1 :
徳川家定 :
2006/01/04(水) 21:37:06
2 :
徳川家定 :2006/01/04(水) 21:38:58
誰かいないのか? 足利の子孫
3 :
日本@名無史さん :2006/01/04(水) 21:40:16
いません
4 :
徳川家定 :2006/01/04(水) 21:40:52
じゃあ新田源氏いないの?
sage
6 :
日本@名無史さん :2006/01/18(水) 17:02:59
緊急浮上!! ___ /____ヽ // ザバァ!! //l| ○_○ // ◎ ( ・(ェ)・) |l \\ /つつ¶¶ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ // 人人 / ● ● 、 / 〇 ▼ l 人人人 / = , 、_ _人_ノヾ 人人 ノ 人人 人人人 人人
7 :
日本@名無史さん :2006/01/18(水) 20:14:47
お家の家紋見たら大体の流れ判るはず!でも例外いるから!
8 :
日本@名無史さん :2006/01/19(木) 05:02:43
実家の近所に一色さんと石塔さんがいた
9 :
日本@名無史さん :2006/01/22(日) 13:10:09
俺の先祖は清和源氏の嫡流源満仲
親父の知り合いに自称足利の子孫いるよ。 九州探題と同じ名字で、家紋は二つ引き両。
11 :
日本@名無史さん :2006/01/22(日) 14:13:55
新田氏の血なら薄らと流れてる。けど子孫じゃない。 先祖が新田氏の一族里見氏から養子をもらっただけ
12 :
日本@名無史さん :2006/01/22(日) 15:08:17
13 :
日本@名無史さん :2006/01/22(日) 15:17:17
安房の豪族岡本家の子孫だが、義弘、義頼に使えた岡本氏元が里見家より養子をもらっている
14 :
喜連川左兵衛督 :2006/01/22(日) 17:23:55
です。
古河公方の子孫です。
16 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 05:57:16
古代イラン史の足利惇氏センセとか人文地理学の足利健亮センセは 関係があるのですか?
17 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 06:02:52
吉良さんがそうじゃなかったかしら?
18 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 07:41:52
>>16 それぐらいのことWikipediaに載ってるから自分で調べろ
19 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 07:43:49
>16 喜連川家は、徳川慶喜の実弟が嗣いだからね。
20 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 07:54:00
足利の子孫といえば朝鮮人の保守本流
21 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 07:58:11
土岐源氏です。家紋は桔梗
22 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 08:00:08
そもそも家紋がある時点で天孫朝鮮。
23 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 21:51:34
戦時中、足利健亮先生が庭を潰して畑を作ろうとした。ところが庭の大木が邪魔で日当たりが悪いので切り倒した。 その木は楠だったそうだ。
24 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 23:22:19
この前、陸奥安国寺に参詣した。
25 :
日本@名無史さん :2006/01/26(木) 23:33:29
細川の女系の子孫です。 細川藤孝は足利義晴の御落胤でOK?
>>25 ううん、清盛よりは微妙な気が。
ただどちらにしても清和源氏であることに違いないですね。
義晴の御落胤なら尊氏の子孫てことになりますが。
27 :
日本@名無史さん :2006/01/27(金) 02:55:24
>>18 足利惇氏は喜連川公方の子孫だと言うことは分かりましたが
足利健亮氏の方は分かりません。
28 :
21 :2006/01/27(金) 03:22:38
俺の先祖 戦国期は美濃か尾張に住んでいた(予想) 安土桃山期に黒田の配下になって中津を経て福岡へ 江戸期は黒田家の家臣として600石を貰っていた時期もあった。 跡継ぎの幼少期の守役をしていたときもあった。 しかし、1770年ぐらいに寺が火事になってしまい、かこちょう?っていう 系図を書いたものが焼けてしまったため、それ以前は本当はわからない! とりあえず、苗字が九州には少なく、中部地方に多いのと土岐源氏に多い桔梗が家紋 であるために、勝手に予想している・・・
29 :
日本@名無史さん :2006/01/31(火) 00:51:27
幽斎が落胤て信憑性有るの?まあ元々超名門なんだしわざわざ飾る必要性もナイからかな
30 :
日本@名無史さん :2006/01/31(火) 17:45:59
和泉半国守護家だし、傍流だよ。幽斎は
31 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 11:00:28
俺は足利の支流板倉のものだ。先祖は家康に仕えその後は静岡藩士として活躍した。明治維新と共に東京に入り現在に続く。祖父の葬式の時にみた家紋が非常に簡単だったため勝重,昌重の時代に分かれたのではないかと思う
32 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 11:55:52
ここにいる足利の人は皆血のつながりがあるのか…
33 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 14:00:29
34 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 17:03:57
>31のものだか同じクラスに新田源氏がいる
35 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 17:05:32
>31のものだか同じクラスに新田源氏がいる
36 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 17:05:50
>32江戸時代に養子が入った家もあるから、血の繋がりは無い
37 :
日本@名無史さん :2006/02/01(水) 19:54:51
>34-35ウソつけ
38 :
31 :2006/02/03(金) 21:17:07
本当だなぜなら奴は祖父が松井田の材木商だったらしくこないだ奴の祖母の葬式の際に寺の和尚から言われたそうだ。先祖探しはなによりも一番寺院が確実性高いから間違いがないと考えられる
39 :
日本@名無史さん :2006/02/03(金) 23:38:08
喜連川は傍系。 足利尊氏(将軍家)の末裔なら四国を経て現在は京都に在住。 親しくしていたが、それも二十数年前のことぢゃ。
40 :
日本@名無史さん :2006/02/05(日) 07:02:19
>>28 当時親戚関係にあった家に記録が残ってるかも知れんぞ。
41 :
日本@名無史さん :2006/02/05(日) 10:36:45
喜連川は傍系でしかない。 足利尊氏(将軍家)の末裔なら四国を経て現在は京都に在住。 親しくしていたが、それも在京時代のことで、今は 俺が関東(東都)に下ってしまったため、久しく音信が無い。 足利氏の運転する車で出掛けたりして居たのは、二十数年前のことぢゃ。
平島公方家以外は、血の繋がりなし。
43 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 00:45:46
足利基氏の子孫は、足利惇氏さん(途中で水戸藩の血に変わったが)の喜連川家と、あと宮原家も 現在まで続いていたはず。 将軍家の血筋は阿波公方家のみ。あるいは細川幽斎の子孫ってとこかな。
44 :
日本@名無史さん :2006/02/26(日) 01:05:28
義昭に男子が三人居たはずなんだが、今も子孫いるのかな?
45 :
堺市民 :2006/02/26(日) 03:33:07
堺にあるお寺の由緒書きに足利家の何代目かが出家したかで創建したお寺があって、 今住んでる住職の表札を見たら足利だったよ。 まあ、それだけなんだけど。
46 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 17:55:15
逆賊高氏の子孫て生きてて恥ずかしくないの?
47 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 21:23:37
足利氏が逆賊の汚名を着せられるようになったのはたかだか150年ほど前から
48 :
日本@名無史さん :2006/02/27(月) 22:47:01
私は、足利将軍家の末裔なのか、 それとも縁のある者の末裔なのか よく分かりませんが、私の家の家紋は、 足利将軍家と同じ「丸に引き両紋」です。
49 :
日本@名無史さん :2006/02/28(火) 01:32:12
舞鶴を家紋としている高島です。
50 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 02:23:05
足利スレと見るや、何とかの一つ覚えよろしく
同じことばかり書き続けている
>>46 て生きてて恥ずかしくないの?
51 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 19:58:09
みなさん、米沢です。滋賀県の大津市のボロい市営アパートに寓居する佐々木源氏京極支流のものですはじめまして。 このたび、足利さんとの婚姻がなり、めでたく京極と足利が婚姻ですが、いろいろと儀式がやかましそうで胃に穴が開きそうです
52 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 20:50:58
>>51 祝着至極!
足利というと、阿波公方系か、鎌倉公方系のどちらかですな?
市営アパートの住人というと、公務員か何かですか?ともかく
おめでとう
53 :
日本@名無史さん :2006/03/05(日) 21:13:28
(´・ω・`)足利さんの子孫ではありませんが明智光秀さんと つながりがあります
54 :
日本@名無史さん :2006/03/06(月) 04:22:28
中国・儒教の研究者に、足利衍○教授って人、いなかったか?もう故人かもしれないが…。 中国宋代歴史研究者の斯波義信教授は、足利一門、斯波家の直系。
55 :
日本@名無史さん :2006/03/26(日) 18:46:46
hoshu
56 :
日本@名無史さん :2006/03/26(日) 22:11:15
足利って苗字がダサイよな いくら地名のままだからって、もっとイカした名前にしたら良かったのに
57 :
日本@名無史さん :2006/03/27(月) 02:53:39
あしり
58 :
日本@名無史さん :2006/03/27(月) 02:59:46
島津を頼ったとか言う足利義昭の息子なんてのはどのくらい信憑性あるの?
59 :
日本@名無史さん :2006/03/27(月) 09:39:21
足利土木事務所のクソ松本自殺しろ
60 :
日本@名無史さん :2006/03/27(月) 09:53:35
>56天下足る。天下を利す。
61 :
日本@名無史さん :2006/03/30(木) 18:09:49
足利高氏の子孫が集まるスレですか… 日本を代表する逆賊の子孫に生まれてしまうなんてお気の毒に。 あなた達は何も悪いことはしていない。けれど逆賊の子孫という肩書きだけで 悪いイメージが付きまとうから、日頃の行動には注意したほうがいいですよ。
後醍醐の悪政よりは、マシだね(笑)
>>61 日本人だからといつまでも戦争のことを叩く中国か韓国の人ですか?
64 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 19:04:20
>>61 今時そんな逆賊がどうこうと抜かす厨房はお前だけだな。
65 :
日本@名無史さん :2006/03/31(金) 22:44:00
尊氏を逆臣呼ばわりしていた平泉澄は逆臣の子孫なんだよな
66 :
日本@名無史さん :2006/04/03(月) 23:39:47
67 :
難波大助 :2006/04/05(水) 04:57:46
逆賊上等
68 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 00:43:32
69 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 03:09:11
ま、日本の歴史を駄目にした香具師といえばこれしかないなw 逆 賊 高 氏 露骨で芸のない頼朝のパクリ幕府を立てた先駆者。それが 逆 賊 高 氏 遊び感覚で皇統を知らない盲目サムライ相手に詐欺行為を繰り返しているだけ 味方になってくれるくれる馬鹿も大勢いるし、もう死んだ人だし 誰も訴えてこないだろうと、騙して殺すの味を占めてしまった。それが パ ク リ 王 逆 賊 高 氏
70 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 03:19:59
尊氏と信長ってやっていることが似ている。
おれんちは父方が義教を殺害して、母方が義輝を殺害した人物と 繋がりあるんだけど、仲良くしてね
72 :
日本@名無史さん :2006/04/06(木) 23:18:35
>>71 赤松満祐と松永久秀か。なんだ、なかなかの名家の血筋じゃん(松永はそうでもないが)
73 :
山名但馬守 :2006/05/06(土) 15:38:00
おれは山名宗全の子孫じゃ。新田源氏と言うことになる
74 :
日本@名無史さん :2006/05/06(土) 16:53:51
>73ヨソ者が養子に入ってるがな。
76 :
石橋某 :2006/05/21(日) 14:59:22
>>73 山名さんこんにちは。
あなたが「新田源氏」なら私は「足利源氏」ですわ。
(しかも失脚前の本拠は但馬火畠)
よろしく。
しかしケチつけるつもりはないんだけど、
「足利源氏」「新田源氏」って言い方どうにも違和感があって。
普通に「足利一門」とか「新田一族」とかでいいように思うんですが。
学者でこんな言い方なさってるのは、奥富敬之センセー以外に見たことないです。
(まぁ奥富センセーはまともな学者とは言いがたいが。。)
俺の家系も足利で江戸時代は赤穂藩家老だったな
78 :
日本@名無史さん :2006/06/21(水) 22:25:53
おもろい
79 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 00:08:09
過去のことウダウダ言ってもしょーがない 今現在自分がどうであるかが大切である
80 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 00:09:22
いまさっきのことも?
81 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 00:19:57
自分の子孫のことを話ても無意味でしょう? 足利、源氏、平家の子孫だからどうしたと? 現在では一般人となんら変わりません
83 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 00:24:36
84 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 00:55:03
違います そうやって勝手に決め付けるでしょう あなた方はそんな風に自分の子孫は武家、公家だと勝手に思い込んでるだけなんだと思います 実際には…ただ一般人です 現実逃避しないで下さい
85 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 00:57:55
>>84 anata
>>81 bunnsyou okasiinowakaranai?
onasjihitodane
86 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 01:04:00
81、84は私です 185は違います
87 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 01:04:42
藤原姓の足利氏は子孫いないのか?
88 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 01:37:03
自分の先祖は新田義貞の家来かなにかだったらしいからここの奴らは敵かな( -_-)
89 :
日本@名無史さん :2006/06/22(木) 03:06:32
足利の正統は平島公方以外にあり得ん
91 :
日本@名無史さん :2006/06/23(金) 17:16:54
源氏だから
92 :
日本@名無史さん :2006/06/27(火) 23:11:46
昨日渋谷で誘拐されたカリスマ美容外科の女医、 古河公方の子孫だって?? 池田優子センセイっての? 旧姓小林は古河では知られた名門らしいぞ。
93 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 08:08:25
94 :
日本@名無史さん :2006/06/29(木) 19:45:11
みんな○○の子孫とか末裔とか言ってるけど 確証はあるんすかね? ただ姓氏大辞典(?)みたいな本を見て苗字が同じ、家紋が同じ というだけで子孫だと思い込んでる人いませんか。
96 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 18:34:11
三河吉良の 吉良流包丁術は継承されてないの。。。
97 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 20:23:06
>>88 >自分の先祖は新田義貞の家来
気のせいですよきっと・・・
98 :
日本@名無史さん :2006/07/01(土) 23:36:29
>>88 お、我が家の家臣か。苦しゅう無い、もそっと寄れ。
99 :
日本@名無史さん :2006/07/16(日) 13:56:53
なんと
100 :
日本@名無史さん :2006/08/19(土) 02:08:46
高家宮原さん(古河公方系)はいま神主やってるらしいですね。
101 :
日本@名無史さん :2006/08/19(土) 11:56:26
>>100 もし義教が永寿王まで抹殺していたら
その方も存在してなかったんですね
102 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 22:30:30
鎌倉公方ー古河公方の子孫を、秀吉が保護し、家康に高家としてめしかかえられ 10万石格の大名となった。徳川に遠慮して、喜連川と改称したが、 足利の祭司は義昭亡き後は喜連川が引き継いでいるはず。 明治に足利に復姓したでしょ、その子孫はどうなとるんだろうな。 逆賊尊氏の子孫としていじめられたのかな。
103 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 22:33:46
>>102 大したことはない。
2ちゃんでお前に虐められる程度だよ。
104 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 22:51:03
>102華族だけど、幕末に齊昭の子が嗣いだ(つまり将軍と兄弟)から、足利嫡流は断絶かな? 傍流は沢山居るけどな。
105 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 23:09:13
足利といったら尊氏より足利トリコット思い出すわ 地理好きな少年だったからさ
106 :
日本@名無史さん :2006/08/21(月) 23:57:17
足利尊氏を逆賊呼ばわりするのは、戦前の徳川光圀(水戸黄門)以来、 水戸藩で編纂された大日本史編纂のせいで、(朱子学影響が強く、大義名分など にこだわりすぎている)それが幕末・明治・昭和の戦中まで続いている。 自分たちの天皇の先祖が、尊氏のおかげで天皇になれたのに、 尊氏を逆賊呼ばわりするのは、どうも納得いかん。 それから大河ドラマに出てくる足利将軍たち(義昭や「毛利元就」に出た 義植)が、いかにも貴族的な格好をしているのが、気になる。 そもそも義昭は、僧侶をしていて、その後亡命生活に入ったのに、 なんで貴族みたいな格好や風習に染まって居るんだ?
107 :
日本@名無史さん :2006/08/22(火) 00:00:28
知らんがな そもそも生き証人なんていないんだからどんなカッコしてたかなんてワカランだろが
|;;;;;;;;;;;;:;;;;;;;;;;;;; | )
〔i_二八二二二i〕 ) 誰ぞ、ネタを投入してくれぬか!!!
{ r' ⌒-、ノ ,r‐l| ) (※持氏、義昭は死亡済みですが・・)
,-l l ‐=・=´;;l;;;;;;ト, ノ_
ヽl l ', ,_ ! ,'ノノ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒⌒
ハ. l r'"__゙,,` l|
. / lヽ ノ ´'ー'´,ハ___ , -‐ 'フ ̄ヽ
_,<´ l ヽ,,,,二,,,/ トへ / / | 足利義教と共に苦難を乗り越えてゆくスレB
, --,.─ヶ┴‐,‐‐--‐'´ / /_ノ |
ttp://p2.chbox.jp/read.php?host=academy4.2ch.net&bbs=history&key=1154227935&ls=all / フ´ /彡'´ /
/ / \ 、 /
// \ー--=―┬‐' ビシッ!
| 丶 \/ ,| |
6代将軍・足利 義教
>>106 武家の貴族的な格好といえば、
太平記でも北条高時や長崎円喜が・・・
110 :
ミッフィー :2006/08/23(水) 17:01:39
足利尊氏の子孫の親戚のものです。こんな掲示板があってびっくり。。 尊氏の子孫と代々伝えられていて、かなり古くから足利を名乗ってるようですが、 詳しい事はよく分からないので、知りたいなぁって思ってるんですが、 他にも子孫の方っていらっしゃるんですか?(この掲示板にもきてらっしゃいますか?)
俺、非常に珍しい苗字なんでちょっと調べてみたら仁木の支流に同じ苗字があった。 関係あるのかないのか、いずれヒマを見つけて「先祖探しスレ」とか参考にしながら調べてみたいと思う。
112 :
日本@名無史さん :2006/08/25(金) 22:34:23
113 :
日本@名無史さん :2006/08/25(金) 23:16:45
確かに明治新姓で、藤原を苗字として名乗り始めた家があることなど、 近衛氏ほか本物の藤原姓の方々からみたら、ひどい話でしょうな。
>>111-112 その一方で、源や平を苗字にした者は藤原を
名乗った者に比べて圧倒的に少ないような・・・
「源」さんという人には今まで出会ったことがありませんね。
116 :
日本@名無史さん :2006/09/06(水) 13:58:18
おれもだ
117 :
日本@名無史さん :2006/09/06(水) 18:37:39
だから、明治新姓なんてすくないだろ?
118 :
日本@名無史さん :2006/09/06(水) 22:30:46
>>117 だな。
苗字ワケなら多そう。同じ集落に同姓が多い理由。
120 :
日本@名無史さん :2006/09/08(金) 05:20:10
藤姓の方ですがそれがなにか?
121 :
日本@名無史さん :2006/09/09(土) 00:00:48
>>106 馬鹿?
実際に天皇攻撃して皇族殺してるから逆賊以外のなにものでもないの。
まさか南朝北朝どちらが正当かとか話摩り替えるんじゃねえだろうな。
じゃ俺が皇太子攻撃して三笠宮様を天皇にして、逆賊じゃねえとか言っても良いのか?
アホか。これだから在日は
122 :
日本@名無史さん :2006/09/09(土) 19:16:55
口挟むけど
>>121 お前のドキュソ文に同調したくはないんだが、皇族攻撃した以上は逆賊。
と言うのは正しい。
例えば明智光秀は人物像が見直されたり、してるけど、
あのまま信長に天下取られたら、
世の中はロクな物ではないとか世界観まで見直されたりしてるけど、
織田信長を”裏切った”部分は事実だからな。
よって裏切り者と言うのは事実だ。
足利にしてもそうだ。こいつが天下取ったからよかったとかあったとしても
”逆賊”と言う部分を排除するのはよくないな。
徳川みたいに朝敵に仕立て上げられたんじゃくて攻撃した以上はな。
124 :
日本@名無史さん :2006/09/12(火) 09:06:10
>97 久しぶりに見てみたらひでえ事いわれてるなw まあちゃんと村の記録にも残ってるらしいぞ まあ家来って言っても落ち武者だったらしいし、今はただの農家だがなw
126 :
名無しの権兵衛 :2006/09/21(木) 01:03:11
だからどないやねん。それを必要にアピルやつは自己顕示欲の塊やないかい
落ちぶれてる人傷を舐めあいましょうということだろ。
129 :
日本@名無史さん :2006/10/10(火) 03:43:56
クレクレで申し訳無いが、質問。 足利惇氏教授には確か子供がいなかったらしいけど、喜連川家は今でも続いているの? 惇氏教授には弟さんがいたと思うけど・・・ググってみると「喜連川家断絶」と書かれたページもある。 水戸出身で古河在住の自分としては、ものすごく気になります。
130 :
日本@名無史さん :2006/10/16(月) 00:53:58
129です。昨日、自分で喜連川に行って確かめてきました。 龍光寺(喜連川藩主墓所)に行ってお坊さんに「古河から来た」と言ったら、 喜連川藩主の墓所に入れてもらえました。歴代藩主や正室の墓石に交じり、 「足利家の墓」という墓石があって、「平成17年…月 施主 足利○○」 という卒塔婆が立っていた。お坊さんに「この方、喜連川藩の末裔?」 と訊いたら「そうですよ」とのこと。 喜連川足利家が存続していると知って、とても嬉しい気分。
131 :
日本@名無史さん :2006/10/17(火) 12:35:30
>>130 だから、血統は水戸徳川家だっての
ところで江戸三大道場の千葉・斎藤・桃井は、各々 平姓千葉氏・加賀斎藤氏・足利氏族桃井家の子孫なんかな?
>>131 なんてこった・・・
足利一門に逆賊の汚名を着せた水戸徳川家に
喜連川家は乗っ取られていたんですか・・・
133 :
129 :2006/10/18(水) 01:43:17
>>131 >だから、血統は水戸徳川家だっての
いや、だから嬉しいんです。129にも書いてあるけど、私は水戸出身の古河市民ですから。
水戸城址の高校を出た私が今では古河の住民になって、万葉以来の古河の伝統を誇りにしている。
飲み会なんかでは「私は喜連川縄氏である」なんてことをよく言います。
余談だけど、徳川斉昭の息子が養子に入った家って、ものすごく多いですよ。
一橋家・清水家は誰でも知ってると思うけど、他にも結構あるわけで。
幕末の殿様同士、実は兄弟だったりします。
134 :
日本@名無史さん :2006/10/19(木) 06:00:54
足利家氏の流れです
135 :
日本@名無史さん :2006/10/19(木) 23:39:46
>飲み会なんかでは「私は喜連川縄氏である」なんてことをよく言います すごいDQNにしか見えませんが?
137 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 08:52:49
みんなアダムとイブの子孫だろうよ 足利氏もその流れ
138 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 09:01:19
足利家は朝鮮系渡来人。
139 :
日本@名無史さん :2006/10/20(金) 21:29:22
>>136 ところが、それがウケるのが古河クォリティだと聞いている。
市民劇団が足利成氏の芝居をやったら、立ち見が出るほど観客が入ったそうだ。
140 :
日本@名無史さん :2006/10/21(土) 00:02:05
>>133 貴方が嬉しくても、足利一族の人は悲しいかもな。
飲み会でそんな発言してウケるのか古河は?
島津重豪の子も多いだろ、黒田家とか奥平家とか。
141 :
日本@名無史さん :2006/10/21(土) 01:58:54
14代将軍の子孫がいるけど(足利氏嫡流を自称しているとか)、 そこに養子に入った人いますよね? 数年前に亡くなった方だと思いますが… あの人はそもそも分家の出なんでしょうか?
私の先祖は足利家ですよ〜(家紋とかはないが)。 なにやら家系図の上のほうに義満の名前があるらしい。 今度確認予定。続報を待て。
>>142 言えてる。歴史も知らないのに何とかの子孫とか良く平気で言えるな
146 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 22:04:08
>>143 長男に息子が無くて、次男に息子がいた場合には「断絶」ですか? それとも「家系は続いている」と考えても良いの?
147 :
日本@名無史さん :2006/10/24(火) 22:45:30
尊氏の子孫でも、そこそこマイナーだけど知られている家に蔭山氏(持氏の子孫)とか鞍谷氏(義満の子孫)とかあるよね。
女は名跡継がないかぎり無関係、次男以下も無関係 って基本中の基本すら知らない鬼女やVIP、ゲ板流れのリア厨が増えたキガス
150 :
日本@名無史さん :2006/10/27(金) 21:23:22
>>149 とは言え、名跡ついでても自称だったり、世間からみると他人だったり
女系でも、藩祖の娘の子孫はみな藩祖の苗字を名乗ってたり、ということもあるので
一概にはいえない。
文化勲章受章者の斯波義信氏って斯波宗家の末裔?
