1 :
日本@名無史さん:
最強の男と最強の流派は?
3 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 14:08:12
最強:ヒョードル
流派:サンボ
ゆ・4ちょる
>>1 >最強の男と最強の流派は
最強について論じるなら
>>2でこのスレ終了。
剣豪や剣術について語るなら続行か?
それでは剣豪や剣術について好きに語りましょう。
スレタイ通りに。
剣術や剣客に興味があるのですが、まだ勉強不足で、剣客のすごい逸話などを
知りたいのですが。どうでしょうか?
9 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 00:31:44
最強:ヒョードル
流派:サンボ
10 :
宮本武蔵:2005/08/18(木) 10:54:11
剣豪という概念は、日本の江戸期特有のものだねえ
日常生活の中で「刀を持ち歩く習慣をもつ国&時代」なんて他には無いよね
当然、皆ヨロイつけてないわけだから、戦場ではあまり役に立たない「日本刀」というものが発達したわけだし
重いヨロイつけてれば、周作が提唱した「軽やかな進退」なんてできないだろうし
戦国時代のような時代ならば、某流の「そくいづけ」みたいな泥臭いテクニックがもっと発達したかもね
江戸時代に腰に刀つけるの禁止してれば、どーなってたろう?
中国拳法みたいに柔術がもっと発展したかな?
11 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 11:36:18
たいていの古流は泥臭いです。
竹刀稽古が一人歩きし始めてから、真剣との開きが大きくなった。
12 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 11:40:57
成年男子が腰に刀を帯びるのは江戸期以前からの習慣です。
江戸期は二本差しが武士の証というだけで、脇差しその他の携帯は決まりなし。
旅人は軽快な長脇差しを好んだ
>>10 >「そくいづけ」みたいな泥臭いテクニック
相手の剣に己の剣を常に貼付けたように戦うテクニックだと記憶するが
それって泥臭いか?
14 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:52:59
剣術について、一刀流か新陰流かどちらがすごいのか?
単に、上泉信綱と伊東一刀斎どちらが強いかではなく、
弟子や派生した流派を含めて考えてみませんか?
それは幕末を賑わした、北辰一刀流を生み出した一刀流でない?
一刀流は、中条兵庫守長秀が創始した中条流の、鐘巻自斎から教えを受けた
伊東一刀斎景久により創始された、その弟子には小野派一刀流の創始者
小野次郎右衛門忠明、唯心一刀流の創始者、古藤田勘解由左衛門俊直がいる。
新陰流は、愛州移香斎久忠が創始した陰流の、移香斎の子、愛州元香斎宗通
から教えを受けた、上泉伊勢守信綱により創始された。その弟子には柳生新陰流
の創始者柳生石舟斎宗厳、タイ捨流の創始者丸目蔵人佐長恵、疋田陰流の創始者
疋田文五郎景兼がいる。どちらもすばらしい流派である。
創始者の有名な弟子の数だけなら、新陰流のほうが多いと思うけど。
派生した流派の数は一刀流のほうが多そうだね。でもこの二つの流派
創始者の習った流派も含めて、多くの流派に影響を与えてると思うよ。
剣聖と呼ばれた上泉信綱が創った、新陰流。
上泉信綱こそ最強の剣豪だと思う。
19 :
10:2005/08/19(金) 11:22:09
>>13 幕末はしない剣道が盛んだったから
「そくいづけ」みたいな古流かつ、鎧武者同士の実戦向きの地味な技は
流行らなかったんじゃない?
個人的には個性あって好きだけど
稽古が凄いんだよね
四股を踏ませて、その上に人が乗って揺さぶるとか
防具も独特だったような
20 :
10:2005/08/19(金) 11:27:30
補足
これは馬庭念流の「そくいづけ」ね
他の流派にあるかどうかは知らん
薩摩の示現流
22 :
薩摩っぽ:2005/08/19(金) 16:56:14
チェストー関が原!
>>20 他の流派にあるかどうかは知らん
→一刀流では即意付けと書き、相手の刀に自分の刀を合わせることは
馬庭念流のそくいづけと同じだと思うが、相手の意思を読み取り相手と同時に
意に即し、刀を動かすことを教えている。
24 :
YAP?:2005/08/19(金) 21:43:53
>14
新陰流と中条流→富田流との比較であれば、もう勝負はついているように思われる。
関白豊臣秀次の兵法師範は、新陰流の疋田文五郎と、富田流の長谷川宗喜だが、
両者に兵法を学んだらしい肥前唐津寺沢家師範で電撃流の開祖中江(中井)新八が、
長谷川門下というよりも、疋田門下を称していることで明らかだろう。
中条流〜戸田流/富田流と、新陰流を併修したと思われる江戸時代の、絹川流や
気楽流なども、たしか、疋田の弟子が戸田越後守とかいうわけのわからない
伝系(師資相承)を出していなかったか?(チョイ、今、武芸関係の資料が
出せないので記憶のみで書いているので、間違っているかもね)
>>24 疋田文五郎は柳生宗厳に三度立ち会い、全て勝ったと伝えられる。
長谷川宗喜は富田の三剣と呼ばれていたが剣の腕は、知りません。
27 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 22:30:27
五輪の書って、ただの実用書だろ?
28 :
YAP?:2005/08/19(金) 22:55:27
>>25
その柳生兵庫助利厳も疋田の弟子とされているが、これは、柳生宗巌が、
柳生流の正統後継者として、兵庫助を定めたのに反発する一族を、抑えるために
上泉伊勢守門下の最長老・筆頭者としての疋田の盛名を借りたのだろう。
柳生十兵衛ってほんとに強かったの?
隻眼じゃ無かったっていうし、
小説とかの影響大きそう。
神道無念流、心形刀流、直心影流がどのよう生まれたのかが分かりません。
神道無念流は、福井兵右衛門嘉平を開祖とし新神影一円流
を学んでいたという。
心形刀流は、伊庭是水軒秀明を開祖とし柳生新陰流、本心刀流などの
流派を学んだ後に創始した。
直心影流は、松本備前守尚勝の鹿島神流を山田平左衛門光徳が直心影流と
名づけた。
>>21
示現流は確かに強いですね。力強い剣術で好きです。
新当流をつくった、塚原卜伝は日本史上最強の剣豪だと思うが異論はあるか?
チョコボール向井
沢山の相手と戦った宮本武蔵。
最強は拝一刀だって」。
将軍にして
剣豪だった
足利義輝。
本で読んだけど
マジ、かっこいいから。
桃太郎こと松平鶴次郎
練兵館の仏生寺弥助
加藤鷹
強い
新選組局長近藤勇は?
新選組なら沖田総司だろ。
そんで永倉新八、斎藤一、土方歳三、近藤勇。
新選組ならこの順番。
緋村剣心
新選組なら服部武雄はどうか。
>>42 芹沢鴨、山南敬介、伊東甲子太郎らは剣の腕は一流だと思うが。
皆、新選組に粛清されたが。
46 :
平隊士:2005/08/22(月) 01:33:43
斎藤一が最強だったと思う。
やっぱり剣の強さは流派だろ。
新撰組なら近藤、土方、沖田、井上が天然理心流だし。
山南、藤堂、伊東らが北辰一刀流。
永倉、芹沢らが神道無念流。
斎藤は一刀流? 大体こんな感じ。新撰組ではパッとしないが
北辰一刀流はいい流派だ。
幕末の江戸三大道場といえば千葉周作の北辰一刀流玄武館。斎藤弥九郎の神道無念流練兵館。桃井春蔵の鏡心明智流士学館。これに伊庭の心形刀流の練武館を加えて江戸四大道場と呼ぶ。残念ながら天然理心流の試衛館は田舎道場だったため入らない。
49 :
48:2005/08/22(月) 02:06:02
ちなみに千葉周作と斎藤弥九郎と桃井春蔵の三人を幕末三剣士という。
幕末三剣豪というのもありますね。
直心影流の男谷精一郎信友その弟子である島田虎之助、甲源一刀流の比留間与八
或いは大石神影流の大石進種次のことだけど。
大石進を主人公にした小説はありますか。
幕末なら坂本竜馬も剣豪だと思う北辰一刀流で小千葉道場の塾頭になったというし。
それに桂小五郎も神道無念流の使い手だった様だし。高杉晋作は柳生新陰流だし。
勝海舟は男谷精一郎の甥ということで直心影流を男谷の弟子島田虎之助に学んで
激しい稽古をしている。彼らは実際刀を抜いて戦った記述は無いが、それは自らの手
で戦乱の世を正そうとするため、剣術の真の極意を熟知した達人故だったと思う。
坂田 銀時
坂田 銀時
坂田 銀時
坂田 銀時
坂田 銀時
58 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 03:13:24
戦国なら新陰流の上泉信綱
幕末なら直心影流の男谷信友
いづれも剣聖と呼ばれた。
59 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:28:44
人斬り以蔵の異名を持つ、岡田以蔵はどうか。
武市半平太に傾倒し、鏡新明智流に学ぶ。
60 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:35:34
「位の桃井」と呼ばれた鏡新明智流から岡田以蔵のような人斬りが出るん
だから幕末とは恐ろしい時代だな。
61 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:44:29
人斬りなら野太刀自顕流の薩摩の中村半次郎の方が強かったと思う。
雨粒が軒から地面まで落ちる間に三度抜刀して鞘に収めたという。
62 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:47:57
河上彦斎も有名な人斬りだが。
63 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:48:22
警視庁抜刀隊!
64 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 21:50:22
HATAYORK
65 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 22:03:36
人斬り抜刀斎
66 :
YAP?:2005/08/23(火) 01:21:53
>>50
島田虎之助の強さには疑問がある。
弟子の勝海舟が、宣伝しまくっただけで、実際には結構負けているそうだ。
幕末には、各道場や藩の主宰で結構他流試合が多かったからな。
まあ、同情憲法と実戦は違うと言う弁解は出来るが。
67 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 01:36:11
勝海舟が宣伝しただけで、幕末三剣豪に数えられるとは思えぬが。
かなり修行をしていたし、男谷道場で免許を授かるほどの腕があった。
68 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 10:14:13
新撰組は戦国の剣に近いね
鎖帷子着てるし、集団戦法だし、槍も使うし
道場ではそんなには強くなかったのは有名な話
へええ有名な話なんだ?
71 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:06:26
72 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:24:11
>>68 そうですね道場での竹刀剣術と実際に真剣で戦うのは違いますから。
天然理心流の場合、実践向きのため真剣での戦いに強かったですね。
73 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 00:42:29
だから新撰組で誰が最強かという話になると、
竹刀なら永倉が最強といわれ、実践なら沖田や
近藤が最強といわれる。
こんなところで自演常駐してるより、
宿題片づけた方が、最強になれるよ。
75 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 15:16:16
>>69 有名だよ。
道場荒らし対策として、練兵館の渡辺さんをよく呼んでた
>>73 なるほど、確かに永倉は神道無念流だもんな
76 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:27:20
宮本武蔵のころは何故剣術使いのことを兵法家と呼んでたの?
77 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 16:34:38
>>52 竜馬の剣に関する話は誇張が多いんじゃないのか?
78 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 18:37:59
竜馬は小千葉道場の塾頭になって無かった。
79 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 18:41:21
竜馬は結局1人も殺してないしな
80 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:00:05
意地悪な見方すれば竜馬の剣術って三島由紀夫の剣術みたいなものじゃ?
それはちょっと言いすぎか。
81 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:06:07
>>78 その点、桂小五郎は神道無念流の塾頭になってますね。
82 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:16:27
でも、これまた人斬った話は聞かない。
83 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:51:02
竜馬は暗殺されてるから。
剣術やっててS&Wかよ。
84 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:16:41
小太刀というのは片手刀法らしい
西洋の剣術みたいだね
軽くて持ち運びに便利だし屋内ならさほど不利でもないし結構いい
85 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 00:33:47
富田流の創始者、富田勢源が小太刀を得意とした。
86 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 22:55:59
日本ではイロイロな流派があるけど、西洋ではどうだったんだろう?
ローマの剣闘士からルネサンスの決闘教本に至るまで
剣術に相当するものはあるがあくまでも術技で
日本的な伝承系譜や格の話は聞かないねえ。
ハルベルトとかではきいたが。
88 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 08:47:44
兵法家から剣術家に呼称が変わったのはいつごろ?
天然理心流は?
90 :
YAP?:2005/08/26(金) 19:08:21
>>31
直心影流は、奥平孫次郎(公重だったかな?)別名、奥(ノ)山休賀斎の「神影流」あるいは
奥山流の系統だが、この流派からは、幕末に多くの名剣士が出たが、奥平が、上泉伊勢守から、
新陰流の正統二代目を継いだなどという電波を、飛ばしている。
大体「新陰流」は「陰流」からの分派であることは明白なのに、松本備前守のような「鹿島・香取」
の兵法を上泉伊勢守の前におき、陰流の愛洲移香・小七郎を伝系におかないなど、まあ、かなり問題
のある流派だ。
その上、崩し字の「松」が、後代にちゃんと読めなかったと見え、いつのまにか「杉」に化けて
「杉本備前守」を流祖とするという恥ずかしい「系譜」を称していた。
どちらにしろ、流派の相承の途中でかなり教養に欠けた連中がいたのだろう。
男谷信友(勝海舟の従兄)、島田虎之助、榊原健吉、山田次郎吉といった達人が子の流派から
出てきたことは確かだが。
91 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 10:44:18
山田次郎吉は愉快な人だよね
間違って強力な洗剤を「柄杓に一杯一気飲み」とか
額にコブできるほど頭突き練習するとか
霊が見えるとか
92 :
YAP?:2005/08/29(月) 21:43:20
>91
山田次郎吉は、「関東大震災」を予知したと言う噂もあるね。
93 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 15:02:57
スレ違いかもしれんが、ローマの剣闘士って強かった人いただろうね。
職業剣闘士って社会的地位低かったわけだが、
百戦錬磨で人気のある奴だとスター扱いで超金持ちになったらしい。
記録とか残ってねーのかな?
94 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 01:56:47
やっぱ上泉伊勢守信綱が一番だと思う。
武芸者として生きることを決めた時に、信玄から他の武将の下に付くことをしない、という念書を
書かされたというエピソードが、その強さを物語ってると思う。
武芸十八般に秀でているからこそのエピソードだと思う。
あと自分の武術理論を達観しているような雰囲気も感じられるのも、なんか素晴らしい。
勝手な思い入れかもしれないけど、丸目蔵人のタイ捨流とか、神後伊豆の神後流とか、
ほかにもあるかも知れないけど、弟子が新流派を起こす時に、特に「新陰」を名乗らせ
ようとも考えていなかったんだろうと思われるところに、名よりも理論が広まればそれでよし、
としているような姿勢が見えて、なんかかっこいいです。
宝蔵院の覚禅坊胤栄にも確か任可状与えちゃってるんじゃなかったかな。
もちろん、柳生新陰とか真新陰とか新陰名乗ってるのもあるけどね。
95 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 10:27:23
SSS 董海川 小野忠明 伊藤一刀斎 李洛能 楊露禅 姫際可 塚原卜伝
---------------------------------------------------------------------------
SS 宮本武蔵 車毅斎 梅路見鸞 仏生寺弥助
---------------------------------------------------------------------------
S 郭雲深 孫録堂 辻月丹 松林左馬之助 李長有 松山主水
---------------------------------------------------------------------------
A 瀬戸敏雄 王樹金 傅采軒 武田惣角 王郷斎 男谷信友 尚雲祥 國井善弥 植芝盛平 深尾角馬
---------------------------------------------------------------------------
B 白井亨 千葉周作 平井稔 佐川幸義 黒田泰治
---------------------------------------------------------------------------
C 山岡鉄舟 肥田春充
---------------------------------------------------------------------------
D 芦原英幸 蘇東成 久保勇人 三船久蔵 宇城憲治 横山雅始 塩田剛三 黒田鉄山 島田道男 嘉納治五郎
96 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 16:49:12
殺すことに秀でているというなら最強流派は、小野派一刀流だと思う。
体験上、新陰流と向き合うより小野派一刀流と向き合った方が対応に困った。
小野派一刀流派シンプルなだけにそれらを徹底させ、派生も出来るようにした点で対応しようが無い。
いろいろ付けて工夫した北辰一刀流よりも極めればずっと強い。
それと、一対多数の型とか、素肌剣法では人を如何に殺すかが凝縮されてると印象を受けた
97 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 16:57:40
使い手の体格によって強い流派も変わるよ
体格が大きくて力があるなら、示現流やタイ捨流が強くなる。
体格が小さくそれほど力が無いなら
>>96でも言ってる小野派一刀流が強い。
中間くらいなら香取流や神道無念流など神道系や念流系が強い。
短期間で上達が早く極めきれなくても強いのは、新陰流と北辰一刀流。
物凄い天才の話でなければ、こんな風になる。
98 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 19:25:20
流派関係なしに強い奴は強いよ、ただそれだけ!96は体験上なんて言ってるけど平成の世で真剣勝負したの?昔の立ち会いと今の剣道は全くの別物だよ。夢を壊すようで申し訳ないけど、へたれ初段でした。
99 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 20:59:37
>>98 >>96じゃないけど、古流剣術経験者として言わせてもらうけど、剣道と剣術は全く違う。
それに、型稽古でも立ち会えば、どうやればいいかなど他流派ならその強さや特徴が理解できる。
というか、理解できないようでは剣術の経験者、体験者とは言えない。
強い奴は強いというが、本当にそうなのか?
なら、何で幕末で強いのは数派からしか出てないの?
剣術の経験者は、その辺も理解した上でやるのがほとんどだから、やってない奴が言うより信頼が置ける
机上だけの奴が経験者や体験者を悪く言う資格無し。
>>96がどんな体験したかわからんが、少なくとも
>>98が理論をぶち立てるより
>>96の言うことを全面的に信頼する
100 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:09:28
>>98 剣道と剣術の違い知らないのか?
一緒だと思ってるなら、他の板行ってから書き込みなよ。
真剣勝負云々を言う時点で机上の論すら知らない輩だ
で、本の知識だけだが、剣術の理法から言うと殺しでは
>>96に同意。
ただ、負けないことなどからは、新党無念流と新陰流、そして北辰一刀流が強そう
101 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:33:09
塚原ト伝が強いと思う。
流派としては微妙だが、一の太刀が伝わっているなら江戸期の剣術流派より強いと思う
甲冑相手でも有効らしいし。
流派としては、小太刀が兵器としての完成度が高いから、小太刀の富田流から派生した一刀流系が強いと思うよ
102 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:48:14
剣晃を語る
103 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:49:20
縫製業の二男で、庭窪中学校では一時期は柔道を習っていたが、教頭から昔の生徒だった高田川を紹介され、 3年生の11月に体験入門をしたが「まだ遊びたいから」と途中で帰り、
守口高校へ進学した。しかし 1年生で中途退学してセールスマンを勤めたりと幾つかの職を経験したが、盲腸で入院する間に体験入門時の写真を見て「実力本位の世界に入りたい」と考え始め、
決意して先生を通じて入門した。
剣晃の名は、入門時に不摂生で顔色が悪かったので健康を願って部屋の行司 木村 和一郎が命名した。
長躯を生かして上手を取ってから寄りや投げで攻めるか、差し身の良さを生かして諸差しで寄る積極的な取り口で、貴ノ浪に強かった。
物怖じしない勝ち気の性格で、上位力士に対しても構わず強烈な張り手を浴びせ、取組後も強気の談話が多かった。
健康に気を遣い、巡業先でも持参した機材と材料で青汁を作って飲むのが有名だった程だったが、奇病に罹って没した。
淡泊な性格。
趣味は読書と音楽鑑賞。
104 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:34:07
剣晃 敏志(けんこう さとし)
平成 4年 7月 西前14 3勝12敗
平成 5年 3月 西前14 10勝 5敗
平成 5年 5月 東前 6 5勝10敗
平成 5年 7月 東前13 9勝 6敗
平成 5年 9月 東前 4 7勝 8敗
平成 5年11月 東前 5 7勝 8敗
平成 6年 1月 東前 6 6勝 9敗
平成 6年 3月 西前 9 9勝 6敗
平成 6年 5月 西前 2 4勝11敗
平成 6年 7月 西前10 9勝 6敗
平成 6年 9月 西前 2 4勝11敗
平成 6年11月 西前 8 8勝 7敗
平成 7年 1月 東前 4 5勝10敗
平成 7年 3月 西前 7 10勝 5敗
平成 7年 5月 西小結 5勝10敗
平成 7年 7月 東前 4 11勝 4敗 殊金()
平成 7年 9月 西小結 6勝 9敗
平成 7年11月 東前 1 5勝10敗
平成 8年 1月 東前 5 8勝 7敗 敢
平成 8年 3月 東前 1 5勝10敗
平成 8年 5月 西前 5 6勝 9敗 金(貴乃花)
105 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:34:42
平成 8年 7月 東前 8 9勝 6敗
平成 8年 9月 東前 2 4勝11敗
平成 8年11月 東前 6 8勝 7敗
平成 9年 1月 西前 2 6勝 9敗
平成 9年 3月 東前 5 4勝11敗
平成 9年 5月 東前11 8勝 7敗
平成 9年 7月 西前 6 15休(不明熱・汎血球減少症)
通算 28場所 181勝224敗15休 殊1敢1金2
得意手 左四つ、寄り、上手投げ 身長 体重 191cm 150kg
没年月日 平成10年 3月10日(現役中、30歳)
106 :
日本@名無史さん:2005/09/06(火) 23:35:20
剣晃 敏志(けんこう さとし)
本名 星村 敏志 生年月日 昭和42年 6月27日
出身地 大阪府守口市(出生地は大阪府寝屋川市) 初土俵 昭和59年11月
所属 高田川[ 8] 新十枚目 平成 3年 3月
改名歴 星村→剣晃 新入幕 平成 4年 7月
最高位 小結 最終 平成10年 3月
多分チョン
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \
/⌒ヽ / '''''' '''''' ヽ
| / | (●), 、(●) |
| | | ,,ノ(、_, )ヽ、,, |
| | | `-=ニ=- ' |
| | ! `ニニ´ .! 我が剣は天地とひとつ。
| / \ _______ /
| | ////W\ヽヽヽヽ\
| | ////WWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | ////WWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E⊂////WWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
E////WWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
| | //WWWWWWWヽヽヽヽヽヽヽ
・・・・・・。 ・・・・・・。
_____
/ ̄ ̄ ̄ ̄\,, / \
/ −、 −、__ ヽ / ______ \
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>強い奴は強いというが、本当にそうなのか?
>なら、何で幕末で強いのは数派からしか出てないの?
強い人の居る道場には強い人が集まる
110 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:25:33
>>109 無限ループに嵌まるけど、その人は何で強いの?
とりあえず、剣術流派にはそれぞれ剣理や剣に対する考え方が微妙に異なっている。
その変は書物で結構出ているから、違いを見るのも楽しいよ
何を持って強いとするかの定義が決まらないことには何とも言えませんな
112 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 04:47:43
このスレッドには古流剣術に詳しい方がいるようなので、
お伺いしたいのですが。
古流剣術には飛刀術といった観念はあったのでしょうか?
宮元武蔵が宍戸梅軒に刀を投げつけ倒したとありますが、
当時は刀を投げつけることは邪道という観念はなかったのですか?
基本的に古流は何でもあり
そもそも刀だけにこだわるものでもないし
目潰しだろうが蹴っても投げ飛ばしても当然構わない
無論刀を投げるのも勝算があるなら普通に行うだろう
敢えて邪道と言うなれば鉄砲か
114 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:02:38
>>112 宮本武蔵は2刀流の十手術で宍戸梅軒を倒したんじゃなかったけ?
投げつける得物は、手裏剣のようなものだと思ったけど。
115 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:02:42
>>112 >>113の言うとうり、いろいろ刀以外の攻撃方法もありますよ。
私は飛刀術という独立したものは知りませんが、古流の型には投げ太刀というのであります。
尾張柳生の新陰流「燕尾の型」の最後に刀を投げます。
この場合、刀を横{両手で奉げ持つ形}で投げ、打ち落としの部分が違うと回転して斬られるというのがあります。
他の流派にもそのような型が存在しますので、雑誌やビデオなどが図書館にもありますので、気になったら見てみるといいですよ。
116 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:09:26
追加
古流剣術と言っても、剣道のように刀だけの戦闘法を学ぶものではありません。
なので、手裏剣術や柔術など、様々なエッセンスが集約されています。
対弓、対鉄砲の型なんかもあって、本当に何でもありです。
>>114 刀子という棒手裏剣風の小刀のことですか?
それだと刀に付いているので、投げるのに使いますよね
117 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 02:40:52
118 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 21:54:40
>>117 ニ天一流から十手術も発達したから、あながち間違いじゃないと思うよ。
誇張しすぎなとこはある漫画だから全部を信じられないけどね
漫画って…
吉川英治の原作を史実だと思ってるのかよ…
120 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 20:55:19
>>120 流石に居ないだろう・・・・・・でもたまに堂々と言ってる奴いるからなぁ
武蔵が実戦で二刀流使ったことってあったのか
122 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 18:01:30
武蔵の戦いについての記録は、自伝で書かれていることだから実際どうだったか怪しい。
ただ、武蔵が編み出したとされる型や伝えられる言動には、二刀流を使うのが残ってる。
まあ、武蔵以外の流派にもあるけどね
そもそも武蔵は記録に残るような形では島原の乱にしか参戦していない。
扱いは小笠原文庫の記述を信用するなら中津藩主小笠原長次配下の旗本。
有馬書状によれば投石が脛にあたって怪我。
間抜けとまで言うのは酷だけど、自分の師匠が礫で負傷ってちとはずかしいよな。
>>112 115が指摘してる影流系統以外にもとか亜流の柳剛流は
中伝辺りからけっこう二刀の型がある。
で心形刀流の三心刀は左に長刀、右手に脇差サイズの小刀の逆二刀で
右の小刀を投げて左の長刀で突きにくる。
実際かなりの速さで投げられるとかなりひるむよ。知らなければなおさら…。
124 :
YAP?:2005/09/14(水) 19:50:55
武蔵の評価は、難しい所だが、実際の所彼の門流が行われたのは、熊本藩細川家
以外には、ほとんど無いのではないか?
その熊本藩でも、剣法の第一流派として重んじられたのは、新陰流だが、この
新陰流は、疋田文五郎の門下上野左馬助(左右馬助)に発する「上野新陰流」だ。
あと、柳生流系統が「當流新陰」も含めて、師範家として存在し、「二天(一)流」
や「四天流」の師範家もあるということになる。
125 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:45:41
二天一流の正統な後継者とされた寺尾信行も肥後の
細川家の家臣だったし。
126 :
日本@名無史さん:2005/09/15(木) 23:51:00
武蔵の養子の宮本伊織は小倉藩の家老になったけど、
小倉伝二天流は伊織とは関係ないんですよね。
>>124 高田又兵衛の槍と勝負して勝ってるはずだが。
槍VS刀でやりに勝つってやっぱ達人だよ。
武蔵て巌流島の決戦でわざと遅れていったの?ずるくない?武士道に反してると思う
>>127 高田又兵衛は負けてないはず。
そういう逸話があるだけのようだ。
実際には武蔵とは五分の勝負だったようだ。
>>128 ちっともずるくない。それが兵法。
自力救済を行うのが武士の生き方。敗者はどこまでも逃げて命を保全する。
関ヶ原で負けて自害しなかった石田三成は徳川家康から賞賛されている。
132 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 00:50:36
中山博道先生は夢想神伝流という居合の流派を創始した
戦前の剣豪である。知ってる人いるかな?
133 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 04:29:48
黒木駕流、寸心流はおそらく事実上最強
134 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 08:24:06
>>128>>130 普通武蔵の不戦敗じゃね?
もし小次郎が1時間ぐらいだけ待って、それで帰り「武蔵は恐れをなして逃げた」
と宣伝すれば小次郎の勝ちとして認識されたかな?
135 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 08:42:56
>>36 拝一刀ワロス
鹿島神官の松本備前守は尋常じゃない
武蔵の遅刻はリアル。
兵法じゃなくてマジで遅刻した。
お前ら騙されてる。
137 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 03:52:24
武蔵に関してはいくつか触れられているが、相手の小次郎はどれ程の男だったの?
武蔵に一撃で葬られてるようだけど、小次郎が語られている程大した事なかったのか、武蔵が語られてる通りの武神だったのか。
誰か詳しい人いる?
138 :
日本@名無史さん:2005/10/07(金) 19:43:14
ぼえー
佐々木小次郎は富田勢源の弟子の、鐘巻自斎に中条流を学んだという。その後、
大太刀を工夫し巌流を創る。鐘巻自斎には一刀流創始の伊東一刀斎も弟子になって
いたし、小次郎も強かったのではないかと思う。しかし小次郎については謎が多く
詳しくは分かっていないと思う。
140 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 15:10:59
小次郎って負けたのに、魅力ある
141 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 02:36:21
あげ
142 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 16:15:19
あげついでに
>>137 佐々木小次郎について、
>>139補足的説もあるのでちょい書きます。
中条派、富田流共に打刀{技をかけられる方}が三尺以上の太刀を使う為、
太刀の使い方を学ぶことが可能であると考えられている。
更に、剣術の型を想定した場合、打刀という技を掛けられる方の型にも技を隠す場合が多く、
そこから長刀の秘技に達したのではないかとも考えられる。
そして、剣豪等は資料に残るほど高名な方が珍しい為、「資料が無い=作り物」と判定できない。
よって、『二天記』で過大化されてるにしても近い実力者が居たと考えられる。
ということです。
一応ここに書いたもののソースは、剣術関係を調べている牧秀彦氏ですが、
他にも同様のことを唱えている武術関係者がいますので、参考までに載せます。
143 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 17:26:15
>>137 剣術経験者としての見方だけど
剣道の勝負でもそうだけど、真剣での勝負は一撃で決まるのが普通。
打ち合ったりは漫画の世界だけだ。
一撃を打ったり、返したりする前段階にいろいろな駆け引きがある。
「一撃で」といっても見えない部分の戦いが凝縮されてるから
勝負を決した、そこだけ見て弱い・強いは簡単に言えない。
一撃で倒れるのは頭を打ったときだけでしょう。桜田門外の変では
背部を斬られ重傷を負った侍がかなりの距離、敵を追っかけて
絶命したりしています。
145 :
日本@名無史さん:2005/10/12(水) 15:12:26
>>144 立ち会いの場合、頭はじめ、一撃で殺せる所を狙うのが定石です。
剣術やってなくても判るとこでは、頭の他、肩から脇に抜ける袈裟切りやわき腹から肩に抜ける切り上げなど
木刀でも神経群や大切な臓器に過度の衝撃を加えるようになり、破壊・破裂なりして死にます。
また、真剣でもそれぞれの急所において死ぬ時間が違うので、狙えるなら短時間で死ぬとこを狙います。
桜田門外は混戦なので、立会いとは条件が全く違います。狙って殺すのは相当難しい状況です。
それでも、頭以外の負傷で即死した人が居ますよ。
現行の剣道と剣術は違う
竹刀の尖端を触れ合わせて相手の隙を覗う、なんていう真似は実戦じゃできない
剣術時代にも道場での立会いはあっただろうけどね
147 :
143:2005/10/12(水) 15:55:45
>>146 勘違いさせてしまったようですね。申し訳ありません。
>前段階にいろいろな駆け引き や >見えない部分の戦い
というのは、現代剣道のような中段での責め合いのことでは無いです。
刀を触れさせる位置にあるなら、入った瞬間に斬りあうか、相手の刀を折ります。
私が言いたかったのは、触れさせずに鬩ぎ合う駆け引きがあるということです。
なので、剣術{古流など}では他者には一見無意味に見える行動や動作がかなりあり、
そここそが勝負の要だったりします。
なので、>そこだけ見て弱い・強いは簡単に言えない
と書きました。誤解させる書き方で申し訳ありませんでした
古流には半身の姿勢から、急に相手の正面に両手を広げるという動きがある
その逆も
これは敵に自分の体を大きく見せたり、逆に小さく見せたりする技術
でも理屈を説明されずに一人稽古してるところを見たら何踊ってるの?ぐらいにしか見えないだろうな…
149 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 10:54:58
>>142 技をかけられるのは打太刀(うちたち)、かけるのは仕太刀(したち)
打刀(うちがたな)と書かれると意味違うから
成瀬関次の話だと「顔面なら浅くても一撃で倒れる、致命傷でなくとも
精神的に立っていられない、胴体は急所でない限り一撃で倒すのは困難」だそうだが
150 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 15:04:41
>>142は勘違いしたのかな?
>>149 剣術の型で急所を通らないもの知らないんだけど・・・・刃筋にしても
剣道形に関しても、全部急所を攻めるし
頭切り下げ以外には肺や肝臓、心臓を通るように成っている
また、胴体でも行動不能にするように大きな筋肉を切ったり、腱を壊すように入れるのもある
どれにしても、剣術の場合、止めまで入るよ{最後に首・心臓を刺したり斬ったりする}
151 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 15:24:35
一撃って言うのは、普段の稽古での話じゃないの?
一撃一撃必殺でいけるようにしてる型が本や映像みると多いし
152 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 15:31:30
外れた場合は二撃になるけど、普通は確かに一撃だな
即死じゃなくても、大量出血によるショック死や呼吸器系の麻痺も衝撃伝えるのであるし
胸とかの神経群に衝撃当てれば結果的に死ぬとかいうのも読んだことあるし
153 :
日本@名無史さん:2005/10/17(月) 22:35:19
馬庭念流の樋口定次って全国的に有名?
群馬で武術やる人は大体知ってるような人なんだけど・・・
地元ではすっごく有名だけど全国的にどうだろう・・・って人他に居ます?
>150
>急所を通らないもの知らないんだけど
小手は急所ではないのでは。ある程度有効な攻撃部位には違いないけど。
>>153 あんまり知られてないんじゃない?
