1 :
日本@名無史さん:
2 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 14:36:47
だから高天原だよ
3 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 19:40:21
4 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 19:57:34
>>1 今の天皇は天智系、
つまり継体(新潟出身)
天武(愛知、三重出身)から政権奪い。
現在の天皇の祖となった。
万世一系は妄想、だから系≒族
5 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:42:06
6 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:48:03
神話を具体的に語るのはいやだな、
7 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 20:48:14
高天原からきたのは積穂(鈴木)氏だと思われます。
8 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:02:47
記録によれば
倭の大王にとっての地場は、半島から関東までの領域。
この範囲は、身近な敵はいても神々しさ等ない。
なので、高天原は、満州、中原、長江、太平洋、東南アジア 中央アジア って事になる。
9 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:11:27
少なくとも古墳時代から江戸時代に至まで
日本の中心に近いとこにいた藤原
藤原の出身地は対馬。
他は
物部(鈴木)、百済の蘇我氏、桂氏
10 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:13:29
畠、畑、秦氏
11 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:16:00
八幡、常盤、熊野、氷川
12 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:22:22
困ったことに
八幡、常盤、熊野、氷川
鈴木(物部、積穂)、蘇我、桂
ほとんど半島にルーツがあるという現実
13 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:24:37
俺のルーツはアフリカ
14 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:28:31
天皇家はどのあたりで直立二足歩行をはじめたのですか?
15 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:30:13
バイカル湖周辺
16 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:41:57
継体と同族の人ってどの氏族?
17 :
2:2005/10/24(月) 22:56:09
どうでもいいことですが前スレの2と同じ中の人です
八幡ってヤーヴェだろ
どう考えてもあれだろ
旧約まで遡れるだろ
19 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 03:33:16
とりあえず、朝鮮の人に理解して欲しい事は
「経由」を知りたいんじゃなくて「ルーツ」を知りたいって事だ。
20 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 03:36:34
日本人はどこから来たの?
何故、何処から来たにこだわるの、土着民かも
よそ者は大抵男で土地の女と一緒になる。
土地に女がいれば男もいたはず
22 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 05:24:36
忌部氏(大和朝廷の祭事を司ってきた神官の一族)が、
祭事における忌部氏の不遇を天皇に直訴した 「古語拾遺」
これこそが、記紀とは違う素の天皇と臣の関係を垣間見る事ができる
本物の記録である。
そして、この「古語拾遺」の中に、なんと
堯舜の愛をもって天下うんぬん 等の文章がある。
堯舜ってのは、孔子の論語にもある中国古代の聖王の名前である。
問題なのは、大和朝廷の誕生から並びたつ忌部氏が、
堯舜をもって天下を語る事である。 中国の古典がいかに愛されていたか
また、中国の古代と自らを重ねている風でもある。
23 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 10:18:33
現天皇家(あるいは政治家)が参拝する神社を注意深く観察すれば・・・
てか、古墳の調査しかないんじゃない?
忌部氏の後裔って、確か越前の織田氏と聞いたことが。
(後に藤原北家流の鎮北大将軍?の藤原利仁の系統と称する)
25 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 11:23:13
騎馬民族説とか
ああいうバカ説も
ある種真実を隠すための
カモフラージュに思える。
本当の事を知ってる香具師はいる。
27 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 12:32:54
イスラエルにキマットル!旧約聖書は日本の事カイトル!キリストもモーセも黄色人種。旧約聖書の三種の神器は日本にある!アロンの杖のレプリカが草薙の剣、
十戒石版のレプリカがヤタ鏡(レプリカであるヤタ鏡でさえ、古代ヘブライ語(アムル語)が書いてある!)
マナの壷(前方後円墳さかさまに見よ!あれは壷!両端の突起物は壷の取手!)のレプリカがヤサカ二の勾玉。
それらを収めるアークのレプリカが御船代。(アークは伊勢神宮にある!三重県とは三つの神器が重なるという意味!古代日本の御神輿はアークそっくり!アークも神輿のように
2本棒をさしてかついだ!世界にはイエスの事をイセと言う地域もある。)
カタカナと古代ヘブライ語の偶然とは言えないほどの形状類似!日本語とヘブライ語の偶然とは言えないほどの同一性!
(セイヤー、ハッキョイノコッタ、トリイ、ワショイワッショイ、ヒイ、フウ、ミイ、ヨ、・・・、カムヤマトイワレビコ
スメラミコト(桓武天皇の正式名称)・・・。みんな古代ヘブライ語!その他あげればきりがない!)
旧5000円札の逆さ富士はシナイ山。分裂した菊の御紋の中央にあるのはフリーメーソンいわくの万物を見通す目!
新千円札。ぎこちない夏目の右目!すかしてみれば富士の亀頭と重なる夏目の右目!まさにアメリカのドル札の
ピラミッドの目!万物を見通す目!(アメリカイコールユダヤメーソン国家!)
天皇イコール古代イスラエルの王の末裔!日本の歴史!玉(天皇)と神器がらみばかり!
我々凡人の知らぬところで、世の中動きけり!神道イコール原始キリスト教!神棚は古代イスラエル
神殿!手前のしめ縄は雷雲、ギザギザの紙は雷!(旧約聖書においてヤーヴェが人間の前に現れる
時は常に雷雲と雷とともに現れたとある。)我イコール夜勤前!寝るね(zLz)。
28 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 12:54:32
たしかに、かつて黄色人種はイスラエル近辺を通過して東アジア
一帯に広がったその意味で我々はイスラエル出身
29 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 14:00:39
>>27 日本人=ユダヤ人説のdデモさんですか?
>スメラミコト(桓武天皇の正式名称)
なかなか面白い当て付けですね。
天皇家のルーツは
>>25のような感じで、
大陸から来たトルコとツングースと山東人による
複雑に入り混じった集団の一部族が真相ってこと。
┐(´〜')┌
例えば、新羅の神話はほとんど漢籍からのインスパイヤなわけで
記紀の神代も同様
32 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 16:29:49
>30
27です。夜勤前まだ眠れませむ。眠れんからカニの偽者つまみながら焼酎
と御戯れなり。たしかに日本人の何割かにはトルコの遺伝子が流れてるって
言うよね!事実でしょう。日の国日本!三日月の国トルコ!なんかあるん
やろな〜!今度こそ寝る!
33 :
白木人:2005/10/25(火) 17:52:39
日本国は倭国の別種なり。其の国、日辺に在るの故を以て、日本を以て名と為す・・・(中略)・・・。
日本旧小国、倭国の地を併せるなり
34 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 18:43:18
ここは、シンプルに考えてみよう
古墳がない時期 A
↓
古墳がある時期 B
↓
古墳がなくなった時期 C
この3つは、明らかに王の民族性に変化が生じたと考えられるが違うのか?
35 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:04:14
漏れは口酸っぱくなるほど言っているのだけど
鉄器や鏡は実用品なので物のみが移動するが
古墳みたいな文化・宗教は人と一緒に移動する。
36 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:07:49
>>34 民族性てゆうか文化が変わったんだな。
民族が変わったわけではない。
37 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:17:37
銅鐸も古墳もない時代 A
↓
古墳はなく、銅鐸の時代 B 出雲中心
↓
古墳があり、銅鐸が破棄された時代 C (倭の大王時代)
↓
古墳がなくなった時代 D 天武朝(記紀・八幡成立)
民族が変わったとしか思えん
38 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:25:16
江戸、明治の文化の変わり方に比べると
緩やかかな
39 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 20:46:04
40 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:12:43
やっぱり角餅だな。
41 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:30:07
前方後円墳はなぜあんなかたちかわからんが、
前方後方墳は出雲の角墓の特徴を引き継いだと思う。
42 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 21:40:25
始まりは出雲四隅墓だろう、これが畿内で円形の倭文化と融合して
前方後円墳になった、これが全国に広がっり関東では四隅文化
に回帰し前方後方墳に変化した。
43 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:23:11
前方後円墳は韓国南部にもあるらしいが、あれも民族が変わったのだろう。
44 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:26:29
民族が変われば言語も変わるはずだが、魏志倭人伝の倭語と奈良時代の日本
語には連続性がある。
45 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 22:32:57
民族が変われば地名も変えられると思うが、日本国内に異民族の地名の
形跡は無い(アイヌ語地名を除く)。
>>22 大和沈没の姿を書いた手記にも
晋楚の戦いからの引用がある。
中国の古典は教養であって特別な事じゃない。
47 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 02:00:41
>>46 いんや、違う。
伊部氏にとってのこの文書は、一族存亡をかけて、また
天皇家に対して、誰より天皇家の古代を知るものとして、
祭事の根拠を綴ったそう長くない書面である。
教養として引用するような間はない。
尭峻の存在を、天皇家の祭事の中で述べる事の驚異が判らんのか?
これは、黄帝の栄光をもって 等と書いてあるのと同じなんだよ。
48 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 03:38:38
しかしあれやね大陸から日本列島に人は渡って来たのに
文字が伝わるまでの時間差があるよな。
マンモス追っかけて来た頃にはまだ大陸にも文字が無かったんじゃね?
50 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 08:44:55
道路や田んぼが初めからあったわけじゃないから
渡来人が国を作ろうとしても教育にまでは手が回らなかったんだろうね
騎馬民族が田んぼを持って来るわけねえから
田んぼの渡来人の後から扶余とか高句麗が来たのか
52 :
がいやまん:2005/10/26(水) 09:40:31
馬ばかりでは飯が食えないから中国へ侵入をすると長城で撃退される。
朝鮮半島にはたいした抵抗はなく、更に列島へと伸びる。列島に入った時点で
牧畜は捨てられ、先ずは、忌部というか、第二次、第三次産業的なところから
食い込んでいったんだろう。問題は天皇になれたかどうか。漏れとしては神武の
嫡子が殺され、その後の代には大和の名前を持つのが出ているところから、これは
地元の豪族の出身ではないかなと思うんだがね。最初の頃は天皇の血統がどうの
こうのと、競馬じゃあるまいし、いえる時代でないことは歴然としているんとチャーウか。
漏れとしては農協系の天皇かなってな感じだが。
53 :
がいやまん:2005/10/26(水) 09:47:58
つまり古墳などの施主、発注者は地元の環濠集落の首長ではなかったのだろうか。
54 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 10:06:09
【皇室】「女性天皇容認」で、全会一致…皇室典範有識者会議★
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1130286940/ 828 名前:名無しさん@6周年 本日のレス 投稿日:2005/10/26(水) 02:07:50 LCa40p780
★「有識者会議」座長吉川のフソンな発言録★
「伝統と歴史は十分勉強するが、歴史はわれわれがつくっていく立場で問題を検討する」
「有識者会議は学説を戦わせる場所ではいけない」
(天皇や皇族から直接話を聞くことについて)「想定していない。たぶんない」
「最終的に国民の平均的な考えで決める」
55 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 12:47:06
2,3度ぐらい血筋が途絶えてるよ
56 :
がいやまん:2005/10/26(水) 18:34:19
岩下志摩はどう考えてもコーカソイドの血が混じっていると思う。
わかりやすくいえばウイグル人かウズベキ人のような容貌の感じ。
西域の女王って感じかな。大月氏国のように。
58 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:39:52
万里の長城がと切れてるとこから、スイスイと騎馬民族がやってきました、
それが朝鮮北部で
59 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:40:47
日本に入ってきた渡来人はのっぺりした頭蓋を持つ北方新モンゴロイド。
しかし朝鮮半島〜満州南部は温暖な地域で新モンゴロイドになれるような
気候環境じゃないのだ。
実際、半島から出土する人骨からも朝鮮半島のもともとの土着系の種族は
古モンゴロイド系統。縄文人に近い人類集団。
そこに2500年前頃から満州方々から何種類もの北方新モンゴロイドの部族や
中央モンゴロイドの華北人などが流入してきた。
その中で初期の頃に朝鮮半島に流入した北方新モンゴロイドの部族の一つが
朝鮮半島を突き抜けてしまい、日本にまで渡ってきただけの事。
これが弥生人トリックの総て。半島人ではないのだ。
60 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 21:41:41
たぶん、地獄から来たのだろうよ
61 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:07:28
江上の騎馬民族征服説の核心は「扶余族が日本を征服して天皇になった」ということだ。
その江上説に反対する奴等の論理は実にばかばかしい。
扶余は騎馬民族である。
騎馬民族の代表はモンゴルである。
モンゴルは草原の遊牧民族である。
遊牧民族は海を恐れるから渡って来られない。
例えばこのような、かぜが吹けば桶屋式の式のまわりみちをやって、その過程で扶余族は
どこかへ行ってしまうのだ。
62 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:31:03
63 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:33:56
でも、扶余ではないだろうな。
扶余は朝鮮に定着した種族だろ。
ハプロタイプから、日本に渡ってきた種族は朝鮮に
ほとんど定着しなかった種族。
64 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 23:39:19
民族的な大移動があったのなら中国の史書に出てきていてもおかしくないのに。
三国志の時代の中国と日本では文化レベルに大きな隔たりがある
しかし少しづつ文化の流入はあったと思われる
日本人、及び天皇はどこからやってきたかというより、涵養されていったものと見るべき
もちろん朝鮮経由が多かっただろうし朝鮮の血統との交流も九州地方では盛んだっただろう
66 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 04:53:51
>>63 >日本に渡ってきた種族は朝鮮にほとんど定着しなかった種族
扶余の痕跡は金官に3世紀末に現れ、王墓は5世紀になるとなくなり、金官はその後
國として滅亡する。朝鮮に「ほとんど定着しなかった」と言えるだろう。
>>64 >民族的な大移動があったのなら中国の史書に出てきていてもおかしくないのに。
扶余が任那に来たことが考古学的に証明されるのに中国の史書にない。
中国の史書があてにならない証拠だ。だいたい、ほぼ同時代の広開土王の南鮮侵略
も、中国の史書にはない。
また、古代の征服は1000人規模で行われるから、「民族的な大移動」は
必要ない。ノルマンの英国征服や、マケドニア人のエジプト征服を考えて見よ。
67 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 10:57:09
>>65 言語の違う異民族との血縁交流などが平和的に行なわれるとは考えられない。
半島内部でさえ新羅、百済、高句麗の内部抗争があったのに朝鮮と九州という
異民族同士がどうやって平和に交流していたという妄想が生まれるのか。
68 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 11:00:22
>>65 朝鮮と九州との交流があったとすれば半島倭人と九州倭人の倭人同士
の交流があっただけだろう。
69 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 11:21:08
紀元前に白木人と和解して、妃を求めてるので、国際結婚してるかも
70 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 12:27:13
>>69 それは支配者同士の政略結婚というもので民族間の交流ではない。
71 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 13:01:48
万里の長城が途切れてる東の端の、場所からわんさか、進入した牙民俗は
付与王国をたてました。
72
73 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:51:38
任那に扶余が現れた、というとなにか宇宙人でも現れたように突飛な感じを持つ
人も多かろう。しかしそれほど不合理なことでもない。
3世紀末に扶余は鮮卑に滅ぼされて沃阻に逃げるが、翌年、晋の援助で國を回復し、
以後晋の傀儡政権となる。しかし全ての扶余が沃阻から帰還したとは限らない。
後に高句麗が唐に滅ぼされたとき、唐の傀儡政権となるのを嫌った一派が渤海を
建てたように、「独立派」が必ずいた可能性は大いにある。
そして沃阻に留まった独立派は、朝鮮半島東岸の海岸伝いに、陸路を馬で、あるいは
沿岸航路を船で、任那に到ったと考えられる。
なぜ任那を目指したか。それは任那から沃阻に至る鉄の交易路があったことから、
その源を押さえようとしたのであろう。
また、前にも書いたが、扶余と言えば草原の遊牧民族に結びつけて、そのような
民族が船で任那まで来ることはあり得ない、という考え方も多いであろう。
これもまた見当はずれである。この次は扶余と船の関係について考える。
74 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:54:37
で、今のところ最有力な説はユダヤなんだそうだが
これはどうなのよ
75 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 23:58:32
>>74 日本語はタミル語系らしいので、ユダヤとは関係無いだろう。
日本語はタミル語系関係ないだろ、北方系だよモンゴルやシベリア辺りの。
うむ。
原トルコ系に一票!
78 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 01:43:08
どうしてもユダヤであることを
隠したい奴がいるな
ユダヤなんて秦氏ぐらいでほんの一部。
日本人は世界中でもそんなに商売はうまくない。
80 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 10:58:04
>>76 北方系ならモンゴルかチュルク系しか居ないのではないか。ギリアークとか
オロチという少数民族も居るそうだが。
81 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 11:41:53
万里の長城のカバーしてない、朝鮮の東側からはいった500万の大軍の
騎馬民族の一団は、どとうのごとく
みな間に来て建国した かも
>>64 倭人の移動は、漢書とかに書いてると思われる。
そもそも倭人っていう言葉は、日本人のことではなく、
中国江南地区に住む非漢民族の総称的呼び名。
で、その倭人たちが、1世紀ごろになると
九州や南朝鮮に国を作ってそれなりに栄えている
とか書いてあったと思う。
今でも、江南地区の少数民族とか調べると、
銅鏡を太陽に見立てた太陽崇拝とか残っているし。
ルーツは中国江南地区にあると思われる。
>82
だから、中国は倭人で煽って込んだろw そこには深い戦略がある。
つまり、CIAとグルw そのためには半島と言う場所が必要。
84 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 13:05:54
倭って漢字は、 民族をあらわす言葉としては一文字で、
鮮卑や匈奴などの2文字と違い、またそれ自身が他の意味を持たない純粋な漢字である。
したがって、漢民族が「倭」とつけたころは「倭」は大陸の諸民族の一つという位置づけ
だった事が想定される。 人+稲穂+女 という語源もまた
非常によく、魏のように 鬼+稲穂+女 に比べてもよい。
日本は、その倭人の子孫が作った国とされるのが、魏のころにも丁度よく、
東の大海に倭人の国あり というのは、そこに倭を発見したのではなく、
古来から東の民とされた「倭人」だけで集まった国が東の海にありました。
という意味である。 だからこそ、初代周王の弟が呉国を立てた事にならい
刺青をしてる太夫なのである。
>>82 稲作はそのルートなのだから、江南からの流入も確かにあったのだろう。
しかし、江南からの侵入が最後かつ重要なインパクトのものなら、
日本人の遺伝子は南北で分けられねばおかしい。
実際は南北・へき地−中央部・平野部に分けられる。
86 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:43:23
ナニャドヤラ
87 :
白馬青牛:2005/10/29(土) 01:34:05
>>82 倭人が、中国江南地区に住む非漢民族の総称的呼び名とされる根拠は?
1世紀に南朝鮮で国を作り栄えたということも、わしは、馬鹿で知識が
無い故解りません。具体的な馬鹿でもわかる根拠を願いたい。
倭人に江南的要素が無いとは言いません。
しかし魏志以前の倭人の記述では『山海経』の「倭は燕に属す」
『漢書』地理志の「楽浪海中に倭人あり、分かれて百余国となる。」や
『後漢書』の「鮮卑が倭人の国を討ち、千余家を得て、魚を捕えさせ、
糧食の助けとした」というくらいで、『魏志』においては風土的考察から
倭人は南方的としておるわけです。
江南系の呉越は造船技術も優れ、海洋民族といえますが、少なくとも
日本へ移った倭人は小船主義で、造船技術も無く、直接東シナ海を渡る
技術もない。荒波の少ない黄海経由で江南、南朝へ使いを出す以外なく、
つまり倭人は海洋民族とはいえません。江南から移住した集団であれば、
もっと巨艦主義ー戦闘においても、が出て来てよいのですが、それすら
ありません。人類学的要素も、遺伝子、形質からも弥生人は江南より、
もっと北方的要素「高顔」が強い、と肯定し難い部分があります。
88 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 11:10:13
「江南系」そのものがもともと江南に住んでいたのではなく、漢人が北方異民族に押されて
南方へ移動したのに押されてさらに南部へ移動したのではないか?
その移動が起こる以前に、セッコウ省あたりから、朝鮮半島を経て、あるいは直接に、日本
列島に流れ着いたのではないか?
その程度の移動ならば、海流の方向でもあり、大した造船技術を必要としない。
航海技術は時代の要求で変わる。例えば遣唐使がみずからの大型船よりも新羅の小型船を
頼りにした事実がある。
89 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 13:51:30
で、シナチクはいつまで弥生人のふりをしているつもりなの?w
例えば、日本人には10パーセントと高率に見られるハプロタイプは、
朝鮮半島に行くと二、三パーセント、中国大陸の北のほうでは1パーセント
程度しかないんですが、モンゴル共和国に行くと5パーセントに跳ね上がる
んです。そうすると日本人に最も多いハプロタイプはモンゴルから来た
らしいと分かるわけですよ。
http://www.interq.or.jp/dog/macendo/book009.htm 中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
中国大陸の北のほうでは1パーセント程度しかないんですが
90 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 14:09:18
天皇家って何処から来た?
世界の多くの学者達の共通見解として言われている事は一つ、アフリカ起源
であることだけはかわらないと・・・。
91 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 15:57:00
江南地方ほど、中国の歴史で変革の激しい土地はない。
1・古代長江文明は、中原の周の文明に滅ぼされている 呉越誕生
2・呉越は、春秋戦国時代に、滅ぼされている。
3・そこもまた、最後秦帝に滅ぼされている中央政権型で支配されてる
4・そして漢帝が、劉氏血族のみを地方権者とする封建制型で支配変えをおこなわれている
5・後漢で、呉の孫家が支配
6・中原が鮮卑に支配され、中原の漢民族が民族大移動(南朝) 人口2倍に
7・とうとう鮮卑に支配され隋に
8・唐から元にかけて、突如人口が数倍増に(鮮卑系や南方民族の流入)
など、10世紀まででても激動の政変の場所である。
その都度、落武者王族は船団を率いて、大海に乗り出すしかないわけだ。
92 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 16:02:50
また変態妄想やらかす台湾人が湧いてきた。
93 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 19:57:18
天皇家の起源と日本人の起源は違う。
遺伝子では答えは出ない。
94 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 21:09:36
天皇家って何処から来た?
世界の多くの学者達の共通見解として言われている事は一つ、ヘブライ起源
であることだけはかわらないと・・・。
95 :
白馬青牛:2005/10/29(土) 23:36:01
>>88 浙江省から直接東シナ海の荒波を踏破出来たんですか?遣唐使船でも
苦労したのに。以前は朝鮮半島西岸から黄海を横断し中国東岸を南下で
しょう。江南〜山東〜朝鮮半島の黄海経由なら解るが。新羅の小型船?
初耳ですが小型船で東シナ海を横断出来るんですか?その程度の移動や
造船技術を必要としないと決め付けておられますが、季節風の影響は
どうですか?まず東シナ海を横断し易い季節とは?
船文化に詳しい方でしょうから質問しますが『後漢書』の「岑彭伝」に
ある突冐・楼船について詳しく説明していただきたい。日本の船文化に
その様なものがありましたか?
>>91 荒川秀俊氏は「日本漂流漂着史料」にて、中国江南からことに南九州に
漂着する例は多くみられるとして、大林太良氏は、隼人の民俗文化の
浙江省以南の影響もあるとされておられますが、船団を率いて、大海に
乗り出すとしても、東より南であれば納得出来るのですが・・・。
96 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 23:43:43
>>90 いや、どうだろう。天皇家の特有の容姿からするとロブストゥス猿類からの
進化かも・・・
>>94 ヘブライ起源ならシナントロプス系かも。
日本はツングース系っていうレスが散見されるが
高句麗もツングース系じゃねえか
98 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 04:35:47
東シナ海横断が何だって?
太平洋を横断したアメリカインディアン
99 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 05:58:59
>>20 カザフスタン>北方ロシアだろ>樺太・・・
DNA調べると多くの日本人は半島の血がないですってNHKでやっていたし本も出ているよ(NHK出版だっけ?)
で、アテルイとかに近代では行き着いて西のほう(卑弥呼系)と交わっていく・・・このあたりはスカパーのナショナルジオグラフィックの
番組でやっている。
ワシントンは顔がケルトっぽいけど6000年前はベイルートの方のDNA(Tなんとか遺伝子)だとか、
気候風土で白人になったり黒人になったりするから現在の顔をみてもどこの人かはわからないって科学的に立証されている。
100 :
。:2005/10/30(日) 06:26:25
熊沢天皇。
101 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 10:43:46
ツングースの名門である、付与王国の子孫は
103 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 11:58:59
>>99 インド人は黒いが容貌は白人と変わらない。アーリア人の歴史や言語
からも白人の一種と分かっているが、アフリカ黒人とは異人種だろう。
インド南方のドラヴィダ族とも異なる。同じ気候風土でも異なるのだ。
日本と中国、朝鮮とも歴史以前から言語が違うので民族の起源が違う
ことは明らかだ。
104 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 17:05:49
>>103 ペルーの人々と縄文人は遺伝的に近いしね。
105 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 19:41:41
日本人種は遺伝的に大きく2つの特徴を備えた明確な人種で、
大きく2つの人種の混血だと考えられる。
一つは、少数民族を除いて、アジアで唯一YAP+遺伝子を高頻度(平均約45%)
に持つ人種である事。
もう一つは、HLAハプロタイプのB52-DR15を高頻度(平均約9%)に持つ人種で
ある事。
YAP+遺伝子はアイヌで88%と縄文系に更に高頻度である事が明らか。
B52-DR15は西日本で12〜13%と弥生系に更に高頻度である事が明らか。
皇族にYAP+遺伝子の頻度が高ければ縄文系に由来、
B52-DR15の頻度が高ければ弥生系に由来。
106 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:22:46
実際には天皇家は南九州出身の縄文系だが
畿内に進出して以降は弥生系からだいぶ嫁をもらっているからなあ
107 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 20:59:52
>>106 任那って日本府でしょ。
それいうと朝鮮人が怒るけど。
ところで、朝鮮人ってどこから来たの?
ベトナム系だっけ?
108 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 21:10:26
ただの公家
109 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:14:04
だから遼東半島の公孫氏の姻族、阿毎氏だって。
110 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:17:16
遼東のシナ人種はほとんど二重まぶた。
もっとずっと北方。
111 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:58:15
あごとしと違って発音があまじゃあないの
112 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 02:06:24
>>110 骨格、外見(肌の色髪の毛)などからは出生(ルーツの)判定は絶対に無理って
ロシア、アメリカ、ヨーロッパ学派いっていますよん。
ソース ナショナルジオグラフィック TV
>>107 現代朝鮮人は高麗人とモンゴル人の混血
高麗人の王族は漢人の子孫
115 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 08:30:13
公孫氏はどこから出てきたの、系統がね
116 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 08:33:26
秦氏=ユダヤ系と天皇家の関わりが胆だな
117 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 10:56:52
>>95 >浙江省から直接東シナ海の荒波を踏破出来たんですか?
今でも浙江省の漁民が難破すると九州に流れ着くという。ちょっと
沖に出れば潮流で流されてしまう。遣唐使とは潮流の方向が逆。
>新羅の小型船? 初耳ですが小型船で東シナ海を横断出来るんですか?
遣唐使の大型船はたいてい帰るまでに壊れた。そうすると新羅の船を
雇って、1隻分の積み荷を新羅船3隻くらいに分載して帰るのだ。
そのころは新羅の高揚期で、新羅船ははるか長江河口までを股にかけて
いた。
私の言いたいのは、造船/航海技術は民族性と言うよりも時代の要求
であるということ。日本人だって、江戸時代末期には沿岸航路だけの
情けない状態になったが、その最初期には自製の大型船で太平洋横断を
やったではないか。
>船団を率いて、大海に 乗り出すとしても、東より南であれば納得出来る
>のですが・・・。
その「南」の民族が、すでにして北から移住してきた民族であり、今問題に
している時代はその移住前の時代である、ということだ。
中国の南方少数民族の、稲作、発酵食品、鳥居、歌垣など、日本と共通する
文化は決して否定できない。そしてそれらは、彼等がもっと北に住んでいた
ときからすでに持っていたもの、というのがこの共通性への説明だ。
118 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 12:33:52
上の句と下の句のこと
119 :
3 ◆XVUp.wHBSo :2005/10/31(月) 12:42:10
120 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 17:06:36
日本人は東南アジア各地に日本人町を作るほど進出していたが、他国の船で渡航
していたのだろうか?御朱印船とか勘合貿易は大型船ではなかったか?
121 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:25:22
>>120 もちろん自前の大型船だ。その最後にして最大のものがローマ法王への使節団を
メキシコで出迎えるために太平洋を往復横断した船。
ソウルで仁徳天皇陵よりデカイ前方後円墳が発見されました。
123 :
白馬青牛:2005/10/31(月) 23:58:24
>>117 >95の『後漢書』の質問には答えておられないが、それは省くとして、
東シナ海を通り日本へ帰るにも新羅船のお情けにすがった訳です。
大型船・小型船では概念があいまいなので、新羅船は中型船としても
よいとして、航海技術も日本では、遣唐使船では時代の要求に対応
出来なかったともいえます。太平洋横断は17世紀と時代が下がって
ますね。田中勝助や支倉常長のことでしょう。1606年にペルーの
リマには、日本人もおったらしいが、中国人の方が多かったようですね。
その日本人が自らの意思で行ったのか、奴隷として売られたのかは
解りません。
上海あたりは東シナ海流から北から南へ流れております。江南から九州
でも、ことに南九州に漂着する例が多いのも、直接より南下の末、稀に
北上ともいえます。稲作・モチゴメ・馴れずしの様な発酵食品等は、
その通りで、我々の食文化を豊かにしました。鳥居については北方アジア
も考慮する必要があるでしょう。
124 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 00:18:36
>>新羅船
って後漢時代に新羅という国があったのかよ。
125 :
白馬青牛:2005/11/01(火) 00:40:42
そういえば東シナ海流は、有名な阿倍仲麻呂を乗せた遣唐使船が難破し、
安南(ベトナム)へ漂着したこともありました。
>>120 朱印船もありますが、他国の船で渡航した人もあるでしょう。
制海権は、東シナ海では明に握られ、東南アジアではポルトガルにあった
わけです。
ポルトガルの奴隷交易で売り飛ばされ、明治期の「唐行きさん」や
「娘子(ろうし)軍」の様におそらく同胞の日本人に拉致されて
東南アジアへ売られ、当時は男でも戦場捕虜となり、売り飛ばされて
日本人傭兵(軍人奴隷)となったことも考えられます。
山田長政も自発的に行ったのか、奴隷として売られたのか定かでは
ありません。何れにせよ、東南アジアへ移住した華僑は現地で今でも
経済力をもっておりますが、日本人町は潰れ、朝鮮出兵で、ポルトガル人
へ売り飛ばした朝鮮人もどうなったか解らんのです。
126 :
白馬青牛:2005/11/01(火) 00:46:12
>>124 新羅船は、遣唐使時代のことで、
『後漢書』のことは>95を読まれよ。
127 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 02:24:02
宇宙からきたと『日本書紀』に書いてある。たぶんマジ話。
128 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 09:37:26
>>121 渤海使が日本海を渡ってきたが、船が老朽化したので日本が新造船を作って
送り返したというような話を読んだことがある。
日本海を渡るくらいなら小型船ではなく渤海使を数人乗りの小型ボートで送り
返すとは思えないので遣唐使船と同じようなものだったのだろう。
129 :
白木人:2005/11/01(火) 12:19:13
白木が最強の唐と友人なので、いい船が作れた、が日本は単独で作ってたので、
いいにくいが よく壊れた かも
130 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 17:47:03
>>123 遣唐使はたいした「時代の要求」ではなかった。命令するほうもお役所仕事なら、
受ける方もなんとか理由をつけて逃げ回っていた。要するにはじめから腰が
引けた官僚主義の所産だった。
それに対して新羅は民間の活力だった。この時代の新羅の海運は、済州島に
巣くった半海賊半商人が後から新羅王朝の後援を取り付けたものだ。
だからその技術は南鮮の土着倭人から受け継いだものとも言える。
唐は、東シナ海は新羅、南海はイスラムの商人に海運をまかせて、じぶんは
内陸の河川の水運を官船で受け持っただけだった。
なにしろ朝貢貿易以外の貿易は存在しない建て前だったからね。
131 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 18:04:49
>>129 日本は渤海と友人なので、遣渤海船も作っていたようだが、渤海まで
は辿りつく程度の大型船は作れたのだろう。それがよく壊れたという話は
読んだことがない。
132 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 19:42:30
実在したと確実に言える最古の天皇は誰ですか?