>>150 よくわからん('A`)
自称ってのは論外だと思うが・・・
世間からみて他人ってのは養子を取るってことかな
なら日本史では家を継いだ養子の方をみるんだよ。
>藩祖の娘の子孫はみな藩祖の苗字を名乗る
娘が嫁入り先の苗字に変えてないってことか
スマンがどこの家のことか詳しく
足利義輝の遺児といわれる足利道鑑の子孫が西山氏を名乗り細川氏の下で比着座同列定席の家格にて明治に至る。 足利義昭の子義在は薩摩の島津氏を頼り永山姓を名乗り、義喬は会津藩を頼って坂本姓を名乗った。 という話があるけど、どこまで本当なのか・・・ これらの血筋は現代まで続いてるいるんだろうか
血筋だけなら続いてるんじゃないの。 血だけなら女系でもいいわけだからいくらでも続いてく 歴史の古い家ってのは家、家系として存続させていくことの方が難しいんだよ。 だから絶家が多くて行方不明となるわけ
>>156 ソレ言い出したら今の足利さんだって怪しいぞ
江戸時代初期に平島と名乗らされたというのはいいといして
9代目以降は、京都に渡り浪人してたそうで怪しさ抜群。証明するものなし。
幕末の混乱期ではドサクサにまぎれて町人が武士のふりしてたらしいからな。
いくら逆賊としても足利は源氏だから騙る奴は多いかと。
159 :
日本@名無史さん :2006/11/15(水) 13:02:38
馬鹿の集まり
名字は足利、家紋は二引両。実家は岩手、周りに畠山姓多い。俺は子孫本物かな?
倉庫逝きのスレわざわざ上げるなボケ。
>>159 >>160 しるか!お前は百姓だ。本家でないなら関係ない。
元祖畠山家の血筋は残っていないのだろうか?
164 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 00:09:58
桃井かおりは足利系桃井氏でしょ。
165 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 00:59:44
>>161 正解!
ほとんどが明治新姓です。おめでとうございます。
166 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 01:17:11
>>158 今の足利さんみたいに上品な人は間違いなく直系子孫
怪しい奴には品がない
167 :
日本@名無史さん :2006/11/19(日) 06:11:06
朝敵どもが!
品だけは本当にどうしようもないね。こればっかりは付け焼刃がまったくきかない あれは何百何千年の集大成としかいいようがない 品がない人だと思ったら下賎な氏素性だし、品がある人だなと思う人は大抵良家出身だ。
169 :
日本@名無史さん :2006/11/20(月) 07:09:18
>>164 彼女の場合は「ももい」、桃井直常の場合は「もものい」。
毛利や伊達みたいに読み方が変わったってことですか?
>>166 プ
間違いなく直系子孫
そんな理由あるか!
リアル子孫でも下品は下品だ。
上品下品で血を証明出来るか!ボケェ
と。
172 :
日本@名無史さん :2006/11/29(水) 02:45:35
百姓の子孫が荒らしてるな。我こそは八幡太郎義家の子孫である。肥やし臭い氏素性の分からぬ輩は来るな。
173 :
日本@名無史さん :2006/11/29(水) 05:26:44
174 :
日本@名無史さん :2006/11/29(水) 15:56:04
>>158 平島から今日へ上った後は足利氏ゆかりの寺院に食わせてもらっていたみたいだ。
そういえば、三淵氏も伝承では足利義満の子の子孫らしい。
175 :
日本@名無史さん :2006/11/29(水) 21:20:51
足利氏族の斯波氏の一族に奥田っていた?ならトヨタの奥田も足利の子孫かもね!
細川京兆家はいまいずこに居られるのやら・・・ 細川宗家ヅラする肥後細川家の隆盛を苦々しく思っておられるに違いない
177 :
日本@名無史さん :2006/11/30(木) 20:58:38
肥後の細川は足利義晴公の子孫だからね
179 :
日本@名無史さん :2006/12/27(水) 02:49:16
ちょっと気になったんですが、 「室町将軍家」と「足利将軍家」の違いは何ですか?
181 :
日本@名無史さん :2006/12/27(水) 21:51:15
>>175 遅レスですまん。斯波氏の流れの奥田氏は確かにいる。
越後のどこだかの藩主家の堀(秀政の家ではなく、直寄の家)氏は
そこの出だったはず。
直寄の父親だかが、秀政の名字をもらったんだったよな。
トヨタの奥田氏がその家の関係者かどうかは知らん。
183 :
日本@名無史さん :2006/12/28(木) 17:55:53
>>176 評論家の細川隆元や隆太郎って、吉兆家だよな?
184 :
日本@名無史さん :2006/12/28(木) 18:14:13
ちゃうちゃう。 隆元も護煕も同じ肥後細川家。隆元は家臣になった家。
185 :
日本@名無史さん :2006/12/28(木) 18:17:23
186 :
日本@名無史さん :2006/12/28(木) 20:44:39
それも幽斎の系統、肥後細川の分家。 近世大名としての細川家は幽斎の子孫だけ。
187 :
180 :2006/12/29(金) 06:12:20
188 :
日本@名無史さん :2006/12/29(金) 16:06:48
京大教授になってた言語学者の足利ナントカさんが子孫。
吉兆家って何だよ…。本当は京兆家と分かってて書いてるのか…?。
190 :
日本@名無史さん :2006/12/29(金) 20:52:25
>>158 さすがに当時でもいきなり「足利将軍の末裔です」と名乗っても相手にされなかったと思う。
何か証拠になるものを持っていたとか、以前からの知り合いを頼った、とか。
それに足利の偽者なんか、当時は今以上に許されなかったでしょ。
喜連川という、足利家が藩主を務める藩があったんだから。
ただ、当時「足利は逆賊」という意識は一般的じゃなかったかも。光格天皇なんかは「北朝が正統」
という見解だったらしいし。
191 :
日本@名無史さん :2006/12/29(金) 21:01:30
>>188 足利惇氏・京大教授ですね。
あと、平島公方の子孫も大学教授だったと思う。
192 :
日本@名無史さん :2006/12/29(金) 22:51:55
細川たかし 桃井かおり
現存している足利家で家系に正当性があるのは 肥前の細川家と吉良の養子が入った上杉家くらいだろう? あと、今川氏真の子孫も残っているが 地方の一武士の家系にだ。(その代表格が田代まさし) もし、清和源氏の足利流の男系でどこを本家にしようかとなれば 肥前細川家の男系一族と米沢上杉家の男系一族になる。
196 :
日本@名無史さん :2006/12/30(土) 19:22:15
>>193 嫡流は喜連川藩主家と決まってますがw
上杉が吉良の流れ? 鷹山もその次も養子ですが。
少しは勉強してからカキコ汁!
江戸時代以降のエセ上杉家に元祖上杉家の血はどれほど入っているのやら・・・
>>197 全く入っていない。
室町期の上杉氏の血統は佐竹氏に受け継がれている。
199 :
日本@名無史さん :2006/12/31(日) 01:38:32
近世以降の足利一門の家格(官位は無視)でいえば、 @喜連川藩主足利家 A高家・吉良家 B高家・品川家 C熊本藩主細川家 の順かな?
200 :
日本@名無史さん :2006/12/31(日) 02:03:26
>>196 実態としてはそのとおりだと思うが、足利尊氏の長男の家(将軍家)が平島公方家として続いてるのに、
次男の家(喜連川家)が「嫡流」と断言しちゃっても問題無いのか?
201 :
日本@名無史さん :2006/12/31(日) 02:13:09
>>193 平島公方家は男系で血もつながってるよ。
喜連川家のほうは、途中何度か養子を取ってる。12代縄氏と14代於菟丸、15代惇氏は水戸徳川家の血筋。
16代(現当主)の足利公平は細川家の人。
202 :
日本@名無史さん :2006/12/31(日) 16:28:49
>>201 平島公方の先代当主は養子だろ
足利進悟って明らかに足利氏風の名前じゃないな
それとも男系で血がつながってるというソースあんの?
203 :
197 :2006/12/31(日) 21:55:02
>>198 えっ、全く入ってないんですか?
そんな家が上杉家を名乗るなんて・・・
>>203 そもそも日本の「家」というのは養子でつながってきたところが多いからね。
205 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 00:14:18
>>202 おや。
自分は「平島公方家は男系で血がつながってる」と思っていたんだが。
先代が養子とは全然知らなかった。
養子で継いでない家の方が少ないと思うぞ 古い家ほど養子だらけだよ
207 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 10:00:44
それでも進悟氏の実家が平島の分家なら問題無いのだが どこの馬の骨とも分からん人間じゃ足利氏当主を自称する資格はない
208 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 10:04:06
それでも進悟氏の実家が平島の分家なら問題無いのだが どこの馬の骨とも分からん人間じゃ足利氏当主を自称する資格はない
209 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 11:07:44
>>207 足利とはあまり縁の無い人が養子に入った喜連川のほうは如何です?
(今の喜連川のご当主は細川なので、今となっては問題無さそうだけど)
210 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 11:28:17
水戸光圀は「大日本史」で尊氏をさんざんこき下ろしたことを気にしてて、 万一喜連川に継嗣が絶え、どこからも養子がこなかった場合には、 水戸家の公子を養子に出すように言い残してたらしいな。
211 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 11:48:48
>>210 その話は聞いたことがあるが「どこからも喜連川に養子が来ない」状況なんて実際にあったのかな。
「南朝が正統で足利氏は逆賊」という評価が固まったのは明治になってからだろう。
現に加藤・細川から養子を迎えたこともあるし、分家の宮原家からも養子を迎えたこともあった。
縄氏は確かに水戸の人だけど、徳川斉昭の息子って、やたらとあちこちの養子になってるからなあ。
将軍慶喜からにして、一橋家の養子だったわけだし。
212 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 12:34:38
進悟氏の出自は一体どこなのかな? 名前からして百姓っぽいけど
213 :
日本@名無史さん :2007/01/01(月) 23:37:56
>>212 名家でも、次男とかはそういう名前のことあるよ。
214 :
日本@名無史さん :2007/01/02(火) 01:01:37
じゃあ進悟氏の実家はどこなんだよ かつては武家棟梁であった、足利家の先代当主の出自が不明な訳無いだろ
215 :
日本@名無史さん :2007/01/02(火) 02:19:52
:日本@名無史さん :2007/01/01(月) 13:15:43 進悟氏は養子 平島の娘と結婚して婿入りしたのだが、 その後、足利の名字のまま、つまり当主のまま、離婚 そして、別の女性と結婚 現在の当主は進悟氏の二番目の妻の子供 すなわち、女系でも足利家の家系とは言えない 新田と足利スレから転載。つまり、もはや将軍家の血筋でもなんでもなということか。
この時代の名家の子孫はどこも血筋なんてほとんど繋がってないだろ 血筋よりお家大事なんだよ
>>197 一応、大昔の長尾の先祖に上杉から養子が入ってるんじゃまいか
上田長尾の出自そのものがかなり怪しかったりもするが
吉良も早くに分かれた家だから上杉とは縁はなさそうかな
218 :
日本@名無史さん :2007/01/02(火) 14:00:04
>>919 進悟氏は足利の血を引いてないの?
古河公方家なんかは、氏姫に婿を取ったけど、その婿も古河公方の分家なんだよね
(つまり子孫は、父方も母方も古河公方家ということ)。
>>920 喜連川足利氏の現当主・公平氏は細川家出身。
219 :
日本@名無史さん :2007/01/02(火) 15:57:02
>>214 >>215 が本当だとしたら、養子入りは養子入りでも、出自不詳の、まさにどこの馬の骨とも
わからん人が平島公方家の文化的な遺産を乗っ取ったことになるが?
220 :
日本@名無史さん :2007/01/02(火) 16:00:10
足利義廉ー智恵 ll 進悟 llー義弘ー義徳 典子 シンゴが足利の血を引いてるというソースは無いのか?
222 :
日本@名無史さん :2007/01/03(水) 16:07:15
離縁したのに「足利」姓を名乗るとはな
223 :
日本@名無史さん :2007/01/03(水) 20:40:35
>>221 ホントかよ。本当だったとしても、普通それなら娘が後添えもらうだろう。
四谷怪談じゃないんだから。
うちも本家がそこそこの名家だったらしいけど、当主が戦死した後 嫁さんが婿取りして家のっとっちゃったんだよな 分家筋のうちの爺ちゃんが生前怒ってたよ 民法じゃそれもありみたいなんだよな
まあ源姓畠山氏とかもそんな感じだったかな
226 :
日本@名無史さん :2007/01/03(水) 21:58:08
亡くなったからなのかな?
227 :
日本@名無史さん :2007/01/04(木) 02:54:28
>>224 現行の民法でも墓だけは「本家に引き渡せ」と言えるらしいけどね。
でも、2ch以外では「進悟氏が婿養子」という話は、まだ見つからない。
喜連川のほうはいくらでもソースがあるんだけど。
228 :
日本@名無史さん :2007/01/04(木) 03:58:52
229 :
日本@名無史さん :2007/01/04(木) 10:42:45
>>196 鷹山は一代限りのリリーフだろうが。
養弟というか、養親の実子を養子にしたんだが。
>>225 足利系畠山家は元祖畠山家の血を全く引いてないよね
北条軍の攻撃で元祖畠山家は完全に死滅、
その名跡を足利義純に継がせただけだから
元祖畠山家の血はこの世に一滴たりとも残っておるまい・・・
政敵の血は一滴たりとも残さず赤子に至るまで完全に死滅させる、
それが北条家の恐ろしさ、凄まじさである・・・
北条政権がもっともっと長く続いていたら
死滅した氏族がどれほどの数に上っていたことか
足利・新田一門は間違いなく地球上から消滅していただろう
231 :
日本@名無史さん :2007/01/05(金) 01:24:05
家紋なら足利だけど…
232 :
日本@名無史さん :2007/01/05(金) 03:41:46
東北の秋田とか、岩手って畠山姓が結構多いですよね
233 :
日本@名無史さん :2007/01/05(金) 08:39:55
進悟の話はどうなった?
234 :
日本@名無史さん :2007/01/05(金) 10:00:21
>>228 のサイトによると義廉氏の実子となっている。系図を見る限りだと、
跡を継いだ以外の子は「義」の字を使っていないな。
同志社大学MBAの足利さんに聞いてみたら。 この人学部は松山大学なんだな。
進悟さんは法要を足利家当主として等持院にて 執り行っている。 中央大学卒。
足利家は現在霞会には入会していないらしい。
238 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 01:00:51
>>237 霞会ってなんだ?ググったらいろいろ出てきたが。
それに、家系図を見る限りでは進悟氏は義廉氏の子のようだが。
239 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 08:14:49
>>230 浄法寺氏は平姓畠山を自称してたようだが。
>>240 じゃあ平島公方家は入ってなくて当然だなあ。平島公方家は華族にしてもらえなかった
(理由は阿波を離れたためとされている)という経緯がある。
242 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 19:35:25
>>234 長男が早世して次男が跡を継いだ、という可能性もあるな。
長男以外は「義」の字を使わない、というだけの話かもしれない。
>>241 だから足利宗家は喜連川、ということになってるんだろうな。
本家が平民で分家が華族、というのも何か変だし。
243 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 21:07:48
>>242 だから〜進悟が養子なのは散々既出
>>221 を見ろよ
因みに足利氏の子孫でつくる旧恩会みたいなのがあるのだが
足利氏の当主は進悟の息子という見解で一致している
もちろん喜連川も参加
足利の血を引かないどこぞの馬の骨とも知らん奴を当主としてワッショイワッショイとは、馬鹿だとは思わんのかな?
244 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 21:15:20
同様に偽子孫が当主となっている例が 自称平家嫡流の伴家 そもそも伴家に伝わる家系図に載っている初代が、清盛の孫という人物なのであるが これが実在しない架空の人物 偽子孫だということがバレバレなのだが、伴家もまた平家子孫の会の会長を務めている
245 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 21:17:11
>>243 でも
>>228 のソースでは「進悟氏は義廉氏の実子」と書いてあるんだが。
>足利の血を引かないどこぞの馬の骨とも知らん奴
それ言ったら、喜連川なんか凄いことになってるぞ。8代恵氏は大洲藩の加藤氏からの養子。
11代宜氏は細川氏からの養子。12代縄氏は水戸徳川氏からの養子。16代公平は細川氏からの養子。
分家の宮原氏からの養子(5代氏春と13代聡氏)は別にして、足利とは無関係な当主も多い。
>>245 >>「進悟氏は義廉氏の実子」と書いてあるんだが
何処にもそんな言葉書いてねぇよw
家系図に一本線で繋げてあるだけ
進悟氏が義廉氏の婿養子なのは事実
247 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 22:17:38
>>245 Wikipediaで平島公方を検索してみろよ
っていうか馬鹿がいると話がループするんで引き取ってくれ
248 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 22:29:33
>>247 編集履歴見ると「足利進悟氏は将軍家と血のつながりが無い」と今年の1月1日に直されてるんだが。
で「202 :日本@名無史さん :2006/12/31(日) 16:28:49」で「進悟氏は婿養子」という話が初めて出てきたわけだ。
本当に、これ信用できるソースなんですかね?
249 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 22:47:51
>>248 202と215見てみろよ。いかにも「ソースにするためバタバタ大急ぎで直しますた」ってのがミエミエ。
250 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 23:29:27
っていうかさ進悟氏が義廉氏の実子だというソースだせよ HPの一本線なら実子だとかいう説明ない簡略な系図以外でさ 進悟氏は婿養子だというのは紛れもない事実なのに義廉氏の実子だとか騒いでるお前ら馬鹿みたいだぞ
>>249 ソースが2ちゃんかよw
キチガイの言うことは良く分からんな
252 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 23:41:14
>>250 >進悟氏は婿養子だというのは紛れもない事実なのに
むしろそっちのソースを出して頂けると大変助かるし、議論もあっという間に収束するんですが。
>>251 >ソースが2ちゃんかよw
その疑いがあるわけですよ。Wikipediaの「平島公方」について、2ちゃんをソースに改竄したんじゃないか、という疑いがね。
もっと悪く考えると「平島公方は足利尊氏と血の繋がりが無い」と2ちゃんに書いた本人が改竄した可能性すらある。
「進悟氏が婿養子」という話がここや別スレに出てきたのと、wikipediaに「進悟氏は婿養子」と書き込まれた時期が近すぎるから。
253 :
日本@名無史さん :2007/01/06(土) 23:58:13
仮にシンゴが本物の子孫だとして、 わざわざ血のつながりが全くないと捏造する必要が何処にあんのかね…
254 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 00:03:39
>>253 さあ。
というより、足利家が男系でつながっていてもいなくても、別に誰の損得にもならないわけで。
みんな、純粋な知的好奇心で「平島公方家は血縁でない婿が当主になったの?」と書き込んでるんでしょう。
わざわざ嘘を書き込む人も、世の中にはいるでしょうね。何が嘘なのかは現時点では全く不明ですが。
255 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 00:05:57
進悟が養子でないとか言ってんの同一人物だろw 紛れもなく実子だというソース出せっての
残念ながら
>>221 の家系図は本当
とはいえ、歴史上の人物という訳ではないからネット上では、個人情報に乏しい
それでも信じられないお馬鹿さんは直接義弘氏に電話ででも聞いてくれ
確認もせず妄言を吐き続けるなら引き取ってくれな
257 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 00:28:32
258 :
257 :2007/01/07(日) 00:30:14
念のため。 足利進悟氏は故人ですから、個人情報の定義には当てはまらないんだけどね。 現在も健在な足利公平氏とは違います。
ただ、もしその婿養子(悪く言うと御家乗っ取り)が事実だとしたら、系図を 見る限り義廉氏には姉妹がいるし、その先代にも幾人か兄弟がいて、当然その 子孫もいるだろうから結構騒ぎになってるはずだろう。おそらく次男以降なんだろうな。 そのソースが示されれば一発なんだが・・・・
260 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 01:03:21
ループしていて話が先に進まない… どなたか義弘氏本人もしくは足利ゆかりの会あたりに養子の件を尋ねてみてはくれないか? 楽しみにしてるぜ(o^-’)b
261 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 01:15:40
>>260 256さんが「足利進悟氏は婿養子」という事実をどこで知ったのか、
それだけでも教えてくれると良いんだが。
そもそも202さんの言い分が説得力ゼロ。
>足利進悟って明らかに足利氏風の名前じゃないな
>それとも男系で血がつながってるというソースあんの?
名前の雰囲気が違う、ってのはせいぜい「状況証拠」にしかならない。
古河公方3代目は足利高基という(元は高氏)。弟は義明。次男は晴直(後の上杉憲寛)。
古河公方家〜喜連川家は「氏」という字を名前に入れるのが普通なのに、彼らは例外。
普通は、当主の座は実子が世襲するわけで「違う」と主張するのなら、そのソースがほしい。
262 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 01:33:14
ttp://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20070106i115.htm やっぱりなかった銀閣の銀…漆塗り、初調査で解明
室町時代の東山文化を代表する世界遺産・銀閣寺(慈照寺、京都市左京区)の外壁には、
創建当時から銀箔(ぎんぱく)が施されていなかったことが、寺が専門機関に依頼して行った初めての調査でわかった。
金箔で飾られた金閣寺(鹿苑寺、同市北区)との対比から
銀箔張りだったという説は退けられ、定説通り、漆塗りだったことが確定した。
銀閣寺は室町幕府の8代将軍、足利義政が造営した、こけらぶき二層の楼閣。
銀箔を張る計画が見送られたのは幕府の財政難が理由ともいわれ、
金閣に対し、銀閣と呼ばれるようになったのは江戸時代とされる。
銀閣寺は来年度にも屋根のふき替えや一部の柱の取り換えなどの修復をするため、事前調査を実施。
創建当時のままとみられる2階の外壁の一部について、
奈良文化財研究所に分析を依頼したところ、銀の成分は検出されなかったという。
銀閣寺の坂根孝慈執事長は「銀閣はわび、さびが持ち味で、銀箔がなくても価値は変わらない」と話している。
(2007年1月7日0時22分 読売新聞)
264 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 01:46:01
というか
>>261 が尋ねてくれること期待
そうすればすっきりするんじゃない?
265 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 01:51:00
義弘氏が自分で将軍家の末裔だって授業で答えたんだろ。
足利峻さんでさえこれだ。 長子以外はいみなをつけていない可能性はある。 それから他人の戸籍とかって拾えたっけ?
それよりも斯波氏の子孫が斯波義○氏ってのはガチなのか? 小栗上野ノ介の子孫が漫画家やってるくらいだからなんでもありだな。
270 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 02:28:24
>>267 故人の除籍簿謄本なら、理由による(土地登記で相続関係を調べる場合など)。
あとは正当な学術調査でもOKだったかと。
271 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 02:31:46
Wikiといえば、[[足利氏]]のノートに 「喜連川系も書け」って内容の書き込みがあったなぁ
273 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 08:28:22
そういえば藤原足利の子孫はいるのかな
274 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 08:29:41
柴田氏が本当に斯波氏の子孫なら勝家は足利の子孫だけど・・・
等持院に聞きに逝くのが一番はやいお。 頼底師が惇氏氏を正当と認めるような発言を 日経にてしている。 奥様は竹田宮家出身だし、平民の平島家では ありえないな。 細川護ひろ氏も若きころに惇氏教授と知己を得て人生の師と仰いでいる とその著書にある。いっしょに鎌倉の寺を散策したりしたようだ。 細川家から養子が入ったのもさもありなんだ。 東海大学学長就任も、家名によるところが大きいんじゃないかな。 惇氏先生は小学校は学習院で中学から同志社なんだけど、 大学も同志社なのかな。 京大は飛鳥井、足利と名家コレクターですな。 とりあえず、今回のお家簒奪も平民にふさわしい最後ではある。
ちなみに旧清華家のひとつが奈良に住んでいるのだが、 部落なんだが。例の市役所の欠勤をしていた男性の住所www。 うちの近くには徳大寺家の分家がいたりする。電話帳みると数件あり、 ご家族で住まわれているようだ。
むかし2chでこういう書き込みがあった。 近所に住んでいた私は、足利先生によくかわいがってもらった。 近所のおばさんが「あの人は足利将軍家の末裔なのよと」教えてくれた。 それと足利先生の子供時代のエピソードで伝統にまつわる話が本に 記載されていた。 子供の頃から父より、足利家の家系図を毎朝書写するようにいいつけられ ていた。初等科の歴史の授業のある日、先生が「足利は逆賊です」と 言ったとたん、クラス中が私を振り返った。私はうつむいたまま 顔を上げることができなかった。その翌日以降もただひたすら家系図の 書写を続けた。
斯波義信氏はガチで子孫だろか?
280 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 12:30:06
>>279 そう見て間違いないのでは。
斯波家の通字「義」も使ってるし。
283 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 15:22:01
宮原氏は足利晴直の子孫
>>281 そういうとこがかえって胡散臭いんだけど
285 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 16:15:56
>>261 高基も義明も晴直も立派な武将の名前だけどシンゴってwwwww
普通、由緒ある家の出なら名前は訓読なんじゃないのかな?
進悟氏は武家の出ですらないと俺は思うが真相はどうなのだろうか…
たまたまかしらないけどB地に居を構えているということ。 先代宮司なのにね。
足利先生が尊氏そっくりで親しみをこめて「将軍」と呼ばれていた なんて。
288 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 16:39:49
足利晴直=上杉憲寛
斯波氏の子孫は前田家の家老として残ったらしい。 足利将軍家の子孫としては薩摩藩士永山家というのがある ようだが。
290 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 19:21:02
>>285 明治以降はそうとも限らない。
明治初期に生まれた人なんか、幼名や通称をそのまま戸籍名にしてる人もいるし、
毛利元徳の息子なんて後継ぎ以外は単純に○郎ばっかり。
近代以降は通字を使うのをやめたり、一般人と同じ普通の名前をつける例が増えた。
291 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 21:33:51
でもシ○ゴはパチもんだろ
292 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 22:32:01
狭山の北条氏も明治以後は謙吉とか雋八とかそんな名前ばかりだしな。明治以後だと嫡子以外はそんな感じ。 そもそも進悟氏が婿養子って話の出展は何だ?
