<謙信女性説の主な論拠>
・謙信の死因は大虫(婦人病)である、と歴史書に書いてある。
・毎月10日前後に腹痛をおこし、合戦を取りやめている。
・謙信の武勇を称えた当時の唄で、謙信は女性扱いである。
・スペイン国王フェリペ2世宛ての、日本についての報告書で、謙信は女性と書かれている
・男性としては小柄なのに、「大柄」と評される。
<女性説における謙信の死因の一例>
元気な人間が、突然倒れて人事不詳のまま4目に亡くなる婦人科の病名
=卵巣の実性腫瘍:かたいコブのようなもので、その80%が悪性。嚢腫にも
充実性腫瘍にも良性腫瘍と悪性腫瘍(卵巣ガン)がある。腫瘍が小さいうちは、
全く症状がない。(おりものの変化や月経異常などのサインはかなり大きくなって
から)他の病気で受診した際に、偶然発見されることが多い。嚢腫が大きくなると、
おなかの圧迫感、腰痛、しこりなどが見つけられる。さらに大きくなると周りの臓
器を圧迫して排尿排便がしづらくなったり、足がむくんだりする。ときには茎捻転
といって卵管や靭帯がグルッとねじれて、突然激しい吐き気や腹痛が起こり、ショ
ック状態になる場合がある。
<男性説側の主な反論>
・幼女は寺で修行しない。
・10日前後に腹痛を起して閉じ篭ったとする史料価値の高い文献を複数
・家臣等が往来している近隣諸国の文献にそれらしいものがない。
・厳しい女人禁制の高野山に2回登山。
・生前、法印大和尚に任ぜられ、自身、愚僧と署名している。
<すでに論破された男性説側の反論の一例>
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
(江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)
573 名前:無名武将@お腹せっぷく メェル:sage 投稿日:2005/04/11(月) 11:33:06
・「リンカーン狙撃が日本人説」日本シェル出版 1984
幕末維新の頃の有名人数人の裏話からなるアンソロジー。1968年に『問
題小説』に連載されたジェロニモ日本人説(尾張青葉騒動で出奔した脱藩
四人のうち森次郎右衛門がジェロニモの正体という説)が再録されている。
・「武家意外史」日本シェル出版 1974
6人の武将の裏話からなるアンソロジー。伊達政宗の章では女性説(正
確には片目の猛将は奥方の愛姫だったというすりかえ説)がでている。
・「戦国川中島」サンケイ新聞社 昭和44年
『サンデー毎日』の「読物専科」に書いた「血戦川中島」と、『問題
小説』7月号・8月号に書いたものと、『歴史読本』に書いた「謙信
論考」の3本を1冊にしたものという。謙信女性説の原典的存在。
昔、集英社が初めて文庫をだした頃、これらが集英社文
庫になるかもという噂があったのだが、いまだに出ない
ところをみるとどうやら企画が流れたようだな・・・・
すげー読んでみたいな・・・ソレ。
やった、立ってよかった。
前スレでの男性説への反論
・謙信が幼少の頃に寺に入ったという信頼できる資料がない。
・腹痛そのものは頻繁に起きている。
・謙信の他国への文献そのものが少ない。
・高野山には登山していない。
こんなとこ?
スレ必読書
『上杉謙信は女だった』(八切止夫、2002年復刻、作品社八切意外史)\800
『疾風上杉謙信』(2001年、学研歴史群像シリーズ)\1600
『上杉氏年表』(矢田俊文・池亨、2003年、高志書院)\2500
・一般に流布している髭面の謙信肖像画は明治31年作の版画。
・伝謙信自画自讃像には髭がない。主観的には女に見えなくもない。
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
ここまでテンプレ
●おもな史料リファレンス●
『上杉史料集』(井上鋭夫校注、全3巻、新人物往来社、1969)
北越軍談・上杉三代日記・北越耆談・川中島五箇度合戦之次第・松隣夜話・上杉将士書上・久知軍記・古案記録草案
『上杉文書目録』( 米沢図書館編、1969)
『上杉家御書集成』(全2巻、上越市史専門委員会中世史部会編、上越市史叢書6)
『上越市史』(資料編全7冊、通史編全7冊、別冊1、上越市史編纂委員会)
『甲陽軍鑑』(土橋治重、矢立出版、1981)
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ここまでテンプレ
さて、テンプレも貼り終わったところで、激論を交わらせてもらおうか
慌しく立てたみたいなのに、整然としたスレッドの仕様になりましたね。
前スレが激論だっただけに、もうあまり伸びないんじゃ?
ということでは困るでしょうから、スレッドにふさわしいネタを。
天地もただひとかたにおさまれる君がためしや千代の初雪
義輝
昔よりさだめし四方に立ちかえりおさめさかふる千代の初雪
景虎
近衛卿に師事して定家(古今)風の詠歌だったとされる謙信ですが、
この連歌では、明らかに万葉調というか金塊風の歌を詠んでいます。
万葉集など、詠み人しらずの和歌は科学的な方法(詞の使い方)で
読み手が分かるとされています。このあたりから、男女説もしくは
ジェンダー分裂症を読み解いてみましょう。
「女っぽい」とされる謙信の歌の例
なれもまた草のまくらやゆうひばりすそ野の原に落ちてなくなり
つらかりし人こそあらめ祈るとて神にもつくすわがこころかな
いきなり、和歌? 専門外!
>>16 謙信の和歌、じっくり読んで感動しました。
伸びる伸びないとか、オレとしては、このスレが存続するだけでもう満足でつ。
落ちずに沈んだまま、潜伏するのもよろしいかと。
とりあえず、スレ即死防止の保守。
即死はこまる・・・。
何とも、ゴテゴテと学術的なスレの体裁になったな
気軽に書き込みしにくいぞ!
