【鎌倉】北条氏を語るスレPart3【執権】

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1日本@名無史さん
やっぱ北条氏といえば小田原じゃなくて鎌倉でしょう。
鎌倉幕府執権として一時代を築いた北条執権16代について語りましょう。

過去スレ
【鎌倉】北条氏を語るスレ【執権】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1069485899/l50
【鎌倉】北条氏を語るスレPart2【執権】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1077987969/l50
2日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:24:41
鎌倉時代には宗教はあったんでしょうか?
ないですよね?
3日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:28:19
>>2
寺があったのだから仏教はあったな。
4日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:33:17
>>3
調べてもわからないのですが、親鸞のでしょうか?
5日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:35:49
厳密に言うと明治時代と鎌倉時代の仏教の違いがわかりません
この違いのご示唆お願い致します。
仏教と言うのは時代に伴い変化してるはずですが・・・
6日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:36:00
>>2
名越教時の息子に宗教ならいるな。
7日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:36:33
>>4
本当に調べたのか?
8日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:38:04
>>5
鎌倉仏教から明治は飛びすぎだ。
9日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:39:25
歎異抄の人だろ。
10日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:39:49
>>6
サンクスです

>>7
>>明治時代と鎌倉時代の仏教の違い
をググッテたりしてもないんですよ、困った事に
11日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:40:22
>>9
そうです、どうしても文献が必要で
ずっと探してます。
12日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:41:27
>>10
お前は永平寺にいって座禅してこい
13日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:43:15
いったい何を調べているのやら。
14日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:47:16
>>12
地元の浅草寺で座禅はやってみたいとは思っています。

>>13
>>明治時代と鎌倉時代の仏教の違い
を調べたいと思ってます。
15日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:05:30
明治時代の仏教は廃仏毀釈による衰退からの復興だが。
鎌倉時代は仏教の庶民への普及であって・・。
16日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:08:28
>>15
何となくわかりました
ありがとうです
17日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:12:27
>>16
いいか?鎌倉時代は仏教や宗教はなかったFA?
18日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:14:42
>>17
どうもです
19日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:40:05
鎌倉時代はまだまだ旧仏教の時代。新仏教は異端でしかない。
今でこそ新仏教の勢力が強く、旧仏教のほうが見る影もないが、
当時は逆。我々は今の状況を過去に敷延して考えがちだが、
実際は全く違う。現在の状況のせいで、新仏教の生成と展開が事細かに、
教科書に書かれ授業で習わされるが、当時はそれほど叙述する価値はない。

私見では戦国・近世のころ勢力が強まったころに教科書に
登場させて、そこで鎌倉からの過程を述べる程度でいいと思うのだが。
話は飛ぶが、世界史で宗教改革(キリスト教のみの)を学ばされるのも
現在世界において大きな勢威があるという以外に理由はない。
相対的に言えば、ヨーロッパ人がそれこそ、鎌倉新仏教を学ばされるようなものである。
いづれにせよ、鎌倉はもちろん室町でも、まだまだ旧仏教が
公式な政府が認めた宗教であった。
20日本@名無史さん:2005/12/11(日) 03:44:20
>>19
意味不明です。
21日本@名無史さん:2005/12/11(日) 04:26:40
そおかあ。ごくごく当たり前のことが書いてあるように思うが。
22日本@名無史さん:2005/12/11(日) 06:30:50
旧仏教【きゅうぶっきょう】
鎌倉新仏教の対立概念。顕密仏教とも。
三論・成実じょうじつ・法相・倶舎くしゃ・華厳・律の南都六宗と天台宗・
真言宗をさし,興福寺(法相宗),東大寺(華厳宗・三論宗),延暦寺・
園城寺(天台宗),仁和寺・東寺(真言宗)を頂点とする。
古代・中世の仏教界の中心勢力で,その僧侶は国家的僧官位をもち,
公請くじょうに応じて国家祈祷を行なった。
思想的多元論を基調とし,諸宗兼学が一般的。

他方,鎌倉時代にはこれら旧仏教やその改革派とは全く異なる思想運動も
登場した。
これが異端派であり,法然・親鸞らの専修念仏と,一遍・日蓮・道元らが
それに該当する(鎌倉新仏教ともよばれる)。
彼らは仏教を純粋化し絶対化してゆくことによって,社会や国家を
厳しく批判したため,その多くが弾圧された。
彼らが広く社会的影響力を持つようになるのは戦国時代になって
からである。

[株式会社岩波書店 岩波日本史辞典]
23日本@名無史さん:2005/12/11(日) 09:50:47
南北朝時代に足利方についた北条一門っている?
24日本@名無史さん:2005/12/11(日) 19:50:53
>>23
いなかったんじゃないの?一番裏切る可能性のある名越が最後まで
戦っているし。
2523:2005/12/11(日) 20:00:19
>>22
時章系以外の名越北条も戦ったのかな?
能登守護だった家系(時長―長頼―宗長―夏時―宗春)は?
吉見家に滅ぼされたのかな?
26日本@名無史さん:2005/12/12(月) 00:22:58
能登の北条ってどうなったのか、わかんない。
越中の名越時有が兵を集めたとき能登の兵も集まっているから、こっちに
従っていたんじゃないの?と、適当なことを言ってみる
27日本@名無史さん:2005/12/12(月) 12:19:07
選択肢としては
1)自害
2)南朝方
3)吉見家に降伏
4)帰農
あたりか?
28日本@名無史さん:2005/12/22(木) 10:17:02
age
29日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:26:52
初回・最高・最終回・平均視聴率
2000年 葵徳川三代 22.6 22.6 20.3 18.5
2001年 北条時宗 19.6 21.2 21.2 18.5
2002年 利家とまつ 26.1 27.6 25.0 22.1
2003年 武蔵MUSASHI 21.7 24.6 18.6 16.7
2004年 新選組! 26.3 26.3 21.8 17.4
2005年 義経 24.2 26.9 19.7 19.5
題材とキャストの差を考えれば時宗大健闘?
っつーか、初回がダントツで低く最高も1番悪いのに、平均は6作中3位タイなのな。赤マフ&関白切腹ですらこれだよ?
NHKさんもう1回、今度はマジメに鎌倉中期物やってください。
30日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:30:36
age
31日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:40:34
>>29
そうだよなー。義経と1パーしか平均違わないんだから健闘してるし時宗。
でも原作なさそう・・・源平物も少ないが。
32日本@名無史さん:2005/12/28(水) 23:51:17
「北条時頼漫遊記」
正体を隠した時頼が全国各地の窮乏にあえぐ御家人の心のケアを行う。
毎回の番組終盤の「いざ鎌倉」が見せ場。
33日本@名無しさん:2005/12/29(木) 13:12:40
というか、武蔵の凋落振りがひどいな。
34日本@名無しさん:2005/12/29(木) 13:15:31
いっそのこと大河のパターンをやめて、「曽我兄弟」などの物語系をやってはどうかと。
35日本@名無史さん:2005/12/31(土) 16:37:19
あげるぞ
36山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/07(土) 14:47:47
>>21
同意致します。現状のせいか、教科書や学習漫画から入った人々は、旧仏教
は貴族の宗教→武士や民衆の仏教が興隆する様になり、取って代わったとい
うイメージで憶えている人が多い。
あまり陰謀論めいた事は言いたくありませんが、教師の思想も関係あるので
はないでしょうかね。貴族を堕落した支配階級として糾弾し、民衆の心を得
た新思想が勝利するという構図は、分かり易い上に好まれ易い。
実際には、「旧仏教」も民衆を救済していたというのに。
貴族=堕落・腐敗のイメージというのも、なんとかすべきでしょうが。
・・・失礼、段々北条から離れました。
37日本@名無しさん:2006/01/07(土) 14:51:51
内管領「執権殿の仰せながら、得宗の御意見を伺うべきじゃ」
38日本@名無史さん:2006/01/09(月) 00:23:51
>>37のようなセリフは史実ではあり得ない
39日本@名無史さん:2006/01/19(木) 14:30:52
40日本@名無しさん:2006/01/19(木) 16:23:04
>>36
室町時代は念仏宗の僧より禅僧たちのほうが頑張っていた気がする…
41日本@名無史さん:2006/01/19(木) 22:03:50
五山の禅僧が束になっても蓮如ひとりにかなわないと思う
42日本@名無しさん:2006/01/19(木) 22:37:29
>>41
いや文化的な意味で
43日本@名無史さん:2006/01/21(土) 18:17:11
源実朝暗殺の黒幕は北条氏ではなく、三浦義村だという説は有力なのですか?
44日本@名無史さん:2006/01/21(土) 22:43:27
>>43
永井路子のファン以外には誰も支持していません
45日本@名無史さん:2006/01/24(火) 08:11:08
別に唱えてるのは永井だけじゃないと思うが
46日本@名無史さん:2006/01/28(土) 09:58:52
>>44
あなたの説は?
47和田義盛:2006/01/28(土) 21:23:49
         _..-‐'''''''^^;:;: ゙゙̄'''ー,"!; ..,,
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  .l./ !   _' 'ヽ       _,,....、、   ヽ;:;:".l:;;:;''i
  レ .l゙ l'" .!/ `,;、        ″l/゙ `';;i┘  ヽ.,lヽ;,!
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     .ヽ       _,,.― ..,,,_        / | ヽ
   ../ /'-、  'f/ ..,,,,,,,,,,,,,,.....二;:′    ,/  .!、|
    .i__/  `'、  \     ./    ./   ヽ!
     .゛    .ヽ   `'''―'"゛    .,/
             \        ,.  ,/-
       ., ――‐"゙'''ッ ..,,,,___,.//: : .゙.ヽ,,,
      ,ノ: : : : : : : : : : !    .../: : : : : : :: `\,
     ./: : : : !: : : : : : : |   .../: : : : : : : : : : : : ゙i'._
    ./: : : : ._.. !: : : : : : /.`^゙../゛: : : : : : : : : : : ,-: : . l
   .′ .ヘ": : .〉: :: : : : ノ  /′: : : : : : : : : .ノ゙.: : : : ゝ
48日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:20:41
 緊急浮上!!
        ___
      /____ヽ
      //        ザバァ!!
     //l| ○_○   
 // ◎    ( ・(ェ)・)  |l   
     \\ /つつ¶¶    
     / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ  //
人人  /       ●   ● 、 
   /     〇        ▼ l 人人人
  /     =      , 、_ _人_ノヾ 
人人             ノ 人人
   人人人  人人  
49山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2006/01/31(火) 16:24:20
>>40
執権スレで引っ張るのもなんですが、バーバラ・ルーシェ先生風に言えば、
漢詩などの「エリート」向け文学では禅宗の活躍が著しいが、貴賤に受容さ
れたのは、唱導僧などによって制作された「貴賤文学」であって、浄土系と
の関りが予想されるものが多い・・・といったところでは。
50日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:22:35
実朝殺しは公暁の単独犯行
51日本@名無史さん:2006/01/31(火) 22:47:49
その理由を聞こうか
その答えを楽しみしている人は2chであっても数百人いるぞ!
世間ではそのン十倍ではないかな?
では襟を正して貴君の話を聞いてみようか…
52日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:46:41
ホントに子孫はいないの?
53日本@名無史さん:2006/02/01(水) 07:45:20
>>52
おそらく極楽寺流はほぼ全滅
得宗家は時行の子孫らが残っている
代表的なものとしては、板部岡江雪斎、横井小楠など
佐介流も淡河家が残っているけど、室町時代に赤松氏から養子を貰って、赤松氏の家臣となる
一人も執権を輩出していない名越流、伊具流といった庶家にもいるだろうな
金沢流は不明

そういう生き残りについてまとめた本やサイトはないのかな?
54日本@名無史さん:2006/02/03(金) 02:39:09
>>53
北条って、鎌倉時代はさんざん身内で争っていたのに、滅ぶあたりになると仲良く討ち死に&自害・・・・

金沢流、極楽寺流はほぼ族滅でしょうなあ(赤橋登子は別として)・・・。あと、名越とかも不明だな。
ただ、有名どころは大体戦死or自害だな。
55日本@名無史さん:2006/02/03(金) 03:47:50
身内で喧嘩はするけど、
対外氏族との戦には一致協力。
かっこいいね。
ちうか、他に選択肢なかったような感じもするが。
新田に寝返って、所領安堵って通る状況じゃなし。
56日本@名無史さん:2006/02/03(金) 07:40:55
実際降伏した阿曽治時や大仏高直は殺されてるんだよな
一門ではない二階堂道蘊も殺されている
尊氏は準一門だけど建武政権で重用されてる
その後尊氏が暴れ出した時に降伏した時行は許されている

生き残りとしては、北条一門で淡河(のちに赤松氏)
他御家人系として三浦、毛利、二階堂、問註所、諏訪
このうち諏訪は江戸時代に譜代大名として存続しており、なんやかんやいって勝ち組
57日本@名無史さん:2006/02/10(金) 15:45:27
昨日、ラジかるって夕方の番組で田園調布の奥様の料理が何とかやってるコーナーでその奥様の紹介で
「なんとこの奥様はアノ北条政子の直系の子孫なんですよ〜」とリポーター
「はい…うふふふふ」と得意げに笑ってた。

スタジオは「え、あの鎌倉幕府の?」と。
みんな一様にすげーって言ってましたがソコ納得するところなんですかね?
疑問に思わないのか…
58日本@名無史さん:2006/02/10(金) 16:31:49
>>57
へぇ
頼朝の子孫ってこと?
5957:2006/02/10(金) 17:01:07
よくわかりません…
ただテレビでわざわざ言うあたり皆様知ってる人なのかなぁと
60日本@名無史さん:2006/02/10(金) 19:52:37
知らんなあ・・・
61日本@名無史さん:2006/02/10(金) 21:46:07
もしかして時宗の子孫の間違いとか?
62日本@名無史さん:2006/02/10(金) 22:35:43
まあ島津家も自分の家は源頼朝の末裔だと自分では信じているらしいから似たようなものだ。
63日本@名無史さん:2006/02/11(土) 10:13:56
>>62
え?ホントに本人たちは信じてるの?
64日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:32:52
尊氏は、鎌倉公方の基氏に北条姓(赤橋姓)をやって、北条氏を再興させても良かったんじゃないか?
北条氏綱だって関東を支配するために北条姓を名乗ったんだから、関東を支配する基氏に北条姓を与えても良いかと。
(でも、基氏の場合尊氏の子という「ブランド」があるのに対し、氏綱の家柄はそこまで良くないんだよな)
しかも基氏は赤橋守時の甥。北条姓(赤橋姓)を名乗る正当な理由はある。
時行処刑後だったら、北条一族の逆ギレも怖くないだろうから、出来たと思うんだけど。
65日本@名無史さん:2006/02/16(木) 08:44:41
諏訪勝頼みたいだな。

足利は元々、源氏の重鎮として武士達の好感度が高い。
わざわざ改姓しなくてもいいと思う。
6664:2006/02/16(木) 08:50:43
>>65
尊氏の趣味でそういうことやったら面白いなと思った
大河とかでは、守時っていいキャラしてるじゃん

でも、諏訪勝頼の場合は、武田が諏訪を懐柔するためにやったことだけど、
赤橋基氏の場合は、旧北条一族が暴れだしそうだな
6764:2006/02/16(木) 08:55:12
でもメリットが一つだけあるかもしれん
足利持氏が暴れる可能性が低くなるってことかな?
基氏を源氏から平氏にしてしまえば、持氏も将軍になろうとして、ヨシノリと喧嘩する可能性が少しは薄れたかと
68日本@名無史さん:2006/02/16(木) 09:18:26
姓が源平に分かれた方が喧嘩が起こりやすいんじゃないか?
69日本@名無史さん:2006/02/16(木) 10:09:51
>>56
その中で最大の勝ち組はやはり毛利だな。

鎌倉時代は少し不遇だったが室町はぼちぼち、
戦国で花開き、江戸も一応大大名として存続、
そして維新で最大の功労者の1人になり、一門
の多数が華族に。本家は公爵だしね。

ちなみに「血」だけなら時政の血が足利→吉良→上杉
という流れで現在の上杉家には確実に存続。調べれば
もっとたくさんあるだろうね。
70日本@名無史さん:2006/03/03(金) 12:09:09
時政―義時―泰時―時氏―経時
                 ―時頼―時宗―貞時―高時―時行―行氏
                     ―宗政―師時―時茂
        ―重時―長時―義宗―久時―守時―益時
             ―業時―時兼―基時―仲時―友時
        ―実泰―実時―顕時―貞顕―貞将―忠時
        ―政村―時村―為時―煕時―茂時
   ―時房―朝直―宣時―宗宣―惟貞―高直
71日本@名無史さん:2006/03/06(月) 17:00:19
改良版

時政┬義時┬泰時―時氏┬経時
   │   │        └時頼┬時宗―貞時―高時┬邦時
   │   │            │            └時行―行氏
   │   │            └宗政―師時―時茂
   │   ├朝時―時章―公時―時家―貞家―高家―高邦
   │   ├重時┬長時―義宗―久時┬守時―益時
   │   │   │            └登子
   │   │   └業時―時兼―基時―仲時―友時
   │   ├政村┬時村―為時―煕時
   │   │   └政長―時敦―時益
   │   ├有時―有義―貞有―高有
   │   └実泰―実時┬顕時―貞顕―貞将―忠時
   │            └実政―政顕┬高政
   │                     └貞義
   └時房―朝直―宣時┬宗宣―惟貞―高直―高朝
                 └宗泰―貞直―顕秀
72日本@名無史さん:2006/03/13(月) 15:40:38
北条早雲の子孫はいますか?
73日本@名無史さん:2006/03/13(月) 15:48:22
>>72
某巨大宗教団体の会長さん
74日本@名無史さん:2006/03/14(火) 22:22:55
>>72
知ってるとは思うけど、鎌倉執権の北条と早雲はアカの他人だから。
>>73
とっくに死んでるけどね。
75日本@名無史さん:2006/03/15(水) 21:49:51
>>74
北条司は?
76日本@名無史さん:2006/03/16(木) 08:12:52
あれは「きたじょう」
77日本@名無史さん:2006/03/16(木) 10:49:01
>>76
>あれは「きたじょう」
後北条スレのほうで狭山の北条家の子孫って書いてありましたが?
78日本@名無史さん:2006/03/17(金) 08:15:36
いや、もろちん、ネタです
79日本@名無史さん:2006/03/18(土) 10:15:26
政子って、やっぱり頼家も実朝も殺してるんだろうか?

まあ、去年の財前直美が演じたあの鬼畜政子ならやりそうだが。
80日本@名無史さん:2006/03/18(土) 10:16:36
頼朝を殺したという説もある。

これも財前版ならやりそう。
81ざいぜん:2006/03/19(日) 06:35:06
おまいら…
82日本@名無史さん:2006/03/19(日) 11:47:10
>>81
トロッコで轢いたのか?
83日本@名無史さん:2006/03/24(金) 15:49:28
頼朝が死んで困るのはさほどでかくもない北条氏だからねえ。
政子を悪役にすると視聴率が取れない(商業的にウケない)ということが去年の大河でよぉぉっくわかった。
でもって次の源平モノは鎌倉方視点になりそうだが政子をマンセーにしすぎるとしたらやっぱり
頼朝や北条家の面子が悪く描かれてしまうんだろうか。それもなんだかなあ・・・
8483 :2006/03/24(金) 15:59:24
続きスマソ。
そのまえに大河ドラマが続いてるかもあやしいな・・・
85日本@名無史さん:2006/03/25(土) 09:27:02
>>83
>頼朝が死んで困るのはさほどでかくもない北条氏だからねえ。
そうですね、時政が幕府内でそれなりの地位にいられたのは頼朝との縁が大きいと思う。
そのへんは、足利・三浦・千葉・宇都宮あたりの大豪族とは違いますね。
彼らは、頼朝との縁も深いけど、実力だけで地元一国分くらいの勢力は確保しているわけだし。

平家の全盛時代から牧の方経由で池禅尼・平頼盛と繋がっているって説は信憑性あるのかな、
これが事実なら、他の関東御家人とは違う北条氏の強みがあったことになりますが。
(京都との人脈とか、時政あたりの政治能力とか)
86日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:56:00
鎌倉幕府滅亡時の幕府方武将の本音
名越宗教>得宗家乗っ取ろうにも、北条家潰れたら意味ねーよ
赤橋守時>捨て駒かよ
淡河時治>俺って生きてたのかな?俺って佐介時盛の息子だろ?
安達時顕>二回目の危機は乗り越えられなかったorz
赤橋英時>少弐大友きたねー
阿曽時治>今更処刑かよ
二階堂道蘊>つか何で処刑?
諏訪頼重>子孫が尾張の田舎大名にやられるって悲惨
三浦時継>子供を足利方にして良かった
87日本@名無史さん:2006/04/11(火) 17:22:12
北条時政は実は北条家の嫡流ではない、別に本家があった。
北条泰時は義時の長男だが嫡子ではない。

これらの説はホントなの?

88日本@名無史さん:2006/04/11(火) 17:49:15
>北条時政は実は北条家の嫡流ではない、別に本家があった。

平六時定、調べてみそ
89日本@名無史さん:2006/04/11(火) 19:46:35
泰時のかあちゃんってなんか史料に乏しくてよくわかってない部分が多くて、
嫡子とかそうじゃないとかいう以前の問題なんジャマイカ?
それとも最近の研究でなんかわかったん?
90日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:29:52
>>88
時定の家系が嫡流って確定できる資料ってあるの?
幕府成立前の時政が時定の命令権の下にいたのか、独立した立場だったのか。
後者なら庶流というか、分家とか別家ですね。

>>89
泰時は、頼朝・政子にかわいがられていた(最初の名前は頼朝から一字貰って頼時)なんで、
生まれはともかく扱いは嫡男なのでは。
承久の乱でも主力の東海道の大将やっているし。
当時は江戸時代なんかと違って、生まれ(幼長の順序や生母)と同じように本人の才覚も重要でしょうから。
91日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:40:32
>>89
泰時のかあちゃんは出自不明。

朝時、重時のかあちゃんが比企氏、政村のかあちゃんが
伊賀氏と出自がはっきりしていることを考えると、身分
がないか高くない女性なのは確実かと。

>>90
そもそも北条家そのものが、時政より前は良くわからない
程度の家だから嫡流もなにもないような気がw
92日本@名無史さん:2006/04/11(火) 21:49:57
>>89
ありがトン。研究が特に進んだわけではないんだな。
そういえば実は泰時のかあちゃんは昔頼朝と懇意だった伊東の八重姫かもしれないというネタレベルの説もあるよなあ。
93日本@名無史さん:2006/04/12(水) 07:16:35
北條家は孫子ばかり読んでたなんて、初期の藤原氏なみの恐ろしい逸話だな。
94日本@名無史さん:2006/04/12(水) 07:29:14
>>93
藤原氏の相伝の書が六韜だからねw
95日本@名無史さん:2006/04/16(日) 23:03:04
96日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:37:12

時 行 が 戦 っ た 大 徳 王 寺 城 の 場 所 わ か っ た !!!!

97日本@名無史さん:2006/05/02(火) 20:55:24
>90熊谷直実が、畠山重忠(秩父党(秩父・畠山・河越・江戸・河崎・渋谷・葛西・豊嶋 等)のドン)に「小身だから、自分自身で弓馬の手柄を立てなければならない」と笑われてる。

熊谷と同流の北條も、桓武平氏の中ではその程度の家柄だったのだろう。
頼朝の配流はまさに「奇貨おくべし」だな。
98日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:18:09
直方流が本当だとしたら義家に全遺産横領されたことになるん家
99日本@名無史さん :2006/05/03(水) 00:23:12
>>92
八重姫は「江間小次郎」に嫁いだとされているけど、
「江間小四郎」は北条義時の通称なんだよね。

ちなみに、北条泰時の通称は「江間太郎」だ。
100日本@名無史さん:2006/05/03(水) 00:44:01
>98だから、取り返したじゃん
101日本@名無史さん:2006/05/03(水) 01:23:52
北条ほど人気のない一族も珍しいよな・・・
102日本@名無史さん:2006/05/03(水) 08:14:53
>>101
戦国と幕末以外の一族はどれも似たようなもんだw

しかし泰時を主人公にした作品があってもいいんでないかといつも思う自分がここに・・・
103日本@名無史さん:2006/05/03(水) 16:46:22
吉川弘文館の人物叢書で出ている北条氏の人々

北条政子、北条義時、北条泰時、北条時宗、金沢貞顕

なんだかんだいっても、北条氏でもっとも知名度が高いのは、尼将軍だよな。
104日本@名無史さん:2006/05/03(水) 21:49:16
政子は頼朝のカリスマ性を継承できた唯一の人だからね
105日本@名無史さん:2006/05/06(土) 11:31:53
長崎高資って悪く書かれがちな人物だとおもいますが、最近の研究ではどうなんでしょうか
106日本@名無史さん:2006/05/08(月) 08:09:05
研究では善悪には触れません
107日本@名無史さん:2006/05/08(月) 17:51:22
残った血筋は、名越と極楽寺でオケー??
108日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:21:38
>>107
なにゆゑ?
109日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:31:51
極楽寺って残ったの?飛騨江馬氏は佐介流じゃ
110日本@名無史さん:2006/05/09(火) 00:36:47
>108中学校の教師が、言ってました。
>109江馬家って地震で滅んだんですよね?
111日本@名無史さん:2006/05/14(日) 12:44:32
横井(小楠)とか平野(長泰)の家系は自称得宗家(時行)の子孫だったような。
112日本@名無史さん:2006/05/17(水) 20:48:07
北条氏(ほうじょうし)は、伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族である。
また、代々鎌倉幕府執権職を継承したことから執権北条氏ともいわれる。

時方のとき伊豆介となって伊豆国北条郷(現静岡県伊豆の国市)に土着し、
北条氏を名乗ったというが、詳細はわかっておらず、平氏ではなく、東国から北条の地に移り住んだ豪族とする説が有力である。
その傍証として、伊豆の他の豪族と比べて地元に同族が少ないことが挙げられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F
113伝説の名無しさん :2006/05/17(水) 21:05:21
??
有力なのか??
まぁ、所詮wikiだしなぁ…。
114日本@名無史さん:2006/05/17(水) 21:10:05
>>113
まあ誰でも書けるし署名しなくても良いし。
入手が便利な情報なんて所詮はそんな価値しかないよ。
115日本@名無史さん:2006/05/17(水) 23:48:44
>112同族が少ないって言っても、駿河・伊豆・相模西部は既に工藤・伊東一族に押さえられてるからな。

貞盛流なんだから関東から来たのは当たり前だろwww
ぶっちゃけ、同族の熊谷家と一緒で、大「桓武平氏」系武士団のなかの落ちこぼ(ry
116日本@名無史さん:2006/05/22(月) 06:31:02
今日は、北条一門の最期の日か・・・(-∧-;)ナムナム 。
117日本@名無史さん:2006/05/22(月) 13:45:07
>>102
天下人の一族ってことじゃないか?

藤原氏以降、桓武平氏、頼朝流の源氏、足利氏、織田・豊臣、徳川氏
などと比べると、歴史好きの人でも関心が薄いというか。
118日本@名無史さん:2006/05/22(月) 15:58:22
>>116
鎮西探題はあと3日ある。
119日本@名無史さん:2006/05/24(水) 20:02:14
(-人-) 旧暦ならまだまだだよ
120日本@名無史さん:2006/05/25(木) 00:41:41
宝賀VS野口VS純粋無垢なかわいこちゃん のバトル
121日本@名無史さん:2006/05/25(木) 20:52:37
北条泰時最強伝説
122日本@名無史さん:2006/05/25(木) 23:37:25
泰時、次の鎌倉モノの大河の主人公じゃ駄目か?
教科書でおなじみの人物なのになんで影薄いんだよ金剛ちゃん・・・
123ひも ◆r5jNyx3CKY :2006/05/26(金) 15:01:13
連署、評定衆、貞永式目

人生の成功の秘訣が隠れてる気がするな
124日本@名無史さん:2006/05/26(金) 23:54:14
>>122
たしかに鎌倉時代を舞台にするなら、泰時だろうね。
時宗はもうやっちゃったから。
125日本@名無史さん:2006/05/27(土) 12:28:43
>>124
と自分も思うんだが、昨今の大河の低迷を考えると
企画の段階でとりあえず政子の名前を表に出しつつ泰時を影の主役とかで行きそうだ。
彼ならいい子ちゃんキャラにしてもそんなに苦情は来ないだろうw
母親は伊東の八重姫でいいよ。
126日本@名無史さん:2006/05/27(土) 19:08:06
>>124
鎌倉時代なら、とはずがたりなんてのもあるぞ?
二条は体当たり演技できる女優を出して、
後深草院をはじめ男優陣はAVから。
大河の歴史を塗り替える高視聴率間違いないぞ?
127日本@名無史さん:2006/05/27(土) 22:31:50
>>126
>後深草院をはじめ男優陣はAVから。

不敬罪
128日本@名無史さん:2006/05/28(日) 11:33:45
大河の原作なんて普通はエロいぞ・・・
忠実にやったら民放の深夜とかじゃないとできねーよ。
とマジレス。

129日本@名無史さん:2006/06/04(日) 11:53:31
実朝暗殺はやっぱ北条家ですか?
130日本@名無史さん:2006/06/04(日) 12:15:48
>>129
今は三浦氏黒幕説とか、御家人が連合で・・・とかが主流でしょ。
つかループだなこの話題。
131日本@名無史さん:2006/06/05(月) 19:02:47
有時(義時の子)の子孫の伊具氏は、あまり活躍してないみたいだね。
泰時は、名越氏を抑えるために極楽寺と金沢を引き立てたようだけど
その下の弟には、さほど気に留めていなかったのかな。
132日本@名無史さん:2006/06/06(火) 23:52:53
有時は庶子扱いで他の兄弟より明確に一段格下だったからでしょう。
年齢的には実泰よりも上じゃなかったか?
133日本@名無史さん:2006/06/07(水) 05:42:05
131です。有時は、政村、実泰よりも年齢が上ですね。陸奥六郎なんて書いて
あったから、単純に六男だと・・・。
134日本@名無史さん:2006/06/08(木) 20:50:31
庶子扱いって…。
嫡子以外は皆庶子でしょうに…。

義時が決めた嫡子が泰時なのか朝時だったのかは分からんけどな。
135日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:05:52
単純に庶子という表現にすると紛らわしいのだが、
自分より年少の兄弟よりも順序が下にされている点で、
嫡子以外の他の兄弟からさらに一段下がった存在だったということが言いたいのだろうな。
系図を見ると有時より下に更に男子がいるが、これらも似たような存在だったのだろうな。

年齢的には時頼の長男のはずの時輔が三男扱いだったのも、これと通じるものがある。
北条氏はこういうことをやるのが好きだよな。
136日本@名無史さん:2006/06/08(木) 23:20:30
北条氏が、というより、当時の一般的な感覚じゃないかな。
137日本@名無史さん:2006/06/10(土) 08:16:13
普通は庶子つったら母が側室で
かつ嫡子と異母兄弟のことを言うと思うがなぁ
138日本@名無史さん:2006/06/10(土) 20:10:23
>>137
自分もそう思ってた・・・

でもって政子のアニキの宗時が三郎ってことはやっぱ上にアニキが二人いたってことか?
139日本@名無史さん:2006/06/10(土) 21:55:13
>>138
ほぼ同時代で曽我十郎、五郎兄弟なんてのがいますから、単純に上から太郎、次郎って名づける風習は
既になくなっていたと思います。
曽我五郎は烏帽子親の北条時政の5番目の烏帽子子だったからそう名乗ったのだったかな?

140日本@名無史さん:2006/06/18(日) 20:09:54
北条時輔ほどの切れ者はいなかった。
141日本@名無史さん:2006/06/25(日) 20:58:42
へぇ、そうなんだ
142日本@名無史さん:2006/07/01(土) 01:15:04
>>140
そんなにキレてたの?
143日蓮:2006/07/01(土) 08:02:00
南無妙法蓮華経
144日本@名無史さん:2006/07/05(水) 00:52:27
>>142
キレてないですよ
145日本@名無史さん:2006/07/10(月) 22:38:21
なんやねんw
146日蓮:2006/07/10(月) 23:40:45
南無妙法蓮華経
147日本@名無史さん:2006/07/10(月) 23:59:27
>>140
垢マフラー
148日本@名無史さん:2006/07/11(火) 14:35:39
>>147
きたねえ
149日本@名無史さん:2006/07/16(日) 14:52:04
北条時輔ほどの切れ者はいなかった。

俺もそう思う。
8代執権は時輔が適任だったと思う。
時頼も天国で後悔しただろう。

150日蓮:2006/07/16(日) 16:36:31
南無妙法蓮華経
151日本@名無史さん:2006/07/17(月) 09:26:53
北条時輔ほど存在感の無い奴はいなかった。
152日本@名無史さん:2006/07/17(月) 22:42:07
中学の社会科の先生は、北条時輔のことを知らなかった。
ショックだった。
153日本@名無史さん:2006/07/18(火) 02:56:36
>>152
所詮、時輔はその程度の存在なの。
154日本@名無史さん:2006/07/18(火) 18:16:46
時輔様を知らないようじゃ、教師失格だわ。
ところで、足利幕府で繁栄した北条氏っていないの?
倒幕で足利に付いた北条氏っていないの?
155日本@名無史さん:2006/07/19(水) 00:35:31
倒幕の時、北条方についたのは、大江三好武田三浦の各一族だけなの
156日本@名無史さん:2006/07/19(水) 17:29:52
まあ社会科のセンセが必ずしも史学専攻してるわけじゃないしねえ。
157日本@名無史さん:2006/07/20(木) 00:08:28
まあ正直、鎌倉時代の中では時輔なんて知らなくてもいい方だしな
158日本@名無史さん:2006/07/20(木) 22:17:07
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした。
159日本@名無史さん:2006/08/04(金) 12:17:47
北条時輔は、本当に謀反を企んでいたのでしょうか?
160日本@名無史さん:2006/08/07(月) 03:11:31
時輔〜〜
六波羅探題〜〜
161日本@名無史さん:2006/08/09(水) 02:19:50
北条時政は漢字が書けなかったらしいけど
次の総理大臣も「景気」を漢字で書けなかったらしい。
162日本@名無史さん:2006/08/10(木) 07:53:16
はいはい中共工作員乙
163日本@名無史さん:2006/08/14(月) 07:43:46
北条師時について語れや
164日本@名無史さん:2006/08/14(月) 21:39:52
連署の北条義政公がいた上田市塩田の者です。
165日本@名無史さん:2006/08/15(火) 23:26:14
六波羅探題南方の北条時輔公がいた京都市東区の者です。
166日蓮:2006/08/15(火) 23:51:45
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
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167日本@名無史さん:2006/08/16(水) 00:57:47
小田原の方が遥かに平氏である信憑性は高い
168161:2006/08/16(水) 01:23:53
>>162
あのネタ嘘なん?
169日本@名無史さん:2006/08/16(水) 01:25:55
北条一門にはどのくらい分家があったのだろう?
170日本@名無史さん:2006/08/16(水) 07:43:59
数え方による
171日本@名無史さん:2006/08/16(水) 12:59:35
>>169
鎌倉北条氏を含む桓武平氏維将流を全部含めるのか、それとも北条時政の
子孫のみで数えるのかで違ってくるのぅ。
172日本@名無史さん:2006/08/16(水) 14:15:41
大きく分けると

得宗家
伊具家
名越家
極楽時流赤橋家
極楽時流常葉家
極楽時流塩田家
極楽時流普音寺家
政村流(常盤)
金沢家
時房流佐介家
時房流大仏家

になるんだろうけど、
得宗家庶流の阿蘇とか宗政系・宗頼系、
金沢庶流の甘縄・規久・糸田とかもあるからなぁ。
173日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:49:51
>>169
>>172
別冊 歴史読本「歴史の争点 武士と天皇」 に載ってた細川重男氏の文より抜粋。
後期鎌倉幕府での特権的支配層 

・寄合衆まで昇る家 8家 (他に御家人1家(安達顕盛系)、法曹官僚系6家、御内人系3家)
 得宗家時宗系
 得宗家宗政系
 名越家時章系
 赤橋家 (*極楽寺流)
 普音寺家 (*極楽寺流)
 政村流北条家時村系
 金沢家顕時系
 大仏家宗宣系

174日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:51:36
引き続き

・引付頭人までしかなれない家 12家 (他に御家人7家(安達2家、大曽根、佐々木2家(京極・隠岐)、宇都宮、後藤)、
 法曹官僚系8家、御内人系数家(家数不明))
 
 名越家時基系
 常葉家 (*極楽寺流)
 塩田家 (*極楽寺流)
 政村流北条家政長系
 伊具家斎時系
 甘縄家 (*金沢流)
 佐介家時員系
 佐介家政氏系
 時房流北条家時村系
 大仏家宗泰系
 大仏家貞房系
 大仏家貞宣系

172さんも仰っているように、探題や守護に就任するような有力な分家もまだまだありますね。
上の内容は丸写し(*は私が追記しました)したんだけど、同じ時房の子孫でも佐介家・大仏家と時房流北条家とか
金沢家顕時系と甘縄家とか表記方法が分かれているのは何か意味があるのかな?
175日本@名無史さん:2006/08/17(木) 21:57:43
ありがとうございます。
自分的には時政以後が分家と思います。
時政には弟はいたんですか?
176日本@名無史さん:2006/08/18(金) 21:32:07
>>175
>時政には弟はいたんですか?