独特の術理とか構えとか、知るひとぞ知るって感じで
156 :
日本@名無史さん:2005/10/18(火) 13:46:59
>>153 樋口定次・・・術理とか確かにすごいよね。でも、俺はゲームに出て来るまで知らなかった。
本とかにそこそこ出てるけど、タイ捨流の丸目とかに比べても陰が薄いよね・・・残念ながら
>>154 リストカットとかと同じ
篭手は腕を斬り落すから、出血多量でショック死する
絡めてとして指きりもあるが、これは戦闘力を失わして止めを刺す方法
手は「直接的に生命にかかわる急所」の概念からは外れるというべきでしょう。
ただ、三島が市ヶ谷に殴り込んだときに、鍔のない木刀で受けたせいで指を切られたのがいたとか。
また、坂本さんが寺田屋でピストルで応戦したときに指を切り落とされて剣士生命を絶たれたとか。
手をやられたら「手が出なくなる」のだから急所といえないこともないですが。
>>144 御供目付側小姓の小笠原秀之丞ですね。
重傷で気絶していたが首を取った声で目が覚め刀を杖にして追いかけ、井伊の首を持つ有村次左衛を斬。
その斬られた有村も後頭部から背中にかけて、長さ四寸深さ七分、歩行困難、とあるので相当の重傷ですが
そのまま逃走し若年寄遠藤但馬守邸前で精根尽き果て、腹を切り、喉を突き、
それでも死ねず遠巻きの人だかりに「首を跳ねてくいやんせ」と懇願。壮絶です。
出血性、外傷性ショックと言う物は精神で乗り越えてしまうのか…
159 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 17:50:16
あげついでに
>>150 北辰一刀流では篭手でなく、「拳を狙え」というのが有るそうです。
拳を狙って、指を切れば刀や道具が持てなくなるというので
他にも、篭手ならば切落しやすく、体を斬る場合にめり込んで取れなくなるというリスクも軽減するのだそうです
伊庭八の話もありますが、篭手を切断されて後々まで生き残るのはほとんど無いですし
死に至らしめる部分ということで言えば、太い動脈がある篭手は急所となりますよ
160 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 18:25:30
>>159 篭手を斬られても、生き永らえたというのは
止血処置などの適切な処置を行った場合に限ったそうですからね。
〇/ \● いざ!
ら え
〇 \● え〜〜〜い!
ら\ え )))
ボカッ
〇\●
ら─え ズヌッ
ヒョイ
くらくらくら
(((〇))) (((●))) うぐぐぐぐ
ら\ /え
〇 ● うっうっうっ
ら\ ⌒Y⌒Y⌒Y ら
162 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 00:22:47
バガボンド大好きでよく読んでるんだけど
吉岡清十郎の吉岡家って本当に存在したの?
足利将軍家の剣術指南をやってたわりには江戸の柳生家より無名すぎやしないか?
武蔵にヤられたのも資料によってマチマチだし
どうなってんの?
実際足利義輝の剣の師匠は塚原卜伝だったわけでしょ?
剣聖
164 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 01:09:48
>>162 当時・・というか、武道の師匠は複数居ても構わないという考え方が基本。
だから、義輝の剣の師も複数。その中の一人が塚原卜伝というわけ
吉岡家は江戸期も染物やとして京都に残ってた{今もあるかもしれないが自分は知らない}
剣術のメッカとして、鹿島周辺と京都が古来からあるのだけど、吉岡は京都の方で名家で剣術オタでは有名
現在もその流れの流派があったはず・・・{東部と九州しか知らないから知ってる人掲示してください}
柳生家が有名なのは江戸時代が長く、剣術の家よりも政治家として有名だから
同じ将軍ご指南役でも小野家は一般的には知られないしね
強さは天下一と言われ、柳生十兵衛も親密に交流して教えを受けたというくらいすごい流派
武蔵の話は多くが自伝からの話なので客観性を書いた物だから、それだけを鵜呑みにするのはどうかと思うよ
165 :
162:2005/10/23(日) 01:23:07
>>164 へぇ〜そうなんだ
詳細ありがとうございます
指南役と言っても色々あるんですね
鹿島ってのは鹿児島ってことでいいのかな
166 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 01:31:33
>>165 茨城の鹿島神社という所があって、蝦夷討伐の時代から武術が発展した所の方
川を挟んで千葉の香取神社という両方武神を祭る所があってそこから剣術流派の祖に繋がる人が多々出てる
塚原卜伝は鹿島の出身でそこの流派を学び、発展させた功績がある
>>164がわかりずらくて申し訳ない
167 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 01:37:55
168 :
162:2005/10/23(日) 01:38:37
>>166 いえいえ
コッチこそ無知なもんでw
そうか、当然東国にも剣術の流派が発生してるんだな
バガボンド読んでると京都奈良伊勢とか西国が多く出てくるから
どうも西国のほうが盛んだったと思ってしまった
169 :
162:2005/10/23(日) 01:41:45
>>167 泉伊勢守秀綱とか柳生石舟斎とか伊藤一刀斎とか塚原卜伝とか
剣聖だのが多いなぁ・・・
吉岡清十郎がやたらショボく見えて来るな
170 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 01:48:44
171 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 01:52:01
172 :
164:2005/10/23(日) 01:54:32
>>169 そこに名がある人は超一流であり、名声もすごかったから比べるのはちょっと酷かも
薩摩の示現流が幕末がらみで有名なのだが、それすら霞む位の諸流派の祖だから
系譜を見ると大変なことに・・・・
東郷重位は有名ですがね
当時の知名度から言ったら東郷はローカル。真壁や鐘捲のほうがまだ有名だろ。
島津の殿さま連中は影流系統だし。
東郷は剣客ではなく武士だったからね。
剣士として知名度が上がるのは家久の剣術指南役になってからと思う。
東郷自体はタイ捨流免許→天真正自顕流(示現流)、四十数戦無敗と経歴自体は文句無しながら
九州最南端と言う立地的に経歴と同等の知名度は無かったと思う。
どの流派にせよ、開祖は半端無く強い
夕雲とかは評価に苦しむけどね
180 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 15:12:57
>>168 個人戦闘術として流派が発生したのは茨城の鹿島が最古とも言われている
鹿島神社に残る文献とかが日本最古かな?
時代的には鹿島と京都、どっちが本当の大元か微妙という所
で、各地の流派は鹿島と京都に源流があるよ。
ちなみにだけど、武蔵は夏の陣で西軍についた事と、柳生宗矩に将軍上覧を拒まれた経緯もあるから
東ではあんまり活動していない。だから、西国の話が多いよ
>>179 竹刀に鉛を仕込んでいるメチャな奴もいたとか? それは幕末頃だったかな?
182 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 16:59:47
>>181幕末の竹刀剣術が煮詰まってきた頃の話だったはず
長い竹刀がやたらと流行ったり、変形竹刀を使ってでも勝てばよいという
現在の武術家が否定するような風潮だったみたいだから
183 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 17:09:09
佐々木小次郎 VS 土方歳蔵 とか、見れない試合を見てみたい。
184 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 17:09:50
天然疑心流。
185 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 17:12:22
あまりに疑うのでパニックになりそうな流派だ・・・自傷行為しなかきゃいいが
天然凝心流だったら意味も素晴らしくなるんだけどねw
>>182 異常に長い竹刀といったら大石ですか。
それと関係があるか知らないけど、長刀を携帯していた連中が、実戦で振り回すだけで疲れて
負けたから廃れたんじゃないのかな?
188 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 13:15:47
>>187 大石は良い例だよね。他にも諸道場はどんどん長くなった時期があるみたいだよ。
長刀は兵器としてすごかったよ。
振り回すのも現存流派を見るとすごく効率的で短い刀並に持続力がある。
廃れた理由で有力なのは家康が刀のサイズを規程した為
長刀は護身用には余りある威力{鎧相手の兵器}であり、合戦を想定させるから平和な世には必要ないって。
で、護身用として十分役に立つ、合戦時の予備、打刀が採用となった経緯がある。
史実かどうかわかんないけど、山田長政の東南アジアでの話に、長刀部隊が「鉄人」と呼ばれて相手が逃げ出したってあったよ。
189 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 13:26:00
>>188 長刀って大太刀とかの長尺刀のことだよね?
一瞬長刀(なぎなた)かとオモタ
190 :
188:2005/10/27(木) 13:31:14
>>189そうです、大太刀のつもりで書きました。
太刀と打刀の区別とか知らないとその方がわかり易いと思ったのが間違いでしたねw
ご指摘ありがとうです!
と言うことで、
>>188の長刀→大太刀{長尺刀}に訂正します。
191 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 16:34:38
大太刀って南北朝のころ一時期流行ってすぐ廃れたんじゃなかったっけ
理由は取り扱いにくいからとかで
192 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 18:41:21
あんま知らんけど、戦国時代の居合の開祖、林崎は長い刀使ってたよ。
3尺越えの長柄で、曰く一寸でも長い方が勝つとか何とか。。この辺うろ覚え。
でもそこは別段キワモノ扱いされてた覚えはないから、当時は別に珍しくないんじゃね。
193 :
剣道家 剣術家は皆履いていた雪踏:2005/10/27(木) 18:59:16
日本兵法の開祖 飯篠長威斎家直(いいざさちょういさいいえなお)
飯篠長威斎(1387〜1488)香取の神に誓い、霊夢を得て一流を開眼。その名を
天真正伝香取神道流とした。上泉伊勢守信綱も飯篠の門をたたいた。また、四代後
になるが戦国軍師竹中半兵衛もここでまなんでいる。いずれにせよ日本最初の
大道場であり、日本兵法の開祖といってよく、すべての流派の源流と言える。
ちなみに塚原卜伝もこの系統からでている。
〜戦国剣豪伝より抜粋
195 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:06:33
>>191戦国大名の朝倉氏に太郎丸と次郎丸の超大太刀使いがいる。
槍の発達と共に超大太刀は影を潜めたけど、太刀自体は武将の予備武具として残り続けてたよ
江戸期に刀の寸法が決められてなくなった
現在も古伝圓心流や野太刀自顕流{鹿児島}などが太刀を使ってるよ
>>188 いや、維新前の動乱期に確か土佐だったかで流行した長刀の欠陥が露呈した事件があったでしょう。
>>191 重すぎてすぐにバテちゃうから。
>>195 超人的な腕力がある人もたまに生まれる、ということでしょう。
198 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 04:08:16
>>196ええ、それで動乱期には廃れてしまったんですよね。
そのために、維新後の剣術では長い竹刀は残らなかったはずです。
そして、現在剣聖と言われている方々が剣道を創始して、竹刀も定寸法以下と規程を作りました。
ただ、短くて重い竹刀を使う流派はしばし残ったようですが
ちなみに、技術や技法体系から見て刃物でもっとも良いとされているのは小太刀です。
これならば槍だろうが、太刀だろうが対応することができ、殺傷力もそれほど低くないという利点があるかららしいです。
199 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 11:57:17
200 :
198:2005/10/28(金) 14:15:20
昔読んだ本にあったので詳細ははっきりしませんが、確か普通の剣術と同じ運用をした場合に
「長さに竹刀自体が耐えられなくなった」「長いと腰が定まらず、腰を壊しやすい」
という弊害が出た為だったと思います。
さらに、戦う上での欠陥として「普通に撃とうとすると軽くなり、しっかり撃とうとすると遅くなる」
結局、扱い方としては、竹刀剣術では槍のように扱うしかなく、それも槍のような自由が利かない物と判明。
このため通常の竹刀での攻防の方が優れ、その優位性が揺らいだというものだったと思います
事件名・当事者とうわからなくてすいませんw詳細を知っている方、訂正できる方、情報お願いします。
参考までに
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Gaien/4728/naokikenpou.txt 剣術に付いていろいろ書いてある物です。事件に付いては書いて無いと思われますが、興味がある人にはおもしろいので
201 :
199:2005/10/28(金) 19:11:05
>>198 200
詳細レスさんくす。
長尺の竹刀に欠陥があったのですね。言われてみれば納得です。
しばしば定寸の刀を使う流派の人(剣道人も含む)の中に、
長尺は身に余るのでf定寸には勝てない、と言う根拠が分かりました。
ただこれは必ずしも江戸時代以前の(真剣の)大太刀に欠陥があるとはならないですよね?
長尺には長尺の運用の仕方があるのだと思います。
そして参考資料dクス。後で読みます。
元々長竹刀を流行らせた大石進種次は身の丈「七尺」と言われる大男
柳川藩の剣槍術師範の家に生まれた彼は
六歳にして藩主に型を上覧するほど槍術には天賦の才を持っていた
そのため槍術にて培った智慧を剣術に応用した。
即ち蔵の天井から壱文銭などを吊り下げ
自身の体躯に合わせた「五尺三寸」の長竹刀を片手で突くというもの
左右それぞれの手で百発百中になるまで鍛錬したという。
そして江戸中の道場を破り大石進種次は名を上げ
長竹刀は一躍流行になったが
七尺の巨躯に力士の如き膂力と槍術を基にした弛まぬ鍛錬が
長竹刀の大石進種次を生み出したのであって、
結局のところは
>>200氏の仰るとおり
力の無い者は
「普通に撃とうとすると軽くなりしっかり撃とうとすると遅くなる」
体の小さい者は
「槍のように扱うしかなくそれも槍のような自由が利かない物」
であった為に定寸(三尺三寸)に定められたという事です。
203 :
203:2005/10/28(金) 23:13:47
>確か土佐だったかで流行した長刀の欠陥
これは竹刀剣法しか知らない土佐藩士が、竹刀のような無反りの長刀を作ってしまったのが原因。
重さとバランスの悪さの二重苦でとても実戦には使えないことが分かったので、
長い刀は藩によって禁止されたの。
反りがあれば長さは問題じゃないんだが、竹刀を模してしまったのがいけない。
204 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 23:42:00
刀の製法にも問題が・・・・それは使えない刀が出来上がるわけだ。
反りがなきゃ衝撃で折れちゃう。そこまで竹刀剣法だけの武士が出てきたなんてw
現在剣道をしているけど、大人用の竹刀が二尺九寸が定寸とされている。
身長から摸造刀の長さを出す表{武道具店にあった}でみたら、二尺二寸五分。
実際、稽古での竹刀は長くて不便してます。筋力的には問題ないのだけど細かい扱いができないので不満があり。
木刀の二尺三寸なら自在に使えるのに・・無論、相手がこっちより長い竹刀でも
>>203 そうだっけ? そのきっかけになった事件はなんだっけ?
> 反りがあれば長さは問題じゃない
長さも十分に問題ありでは? 背負うしかなくて、抜くだけで手間がかかるようでは
常用に耐えないわけで。
206 :
203:2005/10/28(金) 23:50:09
普段の稽古を活かそうとしたのが裏目に出たんだと思う。
竹刀と同じ感覚で操ろうとしたのだが、
勝負が長引くほど、体力を消耗する者が続出したらしい。
207 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 00:22:14
>>205一応、太刀は腰にさげるのが普通。
そこから打刀とは若干違う抜き方をすると抜けるみたい。
太刀の流派の分割写真で見たけど、体を捻って抜くみたいだったよ。
それと納刀の時は刀身の腹を持ってやっていた。
ちなみに背負って抜くのは鹿島流にあるが、長いくてもできるかは微妙
208 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 00:36:09
>>206 確かに
>>200も言ってるけど、そのままの感覚だと腰を壊すなw
太刀は腰の据え方や細かい所が独特なのにそれを無視したらとてもじゃないがもたない。
特に中段なんかに長い直刀を構えた日には腕と背筋が相当ダメージ食うし
>>206 > 勝負が長引くほど、体力を消耗する者が続出したらしい。
どこかの橋のたもとでやりあったような? その事件の呼称ないし相手とかは何だっけ?
210 :
203:2005/10/29(土) 01:40:31
すんまそん。記憶が断片的なので本棚をあさってるのだが、
どこだったかなあ?土佐藩士が刀を振るったのは事実なんだけど。
211 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 01:48:26
宮本武蔵が最高かな?
>>210 いや、こちらこそ、忘れちゃったから聞いているわけでして。
何でしたかね? ともかく京都のどこかの橋の辺り。
213 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:34:22
長州で神道無念流が流行ったように、四国の諸国ではどんな流派が流行ったか知ってる人教えてください。
鹿児島の他は関東に道場があるものか、千葉の立身流くらいしかわからないので
>>210 これでした。
> 三条大橋の夜戦・制札事件
京都の三条大橋の西詰め北側にあった「三条大橋制札場」で、制礼警備にあたった新選組の原田佐之助らが、
現行犯の土佐藩士8人を始末した事件。
始末ってことはないか。
215 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 13:31:11
>>214その事件に直太刀が使われてたんだ!!
そりゃあ、特徴的だから見つかるし、実戦でも役に立たないわな
>>210じゃないけど、個人的に感謝!
216 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 21:21:37
武士ってどんなトレーニングしてたんだ?
まさか素振りだけなわけがあるまい
たんぱく質をとるのだって難しそうなのに、
当時(江戸時代)の男達はどんな体してたのか気になる
217 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 00:36:15
一般の武士は暇に飽かして剣術とかからっきしだったという話もあるよ。
ちなみに剣術での稽古は、防具が開発される前は、相手と木刀で当てないように決まった型を稽古。
実戦で技が使えるようになる為に行うものだから、相当な修練になる。たまに当たって怪我をするのがネック。
開発されてからは、撃剣、現在の剣道の打ち合い稽古が取り入れられ、そのうちに主流になったとのこと。
明治期の剣士についての史料に褌姿の写真での型が乗ってるものがあるよ。
一見、筋肉質には見えないが、よくみると裏の筋肉が発達してることがわかる。
>>217 永倉新八なんか、なで肩で筒胴の凄い体型だったりしますね。目も怖い。
「武士一般」とはかけ離れてますが。
219 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 03:15:25
2006年スペシャル
好評だったNHK大河・新撰組のドラマ完結偏 土方歳蔵最後の一日やりますよ。
タンパク質なら大豆から摂取できてたんじゃないか
味噌汁ぐらいなら貧乏人でも飲んでただろうし
221 :
日本@名無史さん:2005/11/01(火) 23:57:28
222 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 00:00:05
体格肉体
技術なんだから体格で判断してもしょうがないだろうとも思うけどね。
適した体の使い方って見える筋肉や栄養学っていうより
やっぱり動き方の技術や目の付け所が大きいような気がする。
達人クラスになるとまたわからんけど。
示現流は…肘の裏側の筋肉が妙に発達したような気がする。
224 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 01:30:35
武術や剣術は、それに適した筋肉のつき方をするよ。
スポーツ選手と同じで。筋肉がついて無いと刀振るのはもちろん、動きができない
ただ、筋肉トレーニングはしない。必要ないくらいに稽古して、そこの筋肉だけをつけるから
今は基礎トレするが、基本は同じで、稽古で体を作る。現代の剣道選手でも体つきが違う
ちなみにどれだけ筋力使うかは、60cm以上の木の棒やビール瓶振ればよくわかるよ
その数倍以上付加がかかるから
今の染物屋として存在する吉岡は剣の吉岡とは関係ないでしょ、たしか
226 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:20:59
イチローなんて175cmくらいの身長で細いし
あんな体格でも世界のトップクラスだからな
227 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:21:35
>>225 関係あるだろ?
血のつながりはないのかもしれんが
伝統的に繋がるだろ
片手で刀(木刀でも可)振り回すとやってる人間か否かすぐ判る
>>227 あそこ、勝手に吉岡を名乗ってるだけだよ
230 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 20:33:17
>>229 そうなの・・・・それはショックだな・・・
231 :
日本@名無史さん:2005/11/02(水) 22:39:44
>>228経験者にピコピコハンマー使わせると音が鳴らない。食らうと痛いし・・・・
232 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 00:45:22
素人ですけど
剣術にはたくさんの流派がありますが、どの流派が剣道の試合で強い(有利)ですか?
真剣による戦いでは?この場合、戦乱の世の中で、身を守るためとして
一対一、複数対一人では?
個人の力量なんて答えないでね。
真剣での殺し合いでは間違いなく示現流が強いのでは?
誰が強いかなんて、見たこと無いからわかんない
235 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:13:11
どうして示現流なんですか?どういうところがすごいの?
稚拙な質問ですいません
興味があるんですが、素人なんです
すいません
236 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:36:06
ぶっちゃけ流派っていうのは強い弱いの差じゃないから
今の時代だってそうだろ?
社会には色んな団体があって、それぞれが利権に関わっててって感じでさ
今でもPRIDEとUFCどっちの団体が強いの?とかさ
サンボと柔術はどっちが上かだとか言われるじゃん
でも結局勝負付けるなんてことは行われないわけだろ
負けたほうは潰れちゃうわけだから
唯一、日本で近代国家形成時、警察の公式の逮捕術?を決定するために柔道vs柔術が行われたことがあったらしいが、
アレも結局柔道が有利なように仕組まれてたらしいしな
そういうわけでどの流派が強いとかなんて分かりません
237 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:45:40
238 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:49:27
>>235個人的偏見からの意見として聞いてください。
示現流は、撃ちの威力と一太刀目の攻撃速度が圧倒的に早いというのが一般的です。
なので、駆け引きがほとんど通用しない乱戦ではすごく有利だと思います。
ただ、一体多数に場合は、撃ち終わりなどに他の流派よりも隙ができやすいので不利だと思います。
あくまでも、多数対多数や咄嗟の戦闘{幕末の京都とか}で有利ということです。
一体多数の場合は一刀流系が強いと思われます。
大元{?}の小野派一刀流などは一体多数の戦闘を想定して作られた向きもあり、
次々に人が斬れる様な動きができます。
また、攻勢なので尋常な状態で無い場合、特に有利です。尋常にやってもかなり強いし・・・
ってことで、個人的には一刀流、特に小野派一刀流が有利だと思いますよ。
後は、剣道での体験ではここの切落しが滅茶苦茶使えます!
239 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:51:38
質問変えます
たとえば、複数の暴漢に襲われた場合被害を最小限に出来そうな流派ってありますか?
240 :
238:2005/11/03(木) 01:52:32
流派毎に想定してることや根本的な考え方が違うので
>>236の言うように状況によって強い弱いが変化します。
なので、上のはあくまでも私の偏見ということで・・・
241 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:53:39
>>239 切り殺すっていうのを前提ですか?それとも両者とも死なないでですか?
242 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 01:58:10
殺して行くなら、小野派一刀流なんじゃない。
殺さないなら、新陰流{尾張柳生流}か、馬庭念流。
全員を殺さないで数人だけ殺して引かせるなら示現流か、タイ捨流あたりかな
243 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 02:02:58
塩釜の剣術が複数想定であるみたいだよ。そこも強そう・・・
神道無念流や香取神流{?}とかも
>>239には適してるかも。理法的に
244 :
239:2005/11/03(木) 08:48:10
親切な回答ありがとうございました
上泉信綱の愛弟子の疋田に負ける程度の柳生石舟斎を
上泉信綱と同列に加えるのはどうかと思うな
戦国にあって長野家を支え続けた一領主であり
共に武田の侵攻を食い止めていた有能な武将であり
それに驕ることのなかった人格者であり
真剣勝負無敗の剣聖、上泉伊勢守信綱が最強!
246 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 03:54:56
どのあたりの時期を引っ張り出して考えるか、だなあ。
疋田に負ける程度・・・といっても、その時点ではまだほんの
中条流の上手、程度のころの事だろう。
彼自身の完成はまだその時点ではなっていないしな−。
247 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 13:53:19
石舟斎の無刀取りを上泉信綱は絶賛してるし、それによって後継者になったようなものだし・・・
新影流の相伝もこの無刀取りあってこそだからなぁ。家康に一目置かれたのもその理法からだし
石舟斎と名乗り出したあたりでは同列かその少し下には入れても良いんじゃないかな?
それに、柳生の地を守り続け、戦にも多々出てるから一概に劣ってる言えないと思うし
免許皆伝を受けた弟子の一人ではあるが後継者と言う事ではないらしい、
上泉信綱は他の門弟にも柳生に出した無刀取りの宿題のように
独自の工夫を持って免許皆伝の印可とするとしていたそうだ。
印可状の一国一人と言う言葉も大和国において一人と言う意味で
塚原ト伝の唯授一人の一の太刀とは違う。
つまり上泉信綱は各弟子に新たな技術を編み出させその出藍の誉をもって
自分の新陰流からの「卒業の証」としたと言う事らしい。
249 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 08:41:51
そう言えば誰も丸目蔵人を押す人っていないよなあ、なんでだろ?
上泉の高弟の中でも一目置かれた人だし、誰それに負けたって話も聞かないのにな。
戦で失敗したしな。晩年は開墾して過ごしてたぞ
河上彦斎の西洋剣術みたいな片手刀法、色物かも知れないけど興味ある
独習なのかなあ
>>251 抜刀の逆袈裟の我流らしいね。すでに抜いた状態でやると。
子孫が京都かどこかで道場開いているらしい。
斬首前に語った自分の生き様の例えはなかなかに面白い。
253 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 14:00:12
>>249 柳生が将軍指南役になって、広まりすぎたからじゃないのかな?
>>248の話し聞くまで、俺も新陰流の正統を継いでいるのだと思ってた。
それに、タイ捨流の動きを柳生流と比べてみると、全くの別物に見えるから
新陰流系統ともあんまり見えないからじゃないかな?
後は、九州だと示現流が有名すぎるし、御留め流とかだから広まりにくいんじゃないかな
柳生は政治能力買われて側近になったわけで
剣術はオマケでしかない
剣技では小野の方が強い
255 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 21:11:46
鹿島大明神を祭ってるから現在の剣道って新陰流なの?
256 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 21:58:13
剣道は様々な流派から構成されたと、図書館にあった日本剣道史だかに合ったよ。
ベースとしては、北辰一刀流が多いみたい。
それと、剣道でも小野派一刀流の影響を強く受けた警視庁系。陰流を強く受けた教育剣道{筑波大流}。
その他として地元の流派の影響と言う風に別れるらしいよ。
鹿島大明神は武術の神様だから祭られると先生が言ってた。
もう一柱も祭られてるはずだけどどこの神様かな?
>>254小野が一般の人に無名なのが悲しい
257 :
日本@名無史さん:2005/11/06(日) 22:10:47
>>256 教育剣道には神道流関係も入ってると聞いたよ。
少ししか見たこと無いけど、それぞれに独特の形があるんだって
それを見れば構成流派とかわかるんじゃないかな?
鹿島・香取は戦や武術または剣の神様として祀られているので
剣槍の術はもとより鎖鎌術から砲術に至る迄、
香取神道流ではなくとも香取の神を祀っていたり
鹿島の新当流ではなくとも鹿島の神を祀っています。
剣道は北辰一刀流がベースとしては色濃い。
ということは剣道の基礎を作ったのは千葉周作ということになるのか?
そういっても過言ではないな。 北辰一刀流と一刀流各派が基礎で、直心影流と
神道無念流がわずかに影響を与えてるくらいだろう。 その他の影響は無きに等しい。
「鶺鴒の尾の如く振るわせる」の本家が千葉周作でしたっけ?
262 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 01:32:20
>>261そのはずだよ。
そして「遠間でじっと相手を見てれば焦れて出てくる」って奴だよね?
音なしの剣とかもそういう動きなのかな?
伝わってるのとかだと、剣を触れさせないで来るっていうから
263 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 01:33:35
千葉道場の千葉か?
264 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 01:37:30
265 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 01:40:53
そう北辰一刀流
>>262 ランダムに震わせてタイミングを予知されにくくすると。
>>263 何を聞きたいのか分からん。千葉周作なら「玄武館」。
267 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 01:45:18
現代の竹刀の基礎を作ったのが北辰一刀流でしょ。
今のスポーツ・チャンバラだな。
268 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:47:58
>>267 何を言いたいのかよくわからんが、一般的な剣道の他に「スポーツ・チャンバラ」という
競技は実在する。
千葉周作の北辰一刀流を竹刀や防具を使う近代剣道の祖ではなく、時代劇の殺陣に
ヒントを得たスポーツ・チャンバラの祖とする主張の根拠が理解できない。
269 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:53:33
日本の剣豪・剣術については、真剣を使った場合は別という主張や、特に示現流のような
捨て身の剛剣を旨とする流派があるためか、竹刀剣道競技の達人が実戦でも強いはずと
いう理解が存在しないようだな。
フェンシングでは競技での名人がそのまま実戦での名人とみなされている。また、分析の
結果として、おそらく伝説の名剣士よりも、現代的トレーニングを積んだ選手のほうが実際
には強いと考えられている。
270 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:08:47
>>269 それはあくまで脳内妄想の世界だけだ
一番強いのは、場慣れした奴。
修羅場を何度も潜った奴には、どんな剣豪も敵わない
死を覚悟に、捨て身でこられればどんな奴もビビるもんだぜ
271 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:10:56
一時期、竹刀剣術の使い方が刀とはかけ離れてしまったというのがある。
甲源一刀流だったかの話だったはず。
現在の剣道{特に学生}もそうだが、その使い方では切断できないという撃ちを行う人が多い。
そのことから、真剣の強さは別という風に考えられている。気構えも違うしね。
フェンシングの場合は、真剣でも使い方が全く同じなので強さは同じと考えられている。
272 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:24:03
>>271 切断する必要は全く無いよただひたすら
突きまくればOKさ!
これなら歯こぼれも最小限に抑えられるし、血油で切れが悪くなることも少ない
273 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:30:39
剣道にも突き技あるしな!試合中
最初から最後まで、突だけで試合してみな
相手は全然踏み込め無くなるから
俺は昔、それをやって主審から警告うけた
人を殺すには突が一番
274 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 22:47:10
大学剣道の試合だと突きを外した瞬間に面を撃たれる。外し方もあるし
社会人大会だと突きに行こうとした動きに合わせて先に面を撃たれるよ
突きって意外とモーションがでかいからいいターゲットになる。
ただ、真剣で避けられないようにやると滅茶苦茶強い。小野派一刀流が良い例
やっぱり竹刀と違う扱い方するけどね
275 :
岩倉具視:2005/11/07(月) 22:56:57
>>272一体多数だと斬られちゃうよ。
それに、突きをしっかりとやるとリーチが短いし、連発できないし
撃ち終わりも隙がでかいし、返しも入りやすいし・・・って真剣だと結構弱点多いよ
しっかりやらないなら、手打ちになって普通では刺せないからねぇ
276 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:15:03
剣道は確かに強い。特に剣道高段者は真剣持っても相当なものだと思う。
しかし斬れなくてもいいとか、突きばっかやってりゃいいとかは間違いだろ。
剣道の強さは格下相手のためのものか?
>>270 > 修羅場を何度も潜った奴には、どんな剣豪も敵わない
そんなのを剣豪などとは呼ばない。
>>273 それは一理ある。ただし、それだけでは、ある程度以上に格が上の相手には通じない。
279 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 23:36:39
新陰流は現在の剣道までは繋がっていないのかい?
手筋は普通に残ってる
実戦をいうのなら、比較的平和な江戸時代に発展した剣術よりも槍や鉄砲のほうが…
個人携帯しやすいって点を除けば、刀は決して真剣勝負に強い武器じゃないよ
283 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 16:37:40
>>282そうなんだよね。そこを勘違いしてる人が多いんだよねぇ。
素肌剣法はあくまでも、日頃の護身用だから、重装備での戦ではあんまり役に立たない。
でも、江戸末期では槍や弓、銃に対抗する技術が確立されてたりする。
もちろん、対飛び道具は刀一本での芸当では無いけどね
>>280 剣道の流派によって残ってるよ。
>>256のがわかりやすいかな?
>>269の厨レスって、
武道板でも散々既出して論破されているよw
285 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 21:10:09
日本史板なんだから、技術論より歴史的なこと語ろうよ
まあ、俺は武道版の住人でもあるけどさ・・・
>>280 現代の「競技」としての剣道は北辰一刀流がべーすになってるそうです。
287 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 22:18:10
示現流はじめ、立身流などといった御留め流についてどんな流派があるのか
知っているのを教えてください
288 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 00:13:26
まず、詳しい人に各流派の特徴を挙げて欲しいんだけど。
289 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:53:59
小野派一刀流
「切落し」という技があり、攻防を一拍子で同時に行う。これを中心にした攻撃性が高い流派。
繋げての突きが真に恐ろしいと言われる。一対多数で斬り合いも得意らしい。
徳川家の御家流かつ現在の警視庁でも習われている流派。剣術としては最強とも言われる{名人ならば}
剣の技術、戦法として担っている。一刀流の世伝。
柳生新陰流
「無刀取り」で有名。攻勢の一刀流に比べると後の先重視の待ち系統。
護衛などに特化していて、守勢では相当に強い。
また、技がよく練られていて、比較的簡単に一定以上の強さになれる{他流と比べて}
徳川家の御家流。政治の心得としての側面が強い。
290 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:04:41
示現流
「蜻蛉の構え」など、普通の剣術と違い、右手を中心とした斬撃が特徴的。
一撃目の剣速がとにかく速い。一撃目を外せだの言われるが、二の太刀もなかなかに恐ろしい。
他の流派のように刀を使っての返しなどが極端に少なく、徹底攻勢。鍔が小さいなどの独特の刀の拵えを持つ。
上級兵士剣法として優れているらしい{戊辰・西南戦争とかで}薩摩の御留流。
自顕流
太刀の流派。示現流が上級武士用だというのに対し、下級武士でも習えるという利点がある。
立ち木稽古など、自主練習をメインとしてできる。歩きながら、走りながらの抜刀、斬撃が恐ろしい。
個人的には示現流ほどの技の巧緻さは無いように思えるが、威力など実戦での利便性ではこちらの方が優れているように思う。
下級兵士の剣法として大変優れているように思える。祖は示現流開祖と関係あり。薩摩の御留流{?}
291 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:11:27
北辰一刀流
一刀流系統の一つ。
教授システムと剣術理論が解り易く、簡易であり、普及性が素晴しい。
現代剣道に多くの特徴を持つ。
馬庭念流
念流の世伝。群馬天領の農民剣法。{武士がいないのと自衛のため}
防御を旨とする流派であり、独特の防御法と粘りを持つ。
独特の理法と精神的なもの{気?}を持つ。
勢力圏であった伊香保で北辰一刀流に揉め事を持ち込まれるなどで、小説等で出ている。
現在も群馬で伝わる流派
292 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:21:55
天然理心流
武蔵の天領での剣法。新撰組で有名。
技の巧緻性などは他流派には劣る故に竹刀試合では弱いとのこと。だが、実戦で威力を発揮する。
極太の木刀を使っての修練など、実戦で必要となる気合や斬るなどの基礎が恐ろしいほど高レベル。
「気組み」という雰囲気や気合などを重視。開祖はこの気組みだけで相手を肉体的に圧倒したという逸話もある。
形は豪快にして力強く、恐ろしいまでの「気」が特徴とも言える。
神道無念流
長州や勤皇派など志士を多く排出したので有名。
柔軟な刀の運用が特徴とも言える。力強さと共に巧緻窮まる流派。
近間、中間での攻防ではこの流派以上のものを私は知らない。
293 :
289〜292:2005/11/10(木) 03:28:01
>>288 特徴的な流派で、自分がある程度わかるものをあげました。
主観的なものなので異論等は大目に見てください。
追加説明などよろしくお願いします。
>>287 東北の塩釜流とかがあったはず・・・もっと北だと小野派一刀流になっちゃうし・・
中国地方・九州地方に多々有った筈ですよ。武蔵の二天一流とかどうなのかな?