>何とも、ゴテゴテと学術的なスレの体裁になったな
>気軽に書き込みしにくいぞ!
謙信たん、ハァハァ…
>>23 三戦板のノリだと、日本史板住人の不興を買うぞ。
でも、このくらい初日で伸びれば即死はないだろう。
>>17 あう人を 旅には友と こととはむ おもう都の つてならずとも
景虎(謙信)
>>22の発言があったから気を利かしたつもりだったんだが。
数年前、歴史板が荒れ果てて、三戦板へ亡命難民が大量発生した時には
日本史板・世界史板からの連中は歓迎されてた。
客分として分際をわきまえてたし、知識のふりまきかたがうまくて
(えらそうじゃなくて)三戦板の原住民から喜ばれてた。
その時の記憶があるから三戦板の連中はやさしいんだと思う。
でも「謙信たん、ハァハァ…」はやりすぎました。反省しまする。
女の立場から言わせてもらうと
生理ごときで合戦をやめるようではまだまだ甘い。
>>27 そうですか……。
>>26 いや、なに。寛大な三戦板とちがって、ここは……。
なにぶんにも杞憂(スマソ)ですが、スレの初期ですからと。
もう28?、これで即死はないだろう。
凄いな、リファレンス付きのスレ・・・。
時に殺伐とした雰囲気もあった前スレとは、大違いだな。
謙信公の秀麗な和歌に、しばらく時を過ごしました。
>>27 その事実から、生理ごときで合戦をやめるようなDQNな性格だったということも予測できるのではないか?
「お館様! 小田原勢が攻めてきたようです!!」
「うっさい知るかボケ! 視ね!!」
「 (´・ω・`) 」
うーむ。女性の生理学的現象については個人差が大きいときくので何とも・・・・
>>27 体育すらできなんだろ?
合戦なんてできる訳がないじゃん。
男だからわからんけど。
腹が減ってもできないくらいなんだから。
生理ひどい時はダメ。ホントにダメ。
動けないもん。腹は痛い頭は痛い腰は痛い・・・
前、職場で救急車呼ばれたw
35 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 12:49:42
前スレの結論としては
上杉謙信=男性を決定づける資料がない。
で、よろしいか?
36 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 12:56:02
上杉謙信=ホモ
37 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 12:58:48
謙信も他國の要人とかに至近距離で会ったりしてるから、女かどうかわかるだろ。
関東やら能登やら京まで出張ってるわな。同時代の日記とか記録に残りそうなものだ
>>33-34 あまっちょろいな。うちは百姓だがカアチャンはちゃんと野良仕事してたよ
>>35 >前スレの結論としては
>上杉謙信=男性を決定づける資料がない。
>で、よろしいか?
よろしくないね。以下の2行も加えねばフェアでない
もちろん
上杉謙信=女性を決定づける資料もない。
41 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 13:41:26
多くのフィクションで男性として描かれている上杉謙信だが
その実際の性別は不明である。
43 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 14:28:53
>>35 前スレでは男性説側から特に説得力のある材料はなかったね。
女性説側には、スペインのゴンザレスには叔母と書かれ、
地元では男勝りのマントラさまと歌われているという証拠もある。
女性説にもグレーゾーンはあるが、状況的には女性とみて間違いは無い
と、いうことでよろしいのではないか。
>>43 状況的には・・とくっ付けるのなら
男性とみて間違いは無い
と、いうことでよろしいのではないか。
>>43程度の論拠であれば三戦板でやるべきではないか
>女性説側には、スペインのゴンザレスには叔母と書かれ、
後世の伝聞である上、原文が未提示
>地元では男勝りのマントラさまと歌われているという証拠もある
俗謡であり何を歌ったものか不明、証明がなされていない
>>43 はやまるな、仮にも歴史学の仮説なのだから数十年の単位で研究を
積み上げなければ、通説には勝てない。通説(謙信=勇猛な男性像)
も、数百年単位の伝承の中で形成されてきたものなのですから。
講談ものを含めた伝承にも、さまざまな根拠があることに着目し、
信頼できないとされる史料から真実を読み取ることも可能。
まず、
>>42さんの言うフィクションでの描かれ方ですが…。
『天と地と』(海音寺潮五郎)では、線の細い男性として描かれている。
宇佐美定行(虚構の人物)の娘と恋仲、信仰深く義に篤い。
『武田信玄』(新田次郎)では、気短かで美童好きの猛将。青白き戦の天才。
どちらも、謙信か信玄の一方に肩入れしてますが、人物像としては似通っています。
しかし、実際の講談もの(元本と思われる「甲陽軍艦」)を読むと、短慮な面ばかり
強調されていて、彼(彼女)の勘気をこうむって手討ちにされる武将、人質の惨殺など
やっかいな人物にも思えます。
『迷走大将上杉謙信』(小松重雄)はその面をとらえて、青竹を持ってセカセカと
歩き回り、少しでも気に入らないと家来や侍女を青竹で打ち据える、危ない人物に
されています。確かに気が短かったのでしょう、願文で「短気をやめて、けなげに
生きて行きます」と神仏に誓ってもいます。
ところが、史実としては裏切った越後の国人領主を何度も許していますし、
柿崎景家を謀反の疑義で滅ぼした件も、文献史料から事実ではないとされています。
(つづく)
とにかく同時代史料で、直接謙信と対面している人物が「謙信=女性」と明記
していたら(書簡であれ日記であれ)おとなしく女性説を信奉するよ
