僕の友達(外国人)が知りたがっておりました。
あと手裏剣の正しい投げ方もついでに教えてYO!!
忍玉乱太郎を見ればいいと思うよ。
忍たま乱太郎はアニメのくせにやたらとマニアックだしな。
4 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 07:19:37
かかってこいよー忍者ハッタリくん
5 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 09:14:10
霧隠れの術だけは本当に出来るけどね。
忍者道具の使い方は小説・漫画・映像作品で描かれてるような使い方と違う事が多いらしい。
そうだね
手裏剣は缶詰め空けるのに使ったんだよ
実際、暗殺とかやっていたのかな
実際は強盗に毛がはえたようなものだったのでは
伊賀衆なんかは実質的には傭兵団だよね
忍者について語ろうスレがいつのまにか消されてる。
伊賀者のしわざか?
11 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 16:32:18
おまえらは「天正伊賀の乱」見た?
来年2月にはDVD発売だよ
つーか天正伊賀の乱知ってるんだろうな
12 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 16:42:22
忍者とは関係ないな。
13 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 16:55:51
関係ないことないだろ。
織田の大軍相手に夜襲、奇襲、毒矢、情報かく乱、暗殺など忍者大活躍の戦だよ。
第二次伊賀の乱で伊賀の国は壊滅状態にされるが、
第三次伊賀の乱では再び結集して織田軍の城を攻撃してるし
14 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 17:10:14
とりあえず
「風魔小次郎」ならニンジャだが
「風間小次郎」ならそこいらのオサーン
15 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 17:22:03
小豪族が連合自治をしていた山間の小盆地で、古くから都や都市部の情報や貨幣経済が入っており、出稼ぎや行商が当たり前で、体術の訓練が盛んだった地域の住民は
みんな忍者
16 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 17:27:13
忍者装束って本当にあったのかな?
17 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:32:02
戦国時代に甲賀に科学忍法火の鳥が実在したのはほとんど知られていない事実。
18 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:34:28
ハットリくん見ろ
伊賀より甲賀のほうが好き
20 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 20:30:54
>>1 一度伊賀上野の忍者屋敷に行ってみな
隠し扉とかビックリするのがたくさんあるから
地元三重だからすぐいけるし何回いってもあきない
伊賀へ行ったら何者かに尾行されたり命狙われたりするから嫌だ
>>14 風魔はもともとは風間さんだよ。騎馬に優れた小豪族。
23 :
服部:2005/12/25(日) 11:12:14
やっぱくノ一だよな。
ピンクの忍者装束に髪型はポニーテール。
運動神経バツグンで敵の城に侵入して見つかったら手裏剣を投げて身を隠す。
しかしあるとき敵に捕まってしまう。
捕らえられたくノ一。
秘密を吐かせるため両手両足を縛られワイセツな拷問をうける。
忍者装束を引き裂かれオッパイを揉まれるくノ一。
「あぁ、やめて・・・」
「さぁ、吐け!吐くのだ!」
「これでも私は忍者、何もしゃべりませぬ」
「こうしてくれるわ!」
下半身を裸にされるくノ一。
「いや!やめて・・・ぁぁあああ・・・」
(;´Д`)ハァハァハァハァ
24 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 11:24:34
くノー忍法帳 で全てが解る!女忍凄さ!
忍者の仕事はメインは諜報・破壊工作。
まあ、日本以外の国が今でもしょっちゅうやってる仕事さ。
日本政府も忍者を見習って、情報収集と情報漏洩防止に努めるべし!
26 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:38:42
薩長が討幕の為にも使っていた筈の忍者については、明治以降の実態が全く知られていないのは謎だよな。
もしもオレ達が維新の頃の薩長の政治家だったら、
真方衆みたいな忍者軍団をどうする?
解散を命じるか?雇用契約を解いて野に放つか?
絶対有り得ないねそんな事。
27 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:56:11
>>26 活動が知られていないからこそ極めて優秀な忍者、諜報員と言われる。
資料のほとんどは大東亜戦争で敗北したときに焼かれている。
28 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:59:10
しかし資料は断片的に残っているし
日清、日露戦争でも彼らの諜報活動は記録残されている。
諜報活動に従事していたのは軍人や民間人はかなり多い。
有名なのは明石や福島。
だがそのほかにも数多くの諜報員が存在していた。
明石大佐の対露工作は諜報作戦の見本と言われつつも失敗という評価だったそうだ。
30 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 14:02:03
表向きにはな
31 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 23:02:13
つまり忍者というのは正面からの勝負の出来ないチキンということてE?
いいけど。正面から勝負する気満々なら忍者つかわねえだろ。
孫子読めよ
34 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 12:59:24
忍者なんてのは伊賀とか甲賀の山奥に住む猿人みたいなもんだろ
そんな猿人か野人みたいな文化度の低い連中に何かが出来たとは考えにくい
35 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 13:37:22
山の民が戦国期に出稼ぎや自衛のために戦争に参加したというのを読んだことある。
誰のか忘れちゃったけど、確か南北朝時代の研究者が出したもののはず。
山では平地や武士の戦い方が通じないため、独自のゲリラ戦法やそれを生かす技術が発達したんだって。
それが、情報収集に役立ったり、少数での後方撹乱となった。また、法師系統からの薬学の併用など。
イメージとしては、秀吉の伝記に出てくる蜂須賀衆や雑賀衆ってとこだね。
足柄山の風魔は薬関係に特化してるとか、全国各地の忍者衆で特徴があるよ。
ちなみに、手裏剣は武芸として、兵法者が使う技術で忍者の専売特許じゃない。
居なくなった理由としては、江戸時代の長期平和と民衆統制政策、経済流通の発達で
他と交流無しに生活が困難になったためだとあったよ。
36 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 17:25:50
真方衆というのは島津家直属じゃなくて、たまたま南九州に基盤があったから島津とも持ちつ持たれつの関係を深めた傭兵軍団的な性格のグループらしいな。
幕末にも何らかの役割を果たした可能性は大きいのに、廃藩置県と同時に消滅したとは考えにくい。
37 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 06:46:49
忍者うどんなるものを食ったことがある
一見すうどんに見える
しかし食べていると突然忍者のように揚げがででくる
飛び加藤なら、
30年くらい前までドリフで見れた
天正伊賀の乱って第三次まであったのか
第三次天正伊賀の乱
本能寺の変で信長が倒されたと聞いた伊賀衆が再び決起した。
裏切り者の福地城を攻撃し
(第二次伊賀の乱の時、恐れをなした福地氏は伊賀を裏切り織田側について伊賀の秘密を漏らした)
城を攻略する。
他、伊賀各地でも反乱が勃発し織田信雄はこれを静めるべく三度兵をあげる。
しかし伊賀の反乱は翌年になっても治まらず大規模な戦はなくなったものの数年の間続いたという。
41 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 17:52:51
百地あげ
丸山城陥落あげ
44 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 20:52:46
仮面の忍者赤影の話題はここでOK?
45 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 16:10:37
鍵屋の辻あげ
46 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:42:34
47 :
【勝小吉】 【20円】:2006/01/04(水) 23:40:44
武板でネタかぶってるのがあるので、一応うpしとく。
あくまで古武道・居合関連中心のコメントだが。(順不同)
946 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/02(月) 10:09:07 ID:YOQEkv430
忍術そのものが被差別階級の人たちによって受け継がれたものだし、
やっぱり歴史の影にあたる部分だからではないでしょうか。
その出自を考えれば、明治以降に精神鍛錬と称して
武道化することもままならなかったでしょうし、、、
今忍者道場を開いている人たちは、おそらく好事家が
勝手にやっているだけではないのでしょうか。 憶測ですが。
982 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/04(水) 12:22:50 ID:XePn/aGv0
忍者ってもいろいろだろ
武士の忍者も居たんじゃねーの?
985 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/04(水) 20:43:34 ID:IYlIhp0J0
服部半蔵正成なんかはその最たる者だね。
960 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/02(月) 21:54:47 ID:fBrYGG0O0
忍術という独立した武芸が有ったかどうか疑問だな。
古い武芸の中に忍術は何手か含まれているし。昔からの忍法を伝えた家もあったが。
平山行蔵も伊賀者だが流派は普通に心貫流だしな。
技自体もひたすら寒さに耐える稽古とか1日中拳骨で板を叩く稽古とか夜眼を利かすとか
要するに地味で実用的な「基礎トレ」だけが残ってる位でないかな。
本当に忍者に必要なのは武芸ではなくもっと別な技術だったと思うが・・・
48 :
【勝小吉】 【1万円】:2006/01/04(水) 23:46:22
バラバラですまんがもういっちょ
961 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/02(月) 22:14:46 ID:FdXIQn2z0
忍術なんて、もともと伊賀の野武士集団だった連中が徳川家にお庭番として雇われたけど、結局同心クラスのペーペーでしかなく、
家系図を作るブームが来た時に自分達も特別な存在だったと誇示したくてでっちあげたものでしかないでしょ。
風魔とか軒猿とか黒巾着とかも結局密偵でしかないし、特殊技能と言えば、いかに相手に警戒心を抱かせずに接する事が
できるかという今で言うと営業みたいな能力でしょ。
武道みたいな精神性なんて・・・・
962 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/02(月) 22:36:46 ID:fBrYGG0O0
いや兵法の中にも一部忍術が含まれているんだよ。
系統立てていない実用技のコツみたいな感じで、どの流派にも数手づつ有る。
それを9流派分集めて一派を成したのが初見先生(たぶんなw)
香取神道流なんかその手の技は比較的多い。
981 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/04(水) 11:21:12 ID:61dnHmqY0
被差別部落って、もしかしてソースはカムイか?
983 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/04(水) 12:47:20 ID:8LaJT28b0
>>981 被差別部落については「カムイ伝」はややごちゃまぜな所があるきがする。
おおざっぱに書くと
乱破(らっぱ)、透破(すっぱ)、突破(とっぱ)とは『サンカ(山窩)』の言葉。
長吏・捕り方・皮工芸等は『穢多』の仕事。
浄瑠璃・芸能・刑吏等は『非人』の仕事。
要するにサンカ・カワタ・クグツ等の「土地」に縛られない漂白民は諜報活動がし易く
忍術にそのまま活かせる特技を持っていたということ。
49 :
【勝小吉】 【3億円】:2006/01/04(水) 23:48:51
978 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/04(水) 02:08:03 ID:zn6p/si40
えっと、忍術は言い換えると諜報、スパイのテクニック。
居合は言い切ると語弊が有るけど、鞘に納まった状態からでも戦闘に勝つためのテクニック。
戦わないで切り抜けることを目指す術と、戦闘に勝つ術は別ものです。
ただ、手裏剣の得意な忍者や、剣術の得意な忍者もいたことでしょう。
979 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/04(水) 03:33:08 ID:8LaJT28b0
忍術も現存するし、忍者・乱破(ラッパ・スッパ・トッパ)も居た。
ただ忍術という名目の「武道流派」はたぶん無かった。
「刀や手裏剣」は武術なので武道としていまだに残っている。
しかし「壁に隠れたり天井に上ったりの」は武道と言うより軽業・鳶職の仕事。
「諜報・スパイ」にいたっては武道とは別技術。
忍者じゃないけどネズミ小僧の本職は鳶職。幕府隠密の間宮林蔵の本職は探検家w
軽業等は被差別部落民等が行っていた。
忍者とは人それぞれの特技を使って諜報、スパイを行った織人のこと。
武芸者とは戦場で戦った軍人のこと。職種が基本的に違ってた。
959 :名無しさん@一本勝ち :2006/01/02(月) 18:30:53 ID:I+OAwgGC0
忍術は科学及び物理学などの要素と、心理学等の要素が濃いので武としての術とは言い切れません。
明治維新以後の日本の科学を牽引したのは、忍びの里の出身者ともいわれるほどです。
50 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 21:19:49
>>46にある初見先生の戸隠流忍法体術は現代になって「古武道を集大成させた物」
個人的には武道としては1級品だと思うが、古代〜戦国期の忍術とは別スタイルの
「現代武道型の古武道」と見受ける。この方式は合気道や柔道の創生期にもあった事だ。
忍術というより実戦的古武道を学びたいなら意外とオススメかも。
51 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 21:29:43
千葉真一n聞け
52 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:07:49
千葉真一は自衛隊員の役だったのでは?あの当時は女性自衛官は少なかったんですね。
53 :
日本@名無しさん:2006/01/05(木) 23:30:11
それにしても天正伊賀の乱で、伊賀軍の頭目的存在であった
百地丹波の歴史がよく分かっていない事はなかなか面白い。
栗林長門につぃては、さらによく分からない。栗林と百地が同一人物で、
変装して2つの里を行き来していたという説もあるくらいだ。
54 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:40:01
千葉真一は服部半蔵@影の軍団だよ。
55 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:24:37
千葉真一といえば柳生十兵衛
柳生といえば十字手裏剣。現在残っている車手裏剣(刃がいっぱい付いてるヤツね)は
意外と大名が使用していたモノらしい。徳川慶喜とか。
戦国の忍びが使った現物が残っていると面白いのだが・・・
56 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 17:05:32
>>53 あまりよく知らんので質問するが「伊賀軍の頭目」というのはどういう身分だったの?
伊賀の領主?地侍たちの親分?伊賀地方の乱破の首領?本願寺教団みたいな教祖?
57 :
日本@名無しさん:2006/01/06(金) 17:22:57
伊賀上忍三家(服部・藤林・百地)が伊賀忍の頭目。
信長に攻め込まれた時は、百地が主導権を握っていたといわれている。(異説あり)
そう言えばさーこないだの徳川三代の野望は十兵衛役やった役者が何人も出てて笑えた。
59 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:41:27
>>57 その「伊賀の忍」とはいったい何だったのだろう?
地侍のような武士なのか?ゲリラ戦を得意としたなら猟師。薬学兵法に通じているなら山伏の類か?
それともそういう技術を領民に学ばせたのか?
「伊賀上忍三家」とは伊賀共和国?の領主と解釈していいのかな?
60 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:05:30
楠木正成の勢力が忍軍とか呼ばれてたよね?
その末裔とか南朝の勢力地に代々居て、朝廷に助力してたって伝説を聞いた事あるけど
61 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:54:15
「太平記」では後醍醐天皇の皇子「護良親王」は鎌倉倒幕のために比叡山(山門)の
天台座主として僧兵の力を使った。
当時の寺院は薬学、化学の最先端を行ってた訳でしょ?さらに武力も持っていた。
南朝方は山へ山へと戦っているよね。
サンカ・聖・修験者等を南朝が武装化させていったというのは飛躍させすぎかな?
サンカ・聖・修験者と南朝の関係の立証と接触の後に武装化していったということを証明できれば。
63 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:35:21
>>62とりあえず検索。こんなもんでどうだろ(疲れたゾ・・・w)
【伊賀忍者真説49の足跡】
http://www.igabito.jp/ninja_map/index.html >「観阿弥が座を立てた後、故あって母の素性を明かさなかった。」とある。
これは観阿弥が足利氏に対立していた楠木正成の甥であるのを隠すためであった。忍びと猿楽芸能民との関係は深い。
猿楽などの中世職能集団は各地を転々としたので諜報活動にはもってこいの職業であった。各地の情報入手は容易であり、
「七方出」という忍者が変装する7つの形態の一つが猿楽師であった。以上の事から観阿弥忍者説がある。
【Wikipediaから抜粋】
>楠木家は鎌倉幕府の御家人帳にない河内を中心に付近一帯の流通ルートを支配する「悪党」とよばれる在地の豪族であったと考えられている。
>伊賀上野市の旧家から発見された上嶋家文書(江戸末期写本)では、伊賀、服部氏族の上嶋元成の三男が
猿楽(能)役者の観阿弥で、その母は楠木正成の姉妹であるという。世阿弥(世阿彌)は先祖は、服部氏と自称していた。
>後醍醐と正成を結びつけたのは、伊賀兼光、あるいは真言密教の僧である文観と思われる。
【「情報夜話」金谷信之著より一部抜粋】
http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/index_e.html >後醍醐天皇の影で画策したのが醍醐寺の座主文観である。
醍醐寺は後に修験道当山派の総本山になる寺である。よって全国の修験系の寺院が倒幕運動に加わる。
後醍醐天皇が逃げ込んだ笠置山は文観の相弟子聖尋の寺。護良親王が挙兵した吉野山の金峯山寺は醍醐寺系の寺である。
そして、楠木正成は、河内天野の金剛寺の荘官であった
>楠木正成の背景、そして、天皇方 を支えたものを、 当時、荘園の散所 (さんしょ) の民や、社寺の神人 (じにん) 寄人 (よりうど)
あるいは、公家などの供御人 (くごにん) などとして現れてくる商工・運送業者、芸能集団などの新しい階層に置く見方もある。
>土地を離れた非定住的な人たち同士の独特な情報網が考えられる。
【「特殊部落発生史」八切止夫著】 >足利創業の邪魔だてをした南朝方の子孫を捕らえて、散所(山所)の居付き部落とした
サンカや八切は胡散臭いですし、観阿弥が系図で楠木正成と繋がっていると
いうのも怪しいですが、『太平記』で日野俊基が山伏姿で各地を廻り、城郭と
して使えそうな土地や風俗・人の分限を見定めたという話があります。
「史学の益なし」と言われる『太平記』ですが、少なくとも後醍醐天皇が山伏は勿
論の事、各階層に分布していた悪党の海運も含めた情報ネットワークを情報収
集・伝達・宣伝に使用したという事は、よく言われているのではないかと。
楠木正成との縁も、夢などでは無く、河内の金剛寺が後醍醐天皇が伝領してい
た八条院領に連なっており、山伏を掌握していた同寺と、同じ河内で流通ルー
トを把握していた楠木氏の正成が繋がった為だという説があります。
一箇所に根を張りながら勢力を拡大する以上、他の地域からの物資や情報に通
じている必要もあり、お山の大将ではいられませんからね。
兎角山出しの無知な田舎者と考えられがちですが、したたかですよ。>土豪
この時代、情報収集には山伏・禅僧・遁世者が陣中に入って祈祷や布教を行い、
戦場での陣から陣へと移動出来るので、重宝されていました。
時衆や律宗の僧侶の活躍も目立っており、とりわけ前者は14世紀半ばから風
呂の経営を行う事が多く、同所が休戦中の敵味方が入り混じる一種のアジール
であった事から、耳が早かった様です。
時衆の側からも、世俗の事に関るなと禁令が出されていますが、なかなか。
65 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:17:08
ををっ!山野氏降臨っ! 源平スレではお世話になりましたw(ヒマだな・・・俺w)
あいさつはさておき ここは忍術について。
時衆や律宗、乞食僧、山伏・陰陽師のような輩は全国を自由に徘徊できる諜者と
しての能力もありましたが、薬学、化学の技術をゲリラ側に広めたのではないかと
思います。
禅僧というのはよくTVの時代劇でおなじみのw『普化宗』(尺八禅)ですか?
後に隠密「虚無僧」として徳川により再組織化されますね。
虚無僧とか薦僧とか呼ばれた者かどうか、判別がつきません。
この頃には廻国修行をしていた様ですが。
彼らが隠密として組織されたという事は存じません。
近世には浪人がその姿をとって風紀を乱し、天保年間には特権を剥奪される
などしているので、宗派ぐるみという事も無かったと思いますが。
元々、情報収集を行う宗教者・流通業者の側と、荒事を行う土豪や野伏の側
が存在して、時には権力者が利用する事もあったが、行住坐臥「忍びの掟」と
いうものに縛られて生活している里は無かったと思います。
応仁頃に成立した『鴉鷺物語』第七に、
野伏は走り散りて馬武者にからかひあへ。懸けば引、引かば送り、敵に強り
あはず、城あらば踏み留りて矢ぶすまをつくれ。いかにもいかにもむつかし
きをもつて野伏の能とす。
とある様な、まともに戦えば弱い、山地の住人が雇われたぐらいかと。
それでも、この応仁の頃から活躍の場が広がり、戦国期になると城内潜入な
どもやっていますが、起源も中身も雑多な存在だったろうと思います。
ただ、その中で伊賀や甲賀がよく利用されたのは事実で、藤堂家では火薬の
実験やその成果が定期的に披露され、門外不出とされていました。
松浦静山の随筆『甲子夜話』によれば、彼の家中にも先祖が伊賀出身者がいた
という様に、各大名は一家は養おうとしていた様です。
しかし、静山の時代は江戸も後期に入った頃で、伊賀に多い柘植という苗字
を持っていた家臣柘植某は、先祖が伊賀出身であった事を知っているだけで、
その時代には何の技能も持ち合わせてはいなかったという事です。
『半七捕物帳』の中に、『旅絵師』という話がありますが、江戸の庶民の間でも
隠密は知られていた様ですが、起源や実際の活動については噂が先行するば
かりであった様で、混乱が見られます。
『戊辰物語』にも、伊賀衆にインタビューを行った記事があり、「いわゆる忍
術などを使った侍の家筋で」と解説されていますが、当人の山中笑という人
物が、自分は「槍術の名門服部半蔵の手下」の家筋で、十四歳から御広敷添番
という「いわば城内大奥の風紀係りのようなもの」をやっていたと語っている
通り、別段変わったところはありません。
ただ、『旧事諮問録』に、明治25年に元お庭番の川村帰元という人がインタ
ビューを受けた際の記録がありますので、そちらを少々。
・・・・と思いましたが、少々長過ぎるので止めておきましょう。
一応、「内密御用」という事で、国主大名の品行を調べたなどとあります。
悪い事に限らず良い事も報告したとか、遠国の地震の被害を調べに行かされ
たなどと書かれていますよ。
京阪に一人ずつ、享保年中に出て、表向きは呉服商を営みながら、明治維新
まで知られなかった「手先」=協力者がいたとか、割と面白い。
なお、元目付・大目付・江戸町奉行・神奈川奉行・外国奉行の山口泉処の談話もあるの
ですが、それによると隠密というのは目付配下の御小人目付という者で、こ
れが八百屋などに化けて人情を調べていた、という事です。
お庭番とは別。城郭修築などの申請があった時の探索などを行なったと。
南朝と結びつく前から武装してたようなので
>>61氏の説はNGだねえ。
70 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:03:07
>>69 いやいや実は想定の範囲内じゃったぞw(←ウソ)
ちと話をそらして江戸期の忍びについて。
『普化宗』に関してはたしか臨済禅に編入されているはずです。普化禅師は「臨済録」にも出ていてアホな事をやっていますがw
>江戸幕府との繋がりが強かったため、明治になって政府により1871年に解体され、宗派としては失われている。
とWikipediaにあります
御庭番川村家に関しては
>「御庭番の前身は、吉宗が将軍就任前に藩主を務めていた紀州藩お抱えの薬込役と
>呼ばれる役人たち十数家の世襲制」
と、Wikipediaにありますね(Wikiばっかりだな・・・藁)
余談トリビアで小説家の高橋克彦は北斎の実家「川村」姓から、お庭番だったのではないかといってますね。
71 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:13:03
忍者なんて語るに足らず。
引用にあたって省略しましたが、17家です。wikiは信頼性に難が。
薬込役というのは、鉄砲の薬込役。これが一番多かったそうですが、当初の
石高は僅かに10石ばかりであったとか。
後、17家の中にはお庭番を継げ無くなった家も出て、他家の次男や三男が
務める様にもなったそうです。17人は、多いか少ないか。
アホな事といえば、幕末に御小人目付が京都町奉行所の者に目をつけられて、
捕えられてしまい、恥をかいた事があったそうです。なんともはや。
高橋先生は、トンデモ説が多く、と学会会長も「この人だけは許せない」と書
いていましたが、ここは可能性だけなら考えてもいいのでしょうか。
普化宗は、宗派としては消えたものの、明暗や普化などの名で教会として再
出発していた様な。本が手元にありませんが。
お庭番も川村、村垣、明楽あたりになると遠国奉行歴任した人がいたり勘定奉行出したりしてるからねえ。
単純に忍者ともいえないような。むしろ情報アナリストとかそっちのほうに近いのかもね。
74 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 23:23:14
>>72 ほー薬込役とは鉄砲のことですかー 薬剤師かと思ってたw dクスです。
ならば火薬の専門家ですか?日本の硝石は天然ものが無いので自家製造だと聞きますが
そうするとやはり化学系?根来衆?忍法微塵隠れできそうw
でも臨済宗で1番アホなことやってたのは織田無道かな(爆w
>>73 はるか九州の島原の乱を「ただの一揆ではない」と言い切った柳生宗矩とか
戦前ではゾルゲ事件の「満鉄調査部」なんかがそうだよね。
中には間宮林蔵みたいなのもいるから教養のある潜入調査員も必要なんだろうな
鉄砲関係は近江国友村が面白い。実用性皆無な空気銃とか銃身20本束にした連発銃とか。忍者関係ないけど。
76 :
勝小吉 6文銭:2006/01/08(日) 01:13:55
>>74 伊賀衆だそうです。近世には、伊賀組・甲賀組・根来組(前身故総髪)・
二十五人組が江戸城の門や将軍参詣時の警備を務めていましたが、地道
なお役目ばかりが目につきます。
松浦家の術を忘れた柘植氏の様な人も、多かった事でしょう。
>76
>天狗と鬼が風炮で戦っているぞ(爆w
リンク先には見えない様ですが、どちらに。
ところで、「此の頃国友氏が風炮にいたく驚きをるに」とあるからには、既
に空砲を知っていたので、余計驚いたという事では。
ひょっとして、某小説をお読みになったので。
某小説とはなんですか?気になります。
平田篤胤との交流もオランダ渡りの風炮のことを知ったのも江戸に留め置かれてた時期でしょうな。
江戸で作ったとも思えないので国友に帰ったあとに製作したんでしょう。
この人も同時代人の平田源内と同じく珍妙なものを多く作ってますね。
影の軍団に出すんならこっちのが適任な気がしますな。最後に綺麗に忍者ネタに繋がってよかった。
確かね、靖国神社の資料館に変な鉄砲が飾ってあった気がする。
今もあるかは知らんけど。
80 :
勝小吉 6文銭:2006/01/08(日) 04:42:06
>>77 >リンク先には見えない様ですが、どちらに。
げげげっ!先生そこ笑う所笑う所。 まさかそっちの方をつっこまれるとは・・・(汗w
とりあえず現代語訳で良ければ
http://members.at.infoseek.co.jp/senkyow/ もちろん忍法も寅吉は知ってますぞ!
>忍術法のこと。髪を振り乱し、股を開いて陰門をさらし
>中腰で手を○○のところに当てて立つ裸の女の像を椿の木から彫る。これを本尊として祭る。
>その祭り方は、この像を糞壺に逆さまに数日間漬けてから取り出し、頭蓋骨に女の月水を入れ、
>それを手で像に塗りつけながら『ウンタラタサフラン』と唱えて祈る。
・・・完全にからかわれてます。平田さん。
それなんて立川流?
82 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 13:05:11
さよう。後醍醐帝も倒幕のために使用した真言宗立川派の秘術中の秘術。
とても表には出せない。
83 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 13:33:19
>>72 >普化宗は、宗派としては消えたものの、明暗や普化などの名で教会として再出発
それ、たまたま今さっき剣豪スレでも出て来たんですよw
【海童道(わだつみどう)】道祖は元普化宗の管長の『田中普門』(武道家・音楽家)。
明治44年福岡生まれ。独立して海童道の宗祖となる。
ちなみにこれは尺八の流派みたいです 他にも普化宗団体はあるみたいですが
虚無僧のように乞食の伝統があるかどうか不明
琴の家元が検校で、尺八の家元が禅の乞食坊主なのも面白い
84 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:19:22
幕末から明治初頭まで、忍者はいたらしいぞ!
名前忘れたが、水の上歩くやつ。ありゃ絶対作り話や。
がきの頃、靴改造したり、いろいろ手をつくして挑戦したが
絶対無理やった。
85 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:29:42
作り話か〜?ww
伊賀の忍びの法にくらませられたのだ。ww
86 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:33:03
>>84水蜘蛛はあの姿のままではなかったようだよ。
足を突っ込んで進む船みたいなものだったらしい。伊賀の里とか行くとアトラクションであるけどねw
幕末までは、服部家が続いてたはずだから、それで忍者はいたということじゃないのかな?
本人達は屋敷警護の閑職だし、領地内も安泰だろうし、伝承という意味で伝わってきたんじゃないの?
明治政府にしたら怖いから潰したんだろうし
87 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 15:03:02
ニンジャとか本気で信じてるのって外人だけだろ
魔法使いのようなあの姿はね
>>79 大したものではございません(というのも作者さんに失礼ですが)。
10年ほど前に中高生が読んでいたのを、縁があって何冊か読んだものです。
娯楽系ですよ。史学の用はなしません。
>最後に綺麗に忍者ネタに繋がってよかった。
ここは、突っ込むべきところなのでしょうか。
>>80 立川流か、それに似た民間宗教者が隠してやっていた「邪法」でしょう。
『嬉遊笑覧』などによれば、山伏やそれと夫婦になる事が多かった巫女がかな
り怪しげな「ご神体」をつくって持ち歩いていたらしい。
『半七捕物帳』は、幕末の風俗を知るのにいい作品ですが、その中に『菊人形の昔』
という短編があって、在野の巫女が出て来ます。
(話はずれて却って本題に近づきますが、情報収集役の一角を担えた存在)
天狗に攫われたかどうか知りませんが、実際かなり博識ですから、民間宗教
者とお近づきになっていたのかもしれません。
『漢書』の「壺中天」系の話など、元ネタが多彩です。
>>83 >虚無僧のように乞食の伝統があるかどうか不明
今はどうか知りませんが、広島県の田舎には、戦前は来ていましたよ。
編笠をかぶり、尺八を吹いて乞食をしていました。
>琴の家元が検校で、尺八の家元が禅の乞食坊主なのも面白い
琵琶や琴を扱った盲人の最高職が検校でしたが、芸能民などが僧形をとる事
は多く、室町時代には朝鮮人から「天下の半分は僧形」と言われています。
近世になるとそうでもありませんが、医道・茶道・華道と剃髪が多い。
仏教文化を無視して、日本文化は語れません。剣豪も入道したのが多い。
>86
初代半蔵(正成)もそうでしたが、鑓の名人でこそあれ、忍びとして働く様
な事は、実際には無かった様です。それとも、伊賀の服部家の事ですか。
90 :
86:2006/01/08(日) 16:36:07
>>89 家康の伊賀越えの時に召抱えられた集団を差して言おうかと思ったんですが・・・
その縁で服部半蔵が屋敷警護の伊賀系頭目とかでしたよね?
三代目が追い出されてたと何かの本で読んだので印象深くて
記憶違いでしたらすいません。
ああ、あちらの方ですか。
上にも書いた様に、時代が下るとただの警固役を務めた様で、三田村鳶魚な
ども、伊賀組や甲賀組が隠密役を務めた事は無いと書いています。
半蔵も、普通の武士としてそのまとめ役をしたものでしょう。
(『寛政重修諸家譜』には、初代が十六歳の時、伊賀の忍び者数十人を率いて
三河の城内に侵入して功を立てたとありますが、時代が下りますし。『徳川
実記』には、間諜を務めてから大奥へとありますが、よく分かりません。伊
賀の者の中には、特殊技能が期待されたものもいたでしょうが)
何度か述べさせて頂いた御広敷番というのは、大奥の警備や雑用をしていた
者で、「伊賀の者」と言えば大奥勤めを指す例もあった程です。
やはり、隠密役は目付配下の御小人目付、中でも黒鍬から昇進した者が命じ
られて務めた様です。黒鍬はこの間の某時代劇でお伝の方の実家だと散々馬
鹿にされていましたが、それも無理は無い事で、要するに雑用係です。
公の場での苗字・帯刀も許されていなかったというくらい、地位は低かった。
ただ、天保六花撰の一人片岡直次郎を黒鍬として描かれたものもあるぐらい
ですから、民情には程良く通じていたらしく、黒鍬から昇進した者が特に変
装して捜査を行なったそうですよ。
服部家は正成没後、正就らが不手際を重ねて没落していますが、その後伊賀
組を任されたのは、別に伊賀とは縁の無さそうな人も多かった。
92 :
86:2006/01/08(日) 17:23:45
>>91 こういう位置づけだったんですね。旗本扱いとかある程度上級の位置かと思ってました。
最後の>その後伊賀組を任されたのは、別に伊賀とは縁の無さそうな人も多かった
これには驚きました。ずっと、縁者がまとめていたのだとばかり・・・
詳しくお答えいただきありがとうございました。
正就が、不行跡の末に行方不明となった後、足軽大将大久保長右衛門忠直、
久永源兵衛重勝、服部中保正(これのみ縁者)、加藤勘右衛門正次らに伊賀
組同心が分附され、任されたそうです。保正も普通の武士だった模様。
完全にそれまでの忍者色が無しですねw
95 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:00:33
寛政の頃の伊賀同心に平山行蔵とかいるけど下級武士ほど実戦派も結構居たんじゃないかな。
会津武士や多摩の百姓みたいにw先祖以来の使命みたいな物を200年間持っていた。
身分社会なだけに古いアイデンテテイを生き甲斐にしてたヤツとかw
忍法は失伝してるだろうけどね。
>平山行蔵
アホみたいな奇人ですね。感嘆する他ない文武両道の人でしたが。
同じ蝦夷の三蔵では、間宮林蔵や近藤重蔵の方が探索をしている。
伊賀忍者と甲賀忍者って仲悪かったんですか
98 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 21:59:20
天正伊賀の乱の時に甲賀者が織田側についているよ
99 :
日本@名無しさん:2006/01/08(日) 22:03:49
>>98 滝川一益が、甲賀出身だもんな。(異説あり)
100 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 22:14:13
>>96 いや、アホといえば晩年の近藤重蔵の方が・・・
平山行蔵の養子と孫(養子)はたしか蝦夷東北で戦い行方不明になてったはず
もう少し時代がずれてたら活躍できたかも?