293 :
日本@名無史さん :2007/01/07(日) 23:03:05
だからさ〜シンゴが実子だと証明したいなら直接問い合わせろや
義廉氏に男子はいなかったと、ゆかりの会の人が昔言ってたけど 詳しくは覚えていない
295 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 00:56:20
>>290 足利惇氏の先代(喜連川氏14代当主)は、足利於菟丸(おとまる)という。
この人、12代縄氏の嫡子。明治2年生まれ(まだ喜連川藩があった時代)だし、
幼名をそのまま戸籍名にしたんだろうね。
因みに於菟丸さんのことは知らないけど、こういう人って戸籍名とは別に、
普通の名前のほうを「通称」として持ってることも多い。
296 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 01:17:13
>>293 あのね、ちょっと言っとくけど。
普通は当主の座というのは、実の息子が世襲するの。婿とか養子が継ぐのは異例の形。
「平島公方家では異例の形で当主の座が継がれた」と言ってるほうに挙証責任があるというのが常識。
前にも出てたけど「婿養子が後を継いで、しかも次の当主は公方家の血を引いてない」
というのが本当なら、これって物凄くイレギュラーな形。ソース無しに「信じろ」と言われても無理なわけよ。
「ソースは個人情報になるから、明かせない」というのなら(進悟氏は既に亡くなっているから、
本当は個人情報じゃないんだけど)、せめて「どこでソースを入手したのか(出所)」くらいは言えるでしょ。
喜連川足利家のほうでは「古河歴史博物館の学芸員から教えてもらった」という出所が出てきたから、
みんなが「なるほどね」と信じたわけ。
297 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 12:01:20
養子が当主につくのは物凄くイレギュラー って言ってるけどさ 実の息子がいなけりゃ養子が入んの当然だろ 真田家もそう武田家もそう どちらも血はつながってない養子が家継いでるぞ あと武田龍芳の子孫のHPを見るといいが、家系図には養子だらけなのに、 平島公方のと同じで実子で繋がっているかのような書き方してる
そそ。旧家はどこでも養子が跡継いでるよ 大奥があってやり放題の将軍家ですら、直系が絶えて傍系から養子取るほど 生存率低い時代を何百年も続かせるって大変なんだよ
299 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 12:34:53
>>297 ただ、女系や傍系、昔に養子に出した家など血統も考慮して養子を迎える家と
家格だけで養子を迎える家があるわな。
伊達家なんかは仙台も宇和島も政宗の血にこだわってたわけで、家斎の子より
旗本の息子優先してみたり、水戸の子より遠くにわかれた宇和島の子を迎えたりで
まったく関係ない家から迎えたように見えて 何代か遡ればどこかで血が繋がってるんだよ 上流階級ってのはそんなもので狭い世界で結婚したり養子にしたり出したりしてるの
301 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 12:51:02
真田家の血が絶えてしまったのは残念だったな 現当主は一滴も昌幸の血を受け継いでいないのだから
302 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 13:53:58
>>300 大名家なんかはそうなんだが、将軍家の女系は百姓や商人、下級武士だからなぁ。
303 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 14:48:52
>>296 お前が問い合わせればいいだろ
シンゴが養子だというのは2ちゃんではずっと前から既出の話
304 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 15:55:50
>>302 男系がくさるほどあるから、女系などどうでもよかった。
御三家やその分家の連枝の松平氏まで入れたら、直接・間接に将軍継承資格のある
家康の男系子孫は相当数にのぼる。
305 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 16:14:11
>>304 それとは逆。大名家が家斎の子を養子にもらっても女系の祖父、曽祖父は
公家や大名家の出ではないので外様の藩主などと血がつながってる可能性はない。
譜代の場合でも、越前家系への養子以外は三河時代にあったかもぐらいじゃない?
306 :
日本@名無史さん :2007/01/08(月) 17:06:55
いや、だから家康の男系での直系卑属であり将軍継承資格のある御三家や その分家である連枝(とくに水戸系)が多かったと言ってるんだが。
>>299 上杉鷹山も、たしか祖母あたりが上杉氏の出身だからという理由で米沢へ
養子入りしたはず。
江戸時代初期までは正室が跡を継ぐ子を産んでいるが、中期以降はめっきり減るな。
当時の女性達のうち大名の子女が生活環境などの関係で一番虚弱だったみたいだし。
>>303 いや、言い出したのはお前だし、2chのみがソースではほとんどヨタ話同然なわけだが。
確か今川氏の研究本で、維新後に制定された戸籍法か何かで、基本的に 武家風(諱)的な実名を名乗る事が禁止された為、今川家最後の当主・ 範叙は晩年「得多郎」と改名していたという記述を読んだことがある。
真田は次男の子孫が片倉家庇護の下、存続しています。 ホムペもあるよ。身分を隠していたそうですが。 嘘くせえ。家康本陣近くの部隊の旗まであるんだが。 検索すれば一発。地元もこの人を認めているようだ。
話の流れを見ると御家乗っ取り養子を主張している側の方が苦しいなw ところで、足利義辰(義輝の息子or弟)の子孫が西山家として 熊本藩に仕えたって聞いたんだけど、これって本当?
312 :
日本@名無史さん :2007/01/09(火) 12:00:01
↑なんでそういう解釈になるんだよ… 馬鹿の言う事は良く分からんな
>>313 いいからお前はソースをだせこの猿が
>>311 どうなんだろうな。前に足利義昭の子・義在の子孫の方のページなら見た事があるが。
314 :
日本@名無史さん :2007/01/09(火) 19:32:01
>>309 でも、明治初期に戸籍名を定めるとき、政府の高官はほとんどがイミナで届けてるけど。
隆盛、利通、清隆、従道、孝允、博文、有朋、顕義、重信、常民、喬任、安芳、武揚・・・
315 :
日本@名無史さん :2007/01/09(火) 21:59:04
俺が足利ゆかりの会に問い合わせてみた 平島公方の先代当主である進悟さんは残念ながら、婿養子という事だった 本当に残念でならなかった
>>315 ご苦労様です。ちなみに、後妻との間の子が義弘氏という件は・・・?
あと、進悟氏の出自は如何に
317 :
日本@名無史さん :2007/01/09(火) 23:56:56
318 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 00:06:41
>>297 >養子が当主につくのは物凄くイレギュラー
>って言ってるけどさ
>実の息子がいなけりゃ養子が入んの当然だろ
そうだよ。だから「進悟氏は実の息子じゃない」というソースが出てくれば、みんな納得するわけだよ。
ソースが2chだったり、書き直された直後のWikipediaだったりするから、不審に思われてるだけで。
世の中には結婚する人が多いし、結婚すれば子供ができる人が多い。そういう意味で「次の当主は実の息子」
という形が普通。「平島公方家は養子が跡を継いだ(≒息子はいなかった)」という話を持ち出して
「ソースは?」と尋ねられたら2chとWikipediaしかソースを出さず、挙句の果てに「実子だというソースを出せ」
では「本当かねえ・・・」と、今ひとつ信用されないのは当然のことじゃないかな。
319 :
318 :2007/01/10(水) 00:24:13
おっと。突っ込まれないように言っておこう。 「息子が生まれるとは限らないだろ」と言われれば、そのとおり。 でも「婿養子が家付き娘と離婚した後も『当主』を名乗り続けて、しかも後妻の子 (=父方でも母方でも足利の血を引かない者)に後を継がせた」という話になると、 これは非常に珍しい形といえる。まして先妻は死んだのではなく「離婚した」んだから。 離婚された娘のほうは再婚もせず、養子も取らず、無関係な男性が「将軍家当主」を名乗るのを、 何一つ抗議もせずに座視していたのか。この娘が(婿)養子を取れば、そちらが正当な当主だというのに。 仮に座視していなければ、間違い無くお家騒動だ。果たして、そんな話があったのかな?
320 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 00:58:20
>>317 そのページの一番下に「事務局/足利市役所商業観光課」と書いてある。
ここに問い合わせをしてみよう。それでハッキリする。
>>319 まさにそれだよね。それに足利家くらいの名家になると、当人の意思に加え
周辺が騒ぎ立てるような気がする・・・・。戦前の話とはいえ、惇氏さんの系統も
存在していたわけだし、全く無関心だったということはないだろう。
322 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 02:33:04
>>247 >>245 Wikipediaで平島公方を検索してみろよ
当のWikipediaで削除されてるぞ。↓の部分が。
>ただし、進悟氏は婿養子であり、義弘氏は後妻との間に生まれたので、
>現当主と足利氏には血縁は無い。
これだけのことを書くのなら、
>>319 さんの疑問に答えるだけの証拠が無いと。
323 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 08:32:23
逆賊の子孫が生きているのって許されることなのかな。
324 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 08:43:33
下らないレスをするしか能のない
>>323 が生きているのって許されることなのかな。
>>324 いや、お前こそ痛いぞ。ろくに確証もない話をかったに広げときながら、ソース?
そんなもの自分で探せ!なんて通る訳が無い
326 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 09:50:45
>>318 粘着うぜぇな…
お前が問い合わせて真相を確かめりゃ良かっただろ
>>325 進悟が養子なのは2ちゃんねるでは以前から出てた話
進悟が実子だったという珍説は正月になって突然お前が騒ぎだしたもの
よってお前さんが問い合わせるのが筋でした以上
で結局シンゴはどこの家の出なの?
>>327 2ちゃんねるに書いてあることは全て真実だと看做してよいのか?
そんな馬鹿な。
例えば噂板で繰り返し芸能人のゴシップが出てきたら、それは真実?
きちっと検証されている情報もあったし、無根のヨタ話もある。 嘘を嘘と見抜けな(ry
>>330 だから「進悟氏は養子」説の「根」を問うているんだろう。
それがなければ、2ちゃんねる発の「進悟氏は養子」説なんて、疑うべき
説でしかない。
332 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 13:30:33
いいからシンゴが実子だという珍説を盲信してる奴が真相を問い合わせろや 騒ぐだけで何も行動を起こせんのか
>>332 そんな著名人でもない一個人の私的な範疇に属する情報なんて、
問い合わせたところで教えてくれるとでも思っているのか。
お前には常識というものはないのか。
334 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 20:26:33
↑粘着馬鹿は氏ねよ お前一人で珍説言ってた奴だろ
宮原御所に定着した流れの子孫だと祖父さんが言ってたが。
336 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 21:30:58
337 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 22:02:14
「喜連川足利家は断絶していない。足利公平氏が細川から養子に入って16代当主になった」 という話はあっという間に認知されたのに、「足利進悟氏は平島公方家を乗っ取った」 という話はいつまで経っても疑われ続けてる。 何故だろう?
338 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 22:50:13
>>336 まあ平島公方は足利市と関係ないからね…
ゆかりの会ってのがあるらしいけど
339 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 22:52:40
>>337 君も捜査に参加するんだ!
というか問い合わせるんだ
340 :
日本@名無史さん :2007/01/10(水) 22:56:27
>>337 話が極めて特殊な事例だからじゃないか?
単に婿養子って形じゃなくて、件の通りの状況で、しかも婿をとった側や
周囲のレスポンスが一切無しっていうのは首を傾げざるを得ない。
足利公平氏の場合、古河のハッキリした筋の情報の上、細川氏という足利氏
ゆかりの家からの養子だからじゃないか?
341 :
日本@名無史さん :2007/01/11(木) 00:05:34
公平氏の場合、ハキハキと公言しているが、 進悟氏と義弘氏はダンマリしてるというか、公で自分の紹介したところなど聞いた事がない
もし問い合わせるなら阿波の平島の歴史資料館か菩提寺の西光寺あたりになるか。
菩提寺に聞いても教えてくれるわけないんだがw
344 :
日本@名無史さん :2007/01/11(木) 09:33:48
むしろ大学に問い合わせてもいいな
筋としては菩提寺だろう。
昔織田信孝さんがこの板に降臨して「信成君ってどの系統?」と ちゃねらーに聞いてたな。当主が知らない織田子孫ってなんなんだよと。 その後、なんかの本の帯に「彼を子孫として認定します」とあった。 自称子孫ほどあやしいものはない。
竹田さんにメールで聞いてみてはいかがか、惇氏氏の奥さんが竹田家 出身だったはず。それか相国寺の頼底氏に問い合わせるしかないな。
吉良義央公は、刃傷の前日に喜連川足利家の取扱について改善するよう にお願いをしていたらしい。義理堅いではないか。 たまーに地方の豪農で足利家の子孫っているよね。
今日図書館へ行っていろいろ資料をあさって来たが、惇氏さんの情報しか 出てこないなあ・・・・。
350 :
日本@名無史さん :2007/01/15(月) 02:16:27
>>348 喜連川足利家は、江戸時代初期には御三家とほぼ同格だったのに、段々江戸城内での家格を下げられていた
(幕末になって、もう一度家格を引き上げられている)。いわば本家筋だし、まして吉良家は儀礼を司る家。
そういう申し入れがあったのは初耳だが、説得力のある話。
>>336 >>337 >>340 結局「足利進悟氏は平島公方家を乗っ取った」という話は、疑わしいということで結論に達したようだな。
「足利氏ゆかりの会に問い合わせた」といっても、あれだけある問い合わせ先のどこに訊いたのか、
それすら話が出てこなかったわけだし。
351 :
日本@名無史さん :2007/01/15(月) 20:49:26
↑勝手にアホな結論出す前にお前が問い合わせろよ
>>351 お前も煽りに近いような書き込みをしてる暇があったらこのスレの住人を
納得させてみろ。
353 :
日本@名無史さん :2007/01/15(月) 23:04:11
でもこのままだとシンゴが実子かどうかも怪しいいままだけどな はっきりと問い合わせて、シンゴが実子だと堂々と公表すりゃいいじゃん
355 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 00:31:05
例え、進悟氏が養子だとしても、長く続いてるんだからおそらく別家があるん じゃないの・・・?
数多くの名家がありますけど、近代以降養子をとった所って多いんですよね 進悟氏が実子だという決め手になるソースは残念ながらまだ出て来ないのでグレーではあります 家系図がソースだというレスもありますが、例えば武田当主のHPでも系図を載せています しかし系図を見た限りでは、一本線で繋がれているため、実子のみで続いているようですが、実は養子だらけなのです 今のところ、進悟氏が実子であるというソースも、養子であるというソースもはっきりとは示されていないので それまではどちらかに決めつけるべきではないのではないでしょうか
>>356 あれはかなり省略した系図(江戸以降は跡を継いだ当主の名前しか無い)だから
なあ・・・。でも、阿波公方の系図は跡継ぎ以外の子や女子の名前までのっている
かなり詳細なものだったから多少は信用していいかも。
ただ、確証はないし、決定打に欠けるが
旧家ってのはどこも養子だらけで継いできてるんだよ 納得いかないのは新しい家の出身の人だろう 養子が取れなかった家はどこもほとんど絶えてるよ そして養子は無関係な家から貰う場合がかなり多い 系図上で見ると一直線だけど、無関係な人が継いでる家だらけだよ 娘婿とかでもなくね。 進悟氏だけではなく、どこも長い歴史の中でそうやってお家を継いできている すでに江戸時代辺りで血はとっくに途切れてるだろうね 家系と血脈は違うってことだ
359 :
age :2007/01/16(火) 02:14:10
>>355 別家は確実にあるだろう。但し、だからと言って足利進悟氏が別家の血を引いているかは別問題。
喜連川足利家も、宮原家という別家があるにも拘らず、加藤家や水戸徳川家から養子を取っている。
とはいえ「進悟氏が婿養子で、しかも家付き娘と離婚して後妻の子に跡を継がせた」という話は、
やはり怪しさ全開なのだが。
>>318-319 参照。
現状では「真偽不明」としか言えない。ただ(これがどうしても理解できない人もいるようだが)、
普通は当主の座は実の息子が世襲するもの。「進悟氏は実の息子ではない」という証拠が未出だし、
まして「現当主の義弘氏が後妻の子」というソースが全く無い以上「実の息子じゃないのかなあ」
というのが現時点での結論。
「足利氏ゆかりの会に照会した」という話(
>>315 )も出てきたが、事務局の足利市役所は
「不知」と回答したようだし、ではどこに照会したのか(
>>336 参照)も出てこない以上、
「足利氏ゆかりの会に照会した」という主張自体の真偽が疑わしい。
(´-`).。oOだめだこりゃ
361 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 07:50:52
実子だという決め手になるソースが欲しいですね 2ちゃん内で今のところ有力だなどと言っても、真実かどうかとは別でしょ
>>360 きっと今後も実子だ実子じゃないって主婦の井戸端みたいに
うだうだ言ってるだけだよ
そんなに気になるなら興信所にでも頼めばいいのにな
363 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 12:46:24
婿入りしたのに、離婚して尚且つ、当主の座についたままというのはよくある事 例えば鎮西一の猛将と呼ばれた立花宗茂
364 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 14:13:59
365 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 18:31:55
名門名家の養子相続について誤解があるようなので一言。 国持ちクラスの大名の場合、かなりの家が藩祖の男系子孫を明治維新まで維持している。 大抵の養子は支藩や分家から迎えているが、戦国時代まで遡った同族の家から迎えたり、 他家に養子に出た男系男子を呼び戻している例もある。 徳川、前田、島津、伊達、細川、浅野、鍋島、藤堂、山内、佐竹、南部、有馬、宗など、 いずれも一族内での男系相続で継承している。 備前池田は江戸後期に島津とか徳川とか、他家からの養子が続いたが、明治維新のときに 相良家から池田家の男系子孫を迎えて本来の池田家の血筋に戻った。 完全に藩祖と無関係の血筋になったのは、黒田、蜂須賀、因州池田くらい。 女系で血筋をつないだのは上杉だが、綱憲以降は吉良家の男系がずっと続いている。
366 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 18:39:16
あと、小藩でも京極家などは地味に男系相続で明治を迎えている。 久留米の有馬家は赤松支流だったので、わざわざ赤松支流の幕臣石野家から養子を迎え、 なんとか赤松の男系の血を守っている。 このように外様大名は、大抵男系相続を貫徹しているので、女系の吉良系になった上杉とか、 アカの他人になった黒田、蜂須賀の方が突出して見える。 だから、喜連川家が早い段階で織豊取立の大洲加藤家から養子を取ったのは、ちょっと意外。
367 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 20:11:07
真田だって信之の男系子孫はすべて断絶してしまったからな 平島の男系子孫が同様に断絶してしまったとしてもなんら不思議でない
368 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 20:19:27
男系血族で続いてる家のほうが少ないだろう。みなどこかで途切れてたり 薄い薄い、ほぼ他人みたいな家からの養子だ
369 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 20:45:30
>>365 因州池田も藩祖(因州は一物挿し込まれたほうな。備前は挿したほう。)の弟の家系からの養子だよ。
370 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 20:51:23
言うほど途切れてない。よ〜く系図集を見てごらん。 上記の有名どころの大大名は支藩、分家からの養子で男系を維持してるから。 分家といっても本家と養子のやり取りをしてるから、そんなに疎遠じゃないし、 当時は本家分家の関係は現代の庶民のように他人という感覚ではない。 もし、直系父子相続にこだわって、分家や支流からの養子がダメというのなら、 歴史上の皇室もとっくにアウトだぞ。
371 :
日本@名無史さん :2007/01/16(火) 20:57:12
>>369 確かに19世紀に分家の鳥取新田藩から養子が入ってるが、その次は水戸徳川家から
慶喜の兄の慶徳が入っており、以後はずっと徳川系に乗っ取られた。
372 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 02:18:06
>>371 だから、鳥取池田は、家康の娘の家系って意味での家で、信長の乳兄弟の家って意味の岡山とは趣旨の違う家だろ。
伊達は一生懸命、「政宗の血統」にこだわってたけどね。 でも今の仙台家子孫は全然違うはず。 宇和島はどうだったかな? 宇和島分家の吉田藩子孫とやらが、いまだに政宗の血統のはず。
374 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 18:51:44
仙台伊達家も藩祖政宗の男系でずっと続いている。 藩祖政宗→2代忠宗→伊達宗房→5代吉村→伊達村良→田村村資→11代斉義 →13代慶邦→14代宗基→邦宗→興宗→貞宗→現当主
375 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 20:00:56
>>373 仙台も宇和島も吉田も一関(田村)も宗城系の宇和島別家も満州の馬賊も政宗の男系子孫。
宇和島が将軍家からの養子を断り旗本山口家から宗城を養子に迎えたり、
仙台も将軍家からの養子を断り宇和島から宗城の息子を一時的に養子に迎えたのも
政宗の血にこだわったから。
宇和島は猫の血にはこだわらなかったようで途中からは愛姫の血だったりするが
満州の馬賊もw
377 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 21:12:00
陸奥宗光は伊達小次郎、政宗の子孫??
378 :
日本@名無史さん :2007/01/17(水) 21:52:55
>>366 >だから、喜連川家が早い段階で織豊取立の大洲加藤家から養子を取ったのは、ちょっと意外。
喜連川の場合、養子の持参金にも期待していたみたい。何せ日本一の小藩だから。
「喜連川町誌」にこんな話が出ている。
10代熙氏には息子がいなかったので、「提灯に釣鐘」という反対を押し切って細川斉護の息子(紀氏)を、
養子に貰うことにした。紀氏の将来を案じた細川斉護が「持参金をつける」と言ってきてくれたので、
熙氏は1万両を(持参金ではなく)「無利子貸付」してもらうことにした。これを年利12%で運用して、
毎年600両を返済に、残り600両で喜連川領内の荒蕪地を開拓しようと計画した。
ところが細川も財政難でその1万両がなかなか貸し付けられず、そのうち何と紀氏が「足利は逆賊の家だ。
天下動乱の時代にこんな小さな家が継げるか(どう見ても、本音は後段だな)」と捨て台詞を残して出奔。
養子と年600両とをともに失った熙氏は落胆した・・・と。
結局、後に残ったのは紀氏が持ってきたツツジの木だけ。この木を気に入った熙氏が「これを切ったら断罪」
と言ったので、このツツジは今でも「だんざい」と呼ばれて喜連川に残っている・・・と。
因みに、この紀氏が後の長岡護美。明治になってから足利家に謝罪するため、14代於菟丸の縁談を世話し、
15代惇氏が京都大学教授になった時には京都市内の細川邸を住居として提供したらしい。
379 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 12:54:51
でシンゴの件はどうなったのさ
380 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 13:08:19
381 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 14:34:59
どうもこのスレには「『足利進悟氏が婿養子。義弘氏は後妻の子』というソースは無い」 という話と、「足利進悟氏は実子」という話の違いがわからない奴がいるようてすな。
382 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 17:04:44
でも大概の名家の当主ならぐぐれば実子だというソースがでてくるものだけどな 現時点では安易な決めつけはできない まだ妄想の段階に過ぎない
もういいよ わからないものをいつまでやってても埒が明かないし意味もない
シンゴ自体、検索しても全然ヒットしないからなw ましてやプライベートな家族関係がのってなくても不思議じゃない しかしながらシンゴが養子だという話は2ちゃんの中では、前からある 関係者からの情報だったらしいけど
それしかネタないのか もういいって
386 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 19:07:47
っていうかいい加減どちらかのソースだせや ごまかしてねーで
387 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 19:20:01
>>377 伊達騒動で有名な伊達兵部(政宗の末子)の子孫と言われることもあるが、
本当のところは駿河伊達氏の末裔とのこと。
388 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 19:57:31
進悟氏の事なんてぐぐっても生年月日すら分からない謎の人物なんだから ソース載せろという方がいかれてる
389 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 20:03:01
とりあえず武田家嫡流の事扱ってるHP見てな 家系図みる限り養子無しで繋がってるみたいな表示だから 俺もそれに騙されてずっと現在の当主が信玄の子孫だと思ってたwwwwww
390 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 21:07:37
いまの武田家って柳沢の子孫だよな。
391 :
日本@名無史さん :2007/01/18(木) 21:35:02
それ考えたら平島の家系図に載ってる人物はシンゴに限らず全員怪しいな 武田家嫡流は養子無しで現在まで至った仁科の家系にすべき
>>390 まあ柳沢氏は武田氏の庶流だし、信玄以来の祭祀をしてきたのは
この家だからな。それに全部実子になっている武田氏の系図は非常に簡略化した
もので、当主以外の子女が省略されているので、跡継ぎ以外の子息の名前も
載っている平島公方の系図とは一概には一緒に出来ないだろ
393 :
日本@名無史さん :2007/01/19(金) 18:24:22
仁科最強
394 :
日本@名無史さん :2007/01/19(金) 20:27:06
仁科の子孫っているの?
