名無史さん:2007/02/26(月) 02:50:17
江戸東京博の「江戸城」展、閉会間近。

江戸開城時、滝山はすでにお暇をとって城内には居なかった!
展示の最後にこういう内容のパネル説明がありました。
434日本@名無史さん:2007/03/05(月) 22:09:10
正室・側室・お手付きは、割合と資料があるけど、
お清の奥女中でその女中名と存在が実証されているのは、どのくらいいるんだろう。

時代別に考えてみない? まず家康時代、奥向きの取り締まりは阿茶局がしてたんだろうけど、
家康隠居までの間の、江戸城本丸(大)奥長局居住のお清の女中名、自分は1人も知らない。
誰かご存知の方、いらっしゃいますか?
435日本@名無史さん:2007/03/06(火) 00:17:35
お福が家康の側室で、家光はお福の子供だったという説を読んだ。
かなり説得力があると思った。
436日本@名無史さん:2007/03/06(火) 01:30:42
それはないわ。
437日本@名無史さん:2007/03/06(火) 01:50:56
>>435
そうなら、完子 貰い手なかったんじゃない?ってか、生き延びれた?
一応、将軍の異父姉だったから九条家も貰ったんだし
438日本@名無史さん:2007/03/06(火) 02:58:45
でも、お福以後で乳母の立場で出世した女性は、いてるのかな?お福の子供達である稲葉も堀田も重宝されたもんね(後に刀傷事件の双方になったのは、皮肉だけど…)
439日本@名無史さん:2007/03/06(火) 14:44:20
男子禁制で相手もいない若い女子がたくさんいてどうしてたんだろう
440日本@名無史さん:2007/03/06(火) 21:38:25
張型を使っていたのは有名な事実。禁じられてはいたが同性愛もあったはず。
441日本@名無史さん:2007/03/07(水) 03:00:38
>>435
そういうのは興味本位の巷説だよ。
如何にもスキャンダラスで劇的だし、小説のネタになるだろ。

>>440
真面目な大奥の本にも普通に書いてあったりすることだけど?
ほい、江戸時代の川柳
・張形は埋めやと局 末期なり
こういう大奥女中と張形を詠んだ川柳は数百句も残っている。
二人で相対して使用できる張形もあり、勿論女同士で使用した。
442日本@名無史さん:2007/03/07(水) 10:48:24
うん。知ってる。
男子禁制だったにしろキモいよな。
443日本@名無史さん:2007/03/08(木) 22:33:54
昔はゲイが流行ってたから当時の感覚としてはどうなんだろうね
444日本@名無史さん:2007/03/09(金) 19:51:43
衆道と同性愛はまた別物だけどね。
当時の文化や慣習としての同性愛と、大奥のそれはまるで違うものだから何とも言えないな。

表向きは禁じていても、内実としてはそうでなかっただろうね。
445日本@名無史さん:2007/03/15(木) 00:08:47
『大奥の美女は踊る』読んだけど
アレな内容だったな・・・
446日本@名無史さん:2007/03/28(水) 00:40:09
>>437
なんで完子?
異父姉の完子は、淀殿の猶子として九条家に嫁いだから関係ないよ。
447日本@名無史さん:2007/03/28(水) 05:38:46
>>446
淀殿の猶子だからこそ家光の異父姉じゃなかったら、
大阪の陣のあとに徳川家に媚びを売る意味で九条家から追い出され、
徳川家に媚び売るために九条家ではなくてもそこらの連中に殺されてたと思う。

家光の異父姉だけに「負組関係者だけど、さて、どうしたらいいもんか?」
ってまわりの感じだったのでは、
448日本@名無史さん:2007/03/29(木) 15:34:41
佐々成政の切腹後でも、娘である鷹司信房の妻は妻のままなのだから
負け組の娘といっても追い出されるわけではないのでは?
449日本@名無史さん:2007/04/10(火) 16:39:30
あげ
450日本@名無史さん:2007/04/11(水) 23:58:20
>>447
九条家は豊臣家存命の頃から、
完子&お江ラインを使って徳川にすり寄っているし、
徳川は徳川で公家へのパイプとして使っている。

完子は豊臣家関係者と言うよりも、
徳川家と公家との繋ぎとして価値に重きを置かれている。
あと、家光の異母姉と言うよりも、御台所のお江の娘として見られていた。

そもそも公家は基本的に殺生しないから、殺されることもないよ。
451日本@名無史さん:2007/04/18(水) 22:03:02
日本史上でも実家が滅びてるのに追い出した話ってあまり聞いたことがない。
実家との関係が悪化して追い返せれた例はいくらでもあるけど。
まして殺された話なんて聞いたことがない。運悪くても仏門行きだと思う。
完子以外にも豊臣方の武将の縁女で公家に嫁いだ姫がいるけど
追い出されることなんてなく、平穏に暮らしてるし。
452日本@名無史さん:2007/04/19(木) 16:18:59
もう豊臣関係の話はいいだろ。スレ違い。
453日本@名無史さん:2007/04/21(土) 00:49:51
フジテレビの大奥三部作DVDでぜんぶ見ちゃったよ
おもしろかったw
第一作の幕末篇がいちばんまとも(作品として。歴史考証はわからんけどw)。
第二作は於福の覇権確立の政治ばなしで、いまいち。
第三作は歴史考証なしの与汰話でとばしすぎw
454日本@名無史さん:2007/04/21(土) 17:05:43
豊臣政権が続いてて大坂城に大奥があったら...
          
455日本@名無史さん:2007/04/22(日) 14:33:22
豊臣政権が続くわけがない。
そしてその奥向きは、大奥ではない。
456日本@名無史さん:2007/05/07(月) 10:58:58
普通の大名家は正室が権限を持ち、側室や侍女を取りしきっていた。
豊臣家でも、正室おねの権限は相当なものだったろうね。
江戸城の大奥の独特のしきたりは
将軍乳母春日局が決めたものが多かったと言うし、
将軍正室や将軍生母をも凌ぐ権力を大奥の女性官僚たちが握ったのも、
将軍乳母からなりあがった春日局の影響が大きいかも。
457日本@名無史さん:2007/05/07(月) 11:16:41
昨日、『エロ将軍と二十一人の愛妾』を観てきた。
お台場大奥の十分の一以下の予算で1700倍くらい面白かったぞ。
次回は5/11。
http://www.cinemavera.com/

関係ないけど同時上映の『聖獣学園』の多岐川裕美はやっぱ最高だった。
改造人間じゃない天然物の美人を久しぶりにスクリーンで観たって感じ。
しかもエロシーン満載。おまいらが好きなおっぱいもいっぱい。
458日本@名無史さん:2007/05/07(月) 18:41:49
>>456
老女が権力を持ったとしても、表向の老中らの方が格上で、彼らの意見ひとつでクビにされてしまう。
正室や将軍生母は御上通りで将軍家の家族として扱われるため、女中なんかとは比べものにならない。
459日本@名無史さん:2007/05/07(月) 20:07:31
>>458
老中が大奥に口出しできた事実はないよ。
なにしろ、大奥筆頭の御年寄の給料は、老中と同じ。
それほど、大奥の女性の権力は強かった。
大奥の女中は、将軍の名においてしか、処分できなかった。
正室や将軍生母すら、大奥に骨をうずめる覚悟の女中たちには抵抗できなかったよ。
将軍正室が、大奥の改革や側室選びを行った事実はないし、
将軍の側室、生母となる御中ろうを選ぶのは、彼女たち大奥勤めの女性官僚だった。
460日本@名無史さん:2007/05/08(火) 07:59:52
>>458
あくまで老女などの女中は老中よりも格下。
力を持ち過ぎた御年寄は老中の一声で解雇されてる。
あなたが言ってるのはいわゆる俗説で、最近の歴史研究者は以前のものとはまるで違った面から大奥を捉えている。
461日本@名無史さん:2007/05/08(火) 08:38:12

御年寄が老中より格下であった、解雇もされたという
史料をあげろ。
ここは学問板だよ?
それが当然。
462日本@名無史さん:2007/05/08(火) 09:05:22
分限帳。

近年再び盛んになってきた大奥研究において、基礎ともいえるもの。
これと史実を鑑みることで、大奥と表向の関係が分かる。

ならびに、松平定信政権の大奥対策などを読むといいですよ。
463日本@名無史さん:2007/05/08(火) 09:10:53
ちなみに、分限帳は国立公文書館で閲覧することが出来ます。
大奥について知るためにはこの分限帳を読むのが一番良いかと思われます。

私は史学科なので、通わされました…
464日本@名無史さん:2007/05/08(火) 09:20:39
日本語が通じない人だな・・・
松平定信がやったのは、将軍の名を借りた大奥の贅沢禁止。
これは将軍もまた質素倹約を心がけるということで、大奥側を納得させた。

そうじゃなくて、老中が、将軍の名を借りず、
まったくの個人の名で大奥女中の解雇ができたという史料だよ。
君は、老中が全くの個人の権限で大奥女中を解雇できたというのだからね。
史料の名前だけでなく、その箇所を引用しろ。
465日本@名無史さん:2007/05/08(火) 09:51:17
部外者だが、それはどうかと思うぞ。
資料を提示されてんだから自分で読めや。

466日本@名無史さん:2007/05/08(火) 11:17:58
>>463
そうなんだ。今日休みだから、国立公文書館に行ってみるよ。
たしか国会図書館の近くだったっけ。
467日本@名無史さん:2007/05/08(火) 11:42:35
そんな部外者の俺が指摘するに、>>464の言い分通り、松平定信の改革は将軍・徳川家斉の権威を借りたもの。
しかし、その内実としては家斉は幼少であり、補佐役として御三家・御三卿に信任されていた松平定信は独自政策を推し進めることが出来た。
その上で、一橋治済の息のかかった大崎・飯島、旧田沼派の高岳・滝川、権力の増大が予測された高橋・梅乃井を次々と解雇したり引退に追い込んだ。

この大奥に対する圧迫は改革のひとつではあったものの、親しかった女中から遠ざけられた家斉の怒りを買う一因となり、また定信の専制政治にも批判が高まっていたため、尊号事件をきっかけに定信は辞職させられる。

>>463の意見も間違っているわけではない。
例えば、大崎などの件は、先に松平定信が辞職させ、その後将軍に事後報告している。
468463:2007/05/08(火) 11:51:00
自分の読解力のなさが恥ずかしいです…


469日本@名無史さん:2007/05/08(火) 11:51:58
>大奥筆頭の御年寄の給料は、老中と同じ。
にはだれも突っ込まないの?老中手当はないでしょう。
470日本@名無史さん:2007/05/08(火) 12:02:49
ま、バカばっかだってこった
471日本@名無史さん:2007/05/09(水) 10:29:30
で、>>464はまだか?
472463=468:2007/05/09(水) 22:39:09
もういいじゃないですか、私がバカだったばっかりに・・・
473日本@名無史さん:2007/05/12(土) 00:05:55
家基生母のお知保の方は、家基と一緒に西丸に移ったの?
というか、家基自体西丸に移ったんだっけか?
474日本@名無史さん:2007/05/12(土) 19:13:35
質問
徳川家の血筋を保つために、大奥が作られたことになっていたけれど、
なぜ、7代で一度、本家の血筋が途絶えたの?
よく知らないけれど、この時秀忠の男系は途絶えたのかな?
大奥は上に書いた血筋を保つという目的には、応えられなかった。
そういうのは、建前で、大奥は天海の遊び場だったとかwww
その後、幕府の役人の遊び場になっていた・・・なんちゃって。
475日本@名無史さん:2007/05/12(土) 19:40:49
大奥とはいっても、そのときどきの将軍の趣向で、どうにでもなったからね。
2代将軍秀忠は、妻は正室お江与一人だったし、
そこから産まれた男子は家光と忠長の2人、忠長は切腹。
秀忠の男系子孫といえば、落胤の保科正之のほうの子孫は残ったと思うが、将軍位は継げず。
3代将軍家光は若い頃男色に溺れたせいで子供を作るのが遅かった。
家光の男子は側室との間に3人、長男4代将軍家綱は子がなく、次男が早世したため三男綱吉が養子となって継いだ。
5代将軍綱吉は多くの側室を持ったにもかかわらず、一男一女しか誕生せず、唯一の男子は夭折。
6代将軍家宣(家光次男の子)は仲むつまじかったと言う正室近衛ひろ子との子が夭折、
40代で将軍になってから側室をあてがわれたが、夭折せずに育ったのは家継ただ一人。
7代将軍となった家継は、幼くして霊元皇女八十宮と婚約したが8歳で夭折、徳川本家は絶えた。
大奥があったからといって、利用の仕方は将軍によってまちまち、
子ができるできないは将軍側の原因もあるので、
一概に大奥の責任とはいえない。

476日本@名無史さん:2007/05/12(土) 20:06:17
>>475
それも部分的にちょっと違うところもあるぞ。

忠長には長頼という男児がいた(これが時代劇にもなった長七郎のこと)。
けど、長頼に子孫がいたかどうかはわからない。

第6代家宣には館林藩主となった松平清武という弟がいて、8代将軍の候補になりかけたこともある。
この子孫は数代続いたようだが、養子を迎えて血統が変わっている。
477日本@名無史さん:2007/05/12(土) 20:30:50
まあ、男系でしかも長子相続ってのは限界があるんだろうよ。
分家から養子を入れたりするのは仕方ないことですよ。
478日本@名無史さん:2007/05/12(土) 20:32:34
>>475
突っ込み所が大杉
479日本@名無史さん:2007/05/12(土) 21:06:22
>>477
高い身分の家柄で出来たところあったら知りたいよな
480日本@名無史さん:2007/05/12(土) 22:05:27
>>479
天皇家だって違うわけだしね。