いずれにせよ松平定信に近い人だったようなので蝦夷探索は不許可でしょう。
ちなみに平山子龍の蝦夷開拓論は「罪人無宿人を蝦夷地へ送り額に焼き印を押し
屯田兵として開拓と防衛にあたらせる。そのためにはまずワシが見本となり
焼き印を押して連中の親分になる」
・・・なぜかこの意見は却下されましたw
>>100 この場合、「アホみたい」というのは「天才」という意味です。
しかし、隠密は無理であったでしょうね。目立ち過ぎます(笑)。
>焼印
しかも文字は「赤心報国」。ただの罪人・無宿人からすれば、そんな文字を
額に押される方が、どんな刑罰より嫌だったのでは・・・。
大真面目で語れませんよ、こんな単語。
服部半蔵の子孫は幕末に桑名藩で重役として顔を出してるよ。半蔵正義。
103 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:53:38
「伊賀者」についての記述を拾ったぞ UPしとく。
三重県サイトより[一部抜粋]
『小槻時元記(おづきときもとき)』に「伊賀者」の卓越した戦闘力を示す興味深い記述がある。
1502(文亀2)年2月14日、京愛宕山の山伏が中心となり、伊賀国内に攻め入った。
原因は、百姓衆の緩怠を責めた伊賀国人衆に対し、百姓衆が愛宕山に助けを求めたことにあった。
討ち入った愛宕勢は四百人余りとあることから、かなり本格的な攻撃であったと見られる。
しかしその夜、伊賀国人衆が愛宕軍の陣に攻撃を仕掛け、一晩でそのほとんどを
討ち取ってしまったのである。「一戦に及ばず、悉くこれを討ち取る」とあることから、
戦闘は、まったく一方的な展開であったようである。よほどこの事件が印象に残ったのか、
日記の記主も、「奇異之事也」と結んでいる。(県史編さんグループ 小林秀)
松尾芭蕉は忍者なのだ
105 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:54:02
>1
語尾に「ニンニン」って付ける辺りまで。
〜〜でござるよにんにんってそれるろうに剣心じゃなかったっけ?
>>104
その情報はガセ
108 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:03:33
>>84の『水蜘蛛』ってさー たしか萬川集海に出てた道具の1つなんだが
結局いまだに使用法がわかんないんだよね。
大きさがわかんないから「足にはいたとか」「折り畳みの舟」とか
いろんな説があるんだよね。他の道具は結構実用的だからもっと簡単に
使える道具だと思うのだが?
油紙を巻いたり、何枚か組み合わせたりとか・・・? あ〜思いつかんw
109 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 23:30:59
ビートバンみたいにつかったんじゃないの?
足に付けて無理やり歩くよりはずっと効率いいと思うよ
水蜘蛛か水遁の術か忘れたけど、浮き輪みたいに腰にはめて泳ぐんじゃなかったか?
111 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 01:25:25
いや〜・・・ 板きれにそこまでの浮力は無いだろ。
浮き輪なら当時は古式泳法とかがヒョウタンで作ってるし
そっちなら持ってても怪しまれない(たぶんなw)
あと・・・素朴な疑問だが忍者ってそこまでして泳ぐ必要ってあったのかな?
普通に泳いだ方が速そうです。水系の忍器は、危険なものが多い。
中にはどう考えても無茶なものもあり、寧ろ試した粗忽者というか敵の落命
を狙ったかの様な印象も受けます。
113 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:01:37
忍びの場合泳ぎのスピ−ドよりも「音や波をたてない」ほうが重要かも。
昨日たまたま陸自の米軍海兵隊の訓練を報道してたが水面にプカプカ浮いて
泳ぎながら上陸していた。
水中に潜る手もあるが、深夜の潜行は目標を見失ったらよけいに危険なんだろな
114 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:14:50
>>113 なるほど、水蜘蛛に空気管をつけて潜っていたんだ。
115 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:28:51
>>114 こらこら、そんなの言っとらんがなw
水蜘蛛浮かせて偽装には使ったかもな ・・・よけい目立つかw
116 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 02:40:49
水蜘蛛にカモを縛り付けて偽装する。
117 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 11:41:05
おおっ!それだ!間違いない! ・・・いやまて、鴨の居ない季節はどうする?
水蜘蛛に植物を乗っける→敵が乗っかる→落ちる→殺
119 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 12:29:44
いんや、落とし穴なら竹組でも作れるし水蜘蛛である必要もない ・・・まだまだカモ説を越えてないなw
120 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 00:27:28
バカ話ついでに手裏剣も語ろう。
基本的に棒手裏剣と車手裏剣(八方手裏剣)、礫(金属製)、短刀投げに分けられる。
棒手裏剣は細長い尖った棒を指で筒状に挟みスッポ抜ける感じで投げる。
馬針、飛クナイ、短刀、脇差も同様のイメージで投げる。
詳しい投げかたは検索すればたぶん出てくるw
現在は剣術の道統で伝承されている。
クナイ(苦無)とか馬針、小柄、短刀は棒状の道具であって本来は手裏剣では無い。
だが非常時には投擲武器ともなる。
脇差じゃなくて小柄じゃね?
122 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 12:47:12
手裏剣の造りの小柄・こうがい、それに脇差、打刀、何でも投げられる。
また最初から投げられる様に拵えている物もある。
普通の小柄では遠間に投げるのが難しいので(不可能かも)実戦で
使うなら最初から手裏剣を仕込んだ方が確実。
宮本武蔵とか、かなりの例があるが面倒なので書かない(笑)
125 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 16:48:05
犬槍って言う戦術があったな槍を投げるやつ
126 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 17:26:56
>>123 そこに書いてあるメシの話って・・・ 信じていいの?w
漏れには胸の中央は胃袋というより心臓の位置に思えるのだが・・・
>>126 心臓は半分か重なるくらいで食堂口あたりの胸部表面方向だね。
武道みたいに形成されてると嘘の伝承があって本当の急所とか教えないようにしてたりする
空手とかでちょっとずらすと殺せるのといっしょでポイントを教えないブラフかも
とりあえず、あの位置に胃があるのは確かだよ
128 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 19:24:35
>>125 印地槍(いんぢやり)とも言うな。ちなみに「インチキ」の語源となった
という説もあるw ホンマかいな?
名前の通り、どちらかと言えば蔑まれていた行為です。>犬鑓
インチキは、博徒の隠語でイカサマの事。せいぜい近世末期の成立です。
130 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 23:12:35
あ、スマソ・・・ 印地槍って手裏剣の1種だったみたいw 逝ってきます。
印地打ちという言葉のお仲間?
132 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 18:52:39
印地打ちは投石だな。武田の水股衆が有名。
投石はかなりの破壊力があるので世界中の戦場で使われた軍事戦略兵器だった。
忍者なら「飛礫ツブテ」「鉄礫テツツブテ」とかに毒塗って使ったかもねw
133 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 19:18:15
忍者って漫画やゲームでは格闘家と言う位置付けですよね?
実際の忍者はNARUTOやFF11、タクティクスオウガ、鬼武者に
出てくるような忍者のように武道に精通していて、戦ってばかり居たのですか?
>>133 前に書いたものですが、
>応仁頃に成立した『鴉鷺物語』第七
>野伏は走り散りて馬武者にからかひあへ。懸けば引、引かば送り、敵に強り
>あはず、城あらば踏み留りて矢ぶすまをつくれ。いかにもいかにもむつかし
>きをもつて野伏の能とす。
中世末期に乱破・素破と呼ばれた野盗の類と見れば、こんな感じでしょう。
ゲリラ戦が得意でも、まともに戦えば、正規の武士よりは弱い。
近世は、ほとんどただの警備員です。
135 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 23:20:34
やっぱ正規兵よりは正規戦闘は弱いよね。
武田信玄が編成した忍者「金山衆」も本職は甲斐金山を採掘する工夫だもん。
土堀なら他者に勝るとも、槍や弓の技量なら他者に劣るだろう。
金山衆はその技術を生かして城をも取り崩すという工作隊的な任務についていて
有名なものでは野田城攻略で金山衆が井戸を掘り崩して敵の水を奪い、城を落した話は
なんかが現在でも語り継がれているとのことです。
136 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 00:01:16
そういえば
ペリー来航のとき黒船艦隊については幕府に限らず諸藩も何か独自の情報を
手に入れよう懸命でしたが、そんな中、黒船に忍び込むことに成功した藩がありました。
それが津藩。11代藩主・藤堂高猷が
沢村甚三郎に黒船進入を命じて成功している。津藩は忍者で有名な
伊賀上野を所有しており、土地の地侍や土豪を士分にして組織化していたから
沢村甚三郎はもしかしたら忍者かもしれないです。
で、忍び込んだ成果は、パン、タバコ、ロウソクを各2つと二枚の文書。
後日、文書を解読すると内容はその日の食事のレシピとメモであったという。
忍びのスキルが高くても一般教養が高くないとあまりためになる物を持ってこれないという例ですた(w
後日、江戸屋敷で藤堂高猷が戦利品のパンを一つ賞味して楽しんだと記録にあります。
特殊技能を利用して忍んで入ったのでは無く、普通に歓談して帰ったらしい。
稗史などでは夜間潜入云々とされていますが、こちらの方が現実的。
メモの内容は、
「イギリス女は床上手、フランス女は料理上手」
「音無き川は水深し(諺)」
沢村家は「忍びノ衆」の一角を占め、狼煙や火薬を司っていたとか。
まあ、オランダ通事でも無かった沢村に多く求めるのは酷というものです。
メモの方も後(多分維新後)に解読文を添えてあり、努力はしてある。
パンを望んだのは、十二代高潔であったとも言います。
>忍びノ衆
定員20人。これも下手をすると前述の松浦家の柘植某の様になるところで
したが、藤堂家が定期的に研究成果を発表させるなど力を入れていた事から、
理系の藩士というぐらいの能力は残せた様です。
明治以降は、藤堂家中に限らず、薬学や火薬(花火)、大道芸や警吏で生き残
ったとも言う。専門知識や技能を活かさない手は無かった。
139 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 00:38:37
>>137 とうことは歓談の隙に、落書き2枚をくすねてきたということでしょうか。
船員に書いてもらったんじゃありませんか。お土産用という事で、日本人で
も理解する術があるオランダ文で書いてくれた船員がいたと。
現存するメモ2枚は、結構な達筆で書かれているそうですが、オランダ文が
書けるぐらいの人なら当然か。
141 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 17:17:07
江戸時代のお抱え忍者は世襲制でしょうから「特殊技能」自体の伝承は
困難だったでしょうね。
「格闘技や手裏剣武器術、薬物知識」等は、ある程度訓練で伝承可能ですが
体臭がしない、瞬間的に画像を記憶する、睡眠が少ない、とかは
ある種「才能」なので人材を選ぶ必要があったと思います。
世襲制なのは武士だけでしょ。言ってみれば上忍。
下忍にあたる小者はその都度才能のある奴を探してくれば。
143 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 12:56:31
いや、
>>73,
>>77の様に一旦政府組織(身分制)に組み込まれるとだんだん只の役人化してしまうんだよ
江戸期の身分制は秀吉の刀狩りと一緒。武士(軍事)・農民(国力)・商工、賤民(諜報・技能)が
分断されては世襲制にならざるをえなかったと思う。
江戸末期に政府の諜報工作能力は落ちていたと思う
そのため幕末には間宮林蔵のような人材が隠密とならざるをえなかった。
臨!兵!闘!者!皆!陣!烈!在!前!
146 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 11:43:00
忍者と聞いてイメージする忍者はいなかった。おわり
彩女
148 :
日本@名無史さん:2006/02/09(木) 23:17:24
一般に知られている忍者についての常識のほとんどは
実は司馬遼太郎の創作だってどこかで聞いたが・・・
実際どうなの?
149 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 01:14:32
梟の城か・・・あれなら信じる人多いかもw
司馬遼太郎の小説も本当のことが沢山書いてあるけど、
キャラ付けに不都合となるといろいろ創作変更するからね。
史実小説家というより、キャラを創作しての史実「的」小説家だからね。
あとカムイ伝のも信じてる人多い
上忍と下忍って設定を最初に書いたのは司馬
151 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:49:55
司馬遼の初期のアダ名は「忍豪作家」。
梟の城だけじゃなく「伊賀の四鬼」とか「飛び加藤」とか
霧隠才蔵が主人公の「風神の門」とか書きまくってた。
白戸三平とかもかなり影響受けてるはず。
152 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 12:55:10
梟の城ってとある忍者が石川五衛門と間違えられて処刑されちゃう
あのお笑い作品?w
スシと忍者
154 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 13:27:38
スパイのことを忍びという。
だから007も見方によっては忍びだ。
>150
上中下忍について記した確たる史料は無い様ですが、一応『万川集海』など
に技量優れた者を指して「上忍」と呼んだという例がある様です。
と言うことは別に地位の上下ではないのか。
アニメや特撮の忍者って、
忍んでないよね。
>157
忍風カムイ外伝とかなら多少はやってると思うが
159 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 09:25:57
普通の人より明らかに目立つ
仮面の忍者 赤影
160 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 17:18:41
忍者ドラマで逆手刀法を初めて使用したのは白影。以後忍者は逆手刀法となった。
161 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:02:49
まきビシってどうやって造ってたの?
162 :
日本@名無史さん:2006/02/13(月) 23:43:28
修業の足りない忍者は、消えることは何とかこなすが、二度と現れる事が出来ない。
情けない
163 :
雑賀党(残党):2006/02/14(火) 00:46:07
ところで、忍者は地方によっても種類や仕官先が違うらしい。
代表的な世に言われている忍者と言えば、
甲賀忍び。伊賀忍び。武田忍び。雑賀党。風魔一族。真田忍び・・・・
とかだけど、実際は小説とかでやってるのとは違って
暗殺、撹乱、諜報、流言とか汚い事をするのが仕事の主流みたいだ。
まあ、外人には悪いが忍者なんて、そんなもんだな。
せいぜい、特別に訓練を受けた中世日本の特殊部隊とでも思ってくれ。
雑賀は血縁地縁で組んでる傭兵というイメージだねえ。
風魔は馬の曲乗りが得意な豪族か。元は風間さん。
暗殺というのは現代の小説っぽいね
すいとんの術ならできそうだ
でも実利性があるようにも思えんな
水の中に隠れても、あとで外が水びだしになったらすぐバレるし
水の中ではそもそも外の様子がわからん
あと相当水がにごってない限り、水は透明なんだからバレバレだと思う
たぶん水遁の術とか言って水に飛び込んですごい速さで泳いで逃げる術。
168 :
雑賀党(残党):2006/02/14(火) 22:06:05
>165
暗殺は比較的、頻繁に行なわれたと思う。
自軍の行軍中に、忍者の類を先回りさせて、拠点の敵の守将を暗殺。
上の様な事は、かなり頻繁に行なわれたに違いない。
確かに、現代小説でよくある一国の大名を暗殺しようとするシーン。
あれは創作だと思う。もし、一国の大名を暗殺出来たら、これほど楽なものは無い。
そもそも警護が厳重で、忍者の類が入り込める隙が無い。
だから、守将ぐらいは暗殺出来たと思うのだが、納得して頂けたましたかな?
火遁の術は焼身自殺のことか?
>>168 敵が進軍してくる砦の守将の警備が忍者がほいほい入ってって暗殺できるほどぬるいのか?
中にはそうやって暗殺された奴もいるだろうがそんな間抜けは少数派だろうと思うのだが。戦時だぞ戦時。
>>169 食糧庫とか建物とかに火をつけてブヮーとなって皆の注意がそっちに逸れた時に逃げるんだよきっと。
弓矢や火縄銃でスナイパー的な役割はあったと思う。
杉谷善住坊や野田城の信玄の様にね。
ただそういった事が忍者の仕事として成り立つかというと
疑問符がつくわけです。
結局戦場働きの延長として敵将を倒す事はあっても
最初から敵将の首を狙う、しかも誰それをといった指定は
ないのではないでしょうか。
というかだね、杉谷善住坊は忍者じゃないのでは?
忍者が銃撃で暗殺の数少ない事例としては宇喜田直家のアレなんかが該当するのかな?
173 :
雑賀党(残党):2006/02/14(火) 23:44:04
>>170 敵の砦は警備は厳重で極めて堅い。
しかし、そこを忍び込み、命がけで暗殺するのが専門業者(忍者)ではないのか?
その為の、特殊訓練であり、特殊技術である。
正規の軍の兵士には不可能な事が出来なければ、わざわざ忍者を雇ったりしない。
隆慶の小説に
護衛と警備は違う、とあった。
警備は一般兵士でもできるが護衛は専門職だそうで。
いくら警備が固くても暗殺を防ぐのには役立たないとのこと。
ならその警護もつくんじゃないのかな?
たぶん旗本や馬廻りのことだと思うのだけど。
よく変装で敵兵に化けて陣所にはいって暗殺
とか良くあるパターンだけど実際下級兵士が
かってにうろついていいわけなく、5人組10人組と
まとめて行動しなければ連座の対象になるから
一人で歩けばますます怪しまれると思う。
だから暗殺ができるのはすごい偶然か
何十年もそこの家に仕えて信用を得た上で
近づけるようになってからとか。ただそんな
小説は読みたくないし退屈だからイロイロ
端折ったところがそも本当の様に流布してる
んじゃないかな
白兵専門でやってきた侍とその他もろもろも学ばねばならなかった忍者を比べれば
白兵でなら費やした時間が長い分侍の方が強いのはしょうがない。忍者の本領はそこじゃないんだし。
忍者を完璧超人かなんかと勘違いしてる奴がいるから困る。
177 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 11:02:26
忍者は侍になるために頑張っていた
178 :
& ◆d3P/lw/hxo :2006/02/15(水) 12:43:48
水蜘蛛のでかいやつを見ていて、気付いたが。
これはバス釣りに使うフローターの先祖じゃないかな?
よって、これは釣り道具だよ
*(フローター・・・釣り人がまたがって浮かぶ小さいボートの様なもの)
179 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 16:13:40
下着はフンドシでございますか
隆慶一郎の小説では風魔は渡来人の一族ということにされてましたが、なにか元ネタはあるんでしょうか?
隆慶も司馬や山田風太郎と並んで罪作りな作家だよな。
山田風太郎まで行くと露骨に嘘だとわかるからいいんだけど。
風魔については164が正解ではないかな?
風魔のあたり秦野が秦氏(または波多氏)によって
切り拓かれたというのが元なのかな?
この秦氏は秦という字からローマの流れじゃないかという
説があってネストリウス派キリスト教徒が迫害をうけて
シルクロードを渡り中国へ、さらに戦乱を避けて日本に渡り
大和朝廷に臣従するするようになった。
住む事にことになった地名を太秦、一族の名前を秦氏と名乗る
ようになった。
このへんは司馬遼太郎が書いていた気がする。
秦ってついてりゃなんでも秦氏か。
秦の始皇帝の流れやらローマの裔やら秦氏も色々大変だな。
184 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 11:23:21
元総理の羽田孜の家系図も秦の始皇帝につながってたw
陸軍中野学校の教官を勤めた甲賀流忍術14世、藤田西湖の本を読むと
それなりに厳しい訓練やったようだ。
忍び装束って本当にあったの?
186 :
日本@名無史さん:2006/02/16(木) 13:06:19
文献によると、とりあえずくノ一装束は色はピンク…髪型はポニーテールなど、
いろいろ細かい規定があったみたいだな。
映画・アニメ・ドラマ等かなりの確立でこのパターンだ。
>>180 司馬遼太郎の本では朝鮮人の一族とか書いてたな。
護衛対象は動き回るからね。
一時的な穴はどうしても出てくるんじゃないの?
そらそうね。けどゴルゴじゃないんだから暗殺は難しいよ。
動き回るといっても弓や火縄銃でさえ
有効射程が100mもないだろうから
狙撃は難しいし、なら近接戦でというと
ターゲットは逃げればいいだけだから
よほど近くまで不審者を近づけなければ
いいだけだし、襲撃側も余りにも大勢なら
怪しまれるから少数にならざる得ないし
ますます難しい。
有効なのは毒殺とかだろうけど、毒見役
がいるだろうし、雇って何年というのは
まず近寄れないから気長に十年とか二十年と
見据えてその家に忍ばせるしかない。
だから忍びと言われる
192 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 19:41:58
伊賀コリアン協議会w
193 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:53:06
草の者と言うんだったかな? 普段は町民生活をしてる忍者っていたの?漂泊の旅芸人や薬売りみたいなのはカモフラージュにうってつけだろうけど。
194 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:54:09
伊賀なんかにコリアンいねえ
>193
上にも書きましたが、京都の呉服屋で幕末まで代々公儀隠密である御小人目
付の為に便宜を図ってくれた家があったそうですよ。
言葉の訛りから怪しまれないのが大変だったとか。江戸言葉で行くので。
>芸人や薬売り
黒鍬から御小人目付に昇進した者は出来たそうです。
目付といえば、朝倉敏景十七箇条に出て来る、諸国に置いて風儀を窺わせる
という「目付」も、おそらくは間者でしょう。
>草
戦国期に、戦場で馬にも乗らず山野に紛れて窃に偵察する事を、草ないしは
忍びと称した様ですね。専門職が置かれたのではなさそうです。
所謂伊賀や甲賀の人々も、状況次第でこうした役目についた事はあったでし
ょうが、「忍びの里」として普段から鉄の掟の下で訓練を積むという絵に描い
た様な生活をしていた訳では無いでしょう。
196 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:59:24
裸の女たちが踊り狂って通り過ぎたあと唖然とする軍勢の所に奇襲かけるとか
本当にあったの?
197 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 06:13:27
力丸
198 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 08:26:20
伊賀コリアンぐぐればわかる。
199 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 08:54:27
>>195 ありがとうございました。今で言う地方公務員みたいですね。
地方公務員?
今でいうと北朝鮮工作員だとおもうが。
竹千代誘拐とか。
むしろ諜報関係だと中国が質量ともに
今は力入れてるか。
たいか20年位アメリカに永住し、軍の仕事を
してる兄のもとに中国にいる弟が会いに行く
というシチュエーションを作って兄は情報を
盗む役、弟は運び屋といったことが多発
してるらしいや。
202 :
日本@名無史さん:2006/02/22(水) 22:12:11
確か奉行所の同心とかが変装するため呉服屋とか床屋は専属が有った気がしたんすけど?
203 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 23:21:26
>>47-50 忍術について質問します。
日本では武術を沢山の人が習っているのに、
忍術はほとんどありません。
これは何故でしょうか?
士農工商の埒外の階層だから武術が自由化された明治維新以降も広まらなかった
という話ありましたが・・・・。
やはり、そうなのでしょうか?
よろしくお願いします。
204 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 23:23:05
ちなみに忍術も戦闘武術ですよね?
205 :
勝大吉 50円:2006/02/24(金) 00:29:01
例えば英米軍の特殊部隊、対ゲリラ戦部隊は忍術に近いが武術ではない。
グリーンベレー等の特殊部隊にとって格闘技は作戦遂行のためのごく一部の技術。
彼等に最も必要なのは「軍事行為」つまり個人またはチームレベルでの作戦遂行能力。
これは昔の忍術も同様。
格闘技、武器、火薬、毒物、環境適応、諜報活動、法律、言語知識・・・・等の能力が必要。
格闘技のみなら民間道場で広められるが総合的軍事行為そのものは民間道場の範囲外。
民間道場にも海外の特殊部隊出身者が武術の勉強には来ているよ。
野田の初見先生のように忍体術を看板にしている所もある。教えているのは格闘武器術だけどね。
206 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 01:25:03
レスありがとうございます。
ただ、知りたいのは、武道の道場はどこにでもあるのに、
初見先生の忍術道場は国内に数箇所しかないのは何故なのか?
なのです。
忍者ブームから4〜50年。
マイナー武道でも広まるには十分な時間です。
(少林寺拳法とかも出来てから50数年です)
なぜ、忍術は広まらなかったのでしょうか?
鶏鳴狗盗が忍者のルーツのようなものだと思う
究極的には戦闘になるかもしれないが、なるべく
それを避ける知恵というのがより重要であると。
だから忍術=戦闘術というのは早計である。
あえて忍者に近いものが現代に残っているとしたら
身体能力を高めるトレーニング=陸上競技
開錠術、手紙書類の偽造、声色を変える・似せる
=声帯模写などなど
武道ではないから。
209 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 02:13:44
レスありがとうございます。
私も武道でないからメジャーにならなかったと思います。
でも、なぜ武道でないとメジャーになれないのか、が分からないのです。
忍術は武道ではないですが、では、なぜ武道ではないと広まらないのでしょう?
210 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 02:15:57
211 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 02:36:47
むむっ!鋭い所を突くねぇ(笑)なぜだろう?w
やはり日本で忍術というとマンガチックな印象を受けるんだろうね。・・・で、実際見てみると普通の古武道だし。
どうしても武道の格からいうと
[昔]弓馬−槍−剣−柔(捕縛術)−・・・その他
[今]剣・柔道・空手−弓−槍−・・・その他 と、なる。
厳密に言うと初見先生の称する忍術の「元となった武術」はそこそこ広まっている。
天心流、九鬼神流、浅山一伝流・・・だったかな?
小田原の上野先生から高松先生そして初見先生と来るのだが、その上野・高松先生の弟子は
「忍術」ではなく、それぞれ空手や柔術、棒術を名乗っている。
道場にもよるけど古武道としては一流です。
他にも昭和の始め頃甲賀流の『藤田西湖』がいたが、基本的には「武器、体術」の古武道家
ただこの人はもう少し本格的に自分の関節を外したり変装したりの訓練もしていた様だ。
昔は剣術・宗教の道場でも薬とか造って売ってたが今は薬事法違反になる。
整骨や医術の得意な道場とかもあった。現在でも整骨は「柔道整復師」が正式名。
昔の武道場は今より裾野が広いので忍術的な事も教えてはいたと思う。
「忍術」というのは存在しないから、というのが結論だろうねえ。
忍者がやってたようなことは今は個々に細分化されてるから。
213 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 10:33:33
そもそも、忍術書には、武道に関していっさい書かれていないよ。
書いてあるのは、何処かに忍び込む方法や、情報を収集する技術だけ。
その内容も現代では、ごく常識的なものばかり。当時としてはハイテクな忍具も
盗聴器などの発達した現在ではもはや化石。
例えば、犬を飼ってる家にいかにして忍び込むかみたいな技術は、一般人か身に
着けても使いようがない。
忍術書には忍術はいわゆる泥棒術だから、決して悪用してはならないと書いてある。
実際、仕えていた大名が滅んでからは、単なる泥棒集団になった連中もいた。
手裏剣を投げたり、バックテンをして戦うのはテレビや映画からつくられた
忍者だけだな。
214 :
日本@名無史さん:2006/02/24(金) 19:00:32
たしかに武術は他に専門職がいるからな。
自衛隊でもレンジャー徽章と格闘徽章は別だったはず。
大ざっぱに忍者を現代風に分類するとこんな感じではないだろうか。
[間諜]スパイ・分析・潜入調査・暗殺・情報操作・・・等
[用兵]ゲリラ・防衛・捕獲・警備・工事工作・侵入行為・・・等
「スパイ・潜入調査・暗殺」は事務職や女性、医師、僧侶の方が使い易い。
ゾルゲと満鉄、大坂夏の陣の小幡勘兵衛、薩摩の修験者兵道がこれに相当するのではないだろうか?
「工事工作・侵入行為」は土木人夫、大工鳶職、金堀衆、樵が専門家
蜂須賀党や水股衆、金堀衆、または高坂党、鼠小僧のような盗人がこれに相当かな?
「ゲリラ活動・防衛対策・捕獲・警備」が武芸者、兵学者の仕事かな。
いわゆる江戸城伊賀組の仕事。藤田西湖や初見先生はここの部類に入ると思う。
そしてそれらを活用するのが政治家、官僚、いわゆる上忍かな?
江戸時代のお庭番ならお庭番衆の長老と呼ばれる歳くった連中が上忍にあたるのかな?
若年寄とか老中と側用人から指示が来たら任務を各人に振り分けて
戻ってきたら上に報告あげる前に情報を集約みたいなことしてたから。
んでお庭番本人が中忍でその下の小物やらが下忍。
216 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 02:15:48
みなさん、ありがとうございます。
疑問が段々氷解してきました。
ところで、初見氏の経歴を見ると、剣術がないのですが、
刀の扱いはどこで学んだのでしょうか?
あくまで宗家ですから、学んだのは他にもあるのでしょうけど。
戸隠流忍法
玉虎流骨指術
虎倒流骨法術
神伝不動流打拳体術
九鬼神流体術
高木楊心流柔体術
雲隠流忍法
玉心流忍法
義鑑流骨法
>>213 術は盗賊に等しい、とはよく書かれていましたからね。
・音を立てずに引き戸を開ける方法
・音を立てずに枕元を歩く方法
・音を立てずに古い家の廊下を歩く方法
こうした手段は、説教強盗が語った内容と共通するものが多い。
名人がとった手段というのも、巧く刀を盗んだとか、井戸などに石を投げ込
んで自分が飛び込んだ振りをして逃れたとかいったもの。
上に水遁や火遁が出ていましたが、要は遁走術。
(遁甲の遁であり、活路を見出すからだとか言いますが、省略)
>214−215
>いわゆる江戸城伊賀組の仕事。
・・・の中に、軍学が含まれていたでしょうか。警備専門では。
中には楠流を収めたものもおり、藤林長門と山本勘助が交流していたなどと
いう話も、近世に作られてはいますが、職務には出て来なかったかと。
上中下忍は、
>>150-156あたりに。
強いて「忍者らしい」戦闘術を探すとすれば、印地打ちの類でしょうか。
しかし、出番が多かった筈の戦国期の「忍者」とされているものを見てみて
も、対象はスッパ・ラッパから山伏まで広範囲に渉っている。
後世「忍者」や「忍術」という言葉でくくってしまっただけで、統一された
マニュアルや起源やマニュアルがあった訳ではない。
だから既に何度か指摘されている様に「忍者とは〜」と言うのは無理だと思
います。「忍術とは〜」も同じ。以下、214などと重複しますが・・・
専門の間者もいれば、雇われもいたでしょうし(雇われ専門ではなく普段は
普通に生活していた野盗・豪族の類)、そもそも聞かれて遠国で見てきた状
況を伝えただけで、間者という自覚が無いものもいた筈。
>やマニュアル
衍ですね。指摘するのも馬鹿馬鹿しいですが。
219 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 10:44:21
>>216 初見先生の経歴に剣術が無いと見抜くとは、あんたタダ者では無いねw
初見先生は元々柔剣道をやっていたし、表に出ていない流儀を学んでいたかもね?
俺の知る限りでは上野先生の道統には本格的な剣術は無いようだ。棒や他武器術が専門だね。
知り合いの道場でも剣は他流派から学んでいた。
高松先生の門人では初見氏以外に「田中普門」がいるけどこの人も剣(居合かな?)は
別の流派から取り入れているみたいだ。
だいたい、戸隠流忍法体術といのは忍者研究者の間で認知されてるの?
221 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 11:53:33
上野、高松先生の門人で忍術を自称している人の方が珍しいね。
ただ、修験や武芸の裏技に夜間戦や襲撃の心得として忍法的な要素が存在はする。
それを9流派分集めれば一派ぐらいにはなるんじゃないw
222 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 13:20:07
>>217 情報ありがとうございます。214の分類はさすがにちょっと強引でしたねw
忍術とは軍学、兵術でいうと「用間」ですかね。
甲陽軍鑑の作者小幡勘兵衛は大坂夏の陣で敵地に潜入し情報操作等を行った事で有名ですが
小幡の甲州流軍学は後に山鹿流軍学に活かされます。
山鹿流は赤穂浪士でその実戦性が証明される事になりますが、討入り前の
調査、情報戦に関してはまさしく「用間」そのものだと思います。
だからといって赤穂浪士を忍者だというヤツはいないので(笑)おっしゃるとおり
間者のマニュアルも存在しなかったのではないでしょうか。
ついでに盗っ人といえば蔵前甚内橋の語源になった「高坂甚内(向坂甚内)」の高坂党が有りますね。
実在したか定かではないけど・・・
庄司甚内に高坂甚内に・・・もう一人誰だっけ?
隆慶が好きそうなアレ。
224 :
日本@名無史さん:2006/02/25(土) 16:40:13
高坂(向坂)甚内が武田で、風魔の庄司甚内と飛沢(鳶沢)甚内で寛永三甚内らしい。
このまんま隆慶だなw
225 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/25(土) 21:20:34
>222−224
三甚内については、『慶長著聞集』に詳しく記されていますね。
著者浄心は北条家の旧臣で、上に挙げた『北条五代記』も書いている。
226 :
山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/02/25(土) 21:24:01
更に、同じ盗賊としては、上方の石川五右衛門についても記しています。
浄心自身は文人肌の人物で、下僕の不始末で召喚されて切られそうになった
時には「逃げていればよかった」と動悸を激しくしながらも、主従共に詠んだ
和歌が上手かったために助命されたなどの逸話が残る人物。
227 :
日本@名無史さん:2006/02/26(日) 17:25:11
立体忍者活劇天誅
忍者はアニメや漫画の功績が大きすぎたのだろう。
さすが日本独自の文化・・・か。
229 :
四貫目:2006/02/27(月) 17:47:15
すいとんの術
(調理)
(2) 鍋に火にかけ、沸騰したらいりこと昆布を取り出す。
(3) 豚肉は食べやすい大きさに切る。
(4) 大根、人参はいちょう切りにし、ごぼうはささがきにして水にさらす。
(5) (2)の鍋に大根、人参、ごぼう、豚肉を加えて火にかけ、あくを取りながら煮る。野菜がやわらかくなったら、調味料Aを加える。
(6) ボウルに小麦粉と水を入れてよく練り、スプーンですくって(5)に加える。
水団に火が通ったら火を止める。
(仕上げ)
(7) お椀によそい、青ねぎの小さく切ったものを加える。
230 :
日本@名無史さん:2006/02/27(月) 22:33:14
次ネタは、きんとんの術である事は既に見切った。
232 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 02:06:00
布団の術
整頓の術
養豚の術
小麦粉は強力粉使うのがポイント。
余った冷ご飯を卵と小麦粉で練った奴も美味しい。
こんなスレ荒らして楽しい?