>>47のつづき
たとえば「軍鑑」では、松山城の落城(開城)に怒った政虎(謙信)が
太田資正を手討ちにしようとして思いとどまり、その代わりに城将(上杉憲勝)の人質を切り殺す。
怒りが癒えないので、さらに騎西城を落として鬱憤を晴らす描写があります。
永禄6年の史実に基づいたものと思われますが、上杉文書にあるエピソード
(人質を放った)では謙信が人質を殺したことはなかったとされているのです。
おそらく「軍鑑」は太田資正の「謙信の二分は大悪人、八分は思慮深い」を
もとに描かれたのではないかと思われます。
実際の謙信の書状(祐筆が3人いたとされる)で、直筆と思われるのは、
吉江景資への手紙(彼の息子の安全を気遣った長文)、有名な喜平次(景勝)
宛ての伊呂波手本とセットの手紙、太田資正の妹(三戸夫人)への手紙
(相越同盟で資正がむくれているのをとりなして欲しいと依頼)なのですが、
とても短気な人間の書いた書状とは思えません。
軍記物語に描かれた謙信像もそれなりに根拠があり、戦場で果断な処置をしている
のも確かですから、かなり分裂した人物だったのではないかと、ナゾが深まる
ばかりです。女性説は奇抜で突飛に思われ勝ちですが、不妻帯という最大のナゾ
がいまだ合理的に説明されていない以上、真実の謙信像にせまる方法だとは考えられます。
(気が向いたらつづく)
>48
そんなもん、あんた。同時代の確実な史料ばあれば
謙信女性説なんて必要ないですがな。歴史の教科書にも
「上杉謙信は女性でありながら川中島に出陣し・・・」
てな。これ、前スレにもあったな。
とにかく同時代史料で、直接謙信と対面している人物が「謙信=男性」と明記
していたら(書簡であれ日記であれ)おとなしく男性説を信奉するよ
>>50 だからこれまで出てきている程度の話はトンデモかヨタとしか思えんのですよ
>>52 だったら、女性説そのものが問題ではない?
ここに来なきゃいいのに。
>52
川中島合戦の定説(妻女山布陣・車懸りの戦法)も最近はトンデモだとされてるし、
長篠設楽原合戦の武田騎馬軍団、織田徳川の3段撃ちも
トンデモだとされながら、いまだに定説でまかり通ってる
じゃないか? 論証なしの罵倒に、歴史を語る資質も資格もなし。
>>53 いや、信仰の話なら『どうぞ御自由に』というところですが
学問板ですからね
『後世の研究者をまどわす』に足るものが出てくるか、楽しみにしているのですよ
>53
では、おまいのどこに「学問」があるのか、まず証明してみせろ!
>55
おまいも同様に自分の「学問」を証明しろ!
話はそこからだ。
八切説以前にも女性説があったとどこかで書かれてた記憶が
あるのですが、エロい人おしえて
59 :
55:2005/04/12(火) 16:22:01
>>57 おやおや、ヤクザのいいがかりのようですな。私は「学問」があるなどとは
申しておりませんが(笑)
「学問」はありませんが「常識」はあるつもりです。私のような普通の一般常識人が
納得できる証拠の提示こそ、世間に謙信女性説を認めさせる第一歩ではありませんか
と申し上げているだけですよ
謙信が女性だったとしたら、
謙信自身の書状も謙信に送られる書状も仮名になるわな。
謙信の書状の大部分は漢字だから(女性に送ったものは別)、
謙信は自分を男性だと周囲に思わせていたことになる。
そりゃそうだろ
女だと知れ渡ってたら家督継げないんだから
>>謙信は自分を男性だと周囲に思わせていたことになる。
まさにまさに。
その場合、むしろダミーの正室を置くぐらいの配慮はするはずだわな。
てーか、どうして女性説唱える研究者モドキたちは血液鑑定せんの?
謙信は血判状乱発しただけあって現存多数。
性別鑑定ならDNAレベルは必要なく、ずっと平易な染色体レベルの鑑定で済むのに。
そこらでレンタルできる電子顕微鏡で十分だよ。
貧乏研究者でもポケットマネーでできるわな。
和歌がどうたら生理がどうたらこくよりも、
学術的優先度がはるかに高い合理的アプローチだと思われるが。
なぜしないのか。謙信の非妻帯よりずっと謎だ。
>>62 では、ためしに君がしてみるといい。
謙信の血液はAB型だと判明しているから、サンプルデータは
あると思うが? 結果、待ってます。
これまで男性と考えられてきたものを女性だと反駁するなら
後者に立証責任があるだろ。学術上の常識。
65 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:53:18
だれかがやればいいんたから、だれがやってもいいだろ。
問題は、調べた血判が本当に謙信のものであると証明した後に・・といったところか
66 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:56:14
って言うか、血液型調べた時についでに調べりゃ揉めなかっただろ
67 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 18:27:24
その血判状だが、どんなものがあるの?
学問のない55にも判るように紹介してくれない?
>>63 よくAB型だと言われてるが、誰がどこで鑑定したのか不明。
ご存知なら教えて。
>>62 前スレで「新潟県歴博紀要」の「上杉輝虎の文書と右筆」(富岡家文書)
が出てたが、謙信には右筆が3人いたという説が有力。
従来「文書に書いた(謙信の)花押を見ると、丸いか角張ってるか極端」(小和田哲男)
「…文字がいろいろ変わるということは…分裂症とか躁鬱症…エキセントリックな
性格だったことは間違いない」(安西篤子)とされてきたが、3人の右筆説で
クリアされてしまう。確実な謙信の自筆書状は、願文と喜平次への個人的な手紙だけ
ではないかと考えられる。
そもそも誓詞血判状って、現存してるの?