神武が架空なのは想像つくけど
応神・仁徳天皇父子。
134 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 20:30:50
応神と仁徳は同一人物だという説もある。
135 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:01:54
シュメル→スメル→スメラ
スメラミコト→シュメルのミコト
天皇家は世界最古の文明シュメルの生き残り。
無理やりヘブライと結びつけなくても・・・
137 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:28:51
天武以前は創作天皇 考えてみろよ 古事記は口承が稗田あれで
太安万侶が漢字で書いただけだろう
口承で伝えるには覚えやすい名前、ストーリーでなくちゃ、次に伝わらない
だもんで、各地の伝承をつぎはぎして覚えやすい人名、ストーリーを作った
だから、各地の伝承や口承を仮託したのが天皇名 覚えやすいからだ
だから実在とかいう問題ではなく、言ってみれば暗号名みたいなものだ
138 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 21:38:04
シュメル語→タミル語→二ホン語
139 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:28:06
>>131 遣唐使の大型船がどのくらいよく壊れたか、最後の遣唐使である円仁の日記を見れば
よくわかるよ。(ライシャワーの解説本がある)
行くときは何回目かの船団がやっと成功するし、帰りも何隻に一隻しか帰ってこない。
船体が真二つに折れて船首だけで日本に流れ着いた船もある。
恐らく、大きな波に乗ったときに自重で折れたのだろう。
構造的欠陥があったことがうかがわれる。
140 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:28:25
じゃあ愛子さまは天武天皇の血をひいてるの?
141 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 22:39:01
アイコの本名は大室愛子
142 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 23:42:26
143 :
白馬青牛:2005/11/02(水) 01:38:34
>>130 新羅の造船技術が、倭人から受け継いだものといえるでしょうか。
日本では、新羅系の船大工猪名部や百済系船氏・津氏が技術集団です。
これは騎馬民族のスレにも書いております。
倭人とは、黄海海岸を島伝いに小船で交易する集団であると思います。
海洋民族ではなく、海岸民族。我が国に海洋の風景画が少なく、海の
文学もない。海戦も明治期以外は勝った例すら無い。日本人は山水画の
ような世界に理想郷を求めた。これも江南的文化であるのですが。
つまり江南系でも、海洋民の越文化より、内陸のタイ系の河谷文化に
親しみを持っておったのでは、ないでしょうか。
ただし、倭人の種族は、『魏志』倭人伝にあるよう黄海沿岸の山東半島
(江南的文化要素を含む)・遼寧(遼河を遡って満洲西部も含む)・
満洲と北朝鮮の境を流れる鴨緑江あたりの複合と思われます。
144 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 01:48:32
アイコに様つけるな、ボケ
145 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 02:00:01
朝鮮か中国の
>>144さん
僕ってば144さんって呼びますよ、だって日本人だから礼儀正しいの。
桓武天皇は天智系ニダ!
147 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 02:50:17
アイコはただの子供だ。過剰な敬語も敬称もいらない。
148 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 02:58:33
149 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 08:32:13
>>143 >倭人とは、黄海海岸を島伝いに小船で交易する集団であると思います。
>海洋民族ではなく、海岸民族。
そんなふうにきめつけるから、貿易商は外国の船に乗せてもらったとか、
山田長政は売られた奴隷だとか、苦しくなるのだ。
私は海洋民族うんぬんは民族性ではなく時代によって変わると思う。
遣唐使の時代は、すでに白村江以降、日本が内向きになった時代だった。
だから「時代の要求」が薄かったのだ。
あれほど中国を悩ませた倭寇はどうするのか。あれは日本人のまねをした中国人が
大部分だった、というならその手本になった日本人海賊がいたわけではないか。
朱印船もすべて自国建造だった。なにも伝統的な倭人の技術だというのではない。
朱印船は中国のジャンクや、スペイン、ポルトガルの船から学んで、多くを
取り入れていた。だからこそその最後には太平洋横断の船も造れた。
他国から学ぶのも「時代の要求」の現れである。
150 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 08:57:32
>>139 鑑真和上は日本の船で来日したのかな?何度も難破して盲目になったそうだ
が。「何度も」ということは中国製船舶もあったのではないか?
そうそう鑑真は何度も渡航に失敗して
最後は日本の船に乗せてもらって渡ってきたんだよ
152 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 10:38:44
新羅の造船技術が優れていたのなら高麗に受け継がれて倭寇に対抗できた
のではないか?倭寇は朝鮮、中国沿岸部を襲っていたらしいが、朝鮮や中国
の海賊が日本を襲った例はほとんど無い。朝鮮が国をあげて対馬を襲った
くらいだ。
これで新羅が優れていたことになるのか。東アジアで海洋民族と言えるの
は中国、朝鮮に比べたら日本の方が上だろう。まあ、倭寇の大部分は朝鮮人
だったとか、親分は中国人だったという話もあるが。
中国人が海洋へ進出したのはせいぜい、台湾、シンガポールまでだった。
153 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 16:09:01
>>152 >朝鮮や中国 の海賊が日本を襲った例はほとんど無い
中国人が日本に進出した例はある。鄭成功は五島かどこかにコロニーを築いていた
中国人武装商人の息子だ。
このころは領土の概念が希薄だからお互いに他国にコロニーを築いていた。
日本人もあぶれた武士たちが各地にコロニーを築いたし、マカオはポルトガル人が
勝手に築いたコロニーを中国が追認したものだ。
>これで新羅が優れていたことになるのか。
だから時代によって変わると言っている。遣唐使の時代の新羅は東シナ海の主人だった。
それは民間貿易を認めなかった唐の官僚主義の隙間を埋めたものだ。
だから唐の官僚制度が崩れて中国人が民間貿易に乗り出すと共に衰えた。
154 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 16:15:03
155 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 17:22:38
ユダヤ人なんかあの分厚い旧約聖書を子供のじてんで暗記させられてるんだけど。
156 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:18:09
>>153 追加。それと新羅の海外進出は、新羅が唐軍を実力で半島から追い出して、半島の統一を
なしとげた、民族の勃興期、高揚期にあたっていたことと無縁ではなかろう。
しかしこのような気風はいつまでも続くものではない。
現在の日本だって明治の気風が続いているわけではあるまい。わずか1世紀半のことだが。
157 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 19:51:45
>>156 最近は中共が民族の高揚期にあって東シナ海、南シナ海に出没する
ので迷惑だ。
少し前までは日本が高揚期にあって周辺国が迷惑だったのだが。
158 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:07:51
>>148 会ったこともない餓鬼に様付けかよ。キモイな
159 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:56:20
円周率の3.14159265・・・・・・・・という数字を1000桁くらい
覚えている香具師も数列を独自解釈してストーリーとして記憶してるだろう
ストーリーにしたから覚えられた 伝承も出来る 単なる数字の羅列では無理
同じように古代伝承はたくさんあっただろうが、覚えやすいストーリーに改変した
古事記の内容みたいなことはあっただろうが、順番とかは恐らく無茶苦茶だろう
覚えやすいように並べ替えた だから年代とか天皇名などは信頼できるものではない
いくら天才的な記憶力を稗田アレが持っていたとしてもあれだけの
分量を記憶するのは無理だろう
160 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 21:06:13
自身も三十数ヶ国語を操り東西の古典に通ずる異才であった井筒俊彦氏によれば
イスラムの学者は本がなきゃ勉強できないようじゃだめだとして
ほとんど暗記しているそうだ。
現代人は文字に頼りすぎるから記憶力が鈍ってるんだよ。
161 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 21:16:51
>>159 だからサバン症候群なんだよな>稗田
稗田自身は内容を理解してないんだよ
ただの記号の羅列としてテープレコーダーのように記憶してるんだ
って本読んだけど
162 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 21:27:30
未開人社会にも先祖を何十代にも渡って記憶している専門家がいたり、
アイヌのユーカラも相当な分量の叙事詩を一人が記憶していたのを口述筆記
したそうだ。
稗田の阿礼は仏教の求聞持法とかいう記憶術を知っていたのではないか。
163 :
3番3:2005/11/02(水) 21:32:16
神武の実在を証明することは難しいが、稲作文明が1000年も続いている社会に
土地を持たない民族が何にも戦闘の痕跡を残さず無血占領のような形で侵入
したことを立証することも不可能だろう。逆に、稲作地帯で空前の前方後円墳に
よる国家誕生には念入りな根回しがあったと考えるのが順当だ。ただ、保守的な
各地の首長に統一に向けての話し合いの機会をもたらしたのは海人族であった
とは考えられる。東夷伝などに言われるように弁辰の鉄を取るために倭国各地が
三韓に出先機関を置いていたとするとそこが談合の場所であった可能性は強い。
対馬、出雲などもこうした意味での話し合いの場としては意味があったのではなか
ろうか。国内の有力メーカーが外資系の大手と技術提携をするのに似た時代かな。
164 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 21:49:13
稗田あれは文字を知らないだろう だから文字を記憶することは
出来ない だから音を記憶した
文字の記憶なら訓練次第で相当いくだろうが、音の記憶となると
そう大量には出来ない その意味で古事記は音読しないと
意味がわからない 単に読むだけでは真意はわからない
165 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:09:07
>>164 アイヌ人や未開の土人も文字がないまま、膨大な量の記録を記憶
していたようですが。
166 :
白馬青牛:2005/11/03(木) 00:41:40
>>149 >奴隷だとか苦しくなるのだ。もしや、日本人奴隷がおらんかったとでも?
秀吉は奴隷禁止令を出さんかったという根拠は?
手本となった日本人海賊とは何ですか?
ポルトガル船から学んでとは、信長が対石山本願寺戦で困った時、
ルイス・フロイスが、献策し船の作り方まで教えて、琵琶湖で観艦式を
やって、ようやく石山本願寺を海上封鎖出来たと言うことか?
>>152 冗談で言うとるんか。笑わす為にわざと書いておるんであろうが、
貞観11年(869年)新羅の海賊船二艘が博多湾を襲って以来、
新羅船の襲来は如何に?高麗時代でも、寛仁3年(1019年)に刀伊
(女真・ツングース)の日本襲来で、高麗が帰途の女真を撃退し、
日本人男女200余人を救出し、日本へ送り帰し高麗のお情けにすがった。
長岑諸近は、拉致された母や妻子の死を高麗で確かめ、高麗に救出された
女数十名を連れて帰国しておる。
>中国が海洋へ進出したのは、せいぜい台湾、シンガポールまで?
笑いが止まらん。明は、鄭和の南海遠征で1405年から28年間に
7回にわたって大航海遠征をおこなっておるが、アラビアのメッカまで
行っておる。羅針盤も中国起源では無いんか?あんまり笑わせないように。
167 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:03:30
結局、満州北部〜北西部あたりから来たんだろ。
大シンアンリン山脈北部からフールン湖〜アルグン川にかけて。
ツングース族に近い北方新モンゴロイド。
>>166 鄭和以前と以後にマラッカ海峡を越えた記録はあるのか?
169 :
白馬青牛:2005/11/03(木) 01:32:32
>>153 笑い過ぎて、真っ当な文が書けんかったので、申し訳ない。
北九州の宗像大宮司と宋商人の通婚関係から、宗像氏実は王氏の娘を
嫁にし、その子氏忠は、張氏の娘を嫁としておる。民族間の違いは
無かったともいえる。また宋商人の協力なくしては。
それは高麗を襲った倭寇では、対馬島民だけでなく、済州島民、
朝鮮半島の「禾尺・才人」と賤視された者を含む、それは騎馬の
大集団で馬の供給地は済州島であろうと田中健夫氏や高橋公明氏は
指摘される。これも朝鮮現地民の協力なくしては出来ん。
松浦党の肥前は、騎馬民族スレの67を見れば解るが、日本より新羅側に
たつように、深い縁もあった。
倭寇を例に挙げる自体おかしい。現地民の協力無しに事は進まん。
170 :
白馬青牛:2005/11/03(木) 01:52:37
>>168 鄭和の南海遠征で、パレンバシでは、中国人、陳祖義を捕虜としたこと
から、マラッカ海峡に中国人勢力があったとも考えられる。
南海のシルクロードとされるこの地帯は、以前アラビア商人のルートでも
あった。鄭和自身もイスラム教徒の家庭に生まれた。
中国人も朝鮮人も日本人も東アジア人なら特徴で区別がつく。
あまりに推測の多い論よりDNA鑑定が今のところ最も信憑性がある。
インドあたりがヒントにならないかな。
渡来系支配者ならカーストのような差別的身分制度を作る。
アイヌ沖縄系が主だった多人種国家日本でなぜ和なのか。
172 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 02:35:05
渡来系はただの流民だったのはなく、最初から高度な頭脳と
確固とした部族意識を持った高等集団だったと思うね。
そうでないと集団で団結して海を越えてはるばる日本にまで
やって来れんだろ。
危険な渡海だよ。
それほどの高等集団にはそれをまとめ上げるそれ相応のリーダーが
必要になってくる。
渡来系か土着系か天秤にかけると、やはり渡来系に軍配があがる。
173 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 05:10:47
>>166 鄭和の艦隊は一部東アフリカまで到達したことは習ったが、中国人が海外に
領土をもって定着したのは台湾とシンガポールくらいだろうと言っている。
進出を広義にとれば華僑のいるところは全部そうだろう。東南アジアを中心にして
ほとんど世界中ということになるが、インド人やアラブ人も中国人と同程度以上の
海外進出はして来ただろう。
広州辺りにはアラブ人が居住してイスラム寺院もあったそうだから。
174 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 05:24:48
しかし、鄭和という人物はイスラム教徒の宦官だったそうで純粋の中国人
とは言いがたいな。
アフリカのザンジバル?辺りまで行ったそうだが最近、艦隊の一部が
アメリカ大陸までコロンブスより先に到達していたというトンデモ説も
あるようだ。
175 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 06:39:06
>>166 >もしや、日本人奴隷がおらんかったとでも?
秀吉は奴隷禁止令を出さんかったという根拠は?
大勢の日本人が進出すればなかには奴隷になったのもいるかもしれない。
しかしそのような想像が、山田長政が奴隷であったという根拠にはならない。
>手本となった日本人海賊とは何ですか?
中国人倭寇は、日本刀を持って裸にふんどしを締めたりしたという。
それは何を「手本」としたのか?
>ポルトガル船から学んでとは、
朱印船が、ジャンクや欧州船の構造を取り入れていた、ということだよ。
和船を大きくしただけでは太平洋横断はできないからね。
176 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 06:43:51
星に関する和語が極端に少ないことからして、
大和民族はあまり航海が得意でなかったに違いない。
177 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 09:06:34
源氏の新羅三郎のスレで 三井寺に新羅を祭るほど白木に感謝してるので、
よほど白木が優秀だったのだと
179 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 12:48:10
>>176 新羅語の星に関する語彙が豊富だったのなら例示してご教示を乞う。
180 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 13:01:35
>>175 そういえば朝鮮人倭寇も倭人の恰好をして I'm zapaneseと偽装して
いたらしい。
昔から相変わらずなんだね
182 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 17:10:26
今は皇族も民間の土着系の血統が入ってしまって本当の容貌が
分からなくなってしまっているからな。
平安絵巻の大和絵しかもう参考にならん。
昔の皇族の容貌は大和絵にある一重まぶたの引き目で低く小さい鼻だろ。
あの顔はエヴェンキにそっくりじゃないか。
北方モンゴロイドの容貌。
183 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:36:12
>>179 そんなもん知らん。
というかなんでそんな質問でてくるんだ。
日本語の星の語彙はほとんど漢語で和語のものは少ない。
航海に星見は付き物なので星の語彙が少ないのは航海が頻繁ではなかったということ。
古墳時代文化と文字の関係や、和語のみを使う和歌や祝詞の存在から言って
日本の支配層は和語ネイティブだから、航海によって来たものではない。
という土着説なんだが。
184 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 20:58:07
>>183 土着説でしたか。失礼いたしました。奈良で発見された有名な古墳
(名前失念)の玄室の天上に星座が描かれていてピョンヤン辺りの空だと
いう記事があったので高句麗は星については知識があったんでしょうね。
新羅が航海に長けた民族だったのなら高句麗のような星座の知識もあった
のだろうと思って問うてみたものです。
185 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:12:01
どちらかは必ず間違いだな。
1・三韓および倭に渡ったのは、騎馬民族である。
2・百済系・新羅系の海洋技術は、倭をより進んでいた。
騎馬民族系なら、海洋技術0
海洋技術が発達してるなら、騎馬民族ではない
結論
海洋技術が進んでいるのは、倭人か長江人かどちらかしかありえない。
騎馬民族系の南朝にだけは無理。
186 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:34:34
そもそも弥生人は渡来系でしょ。
187 :
白馬青牛:2005/11/03(木) 21:54:52
>>175 >なかには奴隷どころか、日本人奴隷(商品)は多かったのではないか。
藤木久志氏の「中世の傭兵と奴隷狩り」に詳しい。長崎・平戸は奴隷市場
であり、山田長政が奴隷であったと決め付けてはおらんが、
絶対そうではないとも言い切れまい。
>日本刀を持って裸にふんどし?「街道をゆく」2韓のくに紀行の
新羅の旅P130にも、あなたと同じようなことを司馬遼太郎氏が書いて
おるが、それは司馬氏の想像したイメージであろう。あなたは司馬厨か?
倭寇はあくまで商人であったので、倭商と考えた方が良い「市禁ずれば商、
転じて寇となる」中国での倭商(倭寇)の活動地域が朝鮮に近い
山東半島であり、陸上で「米と民衆(奴隷商品であり拉致する)の略奪」
のイメージも強かったとは思える。
朱印船は、ポルトガル船のコピーというかとか?
188 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:56:58
満州北部〜北西部あたりの大シンアンリン山脈北部周辺、
フールン湖からアルグン川あたりに居たツングース族に近い部族が
日本まで民族大移動してきた。
北方新モンゴロイドも騎馬民族だけではない。
半農半猟の民族もいただろうし、フールン湖なんかは琵琶湖の10倍近くの
大きさでほとんど海と同じ。
漁業もあっただろうし、丸木船を操る技術も当然持っていたのだろう。
189 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 21:58:56
>>185 江上説によれば日本に来たのは騎馬民族一般ではなく、具体的に扶余族だ。
では、扶余族は水に関係なかったか?
扶余族がいたのは満洲東部の松花江流域だ。遺跡は河沿いにある。
満洲と言うところは平野だと思っているだろうが、東部は山ばかり、そして平地
と言わず山と言わず、一面に密林に覆われていた。真に交通不便。
ほとんど唯一の交通路は河であった。
17世紀に康煕帝が満洲北端のロシヤ人の拠点を攻めるのに、まず松花江沿岸の
吉林に造船所を作った。ジーリンとは満洲語で造船所の意味だ。そして船ができる
と、松花江〜黒竜江と遠回りの水上輸送で、アルバジン城を攻めた。陸地は通れなかった
のだ。17世紀でもこの有様。扶余のころはなおさらだったろう。
扶余もまた広い領地を治めるのに、河川輸送に頼ったにちがいない。
慕容鮮卑に攻められて沃阻に走ったというのも、大変なように思えるが、地図で見れば
ほとんど松花江一本で行ける。
扶余は河の民であった。当時の戦力が馬に依存していたと言うのなら、馬を
船で河川輸送する術も知っていただろう。
もちろん河と海ではわけが違うが、それでも草原のモンゴルよりもはるかに海に
順応しやすかったただろう。
それに加えて、任那で支配したのは海峡を股にかけていた半島倭人であった。
扶余が日本に馬を持ってくるのは決して荒唐無稽な話ではない。
190 :
白馬青牛:2005/11/03(木) 22:12:51
>>185 >187コピーということか?と訂正。
>166、169を読め。騎馬民族系の南朝とは?
海洋技術では、日本は朝鮮より劣っておったとゆうておろうに。
倭の航海技術を具体的にいえいや。江南海洋厨さんよ。
191 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 22:18:28
江南厨の正体は台湾人。
192 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:04:19
おまえら馬鹿?
そもそも紀元前1000年スパンで考えても、
列島には大陸から様々な人種が流れついてるだろう。
そいつらは、 海で流れ着くのだから属性的に海洋系が多いと帰結される。
大洋を渡るのだから、難破するにしろ船乗りだ。
こうして集まった倭人の技術が、なんで河で船のってる扶余や、
倭に半分征服されてた建国200年の百済や新羅より劣ってるっていうんだ?
ありえないだろ。 楽浪郡や公孫系の漢族よりも、
孫氏で有名な長江周辺の漢族よりも、水軍系に発達史がないのも自明。
で、何でその接触の科学的有利差(倭と長江)を超えて、
倭に扶余やら朝鮮やらが渡り、さらに船技術が上だと
笑止千万な発想を持てるんだ?
193 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:05:10
歴史とか宗教とか全然知らないんだけど・・・
昭和天皇が亡くなった時、天皇の魂を、イスラム教っぽい人たちが
迎えに来てたよ(もちろん、普通の人には見えないんだろうけど)。
天皇家って、あっちの宗教を信仰してるんでしょ?
よく『白馬青牛』が淘汰されないもんだ。
生き残れるなんかのコツでもあるのか?
195 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:25:23
>>193 イスラム教の人の霊が迎えに来てたのが見えたって事?
イスラム教は幽霊とかそういうの認めて無いっしょ。
回教
198 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:42:20
>列島には大陸から様々な人種が流れついてるだろう
流れ着く前にほとんどは海の藻屑だがなw
逆に大陸には列島から様々な人種が流れついたのかw
それにそんなに頻繁に漂流してるのかw
それに日本に来たらもう祖国に帰らないのかw
それに無事やって来れても日本に定着できるのかw
高床式とか稲作とか、これ中国南部の特徴違うんかい。
九州は台風に遭うと洪水になる。
稲作になって水の溜まりやすい平野の生活で縦穴式に住むのは不自然。
地べたに座る習慣があったとは思えない。
のちの畳文化も南アジア系の文化の延長に見える。
この環境に即座に順応できない部族は略奪を繰り返して
生き延びたとしても最後は滅ぶように思える。
船で来るんだ、何千人も馬で来たって山だらけの日本じゃ
生き延びるのは容易じゃないだろ。一冬越せたら偉いw
200 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:53:26
uiejk
201 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 23:55:13
列島に流れ着いた異民族の漂流民はほとんど先住民に殺されたのではないか、
という疑問もある。
現に第1回渤海使は漂流して出羽国に流れ着いたが、アイヌ人に大半が殺されて
いる。
202 :
白馬青牛:2005/11/04(金) 00:07:17
>>192 漂流民は、海洋系か?それが、百済・新羅より航海技術が優れたと云う
根拠になるんか。笑わすなや。科学的有利差と云う、
抽象的言語を使いごまかす。具体的検証は無し。
ワレみたいな馬鹿は、ENJYOIkoreaで韓国人と捏造・妄想合戦でもせい。
>>194 余計な世話はやかんでええわい。
203 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:13:57
稲作関係は渡来人の前からすでにあるだろ。
最初は琉球人が絡んでいると思うがね。
渡来人は騎馬民族ではない半農半猟の満州北西部のツングース系。
朝鮮半島通過の際、独自の農耕技術を半島南部の稲作技術と
融合させた農耕技術を日本に運んできた。
204 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 00:35:50
>>199 登呂遺跡や多能遺跡の住居は竪穴式でかつ稲作をやっていたようだが。
倉庫は高床式だった。縄文人と弥生人と混在していたのではないか?
206 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:13:48
北陸の縄文人が中国産の石の装身具を持ち帰っていたらしいがな。
207 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 01:24:11
台湾人などの在日南シナ人種は自らの日本での在日理由を
正当化したがために日本の人種や歴史ルーツの南方誘致工作に
必死だが、科学的にほとんど根拠が無い。
オレは在日南シナ人種じゃない日本人。
まあいいか。
>>207 なんか、必死だなw
メリケンもあんた支持だよ。奴さんらも意味無く居座ってんじゃない。
210 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 05:13:25
>>187 山田長政が奴隷か傭兵かと言えば、それは傭兵の可能性の方が高いだろう。
戦国時代が終わって、仕事がなくなった戦争のプロ達が、一旗あげようと
南方に渡ったのだ。
当時南方に来ていた西欧人たちも、日本人傭兵のことを書き残している。
そのような人達のなかで、タイに渡ったグループの首領が、山田長政だった
のだろう。出自は別として、タイにおける長政の仕事はまさに傭兵隊長で
ある。
そして傭兵隊長がクーデターを起こして王位を簒奪することも歴史上では
多い。長政もそれを疑われて殺された。
余談だが、日本に来た扶余も、最初は傭兵として入ったのではないか。
倭人が騎馬戦術を取り入れようとしても、馬だけを持ってきてもどうしようもない。
騎馬戦術は馬の飼育、乗馬技術、武器、運用などの、一つの技術システムだからだ。
扶余はまずそのような技術を持つ戦闘集団として入っただろう。
211 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 08:30:26
>>205 竪穴式住居に入ってみたが、意外に居住性はよく外気より夏は涼しく冬は
暖かいというエアコン機能もあるらしい。
雨が困るのではないかと思っていたが、テントのようなもので天上から雨漏り
することはなく、テントの周りに溝を掘って雨水を排出する工夫もしている。
大雨の時には周りに土嚢を積んでおけば凌げただろうと思われる。
この竪穴式住居はモンゴルのパオのような簡易移動式住居(テント)だったの
ではないか。高床式建物よりはるかに簡単に作れるもので建物というよりテントの
一種だと思う。分解して持ち運びもできただろう。
土蜘蛛というのは名前から見て竪穴に住んでいた種族だろうと思う。
212 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 08:40:39
>>205 竪穴式住居に入ってみたが、意外に居住性はよく外気より夏は涼しく冬は
暖かいというエアコン機能もあるらしい。
雨が困るのではないかと思っていたが、テントのようなもので天上から雨漏り
することはなく、テントの周りに溝を掘って雨水を排出する工夫もしている。
大雨の時には周りに土嚢を積んでおけば凌げただろうと思われる。
この竪穴式住居はモンゴルのパオのような簡易移動式住居(テント)だったの
ではないか。高床式建物よりはるかに簡単に作れるもので建物というよりテントの
一種だと思う。分解して持ち運びもできただろう。
土蜘蛛というのは名前から見て竪穴に住んでいた種族だろうと思う。
213 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 08:56:23
エデンの園
214 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 08:59:42
天王星
215 :
正解:2005/11/04(金) 11:19:21
大百済
216 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 11:41:33
ところで皇紀2600年って本当なの?
217 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 11:43:26
帯方界
218 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 11:48:02
220 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 12:15:18
>>202 漂流民は、海洋系か?それが、百済・新羅より航海技術が優れたと云う
根拠になるんか?
なんだ、小学生なのか?
>>192 に精確でシンプルな根拠を記載してるだろ。
おまえの反論は、 「それが?」の繰り返しの小学生(笑)
反証できないならスレから去れ。
「日本列島に移る住む先住民」がどのように蓄積された
と考えてるんだ? 難破漂流者か船団以外に移り住む方法があるのか?
縄文人の子孫を除いて、全部それ。
221 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 12:53:30
高床式住宅(倉庫?)は中国北部でなく南部、東南アジアそのものですね。
藁葺き屋根、千木、鳥居、赤飯、雑煮、歌垣、夜這い、若者宿等の風習も
共通点が多いとか。それなら文化だけでなく人間そのものが渡来したとしか
思えませんね。南方中国人に混じってタミル人まで来たのではないか?
食べ物で北方系というと聖徳太子が醍醐とか蘇を食べミルクを飲んでいた
というような話があり、遊牧文化の名残だという説の根拠になっているよう
ですね。八角形の夢殿がパオを模したものだとか、いろんなことを言うて
おります。
222 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 16:52:47
>>221 タミルは忘れてよい。あんなものは大野晋の語呂合わせ的ヨタ学説だ。
>藁葺き屋根、千木、鳥居、赤飯、雑煮、歌垣、夜這い、若者宿等の風習も
>共通点が多いとか。
これはまったく賛成。これらをワンセットとして無視することはできない。
(あと母系家族もある)
しかし前にも書いたが、これらを持つ中国南部の少数民族が、もとから
中国南部に住んでいたとは限らない。もっと日本列島に近いところに
住んでいたかも知れない。
チベット人がもともとは中国西北部に住んでいたようにね。
越前クラゲの大発生のニュースを見てると、
漂流船が海流に運ばれた場合の軌跡と同じように見える。
動力を失った船はあのように流れつくわけでしょ。
能登半島にぶつかって海流は富山湾に流れ込む。
そこは越中。
225 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 19:20:43
任那から来たんじゃないかねえ。
>>195 まぁイスラム教なのかよくわからんけど、あっちの方みたいな
感じの人たちが、迎えに来てたのが、見えたんです。
>>196 いや、別に認めてようが認めてなかろうが、幽霊というか魂というか
念というか、そういうもんは存在するので、どうしようもないんだけど。
227 :
白馬青牛:2005/11/04(金) 22:05:52
>>220 >192のおまえら馬鹿?という罵倒から始まり、朝鮮に水軍系の
発達史がなく、さらに船技術が上だと笑止千万な発想と決めつける
あたりは、おそらく嫌韓厨の受け売りであろう。自分で調べる知能も
無い低脳と思える。よほど朝鮮、韓国人に劣等感を持っとるんじゃろう。
かわいそう過ぎるので、あえてレベルに合わせてまで突っ込まん。
しかも>「日本列島に移り住む先住民」?日本語さえ知らんらしい。
まあ、次にわしは、幼稚園児とされるんであろう。
それに、低脳児(220)は、お寝んねの時間じゃろうし。
『白馬青牛』が珍しくムキになっている件について!
229 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 22:35:37
230 :
他のスレにも書いたけど:2005/11/04(金) 22:38:37
ちょwww今刊行されてる「皇室のすべて」っていう本(トンデモじゃないマトモな本)に、
『天皇家の側近に、かくも多くのクリスチャンがいることの意味は何なのか。
気になる“傾向”ではある。』
っていう記述があるんだけど…
ふむ・・・『白馬青牛』は“カバチ”か“ガンボ”みたいな感じか・・・
>>229 “蝦夷とはなに?”で名無しながら文章の特徴でよくわかる。
いかにも広島弁丸出し。
広島って男気だとか、矢沢永吉とかのイメージがする。
あるいは暴走族とヤクザ映画。
あくまでイメージね。
234 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 22:53:03
>>227 罵倒するつもりなんてないって、
白馬青牛くんは、嫌韓厨とか低脳児とか、
およそ反駁になってないのに元気だけいいから、馬鹿にしてんだよ。
そもそもどこに、嫌韓が出てくるんだ?