ここから忍者の携帯食に話をつなげようと言う壮大な作戦なんだからほっといてくれ。嘘だが。
236 :
日本@名無史さん:2006/02/28(火) 23:55:36
ここからは忍者の戦闘糧食の話になります…よ?
小学生の時に学研のひみつシリーズで「忍者のひみつ」ってあった。
米に色をつけて‥ってのがあった気がするけど、食用じゃなくて伝達手段かなんかだったかな?
>>238 色や数でなにかの情報を伝えるってあったような
同じやつかどうかわかんないけど、俺がもってたのは「忍術/手品のひみつ」だった。
今思うと結構無理がある組み合わせだ。
>>238 戦国当時は貴重だったであろう米をそんなことにつかちゃっていいのかな?
それとも本当は他の雑穀を使ったのだろうか。
241 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 16:47:45
色つきの米というのが修験者っぽい。5色ならなお良い。
でも一般人がそんなもん持ってたらかえって怪しまれそうだなw
色や数で相手の考えを占う方法が陰陽道には有るが、それを逆に使ったのだろう。
易占も数字と陰陽記号の組み合わせに意味がある。
見る人が見れば一発で意味が判る。
242 :
日本@名無史さん:2006/03/03(金) 18:21:45
乾し飯
そんなもの小鳥が食べてしまうよ。
ヘンゼルとグレーテル?
神話等じゃなくて日 本 の忍者です。
風が吹いたら飛んで居間しま、鳥が来たら食べられてしまう、そんな不確かな伝達手段つかってたの?
居間しま→しまう
障子が閉まるじゃないの?
戦国期は特に関所が多かった。領主の貴重な収入源だからだ。
関所を抜けたらもう見えるところに次ぎの関所がという具合にだ。
ただ通行料をとるためだけに関所を置いてあるわけじゃなく、
怪しいもの(間者や賊)などにも目を光らせてたわけだ。
もし取り調べをうけて、迂闊に証拠となる手紙や書類を
持っていたらどうなるか?
もちろん関所だけでなく城から外へ出る際にもそれなり
の検査を受ける。もし城の内情を知らせる手紙を書いている
途中やつなぎのもの(連絡員)に渡す前に露見してしまっては
次から情報は送れなくなる。
だから色や数で暗号を作り意味を知らせるわけだ。
赤いのが5個、青いの6個、白いのが3個なら
5日後に兵600名が援軍、兵量は30日分みたいにね
有名なところは市が信長へ送った小豆なんかがもし
手紙でそれが浅井のものに見られたら届く事はなく
信長は後ろから攻められて死んでたかもしれないわけだ
それ聞くたびに思うんだけどさあ、
浅井が裏切りました、くらいの内容はちゃんと覚えとけよ。
裏切ったのは信長
252 :
加藤:2006/03/05(日) 14:39:47
拙者、加藤段蔵でござる。ひと呼んで、飛び加藤! ニンニン。
253 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 18:51:59
私は伊賀の名張出身です。
先祖は忍者です。
254 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:21:46
伊賀衆が最も活躍したであろう中世、特に戦国時代の史料によると、彼等は数百人を単位として、周辺の大名権力に合力する戦闘の専門集団、「傭兵」とも言うべき姿が見えてくるのである。
伊賀国に隣接する、奈良興福寺の別院大乗院の門跡であった尋尊(じんそん)の日記から、まず見てみよう。
1482(文明14)年10月、大和国の国人らの抗争に関わって、伊勢国司北畠政勝の舎弟坂内房郷が大将となり、長谷寺に出陣した。
軍勢の数は七百人を称したが、実数は三百人程だったようで、しかもそのほとんどは伊賀衆であった。
また、同17年10月14日の記事によると、山城国内にあった畠山義就方の城のうち、二ヶ所の城を「伊賀国人」が守備していたことも記されている。
255 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:23:02
こうした記事は、他の史料でも確認することができるが、中には、いかにも「忍者」を彷彿とさせるような記事もある。
例えば、『多聞院日記』1541(天文10)年11月26日の記事には、笠置城に忍び込んだ伊賀衆が、建物などに放火したことが見えており、「忍者」のイメージそのものと言える。
さらに、次に紹介する『小槻時元記(おづきときもとき)』に見える記事は、「伊賀者」の卓越した戦闘力の高さを示すものでとして興味深いものがある。
1502(文亀2)年2月14日、京愛宕山の山伏が中心となり、伊賀国内に攻め入った。
原因は、百姓衆の緩怠を責めた伊賀国人衆に対し、百姓衆が愛宕山に助けを求めたことにあった。
討ち入った愛宕勢は四百人余りとあることから、かなり本格的な攻撃であったと見られる。
しかしその夜、伊賀国人衆が愛宕軍の陣に攻撃を仕掛け、一晩でそのほとんどを討ち取ってしまったのである。
「一戦に及ばず、悉くこれを討ち取る」とあることから、戦闘は、まったく一方的な展開であったようである。
よほどこの事件が印象に残ったのか、日記の記主も、「奇異之事也」と結んでいる。
256 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 22:24:30
『享禄天文之記』によると、1561(永禄4)年閏3月、奈良の十市城を攻撃した伊賀衆を率いたのは「木猿」という者であったと記されている。
そして、先の『萬川集海』中にも「下柘植ノ木猿」の名が見えているのである。
両者を同一人物と見るか否かはひとまずおくとして、少なくとも当時、「木猿」という伊賀者に率いられた伊賀衆が城を攻撃したことは事実である。
スレの前の方にも出てなかったっけかその話題
259 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 12:41:57
浅井といえば「浅井三代記」に、太尾城を夜襲するさい、伊賀忍者を雇って
放火させた事が記録されてるね。
本丸に最初に火をはなつよう命じると、本丸からやや離れた建物に火をつけて
様子をうかがってから、本丸に火をつけるのが作法(忍者の流儀)である。
素人はだまって我々にまかせておけみたいな事を忍者がいったそうだ。
確かに本丸は警戒厳重だろうから別の建物に火をつけて、混乱に乗じて本丸
に火をつけたほうが、成功しやすいだろう。
さすがプロだと感心した話が残っている。
260 :
日本@名無史さん:2006/03/08(水) 12:58:46
おっと、その後どうなったかを書き損ねた。
忍者は太尾城に進入し火の手があがったが、肝心の夜襲は、浅井の援軍をうけた
今井定清等が浅井勢から敵と間違えられて討ち取られる等、同志討ちとなり、失敗
している。
うまくいかないもんだねw
261 :
日本@名無史さん:2006/03/09(木) 23:54:55
オチつきとは・・・なかなかやるなあ
人居ない?(゚Д゚≡゚Д゚)
ちょいと質問。
忍者の使う爆薬ってどんくらいの種類があんの?
史実・フィクション問わず。
爆薬を使う忍者?なんかそんな資料でもあるの?
264 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 19:08:43
265 :
日本@名無史さん:2006/03/28(火) 20:28:55
【クノ一忍法帳】 見れば
忍術がわかる
266 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 03:19:04
>>262 たぶん黒色火薬、硫黄とかがメインだろ。
たしか狼煙に使った「農民ロケット」とかいうのがどっかに残ってたような気がする。
あと、湿気に強い火縄とか。
以前のレスで御庭番川村家が薬師だったとか解説していた様な・・・
267 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 03:25:49
忍者かこいい!
忍者になりたかった
しかし忍者の忍者たる所以は全裸なことだ。
服を着るとACが服の分しか下がらないのです。
269 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 17:39:26
270 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:52:27
>>262 先ず火薬と爆薬の違いについて勉強しませう
子供の頃、「伊賀の影丸」というマンガがあって、メチャクチャ面白かった。
誤った忍者像がひろまったのは白土三平や横山光輝の影響も大きいな。
もっとも彼らにしても先行する小説や講談の影響をうけたのだろうけど。
てかカムイ伝はいつになったら完結しますか。
忍びの者とか服部半蔵シリーズなどは、わりとまともな忍者ものだと思う。
白土三平の漫画は司馬遼太郎より村山知義「忍びの者」の影響が大きいのでは
格からいったら伊賀より甲賀の方が上?
>>274 確かに白土氏のゼロの忍者は忍びの者をモチーフにしているね。
でも白土氏の場合は漫画的にかなりアレンジしているからね。
277 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:19:22
278 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:31:24
ニンニン!
279 :
日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:39:18
まあノブナガの野望に出てくる忍は勘違いだな。 織田信長いわく人外の化粧だからエグイ集団だったんでしょ!
280 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 23:35:18
昔、少年ジャンプのうしろとかに忍者通信教育があって申し込もうかとおもた。
そんな俺もいまや立派な武道家w
281 :
日本@名無史さん:2006/04/12(水) 23:55:46
え〜、葡萄の栽培かー?
さむい
283 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:01:09
武道はともかく忍術自体はある程度通信教育可能かも。
284 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 20:26:49
伊賀忍 服部勘蔵
285 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 21:14:43
忍術を通信教育なんて無理。現存公開された戸隠流ですら膨大な技術体系があって武器や体術が難しい。
まして非公開というか本家がほとんど表に出てこない伊賀・甲賀なんてどんなもんだろ?
それとも既に失伝したか?
286 :
日本@名無史さん:2006/04/13(木) 21:41:59
野田の初見先生の戸隠流体術は忍術じゃなくて古武道体術だってば。
江戸城伊賀同心自体は非常用警備部隊として幕末まで残っていたみたいだけど、
職業忍者では無かったみたい。
分身しない所まで
ガル探偵学校で学べるよ。
これだけ科学技術の発達した時代に、昔の忍術は通用しないよw
>>286 幕府の忍者部隊は島原の乱の時には既に無くなっており、幕府は甲賀忍者
を臨時雇いして連れて行ってるよ。
また、幕末のペリー来日の時は、適当な隠密がいないのでわさわざ藤堂藩
から、忍びの衆を派遣して貰っているよ。
290 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 18:01:36
ま、黒装束にくない持った人間が定義でないのは確かだな。
292 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 19:16:19
293 :
日本@名無史さん:2006/04/14(金) 23:29:16
最初から読むと、このスレ意外と真面目に忍者語ってますw
大学で忍者の研究論文書いている人なんているのかな。際物的で倦厭されそうなテーマ
だな。
ま、せいぜい卒論の時に書かれてる位なんだろうか?
295 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 10:25:18
忍者の研究論文書くなら「忍者をどう定義するか?」から始めないとw
まずは孫子あたりからか。
とりあえず国語辞典では
にんじゃ 【忍者】
忍術を使って密偵・謀略・後方攪乱・暗殺などを行う者。戦国時代、各家に抱えられて活躍。
特に甲賀・伊賀の忍者組織が有名。
にんじゅつ 【忍術】
特殊な体術を身につけ、変装・詭計などを用い、ひそかに敵地をさぐったり、敵を襲ったりす
る武術。甲賀流・伊賀流などが有名
と定義されている。
しかし、忍者が暗殺をやった記録なんてほとんど無いと思う。
また、敵を襲ったりする武術についても、忍術書には全く書かれていないんだよな。
297 :
日本@名無史さん:2006/04/15(土) 12:28:05
一応このスレでは忍者の活動記録はだいたい>50-140あたり
暗殺武術盗賊の忍法関連は>166-230あたりにある
何か面白い新資料や疑問があったらどんどんUPしてちょ。
伊賀衆が信長殺そうとしてたのもフィクション?
299 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 17:10:07
信長殺そうとしてたのはたくさん居るだろ・・・まあ、実際部下に殺されたが
300 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 20:24:47
伊賀と甲賀の忍者屋敷の展示見てきたけど、
なんか伊賀と甲賀で「水ぐも」の使い方違うみたいだよ。
甲賀では「足ひれ」に近い使い方で、伊賀では体重を分散することで沼地を渡るものだとか。
毎年10月頃に甲賀の忍術村で選手権大会やったりするけど、
みんな「水ぐも」で苦戦してた。
あのとき、「くのいち」衣装のズボンの端の切れ目からパンチラしてるのが
何とも色っぽかった。
まさみたんエロ杉
302 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 21:58:52
303 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 12:36:00
恐るべしくノ一。これも忍法かっ!!
不動産や保険業界でたびたび行われている「パンチラ商法」がこれだっ!!
これからの経営者は五輪書なんか読んでる場合ではない!忍者に学ぶべきだ。
>>303 新年度になると新入社員狙いの保険「くのいち」が昼休みに沢山くるね。
年季の入ったくのいちばっかりだけど、研修と称して新人くのいちもくっついてたり。
でも忍術使うのは何故かベテランくのいちばかりなんだよね。
305 :
日本@名無史さん:2006/04/17(月) 23:42:50
いかなる契約書でもハンコを押したら契約は成立してしまうと言うことだ、
恐るべし!ベテランくノ一!契約のさいは日付の確認も忘れずにねっ。
温泉場のコンパニオンも使っていたがあれでは忍法は到底呼べない、萌えが無いっ!!
もっと由美かおるを観て勉強すべきだろう。忍術村萌えっ!!
おまえは由美かおるで萌えるのか?
まあ嗜好や性癖は人それぞれだけど。
307 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 16:13:38
えっ?藻前は萌えないのか?・・・ 変わってるな。
308 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 16:35:04
忍者屋敷でやってる手裏剣投げは楽しいのう!
309 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 19:00:17
どんな手裏剣ぢゃ? ワシが鑑定してやるから言ってみい。
310 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 19:25:33
くのいちったら由美かおるだなあw
一体何歳なんだw
311 :
日本@名無史さん:2006/04/21(金) 23:36:14
もちろん「水戸黄門外伝 かげろう忍法帳」は全話見たがな。ふふふっ。
かげろうお銀が日本を代表するくノ一なのに間違いない。
お銀はただの忍者じゃね?
くノ一ってのはもっとこうお色気満載でエロエロボディを使った仕事をしてくれないと。
男でもかまわない仕事っぷりじゃあくノ一とは言えん。
ここはエロおやじのスクツになりました
314 :
伊賀者:2006/04/22(土) 22:29:26
今日図書館で三重の歴史本を読んできた。
その中の天正伊賀の乱のページで興味深い忍者の活躍があった。
完成間近の丸山城にこもる織田軍、近くの山に潜む伊賀軍。
早朝、伊賀軍の山に狼煙が上がるといつの間にか城の近くに集まっていた伊賀軍500が一斉に攻撃を仕掛けた。
いきなり叩きおこされた織田軍は慌てふためいて防戦に入るが伊賀軍の数が少ないので城を開け放って反撃に出る。
すると伊賀軍は木の葉を散らすように逃げてしまった。
敵を追っ払った織田軍は城に引き上げるが、再び狼煙が上がる。
山にひそんでいた伊賀軍本体が一斉攻撃をしかけたのだ。
あわてて城に逃げ込んで城門を閉ざす織田軍。
しかしこのとき織田軍の中には伊賀者が何人も紛れ込んでいて、城のあちこちに放火をして城を内側から攻めだした。
こうしてあっけなく丸山城は陥落した。
織田軍の死傷者は膨大な数になったが伊賀軍はほとんど犠牲者が出なかったという。
315 :
伊賀者:2006/04/22(土) 22:30:28
伊賀で上忍とされるのは
服部家
藤林家
百々地家
316 :
伊賀者:2006/04/22(土) 22:31:30
戦国時代における伊賀者は
普段は百姓などをしながら武道、忍術などを学んでいたが、戦となるとゲリラ戦、情報撹乱、罠などを得意としていた。
山岳での戦いには強かったが平地での大軍相手は苦手だった。
天正伊賀の乱の時には、甲賀者対伊賀者の戦いも実際にあったとされている。
それがどのような戦いであったのかは今後また図書館で調べてみます。
この乱の時、伊賀軍の城はだれが守備していたのかも詳しく記載されていたが、俺の苗字もあったw
もしかして俺の先祖も忍者か?
ソ連軍対アフガンゲリラ?
アメリカ軍対ベトコン?
318 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 02:55:19
うむ、面白かったぞ伊賀者!
なるほど狼煙を多様している所を見るとかなりシステマチックな用兵術を使ったようじゃな。
意外と訓練された組織のようじゃ。
もし三重県史に戦国以前の活動記述が有ったら情報ヨロ。
いやーこれでこそ我々も苦労して由美かおるの話で盛り上げてきた甲斐があったわい。
司馬遼太郎の天正伊賀攻めの描写はネタじゃなかったんだ・・・
320 :
日本@名無史さん:2006/04/23(日) 09:32:03
甲賀忍者長沢まさみ
今晩の「功名が辻」にもまさみタン出るかな?
かわいい!
ナイスバディ!
エロい!
3拍子そろったまさみタンを応援しよう!
日中戦争時、抗日ゲリラに手を焼いた日本軍は、強圧的に拡大して
満州と中国との国境とした万里の長城線一帯を無人化する作戦を実施した。
指定地域内の住人を総て強制収容所に移住させ、ゲリラと住人との接触を断ち
ゲリラ出没地域での耕作を一切禁止するというものである。
その過程において、首を切り落とすなどして殺害した農民は8万1千人、
拷問のため施設送りの後処刑した者4万6千人。合計127000人を殺害した。
集落によっては村民が殆ど皆殺しになった所もある。
人囲いと言われる強制収容所は粗末なもので、宿舎は無く、移住させられた住民は露地に藁を敷き、露天で寝るしかなかった。
宿舎としてのバラックや要壁などは住民の手で作らされた。
農期には収容所近くの耕地で農作業を強制された。
収容所の環境は劣悪で、満足な食料、薬もなく、病気や飢えで何万もの人が命を落とした。
表題の三光とは、殺し尽くす、奪い尽くす、焼き尽くすと言う意味である。
幾つか例を挙げると
豊潤県潘家峪では一度に1230人が虐殺された。
密雲西白連峪では、全村落を破壊し、最後に破壊から偶然逃れていた一軒を発見し、そこに居た70歳重体老人を家ごと焼殺、幼児2名を銃殺。
王廠溝、南大門一帯では、580人を逮捕し、380人を虐殺し、残り200人を強制労働の為、東北へ送り、内80%が死亡。
石柱子村では、村民700人中300人を虐殺。
興隆県秋木林、大莫峪では、全130戸から180人の青年壮年男を逮捕し、虐殺。寡婦の村とする。
興隆県ではその一帯に多数の寡婦の村が出来た。
更に寡婦の村を襲撃し、逮捕した者で使えそうな者を日本兵の慰め者にし、残りは処刑した。
興隆県では、人口16万人が戦後、10万人に減少していた。
大帽峪の村人など120人を後手に縛り、虐殺。
引っ立てて来た魯家峪住人を一人ずつ目隠しをして井戸の前に座らせ、
日本刀で首を跳ね飛ばしては井戸の中に放り込んだ。
↑おまんは、どこの国の忍者{スパイ}じゃぞ、シナ訛りがひど過ぎないか。
そういえば、忍者の任務の一つに流言飛語の流布というのもあるね。
324 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 00:00:20
で、忍者キャプターはどこまでが実話なの?
真田十勇士ってフィクションって聞いたけどホント?
でしょうね。
327 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 17:19:42
服部半蔵の史書に廊下で足音を消すために
手の甲の上に足を置いて歩くみたいなこと
書いてあった。
328 :
日本@名無史さん:2006/04/26(水) 19:01:06
>真田十勇士
猿飛と霧隠以外は、三好の二人以下信濃に多い海野や望月といった名字が使
われており、該当しそうな人物はいたかもしれませんね。
何時頃成立したのか、はっきり確認してみないといけませんが。
>服部半蔵の史書
というのがどんなものかは存じませんが、近世の忍術書に出て来る手口です。
家人の寝所の前の廊下を通る際に使えという。
他にもいくつか木造家屋向けの手口が出て来ますが、昭和まで活躍した泥棒
たちの手口と共通するものが多いのが面白い。
忍術書の類に、盗人の業に等しいと書いてあるぐらいですから。
三好の二人は何で真田の下っ端にされてしまったんだろうな。不思議だ。
331 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 02:21:42
江戸村の閉園後に運がよければ自転車乗った忍者がご帰宅する光景が見れます
332 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 04:20:47
静岡県掛川市に残る御殿などを見ていると。
床の高さで身分の高さで天井の高さ・・は殿様の部屋より奉行の部屋の方が天井高いそ
333 :
日本@名無史さん:2006/04/27(木) 12:45:30
掛川の御殿が、どの程度の高さかは知らんが殿様の寝所は不意の襲撃のさい
敵が刀槍を振り回しづらくするために床に段差をつけたり天井を低くする場合もある。
武術伝書には闇中の襲撃や室内戦の心得がかいてある。
たぶん名和さんや初見先生はこの辺から忍術を拾ったのだろう。
公安組織といえば甲賀モノ
>>331 忍者に自転車って妙に似合いそうだ
きっと一日で何百キロも走破するんだろうな
道もないところをどうやって走るのだ?
銀輪の忍者赤影
338 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 00:42:09
忍術は道場のようにして伝承されていないのですか?
>338
既出
340 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 16:58:16
>忍者に自転車
そういや旧日本軍に銀輪部隊ってーのがあったな。マレー半島をチャリで進軍した。
341 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 00:15:21
>>1 十字手裏剣はどの流派もあまり数は持ち歩いていなかったらしいよ。
音がチャラチャラ鳴るし、あれはあくまで風切音で相手を怯ませるためのものだから。
腰の左右に1個づつ携帯してる程度だったと聞いている。
だから、十字手裏剣を連続で投げているのはあくまので物語の中でしか無かったみたいだね。
忍者刀も只の移動の道具で、踏み台程度にしか使わなかったし、相手とどうしても
戦わなくてはいけなかった場合に限り、徒手空拳で相手をしていたらしい。
342 :
ふにふに:2006/05/07(日) 02:36:58
旧事諮問録という本に、
元お庭番だったという人の回顧談が載っていて、
実際に諸軍の密命を受けて活動したと言ってる。
此の本は明治になって、
江戸時代、幕府に使えていた人々からいろんな事情を聞いた本で、
外にも、御奉行さんや代官所の役人だった人の話などあり、中々おもしろいよ。
343 :
ふにふに:2006/05/07(日) 02:39:08
訂正 諸軍→将軍
隠密大好きなのって誰だったっけ?
家斉だっけ?家治だっけ?
ひんと:暴れん坊将軍
家治のほうじゃなかったかな
歴代将軍のなかで、一番隠密好きだったのは吉宗だよ。彼は紀州時代から既に
隠密を使って情報集めをしていた。
御庭番を創設したのはこの吉宗だが、これを最も活用したのが家斉だった。
有名な薩摩の蘇鉄問答の逸話が残っているのは、この家斉。
家斉の方だったか。
349 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 21:02:58
保守
350 :
抜忍二十八号:2006/06/04(日) 05:05:12
ところでよー、忍者のピュンピュン丸を同じスピードで追い掛けてたケメコって何者?甲賀のくノ一? 誰か正体教えてくだちい。
351 :
抜忍二十八号:2006/06/10(土) 23:30:38
誰も教えてくれないよーん
きびしぃ〜〜〜ぃっ!!
保守=====卍
354 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 20:27:01
忍者は完全に漫画です
それは350(抜忍二十八号)について言ってるのか?
356 :
抜忍二十八号:2006/06/30(金) 04:19:14
忍の朝は早いでござる。
忍術うどんはうまいでござる
学校給食にも出てたでござる
忍者の起源はデリバリーボーイだった。まず足の速さ。
そして秘密文書を届けるのだが、山には狼や山賊やらがいたため、身を守るための武術や武器を使いこなす
スキルが必要だった。そうした輩がやがて敵の城に侵入するスパイへと成長していく。
すいとんの術やロッククライミングのような石垣登り、忍び足、アクロバティックな身軽さを武器に諜報活動を
おこなった。そして武器は毒と爆薬が使われるようになった。
つまり忍者の最終形とは、武術、俊足、武器、毒、爆薬を操れるアクロバティックな男である。
しかし江戸時代の平和ボケで忍者の必要性は失われていく。
花火職人は爆薬専門だった忍者の末裔。うそだよw
なんだかんだでキチンと読んでる藻前は偉い!
だが忍術うどんとすいとんの術の関連に気づかぬとは、まだ修行が足りぬのう。
360 :
抜忍二十八号:2006/07/04(火) 05:40:03
ふっ 戯言を言うわ…
うぬも忍びなら、こんな釣りに
引っ掛かる忍者がいるかどうか
気付いているだろうて。
たわけぇい抜忍28號め!ヌシは何100年忍びをやっておる!
敵の忍びをあえて懐に呼び込み、こちらの操作下に置く。
これが孫呉の言う『反間』の術ぢゃと言うことにまだ気づかぬくわっ!
孫呉はそんなこと言わない。
てか誰それ?
堅か策か権のこと?
もしくは武か月賓?
363 :
抜忍二十八号:2006/07/05(水) 03:45:47
堅、策、権って そいは三国志では?
ケンケンはチキチキマシン猛レースなのだが…
孫呉
たわけい!孫子、呉子の兵法を略して孫呉ぢゃ!!
『反間』は孫子。 貴様等、きんとんの術からやり直しじゃ!
フランケンはどぼちょん一家だぎゃあよ!
おいおいそれじゃあ呉子はなんも関係ねえじゃんよ
孫呉じゃなくて孫子の兵法って書いてくれなきゃ
ちゃうわい!「孫呉の兵法」と言う言葉使いがあるんじゃい!
ググれば155件も出てきたぞ。あんまりいじめるとヒユーヒューポーポー泣いちゃうぞワシ。
368 :
日本@名無史さん:2006/07/06(木) 02:56:53
伊賀と甲賀ってどこのこと?エロイ人おしえて?
369 :
抜忍二十八号:2006/07/06(木) 04:18:05
絵ロイ人がご希望なら伊賀のサユリちゃんか、
ニニンがしのぶちゃんにお尋ね下さい。
371 :
368です:2006/07/07(金) 00:31:45
おーエロい神様ありがとうm(__)m
飛騨忍者はうざいデブ小僧が跡目継いだから廃れたの?
>>358 >花火職人は爆薬専門だった忍者の末裔。うそだよw
根拠は不明瞭ながら、実際にそう言っている人もいますが。
やはりニッポンの夏は農民ロケットですかのう。
のう抜忍弐拾八號。
太田天洋が描いた文禄の役の海戦図で
日本側がロケット槍もってたね。
376 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 20:07:01
正業を離れ身を隠しやすく交通の要所でもある山間部で山賊を生業にする集団が忍者のモデル
山賊が集落を構成し武装集団の様相を得、傭兵としても大名家にかかわるようになった
伊賀の里は特に交通の要所であり山賊行為となさずとも通行人から得る収益は大きかったようで
その資金で遠隔武器の鉄砲をそろえたり人を集めたりと小大名化していたようだ
なんてね、口からでまかせだ!
377 :
日本@名無史さん:2006/07/10(月) 21:38:33
服部氏の系図を調べると平氏の出なのに、秦氏出身といわれる理由を誰か教えてください。
秦氏出身で平家の家来・・・ かな?
日本の先端技術 農民ロケットさえ有ればテポドン迎撃も夢じゃない…
‥って出来るか!
ところでうぬは、上忍より某国の将軍様暗殺の指令は受けておらぬのか?
380 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 21:43:17
平家貞―服部家長―服部時定ではないですか?
秦氏なら誰から服部氏になるのですか?
厳密には服部は秦氏ではないらしい。
だが、秦氏である事が領地経営に都合が良かったからではないだろうか?
服部姓:はっとり・はとりべ・はとり。大和国服部連は伴造家、あめのみほこ命の裔。天神氏系を称したらしい。
服織部は「はたおりべ」の略。神衣、殿服等を織った品部(ともべ)。
秦氏も養蚕・機織・鋳造・製陶・木工が専門。また「はたおりべ」→「秦氏」説もあるが関連は不明。
秦河勝は聖徳太子に仕えた上忍の元祖であり芸能・香具師の祖でもあった。
大和猿楽金春家の始祖でもある。
平氏・秦・楠・服部の関連系図↓
【観世氏 (称桓武平氏/秦姓)】
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kanze_kz.html
そういえばハットリ君の役を演じたのは香取慎吾。あるいは香取流、鹿島流が
関わっておるのやも知れぬのう抜忍弐拾八號。にんにん。
彼の地は修験道も盛んでのう、幼少の阿倍晴明や寅吉殿も筑波で修行したそうじゃ。
>>379 うむ、ワシも実行しようと思うたのじゃが、かの国政府が崩壊すると数万の難民が
我が国にドバッと押し寄せて来ちまうのじゃ・・・ めんどくさいのでやめとくことにした。
じゃが農民ロケットを多段層、多弾頭化をすればテポ丼もあるいは迎撃可能やも。
383 :
抜忍二十八号:2006/07/13(木) 04:31:10
ハットリ君は愉快な作品だったが、ケムマキの存在によって、
伊賀=正義
甲賀=敵
という図式が特にアニメ作品版の影響により、
全国の子供達の意識に擦り込まれたのは残念でならない。
猿飛がおるじゃろうが。♪恋の呪文はおんきりきりばざらうんはった♪ぢゃ!
軍荼利明王の真言を唱うれば神風が吹くこと間違いなし!
芸能に於いて情報を流布するのも忍びの常套じゃからのう。
まあサニー千葉真一は偉大じゃったということかのう。
385 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 15:23:19
>>383確かにそれはある・・・今もそう思ってるし。違うの?
387 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 18:39:21
俺の祖先は徳川家の忍者と判明した。
388 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 21:31:19
>388
詳しくは知らない。リンク先もよかったら読んでくさい・・・
【観世氏 (称桓武平氏/秦姓)】
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/kanze_kz.html 《抜粋》
大和猿楽の源流は大和国城下郡杜屋で古代楽戸の血を引く秦氏を名のる下級の遊芸者の一団であった。
そもそも猿楽は、祝宴の席などに・・・・《略》 軽業的な要素が非常に強かった。
忍術の秘伝の変身の術には猿楽師も含まれ、非賎な散楽、散所の民は、古来、諸国を漂泊放浪していた。
そのような境涯にあることから、山伏と同じように諜報活動をして暮らしをたてていたともいわれている。
観世家も秦姓を名のり、当初、結城の糸井神社の神事に奉仕していた。
江戸時代末期の書写とされる観世家系図の異本『上島文書』によれば、
観阿弥の実父は服部元成といい、元成は楠木正成の妹を妻に迎えて観阿弥をもうけた。
ちなみに、観阿弥は服部三郎清次と名乗ったことが知られている。
秦氏云々なんてのは単なる箔付けじゃないの?
平氏の子孫説(該当人物は『源平盛衰記』に登場する伊賀氏)、観阿弥と親
類(楠正成とも繋がるとされている)説、秦の始皇帝ないしは後漢の霊帝の
子孫説(秦氏)、いずれも近世に記録された箔付け伝承では?
むむっ秦氏と忍者ハットリ君との結びつきを証明しろと言うのですな! 『無理です!!』
・・・でも、せっかくだから遊びでやってみましょうw
さてとりあえず「ハタオリ→秦→ハタオリ部→ハットリ」で攻めてみましょう。
秦氏は日本各地の開墾、殖産興業を行った渡来人というのが通説ですな。
製塩・服織・養蚕・織布・農耕・酒造・土木・管弦・工匠を生業としました。
つまり当時。「未開の土地」に住む人達だったようです。(でも金持ちだった)
上賀茂神社、松尾大社、伏見稲荷、宇佐八幡は秦氏の勧請とされています
白髭神社は猿田彦命を祀る例が多いようです。
そして秦氏の祖神を祀る大酒神社の祭神は秦始皇帝,弓月王,秦酒公
相殿が「呉服女(くれはとり)」、「漢織女(あやはとり)」で
摩多羅神と猿田彦神のような天狗・道の神の構図も見えてきます。
393 :
抜忍二十八号:2006/07/15(土) 18:30:35
それで落ちはどうした?
いつハットリ君と結びつけてくれるんだ?
任務が遂行できなければ、掟によりこの世から消えてもらうが…
無茶言うねぇい抜忍28轟!これぽっち調べるのにも結構時間がかかるんだい!
服部氏
ttp://www2.harimaya.com/sengoku/html/tk_hato.html >伊賀国阿拝郡に服部郷あり。伊賀考に「小宮神社(延喜式記載)は服部氏の惣社にして伊賀国二之宮」と云い、
>三国地誌に「昔は服部の輩、阿拝郡を領地せる故に、服部の社もありと、永閑記に見ゆ。
>土俗なべて服部氏を秦人の裔となすは、非なり」と。
>この氏族滋蔓して、伊賀一洲に散在す。平内左衛門尉家長が源平盛衰記に現われ、
>その名最も高ければ、この族を桓武平氏となすもの多し。
・・・あ、見ろ。いきなり否定されちまったじゃねえか!w まあ問題は服部氏の惣社『小宮神社』だ。
とりあえず大酒神社にも祀られる「呉服女(くれはとり)」「漢織女(あやはとり)」だが、
伊賀上野市服部町『小宮神社』の祭神も呉服比賣命、園韓神、天御桙命
ttp://kamnavi.jp/en/mie/omiya.htm ここで呉服比賣命が出てくる。
また、園韓神は秦氏の齋祀る神であったのではないかとの説もある。ニンニン。
秦氏じゃなくて秦氏の下にいた氏族、というのが辛うじて言えるくらいじゃね?