>>394 ウィキによると、2人男子がいて、家康に仕えたらしい。で養子を
迎える事無く存続し、維新後には子爵を貰った人もいるらしい
396 :
日本@名無史さん :2007/01/20(土) 10:02:42
>>392 とは言え、平島の系図では養子の場合二重線にするなどの断りがないため
実子のみで繋がっているというのは想像(妄想)の域を出ない
wikiを信じるなよw 特に日本史は改竄だらけだっつのに
398 :
日本@名無史さん :2007/01/20(土) 23:02:59
結局、足利一門の男系子孫であることが確実な名門名家というのは、 いまや肥後細川と吉良に乗っ取られた上杉くらいか。
399 :
日本@名無史さん :2007/01/20(土) 23:04:23
あと、近衛本家があったな。 華族制度廃止後とはいえ、摂家筆頭の当主が足利一門の男系子孫というのも面白い。
400 :
日本@名無史さん :2007/01/20(土) 23:18:07
なんだかんだで名家は細川だらけかハァ〜 肥後細川は源氏の庶流の分家のそのまた分家なのにな
401 :
日本@名無史さん :2007/01/21(日) 00:34:23
流だの分家だの言っても、日本人の大部分を占める百姓の子孫よりは家柄が確かだから 嘆くことはない>肥後細川
402 :
日本@名無史さん :2007/01/22(月) 00:10:52
>>399 摂家筆頭も将軍(喜連川)家も細川ですな。
実は細川家って、平成に入ってからが全盛なのね。宰相も出したし。
403 :
日本@名無史さん :2007/01/22(月) 16:44:08
>>400 落胤説が本当なら源氏の庶流。落胤説がうそなら庶流の分家の分家。
どっちもうそで他の香具師の落胤ってことも落胤説の出るような母親ならありえるかも。
まあ徳川家よりはしっかりした家系だよな
405 :
日本@名無史さん :2007/01/22(月) 20:05:24
家康は賎民の家系 秀吉の百姓のが遥かにまし
秀吉が百姓って・・・ 家康も秀吉も土豪クラス。 家康のほうが数代前からでかかったけど。
秀吉は土豪ではないだろうに
>>403 細川幽斎の親父の実家・三淵氏(三淵晴員自体は細川氏出身だが、晴員の母が
三淵氏)も足利義満の落し胤っていう話が有ったな。まあ、信憑性はあまりないがw
409 :
日本@名無史さん :2007/01/24(水) 12:12:57
でシンゴはどうなったんだ?ww
410 :
日本@名無史さん :2007/01/24(水) 14:54:14
>>409 2ch以外にまともなソースがない以上現段階ではわからんって話。
それよりもお前の書き込みには悪意を感じる
>>407 織田のところの足軽大将クラスだっけ?
領地を持って農作もしてたらしいから、土豪でも悪くないんじゃない?
規模小さいけど。
ははは
413 :
日本@名無史さん :2007/01/25(木) 01:16:14
414 :
日本@名無史さん :2007/01/25(木) 02:03:35
斯波
学校で学ばなかったんだろうかって呆れるほど 日本史の基礎教養すらないレスが最近目につくんだけど ゲームや漫画脳か外人なんだろうか
>>415 誰でも知ってることを知らなかったりね
ゆとりにしてもちょっと目に余る
ノブヤボとか引き合いに出すの多いもんな
学校はもっと日本史をちゃんとやるべきだと
>>411 を見て思った
419 :
日本@名無史さん :2007/01/25(木) 22:07:13
ゲームやマンガが史実と思ってる人は史板より戦国時代板のほうが合ってるだろうね あっちは比較的ネタ板な感じ
420 :
日本@名無史さん :2007/02/03(土) 01:00:25
おまいらシンゴを忘れるなよwwwww
421 :
日本@名無史さん :2007/03/01(木) 05:47:21
足利尊氏の子孫は存命してるんですか?
422 :
日本@名無史さん :2007/03/01(木) 05:49:30
熊本の細川家は、分家の分家とかいうけどさ、 ここは、伝統を守ろうとした由緒ある家系だ。 熊本へ移転したときも、室町までの名家で 落ちぶれた家系を多く保護したりしている。 足利義輝の子孫とか、赤松系とか、最上とか...
424 :
日本@名無史さん :2007/03/01(木) 18:20:16
肥後細川の家臣団には室町幕府での同僚だった幕臣の家やら、 落ちぶれた名家の子孫やらがけっこう多い。 室町時代の名門武家の子孫にとっては、まさに「庇護」藩だな。
425 :
日本@名無史さん :2007/03/02(金) 21:13:06
>>421 足利公平氏(古河公方家)。
足利義弘氏(平島公方家)。
肥前筑後(現・佐賀県・福岡県南部)では 持永(今川分家)、蒲原(今川分家)、渋川、上野などいるね、今でも。 渋川以外はかなり子孫繁栄。確か持永先祖は今川了哲の弟で水島の陣 で当時の少弐家当主を斬った人物だったような・・・。
427 :
日本@名無史さん :2007/03/16(金) 18:51:51
>>398 吉良が上杉を乗っ取ったわけではなく
綱勝が急死したので綱勝の義兄吉良上野介に依頼して上野介の嫡子をもらった
これが綱憲
綱憲が上杉を継いだので上野介の嫡子の座は次男の三郎に回った
しかし三郎が夭折したので吉良家は上杉家に頼んで綱憲の子を上野介の世継ぎにと願った
そして綱憲の子が上野介の養子になり、義周となった。
428 :
日本@名無史さん :2007/03/18(日) 06:02:16
自分は子孫だとか言ってる奴の系図って どうせ江戸時代に作った偽者の系図だろ。
429 :
日本@名無史さん :2007/03/21(水) 02:19:12
>>428 確かに怪しい香具師は多い。湯河原の駅から見える。足利一族の末裔を名乗ってる香具師の
美術館などすごく怪しく感じる。
430 :
日本@名無史さん :2007/03/25(日) 13:14:19
>>429 そんなのあるのか。将軍家と鎌倉公方家のどっち?
湯河原だから鎌倉のほうかな。
431 :
日本@名無史さん :2007/04/01(日) 11:58:32
432 :
日本@名無史さん :2007/04/06(金) 12:17:46
>>431 いや、どっちも本物だって。両方とも足利家の当主。
公平氏のほうは細川からの養子だけど。
434 :
日本@名無史さん :2007/04/21(土) 18:45:07
>>432 残念ながら平島の方は足利の血が流れていない
レスの上の方を見てこいよ
435 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 02:12:53
古河公方の方も、血を引いてる若いのがちゃんと居るの?
436 :
日本@名無史さん :2007/04/22(日) 05:03:21
>>434 そう主張してた奴がいるのは知ってる。でも、確実なソースは何も出てこなかった。
現時点では「養子というイレギュラーな形が実現したソースが無い→実子なのではないか」
としか言いようが無い。
>>435 こっちはわからない。でも、兵庫には喜連川さんという人がいるね。
因みに喜連川隆という電気の専門家もいる。分家かも。
>>436 お前は馬鹿か?
現代人の個人情報がネット上に載ってるわけねーだろ
438 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 04:09:21
>>437 貴方には
>>434 をそっくりお返しする。
「レスの上の方を見てこいよ」
死者の個人情報は法律上保護されない。この話は
>>256 >>296 でガイシュツ。
それどころか、名誉を傷つける事実を摘示しても、それが真実なら構わない。
(参考:刑法230条)
ま「ネットには無い」というのなら、それはそれで結構。
ネット以外のどこで知ったのか、それを早く教えてほしいね。これなら貴方の言う
「個人情報」とやらにはならないんだから。
439 :
438 :2007/04/23(月) 04:18:52
初めてここを見る人のために補足です。 「足利進悟氏(平島公方家の先代当主)は婿養子、義弘氏(現当主)は進悟氏が足利の娘と離婚した後、 後妻に産ませた子」と主張していた人がいました。 でも「ソースは?」と訊かれると、「お前が『足利進悟氏は実子』というソースを出せ」と、 挙証責任というものを完全無視した要求をしてきたり、「ソースはあるが、個人情報だから明かせない」 という釈明をしたりするばかり。 足利進悟氏は亡くなっているから、進悟氏の情報は法律で保護される「個人情報」ではないし、 そもそも個人情報というのなら「誰それは実は先祖の血を引いていない」という情報のほうが、 はるかに「個人情報」なわけです(足利義弘氏はご存命ですからね)。 というわけで「足利進悟氏は先代の血を引いていない」と主張している人は、ここのスレでは完全にDQN扱い。 とはいえ「実子だ」というソースが出てきたわけでもないので、「真偽不明」という扱いになっています。
足利一門の正当な男系子孫では 意外に知られていないのが 江戸幕府から高家として認められた 今川家・品川家の系統。 ここは男系が近代まで続いている可能性が高い。
441 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 07:51:01
品川は知らんが、今川は明治に断絶してる。 しかも、江戸時代に養子が何回も入ってる。
442 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 07:53:14
>>439 以前、見たときの印象じゃ、シンゴ派もけっこうDQN扱いだったような。
まあ、だから「真偽不明」って結論なんだろうけど。
443 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 10:22:42
でもまあ、ぶっちゃけると、いまの上杉家(米沢系、吉井系、米沢新田系)の子孫は 吉良義央の男系子孫なんだよな
444 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 10:57:07
>>441 今川家に入った養子はどれも品川からじゃないっけ?
>>443 んで吉良義央は今川家からの養子だよね。
そういえばこのスレのみんなに訊きたいんだけどね、、、
うちは鎌倉公方持氏の末子広氏が養子に入った蔭山家の広氏以降の分家の一つなんだけど、
広氏が養子に来てから何代かは本来の紀氏を称してて、
後に旗本の本家が広氏を祖として源氏に改称したみたいなんだけど、
うちは源氏に改称する前に別れてるから紀氏のままなのよ。
で、通字は代々氏と広を使ってるんだけど、足利一族と言える?
445 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 16:21:00
>>444 何いってんの?
義央は義冬の子だよ
まあ義冬の外祖父は今川範以だけど
今川、品川は、養子が入っても その養子の父親が 今川、品川からの養子だったりする。 そんな感じから男系は続いている。 今川宗家は断絶したが、分家とかで残っているだろう。 今川義元公は広く健在。 あと、今川、品川でもないので、この弟に当たる西尾が存在している。 この男系子孫が、あの有名な田代まさしw 田代まさしは、今川義元、氏真の男系子孫。
447 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 19:09:51
>>439 既に現当主に直接問い合わせ、養子である事は確認とれている。
というのは2ちゃんねるではもう何年も前から散々既出なのだが。
因みに大学に勤めておられる
448 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 19:38:36
>>438 だからお前は馬鹿かって
法律の話じゃなくて、近現代の一般人の個人情報がそうそうネットに載ってる訳ねーだろって事だ
ネットで検索すればお前の親父や爺さんの個人情報でてくるか?
信じられないなら自分で問い合わせてみればいいのに…
450 :
日本@名無史さん :2007/04/23(月) 19:45:51
まだタシーロが今川の末裔なんて与太話信じてるヤツがいるのか? あんな出所不明のインチキ系図、誰でも捏造できるぞw 2chソースのインチキ系図なんて、ネット上でのネタにしかならんw
>>438 =シンゴが実子だと盲信してるDQN
というか一人だけでしつこいなこいつ
452 :
438 :2007/04/24(火) 00:44:36
>>447 >に現当主に直接問い合わせ、養子である事は確認とれている。
>というのは2ちゃんねるではもう何年も前から散々既出なのだが。
貴方が実際に問い合わせたのか、それとも2ちゃんで見ただけなのか。
それによって信憑性は大違い、というのはわかるよね。
因みに私は古河に行って歴史博物館の学芸員に「細川氏から養子に入った足利公平氏」
という話を直接聞いてきた。
>>448 >近現代の一般人の個人情報がそうそうネットに載ってる訳ねーだろって事だ
>ネットで検索すればお前の親父や爺さんの個人情報でてくるか?
平島公方家って、征夷大将軍の末裔だよ。
私のような、歴史上の人物など先祖に持たない者と一緒にされても困る。
現に平島公方家の家系図は幾つもこのスレでも紹介されたわけだが。
その中には「進悟氏は婿養子で、義弘氏は後妻の子」というソースは全く無かった。
>>451 信じてません。ただ「ソースを見たことが無い」と言ってるだけ。
「ソースがネット上に無い=嘘」とは誰も言っていないわけで、
もしソースがあるのなら、
>>256 >>293 みたいに勿体ぶらないで、
是非ソースを示してほしいのだが。
もっとも、ソースは見たことが無いが「シンゴという名前は農民風」
という全く意味不明の主張なら見たことがある。
「足利峻さん(惇氏教授の実弟)っているよね」と、あっさりいなされてたが。
453 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 18:04:17
足利一門の末裔で一番、確かなのは米沢上杉家の系統だな。 吉良上野介の男系子孫だから。 その次が肥後細川家だろうが、こっちは吉良に比べたら格下の上、 細川一族の中でも支流だから、現代の源氏の棟梁とは言いがたいな。
454 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 18:05:44
いまの喜連川は実質、水戸徳川の分家みたいなもんだな。
455 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 20:45:30
>>452 ホントにお前馬鹿だな
ネットでぐぐってもシンゴの個人情報なんかでてこねーよ
はっきり言って2ちゃんでシンゴが実子だとか言ってるお前のような馬鹿は完全にDQN扱い
それが嫌なら自分で改めて調べて来いよ。真実が分かるから
456 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 20:49:45
>>453 元々 長尾じゃない上杉は足利家に妾を供給する家柄だったしな。
肥後細川は三淵家の子孫か義晴の子孫かで変わるのでは
457 :
日本@名無史さん :2007/04/24(火) 21:32:00
>>452 お前がいると、レスがループするだけ
信じられないならお前が直接問い合わせてくれ
これ以上スレを荒らすのはやめろ
458 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 02:05:16
459 :
日本@名無史さん :2007/04/25(水) 22:17:47
>>455 でも、438さんは古河まで行ってきたみたいだよ。それは立派じゃないかな。
今度は貴方も汗をかいて「なるほど、進悟氏は婿養子で、義弘氏は後妻の子」
と皆を納得させるソースを出してみたら?
そしたら、みんなに尊敬されると思うよ。「455さんは凄いね」みたいに。
460 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 19:52:57
>>459 お前も馬鹿か?
別に
>>438 が喜連川の家系のソースを示してた訳じゃねーよ
どうせ同じ人なんだろうけど、いくら騒いでもアンタの珍説は2ちゃんでは誰にも信用されてないぞ
461 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 20:03:29
sage
確かに少数派が多数派に勝負を挑むなら、それの信憑性を自ら証明するのが、筋だわな それをしないで口先ばかりだから2ちゃんねるではお馴染みのDQN扱いw
>>459 お前自身で問い合わせれば?
で皆を納得させるようなソースを出してくれ
それをする気がないならレスがループするだけだから帰れ
464 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 21:57:10
また今日もシンゴ派のDQNが一人頑張ってるなw
465 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 22:38:02
細川氏は足利氏の一族という説もあるよね。
466 :
日本@名無史さん :2007/04/26(木) 22:56:18
>>460 >別に
>>438 が喜連川の家系のソースを示してた訳じゃねーよ
?
>>452 にこう書いてあるよ。
>因みに私は古河に行って歴史博物館の学芸員に「細川氏から養子に入った足利公平氏」
>という話を直接聞いてきた。
>>465 それは説じゃなくて本当なのではないか? だから管領を出せたんでしょ。
ウィキペディアの新田と足利の始祖はなんで源姓なの ずっと違和感があるんだが
468 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 06:43:53
初代は、まだ源○○と名乗ってたから。
469 :
日本@名無史さん :2007/04/27(金) 07:43:58
学芸員の人の話どおり足利公平氏が細川家の出身なら、 喜連川足利氏は水戸徳川の血筋から足利系に復帰したわけだ。
それなら早雲も伊勢長氏にすればいいのにな
471 :
465 :2007/04/28(土) 08:51:38
472 :
日本@名無史さん :2007/04/30(月) 16:03:58
いい加減、シンゴ派の奴は養子でないことを証明しろや
473 :
日本@名無史さん :2007/05/01(火) 17:15:41
旗本松野家(画家松野霞城などを輩出)モナー 上杉重定の息子畠山勝ヒロの息子が養子で入って以来、ずっと男系で続いている。
474 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 15:20:44
>>472 粘着ウザイ
おまえの書き込みには悪意を感じる
476 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 16:37:57
477 :
日本@名無史さん :2007/05/02(水) 22:10:38
>>476 お前みたいな馬鹿がいると話がループする
上の方見直してこい
478 :
日本@名無史さん :2007/05/03(木) 15:40:11
479 :
日本@名無史さん :2007/05/03(木) 22:17:39
480 :
日本@名無史さん :2007/05/05(土) 04:58:15
何が足利家の子孫だたこwwそんなことで白熱してんじゃねーよwwwwこの黄色いサルどもめww 白人の歴史からしたら足利家の子孫がなんぼのもんだよ?wwwwおもしろすぎんだよ劣等民族あじあよwww もうすこし視や広くしたほうがいいよきみたちwwwだから第二次世界大戦時もジャップはドイツからも黄色いサルと馬鹿にされるんだよきみたちwwwww ちなみにぼくもアジア人ですがなにか?ww
481 :
日本@名無史さん :2007/05/07(月) 16:53:58
田代まさしの系図はどんなん? 今川義元からの系図を書いてくれよ。 たのむ。 知りたい。
482 :
日本@名無史さん :2007/05/07(月) 17:04:20
>>481 田代が本物だとしても義元には繋がらないだろ。
483 :
日本@名無史さん :2007/05/14(月) 17:14:37
そろそろ進悟の話題は ーー終了ーー 田代はそのまま続けよう
484 :
日本@名無史さん :2007/05/16(水) 17:09:32
まっシンゴ派のオッサン一名が真相を聞いてくるまで、平島の話題はお預けだな
485 :
日本@名無史さん :2007/05/16(水) 21:06:11
足利うじむしというものです。
486 :
日本@名無史さん :2007/05/17(木) 00:39:47
ばかなおまえら
487 :
日本@名無史さん :2007/05/17(木) 01:30:02
正直日本史板も三戦板も住人のレベルは大差ないな。
488 :
日本@名無史さん :2007/05/17(木) 01:49:41
それは無い ここのスレだけ
489 :
日本@名無史さん :2007/05/26(土) 21:49:47
平島以外に足利将軍の子孫である家って無いの?
490 :
日本@名無史さん :2007/05/26(土) 23:57:56
>>489 今でも男系で続いてるかは知らんが、持氏男子(成氏の二歳上の兄)の広氏を祖とする旗本蔭山家がある。
当初は伊豆東部の河津の領主で、後に北條に従属。
広氏が本当に持氏の子かは知らんが、年代は合致してる。
ただ、広氏が蔭山家に養子入りした当初は蔭山家本来の紀氏を称してて、
何代か後になってから公式に源氏を称しだしたからよくわからん。
広氏自身が持氏の子だと自覚してて、その資料があれば間違いないんだがな。
>>490 その蔭山氏って、家康の側室で頼宣(紀州家)と頼房(水戸家)の
生母である養珠院お万の方(蔭山殿)の養実家・・・?
ええと、養珠院お万の方の実父は安房の正木氏なんだけど
早くに死亡(または離縁?諸説あり)したので、
お万の母はお万と弟を伴い
河津笹原城主である蔭山氏広に再嫁した。
(勘解由氏広とも、長門守氏広とも)
お万は長じて家康の側室となり、ご三家のうちの二人の生母と
なるような栄達ぶりで、蔭山殿とも尊称されている。
蔭山殿・お万は、母・北条氏(養女とも)、実父・正木氏のゆえに
家康側室のなかでは良い血筋のほうなんだけど、
養い親の蔭山氏もそういう名門だったんだね。
492 :
日本@名無史さん :2007/05/27(日) 03:01:51
>>491 そう、その蔭山。
氏広は広氏の曾孫で長門守だったような。
広氏や子孫は勘解由が多いようだけど。
ちなみにお万の母は伊豆大仁領主の田中氏だと。
他にはただの農民とする説もあるけどスレ違いか。
493 :
日本@名無史さん :2007/05/27(日) 08:47:31
家康や御三家所縁の家だから、あとで鎌倉公方に連なる系図を捏造した疑惑高し。
494 :
日本@名無史さん :2007/05/27(日) 14:36:41
蔭山氏の件は足利氏の研究家にきちっと調べてもらいたいな。 まぁ調べないと事実関係が判明しないって時点で宗家が途絶えた際の相続は厳しいが、蔭山宗家が頑張ればどうかな、やっぱ厳しいか。 しかし古河や鎌倉の公方家が宗家を相続って、対立以降の歴代将軍はどう思うんだろうな?
495 :
日本@名無史さん :2007/05/27(日) 15:54:50
他には分家ないの? 同じく15代続いた幕府なのに、尊氏と家康の子孫の数は大分違うな
時代が違う 物理的な長さも違うし 家名や血統がもつ社会的な意味合いが違う
497 :
日本@名無史さん :2007/05/31(木) 22:57:26
>>495 あることはある。宮原家(古河公方の分家。つまり分家の分家か)とか。江戸時代には高家旗本。
ここからは古河公方家(喜連川藩)に少なくとも2回、養子を入れてる。
しかも、少なくとも足利聡氏(最後の喜連川藩主)までは男系でつながっている。
ただ、足利聡氏は古河公方家と離縁した後、消息不明なんだよね。
幾ら何でも明治になってからの人なんだし、何とか調べはつきそうなものなんだけど。
498 :
日本@名無史さん :2007/06/01(金) 00:58:13
足利うじむしですが・・・ 足利一族って何の意味があるのか? あなたたちに何か称号が与えられるの? うちの近所に前田の叔父っていいかたするおばさんがいるけど なんの意味があるんですかね?
499 :
日本@名無史さん :2007/06/01(金) 01:37:17
わたしは、東京の小日向で足利の表札を見かけたときは、驚きました。見かけただけなので、個人情報ではないです。
>>497 その宮原家には武田勝頼の娘が嫁いでいるな。
501 :
日本@名無史さん :2007/06/01(金) 12:08:59
>>495 足利将軍家の庶子は 寺に入れられて生涯妻帯できなかったから
余計な子孫はいない
502 :
日本@名無史さん :2007/06/01(金) 14:01:01
>>497 どっかの古いスレで宮原氏の末裔は神主さんをやってるっていうのを見た事あるんだが・・・
>>499 エセも多い。とくに由緒ある名字に関しては特に・・・
>>491 >>492 蔭山殿について、父親は正木頼忠、母親は北条氏尭娘(養女で田中越中守の娘とも)というが、
父親は蔭山氏広だともいうな
>>502 >蔭山殿について
蔭山殿のみならず、家康側室については
実家から家康室に収まるまでの経緯、みな諸説紛々なんで
確定説は無いものとわきまえております。
で、だいたいの説において父は正木氏、養家が蔭山氏。
その蔭山性も、母が再婚したのか、または仮親的な立場なのか
ほんとのところはわからないのだと思う。
あんまり語るとスレ違いになるので・・・
504 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 18:11:37
じゃあ平島以外に義満の子孫ていないわけだ?
505 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 19:04:07
俺、茶々丸の子孫
506 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 20:02:00
>>504 三淵氏の血を引く細川 近衛 足利 津軽など
507 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 20:30:32
三淵晴員(細川藤孝の実父)は細川元常の兄弟で、細川から三淵に養子に入ったので、 所伝どおり三淵氏が足利義満の庶子の子孫だったとしても、現代の肥後細川氏一門は 義満の子孫ではない。
508 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 21:31:27
藤孝を義昭の異母兄とする説もあったような。 めっちゃ怪しいが。
509 :
日本@名無史さん :2007/06/06(水) 21:42:55
510 :
日本@名無史さん :2007/06/07(木) 19:58:36
細川藤孝が足利義晴の御落胤という説(義輝・義昭の異母兄弟)が本当なら、 肥後細川家こそ足利の正嫡ということになるな。
511 :
日本@名無史さん :2007/06/07(木) 20:29:20
俺は農民の子孫だ。 農民一族は、日本一多い一族でござる。 恐れ入ったかwww はっはっはっはっはっ はーはっはっはっはっ
512 :
日本@名無史さん :2007/06/08(金) 03:43:02
>>507 確か三淵晴員は母方だか、どこかで血筋で三淵氏の血を引いて、その縁で養子入りしたらしい。
なので一応細川幽斎およびその子孫は三淵氏の血は引いていたはず。
ただし、三淵氏=義満の庶子説自体ちょっと怪しい。
513 :
日本@名無史さん :2007/06/10(日) 02:44:27
ガンダムの監督やってる、今川なんとかっていうのは麻呂の子孫?