「新潟県史」「上越市史」にそれらしいのないんだけど、文書の通称だけでいいから示してちょ。
あったとしても重文クラスだろうから、おいそれと鑑定などは出来んと思うが。
>>62 >謙信は血判状乱発しただけあって現存多数。
ではなかったんか?? 誰かエロい人、調べて。
謙信の血判状が「現存多数」と明言した
>>62が
なぜそれらを提示しないのか、謙信の非妻帯よりずっと謎だ。
どうせ
>>62は思いつきで書いただけで、史料なんか調べとりゃせんよ
現代の技術をもってすれば、古文書をあまり傷めずに
針先でつつく程度でも鑑定できるんじゃないか?
教えてエロイ人
「現存多数」なんだから、文書の持ち主によっては鑑定に
同意してくれるかもしれんが、なんせ「現存多数」が想像の産物だったらしい。
ですよね? 議論から逃亡した
>>62さん?
現存多数かどうかは知らんが
>>69の簗田への起請文の他に
中条藤資に宛てた血判起請文は現存している。
>>76 問題は簗田さんが首を縦に振るかどうかだろ
>>77 なんで私にそんなレスを。
簗田家のことなんか知らんがな。
知らんがな(´・ω・`)
>>76さん
仰られている
>中条藤資に宛てた血判起請文は現存している。
というのは、永禄11年11月晦日の起請文(山形大学付属図書館)ですか?
永禄4年の「血染めの感状」ではないですよね。
本当に、その起請文には謙信の血判があるのですか?
>>69の簗田文書の起請文とは、簗田春助(古河公方重臣)宛てのもので、
「公方の家督相続にあたっては春助の意見に従います」という内容です。
このあと、春助の娘の子である足利藤氏を公方にして関東管領になる謙信としては、
春助の了解と支持を得たかったのでしょう。起請文に血判をしたのも頷けます。
どっちにしろ血判の鑑定は出来無そうだな・・・
では
60 :日本@名無史さん :2005/04/12(火) 16:22:51
謙信が女性だったとしたら、
謙信自身の書状も謙信に送られる書状も仮名になるわな。
謙信の書状の大部分は漢字だから(女性に送ったものは別)、
謙信は自分を男性だと周囲に思わせていたことになる。
これについては?
>>81 もう終わってる議論だよ。コピぺしないで、自分で史料にあたってから書き込んでほしい。
いちおう、ここは「徹底史料分析!」なんだからさ。
仕方ないからレスしますけど、
・謙信の書状は三人の祐筆(秘書)が書いたもの。
・和漢の書に通じていた謙信は、女性だったからといって
「書状が仮名」とは限らない。
・八切説は別として、このスレ(前スレ)では「謙信は自分を男性だと周囲に思わせていた」
が多数派と思われます。
・自筆と思われる「願文」には、仮名まじりのものが多い。
※漢文という意味ですか?
>謙信の書状の大部分は漢字だから
伝上杉謙信自画自賛像について
@伝謙信自我自賛像よりもっと女っぽく描かれた作例
伝教大師像(兵庫・一乗寺)
智者大師像(滋賀・延暦寺)
A髭を描かない僧形像
宗峰妙超像(京都・妙心寺)
夢窓疎石像(京都・天竜寺)
石田正継像(京都・寿聖院)
北条早雲像(神奈川・早雲寺)
山名豊国像(京都・東林院)
細川幽斎像(京都・天授庵)
B髭を描かない俗形像
小早川秀秋像(京都・高台寺)
明智光秀像(大阪・本徳寺)
伊達正宗像(宮城・仙台市立博物館)
以上により、単に顔が女性っぽくみえる、髭がないから謙信像=女性という説は成立しない。
長谷川伸「上杉謙信の虚像―上杉謙信画像と要門派越後流軍学の展開―」も、肖像が次第に変容するのは、要門派越後流軍学の展開の中で、勇猛な武人としてのイメージが次第に付与されていったといっているのであり、女性云々説など全く想定
していない。
<すでに論破された男性説側の反論の一例>
・謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
(江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)
↑
「可能性がある」=「論破された」という論理は非論理的。捏造と断定されない限り論破されたことにならない。
高田林泉寺、米沢林泉寺の謙信の法名を比較検証する必要性あり。
高野山清浄心院の霊屋が江戸時代の作なのであり、位牌が江戸とはなっていない。
・そもそも授戒までしている熱心な仏教者・謙信が、法号まで詐称することは考えられない。
・死後戒名が改められたのであれば、改称前・改称後に追善法要に参列したことがある一族、家臣・僧など、事実を知るものが多くいたはず。それら多くの人間全てに緘口令・記録を残させないということは、極めて困難。
・改易を回避するために上杉家が捏造させたことを示唆する史料はない。
・そもそも謙信が女性=改易、という論理自体が勝手な想定に過ぎない。
・過去の当主=改易という事例を挙げよ。
訂正
×過去の当主=改易という事例を挙げよ。
○過去の女性当主=改易という事例を挙げよ。
前スレ
謙信の冑=三つ編み
三つ編みは少女の髪形=女性
↑
戦国〜江戸初期には「異国形(いぎょうなり)」の甲冑が流行しており、驚くに足りない。
戦国期に少女が三つ編みをしているという文献史料・絵画史料を例示されたい。
冑が制作された時期は謙信は既に高年齢である。少年期ではない。
少女趣味で制作させたとすれば、相当危ない性癖の持ち主だったことになる。
ではおやすみなさい。
>>85 前スレでレスした者だが、おまい論点をまったくズラしてるぞ。
「金箔押頭形兜 伊予札素懸威腹巻」の使用・未使用が議論の争点に
なっていたので、長い威毛が三つ編みになっている以上、使用されたものと考えざるをえない、
ということ。謙信の少女趣味はオマケだ。意図的に論点をズラすな、ボケが!