甥(平六時定)がいるから兄弟がいたのは確かですが、弟かどうかは不明です。

177日本@名無史さん:2006/08/19(土) 14:49:19
鎌倉北条氏を語るうえで時宗を外す奴は国賊。
178日蓮:2006/08/20(日) 13:01:57
>>177
アンタの親父は賢かったよ。
179一遍:2006/08/20(日) 14:11:38
>>177
そんなにワシと北条殿との出会いは
衝撃的だったのかのぅ…。
180日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:22:56
鎌倉北条氏を語るうえで時輔を外す奴は人にあらず。
181日本@名無史さん:2006/08/22(火) 14:33:11
>>179
死ねよ
182日蓮:2006/08/22(火) 16:38:34
時頼殿は賢かった。

おわり。
183日本@名無史さん:2006/08/22(火) 17:15:33
時宗を讃えない人間に、日本の空気を吸う資格はない。
184遊行上人:2006/08/22(火) 17:48:39
>>183
南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏。
185日本@名無史さん:2006/08/28(月) 02:18:44
時輔を讃えない人間に、日本人を名乗る資格はない。
186日本@名無史さん:2006/08/28(月) 06:52:19
10日で執権辞めた貞顕て宰相短期在任のギネス記録じゃない?
187日本@名無史さん:2006/08/30(水) 00:44:13
>>162
で、ホントはどうなの?
俺も一国の首相になろうって人物が景気も漢字で書けなかったなんて思いたくないが
書けたの?書けなかったの?
188161・187:2006/08/30(水) 00:54:25
ぐぐってみたけど同一ソースっぽい左翼系ブログしか見つからない
さすがに景気を漢字で書けないわけはないよな。
安倍晋三>壁>北条時政
189日本@名無史さん:2006/08/30(水) 08:24:56
スレちがい
190日本@名無史さん:2006/08/31(木) 21:33:26
>俺も一国の首相になろうって人物が景気も漢字で書けなかったなんて思いたくないが
ポテトをちゃんと書けない超大国の副大統領はいる(いた)からなー。


191日蓮:2006/09/04(月) 10:35:16
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
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192北条泰時:2006/09/04(月) 18:40:02
あ〜、もう一回上皇を流罪にして、天皇を廃位させてぇなーw
193日本@名無史さん:2006/09/04(月) 21:39:38
北条ドキュ宗
194日本@名無史さん:2006/09/05(火) 12:10:15
時輔様
195九条廃帝:2006/09/05(火) 15:24:32
>>192


                呪
196日本@名無史さん:2006/09/06(水) 23:48:25
鎌倉武士は幕府再建の夢を捨てていないと言っておく。
197キングカズ:2006/09/09(土) 03:03:29
下総犬が調子に乗ってやがるナ。
198日本@名無史さん:2006/10/09(月) 12:31:12
北条泰時
199日本@名無史さん:2006/10/09(月) 18:27:49
ここで相模入道崇鑑が登場




     ,、r''" ̄ ̄`'‐、
   /         ヽ
.  , '           .i
 /  ニニ        _|
 |~゙`'  ̄ ''''""゙`   ''゙ラl
 |ェュ、 .,  、ェェ;ァ‐  、7ノ|
 i - ','  ` - ''    └/
 l.  / -、      ._ノ
. '、,r'' '' "'、      ゝ、,_
  ',. ‐=ュ、ヽ  ,r'  / /│;;;;
  __゙、     /  / /  |;;;;;;
‐i゙l;;;;;|`'t、-‐''"   / /  │;;;;;
;;| |;;;;;| ',.ヽ    / /   |;;;;;;;


「ん?全て円喜に任せてある。円喜に聞くがよいわ」
200日本@名無史さん:2006/10/23(月) 18:30:35
慈悲の心は犬に食わせてしもうた。
201日本@名無史さん:2006/11/02(木) 00:17:37
そう言えば子供の頃玉縄に住んでたな・・・
自由研究の材料には困らんかった
学校は鎌倉だったけど、鎌倉時代のネタはやらなかったな…
ひねくれた小学生だw
202とーほくの資産家:2006/11/06(月) 23:04:55
金澤流北条氏の子孫として当スレッドは大変うれしいです。
とーほくの田舎には大江氏をはじめ三浦氏、北畠氏、斯波氏(最上に改名)
などがおり、京都を追われた一族が、大勢とーほくに逃げた話は有名です。
山の方には必ず「平家の落ち武者」が居ますが、落ち武者とは別に「血だらけの
鎧武者がビッコひいて逃げ込んだ」者ではなく。
一族がきちんと親戚に挨拶をして集団で、移住先を決めて大移動した。
ものだったはずです。
というのも、平家も源氏も「天皇の親戚」という関係だったので、嫁にやったり
もらったりと複雑な人間関係にあったからです。
203日本@名無史さん:2006/11/06(月) 23:27:41
>>202
何を言ってるのか分からんが、
馬鹿である、ということだけは分かったw
204日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:30:25
時宗 ときむね
時宗 じしゅう

















政村流はなぜ独自の姓にしなかったんだ。
205日本@名無史さん:2006/11/07(火) 17:31:15
北条ってやっぱ大江広元の子孫の

               きたじょう氏だよな
206鷲尾三郎:2006/11/11(土) 01:22:16
宗政が兄嫁と不倫か?
なんて思いながら「慶次郎縁側日記」を見てたがそもそも出演者が時宗とかぶりたおしてた。
なんで今回のシリーズまで気が付かなかったんだろ。
毛利季光
北条宗政
北条宗宣
三浦景村
日蓮
桐子(子役)
高師氏
小山氏女(あざらし)
207とーほくの資産家:2006/11/17(金) 01:11:11
分りやすく言えば「TVや映画に騙されるな」という話です。
源氏と平家と言えば「敵同士」と答える日本人は多いでしょうが
もともとは「天皇の分家」なので、兄弟ケンカなのです。
また、昔は身分制度が長く続いてきたので「役職どうしの結婚」
が武士も農村も同様に行われてきました。
ですから、源氏から平家に嫁をやったりもらったりが日常だったのです。
NHKの大河でも「義経は平家頭首の子供?」とにおわせるシナリオだったし
ありうる話です。
平家の落ち武者の部落は、農民から尊敬されこそバカにされてはいないのです。
(とーほくに部落差別は無い)
208日本@名無史さん:2006/11/17(金) 01:21:45
↑ソース無き妄想
209日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:27:41
>>202
>斯波氏(最上に改名)

ここは突っ込んでいいのかな?
210日本@名無史さん:2006/11/17(金) 17:58:31
>>176
時定の父は弟らしい
ちなみに時定は和泉にて源行家を捕らえ、斬首した人
211日本@名無史さん:2006/11/18(土) 01:15:59
そういえば本当は時定が北条本家だったとかいう説もあったな。
212日本@名無史さん:2006/11/18(土) 23:19:14
北条執権の荒々しい対朝廷政治手法は、平新皇将門の遺恨を晴らすかの如く痛快無双である。
承久の乱(1221)後鳥羽上皇隠岐、順徳上皇佐渡、土御門上皇土佐に配流。
元弘の乱(1331)後醍醐天皇隠岐、尊良親王土佐、尊澄法親王讃岐に配流。
後鳥羽・後醍醐の狂乱に対する果断な処罰があったればこそ、皇室が今日まで存続したんだと思う。
臣下による<朝廷処罰>の歴史的意義、意見聴かして。






213日本@名無史さん:2006/11/19(日) 20:18:27
時定の父は時兼
214日本@名無史さん:2006/11/19(日) 21:12:39
分家の人たちは書状や名乗りで名越や赤橋などを苗字として正式に使って
いたのですか?
215日本@名無史さん:2006/11/20(月) 01:08:21
>>214
鎌倉遺文でもひっくり返してみればわかるんじゃない?
216日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:13:40
まあそうだ。
217日本@名無史さん:2006/11/22(水) 22:28:49
そうだな
218日本@名無史さん:2006/12/13(水) 18:26:07
祖父時村の仇宗方を討った煕時に拍手!
219泰時命:2006/12/13(水) 23:37:29
>212
土地の開拓者集団が天皇や朝廷に打ち勝った。実にすばらしい。
ただ、平氏や源氏は朝廷の官職にも興味があり、ちと情けなし。
北条氏こそ、開拓者(御家人)のための政治体制確立の立役者なり。
220日本@名無史さん:2006/12/14(木) 01:22:25
北條氏は全滅ではなく、赤橋家・名越家の子孫はいるんですよね?
221日本@名無史さん:2006/12/14(木) 18:32:35
得宗の娘が足利に嫁いだため得宗の系統は女系で足利に伝わる。
朝時の娘は斯波家氏の母となったので斯波は名越の子孫
守時の妹登子は尊氏に嫁ぎ、義詮と基氏を産んだので足利将軍と鎌倉公方は赤橋の子孫
222日本@名無史さん:2006/12/14(木) 22:02:12
男系は族滅? 薩摩に名越家があるらしいが…
223日本@名無史さん:2006/12/20(水) 17:01:26
そうなの?
224日本@名無史さん:2006/12/21(木) 01:37:38
自称鎌倉北条一族の種子島氏じゃない?
225日本@名無史さん:2006/12/23(土) 21:29:25
>>222
名越美香
226日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:24:07
>>224
種子島氏は平行盛の子孫も自称してた
227日本@名無史さん:2006/12/24(日) 18:38:48
名越の中でも時章の子孫は重用されたよ
孫の時家は鎮西探題になっているぞ
228日本@名無史さん:2006/12/27(水) 20:54:11
高倉健さんって北条氏の末裔ですよね(自伝に書いている)。
あと、横井小楠は高時の息子の時行の流れ(嫡流)を汲んでいるということになっているはずだ。

誰か先に同じことかいてたらごめんなさいね。
229日本@名無史さん:2006/12/29(金) 17:45:11
     とき あり
小楠の名は 時 存 だから関係あるかも
230日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:50:51
政村流は独自の姓にしてませんがこれはなぜ?
231日本@名無史さん:2006/12/31(日) 14:57:39
>>230
政村流以外は独自の姓があったのですか?
232日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:21:54
義時の子
朝時 名越
重時 極楽寺
政村 特になし
有時 伊具
実泰 金沢
時房の子
時盛 佐介
朝直 大仏
朝時の子
光時 江間
重時の子
為時 苅田
長時 赤橋
時茂 常盤
義政 塩田
業時 普恩寺
忠時 坂田
顕時の子
顕実 甘縄
政顕の子
高政 規矩
貞義 糸田
233日本@名無史さん:2006/12/31(日) 15:23:13
時房の系統はシンプルで佐介と大仏しかない
234日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:16:41
それは姓ではないだろ。
235日本@名無史さん:2006/12/31(日) 16:32:28
苗字でもないな。
236日本@名無史さん:2006/12/31(日) 19:54:07
一応分類上は、
常盤
とする時もあるな。
そもそも北条一族の庶家で鎌倉時代に
北条以外の苗字で呼ばれていたことが
確認できる例は少ないわけだが。

>>232
得宗家庶子の

阿蘇
桜田

なんてのもあるな。
237日本@名無史さん:2006/12/31(日) 22:56:56
単なる通称レベルなんだろうけど、鎌倉北条氏の場合は確かに後世の人が
庶家を区別するためにつけた通称という意味合いも強いよな。

上杉氏における山内・犬懸・扇谷とか、佐々木氏における六角・京極・塩冶とかの
場合は、実際に当時そう呼ばれている例が結構確認できるから、限りなく公称の
苗字に近い通称だけど。
238日本@名無史さん:2007/01/01(月) 14:10:48
小袋坂にちなんで小袋流北条氏 なんちゃって
239日本@名無史さん:2007/01/09(火) 03:28:19
>>232
江間は元々は義時自身。
てか鎌倉初期の場合、まだまだ一人の個人につく通称レベルのものが多くて、
世襲の苗字として確立していたのか微妙なものも多い。
240日本@名無史さん:2007/01/13(土) 19:49:44
牧方の子である政範が長生きしていたら牧方事件の展開もまた変わってただろうな。
そのせいで子孫は名越以下の待遇だろうな。
241日本@名無史さん:2007/01/23(火) 00:30:40

      .  :-=,一;1ー,ー,,;1―,―,,=;、
        =               ミ        やったッ!さすが我が祖国・関東!
        ミ             ゙ミ     天皇無視して、関西に突撃ダァァァァ!!
        ミ     ▲       ゙ミ   時代が変わった今は平然と裏切り、迷わず天皇を島流しにする!
        ミ    ▲ ▲      ゙ミ        そこにしびれるッ!憧れるゥ! 東日本の誇り!!
        ミ             ゙ミ
        ミ;=========:゙ミ′:-=,一;1ー,ー,,;1―,―,,
        /´ 〉'">、、,,.ィ二¨' {.  ヽ ミ            ゙ミ
         `r、| ゙._(9,)Y´_(9_l′ )  ( ミ     ▲      ゙ミ
         {(,| `'''7、,. 、 ⌒  |/ニY ミ    ▲ ▲     ゙ミ
           ヾ|   ^'^ ′-、 ,ノr')リ  ミ;========:゙ミ
           l  「匸匸匚| '"|ィ'( (,ノ,r'゙へ. ̄ ̄,二ニ、゙}了
    , ヘー‐- 、 l  | /^''⌒|  | | ,ゝ )、,>(_9,`!i!}i!ィ_9,) |人
  -‐ノ .ヘー‐-ィ ヽ  !‐}__,..ノ  || /-‐ヽ|   -イ,__,.>‐  ハ }
 ''"//ヽー、  ノヽ∧ `ー一'´ / |′ 丿!  , -===- 、  }くー- ..._
  //^\  ヾ-、 :| ハ   ̄ / ノ |.  { {ハ.  V'二'二ソ  ノ| |    `ヽ
,ノ  ヽ,_ ヽノヽ,,)ノl 'ーー<.  /  |.  ヽヽヽ._ `二¨´ /ノ ノ
/   <^_,.イ `r‐'  ヽ  \ `丶、  |、   \\'ー--‐''"//
\__,,/| ,,!    l、  \  \| \   \ヽ   / ノ
242日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:13:42
時輔流ってないの?
243日本@名無史さん:2007/01/25(木) 20:56:04
>>242
時輔の息子も後に、謀反の疑いで捕縛->死亡だった気が。
自称時輔流がどっかにいるかもしれませんが。
244日本@名無史さん:2007/01/26(金) 01:33:45
>>243
うわ〜、徹底してるなぁ・・・

徳川家光はなぜ忠長一家と正之一家を血祭りにあげなかったのか
忠長は容赦なく血祭りにあげて晒し首&胴体廃棄処分にしたのに
245日本@名無史さん:2007/01/26(金) 22:09:04
>>244
正之には家綱の後見を頼んだだろう
246日本@名無史さん:2007/01/27(土) 22:31:47
忠長のカミさんたちはぶっ殺されてないのか
家光の性格からしたら羽柴筑前みたいに
乳飲み子に至るまで皆殺しにしそうだが
247日本@名無史さん:2007/02/01(木) 10:30:25
>>246
よく勘違いされるけど、忠長は正式な罪状を与えられて死んだんじゃないよ。
こっそり死を強要されたんだよ。
だから親族が連座するはずもないし、させられる訳もない。
それをやっちゃったら法度って何?って話になるからさ。
家光もそこまで馬鹿じゃない。
248日本@名無史さん:2007/02/03(土) 00:26:16
他家殺しは頻繁にやっても同族殺しは殆どなかった北条家。
足利・新田一門は同族同士の殺し合いが頻発。
しかし北条家は足利宗家の残った登子の血を除いて死滅してしまった・・・
249日本@名無史さん:2007/02/03(土) 06:44:37
>>248
釣りですか?
北条だって宮騒動、二月騒動とか嘉元の乱とかあるじゃないか?
仲が良かったなんて、幕府滅亡時に一族で心中したからその印象が強いだけだろ。

あと、新田の一門の殺し合いって何?
250日本@名無史さん:2007/03/03(土) 09:28:18
金沢貞顕(1278〜1333)

弘安元(1278)年、北条顕時の子として生まれる。母は摂津国と河内国に
またがる大江御厨を本領にした遠藤氏の出身で、同母兄に顕実・時雄がいた。
異母兄には、顕弁(けんべん)・顕景がいる。顕時の正室は、安達泰盛の娘で
足利貞氏室を産んでいる。顕時は引付頭人となり、宗尊親王の側近ともなった。

しかし、弘安8(1285)年の「霜月騒動」で安達泰盛が滅ぼされると連座・
失脚して下総国埴生(はぶ)荘に謹慎の身となり、貞顕も幼少時は、埴生荘で
暮らしていた。永仁元(1293)年、平頼綱政権が崩壊すると政界に復帰し、
貞時が新設した7名の執奏の1人に任じられる。
251日本@名無史さん:2007/03/03(土) 09:42:51
永仁2(1294)年、貞顕は左衛門尉に補任される。父・顕時の初任官職である
左近将監より低く、当初は庶子の扱いだった。顕時は貞時からたびたび諮問を受け、
信頼が厚かったが、正安3(1301)年、死去した。翌年、貞顕は引付衆・評定衆を
経ずに、大仏宗宣の後任として六波羅探題南方に起用された。貞時の顕時への信頼が
その子・貞顕の抜擢につながった。

貞顕は当初から朝廷との折衝を担当していたようで、亀山法皇が中納言・吉田経長の
昇進を白紙に戻して、花山院家雅を代わりに昇進させたことについて幕府の意向に基づき
抗議している。嘉元2(1304)年、後深草院崩御の際は、弔問を行った。
252日本@名無史さん:2007/03/03(土) 09:59:11
嘉元3(1305)年、内管領・北条宗方が連署・北条時村を殺害した。貞顕は
北条時村の娘を正室にしていたため、時村の与党とみなされ討伐される危険があった。
しかし、時村の誅殺が誤りと発表され、代わりに宗方が責任を追及され処刑されたため
難を逃れた。

徳治2(1307)年、六波羅探題北方の北条時範が死去したため、探題の職務は貞顕が
単独で行うことになる。この時、興福寺が近江守護・佐々木頼綱の流罪を求めて、春日神木を
擁して強訴を起こしたため防御にあたる。

延慶2(1309)年、六波羅探題の任務を終えて6年振りに鎌倉に戻る。鎌倉に戻ってすぐ
北条高時の元服式があり、貞顕は御剣役を務めた。貞顕は引付3番頭人となる。兄・甘縄顕実は
7番頭人であり、兄より上位となったのは六波羅探題としての活動が評価されたためと思われる。
さらに、鎌倉幕府の最高合議機関といえる「寄合衆」に加えられ、幕府の中枢幹部になった。
253日本@名無史さん:2007/03/03(土) 10:17:44
この頃、延暦寺の大規模な強訴が起こり、六波羅探題・北条貞房が死去して探題が
不在となるなど混乱が続いた。貞顕は急遽、六波羅探題北方に任命され再上洛する。
延暦寺の強訴は何とか沈静化したものの、延慶4(1311)年、貞顕の被官が
「踏歌節会」において闘乱事件を起こすという不祥事が発生した。貞時はこの事件を
不問に付し、貞顕を武蔵守に補任させる。武蔵守は執権・連署を象徴する官職であり、
次期連署就任を予測させる人事だった。その直後、貞時は急死する。

正和元(1312)年、興福寺と多武峯が合戦を始める。藤原氏の氏寺・興福寺と
鎌足の墓がある多武峯の間の本家争いは恒常的なものだったが、興福寺は以前、貞顕に
強訴を阻止された恨みから、強硬な態度をとったので事態は収まらなかった。さらに
新日吉神人と六波羅探題職員が衝突する事件が起こり、延暦寺が六波羅に攻め寄せる
風聞が立つなど、京都の情勢は一触即発となった。幕府から使節が上洛し騒動が終結すると
貞顕は六波羅探題北方を辞任、正和3(1314)年、鎌倉に戻った。
254日本@名無史さん:2007/03/03(土) 10:35:55
正和4(1315)年、普音寺基時が執権になると同日付で、貞顕は連署となった。
貞時死去後、安達時顕と長崎高綱が高時の後見となり政治の実権を握っていたが、
翌年には、両者が協調して高時が執権に就任することになった。貞顕は引き続き
連署に留任した。高時が執権になったことで幕府内の統一が果たされ、しばらくは
平穏な時期が続く。

文保3(1319)年、貞顕の兄で僧となっていた顕弁が、園城寺別当になる。
独自の戒壇を持たない園城寺が戒壇設立を求め、延暦寺がそれに反対する天台宗の
山門派と寺門派の内部抗争は長年にわたって続いており、顕弁は連署・貞顕の兄で
あることから解決の期待を背負っていた。しかし、顕弁は事態を収拾できず鎌倉に戻る。

元享2(1322)年、貞顕は修理権大夫に補任された。翌年の北条貞時13回忌では
「修理権大夫殿以下御一族宿老御坐」の記述があり、貞顕が宿老の筆頭であったことが
分かる。
255日本@名無史さん:2007/03/03(土) 10:52:54
この頃、京都政界は持明院統と大覚寺統が対立していたが、室町院領の分割を巡り
元享4(1324)年、事件が起こる。室町院領は両統で分割していたが、宗尊親王の
娘・永嘉門院瑞子(ずいし)内親王が権利を主張して分割の変更を求めたのである。
永嘉門院は後宇多上皇の中宮であり、永嘉門院の主張が認められれば大覚寺統の
勢力拡大につながる。

花園上皇は日記に「貞顕が永嘉門院の主張を支持している」と書き、憤慨している。
貞顕の父・顕時は宗尊親王と関係が深く、貞顕はその忘れ形見の永嘉門院に親愛の情を
抱いていた。花園上皇は鎌倉に抗議の使者を送り、再分割の決定を撤回させた。

一方、大覚寺統嫡流の皇太子・邦良親王は使者を鎌倉に派遣し、皇位の交代を幕府と
交渉していた。このような中で、9月19日に後醍醐天皇の倒幕計画が明るみに出る。
貞顕の嫡子・貞将は六波羅探題南方として5000騎を率いて上洛、騒然となった京都の
治安維持にあたった。
256日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:06:52
正中3(1326)年、北条高時が病気により執権を辞任、京都では皇太子の
邦良親王が死去したことで、京都・鎌倉共に後継者問題が深刻となる。高時の
後任としては、安達時顕の推す泰家(高時の弟)と長崎高綱の推す邦時(高時の
長子)が候補だった。

邦時の生母は得宗被官・五大院(ごだい)氏出身であり、安達氏は外戚関係の
断絶を恐れていた。邦時は生後3ヵ月であり、長崎高綱は邦時が成長するまでの
中継ぎとしての執権就任を貞顕に要請、貞顕は「面目極まりなく候」と喜んだ。
しかし、執権就任直後の泰家派の政務ボイコットでつまずき、貞顕暗殺の風説が
流れるなど身の危険を感じた貞顕は、辞任・出家する。長崎氏と安達氏の確執は
尾を引き、幕府は自壊への道を歩むことになる。
257日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:24:23
一方、京都では邦良親王の死去により、皇太子には持明院統の量仁(かずひと)親王が
擁立される。持明院統は後醍醐天皇の退位を求め、邦良親王の子で大覚寺統嫡流を継いだ
康仁王も同調した。二階堂道薀(どううん)が京都に派遣されて調停を始めるが、道薀は
幕府の意向を無視して持明院統に有利な裁定となるよう暗躍する。大覚寺統・康仁王を
支持する貞顕は、道薀の独断専行を激しく非難している。すでに、幕府の幹部たちは自らの
判断で勝手に動いており、内部分裂を起こしていた。

元徳3(1331)年4月29日、後醍醐天皇の倒幕計画が吉田定房の密告で発覚した。
5月に文観・円観・忠円が、7月に日野俊基が逮捕され、事件の糾明が続いた。鎌倉では
高時による内管領・長崎高資の暗殺計画が露顕、高時の側近が捕らえられ流罪となった。
高時は自らは関知していないと弁明したが、幕府の権威は失墜して御家人には幕府への
不信感を抱かせ、後醍醐天皇には態勢を立て直す余裕を与えた。
258日本@名無史さん:2007/03/03(土) 11:41:38
8月24日、後醍醐天皇は御所を脱出して笠置寺に立てこもった。9月2日、
幕府は大仏貞直・金沢貞冬・江馬時見・足利高氏を大将軍とした大軍を派遣、
笠置を陥落させた。貞冬は貞顕の子であり、後醍醐天皇の第一皇子・尊良親王を
捕らえて、花園上皇から褒賞として馬を贈られている。

正慶元・元弘2(1332)年、楠木正成が再び挙兵したことで後醍醐天皇方の
攻勢が始まった。赤松氏が京都に攻め込んだという報告を受け、幕府は名越高家・
足利高氏を大将に上洛軍を編成、派遣する。ところが、名越高家が戦死、足利高氏が
後醍醐天皇方に加わったことで戦況は逆転する。京都は陥落、六波羅探題軍も全滅する。

正慶2・元弘3(1333)年5月8日、新田義貞が挙兵、足利義詮も新田軍に合流した。
幕府は北条泰家を本軍、金沢貞将を別働隊として挟撃作戦に出る。しかし、泰家は義貞に
敗北、貞将の軍も小山・千葉連合軍に撃破され鎌倉に撤退した。
259日本@名無史さん:2007/03/03(土) 12:03:09
5月18日、義貞は鎌倉に迫り、極楽寺・化粧坂・巨福呂坂の3方から攻撃を
開始する。幕府は、極楽寺に大仏貞直、巨福呂坂に赤橋守時、化粧坂に諸将を
配備し、鎌倉に退いてきたばかりの貞将は軍勢の再編成にあたった。化粧坂に
投入される予定だったが、赤橋守時の軍勢が壊滅したため巨福呂坂の守備につき
化粧坂には代わりに、普音寺基時が向かった。貞将は、高時から六波羅探題任命の
御教書を受け取り出撃、戦死した。鎌倉を守っていた軍勢が崩壊したため、北条氏
一門は東勝寺で自害、貞顕も一族に殉じた。56歳だった。

貞顕は、称名寺を整備して、六波羅探題を長く務める合間に、文学作品の「源氏物語」
歴史書の「百錬抄」、法律書の「法曹類林」、儒学の「孝経」など幅広い分野から日記・
記録・典籍・文書を収集した。また、中国からの輸入品「唐物(からもの)」や茶などに
関心を示し、成熟した京都の文化を鎌倉に持ち込むなど武士としては当時、最大の文化人
だった。なお、貞顕の筆跡は藤原行成の子孫「世尊寺流」の書風である。
260日本@名無史さん:2007/03/03(土) 12:07:24
以上、人物叢書「金沢貞顕」からの抜粋でした。字も大きいし、貞顕の自筆書状が
写真入りで紹介されていたりと、一読の価値あり。貞顕も生まれた時代が悪かったと
いうか、気の毒な人でしたね。
261日本@名無史さん:2007/03/17(土) 17:44:04
何のための連署なんだ?
連署が執権の補佐を行うなら執権は幼少でも構わないんじゃないか
分家からの中継ぎ執権は連署に就任すればよかったのだ
幼少執権がまかり通っていたら(中継ぎ執権がなかったら)
@からDまではそのままで
E時宗
F貞時
G高時
H邦時     かな
262日本@名無史さん:2007/03/28(水) 23:00:53
薩摩4代島津継豊の母親が名越氏らしいけどこれって種子島?それとも生き残り?
263日本@名無史さん:2007/03/29(木) 03:28:27
梶原、和田、三浦、安達
北条氏に滅ぼされた御家人は まだまだいますか?
264日本@名無史さん:2007/03/29(木) 10:42:12
>>263
比企、畠山、平賀、上総権介
265日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:14:17
千葉も名越の乱の時にやられたんじゃなかったか?

ところで義時て「義時」名で呼ばれるようになったのいつから?
石橋山で宗時死んだ後?
誰か教えてちょ
266日本@名無史さん:2007/03/31(土) 23:27:29
魔些子あげ
267日本@名無史さん:2007/04/01(日) 21:24:13
伊豆の土豪が 運良く成り上がって
日本を支配したんだから 秀吉並の成り上がりだ

平家の子孫を自称してるけど 嘘だろ
268日本@名無史さん:2007/04/16(月) 23:52:41
>>265
千葉家は江戸時代まで存続してるよ。
そして千葉家の当主が鎌倉前期・中期に二人の女性が北条家から嫁いでいる。
北条時房の娘と金沢家の娘がね。時房の娘が男児を産み、その男児の孫の妻も金沢流北条家出身で
時房の娘同様に男児を産んでるから、一応血筋は流れてる。

>>267
北条家血筋に「阿野廉子」が居るね。彼女の祖母は北条資時の娘だよ。
資時は時房の息子。資時娘が京の阿野家に嫁いだのは、阿野家の創始者の祖母が北条政子の妹で
北条家と縁が有った為。頼朝の弟の阿野全成や息子の阿野時元は殺されたが
娘は助かった。そして母が尼御台の妹で実朝の乳母だったので所領も安堵された。
彼女が藤原家に嫁ぎ、産んだ息子が母が持ってた阿野家の所領を引継ぎ、阿野姓を名乗ったのが
始まり。そして幕末を子爵で迎えた。

>>262
知らなかった。初耳です。嬉しい。名越家なら北条一門ですね。
島津家初代の妻は畠山重忠の娘だけど、残念ながら母親は先妻の足立遠元の娘で、後妻の北条家(重保生母)じゃ無いんだよね。
だから残念に思ってたけど4代目の母親が名越なら嬉しい。
千葉家、阿野家絡みで上に書いた北条時房の妻も足立遠元の娘で資時の母親だね。
気になるのは、4代目の子孫系統が現在の島津血筋なのかと言う事。
4代目が男子に恵まれなかったり、数代後の子孫が子供がいなかったら
遡って2代目の子孫系統が本家相続しちゃう事になるもの。そしたら北条家の血は混じってない。


269日本@名無史さん:2007/04/27(金) 18:55:18
ちょい待て継豊っ薩摩藩だぞ
270日本@名無史さん:2007/05/05(土) 15:20:13
みんな高時を忘れるな
271日本@名無史さん:2007/05/05(土) 16:02:46
何で北条の血が混じってないと残念なんだ?
あんたが島津の後裔なら分かるが、
はっきり言って余計なお世話だ。
272日本@名無史さん:2007/05/05(土) 16:39:48
島津4代は忠宗です。Wikiには母は「相馬胤綱の娘」と書いてある。
継豊は島津22代。薩摩5代藩主です。
273日本@名無史さん:2007/05/05(土) 16:46:09
4代忠宗には息子が沢山いて、嫡男以降ずっと続いていたが、
戦国期に15代貴久(伊作島津家)が宗家の養子に入り、今の島津氏はこの子孫。
伊作島津家は5代の子孫だっけ?
274日本@名無史さん:2007/05/10(木) 00:32:31
義時は江間小四郎だよね。
で宗時は江間太郎って本当?
父親の時政が北条四郎なので
「小四郎」って嫡男というかんじなのだが
宗時は三郎だったのか太郎だったのか?
275日本@名無史さん:2007/05/10(木) 19:15:11
>>274
江間太郎は泰時だと思うが

>>262
幕末の薩摩藩士に名越時成という人がいてこの人は英国留学生
島津家とはどういう関係か知らんが
276日本@名無史さん:2007/05/11(金) 13:14:13
>>271
そんなに熱くならなくても良いのに。個人的に残念だと思っていたから書いただけだよ。
それに阿野廉子が後醍醐天皇の皇子を三人産んだけど、断絶してしまったからだよ。
祖母が北条家出身だったし、尚且つ阿野家の創始者の母親も北条政子の妹の阿波局。
ここは、北条氏を語るスレだよ。だから残念。
加えて、光厳天皇の妻の一人も赤橋(北条)登子の妹の娘(正親町家)で、親王を産んだけど、
異母兄(現天皇家先祖)が居たからそちらに移ってしまったのもある。
それと毛利家の兄が北条家から嫁を貰ってたけど、宝治合戦で兄が死亡。
生き残った末っ子が広島に飛ばされて現代まで続いているから、
もし末っ子に嫁いで居たらと思っていたのも理由の一つ。

>>272
島津4代目の母は相馬家出身なんだ。だけど相馬家と北条家も誰かが婚姻を結んでなかったっけ?
どこかで系図を見た記憶がある。
でも千葉家も相馬家も同門だったから、>>268の千葉家とごちゃごちゃになってるかも知れないが。
>>250
金沢家って貴族の飛鳥井家に娘を嫁がせてるよね。
277日本@名無史さん:2007/05/11(金) 13:39:05
九州探題の赤橋英時の元に、彼の長兄の赤橋守時の娘が身を寄せていたらしいが
英時自殺後の行方を誰か知らない?
女子だし、一応足利尊氏正室の赤橋登子の姪だからもしかして助かったかも知れない。
その後が不明なんだよね。
助かったとして、英時・守時兄弟の祖母か母が大友家出身だし、九州だから保護先は大友家かな。
しかし、九州探題を攻めたのが彼らだから、死んだかも。
普通に考えたら一緒に死んだのだろうけど、英時の妹が足利尊氏正室登子だから
落ち延びれたかも知れない。
その後の記録が無いから、助かったとしても尼寺行きでしょうね。
278日本@名無史さん:2007/05/11(金) 14:54:16
継豊の母親は名越と書いているけど江戸の世にまで生き残りがいたのか?
279日本@名無史さん:2007/05/11(金) 15:07:21
南種子島町長は名越姓
280日本@名無史さん:2007/05/11(金) 15:49:46
北条朝直の子朝方って誰?
自称時行の子孫の板部岡や常陸江馬氏って実際は佐介氏だろ
ただの成り上がりの可能性もあるが
281日本@名無史さん:2007/05/11(金) 22:54:18
>>274
>父親の時政が北条四郎なので
「小四郎」って嫡男というかんじなのだが

当時は「太郎」「四郎」「平六」などと呼ぶのがデフォ。
北条時政と義時が並んでいるときに、「四郎」と呼ぶと
2人とも「ハイ」って返事してしまうので、
息子は「小四郎」って呼んだのでは?
和田義盛も長男太郎の長男なので「小太郎」って呼ばれていたみたいだ。

>宗時は三郎だったのか太郎だったのか?
長男次男が早世したんじゃないの?
三郎宗時、小四郎義時、五郎時房、六郎と続いているし。
282日本@名無史さん:2007/05/11(金) 22:56:31
>>277
赤橋登子は尊氏が後醍醐に猛烈にブッシュして
建武の功臣として、領地をもらってる。
領地自体は少なかったが、守時の妹でありながら
功臣になったことが重要。
たぶん、登子に引き取られたと思われ。
283日本@名無史さん:2007/05/12(土) 06:06:59
>>276
>金沢家って貴族の飛鳥井家に娘を嫁がせてるよね。

三島由紀夫の「春の雪」にはモデルがいて、綾小路聡子の家は飛鳥井家ではないか?と聞いたことがある。
だとしたら、何となく楽しい。
284日本@名無史さん:2007/05/12(土) 07:28:01
>>281
「平家物語」に妹尾太郎・小太郎ってなかった?
285274:2007/05/12(土) 08:11:44
>>275 >>281
ありがとう。江間太郎は泰時なんだね。
ということは鎌倉に移る前に生まれてたわけか。
小四郎は単に重なっただけか。たしか後の時代では嫡男には
はじめから親とおなじ名前をつけてたので勘違いしました(五郎太とか)

それでなんでこれらのことが気になるかというと
頼朝が離縁させられた伊東の娘が「江間小四郎」に嫁がされたというのだけど
それって義時とどうゆう関係があるのか疑問だからです。
ご存知ないですか?
286武陽陰士:2007/05/12(土) 09:26:45
↑小四郎が嫡男としての意味合いがあったのでは?という推測をチラっと奥富敬之氏は書いてる。
それがあなたのオリジナルの推論なら、あなたは勘が良い人だよ。
恥ずかしながら私は奥富氏の指摘を読むまで気がつきもしなかった。
287日本@名無史さん:2007/05/12(土) 09:30:51
>>284
平家家臣

妹尾太郎兼康[瀬尾兼康]
 倶利伽羅峠の戦いで、倉光次郎に生け捕られるが、
怪力の持ち主の為、義仲に命を惜しまれ助けられる。
だが、水島の戦で奸計を使い、倉光兄弟を討って逃げるが、
福龍寺合戦で、太り過ぎの息子と最期を供にすることを決意、
今井軍(または根井軍)に討ち取られてしまう。
最期まで義仲に惜しまれる人。(・・・語り本では) 

妹尾小太郎宗康[瀬尾宗康]
 兼康の嫡男。相当ふくよかだった人。
木曾勢から逃げようにも肥え過ぎて走れず、一時は兼康に見捨てられるも、
最期は兼康の手で首を落とされる。
288日本@名無史さん:2007/05/12(土) 09:36:16
>>286
そうなんですか・・・
大河ドラマ「草燃える」wでは、宋時が非常に優れた人であったように描かれていたし、
吉川弘文館の本でも、宋時が石橋山の合戦で亡くなったことが
 義時の運命を大きく変えたと書いてあった記憶があるが・・・
289武陽陰士:2007/05/12(土) 12:47:10
嫡男である義時を安全に逃がした上で宗時は闘ったんじゃないか?
と奥富氏はあくまで仮説的だけど指摘していますね。
290日本@名無史さん:2007/05/12(土) 12:57:28
>>288
>>289

嫡男なら「江間」小四郎って名乗る必要はないと思われ。
北条小四郎でいい。
嫡男じゃないから、近くの「江間」(実際にある地名)に
ハタケでももらって分家してたんだろ。

三浦家の場合には
長男 杉本義宗は長男だったけど、嫡男ではなく、杉本を名乗り
次男の三浦「荒次郎」義澄が次男だったけど家を継いだ。
291日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:06:52
>>288
>>289

あと、石橋山の合戦で敗北したあと、北条は時政と義時が同一行動、
宗時は別行動をとってる。
これは宗時が嫡男なので、時政と宗時のどっちがか生き残れるように
したと考えるのが自然。
義時が嫡男なら、下手すれば時政と義時で共倒れになってしまう。

その点で、京都で信長と信忠が共倒れしたのは信長の最大の失策といわれ、
家康などはそれを教訓に、秀忠とは常に別行動をとるようにしたとか。
292日本@名無史さん:2007/05/12(土) 13:29:12
石橋山の戦いの時点では 北条は一田舎侍集団
家督争いするよな所領もなかっただろう
293日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:07:09
現在、北条氏の当主っているの?
鎌倉北条氏の男系子孫
294日本@名無史さん:2007/05/12(土) 15:15:44
偽平氏の北条氏より桓武平氏嫡流の熊谷氏
295武陽陰士:2007/05/12(土) 15:25:22
>>291
まあどうなんだろう。
奥富氏も断定などしてないし。
いい着眼ではあるじゃない?
嫡男だからこそ、時政の近傍にいた、ということいえるわけでさ。
まあ史料がないから何ともいえないな。
まあ通説通り宗時嫡男でいいよね
296日本@名無史さん:2007/05/12(土) 19:49:31
伊豆の土一揆集団が日本を支配したんだから
ある意味秀吉以上の成り上がりだね
297日本@名無史さん:2007/05/12(土) 22:15:10
>>296
農民の子せがれから天下を取った秀吉には負けると思うが…
北条は一応豪族だったわけだし。

ただ、北条義時、豊臣秀吉、山縣有朋は日本3大出世男だと思う。
298日本@名無史さん:2007/05/13(日) 02:59:25
江馬は横井と共に北条生き残り系?の名字の中心に成ってんな
299日本@名無史さん:2007/05/13(日) 05:56:24
宗時がどういう人だったかは記録がないようだが、
時房もあれだけ優秀な人だったんだから、この一族は優れていると思う。
義時の息子たちとか・・・。
頼朝のところはやはり負けちゃうよ。
300日本@名無史さん:2007/05/13(日) 09:39:03
つまり北条氏の現当主はいない訳?
301300ゲット:2007/05/13(日) 09:39:07
北条内部では○○流は○○を世襲ってのがなかったけどまあただ地名を流派にしたから仕方ないな
執権は得宗
連署は大仏
 とか
あとそれぞれの分家が本家断絶に備えるという発想でもないな
302日本@名無史さん:2007/05/13(日) 09:42:06
邦時が幼少なら血統から泰家が15代につくのが妥当だと思うのだが
もしくは邦時に執権を継がせて泰家が邦時を補佐することも出来たんじゃないの
303日本@名無史さん:2007/05/13(日) 09:44:47
伊賀の方が長時の死まで待ってれば・・・
304日本@名無史さん:2007/05/13(日) 13:45:23
>>302
得宗家では、嫡流以外に宗政流が、執権に就任可能な家格を誇っている。
北条氏庶流は、これ以上自分達の権益を侵されたくないためにも、
執権になれる家格の得宗家分家は望まなかったんじゃないかな。
305日本@名無史さん:2007/05/14(月) 06:38:18
>>297
北条家は鎌倉時代に活躍して武家政権700年の始まり。
江戸大名家は鎌倉時代の御家人の子孫の流れを汲む家系が多い。
そして北条家は、鎌倉110年間の間に有力御家人や京都の公家とも婚姻を結んでいたから
北条家本体は落ちぶれても、現代まで結構血筋は流れている(華族として)。
特に本来なら釣り合わないはずの源氏の名門足利家は、代々嫁を貰ってる。
分家の畠山家、斯波家、渋川家などもそうだ。
新田家は直接婚姻しなかったが、足利家の娘を嫁に貰ってるし、その足利出身の娘も母親が北条家だから。
親族の細川家、吉良家も北条とは直接婚姻しなかったが、北条家を母に持つ足利家の娘を嫁に貰っている。