誰が言ってたか忘れたけど、男系だと身体的・精神的な障害を持つ子が生まれやすくなるとかいう説があった。
481日本@名無史さん:2007/05/12(土) 22:44:50
>>457
エロ将軍と二十一人の愛妾は面白いよね。
あれで女優がもう少しクオリティ高ければ邦画の最高傑作だったかもしれない。
482日本@名無史さん:2007/05/12(土) 23:51:30
>>480
>男系だと身体的・精神的な障害を持つ子が生まれやすくなるとかいう説

デタラメもいいとこ
男系だの女系だのは、家を誰が継ぐかという家系の話であって遺伝とは何の関係もないよ
分家から養子を貰おうが遺伝的には直系の男系子孫なんだから。恐らく近親相姦と勘違いしてると思われ。

家系を男子直系で繋げられないのは、跡継ぎの男子(孫)が多い子(子供)に後を継がせるんじゃなくて
後を継がせた子(子供)に跡継ぎの男子(孫)を作らせようとするから。
本人の才覚や長子であるかに関係なく、男子の多い子沢山の奴に後を継がせるという方法を採れば
(存続の保証を求めた世継ぎ)家系を男系のみで繋げるが、天皇や将軍をそんな基準で継がせていたら
誰が世継ぎか決まらない状況で後継者争いになるから出来ないだろうけどね。
483日本@名無史さん:2007/05/13(日) 01:18:07
大奥にいくら女が居ても将軍が種無しという可能性もあるからな
血筋を繋げるためだけなら多夫(将軍家の男子限定)多妻が一番いいんだが
それこそ酷い争いが起きそうだw
484日本@名無史さん:2007/05/13(日) 01:38:07
その場合、権力闘争よりも先に真っ先に繰り広げられるのが男子の出産競争
言わば若い頃からのセックス競争、平和的な争いかもw
485日本@名無史さん:2007/05/13(日) 02:24:11
>>483>>484
面白い意見だけど、社会秩序の観点から無理だよ。
486日本@名無史さん:2007/05/13(日) 02:49:09
無理な事を前提に話てるし、だからこそ「w」が付いてるんだろうに・・・
487日本@名無史さん:2007/05/13(日) 16:12:19
一夫多妻はおkで
多夫多妻は社会秩序的にダメってのも変な話だな
488日本@名無史さん:2007/05/13(日) 17:13:29
482=485なんだろうが、お前は夢がない。
みんなネタだと分かって話しているのに。
489日本@名無史さん:2007/05/13(日) 19:14:17
>483
日本の天皇家って、それに近いよな・・・
仁明天皇と文徳天皇父子から寵愛された滋野縄子、
伏見天皇と後伏見天皇父子から寵愛された正親町守子、
花園天皇と光厳天皇(養父と養子の関係)の寵女正親町実子、
天皇家の複数の男性から寵愛受ける女官とか、平気でいたモンな。
多夫多妻が天皇家が生き残った理由か
490463=468:2007/05/13(日) 20:44:39
将軍家にはそれはなかったみたいだな。
建前を大事にする武家だからだろうか・・・
491日本@名無史さん:2007/05/14(月) 19:04:06
スカパーの時代劇専門チャンネルで95年の大河ドラマ「吉宗」やってるよ
492日本@名無史さん:2007/05/14(月) 21:33:44
≪将軍さまがA中臈を指名するとき≫

○B中臈(但しお手付きされていない、お清という女)

○A中臈
○将軍

○御坊主(50歳位の剃髪した雑用女)

最低、床はこのようにひかれ、A中臈がおねだりしないよう、背中向
きに寝て、聞き耳を立てていたという。

また、将軍さまはウンチのあと、自身でお尻を処理していたが、御台所
様さまはお世話の者にお尻を処理させていたという。

本当だろうか。ちゅうぎ(木のヘラ)は使用しなかっただろうけど、前か
がみになって、立ちバックの体勢で後ろからちり紙で拭いてあげていた
のだろうか。
493日本@名無史さん:2007/05/14(月) 22:48:38
力士も付き人に拭かせるんじゃなかった?
494日本@名無史さん:2007/05/15(火) 09:21:13
>492
将軍さまもお付きの人にふかせていたと読んだぞ。
言葉の不明瞭な9代将軍徳川家重が大奥にとまった際、
お中臈とことを終えた後、もよおしたため、
そのお中臈が男性家臣の代わりに厠へ付いていった。
用が終わり、お中臈がお尻をふきあげたところ、
将軍は顔色を変えて何事かわめきはじめたが、何を言っているのかわからない。
ふきかたが足りないのだろうとふき直すと、将軍は泣きそうに顔をゆがめる。
途方にくれたお中臈が女中を呼んで、表から将軍側用人田沼意次を呼んでもらったところ、
痔で脱肛したため、いぼ痔を中へいれてくれということだったらしい。
この時代、さすがに紙でふいてたが。

495日本@名無史さん:2007/05/18(金) 23:26:37
age
496日本@名無史さん:2007/05/21(月) 01:24:14
来年大河の主役・篤姫はおまけさんの時は自分で拭いていたという。
497日本@名無史さん:2007/05/21(月) 15:33:35
>>496
まさかお台場大奥が証拠だとか言うなよw

・・・まあ、生まれながらにしてそいう習慣の人じゃないと
大奥のその習慣は耐え難かろう、とは思うが
498日本@名無史さん:2007/05/22(火) 02:22:45
>>496
お台場大奥だと?
人を馬鹿にするにもほどがある。
徳富蘇峰の『近世日本国民史 和宮降嫁』を
読破した自分に向かって、何と言う失礼な物言いを。

「おまけさん」(整理中)のとき・・・って言ってんだろ。
おまけの意味も知らんのか?

あんまり失礼な奴には出典なんぞ教えてやらん。

499日本@名無史さん:2007/05/22(火) 10:56:22
別にうんこの話とか、どうでもいい。
500日本@名無史さん:2007/05/22(火) 17:10:57
501日本@名無史さん:2007/05/22(火) 21:34:34
>>500

あらら、「うんこの話とか、どうでもいい」と言ったのが、その本人なんですけど…

502日本@名無史さん:2007/05/22(火) 23:52:02
笑止! 嘘だらけのwikiなんて見ないよ
503日本@名無史さん:2007/05/23(水) 22:58:32
496=498=502
504日本@名無史さん:2007/05/25(金) 09:54:30
御台所に使えた「上臈」の身元がわかるような史料ってあるんですか?
よく、公家の娘が使えたっていいますがどんな公家の娘なんでしょうか
505日本@名無史さん:2007/05/26(土) 05:04:56
>>504
上臈は、御台所付きだけでなくて将軍付きもいた。
史料によって生家が分かる者もいるが、分からない者の方がずっと多いだろう。

上臈の生家あるいは養家は、公家の中でも地下家では無理で、堂上家に限られる。
上流堂上家である摂家・清華・大臣家の娘は、宮仕えはしないものなので、
上臈の出身家格は、堂上家の中の中流である羽林家・名家か、下流である半家。
506日本@名無史さん:2007/05/27(日) 08:22:56
ところで御台所の便所で尻拭きの習慣って、
御台所の生家である摂家や宮家でも普通にあった習慣なのかな?
あるいはこの習慣自体京から持ち込まれたもの?
大名家の令嬢の場合どうだったんだろう?

すいません、教えてちゃんで‥‥。
でも何だか気になる。
507504:2007/05/27(日) 08:24:59
ありがとうございます。

大奥関係の論文をみるとときどき分限帳の一部が載っているのをみますが
親元が江戸での仮親になっていて実家が書いていないのでわからないです。
なにか実家が載っている史料はないかなと思ったしだいです
508日本@名無史さん:2007/05/27(日) 15:03:17
>>507
どんな公家っていうのは、実家の具体的な家名を知りたかったのですね。
宮廷公家系図集覧を見ているとたまに、「女子」将軍家女房とあるけど上臈名が不明。

上臈や小上臈でも家光〜家治時のお手付きなら、全員実家の家名が判明しているけど、
あとは右衛門佐とか家慶時の姉小路とか、有名人などが数人判明している程度でしょうね。
509日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:22:19
>>508
分限帳が読める環境と知識があれば、上臈だけでなく、奥女中全員の実家や仮親が分かりますよ。
といっても、発見された分限帳はごく一部ですが。
510日本@名無史さん:2007/05/28(月) 01:29:46
>>509
だから分限帳の宿元の欄には、上臈など公家方出身の女中だけは、
京都の実家肉親の記載が無く、代わりに「由緒」として江戸の縁故旗本名などが記載されている。
上臈などの実家名を調べるには分限帳は役に立たず、他の史料に頼るしかないがそれが殆ど皆無。
511日本@名無史さん:2007/05/28(月) 12:19:11
>>510
分限帳は時代によって書かれた内容が少しずつ違うので、家治時代のものには仮親だけでなく実家も書かれていましたよ。
512日本@名無史さん:2007/05/28(月) 12:36:43
>>511
へー、そうですか。すみませんでした。
自分は何らかの形で書籍転載の分限帳数種しか、見た事がなかったもので。

その家治時代分限帳記載のうち、上臈等京都出身の女中の女中名と実家名だけでも、
ぜひとも教えて下さいませんか、よろしくお願い致します。
513日本@名無史さん:2007/05/28(月) 13:06:02
>>512
それが、上臈御年寄の扱いが曖昧なんです。
例えば一般的に御年寄とされることの多い松島が上臈と記されています。
執筆者の不備なのか、この時代には上臈・御年寄の区別が曖昧だったのか、ほとんどの上臈が江戸出身です。

今は出先なので帰ったらまた書きます。
514日本@名無史さん:2007/05/28(月) 13:39:23
松島が上臈となっているのなら、区別が曖昧よりも執筆者の不備の可能性が高そうですね。
将軍付きだけの分限帳でしょうか。名前が明らかに上臈風の女中名はないのでしょうか。
三字名(苗字風の名)の全女中名と職階も知りたいです。色々とすみません、待ってます!
515日本@名無史さん:2007/05/28(月) 16:32:31
京都の公家方出身の「お清」の大奥女中で、その女中名と生家を自分が知っているのは多分、

お江与の方付き按察使・土佐一条家、綱吉付き右衛門佐・水無瀬家、家慶付き姉小路・橋本家、
和宮付きで、ふぢ・土御門家、るい・白川家、少進(絵島)・田中家、
和宮付きで大奥女中ではない女官の、宰相典侍・庭田家、能登命婦・鴨脚家。‥位だったかな。
516日本@名無史さん:2007/05/28(月) 18:05:00
>>514
松島は筆頭老女だったので、上臈御年寄だとしてもおかしくはないのですが、そうだとすれば上臈は公家出身という今までの説が崩れます。
明らかに下位の役職から繰り上がったものでしょうし、当時は江戸出身の女中でも上臈に就けたのかもしれません。
517日本@名無史さん:2007/05/28(月) 19:50:37
>>516
そうですねえ、軽率な判断は出来ないけれど、松島が正式の上臈とは自分は思えません。
その分限帳の信頼性というか出所が、大奥御広敷の公式書類なのか、
下役人などの忘備録の類なのか、とかによって違ってくるとは思いますが。
執筆者の職階称呼に対する意識が、博識・厳密・謹厳なものであったかどうか。

大臣家である三条西家の猶妹となり、朝廷から局名を賜わった春日局でさえ、
大奥総取締や御年寄ではあっても、上臈とは名乗ってはいない前例があります。
家治の御台所に対する待遇や、御台所お品側と松島お知保側との関係など考えると、
御台所や常識人の家治が、異例の任命措置を断行したとは思えません。

逆にこの時代が、上臈→上臈御年寄の過渡期だったのではないでしょうか。
式部官的な役回りだった上臈が、上臈御年寄という役名で御年寄の合議に加わり、
御年寄・上臈御年寄合同の通称老女衆の中に、席次を与えられるようになったのでは。
上臈御年寄より上席に平の御年寄がいてはおかしい、という判断が働いて、
筆頭老女の松島他の御年寄を、上臈御年寄又は上臈と記載してしまったのでは。

ちなみに上臈御年寄上座は全く別の観念。根拠裏付けのない推測でつい長文、失礼しました。
518日本@名無史さん:2007/05/31(木) 16:45:04
>>517
それは一理あると思います。
しかし、分限帳の最初に名前が記載されているのは本丸付き(将軍付き)の上臈御年寄(筆頭老女)が原則ですので、松島が先頭であるということはやはり上臈御年寄なのだと思います。

家治時代後期の分限帳にも、高岳という公家らしからぬ名の上臈御年寄が筆頭となっていますし。
519日本@名無史さん:2007/05/31(木) 17:04:57
家治時代の分限帳の一部です。
これは>>511さんの言っているものとは違い、上臈の一部には由緒とあります。
また、武家出身の者も遠縁であったり養女であるのかもしれません。
とりあえず、上役のみ。