前スレの900番台後半辺りで
冑の三つ編み=少女の髪形=謙信女性
という論理を提示した人がいましたよ。
それに対する反論の提示ですからね。
他人をボケと言う前に、あなたはウッカリです(笑)
では改めておやすみなさい。
>>90 あのスレで「使用・不使用」を論点にしてたのはおまいだろ!
それに「使用した」と答えたレスを「冑の三つ編み=少女の髪形=謙信女性」
に改ざんか!? 逃げるなゴルァ!!
謙信が女性である事を隠していたってのは、
女性説側の一致した意見なの?
書状に景虎という号を用いたというのがこのスレの見解じゃなかったの?
位牌を改竄したのは、例えば宇佐美定祐など、
謙信が死んで70年以上経った後の事と考える方が自然では?
>>92 正直女性説の中でもそこは意見が分かれるところ。
自分は女性だと公にしてたと思う。
位牌は死後の捏造だと考える。当然本人の意思は関係ない。
>>92 八切説では「公知の事実」とされてますが、謙信没後に
懸命に隠したというのはちょっと無理があるように思います。生前から謙信は
景虎→政虎→輝虎→謙信と号を変えたように、男性名で一貫
していますから、法名も戒名も男性名でOKという都合のよい
女性説になったわけでしょう。
>>93 わたし的には難しいと思いますね、なかば公然と
「謙信は女」とわかっていたとしても…。
出土地不明さん
あなたが真面目に真の謙信像を語るべきだとする姿勢が理解できてうれしい
のですが、コテハンは止める事をお勧めする。
前スレで、男説や女説とは関係なく、話の進めかたに問題があったものの、
コテハンで頑張ってた人が、惨いたたきにあって、オーバーヒートして
ポシャッタ経緯があります。
ここは、匿名版をいいことに、無責任な書き込みや、自作自演の横行する
所詮2ちゃんなんですから。
>>95 前スレでコテハンがアボンしたのは、中身がなさすぎたからですよ。
今回のコテハンは、「反論のための反論」(前スレの某レスより)で、中身は
あっても的確さに欠けて相手にされないんでは? いろいろ肖像画を調べてご苦労様ですが、
その中に「女性説」のある人物は、残念ながら皆無。まことに徒労というべきか・・・。
それに、匿名2ちゃんならでは?の、反論(レス)相手を明らかに見誤ってるし。
自分はロマンを求める女説派なんだけど
>>89 >>91 のカキコは知性どころか品性のかけらも感じられん。
こんな香具師が同じ女説派だと思うと胸糞悪さ一杯。
参戦板へ逝かれたし。
>>97 禿げ童だが、あれは女性説ではないとおもふ。
>>80 永禄十一年の中条への起請文だよ。
http://www.lib.yamagata-u.ac.jp/aboutlibrary/2001_gaiyou.pdf >>82 >・謙信の書状は三人の祐筆(秘書)が書いたもの。
>・和漢の書に通じていた謙信は、女性だったからといって
> 「書状が仮名」とは限らない。
>・自筆と思われる「願文」には、仮名まじりのものが多い。
これらは女性説を補強する材料にはならないよ。
他の(男性の)大名等にも当てはまるから。
これらを以って男性に間違いないとは言えないが、女性であるとも言えない。
ただ少なくとも、表面上は男性である(女性であるとしたなら男性と装っている)。
したがって女性だというなら、男装していたということを論証する必要がある。
男性説方面からは男性であるということを論証する必要はない。そのままなんだから。
でも周囲に男性だと思わせていたとすると、
前スレからのレスを見る限りいろいろ矛盾がある。
男性だと思わせようとしていたにも関らず、
・三つ編み(女性説者曰く女性である状況証拠のひとつ)のシコロだか威毛の付いた
(女の子っぽい髪型を連想させる)兜を持っていた。
・(女性物を思わせる)キレイな衣装が何点かある。
これらが女性しか身につけないようなものだった、というならともかく、
男性も身につけてもおかしくないものであれば、女性説への補強にはならない。
ついでに「金箔押頭形兜 伊予札素懸威腹巻」というのは
「素懸熏韋威腹巻」というふうにも呼ばれているものかな。
>96
というか肖像画のことを語ること自体が今では徒労だな。
>>94 >景虎→政虎→輝虎→謙信と号を変えたように、男性名で一貫
一見男性名のように見えるが、虎というのは虎御前の例もあるように、女性にも付けられます。
景虎、政虎、輝虎というのは、為景(晴景)、憲政、義輝の子(養子)の虎という意味でしかないのでは。
謙信の場合、幼名であるとされる虎千代の虎の字を元服の後も使っている事になります。
成人の証である元服後の名前に使用したとすれば、それは珍しい例ではないでしょうか?
元服をしていない女性武将である於虎が、書簡や雅号にそれらの名を用いたと考えても不自然ではないと思います。
謙信は法号でしかないので、男性名、女性名のどちらとでも言えるでしょう。
おっ。盛り上がってるね。
>>102 近い例ならある。
佐竹義重は初め「義徳」と名乗っていた。佐竹体系讃あたりに載っている。
義重(というより室町時代辺りの佐竹氏の長男)の幼名は徳寿丸。
義重の「重」は多分岩城重隆の「重」。
>>99 わるいが、画像が小さくてぜんぜん読み取れない。
本庄(村上)繁長の謀反の時に、一味に誘われた中条藤資が
謙信に注進して、血判の起請文を受けたのは確かなのですか?
謙信の直筆という証明は、何ですか?