公家にも結構嫁がせている。例えば歌人の藤原定家の嫡男室も北条時政の孫娘で
二条、京極家始祖の生母。遺産争いで鎌倉下向(十六夜日記)した阿仏尼(冷泉家)は後妻。


306日本@名無史さん:2007/05/14(月) 07:00:02
>>283
へー、綾小路聡子のモデルが飛鳥井家と言われてるんだ。今度「春の雪」を読んでみるわ。
小説とは関係ないけど貴族の綾小路家にも北条時政の孫娘が嫁いでるね。
後に、鎌倉の北条政子に引き取られて育った。そして貴族土御門家に嫁がせて
男児を産んでいる。孫娘が綾小路へ嫁ぎ、娘を産んだのは「吾妻鏡」に書かれているので分かっている
が男児を産んだかどうか(次期綾小路家当主)までは分からない。

307日本@名無史さん:2007/05/14(月) 07:16:19
>>282
もし、落ち延びられていたのならやっぱり叔母の登子が引き取ったのかな。
九州探題の叔父の英時の元に居たのは、書状が残っていて確からしいが英時死亡後の行方が不明なんだよね。
九州で保護されたのなら、当然保護した人物が居るよね。祖母の実家大友家かな。
赤橋英時は縁戚とは言っても男だから死亡したが、女(守時娘)は縁戚だし、
足利尊氏室を伯母に持つから助かったし、無下に出来なかったかもね。
妙にこの娘の足取りが気になるんだよね。

後醍醐天皇から僅かながら所領も貰ってたんだ。寵姫の阿野廉子の祖母が北条家だったのもあるのかな。

308日本@名無史さん:2007/05/14(月) 07:21:49
>>278>>279
私も気になる。単純な同姓かも知れないが。
309日本@名無史さん:2007/05/14(月) 07:31:49
>>300
北条家自体の末裔なら落ちぶれたとは言っても居るはずだよ。どこかで聞いた事がある。

聞きたいのだけど北条泰時の後妻の安保家ってどんな家なの?
彼女の息子が16才で家臣に殺されたけど、その過程に興味が湧く。
仮にも執権泰時の次男だよね。そこに至るのに何があったのかな。
310日本@名無史さん:2007/05/14(月) 07:52:27
>>292
でも、時政夫人(先妻)は伊豆一帯で勢力を誇ってた伊東家の姫だよ。
伊東の娘を嫁に貰えるのなら、規模は小さくてもそれなりの勢力はあったと思う。
伊東家も頼朝との仲を許してさえ居れば良かったのに。
だから単純に弱小豪族じゃないと思う。大豪族伊東と比べると勢力は落ちるが
嫁に貰える程度の規模・勢力は伊豆であったが適当。
それらを考えると流人との仲を認めた北条時政の先を読む嗅覚は鋭いと思った。

政子の御蔭で本来なら釣り合わない名門足利家とも縁戚できたし、
清水(木曽)義高死後の大姫の結婚相手に頼朝姉の血筋の一条高○(失念)との
縁談があったけど大姫が早世してしまったから、代わりの白羽の矢が北条義時娘に立てられて
ちゃっかり正室に収まって、その息子も同じく北条家から嫁を貰い息子を産んでいる。
流人頼朝との仲を認めた時政の本当に嗅覚は凄い。平家はお仕舞いだと野生の勘で感じ取ってたのかな。
311日本@名無史さん:2007/05/14(月) 08:04:57
>>306
「綾倉」聡子ね。相手の松枝清顕の家のモデルは鍋島家と言われていた?
実話があったらしい。
312日本@名無史さん:2007/05/14(月) 11:39:01
北条の血が女系でも島津に入っていたらすごいね。
傍流・女系を入れると、島津の末裔なんてすごい数だろう。
313日本@名無史さん:2007/05/14(月) 13:49:49
>>311
綾倉聡子が正しいのですか?>>283で綾小路、飛鳥井となってたから。
「春の雪」を今度読んでみる。三島小説は王道の金閣寺暗いしか読んでない。
>>312
名越家が幕府が滅びても存続していたらの話で、実際は同姓なだけで別家かもしれない。
北条家でも、戦国北条家は全く別の家だからね。
島津初代の正室は畠山重忠の娘なんだけど、彼女は先妻の足立遠元の娘で
後妻の北条時政の娘(重保生母)じゃない。
島津は北条家と直接婚姻を結んで無いから、有り得としたら、北条娘が他家へ嫁いで
産んだ娘が島津へ嫁に行ったら孫(外孫)になる。外孫だから阿野廉子や正親町の姫(赤橋登子の姪)の
様な立場。
314日本@名無史さん:2007/05/15(火) 13:17:22
人物名の補足
>>268、千葉家について。北条時房女が千葉時胤に嫁ぎ、頼胤を生む。
頼胤の息子の成胤の妻も金沢(北条)顕時女で貞胤を生む。
貞胤父の頼胤(母は時房女)の妻は千葉泰胤女で時胤(時房女の夫)の弟。
>>276、毛利家の兄とは、毛利広光で妻が北条朝時女。
宝治合戦で滅んだが末弟の経光が生き残り、広島へ。
>>305、定家嫡男室の北条時政孫とは、宇都宮頼綱女(外孫)。京極為教、二条為氏、女子二人の母。
新田家とも直接婚姻していた。新田頼氏の妻が北条朝時女だった。
>>306、時政女が稲毛重成に嫁ぎ、その女(外孫)が綾小路師季と結婚して女子出産。後に尼御台所の
幼女になり稲毛所領を安堵される。成人後土御門に嫁ぎ、通持を出産。
>>307、阿野(藤原)公佐の妻が政子の妹の阿波局(頼朝弟阿野全成)の娘。
彼女の孫の公仲の妻が資時(時房息子)の娘で公廉を生む。その娘が阿野廉子。
>>310、大姫早世後に代わりに北条時房女が一条高能に嫁ぎ、頼氏を生む。
その頼氏の妻も時房女で能基を生む。その能基の妻が北条義時女。
一条能清の妻に北条時直女(時房息子)。
大姫と縁談が有った一条高能の父は一条能保で母親は頼朝の姉。
同母姉妹がいて、その孫が4代将軍藤原頼経。


遅くなったけど
>>53で赤松家が出てるけど、赤松家創始者の母は北条義時の娘じゃなかったっけ?
宇野則影に嫁いで、赤松家範を産んでいたと思うが。





315日本@名無史さん:2007/05/16(水) 13:44:17
↑続き、千葉家について
千葉泰胤の妻も北条時房女だと言う説も有る(確定じゃ無い)。
そうなると、兄の時胤も時房女を室にしているからどうなんだろうか。
考えられるのは、兄の時胤は24歳の若さで亡くなっているから、未亡人になった時房女が
義弟と再婚して子供を産んだ可能性もある。
祖母の田舎では(戦前)、長男が若くして亡くなると嫁ぎ先の義弟と再婚する事もあったらしい。
祖父の親戚にも居たらしい。

或いは、時房の娘が姉妹そろって千葉家の兄弟に嫁いでいたかも知れない。

金沢顕時だが二月騒動で配流された後に、千葉家の女性を貰っている。
娘が成胤室だから、失脚して配流された後に気に掛けてくれたのかも。
時胤室(時房女)は再婚だ。最初安達義景と結婚。その後千葉時胤と再婚している。
金沢顕時の先妻も安達泰盛で、時房女同様に安達家と縁がある。

>>307、英時・守時・登子等の祖母は大友頼泰女で北条宗頼室。

316日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:02:21
>>300
北条家の末裔と言う事なら、熊本藩士の横井小南がいるよ。
彼は北条時行の末裔で、代々「時」の字をつけている。
だから横井小南の本名も「時○」
317日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:42:16
北条高時ってどうよ*
318日本@名無史さん:2007/05/21(月) 19:53:38
>>317
高時の姉妹が足利一門の土岐家に嫁いで息子を三人産んでいるね。
戦国時代に斉藤道三に滅ぼされちゃったけどね。
明智家も土岐家の分家だよね。
319日本@名無史さん:2007/05/21(月) 20:01:14
>318
高時に姉妹なんかいたのか‥‥
しかし土岐家って、正中の変で早くから倒幕派に加わってなかった?
320日本@名無史さん:2007/05/21(月) 20:48:45
土岐は足利一族ではない。
清和源氏の嫡統である摂津源氏の嫡統。
321日本@名無史さん:2007/05/22(火) 00:58:59
ま〜た摂津源氏厨が湧いたか。
絶滅したかと思ってたのに。
322日本@名無史さん:2007/05/22(火) 10:54:31
>>320
ご免、足利一門じゃ無かったんだね。失礼した。思い違いだったみたい。
>>319
そうだよ。高時には姉妹が何人かいるよ。その一人が美濃の土岐家当主に嫁いで息子を三人産んだ。
斉藤道三に滅ぼされたのは、その子孫。明智家も土岐家の支流。
正中の変で倒幕したよね。足利家も倒幕したし、あの時代はそう言う時代だったからね。
それに、倒幕と言えば承久の乱で伊予の豪族河野道信も朝廷側についた。
彼の室は北条時政女だったのに。河野家も戦国時代で終わってしまった。

>>321
323日本@名無史さん:2007/05/22(火) 11:06:46
>>322
漢字の訂正
河野道信で無くて、河野通信(みちのぶ)だった。
324日本@名無史さん:2007/05/22(火) 11:28:23
嘘か真か知らないが伊予の大豪族河野通信が朝廷についたのは、室の侍女が
旦那様が出世出来たのは奥様の北条家の縁が有ったからですねと言ってしまった事に
侍女風情に言われる筋合いは無いと立腹したとか、しないとか。

私は作り話だと思うがね。

単純に伊予は西国だから、朝廷についたのではと思う。西国御家人は朝廷側が多かったし。
室が北条家の土御門家も鎌倉と仲が悪かったし、鎌倉の信任の厚い参謀の大江広元の息子の一人も
朝廷側だった。他の広元の他の息子は鎌倉側だった。因みに大江広元の長男か次男の妻も
北条家だったはず(名前は失念)。彼女は後に再婚したが(再婚相手も失念)。

大江広元の子供の一人が毛利家始祖。>>314の毛利広光は大江広元の孫。
大江家は元は貴族で鎌倉に下向した。大江居ユ・赤染衛門(栄華物語作者・紫式部が日記で唯一褒めた人)夫妻の子孫。
325日本@名無史さん:2007/05/22(火) 11:32:47
>>323>>324、付け足し

河野家は朝廷に付いた為、所領は大没収。
しかし室が北条だったから、その内の何割かは返還された。
326日本@名無史さん:2007/05/22(火) 16:54:17
>322
でも足利が倒幕に踏み切るのはそれから10年近くも後の話だよ。
倒幕運動なんてまだまだ下火の頃から土岐は倒幕に加わっていたことになる。
327日本@名無史さん:2007/05/22(火) 18:34:30
>>326
同じ土岐家でも、高時の姉妹が結婚した人は「正中の変」に名前がなかったと思う。
北条でも赤橋流と問題を起こした名越流は違う。
同じ土岐一門でも「正中の変」の首謀者じゃなかったはず。
328日本@名無史さん:2007/05/22(火) 21:44:10
>>315
自分で書いていてアレだけど訂正。
金沢顕時が配流されたのは「霜月騒動」だった。「二月騒動」じゃ無い。
329日本@名無史さん:2007/05/23(水) 09:13:57
>327
あ、なるほど。まあ土岐氏は大族だしね。
一族同士で利害が対立して尊王派と佐幕派に分裂するのは不思議じゃない。
ちなみに高時姉妹と結婚した人の名前ってわかりますか?
330日本@名無史さん:2007/05/23(水) 11:39:42
>>329
土岐光定(貞)の正室は北条貞時女(高時姉妹)で頼貞等を産む。
正中の変は多治見国長、土岐頼兼が日野資朝の勧めに応じて幕府転覆陰謀に加担したが、
従兄弟の土岐頼春の密告により露見した。
頼兼は光定の孫だけど、全員が加担したわけじゃない。密告した従兄弟の頼春も同じ光定の孫。
正中の変時は仲間内で内部分裂したんでしょ。
今決起しても幕府に負けてしまう→一門が滅んでしまう→そうだ、密告しよう

331日本@名無史さん:2007/05/23(水) 20:52:53
>>330
高時の姉妹が祖母にあたるってことは、その孫の世代の人物たちの父親は、側室腹じゃないの?


332日本@名無史さん:2007/05/24(木) 10:58:03
>>331
彼女は土岐光定と結婚。定親、頼貞、頼重等の母。
質問の孫の世代の人物の父親は↓
「正中の変」頼兼の父は、頼貞。
「密告」頼春の父は、頼重。
因みに明智家は頼貞の息子が名乗り始めた。
333日本@名無史さん:2007/05/24(木) 11:06:48
>>332、付けたし
孫の世代の人物の父親と言う事は、要するに土岐光定の息子だよね。
光定には息子が何人かいたが、母親が判明してるのは、定親、頼貞、頼重の三人。
それ以外は、私は分からない。
334日本@名無史さん:2007/05/24(木) 11:59:21
母親の話題が出たので、それに因んで↓

>>322>>324
伊予の河野通信室は、通久、通政、通末等を産んでいる。
失念したと書いた大江家絡みでは、義時女が大江親広室、後に土御門定通と再婚。
>>314
宇都宮頼綱室の北条時政女は後妻で、先妻は梶原景時女。
先妻の梶原景時女は、時綱、頼業、泰業、藤原実房室の母。
後妻の時政女は、泰綱、藤原為家室、中院通成室の母。
泰綱は北条との縁で宇都宮頼綱の跡を継いだ。
335日本@名無史さん:2007/05/24(木) 12:26:18
>>334
序に、大江広元の息子の毛利季光の長男広光の室も北条家。
そして飛鳥井雅経室は、大江広元女で教定を生む。教定の娘が二条為氏(>>334藤原為家息子)と結婚。
教定の息子の雅有室が金沢顕時女。

336日本@名無史さん:2007/05/24(木) 13:59:35
>>334
河野通久の息子の唐橋(河野)通時の室も北条義時女で通清を生む。通清の室も金沢実泰女と極楽寺為時女。
義時女が離婚した大江親広の息子広時の室も金沢(北条)政泰を生む。
337日本@名無史さん:2007/05/24(木) 14:11:03
>>333
Wikipediaだと、
北条貞時(1272-1311)
土岐頼貞(1271-1339)ってなってるが?
貞時の娘が頼貞の母ってのはおかしくないか?

娘でなくて、貞時姉妹ってのも厳しいような気がする。
時宗が(1251-1284)だから時宗が20才のときに、孫が出来ていることになる。


338日本@名無史さん:2007/05/24(木) 18:08:26
>>337
本当だ。年代的に一致しないね。
土岐家は生没年不明が多い中で、頼貞は生没年が分かる珍しいケースなのに。
得宗貞時の判明してる娘は、
北条熙時室
北条師時室
土岐光定(貞)室
名越(北条)時基室
の計4人なんだよね。頼貞の生没年を考えると不思議だ。

>>336
通久の息子の通時とは、養子息子で実際は通久の弟。通久が早世したから、弟が養子に入って息子になった。



339日本@名無史さん:2007/05/24(木) 18:25:40
今までずっとROMてったけどさぁ、
その土岐の話って、ソースは確か『系図纂要』だよね。
本当に信憑性のある話なの?

他にソースがあるならスマソ。
340日本@名無史さん:2007/05/24(木) 19:00:33
>>339
検索してみたけど分からない。
土岐家で検索しても、貞時女となっている
341日本@名無史さん:2007/05/24(木) 19:18:04
>>340、付けたしね
私の場合は、歴史物の出版社で有名な「新人物往来社」発行・安田元久監修の
「鎌倉・室町人名辞典」が自宅に有るので、暇な時に読んでいたので
貞時女と知っていた。
「新人物往来社」って歴史物で有名で毎月「歴史読本」も発行してなかったっけ?
それと、「吾妻鏡」も同じ出版社だよね。
それに安田元久も鎌倉・室町歴史関係では、奥富氏と共に有名だしね。

安田元久氏の冥福を祈ります。
この人の本は奥富氏同様に好きだった。
この人と奥富氏の書物は本屋で見つけると直ぐに買っていた。
安田元久・奥富氏は鎌倉、室町関連ではお世話になっていた。

342日本@名無史さん:2007/05/24(木) 21:17:13
『尊卑分脈』とか『群書類従』系図でも、
土岐光定の子息を「平貞時女」が母と書いてあるけど、
光定子定親って、嘉元の乱で討たれてるんだよな。
この時貞時は35歳だから、
定親母が北条貞時女というのはありえない。

>>337の言うように、これは明らかにおかしい。
良くて時頼女あたりの誤伝。
捏造の可能性もあるな。

>>341
安田先生を悪く言う気は全然ないが、
やはり昔の研究だからちょっと荒っぽいところが
あるので、鵜呑みにはしない方がいい。
奥富さんだったら、なおさらだ…。
343日本@名無史さん:2007/05/24(木) 22:27:29
名越(北条)時基室も1301年死去とあるから、
時基(1235-?)とは年が離れすぎの気がします。
時基は、貞時娘の他に二階堂行久(1205−1266)の娘も妻とし、
時基の息子の時賢(?-1333)も、行久の娘を妻としたとある。

時基と時賢を間違って記録されたのでは?
北条熙時(1279-1315)や師時(1275-1311)と年齢が近そうなのは時賢だし。

344日本@名無史さん:2007/05/25(金) 01:10:34
>>343
名越時基室は1301年では無くて、1305年死去では?
年齢差夫婦は特別不思議な事では無いと思うよ。
源頼朝と政子も10歳離れてる。
北条時政と後妻の牧の方は親子ほどの年齢差だよ。
二階堂行久の娘は後妻なのでは?
貞時女が早世した後で、二階堂行久女と再婚した。
昔の人は早く結婚したから、有り得るよ。
足利尊氏の娘で崇光天皇の皇后である源(足利)頼子も早世してなかったっけ?
そして注目して欲しいのは4代執権北条経時室である宇都宮泰綱女は
生没年1231年〜1245年なんだよね。なんと14歳で死去している。
それでも4代執権経時と結婚していたのだから10〜12歳でお嫁に行ったはず。
ついでに、北条時宗室の堀内殿も11〜12歳で結婚してるじゃん。

名越時基に関しては、年齢差だと頼朝と政子夫婦(10歳差)、時政と牧の方(親子程の差)。
若くして結婚で大体の年齢が分かってるのは↓
崇光天皇の皇后源(足利)頼子(幼名・鶴王)、北条経時室(宇都宮泰綱女)、堀内殿(安達義景女)
彼女達は10〜14歳の間で結婚してる。経時室は14歳で死去。

時基室の場合は年齢差結婚と早世が合わさったとも考えられるよ

345日本@名無史さん:2007/05/25(金) 01:24:32
↑それと
滋野井(藤原)実宣の室は北条時政女なんだけど、彼女は1216年に死去している。
その後、実宣は持明院基宗の娘を後妻に迎えている。
跡取りの滋野井公光は1223年に誕生。
346日本@名無史さん:2007/05/25(金) 02:32:37
>>345、北条家と関わりがあるので書くが
滋野井(藤原)実宣の後妻は持明院(藤原)基宗女なんだが
基宗の父親の基家の正室は平頼盛で、あの池禅尼(平清盛の継母)が生母なんだ。
で、池禅尼の兄弟が牧(藤原)宗親でその娘が牧の方。
だから滋野井(藤原)実宣の先妻も後妻も不思議な縁だね。
序に、持明院(藤原)基家の娘が西園寺実宗室で公経の母。その公経室が一条全子で
源頼朝の姉の娘(姪)で嫡子実氏の母。そして>>314の通り、もう一人の頼朝の姉の息子
一条能保関連、4代将軍藤原頼経関連、北条家関連を考えると結構面白い。

>>313
赤橋登子の姪の正親町の姫とは、正親町(藤原)公蔭の娘で光厳天皇の後宮の一人。



347日本@名無史さん:2007/05/25(金) 05:33:03
>足利尊氏の娘で崇光天皇の皇后である源(足利)頼子も早世してなかったっけ

そもそも崇光院に嫁していない。
嫁した、ということにしただけ。
生前は無官だったんだから、皇后になってるわけがないだろ。

>貞時女が早世した後で、二階堂行久女と再婚した。

別に死ぬ前に結婚してもおかしくないな。
348日本@名無史さん:2007/05/25(金) 10:13:23
>>344
貞時15才で娘が生まれて、10才で結婚したとして
そのとき夫 名越時基52才
普通ないでしょ。
名越時基がものすごい権力(得宗家を凌駕するくらい)を持っていたのならわかるが。

過去の例としては継体天皇と、手白香皇女くらいか?
あれは、断絶した本家(天皇家)を継ぐための手段だから。

足利尊氏の娘は、早世した娘がかわいそうなので形式的に結婚したことにしましょうって話だったはず。
349日本@名無史さん:2007/05/25(金) 15:53:56
北条時政女
北条政子
阿野全成室。通称「阿波局」
大岡時親室。
河野通信室。
稲毛重成室。
畠山重忠室、後に畠山(足利)義純室。
平賀朝雅室、後に源国通室。
滋野井(藤原)実宣室。
足利義兼室。
宇都宮頼綱後妻。
坊門(藤原)忠清室。

北条義時女
一条(藤原)実雅室、後に唐橋(河野)通時室。
一条(藤原)能基室。
大江親広室、後に土御門定通室。通称「竹殿」。
清水谷(藤原(西園寺))実有室。
中原季時室。
宇野(赤松)則影室。

北条時房女
安達義景室、後に千葉時胤室。
長井(大江)時広室、後に藤原実任室。
一条(藤原)頼氏室。
名越(北条)朝時室。
一条(藤原)高能室。
宇都宮泰綱室。
350日本@名無史さん:2007/05/25(金) 16:34:20
>>347、書類上は崇光天皇の皇后は源頼子となっている(歴代皇后一覧)。

北条泰時女
足利義氏室。
三浦泰村室。
藤原実春室。
大仏(北条)朝直室、後に名越(北条)光時室。

北条時氏女
藤原頼経室。通称「檜皮姫」。
北条時定(時房息子)室。
足利泰氏室。
北条時隆(時村息子)室。

名越(北条)朝時女
北条時実(泰時息子)室、後に宇都宮泰綱室。
岡女房。
足利泰氏室。
小野宮通俊室。
毛利(大江)広光室。
新田頼氏室。





351日本@名無史さん:2007/05/25(金) 16:46:58
北条重時女
安達泰盛室。
波多野義重室。
宇都宮経綱先妻。この娘は1256年に死去した。「吾妻鏡」
宇都宮経綱後妻。なので、妹が後妻に入った。「吾妻鏡」
北条公時室。
北条教時室。
北条時頼室。
源具親室。

北条政村女
北条宗政(時頼息子)室。
北条業時(重時息子)室。
常盤(北条)時茂(重時息子)室。
金沢(北条)実時室。
安達顕盛(義景息子)室。
352日本@名無史さん:2007/05/25(金) 17:12:28
金沢実泰女
大江広時(広元の孫)室。
松殿良嗣室、並びに小山長村室。
唐橋(河野)通清室。
九条忠嗣室。

金沢実時女
飛鳥井雅有室。
名越長頼(朝時の孫)室。
長井宗秀室。出家して「慈性」と呼ばれる。

金沢顕時女
足利貞氏室。「契忍禅尼」別名「釈迦堂殿」
名越時如室。「名越殿」と呼ばれる
千葉胤宗室。

北条資時女。
北条時広(時房の孫)室。
佐助(北条)時治(時盛息子)室。
畠山泰国室。
姉小路(藤原)忠時室。
阿野(藤原)公仲室。
353日本@名無史さん:2007/05/25(金) 17:44:37
佐助時盛女
赤橋(北条)長時室。「越後入道息女」
足利頼氏室。

北条時直女
北条時親室。
一条(藤原)能清室。

北条時村女
今出川(藤原)公直室。

北条時広女
大仏宣時室。
渋川義春室。

大仏朝直女
北条清時(時房孫)室。

大仏宗宣女
名越時家(公時息子)室。

赤橋久時女
足利尊氏室。
正親町(藤原)公蔭室。
北条貞規(師時息子)室。

赤橋守時女
消息不明女子・・・>>277>>282>>307参照



354日本@名無史さん:2007/05/25(金) 17:55:56
北条時定(時氏息子)女
斯波家氏室。
渋川義顕室。

355日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:48:08
北条時親女
藤原定藤室。
北条政方室、後に離別。

北条時員女
三浦盛時室。

北条時隆女
北条有義室。

北条光時女
備前宮内大夫室。

北条時雄女
安達時顕室。

伊具(北条)有時女
堀口家貞室。
北条時幸室。

356日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:50:42
>>347
それ、源資子の間違いじゃないのか?

そもそも書類上って何だよ…。
頼子=崇光院皇后と書いてある史料は、『群書類従』本「足利系図」とか
『諸家系図纂』などの江戸時代に成立した系図類だけだ。

高柳光寿先生以来、崇光(或いは後光厳)の皇后或いは女御
であったというのはよく言われるが、
事実として分かるのは、
頼子(鶴王)は無位無官のまま(恐らく成人もしていない)
文和2年11月9日に死んで、
2年後の文和4年11月6日に、従一位を贈られ、
恐らくこの時に「頼子」の名を授けられた、ということだけだ。

高柳先生も、「女御というのは死後の待遇」と言ってるが、
実際にそうであったとは言ってない。
357日本@名無史さん:2007/05/25(金) 18:54:05
というか、お前ヒマだなw
358日本@名無史さん:2007/05/25(金) 19:15:07
赤橋久時女
洞院(藤原)公守室。

>>338、北条煕時室の北条貞時女は「南殿」と呼ばれていた。

得宗家、分家の成人女子の記録が有るが、戦乱の為に消息不明で結婚相手も不明。
しかし、実際に存在していた人。↓

>>352の金沢流関連では
金沢実泰女・・・「田中殿」と称す。「阿野殿」と称す。「福頼殿」と称す。
「戸守殿」と称す。「面乙御前」と称す。某(名字不明)朝氏室。等の6人。
金沢実政女・・・「岩難手殿」と称す
伊具有基女・・・「弥鶴」と称す。武蔵野国比企郡南方石坂郷内の田地、在家を領有。
北条泰時女・・・「富士姫公」と称す。1244年に駿河富士に下向する。
更に源国通(>>349の時政と牧の方の息女の再婚相手か?)の猶子に
成る為に上洛。「吾妻鏡」より。
赤橋守時女・・・叔父の英時と一緒に九州探題に下向する。和歌を嗜んでいて
勅撰和歌集に掲載。

他にも早世以外の得宗女子や分家の女子が何人か確認されているが、消息不明。
幕府滅亡・火事・戦乱等で消失。



359日本@名無史さん:2007/05/25(金) 19:23:30
>>356
でも、本屋等の歴代天皇家関連では、皇后だよ。
宮内庁の発表とかを資料にしてるのじゃないの?
私が読んだ本では、皇后だけど。

江戸時代に成立した系図云々を言うなら、弘文天皇(大友皇子)は天皇じゃないよ。

現在宮内庁では、皇后は誰になってるの?
360日本@名無史さん:2007/05/25(金) 19:31:15
>>356
あと、源資子と言ってるけど、庭田資子だよね。庭田家って藤原家じゃなかったっけ?
伏見宮初代の栄仁親王殿下の御母堂だよね。

361日本@名無史さん:2007/05/25(金) 19:32:24
↑だから、藤原(庭田)資子では?
362日本@名無史さん:2007/05/25(金) 19:56:46
>>359
>本屋等の歴代天皇家関連
典拠は?
どうせ新人物の本だろ?

>弘文天皇(大友皇子)は天皇じゃない


その通りだが何か。
363日本@名無史さん:2007/05/25(金) 20:03:04
>庭田家って藤原家
源氏だよ。
宇多天皇の孫源雅信の子孫。
364日本@名無史さん:2007/05/25(金) 20:30:40
>>363
ずっと藤原家だと思っていた。

「歴史読本」「吾妻鏡」発行の新人物往来社だよ。
宮内庁は、皇后は誰としてるか知っている?
365日本@名無史さん:2007/05/26(土) 14:13:19
当時の人は、髪の毛や体をどうやって洗っていたのだろう。石鹸、シャンプーは無かったよね。

また、女性は生理の時はどう処理してたのだろう。
綿を使っていたと聞くが、昔は綿って貴重じゃなかったのかな。
それにお尻に綿を詰めても、歩いてる最中に取れちゃって、太股を伝い足首まで
血液が流れるし、小袖にも血液が付いてしいそうな感じがする。
「見て、草履に血が付いてるよ。あの人の後姿を見て、お尻付近に血液が滲んでいる。」
この様な事なかったのかな。
それともお尻に綿か木綿、布を詰めて、その上から男性の褌の様にぐるぐる巻いていたのかな(お相撲さん)。
そしたら、歩いても綿が取れないが、、、。そしたら、今度は小袖の上からの滲み具合が気になってしまう。
現在でも血液って中々取れないんだよね、、、まして昔は洗剤や化学薬品なんて無かった。
それと睡眠中はどうしていたのだろう。朝起きたら、綿でカバーし切れずに布団や寝巻きも
汚れてたなんて困るよね。昔は、布団も貴重だったと思う。洗剤も無いから血液の染み抜きを
どの様にしていたのだろう。
全ての鎌倉時代の女性が、綿や布を月一度の生理時に一週間使用していたら
結構な消費量だよね。着物や布団を汚したり、外出中に足元の草履に血液が滴り落ちたり、
後姿の腰から太股にかけて血液が滲み出て、通りすがりの人の注目を浴びたりしてそう。


366日本@名無史さん:2007/05/26(土) 17:01:03
二月騒動について知りたい。

一つ目
「保暦間記」で時輔は吉野の奥へ逃げて行方知れず。之を二月騒動と言う。
と、記されていて後世この事件を二月騒動と言われる所以になったけど
史実・事実としては逃亡可能なんだろうか。それ以外の資料では死亡なんだよね。
「保暦間記」を書いた人は、都ではこの様な噂が流れていると言う意味で書いたのかな。
それとも根拠があったのか。
二つ目
大河ドラマでは時輔は謀反の志は無く、名越兄弟等の陰謀に巻き込まれたと言う筋書き・脚色だけど
史実・事実としては謀反を企んでいたんでしょ?
百歩譲って、仮に積極的陰謀はなかったとしても、名越兄弟等と時宗を亡き者にした暁には
執権になる。それ位の消極的陰謀はあったと思う。
あのドラマ放映依頼、陰謀に巻き込まれた気の毒な兄と言う立場が定着してる気がする。
それか、無実の新資料が発見されたのかな。

一応「二月騒動」関連の資料としては、「保暦間記」「とはずがたり」「五代帝王物語」「北条九代記」がある。
※「とはずがたり」は“恋愛部分に関しては”後深草院二条の誇大妄想・若干の脚色・小説部分が
有ると思うが、二月騒動部分では話を想像する理由は無い。

事実としての時輔の二人の遺児はその後どうなったんですか。大河通りに鎌倉が引き取ったのかな。
4代執権経時の二人の遺児は、時頼に出家させられたが、時輔の遺児も最終的には出家したのかな。
時政の息子宗時の子供も出家しているよね。
兄の息子は家督を継いだ弟にとっては、出家させた方が楽だよね。


367日本@名無史さん:2007/05/26(土) 17:06:49
訂正

経時の遺児が時頼の意向で出家したのではなく(私はそんな事確かめようが無い)、
本人の願いかどうか知らないが、僧侶の職業を選んだ。
368日本@名無史さん:2007/05/27(日) 21:34:44
>>356
文和2年(1353)というと、崇光は南朝に拉致られて吉野に幽閉中の時期だよね?
1.これは尊氏夫妻が夭折した娘を先帝の皇后であったことにしちゃったのか、
2.それとも実際に背景となる事実があったのか、
3.そもそも崇光の皇后と言うこと自体が事実無根なのか、
どうなんだろう?
あと一応、文和2年段階だと、義詮が数えで23歳、基氏は13歳だけど、
頼子はこのとき何歳くらいだったのかな?
もし基氏より年下なら、まず2の線はなさそうだが。

>>363
宇多源氏の嫡流って本当は綾小路家だったけど、南北朝以降、庭田家が
伏見宮との関係を強めたことがきっかけで、庭田家のほうがそれ以後は
宇多源氏の嫡流扱いになるんだよね。
崇光の妃の資子の他にも、初期の伏見宮家当主の配偶者には庭田家出身者が多いね。
特に貞成親王妃の庭田幸子は生んだ皇子(後花園)が天皇に即位したため、
女院号まで貰っている。
369日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:16:32
>>363
南北朝までは宇多源氏の嫡流って綾小路家だったんだ。


鎌倉前期に稲毛重成の娘が綾小路師季と結婚したよね。
重成娘は女児を産んだが産後の肥立ちが悪く死亡した。
女児は綾小路家で育てられていたが、折りしも鎌倉で牧の方事件に加担したとして
重成等は討ち取られた。その噂を聞きつけた都の綾小路家では謀反人の血を引く女児を
手元に置いておいたらどんな難癖を付けられるか知れないと恐れた。
女児は綾小路家を出て、隠れやでひっそりと暮らした。
困った女児の従者の小沢は鎌倉の尼御台に助けを求めた。不憫に感じた尼御台は
自分の妹の血を引く(妹が重成室)女児を養女として育てる事にした。
そして女児と従者の小沢は鎌倉に到着した。
数年後、尼御台が女児を伴い京都に上洛して土御門家に嫁がせた。
土御門通持母は源師季女。

以上「吾妻鏡」抜粋

370日本@名無史さん:2007/05/27(日) 23:26:39
>>369間違えた。>>368宛てだった
371日本@名無史さん:2007/05/28(月) 14:34:00
>>368
調べたら庭田家って婿養子の系列だね。藤原経資が綾小路有資の娘と結婚して綾小路を名乗った。
そして、その孫の重資が庭田と名乗ったのが最初。
男系、女系で考えたら庭田家は女系源氏だね。
もし、尊氏の次男の基氏が鎌倉で母方の姓を名乗り「赤橋」としていたら
こんな感じだったのかな。

婿養子に貰ったから男児が居なかったと言えば違う。実子の有経、信有がいた。
信有男系が家督を継いだが江戸時代に家名が途絶えた。そして五辻之仲高有が
再興した。

男系綾小路家は子爵。女系庭田家が伯爵なのは、天皇の生母を出した事を評価されたんだね。
372日本@名無史さん:2007/05/28(月) 14:36:37
↑違った。
尊氏次男の基氏が鎌倉で「赤橋」と称しても、基氏は父が足利だから男系だね。
373日本@名無史さん:2007/06/01(金) 14:05:59
(´<_`  )プッ、時宗二回も棄民と組んで負けてやがる
374日本@名無史さん:2007/06/03(日) 22:56:03
>>371
ごく一部の例外を除き、公家華族の伯爵への叙爵基準は
「大納言までの宣任の例多き旧堂上」ということで統一されている。
結局のところ庭田家はそれに該当したが、綾小路家はそれに該当しなかったと
いうこと。
もちろん庭田家がこの基準に該当するだけの家格に上昇する端緒の一つに
皇室との姻戚関係はあるだろうが。
375日本@名無史さん:2007/06/11(月) 18:05:23
宇多源氏て敦実親王系の源雅信が藤原道長の舅になって運が開けたね
源倫子最強伝説
376日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:02:02
実時はなんで鎌倉じゃなくて金沢に称名寺を作ったの?
377日本@名無史さん:2007/06/12(火) 22:40:10
他の歴史板での愚痴を漏らすスレ
http://etc6.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1172045056/
378日本@名無史さん:2007/06/13(水) 14:15:58
長崎頼綱はどう?
379日本@名無史さん:2007/06/14(木) 15:08:43
>>368
源頼子は死後にはじめて位階を贈られている点、祟光天皇に入内した事実はなかったと思うよ。
平安時代中期以降、天皇の女御(それも将来立后するような、有力な姫君)は、
入内する直前に、位階をもらってから(多くは従三位)、内裏へあがっている。
頼子は、おそらく、入内の前段階にもいたっていないうちに亡くなったと思われる。
後世の人が未婚の頼子の破格の叙位を見て、天皇妃になぞらえたのかもしれないけれど、
尊氏や登子に頼子を入内させる意思があったのかどうすら不明。
380日本@名無史さん:2007/06/16(土) 23:15:05
>>375
自分の所領だから
381日本@名無史さん:2007/06/26(火) 23:17:48
北条一門で処刑されたり、自害した者っていったい何人ぐらいいたんだろう。
今日千葉で名越一族が生き残ってたて言ってたが、そんな氏族いるんか
382日本@名無史さん:2007/07/03(火) 01:57:41
日本史板でよく鎌倉公方が赤橋だったら、ということを聞くけど
それだったら日本に二つの国家が出来ていたんだろうか。
そうなったらおもしろかったかもな。
383日本@名無史さん:2007/07/03(火) 08:21:45
赤橋が鎌倉公方は無理だろう。
尊氏は、旧幕府の置かれていた関東への備えとして
自分の息子を置いたというのに。
北条一門を置くことは無理。
ちなみに関東管領は尊氏の母方上杉氏。
もともとは京都の公家だな。
384日本@名無史さん:2007/07/03(火) 12:33:44
北条一門が室町まで生き残ったとしても多分奉公衆扱いで京都行きじゃね。
385日本@名無史さん:2007/07/03(火) 14:16:44
在地領主で奉公衆もいるよね
386日本@名無史さん:2007/07/04(水) 14:00:40
>>383
スレ違いだが、上杉氏の祖・藤原盛憲は「保元の乱」では藤原頼長の母方の
従兄弟だったことから、崇徳上皇方として参戦。足利氏の祖・源義康は
平清盛・源義朝と並んで、後白河天皇方の第一陣として出陣。
387日本@名無史さん:2007/07/05(木) 04:31:46
>>386
スレ違いである上に、そこでその事実を持ち出すことで貴方が何を言いたいのかも、測りかねるレスだな。
388日本@名無史さん:2007/07/05(木) 05:49:14
>387
足利と上杉の因縁を言いたいんだろう。別にいいじゃないか。
389日本@名無史さん:2007/07/06(金) 01:45:22
やっぱ京都から来た摂家とか親王じゃなくて
関東武士に鎌倉殿になってほしいわけよ。
390日本@名無史さん:2007/07/06(金) 02:24:15
しかし初代の頼朝からして関東武士とは言い難いからなぁ。
391日本@名無史さん:2007/07/06(金) 03:11:17
頼朝自身が優秀だっただけに神輿として認知されにくいからな
千葉氏が源氏の遺児(森義隆の子だっけか?)をかくまっていたのも、
いずれ蜂起するときの大義名分のためだろ?
392日本@名無史さん:2007/07/07(土) 15:43:06
>390
義平か朝長ならいいかね?
393日本@名無史さん:2007/07/07(土) 15:53:06
なんで歴代の執権の皆さんは寿命が短かったのですか?
394武陽陰士:2007/07/07(土) 19:01:57
>>393
鎌倉北条氏の研究で知られる奥富敬之氏は
歴代執権が短命なのは
度重なる近親結婚が原因ではないか、
と推論されている。
あくまで推論で、
もとより実証不可能なのだが
説得力のある指摘ではある。
395日本@名無史さん:2007/07/07(土) 22:16:25
水銀でも食ってたんじゃね
396日本@名無史さん:2007/07/07(土) 22:29:14
         /                 ヽ、_
        /   /                     ヽ
      /   / /|  l               \
     /   / |  | ゙、 l                ヽ,
    /   /  \ヽ, ヽ.ヽ.ヽ.ヽ_  ヽ           i
    /   |     ヽ; _ ヽ_ヽ._ヽ_ヽ  \ヾ、          |
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    / _ヾ|  ̄ニニニニニ、ヽ     r'''',ニニニ二二  |  ´`j
    | i )|  ヽ. _`'゚'´_ _ノ i    ヽ._ _`'゚'´_ ,ノ  | 人, |
    i ヾ ( |  ,    ̄   ,'i         ̄  .  | !)/
    ヽヽ | '         ´ !  ;        ヽ | ノ /
     ゙、ヽ!            i             リ /!
       |ヽ-!      / /  丶 ヽ       /_/ |
      |  ヽ      ヽ-、   , -‐'      /´! |   ______
      ヽ| ヽ       `ー ‐'        / リ /   |
       ヽ|| ヽ    ー‐‐‐-‐‐‐一    / i i/  < 歴史は繰り返す
         ヽ.| ヽ     - - - -     / | j/    |______
         |  ヽ  ,           /  |´        
        _/   ヽ '          /   !_       
         / `ー、_  \ _____ /  _, -' ヽ   
      /     `ー 、 _ _ _ _,- ‐'´   ヽ 
397日本@名無史さん:2007/07/07(土) 22:57:24
奥富って源氏だけじゃなくて北条氏も扱ってたのか
398日本@名無史さん:2007/07/08(日) 00:07:34
義平と朝長の母親がともに遊女という話は
嫡子でありながら、京都育ちで関東と関係が弱いことに引け目を感じていた
頼朝が二人を貶めるために作った、と言ってみる。
399日本@名無史さん:2007/07/08(日) 02:19:34
北条氏は第三王朝、安達氏は第3.5王朝、足利氏の第四王朝は
第二と第三の合体だな。
400日本@名無史さん:2007/07/08(日) 09:46:12
京都生まれとか、母親の身分・任官したことで頼朝を嫡子扱いすると、親父の義朝が庶子(というか、廃嫡か)ってことにならない?
京都生まれかもしれないけど、関東育ちで、弟に任官で先越されている。
頼朝に比企が付いたみたいに、兄貴たちにも三浦や波多野がついてるんだろうし。

