「魏志倭人伝」等を読む(邪馬台国はどこですか19)
1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 20:31:07
暇だったから立ててやったよ。
3 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 20:37:47
スレ立て乙です
4 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 22:17:34
当時、九州地方は邪馬台国の属国ですた。
5 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 22:18:36
邪馬台国は武蔵の国です。本当です。
\ │ /
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─( ゚ ∀ ゚ )< ださいたまださいたま!
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 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\∩ ∧ ∧ \( ゚∀゚)< ださいたまださいたま!
ださいたま〜! >( ゚∀゚ )/ | / \__________
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/ /\_」 / /\」
 ̄ / /
 ̄
6 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 22:29:03
九州みたいな生産能力の乏しい貧弱な地に邪馬台国がある訳無いだろ。
7 :
太:2005/12/11(日) 22:35:12
>>6 おかしなことを言うね?「貧弱」だなんて・・・? 九州の一部を
「建日向日豊久士比泥別」と云って 『肥の国』 というんだよ。
泥土が肥沃だって云っているわけ。
8 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 22:37:29
「肥の国」とは「火の国」の事。
もっと勉強しろ。
9 :
太:2005/12/11(日) 22:40:45
そんなことは云わなくてもわかっている。
あんた、記紀の景行の条しか読まんのか?もっと前のところを読め。
10 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 22:57:14
>6
アマ族を中心とした海洋国家だったから、陸地だけの観点だと誤る。
11 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 23:03:23
泥土が肥沃と言っているから本州の何倍もの生産能力があるとでも思っているのかい(笑)?
せいぜい本州の4分の1か4分の1程度だろうよ(笑)
九州なんて生産能力の超乏しい地は畿内邪馬台国の属国であった事は間違いないのである。
12 :
太:2005/12/11(日) 23:10:56
じゃあ、お前さんだけ肥の国を「貧の国」と云えばいだろう。w
そのうち今度は古事記を「新事記」と言い出すのか?ww
女王国は畿内にはな〜い。眠いから明日以降お相手をしてやるよ。
13 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 23:26:04
アマ族の根拠地、対馬は、米が取れない土地だったから、
九州本土は豊かだったのだ。
畿内など荒地か山林か沼沢地だから、極貧地帯。
14 :
大和@名無史さん:2005/12/12(月) 00:08:10
新スレ発ちましたね。世の為人のためごくろうさまです。
でもいきなりジャブの応酬。これじゃー1000Resも瞬く間だね。
15 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 00:25:49
>>13 まぁ実際は
あそこはイイ土地ばい!ってな勢いで
ゴキブリホイホイみたく九州の田吾作どもが上って来たんだろう、大和w
と、言うことで、又も粘着罵倒合戦と妄想日記の貼付合戦のスレとなることが確定ですねw
17 :
↑:2005/12/12(月) 01:36:14
まあ、>6に向かってそう言ってくれ
18 :
三角@名無史さん:2005/12/12(月) 01:37:18
大和さん 畿内は、箸みたいな小枝使ったのですか?
それってことは、邪馬台国は、畿内でないってことにならないかな?
魏志には、手で飲食ってかいてある。箸を使う国は違う。
中国などからの使者が食事をするのは、一般の人とではない。
日本の王とかと食事する。そのとき日本の王等(卑弥呼はあわないが)
が手で食べていたから書いたはず。
あと、モモソ姫は、何故、姫なのですか?卑弥呼なら天皇のはず?
19 :
大和@名無史さん:2005/12/12(月) 09:51:09
>>三角さん。おはようございます。
前板覚えておられたのですか、有り難うございます。
所謂「箸」の用途が、今にみる飯米を口に運ぶ道具なのかどうかですね。
惣菜は杓子があるのですくって食べる匙の役割を持つとしても違和感がないし、
その小型の匙があって然るべきと考えます。惣菜の煮沸に供する匙・杓子があ
って、それらを補佐する支え棒的役割の箸状のものがないとするのもおかしな
情景と思えます。
因みに、「当時は中国でも飯は手または匙を用いて食べた」『元九州歴史資
料館・高倉宏彰氏論』とあります。
ではなぜことさら本文に「手食」と記したのか、これは読み手の感性の範疇で
あるのでしょうか、先述の高倉氏は出先郊外でのおにぎり様の飯米を食する情
景とされている。『初期古墳と大和の考古学・石野博信編』より。
モモソ姫=箸墓=卑弥呼=纏向王権は、多くの畿内派学者のそうであればいい
なーの願望です。どなたも確証をお持ちではないのです。
布留0も寺沢説による280年±20年とされるだけで確かなものではないの
です。最近は250年ごろまで遡るようですがまだまだ流動的(私説)であり、
寺沢氏も講演会で『定点遺物も詳細検討をくわえると時代が下がるケースが相
当数見受けられる。制作年代と埋葬時期年代は均一でない』とする。良識ある
見解です。
20 :
俺等05772:2005/12/12(月) 12:33:22
「真珠・青玉・丹」
「真珠・青玉・丹」は邪馬台国を確定する重要なキーワードである。これだけで、邪馬台国が
畿内にあることを、完全に証明できる。
1. 九州説では「真珠、青玉を産し、山には丹有り」を説明出来ない。
2. 畿内説なら「真珠・青玉・丹」全てについて産出場所の説明ができる。
@真珠: あわび、アコヤ貝から採れる。伊勢・志摩は古来から産地としての実績がある。
有明海・八代海は干潟の泥海、真珠は採れない。天然真珠 5000個は北九州だけでは無理。
A青玉: 碧玉(青メノウ)、ヒスイ、青色トパーズ
古代の青玉は、硬質ヒスイ又は碧玉と考えられている。九州に硬質ヒスイは産出しない。
碧 玉:松江の花仙山、福井県金津町・福井市田ノ頭町。
ヒスイ:硬質ヒスイは、姫川(糸魚川)ヒスイ峡付近のみに産出。
トパーズ:滋賀県田上山、山梨県黒平、岐阜県蛭川村田原・苗木,恵那郡
B辰砂: 奈良県桜井市多武峰鉱山、三重県多気郡勢和村丹生鉱山
日本で使われていた水銀のほとんどが、(勢和村)丹生で採掘されたもの。
http://www.ma.mctv.ne.jp/~seiwa/nyu1.htm 九州でも辰砂は出るが、極く僅かで、産地と言える程ではない。
史料1 真珠・青玉を出す。その山には丹あり。
史料2 壹與、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って臺
に詣り、男女生口三十人を献上し『 白珠五千孔 』、青大勾珠二牧、異文雑錦二十匹を貢す。
21 :
俺等05772:2005/12/12(月) 12:35:23
@真珠の検討
邪馬台国の特産であった真珠から、九州説が成り立つか否かを検討しませんか?まず、狗奴国の
位置を決めて、九州邪馬台国が有する海域を限定してしまえば、5000粒の真珠が採れそうか否か
分かると思います。
(参考)『延喜式』には志摩の国から 1000個の真珠が調進され たとの記事があります。
でも、九州から、多量の真珠が調進されたとの記事はありません。
アコヤ貝
1. アコヤ貝は房総、男鹿半島以南から九州にかけて分布し、潮間帯から水深20mまでの
「岩礁底」に足糸で「付着生活」する。 ← 砂海・泥海・干潟には生息できない。
2. 貝の生活機能は流速が10〜12cm/secで最も活発になり、15cm/sec以上では急激に低下する。
↑アコヤ貝は澱んだ海では育ちにくいが、かと言って、外海でも育ちにくい。
3. アコヤ貝の養殖は無給餌養殖で行なわれ、漁場海域の植物プランクトンを摂食する。
日本の沿岸域に多く生息する Nitzschia属珪藻は、アコヤ貝にとって不適な餌であるとされて
いる一方、Isochrysis藻類は、アコヤ貝にとって摂餌や消化のしにくい餌料であるが、栄養価
値が高い。Isochrysisは 10m程度の水深に多く分布する。
↑天然真珠を採るには、潜ってアコヤ貝を取るしかなさそうです。←大量には採れない。
4. アコヤ貝生育の適水温は13〜25℃、最適水温は23〜25℃。←南の海も、北の海もダメ。
5. アコヤ貝から天然真珠が採れる確率は 0.1%強である。
6. アコヤ貝1個の大きさは約 80mm、重量は 40g前後である。
1.から有明海・八代海ではアコヤガイは産出しない。
2.から大村湾でも真珠は産出するが、最適な場所ではない。
3.から海女が活躍する場所がその頃の産地。末盧の海は有望。アサリの様に大量には採れない。
5.から壱(台)与が晋に贈った 5000粒の真珠に要したアコヤガイは約5百万個。
6.から5000粒の真珠に要するアコヤガイの量は、なんと2億g=『 200トン 』弱になる。
22 :
三角@名無史さん:2005/12/12(月) 20:21:55
物が何処でとれるかではなく、真珠、ヒスイ、貝がどこにあつまって
るかが問題。いわゆる市が大きい場所が、国の中心では?邪馬台国は、
宗教的であり、中心とはかぎらないのですが。
>>6 一度、Google Earthで日本を見てみろ
福岡、佐賀、熊本の平地(生産性)がでかいのがわかる
24 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/12(月) 21:49:42
『邪馬臺國』
「倭伝」に登場し
「倭国伝」には登場しない国
《但し:隋書に》
都於邪摩堆則魏志所謂邪馬臺者也
倭と倭国の違いのヒントになりませんか?
倭自後漢通焉在帶方東南大海中依山島爲居凡百餘国
光武中元二年、倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也
安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人桓靈間倭國大亂更相攻伐歴年無主
有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼道能以妖惑衆於是共立爲王
侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衞
魏明帝景初二年、司馬宣王之平公孫氏也倭女王始遣大夫詣京都貢獻魏以爲親魏倭王假金印紫綬
齊王正始中、卑彌呼死立其宗女臺輿爲王【魏略云「倭人自謂太伯之後」】其後復立男王並受中國爵命
晉武帝太始初、遣使重譯入貢
宋武帝永初二年、倭王讚脩貢職至曽孫武
順帝昇明二年、遣使上表曰「封國偏遠作蕃於外自昔祖禰躬kwan甲冑跋渉山川不遑寧處、
東征毛人五十五國西服衆夷六十六國渡平海北九十五國臣雖下愚忝胤先緒驅率所統歸崇天極道遥百濟装船理舫
而句麗無道圖欲見呑虔劉不已毎致稽滯臣欲練甲理兵摧此強敵尅靖方難無替前功竊自假開府儀同三司其餘咸各假授」
詔除武使持節安東大將軍倭王
其王理邪馬臺國【或云邪摩堆】去遼東萬二千里在百濟新羅東南其國界東西五月行南北三月行各至於海、
大較在會稽bin川之東亦與朱崖tan耳相近其國土俗宜禾稻麻紵蠶桑知織績爲糸兼布
出白珠青玉其山出銅有丹土氣温暖冬夏生菜茹無牛馬虎豹羊有薑桂橘椒zeu荷不知以爲滋味
出黒雉有獸如牛名山鼠又有大虫也呑此獸虫也皮堅不可斫其上孔乍開乍閉時或有光射中之虫也則死
其兵有矛楯木弓竹矢或以骨爲鏃男子皆黥面文身自謂太伯之後衣皆横幅結束相連無縫
女人被髪屈糸介作衣如單被穿其中央貫頭而著之並以丹朱塗其身如中國之用粉也
有城柵屋室父母兄弟異處唯會同男女無別飲食以手而用hen豆俗皆徒跣以蹲踞爲恭敬人性嗜酒多壽考
國多女大人皆有四五妻其餘或兩或三女人不婬不to又俗不盗竊少爭訟其婚嫁不娶同姓婦入夫家必先跨火乃與夫相見
其死停喪十餘日家人哭泣不進酒食肉親賓就屍歌舞爲樂有棺無槨封土作冢舉大事灼骨以卜用決吉凶
其行來渡海詣中國常使一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰持衰苦在塗吉利則共顧其財物
若有疾病遭暴害以爲持衰不謹便共殺之
中国では「倭」でも「倭國」でも、別に特段の違いを意識しないで使われている。
この違いに変な拘りを感じてしまうのは、「国」と言う文字から「国家」と言うイメージを払拭できない現代日本の某2chネラー氏だけ。
27 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 01:43:30
>>23 バカ発見、佐賀平野の殆どは干拓。熊本は湿地。
28 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/13(火) 06:08:11
>>25 乙です。
>>26 『通典』(政書)とは、またマニアックな史料を提示しましたねぇ!
通典の史料提示が、私の出した『倭・倭人・倭国』の差別化を否定する判断材料に成るかどうかは 現段階でのコメントは保留にさせていただきます。
あと、
(国と国家)
以前にも同じコメントを頂戴したような?
中国から見た他地域
それは、定義ではなく
中国での根本的な考え方は、中国だけが国家であり国でしょう。
『通典』
邊防 東夷上 倭國
古代〜唐 の史料の集大成 のような?
過去の正史とは、その性質も違い、一線を引く可きかと… 御意見を!
30 :
シバキザクラ:2005/12/13(火) 08:03:33
弥生時代の佐賀平野は現在のJRの北側は陸地になっております。
九州にかぎらず、現在の海沿いの平野部はかなりの部分は湿地か海でした。
そのなかでも佐賀平野はかなり広い平野であったといえます。
31 :
俺等05772:2005/12/13(火) 08:19:15
「邪馬台国」は今までのように「ヤマタイコク」ではなく、「ヤマトコク」と読むことが
日本考古学会により正式決定されました。
2006年度より採用されます。
ありがとうございました。
33 :
太:2005/12/13(火) 11:00:11
そうだとすればの話で仮定だが、いずれ臥海は大恥をかく事になるだろう。
>>27 一度、Google Earthで日本を見てから考えろ
36 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 13:49:57
九州説など永久に日の出を見る事の無いトンデモクダラナイ説。
ごく少数の支持を受けてこれからも細々と生き続けるんだろうが
まあせいぜい頑張れよ。
37 :
↑:2005/12/13(火) 14:14:58
畿内で阿蘇山と金印を見つけて来い。
話はそれからだ。
38 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 14:17:00
なんで阿蘇山が出て来るんだ?金印は中国に返還した可能性も考えられるだろ。
39 :
↑:2005/12/13(火) 14:22:29
すげーや、阿蘇山も中国に返還したのか?
40 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 14:29:27
九州説のキチガイなんか相手にするな
41 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 14:30:09
>すげーや、阿蘇山も中国に返還したのか?
意味不明なんですけど。
42 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/13(火) 14:44:35
>>39 最高にワロタ!
>>38 金印返還
それはどぉかな?
印綬は、基本的に一つの役職にたったひとつ、それを代々の役人が引き継ぐかたち
そぉ考えると…?
魏が滅びれば
魏の印綬は、ただの骨董品
43 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 14:49:41
大月氏王の金印は発見されてるんでしたっけ?
44 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:59:10
だから四国だって言ってるだろ。いい加減目を覚ませ。
45 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:59:48
それ見たら弥生全般の九州の生産性がみえるの?
見ても2000年後の地形だお? Google Earth わw
Q臭説の椰子って単細胞か?。。。
46 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 18:02:14
陸行一月なんて関東しかありえん。
47 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 18:03:19
関東?
48 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 18:04:27
そうそう
49 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 18:05:58
富士山頂に降臨した卑弥呼キボン
50 :
俺等05772:2005/12/13(火) 18:34:28
>>20-21 >>31 B辰砂(丹)の産地
水銀鉱は、領家帯上で、中央構造線近傍の破砕帯沿いから多量に産する。
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03.htm 大和鉱床群;伊勢〜紀ノ川河口の間(丹生の民俗;神奈備)
「辰砂は硫化水銀鉱。水銀と硫黄からなる。中央構造線付近の破砕帯に伴って、熱水鉱床、
九州の鉱床
九州西部鉱床群;佐賀県多良岳〜嬉野町、松浦市、
九州鉱床群;大分市坂ノ市〜姶良郡溝辺町丹生附、
阿波鉱床群;阿波吉野川沿い若杉山遺跡、
稀に変成マンガン鉱床(例.長野県浜横川鉱山)などから産する。
(参考)丹生の付く地名
辰砂を産出する水銀鉱床群の分布する地域には丹生・丹生川・丹生神社の名前が分布している。
山形県東田川郡朝日村丹生鉱泉。 同県尾花沢市丹生村
群馬県富岡市丹生。 千葉県富浦町丹生。 東京都奥多摩町丹生神社
福井県三方郡美浜町丹生。 同県丹生郡。 滋賀県余呉町丹生
三重県勢和村丹生鉱山
奈良県奈良市丹生町。吉野郡下市町丹生。和歌山県伊都郡かつらぎ町丹生。龍神村丹生神社。
香川県東かがわ市大内町丹生駅。兵庫県北神戸 丹生山田 丹生山系。
大分県大分市丹生。臼杵市丹生島。鹿児島県姶良郡溝辺町丹生。
51 :
俺等05772:2005/12/13(火) 20:38:25
52 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 20:43:42
>51
(いわゆる)九州邪馬台国はもともとアマ族の国。
真珠も翡翠の産地もアマ族のテリトリーだから、
九州説が強化されたわけだが。
>>51 都内のデパ地下には、森の「いかめし」、横川の「峠の釜飯」などなど
地元より数をこなす。
>>51 九州の有明海って一部であって
それなら大阪湾は泥の海だから関西では真珠は取れないといってるのと一緒だ〜
大阪湾では真珠は取れないけど西九州は真珠が取れまくり〜
それに交易は縄文時代から日本で広く交易しまくってたから〜
55 :
本田:2005/12/13(火) 23:59:30
>>51 >
>>20 >
>>20-21 >>31 >>50 を見て、邪馬台国九州説の人は是非反論してね。
> 一応、九州説の人のことも配慮した積りだから。
近畿説の人もなぜ近畿なのか説明すべきだろう。
フォッサマグナも伊勢、志摩も畿内には無い。
56 :
俺等05772:2005/12/14(水) 07:45:56
>>52-53 「真珠・青玉を出す。その山には丹あり」の表現にはならないと思います。
>>54 過去の真珠産出高はどうなっていますか? 江戸時代の各藩の統計があれば
参考になると思いますが。
畿内説の場合、志摩から 1000粒献上された記録がありますから、他の領域
も含めれば、 5000粒は確保可能だと思われます。
>>55 畿内説で、その他の傍国をほぼ全て確定できましたので、邪馬台国全体の広が
りを見て下さい。後で載せます。
57 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 09:54:40
>>52 アマ族のテリトリーは何処から何処までの範囲でしょうか?きちんと
範囲の推定がなされないと、判断しようがないです。
>>53 森の「いかめし」や 横川の「峠の釜飯」の産地はデパ地下ですか?
「〜を出す」「その山には〜あり」は産地の表現であって、流通先の
表現ではないでしょう。
58 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/14(水) 14:37:47
お久しぶりです。皆様まだこのようなことをしてらしたのですね。
問題なのは歴史的視点で邪馬台国の存在を位置付けることです。
見てるとあいかわらず細部にこだわりすぎの議論で本質を見失ってる感が
ありますね。最終的に大和を中心に国をまとまるので、そこに至る過程で
邪馬台国の存在がどう関係してるのかです。正確な場所などそう
大きな問題ではありません。九州から東遷したとしたら、ではなぜ
6世紀の磐井の乱のころまで九州をコントロールしきれてなかったのか。
大和に最初からあったなら、3世紀の時点ですでに北九州を押さえ
大陸へのルートを確保してたのか。問題はそこでしょうに。
九州にあり滅ぼされたという可能性も高いですがね。
59 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 15:44:19
6世紀の磐井の乱は大和朝廷の力が弱まった時代に相当します。新羅が
賄賂工作をして、磐井をそそのかさせたのでしょう。三別抄の乱があった
からと言って、鎌倉時代に朝鮮はまだ統一されてなかったと言えますか?
>>58ヒッキー君お久しぶりです。
確かに言ってる事は解りますが、その問題はこのスレではなく
よその関連スレにて
君のスレも未だ未消化ですし
邪馬台国と大和朝廷の関係より
年の「願請見」が未遂っぽい倭国王帥升のその後と大和朝廷の関係の方が、現実っぽいのでは?
62 :
俺等05772:2005/12/14(水) 18:02:45
>>55 畿内説より見た傍国比定(二訂版)・・ほぼ全部確定 \(^0^)/
傍国比定に際しては、各国をちりばめるのではなく、隙間が全て無くなるよう、各傍国で埋めるよ
う心がけた。しかしそれでも、空白域になってしまった場所がある。それが出雲を除く山陰・北陸
諸国【 石見、伯耆、因幡、但馬、(丹波+丹後)、若狭、越 】で、この領域は邪馬台国の直接の統
括下ではなく、出雲を通して間接的に統治されていたと思われる。
現代人が県名を数え挙げる時には、幾つかのブロックに分け、ブロック内では連続性を持たせて
列挙し、そのブロックが終ると不連続的に他のブロックに飛んで、また連続性を持たせて列挙し
て行き、全域を埋めていく。古代人も同様な方法で国名を数え挙げたと仮定した。
@東国
次に斯馬(しま)國有り。 志摩国=(志摩+伊勢の海側)
伊勢:7世紀に、志摩、伊賀を含んだ国として成立
次に己百支(じはき)國有り。 尾張国=(尾張+三河)←前後の関係より推定
次に伊邪(いや)國有り。 伊那国 ←那(da=na)の誤記と推定
8世紀以前の中国人には、daと naが、同音に聞こえた
次に都支(たき)國有り。 土岐国=(美濃の東半分)
次に彌奴(みな)國有り。 美濃国=(美濃+飛騨)
飛騨:風土記に云はく、この国は本(元) 美濃の内なり
次に好古都(こかた)國有り。 越後国(+越中) ←小潟国。信濃川の河洲には干潟が多かった
新潟:信濃川の河洲に新しく出来た潟。400年以上前の名前
次に不呼(ほこ)國有り。 信濃国 ←葉木(はこ)国。山地で葉や木の多い国
次に姐奴(つな)國有り。 ??? ←駿河(含甲斐)であれば、都合が良い。
A四国
次に対蘇(つさ)國あり。 土佐国
次に蘇奴(さな)國有り。 讃岐国
次に呼邑(こお)國有り。 阿波国 ←前後の関係より推定
次に華奴蘇奴(かなさな)國有り。伊予国 ←讃岐の対の国は伊予(金讃岐:銅生産より推定)
63 :
俺等05772:2005/12/14(水) 18:05:04
>>55 つづき
B中枢国
次に鬼(き)國有り。 紀伊国
次に為吾(いが)國有り。 伊賀国=(伊賀+伊勢の山側)
伊勢:7世紀に、志摩・伊賀を含んだ国として成立
次に鬼奴(きな)國有り。 近江国 ←前後の関係より推定。鬼奴彌(生海)の誤記か?
次に邪馬(やま)國有り。 山城国
次に躬臣(こじ)國有り。 河内国=(河内+摂津+和泉) 摂津・和泉を含め汎河内国と呼。
摂津:7世紀に津国として分離、和泉:霊亀二年(716)河内より分離。
C西国
次に巴利(はり)國有り。 播磨国
次に支惟(きい)國有り。 吉備国=(備前(+美作)+備中+備後)
次に烏奴(あな)國有り。 穴 国=(安芸+周防+穴門(長門)) 鍾乳洞から付いた名か?
次に奴(な)國有り。 筑紫国
此れ(奴國)、女王の境界の尽くる所なり。その南(ここはそのまま南)に
D敵国
狗奴国有り。 球磨国=建日向日豊久士比泥別=日向・火・豊の一部・阿蘇山の国
−−−−−−−−
E出雲連合(共立国)
空白域1=石見+出雲+伯耆+因幡+但馬+(丹波+丹後)+若狭+越・・直接の従属国ではない。
(ただし、投馬(づま)=出雲 のみ記載あり) 越は(越前+加賀)国。
F不明国 空白域2=豊国
64 :
横レス:2005/12/14(水) 19:51:34
>>56 すいません。
あなたの主張には、真珠の産地は「邪馬台国である」と言う前提があるようですが、
そのような記載は倭人伝の何処をつついても見当たりません。
単に倭地の総括的地理説明としか読み取れませんよ。
違いますか?
65 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/14(水) 20:04:38
>>56俺等さん
『後漢書・倭』からの引用と思われますが
>《出白珠青玉其山有丹》
「真珠、青玉を出す。その山には丹あり」
この翻訳で間違いありませんか?
確か水銀は、「鉛丹」では?
『魏志倭人伝』に、朱丹の用途が
《以朱丹塗其身体如中国用粉也》
>>65 どうでも善い事。
どっちで同じようなことだ。
違うと何か影響があるのかな?
67 :
俺等05772:2005/12/15(木) 08:43:22
>>64 魏志倭人伝の「出真珠、青玉。其山有丹。」と、後漢書の「出白珠、青玉。其山有丹。」から
白珠=真珠とわかります。
また、魏志倭人伝の「貢白珠五千孔、青大勾珠二牧」から真珠五千粒贈ったことがわかります。
次に「出真珠、青玉。」の『出』ですが、「産する」を意味します。また、これは伊都の役人が
公式に語った言葉ですので、自国の中で「産する」と言ったのです。
それより、邪馬台国を九州と過程した時の、傍国比定とその広がり、邪馬台国全体の規模を示し、
真珠・青玉・丹の産地を示していただけませんか?また、狗奴国の位置についてもお願いします。
畿内説の場合、真珠は伊勢志摩と他の海域、青玉は糸魚川付近、丹は伊勢の勢和村丹生です。
68 :
俺等05772:2005/12/15(木) 08:46:14
赤色顔料
鉛丹:Pb2PbO4、酸化鉛の一種であり、水銀を含んでいません。
丹、朱丹:HgS、硫化水銀で、丹は一般にこれを指します。
ベンガラ:Fe2O3、酸化鉄で、丹とは別の名称で呼ばれていたはずですが、
名前を思い出せません。
69 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/15(木) 12:00:00
>>59 そうですね。何はともあれ史料をよく
吟味し、考古学からも検討した上で
推論するしかないですね。邪馬台国東遷など
あったのかどうか・・
70 :
俺等05772:2005/12/15(木) 18:33:19
>>67 邪馬台国九州説で傍国比定ができず、邪馬台国全体の規模も示し得ず、真珠・青玉・
丹の産地も示されないのなら、九州説はもう終りと見てよいですか?
>>20 と
>>62 から邪馬台国は畿内にあったことは確実だと思うが、もう少し九州
説の人達の意見を聞きたいと思います。
71 :
↑:2005/12/15(木) 18:41:35
だから、君の言う産地はアマ族九州邪馬台国の勢力内だ。
なお、畿内の大王は6世紀になっても播磨国を領有できていない。
だから真珠・青玉・丹の産地はいずれも、畿内王権の勢力外。
72 :
俺等05772:2005/12/15(木) 18:51:04
>>69 私の場合は狗奴国によって邪馬台国が滅ぼされたとする狗奴国東征説です。
この場合、神武天皇の年代を265年以降へ大幅に修正する必要がありますが、
日向から出発して畿内を征服したと云う記紀の記述や、後世、銅鐸が忘れ去
られた事実、天皇の象徴でもある鏡・剣・玉の3点セットが九州の遺跡から
出土する事実を全て説明できます。
73 :
俺等05772:2005/12/15(木) 19:03:14
>>71 アマ族九州邪馬台国の勢力内の具体的イメージが湧かないのですが、
今の県名で言うと、どこから何処までの範囲でしょうか?
畿内の大王は6世紀になっても播磨国を領有できていないって何ですか?
74 :
土産屋:2005/12/15(木) 19:32:35
真珠青玉、その山より出る。丹有り
フムフム
75 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 20:44:45
76 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/15(木) 21:20:28
魏志倭人伝は、『邪馬台国物語』ではない!
陳壽のカキコは、
『魏志(書)東倭伝 倭人在帯方東南…』で、有り
范曄のカキコは、
『後漢書 列伝 東夷 倭在韓東南…』
中国正史に、『邪馬台国物語』など、存在しない。
陳壽や范曄の編纂書の中に「真珠・青玉・丹」の産出を示す内容が見えようとも、
それ即ち、邪馬台国勢力圏とは限らない。
物の流通に、勢力圏も国境もない。
第一物の流通に、規制を示すカキコ等何処にも見当たらない
陳壽のカキコした記事は『倭人』であり
范曄のカキコした記事は『倭』である
77 :
64:2005/12/15(木) 23:01:59
>>67 『魏志倭人伝の「出真珠、青玉。其山有丹。」と、後漢書の「出白珠、青玉。其山有丹。」から
白珠=真珠とわかります。
また、魏志倭人伝の「貢白珠五千孔、青大勾珠二牧」から真珠五千粒贈ったことがわかります。
次に「出真珠、青玉。」の『出』ですが、「産する」を意味します。また、これは伊都の役人が
公式に語った言葉ですので、自国の中で「産する」と言ったのです。』
いえいえ、そんなこと(真珠が何かなどと)を聞いているのではありません。
いいですか、魏志の地理記述には「邪馬台国はこう言う風土だ」と言うような記述はないのです。
自『古』以來其使詣中國皆自稱大夫、今『倭水人』好沈沒捕魚蛤、『諸國』文身『各』異と言う
倭地、倭人全般の地理説明の中で『出眞珠、青玉』が記述されている以上、
それは「邪馬台国」のことではなく、倭の地全体のことを指し示しており、貴方の>20
『「真珠・青玉・丹」は邪馬台国を確定する重要なキーワードである。これだけで、邪馬台国が
畿内にあることを、完全に証明できる。
1. 九州説では「真珠、青玉を産し、山には丹有り」を説明出来ない。
2. 畿内説なら「真珠・青玉・丹」全てについて産出場所の説明ができる。』
の証明とは成り得ないのです。
>>67 >また、魏志倭人伝の「貢白珠五千孔、青大勾珠二牧」から真珠五千粒贈ったことがわかります。
これは必ずしもそうとは言い切れない。
というのは、天然真珠が取れる確率がきわめて小さいためで、五千孔とすると、
数が多すぎて、養殖真珠がないこの時代では、真珠はちょっと無理ぎみ。
あり得ないともいいきれないが、必ず真ともいえない。
79 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 23:44:08
『五千孔』
白髪三千畳
畿内にあることを、完全に証明できる。
1. 九州説では「真珠、青玉を産し、山には丹有り」を説明出来ない。
2. 畿内説なら「真珠・青玉・丹」全てについて産出場所の説明ができる。』
の証明とは成り得ないのです。
その言い方では算出場所=邪馬台国だな
81 :
俺等05772:2005/12/16(金) 07:07:34
>>76-77 最初は皆さんに一歩譲りましょう。ただ、「真珠・青玉・丹」全てを産出する
場所は、九州だけでは無理ということだけは認めて下さい。
82 :
俺等05772:2005/12/16(金) 07:22:46
>>78-79 >>21を見て下さい。5千個の真珠に必要なアコヤ貝の量は 200トン弱で、
2トントラック 100台分です。これを潜って採らなければならない。
私はアコヤ貝は真珠を取るために採ったのではなく、貝柱を食糧にする為
に採ったのだと思います。だから、近くに大消費地が無ければならない。
つまり、生産に適した場所と大消費地とが接近している必要があるのです。
そうした場所を北九州に求めるのは無理ではないですか?
83 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 08:43:08
近畿を近畿限定で統治するのって難しい
大和盆地の裏側は深い森林が海まで続いてる、昔からゲリラ的な人が暗躍していた
伊賀甲賀忍者や鈴木鉄砲衆
百歩譲って畿内に邪馬台国があったとしても伊勢方面まで版図だったとは言うべきではないな、日本は江戸時代まで山を越えたら別の国だよ
84 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/16(金) 10:10:50
俺等さん
今の所、邪馬台国の場所が、畿内・九州のどちらでもいいことでしょう。
元ネタである中国正史に、誤記・誤写・勘違い等々の問題が解決しない限り
たった一文字により内容が大きく変わってくるのも事実です。
(私見ですが)
私の場合それらの文献は、一切それらの疑いを持たずに、まず翻訳する事だと考えています。
書刊により、文字が違っているのは
各編纂者のセンスと、とらえております。
85 :
俺等05772:2005/12/16(金) 18:03:27
>>84 私は邪馬台国の場所を、畿内又は九州に同定することが、最も大事だと思います。
一文字程度で位置が大きく変わることは無いと思います。細かい修正は、その後
すれば良いのでは? プラムさんは邪馬台国論争を終らせたくない感じ。
86 :
俺等05772:2005/12/16(金) 18:11:42
>>83 >>62-63 の傍国比定はどう思われますか? 畿内説で丹や真珠の産地を求めると
したら、伊勢と志摩の領域を邪馬台国の属領に、どうしてもする必要があります。
87 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/16(金) 20:30:37
俺等さん
いいですか!
『倭人傳』は(倭人の国)を、カキコした書物
『倭国傳』は(倭国)を、カキコした書物
『邪馬台国傳』は(邪馬台国)をカキコした書物です。
まずは、(真珠・青玉・丹)=邪馬台国勢力圏内の証明が先決でしょう
その倭人の国や倭国が日本だと言う前提は本当に正しいのですか?
その点はきちんと検証されているのですか?
90 :
俺等05772:2005/12/16(金) 22:40:55
>>88 こう主張される人に、どう説得したら良いか分かりませんが、例えば卑奴母離・
卑狗を、他の民族だと仮定すると、どの民族になるのでしょうか?卑奴母離を
日本の名称では無いとすると、どこの国の民族の名称なのか教えて欲しいです。
投馬国の弥弥は耳に相当すると思いますが、これは、出雲の王の名称「耳」以外
他に考えられるでしょうか? もし、分かれば教えて欲しいと思います。
91 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:43:36
投馬国は宮崎県で、耳川があります。
92 :
俺等05772:2005/12/16(金) 22:46:47
>>87 少なくとも、(真珠・青玉・丹)≠九州勢力圏内 の証明は出来ると思います。
93 :
↑:2005/12/16(金) 22:51:56
おいおい>75を嫁
94 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/16(金) 23:01:59
『卑奴母離』
母を知らない卑しい奴隷
とでも翻訳しますかね!
『天然真珠』
日本では、三重の英虞湾や愛媛県の宇和島海域に多く棲息するあこや貝から採取した。
海外では、白蝶貝から採取
95 :
俺等05772:2005/12/17(土) 07:46:06
>>94 もう少し、素直に解釈したほうが良いと思いますよ。古田武彦は1人は必要だが、
2人は要りません。私なんか『卑奴母離』や『卑狗』を見て、約1800年も昔の
官職名が今聞いても分かる名前なので感動を覚える程です。
96 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/17(土) 10:30:35
>>95俺等さん
私は、古田氏や安本氏の著書を拝読した事が無い(これからも必要ないだろう)ので、その字意の比較は出来ませんが
それより、そんなに感動する名詞なら何故、その素晴らしい名前を、後世『記・紀等に』カキコしないんですかね
中国にとって中国が一番であり、中国以外
蛮夷の国 平伏すのが当然 仮に、『卑奴母離』が素晴らしい名詞だとしたら
それ即ち、中華の官職或は中国人の名前です。
97 :
俺等05772:2005/12/17(土) 10:44:49
『卑奴母離』が素晴らしい名詞だと言ってるのでなく、現在の我々にも
通用する名前だと言っているのです。
信仰の自由は保障されています
硬玉ヒスイは、縄文時代から一定の所で生産されてたようです。
100 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/17(土) 11:42:14
>>62 >次に斯馬(しま)國有り。 志摩国=(志摩+伊勢の海側)
伊勢:7世紀に、志摩、伊賀を含んだ国として成立
とありますが、九州に「志麻郡」ありますよ?
ヒスイの原産地は姫川、加工地は?
102 :
俺等05772:2005/12/17(土) 11:56:23
>>100 九州説で傍国比定をなるべく全て行い、邪馬台国勢力圏の全体像を描いて
いただけませんか? 次いで狗奴国の位置もお願いします。
狗奴国で思い出したのですが、プラムさんが狗奴国は邪馬台国の敵国では
ない、と言っていましたが、倭国内で獣篇の国名は狗奴国だけなのです。
安曇連浜子さんはこの事実をどう思いますか?
103 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/17(土) 12:05:00
>>102 私は、狗奴国ははっきりとした敵国だと思います。
104 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/17(土) 12:49:03
邪馬台国=宇佐、投馬国=日向、狗奴国=熊本でしょうね。
水行陸行は帯方郡からの総日程でしょうね。
方角の多少の誤差は目をつぶりましょう。
おそらく応神天皇の代に畿内大和と九州邪馬台国とが融合し
河内に新王朝を打ち立てたのでしょうね。征服か融合かまでは
わかりませんが。これ以上の推論は僕にはできません。
しかしこれが最も可能性の高い推論だと自負しておりますが。
105 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/17(土) 13:01:50
>>103安曇さん
カキコしてあるのは
『不屬女王』であり『不屬女王國』ではありません
『相攻伐』も、狗奴国男王卑弥弓呼です。
前にもカキコしましたが
『丗有王』と『丗丗有王』たった一文字で意味が全く違ってきます。
文献では『女王』と『女王國』を使い分けているため正確に、取り扱わなければならないと思います。
狗奴国=葛城国
狗古智卑狗=葛城襲津彦
卑弥弓呼素=応神
107 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 14:25:00
>>106そんなこと言ってたら、何でも有りになっちゃうよ。
邪馬台国=ペンギン村
卑弥呼=あられちゃん
其弟王=ガッちゃん
卑弥弓呼=すっぱマン
魏皇帝=にこちゃん大王
108 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 15:03:20
109 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 15:05:44
>>105 >文献では『女王』と『女王國』を使い分けているため
それは、アナタの勝手な思い込みであり、真実ではない。
110 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 15:06:56
111 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/17(土) 15:32:00
112 :
俺等05772:2005/12/17(土) 15:41:33
>>105 プラムさん
倭国内で獣偏の国名は狗奴国だけなのは、何故だと思いますか?