>99
105ではないが、拡大してもわからなかった
どこに血判があるものやら・・・
>>99 >したがって女性だというなら、男装していたということを論証する必要がある。
だからジェンダーの問題になるわけさ。一個の人間の中で
男性と女性の要素が入り混じる。簡単には結論は出ないよ。
盛り上がってるな! 盛り上がりすぎ?
>111
もう寝てますッ!
>>102 ↓なるほどと思います。
>一見男性名のように見えるが、虎というのは虎御前の例もあるように、女性にも付けられます。
>景虎、政虎、輝虎というのは、為景(晴景)、憲政、
>義輝の子(養子)の虎という意味でしかないのでは。
>謙信の場合、幼名であるとされる虎千代の虎の字を元服の後も使っている事になります。
>成人の証である元服後の名前に使用したとすれば、それは珍しい例ではないでしょうか?
>元服をしていない女性武将である於虎が、書簡や雅号にそれらの名を用いたと
>考えても不自然ではないと思います。
元服しなかったという論なら、しょせん名前はオモテ向きにすぎない。
これも卓見だと感じました。少し乱暴な評価ですが・・・。
血液鑑定とかDNAはダメすか??
このスレを読んでて、収穫だったのはこれだけポ
>しかし、現在は史料破損の危険性があり一般的にはDNA鑑定は行われていないという。
>これも文書所有者の簗田家21代当主・壽昭さん(74)=山梨市在住=の考え次第だ。
>論議を期待し史実発見≠フ楽しみを待とう。
はいっ! 議論をしつつ、待ちます。
>>114 駄目ですね。どうしてもヤリたいなら、ご勝手にドーゾ。
無理に強行して刑事犯罪になった場合、当方はいっさい関知しません。
>>107 説明文に書いてある通り、謙信の巻き糞のような花押の七合目あたりに
やや左に出っ張った茶色いシミがある。多分これだと思われる。
>>108 だからジェンダー(性同一障害とかそんな感じか?)だとするなら
性同一障害だったということを論証しなきゃならないでしょ?
>>109だとすると、
「金箔押頭形兜 伊予札素懸威腹巻」と「素懸熏韋威腹巻」は同じものだな。
学研の上杉謙信本にこの鎧のもっと大きな写真が載っている。
それから判断するに、とても三つ編みには見えないし、
特別女性らしい兜とも思えない。明らかに主観の問題。
どっちかというと髷を解いたザンギリ髪のように見える。
これを女性らしいというなら、佐竹義重のイムシの前立てに鳥毛のついた
兜も、後頭部で長い髪をツインテールのように二つに分けた女性らしいものと言える。
>>113 女性武将が書簡や雅号に使用したとしても、確かにおかしくはない。
でも男性がつかったとしても、尚更おかしくない。
【制札】
どんなに謙信公の実像に迫りたいからという理由があっても
くれぐれも刑事犯罪に抵触する行為は慎んでください
ここに制札をしたためて確認しておきます
スレ奉行職代行 何某何守何兵衛
>>117よ
>「金箔押頭形兜 伊予札素懸威腹巻」と「素懸熏韋威腹巻」は同じものだな。
>学研の上杉謙信本にこの鎧のもっと大きな写真が載っている。
>それから判断するに、とても三つ編みには見えないし、
>特別女性らしい兜とも思えない。明らかに主観の問題。
と、尊大にも言うが、
お前は兜の威毛が三つ編みかどうか、現物を見て言ってるのか? 女物かどうかは俺も知らん。
前スレで「女の子がする三つ編み」とあるのは、どこかのサイトから誰かがコペピした
中から採ったに過ぎが、少なくとも俺は見たぞ! お前は現物を見て言ってるのか?!
断言するのは、少なくとも現物を確認してからにしろよ! 現物を見ればフシ穴でも
わかるだろうよ!! 三つ編みかどうか、確認して来い!!
>117
なんか、怖いね・・・。
謙信に関するジェンダーについては、前スレでユング派の
症例を媒介に論じられてたと思うけど・・・。
>>119 なんでそんなに興奮してるのか知らないけど、
写真から判断したと言っている。それだけ。
態々見に行くのはコストから割に合わないな。
ただほぼ間違いなくゲンブツみても三つ編みだとは思わないだろうなぁ。
べつに他人がどうしても「女物だ」「三つ編みだ」というなら否定はしない。
君はそう思うんだろうけど、私は思わない。そんだけ。
何度も言うが主観の問題。
私は仏王フィリップへの手紙を見たことないし、まんとら様がどうのという
歌を聴いたこともないし、歌詞が書かれているものの現物も見たことはない。
無論謙信の書状の現物も見たことも触ったこともない。
ただ自分が「ちょっとそう考えんのはおかしいんじゃないの?」と思ったことを
素直に書き込んだだけ。
じゃぁしゃしゃり出んな!というなら、そうします。ゴメンね。
>121さま
>119ではありませんが、あれは三つ編みです
女ものかどうかはともかく、現物をみれば三つ編みかどうかは、たぶんわかるでしょ?
わたしも数年前にみて、兜と甲冑の美しさに驚きました。って言っても、女性説ではありませんけど…。
119さんがムキになるのが、何となくわかったから…。でも、一度みてくださいよ
残念ながら、上杉神社の常設展示ではありませんけど。
なんだ、現物を見たことない香具師がいろいろろ言ってたわけ?
これだから難しいよね、言葉の裏づけがないってのは。
124 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 03:54:22
しょせんは2ちゃんねるのたわごとよ
それでも懲りずに書くんだなぁ 便所の落書きを
うーん・・・難しいことばかりじゃ
思うんだが、三つ編みとそうでない(よくわからないが?)てのは
物理的、形象的な判別ができるんもんじゃないか? オレも調べてみるよ
新参者ですが、噂どおりの熱いスレですね
諸注意!