生まれ育ちはあんまり、関係ないと思うけどな。
地方で力付けても、結局は上洛して任官しようとするだろうし、宮仕えだけでは地方の武士を組織化できないから、身内を誰か送るだろう。
どっちもやらないと結局出世しないだろ。
401日本@名無史さん:2007/07/09(月) 01:09:29
奥富が研究してたのは昔の話だぜ。
今は昔の功績(それも今の研究レベルでは糞)
で食ってるだけ。
あんなヤツありがたがる価値はないぞ。
402日本@名無史さん:2007/07/13(金) 19:06:46
『定本・北条氏康』(高志書院)って本が
氏康のwikiページに参考文献として載っているのですが
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F%E5%BA%B7
どなたか読まれた方おられますか?
403日本@名無史さん:2007/07/13(金) 20:37:48
>>402
誤爆でした。失礼
404武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/14(土) 00:26:44
>>397
元々、北条氏が専門。
>>401
北条氏研究の先行者としてそれなりに読めるし、それなりに参照すべき研究だが。
ただ確かに古い。
それに変に手堅い。
得宗専制期などは弱いしね。
それと佐原流三浦氏が御内人になったという奥富氏の指摘は他の研究者に批判されてる。
405ドク・マッコイ:2007/07/16(月) 22:52:40
>>404
手堅くはないよ奥富。
一般向けの歴史書の書き手としては、まあ優れているが。
406日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:11:50
>>398
義平の母方は三浦氏じゃなかったか?
407日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:28:58
そもそも中世では遊女は別に身分低くないしな。
408日本@名無史さん:2007/07/17(火) 21:43:58
白拍子腹は嫌われたと聞くが。
409日本@名無史さん:2007/07/19(木) 07:40:44
>>406
三浦氏説と遊女説の両方があって確定してない
410日本@名無史さん:2007/07/19(木) 20:42:45
日本を乗っ取ろうとして 乗っ取りかけた田舎侍集団
悪は必ず滅びる
411日本@名無史さん:2007/07/23(月) 19:12:54
義時・泰時時代は後世の武家政権からも理想の時代と見なされたみたいだね。
412武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/07/28(土) 00:38:55
>>411
だね。
413日本@名無史さん:2007/07/30(月) 01:02:13
>>410
だけどその子孫が一度は南朝天皇陛下(後醍醐天皇と阿野簾子の皇子)に就いた。
寵妃、阿野簾子の祖母は北条家。



414日本@名無史さん:2007/07/30(月) 13:27:48
北条で確実にのっこたといえるのは薩摩名越氏だけか?
415takeda:2007/07/30(月) 14:47:15
そうじゃね。
416日本@名無史さん:2007/07/31(火) 08:10:52
>>414
幕末に活躍した熊本藩士の横井小南も北条家の子孫じゃ無かったけ?
肖像画にも北条家の家紋の「三つ鱗?」だった(三角が三つ組み合わさってる奴)。
男児も代々「時」の名前だ。横井小南の本名も「時」が附いてる。

ところで子孫なら薩摩の名越氏の家紋も「三つ鱗?」なの?
そして名前も「時」なの?
417日本@名無史さん:2007/08/03(金) 00:56:58
確かお由羅騒動で奄美大島になった名越左源太というのが日記を残してある意味有名。名前は時行。不吉と思わんか不思議。
あと飛騨江馬氏と播磨淡河氏、常陸江馬氏とかが信憑性のある末裔。横井も時行子孫名乗っているが実際は佐介か名越、田伏あたりだろう。
神奈川県の歴史という本に僧侶として生き残った一門の話が載ってたが名前忘れた。
418日本@名無史さん:2007/08/03(金) 02:05:25
企矩高政
419日蓮:2007/08/03(金) 15:25:05
だから北条時宗のバカのせいで、子孫はみんな変になってしまったんじゃよ。
親父の最明寺入道(北条時頼)殿が一番偉い!
420日本@名無史さん :2007/08/15(水) 15:17:58
金入れたのにジュース出ない…駒大非常勤講師、自販機壊す(8月15日11時11分配信 読売新聞)

群馬県警沼田署は15日、駒沢大非常勤講師の角田朋彦容疑者(38)(千葉県市川市末広)を器物損壊の現行犯で逮捕した。

調べによると、角田容疑者は同日午前2時ごろ、沼田市西倉内町の食料雑貨店前で、
飲料水の自動販売機にブロック片を投げつけて、破損させた。店の女性経営者(62)が見つけ、110番通報した。

角田容疑者は、お盆で出身地の同市に帰省中で、酒を飲んでいた。
調べに対し、「金を入れたのにジュースが出てこなかった。返金もされずに腹が立った」と供述している。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070815-00000203-yom-soci


「金入れたのにジュース出ねぇ」でブロック投げつけ自販機壊す
捕まえてみたら大学非常勤講師
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/dqnplus/1187144671/
421日本@名無史さん:2007/08/26(日) 04:29:52
北条氏が歴代短命なのは、みな毒殺されたからだと思う
みなさんどうですか?
422日本@名無史さん:2007/08/26(日) 04:51:42
やたら陰謀論持ち出すようなお前は毒殺されろって思う
みなさんどうですか?
423日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:12:52

愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。

半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。
両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。
もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。

脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、
店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、
脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。
店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。
高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。
そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。

私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、
店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。

あれには本当にびっくりした
424日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:55:30
北条時頼は毒殺だね
425日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:31:05
>>424
某ドラマのトンデモ説ではね。
426日本@名無史さん:2007/08/27(月) 00:12:14
時経の若すぎる死とその後の遺児たちの処遇・行動
時頼を支持するものの仕業と考えるのが自然。
そのほかの場面でも、入内直前の三寅の死でも、頼家の急病&危篤による
将軍職半分わけでも、鎌倉の地は常にタイミングの良すぎる死が付きまとう。
毒殺天国であるはずなんですよ。
427日本@名無史さん:2007/08/27(月) 05:45:43
>時経の若すぎる死
時経って誰?
経時なら知ってるけど。

>その後の遺児たちの処遇・行動
頼助達の事を言ってるなら、頼助は真言密教の頂点に立ってるんだが。それこそ京都仏教界も羨む様な。

>入内直前の三寅の死
三寅が入内直前に死んだ??
九条頼経って女で、しかも結婚前に死んだのか??
ひょっとして三幡の事言ってるのも知れないが、
鎌倉方の人間が三幡を殺して何かメリットがあるのか?

>頼家の急病&危篤による 将軍職半分わけ
これはどう見ても頼家の急病を
北条時政が利用しただけに見えるんだが。
タイミングもへったくれもないだろ。

>毒殺天国であるはずなんですよ。
妄想はいらない。
実証してくれ。
428日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:59:43
まあ、九条頼経父子が相次いで死んだのには、なんかキナ臭いものを
感じなくもないが、いかんせん実証がない。
429日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:17:22
三寅と三幡を間違えるってどういう神経してるんだ?
性別も違うし、名前も三寅は訓読み、三幡は音読み。
430日本@名無史さん:2007/09/01(土) 02:12:05
ただの出自不明の弱小一族が謀殺につぐ謀殺で武士の頂点に立って
皇室にまで血縁を入れ込んだのはスゲーな
頼朝や子供達は不憫だが。滅ぼされたライバル御家人たちもだけど。
431日本@名無史さん:2007/09/01(土) 13:08:33
>>421
わしは激務による過労説だと思う。
遺伝説というのもあるらしいけど、短命揃いの赤橋流で足利尊氏に嫁いだ登子はそこそこ長生き
してるから、信憑性薄い。
432日本@名無史さん:2007/09/01(土) 15:31:41
時氏は?
433日本@名無史さん:2007/09/05(水) 22:04:19
>>431
女性だからではないのか?
ほかの女性ではどうですか。情報ください。

434日本@名無史さん:2007/09/05(水) 22:57:29
執権・連署になった政村は69歳だったし、
連署にまでなった大仏宣時は86歳と、
当時としては長寿だったと思うのだが
その辺はどうよ?
435日本@名無史さん:2007/09/06(木) 01:22:38
>>431
赤橋流だけ見ると確かに短命が多いが、赤橋流の祖である極楽寺重時はそこそこ長命(還暦過ぎまで存命)。

また重時の子(長時の弟)塩田義政の子にあたる国時は鎌倉幕府滅亡時まで存命している。
436日本@名無史さん:2007/09/06(木) 09:10:35
若死にな人物は極端に若死にで、中枢クラスで名前の残りやすい人物(時宗の弟の政頼・宗頼や極楽寺の長時・義宗あたり)に多いから目立つだけな気がするけど。
一門全体としてみたらそこまで短命とも思えない。

得宗家でも時政・義時・泰時あたりは当時からしたら充分長命といえるのでは。
時氏・経時・時頼・貞時は確かに早死にだが。
437日本@名無史さん:2007/09/06(木) 13:19:24
時政ー初代執権義時ー泰時ぐらいまでは、
北条氏が比較的その他幕府内に受け入れられていた時代だったからね。
それ以降、幕府内で北条氏による御家人粛清があったり、
北条氏自体が諸家に分かれて執権を競ったりで、鎌倉幕府をそのものに暗い印象が付きまとう。
泰時以降の歴代執権に、10代〜20代で死んだ者が多いのも、暗い話が出ることに拍車をかけているのだが。
438日本@名無史さん:2007/09/06(木) 19:23:56
まあ後に室町幕府の建武式目があからさまに泰時時代の鎌倉幕府を理想と見なしているからね。
439日本@名無史さん:2007/09/07(金) 13:09:37
鎌倉幕府滅亡時、北条氏に最後まで味方したのって六角時信と河野通盛だけ?
440日本@名無史さん:2007/09/08(土) 06:55:56
小早川貞平
441日本@名無史さん:2007/09/08(土) 09:57:17
みんなひどいよ。
執権になりそこなった北条時氏を忘れないでくれ。
28歳で、若死にしているよ。
442日本@名無史さん:2007/09/08(土) 20:01:09
大江・二階堂・斎藤一族
武田と芦名
443日本@名無史さん:2007/09/09(日) 01:20:44
江間小四郎って、頼朝の子供生んでその子を父親に殺された
伊東のむすめを嫁にもらったんだよね。
それでね。江間小四郎って、義時のことだよね。
義時が頼朝のおさがりをもらったことになるわけだ。
これ、正しい?
444日本@名無史さん:2007/09/09(日) 13:14:34
420
http://6106.teacup.com/rmfwm/bbs
この度は… 投稿者:角田朋彦 投稿日:2007年 8月24日(金)16時25分56秒
この度は、皆様に御迷惑・御心配をおかけしてしまいまして、本当に申し訳ありませんでした。
ごめんなさい。
示談成立にて不起訴処分となり、本日、釈放となったことを御報告致します。
本当に御迷惑・御心配をおかけして申し訳ありませんでした。

お疲れ様でした。 投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2007年 8月24日(金)19時00分46秒
>角田さん
この掲示板には新聞報道の翌日(だったか?)、1回だけ悪意のある書き込みがあり、
まもなく削除されましたが、その後は特に何もありません。
ただ、ここに何か書けば他に転載される可能性も大きかったので、実際上、こちらでの情報交換は避けていました。

すみませんです 投稿者:かどたの法眼 投稿日:2007年 8月26日(日)22時29分29秒
>小太郎さん
ありがとうございます。いろいろ気を遣っていただいて申し訳ありません。
みなさんも普通に情報やら何やらを書き込んで、いつものようにこの板を転がしていって下さいね
445日本@名無史さん:2007/09/11(火) 19:59:51
北条って大仏・名越・金沢とかいろいろ分家あったんだね。
446日本@名無史さん:2007/09/12(水) 01:23:31
江間小四郎の情報プリーズ
447日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:50:17
当時の毒殺にはどんな毒が使われていたのですか?
448日本@名無史さん:2007/09/12(水) 23:16:50
>>447
ヒ素じゃねぇの?
449日本@名無史さん:2007/09/12(水) 23:30:50
>>441
その為に苦労した奥方(松下禅尼)が有名になったからいいんじゃね?
450日本@名無史さん:2007/09/13(木) 14:48:53
 ▲
▲ ▲
451日本@名無史さん:2007/09/14(金) 14:01:51
普恩寺流北條信忍が素敵。
452日本@名無史さん:2007/09/14(金) 18:54:35
普音寺基時で良いじゃねーかよww
453日本@名無史さん:2007/09/15(土) 15:49:12
待てしばし 死出の山辺の旅の道 同じく越えて浮世語らん

信忍辞世
454日本@名無史さん:2007/09/27(木) 05:06:27
>>439
信州の諏訪一族を忘れてないかい?
諏訪家は得宗家の御内人で、1333年に高時と共に自刃している。
諏訪家は幕末まで存続してるので全て滅亡した訳じゃないが、御内人の諏訪家は自刃している。
更に諏訪家の誰かが1333年以後に北条高時の遺児を担いで乱を起こした。
武田信玄と争った諏訪頼重の遠い先祖。

後、得宗家御内人で権勢を誇った平・長崎親子は、平資盛(多分この人だったと思う。
違ったかな?。とにかく、平氏一門。)の子孫。

因みに北条泰時制定の貞永式目(御成敗式目)は、世界初の明文化した法律では無い「決まり書」らしい。
法律では無いと言うのは、大宝律令が有るから。
ああいった物は、他国に先駆けて世界初らしいよ。

>>446
北条義時娘が足利義氏室で、外孫娘が貴族の四条家に嫁いでいる。
永井路子女史に因れば、源実朝暗殺は寝耳に水だったらしい。
根拠は、義時の代役が身代わりとなって公暁に斬り殺されているから。
義時は済んでの所で命を取り留めた。仮に公暁と通じていたら代役を殺すはずが無い。
女史は他にも不思議な箇所を説明しているが忘れてしまった。
公暁の乳母を務めた三浦義村が黒幕だとの事。三浦(駒若丸)光村と公暁は仲が良かったらしい。
室・・吾妻鏡に由ると姫の前(比企家)・伊賀の方(伊賀家)・二階堂家の名がある。室表記。
妾・・吾妻鏡に由ると伊具家。妾表記は伊具家だけ。
不明・・吾妻鏡には室とも妾とも書かれていない。官女阿波局。

455日本@名無史さん:2007/09/27(木) 05:25:25
>>443

北条時政先妻は、伊東入道の娘だよ。つまり源頼朝の子供を産んだ伊東八重姫の姉妹。
そして義時の母親は、時政先妻の伊東入道の娘。
歳の離れた姉妹だよ。時政先妻は上の方の娘で、八重姫は末っ子に近かったのではないかな。
北条家を例に出すけど、上の方の子供の宗時・政子・義時と末っ子の時房は20歳近くあるよね。
親子と言っても良い程だ。時房は宗時や政子(早くに結婚していたら)の子供でも可笑しくない。
更に後妻の牧の方の子供の政範や九女(宇都宮頼綱後室)等と政子の年齢差は更に拡大する。

喩え年齢的に釣り合っていても、義時が自分の叔母さんと結婚する訳無いじゃん。
江間家に嫁いだと言っても、別の江間家だよ。
456日本@名無史さん:2007/09/27(木) 05:45:14

伊東も北条も親戚だ。鎌倉の御家人は色々な所で繋がりが有るから面白いよね。
伊東入道の娘婿には、北条家や三浦家がある。で、娘婿同士の北条・三浦もお互いの子供と結婚させてる。
義時の娘が三浦泰村の先妻。三浦の娘が泰時の先妻。

時政娘は宇都宮頼綱後室。その宇都宮頼綱先妻は梶原景時の娘。その梶原景時の後室は稲毛重成の娘。
その稲毛重成の室は北条時政娘。時政娘婿の宇都宮家と稲毛家。

スーパーの稲毛屋は、鎌倉時代の有力御家人の稲毛家に肖って名付けた。
あの地域一帯を領地としていた。
457日本@名無史さん:2007/09/27(木) 06:13:58
>>454、付けたし

室・・室表記で二階堂家と書いたが、二階堂行村の娘だったと思う。後で吾妻鏡で確かめて擱く。
鎌倉時代の代々政務を司った二階堂行光では無い。行村と行光は兄弟だけど主流は行光子孫になった。
兄が行村で弟が行光。
だけど二階堂家同士でも行村・行光兄弟の子孫同士で一族結婚させているからどうなんだろうね。

鎌倉中期になると、安達家・北条得宗家・二階堂家・千葉家・金沢家(北条)等でも
再び4家入り乱れて縁付いている。お互いがお互いの縁戚で面白い。







458日本@名無史さん:2007/09/27(木) 06:57:18
>>455
>喩え年齢的に釣り合っていても、義時が自分の叔母さんと結婚する訳無いじゃん。
これは普通にありえるだろ。
オジオバとオイメイの結婚は、この頃はタブーじゃない。

ただ八重姫と義時が結婚したんじゃないという意見には賛成だけど。

459日本@名無史さん:2007/09/27(木) 14:58:05
>>458
そうだね。禁忌事項じゃない。
でも八重姫の夫の江間氏は、義時とは別の江間氏だよ。
460日本@名無史さん:2007/09/27(木) 16:00:56
足利義氏室は、北条泰時の娘。
義時の娘じゃねぇ。
知ったかぶりするな。
461日本@名無史さん:2007/09/27(木) 16:25:41
>>460
そうだったね。只の勘違いだよ。そんなに剥きになるな。
>>350で北条泰時の娘と自分で書き込んでいて、勘違いしてしまった。
義氏の娘が四条家に嫁したのは合ってるでしょ。
間違いに気付いたら、該当箇所を指摘すれば良いだけの事だよ。
462日本@名無史さん:2007/09/27(木) 17:24:11
>>457、訂正。
室・・二階堂行村→×
室・・二階堂行政→○

室表記の二階堂行政の娘は京都で没している。
二階堂(藤原)家は元々貴族で、鎌倉草創期に下向した。
鎌倉の地名である、二階堂と最初に称したのが行政。行政の父親は藤原行遠。

もう一箇所訂正する。二階堂(藤原)行政の息子が行村と行光。
兄が行村(1155〜)、弟が行光(1164〜)は>>457と変らず。主流も後に弟の行光系統になった。

下向組は京都とも縁が深い。宇都宮(藤原)頼綱の娘(生母北条時政娘)は
藤原為家(定家嫡男)や中院(藤原)通成(土御門通方の孫)に嫁しているし、
大江広元(毛利家始祖)の娘が飛鳥井(藤原)雅経に嫁している。
その雅経の息子飛鳥井教定の室が北条(金沢)実時の娘。
463日本@名無史さん:2007/09/28(金) 01:04:28
>>461
何だ。
お前さん、>>350だったのか。
どうりで頭が悪い書き込みだと思ったwww
464443です:2007/09/29(土) 01:06:02
>>455>>459
ありがとう
だけど質問。「べつの江間氏」というけど
@「江間」を領有しているから「江間氏」なんだよね。畠山氏なら
重忠流滅亡後べつの畠山氏(源氏)ができるけど、同時期に江間氏が存在できるのだろうか?
A「べつの」というソースはわかるでしょうか?
Bとくに引っかかるのは江間「小四郎」ということ。
べつの江間氏にべつの「小四郎」がいたのかな?
それについて吾妻鏡はコメント書かれてないのかな?
教えてくだされ。
465日本@名無史さん:2007/09/29(土) 06:33:07
>>464
1は、普通にありえるよ。
足利氏(下野源氏・藤原氏)とか。
宇都宮もそうかな。
別の氏族がお互い領有を主張して
同じ家名を名乗ると言うのは
たまにある話。

3は、四郎の子の四郎の意味だから
そんなに珍しくないんじゃないの?
466日本@名無史さん:2007/09/29(土) 08:28:00
>>464
大番役で不在だった時政が伊豆に戻り、政子と頼朝の関係を知って別れさせようとしたのが、治承元年(1177年)、
そのときが八重姫と頼朝が別れた可能性のある一番遅い時期と思うが、このとき義時は長亨元年(1163年)生まれだから数えの15歳。
ぎりぎり元服・結婚出来る年齢ではある。

でも、頼朝が相手と無理やり別れさせられた直後に次の女をさっさと作るのか?
更に付き合った直後に親父が国に戻り、ばれるなんて偶然にしては出来すぎじゃないかとか思うますが。
もっと早くに別れていて、政子と付き合うまでの期間があったのなら義時が八重姫の結婚相手というのは年齢からみて無理がある。

また、八重姫と別れさせたとき、伊東祐親は頼朝を殺そうとして、それを祐親の息子から聞いた頼朝が逃げた先が北条時政の館とされている。
義時と八重姫が結婚していたとしたら、その親である時政に保護を求めないと思いますよ。
年齢からみて義時も独立しておらず時政と一緒にいるだろうし。
467日本@名無史さん:2007/09/29(土) 08:44:46
>>464
>ぎりぎり元服・結婚出来る年齢
藤原頼経の元服と婚姻の年知ってる?
元服は8歳。竹御所との結婚は12歳だぞ?
北条時宗は7歳で元服、11歳で堀内殿と結婚。
当時としては普通のことじゃないか。
年齢的には全然無理はない。

>頼朝が相手と無理やり別れさせられた直後に次の女をさっさと作るのか
むしろ、頼朝だからありえるんじゃないの?
頼朝と言わず、当時は一夫一妻制じゃないんだから、
八重姫と政子同時に付き合っていたとして
何の不思議もないと思うのだが。

>年齢からみて義時も独立しておらず時政と一緒にいる
独立してるから、北条ではなく江間を名乗っているんだろ?
468日本@名無史さん:2007/09/29(土) 09:45:00
>>467
>藤原頼経の元服と婚姻の年知ってる?
実朝が死んで右大将家に跡継ぎがいなくなり、皇族を迎えるのを後鳥羽院に断られて、消去法で婿に選ばれた頼経が一般的な例ですか?

>独立してるから、北条ではなく江間を名乗っているんだろ?
じゃあ、時政ら北条一族が義時の嫁と無理やり別れさせられた男を、舅で有力者の伊東祐親に逆らってまで保護する理由は?

469467:2007/09/29(土) 10:49:22
>>468
はぁ?
何を言ってるの?
俺は誰も、義時と八重姫の婚姻が事実だと言ってるわけじゃない。
あんたが否定している根拠がおかしいと言ってるだけだ。

>消去法で婿に選ばれた頼経が一般的な例ですか
元服の年齢は、北条得宗家辺りを見れば、
8歳〜15歳くらいですが?
頼朝だって保元3年には元服してるし。
頼経は全然特別な例じゃない。
470日本@名無史さん:2007/09/29(土) 20:43:00
>>462、再訂正。
>>454>>457>>462で、北条義時の室に二階堂氏と書いたが間違い。
二階堂行政の娘は義時室では無い。北条義時室である伊賀朝光の娘の伊賀の方の母親が
二階堂家出身だった。二階堂行政の娘が伊賀の方の母親。
つまり伊賀(藤原)朝光と二階堂(藤原)行政娘の子供が伊賀の方。
吾妻鏡・・・建保五年(1217年)丁丑、二月大、十九日、丙寅、晴れる。
右京兆(義時)の室、重服によつて、萬年九朗が宅に移り住みたまふ。これ去ぬる十日、母儀
京都において卒去の由、飛脚到來するが故なり。

と、なっている。
要するに「二月十日に義時室の母親が京都で亡くなった事を知らせる為に
飛脚が鎌倉に到着した。だから喪に服す為に二月十九日に萬年九朗さんの家に移り住んだ。」

取り敢えず再訂正ね。
471日本@名無史さん:2007/09/29(土) 20:46:48

「母義」の横に注釈・・・「山城前司行政が女」と書かれている。
472日本@名無史さん:2007/09/29(土) 23:22:18
源頼朝の母親は熱田神宮大宮司藤原秀範の娘。その藤原秀範の妹の嫁ぎ先が藤原行遠。
その藤原行遠と秀範妹の息子が二階堂行政。源頼朝の母方の祖父の妹息子が二階堂行政。

>>464
>>455>>459だが、質問に答える。
1について・・・同時期同姓は他にも有ります。
曾我兄弟仇討ち事件で有名な新田忠常と足利一門の新田氏。同じ新田家でも別系統だよ。
他には、唐橋家が有る。
唐橋家は京都の貴族の唐橋家と伊予の豪族河野家の一門である唐橋家が有るよ。
河野家の一門の唐橋(河野)通清の室が金沢(北条)実泰の娘だよ(私が書いた>>352を参照。)。
それと京極家もそうだ。
藤原定家の子孫の貴族の京極家と佐々木家の一門の武家の京極家。
その武家の京極家の子孫には、戦国時代の淀殿の妹の旦那の京極家がある。
あと、>>465の書き込みは私じゃ無いが、補足説明する。
>>465が書いた様に足利氏も二系統ある。
源氏の足利氏と藤原流の足利氏だ。同じ足利を名乗っていても
片方は北条時政娘を貰った源氏の足利。片方は藤原秀郷の流れを汲む足利氏。
藤原流足利家は、最初に足利を名乗った足利成行の叔父の子孫に小山・結城家がある。
で、藤原流足利家の分家として山上・阿曽沼・大屋・等がある。
時政の娘を貰った源氏の足利義兼と藤原流の足利忠綱(成行の曾孫)は同時期の人だよ。
藤原秀郷の流れを汲んでいる。

>>465
藤原氏・八田流の宇都宮家以外にも宇都宮家が有ったとは知らなかった。
出来れば、もう一つの系統の宇都宮家を教えて欲しい。
473日本@名無史さん:2007/09/30(日) 05:19:32
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・・その一
北条時政女 
    ‖―通末                 江戸太郎重長女
    ‖―通政                   ‖―通忠1268〜?
    ‖―通久(早世)―通継(通久養子・実は弟)―通有1250?〜1311
河野通信1156〜1223 ―唐橋通時(通久養子・実は弟)  ‖―通盛1268?〜1364(別名・通治)
 |            ‖―― 唐橋通清    河野通久女とも唐橋通時女とも伝わる
別府(河野)通広    北条義時女  ‖ ‖
 |                 ‖ ‖
一遍(時宗の開祖)  金沢(北条)実泰女 ‖
                     ‖
               極楽寺為時 ‖
                 ‖―――女
               苅田義季女
    
         
            
     
474日本@名無史さん:2007/09/30(日) 05:48:55
>>473↑ずれた。

唐橋通時
 ‖――――唐橋通清
北条義時女  ‖ ‖  
金沢(北条)実泰女‖
         ‖
極楽寺為時    ‖
 ‖―――――――女
苅田義季女       江戸太郎重長女
              ‖―通忠1268?〜?
           河野通有1250?〜1311
            ‖―通盛?〜1364(別名・通治)―通朝―通尭(別名・通直)
     河野通久女とも唐橋通時女とも伝わる

>>473での河野通盛の生まれた年は訂正する。打ち間違えた。?〜1364だった。
家督は通盛(通治)が継いだらしい。

河野通信1156〜1223
‖―――――――通政―政氏―通直―女
北条時政女            ‖ 
               河野通康                
              
475日本@名無史さん:2007/09/30(日) 08:09:23
北条家を巡る鎌倉御家人の系図・・その二
         
梶原景時女(先妻)   
‖―三条(藤原)実房妻
‖―頼業(養子へ行く)                  
‖―秋元泰業(養子を貰った)― 頼業        
‖―時業          
宇都宮(藤原)頼綱1172〜1259
       ‖―泰綱1203〜1261
牧の方    ‖―A・・・藤原為家室
‖      ‖―B・・・中院(藤原)通成室
‖――――――女(後室)
北条時政
              飛鳥井教定女
 A・・・(先妻)宇都宮頼綱女   ‖
         ‖――――――二条為氏 松殿師家
         ‖――――――京極為教 ‖
         ‖―――――――――――女
         ‖―――為顕     
       藤原為家
         ‖― 冷泉為介相 
         ‖― 為守 
         ‖― 女 
     (後妻)阿仏尼(十六夜日記)
                      姉小路顕朝女
              B・・・宇都宮頼綱女  ‖
       一条能保女       ‖――通頼―通重
          ‖―――――――通成
土御門(源)定通―中院通方
476日本@名無史さん:2007/09/30(日) 10:04:38
北条家を巡る鎌倉御家人の系図・・その三

         伊賀(藤原)朝光
            ‖―光季(京都守護。承久の乱の際に、上皇方に攻められ息子と自刃)
            ‖―光宗
            ‖―光資
            ‖―朝行
            ‖―光重
            ‖
            ‖―――――女(後室)                   
 二階堂行政      ‖     ‖
     ‖――――――女   ┏義時
     ‖―行村   北条時政―政子
     ‖―行光   源義朝   ‖
藤原秀兼―女      ‖――――頼朝  
    ┗秀範―――――女           
           ┗範忠─女    四条(藤原)隆親
               ‖――義兼    ‖―隆顕
            足利義康   ‖―義氏―女┗鷲尾隆良
               北条時政女 


 
                     
477日本@名無史さん:2007/09/30(日) 10:59:31
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その四

>>473>>474の河野家↓

    河野(唐橋)通時・・・再婚相手。前夫の一条実雅が配流されたので再婚した。
伊賀の方  ‖――通清  
 ‖――――女
義時    ‖――男子
      ‖――女子   
一条能保―実雅
‖――――――――――高能
源頼朝妹        ‖―能氏
            ‖―頼氏(母は藤原基房の娘との説も有る) 
  時政―時房――――女   ‖――――能基     
    |     |――――女     ‖        
    |                ‖
    |                ‖      
    ―義時――――――――――――――女                 
                         
時房――時直――女 
        ‖
      一条能清          
478日本@名無史さん:2007/09/30(日) 11:10:41
>>477↑ずれた。
一条高能
‖―能氏
‖―頼氏(母は藤原基房の娘との説有り)A
時房女

一条頼氏A
‖―――――能基
時房女    ‖
義時―――――女  

時房――時直―女
       ‖   
      一条能清
479日本@名無史さん:2007/09/30(日) 20:00:17
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その五

                            後醍醐天皇 
                             ‖・・・後村上天皇   
                             ‖・・・成良親王
                             ‖・・・恒良親王
                             ‖・・・内親王                            
    ┝ 時房・・・・・・資時・・・・・女       ‖・・・内親王
北条時政―阿波局             ‖・・・公廉・・廉子
      ‖・・・・女         ‖
源義朝―阿野全成   ‖・・・実直・・・┝公仲
藤原成親・・・・・・公佐        ┝公寛・・寛子
                         ‖・・・資名・・(5代省略)・・富子
                     日野(藤原)俊光  
480日本@名無史さん:2007/09/30(日) 20:06:53
>>479↑ずれた。
藤原公佐
‖・・・・・・・実直・・・公寛・・・寛子
阿野全成娘       ┗公仲

阿野公仲
‖・・・・・・阿野廉子
北条資時娘

阿野寛子
‖・・・・・・・・・・資名
日野(藤原)俊光
481日本@名無史さん:2007/09/30(日) 21:36:09
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その六

高階泰重女
     ‖基親―治部卿
平範家―親範    ‖―――赤橋長時
          ‖―――常盤時茂
北条時政―義時―極楽寺重時
          ‖――業時(普恩寺流)
          ‖――北条公時室
         備後局
                 宇都宮経綱
                  ‖―大仏宗宣室
遊女                ‖―北条房室
‖―――――――――――――――――女(後室)
‖―北条教時室
北条重時――――――――――――――――――――宇都宮経綱室(先妻・?〜1256年没)
‖―塩田義政
‖――――――――女
少納言局      ‖―宗景
          ‖―盛宗
          ‖――――――千代野
         安達泰盛      ‖―貞顕―貞将
                   ‖――――――――契忍禅尼(別名・釈迦堂殿)
                   ‖          ‖―高義―女    
                   ‖        足利貞氏 
          北条政村女    ‖          ‖
            ‖――――――顕時       上杉清子 
          金沢実時 

482日本@名無史さん:2007/09/30(日) 22:14:27
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その六

金沢顕時女(契忍禅尼)
‖―――――高義―女
足利貞氏     ‖
‖―尊氏    扇谷(上杉)朝定   
‖―直義 
上杉清子

上杉(藤原)頼重――――清子
         |――重顕―――扇谷(上杉)朝定


北条重時
‖――――――為時(苅田流)>>473で為時の室が苅田義季女と書いたが間違い。訂正。
苅田義季女

藤原道長
‖――――藤原尊子
源明子   ‖
源師房   ‖――――――師頼―源師光 
‖――――堀川(源)俊房     ‖
為平親王女            ‖―――――――具親    
                 ‖        ‖
         巨勢宗茂――――女(安芸)    ‖―――源輔道
                          ‖ 
                        北条重時女 

 
483日本@名無史さん:2007/09/30(日) 22:19:34
>>482↑ずれた。

源師光
‖――――――――――具親
巨勢宗茂の娘で「安芸」
源具親
‖――――――源輔道
北条重時女 
484日本@名無史さん:2007/10/01(月) 00:23:04
ん?
それ一体何の系図見て作ってるんだ?
泰盛娘=千代野というのは、
とっくに間違いであると指摘されてるんだけど。
485日本@名無史さん:2007/10/01(月) 01:33:47
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その七
                    北条時政女(稲毛女房)
秩父重弘―――小山田(秩父)有重      ‖―綾小路(源)師季室       
           ‖―――――――――稲毛重成
          ┠女 
藤原宗円―宇都宮宗綱┠朝綱―成綱(別名・業綱)―頼綱―泰綱
          ┠寒河尼(頼朝乳母)   ┏北条時輔室   
            ‖―朝政―朝長―長村─時長           
            ‖―結城朝光      ‖―宗長―貞朝
          小山政光         宇都宮泰綱女

宇都宮泰綱
‖―経綱>>481の経綱を参照(子・大仏宗宣室・北条宗房室)
‖―執権北条経時室(1231〜1245年没。)
‖―小山時長室
‖────────景綱─貞綱
北条朝時女
         赤橋(北条)長時女
宇都宮景綱      ‖―北条茂時室
‖―芳賀高久     ‖―芳賀高貞     
‖―武藤泰宗     ‖―公綱(別名・高綱)―氏綱
‖――――――――貞綱
安達義景女
             
宇都宮公綱        足利高経女
‖―大掾重幹室       ‖――――基綱
‖―――――――――――氏綱       ‖―――満綱
千葉宗胤女             細川(足利)頼元女 

 
486日本@名無史さん:2007/10/01(月) 01:45:22
>>485↑ずれた。


      ┠―小山田(秩父)有重室(稲毛重成・榛谷重朝等の母)。
宇都宮宗綱―┠―朝綱
      ┠―寒河尼(頼朝乳母)
         ‖―朝政
         ‖―結城朝光
     小山政光
  
487日本@名無史さん:2007/10/01(月) 03:18:11
ヒマだねぇ。
自分でホームページでも作ったらどう?
488日本@名無史さん:2007/10/01(月) 05:41:44
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その八

安達義景        北条時宗
‖―宇都宮景綱室     ‖―――――貞時         
‖―――――――――――覚山尼      ‖――――高時
‖―景村―――――――――泰宗―――――女       ‖
‖―長井時秀室                     ‖
‖――――――――――顕盛               ‖
‖―その他大勢     ‖―――――宗顕        ‖
小笠原時長女      ‖      ‖――時顕B   ‖
          北条正村女    ‖        ‖
    >>485の結城朝光―山河(結城)重光女       ‖
                            ‖
安達時顕                        ‖
‖―――――――――――――――――――――――――――女 
‖―高景
‖―顕高
‖――――――二階堂行直室
金沢(北条)時雄女   
489日本@名無史さん:2007/10/01(月) 05:48:11
>>488↑ずれた。

北条高時


安達時顕女

>>485>>486
宇都宮宗綱の子供が、小山田有重室・寒河尼(源頼朝乳母)・朝綱ね。


490日本@名無史さん:2007/10/01(月) 06:18:23
北条家を巡る鎌倉御家人の系図・・その九

北条家や伊東家、曾我兄弟の関連図。共通の直近先祖は狩野家次。


A狩野家次―祐家―伊藤入道祐親―河津祐泰  
                 ‖
               曾我兄弟の母 ※
                 ‖
                曾我祐信

B狩野家次―茂光―狩野何某―曾我兄弟の母 ※

C狩野家次―祐次(別名・祐継)―工藤祐経(曾我兄弟殺害)江戸時代の九州飫肥藩の直接の先祖。


手越少将(祐経後妻)