【上臈御年寄】
高岳(浦賀奉行・林家)、花園(由緒)、飛鳥井(寄合・三枝家)
【御年寄】
滝川(小納戸・武藤家)、花島(大番・正木家)、野村(西之丸御留守居・笹本家)
【小上臈】
ふじ(中川御番・溝口家)
520日本@名無史さん:2007/06/02(土) 03:04:29
色々な考えで混乱してます。家治時代の年寄序列表のサイトがありましたので、ご紹介します。
○「江戸と座敷鷹」江戸城大奥の制度と力4 http://www.0105.jp/~mizuki/ohoku4.html
521日本@名無史さん:2007/06/02(土) 08:05:25
私は綱吉時代から家宣時代の分限帳の一部を持っています。

宝永6 豊原 常盤井 高瀬 富岡 川島
宝永7 豊原 常盤井 三室 高瀬 川島

筆頭老女は豊原(上臈御年寄)、次いで常盤井(上臈御年寄)、
高瀬・富岡・川島・三室は御年寄。
宝永7年に三室が急に現れているのは、富岡の引退・異動に伴うものでしょうが、
宿元の家格が高瀬・川島よりも上であるために分限帳の順位に変化が見られたということです。
522日本@名無史さん:2007/06/03(日) 07:23:09
素直な疑問
将軍付きの御中揩ノ昇格させた若い娘が処女であった場合、将軍がその娘と
にゃんにゃんしようとすると、痛がる娘を強姦するイメージがある。
部屋には複数の監視役もいただろう。壮絶な状況のなかで事がなされたの
だろうか。それとも、将軍さまに指名された時点で、御年寄連中に、張形
で開通儀礼させられていたのただろうか。すこし、えちな内容だけど避けて
とおれない事実だろうし。おせて
523日本@名無史さん:2007/06/04(月) 16:14:31
>>852
あまりに下世話。
524日本@名無史さん:2007/06/04(月) 17:48:59
>>852は下世話なネタを今からひねっておくように。
525522:2007/06/07(木) 06:13:42

誰か答えてよ
526日本@名無史さん:2007/06/07(木) 16:16:12
>>525
そんな寂しそうなお前に萌えた
527日本@名無史さん:2007/06/12(火) 17:45:07
>>522
そもそも、将軍以外の男の血が混じらないように大奥を男子禁制にしているのに、
事前にほかの男に貫通させたなんていう説は無理だろう。
布団を噛んで将軍様の御為、流血の痛みに絶えたんじゃなかろうか。
当然、痛がってかなきり声を上げる御中揩烽「ただろうが、
見張り番はまさか史料に残したりしないだろうし。
528日本@名無史さん:2007/06/12(火) 18:01:36
処女の証しの、血のついた布を
房事のあとに確認したとかいう話も伝わってるしね。

お輿入れの前の大名家のお姫様の「隠しどころ」を、
老家臣が視診する・・・なんて春画が残っているけど
それは面白半分の春画の題材にすぎないだろうな。
529日本@名無史さん:2007/06/13(水) 01:16:29
>>528
それは西洋の話なのでは
530日本@名無史さん:2007/06/13(水) 02:17:46
>>529
処女の証しの布を、寝所内の犬張子の中に入れて
後に確認・・・って話はあるよ。
531日本@名無史さん:2007/06/13(水) 12:08:24
>>530
将軍や大名の正室には処女性をある程度は求めたかもしれないが、
御中揩ノ対しては、どうかな。
もちろん、将軍に処女をささげた御中揩烽「ただろうが、
御中揩ノは、一般の家庭の町娘や未亡人などであっても昇格することができ、
大奥勤めをする以前の男性関係をいちいち調べ上げるなんぞ、不可能。
とりあえず、大奥に入って以降は将軍以外の男性との接触はだめですよ、というだけで、
それ以前のことはあまり問題にならなかったような。
532日本@名無史さん:2007/06/13(水) 12:08:45
なんつうか、処女でも初体験で血が出ない人もいるし、
個人差があることなのにな。

御中臈に昇格する条件にお清でないといけないという暗黙の了解でもあったのかしら。
533日本@名無史さん:2007/06/13(水) 13:25:13
御中揩フことが話題になっているけれど、将軍のお初は誰だったんだろうね。
やっぱり、乳母?
日本の天皇家や将軍家では、正室を迎える前、指南をすることが一般的に行われていたみたいだね。
通常は、実地といってもせいぜい数回程度のものだったから、
問題はなかったのだろうが、たまに、当たることがある。
平安末の高倉天皇、室町幕府将軍足利義政などは、第一子を自分の乳母に産ませていて、
いずれも乳母を妊娠させた時期は正室(高倉天皇の中宮平徳子、足利義政の御台所日野富子)
を迎える以前であることから、指南役であったのだろう。
鎌倉中期の「とはずがたり」では、筆者二条は、自分の亡き母が乳母をしていた
後深草上皇に処女を奪われるが、
「私の初枕(初体験)の相手は(乳母である)お前の母上だったのだよ。
それ以来、忘れられなくなったが、当時私は若くてウブだったので、他の男にみすみす取られてしまった。
やがて(乳母が)女の子を産んだと聞いたとき、お前(二条)だけは我がものにしようと決めていたのだよ」
なんて告白をされている。
将軍乳母は大奥に別室を与えられていて、将軍はいつでも体面できたし、
それを考えると、春日局と家光の関係も理解できるような。
534日本@名無史さん:2007/06/13(水) 20:23:17
>>将軍や大名の正室には処女性をある程度は求めたかもしれないが
秀忠の存在があるかぎり、おおっぴらには"正室は処女に限る"とか、言えないわな。
535日本@名無史さん:2007/06/13(水) 21:46:13
秀忠夫妻の時代は同業者同士の政略結婚だし、
戦国時代は離婚や死別も多いから、
後の時代の公家や皇族出身の正室とはかなり違う
536日本@名無史さん:2007/06/14(木) 09:30:56
秀忠ぐらいまでは、戦国大名じゃないか?
戦国大名には離婚、死別、再婚が多いし。
家康の2度目の正室朝日姫、秀忠の正室お江与、いずれも再婚者。
(お江与にいたっては、8歳年下の初婚の秀忠と3度目婚)。
将軍の地位が確立したのが生まれながらの将軍と自称した3代家光からで、
家光以降、正室の格式もぐっと上がる。
今川家の家臣の娘や、秀吉の妹を正室に迎えていた創業者家康などとは違い、
家光以降は将軍正室はすべて、摂関家か宮家の出身で(幕末にいたっては、本物の未婚の皇女が降嫁)、
天皇の中宮や女御と出自はかわらないからな。
江戸城大奥が整備されたのも、家光のとき。
大奥独特の化粧法やしきたりは、春日局によって定められた部分が大きいという。
537日本@名無史さん:2007/06/19(火) 11:01:49
質問です。
お部屋様の待遇は、ただ局部屋を与えられただけ?
それを賄う給金の加増はなかったのかしら。
538日本@名無史さん:2007/06/19(火) 11:25:34
>537
こちらのサイトが参考になるのでは?
役職によって、扶持が与えられていたようですよ。
大奥の女中たちが、熾烈な出世争いをした理由も、伺えるような・・・
もっとも、高位の女中は、「お清」です。

http://money.goo.ne.jp/column/story/06/index0609_2.html
539日本@名無史さん:2007/06/19(火) 13:52:25
じゃあ、何も待遇について記されていない側室も、実際には加給があったってこと?
540日本@名無史さん:2007/06/19(火) 13:58:35
江戸時代、将軍の側室とは、「御中掾vのこと。
大奥の女中は、将軍の手がつくと、「御中掾vに出世します。
「御中掾vとしての扶持を受けます。

541日本@名無史さん:2007/06/19(火) 16:27:02
それは分かってます。
じゃなくて、例えば家斉の側室(子女を産んだ者)の中で、宛行が何も記されていないのは御中臈のままの身分だったのか?が知りたいのです。
542日本@名無史さん:2007/06/19(火) 20:48:30
>>541
「御中臈」のままで、
給金(?)アップ&一人部屋(といってもお付は当然アリ)。
ご寵愛を受けた将軍が死亡or譲位した場合などの時に、
ごくまれに「上臈御年寄上座」や「御客会釈(応答)上座」」
なる肩書きをもらう事があるが、これはさらなる給金アップの名目。
「女中」の身分を離れたきゃ、将軍御生母になるしかない。
543日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:19:46
譲位したときに待遇が上がったのは誰ですか?
544日本@名無史さん:2007/06/20(水) 01:35:29
譲位とは言わないよ。
545日本@名無史さん:2007/06/20(水) 07:45:08
では、将軍が大御所となった場合に待遇が上がった側室は誰ですか?
546日本@名無史さん:2007/06/20(水) 19:48:20
>>545
手元に「大奥の奥」(鈴木由紀子)がある。

”十一代家斉の側室お美代の方は
家斉在世中に年来の精勤を認められ、
上臈御年寄上座待遇と毎年三百両の御手当が
支給された”by徳川幕府家譜
とある。

「在世中」が在位中か大御所時代かは書いてない。
547日本@名無史さん:2007/06/20(水) 20:28:22
それは大御所が没したのち、生存していた家斉側室が特別のお計らいとして、上臈御年寄上座格に任じられたもの。

将軍が生存している間に待遇が上がるのは、子女を産んだときだけ。
548日本@名無史さん:2007/06/22(金) 09:12:42
>>545
過去レスに、その疑問についてのレスがたくさんあったと思う。
549日本@名無史さん:2007/06/22(金) 11:47:39
前スレからいるが、家斉側室に関しての話題が出たのは、
・家斉が没したときに落飾しなかった者がいたのか?
・上臈御年寄上座格とは何か?
・法名の読み方

だった。
家斉が大御所になった時点での待遇の変更については何も議論がなされていない。
550日本@名無史さん:2007/06/23(土) 01:43:51
まあ、少しは自分で調べてみたら?ということだな。
551日本@名無史さん:2007/06/23(土) 02:45:38
幕府祖胤伝や徳川幕府家譜を読んだけど、よくわからなかった。
552日本@名無史さん:2007/06/25(月) 11:13:24
「別冊歴史読本 女人たちの江戸城 大奥」
占部典子著の「大奥人名辞典」
などを、古書店で探して購入して読めばOK。
553日本@名無史さん:2007/06/25(月) 15:27:36
御年寄上座格に任じられたのは家治側室お知保の方、家斉側室お万の方・お楽の方。
共通してるのは世嗣生母だってこと。

上臈御年寄上座格に任じられたのは家斉側室数名と、家慶側室数名。
これは将軍が没したため、側室の落飾した後の生活資金として与えられたもの。

大御所になった際にこうした待遇に任じられた者はいない。
>>550>>552は勿体つけてないで教えてやれよ。
554日本@名無史さん:2007/06/25(月) 15:37:46
家綱って子供できなかったけれど、SEXしなかったんですか?
555日本@名無史さん:2007/06/25(月) 16:24:36
家綱は父親の家光と同様、男色が好きだった故
女との膣性交には関心が無かったのぢや。
556日本@名無史さん:2007/06/25(月) 18:46:51
ははは・・・
家綱には、家光のような男を追い掛け回したとか言う説はないがね。
側室もいたし、ただ単に子種がなかったんだろう。
ちなみに、江戸幕府の歴代将軍中、
実に15人中4人の将軍は一人も子供がいなかった。
7代家綱は8歳で死んだため、除くとして、成人した将軍では、
 4代 家綱
13代 家定
14代 家茂
には子が一人もない。
なかなか子ができなかった5代綱吉(子供二人)なんていうのも含めると、
男子禁制の大奥の制度は、ほかの男の胤が混じらない分、
将軍が胤なしだと、著しく無駄の多い制度だったということだな。
557日本@名無史さん:2007/06/25(月) 18:53:49
ははは・・・
家綱には、家光のような男を追い掛け回したとか言う説はないがね。
側室もいたし、ただ単に子種がなかったんだろう。
ちなみに、江戸幕府の歴代将軍中、
実に15人中4人の将軍は一人も子供がいなかった。
7代家綱は8歳で死んだため、除くとして、成人した将軍では、
 4代 家綱
13代 家定
14代 家茂
には子が一人もない。
なかなか子ができなかった5代綱吉(子供二人)なんていうのも含めると、
男子禁制の大奥の制度は、ほかの男の胤が混じらない分、
将軍が胤なしだと、著しく無駄の多い制度だったということだな。
558日本@名無史さん:2007/06/25(月) 19:05:32
>>557
お前、いろんな意味で素人だろう・・・

家綱側室は数度懐妊している。
流産だったがな。
559日本@名無史さん:2007/06/28(木) 23:11:30
この前テレ東系の番組で忠臣蔵は信子側の陰謀だとか、
八代将軍が決まる前尾張徳川藩主の親子は吉宗に殺されたとか、家重は女性だったとか
和宮は輿入れ途中に山賊に襲われて亡くなり入れ替わってたとかあれはどの程度信憑性あるの?
560日本@名無史さん:2007/06/28(木) 23:12:20
>>559は再放送だったこと付け加えとく
561日本@名無史さん:2007/06/30(土) 10:11:57
まるで信憑性ない。
562日本@名無史さん:2007/07/09(月) 23:26:56
>>559
あの番組は基本的に、とんでも説無理やりこじつけ検証、
という前提で見るもんなんだよ。ネタだよ、ネタ。

提示される文献文書も、学問的な眉唾とされるものから
他の史料的に裏づけのとれない信憑性の低いもの、
評価されてる文献だけど、部分的に抽出して曲解したもの、
などが多く、突っ込む気にもならない場合が多い。
563日本@名無史さん:2007/07/14(土) 12:09:04
ageよ!
564日本@名無史さん:2007/07/27(金) 00:00:04
増上寺に埋葬されてる妙音院て、家慶側室お琴の方なんだよな。