倭は小さいという侮蔑の意味がありますが、少なくとも人偏が付いています。
中国人は中華思想に基づいて、偏を含む字に意味を持たせていたのです。
卑狗は?
114 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/17(土) 16:29:58
俺等さん
(私見ですが)
仮にも皇帝に拝謁する国、其国が(狗・狸・狐・猫)では皇帝の権威にキズ 絶対有ってはならないことです。
狗奴国ですが
後漢書では(手偏)を使い「拘奴国」に、
陳壽があえて「狗」の獣偏を使用したのかは、三十国の中で唯一洛陽に使人として行かなかった為と、考えます。
115 :
太:2005/12/17(土) 16:40:25
『馬』か〜?
男尊女卑な九州に女王・・・?
117 :
日本@名無史さん:2005/12/17(土) 17:48:33
>>114 狗邪韓國 や 弁辰狗邪國はどうなるんだ?
118 :
俺等05772:2005/12/17(土) 19:40:12
邪馬台國の全体像(再掲)
仮定1 邪馬台国時代、箱根越えは未だ不可能で、東国へ行くには伊豆半島を船で廻る必要があった。
仮定2 当時の魏の中国人には、日本は朝鮮半島から南に広がった島国という先入観があった。
仮定2から、@〜Bのように方向を修正できる。
@ 郡使が体験して記したことについては、方向をそのまま採用した。
A 倭人から聞いた編者の熟知している地域に対しては、方向を90°時計回りに変えた。
B 倭人から聞いた編者の不案内な地域に対しては、不案内が故に、方向をそのまま記した。
上の仮定を使うと、以下のような概略図を描くことが可能である。
_ 邪馬台國の全体像を、簡略図で示す(文字サイズを小に願います)。
─-┘ \倭と韓の国境 (末盧・伊都・奴・不彌は都市名(点)、後出の奴国は国名(面))
狗邪韓國\ (末盧=唐津、伊都=吉野ヶ里、奴=須玖、不彌=三雲の各遺跡)
\
↓(南南東)
対馬
\ (東南) 女王圏の東境
\ (東、水行二十日) |
一支 ┌→−−−−−−−−−−→投馬國 |千余里
| ↑→−−−−−−−−−−−−−−−−→邪馬台國−−−→|−−−→倭種国(南関東)
↓ ↑ (東、水行十日、陸行一月) | ↓
末盧 不彌 ↓三千里
\ ↑ 奴 ↓
(東南)\↑/ 奴 国 ↓
伊都 侏儒國(八丈島)
−−−−−−−奴國と狗奴国の境
狗 奴 國
119 :
↑:2005/12/17(土) 20:14:52
で、阿蘇山はどこだ?
えっと、阿蘇山をNGワードに追加ッと。できたぁ!
121 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/17(土) 21:55:22
俺等さん
冷静に考えて見てください。
例え90゚180゚ズレようとも、基本的に正確に位置、形を認識していることに成りませんか!
九州を軸に回転させる事も、何の根拠を伴わないのです。
もしかしたら、四国や畿内が軸かもしれませんよ!
ようするに、解釈する側の都合ですよ
122 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/17(土) 22:03:56
陳壽が「南」とカキコしてあるなら「南」なんです。
それを「東」に勝手に、解釈してしまったら
もうその文献は「魏志倭人伝」では有りません
「捏造魏志倭人伝」です。
123 :
俺等05772:2005/12/17(土) 22:30:38
>>119-120 当然、阿蘇山は狗奴国の中です。狗奴国=建日向日豊久士比泥別、で問題
ありますか? 久士比泥は「奇し火根」で火山の麓で問題ありますか?
邪馬台國(のちのイ妥国)が阿蘇山でまつりごとをしたのは、(旧)狗奴国の領土だと?
そりゃ、畿内説だと無理だろう。
125 :
三角@名無史さん:2005/12/17(土) 23:00:10
狗邪韓国から東に行って対馬は東北地方、さらに東に行ってハワイが
一大国、さらに東へ行って、アメリカに末ロ国。でいいのかな?
愚鈍という言葉がぴったりの奴が居るな。
127 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/18(日) 00:45:56
倭人の地域は、
『倭人在帯方東南大海之中』
倭の地域は、
『倭在韓東南大海中』
倭国は、
『倭国在高〔馬麗〕東南大海中』
最低限このルールだけは守ろうよ!
128 :
三角@名無史さん:2005/12/18(日) 01:07:07
南は、南。最低限このルールだけは守ろうよ。
129 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/18(日) 01:18:00
考古学音痴の私が言うのも変だけど
三世紀半ばの鏡が滋賀県や愛知県で出土している
佐賀・福岡で始まった鏡伝播が、約300年かけて600q地点までやってきた
しかし、大和は素通り
この事実はいかに!
詳しい方がいたら御教授を
>>127 「韓の東南の大海の中」
皆、守っていますが、何か?
それよりも漢文読解の最低限のルールも守れない奴が居るんだがどう思う?
>>129 レスの内容が意味不明なので回答不能。
もう少しちゃんとした文章で質問しましょうね。
どんな鏡(前漢か後漢か)が、どこから(何時ごろの何と言う遺跡か)出て、
同時期の何処そこでは出ないとはっきり書いた方が善い。
そうすれば貴方の思い違いを指摘してくれる親切な奴の一人二人は現れるでしょう。
>>131 これは、御意見Thank youです。
133 :
俺等05772:2005/12/18(日) 08:55:12
>>121-122 ★ 倭人は帯方の東南大海の中にあり、山島に依りて國邑をなす。
★ 男子は大小と無く、皆黥面文身す。古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。
夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。
★ その道里を計るに、当に会稽の東治の東にあるべし。
★ 有無する所、タン耳・朱崖と同じ。
★ 倭の地は温暖にして、冬・夏生菜を食す。皆徒跣なり。
字句1つに拘るのも良いでしょうが、上記の記述を読んで、当時の魏の中国人が倭の位置を、ど
う考えていたのか、頭に叩き込んで置くべきだと思います。彼等の考えに従えば、倭の位置は
太平洋の海底に没してしまいます。常に全体の視点を見失なわないで下さい。
134 :
俺等05772:2005/12/18(日) 08:58:24
135 :
日本@名無史さん:2005/12/18(日) 11:50:22
私は邪馬台国は栃木県矢板市の塩谷町と信じています。
数年前に金印がでていますし、沢山の遺物が出土します。
>>134 >124は「九州王朝スレ」と言うクソ寒い隔離スレに収容中の古参粘着だ。
たまに、寂しくなって他スレをアラシにくるが、全く意思疎通ができないので相手をしてはいけない。
137 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/18(日) 15:22:51
『倭国の成立』
宋の時代まで、中国側から見た列島は、主権国家として区分出来なかった
その根拠に
それまでの 正史には
「漢時」東夷 倭
「魏時」東夷 倭人
「晋時」東夷 倭人
初めて
「宋時」夷蛮 倭国
と、倭国とカキコされる
その背景には、最後の倭王武の上表文により
一国独裁の国家であることが認定されたからである
この様に、たった一文字の違いを探り出すだけで
日本の古代史の経過を見ることが出来る
138 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/18(日) 15:32:00
私見だが
中国認識で現日本は、三世紀当時二分されていたのでは無いでしょうか?
漢時から存在する邪馬臺國は、「倭」と呼ばれていて、大倭と区別されていた
でも、その大倭王は
倭地邪馬臺國に居を構えていた。
『其大倭王居邪馬臺國』……後漢書より抜粋……
>>133俺等さん
俺等さんがこだわる
(真珠・青玉・丹)
これらは「大倭」の産物であり 邪馬臺國の関連産物では有りません
邪馬臺國は倭の中に在る国倭の中に在る小さな諸国は、中国に認識され、把握されているが
大倭の全ての国々は、『其餘旁國遠絶不可得詳』…魏志倭人伝より…
しかし、斯馬國〜云々の諸国は『倭』である
>>137 同じ書物の中でも無造作に使われ放題なんだが気付かないのですか?
中国語の『国』の字義については(ry
『倭人』在帶方東南大海之中
遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使『倭國』
其國本亦以男子爲王住七八十年『倭國』亂
景初二年六月、『倭』女王
正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣『倭國』拜假『倭』王
>>140 だから
区分されていないとカキコしたじゃないですか
しかし、最初に出てくる(使用される)
『倭』在韓東南…後漢書
『倭人』在帯方…魏志
『倭国』在高〔馬麗〕…宋書
これからカキコするテーマだろう
ランダムに使用されている事と、倭と大倭の区分けが正しく無いことの理論を披露して下さい。
142 :
俺等05772:2005/12/18(日) 18:26:06
>>118 八丈島の遺跡
八丈島が侏儒國か否か、当時の人骨が発掘されていれば分かるだろうと考え、調べた。結果は
人骨から、この島が侏儒國(小人の国)である確認は出来なかった。人骨に言及あるのは、Aの
倉輪遺跡だけだった。
@湯浜遺跡
最も古いのは湯浜遺跡で、縄文時代前期前半〜中葉に相当し、太平洋の島々の遺跡より古い。
磨製石斧、黒曜石剥片、石皿の存在などから考えて、日本の縄文文化との関係はありそう。
土器は本土の縄文文化には認められない土器群と考えられる。人骨に関する言及はない。
A倉輪遺跡
縄文時代前期末〜中期初頭(5,000年前) の土器群で、関東・中部と東海・近畿地方の型式であ
った。度々、北部伊豆諸島や本土に出かけ、縄文土器や黒曜石(神津島)などを入手していた。
人骨は3体が確認され、うち2体は埋葬された状態(仰臥屈葬)で出土した。佐倉朔(国立科学
博物館)によって、第1号は男性 (熟年)で歯槽膿漏の痕があり、第2号は小柄な女性 (若い壮年)
で重症の中耳炎の病変痕があり、第3号は上腕骨のみだが女性の可能性が強いと鑑定された。
B八重根遺跡
弥生時代後期〜古墳時代前期 (第 1文化層)、古墳時代後期〜奈良・平安時代 (第 2文化層) 、
さらに中世・近世(第 3文化層) にわたる層が確認された。1,500年前頃には本格的な「鰹加工
工場」が建設され、地元の粘土を使用して多量の煮沸用鉢形土器(八重根式とも呼ばれる)を製作
した。炉跡も各種考案され、100基近い炉が使用されていたようだ。奈良・平安時代にも、引き続
き鰹加工工場を運営している(第2文化層) 。人骨に関する言及はない。
平安時代には伊勢湾付近から、八丈島に渡島した集団がいて、多くの製塩施設を構築した。
八丈島の先史文化 小田静夫
国學院大學考古学資料館紀要 第21輯(「加藤有次博士追悼」特集号)2005.3.31 所収(pp.55-84)
http://www.ao.jpn.org/kuroshio/hachijo2005/
>>141 ”だから区分されていないとカキコしたじゃないですか”
はあ?何が言いたくて>137を書いたのよ?
倭の領域が定まったことの根拠が『倭國と書かれた』ことなんだろう。
だったら”梯儁等奉詔書印綬詣『倭國』” 梯儁が詣ねた先も『倭國』だぞ。
どう違うんだよ。
”しかし、最初に出てくる”
そんなの文体の違いだろう。
魏志じゃ、東夷最強の高句麗だってそのまんま、宋書じゃ両方とも国標記だろ。
当時の高句麗の王統や国力の強さは魏志にも書かれているが、倭人並み扱いだったのかな?
魏志 高句麗在遼東之東千里
韓在帶方之南高句麗
倭人在帶方東南大海之中
宋書 高句驪國今治漢之遼東郡
百濟國本與高驪倶在遼東之東千餘里
倭國在高驪東南大海中
ちなみに、宋書でも倭王だったり倭国王だったりで細かい標記のブレは気にしてないみたいだね。
”倭と大倭の区分けが正しく無いことの”
まったくもって文章の意味不明・・・何をお答えしてよいのか、わかりませ〜〜ん♪
↑だったら答えるな ボケッ
>>144 >141の前段の問いには答えた。
最後の問いかけの意味だけわからんので、読み落としと思われない様に書いた。
それが、何か気に入らないのか。
プラム本人かどうか知らんが、オマエこそ意味不明のレス付けんな。
>>143 だからカキコしてるでしょう
宋書にカキコしてある『倭国』は、それまで認識されていた「大倭」>「倭」の図式が無くなり
一国一都制の独裁主権国家としての『倭国』だと
それまでは
今使譯所三十國の『倭』
それ以外の倭種の住む地域をも含めた『大倭』
宋時以前以降の『倭国』の違いは、それまで倭種として倭人と区別されていた
倭種を『倭国』の中に組み入れたか、入れないかの違いです。
>>146 大倭の話は、何度同じこと書かれても何がどうなのか理解できません。
多分、永久に。
ところで、『倭』と『倭國』の違いの話の方は、再反論なしでよろしいのですね。
何も意見がないなら、これで終了とさせていただきます。
倭と倭国
倭国の認識は先ほどカキコしました。
『倭』ですが
倭人>倭
それなりの統一された影響力が及ぶ地域と考えます。
それなりの私見は、述べました。
では、貴方の認識をお聞かせ下さい。
あれ?
なんだったんだ?
自分の考えも披露せず
消えた!
>>149 さんざ、ピント外れのボケで他人の指摘を無視しといて、
身勝手なこと言ってますな。
「さようなら」をしたからってLOGOFFしたわけじゃないよ。
こっちの考えは、
>>143あたりを読めばわかるだろうが。
わからんでも別にかまわんけどなw
まあ、これで本当にさようならです。
ん?見てないあいだに何かあったようだ。
何があったか知らないが、もうちょっと肩の力抜かんといまの日本史板はやってられんよ。
152 :
俺等05772:2005/12/19(月) 08:22:41
>>121 プラムさん
当然、伊都国が軸になります。郡使が滞在していた処で、ここまでが中国人の体験した世界、
それから先は当時の中国人にとって、想像上の世界なのです。
>>139 言っていることの意味が全く判りません。もう少し他人に分かるように述べてください。
皆さんは、それぞれ自分達の邪馬台国を前提にして、考えたり話たりしています。だから、
プラムさんは、自分がどういう前提に立って話をしているのかを述べないと、話が通じません。
C言語でプログラムを作っている人が、それを前提にFORTRANの人と話しても通じないのと同じです。
1.プラムさんは、多分北九州論者と思うのですが、邪馬臺國を何処に想定しているのですか?
2.「大倭」の想定域は? 九州+四国+本州の西部 を想定ですか?
3.「倭」の地域は? 九州内の邪馬台国勢力圏ですか? それ等+狗奴国ですか?
4.「邪馬臺國」の定義は? 邪馬臺國1国のみ? それとも、統治下の他国も含めるの?
>>151俺等さん
おはようございます。
数々の疑問点を指摘下さいまして 感謝です。
『其北岸狗(拘)邪韓国』一年かけてやっと解釈出来と言う所が、今時点の本音です。
範囲の線引きは、今の所勘弁して下さい
概略は、昨日カキコした通です。
それに、一応日本語でカキコしているのでおおざっぱには解ると思うんですかが?どの辺がどのように理解出来ないのか
指摘戴くと、大変助かるのですが
邪馬臺國の名称が一部限定か、寺沢氏の言葉を借りれば(大規模共同体)なのかは
未だ特定出来ません。
何せ、後漢書のほんの数文字だけのカキコです
昨日カキコした『倭』『倭人』『倭国』ですが
編纂目的に合わせ区分けされていると、自分は考え
そして、正否(或は理解度は別として)は、別として、私の考え方も述べて来ました。
しかし、否定はするものの『このように違う』と言う意見は述べていただけません(昨日の名無しさんは述べていただきました)
プラム=妄想家
プラム=全て誤り
プラム=高卒DQN
プラム=レベル低すぎコミが出来ない
156 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/19(月) 12:51:46
>>152 >もう少し他人に分かるように述べて下さい。
邪馬臺國を比定するより難しいです。
人それぞれですし!
先ほどの
『其北岸狗邪韓国』
これを説明するのに、
ある人には、
『其西北界拘(狗)邪韓国七千餘里』…後漢書…
『…到其北岸狗邪韓国七千餘里』…魏志倭人伝…
これだけで解決しちゃうので 難しいです。
>>155の言われる様に、
私のレベル低すぎに問題が有るのでしたら
今暫くお待ち下さい。
もう少し勉強し、付いて行けるようにしますから
157 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 13:01:30
九州説唱えてる時点で低レベル
158 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 13:13:49
159 :
日本@名無史さん:2005/12/19(月) 16:56:47
交易港博多とその南に広がる筑後平野・佐賀平野
この地域を押さえたら遥か大阪平野まで巨大な人口を支える平地は無い
160 :
俺等05772:2005/12/19(月) 17:13:13
>>156 別に難しいことを聞いているのでなく、プラムさんは「大倭」「倭」「邪馬臺國」
の内、どれが最も大きな(広い)概念で、どれが最も狭い概念と考えているのかを
知りたいのです。また、それらは包括関係にあると考えているのか、あるいは
そうでないのかを聞きたいのです。陳壽がどう考えているかは考えないで下さい。
数学の集合論のベン図を使うと簡単なのですが、また混乱すると困りますので
それぞれの広さと、包括関係の有無だけ知りたい、と言って置きましょう。
161 :
俺等05772:2005/12/19(月) 17:21:26
>>155 >>157-158 批判に際しては、コテハン(固定HN)の使用を希望。
>>157 畿内説なら、邪馬台国は大和国へ発展したと思うか、又は滅んだと思うか
まで、きちんとカキコを希望。
>>161俺等さん
ベン図は知ってます(高卒でも数Vまできちんとならいました)がAAのカキコが不慣れなもので
御質問の件
(邪馬臺國> 女王国共同体)> 倭 >大倭です。
カキコ忘れましたが
>>155 >>157-158のレス主さんに呼び掛けても無駄です。
彼等は、あれで楽しんでますので
もう一年間ほぼ毎日、彼等とお付き合いしてますので慣れっこです。
俺等さんもコテ(HN)ですから、この気持ちそのうちわかりますし、そのうち偽物も登場しますから
164 :
俺等05772:2005/12/19(月) 18:13:42
>>162 記号が逆ですね。でもまあいいか。 大倭⊃倭⊃女王国共同体∋邪馬臺國
で、最も広い概念が大倭、狭い概念が邪馬台国ですね。
>(真珠・青玉・丹)
>これらは「大倭」の産物であり 邪馬臺國の関連産物では有りません
邪馬臺國の関連=女王国共同体と考えて、大体の意味は判りましたが、
その場合、女王国共同体外の産物を、わざわざ郡使に報告しますか?
また、真珠を 5000粒も集められますか?
165 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/19(月) 19:05:56
>>163俺等さん
確かに 記号が逆でしたスマソ
ネタが中国史書ですので、これは中国の史書をもとに考える作業です
理解してもらえますか?
それを現代の常識に晒してみても何も解決しないばかりか
混乱を招くと思います。
(真珠・青玉・丹)は、『東夷伝 倭人在…』の産物と中華で認識されているのでは?
166 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/19(月) 19:30:02
以前にもカキコしましたが
天然真珠の産地は、かなり古くから志摩・宇和島が有名で
しかし、そこまでです。
その真珠を何処の国の誰がとったかは解りません!
解るのは、
列島内(魏志倭人伝認知)で産出したそれらの物品は、出航地に集められ朝貢時の贈り物として利用された
167 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/19(月) 19:44:03
俺等さん
(余談ですが)
私は、余り『記・紀』を取り扱いません。
邪馬臺國の元ネタが中国正史ですので その解析が終了しない限り『記・紀』の話題内容を把握していても、使用することは余りないでしょう。
『范曄に感謝』
意味不明な陳壽の『魏志倭人伝』も、范曄の補足記事のおかげで
かなり具体的に解釈出来そうです。
もしかして
范曄は、陳壽をこえるのか?
169 :
三角@名無史さん:2005/12/20(火) 06:43:48
結局、近畿説は、恫喝以外では、反論できないようですね。
170 :
俺等05772:2005/12/20(火) 07:09:41
>>165 『國國有市交易有無、使大倭監之』
念のため言って置きますが、魏志倭人伝で「大倭」が出て来るのは、この1箇所だと思うのですが、
ここの「大倭」は明らかに国の役職で、いわば、警官みたいなものです。 何度も言っていますが、
あまり、細かい字句に拘り過ぎずに、全体として意味を捉えて欲しいと思います。
私としては、邪馬台国の位置論は、ほぼ決着がついたと思います。補足したい事は少しありますの
で、たまにカキコしますが、基本的には他のスレに移ろうかと思っています。ただ、ロムることは
しますので、九州説の方々、ぜひ素晴らしい意見を提案して下さい。その時は、やり合いましょう。
171 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 08:04:37
>>170俺等さん
そうですか!残念です。
後漢書の朝見記事の分析なんか面白いのに。
172 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 11:32:12
>>171 >細かい文字に拘すぎず
日本語で書いてあればそうしたいけど、なんせ相手は漢字だけの国
一文字変われば 全体が大きく変わってしまう箇所が多々存在する為、そうする訳には行きませんよ!
解って貰えないかナァー?
真珠・青玉・丹はアマ族の勢力範囲で採れるから、
アマ族の国九州邪馬台(壱)国の産物。
職場の同僚に「丹」て苗字の人がいる
有能だしきれいな二重まぶたのハンサムで四国の出身だけど
呉人の末裔かなあ、とか思う。
175 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 21:02:21
>>162の訂正
倭奴國<邪馬臺國(三十国集合体)<倭<大倭
邪馬臺國の成立(推定BC108年)
こだわる前に漢文の勉強を!されたし。
話は、それからだ。
漢文と言うより、史料の基本的な取り扱い方だね。
180 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 22:39:15
181 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 22:48:20
あれ? 消えちゃった!!
せっかくのチャンスだったのにぃ〜
「謂之」の使い方知りたかったのにぃ〜
>>181 『これを倭奴國と謂う。』だよ。
何が言いたいの?
漢文もともかく、日本語をもっと勉強しろよ。
183 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 23:10:57
>>182 ありがと
翻訳はともかく
この場合の『謂之』は、どんな時に用いるのかい?
そして、『謂之』は代名詞かな?
その時の主部は いったい何?
二十五史だけで3900例を越えるから好きに調べたら?
「主部」って何だ?
『之』は、日本語で言えば指示代名詞だろうが?
『謂う』は動詞だろうが?
そんなことが、訊きたいわけじゃねーだろう?
言いたい事は、ハッキリ言いなさいな。
それとも、何も言いたいことが無いのに意味も無く駄レスを垂れ流してるだけかあ?
アンタのレスを見てるとイラつくんだよ。
186 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 23:33:24
>>185 これはすまなかった
AD57年とAD107年朝見記事の異質が
後の『謂之倭奴國』の五文字に全て集約されてるのではないかと考えてるので
聞いたのさ
187 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/20(火) 23:50:39
>>185 >駄レスを垂れ流している
駄レスと思うか思わないかは、その人のセンス
私としては、かなり重要なネタを提示してると思ってカキコしてるんだが!
このカキコを見て
ピ〜ンと感じる人もいるはず
BC108 年の邪馬臺國成立カキコも、ネタ提供のつもりだよ!
ネタ元をカキコしなくても解るだろう
>>186と
>>187を見ても、未だ「ピ〜ン」と来ない私は正常なセンスの持ち主なのだと思い安心した。
189 :
本田:2005/12/21(水) 06:29:55
>>152 >
>>121 プラムさん
> 当然、伊都国が軸になります。郡使が滞在していた処で、ここまでが中国人の体験した世界、
> それから先は当時の中国人にとって、想像上の世界なのです。
公孫氏の卑弥呼もシナ人だ。
190 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 06:37:47
>>179 ロムっても、出てこねーぞ。プラムは「ありがと!」って言ってるけど
解ったのかなあ。
191 :
本田:2005/12/21(水) 06:55:26
192 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/21(水) 07:32:29
>>190おはよう
俺も見れなかったよ!
しかし、好意で資料提供してくれたので
その気持ちに礼を言ったのさ
193 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/21(水) 07:39:00
>>188 君が正常か勉強不足かは知らないが
君自信の自己分析の役にたった事だけは、確かな様だね!
194 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 08:46:04
>>191 根拠無し
奈良時代の木簡には「志摩国英虞郡名錐郷」(三重県志摩市大王町波切)
「志摩国英虞郡名錐郷舟越里」(三重県志摩市大王町船越)から「鮑玉」
(鮑真珠)、「白玉」(阿古屋貝真珠)を納めた記録がある。
真珠と鮑玉はきちんと区別されてるね。
195 :
190:2005/12/21(水) 08:59:12
>>192 騙されたんだろうが。W 曖昧な返礼はしない方がいいぞ。
解らん時は解らんと言うべき。プラム自体が曖昧だからな。
196 :
太:2005/12/21(水) 09:12:16
まあとにかく、青と云っても緑のことかも知れぬ?紫がかっていたかも知れぬ。
筑紫の国は文字通り『紫』の文字が入っている。しかもだ、
筑紫の国を白日別というと古事記に説明がある。ここに白色の文字もある。
さらに青色は三碧木星などと九星でも使う『碧』の別字がある。
『碧』の右上に『白』が入っている。隣の「王」は 、 を入れれば『玉』である。
かようかことから、青玉白玉が九州を象徴する色玉であり、中国への贈答品
としてはうってつけの品物だということが分かろうかというものである。
現代に九州に類する鉱物が算出しないからと云って、現代畿内の産出を強調し
過去にあった女王国が畿内側にあったという論は、いささか早計物である。
現代に刀をさして道路上を歩いている者はいないから、じゃぁ過去の江戸時代
戦国時代等も刀をさいて跋扈していた者は居なかったとはならないのである。
197 :
太:2005/12/21(水) 09:31:47
>>196 最下段
誤 刀をさいて 正 刀をさして
記紀には、女王国が朝廷の近隣の畿内にあったという文面はないはずだ。仮に
倭人伝は、女王国が魏国の遠方の畿内にあったとする文面であり魏からさらに
遠くなる畿内の端の三重県まで、女王国の姿とその外周と三重県のはて
までもその詳細が記載されているとしたら、遠近の距離の状況からは考えにくい。
近隣の自国の文に全くといってよいほど記述がなく、
遠方の外国の文には詳細に女王国の記述がなされているなどとは、到底矛盾した
ような話で、皮肉なことではないか?女王国が日本にあったのなら、倭人伝より
自国の記紀にだ、女王国のさらなる詳細が書かれていいはずだ。
ということは、女王国が九州にあったからこそ、その矛盾的おかしな事が
説明できるということになるのだ。w
やれやれ。リンク切れになったら、URLを削るという知恵もないのか。
それ以前に、あのアドレス見てどこか分からんヤツばかりになったとは。
ますます末期的になってたな。。。。
199 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 12:39:47
九州説のアホばっかだから仕方ないさ。
200 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/21(水) 13:42:20
>>199 もういいだろう!
九州だ畿内だってこだわらなくても!
范曄が、漢の時代から列島には二つの大きな勢力が有ったとカキコしてるだろう
201 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 16:07:14
そんじゃてめぇレス3割減らせ。
>>201 ヤダ!
それより、ロムるの三割減らせ 全て解決
203 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:12:05
くだらねー説をだらだらと垂れ流しやがって
すげーうぜーんだよ
テメーみてーなクソ野朗はさっさと氏ねや
>>203餅つけ
いいか、多少の駄レスはアクセントになるが
コテ叩きの暴言駄レスはスルー出来ない、それなりの行動を伴うぞ
それにしても、相変わらずプラムは批判の対象だな
プラム、『少しはレスの纏め方位覚えろ』
>>204さん
努力します
>>203 >くだらねー説垂れ流しやがって
くだらないかどうかは知らないが、どの辺がどの様にくだらないか説明あれ!
逃げるなよ。
206 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:48:29
全部だよ
氏ねや
結局その辺がオチみたいですね!
貴方のレス
よそでも見掛けますので
これが仕事なんですね
以後(^-^)/
208 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 18:24:18
氏ねや
209 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 18:37:50
プラム=ゴミ野朗
211 :
本田:2005/12/21(水) 18:44:31
>>194 > 真珠と鮑玉はきちんと区別されてるね。
生産地では区別されても、
消費地では区別しないのかも。
つまり倭では区別されても魏では区別されないのかも。
212 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:48:30
だからどうした!
氏ねや!
213 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:49:24
プラム=いきがってんじゃねーぞ
>>212 氏ねやさん
本田さんにまでからんで
遂に壊れましたか?
215 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/21(水) 22:05:45
いい加減相手していると、スレが乱れるだけだから
以後スルーします。
216 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:13:50
プラム=負け犬
217 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 00:12:49
218 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 09:37:25
219 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/22(木) 11:59:54
皆さん毎日年がら年中こんなことしてるんですかw
もうついていけませんww
220 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 17:52:37
まあ自演はココだけに限ったことではない罠
皆からシロイ目で見られているということも
少しは意識した方がイイぞ、無恥賎人よ
221 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 19:04:53
プラム=無恥賎人
222 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/22(木) 19:20:07
ヒッキー君
君も懲りないね!
同じ穴のムジナかも?
223 :
本田:2005/12/22(木) 19:58:44
224 :
217:2005/12/22(木) 20:19:21
>>223 ウィキペディアに書かれていることは、根拠の無い誤りです。
日本書紀などにはアワビ真珠は鮑玉と書かれ、はっきり区別されています。
大体、いびつな玉が真珠のはず無いでしょう。
下は真珠の専門家が正倉院の真珠を鑑定した結果です。素人が書いた
ウィキペディアなど信頼に値しません。
↓
奈良の正倉院に保存されている宝物真珠でしょう。その数実に4158個も
あります。調査の結果、これらはほとんど日本産のアコヤ真珠であろうと
推定しました。
また少量ですがおはじきのような偏平で大粒のアワビ真珠もありました。
http://www.giajpn.gr.jp/publishing/g_news/04apr/1-2.pdf
225 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/23(金) 02:50:12
@『到其北岸狗邪韓国七千餘里』……(魏志 倭人伝)
A『去其西北界拘〔狗〕邪韓国七千餘里』……(後漢書)
B『自郡至女王國萬二千餘里』……(魏志 倭人伝)
范曄は、@とBを補足し、尚且つ『其北岸狗邪韓国』ならびに『乍東』の説明をAの文章をカキコすることにより、完璧に解決した。
226 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/23(金) 10:30:02
大分荒れてますねえ。
えーと、時代錯誤かもしれませんが、プラム氏のこだわる「春秋の筆法」
についてカキコしときます。
先週、春秋・戦国時代に関する本を読みました。それで、いくつかわか
ったことがあります。
まず、「春秋」は毀誉褒貶の意が含まれている、というのはよく知られ
ています。で、その注釈に「公羊伝」、「左氏伝」、「穀梁伝」があり
ます。「公羊伝」は田斉を正統、「左氏伝」は韓を正統、「穀梁伝」は
中山を正統のように書いてあります。
そして、「左氏伝」の哀公16年には「孔子が死去した」という記事
まで載っており、そこで孔子が春秋が作ったことを否定しています。
こんなかんじで「春秋」の評価は諸国によって違っていたのです。
それが好都合だったのは、司馬遷でしょう。彼にとって、「史記」以前
に、優秀な歴史書ができていることはよくない。しかし、幸いにも
「春秋」の評価にはばらつきがあった、そこで「孔子世家」に孔子を称
える(?)記事とくさす記事、どちらも載せて、「孔子が完璧では無い」
ということにした。
そして、後世の歴史書は「史記」を見本にするようになった。もちろん
「三国志」もその一つであると思われる。だから、「魏志」の解釈に
「春秋の筆法」はおそらく通用しないと思われます。
スレ汚し須磨祖。
232 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/23(金) 12:19:35
安曇さん乙です。
233 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/23(金) 13:08:16
安曇さん
陳壽が三国志編纂にあたり『春秋の筆法』の技法をそのままダイレクトに、使用したとは、私も考えておりません
正史編纂に携わるほどの歴史家なら、それぞれの技法を持っておられるでしょうから
しかし、中国正史を解釈するうえで
『春秋の筆法』を、解釈の片隅に置くか置かないかでは、その考え方もかなり違ってくるのではないかと、考えるからです。
ノストラダムスの筆法
235 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/23(金) 13:31:58
少なくとも、私のくだらないカキコが
『安曇さんを動かした』
私はこれだけで充分です。 安曇さんは、その使用を否定されましたが
私には、それを覆す程の材料も知識も有りませんので反論は有りません。
『筆法』と言う技法が存在する。
そう言う意識を持たれて『中国正史』を別な角度から見て欲しかったのです。
私の目的の一つが達成出来ました。
236 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 14:51:35
安曇さん プラムさん 好感age
237 :
圭角:2005/12/23(金) 15:12:58
プラムさん、お久しぶりです。すっかりご無沙汰してすみません。陳寿の筆法
につきまして一言申し上げます。私は筆法云々言う前に、彼がおかれた立場と
帝紀の内容構成をむしろ重視すべきかと存じます。
正史三国志魏書の帝紀はご案内のとおり武帝紀文帝紀明帝紀と三少帝紀から
成っておりますが、その内実は司馬氏の魏からの簒奪を禅譲として陳寿が苦心
惨憺して書いたものとなっております。ですから、作為の跡は帝紀のいたる所に
見受けられるのであります。倭人伝のみがかくなるものではないのです。
238 :
圭角:2005/12/23(金) 15:25:17
史記を書いた司馬遷は宮刑に処せられ漢書を書いた班固は獄死しています。
その不遇悲運の直接原因が正史を書いたことに因るものではありませんでしたが
中国で三番目の正史を書く自分の行く末に重ねてもみたことでしょう。
結論を短く申し上げます。正史三国志魏書は晋帝室の正史です。
明帝紀と三少帝紀にそれは色濃く描かれています。たとえば明帝崩御記事は
誰の目にも不自然不整合と映るはずです。斉王紀においては斉王は誰の子かさえ
不明だとあえて陳寿は記している次第です。ご確認いただければ幸甚です。
239 :
圭角:2005/12/23(金) 15:34:15
正史という意味はご承知のとおり正しい歴史という意ではなく、単に公式の
正式なという意味に過ぎません。ご案内のとおり、古今東西歴史は勝者側から
書かれ語られ作られるものであります。明帝を評する陳寿の記事には明帝を
非難する記事がありますが、魏の最後の皇帝の陳留王は晋の司馬炎に禅譲した
ことを以って一片の批判記事も陳寿は記していないという次第です。
ともかくも一度ご確認してくださいませ。ほんとに今年は寒いですね。
240 :
圭角:2005/12/23(金) 15:38:58
プラムさん、お久しぶりです。すっかりご無沙汰してすみません。陳寿の筆法
につきまして一言申し上げます。私は筆法云々言う前に、彼がおかれた立場と
帝紀の内容構成をむしろ重視すべきかと存じます。
正史三国志魏書の帝紀はご案内のとおり武帝紀文帝紀明帝紀と三少帝紀から
成っておりますが、その内実は司馬氏の魏からの簒奪を禅譲として陳寿が苦心
惨憺して書いたものとなっております。ですから、作為の跡は帝紀のいたる所に
見受けられるのであります。倭人伝のみがかくなるものではないのです。
241 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/23(金) 16:09:44
お!
圭角さん お珍しい
元気してましたか?
この頃は、すっかり范曄編纂『後漢書』にはまってしまいました。
私は、邪馬臺國(三十国の集合体)の成立をBC108年頃としています。
【自武帝滅朝鮮】
圭角さんは?
242 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 16:21:52
いまのハワイ諸島に決まっているだろうが
↑魏使の宿はハレクラニー? ABCでチョコと口紅のお土産買って
オウムおじさんに騙され
魏使も思いで沢山だね
@場所・・・邪馬台国は帯方郡(今日のソウル市近郊)から
約1万2000里の彼方にある。
さらに奴国(現在の福岡県)から1400里にある。倭国は
島が連なり、その周囲は5000里。ただし、1里は現在の
ものではなく魏の時代の距離で測らなければならない。
A人口・・・約7万戸、1戸4人としても約30万人の巨大都市だ。
B気候・・・邪馬台国は温暖で冬でも生野菜が食べられる。
C動物・・・サルや雉はいるが牛馬・豹・羊はいない。牧畜をしないと
いうことだろう。
D植物・・・樟・杉・樫・かえで・竹・橡(くぬぎ)・やまくわなど、温帯性
の植物が繁茂している。
E衣服・・・気候温暖なのか男は上半身裸、木綿の腰巻きのような
ものをつけている。女はワンピース姿だ。履物はなく、
ほとんどが裸足だ。
F食事・・・米食、酒も好きだったようだ。
G住居・・・竪穴式住居、高床式も見られる。
H仕事・・・農業は稲作や野菜つくり、養蚕もおこなう。漁業は潜水
漁法、海産物も獲った。
I特産品・・絹織物、真珠、ヒスイ。
J風俗・・・男子はイレズミをしている。占いが好き。
K卑弥呼の館・・城柵に囲まれ、物見櫓もあり、税を貯めた蔵もある。
宮廷には女王が一人住む。奴隷もいたようだ。
L鏡・・・・鏡が好きで、中国から銅鏡100枚をもらっている。
M国宝・・・鏡他中国からは刀や金、朱、黄色の旗などもらっている。
N卑弥呼の墓・・直径100歩の高塚。奴隷も埋められている。
O周りの国・・伊都国、末廬国、奴国、不弥国、狗奴国、投馬国、
斯馬国など40くらいの国がある。
P金印・・・中国の王から「親魏倭王」の金印をもらっている。
Q時代・・・弥生時代後期から古墳時代早期だといわれる。
具体的には紀元180年ころから約1世紀は存在したで
あろう。
245 :
三角@名無史さん:2005/12/23(金) 20:58:13
例えば、博多は、田舎の近畿に貢物するかな?金印をもらってる。
組むなら今の韓国のほうが自然に思えるが。東アジアの面で考え
たほうがいいのでは。
246 :
三角@名無史さん:2005/12/23(金) 21:01:40
神武天皇東遷の熊野迂回の説明出来る人おられるかな?1つの仮説として。
大阪難波を投馬国とすると、南を1つ東に変えるだけで説明つく。
247 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 05:29:08
>>245 バーカ、馬韓・弁韓・辰韓は、まだ小国乱立時代だ。日本は既に統一国。
狗邪韓国も領土に組み込んでるんだぞ。韓国の方が田舎者。 げらっ
248 :
俺等05772:2005/12/24(土) 07:06:48
>>246 狗奴国東征説なら、簡単に説明できます。 南海の日本人は黒潮をよく利用
します。例えば、紀州の人達はかなり古くから黒潮に乗って、房総に拠点を
おき、漁を行っています。また、沖縄の人達は八丈島と交流がありました。
房総半島の地名を見ると、紀州と類似のものが非常に多く見受けられます。
多分、日向の人達も黒潮を利用して、熊野辺に行ったり来たりしていたと
思われます。つまり、日向〜熊野間には人的な繋がりがあったということ
でしょう。神武はその伝手を利用したのだと思います。
249 :
本田:2005/12/24(土) 07:46:14
>>224 >
>>223 > ウィキペディアに書かれていることは、根拠の無い誤りです。
> 日本書紀などにはアワビ真珠は鮑玉と書かれ、はっきり区別されています。
> 大体、いびつな玉が真珠のはず無いでしょう。
漢方薬の原料としては、いびつでも十分。
> 下は真珠の専門家が正倉院の真珠を鑑定した結果です。素人が書いた
> ウィキペディアなど信頼に値しません。
専門家といっても宝飾品の専門家みたいで、
薬学については疎そう。
↓
> 奈良の正倉院に保存されている宝物真珠でしょう。その数実に4158個も
> あります。調査の結果、これらはほとんど日本産のアコヤ真珠であろうと
> 推定しました。
> また少量ですがおはじきのような偏平で大粒のアワビ真珠もありました。
>
http://www.giajpn.gr.jp/publishing/g_news/04apr/1-2.pdf 鮑真珠が少ないのは、
薬として消費されたからなのでは?