俺は金官の扶余勢力が日本に影響を与えたと思ってるんだが?
ただし、 扶余勢力が海洋力を持つ等というのは笑止千万と言ってるわけだ。
海洋力は、地政学的に倭人が秀でていて当然だと
理路整然と言ってるわけだ。 長江の漢族も当然海洋力はある。
なんで、扶余や楽浪郡漢族や高句麗勢力が、大洋を渡る技術が
長江系漢族や倭人よりあるなんてアホな考えが浮かぶか聞いてるんだ。
235 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 23:06:01
>>234 江上信者だからだなw
それと広島人の先祖を騎馬民族に持って行きたいらしい。
そうか、わかったぞ!
安芸人と備後人の先祖は新羅≒満洲人だといいたいんだな?
237 :
白馬青牛:2005/11/05(土) 00:26:53
>>234 扶余は、文献に海洋的記述が無いとして、挹婁はどうか?渤海は?
誰の説か知らんが、地政学的概念も冷戦時のもので、少なくとも韓国は
1970年代においては海洋勢力になっとらんか?いまだに台湾も。
政治イデオロギーを古代に結びつけるのも笑えるが、まず渤海商人や
新羅商人の海上交易について説明せいや。北方騎馬・南方海洋と先入観で
決め付けとろう。日本の遣隋使派遣が山東経由江南であったこと、
騎馬民族スレでも書いたが、遣唐使が新羅船に頼ったこと、造船を
帰化人系に任せた事等に、具体的な反論はせず、地理的条件で
解釈出来るんか?また世界的視野で言う宇とアラビア航海民との比較は
出来るんか?ワレの論理じゃ、アラビア人は大陸か海洋か?
>>235 残念ながら江上氏は尊敬するが信者では無い。騎馬民族スレでも、
江上氏の考えに私見として疑問を呈しとる。広島人の先祖を騎馬民族に
結びつけた事があったか?四隅突出墳も北方民族で有得ても騎馬民族では
無い。ただし遊牧民や騎馬民族は好きじゃ。隷属される農耕民と違い、
支配されん自由を持っておる。しかもモラル・道徳・規範も農耕民より
高いと思える。
238 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 00:38:26
7〜9世紀の話に戻るけど、
百済があったころは朝鮮半島・遼東半島の陸沿い航路(北路航路)で安全に遣隋使・遣唐使を送っていたんだよ。
日本の船が難破するようになったのは白村江の戦いのあと新羅との関係が悪化して
南路航路や南島航路のように大津浦から五島列島を通り
大洋(東シナ海)を直接横断して揚子江の河口を目指すようになったから。
鑑真の来日も阿部仲麻呂の帰国でもそうだけど、唐の技術ですら当時は外洋を航行するのはきわめて困難。
鄭和の艦隊や14世紀倭寇など600〜800年も経てばかなり航海技術が発展してくるけどそれはこの時代には関係のない話。
船の大きさに差があるのも航路の違いから来るもの。
新羅の航路は陸沿いで補給路までの道のりも、航路自体も短かったから船が小さくてもこまめに補給ができて問題はなかったわけ。
(唐恩津→平壌→遼東沿い→ちょっと黄海を横断して→唐の青島・登州)
だけど日本の場合は大宰府か坊津を出航したら黄海の倍の距離の東シナ航路を一回の補給も無しで横断しなければならない。
現代でも航海では真水は極めて貴重。造水装置のない当時は海水から真水を造る事は不可能である以上、
初めに搭載できる量で航路距離はどうしても決まってしまい船は大型化していくんよ。
当時の二つの航行形態、新羅の小型船・内海航路と日本の大船・外洋航路とに分かれてくるのはこのような訳がある。
そして確実・安全に航行したいなら新羅の船に乗って北路航路でいくほうがいいわけ。
少なくともこの当時の技術では時には新羅船をチャーターするメリットは大いにあったんよ。
239 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 01:04:44
>>237 >隷属される農耕民と違い、
>支配されん自由を持っておる。しかもモラル・道徳・規範も農耕民より
>高いと思える。
草原の世界は弱肉強食だよ。チンギス・ハーンなんか少年のころは奴隷になってるし
略奪婚は当たり前だし、ボルテも奪われて奴隷の妻にされているでしょ?
自由なんて強いもの意外どこにもない世界だよ。
戦に負ければ男は皆殺し、家畜と女は分配。まあ、この分配はかなり平等に分配されるシステムだったらしいけど。
でも、よく働く者には怠け者と取り分が同じである事を不満に思う人もいて、資本主義的な方法で
貧富の差を作って、有能な人たちの支持を得て強くなったのがチンギス・ハーン。
240 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 01:49:31
半島南部の勢力が、海洋力をつけるとしたら、
次の2つのシーンが想定できる
1・ 倭と半島南部が自然発生的に交易している状態。
この場合は、長期に同化している 双方倭人状態である。
2・ 時代がすぎ、半島南部の勢力が非倭人となり
倭の方も、大発展した後の時代。
半島南部の百済・新羅とも、はじめは、造船力0 だろう
が倭との交易が重要なので船が発達する可能性がある。
まず、シナリオとしてこれ以外があるか聞きたい
その新羅にしろ百済にしろ、倭と交易する以外に造船の必要はあるのか?
241 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:00:43
漁労民には造船の必要はあるよ。
交易のための船なんてずっと後のことだろ。
交易よりも捕鯨とかのほうが先に行われてるぐらいだよ。
これについては日本か朝鮮か中国かなんて問題はない。
船はどこでも早くから海岸部の人類の歴史に現れている。船を持つ持たないは、
内陸部の人間であるか海岸部の人間であるかによる。
船っつってもあんた・・そりゃ
243 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:08:04
日本の古代なら丸木舟かな。
おっと、丸木舟を馬鹿にしちゃあいけないぜ。
244 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 02:26:11
まあ、俺が言いたかったのは、
新羅や百済の船は、陸伝い用の船だろって事なんだが。
まあいいや。
同じく長江の民族は海洋民族なんだから、陸伝いに
船で、半島や列島までくるんだよ。って事。
245 :
白馬青牛:2005/11/05(土) 03:35:10
>>239 略奪婚や女の分配、拉致・奴隷化は日本でも、まさに弱肉強食の世界。
草原的というより、世界的傾向であろう。イブン=ハルドゥーンの
「歴史序説」での、遊牧民と農耕民の社会学的考察について、どのように
考えておられるんか?
ウォルター・ゴールドシュミットは、農耕と牧畜いう生業で説明がつくと
して、農耕民は、ある人が土地を広げていくと、他の人がその分だけ
土地を減らすという現象が起きる。牧畜民の場合は、家畜をたくさん
持っていても疫病や旱魃が起こると無一文となるので、等質的な意識を
持つ。農耕民はよその支配者が来ても労働投資しておるので、土地を
捨てることが出来ず、支配者に対し鬱々とした気持ちを持つので呪術が
発達する(恨思想?)。
牧畜民の場合はいやであれば、他所に移ればよいので、方角が重視される。
行動規範も、人前でものを食うのは農耕民のやることであるとか、かなり
厳格な規定をもっておりモラルも高い。大雑把であるが、特徴をつかんで
おると思う。
アラビアの砂漠地帯と東アジアのステップ地帯を単純に比較出来んが、
高い道徳性は共通する。それでもツングース人は阿諛(こび・へつらい)
する者を嫌うので、モンゴル人を軽蔑おるそうじゃが、森林地帯と文明化、
階級化したステップとの社会構成の違いもあろう。
246 :
白馬青牛:2005/11/05(土) 03:59:34
>>240 前提条件に疑問を持つ。造船力も、海戦も半島より我が国は劣っておった。
いや東アジア自体、西方の海洋・造船技術に比べ。
新羅や百済も我が国だけが交易相手では無いし、新羅船の概要が定かで
ないが、ほんとうに新羅船が小型船か明らかでなく、東南アジア航路も
しかり。新羅人密貿易商の張さんに伺いたいもんじゃ。
247 :
白馬青牛:2005/11/05(土) 04:12:35
また、突っ込まれるので書いておくが、張さんとは、ごぞんじの通り、
新羅人、張宝高(弓福)のことです。
248 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 04:45:21
>>245 確かに、穀物と違い食料の保存がきかないので旅人にも気前よく分け与えるなどあるけど、食料が尽きる頻度が高く、そのたびに中国の辺境を荒らしてなかったか。いや、別に遊牧民の人を悪く言うつもりはないけど。
249 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 05:24:39
新羅船の大きさについては陳臣瞬の本に出ていた。題名は失念したが割と知られている記録を元にしていたから知られていると思った。
250 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 07:53:40
251 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 09:43:44
252 :
定ちゃん:2005/11/05(土) 10:32:00
野間ぢゃなぃデチカネェー
(`・π・)
σ σ
どの時代の話しなのかよくわからんな。
戦艦大和の時代かね?
254 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 12:49:32
>>243 古代日本には目無しカタマというポリネシアのカタマランとかいう双胴船も
あったようだ。漁業用のちゃちな小舟だが。
しかし、中国の船というとジャンク船とペーロン競争のボートくらいしか思い
浮かばないな。
西方ではノアの箱舟のような大型船が歴史の始めから出て来るのと大違いだ。
255 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 13:09:36
>>246 3段論法とまでいかなくても、せめて結論にあたる筋を述べるべきだ。
1・半島南部が倭や長江より造船力を持つ事がありえる技術的(人種的)理由
2・新羅・百済が、長江と倭以外と海洋交易をしたという根拠
3・東アジア全体で、
大洋側の漢民族と、列島の倭人の 2系統だけが
歴史的長期にわたりに、
沿岸船で物資輸送技術を発展させてきたと推測される。
この2系統以外の海洋造船技術が東洋で発達する方法があるのか?
その2系統しか海洋造船技術が発達できない理由の方を聞いてみたいもんだが。
257 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 13:50:15
>>234 >俺は金官の扶余勢力が日本に影響を与えたと思ってるんだが?
>ただし、 扶余勢力が海洋力を持つ等というのは笑止千万と言ってるわけだ。
金官の扶余は100%扶余なのではない。扶余の支配層と、狗耶韓国人の
被支配層からなるわけだ。そして狗耶韓国人は海峡の通商を業としていた
ことは魏志倭人伝に書かれている。つまり倭人のなかでも「海洋力」に秀でて
いたわけだ。
>>238 >その新羅にしろ百済にしろ、倭と交易する以外に造船の必要はあるのか?
唐の時代の新羅について答えよう。
円仁の記録を読むと、例えばその帰路は官船に乗って河を下って長江河口までは
来る。しかしそこから山東半島を経て日本に、船を乗り継いで帰るのに、もっぱら
新羅の船を探すのである。日本の民間船の記述が1回(乗り損ねた)あるが、唐の船の
記述は皆無。どうも、唐は東シナ海の海運を新羅にまかせていたのではないか。
つまり、各国の物産はおのずから朝貢で集まるという、朝貢体制の建て前の穴を、
北方の新羅船や、南方のアラブ船が埋めていたのではないか?
だから、新羅が船を作る必要は次のようになるだろう。
1)日本・朝鮮半島の物産を唐に運ぶ、あるいはその逆の、貿易船としての需要。
2)東シナ海沿岸の内部で、物資のローカル輸送を引き受けるための需要。
3)東シナ海沿岸各地にあった新羅の植民地への連絡・補給の需要。
4)東シナ海上で各国の商人の船から通行税を巻き上げるための海賊的需要。
弥生時代の話しと違ったんだ。
259 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 14:49:39
>>257 魏志倭人伝では対馬の倭人が南北に市擢していたことは書いてあるが、韓人
が市擢していたとは書いていない。
遣唐使が新羅船に頼っていたのは、単に新羅沿岸航路に精通していたのが新羅
だったという当然の結果にすぎないことだろう。自国領内を他国の船を通させず、
通行料を取る目的もあっただろう。それが航海技術や造船に優れていたというのは
誇張だ。
東シナ海沿岸各地にあった新羅の植民地とは単なる寄港地のことではないのか。
新羅人が多数定住して新羅人町を形成していたというような記録が存在するのか。
日本にそういうものがないのに中国にはあったといえるか。
もれ思うんだけどさ、太古の猿から人間になったのは
アフリカだってよく言われるじゃん、あれ違うんじゃないかな。
たまたま今見つかってる古い人間の骨がアフリカでしか
見つからないのだけで、実際は世界で同時多発的に
猿から人間になったはずだよ。
アフリカだけで見つかる理由は、地面が掘り起こされたり
汚染されたりしてないからタマタマ残ってたってだけだよ。
261 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 17:49:29
天皇家が大嫌いな奴のご先祖様
非人
アイヌ
朝鮮帰化人
中国帰化人
江戸時代にすでに苗字があったという家で系図が残っている人は
ご先祖様において天皇家になんらかの関わりがあった家がほとんどなんだよね
>>261 系図なんて江戸後期の成り上がり者でも作れる。
263 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 17:55:00
>>261 えたは?
なんか親戚らしいと聞いたんだが・・・
264 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 17:58:06
部落出身者も天皇が大嫌いなはずだ!
265 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 19:58:26
>>259 >魏志倭人伝では対馬の倭人が南北に市擢していたことは書いてあるが、韓人
が市擢していたとは書いていない。
その通りだね。私の記憶違いだった。
しかし一方で、私は「其北岸狗耶韓国」の「其」が「倭」を受けるという説を信じているわけだ。
>新羅人が多数定住して新羅人町を形成していたというような記録が存在するのか。
円仁の日記がまさにそのような記録だ。
犯罪者を追跡する唐の役人が、犯罪者が新羅人居住地域に入ると、「我々の管轄ではない」
と言って引き揚げてしまう。
ライシャワーはこれを「治外法権」という言葉で説明している。
266 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 20:11:12
>>259 >遣唐使が新羅船に頼っていたのは、単に新羅沿岸航路に精通していたのが新羅
だったという当然の結果にすぎないことだろう。
正使の船団の話ならそうとも言える。さらに言えば、遣唐使の船団が出るとき、
あらかじめ新羅に通報するのだ。これはトラブルを避けたという以上に、新羅
の(というかチャンボゴさんの)保護をあらかじめ頼んでいたのではないか。
しかし円仁の帰りの旅は話が違う。彼は一人旅であり、長江河口からまず山東半島
まで行くのに、どんな船でもよかった。
現に彼はたまたま来ていた日本の民間船に乗ろうとして、船が出てしまったために
果たさなかった。
そのようにいきあたりばったりでも、結果的に新羅船になってしまうのだ。
唐の時代の話しってえれえ新らし過ぎねえか。弥生とちゃうやん。
倭国は遠い国だから、毎年朝貢する必要はないと太宗が言って、
894年には遣唐使は廃止、日本はのびのび暮せる国になってる。
268 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 22:01:09
>>1 初代神武天皇の名前がカムヤマトイワレヒコとなっていてヤマト、イワレは
奈良県の地名だ。もともと奈良にいた地元の豪族だったのだろう。
半島や大陸渡来なら日本語では意味不明の外国名を名乗っているはずだ。
ウィキさんには、神倭伊波禮毘古命
神日本は美称。磐余は大和の地名。奈良県磯城郡桜井町・阿部村・香具山村付近
(今、奈良県桜井市中部から橿原市東南部にかけての地)で、桜井町谷には磐余山がある。
とある、
渡来説はたしか三種の神器と同じものが朝鮮半島から多く出土してる事から、
石原慎太郎あたりが言い出した。でもあれは象徴的なものでモノ自体には
そんなに価値はない。皇位継承の際に代々伝えられているもの。
装飾品が流行りの外国デザインだったような感じかな。
ウィキペディアって便利だね。
271 :
白馬青牛:2005/11/05(土) 23:07:02
>>255 前提条件を狭めておるが、呉の孫権が交易相手にまず扶南(カンボジア)
を選んだことは重要で、扶南は自国の奴隷で中国の絹や金銀と交換したと
あるよう世界史の軸線として南海航路は無視出来んし、海洋文化に
付きまとう大量奴隷売買文化も見逃せん。
1・技術的、石井謙治氏(船舶技術史)は、伊藤清司氏(中国古代史)の
「日本の船文化は、中国船文化の影響をそれほど直接的に蒙ることは
なかった」ことに同意され、「少なくとも弥生後半では九州と半島南部は
同一の技術圏にあった」といわれた。倭と長江を同一視出来まい。
人種的に、日本人が朝鮮人より長江流域に近いといえるんか?
2・新羅は北朝へ朝貢、百済も『南史』に遼西二郡を占拠し百済郡を
設置したとあるが、あくまで文献であり、密貿易を含めもっと広い範囲に
及んでおったのであろう。
3・については妄想なので、答えようがない。
「神武天皇」は762年(天平宝字6年)〜764年に淡海三船により
選ばれ追贈された漢風諡号である。それまではイワレ彦だったのかな?
アイヌ語のカムイは日本語のカミの語源あるいは共通起源の語彙で
あるとする説もあるそうだが、古代に神倭伊波禮毘古と名乗ったとして
神がカムイ的な意味を秘めていたとするなら、一神教的な神の概念とは
だいぶ違ってくる。「アイヌにとって役立ってくれる異邦人」的な意味合い
も感じられるね。
崇神
応神
継体
天武
崇神が実質初代だよな?
応神と継体は半島との関係が深いと思うのだが?
274 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 23:36:05
>>273 崇神の名前もたしか、ミマキイリヒコ・イニエという日本語なので渡来人
とは思えない。イニエというのが何のことか分からんが。
275 :
日本@名無史さん:2005/11/05(土) 23:43:31
>>270 天照大御神やスサノオ、大国主なども奉られているので存在したの
だろう。存在しなかった者を奉るだろうか?
つうか遣唐使あたりの時代にいきなり遊牧民か新羅か知らんが
天皇を名乗って日本の生き神様になったと?
オレにはヨタ話しにしか思えん。
277 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 01:07:11
>>271 ・呉の孫権→ カンボジアと海洋交易するほど、長江の海洋力は高かったんだね。
で、それは朝鮮の海洋力が相対的に低い証拠に過ぎないんだが何いいたい?
・少なくとも弥生後期まで、倭と半島南部は同じ文化圏で海洋レベル一緒。
→ それは
>>240 で既に俺が指摘してるんだが?
いいかい、孫権の時代、長江はそれだけの海洋力があり、
半島南部と倭はともに、同じレベルの海洋力しかなかった。
半島南部には、倭以上の海洋力が発生する源力などないんだよ。
生まれるとすれば、それは呉(長江)エリアの技術が、伝わってからという事になる。
なぜなら、百済は南朝との交易を現実のものとしているからだ。
その技術は後に新羅にも伝わるだろう。 これが新羅船となる可能性はある。
しかし、長江や倭以上の 海洋力が 半島に生まれるシナリオは存在しないんだよ。
蛇足だが、新羅船っていうのは船籍や地籍の事に過ぎない。
それが倭製や長江製であっても新羅の所有なら新羅船当たり前の事だ。
278 :
白馬青牛:2005/11/06(日) 03:48:16
>>277 都合のええ解釈をするのう。石井氏も長江系の造船技術が百済系技術者
によって倭へ伝えられたとされるが、あんたの、半島経由技術の倭が
半島より発達したという根拠は何処にあるんか?
>>257 石井氏によると「10〜20メートルの半溝造船で騎馬民族が馬を
輸送することも可能である」と騎馬民族説に有利な事も語られておられる。
漂流者について石井氏は「漂着先で定着しにくい。ある程度の力を持って
いなければ、奴隷か殺されるか、いずれかのケースで消えてしまう。」
弥生以降、日本列島への移住者も、まとまった集団でないと喰われて
しまう。
279 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 10:10:40
>>272 「アイヌにとって役立ってくれる異邦人」的な意味合い
さあ、そんな意味合いがあるのでしょうか?カムはトルコ語では指導者という
意味があるそうで、ヤマトのイワレの指導者という意味ではないかと思います。
このカムとアイヌ語のカムイ、モンゴル語カン、半島語カンキなどは関係がある
かも知れないと思いますが。トルコ語カムは日本語に一番近い形ですね。
>トルコ語カムは日本語に一番近い形ですね。
なぜ古代日本にトルコ語が関係するのか不明。
281 :
白木人:2005/11/06(日) 11:14:06
津の国だったが、中国のまねをして2字にするように令がでて全部2字にしました
が3文字の
282 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 11:23:26
>>280 さあ、日本語、アイヌ語が東シベリアのチュルク語系言語と関係が
あったとも考えられるのでは?トルコ語族は現在ではシベリアから西アジア
まで広がっているが、日本の古代にはまだモンゴル辺りに居たそうですし。
283 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 11:31:42
>>280 さあ、日本語、アイヌ語が東シベリアのチュルク語系言語と関係が
あったとも考えられるのでは?トルコ語族は現在ではシベリアから西アジア
まで広がっているが、日本の古代にはまだモンゴル辺りに居たそうですし。
284 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 12:36:16
ま、ま、また二重アップになってしもた。
ま、ま、また二重アップになってしもた。
286 :
3番3:2005/11/06(日) 12:59:42
昔の天皇というのは細木数子/ターキー、野際陽子/樋川キヨシのようなもので、その
系譜というのも全ては豪族社交界が決定していたのであろう。ルールがないのだから
ゴッドファーザーのようなかんじであったのか。
287 :
3番3:2005/11/06(日) 13:02:05
役を降ろされるようなどじを踏んだのも相当いたらしい。
>>日本語、アイヌ語が東シベリアのチュルク語系言語と関係が
あったとも考えられるのでは?
そのあたりは知識がないので分からないけど、
アイヌ語のカムイをウィキペディアでみると、こうあるんだよね。
語族が同じでも意味にはいくらか開きがあるでは?
まあ指導者ってことだったのかも知れないけどね。
>>アイヌの自然観・歴史観では、動植物や自然現象、炎など、あらゆるものにカムイが宿っているとされ、実際に名称でも「キムンカムイ」(山の神:熊のこと)「カムイチェプ」(神の魚:鮭のこと)のように、「 - カムイ」などのように用いられる。
アイヌの考えでは、自然界にあるもの(例えば水や樹木など)や人間の役に立つ
ものがカムイとされ、カムイは神道や他の多くの宗教の「神」とは違い、人間と
対等に並び立つ存在とされ、アイヌ(=人間)とカムイがお互いを支えあって
世界が成り立っていると考えられていて、神を神の国へ返還するも神を新しく
作るもアイヌの勝手となっていた。
289 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/06(日) 13:16:21
>>280 非常に古い時代に極東アジアに絶対的な力を持つ者をカムのような発音の言葉であらわしている部族が
いたようです。時代をへるにつれ移動し、トルコに行った者はカムというようになり、北海道にいったものは、カムイといい、
モンゴルではカンといい、朝鮮ではカンキといい、日本ではカミと言うように変化してきました。
つまりもともとこれらの人々は同じ部族だったのです。それが時代をへたり、遠く離れて交流のなくなったけっか、微妙に変化してきたわけです。
なおトルコ族はもともと中国の北方にいました。
290 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:07:42
神武が居たと言われる2600年前の日本てどんな生活してたの?
言葉とか文字とか
291 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:09:04
言葉はヘブライ語
292 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:10:08
293 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:20:43
BC4C頃だろうな。
彼が渡来人組の隊長だったんだろうな。
294 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:58:00
モンゴル語のカンは可汗kagan?だったので kam(ui)とは関係無いかも。
畿内の豪族だったんだろう。
296 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 13:36:03
安本美典氏によると「神武は天照=卑弥呼の5代目子孫」なのでAD4世紀頃の
天皇(倭王)ということではないか?
297 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/07(月) 14:20:27
天照=卑弥呼説は決してなりたたないでしょう。
安本氏の計算が正しいとしても、天照と卑弥呼は同時代であったとしかいえません。
同時代であるから同一人物とはいえないわけです。
298 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 16:02:55
アマテラスは口承の神話。 なので
中東神話の アルテミス って上の説はありえる。
299 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 16:10:43
宮内庁のみが天皇陵と情報を管理しており天照の実在を示す遺跡も在るらしい
300
301 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 17:15:55
302 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 17:44:19
天皇は日本の土人であって、ヨソから来た者ではない。
303 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 17:44:45
>>299 逆に、ばれるとまずいから
隠してるのかもよ。
宮内庁はw
304 :
シバザクラ:2005/11/07(月) 18:12:53
>>299 天照の実在を示す遺蹟ー背振山稜の唐人舞のことですか。
305 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 20:38:11
天皇家の先祖が伝承の天照大御神とすると、これもアマテラスという日本語の名前
をもつ日本人で外国人ではないということだ。
306 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 20:42:30
アマテラスはアンナ・テラスという白人女性
307 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:50:37
308 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:58:45
漢字からひらがなが生まれたわけで、縄文人と弥生人は遺伝子的に違うわけで
古代史について全く知識がないので妄想だが、漢字の発祥は日本じゃない、
ところが日本人はいきなり漢字から歴史を始めてる。
旧来の言語や文化、制度がいきなり他国のものに変わるのって、他民族による征服の可能性が強い気がする。
大陸の言語、文化を持った集団が日本に移りコミュニティを造り、それを言語で残した。
他国って概念ではなく大陸の一部に移り住んだつもりだったのかも。
それが後の天皇家かも。
309 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 00:11:04
>>308 妄想だ。学校で万葉がなってのを習わなかったか?
もともと言語はあったが、それを記録する文字が無かった。
渡来人によって、稲作などと同様に文字(漢字)がもたらされ、表意文字である漢字を表音文字として使った。
これが万葉仮名。
王仁博士が五世紀初めに論語などをもたらしたのは有名。このころから文字が広まって行ったのではないか?
310 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 00:38:13
>>308 漢字は中国から入ってきたが、日本語(和語)という言語は始めから
日本に存在したものだ。文字と言語を混同している。
そして日本語(和語)は中国語とも朝鮮語とも関係のない言語である。
漢字とともに漢語も入って来たが、それは外来語といって区別している。
311 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 03:00:55
>>310 和語ってーのは漢語を大和流に換えた物だよ。
312 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 08:31:11
漢字がはいる前から、話していたので、漢字以外のことばはあった
313 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 08:35:41
日本語は朝鮮語の劣等語いや列島語だという椰子もいれば、漢語だか支那語
だかしらんが、ま〜いろいろな説があるんだね。
だったら、学習せずとも支那語や朝鮮語聞いてて少しは理解できればいいのだが
さっぱりワカラン。
支那人に おまえ朝鮮語聞いて少しは分かるかと聞いたが、これもさっぱり
わからんとの解等ですた
314 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 08:53:46
当たり前だ
315 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 12:12:21
中国人などは北と南で同じ中国人同士でもさっぱり分からんようだ。
日本語と言っても稲作ぐらいの時期じゃ語彙も少なかったはず。
農業用語みたいなものはあったんだろうが、それは集落単位で違ってただろう。
今の日本語の元は奈良京都などの貴族が漢語を日本語風に話したものじゃないのかな。
日本の村社会を考えると、他所者は警戒して寄せつけない。
素姓の分からない者は排斥する。これ漂流民なんかに対して寛容じゃなかった
なごりのように思える。
317 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 13:29:30
>>316 万葉集の歌の中の単語は全部和語で漢語を使わないが、それだけで
数百から1000語位の和語が使われているだろう。そして万葉集の歌は天皇
から乞食までが作者として収録されているそうなので、日本が閉鎖社会だっ
たというのは根拠が無い。関東の防人の歌まで収録されている。
318 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 13:34:25
>>311 和語のうち漢字に該当する文字がないものには和製漢字を作って
訓詠みしかないものまである。日本語が先にあって該当する漢字を当てはめ
て訓読みが成立したもので、その逆ではない。
319 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 13:34:28
漢字はもとより、表意文字であって表音文字じゃないなので
大陸も日本列島も同じく、地域によって漢字を使う言語はバラバラ
北京も南京も東京も、漢字は使うが、言語はバラバラ。
どれが、元の言語という上下もない。
しかし、日本は漢民族の流入で漢字利用や天皇家が生まれた可能性も高い。
しかしである。大陸の漢民族は7世紀にほぼ完全に絶滅しており
その時代の異民族(漢化してない鮮卑)が、「漢の字」とよんでなごりが漢字である。
その時代以前に倭が漢人により建国されたなら、中国人と日本人が
どちらが漢字の宗家かといえば、実は日本人側かもしれないのだ。
320 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 13:39:42
このスレも板違いだろ
>>319
なるほどねぇ
我々が本来の漢民族である可能性も否定できないわけだな
可能性があっても低いと思う。
願望がありそう。
万葉集は7世紀後半から8世紀。
稲作が入ったのは弥生の話しだぜ。
遣隋使遣唐使の頃には、当然日本語は
洗練されていただろう。
しかし 完全に絶滅 っていうのはありえんだろうな
どの民族にでも美女はいるからそういうのはセクロス用に殺さないだろう
絶滅というか同化、センピと混淆になったってことだろう
325 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 15:17:01
>>323 魏志倭人伝の倭国の地名、人名、官職名なども和語であり漢語では
ない。これは3世紀の弥生時代の日本語だ。
326 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 15:47:53
発音を漢字にしただけで、百済も発音がクーなんとかであり、久太良も
あるし、当然白木もある、
任那・弥摩那・弥摩奈・三間名・御間名
328 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 17:40:16
なーなー言ってたんですね
329 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 18:45:28
なんで支配者層は外国語である漢語を国内に広めたんだろう。
漢字なんて覚えるのも大変だし使い難いものを国語にした意味がわからん。
330 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 19:13:05
ちゅうごくにばかにされるから
331 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 22:28:20
>>329 明治以後、日本語に欧米の外来語が普及したのと同じことだ。一々、訳して
いたら面倒でしょうがないからだろう。
翻訳不可能な単語も多かった。例・・・忠、孝、仁、義、礼、智
332 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 02:19:39
いや、実際、漢人子孫説は説得力があるんだよ
例えば、
南朝(漢帝)を倒して中国大陸至上初の統一国家 隋の皇帝に向かって、
日の沈む天子日の昇る天子・・・ って、タメ口 状況的にありえないんだよ。
だって、その100年前から200年前まで5代も続けて、
その隋が滅ぼした漢帝の臣(大将軍位)だったのが倭王。
国際情勢としてその異民族の子孫の身で、タメ口はありえない。
もしあるとしたら、自分たちが漢の正当性を持つ立場であるという自覚が
ある場合に限られる。大陸の漢人は滅んだ状況の中で、
倭に渡った漢人の勢力がプライドをもって、鮮卑国家隋に対等宣言をしたとしたら
納得がいくわけだ。
333 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 02:30:25
334 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 02:34:25
>>333 残念ながら、隋の煬帝の時代は隋は漢化してない時代なんだよ。
漢化のレベルで野蛮を計れば、当時の倭の方が余程文化レベルが高い。
あまりに低いので、唐に時代に鮮卑の文化が捨てられ
漢化が進んでいくんだよ。
335 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 11:40:49
三国志の人物達が先祖ってのも良いと思うよ。
336 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 11:57:03
太古の地球は天皇を中心とする、地上の楽園だった!