工藤祐経・・・最初、祐経女と結婚したが、京都大番役の最中に祐親によって離婚させられた。

伊東祐親女・・夫の留守中に父親に離婚させられてしまう。

土肥遠平・・祐親女の再婚先。
残り↓
臼井(千葉)常忠室
三浦義澄室
北条時政室
八重姫・・・江間四郎室???。誰だ?
伊東入道祐親―祐清
        ‖
    比企遠宗女
491日本@名無史さん:2007/10/01(月) 06:33:05
>>490
真際らしいが、
伊東祐清(伊東入道息子)

比企遠宗女
492日本@名無史さん:2007/10/01(月) 07:49:10
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十
    三浦義明
     ‖――――女
秩父重綱―女    ‖―――畠山重忠
    ―重弘――重能
      三浦義明女
秩父重弘   ‖――――重忠   宇都宮宗綱女
‖――――畠山重能         ‖―――――稲毛重成  千葉常胤 
‖――――――――――――――小山田有重           ‖―――相馬師常 A
‖―――――――――――――――――――――――――――――女
‖―その他大勢
横山孝兼女
北条時政女(後室)
‖――――重保
畠山重忠     島津忠久
‖―重秀      ‖―――忠時―久経 B
‖――――――――女
足立遠元女(先妻)
相馬師常 A ―義胤―胤綱―島津久経室「尼妙智」B
      三浦家村
島津忠時   ‖   相馬胤綱
‖―――――女     ‖――――忠宗―貞久
‖――――――――――久経        ‖――――氏久
伊達(藤原)入道「念性」妹       大友親時女 C


           
                    
                     
                 
                     
493日本@名無史さん:2007/10/01(月) 09:24:17
北条家を巡る鎌倉御家人の系図・・その十一
               
>>492のCの大友家と北条家の関わりについて   北条資時
        名越朝時   三浦家連女   ‖
大友経家娘     ‖      ‖―――――女
‖―――――――――女      ‖―――――頼泰―親時―島津貞久室>>492のC
‖―――――――――――――――親秀      D
近藤(入り婿・大友)能直        赤橋久時
D大友頼泰――――――――――――女  ‖―――――守時   
                ‖――女
                ‖―兼時
                ‖―宗方
       北条時頼―――――宗頼

横山孝兼―時重―和田義盛室
    ―梶原景長室
    ―秩父重弘室
    ―女     ―大友(近藤)能直室   北条重時女  
     ‖―大友経家―中原親能室E       ‖―宣時        
     ‖―義景―忠綱――――――――――――義重
   波多野遠義

>>454の中段の得宗家の御内人の平・長崎親子について
高階基章女               ―飯沼助宗(頼綱息子)
‖―重盛―資盛―盛国―盛綱―盛時―平頼綱―宗綱
平清盛             ―長崎光綱(盛時息子)―高綱
494日本@名無史さん:2007/10/01(月) 09:36:43
>>493↑ずれた。
三浦家連女
‖―――――女
大友親秀  ‖
     北条資時

赤橋久時
‖―守時
北条宗頼女

大友頼泰女

北条宗頼
495日本@名無史さん:2007/10/01(月) 12:28:50
北条家を巡る鎌倉御家人の系図・・その十二

天野遠景―正景―六浦殿
        ‖―金沢実時
      北条実泰  尼阿蓮
天野遠景―正景―相馬尼 ‖―師胤―重胤
        ‖――胤村
        ‖―尼妙智
     相馬胤綱  ‖ 
          島津久経
千葉常胤
‖―相馬師常           金沢顕時女
‖―胤正――――――成胤―時胤    ‖―貞胤
‖―その他大勢       ‖―頼胤―胤宗
横山弘兼女         ‖     
             北条時房女
              ‖
             安達義景
伊賀朝光
‖―北条義時室
‖―光季―――――千葉尼「聖光」か?
二階堂行政女    ‖―――――播磨尼「了阿」
         千葉成胤     ‖―山河重光―安達宗顕室>>488
                結城朝光



     


       
496日本@名無史さん:2007/10/01(月) 13:04:54
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十三

大江広元―毛利季光―広光
          ‖   金沢実泰女
        北条朝時女 ‖―――――政実
大江広元―大江親広     ‖
      ‖―――――――広時
  北条義時女「竹殿」
   藤原実任・・時房女の再婚相手。
      ‖            金沢実時女「慈性」
     北条時房女   安達義景女 ‖―――貞宗
      ‖      ‖―――――宗秀
大江広元―長井時広―実秀―時秀
大江広元                 二条為通
‖―――――――――――教定―雅有     ‖―為貞
飛鳥井(藤原)雅経      ‖――雅顕  ‖
               ‖――――――女
               金沢実時女
            
            
497日本@名無史さん:2007/10/01(月) 14:16:29
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十四

>>496、ずれの訂正。
飛鳥井雅有     二条為通
‖―雅顕       ‖――――為定
‖――――――――――女
金沢実時女

藤原為家―為氏
     ‖―――為世―為通
飛鳥井教定女

西園寺(藤原)実経―清水谷(藤原)実有
           ‖―公持
           ‖―公藤―実連
          北条義時女

足利義兼―畠山義純
      ‖――――泰国
    時政女     ‖――義生
          北条資時女

大江親広

北条義時女「竹殿」・・親広と離婚後、定通と再婚する。
‖―男子
‖―男子
土御門(源)定通
  
498日本@名無史さん:2007/10/01(月) 15:23:28
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十五

   新田義兼女(義純と離婚した)
    ‖―岩松時兼
遊女  ‖―田中時朝  北条資時女
‖――――義純     ‖―――――義生 「A」
足利義兼  ‖―――――泰国
      ‖
   北条時政女(義純と再婚)
    ‖―重保
   畠山重忠
    ‖
   足立遠元女(重忠先妻)
北条時政女
‖―藤原親兼室
‖―野田朝氏室      北条時氏女
‖―――――――義氏    ‖―――頼氏
足利義兼    ‖―――――泰氏
‖―桃井義助  北条泰時女
‖―義純・・・「A」
遊女

>>497、ずれ再訂正。
藤原為家
‖―為氏―為世―為通
飛鳥井教定女
499日本@名無史さん:2007/10/01(月) 16:29:51
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十六        長井(大江)時秀女
         北条時氏―時定――女   極楽寺為時女 ‖――>>496参照。             
足利義兼――――――義氏      ‖―義利  ‖――――家貞 ※A
          ‖―――泰氏  ‖――――宗家
北条泰時      ‖   ‖――斯波家氏 北条時房―時村―時広――女     
‖―時氏      ‖   ‖――――――――渋川義顕       ‖   
‖―――――――――女   北条朝時女     ‖―――――――――義春 ※B
矢部禅尼(三浦義村女・泰時先妻、佐原に再婚)  北条時定女
‖―時連
‖―光盛
‖―盛時
佐原(三浦)盛連・・三浦義明の孫
※A     長井(大江)時秀女
斯波宗家   ‖――――――――家兼――最上兼頼(奥州・出羽、最上家の祖)
‖      ‖―高経
‖――――――家貞
極楽寺為時女
※B                 紀良子                  
北条時広女               ‖――義満
‖―――――貞頼―義季        足利義詮
渋川義春     ‖―――渋川直頼   ‖――――千寿王
         ‖―――――――――渋川幸子(正室)   
       大仏(北条)朝房女
渋川貞頼―頼子
     ‖――如意丸1347〜1356年
  足利直義




500日本@名無史さん:2007/10/01(月) 17:11:51
>>499↑ずれた。

足利義兼―――――義氏
          ‖―泰氏
北条泰時      ‖              長井(大江)時秀女。>>496参照
‖―――――――――女       極楽寺為時女  ‖
三浦義村女(矢部禅尼) 北条時定女  ‖―――――家貞
            ‖――――――宗家
北条朝時女       ‖――義利
‖――――――――斯波家氏
‖――――――――――――――――――渋川義顕
足利泰氏                ‖――――義春
                   北条時定女
                           紀良子
斯波宗家                        ‖―満詮
‖―――――家貞                    ‖―義満
極楽寺為時女 ‖―家兼―最上兼頼(最上家・祖)   足利義詮
       ‖―高経     大仏(北条)朝房女   ‖――千寿王
      長井(大江)時秀  ‖――――――――――渋川幸子
北条時広女           ‖――直頼
‖――――――貞頼―――――――義季
渋川義春       |――――女(義季妹)
                ‖―如意丸1347〜1356年
               足利直義



501日本@名無史さん:2007/10/01(月) 17:26:09
>>499>>500。↑再ずれ直し。

斯波家氏

北条時定女

渋川義顕

北条時定女

渋川義季

大仏朝房女

渋川幸子
‖―千寿王
足利義詮
‖―義満
紀良子
502日本@名無史さん:2007/10/01(月) 18:09:28
その婚姻関係が正しいかどうか、全て裏を取りましたか?
503日本@名無史さん:2007/10/01(月) 20:01:12
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十六
         
平家連(別名・宗連)女。  
‖――――女(正室)
北条時直 ‖
     ‖             上杉頼重―重顕―――――――扇谷朝定                                                                
   足利頼氏(早世)        金沢実時女(契忍禅尼)     ‖
    ‖――――――――家時     ‖――――――――――高義――女
上杉重房女(家女房)   ‖――――――貞氏
         常葉(北条)時茂女
足利貞氏
‖――尊氏
‖―――――――――直義
上杉清子(家女房) ‖―如意丸(夭逝)
       渋川(足利)幸子
越前局
‖―直冬
足利尊氏
‖――――竹若
加古(足利)基氏女

足利尊氏
‖―義詮
‖―基氏
‖―女
‖―女
‖―聖王
‖―了清
赤橋登子
504日本@名無史さん:2007/10/01(月) 20:40:39
得宗は朝廷か中国に朝貢して王号を授けられるくらいを目指せばよかったのに。
ついでに関東15(16?)カ国も独立国になれるし。昔の天皇も朝貢を重ねて諸豪族から
突出した存在になった。
505日本@名無史さん:2007/10/02(火) 22:10:44
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十八(>>503は十七だった)

伊東入道女(先妻)
‖―――――義時――清水谷(藤原)実有室
‖―その他大勢
北条時政
‖―大岡(藤原)時親室
‖―滋野井(藤原)実宣室。1216年没
‖―その他大勢                 
牧の方・・牧(藤原)宗親女とも妹とも伝わる   
                   
              
祇園女御                    
‖―清盛    西園寺実宗                      
平忠盛       ‖――――公経       
‖―――頼盛――――女    ‖――実氏    
‖             一条全子(頼朝姉) 
池禅尼                     
                      
平忠盛                     
‖―――頼盛――――女             
‖         ‖――――基宗――滋野井(藤原)実宣(後室)
‖      持明院(藤原)基家
池禅尼

藤原隆宗―宗兼―牧宗親―牧の方?・・宗親女だとしたら(妹とも娘とも)
藤原宗兼(隆宗息子)
‖―池禅尼(平清盛の継母)
藤原有信女か?


506日本@名無史さん:2007/10/02(火) 22:23:36
スレ違いの系図延々と貼るのは勝手だけどさ。

清盛が祇園女御と忠盛の子供ってどっからソース出してるの?
まさか平家物語とか?w
507日本@名無史さん:2007/10/03(水) 00:42:13
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その十九

平頼盛女
‖―西園寺実宗室(公経の母)>>505の訂正。頼盛女でなく、基家女だった。
‖―基宗――滋野井(藤原)実宣後室
持明院基家

(先妻)北条時政女(母・牧の方)・・1216年没

滋野井実宣
‖――――――公光1223年生――実冬 A 
(後室)持明院基宗女

西園寺公経――清水谷実有
       ‖―公持
       ‖―公藤―実連  B 
       ‖―鷹司兼平室(基忠母)
       ‖―四辻実藤室(公重母) B
       ‖―滋野井公光室(実冬母) A
      北条義時女
四辻実藤
‖―――――――公重―――女
清水谷実有女       ‖――――公有 
           清水谷実連
508日本@名無史さん:2007/10/03(水) 01:07:49
北条家を巡る鎌倉御家人系図・・その二十

藤原宗兼―牧宗親―牧の方(娘とも妹とも伝わる)
藤原宗兼―池禅尼

西園寺公経
‖―洞院実雄―洞院公守―正親町実明―公蔭
平親宗女              ‖―忠季
                  ‖―実文
                  ‖――――――女
                赤橋久時女    ‖―義仁親王
                        光厳天皇(北朝初代)
                         ‖―崇光天皇
                     正親町三条公光女 
509日本@名無史さん:2007/10/03(水) 01:11:35
>>507↑訂正

清水谷実有

北条義時女・・・・×

清水谷実有

北条資時女・・・○ 

>>506 
>〜勝手だけどさ 
なら、ほっといて。
510日本@名無史さん:2007/10/03(水) 01:14:12
>>508↑ずれた。

正親町公蔭

赤橋久時女
511日本@名無史さん:2007/10/03(水) 01:31:53
>>506

・北条家を語るスレだから、北条家に絡めた系図を語ってる
・平清盛が祇園女御と平忠盛の子供と書いたのは、
豊臣秀頼が秀吉と淀殿の間の子供と系図に書かれているのと同じ意味で書いた。
淀殿と大野治長の息子とは書かれて居ないのと同じ。
秀吉の方は、関が原合戦後に尼になった秀頼の娘が居るので菩提寺に埋まっている骨
と祖父である豊臣秀吉の遺伝子鑑定、若しくは大野治長の親戚の骨で
調べられるかも知れないが、清盛が天皇と平忠盛の実際はどちらの息子かは藪の中だ。


512日本@名無史さん:2007/10/03(水) 06:23:38
>>511
ウザい。
ここはお前の1人語りの場所じゃねぇんだ。
チラシの裏でやれ。
513日本@名無史さん:2007/10/03(水) 14:51:28
>>512
断る。止めさせたければ運営にでも報告して追い出せば宜しい。
尤も私の書き込みが荒らしと認定される事は100パーセント無いがね。
514日本@名無史さん:2007/10/04(木) 06:43:14
>私の書き込みが荒らしと認定される事は100パーセント無いがね
自覚はあるんだ(ppp
515日本@名無史さん:2007/10/06(土) 02:06:00

北条氏の出自が平家という事は、平家一族の北条氏ご令嬢の
ハニートラップでハメられて、気がついたら勝ったのは源氏だけど、
政権握っているのは平氏系の北条だったという、笑えない話になるね。
516日本@名無史さん:2007/10/06(土) 10:37:25
>>515
バカ発見
517日本@名無史さん:2007/10/06(土) 19:21:15
執権北条氏って幕府滅亡時に可成抹殺されたよな。
518日本@名無史さん:2007/10/06(土) 22:13:06
北条家って伊豆の弱小豪族だったのに、たまたま政子が流人の源頼朝と結婚して
運良く戦に勝って、将軍家の舅になり、運が開けたという言われ方をよくされるが
本当に、伊豆の吹けば飛ぶ様な「弱小豪族」だったのかな。

北条時政の先妻は大豪族伊東入道祐親の娘でしょ。で、相模の大豪族三浦義澄
も伊東入道祐親の娘を妻にしている(三浦義村の母)。三浦と北条は娘婿同士。
北条義時と三浦義村は母方を通して従兄弟同士。
北条はそこそこの勢力のある豪族だったのでは無いかな。
しかも、北条時政の後妻の牧の方の出自は最近は池禅尼の親戚と言われているのでしょ。
流人の源頼朝が政子と結婚する前後に遅く見積もっても再婚したとしても、
流人の妻を娘に持つ時政と結婚したんだよね。つまり将軍になる前の流人時代に。
そんな時代に池禅尼の親戚と再婚できるなんて、北条家は結構勢力が有ったんだなと思ってしまう。
頼朝が将軍になってからだと、将軍の舅と言う地位があるから不思議では無いのに、
流人(犯罪者)頼朝の舅と再婚でしょ。まず、その時は芽が出ないと思うよね。
519日本@名無史さん:2007/10/07(日) 01:23:38
人によっては池殿系の家臣だったと言う人もいル
520日本@名無史さん:2007/10/07(日) 02:57:27
>>515
あのさ。
「平氏」

「平家」
の違いって分かる?
521日本@名無史さん:2007/10/07(日) 03:49:10
>>520
伊勢平氏を平氏と言えばコレって思ってるバカ相手するのって520が大変な事になるぜ
522日本@名無史さん:2007/10/07(日) 09:30:25
>>518
そこそこの豪族なら、一族の名前や活躍が伝わってると思うけど、ほとんどそういう話がない。
頼朝挙兵時の動員兵力も少ないし。
頼朝を支持したため一族から疎外されていたとしても、挙兵成功後は関係が復活するものだと思う。
(降伏・所領安堵の口利きしたりとか、時政に対立した一族の所領が与えられるとか)

時政自身は政治的な能力もあったみたい(頼朝の代理として朝廷と交渉したりしている)だから、
頼朝を婿にする前から、京都とコネを作っていたりしてもおかしくないと思うけど。
523日本@名無史さん:2007/10/07(日) 12:41:48
>>518
時政の動員力は時政・宗時・義時も含めて40名だったっけ?
同じ時期、三浦氏が450名程度動員しているのと比べると、
かなり見劣りがするよな。
まあ伊豆の有力者の一人と言うのは、間違いないだろうが
最有力者ではなかったんだろう。
一説には、吾妻鑑の記述で唐突に死亡の記述が出ている時定が
北条家の本家筋だという話を読んだことがある。時政は時定の
叔父または従兄弟と言う関係みたいだが、正確なところはわか
らない。

524日本@名無史さん:2007/10/08(月) 04:18:05

確かに本当は時定が本家筋だったと言う説もあるね。
推測だけど時定には娘しか居なかったのかもよ。
娘達は皆嫁に行った。だから時定以降記録から消え去ったとか。

でもさあ、伊東入道の娘が先妻でしょ。頼朝以前の遥か昔に嫁を貰ってる。で、伊東の娘達の嫁ぎ先は
三浦や千葉介(臼井)で、息子の一人は比企家から迎えてる。
時政以外の一族の名前は殆ど登場してないが、伊東の娘を嫁に出来たのなら、
嫁に迎えらる程度の勢力があった実力者の一人だった思うんだよね。
三浦や千葉介(臼井)といった娘婿には見劣りするが。
北条義時と三浦義村が母方の従兄弟同士には吃驚。
曾我兄弟が時政叔父を頼ったのは、同じ伊豆の出身だったからなのかな。
それとも時政が将軍家の舅だったから、時政叔父の方が良かったとか。

>時政には政治的な能力も有ったみたい。〜京都とコネをつくっていたりしても可笑しくないと思うけど。
それには同意。牧(藤原)宗親の娘(妹とも伝わる)を後妻にしている。宗親は池禅尼(平清盛の継母)の親戚。
せっせと京都の実力者平家の親戚とコネを作ろうとしていたのは分かる。
今で言う政治献金を平家にして、京都とのコネ作りに励んでいたんだろうね。
源実朝の室に坊門家から迎えてるでしょ。最初は政子は自分の姪(政子の妹が母)の足利家の姫を室に
しようとしていたが、牧の方の横槍?で坊門家の姫になった。
坊門家に白羽の矢を立てたのは、牧の方だと言われている。時政も京都とコネ作りの為に自分の娘を
実朝室の実家の坊門家に嫁がせている。時政は政治的な才能?嗅覚?があったんでしょうね。
流人の頼朝との結婚を認めた事からも伊東家とは異なり先を見る目はあった。
晩年はどうしたことか、牧の方と共に伊豆へ蟄居する羽目になってしまったが、、、。


525日本@名無史さん:2007/10/08(月) 08:39:00
姉妹とはいえ、単純に同格に扱われる時代ではないから、相婿だからといって、北条氏の勢力を三浦と比較して考えるのはちょっと早計かと。

当時の譲状などで領地の相続の指示をみると、兄弟姉妹でもかなり待遇の差があったりする。

母親の身分や父親の愛情が婿の選び方に影響しているかもしれないし、三浦に嫁いだ娘は政略結婚で、
時政に嫁いだ娘は政子みたいに(当時珍しいかもしれないが)身近な男性との恋愛結婚だったってこともありうる。
娘の立場は同じでも、近所の中小勢力と隣国の有力勢力の伊東側の評価は対して変わらないのかもしれない。

極端な話、婿といっても独立した立場に立てずに妻の実家の一部として動員されているような例もあるわけで。
(伊東の婿なら、そこまで力がないこともないでしょうが)
526武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 14:04:06
>>518>>524>>525
北条時政の先妻が伊東祐親の娘であるというのは、『曽我物語』にある逸話で他の史料にはない話だ。
『吾妻鏡』にはもちろんそうした記載はない。
ちなみに時政の長男、宗時を討ったのは他ならぬ伊東祐親だ。
ここにかかわらず、2ちゃんの人たちは多分にネット上のデータを切り貼りしてくるようだが
もうそれは止められたほうがいいだろう。
527武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/08(月) 14:12:43
>>524
時政が庶流というのは杉橋隆夫氏の説だが説得力があって首肯できる。
君の「惣領時定に娘しかいなかったらでは?云々」は推測としても何が何んだか分からない。
女婿の頼朝が覇者への階段を上るに連れて、
時政に嫡流が移った(奪った)と見るべきだろう。
528日本@名無史さん:2007/10/08(月) 15:06:08
上洛した時、北条時政は無位無官だったかな?
529日本@名無史さん:2007/10/08(月) 20:29:52
>>526
>時政の長男宗時を討ったのは、伊東祐親だ。
自分の孫を討つはずは無いと言う論理なら、伊東祐親は、自分の孫(八重姫の子供)を殺してるよ。
更に、頼朝挙兵時には畠山重忠は自分の祖父の三浦介義明を攻め殺している。重忠の母は義明の娘。
貴方が討ったから、親戚じゃ無いという根拠の一つとして、宗時を例に出したとしたら
あの時代はそういう時代だったとしか言えない。

それから時定の「娘しか」は推測だと書いてある。

>ネット上のデータを切り貼りして〜
北条家に因んだ事なら問題ない。貴方に止めたほうが良いと言われる筋合いは無い。
530日本@名無史さん:2007/10/08(月) 21:21:39
>>529
粘着君ウザい。
531日本@名無史さん:2007/10/08(月) 22:22:05
曾我物語の今残ってる現物って室町末期の写本が最古なのかな。
写本じゃ無くて、元の原本の成立時期って何時頃なんだろう。

吾妻鏡も鎌倉時代の奴が残ってるんじゃなくて、幕府滅亡後散り散りになっていたのを
戦国時代の大内家の家臣の陶氏が豊富な財力で全国からぶつ切り状になってるのを
掻き集めて纏め上げたものなんでしょ。大内家が滅んだ後で陶氏が吉川家に仕官して
自分が全国から掻き集め纏め上げた吾妻鏡を吉川の殿様に献上した。更に吉川家が徳川家康に
献上して家康の愛読書となった。だから吾妻鏡は「吉川本」が有名。
今出版されてる吾妻鏡の殆どは戦国時代に陶氏が全国から掻き集め纏めた奴の写本なんでしょ。

写本と言う立場なら、現存する写本では曾我物語の方が古いね。

源頼朝の死因ってやっぱり馬入川の橋供養の帰途中の落馬なのかな。
吾妻鏡の馬入川の橋の修復に関して、建暦二年の項に、実朝が御家人達に
「去ぬる建久九年、重成法師これを新造し、供養を遂ぐるの日、結縁のために故将軍家渡御す。
還路に及びて御落馬あり。幾程を経ず薨じたまひをはんぬ。重成法師また殃に逢ふ。
〜中略〜故将軍の薨御は、武家の権柄を執ること二十年、官位を極めしたまふ後の御事なり。
重成法師は、己が不義によつて天譴を蒙るか。全く橋建立の過にあらず。この上一切不吉と稱すべからず。」
と述べてるよね。

俗説では家康が武家の不名誉だとして破り捨てを指示したと言われてるが
建久二年のこの記述は破棄しなかったんだね。
532日本@名無史さん:2007/10/08(月) 22:37:27
↑訂正。失礼

北条本と島津本も有名だね。

北条本・・・後北条氏の手に渡り、黒田義孝の手に移り、更に徳川秀忠に献上。
謂れは、金沢文庫本を書写したと見られる。
島津本・・・幕府吏僚の二階堂家から島津家に贈られた物。
吉川本・・・大内家の分家の陶家(右田(陶)弘詮)が散逸しつつあった古写本を蒐集して
47巻本に纏め上げ、吉川家に献上し、更に家康の手に移った。
533日本@名無史さん:2007/10/08(月) 23:39:33
伊東の姫が頼朝の子供を産んだと言う記述も曾我物語出展なんでしょ。
時政先妻が伊東の姫が間違いなら、頼朝と八重姫の子供も創作になるね。
534日本@名無史さん:2007/10/09(火) 15:41:16
北条家冴羽流

北条時政─義時─司
535日本@名無史さん:2007/10/09(火) 16:06:35
北条時定について吾妻鏡を当たってみたけど、時定が本来本家だったとの説を裏付ける様な記述は無いよ。

さて、吾妻鏡によると
時政が上洛中に時定に洛中の警護を命じ、時政が鎌倉下向するが時定は引き続き洛中護衛たとか、
時定が源有綱と合戦をしたとか、梶原景時が主君の敵として時定を殺そうとした源有綱の家人の
平康盛を捕らえたとかの記述だ。

時定死亡については、建久四年に書かれてる。
二月二十五日、壬戌、平六左衛門尉、京都において卒す。北条殿の腹心なり。
かつはかの眼代として、かつは御使として在京し、多く勲功を施しをはんぬ。
人々惜しむところなり。前左衛門尉平朝臣、年四十九。北条時兼の男。
文治二年七月十八日、左兵衛門尉に任ず。
同五年四月十日、左衛門尉に任ず。賀茂臨時祭ならびに御所の功。
建久元年七月十八日、辞退す。
時定の遺跡については、その数年後に
「平六左衛門尉時定が遺跡の事、子孫をして領掌せしむべしてへり。
なほ本所領少々知行の事あり。その地においては早く返付すべきとの由と云々。」とある。

畠山重忠が三浦義明の居城を攻撃した事については、治承四年の項だ。
八月二十六日、丙午、武蔵国の畠山次郎重忠、かつは平氏の重恩を報ぜんがため、かつは由比の浦の
會稽を雪がんがために、三浦の輩を襲はんと欲す。中略〜
二十七日、丁未、朝の間小雨。申の尅已後風雨殊に甚し。辰の尅三浦介義明年八十九。
河越太郎重頼、江戸太郎重長がために討ち取らる。

伊東入道が宗時を討った記述も畠山重忠同様治承四年の項だ。
八月二十四日、甲辰、武衛、椙山の内〜省略〜
また北条殿・同四郎主等は、箱根湯坂を経て甲斐国に赴かんと欲す。同三郎は、土肥山より
桑原に降り、平井郷を経るのところ、早河の辺において、祐親法師の軍兵に囲まれ、
小平井の名主紀六久重がために射取られわはんぬ。
536日本@名無史さん:2007/10/09(火) 16:50:38
宗時死後
治承五年・養和元年 
正月、六日、癸丑、工藤庄司景光、平井紀六(久重)を生捕る。これ去年八月、早河合戦の時、
北条三郎主(宗時)を害するの者なり。しかるに武衛鎌倉に入御の後、紀六逐電して行方を
知らざるの間、中略〜よつて義盛(和田)に召し預けられをはんぬ。ただし、左右なく
梟首すべからざるの旨仰せ付けらる。糺門するのところ、所犯においては承服せしむと云々。

同年、四月、十九日、甲子、腰越の浜辺において、囚人平井紀六(久重)梟首す。
これ北条三郎主(宗時)を射たる罪科軽からざるの間、日來殊に禁め置かるるところなり。

三浦義明死後
治承四年、十月、四日、癸未、畠山次郎重忠、長井の渡に參會す。河越太郎重頼、江戸太郎重長また參上す。
この輩、三浦介義明を討ちし者なり。しかるに義澄以下の子息門葉、多くもつて御共に候じ、武功を励む。
中略〜忠直を存ずる者は、さらに憤りを胎すべからざるの旨、兼ねてもつて三浦一桙ノ仰せ含めらる。
彼等異心なきの趣を申す。よつておのおの相互に合眼して列座する者なり。


537日本@名無史さん:2007/10/09(火) 16:53:48
>>536
うん。君が素人なのは分かった。
そんなに自分の知識をひけらかしたかったら、
どこかの学術誌に論文でも投稿すれば?
538日本@名無史さん:2007/10/09(火) 16:59:14
>>537
539日本@名無史さん:2007/10/09(火) 17:02:07
ここは北条氏を語るスレだから書き込んでいるだけだ。
これからも北条家に因んだ書き込みを続ける。
540日本@名無史さん:2007/10/09(火) 17:14:53
このスレも変なのに粘着されちゃったなぁ…。
541武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/14(日) 10:16:37
>>533
頼朝と伊東祐親の娘との交情及び子供のことは
『源平盛衰記』にもある。
というより、普通は主にこちらを参照する。
また『吾妻鏡』には、伊東祐親の娘とその幼子についての記述は一切ないが、
伊東祐親に頼朝が殺されそうになって、祐親二男九郎の忠告で、
辛くも難を遁れたとする記載がある(新人物往来社の吾妻鏡だと、一巻の七十九頁八行目から)。
いいかげんネットの切り貼りは止めてくれ。バカとしか思えない。
私の書き込みにネットからの切り貼りはただ一字もないぜ。すべて体で覚えた歴史認識だ。
『吾妻鏡』も、国史大系本でなくともいいから
通読したまえ。
吉川弘文堂から現代誤(もとい「語」だ)訳の『吾妻鏡』が今月出る(全16巻)しね。
いくらバカなネットオタクでも現代「誤」訳だったら読めなくはないだろうから、頑張って読め。
ネットで読んでも仕方ないよ。
542日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:20:46
>>541
吾妻鏡には、二人の間の子供の記述は一切ないよ。
それに吾妻鏡に祐親次男の忠告の記載はあっても、子供の記述は無い。
故に時政の先妻が伊東入道の娘が嘘だと言う話にならない。
>いい加減ネットの切り貼りはやめてくれ〜
断る。君に指図される謂れは無い。
これからも北条家に関する事柄を書き続けるだけだ。
>吉川弘文堂から吾妻鏡が出る〜
吾妻鏡は既に持っている

543日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:23:05
>>541

君に指図される覚えは無い。これからも書き続けるだけだ。
君に書き込みを止めさせる権限は無い。
544日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:39:11
頼朝が伊東祐親次男の忠告で難を逃れた事から、二人の間に子供が居たと判断するのも
君の想像・推測になる。
君は吾妻鏡に時政の先妻が書かれてない。曾我物語記事だから信用出来ない様な事を書いた。
ならば、吾妻鏡に書かれてない時点で八重姫の話も嘘だ。
第一、源平盛衰記に書かれているのに吾妻鏡に書かれてないのは、
編纂者が嘘だから記述しなかったとも取れる。

545武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 20:50:39
>>544
私は伊東氏が先妻だったかも?とどっかで思ってる。
私がいいたいのは、曾我物語にしか記載がな逸話を
何の留保もなく当然の前提としていたことだ。
だいたい私は自分の考え推測はまったくいってない。先行研究でそう
いわれている、といったまでだ。君は先走りすぎる癖がある。
学問は慎重じゃないとだめだ。
あと君は「編纂者が嘘だから云々」といっている。違う。嘘だからとか、
そういう次元の話ではない。吾妻鏡は北条側の記録だ。その記載がないのは
北条にとって都合が悪いからだろう、と見るのが妥当だ。
ついでに私の推測をいえば、北条時政の伊東の娘である先妻のこと(仮に
史実だったとして)
が吾妻鏡になかったのは北条にとって都合がわるいからだろうと思う。
だいたい君は私が史料を提示してネットで後追いして調べてコメント
してるだけだろう。恥ずかしいと思わない厚顔無恥さには開いた口が
ふさがらないね。バーカ
546武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 21:00:00
>>543
権限があるなんてひとことも言ってない。
勝手に作るな。
ただある意味、パブリックな立場からは権限があるかもね。
君はネット上で適当に引いてきた狭い知識でいろいろいってる。
はっきりいって頼朝の流人時代は謎が多いから、君のいうことも
少数派説として成立しないこともない。
ただ曾我物語も源平盛衰記も踏まえず、吾妻鏡も通読せず、先行研究
にもあたらずに、得々と偉そうなウンチクを垂れてもらっては困る。
学問に人生を奉げている(君のようなきもいネットオタクにとっては
どうでもいいことだろうが)篤実な(貧乏な)研究者たち、
ネットで歴史を学ぼうとするウブ(バカ)な学生や若者に多大な
害毒を流すんだよ。
とにかく迷惑だ。やめろ。
前に山野衾(だったけ。間違ってたら失礼)というコテがいらっしゃったが
あのレベルは無理としても、彼の足元の爪のアカレベルはキープしてくれ
でねーとマジつぶすぜ。
笑いものにしてやるよw
曾我物語、源平盛衰記の指摘を私がするまで
だいたい貴様は知らなかったんだろうがwバカじゃねえか。
ヨウ・チエン殿。わっはははははさ!
547武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/15(月) 23:37:03
吾妻鏡に時政が傍流だったという記述載せるわけがない。
吾妻鏡は得宗サイドによって作られたといわれる(濃厚)記録だ。
ただ傍証は吾妻鏡にあるし、
系譜なんかみると時定(この名前でいいっけ。ド忘れだ)の親父らしき奴には北条介(名乗り。在庁らしいな)とあるのに
時政は無位無官。なんも肩書きがない。
ほかにもあるが学界じゃそれなりに説得力のある説だよ。
どうでいいが、不勉強の癖に屁理屈ばっかこねるバカは消えてくれ。
私が君をバカ扱いするのを止める権限ないだろ?
これからもアラみつけて叩くよw
なんにせよネットの切り貼りで歴史が学べると思ったら大間違いだ。これからバンバンおまえを笑いもんにするぜ。
せいぜい悔しがれw
追伸:私は実は曽我物語をすごく買っている。
ここにはある一定の史実が存在してると思う。
私が君にいいたいのは基本的前提を踏まえずにウンチク語るなってことだ。
私の書き込みを後追いしてバカじゃねえか。お笑いだよw
通説も勉強しろ。幼稚園やろうが
548日本@名無史さん:2007/10/16(火) 00:41:39
>>547
内容はともかく、その態度もう少し何とかならんの?
549日本@名無史さん:2007/10/16(火) 02:49:18
>『曽我物語』
五味文彦の説じゃん。
別にあんたのオリジナルじゃない。
それとも、五味文彦の『吾妻鏡の方法』読んだ事ないの?
あれも賛否両論はあるけどさ。
550日本@名無史さん:2007/10/16(火) 20:30:32
旧皇族か細川家の親戚に清水谷さんって居なかったけ?
系図を見ていて、清水谷に聞き覚えがあって、どこで聞いたのだろうとずっと考えてたのよね。
細川家は近衛家と親戚でしょ。旧皇族も含めた現在のあの辺の家系図関係で清水谷さんって居た様な気がする。

北条義時の娘が清水谷家と結婚した系図を見て思い出した。
住友財閥の住友(藤原)家の様に皇族を養子に迎えたり、
他家から養子を貰って清水谷家は血筋では断絶したかも知れないけど、気になったので書いた。
北条家でも室町に佐介流の淡河家が赤松家から養子を迎えて、血筋では淡河家が断絶して家名としては存続した様に。

スルーしても構わないです。只、清水谷に聞き覚えがあったので書いただけだから。
551武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/31(水) 23:16:36
ネットで調べたことを得々と偉そうに書き込みして、
おまけに私の書き込みを後追いしてクダラナイレス書いたバカはどうしたんだ?
なんかいえよ潰してやっから。
アラあげつらって笑い者にしてやるよw
552日本@名無史さん:2007/11/01(木) 05:12:30
>>551
はいはい。
バカじゃねーの?
553武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/05(月) 19:00:16
>>552
悔しいかww
これからもちょくちょく来ては啓蒙してやるんで、ありがたく思えw
554日本@名無史さん:2007/11/05(月) 19:21:14
陰茎ウザス
555武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/05(月) 21:46:18
>>554
うざいだろw
ふふ
556ドク・マッコイ ◆YKKa5Y8zss :2007/11/05(月) 22:53:51
武陽陰士に告ぐ。
時政先妻が伊東入道の娘だったというのは、
曽我物語だけ
がソースと言ったな?
それは違うぞ。他にもある。『前田本平氏系図』。
君は確かに、日本史のみならず人文系他の知識が抜群にある。
君のとつてもない博覧強記は認めよう。
しかし君は少々、専門外のことを得々と
書き込みしすぎだ。
今まで俺は傍観者でいたが、君の他者を舐めすぎた態度に
いいかげん腹も据えかねた。
これから俺は、時間の許す限り君にきついお灸を据える
ことにしようと思う。
557日本@名無史さん:2007/11/06(火) 02:41:21
>555 アマチュアの分際で、でかい口たたくお前の方が始末に負えないっての。
なぁに?吉川弘文「堂」って?
それこそ、史学書ではなくネットからでしか知識を蓄えていない阿呆の証しみたいなミスじゃないか。
言うほど史学書を読み漁っているなら、口(手)が裂けても吉川弘文「堂」なんて書きはしないんだよ。
ほどほどにして、身の程をわきまえな、門外漢のお・こ・さ・まw
558日本@名無史さん:2007/11/06(火) 19:40:10
>>557
別スレでも木戸「光一」なんて平気で書いてる馬鹿だから
相手にしないようにw
559武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/06(火) 23:18:07
>>557>>558
単なる打ち間違いなんだが…。鬼の首をとったように言われてもなw
私はネットなんか一切参照しないで書いている。
それと一応これでも研究者のはしくれだ。専門についてはノーコメント。
このぐらいの間違いなんて研究者ならみんなある。
市販されている書物でもいっぱいあるよ。なんなら指摘してやろうか?校閲もすりぬけたんだろうな。
私の恩師なんかもっとスゴい勘違いしてたしね。
単なる打ち間違いをあげつらう君たちはプロの研究者と私的交流を持ったこともないんだね。少なくとも史学の出じゃないし院なんて行ったこともなければ(学部生だっていたりするんだよ)
院生の友達もいないんだろうねw
國學院の折口信夫は黒板にはほとんど書かなかったけど、
それはケアレスミスをしてバカな学生に指摘されんのが嫌だったからだよ。
この私の書き込みを読んでいる人で大学生はいるかな?
板書しない先生がいたら、案外理由は折口とおんなんじかもね。
ま、ケアレスミス以外に私を論破できる奴は2ちゃんねるにはいないんだろうなw
追伸:私は寝転がって携帯から書き込みしている。吉川弘文堂としたのはまず吉川と入力し、それから弘文堂と入力して、堂を館に直すという動作をしている。
こんな打ち間違いでとやかくいわれてもなあw
あとカタカナで書くと漢字知らないとかバカレス(パソコンから打つ奴がエラそうにw)
あったな。漢字でねえんだよ私の携帯。
560武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/06(火) 23:19:07
院の授業すら出たことないんじゃ仕方ないねw
561日本@名無史さん:2007/11/06(火) 23:20:12
悔し紛れの長文
562武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/06(火) 23:27:12
君たちはバカだから私の書き込みの中の打ち間違いくらいしか指摘できないようだなw
ならば先手を打って今のうちに過去レスにおける自分の打ち間違いを三つあげとく。
まず水戸光子。これは木戸光子だ。
井上哲治郎。井上哲次郎が正しい。
コテ武陽隠士(前にやった)。私のコテは武陽陰士。己のハンドルネームすら打ち間違いするのだから我ながらすさまじい。
まあ携帯から打っているんだから大目に見ろトウシロウ野郎w
563武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/06(火) 23:47:25
つまんないこというと、北条氏の嫡子って宗時なのか、義時なのか、とっちかって考える。
もちろん通説は宗時で、戦死したから義時が嫡子になったというのは一応の定説なんだが。
吾妻鏡も宗時についてはきっちりしてるしね。
もうひとつ泰時は嫡子なのか?
本当は名越流じゃないか?これもやはりつきまとってくる問題だな。
江間ってのがくせ者だ。
泰時の母の出自も謎。
あああと義時の母が伊東氏というのは真実はどうなのか…。これもやはり謎。
時政傍流説も信憑性があるが、これも謎といっていいな。
だいたい初期の北条氏には謎が多い。
ああ義時の死因もきな臭い。
頼朝どころのヤバさじゃないや。マジ暗殺かもね。しかしこれも謎。
うーむ考えたら頼朝の流人時代も謎。
安達の出自、比企氏も謎。
564武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/06(火) 23:48:26

訂正:安達の出自、比企氏の出自も謎。
565日本@名無史さん:2007/11/06(火) 23:50:08
>携帯から打っているんだから大目に見ろ
知るか。
他人の書き込みは重箱の隅をつついて
自分は見逃せ、だなんて甘ちゃんにも程がある。
566日本@名無史さん:2007/11/06(火) 23:52:11
>>562の書き込みは、
最近の北条氏関連の論文を読んでいない証拠。
567武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/07(水) 00:06:51
しかし武陽の敵は益々いや増したな。
日本史板をこれだけ引っかきまわしたのは、反動的な人文科学の伝統を信ずる私としては
誇らしいなw
ああストレスも発散したこどたし寝ようかな。
また明日バカを叩いてスカっとしようw
568日本@名無史さん:2007/11/07(水) 21:06:18
後から取ってつけたように、何が打ち間違いだ阿呆。苦し紛れにほざくな三流の分際でw
俺の通う大学で吉川弘文「堂」なんて書こうものなら物笑いの種だよ。本当に史学を勉強しているヤツなら、これほど世話になる出版社の名称なんか間違えっこないっていうのが、馬鹿にはまだ分からないみたいだな。

>このぐらいの間違いなんて研究者ならみんなある。
だから、ねぇよ。この門外漢w
そんな間違い犯すのは三流四流のクズだけだっての。
俺らの仕事は、いざ発表の場ともなれば表記上、形式上のミスからの、事務レベルでのあげつらいだってされるんじゃないの?
されてるやつ見たことないか?ないよな。所詮背伸びの切り貼り小僧だもんな。
それに、例えこの程度の掲示板のレスであろうと、あとから推敲することすらしないなんていうのは、もの書く習慣ができてないんじゃないの?
それで研究者の端くれを自称するだなんてとんだ茶番だよ。お前は一体どんな三流馬鹿大出たんだ?口先だけのゴミ野郎w

569日本@名無史さん:2007/11/07(水) 21:13:49
前々から思ってたけど、三流・四流大出の学者気取りは、画餅の瑣末な知識ばかりがあったとしても思考力がないから、それが有機的に連関的に活きてない、使い物にならないんだよな。
お前もその口だろ?なぁ無用因子。
570武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/07(水) 22:36:08
↑しつけーぞストーカー!
そんなんだから今だに彼女できないんだよw
571日本@名無史さん:2007/11/07(水) 23:12:47
〉563
比企氏の系図は、埼玉県史にのってる。菩提寺に系図は伝わるし、子孫と伝える家も三重県にいるんですが、知らないのですか。
572武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/11/07(水) 23:38:25
>ドク・マッコイ
例の件、来週の金曜日夕方はどうだ。
予定空けといて。
それと話変わるけど、国史大系の『吾妻鏡』と、笠松宏至の校注した『御成敗式目』は手元にある?
573日本@名無史さん:2007/11/08(木) 16:24:00
ジーパンのチャックがあれににいいいいいいいい
574日本@名無史さん:2007/12/10(月) 20:08:36
とまってるぞ
575日本@名無史さん:2007/12/24(月) 16:08:57
うちの家系は代々、男子に時の字を付ける慣わしがあるんだよ。
苗字は横井なんだけど、やっぱり北条氏と関係あるの?