250 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/24(土) 07:58:11
251 :
圭角:2005/12/24(土) 08:47:38
プラムさんおはようございます。241のBC108年というと武帝が衛氏
朝鮮を楼船将軍をして討ち楽浪郡ほか四郡を設置した年次になるでしょうか。
プラムさんに確認ですが、BCはADの誤記ではございませんか。
よろしく。
252 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 09:20:36
南を東に書き換えるというが、これは誤記か誤写と言う意味であろうが、そのように解釈するには
それ相当の根拠が必要である。例えば、邪馬壱国は誤写ではないかといわれるのは、
邪馬台国とかいてある書があるからである。
南を東とかいてある書が存在しない限り、勝手に置きかえるものではない。
253 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/24(土) 09:30:04
>>251圭角さん
おはようございます。
『紀元前』です。
254 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 09:48:14
>>249 元々の話は、アコヤ貝真珠と鮑玉とが区別されているか、だったですよ。
アコヤ貝真珠は真ん丸な球、鮑玉は歪な形であり、両者は完全に違います。
それから、白玉五千孔の「白玉」はアコヤ貝真珠を示します。 以上から、
壱与が魏に贈ったのは鮑玉でなく、アコヤ貝真珠だとわかるのです。
255 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/24(土) 12:40:14
范曄が書き記した【自武帝滅朝鮮】は、班固の【樂浪海中倭人分為百餘國以歳時来献見云】
を、補足したものと思われます。
『滅朝鮮』以前、沢山の国があった 『滅朝鮮』後三十の国が集まり『邪馬臺國』と言う地域を形成した。
『三十許国・三十国・丗有王』
しかし邪馬臺國は、一つの国ではなく 三十国集合体の総称ではないでしょうか?
後の『隋書』に、【則魏志所謂邪馬台者也】と、カキコしてあるため
256 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/24(土) 13:01:20
>>255で、書き忘れましたが
三十国は、沢山の国々が集約したのではなく
沢山の国の中の三十国です。
その三十国(邪馬臺國)が出来た事により、列島は、二つの大きな勢力に二分されるが AD57年の朝見以降中国が認めた国は、三十国(邪馬臺國)だけでした。
AD107年の倭国王帥升の請願は、認められなかった。
>>252 方位を90度ずらす考え方は、『南』と言う文字を『東』に変えるわけではないですね。
『東南』とあるものを『東北』とする人も居ます。
だから『誤写説』ではないです。
一番は多い説明は、倭人伝の地理観では伊都以降の路程が実際とは90度ズレていると言うもの。
その理由としては、 倭人による虚偽説明説、帯方郡使の誤認説、京都吏員の錯誤説、
そして一番の通説が、対呉戦略上の功績を誇大化するための作為説ですね。
>252氏が挙げるような幼稚な説を考える方は極少数でしょう。
南に行き、そして海に落ちた。
そこで東と修正せず、何故海に落ちたかを、考える事が重要だ (by陳寿)
259 :
本田:2005/12/24(土) 17:52:24
>>254 > それから、白玉五千孔の「白玉」はアコヤ貝真珠を示します。
珠をヒスイや真珠ととらえず、
珠を球形の瑪瑙(メノウ)解釈する人も居ます。
2chは、基本的にオープンな掲示板です。
書き込むにあたって、特別な資格は必要はありません。
しかし、参加するにあたり、最低限の「マナー」は必要です。
マナー違反と言うと無意味なAAを貼付ける荒し、下品な煽りや「ネタ」を思い浮かべる方が多いですが、
それは、2chでは単発かつタイムリーなものであれば許容されるべきことだと思います。
それが、ここの「個性」なのです。
さらに、板違い・スレ違いのレスや過去スレ・過去レスの蒸返し等、スレッドの流れを妨げる行為は当然ですが、
これら以外に重要なことに「空気を読む」と言うこともあります。
他の掲示板と違い、携帯ユーザの存在を無視した長文の連続投稿、誤変換をコマめに指摘するような無駄レス、
特定ユーザ同士の時効の挨拶レスなども「馴れ合い」と呼ばれ、雑談系スレッド以外ではマナー違反となります。
また、相手の文章を正しく読み取る、自分の考えを簡便かつ正確に伝えること等、2ch以外でも常識とされる
マナーも当然あります。
これらは、あくまでもコミュニケーションの場としての掲示板である以上、
必要以上に他人に不快感を与えるような行為を避け(スレの活性化のためには多少は許容されます)、
より多くの人が快適に書き込める環境を維持するために生み出されたルールです。
2chネラー歴の短い、新規ユーザさんが増えてきたようなので、古参として提言させていただきました。
261 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 18:40:35
>>259 ゴメン、「白珠五千孔の「白珠」はアコヤ貝真珠を示します。」だね。
「白珠」は白くて真ん丸な珠だから、メノウは有り得ない。
262 :
261:2005/12/24(土) 18:56:29
万葉集には白玉を歌った歌がいくつもあり、真珠を指している事が分ります。
1203:磯の上に つま木折りたき 汝がためて わが潜き来し 沖つ白玉
磯の上で柴を折って燃やし暖を取っては、お前のために海に潜って採って来た沖の真珠だよ、これは
1299:あぢ群の とをよる海に 舟浮けて 白玉採ると 人に知らゆな
あじ鴨の群れが波のまにまに揺れ騒いでいる海に、舟を浮かべて真珠を採ろうとして人に気づかれるなよ
1300:遠近の磯の中なる海に船浮けて白玉採ると人に知らゆな
あちらこちらの磯に交じる真珠を世間の人に気づかれないで見つけ出す方法はないものかなあ
1302:海神の持てる白玉見まく欲り千たびぞ告りし潜する海人
海神の持っている真珠を一目手に取って見たいと思って何度も唱え言を口にしていた、水に潜る海人は
1317:海の底しづく白玉吹きて海は荒るとも取らずは止まじ
海の底に沈んでいる真珠は、いくら風が吹いて海が荒れても、採らずにはおかないぞ
263 :
三角@名無史さん:2005/12/24(土) 18:57:30
258さん
陸行1月で邪馬台国ですから、海に落ちてませんが。1度魏志を読まれる
ことをおすすめいたします。
264 :
三角@名無史さん:2005/12/24(土) 20:19:15
257さんへ
日数表示は倭人の距離単位とおもわれてます。倭人は何度も行き来してる
ので南は、正しいとかんがえるべきです。2つめに、里数表示は中国等の
使者の記録で方位は、ずれる可能性がある。3つ目に倭人と使者の方位
を同じ重みで論ずるべきでない。
以上、南は絶対である。
265 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/24(土) 21:01:18
>>264三角さん
>倭人と使者の方位を、同じ重みで論ずるべきでない
その根拠は?
倭人が提示した方位と中国側の提示した方位を、何処で見分けるのです。
266 :
三角@名無史さん:2005/12/24(土) 21:20:26
日数表示と里数表示で単純にわけましたが。
隋書には倭人里数を知らず、日数をもって の記述からです。
あくまでも1つの仮説です。
中国人が何を白珠と呼んだかを問うているのに、
日本での真珠の呼称について延々と論ずる奴。
他人の文章の明快な論拠を認知出来ず、分かり切った説明を求める奴。
仮定やら想像やらを列挙すれば論証だと言い放つ奴。
こう言う人たちって、議論とか意見交換と言うものをどう考えてるんかな?
お互いに意思の疎通がなくてもたのしいのかな?
269 :
261:2005/12/25(日) 06:20:03
>>267 自分では何も根拠を示さず、ケチだけ付けるアフォ。ここは少なくとも
学問カテなんだから、ちゃんと根拠を示しな!アフォ。
それとコテハンで無くて良いから、HN付けろや。卑劣な奴。
270 :
三角@名無史さん:2005/12/25(日) 12:30:40
257さんへ、
狗邪韓国から東に行くと対馬、対馬から東に行くと一大国。一大国から
東に行くと末ロ国の説明がほしいのですが。
>>270三角さん
>>257さんの矛盾を指摘する前に、失礼ですが
三角さんの認識を訂正されたほうが良いと思います。
狗邪⇔対馬・一大⇔末盧
の方角提示は、カキコされていません。
272 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 16:50:50
過去スレを読め。まだ、多くない
273 :
三角@名無史さん:2005/12/25(日) 16:52:48
そうですね。南北に市てき ですね。
自説の都合の良いところで方角変えるのはダメだよ
275 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/25(日) 19:26:30
276 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/25(日) 19:46:04
『狗邪韓国』
位置は、
@(其)という地点の北岸にある
【循海岸水行歴韓国乍南乍東到其狗邪韓国七千餘里】
A女王の都から西北七千餘里の所
【去其西北界拘(狗)邪韓国七千餘里】
そのような位置関係にあり倭の一部ではなく「倭種だけの地域」と、
言語学上とらえる事が出来るようだ!
277 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 20:04:31
真央ちゃん、史上初トリプルアクセル2回決めたよ!萌え〜
278 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 20:18:28
ワイも萌えました。
279 :
257:2005/12/25(日) 21:18:36
>>270 >257のレスを良く読んで下さい。
邪馬台国の地を東に置く説の考え方をいくつか紹介いたしました。
その主旨は、単純に東と南の文字を入替えるのでは無いと言うことです。
アナタの指摘は、単純な取り違え説に対するものですが、
それは、存在しない主張を一所懸命否定する行為に過ぎません。
もともと>257は、そういう無駄レスを控えていただきたく書いたのですが、
全く効果もない、これもまた『無駄レス』になっちまいましたねw
280 :
三角@名無史さん:2005/12/25(日) 23:08:30
近畿説は砂の上でなく空中に作られた説です。南を東に変えて
構築していった説です。基礎、根拠がまるでない。東でなく南と
書いてあるのですから。
虚偽報告説にいたってはもはや、学問でない。倭人の方位なら毎回
東に行き来してたことになりますね?つまり南は東であり水行は2日
であると言うことですね。方位だけでなく、距離も伸ばしてると
かんがえていらっしゃるのですよね。虚偽報告ですからね。
281 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 00:13:17
筋金入りの九州説信者には何を言っても無駄だろう。
282 :
257:2005/12/26(月) 00:37:18
>>280 まだ、一部合点がいかないようですが、大略はご理解いただいたようで何よりです。
「近畿説は・・・南を東に変えて構築していった説です」
そうですね、そう言う表現は、間違いではないでしょう。
邪馬台国論争史の端緒とも言える新井白石や本居宣長の論法は、
「一月は一日の誤り」とか「南は東との勘ちがい」と言うものです。
大概の入門書の類では、今だに畿内・九州両説の特徴をそのレベルで説明しています。
三角氏が、仮想畿内説に獲り付かれてしまうのもわかる気がします。
しかし、現在の畿内説は考古学的知見を基にしています。
つまり、三世紀初頭と思われる草創期古墳時代の拠点集落が纏向にあり、
これを邪馬台国と想定すると、倭人伝の記載どおりではたどり着けない。
では、何故そのようなことが倭人伝に記載されたのか?
そう言った事を考えるのが、現在の畿内説に立つ文献学的アプローチです。
つまり、三角氏とは拠って立つところも違いますので、すれ違いの部分は多いかと思います。
ただ、文理解釈については、畿内・九州両説いずれにしても読み方、結論は同じのはずで、
同じ土俵で意見交換が可能だと考えてもおります。
『南』と書いてあるものが、畿内説論者だからといって『東』に見えるわけじゃありませんからw
>これを邪馬台国と想定すると、倭人伝の記載どおりではたどり着けない。
東の倭種だからだろう、ちゃんと書いてあるじゃん
だいたい学問としての出発点から間違ってる
じゃあ何故たどりつけないのか?
倭人伝の読み方ではなくておまいの出発点(近畿説)を疑うのが学問だろ
纏向からそれらしき異遺物が出てきてるのならわかるが
広大な近畿というイメージと日本の中心は大阪や!という中華思想だけでは
だれも納得しないよ。
「ここが邪馬台国!!」って固定観念捨てないと真実には近づけないよ。
284 :
三角@名無史さん:2005/12/26(月) 06:50:32
現在の近畿考古学は危ないです。三角縁神獣鏡は、呉の工人を拉致して
作らせたとかんがえている。私は。つまり、呉の工人なら後漢鏡とか、
もつくれる。三角縁とともに出る中国鏡といわれるものが、模様などから
安易に中国製とするのはあぶない。呉の工人が三角縁と同時に日本で
作成してる可能性がすてきれない。同時にぼうせい(?)鏡?も同じ
人間が同時に作ってる可能性があるからです。同じ古墳からでるのは、
同時に作ったことを証明してはいるが、それが中国鏡をもとに年代を
決めていたら、見直しが必要なのです。
285 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/26(月) 08:01:35
紀元前から列島には大きな勢力が二つ(便宜上)あった。
一つが、九州を勢力圏とし、倭奴国を中心とする邪馬臺勢力(中国認可)
もう一つが、帥升が朝見に失敗した
その他倭国(中国が公式に認めなかった)
既に、倭奴國にその統治を委ねているため
286 :
257:2005/12/26(月) 08:10:44
>>284 『呉の工人を拉致して』の文意を計りかねますが、
(ゴムボートで乗り付けて、若いカップルごと連れ去ったとかw)
確かに鏡製造には呉系の技術が大きかったようです。
でも、直接『呉から拉致』ではなく、楽浪・帯方郡経由でしょう。
二郡は、公孫時代には呉とも通交があったわけですから、
工人の移動・技術の伝播も可能です。
それらが、さらに倭にも影響を与えたのでしょう。工人も来たかも。
で、あなたが何を言いたいのかと言う疑問だけが残りますが
三角縁は四世紀以降の遺蹟が主流なので置いておくとして、
その他の漢式鏡の出土も畿内中心なのが現在の趨勢です。
この辺りの分析内容が気に入らないと言うことでしょうか?
確かに異論の多い部分ではあります。
ただ、その辺りは文献メインのここでは、スレ違いですので、
他スレを参照されるようお薦めします。
287 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 11:12:28
九州を統轄する奴国や伊都国は、
大和(邪馬台国)に世々従属して来た訳だな。
>>287 それは違うでしょう
「世々従属」などという記録はないし、
289 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 12:18:09
「統属」とは「従属」とほぼ同様の意味なのでは?
290 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/26(月) 12:32:07
>>289さん
統属=従属と、言うのはそれほど問題はないと思われますが、
「世々」は、
後漢書に「丗丗傳統」とあり ここから(代々従属)の解釈は、出来ません
魏志倭人伝の方には、【丗有王】【皆女王國統属】とカキコしてありますが
ここからも、(代々従属)と、解釈する事は出来ません。
如何でしょうか?
291 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 13:16:33
>>290 >後漢書に「丗丗傳統」とあり ここから(代々従属)の解釈は、出来ません
◆「國皆稱王 世世傳統」
◇国では皆が王を称するのが世々の伝統だ。
>【丗有王】【皆女王國統属】ここからも、(代々従属)と、解釈する事は出来ません。
◆「世有王 皆統屬女王國」
◇代々王が有り皆が女王国に従属した。
私は、この様に解釈するのが普通じゃないかと思いますが。
では、アナタはどの様に解釈するのですか?
292 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/26(月) 13:27:57
邪馬台国では儲かりません。
株の勉強始めました。
293 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/26(月) 14:32:54
>>292ヒッキー君
1カイ 2ヤリの世界へようこそ! お教えしましょうか?
冗談はさて置き!!
>>291さん
『後漢書』の解釈については、それほど大差なしと考えますが!
『魏志倭人伝』の
【丗有王】の文ですが、以前にもカキコした繰り返しになってしまいますが、
『丗』=代々ではなく、『丗丗』=代々です。
したがって、このような場合『丗』=三十 ではないでしょうか?
其後に出てくる『皆』は、この(三十人の王)を指し【(伊都に居る?)三十人の王達は皆女王国に統属する】と、解釈しています。
294 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 14:40:45
>>293 「世」も、代々です。
例えば、「世交」とは、代々交際を続ける間がらを言います。
決して「世世交」などとは書かないのです。それとオンナジ。
295 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/26(月) 15:15:24
>>294さん
それはちょっと変ですねぇ
『丗』=代々
の使い方が有るのなら 何故范曄ほどの学者が『丗丗』を使用したのでしょう。少なくとも、范曄は陳壽の書を見て『丗有王』の文を解釈しているだろうし、
『漢籍』の基本姿勢から言えば 『丗丗』を使用する事は、自分の劣等を示すことになります。
『丗』と『丗丗』の意味解釈が違うからこそ
陳壽は『丗』を使い、范曄は『丗丗』を使用したと解釈します。
漢和辞書にて『丗』の意味に、(三十)の意味解釈がなければ 話は別ですが
296 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 17:18:14
>>295 書く人や時代によって、若干の書き方の違いなどは有るだろう。
だからと言って、その意味がまったく違うものになる訳ではない。
「世」の意味は、あくまでも一世代約30年をあらわすもで、
30人という人数をあらわすものではない。
297 :
三角@名無史さん:2005/12/26(月) 17:24:29
なるほど、邪馬台国は、もうからないのか。私も株するかな?
松*証券っていいのかな?
>>三角さん
一言アドバイス。
書店に株の本が目立ちだし、今まで株に興味のなかった人が興味を示した時、それは一つの山の頂上付近
私だったら
来年早々 成り行き『ウリ』で、手仕舞いますね!
信用でウリ勝負も、面白い
>>296さん
>一世代三十年を現す
確かに、前後の文との意味解釈により
>>296さんの説明を否定するものでは有りません。
しかし、この倭人伝の『丗有王』の『丗』を(一世代三十年)と訳してしまうと大変不思議な文が出来上がってしまいます。
一世代三十年 では『代々』では有りませんし、
300 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 18:12:50
>>299 ですから、この場合(「世有王」)の「世」は「代々」と訳すのが適当なわけです。
301 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/26(月) 18:47:29
>>300さん
ここで大事な事は、
三十人や三十年ではなく
『丗』=三十と言う数詞なのです。
歴史を紹介する場面でもないと思いますが
302 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/26(月) 19:17:34
私もひとことアドバイス、今回の相場は前代未聞の相場です。いままでの株の心得とか格言諺は一切通用しません。
今まで低すぎた株価が、現経済相当の値まで強引にあげているのです。
悪材料がでてもあっという間にけちらしてあげています。
かの300万円生活の森永さんが2万円までいくといっていますから、そこまでは堅いでしょう。
勢いづいてもっと上までのびるでしょう。
30年株をやっていて数千万の損をだした私がいうのですから間違いありません。
今日若干売って数万円の利益をだしました。いえね、年を越さなければならないものですから。
303 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/26(月) 19:29:41
サガミさんが買を推奨するなら私はウリに廻りましょう! 株上がれ!ドンドン上がれ!!!天まで上がれ!!!!
さて、
『丗』ですが
【郡使往来常所駐】は、何故ですか?
その答えが
【丗有王】だからです。
サガミさん 甘い!
現在の株価上昇の背景は、原油に向かっていた資金が、日本企業の業績回復を理由に、日本の株式市場に流れているだけで
その上昇に、個人や機関投資家が提灯をつけてるに過ぎません。
その原油マネーも、次のターゲットが決まれば……
次のターゲットは
日本『円』か?
日本株高⇒換金し現物円に(円高になり)⇒ドルに交換 外人さん万々歳
306 :
三角@名無史さん:2005/12/26(月) 23:02:14
確かに反省してる。
で、邪馬台国でお金儲けできる方法ないかな?
>>306 >302に聞いてみれば?
少なくとも、ここで何冊か本は売れたはず。
儲かったかどうかは知らないが。
安本とかは、笑いが止まらないくらい儲かってると思うぞw
KK研の所長なんかも、電波飛ばしまくってるだけで高給もらってるな。
309 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 23:40:38
>>305>>307さん
『伝統あるスレッドの存続』云々を真剣に考えているのなら
レスが膠着状態に陥った時などに、『ネタ』の提供などを小まめに出されては如何でしょうか?
【一つの『案』として提示致します。】
312 :
三角@名無史さん:2005/12/27(火) 08:45:10
他スレといわれてもここに関係あるので。1回だけ。
近畿出土の鏡は、すべて日本製。
漢式鏡が中国の鏡とにてるので中国製と判断した考古学者の間違いが
すべての原因。中国と交易の記録のない近畿に中国鏡が入ってくるはず
ない。日本で中国鏡を模倣して作ったものを中国鏡とした。そして、
当然邪馬台国は近畿と判断した。さらに魏志の南を東に変えるだけで
問題がなく定説になってしまった。だが、私は言う。南は変えることは
できない。近畿出土の鏡はすべて日本製である。
313 :
大和@名無史さん:2005/12/27(火) 09:20:08
>>312三角さん。
少し乱暴と思いますが近畿の範囲希望。
鏡等の三種宝物は、全て『動産』
人の移動と共に移動可能かと
315 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/27(火) 11:04:10
株は僕には高いのでミニ株かEワラントを
やってみます。バーチャル投資で練習中です。
それはそうと、女王国まで12000里なのに
なぜ近畿になるのか誰か説明してくださいよ。
学者様はどう説明してるのですか?
距離ではなく纏向が駄目押しだろう。
318 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/27(火) 19:25:56
わたしは、今は個別の株ではなく投信をもっぱらとしています。ブルとかベアを売買しています。
これだと、日経平均の動きをおうだけですみ、1日中パソコンにしがみついている必要はありません
ところで12000里の問題は、里数が確定していないことをいいことに、
無視しているわけですよ。
ところで、サガミさんは、『丗有王』をどのように訳しますか?
お答えが無いようなので
『丗』
数詞の十を三つ合わせて三十の意
「世代」を表す意になったのは、後の時代の様だ
《伊都國には、諸国より集まりし王が三十人いた》
そのように、解釈する事により多くの問題に対し、意味解釈が出来る。
321 :
257:2005/12/27(火) 23:10:34
>>312氏は、何時頃の時代の話をしているのでしょうか?
このスレで語るのであれば、三世紀を想定されていると思われますが、
具体的には、どの遺跡からでたどの鏡のことをおっしゃってるのでしょうかね。
何か、漠然とそう思われてるだけのような気がします。
なぜなら、出土物で卑弥呼の時代にピンポイントで適合する遺跡は無いからですよw
322 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/27(火) 23:39:53
私は普通に「世」とよんでいます。
伊都国に王が集まっていたら、自分の国をおさめられないのではないでしょうか。
室町時代の守護のように国を奪われますよ.
323 :
三角@名無史さん:2005/12/28(水) 00:35:38
あれ?文献でないのにまたカキコいいかな?例えば、黒塚などの鏡の
出方が不自然。棺の中に1つ漢式鏡、棺のそとに無造作に3角縁。
鏡が大事なら同じ場所から並べて出土すべきです。この漢式鏡も日本製。
3角も同時につくった。だから、同じ墓からでる。これら鏡が中国鏡と
するには、南を東にかえないといけなくなる。逆に、南とするには、
これら鏡を日本製にしないと説明がつかないのです。魏志は、南と
あります。
324 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/28(水) 00:40:44
>>322サガミさん
だからこそ、『官』や『復官』が居るのでしょう
それに、『丗』を(世代)と解釈すると、
全然チンプンカンプンの文章になりますよ!
『丗』を(数詞)と、とらえることにより、先程の『官』の存在意義や【郡使往来常所駐】が何故伊都國なのか?
【(皆)臨津捜露】の「皆」とは誰なのか?
その他諸々の解釈がスムーズになります。
325 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/28(水) 00:55:59
>>323三角さん
私の知る所、すくなくとも遺物は何も語りませんよ!語るのは人間です。
その遺物を研究する方々の思惑や想像です。
年代測定にしても、未だ完璧とはいかず「誤差」を伴うものです。
326 :
三角@名無史さん:2005/12/28(水) 10:57:05
なるほど。プラムさん頭いいですね。しかし、ここも電車男みたいに
なってきたな。学問スレでもやはりお金がほしいという本音もでたり。
327 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 12:32:15
ようく考えよう。お金は大事だよ!
328 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/28(水) 12:39:50
皆って者(誰)じゃなくて物ではないでしょうか。
>>328サガミさん
『皆』=物
だとした場合
『皆臨』=物が集まる(集める)でしょうか?
私は
『皆』=者で
『皆臨』は、人が集い(集まり)
と、解釈します。
330 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/12/28(水) 14:15:43
虚しい作業ですね。
すべて推論の領域を出ていません。
皆がなんでもいいじゃないですかw
そんな虚しい作業を毎日するくらいなら
天皇陵発掘を宮内庁に働きかけたらどうです?
そちらのほうがよほど建設的です。
邪馬台国に詳しくても腹の足しにもなりゃしません。
株と大学受験の勉強をします。株の配当や株主優待も
たいした額じゃないようですね。デイトレーダー以外の人は
働きながら長期で株を保有するものなのでしょうか?
平日仕事してる人は株価のチャートが読めませんし
どうやってやってるのやら・・
331 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 14:36:46
株なんかはもっと後になってやるもの、
直ぐ資金半分になっちゃうよ。ゼロサムゲーム。
稼げるのは経済学、法律学系統。
とか、言いながら
このスレから離れられない悲しい『性』
ヒッキー君泣けてくるよ!今年最後の泣ける場面だね
(sage)とくね!
333 :
257:2005/12/29(木) 11:37:21
王が使を遣わし京都・帶方郡・諸韓國に詣でる及び郡使倭国((に赴く))に、
『皆べて』津に臨み搜露(検閲)し、文書・賜物を女王に伝送し、差錯せ(交わら)ず。
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國『皆』臨津搜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
『…使倭』『國皆臨津…』なのか
『…使倭國』『皆臨津…』なのか
ここに触れようとする人は少ないようだが!
337 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 16:29:44
少ないも何もプラムしかいないようだが
338 :
俺等05772:2005/12/29(木) 16:35:31
>>62-63 畿内説より見た傍国比定の理由を一部修正しました。呼邑を阿波とする理由に
ついて、「呼邑は嗚呼ロ巴(あぁわ) の誤記」を付け加えました。
次に呼邑(こお)國有り。 阿波国 ←前後の関係より推定
↓
次に呼邑(こお)國有り。 阿波国 ←前後の関係より推定。嗚呼ロ巴 の誤記か?
>>337 ん な事ないだろう。
2ちゃんでは居ないかもしれないが…?
すると、
皆さんは、何も疑問に感じず流してるわけ?
著書やネットの翻訳もまちまちだし、結構いい加減な部分も、
特に
先日上げた『丗有王』何てかなり議論の余地蟻だよ
340 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:24:32
三十有るのは王だ、なんて訳すのも貴方だけ。
>>340 あなたは、『丗』を数詞ととらえないのかい?
基本は数詞だよ!
342 :
三角@名無史さん:2005/12/29(木) 19:51:59
三角鏡に3年の年号が入ったのがあるが、邪馬台国と関係ないとなると
もはや議論の余地はないでしょう。
南は、南で確定で異存ないですね。
343 :
三十人の王様:2005/12/29(木) 20:40:55
>>341 『数詞』って?
何がいいたいのか・・・
数詞だとどういう読み方になるのか、
それは『有』にかかるのか、『王』にかかるのか。
貴方は何時も単語を羅列するだけで、他人にわかるような説明が無い。
用例を示すとかもしないし、訳文すら提示しない。
理由のわからんことを呟くだけじゃ、ヒッキー以外は相手にしないよ。
>>343 >他人が解るような説明
??? 他人?貴方に解るような説明でしょうか?
色んなレベルのヤシが居ますから難しいですね!
解らない所が有れば、その都度質問すればいいのでは! 私はこの一年そうしてきたし、それが嫌なら自分をそのレベルまで持って行く努力をすればいいことです。
345 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/29(木) 22:00:54
では、『丗』についての簡単な説明
『丗』⇒『世』
数詞の十を三つ合わせて三十の意
後に『世代』の意に用いられる
『世』を世代を表す様になったのは、仏教思想からきているようで
(過去・現在・未来)と時空の流れを表す三世を『世』とした。
そこに、『界』である(東・西・南・北・上・下)
を加えたものを『世界』と言うそうです。
346 :
三十人の王様:2005/12/29(木) 22:14:37
貴方のレベルに合わすわけですか?
私は貴方の提起にレスが付かない理由を言ってみただけ。
同じことは、他の人からも幾度も言われているでしょう。
なのにレスが付かないのは、他人の所為だみたいな言い草が有ったので、
率直にもうしあげている。
また、そういった態度は不快でもある。
以前にも指摘を受けて、『反省』して退場宣言とかしてましたね。
今はただ開き直るだけなんですね。
347 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/29(木) 22:27:06
『丗有王』
一般的には(代々王が居た)と訳されている。
しかし、『丗』と言う文字は元来(三十)数詞ある
すると其後に『有レ王』という文字があるので(三十)の単位は、(人・年)のどちらかである事が解る
(年)と、すれば「代々」であろうが
『今使譯所通三十國』
と、『倭人』の冒頭にカキコしてある以上(三十)とは(人)と単位付けすのが相応しいと考える
すると、先日カキコしたように『郡使往来常所駐』の説明や 特に、卑弥呼共立の解釈がスムーズになる
(自分で考えてくれ!)
348 :
本田:2005/12/29(木) 22:27:59
>丗有王◆
>重大な翻訳ミスの一つに「丗有王」がアル。
>殆どの翻訳書はコノ記事を「世々、王有り」と“読み下し”てイル訳だが、コレは大間違い。
>誤訳指摘の根拠は「丗」の意味解釈にアル。
>“世代”を表す場合は「丗丗」と表記スルという事。
>敢えて、用例を上げるまでもナイが一応、身近なトコロで范曄の補足、「國皆稱王」を上げて置く。
>深く考えなければ、答えが出ナイというほど難解な問題ではナイので、翻訳に関しては結論だけで終わるが、「丗」は数字の「三○」。
>「丗有王」は「三○人の王が同じ範囲居る」でアル。
>たったの「丗」一字の誤訳で“正しい記録”はトンデモナイ意味解釈になってしまう。
>第一、「世々、王有り」などという情報に記録の重要価値は全く、ナイという事。
>そんな重要性のナイ情報を陳寿が記録として残す事は絶対に有り得ナイ。
>伊都國(糸島郡)には“三○人”の王が居た。
>コノ記述も邪馬台国が“三○国”体制だったという明確な裏付け根拠の一つにもなってイル。
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/menu3.html
>>346 別に私のレスに対し
住人諸氏からレスが付こうが付くまいが
今更気にしてませんよ!
>不快
では、どうしますか?
350 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/29(木) 22:48:42
>>348本田さん
何時も何時も補足ありがとうございます。
しかし、残念なことに
そのサイト
携帯ユーザーには無理みたいです。
351 :
三十人の王様:2005/12/30(金) 00:00:30
>>349 レスが付かないことを気にしないなら、
そのことについて身勝手な推量もしないでくれ。
貴方がこうしてつべこべ言われるのが不快なように、他人も不快なのだ。
貴方が、訓を提示しないので、どういう解釈なのかも分からないが、
伊都に三十人の王様が集まっていたと言う奇抜な事態を表すなら、
『有三十王』とでも書くと思う。
動詞である『有』に三十と言う数は修飾できない。
また、先に『三十國』と言う表記があるのに、別の文字を採るのも変。
352 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 00:05:21
郡使の常駐にしろ卑弥呼共立にしても
伊都國に、各国の代表者(王)が常に集まって居るからでしょう
353 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 00:53:51
>>351 >奇抜
「代々」と解釈する方がよっぽど奇抜でしょう。
『伊都國にしか王が居なかったのか?』
と、突っ込みを入れたくなる解釈ですよ!
三十国の三十は、単なる数字ですが
『丗』とした三十は、
後に范曄が解釈したように【…国皆称王丗丗傳統…】(皆王と称し、代々統べる)
と、言う意味が集約されている為『三十』『丗』を使い分けているのでしょう。
(要訳すると)
伊都国に居る三十人の王は、BC108年頃からこの体制を代々伝統している。
…続く…
354 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 01:02:40
>>353 の続き
魏の時代も変わりなく続いてる。
と、『丗有王』の三文字に集約されてるからでしょう
自分の解釈が正しいかどうかは、陳壽さんに聞いてみないと解りませんが、『丗』を(代々)と解釈するよりは、真実に近いと考えてます。
>>351 私のレスの付け方に問題が有るのなら、貴方が率先して『ネタ』の提供をしてくださいな!
古参なんでしょう!
古参なら古参としての手腕を 披露してくださいな
古参が正しいレスの見本を示す事により、私のような新規ユーザーが
少しずつ進歩するのでしょう
356 :
三十人の王様:2005/12/30(金) 01:16:59
伊都になぜ王様が集まっていたか、なんてことは今は論点じゃないだろう。
『世』の辞儀を何度も開陳するのも無駄なことだ。
どうして、いつもそういうおとぼけをするんだ?
『三十有り王』のまともな訓じ方をだすとか、用例を示すべきだろうが。
357 :
三十人の王様:2005/12/30(金) 01:30:17
>>355 『正しいレスの見本』
またまた、とぼけたことん・・・
さっきから『披露』してるだろうw
まあ、今日はもう寝よう。
続きは夢の中ででもやってくれ。
358 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 01:38:26
だから言ってるだろう。
同じ正史編纂者である范曄が『丗有王』の解釈として【国皆称王丗丗傳統】としるしてるだろう。
これほどの解釈や用例は無いと思うし
私は知らない!
取り敢えず、他の誰の解釈より、私はこの解釈と用例を信じるね
359 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 01:42:18
>>356 それより
貴方が『違う』と言う理由を知りたいよ
貴方の解釈により
前後の文章の意味解釈がどうなるかや、范曄の文章にどう影響しているのか等
360 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 01:51:51
ま、
今夜はほんのプロローグかな!
これからもっと五月蝿い住人が…… 『まさにガクガクブルブルの世界へようこそ』
俺も寝よう!
後(^-^)/
361 :
三十人の王様:2005/12/30(金) 02:21:50
>>359 寝る前に一言
否定する理由は>351辺りやその前にも書いてるぞ。
『自分の意見を言え』と言うのが、貴方のお定まりの台詞たが、
他人の意見を読み跳ばすのもお定まりだね。
それと用例。
何度も言うが伊都に何人王さまが居たのか、
と言うようなことを論じているのでは無い。
『三十人の王様が有る』を『三十有王』と書く例を示せと言うことだ。
貴方の主張は『美女が好き』を『美好女』と書くと言い張るのと同じだ。
362 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 02:28:02
もう寝れば!
「例」
知らない。
363 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 09:09:02
夜中の問いに対する回答
>動詞である『有』に三十と言う数は修飾出来ない。
だから『丗』なんだろ!
『丗有王』は、間違いの文ですか?
『丗』の意味解釈には(三十)を基本として それだけに留まらず深〜い意味が或為(范曄が後に説明している)、三十じゃなく『丗』を使用した
『有三十王』では四文字『丗有王』なら三文字で済む
三十人の王が居たことは史実ですし、その王は伊都国に集合していた。
364 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 09:57:35
『丗有王』の『丗』の文字は、【…三十許國…】に使用されたような単なる数詞ではない
だから【有三十王】とせず、文字数を減らし、より幅広い意味をもたせるため
『丗』を使用し【丗有王】とした
365 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/30(金) 11:22:15
『いいもの見〜つけ』
陳壽は、『丗』と『丗丗』を使い分けています。
【辰王常王馬韓人作之(丗丗)相繼】 …(韓伝)…
これでじゅうぶんでしょう
>>363 『後漢書東夷伝』を引用するならおかしなところぶった切らずにちゃんと示せよ。
何か意図があるように思われるぞw
自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國、國『皆』稱王世世傳統。
其大倭王居邪馬臺國【案、今名邪摩堆、音之訛也】
『武帝朝鮮を滅してより使訳漢に通ずるは三十許国。国皆王を称し世世統を伝う。
その大倭王は、邪馬台国に居す。【案ずるに今の名の邪摩堆、音の訛り也。】』
”『丗』の意味解釈には三十を基本として それだけに留まらず深〜い意味が或為(范曄が後に説明している)
范曄が『後に』何を『説明し』たのかな?