『竹内文書』の記録は宇宙の創成から始まり、地球の誕生、人類の誕生、そして天皇を中心とした世界統治や天皇による天地の祭祀の方法などが、『日本書紀』に洗脳された日本人には信じがたいスケールで展開されている。
その内容は、天皇一代ごとにまとめられているが、全体は大きく四つの時代に分けることができる。
第一期 天神七代 宇宙創成から地球降臨まで
第二期 上古二五代 スメラミコトによる地球統治、超古代文明の黄金期
第三期 ウガヤ不合七三代 スメラミコト統治の揺らぎに伴い、天変地異が頻発
第四期 神倭朝 神武天皇から今上天皇まで
337 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 11:59:32
>>332 その日没する処の天子と呼んで煬帝を怒らせた聖徳太子は突厥の
首長だっただろうという説もありますね(小林恵子)。
隋の宿敵だった突厥の首長が日本へ逃げ込んだという筋書きですが。
338 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 13:55:24
ちょうど6世紀の100年間で、
まるで南朝の都が、倭に移っていくかのようなんだよね。
突然、倭の中に漢文化が発達し、南朝朝の仏閣様式が生まれはじめ
五重塔や法隆寺といった超近代建築技法の元が日本に移動していく
そして、6世紀の終わりに大陸の漢民族の戸籍数は魏の時代の10%となり
推計500万人に減少し、南朝の陳が滅亡。
南朝は滅亡までに4度の易姓革命を行い王族の粛清が30年おきに起きている
そのつど、反政府陣営の漢族は、鮮卑の北朝にも南朝にもいる事ができない
その時代に、百済や倭が漢文化の生き写しのような状況になっていく。
339 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 15:23:22
支那や朝鮮との関係ばかりが突出してるが、日本人てそればかりじゃないだろう。
もっと、いろいろな血が混ざってることは確かでしょう
340 :
白馬青牛:2005/11/09(水) 23:36:34
中華隷属厨が多いが、服装から漢人は右衽。北方民族は左衽。
日本の古墳時代は、高松塚古墳の様に左衽であろう。高句麗のように
漢人文明の影響が強くなると右衽となる。服装からみると日本は、
さほど漢人文化の影響を受けておらん。
ただし、残念ながら日本や南詔(チベット・ビルマ系)等は朝貢国で
あったので、吐蕃(チベット)や突厥(トルコ系)、大食(アラブ)の
様な対等国ではなかったとは言えることは認めるが。
341 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:11:03
逆だろ。
支那、朝鮮、その他とはほとんど混血していなくて、
民族大移動してきた特定の北方民族と在来種が混血した
というのが遺伝学の結果。
342 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:40:04
漢民族は滅亡したので、
現在のしな人との遺伝で合わなくても問題なし。
特定の北方民族との遺伝の一致はむしろ、
半島の倭人勢力が北方に移動した名残で説明がつく
もしくは、漢民族が、北方に移動した名残かもしれない
>339
方向性はそれでいいんだよ。その大元が混血しまくてんのよw
メリケンはボランティアで居座ってんじゃないぞw
ここはやたら6世紀にこだわるなあ。
その頃だともう大移動なんてありえねえだろ。
弥生の記録のない頃ならともかく。
トンデモの世界じゃないか。
345 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:51:39
北方民族にやられて滅亡した本当の華北の漢民族はのっぺりした
一重まぶたでした。
華北の漢民族はその北方民族と入れ替わってしまい、
今の二重まぶたで彫りのあまり浅くない容貌になってしまいました。
蒙古ひだの無い人も珍しくないです。
今は否定されていますが、昔はシナ人種の祖先はコーカソイドと
まで言われていました。
すべては北方民族たちのせいなんです。
346 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 05:09:55
>>345 中国語そのものが東南アジア系言語だろう。四声があり、単音節語でタイ語
に最も近いと言われている。殷の甲骨文字も漢字なので殷人が漢民族であることは
確かだろう。
347
348 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 20:41:44
北方民族にやられて滅亡した本当の華北の漢民族はのっぺりした
一重まぶたでした。
華北の漢民族はその北方民族と入れ替わってしまい、
今の二重まぶたで彫りのあまり浅くない容貌になってしまいました。
蒙古ひだの無い人も珍しくないです。
今は否定されていますが、昔はシナ人種の祖先はコーカソイドと
まで言われていました。
すべては北方民族たちのせいなんです。
北方民族のせいで二重まぶたになり濃い顔になってしまったのです。
んなわけねー
350 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 21:14:22
全部が動いてる状態で、固定されてるとこはなし
中国でも中央アジア系はコーカソイドがいるね。
でも普通は丸顔一重のイメージだな。
で、天皇となんの関係が?
352 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:51:13
中国人はほとんどが二重だよ。
イメージと実際は違う。
中頭で面長で二重で狭鼻が華北。
短頭で丸顔で二重で広鼻が華南。
353 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:51:45
白馬青牛が沸いてから
こんな流れよ
354 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 23:58:12
俺の師匠が熱心な日ユ同祖論者だったな
なんてだったっけ?ユダヤの10の王族のうち残った2つの王族が
日本に来たとか言ってたかな
355 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:06:33
自分の事だろ
356 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:11:17
現代の高校生がひょんなことからタイムスリップして最初の天皇になった(本当)
357 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 00:23:20
いや、自分の事じゃねーし
キリストの墓とかヘブライとか、
ありゃ捏造系だね。
そこまでやるか普通。
359 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 10:26:21
中国で政変があるたびに、朝鮮半島に追放された中国人が多すぎて、万里の長城の
途切れてるとこから来た、北方移民と共同で日本に移住したので、騎馬の習性と
中国の習性を合わせて持ってたというのは、どうですか。
圧倒的な軍事力持ってりゃ、どんなセンズリしようが構わんよw
361 :
山野野衾 ◆a/lHrXCS16 :2005/11/11(金) 11:05:49
まだバカがいるようですね。
364 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 19:53:08
白豚赤顔?
>>363 sageてるから別人
あの人は常にageてる
天皇家も最初は力ずくで地位を築き上げたんだろうか
367 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:01:32
応神天皇 5世の孫が滋賀県の
369 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:07:51
神武東征=物部氏の移動だと思うがこの考えどう思うか?
370 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:13:02
>>369 書紀から見れば、物部氏は天皇家より古い。
ニギハヤヒは天孫族。
「消された王権・物部氏の謎」
372
373 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 01:30:35
全部
天武帝の時の書記官である、
東漢氏や秦氏の創作だよ。
あるいみ、自称漢帝や秦帝の子孫を名乗る
自尊心の強烈な渡来人を、従える事ができた天皇とは
何ゆえ天皇でいられるのか、不思議でならん。
375 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 02:00:30
俺もそうかなーと思ったりしたんだけど
漢帝と秦帝の子孫を他の渡来人に自称されたら、
天皇は祖先誇りようがないじゃん。
もうさ周王とか黄帝くらいしか無いんだよね
渡来人が日本の部族長を祭り上げた。
377 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 03:38:07
別に地元の親分だから、半島から命からがら渡って来た居候の渡来人相手に威張り散らす位は簡単だ。
378 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 06:10:59
福岡県福岡市の隣りの前原市では、紀元前1〜紀元にかけての時代で、
鏡・勾玉・剣の三種の神器を思わせる副葬品が発見されている。
また、日本最大の内行花紋鏡4枚も出土している。
前原市の旧名は「伊都」。地名に都がつくのは、宮崎県にある西都(九州最大の先方後円墳)のみ。
つまり、現在の天皇家の祭祀と同じ形跡で、一番古いのが九州。
近畿から鏡・勾玉・剣の副葬品が出土するのは、2世紀頃から。
379 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 10:49:54
初心者の質問ですが、桂木が白木を討伐にいって向こうで寝返って伽耶を攻めてるけども、葛城氏はなぜ滅亡してないの
380 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 16:40:35
>>374 同感。これだけ渡来系の有力な豪族がたくさんいて、なぜ天皇が渡来系ではいけないのか、
という素朴な疑問。
382 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 18:40:37
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
日本人種 = YAP+古モンゴロイド + B52-DR15系北方新モンゴロイド
384 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 21:08:25
大相撲と同じで、これからは渡来系外人が横砂だらけだけれども、昔は横図名は日本人だけだった
385 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 21:52:53
>>380 渡来系でもいいんだけど、
前方後円墳が連続しているという説明がつかないし。
>>384 実際そうだろ?
現在これだけ外国人力士が活躍してるんだから、昔の横綱も外国人だったに決まってる
昔の横綱ってw
>>386は横綱がいつ誕生したか調べてこいよ
388 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 00:23:59
今上天皇は相撲弱いだろうな
白馬青牛はどうだろう
390 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 11:12:50
いやまて、秦帝の子孫や漢帝の子孫 を侍らす
渡来系の天皇ってなんだ? 本当に渡来系ならそれを誇るだろ。
従事する部下に、秦や漢帝の子孫など 名乗らせないだろ。
同じ渡来の尺度なら、そいつらの上を行く背景を作らないといけない。
そうすると周王になるがそんな話は聞かない。
だから、天皇は渡来ではない。 しかし当時の渡来人を従える天皇の
権威は何が根底なのかは謎だ
392 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 15:26:27
>>385 明の十三陵と、清朝の陵とはよく似ている、つまり「連続している」ではないか。
393 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 17:22:21
>>390 天皇または大王が渡来系ならスメラミコトと呼ばず、コニキシとか
オラカ、カンキなどの半島語を使っているはずだ。オミ、ムラジ、オトド
なども半島語という説はきいたことがない。
394 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:37:03
>>393 スメラ、オミ、ムラジ、オトドが土着の日本語だという証明もまた、できない。
395 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:42:28
>>394 しかし半島語であるという証明もない。半島に無く日本語だけに
あれば日本語だろう。
396 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 21:56:45
神武天皇はカム・ヤマト・イワレヒコという名前だが、アイヌ語のカムイは
名前の後ろに付けるのが語頭にカムが付いている。これは語順が違うので
奇妙なことだ。
397
398 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:06:44
高天原から降臨されたと、モノの本に書いてあります。
400 :
日本@名無史さん:2005/11/14(月) 23:22:49
>>398 机の引出しから猫型ロボットが出てくるモノの本と同列
401 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 00:58:37
おいおい、渡来系=大陸 って流れでいきなり半島限定かよ(笑
402 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 09:24:29
>>401 渡来人は大陸からだけでなくポリネシア方面からもあっただろう。日本語の
発音がポリネシア語に近いのなら原住民がそうだったと思われる。
南から船に乗ってだとあんま数これなかったんじゃね?
ところで徐福が日本に来たのは昆布獲りが目的と言うのは本当かね?
404 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/11/15(火) 10:00:38
ポリネシア人の祖先は南中国にすんでいたそうです。
船により移住ですが、マダカスカル島やハワイやニュージ―ランドへの移住をみると相当数可能だった
(万はいかないが)ようにおもわれます。
405 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 10:17:54
>>395 半島語とは近代朝鮮語のことだろうが、古代に朝鮮半島にあってその後消えてしまった
と推定される言語はたくさんある。
406 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:08:56
渡来人をあごで使えるのは渡来人の中の渡来人
407 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:11:05
天皇は呉から来たんだよ。
408 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:18:43
北九州の有力者の子孫なりが日向へ天下った、で良いじゃん
これだと説明が簡潔でいいだろ。
409 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:39:10
福岡(彦山など)から宮崎北部(高千穂町など)にかけての山岳地域を
高天原の比定地とするなら、天皇の出自は北部九州ってことになるな。
410 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:16:27
天武はともかく、天智も半島系?
半島から来た天皇って、何語を喋っていたの? いまどんな形で残ってるの?
412 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:37:38
>>406 で年代は何時のころと考えてるんだ?
天孫は弥生人だ!というのなら渡来人だ!と言えないこともないが
因みに漏れは邪馬台国時以前には、天孫は侵入・定着していたと思う。
413 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:38:54
半島から渡来したとしても半島には高句麗、百済、新羅と倭人がいた多民族地域
だったので、半島倭人だった可能性もあるだろう。倭人が列島へ来たのなら渡来
ではなく同じ倭国内の移住に過ぎないことになる。
高句麗、百済、倭人が渡来したのなら半島から渡来したと仮定しても現在の
朝鮮人の先祖が渡来したことにはならない。
414 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:41:06
415 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:49:43
大陸から漢字を持ちこんでこれるだけの、文明人じゃなかったってことね。
416 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 18:50:38
継体天皇は越からやってきた(連れてこられた?)
とのことですが、この”越”というのは結局のところ
新潟県なのですか? それとも福井県なのでしょうか?
ご存知の方いらしたら教えてください。
417 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:02:23
てことは継体≒蝦夷なの? 恵比寿さん?
418 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:05:57
紀宮は2008年夏&2009年末に男子出産と予想。
419 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 19:30:57
百済
>>414 漢字は残ったが言語は残らなかったわけか。
天皇の影響力もその程度というわけですね。
421 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:14:14
義務教育なんてない時代、民衆の話し言葉をいきなり変えれやしない。
公用語が漢語、民衆と日本人同士の役人の会話は日本語。
それが混ざり今に残る言葉に変わったのかも。
422 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:21:39
紀宮の顔を見れば、あの一家の先祖がどこから着たかは一目瞭然。
423 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:23:47
>>422 その同属がロズウェルで不時着して拉致監禁されてるよ。
424 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 20:26:20
425 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 22:37:52
>>413 その半島倭人、つまり狗耶韓国は3世紀末にすでに扶余族に支配されている。
だから半島倭人が列島に移住したというのなら、それは扶余族の手下として
来たのだ。
426 :
tociguri:2005/11/15(火) 22:55:12
>>425 倭人が扶与族の支配を脱して倭人だけが本国?へ移住したとも考え
られるだろう。扶与族が倭人の本拠地?まで支配者として乗り込んで来たと
すると支配者の称号として扶与語を使うはずだろう。しかし大王の称号は
スメラミコトという倭語であり、コニキシとかオラカ、カンキ?ではない。
支配者の名前もカムヤマトイワレヒコとかミマキイリヒコ、ハツクニ
シラススメラミコトという和語で扶与語とは思えない。これが扶与語だと
すれば扶与≒日本語族≒日本人ということになるだろう。
427 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:39:23
>>425 扶余族の手下として←明確なソースキボン。
ないならそれは嘘ってことでry
428 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:44:28
そもそも渡来人がやって来たBC4Cに扶余なんてあったのか?
歴史って願望じゃないんだぜ。作るなよw
430 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 23:59:51
431 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:01:55
紀宮の顔を見れば、朝鮮より遥か北方から来た事など一目瞭然。
朝鮮人のように頬骨が出ていない。
吊り上っていない一重の細目。
>>429 古代史関連スレは
ほとんど願望ばっかw
433 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:09:18
だな、低俗な妄想が蔓延る筆頭スレといえば
どれもこれも古代史関連。
>>433 そう、通説に沿ってマジレスすると
複数のアンチに叩かれるし。
435 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:23:40
説得力があれば叩かないのはどこのスレもいっしょ
トンチンカンだから叩かれる、これって2ちゃんの法則ね。
436 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 00:27:56
天皇の秘密を握っているおいらがきましたよ〜
もまいらって単純すぎwwwwwww
437 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 05:22:59
>>428 >そもそも渡来人がやって来たBC4Cに扶余なんてあったのか?
天皇家が来たとすれば征服者として来たのだから、弥生人とともにやって来る
必要はない。
扶余は3世紀末に任那に到達した。征服がその後に起こったと考えればよい。
438 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 05:48:08
引き出物のボンボニエール、
なかなか素敵だよ。
中の金平糖も美味しかった。
>>21 血に拘るのは、他所から来た集団でしょ。
土着の民は、他所の血を入れたがる。
アメリカにしろ、ヨーロッパにしろ。侵略民族は血に拘る。
洋の東西を問わないんじゃないかな?
440 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 08:27:51
成人してからの紀宮の作り笑顔は痛々しくて気の毒だった
野に下ったことで普通のおばさんになって「ガハハッ」と
笑えるようになって欲しいですね。
北方モンゴリアンの最大の魅力は笑顔なのだから。
441 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 11:43:24
>>425 扶余よ金官の話は、前スレでずいぶん登場したが、
結論は扶余人がいた形跡(墓)はあっても、
それが金官を支配したってのはただの妄想。
442 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 11:48:32
継体帝が20年もかけて
越から都入りしたわけだが
本当は呉越の越に決まってるだろ。
記紀のころは、わからなくなってたんだよ。
で、応神帝も呉越出身であり皆、半島経由で倭に来た。
443 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 13:08:17
>>441 >結論は扶余人がいた形跡(墓)はあっても、
>それが金官を支配したってのはただの妄想。
規模や出土品から、墓が王墓であることが推定されれば、それがすなわち
「金官を支配した」ということだ。
444 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 14:11:24
なるほど
洋式便所を愛用していたお殿様は白人に違いない
と断定する程度の妄想ってことね
445 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 14:15:40
「アジアを支配した」というシナの妄想と同じレベルってことね。
446 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 14:36:08
麦茶と思って飲んでみたら実はコーラだったというくらい
ビックリしたよってことね
447 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 15:57:28
↑
あー!水10のココリコのミラクルのコントねー
それとも誤爆かな?
448 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 16:01:29
「金官を支配した」ということだ ← 万人が認める明確なソースキボン。
ないならそれは嘘ってことでry
449 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 16:30:14
>>445 文明、文物などが伝播していった経緯には
特定民族による支配権力が働いた
必然的で決定的な結果なのである
という解釈の上に、彼の妄想はあるってことね。
450 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 17:06:50
百済ニダ
451 :
シバザクラ:2005/11/16(水) 18:30:53
>>409そういえば、あの辺り一帯をアマといっていましたっけ。その北隣はカマ(嘉穂郡=嘉麻郡+穂波郡)
です。
452 :
日本@名無史さん:2005/11/16(水) 22:35:18
継体天皇は滋賀県の出身で福井に住んでたのでは、越中富山の薬売りは
453 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 17:31:05
半島を経由したことだけは確実だな。
天武みたいにそのものかどうかは知らん
454 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 22:15:36
>>448 >「金官を支配した」ということだ ← 万人が認める明確なソースキボン。
ないならそれは嘘ってことでry
金海大成洞古墳群が金官国の遺跡であり、墓は王墓であった、ということに
反対する学者はいないと言ってよい。うそだと思ったら「大成洞古墳」で
ぐぐって見たらよい。
王墓の主は当然、王だが、王は支配するから王なのだ。
つまり墓の主が「支配した」といういことに反対する人はいないのだ。
議論が分かれるのはその先で、墓が示す北方文化が北方民族による
征服か、それとも狗耶韓国人が北方文化を「受容した」、つまり
北方民族の真似をしたのか、ということである。現状でははっきり言って
征服説は少数派だ。私はもちろん征服説を信じるから、こうやって啓蒙して
いるのだが、
>>441は「扶余人がいた」ことを認めているから、あまり
啓蒙の必要もないようだけどね。
455 :
日本@名無史さん:2005/11/17(木) 23:13:27
あのね、理屈をこねても
俯瞰してその話はおかしいんだよ。
ひとつひとうの事実を都合よくつなぎとめてるだけ
事実は、扶余式の墓があった って事だけで、
それが支配の証拠と相手に説得するには、脳内変換が多数必要となるよ(笑
456 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:20:51
学校でこんな話を聞いた
日本人のなかで一番朝鮮人に近い血をもってるのが天皇家らしいよ
457 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 01:51:01
ズバリ言うわよ
百済ニダ
>>456 母親が韓国人とかそういうやつの方が上だろ。
459 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 02:02:29
ズバリ言うわよ
ニニギって筑紫の未開地に配置させられた、天出の嫡男だろ?
高天原って神話上の話だけど、漏れ的には初期ヤマト政権が天だと思うんだが。
だからで大和で良いじゃん
460 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 04:50:58
>>455 >事実は、扶余式の墓があった って事だけで、
>それが支配の証拠と相手に説得するには、脳内変換が多数必要となるよ(笑
単なる墓ではなく、王墓であることが、「支配の証拠」にはならないのかね。
それなら巨大前方後円墳だって「支配の証拠」ではない。
461 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 14:51:44
脳内変換 ってのは、悪意の言葉じゃないよ。
自分の中で都合よく繋げてる変換が、
他人の頭では実は繋がっていかないもんだって言ってるんだよ。
たとえば、王墓という表現ひとつとっても、実態は千差万別。
本家の王の墓から、 王族の親族の婿養子に入ったものの墓まである。
さらに、この地域は歴史的に倭の領域であってその地で王墓と表現されるニアンスは
何を指すのか甚だ疑問。 王墓と日本の歴史学者が指す場合は、歴史上の人物を実際にあてて
そのクラスの墓だと想定される。という意味である。 判るかな。史実の王をあてて
王墓というんだよ。金官の歴史において王墓と表現される事が誤解のもとで、
君はそのニアンスの違いをあたかも、倭王のような歴史上の支配者とみとめられた墓を
読み手に想像させて引用してるんだよ。
扶余式の埋葬された墓 が発見された
↓
扶余人が実行支配する王国領土が存在した。
まで、読者の想像力を言葉の使い方で引き上げてしまってるんだ。
462 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 15:35:01
土着と結んだ結果の支配なら、フヨの血の薄れた可能性がヒジョーに高いことも
勘案しなければならない。
そうなると、支配者扶余人とは名ばかりで実質土着人だったとも考えられる。
つまりは脳内妄想なんてもんは 都合しだいでどうにでもなるんだな。
463 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 15:51:18
邪馬台国は日本をほぼ統合し、狗奴韓国まで支配していた。
その頃、半島は中国の支配下にあり、韓諸国は統一さえされてない。
日本が馬韓・弁韓・辰韓を支配しても、その反対はあり得ない。
464 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 15:55:33
>>456 あんた、朝鮮学校の出身? それとも先生が帰化在日?
465 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 15:55:51
>>459 古事記の序文に天武天皇が
「伝えられた帝紀や本辞には、真実とは違い多くの
偽りを加えている、今その誤りを改めなければ本旨は滅びてしまう、
歴史は国家のあり方 天皇政治の基礎となるものだから、偽りを削り、
真実を定めて後世伝えようと思う」
神話が真実か?w コイツが真実を偽りに変えたんじゃないか?
466 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 16:19:21
>>465 国生みなんてのは、おそらく海女族の創世神話を取り入れたものだろう
天の岩戸も深い山々に囲まれた高千穂の峰、山岳信仰ぽさムンムン。
山や海、川を信仰の対象とし、森羅万象に神が宿ると考えた土着らの考えを
上手く取り入れ、物語化したのだろう。
467 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 16:25:28
天武とは、
かつての漢帝なき大陸の政権に対して、
日本と国号を変え、天皇と 名乗った歴史的王である。
国号と天皇号をみれば、歴史を改ざんするポイントはひとつしかない。
それは、聖なる天皇の先祖が、漢帝の臣だったという歴史であろう。
結果、 記紀では2つの違和感のある状況がある。
1・ 倭の五王の記載がない
2・ 倭の五王ににあたる倭王すべてが、天武帝の直系祖先からはずされている
*応神帝から継体帝に直結させられ、
そのため、中国史書から引用しただろう残酷な武列帝が継体帝の前に突如登場している
468 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 17:08:35
古墳の調査をクマまくシラミ潰しに入念かつ徹底的に調査するしか知るすべはないでしょ
何年後になることやら。
469 :
:2005/11/18(金) 19:52:44
>>467 同意します。
卑弥呼についてはどう思われますか?
470 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:38:40
支配層と一般国民は違う民族の場合が
471 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:43:02
征服王朝であるならば、言語や風習を残すと思うのだが、なぜ異国の言語の記録が
ない?
472 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:43:47
騎馬民族説の残骸が彷徨っておる・・・。
473 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 22:45:36
>>461 >扶余式の埋葬された墓 が発見された
↓
>扶余人が実行支配する王国領土が存在した。
まったく違う。王墓と推定されることと、それが扶余かどうかは別次元の問題だ。
◎金官の故地に一つの丘を埋め尽くす集団墓地が発見された。
◎丘の一等地、つまり稜線のところには特別に規模の大きい墓(複数)がある。
◎その墓(複数)の出土物が際だって立派である。
◎この複数の墓は金官の歴代の支配者と推定される。
◎金官の支配者を王と呼ぶならば、これは金官の王墓である。
ここまでは反対する学者はまずいないのだ。
そこでこの墓(複数)がどのような系統のものか、という問題になって:
◎墓は丸太横積みの木郭墓である。
◎殉葬を伴う。以上は満洲の扶余遺跡と共通する。
◎出土する武装、武器、馬具が北方系である。
◎満洲の扶余遺跡ともっとも良く一致する祭祀器具(青銅製の壷)が出土する。
ここまで来て、上記の「王墓」と扶余との関係が問題になる。
ある人は満洲の扶余が移動して来て征服したと見る。
他の人は狗耶韓国人が扶余の文化を受け入れたと見る。
そして前者の立場をとるならば、上記の「王墓」と結びついて、
金官に扶余系の王がいた。すなわち金官国は扶余に「支配」されていた、
ということになる。
議論はこういう順序なのだ。わかったかな。そしてこれらの議論は、どちらの立場を
とるかは別にして、いくらでもネット上に転がっている。
「金官国に支配者はいなかった」などというのは君だけだ。
474 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:14:30
そもそも渡来人がやって来たBC4C末に扶余なんてあったのか?
475 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 23:20:07
いやいや、誤魔化しなんだよ。
倭王というスケールで国って表現してる場合、
九州から北関東まで含む広大さをイメージしてるが、
金官の墓っていうのは、実に小さな領域の事を指してる
この地域に限定された話で、
ひときわ大きなという表現も誤魔化し、同時代の仁徳クラスの墓でなく、
そのエリアで一番大きな墓という話、
つまり、この地域の長というレベルの話なんだよ。
君が悪いわけではないが、このエリア程度を国と呼んでしまう事
に話の誤魔化しが生まれるんだ。
この地域の長が、扶余式の埋葬をしたからといって、それは国なのかい?
たとえば百済は馬韓の数十の国が集まって百済になった。 新羅も同じ
その小さな国の規模や王と意味と、倭王と同じかい?
しかし、君がこれを支配者 王 などと呼んでしまうと、
いろんな誤解や曲解の病巣を呼ぶんだよ。
476 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 01:58:01
百済ない→くだらない→百済に関係しないもの→くだらない
扶余人が馬韓を束ね百済成立、狗耶韓国も二の舞、倭は三の舞
ウェノムは百済と伽耶を兄のように慕っていた、これが答えだ。
いい加減そのネタ止めろよ。くだらないは酒の話だろうが。
おお?
なんか変なのが沸いてきたぞ
ここまで読んで、朝鮮起源じゃないことは確信した。
480 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 02:56:05
古今東西、島猿には調教が必要だ、同胞に扱き使われる沢山の猿ども
お前も同胞に扱き使われている?ケケ
>>476 下り物説は日本国内の流通。朝鮮は関係ない。
482 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 16:05:00
>>475 >つまり、この地域の長というレベルの話なんだよ。
呼び方は「長」でも、「王」でも、「支配者」でも、なんでもよい。
つまりはこの地域のトップであったには違いない。
トップであったということは、つまりは支配したということだ。
この論争の始まりを考えて見たらよい。
私が、「金官では扶余が倭人を支配していた」と言ったことに対して、
君が反論したのが始まりだ。
上記のように「トップであった」というのは「支配した」と同義だが、
「支配した」ということには君の言うような「國」や「王」の定義とか、
國や墓の大きさとかは全く含まれない。
483 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 16:07:30
苗字が無い慣習はモンゴルあたりの北方の慣習。
484 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:32:32
ごたくはいいから「金官では扶余が倭人を支配していた」←万人が認める証拠出せよ
485 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:40:20
まぁまぁもちつけよ
で 所 詮 は 彼 の 妄 想 っ て こ と だ ろ ?
486 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 17:51:46
百済でいいじゃん
487 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 18:36:42
呉の太白あるいは徐福が祖、どっちでもいいよ。
488 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 18:42:51
で、結局天皇はチョンなの?
489 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 18:55:36
487が台湾人で、488が朝鮮人。
外国人の善悪の一つの目安は人種血統工作をするかしないかだな。
日本人の血統工作をするような外国人はもはや日本人にとって
有害な害国人でしかない。
490 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 19:00:56
よし、わかった。
レッテル張りは、とりあえず氏んどけっと
491 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 20:26:59
>>484 >ごたくはいいから「金官では扶余が倭人を支配していた」←万人が認める証拠出せよ
別に証拠は必要ではない。
君は狗耶韓国が倭人の國であったことに、たぶん賛成しているだろう。
次に君は、狗耶韓国の後継である金官国に「扶余人」がいたことを認めた。
またその「扶余人」が地域の「長」であった、と自分で言った。
これをまとめて一言で言えば、「金官では扶余が倭人を支配していた」
となるではないか。
492 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 21:19:25
天皇家は宇宙から来たんだよ
493 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 22:47:37
>>491 えらく都合がええな、まるで
>>489みたいだな、もまえ。
複数の意見を強引につなぎ合わせたらそうなるかもよw
494 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:02:59
aが車の運転をしていて、bが助手席で本を読み、cは後部座席で爆睡していたら
aがキップ切られるほど、アホォらしいってことか?
495 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:07:18
いやまて、aが白を切りbとcがわき見、居眠りで捕まるほど、馬鹿げてるってことだな。
496 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:08:11
>>491 さんこんにちは、前スレから君の論戦の相手でありファンだけど
たぶん、君へ反論レスしてる人はたくさんいると思うよ。
同一人物だと思うとわけわからんはず。
そのうち、俺も反扶余派としてきっちりけりをつけるため参戦するよ
497 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:35:49
中国人はYAP+遺伝子が全く無く、二重まぶたがほとんどの人種。
日本人は平均で約45%がYAP+遺伝子を持ち、一重まぶたと二重まぶたが
約半々の人種。
半分の二重まぶたの日本人はその約45%のYAP+遺伝子の人たちだから、
中国人が弥生人なら日本には一重まぶたがほとんど居ないという事に
なってしまう。
さて、残り半分の一重まぶたの日本人は一体何者でしょう??
498 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 00:43:37
vipperかな?
499 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 08:25:03
501 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:20:41
>>497 一重瞼だけどチョソみたいに顔面改造で偽装しているヤシらはどうカウントするの?w
502 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:23:18
ところでジョウモングジンにあこがれるのは何故だろう?
