1 :
名無しさん :
2006/06/14(水) 22:52:14 信長が本能寺で光秀に討たれて光秀が悪者扱いになってるが、 自分は信長の自業自得にしか思えない。 どの物語でも出てくるように、 光秀は生前の信長にさんざん不当な扱いを受け、いつ自分が殺されるかも 気が気じゃなかったはず。 その前に自分から信長を討とうと思ったとしても何ら無理はない。 結局の所、本能寺の変が起きたのは信長の自業自得じゃないのか?
2 :
日本@名無史さん :2006/06/14(水) 23:14:27
まあ、そう言う事で。
3 :
日本@名無史さん :2006/06/14(水) 23:20:51
よく分からないが, それは「桶狭間の合戦は今川が悪い」という論理とどこか違うの? まさか下克上の時代に,謀反は悪とでも言うつもり?
下克上は当然の時代だから良いとしても、本能寺での信長は油断しすぎという意味では悪かったんじゃないかな。
6 :
日本@名無史さん :2006/06/28(水) 22:21:01
運が悪かったね
7 :
日本@名無史さん :2006/06/30(金) 17:32:22
まあ生きていたとしても統一までにあと十年はかかったと思われる。 信長は古い権威と価値観を変えた事で役目を終えた感がある、ある意味天命をまっとうしたと言えるであろう、後の秀吉から最後の家康とつながった訳で、なにか天の意志を感じる。
9 :
日本@名無史さん :2006/07/09(日) 20:42:49
まあ、光秀がやらなくても、誰かがやっていたであろう
10 :
日本@名無史さん :2006/07/09(日) 21:40:28
油断して地獄落ちってところは義元と同じだな、信長。
11 :
日本@名無史さん :2006/08/18(金) 23:18:59
12 :
日本@名無史さん :2006/08/19(土) 01:12:27
惟任はヒーローだろ 普通に偉い 信長なんて単なる鬱野郎だろ
13 :
日本@名無史さん :2006/08/19(土) 14:02:34
でも、こういうやんちゃな人が時々出てくるから日本史はおもしろいですね。
14 :
日本@名無史さん :2006/08/20(日) 00:50:05
15 :
日本@名無史さん :2006/08/20(日) 14:15:09
「孕ませ屋」 新郎、新婦のどちらかの依頼により、新婚初夜に新婦に種付をする稼業。 場合よっては、式場でお色直しの際に、ウェディング姿の新婦にバックから注入することもある。
16 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 22:41:53
17 :
日本@名無史さん :2006/08/22(火) 22:40:03
その時、偉大なるノブナガ王は、こう言ったという・・。 「本能寺で光秀に討たれて光秀が悪者扱いになってるが、 結局の所、本能寺の変が起きたのは自業自得じゃないのか? 」と
ノブナガ王の問いに、大臣ミツヒデはこう答えたという。 「本能寺で討たれて信長が悪者扱いになってるが、 結局の所、本能寺の変が起きたのは自業自得じゃないのか?」と
20 :
日本@名無史さん :2006/09/01(金) 09:25:04
21 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 01:54:23
上げにて候
22 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 03:25:03
部下に殺された事を悪にしとかないと、 上役は怖いわけだから。
糞スレにて候。
24 :
名無しさん :2006/10/28(土) 03:23:49
光秀は人間はできてたんだろう だいたい天下を取るために信長を殺したのではなく自己防衛だ 正当防衛だよ
25 :
織田信長@案内人 :2006/11/22(水) 01:44:57
____ /_ノ ヽ、_\ ミ ミ ミ o゚((●)) ((●))゚o ミ ミ ミ <おれいずれ削除人になって悪い2ちゃんをよくするからよろしくだぜ皆の衆 /⌒)⌒)⌒. ::::::⌒(__人__)⌒:::\ /⌒)⌒)⌒) イェ〜イ | / / / |r┬-| | (⌒)/ / / // | :::::::::::(⌒) | | | / ゝ :::::::::::/ | ノ | | | \ / ) / ヽ / `ー'´ ヽ / / | | l||l 从人 l||l l||l 从人 l||l バ ヽ -一''''''"〜〜``'ー--、 -一'''''''ー-、 ン ヽ ____(⌒)(⌒)⌒) ) (⌒_(⌒)⌒)⌒)) バ ン
常識すぎるスレは伸びない
27 :
日本@名無史さん :2006/12/13(水) 16:56:51
人を殺して・・殺された方が悪い って言う奴は 殺人鬼しか居らんぞ!!
森蘭丸とその弟を本能寺でぶち殺したのは俺の先祖
本能寺討ち入りグッジョブ みんな感謝してるよ
30 :
日本@名無史さん :2007/01/22(月) 20:15:42
だな。だが、その後がちょっとなーーー!!!
31 :
辻小姐 :2007/01/22(月) 20:28:35
信長が清洲城を攻略したのは主家に対する反逆以外の何物でもありません。 信長がさんざんやってきたことを部下にやられただけであって、 異常な事件でも何でもありません。
32 :
日本@名無史さん :2007/01/23(火) 23:14:34
ですね! 仰せの通りでございます。これにて終了っ......て、 それではあまりにも愛想無し。 以下、信長が行ったと言われていることで「これは酷い!」という 事柄を書き綴ってみてはどうでしょう? >>1さん、いかがですか?
33 :
日本@名無史さん :2007/01/24(水) 16:28:04
>>24 一介の浪人だった光秀を大名にまで出世させてやった信長を討つ時点で
光秀は恩知らずもいいとこだろ。
光秀は信長以外のどの君主に仕えようと信長の下での出世には遠く及ばないよ。
34 :
日本@名無史さん :2007/01/25(木) 08:53:34
「恩知らず」にならざるをえない原因が数々あったのである
35 :
日本@名無史さん :2007/01/25(木) 09:31:46
秀吉くらいの野心と狡猾さを持ち合わせていなければ あのまま信長の下で出世してもロクなことはなかったのでは?
36 :
日本@名無史さん :2007/01/30(火) 18:13:16
信長の息子や信長の奥さんや信長の孫を殺し 信長の娘達は手篭めにするし逆らったら殺した秀吉が黒幕
37 :
日本@名無史さん :2007/01/30(火) 20:30:38
光秀は公家衆・義昭・信長・秀吉すべてに釣られたバカ まず公家衆・義昭の思惑に釣られ 信長・秀吉の密約で本能寺の変自体が釣りで 信長はフロイスにうその記述をさせて 本能寺でイリュージョンマジックを見せて 国外で濃姫と名を捨てて洗礼名でイエズス会の庇護の元 西洋式の食事で余生をまっとう 秀吉は密約を守り今の歴史にした 秀吉は公家衆・義昭を釣るために 光秀を討つ事にした 現在の話に置き換えると・・・ 会社に義理立てしたがために自分がリストラされる話 とストーリーが一致する 現在も過去も不器用に義理を重んじると自分が損する これが信長クリスチャン説の顛末である ちなみに織田家内ではこのクリスチャン説を 全面に信じてしまったため小牧・長久手の戦いが引き起こされた
38 :
日本@名無史さん :2007/01/31(水) 00:51:56
漏れはてっきり昨日のテレビで信長殺したのは秀吉だったという事実を明らかにすると思ってたのに残念。光秀は信長殺してもNO1には成れないことを知ってたはずなのに、有り得ない。なぜウソばか教えるんだ?
39 :
日本@名無史さん :2007/01/31(水) 03:02:47
信長は死んでいない・・・クリスチャン説 それは明智の兵の口伝えのデマです
40 :
日本@名無史さん :2007/01/31(水) 17:41:45
だいたい信長殺したのは明智光秀だってゆう明白な証拠があるのか? それすら憶測なんじゃないのか?
しかし、信長は完全に油断していたよな。 どうして明智にたいして無警戒だったんだろう。 あれほど叩いておいて謀反の可能性を考えないのは無警戒すぎるだろう。 もう少し兵力を同行していてもよかったと思う。 あるいは明智の進軍をラッパに監視させてもよかったはず。
>>41 光秀の「プライドの高さ」を叩いて置けば畏怖して反逆する気も失せるだろ。
と思っていたんじゃないか?
「生真面目で考えすぎる性質」な光秀が、ああいった行動をとるとは信長も思ってなかったんだろう。
光秀を孤立させる事で「弱体化」をする狙いだったが(光秀は燃え尽きていたかもしれないが)、 その周りにいる家臣達の事までは頭が回らなかったんだろ。 身近の人間の不平や不満を、無責任に放置する光秀ではないだろう。 これ以上信長を好きにさせては、「我が家臣やその身内にまで不幸が訪れる…ならばいっそ今ここで…」
44 :
あ :2007/03/23(金) 23:54:01
45 :
日本@名無史さん :2007/04/19(木) 16:45:18
信長公は、光秀を近衛師団長のように考えていたからああいう風になったのだろう
46 :
日本@名無史さん :2007/04/20(金) 02:58:33
光秀ごときに天下をおさめられる器なんてあるわけないのに・・・ 偉大なるアシスト王だよこのアホは。
47 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 10:00:50
やっぱおかしいな、この変は。 そもそも変の直前に、信長は光秀に中国地方にいる秀吉の援軍してこいって。 これって、光秀に本能寺へ来いと言ってるようなもの。
48 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 11:19:29
そうね、光秀はナンバー1になれる器じゃないわね。 もし天下取ったとしても、あっという間にひっくり返されるのがオチだわ。
49 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 11:29:55
信長秀吉家康みたいな天下人が必ず持つカリスマ性、人望、強運といった要素が皆無なんだよなこの男は。 器の無い人間が「しめしめ、今なら俺でも天下取れるかも」っつって主君殺して返り討ちって寒過ぎだろ。
50 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 11:35:29
>>37 んなはずねーだろ。もし信長と秀吉の共謀なら、信長の子孫殺すはずないし、厚遇してるはずだろ。
視聴率とるためとはいえトンデモ過ぎるぞ。
51 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 13:15:06
しかし仮に信長が本能寺で死ぬことなく、織田政権が出来たとしても 天下人になれる器じゃない。 信長が世界と対等に戦ったら日本が潰れること間違いなし。 一種のヒトラーだろうなあ、信長は。
52 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 13:36:41
狂気の天才は結局は破滅する運命にあるのかもな。
53 :
日本@名無史さん :2007/07/08(日) 13:43:51
器の有る無いは所詮結果論じゃねーか? 家康も関ヶ原で敗れてれば、光秀と何ら変わることの無い寒さだし。
よく秀吉が変の真の首謀者だと言われるが 何故清洲会議で織田家の信頼を勝ち取れたか不思議なんだよなぁ。 これで織田氏の当主となったわけだが暗殺なんて方法犯しておいてノコノコ 織田家の後任当主決定会議に出てくるかなぁ。俺は信長殺しが秀吉の仕業だとは 到底思えなんだが 絶対バレると思うしそんな後ろめたいプレッシャーを抱え込みながら 信長の息子や家臣使って天下を取れるとは思えないんだよね むしろ家康が黒幕だと思うんだが どうかな? 家康の祖父も親父も暗殺されている しかも織田氏との交戦中に もし織田信長の親父がこの2人の暗殺に関わっていたら すまん もう止めるわ
>>54 > これで織田氏の当主となったわけだが
ここ笑うところか?
後の長州藩 土佐藩 肥後藩 薩摩藩を秀吉に 支配させたことに対して何か天の意思を感じる
家康の祖父や親父も興味深いミステリアスな殺され方してるよね
信長はここで油断して横死したために 信康殺しの濡れ衣を着せられるわ散々だな。
小瀬甫庵の「信長記」に信長公早世之評なるものが載っている。 甫庵なんて信長に会ったこともないはずなのに見てきたようなことを 言っているのだが、江戸時代にも信長は武士・庶民問わず人気が なかった。新井白石なんて酷いもの。 油断のため49歳で死に、しかも理由はこの頃は怨恨説しかなかったため 信長もえらい損をしたものだ。
>>54 父はともかく祖父清康が殺されたのは松平家の
家督争いが元。織田は関係ない。
まああんたが「信康殺し」を動機に持ってこなかった
のは幸いだが。
これを信長の命などとしたのは徳川御用学者の仕業で
家康が主犯だと思ってるから。
>>60 自分の父親殺した奴重要するなんて
なんかおかしいよね 家康の父
疑わしい家臣の息子が祖父殺したなんて
まあクーデター起こされて死ぬなんて良くあることだ 信長の死様は一般的だろう
今更だが
>>1 光秀が信長に苛められてたなんてのは江戸時代の俗書が
作った嘘だよ。この頃は怨恨説しかなかったから。
実は光秀は佐久間信盛追放の際「丹波国日向守、天下の面目
を施し候」と激賞されている。
それが本能寺の直前では長宗我部氏の問題を巡って両者に
溝ができ、元親に義理の姉妹が嫁いでいる斉藤利三が光秀を
煽って謀反を起こさせた、という説が現在有力とされている。
斉藤利三黒幕説が有力説? まぁ仮説は山ほどあって、みなそれぞれに有力説と自称しているのが現状。
信長オタの秀吉に対する被害妄想が少し恥ずかしい もし秀吉だとしたら山崎の戦なんてやる必要ないし 主君殺しの後ろめたい気持ちを抱えたまま清洲会議にのこのこ出るかな? 光秀のが秀吉より年上だし秀吉が命令できるとは思えない 光秀は死んでいるし もう少し考えて結論出したほうがいい
真相は ムカッときたから。
>>64 利三が煽ったという説は論者も「単独説」と称している。
何でも黒幕と呼べばいいものではない。
この説を有力と言ってるのは谷口克広の本に書いてあった
ことだよ。少しは本くらい読もう。
68 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 16:11:28
>>63 >元親に義理の姉妹が嫁いでいる斉藤利三が光秀を
煽って謀反を起こさせた、という説が現在有力とされている
自己保身のためなら肉親でも冷酷に切り捨てる戦国の世において、
斉藤利三は例外のアマチャンだったのかね?
そんな甘ったれた個人的事情の為に、主君の光秀に信長暗殺を具申するか?
光秀も、そんな愚劣な理由で信長暗殺を決心するかよ
アホらしいわ
69 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 20:46:21
善悪論で論じる問題じゃないだろ アンパンマンとバイキンマンじゃないんだから
>>68 現在最も有力とされているのは、信長の四国政策の転換によって、
光秀が追い込まれてしまったという見方である
(谷口克広著「戦争の日本史・信長の天下布武への道」より)
研究者の言うことが全て正しいわけではもちろんないが、
著書を何冊も出している相手にアホらしはなかろう。
まずこれらの本(主に黒幕説否定だが)を読んだ上で
批判してはどうか。
本も読んでないようだから紹介しておく。
鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社)
桐野作人「だれが信長を殺したのか」(PHP研究所)
谷口克広「検証 本能寺の変」(吉川弘文館)
これらの本を読んでもまだ納得できないなら、おまいも著書の1冊でも
出してみればいい。
書き忘れたが、上の引用の続きには、 特に光秀の家臣で、元親の妻の親族である斉藤利三は激怒し、 光秀を煽ってついに謀反に踏み切らせた とある。利三に触れてないじゃないかとケチを付けられても 困るので念のため。
72 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 03:05:49
陰謀説はトンデモ学者や小説の中の話だよ。 簡単な話で、下克上のひとつ。 光秀が謀反(天下取り)を決意したのは、信長、信忠を同時に倒せる環境が 偶然そろったからだ。軍を率いて京に向かう途中で、梅雪や家康と堺に 行っているハズだった信忠が、予定を変更して京に残っていることが分かったからだ。 松永討伐では光秀、秀吉を率いて総大将をつとめ、以後の播磨制圧戦、 荒木討伐、武田討伐でも総大将となったナンバー2(社長代行?)の 信忠(美濃・尾張・信濃・甲斐を支配)を殺らなければ信長だけ殺っても天下は取れないからね。 もし、信忠が堺に行って京に不在だったら、光秀は畿内の軍事・行政を支配するナンバー3 の地位でガマンしていただろう。 まあ、越中の国人で上杉の調略などで上杉方に寝返る者が続出し、 その制圧に手間取って弔い合戦に遅れた柴田のように、 織田の有力武将は明智勢が畿内を固める前には帰れないハズだしね。 俺でも、畿内にしばらくの間は自軍しか有力軍団がなく、 ナンバー1、ナンバー2を同時に倒せる機会がおとずれたら、謀反しますよ。
73 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 03:23:47
光秀は人にあやつられるようなタマではないよ。 逆に朝廷でもなんでも目的のための手段として使う人物だろう。 代々の宿将でもないのに、織田軍団の近畿軍管区司令長官兼近衛師団長 でありCIA長官を兼務するような地位にいたのも、能力があったればこそだ。 さすがは実力主義の織田家だ。 フロイスの報告書では光秀は 「彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあった、 己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、 忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった。」 なのだそうだ。
斉藤氏のせい
75 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 02:03:52
>>73 フロイスは信長を討った光秀を憎んでいるだろ。
いや、だから今までほとんど紹介されなかったその光秀評を 紹介した鈴木眞哉・藤本正行も、 「彼の末路を承知した上で、悪意をこめて批評しているために、 こういう表現になっている」と述べている。 ただフロイスは晩年の信長が自ら神になろうとしたとして 非難し、その死もそのためだとしているから そんなには明智を恨んでいなかったと思う。
77 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 12:43:20
>>70-71 論点のすり替えがあるぞ。
長曽我部に嫁いだ斉藤利三の妹の件は単なる私事にすぎず、「信長の四国政策の転換」は織田家の公的な戦略だ。
それをごっちゃにすんな。
桐野作人「だれが信長を殺したのか」(PHP研究所) は、一通り目を通したが、
光秀が謀反に踏み切る直接な因果関係は見出せなかったぞ。
>光秀の家臣で、元親の妻の親族である斉藤利三は激怒し、光秀を煽ってついに謀反に踏み切らせた
明智家では光秀より、斉藤利三の方が発言力があるのか?
光秀は利三の言うなりになる傀儡か?
光秀には家臣の統制力もないのか?
利三の個人的事情により唆されただけで、大恩ある信長に反逆しようと思うほど光秀は間抜けなのかね?
>>72 >光秀が謀反(天下取り)を決意したのは、信長、信忠を同時に倒せる環境が偶然そろったからだ
そんな絶好の機会を整えたのは、誰なのか考えた事あるか?
何故あの時期、信長は僅かな供回りを従えただけで上洛したんだろうな。
光秀は、どうして信長が入京してるって知ってたんだろうな。
>>77 まず言っておくが、おれは谷口氏・桐野氏らの見解を
支持してるだけ。
疑問があるなら両氏に手紙でも出して尋ねれば?
「だれが信長を殺したのか」を読んだそうだが、
その第4章は「本能寺の変の仕掛け人、斉藤利三」
さらに第3章は「光秀を追いつめた信長の四国分国令」
となっている。著者が変の原因が四国問題にあるとしてるのは
一目瞭然。
一体本のどこを読んだのか。
もう一度言うが自分なりの独自な見解なりがあるなら
おまいも本を出してみれば?こんなところで吠えてないで。
>>77 は最初の一段落で読む気なくしたので読んでない。
そういうのは仮に間違いだとしても「論点のすり替え」とは別物だろう。
ただ「論点のすりかえ」って言いたいだけちゃうんか。
80 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 08:28:17
信長は魔族だったって言ってた。お兄ちゃんが
82 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 10:50:09
>>77 「光秀が謀反に踏み切る直接な因果関係」
いちばん大きな天下取りの野望があるのにね!
裏切りのユダと被るな こういった伝説はキリストにも当てはまるな キリスト殺しはファリサイ派と律法学者が黒幕でユダに頼んだみたいだけど
こういっちゃ何だけど今の信長人気の理由の一つに 本能寺で天下統一目前に散ったからってのがあると思う。 そのまま生きてたらIF小説みたいなカッコいい信長になるかも しれないけど、耄碌して晩年の秀吉みたいになったかもしれない。 正直な話歴史上では秀吉を初め「絶頂期で死んでいれば最高の偉人」 って人間がいっぱいいるし…。 光秀だって本能寺前に頓死してたら織田家一の能臣とか今頃言われてた かもしれない(あんまパッとしないだろうけど) だから光秀よくやった…とは言わないが、信長人気は半分本能寺のお陰の ような気がしないでもない、変な言い方すると例え自業自得だとしても 最高にド派手な死に舞台だよな。 隠居して孫に囲まれながら縁側でぽっくり逝く信長とか想像できん。
85 :
日本@名無史さん :2007/09/06(木) 06:42:06
>>78 >おれは谷口氏・桐野氏らの見解を支持してるだけ
だから、
数ある諸説ある中で、何故その説を支持しているのか、その理由を示せよ。
単に他説の受け売りで、思考停止か?
>第4章は「本能寺の変の仕掛け人、斉藤利三」
さらに第3章は「光秀を追いつめた信長の四国分国令」となっている。
著者が変の原因が四国問題にあるとしてるのは一目瞭然
著者の論旨など否定してねーだろ。
分かりきった事を一々説明すんな。
単に「四国問題」を事細かに説明しているだけであり、
それと本能寺の変との直接的因果関係について、説得力が乏しいと言ってるわけよ。
分かる?
何故、天正十年のあの時期、信長は入京したのか、
その目的に触れずに、本能寺の変の解明も糞もねーだろ。
>もう一度言うが自分なりの独自な見解なりがあるなら
おまいも本を出してみれば?こんなところで吠えてないで
スレで己の意見を書き込んだら「吠えてる」ということになって、何で本まで出さねばならんのだ?
意味不明。
お前の意見は「吠えてる」ことにならんのか?
「思考停止」しないで素敵な脳みそフル回転の奴の言うことより、 まともな研究者の説をそのまま紹介してくれてるほうが 正しいことを言ってる蓋然性が明らかに高いよな
87 :
日本@名無史さん :2007/09/07(金) 20:04:07
『明智光秀公家譜覚書』によると、変後の時期に光秀は参内し従三位・中将と征夷大将軍の宣下をうけたとされる。
ハイハイ、オメデトウ。
89 :
日本@名無史さん :2007/09/09(日) 10:50:06
明智討ち直後の信孝の戦犯探しを勘案すれば、信長暗殺に朝廷が関与していたのは明々白々だ。
ハイハイ、オメデトウ。
91 :
日本@名無史さん :2007/09/09(日) 13:27:47
朝廷はなんにでも関与してるさ。
ハイハイ、オメデトウ。
93 :
日本@名無史さん :2007/09/09(日) 18:18:39
常識人のオレらから見たら、無防備にみえるが、 信長に限らず、坂本竜馬とか、歴史上の革命児たちは「度胸」ありすぎて、 あんまり危険とか気にしないというか、本気で身の危険を心配してはいないか、 いつ死んでもしゃーない、といった覚悟があるか、どっちかだ。
94 :
日本@名無史さん :2007/09/10(月) 17:48:59
武士は、いつ死んでもしゃーない、 という風に小さい頃から教育されるのだから、仕方がない。 だらだら長生きするよりも、かっこよく死んで、 「あいつは大きなことをやった」と言われるほうが評価される時代。 日本もほんの60年ほど前までは、そんな時代だった。
あまり詳しくないけど、光秀は最初二条城は囲まなかったんじゃなかったっけ。 つまり信忠がいるのは知らなかったんじゃないのかな。 京に無防備で来たのは茶器なんか見に来た、ってよく言われるよね。 そこから黒幕が信長を誘い出した、というのだけど、それでも信長は厳重に警戒してたかもしれない。 さらに光秀軍が大挙やってくるまでに気がつかれた可能性だって高い。 そういう黒幕陰謀説はどれもかなり無理があると思う。 とりあえず思いつくのは朝廷、堺の商人、イエズス会、千利休なんてのもあったかな。 どれも小説の中だけにしておいてほしいけど。
96 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 13:24:59
>>95 >黒幕陰謀説はどれもかなり無理があると思う。
とりあえず思いつくのは朝廷、堺の商人、イエズス会、千利休なんてのもあったかな
有力説から愚説まで一緒くたにしていることに無理があるぞ。
無論、光秀単独説にも無理がある。
>>96 そりゃ視点によって多かれ少なかれ無理はあるだろうけど。
光秀単独説が一番普通だと思うよ。
無理もほとんどないし。
陰謀説で不思議なのは、もし光秀の方が裏切ったら、ということ。
たぶん朝廷がジョーハあたりを使って茶器で誘い出した、とか言うのだろうけど
光秀の方が「殿、謀反でござりまする」とか言ったらどうなることか。
ほんで幽斎に助け求めた文書なんかみると、朝廷の話なんかも全然出てこない。
たぶんみんな、光秀がやっちまった、というのを知っていて山崎で光秀に加勢しなかった
のだと思うけど。
自分も単独説がもっとも説得力があると思う。 理由はいろいろあるが、かなり偶然の要素が強い決行だったからというのが一番かな。 いくら光秀をそそのかして光秀がその気になったとしても、信長があれだけ無防備に京に来なければそもそも起こりえなかった 変事だし、それさえもすべて計算の上の行動だったとするには、その後の光秀の行動に一貫性がなさすぎる。 別に黒幕説を主張するのもかまわないけど、「○○説がもっとも説得力がある」と思うならその理由を述べてもらいたいな。 その説の説明ではなしにね。
「その説の説明」も要るだろうけどな
「信長を殺せる」というチャンスにアタマが真っ白になってしまったんだろう これを逃したらチャンスはもうない訳だから
101 :
日本@名無史さん :2007/09/17(月) 20:57:40
>>95 >あまり詳しくないけど、光秀は最初二条城は囲まなかったんじゃなかったっけ。
>つまり信忠がいるのは知らなかったんじゃないのかな。
自分もあまり詳しくは無いんだけど、信長とその後継者の信忠(更に馬廻り衆?)を一気に討てなければ
信長だけ討ったとしてもその後すぐに織田軍団の逆襲を受けてそれこそ確実に三日天下確定だったからだと思う。
織田家のシステムから言って、信長と信忠が消えれば家臣団の崩壊は確実だったはず。
予想外の秀吉の速攻によって織田家崩壊は免れたけど、山崎の戦いで勝ちさえすれば明智に付く将は多かったはず。
個人的には、やっぱ信忠を一緒に討てるチャンスだったから踏み切ったと思う。
信長だけを討つなら光秀の立場なら他にもいくらでもチャンスはあったはずだし。
頭が真っ白になったかどうかはわかんないけど
>>100 の言うように、こんなチャンスは二度とないだろうしね。
元々の緻密な計算はあったはず。でも決行時は真っ白だったかも?
今大河ドラマでやってる風林火山でしたっけ?
それの元ネタ(?)読んだら、光秀けしかけたのが山本勘助になってた。色んな説(というか脚色)がありますねー
ちなみに自分は黒幕説より単独犯説支持してます。
信長の無警戒振りは確かに謎かも。
まさか光秀が裏切ると思ってなかったのか、単純にそこまで余裕が無かったのか、
それとも光秀が裏切るならまあそれはそれでしょうがないとタカをくくってたのか。
なんかのゲームのイベントで、「光秀か、ならば是非もなし」みたいなセリフがあって
それはかっこいいなと思いました。あえて光秀の謀反を誘ったかのような。
信長ならやりかねないなーくらいに感じてしまった。
102 :
日本@名無史さん :2007/09/17(月) 20:59:49
スレ違いだけど、 光秀って天海大僧正ってほんと!?
違います。
>>101 信忠は逃げるチャンスも十分にあった、というか武将としてはそうすべきだったのだけどね。
それはともかく、光秀が信忠も一緒に討てるチャンスだったから決行した、というのは事実っぽいけど
もう少し検討されないといけないだろうな。
信長が本能寺にいることを光秀が知ったのはいつ誰からか、そういう基本から踏まえてね。
単独説というのは、難しい理由は無しで、光秀だっていっぱしの戦国武将だからいつでもそういうチャンスをうかがっていた、それだけのこと
だと思うのだよね。それと定説の四国の政策云々とは合致する。
あの時点で光秀はその他大勢の家臣なんかより自分が天下人になれるという十分自信があったんでしょ。
ミスったのは秀吉があんなにすごい武将とは思わなかった、ここの読み違いね。
あの四国どんでん返しもすごいけど、これこそ秀吉の凄さ、というか。
ほんで推測だけど、秀吉すら信長を討つチャンスをうかがっていたはず、これは文献にはないけど、当たり前だが、
光秀は秀吉に先を越されたくない、そんな時に千載一遇のチャンスがめぐってきた。
そこを見事に刈り取った、そういう感じで理解してるのだよね。
だから結果的に光秀と秀吉は織田家乗っ取りをめぐる争いになってたろうし、その後は史実のまま徳川の世になってたはず。
つまり本能寺は案外謎でも歴史のターニングポイントでもなかった、ような気がするんだ。
黒幕説というのは面白いのだけど、そこまで複雑に考えなくてもいいようなね。
本能寺を、謎、と思うからこそそういう推理小説になってしまうわけで。
>>101 >だから結果的に光秀と秀吉は織田家乗っ取りをめぐる争いになってたろうし、その後は史実のまま徳川の世になってたはず。
これちょっと意義有り。
徳川家康が天下取れたのは豊臣政権があってこそだと思う。
秀吉ではなく光秀が天下人になっていればまた全然変わってくると思うんだけど。
>>106 かもしれないね。
ただ、光秀が天下取れなかったのは事実で、やっぱり秀吉が天下取った以上は
それ以外の仮定は小説ネタになっちゃうよね。
要は家康が天下取れたのは、信長、秀吉がいたから、という解釈を元に
この二人を過大評価することは逆で、やっぱり最後まで勝ち残った家康は完全勝利
なんでしょうな。
ちなみに少しおかしな言い方だけど、光秀は11日間だけは立派な天下人だった、
と考えるとやっぱり徳川の世になったというのは必然にも思える。
109 :
日本@名無史さん :2007/09/20(木) 04:46:54
>>108 >勝ち残った家康は完全勝利なんでしょうな
>やっぱり徳川の世になったというのは必然にも思える
外征失敗による内部分裂という敵失と惰弱な金吾中納言の裏切り頼みという他力本願で天下人になった家康は、単なる幸運爺。
とても「必然」といえる天下取りの手法ではない。
ひまだからツラれよう。 徳川300年を支えた基礎を作り上げた初代の事績をもっと調べたほうがよいよ。 単なる幸運爺なら徳川も3代ぐらいで終わってたかもしれない。 御三家の祖を産ませたのはもう老人になってからで、そこから実際に8代がでてること考えると その用意周到さと先見の明には驚愕するけどね。 ま、男の子だったことこそ、幸運爺、だが。
111 :
日本@名無史さん :2007/09/20(木) 22:46:09
実際に4代で終わりそうだったからね。酒井忠清によって宮将軍が誕生するところだった(「徳川実記」)。 義元が桶狭間で油断をしなければ、家康は今川家で飼い殺しだし、 光秀が天下を狙わなければ織田の天下が続き、いずれは佐久間信盛のように折檻状を書かれて追放でもされていた。 もし、「中国大返し」がなければ明智の天下で、娘や息子も多いので光秀が死んでも政権不安定はないだろう。 よどの最初の子が病で死んでなかったら、秀吉の死亡時は元服しており政権はゆるがない。 あるいは、豊臣秀長や前田利家らがもう少し長生きしていたら徳川政権はなく、秀忠あたりは相模一国あたりに減封。 三河に生まれて織田や豊臣にコバンザメのようにくっ付くことができたのも幸運。 そういえば、小牧長久手の翌年に背中の腫れ物で死にそうになったこともあったな。
織徳同盟の堅固さを考えると桶狭間の信長には感謝してただろうね。 信長はここらの時点でまさかこいつがすげぇ天下人になるとは夢にも思ってなかったろうな。 家康最大の幸運はもちろん自分が3英傑の一番下で、さらに長寿だったことだよね。 我々は結果を知ってるからなんとでも言えるけど、長寿かどうか、は本人にだってわからない。 逆にいうとそういう幸運に恵まれてもムダに終わる人生だって多い。 結果を出して天下人になったからこそ、幸運だった、と言われるわけだ。
113 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 01:26:09
まあ、天下統一、刀狩、検地(太閤検地)など、すべての功は秀吉にあるわけで、 長生きして体制内謀略で天下でも取ってないと、歴史の片隅にも残らなかったろう。
またツラれちゃうけど、秀吉がいなくても家康ならそのあたりの功はやってたと思うけどね。 それよりも、秀吉のすごさは、成り上がり、という面においてで、跡継ぎがうまれなかったのは 不運だったけど、どっちみちその政権の基盤が出来てないから長期政権にはならなかったような。 家康のすごさは先を読む力、でしょう。彼自身も奴隷の身分からの成り上がりでこれも頼朝並の すごさではあるけど、あの長期政権の礎を築いた、ことと信長秀吉の影に隠れて過小に評価 されてるように思う。
115 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 13:42:10
>>112 まあ、家康は見込んだ相手信長との同盟関係を維持するために、
朝倉戦のときなど信長が真っ先に逃げてしんがりを勤め、何度も死にかけたがな。
家康は何度も命を賭けての奉公をしたからこそ、
信長の同盟者として一目置かれていたからで、
一人だけ将来のために生き残ろうとすれば、とっくに信長よってに討たれていた。
家康自身、信長よりも早く戦死する覚悟はいつでもしていただろう。
後世、天下を取れたのは、本人にとってもまぐれだったかもしれない。
あれだけ命がけのことをしておいて、生き残れたというのはね。
116 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 14:13:56
>>114 秀吉には4人子供が生まれていて、長浜時代に側室(南殿)との間に
1男(秀勝)1女が生まれている。男子は6歳で死亡。
幼名は石松丸。法名は本光院朝覚居士(長浜の徳昌寺に墓)。
淀との間には男子が2人(鶴松、秀頼)。
秀勝か鶴松が生きていれば、豊臣は磐石だったが、昔は幼児死亡率は高いね。
秀吉も、あんなに側室がいたのに子供がこの二人にしか生まれてないのは、
この二人は妊娠しやすい体質?
117 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 14:56:07
南殿(氏姓不詳)の子は、本当に秀吉の子なの?
118 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 16:47:11
秀忠だってDNA鑑定しないと、ほんとうに家康の子かどうか? 当時は大奥もないしね。 秀吉の実子として認知されていることが重要。
119 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 16:56:13
>>118 南殿の子は、認知されてたっけ?
さびれた寺に肖像画と葬儀に秀吉が参列した文書が
伝わっているだけで、公の文書に出てこないんだよね?
それに、実子かどうかは関係ないのであれば、
妊娠しやすい側室云々は関係ないしね。
側室が貞操を貫いた結果、子供がいなかったのかもしれないし。
ちなみに、秀吉の側室には、
前夫との間に子供を産んでいる側室(京極竜子など)、
後夫との間に子供を生んでいる側室(三の丸殿、前田摩阿姫など)があり、
秀吉の子供を生んだ側室だけ、妊娠しやすかったとは言いがたい。
あ
121 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 19:27:28
「是非もなし」とかあほかと
死体も見つからず、誰が殺したかもわからないのにな
まぁ、学問として論じることではないな
>>1 と妄想族には楽しくて仕方ないだろう
長々と携帯から失礼した
秀吉は最後少しおかしくなって女に狂うのだけど、 それで子供が少ないというのは不運だったのか何か理由があるのか。 どっちにしろ家康がうまく立ち回って豊家抹殺に動いたとは思う。 源平藤橘以来の天皇からもらった姓をしっかり抹殺したというところに家康の いやらしさというかさすがというか、実力を感じる。
123 :
日本@名無史さん :2007/09/21(金) 23:25:29
>>114 実際に家康はそんなことをやってはいないし、発想が保守的で権力を維持することにしか
能がない家康では不可能だろう。
イチローのことを、ヒット打つしか能がない、って言うようなものか。
125 :
日本@名無史さん :2007/09/22(土) 00:32:15
なんら時代を変革することをしてないからな。(イチローも)
家康前と後、イチロー前と後、では常識が変わったようなことはいっぱいあるのだが、 と、ツラれてしまう自分がかなしぃ・・
127 :
日本@名無史さん :2007/09/22(土) 01:20:16
>>126 そう信じる人も一部はいるらしい。
関が原も、あくまでも豊臣家の家老として戦ったもので、
3年後に朝廷工作で将軍位を手中にするまで、豊臣家の家老としての立場は変わってはいない。
いずれ秀頼に政権を返すのだろうと思っている人も多かった。
結局は「国家安康」などむちゃくちゃな言いがかりで狸親父ぶりを発揮、
豊臣をつぶしたわけだが、大名の統制法など、もろもろ秀吉を踏襲。
しかし、安土、桃山の時代の華やかさを台無しにした才能はあるかも。
むちゃくちゃな言いがかり、で思い出すのだど、自衛隊のいるところが非戦闘地域なんです、と言った首相。 こういう開き直りというのが通ってしまうそのキャラというのも貴重なんだな、と感心する。 家康の頃にはまだ完備されてなかったとはいえ、大奥、ってのも発明ですよな。 生物学的な運に一族の運命がかかってたから、こういうシステムも必要なんだろうけど それ以外に大奥システムは、外国の単に女に狂ったハーレム系、とは違った意味、必要性があった、 という説をちら〜りと聞いたことがある。 家康が晩年に整備した子孫繁栄の準備を考えると、本当だったかもしれない、と驚くばかり。
129 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 02:31:48
家康が天下統治できた要因として、 秀吉の天下統一による大名の安定志向と、外征による経済的疲弊に辟易していた時勢が、 家康の保守性と頃合良く合致したってところだろうか 進歩と独創を封殺する世をつくり、 幕末時まで欧米列強より遥かに遅れた社会を温存し続けた害悪は度し難い
>>129 ふむ。
ただ当時としては完璧と思うよ。
こんな島国、今でも独立国としてどうしてこんなにスペシャルだと思う?
元寇でやられてたらおしまいだったんだからね。
害悪、とはすさまじい表現だけど、今だから言えるわけであって、この国が
存在できるだけでも家康に感謝しなくちゃ、は言いすぎかな。
家康と安房守、この二人でこんなちっぽけな島国を存続させる礎を作った、これこそ奇跡に近いと思ってる。
ちなみに、1945でもう一度同じ絶滅の危機にあってるのだけどね。
過去史と近代史、これは同一で是非語ってほしい、今のケ〜タイ世代には。
131 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 04:13:19
>>130 >こんな島国、今でも独立国としてどうしてこんなにスペシャルだと思う?
明治維新を契機に、積極的に西欧の進んだ制度や技術を取り入れ日本流に消化したから。
まさに信長がやろうとしていたことに近く、家康による徳川幕藩体制とは関係ない。
>こんなちっぽけな島国を存続させる礎を作った、これこそ奇跡に近い
信長の出現こそ奇跡に近い。
信長のおかげで政教経の分離がなされ、日本は中東諸国のような宗教原理主義の国にならずに済んだ。
家康は秀吉の政権を陰湿な策謀で切り崩し、阿呆金吾の気まぐれで戦に勝たせてもらい、
諸大名を徳川に都合よく改易・転封し、島国に引きこもる政策を打ち出しただけ。
家康の武将としての器量など、大和大納言豊臣秀長より下回るさ。
132 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 07:42:07
>>1 >どの物語でも出てくるように、
光秀は生前の信長にさんざん不当な扱いを受け、いつ自分が殺されるかも
しょーもないドラマに感化されちゃった哀れな奴
ちっとは自分で真っ当な歴史文献でも読めや
織田家中最速で重臣の地位に抜擢された光秀が、「不当な扱い」を受けてたとは嗤わせる
>>1 まあ信長は希代の情緒不安定な被害妄想患者だったわけだし。
信長なんか殺して正解だったんだよw
134 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 08:25:57
>>133 >情緒不安定な被害妄想患者
それはお前
時は今 天が下しる 五月かな
136 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 09:33:44
>>132 最速で重臣になったらなんの不満もないはずと思い込むお前が馬鹿だろ
137 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 09:54:56
是非に及ばず
138 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 10:03:52
>>136 お前さぁ、「不当な扱い」って後世の連中が創作した作り話だって知ってるか?
139 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 10:10:31
光秀は、本能寺の変のちょうど一年前 天正9年(1581年)6月、家内の軍規「明智軍規」を定めている。 その中で、「自分は石ころのように沈淪しているものから、召出された上に莫大の兵を預けられた。武勇無功の族は国家の費えである。だから家中の軍法を定めた」と、信長への感謝の気持ちを記している。
すべて作り話で片付けるのは頭悪すぎると思うぞ
>>119 豊臣家がらみの史料には一切でてこないけど、長浜城近辺の寺
(宝巖寺、妙法寺、徳昌寺、知善院)に残る寄進の記録から、
南殿という側室の存在、石松丸が秀吉の庶子であったこと、天正4年10月14日没、
ということがほぼ確定してる。 秀吉の子供でなければ秀吉の名であちこちの
寺に命日の翌日に寄進するなんてことしないと思う。
このことは桑田忠親氏が数年かけて調べ上げたそうだよ。
夭逝した子供は家の歴史にすら残らず、墓すらない、というようなことも
珍しくはないから幻の庶子扱いしていたんだろうけど、寺の寄進の
記録が残っているから石松丸という庶長子がいたのは事実だと思う。
確か徳昌寺には石松丸の位牌もあると思ったな。
晩年の秀吉は女狂いといわれながらも、主に側にはべらせたのは淀殿と京極殿の
二人。淀殿は一度出産したし、京極殿も経産婦だったとう話もあるし、
二人を寵愛したのは相性もあったろうけど、少しでも可能性の高い二人に
望みを託したんじゃないか?さすがに精力も衰えていたろうから。
淀殿はお市の多産、安産のDNAを色濃く受け継いでいたんだろう。 江与も犬のように産んでる。お初は子なしだったけどな。 淀殿は数も少なく、生命力のない秀吉の精子をキャッチして受精させるだけの ものっすごい強い卵子の持ち主なんだろう。♂の精子の方が生命力が弱いと いわれているだけに、二人も男子を授かった淀殿(の卵子)はすごい。 旭も子なしで、弟も子供が少なかったんじゃなかった? 兄弟妹ともに遺伝的に生殖機能に問題があったのかもな。
信長ですごいというか不思議なのは、あの時代によく異人や異教、異文明を理解したこと。 単に仏教勢力への対抗、なんていい方もあるけど、今の我々が見たって当時の異人の 服装とかおかしく見えるでしょう。 世界地図とか見てちゃんと理解してたとしたら、それはすごいことだ。
>>141 大変参考になりました。
>>142 同意しますw
>>143 でもそんな時代にキリシタンになった人たちもすごいと思うよ。
当時の日本の生活習慣、慣習にまったくそぐわない宗教の教えを
よく受け入れられたと思う。
子供と一緒で、まったく予備知識も先入観もないものは
意外と警戒心なく受け入れらのかもしれませんね。
そだね、ただ一般人に広がったキリシタンの問題と、信長の問題は少しわけて考えたい。 黒人を見て「洗ってみろ」とかそういう新しいものに対する興味、という点では同時期の信玄謙信とは あまりに異質なものを感じる。 あまり美化して革新的大名、というのも少し違うと思うけど、前例なきことをいろいろしているのも また事実だろうからね。
146 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 08:47:38
>>140 根拠の無い話を信じるお前がバカ
お前は、自民党本部前で徒党を組んで「麻生コール」している若者連中と同類の底抜けのバカ
147 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 10:36:47
>>145 それは単に、その地方に異教文化が入っていたかどうかの問題。
九州や畿内では、結構受け入れられていた。
信長の革新性とは笑わせる。
148 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 14:32:10
>>143 信長などの新興大名は、鉄砲など革新的な武具を用いることで
領地を広げていったからな。
新しいものを取り入れること=戦に勝ち、領地を広げること、だった。
特に、戦国時代は一向一揆や比叡山の僧兵など、
旧来日本にあった仏教勢力との争いが激しかったから、
自分たちの対抗勢力にはなりえない新しい海外宗教キリスト教は、
保護するに値するものじゃなかったのかな。
徳川家光の辺りになるとキリスト教信者が島原の乱を起こして大弾圧だが、
この頃の大名たちは、一向宗などの仏教徒のほうがはるかに厄介で、怖かった
149 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 15:04:27
>>148 なんか変だ鉄砲という新兵器を取り入れたのは仏教勢力のほうが先。
根来(新義真言宗)衆や、雑賀衆(本願寺派)は信長よりはるか前から鉄砲集団になっていた。
キリスト教は植民地支配の先兵だったので秀吉によって禁止されたのは当然。
ヴァリニャーノからフィリッピン総督のフランシスコ・デ・サンデへの手紙
「私は閣下に対し、霊魂の改宗に関しては、日本布教は、神の教会の中で最も重要な事業の
ひとつである旨、断言することができます。なぜなら、国民は非常に高貴かつ有能にして、
理性によく従うからです。もっとも、日本は何らかの征服事業を企てる対象としては不向きでしょう。
なぜなら、日本は、私がこれまで見てきた中で、最も国土が不毛かつ貧しい故に、求めるべきものは何もなく、
また国民は非常に勇敢で、しかも絶えず軍事訓練を積んでいるので、征服が可能な国土ではないからです。
しかしながら、支那において陛下が行いたいと思っていることのために、日本は時とともに、
非常に益することになるでしょう。それゆえ日本の地を極めて重視する必要があります。」
支那征服の尖兵として日本を利用しようとしたらしい。
150 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 15:16:35
>>149 信長は堺の商人から直接鉄砲を買っていたんだろう?