今までさんざん院号・法名は不明だの、没年や葬地は不明だの言われてきてて、
将軍家菩提寺にきちんと埋葬されてんじゃんな。

高柳金芳もあちこちの寺を回ったみたいだが、きちんと増上寺を調べたのかよ。
他にも、いくつかの新刊の中で「お琴の方は落飾して和光院と号した」
なんていけしゃあしゃあと書いてるものもあるw
どうせ吉屋信子の小説かなんかから取ったんだろ。


一次史料に目を通せと言いたいわ。
565564:2007/07/27(金) 05:11:54
>>142
すごい今更だが、なんだこいつは。
きちんと史料に目を通せば、関係ないなんて言えないはずだけどな。

自分で分限帳も読めない。
孫引き文献で満足出来る。
そんな人なんでしょうね。
566日本@名無史さん:2007/07/28(土) 13:57:20
たしかに前スレから比べると住人の質が落ちたな。
567名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:40:21
大奥って何?
568名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 16:27:19
>>567
おニャン子クラブの事。
569名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 17:42:27
>>564 >>565
そんな前のスレに感情的に憤ってるアナタもかなーり痛い。
570日本@名無史さん:2007/07/29(日) 23:07:13 0
そしてそこに突っ込むお前も痛いな。
お前に突っ込んでる俺も痛いが。
571日本@名無史さん:2007/07/30(月) 05:38:13
>>564
お琴の方というのは、落飾後、櫻田御用屋敷で見そめた大工と密通して
兄に手討ちにされたとかいう女人でしたかのう?
にも拘わらず、増上寺に大樹側室として埋葬されたとは果報者ぢゃて。
ちなみに、フジテレビ「大奥」では南田洋子が演じて居りましたナァ。
但し、院号は秋月院(別の側室の院号)となって居りましたれど・・・
572日本@名無史さん:2007/07/30(月) 06:00:06
築山殿の正確な系譜は判明しているのでしょうか?
生母は今川義元の妹というのが史実なのですか?
或いは、井伊直平の娘で今川義元の側室だった女性なので
ありましょうか?
573日本@名無史さん:2007/07/30(月) 14:32:45
ホモ吉とかゑはシカトでいきましょう。
574日本@名無史さん:2007/07/31(火) 10:08:36
>>564
そのソースは何?
575日本@名無史さん:2007/07/31(火) 10:08:55
阿呆が返答出来ぬと窮して一人前の口を叩き居るワイ!

超ド変態の573番ズレめ!!
すぐさま天刑病に罹って全身から血膿を滴らせつつ、
鼻も指も手足も悉く腐り崩れて生ける屍と化して苦悩呻吟した果てに
人々から投石を受けて殺されるがよいぞ!!!!!!!!!!!!!

今、気付いたが、キヤツ奴!
既に業病病みであったワイ!!!
ワッハッハッハッハッ!!!!!!!!!!
所詮、生きて居る価値零以下の人三化七風情が!!!
サッサと死に腐れーイッ!!!!!!!!!!!!!!
576日本@名無史さん:2007/07/31(火) 16:21:42
疑問なんだけど、天保15年に江戸城本丸が火事になったとき、広大院は西之丸にいたんだよね?
なのに、どうして火元が広大院付きの女中の部屋からだと言われたの?
西之丸女中の長局からってこと?
577日本@名無史さん:2007/07/31(火) 20:07:25
このとき広大院は本丸大奥にいた。

(理由は夫の家斉が引退したときいっしょに西の丸へ引っ込んだんだが、
家斉が逝去し、本丸大奥にいた家慶正室楽宮が逝去したところへ家定が世子として
西の丸へはいるため、西の丸を明け渡すため主のいない本丸大奥へ引越しをしたから)

火元は湯殿だけれど、誰の湯殿かはわからなくて容疑者は二人。
一人は広大院付上臈梅渓、もう一人は家慶付上臈姉小路。(もちろん火をつけたわけではない。ただの火元)

老中水野忠邦は梅渓と断定したが謎のまま。大奥内での覇権争いが元だといわれたが
これで広大院派は追い落とされて決着した。

ただ、水野は家斉逝去後西の丸のお美代派を一層させるために姉小路と組んでいるので
公明正大ではないとおもわれる。

明治になって家慶付御次は「姉小路の湯殿から火が出た」とはいっている
578日本@名無史さん:2007/07/31(火) 23:21:39
>>577
なかなか複雑怪奇な話ですな

広大院自体はお美代派、というか前田慶寧(当時犬千代)を擁立することに賛成してたのだろうか
最後は反対したが、お美代自体は広大院は犬千代擁立派だと思っていたという話も聞いたことがあるが

そういえば山本博文の『徳川将軍家の結婚』では
島津斉彬は広大院の死によって将軍家と島津家の縁が薄くなるのを恐れて篤姫を御台所に擁立したという
話が載っていたが
斉彬は有名な一橋慶喜擁立派
>>577の話の脈絡では広大院と対立していた?楽宮も慶喜擁立派(慶喜の母が妹、慶喜は血のつながった甥だから)

そこに水野忠邦は広大院派を追い落とそうとして一方的な采配を下したという・・・
幕末の大奥の派閥争いはどうなってたんじゃ・・・

自分で書いていてもワケワカメ
579日本@名無史さん:2007/08/01(水) 02:09:25
お美代の方は家斉の奥向きにおける日蓮宗の総元締めであり、
家斉・寔子夫妻も日蓮宗へ深く帰依していたから、
自派に取り込めたと思っていたのでは。
しかし、寔子からしてみればお美代の方は側室に過ぎず、
家斉が没して奥向きでの権勢にも陰りが見えていたので
見切りをつけたのではないかと自分は思っている。

ちなみに家慶・楽宮夫妻は浄土宗。
580日本@名無史さん:2007/08/01(水) 08:50:07
広大院はお美代派ではないとおもうが、水野としては(家慶かもしれないが)家斉色を払拭
したかったのかもしれない。
ご本尊である家斉が逝去してしまった以上、広大院の権力がそんなに強いとは思えないので
火事をきっかけにくすぶってた家斉派を一掃したのでは?
広大院も自分付の上臈をかばえないほど権力が弱まっていたのかもしれない。


581日本@名無史さん:2007/08/01(水) 10:29:38
家斉の奥向きには、浄土宗派と日蓮宗派の女中たちの勢力争いがあった。
広大院の天敵であるお万の方、家慶生母お楽の方が浄土宗派の頭目だったことと、
お美代の方によって家斉が籠絡されたことで、広大院は日蓮宗派に組した。

大御台所は格式的には将軍・御台所と変わらず、楽宮亡き大奥の主であったと言っても過言ではない。
ただ、自身の高齢とお付きの老女衆の高齢化のために権力を発揮できなかった。

城内で火事の種火を作った者は罰せられるのは当然だから、水野どうこうではない。

というのが私の考え。
582日本@名無史さん:2007/08/02(木) 11:20:58
>>581
これって事実なの?
583日本@名無史さん:2007/08/03(金) 01:38:27
>>582
俺は分からないので答えられないが、
このスレの住人は自分の知識の無さや
間違い・誤りを認めるのがそんなに嫌なのか?

例えば、
>>581の唱える説はこれまでの大奥の諸文献にはないものだけど、
なんで誰も反応示さないの?
584日本@名無史さん:2007/08/03(金) 02:08:57
>>582
581は文末に >というのが私の考え って言ってるので、
そうか、そういう考えか・・・的な感想をまず持つ。

また、>582のような疑問な点を述べずに短絡な反応をするのは
どこにスレにも居るからな。

わからないなら、人の意見の出方を気にすることも無いのでは?
585日本@名無史さん:2007/08/03(金) 02:46:39
>>584
議論が交されててもいつも尻すぼみで終わってるのが気になったんだよ。

じゃあ俺から質問。
>>581の言う、お万の方が広大院の天敵だっていうのはなぜなんだい?
586日本@名無史さん:2007/08/04(土) 00:04:14
夏だね
587日本@名無史さん:2007/08/04(土) 00:16:01
>>585
誰も答えられないだろうね。
588日本@名無史さん:2007/08/04(土) 01:28:43
>>585
お万の方もお楽の方も家慶が将軍職に就任する前に没してない?
589日本@名無史さん:2007/08/04(土) 19:38:50
>>587
じゃあ誰か答えられるの?
590日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:53:22
>>589
俺は分かるよ。
けっこう単純なことだけど?
591日本@名無史さん:2007/08/04(土) 22:02:56
>>590
お万の方は一橋派で、家斉とも親しい間柄。
寔子は外様の姫君。当初、大奥の中では疎外されてた。

寔子の婚儀のすぐ後で、お万の方が淑姫を出産。
これも関係悪化に拍車をかけた。

当時、お万・お楽(とその他の侍妾)・寔子の内の誰もが世継生母になる可能性があった。
このため、お万は自分以外が子を生まぬように、
江戸市中の寺院と結んでお楽・寔子に呪いをかけた。
これが金剛院事件。

よくまとまらないけど、そんなところ。
592日本@名無史さん:2007/08/04(土) 23:22:47
593日本@名無史さん:2007/08/24(金) 13:14:47
age
594日本@名無史さん:2007/08/30(木) 13:43:06
で、結局月光院と間部はヤッてたの?
595日本@名無史さん:2007/09/02(日) 17:49:47
普通にヤる機会がありません。
596日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:15:05
いや やっぱり火の無い所に噂は立たない
桜田御殿に居た頃からもう情を通じていたんじゃないのか
597日本@名無史さん:2007/09/03(月) 02:56:47
侍女もいるし、部屋方もいるし、一人きりになる時間もない将軍生母が密通する暇なんてないだろ。
桜田御殿時代のものだとしても、家宣が将軍継嗣に選出されるかどうかの時期。
側室と家臣との行為が噂されるほどの体たらくだとは思えん。
598日本@名無史さん:2007/09/03(月) 12:34:27
ここは低能ばかりが打ち揃う局ぞゑナァ!
無知無教養な者どもが何人あつまろうとも
しょせん詮無きことぢやて。
笑止千万、片腹痛いわい。
599日本@名無史さん:2007/09/03(月) 13:01:44
月光院と詮房が密会するために、幼い家継を連れ出して、
3人で庭を散歩中、密会のために家継を戸外に待たせ、
それが原因で家継が熱を出して死んだというのは嘘?
600日本@名無史さん:2007/09/03(月) 13:43:26
嘘というよか、二人きりで会えるわけないだろ。
ましてや将軍交えたら尚更だろうに。
601日本@名無史さん:2007/09/03(月) 13:47:38
大奥は、9歳以下の男児の出入りが認められていた。
まして、4歳で将軍になった家継は、大奥で過ごすことも多かったという。
そういや、天英院は老中たちを呼びつけて吉宗を将軍にするよう告げたというが、
意外に大奥の女性は外部の男性と接触する機会があったんじゃないのか?
602日本@名無史さん:2007/09/03(月) 13:49:43
>>598
教養がおありのようですのでお聞きしますが、歴代筆頭老女を教えて下さい。
昨今の大奥研究の進展によって、老女クラスでしたら女中名や没年、法名や出自が判明しています。

まさか私どものような低レベルな人間には教えたくないなどとは仰いませんよね?
603日本@名無史さん:2007/09/03(月) 18:51:03
>>601
月光院の密通に関して、本当のところは誰もわからないが正解。
天英院がどうこうというのも、本当かどうかわからないじゃん。
604日本@名無史さん:2007/09/03(月) 19:56:55
>>602
寝ている問題児をわざわざおこしちゃあw
605日本@名無史さん:2007/09/03(月) 22:59:12
月光院は吉宗とも噂があったでしょう。
江島生島の事件も本当は月光院の罪を江島がかぶったという説もあるくらい。
真偽は分からないがなんかそんなことしてもおかしくないようなゆる〜い雰囲気の
人だったのかな?
606日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:09:58
割と情の厚いというか、庶民的な人だったらしいな。
物乞いに着物を与えたら物乞いが味をしめてしまったという逸話では世間知らずなイメージだけどね。
607日本@名無史さん:2007/09/04(火) 00:52:33
>>605
絵島が月光院の罪を被ったなんて、それこそ大嘘だろ。
608日本@名無史さん:2007/09/04(火) 05:23:03
「三王外記」に書いてあることを
まず鵜呑みにすることも無いのに・・・・
609日本@名無史さん:2007/09/05(水) 17:11:40
絵島をはじめ お付きの女中・部屋方も承知の上だったのかもな
610日本@名無史さん:2007/09/05(水) 20:05:05
大奥には、宮中女官がつけていた「御湯殿日記」に該当する
女中の記録がなかったんだっけ?
そういう史料があればなあ〜
幕府の「徳川実紀」は信憑性は高いのかもしれないけれど、
大奥のことなどほとんどかかれていないもん。
御台所の結納、江戸下向、祝言ぐらいのもん。
611日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:20:23
嘘か誠か分からないが
「大奥のこと、外に漏らすべからず」
という誓書を上臈から下っ端までとっていたという。
下っ端がどの辺まで指すかは知らない。
さすがに「お犬子供」までは取らないかも知れないが・・・

日記・帳簿の類はなければ大奥の運用が難しいので絶対あったはずだが
信用度の高い直筆の物などは今のところ未発見。
どっちみち大奥は何度も火事にあっているので古い物は残ってない可能性が高い。
一番最後の火災は14代家茂の時だったっけ。
612日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:54:11
江島を筆頭にたくさんの事件関係者が処分されたんでしょう。
月光院はたとい直接事件に関係してなくとも、いまの安倍ちゃんみたいな立場じゃないの。
613日本@名無史さん:2007/09/05(水) 22:02:19
614日本@名無史さん:2007/09/06(木) 06:10:46
>>609
あのなー、何度も指摘されてるように、月光院は将軍生母なわけで、
当然ながら月光院付き以外の女中も常に側に侍っているんだよ。
そんな中、一人になる時間が持てるとでも?