服部は武力として平氏に属し。
職能集団として殖産氏族の秦氏に属した。
・・・感じの関わりかな。つーか古すぎるので何とでも言えるのだがw
服部連は天神天御桙命系を称する伴造。
伴造は天皇家の伴(とも・従者)を意味し、品部とよばれる手工業集団をしたがえて、代々決まった仕事を行っていた。
>『欽明紀』には,〈秦人・漢人ラ,諸蕃ノ投化ケル者ヲ召シ集エテ,国郡ニ安置メテ,戸籍ヲ編貫ス。
>秦人ノ戸ノ数,總ベテ七千五十三戸。大蔵掾ヲ以ツテシテ,秦伴造トシタモフ〉とあるそうな。
ついでに調べた
【園韓神】そののかみ(園神),からのかみ(韓神),宮内省内に皇室の守護神として祀(マツ)られていた園神と韓神。
【韓神】大己貴(オオナムチ)・少彦名(スクナビコナ)二神をさすという。)】も出てくる。
天孫 出雲宿祢 宿祢 天穂日命子天夷鳥命之後也
地祇 大神朝臣 朝臣 素佐能雄命六世孫大国主之後也
などは、「国譲り」後の出雲政権が、天皇族に編入された姿を示す・・・・略
むむっこれは出雲系「少彦名」神がポイントと観た!
ん〜、神社の由緒書きばかり並べても面白くないか。 まあ、あんまり資料的価値無いしな(藁
と、言うわけで続いて甲賀の地頭「甲賀三郎」が、諏訪明神になった話を
抜忍二十八号 ヨロぴく。
398 :
真田虫村:2006/07/20(木) 20:49:25
大儀であった!
と言いたい処だが、まるでハットリ君や夢子ちゃんの事とは関係ないでは無いか。たわけ
抜忍二十八号は日課の算数ドリルが出来なくて真田忍軍を抜け、抜忍となった男…
甲賀うんぬんなど難しすぎるわ!
> まあ、あんまり資料的価値無いしな(藁
史料的価値を論ずるのであれば、まずこの説の出典を検討すべきでしょう。
そもそも、園韓神が何時の時代に記紀の二神として認識されていたのか、など。
甲賀三郎譚(信濃一帯では諏方、甲賀一帯では兼家)も内容は中世の本地物で、
「天孫、出雲宿祢、宿祢、天穂日命子天夷鳥命之後也」云々とは世界観が違う。
甲賀譚は、「忍者」とは関係なさそうですし。
成立も史料上に「忍者」が登場する時代より遙か以前の事になります。
起源は甲賀説もあるものの、信濃説もあって未だに定説を見ない。
400 :
日本@名無史さん:2006/07/20(木) 23:56:00
うおっ!適当な事書いたらダブルでダメ出しくらっちまったぜ!w 山野先生乙です。
しかし抜忍二十八号は真田であったか、相手にとって不足なしぢゃな。
いえ、結局このスレ自体には貢献しない内容で、失礼致しました。
「忍者」を括弧付で使っているのは、史料上にはまず見えない用語であって、
現在「忍者」と呼ばれているものは、複数の異なる名称で呼ばれ、内実もそ
れぞれ異なったものを指していると考えたからです。
甲賀三郎に関していえば、その伝播にはどうしても特定の宗教者の移動が想
定されますから、彼らの情報網を使う事があっても不思議はありません。
ただ、話を聞いて参考にするのは当人の器量次第で、諜報専門の組織が出来
ていたのかというと、疑問というか確認出来ません。
信仰圏も限定されており、そこからあえて出ようとはしていない。
402 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 17:05:35
いえいえ、ぜひこっちでもヒマな時遊んで下さい。山野氏の突っ込みがないと張り合いがないモンで(w
ところで修験者を組織だって使用したと思われる人物としては、太平記の護良親王を思い浮かべますが
いかがでしょう?
>398
・・・そりゃそうと真田虫村とは甲賀流猿飛の縁者か?
403 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 17:18:34
現代にも何々流忍術だとか少ないながらも古流武術の道場が開かれている所があるじゃないですか。
そういう団体に伝わっている技術は本当に途切れずに昔から伝わっている技術なのでしょうか?
宮大工の技術でさえ継承が難しくなるご時世に、諜報、密偵など表には出にくい性質の技術だけに疑ってしまいます。
まっ、逆に表ざたの技術ではないので密かに継承されているということもあるのかもしれませんが。
>>403 一度このスレ読みかえしてから、あらためて質問してくれ
405 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 17:44:34
>>404 武神館の初見さんやその回りの方の話はでていますが、私の質問はこのスレでもう解決しているようには読めませんでした。
まっ解決するような類の話ではないのは、わかっていますが。
それなら、古流武術と諜報、密偵等のいわゆる忍術とは区分して調べるべきだと解ると
思うのだが…
407 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 18:12:02
>>406 そういう意味でしたか。
私の書き方もまずかったかもしれませんが、何々柔術などと謳っている道場は古流武術を教えればいいのでしょうが
何々忍術という道場名を謳うのであれば、武術に限らず忍者特有の技術を有しているべきだと思ったので・・
武術道場とは違う異質な技術も伝わっているのかと興味があったので書き込んだ次第です。
まあ、道場としては忍術を名乗ったほうが商売にはなるなw
忍者の詳しい実態を知りたければ山田風太郎の著作を読むべき。
410 :
日本@名無史さん:2006/07/21(金) 23:57:56
●ご存じ「もしも」のコーナー●『もしも本格的忍術道場があったなら』
1時限目【理科】:毒薬、火薬、薬学全般。生物、生理学(中毒にご用心)
2時限目【工学】:建築、施錠ピッキング、災害、工具工作(農民ロケットも造ります)
3時限目【体育】:武芸全般。水練、高所作業、地下工事(鳶職も身に付きます)
4時限目【美術】:変装、壁隠れ、衣装(時々くノ一の術にハマるヤツが居て困ります)
休憩 【昼食】:保存食の作り方、とっさのサバイバル食(絶食訓練もあります)
5時限目【情報】:暗号、情報処理、交渉、調査(めざせ満鉄調査部!)
6時限目【宗教】:呪術、占術、密教、神道(虚無僧クラスの人は、尺八も覚えましょう)
・・・なんか、あったら入門したいぞコレw
むしろくノ一クラスの先生をやりたい。
412 :
日本@名無史さん:2006/07/22(土) 03:23:40
いや五味康祐の「柳生武芸帳」に出てくる「くノ一の術」は歯を全部抜き顔形を変え
女装するオカマ術じゃった。
女教師と思ってあなどる事なかれ・・・ ふっふっふ
>>410 現在かろうじて実用向きといえる授業は、3時限目【体育】くらいかw
ただし、1時限目【理科】:毒薬は使えるな。
以前読んだ本に、実際忍者が使ったとされる毒薬の原料には、現代人も容易に
手に入れる事ができる物があるそうだ。原料さえ知っていれば、誰でも簡単に
毒薬を作れるというわけだ。
その本には、原料が何かまで書くと悪用される恐れがあるとして、あえて書か
れていなかったな。
414 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 00:46:11
毒物に関してはあまり具体的な話はしたくないが。アイヌのような狩猟民族が
数種類の毒物を使用して魚や鳥を捕っているし、坂上田村麻呂も蝦夷の毒矢攻撃を
受けたらしい。
猟師、百姓の中には伝統的に毒物の知識を受け継いでいた可能性もあるからな。
連中は戦になればゲリラ戦のプロとなるわけだ。
まあ、昔は自家製で薬とかいろいろ造っていたからな。
以前はケシとか大麻とか普通にあったらしい。駐在に注意されたので止めたとかw
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
416 :
↑意味が解らぬ:2006/07/23(日) 21:37:14
三河攻略を企む、今川方の乱破の流した情報撹乱か?
ところで387の方は何処の組配下の者ですか?
417 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 22:51:29
ほほー387は徳川家の忍者か。松平時代からの伊賀者か、それとも新規の甲賀か。
はたまた紀州の川村か。
そういえば水戸徳川家には武田の旧臣が仕えたと言うが・・・ はっ!まさか「風車の弥・・・
いや、あいつは伊賀者だったかのう抜忍28号?
マジレスすると、
>>416はサッカーのカズコピペ改編だと思う
419 :
抜忍二十八号:2006/07/23(日) 23:14:28
うっ!
ど…どうして416のレスは拙者と解ったのだ?
名前を伏せて隠れたつもりだったのに!
うぬはタダモノではないな?
420 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 23:23:05
サッカーのカズコピペとやらは416じゃなく415ね。
421 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 12:51:37
422 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 00:23:27
しかし風車を手裏剣に使い、さらに風車でピッキングもできる弥七殿はあっぱれ。
ワシも収納に便利なので棒手裏剣を主にしておるがピッキングは無理じゃのう。
さらに手紙を結びつけて飛ばしたりしておるから相当な腕じゃ。
ワシもあんな風車欲しいのう、中野のまんだらけで売っておらんかのう抜忍28号。
423 :
抜忍二十八号:2006/07/25(火) 01:23:55
拙者は当初、格好いいと自分だけで思って棒手裏剣使ってたが、命中精度上げるため力が入り切らないので、十字手裏剣も併用しておるぞなもし。
そろそろ、うぬの忍ネーム聞かせてほしいだべし?
424 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 01:30:42
Vシネマ 「クノ一 忍法帖」忍者スゲー
425 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 04:07:38
忍者は今で言う手品師だよ
426 :
↑こ…これは!:2006/07/25(火) 06:01:40
各々方、この見解どう思われる?
BY 名張の七つ
427 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 12:35:18
うむ。忍びの仮の姿に軽業師や猿楽師もおったからのう。手妻師や俳諧師がおっても
おかしくは無いに違いにゃい!
>423
あ、ワシは忍びではないぞ。杉山僧正様末席の山人じや。にんにん。
by 山本山八郎九郎散人
忍者の七変化(七方出)
@虚無僧…頭に深編笠をかぶっている、普化宗の有髪の僧侶。見ようによっては妖しい。
A出家…俗に言う僧侶。幅広い層に頼られる存在であるため、情報収集がしやすい。
B山伏…山から山を歩いて布教をする。基本的に国から国を歩き回るのを許されていた特殊
な職業で、本物の山伏も情報収集のために利用されたこともあるらしい。
C商人…行商人。薬草などを売っていたりする。一番民衆に馴染み深く、怪しまれない。
D放下師…サーカス演者。曲芸で、人を和ませて情報も持っていく。
E猿楽…能とかそういう芸能を演じる人。芸能で人々を和ませて情報も持っていく。
F常の形…ごくありふれた一般の人。やっぱり、地域に溶け込んで情報収拾するのが最強。
428のうち@〜Eは他国へ容易にはいる事ができるうえ、他国の者という事で方言が
使えなくても怪しまれる事はなかった。
そのかわり例えば僧侶になった場合は、経や説法等の知識を身につけておく必要があった。
430 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 16:58:15
たしか出雲阿国のような歩き巫女や念仏踊り、相撲取り等も関所を越えられたな。
勧進、興行等を行う存在や芸能者は特別ラクに全国を廻れた。
江戸期でも松尾芭蕉や葛飾北斎が全国行脚して諜報活動をしていた!!(←ウソ)
431 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 22:21:49
隠密御庭番衆は?
蒼紫さま〜
432 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 22:25:54
コォォォォォ
小太刀二刀流
回転剣舞六連
433 :
日本@名無史さん:2006/07/25(火) 23:02:08
434 :
八郎九郎散人:2006/07/26(水) 01:14:59
御庭番は普段は庭師兼ガードマンといったものか?諜報活動も行ったようじゃ。
暴れん坊将軍吉宗に仕えた五代高之氏は剣道でインターハイで優勝経験ありと書いてある。
あるいは川村衆に伝えられた秘剣じゃったのやもしれぬ。で、ござるよニンニン。
435 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 01:27:05
刀を背中し背負う時に柄を右側で背負うのは間違いだと思う。
436 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 01:29:18
437 :
真田虫村:2006/07/26(水) 10:10:37
>>427 山人、散人の類が中野ブロードウェイうろついたり、
棒手裏剣持ち歩いたりするとは面妖な。
まあ良かろう。忍は己の正体を明かさぬもの。
しかし、うぬとてやがては… ふっふっふ
438 :
八郎九郎散人:2006/07/26(水) 18:10:00
チッチッチッチッ・・・ 真田日ノ本一のツワモノと聞いたが日本じゃ〜ぁ二番目だな。
山人とは仙界人の事。散人とは雅号の後に付ける言葉。どちらも読みは「さんじん」ぢゃ!
ふっふっふ、どうじゃ我ながら惚れ惚れするほどイキなオヤジギャグぢゃのう。
もっとも散人にはヒマ人の意味もあるが・・・
手裏剣は以前はなぜか中野ブロードウェイで売ってたのじゃ。
一本3500円もするので当然買わなかったがのう。今はコスプレ用も売ってるとか・・・
>435
ワシは刀を背負う場合は柄を右側で背負うぞい。
小次郎のような長尺刀は抜きづらいので左の場合もある。慣れればどちらでもおkぢゃ!
なあ、妙なキャラ作って書き込んでるのって全部同じ奴の自演なんだろ?
忍者風にいうと分身の術って奴で。
440 :
日本@名無史さん:2006/07/26(水) 22:08:02
忍者への道
1武道を学ぶ。剣道 柔道 弓道
2運動能力を高める。 陸上競技 体操
3火薬を使いこなす。 ダーク世界(r
4床技を極める。諜報活動にはつき物。AV鑑賞、風俗
コレで忍者になれますか?
441 :
八郎九郎散人:2006/07/27(木) 00:34:51
料理もできないと「すいとんの術」「きんとんの術」は使えない事は既出ぢゃ!
と、おばあちゃんが言っていた。
@できれば武芸は音をたてない武術が良い。躰に密着できる小型の武器が良い。瞬殺こそ暗殺の極意。
A運動だけでなく多角的動作とバランスが大事。能や舞踊もやってみるべし。夜の山も歩くべし。
B火薬は臭うぞ油断は禁物ぢゃ。戦場で使うものじゃ。
C相手が異性とは限らンぞ・・・
>439
そう思う?ふふふw 教えてあげない。
まあ、オヌシも、いっしょに遊ぶべし。そのうち流れも変わる。
442 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 10:08:49
忍者刀 実在、ああいう形もレアル。ただしデフォ的に逆手に持つのはドラマネタ
手裏剣 実在 ただし忍者のみの特技にあらず。携帯した数は通常は一個。
くの一 メス忍者は実在 この名称は山田風太郎の創作
くの一という言葉は、江戸時代からあったけど…
444 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 12:37:35
2006年ミスユニバース2位になった知花くらら嬢の民族衣装部門のモチーフは
戦国武将だそうだが、漏れには、くの一コスプレにしか見えない。
445 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 12:54:10
はっきりいって8割方虚構。おれは伊賀だが 恥ずかしい
忍者御膳定食。凹
旧上野市の市議が忍者装束でロンドンにいったんだよ。
恥ずかしかった
忍者サミットも企画してたそうだ
446 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:09:47
影の軍団はすばらしい。
Hシーンはあはあ
447 :
日本@名無史さん:2006/07/27(木) 22:19:04
いつかひまな時に、島原の乱に参加した忍者について書いてみようと思っている
449 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 10:14:51
西澤コロッケ。ごめん そこまではわからない。
450 :
日本@名無史さん:2006/07/28(金) 21:08:53
>>448 こういう厨房スレにそんな話書いてもねぇw
451 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 02:11:13
服部というこの名のせいで、なんど忍術を使えと言われたことか。
越後屋という名の奴よりはマシだが。。。
453 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 03:14:35
大黒屋というガキンチョなら知り合いにいたな。ロシア漂流民の子孫だとみんな信じていた。
455 :
宇治小町 ◆Q95P1eJ08w :2006/07/29(土) 10:56:48
この説、わたしのイメージでは、木村佳乃タイプのくノ一お菊や ♪
456 :
448:2006/07/29(土) 16:33:20
457 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 23:14:14
お菊さんは何を探りに隠密になったのだろう?
戯曲といえば赤穂浪士も隠密と言えば隠密か。
>448
せっかくだから書いてよ〜。
458 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/07/29(土) 23:24:12
むかしは政略結婚ばかりやたけど、姫の輿入れについていった侍女なんかも、ある意味スパイしてたんでしょね。
お菊さんへの密命。なんだったんかなぁ?
459 :
九郎散人:2006/07/30(日) 13:16:01
信長の越前朝倉攻めのさい信長の背後に浅井が迫る事を、妹のお市が両方を紐で結んだ小豆袋を
陣中に届け信長に危機を知らせたそうな。
たった1人の女性の情報がが歴史を変えたという事かのう。
460 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/07/30(日) 17:41:43
築山殿の侍女と、徳姫の侍女の情報合戦とか凄そぉ〜
( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
461 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 18:25:00
ガチャピンが撮影に来たことがあります。
思ったより小さくて(155cm位?)
中に人が入っていると思ってた私は、その大きさがリアルに怖かったです。
動きも妙に俊敏で、周りからも孤立していて薄気味悪い存在でした。
>>454 定っ!おぬし、いつの間にこのスレに忍び込んだのじゃ?山野のブスマに見つかると
只ではすまぬぞ。まったく分身の術がうまい奴じゃ。ところで鰻は食うたのか?
463 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 20:04:45
あ、ほんとだ、言われてみるとガチャピンってちいせえ・・・
165cm、80kgと言う設定らしいが
465 :
九郎散人:2006/08/02(水) 17:24:30
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。
半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。
脳糞古川が「冥府魔道に生き、六道四生〜順逆の境は覚悟の上」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川閣下!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「天祐を確信し〜全軍突撃せよ!」と二階に上がっていき、店内は静かになった。
私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。
あれには本当にびっくりした。
中学校の同窓会に行こうとしたら
「中学の時のクラスメートや先生に、愛知のキチガイ脳糞古川だなんて、わかったらどうする。
みっともない。
愛知のキチガイ脳糞古川の身で、同窓会なんかに行くな!」
と怒られた。
「同窓会くらい、いいだろう」と反論したら
「親の言うことが聞けないのか!」と玄関先から、家の中に
押し倒された。
脳糞古川だと、同窓会にも行けないのか?
ここで忍者像を語ってもカムイ伝とかハットリ君とかしかイメージ出来ません!
(ナルトはさすがに出てこない)
リアルな忍者をビジュアルで表現した作品は無いですかね〜?
469 :
日本@名無史さん:2006/08/03(木) 12:55:22
とみ新蔵「柳生連也武芸帖」
白土三平 忍者武芸帳 ワタリ サスケ
471 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 19:05:42
リアルかどうかは別にして石坂浩二版水戸黄門に出てくる陰陽師、素破の次郎坊は
わりと好きじゃった。
変装名人と言う事で、コロッケのモノマネに期待していたのだがw
それにしても東映のTV映画の忍者物は充実しておるのう。
赤影、ジライヤ、影の軍団、ハリケンジャー、カクレンジャー・・・
なぜかというと東映太秦映画村には秦氏の策略が絡んでおるとワシは睨んでおる!
472 :
真田虫村:2006/08/06(日) 12:10:40
宇宙忍者バルタン星人はビジュアル的に美しいぞなもし
落第忍者乱太郎
474 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/06(日) 15:48:52
>>462 くノ一参上デチッ!
〃
(・π・`)
. ノ/ /ゝ ゴソゴソ
ノ ̄ゞ
年増のくノ一だニャ・・色仕掛けはもうむりポ・・息切れしない?眼鏡なしで
新聞よめるかニャァ。
476 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 19:43:26
スケバン刑事III くノ一忍法帳
477 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/06(日) 21:11:06
お色気忍法デチッ ♥
〃
\(´・∀・)ノ
. へ/ /
● ゝ ッパ
おや?ブカブカの大きな穴が。
479 :
448:2006/08/07(月) 10:42:27
>>457 >せっかくだから書いてよ〜。
夏休みが終わってから考えてみるよ。
どうでもいいけど何時ごろから忍者って衰退していったの?
明治?
481 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 20:24:04
平和になった江戸初期にはすでに乱破、素破は衰退。連中は盗賊の類に戻り粛正される。
ただ、諜報活動はスタイルを変えて行われていただろうね。
482 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 15:31:26
483 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 18:02:30
失礼な!だれがどう見ても忍者にしか見えんぞ!
しかし目立つな〜w
東広島電波発信中 同時警戒プラム臭
東広島電波発信中 同時警戒プラム臭
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>>482 昼間からこのスタイルじゃ目立つよな。誰か訳してくれ大筋でいいから。
古の武術であるKonigun忍術は日本で800年前に創始されました。
数多の時代を経て生み出されてきた技の数々を今ここに764ページの
書籍として公表します。
自然の観察、潜伏、手技、足技、組み技、擒拿、地上戦闘、アクロバット、
伝統的武器等を網羅した内容。
487 :
抜忍二十八号:2006/08/10(木) 07:30:43
陸軍中野学校じゃないが、現代の忍は数ヶ国語話せる語学力も無いと、通用しないかも。
忍者は既に世界共通語ごわす。
ミーは語学力自身ないざんす。シェー!
>>465 ガチャピンよりもキティちゃんにくの一になってもらった方が、セクシーだっぺよ!
擒拿はどっちかと言うと南派じゃあないのかな?
489 :
日本@名無史さん:2006/08/10(木) 16:21:32
492 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 19:42:56
493 :
宇治小町 ◆Coro/vD7aI :2006/08/11(金) 19:48:25
>>492 ←レ、レス遅っ! ワラワラワラワララァ〜
494 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 15:13:51
495 :
日本@名無史さん:2006/08/13(日) 15:29:44
俺、ネット忍者
2チャンネルを戦場に他人に成りすましたり一人二役の自作自演をしている
>>495 今度拙者と勝負してもらいたいものですな。
九郎散人との勝負に決着が付いたら是非手合わせ願いたい。
わたくし、ネットくのいち
2チャンネルの鬼女板に潜入し火付けや煽りをしている。男にも一瞬でなれる
ここ、ある意味オカ板の忍者スレより酷いね。
だいたい鬼女板に女が居るのか?
501 :
日本@名無史さん:2006/08/16(水) 00:57:42
ほう、ワシが夏合宿・・・ じゃない、山に隠っておる間にだいぶ他流の忍びが忍び込んだのう。
よいか抜忍28號!
「凡そくノ一はその心姦拙にして智も口も浅き者なれば喩えばその心底の実を見届けざる者は不用なり 〜」
と萬川集海に定義されておる。本来ネカマくノ一なぞ利用しこそすれ恐るるに足りぬものじゃ。
これを心得ずして「久ノ一の術」から「隠蓑の術」への発展はない。
>499
乱して利を取り時に臨んで利を取る、これを忍法では『無生忍』という。
これもまた一興ぢゃて。にんにん。
502 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 05:42:48
伊賀忍軍の頭領は服部半蔵でしょ?甲賀忍軍の頭領は誰?
伊賀忍軍ってなんだよ忍軍って。忍群だろ。てか服部が頭領ってなによ。
そもそも一まとめに括れるようなもんじゃないだろ。けどまあ甲賀は時代を遡れば諏訪さんとこですかね。
504 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 11:01:26
平安時代の話だが甲賀の支配者甲賀三郎も諏訪の望月家の出だな。
服部は伊賀忍の宗家で三州松平の家臣。
首領として地元の下忍(郷士)を束ねていたのは服部分脈の中伊賀の百地家と北伊賀の藤林家の2家。
甲賀は五十三家と言われているが一家あたり10〜20人規模。
服部配下200人。百地丹波、藤林長門はそれぞれ配下30家で200人(推定)なので
組織としては比較にならない。
江戸になって甲賀与力組頭が置かれるが、伊賀の無足人(中忍?)で家格は庄屋レベルというから
そう考えると甲賀は五十三家も村の顔役程度のモノか?
甲賀は忍軍と言うより傭兵の供給地と言った感じではないだろうか。
ちなみに足利幕府の六角討伐「鈎の陣」での伊賀甲賀連合は伊賀300、甲賀200だったと言われている
忍びとしては質、量ともにひけは取らないようだ。
詳しい事は上の方に書いてあった気もするが・・・まあいいやw
夏休み子供大会の中にあって、久しぶりにまともなスレをみたw
506 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 19:53:50
甲賀忍者の祖は「大伴細人」の説がある。
大伴細人は秦河勝に同様聖徳太子の配下で働く『志能備シノビ』(主のため良き報を志す者)の者。
古代では他に蘇我馬子の「東漢直駒」。天武天皇の「多胡弥」がいる。
甲賀の中央に北嶺天台修行道場の飯道山がある。まあ「山伏房」と言うヤツだ。開基は役行者。
この山伏は自家製薬と御符を全国に売り歩いた。その元締めが諏訪社の社人『望月家』
この望月家から信濃郡司「甲賀三郎」が出る。後に没落?し甲賀五十三家の一つとなる。
甲賀の特長としては『郡中惣(甲賀郡中惣)』と呼ばれる独特の地域連合。合議制自治が行われた。
【惣】
ttp://www.tabiken.com/history/doc/K/K249R100.HTM 忍びの里といえば聞こえは良いが実際は百姓山伏のゲリラ村。家計は貧しかった。
伊賀宗家の服部保長も組織を維持するため伊賀国を出て三河の松平清康(家康の爺さん)の元に
仕官せねばならないほどであったと言う。
郡中惣の発生も自然の成り行きであったのだろうかのう? にんにん。
507 :
コロ助:2006/08/17(木) 21:27:56
>>505 夏休み子供大会ならコロ助も参加するナリ。8月31日までいるナリ。
>>505 では私も参加します。忍術学園が夏休みなもので・・・
509 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 23:09:50
織田信長の配下に飛騨出身の三人組の忍者がいたのはご存知だろうか
宗教組織と度々戦闘行為に及ぶが、信長公記などの史書には一切その記述がない
大凧の術などの非常に高度な忍術を駆使した
なお、お互いを呼び合うときに、「色」で呼び合い、語尾に「〜影」を付けた
これは現代で言うコードネームのようなものであろう。
語尾に?
511 :
太国:2006/08/17(木) 23:26:07
数日前、隠密剣士のDVD、「傀儡忍法帖」を取り出して少々見ていたが、やはり
いいもんだね。「あやつりの歌♪」はたまに口ずさんでいる。ひまの時また取り
出して終わりまで見るかな。
今度は「萬川集海」も書架から取り出してまた読むかな。甲賀村へ2度行ったが
懐かしいね。また行って見たい。伊賀の忍術の博物館もよかったな。
あのとき、甲賀のくノ一は紫の装束で伊賀のくノ一は黒装束だったな。若い
女の子のあの姿はまだうっすらと覚えている。甲賀村では忍者の人形を造らせて
もらって、いまも自宅に飾っている。とにかくまた、どちらも行ってみたいね。
有名な「影一族」のことだな。さすがに大凧に三人乗るとワイヤーが切れたらしい。
現在では若い一人を残して討ち死にしたらしい。リーダー格の一人は少し前まで日光
方面で活躍。もう一人は別名霧の遁平と言う。若い一人の口癖が「だいじょうぶ!」
513 :
九郎散人:2006/08/18(金) 21:47:45
>>509 白影殿の逆手刀術は地面や狭所において匍匐しながら戦うために開発なされたとか。
さすが飛騨忍、あなどりがたし。
ただ影一族が織田信長の配下と規定してしまうのは日本史スレ的にいかがなものか?
藤林佐武次保武の「忍術問答」にはこうある。
>問いて曰。汝右に云えり。忍の名和朝にても色々かはり、「すっぱ」「夜盗」「簷猿ノキザル」「三者」「きやうだん」と云えり
・・・(略) 敵の内證を見る役なるよって忍とは云わずして簷猿と云いたる。
「三者」「きやうだん(響談)」とはいかなる義理にて名付けたることを知らず。
>答曰。織田信長公は『響談』と名付て用い玉い、今川家の大軍に微妙な勝利を得玉ひしこと・・・(略)
是皆、きやうだん(響談)の功なりき。
つまり信長公は忍とは言わず『響談』と呼んでおったおったやもしれぬ。
だからどうしたと言われてもワシは知らぬ!
514 :
九郎散人:2006/08/18(金) 22:01:35
よってオチは「仮面の響談赤影」ぢゃ!!
えぇっ! オチがはやすぎるよ。まだ甲賀霞谷七人衆や甲賀うつぼ忍群、根来十三人衆
が登場していない。ちなみに影一族は木下藤吉郎配下で竹中半兵衛の命で動いていた事が
飛騨の旧家の史料から確認されている。
516 :
太国:2006/08/18(金) 23:43:38
「萬川集海」は20年位前入手したが、当時10万円位かかったと記憶している。
今はもっと高くなってるのか入手困難になっているのか?そのへんは分からない。
同書の解説本は2冊ばかり持っているが、何かの機会にそろえたいね。
「正忍記」は新人物往来社からいつぞや出版されてたと思ったが? 金が当時
なかったので買い忘れてしまった。残念だな。
絶版物を古本で10万出したらいつのまにか再販されて1万5千で売ってたとかあるからたまらんよね
518 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 01:20:02
あ、思い出した。なんと幻の忍者伝記、甲賀流藤田西湖の「どろんろん」再販。
だれか買ったヤツ居るか?
『税込み¥791円也』 ・・・おいおいw
519 :
日本@名無史さん:2006/08/19(土) 10:59:29
「萬川集海」は武道大系に載っているが、カットされている部分があるな。
巻の十 陽忍ノ下 目付之章の二では
一、水の有無を見計るべき事(下略)
一、河の遠きを見計るべき事(下略)
一、取手場見積もるべき事(下略)
・・・てな具合
520 :
コロ助:2006/08/21(月) 11:50:50
ここのスレにいる者は、忍者オタクのニート引きこもりナリー。
んmmmmmmmmmmmm
社会の影の者達ナリー
521 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 18:01:48
522 :
日本@名無史さん:2006/08/21(月) 18:26:09
○中野学校の教育内容
各部隊から推薦された人物をまず憲兵隊が改めて調査し、選考された人物のみ東京に召集される。
さらに厳格な人物、適正試験を突破した者のみ採用した。
士官学校出身者から学生を選抜されることも検討されたが、軍人精神を叩き込まれた頭の固い陸士出身者では
複雑で臨機応変なる諜報活動は勤まらないであろうとして、予備士官(幹部候補生)出身者から選抜採用された。
(のちに陸士出身者も甲種学生として採用)
中野学校という校名を口にすることは禁じられ、校門には『陸軍省通信研究所』という表札が掲げられていた
部内では秘匿名称として『軍事調査部』とか『東部第三三部隊』と呼称された。
中野学校の職員及び学生は軍服を着用することは認められず、本名を捨てさせ、偽名(防諜名)を名乗る。
軍服は着ず、平服姿で長髪が推奨されていた。
第1期生の教育時間は
学科 1110時間 (軍事学、外国語学 社会学 ほか)
術科 262時間 (武術 暗号 写真撮影 ほか)
術外 495時間 (細菌学 心理学 犯罪手口 自動車・航空機実習 忍術)←(えっ?・・・忍術?!)
