2 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 22:03:42
小倉久寛は旧華族小倉子爵家の出身。だから学習院。
現学習院大学学長小倉芳彦は小倉久寛の父親公寛のいとこ。
小倉久寛は桂宮宜仁親王の御学友だった。
小倉久寛夫人は元宝塚女優。
明治天皇付き女官で天皇の「お手つき」となった小倉文子は小倉久寛の高祖父の姉。皇子女は産まず。
考える資料として, 2005/02/22
レビュアー: オースケラッパ (プロフィールを見る) 岡山県 Japan
著者は戦後の皇籍離脱の際、一時の夢だったと思って、と慨嘆し、また現皇后の成婚の際には、
世も末と悲憤慷慨したそうだ。古きよき時代の貴婦人の生き残り、生きた化石と称してよかった人だろう。
雀百までの諺通り、受けた教育や幼児の生育環境はいかんともしがたく、最後まで庶民のことは
わからなかったし、わかろうともしなかったのだろうか。しかし、ただ天皇制の保持、血のスペアインク的存在で、
なんら国と国民のために働きもせず(今もそうだが)、そのくせ非常な冨を握り続けてきた戦前の宮家の
在りようは遺憾だ。もっとも梨本宮家は李王朝と縁組みし、方子さんはお気の毒な面もあったが、
著者が美貌と血統を誇る貴婦人としてあったのなら、そのくらいは当然貢献していただきたい。
要するにノーブレス・オブリージュというのだろうか、そのあたりの観念が旧皇族にまったく
欠けていたことをつくづく思い、著者にも哀れを感じる。
梨本宮伊都子妃の日記―皇族妃の見た明治・大正・昭和
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093870632/qid=1121087725/sr=1-12/ref=sr_1_2_12/249-1966197-6201143 >なんら国と国民のために働きもせず(今もそうだが)、そのくせ非常な冨を握り続けてきた戦前の宮家
>要するにノーブレス・オブリージュというのだろうか、そのあたりの観念が旧皇族にまったく欠けていた
......。
4 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 19:36:45
元靖国神社宮司の松平永芳さん死去
松平 永芳さん(まつだいら・ながよし=幕末の福井藩主・松平春嶽の孫、元靖国神社
宮司、福井市立郷土歴史博物館長)が10日、肺炎で死去、90歳。通夜は12日午後6
時、葬儀は13日午前11時から東京都大田区南雪谷2の1の7の公益社雪谷会館で。喪
主は妻充子(みつこ)さん。自宅は目黒区中目黒5の7の28。
78年7月〜92年3月、靖国神社宮司を務めた。在任中の78年10月にA級戦犯1
4人が合祀(ごうし)された。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0712/001.html 天皇の靖国神社参拝を永久に中止に追い込んだ張本人が死にました。
>>4 そういう言い方はどうよ。
靖国合祀は陛下の御裁可が無ければできないと聞いたが。
6 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:31:17
>靖国合祀は陛下の御裁可が無ければできないと聞いたが。
そんなのガセに決まってるだろが。2ちゃん以外でしゃべると恥をかくぞ。
天皇が靖国神社の宗教活動にそこまで深く関与するような危険な政治的リスクを背負い込むはずもない。
さすがにそれはないっしょ。
何より合祀後は天皇参拝が途絶えたわけだし。
とはいえ現代の日本人にA級戦犯責める
資格がない事も確かだが。
9 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:43:56
誰を祀るかは厚生省が毎年作成するリストで決まる
ところが東條らは厚生省からリストが送られてきてから
十年以上放置されてて松平宮司の就任でようやく祀られた
10 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 21:47:34
11 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 22:04:44
小早川男爵って、毛利家の分家作りの口実として家名復興されただけだと思っていたんだ
けど、中世以来の「小早川文書」が伝わっているってことは、一応毛利家中で名跡を継いで
いた家があるんですか?
>>2 ソースは?
おまいの駄文だけでは信じかねるな。きちんと出典を示せ。
14 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 22:59:01
小倉久寛が旧華族だというガセネタを平気でカキコする馬鹿がまだいたか。
15 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 04:23:57
紀宮内親王殿下の婚儀は北白川大宮司が仕切りまつ
16 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 05:44:50
現学習院大学学長は永田良昭氏ですが。
17 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 08:10:46
2に出てる学長は現ではなく元学長でつ
18 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 12:24:59
旧五摂家&旧公家出身の方は先祖もいっぱいいるんですか?仏壇も相当なものかと…
19 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:44:40
旧華族の人も、そうではない一般人も、先祖の数は一緒ぐらいだと思うよ?
いや、現在祀ってる先祖のことだろ。
室町時代の三条西家を例にあげて、公家の先祖供養の慣習について
書いている本があったと思うけど(本題は公家の女性について)、
今ではそんな時代がかったことやってる家もあまりないだろうな。
でも、系図もはっきりしてることだし、一般の家よりは細々と色々ありそうだね。
22 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:05:52
公家でも偽系図で威張っている家はけっこうある
23 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 22:42:26
>>21 いや、俺の知っている伯爵だった公家華族の家では、今でも中世以来の御先祖様の供養をきちんとやってるよ。
24 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 05:05:45
なんで三島大社宮司の谷田部家は華族に列せられなかったの?
世襲だし神社より上の大社なのに!
しかも今の宮司は東大出だし!
25 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 06:11:27
>しかも今の宮司は東大出だし!
w
26 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 05:59:20
谷田部家>阿蘇家
27 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 05:57:56
か
28 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 13:53:02
公家華族のことを知れば知るほど好きになった。
まさに日本の貴族。なんらかの形で身分制度を復古してほしいものだ。
精神的上層階級としてその存在をもう一度この日本に。
(o^-')b
29 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 14:52:17
旧公家の方は今も伝統的な作法してるんですか?
30 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 15:59:19
資本主義の前に崩れ去りました
31 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 16:50:50
西園寺家は今でも琵琶の伝承を行っております。
32 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 19:53:43
コノエ家は荻外荘を維持できるのか?
この際、椿山荘か雅叙園か叙々苑みたいにすべきだな。
34 :
日本@名無史さん:2005/07/25(月) 21:35:17
はぁはぁ…公家華族良いなぁ(*´д`*)
特に二条とか九条とか、名前からして良いじゃん?
35 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 00:02:49
渡邉昭さん103歳(わたなべ・あきら
=ボーイスカウト日本連盟元総長、渡邉允侍従長の父)23日、老衰のため死去。
同連盟主催の「お別れの会」は31日午後1時、
東京都港区芝公園4の8の1の東京プリンスホテルパークタワー。
自宅は非公表。元伯爵家の出身で「昭和天皇の最後のご学友」として知られていた。
(毎日新聞) - 7月25日19時5分更新
36 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 01:05:17
公家の仕事って花とか書道とか蹴鞠とか雅楽とか???
37 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 01:19:26
蹴鞠が仕事ってぇぇ?
ワロス
38 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 02:06:53
今、乱世なら俺は後に侯爵くらいになれる器だろう。
しかし産まれる時代を間違え今ニートだ。
日本の乱世で侯爵くらいというと、今川ウジザネ、朝倉義景といったところかね?
40 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 09:29:15
>39
戦国なら如水
幕末なら龍馬クラスだろな。
41 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 12:17:03
現代に竜馬が生まれてたら、奴はニートだったのか(´・ω・`)
42 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 12:37:01
常盤会は今でもあるの?
43 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 14:32:56
>>42 あるよ。近衛ィ子さん(三笠宮長女)が現会長
44 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 15:08:36
常盤会は今でも平民出身の美智子皇后をよく思ってない訳?
美智子皇后は皇后になられてから権力つけられました?
>>44 今は常盤会=旧華族ではないよ。
> 美智子皇后は皇后になられてから権力つけられました?
権力なんて持ってたとしたら問題ですね。
46 :
7:2005/07/26(火) 16:19:18
今、乱世なら俺は後に陸軍中将くらいになれる器だろう。
しかし産まれる時代を間違え今二等陸尉だ。
48 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 16:59:32
s
49 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 17:20:51
>>44 今上天皇皇后の女官や侍従のなかには旧華族出身もいるよ。
ほとんどクリスチャンらしいけど。
ローマ教会の見解では神道は宗教ではないのでクリスチャンが
女官や侍従になって祭祀に参加することに何の問題もないそうだ。
50 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 17:22:21
>>46 フランス傭兵部隊にでも入ったらどうかね。
器が分りますよ。
51 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 18:05:35
美智子妃殿下の時の牧野女官長は美智子妃をいじめまくり……
日本の伝統ある公家華族が消えた事がもったいないような…公家は明治政府によって消滅?
52 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 19:44:40
>>51 夏厨ですか?頭大丈夫?ちゃんと日本史勉強してる?
まあこいつらは
全員奈良百済人の末裔
54 :
政治結社:2005/07/26(火) 20:21:15
52へ
何か間違った? 違ってたら教えてくれ
55 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 22:20:12
渡邉昭さん103歳(わたなべ・あきら
=ボーイスカウト日本連盟元総長、渡邉允侍従長の父)23日、老衰のため死去。
同連盟主催の「お別れの会」は31日午後1時、
東京都港区芝公園4の8の1の東京プリンスホテルパークタワー。
自宅は非公表。元伯爵家の出身で「昭和天皇の最後のご学友」として知られていた。
(毎日新聞) - 7月25日19時5分更新
56 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 22:30:02
>>54 日本語が間違ってる。
何を知りたいのか、なぜそう思ったのか、他人にも分るように書いて下さい。
思いつきをダラダラ書き連ねたいだけならば、チラシの裏にでも書いててください。
まともな質問が出来ないのは、あなたにまともな知識がないからだと思われ。
57 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 23:32:51
明治政府が新たに爵位を作り公家は華族になった。明治政府が作った大日本帝国が約80年後に第二次大戦敗戦と同時に華族が消滅。消滅と同時に長い間朝廷に支えてきた公家が消滅?
この先何百年後、地球の環境がより悪化し、
経済という概念が成り立たなくなった時は、
また封建制が長い年月をかけ復活していくんでないだろうか。
というか、ありえそう。その時はまた…子孫頑張ってくれ。
>>29 華族によってさまざまですわ。
母の知り合いの旧華族(紀宮清子内親王殿下婚約者親戚)の某家
(K家ではございません。)では
平民と変わらぬ暮らしをしているとか。
奥様も平民のようですね。
その他に滅んでしまった家もありますでしょう。
皇室に限らず旧華族にも御世継(男君)が生まれず大変なのです。
霞会館の平均年齢も70を越えていると伺いますし。
今でも貴族の血統をお守りなされている家柄もございますが
多くは平民とも御結婚されていますよ。
御摂家でも、平民と結婚された御方はいらっしゃいます。
私も貴族の殿方と結婚したいわ。
×御摂家→〇五摂家
61 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 20:54:16
対馬の宗家は本来子爵が妥当なのにワンランク上の伯爵が与えられました。
にも関わらず「なぜ侯爵ではないのか!」とゴネました。
>>59 華族を身分制で考えるなら違いますが、
私は華族に引けを取らないほどの血筋を引く者です。
所謂由緒ある血筋であり、大名家(侯爵級)の一族であるということが研究により証明されています。
系図も行き着くところまで行き着きます。
加えて、経済的にも私は恵まれている家庭に生活していると言えるでしょう。
まだ結婚は相当先の者ですが、ここでシュミレーションしてみます。
あなたは、私と結婚できますか?
63 :
62:2005/07/31(日) 22:44:33
さらに付け足すなら、私の家庭はサラリーマン家庭ではありません。
私自身の容姿や学歴も、高水準なものだと自負しています。
宗派や戒名も、非常に立派な物が中世から代々続いています。
それらも考慮した上で判断してみて下さい。
64 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:32:56
アソコの大きさは?あと肌はきれいなほう?
65 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:33:32
あと筋肉質?
66 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:38:39
まだ童貞で真性包茎です。家柄の名誉はあるけど股間が……
67 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 23:53:50
おまけに息がザリガニ臭いです
68 :
日本@名無史さん:2005/08/01(月) 03:55:03
とてもじゃないど結婚できませんわ
お引取りくださいませ
>>62さん 私細かい事は何もうかがいませんわ。
ただ先祖代々から伝わる
大名子孫の証拠となるものはございますの?
それと念のため御幾つ?
>>69 物と資料により確認することができます。
加えて、その大名家の菩提寺にいけば、
私がその血を引くものだと住職さんが確認して下さいます。
もちろん、ちゃんとした検証を経てです。
私の年については、あなたが結婚を考える年であるのなら、
かなり離れていると言えるでしょう。
ところで聞きたいのですが、あなたの家柄はどのようなもので?
公家華族が平民と結婚しているとのことですが、やはり相応の血筋がある方からでしょう。
71 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 12:57:44
関東大震災で圧死した皇族たちの名前は比較的よく知られて居ますが、
この震災で犠牲になった華族の姓名は、どの程度分かるのでしょうか?
識者の方々、是非とも御教示下さい。
(家柄華族だけでも結構です)
72 :
59:2005/08/02(火) 13:11:52
>>70 私結婚は真剣に考えておりますが
まだ二十歳前後ですわ。
でもこの歳でも昔は3人ぐらい子がいてもおかしくなかったのでは?
常盤御前だってそうでしたもの。
うちは平民の家系ではございますが、
戦前まで皇室ともつながりがございましたの。
血の繋がりはございませんが。
関東大震災がなければ近代財閥ぐらいにはなっていたでしょう。
金庫以外は全て焼けてしまいました。
73 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 15:26:26
70さんへ
まだ童貞ですか?
75 :
70:2005/08/02(火) 17:03:44
>>73 当方35♀です
若干小◎唇が黒いですが
結婚していただけますか?
皆さん面白いですね。
>>72 でしたらほとんど年は変わらないことになります。
私は、現代では結婚を考えるのは24歳ぐらいからが普通だと思っていましたが、
あなたのような年でも真剣に考えている方がいるのですね。
話を聞く限り、皇室とつながりがあったというのは、おそらく政治的経済的な面ででしょう。
ところで、私の一族も時代さえ違えば、地域の富豪ぐらいにはなっていたかも知れません。
幕末〜戦後は波乱続きでありましたから。財産を無くしてしまった家も多いことでしょう。
…というか、気を取り直して。
やはり公家が相手でなければ駄目ですか?
私には一応、藤原氏北家の血が入っていますよ。
>>76 藤原北家と言うと道長公の御子孫でございますか?
と言うことは貴方は一応貴族の
御子孫と言うことになるのですね。
成り上がりの華族よりも全然よろしいですわ。
いつ頃本家とは別になりましたの?
お寺は京辺りにありますの?
78 :
72:2005/08/03(水) 01:41:34
>>76 藤原北家と言いますと道長公の御子孫でございますか?
ならば貴方は貴族の御子孫ですのね。
成り上がりの華族より全然いいわ。
いつ頃本家とは別になられたの?
菩提寺はやはり京にあるのかしら?
竹田宮って横浜市長選でたよね?
2chにも頻繁に来てたし。
あと、総理大臣と邸宅間違われてテロリストに火炎瓶投げられた。
80 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 08:17:00
コノエ家は荻外荘を維持できるのか?
この際、椿山荘か雅叙園か叙々苑みたいにすべきだな。
いや、いっそのこと一泊二食付き一万五千円の民宿にすべきだ
>>72 私が藤原道長の子孫(子)であるなら、
華族であってもおかしくはなかったと思いますが?
ですが、爵位云々を抜きにして家柄を見てくださるのは私にとっても嬉しいことです。
ところで申し訳ないのですが、
これ以上のことをお知りになりたいのであれば、
メールを送って下さらないでしょうか?
できる範囲内でお答えします。
ただ、別の人がメールを送ってくることは十分考えられますから、
あなたが59さんであることが分かるような文章を書いて頂きたいです。
ありのままのことを書いて下されば、雰囲気で分かりますから大丈夫です。
>>83 これこれネタにおさわりするもんじゃないでつよ
本当に華族なら伴侶探しは霞会館経由とかなんぼでも手はあると思われ
2ちゃんみたいに身元不明が原則の場所使うわけがないじゃん。
まあ天然物級の人はいるってことですね
86 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 16:21:46
藤原道長って藤原鎌足の親戚??
82がデブスなのは確実
せいぜい夢見とけ
88 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 17:09:44
ザ○ンで刀ふりまわしてるようなヤツだろ?w
大名なんかほとんどが農民上がりだろ
貴族とは片腹痛い
91 :
72:2005/08/03(水) 22:15:36
>>82 まぁ2ちゃん経由でメールなど恐いわ。
知り合った相手が偶然ちゃねらーなら宜しいですけど。
せめてあなたの名字のイニシャルと
住んでいる地域を教えて下さらない?
私のお祖母様は某大名家の仲人をしましたわ。
残念なことに今は男君に恵まれず
養子をめとったとかないとか。
母も伯爵殿とお見合いをしたらしいけど、
嫁ぎ先は平民よ。
母の知り合いの御方は皇太子殿下のお妃候補にもあがったわ。
私もお祖母さまが生きていたら皇族は畏れ多すぎますれど
せめて貴族や大名の殿方へ嫁ぎましたものを。
92 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:30:08
マッカーサー様は
貴族ですか?
93 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:32:11
94 :
日本@名無史さん:2005/08/03(水) 22:42:40
ドッグレース・マック・アーサー元帥
95 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 00:49:53
>>59 黒田さんの親戚の某華族って時点で、税所家か秋月家に特定されますよ。
ただ税所家の場合、薩摩藩士出身の勲功華族ですね。
秋月家(本姓大蔵氏)は確かに中世以来の九州の名族の末裔ですが。
>>61-62 近代の華族制度は、必ずしも家柄に準拠してつくられた制度ではないですから、
華族のなっていないが由緒ある家柄という家は普通にあり得ますよ。
例えば判りやすい例が、朝廷の地下官人で代々有位の家や、江戸幕府旗本(特に
高家・交代寄合クラス)なんかの子孫の家でしょう。
これらの家のなかには、中世以来の由緒を持っている家はいくらでも
ありますし、そうした家は客観的に見て平民はおろか大部分の武家華族・
勲功華族よりも、由緒ある家柄と認められると思います。
>>77-78 てか、藤原氏「北家」の意味わかってますか?
藤原不比等の4人の子供のうち房前の男系子孫の家を「北家」というのが正確。
だから、房前の子孫ならば、道長以前に嫡流から別れた閑院流(三条、西園寺、
徳大寺、菊亭etc)や日野流(日野、柳原、広橋、烏丸etc)などの公家、
それに関東の武士に多い秀郷流(嫡流は小山氏)なんかも系図上は藤原氏北家に
分類される。
96 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 01:02:26
原爆で
木っ端微塵に砕かれて
遺ったものは
くだらぬプライド
>>96 それは違います。
私は本当の家柄が分かるまで、
どちらかと言えば家柄について卑屈に考えていましたが、
こうしてハッキリと分かった今、そのような意識は無くなりました。
98 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 07:13:08
華族って公家華族&大名華族に価値があって明治維新の功労者は価値が無い。 明治政府は勝手に作って自らも華族になった。
公・侯爵の次男、三男で分家、男爵に叙された者の方が価値がないでしょう。
それに比べたら、新華族の方が幾分価値があると思うが。
100 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 09:30:29
滅びてしまった制度になど、なんの価値もない。
101 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 09:59:34
華族って明治政府が潰した?
102 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 10:03:17
明治政府がつくつたのぢゃ!!!
103 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 10:35:40
お前らニートには関係ないだろw
104 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 10:36:45
華族は明治政府が作って大日本帝国憲法のおかげで崩壊? 朝廷に支えてきた伝統ある公家が消えて残念。 他はどうでもいい。
華族は帝室の藩屏
106 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 11:27:12
皇室も公家も明治政府に巻き込まれて公家は消滅した。
皇室は明治政府の定めた旧皇室典範のおかげで今苦しんでる。
107 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 14:39:39
関東大震災で圧死した皇族たちの名前は比較的よく知られて居ますが、
この震災で犠牲になった華族の姓名は、どの程度分かるのでしょうか?
識者の方々、是非とも御教示下さい。
(家柄華族だけでも結構です)
誰一人御存知ないのでしょうか?
108 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 14:54:52
華族については霞会館に聞いた方が早い!
109 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 18:55:53
>>98 まあ勲功華族は「特別に認められた場合を除き当人一代限り」とかってすれば良かったかもね。
代わりに、実際の華族制度では除外された地下官人や旗本の主要なものを華族に取り立てたほうがよかった。
110 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:00:19
新規の華族を認めないとはケツの穴が狭い。
大名だって旗本だって、初代は成り上がりだろうに。
111 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:00:58
ま、今さら、滅んでしまった制度にああだこうだ言っても空しいけどな。
112 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 19:10:32
霞くって生きてるから・・・(笑
>>107 大きな図書館に行けば「大正過去帳」という本がおいてあるからそれで大震災の日付のところをみればいい。
あとは「華族家系大系」でも丹念に調べれば?