【制札】
どんなに謙信公の実像に迫りたいからという理由があっても
くれぐれも刑事犯罪に抵触する行為は慎んでください
ここに制札をしたためて確認しておきます
スレ奉行職代行 何某何守何兵衛
>128
ははーっ(平伏)!
>>127殿
スレ必読書
『上杉謙信は女だった』(八切止夫、2002年復刻、作品社八切意外史)\800
『疾風上杉謙信』(2001年、学研歴史群像シリーズ)\1600
『上杉氏年表』(矢田俊文・池亨、2003年、高志書院)\2500
だそうです。
>130
たっ、高い・・・。
132 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 07:11:12
>>128 科学に犠牲はつきものよ
嘘です通報しないでね
今更水を差すようでこのスレの論客諸氏には悪いんだが、この「徹底資料分析」
って副題、マズくないかい?
文献を取り寄せるくらいならできるけど、当時の古文の知識がいるし、そもそも
その文献が信用に足るものかどうか裏づけが必要だし、きちんと検証するには
その道の人でないとなかなか難しい。
今までのレスで史料の信憑性が問われることがあったが、それなら↑に述べた
立場の人しかまともに議論に参加できなくなりそう。
それに行き着く先は、「血判や遺体のDNA鑑定に勝るものなし」って
結論に落ち着きそう・・・。
>>134 漏れはこれでいいんじゃないかと思うけど・・
画期的な新史料が出てこない限り、結論は
>「血判や遺体のDNA鑑定に勝るものなし」
に決まっているのだから
それまでは2ちゃんお約束の論争のための論争、ののしりあいですよ
遺体自体が「史料」
2ちゃんねるでは激しく罵ったほうが勝ちで
そのうちに良識派はいやになって撤退。
残ったほうが勝利宣言、というのが黄金パターン
138 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:03:38
残念だが、どちらの陣営にしても大人しく引くような良識派ばかりではないないだろ
>>83 > 伝上杉謙信自画自賛像について
> @伝謙信自我自賛像よりもっと女っぽく描かれた作例
> 伝教大師像(兵庫・一乗寺)
> 智者大師像(滋賀・延暦寺)
> A髭を描かない僧形像
> 宗峰妙超像(京都・妙心寺)
> 夢窓疎石像(京都・天竜寺)
> 石田正継像(京都・寿聖院)
> 北条早雲像(神奈川・早雲寺)
> 山名豊国像(京都・東林院)
> 細川幽斎像(京都・天授庵)
> B髭を描かない俗形像
> 小早川秀秋像(京都・高台寺)
> 明智光秀像(大阪・本徳寺)
> 伊達正宗像(宮城・仙台市立博物館)
実は、全員女性ですが何か?
141 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 17:45:49
ただの嵐はスルーしる
ここは謙信スレだから
他の人物については、それぞれ別スレで
>>130 『上杉氏年表』は、持っているが、後の2冊は今更買う勇気wは無い。
それが参加条件という事なので、このスレから退散させていただきまつ。
ずっと前に、上杉神社で謙信所用逗子入り持ち仏とゆーのを
見たことがあります。当時の婦女子の護身用の持ち物だったと。
一説には、謙信が御虎御前から譲られたものだったらしい。
>>69が本当なら、明日にも
『謙信と信玄のDNAが明らかに!! 関宿城博物館が簗田家文書の血判状を鑑定
上杉謙信は女だった!! 驚愕の事実』
てな記事が出てもおかしくないのか?
146 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 23:32:38
景虎→政虎→輝虎
「虎」を「子」に置き換えるのは無理があるか?
因みに、名前の最後に虎が付くのは非常に珍しい
様な気がする。「子」じゃ如何にも女の名前で威厳が
無いから、「虎」を使ったのでは?謙信=女は、当時
周知の事実でだったのだと思う。
>>145 あり得るでしょう。明日というわけにはいかないにしても。
>>146 かなり無理があるよ。
前に三戦板で流行った
「景虎(けいこ)政虎(まさこ)輝虎(てるこ)」だろ?
周知の事実だった説もなぁ・・・。
それよりも、景虎が長尾平三景虎だったこと。やはり三男(じつは次女)だったのか?
加地春綱に於虎が嫁がされかけて反抗し、男の子として寺に入れられたというのは、
仙桃院(亀姫)のほかに為景に娘(これが於虎か別人か?)がいた説をもとにした仮説なのかな?
いずれにしても、加地氏との姻戚約定の原史料がわからん。
男性説は何も出てこないなあ
やはり、謙信は女性なのか
女性かもという説は立っても
男性であるという根拠は全く無いからな
>149
ノコノコと不容易に出て来りゃ、女性説厨房に寄ってたかってボコボコにされるだけ。
バカバカしくなるはずだよね? というわたしは女性論者
>>133:
>>121さま
もし機会があったら、金無垢の兜(威毛が三つ編み)見てください
男か女かはべつにして、謙信公の美意識が体感できると思います
では・・・。草々
>>122 拝
154 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 02:35:30
ところで、大ボラこいた
>>62は消えたままか?
草の根を分けても探し出して、小賢しい言動の責任を取らせたいものだが。
>>155 うん・・・? 天台宗(叡山)と禅宗(謙信=曹洞宗)を比較するかね?
わたしは、栃尾常安寺の謙信画像がリンク先の瀬戸内寂静(女性)とよく似ている
と思うが・・・。そもそも出家僧の服装(法衣)に、男女の区別なんてないんだよ(笑)
カキコするなら、自説をちゃんと論述してくれ。べつにとりとめない内容でもいいからさ。
ごめん(
>>156)
「瀬戸内寂静(女性)」=瀬戸内寂聴(俗名瀬戸内晴美・女流作家)
でしたッ!