ほかに実習が準備されており、大東亜戦争勃発後は占領地行政に関する教育も併せて行った。
卒業生は約2200名に達し、 アジア各地で各種機関を設立して義勇軍の育成や諜報活動に任じた
戦後はインドネシアはじめ、戦後の東南アジアの独立戦争に携わった卒業者も多くいると言われている。
ちなみにミャンマー(ビルマ)独立に貢献した鈴木大佐の『南機関』は所属は大本営で海軍系らしい。
523 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:41:20
中野学校というと、思い出されるのが30年間戦争を続けた男、陸軍少尉小野田寛郎。
いわゆる最後の残留日本兵の小野田さんである。
情報将校としてのゲリラ部隊の活動が比較的リアルにわかるため戦後のその足跡を少しひろってってみる。
陸軍参謀本部第二部は開戦翌年既にドイツ・イタリアは敗北すると予測。
米軍の日本本土上陸は必至と結論。中野学校の工作方向は本土決戦準備やゲリラ戦へと向かう。
1944年 ゲリラ部隊を養成する中野学校『二俣分校』を開設。
爆発物の製造・取り扱いや地下ネットワークの作り方などゲリラ戦に特化していたと言う。
【情報将校小野田少尉略歴】
1942年、陸軍予備士官学校に入学、卒業後、陸軍中野学校二俣分校へ入校、情報将校として育成される。
1944年 中国語、英語が堪能だった事からフィリピンのルバング島に着任。遊撃戦の指導の任を与えられ部下と共にゲリラ戦を展開。
1945年 8月15日ポツダム宣言受諾、日本は連合国に降伏。
戦争は終わった・・・ が、情報将校小野田少尉の戦闘はこの日から始まる。
524 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:44:15
【中野学校 作戦行動予定】
参謀本部は英・米の占領政策、植民政策を研究し、敗戦後日本が占領され傀儡日本政府が造られた場合を想定。
GHQや傀儡日本政府の官僚として中野学校出身者を送り込み
ゲリラ部隊による遊撃戦を傀儡政府内部から手助けする計画を立てていた。
この残留ゲリラ部隊の現地指導員の役目を負っていたのが小野田少尉である。
>終戦後も任務解除の命令が届かなかった為、部下と共に戦闘を継続。ルパング島が再び日本軍の
>指揮下に戻った時の為に密林に篭り、情報収集や諜報活動を続ける。
>トランジスタラジオを入手し短波受信機に改造、独自で世界情勢を判断しつつ、友軍来援に備えた。
小野田少尉は皇太子御成婚や東京オリンピック等の日本の情勢を知っていた。
しかし、「その日本」とはアメリカの傀儡政権であり、満州に別な亡命日本政権が在ると考えた。
また朝鮮戦争へ向かうアメリカ軍機を見掛けると、当初の予定通り亡命政権の反撃が開始されたと分析。
小野田少尉は単独任務をさらに続行する。
525 :
日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:46:22
【ゲリラ戦術の内容】
目標はアメリカ軍レーダー基地。襲撃や狙撃、撹乱攻撃、放火戦術を繰り返す持久戦法。
いわゆる長期ゲリラ戦による消耗戦である。戦闘回数は百数十回を越えたと言う。
使用武器は九九式短小銃、三八式歩兵銃、蛮刀など。
地元警察との戦闘で、部下二人を失い最後の数年は独り密林の中で単独任務を遂行している。
そして〜あれから30年(by綾小路きみまろ)〜
1974年 元上官の谷口少佐がルバングに赴き、残留命令を解除。
小野田は谷口元少佐にフィリピンの最新レーダー基地等の報告。フィリピン軍基地において降伏。帰国する。
帰国後日本政府は小野田へ慰労金として100万円を渡すも、それを靖国神社に寄付。
そして1年後ブラジルにわたり、牧場経営を始め現在に至る。
サントス・ドゥモン勲章、藍綬褒章、受章。 まだまだ現役です。にんにん。
526 :
抜忍二十八号:2006/08/23(水) 06:18:58
なるほどね。
一連のレスはいい教訓になったわ。
俺の母校の東京大学大学院 理学系研究科 地球惑星科学専攻
より素晴らしいな。中野学校・・・
527 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 15:06:41
マジレスすると忍者は
護身用に日本刀と手裏剣を装備した
こそ泥のようなものだよ。
こっそり入ってきづかれないように出てくるのが指名
ほとんど戦闘行為はしないし
見つかったらその時点で諜報行為をしていたこともばれてしまう
しかも昔は電気もなく真っ暗だったから
闇にまぎれれば忍び込んだりはそこまでつらい事じゃなかったと思う
528 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 17:29:09
護身用に日本刀や手裏剣を装備したか疑問。
そんなん持ってたらバレバレじゃんw まず関所、国境は越えられないと思う。
関所にも当然、防諜役の忍びが居たからな。
529 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 17:37:05
忍者田代まさしの忍法
@盗撮の術
A覗きの術
Bバタフライナイフの術
C覚せい剤の術
530 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 23:00:14
その場合はほんとにこそ泥っぽくなるだろうな
実際そのほうが最悪捕まっても金銭目的とか言い訳できるかも
531 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 23:07:16
むかし甲賀の里で開催された「忍者選手権」の取材に行ったことがある。
水クモとか城壁登りとか手裏剣投げとか、まだやってるのかな?
忍法甲賀衆か〜?
534 :
日本@名無史さん:2006/08/24(木) 23:21:30
空気読まずに質問します。
天正伊賀の乱の史料って信長公記以外に何かありますか?
いっばいあるよ。
「勢州軍記」「伊乱記」「信長記」ほか…
>「勢州軍記」「伊乱記」「信長記」ほか…
ありがとうございます。探してみます。
537 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 21:19:24
538 :
日本@名無史さん:2006/08/28(月) 12:29:12
>>528 パンピーでも刀は脇差しなら許可されてたし
手裏剣は五寸釘を代わりに使ってたらしいよ
539 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 12:38:24
そもそも忍びに武器が必要か?
540 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 17:13:49
541 :
コロ:2006/08/29(火) 18:40:22
>535−536
ただ、どれも時代が下りますからね。『伊乱記』に至っては一世紀近い。
『信長公記』も後年編纂されたものですし。
どこまで信頼出来るかの取捨選択は必要かと。
543 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 19:24:15
>540
白土三平の赤目プロかと思って釣られてしまた・・・orz
544 :
日本@名無史さん:2006/08/29(火) 23:04:28
>>542 当たり前じゃん、よけいなお世話だよ。そんなことは史料を研究する上
では常識でしょ。あんただけが知っているつもりなら他スレ(日本史板以外)で
講釈すれば。
545 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 01:25:32
そう怒るな山野はあれが楽しみなんだから。嫌われ者の典型だから、好きに
させときな。
546 :
抜忍二十八号:2006/08/30(水) 05:58:28
>>540 拙者も何度か行ったでござるよ。
日本サンショウウオセンターの運営に貢献してるでやんす。
神秘な雰囲気に包まれた領域で、拙者の先達もここで修行
したのかと考えると感慨深いでござる。
>>541 そんな目立つ恰好してる時点で即捕縛アボソ
隠密は見つけ次第殺してもかまわないと言う不文律があったから、目立たない恰好で
他領に潜り込んだわけで。
正規ルート以外から入るには、山の民も有力といわれてるけど、簡単に部外者が化け
ることは難しい紐帯で結ばれていたし互いの符号もあったんで。
猟師は更に厳格に管理されていた。
まあ武士が無難だっただろうね。それも詮議受けるけど。
548 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 08:29:49
旅芸人と宗教家はどうだ?
549 :
534:2006/08/30(水) 08:52:05
>隠密は見つけ次第殺してもかまわないと言う不文律
これ初耳。出典は何?っても不文律だからどこにも書いてないのか。
てことはどこからこれを聞きつけてきたのかな?
552 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 12:36:08
せっかく山野氏が来てくれたのに・・・ orz
553 :
ちんたま乱太郎:2006/08/31(木) 06:09:48
それでは約束の8月31日が来たので、お別れです。
明日から忍術学園で再び術を磨きます。
土井先生の授業は厳しいので頑張ります。
554 :
コロ助:2006/08/31(木) 06:13:40
約束通りコロ助もお別れするナリ。
また冬休みに来るナリよ。
その頃にはどの位スレが伸びてるか楽しみナリ。
part2(第二陣か?)になってるかもしれないナリね。
もしかしたらカバ丸や霧賀魔子も連れてくるかもしれないナリ。
それではスレ主に宜しくナリ
555 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 08:01:59
夏厨の糞スレが減るだけだよ
556 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 16:48:35
このサイトの
http://en.wikipedia.org/wiki/Ninja List of modern ninjutsu styles (ryu)ってところで
Mie - Hattori-ryu, Momochi-ryu, Togakure-ry?, Iga-ryu と並んで
Tokyo (Akihabara) - Akiba-ryu
ってあるぞお前らだろこんないい加減なこと世界で吹き込んでるのは
>556
ぜひAkiba-ryuの記事書いてみてくださいw
558 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 18:27:30
>>555 その糞スレに定期的に訪問してるお前さんって・・・プッ(WW)!
>>558 555は糞レスのつもりが糞スレと間違っただけだろ?その位解れよ。
560 :
八郎九郎散人:2006/08/31(木) 21:55:42
>>556 失礼な!ワシ等がいつ電波を流した! のう抜忍28號&夏の忍タマ衆。
しかし黒衣を着ておると言う事はヤツ等は伊賀流と観たがどうじゃろう?
・・・つーか英國語では読めんぞ!ぷんぷん。
561 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 22:08:35
水とんの術は可能。でもプールで実験したが5分くらいでだんだん
苦しくなってくる。(吸っても、吸っても・・・・・・。)
562 :
日本@名無史さん:2006/08/31(木) 22:48:08
実験乙。
ただ、水中に潜る必然がどれだけ有ったかが問題だな。
563 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/09/01(金) 06:40:50
>>560 その通り!
拙者などは普段から忍者修行をしているつもりなので、いつ僧侶に化けても良いように
短髪(坊主に近い)なのでキバカジとは程遠いずら!
PS:最近別板で格闘中、拙者の偽者が出たのでトリ付けてみたでござる。
564 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 09:49:08
565 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 09:53:53
\日帝が悪い / ./日帝が悪い i, ヽ /
\ / y | | n \ 日帝が悪い /
\ / <―――― .'i, /─┐ \ /
\/ \___/ └──> \ /
. \/
/ |
/y .|
_________ |/ . |
\日帝が悪い /  ̄ . |
\ / | n
\ / . |
\/ ヽ|/
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| 日帝が悪い |
| |
y / \_________/
/ |
|/ . | n
 ̄ ヽ|/
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ . | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\
| 日帝が悪い | | 日帝が悪い |
\______/ .|_______/
∧ ∧… ギリギリ
<||`Д´>ヘ_∧
(つ´゙( #)
| 'ヽ、 ノ オメーいい加減にしろよ。キモイんだよ!
ヾ ィ゙ , O)
~"(_)、__)
566 :
日本@名無史さん:2006/09/01(金) 19:12:38
>>564 >間諜は間者、諜者、五列、または細作と呼んだ。 西洋のスパイだ。
肝心な部分が抜けてるナリ。
西洋では「スパイ」、日本では「忍者」、北○鮮では「工作員」と言うナリ。
・・・しかし相変わらず外国の歴史資料を参照にしてるのねw
567 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 01:42:44
568 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 16:07:42
569 :
日本@名無史さん:2006/09/11(月) 15:19:04
570 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 16:58:22
571 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/09/14(木) 01:04:12
>>570 はるばるカナダから乙です。
カッコイイので思わず保存してしまいました。
畑中葉子の歌を思い出す。
572 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:03:25
後ろから前から、どうぞ〜っ!
するめ臭のおっさん キモイ
574 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 10:29:20
>564
そういや、さいとうプロの漫画「血闘者」で唐人の柳生主馬(李朱明)が自分達の事を
『細作』と呼んでおったのう。
柳生家といえば朝鮮人の門番もいたな。
そりゃー『耳袋』にある「柳生家の門番のこと」じゃろな。
ttp://homepage2.nifty.com/pfruit/mimi/01/01041.htm >沢庵和尚が柳生但馬守の屋敷の門番詰所に一首の歌が掲げられているのを見た。
『蒼海魚竜住 山林禽獣家 六十六国 無所入小身』
その歌を書いたのは韓人の門番で、本国から日本に亡命してきたのだという。
但馬守がこの話を聞き「身を入るに所無きことなどないものを」と、二百石を与えて
侍に取り立てた。今も柳生家にはその子孫が仕えているという。
ちなみに柳生主馬は柳生家譜『玉栄拾遺』によると
>伝曰、主馬者朝鮮国ノ種也。故ニ兵庫(柳生兵庫助利厳)某妹ヲ嫁シ玉フヲ怒テ宗矩公ト永ク絶交し
>今以不通ト云云。主馬二女竹田与兵衛某ニ嫁。主馬室、万治ニ己亥五月十六日卒、号仙岳宗寿禅定尼
尾張柳生と江戸柳生の不仲はこの時から始まったのだとかw
柳生家の家紋『二階笠』はもともと朝鮮帰化人の大名、宇喜多家傍流、坂崎出羽守の家紋。
なんか韓人と縁が深い家なのかのう?
そっちを突っ込んでくと荒山徹ワールドに入ってきそうな悪寒
そのへんは野牛一族の末裔、柳生博氏にファンレターでも出して
確認したほうが確実ぞなもし。
なお柳生博氏の奥方は、初代峰不二子や忍風カムイ外伝でスガル役
を演じた、二階堂有希子さんぞな。
柳生といえば、柳生烈堂は西村晃版が一番良かった。
トリャー
∩ ∩
o(^゜Д゜)つ −−===ニニ三三 ★
九郎散人覚悟!!
なんか自演で盛り上げてる人がいるなぁw
583 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 13:29:31
ご先祖様が甲賀武士で、家には巻物じゃないけど「甲賀流忍術秘書」がある。
甲賀二十一家の柏木三家のひとつです。
>>583 柏木三家といえば、山中家、伴家、美濃部家ですね。
忍者のもとは盗人だといわれていた時代があって、先祖が忍者であった証拠を隠したり
破棄したりした事もあったそうですけど、「甲賀流忍術秘書」が残ってるんですな。
586 :
583:2006/09/19(火) 23:25:06
>>584-585 名前の一字に「俊」が付くのが多いですね。
綴りとなった系図は幕末に作成されたもので、
写したものか買ったものではないかと思っています。
「忍術秘書」(これは江戸中期末のもの)のほかに、「秀頼公御扇子(中身無し)」や
「初代大和守手紙二通」などがあります。
ちなみに系図では初代の名が「大和守俊定」とあり、
山中文書との関連を詳しく調べないとどうかは判りません。
587 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 04:35:21
水遁の術っていうけど、水がきれいな昔に潜っても、上からは丸見えw
>>586 >ちなみに系図では初代の名が「大和守俊定」とあり
これかな?
★ 山中俊定
山中実秀の男。大和守。近江甲賀郡、宇田村、上村、酒人村を領する。
俊定 ┬ 俊清── ─ 基清 ─ 泰信 ┬ 高俊 ┬ 勝俊 ─ 兼俊 ┬ 重俊 ─ 為俊 ─ 長俊─ ┬ 信俊 ┬ 幸俊
└ 国川助俊 ┬ 員俊 └ 俊秀 └ 俊隆 └ 俊常 ┬ 俊正 ┬ 忠三郎 ├ 俊友 └ 宗俊 ┬ 本俊 ─ 釿俊
└ 惟俊 └ 俊兼 │ └ 盛俊 └ 因俊
└ 俊治─ ─ 俊重
589 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 11:58:17
>>587 甘いな。
水遁の術で雨を降らして池の水を濁らすなど伊賀物にとっては朝飯前よ。
590 :
583:2006/09/20(水) 13:45:27
失礼いたしました。大和守俊定は先祖で、初代は福永俊正です。
大和守俊定
本国生国近江甲賀郡宇田村上村酒人村三ヶ所
領地不属於主君慶長三年七月十九日卒法名浄円
福永俊正
俊正氏山中?福永近江人也慶長二年東照神君命加賀?隼人政尚召頃年隠
住甲賀之士依此俊正始得奉謁神君テ伏見城乃列上本州土士所謂地侍ナリ
之名乃命歳給俊正以俸米明年上杉景勝叛神君東征之時俊正託山岡道阿弥
再見テ伏見城乃蒙命居甲賀定賜俸米為尋遇石田三成構逆俊正誘集土士直入
伏見城属鳥居彦右エ門元忠部下守為名古屋丸力戦者数身被創為事平後
続きは後ほど...
591 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:11:55
>>589 じゃあ銀と昆布をイパーイ保有してたのですね?
ちなみにその際の銀の使用量はもの凄いんですが、当時の日本はあまり銀は取れなかった
んですよね?
592 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 21:19:50
なにをゆうとんねん
>>590 ほう!伏見篭城戦の記録じゃな。なんでも甲賀武士が分裂して戦った悲惨な戦いじゃったとか。
これは例の「忍術秘書」の由来書きか何かじゃろうか?
当時会津攻めに居た甲賀与力の山岡道阿弥の名も出ているのう。
>581
痛いわい!ヒトデなぞ投げるでない!
>>590 「忍術秘書」にはどんな事がかかれているの?
595 :
おおお:2006/09/21(木) 13:07:40
亮太のことだようーーーーーーー
596 :
583:2006/09/21(木) 21:30:49
>>590の続きいきますね。
神君嘉其忠使食禄貳百石以所誘土士十人為其部属所謂同心ナリ
而亦以二百石頒賜之通四百石即使本多佐渡守正信命俊正曰
国家有事当速赴難?経神君台徳君ニ朝而無職守唯居甲賀尚巳
元和五年三月十二日卒年七十二法名清林
これは系図からの写しになります。
だれか簡単に訳してくれ!
無職とな!?
599 :
サラ忍マン:2006/09/29(金) 03:58:37
坂道を登りながらこう考えた。
現代の資本主義社会にあっては
�上忍・・・ 巨万の富を操る大資産家
�中忍・・・ その資産家(大株主様)から経営を任されている形の上場
企業の役員(社長とか執行役とか取締役とか)
�下忍・・・ その他大勢のサラリーマン。
たとえ部長、課長になったと喜んでいても所詮は捨て駒。
なのではないだろうか・・・と
600 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 08:24:09
>599
司馬遼的解釈ですな。
>>599 実際の忍者社会はそんなに大規模じゃないし、裕福でもない
�上忍・・・ 資金繰りに追われる中小企業の社長
�中忍・・・ そこで働き、上下の板ばさみになる中間管理職
�下忍・・・ 平社員だが、絶えずリストラの不安に脅かされ、場合によっては派遣社員や
臨時社員として、期限切れでポイ捨てされる場合もある
むしろ
上忍・・・人材派遣会社社長
中忍・・・同営業職/諸大名家を回り仕事を取ってくる。相手先、派遣した人材に関する調整、
下忍・・・派遣社員/一定期間のみの契約、一定の仕事を完了するまでの契約。
な気がしてきた。
>599
坂の上に雲は見えたか?
605 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 12:51:32
伊賀の下忍って任務のないときは伊賀で小作人やってたんですか?
>>605 農業が主体だけど、普段は普通にいろんな職業についていたようだ。
甲賀地方は今でもそうだが薬の製造が盛んで、情報集めもかねて各地で薬の行商も
やっていた。
富山の薬売り隠密説というのも有ったなw
水戸黄門の柘植の飛猿やかげろうお銀の父藤林無門も生業は薬売りだし。
ところで596は甲賀同心(?)を辞めて帰農したという事なのだろうか?
608 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 17:16:54
忍者は語源も起源も韓半島
nin-shaって韓語の発音が訛ってnin-zaになった
忍者の体術や諜報方法の教科書は高麗の古典書のパクリです
忍者は古高麗語のニンシャの闘うって言葉かが起源
ん?
>>564 に半島では「間諜は間者、諜者、五列、または細作と呼んだ」と
書いてあったが、なぜnin-shaと呼ぶ?
610 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 17:29:03
忍術関連でちょっとウンチク。
昔の出雲、今の島根県の方には「縄たらり」という縄抜けの術を得意とする集団があったようで、
当時の捕吏もその集団から出た罪人を捕縛するときには、後ろ手に縛ったうえに片足を首とくくり付けていたのだとか。
というのも、その縄たらりとやらを極めると、額を物にぶつけるだけで縄を解くのだとか。
だから、そうならないように片足と首を連結することによって頭が動くのを防止するために、例の縛り方をするんだとか。
こりゃ、もう10数年前に読んだ本の中に書いてあったんですけど。
611 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 18:04:52
>>599 俺は忍者を会社組織と言うより、ヤクザのような組織だったと思う。
上忍・・・親分
中忍・・・幹部
下忍・・・鉄砲玉
まあ、戦国時代は武家社会もヤクザ組織と一緒だし…
武家社会が会社組織にみたいになるのは、江戸時代になってからかな。
ただ、忍者がおもしろいのは、派遣先や出向先でそのまんま正社員になったりする
ことだな。
そこの藩士になって代々仕えたりする例も結構あったようだ。
かと思えば、給料が安いといって派遣先から勝手に引上げてきたりもしている。
613 :
日本@名無史さん:2006/09/29(金) 18:33:49
普通に合理的な組織形態を目指してたんでしょ
非常勤のつなぎとかも存在してるし
強大な権力かつ責任を負うCEOに子飼いの直属マネで各管理に実働にバイト
負けたらとりあえずTOPは再雇用か抹殺かだしね
まあ風太郎やカムイの世界では忍者なんて、グレートな特殊技能を持った
ただの奴隷だけど
616 :
583:2006/09/30(土) 01:50:40
>>594 忍術秘書には、忍問答一由来から始まり、兵糧丸・眠り薬・たいまつの作り方、
道具の用途や梵字で書かれた呪文、占い等が書かれています。
記述によれば「忍徳巻(寛文元年に書かれたもの?)」というものを写したようで、
最後のページに「文化元年甲子十月冩之」とあります。
当家は都内の外苑近くにある某寺に墓石八基があり、それ以外に直系か不明ながら
滋賀県水口町の某寺にも十基近くの墓石があるのが確認されています。
ここまでは直接出向いて見てきましたので墓石がある事は間違いないです。
また、都内外苑の某寺の近くには甲賀組や青山の百人町があったようです。
幕末期の由緒書には、幕臣 百人組与力 甲賀組ト称ス 元高現米八拾石。
武藏國多摩郡青山六道甲賀組 大縄地ノ内斤?地坪五百坪を有ス
という記述が見られます。(今なら土地成金になれますね...orz)
そして、残念ながら血統は上記の方で断絶してしまい、
後は養子同士の縁組みにより家名だけが残っているのが現状です。
あーこれか↓今までただの鉄砲隊だと思ってたよ、忍者だったのね。 orz
「百人町」
伊賀組鉄砲百人同心の組屋敷が置かれ大久保百人大繩地といったため大久保百人町と
俗称される。皇居東御苑本丸中之門前に今も残る百人番所が百人同心の勤務場所。
将軍の直接警護と大手門の警備などをしていた。
甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組の4組(1組につき与力30人・同心100人)があり
毎月各組二十五人づつ出して都合百人で守る。
伊賀組以外の戍衛地は、根来組が矢来町、甲賀組が青山霞町、二十五騎組が内藤新宿
「甲賀組」のおこりは
>>590にも書かれている通り、関ヶ原の合戦。
関ヶ原の時、伏見城の合戦が行われた。家康の老臣・鳥居元忠が守る伏見城に甲賀者300名が加わった。
戦いは一部の甲賀衆が敵と内応したこともあり、伏見城は落城したが、家康はこの時に討死にした甲賀者
の労に報いるため、戦死者の子弟からなる「甲賀組」を結成した。「甲賀組」の指揮を受け持つことになっ
たのは、家康の依頼で、伏見城の戦いに甲賀者を動員した山岡道阿弥。家康は道阿弥に9000石を支給し、
そのうちの4000石を「甲賀組」の取り分とした。
>ただの鉄砲隊だと思ってたよ、忍者だったのね。
正確には、この百人組は警護役で忍者ではないから、忍者の子孫という事になるよ。
忍者で鉄砲隊という事ではないかなぁ?将軍を百姓足軽鉄砲隊が守る訳にはいかないし。
現在でも大統領警護なんかは空挺とかゲリラ戦の精鋭部隊が最後までお供するし。
まあ、代を重ねて忍者も普通の人になっちゃったんだろ。
御庭番川村17家も紀州藩時代からの吉宗お抱えの鉄砲薬込役だったとか上の方に
山野氏のコメントが書いてあるが・・・
>>72 >>77 どうなんでしょ?
620 :
日本@名無史さん:2006/10/01(日) 02:59:27
>>620 !!
拙者は飯綱落しをマスターしたくて、かと言って木の上から一緒に落ちてくれる人が
居る訳も無く、おそらく自分も死んでしまうので、似たような技でバックドロップは
なんとかマスターしたでごわす。
水深の深いプールの、プールサイドから友人に掛けると良いでごわす。
子供の頃、「飯綱落し」を「稲妻落し」だと勘違いしてた。
622 :
日本@名無史さん:2006/10/01(日) 09:34:31
>>608 「忍者って明治時代にできた言葉じゃなかったっけ」と言ったら
ファビョファビョするかな?
623 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 00:52:19
また月曜日・・・
サラ忍マンは満員電車に揺られて・・・
鬱
624 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 01:26:53
625 :
日本@名無史さん:2006/10/02(月) 14:52:19
忠臣蔵の前原伊助などは米屋に変装し本所の敵吉良の屋敷前で動向
を探った これなんか完全にスパイ工作員 なお前原はマイバラ
と読み近江の米原出身 何か伊賀か甲賀と関係ありそう
>>619 江戸幕府は、当初各藩の城郭を調べる為探索させた記録がありますから、これに
伊賀組や甲賀組が携わっていたと思われます。しかし、そのうち大名達自身が進んで
城の図面を幕府に提供するようになり、この任務も必要なくなりました。
結局かれらは鉄砲組として大阪の陣に出陣しています。この時、鉄砲をあさましい
と書いていますので、忍者としてではなく、ただの鉄砲隊として活動することには不満
だったようです。
その後、島原の乱のときは、幕府には忍者として使えるものがおらず、甲賀者を
臨時雇いしています。結局この頃には、「甲賀組」はただの警護隊になっていたよう
です。
御庭番はもともと、紀州藩の鉄砲薬込役ですが、それは表向きの役職で実態は吉宗の
ために諜報活動を行なっていました。紀州藩には「正忍記」を書いた藤林が藩士に
いましたし…。吉宗が将軍になった時、諜報活動をする組織が幕府になかった為、
かれら鉄砲薬込役を呼び寄せて、御庭番組織を作ったといわれています。
628 :
583:2006/10/02(月) 23:53:36
件の「忍術秘書」にも火薬についての記述があります。
小さい爆弾?の調合や火薬を混ぜて松明を作ったと書かれています。
当時、どのような役で何をしていたかという詳細がないのが残念です。
629 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 00:18:24
穴九右衛門ってかっこいいよね。
屋敷の床下に忍んでて、床上から槍で床ごと額を突き刺された。
でも槍の穂先を布でふき取り、血が付くのを防いでばれなかったという人。
630 :
日本@名無史さん:2006/10/03(火) 01:40:01
バットマンビギンズ見てみ忍者系だよ。
>>628 あなたのご先祖は与力でしたから、元忍家としてはかなり恵まれた生活をしていたほう
ですね。在郷の忍家は、名家でもかなり生活に困窮していたようです。
甲賀二十一家も、寛政初年には二家が困窮して離散、山中家も、右の者共段々に困窮に
仕り、術などの心掛け、等閑(なおざり)に相成候。として困窮者にリストアップされ
ています。(伊勢神宮文庫所蔵の古文書)
生活におわれ、忍術の継承も難しい状態だった事がわかります。
江戸の甲賀組与力が、どういう経緯で、またどういう意図で「忍術秘書」を所有する
ようになったのか、興味あるところですね。
なんでも伊賀者同心が三十俵二人扶持、甲賀者が八十石の与力だったとか。
1石=二俵半 1人扶持=年間約一石八斗(五俵ぐらい?) と単純に見積もって
「与力」:200石、「同心」:30俵2人扶持=40石、で全額支給の場合与力は同心の5倍の年収だそうな。
まあ、あくまで全額支給での話だから四公六民の税込み80石・・・でいいのかな?
633 :
583:2006/10/03(火) 22:25:36
>>631 山中文書からの引用でしょうか?
甲賀にあった山中本家は、十数年前に最後の子孫の方が没し、完全に途絶えたと聞きました。
当家はおそらく分家で、家康東上の折に江戸で役に付いたのでしょう。
都内の菩提寺の建立になにがしかの貢献があったようで、江戸期の戒名には全て院殿号をいただいています。
そのようなことから、
>>632でもあるように、それなりの暮らしができたのだとうかがえます。
いまは完全に落ちぶれて、お寺さんの好意で院号となっていますが…。
634 :
583:2006/10/03(火) 22:38:27
つづき
「忍術秘書」は文化元年(1804)、9代「俊祥」により彼が22か23歳の時に何かから写したようです。
その5年前、寛政11年(1799)に諸大名以下旗本から系譜を提出させ編纂された系図集「寛政重修諸家譜」の影響で、
家系図ブームがあったといいますので、その影響かもしれません。
>>山中文書からの引用でしょうか?
そうです。大原数馬らが「万川集海」を持参して、寺社奉行をとおして幕府に忍家の窮状を訴え
忍家と忍術の保護を請願して、幕府から
「いよいよ怠り無く心掛け申すべく…」と僅かな銀を与えられて体よく追い払われた時のものです。
大原家はこの時の恨みか、幕末の時には官軍に志願して幕府と戦ったと言われています。
あと山中文書といえば、丁度この寛政初年に山中藤内が大原数馬らに忍術書の閲覧(筆写?)を
依頼した誓詞が残っています。この時の忍術書がなんであったかは記録がありません。
また、山中文書には「山中家忍法」という「万川集海」の問答と正心の部分の写しがあるそうです。
大原家に依頼した忍術書とはこの「万川集海」かもしれません。
636 :
583:2006/10/06(金) 00:44:41
「忍術秘書」の第一章は「忍問答一由来」、第二章は「忍徳秘伝書二」とこれが六まで続き、「甲賀流忍之法」、最後の章が「忍術應義伝」となります。
「万川集海」の写しなのでしょうか?
637 :
583:2006/10/06(金) 01:05:15
「忍問答一由来」については伊賀勝矢家本とかにあるのがそれじゃろうか?
なんでも「万川集海(全21巻)+忍問答(忍術由来之章)+和漢忍利証語抄(上・中・下)」の
計25巻で構成されているらすい。
名著万川集海は伊賀甲賀の忍家それぞれに広まり幕末まで書写されたそうな。
「忍徳秘伝書二−六」「甲賀流忍之法」「忍術應義伝」については・・・わからん?
もし未知の武芸書ならワクワクなんじゃがのう。 にんにん。
参考までに「忍術問答(由来章)」は
>>513にも書いたが「問いていわく・・・云々」で始まる。
原文は『或問曰忍術ト云事ハ何レノ代ヨリ始レルヤ 〜 』と、こんな感じ。
641 :
日本@名無史さん:2006/10/08(日) 12:03:10
642 :
真田虫村:2006/10/09(月) 03:46:01
>>641 悪代官:中田浩二氏や大頭:小林清志氏の声は渋い。
しかし正規の武士でも、藩から勝手に脱藩したり出奔したりしたら罪は重いし
(原作カムイは仕方なくだが・・・)
近代でも他の一般兵士と比べて、諜報員・スパイの捕虜になった時や作戦失敗時
の取り扱われ方などを考えると、この物語の時代の忍者にこういう設定を与えても、
あまり違和感なく見られるなぁ。
643 :
日本@名無史さん:2006/10/09(月) 23:55:56
忍者の武器で、サイが入っていることがあるけれど、サイは沖縄の武器だよな?
忍者も使ったのか?
まあどうでもいいけどさ
644 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 06:13:03
645 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 06:42:47
>>643 それは忍者タートルズとか米国産のものでは?
既出かもしれんが、上忍とか下忍って言葉は司馬遼の造語
>上忍とか下忍って言葉は司馬遼の造語
万川集海にもみられる古くからあった言葉。
司馬はそれを忍者の身分を表す言葉として最初に使っただけ。
649 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 13:20:34
650 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 17:57:25
うむ、上忍、下忍は忍者の身分を意味する物ではないかもしれん・・・たぶん!
万川集海によると物見武者(忍者)を用いる者は「主将」。チーム長は「組頭」。
5人1組で「伍」→5人5組で「両」→25人4組(100人)で「卒」となっている。
この組み合わせは
>>617の百人同心の記録とも一致してるかのう? のう抜忍28號?
さらに忍術問答にはこう書いてある。(ちょっと意訳じゃ。間違っててもワシはしらん!)
『伊賀甲賀の地侍たちが雑人「下人」どもに隠忍の術を習わせり。
その下人どもの中に隠忍の上手が11人出てさらに48流派を成す。
・・・だがこの道(忍び)の名の有る上手とは「中吉の忍者」であり良きにあらず。
人に知られず功を成す者こそ「上忍」とするなり』 ナリ。
そう考えるとサラ忍マン殿は下人雑人扱いと云う事になるのう。うむ悲惨じゃ。
いつの日か坂の上の雲をつかめる日を祈るでござる。にんにん。
それを読んだ限りでは「名人」みたいな感じか>上忍
誰も知らない 知られちゃいけない〜
上忍が誰なのか〜
こうですか!わかりません!!
たとえ名手でも名を知られるようでは中吉の忍者、つまりただの「忍術の上手な人」
せいぜい名のある武芸者、個人芸どまりと言う事じゃろうな。これが中忍の語源じゃろか?
でもって下忍とは下人の事じゃろうな、たぶん。
上忍とは武功も語らぬため勇名も無く、普段は平侍や隠者の如く密やかに謀をめぐらす。
だから、敵も味方も何が起こったのかすら判らず、敵は自然に滅びてしまっている、そのため
謀略の痕跡すら残さない。
そのように「智慧が他人の及ばぬほど深く、誰にもさとられず敵を滅ぼす者」それが上忍。
つまり「真の戦略家」の事じゃろうか?
ところで「抜忍」とは誰の造語なのかのう?にんにん。
あ、まだわかりづらいかな? ちと補足しとく。
651の「主将」とは主君、殿様の事。
組頭の呼び方は5人長が「伍長」。 25人長が「両長」。 100人長が「卒長」となる。
まー 中国の古典兵法のシステムじゃな。
参考までにワシの個人的感覚ではこんな分類か。
「下忍」=下人、使用人。軍隊で言う足軽雑兵
「中忍」=名のある名人上手。(隠忍59流派の名手等)
「上忍」=人知れず巨大な作戦行為を自然に成功させる者。
また、名のある名人達の名も無き主人であったともいう。軍隊で言う特務機関か?
「抜忍」=しらんばカムイ〜れらカムイ〜風の中を抜けていく〜
あー間違ってるかもしれんがワシはしらん。にんにん。
656 :
日本@名無史さん:2006/10/15(日) 14:17:13
657 :
間・抜忍28GO:2006/10/16(月) 01:55:06
>>655 謎を解く鍵は巨匠 梶原一揆が握っていた!!
下忍・抜忍=タイガーマスク
下忍・追忍=
・ブラック・パイソン ・獣人ゴリラマン ・スカル・スター
・ミスター・シャドウ ・ミスター・NO(頭に鉄球載せてて大丈夫か??)