震災当時の新聞を調べてもいいし。
老婆心ながらご忠告申し上げると、
人に聞くだけじゃなくてある程度自分で調べる方法を考えたほうがいいとおもうよ。
>>107 松岡康毅男爵が確か被災して逝去していたはずです。
ちなみに松岡男爵は、農商務大臣、枢密顧問官、日大総長です。
115 :
日本@名無史さん:2005/08/05(金) 21:49:59
戦災では石井菊次郎子爵が亡くなったのは知ってるけど、他にもいたかな?
石井乱心愚協定の人かね?
大東亜戦争で戦死した華族は、結構いるみたいですね。
音羽正彦侯・伏見博英伯・前田利為侯・西竹一男爵・伊集院松治男爵
他にもいると思いますが、ご存知ならお願いします。
西男爵家はまだ続いているの?
どちらの御出身?公家?武家?
>>118 西男爵家は新家族です。
薩摩出身の外交官 西徳二郎が男爵に叙されました。
竹一は徳二郎の息子。陸軍大佐。硫黄島にて戦死。
現在も残っているかは分かりません。
120 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 10:31:37
戦死とか戦犯として処刑じゃなくて、「戦災」で死んだのは石井さんだけ?
121 :
118:2005/08/06(土) 12:51:54
>>119さん どうもありがとう。
新華族は薩長出身が多いの?
122 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 13:04:51
新華族が乱造されたのが明治時代。当時は薩長藩閥政権の時代。
日清・日露に従軍した将官クラスの軍人はたいてい男爵になってるね。
逆に大正期以降になると、新規の叙爵が大幅に減っている。
123 :
119:2005/08/06(土) 13:09:58
>>118さん 新華族は圧倒的に薩長が多いです。
ちなみに
公爵は全て薩長(伊藤・大山・桂・松方・山縣)
侯爵の薩長は、井上・大久保・木戸・西郷×2・東郷・野津。
薩長以外では、大隈(佐賀)・小村(宮崎)・佐々木(高知)しかいません。
124 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 14:06:19
軍部で大暴れの薩長はやりたい放題。東北は皆賊軍。
125 :
119:2005/08/06(土) 14:25:11
昭和の新規爵位(男爵)叙任者の主な人物は・・
荒木貞夫(陸軍大将) 一木喜徳郎(枢密院議長)
大角岑生(海軍大将) 倉富勇三郎( 〃 )
白川義則(陸軍大将) 鈴木貫太郎( 〃 )
奈良武次( 〃 ) 原 嘉道 ( 〃 )
本庄 繁 ( 〃 ) 湯浅倉平(内大臣)
枢相経験者の爵位叙任率は凄く高いです。
最後の枢相 清水澄以外全員、華族です。
126 :
118:2005/08/06(土) 16:17:35
>>123さん 詳しくありがとう。
もし仮に坂本竜馬が生きてたら
土佐藩でも侯爵ぐらいにはなってたのかしら?
127 :
119:2005/08/06(土) 16:36:06
>>126さん
坂本龍馬が、もし明治以降生きていても、恐らく華族は辞退したと思います。
ですが、伯爵ぐらい貰えたとは思います。
同じ土佐藩の後藤象二郎・板垣退助が伯爵になっていますから。
他の大半の公・侯爵の新華族もスタートは伯爵からです。
その後、日清・日露戦争などの功労によって爵位が上がっているのです。
128 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 17:09:11
本人は辞退しても、結局は板垣みたいに受けざるをえなかったんじゃないかな。
板垣だって、固辞してたのに無理やり押しつけられたわけだから。
それに龍馬が政界に入らず財界人になっていたら、岩崎家みたいに男爵どまりだろう。
129 :
119:2005/08/06(土) 17:36:04
>>128さん
確かに、財界入りしていたら男爵止まりの可能性が高いと思います。
ですが、薩長同盟締結の功があるので伯爵までいくかと思ったのです。
財界人の華族は全て経済発展の功労として男爵に叙されている訳です。
130 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:14:42
>>123 小村は、薩摩藩の支藩である日向佐土原藩の出身なので、実質的には薩摩と変わらない。
131 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 19:20:11
小村は飫肥藩(伊東氏)の家臣じゃなかったか?
132 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 20:53:30
そうともいう
133 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 00:37:08
関東大震災で圧死した皇族たちの名前は比較的よく知られて居ますが、
この震災で犠牲になった華族の姓名は、どの程度分かるのでしょうか?
識者の方々、是非とも御教示下さい。
(家柄華族だけでも結構です)
誰一人御存知ないのでしょうか?
134 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:18:25
133↑
またかよ 霞会館で調べろ
135 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 01:30:08
関東大震災で圧死した皇族たちの名前は比較的よく知られて居ますが、
この震災で犠牲になった華族の姓名は、どの程度分かるのでしょうか?
識者の方々、是非とも御教示下さい。
(家柄華族だけでも結構です)
したが此の板の人々は誰一人御返答出来ぬと見ゆるのう!
うん。誰一人返答できないよ。
ほなさいなら。
137 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 12:39:52
佐倉・堀田伯爵家の和子夫人、鳥取・池田侯爵家の亨子夫人が思いつきますが。
二人とも跡取り娘で、まだ30代だったはず。
関東大震災のことに限らず、華族だった人たちの一代記などの出版物を読めば、断片
的に出てくるかもしれませんね。
138 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 13:12:56
では、石井菊次郎以外で空襲で亡くなった華族は?
華族の当主では、石井子爵以外いないと思いますが・・・
140 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 14:59:08
東京在住者が多いのに、一般国民に比べて戦災での死亡率が異様に低いな。
141 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:15:05
鍋島家は東条英機の家と間違えられて米軍に爆撃されたんだよな
142 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 15:19:46
誰かの本(保坂?)に鍋島夫妻が直撃弾で爆死したとか書いてあったけど、
華族本の鍋島家の子孫や家系にふれた文章には、そういう記述はないんだよな。
おかでげ東條家は焼け残った訳か。
鍋島家 カワイソス・・・・
144 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 17:37:21
>>142 検索してみたら、戦前の当主鍋島直映は本土空襲以前の昭和18年に没。
次の当主鍋島直泰も昭和50年代まで生存してるから、保坂某の記述はガセ。
145 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 19:06:35
>>140 東京のどこに住んでいるかにもよるだろ。
空襲で灰になった下町地域に当時の(今でもそうだが)上流階級が邸宅を構えるとは思えない。
>>144 現当主の鍋島直要氏は長者番付によく出てくるね。
鍋島直要 でぐぐったら 一番最初がゴルフのHPだった(w
アマチュアゴルフの大御所みたいですね。
147 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 21:06:09
分家の当主の一人は、元RSKのアナウンサーでし。
>>117 詳しい事は分からないが、調べてみた。
相楽公愛(男爵) 堀河康文(子爵) 渡辺武治(子爵) 二条豊基(男爵)
松前正広(子爵) 上杉勝昭(子爵) 仁禮景嘉(子爵)
いずれも、死後 家督継承者がなく廃絶となっているようですね。
149 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 13:45:19
直要の両親(直泰&紀久子)もゴルフをやってたらしい。
150 :
日本@名無史さん:2005/08/09(火) 01:03:37
>>62>>76 侯爵クラスの旧大名家で、系図が藤原氏北家ということになると、
伊達侯爵家(伊予宇和島)、山内侯爵家(土佐高知)、鍋島侯爵家(肥前佐賀)
くらいしか思いつかないのですが・・・。
もっとも、このなかで伊達以外の2家は戦国以前の系図が信用できない家ですが。
151 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 14:03:59
>>148 松前正広・・・うちの殿様だ。
たしか、陸軍二等兵でニューギニア戦線で戦死したらしい。
俺の曽祖父(101歳)が旧家臣で、その曽祖父が語るところによると、
江戸時代には、貿易で莫大な利益を得ていた松前家も、幕末にロシアなど
の外国の侵入のせいで、幕府から何度も領地移動させられ、あげく戊辰戦争
で、斉藤歳三以下の旧幕府軍に城を落とされ、逃走中に藩主は死亡。
明治に入って、子爵となったが、財政的にも苦しく、大正以降はさらに
悪化していたみたい。その頃になると、松前神社で行われる例祭も途切れがち
になったいった。分家の松前男爵家も破産状態で礼遇停止。
昭和19年に最後の当主・正広が戦死。この正広さんの時代には、旧家臣との
縁もなくなり、弟や妹もいたらしいが、どうなったのか曽祖父も知らない
そうです。現在は、分家の旧男爵家が事実上の御子孫らしいです。
152 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 14:11:04
悲惨やね・・・
華族当主が二等兵とは・・・
確か、徳川慶光公も二等兵として召集されたそうです。
上官も扱い難いでしょうね。
154 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 14:36:01
いや、古参兵の格好のイジメの対象に・・・
細川日記に近衛公の長男 近衛文隆が陸軍に入隊した後、
下士官や古年兵に酷い扱いをうけている といった記述があります。
冷泉の跡取息子と坊城家の長男も戦死だったはず。
さがせばもっといるかも。
森子爵家(旧三日月藩主)長男、森俊守氏
ニューギニアにて戦死。
158 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 19:47:59
高松宮妃の妹の旦那さんも戦死じゃなかった?
榊原さんじゃないほうの
159 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 20:07:23
国の先兵となって戦うのは華族の務め、という考えを持つ家が
多かったんだよ。
161 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 20:22:26
兵役なので否応なし
162 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 20:22:53
>>160 そのわりには徴兵されて死んだ人ばかりで職業軍人が少ないのは謎だな。
日露戦争では、南部利祥伯爵(陸軍騎兵中尉)が戦死。
北白川宮は戦死にはいりますか?
>>164 北白川宮永久王殿下(陸軍少佐)は戦死扱い。
実際は張家口にて、戦闘機のプロペラに巻き込まれたものらしい。
旧軍って古今東西稀に見るほど平等な軍隊だよね。
167 :
日本@名無史さん:2005/08/10(水) 23:55:13
醍醐忠重侯爵。軍事法廷で刑死。
168 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:00:06
前田利為侯爵は太平洋戦争中にボルネオで事故死してるな。当時陸軍中将。
169 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:15:29
あの團伊玖磨って男爵家なんだね
170 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 00:57:39
北白川宮家は悲劇の宮家?
171 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 01:46:25
>>170 悲劇なのは北白川に侵略された国の民衆。
竜馬が伯爵ってのはおかしすぎじゃない?
板垣は上士出身だったわけで
同じ上士出身の福岡は子爵であることを考えると
郷士出身の竜馬は男爵じゃないの?
173 :
日本@名無史さん:2005/08/11(木) 13:27:25
別に土佐藩が爵位を与えるわけではない。農民、足軽の伊藤ですら伯爵。
>>169 三井財閥理事 團琢磨が、昭和3年男爵に叙された。
團伊玖磨は、團琢磨の孫にあたる。
>>117 沖縄戦で尚 順男爵(尚泰侯爵4男)が亡くなったと
聞いた事ある。
176 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 00:06:08
寺田屋で龍馬を助けた三吉慎蔵って爵位はもらえなかったんですか?
177 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 00:23:26
爵位は維新後の官歴が基準になってるから
幕末の行動は関係ないでしょ
178 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 08:30:42
玉松操(地下官人出身)なんかは五箇条の御誓文の起草に関わったというだけで
爵位を貰っている(しかも公家華族扱いになっている)が。
179 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 09:08:01
実家の山本家は公家華族で子爵だったはずだが>玉松操
180 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 23:57:14
橋本龍太郎、引退決定
奥さんが代わりに小選挙区で出馬、とのこと
この人、元々子爵家令嬢なのに、そんな泥臭いことを…
181 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:12:43
182 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:18:20
大村益二郎の頭って本当にでかかったんですか
183 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:25:42
橋本の奥さんの実家は新華族。たいして名門ではない。
184 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:29:50
>>178 玉松は明治2年に公卿に列せられてる
御誓文の起草は玉松じゃないし
185 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:32:30
玉松は偽御旗作った奴?
186 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:41:12
帰化人の和邇氏の子孫が華族になっていたというのを聞いたんだが
だれか関連のある話を知ってる人はいる?
帰化人の島津の子孫や秋月の子孫が家族になっておるが。
っていうか、天皇家自体帰k
188 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:23:26
公家華族でも錦小路家とかは帰化人の子孫では?
東漢氏→坂上氏→丹波氏と姓が変わっているが。
189 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:44:01
ニート公爵
長年に渡り、バブルの恩恵も一切受けず、職歴なし童貞ニートととして40年間生きてきた。
190 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 07:33:59
帰化人系の華族なんて別に珍しくもないだろ。
菅原氏なんかが有名どころと思うが、そこの公家なら唐橋家とか高辻家とか。
本当に菅原氏かどうかは怪しいけど武家なら前田家とか。
191 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 10:48:48
菅原氏は出雲系で帰化人ではない
192 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 20:48:58
まあ、天皇家自体帰化人だし。
193 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 22:22:31
>>188 >>190 そうそう。そういう意味で和邇氏の子孫が何と言う名前(○○家)で
続いているかが知りたいんだ。
194 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:08:35
>>185 錦旗のデザインを考えた他に
倒幕の密勅の原文書いたり(これは偽勅なので表に出せないが)
王政復古の大号令の詔勅の原文を書いたりしている
195 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:25:26
>>193 和邇氏の血を引く公家はないからなあ。
あとは大名系の華族でいるかどうかだな。
「寛政重修諸家譜」で小野朝臣の大名がいるかどうか調べてみたら。
196 :
日本@名無史さん:2005/08/13(土) 23:27:01
197 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 07:26:39
牛久藩主 山口家 多々良朝臣 百済聖明王後裔
一関藩主 田村家 坂上宿禰 後漢霊帝後裔
高鍋藩主 秋月家 大蔵朝臣 後漢霊帝後裔
医家 錦小路家 丹波朝臣 後漢霊帝後裔
198 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 11:09:09
>>192 >まあ、天皇家自体帰化人だし。
うん、確かに。
高天原からの帰化人だよな。
はげどう。
高天原って高霊のあたりだっけ?
200 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 14:16:07
北九州
201 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 15:37:41
金官加羅から来た傭兵隊長
202 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 15:44:27
現在の天皇は 第八王朝
203 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:25:53
華族って明治政府が作って…同時に明治政府が作った軍隊が昭和に入ってから暴発して敗戦になって華族が崩壊した訳?
204 :
西園寺公望 ◇jnCbCnXui6:2005/08/14(日) 17:44:21
>>204 敗戦後の旧華族の凋落・・・
栄枯盛衰とはこの事か
206 :
186:2005/08/14(日) 21:55:23
207 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:31:25
徳川御三家の水戸家は公爵ですが尾張家と紀伊家は爵位なんですか?
208 :
西園寺公望 ◇jnCbCnXui6:2005/08/14(日) 22:50:58
侯爵だよ
わかったか?
209 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:03:41
徳川御三家で最下位の水戸家が公爵とは尊王が評価されたから?
210 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:13:37
>>209 そういうことみたい。
当初は尾張紀州と同じ侯爵だったが
昭和に入って公爵に格上げになった
211 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 23:15:01
だから何かと難しかっただろうね
同じ徳川一門で
宗家・慶喜家・水戸家と、3家も公爵家があったわけだから
宗家の宗達は慶喜を「徳川を滅ぼした人」と馬鹿にしていたらしいね。
二人とも御三卿の出(田安と一橋)だから、ライバル意識でもあったのかしら
213 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 23:43:28
反慶喜の天樟院から薫陶を受けていたから。
馬鹿にしていたかどうかはともかく、家達は自分が徳川家を再興したと自負し、預かっていた系図上
義理の姉妹にあたる慶喜の娘たちを、罪人の子扱いにしていた。
慶喜の娘たちは、後年になっても家達夫妻に対して蟠りがあったという。
でも慶喜の娘たちは慶喜が依頼し家達のもとに預けられて教育を受けたんでしょ
家達は慶喜を嫌っていたら断るんじゃないかなぁ
ややスレ違いになるが何で天樟院は慶喜嫌ってたのかねえ
そもそも彼女が正室に送り込まれたのは慶喜を14代将軍にするためでしょ?
徳川斉昭が大奥は金の無駄遣いと大奥改革論を展開
→当然大奥の人間は斉昭嫌いになる→その息子も大奥では嫌われ者になる
→天樟院が大奥に入る→大奥の人間に斉昭と慶喜の悪口を徹底的に吹き込まれる
→所詮はお嬢なんで影響受けまくる
天樟院は慶喜の助命でも頑張っているので強く個人的恨みがあったわけでもなかろう。
それに南紀派一色の大奥内で、元が薩摩の田舎姫様が一人抵抗できるってもんでも。
徳川家達は純朴な貴族的超イイ人という話が残っているので、
(しかも首班大命を固辞した程度には自分のことを理解した人間)
慶喜の子も当主として気前よく世話をみてやったんだろう。
徳川家の家人はやや冷たい目でも見てたかもしれんけどな。
218 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 02:51:56
天樟院 → 天璋院
日本の肖像旧皇族・華族秘蔵アルバムによれば
家達はイートン校で学んでいたことがあって
卒業後はオックスフォードかケンブリッジに進むつもりであったが
日本から帰国命令がきてやもなく帰国したらしい
ちなみに家達がイートン校に
入学できたのは大君(イギリスでは将軍のことをこう呼んだ)の子孫だからみたい
オックスフォード・ケンブリッジに留学した華族なら沢山いるでしょう。
223 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:35:34
家達は温厚な人物だったが、慶喜に対しては対抗心があったようだ。
一門の会合で後から着いた家達が、先着で上座にいた慶喜を見て、自分の座る席が無いと
つぶやき、慶喜は上座を譲ったという。
以来、旧家臣の会合では二人を同時に招かなくなった。
慶喜家が公爵をもらって別家を建てるまでは宗家の隠居扱いで、経済的に自立していなかった
から、華族女学校に通う娘たちの面倒を本家が見るのは当然。
ただし、庶民と違って、娘たちとそれぞれのお付き女中と、女中頭の大世帯だから負担は
大きかったと思うけど。別家するまでに結婚させた慶喜の娘たちの支度も宗家持ち。
今の慶喜家の当主は自称”徳川18代”を公言してるから
宗家からしてみれば気が気じゃないな
225 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 16:58:24
>今の慶喜家の当主
何気に平沼赳夫と義兄弟だったりする。
226 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 23:25:10
>>221 >大君(イギリスでは将軍のことをこう呼んだ)
イギリスに限らず当時の外国人の江戸幕府将軍に対する呼称として、
大君(Tycoon)はかなり一般的に使われているよ。
227 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 04:49:26
>>172 遅レスだけど。竜馬が生きてればまちがいなく伯爵だよ。
華族制度が発足した時点で、新薩長土肥閥のリーダー格が叙爵された伯爵が新華族の最高位。
薩摩の黒田・松方・西郷従道・大山巌、長州の伊藤・井上・山県・山田
肥前の大隈・大木・副島・佐野、土佐の後藤・板垣。
以上が伯爵(若干記憶違いあるかも)。
竜馬が生きていれば、格としてはまちがいなく土佐派のリーダーだったから
伯爵で決まりだよ。そのかわり板垣か後藤が子爵どまりだったかもね。
228 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 04:54:13
つーか竜馬って架空の人物でしょ?
229 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 04:55:01
叙爵内規
公爵・・・親王諸王より臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者
侯爵・・・旧清華家、徳川旧三家、旧大藩(現高15万石以上)知事、旧琉球藩王、国家に勲功ある者
伯爵・・・大納言まで宣任の例多き旧堂上、徳川旧三卿、旧中藩(現高5万石以上)知事、国家に勲功ある者
子爵・・・維新前に家を起した旧堂上、旧小藩(現高5万石未満)知事、国家に勲功ある者
男爵・・・維新後華族に列せられた者、国家に勲功ある者
この内規はかなり厳密に適用されたんだよ。
華族制度発足時の新華族への叙爵は、
幕末維新から立憲政治にいたるまでの、その人物の格付けそのものだよ。
華族の次男以下は分家しちゃうと平民籍になるそうです。
カワイソス・・
きぞく 1 【貴族】
(1)家柄・身分の高い人。代々、血統・門地により、社会的特権をもつ階級。
日本では古くは藤原一族や公卿の家柄などがこれに相当し、明治維新後は華族令による華族をさしたが、第二次大戦後消滅した。
(2)(比喩的に)ある特権をもつ者。
「労働―」「独身―」
残念。華族も貴族でした〜。
馬鹿自爆w
233 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 10:35:12
>>232 「馬鹿自爆」と言ってるから、自分自身に対してだろ。プゲラ
>>230 高橋是清子爵は、護憲運動に参加。自ら衆議院議員に立候補する為
嫡男 是賢に家督を譲り、是清自身は分家。平民となり議員となった例がある。
>>230 日本の華族令だと爵位は個人に与えられるものだから、特典も栄誉も
その当人の家族でなくなると失われちゃうのよね。
>>230 例外的に公家華族・大名華族の次男等にも分家・授爵がされている。
>>236 新華族からも分家・授爵の例があります。
伊藤文吉男爵(伊藤博文公爵養子 実際は実子だが庶子の為、夫人の実家に入籍。
それから、伊藤家へ入籍、分家)
山縣有光男爵(山縣有朋公爵の孫・船越光之丞男爵三男。山縣家へ入籍、分家)
>>235 逆ですよ。日本の家族制度は家(血筋)に対して与えられるもの。
だから本人に何の功績がなくても誰々の子供、名家の戸主ってだけで与えられた。
次男三男や女子に継承権が亡くなるのは、分家や結婚によって戸籍=家が別れるから。
239 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:28:12
平沼赳夫とかは男爵家の当主とか旧華族という意識を持っているのだろうか?