294 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:42:23
気とか構えとか戯言はいらないよ。
295 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:46:36
>>294じゃあ、武道全部が戯言になっちゃうんだ
少しは知識持ってからそういうの言おうね
296 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:47:59
297 :
289〜292:2005/11/10(木) 03:51:21
>>294 「気」といっても気功とかとは違うますよ。
まあ、馬庭念流とかそれを加味してるとか本にありましたが
喧嘩とかでの気迫とかがわかりやすいかも。
構えを戯言と言われると、
>>295ではないが、武道全部が否定されちゃうんですが
298 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 03:58:58
江戸期前に成立した流派とかどんなのあるんですか?
どれくらいから流派ってあったんですか?
最古の伝書は中条流のものだったはず。 鹿島七流、京八流、念流は伝説。
次が香取神道流、竹之内流、堤宝山流、陰流ってところか。
それでも源平の頃からある小笠原流にはかなわないが。
「心法」という今で言うイメージとか、精神的構えなんかを重視してる、といったほうがわかりやすいかも
「気」の存在はまだ科学的に証明されてないが、「気を当てられている」とイメージすることで治癒力が向上するということは実験で証明されている
301 :
日本@名無史さん:2005/11/10(木) 16:24:51
>>294天然理心流に「気当て」だかという技があったと本で読んだよ。
たぶん>開祖はこの気組みだけで相手を肉体的に圧倒したという逸話
このことだと思う。合気道とかの遠当てみたいなものらしい。
それの強烈な奴だって。二代目までは伝わったみたいなことが書かれてた。
古武術系の雑誌だったはず
>>298 とりあえず『日本史小百科・武道』とか読めば? 入門書としては一番マシ。
超初心者向けムック本なら歴史群像シリーズの『日本の剣術』がおすすめ。
>>290 >示現流が上級武士用だというのに対し、下級武士でも習えるという利点がある。
これは明らかにデマ。 中村半次郎は少年時代に城下にある示現流の道場の一つに通っていて
生活苦で通えなくなってやむなく独学の立て木打ちに切り替えた、という逸話がある。
自顕流は幕末になって広まったものだから、じゃあそれまで薩摩の下級武士は何をしてたんだ?ということになる。
藩主クラスは影ノ流だしね。
強い奴は剣術やらなくても元々強い
305 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 13:42:10
>>302中村半次郎って自顕流じゃなかったの?
前に剣道雑誌の連載か、司馬遼太郎の小説にはそうあったと思ったけど。
自顕流だと道場に長期的に通わなくても自主練習で大体ができるから安くて済むって。
それと、示現流はれっきとした武士以外習えなかったみたいなの読んだことある。
郷士以上だっけ?
>>304 ハンク・アーロンなんかは、初めてバッティングをやったときに、バットの握りを右手左手逆にしていて、
それでも相当にかっ飛ばしたとかいうけど、いきなり竹刀を持たせても、何をどうするのかサッパリ
分からないうちに竹刀を飛ばされて終わりじゃない?
307 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 16:30:58
>>303影ノ流について詳しくお願い
>>302中村半次郎は自顕流だと思ってたんだけどなぁ・・・知らんかった。
俺も示現流は薩摩でもちゃんとした武士じゃないと習えないって古流武術の本に載ってたよ。
示現流はちゃんと入門し、道場での修練が必要。
でも、自顕流は民間的に広まってて道場通いがいらないんだって。だから、安くて身分を問われない。
御家流だとみんなハードル高いはずだよ。
308 :
日本@名無史さん:2005/11/11(金) 17:36:58
>>287 立身ってお留め流だったのか?
俺、初段位だけど初耳だぞ
>>299 小笠原流は「弓馬術と礼法」だからスレ的には違うような気ガス。
中条流だったかな?戦前か戦中に宗家が満州で行方不明になって
伝書も道統もαβοοη..._〆(゚▽゚*)したのは
313 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 12:26:22
桐野利秋・屍体検査書
左大腿部内面銃創
右脛骨刀創
左中指断切痕
下腹部より腰部貫通銃創
前部よりこめかみにかけて貫通銃創
左前頭より傾頂部へ刀創
凄まじいな。息絶えるまで戦ったって感じか。
半次郎はどこでどうやって死んだの?
>>315 西郷の自刃を見届けた後、敵に突っ込んで戦死でなかったか?
ところで、山南は北辰一刀流でなく別の一刀流だったらしいけどマジ?
実際、北辰の免許皆伝だったら、伊藤や清川みたいに弟子を引き連れてるのが
当たり前で、間違っても田舎道場で食客してないし、試合の得意な北辰の免許
皆伝なら、道場破りに対し、他所から助っ人を呼ぶわけが無いはず。
>>316 調べればすぐ分かる事を教えなくていいよ
小野派一刀流(大久保九郎兵衛)→北辰一刀流(大千葉皆伝)→天然理心流(試衛館師範代)
と言う流れらしいけど。北辰の話は永倉の話だね。
近藤と手合わせして負けたので試衛館へ〜と言う話らしいけど…
新撰組の話はまず疑ってかからないとw(創作と美化の集合体
北辰の免許皆伝が実戦ならともかく、手合わせで近藤に負けるか?
小野派一刀流をやってて、北辰に入ってみたけど性に合わなかったから、実戦
向きの天然理心流に入ったてのなら理解できるが
319 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 14:06:05
>>311 千葉の無形文化財とかになってるよね。
千葉氏だかの御留め流のはずだよ。他に広まってないし
320 :
319:2005/11/13(日) 15:50:09
>>317 > 調べればすぐ分かる事を教えなくていいよ
ケチくさいことをいわないように。
> 近藤と手合わせして負けたので試衛館へ〜と言う話らしいけど…
誰がどこで「負けたので」と明確に書いていた?
>>318 近藤は『勤王』ならぬ『勤幕』派としてかなりの人物で、永倉なんかも同志として意気投合
したみたいですね。見切りをつけられたのも、家来扱いしようとしたからで、裏を返せば、
それまでは一貫して同志のリーダーと認められていた、ということでもある。
> 実戦向きの天然理心流に入った
そういう面もあるんじゃないかな。近藤自身が元々実戦向きの思考方法の人間だったみたい
でもありますが。
>>321 ケチうんぬんでは無く教えて君はどの板でも厨扱いが基本で。
近藤に負けた話は近藤の後援系の話が出所だと思う。
日野系もそーだが資料的裏付けの無い話を史実扱いするのでかなり怪しい。
324 :
日本@名無史さん:2005/11/15(火) 17:28:26
別に教えて欲しいという人に教えるのは良いと思うが・・・
個人の価値観の違いだから、気に入らないなら放置でいいじゃん。
それによって助かる人がいるんだから。それで害があるわけじゃないじゃん
近藤に対しては確かに怪しい話が多い。
誇大化されてたりするから間に受けない方が良いかもね。土方しかり
ちなみに、前に京都で買った新撰組の概略{?}では、永倉は神道無念流になってるw
>>320 藩外不出にしては中津藩も立身流だから不思議に思って。
このスレあまり抜刀術の話がっでてこないね
アイデア的にはすごいとおもうけど
>>326 流浪人何とかの読者はお呼びじゃね〜って事。
328 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 23:28:44
抜刀術だったら立身流とか何気で出てるんだけど・・・
抜刀術とかって流れだから、漫画みたいに一撃で終わるもんじゃないよ
何気に香取神道流って話題にも上らないのなw
飯笹長威斎家直は本当に102歳まで生きたのか?
塚原ト伝や上泉秀綱にも伝授したとか竹中重治も習ったとか
眉唾っぽい話題がテンコ盛りなんだが・・・どうよ?
居合術みたいな平時や咄嗟の護身みたいな剣術のことじゃね?>抜刀術
331 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 00:23:38
おい、誰か槍仕について語るスレを作れ。
可児才蔵とか、本多平八郎とか、前田利家とか、他にもなんかいるだろう。
剣豪ばかり有名になりやがって不公平だ。
剣豪と呼ばれた人たちも戦場では槍使ってたんじゃないか
333 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 10:50:57
可児才蔵は長刀も得意だったとか。
なぎなたと読むのか、ちょうとうと読むのか分からんが
334 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 11:05:01
柳生流は長刀と書いて薙刀と読むな。
335 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 11:08:34
それが今現在はごっちゃになって区別されてないし、区別が無くなってる。
剣術家は大概の武器は使う
337 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 18:16:54
兵法者・・・と言ったほうが適切。
338 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 19:08:31
剣豪ブームの世代てかなりのおさーんだよな?
339 :
日本@名無史さん:2005/11/22(火) 19:10:10
俺の頃はすでにカンフーブームに移行してたから
剣豪に詳しい同級生なんていなかったな
340 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 08:14:02
カンフ−ブ−ム!
341 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 15:59:15
古武術ブームが一部で来てるから若い人も多いんじゃない?
ま、経験者とかはブームと関係なく居るから
それに明治維新とか見てると小耳に挟むしねぇ
342 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:08:13
長州の神道無念流とか思想関係からよく出てくるな。
薩摩の示現流と自顕流についてごちゃ混ぜにしてる小説家が多い。
人物の背景が変っちゃうから見つけると興ざめしちゃうw
343 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:17:19
柳剛流が一番強いと思う 江戸時代の埼玉県で生まれた
あまりに汚い情けない剣術なのでだれもやりたくなかった
がとにかく強かったらしい
344 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 16:21:21
345 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 17:31:23
白井亨や高柳又四郎は中西道場通ってから一刀流とか言われるけど実際は違うよね?
白井は後に天真一刀流になるからともかく
高柳って何しに中西道場まで来てたんだろうな
相手の竹刀に触れずに突きで倒してたっていうし。どんな初心者相手でも
それじゃ組み太刀の稽古とかできねーだろって話だよなw
347 :
日本@名無史さん:2005/11/23(水) 22:10:52
>>344 初期の水戸黄門で格さんがあやうく柳剛流の使い手にやられそうになる話があった。
それで初めて知った。
あの頃の水戸黄門は面白かった・・・。
348 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:57:13
幕末期には柳剛流はかなり有名。
足ばかり狙う汚ない剣術だからやる人がいなかった、というのは誤まり。
ただ、足を狙うというのは、真剣だったら頭上から刀を打ち落とされる危険があるので、
実は真剣ではほとんど使えない手。幕末の竹刀剣術の一つかと。
薙刀ほどの長さがあればまだしも、刀で足切りを狙うのはほとんど捨て身。
胴だって真剣ではあまり狙わないというのに・・。
349 :
日本@名無史さん:2005/11/24(木) 23:36:48
実戦では立ち胴(生き胴)は斬れないって言うな。
柳剛流・・・実戦でも捨て身で、相当の勇気を出して掛かれば脛を斬る事も可能かも知れないけど、
命をかけてまで脛を斬る価値があるかと言うところだなあ。
350 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 03:00:49
脛当てしてる相手には決定打にならないよな
まさに街中、屋内でのテロ剣法だな。
352 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 10:20:22
江戸中の道場を荒らした大石進がサイキョに決まってるじゃんか
突きは畳2枚を軽くぶち抜いたというし
千葉周作なんか問題にならんよ
353 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 11:55:34
千葉周作が問題にならない程度で最強を謳われても困るなあ、
しかも結局引き分けられてるし。
大石:竹刀超長くして片手突きしたらリーチ長くなって最強じゃねwww俺テラ頭ヨスwwwww
剣客達:ちょwwwおまwwwwww
千葉:俺は桶の蓋を鍔にしてみたお
大石:お前テラバカスwwww
_, ,_ パーン
白井 ( ‘д‘) 調子のんなデブ
⊂彡☆))Д´) 大石
大石の道場破りってこんな話だよね?
355 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 18:05:55
356 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 21:07:05
そりゃ足切る奴もいるだろうが、びっくり技だね。
居合いで、股下や逆袈裟に切り上げるというのはあるけれども、
357 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 21:27:50
戦国時代の甲冑剣法の形を見た。
そしたら、股間切り上げが・・・・
鎧の防備が薄い所とのことだけどあれはやられたく無い。
柳剛流の対脚斬りの形も面白かったよ。さすが本家ってとこで
358 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:17:42
359 :
日本@名無史さん:2005/11/25(金) 23:26:23
>>1 自分も含めてだけど、現代の大平を謳歌する者に答えを
出せる問題ではないと思う。良し悪しは別にして
実際に斬り合わないと、到達できない境地があるのでは。
360 :
\_____________/:2005/11/26(土) 16:13:13
V
, v、ヘM 'リ"ノンミ/ソMv、
ソVvミ ヘ/Wv彡vV/ ミ∠ミ::
ミミ _ ミ:::
ミ 二__, --、r'"___、 ヾ ト、::ヽ
ミレ'"~ ,-,、 ! ! ' '" ̄ .ノ \ヾ:、
K/ー'~ ^~_/ ヽミ:ー‐‐'" ヽ i.
!〉ー― '"( o ⊂! ' ヽ ∪ Y
i ∪ ,.:: :二Uニ:::.、. l i
.! :r' エ┴┴'ーダ ∪ !Kl
.i、 . ヾ=、__./ ト=
ヽ. :、∪ ゙ - ―- ,; ∪ ,!
\. :. .: ノ
ヽ ヽ. . .イ
361 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 17:15:39
最強は塚原ト伝、二番目は上泉だろ。
足利十三代将軍義輝もかなりかもね。
362 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 17:17:39
なぜそう思うのか理由もお願いします
363 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 17:28:25
>>362 はい分かりました。
塚原も上泉も戦国の人で、実際に戦闘や決闘で勝ち抜いてきた人だからです。
足利義輝も同じ。松永久秀らの軍に襲撃された時の四面楚歌の中での
強者ぶりは歴史ファンなら有名ですね。
364 :
日本@名無史さん:2005/11/26(土) 21:59:46
だったら、小野忠明も入れないと
結果的に槍働きの功で目に止まって、将軍家御指南役になったわけだし。
十兵衛はじめ、新陰流の柳生が勝てなかった流派だし{十兵衛は半弟子状態だったらしい}
荒木又衛門とかはどうなんだろ。
創作かもしれないけど、本当なら相当強いんじゃない?
366 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 11:16:12
試合剣術では大石を破った白井亨義謙最強で。
ハンデとして自分で自分の肩を打ち抜いて稽古してたっていうのは本当なんだろうか
この人なら本当にそういうことやっててもおかしくないけど
白井亨は今でいうイメージトレーニングみたいなのを積極的に修行したらしいね
剣士としては体格が小柄だったそうだから、イロイロ工夫したんだろうな
368 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 14:39:22
防具発明以前の人は話にならんよ
369 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 16:57:51
防具できてから、現実の戦闘を加味しなくなった流派が急増したらしいよ。
発明以前こそ実戦での名人上手が多いし
370 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:08:36
>>369 それは少し違うんじゃない?
正確には鎧での戦がなくなって、江戸時代からそういうのが出てたんだから。
防具は遠慮無く打ち合えるから、上達が早くなるって理由で取り入れられたわけだし。
まぁ確かに上にある白井亨や寺田五右衛門なんかは防具否定派で木刀の組み太刀主体だったらしいが。
371 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 17:58:55
>>370 初期から危惧の声があり、それが大石はじめ実戦離れした剣法を生み出すことに
上達じゃなくて、そもそもは大衆化を目指したもの。
まあ、形だけで形骸化してるというのもあったけど、それ以上に
>>369のいう影響が大きかった
372 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:08:19
>>371 いや逆だろ、上達が早くなって習得がたやすいって理由から大衆化したんだろう
373 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:12:52
正確には誰でも名人になれるわけじゃないが、そこそこにはなれますよ〜みたいな感覚でスポーツ化して
町人にまで浸透して流行って千葉大人気なんだし
大石みたいな話はあれど、その大石を破った奴はいるんだし
防具が出来てから時代の方が剣豪達が弱いという証明にはならないと思う。
逆もしかりだが
375 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:18:29
>>372 安全面での配慮というのが主。そこから大衆化へ
大衆化は「安全で楽しいから」という理由で道場が流行り、防具道場も流行った。
習おうする層が、町民や裕福な暇人などになったから昔ながらの稽古は敬遠されたし、
そんなに強くなろうと考えた人も少ないし。
習うのが早いのは千葉の玄武館の教育システムのせいであって、他はそうでもないよ。
防具剣術だから上達が早いというのは、今まで聞いた事無いから、出てる本とかあったら教えて
ちなみに、否定的なのは「古流剣術」や「古武術・剣術がわかる本」とか概要だけの浅い本にも出てるから
数冊の本に似たようなことが出てるから
376 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:20:43
>>374防具剣術のルールではね。
それと
>>370もありるように否定派だし
まあ、防具が出てからも強い人は出てきてるのは確か
ただ、そういう人の多くは形を平行してやってる
377 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:25:22
牧秀彦の本とか入門書としてわかり易いし、ちゃんと書いてあるよ。
まあ、あくまでも入門書程度だけど嘘は無いから、お勧め
>>375 その本は牧氏の?
同じようなことが書いてあったから
>>375 単純に打ち合って、なぜ当たったか、なぜ当らないかってのを検討できるからというのが理由だと思うが
木刀じゃケガするからね。
むしろ防具による害というか、実戦からのかけ離れは
面打ちとかそういうルール的な面であって防具自体はそもそも関係ないと思う
379 :
375:2005/11/27(日) 18:49:19
>>378>むしろ防具による害というか、実戦からのかけ離れは
>面打ちとかそういうルール的な面であって防具自体はそもそも関係ないと思う
この意見には賛成。
ただ、問題は防具導入と共に道場の剣術事態が防具での試合に通用する物に変容したこと。
防具で当てられるから「竹刀での試合で勝てない=弱い」、「弱い=生徒が来ない=潰れる」
そこから、旧来の剣術家や開発後の達人達の多くが一口に「防具のせい」とされてしまう。
ちなみに私は完全な否定派ではないので、防具にも良い点は多々あると思ってる。
ただ、「剣術を修める」という姿勢より「当てっこ」となったのが古流剣術やる者として残念。
「当てっこ」では剣術になら無い・・・体験上
まぁ太平の世に殺しの剣術なんていらんし
昔から剣豪家の中には人を殺すのは恥と考える人間が大勢いたからなぁ
結局はそこらへんの思想の違いがこのスレでも強さの定義を変えてると思うんだよなぁ
試合にしても、昔からケガさせて文句言われるのが嫌だから他流試合禁止したところも多かったわけだし
382 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 19:14:11
まぁとにかく千葉周作は弱くはないと思うぞ
383 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 22:24:06
たしか大石種次以後江戸では長竹刀ブームがおきたはず。
大石が2,3度目の江戸入りした頃には、試合のさい相手の方が長竹刀出してきたこともあったとかw
それは男谷信友が講武所での定寸をサンパチにするまで続いたんじゃなかったっけ?
結局長竹刀は一流所には通用しなくなった。(歳のせいもあるが)
大石はもともと槍の名手。当時でも槍と本格試合した剣道家はあまり居なかったんだろう。
やはり防具ルールでは場数と慣れが足らなかったのだと思う。
384 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 23:12:06
妙な流れだな
防具以前の剣豪なんて
江戸後期の町道場のパシリレベルの腕ってのは常識ですよ
常識で考えればわかるだろ
当てられない稽古なんていくらしたってどうにもならない
>>384 釣 れ ま す か ?
当てられないんじゃなくてガチで当て合ってたから怪我が絶えず
それ故に防具が考案されたことを忘れているね。
ここに書いてあるような「一部の剣豪」は別として
防具発明以降の方が日本の剣術家達の「全体的なレベル」は上がったと思うのだがどうだろう。
例えるなら昔は飛び抜ける人だけ飛び抜けてて、防具発明以降はそれなりにいた。みたいな。
そういう意味じゃ昔の平均レベルの剣豪はたいしたことはなかったという意味なら理解できる。
ただ昔の剣聖クラスは当然別格ね。
だけど神格化されすぎてる面も否定できないし
逆にあまり評価がないが幕末の男谷や千葉は一刀斎レベルはあったと思う
真剣勝負と道場試合の強さはイコールではない
時代も諸条件も違う者達を比べるだけ無意味
だな。
同じ練習でも介者と素肌を主眼に置いたものは違うだろう。
389 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 17:46:00
上二つは詭弁だな
強さを比べるわけじゃないが
イメージトレーニングの原理を考えれば、道場剣術の強さが真剣勝負の強さにつながらないことはない
結果、人間のフィードバック、いわゆる癖付けがこそがある意味本当の強さの基準。
それを養うならば道場剣術は決して無意味ではないだろう。
逆説に言うなら
>>379の言うような、防具での竹刀剣術の当てっこが剣術にならないというのもそういう意味だし
白井亨の言うように、剣術ってのは力じゃない
若さの力比べの剣は鶏の蹴合いと変わらない
結果、白井亨は禅や水業を意欲的に行って、そこそこの歳でも大石に勝ったわけだし
千葉の場合は、防具によって打ち合った方が剣を振る感覚が身に付きやすいと悟ったからだろう
その結果、解釈のズレが実戦離れを招いてしまったわけだが
決して、道場剣術が真剣勝負を想定していないということにはならない
だから
>>384の言うような言い分があるんだろう。
酔わせて首締めたり背中から不意打ちで斬りつけて殺すような奴らを真剣最強とか
道場剣術の達人が実戦じゃ弱いみたいな思いこみは漫画の世界だけにしてくれ
道場剣術でも兜割り出来るくらいの人なら十分鎧相手でも戦えるだろうな
近代剣道と古流剣術を比べても上級者の剣道は確かに強い。(学生剣道は論外)
だが幕末明治期にそんな名人上手達が
古くさい形稽古と打ち込みしかやっていない薩摩武士や名も無い足軽小者に
打ち負かされ暗殺されている。
防具稽古は数ある稽古の一種、袋撓は戦国期から。
それ以前はたしか中条家が甲冑を着けて打ち込み稽古をしていたと思う。
ちなみに男谷精一郎の師匠に平山子龍がいる。
この人の稽古は打ち来る敵に対しザルを背中に担いで飛び込ませた。
「当てっこ剣道」「形踊り剣術」なぞ戦場では無用と考えたのだろう。
392 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 18:09:49
ぶっちゃけ実戦の強さなんて運だと思うが
集団でワラワラ来られたり、夜中の押し入られたらそりゃ駄目だろう
一刀斎だって盗賊に襲われて逃げたんだったか
393 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 18:22:14
>>392 払捨刀の話だったら、相手を全員切り殺してるよ
罠に嵌まって、丸腰の状態で襲撃された時の話は
394 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 18:23:21
女と寝ている寝込みを襲われたことがあるなあ、わざわざ枕の下に太刀を置いて
寝てたに関わらず、それを奪われてる。すぐに気づいて助かる所は流石か、
一刀斎は剣聖の割には変にカッコを付けた話しって無く、
人間味ある逸話が多いな。
395 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 21:02:05
>>394眠りが深かったら意識では気付いてるが体が動かないと言う状況になる・・・運の良さも剣豪には必要。
396 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 21:23:50
>>395深く眠らないようにする。
一定以上の緊張感を絶やさず、深く眠らないとか江戸期以前の話があるよ。
実際に訓練でできるし
私のような凡人でも、一人で山を歩いていると勘が鋭くなって、何か奇妙な気配を感じると
思って辺りを見回したら、かなり遠くの茂みから動物がこちらの様子をうかがっていた
なんてことも度々あるくらいだから、伝え聞く剣豪の勘というのも、決して嘘っぱちなんか
ではないと思う。
ただし、その緊張感を持続するのは容易なことではないから、やっぱり特別とはいえそう。
真剣勝負前提と道場剣道は違うだろう
イメージトレーニングというが、それは試合のものだし(イメトレについては誤解があるが、想像と実際を整合させるためにやるのであってイメトレで非現実を体験するわけじゃない)
例えば腕を斬られても尚戦うようなことを想定してるか、今の剣道で
古流は心法や応急治療をまとめて叩き込まれる総合武術なのは、実戦を前提とするのなら欠かせば不利な要素を外せないからだ
剣道と古流 ふつうに戦わせたら現代の場合平均的には剣道の方が強いと思うよ。
やはり地力が違う。稽古量が違う。激しさが違う。
他人より稽古しないと強くはならないと千葉周作も言ってる。
たしかにイメトレだけでは実戦に必要な意地と胆力はつかないと思う。
五輪書の「巌の身」や、宗矩のいう「本心」、ト伝のいう「剣は正道」とは
心・技・体のような揺れ動くようなものではないし知覚するものでもない。
人間性の本性の部分を鍛えることだ。
『無心』をイメージトレーニングはできないだろw
そのような物を がりがりと削り取った人間性の大丈夫さが剣の強さになる。
「ただ外に求むることなかれ」だ。
有名な話だけど新選組の初期の面子が揃った天然理心流道場は
今の剣道の試合形式では強くなく、他の道場からの試合の申し込みが
あったときに北辰一刀流に助っ人を頼んだとか………
まぁ天然理心流が実戦で強いかどうかはよく分かんないけど……
新選組だって多人数で一人の相手にかかるのが基本だったらしいし。
天然理心流が試合で弱かったのは、単に太い木刀稽古を主流にしてて竹刀稽古あんまりやってなかったからじゃないの?
確か普通の木刀より太い近藤の使ったものが現存してたよね
402 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 10:34:33
そんな事言い出したら小野派一刀流はどうなる?
403 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 10:52:48
剣道にしろ剣術にしろ様は使う人間しだい。一葉に語れるもんじゃあないだろう。
天然理心流が竹刀で練習始めたからと言っても技が柄で殴るとかもあるから
剣道試合で強くなれたかどうか。
逆に考えると剣道は確かに早いけど型のバリエーションが少ないような
気がする。
まぁ打つ場所が定まってるからしかたないけど………
実戦で使えなきゃ意味が無い!
なんていうのは戦国時代の話
そして戦国ではメインウェポンは飛び道具か槍といった有効範囲の長い武器で、剣はサブか護身
現代は試合が主流(つか人斬り包丁を持ち歩いたらそれだけでタイーホ)
時代にあった剣術(道)が出現し変遷していくのさ
406 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 13:05:01
今の早い剣道、特に学生剣道は剣先を触れさせるだけ。
それくらいでも手首を使えば音はでる
警視庁の特連や機動隊はしっかり撃つ{斬る}けどスピードは遅くなる
剣道の形は剣の普遍部分を編纂したとされるものだから、極めれば真剣でも強い
相手の多様性を潰せるくらいに
竹刀剣術も音だしだけの変形にならなければ、すごく有効。
でも変形しないと名人になら無い限り竹刀での試合に勝てない
407 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 13:44:03
>>392 そりゃ剣道の達人でも集団で襲われたら逃げるだろ
408 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 17:09:41
ところで竜馬って本当に剣の達人だったの?
嘘っぱち説も流れているようだけど。
竜馬のは、長刀。
410 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 22:06:30
剣道の起源が韓国に有る訳ないじゃん。
411 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 22:53:37
捏造しないと何もできない国だから・・・剣道家は率先して否定して回ってる人も多いよ。
そういや、そのコムドを巡って韓国内のコムド連盟が喧嘩してるんだそうだ
目に見えるものしか注目できないと悲惨だな
412 :
日本@名無史さん:2005/11/30(水) 23:06:49
武術の起源は中国
竜馬は土佐で小栗流の免許持ってるから武術はかなり強いはず。
同門の武市半平太は江戸へ出てたった1年で桃井流の塾頭になっている。
小栗はたしか柳生石舟斎の無刀取り完成に一役買った人物だったと思ったが・・・だれか詳しい人いない?
竜馬が小千葉道場でもらった目録は409が言う様になぎなた。
414 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 11:00:16
>>412 戦う術(すべ)にどこが起源とかあるものか。
415 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 12:56:22
>>414 武術は技術体系だから。ただの戦う術の羅列じゃない。
その意味で「技術体系化する」という形式を作った点で中国が起源ってことなんじゃない?
でも中国も宋代までは大体系の武術ってあんまり無いよね。
ちゃんとした体系だったら実は日本の方が早いかも・・・前段階までは確実に中国が早いけど
少林寺を開いたのは達磨さんだしな。
こりゃ手も足も出ない罠。・・・っていうことでインドでは? カバディ
417 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:23:21
それから現代人の方が、良い物食ってるし体もでかくてウェイトもやってたりするから
強いとか言う意見も聞くけど、時代劇のチャンバラとか見ると、マジで斬り合いしたら
白黒映画の役者の方が現代の役者より、ぜんぜん強そうなんだよな。
418 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 18:57:38
最近、NHKとかで時代劇の殺陣が変ってきたけど、もう少しちゃんとできる俳優を使って欲しい。
昔の映画の役者は殺陣とは言え、ちゃんと剣術の片鱗があった。
>>417の言うようにずっと強そうだし、迫力があったもん
殺陣と戦闘を同一化するのは微妙かもしれないけど、殺陣ですらそうなんだから、
体格が優れているからと言って一概に体格が良い方が強いとも言えないよね
419 :
日本@名無史さん:2005/12/01(木) 19:09:13
>>415 >武術は技術体系だから。ただの戦う術の羅列じゃない。
もちろんその通り。ただ言葉足らずだっただけでその事は否定していない、
ただ君自身の文にも(読み様によっては)含まれているように
その国々の戦乱の中で多様に発展生まれていったのが個々の武術、であり
そう言う意味で「武術の起源は中国 」決め付けてしまうのはどうかと思っただけ。
この言い方ではまるで日本固有の剣術まで中国起源のよう。
420 :
415:2005/12/01(木) 22:05:16
>>419 言葉足らずですいません。
「武術」という「戦う技術を体系化した物」の起源を中国だと考えての発言です。
つまり、「体系化」の大元が中国だという意味です。
日本固有の剣術も「体系化された武術」という意味では中国の製法を取り入れた物と言えるということです。
鹿島はじめ、日本武術発祥の地での武神降臨の伝説から
この「製法」が中国大陸からもたらされたことが伺えます。
私も剣術は日本固有と考えていますが、編纂技術に大陸臭があるので「起源」と大雑把に書いてしまいました。
返す返すも、言葉足らず、すいませんw
421 :
日本@名無史さん:2005/12/02(金) 02:08:57
>>420 了解w
お互いたまたま違った風にとらえてしまった。
武術と鬼ごっこの起源はやはり、カバディということで手を打ちましょうw
423 :
421:2005/12/06(火) 08:45:28
了解w
そうだよね、やっぱカバディだよね・・・って、ちょっとまていっ!
424 :
420:2005/12/06(火) 15:57:25
そうか、カバディだったのか、それで・・・・はっ!もう少しで納得するところだった
そろそろ折り返しが近いのでヒマな拙者がてきとうに中間報告を作成してみたど!
【道統】 今回話題に上った人(なんとなく年代順)
-----------------------------------------------------------------------
【神道流系】 飯篠長威斎 - 松本備前守 - 塚原卜伝 - 上泉伊勢守 - 東郷重位
- 男谷精一郎 - 近藤勇 - 沖田総司 - 永倉新八 - 中村半次郎(薬丸流)
【影 流 系 】 愛州移香斎 - 上泉伊勢守 - 柳生石舟斎 - 丸目蔵人 - 疋田文五郎 - 大石進
【中条流系】 中条兵庫守 - 伊東一刀斎 - 佐々木小次郎 - 小野忠明 - 白井亨 - 千葉周作
【念 流 系 】 樋口定次 ・・・・ 中条兵庫守?
【そ の 他 】 宮本武蔵(二天一流) /岡田以蔵(武市道場・桃井流?)/ 河上彦斎(不明?)
・・・剣晃敏志(大相撲・吉田流)/坂田 銀時(だれ?)
うーん、以外と難しいな。新陰流祖の上泉伊勢守は
神道流と愛州影流両方学んでいるのが問題だな〜。
松本備前守も鹿島神陰流を名乗っているし・・・(神の「御陰」の陰の方ね)
男谷は鹿嶋神伝なので神道流系に入れます。
中村半次郎も薬丸流ですが示現流でもあるので天真正伝
ということで、とりあえず神道流系に入れます。
念流は成立が古い上に流祖に不明な点が多く正確な道統が
把握できません。中条兵庫・松本備前にも影響を与えた説もあるが不明。
あと、白井亨って・・・一刀流の道統に入れてもいいのかな?