・ドラキュラ ・キング・サタン ・ゴールデン・マスク
・エジプトミイラ ・ライオンマン・ストロング・アーム
・赤き死の仮面 ・ミスター・カミカゼ ・ザ・ミラクルズ
・ブラック・パンサー ・ナチス・ユンケル ・ピラニアン
・ローン・ウルフ など
中忍=
・キングタイガー
・ビッグタイガー
・ブラックタイガー
上忍=タイガー・ザ・グレート
猿飛佐助=ミル・マスカラス
自爆!!
http://d-joker.seesaa.net/archives/200603.html >司馬遼太郎が忍者について調べているときに、ある史料に上忍と下忍とい
>うものが記されているのをみつけたという。史料によると、上忍は術にす
>ぐれた有能な忍びで、下忍はそうではないもののことであったらしい。
>ところが司馬は、「梟の城」で上忍と下忍を人間の階級分けとして使って
>いる。
>上忍を地侍(小領主)、下忍を小作人とし、忍者集団の中での身分とした
>のである。
>のちに自身でも、「少し独創的にすぎたか」と述懐している。
>のちに自身でも、「少し独創的にすぎたか」と述懐している。
それはエッセイかな? 全集に載ってるんだろうか。
660 :
658:2006/10/16(月) 13:29:32
おお、即レスだ。
なにに載ってるかは自分もそのサイトでしか知りません。
「梟の城」の翌年に掲載されたリアリティ忍者小説 村山知義の「忍びの者」にも、
早速上忍・下忍が身分制度として書かれていますね。
661 :
日本@名無史さん:2006/10/16(月) 14:59:56
>>658 忍び社会は世襲というより実力社会だったと言うことかな?
それとも身分の区別は他の言葉が使われてたのか
662 :
658:2006/10/16(月) 15:54:52
甲賀は合議制をとっていたので、各忍家の長は対等に近い関係で、その一家の家長に
従って仕えるもの達がいるという組織。
伊賀は家にも上下関係があり、3家(藤林・百地・服部)が勢力をもち 、その中間と
さらにその下になる家があったようです。
もちろん各家はそこの家長が一番身分が上なのは甲賀と一緒だったと思います。
忍者の身分呼称を忍者研究家の奥瀬平七郎氏も上忍・中忍・下忍と呼んでいますので、
現在では、本来の意味にこだわらずこの用語を使っていいんじゃないでしょうか?
たしかに奥瀬平七郎氏も上忍・中忍・下忍と使っているな。
それに司馬遼が資料にした部分がわからないと判断がつかない。
たぶんコレ↓が出典だとは思うンだが・・・ 他にもあるんかいな?
ちなみに中忍・下忍の文字はワシには見つからなかった・・・orz
「此道は他芸と違い上手と云名あるは、中吉の忍者として良きにあらず。
只上手とも下手とも、人の知る事なくして巧者なるを上忍とするなり・・・
・・此忍術の位へは・・・四十八人の者共(隠忍59流派の名手)の及ぶ所にあらず。
此五十九人の者共は、皆浅きに因りて名有る者共なり。
名は世に顕れずと雖も、右五十九人の者共の主人とも、よく忍術を知りたると
聞こえたり、これらは深きに因りて名なしと云々」
664 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 14:21:08
当時の忍者もあんまりこだわってなかったかもしれないよな。
昔の人って、けっこうおおらかだから
665 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 16:48:09
Vパラダイス くノ一忍法帖
666 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 16:57:38
古代百済語の隠れるって意味のninsaが忍者の語源
忍術とよばれる体術体系も百済以来の韓半島へ冊封したことへの見返り
無知なくせにパクリを否定するのは日本人の病気だよ
667 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 17:30:41
忍者って明治になってから出来た立川文庫の造語じゃなかったっけ。
ついに三国揃い踏みです。
669 :
日本@名無史さん:2006/10/17(火) 18:43:50
ninsaの体術壁画が韓国には存在するね
日本人が忍術文化や忍者文化の起源を誇るのは完璧自爆ですね
百済の文化が無ければ何も文化がない日本
>たぶんコレ↓が出典だとは思うンだが・・
でしょうね。確かに下忍という文字はでてきませんが、上忍の対語としての言葉で
司馬遼は九郎散人さんもいってる様に、隠忍の術を習わせたとされる下人を下忍と
したでしょう。
忍者の世界をサラリーマン世界に類似させて、読者の共感を呼ぼうとしたのが、
「梟の城」ではなかったかと…
そしてこれを厳しい掟のピラミッド型階級社会にしたのが、白土三平ですかねぇ。
抜忍は白土三平の造語かな?
司馬、村上、白土の三人が忍者の身分階級を上忍・中忍・下忍として定着させた
んじゃないでしょうか?
むむっ!663が、なぜワシじゃとわかったんじゃろ? 謎じゃ??
忍者の語源というと
我が邦においては聖徳太子の使った忍者の呼称は志能備(シノビ)
義経配下、伊勢三郎の軍歌でも「忍び者(シノビシャ)」の呼称じゃのう。
萬川集海では「忍」とも「忍者」とも書いてあるので昔から使っていたかもしれんがワシゃ知らん。
しかし抜忍が「ヌケシノビ」だと間抜けじゃのう。にんにん。
いいこと考えた。
「抜忍」は「ヌキシノビ」と読むことにしよう。エロさ倍増だね。
山田風太郎にありそうだな
675 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 16:30:49
676 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 18:58:02
伊賀忍者、甲賀忍者とありますが佐賀忍者が最強です
ついに口に出してしまったか・・・
おまい消されるぞ
678 :
583:2006/10/22(日) 21:38:44
679 :
日本@名無史さん:2006/10/22(日) 21:41:58
戸隠
680 :
九郎散人:2006/10/23(月) 02:20:29
あれ〜?志能便じゃったのかもしれんのう〜w
まー志能備も「主のため良き報を志す者」とか適当に意味をあててるみたいじゃ。
ちなみに画像はみれなかった(泣
_ _
(・ 。 ・ )・・・・
>679
むむっ戸隠流か、恐ろしい相手じゃった。
カード大のムササビみたいな形の手裏剣を投げてきおった事があったわい。
そういや現在でも初見先生が名刺とか投げとるのう。にんにん。
681 :
583:2006/10/23(月) 02:37:48
>>680 画像の確認をしてみましたが、専ブラでは見れませんでした。スマンです。
でも、ブラウザーでなら見れましたのでそちらでどうぞ。
ただし、画像がでかい!んーっ
武板からのコピペ
51 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/08/17 11:03 ID:DyQFhiN6
忍者になりたければ「萬川集海」「正忍記」を読むべし。
戸隠流の系図が???なのは綿谷雪が「武芸流派大辞典」
の中で言及している。現在の初見さんの技は高松さんや
上野さんの創作ではないのだろうか?
53 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 02/08/23 05:37 ID:Eq9d8aph
まあ、創作だろうけど
歴史的なことや巻物なんか
どうでもいいって初見は雑誌で言ってたし
確かに弟子が増えすぎて
弱いね、あそこは
見学にいったけど外人なんか特に
弱そう
でもね初見の動きはすごかったよ
あと昔の弟子は強いって野は
聞いたことがあるし
秘伝戸隠流忍法を読めばそうだろうなあと思う
種村も強いんだろうな
だけど種村はきんべえさんに習ってから
形とか礼式にこだわりすぎで
初見のような変化技を教えられなくなったんだよね
形どうりに相手は攻撃してこないのにね
>>678 道具編の右の部分は百雷銃ににてると思います。
百雷銃…爆竹のようなもので、あたかも銃で斉射しているような音をだす。
予め竹やぶ等に仕掛けておき、敵に追われた際使用する。
追ってきた敵は、一斉射撃を受けたと勘違いして逃げだすという仕掛け。
江戸の伊賀組については、明治になって元伊賀組だった人達が、自分達は代々警備
等をしていて、「忍者」的な仕事は一切やっていなかったと証言していますから、
甲賀組も同じだろうと考えられています。
しかし、その忍術書は在郷の人々ばかりでなく江戸在住の甲賀者も、忍術の継承を
おこなっいてたことを表す貴重な資料だとおもいます。
685 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:44:49
うーん風太郎にあった気がするけど・・・。
全部読み返すの無理w
686 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:47:50
伊賀、甲賀、風魔、戸隠・・・
いろいろ有るけどどこが一番優れてたのかな?
687 :
九郎散人:2006/10/23(月) 23:25:06
たぶん組織が大きかったのが伊賀服部一族、自主独立の甲賀共和国。
破壊力の風魔、FBI講師の戸隠、SAGA佐賀。ん〜適当じゃのうw
というか伊賀、甲賀で『甲伊一国』悪党一揆の国じゃな、河内の楠正成みたいなもんか?
結果として徳川傘下に迎えられるのが伊賀、甲賀。
また近江、美濃で合わせて二千のスッパがおったとか、そんなに居るなら中には
仮面の忍者や戸隠流正統ジライヤが居てもおかしくないのう。
北条五代記にある相州ラッパが風魔の事だそうな。
「山賊海賊夜盗強盗、物を盗み謀略をめぐらす、こんなヤツらを雇う国主はいない!」
・・・うーむ、えらい言われようじゃのう。
ただ、武田の甲州スッパですら手におえないほど強かったのは確かなようじゃ。
ちなみにこの連中は江戸時代になってもまだ盗賊をやっていたそうな。
特に風魔は、だれかれ構わず殺しまくり火を放ちフンドシ一枚まで盗んでいった凶悪さ
じゃったとか。
ん〜困ったちゃんじゃのう にんにん。
風魔って変態馬乗り集団って認識だった
戸隠の記録って史料でみたことないけど、どんな史料に何が記録されているの?
>>675 あああどうなってしまうんだ・・・
いやむしろ鬼姫に主役交代でもいいけども
>戸隠の記録って史料でみたことないけど
戸隠流の記録ならFBIに有るはずじゃ! にんにん。
・・・というのは冗談じゃ
まあ、戸隠には宿坊が有ったから全国の修験者の中継地じゃったからじゃろう。
当然忍びの術に長けた山法師も集まって居たじゃろ。
ただ当時戸隠流忍術道場などと言うもんが有ったかどうかはワシゃしらん。
ちなみに武神館なら野田に有るのう。 のう抜忍28号。
戸隠山は、
戸沢白雲斎、猿飛佐助の師匠ですか?
立川文庫「真田十勇士」が史料だと思われ
確実な史料で確認できるもの … 甲賀・伊賀及びそこから派生した流派
やや怪しいところもあるが、存在が確認されるもの … 風魔・甲州スッパ
怪しいがとにかく存在したと思われるもの … 鉢屋衆
その他に、大阪の陣の史料で真田忍者も確認できるけど、あと実際に活動した
記録が残っているものは…
風魔・甲州スッパ・鉢屋衆のように雇い主が滅ぶと、いまひとつ確実な史料が
残らないですね。
あ、すまん「飛び加藤」こと加藤段蔵は信州戸隠山の「鳶ノ一族」鳶法師の裔だそうな。
じゃがソース元は知らん。 ちなみにこんなのも見つけた
ttp://www.jtb.co.jp/kokunai/theme/history/ninja/index_02.asp?Citycode=003 >戸隠流忍術は、木曽義仲の家臣で戸隠山の修験者「仁科大助」(戸隠大助)が始祖で
>義仲討死後、伊賀に逃れ伊賀流忍術を取り入れて戸隠流を完成した・・・
そういや信濃の望月も木曽義仲の家臣で望月ノ牧には良馬千五百頭を揃え弓馬に達したとか。
真田や望月はもともと清和系の「滋野氏」の支族であり牧を営み弓馬に慣れ
修験が盛んであったそうな。
信州の修験山はざっと戸隠山、飯縄山、黒姫山、御岳さん・・・などなど。
信州と言えば信玄の『歩き巫女』の道場が有った。
歩き巫女の頭領(巫女頭)は「望月千代女 (ちよじょ)」
甲賀望月家の出身で信濃望月城主、望月盛時に嫁入りしたがダンナは戦死。
未亡人の千代女は信玄によって「甲斐信濃二国巫女頭領」に任じられる。
ちなみにおムコさんは武田典厩信繁の二男信雅らしい。
小県郡祢津村古御館(チイサガタコオリフルミタチ)の道場では200〜300人の少女達に
呪術、祈祷、口寄せ、忍術、武術、性技、舞や楽曲を教え込んだそうな。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8F%E3%83%8E%E4%B8%80 歩き巫女については漫画の「ムカデ戦旗」に出てくるのう。
戸隠流なんてちゃんとした巻物の類の資料も無いでっち上げのインチキでしょうに…
大昔、近代空手か月刊空手道でその事について触れられていたんだが
今はすっかり忘れ去られているみたいだな…
海外の弟子にも自称FBIやら自称軍の高官なんて色々いるらしいが実際はただの忍者オタ。
UFCにも出ていたジェナムは本物の警官だけどね。
種村にしろ初見にしろ嘘ばっかだよ。
種村は数十人相手に勝ったなんてホラを吹くし…
初見の対剣の攻防の型見たが余りにも荒唐無稽…
大昔の海外向けのプロモーション映画を見たが格闘のシーンなんざ
下手な時代劇の殺陣以下だったよ
実戦であんなことは絶対無理!
イスラエルの護身術クラブマガの専門家が笑っていたくらいだし
大体、厚生省麻薬Gメンに教えているなんて法螺話
あんたらマトモに受け止めてんのかい?
戸田真龍軒やら高松寿嗣なんて話も相当胡散臭い…
権威付けのための法螺話と見ていいだろう
697 :
日本@名無史さん:2006/10/29(日) 04:16:31
わーいありがとう>697
>696
初見先生の戸隠流躰術は天心、高木流とかの柔術、空手のチャンポン創作じゃろ。
高松先生とか上野先生はかなり強かったようじゃ。
素手で数十人相手にできるかどうかはしらんわいw
ワシなら複数の敵に対しては当然に武器を使う、人を使う、天候を使う、時間を使う
それが真の兵法というものじゃ。 のう抜忍28号。
裏街道の武芸者は非情なのじゃ。にんにん。
むしろ卑怯といわれることを厭わないのが忍者というものなんだから
集団で来たら手榴弾でも投げ込んでやれば良いですよ。拳銃弾叩きつけたり。
701 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/10/30(月) 11:07:45
一方では進むを知って退くを知らない田原坂戦や関ヶ原戦の薩摩隼人に憧れ、
また一方では、任務のためならどのような手段をも厭わぬ忍びの者に
強く惹かれるオイラであった。
不確かな情報をあれこれ言ってる時点で現代忍者の術中なんじゃないか
703 :
日本@名無史さん:2006/10/30(月) 16:42:29
まがり(←変換できなかった)の陣跡って、今話題になっている新幹線南び
わこ駅建設予定地の近くにあるの?
や〜まを越え〜谷を跳び〜僕らの町へ〜やってきた〜
ハッ○リくんがやってきた〜く〜さり帷子草鞋履き〜
背中に背負うた忍者刀〜目〜にもとまらぬ早業で〜
706 :
日本@名無史さん:2006/10/31(火) 00:22:39
昨日スロのハットリ君で6マソげとしたよw
ハットリ君までスロットあるのか・・・
708 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 18:20:32
709 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 18:34:24
真田十勇士 サスケ 伊賀者 甲賀者
芭蕉も忍者説伝わる。
忍者も武士にあたり10石ほどの国持ちにもなれた。
710 :
日本@名無史さん:2006/11/06(月) 19:24:37
そういえば故丹波哲郎も忍術を使えたそうな……後漢の霊帝にまで遡る公家であった丹波家に伝わる遁甲術を父から伝授されたらしい
十石で国持ちってなんやー?
713 :
九郎散人:2006/11/06(月) 23:07:26
>710
うむ。確かに丹波哲郎氏は平安時代の針博士丹波康頼の末裔じゃな。
丹波哲郎氏の祖父丹波敬三は薬剤師会会長、さらにその父は蘭方医の丹波元礼
丹波・多紀は日本医学界の名門じゃな、詳しくは『陽だまりの樹』を読むべし。
そう言や藤原道長に送りつけられた毒瓜の蛇を陰陽師の阿倍晴明、鬼退治の武士源頼光、
僧正の勸修らとともに退治した医師の「丹波忠明」がおるな。
朝廷の典薬寮は医博士、針博士、按摩博士、呪禁博士、薬園師で構成されていたそうな。
この流れが丹波家に伝わっていたのなら面白いのじゃがな。
呪禁博士は後に陰陽寮に職掌を奪われて消滅とある。
陰陽師の忍者には徳川光圀(石坂以降)と共に諸国を漫遊した素破の次郎坊がいたのう。
ちなみに丹波哲郎氏の母方祖父の秦佐八郎博士は梅毒の特効薬サルバルサン606号の開発者だそうな。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E4%BD%90%E5%85%AB%E9%83%8E この莫大な資金を元に国際警察キイハンターや太陽戦隊サルバルサンを結成した話は極秘事項じゃ
にんにん。
>>709 知行取りは200石以上の旗本じゃまいか。
もし甲賀者が手取り80石なら200石の国持ち(知行地持ち)に該当すると
考えて良いのだろうか?
715 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 17:51:40
716 :
日本@名無史さん:2006/11/09(木) 23:31:39
板が合ってるといいけど・・。
知り合いの親戚で、107才のご長寿がいるのだが、
どうも父親が伊達藩黒ハバキ忍軍(漢字が出ない、失礼)
だったらしい。
その地区は、確かに昔の国境付近で、武士であったが、
農民でもあったと話していた。
それって潜んでいたと言う事か?
後、口伝めいた事も言っていたが、覚えていない。
惜しいことをした。
718 :
真田虫村:2006/11/10(金) 01:29:09
太陽戦隊サンバルカンでは・・・?
児玉源太郎役 良かったぜ。丹波さん・・・
719 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 05:08:39
>>716 それは伊達政宗の命で安倍対馬守が創ったという「黒脛巾組」(クロハバキグミ)のことであろう。
黒脛巾組の名は、組の者が黒革の脛当てを付け、それを仲間の目印としていたことに由来するという。
仙台藩の正史には、黒脛巾組の名はないが、稗史として幾つかの史書に残っている。
『伊達秘鑑』という書物には、安倍対馬守、柳原戸兵衛、世瀬蔵人
『老人伝聞記』には、清水杢兵衛、逸物惣右衛門、佐々木左近、横山隼人、気仙沼左近
などという名が黒脛巾組の頭領として伝えられている。
720 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 09:28:29
戸隠流忍法は、昭和になって創流された流儀です
戦後、高松さんが堅気で一本立ちしたいと相談した名和先生が命名し、流儀の由来についても考えてあげたんだそうです…割と有名な話で、流儀の始まりなんて案外そんな発端が多いんじゃないかな
721 :
日本@名無史さん:2006/11/10(金) 10:56:46
>>720の続き
年配の師範だとご存知なんですが
高松さんは、戦前は弁天楼と云う、親戚が経営する遊郭で用心棒をされていたんです
大きな店だったらしく、揉め事仲裁や裏世界との渉外窓口として苦労されたそうです
だから、腕っ節だけじゃなく駆け引きも相当だったんです
古武道界では、このような経歴と流儀立ち上げ時点で高木流を正式に認められていなかったことからメンバーに入れなかったと伺ってます
723 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 01:10:33
甲賀忍者について調べています。
甲賀忍者は合議制のためトップが中忍であったという表記がよく見れるのですが、
一部では山中大和守が上忍としているという表記もみました。
どちらが本当なのでしょうか?
724 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 01:18:27
逃亡者おりん 最高傑作!
725 :
723:2006/11/11(土) 01:37:15
上の方であったの読みました。
甲賀は合議制のためその数が53か21家という数が多いため為、中忍という形なのでしょうか?
そうすると山中大和守とはその合議制の中でも力を持った山中家が議長のような形で上忍と表記されたのでしょうか?
>>725 山中大和守のことは知りませんが、
「大和守」の部分は、どうせ自称でしょう。
朝廷から正式にもらった官職ではなく。
だとすれば、山中家が特別大きな家だったと推測する理由になりえません。
727 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 01:58:42
うーむ。ループするが上忍、中忍が身分や家格を意味するかどうかは微妙じゃ。
伊賀三上忍の藤林(富士林)・服部・百地は服部氏族のようじゃが・・・
甲賀の「惣」とは「一揆」で建てられた国(自治)と言われる。松浦水軍など
独立した軍事傭兵組織も「惣」の形態をとっているようじゃ。
また江戸期には、この「一揆」を監視する目付に『無足』という忍びがあてられた。
たしか藤田西湖先生の父上も部落の監視をしていたはず。
スパイ=間諜は主将=殿様、家老に直結した機関員でなければならないが、
忍者と言われた連中が忠義者であったかはこれまた疑問じゃ。
「傀儡記」(旅芸人の賤民)によると
>定居無く家もなくテント?暮らしで移り歩く。すこぶる北狄の俗に類す。
>男は弓馬、狩猟が巧みで剣や玉を投げ・・・ ・・・一畝の田畑も耕さぬため
>役人の采配も受けない。上は王侯を知らず、神を恐れず一生を楽しんで暮らす。
・・・こんな感じか。山伏も似たような記述がされている。
>>720-721 おお、名和氏は高松先生の所にも出入りしてたのか?それは知らなかった
初見先生とは関係しておられたのは知っていたが・・・なるほど少しわかったw
古武道界でも忍びだったとはさすがじゃのうw にんにん。
729 :
723:2006/11/11(土) 06:27:41
>>726 前に甲賀の忍者を興味があって調べていた時に甲賀は中忍しかいない合議制の忍者達だと理解していました
ただ、その時小説の中で上忍、山中大和守というのが出ていたのですが、上記の事をその前に知っていたので、それは小説の中の話だと思っていたのです
ですがネットで検索してみた所
ttp://campus.keiho-u.ac.jp/class/03e0294/top6.htm このHPにてどうも実在の人物らしいというのでどうなのだろうと思った次第です。
それで自分の解釈として合議制の中でも議長など中心になっていた存在だったため大和守と自称し上忍と呼ばれたの出はないかと思って質問にきたのです
>>728 上忍、中忍の区別は難しいのですね。
極一部の伊賀の三上忍のみ言われていただけで、他の忍者集団ではそういう区別はあまりなかったのでしょうか?
そういえばどこかで上忍中忍下忍は後世の小説などで分かりやすくするため付けられたというのも聞いた事があったような気もします。
そして色々教えて頂きありがとうございました
>>729 >このHPにてどうも実在の人物らしい
>上忍中忍下忍は後世の小説などで分かりやすくするため付けられたという
どちらもこのスレで外出なので、スレを再読してから質問してくれ
↑続き
知ってると思うけど
とりあえず「山中」と「上忍」でそれぞれスレ内を言語検索すれば関連レスは読める。
732 :
日本@名無史さん:2006/11/11(土) 14:32:56
>>728さん
>>720です
名和先生のところへ、高松さんが相談に訪れたんです
名和さんしか相手にしてもらえなかったというかね
綿谷先生は、三田村鳶魚の輪考会にいたから、経緯を知った上で本ではぼやかして書かれたんです
当時の高松さんは、金は持ってても表の人じゃなかったから、世間で腕を認められるには堅気になるしかなかったんだ
修羅場をくぐってきただけに、誰よりも実力があると自信があったでしょうね
同じく実戦体験とはいえ警察や軍隊、特務機関に籍があった合気道や旧武徳会関係の方々とは最初のスタートからして違うんだから、明暗があるのは仕方ないですよ
皆さんは、稽古の後に茶湯会とかされないんですか
720殿たびたびどうも。天心系の人ですかのう?
高松先生は富田常雄先生の姿三四郎に出てくる古い柔術家たちのようなモンじゃなかろうろか。
ワシの先生の先生も戦後すぐ柔術家として金持ちの用心棒をやっていたそうですじゃ。
なんでもヤクザ事務所に一人で乗り込んで手当たり次第10人ぐらい投げ飛ばしたそうですじゃ。
もちろんいっぺんに十人ではなく不意打ちで室内に乗り込み、各部屋へ移動しながら
当て身と投げで個別撃破していったから可能なのじゃが。
昔は居たんですなあ、こんな人達が。この人も堅気では無く、武芸者としては
無名で終わったそうな。
ちなみに、ワシらの所は稽古の後はファミレスですじゃw にんにん。
買ったぞ!「最後の忍者どろんろん」なぜか武術書コーナーに置いてあったw
735 :
723:2006/11/12(日) 23:26:07
>>730 検索したら私の疑問のほとんどがかいてありました
指摘ありがとうございました。
昔は一部の存在が上忍と呼ばれていただけで、中忍下忍という名称は後世の小説などで付け加えられたもの。
という事ですよね。
とすると甲賀の合議制の者達は自らを中忍と名乗ったとは思えない
これもまた後世の付け加えという事でしょうか?
736 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 01:55:12
>>733さん
>>720です
流儀については、昔からメジャーな…と云うくらいでご容赦下さい
道場破りをいなせるくらいに強くなると腕試しがしたくなるものですね
駆け引きや、相手の息づかいが読めるレベルになると、普通は体力が落ちるんですが…中年になっても若い連中と変わらない方がいますね
ヤクザが自衛隊の若手隊員をカモっちゃうと、後で事務所が滅茶苦茶にされるって現象が起きたみたいですね
738 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 16:05:28
>>720です
ところで、手裏剣の投げ方の話題がなくって寂しいね
戸隠流なんてケチな話しちゃって
(^o^;)
武術でご飯を食べるのは大変だね
だから、少林寺拳法じゃ正業を持ち道場で飯を喰うなと言ってるんですよね
寂しいけど正論ですよ
甲野先生とは以前にこの話題でお話しましたが、生活に余裕ができたのは有名になったこの十数年位だそうです
うーむ。まあ
>>1が本当に知りたかったのは現代武道としての忍術でしょう。
ちょうど1年前、武板で戸隠流を尋ねるレスが有りました、
「それなら歴史板で聞いたら?」と適当に誘導したので気になって見てみたら・・・
このスレが建っていたのじゃったw (本人かどうかはわからんが)
まあ、今では抜け忍たちの楽しい遊び場ですじゃw これはこれで良し。
以前書いたが手裏剣の技法についてはワシは棒手裏剣を使う。
投げる以外に数手の使用法があり携帯にも便利。
初見先生の所で使っているムササビの様な形状の車手裏剣は九鬼流のものではなかろうか?
ただ、、、同じマスコミ武道家としての話なら正直、甲野さんより初見先生の方が
武芸者としては実力的に評価できますな、やはり技に背骨が感じられる。
それはキチンと師匠に就いていた期間の差・・・かな。
741 :
日本@名無史さん:2006/11/13(月) 23:49:47
>>740さんがスレ主だと思ってました
(^o^;)
九鬼流の手裏剣は、糸巻き型で真ん中に四角の穴が開いていて、微妙なテーパーがかってます
縦向けに投げますが、杉板ならグッサリささりますよ
十字手裏剣って、刺さって殺すんじゃなくて、
毒薬を塗って使うんだろう?
相手に浅い傷でも付けれるように、幅のある軌跡で飛ぶ。
ちゃいます。ワシは1氏ではなく
>>47-50です。現在は抜忍28号に狙われる身なので
詳しい事は言えません!にんにん。
糸巻き型は九鬼神流銛盤手裏剣ですな。武神館の御門人がよく似た物をもっていたので覚えております。
小さくて指に挟んで投げてた気がしますな。 ・・・昔なのであまり覚えてないけどw
ついでだからウチの流派の「夜太刀」と言う繰刀術も書いておこう。
本来は秘伝だが書店の忍者入門書に同じ技が紹介されちゃってるからいいじゃろw
夜間は基本的に居合を使う、なぜ居合なのかというと刀は光るから。
逆にわざと白い布を使い敵を判別する方法もあるもあるがそっちは秘密じゃ!
室内と屋外の違いもあるので能々吟味有るべき事じゃ。−以上口伝
まず闇の中では鞘を半分抜いて刀身に引っかけ下緒で引っ張りながら索敵する。
つーか、これはたぶんみんな知ってるじゃろw そのままわざと音をたてて別方向に敵を
誘導する方法もある。攻撃に使う別伝もあるがそっちは秘密じゃ!
闇の中では姿勢は低くし前足の膝は胸に付ける。その姿勢のまま床面に沿って刀を
左右に斬り返しす、つまり裾払い(足斬)じゃな。突いても良い。
結構キツイ姿勢じゃが利点はまず、敵の攻撃を受けづらい。発見されにくい。
下から見上げる事で空に影が映る。草むらなどに隠れる。−以上口伝。
こんなもんかのう。のう抜忍28号。にんにん。
744 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 00:35:42
>>742さんは、どなたか師範に教わったられたんですか
九鬼流では、手慣しに遣ってます
いわば、コンディションの確認みたいなものですね
745 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 12:13:05
九鬼流自体は、棒術の流儀ですよ
忍者とは縁はないと思います
形は表五本奥五本が稽古されています
形一本を十八に変形させることで、応用技を生みます
だから、変化技と立ち受け合わせると稽古は単調ではないと聞きますね
でも、忍びの技みたいなのは…近年の応用技だと思いますが如何でしょうか
戸隠流の外人弟子たちは、これが忍術だといって世界に広めてるんですかね、やっぱり?
747 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/11/14(火) 18:02:51
>>743 9郎マティさん。ネットで殺人の方法公開しちゃマズイじゃないか!!!
・・・とツッコンでみる。
748 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:52:39
海外では明治期に出た柔術が定着してますが、警察や地域のスポーツクラブの活動と密着してるので、空手や合気道のように道場でご飯が食べられるような状況にはありません
テレビで紹介されて、凄い技が身につくようなイメージに欠けるんですよ
だから、キワモノのほうがビジネスには生かせるんです
初見センセも種村センセも、そのあたりのマーケティングはキチンとされてますね
話のネタは兎も角、精鋭部隊に技の指導をするのは生死に関わるだけに止めてもらいたいですよ
以前、英国海兵隊が合気道を取り入れてた時期、実戦では役に立たなかったそうだからね
749 :
日本@名無史さん:2006/11/14(火) 21:06:53
>>747さん
暗闇では気配を感じられる修行者しか武器は扱えませんよ
懐かしいので少し書きましょう
まずは、遊びの中から勘を養います…座布団の下に硬貨を隠して指で差し示さしたりね
暗闇の抜刀は慣れないと操刀でしないですよ
部屋を暗くして、棒や刀を扱えますか
如何に、躰に馴染んでないか解りますよ…六尺の棒を小さく、二尺四寸の打刀を大きく扱い部屋にぶつからないように扱えば初伝ですかね
ほう、すごい個人能力開発の稽古じゃのう。面白い。
しかしその辺はワシ等と考えが逆じゃな。
我々は障りが多い方が逆に安全と見る。武器を振り回せないのは敵も同じだからじゃ。
条件が悪いと言う事は攻めるに悪く守るに良し、逆もまたしかりだがw
天地の有利なポジションをどう取るかがワシらの兵法じゃ。
・・・なに?気配が感じられない場合はどうするかって?
「そう言う不利な状況を作らない」稽古をするのじゃ! ヤバイ時は全力で逃げるべし!
>>747 だいじょぶじゃ749氏も言ってるが、あれだけでは判るヤツにしか使えンよ
つーかマネしてやったら自分がケガするだけかものうw
躰は大きくじゃ、にんにん。
751 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 10:40:58
>>749です
低い姿勢でチョロチョロするのは格好はわるくとも、追い込みには理にかなってますよ
ご紹介の膝切りの技は、清水次郎長親分が得意としてましたね、柳剛流の実戦技として覚えがあります
752 :
九郎:2006/11/15(水) 12:58:51
479氏乙です。
柳剛流の足斬りは「立合」技なので少し戦術方向が違いますな、
立合、試合で使うフェイント技の部類です。
「夜の太刀」は闇の中に潜む太刀です。姿勢を低くし敵が近づくのをじっと待ちます。
それによって敵の攻撃を受けづらくし、下から見上げる事で敵の動きを探ります。
壁や水田、樹木を背後にすれば索敵を前方のみに集中することができますな。
草むらなどに隠れて使うのも有りですな。
つまり「地の利」ポジション取りの戦闘術です。
753 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 14:01:35
なるほど
ご教示ありがとうございます
闇夜の戦闘は達人でも大変そうですね
754 :
九郎:2006/11/15(水) 16:52:46
ところで749の「二尺四寸の打刀」とは九鬼流の刀術ですかのう?
本来九鬼流は薙刀、棒折れと聞きますが刀術も併伝されていたんですかのう?
755 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 19:29:28
下着は当然褌だろうな
756 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 20:04:41
>>749です
棒と打刀はあくまで一般的な長さとしてだしました
教わった師範から何度も繰り返し聴かされたことばです
九鬼神流については詳しくないのに書き込んじゃって
(^o^;)
棒は、六尺ではなかったです…形状は、六割り竹を合わせたモノで中央が僅かに細くなっていた筈です
棒は、鑓への変化と薙刀への変化を教え、棒の操法から体術を練る流儀のようですが、剣は受け太刀の扱いですから表技ではないでしょう
そうそう、一般に習う拾本の他、更に五本ありましたが一度目にしただけなので理合は解りませんでしたね
別伝として高木流が教伝されますが詳しくは知りません
他流の事をゴチャゴチャいってスミマセン
757 :
九郎:2006/11/15(水) 20:26:02
いや九鬼流に限らず裏芸、躰術ネタ、体験談歓迎です。
やはり忍者スレとしては初見先生などは、どうしても避けて通れないでしょう
なんぞ面白い武器や芸術はご存じありませんかのう?
>755
いやらしいのう。それは秘密じゃ!
ちなみに甲賀流(和田伝)藤田西湖氏は竹槍で突かれたさい六尺褌を包帯にし
酢で消毒したとある。
758 :
日本@名無史さん:2006/11/15(水) 22:01:24
思いだしましたよ
随分前の奉納演武でしたが
九鬼神流なら、神長師範が高松伝の稽古を伝えておられるんでした
面白いモノですか
根岸流の手裏剣とかは如何です
勿体なくて軽々しく使えないのですが
一時は熱中してましたよ
>>757 >やはり忍者スレとしては初見先生などは、どうしても避けて通れないでしょう
よくわからないのですが、初見先生の技は、歴史スレという立場からみて実際の忍者の技術
だってことですか?