山王外記に書かれてることはだいたい真実じゃないんだから、邪推すんなよ。
615日本@名無史さん:2007/09/06(木) 15:53:43
大奥の内情なんぞ、誰も分からんがな。
平安貴族が、侍女を手なづければいとも簡単に姫君の寝所へもぐりこめたように。
月光院の情事が事実かどうかは別問題として、何事にも絶対はない。
616日本@名無史さん:2007/09/06(木) 21:21:13
平安の公家文化と江戸の大奥を比べるのがそもそもの間違いだろうに。

どうでもいいが本当に月光院が密通していたのだとしたら、死罪は免れても押込くらいの処分が下ったはず。
情事とは違うけれど、家斉生母も押込の憂き目にあっているし。
617日本@名無史さん:2007/09/06(木) 21:36:40
紀州から迎えられたよそ者将軍吉宗に、
先々代将軍の大奥情事に首を突っ込む余裕があったとも思えんがね。
吉宗は、将軍就任後、質素倹約、大奥もその例外ではなく、
天英院の扶持を半分にしたが、月光院の扶持はそのままだった。
月光院は、江戸城内で割りと気ままに余生を送ったようだし。
618日本@名無史さん:2007/09/07(金) 03:03:09
むしろ奥向きに紀州派ではない勢力が跋扈するのを快く思わなかったのでは。
619日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:57:43
月光院の話が出てるからちょっと訊きたい
鍋松(家継)が生まれたときに将軍継子候補だった兄の大五郎の死は自然なものだと思う?
620日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:59:49
大奥毒殺説は、テレビの見すぎ。
621日本@名無史さん:2007/09/10(月) 00:42:13
>>619
将軍子女を毒殺しようがない。
けれど、そういった噂・風説が流れるほどに月光院と蓮浄院の関係が悪化していたか、
緊迫していたのは当然だろう。
622日本@名無史さん:2007/09/10(月) 10:30:02
当時の史料にはそんなこと書いてないのだから、
そのような噂や風評はなかったんだよ。
世継ぎが死ねば、当然、大奥では毒殺説がとびかったはず、
というのは後世の人の推測。
当時は、乳幼児の死亡率は非常に高かったんだから。
623621:2007/09/10(月) 13:00:28
>>622
俺も別に大奥で噂や風説が飛び交ったとは書いてないぜ。
それから、当時の文献のすべてにあたってみたのか?
624日本@名無史さん:2007/09/10(月) 13:43:15
>>623
>そういった噂・風説が流れるほどに月光院と蓮浄院の関係が悪化していたか、 緊迫していた

史料が一切ないのに、月光院と蓮浄院の関係が悪化していたと書く君は何?
ただの妄想?
625日本@名無史さん:2007/09/10(月) 17:47:34
なんか揉めてんのね。
天英院と月光院の仲が悪いという説が一人歩きして、蓮浄院も付随した感じなのかしらん。

継嗣を巡る大奥内部での闘争は、代が変われどもいつでもあったわけで。
毒殺はないにしろ呪いやら人事異動やら 何かと騒動が絶えなかったわけだから、
史料が残ってない=有り得ないというのはおかしいけどね。

だから、本当のところは分からないが今の時点ではなかった可能性が強いってのが正解じゃないかな?
とりあえず前にも何かで書かれてた通り、「絶対」なんてないわけだし。
626日本@名無史さん:2007/09/10(月) 20:53:01
幕府の予算の三分の一も浪費したゴミ!
627623:2007/09/11(火) 04:38:10
>>624
なんだそれ。妄想呼ばわりかよw
まあお前がそう思ってても構わないよw
628日本@名無史さん:2007/09/11(火) 09:08:29
また変な人が沸いてきたんだ
629日本@名無史さん:2007/09/14(金) 15:24:58
家康の代だけど側室の話なんでここでも良いでしょうか。

大河板で、お都摩の方・下山殿を秋山氏(虎康)の娘と書いたレスに対して
>秋山氏というのが濃厚なだけ
と、諸説があるような反レスがついてたんだけど、
(その諸説の解説は書き込まれていなかったな)
「下山殿は秋山氏では無く○○氏」
というような、秋山氏以外の出自説ってありましたっけ?
630日本@名無史さん:2007/09/14(金) 15:35:18
元のレスにあたらんとわからんが

> >秋山氏というのが濃厚なだけ
> と、諸説があるような反レスがついてたんだけど、

それだけなら
諸説あると言ってるようには
読めんのだけど
631日本@名無史さん:2007/09/14(金) 17:51:26
>>629
武田氏、穴山氏、なんて言われることもあるが、眉唾。

>>630
それ、噛みつくところ?
こういう、どうでもいいことにばかりこだわる人って・・・
632日本@名無史さん:2007/09/14(金) 18:36:54
史学ってそういうもんだろ
633630:2007/09/14(金) 18:47:55
あんなレスで噛みついたとか言われても
困るな・・・何か、スレの空気が悪いことにしたい意図でもあるの?

 異説があるから「濃厚」としか言えない、
というケースだけでなく
 史料による証明が弱いから「濃厚」と言っておくべき、
というケースも多いことは基本というか、それこそ「史学って
そういうもん」だから、どうでもいいことで噛み付いたなんて
つもりは一切なかったんだけどな
634日本@名無史さん:2007/09/15(土) 04:39:15
>>633
スレの空気はずいぶん前から悪いわな。
635日本@名無史さん:2007/09/15(土) 12:12:25
下山殿は秋山氏の女だってことはほぼ確定なんじゃないの。
玉石混交wikiに載ってる、「穴山信邦の妻だったという説もある」
ってヤツにひっかかったのが大河板にいたんだろう。

それで、これは「妻だった」という説もあるというのであって、
「秋山氏の女ではない」とは云ってないのに、
wikiを鵜呑みにしたやつが、知ったかぶりしたかったんじゃないの。
636日本@名無史さん:2007/09/17(月) 12:48:22
ご先祖が大奥で働いてた人いる?
637日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:01:08
大奥に身をささげた女中は、生涯未婚を貫き、子孫もいないはずだけど・・・
花嫁修業のために、独身時代に年季が明けるまでの3年間だけ勤めた人の子孫ってこと?
そういう人は、おそらく名前も残らないし、大奥話というのも残っていないのでは・・・
638日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:15:48
引退したお目見え以上の奥女中が養子を取ることはあるから
養子の子孫とか乳母の子孫ならいるだろう。
639日本@名無史さん:2007/09/17(月) 16:22:52
>>636  >ご先祖が大奥で働いてた人いる?

このスレの読者の中にいるか? という意味だったら、いないんだろうな。
いるんなら得意気に誰かしら、すでに書き込みしている気がする。

大奥で働いてた人、というだけの条件だったら、正式の奥女中だけでなく、
>>637にあるような又者女中を含むわけだし、維新に際しては本来の一生奉公に至らず、
中には若くしてお役ご免になってのち結婚した奥女中も、けっこういたと思われる。

先祖が旗本や御家人や江戸の商家だと、はっきり判明している家だったら、
直系先祖だけでなく傍系先祖(直系先祖の姉妹)も含めたら、
大奥経験者がいたという伝承を持つ家も、けっこうあるのじゃないかという気がしますけどね。
640日本@名無史さん:2007/09/18(火) 14:28:15
>>636
岩波文庫の「幕末明治女百話」を読めばいいよ。
語ってる人々もとーっくに鬼籍の人だけど。

>>637
ここは一応史板なんだが、
お目見得以下の女中は一生奉公でもなく、
暇とって嫁にもいけるということや、
幕末時の「御殿下がり」の人々の存在も知らないのかw
「我輩は猫である」も読んだことがないのか・・・

「御殿下がり」は維新の江戸に結構いたらしいけど
町の暮らしに馴染めないで、独身をとおした女性も居たようだね。

641日本@名無史さん:2007/09/18(火) 17:08:52
>>640
偉そうな人がいるねw
お目見え以下でも大奥勤めだしねw
お局衆や将軍生母の目に止まれば、
お目見え以下で大奥入りしても将軍の寝所に上げられて
お中臈に引き立てられることも少なくなかった。

636さんは、このスレの人たちに先祖が大奥勤めの人いる?
と聞いているだけで、本の紹介など求めていないんだがw
どこまで文章読解力がないんだかw
642日本@名無史さん:2007/09/18(火) 18:26:35
>>640
円満に寿退職したという逸話があまりに少なすぎるから、
そういう基本事項を見過ごす輩がいてもおかしくはないけどな。

>>641
坊や、見苦しいからこの件についてはもう何も語るなよ。

643日本@名無史さん:2007/09/18(火) 18:33:43
オマエガナー
644日本@名無史さん:2007/09/18(火) 19:32:38
あ、確かに見苦しいな。
645日本@名無史さん:2007/09/18(火) 20:02:30
>>640>>642
自演君?
646日本@名無史さん:2007/09/18(火) 22:13:28
いや、明らかに違うだろうに。
どうでもいいことでスレを汚すなよ。
647日本@名無史さん:2007/09/18(火) 22:30:01
648日本@名無史さん:2007/09/18(火) 22:32:10
聞きたいんだけど
正室の人を〇〇の方て呼ぶけとあるの?
649百合萌え男:2007/09/18(火) 22:36:24
大奥の淫らなレズネタないかな?江戸時代の誰と誰がレズ関係でシックスナインが好きだったとか
650日本@名無史さん:2007/09/18(火) 22:37:05
>>641
>本の紹介など求めていないんだがw

でも、「幕末明治女百話」には
もと大奥や大名家の奥向きを勤めた女性たちの
興味深い談話が載っていて面白いもんだよ。
651日本@名無史さん:2007/09/18(火) 22:41:17
少しくらい自分で調べな。
ググれ。本を読め。
652日本@名無史さん:2007/09/19(水) 23:39:36
フジ大奥の御鈴廊下って、突き当たりで直角に
左折してるけど、江戸城の
平面図をみる限り、本物は右折じゃないかな〜
と思うんだけど、どうなんですか?教えて偉い人
653日本@名無史さん:2007/09/20(木) 00:10:48
不平あげ!
654日本@名無史さん:2007/09/20(木) 02:19:54
>>648
当時に確実にそう呼ばれていたってことなら、四代家綱の正室。
655日本@名無史さん:2007/09/20(木) 12:53:51
お江与の方ってのは当時からなのかね
656日本@名無史さん:2007/09/20(木) 14:30:30
母親もお市の方だしな。
将軍正室は、普段は「御台さま」と呼ばれていたのでは?
お江与の場合、夫が将軍になったのはだいぶん後だけど。
和宮が大奥入りしたとき、将軍家のならい「御台さま」ではなく、
自分を「宮さま」と周囲に呼ばせてひと悶着起こしているし。
657654:2007/09/20(木) 18:08:44
>>656
公では御台様だろうけど、内々ではどう呼ばれていたのかなあ。
自分の知る限りでは浅宮顕子は「あこの方」と呼ばれていたようです。
658日本@名無史さん:2007/09/21(金) 13:50:59
皇族の女性が名前で呼ばれるというのも珍しい例だがな。
659日本@名無史さん:2007/09/21(金) 14:27:45
事実なんだから仕方ないw
奥女中が御台所の様子を綴った手紙から分かったことだよね。
はじめは「あこ」って誰?と思った。
660日本@名無史さん:2007/09/23(日) 10:38:58
〜の方っていうのは、英語だとどう表現するんでしょうね。
661日本@名無史さん:2007/09/23(日) 11:09:31
マダムでは?
662日本@名無史さん:2007/09/23(日) 11:18:51
お台場大奥でもマダムでしたね。
月光院や蓮浄院もマダム、一介の奥女中に過ぎない滝川もマダム。
英語だと特に区別はないのかもしれませんね。
663日本@名無史さん:2007/09/24(月) 12:37:31
「レディ」という称号もあるよね。チョト「〜の方」とはニュアンス違うかな。
664日本@名無史さん:2007/09/24(月) 14:48:53
家綱側室のお振の方が京都から連れられてきた経緯(飛鳥井が云々)
っていうのはどの史料に拠るものなんですか?
教えてえらい人!
665日本@名無史さん:2007/09/24(月) 21:29:07
幕末倒幕派だった堀田家とか、維新時最初に裏切った稲葉家とか が一番メジャーじゃない?
666日本@名無史さん:2007/09/25(火) 02:18:59
>>664
俺もそれ気になってた。
「徳川の夫人たち」読んで疑問に思ったわ。

>>665
664へのレスだとしたら
それ、答えになってないし。
667日本@名無史さん:2007/09/27(木) 18:01:47
age
668日本@名無史さん:2007/09/28(金) 21:17:38
幕府財政の三分の一を占めてたというのはホントかね?
もしそうならピンハネして私腹を肥やした役人が多そう
669日本@名無史さん:2007/10/01(月) 13:14:32
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670日本@名無史さん:2007/10/11(木) 08:28:09
無知スレage
671日本@名無史さん:2007/10/11(木) 10:29:06
「御懐妊でございます」
その老いたお匙は古木の幹のような皺が刻まれた顔を歪ませて微笑んだ。
「間違いございませぬな?」
老女衆の中でも温和で知られる野村が、普段とは打って変わった表情でお匙を問い詰める。