514 :
日本@名無史さん :2007/06/10(日) 09:49:28
>>510 足利から離れて500年も経つから正嫡はないでそ。
足利と縁切りもしたしね。
本当に後裔だとしたら時勢的に宗家を継げなかったのが悔やまれるね。
>>513 足利氏の今川なんて公家は知らないや。
江戸時代の旧大名家は養子入りまくりだから血縁を強調しても鼻で笑われるらしい
516 :
日本@名無史さん :2007/06/10(日) 19:52:51
譜代の小藩とかはな。 でも、外様の国持大名とかは極力、支藩や分家など男系の一門の中で養子をとっていて、 女系や赤の他人になるのは幕府の圧力とかの政治的理由か他に適格者がいない場合のみ。 親藩も久松系や奥平系以外は、最低限、家康の男系子孫という基本を守っている。
517 :
日本@名無史さん :2007/06/11(月) 02:53:01
だな
友人の古河くんは古河公方成氏の子孫で家紋が二つ引両だと言ってたな
武田信玄正室厨は、武田が今日まで続いているのは 正室三条夫人のお手柄ということを強調され、 「高家武田には養子が入ってるじゃん」の問に対して 血より家系の存続が大事です・・・とおっしゃいます。
520 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 14:20:40
>>516 喜連川足利家には加藤家と水戸徳川家という、なんだかあまり関連無さそうな家から養子が入ってる。
「足利家の血筋を守ろう」という意識は無かったのかな。
521 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 14:45:38
私がもっと驚くのは、なぜあれほど多数分派した、鎌倉期の支配者、実質上桓武平氏の嫡流である北條得宗家やその一族が、建武以降、歴史から完全消えたのか。
522 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 14:54:23
既に鎌倉期から、三代実朝以来絶えた清和源氏将軍の確保の為に、足利一族と北條家は姻戚関係を濃厚につくり続けた。つまり室町期に足利一族内に北條家の末流が大量に取り込まれ、家名が消えていったのだ、姻族となって。
523 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 15:00:11
そもそも南北両朝に分断したり、五摂家に分立した現実的理由は、承久の乱以降、失墜した朝廷権力に対し、桓武流の北條家の圧力、分断政策である。
524 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 15:04:55
足利家の権威が最高に高まったのは、三代義満の南北一統により、勿論太政大臣にはなれたのだが、晩年太上天皇に推挙された 段階。臣下で天皇位は、日本史上初であった。北條一族の願いは、ここで実現した。
525 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 15:09:59
以来、朝廷内で最も没落したのが、五摂家藤原一族であり、江戸初期に男系が絶え、後陽成天皇などの皇室の男系、つまり皇別摂家となり、日本の貴族体制は内実で、革命が起きたことになる。足利氏の貢献は大きいのだ。
526 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 15:19:03
五摂家の没落より、足利氏の没落のほうが先だろう。 摂家を継いだ後陽成天皇の皇子はいずれも、女御近衛前子の子で、 女系で五摂家筆頭近衛家の血を引いている。 足利や北条の没落度に比べたら、次元が違うが
527 :
日本@名無史さん :2007/06/16(土) 23:35:02
>>520 そうかと思えば、分家筋の宮原から二回養子をもらっている。
それなりにそういう意識もあったとは思うが、如何せん貧乏小藩
ですから・・・・
>>521 大半が鎌倉幕府滅亡と命運を共にしたし、北条時行とか一部の
反乱も全部失敗に終わるし。そういえば執権北条氏って、滅亡時には
定番の一族の寝返りが無いよな。
>>525 そうか?それって近衛信尋だけなんじゃないのか?
528 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 03:41:50
>>527 敵になりそうな一族を根絶やしにしたからだろ。
529 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 09:51:00
正公──朝清【元重氏】 └義純【水野氏】【本多氏】 重晴【富松氏】 足利将軍家からこんな分家があるみたいだけど どうなったの? 子孫とかいるの?
530 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 11:40:29
義嗣の子孫とかもいたっけ。
531 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 18:46:05
>>521 北条は桓武平氏嫡流どころか平氏ですらないのが定説
桓武平氏の嫡流が伊豆の小豪族やってて、偶然にも頼朝に嫁やるチャンスがくるて話が出来すぎだろ
そもそも北条が平氏だという根拠になる東鑑は北条氏自身が編纂したもの
532 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 19:05:17
>>527 赤橋家などうまくやれば足利家の姻戚として生き残れてたんじゃないか?って気もするんだが。
533 :
日本@名無史さん :2007/06/17(日) 19:19:28
>532 赤橋登子の実兄は、幕府執権まで務め、当然、幕府に対して責任がある。 妹婿尊氏との内通を疑われて、真っ先に討ち死にを申し出たほどだから、 尊氏の縁にすがって生き残ろうなどとは、露ほども考えてなかっただろう。 赤橋家も、男系は絶えている。
>>533 実際赤橋守時の子息なども、尊氏には頼らず結局討たれてるしな
535 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 03:11:54
そんなんで武家の名門のトップを ザバダッグの吉良は子孫なのかな?
536 :
日本@名無史さん :2007/06/19(火) 03:13:14
誤爆でした
537 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 16:38:23
脇屋義則の子孫は元気ですか?
538 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 19:29:58
鎌倉の北条氏が平姓じゃないって言うけど 平姓を否定する根拠って何だ? 平姓が自称だからってだけで それを否定する証拠が無くちゃ 意味が無いと思うんだけどなぁ wikiでも平姓じゃないが有力とか書いてあったけど まっwikiなんてあてにならないんだけどね
539 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 19:45:39
でも、伊勢平氏の本流平家一門とあまりにも系図が近すぎるのができすぎてて、 かえって嘘っぽいんだよなあ。 三浦とか千葉の支流くらいだったら、まだ信憑性があったのに。
540 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 22:55:15
三浦、千葉も古代郡司系統の豪族。 全くの詐称か、平氏の誰かを婿養子に迎えて平氏を称したかだ
541 :
日本@名無史さん :2007/06/21(木) 23:39:40
最近は千葉氏を多氏と言ったり 多氏を渡来系のチョンと言ったり 本当に日本史が捏造されていきますね しかも千葉氏の場合は 信仰繋がりだけの理由でチョンと認定したり そんなに千葉常胤の子孫を在日認定したいもんかね
542 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 00:25:13
千葉氏をチョンと認定するのはチョンの捏造 千葉常胤の場合は、チョンが始めた妙見信仰と 信仰が一緒ってだけの繋がりだったり その息子・相馬師常の場合は、相馬野馬追いと 騎馬民族との「馬」繋がりってだけだったり 要は“怪しい”ってだけで決め付けてるんだよね 千葉常胤は妙見信仰以外は一切関係ないのに それに相馬師常は将門の野馬追いを継いだだけなのに そして神武天皇の皇別である多氏を 渡来系に認定して千葉氏とむすびつける これではれて千葉氏の一族は在日認定ってわけだ
543 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 00:29:54
しかも多氏を渡来系に認定する理由が チョンを指導しただけって理由で渡来系認定 大和先生、あんたは馬鹿だよ しかも大和って苗字なんだよ クソチョンのくせに
544 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 00:35:24
545 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 01:40:15
足利(源氏)の子孫だったらなんだっていうんだよ。 幕府でも開くのか?先祖の栄光にすがる悲しいね。いまの自分は落ちぶれて るんだろ。
546 :
日本@名無史さん :2007/06/22(金) 03:26:02
千葉一族が古代氏族の子孫だなんて 源義光が新羅三郎ってだけで 渡来系にされてしまうぐらいアホらしいし 畠山重忠が知知夫国造の子孫にされてしまうぐらい アホらしい
547 :
日本@名無史さん :2007/06/23(土) 11:31:16
>>540 >平氏の誰かを婿養子に迎えて平氏を称したかだ
じゃあ、完全に平氏の男系子孫じゃないかw
548 :
日本@名無史さん :2007/06/23(土) 14:22:43
妙見信仰と千馬、相馬、馬場などの「馬」繋がりだけで 平良文の子孫などが 渡来系の騎馬民族の子孫に認定されては 俺の先祖は涙目になっちまうぜ
549 :
日本@名無史さん :2007/06/23(土) 14:35:54
兵力の拡大の為に関東に広がってた騎馬民族の渡来系の馬術を真似て 平良文が妙見菩薩に救けられたとゆう神話から 関東に多かった騎馬民族の渡来系の信仰・妙見信仰を始めたってだけで (700年頃から畿内の騎馬民族の渡来系が関東に移住した) 平良文、その子孫を在日認定されては困る
550 :
日本@名無史さん :2007/06/27(水) 01:11:12
相馬は地名からだろ
551 :
日本@名無史さん :2007/07/05(木) 12:32:42
実家の倉庫を整理していたら、平成6年のNHKの大河ドラマ『花の乱』の解説本が出てきた。 この本の後ろのほうの「血胤 色香の花 『花の乱』の子孫を訪れて」という項目で、 日野家、平島足利家、喜連川足利家、山名家、細川家の子孫が紹介されている。 平島足利家の進悟氏については、 尊氏直系二十七代を名のるご当主進悟さんは八十七歳。 (中略) 清和天皇に始まる源氏は八幡太郎義家から三代目、義康を祖とする足利家。 その八代目が尊氏で、さらに尊氏を初代とする将軍家の十四代義栄につながる阿波平島公方の二十七代目である。 と紹介されている。 このページでは進悟氏の写真の下に 「太刀や古筆切、十六弁菊紋の道具などの数々を前に進悟さんの話は尽きない」 と書かれている。 このような本で紹介されるくらいだから、どうなんだろう。 「尊氏直系二十七代を名のる」の『名のる』あたりがちょっと引っかかるが。 進悟氏は 「社会福祉に貢献したということで、藍綬褒章もいただいた。先祖のおかげですよ。 受章のあいさつを皇居で、受章者を代表して陛下に言上しました。 そのとき言われました、みんなから。汚名を晴らした、と。何せ逆賊でしたから、足利は。」 とコメントされている。 この本を見る限りでは進悟氏が養子入りされたとはなっていないが。
552 :
日本@名無史さん :2007/07/05(木) 13:49:35
>>551 「27代を名乗った」ってのは尊氏から家督を継いだ歴代ってことじゃないのか?
尊氏から義昭までの15代と、義助〜進悟氏までで12代で
合計27代。
進悟氏の葬儀には各地から足利一族が参列したらしいが、
山名や細川、宮原や喜連川足利などの方々も参列したのかな?
554 :
日本@名無史さん :2007/07/06(金) 12:27:06
>>551 喜連川足利家のほうはなんて書いてあった?
555 :
日本@名無史さん :2007/07/09(月) 17:31:03
>>553 「ちょっと引っかかる」と書いたのは、ひょっとしたら僭称かなと思って。
進悟氏の葬儀は故人の遺志により近親者のみで営まれたみたい。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~sans-culotte/topics030315.html >>554 喜連川足利家については、
尊氏の子、基氏を初代とする関東公方の流れがある。
それが鎌倉から下総古河へ、さらに下野喜連川に移って、二十六代目が東海大学学長でもあった
インド・イラン学者、足利惇氏氏だった。戦前は子爵だった。
死後、甥の足利浩平さんが二十七代となった。
(中略)
惇氏氏は、昭和天皇と学習院の学友。三笠宮とは親しい学者仲間だったが、
いわゆる皇国史観による“逆賊”イメージからのがれられなかったことは、
著書にも繰り返し書き残されている。
と紹介されている。
細川家について。
この本(NHK大河ドラマ・ストーリー「花の乱」)が日本放送出版協会から
出版されたのは平成6年3月20日。前年の平成5年の8月9日に細川護煕氏が
首相に就任しており、細川首相につながる系譜について解説している。
当時の細川家の当主は護煕氏の父君の護貞氏。
この本が出版された翌月には細川内閣は総辞職してしまうのだが。
私には栃木県さくら市喜連川地区(旧喜連川町)に在住している親戚がいるので、
今度、喜連川に行く機会があったら喜連川足利家にゆかりのところに訪れたいと思う。
557 :
日本@名無史さん :2007/07/10(火) 02:51:28
>足利進悟さんは室町幕府12代将軍義晴の弟義維の子孫で、阿波公方(平島公方)家13代当主に当たる。 とあるけど、「室町幕府14代将軍義栄の弟義助の子孫で」でもいいんじゃないかと思うんだけど 何か価値が違うのかな?
558 :
日本@名無史さん :2007/07/10(火) 03:11:24
559 :
日本@名無史さん :2007/07/13(金) 19:53:27
とりあえず「進悟は養子でない」ときっぱりと言えるソースが欲しいよね
560 :
日本@名無史さん :2007/07/13(金) 20:14:31
肯定も否定もできない。真相不明としか言いようがない。
>>560 そもそも婿養子で云々とか言い出した奴自体が誰だか解らん上に、
ソースも無いからな。養子説自体ヨタ話レベルだな
562 :
日本@名無史さん :2007/07/13(金) 23:41:54
ググったら、「足利家通家系図」なる史料を参考にして作った 喜連川氏系図があったが、その通家系図は「足利彭氏所蔵」と 注記があった。やはりあれか、子孫なのかな?
564 :
日本@名無史さん :2007/07/14(土) 00:09:23
>>563 うーん、喜連川彭氏だったらわかるんだけど・・・
養子かどうかはともかく進吾がかなりのやり手だったことは確か まさに生前の足利義稙公を彷彿させるしぶとさ
566 :
日本@名無史さん :2007/07/14(土) 01:24:49
>>565 「やり手」なのは足利家の伝統じゃん。
喜連川のほうだって、元々は小弓公方。
秀吉のバックアップで塩谷家を乗っ取り、さらに古河公方家を乗っ取り。
そのくせ関が原で家康が勝った瞬間に祝勝の使者を送って加増ゲット。
しかも明治維新では「ウチは徳川の家臣じゃありませんから、味方ですよ」
と新政府に手紙を書いてしっかりと足元固め。
明治になってからは、五千石しかないのに子爵の位までゲット。
567 :
日本@名無史さん :2007/07/16(月) 13:26:23
「進悟は養子じゃない」と断定できるものが、出てきて欲しいな 例えば世界で活躍する日本人を一部の奴らが在日だと噂を流しても、 2ちゃんねるではいつもそれをきっぱり論破できる証拠をだしてきたんだよな このままグレーでは可哀想だ
納骨法要にはやはり宮原さんや喜連川系のみなさん、細川さんや畠山さんなども
集まったのでしょうか?
>>567 それはやってない証拠を出せというのに近い。養子でしかも後妻の子という
わけわからんポジションという異様な家督継承のソースが無い以上信ずるに足りん
としか言いようが無い
569 :
日本@名無史さん :2007/07/25(水) 05:42:42
>>568 メジャーどころでは柳川の立花なんかもそのパターンだな。
婿養子なのに妾っ子が跡継ぎって江戸期の大名ではよくあることじゃなかったのかな。
570 :
日本@名無史さん :2007/07/25(水) 23:37:15
なんでみんな逆賊の子孫になりたがるの? いつまた後ろ指を差される時代が来るかわからないのに… そんな私も逆賊高氏の子孫の一人ですがw
571 :
YAP? :2007/07/26(木) 00:09:48
私が、学生時代に社会統計学か何かの講義を取ったのだが、 それが足利惇氏(教養部)助教授だったと思うのだが。 でも「インド・イラン学者」だったというのなら、 記憶ちがいなのかなあ・・・。
>>569 江戸時代の大名ってむちゃくちゃ体弱い連中だかりだからな
でもそれはやむを得ん事情があるし・・・・
ただしかし、明治〜昭和初期の段階で、それまで寺の支援で
飯食ってた上華族にもしてもらえんかったような家でそういう
事例が起きたのは異様。
>>571 健亮氏じゃないのか?てかあなたいくつだw
573 :
日本@名無史さん :2007/07/26(木) 01:00:54
>>568 2ちゃんねるではいつも、たとえネタだろうと、しっかり反論できるソースを出して論破してきた
でないといつまでたってもグレーなまま
よく嫁
574 :
日本@名無史さん :2007/07/26(木) 01:07:39
正直本人の知り合いでもなきゃどっちが本当なのか分からんな 個人的には実子であって欲しいけど、確実にそうだと言える証拠が欲しい あやふやなままではすっきりしないでしょう
あうっあうっ
576 :
日本@名無史さん :2007/08/02(木) 21:26:49
早く誰か問い合わせて終止符うて 俺はそんなめんどくせーのご免だが
577 :
YAP? :2007/08/02(木) 23:50:10
足利健亮氏って、昭和37・8年ごろに京大教養部の助教授だったの? 社会統計学を担当していた足利助教授って、喜連川公方家の子孫だって 新聞か何かに出ていた記憶があるのだが。
578 :
日本@名無史さん :2007/08/03(金) 02:04:44
579 :
日本@名無史さん :2007/08/03(金) 16:27:37
>>577 足利健亮氏は歴史地理学が専門だから、社会統計学の人とは別人では?
32 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2007/08/03(金) 00:22:18 足利家には知的障害者が多く発生したそうです。 もちろんこの人も例外ではない。
581 :
YAP? :2007/08/03(金) 22:44:23
済まん。 足利惇氏・健亮両氏のどちらでもなった。 「足利末男」助教授だった。 デモ確かに、喜連川公方云々の話を聞いた覚えもあるし、それとは別に 足利惇氏氏の記事も新聞で読んだ覚えがあるのだが、578氏引用の記事では、 1901年生まれで、京大文学部長の後、東海大学学長をされていたそうだから、 京大教授定年後に転職されたとしたら、当時は63歳定年だったはずだから、 1964年つまり、昭和39年ごろに定年を迎えたという計算になる。 学生新聞か何かでその記事を読み、それと足利助教授が喜連川公方家の出だという 情報(確か、一緒に受講していた人が言っていたのだが、そうなると真偽は?)とが mixされて語情報を記憶したのだろう。
582 :
日本@名無史さん :2007/08/04(土) 12:12:50
平島でも喜連川でもない、足利姓の人っているのかな?
583 :
日本@名無史さん :2007/08/04(土) 12:38:54
いるよ、宮崎の友人でもいる
584 :
日本@名無史さん :2007/08/04(土) 13:00:04
>>580 「この人」ってのが誰だかわからないけど、足利惇氏教授は血筋は水戸徳川だからね。
>>583 それは平島家のほうじゃないの?
確かあっちのほうで教授だったと。
585 :
日本@名無史さん :2007/08/04(土) 19:06:10
余の家紋は一引両なのだが足利家と関連はあるのだろうか??
586 :
日本@名無史さん :2007/08/04(土) 19:31:04
ない
587 :
日本@名無史さん :2007/08/04(土) 23:18:29
昔ダイエーホークスにいた足利(投手)は関連あるのかな?
足利の子孫なんかいいこと一つもねー ゴダイゴに逆らった逆賊の子孫乙wっていわれるだけだよ 小さいころその件でいじめに遭い苦労したものだ
>>588 惇氏さんも、若い頃は日本史の授業の度に肩身の狭い思いをした
らしいしな
590 :
日本@名無史さん :2007/08/05(日) 10:38:14
>>589 「嫌な思いをした」という説と「俺は実は徳川の血筋」と気にしなかったという説がある。
どっちも本当かもね。嫌な思いをしたからこそ、「実は徳川なんだ」と思って耐えた、とか。
足利をほめただけで大臣を辞めさせられてニートになったクマ吉のほうがかわいそうだw
592 :
かばざくら :2007/08/08(水) 03:49:51
平島公方先代の進悟氏の後妻さんとかつて親交がありました。 尊氏公がいかに皇室を敬愛していたか、また明治期の当主が強いられた 『逆賊』風潮の中での苦しい生活など、歴史のお話をよくして下さっていまし た。お人柄も控えめで品がよく、多分進悟氏とは20歳弱お若いと 思いますが、名家の末裔としてふさわしい方でした。
>>592 じゃあ後妻さんが足利氏の末裔ということかい?
594 :
YAP? :2007/08/09(木) 01:06:31
藤姓足利氏の子孫で、「足利」を名乗っていた人って、南北朝以降いるの?
595 :
かばざくら :2007/08/09(木) 02:01:22
後妻さんのお話では、嫁の立場としての話し方ではありませんでした。 例えば戦前は逆臣としていわれのない差別を受けていた祖父の思い出など、 幼少のころから足利側の立場で育ったとしか思えない話をしていましたので、 ずっと進悟氏は婿さんだと思っていました。 >>594 「藤姓足利氏」って何ですか?
藤姓足利氏知らないなんておっくれてるぅ〜
597 :
日本@名無史さん :2007/08/09(木) 05:08:23
系図なんて権力で没落した名族から奪ったり、でたらめを作成したりして いたもんね。 徳川家も源姓でないと将軍宣下おりないから 当時朝廷で認められていた源氏の棟梁(氏の長者)の久我家から その権利を奪ったのも無理やりなんでしょ? 秀吉の、母親が宮廷女官だったときの帝の御落胤説なんてもう 救いようない。
岩倉織田家家臣の本多利久(水野半右衛門)って足利義視の子孫ってことになってるらしいけど どこまで信じていいのやら
600 :
日本@名無史さん :2007/08/10(金) 21:49:59
>>598 >徳川家も源姓でないと将軍宣下おりないから
その話は怪しいぞ。鎌倉時代に藤原氏の将軍が2人もいたわけで。
>>595 そういえば、進悟さんの夫人がディオゴ結城(殉教した宣教師)の
出自に関する資料を提供したというニュースを見た事あるな。
>>596 足利忠綱とかだろ?
602 :
YAP? :2007/08/10(金) 23:51:44
足利俊綱とか忠綱とかは、鎌倉時代の初期までだ。 それ以後に、(鎌倉時代中期まで遡っても良いが)藤姓足利氏の子孫で 「足利」の家名を趣旨他門がいるかだが、いなければ、現在の足利さんは みな「源姓足利氏」野子孫ということになる(それも、尊氏の子孫ということになる)。
足利未亡人がディオゴ結城の資料提供した話題、私も今ネットで内容を 確認しました。それにつけても、いったいどこから足利進悟氏が婿入りで 平島公方直系の義廉氏の娘・智恵さんと離婚し、足利の姓はそのままで 典子さん(現未亡人)と再婚して、その間に生まれた足利の血をうけない 義弘氏が足利の家督を継いでいるのはおかしいなんて話が出てくるのでしょう か。 その根拠は?ソースは何? これは私の憶測ですが、むしろ智恵さんと典子さんの出自は逆ではない でしょうかね。智恵さんてもしご存命なら90歳近いと思いますし、 あの時代名家の令嬢であれば名前に「子」がついていたほうが自然ですし。
604 :
日本@名無史さん :2007/08/12(日) 16:03:50
>>551 と
>>555 を投稿した者です。
>>562 足利「浩平」さんと書いたのは誤記したのではない。
喜連川足利家の現当主の名前が「公平」さんなのか、「浩平」さんなのかは
ちょっと分からないが。
当時四十二歳の公平(浩平)氏は
「伯父に子どもがなくて、順番で私にきましたので・・・・・。私にも子どもは、いないのですがね。
こういうことがあると、自分のことも世の中のことも、いろいろ考えさせられます。
戦前・戦中はずいぶんひどい目にあった家で、それは最近変わったといいますが・・・・・」
とコメントされている。
>>603 >>221 の系図の真偽は不明だが、
>>551 と
>>555 で参考にした本では、
平島足利家の進悟氏(当時八十七歳)の妻は典子さんとなっている。
(前略)そして、人形作家で著名な奥さん、典子さんが「ちょっと、お仏壇から」
と差し出したのが、十センチメートルほどの念持仏。
「お線香で、真っ黒ですけど、尊氏公の・・・・・冑の中に、ということで・・・・・」
“尊氏公守本尊”“等持院”と刻まれた地蔵菩薩の小さな目が、確かに光っている。
と紹介されている。
605 :
日本@名無史さん :2007/08/13(月) 03:43:48
>>604 新しい資料が出版されました。「江戸300藩 殿様のその後」(中山良昭氏著 朝日新書 朝日新聞社)
本日読了。この本の128ページに、こうある。
>(註:足利惇氏は)昭和五十八年に死去。子はなく、甥の浩平氏が養子となったが、旧華族としては登録されていない。
>浩平氏は広告制作関係の仕事をされているが、喜連川の足利家菩提寺龍光寺(建立は足利尊氏、現在は「足利氏ゆかりの会本部」
>でもある)をしばしば訪れるという。
因みにこの本でも現当主のお名前は「浩平」氏になっているが、龍光寺の足利家墓所に備えられた卒塔婆では、施主のお名前は、
「公平」となっていました。喜連川のお土産もの屋さんによると「16代様」なんて呼ばれているそうです。
因みにその後、喜連川にまで足を伸ばしたついでに古河市にも立ち寄って(国道4号沿いなので、嫌でも寄ることになる)
歴史博物館の学芸員氏に質問を。学芸員氏によると、古河市と旧喜連川町(現在はさくら市)とが姉妹都市になった時、
古河公方家の当主として公平氏、古河市に来てくれたそうです。
606 :
坂崎出羽守 :2007/08/15(水) 23:01:03
俺の友達に足利の子孫って人が二人います!