760 :
九郎:2006/11/16(木) 12:58:44
戸隠流忍法躰術の技術や正当性うんぬんについては上の方にも書いてあるが
「現代形古武道」なので歴史的価値は無いと思う。
ただ、初見先生達は現在忍者を名乗っているから、どうしても「戸隠流って何?」
「アメリカで忍者やってるけど何?」って事になる事は周知の通り。
「なぜ現代忍者武道なるものが発生するのか?」これは面白いネタではなかろうか?
761 :
九郎:2006/11/16(木) 17:15:52
>758
ああ、K長先生のところは本格的な刀術はたしか無かったですな。やはり棒メインです。
あそこの師範のかたがたの棒術は強かった。たしか六尺、半棒、ひしぎだったか。
根岸流ですか。ヨーロッパの空軍で研究され、現代の航空爆弾のモデルになったと言われる
日本武道の誇る完成された武器デザインですな。
ワシも一度製作に挑戦しましたが・・・ あの形状は難しい、断念!
そういえば現代戦のマニュアルにある手持ち投擲武器は意外な事にスコップじゃそうです。
忍者が「くない」を投げるのも、あながち理にかなってるのではなかろうか?
ただマンガでは投げる量がちと多い・・・ にんにん。
762 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 17:19:26
現代忍者武道って手裏剣とか剣が中心なんだな。
はや駆けとか木登りとか泳ぎの練習が主だと思ってたが。
763 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 18:00:20
褌は白?赤?
アッー!
765 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 21:52:01
>>761さん
いぃ加減なこと言っちゃいけませんよ
(^_^;)
先鋭な形状とウエストラインのようなくびれがアクセントとなる根岸流手裏剣のデザインの妙味は、掌への馴染みと手離れとのバランスに実はあります
中指を心持ち反らし、手裏剣の窪みに僅かな手掛かりとなる感触は他の手裏剣には無いものです
766 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:26:03
>>765の続き
さて、根岸流の有効射程ですが、獲物を取った話は聞きませんね
但し、前田勇師範は戦時中手裏剣で敵兵を殺傷したという朝日新聞の記事があります
山田師範から相伝された甲野善紀師範は暗くした室内で、七間の間合いに四・五投放ち、一抜きできる位に打たれます
甲野先生の手裏剣は材料を吟味し工芸品のような美しさがありますが、何度となく巻き直し、研ぎを繰り返しただけに吸い付くような練りが感じられます
767 :
日本@名無史さん:2006/11/16(木) 23:07:48
>>766の続き
山田師範から根岸流を伝えられ方では
山形の奥山観禅師がおられます
奥山師は僧として修行されている傍らで林崎夢想流居合の宗家として技を伝えられています
朝の勤めの前、堂内で打たれるため目にした方は、ごく親しい方に限られるそうです
観禅師より、手裏剣を譲られた方に見せて頂き手に取り、試し打ちをお許し頂いたことがあります
先太の鋼を粗く鑢で削りだしてあり、主の手を離れた今も、持ち手を待っている風情がありました
麻縄を解し松脂で固めた手元と自然にほどけ、房のように流れる様子が強烈に主張します
打たせて頂きましたが、持ち手の癖に合わせたように
手の内に入るのを拒絶する感触が入って来ます
古の隠武器の常で、敵の手に落ちても直ぐに使えないよう『念』の入った手裏剣でした
768 :
洛北高校OB:2006/11/17(金) 00:13:47
>>167の続き
根岸流手裏剣は、狩衣に紐を通す針を元にして作られたてと云う説があります
鑓の穂先のような先端と尻に向けて細く伸びる後端部があります
後半部分は全体の2/3を占め断面は円形で、先端部分の断面は薄い菱形となり、両者のつながりのギザギザした削り目の縞と急なくびれがアクセントとなっています
奥女中の遊びとして仙台藩で育まれ、根岸流の魁となった針打ちの技は、武術の精髄を極めた士をも手の内としたのでしょう
769 :
洛北高校OB:2006/11/17(金) 00:35:59
>>768の続き
根岸流の前身となった願立(流)の子細は今には伝えられていませんが
奥女中の遊びが、武術を極めようとする武術の徒が、我がのレファレンスを求めるとは意外だと思いませんか
>765
およ?いー加減なこと言ってますかのう?
パリの博物館に有った遣仏使節団の水戸藩士が持ってた手裏剣(上遠野流か?)が一説には
航空機によるフレシット弾の原型と言われておりますぞ。
「手裏剣は入りやすく成し難し」と言い、基本的に手裏剣で教わるのは投擲法と応用のみで
後は自習自得の何でもあり。
ワシは投げれる物は何でも投げるし手裏剣は自作もしますな。
と、言っても刺さる間合いは手裏剣で3間程度じゃがw
まー あと・・・甲野氏は正直どうでもいいです。武器の用法の話をお願いします。
771 :
洛北高校OB:2006/11/17(金) 00:58:12
>>770さん
名無しさん御中
m(_ _)m
ボクは、このスレが好きで手の内をだしました
(*^-^)b
アナタは如何ですか?
名無しさん
フレシット飛翔体の概念は、目で追える手裏剣には公式自体当てはまりませんが如何ですか?
大丈夫ですよね
(`ω´)
L/D比というのが生きてくるのは音速以上ですよね
大丈夫ですか
当然ですよぬ
(-へ-)zzZ
772 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 01:00:03
773 :
洛北高校OB:2006/11/17(金) 01:57:11
>>679です
>>770さん
はもしかして九郎さんですか
ボクには、技のができるできないということは、最大の説得力だと思いますが、違いますかね
774 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 04:19:48
>>770さん
手裏剣は
三間ですか
書き込み内容を見落としてました
(ρ_-)o
手裏剣では、表技でなくとも、四五本打って
近間の二間
遠間の四間
を打ち抜けなければ、切紙免許は頂けません
一人稽古と云うより車のハンドル調整ですよ
143 :洛北高校OB:2006/11/11(土) 00:22:24 ID:i463WYke
>>132さん
ボクが見た『ワカメ酒』は、イレポンショーの変形版みたいなもので、客もステージに慣れてないと難しいですよ(*^-^)b
踊り子さんの踊りが終え、暗転したらその間に脱ぎ捨てた衣装が片付けられ、デベソにシートがかけられます
全裸のお姐さんにスポットが当てられると道具を使ったオナニーショーが始まり、適当な頃合いで司会は、カブリついてる客と掛け合いをして、反応の良い客をお姐さんに振ります
気に入られると、ステージに上げられるんです
赤ワインを胸からツツッーと垂らして、太ももを合わせた秘部に集めたものを客に飲ませるんですが…頭を掴んで胸に押し付けたり、しながら舐めさせ、最後はまたを開いてパックリ開いた性器を杯に見立ててワインを溜めたモノを啜らせて終わります
天井の鏡には、赤いワインが筋となって流れ、秘部に集まり、客を弄ぶように体をくねらせるのが艶めかしく感じましたね
ワインを零さないように移動させて、ヴァギナに集めるのは凄いよね
776 :
日本@名無史さん:2006/11/17(金) 14:12:47
>>775さん
ご苦労さま
遅いよ(-.-)
そうなんですよ、武術の興味も風俗も同じように、ワクワクする対象なんですよね
だから、紹介かたがたハンネを書き込みしたんです
ある意味、知識をひけらかしたい誘惑もあるしね
ストリップスレは大人の集まりですよ
777 :
九郎:2006/11/17(金) 20:41:52
これなどは↓忍者の部類かのう。
幕末戊辰戦争の頃、仙台藩に『カラス組(衝撃隊)』という奇襲部隊が存在した。
ttp://homepage1.nifty.com/akabeko/mutou.htm この部隊は、奥州諸藩の情勢を探る「軍事方探偵周旋方」の仙台藩士・細谷十太夫直英が
博徒・猟師・農民らを集めて衝撃隊を作り上げた。
衝撃隊は、隊士たちが皆一様に忍者さながらの黒装束に身を包んでいたことから
烏組の異名をとり、隊旗にも翼を広げて飛ぶカラスの姿を描いていました。
また隊長の細谷自身も、背に三本足の八咫烏が刺繍された陣羽織を着用し、
その身近には常に一羽のカラスを従えていた。
彼らは夜陰にまぎれての諜報活動や奇襲攻撃を得意とし、猟師の出身者などは山野を
我が家の庭のごとく駆け回り、博徒たちは日頃の喧嘩出入りで鍛えた腕と度胸で
敵陣に斬り込みをかけた
>776
残念だがもう相手をする気は無い。
九鬼流の名を騙った段階でスルーすべきであったな・・・ まあ、ワシが悪い。
お前さんも、もう元の巣に帰れ。
778 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 03:26:14
48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/27(金) 02:06:31 ID:/sE3zPhS
忍者を志すものならば知っておきたい「忍者に求められる最低限の基礎体力&運動(身体)能力」
一刻(約2時間)で9里(約27km)走破出来るだけの健脚、そして酒を一升飲み干し100間(約300m)逆立ちで歩ける事。
一日の食事が豆腐半丁と掌いっぱい分の木の実だけでも米俵を持ち上げられる筋力を発揮出来る事。
あと、忍者に向いているのは小柄で足の指が長くて器用に動かす事が出来ればいう事なし。
780 :
日本@名無史さん:2006/11/19(日) 08:29:37
風車の弥七は何流なの?
782 :
うっかり8郎(1つ降格):2006/11/19(日) 12:29:02
弥七は伊賀者だった希ガス
『風車の弥七』
http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/261.html >妻お新とともに江戸で「田毎庵」という蕎麦屋を営み、うっかり八兵衛に「親分」と慕われている。
弥七は創作上の人物であるが、水戸光圀には『松之草小八兵衛(まつのしたこはちべえ)』
という盗賊が仕え彼が弥七のモデルとされる。
小八兵衛は常陸国松之草村(茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に住んでいたとされ
>藤田東胡らの師・石川久徴が著した「桃蹊雑話」なる書物に拠れば、
光圀は、あるとき盗賊の首領を捕らえたがこれを放免する。
彼は光圀に感謝し以来、光圀の隠密として働くようになった。
この盗賊の首領が「松之草の者・小八兵衛」だった。小八兵衛とその子分の働きにより
光圀は領内・隣国の変事動静を居ながらにして知ることができたという。
小八兵衛は、一日で30里(120キロ)を往復でき、妻はドラマと同じく「お新」である。
ただし、お新が江戸で営んでいたのは、蕎麦屋ではなく、うどん屋だったという。
・・・なんという衝撃の事実!弥七のモデルは小「八兵衛」じゃった! こいつはうっかりだ。
783 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 09:25:27
今夜の「その時歴史が動いた」は楽しみぞなもし
784 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 17:16:28
服部君は赤ふんだったような
785 :
日本@名無史さん:2006/11/22(水) 17:28:21
ふんふん。
786 :
日本@名無史さん:2006/11/23(木) 18:52:29
787 :
日本@名無史さん:2006/11/23(木) 18:54:13
弥七は伊賀者だった希ガス
『風車の弥七』
http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/261.html >妻お新とともに江戸で「田毎庵」という蕎麦屋を営み、うっかり八兵衛に「親分」と慕われている。
弥七は創作上の人物であるが、水戸光圀には『松之草小八兵衛(まつのしたこはちべえ)』
という盗賊が仕え彼が弥七のモデルとされる。
小八兵衛は常陸国松之草村(茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に住んでいたとされ
>藤田東胡らの師・石川久徴が著した「桃蹊雑話」なる書物に拠れば、
光圀は、あるとき盗賊の首領を捕らえたがこれを放免する。
彼は光圀に感謝し以来、光圀の隠密として働くようになった。
この盗賊の首領が「松之草の者・小八兵衛」だった。小八兵衛とその子分の働きにより
光圀は領内・隣国の変事動静を居ながらにして知ることができたという。
小八兵衛は、一日で30里(120キロ)を往復でき、妻はドラマと同じく「お新」である。
ただし、お新が江戸で営んでいたのは、蕎麦屋ではなく、うどん屋だったという。
・・・なんという衝撃の事実!弥七のモデルは小「八兵衛」じゃった! こいつはうっかりだ。
788 :
日本@名無史さん:2006/11/23(木) 18:54:35
弥七は伊賀者だった希ガス
『風車の弥七』
http://www1.atwiki.jp/occultfantasy/pages/261.html >妻お新とともに江戸で「田毎庵」という蕎麦屋を営み、うっかり八兵衛に「親分」と慕われている。
弥七は創作上の人物であるが、水戸光圀には『松之草小八兵衛(まつのしたこはちべえ)』
という盗賊が仕え彼が弥七のモデルとされる。
小八兵衛は常陸国松之草村(茨城県那珂郡緒川村大字松之草)に住んでいたとされ
>藤田東胡らの師・石川久徴が著した「桃蹊雑話」なる書物に拠れば、
光圀は、あるとき盗賊の首領を捕らえたがこれを放免する。
彼は光圀に感謝し以来、光圀の隠密として働くようになった。
この盗賊の首領が「松之草の者・小八兵衛」だった。小八兵衛とその子分の働きにより
光圀は領内・隣国の変事動静を居ながらにして知ることができたという。
小八兵衛は、一日で30里(120キロ)を往復でき、妻はドラマと同じく「お新」である。
ただし、お新が江戸で営んでいたのは、蕎麦屋ではなく、うどん屋だったという。
・・・なんという衝撃の事実!弥七のモデルは小「八兵衛」じゃった! こいつはうっかりだ。
789 :
独身ホモ貴族:2006/11/23(木) 19:13:14
忍者復活させろよ
790 :
日本@名無史さん:2006/11/23(木) 19:55:49
「すいとんの術」と「きんとんの術」のレシピなら上のレスに書いてあるのだが
「かとんの術」や「どとんの術」の伝書が無いと完全復活は無理だろう。
792 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 08:37:04
やはり丹波哲郎は忍術映画においても偉大だったんだなぁ
793 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 11:59:56
ニンファのパクリを自慢するなよ日本人
伊賀甲賀は全て韓系職能集団
竹田の飛びカトウは明らかに韓国系
真田も韓国系ニンファを徴用してる
徳川のニンファマスターもハ・トリ
日本人は他国の文化を盗むな
794 :
日本@名無史さん:2006/11/24(金) 12:46:25
朝鮮の忍びは「細作」だろ、なんでニンファなんだ?
>>793 マジ?釣り?
ホントだとしたら何で「盗んだ」方が有名になるん?
それって「民族の言葉で書かれた詩歌集」が日本の方が遙かに先行してるんで、
あれは朝鮮語で書かれてる、つーのと同じ理屈じゃん。
「他国の文化」である中国文化の摂取は半島の方が進んでる訳だがな(だからこそ古代は半島の方が文化的には進んでた)。
で、もしかして「ニンファ」って「忍者」のあっち読み・・・
AFOが涌いてるが、
みんな、スルーするのだぞ
797 :
八郎:2006/11/25(土) 22:42:22
いや、忍法「袋翻し術」にはこうある
『敵忍びが陣内に忍びこんだ場合、偽って知らざる風流をして偽情報を見せ、
その偽情報を報告させ混乱させる』
ここはイカしたギャグをかまして話をそらせ情報を混乱させるのが常道だろう。
ああ、ギャグだったのか・・・
まあどっちがルーツにせよあんなスタイルつうかファッションは
創作だからw
草なんてのはどこの国でもいただろ、普通。勿論恰好は目立たないスパイ
だろうが。
え、実際に「忍び込む」ときは忍び装束着たんじゃないの?
色は黒でなく、紺か焦げ茶ということだったが・・・
801 :
八郎:2006/11/26(日) 16:31:42
802 :
〔 π 〕:2006/11/26(日) 17:34:24
おいらは甲賀シンパ。伊賀もかわいそうな事件あったけど、甲賀のほうが好き!
803 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:07:03
由美かおるが網タイツはいていたのは本当
804 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:15:48
そりゃ由美かおるだってタイツぐらい履くだろ
805 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 19:59:56
実際の忍者やくノ一がどうだったかなんてどうでもいい。
くノ一はえろい衣装でなければならない。
これが絶対の真理。
806 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 21:16:20
逃亡者おりん あれぐらいの衣装じゃないと クノーとは呼べん
807 :
日本@名無史さん:2006/11/26(日) 22:16:17
すると西洋のラ・セーヌの星も太ももがエロイから九之一じゃな
808 :
独身ホモ貴族:2006/11/26(日) 22:17:47
童貞クノイチ
809 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 00:15:08
>>805 いや実際のくの一って格好なんぞのまえにエロいし…
十代前半でもセックスを武器にするのは当たり前だし
今のハニートラップなんぞ足下にも及ばないぞ
ハニートトラップってカニばさみの事?
くノ一の話になるとエロオヤジが湧くのか、このスレのパターン。
キモ杉!
812 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 10:35:24
普通に一番効率的だろ情報収集には
それとは見えない少年少女にピロートークで引き出させるってのは
一昔前までは情報戦の常套手段
813 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 18:03:49
赤ふんですか?
814 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 18:58:02
>>811は九割九分の確率で童貞の小学生か腐女子
「忍者はナルトみたいな正義のスパーヒローなんだい」
ってとこかなw
>>814 反応したところをみると、エロオヤジという自覚はあるんだ。
キモいから、レスつけんなハゲ!
816 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:03:59
反応したところをみると、童貞の小学生か腐女子というのが当たってたらしい。
キモいから、レスつけんなハゲ!
童貞の小学生か腐女子でハゲとはこれいかに
オウム返しももうちょっと工夫しよう
818 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:29:51
そもそも由美かおるの網タイツや赤フンドシの話のどこがエロイんだ
もそっと日本史板らしく「歩き巫女萌え〜」とか
「忍者は山田風太郎では性技のスパーヒローなんだい」とか言えないのかチミたちわ!
819 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:34:23
>>817 反応したところをみると、覚はあるんだ。
820 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 21:39:03
キモいから、レスつけんなハゲ!
忍者オタクが跋扈し始めるとつまらなくなるね。
史実と小説の区別もないようだし…あーつまらん!
822 :
日本@名無史さん:2006/11/27(月) 22:16:06
自身のレスで真っ赤になるな、さあ深呼吸をしてみよう。
…落ち着いたかいな?
反応したところをみ自覚はあるんだ。
>反応したところをみ自覚はあるんだ。
まず、あんたが落ち着けよw
それにしても「小学生」?とやらを相手してるオッサンも哀れ。
プライドってものがないのかと…
825 :
日本@名無史さん:2006/11/28(火) 12:41:54
みんなもう少し落ち着いて考えよう。ここは歴史的に忍者を考察するスレだ
この場合もっと学術的に久之一のエロさや赤フンを考察すべきなんじゃないか?
みんなどの時代の忍者が一番忍者って感じがする?
827 :
日本@名無史さん:2006/11/28(火) 23:02:15
やはり太平記だな。
日本の歴史を変え後世にまで影響をあたえ続けた忍者、楠木正成!
828 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 00:14:45
上戸のあずみはノーパン
チョッと見えた
830 :
日本@名無史さん:2006/11/29(水) 12:36:25
御庭番は江戸後期、あずみは江戸のごく初期。
831 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 18:25:36
832 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:29:31
伊賀忍者と言えばやっぱ藤林だろ。
伊賀上忍3家の中でもっとも人に知られず、忍びの中に生きた藤林長門守こそ忍者の中の忍者。
皆に存在の知られてる服部や百地なんて忍者失格。
833 :
日本@名無史さん:2006/12/01(金) 19:39:26
人に知られず「国家存亡に関わる任務を完遂する」のが上忍。
マイナーなだけではダメ。
>831
やはりフンドシに話題は戻るかw
じゃあ9課
>>832 藤林家は服部家の分家で、
藤林長門と百地丹波は同一人物らしいな
実質的に服部家が伊賀の支配者?
837 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 17:05:41
>>835 百地と藤林が同一人物というのは説にすぎない。
藤林長門守城は三重県と滋賀県の県境にあるので、藤林は甲賀とも親交があったのではないかと思う。
それに対して百地丹波守城(百地砦)は伊賀市喰代、百地屋敷は名張なので百地は生粋の伊賀忍というイメージがある。
百地丹波城にある説明板によると
「家紋は、七曜星に二枚矢羽根、矢ちがい矢羽根紋よりして、百地氏が服部族の出であることは、明らかであると思われる」
>>835 >>藤林長門と百地丹波は同一人物
という説は、俺も白土三平のマンガで読んだが、
大人になってから読んだ、村上何がしの小説でも出てたので、
これが白土のネタ本かと思った。
>>837 >>百地氏が服部族の出であることは、明らかであると思われる
ということは、
百地・藤林ともに、服部の分家ということかなー。
服部が伊賀の土豪の盟主的な存在だったのかな?
839 :
日本@名無史さん:2006/12/02(土) 21:42:37
まあ服部本家は松平に仕えたので三河武士となったが
本来は伊賀の盟主的な存在だったろうな。
ただ半蔵の代の頃になるとあまり深い関係は無かったようだ。
だから藤林、百地が浮上してきたのかもしれない
服部正成の子孫は明治に入って警察署長やったり弁護士やったりして飯食ってたよ
841 :
日本@名無史さん:2006/12/07(木) 10:31:04
逃亡者おりんの子孫は ・・・ 俺だ!!
オイラがかげろうお銀の末裔なのは秘密じゃ!!
結局、忍者のルーツってどこから来たんですか?
基本的に「忍びは盗みの術を体系した物」だから普通にどこの国にも有ったと思う
スパイや盗っ人、暗殺者は世界中の都会から未開のジャングルの中にまである。
つまり会社のオッサンがオフィスの書類をコピーして売り払えば立派な産業スパイの
完成だ。
それを兵学に用いて名前を付けた(分類した)のが中国の「間者」だろう
>>844 なるほど、
スパイや暗殺は、訓練すれば誰にでもできるので、忍者の専売特許ではない。
伊賀・甲賀の専売特許でもない。
しかし、日本でも大和朝廷の発足以来、歴史の影には
暗殺。陰謀、謀略、諜報・工作活動があったのだし、スパイ・暗殺の「需要」はあった。
そういう技術を修行する「養成所」のような場があれば、何かと便利だよな。
修行の場であり、就職斡旋所でもあるような。
仲間が大勢いるわけだから、組織的な活動も可能になる。
伊賀・甲賀は古代から、権力者や陰陽師のスパイ調達の場だったのではないか?
と、思っていたのだが、
wikiによると、
>戦国時代になり荘園が崩壊すると、地侍が数十の勢力に分かれ群雄割拠した。各地侍が勢力を保つため情報収集戦とゲリラ戦が日夜行われ、ここから「忍術」が自然発生したのではないかと
うーむ、戦国期発祥なのかなー?
もっと古くからあるような気がするけどな。
聖徳太子とか天武天皇とか、「忍び」を活用したような感じだよね。
聖徳太子の使ってた連中との直接的なつながりは無いじゃん
聖徳太子が使った連中が伊賀・甲賀の祖だというね。
まあ、俗説に過ぎないのだろうけど。
藤原千方と四鬼の伝説があって、
天智天皇の時代に伊賀で乱を起こしたという。
四鬼は、風鬼、火鬼、水鬼、隠形鬼で、その能力は忍者そっくり。
また、平安時代に、実際に藤原千方という実在の人物が乱を起こし、
これには、修験者の集団が従っていたという。
前の話は、後の話をずっと前の時代に置き換えて伝承されたらしい。
http://www31.ocn.ne.jp/~denkidensetu/ddk/kou14.htmを参照 修験者から始まったのかもしれんが、特殊な修行をする集団がこの地域にいたような気がしてならない。
848 :
日本@名無史さん:2006/12/09(土) 05:49:16
ざく ざく ざくざく.∧ィ─;;;-..-..--、
ぐさっざくっ! ,,.l l  ̄ /::::::::::〈
∧ <二○二l  ̄ヾ::::::::ヽ
_ l l/ .∧ l |::::::::::|
二─ .<二○二ll lー |:::::::::ノ
 ̄ l l< ∧○二l-ー^ レニY
<二○∨.l l l -・=-、 ;;;ト ,ノ
.l.<二○二∧\ ├'
. ∨ l l .l l) ;;ハ
.<二○二l /|;L
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/:::::;┐::::::::::::::::::|,レ':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ、
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849 :
日本@名無史さん:2006/12/10(日) 13:12:13
十字手裏剣は、当たらなかった場合、ブーメランのように投げた人のところへ戻ってくるらしい。
昔の人は、ものを大事にしたんだなー。
馬鹿発見。ブーメランて。考えればわかると思うけど十字手裏剣に糸がついてただけだよ。
>>847 もともと熊野に近い地域だから、僧兵や修験者の体術を会得している
可能性は十分にある。
852 :
8ろう:2006/12/10(日) 18:03:03
108 :日本@名無史さん :2005/12/21(水) 22:35:04
山伏が密偵に使われたって本当?
109 :日本@名無史さん :2005/12/22(木) 02:55:12
>>108 戦国時代の島津氏では山伏を密偵、と言うか忍者のようにして使っていました。
島津義弘も国元の山伏を配下に置くため、聖護院にお願いして便宜的に修験者の資格を取っています。
詳しくは『キリシタンと修験道』あたり。
110 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/07(土) 15:01:08
>>108 『太平記』に、城頼顕が、敵陣に山伏・禅僧・遁世者らを入れ、虚報を広め
させて疑心暗鬼の状態に追い込んだという話があります。
ソースがソースだけに史実かどうか明らかではありませんが、戦国期まで
こうした利用が行われていたのは事実の様ですね。
854 :
真田虫村:2006/12/14(木) 14:31:21
(⌒Y⌒Y⌒)
/\___/
/ / \
/ / ''''' ''''' \
(⌒ / (●) (●)| <やいお前ら。 修行してるか?
( (6 ,,ノ(、_, )ヽ、,,| 忍術修行に身も心も全て捧げつくすのだー
( | -=ニ=- '_ .|
\ `ニニ´ /
\____/
ときに真田殿は如何なる修行をしておいでだす?
信州真田は馬牧が多く修験も盛んなご様子だが
856 :
真田虫村:2006/12/14(木) 16:07:00
__
, ‐' ´ Z ``‐、 / ̄:三}
. /,. -─‐- 、. ヽ / ,.=j
_,.:_'______ヽ、 .! ./ _,ノ
`‐、{ へ '゙⌒ `!~ヽ. ! /{. /
`! し゚ ( ゚j `v‐冫 , '::::::::ヽ、/ <<855 それは・・・ヒ・ミ・ツ!
. {.l '⌒ ゙ 6',! / :::::::::::::::/ __
. 〈 < ´ ̄,フ .ノー'_ , ‐'´::::::::::::::;/ (_ノ)‐-、
. ヽ.、 ` ‐", ‐´‐:ラ ':::::::::::::::: ;∠. ヽ_} ゙ヽ
,.r` "´ /:::::::::::::::::::ィ´ `ゝ !、 /
/ / :::::::::::::::: ; '´ /´\ / r'\
. i ! ::::::::::::::/ 仏 | .!::::::::/ヽ、.._!ヽ. ヽ、
{ {:::::::::::;:イ / ‖i:::::::/:::::::::::::/ \
. ヽ ヽ,.ァ‐'´ /ヽ 二 ,/`ヽ、::::::::: /
忍者ってメディアでは魔法プロレスラーのように描写されているが、
忍者って戦闘員と言うより工作員に近い存在なんだろ?
忍者そのものに幻想を抱き過ぎじゃないのか?
もっと地味な存在だと思うぞ。
普段は農作業をしている地侍の集団だよ、山奥でたいした作物が取れないから
ゲリラ戦の技術を持って出稼ぎに出ていったんだろう。昔、スイスの出稼ぎの
傭兵が有名だったけど、それと似た感じじゃないか?
860 :
八郎:2006/12/14(木) 23:42:17
萬川集海には普通に「物見武者」と書いてあるから合戦では先陣の先鋒(偵察・斥候)隊
ていどの者だったんじゃろ
馬術、鳥銃弓矢、水泳法、の得意な者。あるいは地元猟師、漁師「土地者」が
案内者として使われたようだ。
物見は敵に遭遇したり敵の包囲網に迷い込む可能性が高い。想像以上に危険な仕事だ。
また、狼煙や法螺貝による遠距離通信にも長けている者もいた。
信長は忍びを「響談」と呼んだ。これは敵に接触する工作員を意味したらすい
蜂須賀小六は桶狭間で今川義元を直接接待し逐一信長へ報告したと言う。
また、文書の改ざん、諜報活動、要人との接触とかもやった事だろう。
まあ現代のスパイのようなもんだろ。
他はふつうに「盗賊」をそのまま使ったようだ
後北条の相州盗賊風魔党や源義経の家来伊勢三郎
そして黄門様の家来風車の弥七がそれにあたるんじやろ。
魔法使いというか祈祷師や修験者、巫女、僧侶、薬売りは本職としてやってただろう
猿楽、奇術、呪師、田楽、傀儡、などその道の者もいただろうな。
ちなみに萬川集海では「妖術(バケルジュツ)」と言うのは変装、モノマネを意味するようだ
いわゆる陽忍四方髪術か・・・いや、適当に言っただけじゃ。
厨が陥る忍者否定論者への道
テレビや本で出てくる忍者をみて、忍者はあんなに凄かったんだと思い込む
少し知恵がついてくると
待てよ あんなに凄い連中がいたのなら、重要人物の暗殺なんて簡単に出きるし、
歴史なんていくらでも動かすことができる筈だな。
そこで、色々と歴史を調べるが、忍者が歴史を変えたような事実はみつからないし、
テレビなんかで植えつけられた忍者の姿が一向にあらわれない。
きけば猿飛び佐助も実在しなかったとか…
そこで結論 忍者なんてもともと実在しなかったんだ!
落ちが分らん
歴史物の小説を書いている重鎮は
少年期に飛んだり跳ねたりする講談を聞いて
忍者に憧れたんだろうな。
そんな著者の小説を読んでいて
ちょっとこれは…なんて記述を読むと
それまで没頭していたのに急激に醒めてしまう。
>>861のキモチもわからんでもない。
マジックのネタ本を先に読んでしまったから逆にイメージが貧困になるのはちょっと
まずいね。
現代はネタバレしちゃったから「なんだ忍者ってこんなモンか」と思うけど
実際に真っ暗闇の中を自由に闊歩したり、追いかけた曲者が途中で消えちゃったり、
居るはずのない軍勢が突然現れたり、密室に忍び込んだりされたらこりゃ魔術だと思うよ。
闇夜の戦場で個別に出会ったら絶対勝てない。
実際
>>861の考えで忍者を否定する論考をかいたのが、かの八切止夫
忍者という定義がどんなものなのかきちんとしていないからなぁ。
忍者ってコトバ自体は新しいんだよね。
大ガマガエルの上に立ってドロン!とするものも忍者。
敵方に入り込んで情報を盗んだり暗殺するのも忍者。
どの忍者を指して否定(
>>865の矢切氏)しているのかわからんけど、
古代には志能便、中世には忍びの者と呼ばれる職能集団は確実に存在した。
ウチの家系がそうだし、古文書も残ってるからそれは間違いない。
大ガマ蛙の上でドロン!とやってたのは、「忍術使い」といわれていたんじゃないの?
最初に「忍者」を使ったのは、村上知義?
俺は、白土三平のマンガが、忍者像の原点。
>>866 その古文書、どんなことが書いてあるの?
一般には忍者はドロンも含めて認識されていると思うのだ。
実際、テレビや小説に出てくる忍者はこれに近い。
いったいあれほど多量の武器をドコにしまうのでしょう?
ドラえもんのポケット?刑事ドラマの50発撃てる拳銃と同じですね。
真っ昼間に黒装束&覆面しますか?
現代なら、産業スパイが全身黒タイツで山手線に乗っているようなものです。
あー、それよりも外人がイメージする日本人に似ているのかも…
サラリーマンはチョンマゲ、女性は芸者etc...おっと、脱線してしまった^^;
要は誇張されたイメージが一人歩きしているということが言いたかったのです。
古文書には武器の図や眠り薬の調合方法、梵字の呪文などが書かれています。
ま、ごく簡単にいえば雇主の依頼を受けて忍術を使って任務を行なうのが忍者。
でその忍術というのが何かといえば、忍術書に書かれてある特殊な技能のこと。
という、定義でいいのでは?
え?
>>868 おれも、マンガの忍者を見て、
人間はあんなに跳躍力ないよとか、
片腕斬られたら、もう痛くて戦えないよとか、思ってた。
ドロンのマンガは見たことないけど、それよりはリアルかなと思ったけど。
古文書、本物っぽいね。
研究して発表したらいいのに。
江戸時代の頃は、どんな仕事をしていたの?
いや・・・片腕斬られたら、もう痛くて戦えないだろ
忍者の江戸時代の仕事、雪投げの的(・ω・)
ああっ 奥女中たちと雪合戦したい。
>>871 平和になって、失業したっていうのは嘘だよね。
各藩の内部事情を、探っていたんじゃないのかな?
>>873 それは伊賀組だね。
伊賀組の同心達は生活が苦しかったので、つつじ栽培の内職をしてた。
大久保つつじというのがそれ。
877 :
日本@名無史さん:2006/12/20(水) 14:37:18
>877
かっこいいのう。だが越前屋俵太と芸風がかぶっている!