ああ。私は妊娠したんだ。この身体に、上様の御胤を宿したんだ。
実感が沸かなかった。夢を見ているようのではないかと思った。

若君だろうか、それとも姫君だろうか。
ぼんやりした頭でそんなことを考えた。野村が私を気遣って何かと言葉をかけてくれたが耳に入らなかった。意味を失った言葉が音となって右から左へ抜けていく。

672日本@名無史さん:2007/10/11(木) 12:35:46
駄文をまき散らすなよ
死ね
673日本@名無史さん:2007/10/12(金) 14:30:39
死ねと言われ、死ぬ訳ないだろう。
あんたの言葉で動かす事出切るのなら、
国のリーダーシップを取れたら
偉い事だけど、庶民の分際で、
軽く申すな
674日本@名無史さん:2007/10/12(金) 19:46:02
また鬼女板に逆戻り、と。
675日本@名無史さん:2007/10/12(金) 23:50:01
>>673
お前、キモいな。
676日本@名無史さん:2007/10/17(水) 01:36:25
またキモ男か
677日本@名無史さん:2007/10/17(水) 16:22:25
なぜキモいやつが多いんだ・・・
やっぱり大奥そのもののイメージのせいだろうか・・・
678日本@名無史さん:2007/10/20(土) 00:35:54
誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gender/1192459734/

ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/
ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html
ーーー(引用ここから)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。

(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
ーーー(引用ここまで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全体的にひどい調査であるが一番わかりやすいQ3を例にあげました。
イウエオで「女性」問題のみが選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つもありません。

こんな結果誘導的な調査に納得できますか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない。

この調査により、女性不遇との結果が発表され、男性差別の政策がドンドン推し進められています。
679日本@名無史さん:2007/10/21(日) 05:33:08
ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/
ttp://www8.cao.go.jp/survey/h19/h19-danjyo/3.html
ーーー(引用ここから)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Q3〔回答票3〕 今後,あなたが,男女が社会のあらゆる分野でもっと平等になるために最も重要と思うことは何でしょうか。この中から1つお答えください。

(13.4) (ア) 法律や制度の上での見直しを行い,性差別につながるものを改めること
(23.8) (イ) 女性を取り巻く様々な偏見,固定的な社会通念,慣習・しきたりを改めること
(23.1) (ウ) 女性自身が経済力をつけたり,知識・技術を習得するなど,積極的に力の向上を図ること
(18.8) (エ) 女性の就業,社会参加を支援する施設やサービスの充実を図ること
(11.4) (オ) 政府や企業などの重要な役職に一定の割合で女性を登用する制度を採用・充実すること
(2.2) その他
(7.3) わからない
ーーー(引用ここまで)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
全体的にひどい調査であるが一番わかりやすいQ3を例にあげました。
イウエオで「女性」問題のみが選択肢にあり、「男性」の選択肢は一つもありません。

こんな結果誘導的な調査に納得できますか?
Q3にどう答えても女の地位は上がるだけで下がることは決してない。

この調査により、女性不遇との結果が発表され、男性差別の政策がドンドン推し進められています。


誘導尋問的な「男女共同参画社会に関する世論調査」 で検索してみて下さい。
680日本@名無史さん:2007/10/21(日) 08:46:43
男女板でやれ
馬鹿もん
681日本@名無史さん:2007/10/24(水) 00:42:06
大奥の糞尿は、今の江戸川区葛西周辺の百姓が貰い受けて肥料にしたそうだけど、凄いんだろうね。
臭いも量も。
682日本@名無史さん:2007/10/24(水) 00:47:57
この前買った新潮文庫の本に書いてあった。
糞尿はこぶ舟にもおじぎしたんでしょ。
683日本@名無史さん:2007/11/18(日) 02:12:01
あげ
684日本@名無史さん:2007/11/23(金) 22:47:23
>>681
童貞の変体なら大奥の糞尿を喜んで貰い受けるだろうな。
685日本@名無史さん:2007/11/26(月) 01:48:56
閉会間近だけど「大徳川展」いいよ!
686日本@名無史さん:2007/12/01(土) 10:57:51
幕府祖胤伝は年代的に家斉生存中に書かれたもの?
だとしたら、家斉側室の落飾後の動向や家斉以降の将軍側室の動向は
どの史料によってわかったものなの?

教えて偉い人!

687日本@名無史さん:2007/12/11(火) 13:17:43
前スレからの住人がいなくなったのか?
>>686くらいの質問なんて分かるだろうに。


藤岡屋日記に側室の逝去が、井関隆子日記に
将軍や将軍子女の逝去が少し触れられてる。

あとは奥女中分限帳に隠居女中・落飾した側室の一覧があって、
隠居先だとか御手宛が書かれてる。
それぞれを比べるとだいたいのことが分かる。
688日本@名無史さん:2007/12/14(金) 10:32:13
あまりの糞スレぶりに驚いた。
落ちたもんだな。
689日本@名無史さん:2007/12/17(月) 14:29:59
着物フェチとしてはキラキラした光沢でやわらかい絹製の打掛を着た
大奥の悪女に逆レイプされてみたい。
690日本@名無史さん:2007/12/19(水) 20:42:42
今日21:00からテレ東であるお^^
691日本@名無史さん:2008/01/13(日) 14:45:49
この前の歴史が動いた
天英院のやつ
他のスレではバカにされまくってるなあ。
692日本@名無史さん:2008/01/14(月) 23:23:55
どこがどう批判されているのか、それを示さない限り論じることすらできない。
ここは学問板ということをお忘れですか?
693日本@名無史さん:2008/01/14(月) 23:36:31
「その時、歴史が動いた」のスレはこれだが
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1154185666

天英院が吉宗擁立?ありえねーなレスばっかり

あとこれはひどい
801 :日本@名無史さん:2008/01/09(水) 22:42:33
・徳川家宣の実弟の松平清武の存在がスルーされている件
・天英院の弟の娘が尾張の継友の嫁なのがスルーされている件
・徳川家宣が尾張の吉通を将軍後見職につけようとしたことがスルーされている件
・徳川吉宗が将軍になるとその年のうちに大奥弾圧に手をつけたことがスルーされている件
694日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:26:16
大奥で使用されていた「張り形」の実物ってどこかに保存されてますか?
木製・紙製からベッコウ製の高級品まであったみたいで
お湯に浸けて人肌の温度にして使うと最高だったらしいけど
695日本@名無史さん:2008/01/15(火) 00:43:47
>>693
だいたい妥当なところじゃないの。
天英院が吉宗を推したという説の論拠は『徳川実紀』だけど、
吉宗の将軍職就任が幕閣の中でほぼ本決まりの状態であったなら
天英院が後見職を申し付けるのは役割的に当然の流れだろう。
それが当人の望まないことであったとしてもやらざるを得ない。

その番組は『三王外記』も多用してる。
これは俗っぽすぎるから、鵜呑みにされても…とは思うけど。
696日本@名無史さん:2008/01/15(火) 05:46:34
幕末の薩摩を扱った「篤姫」に何故に男色シーンが登場し無いのぢやゑ?
如何に「婦女童蒙」向きの大衆ドラマだとて、はてさて面妖な限りぢゃて。
当時の鹿児島では衆道が、まだまだ盛んで、男尊女卑は身分の上下を問わず
徹底していた筈であろうに(つい近年まで男女の衣類は一緒に洗濯せなんだの)
脚本家は、原作者よりも非道い歴史に何の関心もナイ無知な人物なのぢやな?
西郷や島津公らの男色場面は何としても描く可きぢゃぞゑ!
697日本@名無史さん:2008/01/20(日) 02:12:50
NHKですから。
どんな歴史上の人物もどんな重要なテーマでもなんでも
確実に駄目にしてくださいます。熱心なのは使い込みと汚職。
698日本@名無史さん:2008/01/20(日) 17:59:05
>>697
粘着ホモ吉に触っちゃダメwww
699日本@名無史さん:2008/01/20(日) 22:36:08
>>696
篤姫のトイチハイチなら激しく見たいがモーホーなんか見たくねえよ
700日本@名無史さん:2008/01/20(日) 23:32:02
>>696
おまえさあ、毎年大河ドラマが始まると「男色シーンがない」って文句いってるだろ。
701日本@名無史さん:2008/01/21(月) 19:13:31
過去に男色が大河で取り上げられたことなどあったろうか?
大河は子供も見るので、男色はだめだろう
「葵三代」で家光の男色をたしなめるシーンはあったような気がするが
露骨な描写はなかった
702日本@名無史さん:2008/01/21(月) 19:35:32
>>701
・・・『草燃える』・・・
703日本@名無史さん:2008/01/21(月) 21:18:40
ネタがないからって思い切りスレ違い…
よそでやっておくんなまし。
704日本@名無史さん:2008/01/22(火) 00:18:51
大奥に入る有力農民って例えば庄屋とか??
705日本@名無史さん:2008/01/22(火) 17:29:03
家光の側室お楽は農民の娘じゃなかったか
父は職を求めて江戸へ出てきて旗本に仕えたが密猟で死罪になった。
母は父の死後、江戸の商人と再婚、お楽も母や義父とともに住んでいたが
春日局の目にとまり大奥へ。
農民の娘のお楽、八百屋の娘お玉、
町人の娘でお目見え以下だったのに湯殿で犯されて側室になったお夏と、
家光は庶民好み?だったようだ
706日本@名無史さん:2008/01/23(水) 11:36:28
>>694
モノがモノだからねー。
処分されてしまったもんが多いと言うよ。
どこか、秘宝館のようなとこには有るんじゃないか。

「張形は埋めやと局末期なり」なんてあるけど、
自分が死んだら張形は埋めておくれ・・・って川柳だね。
707日本@名無史さん:2008/01/23(水) 20:50:10
二つの意味がありそうw
張型を隠せって命じているのと、
早く入れてって頼んでる女としての末期
708日本@名無史さん:2008/01/30(水) 04:32:50
>>701
男色なんて大河ではタブー

両刃使いは家光の他にも戦国時代から多かったんじゃないかな
709日本@名無史さん:2008/01/30(水) 08:59:58
>>708
>男色なんて大河ではタブー
「葵三代」ではそれをほのめかす台詞があり、
「草燃える」では、海岸で・・・みたいなシーンがあったんだよ。
知らないのか、ニワカはw

>両刀使いは・・・
アホか、史板で何をそんな今さらなことを。
710日本@名無史さん:2008/03/09(日) 21:53:41
大奥に上がるためにはコネが必要だったって聞くけど、「知り合いが御末」程度じゃ無理なんだろうか
711売国:2008/03/10(月) 03:19:35
パちンコスレで遠隔、ホルコン、サクラ、マネーロンダリングなどについて書き込むと渋谷○ハン社員や○ハンに依頼された
ネット工作会社がスレ荒らしをしてスレが機能停止します。
↓↓工作員の荒らしのやり方↓↓
2008/01/10(木)ID:iA54n BU50
■■■■マルハン総合スレッド 9■■■■http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pac←左右くっつけて→hij/1187021165/783-784
【宮崎県都城市】パチ事情そのAhttp://money6.2ch.net/test/read.cgi/pac←左右くっつけて→hij/1187189246/658-659
【山と川】宮崎県児湯付近PART1【自然イパーイ】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pac←左右くっつけて→hij/1188235164/471-472
【基地外が大暴れ4】エスパス日拓総合スレ【18発目】http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pac←左右くっつけて→hij/1188885488/401-410
パチンコ産業は荒らすことでレスとレスの間を空けて読む気をなくさせたり
マネーロンダリング、さくら、ホルコン、遠隔、などの風評被害を最小限に抑えようとしてる。

新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pac←左右くっつけて→hij/1201304777/559
ネット工作員については→【電通TBS】ピットクルー(株)【プロ工作員】
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/mass/118←左右くっつけて→9187503/65
【朝鮮玉入】パチンコ廃止すれば内需増加【20兆円】
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/eco/1204597218/1-100
パチンコ屋の売り上げ10億を調べたら1割が偽札だった
http://area09.air-nifty.com/annex/2006/02/213_49b6.html
パチンコ収益、毎年2億ドル余が北朝鮮に送金されている 〜米・ウォールストリートジャーナル
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=81993&servcode=500§code=500
◎ハンの今後の目標は売り上げ5兆円、500店舗、上場すること。

712日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:45:55
>>709
大河で男が女を抱き寄せたり
組み倒したり胸を触ったりはあるが
男同士でそれはない
713日本@名無史さん:2008/03/29(土) 06:00:19
去年は勘助が香坂を「いい面構えだ〜。」と顔を持ってむりやり引き寄せたり
平蔵と駅弁○○みたいに抱きついてくるくる回ったり、男同士の温泉シーンなど
いろいろあったよ。台詞もその匂いを感じさせる台詞ばかりで実況は一スレが
アッーで埋まることがあった。
葵・草燃える(原作にかかれている。)北条時宗などもそんな描写がある。

714日本@名無史さん:2008/03/29(土) 20:32:06
大河板へお逝き
715日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:10:30
家光の側室お振たんは男装してせまったの?
あの家光の一人目の側室なのになんでこんなに影薄いの?
716日本@名無史さん:2008/03/29(土) 22:39:35
713は、大河板のアホボケカスのウッドベキアって奴だろ。

何でもかんでも「内野まんせー、勘助最高、風林火山は神大河」
717日本@名無史さん:2008/03/30(日) 00:27:06
>>715
おそらく女子1名を生んですぐ無くなったからだろう
男装説は本当なのかな
718日本@名無史さん:2008/03/30(日) 10:17:17
俗説だろうけど、当時からそういった風聞があったかどうか。
そういった史料を目にした事ないけど、男装説の根拠って何?