邪馬台国については「今の邪摩堆」だとは言っているが、貴方の言うような「説明」は無い。
曖昧な書き方でお茶を濁さないで欲しい。
ちなみに、國『皆』稱王の『皆』に着目して欲しいのだろうが、これは魏志ではなく、
魏略の『其国王皆屬王女也』によったものと言うことも考えられる。
いずれにしても、後漢書からは伊都に30人の王様が居たとは思われない。
で、『丗有王』だが、貴方の言っていることからは『丗』を『三十』の意としているのか違うのか、
全くもって読み取れない、あー言えばこう言う式のとても都合の善い解釈のようでもある。
また、『有』とは『存在』を示すことはあっても『所在』を示すことには使わないだろう。
それぞれの本国に存在するなら『有』でもよいが、伊都に30人の王様が居たことを示すなら、
『在』とか『駐』とかの方が好ましいように思う。
つまり王は時間軸上に存在したと書かれているのだ。
また、『世』と『世世』については、倭人伝の場合は『欠落』説を主張する人も多い。
最期に一言。
何度も『丗有王』について訓じて欲しいと伝えてあるが、相変わらず無視し続けている。
これは、日本語には翻訳不能の表現なのだろうか、
だとしたら、やはり漢文で『数詞+動詞+客語』の用例を示すべきではないか?
日本語でも漢文でも示せないような読み方をしなければならないのらそれは文意と違うと言う事だ。
陳壽は千数百年先に生まれる貴方だけに読ませるために三国志を書いたわけではない。
367 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 10:53:24
>>366 遅レス スマソ!
『丗有王』の訓
【伊都國】には
『三十・存在する・王(大夫?)】
【伊都國】には「三十の王が存在」
368 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 11:35:46
魏志倭人伝・伊都國項にカキコしてある【丗】の文字
これを、時間の流れを表す「代々」と訳す事の方が無理がある
陳壽は、同じ書の中で【丗丗】と【丗】を使い分けているし、
【丗】の基本言意は、三十です。
一部で、【丗】は、【丗丗】の脱字説も浮上していますが それは別次元の話し
先学の大多数が【丗丗】と同じ解釈でとらえており、それを 疑問としない事に、不思議さもおぼえます。
369 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 11:47:16
>>366さん
『丗有王』への疑問視は、私個人の疑問箇所でであるため
今だ完璧なソース等を提供出来ません。
しかし、全く妄想ともとらえてませんので
少しでも興味を示されるので有れば、これからも、
反対意見で構いませんので“突っ込み”入れておいて下さい。
先日 本田さんがHPを紹介下さいましたので
正月休みを利用し、少し勉強してみます。
それまでは、【丗】の問題視は、終わります。
370 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 12:10:51
『チョット寄り道』
今、テレビで『日本昔ばなし』が復活しました。
お決まりの“鬼”は、何時も悪者! どうして鬼は悪者なんですかね?
そう言えば
魏志倭人伝にも“鬼”が出てきたような
371 :
太国:2005/12/31(土) 12:18:40
鬼道か〜。
あ〜 九鬼文献かぁ〜?
372 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 13:05:14
>>371いえいえ
チョットだけ想像力が必要ですが!
ただ単に、私が勝手に想像してるだけですから
エヘッヘッ!
373 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/31(土) 13:15:06
1週間ぶりです。皆さん乙です。
唐突ですが、この一週間で「金印が指してるのは伊都のことだ」と思いまし
た。
374 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 15:00:10
375 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/31(土) 15:14:50
>>374 はい。ええと、説にもならないような話なんですが、聞いてください・・・
まず、金印には「漢委奴国王」と彫られている(?)のはよく知られています。
376 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/31(土) 15:20:44
で、いままでは「委=倭」だと考えられていた訳なんですね。おそらく
それは、「後漢書」に「建武中元二年倭奴国奉貢朝賀」と書かれていて
その後に金印を授けたという記事があることが根拠になっていたと私は
思っております。
377 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/31(土) 15:25:00
ですが、仮にも皇帝が授けた金印の字が間違っているとは考えにくい
話です。そして金印の字から考えてみると「委奴国」が存在したこと
になる。しかしそんな国は出てきていない。そう考えると、
>>373のよ
うな結論になってしまうかなと。
378 :
安曇連浜子 ◆M2clACoxQA :2005/12/31(土) 15:34:02
ですが、そうすると「後漢書」と合わなくなってしまう。そこで私は
「後漢書」の方が間違っていると、考えたんですね。
おそらく、ハンヨウが「後漢書」を書くときに利用した原資料は
「委奴国」になっていたと思われます。しかし、同じく利用した
「三国志」にはそんな国名は無かった。そこでハンヨウは「委は倭の
誤写ではないか」と思い、金印を授けられた国を「倭奴国」にしてし
まったのではないかと。 ダブルカキコだったりしたら須磨祖。
379 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 15:51:15
安曇さん
乙です。
【私からの一言!】
“史書”の誤りと、とらえることは一番楽な選択と思いますが
>>373 研究ご苦労様。
でも、それ、今年の初めくらいにパート15の2スレでやった。
サガミが嘘つきまくり大恥かいたネタだ。
それに加担しようとしたプラムが感情論だけのボケレス連発して引退宣言するハメになったやつだ。
議論の概略は、プラムが過去レス持ってるだろうから披露してもらえばw
381 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 17:55:37
>>380 懐かしいネタ ありがとう
過去レスは持ってないから披露できませーん
あの頃は未だ“幼房”でしたが、現在は“消1房”位には成長していますので
『金印』のお話はオイオイと
じゃ、主犯格のサガミにご登場願おう。
騙りっぱなしで逃走したまま、顕かにしてないソースがたくさんあるからな。
確か、実名挙げられて事実無根の誹謗された大先生まで居たはず。
またまた、吹きまくってもらえれば、サガミの住所も判ったことだし、
今度は、ご遺族・関係者が名誉毀損で訴えることもできる。
あっ、過去ログあれば今でもできるか・・・
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
危ない 危ない
384 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 20:09:02
だから、ハワイ説でいいだろ!!
夢があっていいじゃないか
ついでに、騎馬民族侵略説
385 :
三角@名無史さん:2005/12/31(土) 20:34:53
ハワイに王がいた。あちらが正統なのかな?
386 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 20:37:37
ムー大陸に決まっているろう。
387 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 20:41:54
沖縄だってw
388 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2005/12/31(土) 20:42:18
『今年の思い出』(金印)
写真で何度も拝見するが、いつ見ても“綺麗過ぎる”
発見したとき『紫綬』は溶けて無くなってしまったのかな?
印鑑なら
そこに刻み込む文字は『篆字』で『篆書』を用いるよね!
すると『篆刻の技』も…
ま、来年に持ち越しだね
389 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 21:14:42
金印の偽造は明白です。
390 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 22:44:28
邪馬台国は四国にあった!
391 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 23:11:22
公孫氏侵略説。
392 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 23:19:58
超新説!!アイヌ侵略説!!ってのはどうだ!!
393 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 23:20:41
氏ねよ
394 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 01:26:39
委奴国は伊都国です。
395 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/01(日) 01:54:08
皆さん明けましておめでとうございます。
『委奴国』
蛮夷の国なんだから
『委』より『夷』の方が、お似合いだ
396 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 03:21:27
(奴)と(都)はどちらも甲類トで一致。
397 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 03:33:28
委奴国王→わのなのこくおう
なんて読み方はどう考えたっておかしい
398 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 04:21:42
「ゐどこくおう」だと思う。
399 :
俺等05772:2006/01/01(日) 06:47:56
明けましておめでとう御座います。
久しぶりに、このスレ覗いて見たけど、相変わらず堂々巡りで、進歩が無いな。
なんか迷路の中をぐるぐるぐるぐる廻っているみたい。早く出口へ出ろよ。
邪馬台国九州説も良いけど、真珠・青玉・丹の産地をきちんと特定し、全ての
傍国比定もきちんと行って、九州邪馬台国の全貌を明らかにして欲しいね。
400 :
【小吉】 【1585円】 :2006/01/01(日) 08:53:34
ゞ:ヾゞ゛;ヾ;ゞ ,',;:ゞヾゞ;ゞヾ.: ヾ:ヾゞヾ., .ゞヾゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ ` ``
,,ゞ.ヾ\\ ゞヾ:ゞヾ ノノ ゞヾ . ゞヾ ゞヾ .ゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ `
ゞヾ ,,.ゞヾ::ゞヾゞ:ヾ ゞ:.y.ノヾゞ..ヾ .ゞ,'ヾ ゞヾゞ ;ゞヽ,.ゞ:,,ヾゞヾ;ゞゞ;ゞゞヾゞ; `
ゞヾゞ;ゞゞヾゞ;ゞiiiiii;;;;::::: イ.ヾゞ, .,; ゞヾゞ___// ;ゞ ゞヾゞ;ゞ ヾ;ゞゞ;ゞ `
ゞヾ ゞ;ゞ iiiiii;;;;;::::: :)_/ヽ,.ゞ:,,ヾゞヾゞ__;::/ ゞヾゞ;ゞヾ;ゞゞ;ゞ
ゞヾゞ;ゞ iiiiii;;;;::::: :|;:/ ヾ;ゞゞ;ゞ ヾゞ , `
ヾ;ゞゞヾ;ゞゞ |iiiiii;;;;::: : |:/ ヾゞ `
ヾ |iiiii;;;;;::::: ::| ` ` ` `
` |iiiiiiii;;;;;;::: :| ` ` 謹 賀 新 年 ` ` ,
` ,|i;iiiiiii;;;;;;::: :| ` ` ` ` ` ` `
` |ii,iiiiiii;;;;;;::: ::| ` ,
,|iiii;iiii;;;;;:;_ _: :| ` ` `,
` |iiiiiii;;;;;;((,,,)::.::| ` ` ,
` |iiiiiiii;;ii;;;;;;~~~:|`; ` ∧ ∧ . ∧_∧ ♪ `
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` |iii;;iiiii;::;:;;;;::: :::| ` /つ目 ~旦⊂|
,,.,.. ,..M|M|iMiiii;;ii:i;;:;i:i;;:;ヘヘ ,.,.. ,...... ,....〜(,,,.,..ノ,,,.,.. ,.. ,.. ,,((.,..つ,.,.. ,.... ,,,.. ,.... ,,,.,..
401 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/01(日) 09:13:43
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
399さん、九州におけるその余の旁国については「邪馬台国論争に終止符をうつ」を
ごらんください。ほとんどの国を比定してあります。
異論があれば是非ご批判ください。誠意をもってお答えいたします。
402 :
三角@名無史さん:2006/01/01(日) 09:24:29
魏志は、倭国でなく倭人ではじまる。もちろん、卑弥呼の金印にも
国の字はない。奴国は、金印に国が入ってる。だから卑弥呼は仮に
が入ってる。奴国の後継者を確かめるまでは、仮 なのでしょうね。
403 :
俺等05772 :2006/01/01(日) 10:34:14
>>401 サンクス >341ですね。 おねだり美恵ちゃんで悪いけど、比定の
理由も欲しいな。 内容については検討してみます。
404 :
圭角:2006/01/01(日) 11:42:05
謹賀新年 プラムさん、倭国を蛮夷の国だと魏が認識していたことは確かです。
難升米が賜った卒善中郎将という官職は降伏した蛮夷を管理するというものです。
すでにご存知であればご容赦ください。
出所は清の洪飴孫の作った三国職官表ですが、ちくま学芸文庫の正史三国志
8の290頁をご覧ください。常設の官位ではなく、魏のみにて呉と蜀には無い
と書いてありました。
最近のプラムさんのご見解はよくよく整理検討しないことには小生には
ご返事できないことであり恐縮であります。なれど新説自説の主張こそが
このスレの良いところに間違いありません。
私もまだ参加させていただいて半年ほどです。よろしくどうぞ、です。
405 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 12:09:57
406 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 13:25:41
ニシメ
西目とか
407 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 13:29:50
>>402 国の字が入っていること自体おかしな事なのだ。
他の印をみてみな。
金印は明らかに偽造です。
408 :
406:2006/01/01(日) 13:41:46
都市牛利は、
土佐五郎 とさごろう
鳥栖五郎 とすごろう
とかだろう。
トシゴリなんて読み方は日本語的ではない。
旦波大県主「由碁理(ゆごり)」[開化記]
時に「熊之凝(くまのこり)」という者在り[神功元年三月]
410 :
406:2006/01/01(日) 14:07:00
転化というものを考えないのかね。
ないね
>>404 横から失礼、率善中郎将については、下記のようなものが参考になると思います。
大庭脩氏の学生社「新魏倭王」、一般向きで比較的安価。
8「漢の将軍から宋の将軍へ」、9「中郎将と校尉の変遷」、
10「率善中郎将・率善校尉」
同創文社「秦漢法制詩の研究」研究書で結構高いです。
第4編「官僚制度に関する研究」
第1章「前漢の将軍」
第2章「後漢の将軍と将軍仮節」
第3章「漢の中郎将・校尉と魏の率善中郎将・率善校尉」
一官職マニアより
413 :
406:2006/01/01(日) 15:48:32
猿ですな。
414 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 18:44:18
>>409 素晴らしい。早速応用。 都市牛利(タジゴリ)→ 但馬碁理 なんちゃって。
415 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/01(日) 18:46:19
皆さん
改めておめでとうございます。
圭角さん
私のカキコは、幼稚園児の落書きですから
レス付けるまでもありません。
BC108年以前の列島は、多くの国(…百餘國…)が存在しAD.107年朝見失敗組(帥升)系列が、それらの国々(諸国?)を支配していた。
しかし、BC108年朝鮮が滅びた頃
それらの国々の中から三十国程が集まり『邪馬台国ができた。『
416 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 18:57:57
>>414 都市牛利
都市は名前じゃないよ。
牛利 …
面白い名前だ!
沢山の贈り物を運んで来たので(牛の様に利益を運ぶ)
417 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/01(日) 19:02:47
『牛利』
景初三年に、難升米の後を贈物を携え、追っかけたヤシ
418 :
学芸員:2006/01/01(日) 20:20:40
偶々通りすがったのですが、どなたかが誤った知識を喧伝しておられ、
研究分野に係わることであり、看過しかねましたので、この場を借りて申し上げます。
419 :
学芸員:2006/01/01(日) 20:23:30
1.真珠
江戸(元禄)時代、出島に滞在したドイツ人医師の著作に「日本誌」があります。
(Engelbert Kaempfer、長崎商館医、博物学者でもありました)
訳本は手元にありませんが、大まかな内容は覚えています。
昔、日本人は「真珠」を「貝の玉」と呼んでいた
中国人が「貝の玉」に大金を払ったことで価値を知った(それまでは無関心)
「真珠」の産地は「鹿児島湾」・「大村湾」・「橘湾」
「真珠貝」は「アコヤ貝」・「タカラ貝」・「アワビ」・「タイラギ(方言:諸説あり)」
大変上質な「白玉(アコヤ貝)」・「鮑玉(アワビ)」を産する
長らく、九州一帯は「真珠」の一大産地でした。現在も盛んに養殖が行われています。
奈良時代の記録によると、対馬と壱岐の「真珠」は都で最高の評価を得ていました。
「アコヤ貝」・「タカラ貝」・「アワビ」は九州の貝塚でも出土しています。
「豊玉比古/比売」・「玉依比売」などの「玉」は「真珠」を指します。
彼等の出身地とされる「豊の国」も、「真珠」の特産地でした。(現在は養殖です)
そもそも、「球形」=「タマ」=「珠」=「玉」は現代の日本人の感覚です。
中・古代の日本人及び中国人の感覚は「光沢」=「タマ」=「珠」=「玉」です。
「勾玉/勾珠」を見れば一目瞭然でしょう。形状は無関係です。
また、中・古代の中国の「真珠」は「鮑玉」と「淡水真珠(イケチョウ貝)」が主です。
420 :
学芸員:2006/01/01(日) 20:25:41
2.ヒスイ
中・古代の中国の「玉」は「硬玉」ではなく「軟玉」の「ヒスイ」です。
白に緋と翠が入った不透明なもの(「ヨウシ玉」)が特に尊ばれました。
「硬玉」の流入は明代以降であり、西太后が好んだことで珍重されるようになりました。
(殷代より尊ばれた崑崙産のヒスイも「軟玉」です)
「玉」は広義もあり、その場合、「青玉」は「美しい緑の石」で詳細は不明ですが、
「東夷伝」では広義の「玉」の「真珠」を区別していますので、「緑のヒスイ」でしょう。
物証がなく、この「青玉」が「硬玉」か「軟玉」かは全知の神以外には判断できませんが、
「硬玉」の場合は糸魚川周辺、「軟玉」の場合は長崎の「ヒスイ」が有力候補と思われます。
どちらも良質で鮮やかな緑を発色します。
尚、糸魚川の「硬玉」と「碧玉」は山陰(出雲)経由で北九州に流通し、
北九州で「弥生玉(硬玉勾玉+碧玉管玉の数珠)」に加工されたと判明しています。
(「石川考古学研究会」を筆頭に北陸で研究されています)
「硬玉勾玉」と「碧玉管玉」――「弥生玉」は北九州が発信地です。
産地の北陸も山陰(出雲)経由で逆輸入していました。
他の地域(近畿・東海・関東)に「弥生玉」が流入したのは北陸の後です。
北陸→山陰(出雲)→北九州→山陰(出雲)→他
山陰(出雲)ではなく瀬戸内海経由の場合もありますが、この流れは鉄器・陶器にも見られ、
材料は北陸、技術は北九州、物流は山陰(出雲)という図式があったようです。
(四国への流通は北九州→東九州/瀬戸内海→四国です)
近年、「東夷伝」の「孔青大勾珠」を「大弥生玉」とする見解が注目されています。
「青玉大勾珠(緑のヒスイの勾玉)」ではなく「青大勾珠(緑の勾玉)」とありますし、
「真珠」を5千枚、「異文雑錦(絹)」を20匹=40反ですから、
たとえ大きくても、「青玉」の「勾玉」を2枚きりでは釣合が取れません。
421 :
学芸員:2006/01/01(日) 20:29:33
3.丹
「丹」には「辰砂」と「赤土」の二つの語義があります。
倭人が体に塗ったとされる「朱丹」は「赤土」、山にある「丹」は「辰砂」でしょう。
(「赤土」は顔料にしやすく、現在も世界各地の民族で使用されています)
現在は限られますが、中・古代の日本では「赤土」と「辰砂」は各地で取れました。
「産地と言えるほどではない」といった言葉が見受けられましたが、
原文は「出真珠青玉其山有丹」、「真珠」と「青玉」は「出」で「丹」は「有」です。
「有」は「持っている」程度の意味になります。「丹」は「出」ではありません。
余談ですが、「鮑玉」・「ヒスイ」・「丹」は不老不死思想に繋がります。
三つとも倭にあると知り、除福を連想し、「東夷伝」に特記したと思われます。
倭人は長命とされますし、倭には山があるため、「仙境」の条件を具備しています。
倭の様子が詳細に記述された背景には、中・古代の中国に根付く「蓬莱」が覗えます。
422 :
学芸員:2006/01/01(日) 20:34:57
邪馬台国論争は最早学究と言えず、郷土贔屓と宗教闘争の様相を呈しています。
過敏に反応され、波風が立つため、古代の日本に関する純粋な研究が妨害されます。
私は土着の関東人ですので、「右派(畿内)」でも「左派(九州)」でもありませんが、
畿内説の方々が九州説を否定する際の論拠は薄弱と言わざるを得ません。
「真珠」・「ヒスイ」・「丹」は一例ですが、初歩的な知識が欠落しています。
(本職の史家もこの三点セットを論拠にしていました。呆れて言葉が出ません)
畿内は「東夷伝」に記述された植生と異なります。「東夷伝」を曲解するなら、
物流の拠点の山陰(出雲)か瀬戸内海の方が現実味があるでしょう。
世界史レベルで見ても、君主や盟主は政治と経済の中心に存在します。
(シャーマン的な人物/組織を主軸とする社会でも同傾向です)
423 :
俺等05772:2006/01/01(日) 20:52:15
>>419 真珠が大村湾で採れ、藩が管理していたことは知っています。それ以外について
は以下を見て下さい。日本人が真珠に無関心というのは庶民についてでしょう。
正倉院に4158個も真珠があるのは古代の支配者が真珠に関心を持っていた証拠。
漢和辞典で「珠」を引いて見て下さい。朱には丸い玉の意味があり、「珠」は
丸い玉をいう、となっています。
>>21『延喜式』には志摩の国から 1000個の真珠が調進され たとの記事があります。
でも、九州から、多量の真珠が調進されたとの記事はありません。
>>217 日本の天然真珠の中で最も有名なものは、奈良の正倉院に保存されている宝物真珠でしょう。その数
実に4158個もあります。調査の結果、これらはほとんど日本産のアコヤ真珠であろうと推定しました。
また少量ですがおはじきのような偏平で大粒のアワビ真珠もありました。
http://www.giajpn.gr.jp/publishing/g_news/04apr/1-2.pdf
424 :
太国:2006/01/01(日) 21:00:42
とにかく、筑紫国 白日別 と九州の呼び名に青と赤の混色『紫』があり、
青の別名「碧」の中に「白王石」→白玉 なる『白』の色あり、九州説に
あまり問題はないな。
425 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/01(日) 21:14:17
『横槍』
真珠の話題は勉強になります。 乙です。
しかし、
そもそも『真珠・青玉・丹』の産地と邪馬台国
の関係をハッキリさせなければならないのでは?
以前から言ってますが
魏志倭人伝は、邪馬台国物語ではありませんよ!
426 :
太国:2006/01/01(日) 21:16:46
「丹」は「赤色」だよね?
427 :
俺等05772:2006/01/01(日) 21:16:55
428 :
太国:2006/01/01(日) 21:22:15
丹→水銀(マーキュリー 馬九里) w
429 :
太国:2006/01/01(日) 21:26:09
碧→白王石→琥珀(アンバー 鞍馬)→瑪瑙(オニキス 鬼・鬼巣)→鬼道 w
430 :
本田:2006/01/01(日) 21:28:56
>>423 >
>>419 > 真珠が大村湾で採れ、藩が管理していたことは知っています。それ以外について
> は以下を見て下さい。日本人が真珠に無関心というのは庶民についてでしょう。
> 正倉院に4158個も真珠があるのは古代の支配者が真珠に関心を持っていた証拠。
> 漢和辞典で「珠」を引いて見て下さい。朱には丸い玉の意味があり、「珠」は
> 丸い玉をいう、となっています。
漢字は、長期間、広範囲で使われているので、
時代や場所が変われば意味は変化する。
問題は現代日本じゃなくて古代シナでとうゆう意味なのかだ。
431 :
俺等05772:2006/01/01(日) 21:30:30
>>421 >中・古代の日本では「赤土」と「辰砂」は各地で取れました。
ソースはありますか?九州説の場合、具体的には何処でしょう?
432 :
太国:2006/01/01(日) 21:36:21
筑紫国か〜 w
紫(バイオレット 馬委王列島)
433 :
本田:2006/01/01(日) 21:47:06
>>431 >
>>421 > >中・古代の日本では「赤土」と「辰砂」は各地で取れました。
> ソースはありますか?九州説の場合、具体的には何処でしょう?
>>50 これを読んでね。
434 :
太国:2006/01/01(日) 21:51:43
碧→白王石→白玉→白日別
白(ホワイト 方倭伊都) w
435 :
本田:2006/01/01(日) 21:53:59
436 :
学芸員:2006/01/01(日) 22:13:26
古言語学や古文献学は門外漢ですが、反駁を頂いたので申し上げます。
兎角、混同されがちですが、漢字文化圏でも日本語と中国語は全くの別物ですし、
「魏書」は当時の中国の概念で著された中国の史書であり、日本の概念は無関係です。
「珠」は日本語の漢和辞典ではなく中国語の古語辞典を参照して下さい。
ピンインは「zhu(一声)」です。「宝石」か「算盤の珠」とある筈です。
中国語の「丸いもの」は「球」、ピンインは「qiu(二声)」です。
日本語の「玉」には「珠」と「球」の意味がありますが、
中国語では「珠」と「球」が厳密に区別されています。(「玉」は前に言及しました)
日本人の耳は「zhu(巻舌音)」と「qiu(清音)」を判別しづらく、
「珠」と「球」が一体化して「玉」に包括されたという話を北京語の講義で聞きました。
(何年も前のことですので、現在の定説は違うかもしれません)
仮名が登場する以前の日本語の「タマ」は「珠」と思われます。
「万葉集」でも、必ずしも「球」であるものを「タマ」とはしていません。
日本人は球形の宝石を好んだため、「珠」=「球」=「タマ」になったとの説があります。
出典は失念しましたが、万葉仮名関係の学術書です。
>>425 プラムがまっとうなことを言っている!
あ〜〜ビックリ。
438 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/02(月) 01:00:11
>>437 たまにはね!
でも、今年はもっとビックリするかもよ?
『願望・初夢』
日本書紀をよーく読むと
『漢委奴國王』の解釈がスムーズにならないかなぁーなるといいなぁー
今年辺りから少しずつ
天照一族 VS 大国主一族 でも、取り上げて見ますかな……
439 :
学芸員:2006/01/02(月) 01:24:04
「真珠」に関して語弊があったようですので、補足致します。
(誤解を招きそうですが、九州説を擁護する訳ではありません。客観的な提言です)
確実な線でも、日本人(倭人)は紀元前後には半島・大陸と交易しています。
つまり、「真珠」の価値を知ったのは紀元前後(以前)と考えられます。
その伝承が江戸時代まで九州に残っていたのでしょう。伝承は軽視できません。
勿論、「志摩の国」も「真珠」の特産地であり、現在は世界的に有名ですが、
「延喜式」の記述による九州との対比は適切とは言えません。
「延喜式」は10世紀の成立です。当時の九州は水産から陸産へ移行しています。
南部を除く九州の土地が稲作に適し、多大な租税(稲)を課されたためです。
水産も継続しましたが、規模は縮小しています。
虎尾俊哉教授と栄原永遠男教授の口分田関連の著書が参考になるでしょう。
加えて、9世紀〜15世紀の九州は軍事拠点であり、武器の製造にも力を入れています。
この時代背景により、九州の「真珠」の生産量は低下しました。
(2001年の「真珠展」で「対馬真珠養殖協同組合」の方に伺った話です)
また、これも講義で得た程度の知識ですが、「志摩の国」はあまり稲が取れず、
特産物の「真珠」を代替品として納めたと記憶しています。
中央政権の九州における支配力、九州と半島・大陸の交易史も、鑑みる必要があります。
江戸時代でさえ、九州の「真珠」は半島・大陸に輸出(密輸)されています。
440 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/02(月) 01:50:49
>>439 乙です。
『古伝承』
@歴史的な事柄が記録されている
(昔話・諺・童謡・民謡…
A列島に於ける古代神道
生活文化等を記録
(神事・古地名・生活用語
441 :
俺等05772:2006/01/02(月) 06:18:15
>>433 本田さん
>>50 これを読んでね。」と言われても、私のレスなんですが・・・、
>50 には中・古代の日本で丹が採れたというソースは含まれて無いのです。
442 :
俺等05772:2006/01/02(月) 08:29:07
>>439 真珠について言えば「何処で獲れるか」ではなく「5000個もの真珠を何処で獲ったか」という
量が問題なのです。天然真珠はアコヤ貝千個に1〜2個しか採れません。
>>21 で述べたよう
に、5000粒の真珠に要するアコヤ貝の量は、なんと『 100〜200トン 』、2トントラックで、
50〜100台分もの量になります。
もし、獲る目的が真珠であるのなら、これは非常に効率の悪い漁と言えるでしょう。それ故昔、
アコヤ貝を獲る主目的は食糧である、と云うのが私の結論です。真珠は単なる副産物に過ぎない。
2トントラック 100台分のアコヤ貝を供給できる産地と、消費できる大消費地が必要なのです。
たとえ、
>>419 でどう論理的に話そうと、定量的な考慮がなされていなければ、理系の人間には
全く説得力がありません。
443 :
三角@名無史さん:2006/01/02(月) 10:23:25
やっぱ、ハワイ説かな?あそこ真珠湾があるよ。5000個くらいすぐでは。
444 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/02(月) 10:33:26
>>442 >アコヤ貝から天然真珠が採れる確率は0.1%強
この数値は、当時にも使用出来る数値でしょうか?
>理系の人間には全く説得力がありません
正倉院に眠る約五千粒の真珠(現物)の産地を論じているのなら、スレ違いだけで済むことですが
朝見献上品の真珠を論じているのなら『逃げ口上』
言語道断です。
朝見献上品の数値は『理系的』なデータではない
古代文献上の出来事を『理系』云々で 語る可きではない
445 :
太国:2006/01/02(月) 11:28:06
古代のことを現代の感覚で判断すると事を誤る。
昔は刀をさしていたが、今はそうでない。当時はうんと採れたんだろうが?w
446 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/02(月) 13:07:07
その余の旁国の比定の理由について、「邪馬台国論争に終止符をうつスレ、」に連載を始めました。
是非ご覧ください。
447 :
学芸員:2006/01/02(月) 14:10:14
ヒスイ」と「丹」への反駁にも目を通しました。
徒労に終わりそうですが、誤った知識の喧伝を控えて頂くため、敢えて申し上げます。
「辰砂」は釉薬に使用されます。「有田焼」・「肥前磁器」が代表格です。
乱暴に言うと、「辰砂釉」を使う陶磁器の産地の近郊では「辰砂」が取れました。
「豊後国風土記」と「続日本紀」に九州の「丹/辰砂」の記述があった筈です。
「肥前国風土記」でも見た気がしますが、「丹」は守備範囲外で記憶に自信が持てません。
小林行雄教授の著書によると、九州の古墳の「辰砂」は九州産と思われます。
絶版かもしれませんが、「日本の歴史1965」に水銀朱の詳細な情報があります。
産総研の「地質調査総合センター」のサイトでも鉱床の分布図を見れます。
「日本の特産品を尋ねられ、それを贈った」という発言がありましたが、
そのような主旨の記述は「東夷伝」のどこにもありません。
風土(中国語の文法は割愛しますが、主語は邪馬台国ではなく倭です)の記述の後、
「持衰」と産物(「真珠」・「青玉」・「丹」)を挟んで風土の記述に戻っています。
「東夷伝」を具に再読しましたが、一連の記述に伝聞形も仮定形も見当たりません。
中国語で読解する限り、実際に見た事柄であると思われます。
私見ですが、倭に滞在した魏人か韓人の報告書(或は手記)が原資料でしょう。
北京語・広東語・上海語・台湾語のどれでも結構ですが、
まずは中国語の基礎を学習し、中国語の古語辞典を片手に原文を読んで下さい。
中国の文献・文学の訳本には誤訳もあります。
448 :
学芸員:2006/01/02(月) 14:16:25
繰り返しますが、「青玉」が「硬玉」か「軟玉」かは判断できません。
物証か信頼性のある史料が得られるまで憶測の域を出ず、仮説すら立てられません。
明代以前の中国は「硬玉」の存在を知らず、崑崙産の「軟玉」が「玉」でした。
現在、一般に「硬玉」が「軟玉」より高価ですが、中国は例外です。
中国は宝石に対して特異な価値観があり、貨幣的価値に大してこだわらず、
美麗であれば低級品でも偽物でも愛でます。(ブランド品の偽造に関係がありそうです)
実際、中国では現在も、「軟玉」に「硬玉」より高値がつくことも珍しくありません。
古代から「陽起石」(「軟玉」の「緑閃石/透緑閃石」)が最も美麗とされため、
「硬玉」が流入した後も、清代まで「軟玉」の方が人気でした。
(「硬玉」と「軟玉」の色合は微妙に異なり、中国人は「軟玉」の色合を好みます)
449 :
学芸員:2006/01/02(月) 14:33:46
「アコヤ貝」は美味ではありませんが、貝柱の干物は古来から食されています。
貝殻は装飾品にされました。現在も「螺鈿」・「蒔絵」の定番素材です。
しかし、飛鳥京・平城京で珍重されても、倭の「真珠」=「白玉」ではありません。
400年以上も隔たりますし、中・古代の中国の「真珠」の概念は申し上げました。
5000枚の「真珠」も、邪馬台国の所在には殆ど意味を持ちません。
邪馬台国は3世紀、「延喜式」は10世紀です。概算で700年の隔たりがあります。
極論ですが、鎌倉時代末期・室町時代初期と現代の「真珠」の生産高は異なります。
中・古代の日本の「真珠」の生産高が一目で解る資料はありませんが、
「宝石・貴金属市場年鑑」を見ると、現在の日本の「真珠」の生産高が解ります。
養殖と天然では雲泥の差ですが、潜在的生産力の目安にはなるでしょう。
但し、伝染症と赤潮で生産高が大幅に増減しますので、最低でも10年分は見て下さい。
都立/道立/府立/県立図書館や宝石・貴金属関連の資料館にある筈です。
「真珠貝」に「真珠」が生じる確率は環境に左右されますが、
中・古代の海は現在より肥沃で澄んでいましたし、寄生虫も多かったようです。
全村人が毎日一個を食す(便宜上、「アワビ」とします)人口1000人の村だと、
一日に2枚は取れるでしょう。人口10万人の国では一日に200枚です。
「東夷伝」に忠実に従うと、「アワビ」を取るのは末盧国のみです。
一戸を5人と仮定し、1000余戸=5000人強が毎日一個の「アワビ」を食すと、
500日弱で5000枚の「鮑玉」が取れます。まるで小学生の算数ですが、
数字上、5000枚の「真珠」を末盧国のみで賄うのも不可能ではありません。
従って、「真珠」では邪馬台国の所在と倭の版図は求められません。
実際に全末盧国民が毎日毎日「アワビ」を食したとは思えませんが、
中・古代の日本の食事は限られたメニューであったと発掘調査で判明しています。
東北〜九州の沿岸では「アワビ」は副食であり、大量に食されています。
日本は現在も「アワビ大国」ですし、乱獲で減少するまで取り放題でした。
説得力に欠けますでしょうか?
450 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 15:01:24
遣隋使派遣の意義とはなんだったのでしょうか。
451 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:59:55
>>449 >1000余戸=5000人強
1戸に5人は、ちょっと多すぎと思うが。
452 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 18:30:14
江戸時代の百姓で約1戸3人
453 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 19:00:14
ベビーブームだったんだろw
>>447 まさしく、徒労です。
ここの多くのユーザは、合理的な検証による意見交換を好みません。
只、ダボラを吹きまくるか、妄想を書き連ねるだけの人が大半です。
正しい指摘であっても、気に入らなければ感情的反発で答えてきます。
地道にまっとうなユーザが増えるのを待つしかないのですが・・・
455 :
太国玉:2006/01/02(月) 19:59:46
「九州で漁獲採掘できない、畿内だとそれが出来る。」とかから結論して、
女王国が畿内にあったことにはならないな。
畿内でしか採れないとしても、中国へ持って行くには、畿内から九州まで搬送して
それから中国へ海運するのが通常じゃぁないかな?
それで女王国が千歩譲って畿内だとしても、そうでなく九州だとしても、どちらに
在っても、畿内からお玉ちゃんを運ぶには九州まで搬送する事はおおむね同じだよ。
畿内に出たのを中国まで搬送することは、畿内説でも九州説でも大差無いんだ。
年始早々ケチョンケチョンだな
どっちとは言わないが。
457 :
聴講生:2006/01/03(火) 02:50:57
>>422の学芸員氏
お忙しいかとは存じますが、お話に有った『東夷伝の植生』についても
専門的見地から詳細を御教授いただけないでしょうか?
この部分について、邪馬台国に多少なりとも見識のある専門家の御意見を
伺える機会は、このスレでは滅多に無いことなのでお願いする次第です。
458 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 09:07:10
454について。
皆さん、専門家コンプレックスなのですね。
459 :
三角@名無史さん:2006/01/03(火) 09:25:03
私は、学芸員さん支持するな。説得力ありますよ。
460 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 09:26:31
>>454 どこの掲示板もまともな人がいないね。
まともな人は、どこの掲示板に集まってるんだろ?
mixiも全然だめだし。
前からこの板はまともなのが来てもあきれ果てて去っていくことの繰り返し
残されたのは行き場のない電波君だけ
研究機関近くの公園の公衆便所みたいなところかな
462 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 10:42:47
たとえば、三角縁神獣鏡にしても、
卑弥呼のもらった鏡か、国産かは関係ないということ。
中国大陸の年号が記された鏡が畿内から出てるという事実が重要。
つまり、大陸と畿内は九州を通じて通商していたという証である。
もし、邪馬台国九州説をとるならば、畿内は「倭の別種」と記されるほど、
九州と畿内は断絶していたことになる。
しかし、三角縁神獣鏡の存在が、それを明確に否定している。
中国大陸の年号が記された三角縁神獣鏡の存在は、
九州と畿内が経済的・政治的に結ばれていたということである。
すると、距離的に、邪馬台国は畿内大和となる。
方位については、中国人の勘違いである。
古地図に、日本が90度倒立して描かれていることがその証拠。
463 :
俺等05772:2006/01/03(火) 11:40:03
464 :
太国:2006/01/03(火) 11:48:27
>>462 確かに断絶は完全にはされていない。だから鏡が畿内から出ることもあるだろう。
しかしそれは断絶はしていないものの女王国が畿内にあったことの十分なる理由
にはなるまい。断絶はしていないが、九州と畿内の交流は少ないのであり、
このため記紀に女王国関係の記述が殆どないのである。女王国が畿内にあれば、
鏡だけでなく記紀に天皇と卑弥呼の交流朝貢戦争等の記事が詳細に魏志倭人伝以上
に多大に載るはずだ。ww だから女王国の所在は九州に間違いはない。
465 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 12:33:00
ってか見つからない邪馬台国は半島にあったんじゃねーの?