503 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:26:10
私生活に支障をきたすからじゃね?視界狭いしwww
504 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 17:56:22
縄文美男子は世界で通用するが、
弥生美男子はアジアでしか通用しないってところか。
ハリウッドの渡辺健とアジアだけのペを考えれば分かる。
ペは弥生系じゃないが、新モンゴロイド顔。
縄文人は何と言っても野性的なところが良いんだろうな。
505 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 18:00:24
506 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 20:59:13
鹿児島県人はあきらかに縄文系の顔だ
507 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:03:14
508 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:03:36
ま、顔だけ見ると誰かは朝鮮系の顔て言うが
むしろ中央アジア系のように見える。
実際、キルギスだかカザフスタンには
日本人 は東に行った兄弟という伝承があるという。
509 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:12:28
>顔だけ見ると誰かは朝鮮系の顔て言うが
朝鮮人の半分以上の顔は皇族よりもっと濃い顔。
あれは北方人種の顔。
510 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 21:55:05
だから、宇宙から来たんだって。
511 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 22:16:19
沖縄とアイヌは毛深いので、寒い地域からきたが いまの毛の薄いのは
江南からとぎれとぎれで
512 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 22:27:54
それだと一重が居ない事になっちまうだろってーの。
513 :
日本@名無史さん:2005/11/20(日) 23:08:56
どうあがいてもこの議論はイデオロギーや民族的感情論から自由にはなれないのかな…
514 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:14:14
>>507 うちの家族はみなタイ系だ・・。
祖先は黒潮に乗って来たのか
515 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:28:44
だっせええええええww
516 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 23:21:37
で、騎馬民族説で扶余系といわれる天皇が、
何故前方後円墳に埋葬されるの?
517 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 00:43:04
天皇陵=前方後円墳だよな。
あの形の意味を解かないと始まらない。
あれはシュメール起源で古代インドで大きく展開された、
須弥山(スメール山)世界観だよ。
http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/betusekai/uchu.html 黒潮に乗ってタミル語系の人間が日本に来たんだ。
これは大野晋さんの説とも一致する。
インドでは後の仏教の宇宙観にも取り入れられ、ストゥーパ(塔)も須弥山だ。
早い話が日本の仏教建築の五重塔も須弥山だ。
今でもチベット仏教の僧が、
彼らが須弥山と見立ててる聖山カイラスに五体投地しながら参拝してる。
中国では須弥山を妙高山とも訳し、日本の妙高山も同じ意味。
前方後円墳の左右にある小さな丸(造り出し)は、太陽と月。
海上に浮かび、月と太陽をも超え、137万`もある壮大な山。
その頂上である「有頂天」に行きたいという切なる思いを、
平面で描いたのが前方後円墳だ。
地から山がそびえ立ち、月と太陽をも超え楽園(有頂天)がある。
前方後円墳の形そのままじゃないか。
河内平野の大王陵の堀(池)が須弥山の海を意味してるのは言うまでもない。
で、前方後円墳の、あの形のどこに騎馬民族の面影があるんだ?w
出土品に騎馬系の物があっても、
あくまで珍しい文化として受け入れただけだよ。
518 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 01:04:16
ツングース族の一派
519 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 02:18:30
天皇の性は姫だったらしい、だとすると江南だな。
太白は祖であると、のたまってたくらいだから江南だな。
は?
521 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 09:33:59
周王の子孫認識が、当時本当に存在してたら
秦帝の子孫や漢帝の子孫が、臣に入るのは筋が通るな
事実であることはムーレベルだが
522 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 10:20:25
日本人って、かなり古くから混血が進んでると思うが。
朝鮮半島へよく出張にいってたが、大体、男もオンナも平均的な
朝鮮人の顔ってある。 しかし、日本人は朝鮮系もあれば、誰かさんみたく
南方系もいらっしゃるし、おネーちゃんの顔見て味噌、伊藤美咲と
相武沙季って全然タイプがちがう。
まあ、おれの私見だが。
天皇家って、やっぱ下々のクズともちゃうが・・・
オレも下々のクズのひとりだが
523 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 11:01:55
アジアのいろんな人種の混血てのは同意
524 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 16:49:35
ただ顔のタイプは環境によって変わるかな。
江戸時代の殿様はみんな面長の弥生系だぞ
525 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 16:50:48
経験上の話。
朝鮮人は天皇の起源を半島にもっていきたがり、そして
出自を断定したかのごとく「百済ニダ」ってホント説明なしウザイ!ウザイ!
ビョウキ的人種とおもたです。はい。
そこで、天皇のみならずこんなヤシらと同じ人種に見られるのはゴメンダ!的感情が
日本人に沸き起こるのです。はい。
526 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 16:52:22
身から出た錆だな、ざまーねえやw
527 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:19:11
半島や中国の人間が善良でないのが原因かと
そうだから議論を遮断する根本原因なんだろ。
528 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 17:24:57
百済ニカ?
529 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 00:47:33
>>521 使人自稱大夫
少なくとも倭人は中国で自らのことを大夫と称したとあるから江南。
江南の地に源郷をもち中国に謁見していた「倭人」がいたのは確かだから江南。
江南から列島にやって来た大きな集団がいた、あえて言う、それは天孫、何か?
大夫って自称するのは江南なの?
531 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 08:36:35
>>525 そうだな、最近の天皇って、国際平和や、人類の〜ってばかりで
国民を見ていない。年始のお立ち台だって、空々しい。
天皇にもはや徳を求めるのは無理か? だったら天皇制は・・・
いや、なんでもありません
532 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 09:45:08
魏志において、太夫と自称したとあれば、
その太夫の意味は、 江南という地名は関係ない。
日本でいう、「源氏」の意味なので 周王の子孫の意味。
猿が何粋がって周王の子孫とか言ってんだプゲラって思ってただろうね。
534 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:03:38
魏志の目的としては、
大海の果ての国にさえ、
漢民族の栄光は子孫として届いています。
という民族の広大さを示す意味の一文だよ。
倭人が太夫と自称したってのは、魏志側のそういう意図の創作
てか、その上刺青をしてるなんてのは、太白 呉越の蛮族の風習をそのままなので
創作だよ、創作。
猿が太夫なんて自称するはずがない。
535 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:17:17
やはりなw
サルの連呼はマズイでしょ?
私はチョソですが必死なんです〜
って言いふらかしているようなもんだ。
で太夫と自称していたのだから、やはり江南でいいよw
536 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:25:54
日本史板に鮮人ぽいのが多く紛れこんでいるのは確かだね
537 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:30:55
おれも、なんとなく江南に一票w
538 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:33:44
じゃワシは細目つり目のツングースに1票w
539 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:50:39
土着 VS ツングース VS 江南、心情的には土着、現実は江南って感じ?
540 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 16:58:06
倭人が太夫と自称したってのは、魏志側のそういう意図の創作
↑
創作だというなら、ちゃんと証明して下さい。出来ないならそれは妄想ですw
541 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 17:08:38
中国人はYAP+遺伝子が全く無く、二重まぶたがほとんどの人種。
日本人は平均で約45%がYAP+遺伝子を持ち、一重まぶたと二重まぶたが
約半々の人種。
半分の二重まぶたの日本人はその約45%のYAP+遺伝子の人たちだから、
中国人が弥生人なら日本には一重まぶたがほとんど居ないという事に
なってしまう。
さて、残り半分の一重まぶたの日本人は一体何者でしょう??
542 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 17:25:34
>>539 ツングース族≒扶余族であるからして天皇の出自は百済が濃厚
543 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 17:36:41
はいはい百済百済
何か竹田って脱家者が、2000年以上も続いてると逝ってたが・・・('A`)
ホントなのか?
545 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 19:33:17
百済ニダ
546 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 20:06:51
そういや百済って 伯済氏(漢民族名)がまとめた国なので
完全に楽浪郡の漢だろ
で、百済は海づたいに江南から移民がバリバリやってくる。
南朝は200年で5回も易姓革命やってるから、貴族の行き場所はまずは百済。
ツングース族≒扶余族説でいいの・・・か?
江上説に従うならな。
548 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 00:21:53
身も説も滅んだ江上を妄信していた漏れに待っていたのはニート
549 :
白馬青牛:2005/11/26(土) 02:03:44
残念じゃが、江南から直接日本へは難しい。百済においても。
江南の海洋航海技術があっても当時では。
東支那海流に沿って一端南に向い黒潮に乗る「漂流ルート」で移住する
より、山東半島あるいは遼河、鴨緑江〜朝鮮の黄海道経由で海岸沿いに
南下する「航海の軸線」の方が現実性がある。それは、弥生人、古墳人の
形質人類学的要素からも確認出来る。
550 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 07:31:18
>>549 日本の稲の遺伝子研究によると江南種で朝鮮米とは別種だという説もある
ようですが。
稲の種類が違うのならそれを持って来た人間も江南から来たのだろう。稲だけが
渡って来たとは思えないし、朝鮮経由なら朝鮮米も種類が同じでなくてはおかしい。
551 :
がいやまん:2005/11/26(土) 08:05:24
552 :
がいやまん:2005/11/26(土) 08:11:27
楽浪・帯方に訂正。種を持って移動をするものの寒いところでは育たないので
韓国の南西沿岸にいたったという線が強いんじゃないかということです。
553 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 08:41:11
江戸時代の種籾が発芽したという話しを聞いたことがあります。
種のままだったら、華北から満州を通過して半島中南部に持って来れます.
当時の小型船では、食料はホシイイのように加工して携行したとかんがえられますので、漁民の漂流者が水稲を
伝えた可能性はまずないと思われます.
554 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 09:02:44
>>534 魏志ではなく魏略ね。太夫と称したのは後漢書ね。後漢書は強がる必要ないから。
金印の五文字を見れば、後漢が北九州を指呼のうちに捉らえていた様子がよく分かる。
という訳で、そのロジックも崩壊ぎみ。
555 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 10:32:11
鬼道をあやつる人がいてたので、それがインド伝来の世界感で前方後円墳に
取り入れられても、不思議でない。
沖縄ルートでしょ
チャイナから琉球に来るのも無理ぽ
558 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 16:26:42
菜畑遺跡だっけ? 本流は朝鮮半西東岸沿いを下ってのルートニダ
まぁスレからズレぎみだけどね。
559 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 21:25:54
洋の東西を問わず、民族移動ってのはトコロテン式に次々と連鎖していき、
海沿いの行き止まりでグチャっと潰れて(混血して)止まる。
またこの民族移動には、周期的に観察される気候変動が密接に係わり合うことが知られている。
縄文最期の小氷期が終わりを告げる2500年前、呉は南方の越に滅ぼされる。
呉人は黒潮に乗って日本や朝鮮に渡ってくる。波状的にやってくる海洋民族は、
先着民族をトコロテンのように北上、東遷させ、一部は大和に一部は南韓に到達するようになった。
560 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 22:57:35
日本の稲作は6500年以上前にはもう始まっている。
北陸方面の漁港近くの縄文遺跡からはカヌーと河姆渡遺跡で見つかる
貴石の遺物が出てくるという。
縄文人が大陸を度々訪れていた事実が浮かんでくる。
水田稲作は3200年以上前まで遡れるという。
渡来人がやって来る900年以上も前にはもう始まっていたのである。
やはり縄文人が大陸を度々訪れて技術輸入していた事実が捜査線上に浮かんでくる。
561 :
白馬青牛:2005/11/26(土) 23:34:36
>>550 農産物の伝播が人々の移動にどれだけ関与しておるのかは難しい。
大麦、ネギ、カブ、ゴボウ、ダイコン等満洲系のものが
中部日本〜東北日本に分布しており、西日本に北方的人種要素が
強いことと一致しておらず、風土環境的影響も考慮する必要がある。
>>551 がいやまんさん、お久しぶりです。
そうですね。当時の航海は陸地が見える海岸伝いの移動が基本的で
あったので、山東半島から遼東半島経由の可能性も強いでしょう。
黄海道〜山東は、高句麗時代からよく使われたルートといえます。
>>559 2500年前の気候変動とは?寒冷化か温暖化か?陸地の見ずらい
黒潮漂流ルート経由の大量移住は困難であろう。少数移住では、
渤海人使節が難破し出羽に漂流し、蝦夷に殺された例もある。
一回目の移動でも多人数でないと奴隷化されるか喰われてしまう。
562 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 23:35:51
天つ国からやってきたんだよ。
>>561 >西日本に北方的人種要素が強い
はぁ?なに言ってんの
どこの北方?
564 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 00:33:19
漏れは寧ろ天皇よりも白馬青牛の方が気になって気になって
しょうがないでごわすの薩摩隼人です
>>564 白馬青牛は西日本マンセーだけど
九州だけは嫌ってるよ
566 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 01:35:06
日本で一重まぶた率が一番高いのは西日本一帯。
西日本一帯が北方モンゴロイド的要素が強いのは否めない事実。
567 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 01:41:17
網野っていう有名な博士の本読んでも、
関西人と関東人との違いよりも、関西人と朝鮮人との違いのほうが小さいって書いてあるよ
何も大昔の時代に海上に国境を引く必要はないだろってこと
568 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 01:41:53
縄文漁労民は、朝鮮半島→遼東半島→山東半島→華中(河姆渡)
というルートを使って水田技術を持ってきたのかもな。
569 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 01:50:54
>関西人と関東人との違いよりも、関西人と朝鮮人との違いのほうが小さい
そりゃねーだろw
関西人にYAP+は高頻度にあっても、朝鮮人にYAP+はカラッポなんだしw
モンゴルから満州北部あたり一帯から拡散していった北方モンゴロイドの
影響を強く受けたという点で関西人と朝鮮人は近いというだけ。
570 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 01:51:17
天皇家の祖先がどこから来たのか。
日本人の祖先はどこから来たのか。
切り離せない部分もあるかも。
昔のことは証拠が残ってないから推理とロマンで考えるか。
私の推理
天皇家は朝鮮系
日本人は九州は朝鮮、台湾中国、東南方アジア混血、
北海道、東北はは北方かシベリア系
騎馬民族系。それ以外はそれらの混血
>>570 同意できるけど、誰かさんには罵倒されそう
572 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 02:14:42
朝鮮系は二重の中央モンゴロイドだから全然皇室の顔ではない。
九州や北海道は日本でも特にYAP+が高頻度な地域。
そんなに混血してたら、そんなYAP+が高頻度な地域でいられるかよ。
しかもこんな四方八方、海に囲まれた小さな島国に、
なんで日本ばかり世界中から押し寄せてくるんだい?
そんな簡単に混血してたら大陸に人種なんてとっくに無いだろ。
自分が在日害虫だからって変態妄想にもほどがあるよ。
573 :
白馬青牛:2005/11/27(日) 03:05:03
>>563 ほいじゃ、北方型の「高顔」が南方にも多く見られるんか?実例を書け。
>>564 鹿児島県人さんか。芋焼酎は、美味しいので今日も飲んどる。
>>565 好き嫌いじゃ、勝手に決め付けるな。広島は西日本の中でも、東国からの
移住が多く関東的・蝦夷的要素が強いと他のスレに書いとるど。
>>570 オホーツク文化人と蝦夷を混同?騎馬民族ではないにしても、縄文人には
シベリアの影響も強いので、太古において同一種族から分かれた種族も
あるともいえる。
574 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 05:43:33
575 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 06:26:09
それが形質人類学の限界なんだよ。
江南人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。」
山東省の漢代の人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。」
遼東半島の古代人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。」
そればーっか。
おそらくこの先、華中から満州・モンゴルまで、北方モンゴロイドの
形質的影響を受けた古代人骨の調査をいくらやったって結果はぜーんぶ
「弥生人骨に良く似ている。」
なんだよ。
576 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 06:44:16
今のところ系統の調査で最も信頼できる最強の精度のツールは、
人類を1/10000000以上まで完全に分類し切るHLA遺伝子、ただ一つだけ。
577 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 08:18:34
どうせ皇室の血筋なんか嘘で固められた汚ったない血でできてるんだろ。
HLA遺伝子っての調べたら完全に明治政府の陰謀が暴露されるだろうな。
ごちゃごちゃ言ってないで皇室の強制遺伝子調査しろ!!!
科学的回答がでるはずだ〜〜〜〜〜w
578 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 10:11:12
人類の移動が常にあるので、将来白人が天皇になったり、黒人が天皇になったり
もありうるわけで、交雑して宇宙に移民していくのが人類のはるか先の希望です
無理かも
579 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:42:25
昨日また越前クラゲの特番をNHKでやってた。
海流のシムレーションで日本沿岸に流れつくには
朝鮮半島近海からだと日本の沿岸に流れつく確率は低い。
対馬海流の関係で北朝鮮方向に流れる。
江南からだと日本海側から太平洋沿岸まで到達する事が分かったそうだ。
古代の漁船なんかだと帆船だとしても漂流の可能性が高い。
くしくもクラゲで古代の移動も分かったな。
580 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 12:25:33
>>570 罵倒してやろう
朝鮮系って書く時点でキチガイ決定
当時朝鮮なんて国はない。
在住民族も今の朝鮮人ではない。全く無関係。
経由しただけでも
北方民族
中原の漢民族
江南の漢民族
ともに、朝鮮半島を通って倭にわたるが、
彼らも、現在の朝鮮人とは全く無関係の存在。
581 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:31:24
カムヤマトイハレヒコとかハツクニシラススメラミコトという純粋の和名をもつ
初代天皇が外来系であるはずがないだろう。
582 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:41:32
在日工作員乙↑
583 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:47:40
江南人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。」
てのが大本命だな、あとの亜流の少数派もしくは妄想w
でついでに天皇の出自は江南でいいよw
584 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:15:31
>>570 多くの遺伝学で科学的に日本人の遺伝子を解析すると中国は全く無理。
日本人の遺伝子から土着系(縄文系)を除いた部分を多くの遺伝学は
必ずブリアートからモンゴルあたりを指し示めす。
つまり弥生人はブリアートからモンゴルあたりから南下し、満州と
朝鮮半島を素通りして九州北部に渡り、西日本一帯に広がって
土着系と混ざりながら大和民族が形成されていったのである。
朝鮮半島は当初は縄文系とほぼ同種が住んでいたが、弥生人が
朝鮮半島を素通りして日本列島に消えていったその数百年後、
ついに華北人に侵略され、楽浪郡を置かれて400年も支配された後、
今度は満州東部から流入した高句麗人に朝鮮半島北部を侵略され、
土着系たちは華北と満州の血を注ぎ込まれながら、ここにようやく
朝鮮民族が形成されていったのである。
585 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:18:36
それ秋田
586 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:27:02
>>1
高天原だよ。知らないの?
587 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:27:09
はぁ?意味ワカラン
588 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:29:16
589 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:38:03
遺伝のレスは、進歩ないなー
・現代の中国人と、絶滅した古代の漢民族の遺伝子は違う
・現代のブルアートやモンゴルに、古代から縄文人や弥生人が移住した。
の2つの解釈で終わる話ばっかり。
590 :
白馬青牛:2005/11/28(月) 00:05:14
>>574 徐州会戦で有名な江蘇省徐州は、江南(長江以南)ではないし、淮水線
(麦作地域と稲作地域の領域を分ける)以北である。地図で見ると解るが
ほとんど山東文化圏であろう。江南を拡大解釈しとるのも笑えるが、
弥生人骨(歯の大きさも違う)との共通性も縄文人骨との比較して似て
おるのみで、山東以北人骨のものと比べておらんじゃないか。山東以北の
ものと比較して、弥生人が江南に近いと言う根拠は如何に。そして江南に
結びつけたい学者の受け売りより、江南厨はもう少し検証して書け。
それは別として、シロコゴルフ氏のツングース南方起源説にも説得力が
あると思うので、北方系人骨が春秋後期に華中方面から発見されるのは
粛慎氏の矢の記述と共に興味深い。
まあ>579の漂流厨や>584の人種厨のような妄想より、物事を
調べようとする意欲はまともじゃがのう。
591 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:08:46
江南に決まりだな
592 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:13:59
ツングークジャマイカ?
593 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:17:28
594 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:29:51
白馬に乗ってきたに決まってるだろ バカどもめ!
と思いつつ、ヤンワリと嫌味ったらしく説明するだろう、彼はきっと。
595 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 00:31:50
土着だろう
596 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 03:03:50
古の漢民族 紀元前
中原→モンゴル
中原→江南→倭
鮮卑系(現在の漢民族) 7世紀以降
北方→中原→江南
ってのでどうだ
597 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 12:45:19
サンガって民が日本にいたのを知ってますか、大正くらいまでは言ったっていうが
598 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 16:06:27
仕方なくB地区民になったのは知ってる
599 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:38:45
九州と本州で分けて考えるべき。
対馬は九州に入るが大分・小倉・八幡
は瀬戸内で本州に入りそうである。
かつて、大きな文化の隔たりがあったように思う。
方言、遺跡等の違いから明白だよ。
日本海側の一部には九州の影響があった地域も合ったと思う。
越前・越後のあたり。
600 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:40:49
佐世保とか佐賀の人って原日本人ぽくて
あれが関東とかのトライ顔のベースになったとは
到底考えられない。
対馬でさえ縄文風だよ。
渡来人の本場ってどこだよ。関東か近畿か、はたまた東北か
601 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:54:52
ヤマトは雑種ですから色々な顔があるんだろう。
602 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 00:58:56
広島は関東人の影響が多いのだろうが、
大分はどうなんだ?大分はナゾが多すぎる
東京イントネーションで関西風の方言、
苗字には関西や関東の苗字が多くみられる。
それに、瀬戸内風の地名が多いね。
603 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 01:04:30
色白で妙にあっさりのっぺりしてて、眉が高い位置にある
いわゆる高顔。
この手の顔はどこから入りどこで大繁殖したんだろうね。
604 :
白馬青牛:2005/11/29(火) 02:41:37
>>593 天皇家についは解らんが、日本人の起源において江南や日本海横断の
漂流ルート(日本海でも海岸伝いに移動は可能であるが)でなく、
大集団移住が可能な航海の軸線を考慮すべしと言うとるんよ。
移住者も原住民と対等以上の関係(17世紀のアメリカにおける
イギリス系を中心にした移住者とアメリカ原住民との関係もそうであろう)
でないと現地民との交易も順調にはいけんと思う。
>>602 大分については、大友氏以外に関東系御家人がどれほど移住したのか
郷土史で調べれば良いと思う。苗字だけでは、現地の地名を苗字とする
例(分家に)が多いので難しい。
605 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 15:09:38
>>604 日本人
江南方面からの漂流者は断続的に存在するので、
列島原住民に万年の漂流者 これが日本人の基本系
稲作の伝播と同じ
天皇家
1・原住民説
2・紀元前後500年ころで、ある程度の集団で渡来した大陸文明系説
ルート1 : 半島から陸伝いに進入した ルーツは中近東からカスピ海までありえる
ルート2 : 江南から半島まで、陸沿いの浅瀬を経由して日本列島に上陸 ルーツは江南
606 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 17:27:09
創世記から6〜7世紀あたりまで、大陸から列島への渡来は多かれ少なかれ断続的にあった、
を基本線に
弥生に入り爆発的な人口増。
先進的な稲作を持ち込んだ優秀な渡来人がもたらした
結果であり、同時にそれ相応の渡来人の流入があった。
それが紀元前後3,4世紀のお話。
で中国史と照らし合わせると、なるへそ納得。。。
607 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 17:34:24
大雑把に稲作を持ち込んだというより
早稲米が生産出来るようになったからかに訂正
608 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 20:04:11
江南説なんて、戦前の稲作妄想者と三国志狂信者どもが、
先に100万回じゅげむのように唱えて、周りを洗脳していっただけ。
科学的に日本人を追求すればするほど、中国でない事が分かってくる。
>>603 満州北部一帯
609 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 20:28:11
>>602 大分のことだが、
東京イントネーションで関西風の方言、というのは、
正に瀬戸内の山陽道の方言そのもの。
苗字の由来は、
>>604にゆずろう。
瀬戸内風の地名が多いのは、大分が正に瀬戸内圏ということ。
要するに、大分は山陽道の世界なんだよ。
610 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:08:38
だな
北九州から豊前を通って大分までの地域は
九州弁というより瀬戸内弁だよな。
611 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 21:13:14
俺だけが知っている高天原
612 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 23:36:28
>>608 その科学的(遺伝子)って奴が、100万回自説を連呼しても
ロジックに穴がありすぎて、誰も洗脳できないんだよな(笑)
だって、漢民族7世紀に消滅した って説が有力なんだから
今の中国人と日本人の血のつながりなんて、江南説の誰一人言ってないのに、
遺伝子説の奴って、頭おかしいんじゃねーの?(笑
613 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 23:59:35
華北はトーテムが熊から龍に変わってるんだよね。
華南は華から龍にかわった。
614 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:17:00
>>612 漢民族が消滅したって、どこぞの馬鹿教授が言ってる説かw
あんなものはお笑い中のお笑い。
それに科学で洗脳を解く必要はあるが、洗脳するなんかする
必要は全く無い。
訳もなく江南江南わめき続ける洗脳支那人じゃあるまいしw
615 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:18:23
616 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:19:41
617 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:20:50
やはり天皇は江南人だな!
618 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:25:10
619 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:26:51
620 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:27:24
>>613 で? 一体何が言いたいんだ?
いつからココは夢想を語らうスレになったのだ?
621 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:28:45
622 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 00:42:20
江南狂の在日支那人が漢人を滅んだ事にしたいのは
漢人を一重まぶたの人種に仕立てたいから。
仮に漢人が滅んだとしても、その漢人を滅ぼしたのは華北より
北方の人種な訳で、一重まぶたが増えることはあっても
減ることはない訳だよ。
ところが、今のシニーデこと華北のシナ人種は8割がた二重まぶた。
昔の漢人はそれ以上に二重まぶた率が高い事になる。
今もやっぱり漢人の系統が続いている。
623 :
白馬青牛:2005/11/30(水) 00:42:54
>>605 漂流者では、現地民に飲み込まれてしまうと言うとるんに、
漂流者が大集団となった世界史における類例を書け。
稲作以外の農作物にも考慮する必要がある。中近東という妄想まで
書いておるが、移動途中で人種も変わろうが。
>>612 >漢民族が7世紀に消滅したって説が有力?笑うたが、誰の説か?
人種と民族を混同しとるが、それはは別として、形質人類学要素でも、
華北新石器人と華北現代は近く、華南(江南)新石器人と現在華南人が
近い。池田次郎、『日本人の起源』参考。人種的変動も余り期待出来んど。
624 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:01:57
五胡十六国時代も漢人が数千万人いる中で、北方から幾つかの
少数民族が全部あわせても数十万、多くても数百万人ほど流入
しただけの話で、根本的に人種まで変えてしまうほどの大きな
影響などは無かったが正解。
シニーデが今の北方モンゴロイド的頭蓋形質に近い中央モンゴロイド
になったのは6000年前に華北に南下した北方モンゴロイドと
混血したからで、それまでは朝鮮半島で出土する古代人骨のように
低い顔の本来の中央モンゴロイドだったのだろう。
625 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:08:00
今の日本人もそうだね。
昔の形質は低い顔。
今の形質は北方モンゴロイド的な高い顔。
でも内訳は半分弱はYAP+。
626 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:14:41
まあ江南の可能性を消し去りたい騎馬民族バカよりも
説の一つとして残る江南房の存在の方がココには有意義なものだ
とまぁこう傍目ながらに、こう思うわけですよ、はいw
627 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:30:57
北方モンゴロイドが騎馬民族だけしかいないと思っている
江南ボケしたどうしようもない在日中国人ほどイタイ存在もない
と思うけどね。
628 :
白馬青牛:2005/11/30(水) 01:40:11
>>606 弥生期に爆発的な人口増があったかは、疑問的部分がある。
弥生期の山口市朝田後期人、広島市の左久良遺跡、岡山県殿山の後期人、
愛媛県釈迦面山の中期人、更に古墳初頭期の山口県宇部市の大須賀遺跡等
形質的に縄文的要素が強い。弥生期の人種に変化が大きいのは、北九州、
山陰であり、中国、瀬戸内は古墳中後期まで待たなければならん。
弥生人が人口増加で古墳期にようやく瀬戸内まで到達したんか、
それともAD4世紀前後の気候寒冷化期、民族移動期で世界的に
北方民族南下現象(ゲルマン・エフタル・鮮卑・羌・高句麗等)で
渡来した集団が増加したんかは定かではない。
紀元前のBC3、4世紀に世界的現象として大規模な民族移動が
あったと言えんので、難しいことじゃ。
629 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:56:13
イザナギの移動は瀬戸内方面が中心だな。
630 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 01:58:45
AD4Cに渡来があったなら、中国の古書に何らかの形で記述があると
思うけどね。
弥生人は最初数百〜数千人の少数だったが、繁殖力が縄文人より強いので、
時間経過の中で今の勢力になっていったのでないかという科学説を支持する。
631 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 02:15:07
もれもそれ支持してる、しかもそれは現代に至まで
続いている。
銀行員始めエリートと呼ばれる人に渡来顔が
多いのは生存能力が高い為。
東京に渡来顔が多いのもその為。
632 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 02:58:32
渡来系にエリートが多いいのなら渡来元の国はさぞや発展しているということか。
633 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 03:11:19
渡来元は中国北方だろう、科挙で文民優遇政策をとって
エリートを大量育成をしたが、所詮、過去の文献の丸暗記で
発展的なことは何も出来ず没落。
634 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 03:14:01
現在の中国人はみな科挙に受かったエリート官吏の末裔かもしれない。
635 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 04:04:35
おいおい、したり顔で学者気取って、アホな説書くなよ 青牛くん
定説では、晋が滅ぶころに中原の漢民族が江南に移動して
江南の人口は倍増してるんだよ。 それだけじゃない
前漢では5000万人いた漢民族も、南朝のころは500万人になってる
>>624 もうさ、何でそんな妄想を学者風にかけるのかね?
五胡のころは中原の民族構成は根本的に変化してるんだよ。
現在の中国人と漢民族が同じだというのは中共5000年のロマンだよ。
そんなアホな前提に立たれた推測は話にならん。
636 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 04:51:10
人類の祖先はアフリカから来たんじゃないんですか?
637 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 04:51:38
陸上生物の祖先は海から来たんじゃないんですか?
639 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 16:46:45
香具師らの脳内を簡単に分析すると
民族の大移動があって、それらは日本に押し寄せた
その結果、沢山の一重瞼が存在するのだ。
かたや中国における漢民族は不動です、、、うん脳みそはチャイナ人ですね。
640 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 16:50:08
アソコから来たんだよ
頭からな、漏れは逆子だったがね
641 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 16:53:24
知るかボケェ
642 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 17:36:05
普通に日向じゃないの?
643 :
白馬青牛:2005/11/30(水) 23:27:22
>>635 したり顔で妄想を事実と断定し、信仰するカルト君よ。
「世界史板【意外氏】岡田英弘の中国論【妻も敵なり】」から来たんか?
人口減少説で散々馬鹿にされ、最近レスが淋しいけえ、ここへ来たんか。
ほいじゃ、相手になってあげよう。岡田英弘氏の古代中国の人口推移で
黄巾の乱で十分の一に人口減少したとされるのを定説とするのも、
おかしな話じゃが、岡田氏は『続後漢書』や「郡国志」の文献を根拠に
断定しとられる。それは、奴婢や疫病や戦乱で城外に逃げる避難民は
含まれとるんか?これらの検証は無視して華北の漢民族は消滅か?
そして文献以外の根拠はなく、地域面積とその単位人口から総人口を
計算する地理学的考察や古代の住居跡の遺跡から計算する考古学的考察も
無い。文献学者が狭い世界で妄想に陥る見本の様なものであろう。
わしが>623で書いたような人類学的考察による根拠も無い。
まあ考古学的出土も物的証拠にはなるが、文献記録と同じ様に一部分しか
残らんので、専門分野による狭い判断でなく、あらゆる学問の視点から
考察し、全体像を構築することが重要であろう。
644 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:14:47
おまえ必死すぎてキモイ↑
645 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 01:57:45
藤原氏も朝鮮渡来なの?