お振は家光側室としては悪くない待遇を受けてるが、
お万・お夏・お玉ら長生きした側室と比べると影が薄いかもね。
719日本@名無史さん:2008/03/30(日) 11:08:51
家光が男にしか興味を持たないので
春日局が男装させた若い女中を家光に近づけ
その中の一人お振が家光の気を引いた
という説はあるらしいがね
720日本@名無史さん:2008/03/30(日) 21:43:35
そういった男装説の一次史料は何?
全く見た事ないけど
721日本@名無史さん:2008/03/31(月) 06:19:38
慥かに無いナッ!!!
722日本@名無史さん:2008/04/14(月) 23:25:27
お振が石田三成の曾孫だという説はどれくらい信憑性があるんだろうか?
人間関係をおいとくとしても、年齢的に無理がある気がするんだが
723日本@名無史さん:2008/04/19(土) 17:01:37
なんの史料にあるの?
石田三成曽孫説。
724日本@名無史さん:2008/04/19(土) 17:12:09
wikiでかつて必死になって書いていた人がいたよ
この人の嵐が酷かったために保護されてそのまま凍結されたのが一部に残っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E8%94%B5%E4%B8%BB など
725日本@名無史さん:2008/04/19(土) 19:11:38
白川亨っていう人の本が初出かな>曾孫説
津軽や若狭の岡氏(お振の方の実家)の史料を総合しての結論みたいな感じで。
お振が千代姫を産んだのは14、5歳の時だろうとあった。
726日本@名無史さん:2008/04/20(日) 10:45:35
曾孫説は玉輿記とかに載ってたな
727日本@名無史さん:2008/04/20(日) 16:28:32
>>725
当時徳川家光は30過ぎ。
春日局が養女にして家光に近づけたにしては
お振の年齢が若すぎる感じがするが・・・
千代姫を産んだ後体調を崩して家光の寝所を辞し、
3年後に没しているしね。
728日本@名無史さん:2008/04/20(日) 21:17:51
辞してはいない
729日本@名無史さん:2008/04/20(日) 22:55:31
こないだ日本史サスペンスみたいな番組で
家光はお福の子っていうようなことをやってたけど
詳しい人に聞いても初耳だって言ってました。
どうなんでしょうかね?
730日本@名無史さん:2008/04/20(日) 22:58:37
ものの本には絵島事件で1000人以上が大奥から追われたとか書いてあるけど
大奥の奥女中は最盛期でも800人程度で
家宣〜吉宗の時代は倹約政治でせいぜい300人程度とか書いてある本もある。

700人がどこから湧いてきたのか
気になる。
731日本@名無史さん:2008/04/20(日) 23:12:09
裁判記録で言及されているのは
奥女中 絵島+16人
部屋方 57人
くらいだったと思ふ

>絵島事件
732日本@名無史さん:2008/04/21(月) 17:13:51
>730
何の本?
733日本@名無史さん:2008/04/21(月) 17:59:14
>>728
お振は千代姫を産んだあと寝所を辞しているよ。
それとは別に、家光は移り気が早かったのか、
同じ女性が2人以上子を産んだ例がないね。
734日本@名無史さん:2008/04/21(月) 18:31:09
腹ボテ女に興味なく、更に出産後の妊娠線ある女も嫌だっただけじゃね?
735日本@名無史さん:2008/04/21(月) 19:07:51
>>733
御褥辞退したという一次史料を挙げてみな
736日本@名無史さん:2008/04/22(火) 18:43:15
>>735
お振は千代姫を産んだあと、床についているよ。
737日本@名無史さん:2008/04/23(水) 01:04:22
だから、病気になったのかもしれないし、急死だったのかもしれない。
幼い千代姫が輿入れする事による心労がたたったのかも。

でもそれを示す史料が提示されない以上推測の域を出ない。
738日本@名無史さん:2008/04/23(水) 08:17:47
>>737
千代姫を産んだ直後から産の経過が悪く、床についている。
千代姫が輿入れする前だし、急死でもないのだが?
床についているお振を家光が犯したわけでもない。
そっちの憶測のほうが史料もない。

739日本@名無史さん:2008/04/23(水) 08:28:19
>>738
床に就き御褥辞退をした史料を挙げろって言ってるのに、それをせずに反論しても意味ないよ。
740日本@名無史さん:2008/04/23(水) 18:08:12
>>739
本を読んだら?
741日本@名無史さん:2008/04/23(水) 19:17:07
一次史料を挙げてみなって言ってんのに?
質問にも答えられないのか・・・
742日本@名無史さん:2008/04/23(水) 20:28:57
史料を出せないヤツのレスって大概が
@読んだことないのwププw
A俺はそんな事言ってない。別人だ。
B完全に無視

のどれかだよな。学問板の名が泣くよ。
743日本@名無史さん:2008/04/24(木) 02:34:46
真面目で知識も深いソース出せクンもいるが、
ろくな資料本も読まないくせに、人にくってかかるソース厨もいるな。
744日本@名無史さん:2008/04/24(木) 08:10:56
出してから言えとw
745739:2008/04/24(木) 09:35:49
史料があるなら教えて欲しいな。
自分の知らなかった事なわけだし、逐一史料に当たらなくて済む。
無いなら無いで、二次史料を挙げてもらえれば一次史料を探す楽しみも増えるし。
746日本@名無史さん:2008/04/24(木) 09:55:33
747日本@名無史さん:2008/04/24(木) 10:27:39
あちゃー…wikiは当てにならないな。
他に史料はあるの?
748日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:23:36
>>715
お振は生存時から影が薄かったな
生後3か月の千代姫の魚味始もすべて春日局が采配を振るっていた
お振が死んだときお振に与えられていた知行はその妹に与えられたが
お振が受けていたという知行160石というのは側室として妥当なものなのか?
お振に限らず家光は正室も側室もあまり尊重した感じがしない。
側室は長期間寵愛した者がなくすべて短期間の使い捨てだしw
大奥や自分の子女のことはすべて春日局と姉の千姫にゆだねていた感じ。
749日本@名無史さん:2008/04/25(金) 02:30:14
>>746
あれだけ大口叩いておきながらソースはwikiかよ・・・
本当に萎えた。本を読んだら?とはまさにお笑いだ。
750日本@名無史さん:2008/04/25(金) 09:14:25
文献に逐一当たるのは面倒だと思う人もいるんじゃないかな。

ましてや大奥関連の書籍は一次史料にそぐわない俗説ですら史実かのように書いてあるから。
751日本@名無史さん:2008/04/25(金) 15:24:51
>>749
「江戸城大奥列伝 」講談社文庫
「大奥 女たちの暮らしと権力闘争」新紀元社
752日本@名無史さん:2008/04/25(金) 20:52:53
>>751>>750の指摘したものを出した件

新紀元社や海音寺先生の小説を史料だなんて。
753日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:08:31
そもそも一次史料が何なのか分からなかったのか。
754日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:22:00
一次史料といっても、大奥関係では確かな史料自体の数が極端に少ないし、
一次史料であっても著者は大奥外の人間だし、推測や不適切な用語使いも混じってる。

こと大奥に関しては、一次史料だけ絶対の態度では内容が乏しすぎるので、
推測を交えない事には、なかなか話が進まない事になる。

だけど推論したり、現代の本の内容が穏当な物なのか眉唾なのかを判断できるためには、
一次史料も二次資料も含んだ、幅広い大奥関連の読書経験の蓄積量が必要だね。
読書冊数の少ないビギナーほど、しょうもない面白おかしい俗説にすぐ飛び付きたがるな。
755日本@名無史さん:2008/04/25(金) 22:33:45
確かに江戸時代初期の大奥は史料が少ないな。
江戸後期の大奥については、全貌を掴むに至ってはいないが、
奥女中に関する史料は年を経るごとに新たに発見されてる。

一次史料を絶対的に優先するのは正論とは言い難いが、それでも>>751>>746みたいなのは論外だな。
756日本@名無史さん:2008/04/26(土) 00:06:31
>>727  >辞し

この言葉・表現が不用意なので、>>728以下に突っ込まれたのだろう。

自分も>>728同様、お振はお褥を「辞し」てはいないと思う。
お振は産後床に就き、たとえ家光が指名したくてもできない状態になったのだろう。

辞すも何も30歳以後か、病中・妊娠中・生理中・喪中は、自動的にお褥御用は御免になる。
お褥すべりの「申し出」を行える可能性は、数え30歳未満の健康なお手付か御台所だけ。
まあ申し出の確かな実例があるのかないのか、自分は知らないが。
757日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:01:39
床に就いたのかどうかも疑わしいと思うけど。
他の誰かが言ってたように出産以降第二子懐妊の形跡が無く
若くして死んだというだけでは産褥は一つの可能性に過ぎない。
その頃の側室の病床は徳川実紀やら幕臣の日記やらに記録が残ってるはず。
758日本@名無史さん:2008/04/26(土) 01:42:26
>>757
そうだね。
出産後3年で没という事で、自分にはうっかり産後の病の先入観があった。
家光がその気にならなかった可能性が、一番高いかもしれない。

だけどあの時代で、徳川実記や幕臣日記に残されてない以上病のはずがない、
とまで言えるかどうか。お振がずっと病がちだったという線も依然あると思う。
お楽の病も家光薨去以前からだろうに、記録にあるのは家光薨去後だけだよね。
それも伊香保湯治という大奥外に目立つ出来事があったればこそ、という気がする。

まあどっちにしろお振がお褥を「辞す」というのは、病なら不必要だし、
健康ならば春日局が許すはずもない。
759日本@名無史さん:2008/04/26(土) 13:52:14
お振についての史料は徳川実紀や幕府祖胤伝などの大奥系の文献以外にもあるでしょう。
自分は残念ながら未確認だけど、そういった史料に記載があるかもよ。
760日本@名無史さん:2008/04/26(土) 18:04:37
皆さん、ひとつよろしく〜♪

http://www.gazo-ch.net/
761日本@名無史さん:2008/04/26(土) 20:57:08
>>735
学問板だとか一次史料だとかばかり、言いつのるのならば、
まず他人にこれだけは読んでおいて欲しいと思える書籍名を、推薦して下さい。

図書館等の環境や居住地域や資金力は、ひと様々なので、
大部の全集ものでなく、また絶版でない今現在新刊流通の書籍の中で。

流通本に無く止むを得ない場合でも、古書ネット辺りでありふれている、
稀覯本でない範囲の古書の中で。
762日本@名無史さん:2008/04/26(土) 21:37:35
盗人猛々しいとはまさにこの事
開き直りも甚だしいな
763日本@名無史さん:2008/04/27(日) 00:13:26
>>761
なんか…哀れさを感じる…
上にもあるけど、徳川実紀や幕府祖胤伝、玉輿記なんかは読むべき
764日本@名無史さん:2008/04/27(日) 02:17:05
>>551>>686>>759>>763
幕府祖胤伝ではなくて、幕府祚胤伝でしょ。

>>761
>>735じゃないけど。自分が所持している中では、『史料 徳川夫人伝』が第一。
新人物往来社刊。高柳金芳校注。1995年新装版初版。税込\5096。
以貴小伝・幕府祚胤伝・柳営婦女伝系・玉輿記の、江戸時代著作4史料を収める。
4史料は主に正室・側室の伝記としての根本史料だけど、明らかな誤りもある。

調べたら『史料 徳川夫人伝』は、どうやら絶版のもよう。
「日本の古本屋」サイトでは、\2000〜\3800で5冊、
1967年人物往来社刊の旧版だと、\1200〜\5800で9冊出てる。
765日本@名無史さん:2008/04/27(日) 08:31:11
本というものはよほどの高額本か珍本か以外は、図書館を頼りにせずに、
自腹で購入して、すぐ手の届く身の回りに置いておく事が肝要だね。
766日本@名無史さん:2008/04/29(火) 19:00:00
>>730
某作家の書いたチャンバラ小説読んでたら
大奥の権力ぶりを煽るようなことをさんざん書いた後で

「俗に三千の美女といわれ、上席から末端まで二百人の女性がいた」

とかさらっと書いてて大笑いしたw
そんなところだけ考証通りなのかよww
767日本@名無史さん:2008/05/01(木) 02:32:49
>>764
高柳金芳の、読み物的な著書ではあるけど「徳川妻妾記」(雄山閣)ならば
復刊されてまた書店にあります。

「三王外記」や三田村鳶魚の著作からの引用もあり
ちょっと与太説じみた逸話も載っているし、
また少し昔の研究なので足らない部分もあるけれど
(家康側室の下山殿の墓が松戸本土寺で見つからなかった、とか)、
総花的でもあるし、史料的な裏づけのない逸話もあるけれど
ある程度まとまっている点では参考になるような気がする。
768日本@名無史さん:2008/05/02(金) 16:13:51
総記的な大奥研究本は、先行する書籍・史料の検証なしで引用しているものが多いからそういう意味では決定版みたいなものはまだ無いと思われるけど?
当時に近いものですら、俗説の類がかなり紛れ込んでいるが、それが定説化しているように思う。
769日本@名無史さん:2008/05/02(金) 17:56:00
江戸城本丸の元大奥女中からの維新後の聞き書きは、幕末限定になるけど有力な一級史料。