これじゃぁーいつまで経ってもみつからねーなwww
466 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 12:51:00
いっそのこと、中国の上海の近くということにしたら。
467 :
太国:2006/01/03(火) 13:04:13
とにかく九州のどこかにあったんですよ。タマちゃんをを中国に運ぶには
畿内であろうと九州であろうと、いったんは九州北岸に来てから海運になるのが常。
逆に中国製の鏡なら、中国から海運で九州北岸へ持ってきてそれから九州のいずれか
か畿内へ搬送するのが通例ですわ。どっち転んでも九州地盤上に物は乗っかる。
468 :
学芸員:2006/01/03(火) 15:25:32
「辰砂釉」に関して平身低頭でお詫び申し上げます。
指摘がありました通り、「辰砂釉」は「炭酸銅(+酸化錫)」でした。
私の発言は忘れて下さい。お願い致します。穴があったら、即行で入りたいです……
宋代・元代の盆などに「辰砂」が「釉薬」として使用されたと記憶していたのですが、
陶工の知人に確認しましたところ、「辰砂釉」ではなく「紫紅釉(の一種)」でした。
(「お前が誤った知識を喧伝してどうする!」と電話で説教されました)
「辰砂釉」を使う陶磁器の産地の近郊で「辰砂」が取れたのは事実ですので、
安心して史料・産地を調べて下さい。元々、「辰砂」が取れる地域は土器類の産地でした。
「焼物」と「辰砂釉」と「辰砂」を絡めて記述した書物があり、混同してしまったようです。
>>462 △鏡は早く見ても三世紀後葉、出土遺蹟の殆どは四世紀以降でしょう。
つまり、初期ヤマト政権の基盤拡大の証では有っても、
スレのテーマ、邪馬台国の所在地論争には直接関係無さそうです。
これは考古学的には畿内説・九州説を問わず常識化しています。
>>463 学芸員氏他の主張は、
1.倭人伝の記述はあくまでも中国人が中国人の定義で行なっており、
後世の日本で真珠や玉をどう定義していたかは関係無いこと。
2.倭人伝の産物は、倭人の地のものであって
邪馬台国の産物ではないと言うことです。
その旨ご理解を。
470 :
学芸員:2006/01/03(火) 16:05:15
戸数に疑問があるようですが、一戸の人数に関しては少なく見積もりました。
地域差がありますが、秦代・漢代の中国の一戸の平均人数は5人であり、その値を採用しました。
三国時代の中国の人口・戸数に関する史料は僅少ですが、
中国の一戸は中・古代を通して1人〜10人ですので、中・古代の中間値も5人になります。
但し、この値には奴婢が含まれていません。実際の中間値は6人〜7人と思われます。
「班田収授法」によると、通常、一戸が25人前後と見られています。
律令制下の日本の一戸の人数は中国の5倍にもなりますが、この値は採用できません。
邪馬台国と「班田収授法」は概算で400年以上隔たりますし、
「班田収授法」の単位の一戸は中国の概念とは異なります。「東夷伝」は中国の史書です。
人口を戸数で表記したのは中国と倭の一戸の人数に大差がなかったためでしょう。
少なくとも、そう考える方が「班田収授法」を基準にするより現実的です。
●漢委奴國王
◇かんのわのなのこくおう
などと読んでるようでは何時の事やら
>俺等05772
真珠でよく頑張った
もうその切り口は塞がれたから
別の切り口で畿内説を示してくれ。
473 :
俺等05772:2006/01/03(火) 18:28:25
>>430 解字は漢字の成り立ちであって、時代や場所には関係ない。
474 :
俺等05772:2006/01/03(火) 18:37:12
>>468 どんまいどんまい。気にしない。もうちょっと調べる必要があるんですが
下記から九州では真珠5000個は無理との結論を導こうと考えています。
海女が潜れる期間を5ヶ月(5〜9月)程度とします。1日にアコヤ貝10個を獲るとすると、
1年に海女が獲るアコヤ貝は 10×30×5=1500個, 仮に3日の内1日は海が荒れて漁が出来
ないとすれば、海女が1人が1年に獲るアコヤ貝は 1500個×2/3=1000個。したがって、獲
れる真珠は1個程度。
5000個の真珠を得るには、延べ人数で、海女 5000人が1年間働く必要があります。実際には
真珠を集めるのに、数年程度(3年位)かかったと想定すると、必要な海女は約 1700人です。
475 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 19:19:42
>>454 >>461 同意、ここもまともな時期はあったのだが
昨年の今頃に老教授が最新の考古資料に基づいた畿内説を紹介したとたん
本当にまともな邪馬台国論者は、九州説も含めてみな去っていった。
まさに終止符を打たれたって感じだな。
残ったのは意地でも認めたくない電波九州説と神武オタ畿内説。
それと完全否定された東遷説が少々。
老教授クラスの論者が登場すれば、少しはまともになるかも知れんが
今の状況じゃ無理だろう。
476 :
179247餘:2006/01/03(火) 19:37:46
477 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 19:39:07
>>469 まほろば氏
第1〜第3様式の三角縁を伴う纏向型前方後円墳は
第2四半期(近藤、北條など)3世紀中葉(石野、寺澤など)の
2説が現在の考古学の主流意見ですよ。
第4様式以降のいわゆる倭製鏡を含むものが、3世紀第4四半期に定型化した
長突円墳(定型前方後円墳)に伴うということで、勢力拡大説には同意しますが。
近畿説はうそつきばかり
479 :
俺等05772:2006/01/03(火) 19:52:06
>>468 どんまいどんまい。気にしない。もうちょっと調べる必要があるんですが
下記からでは畿内では真珠5000個は無理との結論を導こうと考えています。
海女が潜れる期間を5ヶ月(5〜9月)程度とします。1日にアコヤ貝10個を獲るとすると、
1年に海女が獲るアコヤ貝は 10×30×5=1500個, 仮に3日の内1日は海が荒れて漁が出来
ないとすれば、海女が1人が1年に獲るアコヤ貝は 1500個×2/3=1000個。したがって、獲
れる真珠は1個程度。
5000個の真珠を得るには、延べ人数で、海女 5000人が1年間働く必要があります。実際には
真珠を集めるのに、数年程度(3年位)かかったと想定すると、必要な海女は約 1700人です。
480 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 19:57:36
こういうふうに具体的なデータと出典を明らかにすると
もう反論の余地がなくなって、
>>478みたいにファビょるのが
今残っている九州説なんだよなあ、情けない。
ちゃんとした意見交換や疑問、質問をそれなりの態度で書き込んでくれるのなら
俺も相応の態度で臨むのだがな。
ただ俺、老教授ほど人格者じゃないからなw
482 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:08:56
>>479 もう諦めろよ。君の知識は穴が多い。
>海女が潜れる期間を5ヶ月(5〜9月)程度とします。
海女は、冬でも漁に出るよ。
荒れた海は休むだろうけど。
年間300日は潜るだろうね。
>1日にアコヤ貝10個
いくらなんでも、アコヤ貝は絶滅危惧種ではないよ。
50個は採れるだろう。
1年に海女が獲るアコヤ貝は、50×300=15000個
真珠は15個
5000個の真珠を得るには、300〜400人の海人が居れば良い。
海沿いの村から集めれば、北九州一帯だけでまかなえる。
179247餘
この文字を見て無反応が、今の現状
484 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:26:44
>>481 本当に情けないよ、2行目読んだのか?
あんた石野、寺澤、近藤、北條で意味が判らんのか?
釣りにしても下手糞すぎる。
485 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:49:58
もう邪馬台国の事なんかどーでもいいだろw
考えるだけ時間の無駄だよw
いくら考えたって答えなんか出ないさw
486 :
三角@名無史さん:2006/01/03(火) 20:52:21
近畿で出土する鏡は、形状で作成地、年代決めていいものだろうか?
交易の記録がない以上、後世の捏造鏡とみるのが妥当。考古学者は、
現物重視すぎる。少なくとも魏志の南を東に変えるのは、逆である。
487 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:23:44
>>486 形状っつーか、形式もしくは様式ね。
これはあなたの言うとおりそれだけでは作成地も年代も
相対的な位置付けしか出来ない。
しかし現代では複数のサンプルによる成分分析比率も判明している。
ソースは「スプリング8」で検索してみるといい。それと
>交易の記録がない
これはほとんどのモノが無いよw
玉や絹、鏡のように目立つものばかりに目を奪われてはいけない。ついでに
>魏志の南を東に変える
これは誤字やら誤写だと解釈した、既に死亡した「古い畿内説」についての指摘ですか?
それとも90年代以降の考古学と文献史学の両者が期せずしてたどり着いた
現代の畿内説についての批判ですか?
前者なら論外ですが、後者なら論拠を述べてください。
その内容によっては、こちらも長文になりますがうpします。
488 :
本田:2006/01/03(火) 21:24:23
>>475 >
>>454 >>461 > 同意、ここもまともな時期はあったのだが
> 昨年の今頃に老教授が最新の考古資料に基づいた畿内説を紹介したとたん
> 本当にまともな邪馬台国論者は、九州説も含めてみな去っていった。
> まさに終止符を打たれたって感じだな。
いや、老教授自身は、畿内説ではなかった。
畿内説には、一応触れただけだと思うよ。
489 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:31:44
>本田氏
どう縦読みしても畿内説でしたよw
しかも柳田、寺澤ラインというより
どちらかというと広瀬、山尾ラインでの外部主導説でしょう。
490 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:32:30
邪馬台国なんて無かったのさw
チンジュの妄想だよw
結局進歩のない議論の繰り返し、話題性も限られた範囲のワンパターン
老教授の復活を望むは、己の未熟を晒すだけ
大将がいなけりゃ何も出来ない、磯巾着 w
>>484 >あんた石野、寺澤、近藤、北條で意味が判らんのか?
分からんね。出典出せ、ほら。うそつき君。
そもそも、第○【様式】の三角縁なんて、聞いたことすらないしな。
493 :
学芸員:2006/01/03(火) 22:00:42
聴講生さん(?)へ申し上げます。
残念ながら、私は「邪馬台国に見識のある専門家」ではありません。
「中・古代の日本と大陸の物流(主に宝石)を研究する半人前流通学者」です。
必要に迫られて史学・考古学も齧りましたが、専門的な知識はありません。
兄(半人前植物学者)も帰省中で意見を得られましたので、
倭の植生を畿内と九州で対比しました。私の感覚より正確性があるでしょう。
弥生時代の平均気温は現在より1℃は低かったという学説が主流ですから、
それに従って植生の北限を狭めました。あくまでも、目安です。
(氷河期と現在の平均気温の差は約4℃です。1℃の差は植生に影響を与えます)
考古学的見地ではなく植物学的見地ですが、出土品も考慮しました。
魚介類・動物・鉱物などは通説を採用しました。
簡略化するため、交易は考慮せず、対象は現地に限定しました。
(◎→確実、○→確実性がある、△→確実性を欠く、×→確実性がない)
494 :
学芸員:2006/01/03(火) 22:04:28
禾稲(稲)/畿内◎、九州◎
蛤(蛤)/畿内◎、九州◎
木緜・緜衣(楮)/畿内△、九州◎ ※綿の流入は8世紀とされるので、楮とします
紵麻・細紵(苧麻)/畿内○、九州◎ ※山陰・山陽までは◎
蚕桑・絹織物・倭錦・絳青糸+兼・帛布・異文雑錦(=絹)/畿内×、九州◎
綿織物(?) ※大麻の場合は畿内○、九州◎/蕁麻の場合も畿内○、九州◎
竹箭(竹全般)/畿内△、九州◎
鉄鏃(鉄)/畿内△、九州◎
骨鏃(骨角器)/畿内◎、九州◎
朱丹(赤土)/畿内◎、九州◎
蝨(虱)/畿内◎、九州◎
真珠(前述)/畿内◎、九州◎
青玉(前述)/畿内×、九州◎ ※畿内で「ヒスイ」は取れません
丹(前述)/畿内◎、九州◎
495 :
学芸員:2006/01/03(火) 22:05:56
木+冉(椨)/畿内△、九州◎ ※他の樹木の可能性もあります
杼(枹)/畿内△、九州◎ ※橡の場合は畿内△、九州△
豫樟(樟)/畿内△、九州◎
木+柔(木瓜)/畿内○、九州◎ ※草木瓜の場合も畿内○、九州◎
櫪(櫟)/畿内○、九州◎
投(誤字?) ※判断できません
橿(樫)/畿内△、九州◎
烏号(山桑)/畿内○、九州◎ ※針桑の場合、畿内△、九州○
楓香(楓)/畿内○、九州◎
竹・篠(笹)/畿内◎、九州◎
竹・幹(矢篠)/畿内△、九州◎
竹・桃支(棕櫚?) ※判断できません
薑(生姜)/畿内△、九州○ ※自生と思われるので、根生姜を基準とします
橘(橘)/畿内△、九州◎ ※小蜜柑の場合も畿内△、九州◎
椒(山椒)/畿内○、九州○
茗荷(茗荷)/畿内○、九州◎
大猴(大猿?) ※判断できません
黒雉(雉)/畿内◎、九州◎
白珠(真珠・前述) ※判断できません
496 :
学芸員:2006/01/03(火) 22:12:58
補足しますと、「白珠」は「白の真珠」と思われますが、「白玉」とは限りません。
日本産の「鮑玉」は薔薇色系の白(「白玉」に近似)が過半です。
(「鮑玉」は青緑色系が過半を占めますが、日本産は例外的に白が多く生じます)
伊勢の海人朝な夕なに潜つぐ鮑の片想にして ※うろ覚え
伊勢の海人の島津が鮑玉取りて後も恋の繋けむ ※うろ覚え
「万葉集」の有名な歌ですが、「鮑玉」を「魅力的な女性(美女)」に見立てています。
飛鳥時代・奈良時代の日本では「鮑玉」=「薔薇色系の白」の認識がありました。
(青緑色系では「魅力的な女性(美女)」は無理があるでしょう)
「白玉」=「アコヤ貝」が通説ですが、実際の区別は曖昧で異説もあります。
近江の海沈く白玉知らずして恋ひせしより今こそ益れ ※うろ覚え
これも「万葉集」の歌です。琵琶湖産の非球形の「淡水真珠(イケチョウ貝)」も「白玉」です。
中・古代の日本人の感覚も「光沢」=「タマ」=「珠」=「玉」であった一例です。
497 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:17:52
>>492 もしかして、○【形式】、×【様式】って言いたいわけなの?
情けない、心のそこから情けないわw
聞きかじりの誤った知識で語るのはここらでやめてくれw
突っ込み入れれば入れるほど、君はぼろがでるのだからw
腹痛いwww
アンタ、前に考古板で様式と形式の違いを答えられなかった痛い子ですか?
>>497 ほれほれ。結局、出典出せないんだろ。うそつき君。
よい子のみんなは、
>>477信じちゃ駄目ですよ。徹頭徹尾嘘ですからね。
>○【形式】
恥の上塗りとはこのこと。だれが三角縁を第○【形式】と書いてるのかな?
499 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:41:57
だーかーらー邪馬台国なんか無かったんだってばーw
500 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/03(火) 22:54:34
501 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:56:42
>>499 朝鮮人にしてみれば自分達の歴史が無い時代に日本に歴史があったら悔しいのだろ?
502 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:05:00
>>498 本当にみっともないですなあ、あんたは。
まあ、付き合ってる俺も酔狂なのは確かだけどw
「初期古墳と大和の考古学」石野博信【編】学生社
「大和・纒向遺跡」石野博信【編】学生社
「古墳時代像を見なおす : 成立過程と社会変革」北條芳隆,溝口孝司, 村上恭通 青木書店
「遺跡・遺構 (考古資料大観 ; 10 . 弥生・古墳時代)」寺沢薫編 小学館
それと近藤義郎氏は年代修正後の著書がもうすぐ出るので、これを薦めておこう。
「発掘五〇年 」近藤義郎 河出書房新社
さて、もう付き合いきれんのでここまで。
上記5冊は文献重視の論者も、最新の考古学のデータベースとして利用されると便利ですよ。
あ、もしかして今度は「そんなこと書いていない」などの超嘘吐き攻撃でくるかなw
それとも得意のはぐらかしの波状攻撃かww
>>502 うそつき君はあいかわらず見苦しいなぁ。
無関係なものをひたすら並べてごまかそうとする。
>第1〜第3様式の三角縁を伴う纏向型前方後円墳は
が何頁に書いてあるか指定してごらん。
最初の三つは手元にあるから確認してやるよ。
それから、その前に、『第1〜第3様式の三角縁』とはなにを指すのか、
明確にしておくれ。こんな分類をしている研究者は誰もいないのでね。
そりゃあプラムは良いよなあ。
どれほど最新の研究成果や論文が出ても
見えない振り聞こえない振りして、妄想に浸ってれば良いんだから。
40歳過ぎの痛いおっさんって、みんなこんなのなのかなあ。
505 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:56:37
邪馬台国なんか無かったの!w解ったか!w
506 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:02:54
いや四国にありましたよ。
507 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:11:55
ハワイだよw
508 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:13:18
いつも思うんだけど
畿内説が破綻した直後に必ず「無かった説」を喚く人間が出るんだけど
何か相関関係があるんですかね。
509 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:17:48
考古学界では、一貫して畿内大和を邪馬台国とし、
証拠も次々に挙がっているのに対し、
文献派は、やれ北九州だ宇佐だ四国だハワイだと、
まるで一貫性が無い。
510 :
聴講生:2006/01/04(水) 00:39:20
>>493 学芸員氏&御兄様、御多用中のところお手数をかけ恐縮です。
頂きましたレスは、今後の参考にさせていただきます。
ただ、『倭人伝の植生』が、何時頃のどの地域を語ったものなのかを確定するのは、
これまた困難なことでもあります。
漢代、公孫時代、魏朝期なのか?九州なのか畿内やその他の地域なのかですね。
学芸員氏レス中の九州及び畿内とは、
それぞれ西北九州及び畿内内陸のことと思われますが、
時間軸としては「弥生全般」を想定していられるのでしょうか?
レス中にもありましたが、弥生時代の平均気温、
これについて、後期以降に顕著な低温化があったと言う仮説があります。
この低温化が、農業生産を中心に社会構造全体の変革を呼び起こし、
古墳時代型社会誕生の原因の一つとなったと考えています。
多分、多くの方も同様の考えだと思います。
近畿説のうそつき君は、証拠があげられずに逃げましたな。
というわけで、
>>477が口からでまかせであることで決着しました。
よい子のみんなは、くれぐれも
>>477を信じないように。嘘ですから。
>>477 『三角縁を伴う纏向型前方後円墳』の定義がわかりません。
布留0併行期の三角縁があるのは事実ですが、それを三世紀前半にもってくるのはどうかと思います。
「どうかと思います」は言いすぎですね。
まあ、「寺澤や北條の考えとは一致しない」くらいにしときます。
514 :
学芸員:2006/01/04(水) 01:03:07
聴講生さんへ回答致します。
気温に関しては弥生時代全体の平均が1℃と見られています。
それ以上の確実性のある細分化は不可能なのが気象学・考古学の現状です。
畿内は畿内全体、九州は九州全体で考察しました。
有料であれば学術的に考察すると兄が申しております。(酒が入っていますが……)
前述しましたが、「東夷伝」の植生はリアル(魏代・晋代)でしょう。
実際に見た事柄で原資料が存在したと思われるためです。
515 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:14:53
沖縄に決まってるさw
>>513 「寺澤や北條」は三角縁を副葬する古墳を「三世紀前半にもってくる」ような
たわけたことは言ってないから大丈夫です。
517 :
聴講生:2006/01/04(水) 01:18:45
>>514 ご丁重な再説明ありがとうございます。
今度、どこかの居酒屋で三世紀の倭の地の植生について
口角泡を飛ばして弁舌しているオヤジを見かけたら、それは多分、私です。
お声をかけていただければ、旨い酒を奢ら(講釈抜きで)させていただきます。
お兄様にも良しなにお伝え下さいw
「近畿説」って呼んでる奴が一人いるなw
519 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:21:52
ジャマイカだよw
520 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:31:53
521 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:49:48
卑弥呼はアイヌの王様w
522 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 02:56:18
邪馬台国も無かったし(w
卑弥呼もい無かったんだからね(w
わかったら無だな議論は止めな(w
523 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 03:15:53
>>462 三角鏡は、コピーの可能性がある。
それよりも確実なのは「画文帯神獣鏡」。
実は、卑弥呼がもらった鏡として、こちらのほうが有力視されている。
ホケノ山古墳から、完全な形で出土した画文帯神獣鏡は、
後漢末に流行した鏡とされ、二世紀末から三世紀初めのものとされる。
画文帯神獣鏡をもらった畿内勢力が、邪馬台国と考えるしかない。
524 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 04:20:56
だから四国だって言ってるじゃんw
525 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/01/04(水) 04:36:14
>>学芸員さん
3〜7世紀の寒冷期は仮説ではなく、実際に気温は現在より約−1℃ですから、
植生からのデーターは九州説を間違いなく裏付けていますね。
この気温の低下が食料事情(経済)を変化させ、社会構造を変え、古墳文化勢力を台頭させ、
そして気温上昇が滅ぼしていったんですね。
7世紀の山茶花北限について関心を持っていたのですが、
学芸員さんの植生論は良い勉強になりました。
526 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 05:51:52
学芸員さん 大好きさん 応援age
527 :
三角@名無史さん:2006/01/04(水) 06:17:24
いろいろ
523さん その鏡が捏造品でなく中国から来たとどうしてわかるのです?
ここらへんが、考古学の人の基本的あやまりです。形式か様式かしらない
が、それで分類するから、まちがえるのですよ。後世の捏造品とすれば
うまく説明できる。魏志が東なら、中国製と認めますが。そもそも
考古学知識、古事記、日本書紀をおいて魏志で論ずべきスレのはずなのに
考古学の成果に合うよう魏志を改ざんするのは???
魏志の南に読んで、矛盾なく邪馬台国は、比定出来るのになぜ、東に
変えるか不思議だ。
北九州、畿内 ともに今は使われない言葉です。北部九州、近畿説と
いいます。ここらへんの説明は19ならおわってるはず。
528 :
三角@名無史さん:2006/01/04(水) 06:23:43
書き忘れた。山口大の山本武夫(?)先生は、邪馬台国の時代は、小氷河期
でクルミが北部九州では無理で南部九州とし、邪馬台国を宮崎あたりに
されてた記憶がある。クルミはともかく気温は低いとおっしゃる先生が
他にいらしたことは事実。
529 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 07:04:31
いつからどうして「近畿説」って呼ばれるようになったの?
>>527は古代史より先にまず日本語を学ぼうな
その後で文献の検証の仕方を基本からきちんと勉強しよう。
できれば文献史学における邪馬台国論争史も覚えておいたほうがいい。
もう30年以上も前にこういう結論が出ている。
「魏志や記紀をはじめとする現存史料では、邪馬台国の位置は分からない」
自分だけが特別な存在で、誰にも解けなかった謎を見事に解き明かすなどという
思い上がり以外の何物でもない妄想は捨てたほうがいい。
>>527 コテになったり、名無しになったり忙しいヤツだなw
オマエ、歴史の勉強も好いが、国語の勉強もした方が好いぞ。
532 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/04(水) 07:47:09
未だ三世紀の攻防線を繰り返しているの?
邪馬臺國は紀元前二世紀後半から存在する地域(これは妄想ではなく史実だ…後漢書参照)
邪馬臺國にとって三世紀は、単なる一時代
一時代にこだわる議論は虚しい作業
邪馬臺國は『列島の極南界』地域だ
533 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 08:08:44
>>532 はぁ?
倭国大乱の後、卑弥呼共立で邪馬台国ができたんだろが。
基本からやりなおせ。
534 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 08:09:10
「魏志や記紀をはじめとする現存資料では、邪馬台国の位置はわからない」
自分がわからなかったからといって、かってに決めつけないで欲しいものですね。邪馬台国は今から14年前に
、佐賀県小城市甘木に発見されています。
>>533 >倭国大乱の後、卑弥呼共立で邪馬台国が
ハァ?
そんな史実何処にも有りませんが!
もう少し学習し、参加されたし 君のレベルでは未だ敷居が高いよ!
ガンバレ
536 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/04(水) 08:48:24
>>483さん
『179247餘』
意味解りますよ!
(イナクニヨナ餘)ですか?
まだまだ未熟で完全では有りませんから
私には触れる事の出来ない世界ですが
サガミさん
邪馬臺國は、列島の極南界ですよ!
決してピンポイントでは有りません。
537 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 08:57:23
やまたいこく・・・やまたいくに・・・やはたんくに・・・八幡の国・・・八幡
538 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 09:03:38
厳密にいえば、倭奴国が極南界です。
プラムさんは倭奴国=邪馬台国、説ですか。だとすれば私と同じ考えですね。
539 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 09:17:27
宇佐厨もがんばれ。
540 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/04(水) 09:20:58
サガミさん
もっと細かく言えば
倭奴国は邪馬臺地方の一部と考えます。
邪馬臺國は、現在で言う(…地方)ではないでしょうか?
541 :
大和@名無史さん:2006/01/04(水) 09:43:29
学芸員さん。お訊ねいたします。
>>493『氷河期と現在の平均気温の差は約4℃です。1℃の差は植生に影響を与えます』
>>495『橿(樫)/畿内△、九州◎』
動物考古学10号記載
縄文後期後葉の貯蔵穴の遺物から、滋賀県穴太遺跡でイチイガシの根株。山口県岩田遺
跡でイチイガシの実。岡山県南方前池遺跡でイチイガシの実。後期前葉で福岡県野多目
括渡遺跡でイチイガシの実。がそれぞれ検出されております。
地層の知識・第4期を探る記載
縄文後期後葉は今から5〜6千年前でしょうか、当時は現在の気温より高めに推移し、
晩期から減暖し弥生・古墳中期がご指摘の現在より-1℃の期間に当てはまるのでしょう
か。作図によりますと後期後葉の照葉樹林帯は関東から新潟の辺りまで広がっておりま
す。
>それに従って植生の北限を狭めました。
と云うほど照葉樹林帯が大幅に後退したのでしょうか。疑問です。
542 :
大和@名無史さん:2006/01/04(水) 09:45:59
学芸員さん。お訊ねいたします。
>>494『青玉(前述)/畿内×、九州◎ ※畿内で「ヒスイ」は取れません』
1)日本歴史地図記載
硬玉原産地は、新潟県糸魚川市周辺を主産地として、鳥取県若桜・兵庫県加保・長崎県
西彼杵半島にも存在し、長崎産硬玉(長崎ヒスイ)が九州地方出土硬玉製品の素材に供
されたとする予測もあるが、今後・・・。とあります。
2)ものづくりの考古学記載
日本全国で現在11箇所の翡翠の原産地がありますが、使われたのは新潟県と富山県の
県境で産出されたもののみのようです。しかし私が見た長崎県産のものには、新潟・富
山県産に優るとも劣らない素晴らしい翡翠がありました。ところが、これについては採
取していませんでした。理由は長くなりますのでここでは省略いたします。とあります。
3)古代九州記載
三雲・井原遺跡の北方約4kmに位置する潤地頭給遺跡で、弥生時代終末期〜古墳時代初
頭の碧玉・水晶製玉類の成作工房が確認された。・・・碧玉は北部九州には産出せず、
製作技法も山陰地方のものに近い事から、伊都国との通交に応じた山陰の玉作り工人が
関与したものであろう。とあります。
九州◎の根拠を希望いたします。
543 :
大和@名無史さん:2006/01/04(水) 09:50:04
学芸員さん。お訊ねいたします。
>>494『木緜・緜衣(楮)/畿内△、九州◎ ※綿の流入は8世紀とされるので楮とします』
『蚕桑・絹織物・倭錦・絳青糸+兼・帛布・異文雑錦(=絹)/畿内×、九州◎ 』
佐伯有清著『魏志倭人伝を読む』記載
「緜」は「まわた」のこと。『急就篇』の顔師古の注に、「繭を漬け之を擘(さ)く。
精なる者を緜と為し、麤(そ)なる者を絮(じょ・ワタ)と為す」。とあります。
顔師古は唐代の人だから、「緜」は「まわた」で宜しいのでは。又、畿内のいたるとこ
ろで紡錘車形石製品が出土しております。織物文化があったととしても宜しいかと。
>>494『竹箭(竹全般)/畿内△、九州◎ 』
『鉄鏃(鉄)/畿内△、九州◎ 』
孟宗竹を除く竹類。はっきり知りませんがいたるところに自生しております。
鉄鏃は桜井茶臼山ほか数多くあります。
△の根拠を希望いたします。
一度では駄目でしたので3分割いたしました宜しくお願いいたします。
544 :
16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2006/01/04(水) 11:54:28
株じゃ儲からないようですね・・
残念です。ネトゲーでもしますか。
単純に考えて、3世紀の時点で
畿内が九州をコントロールできてはいなかったでしょう。
北九州一体が邪馬台国連合と考えるべきでしょう。
>>544 >畿内が九州をコントール
後に九州勢力が出雲を支配し畿内へ
546 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 13:05:08
同意見です。その時期はAD40年ごろだとわたしはみていますが(AD57年には委奴国による平定は終わっていた)、プラムさんは、年代はいつごろとお考えでしょうか?
547 :
太国:2006/01/04(水) 13:33:21
>>483 そのい数字は天孫降臨の年月の起源のことですよ。プラムさんわかりましたか?
わが国は天孫降臨以来 179万247余歳 の年月が経過しているという数字ですな。
548 :
太国:2006/01/04(水) 13:34:20
誤 そのい数字 正 その数字 あいすみません。
549 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 13:36:22
>>544>株じゃ儲からないようですね・・
なんでそうおもった?漏れしようとおもってたんだが、
まあ遊び半分でな。
550 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 13:41:06
地味に毎日働くか、あるいは一攫千金か破産かの大ばくちかしかないよ。
どっち選ぶかじゃないの。
551 :
学芸員:2006/01/04(水) 13:47:13
大和@名無史さん(?)へ申し上げます。
兄が根城に戻りましたので、受売り(又聞き)の範囲の知識になりますが、回答致します。
変動がありますが、縄文時代の平均気温は現在より1℃〜2℃高かったと目されています。
(つまり、弥生時代より2℃〜3℃高くなります)
通説では縄文時代後期〜晩期は紀元前2000年〜紀元前400年ですので、
邪馬台国とは概算で650年以上隔たります。植生が変化するのに充分な時間です。
物証と史料が僅少ですので、植生の変化も少なく見積もりました。
日本の古生物学の研究は小規模ですが、中国では活発です。
1℃〜3℃でどの程度変化するか、「中国古生物学会」の発行物を参考にされると宜しいでしょう。
中国語の学術書ですが、辞書と根気があれば読解できます。(国立図書館には確実にあります)
「日本植物学会」の学会図書に各国の英論文もありますが、部外者の閲覧は不可能(兄談)ですので、
興味があるようでしたら、学会の特別講演を聴講して疑問点を質問するのが近道です。
また、イチガシもブナ科の常緑樹ですが、「東夷伝」の「橿」はコナラ属の「カシ」と思われます。
アカガシ・シラカシなどの日本自生種で暖地に生息します。
イチガシは巨大になりますので、中国語では単なる「橿」ではなかったと記憶しています。
(申し訳ありませんが、記憶に自信が持てませんので、ご自身で調べて下さい)
「東夷伝」に記述された倭の植生は常緑広葉樹と落葉広葉樹の照葉樹林=暖温帯です。
対比に使用した記号を確率にしますと、◎→100%、○→75%、△→50%、×→25% です。
確率上、畿内が倭の植生を充たすと考えるのは無理があるでしょう。
植生に特化すると、倭の風土は台湾に酷似しています。南方的で九州が北限と推察されます。
尤も、兄と私の知識・感覚が基盤ですので、断言はできません。あくまでもあくまでも、目安です。
蛇足ですが、博多湾周辺に限定した場合、日本海の影響が強く、一部、倭の風土に適合しません。
大阪平野を除くと、畿内の確率は下がります。奈良盆地に限定した場合、更に下がります。
552 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/04(水) 13:49:20
サガミさん
>その時期
とは、九州勢力が出雲へ
の、時期でしょうか?
それなら
早くて三世紀末〜だと考えます。
倭奴國ですが
AD57年に(大夫)と称し朝見している所を見ると
この時期には、九州地域は邪馬臺(三十国)体制も確立し、安定期と見られます。
AD107年の倭国王帥升(朝見失敗)は、出雲の出自でBC108年以前列島を支配していた(大国主一族?)末裔ではないでしょうか?
(AD107年時は、本州(倭〔面〕国)王)
紀元前二世紀後半以降の列島は、大きな勢力が二つ存在していた。
553 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/04(水) 14:02:55
>>547 太国さん
流石ですね!
私も、あの数字を見て…
やはり『日本書紀』には何かありますね!
今後の展開が楽しみです。
554 :
大和@名無史さん:2006/01/04(水) 15:52:57
>>561さん、ご返事ありがとうございます。
翡翠・絹・鉄族のご返事も宜しくお願いいたします。
>1℃〜3℃でどの程度変化するか、「中国古生物学会」の発行物を参考にされると宜しい
でしょう。
ありがとうございます。
なんとか日本語で日本の書籍で日本の環境下の勉強をしたいと思います。
>邪馬台国とは概算で650年以上隔たります。植生が変化するのに充分な時間です。
年月を経るほどに植生が変ることは賛成です。
しかしながら、魏志倭人伝に見る植生の多くが現在でも近畿以西に存在しております。
何が生き延び、なにが絶滅したか存じないのですが、ご提示された
>>494-495を見る限り
絶滅種はないように思われます。
イチイガシ、ぶな科の常葉樹とのこと。今でも里山や公開空き地で十分目にする一般的な
落葉樹です。また世界遺産の一つ、青森県白神山地はぶな林が世界遺産の対象物とか。
BC3000年ごろに本州の中・低地、少なくとも近畿以西で確実に植生しておりましたイチイ
ガシを本州のみ紀元前後に絶滅させ、その2000年後の今日、同じ種族が近畿・関東を通り
越し青森白神山地まで植生を延ばしている。その間の温度変化が高温2℃(確実なところ
は不明)、低温1℃、古墳中期から現在値とされる。退殖曲線より増殖傾向曲線と思いま
すが。
>対比に使用した記号を確率にしますと、◎→100%、○→75%、△→50%、×→25%です。
(◎→確実、○→確実性がある、△→確実性を欠く、×→確実性がない)に比べるとトー
ンダウンしてませんか?。この比率記号はどなたかのご批評を仰いだものですか。
555 :
学芸員:2006/01/04(水) 15:57:09
1)
「長崎ヒスイ」は「軟玉」です。執筆者はどなたでしょうか? 頭痛が……
また、大屋(兵庫)と大佐(岡山)は畿内に含まれませんので、除外しました。(区分は山陰です)
余談ですが、現在はほんの少し、九州でも「硬玉」が取れます。(雀の涙程度です)
2)
複雑な背景がありますが、強引に要約すれば三重(長崎)の「ヒスイ」は神聖なものでした。
全く採取しなかった訳ではなく、地元の伝承によると、なんらかの「宝物」に使用されたようです。
九州の外へは流出しませんでしたが、それなりの数はあったと思われます。
これに関して調査しようとしたのですが、邪馬台国論争と古神道(宗教)の関係で断念しました。
非公式に「長崎ヒスイ」とされる勾玉が複数ありますが、所有者(民間組織)が鑑定させてくれません。
詳細(年代・産地など)が判明すると、不都合が生じるためです。
古代の「長崎ヒスイ」は「GRAY ZONE」です。手が出せません。
背景の説明が長くなるのも事実ですが、他の理由で語れません。頭を悩ませましたが、これが精一杯です。
(今までの発言を見る人が見たなら、私がどこの誰か解ってしまうでしょう)
邪馬台国論争に対して苦言を呈したのはこういった事情があるためです。ご了承頂きたく存じます。
只、個人レベルでの探究は可能です。現地で北/南九十九島・西彼杵半島・島原半島の伝承を調べて下さい。
これも余談ですが、雪浦(長崎)で「ヒスイ」に近似した緑色岩(比重3.0未満)が取れます。
奇妙なことに南九州で加工され、山陰/瀬戸内海/四国を経て北陸まで伝播しました。
556 :
学芸員:2006/01/04(水) 16:01:37
3)
これも執筆者はどなたでしょうか? 確実な線でも、縄文時代晩期には北九州で加工されています。
簡易な技術は山陰にもありましたが、高度な技術は北九州が発信地でした。
近年、大型加速器(SPring−8)での出土品の産地分析が積極的に行われ、
朝鮮半島で加工されたと見られる北陸・山陰原産の碧玉もあります。
古代の日本の碧玉の流通は興味深く、語り始めると止まりませんが、大多数の方は共感してくれませんので、
「石川考古学研究会」の発行物か藁科哲男氏の著作を参考にして下さい。(公共の場ですから……)
嘘八百とは申しませんが、巷の一般書の中には誤った知識も記述されています。
然るべき研究者・研究機関の書物を中心に読まれることをお勧め致します。
557 :
学芸員:2006/01/04(水) 16:22:39
「紡錘車」は門外漢ですが、中・古代日本の繊維に関しては布目順郎教授の秀抜な研究があります。
古代繊維の第一人者ですので、著書をご覧になって下さい。大抵の図書館にあるでしょう。
私の中途半端な知識よりも、教授の著書の一文には(万倍の)説得力がある筈です。
尚、「真綿」は「屑繭(絹)」であり、「真綿」とすると、畿内は「×」になります。
竹(全般)は箭(矢)に使用されるであろうものに特化しました。(小竹系は無理があるでしょう)
本来、竹は南方に自生し、純粋な植物学的見地では「×」(九州で「○」か「△」)になりそうですが、
日本は数々の種の(例外的な)北限地ですので、それを考慮して「△」にしました。
558 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 18:45:07
三世紀末ですと、ヤマト朝廷が九州へその勢力を伸ばしている時期で九州勢力は対抗できずにガタガタの頃ですよ。
559 :
学芸員:2006/01/04(水) 19:10:18
日本のブナ林は日本海側と太平洋側に大別され、構造や動態に差異があると記憶しています。
それ以上の知識はありませんが、中国語の「ブナ」は「橿」ではありません。
絶滅種は私も解りませんが、植生は「目につくほど自生していたか」を基本としました。
他にも動植物は存在した筈です。しかし、「東夷伝」に記述された動植物は限られています。
「×」や「△」も全くなかったとは思えません。蓋然性による考察とお考え下さい。
鉄鏃(鉄)も同様に「目につくほど使用していたか」を基本としました。
広島大学の各「考古論集」に収録された鉄器関係の論文を考拠にしましたが、実物が手元になく、
元々、鉄器以外の論文が目当てで購入しましたので、記憶によるところが大であることは否めません。
私の知識の範囲では「△」ですが、最新の考古学資料と比較して甚だ正確性を欠くでしょう。
兄が確率で植生を対比したのですが、解りやすくするため、私が言葉に置換しました。
語感が違うようでしたら、確率を目安にして下さい。くどいようですが、大雑把な目安ですし、
私の知識にも多分に穴がありますので、決して鵜呑みにせず、情報収集の入口程度に留めて下さい。
560 :
学芸員:2006/01/04(水) 19:12:55
長々と語りましたが、要点は「○○で邪馬台国の所在が解る」の類の発言を控えて頂きたいということです。
そのような認識が広まりますと、被害を被る研究者が必ず出ます。
畿内派も九州派も、史学派も考古学派も、主観を捨てて協力し、建設的に論じて頂きたく存じます。
畿内を示すもの、九州を示すもの、他を示すもの、様々なものがあるでしょう。
それらを関連づけ、或は関連から除外し、大局的・客観的な視点で研究したなら、
邪馬台国の所在は解らずとも、当時の日本の姿が詳らかになり、発掘調査で裏付を得られると考えております。
邪馬台国論争に関しては在野の歴史愛好家の見解が世間に浸透することもありますし、
泥沼化した現状を打破するのは非学閥の論者の方々の「波」でしょう。
理想論ですが、異説の否定ではなく考察、各派の対立ではなく協調が発見に繋がる筈です。
身勝手な主張であることは承知の上ですが、この場を借りて申し上げます。
561 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 19:14:44
学芸員さん応援age
562 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:15:38
ムー大陸だってw
563 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:24:08
初心者ですが定説では裸国と黒歯国は何処だと考えられているのですか?