仏教勢力から買っていたのではない、
仏教勢力が脅威であったことと矛盾しない。
秀吉はバテレン追放令により宣教師は追放したが、
日本人がキリスト教を信仰することについては迫害を加えず、
キリシタン大名は秀吉時代にも実在した。
日本人にキリスト教を禁止するのは家光時代から。
151 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 15:24:54
>>150 >>新しいものを取り入れること=戦に勝ち、領地を広げること、だった。
この一行は、根来衆や雑賀衆には当てはまらない。
傭兵部隊として金を稼いでくることはあるが、領地を広げようというのではない。
話を戻すけど、新しいものを取り入れる、これは旧勢力に対しては必要なんだろうけど、 異教なんてさ、まったく異次元の存在でしょう、いくら仏教徒に対抗するとしてもよく 受け入れたな、って思うんだ。 ほんで、地球儀やそういうのを理解した、というのは信長個人の性向と知能の問題であって、 これはやっぱり革新的と思える。 単に、仏教勢力に対抗しただけ、というのは本末転倒というかね。 信長はちゃんと、理解、してだろうから、世界は広いとかそういうの。 で、信長の革新性に関しては、批判論者は、思いつき、深い意味はない、とか否定をするのだけど それこそが表面的な見方に思えるのだよね。 ま、信長をそう評価してるわけではないのだけど。
当時の過激化した一向宗徒はいまでいうアルカイダみたいな 存在だったろう。 信長の寺への寄進の記録は多数残されているし、 保護するための制札などもだしている。 どうみても仏教を否定してたようには思えない。 安土城内に立派な伽藍付き総見寺も建立してるしな。 凶悪化した一向宗集団はもはや仏教徒ではなく、ただのテロリスト集団で しかも自治権を勝手に行使する統治者としてはやっかいであったろうし、 なにより庶民にとっても迷惑な存在だったから、 信長も必用に迫られ徹底的にやっつけた、ということじゃないかと思う。
154 :
日本@名無史さん :2007/09/25(火) 20:28:44
>>153 本願寺はアルカイダのようなテロ(無差別攻撃)集団とは無論違う。
自分(本願寺)の権益を脅かす勢力(信長、家康、謙信、朝倉)と戦うだけ。
155 :
日本@名無史さん :2007/09/26(水) 05:34:20
謙信、朝倉は本願寺と敵対してたか?
156 :
日本@名無史さん :2007/09/26(水) 21:35:28
>>155 謙信は越中の門徒勢と、死の2年前に和解するまでは常に戦っていた。
本願寺9世実如の命を受けた加賀,能登,越中の一向衆徒約30万は永正3年(1506)に
越前に侵入したが九頭竜川の戦いで朝倉貞景(義景の祖父)が撃退し、
朝倉勢は越前にある吉崎御坊などを破壊した。60数年戦闘状態だったが、
永禄12年(1569)に、対信長で共通の利害が一致したので和解し、同盟した。
また、一時期天下人だった管領の細川 晴元(家臣の三好長慶が下克上)は、
当時本願寺の総本山であった山科本願寺を焼き討ちして京都から追い払ったり(このため大阪に移った)、
当時京都で勢力を張り、数万の軍勢を組織できた法華宗を壊滅させたりしている。
また足利義教などは、叡山に出兵、600年の伝統を誇る根本中堂は焼失した。
興福寺への武力介入なども行い、宗教勢力の政治介入をやめさせた。
宗教勢力の政治介入を防ぐのは、信長でなくとも誰でもやることだ。
義教はプレ信長とも言える存在だからなあ
そそ、プレじゃなくて、信長を、ミニ義教というべきか。 九州制圧、叡山攻撃、南朝崩壊、関東平定、全部なしとげたのは義教。
159 :
日本@名無史さん :2007/09/27(木) 16:18:38
死に方が良くなかったのも同じ。
良くないどころかそっくりだよね。天魔の所行ってやつか。
良い所もそっくりだと思うけど
ミャンマーの軍事政権=信長軍 似てる
信長は「非武装」の宗教勢力を殺した事はないぞ
164 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 02:15:01
>>163 そんなことはない。諸国を巡る高野聖を数百人殺している。
それというのも、高野聖のなかにスパイを働いたものがいたというのが理由なのだが、
見せしめに数人殺すだけでいいのに大量殺戮。
166 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 09:20:57
本能寺の変は 信長の慢心 俺様が神と言えば石も神だ 天守閣から天皇見下ろす構図、信長ならさもありなん。 信長はいい時に死んだ。長生きしたら更にキティー炸裂。 後世の評価下落必死。
168 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 09:41:48
>166 それはガセ。 後水尾天皇が行幸した徳川氏の二条城だって、 一番高い建物は天守閣だった。 だいたい、本丸や二の丸を天守閣より 高い場所に作るわけがないだろ。 敵見のための天守閣なんだから。
169 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 11:00:57
本格的天守(五重以上のもの)の最初のものとされているのは 織田信長が天正7年(1579年)に建造した安土城の天主でしょ。 天守の4層めは、竹や松ばかり描いた「竹の間」「松の間」などの部屋 信長と家族のプライベート空間との説。 信長は天皇に御幸を即しており、行幸用に本丸御殿があり、 すぐ近くに見下ろすように建てられた天主 天皇を見下ろす位置に信長が住まいするという位置関係
170 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 11:11:12
安土城天守閣は、滋賀の県立博物館の敷地内に一部復元されている。 が、天守閣だけあって、相当狭い。 実際に、安土城完成後、信長やその家族が住んでいたのは天守閣ではなかった。 天守閣に住むのはあまりに不便。
171 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 11:17:57
天皇を招待しており 天守は天皇を見下ろすには最適
172 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 12:07:19
>>156 >謙信は越中の門徒勢と、死の2年前に和解するまでは常に戦っていた
謙信は本願寺と連携して信長と敵対していた毛利の要請により、西上を試みている。
それは謙信にとって、本願寺と和を結ぶ事により上洛の障害である加賀の一向一揆と妥協できる絶好の機会でもあったからだ。
つまり、謙信のような田舎大名にとって一向一揆掃討は、高度な政治判断とは関係ない自国領保全のための施策でしかなかったって事。
>宗教勢力の政治介入を防ぐのは、信長でなくとも誰でもやることだ
信長以外の大名は、本願寺と妥協することにより自領の統治の安定を図ったヘタレ。
>>164 >そんなことはない。諸国を巡る高野聖を数百人殺している。
それというのも、高野聖のなかにスパイを働いたものがいたというのが理由
紀州高野山が信長に謀反した荒木村重の残党をかくまい、引き渡し要求を拒絶したため。
そもそも高野聖の悪行は有名であり、治安の厳格化を徹底していた信長の施策に抵触していたのだから、
遅かれ早かれ粛清される運命だった。
信長は無慈悲な殺戮や焼き討ちをしていたというイメージがあまりにも 強いが、実際はそうするには信長なりの理由があったということだろうな。 それと「信長公記」などの史料もそうだが、殺害された人数など をかなり大げさに書いているようだ。悪いことには尾ひれがつくから そのまま伝わったことを書いたんだろうが、比叡山なども 大げさな焼き討ちは調査からは確認できなかったし、大量殺戮したという わりには人骨などもそんなに発見されるに至ってないそうだ。 個人的には浅井親子のはくだみ髑髏を酒の肴にしたことや、 武田親子の首を京都に晒したというのは、度を越していると思えるけど。 敵であっても首実検などは礼を尽くすのが礼儀だったし、 その後首は丁重に扱って親族に返す、あるいは首塚をつくって埋葬する ものだったからな。首を京に晒すというのは罪人扱いだからあまりにひどい扱いだ。
はいはいワロスワロス
>そもそも高野聖の悪行は有名であり その悪行とやらは大量殺戮するに値するものなのか? 出典は?
176 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 15:47:05
>>175 >その悪行とやらは大量殺戮するに値するものなのか?
現代に生きる凡人の常識を、当時の時代の先駆者の施策に当てはめる愚劣
177 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 15:55:01
>>175 自分で調べろ!
その上で該当箇所がなかったなら、ソースを問え
>信長は無慈悲な殺戮や焼き討ちをしていたというイメージがあまりにも >強いが、実際はそうするには信長なりの理由があったということだろうな 光市母子殺害事件には殺害犯なりの理由があったということだろうな 地下鉄サリン事件にはオウムなりの理由があったということだろうな ユダヤ人大量虐殺にはヒトラーなりの理由があったということだろうな
179 :
日本@名無史さん :2007/09/28(金) 16:04:24
>>178 犯罪やテロ行為と、天下平定に必要な戦略とを混同しているバカ
天下平定、と言っても、当時としても、国家反逆罪、なんだけどな。 ま、竜馬や誰でもそうなんだが。
信長 皇帝ネロ ヒトラー 似たもの同士
182 :
日本@名無史さん :2007/09/29(土) 11:13:19
追い詰められて自殺するとこも似てる
>>175 ソースは173の脳内
183 :
日本@名無史さん :2007/09/29(土) 19:29:04
信長の脳内ってまさに「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」そのものだったと思うんだよな でも人間ってそんな単純に造られてないからな 信長の単純思考に皆がついていけなかった ただそれだけのこと 光秀が謀反を起こしていなくても第二第三第四の光秀が信長を殺していたであろう
184 :
日本@名無史さん :2007/09/29(土) 22:07:29
信長はむやみに緊張感与えるタイプかもな
185 :
日本@名無史さん :2007/09/30(日) 14:28:31
>>183 >信長の脳内ってまさに「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」そのものだったと思うんだよな
実態の伴ってない愚劣な標語を鵜呑みにしているアホウ
信長ほど忍耐強く辛抱して機会を待った武将はいないっつーの
186 :
日本@名無史さん :2007/09/30(日) 16:34:42
辛抱強そうでいてキレ易い。 曲直瀬道三が体調の悪い信長を診察した折 「こんな短気じゃ血管プッツンしますよ〜」と言ったとか 『雲陣夜話』には尼子関連が多そうだけど、血管プッツンはどの著書?
信長のことを現代の視点でプロファイリグすると、 精神分裂症(今は違う表現だけど)気質か、あるいは晩年は発症していたの ではないかという見解があるそうだ。
188 :
日本@名無史さん :2007/09/30(日) 17:15:40
果物ひとつでブチキレて女中をその場で斬り殺したんだろ 具体的な事はよくわからんがそういう事があったらしい あと茶坊主斬り殺したりとかもしてるし
現代の視点、というのがあまり意味がないと思うけどね。 最近そういうカキコ多いけどテレビとかでやってるのかな。
190 :
日本@名無史さん :2007/10/01(月) 19:40:29
>精神分裂症(今は違う表現だけど)気質か、あるいは晩年は発症 現代人なら うつけもの と表現されるより分かりやすい。 当時の視点でも 第六点の魔王 ・・・鬼・悪魔の所業って感じ?
気質、なんてのはあんまり意味ないし、そういう現代感覚で歴史人物を評価、理解しないほうがいいと思うよ。 まず、その時代がどういう時代だったか、とかそういう方面から把握しないとね。
192 :
日本@名無史さん :2007/10/01(月) 22:23:13
その時代にたって 信長は異質でキモイ
そうか?全然キモくないが
異質というのは別に悪い意味ではないし、トップに立つような人は凡人じゃないのは当たり前。 で、歴史上の人物を評するのに、キモい、なんて表現がでてくることに感動を覚える。 5年ぐらいたつと、恥ずかしくって使えないような言葉になってるんだろな。
195 :
日本@名無史さん :2007/10/02(火) 13:59:10
親王を養子した思惑は?
196 :
日本@名無史さん :2007/10/02(火) 14:22:47
>>195 誠仁親王の子供のこと?
もしかしたら帝位簒奪の準備なのかもしれないね。
左大臣要請けったり不穏な態度を取ってるし。
198 :
日本@名無史さん :2007/10/04(木) 09:18:50
名目は猶子、本音は人質
199 :
日本@名無史さん :2007/10/09(火) 21:21:01
信長は自らの命令に反対する意見を言われることに 耐えられない性質だったらしい。
>>199 佐久間信盛が追放されたのも
そこらへんが原因だろうな
折檻状とかいう尤もらしい理由はつけてるけど
あの折檻状も愚痴の羅列。 数年前に口答えされたことまで、、、。 人材登用しないで私腹肥やしてる〜唐、天竺、高麗、南蛮までって、、 病的な感じすらする。
202 :
日本@名無史さん :2007/10/17(水) 19:06:28
反日本親朝鮮の記事捏造アサヒる新聞は日本から出て行け。
203 :
日本@名無史さん :2007/10/21(日) 10:31:51
「どこへ戻るんですか?」 「んっ? 本能寺」 「そこには戻らない方が・・・」 あの東京ガスの信長編最終回のCM、ちょっとウルッて来てしまう。
信長が悪いかどうかを考えるなんてもはや学問じゃないな。史学は歴史上の出来事を解明する学問であって、その評価を下すもんじゃない。 自業自得とか思うなら、小説でも書け。
205 :
日本@名無史さん :2007/10/21(日) 22:03:33
信長記読んでみると、気がつくけど、 佐久間、林追放後の文章がすごい醒めてるんだよね。 家中のモチベーションが相当落ちていたのが、透けて見える。 追放がなければ、明智の謀反はなく、織田幕府は間違いなくできてたと思うよ。
206 :
日本@名無史さん :2007/10/22(月) 14:40:49
佐久間追放などは親バカが原因だよ。息子の領地を増やしたくて佐久間の領地を 取り上げただけ、折檻状もほとんどがいいがかり。
207 :
日本@名無史さん :2007/10/23(火) 06:04:25
凡人には天才信長の胸の内は分からない。 お前らにアインシュタインの論文が理解できるか? できねえだろ。それと同じだ。
アインシュタインの論文ならわかるよ 一般相対論の単位とったし
その前に英語も勉強しないと理解できないんじゃないか?
英訳でなら読めるよ 理系なら英語で論文読み書きするのは当たり前 ドイツ語で原典あたれって言われると辛いけど
211 :
日本@名無史さん :2007/10/23(火) 13:54:12
>>208 じゃあ軽くその要旨を簡潔に披露してくれよ
信長:俺様以上の神仏いないから拝まないと怖いぞ〜 天才アンシュタインでも基地外信長を理解できない。
214 :
日本@名無史さん :2007/10/26(金) 23:29:32
E=MC2の趣旨を簡潔に説明してみろや
215 :
日本@名無史さん :2007/10/27(土) 02:12:53
「E=MC2」に辿り着くだけで3日もかかったのか
アインシュタインなんてどうでもいいけど 本能寺の変なんてギャグじゃねーか 信長を光秀は殺したかもしれんが光秀は猿に殺されるwwwwwwwww ギャグ漫画じゃん
草履持ち猿の遠隔操作で信長が殺される。 ギャグ漫画ならアリじゃん
218 :
日本@名無史さん :2007/10/27(土) 18:56:14
秀吉にすればうざい身内(信長・光秀・一益・柴田)まとめて消せてラッキーだったな
219 :
先生 :2007/10/27(土) 20:06:33
イチゴパンツ(1582年)の信長たん。本能寺の変にて没。
220 :
日本@名無史さん :2007/10/27(土) 22:50:42
当時の古い常識で考えれば信長の行動は理解できない。 現代の感覚で考えても信長の行動は理解できない。 信長を否定している奴は彼の業績を評価できない痴呆症だ。
秀吉は美味いことやった 信長の子供達踏み付け
>>220 狂っているか、ただ感覚で物を言うバカなのか?
信長が好きすぎてそういう主張するって答えてくれたほうがまだ微笑ましいね。
223 :
日本@名無史さん :2007/11/02(金) 05:12:40
>>215 >「E=MC2」に辿り着くだけで3日もかかったのか
どっかの暇人じゃあるまいし、一日中パソコンの前に張り付いてるわけじゃねえんだよ。
時間のある時にチラ見して書き込みを入れただけ。
バカすぎ。
結局、アインシュタインなんたらも、
単なるハッタリってわけだよな。
ま、こっちもそんな事くらい分かってて質問しただけなんだから。
マトモな答えなんて、初めっから期待などしてねえよ。
なぜそんなに必死なんだ
225 :
日本@名無史さん :2007/11/02(金) 06:07:48
なんか似たようなバカが日本女性の名前スレでも暴れてるな
>>226 いたよ。しかし、自分をバカと認めているような感じだよね。
まともなレスをしてほしいもんだよ。
228 :
日本@名無史さん :2007/11/02(金) 19:31:25
信長は凡人。終了!
アホw
激しくスレ違いの上 アインシュタインの論文の説明ではないけど・・・ E = m c^2 ってのは 質点の静止エネルギー(左辺)が その質量と光速の2乗の積(右辺)に等しいってだけのこと (cは小文字で2は指数だから「E=MC2」は不正確) 導出だって難しくはない 時空中の変位 x^μ = (ct, x) を固有時間で微分したものが 4元速度 u^μ = (c, v) / √(1 - (v/c)^2) でそれと質量 m の積で 4元運動量 p^μ = (mc, mv) / √(1 - (v/c)^2) が得られる 4元運動量の時間成分 p^0 と光速 c の積が質点のエネルギー だから E(v) = mc^2 / √(1 - (v/c)^2) となるが 質点が座標系に静止しているなら v = 0 を代入して E = mc^2 こんなのは一般相対論も要らない特殊相対論のレベルの話で 理学部の学生なら2回生、3回生くらいで習うことだから はったりでできると言うほどたいしたことじゃあない
231 :
日本@名無史さん :2007/11/04(日) 12:58:49
本当にスレ違いですねえ
232 :
日本@名無史さん :2007/11/04(日) 19:17:37
だな。
233 :
日本@名無史さん :2007/11/05(月) 02:49:04
「事実誤認して的外れな見解述べる馬鹿」は
>>223 本人だったということか。
このスレじゃスレ違いの話蒸し返してわめくし、
あちこちのスレで暴れてたらしいなこのバカ。
234 :
日本@名無史さん :2007/11/06(火) 00:48:35
ま、そういう奴に限ってアンカー間違うんだよな
235 :
日本@名無史さん :2007/11/07(水) 16:36:27
だな。
236 :
日本@名無史さん :2007/11/08(木) 02:33:34
>>233 お前こそ「事実誤認して的外れな見解述べる馬鹿」の典型
237 :
日本@名無史さん :2007/11/08(木) 02:51:57
おれ信長きらい、こいつ朝廷をナンダと思ってんの? 別に明智光秀が好きなわけじゃない 純粋に朝廷を見下す信長がきらい
238 :
日本@名無史さん :2007/11/08(木) 03:54:05
天皇といっても、所詮は朝鮮からの移民の子孫にすぎん 神聖視してる事自体間抜け
239 :
日本@名無史さん :2007/11/08(木) 06:30:38
>>230 教科書の丸写しをしてもしょうがねえだろ
素人でも分かるように、要旨を簡潔に説明してみろや
それができなきゃ、単なる口先野郎
240 :
日本@名無史さん :2007/11/08(木) 07:35:48
話が脱線したのは
>>208 がカマしたはったりの脱線から
スレ違いの責任は全てコイツにある
241 :
日本@名無史さん :2007/11/08(木) 09:05:44
まちBBSが全くみられない。 サイバーテロだろうか
242 :
日本@名無史さん :2007/11/09(金) 10:52:39
秀吉が変の黒幕なわけねーじゃん
秀吉が明智に命令できるはずはない 明智の単独犯行だよ
秀吉なら仕向けただけ。 明智単独犯も否定しない。
246 :
日本@名無史さん :2007/11/11(日) 23:34:44
>>244 秀吉が明智に命令できるはずがなかったら、なんで明智の単独犯行になるのか、意味不明だな。
発想が短絡的すぎねえか
>>244 の1行目と2行目の間に
無理に「ゆえに」を入れて解釈せねばならん理由はなかろう。
悪意のある解釈にとびつくほうがよほど短絡的だ。
248 :
日本@名無史さん :2007/11/13(火) 20:00:16
このスレは時々荒れるが、濃密なレスが多くい。
249 :
248 :2007/11/13(火) 20:03:36
多くい。 は打ち間違え、スマン。
2行で?
秀吉が荷担していなかったんなら…上手く行き過ぎな気はする。 自軍だけで片付けられた毛利を…わざわざ援軍貰う必要があるのかな? 別に光秀を指名した訳じゃなかったし、花を持たせようとしたってのも、伝承にある秀吉の性格ならありえる話だけど…謀反サイドに都合良い条件が揃ってるし。後の秀吉の行動が早過ぎると思う。 黒幕かどうかはわからないけど…全く関わりがないとは言えないと思う。
254 :
日本@名無史さん :2007/11/15(木) 05:31:29
光秀と秀吉は仲良く謀議を謀るような親しい間柄ではないんだぞ。わかってんのか。 二人は四国におけるライバル関係にあって、単なる政敵にすぎん。 秀吉が京で変が起こる可能性があると予見していたのだとしたら、その根拠を説明しろよ。 歴史を知る結果論からの結論付けなら、どんな奴でもできるんだよ。
255 :
日本@名無史さん :2007/11/15(木) 07:16:06
光秀にとっては、 @武田攻めでの御折檻A徳川様接待不首尾のお叱りBそして近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切れとれとの冷たきご沙汰C丹波で、足の不自由な母を見殺しにした罪、など 語り尽くせぬ怨みあれども、私心ではないんだよ
>>254 仲良く出来る間柄じゃ無い?それは多分、ある程度二人の経歴知ってる人なら皆分かってると思うよ。
光秀と秀吉が共謀したか否か。
…共謀のレベルまではいかなくとも、秀吉が間接的に知る術はあったよ。
理由は、双方朝廷の上層と繋がりがあった事。
秀吉が必要無い援軍を求めた事。
…これが無ければ、光秀が兵を集めるのは難しかったと思う。
大返しも速かった…秀吉が優秀な将であったことを加味しても。
こういう議論に意味がない(確かに後から何を言っても変わらないけど)好まないというなら、スルーして下さっても構いませんよ?
親しい間柄ではない? 人たらし・秀吉の本領を忘れているぞ。 最低限でも、光秀が信長をやりたがっていたのを秀吉が知って、 援軍を頼んで信長に隙を生じさせようなエサをまき、 他方では光秀の行動を監視する密偵を貼り付けておいたとでも考えないと説明が難しい。
秀吉には黒田がいるし。
単純に言い回しの違いなのかもしれないけど。 確かに、秀吉は好感を持たれやすいというかいいキャラしてたんだろうとは思う。 公の場で光秀といさかいを起こした風でもないし。 ただ光秀の方がね。 信長に気に入られている秀吉に、心を許せたかな?と疑問に思う。 だから、共謀説はちょっとあれかな、と。 とはいえ光秀単独犯行も都合良く運びすぎ。 秀吉の暗躍………とは思いたくないんだけどなァ。
光秀の立身出世も出色ですよね 織田一門門閥外からの取り立てで 最終的にあそこまで登り詰めたのは
261 :
日本@名無史さん :2007/11/17(土) 08:55:20
確かに。優秀且つ有能な人だったんだと思う。 織田一門も然程優遇されちゃいない気がしないでもないけど…立場は十分高いよ。 ところで、今までに言われてきてる信長が光秀虐め倒したっての…どの位信憑性のある話? いや、ケチつける訳じゃないんだけど。 自分が知ってる話が全部本当なら、そこまで出世できたものかな?と思うんだ。
信長は反対意見言われるのが我慢できない性分らしい 秀吉は何言われてもイエスマンで対応しそう 光秀は・・・どうだろ?
263 :
にゃんこ :2007/11/17(土) 18:10:49
1,秀吉が花を持たせるために、援軍を要請したという件について。 有能なサラリーマンなら、普通の行動である。本当に有能な苦労人は、功を独占 する危険を、よく理解しているものだ。 信長を招き寄せる謀略だという説よりも、ずっと妥当性がある。 2,秀吉の手際が良すぎる、という件について。 一級史料とされる「天正記」によれば、山崎の戦いに間に合った秀吉軍は1万余。 主力は畿内の摂津衆と四国遠征残軍。 「大返し」の実態は、準備不足の「中返し」。しかし、秀吉は宣伝戦を制して 畿内の勢力の結集することに成功した。 その宣伝戦も準備不足で少し遅れたために、筒井勢の一部は、光秀側で出兵して しまっている。
秀吉みたいに馬鹿になりきれないというかね 秀吉の頭のキレ具合は常識では測れない 秀吉が中国方面の司令官に任命されて光秀も忸怩たる気持ちだったろうね
>>262 我慢できないというか、耳を貸さないだけだろ〜。
家臣団は、保身に走るものだ。
信長のように大望は抱かないし、先祖伝来の土地を守って戦は最小限で暮らせればそれが一番と思ってる奴が大半だ。
戦では、総大将じゃない限り結構な確立で命を落とす。織田勢は家老クラスでもバンバン討ち死にしている。
信長は危険を覚悟で打って出なければ他所に狙われ潰される肥沃な尾張に生まれたのだから、家臣の言うことなんか
聞いちゃ居られない。
信長は「諫言は家臣の義務」ってくらい、家臣団に積極的に諫言をさせているけど、諫言に従わないだけ。
家臣団は、他所に寝返ることが出来る立場で、能力がそこそこなら大抵何処でも雇ってもらえる。
一方組織の長である信長に再雇用先は無い。
信長と家臣団では立場が違うから、家臣団の諫言に信長が従える場合はほとんど無い。これは構造的なもので仕方ない。
それでも、家臣団が諫言を続けたのは、信長が聞きたがったからに他ならないだろう。
役に立たない諫言が多くでも、時々でも、役に立つものがあれば良いと思っていたんだろう。
また、家臣の考え方を熟知して、統率に役立てたかった意味もあっただろう。
266 :
日本@名無史さん :2007/11/19(月) 15:07:09
>>255 なんか信憑性の無い与太話を信じちゃってる間抜けに見えるんだけど・・・
>@武田攻めでの御折檻
後世の作り話
>A徳川様接待不首尾のお叱り
後世の作り話
>B近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切れとれとの冷たきご沙汰
上野や甲斐に転封された滝川一益や河尻秀隆の事例もあり、織田家では当たり前の人事。
上杉が滅びれば柴田勝家は越前から更に北へと転封されただろうし、毛利が滅びれば秀吉の転封も当然有り得ただろう。
>C丹波で、足の不自由な母を見殺しにした罪
叔母じゃねーの。
>>256 >>257 信長が少数だけ引き連れて数日在京するなんて秀吉に分かる訳ねえし、
そうなるよう仕組んだりできる筈もねえだろ。
信長が京をスルーして軍勢を引き連れ備中戦線へと西下すると考えるのが常識。
>光秀が信長をやりたがっていたのを秀吉が知って
しょーもない小説の影響受けたか・・・
267 :
日本@名無史さん :2007/11/19(月) 15:39:12
農民出身の秀吉と一緒に比べるなよw 秀吉がイエスマン?当たり前田
268 :
日本@名無史さん :2007/11/19(月) 17:22:28
>>256 >…共謀のレベルまではいかなくとも、秀吉が間接的に知る術はあったよ。
理由は、双方朝廷の上層と繋がりがあった事。
公家衆の誰かが故意に情報をリークしようとしない限り、秀吉が信長暗殺の謀議を知り得る事は不可能。
それに下手に複数に情報をリークすれば、信長に通報される恐れもある。
そうなったら黒幕は身の破滅。事を成すには秘匿が第一!
黒幕はそんなドジは踏まんよ。愚かの一言だね!
>秀吉が必要無い援軍を求めた事。
羽柴軍だけで毛利勢と一戦交えて勝てる保障など何処にも無い。
高松城を水攻めにして戦局を有利に展開しているのに、
もし野戦で負けたりしたら、秀吉の失脚は免れない。
打算家の秀吉なら危ない橋を渡らず、援軍を仰いで必勝の体制を構築しようと考えたとしても不思議ではない。
269 :
256 :2007/11/19(月) 19:07:43
秘匿が重要?それは当然。 秘匿が万全である保証も無いですよね? ガチの戦だけが戦いじゃないのはご存知でしょう。 黒幕が馬鹿じゃなくとも、世の中間者だらけ。 リークせずとも知る術があることを否定は出来ませんて。 水責めの件にしても、毛利方に野戦でやり合える余力がありましたっけ? 正確な数は申し訳なくもすぐにお答え出来ないんですが、秀吉勢以外にも敵がいたから、援軍を得てもカツカツだったと思うんですが。 …だとしたら何故交渉に応じたんでしょうか。
フロイスが書いてる分は後世の作り話とはいえない。
うん、フロイスの作り話とはいえるけど。 当時から誇張癖の持ち主との評もあるし。
牛一もペテン師的な嘘書いてる処もあるようだし。 フロイスと甫庵が同じこと書いてるなら本当だろうね。
>>271 “大げさ”と“作り話”を混同してるのか?
274 :
日本@名無史さん :2007/11/22(木) 23:43:45
>>269 >秘匿が万全である保証も無いですよね?
>黒幕が馬鹿じゃなくとも、世の中間者だらけ
秘匿を万全にしようとしたからこそ、光秀は深夜軍勢を備中に向けて動かしている途中で、
初めて謀反の意志を重臣達に明かしてんだろ。
しかも姻戚関係にある細川家にも秘密にしてだ。
織田家からの与力を一切排除して、明智勢だけで襲撃している事実により、秘匿性は完璧だった。
>ガチの戦だけが戦いじゃないのはご存知でしょう
高松城一つを落としただけで毛利は滅亡するのか?
一戦交えずして毛利を滅ぼすことはできんだろ。
>リークせずとも知る術があることを否定は出来ませんて
知る術がなかったからこそ、信長ほどの天才があっけなく討たれちまったんだろーが。
>水責めの件にしても、毛利方に野戦でやり合える余力がありましたっけ?
あるだろ。
中国大返しを図る秀吉を追撃することも可能だったんだから。
>何故交渉に応じたんでしょうか
続々と織田の援軍が到着したら、到底勝てっこないからだろ。
275 :
日本@名無史さん :2007/11/23(金) 02:47:12
何で信長は五月二十九日、軍勢を引き連れず少人数だけで入京したのか? 本能寺の変の発端はこの一事に尽きる。 信長が自らの意思でそうしたのか、それとも朝廷から要請を受けての事なのか。 前者なら何故光秀が信長の在京を知っていたのか疑問だし、 後者なら暗殺の黒幕は朝廷って事になるな。
276 :
日本@名無史さん :2007/11/23(金) 03:05:05
黒幕は本能寺の和尚 あの野郎(信長)俺の頭をハゲと抜かしやがった
277 :
日本@名無史さん :2007/11/23(金) 07:37:49
信忠がしつこく「警護の兵をお付けくだされ」と言ったのを、 信長が笑って断ったという話は聞いた事があるな このわしに逆らう奴などもはやおるまいという慢心だろう
278 :
日本@名無史さん :2007/11/23(金) 08:08:33
光秀=道三だったんだよ これで全部説明がつく
279 :
日本@名無史さん :2007/11/24(土) 08:36:35
>信長が少数だけ引き連れて数日在京するなんて秀吉に分かる訳ねえし、 信長は本能寺で多くの公家、神職、商人等を招待して派手に過ごしているけどね。
280 :
日本@名無史さん :2007/11/24(土) 09:07:01
50人でうろうろって日常茶飯事だったんじゃねーの? 桶狭間なんて7ー8にんでってか一人で駆け出したくらいだから。
281 :
日本@名無史さん :2007/11/24(土) 09:30:40
信長の場合 50人でも多い気がするのは俺だけ?
282 :
日本@名無史さん :2007/11/24(土) 09:32:48
子孫がゲンチャリ飲酒運転のまぬけな騒動で泣きながらTVで陳謝 するくらいだから信長もドジだったんだよ。血はあらそえねーよ
283 :
日本@名無史さん :2007/11/24(土) 09:41:22
>>280 それ創作ぽっい。
信長公記も創作あるから、特に首巻。
284 :
日本@名無史さん :2007/11/26(月) 00:04:26
>>279 >信長は本能寺で多くの公家、神職、商人等を招待して派手に過ごしているけどね
だから?
本能寺に招待された公家、神職、商人等は四方に遠征している織田家重臣達に、信長の近況を知らせたとでも?
アホか。
割と有りそうなことだよな。↑上のって。 公家も武将と繋がりあったし。 武家社会の中、延々と生き延びてきた公家は参謀術数では武家を凌駕する。 信長が、天皇はともかくその周囲の公家勢力を一掃する予定だったのは、安土城をみれば解るし。 大名・小名を問わず一定額お金だしたら、安土城内を案内したのって、本能寺の変のあった年の正月のことだよな。 この安土城一般公開で、御所を真似た造りも公開され、安土遷都を狙っていることが公家にも周知されたのかも? そうと知ったら、生き残りをかけて奴等は仕掛けるだろう。伊達に千年以上血脈を保っている訳じゃないから公家は。
286 :
日本@名無史さん :2007/11/26(月) 01:03:53
>割と有りそうなことだよな。↑上のって ねーよ。 秀吉、勝家、一益、長秀らは、本能寺の変報で初めて信長の京での滞在状況を知ったんだろーがよ。 >公家も武将と繋がりあったし。 武家社会の中、延々と生き延びてきた公家は参謀術数では武家を凌駕する。 だから信長に謀反するよう織田の諸将を唆したとでも言いたいのか? ま、三文小説のレベルだな。
287 :
日本@名無史さん :2007/11/26(月) 01:24:10
光秀の軍団とかが近くにいるから本来は安全なわけで。それが裏切るのは想定外。 信長って最初は信忠(二条にいるし)が首謀者かと誤認した。 光秀は京都を封鎖してないし計画的じゃないと考える方が自然。 縁戚の筒井や細川とすら連携してなかったし。 朝廷や公家との関係も悪くないどころか二条御所(二条城の前身)とかに親王や 皇太子もいるくらいで信忠政権に移行すればまったく問題ない。 安土城も家康の駿河城と同じで大御所政治の布石に過ぎないと考えるのが自然である。 ちなみに家康も神になってるが徳川家も天皇家をどうこうとかはしていない。 むしろ神号を受けるのに必要になる。
288 :
日本@名無史さん :2007/11/26(月) 01:45:02
戦国大名は生きてる間から意外と(自称)神になってる。 信長が特異ってのはサンプリングエラー。 上杉謙信とか毘沙門天とか言ってるしキリシタン大名のイメージの強い大友宗麟なんかでも 洗礼を受けるのが遅かったりするのは、自身が神になってたから神を辞めるのがいやだったらしい。 もっとも日本で神はそれほど権威があるわけでなく信長が賽銭をじかで受け取ったというエピソードの ように祖先信仰と血筋の氏神と混交でつまり氏寺・菩提寺制度の中では仏教の同一線上あるいは 下位にある。古代の宇佐信仰とかは例外中の例外なのだ。神託事件も僧である道鏡を上位に据えよう という事件であったことのように中世以降は仏教が優位にある。つまり神は創造神や天主(ゼウス)では ない。氏神なので一族の長がその神(上)となることが地位の安定という意味にもなる。 仏教と敵対したことで第六天魔王(仏教を滅する魔王)と自称したという点が信長は特異だが 熱田神宮に祈願したり朝廷に異様に寄進したりして神道系に厚いのも特徴。小説のように無神論者では ない。結果的に神仏混淆ではなく分離することになるが。 仏教を守護する部衆と同一視したり、権現という神々が仏の形という神仏混交になるのは意味があるのだ。 ちなみに家康は東照大権現の神号と神階正一位だがこれは薬師如来の権現である。 吉田神道の明神号は採用されなかったが、これは秀吉が豊国大明神だったことも影響している。 明神は明らかな姿をもって現れているという意味で本人そのものが神。
289 :
日本@名無史さん :2007/11/28(水) 18:04:50
神を名乗ったことより 貴賎、老若男女問わず、触れを出して領民に参拝を強請したことが変 信長はご利益と脅しを掲げて参拝を領民に強請した
290 :
日本@名無史さん :2007/12/01(土) 01:31:26
>>274 誰が城一つ落としただけで一族滅亡させられる、などと言いましたか?
反応するならもう少しよく読んで意図を理解してから反応して頂きたいものです。
私の意見が許容出来ないならそれでも結構。同意ばかりが欲しい訳ではありません。
私は未熟ですので、見ず知らずの方相手に全面的にタメ口きける程傲慢になることは出来ませんから。
秘匿の話。
光秀が如何に秘匿しようとも、光秀以外はどうでしょう?
それとも、光秀完全単独犯だと仰るのですか?
光秀が、自軍だけで何の後ろ盾も事後の保証もなく謀反を起こす様な輩だと?
そこまで馬鹿では…というより、光秀は馬鹿ではないでしょう。
守るべきものも背負っているものもある身で、そちらの方が無理がありませんか?
私は、光秀が単独犯ではないと考えた上で、光秀の共謀者から流れた(もしかしたら故意に)のではないかと言ったまでです。
そして、『情報』を糧として生きる者達の情報収集能力を侮ってはいけませんね。
ついでに、公家と商人の狡猾さも侮れないと思っています。
武将達は様々な形で間者を持っており、その表向きの身分などまちまち。何処にでも目や耳はあります。
野戦でやり合える余力があるなら、別に交渉に応じる必要は無いのではありませんか?
…そもそも、余力は無かったと思います。
秀吉が攻めるより前に水軍は壊滅、備前の宇喜田が離反しており、戦力は徐々に削られていました。
高松城攻め以前にも幾つかの城を落とされています。
おまけに大友宗麟・南条元続を秀吉の侵攻と同時期に攻めてくるなど、余裕があったとは思えません。
大返しをする秀吉を追撃?和睦に同意した輝元と隆景が?
親族の…しかも輝元にとっては叔父の切腹でようやく手に入れた和睦を御破算にするような真似を?
291 :
日本@名無史さん :2007/12/01(土) 05:46:27
>>290 >>274 ではないが、若干意見を言わせてもらう
1.主張の支える論拠は?単なる個人の感想?
「光秀完全単独犯」「光秀の共謀者」「『情報』を糧として生きる者達の情報収集能力」
「武将達は様々な形で間者」
2.Wikiからの孫引きで、書き間違わないように
「備前の宇喜田」=宇喜多(浮田又は浮喜多)
「水軍は壊滅」=木津川口の戦い(天正4年)のこと???
「大友宗麟・南条元続」
大友は耳川の戦い(天正6年)で壊滅的大敗
南條の伯耆の石高は11万石(太閤検地の際でも)動員兵力は3000人程度
「秀吉の侵攻と同時期に攻めてくるなど」???
「輝元にとっては叔父の切腹」???
備中高松城主清水宗治は小早川隆景の配下で、血縁関係はない
292 :
にゃんこ :2007/12/01(土) 13:36:20
290> >それとも、光秀完全単独犯だと仰るのですか? >光秀が、自軍だけで何の後ろ盾も事後の保証もなく謀反を起こす様な輩だと? 単独犯説が最有力でしょ。 織田家は、信長一人の力量によってまとめられた、国人連合に過ぎませんから、 信長の急死によって、解体する危機に瀕します。 川尻は、配下が反乱。滝川軍は北条家の圧力で瓦解。四国遠征軍は内乱。 譜代や尾張閥の多い柴田軍すら、本軍のみの帰還。本来、譜代の極少な秀吉軍も 解体するはずでした。 光秀が豪語したように、「50〜100日で畿内制覇」は不可能ではありません。 現に、筒井の臣下の一部は、光秀の命に従って、一端は、出陣していますし、 近江や若狭の多くは、光秀が支配しました。 秀吉の逆転ホームラン(大返し)がなければ、光秀が最大の戦国大名になれたでしょう。 光秀には、ちゃんと勝算があったのですよ。 >そして、『情報』を糧として生きる者達の情報収集能力を侮ってはいけませんね。 >ついでに、公家と商人の狡猾さも侮れないと思っています。 小説の読み過ぎ。 「情報」には、予断や過ちが多く、複数の情報には、相反する内容も多い。 仮にだ、「光秀が謀反を起こす」てな「情報」が入るなら、その何倍も「光秀様の忠義・・」 の「情報」も入ってくるものさ。
293 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 02:24:31
>290 >光秀が如何に秘匿しようとも、光秀以外はどうでしょう? 黒幕が実行犯の光秀以外に暗殺の謀議を洩らすわけねーだろ。 >私は、光秀が単独犯ではないと考えた上で、光秀の共謀者から流れた(もしかしたら故意に)のではないかと言ったまでです。 光秀の共謀者から何が「流れた」んだ? >野戦でやり合える余力があるなら、別に交渉に応じる必要は無いのではありませんか? 高松城が水攻めにされていて、野戦ができる状況ではなかったんだろーが。 >そもそも、余力は無かったと思います。 じゃあ何で高松城救援のため備中まで軍勢を動かしたんだ? >大返しをする秀吉を追撃?和睦に同意した輝元と隆景が? 毛利は和睦の条件が清水宗治の切腹だったので、交渉は難航していた。 が、当の宗治が安国寺の説得で勝手に切腹しちまったから和睦が成立したわけよ。 初歩的な知識だぞ。 >親族の…しかも輝元にとっては叔父の切腹でようやく手に入れた和睦を御破算にするような真似を? 和睦の前提はあくまで信長が生存しているっつーことだろーがよっ。 信長が死んじまったら、和睦を反故にしても何の問題もねーっつーの。
294 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 02:53:28
>>292 織田家が信長一人の力量によってまとめられた国人連合なら、何で光秀の単独犯説になるんだ?