●『 旧事諮問録−江戸幕府役人の証言−(上) 』。岩波文庫。旧事諮問会編。進士慶幹校注。
1986年第1刷発行。\550。現在は\798。 最近青蛙房から、新装版の単行本\4200も出た。

第四回に「大奥の事」として、元中臈箕浦はな子と元御次佐々鎮子との問答を載せるが、
問者に大奥の知識が無いので、頓珍漢な問も交じる。

●『 御殿女中 』。三田村鳶魚著。青蛙房刊。青蛙選書2。1971年。\2500。絶版。
中公文庫から鳶魚江戸文庫17として、1998年\980で出たのもあるがやはり絶版。

鳶魚が元中臈の大岡ませ子(御年寄滝山の姪)から、問答・面前筆記した資料がネタ。
ませ子の証言部分と鳶魚の解説感想の地文が、交互に現れるが、
漢文教養者で江戸っ子の鳶魚が使う口語体は随分読みにくいし、思い込み眉唾もありそう。
770日本@名無史さん:2008/05/03(土) 03:39:14
>>769

箕浦はな子は、おそらく現在見つかっている女中分限帳に出てくる御小姓の「はな」と同一人物。
分限帳では中臈になる前に退職しているんあよなあ・・・

佐々鎮子の女中名って何なんだろう?
771日本@名無史さん:2008/05/07(水) 07:12:28
>>770
知らなかったなあ。
いくつかの本で分限帳はいくつか見たことあるけど、箕浦はな子に気を留めなかった。
御中臈になる前に退職してるっていうのはなんで分かるの?
772日本@名無史さん:2008/05/07(水) 14:57:17
770・>>771・あるいは他の人でも

分限帳が掲載されている「書籍」名を、知っている限りご紹介して頂きたいです。
773日本@名無史さん:2008/05/07(水) 17:09:48
過去スレにあるお
774日本@名無史さん:2008/05/07(水) 18:57:00
偉そうでムカつくから教えたくない。
775日本@名無史さん:2008/05/10(土) 21:25:41
>>771

「はな」は文久二年の女中分限帳(「清華閣襍編 甲編 九」所収)で御小姓。
「清華閣襍編 甲編 十」に収録されている文久三年の大奥リストラの対象者リストに
はいっているのだが、そこでも身分は御小姓なのです。
776日本@名無史さん:2008/05/11(日) 00:25:48
>>775
分限帳の事は知らないけど、はなが退職に先立って中臈に昇進させて貰って、
その上ですぐに退職、だった可能性はないのでしょうか?
箕浦はな子が見栄を張って、最終職階を詐称できる為には、
同席の佐々鎮子に口裏を合わせて貰う必要があり、ちょっと困難だと思うけど。

清華閣襍編って、1点ものの古文書なのですか?
それとも地方の県立図書館でも閲覧できるような、刊行本ですか?
777日本@名無史さん:2008/05/11(日) 01:55:02
基本的に分限帳か給料出す側の記録だから
間際の昇進は給料に関わるので、ありえないでしょうね。
ただし、給料が御小姓並でも仕事は中臈みたいなことを
させられていた可能性はあり。
だから「旧事諮問録」では中臈扱いになっていたのかも。

「はな」の勤務の短さは「旧事諮問録」の証言に合っている。
病気がちで勤務がまともに出来なかったので
リストラの対象になった可能性はあるな。

「清華閣襍編」は国会図書館に小宮山綏介の写本がある一点ものじゃないかな?
778日本@名無史さん:2008/05/15(木) 19:45:10
幾島の出自がわかったことがニュースになってるね。

篤姫付老女「幾島」 薩摩藩士の娘、63歳で死去

http://www.373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=10654
779日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:16:55
実名や法名は分からないままなのかな。
にしても貴重な情報ありがとう。
780日本@名無史さん:2008/07/13(日) 05:15:33
勝海舟が語った天璋院の話がいろんな史料に出てくるけど
どれだけ信用できる?
語録は全体的に自慢話のようだから、話作ってるように
思えるんだけど・・・。
781日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:58:04
>>780

浜離宮での草履の件は天璋院が浜離宮へ行った記録がないことから
その場で目撃したという勝の日記はその部分は作り話と判っている。
782日本@名無史さん:2008/07/15(火) 16:23:07
一応大奥関連ってことで、「お養い」について訊きたいんだけど、
広大院何かは家斉の庶子を何人も養子にしているけれど、
浄観院も家定を始め家慶の庶子と養子縁組を結んだ事実はある?
天英院以降、将軍の子は皆正室の養子になったって説を聞いていたのに、
浄観院についてそういう記述を見たことがなかったから。
783日本@名無史さん:2008/07/15(火) 20:00:48
>>782

家定は誕生の翌年の文政八年に御廉中様御養となってから若君様の称号を得ている記述を見つけた。
「歴史読本臨時増刊 徳川将軍家人物総覧」上保国良稿。
原典はわからないけど、とりあえず。
784日本@名無史さん:2008/07/15(火) 22:59:25
>>783
ありがとうございます。
一応、ちゃんと養子縁組を結んでたんだ。
広大院くらい長生きしてたら、そういう記述がもう少し残っていたのかな。
785日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:01:22
>>770

佐々鎮子の女中名は「いし」
鳶魚の大岡ませ子の聞き取りで出てくる。
家慶→家定(御三之間→御次)→篤姫 と主人を替えている。

なお、鳶魚の聞き取りでませ子ははな子の旧事諮問録の幕臣の娘という出自を嘘で
名古屋の医者の娘と言っているが、女中分限では幕臣の養女になっている。
ませ子は実家の情報しか知らなかったらしい。
786日本@名無史さん:2008/07/30(水) 09:08:36
tes
787日本@名無史さん:2008/08/01(金) 13:19:48
家慶の十三男斉信院って生母不詳のようなんだけど、本当にわからないのかな。
788日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:28:17
>>787

当時は愛妾はおひろの方が独占していたからねえ。

鳶魚の聞き取りに出てくる子どもを産んだけどすく亡くした
家慶側室の「ちゑ」は記録に残って無いのでこれが相当するか?
789日本@名無史さん:2008/08/01(金) 17:13:28
>>788
「ちゑ」? そんな人もいるんだ。自分が知ってるのは主だった人だけで、
定、加久、美津、波奈、筆、金、琴(広)、津由、よきの九人。
斉信院が生まれた嘉永二年当時、美津、波奈は御褥御免、定、加久、筆、金は既に死没、
津由、よきは生年等不明だけど子供産んだ記録なしで、琴かとも思ったけど
家慶の愛妾の数は十六人とも云われてるから、そのちゑかもしれないね。
子供産んだなら記録に残りそうな気もするけど。
790日本@名無史さん:2008/08/04(月) 18:55:29
広大院って家斉との婚約中、近衛家の養女になるまで「御縁女様」と
呼ばれていたんだっけ。
その後の楽宮や有君は江戸下向から縁組発表まで年月があるけどこの間
何て呼ばれていたんだろう。正式に縁組が調うまで「姫君様」ではないよね。
791日本@名無史さん:2008/08/05(火) 10:48:02
>>789

家慶の側室では同じく記録に残って無い妊娠中に死んだ「そで」という中臈もいるらしいね。

鳶魚の記述では、家慶の隠し子を産んだ女芸人の坂東兼治(松村ぎん)もいたな。
792日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:19:08
お津由の方が子を成していないというのは少し疑問が残るかなあ。
確かに出産の記録は幕府祚胤伝や徳川幕府諸家に記述されてないけど
この時代の子を持たない側室(御手付御中臈)が将軍家菩提寺に埋葬されるのって例がない。
お津由が出産していないってのは何かに記録されてることなんだっけ?

本によっては斉信院の母をお津由だとするものもあるね。
793日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:42:23
>>792
確かに出産した記録が無い=出産していないという事にはならないかも。
少なくとも自分はお津由が出産していないという記録は見たことは無い。

ちょっと気になるのはお津由の死没は明治に入ってからで、また家慶生母
お楽が大叔母、慶昌を産んだ家慶側室お定が伯母にあたることかな。

まあお津由が子を産んだ可能性もあるわけだし、その斉信院の母をお津由
としている本、もし題名などがわかるようなら教えてくれるとありがたい。
794日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:07:23
「清華閣襍編 甲 九巻」の中から天璋院様附女中分限帳の部分を複写してもらったんだが、
「はな」の名前が御小姓にも御中揩ノも見つからない・・・。
「いし」の名前は見つけたけど「御殿女中」の大岡ませ子の名前すら見つけられないし。

もしかしてみんなが言ってる「分限帳」って別の部分だったのかな?
それとも落丁してる・・・?
795日本@名無史さん:2008/10/06(月) 11:28:26
>>794

「はな」が御小姓として載っているのは、退職女中の名前が載っている文久二年版の女中分限帳のほうだよ。

「ませ」の名前が出ている分限帳は井伊家文書に収録されている分限帳のほうじゃなかったかな?
796日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:02:22
age
797日本@名無史さん:2009/01/11(日) 08:11:55
age
798日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:08:33
いくら女好きでも年中じゃ・・・
その気になった時だけだったら

女にとっては受動的な性格の人ならなんとか全うできるかも知れないが・・・

AV好きな俺には興味しんしん
女同士の愛憎(レズ、SM)、オナニーetc
799日本@名無史さん:2009/03/28(土) 23:29:02
あげ
800日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:33:10
800
801日本@名無史さん:2009/06/13(土) 02:48:57
保守
802日本@名無史さん:2009/06/14(日) 08:16:07
いまやパクリ作家としか思えない鈴木由紀子氏、
「大奥」小説を再び上梓www
803日本@名無史さん:2009/06/14(日) 23:00:33
女でも同性ばかりという空間は気持ち悪いと思うが?
804日本@名無史さん:2009/06/15(月) 20:12:54
毎日男である将軍が来るから同性ばかりではないよ
大奥でとまらない日でも毎朝御台所と一緒に先祖の位牌に手を合わせないといけないから
毎日大奥に来ていた

日本なんて永らく夜以外は大奥以外でも男女別に生活してたしね。
男は出勤登城、奥方は侍女たちと家のやりくり。
町人たちだって、昼間は奥さん同士が洗濯しながら旦那のぐち言ったりして井戸端会議してたでしょ。
805日本@名無史さん:2009/06/19(金) 14:34:37
毎朝の仏間での礼拝のために将軍が大奥に入ってくるのは当然のことだし
だからといって、その将軍一人以外の男は(例外もあるが、滅多に)
大奥にははいってこれないのだから、「女ばかりの空間」という認識で
良いのだと思うが。
将軍の影さえ拝めないようなお目見え以下も、大奥には多数いたのだし。

あっ、でもお広敷の役人やごさいやご用商人と顔をあわせられる身分もいるな。
806日本@名無史さん:2009/06/19(金) 23:34:04
オウム真理教にも大奥がありまして
麻原は正室に六人、側室に六人
ほかにも2,3人は子供があったようです

麻原は風呂に入るとき、愛人に体を洗わせていたらしい
807日本@名無史さん:2009/08/23(日) 00:07:51
祖心尼の影の薄さについて
春日局亡き後〜家光の死まで大奥を仕切っていたらしいのに影が薄いのはなぜ?
808日本@名無史さん:2009/08/25(火) 23:25:12
新宿の済松寺に行って聞いてきたらwww

春日局の縁者ではあるけれど、
祖心尼はその禅知識を家光に信頼されていたんだし、
尼僧でもあり自我を派手に出す型ではなかったんじゃないの。

で、派手な逸話もないので後世にもの好きな脚色もされず
講談や小説のネタにされなかったので、知名度が薄い。
809日本@名無史さん:2009/11/07(土) 13:22:42
お万の方って家宣の時代まで生きてるんだな
いつまで大奥にいたんだろう
810日本@名無史さん:2009/12/13(日) 02:46:41
>>809
明暦の大火の時まで
811日本@名無史さん:2010/02/09(火) 22:12:10
保守
812日本@名無史さん:2010/03/11(木) 23:19:08
みんな処女なのか
813日本@名無史さん:2010/03/26(金) 19:51:44
さあ
814日本@名無史さん:2010/06/03(木) 18:30:13
>>807
祖心尼は、春日局の生前にすでに、大奥出仕は退いて、
済松寺の開基・初代住職となっているよ。
815日本@名無史さん:2010/06/08(火) 21:21:39
吉宗の代に解雇された女達はちゃんと結婚できたのか?
816日本@名無史さん:2010/06/08(火) 22:10:34
>>815
大体結婚できたんじゃないの。

又者じゃなくて正式の奥女中だから、実家は大体貧乏旗本・御家人だろうけど、
まあ結婚適齢期内で、美人の折紙が付けられていて、大奥奉公修業経験があって、
持参金となる退職金を持っていて、大奥に残った同僚などとの将来コネもある。

実家と同じような階級で、もっと上格の家から、縁談が降るようにあったのでは。
817日本@名無史さん:2010/06/15(火) 09:04:20
今、官公庁も大奥のお局みたいな女が沢山いるね。
818日本@名無史さん:2010/06/15(火) 13:12:17
大奥が吉原の話だと思ってる奴がいてワロタ
819日本@名無史さん
官公庁が大奥化している。あの立派なお着物の財源はどこにあったの?