家系図を見たらそうなってんだけど、元々の本籍は滋賀県だった。
ここら辺(滋賀県界隈)には昔、横井村ってのがあったそうな。
なんか明治以降の苗字が許された地元の百姓が、肖って横井姓を名乗り
今日に至ったような気がするんだけど…
北条氏ゆかりの家宝なんて何にもないしね。

歴史に詳しい方、お願いします。

576日本@名無史さん:2007/12/24(月) 16:19:38
ちなみに、熊本に横井小楠という有名な方(ここの板の方ならご存知ですよね)がいらっしゃいますが、
あそこの家系も同じように時が代々続くんだよね、でも家とは全く親戚関係が無いです。(^^ゞ

遠い、遠い昔は有ったのかも不明、なんせ九州方面なんかに一切親戚いないから(親戚は関西方面のみ)
正直、一度は横井小楠記念館に足を運びたいと思っております。
577日本@名無史さん:2007/12/26(水) 15:39:55
>>575
中前勉公式掲示板 投稿者:亜季多幸孝 投稿日:2007年10月17日(水)22時20分1秒
こちらは、中前勉公式サイトの掲示板です。
緊急の連絡などもこちらに書き込むことになるかとと思います。
http://9007.teacup.com/czbofficial/bbs
掲示板本格稼働。 投稿者:高遠彩華 投稿日:2007年10月31日(水)00時31分6秒
亜季多さまがお書きくださっているように、
ここは再興中世前期勉強会(通称:中前勉)の公式web掲示板です。
会員の皆様はもちろんのこと、 サイトを見てくださったりして中前勉に興味を持たれた方々などなど、
どうぞお気軽に書き込みしていってください。
578日本@名無史さん:2007/12/26(水) 20:46:02
マルチウザッ
579日本@名無史さん:2008/01/04(金) 02:23:29
 鎌倉幕府滅亡時に幕府方についた御家人て関東にいたの?京都なら河野・六角を筆頭に毛利や小早川、河越みたいな有名な家系もいたそうだが。
あと芦名や武田はどっちについたのですか。資料により内容が異なるのですが
580日本@名無史さん:2008/01/04(金) 08:50:04
北条氏は平氏の子孫を自称しているが 本当の先祖は
伊豆に流罪になった犯罪人だろう
581日本@名無史さん:2008/01/06(日) 20:37:24
北条宗宣って執権職を放り出して出家しちゃったんだね。
なんでだろう?
582日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:22:21
北条氏の通字って庶流はともかく基本は時だよね。
けどなんで時が上になったり下になったりするんだ?
元々は時○のようだけど嫡流でも○時が居るよね。
義時や泰時は本来は嫡子でなかったらしいけど、
経時と時頼はどう考えても経時が嫡子だよね。
貞時・高時も少なくとも改名時は嫡子だと思う。
嫡流に二代○時が続いたから嫡子は○時にしたと考えると時宗が変だし。
時行も改名時は嫡子だろうから変だし。
それに端の端の庶流にも時○が結構居る。
あまり気にしていなかったのだろうか?
583日本@名無史さん:2008/01/06(日) 21:42:38
>>582
鎌倉期にはそういう概念はなかったってだけじゃないの?
584日本@名無史さん:2008/01/08(火) 10:04:16
一応将軍の臣下という地位だから、将軍からの片諱だろ。
時政の嫡子宗時あたりは、中村宗平あたりが烏帽子親じゃない
かと思うんだが。
585日本@名無史さん:2008/01/09(水) 10:52:05
泰時(初名:頼時)・・・頼朝から
経時・・・九条頼経から
時頼・・・九条頼嗣から
時宗・・・宗尊親王から

久時・・・久明親王から
守時・・・守邦親王から

貞時・高時はどこから来たのか分からん。
586日本@名無史さん:2008/01/09(水) 15:48:33
北条氏の片諱について
http://jparchives.sakura.ne.jp/column/db/henki.html

上のサイトによると「北条貞時」「北条高時」については細川重男氏による
北条氏が系図上の祖先として崇めていた「平貞盛」「高望王」から
一字とったのでは、という説を載せている。
ちなみに北条貞時元服時の将軍は惟康親王、
北条高時元服時の将軍は守邦親王で、いずれも将軍からの片諱ではない。
587日本@名無史さん:2008/01/09(水) 21:39:47
高時の嫡男、邦時は守邦親王からの片諱なのかな?
588日本@名無史さん:2008/01/10(木) 22:42:21
>>575
貴方の家の家紋は何ですか。三つ鱗なら関係があるかも知れませんね。
熊本藩士の横井小南の家紋は三つ鱗です。

それと江戸時代の百姓って、苗字が無かったと言われてますが、公に名乗れなかっただけの場合が
多かっただけと思いますよ。勿論、本当に苗字が無かった場合も有ります。
我が家も百姓だったけど苗字がありました。公に名乗れなかっただけ。
その代わり我が家の先祖の墓石には「戒名・○○院(我が家の苗字)」の様にして貰ってました。
百姓の半分位は苗字を持ってたと思いますが。


589日本@名無史さん:2008/01/10(木) 23:06:19
>>579
>京都なら毛利や小早川〜。
徳川家譜代大名酒井家は毛利分家らしいね。大江分家だったかも。
大江広元の息子が毛利を名乗り、宝治合戦で毛利家の中では末子だけが生き残り広島へ飛ばされた。
そこから代が下り酒井家や桂家、等の分家を出した。
幕末の桂小五郎(木戸孝允)は毛利分家
590日本@名無史さん:2008/01/12(土) 09:24:09
酒井は松平親氏の子が入った段階で源姓に変わったことになっているはず。
591日本@名無史さん:2008/01/14(月) 17:24:11
581ですが、どなたかお答えいただけませんでしょうか。
592日本@名無史さん:2008/01/14(月) 19:28:28
>>581
北条宗宣は、正和元年五月二十九日、執権退任、同日、出家。
同六月十二日、死去。
執権退任後、約半月で亡くなっており、
体が悪かったんじゃないのか、普通に考えて。
593575:2008/01/22(火) 09:16:14
>>588
三つ鱗ってジャムの明治屋と同じマークのですか?
確かに家はその家紋なんですが…

ちなみにあの悪名高き横井秀樹の家系も同じ家紋だったよ。w
TVで葬儀の中継を見たときに同じだったのを覚えている。
でも内は横井秀樹とは全く親戚関係が無いよ。
貧乏だしな…。
594日本@名無史さん:2008/01/22(火) 21:19:38
横井英樹の孫はヒップホップやってんだよな、確か。
595日本@名無史さん:2008/01/26(土) 03:50:06
>>590
>酒井は松平親氏の子が入った段階で源姓に変わった事になっているはず。
と言う事は、血縁関係が無いって事?
どれに当てはまる?以下。
A・・勝海舟の嫡流子孫は、徳川慶喜の流れ。娘婿が徳川慶喜の息子(婿養子)。
(本家以外の勝一族は、その間々元々の勝一族の子孫だが)
同様に酒井家の姫に婿養子を取らせた。現在の子孫はこの二人の子供。

B・・鎌倉時代に滅亡を免れた北条分家の末裔は、室町時代に勢力を誇った赤松家から養子を迎えた。
その養子が北条分家の末裔以外から室を貰った。
同様に松平親氏は酒井家から室を娶らなかった。故に血筋は全くない。

Aの場合は母方なら血が流れてる事になる。
Bなら違う。尤も当の赤松家初代の母親は執権北条義時の姫だから、
赤松家自体にも北条の血は微かに流れてる事にはなるが
(島津家初代の母親が畠山重忠の娘だから、現島津は微かに畠山の血が流れてるのと同じ位
本の僅かと言う意味では)言い出したら日本中の大名が血縁になってしまうので除外。

知りたいのは松平親氏が酒井の姫と結婚して、婿養子(入り婿)として入ったのかどうか。
それと松平親氏の松平家は家康子孫の松平家なのか、家康生母が再婚先との間に出来た子孫の松平家なのかどっち?
因みにNHkの松平アナウンサーは家康生母の再婚先の子孫の松平家だから、家康実父の松平の血は流れてない。

もう一つ、酒井家と言っても、松平親氏の血が流れてない酒井家もあるんじゃない?
酒井一族は松平から養子を貰った人だけでなく、
それ以外の分家やら従弟の酒井家がいたはず(毛利分家)。
徳川慶喜の息子を入り婿にした勝海舟にだって、男児は沢山いた。
それらの男児だって勝を名乗ってる。
596日本@名無史さん:2008/01/26(土) 04:08:06
>>593
家紋が三つ鱗なら、貴方は北条家の末裔だよ。
俳優の高倉健も北条家の末裔だよ。


597日本@名無史さん:2008/01/26(土) 04:29:06
考えてみると、北条家も大したもんだ。
執権にまで上り詰め、源氏の名門足利一族と代々婚姻関係を結んだ。
足利一門の殆どの分家に鎌倉時代に血が入った。
当然、喜連川(足利嫡流)や首相経験の細川家にも流れてる。吉良上野介にも。
最上家(斯波分家)にも流れてる。その最上の娘が伊達政宗の生母だったけ。
宇都宮家とも代々婚姻を結んだ。
伊予の大豪族だった河野家(僧・一遍の出身)とも婚姻を結んだ。
鎌倉下向貴族の大江家(毛利の本家)とも婚姻を結んだ。
京の貴族とも婚姻を結んだ。後醍醐天皇の寵姫で後村上天皇生母の阿野簾子にも流れてる。
鎌倉時代に有力御家人や朝廷側の貴族と沢山婚姻を結んだから、鎌倉時代から続いてる大名や貴族には流れてる。
悪名高い赤松家にも流れてる。
598日本@名無史さん:2008/01/28(月) 21:56:08
北畠氏のサイトを見たら家臣に阿曽北条氏がいたが、子孫残せるほど阿曽氏はいたか。
上の淡河や江馬(佐介?)なら生き残りがいてもおかしくないと思うが
599日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:19:11
>>595
あくまで伝承の範疇と断った上で、徳川譜代酒井氏の起源についての江戸幕府の
公式見解を述べると以下。

徳川将軍家の男系祖先に当たる時宗僧徳阿弥(新田一族世良田氏の末裔)が
あるとき三河国の土豪酒井氏(本姓大江氏)の許に身を寄せ、酒井氏の娘と
関係を持った。
その後その娘は徳阿弥の子を産むが、徳阿弥自身はその娘の懐妊を知らぬまま
酒井氏のもとを離れ、その後同じ三河国の豪松平氏(本姓在原氏)の娘を娶り、
その婿養子として松平親氏と名乗った。
ところがそれからかなり時間が経ったのち、徳阿弥(親氏)と酒井氏の娘との
間に産まれた男子が、親氏の許を訪ねてきた。
そこでその男子を酒井広親と名乗らせ、ちょうどその頃後継者がいなくて
困っていた母方の酒井氏を継がせた。

以上が酒井氏の祖先伝承。
なお徳川譜代の酒井氏には、大きく分けて
左衛門尉系(忠次−家次の系統)と雅楽頭系(正親−重忠の系統)という
2つの流れがあるが、いずれの系統も松平親氏の子である広親の子孫と
なっており、以後は源姓を名乗っている。

因みに親氏が養子となって以降の松平氏も源姓になったことになっている。
600日本@名無史さん:2008/01/28(月) 22:22:53
>>597
>鎌倉下向貴族の大江家(毛利の本家)とも

「大江」は「藤原」や「源」と同様の氏族名なので、「○○氏」という言い方は
しても、「○○家」というような言い方は普通しない。

なお「平家」の場合は、平氏という氏族のなかでも特に清盛の伊勢平氏の家系を
指すことになっている(一般にそういうコンセンサスがある)から使用される。
601日本@名無史さん:2008/01/29(火) 08:48:29
大江氏の嫡流は長井氏だっけ?
602日本@名無史さん:2008/01/29(火) 11:19:43
>>601
公家の北小路家。
603日本@名無史さん:2008/01/29(火) 12:39:53
>>599
托鉢をして生計を立てる乞食僧に脅されて宿を貸したところ、
家にいた娘をレイプされて生まれたのが家康の先祖って話だな。
かなり有名な話。
604日本@名無史さん:2008/01/30(水) 05:01:36
>>599
詳しく有難う。

つまり、母方では毛利分家の血筋なんだね。
歴史の流れって面白いね。長州毛利の分家が徳川家の譜代大名だなんて。
所で大江家から直に長井や毛利の分家が出たけど、酒井家自体は長井や毛利の様に大江から直に出た分家じゃなくて、
毛利から出た分家で宜しいんだよね?
例・・最上は足利分家だけど、足利から直に分家として出たわけじゃなくて、足利分家の一つである
斯波家から最上が分家した。足利分家には変わりないけど、直に出たのは斯波家からになる。

>〜以後は源姓を名乗っている。
似た事例の勝海舟の勝家は徳川一族、、、身内(源姓?)になるのかな。
勝海舟には男児が何人か居たけど、海舟の実子は跡を継がなかったよね。
娘に婿を取らせた。婿は最後の将軍徳川慶喜の男児。
勝家には、勝男系の勝家と徳川男系の勝がいる。海舟には男子も何人か居たのに、押しのけて
娘婿に跡を継がせたのは、旧幕臣の遠慮だったのだろうかか。それとも娘婿が公爵の息子だったからか。
605日本@名無史さん:2008/01/30(水) 05:15:40
>>600
その通り。大江広元「おおえ・ひろもと」×
「おおえの・ひろもと」○
学生の頃、歴史の授業で習った。
どらえもんの源静香と源頼朝や源頼政の違いを絡めながら、、、。
(静香ちゃんは何で「みなもと・しずか」なのか)
同様に本当は中原親保「なかはらの・ちかやす」○
だけど中原の場合は「なかはら・ちかやす」の振り仮名の方が多いんだよね。
「大江」「中原」の「の」の違いは何なんだろう。
606日本@名無史さん:2008/01/30(水) 06:01:38
>>604の付けたし
徳川慶喜は突き詰めれば、水戸男系の子孫だよね。
で、松平容保も水戸男系の子孫で合ってるよね。
容保は松平家の支藩から会津へ養子へ行ったけど、出身支藩の先祖が水戸藩の分家(支藩)から
容保出身支藩へ養子に送り出された。尾張徳川(常陸宮華子妃殿下の実父の生家)も幕末時点で水戸男系子孫になってる。
紀州徳川と御三卿の田安家を除いて、殆どの藩が水戸男系子孫で幕末だった気がする。

板違いご免。
607日本@名無史さん:2008/01/30(水) 07:08:21
北条家は勝ち組か負け組みかを選べだったら、負け組みになるのかな。
末裔を名乗る大名が居ない。居るのは藩士まで(熊本藩士の横井小南とか)。
鎌倉御家人子孫は殆ど大名になったのに。
喜連川(足利嫡流)、細川、小笠原、伊達、毛利、島津、、、、等。
三浦も北条同様いないと思ったけど、三浦分家の佐原家は大名だった。
畠山もいないと思ったけど、源氏の畠山なら、本家の喜連川や足利分家の細川家が大名だし、
あっ、そう言えば源氏畠山も子孫が大名で居たね。
平家畠山子孫は居なかった気がする。平家畠山分家で勢力を誇った小山田家(稲毛重成の父親)は
戦国時代に滅亡してしまったから。
伊東入道祐親子孫も九州飫肥藩で大名。
義時後妻の伊賀の方の実家伊賀家も系列子孫が大名だったよね。
結城(小山、八田、宇都宮一門)も大名だけど、家康の息子が養子に入ったよね。
血筋では異なるのかな。でも結城は小山と同門だから(系列は八田、宇都宮系列)
一門系列では居る事は居るのかな。
政所の二階堂は居たっけか?。鎌倉時代に政所して勢力を誇ってたけど、
室町時代に伊勢家に政所を取られて以来没落してしまったから。

系図詐欺横行の戦国時代でも、北条末裔が無かったのは、人気が無かったからのかな。
徳川、松平の源氏は系図詐欺だと思ってる。あと、野武士の蜂須賀家も。
此処の住人の皆さんは、幕末に熊本藩士の横井小南が暗殺さえされなければ、活躍出来て華族になったと思う?
結構優秀だったと思うし、薩長土肥と比べても熊本藩出身はマイナスにならないと思うが。
608日本@名無史さん:2008/01/30(水) 07:16:52
足利嫡流の喜連川家が明治に足利名字に戻して、足利を名乗った様に
横井家も誰かが北条に戻さないのかな。今の時代じゃ無理だけど、考えてしまう。
明治に横井小南が暗殺されずに活躍していたら、きっと北条に名字を戻したと思う。
北条子孫の有名人って彼位だったよね。
今なら高倉健がいるけど。
609日本@名無史さん:2008/01/30(水) 09:45:49
横井也有..古いか。本家っぽい尾張横井氏は幕末に佐幕派として粛清されたからな。
ここがうまくいけば華族なれたと思うが、ここは本当に時行の子孫なのか。
北条市の末裔としてもどうも佐介イメージしちゃうんだよな。他の末裔ほとんどそこだし
610日本@名無史さん:2008/01/30(水) 10:00:04
平野男爵家がいた。あと二階堂は六郷がいる
611日本@名無史さん:2008/01/30(水) 11:25:16
>>609
佐介家は北条時房系だね。
信州の塩田家(極楽寺系)も末裔が居そう。
名越も鹿児島藩士で居るけど、北条子孫なの?
横井家は北条本家、得宗の子孫だから細々と残ってる末裔の中では、一応嫡流になるのではないんだろうか。
家紋も三つ鱗。
>上手くいけば華族に〜
熊本藩は明治維新を上手く乗り切ったから、上洛時に暗殺されなければ、、、。
そしたら横井から北条に名字を戻したに違いない。
明治華族は旧姓に結構戻してたよね。喜連川も足利に戻した。
尾張が横井の本家系列だったんだ。
>>610
平野男爵家は足利一門だったけ?
室町の公方に平野公方って居た様な、居なかった様な、、、、曖昧。
それと二階堂の六郷は大名と明治華族のどっちだったけ。

612日本@名無史さん:2008/01/30(水) 12:06:26
>>604
大江家という言い方はやめなさい。
613日本@名無史さん:2008/01/30(水) 12:41:36
614日本@名無史さん:2008/01/30(水) 12:43:45
>>612
大江家でも良いと思う。
しなさいと命令される筋合は無い。
これからも大江家と書く
615日本@名無史さん:2008/01/30(水) 12:49:58
普通に大江家とか菅原家とか使われているよ。
616日本@名無しさん:2008/01/30(水) 12:55:58
>>613
「大江」は家号ではなく氏族名だから、「大江氏」と呼ぶべきだと
いいたいのではないかと。
617日本@名無史さん:2008/01/30(水) 13:13:55
>>601
貴族の大江家の場合は北小路家。
武家としての大江家と二種類ある。大江広元の祖父の兄弟系列が北小路家。
そして蹴鞠の宗家の飛鳥井家初代の母親は大江広元の娘。
関東に配流されていた時に大江広元の娘を貰った。後日、京都へ帰還。
そんな訳で武家と繋がりが出来て、孫の嫁も北条家から迎えた。
武家としては、長井、毛利、寒河江、上田、永井、海東、福原など色々輩出している。

久松松平家(徳川家康の異父兄弟)も毛利同様に大江分家。
618日本@名無史さん:2008/01/30(水) 13:19:57
>>616
それを言うなら、土師家の方が適切。土師家から大江家、菅原家が出てる。
土師家から更に遡り出雲かな。出雲まで遡っても神話になってしまうが。
619日本@名無史さん:2008/01/30(水) 13:21:47

当初は大江でなく、大枝。
620日本@名無史さん:2008/01/30(水) 13:23:59
大江・菅原の同祖も擬制的なものかもしれないけどね。
621日本@名無史さん:2008/01/30(水) 13:34:51
まあ研究者が「大江家」なんていったら笑われるだけだけど、素人歴史ヲタがいう分にはいいんじゃね?
622日本@名無史さん:2008/01/30(水) 13:55:05
1宮騒動の経緯と背景、その結果齎した物は何?
大河ドラマの時宗を見てもこんがらがってしまった。
2南朝と北朝の誕生の引き金も教えて。
3大河的に北条政子じゃない、承久の乱に焦点を絞った奴を扱うのは難しいの?
太平記の場合は足利尊氏中心だったから良かったのかな。南北朝中心の奴も見たい。

623日本@名無史さん:2008/01/30(水) 14:13:12
1宮騒動の経緯と背景、その結果齎した物は何?
大河ドラマの時宗を見てもこんがらがってしまった。
2南朝と北朝の誕生の引き金も教えて。
3何時から良い国作ろう鎌倉幕府(1192)じゃなくなったんだろう。
今は1182〜1185の間みたいだね。
4日本初の武家政権説に平家政権が浮上したのは何時からなの。
平清盛を初の武家政権とする説もあるらしいけど、昔は貴族化した貴族政権の平清盛と習ったよ。
ウィキをみて吃驚。鎌倉幕府成立時期は色々な説があったのは知ってたけど、平清盛の方は吃驚。
その説は有力なの?
5室町幕府成立と江戸幕府成立も変わってしまうの。鎌倉幕府成立=征夷大将軍就任が違うのなら
室町や江戸も成立時期が変わってしまいそう。
守護地頭の設置=鎌倉幕府成立とするなら、室町幕府や江戸幕府は?
※当時幕府とは呼ばれてなかったとかの指摘はしないで。
便宜上使ってるだけだから。
6鎌倉時代の宇都宮幕府と後世の鎌倉・室町・江戸幕府の幕府の違いを教えて。
当時幕府は使われて無くても、宇都宮幕府は存在していた。宇都宮幕府は何?


624日本@名無史さん:2008/01/30(水) 14:45:53
このスレ、一人で長文レスの自作自演をしている御仁がいるな。
625609:2008/01/31(木) 16:24:02
611
平野は元交替寄合ですよ。平野長泰の子孫で血統的には清原氏なんですが。
そういや長戸探題北条時直の子上野四郎入道? は何で反乱おこしたんでしょうかね。
父親は領土安堵されたらしいが息子は継げなかったのかの
626日本@名無史さん:2008/02/01(金) 10:17:10
>>625
そうだったの。有難う。
清原家の流れだったんだね。遡れば清原深養父に辿り着くね(清少納言の方が有名か)。
清原深養父→清少納言→以下略→平野家
大江家→嫁が赤染衛門(紫式部が唯一?日記で褒めてた人だっけか)→以下略→諸々庶流。

>そういや長門探題北条時直〜
北条時房系列の家督も佐助流は継がなかったね。大仏流やその他よりも長男?次男?早く生まれたのに。
母親が影響したのか、弟より無能だったのか、父親(時房)と仲違いしたからなのか知らないけが。
佐助時盛の母親は不詳なんでしょ(その他兄弟の母親は足立家だけど)。
でもって時盛とその他の兄弟の生まれた年月が離れてるから、先妻の息子が後妻勢力に押されたのか、
先妻でもなく、どっかの遊女が母親だったかも知れない。



627日本@名無史さん:2008/02/01(金) 10:25:36
>>626
訂正
上記の→は直接の先祖の意味じゃないよ。清少納言の子孫になってしまう。
628日本@名無史さん:2008/02/01(金) 12:53:33
>>622−623
1宮騒動の経緯と背景、その結果齎した物は何?
次期執権を約束されていた得宗北条時宗よりも将軍宗尊親王は9歳年上、
聡明であったとされるため、当初より北条家内で将軍更迭の理由探しが行われていたらしい。
文永3年、宗尊親王の御台所であった近衛宰子と将軍御持僧松殿僧正良基との密通が発覚。
処分を恐れた良基は鎌倉を出奔してしまった。
ただちに得宗時宗、執権政村らが集まり、良基が出奔したのは将軍の幕府転覆計画が
発覚したためと公表、宗尊親王を更迭し、わずか4歳の惟康親王を将軍とした。

2南朝と北朝の誕生の引き金も教えて。
後深草天皇が病弱なので、その父母後嵯峨上皇と大宮院が弟を皇太弟にたて、
後深草天皇が17歳になったときに弟亀山天皇を即位させたことに起因する。
後深草と正妃の間には皇子が誕生しなかったが、亀山には正妃腹の皇子があったため、
後嵯峨上皇は亀山の皇子を手元に引き取り、皇太子に立てた。
後嵯峨の没後、皇統は亀山の子孫に伝えられていくかに見えたが、
洞院家を外戚とする亀山皇子後宇多天皇に反発した関東申次西園寺公兼が執権北条時宗にはかり、
後宇多天皇の皇太子として後深草皇子が立てられ、後深草の系統が復活。
後深草系が持明院統、亀山系が大覚寺統と呼ばれ、対立した。
北条時宗が二つの皇統の存続を認めたのは、対立により天皇家の力を弱体化させるためだったといわれる。

3〜7は別の人に聞いて。
629日本@名無史さん:2008/02/01(金) 12:55:12
西園寺公兼→西園寺実兼
630日本@名無史さん:2008/02/19(火) 11:59:28
北条時行に行氏と輝時の二人の男子がいたと言われていますが、
姓は二人とも北条なのでしょうか?
行氏は横井氏の娘婿になっているようなので、
横井行氏ということもあると思いまして。

また、行氏や輝時のほかにも子はいたのでしょうか?
631日本@名無史さん:2008/02/19(火) 12:28:36
>>623
貴族化もなにも平清盛は
平安末期の軍事貴族
632日本@名無史さん:2008/02/19(火) 17:17:15
過疎ってる。
スレ終了。
633日本@名無史さん:2008/02/19(火) 18:32:30
上のほう見りゃ分かるが、基地外の自作自演長文が続いたからな。
634日本@名無史さん:2008/03/12(水) 16:08:49
635日本@名無史さん:2008/03/14(金) 01:32:10
侍所別当って、和田義盛→梶原景時→和田義盛→北条義時のあとは、
無条件に執権が兼ねてたのかと思ってたんだけど、連署(再任)時代
の政村がなっていることを知ってびっくりしました。
鎌倉時代の歴代侍所別当についてご存知の方はいらっしゃいますか?
是非教えてください!
636日本@名無史さん:2008/03/14(金) 02:57:37
政所は執権とイコールでは?
637日本@名無史さん:2008/03/17(月) 16:53:28
御内人はどんな姓があったの?
あと北条一門の可能性がある豪族は室町に残ってるの
638日本@名無史さん:2008/03/17(月) 18:24:18
>>637
身内人の姓は、長崎や渋谷・尾藤・諏訪など。
飛騨の江馬氏は北条一門の末裔説があるらしい。
639武陽隠士:2008/03/17(月) 21:27:44
ここだけの話だが、俺のなかでの鎌倉北条氏の評価はすこぶる高い。
かの司馬遼も「日本史上、藤原氏とならぶ屈指の政治的一族」と
評しているくらいだ。
奴らの政治技術はまさに日本史上の芸術といっていい。

まぁ、戦国のことしか知らないお前らにはわからないだろうがな…。

出てけッ!もうおまえらの顔などみたくないッ!
640武陽いんし:2008/03/17(月) 22:48:03
>>639
勝手に名乗るな。
名乗るのならゲームレベル通俗小説レベルのクズ書き込みするな馬鹿野郎。
馬鹿なら馬鹿らしく名無しにしてろ。
司馬なんかクズだよ。
馬鹿だろおまえ。
641武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/18(火) 00:45:49
>>639
馬鹿まるだし。
司馬なんか引いてくるなんて
まともに中世史やったことねえだろW
なりすまし野郎。
>>640は私だ。
説教ありがたく
思え
642日本@名無史さん:2008/03/18(火) 01:44:55
小説としては面白いと思うけどねえ。
いわゆる司馬史観については賛同できないとこも多々あるなんてのは
歴史をまともに齧ってる人なら承知してるだろうし。
643日本@名無史さん:2008/03/18(火) 06:02:17
ここも印紙の手で汚されたか…
644日本@名無史さん:2008/03/18(火) 14:41:27
>>641
おまえうざい
645日本@名無史さん:2008/03/18(火) 18:52:45
研究者でも司馬を小説家としては評価する人は多いよ。
646日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:40:55
647日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:54:41
苗字が横井の俺が来ましたよ
648日本@名無史さん:2008/03/18(火) 19:59:43
特定しますた
649武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/19(水) 00:25:06
>>645
いるんだよね、だから困るんじゃねえか。
ただ中世はひどいお話にならない。
中世やってる人間で司馬好きは皆無さ。
中世やってる人間には北方謙三好きは若干、
あと評判良いのは高橋直樹(私も好きだ)、
ダントツ永井路子だな。
ま、司馬好きは根本的に史料の読みが甘い奴が多いんだよー。
私もあのくだらなさには閉口する。
へんちきな文明論もウンザリだ
650日本@名無史さん:2008/03/19(水) 01:40:15
だね
651日本@名無史さん:2008/03/22(土) 06:05:18
そこから生まれたのが自由主義史観だしね。
自由主義とかいいながら、実際は人権などには配慮しないし。
……南京大虐殺はなかったとか言うしw
652日本@名無史さん:2008/03/22(土) 06:52:39
伊賀光宗らが北条政子によって幽閉された事件は、三浦義村を説得できた北条政子の政治力だろうかね?
653日本@名無史さん:2008/03/24(月) 19:04:28
>>651
武陽隠士の自演乙。貴様の主義主張は良く知ってる。
トリップを消しての自演は止めろ。
654武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/26(水) 23:49:25
>>653
>>651は私じゃないよ。ていうか私でも別に構わないけどね。意見は概ね同じだし。
とにかくトリップなしで自演なんてしない。
だいたい面倒くさいよ。
2ちゃんは気晴らしだもん。
いちいち一喜一憂したくないもん。
君は自分が自演ばっかしてるら疑心暗鬼になってるのさ。
まあ私も去年は若干やったが、とにかくあれは疲れる。面倒くさい。
もうやんない。自分が馬鹿になった感じだし。
ただ最近、確かに私も賛意出来るレスが増えてきたのが感じとしてある。
そういうレスが君みたいな(おバカなW)奴に武陽隠士の自演と思われるなら、それもまた良し。まずは寿ぎたいよo(^▽^)o
ま、書き込みしてる人たちの種類に変化が出てきたのかもしれないな。
655日本@名無史さん:2008/03/27(木) 14:18:56
素朴な疑問なんだが鎌倉幕府滅亡間際の攻防の記録みても
幕府の水軍の動きがよくわからないんだけど。
656日本@名無史さん:2008/03/29(土) 12:48:12
この前に東勝寺の跡、行ってみた。フェンスが敷かれていた。
なんかちょっと不気味だった。
657日本@名無史さん:2008/03/29(土) 21:46:16
>>637
微妙な大物として尾張赤目横井氏がいる。横井也有の家柄だけど恐らく極楽寺家系
658武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 01:17:41
>>656
二年位前再訪したが、そういったフェンスは無かった気が…。
どうしたんだろう?何か調査か入るのかな?昔発掘したんだし、再発掘する話は聞いたことがないし。
659日本@名無史さん:2008/03/30(日) 20:41:28
北条政子の演説を教えるのはOO教育の一環のような希ガス
660武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/03/30(日) 21:24:07
>>659
2ちゃんには多々見受けられますが、それは深読み
というものです。
661日本@名無史さん:2008/05/13(火) 21:56:26
旗本金澤氏って何石
662日本@名無史さん:2008/05/20(火) 08:21:19
北条政子の演説って実際には、幕府を運営していた弟の義時と大江広元あたりが
させたんだろ。
内容なんを産業で要約すれば、

・義時は悪くないよな。
・幕府がなかったときは辛かったよな困ってたよな。
・昔のようになるのが嫌なら、幕府を守れや。

663日本@名無史さん:2008/05/27(火) 11:36:51
北条沙都子
664日本@名無史さん:2008/05/29(木) 06:38:37
北条政子の演説は何人ぐらい聴いていたのかな?
665日本@名無史さん:2008/06/09(月) 12:32:11
戦前の軍国主義時代以上に、天皇の権威が絶大で神秘的だった時、真っ向から敵対して乱後は三上皇を島流。北条氏は天皇や朝廷に畏怖の念を持ってなかったんだろう。
666日本@名無史さん:2008/06/09(月) 12:44:35
伊豆の土豪が皇位を決定し、鎌倉末期には北条一門が守護の半数を占め、日本をほぼ手中に収めた。すげー成り上がり。頼朝様様だ。
667日本@名無史さん:2008/06/09(月) 13:31:11
江戸幕府は、慶喜が討幕派の機先を制し大政奉還。
室町幕府は、義昭が信長に追放。
鎌倉幕府は、万人が死して一人が生き残り、百陣崩して一陣が残る、激闘五日、遂に北条一門悉く自害。 鎌倉幕府の最後が一番壮絶。
668日本@名無史さん:2008/06/10(火) 01:45:34
>>665
けど南北朝時代には矢で射掛けてたやつもいたぞ。
669日本@名無史さん:2008/06/10(火) 09:59:11
鳳輦に矢を射る行為は、今なら御料車を金属バットで襲撃する様なもの。今の平成の時代を含め、天皇の権威が一番失墜していた南北朝時代。これ程迄に権威を落とした張本は、北条氏。
670日本@名無史さん:2008/06/10(火) 11:10:30
天皇家の自業自得だろ?
両統迭立だって、後深草が幕府に泣き入れたから
実現したわけだし。
671日本@名無史さん:2008/06/10(火) 11:40:28
平安時代、武士は天皇の神秘的権威に平伏す他なかった。承久の乱後、武士達は自信を持ち、北条氏も終始朝廷を蔑ろにし、天皇を軽く見る様になった。
672日本@名無史さん:2008/06/10(火) 14:04:08
花山法皇も矢を射られてるね。
673日本@名無史さん:2008/06/11(水) 00:43:35
承久の乱で天皇や公家を皆殺しにして、朝廷無くしてたら、後醍醐天皇の討幕もなかったのに。
674日本@名無史さん:2008/06/11(水) 06:02:13
バカバカしい
675日本@名無史さん:2008/06/13(金) 07:44:10
戦時中、軍用線・横須賀線の通る鎌倉を攻撃しようとする度、米軍機や搭乗員の不調が相次ぎ、鎌倉は被害を免れた。これは、北条氏の霊が鎌倉を守護したに違いない。まさかね
676武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/20(金) 00:37:17
霊なんてありゃしない
677日本@名無史さん:2008/06/20(金) 06:09:53
>>676
おまえには魂が無い
678武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/21(土) 01:06:16
>>677
あるよ
聖霊の御霊が。
679日本@名無史さん:2008/06/21(土) 01:46:35
20年程前、大船・常楽寺の北条泰時の墓から人の泣き声がするため、三笠宮寛仁親王立ち会いの下、御祓いをした。覇権奪還を目論む北条氏の怨念に違いない。三笠宮は、その後何度も癌再発・手術を繰り返した。なんか怖いです。
680武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/21(土) 02:11:09
鎌倉なんて非業の死を遂げた奴はゴマンといるんだぜ。
人骨だってそこいらから出る。
おまえ鎌倉行ったことねえだろ?
狭いんだぜ。
ま、常楽寺は鎌倉じゃないが
681日本@名無史さん:2008/06/21(土) 06:09:08
>おまえ鎌倉行ったことねえだろ?