騏一郎自体が士族あがりだし、赳夫も実の子じゃないから単に名前をついだだけ?
田英夫とかは思想的にはともかく、見るからに紳士的でバロンって雰囲気あるけど。
240 :
日本@名無史さん:2005/08/20(土) 20:40:37
平沼が徳川慶喜の曾孫(で高松宮妃の姪)と結婚できたのは華族だったからだろうな。
細川元首相ほどではないにしても、戦後の政治家では名門ではあるな。
麻生太郎も母方では大久保、牧野、父方の祖母は上総一宮藩主加納家の出身と華族の血
をひいている。
平沼はこの時期になるといつも例のごとく養父の「平沼を出せ!!」の話を
そこらじゅうでやってるww
242 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 01:44:56
麻生太郎って、中世の頃に九州にいた豪族の麻生氏とは無関係?
243 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 13:23:29
>>241 「平沼を出せ!!」の話って何?
くわしく
244 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 13:38:16
麻生は信子妃の兄貴?
245 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:42:55
246 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 14:56:30
以前、大室スレで見たが橋龍の奥さんの実家中村家も新華族(男爵?)で、
女系では上総一宮藩の加納家(子爵)の血も入っているそうな。
橋龍ジュニアも麻生太郎みたいなもんだな。
>>243 終戦時、戦争続行派の軍人達が平沼邸に押し掛け、家人に「平沼を出せ!!」と怒号をあげ、
騏一郎に銃を付きつけたのを赳夫が幼少ながら真近でみたというお話です
248 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 20:38:36
249 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 21:29:39
平沼赳夫は騏一郎の養子なのが自慢だけど、血はつながってるの?
養子というと嫁に行った娘が生んだ孫とか甥っ子とかいうのがよくあるパターンだが。
騏一郎は生涯独身だったので子供はいない。
赳夫は騏一郎の兄弟のひ孫らしい。
そうか。童貞だったのか。
253 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 00:08:40
>>250 >>251 サンクス!
なるほどねー。兄の孫娘の生んだ子を養子にしたのか。
父親の恭四郎氏を養子にしてもよさそうなものを(現に平沼家に入籍はしている)、
そうしないであえて生まれたばかりの赳夫氏を養子にしたのはやはり血がつながっているほうが
優先されたんだろうか。
254 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 14:13:34
宮中での歌会始の召人?歌を読み上げる人は旧公家の人?坊城?
255 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 16:40:19
>>242 あの九州の麻生で良いんじゃね?
んで女優の麻生も九州のあの麻生だったはず。
今でも侍従・東宮侍従や宮内庁職員などは旧華族の比率は多いんでしょうか?
戦前は華族が多かったのは知ってますが現在はどうなんでしょう。
詳しい方、教えて下さい。
257 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:44:45
昭和50年代までは、入江侍従長(堂上)をはじめ徳川侍従次長(諸侯)、
黒木東宮侍従長(西郷従道の孫)、北白川女官長(徳川侍従次長の妹)と
東園掌典長(堂上、伊達家からの養子)と旧華族出身者が“オク”の要職
を押さえていた。
ちなみに、今の渡辺侍従長は伯爵さま。
258 :
日本@名無史さん:2005/08/22(月) 17:49:39
戦後も昭和30年代くらいまでは、宮内庁職員に華族出身者が多かったことは、
入江相政日記を読めばよくわかる。
その後、侍従や式部官は一般官庁からの出向者の占める割合が増加していった。
>>254 平成16年の披講会メンバー
坊城俊周・五辻規仲・柳原従光・堤公長・秋田美篤・園池公毅
坊城俊成・坊城俊在・近衛忠大・醍醐忠紀・久邇朝俊・櫛笥隆亮
旧宮家、五摂家、清華家、羽林家、半家、名家とバランスよく揃ってるな。
260 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:17:19
醍醐忠紀の子を愛子の婿にしよう
261 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 13:36:29
アイコはイラネ
262 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 14:48:10
醍醐忠紀の子を佳子の婿にしよう
263 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:50:12
山階宮範子妃と閑院宮智恵子妃は正室の娘?
264 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:51:21
東園掌典長の亡き奥様は昭和天皇の従妹。
265 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 15:54:17
醍醐忠紀の祖父は自殺した人で曽祖父は殺された人?
266 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 16:09:27
慶喜の孫と家達の孫が結婚してるけど家達の孫が戦死して結婚生活は4年で終わった。
家達の孫で戦死した人というと、松平康昌侯爵の息子のことかな?
268 :
日本@名無史さん:2005/08/23(火) 22:37:22
康昌侯夫人はすごい美人。
269 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 09:43:38
>>268 幼少の綾子夫人しか見たこと無いけどそんなに美少女には見えなかった
バレーの松平康隆ってどの家?
渡辺伯爵はどこの藩主なのでしょうか?
摂津の渡辺党ですか?
渡辺伯爵家は新華族
渡辺千秋が明治維新の功で授爵
千秋ちゃんっておんなのこ?
千秋たんハァハァ
今話題の「国民新党」幹事長の亀井久興氏は旧伯爵家。
275 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 01:32:44
276 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 13:59:03
亀井家自体は大名家だけど、明治以降に公家から養子入ってるよね。
277 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 14:42:44
久興氏の母方の祖母は北白川宮の出身。
久興氏の父方の祖母は上杉家の出身。
278 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:10:21
そんな貴公子が代議士なんて下賤な仕事に身を落としたのか・・・
これ以上、泥にまみれるのはやめろよ。
279 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:36:49
久興の祖父の有馬頼寧は農林大臣だった?
280 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 15:42:19
YES
281 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 17:34:57
あの亀井静香も亀井久興氏と遠縁にあたるらしい。
282 :
日本@名無史さん:2005/08/25(木) 17:39:34
それ自称で信憑性ないからw
283 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 18:46:44
現在の鷹司家当主の父親も戦死したらしいけどどこの松平家出身?
284 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 21:54:28
美濃岩村
285 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 18:15:34
どうもありがとうございます。
286 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 18:21:36
京極杞陽(本名高光・子爵)って関東大震災で両親、祖母、弟2人、妹2人を失っている。
287 :
286:2005/08/30(火) 19:51:13
京極杞陽は豊岡藩主家の出身
288 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 21:27:42
289 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:19:46
>>288 堤家。
堤哲長の3男が亀井家に養子入り
290 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:23:14
まぁ亀井家は戦国時代にすでに他家から養子入ったからなぁ。
291 :
日本@名無史さん:2005/08/30(火) 22:41:07
>>279 >久興の祖父の有馬頼寧は農林大臣だった?
競馬の有馬記念の有馬氏だよ
292 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 02:11:19
農林大臣にもなってるよ。
293 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 07:59:00
294 :
日本@名無史さん:2005/08/31(水) 12:23:30
295 :
日本@名無史さん:2005/09/01(木) 19:27:36
有馬頼寧の祖父は岩倉具視でもある
那須義定さんは与一の子孫と名乗り、
天の弓那須与一という本の著者でもあるんですが、
交代寄り合の那須家の子孫でしょうか?
有馬頼底さんは分家でしたよね。
修行中の氏の下に、本家の縁戚である
足利先生と奥方(竹田家出身)が訪問された。
298 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 20:22:49
出雲大社北島国造家第79代出雲国造の北島英孝さん死去
北島 英孝さん(きたじま・ふさのり=出雲大社北島国造家第79代出雲国造)が1日、
内臓疾患で死去、80歳。通夜・葬儀は近親者で営む。告別式は9日午後1時から島根県
出雲市大社町杵築東194の出雲教祖霊社で。喪主は孫大孝(ひろのり)さん。自宅は同
市大社町杵築東194。
出雲国造(こくそう)は、出雲大社の祭祀(さいし)をつかさどり、南北朝時代に千家、
北島の2家に分かれたとされる。現在、北島家は大社に隣接する北島国造館で神事を営ん
でいる。
00年11月に亡くなった英孝さんの妻洋子さんは、天皇陛下のいとこ。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0902/003.html
299 :
日本@名無史さん:2005/09/02(金) 20:51:43
>>1 公、侯、伯、子、男の五爵についての補足
欧州の場合、公爵はプリンス。侯爵は地方の殿様、伯爵も同じ。この三つが封建貴族と呼ばれ、フランス語で【ド】が付く。
子爵・男爵は商売で大金持ちになった者が、お金で爵位を買った者だ。
シャルルドゴールも貴族かね?
公爵→摂政、関白などそれに準ずるもの。
侯爵→将軍家
伯爵→大名家
子爵→大富豪+政治家。
男爵→大富豪
の基準でよろしいか?
日本はごちゃごちゃみたいだけど。
やや訂正。
侯爵→大臣家。
伯爵→納言家。
も。
将軍家は公爵だが・・
>>301 全然違う。
公爵: 摂関家、徳川宗家、臣籍降下した元皇族(これは実例がなかったと思う)
侯爵: 清華家(太政大臣になれる家柄。西園寺、徳大寺等)、実高15万石以上の大名、旧徳川御三家
伯爵: 大納言を輩出した公家、旧徳川御三卿、実高5万石以上の大名
子爵: 実高5万石以下の大名、上記に当てはまらない公家
男爵: いわゆる新華族
で、それぞれ「国家に偉勲/勲功あるもの」という例外規定があるので、水戸徳川家が公爵に
なったり、伊藤博文が伯爵になったりと「柔軟な」対応が行われた。
臣籍降下した皇族は、本来公爵のはずだが
実際は侯爵or伯爵になります。
理由はわかりません。分かる方、教えて下さい。
306 :
301:2005/09/04(日) 04:11:38
欧米基準で行けばと言う意味。
日本では違うと書いたはずだが。
説明不足ですまん。
元もと西欧の真似して作った制度だからうまく行かなかったらしいね。
公家、大名、新興で揉めてたと聞くが。
>>306 ますます意味不明。
欧米というが、国によって基準は違うし、そもそもアメリカに貴族制度などない。
「日本では違う」というが、ヨーロッパのどこの国のつもりで件の図を書いたのか。
将軍家=王家と考えたとしても、たとえば後にイングランド王になるノルマンディ公は
格下げだとでもいうのか。
華族制度がうまくいかなかった、しかもその原因が西洋の真似などというのははじめて聞く。
「らしい」と書いているからどこかで読むか聞くかしたんだろうけれど、情報源を教えてください。
日本は列強諸国に負けないための革命が必要だった。
しかし、封建主義的な社会ではそれは難しい。
だから、近代化する必要があるわけだったけど、
そのためには旧支配層に痛みを伴った改革を強いらなければならない。
その痛みの代償としての褒美が、華族制度でしょう。
欧州の貴族制度には歴史的な流れがあって爵位が存在したんだろうけど、
日本はそうじゃなかったっていうのが問題の根本なんじゃないか。
諸侯華族と公家華族はお互いの文化を認めようとしなかったとも聞くし。
で、こんなの見つけた。
http://www02.so-net.ne.jp/~muraji/non-fiction/kazoku.htm 他に昔、華族社会のことを詳しく書いていたサイトを見たけど、見当たらない。
そこには華族制度には問題があったと書かれていたが。
結局、人工的なんだよ。
長い歴史の中で育まれた社会制度でなければ駄目だってことなんじゃないか。
309 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:32:33
華族のお姫様が戦後の混乱期、成金に「買われる」ことがよくあったというのは本当ですか?
ロッキード事件で有名な小佐野賢治氏の夫人がそうだったとかいわれている
しかしソースが何しろあの酒井美意子氏の本だから眉唾かも知れない
311 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:44:21
小佐野夫人は旧佐倉藩主の堀田伯爵家の出身で、尾張家の徳川義宣氏とは姉妹。
戦前から財界の人間の権威付け、そして華族側は生活の保障のために、
姻戚を結ぶというのは特段珍しくない。
戦前だって、華族の生活は決してすんごく楽なワケではないしな。
あと小佐野政邦の話によれば、兄夫婦は普通に仲良かったようだが。
先日、常磐線に乗ったときに、網棚に置いてあったエロ小説を拾って読んだ。
旧大名華族が戦後に破産し、GHQと結びついて成り上がった国元の水飲み百姓出身の元書生が、
戦時中から憧れていた旧主家の美人令嬢を性奴隷にするという内容だった。
エロ小説のタイトルは忘れた。
314 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 23:50:31
華族制度や爵位が廃止されても位階制度はなくなったわけではないのだから、
旧華族の当主や成人していた嫡子は五位以上の位階を保持していた。
だから、○○公爵とは名乗れなくても、○○従三位とか○○正五位とは名乗れたはず。
いまでも中曽根大勲位なんていう具合にねw
(実は旧皇族の某氏は戦後だいぶたっても「大勲位○○」と色紙に署名していた)
315 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:13:14
>>305 国際基準。
皇族と日本の公爵はともにprince。
princeの分家がprinceでは序列が保てない。
316 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:55:23
>>314 維新前の受領名や官途名が廃止され、まだ爵位制度のなかった明治初年の華族は、
たとえば松平従五位何某と名乗っていた。
317 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 01:03:20
戦後、旧皇族も旧華族も何の肩書きもないタダの人になってしまったが、
諦めがいいというかあっさりしすぎというか、何か物足りない。
欧州の貴族みたいに、公的には廃止された爵位を姓名の一部として名乗ったり、
明治以後の門跡みたいな私的な称号として名乗ってもよさそうなものだし、
位階は新憲法下でも有効なのだから、爵位のかわりに堂々と名乗ってほしかった。
戦後に華族が置かれた位置を理解してなさすぎ。
領有する土地を持ってるワケでもなく、貴族院なんてものもなくなり、
経済的に必ずしも裕福でなかった大半の中級以下の華族にとって
爵位そのものがただ重い負担になってたの。だから喜んで棄てた。
逆に旧大大名クラスだと、明治政権での権威なんて必要ないしな。
319 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:25:17
こないだ霞会館編纂の「華族家系図集成」とかいう分厚い本読んだけど、
どこかの藩の家老の家の現在の住所が○○市なんとか町○○荘○号室と書いて
あった。ワロタw
320 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 15:30:30
>2
久我美子・古川ロッパが華族というのは知ってるが、小倉久寛・織田無道などが華族なんていうのは
聞いた事がない。どこかの受けねらいの茶話じゃないの?
321 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 17:50:20
>>318 大名華族の場合はそうだよね
慶喜家の子供部屋の続編、高田藩主家に嫁いでからの本読むと
国境まで迎えが来ての初の「お国入り」には若き当主も驚いたそうで
佐渡めぐりをした旧旗本の子孫の一団が高田に立ち寄ると
家臣代表が「我々陪臣は…」なんて挨拶して旗本連中を喜ばせたとか
>>320 >小倉久寛・織田無道
そんなネタにまだだまされてるのか?
小倉は2ちゃんねらのデマ、無道は本人のホラ。
オカシイ?
女優の入江たかこって侍従長だった入江とはどういう関係なんですか?
325 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 19:40:16
無関係。
入江たかこは東坊城子爵家(菅原氏)の出。姉は元女官で雅叙園創業者の夫人。
入江相政侍従長は冷泉家と同族の入江子爵家(藤原道長裔)の出身。
>>310 大体、多数の旧華族家の人間からすれば、加賀前田の侯爵家のお嬢に
一般的な旧華族の生活の厳しさなんかわかるもんか、
なんて毒のひとつも吐きたいところだろうな。
古本屋で霞会館から出てる家別(3家ぐらい)になってる
旧皇族・旧華族写真帖を立ち読みした。
幕末に徳川家に嫁いだ近衛家の御令嬢が
凛とした中にも何処かはかなげで清楚な感じがする美人だった。
浮世絵に描かれそうだった。
ああなりたいと思った。
328 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 00:25:02
>>310 小佐野夫人は結婚前、酒井美意子氏の経営するバーを手伝っていたらしい。
進駐軍上級将校常連のサロン的なバーだったようだが。
上背があり美人で頭の回転も早い夫人と美意子氏はよくウマが合い、成金との結婚に
際しても積極的に肯定していたような。
美意子氏の書いたものなので、どこまでが本心かちょっとワカラン。
スレ違いだが。
>>327 頑張れ。
良く理解できる。
330 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 16:15:07
前田利為の子供って前田利建以外に誰かいる?
331 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:20:10
三島由紀夫の「春の雪」、映画化中だね。
竹内結子の伯爵令嬢っていうのは、どうでしょう。
テレビドラマ化されたときは、吉永小百合と現団十郎のカップルでした。
スレ違いで悪い。華族つながりということで。
332 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 17:32:30
華族は、はっきり言って多過ぎ増えすぎ。 華族は公家だけで十分だった。 明治政府が己の価値を高めるために作った?
333 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:17:41
>>331 映画化って、まじすか。
話の筋は、イマイチのめり込めないんだけど、
背景・美術がどんなふうになるのか興味あります。
竹内結子@綾倉聡子か・・・
たしかに、楚々としていながら芯の強さを持ち合わせているっぽい顔ではあるよね。
>>332 たしかに。一千家以上あったんじゃない?
僕は、男爵あたりだと、
爵位といってもちょっとグレードの高い(世襲可能な)勲章くらいにしか見えないんですけど。
334 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:38:22
>>330 I子との子供が利建、利国。菊子との子供が美意子、智意子、利弘、弥々子。
利建と美意子以外は何も知らん。
335 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 18:42:42
>>327 泰子さんは若いころから美しかったが年を重ねるごとにさらに美しくなっていった。
泰子さんの子供たちにもそれが言える。
336 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:02:48
大正以前に生まれた旧華族って側室腹多すぎじゃない?
337 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:25:13
つねに裕福だった華族ってある?近衛とか島津とかってそうなの?
338 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:30:08
>>337 財閥系(三井、岩崎、住友など)はそうでしょ。
今話題になっている前田侯もかなり裕福だったらしい。
(駒場公園の旧前田侯爵邸を見よ)
近衛家はよく知らないけど、島津公は昭和恐慌で甚大な損害を受けた。
339 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:49:03
>>337 近衛家は文麿十二歳の時、篤麿(妻は前田侯爵家)が死ぬと、彼が残した借金の為苦しくなった。
「父の在世中は朝から晩まで色々な人が出入し、私なども子供ながらチヤホヤされていたものだ。
が、父がいなくなつてからは、まるで火が消えたようになり、それだけならまだしも、
今までに父に政治上の意味で世話を受けた人などが掌を返すやうに金を返せと云つてくる。
ある金持ちの如きは、こちらが現金で返せぬので掛軸などをかたにすると、
二度も三度もつきかえして来る様な始末であつた。」近衛文麿の回想より
そして頭山満や内田良平のような右翼の人々が近衛家にやってくる借金取りを追い払うようになり文麿の性格が歪んだ。
さらに、「この前の戦争(応仁の乱)でほとんどの家宝が焼けた」
ということで応仁の乱のせいであまり家財も無かったようだ。
340 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:50:10
昭和恐慌までは大大名だった家はかなり裕福だった。
明治時代の高額所得者の上位は財閥オーナーと国主級の大名華族ばかり。
>>325 有難うございます。東坊城だと語感が悪いから改名したのかな。
>>339 でも近衛家は戦後も経済的に安定してたよね
華族銀行といわれた第15銀行が昭和恐慌で破綻したため、
多くの華族が損害を蒙ったようです。
そのため、頭取 松方巌は爵位を返上した。
344 :
337:2005/09/09(金) 20:54:13
みなさんどうも。そうか、近衛って富裕ってわけじゃなかったんか。
大大名っつーと、侯爵以上あたり?
昭和恐慌以降はもうどこもボロボロ?