426 :
421:2005/12/07(水) 02:45:16
東郷も始め(29歳位まで)タイ捨流だったので上泉同様判断の難しい人の1人だね、
示現流は天真正自顕流にタイ捨新陰の技を工夫して生まれたものだし。
(あと桃井の鏡心明智流の元の流れって新陰流じゃなかったっけ?)
念流はその昔し、念阿弥慈恩って人が山で迷って異人(天狗とも言われてる)さんに出くわしたとき
剣術を教わり創始した流儀だと何か物の本で見た記憶がある。
他、何か知ってる人いますか?
鬼一法眼てそんなに強かったん
428 :
144:2005/12/07(水) 12:46:51
>>427 式神とか使われるとやっかいですよね。殺すと屍解仙になります。
・・・と、言うより義経の兵学の師範では?戦国の読書坊主のような者かな?
でも、お公家さんの中には兵法早業の達者がかなり居るね。清少納言の旦那とか後醍醐帝の皇子とか。
ただ彼らは兵法が表芸でないのであまり記録に残ってないなあ。
たしか鞍馬山に鬼一法眼のでっかい石碑が建ってた気がするから、ただ者ではないとは思うが。
↑あ、ごめん144。まちがえたw
430 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 17:51:16
古武術には、古いものほど刀をクルクル回したり、自分がクルクル回ったりなど、
不思議な動きをしている物が多いが、あれは八百万の神々に祈っている動作らしい。
古武術と神道は、切っても切れない関係なんだ。
431 :
148:2005/12/07(水) 22:13:30
>>431 その流派、仏門に入道した慈恩大和尚の名前に
天真正(鹿島&香取の神から真の教えを受けたと言う意味)を付けるとは
酷いですよねw
愛洲移香斎が猿神前の末孫とも書いてあったけど
紀伊の国の愛洲一族だろうとしか判らない謎多き移香斎の先祖が
判るなんて・・・というよりも猿神前って誰?って感じで
明らかに三大流派の他の二流派、神道流系と陰流系を自流の系譜に連ねて
箔付けしようとしたのが判りますなw
>>432 いや〜その辺は否定も肯定もできない。天真正に仏教的意味があるのかも?
ちなみに「天真正」とは海からきたカッパだったという説もあるw
念流が大流派なのは間違いないと思うが、なにぶん古いし分派しすぎてる。いったい誰が正統なんじゃっ!!
今現在、有名なのは念流→中条流の系統と馬庭念流ぐらいだが
堤宝山流は由井正雪が宗家だった気がするので一心流鎖鎌の系図もウソとは言い切れない・・・が違ったらごめんw
本朝武芸百首だか歌舞伎では正雪が遊女宮城野・信夫姉妹の敵討ちに鎖鎌を伝授している。
「愛洲移香斎」もはっきりしない。愛州影流は紀州の水軍系という説もあるがやはり決定打がない。
実際に愛州・猿飛影流が伝承されたのは鹿嶋の近所の佐竹家家臣の平沢家。
移香斎が鹿嶋兵法を学んだ可能性もあるし逆もある。
当時の鹿嶋・香取は関東利根水系と太平洋・東北を結ぶ軍事拠点。日本中の武人が古代より集結していた。
鹿嶋の兵法六韜「龍虎の巻」は義経の奉納品。義経の師匠は大陰陽師鬼一法眼(京8流祖)・・・
うーん、まだまだ古代まで続くけどやめるw
武道の道統・流祖はどうしてもあちこちかぶるし混乱するものだから多少嘘くさくても否定も肯定もできない部分はあるw
434 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 22:49:24
江戸時代の家系図編纂と共に、武術体系も注目されたみたいだよ。
その時に、自分の流派を鼓舞するため、開祖は皆神格化され、過剰な神秘性をつけたんだって。
後は、兵法者は幻術使いの一種で都人には不気味なはぐれ者扱いだったとかw
だから、はっきりした記録を残せなかったとか{文字書ける層が無視してるから}
435 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 23:02:13
現在でも習う事ができる剣術流派は何があるんでしょうか?
自分で調べてみたのですが、
どういうのがあるのか一覧してわかる物はなかったので、
詳しい方がいましたら是非教えて下さい。
武板で聞こうと思ったのですが、
該当するとこらがなかったのでこちらで聞いてみました。
436 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 23:52:18
437 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 00:08:03
>>436 本当にありがとうございます。
ググってみたりもしたのですが、
数がたくさんあるうえに私はそれぞれの流派の特徴なども知りたかったのです。
しかし、これに合うサイトや本などがなくて、
とても困っていたんです。
教えていたただいたサイトを参考にしてみます。
438 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 00:25:32
439 :
432:2005/12/09(金) 00:50:16
>>433 >天真正に仏教的意味があるのかも?
言われて思い出しましたw
天真とは元々仏教語で天台宗の悟りの境地・・・とか何とかでした。
>カッパだったという説もある
確か甲頭刑部(かぶとぎょうぶ)と言う河童だと言われてましたね。
そういえば本朝武芸百人一首にはなぜか
愛洲移香斎の名前がありませんでした。
440 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 14:06:17
丸目蔵人の肖像画を見たら、本当に目が丸かった。
「マルメ・クランド」。カタカナでかくと「マーロン・ブラント」みたいだな。
ここは凄く詳しい方達が集ったスレですね。
最近、剣豪に興味持ち始めたばかりの初心者に巌の身と一の太刀について詳しく教えてください。
442 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 18:42:48
>>442 ありがとう。
結構当たり前というか名前通りの事だったんですね。
一ツの太刀については何かわかりませんか?
>>439 >天真とは
横レスですが、飾り気の無い自然な状態を意味する言葉です。
それと、当時信仰されていたのは本地垂迹説。
鹿島大明神も香取大明神も本地は十一面観音でしたから、無問題ですよ。
445 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 22:44:05
446 :
432:2005/12/09(金) 23:01:19
>飾り気の無い自然な状態を意味する言葉です。
不生無相の本体こそまさに剣の極意ですね。
本地垂迹説で全てが繋がり何故飯笹長威入道と呼ばれているかも判りました
レスありがdですm(_ _)m
おおっ!山野氏降臨っ!
申し訳ないんですが、「念阿弥慈恩」についての考察をお聞きしたいです。
【念阿弥慈恩 略歴】
正平五年(1350年)相馬四郎左衛門尉忠重の子。奥州相馬(福島県原町市)生まれ。俗名義元。
父忠重は新田義貞に仕えた強弓の達人として知られ、大功を立てたが義元五歳の時に妄人に討たれた。
義元は乳母に匿われて武州に難を逃れる。
七歳の時、義元は相州藤澤の遊行上人のもとに弟子として預けられ、「念阿弥」と名付けられた。
父の仇を晴らすため兵法、剣術の修行に励む中、十歳の時、洛外(京都)鞍馬寺において、
ここを訪ねた異人に出会い妙技を授かった。長じて十六歳の時、鎌倉寿福寺の神僧(外国人の説有り)から
武術の秘伝を受け、更に九州の筑紫安楽時の於いて研鑚を重ねた。ときに正平二十三年五月、十八歳にして得術したとされる。
元服して相馬四郎義元と名乗り、父の仇敵を討つ。服喪三年の後、再び出家し禅門に入り名も慈恩(慈恩念)と改め、諸国を遍歴し各地に弘流。
応永十五年五月(1408年)五十八歳。信州伊奈郡浪合村(長野県下伊奈郡浪合村)に麻利支天を本尊とする一精舎を建立、
自ら「念大和尚」と称す。没年は不詳。
長野県の南西端に位置する浪合村に、慈恩念和尚が座禅を組んだと云われる座禅石や麻利支天祠、供養塔等が現存。
まずスーパー歌舞伎オグリのw「藤澤の遊行上人」ですがこれは「念阿弥」は時宗(地衆)だったということですよね。
地衆はたしか戦場に出入りする従軍僧の様な者でしょうか?出家中兵法修行してますよねw
『太平記』以降、時衆の僧侶はよく従軍しており、兜は着用してもよいが武
器は携帯してはならないなど、衆内で何度か規定が定められています。
もっとも、注意されるぐらいですから、剣などに興味を持つ者もいたので
しょう。従軍以外なら、尚更の事。
大名に命ぜられて、密偵の様な事をしていたものもいたという事です。
慈恩の事ですが、座禅や麻利支天の件を見ると、再度出家した後は時衆色が
薄い様ですね。どこまで当時のものか分かりませんが。
伝記史料か研究書が出て来たら、お知らせ致しましょう。
年明けになるでしょうが。それと、長威入道の事ですが、近世以前なら中世
まで遡る程仏教有利で、神職でも老いれば出家して、仏式で葬られています。
体調が悪い時も、僧侶を呼んで祈祷を頼んでいました。
>>448 ありがとうございますっ!期待してます。
ついでに「信州伊奈郡浪合村」なんですが
「内藤昌豊、『信州伊那』に籠って信玄に反抗する忍者二千を奇策をもって討滅」
とかあるけどこれって同じ地域っスかね?念流と忍術なんてマニアックで
そそるんだけど、誰かこっち系詳しい人いないっスか?
関東郡代の伊奈家も忍者?
>>439 鹿伏兎刑部少輔(ううっどんな字だっけ?)は鹿島七流の神人の一人でその師匠がカッパの「天真正」だと
関八州古戦録にあるらしい。マンガで読んだw いや、山田次郎吉も書いてるね。
佐々木小次郎の名前がほとんど上がっていない事に驚いた
佐々木小次郎がどのような事蹟を残したのかが掴みかねないのです。
>>450氏が話題を提起せられてはいかがでしょうか?
452 :
カッパ:2005/12/11(日) 14:15:57
>>443 >>445 「一の太刀」については、同名の技が鹿島系武術に数種類残っているようです。
最近では鹿島神流の国井善弥氏が「音無の勝負」と称して剣道家相手に一本勝ちしています。
記録では鹿島神宮の大祝職の松岡兵庫助も家康(奥山新陰流[鹿島神陰四世]に学んだ)に「一の太刀」を伝授。
家康は感謝状を送っています。
これも私見ですがト伝の墓碑にはたしか「帰一」の文字が彫ってあったと聞いたことがあります。
語源は「禅」だったかの『萬法帰一(ばんぽういちにきす/まんぽうきいつ)』
[この世の全ゆる物事は 帰するところ一つの真理、即ち空(無)に決着する]
じゃないかと思います。たぶん(笑)
そのエッセンスが江戸期に入り
「はじめの一太刀に命をかけろ」=「迷うな。恐れるな」→「武士道は死ぬことと見つけたり」
「もののふは死を嗜む者なり」=「生死の亡執を越えた戦いの境地」→宮本武蔵の「巌の身」
と、変化していったのではないでしょうか。(ほとんど推測だけどw)
453 :
日本@名無史さん:2005/12/11(日) 22:45:11
ふと思ったのですが、江戸期の武芸者でも家格の高い家出身で武芸に秀でた人って誰かいますか?
御家流や御留め流の後継者以外だと、知ってる人は大概家格が低い人なので
やはり平戸藩主の『松浦静山』[心形刀流水谷派・甲子夜話の作者 ]が有名
あと司馬遼太郎の「酔って候」で主役の土佐藩主『山内容堂』[無外流]
おなじみ 『井伊直弼』 [新心新流]の流祖!!おいおい
そして幕末の救世主 伊豆韮山代官『江川太郎左衛門』[神道無念流・高島流砲術・洋式兵術]
・・・ありゃっ幕末しか思い浮かばない(笑)
455 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 15:06:01
>>454 幕末の有名所がこうだとは知りませんでした!情報ありがとうです!
この感じだとまだまだ居そうな気が・・・・ってことで引き続きお願いします
藩主クラスなら武蔵や柳生兵庫みたいな剣豪が直接指導しているのだから
やる気のある藩主ならどんどん強くなってるはず。
ただ彼らは剣を表芸にしていないし多忙なのであまり「剣豪」っぽくない
井伊直弼は「部屋住み」容堂公は妾腹の分家。
まあ比較的自由で『ヒマ人』だったということもあるw
江戸期に剣士で大名だったのは柳生但馬・飛騨の系統ぐらいかな?
あと変わった所では大身の殿様?でありながら身分は低い
穢多頭の「浅草弾左衛門」(深甚流だっけ?)なんかもいる。
弾左衛門はいわゆる全国の「被差別部落」の支配者である。(カムイ伝読むべし)
江戸期の穢多は「長吏」という『捕り方』でもあった。
職業柄武芸に関しては武士より盛んである。
その弾家家老「井上石香」は北辰一刀流師範で神田お玉ヶ池場がその支配地。
千葉門人には石香配下が多く学んでいたという。
近藤勇の甲陽鎮撫隊は新選組と浅草弾左衛門配下が中心。
457 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:37:06
age
458 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 17:46:40
以外に剣術って広まってるんだね。
十手術とかは剣術関連とは外れるのかな?
武蔵の弟子が派生させたと聞いたんだけど
459 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 18:33:03
昔の人のほうが強いに決まってる。天然理心流なんて100人に教えれば100人とも強くなれるという剣術だ。
一刀さいや宮本武蔵の剣術は100人教えて一人習得できればいいほうだ。それくらい神掛かってる
460 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:18:56
小野派一刀流も、途中までで十分強くなれるよ。
武蔵の流れという二天一流に比べて、体格や力の比重が小さいから。
確かに達人クラスは百人に一人とかそれ以上とか難しいけど。
ちなみに、天然理心流は真剣では強いけど、それ以外だと弱い。
つまり、特徴である「気組み」が十分に備わらないと何とも言えないって言える。
井上源三郎とか例に挙げれば納得する?
461 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:28:13
>>459 できたら根拠をあげてくれ
>一刀さいや宮本武蔵の剣術
これは理法がしっかりしてる分、下地があれば習得が早い。
天然理心流の気組みやらは独特だから、下地があっても無くても関係なくなる。
だから、同じレベルに到達するには上記二つの方が確実で早いぞ
途中で脱落して行く人も居ることを忘れずにね
463 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 00:08:20
>>462 お互い甲冑付けてるなら、普通に
「間を測って飛び込み」→「体当たり」→「足搦め」→「装甲の隙間に突き刺す」
剣道や相撲とだいたい一緒。とどめがあるかどうかの違い。
間合いや呼吸の計れる人間なら甲冑や武器の差はあまり関係ない。
464 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 00:14:32
甲冑相手だと江戸期の剣術だときついね。
でも、写真{?}を見る限り、重装では無いから間接部分や非防御部分を攻撃できる。
特に顔や喉への攻撃、突きや横切りなら十分通用すると思うよ。特に一刀流とかの。
後は、タイ捨流の足技とか、薬丸自顕流の太刀なら十分通用すると思うよ。
ま、基本は槍とか対鎧の武器で攻撃だろうけど{前提として無しなのかな?}
465 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 00:23:20
足が非武装だから脚斬りも有効だね。柳剛流も通用しそうだ。
完全武装の場合は、現在も残る甲冑剣法の戦い方が使える。
太刀と柔術使ってのコケさせたり、間接部分への強打、
>>463の言う鎧通しの戦闘も
フルアーマーとかなら、コケただけで自分の衝撃で大ダメージ。
間接部分も衝撃としてやられたらうまくて重度の打撲、悪くて骨折。
剣術家の斬撃威力なら十分可能の範囲だと思うよ
466 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 00:36:34
柔術の達人でも相手を組み伏せたと思いきや、その仲間が
何時の間にやら集まってきて、斬られそうになった事も有ったんだとか。
467 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 02:50:24
柔術は不殺が基本らしいから、動けないほどの重症を負わせないなら
どうしても押さえるために一対一か、一対二くらいになっちゃう。
剣術とあわせての柔術なら、殺す為の過程に使われるだけだから、
一人に掛かりきりになる心配は無いよね。
そもそも、不殺で押さえきるには相当実力差がないとできないんじゃないかな?
ローマ兵も戦闘のプロだからな。
本当は他に槍を2本持ち歩いてるんだけど、それは措くとして、
あの楯と両刃剣は曲者。押し合いや足絡みはもちろん、
楯で殴ったり、楯の縁や剣の裏刃を巧妙に使ったりするのも
普通に訓練していたようだ。うかつに掛かると厄介。
あの両刃剣は長さ 50〜75cm 重さ 1.0〜1.1kg、それに楯は
木製で革で補強、時代により大きさは違うようだ。楯を持つ
ゆえの動きの鈍さが付け目だろうな。
469 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 12:35:39
鎌槍や二丁鎌だったら盾も苦にしないのに・・・っとぼやいてみる。
>>468の言うようなのが想定されるなら、中条流系{一刀流も入る}の小太刀が有効っぽい。
盾での攻撃も防御も役に立たないほど近づいての攻防なら何とかなる。
同じ意味で神道無念流の近接戦闘も使えるし、新陰流などの多彩な技での攻防も有効かな。
念流は馬庭念流しか知らないけど、この粘りと防御からの攻撃も盾も剣もそんなに苦にならない。
その意味では、江戸期に研鑽された剣術の方が、軽装+盾には良いかも
470 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 12:37:40
書き忘れw
中条流は特に攻防の動きが速いから
>ゆえの動きの鈍さが付け目だろうな
という所から効果ありと思った。
新陰流のもその変幻自在の動きについていけなそうだしね
471 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 19:29:02
age
472 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 21:38:20
>>462の話を読んで思ったのだけど、剣術流派って多対一って想定されてるの?
現行の居合いや一刀流の払捨刀は想定してるみたいだけど
>>472 立身流には前後(2人想定)や四方(4人想定)があるよ
474 :
日本@名無史さん:2005/12/22(木) 23:22:46
>>472 当然ある。『多敵の位』と言う。
1603年の伯耆国「米子城騒動」では『柳生宗章』(柳生宗矩の兄)が
飯山城落城の際、敵の大軍相手に城から討ち出て
甲冑武者18人を刀で斬り伏せて討ち死したという。
結構鳥取あたりでは有名な話。 徳川実紀にも書いてあるらしいゾ。
475 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 06:32:01
柳生一族って面白いよね、十兵衛は隻眼の剣士として描かれ
宗矩は、秀忠・家光に仕えたけど悪役のイメージがあるし
兵庫助は強かったと思うけど、性格が温厚で実力を見せないんだよね。
476 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 09:45:51
遅れたけど
>>425にd
剣術・剣豪とか、日本刀とか面白いのに知られてない
歴史があるんだよね。
織田信長と備前長船光忠とか。秀吉の刀好き。
新選組みの近藤勇の虎鉄は、当時無名の清麿なんじゃないかとかね。
477 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 13:26:53
写真でしか見たこと無いけど、童子切り安綱とか天下五剣は綺麗だったよ。
形や姿はもちろんだけど、斬れさえを髣髴させるあの感じ・・・
刀を集めたくなる一品だった。
正宗や長船系は意外と各地の博物館に残ってるので、一見の価値はあり!
ってことで、剣術・剣豪に日本刀も加えて、知ってること話しません?
478 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 13:55:15
>>462 みたいに他の武器術の比較も面白いかも。
日本史板なんだからいろんな角度からほじくりかえした方が面白いよw
479 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 13:59:31
ちなみに、剣道の日本選手権なんて見ていると、ある程度のレベル
以上になったら、勝敗はまさに時の運って感じがするけどね。
逆に手合いの差があると、下位のものは全然上位者に歯が立たない
とも思う。
480 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 21:44:48
>>479 剣先と腰の位置を見ると、鬩ぎ合いが未経験者にもわかるよ。
集中力、駆け引きについてのそれぞれのスタイルが出てるのが見えて面白い。
>>478の意見もあることだし、他の特徴あるものと戦う場合を想定してみない?
とりあえず、通常の槍と丸盾で、鎧は無しの相手の場合はどうやって戦えるかな?
槍と丸盾といえばギリシャ重装歩兵か
あいつらは密集隊形で突進するのが本領。スパルタの場合は、横に3列、縦に
8層プラス指揮官の25名が戦闘の最低単位。個人技はどうかな
とても論評の能力はないが、ただ、ギリシャ最強を謳われたスパルタ人は武士道
顔負けの精神だよ
http://gattovolante.nomaki.jp/cdw_300.html 戦闘中は真っ赤なマントを着用しなければならない。威厳のある色であって、
血がつくと一層恐ろしく見えて敵を威嚇する効果があるからでもあるし、また傷を
負っていることを敵に悟られないためでもあった。敵の死体から武具を取ることは
許されていなかった。
勇戦して討死した者はオリーヴの若枝の冠をかぶせてもらい、優れた武功を
立てた者は遺体に赤いマントをかけられ栄誉に包まれた。
スパルタの母たちは、息子が戦死したと聞くとまず傷が前にあるか後ろにあるか
確認する。向こう傷が多いと誇らしげに先祖代々の墓所に運んだが、背中の傷が
多いと人目を避け、共同墓地に葬られるままにするか、こっそりと自分の墓へ
運んだ。戦死した母の方が明るく振る舞い、生存者の母の方が悄然としていたという。
>>462 楯は多人数が隙間なく並ぶと隙がなくなって威力を発揮するから、1:1の勝負は元々想定外
だろうけど、強いて単独という仮定なら、向かって右に回り込めば勝機がありそう。
>>481 要するに楯の壁から槍を突き出すとかですよね。
一人でも臆して逃げたら「防護壁」が穴あきになるから、軍律は厳しかったでしょうね。
484 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 01:55:43
剣vs槍襖ではもう逃げるしかないなw
1対1ならなんとかなるかな?やはり
>>482の戦術がいいんじゃない。
ポイントは相手が片手槍だということかな。
日本の両手方式槍だと右に回ると石突きを返えされるが
片手ならその心配はない。(問題はその間合まで入れるかどうかだが・・・)
裏側から巻き込んでそのまま押し込むのが効果的ではないかな。
剣道形小太刀3本目の応用だね。
逆に表から槍を払いフトコロに入れたなら楯に体当りして
退きざまに足を払うのも有りかな。
・・・あとは相手がどういう動きが出来たのか分からんと何とも言えン。
間合いに入る直前に槍投げて来られたらもう勝負にならんw
剣vs槍では基本的に間合いもパワーも違いすぎるからな。
>>484 あと、ギリギリまで近寄って含み針とか。目に当てそこねたらアウト。
>>482 相手の右手側の間違いじゃ?
相手の出方が分からんので、しばらくは抜刀せず石を投げて挑発、
盾と槍を抱えてこちらを追いかけ回して貰い、消耗してくれた
ところで料理に掛かる 「ここまでおいで作戦」w
これじゃ剣術にならないかな
何とか相手の槍を切断出来れば勝利、小手に斬撃出来れば
言うことなし
盾に体当たりは相手の術中にはまると思う
ギリシャの密集陣(ファランクス)は、全力で敵陣とぶつかる猛烈な
もの、後ろからも全力で押して敵陣を蹂躙するのが戦闘教義だ
先頭の連中は背骨を折ったり踏み潰されて死亡するのも稀ではなかった
盾で殴ったり、大きさにもよるが敵の足の甲を打撃したり、敵の視界を
さえぎっておいて不意打ちしたりと盾を用いた多彩な技があり、我が方は
剣だけで初手合わせでは不利かもしれん
487 :
486:2005/12/24(土) 07:05:21
>>482はローマ兵へのコメントだったね、スマン
でもローマも最初はファランクスを学んでそれを使い、
後代にそれを柔軟化したレギオン隊形に移行しているし、
盾の用法については同じ
488 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 09:20:12
槍襖は横から攻めるのが常道ですよ。片手槍なら特に効果絶大。
まあ後ろまで回り込んだら尚良し。
おとり部隊を置いて引き付けておいて騎馬隊で横から突撃させ、
たら槍襖隊は壊滅する。
489 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 09:23:12
>>484 そもそも、日本では剣は戦場の武器とみなされてなかったみたい
だからね。家康の家臣で剛勇で有名な安藤対馬守が、槍が折れた
ので取りあえず戦場の離脱をはかったとの記述があるしね。
もっとも対馬守は途中で槍を手に入れることができてまた戦場に
戻ったがw
槍が密集してたら方向転換は容易ではないから回り込みやすい
でも1対1だと、剣側が槍の横に回り込むのは難度高すぎ
刺突をいなして手元に入り込めるかかな
491 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 10:21:28
槍側もバカじゃあないだろうし、
なまじっかな技で刺突をいなしてこようとしても難しいだろうな−、
492 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 11:01:59
そもそも槍に対して剣で挑むなど、銃列に対して剣で挑むのと
同じくらい不合理な戦い方ではないか?
だからもともと日本では古来より刀は戦場のメイン武器とは
みなされてこなかったわけで。
493 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 12:21:15
剣豪達が完全装備の軍に剣でどう立ち向かったかは前レスに何度か出てるが
「足利義輝」「松本備前」「柳生五郎衛門」いずれも10人前後斬り倒しているが
最後は皆、討ち死にしている。
>>480の言う様に「剣」にこだわるなら「槍vs剣」または「槍・楯vs剣」までだろう。
あくまで剣豪達の技の検証をするためのネタだだからね。
あまり兵装を拡大させると剣豪板でなく軍板になってしまう。別スレに誘導だなw
ヨーロッパの楯術も初めて聞いたけど面白いね。できれば個人戦限定で検証してくれw
494 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 12:44:22
>>493 10人前後切り倒すこと自体が物凄いことだよね。
義輝なんて奇襲されたから本人は素肌で相手は完全武装。
鎧の隙間を適確につかないととても無理な数字だよね。
疋田文五郎の弟子だったという立花竜鬼斎の史料ってあるかな。
>>493 ギリシャの槍と言っても、1m程度の投槍からマケドニアの6m程度の長槍まで
いろいろある。2m、2kg程度としてみるが、両手槍と違って敵の動きに精密に
追随するのは難しい。また片手槍では振り回して殴りつけるのも威力が小さく、
自然、刺突主体で狙ってくると思われる。
剣側が十分な足捌きが出来れば、刺突をかわしてケラ首を落としたり付け入る
ことは無理な注文とは言えない。素早さの勝負だがこちらの方が身軽なのだ。
出来れば、向かって左手(敵の盾の逆側)から入り、敵が切られた槍で殴って
来たり槍を捨てて剣を抜いたりする前に殺到して斬撃したい。わずかに1間ほど。
これなら敵の盾は殺せる。腕か足が狙い所か。
敵の利点を無効にし、弱点(重たさゆえの鈍重さ)を突けば勝機はある。
>>494 そう考えると、みんな凄腕だったんだろうな
というか、1vs1なら勝ってるってことだし、
槍のほうが刀より有利だというのなら、純粋に技量面で大きな差があったって事かね
498 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 18:03:35
>>497 大差がなきゃ無理だろうな。
多分自動小銃もった兵士相手にピストルで応戦して
10人くらい倒した感覚ではあるまいか。一撃必殺
でおまけに鎧の隙間を適確に刺さないととても無理
だからねえ。
新撰組の時代みたいに素肌の刀どうしならまさに無敵
だろうね。まあ刀をどうやって取り替えるかの問題が
残るけど。
499 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 18:37:58
槍と言うのは左右後方の対処に遅れを取るし捕まれたりして
没収されやすいだろ。剣の場合よっぽど心得が無い場合は別として
思った以上に長距離対応できるし組み付かれても反撃可能。
500 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 18:47:12
>>499 でも少なくとも戦国武者はそうは思ってなかったみたいだよ。
槍折られたらまず逃げるのが第一。刀じゃとても勝負にならん
というのが常識的認識だったみたいだよ。
501 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 18:55:09
>>500 >>槍折られたらまず逃げるのが第一。
誰が言ってたの?槍で突かれようが刀で斬られようが
渾身の一撃を浴びせるのが戦国武者。
502 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:08:35
>>501 戦国武者は犬死にをもっとも嫌うよ。客観的に不利な状況に
なったら引くのも武略のうちで全然そんなことを恥じたり
しないよ。むしろ不利とわかっているのに無駄死にするのを
恥じたんだよ。
戦国時代の記録なんかによると槍が折れたので引いたとか槍が
折れたので味方のひとりに貸してくれるように頼んだけど
断られたので取りあえず引いたとかそんな記述が良く出て
くるそうだよ。
503 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:17:29
>>502 俺も、そのての書物は読み漁ったけど、そんな記述は
見た事無い。
504 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:43:51
槍が折れたから、はい逃げます、と簡単に戦線離脱できるわけがない。
折れた槍の柄で戦ったり、もちろん抜刀したり、必死。
そのために武器を幾つも身につけているのだから。
なかには相手の攻撃を鉄籠手で受けながら片手で刀を突く戦法が得意な猛者もいたりする。
普通はまずは槍か長刀。
505 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:46:09
>>503 槍はね、実際に穂先きで突くよりも振り回して相手を倒すのが
メインの用い方だったんだよ。あれで頭をぶん殴られたら
気絶するし下手すりゃそれだけで致命傷だし。腕でもまともに
あたれば骨折だし。刀なんて簡単に弾けるよ。
そんな使われ方したら余程技量に差がないと刀じゃどうしよう
もないんだよ。
戦国時代じゃないけど、荒木又右衛門が有名なあだ討ちする時、
相手が11人、荒木側が4人だったんだけど、荒木は4人のうち
2人を相手の槍持ちを倒すのに割いている。荒木程の名手でも
そこまでしないと槍と戦うのは大変との認識があったからだろう。
506 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 19:50:40
>>504 もちろん上の連中は予備の槍をもたせるよな、中間なんかに。
でも実際に折れてなくなったらまずその場を引くことを考え
たり、なんとか調達することを考えるんだよ。もちろんそれ
が無理な場合は抜刀してでも戦うだろうけど。他に選択の
余地はないからね。
507 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 20:01:41
刀というのは携帯性と即応性が最大の利点だから、槍や長刀と正面からやり合うような戦い方はしなかったろうな。
恐れず前へ進んで間合いを潰すしかない
508 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 20:04:49
>>507 ふむ、間合いつめたら刀がとたんに最強の武器に変わるよね。
臨機応変に武器を使いこなすのが戦場での生き残りだねえ。
509 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 20:49:24
集団戦の最中、槍を折られたら逃げるしかないだろうね。
松本備前守レベルでも槍9人に囲まれて討ち取られている
(当時70歳くらいだったけど・・・)
1:1なら槍は懐に入られたり掴まれたりすると基本的にすごく不利
林崎流では近間になったら槍を投げ捨て居合で斬った・・・が
うーん、楯があると無理かな?よっしや!テイクダウン取って組み討ちだ!w
510 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 20:54:37
しかし、日本は盾があまり発達しなかったね。
槍や刀が大きかったからかな。太刀も馬上戦を
除いたらやはり両手持ちが基本だしね。
511 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 21:24:26
>>501 戦国期の鎧は相当に丈夫。故に、打ち刀では斬れないし、衝撃も弱い。
また、仕留められるにしても、名人級の腕が必要となる。
しかし、槍ならば貫ける。また、太刀ならば、重装備以外切れる上に衝撃でなぎ倒せる。
鎧の発達と普及で後者が廃れたのは衝撃の限界を超えたからとも考えられる。
ちなみに、武道伝来記だか、三河物語に槍を探したり、撤退する話が出てたはず。
高段の話半分でも出てくるし、落語の御題にもなってるくらい、一般的だったりする
>>511 合戦用の刀は鋭く研いでいないかわりに丈夫になってる。
切るんじゃない、殴るんだよ。
513 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 21:37:30
>>510 一時、武版でも盛り上がった話題なんだよね。
両手持ちの特性や技法の発達が有力だと感じたけど、
片手用の太刀やなんかを例に出して否定する人もいたし・・・
剣術の技法という所に注目すると、太刀や鎌槍での防御技術と
盾の必要性が運搬の困難さや移動速度の困難さを考慮するとそこまで盾の有効性が感じられなかった。
実際、中条流の小太刀なんて大太刀相手に倒せるし、陰流の進退も捉えられない
馬庭念流の絡めるような完全防御も圧倒的だし、薬丸自顕流の対長物も・・・
514 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 21:47:04
>>512 蛤刃のことね。切っ先の方なら斬れるんじゃないのかな〜?
よく知らんけどw
>>511にも>切れる上に衝撃でなぎ倒せる ・・・と書いてあるのでOK
515 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:06:20
>>513 ふむふむ、面白いね。
なんとなく枷の種類が発達した西欧と、捕縄術が発達した
日本との違いを感じるね。
太刀の使い方のバリエーションを増やすことで無駄な携行
武器を増やすデメリットを防いだって感じだね。
516 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:14:13
>>514 戦国後期には太刀が廃れ、打刀が主流になっていたことを鑑みるとOKとは言えない。
仰る通り切っ先のほうは研がれている、だがそれは具足の隙間や顔を突く為のものだった。
517 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:20:14
>>槍はね、実際に穂先きで突くよりも振り回して相手を倒すのが
>>メインの用い方だったんだよ
これをやってくれれば、同士討ちしてくれそうで
敵にとっては願っても無い行為だろう。初耳だけど
518 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:23:23
>>槍はね、実際に穂先きで突くよりも振り回して相手を倒すのが
これは長槍の使い方を端的に言ってるのかなぁ?