アホか。
そもそも兵農分離している織田家が「国人連合」なわけがないだろ。
知ったかぶりして、とんだ恥晒しだな。
>秀吉の逆転ホームラン(大返し)がなければ、光秀が最大の戦国大名になれたでしょう
他の織田諸将や徳川に加え、毛利、上杉、北条などを光秀がどう上手く扱えることができたんだろうな?
主張に根拠がねえんだよ。
>「情報」には、予断や過ちが多く、複数の情報には、相反する内容も多い。
仮にだ、「光秀が謀反を起こす」てな「情報」が入るなら、その何倍も「光秀様の忠義・・」
の「情報」も入ってくるものさ
お前はバカか。
「光秀が謀反を起こす」という情報一発で、「光秀様の忠義・・」の「情報」なんて何の意味もなくなるんだよ。
無知すぎるワ。
295 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 02:54:18
>>292 織田家が信長一人の力量によってまとめられた国人連合なら、何で光秀の単独犯説になるんだ?
アホか。
そもそも兵農分離している織田家が「国人連合」なわけがないだろ。
知ったかぶりして、とんだ恥晒しだな。
>秀吉の逆転ホームラン(大返し)がなければ、光秀が最大の戦国大名になれたでしょう
他の織田諸将や徳川に加え、毛利、上杉、北条などを光秀がどう上手く扱えることができたんだろうな?
主張に根拠がねえんだよ。
>「情報」には、予断や過ちが多く、複数の情報には、相反する内容も多い。
仮にだ、「光秀が謀反を起こす」てな「情報」が入るなら、その何倍も「光秀様の忠義・・」
の「情報」も入ってくるものさ
お前はバカか。
「光秀が謀反を起こす」という情報一発で、「光秀様の忠義・・」の「情報」なんて何の意味もなくなるんだよ。
無知すぎるワ。
296 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 05:42:10
>>287 >光秀の軍団とかが近くにいるから本来は安全なわけで。それが裏切るのは想定外
光秀が近くにいなくても畿内は安全。
想定外だったのは、信長が少数で本能寺に宿泊している事を何故か光秀が知ってた事。
>信長って最初は信忠(二条にいるし)が首謀者かと誤認
してないぞ。大法螺もいいところだ。
>光秀は京都を封鎖してないし計画的じゃないと考える方が自然
縁戚の筒井や細川とすら連携してなかったし
縁戚の筒井や細川と連携してなかったから計画的だったんだよ。
織田の与力の彼らに事前に叛意を知らせたら、信長にチクられる可能性大だ。
>朝廷や公家との関係も悪くないどころか二条御所(二条城の前身)とかに親王や
皇太子もいるくらいで信忠政権に移行すればまったく問題ない
信長と正親町天皇との譲位を巡る暗闘を知らんのか。
信忠政権に移行すれば何がまったく問題ないんだ?
>安土城も家康の駿河城と同じで大御所政治の布石に過ぎないと考えるのが自然である
安土城は信長の隠居の城でも何でもない。
安土城の次に、石山本願寺跡地に大城郭を築く計画だったのも知らんのか。
秀吉の大阪城築城は信長のパクリ。
>ちなみに家康も神になってるが徳川家も天皇家をどうこうとかはしていない
むしろ神号を受けるのに必要になる
家康が東照大権現の称号を得たのは死後だろうに。
家康は信長のように存命時に自己の神格化を試みてないぞ。
朝廷から征夷大将軍を拝命したのだから、神号も朝廷から付与されるのは当たり前。
信長の事例とは根本的に異なる。
>>296 >想定外だったのは、信長が少数で本能寺
光秀の駐屯地って丹波一国だよ。で元々の本拠地が坂本城。
その間にあるのは京都。なぜかもなにも本能寺は信長の定宿で動向を知らない方がヘンだ。
形式上は信忠が畿内の軍団統括なので信長自身が大軍団を擁する必要もない。
逆に言えば二条城にいる信忠しか軍勢を擁しているはずはなかった。誤認してもおかしくない。
光秀は中国戦線へ派遣されるはずだから信忠の統括下になるはず。
(丹羽・信孝の四国の可能性もあるが変で四国自体の進出もグダグダなので不明)
実際は違うが論理的には首謀者が信忠になるからだ。まぁ首謀者がそのまま実行犯に
消されたという説も立てられなくもないが荒唐無稽だろう。
信忠は親王・儲君押さえてるので譲位すれば全く問題ない。信長自身も猶子に宮家抱えてるし。
逆に信長が倒れると困ったことになる。実際、朝廷の伝統とかそんなのかなりやばいことになった。
最終的には秀吉が関白とかになる。この変で誠仁親王は結局譲位されずに
次代の息子の後陽成天皇になった。正親町天皇自体が譲位を望んでいたのかどうかも分からないが
単純に即位とかの資金源が織田家なので御所造成とかを優先させただけで譲位を阻んでたわけではない。
逆に譲位を迫っていたという説もあるが織田家と朝廷との関係を考えると陰謀説のための説に近い。
>安土城の次に、石山本願寺跡地に大城郭を築く計画
大阪城が建てられたので後付だろう。本願寺がいなくなれば本来必要ない。退去させる口実だからだ。
>家康は仏教寄りだがそれはブレーンによる。薬師如来の権現とか源氏の長者で八幡神(習合)神格化
している。駿河城時代の聖獣出現憚などその典型。中国なら王朝交代の兆しという話。家光は朝廷を
軽視しなかった(将軍であることがアイデンティティだったため)のでそうはならなかったが。
298 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 14:28:43
根拠無いけど・・ 光秀が、リスクしょいこんでまで信長を倒そうとした理由が みあたらない。結構、洞察力もあったようだし・・世間の流れを 見る力もあったようなので、たとえ信長倒せても 自分が大大名に なれるわけない・・と思っていたんじゃないかな。 とするとさ、それでも本能寺に行って信長を倒した理由は、 信長以上に忠誠を尽くす人(もしくは団体)があったから? それか、たんにはめられちゃったか・・・。たとえば、水の桔梗の旗印の 物が盗まれる事件が変の前にあって・・・そこらの落ち武者を従えて実は 誰かが、そいつらに桔梗の旗印を背負わせて攻めさせたとか・・・ 妄想だけど、ほかに信長に対して恨み持ってた人っていっぱいいたんだと 思う。 本能寺で、信長の遺骸が見つからないのも、ほんとは光秀が助けて裏口から 逃れさせて・・・。信長本人は、いったん死んだ身。もうこの国に未練はない。とか いって・・・どっかに行っちゃったとか。
本能寺は文字通りの火薬庫なので骨も残りません。当時の神社とか寺は税金免除の物品の 取引場なのね。 信長だけでなく信忠も遺体とかありません。こういう謀反だと完全に討ち取った証拠として 晒される側なのでそれがいやなので爆死とか完全に焼身するようになります。 冤罪は荒木村重の話。配下が本能寺に兵糧を横流ししたから安土へ召還されそうになって 殺されると思いこんで謀反した。ちなみに村重は一族郎党滅ぼされたけど本人は生き延びて 最終的には秀吉に保護された。
300 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 16:15:53
本能寺跡で焼けてない瓦も出てきた 火勢はそれほど強くなく、すべてが焼け落ちたわけではないらしいよ
301 :
日本@名無史さん :2007/12/02(日) 16:25:19
信長が本能寺にいることなんて、その気になればすぐ分かる 公家を40人、名だたる商人、大寺院の僧侶達、本因坊戦までやってる 名器複数持ち込んで大々的にイベント楽しんでる。 風聞さえ流れるかもしれない
302 :
にゃんこ :2007/12/02(日) 18:57:31
295> さきに結論。あんたの大衆小説レベルの知識なら、「三国志・戦国」版がピッタリ。 ここの「日本史」版レベルにはほど遠い。 あのな、「織田信長は、他の戦国大名と同様、一部の家臣(直轄領の兵や近臣)を 兵農分離できただけ。兵農分離は秀吉の太閤検地から。」というのが学者の見解。 織田信長の兵農分離は、小説家の妄想なんだよ。 それにな、あんたは、「情報」と「真実」の区別が無い。 「光秀謀反」てな情報の真偽をどう確かめる? 「情報屋はアンテナを張り巡らせて、なんでもお見通し。」なんてのは、小説家 のフィクション。 実際の「情報屋」は、「この情報とあの情報のどちらが真実なのか、私では判断 できない。裏を取ってる間に時間切れ。判断は上司や顧客任せ。」てのが実態。
303 :
にゃんこ :2007/12/02(日) 19:11:55
江戸時代で、ライバルに対して「不忠」てなレッテル張りするなら、 戦国時代なら、「謀反」のレッテル張りは横行してただろう。 「光秀謀反」の「情報」も横行してただろうし、「秀吉謀反」「勝家謀反」なんてのも 横行してただろ。まっ、権力闘争ってこんなものだ。 私が毛利や上杉の家臣なら、「織田家の家臣の○○謀反」てな偽情報を積極的に 流すよ。 恐らく、信長や秀吉の耳に「光秀謀反」という情報が入ったこともあったと思う。 でも、そんなこと、何度もあるので一笑に付しただろう。
信長は謙信家臣に剣だか馬だかを送って殺させてるね
305 :
日本@名無史さん :2007/12/07(金) 23:02:32
>>297 >光秀の駐屯地って丹波一国だよ。で元々の本拠地が坂本城。
その間にあるのは京都。なぜかもなにも本能寺は信長の定宿で動向を知らない方がヘンだ。
本能寺は信長の定宿だが、
信長の入京は天正九年三月以来、一年と三ヶ月ぶりだぞ。
もし信長が大軍勢を率いて在京していたなら、光秀の反逆は無い。
光秀は信長が少数で久しぶりに本能寺に宿泊している事を知った上で急襲した。
この情報は誰から得たのかご説明名願おうか。
>形式上は信忠が畿内の軍団統括なので信長自身が大軍団を擁する必要もない。
近畿管領は光秀。信忠ではない。歴史歪曲。
>二条城にいる信忠しか軍勢を擁しているはずはなかった。誤認してもおかしくない。
その根拠は何だ?お前の妄想、作り話にすぎん。
信長は襲撃された当初、それが誰だか判らなかったから小姓衆に確認させたんだろ。バカ杉。
>実際は違うが論理的には首謀者が信忠になるからだ。まぁ首謀者がそのまま実行犯に
消されたという説も立てられなくもないが荒唐無稽だろう。
信忠が光秀を唆して信長を襲わせ、自分まで光秀に討たれたというお前の妄想は、病気のレベルだよ。
306 :
日本@名無史さん :2007/12/07(金) 23:03:06
>>297 >信忠は親王・儲君押さえてるので譲位すれば全く問題ない。
光秀に攻撃されてる最中に譲位も糞もねえだろ。マジでバカ。
>逆に信長が倒れると困ったことになる。実際、朝廷の伝統とかそんなのかなりやばいことになった。
信長の権力がこれ以上増大したら、朝廷にとってかなりヤバい事になってたんだよ。
信長が再三に渡り正親町天皇に譲位要求をしていた事実は有名だ。
>この変で誠仁親王は結局譲位されずに
死んじまったんだから即位はできんわな。
>正親町天皇自体が譲位を望んでいたのかどうかも分からないが
いつの事言ってんだ?論理構成メチャクチャだな。頭ワリー。
信長在世時ならお門違いもいいところだぞ。
>単純に即位とかの資金源が織田家なので
毛利だよ。ボケ。
>逆に譲位を迫っていたという説もあるが織田家と朝廷との関係を考えると陰謀説のための説に近い。
実際信長は正親町天皇に譲位を迫りまくってるだろうが。
訳の判らん妄言垂れるな。正気か。病院行けよ。
>安土城の次に、石山本願寺跡地に大城郭を築く計画
大阪城が建てられたので後付だろう。本願寺がいなくなれば本来必要ない。退去させる口実だからだ。
はぁ?
小学生からやり直して作文の書き方教えてもらえ。意味不明。
大阪に新たな城を築くのに本願寺は明らかに邪魔だろーが。
307 :
日本@名無史さん :2007/12/07(金) 23:30:57
>>302 >あのな、「織田信長は、他の戦国大名と同様、一部の家臣(直轄領の兵や近臣)を
兵農分離できただけ。兵農分離は秀吉の太閤検地から。」というのが学者の見解。
織田信長の兵農分離は、小説家の妄想なんだよ。
信長は天正四年から同八年まで石山本願寺を包囲し続けているが、
兵農未分離でこんな事ができっこないのは、上杉謙信の小田原城攻囲戦の失敗を見ても明らか。
因みに、織田の各方面軍は一年中軍事行動してるんだが。
兵農分離しているのは明白だろ。
ちっとは頭使え。
>それにな、あんたは、「情報」と「真実」の区別が無い。
「光秀謀反」てな情報の真偽をどう確かめる?
「情報屋はアンテナを張り巡らせて、なんでもお見通し。」なんてのは、小説家
のフィクション。
実際の「情報屋」は、「この情報とあの情報のどちらが真実なのか、私では判断
できない。裏を取ってる間に時間切れ。判断は上司や顧客任せ。」てのが実態。
お前さ、情報を受けて判断を下すのは、猜疑心深い信長だっていう論点を忘れてんじゃねーぞ。
黒田孝高が反逆した荒木村重の説得に出向いて監禁された際、
信長は孝高を疑い、その子長政を殺すよう秀吉に命じたのを知らんのか。
どこの誰だか判らん「情報屋」に関する一般論の寝言ほざくな。
結論。お前の大衆小説レベル以下の知識は「日本史」版レベルにはほど遠い。
頭悪すぎ。幼稚園から出直せ。
>>305 坂本城は近江なので。丹波は京の北。そのルートは京へ向かう。
つまり信長の進路と同じだな。家康の接待とかしてるのは単純に地理的に安土と
近かったことによる。同じ近江領なんだから信長の動向は筒抜けだろう。また
筒抜けでも配下の重臣なんだから問題ない。
本来は光秀とかの軍団を配下にするのだから通常は大軍勢じゃないってのは自明だろ。
編成上は中国戦線救援でも武田攻めでも信忠が統括官になる。事実報償を差配している
立場であり武家ではそれは総領の一族となる。御恩と奉公という形式は安土桃山でも
変わらない。認める者が長であり軍の統括者となる。その意味では家督は信忠にあると
いってもいい。武田掃討戦以降は信長は全面には出ていない。出る必要がなかっただけだが。
本来は信忠しかいないのだから信長を殺すことのできる人間も信忠だけだという論理は正しい。
前提が違うだけだ。把握できないから確認させたとするならそれは論理的に正しいことになる。
荒唐無稽だと言ってる。つまり同じ意味であり、もし意味が分からないのであれば辞書をひくことを
おすすめする。
>>306 つまり朝廷との確執がないのだから朝廷陰謀説はないという結論になる。光秀とは関係ない
ことになる証左であり譲位したがっていた説と譲位したくなかった説がある以上、どちらの
論拠も織田家との親密さから言えば時間の問題に過ぎない。
そんな事実はない。譲位に関しては費用面以外で問題は発生しない。逆に言えば費用が
なかったともいえる。費用がないのに譲位されては困るのであって譲位を求めたという論拠は
いささか成り立ちにくい。
親王が即位を望まなかったということになっている。直系が継いでいるので単純に即位する
意味がない。
毛利が本格的に銀を献上するのは、豊臣家との関係が修復してから。その工作で秀吉に
鉱山を明け渡す必要がなくなった。
本願寺がいなければわざわざ城郭を建てる必要がない。大阪城を建てたのは秀吉だが
対外戦でも防御用でもなく象徴的な意味合いの方が高い。聚楽第や名護屋城ほど
重要ではなかった。天皇の行幸は聚楽第で戦略拠点築城である名護屋ほど機能的でもない。
本願寺が退去した後は、信長は大して興味を持っていない。
310 :
日本@名無史さん :2007/12/08(土) 00:55:52
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311 :
日本@名無史さん :2007/12/08(土) 02:36:43
>>308 >家康の接待とかしてるのは単純に地理的に安土と近かったことによる
違う。重臣の中で光秀だけが戦線を受け持っていなかったからだ。
その証拠に、秀吉からの援軍要請を受けると、即座に接待役を解任されている。
信長が光秀に家康を接待させたのは、長年の同盟者たる家康への配慮だ。
>同じ近江領なんだから信長の動向は筒抜けだろう。
どこから筒抜けだったんだ?
近江の領民全てが信長の動向を知っていたとでも?
そもそも信長サイドから、これから備中へと向かう光秀に、自身の直近のスケジュールを教える必要など全く無い。
>本来は光秀とかの軍団を配下にするのだから通常は大軍勢じゃないってのは自明だろ。
あの時期、信長が僅かな小姓衆だけ引き連れて数日在京するのは自明でも何でもないぞ。
安土城から摂津衆に指令を発して糾合し、光秀に数日遅れて西下するというのが当時の状況から鑑みての常套だ。
>編成上は中国戦線救援でも武田攻めでも信忠が統括官になる
武田攻めは信忠が軍司令官だったが、毛利攻めでは信長が出張る以上、信忠はその指揮命令下に入る。
常識だ。
>その意味では家督は信忠にあるといってもいい
「いっていい」んじゃなくって、信忠はとっくの昔に織田家を継いでるんだよ。
>本来は信忠しかいないのだから信長を殺すことのできる人間も信忠だけだという論理は正しい
ほんの数時間前まで信長と歓談していた信忠が、
宿所に戻った直後に軍勢を引き連れて信長を襲うわけねーだろ。
信長は光秀に急襲された時、そんな事毛ほども思っちゃいない。
どういう思考回路してんだ?お前は。
>荒唐無稽だと言ってる
お前の妄想がな。
312 :
日本@名無史さん :2007/12/08(土) 02:40:00
>>309 >つまり朝廷との確執がないのだから朝廷陰謀説はないという結論になる
信長と正親町天皇との譲位を巡る暗闘や、官位復帰要請の拒否、三職就任要請の保留等々、確執がないとはよう言うわ。
>譲位したがっていた説と譲位したくなかった説
誰がよ?主語を明確にしろ、主語を。
乱文にも程があるぞ。
>織田家との親密さから言えば時間の問題に過ぎない
朝廷内の誰が織田家の誰と親密で、何が時間の問題に過ぎないのか、さっぱり分からんぞ。
>そんな事実はない。譲位に関しては費用面以外で問題は発生しない。逆に言えば費用が
なかったともいえる
正親町天皇は毛利の献金で即位したって事も知らんのかよ。
織田の経済力は潤沢で、費用がないわけがねーだろ。ペテン師か、お前は。
>費用がないのに譲位されては困るのであって譲位を求めたという論拠は
いささか成り立ちにくい
日本語の表現能力に難あり。小学生からやり直したほうがいい。
>親王が即位を望まなかったということになっている
単なるお前の妄想。誠仁親王が即位を望まないわけねーだろ。
313 :
日本@名無史さん :2007/12/08(土) 02:40:33
>>309 >直系が継いでいるので単純に即位する意味がない
意味不明。病院行け。
>本願寺がいなければわざわざ城郭を建てる必要がない
はあ?
自分で書き込んだ
>大阪城を建てたのは秀吉
でも読めや。マジ正気かよ。
>対外戦でも防御用でもなく象徴的な意味合いの方が高い
大阪城で対外戦ってなんじゃそりゃ?
大阪冬の陣で、その堅牢さは誰もが知るところだ。
>聚楽第や名護屋城ほど重要ではなかった
聚楽第や名護屋城は、大阪城より先に破却されてるんだが・・・
マジでアホ。
>皇の行幸は聚楽第で戦略拠点築城である名護屋ほど機能的でもない。
お前さ、聚楽第は関白としての政庁で、名護屋は大陸侵攻の拠点だぞ。
大阪城は豊臣家の本拠。
この程度の区別さえつかんのか。
>本願寺が退去した後は、信長は大して興味を持っていない
単なるお前の妄想。
>>311 違わないぞ。その論拠だと近かったのを否定していない。ちなみに家康
本能寺の変に遭遇している。つまり同時期のことで家康の動向から解任された
という論拠も薄い。もっともそうに考えれば接待役という役割自体がおかしいのだが。
近いからと言う理由なら単純に理屈に合う。
>信長の動向
味方に動向を教えない方がヘンだが。信長は秀吉の要請で中国戦線に行くのなら
なおさらその遠征軍に加わる光秀に行軍(動員)予定を知らせるほうが自然だ。
武田攻めでも同じように所領に動員をかけてる。
>状況から鑑みて
その理屈なら信忠しかいないという論拠につながる。
>毛利攻め
武田攻めでも同じように信長は同行している。趨勢が決まってるので前面に出る
必要もない。常識なら信忠が同じ役割をするはずだ。
>とっくの昔に
名実ともになら前項の君の反論と矛盾する。つまりそういうことで前項は正しいことの
論拠となる。本来は光秀が攻めてくること自体がおかしい。信忠しかいない=信忠犯人と思わない
論拠はない。武田信玄もそうだが先代を排除する事例は戦国時代では事欠かない。
>荒唐無稽
すなわち同じこととなる。ありえないという意味なのだから同じ見解と言うことで
それに反論されてもどうしようもないな。君は前回意味を取り違えているので話がかみ合わないだけとなる。
>>312 >暗闘や、官位復帰要請の拒否、三職就任要請の保留
暗闘の事実はない。いわゆる小説でしか確認できない。つまりフィクションである。
官位を復帰する先例がない以上復帰する方が不自然であり、就任要請も信忠に家督なら
当主より上に就任もおかしな話であり、断るのが常套である。先例では足利義満が太上天皇
の尊号を送られたことがあるが公式には辞退したことになってる。余談だが相国寺の記録では
そのまま受け入れたような扱いになっててその関係か水戸学では簒奪者扱いされてろくな扱いを
受けていない。この辺は反目してた義持が義満の行動を否定しまくりなのでその記述が影響して
いる。明との関係で日本国王に封じられてる点も批判の的だ。
>譲位
信長の時代は正親町天皇しかいないが、他の天皇を想定しているのなら間違いである。
ちなみに即位するのも(譲位するのも)莫大な費用がかかる。
>朝廷
誠仁親王は陽光院であり即位する必要がない。院として処遇されているのなら経済的には
自立することになる。二条御所と呼ばれているのは、親王がいるため。信忠との関係は特に
親密である。次代の後陽成天皇が即位するのは豊臣政権の時代だが秀吉が派手に演出
するために利用された側面があるにしろ厚遇されてる。
毛利が献金したのは元就の時代でありこの時期には没している。織田家と毛利家が敵対してる
以上献金は困難で譲位資金を要請することも関係上不可能。秀吉時代に桁外れの献銀をして
いるがこれは、銀山を含めて献納することで管理者(事実上の保有)の地位を得るためである。
平安時代の荘園のシステムと同じだが。受ける側と委託側の交流がないと実現しない。
>>313 正親町天皇-誠仁親王(陽光院)-後陽成天皇。
後陽成天皇の父親は誠仁親王。余談だが譲位問題でもめたのは後陽成天皇であり
正親町天皇ではない。こちらは露骨な後継問題で史実的にも確かである。ちなみに
追号の陽成天皇は悪帝として有名であり後水尾天皇が父をいかに嫌ってたかが分かる。
>大阪城を建てたのは秀吉
つまり信長は建てていない。本願寺を退去させた後、大阪に築城構想を持っていない。必要ないからだ。
安土城は岐阜、名古屋と京との要所であるが大阪は戦略的な価値がないので当然でもある。
事実としてなにも矛盾しない。戦略的にも正しい。敵がいないのだから城を構える要件もない。
なにか信長の築城構想などの史実的なものがあれば反論をしたまえ。建てたに違いないって
意見はそれこそ小説の世界だな。
>先に破却されて
家康に破却しろと言われて大阪の陣が始まる。たしかにいらないよな。家康の意見は正しい。
あと厳密に名護屋城が完全に破却されたのは島原の乱後。幕府軍相手に異様に持ち堪えた
たのは旧城郭、塹壕が効果的に働いたためである。
317 :
日本@名無史さん :2007/12/08(土) 20:21:17
__ ,ヘ/ヽ、,-、 _ /: :`' : :l : : :`: : `'ヽ、 __ . / : :`/ : : : : : : !: : : : : : : : : : Y´: :ヽ ' : : :/ : : : : /: :.|: : : :l : : : : : : :ヽ: : : l ' : : / : /: r‐|: :/|: : : :|ヽ‐:-、 : : : ', : : l ,' : :,' :,イ : : /|:/_ l : : :| ヽ∧: : | : l : : | | : ,' /: |:.: :/,ィ弌x∨: :| ィf卞、',: :|、:|: : :| |: :|/: : |: :/f ト'升 \l. ト小} }|: :l:∨: |: ! | :/| : :ム:ハ.弋ン 弋ソ 'ハ/)l: : :ハ:| |/ .| : :/ |: :l、 r‐ ァ ,ノ :「 l: :/ ′ |/ ∨: l> 、.`__ .. <l : / ∨ /ヽ ∨|ァ‐r┘ └r‐ォ|:/ ,ヘ <__ ∨゙∨:.:/ `__´ |:.:.ソ`ー-' \_ l´ ̄ __ < ̄ ∧  ̄ >‐ | r‐' / \ノ.弋 フ l´ \\ ̄ヽ、 ヽ, -‐\,/ \ |∧| / ̄ / ,/ ヽ/ |_ l´ ,/ _ノ | \/ } . \ // l ヽ__フ \_/ | \,/  ̄l_ |__,.〉:.. < | |、__/  ̄ ̄`'-イ:.:.:.:.. ..:.:.\__|、__,/ |:.:.:.:.:.:..........:.:.:.:.:.| /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.', /.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:', ,'.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:', l.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.l l.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:l
後水尾天皇って長生きで有名だよな 院政とか禁止なのにあまりにも長生きなので幕府は黙認した
>>318 1985年7月12日までは歴代最長寿の天皇でもあった。なお、後水尾天皇の記録を抜いた昭和天皇は、
「後水尾天皇の時は平均寿命が短く、後水尾天皇の方が立派な記録です」とコメントしている。
最初のほうは200才とかじゃなかったっけ?
朝臣の竹内宿禰とかだろ
322 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 23:23:16
>>314 >違わないぞ。その論拠だと近かったのを否定していない。ちなみに家康
本能寺の変に遭遇している。つまり同時期のことで家康の動向から解任された
という論拠も薄い。もっともそうに考えれば接待役という役割自体がおかしいのだが。
近いからと言う理由なら単純に理屈に合う。
支離滅裂な駄文。小学生からやり直せ。
>味方に動向を教えない方がヘンだが。信長は秀吉の要請で中国戦線に行くのなら
なおさらその遠征軍に加わる光秀に行軍(動員)予定を知らせるほうが自然だ。
京から発つ時に西下する予定を知らせればいいわけで、京で数日滞在する動向など知らせる必要もない。
>その理屈なら信忠しかいないという論拠につながる。
>名実ともになら前項の君の反論と矛盾する。つまりそういうことで前項は正しいことの
論拠となる。本来は光秀が攻めてくること自体がおかしい。信忠しかいない=信忠犯人と思わない
論拠はない。武田信玄もそうだが先代を排除する事例は戦国時代では事欠かない。
お前ってマジでバカだな。
信忠は織田の家督を正式に継ぎ、信長の後継者としての地位を不動のモノにしている。
なのに何でクーデターで信長を打倒せにゃならんのだ。
お前の論拠だと、
徳川二代将軍秀忠が大御所家康を襲撃せなならん事になるな。
政権の正式な後継者が、現トップをクーデターで排除した事例など、
日本は勿論世界史のどこを見ても存在しねーぞ。
武田晴信が父信虎を放逐した理由も知らんから、的外れな引き合いを出す間抜けぶり。
バカは死んでも直らない。
323 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 23:23:54
>>314 >武田攻めでも同じように信長は同行している。趨勢が決まってるので前面に出る
必要もない。常識なら信忠が同じ役割をするはずだ。
同行してねーよ。
信忠は武田攻めの先発隊で、信長は後から実見検分に赴いただけ。
後の文は意味不明。バカ丸出し。
>すなわち同じこととなる。ありえないという意味なのだから同じ見解と言うことで
それに反論されてもどうしようもないな。君は前回意味を取り違えているので話がかみ合わないだけとなる。
バカというしかない意味不明な駄文。
324 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 23:38:35
>>315 >暗闘の事実はない。いわゆる小説でしか確認できない。つまりフィクションである。
信長が再三に渡り帝に退位を迫り、帝は何がしかの口実をつくって頑なに拒否していたのを知らんのか。
無知だな。お前。
>官位を復帰する先例がない以上復帰する方が不自然であり
バーカ。
朝廷は信長が右大臣を辞した後、しきりにそれより上の高官に就くよう要請してんだよ。
初歩的な歴史知識もねーじゃねーか。
>就任要請も信忠に家督なら当主より上に就任もおかしな話であり、断るのが常套である。
日本語の文法として意味をなしてねーだろ。どこまでバカなんだ?お前。
>信長の時代は正親町天皇しかいないが、他の天皇を想定しているのなら間違いである。
ちなみに即位するのも(譲位するのも)莫大な費用がかかる。
即位の費用など、信長の経済力からすれば屁みたいなもんだ。バーカ。
>誠仁親王は陽光院であり即位する必要がない。院として処遇されているのなら経済的には
自立することになる。
陽光院は誠仁親王の死後に追贈された尊号である。
底が抜けてるバカ。
>二条御所と呼ばれているのは、親王がいるため。信忠との関係は特に
親密である。次代の後陽成天皇が即位するのは豊臣政権の時代だが秀吉が派手に演出
するために利用された側面があるにしろ厚遇されてる。
>毛利が献金したのは元就の時代でありこの時期には没している。織田家と毛利家が敵対してる
以上献金は困難で譲位資金を要請することも関係上不可能。秀吉時代に桁外れの献銀をして
いるがこれは、銀山を含めて献納することで管理者(事実上の保有)の地位を得るためである。
平安時代の荘園のシステムと同じだが。受ける側と委託側の交流がないと実現しない。
論点が不明確。いかにもバカなお前らしい駄文だな。
325 :
日本@名無史さん :2007/12/15(土) 23:51:31
>>316 >譲位問題でもめたのは後陽成天皇であり正親町天皇ではない。
一から歴史の勉強し直せ。バーカ。
>つまり信長は建てていない。
当たり前だ。その前に暗殺されたんだから。バーカ。
>本願寺を退去させた後、大阪に築城構想を持っていない。必要ないからだ。
>安土城は岐阜、名古屋と京との要所であるが大阪は戦略的な価値がないので当然でもある。
>敵がいないのだから城を構える要件もない。
だったら何故秀吉は跡地に大阪城を築城したんだ?
答えてみな。バーカ。
>なにか信長の築城構想などの史実的なものがあれば反論をしたまえ。建てたに違いないって
意見はそれこそ小説の世界だな。
秀吉の大阪城築城がその根拠。
秀吉は信長の政策を模倣しただけ。バーカ。
>家康に破却しろと言われて大阪の陣が始まる。たしかにいらないよな。家康の意見は正しい。
秀吉は家康に命令されて聚楽第を破却したのか?バーカ。
関が原をすっ飛ばして「大阪の陣」など出すな。バーカ。
>あと厳密に名護屋城が完全に破却されたのは島原の乱後。幕府軍相手に異様に持ち堪えた
たのは旧城郭、塹壕が効果的に働いたためである
お前、わざとバカな書き込みしてんだな。
お前の戯れ言に付き合う愚行もこれで最後にしとこう。バーカ。
>>323 >信忠は武田攻めの先発隊で、信長は後から
行ってるって認めてるんだな。誰の書状で領国安堵とかしてるか
実検する意味とか考えるとよいだろう。そういう資料がたまたま京大博物館に
あるのでみるとよいぞ。常設展なので見られるはず。
>>323 光秀の謀反なのだから最初から信忠謀反はありえないことを知ってる
ただ信忠が排除する論理上はありえるという前置きで荒唐無稽だという
結論を書いてる。
結論を導くにはなぜそうなのかという論拠が必要となる。結論の論拠ではなく
結論の可能性を高めるための否定のための論拠であることを読み解けなければ
理解できない。結論が同じなのだから前回君が反論するところが間違っているわけ
である。
もっとわかりやすく言えば
荒唐無稽とはありえないという意味で結論はありえないと言っている。
それに対して反論するにはあり得るという反論になるはずだが、そうではない
のだから意味はない。
>>322 近江に坂本城(光秀の本拠地:赴任地は丹波戦線)、安土城(信長の居城)
があった。安土城で家康は接待を受けて京都とか大阪に行く予定で実際に行ってる。
位置関係は地図を見れば一目瞭然なので見るように。ちなみに安土城は本能寺の変で
あっさり無力化。近いから工作しやすいと考えるべき。同じ理由で信長の行程も筒抜けだな。
単身で行くわけでなく荷駄や賦役とかも近江領に課せられるわけだからバレないほうがおかしい。
>信長の後継者としての地位
信長がいなくなればさらに確実だな。秀忠と駿河の関係も同じ。
ちなみに家康の死は明らかに不自然だ。家光が秀忠の行いを過小評価し
家康を神格化した背景には確執がある。ただ最初からありえないという論なので
荒唐無稽という意味を辞書で引いた方がいい。論理的思考と論理だけではない
という結論を併記して後者を主張している。
>クーデター
武田信玄って例あげてるので調べるといい。戦国時代の話と言っているのだが
信長の近くでも斎藤道三とか息子に弟とか一族ごと抹殺されてる。
志波氏や六角もそうだし排除の仕方も法で当主の権限を決めたり音便に隠居
とかの方法もあるが。道三や信玄のように殺したり追放したりも多い。
>>324 >頑なに拒否 高官に就くよう要請
そんな事実はない。資料もない。右大臣より上に当主がいるのに就任する
のは筋がおかしい。後継者としての地位が確立しているというのが前提なら
なおさら理屈にあわない。右大臣自体が事実上の最高位だ。前後も一条家
と二条家で武家がなること自体が異例。天皇が健在なのに摂政・関白は
理に合わないし太政大臣(先例は清盛や義満のみ)になっても意味がない。
公卿になるには秀吉のように摂家の養子になるとか征夷大将軍になるには
家康のように源氏の長者になるとかどっちにしても信長がそれをすると
足利幕府を終焉させてるので簒奪者という希代の悪人になる。清盛や義満は
当時からボロカス言われてる。ちなみに義満は息子に言われたのだが。
>誠仁親王
信忠と一緒に二条御所に処遇。事実上織田家が寄進(実際は安堵だが皇族なので)して
御領を裁量しているので独立している。院というのは経済的に独立している皇族に
贈られる。第五皇子だが追尊としては陽光太上天皇が贈られている。後陽成天皇の父。
捨て扶持でも独立していれば院号ももらえるが・・陽光院は別格。太上天皇は本来
皇位を後継者に譲った天皇に送られる尊号。天皇と同じ扱いなのだ。ただの親王ではない。
>>324 >屁みたいなもんだ。バーカ。
思いこみ?費用と資材は有限で信長は安土城とか二条御所とか
散財してる。石材を徴収したり資材を配下に要求したりでそう簡単なことでない。
(極端な例では京洛の石仏まで徴用したりしているのでかなり限界に近い。)
税金とかどうやって徴収していたか調べるとよい。御所建築に関しては
下京とか上京単位で莫大な臨時課税を行っている。これ以上は無理に近い。
ちなみに秀吉は、後に主要鉱山を掌握し貨幣経済を形成して大量に物資を調達して
大建築や九州戦、関東戦のロジックを構築している。余談だが毛利は、銀山権利を
維持するために豊臣時代にも皇族、公卿に献銀、献納して保持できた。後に幕府直轄に
なるがこの時代に蓄えたその膨大な富は、徳川時代、幕末まで残っている。
領地が激減しても資本の蓄積でバランス的には支出が減って資本がそのままだから
金持ちだったのだ。逆に織田家は支出が膨大で収入は拡大することで維持していた。
商業地への課税、寺院への矢銭、段銭で戦争になる。石山合戦はその典型。
>論点
織田家が掌握してるので毛利は献金しても意味がない。実際にその時期はしていない。
二条御所なのは親王が事実上、少なくても経済的には皇族執務していたため。
誠仁親王は本能寺の変では信忠と一緒に二条城にいた。交渉で退去できたので
死ななかった。ちなみに同時におそわれたのではなく後日二重御所を包囲した戦いになる。
>>325 後陽成天皇のことを知っていればそうはならない。
後水尾天皇といかに譲位問題は有名すぎる。皇位継承で板倉とかが
いかに苦労したか文書が豊富なので。(京都所司代の公文書と板倉家文書)
正親町天皇は特に譲位を急ぐ必要もない。譲位の意向を伝えてほぼ決定していた
『兼見卿記』という資料もあるが(おそらく資金を出す織田家の意向で)史実では中止
になっている。というかこの先代、先々代、その前も生前に譲位することがなかった。
譲位したいと言っても先例主義からでも許可しないだろう。
>暗殺
生存していても建てなかった可能性の方が高い。本願寺が退去した後も
実際に興味を持っていない。もともと三好氏や足利義昭が摂津で敵対する
ようになってから戦略上で必要だったからでどちらも壊滅、恭順した情勢では
大阪に城郭を建てる意味がない。矢銭目当てで堺や大寺院に膨大な要求を
つきつけているが本当に戦争したのは本願寺だけで他は普通に払っている。
ちなみに本願寺とは勅許で和睦している。顕如時代から准門跡。
>>325 >跡地に
秀吉は京都中心を大阪に持ってこようとしたと判断もできる。聚楽第を御所
二条城を大阪城に置き換えると分かる。
(その点信長には安土城があるので意味がない。安土は東にも西にもいける中心だ)
秀吉時代は大阪を中心にすることで遷都してもおかしくない勢いになっている。
堺商人や博多商人を通じての海外視点もあるのだろう。商人系では小西行長とか有名。
大友家などの交易に熱心だった大名を保護支援している。
似たようなことをした人間に清盛がいる。この場合は神戸辺りまでになるが。
畿内に仮想的はいないので軍事的な意味はない。秀吉にとって京都のままでは公卿の下という
レジュームから脱却できないので新しく作る方にシフトしている。
摂家の養子から豊臣姓への新設などその典型。
>秀吉は信長の政策を模倣
って説の根拠はなにかね?司馬遼太郎っぽい意見だな。
で結局のところ大阪での信長の構想はないのだな。
城のことは反論しないのは知らないってことか?
言っておくが島原の乱は江戸期最大規模の争乱。
'"´ ̄ ̄ `丶、 / ヽ / '. ハ | / j/│ | .ハ | ' |/ ││ |∧.V|/ | ) ││ レ仏l |ヘ| ! ハ.│ ・・・・・・・・・。 Y ト-|ヘ. ∧|∧| ∨∠ ∨∨゙ヽ r^7⌒l| l| なんだこの流れ 匸7ー' |l l| r'/ |l______,l| ヽ ノ  ̄ ̄ 丁 \_,イ\ |
333 :
日本@名無史さん :2008/01/02(水) 10:08:25
バーカを連呼して煽っている吉外一匹のためにスレがダメになった好例だな。
334 :
日本@名無史さん :2008/01/05(土) 13:03:06
335 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 17:41:34
!-- .、 ,、、、、,,, 彡lノ l,,,,,__ / ___ 'r''゙ヽ . |`゙'' ./ `'゙'''" .〉,l | |. ,' // . ',. ,' , r' . ゙, ゙'ー ‐` l |
336 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 20:03:45
見える、見えるぞ。 織田の弱みを握った明智光秀の下を向きうっすら笑いを浮かべる顔が・・!!
337 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 22:47:21
>>333 自分がバカ呼ばわりされた腹いせか
哀れな小者だな〜
お前がバカだからバカ呼ばわりされただけだろーが
それを指摘した個人を中傷して溜飲を下げてる雑魚
文句があるなら書き込まれた内容に論理的説得力ある反論をしてみやがれ
ま、無理だがな
反論されてるのに耳を貸してないだけに見えるが
339 :
日本@名無史さん :2008/01/13(日) 22:28:31
340 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 00:11:54
>>337 へー吉外にもプライドってあるんだ。初めてしった。
でお前、散々反論されているのに何ひとつ答えていないじゃん。
つーか、客観的にみると完全に論破されているよな。
>文句があるなら書き込まれた内容に論理的説得力ある反論をしてみやがれ
さんざん論理的な反論には完全スルーか。
本当、めずらしい生き物もいたもんだw
341 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 15:36:48
>>338 >>340 書き込みの内容があまりに愚劣すぎて話しにならん。
あんな馬鹿馬鹿しいたわ言に付き合う事自体が愚劣だろーが。
それさえ理解できないお前の知恵遅れぶりには笑えるわ。
幼稚園から出直せ。
下等生物が。
342 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 20:32:37
基本的に反論しようがないってのもあるのだろう。 ぶっちゃけると朝廷説は陰謀説でしかない。譲位も直近に先例がない以上拒否も ほのめかしたも側近公卿の日記に垣間見る程度でどっちにもとれる。 自業自得というのも結果論である。 家臣の謀反なんて想像出来んだろ。
343 :
日本@名無史さん :2008/01/15(火) 17:17:05
今日発売の、ディアゴスティーニ「世界のミステリー」買ってみろ 本能寺の変について、結構書いてあるぞ 190円だし
目新しい文献でも書いてあるのか?
345 :
日本@名無史さん :2008/01/16(水) 15:32:05
346 :
日本@名無史さん :2008/01/16(水) 22:31:43
rー 、 ___ , 一┐ . -} __}__}__ {- 、 / /j/ \j\ \ / \/ ヽ/ ', l / _ _ l l l l ( _ ) l ( _)| l l l } l| { ! | ┯┯ l '、 / l! l / | ┌===┐ l ヽ{ , =ニ= 、 レ' | | r‐┐| l l\ /! | | |_| | ___ ノ /l | l >rッ<l |1 l U ̄U . イ´ / l ∪\∧/∪l ゝ--- __ /'´/ ー 、 / l 八 / ーゝ、 └ ___ >---― ' \__}⌒{__/ ` ー――--< __ 」┘
明智くん、ごめんなさい
348 :
日本@名無史さん :2008/01/17(木) 23:24:46
蛆虫が火病ってお得意の猿真似か。 反論するにも相手の言葉を借りるんだな。さすが吉害。 日本語にもなってないな。本人は<日本語のつもりだろうが、 文法に致命的な欠陥があるな。
まあ、信長はここで死ぬって分かってたんだよ 本能的に。
350 :
日本@名無史さん :2008/01/18(金) 21:40:52
もし、信長に仕えていて、一緒に地下鉄を待っていたら? 多分、背中を叩いてしまう気がする!