564 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:28:05
アラスカ辺りだろw
現在の緯度は九州、畿内ともに同緯度程度ですが、
当時のはどうだったのでしょうか?
たしか地軸って動くのでしょう???
北極の位置が同じなら緯度は変わりませんが、
極が移動すれば緯度は変わりますね!
学芸員のお姉さん、おねがいします!!!
566 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 21:10:29
学芸員にわかるわけないだろ、そんなこと。。
567 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 21:24:46
まったくだw
568 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 21:31:22
学芸員さんへお願いします。
>畿内派も九州派も、史学派も考古学派も、主観を捨てて協力し、建設的に論じて頂きたく存じます。
私も、まったく同意権です。
このスレで議論しても、らちがあかないでしょう。
このスレには、主観で妄想を広げている人しかいません。
巷の安い本を聞きかじって、狭い認識の中で反芻してるだけで、
この1,2年、何の発展もありませんでした。
まともに邪馬台国の所在地を考えている人は、もう議論には参加していません。
冷めた目で生暖かく流し読みしているだけです。
でも、私のように、このスレを時々は覗いてみて、老教授さんや学芸員さんなどの、
見識のある方が訪れることを期待してる人もいます。
ぜひ、お力をお貸しください。
>「石川考古学研究会」の発行物か藁科哲男氏の著作を参考にして下さい。(公共の場ですから……)
一般人ですと、書店で並べられてる本しか目にする機会がありません。
また、良書ほど、書店では手に入りにくいという実情もあります。
どうか、著書名・出版社名も、あわせて、参考になる本を教えてください。
569 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 22:40:43
ちんじゅの、も・う・そ・う。
なんだからね。
>>569 デムパじゃないレスが入るのが、そんなに気に喰わないのかw
571 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 22:52:00
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww(w
スレの流れが実証主義に傾くと
>>571みたいなのが増えるのは事実。
それと呼応して、某コテハン名のレスが減少するのも不思議w
573 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/04(水) 23:18:55
>>572 俺のこと?
アハハ!
今、西に向かって移動中!ソロソロ、小田原通過だよ
…ゆめ… より
574 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 23:27:55
卑弥呼はマオリ族の族長だったの!
575 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 23:32:31
台湾だよw
576 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:19:22
卑弥呼は、神宮皇后です。間違いありません。
577 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:23:43
神功が卑弥呼か豊なのは確定だろう。
風土記は筑前筑後、豊前豊後は焼失してしまっているが
それと整合性持たせるように書かれていたんと思う。
これらの風土記が残っているなら同様の事が記述されていた
はず。
578 :
太国:2006/01/05(木) 00:23:48
間違いです。
579 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:28:19
宇佐=東に従う
580 :
三角@名無史さん:2006/01/05(木) 00:52:37
大型加速器で、産地わかるの?近畿の鏡調べたいな。黒塚の棺のなかと
外の三角の1つ。同じ産地かな?あれ?そうすると中国製になるのかな?
作られた年代は、無理か。卑弥呼は鏡をもらってるから作る技術はない
のでしょうね。黒塚では、中国製(?)は、貴重。日本製はおとるから
外という思想でしょうね。卑弥呼よりあとの年代でしょうね。
581 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:58:28
1山門
582 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:02:19
出雲の神荒谷遺跡、古浦遺跡の発掘であにかわかるかもしれない。
国内最大級の弥生遺跡だから。
583 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:02:57
>>580 >卑弥呼は鏡をもらってるから作る技術はないのでしょうね。
鋭いですね。
いや、作る技術はあったと思いますよ。
でも、卑弥呼は、鏡は輸入品という権威に頼っていた。
一方、国産で鏡を作っていたのが畿内。
>日本製はおとるから外という思想でしょうね。
畿内の製銅技術は劣ってないよ。
巨大銅鐸は、今の技術でも作るのが難しい。
584 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:27:47
卑弥呼=神宮皇后
時代が違いすぎでしょう。
585 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:33:16
それいうなら、九州には卑弥呼、豊の記憶は一切ないことになる
その理論なら邪馬台国は九州ではないということになる。
586 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:38:45
当時は三韓もないからな、神功伝説は全て正しくはないが、この中に
卑弥呼とか豊とかいろんな伝承ひっくるめて創作しただけでしょ。
地名までキッチリ残ってるんだからこの話は単なる作り話ではない
という前提で進めないと。
安本の話だけ聞いてると他の記述全部一致しないよ。
587 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:49:02
神宮皇后を卑弥呼と見せかけているのは、
応神から始まるワケ系王朝を真の正統と思わせる為の偽装工作です。
588 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 01:51:22
そうか、偽装工作ということならありうるな、可能性としてだよあくまで
じゃ真実はなんなのさ。
1792747餘が 『紀』のマジレスなら『金印』は、天皇家に返す可きでしょう。
…今、豊橋です。…
590 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 02:09:44
プラムさんどこに向かってるの?
591 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 02:12:55
名古屋のデリヘルだろ。
592 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 02:29:57
帰省戻りのプラムさんage
593 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 02:40:07
デリヘルで遊んだ帰りだろw
594 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 02:41:45
プラムさんは茨城県人で、たしか広島に親戚が居る。
帰省かいりで小田原、豊橋って不自然だな、五日だよ。
595 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:00:03
イースター島だよw
596 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:00:23
だってモアイがあるじゃんw
597 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:02:10
魏志倭人伝から女王国の位置は本当に解らないのか?
598 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:03:13
プラムのゴミなんかどうだっていーだろう(w
599 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:23:17
沖縄だよ。海底遺跡がのこってるし、卑弥呼を彷彿させる女神主もいるし。
600 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 03:37:21
沖縄の海底遺跡ってどの程度しんじていいのやら
601 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/05(木) 04:16:12
>>597 魏志倭人伝だけからピンポイントで探し出すのはかなり難解だと思う。
プチ旅行です。
『サンライズゆめ』の中から … まもなく京都 …
関ヶ原の雪景色にビックリ
>>580 数の多い三角縁については原料の一部産地は解析されている。
だが、製造場所の特定は難しい。
産地と工房の所在は必ずしも一致するわけではないからだ。
ただ、同笵関係(コピー、踏返し)などで、個体間の製造順は判る。
銘、文様や技法レベルなどで製作者集団のグループ分けも可能だ。
しかし、他の人も述べているが三角縁は四世紀以降に主役となる鏡だ。
604 :
太国:2006/01/05(木) 08:26:37
605 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/05(木) 08:36:09
邪馬台国は魏志倭人伝の行路記事のとおりにすすめばわかります。
そもそもマツロ国から東へいくのが間違いのもとでした。
今年は佐賀県小城市甘木に邪馬台国を発見してから15周年となります。
より一層のご支援をお願いいたします。
606 :
太国:2006/01/05(木) 08:37:41
まあ合っているかどうか何ともだが、近いことは確かだな。
他の説よりグッドだよ。
607 :
大和@名無史さん:2006/01/05(木) 08:56:05
>>560 学芸員さん
詳細に述べていただき感謝です。植生に興味あってのことにて非礼ご容赦下さい。
中国との関係はますます重要な局面を迎えておりますが、ご研究の成果がでれば
宜しいですね。おきばりやす。
608 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 11:15:05
卑弥呼は宇宙人だよ。
609 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 12:32:52
地底人じゃないのか
610 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 12:49:23
かぐや姫だろw今も御月様に住んでるらしいw
611 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 12:50:10
1000年女王です。間違いありません。
612 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:16:12
タイムマシーンで未来からやって来たのさw
613 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:23:32
猿軍団のメスボス
614 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:27:02
卑弥呼にはチ○ポがあったらしい。
615 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:28:22
つー事は両性具有だったのかい?
616 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 13:35:14
おそらく整形手術による後付けでしょうw
617 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:23:03
マヤ文明では、脳外手術をしてたらしい。
618 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:25:33
邪馬台国ではクローン人間も造れたのだ!
トヨは卑弥呼のクローンです!
619 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:26:33
たま出版の方ですか?
620 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 14:34:46
621 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 16:28:05
卑弥呼の金印が見たーい
622 :
三角@名無史さん:2006/01/05(木) 17:41:20
宮崎県だったかな?コユの印でてたはず。これはあたらしくても、
そういう文化っていうか。印を用いるって、あとは、ごぞうぞうに。
鏡 私は、同じ古墳からでるのは、同じ時作ったからと思う。
黒塚なども、同様で、邪馬台国が近畿にあったように捏造鏡で
おく場所もそのように考えられるようにした。少なくとも三角が
卑弥呼のもらった鏡だったら、中国皇帝からのもの、大事なはず。
当然、棺の中ですよ。こういう鏡で古墳の年代推測すると間違える。近畿
の鏡はすべて捏造鏡と判断したほうがいい。その理由は、前にも書いたは
ず。
過去レス捜すのめんどうな人ように
畿内 の畿は、天子の都という意味。畿内説だとどこの地名かわからない。
近畿は、近畿地方と場所がわかる。北九州説は、前 北九州市があった。
今はもうないかな?で、北部九州説と呼ぶよう改めたはず。
623 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/05(木) 18:55:56
卑弥呼の貰った「親魏倭王」の金印の印影ならみれますよ。
レプリカならあちこちにあります。
624 :
俺等05772:2006/01/05(木) 20:08:54
>>482 >海女は、冬でも漁に出るよ。
タイタニック号の事故を知らんのか? そんなことをすれば、体温が低下して直ぐ
凍死しちゃうよ。ウェットスーツのある現在と、過去とを一緒にするなよ。
>アコヤ貝は絶滅危惧種ではないよ。50個は採れるだろう。
反論が来るのは想定内。御木本真珠島で真珠うどん(貝柱入うどん)食ったけ
ど、美味ではなかった。獲るなら絶対鮑だね。鮑がいなけりゃ仕方ないから
アコヤ貝を獲ることになる。 だから、10個にしたの。解る?
625 :
太国:2006/01/05(木) 21:01:22
ウエットスーツと刀か〜?
刀も使い方で傷死だな。
>>622 >前にも書いたはず。
て言うか、何で誰にも聞かれてないのに同じこと何度も書くの?
三角の「破壊力」はプラムを超えたな。
かっての西都原級の逸材かも。
つ NGワード
629 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 22:06:41
630 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 22:08:06
浅田真央タンは卑弥呼の生まれ変わりらしい
631 :
学芸員:2006/01/05(木) 22:52:10
学芸員のお姉さんへさん(?)へ申し上げます。
地軸傾斜の周期は約4万年、歳差運動の周期は約2万年と記憶しています。
弥生時代と現在の傾斜の差は無視できそうですが、何年も前に得た不確実な知識ですので、
詳細は「Milankovitch Cycles」関連の書物で調べて下さい。
(日本語だと「ミレンコヴィッチ」か「ミランコヴィッチ」でしょう)
大和@名無史さんへ申し上げます。
自宅に戻りまして、中国語の古語辞典で「橿」を調べたところ、
中古の語義に「樫」、或は「椎」≠ニありました。
「椎」もブナ科の常緑高木ですので、「イチガシ(イチイガシ)」もありえます。
「橿」が「椎」の場合、畿内も◎です。ご参考までにお伝えします。
632 :
太国:2006/01/05(木) 22:54:13
学芸員のお姉さんってだれ?
633 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:22:31
お婆さんじゃねぇの?
>>554 大和@名無史さん
学芸員氏の
>>494-495のリストの地域割は、ご自身もおっしゃっているようにかなり大まかなものです。
その後
>>551で補足されてもいますが、「畿内」は内陸の大和と瀬戸内の摂津・河内では植生が違います。
比較的年代の確かな地層から検出される「花粉」分析や出土遺物からみると、
内陸部の大和は、コウヤマキに代表されるように「針葉樹林帯」でしょう。(現在は「照葉樹林的」ですが)
しかし、瀬戸内側では池上曽根遺跡出土のクス材のように「照葉樹林」系の樹木も認められたりします。
ただ、南方的な倭人伝の植生リストの中に「イチイガシ」のような「ブナ科」の樹木が混じるのは違和感があります。
他の樹木に比べて、ちょっと異質ですよね。
と言うことで、倭人伝に記された植生リストは「三世紀の大和」の森を観察したものではないようなのです。
ちなみに、私は「畿内説」ですがw
635 :
学芸員:2006/01/06(金) 02:19:14
日本@名無史さん(?)へ申し上げます。(どなたでしょう?)
申し訳ありませんが、私ではお役に立てそうにありません。
勉強中の青二才ですし、正直、邪馬台国の所在には関心がありません。(余暇もありません……)
(弥生時代〜古墳時代の過渡期の日本の全体像には非常に関心があります)
一般書より高価(8千円〜2万円)ですが、邪馬台国の考察に役立ちそうな図書を提示します。
どのような情報をお求めか解りませんでしたので、考古学系の代表的な図書に絞りました。
(日本の史学は学閥色が濃厚です。大局的・客観的な視点を構築する前だと洗脳されます)
全部、オンライン書店の通信販売で入手可能です。確認しました。
お勧めは「(有)六一書房」です。同社は私も重宝しています。勧誘する訳ではありませんが、
会員になると、会報と最新の考古学書籍の情報が得られます。一般の方には貴重な情報もあります。
「論集」・「論攷」・「青陵」/橿原考古学研究所 ※大御所の論集です
「考古論集(各退官記念論文集)」/広島大学
「福岡大学考古学論集(各退職記念)」/福岡大学
「小林行雄考古学選集1」/坪井清足(監修)
「三角縁神獣鏡の研究」/福永伸哉/大阪大学 ※未読ですので、内容は存じません
「前方後円墳と社会」/都出比呂志/塙書房
「古代出土文字資料の研究」/高島英之
「海と考古学」/海交史研究会考古学論集刊行会
現在はネットワーク社会ですので、割と簡単に学術書を購入できます。
尚、「南河内考古学研究所」のサイトの掲示板に講演会などの情報が頻繁に掲載されます。
近畿・甲信越の方でしたら、見て損はありません。
有意義な情報交換をお求めでしたら、有志でwikiを立ち上げてはどうでしょうか?
どこかでお目にかかれることを期待しています。再見、再会。
636 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/01/06(金) 03:06:10
>>634 >南方的な倭人伝の植生リストの中に「イチイガシ」のような「ブナ科」の樹木が混じるのは違和感があります。
>他の樹木に比べて、ちょっと異質ですよね。
日本海側気候である背振山脈には、3世紀より気温が+1℃の現代でも、ブナ林(イチイガシも)がありますから、
倭人伝の南方的植生の中にブナ科の植物が入ってもなんら不思議はありません。
背振山脈が南方系と北方系の植物が共にあることのできる気候形態の例として、
背振山脈は野生山茶花の北限であってブナ林があることです。
南方的植物の中にブナ科の植物があることは、邪馬台国が北部九州であったことを補強するものとなります。
637 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 03:29:39
>>635 参考図書のリストありがとうございます。
さっそく注文して、このスレのコテハンより豊富な知識を得てやります。
638 :
三角@名無史さん:2006/01/06(金) 07:31:43
考古学知識は、今は不要です。ここは文献が主のところからです。
ただ魏志ではピンポイントでいけるか不安がありますので、まったくいらない
わけではありませんが。
639 :
太国:2006/01/06(金) 08:17:46
「考古学」という言い方自体がイコール科学とかいう想いに行き、正なる結論に
到達しそうでさらには権威的威圧を許容して → 畿内説 が正解だという考えを
愛でてしまう。将棋でいえば、まあ飛車のような駒だとみなせば分かりがいい。
大上段で「考古学」という権威語を振りかざして〜→負け将棋に至るのである。w
だからよく 考古学の立場からはxxxとされます などという作文がそれ、
彼らは王より飛車を可愛がるの状態にあるわけだ。とにかく「考古学」という
語はいったん降下させ『考古術』という呼び名とするが適正なのである。
もちろん飛車を適正に扱うことはおおいに結構であるがね。
卑弥呼は中国語読みだと「ひみこ」じゃないってことはないの?
日本人が「ひみこ」って発音したら、その当て字として中国人が中国語にある音で当てる字は「卑弥呼」とはならないってことはないの?
卑弥呼を「ひみこ」と読むこと自体が中国語の当て字の読みから日本語名をさがし出し、それを「神宮皇后」と似てるからこれが「ひみこ」だとみるのは間違っていると言うことはないの?
中国人「名前は?」
↓
日本人「○○○」とやまと言葉
↓
中国人「卑弥呼」と中国語(しかも卑しめる当て字で)
↓
後世の日本人「”ひみこ”と読めるから”ひみこ”だったんだ」
これって致命的なエラーってことはないの?
卑弥呼の中国語読みから日本語名をさがし当てないと間違ってるってことはないの?
ニッポン
↓
ジッポン
↓
ジャポン
↓
ジャパン
となって段々と国名が違う名前として通用した場合のように、外国語名への変換においては正確な発音が反映されない。
日本人が「小泉純一郎」といっても、朝鮮人は発音できない音があるので
「コイジュミチュニチロー」としか言えない。
そのように、「ジャパン」という後世の外国人による国名と
元の日本名「ニッポン」との音が大幅に異なるように、
「卑弥呼」という中国語から正しくやまと言葉をさがし当てようというのは、
よほど困難なことであって、発音の似た言葉を探すというだけでは必ずしも
探し当てられないかもしれない気が。
そのような努力をするならまだしも、まして中国語を日本語の漢字読みして
「ひみこ」と読み、その音を元に似ている「神宮」だというのは間違いってことはないの?
卑弥呼は、中国語ではないやまと言葉を、卑しめる漢字を使った当て字で表現したもの。
したがって再現すべきは、卑弥呼の日本語読みではなく、中国語読みでないとならないよね。
642 :
大和@名無史さん:2006/01/06(金) 10:59:36
大和です。
>>632学芸員さん
拝見いたしました。わざわざ再掲示恐縮です有り難うございました。
>>634まほろばさん
補足ありがとうございます。
>「畿内」は内陸の大和と瀬戸内の摂津・河内では植生が違います。
>瀬戸内側では池上曽根遺跡出土のクス材のように「照葉樹林」系の樹木も認められ
たりします。
お言葉を返すようですが
邪馬台国=大和説に於いて、倭国=関西圏を取り巻く周辺国と東海・山陰・瀬戸内
・九州を包含した地域と理解いたしております。(手前解釈ですお許しを)
そこで「畿内」は摂津・汎河内・和泉・大和・山代の5畿と心得ております。
邪馬台国=山門説若しくは菊池説に於いて九州島全域が対象になっているように見
うけます。大和説に於いても奈良盆地限定ではなく少なくとも5畿内の地域を対象
としていただきたいものです。
643 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 11:38:38
>>640 卑弥呼の中国語読みは「ピミホ(pimiho)」に近い音になる。
「漢字の知識百貨」(三省堂)より。
644 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:40:54
卑弥=姫
だとして
呼(ホ)ってなんじゃい?
645 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:48:24
ホモの略だろw
646 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:56:38
邪馬台→ジパング→ジャパン です。
「べい・みー・ふー」さんでしょ。
649 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:09:27
現代の音と古代の音は違う訳だす
650 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:13:19
651 :
三角@名無史さん:2006/01/06(金) 13:45:01
それでも、マイッカ。神功皇后だったかな?字。よくわからないけど。
けっして揚げ足でなく、ただのケアレスミスですね。
ひまだな。
後漢時代は、奴国が最南端ですが、魏の時は、邪馬台国が最南端になったの
だと思ってたけど。
652 :
たまご:2006/01/06(金) 13:58:40
倭人伝に記された国名や人名は、本当に中国人が倭人の言葉を音写した物なの
だろうか?もしかすると倭人が記した物を参考にして書いた可能性は有り得な
いのだろうか?
例えば「対海(ツシマ」の「海」はM音で読むのは和語であり中国語では絶対
に有り得ない読み方だ。単なる「馬」の字の写し間違えだろう。という考え方
が一般的の様だが、全然似ても似付かない「馬」と「海」を、どうやったら写
し間違えるのか?そんな事は先ず有り得ないと私は思う。
つまり、これは倭人が記した何よりの証拠なのではないだろうか?
そんで「呼」であるが、これは中国語だと「ホ」とか「ポ」であろうという
事だが、日本の人名に尊称語として「ホ」などと読む字を当てているものは
無い。尊称語として有るのは、「鳴」とか「男」などの「を」なのである。
そして、万葉仮名(和語)では「呼」を「を」と書くのである。
653 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/06(金) 14:33:32
>>643
その中国語、いつの時代のどこの発音でしょうか?
654 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/06(金) 14:41:30
たまごさんへ、対馬については当2チャンネルの「邪馬台国論争に終止符をうつ」
をご覧ください。
655 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 16:36:37
福岡筑後地区、佐賀、長崎西部、熊本北部、南部も?
おそらく有明海周辺地域
にある玉垂命っていうのがあるんだが、これがこの近辺の
元来の神様らしくって。
この近辺の神社は
菅原道真太宰府天満宮系かこの玉垂系かどっちかに
ルーツがあるようです。
玉垂というのはなんなんでしょうね〜
656 :
俺等05772:2006/01/06(金) 17:09:12
>>493 >弥生時代の平均気温は現在より1℃は低かったという学説が主流ですから、
弥生時代の気温が、現在より低かったことは確かだが、1℃も低いってのは聞いてない。
世界的に見れば、ヴュルム氷期後気温が大幅に上がって、縄文中期(6000年前)の気温は
現在より2〜3℃高かったと考えられている。
日本について言えば、安田喜憲が花粉により気温推定をしており、縄文期が東日本で2℃
西日本で1〜1.5℃程度高く、弥生期に入って、2〜3℃低下したと推測している。その一
方で、房総半島南部にある沼サンゴから、縄文期は現在より2〜3℃高かった指摘もある。
弥生期は1℃は低かったという言い方より、現在より低温だった程度に留めておくべき。
657 :
俺等05772:2006/01/06(金) 17:11:43
>>494-495 九州と畿内の比較はフェアでない。九州は傍国を含めた全体、畿内の場合、畿内どころか、
奈良県に限定している。畿内説の場合も、傍国を含めた全体で考えるべきである。
推定された傍国21ヶ国は以下の通りであり、青玉・真珠・丹は皆O.K.だよ。植生につ
いて言えば、郡使が伊都に留まって見聞した以上、九州の特徴が出るのは当然。
@ 東海・中部・北陸
斯馬(しま)國 志摩国=(志摩+伊勢の海側)
伊勢:7世紀に、志摩、伊賀を含んだ国として成立。
己百支(じはき)國 尾張国=(尾張+三河+遠江)←前後の関係より推定。
伊'邪(いや)國 伊那国 ←那(da)の誤記と推定。
8世紀以前の中国人には、daと naが、同音に聞こえた。
都支(たき)國 土岐国=(美濃の東半分)
彌奴(みな)國 美濃国=(美濃+飛騨)
飛騨:風土記に云はく、この国は本(元) 美濃の内なり。
好古都(こかた)國 越後国 ←小潟国。信濃川の河洲には干潟が多かった。
新潟:信濃川の河洲に新しく出来た潟。400年以上前の古い名前。
不呼(ほこ)國 信濃国 ←葉木(はこ)国。山地で葉や木の多い国。
姐奴(つな)國 駿河国=(駿河+甲斐) ←津の国。清水辺から東国へ船で行った。
A 四 国
対蘇(つさ)國 土佐国
蘇奴(さな)國 讃岐国
呼邑(こお)國 阿波国 ←嗚呼ロ巴(あぁわ) の誤記か?
華奴蘇奴國 伊予国 ←讃岐の対の国は伊予(金讃岐:銅産出より推定)
つづく
658 :
俺等05772:2006/01/06(金) 17:12:21
B 畿 内
鬼(き)國 紀伊国
為吾(いが)國 伊賀国=(伊賀+伊勢の山側)
伊勢:7世紀に、志摩・伊賀を含んだ国として成立
鬼奴(きな)國 近江国 ←鬼奴彌(生海)國の誤記か?
邪馬(やま)國 山城国
躬臣(こじ)國 河内国=(河内+摂津+和泉) 摂津・和泉を含め汎河内国と呼ぶ。
摂津:7世紀に津国として分離、和泉:霊亀二年(716)河内より分離。
C 西 国
巴利'(はり)國 播磨国
支惟(きゐ)國 吉備国=(備前(+美作)+備中+備後)
烏奴(あな)國 穴 国=(穴城(安芸)+周防+穴門(長門)) 鍾乳洞から付いた名か?
奴(な)國 筑紫国
D 敵 国
狗奴(くな)国 球磨国=建日向日豊久士比泥別
狗奴国連合:日向+日(肥後+肥前の一部)+豊の一部+阿蘇山
−−−
E出雲連合(共立国)
空白域1=石見+出雲+伯耆+因幡+但馬+(丹波+丹後)+若狭?+越・・直接の従属国ではない。
(ただし、投馬(づま)=出雲 のみ記載あり) 越は(越前+加賀+越中)国。
F不明国 空白域2=豊国
659 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 17:33:54
俺等05772←なんて読むの?
の比定はおもしろい。
単なる華南厨とか思ってたけど、意外と説得力あるかも
660 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/01/06(金) 17:48:40
>>656 >弥生期は1℃は低かったという言い方より、現在より低温だった程度に留めておくべき。
弥生期は現代より1℃以上低温で古墳期より低温ですよ。
弥生低温期(BC4〜1C)は小氷期もあり海面低下(海退)もあったので、
現代気温(AD20C)より−1℃〜−2℃はあります。
古墳低温期(AD2〜5C)は鎌倉〜江戸低温期(AD13〜19C)と同じ位なので、
古墳低温期は−1℃程度が妥当でしょう。
世界的な社会変動から見ると、
古墳期にも江戸時代同様程度の著しい海面低下を伴わない小氷期があった推測されます。
661 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 17:49:34
21国もチンジュの妄想だってw
662 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 17:54:40
上古音の勉強しろ、比定はそれからだ
基本に返ろう
傍国は女王国より以北の国々とはっきり明記してある
664 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:27:05
つーことは大和の西だな。
665 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:31:24
666 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:31:38
当時の中国人の地図をみて東西南北をかんがえよ
667 :
俺等05772:2006/01/06(金) 18:34:45
>>662 前にも書いたが、傍国の読み方は「山尾幸久」氏のものです。こうした
ことは自分でする必要がありません。専門家のものを借用すればよい。
668 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:37:27
だーかーらー妄想だってw
669 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:42:25
甘いなー、甘ちゃん。
670 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/06(金) 18:56:43
上古音の研究の際、奴を「ナ」としている書物はスルーしてください。
671 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:10:06
>>652 スサノヲも、「を」を尊称にしてるから、
卑弥呼=アマテラス説の補強になるんだよね。
男弟=スサノヲ
672 :
大和@名無史さん:2006/01/06(金) 21:17:20
>>670 サガミハラハラさん。
>奴を「ナ」としている書物はスルーしてください。
著名な歴史学者で倭人伝読下しで「ナ」と読まない学者さんが大勢いられる
のですか。すみません素朴な疑問です。
673 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/06(金) 21:52:37
では、
皆さんは『漢委奴国王』を何と、読んでいますか?
674 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:07:57
漢のイト国王だろ。
675 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/06(金) 22:08:53
やはり
日本の歴史は、
『金印』と『BC108年』と『一七九二四七餘』
が、基礎になって形成れるもの
この謎を解明して始めて
魏志倭人伝や後漢書・倭が正しく解釈できる。
676 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:28:52
『一七九二四七餘』が、信頼できるという根拠は?
677 :
太国:2006/01/06(金) 22:54:27
>>676 だいたい 約11カラブトゥン の歳月の経過だな。w
真矢−−−−−−−→矢的
678 :
太国:2006/01/06(金) 22:57:38
日本書紀の文は皇祖皇宗の御威霊の話がメイン〜か?w
11〜か? イレブン 威霊文
679 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/06(金) 23:29:01
>>670は上古音の研究の際です。歴史の研究の際は便宜上ということがあります。
680 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/07(土) 00:14:44
>>676 >信頼できる根拠
貴方ならどの程度の史料を提出すれば、確たる根拠と認めていただけますか?
根拠……『日本書紀』
これでは未だ、史料不足でしょうか?
『一百七十九萬二千四百七十餘歳』
小学生でも信用しない数字を平気で採用してしまう……まぁ、何と大胆な編纂姿勢 ……脱帽です……
681 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 00:25:44
>>680 >小学生でも信用しない数字を平気で採用してしまう……まぁ、何と大胆な編纂姿勢 ……脱帽です……
じゃ、おまえは、ニニギが天から降ってきたと信じてるんだな?
そこはフィクションと考えるなら、他をフィクションとして考えない根拠はなんだ?
682 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 00:38:02
日本書記編纂時は、仏教伝来の頃だから、
突拍子も無い数字はその影響だってあるだろう。
>>642 大和さん
>邪馬台国=大和説に於いて、倭国=関西圏を取り巻く周辺国と東海・山陰・瀬戸内
・九州を
>包含した地域と理解いたしております。
私も畿内説の端くれ(かなり異端ですが)ですので、基本的な部分は大和さんと同じですよ。
ただ、学芸員さんの仮説も極めて可能性の高いものだとも思います。
学芸員さんは、倭人伝の地理的記述の産物なども考証されての結論を出されていますが、
その中で、植生に関する部分について
『倭人伝に記された植生リストは「三世紀の大和」の森を観察したものではない』という点、
この部分については、大和さんも含めて殆どの方もが意できるものだと思います。
私の前レスの主旨でもあります。
流通性の高い産物類については別にして、植生の場合、その記録については、
観察者が現地に出向いてのものと思われます。
その観察者が、何時頃、どのような立場で記録を残し、それがどう言う検証の上で
倭人伝に採用されたかは不祥です。
ただ、倭人伝ではその観察点について特段の記述も無いので、単に倭地全般の風土について
記述したというスタンスとなるのでしょうが、実際には特定の観察点に限られたものでは
いかと思われます。倭人からの聴聞という可能性は記述の詳細性から有り得ないでしょう。
その観察点は他の方々の主張の中にもありますが、末櫨辺りの森であった可能性もありますし、
学芸員さんが採用した仮説、邪馬台国近辺の状況なのかもしれません。
ただ、私としては観察点が「大和の森」で無いことは邪馬台国の所在地決定の絶対条件
では無いものと考えています。
最後に、『少なくとも5畿内の地域を対象』について
倭人伝に記載されている邪馬台国のイメージはかなり広大なものですが、
私は、実際には小さなものだと思います。畿内5か国程度でも当時は同一文化圏と認めるのは
困難なのですよね。
684 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 00:44:29
クナ国は、尾張のことだと思うんだけど、
そうなると、邪馬台国は近畿だよな。
685 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 00:49:52
>684
なんでクナは尾張なんですか?
>>663 そんなこと書いてないだろうが。
ば〜か
687 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:00:26
クナ国=東海地方
どこかのアホ学者がそんなこと言ってた誰だっけな?前忘れた
688 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:01:03
ニニギってつまり武人物部だよね。この物部ってのは少なくとも
近畿人にとっては新参者であったわけだよ、おそらく。
ということは半島か出雲か北部九州か、南九州人あたりが妥当なわけだが
九州で物部についての言い伝えとかってのは殆どないんだよね。
物部の子孫も東日本中心だし。
出雲と考えるのが自然だな。
登美に住んでたナガスネて中臣の系統でしょうかね。
689 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:03:43
クナ国=東海地方って言われてもそれらしい話
してくれないと反応できないよ。
690 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:07:28
最近では狗奴国→越前ってのがある。
>>670 サガミ
>>673 プラ
俺、当時のログ持ってるぞw
おまえ達の悪業三昧をアップしてあげようか?
サガミ、「奴」を「ト」と読むと言う角川の漢和辞典を持ってるんだろう。
それを早く紹介してくれよw
ずーっと待ってるんだぜ。
692 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:11:31
狗奴は出雲です。
693 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:15:54
邪馬台国に対抗する強大な軍事力を持つには巨大平野を持つ東海が一番だ
古代関が原の戦いは東日本連合のクナと西日本連合の邪馬台国の一台決戦
倭人伝の北は西の間違い。
694 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:18:32
卑弥弓呼=徐福王朝の末裔
695 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:22:02
>>693 つーことは前方後方墳がクナ連合に組する者の墓ですか?
696 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:28:54
前方後方墳は四角墓、角餅、四隅信仰の出雲系です。
東日本、出雲系は倭人伝には無いと思う。
彼らの文化は極めて北方的な文化です。
もし、漢人が出雲の文化を知っているのであれば
高句麗と似るとか記述があるはずです。
697 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:29:18
>>695 そういうこと。
記紀にも、前方後方墳と前方後円墳の勢力の違いが明確でないだろ。
2極対立の明確な資料が、邪馬台国とクナ国の関係なわけ。
698 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:33:12
東日本って雑煮とかにも四角い餅がはいってるの?
699 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:34:22
700 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:35:48
オイラは東北だがモチは○の方が好まれる。
701 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:37:47
韓コックの国旗みろ。
倭の勾玉と高句麗の四隅の融合国家と主張してるぞ
702 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:41:30
角餅、方墳は、高句麗系の文化で、東海地方より東の文化=クナ国
丸餅、円墳は、百済系の文化で、近畿より西の文化=邪馬台国
703 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:42:38
前方後方墳と前方後円墳を築造する巨大勢力が
北九州を傘下に入れていない筈が無い。
704 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:46:32
つーか当時の北九州はどんな墓を作ってたんだ?
円墳とか前方後円墳ですか?
たしか九州中部辺りは前方後方墳だった様な気がするんだけど?
705 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:52:49
九州は円墳だよ。
706 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:55:18
九州は宇佐地方以外に初期の古墳はありません。
宇佐は前方後円墳です。
おそらく倭人伝初期はまだ古墳を作る文化はなかったのでしょう。
土蜘蛛征伐で作られたという塚は丸いです。
前方後方墳はないと思う。
山口の土井が浜の弥生人の墓は方形です。
初期出雲人の墓も方形ですから、出雲が今丸い文化としたら
方形文化は東に移って西の方形文化は廃れたのかも
707 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:07:19
古墳から考えてみると、九州の丸墓と出雲の四角墓が最初にあって
宇佐か近畿あたりでこの敵対した両勢力を結びつけようというような
なんらかの流れがあり前方後円墳がここに誕生した、
しかし東日本一帯は
ひねくれていたのでこの丸い形を受け入れなかった。
これが前方後方墓
708 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:13:02
前方後円墳は、発生の過程が読み取れるけど、
前方後方墳は、前方後円墳の様式が生まれてから登場したんだっけ?
709 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:25:33
ネットのどこかに3世紀の古墳(円墳、方墳、前方後円墳、前方後方墓)の
分布図なんか無いでしょうか?結構探したんだけどなかなか見つからない。
本とかでも良いので分かる方が居られましたら教えて下さい。
710 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:29:02
711 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:33:20
>>710 弥生時代終末期には、前方後方墳の祖形である大型の墳丘墓が濃尾平野で営まれていた。
そして、3世紀前半になると、東海、北陸、関東など東日本各地で
前方後方墳が盛んに築かれるようになった。
特に大規模なものは、尾西市の西上免遺跡など濃尾平野に見られるとのことだ。
そのため、少なくとも古墳時代前期前半(3世紀後半)の段階では、
西日本の前方後円墳の世界に対して、東日本には前方後方墳の世界があったという。
北九州?どこの田舎よ?プッ
712 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:34:40
古墳が最大の特徴ではなかったことが、邪馬台(壱)国の特徴。
卑弥呼の墓の記述ぐらいしか、残っていない。
713 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 02:41:58
近畿は初めから前方後円墳なの?その粗形みたいなものはないの?