始めに上から殴って、防御したら突くっていう。
日本の槍って、振り回すような使い方しないはずだよ。
砕金棒ならありえるけど
519 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:30:03
>>516合戦では打刀は主流に成ってないと付け加えとくね。
主武器になってると勘違いする人がたまに居るから。
太刀の衰退は鎌槍や十字槍など、駆け引きのできる槍の登場とか大きな原因と考えられる。
また、太刀では
>>511も触れてるけど、衝撃の効果が見込めないくらい甲冑が発達してることも一因。
管槍でも無きゃ突き破れないような重装備なんて、斬撃は全く無力だもんね。
その点で、柳生宗矩の秀忠防衛とか、足利義輝の攻防とか剣術の技術ってすごい
520 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:32:44
>>517>>518 大坂の陣に参加した前田家の侍の遺談では、槍は最初の一槍か
二槍は突きあうものの、あとはもっぱら叩きあいだったとさ。
そのため、実戦のための槍の稽古では、突きわざを教えるのは
相当腕前があがってからで、それまでは槍で相手や相手の槍を
叩く稽古をもっぱらしたらしい。
521 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:35:12
>>510 日本で手持ちの盾があまり発達しなかった話はいろんな板で論議されてるねw
【 源 平 期 】[弓が主力] 馬上で長大な強弓を扱う、楯は持てない。防御は大鎧でカバー。
【南北朝期 】[薙物が主力] 右手で大太刀左は手綱。悪党がゲリラ戦を使う。軽装歩兵の時代へ。
【 戦 国 期 】[槍が主力] 鉄砲が出現。槍の長大化。楯では防御不能
【 幕 末 期 】[火器戦が主力] 炸裂弾・連発銃の出現。対ゲリラ部隊「警視庁抜刀隊」が結成。
あまり手持ちの楯は当時の現場では以外と使えなかったんじゃないかな。
日本の大型の鑓や鉄砲はとても防げそうにない。おまけに重いし作業の邪魔だし。
まあギリシャ・ローマは2000年前、戦国は400年前だからな〜w
しかし重火器が発達するほど防具が軽装化されてくのが面白い。
自衛隊なんか鉄カブト1丁だもんなw
522 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:38:07
>>521 >重火器が発達するほど防具が軽装化されてくのが面白い。
防御不能だもんなあ。心理的には逆なんだけど、現実
考えるとそうなるんだよなw
>>519 主流じゃない、主武器じゃないとか言って刀が合戦で役に立たないとか
全然使われてないとか勘違いする人も多いんだよね。
鈴木眞哉の読者に顕著に見られる傾向。
>太刀の衰退は鎌槍や十字槍など、駆け引きのできる槍の登場とか大きな原因と考えられる。
これの解説と根拠を聞かせて欲しい。
>>521 >>522 現代のアメリカ軍歩兵はボディアーマー着てますよ。
驚くべきことにライフル弾を止める防御力があります。
あと、今のヘルメットは鉄じゃなくてケブラーですね。
525 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:44:08
>>523 刀は接近戦や不意の時に最も有効な武器だからね。
だいたい、戦国武将が無駄なもん携行するわけねえわな。
今なら兵士が携行するピストルだよね。主武器じゃないから
といって用いないわけもない。状況次第なんだよね。
526 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:46:34
>>524 今のボディアーマーはライフルとめるんだね。
凄いな。
>>526 イラクで武装勢力が米兵を撃ってアッラーアクバルとか言って
喜んでたら、そのうち起き上がってきてあれれ?なんて動画があるよ。
528 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 22:52:28
>>527 ふむ、凄いな。
日本の自衛隊の方々にも着用していただきだいねえ。
529 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 23:02:57
>>523 >刀が合戦で役に立たないとか、全然使われてないとか勘違いする人も多いんだよね
確かにこういう極端なこと考える人居るwそういう人って読む物が偏ってるのかなぁw
もうちょっと柔軟に、いろいろな条件とか加味して欲しいよね。
>太刀の衰退は鎌槍や十字槍など、駆け引きのできる槍の登場とか大きな原因と考えられる
これの根拠はもっぱら技術論なので、そこは寛大に見てくださいm{__}m
まず、以前の素槍の技術を考えた場合、突くか払う、叩くくらいしか攻撃のバリエーションが無い。
この場合、攻撃された場合を考えると、先に突くか、体で避ける以外にほとんど考えられない。
刃物相手なら、受ければ持ち手部分を切断され、刃でしのごうにも刀のような絡め方が使えない。
太刀の場合は、この絡め、刃を使ってのイナシなど防御が可能。
なので、防御や用途の多様性という意味で太刀の方が有利と考えられる。
鎌槍や十字槍は、自分の読んだ本{日本の武器等}によると宝蔵院と柳生石舟斎を新陰流を元に作ったとあった。
そして、その使い方をみると、鎌部分や十字部分での絡めや巻き落としなど剣術の攻防の妙が使われている。
この点で、太刀の多様性を越さずとも劣らないと言える。
さらに、重量と間合いを考えた場合、槍の方が軽く遠くできる。
また、素槍の特徴である貫通力という槍独特の利点もある。
>>520が言う叩き合いにしても、十分使える。
これに、鎧の重層化が加わったら・・・・・
朝倉の剛者など超大太刀使いの強さは際立つけど、圧倒的多数は真似できない。
っと、こんなとこです。疑問点やわかり辛い点あったら指摘お願いします。
根拠が薄くて申し訳ないです。
531 :
日本@名無史さん:2005/12/24(土) 23:17:12
>現代のアメリカ軍歩兵はボディアーマー着てますよ。
あまり近代戦は知らないが(笑)それは米軍の「占領」部隊ではないかな?
米軍のような豊かな先進国は目先の戦果より兵隊の命の方が大事だからね。
石原完爾が「豊かな国ほど兵士の価格が高い」みたいなこと言ってた希ガス。
違ったらゴメンなw
大鎧が衰退したのは歩兵戦(悪党・足軽のゲリラ戦)についていけなかったから。
大太刀・薙刀が衰退したのは個人の戦力より
槍による集団密集戦術(槍襖)が主力になったから。
大鎧・筋兜はゴテゴテしているので弓・太刀の衝撃には強いが鉄砲には無力。
大鎧は革製。筋兜は弾丸が直撃すると分解した。
そのため南蛮渡来の製鉄技術を取り入れて弾丸を弾きやすい鉄製の当世具足が造られた。
>>486 1:1で待ったなしという仮定なら、まずは長い剣(?)や手槍のリーチから外れる側に回らないと危なくない?
>>493 > 最後は皆、討ち死にしている。
いくら斬っても新手が続々と来たのだから、武器が何でも同じこと。
>>496 > 刺突主体で狙ってくる
素肌という仮定なので、むしろ、足を払ってくると思う。
>>508 組み付いたらヨロイ通しだそうですね。
アイスピックの親分みたいのかな?
536 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 00:02:39
537 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 00:03:30
>>535 いや、結構本格的な小刀ですよ。
ふつうに首とか狙って刺殺できるし、鎧通しという名の通り、
鎧の隙間に刺し込んで殺傷できます。
538 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 00:12:12
話題に出てるアメリカ軍兵士{武器はサバイバルナイフのみ}と
打刀の剣術で戦う場合どうなんでしょうか?
勝算ありそうな無さそうな・・・・でも、自衛隊は短剣道必修だし・・・
現代の有名な剣豪を紹介してください
540 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 00:19:41
>>538 サバイバルナイフだったら楽勝で打刀でしょ。
余程刀扱いが下手じゃない限り長い方が勝つ
でしょ。
但し、相手が防刃チョッキを着ていると言う知識が
ないとやばいかな。
>>527 あれ、おもろいな。
「バシッ!」 って感じで米兵倒れる。
「アラーアクバル」 ☆♪ 「アラーアクバル」
「アラーアクバル」 「アラーアクバル」 ♪♪
「んふぅ」 って感じで米兵起き上がる。
「アラーアクバル」 ・・・??? 「アラー・・・アクバル?(だよね)」
「アラー?(え) アクバル?(ちがうの)」
542 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 01:53:56
ん〜・・・まさか1日で100近く伸びるとは・・・・
しかもだんだん剣豪と離れていくし(藁
別スレたてた方が良いのかな?「サムライ異種格闘スレ」とかw
他流試合の本番で意表を突かれてアウトにならないように色々知っておくのも修行のうちじゃない。
武者修行に出たら、鳥や小動物をつかまえて食うために小柄投げの腕も上がったとかいうし。
544 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 02:59:22
>>525 首(しるし)を上げるのに必要だった。ってのは駄目か?
>>529 冷静に考えて、刀は合戦の場で戦闘には役に立たなかったと思う。
首や耳を取るために下げてたと考えた方が座りがいいし、
常に携帯していた武器だから、緊急時の護身用としての技術として剣術が発生したと思う。
凄く偏った意見だが、刀が戦争で一番活躍したのは明治期以降じゃないかね。
545 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 03:23:20
>>544 とんでもない。太刀や打刀は源平以前から実戦兵器ですよ。
平将門の乱あたりの時代から現代の曲刀スタイルが出来たらしいけど
将門軍の曲刀相手に由緒有る朝廷軍が賊軍と同じ曲刀使うかどうか
天皇の御前会議みたいな事までやっていたはず。
これは源氏物語とかより昔の話だよ
意外に思うかもしれないが刀や銃剣は戦局を左右しかねない兵器なのだ。
546 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 03:27:45
>>545 刀と銃剣はかなり違うと思うけど。
銃剣は手槍に近いと思うぞ。それになんといっても
飛び道具だし。
547 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 04:44:06
>>545 騎乗するようになってから、利便性から曲刀になったと認識している
その過程で御前会議があったとは知らなかった
打刀は源平以前にもあったのかな?
548 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 04:47:50
549 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 04:52:11
じゃ源氏と平氏は太刀で戦ったのか?
馬に乗った状態で
550 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 04:59:11
太刀は騎馬戦用の武器ですから。
551 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:01:14
騎乗した状態だと、長い太刀の方が有利なのか
552 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:02:44
>>545 みなもと太郎という漫画家の受け売りになるのだが、
今昔物語にこういう話がある。
旅の武士が山中で刀を売りたいと言う男に会う。
みると拵えは粗末だが中身は名刀で、武士の手にしていた弓矢となら交換してもよいと言う。
武士は内心ほくそえみ、弓矢を渡し刀を受け取り行こうとすると
「まて 客寄せの名刀を持っていかれてたまるか、命が惜しくば身くるみを残らず置いて行け」
と、男は弓を構えて武士を脅し、まんまと武士の身包みを剥ぐ・・・
このおろかな武士とおいはぎの話を元に芥川龍之介が短編小説「藪の中」を書き、
それを元に黒沢明が「羅生門」を作ったので有名なエピソードだと思うが、
この物語は当時の読者に、
「武士にとって『最も大事』な弓矢をうかうか渡すとは」
「全くバカな男だ」
「刀なんて実践の武器じゃないのに」
と言う、「常識」があっての「笑い」話である。
そう考えると「刀」が実用武器であったとは思えないんだよなぁ。
553 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:09:47
今昔物語に既にそのような話があるとは
刀より弓の方が武士にとって大事!?
554 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:14:35
>>547 550
なるほど、それで全て合点が言った。
武士はヨーロッパで言うところ軽騎兵だったわけだ。
武士は指揮官であり、実働兵力は足軽(雑兵)で、
実際に主として戦闘に従事するのは足軽の方である。
故に戦争全体を見た史学者達は、
部隊と部隊がぶつかる際には、主兵力である足軽の兵器を主眼に置くので刀は実践兵器ではなかったと言うし、
そうじゃないと反論する人達は、指揮官の一騎打ち や 馬上の機動力を合わせた刀の有用性を持って
実践兵器だと言ってると俺は解釈したが 如何か?
555 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:25:01
>>554 実践兵器は槍や弓で刀は一騎打ちで使われたと
やっぱ剣術は道場のもので実践(一対多数の場合)向きでないというのかな?
556 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:49:04
>>550太刀が騎乗有利だというと戦国時代はどうなのかな
馬に乗ってて、数打物という粗悪な刀が造られた時代だと思って
日本刀の歴史は興味はあっても覚えられなくて
557 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 06:03:32
>>555 そうだと思う。
戦国等を描いた歴史物のドラマ等にも見られる風景なのだが、
抗争や突発的事件の場面。
襲われる側は刀を抜いて身を守ってるが、襲う側は弓や長物(槍や薙刀)を持って遠巻きに包囲してる。
江戸時代からして、
武士が市中を槍や弓をもってほっつき歩るけば、たちまちに「天下を乱す不届き者」として逮捕される(参勤交代中は除く)だし。
それからしても、刀は護身用の武器であり戦争等の合戦時の武器としての認知は薄かったんじゃないかなと俺は思うわ。
558 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 06:14:23
>>557 四面楚歌状態か
剣術を習うものは剣にこだわると思う
槍や弓を使うのは卑怯だと思うのだろうな
武士には武士の生き様があるんだな、切腹とか喜んでするんだから。
飛び道具とは、卑怯なりい〜
だって弓矢の家なんだよね
560 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 08:51:43
>>558 飛び道具を卑怯と考えるようになったのは明確に江戸時代に
なってからだよ。要するに実戦をしなくなってから。
それ以前ははっきり飛び道具が主流。
>>559も書いているように、武士は弓矢の家、弓馬の家と
言われてたんだからw
>>554 全然違う。
まず、実際の戦闘従事者が足軽のみであるかのような言い方はおかしい。
長柄部隊だけでなく、各兵科に分かれてるんだから。
馬上の者だけを見て徒歩武者を無視してるところもね。
実際には指揮官としてより数名の郎党を引き連れてユニットとして戦う武士のほうが多い。
鑓が主戦兵器であるとか刀はメインじゃないという主張には賛同するけど
刀が実戦兵器ではない、合戦では役に立たないという論には肯けないということ。
562 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 09:56:22
>>561 うん。それは全く同意だね。
要するに刀も槍も弓も「使い所」が違うだけで立派な
実戦武器であることにかわらんよね。
ただ、槍や弓の「使い所」が多かったということで。
戦国時代の剣豪は合戦では何を使ってたのかなあ
564 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 10:21:19
>>563 剣使ってた人もいたみたいだよ。その割合まではわからんけど。
565 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 10:38:38
>>563 弓と槍と刀。人によっては長刀、棒です。前レス読もう。
戦場で刀を使ったか使わないかは まず図書館へ行き「○○合戦絵巻」とかを
探して、どんな武器を使用しているか時代別に見てみよう。
これが冬休みの宿題だぞ!
566 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:30:00
>>563 上泉伊勢守や小野忠明は槍をとって参陣した各流派の記録にあるよ。
>>558 江戸期前期までに出てる流派は、基本的に剣に拘ってないよ。
剣術の形や技術は即座に槍や棒に変えられるし、短刀術が発達させてるから組討にも変えられる。
上にあげた二人など良い例だよ。また、鹿島や香取、水鴎流に立見流は総合的に習う。
また、小太刀で槍や飛び道具を制する技が多々あるが、その形の過程において、槍や飛び道具の使い方も習う。
剣術というけど、流派になってるのは総合格闘術{武器重視}が基本だよ。
誰かの小説で読んだ、八寸の延金というのが刀に対して最強な気がする
568 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:36:46
>>564 大将の近習{宗矩とか}や伝令など、戦闘以外の重要部署は打刀だけだったと思ったよ。
他は、添え物として槍や太刀の他に身につけてる。組まれたり、地形や間合いの関係で打刀を使う。
だから、装備はほぼ全員で、主とするのは、主戦力以外とかなり多かったはずだよ。
>>560 卑怯云々言うのは、坊ちゃんの上級武士だけ。
剣術家はそんなこと思わない。不覚になるような自分が悪いし、殺し合いはどんなことしても良いってのが前提。
時代劇とかで歪められてるのが多いってのが・・・w
569 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:37:46
>>567 それってどんなの?十手みたいなソードブレイカー系?
570 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:40:48
>>568 古武術やっている人の話し聞いたことあるけど、どうやって
急所(要するにあそこw)を潰すかとかそんなことが重要
みたいだもんね。そらそうだよね。命の取り合いだから卑怯
もへったくれもねえもんな。
>>568 いや、原理的にはヌンチャクの親戚だ
長い棒の先に鎖が付いて、その先に鉄片がついているものだったような
棒をかわしたりしても、鉄の方がおんどれを襲うってわけ
572 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:47:15
>>570中国武術だと金的だけど、日本の古武術で言う急所は金的だけじゃないw
太ももの内側や二の腕の内側、脇の下と外面から、肺・肝臓・心臓・腸も急所。
外面のとこには太い動脈があって、失血死するし、内臓系はやられると治らなくて死ぬ。
他にも神経群があるところや骨の境目とか斬り易い部分も急所扱いされてるよ。
そこを如何に的確にやるかというのと、それ以外の筋肉とかで生かして捉える捕縛術があるしね。
573 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:56:08
>>572 そだね。
あとこれは江戸時代の剣術にも通じるけど指とかね。
篭手でおおい切れない指がかなり有効な急所なんだ
よね。
ここやると致命傷にはならんけど、なにより狙いやすいし
取りあえずしばらく相手が動けなくなるからその後の展開
が物凄く有利になるようだね。
574 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 13:58:01
575 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 14:03:15
なんか、剣術話に戻ってきた!
>>753 江戸後期だけど、北辰一刀流千葉周作が「握り手を狙え」と記してあったよね。
ナイフ術でも狙うし、短刀術でも・・・資料漁りしただけでも結構あるw
甲冑でも有効ってことは、手ってまさしく急所なんだね
576 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 14:10:31
577 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 14:12:07
>>575 さすがに甲冑は実戦的だから急所の手を篭手でなんとか守ろう
とするから素肌みたいには簡単にいかないようだけどね。
でも手の動きを止めたら戦闘にならんから、篭手も完璧じゃ
ないんだよね。そこの隙をうまく狙うのが古武術の腕の見せ所
みたいだよ。
578 :
567:2005/12/25(日) 14:17:52
>>576 いや、津本陽の「新陰流小笠原長治」という本です
手元にないんでググったよ
>>577今更だけど、古武術・剣術ってすごい工夫がされてるんだなぁ.
そういう技術論とかもっと知りたい
580 :
576:2005/12/25(日) 14:21:48
>>578 それは読んだこと無いから今度読んでみるよ。また、武器の捉え方が違うかもしれないから。
わざわざ調べてくれてありがとうです。
581 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 15:19:21
津本先生と司馬遼の幕末明治物はすごいけど、戦国物はあまり参考資料に
しない方がいい気がするが・・・ 大きなお世話だねwすまん
『八寸の延金(のべかね)』カネとは本当は武器ではなく居合の
「身のカネ」と同じ言葉の使い方を意味している(技は全然違うけど・・・)
古流は暗号当て字が多い。一度口伝を受ければ伝書や技名の意味が全て
解る様になっている。中には全く意味が解らず失伝してたりするw
「二星」とか「黒星」なんて書いて体のどの部分を意味するか解るかな〜w
>>581津本氏を良く知らなかったから助かりました。
司馬氏のは本当っぽく書く分、本当だと数年前まで思ってたしw
特に剣術とか本編と関係が浅いとみると嘘が多々w
>>582家康だったら大馬鹿者呼ばわりされそうな内容ですねw
でも、宗家や名人と呼ばれた人ならネコ科以外ならあっさり倒しそうな気がする。
584 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 23:31:28
>>583 あ、いや津本先生は良い剣豪作家だよ。
薩南示現流とか名著も多い。ただ書いた時期によって
同じ人物・題材でもだいぶ違ったりする。
例えば同じ合気道をネタにした『黄金の天馬』と『鬼の冠』では
武田惣角の扱い方がずいぶん違う。
たぶん前作の方は武田惣角と言う人物が当時まだ「未発掘」だった
という事だろう。
小笠原長治も未だよく分かっていない人物だから小説的空想が
多かった気がしたというだけの話。
司馬遼。津本はやはり現地取材で名作を書く作家なので
取材で掘り出せない時代・人物はどうかな・・・と、個人的に思っただけですw
俺も津本作品は10作以上持ってるしw
>>552 その追いはぎはついでに同行していた女房もつまみ食いしちゃったんだよね。
> 「武士にとって『最も大事』な弓矢をうかうか渡すとは」
話の筋としては、「素性の知れない相手に、その状況でより強力な武器になるものを」
というニュアンスでしょう。
>>565 合戦で刀を右肩にのせて走っている武士の絵なんてのもありますな。
587 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 08:27:45
>>586 軽いし小回りが効く武器ですからね、刀は。
但し戦場ではちゃんばらというよりもぶん殴る鉄棒
みたいな感覚で用いられたはずです。
588 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 08:41:36
斬れかたの問題。
敵味方が入り乱れる戦場で刃筋を立てて綺麗に斬れるような達人なんてそうそうおらんだろう
鈍器的に使うのが妥当。首を取る時はまた別の武器使えばいいだけの話だし
西洋のソードなんかもそんなもんだし
590 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 13:25:58
>>586 元足利高氏とされてた奴だよね。
違うと知って、教科書の内容が変わることにショックうけた。
太刀は雑兵に対しては斬る効果、鎧武者には打撃武器として使うのが基本と武器の本にあったよ。
手を縛りつけたり、持ち手部分を工夫したりで振ると刃筋が立つ様にできてる。
ただ、高級の太刀拵えに関してらしいけど。それ以外はやっぱり難しいし、長巻の方が使いやすいw
ちなみに、太刀全盛の武者はほとんど剣術を習ってない。斬り習うというのが基本。
現在も数流派残ってるけど、当時習ってた人は稀。
ちなみに、太刀の使い方は本で読む限り、斬撃よりも柔術の道具にしたり、刺突が多かったよ。
591 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 16:57:35
>>585 使い手の力量は度外視で考えると、強さのランクは、弓>槍>刀 だべ?
そもそも刀の使用耐久度の問題もある。
合戦の場で刀は全く活躍出来なかったとまでは言わないが、
使用頻度と重要度は低く、
ぶっちゃけ、剣術は護身術にこそ重要な役割が有ったのじゃなかろうと思うわけです。
592 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 19:55:22
合戦では刀剣類は結構使っているよ。
ただ基本的に鉄砲、槍等の補助用「携帯」兵器としてだけどね。
でも戦国期に上は武将から下は雑兵まで兵隊である限り
刀差してないヤツはほとんど居ないでしょ。
戦場では基本的には鉄砲→弓、槍→刀と進む
でも鉄砲・弓・長槍は『陣形が崩れたら使えない』武器。
一旦敵味方入り乱れちゃうと重火器は使い物になりませんw
そうなると主武器は一変して短槍、長巻、刀剣類でしょうな。
だから川中島みたいな霧の中の接触戦では上杉謙信が刀一本で
突撃できたのだっ!!(ほんまかいなw)
>>591 それも時と場合によるし、刀の耐久度は低くない。
それを言ったら弓も鑓も同じだからね。
弓は矢を撃ち尽くしたら終り。
戦国期には足軽が弓兵隊として弓を集団運用するのは珍しくないけれど
ある程度、身分のある武士(徒歩でも騎馬でも)が個人として弓を主武器にして
戦う例はあまり聞いたことがない。
鑓は多いけどね。
時代と集団又は個人なのか、身分はどうなのかを分けて議論したほうが良いような。
今昔物語から織豊期、一介の足軽から馬上の者まで混ざってるみたいだし。
594 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 22:44:16
剣術も槍術も棒術も柔術もかじった俺に言わせて貰うと、
戦場で刀を使う機会はほとんど無いだろう。
595 :
日本@名無史さん:2005/12/26(月) 23:22:16
>>594 いや、おいどんも剣術も槍も薙刀も柔も打物も・・・(略)少しかじったがw
戦場で刀を使う機会は得物や状況によって結構出てくるはずだ。
実際かなりの実例がある。稽古もいいが少しは古典に学ぶべし。
とりあえず『雑兵物語』(野戦)か森鴎外の『阿部一族』(室内戦)あたりがおすすめ。
実戦の活きた智慧と刀繰法が学べるぞ。
やっぱ、薙刀だよなぁ・・・。いや、機関銃かなぁ。
素朴な疑問だけど、鎧通しのような短刀はともかく、なんで刀を2本差してるん
だろう
戦場で走り回らなきゃいけないし他の武器も持たなくちゃいけない
そうすると、例えば槍を大小2本持つとか(1本は投槍)、いろんな
バリエーションがあってもよさそうなのに
599 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:05:01
>>597 槍の場合は、一本は鎧通しで、もう一本が打刀。
長物を二本差しする場合は太刀と打刀か、太刀と鎧通し。
・・・・疑問に答えてない?無かったらごめんw
見てて思うのだけど、太刀と打刀を混同してる人多い。
剣術やってるものからすると扱い方や性質が異なるので別けて認識してほしい。
刀剣でなく、せめて太刀と打刀くらいに・・・もっと細かく分かれるんだけどねw
>>594 剣術しか齧ってないけど、同意。打刀は戦場じゃ使えないよ。
使うなら薙刀か槍の方がずっと良い。
使えないと言われても実際には使われてるから何とも言えん。
>>590 ? 馬上の大童の武士? 「馬に乗って」ではなくて、全く別の「戦場俯瞰絵図」で、
敵を追って団体で「足で」走っている絵もあります。
「俺は、こっちの方が得意でね」っていうのはあるだろうね。
603 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:11:20
>>600 主武器として、戦闘員が打刀を使ってるの読んだり、聞いたりしたこと無いんだけどw
添え物や首切りの時は使ってるけど・・・今川義元ですら斬られる時に持ってたの太刀だしw
>>603 主武器ではない=戦場で使えない、ではない。
打刀が戦の準備をする際に大量に用意されたことを示す史料は多い。
朝鮮の役では刀の有効性も王朝側の史料に表されている。
誰も主武器であるとかメインアームであったなんて話はしていないと思ったけど?
605 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:20:51
>>595 と言って最初から太刀で戦闘することはないだろ?
それがすべてを物語っている。
606 :
603:2005/12/27(火) 00:25:10
>>604 >>561の前後と最近のを始め、前スレで散々話題に出たことなんだけど・・・
で、今の流れでそのまま書くと、主武器と捉えるのが自然な状態w
良い意見なんだけど、もう少し前スレ、せめて最新50を読んで、
誤解しなさそうな書き方をお願いします。
>>597 > なんで刀を2本差してるんだろう
「生き残るための知恵」らしい。
> 例えば槍を大小2本持つとか(1本は投槍)
長すぎて身につけて携帯しようがないんじゃない。短いほうは中途半端になるだけだろうし。
608 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:28:54
>>605 595とは別だけど、最初からとは書いてない気がするのだけどw
でも、矢合わせの次、突撃になったら騎馬武者は太刀で切り込むぞ。
もちろん、時代によって、弓馬でだったり、槍だったりするけど
609 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:30:12
>>605 > それがすべてを物語っている。
元々の性格か知らんが、奥歯に物が挟まったような物言いをしていないで明確に。
610 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:30:16
>>597 個人の装備ならバリエーションいろいろ有るよ。中には変な武器ももちろん有るw
ただ日本人は昔からの武器を使いこなす事に美徳を感じてる所がある。
お隣中国武術では千変万化なのにw
あと侍は職業軍人なのである程度組織だった戦術を要求される。
1人だけとっぴな兵器はちと使えない(笑)
結局「その人個人の兵器」で終わる。
>>610二丁鎌{武蔵?弟子?考案}や大鎖鎌、契り木とか良い武器なのにね{泣}
612 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:36:15
>>608それを言ったら
>>594でも、ほとんどないということで100%と断言はしていないw
そういう言葉遊びみたいなのはどうでもいいよ。
で、突撃になったら騎馬武者は太刀で切り込むって出典は何?
613 :
604:2005/12/27(火) 00:39:37
>>606 読んでるよ、つーか
>>561は自分です。
なんでそういう捉え方をするのか分かりませんね。
人の書き方を云々するより前に良く読んでくださいな。
614 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:40:10
>>612南北朝辺りの記録を見てください。
騎馬の突撃が得意な武将とか見てけば出てるよ。
太平記は昔に読んだだけだから載ってるかわかんないけど・・・多分載ってるはず。
新田の戦闘あたり・・・・たぶん
>>613俺も>603と同じように読んじゃったんだけど
616 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:44:23
>>614 南北朝期も騎馬は弓がメインだったろ。
当時の合戦絵巻も騎射が多く描かれてるぞ。
617 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:46:02
とりあえず、打刀は主武器ではないけど、戦闘では役に立った。
打刀は
>>592にあるような位置づけでOK?
618 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:49:37
>>616 矢合わせの後の突撃の時も?
とりあえず、俺が読んだ文章では太刀での戦闘だったよ。
違うというなら俺の読んだ資料の研究者が間違ってるんだな
619 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:51:43
>>618 そもそも太平記って軍記物なんだけどw
研究も糞もないだろ
620 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 00:51:55
>>596 薙刀はねえ、個人の接近戦用武器としてはおそらく最強と
思われるよ。
但し強力すぎて、味方までも薙ぎ倒してしまうんだなあ、これがw
なので、集団での接近戦が増えた室町以降急速に廃れてしまった
らしい。槍のほうが集団運用がよりしやすいからね。
>>619 横からで悪いが、文化・歴史関係の研究者が今も研究題材にしてるよw
それで、教科書で載ってる事項とかの捉え方が、変ったと聞いたのだけど・・・
>>620 それで廃れたのか・・・長巻とか亜流の薙刀ですらあんなに強いのにっと思ってたので不思議だった
622 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:02:52
>>621 だとして、当時の武士の戦闘が騎射メインという結論に至ってるんじゃないのw
それについての反証は聞かんけど?
623 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:18:46
624 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:31:03
>>623 >しかし、南北朝の大乱や応仁の乱等で、戦自体が乱戦になるケースが多いことから、
> 従来の馬上で用いる太刀の造りから、徒歩になった際の使い勝手が考慮され、
>刃は京反りに近い形を有し、柄の反りは廃止された。
まさかこれが根拠?
それと尊氏の肖像画が太刀を肩に担いでるからってあの時代、太刀が主武器だったと言えるの?w
凄いね。
625 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:36:33
何か、全然剣豪・剣術と関係なくなってきたね。せめて、武術技術関係とか・・・・
ってことで、
>>620にある薙刀に関係したこと情報求む。
とりあえず、対薙刀だと小太刀{打ち刀より短い}で間合いを詰める戦闘法が一般的みたいだけど
626 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:41:11
鹿島神流に薙刀か長巻の形があった。
なんか、身体に巻きつけるように斬撃だったよ。まさしく薙ぐ感じで。
太刀に関してもそうだったけど、あれは攻め難い。
薙刀って、女性の護身術の場合、室内でどうやって使うの?
>>625 心形流の小太刀二刀とか、いろいろな異種武器に対してあった、
>>624自分の意見だけ通したいなら他のスレ行けば?
>>623はあんたのこと否定してないし、別に意見の根拠として出してないぞ。
つか、根拠にならないだろ。ただの説明と太刀が出てるってだけなんだからw
629 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 01:53:27
630 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 02:10:58
631 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 02:20:46
632 :
552:2005/12/27(火) 02:24:03
脱線に加わったようなので、話を続ける為に無理やりに纏める。
兵器の威力つーか、使用頻度では、
長物>刀
っーのは、問題ないよな?
でだ、実践(合戦)にも長物には劣る頻度だが刀は使用されていた。
これも、異論がある所だが実際に刀を携帯してたんだから問題は無いはず。
で問題なのは、刀(剣術)の主目的は護身用として使われてたか。
はたまた敵を切り殺すための武具として使用されていたか。
と言う点。
前者ならば、最強剣術を論じる場合には様々な説が立てられると思う。
が…後者ならば、刀による攻撃力のみを問う場合は、これはもう示現流で思考停止しちまう気がするのだが 如何か?
633 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 02:48:49
>>632 剣術をやる一個人としての意見で言わせてもらいます。
こういうの言っておかないと怒られそうなのでw
自分は前者の護身用を押します。
というのも、攻撃力を考えた場合、長物>刀は体験上どうやっても覆せないからです。
示現流も同レベルの使い手の場合でも、攻撃力は長物必ず威力があります。
間合いについても、ハイレベルにならない限り絶対不利であり、同レベルなら劣勢になることが多いです。
また、他の武器に対しての長所は、携帯性と小回りが効くこと、ほどほどの攻撃力があること。
これらは護身用としての長所であって、攻めではそれほどの長所にはならないと考えます。
634 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 03:03:07
薙刀というと女性の武器というイメージがあるのですが
中国では二刀流が女性の武器で、三国志で劉備が二刀流で描かれるのは
脇役の関羽や張飛を引き立てるため。女の使う武器ということで
男性は薙刀を使わなかったのではないかと思うのですが?
635 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 03:12:40
剣豪と言えばやっぱ三国志最高
636 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 03:41:20
>>634 南北朝までは薙刀が個人の接近戦用の武器の主流。
637 :
634:2005/12/27(火) 03:59:37
これまでに槍や弓が主力武器と書いてあったので。
あと三国志の話しをしたのは、矛、戟、戦斧、鎚等が
日本で用いられなかったのを不思議に思ったから
棒術はあったかな。中国とそういう古典武器だけで戦ってたら
面白かったと思うのに、元寇の時代まで無かったから、残念?