352 :
日本@名無史さん :2008/01/19(土) 14:22:22
の ぶ な が の 野 望
353 :
日本@名無史さん :2008/01/19(土) 14:34:58
//. ヽ 二二,\ // ヽ ヽ / / / ト Vヘ ' / ./ / / ハ V '. l , / / // /./ '. ト、 l l l l l ,' _ / -― / / /―‐.l ト、 l l l l l l / __.ェ_/ /./ ェ=レ、_ l l. lノl l l l ./vイろ:::l /./ .ろ::::::<l l lノl ノノ l l _大_zタ // 辷zタ l.l l l . // l ∧ , / l l // :l 「 ヘ _ / j 人 きっと誰も悪くないよ・・・ { { l V. 丶 `ー' ,.イ l / | } l ヽ l ', : l : `ト.、 . イ:l: : :l |l { / ヽ ヽ { l ' : l: : 人 人l: : / .f.l ∨ } ノ ヽ. レ'〈 / >‐<\. 〉/ l l \ / ムイ| | >'.:./:l.:.lヽ:\/ | l |‐-- __ l / ,へ || |/.:.:.:.:.:.:冂.:.:ヽ \! l l / .l l f ヽ\| l\.:.:.:.:.:./ |l.:.:.:.:.:.人ヽ V. l l | .} }_>‐く .\∠____\ヽ l l/ ノ.ノ|. | | \/ } } } ∠__
354 :
信長秀吉 :2008/01/31(木) 02:27:40
山崎の戦いは明智光秀が悪い
>>354 あらあら、おじいちゃんたらまたこんなとこまで来て
ほらほら、病室へ帰りましょうねぇ
356 :
現代に顕われた織田信長の霊 :2008/02/02(土) 11:55:49
http://www14.atwiki.jp/415mattari/ 篩いの目は日毎、確実に大きくなっている。私から民衆に知らせられるのも、この形が精一杯。
今の世界に蔓延する仕掛けをあらゆる論争の中に仕込んだ。皆々御苦労であった。全て保存しなさい。
小さな一言にも意味がこもっている。各自で読み解いてもらうしかない。
私はミノオワリの魂。ミノオワリは美濃尾張ではない。
言霊を読み解きなさい。一人でも多く。この者はイチリンの仕組。
皆よく聞きなさい。この星は自浄作用に動き出し始めている。
風邪もひき始めならば軽い養生で治せるが、病状が進むとどうなるか考えてみなさい。
発熱や悪寒はなぜ出るのか考えてみなさい。
無駄に恐れおののいている場合ではない。もう目を覚ましなさい。次元上昇などと寝ぼけたことを言っている場合ではない。
人が思っているような神など存在しない。よく現実に目を向けて、人間としてできる事をいますぐ実行しなさい。
祝詞だ祈りだ瞑想だと非現実的な事ばかりに目を向けるのはもう止めなさい。
現実に今を生きて動いて、とにかく有効手段として自然環境を蘇らせるしか道が無い事に気付きなさい。
人間が自然にしたことが人間に返ってくるだけなのだから、天変地異などと呼んで自分ばかり生き残りたがっている場合ではないぞ。
人間が人間の為だけにした事によって、人間以外の獣、草木、虫達、みんな道連れになるのだぞ。
不思議ぶったまやかしの霊的世界から離れなさい。
神はお前達が思っているような霊的存在ではない。神と呼ぶものは生命の摂理、自然や宇宙の法則そのものを指す。
人が思っているような神は霊、それも大半はまともではない霊だ。今降りている神示も殆どまやかし。マコトは一部だぞ。
火水、艮はマコト。だが艮の器はおかげをおとしたぞ。ハナサクモノは偽物だぞ。日月地は鏡だぞ。片方は虚、うつし間違えるなよ。
私は神霊の一人。クニトコタチ、スサナルの直下、アマカケルタケイサオ。人であった最後の名は織田信長。
人が幻想を抱いてきた、無い神も無い霊も本当に無くなる時がやってきた。
うっとうしい
358 :
日本@名無史さん :2008/02/05(火) 22:30:06
おーい 秀吉 お前を明智が恨んでるから気を付けろよ
おーい 光秀 お前を信長が恨んでるから気を付けろよ というより現実と夢の区別ができなくなっちゃった可哀想な人が光秀恨んでるんですよね。 まぁ既にあの世の人を恨んでもしようがないんですが。 大丈夫、あなたの事なんか気にしないと言うか存在さえ知らないでしょうから。
360 :
日本@名無史さん :2008/03/02(日) 01:30:28
光秀が秀吉に負けている以上 変を正当化できない悪い面が光秀側にあると思うんですが どうでしょうか?
戦さの勝敗と正邪は関係なかろうに。 勝てば官軍、というだけ。
362 :
日本@名無史さん :2008/03/04(火) 05:05:33
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B9%E3%82%B1 ヤスケ(やすけ、彌介、生没年不詳、16世紀後半)は、織田信長の家臣の一人で、
現在のモザンビークあたりを出身とする黒色人種の男性であったと言われている。モザンビークの王子であったとする説もある。
元々は宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに仕える奴隷であったと言われている。天正9年(1581年)、
ヴァリニャーノが信長に謁見した際に連れられていたのが信長の目にとまった。
信長は最初、肌の黒さが信じられず、彼が身体に何か塗っているのかと思い、2月の寒空の下でたらいに入れて
家来に体を念入りに洗わせた。しかし、肌が黒いままなので、肌の色の黒い人種がいることを理解した。
信長は興味を持ちヴァリニャーノへ要望して献上させ、そのまま直臣になったと伝えられている。
年齢は26・7歳、身長は6尺2分(約182.4cm)であったという。一説によれば、ヤスケは宣教師の奴隷のときには
人間扱いされていなかったが、信長は彼を「ヤスケ」と名づけ、武士の身分を与えて家臣とし衣食住不自由がないように取り計らわれた。
ヤスケはこの信長の対応に大いに感謝し、忠実に仕えたと言われる。
本能寺の変では、明智光秀の兵と戦い多くの敵を倒したとしている。最終的に陥落直前に信長から脱出するよう命じられたと言われる。
また、織田信忠が二条御所で奮戦した際、ヤスケも戦ったという。
その後、明智の手勢に捕まったが、光秀はヤスケを「人間ではない」として殺さず、「インドのバテレンのもとに送れ」と命じ、
そのまま放逐したという。その後の消息は不明である。
363 :
日本@名無史さん :2008/03/04(火) 18:03:53
怨恨とか野望とか理由付けあるけどさ。根本的に間違ってるよ。 家臣の処遇で揉めてたんだよ。重臣の斎藤利三が信長側の稲葉一徹と仲が悪い。 ちなみに稲葉は一徹者と言われるほどのクレーマーだ。利三はもともと稲葉の家臣 だったのだが出奔して光秀に仕えてた。重臣の引き抜きはタブーなので信長が 調停してた。 でそんなこんなで直前に稲葉家にもどれって信長からも言われてた状態。 基本的に稲葉家の裏切り者なので戻されたら明智家筆頭家老からどん底へ。 勝手に謀反を実行したとされる所以である。ちなみに本能寺の変の戦犯として処刑された。 小説などで光秀を諫めたことになってるが、経緯的に利三が原因であると考える方が 自然である。積極的に関与しており変後に極刑になってることから少なくても重要な要因 である。ちなみに同時期に信長が四国侵攻を意図していたようだが四国の長宗我部元親 は斎藤利三と親戚である。四国攻めから明智軍団が外されてるのはその影響もあると 考えられる。 ややこしいことに徳川三代将軍である家光の乳母が利三の娘である斎藤福(春日局)であり その関係で謀反の首謀者という事実を改竄した可能性が高い。
364 :
日本@名無史さん :2008/03/10(月) 18:40:42
>>363 で、その後なんやかんやで利三→天海
娘とつるんで徳川を裏で牛耳....あー、ウソウソ
秀満→天海だったか
´∀`)≡〇)゚Д゚)。・;゚∴
365 :
日本@名無史さん :2008/03/15(土) 19:11:54
春日局は母方の親戚に当たる三条西公国に養育されたので教養があった。 夫の稲葉の勲功で乳母になったという説もあるがその夫が出世していないので 眉唾である。子供の方は出世しているがどう考えても春日局のおかげ。つまり 夫の力ではない。 実際は、京都所司代 板倉勝重が一般公募した将軍の為の乳母らしい。 当時の江戸は、辺境だと思われてたので教養のある乳母のなり手がなかったのだな。
366 :
日本@名無史さん :2008/03/19(水) 11:27:33
大男なら藤堂高虎が当時の身長からすると、かなり高い 織田氏と豊臣氏に重用された ヤスケと藤堂高虎はつながらないの? 藤堂高虎を織田信長に紹介したのは、豊臣秀吉
367 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 02:18:18
利三は処刑された。光秀は脱出中に落命。
368 :
日本@名無史さん :2008/04/08(火) 03:44:55
天下を買える!謀反の理由は @武田攻めでの御折檻! A徳川様接待不首尾のお叱り! Bまた、近江坂本、丹波領地を召し上げ、出雲、石見を切り取れとの冷たき御沙汰! Cいやまた!丹波で!足の不自由な母を!見殺しにされた仕打ち!など!語り尽くせぬ恨みあれども!決して私心にあらず! 天下国家のため!織田!信長を成敗することこそ!天の道! この惟任日向守は!新羅三郎義光侯に誓ったが!もー我慢ならぬ!両刃の剣を抜くぞ!
>>368 その全てが江戸時代の俗書で捏造されたことで事実ではない。
こんなことは半世紀も前に高柳光寿が指摘している。
もう少し勉強しろよ。
370 :
ショーケン :2008/04/14(月) 18:52:25
うるせー!台本にそう書いてあったからそのまま喋っただけだ!
371 :
日本@名無史さん :2008/04/19(土) 23:09:43
光秀本隊を倒した連中 織田信孝、織田秀勝、中川、高山、丹羽、池田、加藤
372 :
日本@名無史さん :2008/05/02(金) 03:58:32
>>1 お前さんの頭は、あきらかに悪い!
信長が本能寺で光秀に討たれて光秀が悪者扱いになってるが、
信長の自業自得では断じてない。
どの物語でも出てこないように、
光秀は生前の信長にさんざん不当な扱いなど受けてはおらず、
いつ自分が殺されるかも気が気じゃなかったと考えるどころか、
信長に深く感謝していた。
よって自分から信長を討とうと思ったと考えるのはかなり無理がある。
結局の所、本能寺の変が起きたのは信長の自業自得じゃないのか?と考える
>>1 は阿呆と言うしかない。
373 :
日本@名無史さん :2008/05/08(木) 22:28:26
>>318 幕府は黙認したわけじゃない。
ただ、秀忠の娘である東福門院が夫の良き理解者として幕府の前に立った為に手が出せなかった。
>>327 道三や義竜の敵討ちが変の主な動機じゃないか?
もともと明智は連中の家臣だし
英雄の惨めな死は抑止力だよ 神がわざと英雄に惨めな死に方を させてォタの量産化を防ぐためや傲慢を抑える為にあるんだ 「俺は○○天皇だ」だの精神病院で叫ぶ 患者に○○天皇であることを忘れさせるために惨めな死を与える 英雄の霊魂を持つユダヤ人は世間の連中に死に様にスポットライトを 当てられていやな気分に陥り忘れたがるようになる 信長の死に様は世間で注目されすぎている からもうオタもうんざりでしょ それよりもっと山崎の戦いに世間のみなは注目すべきだね
偉人は多くの注目や拍手喝さいを集めるが 同時に多くの不幸な使命も背負うわけで 必ずしも得なことばかりではない 偉人に憧れるよりもしょぼい男を目指したほうが幸せ な人生を送れるケースが多い
日本では何故男性の偉人ばかり暗殺されるのだろうか? 悪名高き女の偉人はいるのに 凄惨な死に方をしている奴は少ない 欧米ではアグリッピナやマリーアントワネット みたいに悪名高き女の偉人を凄惨な方法で殺して 憧れる奴を防いでいるのに 日本では悪名高き女の偉人は殺されず歴史上に生かされて 登録されてあるケースが多い こういった連中に何故神は凄惨な死に様をあたえないのか? 日本の男性偉人はほとんどの奴が可哀想な運命を辿っているのに これでは上記の連中に憧れて悪行を行い殺されないなんてケースが あとを絶たないような気がする
大企業の重役がうつ病にかかってワンマンオーナーを殺害、のようなもんじゃないの? 現代的にな価値観からはうつ病に追い込んだ会社&オーナーのほうが悪いとなりがちだわな。
379 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 15:38:13
信長はポルポトの違いが分からん
380 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 15:38:49
信長とポルポトの違いが分からん
381 :
日本@名無史さん :2008/06/04(水) 17:09:43
オッパイの好みがぜんぜん違ったらしいよ。
382 :
日本@名無史さん :2008/06/09(月) 10:44:55
信長は、あの時、なんと本能寺から脱出してました! 僕の爺ちゃんが若い頃、地下道から出てきた信長を見たそうです。
383 :
日本@名無史さん :2008/06/09(月) 11:44:04
>>378 普通に天下を取りたかったからじゃよ。
あの当時は下克上なんてあたりまえで、細川管領家は家臣の三好に下克上され、
将軍も殺される時代であって、倒されるスキをつくった信長がお馬鹿、家臣といえども油断してはいけない。
織田家のNo1の信長と美濃、尾張、信濃、甲斐を支配し家督を譲られて織田家No2の信忠が、
わずかな護衛で洛中に滞在し、かつ光秀は中国応援の名目で大兵を動かしても不審に思われない、
こんな好機があったら(他の武将は戦闘中で、すぐには戻れないハズ)誰でも謀反するね。
384 :
日本@名無史さん :2008/06/09(月) 11:44:47
うちに伝わっている話だと、 信長は光秀に命じて自分を襲撃されたようにみせかけて、こっそり脱出し、その後は商人としてきままに暮らしたとかなんとか。
385 :
日本@名無史さん :2008/06/09(月) 12:00:57
光秀は有史以来、天皇陛下を戴く国体護持を願うあまり 国体を壊して自身を王として君臨しようと画策する 信長の野望を打ち砕く為に本能寺で謀反という名の征伐を行っただけ。 光秀は悪く無いと思うぞ。
386 :
日本@名無史さん :2008/06/09(月) 12:55:22
良いも悪いもない。 戦国時代、チャンスがあれば光秀も秀吉も勝家も家康も みんな天下人になりたかったのよ。 信長が自ら言ったように、「是非に及ばず」、そのままだ。
387 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 11:01:50
>戦国時代、チャンスがあれば光秀も秀吉も勝家も家康もみんな天下人になりたかったのよ 何という幼稚な歴史観だ。呆れ返るワ。
388 :
日本@名無史さん :2008/06/22(日) 12:48:50
うちにその時の動画あるけど、 意外と淡々としてたよ、両軍とも。
黒幕説って数多あって大抵自論こそが正解で他は間違ってるって風潮あるけど、 それこそ複数同時進行って発想無いのかな? 俺は信長暗殺の陰謀はそれこそ色々出ている勢力が画策してたけど、 光秀が実行してしまったので「抜け駆け喰らった」と即座に撤退したと考えてるんだよな。 それこそ光秀がそれらの陰謀知ってて実行後それらの勢力の支援を得られると当てにしてたけど、 いざその後「俺は知らないよ、光秀が勝手にやっただけだから」と皆証拠隠滅図ったとかでもいいんだよね。
たぶん当時の雰囲気としては光秀じゃなくても「誰かがやるかも…」という空気はあったろうね やってほしいと思ってるヤツも多くいたのも事実だろうし そんななかで秀吉だって「なにかあったらどうするか」と思案してなかったと考えるのも不自然だし 黒幕うんぬんというより社会全体が信長をどうしようかと考えていたんだろう
391 :
日本@名無史さん :2008/06/25(水) 13:57:09
まあ、当時は下克上は当たり前で、ボヤボヤしてる主君(信長)などは家臣にやられてしまう、 織田家では、佐久間のような譜代が追放されるくらいなので、 そういう下克上の願望は家臣のみなにあったかもしれん。 まあ、織田家が天下人に近かったので織田家での下克上は天下人に直結するけどね。 但し、それが実行可能なのは近畿管領で畿内で大軍を動かしても怪しまれない光秀だけ、 しかも、織田家のっとりが目的なので信長、信忠が小兵で京にいるという条件が必要だった。 No2の信忠が生き残っては乗っ取りができないからね。 光秀にとってはビッグチャンス到来でチャンスをものにした光秀だが、 柴田が上杉家の妨害で暫らく動けなかったようになるハズが、秀吉の短期での上洛は予想外。
足利元将軍が動いてたのは事実だろうし 堺の連中や茶を介した有力者もなにかしらの行動をしていたのも事実だろう。 光秀がどこかと連携してたと考えるのは難しいけど 下克上というものではない時代の流れがあったように思う
>>391 秀吉の大返しで大河の「功名が辻」で面白い創作あったな。
細川幽斎(になったばかり)が秀吉に「光秀謀反・信長殺害」の手紙を送ったという展開。
これでは従来通り毛利への密書を手に入れるけどまだ疑心暗鬼で、
幽斎からの知らせでその事実を確信するって展開なんだわ。
これは紛れも無く創作だけど、
何で秀吉が本能寺の変を知ったかについて密書だけで確信するとは今まで疑ってたもんな。
普通偽の密書をワザと掴ませての情報撹乱とかの謀略位ありそうだもんな。
だから幽斎が光秀への意趣返しにこれ位はやりそうだよ。
けどマジな話、どうやって秀吉は本能寺の変の知らせを事実だと確信したかの経緯が不鮮明なんだよな。
そこら辺が秀吉黒幕説のあらぬ疑いに繋がるんだよな。
しかし、なんで毛利は秀吉を追わなかったのか?が最大の謎!! やはり輝元はバカだった。
いつも兵一万連れて歩けといえないぞ
密書を手に入れて変を知ったというのは事後確認みたいなんもんで 中央から離れた戦線に張り付いてる秀吉は中央へ情報網を張り巡らしていた と考えるのが普通じゃないかなボンクラじゃないんだし
397 :
日本@名無史さん :2008/07/06(日) 20:21:36
>中央から離れた戦線に張り付いてる秀吉は中央へ情報網を張り巡らしていた 「中央」= 織田の勢力圏だろ。 敵方の動向探索のため情報網を張り巡らすのなら合理性があるが、 その逆ってのはガテンがいかん。
398 :
日本@名無史さん :2008/07/07(月) 14:22:54
>>394 柴田勝家の場合は変を知った上杉の反撃や、越中の国衆の離反で京へは迅速にもどれず、
家康は伊賀越えで、落ち武者狩りから紙一重の脱出(数時間送れて出発した穴山信君は襲撃で死亡)、
滝川は裏切りも出て、北条に大敗、織田信孝・丹羽長秀は変を聞いて兵の大部分が逃散。
光秀は変後は数日で近江を制圧し丹波・山城・近江で約150万石になっているし、
他の軍団長が戻らないうちに、摂津、河内、和泉、大和あたりを順次制圧する予定であっただろう。
普通に毛利が秀吉を追撃してたら、光秀の天下人の可能性は高かった。
光秀「ヨソウガイデース」
400 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 08:11:29
学校で歴史を習った頃は、何故か明智が悪というイメージを 持っていました。(今は違う) 例えば秀吉や他のサイドからのネガティブキャンペーンが 本能寺後の史実の中に根付いているのでしょうか、、。
>>400 下克上の時代になっても「主殺し」は悪でした。
周囲から是認・黙認されないと支持されない行為だったのです。
問題なのは、光秀の行為は信長が敵に回していた(かなり多数であったろう)勢力からも
支持されなかったことでしょう。下克上の時代は既に終わっていたのです。
(極めて作為的な)ネガティブキャンペーンの所為で光秀のイメージが作られたとは言えないと思いますよ。
402 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 09:10:13
>>402 信長も下克上やっているが、足利将軍様に対して(命は取ってないが)。
秀吉は光秀倒してからが、織田家に対して下克上。
細川幽斎はどーだか知らないが、いろんな知り合いが当然秀吉に報せてきたに決まってる。
405 :
400 :2008/07/20(日) 10:34:20
>>401 たしかにその後長らく続く武家社会にとっても主君への反逆は
悪であり、真似されたくない行為ですね。
ただ、教科書にサラッと紹介されている信長の良い面だけでない
部分(魔王的な黒歴史?!)を知るようになって、人物や物事を
簡単に善と悪とで判断できない難しさを感じ、光秀に対する
イメージはより良く、公平なものになりました。
また真偽のほどはともかく、陰謀・黒幕説などの違う視点から
見た考え方にも触れられるようになってからは、明智側が悪という
偏ったイメージは払拭されたように思います。
406 :
みかど :2008/07/20(日) 13:48:30
信長の真意に.気づかない 光秀は アホ
???
408 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 15:25:38
光秀悪人イメージは、勝者の権利として歴史に名を残すには時間が足りなかったこともある。 長く天下人で居られたら、大罪人信長・成敗者光秀のイメージや記録を沢山残せた可能性もある。 しかし実際は、裏で何をやっていたか分からなくても、勝者として歴史に足跡を残せた秀吉が 成敗者の名目を手にすることになる。 ひとえに志半ばで失敗した者が辿る歴史の定めでしょう。
光秀が悪いに決まってるだろ
410 :
日本@名無史さん :2008/07/20(日) 23:56:22
光秀は悪くない。信長もそんなに悪くない。 信の持ってるものが欲しくて欲しくてたまらなかった 強欲な秀吉が悪い
信長が偉いわきゃねーだろ 信長=大量殺戮者
>>401 秀吉はかなり大掛かりな光秀ネガティブキャンペーンやってますよ。
光秀の功績や評判をとことん隠滅したり、自分にとって都合の悪い世論がおこらないように取り締まったり、改竄した本能寺前後の話を作って有力者に無理矢理読ませ刷り込もうとしたりしてます。
主殺しの仇討ちを果たした功労者のはずの秀吉がこれだけ必死になっていると言う事は、主殺しにも関わらず光秀を支持する勢力や良しとする世論が無視できない程度にはあったんでしょう。
>>412 なるほど。そういえばそうでしたね。
でも、光秀を支持する勢力や同情的な世論を黙らせたいというばかりではなく、
ライバルは大勢、そのなかでも一二を争うくらい卑賎の出であった秀吉にとって、
「主の敵を討った」以外の正当なアドバンテージはなかったであろうことを考えると、
光秀へのネガティブキャンペーンには、力を注がざるを得なかったのではないかと。
しかし実際に光秀の行動のせいで危うく命を落としかかった(実際に落とした)武将は少なくないからなぁ。 逆に救われた武将もいたんだろうが。
それを言うと信長のせいで死んだ人間や不幸になった人間は光秀のそれとは比較にならないだろうし。 信長の行いはは恨まれても裏切られても仕方ないと思うよ。 なんか今は妙に支持する人多いけど、それにしても信長の役目は本能寺でおしまいでちょうど良かったと思う。 ファンが変な妄想する余地も残しつつだし。
416 :
日本@名無史さん :2008/08/26(火) 09:22:13
クーデターって利権の再配分だから。 利権構造を変えられた側は容赦しない。
417 :
日本@名無史さん :2008/09/09(火) 04:53:22
>>398 >普通に毛利が秀吉を追撃してたら、光秀の天下人の可能性は高かった
もしそうなら秀吉の天下はなかったであろうが、光秀が天下人になれる蓋然性は低い。
光秀には、秀吉のように織田の諸将を糾合できる大義名分がなく、
それどころか、彼らから敵視され攻撃対象として見なされている立場だからだ。
よって光秀の版図の拡大はおのずと制限される。
織田の諸将や光秀は、互いに牽制しあいながら、先日まで攻め立てていた非織田勢力との連携を模索していく事になる。
どの道、求心力を失った織田家は分裂するのは必至。
418 :
日本@名無史さん :2008/09/22(月) 04:39:34
燃えろ、燃えろよ、本能寺〜♪
419 :
日本@名無史さん :2008/09/22(月) 08:25:58
主君を討った明智が悪なら 主君の上役だった吉良を 討った大石は超極悪人やな
それはそうだろ
421 :
日本@名無史さん :2008/09/22(月) 23:08:53
明智が悪い。本当に悪い奴だ。 俺の先祖は明智と同族なのに本能寺で戦死した。
普通に光秀は悪者扱いされてますので^^ 今川人気があれば信長も悪者扱いだったでしょう
423 :
日本@名無史さん :2008/10/17(金) 21:45:03
実は本能寺は火事だった 明智軍は信長救助のため 建物を壊していた(当時の火消しの常道) それが遠目には襲撃しているように誤解された
424 :
日本@名無史さん :2008/10/18(土) 01:30:14
これは斬新な新説ww
425 :
日本@名無史さん :2008/10/18(土) 07:27:19 BE:364452454-2BP(171)
じゃあ俺は清和源氏の名門、今川義元支持でww
426 :
日本@名無史さん :2008/10/20(月) 17:39:10
光秀は癇癪もちだった 腹立ち紛れに酒肴を 主の居城の堀にぶちまけたり 叡山焼き討ちを 指示以上に苛烈にやりすぎたり カッとなったり、酒を飲み過ぎたりして 暴れる問題児だった 信長は騙されていたんだよ
427 :
日本@名無史さん :2008/10/20(月) 21:44:36
本能寺で信長の死体は見つかってない。 信長はどこに行ったのか? まさか船橋ヘルスセンターではあるまい。 あそこはもうつぶれている。 恐らくあそこだ。 一度行ったら二度と戻ってこれないところだ。
信長「今、本能寺が熱い!」
430 :
サイコメトリー :2008/10/21(火) 15:00:57
431 :
名無しさん@お腹いっぱい :2008/10/30(木) 07:24:14
NHKでいってた「義昭の謀略説」はどうなの?? 放映内容はTubeでも見れるよ。
432 :
日本@名無史さん :2008/11/03(月) 15:48:57
信長?今は競馬に行ってますよ!
433 :
タカリュウ :2008/11/03(月) 23:12:35
ども、タカリュウです。 私は池上遼一氏(原案別)の解釈が一番好きです(正しいかどうかは別)。 それによると、信長軍団の中堅社員に納まって朝廷との連絡係を天職とばかり消化している光秀に物足りなさを感じた信長が、 もう一度戦国武将の気概を見せてみろと西方への出陣を強いた。 それに対し光秀は、信長の腹を100%読んだ上で、より良い方法がある、と本能寺の変を行った。 つまり、100点満点の解答を期待してテストを出題した信長に対して、120点の解答をしてしまったと。 「やるな。光秀。是非も無し」と炎に消えてゆく信長。 くー、かっちょええ。男組のアイツ(すいません、名前ド忘れ)にも同じ描写があり、影の総理が危険視する場面がありましたが、まさにそれ。 長らく単行本出版自粛になっていたのを待った甲斐がありました。って、古いネタですいません。
434 :
日本@名無史さん :2008/11/03(月) 23:36:30
信長による自演説は、あまり出ないのだろうか?
画期的
436 :
日本@名無史さん :2008/11/04(火) 09:33:44
殿様に飽きた信長が死んだふりして抜け出して、中国に渡ったとか?
437 :
日本@名無史さん :2008/11/04(火) 11:20:06
京都エスタブリッシュメント
信長はけっして光秀を憎んでいなかっただろう。 もしろ一番信頼してた部下だと思う。 むしろ警戒してたのは、秀吉、家康、勝家、お市だったかもしれない。 2人による自演も、あながち本当かもしれない。
思うだけじゃわからんのでその根拠は?
441 :
日本@名無史さん :2008/11/05(水) 12:25:37
>>440 439ではないけど、
信長は、京の光秀邸にわずかな供回りで宿泊したり、
光秀が、天王寺砦でわずかな兵で1万5千の兵に攻囲され絶対絶命たとき、
信長は自身の危険をかえりみず、わずか3千の兵で先頭に立ち傷を負いながら救出。
京周辺に織田家武将として最大の領地をもち、畿内管領。
娘は信長親族で信長に気に入られていた津田信澄と結婚。
etc
そこまで目を掛けた部下に裏切られるとは(・ω・`)悲惨やなあ
443 :
日本@名無史さん :2008/11/05(水) 17:02:26
>441 その辺はよく指摘されるよね。 だから光秀濡れ衣説や 光秀極悪人説が出てくる
444 :
日本@名無史さん :2008/11/05(水) 17:03:33
信長ほどの天才が秀吉や家康の考えが見抜けなかったわけはない。 それにしても信長は本当はどこで死んだのだろう?
445 :
日本@名無史さん :2008/11/16(日) 20:01:22
最後まで高欄に足をかけて弓をつがえて敵に放って応戦したんですよね で、弦が切れたら奥に入って自害 火を放つ 乙かれ様です 人生50年 下天のうちを比ぶれば夢幻のごとくなりー
4歳の頃、祖父が死んだ。 葬式に出て出棺の時に「これからどこにいくの?」と訊ねた私に 「おじいちゃんを焼きに行くんだよ」と父。 何の事だかさっぱりわからず寝てしまい、気が付くと家に。 しばらくして「ご飯よ〜」と母。 で、その時のメニューが豚の生姜焼き。 急に感極まった父が泣きながら食っているので、 その肉を間違いなくおじいちゃんだと思って食べはじめた私。 祖父が大好きだったので、 私も泣きながら「おじいちゃんおいしいね」と言うと 父はさらに激しく泣き始めて、 母が「おじいちゃんみえるの?」と私に聞くので、 目の前にある肉が祖父だと確信している私は 「おじいちゃん目の前にあるよ」と答えると 両親は二人で泣き出し、私も泣き出し、 どうしようもないお馬鹿家族状態に。 (豚の生姜焼きは祖父の大好物だったのを知るのは10何年後) それから肉が我が家の食卓に上がると 私は決まって「だれ?これだ〜れ?」と聞いたそうだ。 そのたび母は「だれじゃないでしょう・・・な〜にと聞きなさい」と小言。 本当に恥ずかしい話だが、小学4年位まで肉は全て人肉だと思っていた。 なぜか給食の肉?(南蛮鯨)はベトナム戦争の犠牲者だと思っていた。 だから手を合わせていただきますと言うのだと思っていた。
447 :
日本@名無史さん :2008/11/22(土) 18:40:13
善悪は今の道徳観念でなく当時の観念で見るべき。 で、明智の行動は悪。当時明智に賛同したのは旧幕臣衆くらいで、それにしたって細川辺りは抵抗している。 オレは最近流行ってる、明智は勤皇、幕府支持の善人だっただの信長は朝廷を潰すつもりだっただの そういうわけわからん電波とそれになんの考証もしないでのっかってる阿呆の方が気持ち悪い。
448 :
日本@名無史さん :2008/11/22(土) 19:40:10
つーか 旧幕臣衆でも光秀支持して味方したのは 光秀の家臣団に転身した連中ばっかりだし。 細川の陰に隠れて目立たないが 旧幕臣山岡ブラザーズが光秀の誘いを拒否して瀬田橋落としたことだけでも 足利幕府うんぬんが空論だという証明は充分だろう。
御所への小屋懸を放置していた点から 朝廷黒幕説も成り立たないわな。 勤皇家なら朝廷から何とかしてくれと言われてるのに 放っておくはずがない。
450 :
日本@名無史さん :2008/11/24(月) 07:59:55
その時歴史が動いた で足利義昭からの手紙だかが発見されて実は光秀を唆したのは義昭だったのでは? ってやつは結局どうなったの?
451 :
日本@名無史さん :2008/11/24(月) 10:25:44
本能寺の変を伝え聞いて 「いまがチャーンス!」とばかり 得意の書状戦術を始めた(便乗犯・せいぜい事後共犯の)証拠にはなっても 事前の謀議があった証明にはならない。 結果から見ても毛利も上杉も義昭の要請はシカトしているわけだし 事前からの謀議説はムリがある。
信長が安土城にいるところを堂々と攻めて倒したのなら 謀略説も成立の余地があるだろう。 だが実際は信長が無防備でいてかつ、自分が大軍を 率いているという希有なチャンスに光秀は変を 起こしている。 こんな機会があらかじめ予測できるはずはないから 謀略説は成立しない。
453 :
日本@名無史さん :2008/11/25(火) 00:02:14
>451-452 なるほどね 事後共犯‐歴史家が後付けしてるだけか
>>449 と同じ理由で朝廷を救うため変を起こしたとする
「信長非道阻止説」も成立しないな。
最近出た小和田監修の信長の本でそれがさも真実で
あるかのような記述があって呆れた。
鈴木・藤本には「珍説」とまで言われてるのに。
谷口の本でも「根拠として弱い」と言われてる。
小和田のような「武功夜話」にまだ拘ってる者が
信長について論ずる資格はない。
この本は小和田自身が否定してる「信康切腹は
信長の命」なんてことを書いてていい加減そのもの
なのだし。
>>454 もう痴呆が進んじゃって前にどんなこと書いたか忘れちゃってるのではなかろうか。
456 :
日本@名無史さん :2008/11/26(水) 00:21:44
小和田さんって学会では異端児なの? TV番組見てる分には到って穏やかな話かたするように見受けられたが 話し方や佇まいが静かだからといって内面までは窺いしれないけど
458 :
日本@名無史さん :2008/12/07(日) 15:42:03
義昭主導(教唆)説を「その時歴史が動いた」で紹介したのは 小和田教授じゃなくて藤田達生氏/三重大学 ご入洛の文字が光秀が雑賀衆に当てた書簡中に見られる 都を追われてる義昭が再び都へ復帰する意味だと解釈される‐と NHK番組制作スタッフの歴史好きはよーく分かるが きちんと調べてくれな 面白い珍奇な説ってだけで取り上げるな 全国ネットの公共放送だから影響力大き過ぎるんだ
その頃はまだ謀略説の荒唐無稽さがまだ暴露されて いなかったからな。 特に藤田説の、事前から計画していて、何人もに 連絡をしていたという点に対し、情報が漏れたらどうする ということに誰も突っこまなかったくらいだし。 今は謀略説をやれば徹底的に叩かれるからやらないだろう。 民放では加藤廣の小説のドラマ化とか懲りずにやってるようだが。
>>447 激同。
自分関係なく代々のとか、その時たまたま主君だったというだけのものに対する
下克上と、家ではなく自分自身が大恩のある主君に対する裏切りではまるきり評価は
分かれると思う。
下克上の時代だからこそ、そういう奴は誰からも信頼されない。
秀吉は、信長が生きていれば、天下人になるつもりは全くなかっただろう。
でも、自分を引き立ててくれた人がなくなって、その子供達では、自分が
今までどおりの立場ではいられないだろう事がわかっているから、必死だったんだろう。
最悪、死も覚悟しただろうな。
その後の迷走ぶりを見ていると、秀吉も可哀相。
信長の下で、一番の出世頭という立場は居心地よかっただろう。
秀吉や家康が黒幕とか、後付もはなはだしくて、呆れるわ。
海外の歴史もの見てると、そんな人間心理無視した話なんてでてこないのに、
日本はほんと歴史家(自称)のレベルが低い。
461 :
日本@名無史さん :2008/12/11(木) 02:45:46
>>447 そうかな?
実際に光秀が天下人になっていたら、評価は違っていただろう。勝てば官軍だしね。
丹波、山城、近江と着実に支配領域を広げており、
秀吉の中国大返しがなければ、天下をとっていた可能性は高い。
信長、信忠親子が殺られて首なし胴体みたい弱体化した織田なので、
滝川一益のように大攻勢をかけられて、敗れて逃げ出すか、
柴田のように、越中の国人が織田の世は終わったと見て、上杉に寝返るものが続出し、
その鎮圧のために動けなくなるのが当然。秀吉の行動は「予想外デス」。
家康も、かつての主君(秀頼)を殺しているが、そんなに評価は悪くない。
歴史も都合よく書き換えられるわけだしね。
>>461 光秀に味方した人って誰?弱体化した織田ってw
光秀軍がそれより強いと思える理由は何なんだろう。
しかも、織田内では謀反人、それ以外(敵)にも味方ないのに、どうやって勝てるのか?
敵が織田軍に勝つ可能性はあったが、そいつらが何故に光秀配下に入るのか?
秀吉の頭にあったのは、織田家内立場の事で、そのために一番に光秀倒した実績が欲しかっただけ。
実際には、最終的に、光秀が勝つと思っていた人は、織田内部、敵、公家、含めいないと思うよ。
どういう大義名分で、光秀の下にみんなを組み入れて行けるのか。
事実、できなかった。細川ですら、味方しなかった。
家康は、主君ww秀頼に何か恩義があるのかね。
ま、勝手に主君ズらされてたんだから、屈辱は感じてただろうが。
家康は大名として生まれたのに、ただの元織田家一家臣の下に入らされたん
だから、普通に考えて、感情的に主君と思えるのかどうかわかると思うがね。
よく見るけど、こういう人間心理無視した考えって、どうやったらでてくるんだろう。
言葉として、主君といいさえすれば、主君だとでも思っているのか。
光秀は信長に拾ってもらって、むしろ大名扱いされる立場にしてもらった。
家康は大名だったのに、秀吉に臣下扱いされた。
家康と秀吉は主家つぶしで似てるかもしれないが、大恩ある人に対する裏切り
ではないし、光秀は全く、何の言い訳もできないただの裏切り、謀反。
463 :
日本@名無史さん :2008/12/14(日) 00:58:33
>>462 秀吉の予想外の軍団を連れての早期の帰還がなければ、光秀の天下人の確率は相当高い。
全国で織田軍と対峙する勢力に対しても手を打っており、
例えば上杉方の須田満智親に、五月下旬に到着した書状では、光秀が上杉に味方すると書いている。
北条や毛利にも同じような使者が派遣されていたと思われる。(時期的には5月上旬に使者は発したと思われる)
(約一ヶ月前に、使者は発しているとすると、秀吉の情報網に光秀のクーデター計画が漏れていた可能性もある)
当時の人の観点から見ると、小早川隆景から粟屋元種宛て書状[山崎の戦いの前]によると、
謀反の首謀者は光秀を中心に、筒井順慶、福富秀勝、それに、美濃三人衆の安藤守就、稲場一徹、氏家直道、とあり、
光秀が安土に入城したこと、淡路への浪人の討ち入り、雑賀、根来、高野衆が光秀に味方して出陣したことが書かれている。
(実際には、この他に近江の京極、若狭の武田氏らの他、北畠氏の旧臣の多くが味方した、また、
長宗我部氏は変とほぼ同時に畿内侵攻の軍事行動[長宗我部方の淡路水軍が洲本を制圧]を起こしている)
大義名分の点では、頭に義昭を据える構想だったのかもしれない。
実際に光秀が雑賀衆の棟梁の土橋重治(変後、信長方の勢力[鈴木孫一など]を一掃)へ宛てた書状では、
義昭の上洛は既定路線であると述べられおり、義昭を奉ずるつもりであったのだろう。
先の将軍の義昭は、光秀に呼応して出陣することを、再三、毛利に主張したが、残念ながら毛利の腰が重かった。
細川の場合は日和見していたわけだが、畿内の大半が光秀の支配下になれば、光秀に味方しただろう。
日和見になったのは秀吉からの書状などの影響だが、もともと光秀と同じ幕臣でスカウトされただけだし、
滝川のように早々に秀吉軍が壊滅していればホイホイ付いていってただろう。
勝てば官軍だし、将軍家に敵対する信長親子は討たれて当然。義挙ですかね?。
464 :
日本@名無史さん :2008/12/14(日) 08:46:38
光秀は信長にレイプされたって習ったんですけど本当ですよね?
465 :
日本@名無史さん :2008/12/14(日) 10:52:06
信長の家臣に対する日常的なホモセクハラがあったことは 日本史板では常識だけど、今あえて指摘する人は少ないね。
466 :
日本@名無史さん :2008/12/14(日) 12:16:06
江戸時代の俗書では 信長は光秀の妻のひろタンにレイプ未遂やらかしたから 愛妻家の光秀に恨まれて殺されたことになってます。
前世で信長やってたけどなんか質問ある?
>>463 また藤田達生流の事前謀議説かい?
上杉に書状を送ったのはどう考えても変の後。
だいたい上洛する信長の日程や警護の軍勢の規模を
知りえてもいないのに、クーデターを起こせるはずがない。
書状にある6月3日の日付は、後世の加筆だろう。
469 :
日本@名無史さん :2008/12/14(日) 16:39:57
謀議説はきょうび根拠が薄いよ 義昭からの上杉、武田への「信長を撃て」との催促も無視されてるし
471 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 00:34:01
まあ、謀議があったかどうかは兎も角 義昭としては光秀が畿内を制圧して、将軍としての上洛を要請されれば、 ホイホイと応じてシャッポに据えられていただろうな。
472 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 04:33:09
>>464 本当だよ。資料的にも今や通説と言っていい。
わかったからホモ板でやれよ
474 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 08:26:59
3「なぜ、本能寺の変がしょうじたのか」のまとめ。「本能寺の変」については近年、最近注目されている立花京子説があり、 これは朝廷側からの関与の視点が提起されている。藤田先生は、この関係に加え、織田政権内部に生じた矛盾の拡大過程がこの「本能寺の変」であると考える。 天正9年における四国政策の転換。によって、確実に光秀と秀吉の地位が逆転した。光秀のクーデター劇は、志を一にする人間関係(旧体制派)に裏打ちされて行われた。 その人物関係は?。また、その時期、信長が、光秀の軍をつかって粛清しようとしたいた人物は?、また、秀吉の情報戦略は?、この時期のターニングポイントを握っていた人物は、誰か?
藤田達生(三重大学助教授)の本本能寺の変の群像ー中世と近世の相克ー雄山閣 2500円 2001年3月 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――
まだ藤田なんて信じてるのがいるのか。 そんな人には 鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社) 桐野作人「だれが信長を殺したのか」(PHP研究所) 谷口克広「検証本能寺の変」(吉川弘文館) を勧める。 謀略説の数々が小気味よく葬られている。
小和田は?静岡大学の 彼も変てこな人じゃね?w
479 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 17:58:02
光秀がレイプされたってマジかよwwwww
480 :
(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/15(月) 18:01:42
ほんとだよ。
481 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 18:41:49
お前誰だよw
482 :
(o^v^o) ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/15(月) 19:20:42
無知な野郎だな。
長篠鉄砲3段撃ちとか武田騎馬軍団とか未だに言ってる 小和田哲男なんて信長に関しては素人同然。 本能寺の変についても「信長非道阻止説」などという トンデモ説を唱えてる。 小和田の方こそ非道だ。
484 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 20:21:07
謀略説が成り立たないのは かつて謀略説を得々と語っていたはずの 桐野作人・井沢元彦・津本陽・加来耕三といった連中が てのひらを返したように 黒幕なんているわけねーだろ! 明智光秀の単独犯行なんだよ / ̄ ̄^ヽ l l ____ _ ,--、l ノ . /_ノ ヽ、_\ ,--、_ノ:: `ー':: 、ミー---‐,,l o゚((●)) ((●))゚o プギャアアアアアアアアアアアアアア ,/ ::: i ̄ ̄ | . /::::::⌒(__人__)⌒::::: \ / l::: l::: ll | |r┬-| | (⌒) l l . l !:: |::: l | | | | | ノ ~.レ-r┐、 | l l |:: l: l . | | | | | ノ__ | .| | | | l . } l:::::,r----- l. \ `ー'´ ./ 〈 ̄ `-Lλ_レレ ヽ :l:::: ト:;;;;;;;;;/-/__........... /  ̄`ー‐---‐‐´ と主張していることだけで充分だろ
>桐野作人・井沢元彦・津本陽・加来耕三といった連中が 井沢は逆説の日本史の著者でたいして面白くもないし 津本はあれか、武士のロマンとか気概を偉く評価する作家だな 時は今、雨が滴しる 皐月かな 利休も又、光秀の心を知る 単独説だよね、やっぱり 何度も逡巡したうえでの発作的な行動だな もったいないな教養人光秀
486 :
日本@名無史さん :2008/12/15(月) 23:28:52
ぶっちゃけ 井沢や加来が認めているから本能寺の変は光秀の単独犯 じゃなくて 井沢や加来ですら認めるしかないくらい本能寺の変は光秀の単独犯 だよな
487 :
日本@名無史さん :2008/12/17(水) 20:27:42
昔:本能寺の変の黒幕は朝廷だったんだ!間違いない! ↓ 今:本能寺の変に黒幕なんていねーよ。光秀の単独謀反だ。 やっていることはまったく同じなのに なんで評価があんなにも違うんだ。井沢元彦と桐野作人。
朝廷黒幕説っていつ頃盛りあがってたんですかね? 藤田氏が提唱する前から光秀の教唆で毛利、上杉に手紙「信長を撃て」は送られてますよね 藤田氏以前にも朝廷主導説ってのは珍しくもない普通に考えられてた説の一つでしたか?