今夜も出た!バカ発言
682日本@名無史さん:2008/06/21(土) 11:39:42
鎌倉は町全体がお墓。
683日本@名無史さん:2008/06/21(土) 11:48:13
>>679
生前は最高権力者で天寿を全うし、死後も敵からさえ評価されている
北条泰時が祟るわけがない
684武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/21(土) 13:51:06
>>683
祟りで死んだのは泰時の方だな
685日本@名無史さん:2008/06/21(土) 14:50:53
10数年前、皇太子と美智子皇后が鎌倉の宝戒寺にきたよね。宝戒寺にあった写真見た。北条氏の慰霊だったのかな?
686日本@名無史さん:2008/06/21(土) 15:31:01
泰時の母は阿波局。義時の姉妹も阿波局。二人が同一人物なら、義時は自分の姉妹の子を我が子として引き取った事になる。恐らく父は頼朝。泰時への目のかけようからしてそんな気がする。だとしたら、得宗家は源氏の嫡流。まさかね
687日本@名無史さん:2008/06/21(土) 16:07:03
>>686
面白い。座布団一枚!
688武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/21(土) 16:21:02
>>686
大昔の大河ドラマ『草燃える』とかいうだと
泰時は頼朝の子供になってるな
あと阿波局は関係ないでしょ
姉妹とかはさ
689日本@名無史さん:2008/06/21(土) 17:20:37
烏帽子親の頼朝が頼時と名付けたのに、後に泰時と改名。なぜ?
690日本@名無史さん:2008/06/23(月) 09:57:44
>>686
義時の姉妹の阿波局って全成の妻だろ。
その子が泰時なら頼朝の甥だ。
まあ源氏の血は引いてることにはなるな確かに。

‥‥ところで定説になってる別人という根拠って何かあるの?>阿波局
691武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/23(月) 21:11:15
なんで泰時が全成の子供なんだよ。
泰時の母親の阿波は阿波は阿波でも阿波違い。
政子の妹の阿波じゃないよ。
泰時の母親の出自はよく分からないんだよ。
692日本@名無史さん:2008/06/24(火) 04:59:37
>>691
何を今更‥‥
693武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/25(水) 21:25:18
>>692
テメー>>690の書き込みよく見てみろ!
私のレスはこいつに向けてる。
テメーの「何を今更」は>>760にいいやがれ!
くだらねえ茶々入れてくんなボケ野郎
694日本@名無史さん:2008/06/26(木) 12:17:34
>>694
そんないいかたしなくたっていいじゃん
695日本@名無史さん:2008/06/28(土) 01:34:26
>>693
だから貴様はダメなのだ。
696武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/29(日) 21:11:09
>>695
理由が明記されておりませんが…
感情的にならずに、まず批判点を明確にして頂けませんか?
697日本@名無史さん:2008/06/29(日) 21:18:31
>>693
感情的なのはテメェだバカ
698日本@名無史さん:2008/06/29(日) 21:20:35
>>693でいう>>760ってなに?
まずここを明確にしてほしい
699武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/06/29(日) 22:56:03
>>697
論破されて悔しいのは分かりますが…。
感情的になるのは如何と思います。いささか大人気ないですよ。
>>698
【誤】>>760→【正】>>686
700日本@名無史さん:2008/06/30(月) 04:40:19
>>693
> テメー>>690の書き込みよく見てみろ!

よく見てみたが

>‥‥ところで定説になってる別人という根拠って何かあるの?>阿波局

おまえはこれに全く答えていない。
>>690の前半は>>686のネタに対してネタで答えているだけで
はっきりいってマジレス不要。
肝心のことには答えずわかりきったことだけ書いてる。
だから「何を今更」なんだろ。

> テメーの「何を今更」は>>760にいいやがれ!
> くだらねえ茶々入れてくんなボケ野郎

些細なことでなんでそんなにキレるかな?
そんなに余裕無いの?
701日本@名無史さん:2008/07/01(火) 13:24:20
時宗が返書渡せば元冦はなかった。御家人達も窮乏する事なく、後の元弘の変で後醍醐天皇に付かなかった。鎌倉幕府はまだ暫く続いただろう。
702日本@名無史さん:2008/07/01(火) 16:07:45
無理でしょ、モンゴル帝国が相手じゃ返答なんて従います以外受け付けないし
あんな無礼な手紙渡されといて、はい従います、なんて鎌倉幕府の性質上出来ないし
703日本@名無史さん:2008/07/01(火) 18:04:15
六波羅救援派遣軍の名越高家張り切りすぎ。
高氏に花を持たせ監視役に徹してたら、戦死せずに高氏も魔がささなかった。
性格の落ち着いた金沢貞将派遣しなかった、高時の采配ミス。
704日本@名無史さん:2008/07/06(日) 03:12:53
>>701
釣りだと思うけど、一応
すでに元の属国になってた高麗も、最初は元と同盟結んでたんだよね。
でも、間にいる契丹を滅ぼして用無しになった高麗は、因縁つけられて開戦、みごと属国となったわけだ。
南宋が滅んだあとも、日本が無事でいられた保障はない。
あと、異国警護番役だけが御家人窮乏の原因とは・・・・。
705日本@名無史さん:2008/07/06(日) 11:41:05
時間稼ぎをしている間に元の内部で反乱が起こり
日本遠征が不可能になる可能性は高いだろうな

南宋ではなく元が中華の正統であることを認めて
ご機嫌取っておけば数年は大丈夫
706武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/07/10(木) 00:12:14
奥富敬之氏が亡くられました。
ご冥福をお祈り致します。
707日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:55:24
マジか
今、氏の『北条時宗』を読んでる最中だ……
708日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:52:53
>>705
時間稼ぎしても1274年には準備万端整えてやっぱり攻めてきただろうな。
しかも、その時は外交続けていたせいで日本の内部事情筒抜け。
709日本@名無史さん:2008/07/14(月) 02:07:46

■ 神奈川県はインチキだらけ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/travel/1212673847/

▼横浜・・・嘘の日本最大級、嘘の日本初が多すぎる。「日本最大の港町」という大嘘を吐き続けた住宅都市。インチキ港町・横浜
▼鎌倉・・・昭和時代に造られた景観を古都の景観と称して観光客誘致。国宝建築はたった一棟のインチキ古都・鎌倉
▼箱根・・・江戸時代温泉番付は前頭。提灯評論家雇って雑誌で箱根を賛美させ、造成温泉を天然温泉のように宣伝するインチキ温泉・箱根
710日本@名無史さん:2008/08/23(土) 18:34:27
時政 77才
義時 61才
泰時 59才
経時 22才
時頼 36才
長時 35才
政村 68才
時宗 33才
貞時 40才
師時 36才
宗宣 53才
煕時 36才
基時 47才
高時 30才
貞顕 55才
守時 38才
どうして執権の寿命は短いのですか?
遺伝的な特定疾患をもっていたのでしょうか?
711日本@名無史さん:2008/08/23(土) 20:32:21
60代も混じっているし、
運動不足かつ栄養偏っている中世人なら
平均からそんなに外れてないんじゃね?
当時の貴族や、もう少し運動していそうな足利家と比べてみてよ。
712日本@名無史さん:2008/08/23(土) 21:16:11
時頼は毒殺
高時は自殺
守時は戦死
で寿命ではないよね
713武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/23(土) 23:22:08
>>712
時頼は病死。
毒殺は大河ドラマだけにしてよ。
ちなみに高時も時頼も大病経験しているよ。
奥富敬之氏は鎌倉後期北条氏得宗の短命化を
近親結婚のせいではないか?
と推論されているけどね。
714日本@名無しさん:2008/08/23(土) 23:40:52
>>713
特定遺伝疾患の持ち主であったとしたら、普通こんなに長生きはせんもんだけれどね。
ましてや病弱だったら執権なんか務まるわけないし。
715日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:01:02
ぶよは特定精神疾患の持ち主ですからwww
716武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/24(日) 00:21:17
>>714
だから半ば勤まらなかった。
とは大げさかな?
若くして出家した得宗は病気が理由(もちろんそれだけではないが)だろ。
死を意識したんだね。
経時(ひどい短命)、時頼(病弱短命)時宗(短命)、貞時(短命)、高時(病弱)。
とくに高時の兄弟はヒドい
たぶん君は北条氏のこと全然知らない人だね。
高時も含めて時頼以降の得宗家幼名は「寿」がついてるが
これは通字というとにかく「生きてくれ」って願いがこめられているんだろう。
まあ調べてよ
あと近親結婚云々は奥富氏の推論(説じゃない)で、私はそういう推論もあるよ
ってレスしただけさ。
私は近親結婚、粗食、運動不足などが要因が絡まりあった結果だと思うけどね。
しかしくだらない突っ込みだなw
いかにもググッた感じw
717日本@名無史さん:2008/08/24(日) 02:46:24
ここにもいたのかレス乞食。
クソコテのことは無視してください。
相手すると調子に乗ります。エサを与えないで!
718日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:31:41
>>716
高時の弟の泰家はそれなりに生きていただろう
719日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:50:08
武陽程読んでて恥ずかしいレスはねぇなww

自分の浅薄な知識自慢に終始し、下劣な表現で指摘を威嚇する繰り返し

まぁこいつはレス乞食以外の何者でもねぇなww
720日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:08:46
>>713
近親結婚が悪影響なら
日本の天皇家は1200年昔に滅んでいるはずの人種なんだが
現実には近親婚で命をつないでいた日本の天皇家が
世界最古にして最長の王家であるという事実
721武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/24(日) 22:57:38
>>720
近親結婚が短命の要因の一つと推論しただけ。
なんかレスを読み違えいる
短命だからといって滅びるわけじゃない
天皇家も短命だった時期を観ればいいだろう
得宗もそんな感じと思えばよい
722武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/24(日) 23:17:06
どうでもいいけど話が
「近親結婚と短命の因果関係」というお題になったみたいだな。
これからこの命題だけを突っ込んでくる名無しばっかだと思うとウンザリする。
なんかアラないかと探しているバカw
しつこいが「近親結婚が短命の要因の一つと推論」しただけだ。
滅亡とか近親結婚だけが問題なのではないし、
短命は寿命が短いという意味だし、私は推論と言っている。
断言などしてないし、出来るわけない。
断言したら、そいつはバカだ。
レスくらいちゃんと読め!
自分が簡単に断言するバカだからって、
私まで検証不可能な事柄を断言する奴だと思うなよ、
名無しバカやろう!
723日本@名無史さん:2008/08/31(日) 01:08:32
金沢貞冬や名越時如はどうなったの?
戦死したとも自害したとも記録が無いけど。
北条一族は時行流以外は子孫全滅?
724日本@名無史さん:2008/09/01(月) 13:11:57
武陽が粘着してるスレか…
725日本@名無史さん:2008/09/01(月) 15:49:24
某大学の教員(専門は日本史)が鎌倉北条氏の末裔(勿論傍流だろうが)という噂を聞いたことがあるが
726日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:17:51
>>721
近親結婚の天皇でも長生きしている件

近親結婚が原因であるという推論について
反論を述べられたくなかったら
書きこまなきゃいいだろ
書きこんだ以上反論されても仕方がない
他人のレスには反論しまくりのくせに
バカじゃねえの?
727武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/01(月) 22:49:04
>>726
別に反論述べればいいさ
近親結婚があったからといって長生きする奴が一人もいなくなるわけないだろw
バカか
728武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/01(月) 22:57:41
>>726
最初から要因の一つといってるじゃん
日本語読めないおまえはバカなんだろ?
あと天皇家を反証に挙げるなら
北条得宗家も反証になる。
北条家なみに近親結婚していた時期と家系だけを反証にしなくちゃだめだ
天皇家は規模でかすぎだ
漠然と挙げるのではなく
北条得宗家なみのタイムスパンと血族婚が密度濃い時期に限るべきだ。



案の定、近親結婚だけを標的に名無しはきやがった
北条得宗家が粗食という私の指摘は
無視してきたな
レスの内容無視してきやがるのは
過去に私に論争で負けたバカだなw
729日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:20:25
>>727,728
ほうほう、それで?
近親婚が原因の一つだという己の説は撤回するのかい?
近親婚が原因の一つだと主張するなら、
論拠を挙げろよ。
挙げないのに主張するのは妄想にすぎない。

この件で分が悪くなったから話題を変えるのかい>
あいにくだが、この件が納得するまでお前の手にはのらない。
俺に都合のいい話以外は一切するな、ってまじ馬鹿だな。
ロムって出直せ。
730日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:13:05
得宗家は代々、同族や安達との婚姻を繰り返し、貞時の代で弊害が出た。
高時の前の二人は奇形児、高時も軽度知的障害の疑いあり。まともなのは泰家だけ。
731日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:05:45
>>730 泰家は立派だよな。
最期まで徹底交戦。
いつ死んだかは定かではないが
732日本@名無史さん:2008/09/08(月) 20:42:36
近親婚で影響が出るのは遺伝病だけ
劣性遺伝で通常の結婚では影響がでない病気でも
近親婚の場合遺伝子の型が近いもの同士の遺伝子が集結するため
同じ病気の遺伝子がより濃く現れることがある
具体的には色盲とか、肝炎とか。

だけどこのスレの連中はあらゆる病気が近親婚のせいだと思ってるのな
奇形児や精神、知的障害児は遺伝によって現れる病気ではなく
近親婚も通常の結婚でも異常の現れる率に差はない
733日本@名無史さん:2008/09/08(月) 21:28:27
>>732
>>奇形児や精神、知的障害児は遺伝によって現れる病気ではなく
>>近親婚も通常の結婚でも異常の現れる率に差はない
ソースどこ?
反論とかじゃなくてさ、後北条と間違えてこのスレ踏んだんだが、執権北条よりその話の方が興味あるwww
近親婚=奇形児ってかなり定着してる印象だけど、実際に二匹のハムスター元に繁殖させても奇形なんて見たことないや。
734日本@名無史さん:2008/09/09(火) 21:39:28
ソースはぐぐればいくらでも出るが例えばこんなの
近親婚で影響が出るのは「劣性遺伝病」のみ
普通の結婚では遺伝病遺伝子を持っていても病気が出現しないことが多いが
その病気の遺伝子ばかりを受け継ぎすぎると現れる可能性が高いもの
そして劣性遺伝病以外では近親婚の影響は一切出ない
http://www.primate.or.jp/PF/yasuda/11.html
http://health.goo.ne.jp/medical/read/genetics/0306.html

奇形児や知的障害は遺伝病ではない
(親から子へ受け継がれる遺伝子が原因で発病する病気ではないということね)
「劣性遺伝病」には何が該当するかは長くなるのでぐぐってくれ
735日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:15:55
「劣性遺伝病」参考までに
http://www.oguradaiclinic.jp/page1316.html
736武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/09(火) 22:41:38
やはり私が>>722で予見した通りになったな。
ちゃんと私がレスで留保した事柄を読み取らずに突っ込み。
お前はゼミとかでまともに議論したことねえんだなw
バカはこれだから困るなw
737日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:47:01
>>734-735
d
>>736
いやまぁ俺は通りすがりだからさ。

>>ALL
スレ違いすまんね。
738日本@名無史さん:2008/09/11(木) 20:37:58
>>736
馬鹿はおまえだろw
自説が覆されて狂ったか
もう来るなよ馬鹿インポ
739武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/12(金) 01:37:25
>>738
日本語読めないんだな
かわいそうにw
自説というほどじゃない
粗食も同じ位要因といったはずだがな
まあ想定内の屑レス来たな
どうでもいいけど
女の子にモテない人なのわかるよw
ばあか
740日本@名無史さん:2008/09/12(金) 20:18:15
>>739
女もおらずに夜は2チャンネル三昧の
不要いんぽ
気の毒にな・
もう来るなよ
741日本@名無史さん:2008/09/19(金) 03:58:32
クソコテ晒しage
742日本@名無史さん:2008/09/22(月) 07:51:07
面白そうなスレ見つけたと思ったら、糞コテのオナニースレかよ
743武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/22(月) 22:00:07
>>740
それがお前の境遇なんだなwかわいそうにw
>>741
こっちこそ晒しあげしてやるよw
バーカ
>>742
くだらねえ茶々いれてくんな。吾妻鏡も読んだことねえバカは黙ってろ。
744日本@名無史さん:2008/09/22(月) 22:01:40
>>743
馬鹿いんぽw
2ちゃんねるたまに見たらストレスたまったんだろうな
女もいないし臭い精子もたまってんだろうな
2ちゃんねるでおなぬーか
745武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/22(月) 22:11:13
>>744
ははは、いいな面白い。
しかしすごい即レスだね。毎日毎晩パソコンにかじりついてるわけ?
それにして男性下半身ネタ全開の揶揄だよね。まあ別にいいけど。あんまり怨念は感じないから気持ち悪くはない。許すよ。
746日本@名無史さん:2008/09/22(月) 22:57:48
>>745
毎日毎晩パソコンにかじりついてるのは君だろ?
日本史最毒男の不要いんぽ君
こっちは仕事が忙しくてね
君みたいに毎日帰ってくると2ちゃんねるしか居場所がない
オタククンをからかうのが面白いの
ただ史料は読もうね
馬鹿いんぽ君
747武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/09/23(火) 00:39:57
>>746
なんかいろいろ勘違いしてるみたいだけど…だいたい書き込みは毎日なんかしてないよ。
それから余計なことだけど仕事で君が忙しいわけないじゃない。こっちの書き込みにすぐに反応してきたくらないなわけだしw
私なんか今日まで気がつかなかったのにさ。
あと強がって史料云々するけど私は一応テクニカルな読みを体得してるんだよ。たぶん専門に限ったら余人の追随を許さないはずだ。
しかし私の普段してる書き込みの口まねしてるね。別にいいけど、君の書き込みの時間帯から推してみても君が仕事してるようにはとても見えないよ。
ちゃんと仕事して恋人つくったらどう?すぐ性的なことばっか言うのもいいけど君には愛がないよ。愛と性を切り離したらだめだ。
世の中は愛。君が男女を問わず今まで生身では愛されてこなかったのは君自身他者への愛がなかったから。
どうでもいいけどロムってる方々。北条スレを順繰りに読んでください。北条得宗家の寿命について書いてからずっとこの有様。
しつこいです。いいかげんにしてよストーカー。毒男でいいから。プーならプーらしく謙虚になってください。てなかんじ。ロムってる方々とりあえず見ててくださいませ。この人しつこくて実は怖いんで。
748日本@名無史さん:2008/09/23(火) 17:02:45
>>747
プーはおまえだろ
少しは謙虚になれ
この板の住人全員がそう思っている
不要いんぽ
749日本@名無史さん:2008/09/23(火) 17:04:09
>>747
テクニカルw
君の史料の読み方はむちゃくちゃだ
だから君がいるスレは過疎る
僕の書き込みを見てごらん
日祝平日夜にしか書き込みないだろ
プーの君と違ってね
750日本@名無史さん:2008/10/01(水) 16:56:13
最初から読んだが、源頼子を皇后だと言うアホ、系図を連投するアホ、某コテハンがいなけりゃもっと良いスレになったんだろうなぁ・・・
751日本@名無史さん:2008/10/20(月) 19:02:07
752日本@名無史さん:2008/10/20(月) 20:44:34
うまいこと元に従って王に封じてもらえばよかったのに。
そうすれば将軍より上位&ほかの御家人を圧倒できる。
古代の天皇も南朝から冊封してもらってほかの豪族からは別格の地位を手に入れた。
753日本@名無史さん:2008/10/20(月) 23:17:57
偽平氏
754日本@名無史さん:2008/10/20(月) 23:37:06
規矩高政と糸田貞義
755日本@名無史さん:2008/10/21(火) 06:53:31
夫見矢巨と、細
756日本@名無史さん:2008/10/27(月) 11:38:50
金沢貞顕は本当は執権になりたくないのにならされたのでしょうか
757日本@名無史さん:2008/10/27(月) 18:02:30
>>756
執権になりたくない奴はいないだろう、でも泰家はもっとなりたかった
金沢=福田、泰家=麻生ぐらい
758武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/10/28(火) 00:52:19
>>752
言い過ぎかも知れないが、鎌倉は宋の文化的植民地みたいなもんだよ。
759日本@名無史さん:2008/10/28(火) 14:04:18
【糞スレランク:A】
犯行予告?:1/758 (0.13%)
直接的な誹謗中傷:12/758 (1.58%)
間接的な誹謗中傷:45/758 (5.94%)
卑猥な表現:28/758 (3.69%)
差別的表現:48/758 (6.33%)
無駄な改行:7/758 (0.92%)
巨大なAAなど:33/758 (4.35%)
同一文章の反復:6/758 (0.79%)
by 糞スレチェッカー Ver1.23 http://kabu.tm.land.to/kuso/kuso.cgi?ver=123

これはヒドイですねww
760人間七七四年:2008/10/31(金) 17:52:55
北条氏直と忍び(風魔)との関係がわかる史料ありませんかね?
761日本@名無史さん:2008/10/31(金) 18:09:37
>>760
北条違い
762日本@名無史さん:2008/10/31(金) 21:25:23
>>758
そりゃ、禅宗寺院の中だけだ。
宋風は鎌倉武士の間にはさほど広まらなかった
という研究もあるんだがな。
763日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:15:57
武士の事は知らんが、宋風建築は禅宗寺院に限らず建築にはかなりの影響を与えたと思うが
花頭窓、唐破風なんかも宋伝来だし
764日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:32:16
すんません唐破風は日本固有みたいです、訂正します
765武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/11/01(土) 01:33:26
>>762
バカな奴だな
鎌倉武士じゃなくて鎌倉だよ。
鎌倉行ったことねえな。鎌倉武士なんて田舎者が宋もへったくれもねえよ。
田舎モンはこれだからイヤだな
建長寺に行けや
あと鎌倉に来た宋の高僧たちの弟子(北条で)が誰か調べろバカ。
鎌倉は宋の先端文化受容してる。もちろん受容は限られた階層だがな。
あと鎌倉は狭い。
どうでもいいが鎌倉に一度くらい行け
オマエのくだらねえ御託はそれから聞く
766日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:14:50
禅宗寺院の中だけ、と言ったろ?
あと、オレは鎌倉在住だ。
767日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:45:50
細川重男さんって、なんで大学に勤めないの??
業績もすごいのに。大学院で指導して欲しいんだけど・・・
768日本@名無史さん:2008/11/02(日) 01:26:59
しばらく見かけないから引退されたと思っていたら、このスレで発見!

その名は、「武陽隠士(ブヨーインシ)」。
769日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:45:42
うわホントだ
ブヨ生きてたのか
770日本@名無史さん:2008/11/17(月) 00:53:53
舞踊は活動拠点を文学板に移したよ
771日本@名無史さん:2008/11/18(火) 23:38:14
時政が頼朝を暗殺したってホンマかいな?
772武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/11/19(水) 23:35:46
>>766
嘘つけw
和賀江嶋も知らない奴がよくいうよ。宋と交易してたんだぜ。
鎌倉市民で歴史好きなら舶来の青磁破片がついさいきんまでたくさんあったのくらい常識だろうが。
バレバレだなw田舎もんw
773日本@名無史さん:2008/11/20(木) 00:48:20
(ワープ終了)うのない馬鹿ですね。
774日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:21:28
陶磁器があるから、
宋と交易があるから宋風とは、これやいかに。
舶来の青磁とかは、地方有力御家人の
館とかからも出土してるぞ。

武陽の底の浅さが露呈したなppp
775日本@名無史さん:2008/11/22(土) 14:46:29
後鳥羽天皇
執権・北条義時との確執から承久の乱を惹き起こすも幕府軍に大敗、却って北条氏の執権政治を確立させる。
乱後、隠岐配流。在島十八年、その地で没した。
火葬され、焼き上がった骨格を火葬人に晒す。
勝手放題してた男の成れの果て。
776日本@名無史さん:2008/11/22(土) 19:59:32

おまえの成れの果てだってどうせロクでもないから
いちいちつまらんこと書くな賤人
777日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:58:50

便所の落書き。プッw
778日本@名無史さん:2008/11/23(日) 01:05:43
>>776
その お言葉、そっくり そのまま、お返ししますー
779日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:11:39
■チョンの子孫達である埼玉県人に気をつけろ

埼玉県には有名な埼玉古墳があるがその古墳の尺に高句麗尺が使われている
古代に(4〜5世紀)に渡来した高句麗人によって古墳は作られた可能性が高い
「日本ミステリー」の「謎の関東日本王国」でも外国人説が上げられていた

埼玉には高麗駅と呼ばれる駅や高麗神社まである、「高麗」とは高句麗滅亡後
「渤海」が誕生しその後「高麗」と言う国が出来た、日本だと鎌倉時代に当たる
朝鮮半島と何らかの関りを持つもの達が移住してきた可能性が高く、彼らが移り住んだ
土地を祖国の名をそのまま用いて「高麗」と名づけたと考える

鎌倉時代、源頼朝の側近だった2つの豪族(北条氏、比企氏)
比企氏は朝鮮半島からの渡来系で今の埼玉県から関東に至るまでの領土を保持しており
強大な力を持っていた、今もその子孫達は埼玉県に住んでいる

北条氏は伊豆の豪族だが、百済系の桓武天皇の流れを組む桓武平氏の本流であり
百済人の血を重んじる一派であり逗子〜鎌倉などの関東圏に子孫達がいる
780日本@名無史さん:2008/11/24(月) 16:03:37
大庭か野郎ども。
781日本@名無史さん:2008/11/24(月) 16:13:12
大庭か野郎が、おとといきやがれ!
ほんとに大庭かやろうがおととい来てたりして www。
782日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:58:26
北条氏がチョンの末裔だったなんてショック
783日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:02:46
なんか最近>>782みたいな恥ずかしいのが多くなったね
784日本@名無史さん:2008/11/25(火) 04:57:26
隠岐じゃなく伊豆大島に配流してたら、島抜けしても、すぐ捕えて後醍醐の首、はねられたのに...
785日本@名無史さん:2008/11/25(火) 05:05:16
仕掛け風呂作った大工と西園寺公重、口封じしてたら後醍醐は、串刺で殺せたのに...
太平記より
786日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:02:11
後醍醐天皇暗殺計画

弟・西園寺公重の密告により失敗。
兄・西園寺公宗、北条泰家断腸の思い。無念!
787日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:14:02
てめぇが家督、継ぎたかったのかよ!裏切り者!

西園寺公宗の心の叫び。
788神の使者・北条氏:2008/11/27(木) 20:26:27
順徳天皇
承久の乱で佐渡島に配流。
最期は食を断ち自殺。うわぁ〜惨め。
789日本@名無史さん:2008/11/28(金) 17:08:59
順徳は承久の乱の最強硬派だろ
790日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:19:04
ここはバカが一人で書き込んでるのか?
791日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:20:46
そりゃID表示がないからなんとでもできますがなw
792北条氏のぼやき:2008/11/29(土) 01:38:40
後醍醐天皇
討幕計画が成功、天皇親政の理想に燃え、建武の新政を始めるも二年で失敗、吉野に移り南朝を開く。
京都還幸を果たすことなく、その地で死去。戦乱の中で生き、死んだ天皇。

討幕考えなきゃ、呑気に暮らせたのに。子孫の皇位継承の為、日本中を戦乱に巻き込み、多くの人を苦しめた魔王。

現在の天皇は、北朝・持明院統の系統。親北条氏。後醍醐天皇の血は引いてない。
おまけ
足利尊氏と戦う為、北条時行は南朝に降伏。後醍醐天皇から朝敵免除を受ける。以上
793日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:25:34
>>790
おまえの末路は野垂れ死に
いちいちつまらんこと書くな賤人 ペッ、
794日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:36:24
スレ違いだけど、
後北条氏が室町時代に、しかも関東に登場するなんて足利はどれだけ舐められてるんだよw
795日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:55:19
後北条氏も時行の子孫らしいぞ、聞いた話なんでそんな与太話と思ったんだが
最近の研究でそうでもないらしい
796日本@名無史さん:2008/11/30(日) 10:47:17
>>792>>793
誰でも知ってるようなことにてめえ個人の幼稚な感想を
いちいち添えたものが面白いと本気で思ってんのか?
おめでたい奴だな。
野たれ死に?それがどうした。
てめえだっていつか必ずその貧相な屍体を赤の他人の目の前に晒すんだぜ。
それなのに骨を火葬人に晒すとか、そんなことをわざわざ書いて
貶めた気になってるクダラナサをいい加減自覚しろクズ。
797國學者の和歌:2008/11/30(日) 16:01:22
よき人と
いふはたがこと鎌倉の
たひらの子等は
くにのつみびと

本居宣長
798日本@名無史さん:2008/11/30(日) 16:08:19
>>794
関東では北条は名族として利用価値のある氏
799日本@名無史さん:2008/11/30(日) 16:54:38
伊勢氏じゃ格好がつかいないしな。
それに北条氏を名乗ることで鎌倉幕府、ひいては武家の政治を立て直すんだと示せるし
800日本@名無史さん:2008/11/30(日) 17:50:08
とんでも系図での話だが、北条早雲=伊勢長氏だったけか?父親が行氏で、その爺さんだか曾祖父が時行とあった
俺はてっきり伊勢氏だから清盛とかと同系統で伊勢に残って、伊勢氏を名乗ったやつのぺーぺーかと思ったんだがね
どっちにしてもとんでもだがw
801日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:21:49
北条氏の中で足利方にいたのはいなかったのですか
残党はなぜか南朝についたのに
802日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:37:22
登子が尊氏の嫁ですが・・・・・いたのかなぁ・・・さて謎ですな
803日本@名無史さん:2008/11/30(日) 23:35:59
上社前大祝・諏訪頼重と息子の大祝時継らは北条時行を擁立して軍勢を集めると、信濃に幕府再興の狼煙をあげます。
この時、北条氏系の佐久の諸氏や小県の諏訪氏系の望月・海野・袮津・滋野らの信濃有力者が呼応します。
804日本@名無史さん:2008/12/01(月) 02:05:21
>>801
登子の兄、守時でさえ尊氏に付かなかった。
北条の親戚で優遇しながら裏切った足利には、意地でも加担できなかったんでしょうな。
805日本@名無史さん:2008/12/01(月) 02:38:31
>>795の言う最近の説って、>>800も指摘してる例のトンデモ系図に係わる話?
何にしてもkwsk
806日本@名無史さん:2008/12/01(月) 16:32:19
北条氏関連の書き込みで、そこそこ盛り上がって、ほのぼのしてたのに、心の病んだ部○民ぽい奴がカキコしてから、急にシラケたな。
死ねアホ。人権版いけコラ。劣等感の塊の貧乏神
塩まいとくわ。
807日本@名無史さん:2008/12/01(月) 19:03:58
話を切って悪いが、極楽寺重時ってかなり優秀で重要人物だよね。

明らかに功績や魅力を時頼に吸われてるけど、
彼の功績の多くは実は重時のおかげ
808日本@名無史さん:2008/12/02(火) 00:35:37
>>806
舞踊のことか?
809説教魔はスルー:2008/12/02(火) 01:19:01
↑そう。何人か居る内の一人
810日本@名無史さん:2008/12/02(火) 12:46:01
>>796
おまえが焼場職員で餓鬼が奇形で池沼で身内が自殺して、惨めな境遇であるのは推測できた
811日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:15:49
>>806
>>810みたいな奴のことですね?
812日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:34:55
↑火葬職員のことで憤怒した同和関係者と思ったが違うみたいだな。
天皇からかって怒ったのか。右翼関係者か...
813現人神北条氏:2008/12/05(金) 23:56:20
天皇は現人神と言われるが全くのデタラメなり。
我々と同じ猿の子孫なり。
又、初代天皇の神武天皇は架空の人物なり。
天皇の祖先は恐らくは、弥生期に大陸から渡来した支那人なり。

何か言ってみろよ、ヒステリー野郎!
814日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:08:29
>>813
キムはん何してはるんっすか?病院帰りまひょ?ww
815日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:11:36
馬鹿がすぐにつられるわw
816日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:30:05
>>814
正論すぎて茶化すしかないわな
脳軟化症
817日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:41:59
このスレも死んだわなww
818日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:11:01
おまえも、もうじき死ぬよカス
819日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:52:07
ウリは死なないニダ!ウェーハッハ<ヽ`∀´>
820日本@名無史さん:2008/12/21(日) 20:28:31
821日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/21(日) 21:30:34
むしろ早く死ねよカス共。
822日本@名無史さん:2009/01/12(月) 00:40:59
近親婚で短命になるなら足利氏もやばい
北条時氏━┓
安達景盛女┻北条時頼━┓
北条重時━┳北条重時女┻北条時宗━┓
※□□□━┛___________┃ ※中条家平女か
安達景盛━┓___________┃
※□□□━┻安達義景━┓_____┃ ※武藤頼佐女か北条時房女か
□□□□━┓_____┃_____┃
□□□□━┻□□□□━┻安達義景女┻北条貞時━┳北条高時
安達義景━┳安達景村━┳大室泰宗━┳大室泰宗女┛
□□□□━┛_____┃_____┃
□□□□━┳□□□□━┛_____┃
□□□□━┛___________┃
□□□□━┓___________┃
□□□□━┻□□□□━┳□□□□━┛
□□□□━┳□□□□━┛
□□□□━┛
823日本@名無史さん:2009/01/12(月) 00:42:13
足利義氏━┓
北条泰時女┻足利泰氏━┓
北条時氏━┳北条時氏女┻足利頼氏━┓
安達景盛女┛___________┃
□□□□━┓___________┃
□□□□━┻上杉重房━┓_____┃
□□□□━┓_____┃_____┃
□□□□━┻□□□□━┻上杉重房女┻足利家時━┳足利貞氏
北条義時━┳北条重時━┳北条時茂━┳北条時茂女┛
比企朝宗女┛_____┃_____┃
平_基親━┳平_基親女┛_____┃
□□□□━┛___________┃
北条義時━┓___________┃
伊賀朝光女┻北条政村━┳政村女か━┛
□□□□━┳□□□□━┛
□□□□━┛
824日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:20:24
なんでこの一族幕府滅亡の時殆ど滅んじゃったの?
北条の反主流派が倒幕軍と手を結ぶことがなかったのはなぜ?
825日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:18:37
一族の結束が固かったからじゃないかな。

それと。鎌倉幕府が、実質的に北条氏によって支えられた体制に変わってたから、
討幕派が狙う対象も、将軍家ではなく北条氏だったわけだし。
倒幕派(というか、後醍醐天皇)が、北条家の非主流派を抱き込むという選択肢を取らなかった、むしろ取り得なかったから、
結果的に、殲滅という対処しかできなかったって気がするなあ。

遺族をかくまった武士たちの多くは、のちに後醍醐政権へ反旗を翻して滅ぼされたし。
826日本@名無史さん:2009/01/13(火) 06:19:19
というより、「反主流派」だの「非主流派」だのといえるほどの
強力な派閥なんてあったの?
827日本@名無史さん:2009/01/13(火) 13:25:28
時宗あたりまでは名越が反得宗じゃないか
828日本@名無史さん:2009/01/13(火) 23:22:18
守時が足利と組んで長崎派を一掃し、得宗領を御家人たちに再配分できてたら幕府の滅亡は避けられなかったかな?
829武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/14(水) 01:03:38
>>828
守時が執権になった(なれた)のは長崎にとっても無害だから。
意味分かるよね?わかんないならいいや
830日本@名無史さん:2009/01/26(月) 18:55:01
>>829
なにその上目線の物言い?氏ねばいいと思うよ
831日本@名無史さん:2009/01/26(月) 19:18:02
守時が執権になれたのは、
家格が得宗家に次ぐNo.2だから。
832武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/26(月) 21:53:21
>>831
守時の前任執権が金沢流で、すぐ辞した理由は泰家と長崎の反目のどばっちりなんだが
まあいいや知らないみたいだし
833日本@名無史さん:2009/01/27(火) 02:24:02
 北条家って、何で敵方(後醍醐天皇方)にほとんどつかなかったんだろ?
得宗家と仲良く無さそうな、泰家とか名越流とかもっと裏切りがあっても、
不思議じゃない気もするんだけど。
 得宗家側が盛り返して勝った時が怖ろしくてできなかったの?
834日本@名無史さん:2009/01/27(火) 06:13:45
高時も長崎を暗殺しようとした位だから得宗家も一枚岩ではなかったんだよな。
835日本@名無史さん:2009/01/27(火) 14:59:46
元弘の乱で幕府方に付いたのは
戦国まで残った御家人は河野通盛・武田信武・六角時信・小早川貞平・芦名盛員・毛利時親と言った所?
文官や御内人の子孫ならまだいそうだけど武官系はほかいる?
836日本@名無史さん:2009/01/27(火) 15:10:13
元弘の倒幕運動って楠木、新田、足利、赤松、なんて反北条で名前が挙がるけど民衆の蜂起は余り聞かない気がする。

北条得宗家に不満を持っていたのは守護や御家人クラスで民衆は鎌倉幕府、北条得宗家の統治に満足していたのかな?
837日本狼現存:2009/01/27(火) 18:57:58
>>1-1000
北条って平系でしょ? てかマジ凄い執念じゃね?