638 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 04:05:22
>>637 矛は古代の日本では使われてたみたいだね。中国からの
流入だろうか。
日本刀自体、中国の剣を進化させたものだし
鉄資源が少なかったから砂鉄を使って、たたらで良質の鉄を
つくり、芯鉄の技術などで、折れず曲がらず良く斬れる
最強の剣になった訳だし。でも考えた人は凄いな。
640 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 04:29:20
>>639 刀は結構「曲がる」もんらしいよ。
そんなので、曲がった刀を補正するプロがいたらしい。
実は俺も刀は結構、曲がったり折れたりするという話しを
読んだことがあるんだけど、小説の中で倒した敵の刀を奪って
戦うのとか、それまで一本の名刀を持つ主人公のが多かったから
違和感があった。刀を補正するプロがいたのか。
642 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 11:17:56
どこかのスレでも刀は最初から曲がりやすく作ってあるというレスを見たことがある。
そいつが言うには戦場で曲がったら木に押し当てて曲がりを補整するんだそうなw
勿論、信じてないがな。
643 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 11:45:47
固い物(仮に岩とでもするか)に思いっきり斬りつけると
反りが伸びたりはする。
そんな馬鹿な奴いるのか
645 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:31:20
実際に家にある日本刀で実験してみたよ。
生き物はさすがにまずいので、水+油を7:3で混ぜたものを
畳に染み込ませて切って切って切りまくってみた。
それだけ。
646 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:41:17
647 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:54:00
刀も曲がるときは曲がる。刃筋の問題もあるし刀剣自体に問題がある場合もある。
俺も刀曲げた時は膝で押して直した(恥だ・・・藁)
塚原ト伝も新作刀は戦場に持って行くなと言っている。
古刀とは数百年かけて選びぬかれたれた刀。だから尊ばれた。
戦場で槍、鉄砲等の主武器を無くすのはよくあること。
間合いや状況によってはあえて捨てたりする。その時に刀を使う。
「雑兵物語」には「刀で騎馬武者の手や足に斬りつけろ」と書いてあるので
本人達が言ってるんだから間違いないだろうw。徒武者も似た様な戦術だろうな。
648 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 12:59:56
>>647 騎馬武者の手や足か。
単純なようだけどやはりそこは死角だもんね。
刀ならではの戦い方だね。
649 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 14:09:37
刀って各流派で使う物{種類?}が違うんだってね。
拵えはもちろん、刃の作りから形状、反りの具合とか
650 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:07:18
鈴木眞哉氏の如く刀を全否定するかと思いきや、妥当なラインに落ち着いてきましたね。
少し感心した
651 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:10:45
馬上の敵は先馬を射めされい。死ぬべいと思ふ時は、〜中略〜 頬か下散のはづれか、透間をねらひて突めされい。
その後は刀でも脇差でも歌って次第にひん抜て、手か足を狙って切べし。甲の真向切べからず。
刃はつつかけて、鈍(なまくら)ものではきれぬものだ。〜中略〜しがみつきてつつつらぬきめされい。
これしかなかったんで中略の部分がわからんのだが、弓で馬を射たあと槍か何かの刺突武器で突けと書いてるな。
そのあとで刀か脇差を抜いて手足を斬りつけろと書いている。
これだと「騎馬武者には手足を狙って刀で挑め」という話ではないとおもうが
>>647
652 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 15:54:50
>>650 鈴木のおっさん、全否定してたっけ?多分チャンバラが基本で
ないことをいうための強調が過ぎているんじゃないかな。
全否定って絵とか見たら無理だろ。刀かついで走り回っている
絵も多いんだからね。
長篠を否定する人たちも「一斉射撃」「3段打ち」を否定するにとどまっときゃいいものを鉄砲の集団運用まで否定するかのような記述が
あるからな。
653 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 19:30:31
>>651 そりゃ弓足軽小頭 大川深右衛門どんのEPだな.
たしかによく読むと騎馬の攻略法から始まっているが抜刀の相手が
騎馬とは限らんかもなw。馬から落ちた後かも知れんな。(もちろん騎馬かもしれんw)
なにぶん年寄りの話し言葉だからいきなり話が飛ぶんだよな〜w
その辺は正直俺もわからん。スマソ
あと
>>647では「槍、鉄砲等の主武器が使えない場合」と言ってるんで
「これが騎馬武者の攻略法だ!」という言ってるワケではないぞいw
あくまで『戦場で刀は使ったのか?』という
>>632に対する答えね。多少トチったが(w
ほかにも「間近くおつつめたらば左右へ分けて鑓の勝負を始むべし 〜(略)〜
鉄砲を腰にひつばさけて刀を抜て敵の手と足をねらつて切めされい」とある。
また馬上で抜刀しようとして馬を傷つけてしまった話や
精鋭の騎馬武者隊30騎が、槍、刀、鉄砲、弓を手に敵の側面に突撃する話もある。
太刀や打刀で斬り込むヤツも確かに居たようだ。
それから「何かの刺突武器」とは弭鑓のことだな。
弓の先っちょにくっつけた小型の穂先が槍の代用品となる。
それと「刀でも脇差でも歌って」というのは仮面ライダー響鬼の事だろうな。
654 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:48:11
>>639 亀レスだけど 日本刀は日宋、日明貿易の主力商品で
中国に「年間100万本近く」輸出されてた。
これはひょっとして総数では日本の兵員数より多いんじゃないだろうか(w
日本は日本刀輸出で外貨(明銭)を稼ぎ、さらに刀剣の美術的品質を向上させた。
そういう意味でも『最強の剣』なのかもね。
655 :
日本@名無史さん:2005/12/27(火) 23:56:50
>>654 この日本刀ねえ、どうやら刀として用いられたのではないらしい。
向こうは鍛鉄じゃない鋳鉄でもろいでしょ。だから鍛鉄を輸入
する感覚だったみたいだね。
なぜかというと、年間100万本も輸出してた日本刀が、向こうでは
ほとんどみつからないだってw
切り刻んで包丁に使ってたって読んだことがある
658 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 01:47:28
鞍馬流って全剣連の柴田先生のですか?
柴田先生は剣道界では巻技の名手だと聞いてるけど・・・?
あとこのスレではおなじみ『薩摩影之流』だなw(京の鞍馬山で牛若丸が今出川鬼一法眼
に武芸の極意を授けられ、後に鎌倉流武術となったもの、鞍馬寺の京8流の一つ)
ttp://www.aa.alpha-net.ne.jp/ja6xwv/sub1.html まっすぐ木刀なら鹿島神流とか示現流の一部で使ってた気がする。あと天然理心もそうだっけ?
剣道の竹刀も新陰の袋竹刀も真っ直ぐだが使用法は曲刀と同じ。
直太刀ならではの技というのは俺は知らない。
木刀が造りやすいからじゃないのw(いいかげんですまん)
直太刀の例はこのスレの200番あたりに書いてあった気がする
参考になるかどうか知らんが
『昔、源義経は柳の枝を切って、八断したがまだ水に墜ちなかった』とある
かなりの手裏(てのうち)だよね。
659 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 13:40:55
>>657一刀流関係も真っ直ぐな木刀のはずだよ。
衝撃に対して強さが必要な流派は真っ直ぐで、剣道用よりも肉厚の使うようだよ。
警視庁の形をやるときの木刀も同じ物だと思ったけど・・・
やってて、先生が木刀折ったときにはびっくりしたよ・・・いくら刃折部分とはいえw
660 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 13:46:31
直太刀の使い方を思われる型をみたことある。
突きと身体に巻くようにして斬る斬り方だったと思う。
うろ覚えだけど、奉納行事だったから鹿島神流か香取神流の古い形だったはず。
他には小野派一刀流が直刀に近い、反りの少ない刀を使ってたよ。
立会い抜刀の刃引きの形で突き技で止めさすとかあったからその関係かも。
元々、槍の使い方に似た突きを持ってて、恐れられていたからね。
661 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 14:15:17
>>655 倭寇が多いときはその応戦として活躍。
その後、シルクロードなどで転売というのも多かったんだって。
一部の青竜刀を使う武術で使われたともあったよ。
662 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:42:41
>>655 見つからないだろうね。12〜16世紀頃の話だし元寇とか戦乱で中国の国家自体が何度も滅亡している。
問題は日本刀は兵器だったということだな。民間人(異民族)が兵器を持つこと自体、支配者にしたら脅威だ。
それが密輸でどんどん入って来て倭寇の資金源になっちゃったりするわけだ。w
当時の中国政府は何度も禁止、没収している。包丁になったのはそれじゃないの?
そして徳川期になると武器類の輸出自体が禁止され、大陸では軍用に苗刀とかが造られた。
素人考えだが鍛鉄を輸入したいのなら数十倍もする完成製品より一次加工した鋼材を輸入した方が安いし
加工しやすいと思うのだが・・・どうなんだろう?
663 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 23:08:43
>>662 でもね、戦乱なら当時の日本の方が凄まじいよ。
その日本で室町刀は腐るほどあるし。
明と室町幕府なら明の方がずっと安定している。
年間100万振りもの刀が輸出されてほとんどみつから
ない程明の世は混乱してないと思うがな。ま、没収した
のをどんどん他の製品にかえちゃったというのは納得
だが。
でも明の朝廷が輸入した日本刀をことごとく没収できる
ほど強力な政権だったら倭冦に悩まされてないと思うし。
やはり他の目的が主と考える方が妥当な気がする。わざわざ
完成品の日本刀で輸入した理由はまじで不明だが。鋼材で
輸入するとか輸出するとかいう観念がなかったのかな。
性質の違う鉄で出来た製品を鋼材として輸入するというのはイマイチ信憑性に欠ける。
665 :
日本@名無史さん:2005/12/28(水) 23:17:17
>>664 じゃ大量の日本刀どこ行ったの?
ほとんど輸出したんなら輸出先で大量に見つかると
思うんだが。その形跡もないし。
もう少し資料を元にして話したら?
667 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 00:30:03
中国の戦乱と日本国内の戦乱では比較にならんでしょー
多民族巨大国家の滅亡を懸けた戦いと、小島の土豪の小競り合いではちとね。
国防予算世界2位の海上自衛隊ですら単独でシーレーンを確保しきれないのだから
倭冦や密輸の完全取り締まりなんて当時の明朝でもたぶん無理じゃね
中国で安定政権を持つと言うことは「平和で良い国にする」というより
「徹底的に人民を管理する」という事でないのかな
まあ、それに関しては歴史に学ばんでも現在進行・・・ 〜(以下略)
でも100万は確かにちと多いな・・・どっかで間違えたかな?
668 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:15:09
ていうか戦国期の日本の陸軍は世界最強とまで言われてたし
江戸の人口は世界一の都市人口だったわけで
室町時代から日本の文化は成熟を始めてたわけで
小島の土豪の争いなんてとんでもない歴史の不認識っつーか・・・
何も知らないアホなんだろうな・・・
669 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:35:07
>>661>一部の青竜刀を使う武術で使われたともあったよ
「苗刀」のことだと思う。適切な説明が見つからなかったからwikiで概説だけ参照ってことで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%97%E5%88%80 明が軍隊装備に使い、北方民族の侵入を撃退したという記録が残ってるそうだ。
また、中国武術の中で日本刀の刀法は現在も生きているとのこと。
ここから推論になるけど、北方民族と明との戦闘は日本の戦闘に比して非常に大規模。
加えて、中国人や朝鮮人による後期倭寇撃退に対しての装備となれば、実戦での消費は莫大なもの。
前で少し触れてる人が居たけど、日本刀は戦では消耗品であり、
高レベルでの品質と修正技術の存在が無ければ、すぐに駄目になる。
特に斬るのを目的にした場合、刃が欠けただけで使い物にならなくなる。
故に、実数がどれだけかわからないにしても、相当量輸出しても、使い切って残らない公算も立つ。
大量の輸出品だと大量生産の数打ちになっちゃうし。
また、武術の中に取り入れられたことから、名刀などならば武術のとこに隠されるのは必至。
そのまま、中国刀として紛れ込んでよっぽどでなければ見つけられない。
あの文化大革命で散々やっても、文化遺産とか残してるような民族だからまだまだ隠してる可能性もあるよ。
ま、今の中国政府じゃ、発表できないだろうしw
670 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:39:46
問題はこれだ
>>665 の >じゃ大量の日本刀どこ行ったの?・・・だな。
ホントどこ行った?
671 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:45:42
華僑の商魂逞しさから言うと
>>669で残ったとしても、他国に売り払ってそう。
東南アジアなんて、戦争や反乱かったし、日本人町も元はいっぱいあったから
672 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:48:09
>>671 でもさ、それなら他国で大量に見つかりそうなんだけど
その形跡がないんだよな。
まじでこのへん誰か研究してくれると面白いよね。
673 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 01:51:41
>>672 確かにそこら辺を研究してくれれば面白そうだね。
新しいこととか見つかってないような国交とか・・・・
そういえば、東南アジアに日本の武士が結構渡ってるけど、
そういう人たちの装備って残ってないのかな?
日本人町なら鍛冶やとか沢山有っただろうに。しかも、帰国できないし
ぶっちゃけ、日本刀は手入れができない民族には保存できない。
剣道やりてー
676 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:16:56
日宋・日明貿易で輸出された日本刀とその後北伐軍等での苗刀採用
についてはここに有った。
- 馬明達老師論文 -『歴代中日両国刀剣(術)の交流』
ttp://www.h5.dion.ne.jp/~rekidai/ronbun1/syogen.htm >日本の武士は・・・対戦中、「甚しきは旋転、跳躍し、短を用いて長を刺す」ため、
>甲胃さえ着用せず「裸形で闘いに赴いた」
−と、ある。す・・・すごいな。現代の武道家でできるやついねえよ(w
馬老師の研究に敬意を表します。
ついでに、密輸方法に関してはこんなのが有った(w
【 司馬遼太郎 「街道をゆくー中国・江南のみち」】より
>13世紀末南宋、包恢の上奏文によると、そのころ日本船は年に4、50隻もきていたという。
>南宋は「銅銭でなく、絹や綿、磁器などで決済せよ」という法令を出しているのに
>日本船は港を変えたりしてなんとか銅銭を手に入れる。日本船は「高大深広」で、
>乗組員も100人に達するほどに大きい。かれらは銅銭を得ると船底に隠す、という。
677 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:29:47
>>676 でもさ、室町戦国の合戦絵巻とか見るとさ、結構甲冑つけてない
かつけてても胴巻きくらいの軽装の兵士が刀や槍もって走り回って
いるよね。
678 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 11:59:45
軽装の兵士は結構いるね。昔の本物の武芸者はそれだけで戦えたんだろうね。
ただ、合戦の始めの方か、それとも勝ち戦の追撃戦なのかで兵装は変わるかも。
落城を描いてる絵では、武者がノーヘルの刀1本で追い剥ぎしてたりするから(w
679 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 12:05:15
>>678 関ヶ原とか大坂夏の陣とか、片方がぼろ負けしたのは凄いよねw
特に夏の陣は城の女を強姦したり捕まて売り飛ばすために襲ったり
取り合ったりしている様がリアルに描かれてて思わず笑ってしまう。
680 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 12:19:33
たいした武功が無かったヤツはそっちに走るw
681 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 14:24:31
足軽は基本的に生まれ故郷では不必要な人間の集まり。だから、死んでも失う物は無い。
命の値段なんて、近代国家と一部の上流階級が異常に高いだけで、鎧と比べたらずっと安い。
そういう雑兵は略奪のために戦いに参加する存在だから、職業軍人の武士と同一視するのは些か失礼。
まして、武芸者として見るのはw
ちなみに、現在の古流剣術はほとんど素肌剣法で鎧なんてつけないし、必要としない。
修練する者として言わせて貰えば、そんなにすごいことじゃないよ。
守るものさえなければ、自分が死ぬだけなんだし
682 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 14:55:06
剣術の起源は韓国のコムドというものらしいけど
コムドから陰流や一刀流に至る過程を誰か説明してくれないかな
683 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 15:11:26
コムドから剣道ができて、剣道から陰流や一刀流とか諸流派に分かれたんだよ。
もちろん、日本刀も韓国で長船とか正宗が登場してそれが日本に伝播した結果できたんだよ。
そうじゃなきゃ、両方ともに日本独自の動きや技術が含まれるわけ無いんだから。
まして、引き切りなんて、大陸の椅子生活じゃ考えられない非効率的な行動なんだから。
あ、もちろん、英国人は韓国から出た人種ですよ。
684 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 15:17:01
>>982コムド関係者にそういうこと聞くと切れられるから注意
ふと思ったんだけど、剣豪・剣術に関することって主旨なのに何で戦が証拠に出されてるの?
剣術史も日本刀史も系統などと共に存在するのに。しかも、ズレてる証拠多いし
687 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 17:56:19
もともとここの主旨は
『剣術や剣客に興味があるので、剣客のすごい逸話などを知りたい』
だったからな。「剣客のすごい逸話」希望
688 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:17:36
689 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:29:19
小野派一刀流に伝わる話。
数人の暴漢が暴れていた。何人も納めようとするけど、敵わない。
業を煮やした家康が高熱出して寝込んでる小野忠明に解決してくるように命令。
熱に浮かされ、ふらふらしながら刀を持って出て行く。
途中、どぶに嵌まったりとまともに歩けていない。
それでも、その暴漢どもを全員斬り伏せ、ふらふらしながら戻ってきた。
家康が「人間離れした強さを持っているが、どぶに嵌まるなら狐狸の類ではないな」
って安心した。という話がある・・・・これは微妙か?
690 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:46:03
691 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:47:36
692 :
日本@名無史さん:2005/12/29(木) 18:52:47
群馬、馬庭念流{念流正統}の樋口定次が、矢来まで組まれる真剣試合で
天道流の村上天流が刃渡り2尺7寸の樫太刀を相手に木刀で戦い、太刀ごと相手の頭を砕いたという話もある。
その後、禁止だった他流試合をしたためか、行方知れずになってる。
694 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 09:47:21
江戸期の馬庭念流の活動内容が出ていたのであげとく
【八切史観 HP】《捕 物 論 考》
ttp://www2.odn.ne.jp/~caj52560/torimono.htm −[一部抜粋]−
>昔は上州多胡の馬庭村で、そこに有名な「樋口家の馬庭念流」の大きな道場があって、
>江戸京橋太田屋敷、神田お玉ガ池、小石川の三カ所に出稽古の道場まであった。
>といってこれは、一般大衆の青年が習おうとしても、「入門しとうござる」といって行けるところではなく、
>南町奉行所北町奉行所、小石川の方は火附盗賊改め番所の委託制で、捕物側の指南所であったのである。
>馬庭念流が上州で長らく存在しえた理由は、「岩鼻代官所御用」と「大戸関所御用」の二つを拝命し、
>そこの捕物側の訓練に当り、また出役に人手不足の時には代官御用を勤めてもいたからこそ
>馬庭念流の樋口定伊は神田明神下から和泉橋通に「一般人用の道場」を進出させ経営に当たった。
これによると事実上江戸の治安の最要所に馬庭念流がいたことになる
「昭和の武蔵」と呼ばれ他流試合無敵の国井善弥が最初に仕込まれた流派がこれだ。
江戸中期ではおそらく流派としては『実戦最強』だったのではないか。
695 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 11:40:22
そもそも日本で剣道が発祥した頃の韓国では石器の槍か竹槍で
狩りをしてたのが精々だろ。蒙古襲来のときは奴隷同然で徴兵
されて武器を借りたものの復元できる技術も無かったのに
どうして剣道の起源は韓国なんて言い張れるんだか。
>>695 韓国国内でも反対意見が出てて、しかも協会が喧嘩してるような国ですから。
ここのところ、自分達は捏造を許さない空気出してるから、勝手に内部調査して崩れるよ。
崩れなきゃ、全部の分野で信用が一切無くなるだけだし
697 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 15:51:26
いまさらだが司馬遼太郎「街道をゆく」には
>享徳2(1453)年の輸出品目では、日本刀は9500振というたいそうな数であった。
>これだけの日本刀を、明の側ではどのように使ったのか、まったく文献がない。・・・
−と、ある。 巨匠ですら当時つかみきれていなかった事を考えると
推測とはいえ
>>669の慧眼はみごとだったと思う。 −以上スレ違い御無礼
中国の戦で使えなくなった日本刀は、それこそ溶かされて別の鉄製品になったんだろうな。
699 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 18:54:21
そういやー戦時中の軍刀(たまに名刀もあるらしい)はどうなってる?
700 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 20:52:23
たぶんほとんどの刀剣は潮をかぶったり船底で錆びたり運搬で痛んだりで
美術品としての価値は無くなり。
港に着いた段階で鉄くず扱いだったのではないだろうか。
701 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 21:09:34
GHQに取り上げられて、他の物にされたんじゃなかったっけ?
個人レベルならまだまだ残ってるけど、みんな隠した奴だよ。
うちの祖父二人のも残ってる
702 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 21:20:27
703 :
日本@名無史さん:2005/12/30(金) 21:44:06
余談ではあるが座頭市は実在のモデルがいたようだ。
「め○らで按摩で居合いの達人」だという。
七人の侍も元ネタは上泉伊勢守と塚原ト伝、柳生十兵衛。
そして銭形平次は建設会社の銭形組(w
704 :
山本五十六:2005/12/30(金) 22:43:01
>>700 刀は多層構造になってるので、それこそ数年単位で海水に漬かってないと芯までは錆びないよ。
外が錆びても研げば綺麗な肌が出てきて、また斬れる様になる。
それに、使う直前までは松脂でコーティングされていて、空気や水に金属部分が触れないようにされてる。
それを超えて、多層構造を駄目にするとなると・・・沈没しても残るだろうし、手段が思いつかない。
それくらい錆びには未使用なら強い。
でも、
>>669が言ってる様に刃が欠けると修復はできないので消耗品となってしまう
705 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 00:47:09
>>704 軍用、実用品刃物としては多少の錆や刃こぼれなら問題はない。
たしかに大戦中の軍刀が錆びずに海中から引き上げられた例もあった気がする。
でも美術品として売る時は刀身、拵えが痛むのはまずいべー、
706 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 11:11:59
明への輸出ってほとんど実用じゃなかったの?
兵器として、当時は物凄い威力があったから。
中国武術のナマス切り状の剣法をみれば日本刀での斬撃の有効性がわかるし。
美術品としては、一部だし。そういうのはちゃんと痛まないようもって行かれてるから大丈夫!
それに、日本人の細かい所は当時から健在で、ヨーロッパみたいな雑な運搬じゃなくて、
ちゃんと対策が採られてると聞いたよ。片鱗とか日本史の教科書にあったはず
707 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 12:02:58
708 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 19:21:23
>>707 『曲刀って記述がある=朝鮮も日本刀と同じ武器使ってた』と主張する一方で、
『実物が残ってる』という情報もある。
その 実物 がまんま日本刀の長い刀なんだが
709 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 21:13:56
宮崎正裕が最強に決まってんだろ。
比較の意味もないほどぬきんでてるわ。
710 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 21:36:23
剣道選手は剣豪に入るのか?
それにあれは防具と竹刀だからこそできることなんだけど。
真剣で広まってるような競技剣道では通用しない。
もちろん、各系統の上に居る先生達の剣道は剣術として通じるけどさ
宮崎選手のファンだからそんなに強く否定したくないけど、そこは仕方ない。
>>708日本の刀匠の銘が入ってるのも朝鮮製と言い張る人たちだから
711 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 21:41:02
>>708 らしいね。俺も未確認だが聞いたこと有る。
李舜臣は北方夷敵や倭寇を使って秀吉軍を迎撃したという説もある。
ただ彼の国では認めては・・・以下略
>>709 世界大会団体で押され気味の試合を宮崎がひっくり返したのは痛快だった。
・・・って剣豪じゃねえだろ(w
712 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 22:44:52
銘に、朝鮮をおもわす漢字が一字でも入ってたら大変だな。
>>709 あの声明というか発表、そのうちまた日本国内で刀剣文化財の盗難事件とか起きなければいいが。。。
713 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 22:45:46
714 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 07:32:45
日本の鋳鉄技術を輸入したことを中韓は
認めないってことだな。確かに、今は無理かwww
結局、大日本帝国は日露も第二次大戦も鎖国してるのに頑張った、
もうちょっと開国してればどうなったかな。剣豪は幕末までとして
核は先に落とせたかな?世界一の経済大国万歳・・・
問題はアメリカだな。マッカーサーは糞を肥料にした野菜でも食べてろ。
715 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 11:56:09
716 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 12:26:45
なんでドラマの十兵衛は片目なんだ
何か逸話があるの?
>>716 このスレ読み返すと柳生一族の陰謀がわかるよ
718 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 13:11:07
>>716 いつから片目なんだろう?山田風太郎あたりからかな(w
柳生十兵衛の弟又七郎宗冬が総入れ歯だったのは有名だね。
719 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 13:37:06
あの入れ歯は下手な刀より高級品だなw
720 :
【小吉】 【392円】 :2006/01/01(日) 14:14:41
どうかな?
721 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 15:34:04
以前トリビアで日本(世界?)最古の総入れ歯の再現をやっていた。
昔の尼さんが使ってた柘植製の入れ歯。木製であったが結構使えてたぞ。
能面の面打ち師が製作したのではないかと言ってた。
これが発見される前は柳生の入れ歯が日本最古の総入れ歯だったはず。
これも「剣豪のすごい逸話」だよな?(w
>>716 親父(柳生宗矩)に、石かなんか投げつけられて潰されたんじゃなかったっけ?
もちろん、例によって近代文学が作り出した捏造ですがね。
723 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 17:44:22
さすがに寛永年間に茶筅髷に片目、編笠脚絆履きの武芸者が江戸城内を
うろつくのは無理だろなw
昔の映画とかだと十兵衛って普通の武士だったりするんだが、一瞬わからなくて
あれっ?て、思う時ある(w
724 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 18:04:45
>>722 石が目に当たるような剣術家じゃ、そりゃ流浪するようだわなw
>>722 親父と稽古中、真剣が目に当たっただったような。
昔、じゅうべえクエストというゲームがありましたね。
「はし〜れ、じゅうべえ、ひかりの子ども、ゆうきリンリンどこまでも〜 じゅうべえ〜くえすと〜〜♪」
・・・たしか、こんなような歌詞だった
727 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 21:37:16
>>725燕飛の形の最後、投げ太刀で宗矩の手元がくるって傷つけたという奴だよね。
>>724のと共に講談で広まったんだって。
健康説もあって、流浪は非公式。公式には狂ったことで屋敷内に閉じ込めとのこと。
で、隠密と剣術修行を兼ねて地方を流浪。最後は毒とわかってる杯を平然と飲んで殺されたとあった。
「月之抄」の作成もあるから、これも実しやかに伝えられてる。
まあ、ごっちゃにしてというのが、明治だのの講談話みたいだよ
728 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 22:07:47
月之称は実在しますが
729 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 22:45:56
>>728「月之抄」の作成もあるから、真実味があるという話。
剣術のための本を書くんだから、流浪による剣術修行が本当かもって思わされるってこと。
流浪の正式な記録は無いのに
730 :
日本@名無史さん:2006/01/01(日) 23:25:15
たしかに柳生1万2千石の大名の長男が武者修行の放浪はちと許されんだろうなw
水戸黄門や神田明神は木っ端役人を懲らしめる世直しの象徴として江戸っ子に愛された
「柳生十兵衛漫遊記w」は何時頃から始まったんだろう?
鐘巻流に「中太刀」っていう微妙な長さの刀を使う
技が多くあるらしいんですけど、鐘巻流以外にも
中太刀を使う流派ってあるんでしょうか?
732 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 01:14:41
>>731 中条流もそうだよ。
江戸時代の分類だと小太刀に相当する奴のことだよね?
別名長脇差しで、小刀<脇差し<小太刀<打刀<太刀って分類だと。
小太刀に相当するものだと、剣術で最も完成されていると言われるくらい研究され尽くしたもの。
打刀では、槍や薙刀、大太刀を相手にするのは非常に困難だが、小太刀{中太刀}ならば制すことができる。
得意として、伝承があるのは小野忠明、忠常で打刀を使った時よりも強かったとある。
また、心形刀流には小太刀二刀があって、これが最も完成されてるとも聞いたよ。
剣術じゃないけど、柔術の大東流でも形が存在したはず。二刀なんとかって名前で。
とりあえず、本屋に写真付きの解説本があって面白かったよ
733 :
732:2006/01/02(月) 01:35:26
>>731鉢巻流ってひょっとして鐘巻自斎の流派のこと?
それだと、自分があげた中条流はその母体ということになるw
調べる前に書き込んじゃってごめんw
なので、使う流派としては、中条流の流れを組む一刀流系は全部と東軍流あたりかな。
一刀流は他にもいろいろな剣豪{新陰流の十兵衛}に影響与えてるから、江戸中期以後のにもっとあるかも
734 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 01:46:34
十兵衛は岩も斬るほどの達人だ。
柳生の里に十兵衛が斬ったという真っ二つに割れた巨岩があるから
これは伝説などではなく史実だ。
735 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 02:19:43
736 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 02:38:39
>>734 祖父の石舟斎の一刀石以外に十兵衛のもあるの?
これについては、
>>688が説明してるので略します。
>>731 >>733にあるように、十兵衛は小野家にも出入りしていたらしく、
小野派一刀流から大分影響をうけている。
柳生新陰流は柔軟でいろいろな他流派の要素を取り入れるので、
新陰流系統に中太刀{小太刀?}の形が存在するかも。
小太刀の完成度の高さは俺も聞いた事あるくらい有名だから、ほっとかないと思うし。
737 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 02:55:47
何度か小太刀で長物相手にしてみたが、竹刀でやるよりより大変だったよ。
特に足払いは飛ぶしかないw
小太刀で長物を制するなんて、よほど体捌きが優れているのか、コツがあるのか
ただ単に俺が下手なのかw
正直小太刀が長物より有利な理由がちと分からんのだが、ヒントがあったら教えてくれ。
738 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 03:05:47
>>736 柳生新陰で有名な小太刀使いは尾張の柳生連也でないか。
江戸柳生の飛騨守宗冬の親指を打ち落としたのも小太刀だと聞いたが・・・?
そのショックで宗冬が入れ歯になったのは有名(これはウソw)
739 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 03:32:18
腕が同じなら長い方が有利だわな
全くもって余談ですまないが、
戦国時代に剣や槍の様に火縄銃の流派があるって聞いたんだけど本当かな?
741 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 07:48:13
戦国時代に、長い刀と短い刀のどちらが良いかはしばしば議論になっていたらしい。
普通に考えれば長いほうが有利だが、甲冑に身を固めたときに長い刀は抜きにくくて遅れをとることが多かったようだ。
よ〜いドンのスポーツ的な発想とは違う要素がたくさんあるということですな
743 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 10:57:03
>>737小太刀の特性は、短いゆえの速さ。
体捌きとその速さで返して間合いを詰めるのが基本戦法。
で、相手が動こうとした出端を小太刀で押さえながら、一気に詰めて行く。
その時に半身、腰溜めの状態で攻めて行くのが体捌きのコツ。
刀は相手につけながらも、相手の獲物を十分に捌けるように柔軟に構えるのがコツ。
ちなみに自分は剣道での練習試合で短竹刀で竹刀とやったけど、完全な受けをしないでも簡単に制せたよ。
{受けをすると真剣は折れる。馬庭念流のような粘るのはできるけど}
自分の有利な近間に入っちゃえば、やりたい放題だったよ。
体のバネと竹刀の捌きに独特なのを用いるから、剣道ではなく、剣術の鍛錬がある程度必要になると思う。
744 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 10:59:40
>>740 徳川家康も修めてたって記録あるよ。
幕府も推奨してたみたいだから、結構な数の流派があるはず。
手元に資料が無いので詳しくは書けないけど、図書館の武術関係に鉄砲に付いてもあったよ
745 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 11:38:06
>>743 レス サンクス
たしかに「剣」相手なら俺もあまり問題ではない。
間合い的には剣と小太刀ならあまり変わらない。剣が届く間合いは小太刀も届く。
問題は「薙刀」等長物の足払いに対するディフェンス能力がいまいち無いことだな。
受けにまわるとかなりキツイ。
長物に対する小太刀の形とかにヒントがあればと思ったのだが
746 :
武蔵:2006/01/02(月) 11:47:58
こんw
武蔵二刀流開眼のほうがつよくね
武蔵と吉岡憲法、 本当に強いのはどっち?
748 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:13:35
>>746 二天一流だっちゅうの
>>740 日本の火縄銃はおそらく世界一だよ。現在も数流派伝承されている。
関流砲術は最大射程2〜30km近くあったし。ロケット型の焼夷弾もあった
ロケット型は大塩平八郎がつかっていた気がしたが・・・どうだっけw
749 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 12:35:54
ごめん、これでは↑関流にロケット型(棒火矢)があったみたいだスマ
750 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 13:29:47
>>745 自分ではまだ未熟で無理だけど、先生達が言うには同じ理屈で、長物にもそのまま適応できるとのこと。
実際、長物との形{他流と}との記事を読むと同じように、小太刀で獲物を牽制しながら入り込むというのがあったよ。
先生の持ってた本なので今も流通してるかわからないけど、武道関係の資料としてさがせばあるかも。
映像に付いては申し訳ないけど知らないw
ちなみに、薙刀場合は、石突が来る間合いで持ち手をねらって牽制するのが特徴。
それよりも遠間ならば、太刀や竹刀でのかいくぐり方と同じだから。
注意としては、小太刀に対する技も長物は発達してるので、簡単にはいかないということ。
今の薙刀道なら通用すると思うよ・・・・かなり修練が必要だけど。
それと、竹刀相手で小刀だと40cmから50cmの間合いの差が出る。
体験してるならわかるだろうけど、飛び込めば届くが、飛び込んでは止めさせないので、結構な差になる。
もちろん、薙刀や槍には適わないけどねw
751 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 13:34:43
>>746二天一流の刀は通常の刀より短いので、広い意味では中太刀に入るんだけどw
もちろん、力があれば定寸道理を使えるが、よほど大柄でない限り使いこなせない。
また、力が足りなければ、刀が遅くなり、普通の刀よりも弱くなってしまう。
他の二刀流だと少なくとも片方は小太刀というのがほとんどだよ
752 :
750:2006/01/02(月) 13:46:20
追加
北辰一刀流の対脚斬りは小太刀でも、足払いをかわすのに有効だよ。
それと、一刀流の小太刀での攻撃は、「切落し」ができることが前提。
それがないと、攻防の難易度が飛躍的に上がっちゃうw
754 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 13:57:26
>>745他の知らんが、中条流の小太刀は、攻勢で受けに回らないのが特徴。
なので、薙刀などに対して、受けに回っての小太刀というのは性質状難しいと思われる。
体捌きと小太刀の速さで圧倒するのが信条とあった。
>>752にある、切落の攻防一体で攻められないと遠間から入り込むのが難しいかもな
足払いにしても、武器でやられるのなら武器に沿って太刀運びをすると普通の攻撃同様防げるとあった。
まあ、二人みたいに体験者じゃないから何とも言えんが、参考になれば
>>753司馬遼太郎の「人斬り以蔵」の中の「おお、大砲」に出てるやつ?