>>488 何を言ってるのか良く分からんが。
本能寺の変が起きるまでは光秀は信長の忠臣として
振る舞ってたわけで、毛利、上杉などに「信長を討て」
などと言うはずがない。
また言うのが将軍義昭ならともかく、光秀なんぞに
「信長を討て」と言われる筋合いは毛利にも上杉にも
ない。
ちゅうか信長を討ったのは光秀であって、その後
上杉に柴田勝家などの北陸方面軍の足止めを要請している。
490 :
488 :2008/12/18(木) 02:17:31
>489 すいません、急いでたもので × >藤田氏が提唱する前から光秀の教唆で毛利、上杉に手紙「信長を撃て」は送られてますよね ⇒○ >藤田氏が提唱する前から『義昭』の教唆で毛利、上杉に手紙「信長を撃て」は送られてますよね
将軍義昭は京を追放された後、各地の大名に御内書を出して 信長討伐を煽っている。 だがその動きも、天正8年頃にはほとんどなくなっている。 しかも出した相手は、信長の敵か敵対する可能性がある者ばかり。 義昭にとって光秀は、「自分を裏切って信長に与し、京追放に荷担 した人物」と映っていただろう。 義昭のそうした動きと本能寺の変はほとんど無関係と見ていい。
>>488 藤田氏が主張しているのは
足利義昭黒幕説であって
朝廷黒幕説ではないと思うが。
493 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 03:34:05
>>462 光秀自身は拾ってもらったわけではない。
「細川家記」によると
「細川藤孝は明智光秀と密かに計画して光秀の家人溝尾庄兵衛、
三宅藤兵衛に二十余人をもって七月十六日に、
朝倉の一乗谷から出てきた将軍足利義昭に供奉させ....」
とあり、光秀が義昭上洛プロジェクトに信長を組み入れた際には、既に家人が二十数人いた。
義昭上洛後は、幕臣としては信長と同格でしょう(殿中御掟で制約を受けるまでは義昭には権威と権力があった)。
織田家臣となってからの働きは、佐久間信盛への折檻状でも功績の第一(次は秀吉)に挙げられるほどで、
大名(給与が高くても)になっても当然だろう。
そんなに、信長への恩義はなく、むしろ信長は自分が作った作品のように思っていた?
494 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 12:46:22
>>486 光秀単独犯説を支持するなら、その動機を具体的に述べろよ。
根拠無しに吠えたって、単なる空威張りで、説得力ゼロ。
495 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 13:08:09
>>494 桐野作人著「誰が信長を殺したか」を読んでみろや。
496 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 13:25:48
>>496 答えになってないぞ。
読んだ結果としてのお前の見解を尋ねている。
本の紹介したって全く意味無し。
497 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 13:30:39
>>489 >上杉に柴田勝家などの北陸方面軍の足止めを要請している
変の急報を先に知ったのは景勝ではなく、勝家だろうに。
その後、勝家は苦も無く越前へと引き上げてるんだが。
横からスマンが、仮に光秀の背後に義昭がいたなら 義昭を保護してた毛利が、光秀の行動を事前に察知していなかったことの説明が出来ないのでは・・? 毛利も秀吉に騙されて和睦させられた事になってるし、本能寺の件が伝わった後も秀吉を追撃して 織田領を掠め取ろうとしていない。 光秀にしても、信長を討った後どうするか・・ってことはあまり考えていたように思えないしね。 細川藤孝に対しても筒井に対しても、事前に味方につくように根回しが完了していたわけではなかったみたいじゃない。 はっきり言って、光秀が信長を襲った動機は不明。 下克上を狙っての計画的犯行でもないみたい。 ストレスに押しつぶされた現代人が、ついカッとなってやっちゃった・・って感じに近いように思える。
秀吉の中国大返しについては領土の割譲について毛利側に大幅に譲歩した形で秀吉軍は光秀追撃に向った 毛利側が秀吉軍を追撃したなかった理由は吉川、小早川の間で議論まとまらず 秀吉相手に追撃を加えるよりも秀吉の仇討ちに花を持たせて後々の秀吉との関係に貸しを作っておこうという雰囲気になった(毛利側)のでは? 吉川、小早川、片方が追撃派で他方は慎重派だったと言われてるようですが あそこで秀吉軍を追っていれば歴史も変わったかも
500 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 14:24:24
>>498 光秀が抱えていたストレスってそりゃ何じゃ?
>>500 いくらでもあるでしょ。
長曾我部のこと。丹波の領地のこと。秀吉の指揮下で毛利へ当たれって言われたこと。
徳川の接待のこと。武田をやった後、信長に恥をかかされたこと。
事実と創作の区別が付かないものもあるだろうけど、いっぱいあり過ぎるくらいじゃね?
502 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 14:51:03
>>501 が、光秀は信長に疎まれていたわけではなく、ましてや光秀は織田一族の一員だ。
勝家のように過去に信長に背いた過去があるわけでもなく、
信長に忠実でさえあれば、身の安泰は保障。
なのに、その関係を破壊してまで反逆に出たからには、それ相応の理由があって然るべき。
天下取りの野望ではないのは細川への泣き言書状で明白であり、
政治的死人である足利義昭も変には関係ない。
光秀が織田家に嫁いだ自分の娘より、長宗我部に嫁いだ利三の縁者を優先したとも考えられず、
となれば、動機は必然的に絞られてくる。
>>502 ・・で、動機は何だって思ってるわけ?
光秀が信長をやった後、どうしたかったのかも解らないんだが・・
504 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 15:08:38
光秀の気持ちも分かる。 信長が悪い。
佐久間みたいにリストラされると危惧してたんじゃね?信長って豹変するからね 信長の領土拡張に貢献できてるうちはいいが 秀吉だって内心ビクビクしてたと思うが
>>496 あのさ、学者や研究家の説を支持するって
べつに悪いことじゃないだろ?
素人なんだから。
それともおまいさんは、研究家の向こうを張れる
立派な論でも持ってるのかい?
あるなら書いてみたら?だが本の内容に匹敵する
くらいの長文がここに書けるはずもないわな。
それから謀略説をまだ信じてるようなので
まず鈴藤本を読むように勧める。それでも
謀略説が成立しないことに納得がいかないのなら
ここで反論してみたらいい。
>>498 >事前に根回し
こういう話が再三出てくるが、細川も筒井も
別段信長に不満や恨みがあったわけでもなかろうから
根回しなどすれば信長に通報されて謀反が頓挫するのが
オチ。
根回しとか、事前に誰にも知らせたりしなかったから
信長襲殺は成功したのだよ。
発作的にああいう行動に出たんですね
そもそも本能寺の変そのものは どこといって疑わしいところもないんだし ムリヤリ黒幕作らなくてもいいだろうに。 まあ仮にホントに黒幕がいたとしても 破綻も強引過ぎる解釈もぬきでひと通りの説明つけられるのは 長曽我部元親くらいのもんだと思うが。 所詮四国の田舎大名と軽視されているからか 元親黒幕説はさっぱり人気ないんだな。これが。
今みたいに電話とかない時代なんだから 四国にいる元親と「信長にスキができたから襲おう」 なんてわけにはいかないっしょ。 光秀の動機の一つに四国問題があるというのには賛成だが。
511 :
日本@名無史さん :2008/12/19(金) 22:53:05
黒幕なんてなく、あくまで主体は光秀だろう。 権威ずけのためには義昭を利用するし、 長宗我部元親の妻が明智光秀の重臣斉藤利三の妹という関係も利用する。
>>510 うん。オレも元親黒幕説は支持してない。
>>509 でいいたかったのは
黒幕説の本質はまじめな考証じゃなくて
誰が黒幕だったら一番面白いかという人気投票だってことなのよ。
ちゃんと検証してこいつが怪しいという説が成り立ったなら
間違いなく光秀と接点があって
なおかつ利害が光秀と共通していたことがきちんと裏づけられている
人たちが真っ先に疑われなくちゃならないのに
現実にはそうなってないし。
朝廷黒幕説やイエズス会黒幕説なんか
ホントに信長との対立があったかどうかというところからして疑わしいじゃない。
光秀が謀反起こした動機は? やっぱり、信長に消される(リストラ)前に信長を消そうと思った? ま、衝動的な行動に黒幕(利害)はなくても行為自体には理由(動機)はあるよね
514 :
日本@名無史さん :2008/12/20(土) 23:49:34
>>513 光秀に対するリストラの兆候は、確かな史料には見当たらないが、
リストラの可能性は、各軍団長とも感じていただろう。
軍団長の一人であった佐久間が追放され、支配地が信忠に与えられるなど、
結局は、自分達の汗で獲得した所領の全ては、信長の息子の物になると感じた者は、少なからずいただろう。
いつ有るかわからぬ追放に怯えるよりは、自分が主人になったほうがよいのは確かだ。
羽柴も柴田も丹羽も滝川も光秀も皆信長による左遷の憂き目を味わう可能性はあったわけだな じゃ、光秀ならずとも他の誰かがやったかもしれないな
516 :
日本@名無史さん :2008/12/21(日) 11:21:50
>>506 他人の意見の反論が単に本の紹介だけという空論なら、初めから否定すんな
つまり根拠無く難癖つけてるだけってこった
自分の中身の無さを誤魔化すために、
互いに私見を述べる場で専門家を比較の対象にして論点をすり替える詭弁
上辺だけのハッタリがお前さんの唯一の取り得だろうしな
517 :
日本@名無史さん :2008/12/21(日) 11:24:29
>>512 >利害が光秀と共通していたことがきちんと裏づけられている人たち
誰よ?具体名挙げなきゃ話にもならん
単なる空論
文盲さん乙
>>512 =
>>509 氏は具体的に長宗我部元親の名前挙げてますよ。
御本人は元親黒幕説否定していらっしゃるけれど。
519 :
日本@名無史さん :2008/12/21(日) 13:17:32
>>518 なんで光秀が滅ぶ運命の長宗我部のために、
これまで織田家で気づきあげたキャリアを棒に振らにゃならんのだ?
論拠を挙げてもこの程度
笑止千万
話にもならん
519……。
そっとしておいてあげなさい
522 :
日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/21(日) 21:46:22
根性なしの文盲ばかりだなこの板は!板ごと削除依頼出しておきました。
523 :
日本@名無史さん :2008/12/23(火) 06:28:36
>>518 光秀が長宗我部元親のために信長を討ったのなら、信長に逆らって自滅した足利義昭に最後まで殉じて首を討たれてる。
史実として光秀は義昭の将来を見限り、あっさり捨てている。
将来有望な大企業を辞め、倒産目前の会社に転職しようだなんてキチガイは、この世に一人もいないのと同様。
信長打倒は自分が天下人になろうとしたからじゃないの? 長宗我部問題は副次的な理由ということで。 光秀が天下人になろうとしたことは「信長公記」にも 「川角太閤記」にも記載がある。
結局それ以外無い罠 大体、身内の細川にすら秘して、事後承諾的なカタチに持って行こうとしていた光秀が ライバルの示唆で変を行う訳が無い むしろ言われたら止めるわ 逆に秀吉が叛意に気がついてたとしたら、下手に示唆なんかせず 黙って泳がせてたんだろうな、家康はあのあたふたぶりからして、気がついていたかどうかすら怪しい
光秀が天下取りを狙って事を起こしたんだったら もう少し、前もって味方を集めようとしてると思うけどね・・ 事を起こした後にバタバタと書状を各方面に送ったりしてるけど、 光秀が期待してた程味方についてくれるものがいなかったじゃない。 まぁ、光秀がどんだけ奇麗事言っても謀反人には違いないわけだし。 光秀が織田家を乗っ取るつもりなら、信忠・信孝・信雄を始末して 娘婿の信澄に家督が渡るように工作したいところだろうけど、その信澄も殺られちゃってる。 切れ者の光秀が天下取りを狙って事を起こしたとしたなら、あまりにもお粗末って事だよな。 逆上して信長を襲って殺してしまったのはいいが、その後のプランも何も無かったって事だと思うよ。
まぁどっちにせよ本人の意思によるものだな
>>526 >前もって味方を集める
信長を殺るから味方になってくれと誰かに知らせたとして、
相手が信長に密告する可能性は?
そんなリスクを冒すはずがない。
事前に誰にも知らせなかったからこそ信長殺害は成功した。
天下取りが動機でない根拠にはならない。
光秀の最大のミスは 筒井や細川の取り込みに失敗したことよりも 摂津衆や信孝・長秀に有効な対処ができなかったことよりも 秀吉の大返しが想定外だったことよりも 山岡兄弟に瀬田橋を落とされたことだな
そもそも本能寺の変というのは信長が少人数で入京し、 ほとんど無防備の本能寺に泊らなければ起きなかった事件。 そして信長が入京したのは5月29日。これから変までは 2日しかない。従って光秀が決断したのはこの短い間。 仲間を募ってる時間などあるはずがないし、秘密保持の観点からも そんなことはするはずがない。 信長が無防備でいるのを知って「今なら天下が取れる!」とばかりに 起こしたというのが真相ではないか。
あの謙虚な光秀殿が思い立っての事 余程の事があったに違いない
ルイス・フロイスの光秀評を読んでみな。 「謙虚な光秀」なんて空事だと分かるから。
>>530 信長が本能寺に入る事を知って天下取りに動いたんだったら、
信長の寝所の本能寺の他に、信忠の寝所の妙覚寺に手を回してない説明がつかないのでは…?
信考や信雄には手が回らなくても、信忠は信長の目と鼻の先にいるんだよ。
結果的に信忠が二条城に籠ってくれたから良かったものの
逃げられてしまう危険性もあった。
一万という大軍を隠密に動かせた光秀が、妙覚寺に兵を回さなかったのは
光秀の目的が信長の命だけにあったって事だと思う。
つまり信長個人に恨みがあったって事?
単純にそういう事だと思う。 信長も兵を持っていて、光秀も兵を持ってるから「本能寺の変」になったけど 現代に置き換えるなら、怨恨か何かの殺人事件
しかしその動機はなんなんだろう? 光秀が信長を恨む理由って?
恨むって言うか将来が絶望的になったからでしょ 織田政権、中央は近親で固める状況で、自分らは今後使い減らしされるのが目に見えていたから 実際後に続いた、秀吉、家康の政権もそういう形になったしな
538 :
日本@名無史さん :2008/12/27(土) 00:17:16
>>533 兵を回さなかったわけではない。老ノ坂とは別ルートで明智光忠の別働隊を進軍させ、
妙覚寺と本能寺を同時攻撃する手筈であったが、別働隊の動きが鈍くて妙覚寺では捕捉出来なかった。
その後、二条御所に結集した信忠を含む織田方を攻撃したが、明智光忠は銃弾を受けて負傷している。
光秀が思い描いた通りではなかったが、当初の目標通り、信長、信忠という織田家の中枢を破壊できたわけだ。
恨みなどで行動したわけではなく、普通の下克上でしょうね。
>>538 光秀が、本能寺と妙覚寺を同時に囲むつもりで兵を動かしてたんだったら確かに下剋上だな。
別働隊が遅刻してただけかね・・まぁ、良くある事ではあるけど。
540 :
日本@名無史さん :2009/01/01(木) 11:37:07
なんとなく殺したくなったんだよ おれのばーちゃんが言ってた
541 :
日本@名無史さん :2009/01/01(木) 15:04:57
光秀は初めから 信長に取って替わるつもりで 織田家に近付いた 「はなはだ残忍な性格で 策略密謀を好み うわべを飾るのが巧妙であった(宣教師記録より)」 ため信長はコロッと 騙されてしまった。 事実、信長は危険を省みず 光秀救援に自ら兵を率い 本願寺と闘ったりしており イジメるどころか破格の待遇を光秀に与えている
542 :
日本@名無史さん :2009/01/02(金) 21:50:11
公家黒幕説主張
まだ時代遅れの黒幕説なんて言ってるのか? 本能寺の変つまり信長殺害は、いつでもどこでも 起こせたものではなく、信長が無防備で光秀が 大軍を動かせるという希有なチャンスを狙って 起こされたもの。 その点を考えれば黒幕などいなかったことは 明らかだ。こんなチャンスを誰が意図的に 作り出せたというのか。
本能寺の変の後 そんなことまで手がまわらなかったのか 光秀はものすごく皇族や御所を粗略に扱っているんだが なのに朝廷黒幕説が根強く支持される不思議
545 :
日本@名無史さん :2009/01/03(土) 23:27:39
せっせと金あげてたんじゃなかったっけ。朝廷に。
逆にいうと献金の記録は、 急いで金をあげなくちゃ懐柔できなかった証拠だよなあ。
まあ、光秀みたいな真面目な奴には 信長のツンデレが通じなかったってことでしょ?
主君の意向で人生が左右される身にしてみれば ツンデレとかいってられないと思う。
549 :
日本@名無史さん :2009/01/04(日) 01:40:30
>>524 >光秀が天下人になろうとしたことは「信長公記」にも「川角太閤記」にも記載がある
ねえよ。
光秀が細川親子に送った泣き言の書簡の内容知っての戯言かよ。
550 :
日本@名無史さん :2009/01/04(日) 01:44:29
>>526 >光秀が天下取りを狙って事を起こしたんだったら
もう少し、前もって味方を集めようとしてると思うけどね
信長の息のかかった与力連中に事前に叛意を知らせたら、
信長にチクられて一巻の終わりだろ。
光秀は、そんな事百も承知。
だから明智一派だけで決行したんだよ。
つまり最初から光秀の謀反には勝算が無かったと… 光秀本人もそれを承知の上で信長を殺っちゃったって事になるな。 まさか信長を殺した後で、自分が正義のために事を起こしたとアピールすれば、 多くの者が自分に味方してくれるなんて甘っちょろい事は考えて無かっただろうし。
552 :
日本@名無史さん :2009/01/04(日) 06:02:41
突発的な政変ながらも光秀は 優れた行動を取っている。 ●信長・信忠父子を殺して織田政権を麻痺させたのは 彼がこの政権の弱点を熟知していたことの証 ●何も大義がないことをよく自覚して しっかりと朝廷への献金を行い、敵に回さないようにしている ●外部勢力(毛利・上杉など)に 迅速に使者を立てて有力武将を牽制して時間を作る ●着々と進められた畿内制圧と調略は 時間さえ確保できれば順調だった 毛利への使者の件さえなければ、秀吉に妨害されず、 意外に手堅い地盤を築けたかも知れない。 細川や松永の下剋上など明智のそれと比べたら稚拙窮まりない。
553 :
日本@名無史さん :2009/01/04(日) 07:11:55
>>552 光秀は秀吉とは異なり、織田諸将を糾合できないのだから、その基盤は貧弱極まりない
かといって毛利や上杉など織田の敵対勢力と同盟関係を築こうとしても、
毛利や上杉自体が弱体化しているのだから、他の方面軍の牽制にも限界がある
秀吉の大返しがなかったとしても、秀吉が滅亡したり失脚するわけではなく、
柴田や信雄や家康は健在、信孝・長秀も軍を立て直すであろうから、光秀の天下取りは殆ど不可能
554 :
; :2009/01/04(日) 09:21:36
毛利の山陽方面最高指揮官が吉川元春なら秀吉は危なかった。
>>549 関連本どころか史料も読まないおバカさん。
「信長を討ち果たし、天下の主となるべき調議を究め」
(信長公記)
「今日よりして天下様に御成りなされ候間、下々草履取
以下に至るまで勇み悦び候へ」
(川角太閤記)
ついでにイエズス会日本年報にも
「明智は(中略)日本王国の主となるを得ざるか試みん
と欲した」とある。
その細川宛ての書状でも、朝廷の命令があったなどとは
一言も触れていないじゃないか。
謀略説はこういう都合の悪い事実は無視するんだな。
人をアホ呼ばわりしてるが、野望説を取る学者や研究家は
多くいる。彼らもアホなのか?
>>553 事実として柴田、前田、信雄、家康、森長可あたりも仇討ちに向けて出撃間近だったらしいし
政権の維持は相当困難だろうな。
>>551 光秀が勝算も無いのを承知の上で本能寺の変を起こしたなら
これはもう天下取りを狙った下剋上とも言えないわな。
信長父子と部下を道連れにした無理心中とも言える。
558 :
日本@名無史さん :2009/01/05(月) 17:49:37
失敗したからなんとでも言われるだけで それなら信長も勝算がないのに天下目指して破滅した馬鹿だということになる
?
560 :
日本@名無史さん :2009/01/05(月) 20:35:39
信長が馬鹿だということは理解した
561 :
日本@名無史さん :2009/01/06(火) 23:50:02
実力主義の織田家のなかで、中央の軍事、行政を任されるまで出世し、
佐久間信盛折檻状でも「日向守働き、天下の面目をほどこし候」と、
家臣の中で、第一に挙げられるほどの男が、
勝算も無い無謀な戦を起こしたり、感情に流されるような無能な男のわけがない。
>>553 >秀吉の大返しがなかったとしても、秀吉が滅亡したり失脚するわけではなく、
>柴田や信雄や家康は健在、信孝・長秀も軍を立て直すであろうから、光秀の天下取りは殆ど不可能
滝川は命からがら関東から逃げたが、秀吉が毛利、明智の二正面作戦をしいられて、滅亡する可能性はある。
毛利が恐れていて、和議の主要な動機となった明智や信長の援軍は無く、
柴田が上杉に寝返る越中の国人の鎮圧に苦労して、弔い合戦どころではなかったように、
織田家滅亡が近いと感じて毛利に寝返るものも出るわけで、滅亡しないまでも、
短期間に畿内に大軍を率いては返れないはずで、奇跡的綱渡り。毛利も普通は追撃でしょうよ。
光秀は既に、丹波、山城、近江は制圧しており、もう少し時間があれば畿内、近畿は制圧
彼らが弔い合戦(出来るとしたらだが)をするころには、とれも立ち向かえない大勢力。
いやいや、信雄と柴田は山崎には出遅れたとはいえもう近江入りしてるしそんな悠長な事はしてられない。
>>561 織田家中での出世頭の切れ者光秀と、本能寺前後の光秀が重なってこないんだよ。
まったくの別人に見えるね…
調略の得意な光秀が、謀反の発覚を恐れて事前に調略に動けなかったのはいい。
でも本能寺後の光秀の動きを見ても鈍いし、変後の行動予定も立てて無かったように思える。
信長父子を討った時点で満足しちゃったのか、天下は自分のものと勘違いしちゃったか…
見通しが甘すぎるのかは解らないが、とても有能な者のする事じゃないね。
また、本能寺の報が伝わった後、普通なら当然撤退する秀吉を追撃するはずの毛利が
追撃に移らなかったのは、光秀の謀反がすぐに鎮圧されると思ったから。
だったら織田家に恩を売っておいた方が得だしね。織田家の家臣が光秀を討ちに動き出すのは当然だし、
織田家の領土のど真ん中で謀反を起こした光秀に、他大名からの援軍も望めない。
余所から見ても光秀に勝ち目が無いのは明らかだったって事でしょ。
何だかんだで信忠討てたのもラッキーだしな。 実際、すぐに逃げ出した長益と前田玄以はこれといった危機もなく脱走出来ちゃった。
>>561 何らかの勝算があったとしか考えようがないのは事実。
だけど、信長を倒したからといって、「信長だからこそ命令を聞いてきた他の連中」が「それなら今からあんたの命令に従います」なんて、
いきなり「何十年来の総指揮官扱い」に変えなければいけない理由など何もないのだから、その「勝算」というのが、「なんか変な勘違い」
だったとしかいいようがないじゃない。
秀吉が毛利に潰されたりしないどころか、あっという間に戻ってきたのは大きな誤算で、間違いなく落ちる可能性のほうが圧倒的に高い
綱渡りだったとはいえ、秀吉さえいなければ、他は、以後は唯々諾々と従うという根拠は何もないどころか、誰でも「信長の敵討ち」の
名目で襲ってこようとするに決まってるでしょ?
毛利だって、秀吉を倒した勢いで、即座にとはいわなくても、後で迫ってくるに決まってるし。
どちらに転んでも、自力だけで確実に跳ね返せるくらいだったら、それは、既に信長と張り合うくらいの隠然たる勢力の旗頭だったことになるわけで、
「そんな凄いタマ」だったなんて傍証は何もないんじゃない。
> 彼らが弔い合戦(出来るとしたらだが)をするころには、とれも立ち向かえない大勢力。
「完全にまとまった」なら、それは無視できない勢力になりえたかもしれないけど、一体全体どういう筋合いで、一致団結して命令に
絶対服従するように出来たか?
本当にそれが可能な程度の力があったのなら、あっという間に潰されてしまったのは矛盾してることになるし。
>>563 > 他大名からの援軍
信長に攻め立てられている最中のところや、既に潰されたところの残党とかが、突如として「信長を倒してくれた者に服従するようになる」とか、
そんな筋合いなど何にもないもんね。
1、信長を守る兵がおらず確実に殺せる状況 2、信孝と丹羽が四国征伐軍と別行動をとっていて指揮系統の混乱が望める。 3、信忠も京に滞在しているのであわよくば命を取れる。 決行当日はなかなか好条件が重なってはいる。特に2番。 が、ここからが細川や筒井との連携もさっぱりだったりどうにもお粗末。
568 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 12:07:38
>>565 あっという間に潰されたというのは結果論。
山崎の戦いでも勝つ可能性はあったし、秀吉の到着がもう少し遅ければ、
紀州では光秀は雑賀(織田方の鈴木孫一を追放)、根来と連携し始めていたわけで
摂津、河内、和泉、紀州、大和(筒井)あたりは版図になっていた可能性もある。
短期間にかなりの軍勢で畿内へくる勢力が無いなら、光秀の天下人の可能性は高まるわけで
勝ち馬に乗ろうとする勢力は多くなる。
>>563 >追撃に移らなかったのは、光秀の謀反がすぐに鎮圧されると思ったから。
どんな可能性もあるのに、そう決め付けて行動したのならアホだな。
うまくすれば、備前・播磨あたりは取れたかも。
北条、上杉、長宗我部あたりは早速反撃してるのに、毛利の行動は異質。
569 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 12:22:44
結局のぶながはアホだったってことだね。
570 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 12:32:45
どんな風に明智軍に攻め殺されたのか興味あるなぁ ドラマなんかじゃ派手にたちまわってるけどあれは足利義輝のパクリだしなぁ
>>568 自分がどんだけ希望的観測でものを言ってるか解ってる?
光秀に同調する根来衆や雑賀衆以上に、光秀に敵対する勢力があるじゃないの。
絶対確実に味方についてくれると光秀が期待してたっぽい細川や筒井も味方してくれないしね。
積極的に軍事的に光秀に攻撃してこなかっただけマシ・・って感じ。
奇跡に奇跡が重なれば光秀の天下人の可能性もゼロとは言わんが
歴史ファンタジー小説作家の「光秀逆転のシナリオ」を聞いてるような気がする。
ちなみに、光秀の謀反が鎮圧され織田家を引き継いだ形で天下を取った秀吉から
毛利輝元と小早川隆景が五大老に任じられてるな。
織田と交戦中の北条・上杉らの行動は自然な事だが、毛利の冷静な状況判断で織田(秀吉)に恩を売った結果がこれ。
572 :
日本@名無史さん :2009/01/07(水) 16:30:30
>>571 >根来衆や雑賀衆以上に、光秀に敵対する勢力
彼らにも、敵対する勢力があり、暫くは動けないハズ(特に秀吉の行動は予想外)
また、若狭の武田氏や近江の諸勢力などが光秀に同心したのは、光秀が天下人になる確率が高いと思ったためだが、
秀吉が短期間に軍を率いて戻ってくるという情報で、その後、日和見が増えてしまった(筒井・細川など)。
つくづく秀吉の電光石火の大返しは悔やまれる。
>毛利の冷静な状況判断
そうか、俺にはアホな行動にしか見えん。
秀吉を引きつけておけば、光秀の勢力下に入る地域が増え、簡単には潰れなくなり、
秀吉は毛利、長宗我部、明智の3正面に対処せざるをえなくなり、じり貧。
天下はしばらくはグチャグチャになり、毛利が所領を拡大するチャンス。
>>568 まあ、秀吉が非現実的なほどの素早さで戻ってきたのは誤算には違いないにしても、あっという間に負けたのは、「既に天下を統一しつつあった
信長」の旗下が、主君の敵を討つという大義名分を振りかざしているので、それに加担すれば、勝ったときに恩を売れるし、負けたら逆に、
すぐにではなくても、確実に残りにつけねらわれる危険があるのを天秤に掛けて、前者を採る者が多かったせいもあるでしょ。
もし糾合できる勢力があるなら、それには加担する可能性はない勢力だけであって、当座の近辺にいるのは、「既に信長旗下にほとんど潰された
残骸みたいの」だけじゃない。そういうのを糾合しただけで大勢力に仕立てることができるくらいなら、信長がとっくに負けてるということになるっしょ。
> 短期間にかなりの軍勢で畿内へくる勢力が無いなら、光秀の天下人の可能性は高まる
それは「天下人」の意味からいって「何かの間違いでもなければあり得ない」じゃない。
信長が実質的に既に天下人になっていたのは、旗下の軍団を完全に掌握して、強敵を既に倒してきていたからじゃない。
それなら、天下人になるためには、信長に成り代わって旗下の軍団を完全に掌握する=何らかの名分で信長の地位を継承するしか手がないじゃない。
現に、秀吉が後にやったのは、「敵を討ったという巨大な実績」をふりかざすことによって、すんなりとなんてもんではない紆余曲折の末にしても、
曲がりなりに「信長の地位を継承」したからじゃない。
当時に残っていた信長の軍団が、いずれも問題にするに足りない程度のものだったら、元々信長は天下人になんかなれていないという矛盾があって、
方面軍だけでも、その方面を、すぐに簡単に制圧できるほどではなくても、「その方面にいる最強の軍団と比べて、最低でも勝るとも劣らない以上」
だったわけでしょ。そんなのが、すぐにではなくても、追々集まってきたりしたら、負けないほうが変じゃない。
「選りに選って主君を倒した者に、何故に旗下の軍団がそのまま当然のように従わなければいけないのか」? 全然理由がないじゃない。
末期のヒトラーみたいに、軍団の内部で暗殺計画が実行されるほど、信長の評価が地に落ちていたとかなら別だけど、
そんなことは全然ないよね。勝って押してる真っ最中なんだし。
>>571 その「奇蹟」というのが、「信長旗下が反発するどころか同調する」ということだよね。
要するに、カタキを討つなんて毛ほども考えないで、「良く倒してくれた」と感謝する。
それは要するに、「他もグルになった軍団ぐるみの暗殺計画」ということだけど、そういう可能性がありえたのか?
ないよね。
「秀吉だけ加担してない暗殺計画」なんてのも、ちょっと意味不明。
「実は加担すると約束していたのにいきなり裏切った」なんてのも、無理筋。
>>571 後の大老云々自体は、遥か先に生じたものだから、持ってくるのは「ルール違反」という感じはあるけど、毛利なら、秀吉について詳細に
分析していたであろうことは確かだから、何らかの見返りがあると計算したということはあるだろうね。
だけど、もたついていたら隙を狙って押し出そうと思っていたけど、ほんの短期間で光秀が倒されて、結果として押し出す隙がなかった、
というのも事実ではあるんじゃない。
>>572 > 彼らにも、敵対する勢力があり、暫くは動けないハズ
「しばらく」はともかく、「もし動けるようになったら、当然のように、カタキうちと称して集中攻撃してくる」という読みがなかったと?
そのへんが「どう考えても変」じゃない。
しかし普通に考えれば織田家の軍団長で 当時光秀に対抗するため畿内に戻れたのがどれだけいたんだろうか。 まず丹羽と信孝の四国遠征軍は最短距離にいたけど、本能寺の結果軍勢バラバラ。 柴田も上杉と争ってる最中。滝川は史実で畿内にもどろうして北条に大敗。 家康は甲信の奪取に動いてる。 これで秀吉が毛利との戦いで援軍を求めている状態だった事を考えると、 秀吉の奇跡のおお返しがないとすれば光秀と戦える勢力は畿内にないんじゃないか?
>>577 >>562 は読んだ?
勝家、信雄らは山崎の戦いの頃には出張ってきてるし、美濃の稲葉や氏家、日野の蒲生も無傷。
総大将を信雄に、実際に兵を指揮するのは勝家達ってことで光秀と戦う準備は出来つつある。
摂津近辺には、丹羽・信孝に池田・高山・中川もいる。ここに秀吉がいなかった所で、光秀は詰んだ状態になってるよ。
ちなみに、家康が甲信に手を伸ばすのは8月に入ってからのこと。光秀が滅んだ後だよ。
勝家って入ってるの? 近江あたりに明智左馬助が入って柴田および北国の抑えをしてるけど。 信雄は安土焼いてるけど大軍ひきいてないし。 池田・高山・中川はかなり不安定。明智方にも興味をしめしてたはず。 実際秀吉はこいつらに信長は生きてるとかうそついてまで必死で味方に組み込んでるし。
柴田は6月4日まで魚津城を攻めてる。 本能寺を知って兵を退いて上杉の反撃で魚津を取り戻されてる。 ここからすぐに畿内にはいってるのだろうか。 明智左馬助は安土でやがて来る北国勢に対する構えだったみたいだけど、 光秀滅亡まで戦闘は起きておらず、山崎の後ですぐさま後詰に向かってる。 柴田はまだ畿内に入ってないんじゃないの?
勝家は越前と近江の国境付近で、山崎の合戦の報告を受けてるね。 光秀討伐に動いていた家康は、尾張に入ったところで報告を受けてる。 秀吉の動きが異常に速かったってことだけど・・ 兵力にしても光秀が山崎で布陣したときの兵力が1万6千に対し、信孝・丹羽・池田らで2万。 柴田や家康がどんだけ兵を動かしてたかは知らんが、上杉攻略を任されてた勝家も多くの兵を動かせたと思う。 光秀は袋の鼠になってますな。
>>579 >池田・高山・中川はかなり不安定。明智方にも興味をしめしてたはず。
>実際秀吉はこいつらに信長は生きてるとかうそついてまで必死で味方に組み込んでるし。
信雄や信孝といった織田家の後継者候補の生存が明らかなのに、どうして明智と天秤にかける必要がある?
池田らと明智の間で、信長殺しの陰謀があったとでも言うつもりなの?
>>581 >>信孝・丹羽・池田らで2万。
信孝と丹羽で確か4千いるかいないかだったはず。
池田達合わせても2万はどう見てもいかないよ。
柴田も上杉の反撃に対して兵も割いているし。
>>582 実際天秤にかけてるんだから仕方ない。
信雄や信孝がどうとかいうなら、信孝の四国征伐軍が一瞬で崩壊したり、
山崎の後で織田の武将達が秀吉に一斉になびいたりしないはずでしょ。
所詮戦国時代なんだから強そうな方か利害のあるほうが大事で
信長の血筋なんてたいして意味のないこと。
その後の歴史が証明してるけど。
>>583 悪い。信孝、丹羽らで2万もいなかった・・
信孝4千、丹羽3千、池田5千、高山・中川で4千5百の計約16500。
秀吉合わせて山崎の戦いでは約4万だね。
>信雄や信孝がどうとかいうなら、信孝の四国征伐軍が一瞬で崩壊したり、
>山崎の後で織田の武将達が秀吉に一斉になびいたりしないはずでしょ。
>所詮戦国時代なんだから強そうな方か利害のあるほうが大事で
>信長の血筋なんてたいして意味のないこと。
秀吉が織田家を乗っ取っていく過程が、すんなりすすんだと思ってるなら大間違い。
本気で上のようなことを考えてるんだったら、勉強をし直すことを薦めるよ。
>>584 信孝・丹羽で4千じゃなかった?
実際かなりすんなり進んでる。
秀吉は信孝も信雄も害してるけど織田の武将達は知らんふりで
秀吉の事を上様と呼んでる有様だし。
じゃない。 君の言ってる事の程度が低過ぎて、話にならん。じゃね。
>>586 いや、そうだったような。
信孝と丹羽はセットで行動してるし。
何が低いのか教えてほしいなあ。
信雄は土山まで出張ったものの 領地の伊賀で一揆が蜂起して鎮圧に兵を割かれたこと 信孝はよりによって六月一日・二日に 遠征軍本隊から離れて船団の視察へ泊りがけでおでかけしたことが それぞれ痛かったな。
>>577 あっという間に潰されたのは、遠方で留まっているはずの方面軍の一つが、当時の状況判断では、絶対にあり得ないような素早さで、
いきなり降って湧いたから、という面があるのは確かだよね。
本来なら、もっと日数がかかって、しかも、抑えのために相当に減殺された状態でしか来れないはずなのに、ほとんど全力が、
何日も経たずに殺到してきたわけだから。
「ほとんど丸ごと姫路まで戻っている」という情報が大阪や京都のあたりに伝わった時点で、光秀陣営や、周囲の勢力は、愕然としていたはずだよね。
>>583 数も少ない上に、抑えに残しているのは、「全力で攻めても中々ヘコタレないような手強い相手」に対して、「押せないまでも潰されたりすることは
絶対にない」くらいの精鋭しかありえないのだから、各々の直属の精鋭少数に、あとは員数合わせみたいなのしか帯同できなかった、
と考えたほうが事実に近いはずだよね。
もし、「数と正味の合計=実質的な意味での戦力の合計」の点で、秀吉が率いていったのと拮抗するような者があったなら、後に秀吉の押しが
通った理由の説明が付かなくなるし。
591 :
日本@名無史さん :2009/01/08(木) 23:58:00
>>558 何の大義も無い反逆と、高い理想に基づいた偉業とを同列に論じてる馬鹿
こいつの論法は、
秋葉原無差別殺傷事件を起こした加藤と、一から起業し会社を発展させた実業家とを同一視しているようなもん
とことん馬鹿
究極の馬鹿
信長だって別に高い理想とかじゃなくて 戦国時代の大名として勢力拡大に努めた結果じゃ。 戦国時代なら反逆や下剋上って当たり前だし。
593 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:12:06
>>561 >柴田が上杉に寝返る越中の国人の鎮圧に苦労して、弔い合戦どころではなかった
勝家は難なく領国の越前へと帰還しているんだが。
疲弊し衰弱した上杉に、越中や加賀の国人が靡く可能性は薄い。
>織田家滅亡が近いと感じて毛利に寝返るもの
そいつら(別所長治・・・)は既に織田に平定され、この世に無い。
上杉と同じく、疲弊し衰弱した毛利に靡く輩って、何処の誰だ?
>光秀は既に、丹波、山城、近江は制圧しており、もう少し時間があれば畿内、近畿は制圧
彼らが弔い合戦(出来るとしたらだが)をするころには、とれも立ち向かえない大勢力
光秀は他の織田諸将全てに狙われる狩りの獲物のようなもの。
畿内の諸将を一時的に糾合できても、四方八方から攻め込まれたらひとたまりも無い。
その前に、明智一派以外の諸将は切り崩し工作で寝返り、明智軍は自壊するのがオチ。
>>593 上杉は柴田の攻めてた魚津城を取り返してるよ。
南条とかこの煽りでやられちゃうね。
柴田は上杉が相手にいる。滝川は北条に大敗してる。
家康は甲斐と信濃を狙ってる。信孝と丹羽には兵がわずかしかいない。
秀吉にも本来毛利がいた。
これで四方八方から光秀が攻められるとは思えないんだけど。
595 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:18:58
>>592 信長以外の大名は、単なる地方勢力としての領国拡大にすぎず、
天下など全く念頭に無かったことさえ知らん無知
下克上の世とはいえ、自己を正当化できない卑劣卑怯な策を用いれば自滅するのが必定
>>592 そこでいう「理想」の正味は何か?という問題がある。
「平和が続いている時代に自称政治家が唱える空疎な空念仏みたいなもの」が「理想」とするなら、確かに、そんな物はあるはずがない。
現に戦乱が続いている時代の真っ最中だからね。
勢力拡大に伴って、少なくとも勢力範囲内で従来は繰り広げられてきた紛争はなくなったわけだから、それが「理想の1つの実現した形」
ではないとするなら、一体何が理想だというのか?
実際にその土地に住んでいるものにとって、具体的にどうなったほうが良かったというのか?
597 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:26:34
>>594 衰微した上杉が積極的に勝家と抗戦する動機ゼロ。
秀吉がそうだったように、光秀を討てば勢力拡大、諸将糾合の絶好の名分となる。
滝川は凋落しても、他の方面軍と家康が零落する要素は無い。
孤立無援の光秀が生き残る可能性はゼロ。
上杉も毛利も北条も光秀のために一肌脱ぐ義理など露ほども無い。
>>597 いやだから上杉は拠点をしっかり取り戻してるって。
家康は甲斐とか信濃をこの機会に火事場泥棒しようとしてるし、
丹羽と信孝にはそもそも光秀を討てる兵力がない。
畿内衆の池田とか中川とか高山とかが光秀になびきそうだった所を見ても
光秀にもう少し時間があれば畿内は固まりそう。
599 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:32:43
>>596 信長の出現がなければ、各地域をまとめた戦国大名による地域分権体制になるにすぎず、
全国的統一政権は成立せず。
日本は本願寺の一向宗が支配する政教一致の宗教国家に落ちぶれるだけ。
>>596 そういう意味での理想なら
日本全国の有力大名が高い理想を実現してた事になるんじゃ。
>>593 前から時々見かけるんだけど、「故意に他人の書き込みと自分の書き込みの区別をつけにくくしようと企んでいる」のではないなら、
引用部分には全て引用符を添付するなど、「引用転載」のルールを守ってくれない?