基本的に公家は質素で裕福ではなかった
近衛家は文麿が首相になって資産を築いたのか戦後も経済的に安定していた
それと荻窪は空襲の被害がなくて邸宅が無事だったのは運がよかった
文麿の「この前の戦争」云々は貴族特有のペダントリ。
そうじゃなかったら、わざわざ陽明文庫なんてつくる必要はない。
348 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:36:28
五摂家よりも徳川家の方が金持ちのイメージがあるが
違うのか?
350 :
日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:42:39
今も旧五摂家は格式と言うか家柄は高いの?
今現在では家柄を計るのは難しいが近衛家には三笠宮寧子さんが嫁いで、寧子さんは常盤会会長を務めているわけだから、
やはりある程度の格というものはあるでしょう。
息子の忠大さんはテレビ関係のお仕事をされているようだけど。
それにしても、やはり明治維新で公卿の格というのは落ちたようだね。
近衛家だって元々は宮家より家格が高かったようだが、
維新以降は借金取りに追われ、文隆さんはいじめられる。
(戦後は別として)宮家はこんな扱いされなかっただろう。
近衛家の今の当主は細川家からの養子で
息子さんが一人いるけどこの後はどうするんだろうねー
もし息子さんに子供ができなかったら養子を貰おうにも一人息子だし
女兄弟もいないから女系で血統を繋げることもできない
近衛家も消えていった名家のように滅びる運命かもね
で、高いの?
と350さんが仰っておられます。
だからどうやって計るの
お気持ちは今でも五摂家です。
近衛家は文麿公の弟とか他の家系に結構分家があるらしい。
しかもこちらの方が細川家からの養子ではなく
後陽成流の近衛家だから血統がよい。
三笠宮殿下の孫の近衛さん「近衛家の太平洋戦争」と言う本出してたよ。
スレ違いかもしれんが華族でデカイ閨閥ってどのへん?
まーた意味不明な質問を。
↑
日本語の分からない馬鹿はすっこんでな。
360 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 12:31:41
>>357 財閥はただの成金だよ。
せいぜいが、江戸時代中期ぐらいからの商人の家柄。
徳川慶喜公の曾孫?さんは18代将軍を自ら名乗っているそうだ。
364 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 17:33:45
記念財団理事長と一介のフリーカメラマンでは、既に勝負がついてるわけだが。
365 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 18:34:12
>>359 スレ違いかもしれんが華族でデカイ閨閥ってどのへん?
366 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:44:18
島津一門=錦江会
天皇家、徳川家をはじめ、めぼしい名家を網羅している。
デ カ イ 閨 閥
ってどのへん?
357 名前:日本@名無史さん :2005/09/10(土) 03:39:07
スレ違いかもしれんが華族でデカイ閨閥ってどのへん?
361 名前:日本@名無史さん :2005/09/10(土) 13:21:16
>>357 財閥はただの成金だよ。
せいぜいが、江戸時代中期ぐらいからの商人の家柄。
ワロス
いち企業と複合体企業の違いすら認識出来ないんだろう
370 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:50:55
>>362 徳川慶朝さんて人か?
本出したり、コーヒー売ったり先祖の名で生計立てているみたいだな。
もしや閨閥の意味わからんやつがいる?
肥前佐賀藩の鍋島は?あそこも島津に負けず劣らずだったような。
372 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 20:21:22
>>370 その上写真が趣味というところまで真似ているな
独身なので跡取りは?と思ったら息子がいる…
たまたま旅先で見つけた小狭い路地みたいな日本庭園つきの古い家があって
そこに「M」と言う武家の名前の表札があった。
その地域の大名?みたいな名字だったからその大名の御子孫かな?
小さいけど日本的でいい家だった。
>>373 政令都市だけど、前に住んでいたアパートの近くにあるお寺の表札が、某公卿の家名だった。
珍しい名なので、多分一族出身の住職さんが住んでいると思われ。
友達とガイドブックにも載ってる某旧家に見学に行こうとしたら
一般公開期間外だった。
郵便受けに手紙があったから普通に人が生活していたのだろう。
しばらく外壁やらを見ていると中から御老婆が出てきて
「どうぞ」
と言ってくれた。
勿論入らなかったが、あのお婆さま一体何を?
見ず知らずの赤の他人を人様が生活しているやうな家に入れてはいかんぜよ。
もしかして、一応部屋にあげて後で通報する気だったのか…
376 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 03:38:05
>>375 え?
ふつうに親切心から入れてくれようとしたんじゃないの?
期間外だけど、来てくれてるしって。
もしかして、ろくに挨拶もせずにスタコラ逃げた?
すごい不審人物じゃん、あんた。
>>376 普通に会釈はしましたよ。
いい人だったのか…
惜しいことした。
素直に入っておけばよかったけど、普通に気まずかった。
378 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 04:52:40
爵位って名誉職じゃないよね?
国からいくらかのお金はもらってるんでしょ?
どれくらいもらってたのか知ってる人いますか?
>>377 惜しいことをしたって…。
あなた、普段、人間とつきあってないでしょう。
380 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 06:04:38
華族という特権階級は国家が危機的なときに状況に流されずに的確に判断して導かなければならないもの、その気概もなくやる気も無く責任感も無くetc無くなって当然という感じだがな・・・
381 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 06:33:04
>378
逆に国に多額の税金を払ってるのが普通。
>>378 名誉「職」じゃないし。
ただ、公卿華族には、一般に貧乏だったので皇室から補助金が下りていた。幾らかは知らない。
>>382 男爵華族恵恤金恩賜内則により、家計上保護が必要な者には
年300円支給されていたようです。
日本にも貧乏貴族が多かったようです。
富豪は、旧大藩大名(前田侯など)や財閥当主ぐらい。
>>383 dクス。旧堂上華族保護資金令とかいうのもあったようです。
ほとんど生活保護の世界ですな。無理もないけど。
それでも先祖から受け継いだ家名という名のプライドと
皇室や血統を守りぬくのが公卿華族です。
386 :
日本@名無史さん :2005/09/11(日) 23:34:40
そのとーり。
しかし、中にはプライドを保ちきれず食べ物の恨みで親族を殺したり、
盗みを働いたり、爵位を返上する者もおりましたとさ。
酷いレスじゃない。
事実だからしょうがないよ。
389 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 07:01:27
赤化華族狩りで逮捕、抑留された岩倉公爵家令嬢は自殺。
日本女子大学校在学中でした。
本女は身分の高い家に産まれながらもアカに走り政治活動をするような赤い令嬢に好まれました。
390 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 13:24:15
琉球王家やその分家は華族になったが、なぜアイヌの首長は華族になれなかったのか?
391 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 15:18:28
>>390・・・そりゃね。。。言っちゃまずいが・・・
392 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 16:38:04
孝明天皇を毒殺した薩長&岩倉は16歳の幼い明治天皇を擁立させ徳川幕府を潰した。
薩長閥を中心とする明治新政府は明治天皇を大元帥陛下にまつりあげ近代国家軍国の道を歩み始めた。
近代の天皇の悲劇はここから始まった。明治天皇は価値の無い下級武士にこき使われた。
陰謀の中で華族が誕生したから華族なんて公家以外価値無し。
393 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 17:00:05
公家みたいな責任感の皆無の人間を表向きに据えたのが間違いの元だと思うが・・・
394 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 17:02:26
公家は公家。長い間朝廷に支えてきた公家がいきなり明治維新で華族にされて戸惑いがあったと思う。
鎌倉以降日本を動かしているのは武家
今日でも武家の末裔が有力者
土方久敬(与志)は、爵位(伯爵)を剥奪されちゃいました。
最も、勝手にモスクワに行ったりするから自業自得なんですけどね。
397 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 18:50:45
アイヌの首長で家系を確実にたどれる家ってあるのかな?
政権の移り変わりを超越して何世紀も続いてきた欧州貴族と異なり、
華族は、あくまでも体制の道具だったのだから、
土方は、本来爵位を返上してからソヴィエトに入国(当時は犯罪行為)するのが順当だった
(ちなみに、土方家が伯爵に叙せられたのは、宮内大臣であった与志の勲功による。)。
演出家として名をなした土方のように、芸術・文化面で名を残した華族も多いようですね。
例えば、歌人の吉井勇(伯爵)、九條武子(男爵夫人)、柳原百蓮(伯爵令嬢)・・・
>>398 訂正しまつ。
×「宮内大臣であった与志」
○「宮内大臣であった与志の祖父久元」
400 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:07:19
実質1192年からずっと武士が権力者なわけで
未だに藤原が名家って言ってる連中は馬鹿かと思うよ
401 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:23:31
>>400 藤原氏本流で名家っていた?
摂家か清華がほとんどだと思うが・・・と釣られてみる。
402 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 20:50:00
摂家も精華も全部藤原だろが
↑
うそつけ
404 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:03:05
違うのかよ
今の五摂家も全部藤原だろ?
久我家とか源氏だったじゃん。
藤原本流ってものを考えれば摂家、あるいはその筆頭近衛家ということになるんじゃない。
その前に権力ないから名家じゃないって発想があれなわけだが。
↑
久我は清華家ね。
摂家は全部藤原だ。
407 :
401:2005/09/12(月) 21:14:29
皆さんアンカー付けて。シュールな会話になってるから。
【名家】公卿の家格の一。侍従・弁官を経て大納言まで進むことができる文官の家柄
408 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:15:13
精華家も藤原だろって?
409 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:27:20
そこな痴れ者め等がっ!
華族の邸宅じゃ三井倶楽部もいいけど住むんだったら前田侯爵の洋館が一番好きだな
手元の資料によれば延べ床面積が2992平米(約1000坪)もあり
当時は東洋一の邸宅と言われたらしい
402 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2005/09/12(月) 20:50:00
摂家も精華も全部藤原だろが
413 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:39:28
精華ってFUJIWARAじゃねーの?
>>411 綱町三井倶楽部って、元々住宅じゃないんだよ。
映画やCMでは住宅として使われることが多いけど。
自分が住むなら、今は陽和洞の気分かな。
前田侯爵邸は、何回か見に行ったし、東洋一説も知ってるけど、
正直どのへんが東洋一なのか分からない。
>>415 前田邸より大きな住宅なら、東洋どころか東京にだってありました。
417 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:52:42
この前歴史の授業で昭和か大正かの時代の資料写真にさ
前田家のナンタラ夫人とか言うのが出てきたけどめちゃくちゃ美人だったぞ
>>413 清華は家系ではなく家格であって、藤原もいれば村上源氏、正親町源氏もいる。
>>417 だから何、って言ってやろうかと思ったけど、菊子じゃないか?
前田邸新築当時の侯爵夫人。美人だったらしい。
それで思い出したけど、
東洋一云々は美意子(菊子の娘)の例の自慢話からきているのかも知れない。
『ある華族の・・・』にそういう記述があったはず。
前田邸はレンガ造りの外観がイイ
中はしらんが
>>420 正確にはレンガ造りではなく鉄筋コンクリート造。
レンガのように見えるのは、単に表面を覆っているスクラッチ・タイル。
中は無料で見られます。
422 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:43:00
なるほどって、あんた!
424 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:53:32
ググってもヒットしない華族なんて、いくらでもいるさ
426 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 22:56:27
亀井久興さん、当選してヨカッタネ
>>425 勿論「前田菊子」でググってんだろうな?
430 :
日本@名無史さん:2005/09/12(月) 23:54:35
酒井に前田って、どちらも農民の出?
現在、貴族(華族)制度が残っている国はイギリス、フランス、ドイツらしい。
しかし、まともに残ってるのはイギリスぐらいでフランス、ドイツは肩書きのみ。
しかも、フランスは売官制度で絶対王政下で爵位の売買が行なわれていたらしい。
日本も肩書きだけ名乗ればいいのに。
お祖母さまの知り合いのY伯爵さんやS伯爵さんはお元気かしら?
祖母が生きていたら連絡をとりたかったのですけど。
「○○の孫です」と名乗っても変な奴に思われたら嫌な上、迷惑だから止めておこう。
Kさんにも生きているうちにお会いしたかった。
ところで米沢上杉伯爵家は今も子孫絶やさず家名を守っているのですか?
>>433 失礼を承知で申し上げるけれど、推敲してから書き込んでください。
ほとんど意味不明な文章になっていますよ。
間接的に元華族と知り合いなのが御自慢らしいことだけはわかりました。
ごめんあそばせ。
心の呟きを書いてしまいました。
>>433 ちょっと聞かせてほしいことがある。
父から聞かされた話なのだが、うちと同族にあたる家に嫁いだ人が、
城持ち大名の子孫(伯爵ぐらいだろう)らしい。
ちなみにその人は現在40代中盤。
ただ、俺の家も同族の家も華族にはなっていない。
同族の家は某守護大名の被官をしており、主家没落後は某藩に仕えていたらしいから、
多分その縁があっての婚姻だと思う。
聞かせてほしいんだが、
このように元華族社会と関わりとあった人が身近にいれば、
その人を頼って霞会館に見合いの話を申し込むこととかはできるのか?
あそこがどのような仕組みになっているのかイマイチ分からないので、
婚姻に関して知っていることを教えてもらえないだろうか?
>>433ではありませんが、
あなたが、その「うちと同族にあたる家に嫁いだ人」と格別親しければ、
おながいしてみるのもよろしいのでは?
その方のお父さまか男の兄弟が元華族の当主に当たられ、存命中であれば、
霞会会員でしょうから、口利きくらいはしてくださるかも。
とても迷惑でしょうけど。
>>437 いや、433でしょ?w
まあ教えてくれてありがとう。
そうか、会員でないと駄目なのか。
その人にお願いしたら出来るのかなと思ったんだけどね。
最後に一つだけ聞きたい。
霞会館を通して見合いをする人達は、
家柄が釣り合った結婚をするために霞会館を使うの?
>>433ではないと言っているでしょう。
>家柄が釣り合った結婚をするために
あなたも
>>433の前段のように乱暴な表現をなさるのだね。
そんな質問の仕方だと、違うとも正しいとも答えられないよ。
>>439 本当に違ったのですか…。
自分なりに確信を持っていたのですが、
申し訳ないことをしました。
ごめんなさい。
あ、すいません。
質問の仕方が粗雑だったのですね。
霞会館を経由しての見合いは、
家柄が釣り合う結婚を前提としてのものなのか、ということです。
あるいは空気として、そのような暗黙の了解が存在するのかということです。
442 :
433:2005/09/16(金) 00:35:57
>>436さん
その方と
>>436さんがどの程度親しいのか分かりませんが
頻繁に連絡をとっている血縁関係の方であればお願いしてみてもいいのでは?
霞会館でお見合いを受付けしているのか分かりませんが。
その場合は厳しく品行方正や過去の事が調べられる場合もあるでしょう。
皇室に嫁ぐわけではないのであまり細かいことは調べないと思いますが。
祖母の代ならいざ知らず、
今は御当主や家督相続者でなければ家柄にはこだわらないのでは?
事実、御当主筋であっても平民と結ばれている方もいらっしゃいます。
その場合は恋愛結婚ですが。
母の知り合いの華族に嫁いだ方はお見合い結婚をして
最近初めて自分の夫が元華族の子孫であると知ったようです。
適齢期の独身旧華族御子孫の方も多々いらっしゃり、
それほど家名を残す事に拘らなくなったのでは?
哀しい事ですが、それだけ華族体制が崩壊してしまっている証拠でしょう。
だからこそ。成り上がりの新興華族はいざ知らず、
公家華族や将軍家、大名家の御当主などの方々には
例えば、近衛公爵○○だの、徳川公爵●●だの名乗っていただきたいのです。
もちろん生活上の何の特権もございません。
フランス、ドイツの貴族達のように肩書きだけです。
家名とプライドを後世まで伝えていただきたいのです。
日本は明治維新に西欧に追い付くため。
明治新政府が我が家に爵位が欲しかったため。
華族制度が誕生したと考えられますが、
本当の貴族(華族)制度は皇室(国の歴史)の伝統を支えるため。
過去と現代、未来を繋ぐためにあると考えます。
>>440 謝っていただくほどのことでも。
むしろ、あなたがどうしてそんなことを知りたいのか興味深い。
誰でもいいから名門の配偶者を見つけたいとか?
ただ、霞会館はお見合い斡旋所ではありませんから念の為。
>>442 >近衛公爵○○
華族制度が機能していた戦前でも、こんな奇妙な呼び方はしませんでしたよ。
正しくは、近衛○○公爵。
それに、あなたの所謂新興華族ならともかく公卿華族や諸侯華族なら、
わざわざ鍍金風な称号を帯びずともどういう家柄か自明だと思いますよ。
>>443 ご指摘ありがとうございます。
公家華族や武家華族の御子孫の方々でも、家業等で特別な事をしていない限り
殆どの方が普通の暮らしをしているため
自分の家柄を御理解していない方々もいらっしゃいます。
え?
それでは、「自分の家柄を御理解」させるために、
該当者には称号を名乗らせよと仰るの?
それは大きなお世話としかいいようがないし、
わずか70年しか続かなかった華族の地位を、
それより何世紀も前から続いてきた公卿・大名家が有難がると思う?
>>433=
>>422=
>>444 で恐らく
近衛スレの
304 :日本@名無史さん :2005/08/08(月) 01:47:22
陽明文庫や荻外荘はこの御方がお造りになったのでしょう。
しっかりと自分の血筋の価値や日本の歴史の重みが
分かる先祖がいてうらやましいわ。
どうか大切になさって下さいね。
間違ってもオークションに出したり、骨董品屋に売ったりしないで。
↑のスレした奴で近衛マンセーだと思う。
>>442 なぜ私が女だと思ったのですか?
ところで、あなたは祖母が生きておれば貴族や殿方に嫁いだものを、
と書き込みされていましたよね。
ですから、霞会館は見合いをする場でもあるのかと思ったんですが、
どうやらそれは違うようですね。
詳しくは書きませんが、霞会館内への口利き、お願いすれば可能でしょう。
ですが、私が想像していたものとは違うようなので、してもらう意味はないですね。
>本当の貴族(華族)制度は皇室(国の歴史)の伝統を支えるため。
>過去と現代、未来を繋ぐためにあると考えます。
気持ちは理解できます。私も同じ考えです。
ですが国が、「皆平等である」、と言っているんです。
時代は変わったんですよ。
社会を構成する人々の意識から家柄の違いというものが消えてしまっている今、
大衆を支配しているのは、経済的強者の立場にいる人達です。
そんな社会の中において、
過去の誇りだけで生きていくことがどれだけ惨めなことなのか、
あなたのようなお嬢には分からないでしょうね。
>>443 霞会館は交流の場でしかないんですね。その中で見合いの話なども出てくるのでしょうが。
あなたが興味深いと感じられていることですが、
私は霞会館を通しての婚姻がさぞかし特別なものだと思っていたわけです。
ですがそれは、家柄という点においてのようですね。
これは私がほとんど気にしていない点です。
448 :
443:2005/09/19(月) 21:55:30
(参考)
財団法人霞会館定款第3条
この法人は、政治、経済、社会、文化等各方面にわたって国際的な視野から調査研究し、
日本固有の伝統的な精神文化を後世に伝え、
もって健全な国民の育成及び社会福祉の増進に寄与することを目的とする。
余談ですが、爵位と共に氏名を表記する場合、
爵位+姓名(ex.公爵近衛文麿)とするのが正式です。
誰からも突っ込まれないうちに訂正しておきます。
>>448 >爵位+姓名(ex.公爵近衛文麿)とするのが正式です。
根拠は?
>>449 ちょっと偉そうですね。
日本国憲法の署名欄を御覧になったことある?
452 :
日本@名無史さん:2005/09/20(火) 22:54:33
>>451 ずいぶん偉そうだな。
自分のアフォ面を鏡で見たことあるか?
453 :
日本@名無史さん:2005/09/20(火) 22:57:49
どうあがいても華族は過去の遺物。
社会的にはなんの価値もない。
誰もそんなこと話題にしてないだろうに?
「華族」であったものより、公家や大名家であったこと
にまつわる方面の方が残っているのは確か。
456 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 15:25:05
>>451 典拠が日本国憲法の署名ってのがド素人丸出しだなw
そういう低脳で卑劣なヘタレは『公家・門跡・廷臣について知ったかしようぜ・4』に引っ込んでろ。
て言うか、そっちにいられなくなって、こっちに流れてきたかw
この下郎めが、とっとと立ち去れ!
日本赤十字社と日本郵船は近衛やら島津やら前田やら徳川やら亀井やら
旧華族多いな
旧華族枠でもあるのか?
日本赤十字社はわかりやすいとして、
日本郵船は三菱の名が付かない三菱財閥のコア企業。
旧華族の皆さんを保護したり、(ある意味)利用するのにも
なにかと都合のいい企業なのは確かだな。
459 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 00:45:28
>>456 まあまあ。
またぞろ小学校の教科書あたりに掲載されている、日本国憲法の写真でも目にしただけでしょうから。
所詮低脳池沼の定価の書き込むことですから、大目に見てやってくださいw
>>459 あなたのカキコで気が付いた。定価って人と間違われているんだね。
不愉快だからいちいちアゲないでくれる?