出雲はハッキリと四角の墓があるのでこれが後の前方後方糞なり
後円墳なりの粗形であるとわかるが
714 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 03:27:47
コテハン連中は必死に黙殺しようとしてるなw
715 :
三角@名無史さん:2006/01/07(土) 03:59:53
箸墓って夜 神が造ったってみなさん信じてるんだ。まあ、いいけど。
うたたねしてこんな時間起きた。寝ないと。
716 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 05:39:08
箸墓ってのは、実は誰の墓かわからない。
モモソヒメの墓とされるが、記紀の伝承があまりに真実味が無い。
よって、記紀が編纂された当時、箸墓はすでに正確な築造理由は忘れられており、
伝説だけが地元に残り、それが記紀に記されたと考えるべき。
当然、モモソヒメがハシでホトを突いて死んだという説話は作り話。
恐らく「ハシハカ」という名前だけが伝わり、それに尾ひれがついたのであろう。
もともと「ハシ」とは「梯子(ハシゴ)」を表す、天上に昇るための神聖な言葉である。
「ハシハカ」とは、「神聖な墓」という意味と捉えるべきであろう。
717 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 06:27:05
そういやこの時代から既に名前に彦(ヒコ)って使われてるんだよなぁ。
718 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/07(土) 08:20:41
夜は神が作ったというのは、部落民等の賎民が働いたということでしょう。
憚って神としたのでしょう。
719 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 08:34:38
>>718 ブー 0点。
1、賎民が働いたものを、神がつくったなどと形容はしない。
2、夜の、管理者側の人手が少ないときに賎民を集めたら暴動の危険がある。
3、昼間に賎民が寝てることを許されるわけがない。
夜は、神職が神を祀るために、祭壇を作って酒盛りをしていたというのが真相。
720 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/07(土) 08:58:21
神聖なものを賎しいものがつくったとは露骨にいえない。
自主的に働いたとある。
やる墓づくりをしたというと、寝させてくれたかもしれない。
酒盛りー面白い見解ですね。
721 :
俺等05772:2006/01/07(土) 09:17:38
>>716 神武天皇と崇神天皇には共通点がある。どちらも「初国知らすスメラ尊」と呼ばれている。1人
の業績を神武と崇神の2人の業績に分け、前半を神武に、後半を崇神に振り分けているように
見える。人物の同一性はとも角、業績的には 神武天皇=崇神天皇 の可能性がある。
一方、天照大神とヤマトトモモソ姫にも共通点がある。どちらもホトを突いて死んでいる。
古事記では、素戔鳴尊が、天照大神が神に奉る神御衣を織る機屋に、天の斑馬の皮を剥いで投
げ入れるという暴挙に出て、これを見た織女が驚いてホトを突いて死ぬという事件が起こった。
その結果、天照大神は天の岩屋に入り、高天原は真暗闇となった。天照大神がホトを突いて死ん
だとは言えないから、織女の死にしたのだろうが、織女を天照大神とすると彼女はホトを突いて
死んだということになる。人物はとも角、伝承は 天照大神=ヤマトトモモソ姫 の可能性がある。
それ故、卑弥呼=天照大神なら、卑弥呼=ヤマトトモモソ姫 となる。
722 :
俺等05772:2006/01/07(土) 09:37:43
>>721 つづき
私は狗奴国東征論者で、九州の狗奴国が畿内の邪馬台国を征服したと考えているので、その
路線に立って話を進めたい。
ヤマトトモモソ姫は崇神天皇の大おばに当る。一方、神武天皇の后である伊須岐依姫の祖父は
三島溝咋だが、彼が倭人伝に出てくる卑弥呼の弟だとすると、卑弥呼は神武の「義理の大おば」
になる。
そこで、下の系図を考えてみた。卑弥呼が死んだ後、出雲系男王が位に就いたが、畿内系から
不満が出て纏らなかった。それで、畿内系の血を引く「壱与」が女王になった。図の□□□には
卑弥呼が、□□には壱与が入るが、壱与が女王になった年齢を考えると、伊須岐余里姫を「壱与」
だと考えた方が良いかも知れない。だが「伊と余」で「壱与」と言うのも、何かしっくりしない。
(畿内系女王)
┏□□□1 伊須岐依姫=五十鈴姫
┫ ┏□□3
┗三島溝咋━━┫
(畿内系王族) ┗勢夜陀多良姫 河俣姫
‖━━━━伊須岐依姫3 ‖
大物主2 ‖━━━━綏靖2'
(出雲系王) 神武1'
(日向系王)
723 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 09:43:48
>>722 >九州の狗奴国が畿内の邪馬台国を征服
むちゃくちゃだな。
724 :
圭角:2006/01/07(土) 09:58:22
俺等さんの狗奴国東征説は早稲田大学教授の水野祐氏が唱えた説であります。
わたしは賛同しませんが昔からある説です。ちなみに私が賛同できない訳は
狗奴国を熊本県と比定した場合、この県の県民気質からして無理と思うから
であります。むろん、狗奴国が鹿児島であったなら話は別でしょうが。
725 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 10:09:15
神武天皇は1世紀の人物。
726 :
太国:2006/01/07(土) 10:10:20
神武≠崇神 太安万侶や舎人親王が同一人物を半々に分割する特段の理由がない。
卑弥呼≠ヤマトトモモソ姫 卑弥呼≠日神 ですな。
727 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 10:13:39
その教授は出雲を厳(いつく)藻(も)だ。
などと言った、救いようの無いバカである。
728 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 10:41:28
バカ専門家の言う事を鵜呑みにする奴もバカである。
>>724 今の県民気質って、幕藩体制の影響が大きいですよね。
1700年前のことですから、どの程度現在につながりますでしょうか。
ただ、狗奴熊本説は、有力な仮説ではありますが、
東征説自体は、これと言って賛同できるところは無いですね。
730 :
俺等05772:2006/01/07(土) 11:23:59
>>724 狗奴国=建日向日豊久士比泥別
狗奴国連合=日向+日(肥後+肥前の一部)+豊の一部+阿蘇山の麓
元々の出は熊本ですが、2代に亘って、海神(日向国王)の娘との間に
出来た子ですから、宮崎県民の気質の方が強いでしょう。
731 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 11:28:38
九州からの東征は無いだろ。
同じ同郷なら、「隼人」と称す理由が無い。
732 :
俺等05772:2006/01/07(土) 11:29:40
>>723 むちゃくちゃな理由を述べて下さい。
>>725 神武天皇は古墳時代初期の人物。したがって3世紀後半の人物。
733 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 11:32:17
アホは死ななきゃ直らない
734 :
俺等05772:2006/01/07(土) 11:43:19
>>118 再掲、邪馬台國の全体像
仮定1 邪馬台国時代、箱根越えは未だ不可能で、東国へ行くには伊豆半島を船で廻る必要があった。
仮定2 当時の魏の中国人には、日本は朝鮮半島から南に広がった島国という先入観があった。
仮定2から、@〜Bのように方向を修正できる。
@ 郡使が体験して記したことについては、方向をそのまま採用した。
A 倭人から聞いた編者の熟知している地域に対しては、方向を90°時計回りに変えた。
B 倭人から聞いた編者の不案内な地域に対しては、不案内が故に、方向をそのまま記した。
上の仮定を使うと、以下のような概略図を描くことが可能である。
_ 邪馬台國の全体像を、簡略図で示す(文字サイズを小に願います)。
─-┘ \倭と韓の国境 (末盧・伊都・奴・不彌は都市名(点)、後出の奴国は国名(面))
狗邪韓國\ (末盧=唐津、伊都=吉野ヶ里、奴=須玖、不彌=三雲の各遺跡)
\
↓(南南東)
対馬
\ (東南) 女王圏の東境
\ (東、水行二十日) |
一支 ┌→−−−−−−−−−−→投馬國 |千余里
| ↑→−−−−−−−−−−−−−−−−→邪馬台國−−−→|−−−→倭種国(南関東)
↓ ↑ (東、水行十日、陸行一月) | ↓
末盧 不彌 ↓三千里
\ ↑ 奴 ↓
(東南)\↑/ 奴 国 ↓
伊都 侏儒國(八丈島)
−−−−−−−奴國と狗奴国の境
狗 奴 國
735 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 11:50:29
ウザイ
736 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:13:39
玉垂ってなんですか?
久留米から熊本に広がってるようですが、クナ国の名残なんじゃないの
737 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:42:24
山東出身で列島各地に勢力をもつ藤原(占い師)、
高句麗新羅出身の出雲の物部(祭祀、司法)、
新参渡来人で豊国出身の大伴、佐伯(軍事担当)
近畿大和の主要メンバー。渡来人ばっかし
738 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:53:55
>高句麗新羅出身の出雲の物部(祭祀、司法)、
んなこと何に書いてあるんだ?
739 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:54:02
近畿、宇佐地方のある時代の氏姓はほとんどが渡来系のもので
あったという記録があるよな・・
氏姓そのものが渡来系氏族から始まっているのだろうが
740 :
太国:2006/01/07(土) 12:54:11
日本の書でない魏志倭人伝に八丈島までの記述があるくらい古代日本の詳細が
記載できるならば、日本の書である日本書紀等に女王国のさらなる詳細が多大に
語られてもいいはずなのに、殆どと言ってよいくらいそれがない。
こんなことは考えられないことだ。女王国を畿内だと無理に確定するからこんな
矛盾のようなことが起こってくる。w
741 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:17:53
んなことは当たり前の事だ。
742 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:19:21
方角の45度修正とか、キチガイですねw
743 :
大和@名無史さん:2006/01/07(土) 13:24:04
>>679 サガミハラハラさん。
適せん使い分けね、有り難うございました。
>>683 まほろばさん。
>>493 学芸員さんの、>倭の植生を畿内と九州で対比しました。
に反応したまで、他意はございません。
>実際は小さいもの
傍国の定義の問題とぞんじますが、遺物や土器の様相から、私も五畿内全域とするには
無理があるように思います。しかしながら纏向遺跡界隈の今で云う町内会程度の広さと
も思えませんし、ここはやはり箸墓の都城は唐古鍵遺跡で齟齬ないように思います。
744 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:38:56
本州で古墳文化が芽生え始めたとき、博多はまだ弥生末期でした。
博多は本州の脅威に耐えかね漢に朝貢するしかなかったのでしょう。
豊国は半分本州勢力の支配地域、博多と宇佐は和睦し博多文化中心の
政権を宇佐に建国。漢に朝貢し本州を牽制した。
745 :
俺等05772:2006/01/07(土) 13:43:43
>>740 日本書紀に書かれている天照大神が卑弥呼。ただし、征服した王朝だか
ら、書き方には苦労した。 結局、自分達の祖先に祭り上げたのだが、
それでも、矛盾が出てくる。
天皇の居所の中に祀っていた天照大神を、崇神天皇はなぜか笠縫邑に
に移した。そして場所を転々と移し、最後に伊勢に祀った。
もし、本当の祖先なら、なぜそのようなことをする必要があるのか?
>>722 の系図の様に天皇家と卑弥呼は女系で繋がっている。だから
祭司は天皇家の女性を当て、決して天皇家の男性を宮司にはしない。
また、天皇自らが参拝することは、明治天皇になるまでは無かった。
746 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:44:41
747 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:46:20
3世紀当時すでに日本の中心は近畿関東に移りつつあった。
これらを掌握していたのは出雲の豪族。
魏志倭人伝は博多から近畿に日本の中心が移動する
過渡期の状況を記述してある。
748 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:58:52
畿内説の名立たる連厨がみーんな返り討ち。w
もうhimiko57jp先生に勝てる者など誰もいない。畿内説全滅。爆笑。藁藁w
なんせ畿内説連厨は脳味噌の腐ったアホばっかだからなw
749 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:02:20
386:0では勝ち目なし。畿内説潰滅。轟沈。藁藁。大爆笑w
750 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:12:35
物部の祭祀はおそらく現代神道に通ずる流れでしょう。
出雲発祥です。
751 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:13:22
畿内説=嘘ばっか
畿内説=大間抜け
畿内説=裸の王様
752 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:17:15
扶余、白伐は白い着物を好んできています。東夷伝みてください。
新羅は高句麗の影響が極めて強いです。新羅も基本的に
高句麗の末裔。
これは土井が浜出雲から本州に広がりましたね。
3世紀には既にこれらの風俗が本州に広まっていたと考えている。
753 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:31:19
神武東征っていうのは博多から近畿への遷都を象徴的に顕したにすぎない部分もあると思う。
記紀にかつて博多に首都があったことについて一切ふれていない。
なんらかの形でこの遷都を記述しなければならない、そこにでたんが
かつて近畿と同盟関係にあった豊、日向の豪族の畿内移住の話。
754 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:36:08
畿内説は反論も出来ずに逃げまくりw
畿内説は大ウソつき。捏造の塊w
755 :
三角@名無史さん:2006/01/07(土) 14:42:21
狗奴国は、奴国の南だから、博多の南は、熊本県。ごく自然な比定ですが。
モモソ姫は、女性天皇になってない。卑弥呼は、女王。
日本書紀引用するとき都合のいいことだけ使って、あと自分の推理で
はなしては、百人百様。結論でないな。もっとも、日本書紀は、国文では
物語としてるのに、ここでは正史だからな。魏志だけで論じられないもの
かな?
756 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:50:00
奴国から南の方向を45度訂正すると東だから出雲だろ。
757 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:53:53
出雲〜越前 辺りの方墳を築造する連合国家がクナ国です。
758 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 14:56:25
たしかに奴国博多ともっとも敵対関係にありそうなのは出雲だけど。
しかし、。博多と出雲の日本海海戦はなく、
近畿出雲との瀬戸内海海戦だったと思う。
759 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:01:26
博多が邪馬台国連合として、狗奴国を熊本中心の連合国家とするなら
この両国が対立するというのは現代の感覚からすると不自然に思う。
当時も熊本、博多ラインは同一文化圏であるから対立する理由は基本的に
見あたらない。あるとすれば、博多が他の勢力に支配されたことに対する
南方保守勢力の抵抗。
760 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:02:44
畿内説=嘘ばっか
畿内説=大間抜け
畿内説=裸の王様
畿内説=捏造の塊
畿内説=大負け犬
761 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:06:25
762 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:14:20
記紀そのものが豊国出身の大和人によって調査され推測で書かれているから
書いた本人も真実はしらないのです。
神武東征のようなものがあったかどうか定かではない。
旧首都、博多を近畿政権が手中に治めるために豊国出身者に編纂依頼して
豊国出身の豪族の近畿東征の話と織り交ぜ創作したというのが
真実だと思う。
763 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:53:05
畿内説=嘘ばっか
畿内説=大間抜け
畿内説=裸の王様
畿内説=捏造の塊
畿内説=大負け犬
畿内説=日本の恥
764 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:56:56
765 :
まほろば:2006/01/07(土) 17:10:09
>>759 同一文化圏だから争う理由が無いと言うのも何なのですが、
その前に玄界灘側の博多と有明海側が同一と言うところも疑問です。
吉備以東と比べれば両者は近いとは思いますが、
築後川辺りを境に別の文化圏を形成しているようにも見えます。
このスレには地元の方々も多数参加されているようですので
生の声を聞かせていただきたいところです。
ちなみに、東京在住者です。
766 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/01/07(土) 17:35:18
>>759 >博多が邪馬台国連合として、狗奴国を熊本中心の連合国家とするなら
>博多が他の勢力に支配されたことに対する南方保守勢力の抵抗。
博多を支配した他勢力:迩迩芸命
博多を支配された勢力:猿田彦
後世まで抵抗した勢力:狗古智卑狗(菊池彦)
767 :
俺等05772:2006/01/07(土) 17:40:06
>>759 熊本県の北部は北九州と同じく銅剣銅矛文化圏で、本来両者が争う理由が無いと
言うのは正しいと思います。畿内に比べて、鉄の使用も多い。
何故、北九州が畿内政権の軍門に下ったか? それは同属同士の対立があり、
北九州勢力が絶えず南からの圧迫に晒されていたからだと考えます。
768 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 17:42:57
博多とその南が大きく違うのはアクセントですかね。
博多は高低アクセントで東京に近いです。
南の方は崩壊、尻上がり、無アクセントになる。
769 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:00:50
畿内説は大ウソつきw畿内説なんか信じちゃ駄目だぞw
770 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:10:37
不明の傍国は漢の使節の又聞きという可能性はないでしょうか?
奴国、狗奴国、邪馬台国や幾つかの国はのは九州に比定していいとしても、
他の国は邪馬台国の人から又聞きで聞いて記述しただけのように
思う。
傍国の大部分は本州に邪馬台国か奴国が領有していた国のように思う。
771 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:21:53
奴国か邪馬台国の人は近畿と魏が結びつくのを畏れていたので、
博多周辺を長崎出島のようにして他の倭の傍国との接触を
禁じていた。倭人伝には倭の東北に国があるが交流はない
と書いてあり、接触している国の数も大乱前と後で減っている。
かつては狗奴国との交易もあったかもしれない。
772 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:29:24
>倭人伝には倭の東北に国があるが交流はないと書いてあり
どこに書いてありますか?
773 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:35:11
つうか何で出鱈目だらけの魏志倭人伝に振り回されてんのかね
あんなの話半分てとこだろ
774 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 18:47:35
女王国の北(東)に国があるが遠くて交流はない。
775 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 19:35:03
倭人は体に朱色を塗りたくっている。
扶余、新羅は白衣を好む、
現代日本人は白衣を好む・・
776 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 19:45:59
倭人伝みるかぎり現代日本の神道とはまったく異質の
南方風俗にみえるのであるが、これの正否はともかく
なぜかこの倭人伝の倭人像は日本人には知られていない。
教育によって北九州に朝鮮人が侵入したというイメージを
植え付ける為であろうか・・
777 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:31:26
北の方で一大卒を用いて統率してる国々は出雲系の国家群の国造だろうか。
777ゲッツ
778 :
遣唐使:2006/01/07(土) 20:35:03
779 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 21:33:43
宮崎県の西都原古墳、国内最古級の前方後円墳と確認
宮崎県西都市の西都原古墳群にある前方後円墳が、宮崎大学の調査で18日までに、国内最古級と確認された。
築造は3世紀中ごろから後半とみられ、畿内で同じ型式の古墳築造が始まったのとほぼ同時期。大和政権の
影響下に古墳が広まったとする説に一石を投じ、古墳の成立を研究する上で貴重な発見となりそうだ。
確認されたのは、「西都原81号墳」。後円部の長さが約33メートル、前方部が約19メートル。前方部が短く
ばちの形に開いた「纒向型前方後円墳」で、本格的な前方後円墳の前に造られたとされる。南九州では最古という。
後円部の墳丘付近から土器数点が出土。その特徴から築造時期が判明した。
発掘に当たった同大の柳沢一男教授は「大和政権は全国各地の有力者が連合して誕生したとみられ、南九州
の勢力が大和政権の一角を担っていた可能性がある」と話している。
纒向型古墳は3世紀初めごろから奈良県の纒向遺跡で築造され、本格的な前方後円墳の起源とする説がある。
〔共同〕 (18:29)
http://66.102.7.104/search?q=cache:QJJuMV5cqBgJ:www.nikkei.co.jp/news/shakai/20050518STXKD053118052005.html+%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E7% 9C%8C%E3%81%AE%E8%A5%BF%E9%83%BD%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%81%E5%9B%BD%E5%86%85%E6%9C%80%E5%8F%A4%E7%B4%9A%E3%81%AE%E5%89%8D%E6%96%B9%E5%BE%8C%E5%86%86%E5%A2%B3%E3%81%A8%E7%A2%BA%E8%AA%8D&hl=ja&lr=lang_ja
780 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:45:28
>>776 当時、朝鮮人はいない
半島南部は倭の領域でそれの北は中華文明圏
その後の度重なる侵略によるレイプと中華文明圏の侵食で形作られたのが現代朝鮮人
当時日本は無いが半島南部は元々倭の領域
781 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:48:36
それは神功の時代のことか?
782 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:54:35
>>771 >接触している国の数も大乱前と後で減っている
九州中南部と、不彌ー投馬国間、投馬国ー邪馬台国間の
空白地帯にある国々が省略されているだけ。
783 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 23:33:47
辰韓人は扁頭していていて絶壁にしようという習慣があります。
辰韓人は自らを吾(あ)とよび楽浪人を吾の残りという意味で
吾残と呼びます。倭とことなり馬に乗ります。
しかし倭に似ているとも書いてあります。倭人が鉄を求めてきてたので
倭人もいたのでしょう。
馬韓とは言語が違います。
辰韓人は秦の末裔ということを殊更強調しています。
畠さんはここの出身ですね。
白装束、武士の袴、ちょんまげなど日本文化は
扶余、鮮卑、高句麗にルーツがあると思われます。
784 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 23:43:48
楽浪人は秦韓と同族(現代の韓国、朝鮮語の起源?)
扶余と高句麗と馬韓は近い。
現代の日本の風俗は扶余、高句麗、鮮卑の文化が
百済、新羅から入ったものなのか
785 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:11:25
高句麗、馬韓には天君についての話があります。
しかし、倭にはありません。
天孫って本当にいたの?!
786 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:14:46
邪馬台国って、仲達のでっち上げだと思う。
787 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:15:44
>>783 正勝吾勝勝速日天忍穂耳は、辰韓人の王族。
788 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:18:13
方墓、白装束、ちょんまげ、袴、天智天武の前の大王の名前
から言って天孫というのは無かったのではなかろうかと
濃尾の豪族が高句麗と通じてたので色々仕入れたのではないかと
789 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:23:22
790 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:38:09
壇君、天君ストーリーは明らかに朝鮮と似てる、
半島の東夷伝にはそれを示唆するような内容が書かれている。
倭人伝にはない。
しかし記紀には壇君と似た話がある。
791 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:39:13
総合して鑑みるに倭は高句麗人に乗っ取られた。
792 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:45:19
邪馬台国がないと結論付けなければ、
倭は東国の高句麗新羅人に乗っ取られたと考えざるえない。
黄教授は高句麗人ですか?w
794 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:54:17
四角い白旗(角餅)に赤い丸餅。日の丸。
源氏の白旗、平氏の赤旗。
795 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:56:51
高句麗人日本海に降らしてきよるし、新羅、高句麗討て!!
796 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 01:17:47
797 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 01:20:47
798 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/08(日) 01:28:52
天皇家の基礎とは、
一百七十九萬二千四百七十餘歳であり
『漢委奴國王』の金印が、その結び付きを証明する物証であり、天皇家租が漢朝より下賜されたものでしょう。
799 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 01:39:06
800 :
俺等05772:2006/01/08(日) 06:45:06
801 :
俺等05772:2006/01/08(日) 07:14:16
日中の年表対比でみる限り、弥生人渡来は中国の呉が滅んだ時代が始りで、
越が楚に滅ぼされた時に、北九州や山口に大量渡来し、その後、徐福集団が
畿内に移り住んだと言える。だから、北九州は江南の、畿内は山東の影響が
あると思われる。解らないのが出雲。半島 or 済洲島経由の徐福集団かな。
日中の年表対比から見た渡来弥生人のルーツ
中国側戦国時代の年表 日本側弥生時代薄明期の年表
前473年 呉が越に滅ぼされる 約2500年前 高知県土佐市、居徳遺跡 金属器で殺傷
前379年 越が呉に遷都する
前334年 越が楚に滅ぼされる 約2300年前 土井ヶ浜遺跡 縄文人と異なる身体の渡来系弥生人
約2300年前 泉大津市池上曽根遺跡の始まり(大規模工房&蛸壺)
約22X0年前 吉野ケ里遺跡丘陵南端周辺で始まる
前223年 楚が秦に滅ぼされる
前222年 燕・代、秦に滅ぼされる
前221年 秦が斉を滅ぼし天下を統一
前219年 徐福、第2回出航
約2200〜2000年前 唐古・鍵遺跡に先進的な総柱構造
802 :
三角@名無史さん:2006/01/08(日) 07:35:46
どなたがおっしゃったか忘れましたが、百済滅亡が660年とか。
神武天皇即位が前ですが660年。関係あるかも。
803 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/08(日) 07:46:56
>>801俺等さん
元々列島には沢山な国(百餘国)倭種の勢力(後の帥升勢力)が有り、そこにBC108年頃九州に
三十国を統一する、倭人勢力が誕生する
これが邪馬臺國である
これが文献史実です。
804 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/08(日) 08:17:42
>>800 以前から漢籍で説明しているように
史書には陰と陽の部分があり その漢籍を手本とする『記・紀』にも
列島(天皇家)の陰と陽を書き記していると考えます。
特に神代記に、如実に描かれます。
1792470餘歳 一見万人が誰も信用出来そうもない数値、それを平然と正史に書き記し後世に伝える
そろそろ
いい加減“馬鹿読み”はこの辺で止しましょう
『陽』を、何回読んでも解りません
『陰』にこそ真実が…
805 :
俺等05772:2006/01/08(日) 08:18:44
入墨の習慣
「男子は大小と無く、皆黥面文身す。夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍
の害を避く。」・・・この魏志倭人伝の文から、九州の倭人には入墨の習慣があり、自分達は「呉」
から来た者の子孫と考えていたことが分る。
一方、畿内については、伊須須岐比売が、九州出身の大久米命の鋭い目を見て不思議に思って訊ね
る歌があるので、入墨の風習は無かったと考えられる。つまり、畿内の倭人は江南から渡来したの
ではないことが判る。
伊須須岐比売:「あめつつ ちどりましとと など黥ける利目」
(あまつ鳥・つつ・千鳥・しととのように、どうして目に入墨をして、鋭い目をしているの?)
大久米命:「媛女に、直に逢はむと 我が黥ける利目」
(貴女にじかにお逢いしたいと思って、私は入墨をしてこんなに鋭い目をしているのです。)
北九州には入墨の習慣があり、かつ北九州の人達は、「呉」から渡来して来たと考えていた。
文化的には銅剣銅矛文化圏に属する。
一方、畿内に入墨の習慣は無い。それ故、畿内人は江南以外の処から来た、と推測できる。
文化的には銅鐸文化圏に属する。
806 :
俺等05772:2006/01/08(日) 09:53:59
石包丁と渡来のルーツ
次に稲作文化に付随して伝播したと思われる石包丁の分布を見ると、長江下流の「半月形外彎刃」は
北九州や山口県から、弁韓・辰韓、更には高句麗へと次第に薄い密度になりながら、分布している。
つまり、「呉」や「越」の亡命者が北九州に渡り、さらに半島南部へと勢力を広げたと推定できる。
北九州には顔面に入墨をする習慣があったが、これは「呉」の習慣と一致する。この種族は後に銅剣
銅矛文化圏を作った。
一方、山東半島の「半月形直線刃」「紡錘形刃」は北九州には無く、近畿地方から出土する。それ故、
徐福が日本に到着していたのなら、近畿地方に落ち着いた可能性が高い。古事記では伊須岐依姫が大
久米命の入墨を見て、不審に感じる場面があるが、このことは畿内の弥生人には入墨をする習慣が無
かったことを示しており、「呉」や「越」よりもっと北から来た渡来人の子孫だとすると都合がよい。
この種族は後に銅鐸文化圏を作った。
さらに、南九州では、石包丁の両端に打欠きがあるものが出土するが、台湾との関係が考えられ、
縄文時代の稲作との関係が考えられる。
807 :
俺等05772:2006/01/08(日) 09:59:28
808 :
俺等05772:2006/01/08(日) 10:01:50
2. 北九州の石包丁
北九州出土の石包丁のほぼ全てが半月形外彎刃で、この形式の石包丁は中国では主に長江下流域で出土
し、華中・華北では出土しません。つまり、この形式は越や呉からの渡来人によってもたらされたと考
えるべきです。例として吉野ケ里遺跡の石包丁を下↓に示しますが、他の遺跡からのものでも同じです。
吉野ケ里遺跡の石包丁・・殆どが「長江下流出土の石包丁」と同型の「半月形外彎刀」。
http://www3.ktplan.jp/~aki/3travel/saga/yoshinogari.html 朝鮮半島では半月形外彎刃は辰韓と高句麗南部に出土し、次第にまばらな分布になりながら、遼東半島
へと広がっていきます。半月形外彎刃がこうした分布形態を持つためには、稲は 中国南部→中国北部
→朝鮮→日本 ではなく、中国南部→日本→朝鮮 へと伝播したことを示しています。
つまり、稲作は日本が朝鮮半島に教えてあげたのです。高句麗南部に倭語地域があったということは、
高句麗が稲作技術を日本から導入し、積極的に倭人の移民を受け入れた証しではないでしょうか。
809 :
俺等05772:2006/01/08(日) 10:02:56
>>プラム
「俺等」のレス内容を見て
>>810のスレが頭に浮かぶのはサ・ス・ガだ!
お前ならではのセンスだねw
>>809はプラムです
名無しで失礼!
>>810 もっと適切なスレを紹介したいんだが
こんなセンスしかなくて
813 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 00:37:33
814 :
学芸員:2006/01/09(月) 01:13:41
私的な発言ですが、他に伝達手段がありませんので、この場をお借りします。
日本@名無史さん(?)、見ておられますか? 最も重要なことを申し忘れました。
趣味の範囲であれ、真摯に邪馬台国を考察するのでしたら、真っ先に中国語の基礎を学習して下さい。
日本の訳文では「東夷伝」を適切に読解できません。多かれ少なかれ、誤訳がありますし、
言語学者ではなく史学者が翻訳した訳文は特に危険です。訳者のイデオロギーが反映されています。
中国語の基礎を習得したら、中国の言語学者が中国の現代語に翻訳した「魏書」を読めます。
訳文は入口にすぎず、出口にはなりえませんが、可能であれば中国の訳文を入口にして下さい。
日本の訳文より原文に近く、日本の訳文より主観が少なく、日本の訳文より信頼できます。
(中国の現代語に翻訳された「古事記」を信頼できますか? 「東夷伝」も同じです)
日本人は漢字に馴染が深く、中国語の学習の障害は発声と文法のみですし、「東夷伝」の読解に発声は不要です。
(地名・人名の読解は至難ですので、後回しにされた方が宜しいでしょう)
気構えず、読書の感覚で充分です。簡体字/繁体字に慣れてしまえば、英語の文法より楽に学習できます。
学究に無駄な遠回りはありません。必ず、培った知識が役立つ場面が訪れます。
何より、「東夷伝」が中国の史書である以上、読解には中国語の知識が不可欠です。
815 :
学芸員:2006/01/09(月) 01:17:25
日本の訳文が信頼性を欠くことを実感して頂くため、一例を挙げます。
「郡使は邪馬台国に行かなかった」と何度か耳にしました。通説でしょうか?
伊都国の「郡使往来常所駐」が根拠と見受けられますが、この文には破壊力がありそうです。
「倭の風土は伊都国で見たものだ」という一般的な(?)解釈が、この文の翻訳次第で成立しなくなります。
日本では「郡使往来、常所駐(郡使が行き来する際、常に駐(とど)まる所)」の訳文が大勢のようですが、
極めて日本語的な翻訳です。字面に捉われ、字義を無視しています。
「常常」は日本語だと「つねづね」ですが、中国語だと「しばしば」です。意味が異なります。
中国語の「常」には「常常(度々/よく)」と「経常(普段/いつも)」の二つの語義があります。
つけ加えると、「必定/(絶対/必ず)」は「zong(三声)※日本語入力では漢字が出せません」であり、
「常:chang(二声)」とは似て非なるものです。
「他常去図書館(彼はよく図書館に行く)」・「日本常有台風(日本にはしばしば台風が来る)」
「常吃此感冒薬(いつもこの風邪薬を呑む)」・「変化无常(めまぐるしく変化する)」
中国語の「常」は上記のように使用されます。日本語の「常」に比べてアバウトです。
また、「駐」は「駐在/駐留」です。「駐(とど)まる/留まる」とするのは無理があります。
以上を踏まえて翻訳すると、「郡使往来常、所駐(郡使が頻繁に行き来する駐在所)」になります。
伊都国に帯方郡の出向機関(駐在所)があったことが解ります。現在の大使館に類する機関でしょう。
伊都国は出島のような場所であったのかもしれません。(「一大率」は長崎奉行でしょうか?)
何にしろ、「郡使往来常所駐」の文から、「郡使は邪馬台国に行かなかった」とは導き出せません。
「倭の風土は伊都国で見たものだ」という解釈は恣意的であり、その根拠は薄弱です。
816 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:19:21
ほい、了解。
817 :
学芸員:2006/01/09(月) 01:20:34
と、一例を挙げましたが、今の翻訳は出鱈目です。
しかし、中国語の知識がない方は騙されます。そして、日本の訳文は私の出鱈目な訳文と同レベルです。
日本の訳文が信頼性を欠くことを実感して頂けましたでしょうか?
「郡使往来常所駐」の適切な翻訳を知りたかったら、是非、中国の訳文を見て下さい。
日本の訳文は不可解な翻訳が随所にあります。「郡使往来常所駐」は氷山の一角です。
信頼性を欠く日本の訳文が基盤だと、どんなに努力しても前へ進めません。
想像力を膨らませるのではなく、史料・文献の的確な解釈を試みるのが史学・文献学です。
(史学界・文献学界でも、基本法則が無視されていますが……)
僭越ながら、老婆心で申し上げます。失礼致しました。
818 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:46:53
NHKで癌についての番組をしてましたが、
医学に素人の癌患者にとっては統一性のない、不確実な情報であっても
無いよりはマシだという話をしてられました。
そういう面もありますんで、訳文も決して悪い面ばかりではないと思います。
もっと、3世紀の倭、半島の状況を記述したこの文献に
大勢の人が関心を抱いて欲しいと思っています。
819 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:03:05
魏志倭人伝から邪馬台国の位置を特定する事は不可能
研究するだけ時間の無駄w
820 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:07:54
こういう話題をぜひ
Nスペでしてほしいね。
以前したことは無いのでしょうか?
微妙な問題孕んでるのかもしれないですが
821 :
三角@名無史さん:2006/01/09(月) 02:10:51
話もどりますが、真珠が5000ってどこにも出てない。真珠は、2年の
お礼に中国からもらったもので、日本からのは白珠5,000孔ですよ。
まあ、どうでもいいか。寝よう
822 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:15:12
邪馬台国の比定が重要なんではなく、3世紀の倭、半島の状況が
今の日本にどういう影響を及ぼしてるかが重要なんだと思います。
邪馬台国の位置なんてのは所詮副次的なものに過ぎないと思う。
823 :
本田:2006/01/09(月) 02:19:21
824 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:24:12
倭人伝、東夷伝にどういう内容があるか
淡々と、出来ればどういう解釈があるかもそえて
放送してほしい
825 :
九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/01/09(月) 02:29:18
保守的独善的体質のNHKには無理でしょう。
826 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:47:18
東京を中心とした歴史観では
北九州に朝鮮人(専門的には扶余などの騎馬系)
が侵入したと植え付けられていますから
吉野ヶ里の弥生人の生活の再現は現代の神道のようになっていて
倭人伝にかれた倭人の姿とはかけ離れたものとなっています。
そもそも縄文時代、弥生時代という名称は関東の呼び名であり
弥生という地名は関東の地名、縄文土器も東日本の古代土器の
名称であるのにそういったことが全く知られていないという
のは大変問題だと思います。
これらは関東の歴史観であるということをしっかり認識すべきです。
827 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:51:44
himiko57jpは、単にコジツケが上手いだけだろ。
まともな反論をしたとしても、コジツケ反論してくるから
埒があかなくなって、みんな呆れて反論を止める。
そうすると、逃げた、負け犬だ、裸の王様だ、とか罵りまくる。
完全に精神が逝かれているとしか思えないw
828 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 04:04:41
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_.,/. (゚Д゚ ) | :::|// (゚Д゚;) <精神異常者のhimiko57jpを迎えに来ました。
|/,,,,,へ⊂ ヽ .// ,/ ノ/ ||\______________
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|~ ゜ ̄゜ ̄ ̄ ̄~~| ̄ ̄ =。|┃ |━━━━━...............|
|__★___: |,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,,゜,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|,,,東京精神病院,,,,,[|
._|]0::∴:::0::[二二il:] ,-―-、 ,,| | . [|
|====== ;...........| /,  ̄ヽ |~~|. | /,  ̄ヽ | {|
ヽニ[_]ヾニニヽ''''''|―-|.(※)|':|''''|.'''''''''''''''''''''''''''''|''''''''|.(※)|:|'''''''''''''''''/
ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ゞゝ三ノ ̄ ̄ ̄ ゞゝ_ノ ̄ ̄ ̄ ̄
829 :
俺等05772:2006/01/09(月) 08:19:01
>>815 「郡使が邪馬台国に行ったら」畿内説と九州説では書き方が違うと思いますが
後世、大和まで行った記録がありますので、参考になると思います。
明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。
又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國、其人同於華夏、以爲夷州、疑不能明也。又經十餘國、
達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。倭王遣小徳阿輩臺、従數百人、設儀仗、鳴鼓角來迎。
筑紫国以降の記事が書かれていて、船で瀬戸内海を渡った事が分るよう描かれています。
又經十餘國は右に4ヶ国、左に6,7ヶ国でしょう。倭人伝にはこうした記事はありません。
830 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 08:24:58
近畿説は近畿の先進的な古墳文化が当時の北部九州の弥生文化を
圧倒していたことくらいしかないんでしょう。
いくら近畿が都会でも倭人伝は北部九州のことしか書いてない。
831 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 08:27:02
>又東至秦王國
八幡、戸畑の豊国のことですか?
832 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 08:28:53
833 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 08:41:16
>>825 今の「犬HK」は韓国マンセーで、犬喰い在日が営業しています。
×保守的独善的体質 → ○売国的独善的体質
>>814-815>>817 同意、
しかし、史学者による訳文や主観を絶対崇拝主義的にとらえている方々が
殆どですので、何処まで解ってもらえるか?
ま、学芸員さんの貴重な発言も
この関連スレにては
『デンパ・荒らし…』
の、予備軍と…!
頑固者の集まりですから
しかし、
私は少なからず同意します。
835 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 08:49:23
おまえら、『隋書』「東夷伝」倭国伝の、
「阿毎多利思比孤」が、アマテラスのモデルだってことには異存ないだろ?