源は気付いて無かったの?殺られましたね

北条政子って篤姫みたいなのかと思ってたが血も涙もないなぁ

なんかやり方がチョンみたいだよね
838日本@名無史さん:2009/01/27(火) 19:56:06
>>837
北条家の系図はのちに改作されたものらしいよ
政子の父より前は平姓を名乗っていた形跡がないらしい
政子が将軍御台所となるにあたって頼朝に相応しい地位を
ということで平氏ということにしたらしい
朝廷が北条政子に対して「平政子」の名で官位を与えているので
北条氏が平氏であることは朝廷が認めたことではあるが
実際に平氏の血を引いていたかは疑問が多いらしい
839日本@名無史さん:2009/01/27(火) 20:21:43
北条は朝廷に出仕してた藤原氏付きの公家侍で、何か失態やらかして伊豆国に左遷されたんじゃない?
840日本@名無史さん:2009/01/27(火) 20:39:56
>>839
源頼朝の先祖ももとは摂関家御用達のような受領だよ
安和の変では源高明を密告する役を引き受けて藤原氏に恩を売っているし
藤原道長の土御門第が燃えたときには家具を献上したりもしてる
源氏や平氏の先祖は摂関全盛期にはそんな感じだよ
中央から下ってきた武士は源氏や平氏、藤原氏の末裔など
先祖をたどれば高貴な人が多い
そうではなくて
北条氏が平氏でない可能性があるということは
中央から下ってきた人々の子孫ではない可能性がある(土着豪族)ってこと
841日本@名無史さん:2009/01/27(火) 21:22:06
>>839
そういえば、時政・政子の邸宅跡から都の貴族が遊びに使う、貝合わせが発掘されたね。
東国武士では珍しいこと。
842日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:35:47
>>832
嘉暦の騒動くらい知ってるわ。
ボケ。
てか、お前は史料を500回読め。
原因を一つに求めるお前が阿呆。
843日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:41:57
北条氏は桓武天皇の血筋だから韓国系
これは周知の事実
844日本@名無史さん:2009/01/28(水) 00:59:29
つか桓武平氏の出は全部じゃんかw
845武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/01/28(水) 01:00:00
>>842
ググったんだなバカみたい。
原因を一つもなにも長崎が執権職に口出ししている事実をオマエが知らないってこと
を再三バカにしてんのもわからない。
家格がいいなら泰家がなんで執権になれなかったんだよ?
第二位は泰家だろうがw
バカまるだしだよ
そして泰家がなれなかった理由もオマエはわからないし
家格だけでなれると考えてるオマエは得宗専制の末期症状すらわかっていない
ああやっぱりバカ
オマエ才能ねーよ
オマエは史料なんて読めないバカなんだから私のレスでも読んでりゃいいよバーカ
846日本@名無史さん:2009/01/28(水) 01:10:39
うん。
だから、君は、まるでこの時期の論文を読んでいないんだね。
可哀想に。
せめて最新の研究成果である、
『史学雑誌』116-9の福島金治氏の書評くらい読んでから語れ。
847日本@名無史さん:2009/01/28(水) 02:36:52
>>846
池沼はNGNameしてしまうが一番よ
自分が一番だと信じ込む視野の狭いクズに何を言っても始まらんw
848日本@名無史さん:2009/01/28(水) 10:12:26
>>839
北条氏が公家侍なら身近に天皇や貴族を見ていたはず。
年も取れば臭い息も吐く、自分達と同じだと感じたはず。
朝廷・天皇に畏怖の念を持ってなかったのも説明がつく
849日本@名無史さん:2009/01/28(水) 17:12:03
義時、承久の乱のときは、
朝廷の威光をかなり怖がってたんだけどな。
むしろ大江広元の方が強硬派だったわけで…。
850日本@名無史さん:2009/01/28(水) 20:06:57
>>848
北条時政や政子が天皇を身近にみていたはずがないんだが。
だからこそ没落貴族の頼朝を崇めたてまつったのだし。
関東では女傑と言われる北条政子も、
後白河法皇や鳥羽天皇に拝謁したことは一度もなく、
丹後局あたりに会って大感激し、煙に巻かれてるし。
851日本@名無史さん:2009/01/28(水) 23:13:55
↑先祖から代々、話を伝言されたと推測
852日本@名無史さん:2009/01/29(木) 19:39:24
>>849
でもあの時勝利したからこそ、鎌倉幕府が100年以上も続いたのだと思う。

大江広元は、この件といい、公家としての生き方を微妙に否定して
幕府の重鎮となった事といい、実は博打好きなのかもと思う。w
853日本@名無史さん:2009/01/31(土) 02:01:54
清和天皇は桓武天皇の子孫
清和源氏は韓国系
源頼朝がチョソの子孫だなんて『ショック』WWWWWWW
854日本@名無史さん:2009/01/31(土) 10:42:36
北条氏マニアの輝かしい
《勝利》
855日本@名無史さん:2009/01/31(土) 13:03:08
このスレを
帰化チョソ臭い
ヒステリー野郎に捧げる!
856日本@名無史さん:2009/01/31(土) 22:33:42
勝利の味を存分に噛み締めてるよ
粘着{ヒステリー君}
八八八八八八八八八ーーーーーーーーー。
857日本@名無史さん:2009/02/01(日) 12:46:12
桓武平氏北条氏嫡流得宗家の横井家を先祖に持つ俺が来ましたよ。

俺の体の中にも桓武天皇や執権北条時宗の血が流れているんでしょうけど、

今家に残ってるのは北条鱗の家紋くらいなもんです。
858日本@名無史さん:2009/02/01(日) 13:42:55
横井?
捏造だから。
859日本@名無史さん:2009/02/01(日) 13:53:00
捏造だというソースは?
860日本@名無史さん:2009/02/01(日) 14:12:16
>>858>>857に嫉妬してるだけだから無視していいよ。
861日本@名無史さん:2009/02/01(日) 14:25:45
んじゃ、逆に、確実な同時代史料か
それに近い史料を出してみな。
かなり後になって編纂された系図を出して
「はい、証拠」
なんて言われて、素直に信用できるか?


862日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:14:45
>んじゃ、逆に、確実な同時代史料か
 それに近い史料を出してみな。

2chなんかでそんなもん出せるわけないだろ馬鹿か?

おまえはいうからには捏造だという確実な同時代史料か それに近い史料を出せるんだろうな?

嫉妬厨は目障りだから消えろ。


863日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:23:42
>>861
逆に〜とか言い訳してないで早く捏造だというソースだしてよ。
864日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:36:37
>>857
北条時宗の子孫だからやっぱり朝青龍とか嫌いなの?
865日本@名無史さん:2009/02/01(日) 16:02:58
嫉妬?
馬鹿なことを言わないでくれ。
単に興味本位からだ。
そもそも、根拠のない話を信用する馬鹿は、
さも真実のように歴史を語るな。

あと、2chで出せないとはどういう意味だ?
同時代史料とかなら、
お前さんを特定できるわけでもないし。
866日本@名無史さん:2009/02/01(日) 16:31:16
>>865
興味本位から根拠もなく捏造だとわめく奴を信用する馬鹿もいないだろうな。

横井家が北条氏の嫡流なのは一般常識的に認められてることだからあえて史料
を探し出して提示する必要もないだろ。

おまえが知識を有していないだけ。負けを認めろ嫉妬くん。
867日本@名無史さん:2009/02/01(日) 16:34:27
最後の得宗北条高時には男子が2人あった。
このうち長男の邦時は得宗家嫡男であったが
父高時滅亡ののち密告されてわずか9歳で斬られた。
よって子孫なし。
もう一人の男子が高時の二男で中先代の乱で有名な北条時行。
彼はその後南朝に味方し、最終的に足利方にとらえられ、20代で斬殺された。
これで北条得宗家は滅亡したはずなのだが、
岡野氏、横井氏、平野氏ら、時行の落胤を称する家が出た。
江戸時代の儒学者、横井小楠などはこの説を信じ、
自分のことを北条平四郎時存などと名乗っていた。
868日本@名無史さん:2009/02/01(日) 16:44:46
で、どっからの引用?
869日本@名無史さん:2009/02/01(日) 16:55:36
>>868
横井家のことは「横井小楠」ででも引け。
北条高時の2人の息子のことは北条氏系図なり
続史愚抄なり太平記なりに出てるだろ。
870857:2009/02/01(日) 16:55:57
>>864
朝青龍は性格が傲慢だから好きじゃないな。ガッツポーズとかイラネ。
白鵬は好きだよ。とりあえずモンゴル人であるか否かは関係ありませんw
871日本@名無史さん:2009/02/01(日) 17:49:03
>>869
そんな細かい事興味ない。
>>867がどこからの出典か知りたいだけ。
872日本@名無史さん:2009/02/01(日) 18:15:37
まあ、横井とか平野とかは例によって仮冒なんじゃないの?
そもそも、もとの北条氏自体が桓武平氏を仮冒してるだけの伊豆の土豪だし。

大体、時政と京の平家一門の家系が系図にしたら不自然に近すぎるもんな。
どう考えても捏造、デッチアゲだろ。
873日本@名無史さん:2009/02/01(日) 18:19:54
嫉妬厨はしつこいな
874日本@名無史さん:2009/02/01(日) 18:31:22
粘着は無視でおk
875日本@名無史さん:2009/02/01(日) 19:14:52
聞いてるのは、邦時・時行のことではなく、
時行の子孫を名のる横井の
「時行の子孫である確実な史料」
なんだが。

後北条や横井・千秋などの系図を除けば、
ある程度信憑性のおける北条氏関連の系図は、
邦時・時行で終わっているものばかりだ。

例えば応永4年5月に陸奥で
国井若狭守と田原谷弾正忠が
「先代(北条氏)名字仁」を擁して
反乱を起こしたが、
これだって北条一族というだけで
誰の子孫かさっぱり分からん。

もし、横井が時行の子孫であることを
確定できる史料があるなら、ぜひ提示してくれ。
876日本@名無史さん:2009/02/01(日) 22:55:23
2ちゃんねるだから
言ったもん勝ち。
877日本@名無史さん:2009/02/02(月) 01:54:07
戦国期以降の武家の系図の大半は仮冒、捏造なのは常識。
横井、平野、岡野の系図もその可能性は高い。
878日本@名無史さん:2009/02/02(月) 02:39:38
おまえ誰にも相手にされてないのに誰と戦ってるの?w
879日本@名無史さん:2009/02/02(月) 03:07:24
ファビョーン <#`Д´> アイゴー!ウリより名血統の奴がいるなんて許せないニダ!
横井家の家系は捏造ニダ!
880日本@名無史さん:2009/02/02(月) 03:13:05
881日本@名無史さん:2009/02/02(月) 04:21:43
自分は証拠を出せないからおまえの方が出せってどんだけばかなんだよ
882日本@名無史さん:2009/02/02(月) 05:38:35
一人で必死に粘着してる奴はスルーで
883日本@名無史さん:2009/02/02(月) 07:38:51
ワロタ、つか横井は時行の血統と言うことにしてあるが実際は地元の土豪だろうよ

話の流れはこうだ、時行が鎌倉で処刑された時その子供は、今の愛知に落ちのびて
横江を名乗り、その子ないし孫の世代に、横井と平野に子供がそれぞれ養子入り
ちなみに北条早雲もこの一族であるという資料もあるそうだw

これで無理矢理つないでいるのがわかろうってもんだぞ?w

867の小楠の話、最後の一行は間違い
小楠の家系はみんな通字で時を使っているからそういう言い方じゃなくて
小楠の家系は北条家の子孫と信じ通字である時を使っているという表現ならわかるがな
884日本@名無史さん:2009/02/02(月) 08:06:31
つかさ、誰の子孫だろうがクズはクズなのだよ
885日本@名無史さん:2009/02/02(月) 08:28:38
このスレの危険度A
鎌倉は人工都市
後鳥羽は白拍子とヤリまくり
羨ましいニダ
886日本@名無史さん:2009/02/02(月) 09:14:00
887日本@名無史さん:2009/02/02(月) 21:41:09
>>883
うん、君の話も史料を出そうね。
888日本@名無史さん:2009/02/02(月) 23:19:28
>>887と886が同一人物で必死になって煽っているわけだがwww

うさんくさい家系図の検証をやっているサイトならあるよ?
お前みたいに否定されたことに対してソースを示せと吼えるなら
お前が信じるに足りるという家系図を先に提示しろやwww

どうせお前エセ横井だろ?明治になってから横井姓名乗って
俺は北条特宗家の子孫だってほえているクズ確定w
889日本@名無史さん:2009/02/02(月) 23:35:15
890日本@名無史さん:2009/02/03(火) 01:41:25
>>889
おめーみたいなチンカスはこれでも読んでみなww
ttp://www.kakeiken.com/report008.html#%E7%9B%AE%E6%AC%A1

>>889 >>881だぜ、言い返せなくて馬鹿みたいにアンカーするなパチモンwww
891日本@名無史さん:2009/02/03(火) 06:03:22
>>889 じゃないけど読んだよ。で、これのどこが証拠?
892日本@名無史さん:2009/02/03(火) 06:32:46
なんでそんなに必死になってるんだろう。よほど自分の家柄にコンプレックスを持っているんだろうな。
893日本@名無史さん:2009/02/03(火) 08:07:02
以後、粘着嫉妬厨はスルーで
894日本@名無史さん:2009/02/03(火) 10:45:26
横井系図には信憑性がない。
895日本@名無史さん:2009/02/03(火) 14:46:01
鎌倉陥落の前に全面降伏すれば、朝廷の1家臣として存続を保証されたんじゃ?
896日本@名無史さん:2009/02/03(火) 16:46:46
>>895
朝廷の権威を落とし、武士が最高権力者であろうとした北条氏には、朝廷に主導権を渡す行為はできなかったと推測。

徳川将軍の権威を失墜させる為、天皇の神格化に心血注いだ薩摩・長州の明治政府とは事情が違う。
897日本@名無史さん:2009/02/03(火) 18:33:06
横井が北条の子孫とかいうのは、徳川が新田の子孫とか、織田が平家嫡流の末裔とか、
島津が頼朝の子孫とか名乗ってるのと同じレベルだろ。

横井家の連中が自称してる分にはどうでもいいが、歴史学的には積極的に肯定はできない。
一般論としては、戦国期以降の武家の家系は「仮冒」が多いとしか言いようがない。
898日本@名無史さん:2009/02/03(火) 20:52:36
>>896
中先代の乱で後醍醐天皇に対して兵をあげ、鎮圧された北条時行は、
その後、後醍醐天皇と和睦して南朝方武将となっている。
北条時行が討たれたのは、後醍醐天皇に兵をあげた足利尊氏によって。

鎌倉幕府が後醍醐天皇に滅ぼされる→得宗北条高時の遺児高行、
後醍醐天皇を討って幕府を再興するべく反乱軍を挙げる→
後醍醐天皇が下した足利尊氏軍に敗れて鎮圧されるが、
このとき私に恩賞を配布し、自ら征夷大将軍と名乗るなどした足利尊氏は
弟の直義の護良親王殺害が発覚したこともあり後醍醐天皇から朝敵とされる→
北条時行、後醍醐天皇に味方し、足利尊氏と対立する

歴史の流れをよく見ようね。
899日本@名無史さん:2009/02/04(水) 02:26:44
>>891
897が書いているとおりいい加減という証拠だアホw
お前自分の家系を客観的に判断する能力無いのか?ホントしつこい粘着厨だぜw
900日本@名無史さん:2009/02/04(水) 02:31:04
>>897
俺もそう思う、仮にその横井家の連中の持っている資料に
江戸時代以前、室町後期あたりでそういった記述がある
歴史的にも大変貴重な資料とやらが存在しているなら別だが
そうした資料の提示や存在を聞いたことがない
あるのは江戸期に作られた資料ばかり
家系図自体初代時永(だっけ?)以前の信憑性は微妙
そのリンク先だって横井家自体は地元の土豪だった可能性を示唆している

どうやら891はおつむがかなり弱いから高時の血が色濃く出たのでしょう
901日本@名無史さん:2009/02/04(水) 17:26:38
>>895
個々に降伏した人はいたけどね。結局、みんな中先代の乱の時、みせしめに殺されたけど。
902日本@名無史さん:2009/02/04(水) 20:39:39
足利さえ見方味方につけとけば滅亡はなかったはず。
やっぱ守時と高氏で長崎を滅ぼして幕政改革するしか生き残る道はなかった。
一応執権なんだから大義名分あるし。
903日本@名無史さん:2009/02/04(水) 20:47:55
>>902
いや、高時や守時が仮にどんなに優秀だったとしても、
もはや手遅れだったと思うよ。
いつから歯車が狂い始めたかというと、
評価の高い北条時宗のときぐらいからかな。
元寇では高い評価を得た時宗だが、一方でとんでもないことをやっている。
それは、皇統を2つに分けることを了承したこと。
もともと天皇家の弱体化を図るためにそのうち両方つぶれてくれればいいと思って
大覚寺統と持明院統の分流を認めたようだが、これが命取りになった。
やがてこの2つの流派の争いはお互いを弱体化させるどころか、
皇統の分断を命じる鎌倉幕府を滅亡させることへと進み、
足利や新田などもともと頼朝の遠縁で将軍になりたくて仕方がない一発触発の武士たちの
支持を得てもはや北条氏はどうしようもないところにまで来ていた。
天皇家を甘く見すぎた北条時宗の判断ミスだろう。
これを冷静に見ていた足利氏はさっそく両朝を統一させたけどね。
904日本@名無史さん:2009/02/05(木) 00:26:54
両統定立はあの時点ではやむを得なかったのでは?
905日本@名無史さん:2009/02/05(木) 00:30:25
横井は実際は名越の系統のものだと大学で昔聞いた。名前忘れたけど
906日本@名無史さん:2009/02/05(木) 07:14:02
現在も残る北條氏の血統は?
907日本@名無史さん:2009/02/05(木) 12:13:59
武士階級の特権維持を要望し、鹿児島士族が決起、西南戦争勃発。
政府は主として農民から徴集した陸軍で精強薩摩士族軍団を撃破、平民軍の株を一気に上げた。

反乱鎮圧に失敗してたら、明治政府は建武の新政の二の舞いだったね。
スレ違いかな?
908日本@名無史さん:2009/02/05(木) 17:31:43
ここ程ひどい嫉妬粘着厨の書き込み自演はみたことがない
909日本@名無史さん:2009/02/05(木) 18:19:50
>>902-903
当時の情況では、もともと後深草上皇にはまったく勝ち目がなくて一代で終わるところだった。
ところが鎌倉で安達泰盛が失脚してアンチ安達に幕府が占拠されたため
安達と親密にタッグを組んで荘園改革を進めていた亀山天皇が幕府の支持を失って
幕府が亀山の対抗馬として後深草上皇に目をつけたのが始まり。
910日本@名無史さん:2009/02/05(木) 21:23:24
>>909
皇統を断たれていた後深草上皇の庶子(のちの伏見天皇)の擁立は
幕府の側から言い出したことではなく、
関東申次西園寺実兼の幕府に対する建議によるもの。
亀山天皇は若いころ迎えた実兼の妹を不仲で里に返した経緯があるため
もともと西園寺家はいい印象を抱いておらず、
つさらに亀山の後継者後宇多天皇は西園寺家を外戚としていなかったために
実兼が別系統に皇統を移すことを画策した。
北条時宗はこれに乗っかっただけ。

伏見天皇が後宇多天皇の皇太子に立ったのは、安達泰盛の失脚前。
後宇多天皇が帝位を追われ、伏見天皇が即位したときと勘違いしてないかい?
いずれにせよ、安達泰盛が北条時宗の義兄(正室の兄)として力を持っていた頃に
後伏見の皇子が東宮に建てられている。
911日本@名無史さん:2009/02/05(木) 22:04:51
>>906
お前もしつこいって、時宗の三男の子孫が未だに寺の住職やっている血統が伊豆にあるからそこに行ってこい
912日本@名無史さん:2009/02/06(金) 15:34:29
横井家の系譜は北条氏、後北条氏のどっちなの?
913日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:38:49
>>896
国王どころか将軍にすらなっていないわけだが
914日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:30:24
↑伊豆の土豪が将軍になれば幕府は瓦解。
形式上の将軍を置き、北条も他の御家人同様、家臣の立場で面子を持たせたとおもわれ。
915日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:18:47
本当に鎌倉幕府の将軍には、何の権力もなかったの?ただのお飾りだったら、あんなに頻繁に、首をすげ替える必要はなかったのでは?誰か、詳しい人教えて下さい。
916日本@名無史さん:2009/02/08(日) 00:18:12
将軍と執権の間で激しく権力争いが起こった時代の後、
だんだんと権限が執権の側に移動し、さらには執権から徳宗の方に移動していった。

つまりだな、
将軍との間で主従関係を形成する「御家人」という階級の人々が徐々に没落して、
北条家の統領たる徳宗とのあいだで主従関係を形成した「御内人」が勢力を伸ばしたわけだ。

家督を継げなくて没落した御家人の子を取り立てて、
徳宗領の地頭に任命するとか、いろんな形で、御内人が領有する土地が拡大していったわけさ。

継承問題で揉めてる係争地の裁判で、御内人に有利な裁定が出やすかったりな。
917日本@名無史さん:2009/02/08(日) 01:25:54
得宗領の「地頭」?
地頭代ではなくて?

割と誤解しやすいのかもしれないけど、
御内人って、決して没落御家人ばかりじゃないんだけどな。
918日本@名無史さん:2009/02/08(日) 13:33:26
俺が聞きたかったのは、そういうことじゃなくて、本当に将軍(特に末期)には何の権力もなかったのか、ということ。単なる儀礼的な役割しかはたしていなかったのか、ということを聞きたかったんだけど。
919日本@名無史さん:2009/02/08(日) 16:07:00
将軍に選ばれるのは幼少の公家が多いから権力欲も何も有ったもんじゃなく完全な傀儡だろう。
将軍が成人して政治に対して意見を言うようになってくると扱い難いから理由を付けて引退させ京都に帰して、また幼少の将軍の擁立、の繰り返し。
920日本@名無史さん:2009/02/08(日) 17:27:17
>>915
正確には、鎌倉幕府における将軍にもそれなりの地位と力があった。
最も、それを発揮できないように武家ではない公家から将軍を迎え、
さらに幼児を好んで将軍に立てておいた。
摂関期の天皇が幼帝が多かったのと同じだね。
だけど、天皇に本当に力がなかったのかと言えば
摂関が弱体化すると途端に自ら政治をとる天皇が現れる。
北条家はそれを恐れて、将軍を頻繁に挿げ替え
前将軍やその家族は都に送り返して鎌倉に置かず、
また将軍の妻もわざわざ都から迎えて
将軍が武家と婚姻しないようにしていた。
921日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:11:08
>>919>>920
サンクス
922日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:01:52
>前将軍やその家族は都に送り返して鎌倉に置かず
これ、ホントか?
前将軍はともかく、
惟康女が久明室だったりしたことを考えると、
家族のほうは必ずしもそうとは言えないんじゃないの?
923日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:04:48
福田徳三は封建制の成立要件の一つに「地方支配者とそれを束ねる上位組織の
権力バランスが均衡していること」を上げるが、朝廷の存在は北条が極端な独裁に
陥らない安全装置の役割を果たしただろう。多くの国も封建制のような制度が発達
しかかった場合はあったが、多くは上位組織の力が強くなりすぎ、古典王朝的支配
に逆戻りしてしまった。



924日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:38:30
>>879
よう、恥じかきモン!
まだ自殺しないで、生き恥じ晒してんのか?
ペッ
925日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:06:51
>>922
初代摂家将軍の九条頼経は将軍位を辞した後も鎌倉にとどまったが、
実父九条道家とともに北条氏失脚を企てたとして
将軍だった息子の頼嗣とともに鎌倉を追放された。
その後、鎌倉幕府は親王将軍をいただくことになるが、
成人した将軍を廃止に追い込むと、
後継ぎ一人を残して将軍とその家族は都へ追い返していた。

親王将軍初代宗尊親王が将軍を廃されたとき、
新将軍であるわずか4歳の惟康親王だけが鎌倉に残され、
宗尊親王だけではなく、宗尊親王の妻で惟康親王生母の近衛宰子、
惟康親王の同母妹の揄子女王も一緒に都へ返された。
その子惟康親王もまた、将軍を廃されたときに
久明親王室となる娘一人を鎌倉に残して残る家族はともに都へ返された。
久明親王もまた新将軍守邦親王一人を残して都へ返され、
続く守邦親王のときに鎌倉幕府は滅亡した。
926日本@名無史さん:2009/02/15(日) 15:21:18
sage
927日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:25:57
hage
928日本@名無史さん:2009/02/21(土) 01:24:02
亀山上皇
我命を国難にかえたいと、伊勢神宮に祈願

武士なら祈願後、切腹してるね。
祈祷だけで銅像が建立される、さすが天皇だね!
929日本@名無史さん:2009/02/21(土) 01:39:29
亀山上皇
我命を国難に代えたい

亀山上皇の母
バカなこと言いなさんな。
この国が元に支配されても、あなたが無事なら、それで良いのです。

実に人間味溢れる、心温まるエピソード。
親が子を思うのは、皇族も庶民も同じだね。
天皇が陸海軍を統帥する軍国主義時代には、検閲されてたエピソード。
930日本@名無史さん:2009/02/22(日) 04:47:17
最悪板 武陽隠士 ◆UCfK2Lx59sは本が読めない。
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1235243114/
931日本@名無史さん:2009/02/22(日) 05:42:23
そんな馬鹿がいるのかw
932日本@名無史さん:2009/02/22(日) 21:56:52
>>928
銅像建てたのは後世の人がやったことだろ。
明治37年(1904年)、皇国史観をもとに建設。
文句言うなら明治政府に言え。
亀山天皇が伊勢神宮に祈ったことの何が悪い。
933日本@名無史さん:2009/02/22(日) 23:55:23
皇国史観教育は大成功日本人は史上類を見ない程、見事に洗脳された。
オウム真理教も真っ青だ〜〜
934日本@名無史さん:2009/02/25(水) 11:53:08
>>930
武陽って某中世史学者のような気がするんだが。
あるところでみたレビュー(北条氏関係の本)のしかたが、
武陽を彷彿とさせた。
935日本@名無史さん:2009/02/25(水) 21:26:14
あんな、史料もろくに読めないヤツが
研究者のはずはないだろwww
936日本@名無史さん:2009/02/25(水) 21:34:59
レス乞食のブヨーにしてみれば最早934のような名無しに徹し、
935みたく単純な香具師を釣るしか他にすることがないのではないだろうか。
937日本@名無史さん:2009/04/04(土) 01:51:33
sage
938日本@名無史さん:2009/04/11(土) 16:04:58
征韓論で下野した西郷が、私学校士族使ってクーデター起こし、明治天皇殺害命令してたら、桐野利秋ならためらわずに斬殺してたね。
北条より質悪いや。
939日本@名無史さん:2009/05/16(土) 22:14:27
そうやね
940日本@名無史さん:2009/05/21(木) 23:44:28
神代直人
徴兵制を推進、武士の特権を剥奪した大村益次郎殺害
警官に包囲され割腹自決
前屈みにならず、座したまま死んだ。激痛のあまり、爪が膝に食い込んでいた
態度でかいだけあって、根性あるわコイツ。
人斬り半次郎と勝負させたかったな。
スレチすまん
941武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/05/22(金) 00:21:29
>>936
“釣り”とかに興味ない。
>>934は私ではないよ。
942日本@名無史さん:2009/05/24(日) 13:24:49
殺人犯すも相手が平民なら不問(無礼討ち)
納税義務免除
官公庁・財閥系企業への優先採用、管理職の優先任用

七百年に及ぶ武家政権を確立させた北条氏よ、もう一度
943日本@名無史さん:2009/05/29(金) 01:36:19
質問。

北条高時の事を「北条九代」というのは、どういう数え方なのでしょうか?

得宗家に限った執権就任順であれば時政から始めて高時は8代目。あるいは、
系図の世代をたどれば、やはり8代目。

執権にならずに死去した時氏を数に含め、更に兄弟で執権になった経時と時頼
をダブルカウントすれば、やっと高時で9代目になりますが、そういう数え方をする
ものなのでしょうか?
944日本@名無史さん:2009/05/29(金) 02:00:59
そういう数え方で、
「得宗家当主 第九代」、ってことなんでは?
945日本@名無史さん:2009/05/29(金) 03:34:18
>>944
時氏のように早世して、実際は世代を一つ飛んで経時が継いだような例
でも、時氏を当主だったとみなしてカウントするのですね?
946日本@名無史さん:2009/05/29(金) 14:56:57
>943-945
兄弟での相続でも、事前に弟を兄の「猶子」にしてから相続して、
形式上は親子と同等に扱うことが多いからなあ。

血縁上は兄弟だが系図上は親子だったってことじゃないの。
947日本@名無史さん:2009/05/30(土) 03:41:00
>>945
名目上でも、あの時期に六波羅探題のトップになっているし、
次世代トップと自他共に認められる程度の活動しているわけで、充分に
「本来なら執権になってたはずの、″得宗家の一世代″」
と数えていいんじゃない?「執権にはなってない」だけで。
あとほら、天皇家でもあるじゃない?
天皇 - 皇子 - 天皇、の場合、
間の皇子に「天皇」「上皇」を追贈して、
名誉的に一世代にカウントしたりするとが、さ。
948日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:49:15
歴史上天皇・皇族、公家を殺害、朝廷を滅亡させる可能性があった三人

北条義時
高師直
織田信長
949日本@名無史さん:2009/06/05(金) 16:33:25
>>948
義時は三上皇島流しにして
師直は「もし王なくてかのうまじき道理あらば、木を以て作るか、金を以て鋳かして、
生きたる院・国王をば、何方へも流して捨て奉らばや」といったらしいけど
信長はそうしたことはないんじゃない?
950日本@名無史さん:2009/06/05(金) 17:12:18
比叡山焼き討ち。僧侶、女子供皆殺し。
足利や徳川みたいに官位欲しさに、朝廷に媚へつらうそぶりなし。
自分がNO1になるため、きっかけさへあれば、朝廷滅亡させてた可能性大。
951日本@名無史さん:2009/06/05(金) 17:45:29
>>950
>徳川みたいに官位欲しさに、朝廷に媚へつらうそぶりなし
徳川氏の方が信長よりも朝廷に対して高圧的な姿勢が多いと思うけど
(紫衣事件とか)
信長は正親町天皇に退位を促したとかがあるけど当時退位して上皇になるのは
天皇にとってもむしろ喜ばしいことだからこれで朝廷の叛意があるとはみれないし
その他には思い当たらないな
952日本@名無史さん:2009/06/05(金) 18:22:37
>>950
あまりに説得力無さ過ぎてワロタw
953日本@名無史さん:2009/06/05(金) 18:28:21
武家社会の基礎を作ったのは泰時になるのかな
954日本@名無史さん:2009/06/05(金) 18:28:23
足利、徳川も三代将軍位迄は朝廷に高圧的に臨んだが、時代が下るにつれ朝廷の伝統的権威に、すがる様になった。
955日本@名無史さん:2009/06/05(金) 21:36:07
ペリー使節応対の江戸幕府狼狽振り、優柔不断の情け無いこと。
元使応対の鎌倉幕府の毅然とした態度。

徳川氏と北条氏、格の違いだな。
956日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:42:02
>954
足利将軍で朝廷に対して高圧的だったのって誰だ?
義満? あまりそれらしい事例が思い浮かばない。
957日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:08:13
尊氏 幕府創設の為、南北朝両天皇を存分に利用
義満 恐れ多くも皇位簒奪未遂

二人とも天皇を軽くみてるの伝わってくる
958日本@名無史さん:2009/06/06(土) 01:54:13
>>955
元vs鎌倉幕府
アメリカvs鎖国幕府
前者のほうが楽そうだけどなぁ。
情報収集もできてたし。
江戸幕府に抜かりがあるとするなら、
情報収集がものすごく後手になっている事と、
責任の所在が不明瞭な点。
959日本@名無史さん:2009/06/06(土) 02:15:25
↑オランダからペリー来航を通知されているにも関わらず、何の対策も打てずに無駄に日々を過ごす。
徳川の侍は農民から年貢を強奪するしか能がない寄生虫。
960日本@名無史さん:2009/06/06(土) 07:35:44
鎌倉幕府滅亡時に、守邦親王はなにやってたのかな?
屋敷で膝抱えてガクブルしてたんかなw
鎌倉幕府の将軍って惨めだなあ
暗殺されるか、傀儡に甘んじるかの二者択一・・・
961日本@名無史さん:2009/06/06(土) 18:10:34
>>960
これ以前の親王将軍って、将軍をやめさせられると都へ送られて
都で余生を送ってるんだが、守邦親王って鎌倉幕府が滅亡しても都へ帰ってないんだよね。
鎌倉で出家して、同年、鎌倉で没している。
そっちのほうが気になるよ。
傀儡であったればこそ、都で優雅に暮し幕府に責任をとらなくてすんだはずの親王将軍が、
何故に鎌倉にとどまって鎌倉で死なねばならなかったのかね。
962日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:12:51
やっぱり消されたんだろ、足利か新田に>守邦
963日本@名無史さん:2009/06/06(土) 19:27:41
鎌倉時代は隠然たる勢力を持っていた朝廷も、室町時代は武家政権が圧倒し、武家の支援無しでは存続出来ない有名無実な存在に落ちぶれる。
964日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:02:06
>>961
>守邦親王って鎌倉幕府が滅亡しても都へ帰ってないんだよね
そうですね やはりそれ以前の親王将軍と違って鎌倉幕府の長として責任をとったんじゃないでしょうか?
傀儡ではあっても幕府の長であったわけですし
965日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:30:19
天皇を支持する奴って、劣等感の塊で、見てて情け無くなるカスが多いよね。
966日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:45:16
>962
いや、むしろ、自派以外の皇統(持明院統だけじゃなく、大覚寺統の中の対抗馬も含めて)への抑圧が強かった後醍醐天皇が帰京を認めないでどうにかしたからだろ。
公家や皇族にも厳しい人だったからな。
967日本@名無史さん:2009/06/07(日) 04:20:35
北条は滅亡したけど、都市としての鎌倉はまだ生きてたから、
なんとなくみんな暮らしを再開して、
「俺達の処遇ってこれからどうなるの?」
と思いつつ、
でも建武政権もバタバタしているうちに、
ガッカリしつつ死亡。
か、も、よ。
968日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:38:49
>>948
師直以外まったく可能性がない
969日本@名無史さん:2009/06/07(日) 11:53:17
>>966
守邦親王は、後深草院の皇子で鎌倉将軍先代の久明親王の子だから、
皇統で言えば持明院統(北朝)の傍流。

鎌倉幕府とそれに続く足利尊氏の支援を得て京を実効支配していたのは
北朝だから、どちらかというと守邦親王を帰京させなかったのは北朝内部
で権力闘争の勢力として台頭されると都合が悪かったからじゃないか?
970日本@名無史さん:2009/06/07(日) 13:09:59
正一位、従二位の官位は献金したり、五摂家なら高齢になれば普通に日常生活してるだけでも授受。

ノーベル賞に比べりゃ何の価値もない。有り難がる必要無し。
以上、師直の主張でした。
971日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:37:00
>>969
鎌倉幕府初代将軍の宗尊親王は、後深草天皇や亀山天皇の異母兄で、
後嵯峨天皇が即位後初めて生まれた男子だったということで
(後嵯峨は即位前に男子2人を作っているが、いずれも仏門に入れられてた。
後嵯峨自身が寺に入って出家する予定だったので)
特に後嵯峨天皇の生母が引き取って育てていた。
帝位につく可能性と言えばこちらの皇子のほうが高かったのに
宗尊親王は都へ返されて都で没している。
守邦親王は傍流の傍流。
天皇の孫なので本来臣籍降下になるところを(当時、王はなくなっていたので)
鎌倉幕府の恩によって親王宣下をうけたような人物だった。
都へ帰っても即位の可能性は全くなかったし、その可能性はない。
972日本@名無史さん:2009/06/07(日) 16:46:20
このスレも、見事に生き返ったな。W
悔しいか?ファビョリ。WWWWWWWWWWWWW
973日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:05:50
北条氏は、頼朝の血を引いた女に子供生ませて、源氏名乗らせて
将軍執権兼任って方法は取れなかったんかな?
974日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:36:39
>>973
北条政子が許さなかったみたいだよ。
実は、2代将軍頼家とその長男一幡が滅ぼされ、
続いて子のなかった3代将軍実朝と、頼家の二男公暁が殺された後も、
頼朝の血を引く女子は一人だけ生きていた。
有名な竹御所源鞠子で、2代将軍頼家の遺児。
頼朝の跡を継ぐ唯一の正統な孫として、祖母の北条政子が引き取っていた。
政子は、実朝の後、京から摂家将軍の九条頼経を迎えると、
竹御所を15歳年下の頼経の御台所とし、頼経13歳、竹御所28歳の時に結婚した。
5年後、竹御所は頼経の子を出産するが、男子を死産、竹御所本人も難産で死亡。
これによって頼朝の系統は女子も含めて完全に絶えてしまった。
975日本@名無史さん:2009/06/07(日) 18:20:51
馬鹿火病を挑発してるが反応が無い
大恥かいて自殺したか。
或は遠い目で放心状態。W
見てたら何か書き込めよ負け犬が!WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
976日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:23:31
義経も頼朝も割と好きだが
北条だけは嫌い
977日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:55:24
阿野全成は頼家派に殺されたが息子は生きていた
北条の血も入っているので実朝亡き後は将軍になる可能性もあるが
義時に粛正された、政子・義時の甥なのに冷酷だな
978日本@名無史さん:2009/06/08(月) 20:16:19
>>974
しまずや大友は頼朝の子孫だよ。
979日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:18:50
>>978
じゃあ俺は今上天皇の落胤
980日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:26:20
>>978
ほとんど信憑性ないがな・・・
徳川が源氏だの織田が平氏だのというのと同レベル
981日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:30:59
>>977
頼朝の弟全成の男系は途絶えたが娘は生きていたな
公家に嫁いで末に後醍醐天皇の寵妃阿野廉子を出している
阿野全成の女系である阿野廉子の夫後醍醐天皇が北条を滅ぼし
鎌倉幕府を壊し阿野全成の血を引く後村上天皇を建てた
怨念か
982日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:40:15
鎌倉幕府幕府滅亡の時、阿野家の屋敷は得宗方の武士に襲われたんだが
その後どうなったんだろね
983日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:41:28
もっといろいろな血が入ってますが?
984日本@名無史さん:2009/06/08(月) 21:46:58
>>979
そういえば、昔は一休さんみたいに、当時の貴族が書いた日記に「一休は、実は
後小松天皇の落胤」とか書いてあったくらいで後世に皇族認定されたけど、今の
世は仮に本当に落胤でも嫡出子以外は皇族として認められないから随分厳しく
なったものだよな。
985日本@名無史さん:2009/06/09(火) 03:24:20
>>984
一休さんが皇族と認められてるとは初耳だ。
986日本@名無史さん:2009/06/09(火) 03:32:03
そういうこと書くと、またブヨが出てくるよw
987日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:06:13
北条綱成って強さ的には伊達成実と同じくらいのレベル?
988日本@名無史さん:2009/06/09(火) 13:24:33
ロシア帝国・ロマノフ家の冬宮や、清朝皇帝の紫禁城と比較すると、京都御所や冷泉公家屋敷は本当にみすぼらしい。姫路城の方が豪華で壮大な王者の居城という感じ。
この国の最高権力者は武士だという証明。
989日本@名無史さん:2009/06/09(火) 14:04:26
>>988
ロマノフ王朝や清王朝も滅亡しました
滅んだ王朝の真似して嬉しいの?
990日本@名無史さん:2009/06/09(火) 19:59:35
>>985
一休寺にある一休の墓は天皇・皇族と同様に宮内庁の管轄。
現在、宮内庁が一休を後小松天皇の落胤として扱っている。
一休の墓は陵墓扱い。
991日本@名無史さん:2009/06/09(火) 20:20:48
たとえ本当に天皇の落胤としても皇族じゃないのになぜ?
ひょっとして子孫残さず死んだ一世源氏の墓とかも宮内庁に面倒見てもらってるとか?
992日本@名無史さん:2009/06/09(火) 20:59:47
>>991
臣下に下った一世源氏の墓が宮内庁管轄というのは聞いたことがない。
993日本@名無しさん:2009/06/09(火) 21:30:09
>>984
「認知されていないが、実は子」…これこそが御落胤では?
認知されるのは簡単なわけもないのは今も昔も当たり前で…

>>991
そこはよく知りませんが、一休は当時から有名すぎるほどの人物でしたし
多分に政治的な理由で絶えてしまった後小松系に対する配慮というものもあったのかと思えます。
994日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:47:13
後小松系って政治的理由で断絶したの?
称光天皇が種無しで断絶したんじゃなかったっけ
995日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:17:09
スレおかわり、ちょーだい。
996日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:27:28
<才女?>・・北条政子・・<悪女?>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1145841419/
997日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:28:16
おあずけ
998日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:28:59
それで我慢しとけ
999日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:30:00
999
1000日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:31:39
仙台
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