607 :
日本@名無史さん :2007/08/20(月) 21:54:40
608 :
殿様のその後 :2007/08/21(火) 07:36:54
えっと、「江戸300藩 殿様のその後」著者本人です。自分の本について検索していて、ここに来ちゃいました(^-^; 足利浩平氏についてですが、私のそれに関する記述部分は10数年前の雑誌「月刊ドンドン」の連載「あの大名家は今」に基づいています。 取材・執筆は私の友人で、了解を得ています。浩平氏の奥さんに直接インタビューしたうえでの記事(本人は仕事かなにかで都合がつかなかったらしい)ですから、実社会では浩平と名乗っているのは間違いありません。 何らかの事情で、名前を使い分けられているのではないかと思います。現在は埼玉のほうで広告ディスプレイの小さな会社を経営されているはずです。 ちなみに、「新修平成旧華族家系大系」には浩平氏の名前がないため、旧華族として登録されていないと記述しました。
[編集] 主な人持組 今枝内記家(1万4000石・家老)維新後男爵 斯波氏(1万石・家老)維新後男爵 本多刑部家(1万石) 横山蔵人家(1万石) 成瀬掃部家(8000石) 青山将監家(7650石) 前田図書家(7000石・藩主一門) 山崎庄兵衛家(5500石) 朝倉義景の遺臣 玉井頼母家(5000石) 支藩の大聖寺藩の筆頭家老であったが、大聖寺藩の経費削減に伴い本藩に帰された 伴八矢家(5000石) 不破彦三家(4500石) 不破光治の嫡男・不破直光を祖とする 大音帯刀家(4300石) 松平大弐家(4000石) 生駒勘右衛門家(3000石) 篠原監物家(3000石) 前田監物家(3000石・藩主一門) 斯波氏(1万石・家老)維新後男爵 って斯波家の誰の子孫なわけ??
今川家は断絶してるんじゃなかったか? 品川家と西尾家の子孫ならいるかもしれないが。
611 :
日本@名無史さん :2007/08/21(火) 15:50:28
今川家は江戸時代高家 杉並区今川に陣屋があって間口が8丁あったから いまでも青梅街道に八丁交差点があるという
612 :
日本@名無史さん :2007/08/21(火) 23:17:31
今川家嫡流は、維新期に途絶えましたが、一応、血筋を受け継ぐ方が、目黒区か杉並区あたりで、氷屋をやってます。酒の席では、 「うちの先祖は酒飲みすぎてしくじっちゃった」が口癖だとか。
613 :
日本@名無史さん :2007/08/22(水) 00:16:55
614 :
日本@名無史さん :2007/08/22(水) 13:12:38
誰か進悟さんの経歴を載せてください
615 :
日本@名無史さん :2007/08/22(水) 17:38:58
歴史読本の別冊で見た高家今川家の系図には、最後の当主今川範叙には女子がいて、 「篠富孝妻」とあり、出典に「篠家戸籍」とあった。 この篠家というのが今川家の末裔なのだろうか?
616 :
日本@名無史さん :2007/08/22(水) 18:25:00
実子説も養子説もロムってるだけの第三者から見ると、どっちもどっち。 別に主張してるヤツを悪く言うつもりはないが、確たるソースが提示されない以上、 どっちも信用できない。 正直、実子説も養子説と同じくらい信じきれない。
617 :
日本@名無史さん :2007/08/22(水) 20:59:05
姓が、モロ足利なんですが、実際分かりません。よく聞かれるのですが、明治以降に足利姓にした農家、町人に実例はありますか?
>>616 そうかといっても、ある物事が「事実である」を証明するには
確固たる証拠が必要で、証拠が挙げられなかったらそれは
「事実ではない」ということになるのさ。「ない」ことの証明は
悪魔の証明と言う奴だ
>>617 とりあえず菩提寺の過去帳を見るなり、位牌を確認するなり、
親族に問い合わせるなり、遺品らしきものがあるか見てみな。
ただ、高い確立で明治新姓だろうけど
619 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 02:19:26
620 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 05:39:51
まあ、シンゴさんについては確たる証拠が出てくるまで「不明」でいいよ。
>>619 たぶん、関係ないと思う。単なる地名から苗字をとっただけかも。
喜連川自体、地名だから。
622 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 08:27:57
喜連川のシンゴさんは政治家、芸能人、スポーツ等でプロ活動してる訳でなく 大名(格)の末裔然として振舞っているわけでもないから 一般人にあたるのでは あまりプライバシーを詮索しない方がいい
623 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 09:41:14
それでもその息子が我ら足利氏の当主面してんだから、経歴を公表する必要はあるだろう 義弘氏は公の場にも出ている訳で
624 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 19:10:25
平島足利家並びに喜連川足利家以外に、喜連川足利家の別家宮原足利家が確認されていますが、 現存する資料が大変乏しく、後に神職となった高家旗本宮原足利家並びに、 小笠原宗家に仕えた旧小倉藩宮原足利家の系統以外、存在が確認されていません。 この宮原足利家は、武田宗家並びに小笠原宗家とも関係が深く、喜連川足利家同様に明治期には、 爵位局より男爵の爵位が許されているのを確認しました。*小笠原宗家に仕えた宮原足利家 しかし、爵位局より許された男爵の爵位を辞退して、小笠原宗家の家職に徹底したのが、 彼ら小笠原宗家に仕えた宮原足利家のようです。 なお今日、この系統の姓が足利なのか宮原なのかは全く不明のままです。
625 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 19:37:12
宮原家は関東(古河)公方足利家の分家に当たります。 家祖晴直は、古河公方足利高基の長男で、はじめ上杉憲房の跡を継ぎ関東管領職に補せられ、 上杉憲広と称しましたが、のち管領職を憲房の子憲政に譲り古河へと帰り、 その後真理谷信政の勧めにより上総国宮原に移りました。 そして、その子義勝、その子義照と続き、 義照は関東に入国した徳川家康に拝謁して1140石を賜り、のち家号を宮原としました。
626 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 20:47:29
爵位を許された旧華族たる喜連川・宮原両家が、足利の正統を自負するのは当然の事でしょうが、 足利義晴の弟義維の子孫で、無位無官の平島足利家のいったい何処が足利の正統なのでしょうか? 藤裔会ならばともかく、この全国足利氏ゆかりの会とは釣りでしょ? 平島足利家が足利の正統だなんて喜連川・宮原両家は絶対に認めませんよ。
627 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 21:14:41
喜連川足利家>子爵 宮原足利家>子爵(男爵) 平島足利家>平民>越えられない壁
628 :
日本@名無史さん :2007/08/23(木) 21:49:56
平島足利家は足利義維以来、義助、義種、義次、義景、義辰、義武、義宣、義根と続くが、 阿波の大名で、盗賊上がりの蜂須賀氏からは冷遇され続け、平島姓を強制されている。 平島義根は不満を爆発させ徳島藩を出奔し、京都へ辿り着き平島姓から足利姓に復帰している。 なお、明治維新後、平島足利家は爵位局に爵位を願い出たが、 徳島藩を出奔していた為、喜連川足利家・宮原足利家のように爵位を賜る事は無かった。 平島足利家が足利の正統を自称するのは、明治政府に爵位を賜った喜連川・宮原両家に 対するコンプレックスに起因するもので有る。 平島家>越えられない壁>喜連川・宮原両家
629 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 00:06:19
>>626-628 確かに古河公方(喜連川)家は華族で平島公方家は平民なんだけど、「将軍家」から分かれたのは、古河公方家のほうが古い。
喩えて言えば、幕末の関白だった鷹司政通が「我が家は天皇より家柄が良い」と自慢していたのと同じじゃないかな。
それに、平島公方家が足利家の子孫であることは間違い無い(養子か実子かは、この際別にして)。
古河公方家に子爵の位が与えられたのは「将軍の末裔だから」ではなくて「旧喜連川藩主だから」でしょう。
(将軍の末裔ならOK、というのなら平島公方家にも爵位が与えられるはず)。
藩主以外は、家柄が良くても華族にはなれなかったらしい。例えば千家は松平から養子を貰っていたけれど、
華族にはなっていない。
「古河公方家は華族だから足利の正統」とは断言できないんじゃないかな。
630 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 06:04:21
>>629 高家職喜連川家は取り上げ、高家職宮原家は完全にスルーですか?
自称平島公方家とは、無位無官の郷士さんさんが勝って気ままに、
足利の正統を自称しているだけで、家格以前の問題で本当に迷惑です。
何度も言わせて頂きますが、
足利の正統は喜連川家・宮原家のみです。
631 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 06:05:45
高家職喜連川家は取り上げ、高家職宮原家は完全にスルーですか? 自称平島公方家とは、無位無官の郷士さんが勝って気ままに、 足利の正統を自称しているだけで、家格以前の問題で本当に迷惑です。 何度も言わせて頂きますが、 足利の正統は喜連川家・宮原家のみです。
632 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 06:50:28
例の平島足利家は、実際に将軍職に就任したのは十四代将軍足利義栄のみで、 江戸期以降は阿波徳島藩主・蜂須賀氏の客将として扱われたが、 蜂須賀家は平島家足利家に下級藩士並みの微禄しか許さず、平島姓を強要している。 九代の義根は蜂須賀家の弾圧に耐えかね、阿波徳島藩から離反して阿波を去り、 京の等持院など足利氏ゆかりの寺院からの援助で細々と食いつないでいたという。 同じ客将でも、小笠原宗家より養子を迎えて、 豊前小倉藩上級藩士並みの待遇を許された名門宮原足利家や、 鎌倉公方家の後裔で、喜連川藩主として存続した名門喜連川足利家とは対照的である。
633 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 07:53:38
確かに華族には東京出身の男爵宮原二郎という人がいますが、 これは海軍機関中将でボイラーの発明家だった二郎の功績によるもので、 あくまで新華族(勲功華族)です。
634 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 08:01:56
私も足利家本流を自称する平島足利家に疑問が有ります。 明治期に、華族どころか士族にもなれず、平民身分とされた平島足利家には、 足利家本流を自称する資格すら存在しないと断言します。
635 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 08:14:10
>>633 勲功華族宮原二郎中将と宮原足利家は無関係です。
宮原足利家は二家に分かれ、神職の旧高家職宮原足利家と、
小笠原宗家より養子を迎えた豊前宮原足利家が存在します。
豊前宮原足利家の方は、小笠原宗家の計らいにより、
明治32年に爵位局から男爵の爵号を許されています。
しかし、当主は爵号を辞退して小笠原宗家の家職に専念したようです。
636 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 08:27:04
明治期の発明家、宮原二郎男爵は関係ありません 乃木希典の後を継いで、小倉連隊司令だった方が本物です。
637 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 12:50:02
平島公方家など存在しないし、無位無官の郷士の末裔が、 足利宗家を自称するのは根本的に間違いだと思う。
638 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 13:33:26
何をそんなに躍起になっているの
639 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 13:38:30
>>638 平島まんせースレに、痺れを切らした方が現れたようですね。
血筋が大事だろ。平島足利家が足利宗家だ!!
641 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 14:56:21
>>640 足利宗家以前の問題で、土豪の平島足利家など取り上げないで下さい。
見ていて恥ずかしい限りです。
642 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 15:00:16
>>640 足利の正統は、間違っても平島足利家のように帰農してはいない。
だから血筋がつながってるのが大事なの。 他の家は養子が確実だからどうでもいいの。 宮原家はまだいいが。
644 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 15:47:45
何度も言わせて頂きますが、 足利の正統は喜連川家・宮原家のみです。 土豪の平島家など取り上げないで下さい。
だから血筋がつながってるのが大事なの。 他の家は養子が確実だからどうでもいいの。 宮原家はまだいいが。
646 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 16:37:02
確かに自重しない平島信者にも問題が有るが、 喜連川足利家は、先代足利惇氏子爵に実子がいなかったのは事実。 調査した結果、宮原足利家も平井男爵家より養子を迎えている。 つまり、平島信者がやりたい放題なのが現状。
647 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 16:50:43
血筋血筋って、平島信者は何をそんなに躍起になっているの?
648 :
646 :2007/08/24(金) 17:32:52
宮原足利家の件ですが、養子を迎えているのではなく、 皇室との関係改善の為、宮家の付き人を迎えているの間違いでした。 本当に申し訳ない。
649 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 17:51:41
高家宮原家は華族になってないよ。
650 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 17:58:06
平島家は華族どころか士族にもなれず平民身分です。
651 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 18:36:02
もう清和源氏の代表は細川クンでいいよ。
652 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 18:47:23
今日、足利の正統なんてどうでもよい、ただし平島信者は本当にウザ杉る。
653 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 20:25:18
御意
654 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 22:48:34
全国足利氏ゆかりの会とは、平島まんせー団体の事ですか? 格式ある藤裔会と比較して「俗」ですね。
655 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 23:12:01
あまり変に気色ばらなければ足利の正統は喜連川と大多数の認めるところだが それを何で慌てているのか
656 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 23:36:28
657 :
日本@名無史さん :2007/08/24(金) 23:56:34
何だかにわかにスレッドの雰囲気が悪くなって来たな 日本史板も所詮三戦なんかと同じ穴の狢かorz ところで、高家の宮原家が神職になったという話のソースって何なの? 喜連川足利氏を継いだ宮原氏出身の足利聡氏ものちに消息不明に なるし・・・・。
659 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 06:18:17
>>658 勝手に消息不明にしないで下さい。
平島信者が自重しない為、正しい情報を書き込みます。
「喜連川藩最後の藩主・第十二代藩主足利 聡氏について」
高家職・宮原摂津守義直の次男として生まれる。実母は宮原家家女。
明治2年(1869年)4月8日に先代足利縄氏の養嗣子となり、
明治年5月5日に足利縄氏が隠居したために家督を相続。
明治年6月18日従五位下・左馬頭に叙任。
明治3年(1870年)7月18日版籍を奉還し、喜連川藩は日光県に合併された。
同日東京在住を命じられ、明治4年(1871年)2月5日永世禄として現米193石を下賜。
明治9年(1876年)9月3日病のため隠居。同年9月25日に宮原足利家へ復籍する。
大正10年(1921年)1月21日に死亡。享年62歳。墓所は入谷の正覚寺。
妻は昭和17年1月17日に死亡。享年71歳。
なお、家督は実子宮原巌夫氏が相続し、この系統は現在まで続いています。
660 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 07:31:45
このスレって、基本平島まんせーだよな。 平島教祖様に都合の悪い存在については、養子が確実だの、血筋が繋がってないだの、 挙句の果てには消息不明だの、言いたい放題書き込んでる。
661 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 08:45:57
足利進悟プロフィール 19??年 某の子として生まれる 19??年 平島足利氏に婿養子として入る この辺だけでも明らかになれば問題なしなんだが
662 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 08:49:48
偽 者 に 真 実 を 公 表 す る 勇 気 は な い !
663 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 09:39:36
>>660 いや、それ言ったら古河公方家のほうも加藤(伊予大洲)・細川・徳川と養子取りまくりなわけで。
>>659 の話が本当なら、古河公方足利成氏の血を実子で受け継ぐ貴重な存在だと思うよ。
664 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 09:42:36
>>661 例の進悟さんは一般人にあたるので、
プライバシーを詮索しない方がいいと思う。
平島足利家が足利宗家なのよ
666 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 09:56:55
>>663 何度も言わせて頂きますが、
足利の正統は喜連川家・宮原家のみです。
私は、平島の方とは、仲良く慣れそうも無いので、
以後書き込みを辞めます。
667 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 09:58:32
668 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 10:24:52
>>664 大丈夫。故人にプライバシーは無い。
名誉毀損罪も、存命の人の場合は「真偽を問わず名誉を毀損した場合」が対象だが、
故人の場合は「嘘で名誉を傷つけた場合」だけが対象。
第一、足利進悟さんは自分でテレビとかにも出ていたでしょ。全くの一民間人とはいえない。
669 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 11:10:57
>>668 その足利進悟さんは、
全国足利氏ゆかりの会と関係ある人ですか?
千家(せんけ)とは茶道流派の家柄。 元々、利休の祖父で足利義政の同朋衆だった千阿弥(新田里見氏の一族田中氏の出身)といいその名をとり千姓としたとされている。 千利休は織田信長、信長死後は豊臣秀吉に仕え大いに権勢を振るったが、秀吉の怒りに触れてしまい、1591年に切腹を申し付けられた。 利休死後は本家の堺千家を子の道安が継いだが、道安没後に断絶。 利休養子千少庵の子、千宗旦の系統から三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)が出た。この三家は現在まで続いている(2007年現在)。 これって本当かい? 新田源氏の子孫?
>>659 隠居してしばらくして亡くなったとか、離籍してからの動向が
解っていないとか、いろいろ情報が錯綜していたもんで。
これは初めて知ったなあ。もしよかったらソースにした本などを
紹介してほしいです。
>>670 千少庵の親父って諸説あるけど、松永久秀が実父と言う
説もあるんだっけ?
正直このスレの住民がそんなに平島マンセーしてたか?
そこだけはちょっと気になるので、あまり気色ばまずまったり
しましょうよ
672 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 16:18:00
このスレって、もしかしてゆかりの会絡みなのか? どうもきな臭くて仕方がない。
673 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 16:30:38
足利の祭司は喜連川が引き継いでいるのに、 例のなんとかの会が出てきてからおかしくなった。
674 :
足利義康 :2007/08/25(土) 16:43:35
おまいら、何か間違ってないか? そもそも足利一族が没落していったのは何故か? よ〜く、考えろ、豚どもwww
675 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 16:49:11
2chは、遊びを楽しむ場所です。 明治新姓の豚相手にマジになっては逝けません。
676 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 18:41:18
>>674 おまえの人生がうまく行かないのは、足利一族の責任ではない。
豚 は 半 万 年 R O M っ て ろ !
677 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 19:37:34
>>671 貴方は「江戸300藩 殿様のその後」著者本人ですか?
678 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 19:44:42
679 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 20:01:39
足利時代を南朝と北朝とに二分し、それによって逆賊尊治の大逆の罪を相対化し、 挙句の果てに逆賊尊治も日本にとっては天皇だった、などという論があるが之は全くの誤りである。 又、光厳院が大覚寺統を不当に否定した、だから持明院統は間違っていたという論があるが之も全くの誤りである。 そもそも皇統の分裂というのは政治的混乱の過程に於ける京都側の自業自得であり、はじめから瑣末なものであった。 皇族の愚昧ぶりと其の政治の悪を見越した文保の和談の義挙ほど我々を感動させるものはない。 普通であれば鎌倉幕府滅亡後、世間知らずで、傲慢な院に振り回されるところだ。 にもかかわらず尊氏公があれほどの強い意志でもって皇道を示し悪逆の尊治に立ち向かった事は後世の我々を感動させてやまない。 もっとも之は不思議なことではない。 思い返せば、日本の歴史のなかでは、頼朝公の肇国の大業、義満公の御統一、家康公の治世、何れも人臣の考えの及ばない、 まことに不可思議な力の働いた、言葉を以って説明することの難しい偉大なる意志があった。 尊氏公の義挙もその文脈で語られるべき聖業である。 此の御意志こそが総ての心有る日本人が『常識』として他の何にもまして尊重してきたものであった。 尊氏公の大御心を誰よりも深く受け止めた日本開闢以来最大の忠臣が其の人、高師直公であった。 こうして発せられた大御心の下、木像同然の吉野は滅び不当なる両統迭立は拝され皇道が打ち立てられることとなったのである。 だから尊氏公が大覚寺統を不当に否定したというのは誤りである。
680 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 20:28:41
<要注意> このスレは、例の糞デブが我々を嗅ぎまわっています。 悪者のレッテルを貼られない様、一門の方は注意が必要です。
681 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 20:38:36
ここでの書き込みは、糞デブのネタにされる危険性があります。 以後、諸賢の同胞諸君自重求む!
682 :
日本@名無史さん :2007/08/25(土) 20:50:00
了解
683 :
YAP? :2007/08/26(日) 01:20:56
で、千 少庵が、実は松永弾正の子とか言うのは、かなり有名な話だが。
684 :
日本@名無史さん :2007/08/26(日) 09:55:07
685 :
上杉鷹山 :2007/08/26(日) 12:05:04
馬鹿どもがww
686 :
古河公方 :2007/08/26(日) 18:02:56
愚劣過大!
687 :
日本@名無史さん :2007/08/26(日) 18:17:18
糞デブを煽っていけませんよ。
足利家は古来より内紛が絶えないようですね。 このスレも、伝統を踏襲しているようで、喜ばしい限りです。
689 :
日本@名無史さん :2007/08/28(火) 20:14:31
いくら煽っても、ここには絶対に、君が喜ぶ資料なんか貼らないよ。 某家の二の舞だけは御免だからね。
690 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 08:32:51
くそデブって誰なんだぜ 詳細おしえるんだぜ
691 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 11:10:07
いいから進悟の経歴載せろや
692 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 13:22:49
大江戸線若松河田駅前の、長らく放置されて幽霊屋敷と呼ばれていた旧小笠原伯爵邸へ
行ってきました。
現在、復元改装をして一般に公開することを条件で業者に無料で払い下げられ、
今般その復旧工事が終了してレストランとなりました。
http://www.ogasawaratei.com/
693 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:02:46
徳川家康は源氏を称して将軍となり、徳川将軍は代々「源氏の長者」の称を朝廷から得ていた。 そのため徳川家康は清和源氏の名流足利氏を保護し、 この喜連川家・宮原家を筆頭に、果ては吉良家、今川家、畠山家などの足利一門大名の末裔や、 新田家の末裔までも探しだし、いわゆる「高家職」として遇した。 中でも、この喜連川家を足利家の嫡流として、足利の祭司を喜連川家に引き継がせ、 宮原家には当主及び嫡子のみが宮原姓を称し、庶子は穴山姓を称することを命じている。 で、足利の祭司を喜連川家より剥奪しようと企む平島公方とは何者?
↑3年位時間の流れが遅れてないか?
695 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:16:47
↑400年以上時間が止まってないか?>平島君
失礼、小笠原邸の書き込みへのレスでした。 平島流足利さんは、出自の明確な足利家の子孫である事は間違い無いですが、 それと足利家の嫡流とは、別のお話ですね。 15代将軍義昭の子、足利義在の子孫が、足利嫡流を名乗ったというお話も聞きませんし・・・。
697 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:19:55
自重しなさい。
698 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:32:00
>>696 永山義在は島津家の食客として薩摩に身を置き、薩摩藩士となりましたが、
永山家の子孫は恐れ多くも、足利の祭司を喜連川家より剥奪したりしませんよ。
699 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:40:53
自重しなさい。
700 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 14:47:46
北朝の正当であり源氏の長者、足利家を復活しよう! 長州によって明治に北朝天皇を、偽者にすり替えられてから、日本は拝金 で道徳心もなく、庶民を戦争に送り大量に殺した。 我らは北朝の血統です。ルーツは新羅です。 われわれが建国した日本を今こそ立て直そう!
うちの屋号は江戸時代から代々、銭屋。どう考えても足利と縁もゆかりもない銭屋です。 日本中、屋号が銭屋なんてたくさんいます。武士でもなんでもありません。 本当にありがとうございました。
702 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 16:58:18
そして、平島暗黒教団と平島監視委員会の戦いは続くのであった。
703 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 17:30:59
,..-‐−- 、、 ,ィ":::::::::::::::::::;;;;;:ii>;, /:::::::::::::::;;;;;;;;iii彡" :ヤi、 喜連川家こそ足利の正統なのだよ>平島信者諸君 i::::::::::::;:"~ ̄ ::i||li |:::::::::j'_,.ィ^' ‐、 _,,. ::iii》 ,. ‐- .. _ |:::i´` `‐-‐"^{" `リ"゙ / __ `` ー- 、 ヾ;Y ,.,li`~~iノ , ィ/ ゝヽ ̄ヽ ー- ' `i、 ・=-_、, .:/ _ / { {ヽ、_ ヽ' ノ_,.〉 /ヽ '' :/_ -ァー- 、_ ... -‐ ';;;;;;;;;;;;;ヽヽ、 `>、..ノ=┘ _ ノ ` ‐-、、ノ;;;;;;;;;/;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ `ー '! , -‐;;7;;;/iーニ二,.フ_/;;;;;;;;;j;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;>‐' /;;;;/;;//〉' , ヽ、>\;;;;;;;;!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;, ' ´ /;;;;,';;;;>;;;/ ! ` ヽ;;;;ノ;;;;;;;|;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,.. -‐ '" /;;;;;;{;;;;;ヽ;;| ! ,-‐´/;;;;;;;;;;;t;;;;;;;;;;;;;;;;;;;,. -‐ ' ´ ;;;;;;;;|;;;;;;;;;ヽ`ー'、__ノ='/;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ、;;;;;;/ ;;;;;;;;|;;;;;;;;;;;`!//;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;/
704 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 18:41:53
705 :
日本@名無史さん :2007/08/29(水) 19:02:58
707 :
日本@名無史さん :2007/08/30(木) 16:36:48
足利義昭の子孫の話だけど 次男・義在が永山氏 三男・義喬が坂本氏 になったというのは信用できるものなの? というか信憑性の高い文献は存在するのだろうか?
708 :
日本@名無史さん :2007/08/30(木) 16:49:20
709 :
日本@名無史さん :2007/08/30(木) 17:24:45
>>706 武田勝千代は天正十五年に元服し、武田信治を名乗ったが、
その直後の六月に天然痘に罹り十六歳の若さで病没した。
ここに穴山氏は断絶し、家康が認めた穴山氏による武田家の中興も潰え去った。
家康は穴山氏の滅亡を惜しみ、高家職宮原家足利第二代当主宮原義久の正室が、
武田家第二十代当主武田勝頼の娘・貞姫だった事実を知り、
宮原義久庶子に穴山氏を引き継ぐことを命じている。
710 :
日本@名無史さん :2007/08/30(木) 18:20:34
穴山家は宮原の分家じゃないだろ?