自分自身なら、他人が書いたことと自分で書いたことは、一目で区別が付くだろうけど、それじゃ他人に通用しないよ。
>>599 地域分権体制になったからと言って
本願寺が支配することにはならないよ。
本願寺を自領土から排除してる大名も多いし。
信長いなくても各地域をまとめた戦国大名同士で戦いが起きて
勝ち残ったやつが天下取るんじゃ。
603 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:39:14
>>598 本能寺の変後、景勝はこれ幸いと越後に帰り、越中奪還などしていない。
またオマエお得意のホラか。
家康の存在を誇示して、自ら光秀の天下は不可能だと立証している間抜け。
それに気づいていない馬鹿っぷり。
長秀や信孝は寡勢でも光秀に組することはなく、他の織田諸将と連携する道を選ぶ。
何の反論にもなってない。
604 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:43:40
>>600 天下取りなど念頭に無い連中のどこが「高い理想」なんだ。
自演丸見えだぞ。馬鹿めが。
>>603 だから魚津を取り返してるのですと何度もry
だから家康は織田家なんかどうでもよくて甲斐とか信濃とかに
自分の領土増やすことにやっきになってる。
たぶん光秀が畿内固めても我関せずじゃないかな。光秀も別に畿内固めて
他の有力地方大名と同盟して足場固まればそれでいいんじゃないかな。
たぶん秀吉こなかったら丹羽と信孝は光秀につぶされて終わりだと思うな。
>>604 天下取りなんてのが高い理想とは変な話。自領土拡大でしょ。
他の地方大名も自分の領域で秩序作ってるから
信長のが高い理想なら他の大名も高い理想でしょ。
>>599 「それで確実に安定したのなら、それはそれで一つの道」だったわけですよ。
あるいは、一向宗が全土を統一するのでも何の支障もない。当時の人がそれでいいと決めたのなら後世の無関係のものが何といおうが関係ないわけですよ。
しかし、現実としては、細分された状態で戦乱が続いてきたわけでしょ。
だから結果として、信長が「統一という理想」に向かって進んだと考えて、何ら異論の余地はないという話。
>>600 当たり前でしょ。
「結果として誰が統一しようが関係ない」。
ただし、「統一が可能になるには、それを阻害する、いくつかの従来のしがらみを叩き潰すしかなかった」わけで、それが出来たのが、
結果として信長でしかなかったと。
「理想」というのは、「それを唱えると、誰もがそれに当然従うような魔法の呪文」か何かのような、変な妄想を懐いて、そういうのを
唱えたりしてないと主張しようとしてない?
「何と唱えるのが理想」なの? 厭離穢土欣求浄土? 南無妙法蓮華経? アーメン?
608 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:46:08
>>601 ま〜た空疎な難癖かよ。
とことん頭腐ってんな、オマエは。
死ねや。
609 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:47:24
>>602 >本願寺を自領土から排除してる大名
どこの誰よ。具体名挙げてみろ。
610 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:51:00
>>605 畿内の織田系大名は、光秀と他の織田諸将の分捕り合戦の対象であり、
無条件で光秀に組すると決め付けるのは短絡的。
いかにもオマエらしい単純な発想だ。
>>607 いやだからね。
君はそもそもその地域にいた民衆が秩序の基にあれたのが理想の実現だと
いってるんだよね。
それなら各地方大名の地域も秩序あるから理想を実現してる事になるわけよ。
信長も結局全国平定できてないでしょ。
信長が倒したのはあくまでも敵対勢力でなにかを壊してなどいない。
>>609 とりあえず朝倉・上杉・徳川。
>>610 織田系大名なんかどうでもいいよ。
光秀が味方につけたいのは毛利上杉長宗我部北条をはじめとした地方有力大名。
徳川も入るかも。
こいつらと連携して織田系大名を抑えられればそれでいいでしょ。
実際孤立無援だからなあ。
614 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:55:01
>>606 単に地方勢力で満足している連中と信長を同列に論じるペテン。
義元敗死後、家康の三河に攻め込まなかったことだけで、信長は他の大名と一線を画する。
>>606 「当たり前」。
そうではないというなら、「理想」という言葉を具体的に誰が何をすることか説明して。
616 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 00:57:08
>>605 家康を放置して光秀の天下が成り立つわけもない。
こんな簡単な理屈さえ分からない馬鹿。
>>614 そりゃただ単に美濃のほうがおいしいからでしょ。
全然画してないような。
>>608 「故意に他人の書き込みと自分の書き込みの区別をつけにくくしようと企んでいる」のかね?
また、妙に異常に感情的になって、自分の頭の中身を露呈させているが、先生は君の病状について何といっておられるかね?
620 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:00:16
>>607 信長の「理想」をオマエのような能無しがホザく戯言と混同させてる糞詭弁。
>>615 君がいった定義に合わせてるんじゃないか。
君の定義では信長の他にも地方有力大名も高い理想を実現してた事になるんだね?
それならそれでいいよ。
>>618 相手が最後に
>>586 で勝手に投げちゃったのをどうしろというのだろうか。
>>619 言っとくけど二人相手がいるって事はわかってる?
一人認定とかはやめたほうがいいよ。
>>611 ああ、「誰もが当然従うような魔法の呪文」か何かの意図ね。
「そういう意味での理想などどこにもあり得ない」でしょう。
>>623 文章読んでるの?
唱える形式の理想とかいってないでしょ。
君がその地に住んでるものが秩序の下にあれるのなら理想の実現、みたいな事を
いったからそれなら他の有力大名もryとなるだけの話なんだけど。
>>621 家康は光秀討伐に向かってて、勝家も迫ってる。
丹羽、池田らも戦力保って光秀に抵抗してるなかで
光秀に勝ち目があると見るのは強引だってこと。
626 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:05:10
>>611 謙信は結局本願寺に抗しきれず、妥協した史実を知らんのか。
謙信だけが徹底抗戦しても、徒労にすぎず。
朝倉は本願寺と事を構えていない。またホラか。死ね。
家康は信長の後ろ盾あっての一向宗徒掃討。家康単独では多勢に無勢で、本願寺にしてやられるだけ。
>>616 成り立つよ。てか光秀も天下をというか畿内を固めれば満足しそうな感じ。
徳川とか無意味に戦う必要ないでしょ。
>>614 > 単に地方勢力で満足している連中と信長を同列に論じるペテン。
ではなくて「そう思い込んでいる」ということだね。
「方向性は同じでも、延長した先の終着点が違えば、それは別のもの」という考え方が出来ない、という感じじゃない。
> 義元敗死後、家康の三河に攻め込まなかったことだけで、信長は他の大名と一線を画する。
それは、単なる「その時の状況判断」じゃないかな。まあ、大将を討ち取った勢いに乗じて調子に乗らず、先を考えて
無理しなかったとかいうことはありうるけど。
>>625 丹羽と信孝は少数しか兵を持ってないし、
畿内の池田とか高山とか中川とかが光秀になびきそうになってるんだから
秀吉が戻ってこなければ十分でしょ。
勝家も畿内にはいってないじゃん。
家康もそんな大きな動きはできてないはずだけど。伊賀越えが大変だったし。
630 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:09:13
>>611 日本社会に根付いた不要で不当な制度や組織を根絶したのは信長ただ一人。
他の大名のような単純な領土拡張ではない。
>>626 謙信は逆に本願寺勢に軍役を課してる状態なんだけど。
どう見ても取り込まれてるのは本願寺。
だから九頭流川とか調べてみろと。
信長と関係ない時期なんだけど。家康が戦ったのは。
>>628 信長の終着点は勢力崩壊なんだけど…。
>>630 別に根絶なんか何もしてないんだけど。信長は。
>>620 興奮すると、乏しい理性が種切れになって、汚い言葉が脳内からボロボロこぼれてくるようになったのは、何年前くらいからかね?
>>629 君が史実を認めないって言うんなら
もう返す言葉もないな。
もう寝る
635 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:12:27
>>613 しょ−もない戯言はいいから、こちらの主張に的確に反論してみろ。
それができないから、上っ面の便所の落書きでお茶を濁すな。
>>622 人数は何も関係ない。
「他からの引用転載部分」と、「自分の文責の部分」は、客観的な意味で明確に区別できるようにするのが常識。
>>634 信孝と丹羽が兵を少ししか持ってないのも
勝家が畿内入ってないのも、池田とか高山とか中川が明智に
なびきそうなのも史実なんだけど…。
638 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:14:19
>>617 美濃より攻め込みやすい三河を温存させた深慮は、オマエのような屑の思考の及ぶ所ではない。
639 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:17:00
>>619 この馬鹿、漢字を字義を知らないだけでなく、簡単な日本語の文さえ読めないってか。
標準未満の知恵遅れでは致し方ないか・・・
>>638 いやだから当分は家康は今川配下を装って織田側と敵対するんだけど。
信長にしても今川領土に攻め込んで泥沼に入るのと
幼君で攻めやすくておいしい美濃を取るのがどっちがいいかわかるでしょ。
>>624 そう。
「理想」とかいうものの実態は、あくまで「絶対的なものではなくて相対的なものでしかあり得ない」から。
天にまします神さんかなんかが、地上の全部を取り仕切るとかいった妄想は別として。
> その地に住んでるものが秩序の下にあれる
具体的には、他からの侵略を免れるとかね。
「その地」というのを広げれば、とりあえずは海で仕切られるでしょ。「そうしようとするのが理想ではなくて何なのか」?
642 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:19:47
>>640 三河の話をしているのに駿河・遠江にすり替えるペテン
今川の去った三河のほうが、遥かに美濃より攻めやすいだろうが
643 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:22:10
>>637 横からスマンが、山崎の戦いを語るなら、
最低限Wikiくらいは調べてみようか。
書かれてる事が100%正しいとは言えないけど
参考にはなるよ。
>>641 だからそれなら他の地方有力大名もそれぞれの地域で
拡大して秩序しいてるから理想を実現してる事になるんだけど
それでいいのかい?って聞いてるんだよ。
>>642 その頃には美濃は幼君になって家康の三河よりはるかに攻めやすいです、はい。
645 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:23:34
>>621 >君がいった定義に合わせてるんじゃないか
一人芝居すんな、カス。
>>643 wikiをソースとされるのも困ったね。
信孝と丹羽が四〇〇〇程度の兵なのも勝家が畿内に入ってないのも
抑えの兵を残してるのも、
池田とか高山とか中川とかが宙ぶらりんなのも史実だと思うけど。
何が違うか教えてくれないか?
>>632 「統一の途中で倒れた」だけで、その方針は「崩壊」どころか、後に完成されてるでしょ。
> 別に根絶なんか何もしてない
たとえば1つの地域の一向一揆だけでも、何だったのか全く理解できてないわけね。
648 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:25:39
>>627 家康を撲滅もしくは傘下に入れずして、なんで光秀の天下が成り立つんだ。
オマエの腐った頭の中だけでは成り立つんだろうがな。
流石はキチガイ。
>>645 してないってw俺の相手側はむしろ君の味方側と思ったが違うのかw
>>635 中身がそっくりなので、個体の区別が付かないのだが、君は、どっちのタイプの「馬鹿連呼君」かね?
651 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:27:44
>>628 中身ゼロの駄文でお茶濁し。真性の馬鹿。
>>647 それは秀吉という簒奪者によってね。
さらに簒奪者である家康によってね。
信長の目指した織田家の天下統一は無残に崩壊だよ。
一向一揆なら結構語れるけど。
君の定義だとなんなの?一向宗は信長の後も続いてるよ。現在まで。
>>648 だから光秀にしてみれば畿内固めれば十分なんだって。
わざわざ家康と戦う理由はないし家康もそう。
>>639 「知能指数が並み低い自己厨で凝り固まったキャラ」ならではの情けないセリフは、見飽きているのだが?
655 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:31:02
>>629 その後の各方面軍の動向で、畿内の諸将の腹など、どうにでも変わる。
光秀単独で、他の方面軍、信長の遺児、家康、毛利や上杉・・・を統括・殲滅できない。
>>652 読んだ上でやっぱりわからない。
池田とか高山とか中川の所に引っかかってるの?
彼らは当初明智に興味を持ったけど
秀吉が信長を生きてると言って味方に引き込んだものなんだけど。
秀吉が戻ってこないとすると光秀にくみしてた可能性は高いよ。
657 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:34:25
>>631 >謙信は逆に本願寺勢に軍役を課してる状態なんだけど
どう見ても取り込まれてるのは本願寺
一向宗徒の数のほうが圧倒的に謙信の軍より多いんだが。
数の少ない側が数の多い側を取り込むって、流石は馬鹿の発想は見事。
>>655 上杉、北条、長宗我部はこの機会に織田から領土取り返してるし、
方面軍はその相手で大変。
信長の子たちは兵が少なくってこのままだと明智に殺されるよ。
>>642 ? それまでの経緯と、当時の状況がまるで理解できてないんじゃない?
>>657 実際謙信は一向宗のいる地域を支配して軍役まで課してるんだから仕方ない。
謙信の実力素敵ってとこだね。
>>651 自己紹介は板違い。病気板に逝きなさい。
>>656 こんな短時間で何を読んできたんだ?
君、暇ならたくさんありそうだから
ジックリ読んでみ?出来たら前後の出来事も
俺も寝る
664 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:36:56
>>632 特権の座の廃止、宗教勢力の武装解除・・・
都合の悪いことは知らぬ存ぜぬ。
>>658 仮に当座は何とかなっても、どのみち、「明智が」、でしょ。
>>663 さっきも寝るって言って消えた人がいたなあ。
その人も具体的に言わないで消えちゃったんだよね。
不思議だ。あれだけの記事なら短時間で読めるでしょ普通。
>>664 一部でだけね。宗教勢力も別に武装解除はほかの大名もやってるし。
>>665 いや、地方有力大名は別に無理して明智を倒す必要はないし、
織田方面軍を潰す方向で動くだろうね。
667 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 01:43:08
おい、カス 一人二役の猿芝居カマしてんじゃねえぞ
このスレの信長信者ワロスw 具体的には言えないで都合悪くなると「寝る」と言ってるw どう見ても自演wwID出ないからって姑息だなw
>>664 そのへんが肝心なんだよね。
どういう物だったのかまるで分かっていないと、単にお経か何かをゴニョゴニョ唱えている坊さんか何かと勘違いするかも知れない。
まるっきり別。
>>667 そんな面倒なことしないよw
まあ確かに君のお仲間らしき人は主張が変だね。
抽象的なことばに終始してる。
>>669 一向宗でも一向一揆でも長島でも天文一揆でも北陸一揆でも
結構語れるよ。
君はどんなものだと思ってるわけ?
>>666 「実質的な意味の解体」の規模がまるで違うから。
> 織田方面軍を潰す方向で動くだろうね。
というより、「遅ればせで転じてきた各方面軍に潰されないようにする方向」、じゃない。
>>670 個体の識別がつかないと面倒ですな。
ま、書き込みの中身だけが全てだから、どれが誰とかは関係ないわけだけど。
お粗末極まりない中身をデロデロと露呈させて、恥を晒し続けるのも自由と。
>>672 おかしいな。信長も顕如とかを害してないし、
一向宗は解体されてもいないんだけど。
北条が滝川を大敗させてるし、上杉も拠点を取り返してるし、
長宗我部も四国を統一しようとしてるし、みんな自分なりに織田の勢力排除しようとしてるよ。
>>671 せっかく調べたのに、バラバラな個別の事象しか把握できてないの?
そんなことはなくて、それらに共通しているのは何だか当然分かってるでしょ?
>>675 だから抽象的に言ってないでちゃんと書きなさいって。
具体的に言えない人の常套句だよ。その言葉は。
それとも次は「寝る」って書いてみる?w
>>673 上げてる人がいつもの劣化井沢さん、
もう一人の抽象的な内容に終始して「寝る」を連呼してる人が
新顔の信長ファン、でしょ。
>>674 > 信長も顕如とかを害してないし、
> 一向宗は解体されてもいないんだけど。
ということは、「それまで」と「以後」でどういう違いが出たか、全く認識できてないわけね?
>>678 秀吉・家康の政策で本願寺の分断が起きる事は知ってるw
信長の影響については君が「具体的に」語ってみてw
それとも「寝る」?w
>>679 とりあえず語ってみなさいってw
抽象的に話をそらしてばっかじゃいけないよ。
>>681 アゲてる人は劣化井沢さんというあだ名の
戦国板・日本史板を又にかけるスーパースターなのですよw
ついには誰も相手にしなくなりました。 めでたし、めでたし。
>>682 「他の支配を部分的に排除する特殊自治体連合」。
687 :
日本@名無史さん :2009/01/09(金) 03:40:41
>>598 >>605 >上杉は拠点をしっかり取り戻してる
>魚津を取り返してる
本能寺の変後、上杉軍は勝家軍が去って空き城となった魚津城を接収したにすぎず。
だから翌天正十一年には佐々成政に降伏して落城している体たらく。
衰微した上杉はこの程度。
一時的で意味の無い城の奪取を引き合いに出す姑息さ。
ホラ吹きの反論などこんなもん。
>>685 それなら別に害じゃないんじゃない?
>>687 だから実際取り返してるじゃん。
君の主張では取り返してない、だったはずだろ?
都合よく話をそらされてもね。
>>689 wiki盲信しろっていうのもなあ。
しかも結局その中に
「信孝・丹羽が少数の兵しか持ってない。」
「柴田が畿内に入ってない。」
「池田・高山・中川らの畿内衆が不安定だったけど秀吉が信長が生きてると嘘ついて
味方に引き込んだ」
というのを覆す記事はないんだけど。
何がいいたいわけ?
抽象的なことばっかり言ってないでそろそろ自分の言葉で説明してもらえないかな。
>>583 >>585 光秀の謀反と秀吉の織田家乗っ取りには大きな違いがある。大義名分が有るか無いか。
秀吉の方を見ていくと、清洲会議で信孝を後継者に推す勝家に対して、秀吉は信忠の嫡男三法師を推している。
これは会議に参加してた池田や丹羽に根回ししてたのもあるし、三法師を立てるのが筋目としては正しいので三法師が家督を継ぐことになった。
但し、信孝・勝家は三法師の養育を信孝に任せることを秀吉に認めさせている。
賎ヶ岳の戦いの前には大義名分の無い秀吉は、信孝を攻めて三法師を奪っている。これによって織田家正規軍を三法師に替わって動かす形を作った秀吉が、
勝家・信孝との戦いに勝ち、後に不満を漏らして家康に泣きついた信雄も降すことになる。秀吉が織田家を掌握していく過程で、三法師を担いだナンバー2という立場を崩してないんだよ。
だから他の織田家諸将も秀吉の野心に気付いていても、秀吉を攻撃する名分が立たない。家康が秀吉と戦えたのは、信雄と三法師の家督争いの代理戦争という形を作れたからだしね。
ただこのまま行くと、秀吉はどこまで行っても織田家の壁を越えられない。自分が三法師を廃してトップに立とうとしたなら、他の織田家家臣から総攻撃を受ける。
そこで秀吉は身分の壁を越える工作をする訳。足利義昭の養子にしてもらって将軍を目指すのに挫折したら、今度は公家に近づいて近衛家のユウ子に納まって関白の宣下を受けた。
ここに来て初めて三法師と秀吉の立場が逆転する訳。織田家を超えて他の大名にまで号令をかける権限を得た。
それまでは、秀吉が動かしてた兵ってのは三法師から預かってた織田家の兵なのよ。
ってことで、秀吉が織田家を乗っ取っていく過程は決して簡単に事が進んだわけじゃなかったってこと。
常に大義名分は確保しながら行動してるんだよ。
692 :
691 :2009/01/09(金) 16:44:50
補足すると、山崎の戦いの前に池田らが光秀に付くか信孝・秀吉らに付くかで揺れてたのも有り得ない事に気付く。 池田も丹羽も秀吉も織田家の家臣。もちろん光秀も織田家の家臣だし、光秀が率いる兵自体が信長から預かってた兵。 織田家を継ぐ候補者で生存が確実な信孝も信雄も、光秀を支持してない。むしろ光秀に敵対する姿勢をハッキリ示している。 もし、光秀から見て池田が去就に迷ってるように見えたなら、池田の時間稼ぎ目当ての計略に乗せられちゃってただけだとも考えられる。 光秀が何の大義名分もない、単なる謀反人だと言うことを忘れちゃいけない。
>>691 大義を確保するのは当然だから。
明智も信長を倒した後で足利義昭を大義に担ごうとしてる。
これは地方有力大名達には極めて有効だし、長宗我部みたいな味方もいる。
畿内衆も動揺してるからそれを引き込んで地盤固めれば前途は明るそうだけど。
その秀吉が賎ヶ岳の前にもすでに大規模な勢力を動かしてるけど
それはみんなもと織田家の将兵たちだよ。三法師以前にね。
そして君がなにより誤解してるのは賎ヶ岳の後で信雄は一旦信長の後継者と名乗り
秀吉もそれを認め、その上でそれを攻撃して奪っているという事を無視してる。
当時の書状で信雄が賎ヶ岳の後で織田政権の跡目を取ったのは史実だから。
そしてそれを一年もしないうちに秀吉は攻撃し、小牧長久手にいたるわけ。
小牧長久手で秀吉が信雄をはるかに上回る織田の将兵を動員したのは周知の通り。
織田の将兵たちは大部分がもはや秀吉の手ごま。
そして秀吉が官位について御内書形式の書状を発給するようになるのも
小牧長久手の終決近く。
つまり秀吉は官位抜きで織田家抜きで信雄を押してる事になる。
>>692 捕捉になってないね。残念ながら。
ありえないも何も実際ゆれてたんだから仕方ない。
光秀が義昭を大義に担ごうとしてた事をわすれちゃいけない。
君のいう秀吉の大義とやらがありえない事も
>>693 にあるから参照しておいて。
>>690 >「信孝・丹羽が少数の兵しか持ってない。」
山崎の合戦の秀吉軍と明智軍の兵力比較は読んだか?
>「柴田が畿内に入ってない。」
柴田が畿内にまで着てないことを、さも重大な事だと語るが軍を率いて近江にまで来ていることはあっただろ?
家康も軍を率いて光秀討伐に向かってる。
山崎の合戦にならなくても、信雄を総大将に担いだ「近江の戦い?」の準備は整いつつある。
>>695 読んだけど。
それはもともと二万数千以上いる秀吉勢に畿内衆加えたものと
丹羽と信孝の兵数千を加えたものなんだけど。
丹羽と信孝の兵は多いなんてもんじゃないよ。
てか柴田が近江に入ってるって何がもとなんだよ。
山崎の項目でも明智光秀の項目でも書いてないんだけど。
近江に明智秀満がいるけどそれと戦闘はついに起きてないし、
秀満は山崎後ですぐさま後詰に向かってる。
家康の動員力も当時は三国でまだ尾張入ってなかったと思うんだが。
>>693 何の大義名分も得ない光秀が苦し紛れに、義昭を担ごうとしただけ。
小早川隆景宛てに、義昭を担ごうと思うから味方してくれと泣きついたがアッサリ無視されてる。
義昭も晩年は将軍として京に返り咲くのを諦めて、一人寂しく京に戻って晩年を過ごしてる。
今更義昭の出る幕は無いんだよ。既に死に体。
秀吉が小牧・長久手前後を通して、信雄を立ててたのは周知の事実だけどね。
織田本家の一門の一人として、北条を倒して天下統一が確実となった後まで。
信雄を攻めるのは、三法師を担いだ秀吉に取っては名分の立たないことじゃない。
信雄が動かせるのは信雄の兵だけに対して、織田家全ての兵を動かせる三法師を担いだ秀吉が大兵力を揃えられるのも当然のこと。
>そして君がなにより誤解してるのは賎ヶ岳の後で信雄は一旦信長の後継者と名乗り
>秀吉もそれを認め、その上でそれを攻撃して奪っているという事を無視してる。
>当時の書状で信雄が賎ヶ岳の後で織田政権の跡目を取ったのは史実だから。
第一、上の事は何を根拠に言ってるわけ?何か資料が残ってるなら提示してくれないかな。
>>697 実際それは有効な手だったんだけど。神輿としてなら
十分な手。上杉も長宗我部も北条も織田の排除にうごいてるからそれは明白。
その点に関してはこれから示す信雄が跡目を取っている資料から否定される。
今書きだすからちょっと待ってて。
>>696 山崎の項目から
[編集] 他の諸将の動き
柴田勝家 - 上杉対策を前田利家、佐々成政らに託し京に向かったが、越前・近江国境の柳ヶ瀬峠に到達したところで
合戦の情報が入り、そのまま清洲城に向かった。
滝川一益 - 北条氏政から変についての情報がもたらされ、「北条は手出ししない」という声明もあったが一益が
これを偽計と見てとり、結果的に北条勢と一戦見えることとなった(神流川の戦い)。第二合戦で敗北の後、碓氷峠から本拠地・伊勢に7月に帰還。清洲会議にも参加できず、以後零落の一途をたどる。
徳川家康 - いわゆる神君伊賀越えを経て岡崎城から光秀討伐に向かったが、鳴海(一説に熱田。酒井忠次は北伊勢まで進出していた)
に到達したところで合戦の情報が入り反転。以後、空白地帯となった甲斐・信濃の領土化を目指し、同じく甲斐・信濃の領土化を目指した北条と天正壬午の乱で戦う。
>>698 悪いが、義昭を担いだ光秀に呼応して動いた大名などいない。
上杉は、勝家が捨てていった上杉方の城を取り返しただけ。積極的に織田領に侵攻していない。
北条は、氏政が滝川に本能寺の変を伝えて織田家と争うつもりの無い事を伝えたが
疑心暗鬼に陥っていた滝川が北条に突っかかったことから始まっている。
長曾我部は、織田家の後押しを受けた三好勢と四国で争っていた。
本能寺の混乱で織田軍が渡海してこなかったため、三好勢を駆逐して四国を統一する勢いを見せたに過ぎず
織田家に侵攻してくる力は無い。
出かけなきゃいかんから、もうレス返せないぞ。
>>698 の補足資料。
まず1582年12月25日付秀吉・長秀・恒興連名書状。
この中で信雄の家督継承が決定した事を述べ、その披露の為に織田家の侍達は
安土に集まるように、と各地に通達。
これより少し前の12月16日付の秀吉にあてた家康書状では
信雄が家督継承することを決まったのが「大変喜ばしい」と家康が述べている。
1583年正月付信雄書状では
信雄は安土城下に対して代替わりの書状として「信長以来の法規に従うように」通達。
1583年2月の上杉景勝への書状では
織田家(秀吉)と上杉側の同盟の為誓詞を交わすことを決定し、
それを「信雄様にご披露いたします」と述べている。
1583年5月21日付信雄書状
柴田との戦いの後で信雄は前田玄以に書状を与え、
「玄以を京都奉行、秀吉をその補佐とする。洛中で用事があれば信雄の墨つきで
決済するからいつでも申し出るように。」と通達。
1583年6月17日付佐々成政書状では
「信雄様は信長様と変わらず天下に下知をなされ、秀吉が万事ご指南している。」と
述べられている。
とりあえずこんなもんか。
>>699 だからその柴田が近江に来てる論拠がわからないっていってるんだよ。
なんか資料あるなら教えてもらえないか、って事なんだけど。
>>700 佐々が上杉とその後も戦っているはず。
北条も結局戦いに陥って上野を攻略してる。
長宗我部も織田方の三好を倒したら次は畿内をうかがう様子を見せていた
はずでは。
てか各方面軍が各地方の大名と相手となるなら光秀には十分だったような。
703 :
日本@名無史さん :2009/01/10(土) 03:06:57
流れぶった切って悪いんだけどさ、家康が一枚咬んでたってのはありえないかな。 明智の兵も家康を討つと思っていたって説もあるくらいだし、織田家内の家康って微妙な時期でしょ。 家康が黒幕だったってのはとびすぎてるけど、微妙な空気を察知した家康が 信長信忠を一度に討つ千載一遇の機だってくらいは明智に匂わせていたかも、国許に動員準備させときながら。 っていうのも徳川家の動員が早過ぎるんじゃないかと思って。 秀吉が2,3日遅れてたら明智と合戦してたのは徳川だよね。 でも当主も主だった武将も京にいてやっと帰って来たばっかで遠征準備が整ってるはずないのに 徳川家の兵力総動員しての上京が早過ぎないかね。
>>703 それは無理筋。本人が万一でもどさくさ紛れに倒れたら、それで全て終わりだから、危ない橋というより、落ちた橋の残った綱の綱渡りみたいなことするはずないし。
>>697 「別本川角太閤記」に載ってる隆景宛て書状なら
明らかな偽文書だよ。谷口克広曰く、「言い回しが
当時の文書とかなり違っており、偽文書であることは
一目瞭然である」。たしかに羽柴筑前守秀吉とか、
他で見ない表現が使われている。
ただし毛利に連絡しようとした事実ならあったろうが。
706 :
日本@名無史さん :2009/01/11(日) 15:22:04
>>688 >だから実際取り返してるじゃん。
敵軍が放棄した城の占領など、子供でもできる。
何の自慢にもならん事をわざわざ引き合いに出す愚劣。
>君の主張では取り返してない、だったはずだろ?
いつどこで「上杉軍は変後、魚津城を取り返してない」と書き込んだよ。
お前の虚言癖は病気だな。
>都合よく話をそらされてもね
お前にはこの駄文を送ろう。
『えー? なんでそんなことせなあかんの? あんたはこちらの要求に応じて提示したこと一度もない。
なんで俺達ばかりがあんたの要求に応じなあかんの?
つかあんたのレス全てが空虚な駄文に該当するから、コピペするまでもないでしょ』
都合よく話をそらせているのはお前だろーが。
>>706 だからお前の主張は上杉は進出できない、反撃できてないだったろ。
しょうもない言い逃れをするなよな。
お前は虚言癖以前に日本語まともに読めないんだろうが。
その文章はどこのスレのだ?俺はそんな事書き込んだ覚えないんだが。
てかお前相変わらず他所のスレでも同じような事やってフルボッコされてんのな。
少しは成長しろよ。
この劣化井沢君の同一認定はもはや病気の域を 通り越してますなw
>>712 本人以外に聞いてどうするんだよ。
>>707 のレスに疑問点があるのなら直接聞けばいいだろう。
>>706 に対して答えたレスという事を踏まえてね。
714 :
日本@名無史さん :2009/01/14(水) 12:32:32
>>707 >お前の主張は上杉は進出できない、反撃できてない
本能寺の変後、いつどこで上杉は織田領に侵攻したよ。してねーだろ。
それどころか翌年早々、佐々に占領した城を簡単に奪取されてんじゃねえか。
敵軍が棄てた空き城の接収など、反撃とは言わねえんだよ、バーカ。
『しょうもない言い逃れをするなよな。お前は虚言癖以前に日本語まともに読めないんだろうが』
まさにオマエの事じゃねえか。テメーの愚劣な実態を他人に押し付けんな、タコ。
>その文章はどこのスレのだ?俺はそんな事書き込んだ覚えないんだが
意味不明な駄文載せんな、ボケ。オマエ頭悪すぎ。精神鑑定受けて来い。
>お前相変わらず他所のスレでも同じような事やってフルボッコされてんのな
ま〜た実態のない空疎な虚勢かよ。
こちらによって散々『フルボッコ』されてきたのはオマエ。馬鹿めが。
いつまでたっても、ちっとも成長できない低能野郎だな、オメーはよ。
>>714 取られた城を取り返してるんだから十分反撃だろ。
織田のテリトリーを侵害してるんだからな。
1年以上先に佐々が取り返したことをこの本能寺直後の事に
持ち出されても的外れなだけなんだが。
いやお前。てかお前以上に似合うやつを見たことない。
実際おれは書きこんだ覚えないからな。そんなレス。
お前が一度でも相手を論破したり議論を優勢に進めてきた所なんか見た事ないんだが。
いつも大半を相手に対する罵倒文章と一人認定とごまかしで埋めて粘着してるだけやん。
716 :
日本@名無史さん :2009/01/14(水) 13:22:25
>>715 空き城の占領など反撃とは言わんよ。お前以外はな。
越中の佐々の領土に軍事侵攻してないのに、何が『侵害』なんだ。
佐々に城を奪取された事実が、織田のテリトリーを侵害していない動かぬ証拠だろうが。
ただ敵が棄てた城に篭ってただけなんだからよ。
>実際おれは書きこんだ覚えないからな。そんなレス
だから何処の事指してんだよ。バーカ。意味不明な戯言ラリッてんじゃねえぞ。
>お前が一度でも相手を論破したり議論を優勢に進めてきた所なんか見た事ないんだが。
いつも大半を相手に対する罵倒文章と一人認定とごまかしで埋めて粘着してるだけやん
そっくりそのまま、もろオマエの事じゃねえか。
都合が悪くなると論点外れの中傷をカマしてくるのはオマエの常套手法だ。
>>716 ちゃんといるだろ。完全に空城だったわけもなし。
てか領土を奪還してるなら立派に反撃だが。
魚津城は織田が攻略した織田の立派なテリトリー。
そこを攻略してるのは侵害だが。
佐々の動きも翌年からの事だから本能寺直後と比べるのはおかしいし。
>>706 の後段のレス。
どうせお前がどこが別のところで論破された時にいわれたセリフだろ?
いや、お前だって。実際お前の文章今の時点でも罵倒文だけで
内容ないし。何人一人認定してるんだか。
718 :
日本@名無史さん :2009/01/14(水) 15:57:36
>>717 勝家が棄てた魚津城を接収した以外、上杉軍がやったことって他にあるのか。
積極的に佐々を攻撃したわけでもないのに、どう領土を奪還したんだよ。
奪還していないから、魚津城から一歩も織田領を侵食できてないんだろうが。
>どうせお前がどこが別のところで論破された時にいわれたセリフだろ
オマエお得意の、虚勢のレッテル貼りの糞台詞だ。
>>718 もともと上杉にしてみれば侵略された側だからな。
取られた城を取り返せば十分領土の奪還だろ。
佐々も一年あとでしか動けてないしな。
虚勢張ってるのはお前だって。
よっぽど悔しかったんだな。そのセリフ言われた時。
自分は光秀単独説だ。「信長は俺のキャンパス。芸術作品そのものだ。作者の俺が破いてなにが悪い」でやっちまった 光秀の生き様は斉藤家→朝倉家→将軍家→織田家すべて自分の政策を実現するために近づき、不要となれば光秀は すべて自分から関係を切っている。そして、光秀が仕えた(光秀から見たら、俺の気に入った作品じゃない)という理由で 全部滅ぼしている。まるで、なにかに取り付かれた芸術家のようだ。信長は光秀のそのセンスを気に入ったのだ。そして、光秀 も自分が気に入られている理由が芸術的才能以外にないことを知っていた。信長は有能な画家に見初められるモデルのように 自己陶酔して光秀を一番近くにおいた。信長から見れば、有能な芸術家であった光秀は、彼にしてみれば、信長すら自分の 理想の絵を描くためのモデルの一人にすぎなかった。酔いしれる信長を描きながら「こいつも飽きたな。次の絵でも書くか?」で ぶっ殺したのだろう。光秀を現代サラリーマンに喩える人は多いが、光秀の人生を見ると、平凡な人間のそれではない。自己中心的な野心家そのものだ
数々の戦国大名に仕えた光秀は美濃を出たときから幕府を開く野望を抱いていた。信長に近づいたのも ハナから信長を殺して天下を取るつもりだったとしか考えられない。信長の「人生50年」も知り尽くしていた 望み通り逝かせてやっただろ?と考えるべきだ。信長は光秀を信用していたというより、光秀にほれていたのではないか? 信長のアンビバレントな性格なら光秀を近畿に置かせたくなるだろう。光秀の野心を最初から見抜いた上で「おまえも 俺とやる気なのか?いつでもかかって来るがいい」となってしまったのだ。その信長の誘惑に最後に乗ってしまった光秀もまた ハナからヤルつもりでいた。「計画性がない」など、いや、むしろ最初から双方とも計画的であったといえる。 信長をやったあとは自画像を書くつもりだったのだろう。しかし、その時間はなかった。あれば、書く気は十分にあったように思える 光秀は土岐氏(源氏嫡流)で、征夷大将軍になれる資格(幕府を開く)は家系図を捏造せずともいける それも、計算して本能寺の変は起きるべくして起きたと妄想する
できんだろw
山岡兄弟に瀬田橋落とされたって何処かで誰かが書いてたけど それって光秀にとってそんなに痛手になったのですか?
瀬田橋を落とされて 直接的には安土入城が2〜3日遅れ。 このロスが畿内掌握のだらだら感につながっている。 山岡兄弟に瀬田橋を落とされなかったら天下を取れたとは思わないが 即日安土へ進攻、安土留守組が避難する前に武力制圧していたら それから先の展開は面白くなっていただろう。
729 :
日本@名無史さん :2009/01/22(木) 16:48:17
信長は、本能寺の直前の毛利攻めに、 最終的にどのくらいの兵力を投入する予定やったん? 自ら出陣して決戦場?に赴くには、 信長自ら率いる軍勢が少な過ぎるんだが…。
731 :
日本@名無史さん :2009/01/26(月) 02:11:41
>>729 家督は信忠が継いでいて、信長直率の軍団はないが、
遊軍になっているのは、信忠軍団(5万)、明智軍団(3〜4万[寄騎武将含む])、信雄軍団など多数。
兵力は余っている。
732 :
日本@名無史さん :2009/01/26(月) 13:20:03
>本能寺の変は、あきらかに信長が悪い! 現在の価値観で”悪い!”なんて言われても ポカーン、って感じだな。
中国大返し 何であんなに素早く引き返す事が可能だったんだろ? 秀吉はまさに光秀、毛利の板挟みになっておかしくなかった状況だったよね まさか、毛利と内通してた? 本当に右大臣(=信長)が撃たれてから毛利と和睦、休戦、→光秀追撃に移って、これらの事を数日で纏めあげたとしたら 秀吉神だな
734 :
日本@名無史さん :2009/01/27(火) 14:58:16
秀吉は予め、光秀が謀叛を起こすのを知っていたかも。という説もありますよね。 毛利との内通は、その後の秀吉の毛利家への処遇とか見てると、あったかもしれませんね。 想像でスマソ
735 :
日本@名無史さん :2009/02/02(月) 09:28:39
織田の中枢にいた秀吉なら、 色んな伝手で、情報は収集できたんじゃないか?
>>733 そういった迅速な行動が可能になるように予め段取りをしておく天才だからじゃない。
元々、補給を考えて中継地点をいくつもがっちり確保していたはずだし、結果としていつ来るとかは全く無関係に、信長がほとんど前触れなしで
突発的に来ようとしても、改めて準備でオタオタする必要などないようにしてあったはずで、それを逆に辿れば迅速に引き返すのも可能、
というか、実際に素早く戻れたのは、そういう準備がとっくにできていたから、と考えるのが穏当では。
休戦は、まさに綱渡りだったろうし、信長暗殺で引き返すとかは想定外としても、いつ休戦するならどういう条件でとか、場当たり的に
ドタバタする必要がない程度にシミュレーションを続けていただろうし。
先の大戦のときの国軍の上のほうの馬鹿連中とは全く正反対。
>>734 ,735
予め知っていたとかは、どうかな?
誰かが何かやらかす可能性は考慮して、情報は収集していただろうけど、そういう秀吉が心服するほどの信長自身が引っかかったくらいだから、
全く予想外、ということでいいんじゃないかな。
738 :
日本@名無史さん :2009/02/04(水) 00:27:36
確かに、明智軍が援軍に来るので、ルート上に補給物資を集積していただろうから、それは大きいね。 一番大きいのは、うまく情報量の差(おどしの道具だった信長等の援軍はない)を利用して、 和議を幸運にも結べたことと、羽柴(織田)の内情を知っても毛利が追撃しなかったことかな。 もし、俺が毛利の大将なら絶対に追撃する。そうなれば、備前くらいは簡単に取れる。 自軍の追撃で羽柴軍が足止めされれば中央の混乱が続き、暫くは中央の巨大勢力はなくなるので、 勝手気ままに勢力を拡大できるだろう。明智も毛利の行動は誤算だろう。
>>738 和議については文字通りの綱渡りだったろうね。
追撃については、分からないところがあるのは事実。
740 :
日本@名無史さん :2009/02/04(水) 01:32:20
にしきのあきらかに信長が悪か
>>728 後の歴史を知ってるなら追撃するな。オレも。
でも当時の毛利の立場だったらたぶんできなかったろうな。
743 :
日本@名無史さん :2009/03/21(土) 02:56:43
毛利がへタレなんだろ
744 :
日本@名無史さん :2009/03/21(土) 09:59:49
うん、小早川隆景は、輝元が天下を取れるほどの器量が無いことを 充分承知していたと思う。 「このボンクラ、つけ上がらせたら毛利も終わる…」と 能力としては後の小早川秀秋並みか?
十代で政治や武将の能力を問うのはどうかと…>秀秋
746 :
日本@名無史さん :2009/03/21(土) 17:09:53
>>744 実際輝元の馬鹿のせいで終わりかけたな毛利
そのまま滅びれば良かったのに。
同意
748 :
日本@名無史さん :2009/05/05(火) 21:07:57
山岡兄弟の瀬田橋落とし 筒井順慶が明智側に付かなかった 秀吉の中国大返しの異常な速さ 光秀の人望の悲しいまでの低さ 主(信長)殺しという賊を名を着せられるに十分な謀反という行い 以上光秀に衆望が集まらなかった主な理由 柴田軍と戦っても結果は同じだったろうね
749 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 00:42:55
もう少し時間があれば筒井、細川も明智に付いただろうし、 情勢を観望(洞ヶ峠)していた彼らが、早い段階で明智に付かなかったから 明智に衆望がなかった?とは言えない。 天下を維持出来なかったのは「中国大返し」と「瀬田橋落とし 」。 特に、「中国大返し」がなく、暫くの間、畿内で大兵力を持つものが、 明智のみであれば、「瀬田橋落とし 」で平定スピードが鈍ったとはいえ、 既に、丹波、山城、近江と着々と平定しており、筒井らの大和、中川らの摂津勢も参加に加わる。 下克上の時代(儒学なども普及してない)に謀反など、意味もない。 信長とて、守護代の織田信友を討ち、守護の斯波氏を追放してるし 宇喜多直家、長尾為景、伊勢新九郎(堀越公方)、斉藤道三、松永久秀、 三好長慶など、特に不利になったということもない。
750 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 01:06:14
武陽陰士っていうコテが文学板を荒らして困ってます。 どうにかして下さい。ちなみにあだ名は芋姉ちゃんw
751 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 02:09:37
べつに荒らしじゃないんじゃね?