461 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 01:34:52
↑
不愉快だからいちいちレスしないでくれる?
463 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 02:00:29
↑
不愉快だからいちいちレスしないでくれる?
465 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 02:15:54
>>465 こんな時間に書き込んでいるのは、あなたと私くらいのものですよ。
467 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 03:00:46
うちの母方は戦国大名の流れで出身地に残って(つーかこっちが嫡流っぽい)細々と何してた。
戦時中子爵家のご家族預かったりとかしてたんで、従姉が婿とるとき挨拶(いい迷惑だよね)に行った。
そん時うちの兄が案内したんだが、向こうの人に気に入られて、縁戚関係と今度見合いするですよ。
以上霞会館通さずに伯爵家とお見合いする方法でした。
つーか、向こうのひいじいさんとうちの大伯父、同じとこで玉砕してんのに昨日気がついた。
468 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:52:33
華族は公家&武家華族以外は価値が無い。 その後、華族功労者が増えすぎて華族の価値が下がった。
469 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 10:53:54
五摂家だけは皇族と華族の中間位の身分を授けてやればよかった。
470 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 22:37:29
>>467 午前3時に必死の話題転換!
腰抜けの1よ、禿げしく乙だなプゲラ
471 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 22:41:16
公家華族にも大名華族にも価値なんかありません。
天皇制政府に寄生する無為徒食の徒です。
>>471 銀河英雄伝説の門閥貴族みたいなモンですか?
473 :
日本@名無史さん:2005/09/22(木) 22:51:31
諸大夫や地下官人も男爵にしてやれば良かったのに
>>471 天皇制政府に寄生しているのは○○や××もだと思うのだが、
彼等にも価値がない?
・・過激な。
今夜は患者さん来なかったな。
477 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 04:57:58
五摂家は直宮以外の宮家よりは常に上位にあった程に。
何条以て皇族の下位に貶めんとするや?!
469番殿!!
すぐさま返答せられよ!!!
478 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 04:59:31
ほろびた制度には何の価値もない。
価値云々言ってる人って、どうして現在形で書くんだろ。
480 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 06:21:23
あえて存続させる価値がなかったから廃止されたともいえる。
481 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 09:08:41
華族制度はクーデターで明治維新を成し遂げた薩長が創立した。
自らの欲望が暴発して昭和二十年に壊滅した。
482 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 09:09:31
伝統ある公家を潰したのも明治政府の責任。
483 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:39:10
>>467 別に霞会館なんか通さなくても華族でも普通に一般人と見合いしてる
みたいだよ。俺のところにも10万石以上の旧大名家の娘との見合い話が
来たことがある。
484 :
日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:48:51
さりげなく自慢してるのか、コラ
ふと思ったんだが、華族に呼びかける際は爵位をつけて呼ぶのかな?
それだと「○○公爵」「○○公」となるんだろうが、公爵と侯爵は同じ「こうしゃく」となるが、
書かないとこうしゃくと聞いただけでは公爵なのか侯爵なのかわからないな。
どうやって区別つけていたんだろう。
>>486 爵位をつけて呼ぶかどうかはケース・バイ・ケース。
相手との関係次第で、爵位に閣下まで付けて呼ぶ人もいれば、
苗字を呼び捨てにできる人もいた。
公爵はきみこうしゃく、侯爵はそうろうこうしゃく(候とは字が異なるけれど)。
公爵侯爵合わせてもせいぜい60人。
公爵と侯爵でダブってる苗字は徳川だけ。
そもそも日常的に華族と付き合いのある人間なら、当然顔と名前が一致してるだろうに。
それにしても徳川家はすごいね。
たった一代の成果で華族制度発足の時もウハウハ。
逆に他の名門はどうだ。
でも今は全ての支配層が特権的地位を失ったから良かった。
先入観が無くなり本当の姿が見える。
>>458 家柄で日赤と日本郵船入れるなんてうらやましい
そうなん。
494 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:03:18
495 :
日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:11:50
日赤、郵船のほかにもNHKも名門が多いみたい。
497 :
日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:34:40
498 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 00:27:50
500ゲット
501 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:25:10
>>498=
>>499=1
( ´,_ゝ`)プッ
禿げしく遅レスは、正体がバレてみっともなく慌てふためいた当人の証拠。
馬鹿がとっとと史ね。
502 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:43:44
>>501 どこのどいつか知らんが、それは大間違い!
>>470は私だが、他の奴は知らん。
激しく遅レスなあなたのほうが氏んだほうがいいですよ。
もしかして、
>>470もあなたじゃない?プゲラ
503 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:44:57
このスレまで定価に荒らされるのか・・・
504 :
502:2005/09/26(月) 21:46:28
505 :
502:2005/09/26(月) 21:47:26
だから、定価って人じゃないって。くどいな。
506 :
502:2005/09/26(月) 22:13:30
やはり氏にきれません。
>>456と
>>459は私に謝ってください。
あなた方に、過去定価という人とどういう経緯があったのか知りませんが、
無関係な人間である私が、なぜここまで悪し様に言われないといけないのでしょうか?
たしかに、私はあなた方ほど学識はないかも知れませんが、
あなた方にそれがあるなら、スレタイと無関係な悪口雑言ではなく、
その知識を披露なさるのが筋ではありませんか。
456 :日本@名無史さん :2005/09/21(水) 15:25:05
>>451 典拠が日本国憲法の署名ってのがド素人丸出しだなw
そういう低脳で卑劣なヘタレは『公家・門跡・廷臣について知ったかしようぜ・4』に引っ込んでろ。
て言うか、そっちにいられなくなって、こっちに流れてきたかw
この下郎めが、とっとと立ち去れ!
459 :日本@名無史さん :2005/09/22(木) 00:45:28
>>456 まあまあ。
またぞろ小学校の教科書あたりに掲載されている、日本国憲法の写真でも目にしただけでしょうから。
所詮低脳池沼の定価の書き込むことですから、大目に見てやってくださいw
507 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:12:30
508 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 23:52:27
徳川一門は公侯伯子男爵すべてに該当してるよな
509 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:12:43
華族って明治政府が己の地位を高めようとして作った制度? 明治政府の欲望陰謀侵略戦争でわずか八十年で華族は壊滅。
510 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:15:26
>>507 あなたに、過去定価という人とどういう経緯があったのか知りませんが、
無関係な人間である私が、なぜここまで悪し様に言われないといけないのでしょうか。
たしかに、私はあなたより学識があるかも知れませんが、
だからといって、あなたにそこまで僻まれる筋合いはないのではありませんか。
511 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:16:52
512 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 00:54:48
>>509 そもそも大名・公卿の処遇が目的だったことは知ってるよね。
壊滅って・・・、ドラマティックな。
513 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 14:21:07
伝統ある公家が崩壊… 薩長は明治維新は成功したけどその後の政策は失敗。
514 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 15:21:28
そんなことより伊藤博文と松本政調会長の関係を調べてくれ
515 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 15:33:57
>>514 伊藤博文は、松本剛明が尊敬する人物で曽祖父。
517 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 16:09:38
518 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 16:14:35
>>517 御自分でどうぞ。分かったら発表してね。
519 :
どらのすけ:2005/09/27(火) 16:35:02
チョリオと歴読の関係。。。
歴読の版元は、もともと
「共和製糖」と言う会社を経営していた
Kという家がオーナーで(現在も社長はその苗字のはず)、
先代(健在かは不明)は、昭和42年に
農林中央金庫(政府系の農林業関連向け融資機関)
に13億円不正に融資させかつ社会党の代議士に
国会での質問の代償に贈賄した
「共和製糖事件」の立役者。。
昭和60年の直前に懲役6年の実刑
が確定し(仮釈放されることなく)刑期を終える。
つまり、砂糖が原料!の清涼飲料水の会社
(チェリオ中部)を保持しているからです。
520 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 16:54:15
伝統ある公家を崩壊させたのは明治維新である。
つまり
>>518=
>>520は
「職人や商人に無理矢理官位を買わせて暴利をむさぼっていた」というスバラスィ伝統のある
公家は明治維新でなくなったと言うことを言いたいのかな
522 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 22:33:17 ID:0
523 :
日本@名無史さん:2005/09/27(火) 23:45:45
524 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 00:24:14
525 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 01:38:45
526 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 01:44:53
>>525 おやすみ。もう一つのスレは僕じゃないから挨拶はしないよ。クスクス
527 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 16:12:15
そんなことより伊藤博文と松本政調会長の関係を調べてくれ
528 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 17:51:56
明治維新はクーデターで成り立った。華族はおまけで誕生した。
529 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 19:59:42
でも武装農民あがりの大名にとっちゃ、
没落のキッカケにもなってるんだけどね。
武装農民の子孫が大名となり、その大名が明治に華族となり、
しかし敗戦で廃止になり、そして元の先祖の身分に相応しい位置に戻った。
いいことだよ。うん。
530 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:34:41
だが、国主級の大大名だった家は財団を作って家重代の宝を散逸させず、
財団の役員や博物館・美術館の長として、先祖の遺産で食ってるんだよな。
山林とか不動産関係の資産管理会社を持ってる家も少なくない。
>>530 旧華族で財団持ってるのって近衛、前田、徳川、島津、毛利、細川ぐらいのもんか
532 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:37:48
そういう家の当主は、大学を卒業したあと、ある程度の有名企業に就職して、
中年過ぎてから実家の資産管理会社や財団法人の役員になるケースが多い。
533 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:41:40
>>530 それはむしろいいことだとさえ思うよ。
他とは違う大名家ってことでしょ。
そういうのはないとね。
でも一番悲惨なのは、石高、出目も特徴が無く、現在もいまいちな元大名家だろうな。
こういうのはいいことだ。
535 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:48:26
自前の財団も作れず、わずかなお宝や資料も自治体に寄贈して何も残ってないとか、
完全に一般庶民の中に埋没してしまってるような家もあるだろう。
536 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 20:57:29
>>535 ちょっと悲しいけど…沢山あるだろうな。
そもそも江戸時代で数万石程度の大名家が今どうなってるのかって話。
京極とかならいざ知らず、無名なとこだとあれだろうね…。
>>531 徳川って宗家のこと?
尾張家や水戸家も財団があったよね。
538 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 21:11:25
推量って、積み重ねると事実になるんだよね。
539 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 20:24:53
高級公卿の子孫・・・有名神社の宮司など
大大名の子孫・・・財団法人や博物館を設立、資産管理会社の経営など
小大名や平公家の子孫・・・全くの普通人
>>539 はいはいわろすわろす。子供は手を触れないでね。
541 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:05:26
価値ある公家&大名の子孫って資産いっぱいあるの?
542 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:24:51
「価値ある公家&大名」と「価値のない公家&大名」との区別はどうなっているのですか
543 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 21:27:45
ついでに有名神社の定義もよろしく。
544 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 22:03:18
545 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:34:51
こいつら華族は価値がなかったから、同じ日本人からも見捨てられたんだよ。
戦前の右翼や青年将校にも華族廃止を主張するものが多かったし、戦後、GHQが
存命中の者一代に限り華族の地位を認めてやろうとしたのに、日本側の議員が
無条件で廃止にしてしまったんだよ。
546 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:43:09
1947年5月2日の時点で爵位を持ってた人ってまだ生きてる?
547 :
日本@名無史さん:2005/09/30(金) 23:47:01
細川護貞
548 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 00:47:37
終戦当時、護貞はまだ当主じゃなかった。父親の護立が最後の侯爵。
549 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 07:19:03
確実ではないが10年程前の資料からです
恐らく健在かと。
山科言泰・竹内惟貞・五辻規仲
藤堂高正・増山正信・本多康彦
大正末期から昭和初期にかけて
生まれた人を探してみました。
皆さん若くして爵位を継がれてますね。
550 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 09:49:33
久邇宮家出身の東伏見慈洽伯爵はまだ生きてるよね?
>>550 うむ、香淳皇后の弟ですな。
皇后が崩御されたときテレビ局のインタビュー受けてた。
552 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:02:52
この前死ななかった?
554 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 00:28:57
東伏見?ああ、青蓮院門跡を私物化した男ね。
原則として非世襲の門跡の地位を、自分の息子に譲れないなら天台宗を離脱するとごねて実際に実行した不良門跡。
天台宗側も皇后の弟には厳しく対処することができず、東伏見の要求を呑んだ。
先般ニュースになったのは東伏見がとうとう息子に門跡の地位を譲ったというニュースだろう。
まったく、久邇宮系統の男子は問題児ばかりだ。
556 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 01:33:43
そうか
門跡の地位を譲ったというニュースの後
死んだというニュースがあったような気がしたが気のせいか
それとも最近年取った旧皇族かなんかが死ななかったかな
東久邇のじじいのように長生きするのかな
557 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 01:36:58
李さんの事か?
558 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 02:15:13
いやちがう
昔の記憶と混じってるかも
559 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 04:05:09
>>552 死んだのは、馬鹿で下劣で池沼低脳な「藤原定価百円一種」。
>>559 負
け
/⌒\ オ 犬
ノ)´・ ・` | の
(/ ( ▼ヽ ボ
/ \_人_) エ
/|\ソ ヽ\
/  ̄L\|∩)
| \ /\)\\
\ 〆 / | \\
|\/ ∧゚ | \\_
| / \|_ | /
_|_ ノ  ̄\ \ レ ボエ〜〜♪
.|\\__レ | |
.| | ̄ | | | | |
.| | | | | | |
\| |__|_|___|_|
 ̄ ̄ | | | |
ヽ_ヽヽ_ヽ
561 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:50:03
徳大寺有恒も旧華族か?
562 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 13:58:43
明治政府の陰謀で誕生した華族。明治政府の定めた大日本帝国憲法のおかげで崩壊した華族。
563 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 15:29:45
>>560 荒らしは死ね。
氏ねじゃなくて、マジで死ね。
564 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 15:42:48
死ねとか書き込んでいるお前が死ね!
K1の佐竹は佐竹侯爵家の出だ
566 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 16:30:34
>価値ある公家&大名の子孫って資産いっぱいあるの?
上杉家は資産いっぱいあるようだね。
何百億円もするロケットを年に何台も打ち上げては
宇宙のチリや海の藻屑と化してる。
567 :
日本@名無史さん:2005/10/02(日) 16:57:54
>>価値ある公家&大名の子孫って資産いっぱいあるの?
>上杉家は資産いっぱいあるようだね。
徳川家も資産イパーイあるよ。
江戸幕府18代将軍・徳川恒孝公は定年退職後、郵船の第一線からは退き、
今は特殊法人「徳川記念公団」を設立し、理事長に就任し、
徳川家の偉業を後世に伝えるべき管理。
徳川家についてメディアなどで数多くの講演を行っておられる。
いっぱいあるかもしれんけど、分家の尾張とかよか少ないらしいね。
少ないから財団作る必要性があまりなく、設立が遅くなったようなことを本人が言っていた気がす。
>>568 >今は特殊法人「徳川記念公団」を設立し
数の割りに国宝・重文が少ない
>>565 ワロタ
>>566 ワロタ
ところでちょっと思ったんだけど、
徳川家って清和源氏同族会の会員になっているのかな?
571 :
杉江:2005/10/02(日) 17:35:42
>>561 徳大寺有恒は本名ではありません。
本名はキム・テジュン
徳川宗家より尾張徳川家の方が家宝はすごい
573 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 07:51:59
尾張徳川は財テクに成功したからな。
574 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 11:27:16
戦後のどさくさをうまく乗り切った旧大名家は熊本細川くらいだと聞いたが。
家康公手渡しの太刀(刀だろうな)を借金のかたに持ってかれたままの家とかもあるし。
>>501 激しく遅レスだが、498≠499だからね。
575 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 11:29:39
徳川御三家は今も親戚?
576 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 12:42:41
とりあえず紀州は無嗣断絶
尾張徳川現当主の徳川義宣氏と水戸徳川現当主の徳川斉正氏は共に徳川黎明会の
役員。
578 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 17:19:46
>>575 徳川宗家と尾張家の当主は従兄弟(正確には入り婿だから奥さんが従兄弟)
宗家、尾張家と慶喜家はハトコの関係
慶喜家と越前家も従兄弟の関係
他にも親戚関係があるはず。
579 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 17:24:28
>>555 東伏見慈洽夫人保子は亀井茲常次女で亀井久興の叔母になる。
保子夫人の顔は見たことないけど母親の久子(上杉伯爵家出身)はなかなかの美人だった。
あと、慶喜家の徳川慶朝氏と会津松平家の松平保定氏は従兄弟。
581 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 17:33:19
知子(田安家夫人)、正子(宗家夫人)、為子(紀伊家夫人)はともに島津忠義の娘。
582 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 17:39:53
徳川系は
慶喜の娘たちと忠義の娘たちを通じて結構縁戚関係が多い
583 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 17:44:37
他人の家系の詮索は度が過ぎるとキモイ
584 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:12:41
>583
ぐぐればこの程度のことはすぐに分かるし、新人物往来者の本にも載ってたりする。
585 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:45:58
昭武の息子の妻は田安家の出身だけどその母親は鏡子か知子のどっち?
586 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:47:02
宇治家彦と梨本徳彦は生きてる?
587 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:48:56
大名だった人の子で平成までいきたのは徳川為子の他にいる?
588 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 18:54:51
華族人は血が濃いの?
589 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:06:00
酒井美意子は近親婚で生まれ従兄に嫁いだ。
これは極端な例だけど結構血が濃いね。
590 :
日本@名無史さん:2005/10/03(月) 19:07:42
あんたたち、アガサ・クリスティーの小説に出てくる老婦人みたいよ。
591 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 15:54:41
592 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 16:09:10
還暦すぎてやっと家督相続か
593 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 16:57:03
細川護貞といえば、近衛文麿と男色関係
のあった御仁だな!
名誉毀損になりかねんぞ
595 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 17:13:33
>>593 妻の父親と関係・・・
作り話的には面白いかも
596 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 17:22:52
細川斉護―細川護久―細川護立―細川護貞
鍋島直正―細川宏子―細川護立―細川護貞
池田章政―池田詮政―細川博子―細川護貞
島津忠義―松平充子―細川博子―細川護貞
597 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 19:05:08
おまえら所詮はアキバ系だろ?
血統を必死になって論評しあっているのって
なんかキモイ
おまえらの外見まで容易に想像できるんだけど
政財界、皇室からの葬儀参拝者がすごそうだ
すごい面子が集まるだろうな
このコメントが一番きんもーっ☆
>>598 無意味な行間も乙。
600 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 20:05:31
祝! 600get
☆ ∵∴∴☆※☆∴∵∴ ./
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.. ※☆☆*°°★°° 人 ★ °°*☆☆※ *
∴☆★☆°°☆ (__) ☆ °°☆★☆∴
∴☆☆*°°☆ (__) ☆°°*☆☆∴
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∵☆☆*°° 〉 _ノ °°*☆☆∵ *
∵☆★☆°°☆ ノ ノ ノ ☆°°☆★☆∵
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∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵ うんこーーー!!!
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※∴∵☆★☆★☆★☆∵∴※ ☆
∴∵∴☆※☆∴∴∵
真偽は別にして、
護貞氏の時代なら、旧制高校から陸士、海兵でと衆道の風は残っている時代。
ゆすられるほどネタか?
なんだかライナス・ローチ主演の『司祭』が見たくなってきた
604 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:28:59
605 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:30:30
ゲイの臭いが漂うスレ
606 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 21:38:33
徳川宗家の仏壇デカイのかな?家康から………慰霊もいっぱい??
607 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 01:42:11
608 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 07:57:46
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
609 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 10:07:18
浩宮を侮辱した奴 警視庁に通報したぜ
先週だかの週刊文集に田安徳川家の御当主の方がでていらしたよ。
この方によると現在、徳川一門は500人近くいて
定期的に全員ではないが霞会館で会合してるらしい。
それ読んだけど、微妙に世間からズレしてるような感じも。
IHIの歴史的経緯を考えれば、旧徳川家の人間を引き受けざるをえない、
というか引き受けることで利益もあるんだろうけど、社内での扱いは微妙だったんだろうな。
612 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 11:49:36
徳川為子さんの孫(娘の娘・徳川姓)は建築家として比較的有名だけどこの人は独身なの?
613 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 12:08:35
この結婚―明治大正昭和の著名人夫婦70態という本があってその中に
有馬頼寧と貞子―修羅と化した三十年
というのがあるけど2人の間に一体何があったの?
614 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:08:41
>>613 そこまで詳しく知ってるのに内容を知らないってのは怪しい。
そんなにまでしてネタ振らなくていいよ。
615 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:15:48
>>614 たまたま「有馬頼寧 寛子」で検索したら現れただけで本当に知らない(貞子が北白川宮の出身ということは知っているけど)。
616 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:32:39
細川護貞の男色相手は酒井伯爵だったと思うけど、
近衛文麿とも情交があったのかな?