あの程度では日本のお笑い界では通用せんだろう。
一刻で7里(約2時間で28km)走り一日40里歩く、逆立ち(手歩き)で3町(約330m)、
幅跳び3間(5.5m)高飛び9尺(2.7m)酒を30分で三升、一回で一斗五升飲み干し、
毒を舐め瓦を囓る。縁の下の土や虫を喰って飢えをしのぎ断食三日、仮死状態で一日過ごし、
交接すれば7度漏らし、踊ればクセ舞いも舞えてこそ本物じゃ。
879 :
コロ助:2006/12/23(土) 05:59:53
いよいよ冬休みになったから又遊びに来たナリー。
880 :
伊賀野カバ丸:2006/12/23(土) 08:30:24
金玉学園が冬休みに入ったから俺も来てやったぜい。
881 :
日本@名無史さん:2006/12/23(土) 08:59:07
伊賀の服部氏は、機織りを営んでいたことから服部なのだそうな。
機織りの機は秦の当て字なので、伊賀者=服部氏=秦氏なのだそうな。
>>881 「服部氏=秦氏は俗説なり」と、服部家の誰かが言ってたぞ
883 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/12/24(日) 12:04:00
二次大戦中、独逸軍と英吉利軍の夜間戦闘機や夜間爆撃機は、最初双方機体を真っ黒に
塗装していたが、かえって夜空では目立ってしまい、途中からグレーの迷彩などに変更
したらしい。
西洋天空忍者だな。
884 :
八郎:2006/12/24(日) 12:57:59
さよう、その教訓は幕末でも活かされておる。会津白虎隊にも草色の服の隊士がいた。
山鹿流赤穂浪士は夜襲なので黒地に白襷だった。これは軍略のセオリー通りじゃ。
だがこのスタイルでは昼間は目立ってしまうので新撰組の羽織は浅葱色になった。
これならネギ畑で戦っても安心だからじゃ。
というのはウソじゃ。
885 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2006/12/24(日) 13:51:10
>>884 教訓を活かすって、時代の順序が逆では???
・・危うく八郎の話術に騙されるところだったぜ
888 :
日本@名無史さん:2006/12/25(月) 16:08:29
888
889 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 05:23:28
マジレスで
俺の身の回りに「百地」って野郎がいて、これがまたイケ好かない香具師なんだけど
百地って伊賀の国だけが発祥の姓なのかな?だとしたら百地丹波か何かの子孫?
そいつの出身は茨城だか千葉だかなんだけど親父の仕事の都合でたまたまその土地で生まれたって
だけかも知れないし・・・
百地の子孫なら相手にとって不足は無い。
890 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:04:25
忍者の子孫がいないのはそういった事実をすべて消されたため。
彼らは歴史における真実をあまりに知りすぎた。
忍者における資料などもあまり残っていないが
あの坂本龍馬を暗殺したのも忍者という説もある。
891 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 07:13:32
ニンニン
892 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 11:07:23
伊賀流(いがりゅう)とは、甲賀流と並んで忍術の中で最も有名な流派の一つ。
今の三重県伊賀市と名張市にあった。普段は農業をしたり、行商人などの姿で各地の情報を探る一方、
指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んだ。
山を一つ隔てた場所に存在する甲賀流と異なる点は、甲賀忍者が1人の主君に忠義を尽くすのに対し、
伊賀忍者は金銭による契約以上の関わりを雇い主との間に持たない点であるとされる。
また、伊賀流の訓練法は独特さをもって知られており、
例えば顔の半分を紙で覆い、紙を顔から落とす事なく一里以上を走りぬく等、
幼少の頃から厳しい訓練のもと、優れた忍者を育てる事を伝統としてきた。
伊賀郷士はしばしば雇い主が敵同士の場合でも、依頼があれば双方に忍者を派遣する実例をも持つ。
そのため他の郷の忍者よりも一層、例え仲間であろうと即座に処断できるような厳酷な精神も求められた。
「抜忍成敗」はその極みとも言うべき物で、裏切りや脱走はいかなる事があっても認めない、という物である。
有名な伊賀忍者
服部半蔵
百地丹波
藤林長門守
・・・・・・・・・・・・・・
甲賀流(こうかりゅう、こうがりゅう)とは、伊賀流と並んで最も有名な流派の忍術である。
甲賀は本来「こうか」と読み、地名に因る名称であるが、忍術に関してのみ「こうが」との誤読が一般的となっている。
今の滋賀県甲賀市(こうかし)にあった。
普段は農業をしたり、行商人などの姿で各地の情報を探る一方、指令が下ると戦場やその後方へ出向き、工作活動に励んだ。
忍術の流派の中でも薬の扱いに長けており、その名残として甲賀には今も製薬会社が多い。
甲賀は六角氏の傘下に属しながらも「惣」(そう)を形成し、
郡に関わる全ての案件を多数決によって決定(合議制)・運営するなどしていた。
これはこの時期では全国的に見てもきわめて珍しいことである。
又、甲賀忍者には、上忍はなく、最高位は中忍である。
893 :
日本@名無史さん:2006/12/27(水) 14:30:05
信長を狙撃した忍者って誰だったっけ?
895 :
伊賀野カバ丸:2006/12/29(金) 00:53:22
896 :
日本@名無史さん:2006/12/29(金) 23:48:19
>>890 お庭番や隠密みたいなことを幕末までしてたのより、幕末頃にはただの同心
とか徒士みたいになってるのがほとんどだから(伊賀甲賀のばやい・・・
898 :
日本@名無史さん:2006/12/30(土) 08:02:20
伊賀忍者の家紋ってだいたい矢が二本あるね。
服部も百地も
そして俺の家も
ユダヤ系財閥ロスチャイルド家の家紋は五本の矢だぞ。
これは秦氏の影響に間違いない! ・・・というのはウソじゃ。
それと気を付けねばならんのは三ツ矢サイダーは3本の矢という意味ではなく
「三つ矢羽根の矢」を意味し、サイダーの原料「平野鉱泉」の発見者『源満仲』に
あやかったモノじゃ。ハットリ君は平氏だから源氏由来の三ツ矢サイダーとの関連は無い事になる。
矢羽根は麦の形に似ているからビールも意味するのかもしれんがワシは知らん。
摂津源氏の祖源満仲は多田満仲と名乗っていた事から「ただのまんじゅう」とも呼ばれる。
サイダーにはやはり饅頭より天ソバだと宮沢賢治も言っている
10年ほど前、宮沢賢治記念館に行ったが食堂には天ソバサイダーや電気ブドウ酒の
メニューが無かった記憶が有るが、どうでもいい話なので止めておく。
この源満仲のせがれが御伽草子などで、大江山の酒呑童子や土蜘蛛退治をする
源頼光じゃのう。にんにん。
系図では橘(家紋丸に橘。替紋三つ柏)の甲賀山中氏も本当は平氏。
901 :
コロ助:2006/12/31(日) 05:07:31
「坊ちゃん」の祖先は多田満仲という事になっていて、
坊ちゃんは天麩羅蕎麦が大好きだ。
宮沢喜一もさぞや喜んでいるぞなもしナリー。
902 :
抜忍二十八号 ◆F4lv11/qHs :2007/01/01(月) 11:40:26
,. -一……ー- 、
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/:::::/´ ̄ ̄__\、::::l,. -―、
/::::// /:: ̄、:\::::ヽヽ≦、ス=、、
/::::/::|,.イ:l::丶::::::::\:X:::',:::ヽ、 ヽハ ',ヽ
f´ ̄!:::::l:_|_|\::\--/,r=ミ|::::::lヾく:l::', | |
ヒア_|:l::::|::N,≧ミ、トゝ ハ心}!::::::K:ヾニ二ヽ 明けましておめでとー!!
,r=ヽレ|:|::::l::|{ ト心 `'" !::::::|::!',::|ハ::! `
// |:|:::::ハ!、::ヾゝゞ'′ _'_,.ヘ /::::/:::|_!:l リ
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L! /ヘ |:|ミニ='⌒ (⌒ヽ´ _ !イノl/ |:! ! !L_
〈_{ ヾ.,!/ , ´ \ ∨,.‐、| l:| |ノ !
__!\ / __ム V⌒! !:! ! ハ
/__レ-〈 / f´ ヽ. '. __! //./-‐ '´ /
ヽ! |r' \l__ V/ /-‐ /
「 ! { `\_f_ノ∠ミヽ! /
/ ヽ`ヽ.二ニァ'V∠二ハ }},!-'
/ ヽ---/´/レ!ト--'/‐'
/ / ̄ヽ二ノ´l:ヽノ_
r‐! / l:/ `ヾ==、ー-- 、
/ ̄| ヽ./ 〃 /人 `ト、::::\
', / ,!\ |l \ / \:〈
| ′ / | ` |:! / `
L.__ / ! !:ヽ / !
` iー---一'Tー-∨-r‐''´ |
あけおめぢゃ!皆の衆。
しかし「ただの饅頭」と「天ソバ」が繋がるとは文学の妙哉。コロ助恐るべし。
そう言えば坊ちゃんも幼少時から、二階から飛び降りたり袖車から足搦めへと格闘術の訓練を
している描写があるな。源家兵法じゃろうか?
ラストに野だいこに卵をぶつけるのは遠当て術と言う。
本来なら卵の殻の中に灰や辛子、刺激物を混ぜ入れ投擲した。現代の催涙弾に近い。
正雪事件では捕り物に実際に使われておる武器じゃ。にんにん。
___,__,,.....,_
_,., --―-‐ '"´ `丶、
,.-f: : : {l _ , ヽ,.ィF≧=、、
//:.r=,ィ'":;:;:`丶、 ヾソ ノ,ィfトトi火fj{i}ミ丶.
/:/: : :ノ::{:;:i、:;:;:;:;:;:;:ftヽ / /´ 》6}Xi洲iltltiミtヽ
/:/: : :/::::::',:t7;f):;:;:;:;:ゝ' i`''/ ,イノ,. =、{tjfリノノi/ノffトi川t、
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f:/: : :/::::::::::::`>、'_', -'´ 〈 ,' 、 〈三ミ、 ゙ーイtりオリヾろ{iし
(ノ: :/:::::::::,:'´ ヽ、 '、,}、竺ヽ7^"´ ftj{ルf《ノリ川彡
,..ィ": :/::::::::::::/ '、丶 ,! ``'=ヘ ハリしノンシミ'、
,. - ': : : :/:::::::::::::::/ ヽ ヽ ' : . '! /ミjJノル'″
, -'": : : : : /::::::::::::::::/ Y ':、 \ ,} .,_,. /_,,. l
く: : : : ,. -':::::::::::::::::// O'、 :、 ヾニ7 : :/、 ノ
:::ヽ-‐':::::::::::::::::::/ / K ゝ、 :、 r=! /::::l /
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'^キ、::::::::::/丶、i_'_an_,ノ彡' `>、 ':、ノ,=<:ヽヽヽイ:::::/‐'′
、_ィ:::`丶'、 ``'ー---―('ー-'::(:::~´::::ノ
三三三竺) ` ̄ ̄`  ̄´
忍法アームロックでござる!
むむっ小癪な。弓手がフリーだからこの程度の腕搦めなぞすぐ返せるわい。
まず左手で敵の股間を打ち上げ脇腹に噛みつく。
噛みつきは実際マイク・タイソンも試合で使っておるから有効なんじゃろうね?
さらに敵が身を縮めて膝を着く所を掴み上げ、そのまま敵の足を持ち上げれば
返せるはずじゃ!
とどめは鉄拳制裁からコブラツイストで決まりじゃな。
この業でボブ・サップをアーネスト・ホーストが撃破している。
年末はやはり猪木でないと・・・
907 :
伊賀野カバ丸:2007/01/07(日) 01:05:46
仮面貴族ミルマスカラスに忍者の姿を重ねて見ていたのはオイラだけか?・・・
908 :
洛北高校OB:2007/01/07(日) 02:20:03
>>903 何もビックリするような事じゃない
二階から飛び降りて…の受身は、一昔前の柔術では初伝の心得で、今でもやってますよ
降雪期に二階から地面に飛び降り、雪が溶けるにつれ高さが増す…衝撃の慣れと平常心ですよ
909 :
8ろう:2007/01/08(月) 23:25:14
↑オヌシがまだ居た事のほうがビックリしたわいw
しかし相変わらず・・・じゃのう、少しはコロ助を見習って小粋な歴史ギャグが言えんものか?
そんなに柔術の話がしたいなら暇つぶしに遊んでやろう。
>>904の業を躰術のみで相手を傷つけずに返してみろ。にんにん。
こっちで遊べよ
394 :優しい名無しさん :2006/12/25(月) 10:38:27 ID:erdGgJ1Y
富士の御山が綺麗じゃ脳。
のう家康。
911 :
日本@名無史さん:2007/01/10(水) 23:51:22
今日の「その時歴史が動いた」観たら、柳生は「忍び」としての働きを期待されて
徳川に雇われたみたいな感じだったけどマジか?
912 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 00:59:12
激しく忍者
母方の性が卍と伊賀なんだが先祖は忍者だったのだろうか?
小説なんかから出た適当な電波だと思うけど、
敵地に潜入して、通常の生活を送っていて、
指令が届くと、破壊活動や諜報活動にあたるという草っているよな。
ああいうのがいたとして、彼らが数年とか数十年間も草してる間に、
もう忍者家業やめようかなって、もう指令が来てもサボタージュしたろかなって思わないのかなとか、
草じゃなくても、敵地潜伏して、帰るのダルいなとか思わないのかな。
人質をとったりしてたんだろうけどさ。
なんか、危険をともなう割にはたいがいじゃないか?忍者の仕事。
そんなに報酬がよかったのかな?
けど、報酬がよいなら、一回の仕事でその報酬をもらったあとに、職をかえればいいんだし。
そんな、特殊技能を身につける手間隙を考えたら、
その努力で他の商売をすればいいんじゃないかとか。
以上、チラシの裏でした。
915 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 09:18:34
電波?
草が一番ありそうな忍者像だと思うが。
てか別に忍者的な技能は身につけてる必要はないだろうけど。
仕事は敵地で普通に暮らして敵になる情報があったら本国に送るだけじゃね?
特殊工作が必要な場合はそれ用の人員が送られてくるだろ常識的に考えて。
何十年も八百屋とかやってたおっさんに重要な工作を任せられるかっての。
いや、だから、何十年も敵国で八百屋さんをやってるってことは、
八百屋として商売成り立ってるわけでしょ?
八百屋として生活すればいいじゃないって疑問なわけでさ。
八百屋として赤字を垂れ流し続けて商売してて、
その赤字分を草を派遣した派遣主が補填してるとかいうわけじゃないよね。
八百屋として商売していけるなら、忍者やめればいいじゃない。
当時なら、行商人やら芸能民やらとして商売してる振りして各地を遍歴したりするんだよね。
で、赤字を垂れ流してたのを、忍者仕事で黒字化してたとは思えない。
抜け忍したら殺しに行くっていう恐怖とか、人質とかで抜け忍させないとか?
どうも不自然に感じるんだよねぇ。
917 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:20:30
八百屋の片手間に聞きかじった世間の情報を送ってるだけでしょ草って。
やめる必要もないじゃん。
恐怖で押さえつけるとか人質取るとかそこまでする必要ないししないんでね?
918 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 18:33:43
そうなっちゃう人は何人中に何人か?とかパーセンテージ考えてそれに見合った人数を送り込む
いや、だからさ、全国各地で行商やら芸能やらで遍歴して黒字化してやっていける集団なんでしょ?
もともとさ。
なんで忍者をする必要あるのってこと。
目的に必要なら八百屋になる、というだけ
八百屋になれて、八百屋で商売できるなら、普通に八百屋してればいい。
忍者のついでに八百屋をやってるんじゃないの?
八百屋のついでに忍者だとなんか切ない
現代なら、愛国心とか、思想教育とかでわかる。
けど、中世の地下の集団がどういう規律で、
本業としてやっていける生業を持ってる連中を統御してたのか。
そこがなんとなく理解できないんだよねぇ
やっていけなかったんだろ
やっていけないなら、潜入期間は赤字垂れ流しか?
諸国を芸能民として遍歴する間、赤字垂れ流し?
そんなわけないだろう
なんでそんな金にこだわるんだよう
好きだから、じゃだめなのかよう
お金じゃなくて現物支給のイメージなんだが、この違いか。
928 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:08:59
忍者八百屋は商売赤字でも
裏で資金援助受けられるだろ
929 :
日本@名無史さん:2007/01/11(木) 19:09:57
芸能民なんかは諸国で見聞きした情報とバーターで土地の領主から営業許可貰うとかそういう感じじゃん?
好きで忍者やってるんだよ
>>929 俺もそのイメージだよ。
特に、芸能民と宴会と性は密着してるからね。
座敷に呼んで、躍らせて、諸国の話を聞いてって。
けど、忍者ってのは、そこに+工作でしょ?
しかも、請負の仕組みがちゃんとしてる。
そうなると、独立採算でやっていける手下をどうやって統御してたのかって思うのよ。
932 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 01:57:52
芸能民の柳生博は草か?
933 :
日本@名無史さん:2007/01/12(金) 05:48:59
赤影参上!
935 :
八郎:2007/01/12(金) 20:33:36
♪富士の御山が綺麗じゃ脳
一口に忍びと言っても種類や用法は個々に違うし一人で行うとも限らない。
人材の現地調達(郷導)や敵の懐柔(帰忍、内良之間)、あるいは外聞で済ます事もある。
正忍記には『伊賀甲賀の者一郡一味の約束して・・・堅き神文取り交わし・・・』と有る。
嘘っぽいが忍者とは、ある種の信念のような物で諜報活動をしていたのかもしれない。
赤穂浪士や小野田さんのように。
柳生と徳川はたぶん山岡のコネクションじゃろ、手字手裏剣は神取流じゃ。
家康の父祖の代には既に伊賀服部宗家及び郎党二百名を家臣に迎えておるので
家康は忍びには不自由していないはずじゃろう。にんにん。
>>935 家康の祖父・清康に仕えた初代半蔵・服部保長のことですにゃ。
ただ、不思議に思うのは、
伊賀ではもっとも有力な豪族(=上忍)だった服部家が、
なぜ、三河の豪族で、今川と織田に挟まれて苦労していた松平家に、
わざわざ本拠地を捨てて仕えに行ったのか?ということです。
孫の家康が天下統一すると予想したのなら正解だけど、
当時は、取るに足らない小勢力だった松平に仕えたのが不思議です。
937 :
真田虫村:2007/01/13(土) 02:55:20
>>936 服部氏といってもいくつか分家があり半蔵家も分家
斯波氏に従属した分家もある。
>>911 柳生の情報網って、もしあったとすれば、
将軍家指南役のコネで、各藩の指南役になった柳生の弟子のネットワークだろうな。
剣術指南役が藩の重要機密にタッチできると思えんし、どっちにしてもたいしたことないだろう。
家康から見れば、いろいろある情報網のひとつとして利用したかもしれんが。
>>938 なるほど。サンクスです。
しかし、伊賀では服部がいなくなって、代わりに藤林、百地がしどうてき地位になったみたいですけど。
941 :
八郎:2007/01/14(日) 01:33:04
柳生宗矩。徳川幕府の初代総目付と言われている一万二千石の大名じゃ。
この時点でタダ者ではない。上忍とはまさにこのような人物を言うのであろう。
宗矩の大坂夏の陣七人斬り。島原の乱の予言はまさに伝説じゃのう。
関ヶ原や大坂の陣での柳生の仕事は敵情視察や道案内だったと言われる。
これが事実なら柳生は忍びの組織を動かせる実力を持っていた事になる。
まあ、もともと柳生は小ながらも大和の豪族で兵法家としての名声は石舟斎の代より高い、
高弟には柳生松右衛門のように長州萩藩指南役になった者もいるな
現在の西国伝柳生派はタモリが伝えているという。にんにん。
>937
人選はくじ引きかい?!
>>941 それは、総目付だったということ以外は、柳生家が伝える「伝説」でしょう。
柳生の情報網は、939に書いてる程度のものだと思うよ。
それで、「わが柳生はこんなに幕府に貢献した」と言いたくて、誇大に伝えていると思う。
剣術と「忍び」は、訓練法がぜんぜん違うから、
柳生の高弟といえども、忍者の真似事ができるとは考えにくい。
また、忍びの組織と言えば、保長以来、徳川に仕えて、
「伊賀越え」以来、伊賀者を傘下に収めた服部家でしょう。
半蔵門に名を残してる服部半蔵が徳川の諜報機関のトップ。
まあ、柳生は、石舟斎のころから剣術好きの小豪族で、
正木坂の道場は、他流派にも開放されていた
(若いころの宮本武蔵もここで修行したという)から、
弟子だけでなく、他流派にも情報網を持っていたかもしれないけど。
943 :
八郎:2007/01/14(日) 22:21:37
>942
いや、自己宣伝であの地位には行けないじゃろう。
もっとも、もっと露骨な自己宣伝している指南役もいるが・・・
1600年会津討伐に向かう家康は三成挙兵の報を聞き、石舟斎宛に
『筒井、大和の豪族を集め、石田方の後方牽制を命じる』旨の手紙を書き宗矩に託した
家康軍が長良川に達する頃には諸大名が出迎えたという。
東照宮御実記付録には
>柳生又右衛門近よりて、此度御意めでたし、いづれもこれにさぶらうと申せば
>はじめて御心づかれ、おのおの大儀に思しめさる」とある。そうじゃ
島原の乱については勝海舟も
>柳生但馬はたいしたものだと密かに驚いている。
>将軍がすでに命を下して江戸を発たせたものを、わずか剣指南くらいの
>身分でありながら独断をもって引きとめようと言うなどは、とても尋常のものではない」
とコメントしている。
ttp://www.geocities.jp/yagyu_kaeru/hitobito/munenori.html それと剣術と「忍び」は、訓練法がぜんぜん違うというが、それは「用間」においては全然関係ない。
そのへんのおっちゃんでもスパイはできる。
また、普通の総合武芸なら夜戦用の技法が伝授されておるもんじゃ。
柳生派はしらんけどね。にんにん。
>>936 保長は、最初、将軍義晴に仕えて、そのあと、三河へ移ったようだね。
てことは、詳細は知らないけど、
一族郎党を引き連れて、足利幕府の諜報組織になったけど、
何かの事情で、解雇されたか、自ら辞職して、
その頃、若くして三河1/3ほどを併合した松平清康は将来性があると見込んで仕えた、、、
というところではないかな。
まあ、服部家なんて山地の小土豪だから裕福ではないからな。
逆に松平に先見の明が有ったとも言える。実際孫の家康は忍びを上手く使った。
戦国武将が欲しかったのは槍働きの強兵だろうし信長も忍びの輩をきらっていたという話も有る。
当時は忍びなんて何時裏切るかわからない下賤の輩ていどの認識だったんだろう。
>>943 その辺のおっちゃんが入手できる情報は、噂程度のものでしかない。
確実な情報を得ようとすれば、屋敷に忍び込む等の技術が必要。
噂程度の情報で戦争できるわけがない。
孫子も、間者には最大の報酬を与えるとか言っている。
まあ、柳生家の家来にも身軽なやつがいて忍者の真似事できるかもしれないけど、
伊賀者ひきいる服部を差し置いて、柳生が徳川の忍びの総元締めとはいえないでしょ。
>>944 足利幕府に諜報組織があったら、将軍が家来に暗殺されるって事件は起こらなかっただろうね。
>>945 服部家は裕福ではなかったのかな。
平安以来の土豪で、源平合戦で平家方についたために、
鎌倉・室町時代には守護になり損ねた、とどこかで読んだが。
信長も、情報は重視したはずだから、「忍びの輩」を特に嫌ったということはないと思うけどね。
天正伊賀の乱で、忍者を殲滅したのは、
伊賀がもともと守護の赴任を拒否して、服部などの土豪の合議で治めていた国だから。
好き嫌い以前に、天下布武の大方針に反するからだよ。
「いつ裏切るかわからない」のは、何も忍びに限らない(笑
現代の話だけど、諜報機関が必要とする情報の9割は世間の人間が普通に入手できる情報だ、と言うよね。
重要なのは集めてきた数々の情報から相手国の意図を推察できるアナリストなんだそうだ。
>>946 > その辺のおっちゃんが入手できる情報は、噂程度のものでしかない。
噂だと、「虚偽の噂をばら撒く」ということが簡単にできるから、
真偽を確かめることが必要になるよね。
> 天正伊賀の乱で、忍者を殲滅したのは、
忍者を皆殺しする勢いで攻め込んだけど、最後は降伏と逃亡を許したらしい。
百地丹波も根来に逃げたらしい。
949 :
日本@名無史さん:2007/01/18(木) 14:01:55
忍玉乱太郎を見ればいいと思うよ
ライオン丸も忍者ってほんと?
>>946 それは「上忍」の意味を勘違いしてないかな?上忍とは忍びの総元締めという意味だけではないぞ。
徳川の忍びの元締めなら柳生ではなく伊賀同心服部家と甲賀同心山岡家じゃろ。
織田信長が三好討伐のさい近江甲賀支配の山岡景隆を攻める。山岡の逃げのびた先は柳生じゃ。
弟の山岡道阿弥は神君伊賀越えに同行している。
また柳生は島家に通じる家でもある。つまり西軍石田三成の参謀島左近の縁者なのじゃ。
柳生兵庫助の側室は島左近の娘じゃ。
一説には柳生新次郎(柳生兵庫の父)の妻は伊賀仁木の産という説もあるが詳細は不明じゃ。
間者は場合によってはその辺のおっちゃんでも良いし情報は伝聞でも良い
目的情報に近い人物なら基本的に誰でもイイ。利用するだけだからのう。
要は目的による人の使い方。また伝聞を総合的に情報判断するのも調査部門の仕事だ。
これを忍法では『郷導・外聞之事』と言う。
郷導は未知の土地で里人に物問う事。外聞は情報判断。
「是は其の処へ行き深く忍ぶにあらず。外分を聞き其の理を通ずる者なり。
事の品を聞き究むるに於いては行かずとも可なり。
しかれども此の者虚語を用うるには非ずやよく察すべきものなり」にんにん。
天正伊賀の乱は佐々木氏関連じゃろ。音羽の城戸(城戸弥左衛門)なる者が伊賀敢国神社にて
信長を狙撃しておる(伊乱記)ちなみに信長には篠山蔵人なる者が使えていたとか。
>950
果心居士の門人じゃ!「忍法獅子変化」にんにん。
>>950 いいえ小説家です。
代表作「伊豆のさらしこ」
あ、なにげに手元資料に書いて有ったわい。
柳生新次郎の妻は伊賀頭領の仁木伊賀守義政の娘だそうじゃ。
仁木義政とは六角氏の一族 六角氏と言えば甲賀鈎の陣じゃのう。
柳生石舟斎の正室春桃御前は隣邑の奥原の出。奥原氏の奥原豊政も家康の間諜をやっている。
とにかく大和国人は小勢力が離合集散を繰り返しながら抗争し正道では立ちゆかない
地域であったのは確かだろう。
石舟斎も若い頃筒井の人質として戦場で働いたそうな。
間諜関連で柳生の縁者をまとめるとこんな感じか。
石舟斎宗巌 − 春桃御前(奥原氏娘)
新次郎巌勝 − 仁木義政の娘(築山殿と関連?)
兵庫介利厳 − 島左近の末娘。連也斎厳包の母
>952
そうだったのか。奥が深い。
柳生の交際範囲が広いのはわかったけど、
所詮は、剣術方面で活躍した小土豪にすぎなかった。
政治的には、筒井、松永、織田らの強者に服属して生き残ってきた。
大和の柳生の庄にいて、伊賀・甲賀の忍者を手下にしていたとは考えにくい。
服部が柳生の部下になったという話も聞かないし、
服部は家康の直臣だから、重要情報は家康に直接報告できる。
家康が宗矩に求めたのは、そうした交際による情報網で、それが誇大に伝えられていると思う。
島原の乱の「予言」なんかは、
将軍の命令で出発した板倉が、柳生に言われて戻れるわけもない。切腹ものだ。
だから、必死で板倉を追いかけたという話はかなり怪しいし、
「予言」を聞いたのは家光だけだったという話など、いくらでも捏造ができると思うよ。
だから徳川の忍の元締は柳生ではなく伊賀同心「服部家」と甲賀同心「山岡家」じゃろと
最初から書いてあるじゃろうがっ!・・・ orz
北朝鮮の朝○総連スパイもまさしくその辺のおっちゃんじゃろ。
そもそも忍びなぞ格のある武家が関わるような存在では無かったし服部も山岡も
決して部下に慕われていたわけでもない。
槍ひとすじの服部に頼むくらいなら柳生の方が仕事がこなせたということじゃろ
忍者の部下が居ればだれでも諜報活動ができるというわけではない。
それだけの組織と人脈と人望を使いこなす才を柳生は持っておったということじゃろ。
いくら大目付が将軍に直訴できる立場にあるとはいえ将軍の名を使っての
捏造なぞできるとは思えんがのう。切腹ものだ。
逆にそんな捏造ができたとしたらまさしく上忍じゃな。
ちなみに宗矩の大坂夏の陣七人斬りは徳川実紀にも書かれている。にんにん。
>>955 >だから徳川の忍の元締は柳生ではなく伊賀同心「服部家」と甲賀同心「山岡家」じゃろと
そうだったね。ごめん。
>北朝鮮の朝○総連スパイもまさしくその辺のおっちゃんじゃろ。
総連のおっちゃんは、「協力者」で、
彼らを指揮する本国から派遣されたスパイは、訓練された筋金入りでしょう。
957 :
日本@名無史さん:2007/01/22(月) 04:33:56
r{()} }/ム _ /⌒丶. , -,
ゝYYトリ//‐''_ _____/::} ___{___:::::\/:::::l
ゝ(_).l,// /イ _,. "´,. -―- 、ヽ/ / \:::ヽ-、::! ふっふっふ
| |// ´ィン 〃l__/ _}::\ / l::::::ヽiノ 良いではないか。
//// / {::::::::::::{ __」:::::::::l
!_ / / |::::::::::ノ‐- 、 ____ _}::::::::::::l
/ }| l ヽ::::::{'⌒ヽi /-―‐-、} }::::ト、:::::ヽ
ノ ノlri l ,. =― _/:イ/ヘ世エl 徒ァ¬ {::::::l}}::::ノへ._
. l {/ヽ. 、≧=、 /r≠i劾 i/ l { {` ノlll `  ̄"" j::::::{ソ'´/ } \
〉´ /`l ハ気iハ ´ { { rヘ. ゝー_ }::::::j / / `丶、
} /´i { /ヘ | />ゝ _----一' {_彡´ / \
| イ/ {{ ヘ L.-‐ , 〃 `丶、 / / / / . -― \
l {ヘ , ´ \'t;;;;;'''´ /l ` く / / / / 丶
| ハ∧. / \__ ヘ , 丶 ヽ / / / l ヽ
| ヘ V_) l r、 \\ _ _ ヽ ヽ. / / / | i
、 V | } l _ ´丶、 ン }/ _)/lヽ、 \/ , ´ | .:
ヘ V l ヽ,{ ヽゝ\ { rf´ /,.' /'l、丶 ∨ |/::
ヘ V l トヽ `\ \ } ノ' {/ / !l 丶 / |::::
ヘ V | ヽ 丶 ` ヽ{ /, , // j V .:::: |::
ヘ 、 | l'、_ ヽ. /, { / / .::::::::::::::: l
958 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:45:50
俺は忍者よりくのいちのが気になるわけだが
959 :
日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:50:47
960 :
8ろう:2007/01/23(火) 19:40:55
>>956 >総連のおっちゃんは、「協力者」で・・・
うーむ、たしかにそうじゃがスパイの意味合いとしてはちと違う。協力者とは諜謀機関員の
一員じゃろうとも言える。
萬川集海に「商人は自国より連れてゆくべし」の言が有るが商人、出家、社人、芸人、乞食の類は
機関員として工作員と行動を共にしていたと考えられる。
また、敵国にて生活基盤の有る者の従者、縁者となれたなら自国の城に入るよりた易しと言う。
現地の人間というだけでたいへんな価値が有るものなのじゃ。
現代でも企業情報や個人情報の漏洩は一般市民が行っている事じゃ。
また忍者は非情にも女子供を道具として良く使う。敵地奥深く潜入させ諜報工作を
行わせる。「仮子の術」「くノ一の術」、信長の「響談」がこれにあたる。
必ずしも実行部隊が訓練された軍人であるとも言えないのじゃじゃ。
諜報活動とは戦争のためだけに有る訳ではない、外交、内政、経済、個人にも関わる
意外と身近なものだと言う事をこころえておくべきじゃろう。
我々の身辺で例えるならば公安外事、外務など捜査に関する機関では、捜査対象者や民間団体も使い
諜謀をする場合がある。対象はNPO、右翼系団体、現地マフィア、893など多様。
国内では公安警察などが国内治安維持のための調査に現行法の超過行為が無いか時々新聞等で
取り上げられるのを見かけるじゃろう。
>959
ああっ!/koumeiを諸葛亮孔明と勘違いしたわい!!
釣りなのは判っていたのに、、、くそっ
くのいちって実際は戦う忍者ではなく、体を使って捜査する女の人の事をいったんだろ?
962 :
日本@名無史さん:2007/01/27(土) 14:17:04
銀座のママや飲み屋の女将が一番の情報通だったりするもんなぁ
>962
それに中国の兵法を加えると細木数子になる。これはギネス物じゃ!
既出じゃが「くノ一の術」とは陽忍編遠入りに「久ノ一術」と言うのが有る。
これは婦女子を敵城中へ奉公させ諜報活動の手助けにする術のようじゃ。
美女を使うのは桂男の術にも出てくる。
『容貌良き児童あらば深き計をもって手を廻し、時節到来の時を窺い種々の
謀計をもちうる事尤もなり』
「仮女仮子の術」とは偽の妻子を人質に出し敵を安心させる術じゃな。
他に武田の歩き巫女が、その類じゃろうかのう にんにん。
964 :
日本@名無史さん:2007/02/04(日) 16:01:21
「くのいち」っていうのは女に関する隠語で、「くのいち」というと全てが女忍者という意味合いを持っていたわけではないんじゃないの
965 :
日本@名無史さん:2007/02/07(水) 08:07:59
やっぱ初見だろ
初見?
埋め
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うめ
ウメ
生め