752 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 04:18:41
荒らしだよぉ〜
753 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 10:49:40
荒らしじゃないよぅ〜
754 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 12:00:47
昨日は真面目くさった文章で「その点は奇特すべきだろうな」とかほざいてて、 みんなの笑い者になってた。流行語大賞取れるよ皆使ってるもん「奇特すべき」
>>748 天に見捨てられた感じだよな光秀
自分の思惑とは違う方向に現実が動いていく
哀れ哀れ
756 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 15:51:29
教養人だったのに家康だかを招いた宴の席で 信長の怒りを買ったのは何故? 魚が痛んでたとか 秀吉だったら機転利かせて笑いに変えちゃうんだろうけど 自分は光秀(想像の中の)が好き 聡明で理性的で秀吉みたいな猿とは違う
あの性格じゃ、仕方ないわな! ある意味、みんなホットしたと思うわ
758 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 16:25:49
>教養人だったのに家康だかを招いた宴の席で >信長の怒りを買ったのは何故? ほぼ同時代のフロイスの日本史では 「家康の接待の事前準備で安土城へ呼ばれた時 信長の気に入らない話題に触れて足蹴にされた」になっているんだよね。 つまり家康が安土城へやってくる前に光秀は足蹴にされていた・・・ 信長を怒らせた原因は結局不明だが 接待の宴で手落ちがあったというのは後世の曲解だと思う。 時期的に考えたらやっぱり四国遠征問題かな。
759 :
日本@名無史さん :2009/05/06(水) 17:11:17
信長のお気に入りって機転が利いて実力のある人物でしょ 門閥とか出自は問わない 歳上の光秀に対する扱いがなぁ信長 軋轢起こしてなければ謀反も無かった (結果秀吉も天下とってなかったけどね
そのばあい、「幕府」には興味はなかったわけだから、「織田朝(仮名)」が続いたのだろうか? 海外に進出してコケるという落ちがありそうな気がするけど。
フロイスは光秀が嫌いだしなー。足蹴りなんて日常茶飯事な事を大袈裟に書いたのかもよ
秀吉だってしょっちゅう打摘(←当て字、ちょうちゃく)されてたし 秀吉の場合は草履取りから拾われてるから元々失うモノがない卑賎の身から出てるから それと、信長が秀吉をぶったりするのは可愛がり(職人の親方が子分を虐める)みたいな要素もあったと思うが 光秀の場合は斉藤道三に仕えて将軍義昭にも仕えてて門閥も出自も秀吉とは違う 中途採用みたいな感じ 信長より年上だしシゴキつっても耐えられない部分はあったかも 勝家は筆頭家老で自尊心が強くて信長に対しても納得できない時は意見を言ったとある 光秀は教養もあったし信長とはそりが合わなかったかもね
教養があるから人格者とは限らない
764 :
家出猫 :2009/05/29(金) 22:59:03
甲子園の観客が多いりで55000だろ 13000の兵ってよく考えたらめちゃくちゃすくねーよな そんなんで天下とれっかよ たんなる一時しのぎでしかなかった
>>764 烏合の衆と、歴戦の兵士は全く別のものだから。
766 :
日本@名無史さん :2009/05/30(土) 11:30:15
信長って・・いくら鬼でも・・一応は人の子でしょう。 本能寺の変で、実はどっかに逃げ延びたのかもしれないし。 逃げて・・実は裏で日本を操っていた・・なんて言ったらおもしろそうだな まぁ、想像の世界だけど・・
>>758 逆。
光秀が山海の珍味をと張り切りすぎて、将軍に出すような料理を家康に出そうとしたため、
献立を見た信長が「何じゃ、この贅沢な料理は!!わしへの嫌味か、この金柑頭!」で蹴り倒した。
>>766 大爆発の音がしたそうだから、潔く吹っ飛んだというのが実相ではないかと。
光秀が謀反おこしたから結果秀吉、家康と天下が移った 光秀が暴発してなければ秀吉の天下は無かった 歴史を変えた男
確かに秀吉があそこまで行く目はかなり薄くなったろうね。 ただ、織田政権がどれだけ続いたかも未知数。
772 :
日本@名無史さん :2009/05/30(土) 22:20:09
>>768 そうだよね。。 ただ、なんか生きててほしかったなーって
信長は、表の世界より裏の世界の方が似合いそう・・
>>772 ファンタジー小説の読み杉
あの時代は戦に破れたら悲嘆の情を表に出さずに一族郎党は殲滅
それが武士の生き様でありそれを受け入れる事が潔い生き様(死に様)
>>773 んなこたーない。「そういうのが特に伝えられてる」=「そうではないほうが当たり前」。
土台からして、戦国の本物の武士は、どんな手を使ってでも敵を倒すのが本領。
潔くなんてのは、戦乱が無くなった江戸時代の腐れ武士道もどきの妄言。
775 :
日本@名無史さん :2009/06/01(月) 15:32:40
>>770 別に暴発じゃないと思うよ。
自身が中央部に大きな所領と上級指揮権(筒井、細川、etc..)を持ち、
bPとbQ(信忠)の護衛が少なく、一挙に倒せる可能性が高い。
その上、中央には自軍しかまとまった勢力がなく、
他の軍団長は、他勢力と戦っていて戻れる可能性は少ない。
こんなチャンスはめったにないし、賭ける価値は十分だ。
その割には謀反起こした後処理、行動が遅いよな いかにも出たモノ勝負みたいなさ
777 :
日本@名無史さん :2009/06/02(火) 01:27:11
だから光秀は犯人ちゃうねん 信長殺しの犯人にされてしもうたんや だから変後ぼーとしてまいよって 猿に討たれたんやがな 光秀が信長殺して得することなんかなんもあらへん 変の直前に光秀自身「石ころのような身分から取り立てて貰った この恩は決して忘れたらあかん」 て書いとるがな
信長暗殺の首謀者は誰だっけ?義昭が唆したって説を吹いてるのが 三重大学の藤田教授だよねw 懲りないオッサン
779 :
日本@名無史さん :2009/06/02(火) 11:03:13
>>777 >光秀が信長殺して得することなんかなんもあらへん
なんで?
天下人になれるし、いいことだらけ。
失敗するクーデターもあるが、光秀は、この場合は失敗の確率は低いと思ったんだろう。
信長は数十騎で、京の光秀邸に泊まることもあったくらいで、殺そうと思えばいつでも殺せたわけだが、
今、殺せば、天下も付いてくる。
780 :
日本@名無史さん :2009/06/02(火) 12:01:53
京都の明智屋敷に信長は何度も泊まっている 光秀を信頼していなかったら そんなまねは怖くてできないだろう 石山本願寺との戦のときも光秀のピンチに 信長みずから出陣して光秀を救っている 光秀が憎ければそんなことはしない
781 :
日本@名無史さん :2009/06/02(火) 12:05:35
石見・出雲加増も 旧領召し上げではない 光秀は坂本から兵や兵糧を調達しており 佐久間、林のように無一文になったわけではない
782 :
日本@名無史さん :2009/06/02(火) 12:09:42
饗応役解任に腹を立て 酒肴をぶちまけても 信長は怒らなかった 光秀を追放したいのなら 「主の城の掘にゴミを捨てるとは言語道断」 と言えば格好の口実になったのにしていない
783 :
日本@名無史さん :2009/06/02(火) 17:05:13
今日は本能寺の変 信長様私の夢枕に立って事実を教えてください。って信長も分からないか?
>781 >782 つくづく光秀は信長に取り立ててもらった恩に仇で返す男ですね 教養のある男だのに何故突発的な行動に出たのか?
785 :
日本@名無史さん :2009/06/03(水) 22:03:14
「光秀は謀略と暴力を好み、 ハナから取って代わるつもりで信長に仕えた しかしながら、自己を飾り本性を隠すのが巧みであったので 信長はすっかり騙され、最も信じてはならない者を完全に信頼してしまった」 と宣教師が記している
786 :
日本@名無史さん :2009/06/03(水) 22:11:44
>>779 他の織田諸将対策が不透明なのに、天下などついてこないぞ
787 :
日本@名無史さん :2009/06/03(水) 22:13:37
一見、常識人に見えるが 信長の指示以上に罪なき僧たちを焼き尽くしたり 立腹して家康接待の馳走を棄て散らしたり 仮面の奥の本当の顔が 随所に現れていた 最期まで全く気付かず「是非に及ばず」って 信長は余程の大マヌケだ
788 :
日本@名無史さん :2009/06/03(水) 22:14:51
比叡山焼き討ちにしても光秀は反対だった訳だし、信長がこのままでは朝廷をも破壊して 有史以来続く皇室をも無くして、自らがこの国の王に成ろうとしたから 阻止するべく、光秀が信長を討ったんじゃね? そしたら、光秀の行動は信長の暴走を食い止めた義行だぞ。
789 :
日本@名無史さん :2009/06/03(水) 22:36:45
「織田家は信長以来の勤王の家柄」 と明治政府も言ってるぞ 力が無くて列藩同盟に いやいや強制参加させられてしまったが
秀吉はそういう意味で本当に天才だな 信長を接待する場でも同じ事を光秀がやったら素っ首が離れてるかもしれない場面で 秀吉の機転の利かせ方と立ち廻り あざとくて巧みな演じ方は光秀などは「イヤなヤツだ」って思ってたろうが 現代のビジネスマソが学ぶ点は多そうだな秀吉から
>>788 光秀は叡山調略に積極的だったし、褒美もしっかり貰ってるし、その後叡山の近くに豪奢な城を建てたし
792 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 02:05:40
>>790 信長の寵臣という点では秀吉は光秀には及ばない。
わずかな供回りで光秀邸に宿泊したり、
天王寺砦で、窮地に落ちいった光秀を身の危険をかえりみず救出したりと、
フロイスによれば明智家の人々は、みな、本国(スペイン)の
貴族のように美しいそうだが、本当に信長は光秀が好きだったのだろう。
佐久間への折檻状でも「日向守働き、天下の面目をほどこし候」とあり、
秀吉の働きは、これに次ぐとしており、自分の甥と光秀の娘を結婚させて縁戚になり、
その上、光秀を近畿管領のような立場にしている。(支社長より上位)
家康の接待役の任を解かれたのは、落ち度があったわけでは無く、
秀吉の救援要請があり、出陣の準備をするためにすぎない。
勿論、関係が悪くなるハズもなく、信長も全然警戒していないわけで、
演技力で言えば、光秀の方が上だろう。
けど、信長‐秀吉の阿吽の呼吸というのかなぁ、それも又別次元の仲なんだよね 信長‐光秀がお互いを認めた仲なら信長‐秀吉は主従関係とでもいおうか 当時、上杉も武田も弱体化しつつあり信長の天下統一への最後の砦とも目された毛利軍、中国地方への攻略担当官には秀吉が指名されてるし 秀吉の実力を最大級に評価してたのは間違いない
794 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 17:31:35
>>792 信長の寵臣は当時の最有力戦線を誰に担当させたかで決まる。
それは毛利に他ならないから、信長の寵臣は明らかに光秀ではなく秀吉だ。
それに信長は自分の実子を秀吉に養子として与えている。
光秀には受け持つ主な戦線などなく、だから家康の接待役を仰せつかったわけだろ。
795 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 17:46:10
>>789 時の政府の都合のいいプロパガンダを鵜呑みにすんなよ。
痛すぎるぞ。
796 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 17:58:10
>>779 京に光秀邸なんてあったっけな
それに後の成算なく主殺しする阿呆でもないだろ、光秀は
798 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 21:30:46
>>794 寵臣というのと関係ないでしょ。
方面軍司令官として適材な人事。
秀吉の場合は、信長は最初から対毛利方面軍司令官として考えてたわけじゃないよね。
柴田の与力を出奔した責任を問われる形で播磨攻略を命じられ、そこから秀吉本人の才覚を発揮することで対毛利方面軍司令官として認められるに至ったんじゃないかな。
799 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 21:40:52
>>794 それに馬揃えの奉行を二回とも光秀がやっている。
これは織田政権として政治的最重要行事。
家康の接待だって重要行事ですよ。
馬揃えは織田の暦将が揃い踏みし、柴田勝家は呼ばれてないのに強引に参加した。
秀吉は対毛利戦線に張りついていて参加できなかったのを嘆いている。
織田政権内で各武将にとっても最重要行事だったわけで。
それの奉行が光秀。
800 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 21:46:23
>>794 森蘭丸は寵臣ですよね。
寵臣は方面軍司令官より政権中枢の人間じゃないですか?
明智光秀も一貫して政権中枢の人間だと思うんですよね。
近衛親衛隊長って感じじゃないですか。
側近で一番信頼得てたのが森蘭丸で家臣の筆頭格(織田軍団内外に於ける知名度)が柴田(対北陸方面、対上杉司令官) 対中国方面、対毛利担当官が羽柴 猿って呼び捨てにして禿げ頭をぶん殴るほどの寵愛(信頼)関係を築いてた 本能寺の変の直前に四国方面の担当官を命ぜられてたのが丹羽(名目上の長は信孝) 光秀の小田軍団に於ける位置づけって柴田や羽柴ほど強力な敵の切り取りを命じられてるワケでもないんだが 柴田羽柴に劣らない信頼厚遇ぶりだよね 羽柴が山陽道を攻めると同時に光秀軍にも山陰を進ませる意図によって信長軍が対毛利軍団との決戦に備える計画か
802 :
日本@名無史さん :2009/06/05(金) 23:44:14
>>800 近衛親衛隊長というより、中央軍司令官かな、
自軍の他に、細川や筒井等の畿内、近畿の武将への指揮権も持っていた。
秀吉は、その他の方面軍の一人でワン・オブ・ゼムに過ぎず、
かえって、今後重要なのは、対北条の滝川だろう。
光秀の場合は方面軍の司令官として派遣するよりは、
軍事の他、行政にも強く、朝廷にも受けがいい光秀は、手元に置いておきたかったのだろう。
>かえって、今後重要なのは、対北条の滝川だろう。 北条ってかなり弱体化してませんでした? そんなに重要ですか? 京都に御旗を掲げる事即ち天下取りへの意思表示ですよね 関東方面の制圧は大事ですか?
司馬氏の太閤記読むと信長と秀吉は互いの呼吸の数さえ理解しあってる位の仲の与良さって表現あるんだよね 光秀の信長との仲とは一味違うと思うんだよね
806 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 01:10:30
>>805 小説を持ち出されても困るんだけど。
光秀が「きんかん頭」と信長に呼ばれていたなんてのも、
一次資料には無いのだが本当らしく書いている。
小説上は「互いの呼吸の数さえ理解しあってる位の仲の与良さ」でもいいけどね。
807 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 01:19:01
>>803 京都に旗は既に立てているわけで、
毛利戦も先は見えており、光秀等の援軍で武田のように壊滅する。
一方、関東では支配下にあるのは上野のみであり、
この時点で北条は「かなり弱体化」はしていない、
また北条を倒し関東を制すれば、将軍になってもおかしくはないだろう。
808 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 02:02:02
光秀の渾名は惟光 きんか頭ではない 秀吉の渾名はハゲ サルではない
809 :
日本@名無史さん :2009/06/06(土) 16:28:25
信長は何だろ 度胸があるというか 配下に対して無神経というか 無警戒というか。 何回か死にかけてるよな。 光秀でなくとも やりたくなるだろ。 わずかの側近たちだけで 宿泊 ワニ使いがワニにいきなり噛まれたようなもんだな。
810 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 17:19:02
>>799 >秀吉は対毛利戦線に張りついていて参加できなかったのを嘆いている
嘆いてないよ、全然。秀吉の頭の中は己の手柄を挙げることだけ。
君が何を想像しようと勝手だが、それをさも史実のように語っちゃマズイだろ。
個人的意見として、という前置きを付けなきゃな。
文句があるなら、根拠出してくれ。
811 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 17:21:47
>>807 天正十年の時点で、北条は既に信長に恭順の意を示している。
よって関東以東には織田の敵はいない。
812 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 22:53:40
天正四年四月の本願寺攻めで、一万余の軍勢に天王寺砦に包囲された光秀。 信長は知らせを聞くや、わずか100騎で京から急行し、劣勢の3000の軍勢で光秀を救出、敵を蹴散らす。 このとき信長は銃撃により負傷。 大変な冒険だ。 しかし信長はなぜこんなに無理したのかしら? 桶狭間以前を別にしたら、こんな冒険はないのじゃないのか。 とにかく光秀が信長に救われたのは間違いない。
813 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 23:03:21
>>810 天正九年の馬揃えについて信長公記にあるじゃない。
嘆いてるは言いかたがちがうかもしれないが、
参加武将を羨ましがったのは間違いないでしょ。
滝川一益も関東で嘆いてるし、
みんな政権中枢に居たかった。
光秀は一貫してずっと政権中枢。
814 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 23:16:16
>>813 をちょっと訂正する。
文章が誤解を招くね。
滝川一益は馬揃えを嘆いてるんじゃなく、
政権中枢から遠くになって嘆いてるということ。
みんな中枢に居たかっんだよ。
815 :
日本@名無史さん :2009/06/07(日) 23:54:43
>>811 北条は約束を反古にし武田討滅戦に実質参戦してない。
戦後鷹を送ったが冷笑されている。
毛利の後は北条が討滅の対象になっただろう。
滝川は哀れだったよな 本能寺の直後関東で反乱に遭って敗走
817 :
日本@名無史さん :2009/06/08(月) 01:19:41
>>812 信長が光秀を嫌っていたなら有り得ない行動
実際は逆で光秀を大事に思っていたのだろう
818 :
日本@名無史さん :2009/06/08(月) 01:49:59
>>816 秀吉も、毛利の決意しだいでは哀れな運命。
織田家中枢の崩壊を知らず(巨大な増援軍が来ると思っていた)
和平を結んでしまったとしても、重要な情報を隠していたわけなので、
追撃して秀吉軍を壊滅させるのが当然。
毛利の外交担当安国寺と小早川秀秋は秀吉に心酔してたからな 吉川(兄貴)は追撃派だったみたいだが 毛利は秀吉追撃しとけば備中備前取れたんじゃねーか?アフォ
○ 隆景 × 秀秋 すまぬ、訂正
821 :
日本@名無史さん :2009/06/08(月) 15:35:12
>>813 要するに、対毛利戦線に張りついていた秀吉が、
馬揃えに参加できない現状を嘆いていたなんて論拠はどこにもないって事だろ
自分の妄想を史実であるかように語っちゃいかんよ、君。
一時的な行事にすぎない京の馬揃えへの参画は、政権の中枢に近づく道程でも何でもない。
それなら、当日この行事に参画していた一般兵までも、政権の中枢に近づけた事になる。
織田の将にとって重要なのは、信長から重要な戦線を任され、手柄を上げて織田家内でのし上がる事だ。
それだけが政権中枢への唯一の道だ。
それに馬揃えが挙行された天正九年は、まだ武田が滅んでおらず、当時滝川一益はまだ関東へ国替えされてない。
つまり、君の主張は、ことごとく君が創作した与太話って事だ。
822 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 00:11:49
>>821 言ってることがさっぱりわからない。
滝川が参加していて、誤解を与えるから訂正したし、
秀吉が羨ましいがったという言い方も適切じゃなかったと書いた。
なにが間違いないだというの?君は何を言いたいの?文章読めない馬鹿?
それに当時、天皇に対する馬揃えが信長政権の重要行事なのは当然だ。知らないの?勉強しなさい。
823 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 00:42:30
本能寺は火事だったんだよ 寝煙草の信長が悪い
光秀が消そうとしたが間に合わなかったと。
825 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 01:25:45
ちょっとごめん! 織田信長ってなにした人? 本能寺の変ってなにが変なの?
信長は敦盛の宣伝マン
827 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 06:56:32
>>824 その通り
光秀は信長を助けようとしてたんだお
828 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 06:59:01
>>825 日本ではじめてゴム長を履いた人
昨日は東京駅に長靴女がようけおったで
水色桔梗の旗を見て炎に包まれる瞬間 何を思ったか?信長 是非に及ばず‐‐‐ 飼い犬に裏切られた悔しさか?潔さか? 後年、吉田東洋(土佐藩参政役)が藩の上士に講義をした帰路 下士に待ち伏せされ倒された その時の講義演目が「本能寺の変」だったという因縁 これにより土佐藩の謹王思想が進む
830 :
日本@名無史さん :2009/06/09(火) 09:40:53
>>822 >滝川が参加していて、誤解を与えるから訂正した
>滝川一益も関東で嘆いてる
ひどいな、この矛盾。
滝川一益は熱望していた馬揃えに参加していながら嘆いてるのか。しかも一度も赴いた事さえない関東から。
何をどこで訂正したって?君、嘘はいかんよ、嘘は(笑)
>秀吉が羨ましいがったという言い方も適切じゃなかったと書いた
でも、
>>813 ではこう書き込みがある。
>嘆いてるは言いかたがちがうかもしれないが、参加武将を羨ましがったのは間違いないでしょ
結局断定してるじゃないか。ではその根拠は何だ?「信長公記」にそんな記載はないぞ。
だから君が何を妄想しようと勝手だが、それをさも史実のように語っちゃマズイだろって、親切に諭してやってるだろうに。
単なる雑談レベルの私見なんだから、個人的意見として、という前置きを付けて書き込めよ。
馬揃えは信長にとっては重要行事だが、配下の武将連中にとって重要行事でも何でもない。
配下の武将連中にとっての重要行事は、戦果を挙げる機会である重要戦線を任される事だ。
馬揃えに参加したからといって新たに加増される訳でもなければ、織田家内で地位が上がる訳でもないのだからな。
下手に粗相があれば失脚するだけの行事だよ。
嘘のメッキを引っ剥がされた腹いせに、個人中傷で溜飲を下げても、君に論拠がない事実は何も変わらない。
>>830 完全勝利だね あんまりやると完膚なきまでに弱者いじめをしてるように見えるから
そろそろその辺で勘弁しといてよ 822も懲りてるだろうし
理屈では勝てないから感情的になってるんだろうし
832 :
日本@名無史さん :2009/06/10(水) 03:19:10
>>830 君が歴史を勉強してないのがわかるよ。
滝川一益が上野をもらって、信長の茶器を賜われなかったことを嘆いたのを知らないの?信長公記にあるぞ。
柴田勝家が呼ばれてないのに勝手に帰ってきて参加したのは信長公記にあるぞ。
なぜ?
君のいう「信長政権の寵臣とは対外戦の最前線を担当する武将である」という根拠こそない。
君は今まで根拠を一つも書いていないな。
根拠を示したら?
できないだろうけどねw
京を抑え畿内を抑え、天皇や将軍家を影響下におき、政権を築こうという信長政権にとって
村井とともに京の奉行であり、丹波に畿内最大の軍勢を擁し、天皇に対しての馬揃えの奉行をする光秀が寵臣なのは当然だ。
信長は当時すでに政治の中枢を作りつつあった。森蘭丸が良い例だ。光秀も政権中枢だ。
これは戦争とは別だ。天下統一には政治の中枢の確立がなければならない。
対外戦担当というのは信長政権においてより下位に位置する。
播磨戦以降の秀吉は、信長公記をみても、信長の命で何度も光秀、荒木、信忠などに加勢してもらいながら戦っていて、少なくとも秀吉が光秀より上位にあると思えない。
秀吉が光秀より上位にあるという根拠を示しなよ。無理だろうけどw
833 :
日本@名無史さん :2009/06/10(水) 03:25:21
>>831 馬鹿がもう一人いたかw
じゃあ君も、
「織田政権内にあっては信長の寵臣とは、対外戦役での戦線担当者である」
と、根拠をあげて論証してくれます?
>森蘭丸が良い例だ。光秀も政権中枢だ。 武将への連絡官が中枢w 馬鹿杉 もっと歴史を勉強しような僕ちゃん 堀久太郎秀将はどのあたりの役職、位置付けと考えるんだ? 餌与えてやるから答えてみろ
835 :
日本@名無史さん :2009/06/10(水) 05:46:47
信長の寵臣が誰かなんて信長に聞かなきゃわからんだろ。
836 :
日本@名無史さん :2009/06/10(水) 09:29:51
結局のところ光秀秀吉どっちが信長にとってかけがえのない手駒もとい、側近だったの? どっちが大事な配下だったの? 教えてちょんまげ
837 :
日本@名無史さん :2009/06/11(木) 01:16:15
>>836 漢字の字義から言うと光秀だろう。(側に近い)
北陸方面軍,中国方面軍、関東方面軍,四国方面軍などあるが
近畿方面軍(光秀)に比べれば地方軍で五十歩百歩。
光秀の場合は信長は甥の津田信澄と光秀の娘を結婚させ、
光秀邸に宿泊(言継卿記)、光秀の窮地には自身も傷を負いながら救出(天王寺砦)
他の武将には、こんな例は無い。
是非に及ばず。 信長は光秀が包囲戦の達人で鼠一匹逃さない ことをよく知っていたから、討死・自決の他なし って意味だったんだろうね。 俺みたいな現代人しかも凡人には野望なんざわからんが、 あの時代で明智光秀のような立場・実力の者 ならば天下獲りの絶好の機会を逃したくはなかっただろう。 ただ、彼が重臣に打ち明けたのは決行の数日?前だった と言われており、それが事実だとして、 動揺と離反を避けるために仕方ないと思うが、 細川ら他大名や公家衆に根回しもしないで決行したのであれば、 それは失敗すべくして失敗したって感じ。 しかし、かと言って喋れば信長に密告される危険があるし、 俺の脳味噌ではどうやって謀反を、さらには天下獲りを 成就させるかなんて思いもよらんなぁ。 多分に俺なら野心、不安、憤怒が頭をよぎっても、 秀吉が毛利と対峙していた中国に命令通り向かったと思う。 天皇から勅命が下った(それを勝ち得た)のであれば、 錦旗を押し立てて、諸大名に号令を下すことも、ありかな。 それすら丞久の変を考えればどうなるかわからんけど。
織田軍が得意だったのは長期の包囲戦じゃない? 短期はどうなんよ?
840 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 01:39:16
841 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 02:45:29
>>838 確かに事を起こすには、密を要するわけで、広く根回しすれば露見する。
ただ、光秀の見通しでは、他の有力武将(柴田、羽柴ら)は暫くは畿内には戻れず、
今、光秀の下克上に加担することをためらっている中立武将も、
畿内にある強力な軍団が明智軍のみなので、いずれば傘下になると読んでいた。
実際に、光秀がいち早く軍を進めた、近江、若狭の諸将は光秀に従っているし
筒井なども光秀の要請で軍を派遣したものの、羽柴の接近で引き返させている。
帰還どころか滝川のように壊滅の恐れもあったわけだが、羽柴軍の帰還が10日ほど遅ければ、
最低でも、丹波、山城、近江、若狭、大和の五カ国、それにプラスして、丹後、摂津、
河内、泉なども支配下になったと思われ、とても他の軍団単独では対抗不能。
結果的には、秀吉の大ばくちが成功したということだ。
842 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 03:58:57
>>832 君は根拠のないレッテル貼りが好きだねぇ〜、論理的に反論する術がない時のさ。
滝川一益が関東に移されたのは、武田を滅ぼした後の天正十年。馬揃えは天正九年。
論旨と無関係の茶器云々で君の必死さは伝わるが、支離滅裂の下記の補正はどう足掻いても無理だよ(笑)
>滝川が参加していて、誤解を与えるから訂正した
>滝川一益も関東で嘆いてる
843 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 04:00:25
>>832 光秀が馬揃えの奉行を任されたのは、当時担当する戦線を持たず遊軍化していたからにすぎない。
つまり天正十年徳川家康の接待役を命じられた理由と本質は同じ。
柴田勝家の馬揃えの参加も、当時暇で、信長が怖かったから媚を売りたかっただけ。
信長の勘気に触れて、佐久間信盛らが失脚した後だしな。戦線を勝手に放棄して戻って来た訳ではない。
戦国武将にとっての栄達とは、大きな領地を得、多数の兵を指揮できる権限を有する事。
その頂点にいるのは信長(後年は秀吉)。
そこに近づける手段は、戦で手柄を挙げるしかない。
だから織田家中の武将は誰も彼も己の栄達に必死だったし、武将間の競争も熾烈だった。
よって大きな領地を支配し大軍勢を指揮する権限を与えられ重要戦線を任される者こそ、「信長の寵臣」に他ならない。
信長の側近衆は、単に信長と各武将の橋渡し役。軍事指揮能力より文官としての能力が認められた結果の人事にすぎない。
信長にとっての「寵臣」には違いないが、その存在感は祐筆と大差ない。
本社の社長の単なる取り巻き連中と経営手腕に長けた子会社の社長を同列に論じちゃいかんよ、君(笑)
では、君のいう「信長政権の寵臣とは対外戦の最前線を担当する武将ではない」という根拠を提示してもらおうかな。
できなかったら尻尾巻いて逃げてもいいよ。史実にない絵空事を創作するのも大変だろうしな(笑)
>対外戦担当というのは信長政権においてより下位に位置する
誰の下位に位置するって?肝心な箇所を省いちゃマズイだろ。具体的に示してくれ。ちゃんと根拠を明示してな。
戦局に応じて重要戦線に他の織田諸将を投入し加勢させるのは、織田家では当たり前の軍制。
その際「一時的に」方面軍司令官の指揮下に入るのも当たり前。
信長の晩年の最有力戦線は、対毛利戦。よって天正十年当時、そこを担当している秀吉こそ信長一番の寵臣。
ところで、秀吉が光秀より上位ではないという根拠を示しなよ。天正十年の時点でだ。
それ以前の事例を提示は却下だからな。
844 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 04:04:19
>>838 >彼が重臣に打ち明けたのは決行の数日?前だったと言われており
本能寺襲撃の直前だろ、明智配下の重臣に信長暗殺の意志を明かしたのは
845 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 04:09:41
>>835 史実に基づく客観的人事で、「信長の寵臣」が誰か簡単に判別がつくだろ
それは現在においても同じ事
政権内で要職に就いている者こそ、人事権を有するトップにとっての「寵臣」だ
846 :
日本@名無史さん :2009/06/13(土) 04:14:27
>>832 >秀吉が羨ましいがったという言い方も適切じゃなかったと書いた
>嘆いてるは言いかたがちがうかもしれないが、参加武将を羨ましがったのは間違いないでしょ
結局、上記書き込みの論証は放棄ですか(笑)
やっぱりね。君の妄想でしかないのだから、論拠を出しようがないよな
一番役に立つと認めた家臣が即ちお気に入り、ということで良かろう。 「役に立つ」といったら戦線で役に立つの意味に決まってるわけで、パレードなどハッキリいってどうでもいいイベント。
848 :
日本@名無史さん :2009/06/14(日) 08:09:26
秀吉=役に立つ=多少キツイ職場、任務を与えても何とかこなすだろう=忠実な部下 筆頭家老=柴田 けど、他の諸将からは嫌われてる 傲岸不遜 光秀=力もあり聡明で信長軍団内外への知名度も抜群 光秀、秀吉、柴田、3人に関して甲乙つけがたいんじゃないの?
849 :
日本@名無史さん :2009/06/14(日) 15:01:04
滝川=忍者。水軍にも通ず。 寝返り工作も巧み(木曽、穴山など) くせ者。一族にも慶次など変わり者が多い 丹羽=二流の人。真面目。裏切らない。 役立たずだが人望は六軍団長中トップ 築城という特技がある
850 :
日本@名無史さん :2009/06/14(日) 15:29:08
パレードはどうでもいいエベントちゃうがな 天皇や公家衆に織田家の力を披露する 格好のパフォーマンスや 今後の交渉にも左右する大事な行事やんか
851 :
日本@名無史さん :2009/06/14(日) 15:39:32
重要なイベント 生きていれば恒例行事になったかもしれない
>>850 公家共を呼びつけて並ばせておいて見せつけてやるだぎゃ とか
853 :
日本@名無史さん :2009/06/15(月) 17:51:54
性格激悪の柴田勝家に比べて 知的で聡明で武勇にも優れた光秀最高 何故謀反起こした?頭に血が昇った? 結果的に猿の天下取りへの露払いをしただけの光秀哀れ
ドラマとかだと聡明だけどねぇ…
聡明でなかったら出世していないだろう>光秀 でも他の部分の性格は…伝え聞く限り、当時としてはかなり稀な人格者だと思うぞ私は。 あれ以上の人格者をあげろと言われたら、高山右近くらいしか思いつかん。
負傷した家臣を気遣った 戦死した自分の兵を手厚く弔った 領民には慕われていた くらいじゃない? 珍しいかもしれないけど稀な人格者かどうかは解らんさ
857 :
日本@名無史さん :2009/06/16(火) 13:22:00
猿みたいな規格外の人物じゃないよね ひと廉の人物だし大将格の器だとは思うけどバランスが取れてて人望があり軍才もある 織田軍団が毛利軍団を撃破して膨れ上がってたら、もしかしたら柴田、光秀の両巨頭体制になってたかもな 秀吉にはどんどんと任務を与えてさ 京都の公家達には光秀が一番受けが良かったんでしょ
858 :
日本@名無史さん :2009/06/27(土) 14:35:47
859 :
日本@名無史さん :2009/11/08(日) 22:46:36
光秀が丹波を取り上げられて冷遇されていた、とか そういうのは後世の創作らしい。 実際の光秀の立場というのは、畿内で緊急時の遊軍を率いた 近衛軍司令官といったものだったらしい。 戦線を担当していなかったことをもって冷遇の証とか、 冷遇されたことへの怨恨が本能寺の動機だ、というのは無理があるそうだ。 結局、どうしていきなり謀反を起こしたのか 客観的に証明できる資料は何一つ残っていない。 だが、案外、そこら辺が動機を探る「資料」になるかも。 つまり、本能寺は研究対象としてきちんとした解答が用意できるような しっかりした動機に基づく計画的行動などではなく まさに「突発的」に、光秀の心理的動因によって 非合理的・非論理的・非成功追求的に惹起された行動なのかもしれない。 本能寺は「寵愛を失った元寵臣の焦り」などから生じた遺恨などではなく まさに「現役寵臣の錯乱による突然の珍事」なのだと思う。
本能寺の誘因で客観的なものといえば、 当時の織田家内の軍隊配置図だけだと思う。 織田家内の有力軍団長がすべて畿内から離れており 万を越す大軍を所有して畿内に存したのは光秀の軍団だけだった。 警戒すべき忠臣・秀吉は中国地方の攻城戦で膠着を起こしていたし 柴田、滝川といった武闘派も北陸や関東に散っていた。 自分が信長を殺害しても、 有効な反撃を加え得る戦力が畿内にいない、 そういう当時の織田家内の軍隊配置が 光秀の心に魔を差した、としかいいようがないと思う。 後の心理的要因とか、そういうのは全部、後付だと思う。 光秀は、その軍隊配置のなかで やらずにはいられなくなってしまったのだと思う。 人間にとって、すぐに手を伸ばせば取れるものをとらないで そのままにしておくことほど、つらいものはない、と思うから。
本能寺誘因の最後に、「信長のパーソナリティ」が挙げられると思う。 相手を「騙す」ということを外交の基本に据えていた信長は 当時の武士からも「武士の本分を外した人」と思われていたのだという。 畿内はともかくとして、それ以外の下克上がそこまで浸透していない 地域の武士たちからすると、信長のやり方は とてもまともな武士のやり方とは映っていなかったという。 だから「こんな奴なら殺してもかまわない」 「こんな武士の風上にも置けない男は、殺してしまうことが、むしろ正義」 という素朴な感情を、当時の武士たちに喚起してしまった、という説。 少なくとも、平気で臣従者を陥れてくる信長のやり方に すべての戦国武士が諦めてついていけたわけではない、ということ。 光秀が後世に伝わるとおりの教養人なら、あまりにそれら教養と かけ離れた信長の渡世は、耐え難いものであったことは想像に難くない。
>後世に伝わるとおりの教養人 なんて言ってるのはルイス・フロイスの光秀評も知らないんだろうな。
宣教師は立場で人物評を変えるんだよ 自分らを庇護してた信長を殺した光秀は 意図的に悪意をもって描写されただけ 宣教師の描写を信じるなら 秀吉も樵(きこり)の子、ということになる そっちこそ大河の直江の兜の「愛」を見て 感激して号泣してるクチじゃないのか。 情けない。
宣教師の言葉を丸呑みすれば信長は無神論者になるんだっけ 実際は迷信深い人物なのにな。
>>実際は迷信深い人物なのにな。 そうだったのか どんな例があるの?
>>866 そう言えば、信長関係か何かのどこかの城跡を掘り返したら、石仏とかがたくさん出たけど、
それは、石仏の類いが城の守りになるという迷信に基づくもの、とか言う話もあったけど、
どうなのかな?
>>866 比叡山焼き打ちの前に本当に祟りが起きないかを神主さんにしつこく聞いたり
熱田神宮を保護したり、織田家の崇敬する法華宗の本山である本能寺に京都行くたびに
泊まってたりする
>>869 え゛ そ そうなの? それって、どういうところに書いてあるの?
そういえば、熱田神宮は地元だから別格だろうけど、少し離れた神社にも信長が寄進したとかいう話があったような。
そうなると、無信仰とかとは逆に、浄土真宗も天台宗も、宗派が違うから平然と徹底的に叩いたのかな。
まあ、法華も、逆らったりしたらどうなるかは分かったもんじゃないだろうけど。
>>870 本能寺に信長がたびたび泊まってる事は信長公記にある。
比叡山の時に聞いたというのは聞かれた神主さんである吉田兼見の日記だったかな。
熱田神宮と信長のつながりについては、信長自身が長篠直前に八剣宮の再建を命じてる事とかも信長公記にある。
一向衆の場合は信長が大金を要求し難題をいって反抗された。
天台宗というか比叡山も信長にいきなり土地を奪われたので敵対した。
>>871 あ、(確か)神官の日記。なるほど。
それそれ、八剣宮。長篠というか設楽が原の直前でしたか。
桶狭間の時もそうだけど、乾坤一擲の大勝負の直前なのだから、やはり、
けっこう験を担ぐところがあったというのは間違いないことになりそうですね。
少なくとも神仏などまるで眼中にないということは全然ありえないと。
自らを崇拝させようとしたとかいう話もあったと思うけど、それ自体、
考えてみれば神仏の存在を全く考慮しないのとは全く逆とも見ることが出来そう。
> 一向衆の場合は信長が大金を要求し難題をいって反抗された。
あ そうなの? 長島なんかもそういう伏線ですか?
> 天台宗というか比叡山も信長にいきなり土地を奪われたので敵対した。
なるほど。どっちも、宗派が異なるから遠慮会釈なく搾り取ろうとしたとしても、
何ら矛盾はないですね。
本能寺が終焉の地になったのも、まあ、因縁というか、たまたまとかでは全然ないですね。
>>871 それもあるが比叡山焼き討ちは
志賀の陣のときに朝倉・浅井に比叡山が味方したから
行われたもの。
一部の論者が言うように信長が仏教嫌いだったからと
いうわけではない。
>>873 それは時系列が違うかと。
信長南近江制圧→比叡山の領地奪う→比叡山は領地を奪われて困窮→
比叡山は朝倉浅井が織田と戦うのを支持→信長、志賀の陣の時に領地を返すからこっちの味方になれと比叡山に要求
→比叡山拒否→志賀の陣の和睦締結(このとき比叡山は最後まで和睦に反対した。信長に報復される事を予想してたのか、それとも恨みか。)
→窮地から脱した信長は比叡山を攻撃→比叡山焼き討ち
って流れかと。
ここにいる人では特に信長が仏教嫌いとはいってないのでは?
法華宗を信長が保護してた事や本山の本能寺にたびたび泊まってる事は触れられているし。
>>872 長島はもともと石山本願寺の有力な分家。
本願寺宗家は京都に入ってきた信長に大金を要求されて不信感を抱き
信長軍が三好勢を追って石山近くまで来た時に、
次にやられるのは自分達だと警戒して蜂起した。
本願寺の書状によると「信長が京都に入ってから度々難題を申しつけてきてもう我慢の限界だ。」
みたいなのがあるからいろいろ不満があったらしい。
長島は本願寺宗家が蜂起したのを受けて、分家としてそれに協力すべく蜂起した。
もっとも長島も長島で現地の織田勢力との確執があったともいわれてる。
>>875 なるほど、連鎖というか同根の問題。
そういえば、家康なんかも一向宗にてこずらされてるわけだけど、要するに、
加賀とかほどではなくても、独立性というか、要するに領主が税金せびり取ろうと
するのに抵抗する傾向が一般的だったとかいうことなのかな。
>>876 抵抗する傾向が一般的というか
武家が自分達の領土を保証されているように
寺社も自分達の領土を保証されていた存在。
武家が他の武家から従う事を要求されたり税を納めるように言われたら武力をもって抵抗するように
寺社もまた自分達の自主性や権益を守ろうとしただけ。
当時は自力救済の時代で、自分の危害は自分で払いのける時代だから当然武力を伴った。
戦国時代というのはそれまで並列して協調しながら存在していた武家と寺社という二つの権益組織が
それぞれの道を歩もうとした時代とも言える。
武家の方は寺社を自分達の下に屈服させようとし、寺社は武家から離れて独立の道を行こうとした。
当時はこんな感じで武家と寺社の争いはいたるところで起きていた。
信長の畿内での寺社との争いもその一端にすぎない。
878 :
日本@名無史さん :2009/11/14(土) 08:27:57
>>877 ちょっとタイム。
そういうのは細かく習ってないか、習ってもしっかり忘れてるんだけど、
一向一揆とかいうのは、皆、基本的に寺社領ベースなの?
で、加賀とかのは、それが他を圧倒したままでしばらく続いた例、という感じなのかな?
880 :
日本@名無史さん :2009/11/15(日) 16:44:33
ケネディ暗殺と一緒でしょう。明智オズワルド光秀の単独犯になってるけど、実際はもっと大きな力が寄ってたかって絡んでるんだと思う。
>>880 状況から考えると黒幕なんていない
過去レス読んでね
>>879 もとは寺社系だね。中興の祖として蓮如が出て大衆に広く布教した事で
民衆にも莫大な支持を得た。
一向衆はこの要領で全国的な布教と伝道を行い
本願寺を中心に結束した民衆相互扶助によるコミュニティと教団を結成。
各地の大名達はこれに応じて味方にしたり弾圧したりした。
対する比叡山とかは完全な寺社系。
一向衆は寺社勢力とも少し違うよ。 叡山や興福寺が僧兵を中心として寺領を守ったり、他宗派や武家と抗争したのに対し 一向衆は基本在家信者を土台として、それを本願寺の僧官が指揮するゲリラ部隊に近い。 講を通しての信者同士の横の連帯が強く、本願寺を後ろ盾に領主に反抗した。 石山合戦では、本願寺の戦力として統制されて動いたが、 それ以前は全国に信者の多い一向宗(浄土新宗)の威を借りた領主に対する武装蜂起団体。 一揆を起こしてない時は、普段は大人しい農民だったりするので弾圧・殲滅が難しい。
884 :
日本@名無史さん :2009/11/16(月) 03:50:30
光秀は秀吉に勝っていたら英雄だったのにな。 勝った方が正義だけに、惜しかった。 明治維新だって失敗していたら、長州の奴らは国家転覆を企んだテロ集なわけだし。 光秀...
>>882 いや、「民衆相互扶助によるコミュニティと教団を結成」というような説明は学校で習った記憶があるけど、
「その地盤」が何なのかという疑問。
寺社領と直接的な関連性があるとかないとかいう話は記憶にないから、寺社領とかとは無関係に、
領主等の支配を排除しようとしたという風に理解していたけど、877を見ると、「寺社もまた自分達の
自主性や権益を守ろうとしただけ」ということだから、権利がある範囲=寺社の領地=から排除しただけ
みたいにみえるんだけど???
基本的には、戦国期の混乱で有耶無耶になっていた領分について「権利回復」して、その勢いで、
他もふんだくった、という流れなのかな?
つか、各地にそういう寺社領の類いというのがどの程度存在したんだろう?
土台からして、その辺を正確に知らなかったりする。けっこう多かったとかなのかな?
>>883 土台からして、当時の土地所有の状況を知らなかったりする。
> 叡山や興福寺が僧兵を中心として寺領を守ったり
これは、明確に「どこそこ村字何とか(からの税収)は○○寺のもの」という権利に基づいてるわけだよね?
> 在家信者
これは、本来は何に属するもの(どこに租税を納める義務を持っている者)」なのだろう?
もちろん、加賀のばあいとか、家康に抵抗した三河の(なのかな?)とか、長島とか。
長島は本願寺の領地なのかな?
>>886 >これは、明確に「どこそこ村字何とか(からの税収)は○○寺のもの」という権利に基づいてるわけだよね?
幕府が保障して、荘園領主の寺社が代官を派遣して直接支配していた領地
それでも守る力のない所は、大名や国人に奪われていく
>これは、本来は何に属するもの(どこに租税を納める義務を持っている者)」なのだろう?
>もちろん、加賀のばあいとか、家康に抵抗した三河の(なのかな?)とか、長島とか。
>長島は本願寺の領地なのかな?