617 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:33:33
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
620 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:40:40
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
621 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 20:49:57
上のアホ
宮内庁に通報しました。
↑
テンコロ信者発見!!
で?
624 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 00:11:12
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
625 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 10:49:57
華族が誕生した経緯は下級武士自らの地位を高めようとして誕生した訳?
626 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:27:46
ヨーロッパにあったからじゃないの?
627 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 12:31:28
公家や大名をいきなり放り出すわけにいかんだろ。
縁戚関係が日本限定だったのは痛かった。
欧州みたいにアジア各国の王侯貴族と縁を結べばよかったのに。
>>628 ヒント:したくても欧州の王侯貴族が相手にしてくれなかった
>>628 李方子や愛新覚羅浩では役不足だったと?
>>629 熟読すべし
>>630 李殿下は日本だし、満洲国も日本の勢力圏だからあまり意味ないな。
現ネパールとか、印度のマハラジャあたりとも欲しかった所。
皇室だけではなく、公爵以下も含めてね。
そうじゃないとチャンネルが少ない。
632 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 16:12:01
ハワイ王室と山階宮の縁談はあったけどね。
エチオピア王室と黒田侯爵の縁談もあったような…
633 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:04:32
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
634 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 23:37:31
『春の雪』観た人いる?
635 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:13:38
一応こんな人もいる。
根本七保子(デヴィ・スカルノ)インドネシア大統領第三夫人
スサナ・ヒグチ(アルベルト・フジモリ夫人)ペルー大統領夫人(日系人)
マリアム妃 ブルネイ国王第二夫人(父方の祖母は日本人)
636 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:15:06
637 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:18:11
華族では無いけど外国の権力者との縁談ということで…
638 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:19:32
華族の姫君が土人と結婚?
ありえねーw
639 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:25:35
華族がらみなら。
松方正義(首相・公爵)ー松方正熊(十勝鉄道会長)−春子(駐日大使ライシャワー夫人)
ちなみにライシャワーのいとこの娘がモンデール(アメリカ副大統領・駐日大使)の夫人になってる。
640 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:26:35
>>632 エティオピア皇室との縁談があったのは黒田子爵令嬢。詳しくはググッてみるとよろし。
641 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:30:09
ハワイ王国やエチオピア帝国との縁談、実現していれば良かったのに。
642 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:35:02
あ、ホントだ失礼。
643 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 00:39:07
>>612 この人?
名前だけは以前から知っていて、何か華族っぽい名前だなとは思っていました。
仮に結婚してても、仕事やポリシーのために旧姓を名乗っているというのはありそう。
徳川 宜子(とくがわ・ことこ)
1956年 東京都生まれ
1977年 東洋英和女学院短期大学卒業
1981年 文化学院卒業
1981年 大成建設株式会社入社
1985年 株式会社石橋徳川建築設計所設立
1988年 東京建築士会評議員
1992年 東京YMCAデザイン研究所講師
644 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 01:23:11
>>640 当時としては珍しく身長が165p以上あって
彫りの深い現代的な顔立ちだったそうですね
アベベみたいな身体の持ち主と結婚したなら
さぞかし見栄えのする子が生まれたと思うな
645 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 05:04:00
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
やはり当家のような摂関家から東宮妃を冊立する可きだった。
646 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 05:08:25
妄想か・・。
647 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 19:02:24
先週末、鎌倉の旧華頂侯爵邸を見学しますたよ。
華頂博信侯爵は、伏見宮博恭王・経子妃(徳川慶喜女)両殿下の第3王子で、1926年臣籍降下して華頂の姓と侯爵を授けられますた。
夫人は閑院宮華子女王で、男の子が二人おられますた。次男のほうは、伏見伯爵の養子となりまつ。
このような経緯からか、邸宅は宮内省の直営で建設され、鎌倉市内に現存する戦前の洋風住宅としては、旧前田侯爵邸(鎌倉文学館)に次ぐ規模を有するとのことでつよ。
648 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 19:53:26
>>643 そうです。この人の父親は日系人らしいです。それにしても紀州家は明治以降子供とくに男子が少ないですね。
せっかく生まれても夭折したり病弱だったりして遂に女性のみになってしまった(久子とか為子は長生きだけど)。
649 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 19:58:36
最後の殿様がバカ殿で浪費三昧。日系人の婿養子を迎えたものの離縁。
とうとうお家断絶・・・トホホ
なぜ日系人
もっといいとこから婿を貰えばいいのに
戦前的なものに対する反動がまだ強く残っていたせいもあるかも?
652 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:22:06
最後の当主は戦前、蜂須賀の殿様と並ぶ大浪費家だった。
戦後、旧領地の和歌山選出の参議院議員になったが、在任中に病死した。
そして残された未亡人はフランス料理のレストランを出したが大失敗。
前当主の散財に加えて未亡人の事業失敗で紀州家は没落一直線。
日系人のナントカ剛さんが婿に入ったのは、そんな時期であった。
ナントカ剛くんってお金持ちだったの?
654 :
日本@名無史さん:2005/10/11(火) 21:42:17
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
やはり当家のような摂関家から東宮妃を冊立する可きだった。
655 :
世界@名無史さん:2005/10/11(火) 21:43:21
そっとして置きなさい。何か思うことがあるのだろう。
コピペはうざい。言うまでもなく当然のことだ。
だが、もしコピペの犯人が高学年の美少女小学生だったらどうだろう。
犯人の美少女がいま友達と遊んでいて、2chに1日に○○件
書き込みできなかったら、その場にいるみんな(男子もいる)に
オマンコを見せ、ネットに自分のマンコ画像をアプしなければならない
という罰ゲームをする決まりになっているとしたらどうだろう。
トレードマークの大きな赤いリボンを揺らしながら小さい手で
必死に手動連続コピペを続ける美少女小学生がんばれ! 連続コピペがんばれ!!
でもマンコ画像はアプしてください。ハァハァ
658 :
日本@名無史さん:2005/10/13(木) 01:07:11
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
やはり当家のような摂関家から東宮妃を冊立する可きだった。
659 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 07:39:59
浩宮徳仁もゲイなのに、オンナと結婚させられた。
その結果が女児一人を人工的に儲けただけとは!
やはり当家のような摂関家から東宮妃を冊立する可きだった。
660 :
日本@名無史さん:2005/10/14(金) 18:59:43
徳川茂承長女久子って美人だけど気が強そうで女王様的性格に見える。実際女王の娘なんだよね。
次女孝子も久子より顔が長いだけでやはり同系統の顔だね。
三女保子は母親が違うから顔もちょっと違う。
>>647 華頂夫妻には娘もいて夫妻の離婚さえなかったら有力な皇太子妃候補になっていたらしい。
>>660 いつの皇太子妃ですか?年代からすると、今上天皇が東宮だった時のお話ですよね。
系図(不完全なものだったのかも)には男のお子さんしか掲載されていないのですが。
662 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 14:55:28
>>661 今上の頃です。昭和の皇室をゆるがせた女性たちに華頂夫妻の娘について載ってたりする。
別の本には離婚さえなかったら有力な皇太子妃候補だったと書いていた。
女子は系図に載らないことが多いからですね。
663 :
日本@名無史さん:2005/10/15(土) 21:20:57
堂上華族以外カス。増えすぎ多すぎカスだらけ。 公卿以外意味なし。
664 :
日本@名無史さん:2005/10/16(日) 00:12:27
公家なんて役立たず。大名以外意味なし。
国造じゃないヤツはカス
蘇我氏と血縁関係がないヤツは偽物だ。
>>666 藤原系(南家、北家、式家子孫)は全員蘇我氏と血縁関係になりますが何か?
>>667 天皇家もその子孫の源氏も平氏も全員そうだね。っていうか
>>666は知ってて言ってると思われ。
旧古河男爵邸に行ってきますたよ。コンダーの建築の妙とお庭を楽しんできますた。
でも、こういう財閥系のお家は、爵位なんて飾りくらいにしか思っていなかったのかな?
670 :
日本@名無史さん:2005/10/18(火) 01:29:45
意外と戦前の財閥・華族系の西洋館と言うのは外見は立派に見えるが建築本体は手抜き(予算の都合上)と言う事が多く
保存が大変と言う話を聞いたことがある。
>>670 惜しむらくは、そもそも現存例が少なすぎますね。
ちなみに、旧古河邸は鉄骨煉瓦造。こちらは大谷美術館が資金提供してかなり入念に修復を行ったようです。
672 :
日本@名無史さん:2005/10/18(火) 19:37:25
久邇宮の娘は古河家に嫁いだらしい
皇族ネタはイラネ
674 :
日本@名無史さん:2005/10/18(火) 19:52:35
>>672 古河潤之助と結婚した典子女王(香淳皇后の姪)ですね。
675 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 17:55:55
甘露寺受長は長生きだね
676 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 18:03:16
侍従次長から明治神宮の宮司になった人だね。
子供の頃から明治天皇の小姓みたいなことをやってたらしい。
677 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 19:15:54
五摂家以外価値無し
678 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 19:18:50
もう、いまのコノエはホソカワ君だがな。
679 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:37:15
藤原定価百円一種=hedrienは死ね
680 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:41:30
ついでに「いまのコノエはホソカワだ」と執拗に繰り返す厨も死んでほしい。
何年も前から関係スレに居ついている大馬鹿野郎だ。
681 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:46:30
そんなことを知ってるお前も何年も前から居ついてることになるが・・・
すげえ・・・
>>680は何年もこのスレに粘着し続けているのか・・・w
683 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 21:53:13
そのとおり。おまえら若造とは年季が違うのだ。
684 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 22:33:00
華族ってわずか70年で……なんかパッとしない…
685 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 15:54:04
甘露寺受長は大正天皇より1つ下なのにご学友なのはなぜ?
九条家で道孝以降の正妻はどこから嫁いできてるか分かる?
687 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 16:05:30
688 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 16:06:22
世界帝王事典でもググれ。
それが分からんのよ
690 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 16:31:51
道孝正室和子は宗家出身。道実正室恵子(旧姓大谷)は東本願寺分家出身?あとは知らん。
山階宮範子妃は和子の腹らしい。
692 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 16:40:03
>>691 いえいえ。不完全なデータでよろしければ。
693 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 20:53:48
公人でもない一般人の系図の詮索はキモイ
華族なんてなくなってくれてよかった
平成新華族なんて存在が出てきましたがな。
696 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:24:28
697 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:26:21
ホリエとかミキタニとかムラカミなんてやだな。
まだ、長嶋家や花田家の方がマシ。
698 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:32:31
日本人は
>>697に象徴的なように嫉妬深いから、いまさら華族制度の復活は認めないだろう
699 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:34:42
平成新華族って具体的にはどういう連中のことを指すの?
700 :
日本@名無史さん:2005/10/23(日) 23:41:40
昭和の頃から政財界の閨閥を「新華族」とかいって皮肉ってたぞ。
歴代首相の閨閥とか、天皇家の親族になった正田家とか麻生家とかな。
>>699 旧華族家以外で天皇家の閨閥に連なるような一族です。
天皇家の親戚になるなんて勘弁してくれと子弟を海外に留学させる親が多数あり。
703 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 10:36:12
質問でつ。
@華族の当主(旧大名、子爵の家)が隠居して、後に分家したら族称は平民になるんでつか?
A華族の子弟で、別の華族の家に養子に行って当主となり、後に離縁となったらどうなるんでつか?
色々な事例がありまつね。
704 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 17:39:44
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
>>703 @ 確か平民籍になったと思います。高橋是清が衆議院に立候補する為、家督(子爵)を嫡男是賢に譲り
自らは、分家・平民となったケースがあります。
706 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 21:32:53
>>703 A讃岐多度津1万石京極家の例ですね。
壽吉(山崎治正6男) 明治5年承→明治7年隠→明治8年離
その後、高典が再承 明治6年に高典の実男子が誕生によるようですね。
壽吉15歳ぐらいで承、当時11歳程であった女子の婿養子として迎えた
のでしょうが、実子男子が誕生し状況が一変したのでしょう。
その後の壽吉さんどうなったんでしょうか?
平民になっても、位階はそのままなんでしょうかね。
707 :
日本@名無史さん:2005/10/24(月) 23:29:05
元子爵とか称することはできたんでしょうか? 従4位下とか称することできたんでしょうかね?
そのへん興味津々。
元子爵とか却ってみっともない。
709 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 01:21:22
↓みたいな場合の「新華族」もあるからなあ。新華族という用語の使用は微妙だなあ。それ以外の意味の時は、きちんと「平成」とかつけないと。
>旧華族として公家華族(堂上、堂上格)と武家華族(藩主、藩主格)、新華族として賜姓降下華族、奈良還俗華族、神官華族、分家華族、勲功華族。
酒井美意子は、新華族を専ら勲功華族を指す語として使用していたようだな。
>>710 あの人は美智子さまのことも平民の娘と蔑んでいましたから。
712 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 08:06:48
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
公家と名門大名以外カス
714 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 12:03:45
前田家やってましたね・・・駒場・高輪・鎌倉と豪勢ですね。
715 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 12:41:39
下級武士は全然価値無し
716 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 13:12:51
仙石政敬の妻
717 :
日本@名無史さん:2005/10/25(火) 15:25:05
戸田氏秀は年下の婿養子らしいけど他に年下の婿養子はいたの?
718 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:06:01
旧毛利公爵邸と旧毛利子爵邸に行ってきますた。六本木ヒルズの毛利庭園とは違いまつよ。
719 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:12:21
防府と長府の旧毛利邸でしょ。
720 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:21:17
正解。
721 :
日本@名無史さん:2005/10/26(水) 20:56:24
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
722 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 00:11:16
テラキモス
>>721 過去の栄光にすがって生きているのですね。
いいえ、ただの病気です。妄想ですから、過去の栄光などありません。
726 :
低能ドモに問う:2005/10/27(木) 10:27:15
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
727 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 14:33:20
ヨーコ・オノが華族だったって本当?
728 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 18:44:22
729 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 18:55:30
>>726 うるさい。目障りな上に気色悪いから早く氏ね!
730 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:37:08
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
731 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:48:16
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
732 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:49:07
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
733 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 20:56:16
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
734 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:28:13
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
735 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:40:00
織田無道は1200年続く禅宗の寺(圓光寺)の坊主だが、
華族だという話は聞いたことがないな・・。
736 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 21:50:50
禅宗の寺が1200年続いているという時点ですでに嘘くさい。
『?』
普通にあるが。
密教の寺が途中で真宗や禅宗に宗旨変えするのはごく普通だが
739 :
近所者だが。:2005/10/27(木) 22:13:05
無道さんの寺、檀家の数軽く1000超えてるよ。
あとあの人、檀家の葬式のときガキが騒いで葬式が台無しになるのが嫌になって、
一時期テレビに出るのを控えていたという裏話があるw
740 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:38:27
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
741 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 22:39:52
ホンモノの華族は「御免あそばせ」なんて言わないんだろうけどね
太宰治「斜陽」の批判で三島が似たような事を云っていたような。
743 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:18:18
自分を無理して偽るような人間は、見ていて愚かなもの。
望む物を手に入れない限り、コンプレックスは一生解消されないだろう。
ていうか、クソ面白くもないコピペを連投してるヤツはただの荒らしだろ。
つーか最初の奴はマジ、で荒らしがやるようになると。
746 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 00:39:37
牡丹とファスナー。
747 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 13:46:37
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
748 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 15:50:24
しかし華族の中には破産した人たちも多かったそうだし
名誉的な面が多かったのでないか?
749 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 18:25:33
>>748 名誉与えてやらねば権力剥奪はできんかったろう?
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
750 :
世界@名無史さん:2005/10/28(金) 19:06:46
>しかし華族の中には破産した人たちも多かったそうだし
>名誉的な面が多かったのでないか?
は?文の前半と後半が全くつながらないんだが、何が言いたい?
それに対する749のレス↓
>名誉与えてやらねば権力剥奪はできんかったろう?
シュールすぎるよ、おまいら!!!
751 :
山野野衾:2005/10/28(金) 19:52:39
いい具合に荒れてますね。
752 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 19:57:13
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
753 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:07:21
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
754 :
日本@名無史さん:2005/10/28(金) 20:08:19
当家は「新平民」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
755 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 11:48:28
クスクス。
旧華族に新華族か。
こういった分類で物事を判断するのは、
大した家じゃないと自分で言ってるようなものだね。
756 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 12:16:44
新華族は価値無し。
757 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 13:41:27
クソ面白くもないネタを連投するコピペ馬鹿に居座られて・・・
このスレ、終わったな。
758 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 13:42:11
もう埋めよ〜ぜ。
759 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 14:39:05
当家は「新平民」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
760 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 14:39:12
>>758 埋められるのはお前の方だよ。
バカが。
クソ面白くもない連投コピペで埋め尽くすスレ
762 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 17:03:40
hedrien=定価
763 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 17:07:10
御免あそばせコピペは定価のしわざか・・・
764 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 18:36:14
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
765 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 18:51:29
い い 具 合 に 荒 れ て ま す ね 。
766 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 20:43:09
>>764 藤原定価百円一種と名乗る無学文盲の事典孫引き知ったか野郎は華族でも新華族でもないよ。
日本中で最も賤しい下郎です。
767 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 20:48:12
>華族でも新華族でもないよ。
当たり前だろ。
768 :
日本@名無史さん:2005/10/29(土) 21:21:31
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
769 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 22:18:28
100菌はうざい
770 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 22:20:22
当家は「新華族」さんとは、お付き合いは御座居ませんのよ。
御免あそばせ。
771 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:35:15
元貴族院議員で今でも存命の人っていますか?
772 :
日本@名無史さん:2005/11/07(月) 21:46:22
三笠宮崇仁親王
773 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 22:19:54
池坊保子は天皇の再従妹らしいけどどのようにつながるの?
775 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:10:51
久邇家の誰かと繋がりが。
池坊保子は梅渓家(元子爵)梅渓通虎(元貴族院議員)の三女、
梅渓家は久我家の流れ。
>>773-776 池坊保子女史は佐々木道譽と血縁関係があると言ってられたそうですが
久我家は近江佐々木氏と縁戚関係をもっていたのですか?
778 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:41:15
保子の母夏子が良子皇后のいとこらしい。
ただ夏子の出身がわからない。
779 :
日本@名無史さん:2005/11/12(土) 23:45:04
明治の陰謀が創立した華族制度…公家以外価値無し…
780 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 00:05:23
>>771 もういないかもね
この前亡くなった細川護貞さんだって
終戦時貴族院議員だった人の「息子」だからねえ
>>779 華族制度は公家の救済措置の面もあるから。
>>778 母夏子は仙石政敬三女 仙石政敬夫人は香淳皇后父邦彦王妹素子女王
ただ夏子が素子女王の娘かどうかは知らない
783 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 20:01:11
ありがとうございました。
ということは
久邇宮朝彦−仙石素子−梅渓夏子−池坊保子
でおk?
それと素子女王の没年はわかりますか?
784 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 13:31:23
御免あそばせ。
785 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 20:39:17
くだらん。
男の話題をしろ。
786 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:09:59
787 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:13:51
上記の中にあったが、こういう国会議員ってカッコイイ!!