711 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 00:20:06
永山や坂本が義昭の子孫ならば、平島なんぞどうでもいい
712 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 13:35:02
そろそろこのスレも飽きてきたな。 平島まんせー団の電波も弱くなっているし。
713 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 13:35:46
足利義輝の遺児・尾池玄蕃の子孫が肥後細川の臣・西山氏として仕え、今でも存続してる。 これが事実なら、こちらが嫡流に近い。
714 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 13:53:12
>>713 平島監視委員会調査によると、熊本藩に赴いたのは、尾池義辰の嫡子西山至之だと考えられている。
ちなみに西山足利家は、熊本藩で比着座同列定席の家格として存続し、今日に至る。
宮原義久庶子 だれ?
716 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 17:10:35
寛永譜では、慶長七年、武田四郎勝頼が女、徳川家康の命で宮原勘五郎義久に嫁ぐとあるが、 且宮原の稱號は嫡流のみこれを用ひ、庶子に至りては穴山と稱すべき旨台命ありとなってる。 義久の子である宮原晴克は武田勝頼の外孫であり、寛政譜は様子を伝えているも、 義久庶子の名については何も書かれてない・・・何で?
717 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 17:12:18
教えて平島監視委員会の人
718 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 17:21:18
現在も続いている穴山家の人に聞け!
719 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 20:32:56
穴山も宮原も話つまんないから終了 義輝や義昭の子孫について詳しく語っていこうぞ
720 :
足利義康 :2007/08/31(金) 21:43:54
貴様ら、いい加減にしとけや
721 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 23:17:22
722 :
日本@名無史さん :2007/08/31(金) 23:21:27
うーむ、今度は著作権侵害を楯にしてきたな。
723 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 11:36:48
平島なんぞより義輝の子、義辰から始まる西山氏の方が嫡流じゃん ゆかりの会に登場してぜひ成敗してもらいたい
724 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 11:43:44
義辰の兄に生没年はっきりしてる義高がいるけど、子孫はいないのかな?
725 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 16:46:37
>>723 第13代将軍足利義輝の正式な末裔である西山流足利家は、
足利義辰の嫡子至之の代から今日まで続いているのは周知の通り。
ただし、西山流足利家が平島征伐に加わってくれるとは到底考えられない。
726 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 17:08:03
西山家は男系で現在まで続いているの? それと足利への復姓はしなかったのだろうか
727 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 17:48:58
>>726 明治以降、西山家も宮原家も足利への復姓はしていませんよ。
喜連川家以外の足利への復姓は聞いたことないな。
あ、平島がいたっけ。(ゲラゲラ
728 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 17:53:32
自重しなさい。
729 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 18:25:39
正直、義輝や義昭の子孫の信憑性ってどうなんだ? よくある自称子孫の類じゃないのか? 喜連川と宮原以外は、あまり信用できない。
730 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 18:45:00
自重しなさい。
平島さん家は、虐げられたのに、よく我慢したね。 貧乏で大変だったようだが、 幕藩体制に組み入れられなかった(自ら拒否した?)ことが、 結果的には存在価値を高めたのでは無いかと思う。 そもそも、元々要領と運が悪かったため、都落ちする事になり、 何度も上洛目指したが、志を果たせず、(または再都落ち) 時代が変わっては、取り立てもされず、 蜂須賀家には圧迫を受け、ぶち切れて出奔したあげく、 一介の浪人扱いで、華族になれず、 しかし、名族の末裔としての誇りは高く・・・。 素敵なお家じゃないですか?
732 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 19:06:34
既に喜連川は足利尊氏の子孫ではないが、宮原の出自はどこよ?
733 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 19:11:29
自重しなさい。
734 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 19:21:32
はぁ?平島の一体何処が名族なのか全く不明。 名族とは、等持院のお情けで細々と食いつないでいた乞食浪人のことか?(ゲラゲラ
735 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 19:25:11
自重しなさい。
736 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 19:37:47
浪人というよりは流民だろ。
737 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 19:38:40
明治新姓乙
四百余年前の戦国時代末期から、 江戸時代初期の政治情勢を考えれば、 前政権の生き残りは、反乱分子予備軍みたいな存在で、 生々しすぎて、 決して有り難い存在じゃなかっただろう。 喜連川家や宮原家は、足利将軍家とは少し距離をおいていたし、 独立領主的な存在で自前の領地が有ったから、 家の存続は比較的容易だった。 徳川家の名家趣味を満たすには、 ちょうど良い存在だった。
>>738 俺の先祖は逆賊だ、だが逆賊だとしても俺にとっては誇れる先祖だ。
文句あるか。
741 :
足利義康 :2007/09/01(土) 22:18:53
尊氏がむばれ!
742 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 22:34:29
>>740 おまいがもし平島なら逆賊高氏のしそんじゃないよww
よかったなwwwww
743 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 23:34:30
日本史板も案外住人のレベルが低いよな。
744 :
日本@名無史さん :2007/09/01(土) 23:41:27
喜連川も宮原も尊氏の血は引いてないよな
745 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 00:16:21
平島の都合で、喜連川・宮原両家は血筋が繋がってないだの、 挙句の果てには消息不明だの勝手に書き込むなよ。 足利の祭司は四百年以上喜連川足利家が引き継いでいるのが、 脳内資料しか持たない平島には理解出来ないのか? どうなんだ平島君?
746 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 00:20:09
>>740 おまえはこのスレに粘着している平島君か?
ここはおまえの公開オナニー会場ではないから、
スレ住人に迷惑かけるなよ。
昔:応仁の乱で京都を火の海に 今:平成の乱で2ch炎上
ごめん応仁の乱は足利さんに責任は無い。 有るとしたら家のご先祖だわ。
畠山総州家の子孫とはめづらしいな
750 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 03:17:01
>>745 進悟の出自がはっきりするまで平島の話だすなボケ
751 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 06:00:21
752 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 22:17:28
くだらん
753 :
日本@名無史さん :2007/09/02(日) 23:02:39
西山氏の家系図載せたサイト無いの? 平島みたいに
754 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 01:56:51
>>744-745 喜連川は伊予大洲加藤家や細川家・水戸徳川家から養子を取ったけど、
宮原は、少なくとも足利聡氏までは男系で尊氏の血を引いている。
問題は、その後も男系で血がつながっているのかという一点だね。
755 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 06:14:08
>>754 大正10年1月21日に亡くなられた下野喜連川藩最後の藩主足利聡氏は、
明治9年9月3日に隠居した同年9月25日に実家宮原家へ復籍しています。
当然、家督は足利聡氏嫡子が相続して現在まで続いていますよ。
東京大学史料編纂所々蔵「華族明細短冊」「下野喜連川足利家譜」等を
ご自分でお調べになっては如何ですか?
平島家が一番だろ。血がつながっているならな。 喜連川はもう徳川だから論外。 いっそうなんとか徳川家に苗字を変えれば? もしくは宮原家がちがつなっがテルなら そちらが足利家を継げばよい。
757 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 11:17:08
>平島家が一番だろ。血がつながっているならな。 ↑平島は論外。
758 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 11:25:29
現実問題として、足利家の祭祀は平島家が引き継いでいる訳で、 関係者から文句が出てないのなら、外野がいくら騒ごうが、 無駄です。
760 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 13:59:00
さすが逆賊の子孫は腐った奴ばっかだなwwww てめえら非国民なんだよ。自分の汚れた血をちゃんと自覚してるのか? まぁ半分はお前らのせいじゃないから少し可哀相でもあるがなw あーよかった、俺は逆賊の子孫じゃなくて
761 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 20:24:46
>>759 一体何時から、足利の祭祀を平島が引き継いでるんだよ!
脳内資料しか持たない平島の妄想には、いい加減うんざりしている。
762 :
日本@名無史さん :2007/09/03(月) 21:38:27
西山こそ足利氏嫡流だろ
いったい、さっきから平島公方家を批判してるのはどこの誰? 2ちゃんとはいえ、必要以上になじるのは、人として品性に欠ける行為だよ、 自重して欲しい。この日本史スレのレベルも落ちる。真面目な2ちゃんねらー が迷惑する。批判するなら、その理由を明確に述べろ、ただ進悟氏の出自が 不明なだけであれば、批判する根拠にはならないだろう。 くだらない奴だ。
764 :
日本@名無史さん :2007/09/04(火) 00:32:35
576 :1 ◆2ol/7vs7N2 :2005/12/22(木) 22:30:49 みなさん、ご無沙汰しております。 このスレッドを建てた者です。 現在、逆賊高氏に対する怒りで精神をおかしくしてしまい、 精神科に通って治療を受けています。 このスレッドをすべて読むとまた気が狂いそうなので、 勝手ながらレスは遠慮させていただきます。
765 :
足利義康 :2007/09/04(火) 03:22:40
>>764 >現在、逆賊高氏
こう言ってる時点で終わっとるんじゃww
何故だかわかるかな?(www
766 :
日本@名無史さん :2007/09/04(火) 07:23:06
平島をマンせーする輩も批判する輩も双方自重求む。
逆賊高氏? こんなことをいってる奴らこそ逆賊(笑)
このスレの登場人物 足利家 喜連川家派 喜連川原理主義派 穏健派 平島公方家派 まむし封じのお札にいかれた人 穏健派 義招子孫をもり立てたい派 足利家排斥派
769 :
日本@名無史さん :2007/09/04(火) 13:11:32
このスレはろくに歴史も知らない、ゆとり教育の賜物である20代ニートの 提供でお送りします。
771 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 00:02:22
少なくとも現代も続く足利家の中でもっとも家柄が良いのは喜連川だろう。 何せ華族にまでなった唯一の家だからね。 だが、宮原も平島も、同じく足利の末裔だよな。その末裔同士でいがみ合うなど無益。 仲良くすれば良いと思うぞ。
772 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 00:02:22
逆賊の子孫に生まれられなかったのがそんなに悔しいの? 普通の日本人なら喜ぶと思うけどねぇ
773 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 00:07:33
>>772 現代の皇統は、その「逆賊」に助けられて皇位に就いた天皇の末裔なんだが。
それとも貴方はアンチ皇室でつか?
774 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 00:10:08
今の皇室なんて関係ないね、当時の天皇に逆らったんだから逆賊だろうがよぉ 逆賊信者はやっぱり言うことが違うねwww
775 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 00:18:26
>>774 北朝の天皇もれっきとした天皇なんですが。少なくとも当時、法的に北朝の天皇が法的に皇位に無かった、とする根拠は何も無い。
ということは、北朝方であれ南朝方であれ、旗幟鮮明にしていた連中は一人残らず逆賊だな。「天皇に逆らった」点ではどちらも同じ。
でもそんなの関係ねぇ!!そんなの関係ねぇ! ○∧〃 / > < \ はいっ!オッパッピー!! ○/ /| /> チントンシャンテントン♪ チントンシャンテントン♪
777 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 01:00:44
未だに逆賊厨に釣られてる奴がいるのか〜
778 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 02:36:29
喜連川も宮原も平島も現代に至っては将軍の血を引いていない
でもそんなの関係ねぇ!!そんなの関係ねぇ! ○∧〃 / > < \
780 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 05:19:06
781 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 08:05:32
逆らうどころか、一族皆殺しにしとけばよかったのになw 甘い、実に甘いw
782 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 18:22:30
>>778 ソース希望。喜連川は間違い無いが、平島については結局、まだ確実なソースが出ていない。
宮原に至っては、足利聡氏に実子がいたことすら最近になるまで知らなかった人も多い。
783 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 18:22:59
足利時代を南朝と北朝とに二分し、それによって逆賊尊治の大逆の罪を相対化し、 挙句の果てに逆賊尊治も日本にとっては天皇だった、などという論があるが之は全くの誤りである。 又、光厳院が大覚寺統を不当に否定した、だから持明院統は間違っていたという論があるが之も全くの誤りである。 そもそも皇統の分裂というのは政治的混乱の過程に於ける京都側の自業自得であり、はじめから瑣末なものであった。 皇族の愚昧ぶりと其の政治の悪を見越した文保の和談の義挙ほど我々を感動させるものはない。 普通であれば鎌倉幕府滅亡後、世間知らずで、傲慢な院に振り回されるところだ。 にもかかわらず尊氏公があれほどの強い意志でもって皇道を示し悪逆の尊治に立ち向かった事は後世の我々を感動させてやまない。 もっとも之は不思議なことではない。 思い返せば、日本の歴史のなかでは、頼朝公の肇国の大業、義満公の御統一、家康公の治世、何れも人臣の考えの及ばない、 まことに不可思議な力の働いた、言葉を以って説明することの難しい偉大なる意志があった。 尊氏公の義挙もその文脈で語られるべき聖業である。 此の御意志こそが総ての心有る日本人が『常識』として他の何にもまして尊重してきたものであった。 尊氏公の大御心を誰よりも深く受け止めた日本開闢以来最大の忠臣が其の人、高師直公であった。 こうして発せられた大御心の下、木像同然の吉野は滅び不当なる両統迭立は拝され皇道が打ち立てられることとなったのである。 だから尊氏公が大覚寺統を不当に否定したというのは誤りである。
784 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 19:50:59
足利尊氏は、はじめ後醍醐天皇に傾倒し、 名も尊治の一字を貰ってわざわざ高氏から尊氏に改名している。 尊氏は、光厳天皇や、その父後伏見天皇、叔父の花園天皇らが非難していた 六波羅探題を攻撃して、矢を射かけ、上皇方は都を落ちて近江へ逃げていかれた。 この史実を無視するのですか?
785 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 20:37:16
>>782 彼らの背後関係こそが、喜連川より足利の祭祀を剥奪せんと企む不逞の輩なのです。
彼らは平成の今日に「公方家」を自称する人物を担ぎあげ、
あたかも先祖代々足利の祭祀を司っているかの如き言動・行動を取ります。
2chで彼らの書き込みを批判すれば、品性に欠ける行為だとか、くだらない奴だとか言われたい放題です。
これは明らかに、沈黙を守ってきた足利一門へ対する冒涜と侵略行為でしょう?
はっきり申し上げて、平成の今日、「公方家」など当然存在しません。彼ら独自の病的な妄想です。
786 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 20:43:36
自重しなさい。
787 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 22:09:53
足利御三家 西山家 永山家 坂本家 足利御三卿 喜連川家 平島家 宮原家
788 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 22:16:28
西山さんにしてみりゃ平島が華族にしてくれっていう訴えを嘲笑しながら見てたんだろうな
789 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 22:18:22
790 :
日本@名無史さん :2007/09/05(水) 23:40:53
逆賊高氏信者という言葉には二つの意味がある。 逆賊高氏の信者であるという『逆賊高氏』信者 逆賊高氏を信奉するものもまた逆賊に他ならないという逆賊『高氏信者』 ゆえに、普段は省略しているが逆賊逆賊高氏信者と書くのが正しい。 もっとも、逆賊高氏を信奉せずとも逆賊高氏の存在を許したという点で われ等みな逆賊でないものはなく、一億総懺悔が必要だ。 ただでさえ逆賊であり、さらに逆賊高氏を信奉する信者たちには、 本来、逆賊逆賊逆賊高氏信者という名称がふさわしい。
791 :
日本@名無史さん :2007/09/06(木) 00:14:31
誰がうまいこと言えと!
関東公方家は、初めからその地位を認められ、途中本家と喧嘩もしたが、 本家が衰退した後も存在を認められ、うまく世渡りしてきた。 対して平島家は、最初からリザーブ扱い、時流にも乗り切れず、 元有った領地もとり上げられ、100石程の捨て扶持もらって、 マムシよけのお札なんか売りながら細々と生き抜いてきた。 悲運だが、しぶとさが身上。 ちなみに、蜂須賀家の筆頭家老稲田家は、石高1万石以上、 次席家老も5000石以上。 名目上大名の喜連川家の5000石より上。 蜂須賀家が平島家を厚遇する理由も無いのだが、 もっといい待遇を与える事は経済的には可能だった筈、 本当に厄介もの扱いだったんだね。 お気の毒としか言いようが無い。
793 :
日本@名無史さん :2007/09/06(木) 02:22:56
>>792 古河公方家をそれなりに尊重した徳川家。
一応、将軍も出した平島公方家を苛め抜いた蜂須賀家。
やはり出は争えないのでは・・・
徳川と蜂須賀は三河やら尾張やらの土豪の出だし 出自なんて大差ないよ。 蜂須賀は、生き残りに関してかなりシビアに立ち回ったから、 独自に平島家を優遇する事はありえないよ。 平島家が関ヶ原時に喜連川家のようにうまく立ち回ることができれば 違う展開もあったのかもしれないね。 なにせ蜂須賀家は領地を一旦返上していたのだから。 阿波一国は無理でも、平島旧領と、赤松家の住吉領ぐらい確保できたかも。
795 :
日本@名無史さん :2007/09/06(木) 09:34:53
なんで平島をそんなに持ち上げるのか分からん 西山家の方が明らかに各上だろ。血筋も家格も
>>795 西山の場合、道鑑が義輝の遺児というが、薩摩の永山家なんかに
近いジャンルの話しだろ。
ただ、義輝の側近だった細川幽斎の子孫が、道鑑を客分として扱っている
あたり、全く疑わしいというわけでもないと思う。
797 :
日本@名無史さん :2007/09/07(金) 00:07:50
>>793-794 蜂須賀家には「平島公方を切り札に使う」という発想は無かったのかね?
もし徳川に睨まれても、ウチには独自の将軍候補がいるんだ、と。
輪王寺宮を独自の天皇候補として抱え込んでいた江戸幕府のように。
>>797 もはやそれだけの価値もないってことだろ
だって、徳川のもとで天下は治まってるわけだし、平島公方など
いてもせいぜい領内統治の障り程度でしかない
799 :
日本@名無史さん :2007/09/07(金) 14:02:51
ゴダイゴ
蜂須賀家は、織田、豊臣、徳川の天下取の経緯を見て来たから、 足利実力を見切っていたのでしょう。 阿波国内には、細川・三好の残党、平家の末裔、 地着きの土豪など潜在的反乱分子はいっぱいいたが、 足利家は、武力で領地を確保した訳じゃないから、 基盤は殆ど無いに等しい。 反乱分子と結びつかないように、権威を引き下げるのは、 現実的には全うな政策だったのでは無いか? むしろ攻め滅ぼされなかっただけラッキーだったのじゃ無い?
西山も永山も将軍の子供の割には 立場が低いよな。 もっと丁重にあつかわれてもよさそうだが。
直近の将軍家の末裔なんて、不発弾抱えているようなもんだから、優遇されなくて当然。
803 :
日本@名無史さん :2007/09/07(金) 18:06:44
現在の西山家の当主は何という方?
でもさ、お公家さんみたいになるとか もしくはお公家さんにしてもらうとか、あってもよさそうじゃない?
806 :
日本@名無史さん :2007/09/11(火) 00:24:05
宮原家分家の者です。宮原を名乗り、当家の家紋は、五七の桐です。 晴直が、現千葉県市原市宮原に宮原御所(現明照院)を建て、義照、義久 兄弟が駒場に移った以降も上総に残り、山村に一族の部落を形成したと伝 え聞いています。 昭和初期まで、一族間での婚姻を繰り返し血縁を保っていたようです。 一族の間に刀剣や火縄銃が残されていたようですが、戦時下で差し出したと 祖父から聞いています。 かなり前のスレで、武田勝頼の娘の話がありましたが、義久との間に嫡男晴 克しかもうけられずに、宮原家による穴山家の再興はならなかったようです。 足利分家の宮原高家の分家なので正統だと思いませんが、逆賊と言われよう と、血を守ってきた先祖を誇りに思います。ご参考までに
807 :
日本@名無史さん :2007/09/11(火) 17:45:27
足利を名乗ろうとは思わないのかな
それは余計なお世話だろ。 宮原さんには宮原さんの歴史があり、誇りも有るんだし、 価値観は人それぞれだ。
809 :
日本@名無史さん :2007/09/11(火) 22:34:29
足利高義や直冬、義嗣の子孫はいないのか?
810 :
日本@名無史さん :2007/09/11(火) 22:50:38
216 :人間七七四年:2007/08/29(水) 20:14:41 ID:GC3LHEm8 因みに江戸時代に特別階級(武士・公家など)は約2割、苗字を名乗ることが許されている。 農民が約8割、苗字を名乗ることが許されない(ごく一部に限り苗字帯刀の許可あり)。なのに 現在の国民の10割に苗字があり、そのほぼ全てが自家の家紋を有している。 しかも全国の苗字の約9割近くが貴種と称す苗字であり、家紋も苗字に合わせているものが多い。 資産は戦後の課税で失ったとかいうのは仮冒の可能性が高い。 それは分家であっても由緒品の一つ位はあるのが当たり前だからだ。 特に・・・と伝え聞いているというのが仮冒の家系の人々の大半でもある。 科学が進むと平家の落人みたいに後々地方豪族が化けた全くの仮冒の系図だと分かってくる。 特に古族の存在する地方でその名前を仮冒し、農民に帰化したと騙るのは常套手段でもある。
811 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 00:06:58
よう、逆賊ども。 今日も極東行って天皇批判でもしたらどうだ?
812 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 02:29:21
813 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 03:03:36
子孫を逆賊呼ばわりするな馬鹿 逆賊は高氏と義満だけだろ
そもそも南朝自体が大覚寺統本流から見れば裏切り者の子孫
815 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 13:21:20
↑まさにこういうのが逆賊足利的思想だ
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817 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 16:18:15
このスレみて一言。 自称宮原氏分家自演乙。
もうこうなったら仕方ないから、細川元首相に足利に復姓していただこう、 500年ぶりぐらいに。
500年じゃ無いだろ、細川家が足利家から別れたのは鎌倉時代だから、 700年ぐらい前、細川元首相の血筋は、細川家の中では庶流だが、 室町時代に将軍家から血が入っている可能性もある。 家柄としては、問題無いかもしれない。 しかし、上の宮原家と同様、今更わざわざ復姓する必要性は無いんじゃないの? 細川家で十分名が通っている。
821 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 22:05:22
確かに宮原足利家の家紋は五七の桐で間違えはない。 ただし、宮原家は旧高家職宮原家と旧小倉藩士宮原家が存在するはずだが、 平成の今日、彼ら一門は交流関係が有るのだろうか?
822 :
日本@名無史さん :2007/09/12(水) 22:54:27
宮原なんざどーでもいい 西山家や永山家の話しよう
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824 :
日本@名無史さん :2007/09/13(木) 19:58:26
西山家や永山家の話をしたいが限られた情報もない。 何故?
825 :
日本@名無史さん :2007/09/13(木) 21:15:25
>>819 おいおい厚顔無恥な奴だなぁ。
細川護煕の家柄は女系、男系男子で続くは細川隆一郎の家柄。
じゃあテレビ朝日の細川隆三さんにお願いしよう。 元首相家→細川家 隆三家→足利家 両家繁栄と言うことで、丸く収まる。
足利尊氏の脳内イメージ 怒秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘悩秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘遊秘秘秘秘秘秘秘友秘秘 足利高氏 秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘秘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩 足利直義 友友友友友友友友友友友友友友友友友友友友友友遊遊遊遊遊遊遊遊嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘 足利義満 HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH金HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH 足利義政 食食食食悩悩悩悩悩食食食食食食食食悩悩悩悩悩悩悩悩食食食食食金金食金悩悩悩休休休休金金金金金金休休休休休休休 足利義輝 金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金休休休休休休休休愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛 足利義昭 愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛友友友友友友友友金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金
足利義維の脳内 嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘嘘 足利義冬の脳内 愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛愛食食食食食食食食悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩悩 足利進悟の脳内 休休休休休休休HHHHHH休休H秘秘秘H休休休H秘善善秘H休休H秘秘善秘H休休H秘秘H休休H秘HH休休休H休H休 足利義晴の脳内 悩悩悩悩悩悩悩愛愛愛愛愛愛悩悩愛愛愛愛愛悩悩悩愛愛愛愛愛愛悩悩愛愛愛愛愛愛悩悩愛愛愛愛悩悩愛愛愛愛悩悩悩愛悩愛悩
829 :
日本@名無史さん :2007/09/14(金) 16:14:20
熊本細川家は足利の子孫ってよりも 熊本の殿様っていうブランドの方が大事だろうよ
831 :
日本@名無史さん :2007/09/14(金) 20:53:42
義満と尊氏と義政が当たってるなw
832 :
日本@名無史さん :2007/09/14(金) 22:57:49
833 :
日本@名無史さん :2007/09/15(土) 16:36:52
足利義量の脳内 酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒酒 足利義勝の脳内 遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊遊
834 :
日本@名無史さん :2007/09/16(日) 15:07:49
細川の名家乗っ取りはもうイラネ 近衛も駄目だな
835 :
日本@名無史さん :2007/09/16(日) 15:35:19
藤原姓足利はどうなったのですか? 藤原姓足利の領地を、新田家の分家が奪取ですか?
836 :
日本@名無史さん :2007/09/17(月) 11:59:33
奪取も何もあるかよ 藤原姓足利の土地だってもともとは土豪の領地 その前は蝦夷のもの
>>825 >細川護煕の家柄は女系
これホント?
男系ではどこの血筋になるの?