646 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 02:12:14
日本原人などいないから皆渡来仲間だ。
647 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 02:52:03
藤原中臣は対馬の占い師出身。
648 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 02:52:46
当時の朝鮮南部は基本的に縄文系。
649 :
的外れ:2005/12/01(木) 07:28:41
朝鮮南部って済州島もはいるのでしょうか。
いや、なに、この島は倭にはいっていたのだろうかと疑問におもっているものですから。
650 :
がいやまん:2005/12/01(木) 08:47:01
朝鮮半島というのは、日本列島に縄文文化と対応する縄文人がいたのと同様
櫛目文・無文土器に対応するチョソン人といったものがいたのではないかと思
うんだが、現在の韓国などがツングースである高句麗・百済とか、秦系の強い
新羅とかをごっちゃにしているので、どうも縄文が弥生にかき回されたのと同様
チョソンもツングース・秦・その他もろもろにかき回されたんじゃないのかね。
基本的にチョソンと縄文というのは顔が似ていなかったんだろうということは
想像がつくけどな。どうも日本のほうが物事はっきりしてるよな。
651 :
がいやまん:2005/12/01(木) 09:03:39
日本の記紀から判断するとアマテラス時代に牧畜(西戎・山戎・匈奴的)なものが
出雲に流され、応神時代に秦系が播磨・信濃、そして奈良時代に高句麗系が関東
へと殖民され、これら渡来人の血によってアイヌの血が置き換えられたんじゃない
かと思う。YAPというのはチベットに侵入したのと同様本来は天竺方面にあったもの
ではなかろうか。タタール学会ではエジプトとタタールの金石時代(青銅器の前)
ころの接触の伝承があるという。漏れとしては、YAPはアフリカ→中近東→アルタイ
→トルケスタン→チベット、秦→馬韓→辰韓→倭国→倭国辺境部へ流れたのでは
ないか、そしてその時代は弥生末期から奈良時代初めにかけてではないかと思う。
652 :
がいやまん:2005/12/01(木) 09:11:18
エジプト・タタールというのは脱線であった。アルタイとコーカサス西部のマイコープ
文化には高地性集落等共通点があるということ。これは青銅器時代のこと。
653 :
がいやまん:2005/12/01(木) 10:01:53
沖縄には石板墓、匈奴・スキタイ共通の3階級制度神話、シーサなどが入ってくる
ので西方からYAP遺伝子が流れたのであろう。l
654 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 11:26:09
日本人は、江戸時代の鎖国以前には朝鮮人以上に混血化していたことは確かだろう。
ものの、本によると水戸黄門には配下にニグロがいたってさ
655 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 11:32:16
>654
じゃあ風車のトムってのもいたかもな。うっかりスミスとか。
656 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 16:21:17
ばってんは外来語説アリ、朝鮮人のあの角ばったヒレと凹凸の少ない顔は
ほぼモンゴル人そのものだけど、やはり混血なんだろうか?
古代から韓人は侵されて汚されて血うすなっとるよな?
657 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 16:23:42
縄文が渡来に侵されたように、大陸の吹き溜まり半島の混血具合は想像にたやすいかと。
658 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 16:32:37
天皇にしろニグロにしろザビエルにしろ
日本に渡ってきたのヤツは大海原に立向かった度胸ある勇者ってことで
マターリ気分にひたろうではないか
659 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 17:27:02
はいそれで、おしまいっと
660 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 17:31:48
>>654 確か信長公にも仕えておったよな?ニグロ
褒美はバナナだとw
二グロって何語?
662 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 20:19:21
>>643 http://www.tetsuonakamura.com/nakamura/toyokeizaishi-s03.htm ここに中国の人口推移の詳細が載ってるねー
漢の時代の5000万人は
南朝(宋)の時代に500万人に減少する。
当然、その後100年で陳滅亡で漢民族がさらに減少する事はあっても増加する事はありえず。
詳細に整理すると
漢代に南 500万人:北 4500万人であつた比が
南朝宋 南北 500万人に減少し
南朝陳 さらに減少→ 滅亡?
隋唐の北方民族が、南域に大流入して 僅か300年後には
元朝時代には、南 4500万人: 北500万人になる。
この南への人口の大人口増加は、北からきてるのでこれは鮮卑系が南北中国に拡大したとされる。
難しい用語や学者名を出さないでシンプルに書きましょう
>>649 倭の内に入ってたかどうかは知らないけど関係が深かったのは確かではないかと。
宗像三女神と済州三女神とか双方に似通ったものがあるし。
海流の影響で意外なほど早く行き来できるらしいし。
個人的には古代においては倭の一部ではなかったかと思う。
664 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 22:15:57
混血するほうが、優秀なのが生まれて栄えるので、栄えてない方があれだ
665 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 22:20:39
現皇室の始祖は継体だ。
王朝は2回交替している。
×予備校講師
×墓暴き
×世間に対して不満がある
667 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 23:20:26
668 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 23:25:47
そういえば、継体帝は順帝だった のスレって前あったなー
669 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 23:31:05
>>664 混血されまくりで原型を留めてないんだよ
つまり、かの民族はモンゴル人化したんだよ
一大帝国を築き上げたモンゴル人は優秀だよ
横綱もつよいしねw
670 :
白馬青牛:2005/12/02(金) 00:27:31
>>662 自分で思考する能力のない、コピー厨か。
中国では、前漢の終わり頃「正確」な人口統計がなされ?
どうして正確と判断出来るんか。最初から「正確」と前提条件をつけとる
事をおかしいと感じんのか?
他にも、記述において中国での戦争の死傷者や被害も正確に記したものと
信用出来るんか。倭人伝の人口にしても正確かどうか記述では解らん。
>643に書いたよう、あくまで文献によるもので、避難民等を
考慮したものと言う根拠もなく諸学問から多面的に考察したものでもない。
>623で書いたように、華北は人種的変化すらない。
難しい用語以前の問題で、シンプルな単細胞的解釈。しかもこう書いて
あったと言うサイトの受け売りじゃア、全く意味がない。
671 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 00:45:27
>>670 レスがもったいない。批判するなら人格攻撃より
その推察のどこに間違いがあるのか述べよ。
ちにみに、参照URLの人口表こそ参照にしているが
論述内容は、俺の思考を書いてるんだが?
1・表そのものの間違い
2・解釈の間違い
3・結果の間違い
どれでもいい。 ただし今回は
3・結果
「現代中国人と 4世紀の中国人が
人種的に違う可能性が高い事が定説だろう」
というレスのフォローで出た話なので、
細かい真実論は無関係である。たとえばその表に死傷者がうんぬんは
この結論を揺るがすほどの事象ではない。
シンプルにのべるのはとても重要な事だ。君のレスは攻撃を避けるためなのか
批判を浴びずらい複雑な表現になっていていっちゃ悪いが姑息だ。
672 :
白馬青牛:2005/12/02(金) 01:25:40
>>670 その推定は、文献(参考文献はあげてないが)による一方的な解釈で
諸学問の多面的考察とはいえまい。何で人口表に疑問を持たんのか?
しかも現代中国人と4世紀の中国人が人種的に違いがあるんなら、
人類学的根拠を示せ言うとるんで。根拠もない、実例もないで、
反論出来んので、真実論は無関係と言い訳をし、妄想世界に閉じこもる。
残念じゃが、単細胞であることが重要とは思わん。
文章の表現が複雑じゃと、因縁をつける方がよほど姑息な手段じゃのう。
673 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 02:06:38
絶対的真実は俺には判らんよ。 そしてこの表にあるように
一定の定説では、漢民族は絶滅したように見えるといっているんだよ。
・人類学的な根拠という日本語は、俺には何を指すのか判らん
・実例もなし 何を指すのかわからん。
この表が正しいなどというつもりはない。 しかし全く違うという方が根拠を求めらるんじゃないのか?
このURL先の著者は、「高校の教科書にあるような五胡の時に北方民族が中原をのっとった
というのは事実ではない」 というような事を書いてあるように、
教科書にのるレベルの定説のひとつとして 7世紀を境に
人種の大移動と北方民族の侵入があるんだよ。
この著者はその定説を、反論対象として紹介してるので君は同意すべきだろう。
この時代北方の民族が漢を滅ぼしてのっとったのも事実。
北魏が漢化政策を進めるもそれが原因で鮮卑民族派のクーデターにあい
そのクーデター派が隋になっていったのが正史である。
つまりは非漢民族が隋であり、陳を滅ぼした勢力なんだよ。
そして大事な事は真実じゃない。それが一定の定説だ という事で
このスレでは十分だろう。それ以上の戦いをするならこのスレ主たちに迷惑がかかる。
674 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 02:33:55
おっと青牛くん悪い
>>623 を見落としていたよ。 この記述は実に面白いね。
歴史の大勢と、考古学的な資料が違うとなると、
どちらかが間違いだ。 この池田次郎の著書の事実をぜひ吟味したいね。
定説とは思えないが、知らない話なので否定はしないよ。 ただこのスレで掘り下げるのは
スレ住人に迷惑がかかる。
675 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 18:27:46
淋しい老後はおくりたくないもんだぁ
青牛くんは誰でもいいから相手にしてもらいたいんだよ
誰かって?。。。そこのあなたかもよw
676 :
白馬青牛:2005/12/02(金) 23:35:40
>>673674 一定の定説とは何か?新興宗教の信者か。岡田氏の説が定説か?
漢民族が絶滅したと決め付け、>七世紀頃を境に人種の大移動と
北方民族の侵入があるんだよ。おいおい、何じゃそりゃあ、五胡は四世紀、
五世紀に南下したんじゃないんか。七世紀に大移動が定説か?
漢民族を滅ぼしたんなら何で漢化政策を進めるんか?矛盾しとらんか。
しかも前涼や西涼は漢人が征服した国家ではないんか。それを漢民族の
絶滅とはねえ。普通に考えて漢民族と融合した胡漢文化と思えるが。
人類学的根拠に実例がないとし、池田氏の著書『日本人の起源』
「講談社現代新書、1982年」が歴史的大勢でないと断定しえる根拠は?
「人種の大移動」と民族と人種を混同しとるが、鮮卑人を含む東胡は、
形質人類学的にどこの人種に属するんか?北亜型か華北型か?西戎や狄、
貊等は華北人と人種的相違はあるんか?あなたの言う定説ではどうなんか?
「人種の大移動」という限り。また、それは誰の説によるもんか。
具体的な検証はあるんか。
なぜに、
>>674のレスに対してまで罵声を浴びせるのだろうか?
やはり精神異常者か
678 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:35:38
>>676 大きな声を上げても、間違いは間違い
7世紀から10世紀にかけて、4世紀5世紀に華北を占領した胡人が
華南まで大移動したんだろ。
前涼西涼 当時は漢の地方長官として涼州刺史のように胡人の蛮地を統括していたものが
その胡族ごと独立したのであって、漢人が征服したってのは間違い。
しかも五胡16国のうち、漢人がトップなのはごく一部。そしてそれらは鮮卑族の北魏に統合された。
そして胡漢の融合というのは出鱈目な理由。
ホロコーストがないから絶滅じゃないってのは、子供の発想。
そもそも世界史のどこに非占領民族をホロコーストした国があるっていうんだ
絶滅ってのは、胡族による漢地の搾取と残存民族の吸収 このような現象を指すんだよ。
これを融合 などと言ってるから青くさい牛なんだよ
形質人類学は随分いい加減な事が判明したよ。 池田氏の学会の発表によれば、
日本人の形質が歴史的に最も変化があったのは、昭和の戦後だというじゃないか。
これをもっと同学会の一派は、縄文から弥生の形質変化程度は、食生活の環境変化で説明がつく
と言ってる。 このレベル形質学に左右されない方がよいって事だ。
679 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 14:55:47
日本の形質人類学はもう終わっている。
江南人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。弥生人骨と一致した。」
山東省の漢代の人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。弥生人骨と一致した。」
遼東半島の古代人骨を調査しては「弥生人骨に良く似ている。弥生人骨と一致した。」
そればーっか。
おそらくこの先、華中から満州・モンゴルまで、北方モンゴロイドから
形質的影響を受けた古代人骨の調査をいくらやったって結果はぜーんぶ
「弥生人骨に良く似ている。弥生人骨と一致した。」
なんだよ。
日本の形質人類学会はもうアホかと。
680 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 15:06:46
だから元は南九州て書いてあるだろ
681 :
白馬青牛:2005/12/04(日) 23:53:07
>>678 はあ?北方民族の南下は4,5世紀じゃ言うとるんに。
漢人政権が、涼州の河西回廊の交易路を押さえた事も重要であるが、
その漢人も華北を統一した北魏政権において文人、官僚になった者が
おるのに、孝文帝の漢化政策も無視か。胡漢融合と言わずして何か?
池田次郎氏の意見でなく、学会の発表とは誰の考えを述べたものか?
移行説と混血説の違いを書け。戦後の身長の伸び等、生活環境の変化に
よるとする、鈴木尚氏の移行説の立場に立って工作しようとする
姑息な手段はすなや。わしの質問には答えることが出来んので、
形質学は信用出来んと学問のせいにすな。
683 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 00:16:19
天皇の出自はぶっちゃけ江南だな。
すくなくともフヨよりも脈あり、騎馬民族説にいたっては死亡だねw
そう思わない?トンカチ頭くん
九州あたりじゃ明治以降の移民が多過ぎて真実が見えんだろ。
関東以北に住んでみな。毛深二重色白チジレっ毛中高鼻が多くなる。
広島あたりの珍しぇつはやめんしゃい。
685 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 00:30:48
天皇が征服王朝だといいたいの?
違うの?古事記なんかだとそうなってるみたいだけど。アレは嘘吐きか。
687 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:15:08
古事記では朝鮮へ渡来して征服したことはあるが、逆はない。
神武東征ってのは朝鮮に攻め込んだ話なのか?
689 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 01:39:04
690 :
的外れ:2005/12/05(月) 08:34:26
横レス失礼します。「弥生人の起源が江南だったらーーー」のスレもご覧ください。ここのスレと若干の
関係がありますので。ご意見お寄せ下さい。
691 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 14:48:16
>>681 だから、5世紀終の北魏の漢化政策に、
反発する鮮卑の軍事クーデターのグループが
漢を滅ぼして、隋を建国したんだっつーの
692 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 21:05:44
現在DNAの共通性
一部モンゴルと日本人
文明の共通性
漢民族と日本人
食文化の共通性
江南地方と日本人
自治の共通性
韓半島南部と日本
シルクロード的共通性
秦氏(弓月の君=中東系)と日本人
全部を統合する説が待たれるね。
693 :
日本@名無史さん:2005/12/05(月) 21:08:28
きもちがわるい。
694 :
白馬青牛:2005/12/06(火) 01:00:33
>>691 漢化政策への反発があったのはその通り。そして東西分裂となるが
北周によって再統一。北周にとって変わった隋が全土を統一。
隋もとって変わった唐が長期政権を築く。その間、漢化せんかったんか?
隋や唐も王朝が胡族であっても、漢化した胡族であり、漢化がいやなら、
突厥の仲間になったであろう。
695 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 03:00:53
>>694 まず争点を確認した方がいい
北朝が非漢民族だったか否かという論点で
その象徴的な言葉だとして出したのが「漢化」だよ
異民族だからこそ「漢化政策」という言葉が生まれ
かつ、歴史では否定されて終わっている。
隋・唐でいう漢化とは、人種の漢化ではなく文化の漢化なので
民族云々という争点から外れる。
民族的融和が、北魏で失敗した漢化政策以降
どの程度実施されたかが争点だろ。 で、そんな歴史あるのかい?
もちろんホロコーストではないから、多少の漢民族は残存しただろうが
それらは、胡人に吸収されたんじゃないかい
それは漢民族の絶滅っていうんだよ。
696 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 05:48:46
なぜ吸収・絶滅になるんだい。そりゃお互い様だろ。むしろ両民族の混合だろ。
おぇ
698 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 15:29:04
完全に絶滅だろうな。
特に、南の漢滅亡後から10世紀までの間に、
北と南の人口比が、9:1 から 1:9に逆転してるんだから
南の僅かな漢民族は殆ど希釈されてる
7世紀までの間に、
大陸から、百済や倭に逃れた漢民族だけが、
大陸の事情とは逆に、支配層として生き残ったんだよ。
百済もまた支配者層が、倭にわたり、
日本に漢文化圏が形成されたってことだ
おぇ
700
701 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 16:03:31
本筋天皇は江南辺りのシナ王族の末裔なのさ、遡ればそこに行き着くはず。
だが、クーデター、策略、血縁断絶、やらで途中スットップしちゃうがな。
江南なら漢族じゃないな。
703 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 16:34:38
春秋戦国時九州に渡ってきたピストン避難民の数は、先住渡来の数十倍の規模
だったらしい、世も一変する罠。
そ〜うだったらいいのにな〜、
そ〜うだったらいいのにな〜♪
705 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 17:26:13
ここは在日朝鮮支那台湾人の希望を書き連ねるスレか?w
706 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:29:25
三国史のころの漢民族の血は、
支那には、殆ど残ってなく、
漢の大将軍の生き残り百済王と倭王
のうち、現在まで残ってるのは日本のみ、
なので日本が正式な漢の継承国って事だろ
707 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:37:07
>>706 妄想はいいから、チャンコロはもう支那に帰れよ。
708 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 21:11:56
709 :
白馬青牛:2005/12/06(火) 22:21:27
>>695 争点以前に、文全体の意味が解らん。「漢化政策」が歴史でどう否定
されて終っておるんか?人種の漢化と言うのも五胡の鮮卑や氐羌と
華北の漢人とさほど違いがあるんか?新石器時代には、ほぼ同一種族で、
後に別れた者であろう。それに民族と云うのは人種的概念ではなく、
文化的概念じゃろうに。
>>698706 また、岡田英弘氏の人口比の引用か。漢代における華南の諸民族の
人口をどう把握できるんか?後の文も根拠のない妄想であるが
工作活動か?
546 :名無しさん@6周年:2005/12/04(日) 23:55:44 ID:VJLa4wW20
聖火ランナーの持つ火が今にも消えてしまいそうです。その時・・・
1:「オリンピアから運ばれてきた火である事に意義がある。消えたらその時の為に伴走させている予備の火種から火を貰うべき。」→男系維持派
2:「別に火なんて何でも同じなんだから消えたらチャッカマンで着ければいいよ。」→女系容認派
あなたは、どちらを支持しますか?
ひげが後を継げばもうちっとマシな顔の一族になるかもしれん。
712 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 02:21:34
>>707 チョソの願望は百済の末裔に限定か?なぁw
人種や民族の概念が古代において確立していると思っているチョソ工作員なおまい乙
>>706が言いたいのは極東アジアの正統な皇帝はまさしく天皇であるということだ!w
てことで在日は強制送還!
713 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 05:36:42
今のシナは「中華民族」だったか「中国民族」だったか
忘れたが、中共がつくった新しい中華思想でまとめられてる。
キチガイ沙汰。
715 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 11:52:00
うーーーん
>>706 >三国史のころの漢民族の血は、
>支那には、殆ど残ってなく、
ここは異論があるが、
>漢の大将軍の生き残り百済王と倭王
>のうち、現在まで残ってるのは日本のみ、
>なので日本が正式な漢の継承国って事だろ
これは、目から鱗だ。 そりゃそうだな
716 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 12:17:33
にほんを
きちがいちゅうかしそうに巻き込むなや。
717 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 13:01:22
関(せき)って名字なんだが、俺の先祖は関羽らしいよ。って言っても問題無いかな?
718 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 16:05:31
キチガイキチガイ喚き散らすだけのキチガイ房は消防からやり直おせ
だいたい中華思想もなにも、中華皇帝に日本(倭国)は朝貢したてだろ
冊封体制って知ってるか?w
719 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 16:12:10
>>709 誰も読まないであろうことを
延々と書き連ねるキモヤシが別スレにいるよね?
日記じゃあるまいし、珍説は自分のブログなりで
披露しろよと、スレの私物化反対だよと、言っといてくんない?
ぶっちゃけ工作活動の一環なんだろうけどw
720 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 16:23:05
721 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 16:42:00
そもそも「漢化」自体が妄想。
722 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 17:25:29
>721
はあ
723 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 18:23:44
大和王権が
邪馬台国と対立していた
狗奴国だというのは
ガチでしょう?
724 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 18:58:12
漢化は、北魏の漢化が有名で一般用語です。
倭王は、実在の天皇として大古墳を形成した時期に、
漢帝の6国鎮東大将軍だったわけで、
その唯一の現存する君主は天皇。
日本は普通に考えて、漢の継承国。
725 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 19:02:21
ここまで言い切っちゃうともうギャグだね
726 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 19:07:11
もう高天原でいいよ
727 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 19:35:22
↓満州やモンゴルなど北方アジア抜きで、中国山東省と朝鮮半島、たった2つの古代人骨
↓だけで、弥生人のルーツを中国と断定してしまった形質人類学の低脳ぶり。
「土井が浜の弥生人骨は、160センチメートルを遙かに超えた長身、華奢な四肢骨、
細面の顔に低い鼻、のっぺりとした、それでいて端正な顔立ちで、いわゆる北方系
「新モンゴロイド」の特徴がありました。
彼らのルーツを求めて朝鮮半島南部の慶尚南道金海と南部の勅島(ヌクド)の人骨、
中国は山東省の漢代の人骨を対象に調査されました。ところが、朝鮮半島2ヶ所の
人骨には土井ヶ浜の人たちと同じ形質は認められず、中国山東省の人骨は、極め
てよく似た形質を持っていることが確認されました。弥生人のルーツはやはり中国
だったのです。」
http://sakezo.com/shumi/rekisi/keta1.html
父ちゃんが、「最初の天皇は韓国人だし日本人も韓国人」と言い張ってるよ。
このスレみる限りでは結論はでてないみたいだから、父ちゃんは放置しておきますね。
父ちゃんはニダー
730 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 00:16:52
天皇=チョンなんて言うやつは、
長年、考古学界で言われ続けてた騎馬民族征服王朝説と、
弥生人ののっぺり型人骨からくる、
なんとなくのイメージの雰囲気で言ってるんだろう。
騎馬民族説はもはや否定されてるし、
弥生人も半島から来てはいるが、バイカル湖あたりのモンゴロイドだと、
遺伝子から判明してるしな。
むしろ半島を統一した新羅が倭人系だと判明してる。
これは「説(想像)」でなく、韓国の「正史」だからなw
>729
幸い、それはない(w
無駄に学歴があるので、自分の意見が間違いだと私に言われるのが嫌なだけでしょう。
732 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 00:31:05
>弥生人も半島から来てはいるが、バイカル湖あたりのモンゴロイドだと、
>遺伝子から判明してるしな。
朝鮮半島は温帯が大半で、弥生人みたいな一重まぶたや
のっぺりした顔が出現する気候じゃないんだよ。
朝鮮半島のもともとの種族は二重まぶたで彫りが浅くない
中央モンゴロイド。
弥生人が突き抜けたあとに色んな北方人種が満州中からやって来て
中間的な人種になった。
弥生人はバイカル湖よりもかなり東方の大シンアンリン山脈北部あたり。
シルカ川、アルグン川、フールン湖の周辺。
733 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 00:51:57
>むしろ半島を統一した新羅が倭人系だと判明してる。
縄文人系倭人なのか、弥生人系倭人なのかが知りたい。
734 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 00:56:49
記紀信者な天皇の出自は日向だろうに、何を血迷ったかw
735 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:00:47
>>733 加唐島か馬渡島か忘れたが、そこら辺りから王を迎え入れたんだっけかな?
確か?
736 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:10:11
新羅本紀か
「新羅王の〜名前忘れた〜は、倭国の多婆那国で生まれたが、
海へ捨てられ金官国に流れ着いた後、さらに流されて新羅に至った」
というやつだろ
737 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:27:23
金管加羅の桂氏は近畿に渡ってるしな。
738 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:30:33
んだ伽耶なんて倭種ばっか
739 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:30:57
そもそもだよ、倭人伝にあるころのあの地域の倭人はとても
満州や中国的な民族とは思えない。
あれは南方系、か土着系としか思えないんだよな。
740 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 01:33:04
鉄の利権は当時は半島、中国、倭を巻き込んだ紛争の火種だろ
さながら、金管加羅はオスマントルコ領の中東といったとこか。
741 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 02:15:49
日本は漢の継承国
1・皇室は、漢代以前の古典のみ元号などに利用する
2・江戸時代まで中国は唐(漢を滅ぼした鮮卑建国)と呼ばれる
3・1世紀の漢書論衛では、周の時代から東の倭として認識される
4・魏志倭人伝以降、中国正史では、倭人は自分たちを太夫(周王家の子孫)と自己紹介する民族だと紹介している
5・天皇が日本を統一したであろう大古墳の時期は、天皇は倭の五王として、漢帝の臣、
6国鎮東大将軍である。
6・最後の漢帝陳が滅ぶと、滅ぼした隋帝への最初の挨拶で対等、天子宣言
これ、倭王がそれまで漢の大将軍位だった事を認識すれば、継承の天子宣言って事以外の解釈は不要。
7・白村江の戦いでは、百済王(漢の大将軍の残存)と唐(鮮卑)の戦いに、継承した天子としても
半島までワザワザ参戦。 結果、百済王は破れ倭王のもとに身を寄せる。
8・漢の大将軍の百済がなくなり、大将軍は倭王だけになったので改めて、 倭王は天皇宣言
9・漢の文明、着物や漢字の忠実な継承地域は、中国ではなく日本である事実
10・ 隋・唐によって、7世紀までの漢民族( 万里の長城によって設定された長城以南の民族)は
滅んだ事は、前レスの人口資料からも、信頼性が高い。
11・ 漢字は、周代からあるのに「漢字」 唐字とは呼ばないつまり滅ぼして大陸を継承した「鮮卑」が漢の字と呼んだのである
客観的にはそういうこと。
742 :
ロンメル:2005/12/08(木) 03:03:19
オカンが誰であっても今は独立して成功しているのに生みの親だからと言って金の無心に恐喝まがいの言いがかりを言ってくるような親はもはや親でわない。
パッとナナメ読みした感じだと、
天皇家の断絶を唱えている人がいるみたいだけど、
不倫や赤子入れ替え的な断絶はあるかもしれないけど、
征服的な断絶はないんじゃないかな。
もしそういうのがあったら、家臣がごっそり入れ替わるはず。
どの時点でも、家臣は少しずつ入れ替わっているように思うよ。
744 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 15:45:59
実はごっそり入れ替わってるけど、同じ名前使ってるだけだったりして・・・
745 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 15:46:24
倭王が臣となっていた、南宋の順帝は「帝位」だが
実は、禅譲された斎は帝位ではなく王位の亀石碑なのである。
宋が終了した後、 斎が当時もし王位なら倭も王位で継体帝となる。
そして、漢の大将軍倭王が現在の天皇であるのは誰でも知ってる事なのだから
天皇が漢の継承者で何が問題なのか
鎌倉幕府室町幕府江戸幕府と政権が移り変わってた頃は断絶といってもいい気もするけどな。
名目だけ将軍の上位者ってだけで国政に関わってないんだから。600年近くかけてようやく復権みたいな。
747 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 17:21:03
為政者としてはそうだろうね。
748 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 18:57:32
天王星
749 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 19:06:49
B52-DR15星雲
750 :
白木人:2005/12/08(木) 21:27:46
>733 新羅人の人気が急上昇してきてるけども
タバナ国がどこにあったかが問題で
751 :
白馬青牛:2005/12/09(金) 01:33:37
>>741 妄想が強い。どこに客観性があるんか。
倭人が漢人の末裔?現代の少数民族でも、漢人の末裔に結びつけとらんか。
天子宣言もあくまで日本側が使節を送った時点で、対等ではなく、朝貢で
あろう。
着物も古代日本は北方民族と同じく左衽で、古代漢人の右衽とは違う。
しかも日本語と文法の違う古代漢語は大きく違う。
全文妄想で何の思惑か工作か知らんが、まあ、我が国に中華主義を
押し付けたいんであろう。
752 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 03:20:19
>>751 工作って? おまえの妄想もいい加減にしろ(笑
客観性?
使節団を送ったら対等じゃない? は?
天子宣言で朝貢? は?
おまえの方が、よほど客観的じゃないだろ
着物? 左右それいぜんに北方民族が呉服を漢化前に着てたのか?アホか?
日本語との文法? この話は天皇家だけの話だろ?
全文妄想? まずは一つでも事実誤認を指摘してから言えよ(笑)
753 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 03:50:23
倭に呉服が入ったのはいつ頃だろうか、
古墳時代の胡服より前二入っていたんだろ
民族移動はともかく、文化的な交流は呉越の方が
先であったんだでは
英彦山信仰始めたのは呉の人だったという説もある。
そんなこんなです
754 :
白木人:2005/12/09(金) 09:52:19
呉越同船
CIAが誘導してんだろw日本人はそこら辺と無縁だぜ。
おとなしく聞いてたほううがいいぞ。
756 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 16:59:17
総合すると、天皇ってのは、
周王朝王家の子孫を自称する倭人の倭王が、
5世紀に、漢民族王朝の東方の大将軍「倭王」として立ち、
6世紀は、主事した宋朝が一介の将軍(斎)にのっとられた後は、倭王大将軍としては後継「斉」への朝貢をやめ
7世紀は、その斎以降の漢民族王朝が、万里長城より北方の蛮族鮮卑王朝(現中国人の祖先)に壊滅させられた直後、
大陸を制覇した鮮卑の帝へ、「天子宣言」
もうひとりの漢の大将軍百済王が、鮮卑系の唐に攻撃されると、半島までで救援に行くが破れ、
百済王族を倭に保護する。 そして、一人残った漢の大将軍倭王の子孫、天武帝は、
内外に、国名を日本、王位を「天皇」に改める事を宣言する。
そして、その21世紀の天皇がアキヒト
757 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:04:03
つまり、天皇家は漢王朝ではない。
758 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:08:19
龍のトーテムが中原の中国人に広まったのは周どころか殷の時と
言われてるよ、華南については花トーテムだよ。
仮に倭人の故郷が花か龍というとこになるが、そういうのはない。
周は殷の後裔だろ、したら倭人が周だとすれば龍のトーテムを
持ってないとおかしい、だがそれは違う。
759 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:11:15
周から皇族が来たのなら、何で当時の周の主流だった灰陶や
灰釉陶、古代中国の主流であった黒陶が日本に伝わってないのか?
何で紅陶文化と支石墓文化なのかね?
つまり皇族や倭人は紅山文化の人類集団という事だよ。
760 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:20:08
漢のころの漢民族にとって、
倭といえば、周王朝からのつきあい
倭といえば、周王家が蛮族に落とした後胤
というのが、枕詞 になってたようだ。なぜ枕詞といえば、
証拠も実証もないのにきっとそうだろう で使われてるのが、周と倭の関係。
論衛の 周の成王への倭人からの贈り物話や
倭人伝の 倭人が自らを太夫と呼ぶ
など、 否定的な論調ではなく、むしろ漢民族にとっての希望的表現
その話にのって、2−3世紀ごろに倭をのっとった漢民族がいると読む。ずばり公孫氏系(+扶余)
それが天孫降臨
761 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:22:22
あほすぎ。
762 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:25:17
そうだね。
763 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 17:25:38
そうだね。
764 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 20:32:41
765 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 20:57:12
そうだね。
766 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 21:38:22
良スレ荒らすなよ
767 :
白馬青牛:2005/12/09(金) 22:35:22
>>752 天子宣言で対等になるんか?隋の方から使節を送った訳でもあるまい。
朝貢国側から使節を送るのは当然であろう。隋唐時代で対等といえば、
突厥(内陸アジアのトルコ系)、吐蕃(チベット)、大食(アラブ)は
そうである。唐は吐蕃に太宗の娘まで嫁がせておる。残念ながら我が国
にはそのような事例もなく、中国側も対等とは考えておらん。
古墳期埴輪の衣服のどこが漢文化なんか?その髪型も漢系か?