寺領に住む信者はその寺に、武家領に住む信者はその武家に
加賀だと吉崎は寺領で、三河だと本證寺や上宮寺の寺領があるな
長島だと願証寺の寺領があるが、国人領主層の門徒も支配して大名並みの力がある。
本願寺が寺領以上の経済力や戦力があったのは、寺領以外からの門徒の布施や労働力・戦力の提供があったから。
門徒でない国人領に住む門徒も一揆を起こして国人を追放・・本願寺から僧官を招いて本願寺の支配を受ける所もあれば、
単純に領主に意見を通すために一揆を起こしたり、一揆勢の名を利用して商家を襲って米や金を奪ったり乱暴狼藉をする場合もある。
>>887 それにしても、石高の割合でいったら微々たるものではないのかな?
要するに、正当な支配権が及ぶ範囲は狭い。
そういうことはなくて、何割とか巨大だったとか? その辺の数字が分からない。
>>888 スマンが、俺には君の言いたい事の方が解らない
スレ違いだし、どうでもいいわ
>>889 > 幕府が保障して、荘園領主の寺社が代官を派遣して直接支配していた領地
> それでも守る力のない所は、大名や国人に奪われていく
↑
こういうのは、絶対的な面積でいったら、パーセント単位の微々たるものではなかったのかな?
そういうことはなくて、割単位とか、相当に強大だったのだろうか?という疑問。
叡山なり一向一揆なり、信長の対抗勢力(だったもの)の実体がどういう風だったか、
という意味では、全然無関係ではないんじゃないかな?
まあ、それが本能寺事件に多少なりとも関連してるかどうかは知らんけど。
891 :
日本@名無史さん :2009/11/19(木) 01:28:09
おうい 何でもいいが 嫡男連れて歩くな
よし、分かった。
893 :
日本@名無史さん :2009/11/20(金) 14:52:35
善悪の話か?これ
894 :
日本@名無史さん :2009/11/20(金) 15:20:57
遅かれ早かれ、信長は排除された
895 :
日本@名無史さん :2009/11/20(金) 15:26:28
光秀の頭では、秀吉は自分に付くと思っていたんじゃないかな?
>>894 まあね。無茶苦茶やってるからね。
ビッグになったのは大概似たり寄ったりではあるけど。
>>895 四面楚歌のままで自滅するとハッキリ見通しながら暴発したものかどうかは論点の一つだけど、
それはあんまり根拠がありそうにないんじゃない。
898 :
日本@名無史さん :2009/11/28(土) 13:31:32
まあ普通に光秀の頭は狂っていたんだと思う キンカ頭の被害妄想と思考能力停止 精神的に弱かった光秀が悪い 信長悪くなーい!
そこまで家臣の神経を痛めるほど追い詰めるなんて信長は最低上司だな
当時はどこの上司でも、部下を平然とリアル首切りしてました…
信長のほうの頭もかなり逝きかけてたんじゃなかろうか? いや、予定通りに行ったとしても、まだまだ完全制覇までは手間暇がかかったか。
902 :
日本@名無史さん :2009/12/02(水) 20:59:01
坂本城で25日まで重臣達と軍議を重ねた光秀は 「心知らぬ人は何とでも云わば云え 身をも惜しまず名おも惜しまず」 の一首にその心情を示した。 家臣の中には地に額ずき、感極まって嗚咽を漏らすものもいた
904 :
日本@名無史さん :2009/12/04(金) 22:49:47
♪君が涙の時には 僕はポプラの枝になる 孤独な人につけ込むようなことは言えなくて 君を泣かせたあいつの 正体を僕は知ってた 引き止めた僕を君は振り払った遠い夜 ここに居るよ 愛はまだ ここに居るよ いつまでも 空と君との間には 今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる 空と君との間には 今日も冷たい雨が降る 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる♪
905 :
日本@名無史さん :2009/12/05(土) 21:27:27
>>900 釣りじゃないなら一から勉強しなおせガキ
906 :
日本@名無史さん :2009/12/07(月) 18:09:30
結局秀吉に信長の本当の歴史は隠されたんだけどね。光秀は猿に騙されて たかまあ内通はしていたね。あんな早く明智をうてるはずがない。一番賢かった のは家康。兵を京に向かわせて明智討伐してたら秀吉に打たれてであろう。 だから秀吉は家康とだけは戦いたくなかっただと思う。本能寺に抜け穴が あってそれを封じたのは猿ってことを知ってたのかな?家康が淀を助けて たら信長よりかっこよかったのにな!!光秀も信長も猿のからくりにやら れたんだろう。よってどちらも悪くない!!である。
なんだこの無理やりな理屈
908 :
日本@名無史さん :2009/12/27(日) 11:06:46
明日の9時に、テレ東のトンデモ日本史が放送されるようだ。
皇帝への野望 本能寺の変は信長のクーデターだった
戦国時代最大の英雄・織田信長が討たれた、日本史上最大のミステリー・本能寺の変。
じつはこれが、明智光秀のクーデターではなく、信長のクーデターだったという、歴史を覆す驚愕のミステリーに迫る!
天下統一を決意した信長の思いが込められた「岐阜」の地名、中国の皇帝が使った言葉に由来する「天下布武」という言葉、そして安土山の山頂に築き上げた巨大な城「安土城」から明らかになる、信長の中国に対する強いこだわり・・・。
本能寺の変の真相を暴く!
http://www.tv-tokyo.co.jp/7mystery_09/ 内容は、又あのパターンだろうね。
909 :
日本@名無史さん :2009/12/31(木) 02:04:37
>>908 本能寺の変には不信なことが多すぎる。直前の光秀の接待役解任。光秀には信長に
よる天皇襲撃の密命があったのではないか?信長は光秀軍の京入場を知っていた。
光秀は密命を破り天皇ではなく本能寺の信長を襲った。
光秀の天下取りへの計画性のない迷走も理解できる。
家康・秀吉なども薄々信長の野望に気がついていた。
911 :
日本@名無史さん :2010/01/11(月) 23:02:40
皇帝の野望。あるいは天皇家の襲撃を信長に企画立案したのが光秀。 明智光秀こそ本当の意味での本能寺の黒幕。 そうやって足利将軍家をも滅ぼしてきた。 のこのこつられて京に出てきた信長が「是非に及ばず」と一瞬にして悟るのも無理はない。
913 :
日本@名無史さん :2010/01/12(火) 00:38:13
>>909 解任というか、サルから援軍要請があったので、そちらが優先されただけ。
信長の命に従い、丹波に戻って軍勢を整える必要があった。
援軍の要請があるくらいなので、中央で変事が起こってもサルは戻れない、
上杉と魚津城を争う柴田、そして滝川は北条と争い戻れない。
濃尾、甲斐信濃を支配する信忠は親父もろとも撃滅できるのでこんなチャンスは二度と無い。
しかし、家康を補足できなかったので東国の平定を優先し、近江を制圧、美濃の調略にかかったところ、
以外にもサルが大返し......
914 :
日本@名無史さん :2010/01/12(火) 00:54:33
■■織田信成が織田信長の子孫って本当?■■
http://hideyoshi.2ch.net/test/read.cgi/skate/1251535688/ ? 有名人が主張する家系 ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1244790413/ あれ?なんで織田家の末裔がいるの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1072618541/ 、-‐'" __ ヽー- 、}ヽ
,/´/ / , _,. _/ ノ レi
_,// / /{ i ー' ノ
/ // / / .i l l! ー<
/ / //!/ ヽ ヾ l 〉ヾ,
!/! イ === ==ヾ、 }
|」l ! ,:==:、 , ,:==:、 l /
f r| !| ´ ' ヽ ` | l/
.l ヾハ ( ,-、_,-、) l/l!
\ _j _,, -―-ー-、_ l /
l l ヽ =エエエ=7 /´ 先祖の声が聞こえた
`l丶 `ー---‐'´ イ┐
l \ / 」、 _ ,,.
「ヾ、__,>ー‐- ′_/ r―-- `ゝ
l イ /  ̄ ̄ ヽ
!_ _,.. i | / ヽ
/ !.| ,/
915 :
日本@名無史さん :2010/01/12(火) 17:54:59
やっぱサルが怪しい
916 :
日本@名無史さん :2010/01/12(火) 21:57:26
タヌキも怪しい
917 :
日本@名無史さん :2010/01/12(火) 23:14:07
やれやれだぜ
918 :
日本@名無史さん :2010/01/12(火) 23:36:25
・武田攻めでの御折檻 ・徳川様接待不首尾のお叱り ・丹波で、足の不自由な母を見殺しにされた仕打ち
919 :
日本@名無史さん :2010/01/13(水) 01:23:51
920 :
日本@名無史さん :2010/01/13(水) 02:05:17
その後の行動をみれば一目瞭然 甲斐と信濃を掠め取った家康が黒幕
>>920 安土に家康が来て光秀が接待していたときに共謀した・・・
といいたいんだろうが、もし光秀が断ったときは?
信長に通報されてたちまち家康の首が飛ぶぞ。
他の陰謀論もそうだがこの点をまったく考慮してないだろ。
922 :
日本@名無史さん :2010/01/13(水) 13:19:25
信長が家康に本当の脅威と感じたのは嫡男の切腹からだ。 たしかに家康に圧力をかけたがそこまでの処分をするとは。 内実はともかく身内とくに息子達に甘かった信長には衝撃だった。 せいぜい徳姫とヨリを戻し孫でも生まれれば人質に手元で教育を施せる。 それで徳川も自然にコントロールできると目論んでもおかしくはない。 それが完全に打ち砕かれた。 そのときから信長の家康を見る眼が変わった。
923 :
日本@名無史さん :2010/01/13(水) 13:33:09
>>921 光秀の子孫を自称する人の書いた本だと、その辺がうまく説明されている。
924 :
日本@名無史さん :2010/01/13(水) 17:34:06
光秀は 堺にも軍を送れば良かったのに
丹羽長秀って光秀、秀吉差し置いて軍団長になれなかったり 本能寺時のドサクサに織田信澄をぶっ殺したり、 素早く光秀見捨てて秀吉についたり、 その後不審死を遂げたのを見ると 本能寺そのものを立案したのはコイツのような気がする
>>925 長秀も山崎合戦に参加してるよね。
長秀なり秀吉なりが黒幕なら、何故光秀はその事を黙ってたんだろ。
つか他の誰が黒幕でも、変後あれだけ兵を集めるのに苦労した光秀がその名前を出さないのはオカシクないかい?
そもそも
>本能寺そのものを立案
と君は言うが、
A各軍勢が前線に張り付いて畿内が軍事的な真空状態
Bその中で光秀が大軍で行動しても怪しまれない
C信長がわずかな兵で京にいる
これら諸状況をどうやって作り出した?
この状況を作るのは信長以外には不可能だろ。
だからスレタイの通り、本能寺の変は信長の自業自得。光秀の単独犯だね。
ダレソレが黒幕だ、立案したんだ、というなら、以上も説明してくれないと。
>>923 その本には家康が本能寺の変前の状況をどうやって作り上げたかは説明されてるかい?
928 :
日本@名無史さん :2010/01/16(土) 19:23:43
本能寺の変時の状況は偶然によるものだろう。 そんないつ起こるともわからない偶然にそなえて明智と連絡取り合うのはかなり危険。
929 :
日本@名無史さん :2010/01/16(土) 21:38:05
それはあきらかに危機意識のなかった信長が悪い。 あれほど光秀が口酸っぱく地方軍閥化した柴田,秀吉,滝川が反乱を起こすのは時間の問題だというのに。 家康は武田と確かに手を組んでいた。 しかし嫡男の信康を切ったのはある意味家康の凄さといえる。 だから上洛のさいの家康の始末はこの光秀にまかして頂きたい。 そう光秀は信長に懇願したかもしれない。 しかし信長はすべてを無視した。 たしかに光秀は焦っていた。 しかしそれは別に信長の個人的な恨みでもなく 別に天下を欲しかったわけでもない。 あまりに武将としての先見性のゆえだった。 幻の中央集権的軍事制度。 ナポレオンの近代軍制に先立つこと二百年。 明治維新の大村益次郎に先立つこと四百年余。 それが明智光秀の悲劇。
930 :
日本@名無史さん :2010/01/16(土) 21:50:46
訂正 四百年余→三百年余
931 :
日本@名無史さん :2010/01/18(月) 01:13:32
>>926 > A各軍勢が前線に張り付いて畿内が軍事的な真空状態
> Bその中で光秀が大軍で行動しても怪しまれない
> C信長がわずかな兵で京にいる
光秀の自称子孫の人の本だと、その状況は、
家康と重臣を本能寺に呼びよせて、まとめて殺し、
光秀軍に徳川領へ攻め込ませるために、信長が作った。
光秀は、徳川領に移封される予定だった。
>>931 だからそれは単なる「推理」だろ?
史料的根拠などなにもない。
黒幕説に共通しているのは「結論のほうがはじめにある」ということだ。
結論先にありきではなく素直に解釈すれば本能寺の変には
謀略などなかったということになるんだがね。
それも結論ありき以外の何物にも見えん
>>933 わかっているのは
信長の命で各「方面軍」がそれぞれの戦線で戦い、
信長の命で明智は羽柴の援軍にむかい、
自身の意思でわずかな兵で入京した
ってこと。
普通に考えれば
>>932 のようになるがなあ。
黒幕を主張するなら以上が誰かの操作である事をきちんと説明できなければ説得力がない。
僕らは
信長及び信長軍の最終決定は信長にある、という従来の説に立脚してるだけだよ。
まさか君はそれを否定してるの?
>>933 ついでに。
「結論ありき」ってゆーのは過程をすっ飛ばして、自分の主張する結論から論理を組み立てる事。
僕らのようにきちんと過程を踏まえて論理展開してよね。
939 :
933 :2010/01/18(月) 18:42:46
>>937 いや別に俺のは横レスで、俺は何説もとらないし。
ただ「素直に解釈すれば」「普通に考えれば」君の説に
落ち着くとはどうしても思えないってだけ。
>>935 みたいな言い方と材料を用いるなら
陰謀論も組みたてられるんだよね、実は
信長の命令で方面軍が各地に分散したのは別に本能寺直前の事態じゃない
秀吉も柴田も本能寺前の何年も前からそれぞれの戦線で兵を率いて戦ってるから
武田が滅んで信忠の指揮下に置かれていた武将や兵力のうち、
滝川は上野に行きました、森は信濃に行きました、河尻は甲斐に行きました、
といった感じで信長はおろか信忠の手元にもろくな軍隊がいない
残るは畿内で有効な戦力と言えば@明智軍団A丹羽・信孝コンビと与力の兵
B出征している武将達の留守将と兵Cその他中川とか手空きの畿内衆
くらいなもの
このうちBは問題にならない
明智も問題にならないと思っていた事は書状にしっかりある
Cは明智軍団の戦力と比べれば劣り、秀吉の到着が遅れればまず明智の組下に入っていたはず
事実明智も誘っていて彼らが揺らいでいる中に秀吉が戻ってきた
Aについては長宗我部向けの戦力だが、長宗我部と織田の関係が悪化したのも本能寺直前に急になったわけじゃない
織田の盟約翻しからの長宗我部との関係悪化は本能寺の時点で既に1年以上たってる
明智軍団が畿内北部管轄であり長宗我部と縁浅からぬ以上、明智軍団が四国に派遣されるとは考えにくい
となると信孝・丹羽と畿内南部の戦力が向かわされるのはかなりの確率だし、
それは本能寺よりずっと前から明確化してた
つまり本能寺から数ヶ月前にさかのぼってみるだけでも、それこそ武田が滅んだ時点で見ても
畿内にまともな戦力は明智軍団しかいない状態になってた
この時、陰謀を企てた「誰か」が明智をそそのかし信長を討とうと思えば成功率はかなり高いとみるのは自然
信長は武田攻めの前に朝廷からも大義をもらっていたから
凱旋してくれば朝廷に報告と御礼の為に息子信忠ともどもまず確実に京都に入ってくる
つまり「誰か」がこのタイミングを見計らって明智をそそのかしたなら
それは決して無謀でも偶然でもなく、情勢の分析によって予測しうる事態だったといえる
単独犯か陰謀論のどちらが真実かどうかはさておいてね
941 :
日本@名無史さん :2010/01/18(月) 19:57:53
>>940 ぽっかり穴があいてるな
信長がわずかなともまわりで本能寺に泊まったのは?
これも誰かが信長をそそのかしたのか?
光秀や信長をそそのかした人物がいる証拠は?
あなたはそうじゃないけど、証拠もなく誰彼構わず犯人を仕立て上げるのって随分短絡的だよな。
>>941 そそのかす必要はないよ
信長が京都入った時に大抵泊まるのは本能寺か妙覚寺だから
本能寺というのは織田家が崇拝する法華宗の大寺で
1582年の本能寺の変以前から何度もここに信長は泊まってる
信長が朝廷へのお礼の為に京都に入ってくるならばこれまでの例から見て
まず確実に本能寺か妙覚寺に入ってくる
そして現実に信長は本能寺に泊まり、信忠は妙覚寺に入ってきた
まあ義昭とかの手紙はある程度の根拠になるんじゃないの
君は自分で言い出した事の立証はしないのかい?
>>941 ぜんぜん答えになってない。
信長が少人数で上洛したのは彼自身の判断のよるもの。
つまり信長はもっと多くの(たとえば1万以上)軍勢を引きつれてくることも
できた。
そうしたら襲撃は成功しなかった。
「義昭の書状」がなにを指しているのかわからないが、
雑賀の土橋宛ての光秀書状なら、変から10日も経ってから光秀は
「将軍の上洛の件は引き受けた」といっている。
もし前々からそういう予定だったのならそんな言い方はしないはず。
現に細川藤孝、忠興宛ての覚書でも仲間がなかなか付かないのに
義昭のことはひと言も出てこない。
将軍を担いでの決起ならそのことを大々的に宣伝するはずだろ?
>>943 答えになってないのはそっち
大々的に軍勢をつれてくるも何もどっから連れてくるの
既に武田を滅ぼして武将配置を終えた時点で
畿内にはろくに兵がいなかった事は
>>940 で論証済み
信長にしてももはや畿内で大々的に動かせる兵力なんて
それこそ明智軍団くらいなものなんだよ
その明智軍団が背いたから殺されたわけで
しっかり言ってるじゃないか「将軍の上洛の件は引き受けた」って
義昭も上洛に向けて毛利を焚きつけてるしね
書状からしても義昭に作為があったとみる事は可能だしね
真実が何かはともかく君のあげた材料だけじゃ完全否定は難しいね
>>945 今陰謀論なんて唱えたら頭の悪い人扱いされるだけ。
もうバカバカしいから止めるよ君の相手は。
だいいち細川宛ての覚書すら知らないのは
たんなる勉強不足。
そうなんだよね。 本能寺は半要塞化されているから、一万が五千でも光秀は手が出せなかったろう。 信長入京時の兵力を小数に留める操作ができる存在は限られる。つか朝廷くらいしかないだろ。 ところが 光秀の最大の失敗は信長の首をあげなかったこと。 それで畿内の諸豪族は信長が死んだか落ち延びたか判断が難しくなり、軽々しく動けなかった。 秀吉はそこをうまくついて、自身が畿内に着く前から「信長は実は生きている」とデマを流し、彼らを光秀側につくのを防いでいる。 だからもし黒幕が朝廷なり将軍(義昭はいまだ征夷大将軍を辞してない)であれば、その一事で流れは光秀に来るのに、ソレをしてない。 だから朝廷も義昭も関与してないか、光秀が知らずに踊らされてるかのどちらかだよ。
>>946 知ってるから
>>940 で畿内衆を問題にしていないと書いたのに。
義昭の手紙しらないようだけどどうなのよそれ
まあ君がそう思うならいいけどさ、少なくとも君が導き出してるのは論理的帰結ではなくて
願望の帰結だよ
君の材料なら陰謀論も組みたてられてしまうだけ
>>947 本能寺に一万も入るとは思えないけど…
朝廷に会いに行くのになんでそんな物々しくしていく必要があるのかな
義昭は動いたけど毛利に止められてるね
少なくとも陰謀論を完全に葬り去るには君の材料と論旨じゃ無理だよ
願望も何も 黒幕論者が挙げるどの人物にも変のお膳立ては物理的に無理だし 変後兵を集めるのに必死だった明智が黒幕の名前を出さないのはどう考えてもおかしいだろ。 君は変後の事はどう考えてるの? 朝廷に呼ばれても大兵を率いるのはこれまでも例があり、少しもおかしくない。 総合的に黒幕説には無理があるんだよね。 明智が知らずに踊らされていた、というならともかく。
もう相手にしないんじゃなかったのかい 物理的に無理なんて言ってるのは君だけでしょ 本能寺の変の状況は既に本能寺前の数ヶ月前にはあらかた成立してた この状況に気づいた「誰か」が当時畿内に存在していた最大戦力の持ち主である明智をそそのかしたなら十分可能だよ 明智は義昭の上洛を引き受けたといい、義昭も毛利を焚きつけている 義昭の書状からも何らかの関与をしたと読み取ることは可能 大兵を率いるといったって、別に信長は朝廷を威圧しにいくわけでもないのに 大兵を率いる理由がない そもそも畿内には信長の手元に集められるろくな兵がいないし、かき集めようとしてもばらばらになってるから時間がかかる 威圧目的でもない限り無駄な手間だね 黒幕説に無理があるとかいうのは勝手だし、真実が何かなんて断定はできないが 君の用いてる材料と論理では陰謀論を完全封殺するのは無理だよ
>>952 まあ落ち着け。
複数人の書き込みを同一に捕らえてるぞ。
俺はそそのかしたという証拠がない限り光秀単独犯説も黒幕説もどちらも有り得ると考えるし
君も相手側も同じくらい論理的だと思うよ。
ただ君と違い世の黒幕論者は結論に固執して上記のような過程はほとんど無視したマユツバなのが多いのは事実だろう?
公的な記録に陰謀論がない以上、論理的説明がより求められるのは黒幕論者達だと思う。
フーダニット、ホワイダニットばかりでハウダニットが語られないのはおかしいと俺は思うんだ。
>>950 レス読めば他人とわかるだろに。
自分以外は同一人の自演認定かい。
その方がよほど失笑をかってるのに気付くべきだよ。
>>954 その割には活動時間帯まったく同じなんだね
いや素晴らしい事だね
>>953 複数人も何もそんなに人がいたとは思えないけど
まあいいか
陰謀論をとる人間のスタンスがどうであれ
公式的に言うなら単独犯説も公式ではなくて
謎なまま
古くから陰謀説はささやかれていて
光秀の動機も謎なまま
だから今でも結論ははっきりしないまま
この状態において「陰謀論は公式ではないから陰謀論は駄目、単独犯で確定、これが論理的帰結」
なんていうのはそれこそ論理の放棄だと思うよ
ま、信長は生涯でたくさん裏切られているからいまさらな気もするけどね
俺とあなた、そして自演認定して相手を馬鹿にする奴、本能寺に一万人いればと言った人、状況ABBと並べ立てた人、少なくとも四〜五人いると思うが、 それこそ論証不可能な事にレス費やすのは無駄だね。 俺は陰謀論を一概にダメとは思わないよ。ただ今迄の黒幕論者は根拠薄弱だと言っている。 あなたの論がダメなんて思わないよ。 公的云々というのは、事件は光秀の単独犯で処理されたでしょってこと。 陰謀を裏付ける証拠が出てないよねってこと。 動機不明だから陰謀だというのは短絡だよね。歴史上のあまたの事件、いやさ現代の事件でも動機不明のなんてわんさかある。 勿論陰謀が介在したものもあろう。けれど多くの陰謀論はマユツバだね そもそも誰にもわからないようにするのが陰謀だし、黒幕なんだから、 立証不可能、言ったもの勝ちの観がある。
続き 本能寺の変がやたら重大視されるから陰謀論花盛りだけど、 朱子学で考える江戸時代では当然謎となるが 最近のは信長の過大評価と光秀の過小評価が大きいと思う。 光秀単独では信長が倒せないという前提があるね。そういった底の浅い陰謀論者に待ったをかけただけ。 単独か陰謀か議論しても答は出ないけど、いいんじゃない? 俺は少なくともきちんと論議しようとしる人は意見が違えど尊重してるよ。 相手を見下すつもりは毛ほどもないけど、そうとられるならそれは俺の表現が下手くそだからだな。 俺は今一度自分なりに調べてみるよ。その結果考えが変わるかもしれんし、固まるかもしれんけど。
>>957 >>958 了解した
こちらも義昭の書状はある程度の根拠にはなるのではと思っているが
正直陰謀論・単独犯、どっちであれ断定するつもりはないね
>最近のは信長の過大評価と光秀の過小評価が大きいと思う。
>光秀単独では信長が倒せないという前提があるね。
これは確かにあると思う
個人的な意見として
>>940 >>942 の状況が既に存在している以上、
明智がそれに気づいて信長を倒す方向で動いたとしてもまったくおかしくはないと思っているし
信長は生涯で何度も裏切られている人間なので、明智に裏切られても何の不思議もないと思っている
ただそれと同じくらいに、この状況に気づいた「誰か」が明智をそそのかした、という可能性も成立しうるので
この点において陰謀論・単独論はイーブンだと思う
個人的には単独論であっても全然おかしくないと思うけど
あげられている材料で持ってそれが必然みたいにいうのがおかしいと思っただけ
960 :
日本@名無史さん :2010/01/20(水) 23:13:18
多量の書込みに釣られ、久々私も一石。 @信長が小姓2、30人で本能寺に居た理由は、家康を誘き出すため。 (明智健三郎 本能寺の変四二七年目の真実) A茶会は6月1日に行なわれたが、実は6月2日に正規茶会が予定されていた。 (茶道歴史家から歴史作家桐野氏への指摘) B信長が光秀に、家康暗殺を命じた日は5月14日の少し前で 信長が光秀と密談し1、2度足蹴にした時。 (ルイス・フロイス 日本史) C信長最後の言葉『是非に及ばず』の前に、 『余は余自ら死を招いたな』と発した。 (アビラ・ヒロン 日本国王記) D全ての膳立ては信長が行い、検閲を名目に光秀軍を呼んだ。 家康はだまされたふりをしただけ。 (明智 憲三郎著より) Dまた(光秀が裏切る事も含め)細川藤孝から秀吉に情報が流れていた。 【私見】 まあ、資料が少ないのと改ざんされて 歴史家ですら、見解が幾多に割れている。 という現状ですね。
961 :
日本@名無史さん :2010/01/21(木) 01:36:44
>>960 光秀の自称子孫の人の本は、なかなか面白いよね。
家康が信長から本能寺に呼ばれ、堺から向かっている途中に、
変が起きたのは事実なんだし。
962 :
fushianasan :2010/01/21(木) 01:40:57
a
964 :
日本@名無史さん :2010/01/21(木) 21:27:33
>>961 数えたら、
参考文献67冊列記されてました。
鬼気迫ります。
【光秀】
明智軍法には、聡明さが伺えます。
石高に応じた戦力提供を明記したり、
最後に思いを綴ったりと。
また、瓜二つの妹を見破り、
あばた姿になった煕子のほうを
妻に迎える
なんてくだりは泣かせるなぁ
側室置かなかったみたいだし。
そして・・
『時は今雨が下なる五月哉』
泣かせるために創作された話っぽいからなー
雑賀の土橋平尉宛ての光秀書状なんてまったく義昭が関与した 根拠にはならない。 このことはすでに藤本正行、谷口克広、桐野作人などの人たちが 指摘している。 義昭が黒幕だというならなぜ毛利は知らなかったのか説明して くれないか? 毛利は事件から何日も経っても光秀のほか柴田勝家、津田信澄の 謀反で信長が死んだなどという誤情報をつかんでいる。 それにならどうして秀吉の「中国大返し」を黙認したのか。 秀吉と講和して京へ反転させるのはあきらかに光秀に対する 利敵行為であって、義昭と毛利の足並みが揃っていたとは とうてい思えない。 足許の毛利との意思統一もできないのにどうして敵対陣営の 光秀を動かせるのか。 またわざわざ紀州の土豪を介して義昭が上意を伝えてるという ことは、義昭と光秀の直接連絡ルートが存在しなかったことを 示している。その程度で「黒幕」としての働きができるはずがない。 細川宛ての覚書でも義昭にはまったく触れていないことから見ても、 光秀は細川や筒井らが味方にならないことがわかったので 苦しまぎれに義昭との同盟を策したと見るべき。
>>966 藤田氏とかはその書状を評価してる
すくなくとも「まったく」なんて完全否定するのは弱いね
陰謀論に依拠してみるならば(何度も言うが陰謀論・単独犯どっちも断定する気はない。)
義昭にしてみれば毛利は毛利で1582年代ではもう5カ国割譲とか言って和睦したいと言い出してる状況
こんな状況で毛利に対して謀反策使って一気に京都に攻め込もうなんて案が受け入れられるはずがない。
毛利にしてみてもそんな不確かな策で織田と戦うよりも確実な和睦策をまとめたほうがいい。
となると義昭にしてみれば明智をまず動かして信長を殺させ、結果を出してから毛利を動かそうと考えても不思議じゃない。
信長が死ねば毛利にしてみれば領土割譲する必要もなくむしろ攻め込めるのだから、和睦策を捨てるだろうとみたんだろう。
義昭にしてみれば予想外だったのは毛利が予想以上に外征よりも内部固めを望んでいた事、
毛利にしても突発的な事態だった為に確たる情報がなかった事、などだろう
直接連絡ルートなんか持ってたらそれこそ発覚の危険がある
間接連絡は十分ありえそう
細川宛書状は細川に是が非でも味方してもらいたいから、「今回の事は娘婿(細川忠興)を取り立てたいと思ってやったことだ」
「100日くらいしたら天下を娘婿達に譲って隠居する気だ。」とかあり得ない事書いてる書状だろうに。
あくまで陰謀論に依拠するならこう組みたてられるかな
繰り返し言うがどちらも断定する気はないけどね
悪いこと言わないからまず次の本でも読め。 鈴木眞哉・藤本正行「信長は謀略で殺されたのか」(洋泉社新書) 谷口克広「検証本能寺の変」(吉川弘文館) 特に前者はなぜ黒幕論が成り立たないのか丁寧に説明している。 また後者は帯に「決着!本能寺論争」とあり十分に納得できる内容。 これらを読んでまだ陰謀論を唱えたかったらそうすればいい。 藤田の解釈もこれらの本でちゃんと反論されている。
「決着!本能寺論争」なんて本を売り出したければ帯に普通にでる内容だとオモワレ 帯って読者をひきつけて手に取らせる為の煽り文句が書いてあるんだから
八切止夫の「信長殺し光秀ではない」読み返してたら 明智家臣団が黒幕と結託した理由が 当たり前に「四国政策こじれたから」でワロタ。 黒幕いらんやろ。
971 :
日本@名無史さん :2010/01/22(金) 23:35:36
そう言えば家康の黒幕は天海(光秀)だそうだw。
972 :
日本@名無史さん :2010/01/22(金) 23:43:57
谷口氏『検証本能寺の変』読んでる途中。 変の原因『信長の四国政策転換』との事。 明智憲三郎氏と同じ結論だ。 家康関与と否の違いあり。 政策転換が理由だけでは動機づけが弱い。 ただ、もう少し書いてあるようだ。 読んでみる。
973 :
日本@名無史さん :2010/01/23(土) 04:14:09
家康は天下を奪った野心家だぞ 甲斐が織田領になってしまったら領土拡大は絶望的だぞ
974 :
日本@名無史さん :2010/01/23(土) 10:54:32
やしん
975 :
日本@名無史さん :2010/01/23(土) 14:23:54
「本能寺の変の黒幕は誰か?」なんてより 「織田信長の黒幕は誰か?」のほうがリアリティがある。 佐藤賢一の『女信長』(2006)もその試みだろう。 光秀が信長の黒幕説は有り得る。 本能寺の変はその象徴。
黒幕も何も 普通に光秀が信長に下克上しただけだし
鳴かぬなら わしが鳴くぞ ホトトギス みつひで
978 :
日本@名無史さん :2010/01/23(土) 18:25:35
谷口氏『検証本能寺の変』 結論が『変の原因は四国政策の転換』で 明智氏と同じだであり以外だった。 比較しやすいのでコメント。 持論について、 明智氏『本能寺の変四二七年目の真実』 の方がしっかり根拠を調べている 値段も安かったw 例えば、谷口氏は 根拠補強のため、光秀67歳としている。 2級史料を根拠としているが、 著書の中で黒幕説に対し、2級以下史料を使用する 事について批判しているのに、 持論の根拠で2級史料を使用し、 さらっとまとめてしまっては、賛同を得られない。 もっと調査すべきである。 ただ、当時の光秀の状況については、 両者丁寧に調べており、大変勉強になった。
979 :
サリオン :2010/01/23(土) 19:39:37
明智光秀は、信長の光秀に対する信用に、気づかない人だった.唯それだけ.
980 :
日本@名無史さん :2010/01/23(土) 19:50:27
『鳴かぬなら逃がしておやりホトトギス』 ・・光秀 人間の支配下で、鳴けと言われ鳴けずとも、 自然に戻れば、いつかきっと鳴く。 最も美しい声で。 -- 創作 --
981 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 00:56:11
>>979 信用されてることを知ってるから、うまく(途中までは)クーデターが出来たわけなのだが。
京では、義昭が住んでいた二条御所が取り壊され(資材は安土城の築城に転用)てからは、
大兵を収容する防御施設は無くなって、全て合わせると数千いた織田家臣は、それぞれ大寺に分宿するしかなく、
そういう弱点をカバーするため、信用しきっていた光秀に京の周辺(坂本、丹波、丹後)に領地を与えてイザという時に備えていたわけで....
天王寺砦で本願寺勢に包囲され、絶対絶命の光秀を、身の危険を顧みず救出するなど、
他の家臣への愛着度とは比べ物にならん....
982 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 02:05:52
それだけ信用していたから、信長は家康主従殺しと、徳川領侵略を 光秀に任せたというのが、明智憲三郎説だね。 徳川領に移るなら、山陰道より条件がいいね。 しかし、家康と同盟して裏切ったのが、本能寺の変という結論。
983 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 03:13:26
>>982 家康も土民に襲われてるわけで、それは無い。
こういう変の際には土民以外にも、そこいら辺の小領主がどう動くか予断を許さず、
それが、僅かな供回り(34人)で自身の影響力が及ばない上方を遊覧中というのはありえない。
実際に変を聴いて驚愕し、知恩院で切腹しようとしたのは本当だろう。
途中から別ルート(三河物語)を取った穴山(武田)梅雪は草内村で土民に討ち取られ、
家康一行も、一揆勢の攻撃をたびたび受けながら、からくも岡崎に帰還しており、
この時の功績で、途中から護衛に加わった伊賀者は伊賀組同心として召抱えられている。
ちなみに、梅雪の死後、梅雪領は嫡男の穴山勝千代が継承して独自の文書を発給した痕跡があるが、
わずか16歳で疱瘡で死去、子供がいなかったため、家康は自分の息子(武田信吉)に武田(穴山)家を
継がせることに成功した。
984 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 06:28:03
家康暗殺に関してはむしろ光秀のほうが主導していたと見たほうがしっくりする。 信長は強力な三河武士団があったからこそ家康を評価していた。 それをあからさまな謀殺ではこれからというときに大変な反織田製力を抱えることになる。 それより丸ごと徳川勢をいただく。 それには多少は時間をかけてもいいと信長が考えるほうが自然だ。
985 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 10:22:33
>>983 神君伊賀越えや、梅雪横死については、明智憲三郎説の前から
疑う人がたくさんいるよね。
供回りが三十四人というが、徳川家の最高幹部が全部揃っていたのだから、
まとめて殺されていたら、徳川家は脳死していたよ。
本能寺の変の状況は、徳川家を潰すための、最高のチャンスでもあったんだよ。
986 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 11:58:10
光秀の信長暗殺の情報を秀吉と家康は事前に知っていたことは間違いないと思います。 家康は、伊賀越えは「九死に一生の危険な逃避行」といっているのですが、これにはウソがあります。 ひとつには、本多忠勝が家康と一緒にいることです。本多は徳川家の軍事を担当する指揮官であり、 本来であれば、動乱の余韻覚めやらぬ甲斐ににらみを効かせるためには不可欠な人物です。 他に人がいないわけではなく、本多忠勝をあえて物見遊山の旅に連れてきたのは、 この旅が非常に危険であることがあらかじめ家康には分かっていたからです。 それに、服部半蔵も物見遊山の旅にはふさわしくない人物であるといえます。 服部半蔵といえば、伊賀で圧倒的な勢力を持つ忍びの衆であり、伊賀越えをする場合、彼ほどの適任者はいないはずです。 なぜ、服部半蔵が同行していたのでしょうか。 最初からそういう事態が起こることを予測していたのでしょうか。
戦国basaraや原哲夫のマンガでもあるまいし 個人の戦闘能力を高く見積もりすぎ
988 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 13:43:49
光秀は朝廷と組んでいたのです。 というのは、光秀は正真正銘の勤皇主義者であり、 信長の、朝廷から皇位を取り上げようとする野望が明らかになったことに反発して、 それを阻止するために相当周到な計画の下に決起した――そう考えられるからです。 光秀は天正7年7月に丹波を平定したのですが、そのとき朝廷の御料所であった山国荘を朝廷に返しています。 朝廷はこれを大いに喜んで、勅使を下向させ、賞詞と下賜品を光秀に与えているのです。 これは、官位のない陪臣に対する措置としては異例のことだったのです。 光秀のこの考え方のバックボーンは「天下はすべて天皇の土地である」ということにあります。 しかし、信長は天下(自分のこと)を朝廷の上に置いていたのです。 実は、本能寺の変が起きる1年ほど前から、信長と光秀はこの考え方をめぐって深刻な対立を繰り返していたのです。 信長は自ら生きた神体となる自己神格化を宣言しますが、これは明らかに皇位簒奪計画と連動する政治的行為といえます。 5月になると、朝廷はその時点ですべての官位から離脱していた信長に対して「朝廷の三職推任」を要請します。 就任させることによって、朝廷の秩序につなぎとめようとしたわけです。しかし、信長はあざ笑うようにそれを拒否します。 それに加えて、信長は毛利征伐の号令を発するのです。 毛利家は元就以来の勤皇の大名であり、ときの正親町天皇が即位できたのも毛利家の献金があったからですし、 天皇が信長の譲位要求をつっぱねられたのも毛利家が後ろ楯だったからなのです。 信長はその天皇家の後ろ楯である毛利家を討とうと宣言しているのですから、まさにのど元に匕首をつきつけたに等しいのです。 「信長を何とかしなければ朝廷が危ない」と考えた正親町天皇は、皇太子の誠仁親王を中心に信長暗殺の裏工作をはじめるのです。 そのとき朝廷に一番近いところにいた信長側の武将は光秀だったというわけです。 この工作で誠仁親王と光秀との間に立って動いたのが次の2人です。
989 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 13:50:26
従三位・神祇大副 吉田兼和(のちに兼見) 前関白・太政大臣 近衛前久
990 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 13:55:44
兼和の役割は、朝廷内の「反信長神聖同盟」と光秀を結びつけるオルガナイザーとして機能することではなかったかと思われます。 この人は本能寺の変の前後に非常に怪しい動きをしているのです。 近衛前久は、「反信長神聖同盟」の盟主的存在であり、本能寺の変では重要な役割を果たしているのです。 近衛前久という人は、公家でありながら自ら軍勢を率いたりする異色の人として有名です。 どちらかというと、信長のためにいろいろ尽くした人なのです。 石山本願寺との和睦のときも、前久自身が軍勢を率いて、現代風にいうとPKO部隊のような形で一向一揆が退却するのに立ち合うなどしていますし、 薩摩に下って島津家との外交交渉をやるなど、表面的には、信長の手足として働いているのです。 ところが、本能寺の変の前後では、兼見と同様に非常に怪しい動きをしているのです。 吉田兼見の怪しい行動とは、明智軍が本能寺の信長と二条御所の信忠を討ち果たしたあと、光秀は大津に向かうのですが、その途中で吉田兼見と何やら密談していること。 そして、6月6日に安土城にいた光秀に兼見は勅使として下向しており、誠仁親王が朝廷をくれぐれもよろしくと伝えた事実。 光秀はこのとき親王に銀500枚を献上していることなど、たくさんあります。 本能寺の変の前には、兼見は信長にべったりで、年中京都奉行であった村井貞勝のところに出入りしており、信長貞勝を通じて出した要求にいろいろと便宜を取り計らったりしていたのです。 天正10年5月3日に兼見は、親王の信長への推挙によって位が上がっているのですが、6月1日に信長が本能寺にきたのにもかかわらず、表敬の挨拶に行っていないのです。 近衛前久にも怪しい行動はたくさんあります。 そのさいたるものは、変が終わった6月7日に誠仁親王の居所で「信長打倒計画成功」の祝宴に嫡子の信基と一緒に参加していることです。 それに、前久は、二条御所に隣接して居宅を信長から与えられていたのですが、6月2日に宿舎の妙覚寺から二条御所に立てこもった信忠が明智軍に包囲されたとき、明智軍は前久の屋形の屋根を利用して鉄砲や弓矢を射掛けて火を放っているのです。 そして、変のあと兼見は秀吉に、前久は家康のところに身を預けているのです。 やはり、この二人とつながっているのです。
991 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 14:01:56
この三者謀議が仮にあるとした場合、誰がどのようなかたちでそれをまとめたかについて考えてみます。 もちろん、本人たちが会うわけにはいかないので、フィクサー的存在の人物がまとめたものと思われますが、それは一体誰だったのでしようか。
992 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 14:04:01
その仕掛人として考えられるのは安国寺恵瓊です。 恵瓊の願いはあくまで毛利家の安泰なのですが、後継者の輝元の器量が今ひとつであり、それを考えると毛利家にとって織田信長は、もっとも危険な存在なのです。 その点、秀吉、光秀、家康はいずれも苦労人であり、誰が天下をとっても外交政策で毛利家の安泰は確保されると読んでいたのです。 恵瓊はいわば毛利家の外交官ですが、一方で京都東福寺の高僧でもあり、京都に滞在することが多かったのです。 毛利家代表として秀吉との接触も多く、信頼関係も生じていたし、光秀との交流もあったのです。 それでは、フィクサー役は恵瓊であるとして、秀吉、光秀、家康の外交官は誰だったのでしょうか。
993 :
日本@名無史さん :2010/01/24(日) 16:15:03
外交官は、≪細川藤孝≫? ・元、将軍側近で吉田兼見の従兄弟。 ・変後秀吉から丹波を与えられた(筒井順慶と格段の差)。 それよりも一連の流れるような書込と内容の濃さ。 此はいかに。 歴史家降臨? 光秀の放ったホトトギスが鳴いている・・
994 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 00:51:09
>>993 それは過大評価。
988-992はテレビドラマにもなった『信長の棺』のパクリ。
『信長の棺』も、パクリだけどね。
995 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 01:27:03
>>992 証拠は?
単に有名人の名を上げて陰謀論を組み立てているようにしか見えないが。
小説の構想を考えてるだけならいいけど
997 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 03:27:04
本能寺は光秀の思いつきでやったのは確か 準備をぜんぜんしてなかったし、軍勢率いてるとき 思いつきでやったにちがいない。 信長でなくても死体を晒しておくという大前提もしてない(誰でもよかったのに) けっきょく甲府でなぐられた腹いせだろう
そうだ京都に行こう
999 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 12:04:35
そうだ堺に行こう
1000 :
日本@名無史さん :2010/01/25(月) 12:06:31
1000get
1001 :
1001 :
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