天狗党だかを退散させた奴で、大阪城を夏の陣で破壊した国崩しとかいう奴
756 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 14:47:10
>>750 >>754 サンクス やはり他武器でもそうだが受け回ってはだめだよな。
>『武器でやられるのなら武器に沿って太刀運びをする』
これは参考になった。たしか香取神道流にも似た様な方法があった気がする。もうちょい研究してみるわw
>>751 二天一流に限って言うなら短めの大刀、長めの小太刀でないとミスマッチになるためかな。
二天一流は左右そろえて技を使うので、大小刀の長さにあまり差があると形が使えない。
一度剣道で38竹刀と剣道形用の短い小太刀で二刀剣道やってみたが。
長さがいびつで、とても二天一流にはならなかったよw
やはりその流派の定寸でないと難しいね。
757 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 15:12:57
758 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 15:38:13
>>753 あ、ごめん関流の最大射程30kmじゃなくて3kmだな(w ダブルでミスった(w ・・・いや大和は40km
>>755 「人斬り以蔵」は読んだこと無かったが、たしかに天狗党で使われててもおかしくないな
幕末に城崩しが使われたとは興味深い。
759 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 16:07:40
>>757 ん〜形が判らんとちょっと判断のしようがないなw
小太刀は34〜36を切り詰めて流派によって2、3種類造ってある。
個人的経験では当然だが長い方が強いしラクw
騎馬戦や居合では長尺刀を片手で操作する。
刀のバランスが良ければ、あまり重さは関係ないと思うぞ。
荒木又衛門だっけ?名刀で敵の木刀を受けて
名刀を折っちゃったのは。
761 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:38:50
762 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 17:47:36
vipからきますた
小太刀ってさっぱり分からないんだけど、竹刀と同じように両手で握って構えるの?
八双構えとか大上段とか、剣が短いと間抜けに見えないか?
764 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 18:00:29
>>763 片手でも扱えるし、両手でも持てる。
八双や大上段は長さを活かしての構えであって、短いのには不向き。
できないことはないけどあまり取るような形は無いと思う。
適した構えとしては、半身中段や半身下段とか守り易いものだね。
体裁きに比重がある点で、車の構えとかも有効かもしれない。
オマエ等さ、武板いけよ
766 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 19:10:32
はい
767 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 21:19:17
じゃ、日本史板らしさを出していこう。
今、柳生について時代劇テレビやってるけど、兵庫介と十兵衛って本当に戦ったの?
もし戦ったならどんな結果だったの?史実としての内容を希望
あ、終わるんだ・・・武版のより話がしっかりしてて面白かったのにw
仮に内々に戦ってても史実として残せるわけないじゃんよ
770 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:05:35
上覧試合とかなら記録に残すぞ。いくつか他流試合とかの記録残ってるぞ
実際の決闘てどうだったのかなあ
4人対12人がありなら、矢でも鉄砲でも何でもありだ
つま先に胡椒を仕込んで、蹴り出したりもしてたんかなあ
772 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:15:28
>>767 兵庫介と十兵衛では年齢がちと違うから何とも言えンな〜
史実としてあるのは兵庫介の息子連也と十兵衛の弟宗冬が
「試合稽古」したということくらいかな?
史実かどうか知らんが十兵衛は異種格闘技の試合を良くやっているようだ。
黒沢明の「七人の侍」で竹刀勝負で相打ちで「真剣だったら俺の勝ちだ」と
言ったモデルは柳生十兵衛だよね。
従兄弟の関係なんだっけ? 十兵衛が柳生の庄に帰った頃は
すでに兵庫助も尾張藩に仕官してた頃だろうし、尾張で会う事が
あったとしても、試合まではしてないだろうね・・・
将軍家師範と御三家師範、どっちもでかすぎる。
当時のピリピリ感考えれば町道場同士の他流試合や
予定調和の演舞としての上覧試合みたいな立会いはできないよ。
775 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:17:46
つま先に胡椒!
これが日本史板らしさというものか!
卵に細灰詰めた打ち物なんかは戦国末期の兵法者の嗜み…だったのか?
777 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:27:40
足利義輝ってさぁ、上泉信綱に手ほどきうけて、塚原ト伝に奥義授けられたんならさぁ並の剣豪よりかなり強くね?
いくら征夷大将軍だったとはいえ、ト伝も認めてない奴に奥義なんかさずけないだろう
しかも最後は十余人斬ったあげく、数人で畳で押さえつけて殺すしか方法がなかったくらいらしいし
むしろ一度の戦いで十余人も斬り殺したこと自体が信じられないよ
将軍では間違いなくダントツにトップだろ
いや、ト伝だったら適当に将軍持ち上げておだてそうだw
その蛮勇、人間としての愛嬌はあっても、
仮にも人の上に立つ公方様の行いとしてはどうかと。
曳き馬の後ろさえ用心して歩こうとしなかった
って逸話のあるト伝先生の教えはどこに…。
780 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:41:39
>>778 でも一の太刀の奥義は、松岡兵庫助となんとか具教にと足利義輝にしか授けられてないんだろ
そこはやっぱり義輝のことはみとめてたんだじゃないんかな
足利義輝、享年29歳だったか
体力気力とも十分な年だな
多少の贔屓はあったろうけど、剣技に興味あったのは事実だし、
そこそこ熱心な生徒ではあったんでしょ。
783 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 22:53:15
>>778 いやト伝は間違っても人をおだてたりはせんだろ。
10代の頃から日本中数多の戦場を渡り歩き、一国一城の主で鹿島の神人だよ。
生まれた時から独自の帝王学みたいな教育を受けている。
素浪人とはワケが違う。
785 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:00:25
>>779 そりゃあ、あの場合は仕方ないと思うよ
周りが信じられなくなるのもしょうがないだろ
ト伝の実像ってそんな堅い人じゃなかったらしいけどな・・・
けっこう派出な人で世渡り上手口八丁なとこがあったらしいよ。
その昔、ドリフのコントでいかりや長介が鍋蓋で襲撃を防ぐのやってたなあ
これも歴史だなあ
788 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 23:39:41
足利義輝は、卜伝以外の流派も免許得てたはずだよ。
武蔵関連で知られる京の吉岡が将軍ご指南だかだったはずだし
ってことでage
吉岡流って、神当流系らしいね
790 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 01:37:40
>>786 ト伝が世渡り上手で口八丁というのは初めて聞いたぞ?どの記録を元にしたんだ?
塚原ト伝の口述録は後の五輪書や葉隠れに通じる質実剛健でニヒルな物に感じたぞ。
オタ系小説家がネタに使う塚原ト伝が派手だというのは甲陽軍鑑にあるこれのことだろ。
『諸国を兵法修行して廻る間大鷹を三羽も据えさせ、乗り替えの馬を三匹も曳かせ上下八十人ぱかり
召し連れて歩いた、斯様な修行振りであったから皆々一方ならず尊敬するようにもなった
、卜伝などは兵法の真の名人というべきである。』
最後まで読めば分かるがこれは「派手なヤツ」と言ってるんじゃない。
「兵法の真の名人」だと書いてあるのだ。政治・戦略・教養・武力を備えたカリスマだったという意味。
ケンカに強いだけなら戦国だからゴロゴロいるよ。そんなケンカ屋を戦場でねじ伏せ
武田家臣団という「国家」相手に「位負け」しない武芸者だったということ。
どちらかというとト伝は、人格者のイメージよりは
飄々として、とんちで勝ちを納めていく憎めないおっちゃんイメージの方が好きだな。
792 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 02:33:41
宮本武蔵 佐々木小次郎
なにがですか?
794 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 07:27:45
はい。
新しいお題を。
桜田門外の変の様相を見ると、襲撃側も護衛側も剣術の達者が揃っていたにも
かかわらず、教科書通りにはいかなかったようだ。双方とも必死で鍔元で打合い、
鍔ぜりあいをしたために腕や指や耳が現場に散乱していたそうな。時間は
15分ぐらいのものだったらしい。
襲撃側は合言葉を決めていたが、実際には使われることもなく同士討ちが発生した。
皮肉なことに、井伊大老は駕籠に向けて放たれた合図の短銃の弾を受けており、
これが致命傷だったという説もある。
乱戦になると、鍛錬を積み勇気があっても剣術の技を繰り出す余裕がなくなるという
教訓と見て良いのだろうか。
796 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 10:03:57
はい。
797 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 12:20:40
>>795 教科書通りにはいかないのは水戸っぽだから、いきあたりばったりだったため(w
そう考えるとほぼ無傷で目的達成した赤穂浪士はすごかった。
池田屋も血と指が散乱してたらしいが、刀の乱戦には付き物なのかな?
鍔ぜりしなければ防げたのかな?
>>795 一個の事例で
>乱戦になると、鍛錬を積み勇気があっても剣術の技を繰り出す余裕がなくなるという
>教訓と見て良いのだろうか。
ここまで一般化するのは如何なもんかね。
ルネサンス頃のレイピアみたいながっちりしたキヨンつけると
打刀じゃなかなか手の内が定められないよな。
脇差をマン・ゴーシュっぽい使い方する二刀の流儀でも
鍔や柄の細工を工夫したって話はあんま聞かないのが良くも悪くも日本らしい。
>>797 実際に井伊を殺ったのは薩摩人だけどね。
801 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 13:25:58
水戸と薩摩・・・当時の危険分子の組み合わせw
この2国の組み合わせがうまく機能したのは桜田テロぐらいかw
葉隠が質実剛健でニヒルな物というのはいただけない。
803 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 17:29:49
すんません、以後気をつけます
固いことを言うな
805 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 18:43:48
昼間なのに同士討ちなんてあったの?
しかもたった18人で顔見知りなのにありえるのか?
806 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 18:44:15
水戸最強
時は安政七年三月三日=1860年3月24日 午前9時過ぎ
季節外れの雪が降っていた
白襷に白鉢巻きと決めていたけど余り守ってなかったみたいだ
直前まで三々五々で行列の見物人を装っていたんだから、付ける余裕が
なかったんだろう
敵も味方も逆上してるし、一々顔を確かめていられなかっただろうから、
同士討ちがあっても不思議はない
浪士側がもう少し用意周到だったら損害なしだったかもという気はするね
808 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:21:06
水戸最狂 薩摩最凶
809 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 20:32:25
数人で別れて近づいて、相手は50人ぐらい
当初は不意をついて一方的に斬りまくって
井伊方何人かが柄袋を外して斬り合いになり10数分後引き上げた
同士討ちなんてやってる暇あったろうか…
810 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:17:43
当時は身なりや刀を見ただけで国が判ったらしいから多少変装していたかも
斬り合いそのものは3分前後という説もあるが剣道やボクシングも3分あれば数十発叩ける。
双方重軽傷者が多いし、メチャクチャ斬りまくった感じ。
一応拳銃5丁用意しているんだが、結局1発しか使ってないのかな?
正直あまり計画通りという感じで無いな。 「気合い!」・・・は感じられるのだがw
811 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:31:43
至近距離で斬り合いになってしまったら、持っているのが例え現代の銃でも厳しい。
812 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 21:33:24
つまり、水戸最強
813 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:50:58
周知の事として話してると思うんだけど、一応書いておく。
その日は雪が降っていて、井伊勢は刀に柄袋をつけたり、被り物をつけていた。
これによって、敵味方の判断が通常と違うので、異常事態で同士討ちを引き起こす。
それでも、立て直して水戸藩士を反撃、しかし、相手の人数がわからない上、大老強襲となったら十分な備えがあると。
未知の軍勢が居るかもしれないというので、端から混乱。
そこに銃声{数発発砲?}と、井伊が撃たれたことで族の掃討と首取り返し戦に切り替わる。
剣術も道場剣術ばかりが勃興してた所だから、真剣でのやりとりなんて皆慣れていないし、肝も据わらない。
結果、慣れ親しんでいる竹刀剣術のような戦い{平気で鍔ずりや密着戦法}をしてしまい。皆大惨事
剣術がこの際に使えなかったというより、変形剣術のせいで従来の真剣で戦う術を発揮できなかったと見る方がいいと思う。
それと、藩士はボンボンだし、剣術をやる暇があるというのはあまり居ない。
だから、剣術のレベルもそんなに高くない{井伊直弼のような飛躍無しではなかなかやらないし}
>>800 水戸藩士の中、一人だけ薩摩藩士がいない。
それにもかかわらず、その薩摩藩士が勇敢に戦ったので、
半分薩摩へのあてつけと勇士への手向けとしてそう喧伝したという話がある。
814 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 22:51:52
>>813修正
一人だけ薩摩藩士がいない→一人だけ「しか」薩摩藩士がいない
水戸の過激派が井伊の上屋敷討入りか行列襲撃かを決行する可能性ありという
情報があって、行列の警備強化の進言もあったけれど、井伊大老自身が、供回りの
人数は決まっている、大老自ら規則を破るわけにはいかないと却下していたんだよね。
そういう意味では全くの不意打ちではなかったし、それなりの手練を付けていたはず
なんだがなあ。
816 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:23:47
そりゃそうと、この当時水戸藩最強の剣客って誰よ?千葉周作?芹沢鴨?
新心新流の流祖である井伊直弼より強いのかっ?w
藩士とは言えないが 神道無念流斎藤弥九郎
あるいは千葉周作の伜の千葉栄次郎
818 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:40:34
水戸浪士は全て強い
819 :
日本@名無史さん:2006/01/03(火) 23:47:09
天狗党の強さは有名。
820 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:24:05
そーいやぁ、芹沢鴨って強かったらしいけど死に様は無様だったよな
寝込み襲われたから仕方ないけど、机につまずいたところを刺し殺されるとか
大河は美化しすぎだな
821 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:56:08
天狗党はともかく幕末最強といわれた水戸刀。
桜田門外で水戸浪士は水戸刀徳勝を指していたというのだが山口辰之介の
指料は曲がってたという。
薩摩の有村に斬りつけた小姓を周りにいた3人が斬り殺しているので
たぶん刀の方は健在・・・かな?
他のヤツらのはどうだったか分かります?
822 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 00:59:53
>>820 いや〜 志士でかっこよく死んだのは武市はんぺんぐらいじゃない?w
823 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 09:11:58
つまり水戸最強
824 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:47:31
>>820 新撰組を美化しようとすると反動で敵対者がカッコ悪くなる。
大河に有るのは美化した小説を更に美化したりで、なんか見てて辟易するw
>>821 美化した小説や講談資料ならあるけど、どうも胡散臭くて微妙だった。
井伊家の資料も信憑性や描写的に微妙だから戦闘のあらましは良くわからないや
とりあえず、首を持った水戸浪士と井伊の家来が血みどろになって薩摩藩邸に追いかけっこして
途中で死んだというのが有るらしい。日記的史料もあるらしいけど、見つからなかったw
825 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:51:00
土方の愛刀
826 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 20:56:22
現場の前の杵築藩屋敷の窓から斬り合いを見ていた留守居役の談話記録が残っているそうだ
「真剣ハ程隔てせり合由 昔より聞及候へども 左(さ)はなく刀半ば又は鍔元際に而(て)
せり合候」
「大兵の男(有村)壱人 並背(広岡)壱人 駕を目がけ 上下(かみしも)着たる主人を
引出し・・・大兵の男首を切(り)刀につらぬき大音を発ス 其声前後聢(しか)と不相分
(あいわからず) 井伊掃部と迄ハ聞江候」
深傷を負った「駕籠脇之侍」(小河原秀之丞)がよろめきながら有村を追ってゆく様に、
「愁傷之有様見るに忍びず」
襲撃してから首級をあげて立ち退くまでの間は、「時計三分許りにて至而(いたつて)
早く相済」
出所は吉村昭の小説w 調査の行き届いた人だから間違いはあるまい
この小説には、水戸浪士側の同士討ちも描写されている
828 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:28:46
>>827 なるほどな、「真剣では隔ててセリ合うと聞いてたが連中は鍔元にてセリ合ってた」
とも読みとれるが・・・どうだろ?読み間違ったらスマン(w
これはお互い腰の引けてない、腹の据わった斬り合いだったと、とれなくもない。
個人的な感想を言えば
>>795の意見とは逆になるなw どうだろ?
あと、これだと井伊を討ち取ったのは有村と広岡の2人がかりとなるな。
今まで有村1人だと思ってたよw
829 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:34:17
剣豪や剣術家としたら、腹が据わってないと判定されるだろうけど
そうではない、一般の武士なら腹の据わった斬り合いだったと評価できるんじゃないかな。
剣術家や武道家って今もそうだけど、どこか突き抜けてて、達観した所がある。
逆に言えば、そうじゃないと剣術家とは言えないと剣術関係の本読んでて思った。
なので、剣術を生業にしないでいる人たちだったら、十分評価できることだと俺は思う。
830 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 00:58:01
>>827 駕籠周りには有村、広岡の他にも水戸浪士が多数いたからその二人をなのかは分からない
ただ、大兵の者は有村に間違いなさそうだ
首を持っていたからね
桜田門も創作が多いからはっきりした事はわからん
高柳又四郎は弱かった
832 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 18:31:01
桜田門の水戸・彦根藩士は剣術家としては お世辞にも見事とは言えないが
兵士としては良質ではあったという所か(ビミョーな結論だなw)
武蔵も「心身を捨てられる」人物が最強と言った「巌の身」だな。
「死狂い」の水戸・薩摩 「巌の身」の彦根藩士 どちらの武士もさほど悪し様に
言われない理由はその辺かな?
>>831 次のお題はそれか?w ・・・強いよ、実戦経験は無いけど並ではない。
833 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 19:03:05
出稽古で一度や二度、不覚を取ったくらいで
弱いとされるからな。
834 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 19:32:32
>>833 逆のケースもあるよな。本人が絶対負けを認めない場合とかw
山岡鉄舟は浅利又七郎にコテンパンにやられたが、最後に浅利をひっくり返し
面をもぎ取った。浅利は「今のは胴打ちが入ってた」と
胴の内側の竹が割れてる証拠を突きつけたが「いや、これは胴がボロいからじゃ」
と山岡は言い張ったw ・・・まあ、その後ワビいれて弟子入りしたが。
いまだに武蔵と夢想権之助が勝った負けたでもめている。
「結局真剣勝負の結果のみが真実だった」という方向に行ってしまうのは
そのためだろうな。
835 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 20:15:41
柳生石舟齋:1527-1605、79歳(上泉伊賀守の弟子)
柳生 厳勝:1551-1616、66歳(石舟齋の長男)
柳生 宗章:1566-1603、38歳(石舟齋の四男)
柳生但馬守:1571-1646、76歳(石舟齋の五男)
柳生十兵衞:1607-1650、44歳(但馬守の長男、石舟齋の孫)
柳生兵庫助:1579-1650、72歳(石舟齋の長男厳勝の次男、石舟齋の孫)
柳生連也齋:1625-1694、70歳(兵庫助の三男、石舟齋のひ孫)
柳生飛騨守:1613-1675、63歳(但馬守の三男、十兵衞の弟、石舟齋の孫)
836 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 21:45:43
837 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 22:36:39
>>835 よし!やろう ・・・って釣られるw
俺は
>>474の柳生宗章が好きだな。
主君に生涯恵まれずにw最後まで忠義を尽くし、押し寄せる甲冑武者を次々と斬り倒し討ち死に。
兵庫助も石舟齋もいいがゴローちゃんが一番泣かせるぜ!
石舟斎の親族で誰か、大石を真っ二つにしてたよね
839 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:02:09
>>838 石舟斎本人のようだ。
検索かけたら奈良県柳生「天之石立神社」の「一刀石」と出てきた。
漏れは山岡荘八の小説で知ったがw
840 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 23:47:09
柳生って変な名前だと思った 読み方も変
御子神も変だけと改名した
842 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 01:04:55
激しくスレ違いな気がしたが一応『剣豪・剣術について語るスレ』となっているので
書き込みさせて貰いますよ。
数ヶ月前のビッグコミックスピリッツ(だったと思う他の雑誌かも)の一番最後の方に
高齢の剣術(剣道だったか失念)の達人へのインタビューが掲載されていたんだけど
誰のことか知りませんか?もっかいあの記事読みたい…。
戦地でのこととか書いてあって非常に興味深かったんで。
843 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 01:57:42
>>840 ころっと忘れていましたであります。陳謝っ!
844 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 12:13:51
>>842 なんか俺も気になる↑読みたいね
有名武道家なら何か技の特徴とか名前の一部とか わかれば判断しやすい。
もし流派・剣名が判ったら知ってる範囲で追加情報UPするけど・・・
845 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 13:23:37
846 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 16:49:48
いや、もうちょいマスコミ受けする名和弓雄先生とか、そっち系の気がするが・・・
戦争経験があるというと80歳以上でないか?
847 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:04:26
柳生家ってまだ存在してるの?
848 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:14:05
21代かな普通に活動してるぞ。
849 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:17:22
そうなんだ・・
いいなぁ
そういう家系に生まれたかった
850 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:37:22
入り婿や子どものいない流派の所へ弟子入りして認められれば入れるよ
851 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:45:17
そんなの最悪じゃないか
やっぱ日本人は血筋ってのを気にするからさ
852 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:50:02
いや、たしか江戸柳生は剣の腕前でわざわざ養子を取ったと聞いたことがあったが?
ちなみに柳生博は剣があまりに難しいのでやめたと昔TVで言ってた覚えがある。
853 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:50:34
そっかぁ・・・昔の次男以下が良くやってたことだから良い案だと思ったんだけどなぁw
それに、今の剣術流派の宗家達は結構そうやって繋がってきてる方達が多いし
854 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 22:52:00
855 :
日本@名無史さん:2006/01/06(金) 23:24:35
数年前、奈良県柳生に「一刀石」見に行きました。近くには石舟斎の屋敷跡や柳生家代々の墓もありました。一刀石は自然にヒビが入って割れたただのデカイ岩だったけど(笑)
856 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 01:29:42
>>854 あいよっ!
【柳生博】(やぎゅうひろし・1937〜)茨城県阿見町生まれ。
生家は「農家」で、柳生一族に連なる旧家。県立土浦第一高卒業、東京商船大中退後、俳優座9期生に。
「農家」がちょっと微妙だぞw・・・新陰流ゴールデンハンマー斬りっ!
また剣豪話から逸れて済まないんだが、成瀬関次の「戦ふ日本刀」って本に
30も40も人を斬った事例の記述があるそうだが、実際可能性としてどうなんだろ?
ときどき中国での虐殺肯定派の百人斬り資料等として出てくるんだけども。
昭和の事だし、著者は刀の専門家だから眉唾な事は書かないと思うんだが、
日本刀のしかも軍刀でそこまで滅多に斬れるもんだろうか。
虐殺の有無是非は兎も角、全部が全部刀で絶命たらしめたわけじゃないだろうから
実際ばっさばっさ骨肉斬ってたわけじゃないと思うんだが、どうかね。
どうでもいいけど、この本絶版で手に入らないんだよね。
刀や斬り合いについて客観的に分析され述べてる本らしく、凄く興味がある。
持ってる人いないかな。是非読んでみたい・・・
抜粋してるサイト。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/hyakunin/nihontou.htm
>>857 軍刀も色々。
先祖伝来の刀を軍刀拵えにしたものから、美術的価値は無い包丁みたいな刀だが
丈夫で良く切れるもの、それと戦争末期の数を揃えるための粗悪品まで。
>>858 戦ふ日本刀に出てた人の話では、良い無銘古刀を軍刀拵えにしたやつだった希ガス。
だからって何十人も斬れるかよと思った。義輝が畳に刀沢山刺して戦った例もあるし。
義輝のは切れ味云々じゃなくて死ぬ前に秘蔵の名刀を全部使いたかったからという説もある。
861 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 13:30:08
>>857 前に、剣術の先生が来て言ってたけど、よく切れる刀でちゃんとした操法できるなら、
刃を痛めないでいくらでも斬れるんだって。
でも、人とかの場合は「油が巻く」といって途中で刃部分に油がついて斬れなくなるとのこと。
その時に無理やり斬ろうとすると欠けたり痛めたりするんだって。だから、連続でなく、手入れをした名人が斬ればできるって。
義輝の話で違う説のだと、この「油巻き」が数名斬るとなるので多数用意したっていうのもあるよね。
後は、相手が鎧だから鎧で欠けても戦い続けられるようにとか、もしもの保険のためとか。
まあ、個人的には
>>860の説が人間味があって好き
862 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:43:28
>>857 うーん、1度に30人か1日かけて30人かで可能か不可能かが分かれるな。
血脂についてはスケートのエッヂの様な細かい刃こぼれを付けとくと
斬れ具合は多少伸びるらしいが・・・1度に30人はどうだろ?
ついでだが満鉄刀調べてたら軍刀サイト見つけたんだがw
『満鉄刀』(興亜一心刀)なんてどうだ
http://www.k3.dion.ne.jp/~j-gunto/gunto_061.htm 成瀬関次の「実戦刀譚」にもまあまあ評価されてるようだ
「満鉄工場のやうな設備をして、焼きを入れるにも、瓦斯炉で温度計を用いてするという様にしたならば、
より少ない労力で性能豊かな作刀をすることが出来・・・」とある。
863 :
日本@名無史さん:2006/01/07(土) 22:52:26
864 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:12:29
>>863 おいおい この「古流剣術概論」の著者『田中普門』先生っていったい何者?
古傳圓心流組討剣傳宗家にして普化宗の宗祖になっているんだがw(尺八の方かな?)
・・・まさか虚無僧?忍者!?w
865 :
863:2006/01/08(日) 00:33:40
866 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 00:44:12
>>864追加、趣味に「古流武術と能楽」と
これだけ宗家格を歴任してる古流武術を趣味として書いてるから、能楽も一流かも
活動には、
古流武術・手裏剣・隠し武器の調査研究と再現作成。
全日本武道総合連盟理事と世界柔術道連盟古武道宗家。
海外での日本伝統文化としてヨーロッパ10カ国に古武道の支部を置いて活動してるそうだ
867 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 12:59:12
>>866 あ、判った。大伴古麿を流祖として小田原藩伝の「天心流・浅山一伝流・九鬼流棒・・・」とか
それ千葉でもやってるわw 千葉はけっこう大人数だったよ。若い人も多い。でも空手を名乗ってたな?
俺の知ってる限りでは免許クラスの人はかなりデキル流派だよ。武器術もすごい。
ただ家元が関東に居るみたいな事を言ってたので田中宗家とは別口かも?
圓心流は初めて聞いたのでこれは田中宗家の独自の伝承なのだろう。
高松寿嗣先生とか上野先生の流れなので戸隠流忍法体術の初見良昭先生も同門。
とにかく流派・技数が多いので同門なのに道場によってスタイルが全然違ってたりするw
武器・体術に関しては確かに詳しいはずだよ。
高松寿嗣先生に関しては初見先生がビデオを出してた気がする
868 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:11:16
>>867 そんなに普及した武術だったんですね。しかも、そこまで多様性があるとは・・・
時間がある時にもうちょっと調べてみようかな・・・ってことで、お勧めの本や道場ありましたら情報お願いします!
>ただ家元が関東に居るみたいな事を言ってたので田中宗家とは別口かも?
宗家代理というのは、家元とは別口らしいです。なので、仰るとおり他の方が家元としていらっしゃるようですね。
田中先生の別の本「古流剣術」で「古傳圓心流組討剣傳」について少し触れてますので概説もどきを。
>>865でも少し触れましたが、北面の武士の犬上左近将監長勝が家伝の霊剣術と速水長門守円心から学びとった組討術を融合させたものとのこと。
この開祖は平安時代の人で職業的武士の初期の人のようです。
武芸十八般など分化する前であり、体術を伴う技法など総合武術で、野太刀と大太刀を使い分けて術技を行うのが特徴{詳しくは説明無し}
江戸期に神神無念流の技法と融合されたとのこと。素肌剣法以外にも甲冑での形や多人数での形が紹介されてます。
田中氏がこの流派で使ってる太刀は、刃渡り四尺二寸五分三厘、降魔利釼とのこと。
また、「小橋正則先生が古伝の秘術を研究された時に、筆者{田中氏}は唯授一人の指名を受けて恵子に臨ませて頂いた・・・」
とのこと。故に、円心流{有名?}に伝えられてきた陰の流派みたいです。
現在は、開いている道場の一つで後継者と共に数名と行われてるようです。
869 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 14:17:22
こういう大河やテレビでは出てないけど、ずっと続いてる流派ってどんなのがあるのかな?
技術論に走らない程度に特徴と共にあげてきません?
870 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 16:20:37
かなりあるね。1つの流派で他流を別伝として混在して伝えたり。
逆に土佐の英信流居合みたいに[大森流(新陰系)+長谷川流]で1流派になっている。
現代でも神道無念流の宗家だった中山博道氏は剣道・居合・杖の3範士号を
持ちさらに山口一刀流(無外系かな?)を別に伝えたし
今の天然理心流は永倉(神道無念)が残した物だ
大東流合気の武田惣角も小野派一刀名乗りながら家伝の片手剣術やってたらしいw
佐藤金兵衛氏のような有名武道家は4〜5流派の免許持ってるよね
871 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 17:34:03
>>869 じゃあ おおざっぱに特徴と分類から・・・(あまりつっこまない様にw)
剣術は時代と状況で介者(甲冑)剣術と素肌剣術(身軽な普段着)に分かれる。
介者剣術は深く構え大きく打ち込み、切先でナイフのように鎧の隙間に斬りつける。
「神道流」「新陰流」「念流」など。
素肌剣術は技が軽く動きが軽快なのでそのまま防具剣術、現代剣道へと発展。
「一刀流(後期)」「無外流」「新陰流(直心)」など。
この他に剣と柔術の中間の武芸もある
居合は鞘の内の武芸なので柔術との組み合わせが多く刀を抜いた後は普通に剣術になるw
そのため「竹ノ内流」「関口流」といった柔術系に広まった
「合気道」は剣術系の入り身が多く間合いが遠く角度の攻防がうまい。
だから柔術としては異質に見える。入り身技は剣術、小太刀にやや近い。
872 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:05:38
そんなに詳しくは知らないけど「小野派一刀流」奥伝の「仏捨刀」ってあれだけ
なんかミョーに異質なのだが気のせいか?
873 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:10:27
>>872 伊藤一刀斎が発案{開発?}し、変化無しに伝えられたからじゃないかな?
他のは、小野忠明、忠常など歴代の宗家たちが工夫を重ねたり、加えたりして作った形らしいから。
874 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 18:14:23
>>871 大東流に二刀柔術の形があったけど、その中間の武芸がそのまま発展したものだったんだね。
どちらともつかない動きで、柔術に刀を取り入れたにしては変だしって不思議に思ってたけど、聞いて納得
875 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 01:16:06
>>873 あくまで個人的な経験だが、脇構えで下から入り
内籠手、脇下、喉をかき斬っていくという感じだった。甲冑技だな。
知り合いに1度教わっただけなので勘違いもあるかも知れないけどねw
最後の連続抜き胴(草摺落)は剣道形7本目だっけ?に似てた。元ネタかな?
876 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:14:42
>>874 TV、雑誌とかで見た限りでは大東流の近藤師範は十手・脇差しを併用
してた感じなので、たぶんそっち系から発展させた技も多いんじゃないかな。
合気の連中に言うと全否定されるけど(笑)
合気二刀剣は推測だけど
@相手の刀を奪い二刀になる A二刀で攻める Bただの基礎トレーニングw
・・・かな? 武田惣角の片手剣術は津本陽の「鬼の冠」に出てるね。
877 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 02:22:19
>>875変形しての元ネタっていうのは十分ありえるね。
ちなみに、自分はビデオで演舞を見た程度だけど、解説によると最後のは八双という言うらしい。
そして、連続で袈裟に斬るとのこと。
板違いになりそうだから詳しく言えないけど、剣道の七本目の胴とは体と刀の運用が違うみたい。
剣道は自分も段持ちなので稽古した主観だけど、あの動きとは違うように思えたよ。
ただ、元となって変形してきたというのは十分考えられると思う。
他のについては申し訳ないけど、見ただけだし解説にも特になかったので何とも言えないw
でも、伊藤一刀斎や小野忠明の時代は戦国時代だし、足軽が増えた時期だから。
現在に繋がると途中の失伝もあるし、別の解釈かもしれないけど、私も十分可能性があると思う。
ところで君達は・・・ 剣豪の歴史に詳しいのか、実際に剣術習ってる経験者なのか、
それとも、両方に明るいただのオタクなのか、どっちなのだ?
879 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 07:46:42
林崎神明夢想流は結構すごいんですか。あと斎藤一は一刀流ではなく無外流なんですか。辻月丹の流派ですか。
ここはオタが鵜呑みにした情報を基に妄想書き散らす場所。
田中普門は武板では伝書泥棒として有名。
上のほうにある中太刀、小太刀の区分も新紀元社あたりのゲーオタ向け解説本
の受け売りだしな。
881 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:08:29
>>879 林崎甚助はト伝晩年の頃の弟子という説があるな。元は「長巻」の人
林崎・田宮流居合が広まるのは加藤清正の軍での指導。「槍が近間に入って
しまったさい槍を捨て、敵が抜刀する以前に腰刀で斬りつけた」とある。
小田原でも大太刀を集団で使う技術を指導。
剣術では居合・抜刀法は別伝になる。厳密には別技術。
それゆえ槍・剣・居合・柔と「間合い」を補いながら今まで共存できた。
>>880 いやー武板の人が来てくれて助かります
【小太刀で薙刀と戦う方法】を「簡潔に」教えて下さいw
丸解りな自作自演太公望がいますね
883 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:37:31
>>878剣術習ってて、剣術{剣豪は特に知らない}に興味もったオタです。
なので、特定流派しか知りませんw武版の人達は根拠薄だからここに出入りしてる。
>>880新紀元社のやつにこういうのが体系化されたのあるの?