どう見ても北方胡族に近いと思うが。
「被髪左衽」は、春秋戦国期の漢人が野蛮視した衣服ではないと言う
根拠は見つかったか?
事実誤認だらけじゃのう。中華思想崇拝厨さんよ。
まず東アジアの冊封体制において朝貢国と対等国の定義と、
被髪左衽の髪型や衣服の問題に答えてつかいや。
768 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 22:56:13
ユダヤでしょ
それ以外、結論の付けようがない。
おそらく現代でも血を保ったまま
日本に数百万人のユダヤがいるとおもわれる。
ユダヤって血なの?
古代イスラエル人の末裔だよ
771 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 00:40:24
まだやってたのか?ココ?藻前らもヒマだね〜w
772 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 00:41:10
つーことで天皇の出自は江南でいいよw
773 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 03:35:34
>>767 いつも争点をづらすのは天然?ボケ?
隋が倭を対等に思うとか思わないかの話を誰もしてないのに、
隋が対等に思ってないという話をして何の意味があるんだ?
「倭王が、隋に対等の天子宣言をした」 ってレスであり、
漢の大将軍が漢を倒した相手に天子宣言した って事実の重さを述べてるんだろ。
まずこの一点で謝罪を待ってる
774 :
日本@名無史さん:2005/12/10(土) 10:09:42
北方の騎馬系民族が、日本に来て王朝をたてたという騎馬民族征服説だが、
ほんの少しだけ、それを匂わせる遺跡があるにはある。
長野の大室古墳群だ。
http://homepage3.nifty.com/himegappa/ikyo/tsumiishi/tsumiishi.html 明らかに高句麗系の積石塚がたくさんある。
じゃぁ、このあたりは彼ら騎馬民に征服されたのか?
とんでもない。
彼らを監視するような形で、大和系の前方後円墳がある。
豪族はこっちの方だ。
じゃ、この騎馬民は何だろう?
ま、捕虜だな。
伽耶の鉄器も見つかってるから、おそらく伽耶あたりで捕まって、
本来なら殺されるところなんだが、大和が馬の生産に力を入れ始めてた時期だし、
日本に来て、大室の地を与えられ、馬の生産をしてたのだろう。
古墳があるんだから豪族だよ!という意見もあるかもしれないが、
北朝鮮には何万という積石塚があるので、
これは日本で言う古墳というよりは「集団墓地」みたいなものだろうな。
日本人が連想する「古墳=首長の墓」とはかなり違う。
騎馬民族征服王朝説がどれほど的外れなものか、これだけでも分かる。
775 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:06:24
鉄器族とかいう文明と民族を一体化して認識するのは
20世紀の古い学者の頭の限界なんじゃないかな。
そもそも実用品は文明だけが独立して移動する。
未来の人が今の日本の文明をみてインターネット族が
日本を侵略したなんて馬鹿な妄想抱くだろうか?
池沼の一種だとおもう。昔の学者はw
776 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:42:40
な、おまえらもそうおもうだろ?
777 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 00:45:44
777ゲット
778 :
白馬青牛:2005/12/11(日) 01:12:19
>>773 >767で書いた冊封体制の定義と、被髪左衽について答えてくれい、
言うとるんじゃが。争点をごまかすなや。我が国の自慰を聞いとらん。
謝罪とはのう。中華厨らしゅうて良いが、あと賠償要求を忘れとるど。
>>774 『延喜式』の大室牧の古墳か。長野の高句麗人は、神亀元年(724年)
蝦夷との戦闘で部軍格の後部(高句麗・絶奴部・堤部)王起が派遣された
ように軍事力を持った集団であろう。年代的に平壌等の朝鮮渡来よりも、
古墳の形態から集安時代、満洲から直接渡来した集団とも考えられる。
捕虜より武装開拓団の方が、実状に合うように思える。安曇族も、
北信濃を開拓した武装開拓集団と考慮する。王朝とは、関係が薄いことは
認める部分もあるが、牧の管理者としての集団、四隅突出墳の出雲集団と
の関連も考慮したい。
779 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 01:28:41
がーーーん 白馬青牛は意見は違うが馬鹿ではないと思ってたのに・・・
OTZ 論理的な会話ができない奴だったとは・・・・
お前只の馬鹿だったのかよ
780 :
白馬青牛:2005/12/11(日) 02:13:01
>>779 論理的な会話の定義とは何なら?言うてつかいや。
わりゃが、言うんは抽象的で具体性がないんじゃがのう。
具体的な内容ものうて、罵倒しか出来ん様じゃ、わりゃ、つまらんど。
781 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:37:22
倭人伝の頃の九州の首長が今の天皇に繋がる系統かどうかといえば
ほぼそれはないと言い切れる。
卑弥呼の系統が多少天皇家に絡んでる可能性があるが、
現天皇は基本的に名古屋か新潟近辺に拠点を構えていた一族
782 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:40:39
名古屋とか新潟にそれらしい遺跡はあるのか?
783 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 02:43:07
では、知識を散在させ話を分散する癖をやめて、
一点一点争点をづらさず、相手の意見への反駁に努めろ。
まず一点目の
>>773 にきちんと答えろ
二点目
被髪左衽がなんだってーの?
南蛮とされた楚が中原を侵略しようとしたのを斉が防いだ事を後世の人が
「被髪左衽」にならなくて済んだ。と喜んだと孔子の論語にあるのが原点だよ。
つまり、南蛮の楚の慣習に被髪左衽があるのが明確なんだが?
君はむしろ、自ら箇条書きにして相手に反駁をぜひ求めるくらいの潔さを身につけるべきだな。
784 :
白馬青牛:2005/12/11(日) 02:53:53
>>783 「被髪左衽せん」が南蛮にあったとは、初めて聞いた。
南蛮は、「文身断髪」ではないんか。工作やごまかしはすなや。
明確とは笑わすのう。菅仲さんに怒られるど。
もう一度「被髪左衽」で検索せい。
そもそも被髪左衽って何?
786 :
18:2005/12/11(日) 09:52:55
妻の上を通り過ぎて行った幾人もの男たち。
太いチ○ポを入れられ、男の背中に手を廻し悶えていた。
アナルまで見せながら尻を掴まれバックで犯されていた。そうは思いませんか?
あなたがキスをした奥さんの口唇・舌は他のチ○ポを舐め回していた汚れた口唇。
奥さんにセックスを仕込んだ男たちのことを考えると
胸が熱くなりませんか?興奮しませんか?
あなたの奥さんは、あなたと出会った時に既に中古品でした。
これは、あなたの奥さんの処女膜を破った男のみならず、
あなたが奥さんに出会う前にあなたの奥さんを抱いた他の男たちのすべてが
あなたが、あなたの奥さんを初めて抱いた時よりも良い状態の奥さんの肉体を
弄んでいたのです。
あなたと出会う前より若かった時の状態の良い肉体を他の男達が弄んでいたのです。
あなたは、その何人もの男たちに調教され、その男たちの唾液や汗や精液を体細胞に浸透させられ、
しかも老化が既に進行してしまっていた中古女を奥さんに貰ったのです。
ひょっとしたら、中絶も経験しているかもしれません。
あなたの奥さんは、他の男の子供を体内に宿していたのかもしれないのです。
あなたは、一人の男として、悔しくありませんか?
一生の伴侶である妻が中古女であった事を。
悔しさで胸が張り裂けそうになりませんか?
787 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 10:21:02
>>778 それはどうかなぁ?
大室古墳は5世紀だから、
後に信州に移住してくる高句麗系集団とは別。
江上・騎馬民族説の4世紀後半から5世紀にかけて、
高句麗系騎馬民が来てるには来てるんだが、
彼らがどのようであったかを、最もはっきり表してると思う。
やはり大和系の前方後円墳(森将軍塚など)に支配されてる形だからね。
俺には、大室の埋葬者たちの末裔は、
後の馬子や馬喰(ばくろう)と言った被差別のルーツになったとしか思えないんだ。
788 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 10:25:29
高句麗系は四隅信仰、その前の渡来系、秦氏は
もっと北西の集団、東湖
789 :
白馬青牛:2005/12/12(月) 01:22:56
>>785 ざんばら髪で、左前の服を着ること。南ロシアのステップ地帯の
騎馬民族スキタイや中央アジア、東アジアの古代騎馬民族にも
共通する。古代中原の漢人ではない夷人も含む。
古墳期の日本の埴輪も左衽で、しかも筒袖と北方胡族に近く、漢人とは
ほど遠い服装である。高句麗の場合は右衽で髪型も漢文化の影響が強い。
日本へ移住した集団には、高句麗と多少違う北方古俗を守ってきた集団も
あったのではないか。
>>787 信州へ移住した高句麗集団の先駆け集団であると思うが。
後に信州へ移住した高句麗集団が、平安初期まで部族名を名乗って
おり、近畿地方の改姓した高句麗人よりも、独立性を持っておった
部分があると思う。
790 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 02:36:15
>>784 アホの相手は面倒だ・・誰か相手してやれよ
(被髪左衽 出典)
論語
憲問第十四 通三百五十
子貢曰く、管仲は仁者に非ざるか。
桓公 公子糾を殺すに、死すること能はず。
又之を相くと。
子曰く、管仲は桓公を相け、諸侯に覇たらしめ、天下を一匡す。
民今に至るまで其の賜を受く。
管仲微かりせば、吾其れ被髪左衽せん。
豈匹夫匹婦の諒を為し、自ら溝?に經れて、之を知らるること莫きがきが若くならんやと。
子貢が言いました。
「管仲は仁者ではないのですか?
桓公は子糾を殺したのに、管仲は死ななかったではないか。
死なないで総理大臣になってしまった。」
孔子が答えました。
「管仲は桓公を助けて、諸侯のトップに立って、天下を一時的ではあるが正す事もした。
国民は現在に至るまで、その恩恵で文化が脈々と栄えるに至った。
管仲がいなければ我々は髪を結ばないし、左前に襟を合わせるなど野蛮人になった事であろう。
で、桓公とは
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%93%E5%85%AC_%28%E6%96%89%29 にあるように、諸侯を集め、南蛮の楚を破った事で こうして孔子に論語で評される覇王ね。
北方の慣習と思ってるアホって、電波学者の解釈本でも読みすぎたんじゃないのか?
この論語が元で後の世でも、四方の蛮族の慣習をさげすむ時に使われるようになったんだよ。
青牛くんは、もう恥ずかしいから引退しなさい。(笑
791 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 03:00:18
宜保愛子なら分かっただろうな。
宜保愛子は霊視で邪馬台国は明日香で、
卑弥呼が石舞台古墳に居るのが見えると言っていたよ。
石舞台古墳は7Cの蘇我馬子の墓とされているが、
宜保愛子によるともっと古いみたい。
792 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 03:09:23
石舞台は支石墓だったのが風化で土が無くなって露出したもの。
793 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 10:37:55
石舞台は支石墓ではありません。形態がまるでちがいます。
人為的に表土を剥いだのです。
794 :
シバキザクラ:2005/12/12(月) 11:31:07
あまり古くなると、霊視は無理なようですよ。
肉体がきえさるように、霊魂も弱り消えていくのです。
795 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 18:13:18
青牛くん頑張れ
796 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 22:21:13
797 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 22:28:40
結局、弥生王族の末裔だろ。
798 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 23:01:46
799 :
白馬青牛:2005/12/12(月) 23:08:47
>>790 漢人が右衽であり、日本と関連出来ず残念じゃのう。
>789で古代中原の漢人でない夷人も含む。と書いとるんじゃがのう。
まあええわい。楚人が、『舜典』の三苗に祖を持つかは検討する問題も
あるが、苗族の源流は、長江地帯でなく、黄土地帯から南下した
山地戦士民であったと思える。長江地帯を征服した戦士的民族に左衽が
あることは、不思議ではない。
基本的に長江以南は「文身断髪」であり、「被髪左衽」が北方の胡族を
表現する例が多い。趙の武霊王の「胡服、左衽」や更に日本の国家
形成期に時代を合わせて言うと、西北満洲の俗として、『隋書』や
『旧唐書』の室韋伝にも「被髪左衽」とある。
北方の慣習でないと言う根拠はあるんか?南方民族が「文身断髪」や
「貫頭衣」よりも、元来「被髪左衽」が多いと言う根拠はあったか?
マニアル人間みたいに、文章を写すだけじゃのうて、類例の多さ等、
もう少し考察せい。
「文身断髪」と言えば、越人もそうであるが、倭人もそうであろう。
気温が暖かく、海中に潜る民族に多い。
800 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 23:21:09
江上は存在自体が害悪だったってことか。
この人これだけでいきてきたんだろ。
801 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 23:23:45
ペテン行為して金貰ってるわけだから害男そのもの
802 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 23:25:44
>>800 害悪ではないよ。
日本史を、もっとユーラシア大陸との関連で捉えなければという意味では
充分功績はあったけどね。
803 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 23:31:44
結局、江上が騎馬民族征服説を出した心情的な根本には、
「日本の敗戦」があったのは言うまでもない。
何かが崩れたんだろうな。
騎馬民族征服説は今となっては間違ってたと言えるけど…
804 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 01:07:48
普通に弥生時代の族長から発展だろ。
805 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 02:48:27
>>799 あのねー 楚ってのは呉越を含む長江周辺に漢代広がっただろ
その土地こそが=倭と関係があった南朝そのもの
楚が被髪左衽の風土の民衆なら、その長江周辺の土着の漢民族もそう。
被髪左衽の倭人は、長江周辺の影響を受けた。で極めて調和的だな
806 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 03:01:37
>>709 あ・・あのねー
被髪左衽 ってのはね、後世では蛮習を表す慣用句で使ってるのよ、もうトホホだよ
孔子の論語は、色々な慣用句が残ってるが、これもそう。 出典の楚の風土は、本当に被髪左衽
だったろうが、 後の世では風習が異なる蛮習 って意味だけ。
で、後世では、漢民族にとって脅威と蛮習の最大の敵は長く、北方胡族。
だから北方民族を指して「被髪左衽」という慣用句が多数登場する。
ちなみに、元の襲来で高麗人が日本に救援嘆願を出した文があるが、そこでも
慣用句として被髪左衽 が登場する。
これを、慣用句として考えずに本当の現象としてとらえるアホは、論語等古典を勉強しなさい。
刎頚の友 矛盾 をそのままの言葉で後世にとらえるアホがどこにいるんだ?
808 :
白馬青牛:2005/12/13(火) 22:45:39
>>805806 ありゃ、漢代>倭が南朝そのものと言うことは、古代華北の漢人との
関連から離れとるど。楚が土着の「右衽主義」である漢民族と言うのも
可笑しい。漢人と南人(淮河以南)との違いは?被髪左衽の倭人とは?
魏志倭人伝にも「断髪文身」「貫頭衣」は出ておるが。弥生期でのうて
古墳期に長江周辺に日本の埴輪のような筒袖の北方胡族的服装でも
あったんか?
何が悲しゅうて最近の学者に多い文献屋が如く、文献が事実と考え、
文献の言葉通りに解釈せにゃいけんのか。あんまし人を馬鹿にすなや。
慣用句としての左衽は後の倭寇迄あるが、倭寇が左衽とは思えん。
じゃが、古代胡族において、左衽習俗を文献だけでなく、
出土品や壁画等から多様な考察からして、北方胡族は左衽が多いと
言うとる。モンゴル時代、北方胡族の右衽化は進んでおったであろう。
中華崇拝厨=江南厨であったとは、新たな発見じゃったよ。
809 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 22:58:48
基本的に中国文化が日本に入ってきたのは5C以降。
伝えたのは主に百済人。
810 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 23:24:55
百済は倭の植民地。
811 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 23:42:02
結局、北方胡族ってスキタイということでOK?
812 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 02:08:24
813 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 02:17:25
青牛たのむ、
ポイントを絞って箇条書きで争点を明確に書いてくれ。
君につられたレスも、定義論、前提論、争点論 など 無用なレスが多数生まれるだろ
それだと、議論が進まないじゃないか
あと青牛はたまに汚い言葉使いになるのが良くないと思う。
無用な反感を煽るだけ。
815 :
ごるごるもあ ◆753Z/RLFiY :2005/12/14(水) 19:36:26 BE:201180858-##
//
_//
/ ||_ノ __________________
\/// ̄\ /
|> <_> \ | 我々の要求は、沖縄県における最大規模の大図書館の建設だ。
く\___| <
|∇ \ | 明日宮内庁を爆破する。
\__/ \
|≧||≦ ̄|  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
天皇制と文明論 〜恐るべき国民統制のカラクリ〜
天皇制の実質的な地位は、明治政府の意図した絶対的権力に基づく国家思想そのもので
あり、社会整備や、教育現場における最高権力であった。しかしながら、その時代背景
には、権力者が独占的に政治と資本を支配し、その結果、国民の無権利や、不平等格差
が非難され、政治家への暴行、及び暗殺事件が多発していたことからも示されるように、
天皇制絶対主義という位置づけがなされたのである。
さらに、日本が軍事国家として巨大化していくうちに、天皇制絶対主義はこれとは違うもう
ひとつの様相を有してきた。それが世界でも有名な、植民地支配の象徴である。日本国民
はそれまでの不平等格差を政治家や天皇に向けるのではなく、侵略することによって解消
し、それこそ子供だけでなく大人までもが、天皇制の意義を見出すようになったのである。
世紀の大混乱の中で支持された天皇制絶対主義とその思想文学は、現代においても侵略的
意義(琉球民族とアイヌ民族の国家的侵略)の組み込まれた大和民族のアイデンティティー
そのものであり、他民族圧殺という民主主義プロパガンダを脈々と流しつづけているのである。
816 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 22:33:31
もう一つの邪馬台国それは大和朝廷のスレをご覧ください。
817 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 00:43:47
>>758 龍が中原に広まったのは5千年前らしい。
長江流域は鳳凰・太陽・蛇のトーテム。
神武や天武の時に現れた三本足の烏や雀はこの影響らしい。
>周は殷の後裔だろ、したら倭人が周だとすれば龍のトーテムを
>持ってないとおかしい、だがそれは違う。
同意。どうも北方の龍を受け入れなかったらしい。
呉人説のもとになった「太伯」は自ら文身を入れて蛮族になったと
あるのだから龍を捨てたとも考えられるが。
818 :
白馬青牛:2005/12/15(木) 01:38:21
>>811 北方胡族はスキタイ文化の影響もあるが、スキタイ民族のみ指す訳では
なく、アルタイ系北方諸民族も含む。ここでは、西域住民(胡人)では
なく、北アジア系諸民族のこと。ゆえに北朝の鮮卑族も胡族である。
>>813 争点は、北方胡族の筒袖が長江周辺に見られたかに移っとる。
>>814 汚いと言われるんも、郷土方言を馬鹿にされた様な気がするがのう。
方言を郷土文化として誇れるゆえ、変えようがない。
819 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 13:05:07
群馬県剣崎長瀞10号墳の例にも示されるように、
早い段階から馬匹生産拠点となる地域の多くには、
朝鮮半島の文化の影響が強く及んでおり、
初期の馬匹生産者の主体が、
朝鮮半島から渡来したことを明確に示している。
ただし断るまでのこともないが、
彼らの墳墓は、一般に倭の地方墳墓群の一画を構成する場合が多く、
しかも比較的劣位の地位を占める。
朝鮮半島からこの期に渡来した馬匹生産集団は、
平和裡に倭の地方社会に組み込まれたことが判る。
騎馬民族日本征服説のような好戦的議論が成立する余地はない。
日本考古学協会第70回総会 発表要旨 (2004年5月23日発表)
岡安光彦
820 :
白馬青牛:2005/12/16(金) 00:02:45
>>819 「騎馬民族説は今」だけじゃのうて、矢張りここでも、岡安信者が
写し書きしとるのう。
積石塚は、満洲も含むので、朝鮮半島から渡来とは断定出来ん。
明確とは岡光氏の主観的推測。倭の地方墳墓とどうして断定出来るんか。
ほいで優劣関係においても決め付けられる根拠も挙げておらん。
平和裡に?対等かそれ以上の力を持っとらんと地元民に喰われる。
強大な勢力の支配や均衡関係で和平が保たれる歴史も知らん考古学専門家
の理想論であり、平和裡に組み込まれた例が世界史においてあるんか。
事例を挙げとらんので、妄想と云うべきであろう。倭の地方社会とは
何か?東国(東夷)が倭人化されたのは、どのような事例を持って
判断されておられるのやら。騎馬民族征服王朝説に限らず、岡安氏
ご自身が、反論に一切答えられんので、定説を築きあげるのも大変な
ことですと言い訳は多い。まあ定説に異論を唱える者は、破壊者とでも
思うておられるんであろう。
821 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 00:47:04
>>820 こっちに逃げてきたのかw
大室古墳の埋葬者たちは、
飯田の前方後円墳の埋葬者より、
優位な立場だったの?
あんた全然答えてないけど。
そんな事はありえない。
彼ら大室古墳の埋葬者たちは、
川原の石を拾って山の上に古墳を作ってるんだが、
まるで川原の在地民と接触するのが怖いような感じなんだな。
彼らが、もし開拓民なら、堂々と平地を支配できただろう。
彼らは大和朝廷から、大室に移住させられ、馬の生産を任されたんだ。
子供が考えたって分かるよ。
822 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 01:07:03
>>白馬青牛
で、おまえまさか大室の埋葬者たちが、
富山かどこかから上陸して大室の地を支配したとでも思ってるの?
なら大室に来るまでにもっと適当な土地に住んでるだろうが。
例えば黒部周辺とかな。
彼らは捕虜的身分だったから、朝廷から馬の生産を目的に大室に派遣されたんだよ。
823 :
白馬青牛:2005/12/16(金) 01:16:14
>>821 こっちへ逃げとるんはわれじゃ。岡安信者さんよ。前方後円墳の
埋葬者が積石塚の埋葬者と同一種族か、また違う集団であったとして、
優劣関係があったとする根拠はと聞いたんじゃが、それが怖いような
感じであるとか、おどれの妄想じゃないか。
大和朝廷から大室に移住させられた根拠はあるんか。
まあわりゃ、子供の頭脳しかない最後にwを付ける低脳ゆえ、
そう考えるんであろう。
824 :
白馬青牛:2005/12/16(金) 01:21:33
>>822 捕虜の身分や形態について述べてみいや。事例を挙げて。
また大室古墳人が捕虜であったと言う根拠を言え。
825 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 08:19:18
まぁ捕虜ってのは言いすぎかもな。
馬の生産という仕事に携わる事を余儀なくされてたって感じかな。
で大室の埋葬者たちは前方後円墳の埋葬者たちと同等、
または上回る立場だったとでも思ってるのか?
826 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 09:00:14
>白馬青牛
ここでは迷惑だから、騎馬民族スレでやろう。
827 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 10:14:46
>>1 さ〜、どこからでしょうか?
で、わたしら、日本人は誰に統治されてるのでしょうか? 天皇? 象徴だし、
自民党?異論ありだろうし、政治家?まさか! 官僚? ある意味じゃあ! NHK?
う〜ん、マスゴミ全体ならとか!
主権在民てか、特権主権は在日にあり! だな
828 :
恐るべき日本史のカラクリ:2005/12/16(金) 19:37:14
>>815 ttp://blog1.fc2.com/m00m/ ゴルゴ14
●維新の立役者たちの正体(上) -米英に操られた幕末の日本-
(一)司馬史観の正体 (二)生麦事件はイキリスの謀略 (三)ジョン万次郎は米国の工作員
(四)坂本龍馬と勝海舟の正体
.....イギリスと薩長の間には早くから提携関係が生じてをり、文久三年(一八六三)に起きた薩英戦争での奇怪な動きは、既に記した通りである。
この年、長州藩も下関で外国船を砲撃し、翌年八月に英米仏蘭の四国連合艦隊による報復砲撃を受けた。
こゝで注意すべきは、主力のイギリス軍と長州が交戦してゐないといふ事実である。
戦闘は、米仏蘭と長州藩内の本物の攘夷派の間で行はれ、藩内の親イギリス派は事前に連絡を受けて戦闘に加はらないやうにしてゐたのである。
かうして勢カを温存した親イギリス派は主導権を握り、倒幕へと邁進して行つたのである。 .....
(五)明治憲法制定に関与したロスチャイルド
.....「伊藤博文らは、十九年後の一八八二年に明治憲法法を作るために再びイギリスに渡り、ロスチャイルド家の世話になつてゐる。.....
.....ロスチャイルドは、『日本のような後進国にはイギリスの最先進国の政治体制(コンスティチューション)は似合わない』として、
ブロイセン(プロシア)ぐらいが丁度良いだろうと判断して、プロイセンから来ていた意法学者のグナイストやシュタインを紹介した。
このグナイストに家庭教師をしてもらつて作つたのが明治憲法である」 グナイストやシュタインはユダヤ系 .....
●田中角栄を殺したのは誰だ
.....明治六年、政府は欧米列強の強い要求に屈して、切支丹解禁に踏み切っている。.....
.....王政復古と新政権登場の直後から、十数年にわたって続いためまぐるしい政局の転変は、ことごとくユダヤ・フリ−メーソンの仕掛けによる。
つまりユダヤに同調しない国枠派、民族派、日本精神派、穣夷派を、入念な計画で罠にはめて陥れ、排除してゆく過程ではなかったか。
そして彼らが日本民族を操作する手品の種は、安政不平等条約であり、それを改正するためには、日本がより欧米化=国際化(ユダヤ化)することが必要だ、
というエサを投げ与え、どこまでもユダヤ化し、ユダヤ的欧米白人の忠実な番犬となるようにおぴきよせる手口である。こうしてつくられた明治新政府.....
829 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:10:47
青牛って、どっかの福袋みたいだな。
情報が詰まってるようにみえて、使えない。
コメントに価値があれば、ひとつでいいんだよ。だらだら書くな
830 :
日本@名無史さん:2005/12/16(金) 22:33:19
B52-DR15北方弥生ランド
831 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/26(月) 13:00:09
話しを原点にもどしたいと思います.
天皇家のはじまりが高天原の天照大神であるとすれば、その家は佐賀県三瀬村神有であるとおもいます。
832 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:13:09
いま朝鮮と呼ばれている地方から来た。
というようなことも考えられる。
833 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:54:48
ない知恵しぼって考えろ
834 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/27(火) 08:02:06
邪馬台国の人達は半島からわたってきたようです。(半島の前はまだわかりません)
天皇家はその一員ではなかったようです。
九州の平野部がまだ水浸しだった頃、背振の盆地で縄文畑作等をしてくらしていたようです。
水がひき始めた佐賀平野に新来の邪馬台国の人が移住してきたようです。
835 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 09:16:17
倭国は、半島南部と対馬・壱岐、北部九州を領域とする国だったんだよ。
半島南部の領域は、その後、半島の他民族の国に侵略されて失ったんだ。
倭国の王の後継者が後の天皇になったんだけど、それまでには、日本国との
間で紆余曲折があった訳だな。
836 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/27(火) 18:56:48
私は金印奴国は後に邪馬台国になったと考えています。よって天皇家は金印奴国の支配者ではありません。
しかし金印奴国と天皇家は敵対関係ではなく、親密な関係をたもっていたようです。
837 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 20:17:51
倭奴国のことでつね。
838 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 14:35:28
>>834 名前:サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. [] 投稿日:2005/12/27(火) 08:02:06
>>邪馬台国の人達は半島からわたってきたようです。(半島の前はまだわかりません)
卑弥呼や倭人は銅鏡マニアだが、半島人は銅鏡には殆ど興味がないぞ。
839 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 15:04:54
半島から渡ってきたのではなくて、半島南部と九州北部を領有していたんだよ。
その後、半島南部は半島の他国に侵略されたんだ。そのことが、半島から九州へ
渡ってきたように思えてしまう原因なんだ。だけど、それは勘違いだな。
840 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/29(木) 18:28:49
邪馬台国の人が渡ってきたのは、卑弥呼の時代よりずっと前です。
まだ根拠をしめせませんが弥生中期の初めではと思っています。
841 :
正一位関白征夷大将軍 改 禁裏御守衛総督 兼 鎮守府将軍:2005/12/29(木) 18:32:06
傍系!!!
842 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/29(木) 19:58:21
弥生中期の初めといえば、漢が衛氏朝鮮を滅ぼした時期です。
卑弥呼の300年前に邪馬台国があったのか???
844 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2005/12/30(金) 10:00:34
邪馬台国の元になる部族という意味です。
845 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 14:32:52
>>1 >天皇家はどこから来たか
面白くもなんともないが、
普通に弥生時代の畿内の王だったんだろう。
神武東征なんてのは、
7世紀に半島から亡命してきた文官に、
西域の人間が結構多くいて、
彼らから聞いたアレキサンダー大王の話を元にしたんだろう。
846 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 14:41:42
近畿の王ってことは近畿をかつて支配してた出雲も王の末裔だろうか
847 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 17:22:56
機内の前方後円墳からは幾らでも銅鏡は出るが、弥生時代の墓からは1枚も出ない。
弥生時代の墓から銅鏡が出るのは、福岡・佐賀だけ。因みに半島も出ない。
卑弥呼は銅鏡を好んだ。
九州生まれの天照大神は、天皇の祖先にヤタノ鏡を授けた。
その天皇の祖先は九州に天降っている。
(天照大神生誕地と天孫降臨地は、福岡・鹿児島・宮崎の各説あり)
銅鏡を尊ぶ風習は、神話も考古学でも九州→畿内である。
848 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 18:53:42
849 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 19:04:53
天皇家の始祖の功績を証明する証拠が何も無い。
記紀なんて捏造の創り話を都合よく解釈しても妄想に想像を加えるのみ。
証拠が皆無なのは天皇家のの始祖には何の功績もないのではと思えてくる。
吉凶を占わせ集団の行動の指針に使われていた占い師がそのまま奉られて天皇になったかもしれないし。
850 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 20:13:32
>>849 敗戦直後の思想統制時代を思わせる論調ですね。
懐かしささえ感じます。
釣りですかね。
851 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 20:26:03
祭祀を司る者を担ぐとすれば小国家の連合政権だろう。
それぞれの国家の指導者が連合国の主導権を争そうことを嫌いためだ。
卑弥呼も火(日)の巫女としてあったとすれば天皇が祭司の出でもおかしくはない。
852 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 23:52:11
853 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 23:58:29
出雲臣氏?
山城愛宕の?
854 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 09:02:47
皇室の祖地といわれる日向には海洋隼人特有の地下式横穴墳墓があるが、
これは半島の古伽耶に源流があるらしい。
どうやら伽耶で製鉄の利権を握ってたのは隼人なんだろう。
北九州を凌駕したい畿内勢力は、
製鉄の利権という目的で隼人に近づいたんだろう。
最後は神武天皇の「本籍」を日向に移すということまでして連帯を狙った。
で一応、成功。
が、隼人の中には逆らう者も出て、
これが後に「まつろわぬ者・熊襲」と呼ばれたんだろう。
彼らは筑紫の磐井の乱で磐井側に呼応してるしな。
855 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/03(火) 16:34:34
>>845なんでアレキサンダーの話を元にせにゃならんのだ。
第一アレキサンダーはインドまで行ってひき返してバビロンにすんだのだよ。
九州の日向って所からきたよ
857 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:04:36
神社の巫女さんの装束って、
チマチョゴリに似てないか?