838 :
日本@名無史さん :2007/09/17(月) 16:27:31
忠興5(4?)男・肥後宇土藩祖立孝の系統。 4代藩主・光尚の系統である新田藩の方が嫡流に近いのに・・・
839 :
日本@名無史さん :2007/09/17(月) 18:04:44
今手元に「肥陽諸士鑑」という史料(肥後細川家の家臣の名簿)があります。
この中で「西山多膳」という家臣の項に略系が記されており、
将軍義輝 子小池茂左衛門入道道閑 子西山左京至之 子八郎兵衛
実小笠原備前二男
子八郎兵衛氏清 子多膳氏政
後九郎兵衛道可
とあるので、足利将軍の男系血統は西山左京至之の子八郎兵衛の段階で絶え、
細川家家老の小笠原備前家の血になっているようです。
ちなみに
http://www.suizenji.or.jp/shahou16-2.htm の記事に小笠原備前家について簡単に書かれていますが、
小笠原秀清(少斎)−長貞−長之−長英−長知−長軌−長栄−長頭
この中で三代長之が足利道鑑の息女を後室に迎えているので
小笠原家から西山家を継いだ八郎兵衛氏清は
母方では義輝の血を引いているのだろうと思います。
840 :
日本@名無史さん :2007/09/17(月) 19:46:05
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841 :
日本@名無史さん :2007/09/18(火) 01:59:32
ひょっとして足利家の人?
843 :
日本@名無史さん :2007/09/18(火) 21:09:49
ペクだぞペク
844 :
日本@名無史さん :2007/09/18(火) 22:02:20
尊氏て案外後醍醐天皇に心を寄せていた面もあるんだよな
845 :
日本@名無史さん :2007/09/18(火) 23:10:04
高氏と呼ばない奴は真の尊氏嫌いとは認定しません、
君主制を支持していても、当の君主が非常識では‥‥ やっぱ君主制って駄目だ
848 :
日本@名無史さん :2007/09/18(火) 23:23:14
>>845 一字拝領は一旦与えたら取り上げられないから。
その代わり、足利氏の所領没収が命じられた。
足利の所領は全国に散在していたため、意外とこの時に南朝側に奪われた土地が多い。
室町幕府が江戸幕府に比べて直轄領が極端に少ないのはこのときの後遺症と言われている。
アフォか。時代の差だよ。同じ幕府と言っても、時代が全然違う。 社会構成から政治体制から、国制・経済構造‥‥歴史的に別物。 てゆうか鎌倉・室町・江戸幕府なんて一括りにしたのは、近代歴史学以後。
850 :
日本@名無史さん :2007/09/19(水) 00:25:44
昨日のQさまの問題で足利15代将軍のうち 義の字が付かないのは尊氏だけは○か×かという問題が出た
851 :
日本@名無史さん :2007/09/22(土) 00:04:10
>>845 正統なる日本人は『逆賊 足利高氏』を略して逆賊高氏
逆賊は『足利高氏尊氏(そんし)』を略して足利尊氏
それだけの違い。
852 :
日本@名無史さん :2007/09/23(日) 01:36:05
853 :
山口雅喜 :2007/09/29(土) 18:35:23
なぜか先祖自慢するのってこの板じゃ女性が多いっぽいんだけど 先祖が平民の人に嫁したら平民の家の嫁でしかないよ その家の人間になるわけだからね。 嫁入りしてるのに実家は〜って自慢してるのって、なんか嫁ぎ先に失礼だし哀れだ
854 :
日本@名無史さん :2007/09/29(土) 20:57:22
しかし、女氏無くして玉の輿の言葉があるように、女性だけは血筋ではなく容姿 が武器である。と言えるだろう。
855 :
日本@名無史さん :2007/09/29(土) 23:28:23
「南朝が正統」と定まったのって、明治末期でしょ。 「北朝が正統だ」と信じて北朝に従った人を逆臣扱いするのは、その連中に予知能力を求めるようなものでは。
856 :
日本@名無史さん :2007/09/29(土) 23:40:48
安徳天皇に息子が居て生き延びていたんだから、 薩南諸島の長浜天皇が正統
857 :
日本@名無史さん :2007/10/03(水) 01:56:13
足利歴代将軍は代々、左馬頭と近衛左中将になってるから 頭中将とよばれてたんだろうか
858 :
日本@名無史さん :2007/10/14(日) 22:09:28
同志社ビジネススクールに 足利義○さんがいる。 学部は松山商科大。
859 :
日本@名無史さん :2007/10/14(日) 22:27:08
「社会福祉に貢献したということで、藍綬褒章もいただいた。先祖のおかげですよ。 受章のあいさつを皇居で、受章者を代表して陛下に言上しました。 あつ氏さんは昭和天皇と初等科の西組のご学友なんだがね。 こいつはうさんくさいなぁ。
860 :
日本@名無史さん :2007/10/14(日) 22:35:13
足利家は霞会に登録されてないってのは2CHで旧子爵(羽林家)の方が 札がかかっていないから足利家は登録されていないとおっしゃっていた。 あつ氏氏は有馬頼底氏とも親交があった。 有馬氏によると「あつ氏先生の方が私よりこの寺に縁が深い」とも。 惇氏さんの奥さんは竹田宮家出身なんだよな。 当時の先生のご自宅は岡崎にあったとか。 京大文学部は足利、岩倉、飛鳥井、中川と旧華族が多いな。 飛鳥井家の当主はなぜか飛鳥井雅道氏の息子ではなく弟になっていたとか。 旧子爵の方もなんでかなぁといぶかしがっていた。 宮内庁の職員で葵祭の勅使をされている方は飛鳥井雅○氏。 KBSのアナウンサーにも飛鳥井雅○さんがいる。
861 :
日本@名無史さん :2007/10/16(火) 00:12:08
喜連川なんて完全にもう足利の血をひいてないじゃん
862 :
日本@名無史さん :2007/10/16(火) 07:40:29
それを言い出したらきりないよ
863 :
日本@名無史さん :2007/10/17(水) 02:40:05
>>861 このスレで力説していた方によると、宮原氏は今でも嫡子相続しているらしい。
少なくとも足利聡氏までは足利尊氏の血を引いているから、これが本当なら、
尊氏(と、古河公方足利成氏)の血を伝える貴重な存在。
864 :
日本@名無史さん :2007/10/20(土) 04:36:25
ずっと疑問に思ってたんだけど、京都の等持院に足利歴代将軍の木像があるやん。 あれの紹介パネルおかしいよね。
865 :
日本@名無史さん :2007/10/20(土) 16:36:37
宮原などどうでもいい 尊氏の男系子孫ならざらにいるだろ 義満や義政さらには義輝の血をひいてる方がよっぽど上
>>864 いくつか歴代の数え方があるらしい。
等持院で売ってるパンフ(150円くらい)買ってごらんよ
>>865 ハッキリ言って、そこら辺には信憑性に?がつくだろ。
義政の直系は残らなかったんじゃ
868 :
日本@名無史さん :2007/10/23(火) 09:53:38
一番価値があるのは義輝の直系
869 :
日本@名無史さん :2007/10/23(火) 11:58:14
西山家?
870 :
日本@名無史さん :2007/10/23(火) 22:26:28
西山公坊には家系図を公表して欲しいな
義視の子孫の本多・水野とか 政知の子孫の小田っていうのはどうなの
872 :
日本@名無史さん :2007/10/27(土) 10:47:50
インチキ
873 :
日本@名無史さん :2007/11/23(金) 23:09:23
足利一色氏の事について教えてちょ
874 :
日本@名無史さん :2007/11/29(木) 03:59:54
丹後一色氏は吉原義清で滅亡した。
875 :
日本@名無史さん :2007/11/29(木) 15:02:51
足利一色氏? 自民党の金丸信は子孫らしいぞ。
金丸信は武田氏傍流の傍流金丸氏
877 :
日本@名無史さん :2007/12/03(月) 16:05:27
>>876 一色氏から養子にはいったから、血筋は足利一色氏でしょ。
878 :
日本@名無史さん :2007/12/05(水) 00:18:17
一色氏は足利公深が吉良庄一色を領していた事により、一色氏を名乗る。
879 :
日本@名無史さん :2007/12/05(水) 04:25:39
一色(吉原)義清と丹後吉原氏とは別系。
880 :
日本@名無史さん :2007/12/07(金) 20:38:59
49 名前: 逆賊高氏 投稿日: 2007/12/06(木) 22:29:13 登子のおまんこ舐めたいよ〜
881 :
日本@名無史さん :2007/12/07(金) 20:49:11
足利氏は御門葉になってるから鎌倉初期からの名門だな まさに中世の王者だ
882 :
日本@名無史さん :2007/12/16(日) 12:35:54
でシンゴは養子だったの?
883 :
日本@名無史さん :2007/12/17(月) 00:41:37
義政時代の義政に仕える上級の女房は、武家からも、公家からも、寺社や幕府の官僚からも 満遍なく出されていた。室町幕府の将軍家が、公武寺社官僚の全ての上に立つ位置を獲得して いた証拠が、この女房の出自の中にあると考える。
細川家は足利家の支族だが、管領として政務を行う以外に、 婚姻関係で足利家との結びつきを強めたような事例は有ったのかな?
885 :
日本@名無史さん :2007/12/18(火) 00:00:37
足利支流同士の一色氏を滅亡させた。
886 :
日本@名無史さん :2007/12/18(火) 00:04:02
シンゴは養子だった
武力でのし上がったってとこじゃ細川氏は高氏とかわらんな
888 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 01:39:52
俺は奥州藤原家の末裔なんだけど ちなみに本家は岩手県一関市にあるが俺は仙台に住んでる
889 :
日本@名無史さん :2007/12/20(木) 02:40:26
藤姓足利氏?
890 :
日本@名無史さん :2007/12/24(月) 21:37:35
昔、「笑っていいとも」に、足利義徳さんが出演したときの放送をビデオに録画して持ってるんですが、 ビデオにうつっている系図と、221の系図は、一致しています
891 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 01:35:05
>>890 じゃあビデオの画像をPCに移してアップしてくれよ
それに、もしこれが本当なら本放送の時に少しは騒ぎになってないと
おかしいが?
892 :
クルセーダー家臣くるくるパー :2007/12/25(火) 02:26:38
足利将軍家こそ 真の武家の棟梁 足利将軍家一族の 末裔である俺様からしたら 足利将軍家一族以外は みんな同じ身分にしか 見えない残念だが 序列にしたら 天皇家>宮家>公家>足利将軍家>足利氏一族>それ以外はみんな同列
893 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 13:51:01
そういえば吉良氏、今川氏、斯波氏、細川氏、河内畠山氏、奥州畠山氏の中で 血筋が一番なのって奥州畠山氏だよね? なんで奥州畠山氏は御一家になれないんだ?
斯波と吉良はどっちが家格が高いの? どうもよくわからないんだけど。
895 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 14:35:10
間違いなく斯波が高いよ
896 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 14:37:55
じゃ斯波氏と二本松畠山氏ではどっち? 河内畠山氏じゃないよ嫡流の二本松畠山氏の方
897 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 14:41:15
血筋では間違いなく畠山氏の方だね
898 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 14:49:35
(´・ω・`)
899 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 14:52:04
>>897 血筋からすると畠山氏は足利一門の中でも別格だよ
ただ南北朝時代に南朝方に加担したから御一家にはなれなかった
900 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 16:43:06
足利家って鎌倉期からみても 正室から嫡男が生まれる率が高いな
901 :
くるくるパー将軍 :2007/12/25(火) 16:45:32
側室じゃなくて?
902 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 17:07:50
別格の畠山鈴香
903 :
日本@名無史さん :2007/12/25(火) 21:53:07
一色を忘れないで
904 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 04:00:04
一色吉原義清は細川軍に戦いを挑んで壮絶な最期を遂げたと云う。
905 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 04:30:15
古河公方の一色はしぶといよ
906 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 12:16:44
幸手一色氏は存続したな。
907 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 12:55:47
室町時代って日本的にいえばルネサンス的な時代だったんだね 茶や生け花の文化とか〜 なぜ大河ドラマでも取り上げないのだろう 要するに平和 ?(だったのかもよく知らないが) で一年ももたないのか ? 日野富子がいたじゃん 民放でもいいから短期ドラマでもいいからやってくれたらいいのに 民放は悪女好きだから、 民放向きじゃないの あんま脚色しないでほしいけど 江島事件も、生島とは現実はなにもなかって生島は全くの身に覚えのない濡れ衣だったんじゃないのかなと思ったけどよ
908 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 13:25:01
鈴香は畠山の武名をあげたよな
室町時代といっても、初期は南北朝の動乱、 後期は応仁の乱から戦国時代へと、 静謐で平和だった時代は短い訳で・・・。 文化と平和は必ずしも一致してないと思います。
910 :
日本@名無史さん :2007/12/26(水) 20:41:16
足利家嫡流の通字はどうして氏から義、下から上に変わったんですか? なぜか鎌倉公方家は氏が通字のようですし。
>>907 逆賊を主人公としたドラマを公共放送が電波に乗せたら、国士様達が黙っていないよ
912 :
日本@名無史さん :2007/12/27(木) 02:23:14
若狭武田家の末裔って居るのかな。 足利将軍家の血が入ってるよね。
913 :
日本@名無史さん :2007/12/27(木) 14:17:21
若狭武田氏って、明智光秀に味方して滅ぼされたんじゃなかった? 最後の当主武田元明の妻が京極竜子で、竜子は秀吉の側室に差し出され、 2人の男子は殺害された。 そういえば、後陽成天皇の女御近衛前子の母親が若狭武田氏。 女系は残ってるんじゃないの?
914 :
日本@名無史さん :2007/12/27(木) 14:45:36
伝承レベルだが、木下勝俊が実は武田元明の子息という説もあるらしい
915 :
日本@名無史さん :2007/12/27(木) 15:04:23
木下勝俊って、秀吉の正室ねねの実兄 杉原家定(のちに木下姓)の嫡子だよね? のちに若狭武田氏の旧領、小浜藩主になっているから 旧主の若狭武田氏と結びつけたのだろうけれども。 たしか、ねねが甥の勝俊に当てた手紙も残っていたはずだが。 木下勝俊の娘が家康五男信吉の正室になったのも、 ねねの心を得たい家康の苦心の策だったはずじゃ?
財団法人室町文庫理事長足利義寧
917 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 01:55:30
>>915 ちょっとググってみたが、勝俊と利房が武田元明の倅なんだと。
どうなんだろうね?
918 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 10:00:18
>>917 現在では支持されてないね
ねねが勝俊の結婚を祝う文を送っているのだが
これも身内だったからだろう。
秀吉が名乗った木下姓を与えられたのも、
正室の甥だったからだと思われる。
勝俊はねねの甥でガチ。
919 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 12:33:23
南北朝と応仁の乱 の話手短にわかりやすく教えてください 逆族というのは・・・? ところで アニメ一休さん (を知っている人も私と一緒でそこそこの年だと思いますが) がいつもからかっていた 上様は誰になるんでしょうか 一休さんは確か天皇の本当の子だったでしょうか ? あんな時代だったから、表に出さないために ? 出家させた ?
920 :
日本@名無史さん :2007/12/28(金) 13:02:10
一休さんに出てくる上様は3代将軍足利義満 しかし史実の一休宗純が足利義満と親しかったと言う伝承はない 一休宗純は本朝皇胤運紹録に 後小松天皇の落胤とかかれ(母は南朝遺臣花山院某女)、 現在、一休寺にある一休の墓は宮内庁が管理している。
>>919 ネタ?
畏れ多くも明治聖上陛下が、海驢蛾他蚊蛆を後醍醐帝を吉野の山奥に放逐し、偽天皇を押し立てた天孫降臨以降最悪の逆賊と認定されたのである。
従って、その逆賊の血を引く者が「将軍」を称していた国史唯一の暗黒時代を讃える香具師は同じく逆賊なのだ。
922 :
日本@名無史さん :2007/12/29(土) 14:53:34
いえ ネタではなく、本当に知らないので聞きたかったんです 難しい漢字だらけですね 「天皇になろうとした将軍」という本に書かれている人でしょーか ? 因みに読んでいません 920 921両さん ありがとう もっと知ってたら教えてください
923 :
日本@名無史さん :2007/12/29(土) 15:42:15
おれ桐生って苗字なんだけど足利一族ってことでいいの?
924 :
日本@名無史さん :2007/12/30(日) 17:52:03
藤姓足利氏。
新田一族の可能性もある。
>>920 一休さんに出てくる義満は俗体で現役の将軍なのに
既に鹿苑寺金閣に住んでいるというぶっ飛んだ設定だったな。
童形の義持もチョイ役で出演。
義満甥の「ヨシカネ」なる架空の人物も出てたっけ。
しんえもんさんは大内義弘の娘と縁談があったんだよね。
927 :
日本@名無史さん :2008/01/05(土) 21:51:51
>>890 俺もそれ見た
あのコーナーに出てた平清盛、武田信玄の子孫を名乗る人達の系図も怪しいのばっかでそんなもんかな〜って思った程度だったが
今考えると、とんでもない事だよな
いいとものレギュラーも別に突っ込まなかった
>>927 じゃあそれをうpしてくれよ。話はそれからだな。
929 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 08:35:46
930 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 09:04:21
>>221 みたいな事はよくあることだ
個人的には許しがたいが
931 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 09:56:35
室町幕府が滅んだ後ずっと御家再興・政権奪取を企む 平島公方家ってステキだね。 我らも平島公方家の旗の下、自民党政権を倒して足利幕府再興を目指そう。
932 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 12:03:32
>>931 その前に将軍の血を引く本物の子孫を連れて来い
933 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 16:41:51
今日、嫡子相続しているのは鎌倉公方系のみ。 それ以前の問題で、平島公方などという表現自体が反社会的。 平民出身の公方様に踊らされる君達は幸せなのでしょう。
仁木と細川って両家の関係だけで言うと仁木が嫡流、細川が庶流ってことになりそうだけど、 両家の間では特にそんな意識はなかった? 足利宗家の家臣として同格だったの?
935 :
日本@名無史さん :2008/01/06(日) 21:45:27
とりあえずシンゴの出自をはっきりしてくれよ
936 :
古い話ですが、宮原家の件 :2008/01/07(月) 00:24:49
>>646 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 16:37:02
>確かに自重しない平島信者にも問題が有るが、
>喜連川足利家は、先代足利惇氏子爵に実子がいなかったのは事実。
>調査した結果、宮原足利家も平井男爵家より養子を迎えている。
>つまり、平島信者がやりたい放題なのが現状。
平井男爵って、どういう人、功労爵位?それとも、足利系氏族?
937 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 09:08:55
確か宮原氏は聡氏の死後、子の巌が相続してるはずだが、 彼が養子なのか?初耳だなあ
938 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 11:12:27
939 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 12:33:09
で、シンゴは養子なのかどうか調べて来いよ
940 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 20:41:09
941 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 22:18:29
金地院崇伝一色氏の出なのに一族を引き立てていないけれどなぜだろう?
942 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 22:44:13
>>940 散々既出なんだけどさ、明確なソースが欲しい訳よ
943 :
日本@名無史さん :2008/01/07(月) 22:54:44
944 :
日本@名無史さん :2008/01/08(火) 16:08:46
だからさ、それを証明する写真なり動画なりがなきゃ話にはなるまい
945 :
日本@名無史さん :2008/01/08(火) 17:33:47
>>221 の家系図で全く正しい。(以前、テレビで流れていた通り)
それでも、信じられない明治新姓の猿は、直接義弘氏に聞けと言いたい。
946 :
日本@名無史さん :2008/01/08(火) 20:02:59
録画してあるなら写メで撮って載せてくれよ
947 :
日本@名無史さん :2008/01/09(水) 20:32:40
どうやったらいいのか全くわからなくて・・・すいません
948 :
日本@名無史さん :2008/01/09(水) 21:34:34
なんとかしろ。あなた次第でループ終了するんだから
949 :
日本@名無史さん :2008/01/09(水) 23:49:52
桐生家の衰退
(1)ビデオで画面に映して、ケータイでとる。 (2)それを写メなどでPCに移し、うpロダにアップする ( 3)アップしたURLをこのスレ貼る または、ビデオの映像をPCにとりこみ、それをムービーメーカー などで静止画キャプチャをつくり、アップする。
951 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 11:20:50
952 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 12:20:28
はーい分系19代目の俺が来ましたよ
953 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 18:18:24
養子であるかどうかよりも、実家がどういう家なのかが気になる。 実家がしかるべき武家の家系の可能性もないとはいえない。
954 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 21:38:22
うp早く載せてよ
955 :
日本@名無史さん :2008/01/10(木) 21:47:48
>>952 は、ちびっこ相撲19代横綱なので気にしないでやってください。
956 :
日本@名無史さん :2008/01/11(金) 15:04:01
早く載せろよ
957 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 10:53:53
958 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 12:02:46
おい、明治新姓の猿どもの為に、誰かうpしてやれよ。 俺の所は、シンゴ関連の映像/資料が紛失して見当たらない。 うpしないと、足利の祭祀を平島に剥奪されちまうぞ。
>>958 フンシツしたんじゃなくて、元から無いんでしょ
960 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 12:29:56
947です 恥ずかしながら、ホント分からないので、DVDにダビングしたものを、どなたか載せてくれる方に差し上げたいと思います 15日にダビングを依頼することになりました。どなたか受け取ってくれる方いませんか?
961 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 12:40:22
うpよりもシンゴの実家がどういう家系なのか知りたい。
962 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 15:43:03
[太平記]第三十二話「藤夜叉死す」(1991.08.11放送) ↑古い大河ドラマだけど、第三十二話辺りから平島の人が出てくる。 [宗教法人平安教会]平島の人と関わりが深い新興宗教団体 [全国足利氏ゆかりの会]平島の人は永久名誉特別顧問 ↑この辺りから正しい(捏造してない)情報提供が有れば、シンゴさんの実家が分かる。
963 :
足利義久 :2008/01/12(土) 15:58:12
愚劣過大
964 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 16:32:33
965 :
足利尊氏【将軍】 :2008/01/12(土) 16:37:34
進吾が誰だろうが関係ないじゃん 何で他人の家の事に文句いうの? 将軍家に文句いうな! 身の程を弁えろ!
966 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 18:53:31
このスレいい加減ウザいよ。
さっさと、
>>221 のソースうpして終わりにしないか?
平成の御時世に「公方様」を自称するアフォは逝ってよし!
ついでに、自称「公方様」をまんせーしてるアフォは半万年ROMってろ!
967 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 19:59:31
その系図じゃ、うpしても実家がわからないからなあ。 もし養子だったら、実家が武家かどうかで全然意味がちがってくる。
968 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 20:38:51
>>964 カメラ付き携帯持ってないんですよ
969 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 21:23:58
平島公方ゆかりの地 徳島県那賀川町(今は阿南市だけど)の図書館にあった資料を見ても、進悟氏の実家についてなにも書いてなかった
970 :
日本@名無史さん :2008/01/12(土) 22:06:05
複雑怪奇な公方様だな。
>>968 今のご時世に・・・・
無いならないと最初から言ってくれよ
972 :
日本@名無史さん :2008/01/13(日) 00:05:09
もってないのはカメラ付き携帯じゃなくてソースの方だろw
973 :
日本@名無史さん :2008/01/13(日) 14:19:57
974 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 00:59:34
>>973 録画したいいともの日付と曜日教えてくれ
975 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 11:45:24
976 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 13:14:03
ハァ? じゃあそこに写ってるレギュラーとテレホンショッキングのゲスト教えてくれ
977 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 14:17:34
>>976 「笑っていいとも資料室」というホームページで調べました
2002年の6月26日でした
また、2000年の11月15日の放送では、足利義忠さん(進悟氏の次男義信氏の子)が出演しています
978 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 16:44:30
へぇ〜、以前「いいとも」に出てた兄ちゃんが平●なのか? 足利子爵家の御曹司だと勘違いしてましたよ。 あ、御免w。●島は平民の出だったな。(ゲラゲラ
>>977 アップ出来ないとか話にならないな。
さっさと無いのはソースの方だと認めたらどうだ?
>>978 馬鹿はすっ込んでろ
980
981 :
日本@名無史さん :2008/01/14(月) 23:57:51
早くうpしろよ
やだ
983 :
日本@名無史さん :2008/01/15(火) 21:11:51
平島は平民と言うことで糞スレ終了w
984 :
日本@名無史さん :2008/01/15(火) 21:15:46
平民だったのは事実 で問題になってんのは進悟氏が養子かどうか
986 :
日本@名無史さん :2008/01/15(火) 23:36:32
別に、平民の家に平民の養子が入っても、何の問題ないでしょ? 本当に問題なのは、 足利子爵家から、足利の祭祀を剥奪しようとしてる平民さん達なのです。 いい加減、マスコミに、たびたび現れては騒いで迷惑しています。
987 :
日本@名無史さん :2008/01/15(火) 23:48:35
足利姓ってなんでいないの?
988 :
日本@名無史さん :2008/01/16(水) 01:19:29
>>897 適当なこと言っちゃだめですよ!
>>926 しんえもんさんが、叛徒を鎮圧すると称して、武装もせず単身馬を駆る場面があって爆笑しました。
蜷川氏は叛徒を鎮圧しないでしょ?
しかもたった一人丸腰で、どう叛徒を討つのかとw
989 :
日本@名無史さん :
2008/01/16(水) 01:25:15 年齢層が高いなあ