正確なとこは別にいい{先生方に教わるから}ので、その本教えて。独学きついw
>田中普門は武板では伝書泥棒として有名
俺も武版の住人だが、知らなかった。どこにあるのか情報よろしく{マジで}
884 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:48:04
>>879京都土産にもらった新撰組のグッズには斉藤一は示現流ってなってるw
司馬遼太郎だか、他の作家だかだと、小野派一刀流とか書いてある人もいる。
新撰組の記録とかで、ここの情報残ってないのかな?
885 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 13:50:30
>>880 そうだな俺も高松寿嗣ラインの宗家伝承経路を知りたい情報ヨロ
示現流って薩摩人やんけ
887 :
884:2006/01/09(月) 13:53:00
>>886普通に考えたらありえなさそうだよね。
こんなのが京都でいっぱい売ってたらしいw
>>880 >上のほうにある中太刀、小太刀の区分も新紀元社あたりのゲーオタ向け解説本
>の受け売りだしな。
最近のゲーオタ向けの本はしっかりしてるんだな。
武術の研究してる大学の先生が伝書だかをまとめた内容と同じのがまとめられてるんだ。
その本是非読みたいから本の名前とか情報よろ
>>887 天然理心流になってるマグカップとかあったぞ
889 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:18:51
>>886 笠間にもあるだっぺ!と、お約束でつっこむw
お約束も何も、笠間って初めて聞きましたがなにか?
891 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 14:47:39
>>888 荒れるもとだから露骨な自作自演の煽りに食いついてはいけないよ
赤間倭子の研究では、公文書史料に拠るところ無外流であるそうだが、
ソースが解らないから迂闊に信用も出来ないな。
子孫の藤田進さんは、会津藩の江戸道場で剣を修めたらしいと
語っているので、その言に拠ると一刀流系説が濃厚だそうだ。
まあ要するに色々齧ってた人なんじゃないか。
詳しくはぐぐれば多分色々出てくるだろ、有名人だし。
892 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 15:12:50
>>890 あれ?笠間の示現流ってここで初出だっけか? もう900まできたんだなw
もともとの天真正自顕流は(野太刀の方じゃないぞw)鹿島系の剣術。
たしか流祖が常州笠間出身という縁で薩摩から逆輸入されたと聞いたが・・・?
893 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 16:10:02
>>892野太刀の薬丸自顕流はそこそこ触れる人が居たけど、あまり知られてないらしく
話が膨らんでなかったからね。増して、天真正自顕流に至ってはw
示現流の影響を受けて変質した天真正自顕流が伝わったのではなく、示現流自体が伝わったんだ。
それは知らなかった。自分も探してみるけど、資料とか参考文献とかあったら掲示よろしく
是非詳しく知りたい
894 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 18:54:00
>>893 普通に「笠間 示現流」で検索すべしw Wikipediaにも出てる。
895 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 19:00:49
宮本 武蔵 しかいない!
896 :
日本@名無史さん:2006/01/09(月) 23:17:21
897 :
日本@名無史さん:2006/01/10(火) 03:04:57
898 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 02:35:20
確か、座頭市も笠間出身って設定だったな
示現流と関係あるのかな・・
>>897やっぱり、そこにある以上に詳しいのはないねw
900 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 16:08:17
901 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 19:07:58
>>898 >>900 おっとどっこい、なんと実在の人物w(ホントかよw)
(Wikipediaより抜粋)
子母澤寛『ふところ手帖』という随筆集の中に短編小説「座頭市物語」が
収録されている10ページの掌編小説である。
子母沢は江戸時代に活躍した房総地方の侠客を取材するべく
当地を旅した際に、盲目の侠客座頭の市に興味を覚え、彼について原稿用紙にして
十数枚に書き記した。現在、巷間に伝えられる座頭市の人となりは、
大部分が勝主演で座頭市の物語が製作された時に作られたものである。
>>901モデルが実在したんだ。しかも侠客として
そういうの知るとビデオや本で読むのが楽しみなるね
903 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:16:53
どうでもいいトリビアだが
「座頭市」の前に勝新太郎主演の「不知火検校」ていう盲目の金貸しの
悪党映画があるのだが、これが何時になっても仕込み杖を抜かないんだよねw
変だなーと思って観てると結局最後までただの悪党の映画だったりする(笑)
904 :
日本@名無史さん:2006/01/11(水) 22:29:29
レイプしまくりだしねw
「ハァハァ・・・伽羅のにおいだあ・・・」ワロタ
二階堂平法の瞬間催眠術のようなものって他流派にもある?
905 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 02:58:10
>>904るろ剣のみたいなのはないけど、金縛りにするのは幾つかあるらしいよ。
俺が知ってるのは天然理心流の開祖だかが気組みで相手を金縛りにするというやつ
まあ、逸話みたいな話だったけど、科学的には可能だから、本当にできたんじゃないかな?
906 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 05:56:40
示現流というと桜田門外の変の薩摩の有村とか人斬りの、田中新兵衛、
中村半次郎と暗殺者の名前が出てくる。薬丸(野太刀)自顕流だったかも
知れないけど。
>>905 気合術みたいに気合で相手を怯ませるものだったようだね。
天然理心流の開祖近藤内蔵助で思い出したけど、
赤穂浪士で有名な、大石内蔵助良雄がやってた
東軍流ってどうなんだろ、有名だった時代もあるらしいけど。
907 :
日本@名無史さん:2006/01/13(金) 01:23:44
>>905最近は自己修練してる人が少ないからなんだが剣道のかなり上の有段者あたりだと構えただけですくむというか気圧される感じはある。
そんな方でもスーツ着てればただの親父にしか見えない摩訶不思議
>>908 本当に強い人って言うのは得てしてそういうもんじゃない?
いや、良くはわかんないけどさ。
>>909 行住坐臥常に戦えるってわけじゃないからなー、剣は。
このスレだかどこのスレだか忘れたけど、雪の峠は佐竹の話が秀逸と聞いて
「雪の峠・剣の舞」を買ってみたんだが、剣の舞のほうは疋田の話だったのね。
なんか・・・話があまりに淡々と進むのに結末があれだから、少し泣きそうになったよ・・・。
「それは悪し」って俺も今度試合で呟いてみようかな。ただの変な人だが。
911 :
日本@名無史さん :2006/01/14(土) 06:05:20
激しくスレ違いな気がしたが一応『剣豪・剣術について語るスレ』となっているので
書き込みさせて貰いますよ。
数ヶ月前のビッグコミックスピリッツ(だったと思う他の雑誌かも)の一番最後の方に
高齢の剣術(剣道だったか失念)の達人へのインタビューが掲載されていたんだけど
誰のことか知りませんか?もっかいあの記事読みたい…。
戦地でのこととか書いてあって非常に興味深かったんで。
↑分かりました。週刊ヤングジャンプに連載されている『爺言』と思われ。
今、一冊出てる模様。現在連載中は『爺言2』みたい。
>>907 八段の先生は気合{?}の訓練ができたら通ったと言ってたよ。
やはりそういうことができるようにならないと八段の壁は越えられないとのこと。
実際に、そういう先生方と剣道の稽古するけど、やっぱりすごいよね。
昔に剣道の大家{既にお亡くなりなった}と対峙して頂いたけど本気で殺されると思った。
相手は構えてるだけなんだけどね。喧嘩とかそういうのと次元が違ったw
913 :
日本@名無史さん:2006/01/14(土) 23:21:40
>>912今は10段ってのがいなくてね・・・品性が足りないそうです。8段ってだけでもすごすぎだよ初段は軽く取れて2段は
いけるが3段は・・・Orz俺には無理だ。
914 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 00:15:25
観念的な「気合い」は実は良く知らないのだが
金縛り術みたいなのは知ってる。今でも一部古流に伝承されている。
剣を使った遠間の「崩し」の一種だな、うまい人は触らずに相手を倒せる。
俺はできないがやられた事はあるw
>>913 八段審査は、毎日朝稽古、夜稽古で数十年間人より多く稽古してきた人たち
ですら受かるかどうかの世界だからな・・・
閑な時に2ちゃんやってる段階で俺たちには無理だわw
自営業とかじゃないと稽古はつらそうだな。
実際に気とかもあるかもしれないが「八段」という
物に威圧されているのかも。
>>913 建前そう言ってても、実際のところ選べないのが実情でそ。
八段は腕以外にも剣道文化に対する貢献が認められなきゃほぼ無理だし。
ましてその上となると、世界に剣道を普及してノーベル賞でも貰わない限り
万人が納得できる理由なんかないんだよ。名誉段位化してるので。
だから選べないんだよ。
>>915 同意。薙刀辺りと大御所同士の対決してみたらどうなるか興味がある。
今の剣道連盟は韓国のコムドにしても腰が重いし、普及促進を活発に行ってるわけでもないし、
お偉いさん方は文を軽んじ過ぎてる・・・。人間的に尊敬出来る先生は多いが、
組織としては本当ダメになる一方だなあ。長々スレ違いスマソ。
薙刀に剣道はきついかも。
香取何とか流とか、その辺には長柄に対する技
「橋かかかる」というのがあるらしいが。
918 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 01:11:07
最高段位とはいっても、単に強いだけなら絶頂期の宮崎の方が強いわw
今の剣道段位は持田盛二、斎村五郎といった内藤高治系の武専思想を理想としている。
むやみに「打たない」やみくもに「動かない」そして一念をもって「打つ」
・・・いわゆる「位で勝つ」みたいな哲学かな。
現代剣道が哲学的になったのは内藤高治の門人が戦後も黙々と
「勝つ事のみを目的としない剣道」をやり続けたためではないだろうか?
もちろんこれは偉大な思想・業績ではあるのだが・・・
>>916の感じている違和感はその辺のゆり返しなのかもしれない。
でも内藤高治否定してる訳じゃないよw「龍-Ron」も読んでるしw
919 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 01:43:27
>>917 天真正伝香取神道流だな。
>薙刀に剣道はきついかも。
たしか昔、高野佐三郎(小野派一刀)が薙刀相手に剣道で戦ってたな。相手の得意技は「玉つぶし(笑)」
佐三郎は「垂れ」でフンドシ作って試合に臨んだとか(い・・・命がけだなw)
結果は高野の一本勝ち。
・・・でも園部ヒデオには誰もかなわなかったけどねw
いまさら語っても。史上第一は男谷の精一チャンと前から決まっているのに。
槍は鎧の胴も貫くし、薙刀は遠心力で兜ごと首を飛ばすものだったらしい。
>>919 戦国時代の鎧の弱点は首筋、籠手裏、胴の下の紐(すまん、ワスレタ)
そして金的。薙刀は下とても便利だったらしい。
922 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 17:26:00
攻め込まれたらガード不能だな・・・
昔の武芸者はこんな武器相手に勝っちゃうんだからな〜
長巻で馬の足を払うとか聞いた気がするが、薙刀で馬とか倒せるのかな?
>>922 大薙刀は馬も薙いで斬れるそうだw
どこで調べたか忘れたけど、漫画の「斬馬刀」関連を調べて出てた
924 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 15:31:19
>>906 東軍流は京八流の流れをくみ、家光の時代に最盛期を向かえ
その時の四代宗家川崎宗勝において天下五大流儀に称され、二十四分派六十支流を生み出して諸藩に伝播
信州と丹波に伝承があり現在も健在だって
天下五大流儀、柳生新陰・小野派一刀流・二天一流・夢想流と同じレベル・・ここまですごいとは思わんかったw
925 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 18:36:46
>>868 いまさらでなんだが「田中普門」先生の学んだ『円心流』が忍者スレwに
出てたので一応あげとくよ
【虚心流居合剣法(円心流の起り)】
ttp://www.juuso-kidokan.com/iaidou020.html >北面の武士の犬上左近将監長勝・・・北面の武士速水長門守円心から組討の方を学び・・・
こりゃすごいwたしかに刃渡り四尺二寸五分三厘は有りそうだw
技自体は伝書から復元っぽいかな?まあ、どの流派も失伝復元の繰り返しだが・・・
ちなみにここは手裏剣・小太刀居合術の流派ねw
926 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 19:42:58
平成のこの時代に剣術なんて何の役に立つの?
>>926文化財ですから。それにやると嵌まる。
失礼な言い方だけど、ゴルフをやる理由と似てるよ。
ただ、生半な気持ちじゃやれない。後は独特の世界観を体験できるかな
ま、理解できない人はやらない方がいい。マジで
>>925 ふむふむ、手裏剣と小太刀居合いも、本当に幅が広い
鹿島神流・水欧流並かそれ以上に幅があるかも
929 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 21:50:51
>>927 あーなるほどね
なんとなく言いたいことは分かった
でもゴルフって最初は付き合いとかで始めるだろうけど剣術はどうだろうね・・・
そういう意味でも役に立たないっつーか・・・
>>929 役に立たないと思うなら、まずやめた方が良い。
毎日格闘してるなら別だが、私生活で役立つことなんてまずない。つか皆無。
損得勘定で始めるならもっと役立つ競技にした方が良いと思うよ。
煽りとかじゃなくて本当に。生兵法は怪我の元とも言うし。
武道系スポーツやってた人なら対応していけると思うけど、好きでないならお薦めしない。
始めてみると、おぉって思うことも多々あるんだけどね。
>>929 リアルで役に立つことを教えてやろう。
他人のやってることを「何の役に立つ」と聞いて回るよりは
「どういう点が楽しい」と聞いた方が少しは君のためになる。
932 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 22:19:59
>>930-931 いや だからそういうトコに引きこもってないでさ
剣術だのをもっと娯楽に高めるべきじゃねーかなってさ
ゴルフみたいにさ
オジサンが「よ、今日も良い振りしてるね」が挨拶になるくらいにさ
敷居を高くする必要はないじゃん
>>931 至言だな。俺もすぐ下らんことで損得勘定するから肝に据えておこう。
>>932 敷居を高くしてるのは格式でも何でもなく、稽古がキツいせいだと思う。
剣道でも柔道でもいいけど、そういうのやってりゃ意味は解ると思うんだが、
厳冬や真夏の稽古を進んでしたがる奴なんてそうそういないでしょ。
>>929興味を持つきっかけ、それに食いつく性格
これが無ければやらないから。何の為になんて考えてやるようじゃ物にならない。
ま、役立ってると言えば、心法{勝手に身に付くんだが}かな。
就職面接・試験、喧嘩とか緊張したり竦みそうな所でいつも道理の力が発揮できる。
あとは筋力はじめ、心のリミッターだの自由に外せるようになる。大概のスポーツが初見である程度できる。
ま、剣術やる余波というか、余りみたいなもんだけどね。
こんなののためにやるんだったら、他の役立つものやった方がずっといいよ。
>>932唯の娯楽なら他のやるよ。
それに特別敷居が高くされてるわけじゃない。体力的にきつければ稽古に持つ身体作ればいいだけだし。
それくらいはスポーツでもやるでしょう?一緒一緒
937 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 23:22:19
こらこら、まとめて釣られるなよw 俺たちは「日本史板」の住人だぞ(爆w
『そういう質問は「武板」で聞いた方が詳しく教えていただけるとおもいまふ』
938 :
日本@名無史さん:2006/01/17(火) 23:31:45
>>924 君は「東軍流」マンガにして幻の古武道マンガ『青い鳥の伝説』を知っているかっ!!
・・・いや、知らない方が幸せかもw
>>932 敷居を高くしているのは、ことあるごとに求められる
謝礼&無料奉仕。
講師と客ではなく、師匠と弟子なので、
会のウン枝とかイベントとか(結局小遣い銭集めだけどね)に
自発的に奉仕しなきゃならないという
日本古来からのいやらしい慣習が武道・古武道を
隆盛にしないし、また滅ぼしもしないで
細々と続いていく一番の原因。
940 :
日本@名無史さん:2006/01/18(水) 12:56:08
自分で書いといて懐かしくなって「青い鳥の伝説」の原作者『しずかかおる』ちゃん
を検索したら・・・ 加来耕三の漫画用ペンネームだったのかよ!!
著者イラストでは女性なのにw ・・・俺れ20年間もだまされてたぜ(大笑)
「東軍流」の17代宗家【 加来耕三 (静霞薫・しずかかおる)】
ttp://www.kaku-kouzo.com 中に入って ○加来耕三と専門家たち→○加来耕三→○PPROFILE、に行けば
東軍流・タイ捨流の説明と写真が出てる
ちなみに『静霞薫(しずかかおる)』のプロフィールに「るろうに剣心」は有るが
「青い鳥の伝説」は当然無いw
>>938 知りませんでしたw
>>940の内容見て、多芸な人も居るんだなぁっと関心です。
なんか、自分の周囲の環境が悪いのか、こういうの見てもなんかショックが無いんですよね
変な幻想を持てないせいか・・・「青い鳥の伝説」古本屋で探してみます。
有ったら書き込みしますね。無かったら書き込みません・・・感想に触れてない時は察してくださいw
942 :
日本@名無史さん:2006/01/19(木) 01:03:22
チャレンジャーだな941 別に俺は勧めてる訳では無いがw中身は結構すごいぞw
「伸縮自在のパイプでできた管槍」とか「肩の砕きをやって気功を身につけたヤツ」とか
「小太刀を投げるだけの鉄人二刀流とか」・・・いや、間違ってはいないんだが・・・間違ってる(大藁
たぶん原作者とマンガ家がうち合わせしていないんだろうけど、ちと気の毒w
唯一、東軍流の主人公が唱える「天ショウショウ・地ショウショウ・六根ショウショウ」が
カッコ良かったのだが・・・タイ捨流の技だったしw
>>932 スポーツの類いは学校の体育の授業と同好会レベル以上のことをやったことがない
子供の考えることはそんなところか。
944 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 13:19:46
本当の剣術の技を使っての漫画って無いのかな?
子連れ狼に出てる水鴎流は微妙だったし、新の示現流も微妙・・・
まあ、実際の技は見た目には地味だし、一撃必殺ばかりで戦闘シーン盛り上がらないからねw
見ないなぁ…
ゲームならGENNKIの剣豪2で小野派一刀流、神道無念流、立身流の
入門に対する心構え?とか伝授とか技の説明がリアルでよかったけど。
946 :
日本@名無史さん:2006/01/20(金) 20:18:47
リイド社から出てる『とみ新蔵』先生の「薩南示源流(津本陽原作)」
「柳生兵庫介(津本陽原作)」「柳生連也武芸帖」とか、おすすめ。
・・・・ただ「連也」はちと、黒田鉄○系の電波アリ(笑)
「薩南示源流」は津本先生の原作より面白いかも。
剣術では無いが小学館の『拳児』なんか武道マンガの傑作。
中国拳法がメインだが合気、空手、ボクシング等のEPも多い。
もちろん弱電波アリw 武道に電波は憑き物だっ!!w
>>946 口調というか語調がこの板では珍しい「っ!」や「w」の特徴から
当該レスは貴方のものと窺われるが、随分造詣深いねえ。
趣味でそこまで?それとも研究されてたりするのかな。
いや、スレ違い且つ個人攻撃で申し訳ないが、俺も趣味の範囲内で
ちょっと研究してみたいなあと思ってるもので。
>>946 『拳児』はものスゴク楽しく読んだけど、罪深いとも思うよ。
あの漫画程、中国拳法への幻想をもたらしたのも無いんじゃないかな。
バーチャファイターやら、もうすぐ新作の出るデビルサマナーの造魔にも八極拳を使うのが居たな。
949 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 12:52:09
>>947 歓迎、楽しく語ろう・・・と、いってもあと50だw
では「夕焼け番長」が柔術vs空手で見せた、地面に寝ころび足を向ける
猪木型アルティメットについて・・・って、もっとスレ違いw
>>948 そ、それを言ったら甲野○紀先生の古武道への幻想は・・・w
951 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 21:31:44
>>950 どのくらい詳しいの、技の説明とか出てた?何流派ぐらいあるの?
ゲーム中の説明、入門心構え、奥義や太刀筋の説明が
本物そのまんまらしい。公式攻略本に書いてあった。
小野派一刀流、笹森先生に指導をうけたとか。
953 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 22:21:40
立身流・神道無念流についても各々の宗家が監修してるよ。
あの技のリアルさと立会いの独特の感じが好き。実際の剣道の試合を彷彿とさせてて良かったよ。
剣豪に付いてもほどほどに詳しかったし、修行での説明が即実戦で稽古できたし{笹森宗家の本の解説とほぼ同じ}
剣豪3も買ってストーリーや登場する剣豪の量が増えたけど、あの独特感が無くなってて・・・おもしろくは有ったけどね
954 :
日本@名無史さん:2006/01/21(土) 23:10:36
ドラマとかでも役者、脚本、演出によって雰囲気は変わっちゃうからね。
しかし今時のゲームあなどれんな。ほとんど映画の考証と変わらんよね。
ある意味TVの時代劇より上かも。
やはり殺陣師とか居るんだろうなー ・・・林邦史郎かなw
955 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 21:24:21
956 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 01:35:24
>殺陣師という特性上、柔術・馬術・甲冑組討を寸止めとはいえ
>「体験」している人だから下手な現代古武道家よりも
>合理的武芸実践者だとは思う。
釣りか?これを釣りと言えるのか?
958 :
日本@名無史さん:2006/01/23(月) 12:35:44
>>957 ああw これでは確かに殺陣師が武道の達人とも取られかねないな。失敬。
ただ彼等は馬術、集団戦、山河での組み討ちなどを「体験」できる立場に居るし、
元々スタントマンが多いので古武道家も結構居るし時代考証の専門家の指導も受けられる。
残念ながら我々では伝書には有っても確かめたり体験したりできない。
合理的な武芸「実践」者と言ったのはそういう釣り・・・いや意味w
ちなみにゴジラの中身「薩摩剣八郎」は示現流だったなw
959 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 04:37:53
戦国時代の剣豪は強かったと思う。
刀狩まで百姓にも帯刀が認められたんだよね
剣術の腕で名が売れて、仕官することを望んだ人も
結構いたと思う、宮本武蔵もそうだし
成功した人としては、柳生宗厳、小野忠明がそうだと思う。
960 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 12:52:28
以前から疑問だったのだが小野忠明以前の伊藤一刀斎って、そんなに有名だったのだろうか?
小野忠明自体もたしか旗本の紹介で当時の将軍秀忠の指南に推薦された形なので、
本当に戦場での記録が残っているのかな?
道場破りや町場のケンカでは忠明はマジで強かったみたいだがw後は伝説っぽい気がする。
961 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 14:57:08
>>960 流派は江戸期の停滞期になればなるほど、格付けのために伝説作ったからね。
特に流祖について伝説化されるから。伊藤自体は士官も無いようだし、上泉のような認知度は無かったと思う。
忠明が認められた結果、有名になったんだと思うよ。小野派一刀流の伝承以外で名前をあまり聞かないし
ちなみに、小野忠明の逸話が家康や秀忠、柳生十兵衛との絡みなどで流派外にも残ってるからある程度は信頼性あるんじゃないかな。
それに、一対多数についての技法・心法の確立や上覧試合での活躍など第三者から見ての証拠もあるし
でも、誇大化したりしたのはかなり有るだろうから全部が真実ではないと思うけどね。
ただ後北条氏家臣を弟子にしているね >一刀斎
964 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 23:50:23
>>962 あ!戸田一刀斎かっ?!これはまぎらわしい。
検索したが時代も場所もメチャクチヤなんだよなーw いったい何者?
【外田(戸田)一刀斎(鐘巻自斎か?)】小田原北条氏の剣法指南。柳生石舟斎の師匠。
↓ここの伊東一刀斎の伝記にも富田一放(いつぼう)とか外他トダ流とかがでてくるな。
ttp://www.ikedakai.com/nihonbujutu2.html 北条家臣の弟子とは古藤田勘解由俊直(唯心一刀流)だな。
あと「戸田派武甲流薙刀」の北条氏邦(埼玉県)がいるらしい。
>>963 あ!美濃「土岐氏」かっ?!なるほど!!
土岐氏は美濃から上総・下総へ流れてきた。
御子神典膳は上総の万喜(万木)城主『土岐氏』の家臣だったそーだ。
土岐氏は初め「里見氏」に属していたが、後に「北条氏」の傘下に入る。
この辺が小野忠明と北条氏・一刀斎の接点かな?
万喜城は秀吉の「小田原の役」で本多忠勝に攻め落とされ典膳は浪人に。
後に門人の小幡勘兵衛景憲(『甲陽軍鑑』の作者、あずみの爺w)の推薦で徳川へ仕官。
とにかくこの人、乱暴狼藉・蟄居・謹慎が多いので正直、正規の武士かどうか
ちょっと疑ってたんですわw なんとなく自己完結で失礼。
御子神吉明(典膳)については
ttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/sn-dos/sengoku/l_mi.htm 結局一刀斎についてはgoogleの力をもってしても判らなかったw
965 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 02:34:24
バガボンドは佐々木巌流を鐘巻自斎〜伊藤一刀斎系統にしてるけど
実際のところはどうなんだろ
966 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 02:39:36
実際も何もいたかどうかも分からんのにw>小次郎
967 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 20:51:30
>>965 伝承とかだと中条流で打太刀に使われる大太刀の妙を得て巌流に開眼したとかあるよね。
他の流派も修めたとかいう話もあるけど。細川に残ってたのどっちか忘れたw
ちなみに、愛刀の物干し竿だというものが現存してる。真偽はわかんないけどね
968 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 23:55:43
969 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 09:46:46
相手を切り倒してからの
血振りはほとんど切り倒した相手に刀の矛先が向くように血を払う
相手が死んでなかったら突き殺せるように刃を向ける
少なくとも俺はそう教わった
970 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 12:41:17
>>969 居合かな? 突く場合なら刃じゃなくて切っ先だな。
切り払う場合や攻撃を警戒する場合は意識するのは刃だね。まあ、流派によるけどw
居合の残心では「間合いの内」で血振り納刀。剣術では「間合いを切って」納刀する
形が多いね。
なぜ敵の刀の届く位置でわざわざ納刀するのか考え意識するのも稽古かな?
971 :
日本@名無史さん:2006/01/27(金) 23:43:45
・・・いや、そうでもないかw田宮流は退きながら血振ってたかな? スマソ
972 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 00:41:46
>>971 相手が倒れたからといって油断した隙に足首を切られて逆転負けしたのがいたということでしょう。
973 :
日本@名無史さん:2006/01/28(土) 01:35:54
結構あったかも。
坂本竜馬も暗殺され、敵がひきあげた後いきなり起きあがったらしいw
中岡もその後二日ぐらい生きてた。
井上聞多(馨)も全身50針ぐらい斬りまくられたが「生き延びた」
・・・人間ってしぶといw
次スレ…
975 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 02:39:26
次スレ…
976 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 02:50:02
佐賀藩 小出 千之助 について議論したい。
977 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 04:49:25
>>973 鳥羽・伏見で戦った伊庭八郎、手首を負傷して麻酔無しで切断したとか、
鍛え方が違う気がする、その後も転戦するが北の地で果てる。隻腕の美剣士。
978 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 06:57:20
>>974-975 次スレ立てるのかな?
だとしたら剣豪の話を主として、剣術の話も少しする程度が良いな
あまり剣術の技術面の話になると武版ぽくなるから。
>976の小出千之助は知らないけど>976の伊庭の小天狗は知ってる
新撰組の土方歳三が好きな人は好きそうな人だね。
じゃあ985の人に次スレ立てて貰うかな。
剣豪でも剣術にしても、日本史板らしく史的考察を加えていくということで。
>>90や
>>289-292をテンプレとしていれるといいかもしれない。
誰か更に色々解り易くまとめてくれるなら大歓迎。
俺は知識も文章力もないから無理だお(´・ω・`)
残りレスで次スレにむけたテンプレ案も議論しないかね。
980 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 15:42:54
簡単な流派道統テンプレも作る?ただ、今まで幾つか作られてはいるけど
道統や流祖が重複したり分裂したりでどうしても異論がでるね。
「剣豪は戦場でも刀で戦ったの?」「日本刀は合戦で使えたの?」とか作る?
あと「剣道vs剣豪」「ローマ兵との他流試合」もループ対策にテンプレ作っとく?w
剣豪の話だけをメインにすると「○×斎が好き」で終わっちゃうんだよな〜
「最強の男と最強の流派は?」と聞かれると、どうしても贔屓が出るねw
流派論も小説の主観論ばかりで史的考察までなかなか行かない。もったいないよね。
981 :
日本@名無史さん:2006/01/29(日) 16:23:08
>>980 「剣豪は戦場でも刀で戦ったの?」は是非作ってほしい
剣豪の戦場でのエピソードや刀の戦場での威力を交えて語ったら面白くなりそう
982 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 07:01:03
スレタイとテンプレは考えとかないと。
剣豪の話がしたいとは思うけど、ここに期待しています。
テンプレプリーズ!
984 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 10:25:03
985 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:43:54
ゲームの剣豪3の登場メンツで
上泉の新陰流を少しでも受け継いでる流派もった人物は誰ですか?
流れをブッチぎるレスが来ました。
987 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 22:52:39
柳生門下
荒木又右衛門 柳生十兵衛 柳生兵庫助 柳生宗矩 の四人だったはず
988 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:02:36
>>980 「流派の概略や特徴」とかもあるといいなぁ。
まあ、何人かの人が答えるとかになりそうだけど、
>>979ので示されてるのみたいの
989 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:05:50
990 :
日本@名無史さん:2006/01/30(月) 23:50:05
>>985 踏み逃げ勘弁な、宜しく。
>>990 俺は反対だな。人あっての業だと思うので必然的に人の話も絡むし、
何より一層人が減ってしまうよ。並行して話題進めるのだって良いわけで
わざわざ分けちゃうのはあまりメリットがないと思う。
ついでにそのテンプレ素敵。武版→武板にしてくれれば完璧。thx
2〜10ぐらいまでの補足事項に
>>979を入れたら良い感じだね。
992 :
990:2006/01/31(火) 00:14:53
>>991 早速の返答ありがとうです。
読んで、考えて、自分で提唱しておいてなんだけど
>人あっての業だと思うので必然的に人の話も絡むし というのに納得&同意。
自分で書き込むの考えても剣豪から流派や流派から剣豪への派生しそうだもんね。
なので分離は中止します。
意見もそうだけど、訂正とお褒めの言葉本当にありがとうm{__}m
993 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:30:59
>>990 >>991に同意。分裂には俺も反対。理由は・・・ってもう
>>992に書かれてるw
やっぱ、剣術だけとかだと書けないよね。残りが少ないから即決も必要だし
>>985 悩んでるなら
>>990のを元に作ったら?
注意事項にある「あくまで流派がメイン{剣豪についての深い話は他のスレへ}」以外
そのままテンプレに使えそうだし、
>>991の意見を反映すれば完璧ちゃう?
もちろん、オリジナルがあるならそっちでOK
994 :
991:2006/01/31(火) 00:55:52
何もしないのもあれだから、俺もWiki見つつ作成してみた。
武器の初歩的な質問による腰折り予防。加筆修正ヨロ。
武器基本知識(載ってない得物もまずはググれ)
・太刀(たち)・・・
日本刀の一種。刀身は一般的に2尺(約60cm)以上。
刃を下向きにして、腰から下げるかたちで佩く。平安期に表れ始め、
鎌倉・南北朝時代に打撃用途の馬上武器として主に用いられた。
足軽集団戦術の進化により衰退。
・打刀(うちがたな)・・・
所謂日本刀。徒歩用の武器。刃は上向きにして(例外あり:天神差し)、
抜刀し易いよう普通は帯に差す(帯刀)。合戦では主にサイドアーマー。
武器としての実用性に関しては諸説あるが、凄い武器には違いない。
細かく解説し始めると途方も無くなるので、知りたきゃ各自調べるように。
・槍(やり)・・・
歴史が古く、種類も多い刺突武器。穂の形、柄の長さによって名称は色々。
戦場では足軽のメインアーマー。刀と槍ではそもそも武器としての位置づけが
違うので、優劣や要不要を語りたければチラシの裏にどうぞ。
槍を用いた流派には、十文字槍で有名な宝蔵院流などがある。
続き
・薙刀・長刀(なぎなた)・・・
刃に柄を付けたもの。槍の先っぽは穂だから槍とは違う。平安期から存在。
女性の武器というイメージは江戸時代から。戦場武器としては優秀だが、
集団密集戦が主流になると、集団運用し易い槍に主武器の座を譲った。
・長巻(ながまき)・・・
2m近い大太刀の刀身の一部に握りを付けた武器。メジャーでないが強力。
薙刀に似ているが元は太刀なので、両方の性質を併せ持つ。
大きさ故に重く、合戦では斬撃でなく打撃が主な攻撃法だったらしい。
重いから誰にでも扱える武器ではなく、常に脇役だった可哀想な子。
・弓矢・鉄砲(ゆみや・てっぽう)・・・
古来から現代まで戦場の主役。このスレではあまり見かけない子達。
弓は植物素材から打たれる。中世以降は素材を合わせた合成弓も登場。
破魔弓などにみられるよう、昔から宗教的色合いも強い。
鉄砲に関しては各自調べれ。因みに鉄砲の流派は戦国期から存在する。
996 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 01:01:59
次スレは流派の話題だけにしぼるって事?
997 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 01:43:35
>>985 ワラタ!
>>990 ナイスガイじゃのう。期待してます!
武板とかでも『流派』限定で語ると「○×宗家は偽物」「◇■会はインチキ」とか
しょーもない論争が延々と続き、最後はみんなあきれて消滅。・・・ってパターンだもんねw
日本史板でもネタが無い時は技術論も5〜10レスぐらいならいいんじゃない?
話が長く続いたり脳内剣士なら『ここは日本史板!武板へ行け』のお約束でw
ついでに荒らしも武板に引き受けていただこうw(・・・俺って悪人)
どなたがスレ立てを?
999 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 02:01:53
まだ985は立ててないみたいだw
なんか我慢できないので、勝手で申し訳ないけど
>>990を引用して剣術と剣豪両方備えた後続スレをたてるだけたてちゃいますね
名前はこのまま「剣豪・剣術について語るスレ2」で。985が立てたらそちらに誘導ということで。
追加説明とか、皆さんお願いしますm{__}m
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。