858 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:06:24
>>855 >なんでアレキサンダーの話を元にせにゃならんのだ。
たいした伝承もなかったから。
それなりの武勇伝が欲しかったのだろう。
859 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:43:38
>>857 古墳時代の埴輪なんかが着ている北方系の胡服が基だろうから
ルーツは同じだろうな。
でも和服全般に見られる両腰あたりのスリットというかエアダクトというかw
あれは何時ごろああなったんだろう。
860 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:49:42
江戸時代に鳥取に流れ着いた朝鮮人は白装束だったよ。
神主さんのようだった。。
861 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:55:17
古墳時代にはまだ緩めのズボンのような形状をしていた袴が
後世よくもあれだけダブダブになったもんだ。
862 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:55:30
天皇が記紀通りに仮に九州から来たにしても、朝鮮からきたにしても
近畿、それ以北には人種的に影響与えてなさそうだから
天皇家がごこからきたかなんてどうでもいいではないですか。
つまーり、どっちにしてもモンゴリアンなのでーす。
863 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:56:43
それは奴隷だろ
864 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:00:40
上代は中国風でしょう。それまではどうだったかしらないが、
胡服は一部の人の服だったんだろう、庶民は呉服だったんじゃないですかね
865 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:03:24
>>860 確か朝鮮の場合は朝鮮時代は染色が規制されてたかして
白色か染色技術の未熟さからくる淡い色の服しかなかったんだよ
上級の人間以外は。
866 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:05:54
ちょんまげてどこ発祥なんだよ。
867 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 01:14:42
古墳時代の衣服が真っ白で表現されているのは
色がよくわかっていないからだそうだ
弥生時代の吉野ヶ里遺跡の支配階級が絹に赤色の衣服を着ていたように
実際は何らかの染色はあっただろうね
868 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 10:44:28
>>862 天皇家が九州から畿内へ移ったことは当然の前提で、
問題は、どこから九州へ来たか、ということでしょ。
869 :
サガミハラハラ ◆SZOL/4WL.. :2006/01/04(水) 12:41:39
日本在来種というみかたはないのでしょうか。
究極をもとめれば、アフリカからとなりますけれど。
870 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 12:53:39
あんまりいうと真実に近づくので憚りあるんだけれど。
弥生時代の均質化されてないデータと
古墳時代の均質化された各地のデータがあります。
天皇家がかりに記紀どうりに九州から畿内に入ったとしても
近畿の人に天皇家が形質に及ぼした影響は皆無だと思います。
あと、物部ってどこの出身なんだろうか。
871 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 12:59:02
遡るなら列島外から来たんだろうけど
弥生人にも北方系と南方系と縄文系がいたそうだし。
神武の東征が事実を反映しているとしても東征は紀元後の事だろう
その三つの系統が混血した九州の倭人が天皇家の祖先ということかな。
872 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 13:00:22
シカの骨占い師である藤原(中臣(なかとみ)=ト部)は
縄文後半の山東(龍山文明)
の人である可能性ありますよ。山東となんらかの関係があった
人だと思う。
この時、列島の人に人種的な形質の変貌、文化的な影響はまだ見られませんが、
ト部は絶大な権力をもち列島各地に影響を及ぼしたはずです。
873 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 13:11:30
物部(児玉、鈴木)はおそらく、
日本海近辺から入った半島出自の人でしょう。
列島東半分に絶大は影響を及ぼした。
伝承からいえばそう捉えるのが自然。
出雲の荒神谷,古浦の住人ではないか
874 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 13:40:47
もみじ饅頭(白馬、青牛)はおそらく、
日本海近辺から入った半島出自の人でしょう。
騎馬民族説は今。。。vol.4に絶大は影響を及ぼした。
罵倒からいえばそう捉えるのが自然。
2ちゃんの日本史,お国自慢の住人ではないか
まあね、ほんとに騎馬民族率いてやってきたんなら記紀にあるような逃げまくりな東征にはならなかったでしょうね。
強い奴とあたるとすぐ迂回してまあ賢いと言えば賢いんだけどどうもイメージがね。よくないよね。
876 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 19:26:35
当時の先進国中国の易姓革命思想を排斥してまで
皇統を維持しづづけたのを考えるとやはり呉の太白説のように
大陸の名家の出身なのかも
まあね、武士団の台頭までは権力握ってる奴らだって実質的な武力はなかったからね。
権力掌握するにはこんな方法もあるんだよって前例作っちゃうと低い身分に押さえられてた地方豪族どもをいい気にさせちゃうからね。
やばいよね。
878 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 23:01:15
天皇家は、武力によって列島の統一をなした武人集団であったことは記紀に明記
されていますね。
天皇家が実質的な武力持ってたのっていつの時期まで?
天智天武あたり?
880 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:47:30
>>870 >あと、物部ってどこの出身なんだろうか。
出雲。
882 :
がいやまん:2006/01/06(金) 12:10:36
神武も「天孫もいろいろある」と、小泉首相のようなことをいっているが、
http://inoues.net/yamahonpen10a.html ↑「もうひとつの天孫降臨」というように古代からの多くの伝承があり、
その中に物部がでてくる。現代の考えはあたかも民族移動があったかの
ようだが、漏れとしては神武のように「いろいろある」のではないかと思う。
神武はお宝、呪具、の見せっこをしているが、これは3種の神器と同じルール
でセットになってなくてはならないということのようだ。九州、出雲、吉備、
丹後河内、大和、秋田に各一個師団程度が降臨&/or移動したのでは。
883 :
がいやまん:2006/01/06(金) 14:58:33
884 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 15:57:12
>>882 物部って、強力なわりに天皇のお后さんを出さないと聞いたことがある。
武家は公家とは合わないのかねえ。
885 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 16:10:59
天皇が確固たる立場をもてたのはいつから。。。?
定かではない。
途中でどう血が切れていても不思議でもなく、当然ありえる。
もう、天皇はいいんじゃないか?人間国宝として祭ってあげようじゃないか。
886 :
がいやまん:2006/01/06(金) 17:07:49
>>884 シビリアン・コントロールではなく、王族スキタイとモノノフ・スキタイの通婚タブー
ってなものがあったのかもね。
887 :
がいやまん:2006/01/06(金) 17:13:18
>>885 イラク見てみなよ。治安維持コストとしては安いもんだよ。破壊は簡単。
だが創造は難しい。英国なんかじゃ独立した民間組織だしな。
888 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 17:38:45
日本の不均一性みるに古代からバラバラだった気がしてならない。
イラクみたいな感じだったとおもう。
889 :
がいやまん:2006/01/06(金) 17:47:00
>>663 ミスタイプがあるね。軍事組織ってこった。
ユーラシア草原で騎馬民族の定着農民収奪が始まるBC1800年頃、バルカンから
アルタイの山沿いに高地性逃げ城建設が始まり、エーゲ海で入海、海の民となる。
これが海人族、倭寇みたいなもの。これが1000年後中国北辺で戦国時代をもたらす。
その勢いは半島を南下、列島に及ぶ。これが高地性集落の起源だと見ている。
ミリタリーな時代だったんだろう。
890 :
がいやまん:2006/01/06(金) 17:49:27
>>888 尊皇攘夷、肉弾3勇士、特攻、人間魚雷なんかもイラクにはある。
891 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 18:05:35
言語学的観点から言えば、天皇なり日本人が原住民だったとしても縄文人だとしてもアイヌ系ではなく沖縄系でしょうな。
だから天皇の起源を知りたければ沖縄人の起源を探ればいいわけだ。
沖縄語は唯一日本語と同じ系統の言語であり、アイヌ語とは根本から異なる。
だったら沖縄人の起源は北方モンゴロイドかテュルクかのアルタイ語族なのではと思いたくなる。
ところが日本人と違って沖縄人は遺伝子的に見ればかなり縄文人的だ。
これはおかしい。
仮に被支配者層が縄文人で支配者層がアルタイ語族であったならば、少なくとも日本人並には混血しているはずだ。
しかし沖縄人の混血度はそれに比べて低い。
困り果てた挙句、出た結論は沖縄人の起源はドラヴィダ語族だってこと。
892 :
がいやまん:2006/01/06(金) 18:27:12
>>891 5300年前の喜界カルデラ爆発で西日本の壊滅した頃、当然沖縄人などは真っ先に
消滅しているはずで、鹿児島上野が原の博物館によればその後真っ先に来たのは
東北縄文人。であるから九州南部は東北縄文人の子孫。その後九州に北部から
進入してくるのはツチグモのワイ族みたいなのではないのか。
893 :
がいやまん:2006/01/06(金) 18:32:24
肥前・肥後あたりの縄文人が朝鮮半島あたりに避難し、回帰すると言うプロセス
は考えられるね。
894 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 19:43:03
>>893 九州・沖縄あたりの縄文人が中国あたりに避難し、稲作文化を得て
回帰すると言うプロセスは考えられる?
895 :
がいやまん:2006/01/06(金) 19:46:48
長江の津波で不周山が崩壊、地軸が傾き、江南の文化が北上する。共工伝説
等からするとちょっと考えられないけど。
896 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:32:16
さっき皇太子がテレビでこのスレ見てますって言ってますた。
897 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:50:00
縄文土器の系統では、半島系の楠目縄文土器が西九州から南西諸島
沖縄に広がってる。
そして鹿児島起源の縄文土器は九州北部
沖縄に広がる。
本州起源の縄文土器は東九州から九州全体に広がっている。
898 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:51:36
沖縄に日本人のナゾが隠されているのは間違いないわけである。
899 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:58:09
藤原氏は漏れは山東の占い師じゃないかと思ってます。
藤原氏は倭の占い文化と温帯ジャポニカを倭にもたらしたか
あるいは、逆に倭の温帯ジャポニカを山東に伝えたのでは
900 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 20:59:26
倭の占い文化×
山東の占い文化○
901 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:05:36
桜島、阿蘇山の大噴火の規模はどの程度のものだったのであろうか。
902 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:21:38
7000年前と書いてある記事もある
喜界カルデラ爆発。
いずれにしても縄文中期にあたる、縄文中期といえば沖縄から
九州系の土器が発掘されなくなった時期と一致するように思う。
縄文後期に沖縄と九州との交易が盛んになるまでこの噴火が影響してる
のだろうか。
903 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 21:58:31
そもそもどうして縄文時代に東北に人口が集中していたと
言い切れるのであろうか、当時もシベリア寒気団があったであろうに
904 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:29:15
縄文海進っしょ
山東出身と言うことは藤原氏はでかい奴が多かったのかな?
906 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:57:28
山東起源と同じ占いしてそれで、山東の文化は倭には伝わってないのだから
藤原一族のみ山東からきたと考えるのが自然だとおもう。
大王家以前の大王みたいな感じだったんではないかと
907 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:13:47
温帯ジャポニカの北限あたりにも山東あたりはなるんではないかと、
この品種が山東から伝わったとき、(あるいは倭から山東に伝わったとき)
一気に列島東北部にまでこの品種が伝わった。
このとき、藤原氏の権威も列島東北部にまで広がった。
しかし、それ以前(縄文時代)にも稲自体は列島にあったので稲の
交配が行われたんじゃないかな?
有明海沿岸の稲は微妙に細長くインディカ米系の可能性が強いという
佐賀大の先生の調査があったね。
908 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:20:56
藤原家と天皇家は物部以上に一蓮托生
909 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:52:06
扶余(プヨ=鹿)も山東人のその占いの影響を受けているんでしょうかね。
東夷伝みるに、
北部九州の臣民系の渡来人は扶余、匈奴の系統だと思う。
彼らは田舎の方に移住させられたので漢の人は知らなかったんでしょう。
扶余そっくりの風俗持っていた半島西南部に居住していた難民でしょ。
910 :
がいやまん:2006/01/07(土) 08:45:52
911 :
がいやまん:2006/01/07(土) 11:41:48
http://www.jin.ne.jp/smc/no4/no4.htm だから↑のYAP(+)のチベット・日本への流入は筑紫、筑波、ツボケ及び兜跋、チベット、
トゥ族に含まれる土という言葉を手がかりにすると、バイカル東部を中心として日本と
チベットに落ち着いた染色体のはるかな旅路を想定さす。それは縄文時代のことでは
なく弥生の終わり頃のことであったのではないかというのが漏れの考え江なんだ。
912 :
がいやまん:2006/01/07(土) 11:59:34
つまり、アイヌは多くの周辺民族同様YAP(-)であった北日本縄文人とそこに
迫ってきたエミシというか、中央ユーラシア起源の鹿文化民族との集合ではない
のかということ。
913 :
がいやまん:2006/01/07(土) 12:23:52
914 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 12:26:29
四川省にミコという村がありイ族というのが住んでます。
なんか関係ないですかね〜
915 :
がいやまん:2006/01/07(土) 12:40:19
「日本人はどこから来たか」の話で「天皇家がどこから来たか」の話からどんどん離れているな。
問題は2世紀後半から3世紀前半の天皇家の移動だ。
917 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:26:08
自治厨はどこからきたか
918 :
がいやまん:2006/01/07(土) 14:24:33
漏れは初代は卑弥呼、神武后であり、出身は摂津三島の豪族、第二世代は丹後
のトヨ、崇神、垂仁グループ、そのあとは和邇、オキナガなどの豪族、そして、河内
王朝、この辺まではなかなか不安定といったところか。卑弥呼の前には倭国乱、
欠史8代があるが、舞台は吉備・播磨が中心であり、邪馬台国はなかったと思う。
919 :
がいやまん:2006/01/07(土) 14:49:50
神代の天皇家の系図はおそらく神武が消息不明になる遠賀川下流域地帯
または香春、英彦山周辺にあったが、大和朝廷の影響力が及ぶのは苅田
の石塚山古墳の頃であろう。この系図が切り札となって丹後・河内の旧政権は
失脚するのだと思う。
920 :
がいやまん:2006/01/07(土) 15:05:33
大和政権は豊前をかき回し最終的に宇佐神宮ができたのであろう。そこに祭られる
ものこそ大和から進入した権力者たちの名前だと思う。つまり、オキナガ、タケシウチ
これらが九州の系図を奪い、応神を新王朝の開祖にするのだと思う。このおかげで
辛国息長大姫大目命の話などが消えてしまった。しかし、平原遺跡にはそうした
女王の形跡がヤタノ鏡のような大型鏡と共に残っている。
921 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 15:17:59
不思議・・・魑魅魍魎・・・・意味不明の・・・・一族
天皇・・・ 君って何???
922 :
がいやまん:2006/01/07(土) 15:18:51
923 :
がいやまん:2006/01/07(土) 15:30:14
九州北部で伊都国はハヤヒワケ、奴国はシロヒワケ、倭人伝は県主クラスの
官をニキと呼んでいる。さすれば、ニギハヤヒとは伊都国王、つーか、火の国
の国王、これがどうやら丹後、そして、河内へと入ったようだ。すると、河内政権は
なんのことはない、ご先祖の系図の欠けていた部分をいただいたということに
過ぎないのかもしれない。
924 :
がいやまん:2006/01/07(土) 15:38:58
皮肉なのは、政争に破れ、自分たちの河内での歴史は正史に計上できず、
先代旧事紀というようなアングラ史書となってしまい、正史ではこの間は
欠史8代となっている。
925 :
がいやまん:2006/01/07(土) 15:54:47
神武は日向を出るときに40才で、妻子があるとされるが、大和でもイスケヨリ姫と
セックスをしたとされている。また年齢も何百歳といったものである。しかし、全能の
女王卑弥呼の御託宣であったとしたらその言葉に逆らえるものはない。魏使の聞いた
ように陰では夫もいない、誰も姿を見たことのない老女というのが真の姿であろう。
古代人はアラタマ、ニギタマというようにバーチャル空間で生きていたのかもしれない。
かれらは既にスターウォーズの世界にいたのかもね。
天皇家の出自は九州を統治していた王族に連なるという伝承を持つ豪族の一つ。
大和へは先兵として侵入し地元の豪族と結び力を蓄えていった一族。
927 :
がいやまん:2006/01/07(土) 17:58:37
初代は崇神であるが、中国の史書倭人伝はさらにそれ前に卑弥呼が共立された
としている・・・という風にするのがいいのかなー。
928 :
がいやまん:2006/01/07(土) 18:26:52
三輪神社の摂社から見るとヒメタタライスズ姫というのが神武妃で、ヤマトトトビ
モモソ姫というのが箸墓に埋葬されたと考えるのがいいかも。つまりヒミコ一世、
ヒミコ二世といった感じかな。
天皇家と卑弥呼とはほとんど無関係
930 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 19:47:12
>>天皇家って何処から来たの?
九州じゃね?
それとも渡来系弥生人が日本列島に渡海してきて
縄文系と交じり合って倭人が誕生する昔にまで遡るのか?
931 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:02:48
渡来系弥生人ってなんだよ。
弥生人は、弥生時代の日本人であり、渡来人じゃあないぜ(W
932 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:04:28
勾玉・鏡・剣
九州の族長で決定ですありがとうございました。
933 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:11:56
勾玉・鏡・剣
当時、糸島の倭人は体に朱色を塗り、布の真ん中に穴あけたような
衣服だったそうです、男は入れ墨をし
そして勾玉と剣と鏡を宝としてました。
現代神道のイメージとは全く違います。
神道は明らかに新羅や扶余の白衣を好む風習を受け継いでいます。
白衣、白旗文化の出雲系と鏡、剣、勾玉(倭の伝統)の九州系
融合なのだろうか
934 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:14:43
鏡は魏の贈り物で冊封されたという証明だった、これによって
倭(糸島周辺)を魏に守って貰うのが目的。
935 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:17:53
現代神道は新羅、扶余の白衣の文化そのものです。
どこからきたんだ、神道とは。
936 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:23:58
最初、宝は二つだったが、藤原氏が一つ加えたんではなかった
この一つとはなんだ?
937 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:28:13
明治になって欧州の影響で、正装は黒となったけど、
それ以前は、白でしょ。
葬式とか全部白服だったようだしょ。
938 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:35:36
「しるし」ってどんなデザインだったの?
当然現代まで伝わっているはずだし・・・ もしかして
日の丸?
939 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:36:12
鎌倉以降の出雲系の強い白信仰の文化の影響なんじゃないかな?
940 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:44:25
>>937 死装束は白。切腹するときこれを着る。
朝鮮では葬式や正装は白。
日本の葬式では、葬られる方(死人)は白で、葬る側の人は黒です。
正装は神道では神職の階級ごとに正装の色が決まっている。
明治以降は洋装・和装とも白か黒が正装のいろです。
941 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 20:49:11
この白って東国の影響が強いんじゃないですか?
東夷伝には扶余、新羅の風俗をそうハッキリと書いてます。
倭人伝には葬式のようすも書かれていますが、
白を着るということは書かれていません。
942 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 03:49:13
御間城は任那から来た男って暗示
書記では逆に御間城が任那の語源になったと
正反対のことにして隠蔽しているけどね。
943 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 04:08:19
>>942 その珍説はよく聞くけど、その場合
崇神以外のイリヒコやイリヒメの名を持つ人物はどういう解釈になるの?
944 :
がいやまん:2006/01/08(日) 09:31:36
↑イリヒコ、イリヒメにつきこういうのがある↓
http://www.infonet.co.jp/nobk/other/suinin.htm 「@必ずしも親から子へ伝承されるものとは云えない。親が入彦入姫でないもの7例。
A母から子へ伝えられているものが5例。
B父から子へ伝えられているものが10例。
C同母子がすべて入彦入姫の名を持つのは僅かに1例。(豊城入彦兄妹のみ)
D入彦と入姫が結婚した例はない。
E天皇の皇子皇女に限定されていない。皇子女以外のもの5例。
これらから云えることは、入彦入姫の意味は明らかではないが、何らかの尊称
であって、特定の家系を示すものではないことだけは明らかである。
従って、崇神と垂仁は「イリヒコ」の名を共有してはい」
これから考えると、
1.天皇には限らないが、皇族レベルに限定される。
2.入彦と入姫が結婚した例はないということは、社会的に統治者として君臨した
もの。
3.城(大規模構造物)と関係がある。
以上のことから導かれる仮説としては、イリヒコ、イリヒメが生前の統治実績に対して
死後に贈られるシゴウであり、具体的には古墳に埋葬されるレベルのひとであった
ことを意味すると解釈すると無難である。
945 :
がいやまん:2006/01/08(日) 09:47:00
このように解釈するとミマキというのは天皇陵という普通名詞となる。じゃー、初国
しろすだからこれが箸墓の被葬者かとくると、ヤマトトトビモモソヒメというすごい
名前がある。これも同様にシゴウとする鳥が飛び、神功皇后のようにスカートの
すそに重石をつけたように開いた形の古墳に葬られた女王ともとれる。民間であれば
「エミシ」、「イルカ」、「アカマラ」なんて名前をつけて平気な時代であるから、天皇
といった公職に就く人間にジャック、ジョーなんて平民的な実名が残るはずはない。
天皇名は何らかの占いのようなものの結果で決まったのではなかろうか。
946 :
がいやまん:2006/01/08(日) 09:54:37
田中真紀子さんの場合、マキコイリヒメになっていたのかなー。ご主人は
田中ネコかな。
947 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 10:21:13
どこから来たがしらねーが
日本国統一の礎を築いた
天皇様のご先祖に感謝!
948 :
がいやまん:2006/01/08(日) 11:02:46
ヒミコ政権下、崇神はその漢字の意味からすると近衛師団長「ミマカキあるいはミマシ」
であったとするより、むしろ、官房長官、ヒミコのホストであったのではないかと思う。
ヒミコは実際には相当早くから死んでおり、実際は彼がヒミコの名を使って各種の
鏡のデザインで魏に発注したり、豪族に分配していたのだろう。すると、ヒミコの死の
公表は共立政権の構成豪族に大問題を引き起こす。前方後円墳建設というのは
ヒミコのカリスマを授権するステージ作りであり、崇神の名前やイリヒコが古墳と関係
を持つということは、崇神が箸墓でヒツギの儀式を行ったとか、死後そのどこかに
埋葬されたとか言うことがあったのかもしれないとも考えられる。
949 :
がいやまん:2006/01/08(日) 11:24:14
太陽(アマテラス、ヒミコ)が隠れて昴(スメラミコト)がうまれる。これは古代人の
宇宙観に合致している。倭国乱の乱世を統一するのは女性の太陽神であり、それを
継承するのは昴の子供たち、スメミマ、であるというのは見事な天皇起源ストーリーと
いえるのではないか。
もういいから帰れって。
951 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 11:37:30
歴史読本読んだ?
天叢雲剣の実物って
やっぱ細形銅剣とか三雲の銅剣っぽい物だったのかな。
十束だか八束だか言うでっかい奴だっけ?
954 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:46:34
>>944 >D入彦と入姫が結婚した例はない。
「イリ」は入り婿のイリじゃね?
邪馬台国(九州王朝)と狗奴(南九州+近畿)の政略結婚
(耶律)夷列≒イリ→西遼の仁宗をイメージする。
誤爆御免!!!
邪馬台国は大和朝廷の前身。
どう考えても。
957 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:30:51
>>952 三雲王墓の銅剣は類例が無いレアな物らしいね
958 :
がいやまん:2006/01/09(月) 14:48:16
>>954 どうやら、案件ごとに調べた結果がああいったものらしいからね。まー、当時
母系社会であったというが、母系であっても、政治的に切れる場合もあるだろうし。
959 :
がいやまん:2006/01/09(月) 14:51:30
>>957 戦国の徐福の先祖のものであってもおかしくないよな。
960 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:55:54
弥生時代に階級が生まれた際に頂点に立ったヤツ。
961 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:56:42
天皇=サンカ
962 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 15:30:46
>>954 邪馬台国(ヤマト)と狗奴(南九州日向+南近畿熊野)の政略結婚
崇神は卑弥弓呼or子
>>956 卑弥呼や壹与に該当する人物がいないのでどう考えても別。
天照=卑弥呼
高天原=邪馬台国(大和)
タカミムスビ=張政
天孫降臨=狗奴(日向)との政略結婚
神武東征=狗奴(傍系)から入り婿を迎える
神勅
豊葦原の千五百秋の瑞穂の国はこれ吾が子孫の王たるべき地なり。
よろしく爾皇孫就きて治せ、行矣寶祚の隆えまさむこと
まさに天壌と窮りなかるべし。
966 :
がいやまん:2006/01/09(月) 17:03:26
↑
豊=豊前・豊後、芦原=東方国、つまり、九州の東方にある一切の稲作国家
も皇孫が治めるところである。こういう風にとるとどうも豊前、豊後に天皇の
本拠地があった感じだ。やはり、神武の向かった岡港あたりがくさい。
967 :
がいやまん:2006/01/09(月) 17:34:59
しかし、これは単に豊前の豪族が周防・安芸方面の多くの水田を支配下に置こうと
して姫島あたりに進出を企てる頃の伝承かもしれない。
968 :
がいやまん:2006/01/09(月) 18:03:44
>>959 三雲の被葬者がウルサンから渡来した伊都国県主イトデの先祖であるとすれば
話がうまく合う。仲哀に献上する鏡も平原遺跡の大型内行花文鏡とすれば面白い。
九州の東遷ではなく大和の九州征伐しかなかったということになる。伊都国県主
の系統は香春で国産銅鏡等の製作にも関わり、吉備、大和等に移動するのでは
なかろうか。かれらは古代中国の瀛、徐、秦等とのつながりを標榜し秘密結社的
な活動をし、後世の陰陽道的なものにつながったのではないかと思われるんだが。
フツは始皇帝から速射弓を支給されているというがどんなものだったんだろう。
徐市はスサノヲですか?
970 :
白馬青牛:2006/01/09(月) 22:59:09
>>967 安芸に、多くの水田があったか、どうか解りませんね。
江戸期でも平地の少ない安芸の水田を引くのには、斜面を利用し、
そうとう苦労しておりますから。豊かな地域ではないんです。
それ故、明治以降広島は、海外移民も日本一多かったわけで。
安芸古墳人が縄文的形質が多いことも関連するでしょう。
当時は、水田よりも海上拠点の方が重要であったでしょう。
971 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:05:19
安芸地域は長門、豊、伊予の秦帝国系とは少し違うのかな
言葉も微妙に違うようですが
972 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:31:54
安芸の佐伯という地名は佐伯氏由来だろうか
973 :
白馬青牛:2006/01/10(火) 00:32:38
>>971972 安芸地域は、縄文的古墳人・蝦夷・関東武士の影響から周辺と違うで
しょう。
佐伯部は元来蝦夷です。
そのことは、『民俗・神話学板』「蝦夷とはなに?」にも、
わしは書いております。
974 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 01:25:24
拝見させて頂きました。
壱岐、安芸などの佐伯部というのは大和朝廷が設置した
蝦夷居留地と理解してよいのでしょうか?
豊、伊予、長門地域にあった秦の勢力と大和の連合政権
邪馬台国の位置もほぼ確定したとみて良いように思う。
佐伯氏とは何者なのだろうか・・
975 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 02:19:19
>>942 上代語では「来(き)」と「城」って発音が違ったんじゃないか?
976 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 02:21:46
>>1 >長江漢民族説
長江流域には昔も今も非漢民族が大勢暮らしているのに。。。
200万年前には今のケニアあたりにいたよ
978 :
がいやまん:2006/01/10(火) 08:58:09
広島県、山口県のアクセントが群馬、武蔵、相模と似ているのも佐伯部の関係か。
白人坂上田村麻呂も鹿狩りを常としていたようで、やはり、東国蝦夷出身だろう。
しかし、ブロンドのようであるから、トルコではなく、更に西のイラン系かもしれない。
979 :
がいやまん:2006/01/10(火) 09:03:32
アクセントというより、イントネーションが似ている。遠州、三河、美濃と続く感じだ、
甲信越北部から山形県日本海沿岸にかけては関西弁に似たアクセントがある
感じがする。
980 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 11:12:54
つまらん
てか、雅子たんもチンポをしゃぶりまんがな
弥生時代が紀元前10世紀まで遡るとか結局どうなった?
982 :
世界@名無史さん:2006/01/10(火) 12:51:23
紀元前の日本列島ではすでに広大な政権が
存在していた可能性もあるよね?
983 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 12:55:35
984 :
世界@名無史さん:2006/01/10(火) 13:07:55
紀元前の日本ではすでに広大な政権が存在していたのでは?
弥生時代の始まりが紀元前10世紀に遡るといわれているから。
弥生時代を全体的に見直すと聞きましたよ。
985 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 13:46:12
3世紀の西九州の縄文系弥生人が主導権握ってやってたのだろうか
986 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 14:46:58
>イントネーションが似ている。遠州、三河、美濃と続く感じだ、
人に言わせると薩摩、長崎とも似てるという人もいます。
芸備は関西や長門・豊・伊予と異なる独特の
イントネーションだと思います。
ただ佐伯部の設置からだけでも大和政権の実効支配領域が
読めるような。
佐伯とは何者なのか〜
土佐弁と富山弁って似てるんだけど
関係は・・・なさそうだよね
988 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 18:05:47
>>987 富山県って、石川県の隣?
だったら似ているなんていうのは失礼かも。
昔久米ひろしの番組で、
全国一美しい方言は金沢の加賀弁、
全国一汚いのは高知県の土佐弁
だと言われてました。
989 :
がいやまん:2006/01/10(火) 18:32:11
>>986 佐伯部ですが、サエを賽、辺境国境、とすると、辺境の砦を防衛するものとなる。
スコットランド駐留のローマ軍は長城の彼方の蛮族と談合、国家資産を蛮族の
長につぎ込み退職後は天下りしたようだ。坂上なんざ、逆に、蛮族から逆
玉されたのかも。中央政府はスコットランド守備隊にフンとの戦闘のためにダキア
への転封を命じている。坂上がアテルイを連れてくるのも馴れ合いのところが
あったのかも。霞ヶ関のお役人もサマーワに転勤してもらうかな。
990 :
がいやまん:2006/01/10(火) 19:09:26
中央政府には月山神社をいくつも建設するなどといいながら実際には「坂上田村麻呂」
の「ネプタ」を作らせ、ラセラーを踊らせていたのかも。
991 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:41:19
>>987 京都を中心にして、同心円上に似たような言葉使いの地域がある
993 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 19:54:48
神木信仰と孫木の関係を考えろ。
>がいやまんさんへ疑問
小出しにして書き込む理由は?
995 :
白馬青牛:2006/01/10(火) 21:35:29
>>974 佐伯部は、「山之佐伯 野之佐伯 普置掘土窟 常居穴」と高床式住居で
生活しておらん狩猟採集的要素の強い集団であり、後の大和政権の
捕虜か軍人奴隷の軍事・武人部族でもあります。
がいやまんさんが「さえぐ」と書いておられたよう、防衛的役割を持って
おった集団でしょう。
広島のイントネーションは、関東・東海的であると思います。
996 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 21:56:35
「フツ大神」を祭る石上神宮
フツ大神とは徐福のこと
次スレ立てろよ
ついでに1000ゲット!
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。