836 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 08:51:44
>>832 筑紫国があり、秦王国があり、さらに十餘国があって、
筑紫国より東の国は全て倭国の支配圏
(「皆附庸於倭」:「附」には「服従させる」という意味があり、
「庸」には「隋唐代の賦税」の意味があります)であり、
倭王が(小徳:第2等級の廷臣)阿輩臺という人物(と従者数百人)
を遣って(行列・楽隊つきで)出迎えさせ、
それから10日して、今度は(大禮:第7等級の廷臣)哥多毘という人物と
(従者2百人)を遣わして都の近く
(「郊」は国都の城外の意味)でねぎらった。
それから、倭国の都に到着して倭王と会った。
837 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:05:23
秦王国とはどこですか?
838 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:10:51
秦王国は八幡、戸畑、宇佐、愛媛の八幡、安芸の八幡、幡、
波田あの辺一帯の瀬戸内にあった秦王国でしょう。
新羅人の国でしょう。
畠、波田、畑
839 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:19:08
秦王国はヤハタ(イ)(邪馬台国)の後裔という風に考えれば
邪馬台国の首都は八幡か宇佐だろうね〜
840 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:20:19
秦王国を国と解釈する愚かさ
>>815 >「郡使は邪馬台国に行かなかった」と何度か耳にしました。通説でしょうか?
通説ではないでしょう。
が、その方が都合がいいためにことさら声高に言いたてる人物が市井に少なくないということは事実です。
>言語学者ではなく史学者が翻訳した訳文は特に危険です。訳者のイデオロギーが反映されています。
>中国語の基礎を習得したら、中国の言語学者が中国の現代語に翻訳した「魏書」を読めます。
これはこれで危険ですね。歴史を知らずして史料の訳はできません。
歴史を知らない言語学者の言うことを信じるなど、あまりに危険過ぎる。
そもそも、「訳者のイデオロギーが反映されています」というのは史学者に対する冒涜以外の何者でもありません。
わたしはあなたをまともな人物とみていましたが、ちょっと違うようですね。
これは許しがたい暴言です。
そもそも、方法論として、「訳」をもとにするというのがそもそも間違いです。中国語だろうが日本語だろうが。
大漢和や漢語大詞典をひきながら原文をそのまま読むのが本筋です。
それができずにあれこれいうことは大間違い。
842 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 09:58:59
秦王国と竹斯国は戦争しなかったのでしょうか?
843 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 10:22:41
北九州(市)=八幡、小倉(コクラ)、戸畑または宇佐などの
旧秦王国系の豊国と
と北部九州は言葉を使い分けて下さい。
文化が違います。
混同しないように使い分けて欲しいです。
北九州、北部九州
844 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 10:26:58
わざわざ松浦に最初に降りて歩かせたのは、松浦が
倭国の旧都だったかもしれない。縄文時代末期に西北九州から交易品が
多数出土する。
845 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/09(月) 11:38:49
『狗奴國』の文字を見て
後の漢人達は、その国の特長をとらえる事が出来た。 『狗』の文字には“子犬”の意味が有り、
「身体に多くの、毛が生えた小さな人」を表す為に用いた文字
要するに、
『狗奴國』とは、
(多毛ので身体の小さな倭人が形成する国)
と、なる
狗奴の国の人は、他の(三十集合)の中でも特異性特長が有った為、唯一“獣偏”を用いたのである
846 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 11:55:58
邪馬台国は後、秦王国と呼ばれた戸畑八幡、宇佐など豊国です。
当時は筑紫(奴国、伊都、筑後狗奴国)、邪馬台国は対立していますが、
磐井の乱の頃になると筑紫と邪馬台国は関係もよくなり
秦氏の出身地新羅とも同盟関係を結ぶ。
そうして大和政権に抵抗したのが、磐井の乱など数々の大和と九州の
戦争だと思う。
この両勢力の戦争は数百年続いていたと考える。
関西と筑紫、特に筑後は今でも関西とは異質の文化、苗字を持っているので
ほとんど休戦状態のまま自然に大和に統合されていったのではなかろうか。
847 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:01:58
>>838 中国語を話しているのに、新羅人かよ。げらっ 在日は首突っ込むな!
848 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:11:38
出雲、大和の九州征伐は熾烈を極めた。
出雲政権時代、豊国の首都は短期間で陥落、
辛島氏などの渡来人の
入植地となり仏教文化が花開く。
後、大和政権がこの地を受け継ぎ
九州征伐の拠点とする。
筑前までは比較的早期に攻略できたと思う。
しかし、肥前、筑後は最後まで
徹底抗戦したようである。
大和政権の筑後、肥前での残虐の限りは筆舌にし難いものであった
ようである。
849 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:20:53
>>848 在日は日本の歴史を捏造すんな! 首突っ込むな!
850 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:23:48
大和政権にとっては三韓以上の敵国であったのが
九州倭国でしょう。
同じ国、民族という意識は一切なかったと思います。
851 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:26:32
>>849 肥前国、筑後国風土記逸文、万葉集にはそう書いてあります。
遺跡もありますので史実だと思います。
852 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 12:55:28
>>850 初期大和朝廷は高句麗系でしょう。
百済が滅んだ後は、百済系になったけど。
新羅とは昔から現代までずっと仲が悪い。
>>815 >>841 「郡使は邪馬台国に行かなかった」
ちょっと気になったので一言。
正始元年の遣使などは皇帝からの詔書を渡すため、倭王に面接した可能性が高いでしょう。
それ以外にも帯方郡と倭地との通交は有ったと思います。
「郡使」級の使節団であれば倭王が毎回接見する必要もないでしょう。
伊都には迎賓館か領事館のような施設があれば、 伊都辺りに駐まっていても不自然ではありません。
実際、壱岐や前原には楽浪系の生活遺物が濃密に出土する特定建築物跡もあります。
「その方が都合がいいために」とは、文意がよくわかりませんが、
『郡使往來常所駐』は、その程度に解釈する方が多いと思いますよ。
>>815の学芸員さんのコメントは、「郡使」の性質の違いを混同した感想のように思いますが・・・
854 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:55:11
魏志倭人伝=ちんじゅの妄想
>>829 >「郡使が邪馬台国に行ったら」畿内説と九州説では書き方が違うと思いますが
私の
>>853のレスとも少しかぶりますが、魏使は邪馬台国まで行っているように思います。
倭人伝には
「正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國拜假倭王」
−正始元年、太守弓遵が建忠校尉梯儁らを遣わし詔書・印綬を奉って倭に詣り倭王に授ける−
「張政等因齎詔書・黄幢、拜假難升米、爲檄告喩之・・・政等以檄告喩壹與」
−張政らを遣わし、詔書・黄幢を難升米に授け、檄により告喩す。・・・檄により壹與に告喩す−
とあり、
これらは魏使と倭王等が接見したように読める文章だからです。
また、俺等さんのレス(他の方のレスにも見受けられますが)は、倭人伝前半の路程を
正始元年等の魏使が記録した路程であると前提にしているように思われます。
しかし、隋書の場合のように(裴世清等の個別行動記録が伴う)その時の旅行記と顕かなものとは異なり、
倭人伝では、何時のときの記録であるのかは明確ではありません。
ですので、時期の異なる複数の資料が採用された可能性もあるのです。
伊都以降で路程記載の文体が大きく変わるのも、そのような事情があると思われます。
856 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:30:22
>>835 >おまえら、『隋書』「東夷伝」倭国伝の、
>「阿毎多利思比孤」が、アマテラスのモデルだってことには異存ないだろ?
アマテラスが、「阿毎多利思比孤」のモデル
天照(amaterasu)のモデルはアルテミス(Artemis)のアナグラム
857 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:36:32
このスレは人気がないため終了しました。
858 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/09(月) 14:53:21
>>855まほろば氏
>倭人伝では何時の時の記録であるかは明確にでは有りません。
★魏時の事件を中心にカキコしてあるから『魏書…』です。
★それに、郡使が邪馬台国に行ったか、行かなかったかの問題ではなく
『女王の都』に行ったか行かなかったかではないでしょうか?
859 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/09(月) 15:48:11
先日より
『俺等さん』が諸国二十国の比定をされていましたが
原文:【此女王境界書盡】と、言う一文が有ります。 『此』
その他二十国を指し
『盡』
地が途切れるで“海岸”
翻訳:【諸二十国の(九州)海岸が女王の支配する領域の境界】
…参考までに…
>>858 おっしゃっていることの主旨がよく判らないのですが、
倭人伝の「路程記述」に関することでしょうか?
私は倭人伝の路程記述を、特定の航海の記録では無いだろうと考えます。
詔勅使だけでも二回以上、郡使レベルの派遣は、それ以上でしょうから。
倭人伝では、どの時の行程であるとの記載もありません。
逆に、行程の途中で文体が変わったり、
コース自体も、往路よりは復路にふさわしい点など、
旅行記タイプの文章では無いと思われます。
この辺りの解釈に疑念がお有りなのでしょうか?
それとも、郡使が伊都に留まる部分でしょうかね。
貴レスの後段につきましては、敢えて感想は控えさせていただきます。
861 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/09(月) 16:10:43
まほろば氏
地理志に記載されている記事は、郡使往来の行程では無く
地理的配置を示す文でしょう。
陳壽がこの記事を取り入れたのは、『魏時』に使用しても差し障りがないからでしょう
仮に、この文がかなり古い資料で有っても『魏時に影響無し』
即ち、魏時史料なのです。
862 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:20:55
>>835 >>856 今の若い奴等は聖徳太子の名も知らんのか。W 情けないのう。
聖徳太子=厩戸天豐聡耳足彦尊(ウマヤドノアメノトヨトミミタラシヒコ)
863 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:28:47
>>859 【此女王境界書盡】の『此』は最後に出てくる「奴国」です。
どうして、プラムさんみたいな解釈がでるのかなあ。
864 :
太国:2006/01/09(月) 16:32:02
>>835 >>856 「・・・・・比孤」からこれは「彦」だな。男となるとアマテラスとのモデル関係
は無し。アマテラスは女なんだよ。
865 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/09(月) 16:46:20
>>863 最後に出てくる『奴國』は、伊都の次に登場する『奴國』と同一か 『架空』の
二者択一でしょうから
ここでの『此』は、
二十国全てと解釈出来るのでは?
866 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:12:45
867 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:30:17
倭人伝「境界所盡」=後漢書「極南界也」
後漢書の「南」も「東」の誤りである事は明らか。
868 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 17:56:02
>>867 後漢書の「極南界也」は正しい方向ですよ。奴の南は狗奴国。
869 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 18:05:58
>>866 昔、よく1万円札でお目にかかりましたよ。そう言えば、
今は聖徳太子も伊藤博文もお目にかからなくなったな。
>>867 『境界所盡』=『極南界』である理由は?
871 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:12:42
福岡市の東にある三郡山地以東の平野部には、
湖沼が非常に多く、古くは海であった可能性がある。
>>861 で、それが何か?(からかわれただけなのでしょうかw)
873 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 21:32:19
>>867 日本地図をよく見ろ
当時の倭は九州北部+出雲+近畿+東海+越
これらの地域のうちで極南界は九州北部
874 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 22:18:41
>>873 >当時の倭は九州北部+出雲+近畿+東海+越
根拠は?
875 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/09(月) 22:43:11
>>872まほろば氏
>>861に、補足として
『文字で表示した地図帳』と、付け加えます。
>からかわれた
★私にその意図は有りませんが!
>>861のレスにて
その様にとらえたなら、それは誤解!
876 :
太国:2006/01/09(月) 22:50:24
スマン → スマソ ン ≒ ソ
チンギズカーン → ギチズカンソー 魏地図完走
877 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:27:12
>>864 アマテラスは男という説があるよ?
天の岩戸で、ウズメがストリップしたとき、覗いてたから。
>>877 それは何処まで行っても説にすぎない。
勃起確認の記録でも有れば別だが
879 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 00:14:29
漏れも覗きしたーい
>>865 別に「二択」じゃないだろう。
喩え二択だとしても「此」の解釈に何の影響も無いがw
881 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 02:52:29
過去にやった様な議論を何度も繰り返してまったく進展なしw
882 :
俺等05772:2006/01/10(火) 08:11:14
秦王国は、多分雄略天皇時代に呉から渡って来た技術者集団の子孫達でしょう。
彼らは一度、博徳のいる檜隈野に住み着き、博徳が引退する際に、肥後の近く
である豊国に移住したのでしょう。
私は博徳を江田船山古墳に葬られた人物、身狭村主青を稲荷山古墳に葬られた
人物と考えていますので、当然そのような結果になります。
883 :
俺等05772:2006/01/10(火) 08:19:08
884 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 09:11:32
>>877 >天の岩戸で、ウズメがストリップしたとき、覗いてたから。
アマテラスは男という説はそれが元かよ。呆 女は覗かないの?
女も他人のおっぱいの大きさ、気になるみたいだよ。
885 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/10(火) 09:58:54
外が騒がしいので覗いたのであって、ストリップを見るために覗いたのではない。
886 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 10:13:26
作り話に決まってるだろw
887 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 10:27:20
>>882 >私は博徳を江田船山古墳に葬られた人物、身狭村主青を稲荷山古墳に葬られた
>人物と考えていますので、当然そのような結果になります。
どういう根拠でだよ?
雄略紀の同時代の二組の人名ってだけじゃないよな?まさか。
888 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 12:09:52
作り話を史実だと思っているアフォ連厨w
889 :
俺等05772:2006/01/10(火) 12:14:30
>>887 >どういう根拠でだよ?
5世紀の話をここでするのはスレ違いだと思いますが、少しだけ話しますか。
檜隈村は「肥国の奥」出身者の村という意味で、肥国の豪族が集団で雄略天皇に仕えるため
に住んでいた場所でしょう。博徳は文芸に秀出ていて、雄略天皇に重用されていた。
身狭村は「武蔵」出身者の村という意味で、武蔵の豪族が集団で雄略天皇に仕えるため
に住んでいた場所でしょう。「青」は武芸に秀出ていて、雄略天皇に重用されていた。
肥後の江田船山古墳からは銀で象嵌された大刀が出土しています。武蔵の稲荷山古墳からは金
で象嵌された鉄剣が出土しています。そしてどちらにも獲加多支鹵大王の名が刻まれている。
この2つの刀の象嵌が日本で可能だったのか? 何故、獲加多支鹵の名が刻まれているのか?
私はこれらは「博徳」と「青」が雄略天皇の使いで呉(宋)に渡った時、記念として彼の国で
自分達の刀に象嵌したと考えます。又、有名な上奏文は「博徳」が書いたと考えています。
問題は、年の干支が少しずれていることですが、昔の干支は、現在の干支と連続していない
と考えれば、説明がつきます。 スレ違いにつき、レス不要。
大倭王が支配する邪馬臺國と
(邪馬壹國が架空でなければ)
女王卑弥呼系が支配する邪馬壹國
を、分離して考えなければならない。
列島の大部分を支配していた大倭は、紀元前二世紀後半頃半島から進攻してきた卑弥呼系先祖に二世紀後半までには
九州から追いやられ
代わって、九州の地は
女王卑弥呼を中心とする
邪馬壹國体制(共同三十国)の治世となった。
891 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/10(火) 12:44:24
(三世紀現在)
邪馬臺國(大倭)は、本州(一部四国を含む)
【本州説をとります】
893 :
世界@名無史さん:2006/01/10(火) 13:29:26
邪馬台国の支配領域を知りたい!
894 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 13:48:19
895 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 13:56:57
3世紀に古墳文化が芽生えもっとも栄えていたのは
近畿関東ラインなので
邪馬台国が九州にあったとしても
この影響は相当考えるべきだろう。
九州の王は窮鼠猫を噛むみたいな
状態で本州勢力を漢の朝貢外交で
押さえ込もうと試みた。
896 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 14:29:51
897 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/10(火) 14:38:53
898 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 14:44:15
899 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 16:31:40
邪馬台国の位置を特定したとして、金になんの?
まったく金にならないんだったら、やる価値なし。
もし、現金100万円とかノーベル賞とか呉るんだったら、
おいらが特定してやっても良いよ。
900 :
学芸員:2006/01/10(火) 16:45:02
日本@名無史さん(??)に申し上げます。
自分の発言を精読しました。不快に思われて当然と存じます。申し訳ございません。
史学者と十把一絡げに申しましたのは暴言でした。深くお詫び致します。
念頭にあったのは俗に言う「トンデモ」です。公正な考証をせず、空理空論を公然と語る史学者です。
在野の歴史愛好家に留まらず、本職の史家にも仮説を事実の如く語る方が少なくありません。
言葉が至りませんでした。不遜な発言であったと自省しております。
古語の翻訳の最大の壁は文法です。日本語と同じく、中国語も古語には古語の文法があります。
「魏書」は史料である前に古文献であり、魏代・晋代の中国語と現代の中国語は字義も文法も異なります。
中国語は漢字の羅列です。文法により、体系的な意味をなします。
前述の私の訳文が出鱈目なのは、現代の中国語の字義・文法で強引に古語を訳したためです。
日本の訳文が同レベルなのは、日本の古語(漢文/漢詩を含む)の字義・文法で強引に中国の古語を訳しているためです。
史学者と比べて劣りますが、言語学者には対象とする文献の時代背景の知識もあります。
(ご指摘の通り、「源氏物語」を現代語に訳すには、平安時代に関する様々な知識が必要です)
歴史の専門家で文法の知識も持つ史学者より、文法の専門家で歴史の知識も持つ言語学者の方が、
(原文の文意を的確に訳すという点で)古文献の訳者としては信頼に足ると思われます。
901 :
学芸員:2006/01/10(火) 16:50:40
勿論、原文が最善です。しかし、敷居が極端に高くなります。
社会人の方と推察し、時間的制約を鑑みて次善の中国の訳文を薦めました。中国の訳文は原文に忠実です。
これも言葉が至りませんでした。訳文を奨励するような文面です。不適当でした。
中国語の知識に欠けると、辞書があっても中国の古語の読解は至難です。
これも日本語と同じく、中国の古語も多くの字が省略されます。字義を追うだけでは文意は掴めません。
「往来」を「往来(名詞)」とすべきか、「往(自動詞)」と「来(自動詞/他動詞)」にすべきか、
後者の場合、客語は何になるのか――中国語の知識の有無で文意が変わることも多々あります。
「大漢和や漢語大詞典を引きながら原文をそのまま読む」
経験上、申し上げます。それだけは止めて下さい。漢字の字面を見て「解った気」になってしまいます。
手元の辞書で「老」を引いて下さい。接頭語・名詞・形容詞の他に副詞の用例はありますか?
「老了」が「不幸=死」とありますか? 「老地方」が「普段の場所」とありますか?
副詞の語義に「とても」・「大変」・「ずっと」・「長期間」・「常に」とありますか?
なければ、その辞書は中国の史書の読解の友として不適格です。「老」は副詞として頻繁に使われます。
平静な目で精読すると、端々に礼を失する発言がありました。全て私の不徳の致すところです。
覆水は盆に返りませんが、重ねてお詫び申し上げます。
902 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 17:07:12
律儀な方ですね。(笑
ネタかもしれませんが、
ここでは名前欄を空欄にすると
名無しは全て「日本@名無史さん」になってしまうのです。
ですから日本@名無史さんは沢山います。
字面と辞書のみでわかった気になってしまうという意見は
同意致します。漢文の理解は生半可な知識だけで理解しようと
試みると大変危険だと思います。
適切な専門の教育を受けた人の訳文ではないと細かい部分に
ついての信頼性は落ちると思います。
>>900-901学芸員さん
貴方の知識にて
『丗有王』を三世紀当時の文法で翻訳しますと、どのように訳されますか?
何卒よろしくお願い致します。
904 :
俺等05772:2006/01/10(火) 19:46:51
>>855 まほろばさんの言っていることは分るが、魏使が邪馬台国まで行っているかも
知れないし、行っているかも知れない、と言う程度のことでしょう。
確かに行った確証を求めるなら、他国の例などで比較検討する必要があります。
他の魏使が邪馬台国に行っていない、という証拠も無いことは確かです。でも、
魏志倭人伝の郡使の体験記事だけから言うと、伊都に止まったが正解でしょう。
905 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:49:07
>>901 はあ、そういえばここにどれくらい現代中国語できる人がいるんでしょう。
おお、確かにうちの漢和辞書には「老」に「いつもの」の意味は載ってませんね。
中国人の友人との会話で「晩上到ロ那里去吃飯?」「還是老地方ロ巴」なんて日常会話ですがね。
時間に「老是遅到」してしまうのは私ですがw
かくいう私は三国志・正史を面白い読み物として読んでるものですが。
倭人伝を解明して云々にはあまり深く踏み込んでません。
関係ない話でしたね、スレ汚し失礼。
>>904 >伊都に止まったが正解でしょう
プッ
907 :
905:2006/01/10(火) 21:00:12
>>901 補足。
でも老の副詞用法は後世に派生したものかもしれませんね。北京方言かな。
「総zong3」もあることですし。
まだまだこの辺は疎いので、失礼。
908 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:47:37
>>899 黄ウソツク教授の手伝いでもしていな。ノーベル賞の分け前貰えるだろ。
909 :
俺等05772:2006/01/10(火) 21:55:11
山陰地方の古民家の天井裏には、守護神として『鬼』の面が奉られているそうな!
911 :
太国:2006/01/10(火) 22:24:31
>>877 アマテラスは秀真伝のに云う男にはあらず。女なり。
912 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 22:37:48
>>911 アマテラス=卑弥呼。アマテラスが男なら卑弥呼も男。
913 :
太国:2006/01/10(火) 22:43:33
アマテラスは卑弥呼に非ず。前者は神武以前の美姫。安藤さんに似てない。
後者はだいたい成務〜應神のころの時代の女性。
914 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:12:25
天照は紀元前の対馬の婆さん。
卑弥呼は2〜3世紀の福岡のオバチャン。
915 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:14:19
だからー卑弥呼は両性具有だったの!
雌雄同体で珍しかったから王様に担ぎ上げられたの!
ちゃーんと両性具有の土偶だってあるんだから!
間違いないでしょ!
916 :
太国:2006/01/10(火) 23:15:14
PUPUPU!! ww
917 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:15:42
ここは固定ハンドルネーム
が多いので名無し=日本@名無し
と気づき難いとおもう。
918 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 23:29:35
今でもたまーに雌雄同体の赤ちゃんが生まれる事あるんだよ!
当時は今よりは少ないだろうけそうゆう人いたでしょうね!
古代の人は珍しいものには霊威が宿ると考えた訳!分かる?
気づかないのはただの間抜け。
>>904 「魏志倭人伝の郡使の体験記事だけから言うと、伊都に止まったが正解」
うーん、私流の表現で言えば「伊都に拠点が在ったから情報量が濃密」ですかねw
921 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 05:15:29
学芸員さま
>>901 >手元の辞書で「老」を引いて下さい。接頭語・名詞・形容詞の他に副詞の用例はありますか?
「老了」が「不幸=死」とありますか? 「老地方」が「普段の場所」とありますか?
副詞の語義に「とても」・「大変」・「ずっと」・「長期間」・「常に」とありますか?
なければ、その辞書は中国の史書の読解の友として不適格です。「老」は副詞として頻繁に使われます。
とのことですが、魏晋時代に副詞での「老」は存在しません。
「老了」が「不幸=死」などが載っていなければ「中国の史書の読解の友として不適格」と言われていますが、非常に理解に苦しみます。
明清時代の史書の読解には資するかもしれませんが、唐宋以前の史書を読むのには、載っていないほうが適格だと思います。
それから、中国の訳文は原文に忠実と言われますが、私の経験上から言うと、ある意味忠実ですが、それゆえに主語・目的語の省略も同様
に忠実にしてあって、読みにくいところ、意味の取りにくいところはとても「翻訳」とは呼べないものが多いです。現代中国語が分っても
古典漢語が分かるわけではありません。特別な訓練が必要なのは、誰にとっても同じことです。
古典漢語の文法に即して古典漢語の語彙の中で、古典漢語は読むべきです。当たり前ですがそれに尽きます。
922 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 06:50:44
それにしても、ある程度古典漢語が読めちゃう俺ってすごいな。
923 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 06:57:32
↑嫁た所で何か変わったか
何も変わらないのが現状
基本的な意味解釈がNGだからなW
924 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 09:04:18
だいたい、魏志倭人伝は1400年も日本・中国双方で読みつがれている。
戦後に盛んに研究が行なわれてから、50年以上。
解釈に大きな間違いがあれば、シンポジウムで話題にあがりますよ。
925 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 09:08:57
だいたい、魏志倭人伝は1400年も日本・中国双方で読みつがれている。
戦後に盛んに研究が行なわれてから、50年以上。
解釈に大きな間違いがあれば、シンポジウムで話題にあがりますよ。
926 :
太国:2006/01/11(水) 09:12:35
臥海は利害に敏感だからねえ〜。
身分が危うくなるような議題はタブー敵で、頭ではそう思っていても
出すことが出来ないなんていうことがあるんじゃないかね?
神代文字はあったとか論題に出すと、降ろされないのかね〜?w
畿内説を九州に鞍替えしたくても、臥海の主要勢力に屈服するだっろうし、
あとの出世にも影響するとなれば、危ない芸当はやらないで黙っているしか
仕様が無いんではないかね?ww 連中のいう畿内説は間違いだ。
神代文字はあったし、女王国は九州にあったことが正解。
927 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/11(水) 10:37:26
ネットでは度々おおきな間違いとして話題にあがるが、シンポジウムでは次ぎのことは何故
話題にあがらないのでしょうか。
1 韓国内陸行 2 東南は東の間違いや」角度のずれではない。 3 水行十日陸行一月は総日数である。
928 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 10:54:04
韓国内陸行?
あんな山だらけのところ歩けるわけないだろ。
929 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/11(水) 12:04:40
半島を仮に陸行したとしても、次に待ち構える朝鮮海峡渡航の困難さは実験からも明らかだ
さて、どうします。
サガミさん。
その渡航方法を
陳壽と范曄は、ちゃんと書き記しています。
その渡航方法を
陳壽は、倭人伝の中で
【…乍南乍東到其北岸狗邪韓国…】
その文章を見た范曄は、後漢書 倭の中で補足的に
【…去其西北界拘(狗)邪韓国七千餘里…】と
931 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 15:49:56
>2 東南は東の間違いや」角度のずれではない。
間違いですw
932 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 16:11:31
↑
かなり重傷やなw
933 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 16:20:58
>>932 だったらお前は超重傷w( ´,_ゝ`)プッ
934 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 17:36:36
↑
お互い様
大体、出発点から12000里ってのが決定的だよなー
壱岐対馬間が1000里って書いてあるから12倍すれば良いじゃん
近畿まではとどかんよねー
936 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 19:31:50
>>921 賛成。私の漢和辞典は、次の要請に応える為編集したとなっています。
@中学上級以上の国語学習用
A漢文を中心とする古典学習用
B一般社会人の実務用
C現代の中国新字体を理解する一助
@とBが国語用、Aが中国の古典用、であり、英和辞典のような機能は
ありません。つまり、現代中国語を日本語に翻訳する機能は無いのです。
ただし、論語・漢詩・諺の起源などの古典を調べるには十分であり、それに
よって、魏志倭人伝を読む際の、間違った解釈にはならないと思われます。
937 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 20:20:32
「丗有王」は『三国志校箋』でも「世有王」になってた。
校注も詳しい本だけど、何も説明ついてなかった。
>>936 ずいぶん雑多だね。でも普通の漢和辞典はそんなもんかも。
@とBがあれば、魏志倭人伝を読む際に、間違った解釈に
なる恐れあるよ。Aの意味も、ちょっと意味分かりづらい
んだけど、もし「古典」に日本古典が入ってたら、間違い
の原因になるな。
>>938さん
ありがとうございます!
『漢文板』は、見逃していました。
内容はまだまだ検討余地有りですね。
『韓伝』の丗丗との関連説明が有りませんので
とにかく感謝です。
まだまだ勉強不足で、頭が幾つ有っても足りません。
もう一度検討してみます。
“三十の王有り”と訳す為にはせめて『丗王有』『王有丗』でなければならない事は、解ります。
しかし、これでは後の『皆』の解釈が!
倭人伝の『丗』は三十人を強調するのではなく“今使譯所通三十國”の三十國
この文章を見た范曄が“國皆稱王”と、
三十國の代表は皆王と称していた
即ち 【三十人の王】
倭人伝の三十国=三十人の王です。
三十人の王達が
常に同じ範囲内にいるからこそ
揉め事が起きても、女王共立などと言う離れ業も出来るし、
伊都が特別な領域と、位置づけることが出来ます。
范曄は、
陳壽の『丗』を『世』の意味と誤読しない様に、解り易く“國皆稱王”と…
私はそのように解釈したい
今の私には、この位いの簡単な説明しか出来ません。
う〜ん
「丗有王」に疑問を抱くのは、私だけなんでしょうか?何冊かの本を見ても、問題にもなってないし
同意見の住人も現れない。
かと言って、サラリと流す文章でもないはず
ま、いいかぁ
943 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 21:57:15
【遺跡】出雲の遺跡から出土の土器片、「魏志倭人伝」の伊都国産であることが判明 九州以外での出土は初…島根
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1136983991/l50 出雲市中野町の中野清水遺跡で出土した弥生時代末期の土器片が、中国の史書「魏志倭人伝」
に登場する九州北部の伊都国(いとこく)産であることが判明し、島根県埋蔵文化財調査センター
が十一日に発表した。両地域の古代の交流を裏付ける貴重な資料となる。
同遺跡は、弥生中期から江戸時代にかけての集落遺跡。土器片は、二〇〇三年に調査した弥生
時代後期末から古墳時代前期初め(三世紀中ごろ)の土器の集積地から、出雲や西部瀬戸内産
などに混じって六片出土した。
復元すると、高さ七十一センチ、口径五十センチの甕(かめ)型の土器で、形状や土の特徴から弥
生時代後期末の伊都国産と判明した。同時期の伊都国産の甕型土器が九州以外で出土したの
は、全国初めてという。
>>940 『丗王有』『王有丗』でなければならない事は、解ります。
あのなあ、漢文板の人たちが親切にも訳文教示してくれてるのに
それを無視して、態々有りもしない語順を出して「解ります」とは何だ!
全く理解できん奴だ、非常識で凶悪なひねくれものだ!
せめて、そのわけのわからん語順を漢文板の人たちを納得できる理由で説明してくれ。
できないなら、ボウズになってでも詫びろ!
>>943のレス
マジですか?
いよいよ面白くなってきた。
『其行來渡海詣中國』
…魏志 倭人伝…
>>944 馬鹿者!
世を丗とし三十とした場合の例えで話してるんだ!
坊主になれだと!
誰に対して話してるんだよ
>>946 >坊主になれだと!誰に対して話してるんだよ
なんだ、もうボウズ頭なのかあw
それとな、戯けは漢文板のレスをもう一度よく読んでから言え。
何度読んでも、意味が解らないなら・・・日本人を辞めろ。
言葉の無い世界の住人にでもなりなさいよ。
>>947 あのなぁー
確かに 漢文住人諸氏のレベルは、私の比でないことは明らかだ
それは理解し、見解は尊重してる
しかし、
邪馬台國全般になれば話は別だし、あそこの見解が
全てを支配する意見とも思えないし、
諸氏の意見も、まだ含みを持たせた見解と判断したけど…
未だ隙間が有る時は
その隙間の可能性を探る事が 学問の基本だよ!
そうじゃなければ進歩など望めない。
君は、進歩を望まないのか?
漢文板住人諸氏の協力には感謝している。
その協力を無にしないために、敢えてその隙間をつく努力をしたい。
>>947 君は、人を蔑むレスしか書けんのか?
無記名のレスにて
そのようなカキコしても、なんの意味も持たない。
単に自己満足に浸るだけ!愚かな行為だよ!
950 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 23:26:41
>>プラムさん
横やりですが・・・
ちょっとこじつけが過ぎるように思いますが。
こじつけと新解釈は違いますよ。
そんなに一つの字にこだわるくせに、文法は自分の都合で無視するのですか?
>245 名前:名無氏物語 投稿日:2006/01/11(水) 22:38:39 ID:XC1JkDSs
>242 プラムさま
>わざわざ返礼どうもです。
>「30王とは読まないのですね・・・」というか、
>そのようには中国古典文法からして読むことができない、読めないのです。
>范曄は、
> 陳壽の『丗』を『世』の意味と誤読しない様に、解り易く“國皆稱王”と…
そこまで気を配るなら、何故ちゃんと三十と明記しないのか?
>>950さん
今の私の実力では理解されないでしょうが…
(永久に)等の突っ込みレスは要りません
>何故三十とカキコしなかったか
一つだけ私に解る事は、
『丗』は、一文字
『三十國』は三文字
他にも意味が有るでしょうが
多分理解出来ないでしょうが!
コジツケと してしまうには勿体ないでしょう。
もし、コジツケなら 私はコジツケ王ですね!
…たぶん…
952 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:17:55
漢文板から来ました。漢文板のスレの241・245、それからこのスレの921は私が書き込んだものです。
古典漢語の解釈では少しは役に立てるかと思いますので、よろしくどうぞ。
ちなみに自分は、中国史学を大学院で修了したものです。先秦〜六朝までが守備範囲で、漢和辞典の
下請けなどもやっています。忙しいので、あまり覗きには来れませんけれども^^;
とりあえず、このスレは1から通読しました。
コテハン必要なんですかね^^;
私のレスは別としても
何処かで従来の考えを打破する解釈をしなければ
進展を望むのは無理でしょう。
これは、以前から『ヒッキー君』も言っていた“不毛の論争”です。
単に
『従来の学説』と言う掌で鬼ごっこしてるだけ
まだまだ
(暴走?)ネタはたっぷりありますよ。
954 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 00:23:55
プラムって、さあ、家族がいて、子持ちで40歳以上だよな?
哀れになってきたよ。
>>954 哀れんでくれるのは有り難いが
俺のことより
問題を一つでも多く、解決してくれ!
俺の寿命なんて後僅か
それまで自分成りに楽しむから!
956 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:11:19
ニュー速+から来ますた
伊都国が出雲だとしたら常識的に邪馬台国はどこに比定されるの?
957 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:14:32
↑
伊都国=出雲は、絶対に有り得ないと思われます。
958 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:18:18
しかし、出雲=投馬国の可能性は、非常に高いと考えられます。
959 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:19:42
あいやーorz
ニュー速+に帰ります(´・ω・`)
960 :
947:2006/01/12(木) 01:31:40
>>949 プラム
>「君は、人を蔑むレスしか書けんのか?」
アンタは、俺のレスからそんなことしか感知できないのか。
俺がアンタに抱く感情は「蔑み」じゃない、「怒り」だよ。
アンタの発言、“三十の王有り”と訳す為にはせめて『丗王有』『王有丗』でなければならない事は、解ります。
これが、怒りの直接の原因だ。
今まで、アンタは『丗王有』『王有丗』の二つの語順について何かレスの中で触れたことがあるか?
同じく、漢文板の人たちが、そういう語順が正しいですよ、と説明したか?
無いだろう。
だったら、『王有丗』が「解る」理由説明しろ、その文法解釈を明かせ。
今まで、話題にも上がっていない(しかも在り得ない)例を持ち出して「解ります」などと、すっとぼけるな。
で、漢文板の方が教示してくれている『有丗王』と言う語順について、ノーコメントなのは何故だ?
都合が悪いからか? 興味が無いので読み飛ばしたのか?
アンタは、他人の文章を読めない。自分の考えは文章に出来ない。
これに類する苦言はこのスレになってからも、複数のメンバーから受けているはず。
それでも、改める様子の無いことにも怒りを感じる。
最後に >「これは、以前から『ヒッキー君』も言っていた“不毛の論争”です。」
ここで「論争」していると思っているのはアンタだけだ。
「論争」するだけが2ch、いや掲示板の在り方では無い。
アンタが思うようなユーザの存在しか感知できないのは、自身の不徳の故だ。
それを差し置いて、不遜な態度を取り続けることも怒りの対象だ。
ここで、アンタがどう暴れようと、それは勝手だが不快な対象に怒りをぶつけるのも当方の勝手だからな。
961 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 01:52:23
>960
2chなんていろんな人いるのだから別に腹立てることもないだろ?
たしかにプラムさんの文には理解し辛い部分もあるが、
それいうのなら無数の名無しの人だって同じ事さ。
漏れだってそう思われてるだろうし、他のコテの人も同じ事。
理解出来ないと思うことはスルーすればいいだけでしょうが
962 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 02:35:12
>>953 プラムさん。950ですが。
まあそう噛み付きなさんな。
ここまで見て、
あなたは「この際文法は無視してもいい」と言っているに等しいですよ。
どうして突然ここだけ無視してもいいのか?
別に喧嘩しにきてる訳ではないので、このことについて「冷静な」意見を聞きたい。
963 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 03:34:05
わたしも漢文の方からきました〜。
上の方で魏晋の文法で読む云々の話があったので・・・。
『中古虚詞語法例釈』『中古漢語語詞例釈』『東漢魏晋南北史書詞語箋釈』
『中古墓志詞語研究』とか、この時代の本、いっぱい出てますよ。
参考までに・・・。
964 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 04:05:50
>>963 いままで、魏志倭人伝の翻訳の定本が無いのが不思議だな。
翻訳について研究者の間で、統一見解がないってことだろう。
プラムの支持はしないが。
>>961 今までも大概は皆スルーしてるだろう。
ただ、奴は意図的なアラシ屋や一過性の厨とは違う。
無自覚な上に長期居座り型だ。
自分がスルーされていることの理由すら理解していない。
そんな奴を放置すれば増長するだけだ。
今の奴は、正しくそれだ。
966 :
プラム ◆RvhHf7kqyY :2006/01/12(木) 07:51:37
丗王有 王有丗が元凶なら取り下げます。 スマソ
現時点の文法で有り得ない事なら、それも頭の隅にカキコしておきましょう。
では、
魏志 韓傳後半(弁辰)に出てくる
【…丗丗相繼…】この時の丗丗も、(代々)でしょうか?『丗』も『丗丗』も
同じ解釈でしょうか?
この文字間は、数百文字ですよ
>>962 その事は、このスレがまだ存在していたら後ほど説明します。
>>967 このスレは半永久的に存在してそうだよ。