贊成者氏名
公爵岩倉 具榮君 伯爵二荒 芳徳君
伯爵清閑寺良貞君 伯爵柳澤 保承君
伯爵橋本 實斐君 伯爵黒田 清君
伯爵大木 喜福君 男爵白根 松介君
子爵高橋 是賢君 子爵植村 家治君
子爵本多 忠晃君 子爵入江 爲常君
子爵伊集院兼高君 子爵藤井 兼誼君
子爵齋藤 齊君 子爵稻葉 正凱君
子爵稻垣 長賢君 子爵井上 勝英君
長岡半太郎君 白澤 保美君
小山 松吉君 山田 三良君
姉崎 正治君 林 春雄君
中田 薫君 河井 彌八君
牧野 英一君 荒川 文六君
松村眞一郎君 羽田 亨君
村上 恭一君 下條 康麿君
塩田 廣重君 慶松勝左衞門君
788 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:17:25
さらに、こっちもそうそうたる面々。
どうせ今でも世襲同然なんだから、貴族院でよかったような・・・
反對者氏名
公爵九條 道秀君 公爵島津 忠承君
公爵桂 廣太郎君 公爵三條 實春君
侯爵細川 護立君 侯爵廣幡 忠隆君
侯爵中御門經恭君 侯爵徳川 頼貞君
侯爵中山 輔親君 侯爵嵯峨 實勝君
侯爵黒田 長禮君 侯爵池田 宣政君
侯爵西郷吉之助君 侯爵西條 隆徳君
侯爵鍋島 直泰君 侯爵大炊御門經輝君
侯爵淺野 長武君 侯爵大久保利謙君
侯爵前田 利建君 侯爵佐竹 義榮君
伯爵林 博太郎君 伯爵奥平 昌恭君
伯爵前田 利男君 伯爵後藤 一藏君
伯爵徳川 宗敬君 伯爵南部 利英君
伯爵宗 武志君 伯爵金子 武麿君
伯爵久松 定武君 伯爵東久世通忠君
伯爵壬生 基泰君 三土 忠造君
男爵幣原喜重郎君 子爵西大路吉光君
子爵今城 定政君 子爵岩下 家一君
子爵秋月 種英君 子爵大河内輝耕君
789 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:24:52
大谷 正男君 子爵加藤 泰通君
子爵秋元 春朝君 子爵松平 乘統君
子爵富小路隆直君 子爵黒田 長敬君
子爵秋田 重季君 子爵森 俊成君
子爵戸澤 正己君 子爵織田 信恒君
子爵細川 興治君 子爵北小路三郎君
子爵實吉 純郎君 子爵西尾 忠方君
子爵梅園 篤彦君 子爵安藤 信昭君
子爵内藤 政光君 子爵京極 高修君
子爵柳澤 光治君 子爵交野 政邁君
子爵高木 正得君 子爵大久保教尚君
子爵永井 直邦君 子爵三島 通陽君
子爵六角 英通君 子爵瀧脇 宏光君
子爵北條 雋八君 子爵綾小路 護君
子爵仙石 久英君 子爵松平銑之助君
子爵田中 薫君 子爵七條 光明君
子爵梅溪 通虎君 子爵錦小路頼孝君
子爵水野 勝邦君 子爵松平 親義君
子爵土井 利章君 子爵鳥居 忠博君
子爵日野西資忠君 子爵青木 重夫君
子爵朽木 綱博君 子爵伊東 祐淳君
子爵榊原 政春君 子爵三浦 矢一君
子爵京極 高鋭君 子爵三宅 直胖君
子爵植松 雅俊君 子爵牧野 忠永君
田中館愛橘君 桑木 嚴翼君
平塚 廣義君 永井 松三君
佐々木惣一君 出淵 勝次君
790 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:30:06
有爵者以外の勅選議員にも、けっこういい人材がいるんだよな。
長岡半太郎君 白澤 保美君
小山 松吉君 山田 三良君
姉崎 正治君 林 春雄君
中田 薫君 河井 彌八君
牧野 英一君 荒川 文六君
松村眞一郎君 羽田 亨君
田中館愛橘君 桑木 嚴翼君
平塚 廣義君 永井 松三君
佐々木惣一君 出淵 勝次君
791 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:31:42
結論
日本国憲法での参議院は間違いだった
792 :
日本@名無史さん:2005/11/18(金) 21:47:57
お笑いタレントやプロレスラー、フェミサヨが議員になってる現状に比べると、
まばゆいばかりの面子だな。
尾張候に黙祷!
794 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 23:01:41
age
795 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 23:22:59
華族に存在意義がなかったようにこのスレにも存在意義がない
796 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 23:26:12
だが現在の議員連中にはもっと存在意義がない
797 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 23:27:12
そういう議員を選んだ
>>796には生きる価値もない
798 :
日本@名無史さん:2005/12/03(土) 23:51:17
公家&大名華族以外価値無し。
特に下級武士からはい上がって公爵になった野郎は日本のカス。
799 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 00:19:48
日本人はまったく嫉妬深い
800 :
日本@名無史さん:2005/12/04(日) 00:21:04
うんこ
801 :
日本@名無史さん:2005/12/12(月) 01:36:13
三条実美の子どもは全員治子の子ども(特に美佐子、篤子、公輝、夏子、実英がどうか知りたい)?
802 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 06:54:59
182 名前:名無しさん必死だな 投稿日:2005/11/16(水) 15:03:55 ID:9VOpePiJ
パイオニアLDC→インクリメントPに勤務し「大運動会」「ノエル」等に携わった
秋月プロデューサーは九州秋月藩・元華族(子爵)秋月家の嫡流
紀宮と結婚した黒田家とも姻戚関係にある
ゲーム業界板からの転載してみる。
これマジ?
803 :
日本@名無史さん:2005/12/14(水) 07:43:10
秋月の話題はかまわんが、ノリ宮だのクロダだのの不浄な名前を出すな。
神聖な華族スレが汚れる。
804 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 00:03:03
>>802 >九州秋月藩・元華族(子爵)秋月家
秋月藩主家の姓って黒田じゃなかった?
805 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 00:31:18
>>802 黒田さんちの旧華族とのつながりは、
父方の伯母が税所(さいしょ)子爵家に嫁ぎ、
父方の伯父の妻が秋月子爵家の出身。
806 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 09:32:39
税所って、そこの娘が大学の同学年に居たな。
薩摩の片田舎の郷士の出だから新華族だね。
秋月家は日向国(宮崎県)高鍋藩(2万7千石)
の旧藩主・子爵なんでわ?
807 :
日本@名無史さん:2005/12/23(金) 18:33:38
保守
クロダみたいなどうでもいいヤツの係累の話題はよそでやれ。ウゼエ。
809 :
日本@名無史さん:2005/12/25(日) 05:38:41
メッセンジャー黒田( ´_ゝ`)
秋月さんから家に年賀状来てた。
812 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 23:04:45
戦後は財産税によって多くの華族が没落したとのことですが、
今でも幅を利かせている旧華族の方々も多いと思います。
でも、いろいろ見聞すると公・侯・伯の家はなんか今でもカネ持ってそうな感じですが、
子・男についてはあまり聞いたことがありません。
実際のところ、戦後の華族没落というのはそんなにひどいものだったのでしょうか?
特に下位の爵位ほどひどいものだったのでしょうか?
813 :
日本@名無史さん:2006/01/04(水) 23:11:01
子爵、男爵のうち、堂上華族や奈良華族(元奈良の僧侶)は元々貧乏で、
皇室のお手元金から救済の賜金が出ていたくらい。
大正天皇の係累の柳沢家ですら貧乏で、娘を九州の炭鉱屋に嫁にやった。
814 :
813:2006/01/04(水) 23:16:04
柳沢じゃなくて柳原だった。訂正w
>>812 三笠宮百合子妃の父 高木子爵(旧諸侯)は、戦後自殺しています。
816 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 09:38:25
大正時代の華族階級の生活、服飾やしきたりが詳細にわかるような
文学作品(できれば昭和以前に書かれたもので、文庫化されたもの)
ご存知でしたら教えてください。ジャンルは問いません。
よろしくお願いします。
817 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 09:42:37
大正時代に大森の裕福な海苔問屋に養女にやられた
堂上華族のお嬢さんがいるよ
海苔問屋が破産して自殺して新聞種になった
818 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 09:48:24
諸侯華族は旧大藩知事(大大名)が侯爵
旧中藩知事が伯爵、旧小藩知事が子爵だから
爵位が高い方が裕福なのは当然で子爵はかなり苦しい
新華族のうち軍人華族は名誉だけだから裕福ではない
政府高官や多額納税者で爵を貰った者は金持ちだが
戦後の農地解放や高率な相続税で財産を失った者も多い
819 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 10:11:56
当家は新華族さんとは一切お付き合い御座居ませんでしてよ。
御免遊ばせ。
ホモ吉さんは旧華族さんでしたか
821 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 15:52:59
徳川宗英さんの本によれば、戦後の財産税を真面目に納めた者は没落し、延納措置をとった者はのちの納税義務取り消しによって没落を免れたそうです。
納め損というわけだそうです。
822 :
日本@名無史さん:2006/01/08(日) 23:18:14
旧宮家スレは近代史板に移転したのにこのスレは残ってるんだな
823 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 04:57:42
うちの曾祖父は華族に列せられなかったことを大変憤慨していたそうです。
今思うとかえって良かったのかも。
九条さんに宛てた直訴状の控えを見せてもらいました。
824 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 09:22:15
825 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 10:07:06
平民だから華族に焦がれる
代々水飲み百姓です。百の姓と書いて百姓
爵位ってやっぱカッコヨス
826 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 11:32:44
百姓あがりの軍人がやたら無用の戦やりたがったのも領土の一つもぶん捕って
末は大将、男爵と夢見たからにほかならない、実に恐ろしきは成り上がり願望
827 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 22:11:25
>>822 バカ定価対策だよ。
ここはバカ定価の隔離スレw
828 :
日本@名無史さん:2006/01/12(木) 22:12:28
829 :
日本@名無史さん:2006/01/14(土) 22:15:05
830 :
質問:2006/01/16(月) 13:34:46
公爵だったのは 五摂家、徳川宗家、徳川慶喜家くらい?
明治維新に功労のあった薩長の藩主は侯爵止まり?
総理経験者で山縣有朋あたりは 公爵もらった?
831 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 13:47:11
現在、有朋 の御子孫は公爵剥奪後極貧生活をしていたらしい、後に広大な土地を有効利用し林業営んでいる。
832 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 13:47:57
ようは、全て一般人扱いになったとさ
833 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 18:27:44
公爵だった家
摂家・・・近衛、鷹司、九条、二条、一条
清華以下・・・三条、徳大寺、西園寺、岩倉
徳川一門・・・徳川宗家、慶喜家、水戸家
大名・・・薩摩島津家、久光家、長州毛利家
元勲・・・伊藤博文、山県有朋、桂太郎、松方正義、大山巌
834 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 18:31:31
徳川宗家と水戸家、毛利家は財団を持ってるし、水戸家と島津家は同族企業もある。
武家出身の公爵で一番、一般人になってしまったのは慶喜家。
835 :
日本@名無史さん:2006/01/16(月) 19:13:30
島津製作所は島津家と関係があるのでしょうか?
たしか社のマークが十時に○だったと思いましたが
>>831 単純なことしか書かれていないのに分かりにくい文ですねえ。
「現在」なのか「後に」なのかハッキリしてください。
それに、山縣家は爵位を「剥奪」なんかされていませんから。
宮中某重大事件の時、山縣有朋は栄爵拝辞を願い出たが慰留された事はある様だ。
839 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 12:09:53
爵位を剥奪された華族なんてそうはいない。
華族に何か不都合なことがあっても、せいぜい「返上」という形をとるもんだ。
昭和恐慌で華族銀行を倒産させてしまった頭取の松方侯爵も、剥奪ではなく、返上を申し出て允許されている。
剥奪された華族で思いつくのは、共産主義活動に身を投じた、演出家として有名な土方与志くらいだな。
与志は、明治維新の功労者で宮内大臣も務めた土方久元の孫で、伯爵。
840 :
日本@名無史さん:2006/01/22(日) 15:14:44
>>839 松方巌は公爵
家督も末弟の三郎を養子にして継がせ完全に隠居した
841 :
日本@名無史さん:2006/01/24(火) 17:42:11
武者小路公秀の母方の祖母はフランス人らしいが武者小路公共夫人毛利氏は早世したの?
842 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 13:43:19
843 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 18:34:40
滅んだ制度のことなど、どうでもいい。
844 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:04:01
吉井伯爵や穂波子爵も剥奪じゃなかったか?
845 :
日本@名無史さん:2006/01/25(水) 22:17:54
毎日旧華族のお屋敷の横を通って通学していると
高貴な気分にさせてくれる
846 :
666:2006/01/25(水) 22:23:23
847 :
日本@名無史さん:2006/01/26(木) 06:50:08
高貴で雅びでやむごとなき方々は何処におわしますか?
扇をもち、歯を黒く染め、直衣をお召し、牛車に乗って束帯で出仕する。
自然に憂い、和歌を読み、陰明道や加持祈祷を盛んに行なう。
伊勢神宮に参拝するときや出掛けるときは方違え。
そんな御方がいらっしゃるのならお仕えしたいのですが。
>>844 吉井伯は離婚した後、爵位を返上し京都に隠棲した。
ちなみに離婚した夫人は、柳原伯爵家の出。
>847
しょんべん筒持ちでもいいかにょう。
850 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:06:40
近衛忠大氏が久邇家の娘と結婚したのは本当?
851 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:35:20
所詮、軟弱な貴族には、何も出来ない。
真に国を守るのは、軍人です。
852 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 01:51:38
近衛文隆さんはよく白州次郎に怒鳴られてたらしいんだけど
一体どんな悪いことしてそんなにしかられてたんだろうね?
854 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 12:33:03
白洲次郎そんなことしてたのか・・・基本的に怒鳴る人間は器が小さいというか小人。
親父の文麿は文隆に面と向かって小言を言えなかったから
白州に頼んで変わりにしかってもらっていたらしい
或る時白州が2階で文隆に物凄い剣幕で怒鳴ってたら
文麿が2階に上がってきて「文隆はそんなに言わなくても分かるよ」と泣きを入れたので
白州は「これはあなたに頼まれてやってることですよ」と言って文麿はほうほうのていで
下へ降りていったらしい。
それにしても文隆さんは一体どんな悪いことをして怒られてたんだろうね
856 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 13:19:25
どうもなーーー俺のイメージだと怒鳴る=チビなんだがな・・・白洲ちゃん185近い大男だろ。俄かには信じられない。
857 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 21:56:26
858 :
日本@名無史さん:2006/02/01(水) 22:02:49
859 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 03:20:35
>>855 >親父の文麿は文隆に面と向かって小言を言えなかった
こっちのほうが問題だと思うの漏れだけ?
江戸末期の石高
徳川・松平家が断トツで
支藩含めた外様実高ベストテン
一位前田家、156万3千石
二位伊達家、111万3千石
三位毛利家、100万1千石
四位池田家、90万8千石
五位島津家、78万8千石
六位細川家、71万6千石
七位黒田家、57万9千石
八位佐竹家、41万2千石
九位蜂須賀家、40万9千石
十位は鍋島家といいたいところだが、意外な伏兵、
真の十位は有馬家、36万6千石
鍋島家は十一位でした
862 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 17:00:01
実高て米だけか?密貿易入れたら島津・鍋島なんてすごそうだがな
>>860 いや実は俺もそこんとこ気になってた(w
864 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 18:52:48
10 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/12(日) 10:28:31 ID:7sw7OQb60
侯爵 鍋島直大
男爵 諫早家崇・多久乾一郎・鍋島直明・鍋島茂昌
侯爵 大隈重信
伯爵 副島種臣・大木喬任・佐野常民
子爵 中牟田倉之助
男爵 真木長義・鍋島幹
罪人 江藤新平・島義勇
11 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/12(日) 19:37:45 ID:43hmHU1K0
江藤新平・島義勇
爵位の格的にはどんなモン?
伯爵と男爵ぐらい?
865 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 18:48:48
旧華族の人ってほとんど東京に住んでいるんですか?
866 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 18:53:00
旧大名は国元に帰った人も多い。
国元で同族会社を経営したり、財団法人を運営している家もある。
867 :
日本@名無史さん:2006/02/15(水) 20:10:08
次スレは近代史板?
869 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 21:57:39
池田動物園って繁盛してるのかな?
870 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 04:14:48
>>869 池田家はすごいよね。
浅井長政お市(信長妹)、徳川信康ご徳(信長娘)、本多忠刻千姫(家康孫)、
とか、伊達正宗、片倉景綱、真田幸村?とかも先祖でしょ。
871 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 04:24:10
お前ら何者なの?
霞会館の会員のやついるのか?
まあ、今更なんのメリットもないけどね、あんなとこ。
明治になって東京でてきて太平洋戦争で負けて、結局なにもなくなりました‥。
島津伯爵?
873 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:47:56
で、旧華族で現代でもバリバリエライさんやってるのはどの一族なの?
あなたのいうエライさんの定義を教えて。
875 :
873:2006/02/20(月) 01:21:14
どっかの重役に就いてるとか
一族で企業経営してるとか
いわゆる一般サラリーマンじゃないって感じで
876 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 01:38:17
>>875 徳川一門や旧大藩の藩主家の多くは、自家で何らかの事業を行っているんじゃない?
徳川宗家の当主は郵船の重役だったし。
面白いところでは、柳川藩主立花家が自邸を料亭&ホテルにして営業中。
そういえば、薩摩嶋津家も旧藩時代の磯別邸を旅館として活用。
877 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 21:44:30
うちは旧子爵だけど学校法人やってる。
ただし中堅以下のレベルだから一族は誰も行きません。
878 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 02:05:29
879 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 02:22:06
だから何。
880 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 02:29:51
雅楽の東儀秀樹も元華族?
881 :
日本@名無史さん:2006/02/23(木) 03:37:32
バンド部員が華族なわけなかろう。
唐突に質問
阪大名誉教授で国文学専門の島津忠夫氏って元華族の島津氏の一員?
>>882 唐突に回答。
遡ればその一族かもしれないが、どうも違うみたいです。
代々播州竜野近傍の農家だったそうで、御本人は大阪市生まれとのこと。
(『学者評判記 国文学』下、長野嘗一、有朋堂、1968 による。)
速攻での回答ありがとうございます。
竜野というと越前島津氏の系統の可能性が大ですね。
と、なると
かな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜りさかのぼれば親戚と言うことかw
ちなみに戦前ですが同名の島津男爵がいたような。
歴史同好の会で、旧子爵男爵家の方の話を伺ったことがある。
霞会館へはあまり行きたくなかった・・・・そうです。
886 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:22:10
887 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 01:46:16
肩身が狭いから。
流れぶった切ってすまんですが質問させてもらいます。
羽林家で、本来伯爵相当である四条家が侯爵になれたのは
南北朝期に南朝方について後醍醐に尽くした先祖の功績でしょうか?
それとも維新の時の当主がなにか活躍でもしたのでしょうか?
ご存知の方教えてください
889 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 16:58:45
維新当時の当主四条隆歌の功績
890 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 17:04:48
>>888 四条隆謌にあやまれ!
1858年(安政5年)日米修好通商条約締結に反対して岩倉具視らによる抗議の座り込みに参加(廷臣八十八卿列参事件)
1863年(文久3年)三条実美らとともに京都を追放、長州へ逃れる。(七卿落ち)
1867年(慶応3年)王政復古の大号令の前夜、赦免される
1868年(明治元年)正月 征討大将軍錦旗奉行に従い、錦旗奉行として戊辰戦争に参加
中国四国追討総督、東征大総督府参謀、仙台追討総督をつとめ、維新後は陸軍中将などを歴任。
合わせわざの侯爵、いいじゃないか。
891 :
日本@名無史さん:2006/03/01(水) 21:37:48
四条さんは夫人と離婚して芸者と再婚した
893 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 00:18:55
>>881 公家華族のほとんどは、家業が書道、神楽、楽道、蹴鞠、歌道、鷹匠、お花、儒道、包丁道、
装束・衣紋、歌俳句詞文、文章博士、卜占などの天皇家に仕える専門職の人たちです。
その多くは伯爵・子爵でした。
894 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 01:28:54
で、華族だったの、世襲バンド部員の東儀家は?( ゚,_・・゚)ププッ
舞楽はホロンダ半島。
高麗楽が倭にあるなんて
>>894 地下でしょ
歌舞伎役者だって今じゃ文化人気取りだけど
昔は新宿2丁目のウリ専で働くジャニ崩れみたいなもんだったんだし
897 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 10:56:13
>>894 それくらい人の知識にタカらないで自分で調べようよ
898 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 14:25:22
>>894 地下官人は男爵になった壬生・押小路以外は士族です。
899 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 18:27:33
しかも、東儀家には江戸の紅葉山楽人になってる家もある。
900 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 19:17:53
893に言え、話の流れも読めぬ馬鹿者どもが。
901 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 19:55:16
公家が士族なんて笑わせるな。。。
902 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 19:55:56
出たよ半島の伝統芸
「痛い指摘は全て人に転嫁スムニダ」
903 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 20:57:48
何で?
地下なんか華族にできないし、かといって平民にするのも忍びがたい。
904 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 21:34:50
地下華族とか名前だけの付くりゃ良かったのに。後、庄屋なんかも名誉士族とか・・・
905 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 22:05:44
RONって漫画でさ
押小路龍って男爵家の息子が主人公で中国で色々やったりすんだけど
実在?
なわけね?
906 :
日本@名無史さん:2006/03/02(木) 22:32:07
だいたいやね、公家で財閥っちゅうのが有り得へんやろ。
徳大寺から養子に入らはった住友さんやあるまいし。
>>905 実在のわけねーだろーwww
RONってまだ連載してるの?
大陸渡った頃から挫折して読んでいない。
ていと龍はいったいどうなったんだー。
NHKで市川染五郎主演でドラマ化してるんだよね。
こ、このままじゃ日本はホロン部( ゚,_・・゚)
909 :
日本@名無史さん:2006/03/05(日) 18:15:16
売立目録ってあるよね。
台所事情が悪くなったりして、御家伝来の家宝を入札に出すってやつね。
ところで、大名華族の金禄公債の支給額が記された文献ってないですかねえ?
910 :
日本@名無史さん:2006/03/06(月) 23:40:08
大名華族の金禄公債一覧表ですね、あってもよさそうですが。どうなんでしょうかね。
911 :
嵯峨侯爵夫人:2006/03/07(火) 00:46:50
浅野ゆう子さんはパルマ公国王女でオーストリア・ハンガリー皇妃でしたが
1919年一人・日本へ亡命して1974年アイドルとなり現在にいたります
何才なんだよwww
913 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 17:02:12
>>885
なんで霞会館へはあまり行きたくなかったの、その人?
あそこの何がいけないのだ?
914 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 17:04:18
>>885
なんで霞会館へはあまり行きたくなかったの、その人?
あそこの何がいけないのだ?
915 :
913 914:2006/03/11(土) 17:05:21
連投失礼
916 :
ハプスブルク家:2006/03/11(土) 17:23:01
1918年、徳川家康死去!浅野ゆう子が2代将軍に
917 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 18:27:47
へぇ〜そうなんだ
918 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:08:08
叙爵内規
公爵・・・親王諸王より臣位に列せられた者、旧摂家、徳川宗家、国家に偉勲ある者
侯爵・・・旧清華家、徳川旧三家、旧大藩(現高15万石以上)知事、旧琉球藩王、国家に勲功ある者
伯爵・・・大納言まで宣任の例多き旧堂上、徳川旧三卿、旧中藩(現高5万石以上)知事、国家に勲功ある者
子爵・・・維新前に家を起した旧堂上、旧小藩(現高5万石未満)知事、国家に勲功ある者
男爵・・・維新後華族に列せられた者、国家に勲功ある者
この内規を見て疑問に思ったんだが
確か本来は侯爵のはずの島津、毛利の本家および諸分家は維新の功労で
全部公爵に列せられたと言う記憶があるのだが
語られてないと言うことは間違いだったのか?
・・嘘覚えてたのかな・・漏れって
>確か本来は侯爵のはずの島津、毛利の本家および諸分家は維新の功労で
>全部公爵に列せられたと
~~~~~~
この部分が間違い
諸分家は男爵どまり。
佐土原島津家は本来徳川家康の取り立て大名なので島津の分家の一つではあるが支藩ではないので
一寸扱いが違う(子爵のところが伯爵)。
920 :
日本@名無史さん:2006/03/11(土) 23:29:32
島津本家と久光家、毛利本家は別格。
あと三条と岩倉も
922 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 23:27:06
>>919 >諸分家は男爵どまり
長府毛利家は子爵だけどね。
山口県には、毛利公爵家(防府)と毛利子爵家(下関)の旧邸が、ともにほぼ往時のまま現存していますから、興味のある方は御覧になるといいです。
923 :
日本@名無史さん:2006/03/12(日) 23:44:39
長府・徳山・清末の毛利家は支藩とはいえ、維新前からの独立した諸侯だから、
叙爵内規からいっても普通に子爵です。
岩国の吉川家は独立した諸侯ではありませんでしたが、維新時の功績で立藩し、
とくに子爵とされました。
924 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:05:41
そういう言い方はどうよ
925 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:37:43
中公新書 2006年3月25日刊
華族
近代日本貴族の虚像と実像
小田部雄次 著
おたべゆうじ
明治維新後、旧公卿・大名、維新功労者などから選ばれた華族。
「皇室の藩屏」として、貴族院議員選出など多くの特権を享受した彼らは、
近代日本の政治、生活様式をリードした「恵まれた」階級のはずだった。
日清・日露戦争後、膨大な軍人や財界人を組み込み拡大を続けたが、
多様な出自ゆえ基盤は脆く、敗戦とともに消滅する。
本書は、七八年間に一〇一一家存在したその実像を明らかにする。
巻末に詳細な「華族一覧」付き。
926 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 11:58:48
靖国合祀は陛下の御裁可が無ければできないと聞いたが
>705
亀レスだが、高橋是清は息子に爵位譲って衆議院から出て、議員になったが
衆議院の被選挙権がないのは華族の当主、つまり爵位持ってる奴だけじゃなかったか?
高橋は華族だったきがしたが・・・おれの記憶違いかな。
928 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 18:41:32
大政翼賛会の創立に関わった有馬頼寧も襲爵前に衆議院議員になってる。
家督を相続して伯爵になったので、議員を辞職した。
929 :
皇太后ゾフィー:2006/03/13(月) 18:42:33
私の爵位はなんですか
おしえて
930 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 19:32:28
古代から続いた貴族は早く復活させるべき
>909
探してみたことあるのだがそんな便利なものは発見できなかった。
論文では岩井忠熊の論文に天皇制と華族の関係についてのがあったきがした。
それでは明治天皇からいくら岩倉がもらったとか書いてたし、論文の脚注みれば
出典は分かるんじゃないかな。
932 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 07:42:20
933 :
日本@名無史さん:2006/03/19(日) 23:56:09
将来地球の資源がなくなり、原始的な生活に戻らなければならなくなった時は、
過去の失敗に学び称号と領地をセットにした国作りを行うかもな。
もちろん領主が都に引きこもっていては形骸化するだろうが。
934 :
日本@名無史さん:2006/03/20(月) 00:19:31
金禄公債ていえば
基準となる家禄はいつの時点なんでしょうか?
@明治以前の家禄
A明治以降の各藩で独自に削減された家禄
正岡子規家(上士)には1200円とか。同藩の徒は600円とか。
6年分として、年額200円、月額16〜7円。正岡家はAでしょうか?
935 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 01:47:51
金禄公債の額は大名なら実高だっけかな・・・
詳しくはわからない
936 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 02:39:42
軟弱な貴族など百害あって一利無し国の役にはなら無い。
真に国を守るのは、軍人です。
天皇陛下の忠実な臣たる軍人にこそ名誉有る地位を!!
937 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 10:20:40
戦前の軍人は官僚にすぎないからな。
戦後には軍人はいないけど。
938 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 13:00:19
軍人よりも財界人を重視すべきだろうな。
イギリスも某ユダヤ財閥が残っている限り貴族制度はなくならないだろう。
939 :
日本@名無史さん:2006/03/21(火) 17:03:48
940 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 23:23:51
以後の畑は官僚だろう。問題ない。
941 :
日本@名無史さん:2006/03/22(水) 23:43:34
政治家または官僚または医者、弁護士を三代続けて輩出したら
名門と呼ばれる世の中だからな
942 :
日本@名無史さん:2006/04/03(月) 09:26:50
943 :
日本@名無史さん:2006/04/04(火) 07:13:17
日野西家は子爵では?
944 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 14:26:26
945 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 14:32:19
共和にまさるものはなし
946 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 14:57:41
官僚・医者・弁護士なんて、
欧州でも戦前の日本でも所詮中流どまりの人間。
特に医者・弁護士あたりは貴族から見れば使用人程度の身分。
そんな連中が上流人気取りでいられるのも、今の日本には
本物の上流階級が存在しないからだろう。二極化といっても
世襲貴族ができるわけでもないし。
それに貴族の本質の1つは不労所得だから、今の殆んどの日本人の
生活様式とは相容れない。公家や諸侯の家系という訳でもなく、
今の暮らしも一介の職業人に過ぎないのに、上流気取りの人間って
たまに居るけど、その思い込みの根拠がわからん。
947 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 15:25:10
もうだいぶ前になるが、あるTV番組で
「いつもノブレス・オブリジュの精神を大切にしてます」
みたいな事のたもうてる歯医者(女性)が出ていた。
思い込みというより単なる無知なんでわ。
948 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 15:31:48
>>946 日本はともかく欧州に関しては全く間違い。
弁護士(バリシター)は最高級の専門職。法曹一元であるイギリスでは判事・検察はみんなバリシター出身。
官僚や軍人と同じく、貴族の次男や三男がなる職業であり、決して「使用人程度」ではない。
lordやsirの称号をもつバリシターも多い。
949 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 15:41:15
>>948 エマでも次男坊のアーサーは弁護士を目指してるもんな
950 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 16:45:33
>>948 バリスタ(法廷弁護士)と一般の弁護士とは別の身分の筈。
それに貴族の庶子がなるケースがあると言っても、
爵位や所領があるわけでもなく、嫡子とは明らかに身分・財力で
格差がある。sirは爵位とは別。芸能人でも貰ってる。
貴族で弁護士なんて奴は、ヴィクトリア朝の頃でもまず聞いた
ことがない。最近の斜陽貴族は知らんが。
951 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 16:53:14
>>950 何「一般の弁護士」って?ソリシターのこと?
ソリシターのことを事務弁護士と訳す人はたくさんいるが「一般の弁護士」なんて言い方するやつはいない。
バリシターもソリシターも弁護士であることに変わりない。
それにsirは称号と
>>948には書いてあるが爵位だなんて書いてない。
952 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:05:05
てゆうか、英国は欧州では弁護士の地位が高いほうの国
だろう。それでも貴族と同等などとゆう事は有り得ない。
大陸なら尚更。上流人は職業人全般を低い階級と見做しているから。
富豪でも、職業から足を洗い、不労所得で趣味や文化に生きる
生活スタイルでないと上流階級入りできなかった。
ジェーン・オースティンの小説で、ジェントリー(郷紳)階級の
次男坊が「俺は跡継げないし、弁護士にでもなるしかないのか。
俺ってツイてないな〜」と嘆くシーンがあったと思う。
これが19世紀当時の上流社会の常識だろう。
953 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:11:12
整理しとこう。
英国の弁護士にはバリスターとソリシターの2種類ある。
前者は法廷弁護士で後者は事務弁護士、日本でいえば司法書士みたいなものだ。
次に英国の上流階級についてであるが、これは貴族とジェントリからなる。
貴族は大地主であるが、長子単独相続であるため、次男以下は自活する必要があった。
それは爵位を持たない地主であるジェントリも同様であった。
その場合、彼らは知的専門的職業であった以下のような職業に従事した。
1.陸海軍士官
2.官吏
3.法廷弁護士
4.大学教授
5.国教会聖職者
6.医師(とくに内科医)
さらに時代が下ると、シティの金融業もジェントルマンのつく仕事となった。
954 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:12:43
弁護士から貴族になった例はいっぱいおもいつくけどね。
MacclesfieldとかHarcourtとかCamdenとかHarcourtやCamdenは父親がsirの紳士だけど
955 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:13:37
床屋外科医は駄目なんだね
956 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:15:24
逆に生まれながらの貴族が弁護士になる例はほとんどない。
小公子やホームズの物語でも、弁護士は紳士ではあるが、貴族の足元にも及ばない立場。
957 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:19:41
イギリスは理系よりも文系が圧倒的に支配してるイメージがある
958 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:20:58
>>953のまねをして書いてみる。
伝統的にイギリスで出世するとlordやsirになれる職業としては
軍人
外交官
法廷弁護士
あと、意外かもしれないが建築家。
医師がsirやlordになることはない(あってもごくまれ)
959 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:23:42
日本の勲功華族も軍人と外交官の占める割合が高い。
だが、弁護士出身者は原嘉道くらい。
960 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:26:43
961 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:31:53
>>956 Viscount Bledisloeとかは?
法廷弁護士になるのは非常に難しいから途中であきらめるひとが多いだけで、法を志す貴族は多いよ?
baron actonとか
962 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:34:40
1700年以降に法廷弁護士から大法官を経て貴族になったのはぱっとかぞえて40人くらいか。
963 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:49:09
>>946元々日本の貴族は欧米で言う上流階級だろうが武士階級は欧米の貴族と騎士の中間のようなもの
比較の意味なし。戦前の田舎の医者は田舎貴族だよ、医者で食ってるというより名主層などが無医村なのを
解決しようと自ら医者になったのが大多数。一種のノブレス・オブリジュだろ!
965 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:17:01
ヴィクトリア朝時代のアカデミーの大物画家、
フレデリック・レイトンは男爵に叙せられているね。
でもsirは貴族ではないでしょ。実体の無い称号だけで。
966 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:25:27
>>961 ちゃんと調べた訳じゃないけど、貴族の嫡男なら、
弁護士ふぜいになる必要って全く無いと思う。身分も財力も
遥か上である事が保証されてるんだから。法廷弁護士になろうと
する貴族関係者って庶子じゃないの?
嫡男ではない武者小路実篤が作家として生計をたてるように。
967 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:36:03
イギリスは単独相続だから、次男以下が独立して生計を立てるためには
職業につく必要がある。
だから、軍人や官吏や聖職者などになった。
爵位と領地を相続する長男は、文字通りの「殿様」だから働く必要はなく、
上院議員として政治家になったり、領地経営に専念した。
968 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:41:05
>>954 それは貴族じゃないって。
富豪や軍人以外では、建築家・画家・作曲家などの芸術分野の人間
が貴族に列せられた例はよくある。でも弁護士→貴族っていう例は
まず聞かない。宮廷侍医→男爵はふつうにあるが。
969 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 18:47:30
>>960 オックスフォードとかケンブリッジって法律とか政治とか歴史を学ぶ大学って感じだもんな
970 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 19:58:29
東洋も伝統的に文学・歴史学を重用して来た歴史がありますね。
971 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:51:07
>>966 ちゃんと調べたわけじゃないんなら知ったかすんなよ。
Viscount Bledisloe、baron actonも父親の爵位を相続した貴族だ。
972 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:54:09
973 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 21:55:10
974 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:00:30
Roundell Palmer, 1st Earl of Selborne (1880–1885)
Hardinge Giffard, 1st Baron Halsbury (1885–1886)
Farrer Herschell, 1st Baron Herschell (1886)
Hardinge Giffard, 1st Baron Halsbury (1886–1892)
Farrer Herschell, 1st Baron Herschell (1892–1895)
Hardinge Giffard, 1st Earl of Halsbury (1895–1905)
Robert Threshie Reid, 1st Earl of Loreburn (1905–1912)
Richard Burdon Haldane, 1st Viscount Haldane (1912–1915)
Stanley Buckmaster, 1st Baron Buckmaster (1915–1916)
Robert Bannatyne Finlay, 1st Baron Finlay (1916–1919)
Frederick Edwin Smith, 1st Baron Birkenhead (1919–1922)
George Cave, 1st Viscount Cave (1922–1924)
Richard Burdon Haldane, 1st Viscount Haldane (1924)
George Cave, 1st Viscount Cave (1924–1928)
Douglas Hogg, 1st Baron Hailsham (1928–1929)
John Sankey, 1st Viscount Sankey (1929–1935)
Douglas Hogg, 1st Viscount Hailsham (1935–1938)
Frederic Herbert Maugham, 1st Baron Maugham (1938–1939)
Thomas Inskip, 1st Viscount Caldecote (1939–1940)
John Allsebrook Simon, 1st Viscount Simon (1940–1945)
William Allen Jowitt, 1st Viscount Jowitt (1945–1951)
Gavin Turnbull Simonds, 1st Baron Simonds (1951–1954)
David Patrick Maxwell Fyfe, 1st Viscount Kilmuir (1954–1962)
Reginald Manningham-Buller, 1st Baron Dilhorne (1962–1964)
Gerald Gardiner, Baron Gardiner (1964–1970)
Quintin Hogg, Baron Hailsham of St Marylebone (1970–1974)
Elwyn Jones, Baron Elwyn-Jones (1974–1979)
Quintin Hogg, Baron Hailsham of St Marylebone (1979–1987)
Michael Havers, Baron Havers (1987)
James Mackay, Baron Mackay of Clashfern (1987–1997)
Derry Irvine, Baron Irvine of Lairg (1997–2003)
Charles Falconer, Baron Falconer of Thoroton (2003–)
975 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:03:05
>>974は法曹出身者で貴族になったものの一部だが。
「弁護士→貴族っていう例はまず聞かない」ってやつは無知のくせにしったかぶって恥ずかしいね。
976 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:06:59
貴族が弁護士になることは自由だが、弁護士が貴族になるのは容易ではない。
これでよろしいですか。
弁護士と法曹は微妙に異なる。弁護士稼業だけでは、バッキンガム宮殿は授爵に乗り気にはなれないでしょう。
977 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:10:24
>>976 >貴族が弁護士になることは自由だが、弁護士が貴族になるのは容易ではない。
なにこれ?どんな職業だって貴族になるのは容易じゃないよ。
じゃあ貴族になるのが「容易」な職業をご教授ねがえますか?
978 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:13:21
>>975 全部見たわけではありませんが、974の一番上のパーマー卿からして、人生の出発点が弁護士だったというだけで、大物政治家ではありませんか。
979 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:14:04
980 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:14:31
>弁護士と法曹は微妙に異なる
君は英国の司法制度を理解しているの?
法曹の人間はみんなまず弁護士になってから検事になったり判事になったりしていくわけだが?
981 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:17:15
>>980 馬鹿な粘着の相手は疲れるのですが…。
御自分で弁護士は法曹の一部に過ぎないと認めておられるわけです。
982 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:18:44
983 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:20:33
>>982 ロスチャイルドの名前を知らない人がいたとは。
984 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:21:50
985 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:24:05
まさか「容易」なはずの職業から一人しか貴族になってないんですかねえ
しかもロスチャイルドって baronじゃないか
986 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 22:27:57
>>985 他の職業に比べて容易だということです。
銀行は貴族の利害に密接な関係がありますから。
それでも、銀行家が始めて貴族に叙せられた時は、かなり顰蹙を買ったようです。
これまで貴族成りした元銀行家については、名前までは調べていません。
おわかりになったら教えてください。
始めて→初めて
変換ミスです。
988 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:11:18
おおっこんなにレスが伸びてたのか。
>>973 レイトンは最晩年の1896年に、ストレットン男爵レイトン
として貴族に列せられてるよ。貴族に列せられた画家は英国ではレイトン
一人だけらしい。
989 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:20:52
>>975 それって弁護士になった庶民が、貴族まで登りつめたという話なの?
それとも、貴族の息子で、相続が決まらないうちは金が無いから腰掛で
弁護士もやってたよん という話?
その例は貴族階級が没落した20世紀のものばかりだが、
ヴィクトリア朝、エドワード朝の頃でも同じ傾向なのかな?
その時代までの貴族にとっては弁護士稼業するなんて恥だと思うんだが。
990 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:34:37
没落後は、たとえ貴族でも何でもありだろ。
革命後のフランス貴族には作家、音楽家で生計を立てる者も
いたがそんなのまだマシなほう。
ハプスブルク帝国崩壊後には元公爵でも宝石やらドレスを質屋
に小出しに売って食いつなぐ者もいたらしいし。
日本の大名華族でもすでに戦前に落ちぶれて風船売りした人も
いたそうだね。
991 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 23:52:12
「貴族の息子→弁護士を経験→爵位を相続して自分も貴族に」
と
「弁護士→貴族に列せられる」
とでは全然違うよね。上で話が噛み合ってないのは、
ここを区別しないで論じてるからじゃない?
俺も「庶民出の弁護士→貴族」っていう例は知らない。
仮にあるとしてもよくある例なのかどうか。
知ってる人いたら教えてください。
992 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 00:17:11
英国ではどうか知らないけど、
大銀行家→貴族って例は大陸では18世紀あたりから散見されるみたい。
音楽家ベートーヴェンのパトロンには多くの貴族がいたが、
その1人、モーリツ・フォン・フリース伯爵は銀行家。
ちなみにモーツァルトのパトロンでもあったファン・スヴィーテン男爵
はヴィーンの宮廷侍医をした家で父の代に授爵。
でも、パトロンのうちロプコヴィッツ侯爵やリヒノフスキー侯爵は
伝統的な家柄貴族。
てか板違いすぎ?
993 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 03:33:51
もしかして、974に挙がっている人たちって、最初は弁護士だったかも知れませんが、ほとんど大臣になっていません?
この時代の授爵って、政党政府の報償に過ぎないのでしょ。
別に領地をくれるわけでもないし。
994 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 03:54:03
スレタイに戻りますと、
タキエ・スギヤマ・リブラがその著書『近代日本の上流階級』において、1982年から断続的に華族出身者に聞き取り調査を行った結果によりますと、
回答者の先代(おそらく華族の身分を有していた最後の世代)の約67%が有職で、そのうち50%が貴族院議員及び政府職員、25%が将校、15%が専門職、39%が金融その他のビジネスに従事(雇用・被雇用問わず)していたとのことです。
996 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 07:42:28
>>993 禿どう。俺もそう思う。要するに、貴族が庶民でもなれる職業に就く
ようになったのは没落後の時代の話が中心だし、
庶民出身者に、所領抜きで安易に爵位だけ与えるようになったのは
爵位の価値がかなり薄れた20世紀の話が中心だと思われ。
いずれにせよ、単なる医者・弁護士ていどでは良くても中流階級どまり
というのは事実だろ。
997 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 09:42:37
ミックジャガーも貴族なわけだが。。。
うおおおお
うっ
1000 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 09:53:02
うんこ
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。