158 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 04:17:09
>115
>この謙信の自画自讃像の着てる物が男物であるという説
はて? 何だかよくわからんぞ!
どんな説なのか、詳しく説明しろ。前スレにもなかったし、現スレにもないが?
アタフタ・・・159...
163 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 11:57:18
>>156 > そもそも出家僧の服装(法衣)に、男女の区別なんてないんだよ(笑)
仏に性別はないからのぉ。
そういや、そうだった。
小さい頃に寺に預けられていたというのは何の資料からなの?
実は、為景の娘であった虎千代には全く資料がなく、
それではおかしいと言う事で、無理やり寺に預けられていた事にされたとか。
あと、長尾家に、次男以下を寺に入れる習慣があったかはどうなの?
167 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 22:36:35
だから慈眼大師は光秀だって言ったろ!
>>166 おそらく長慶寺の天室光育(林泉寺6世)宛ての書状(弘治2年・歴代古案)。
政治に嫌気がして「もうイヤ!寺に入って僧侶になります!」の時のこと。
のちの上杉家諸文書に、逆算して7歳の頃に寺に預けられた、となった。
当時の禅寺は学問修行の学校ですから、通説に言われる「次男三男は
家督相続をクリアにするため、寺に入れていた」というのは、疑問。
御説もごもっともですが、謙信の神仏信仰や教養の高さを考えると、
林泉寺に喝食していたのは事実でしょう。為景にはもう一人養子があった
という説もあり、この養子は出家して僧侶になっているとされてます。
このスレの女性説では、於(阿)虎→虎千代(男児名)の流れですから、
男の子として寺に喝食していたのでは? なお、寺に入ったのは通説では
天文6年、同じ年に為景の娘が加地春綱と長尾政景と婚約したことになって
います。このうち、一人は於亀(綾姫=仙桃院)、もう一人が於虎なのか
別人物なのかは、わかりません。
>167
誤爆なのかもしれんが、慈眼大師(天海僧正)といえば川中島合戦で謙信と信玄の一騎討ちを見ていた人だ。
彼も謙信公が女だった真相を知るひとりなんだろうなぁ……。
170 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 02:11:16
良スレ、age!
活性化のために、スマソ
>170
べつに誤爆吸引ならageなくてもいいよ。
全般的に盛り下がりの時期なんだろうが、エキセントリックな女説派の叩き(集団リンチ)で
男説派の良識派が退去したとも思える。たまに、素朴懐疑派のネタ出しがあっても、
寄ってたかって叩いてアボンさせちゃうし・・・。
>>171 そんなこともないと思うけど…。
わたしは女性説派
もう分析の段階は終わった
科学鑑定の段階である
>>1 質問した本人ではないが
これに対する回答がないぞ。
それとも得意技のスレ全部読めでけむにまくのか。
<すでに論破された男性説側の反論の一例>
>謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
>江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある)
↑
>「可能性がある」=「論破された」という論理は非論理的。捏造と断定されない限り論破されたことにならない。
>高田林泉寺、米沢林泉寺の謙信の法名を比較検証する必要性あり。
>高野山清浄心院の霊屋が江戸時代の作なのであり、位牌が江戸とはなっていない。
>・そもそも授戒までしている熱心な仏教者・謙信が、法号まで詐称することは考えられない。
>・死後戒名が改められたのであれば、改称前・改称後に追善法要に参列したことがある一族、家臣・僧など、事実を知るものが多くいたはず。それら多くの人間全てに緘口令・記録を残させないということは、極めて困難。
>・改易を回避するために上杉家が捏造させたことを示唆する史料はない。
>・そもそも謙信が女性=改易、という論理自体が勝手な想定に過ぎない。
>・過去の当主=改易という事例を挙げよ。
>>173 もう女性説でケリがついてる。科学鑑定の必要なし。
176 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 10:16:51
いや、そんなことはない。
>>174 そのコピペ、疑問点を羅列しただけで「あ、そう思うのね」
としか言えん。法名の比較検証なんか言われて、なんで「わかりました、します」
と答えねばならんの? おまいがやれよ!
>>174 男性説の状況証拠の一つではあるが、
北越軍談などを見てもわかるとおり、
江戸期に作られた謙信像の信憑性が極めて低い以上、
戒名も男性説の根拠としては、参考資料程度にしかならない。
>>174 徳川家にとって、大名を取り潰す理由などはなんでも良かったはず。
方広寺の鐘が豊臣家を攻める理由になるなどと、誰が考えただろう?
素朴な疑問だけど、わざわざ主筋から一字拝領していて
実名には使わず、雅号かなんかにする例なんかあるの?
景虎(かげとら、じゃなくて、けいこという解釈なのか?それともこれだけ実名?)
政虎(せいこ)
輝虎(きこ)
ほかの号「宗心」「謙信」と比べて違い過ぎないか?
当時敵対したほうの感状とかに
『怨敵まさとら』とか
『てるとら退治』云々とかあったら女性説は後退だな
法名はともかく、雅号に自分ルール以外のものなんて無いだろ?
拝領した偏諱を実名に使用しないで、号に利用した例を列挙してほしい
景虎→政虎→輝虎という改名の整合性。景虎はどうみても長尾家にふさわしい実名
なのに、政虎・輝虎は号であると解釈する理由
上杉於虎と、上杉景虎の、
どちらが当主としての通りがいいかって事じゃないか?
別に景虎が、公式に使われた実名であるとしてもいいと思う。
このスレの、景虎が男性名である、とする意見への反論に過ぎないし。
そもそも日本は神代のアマテラスはともかくも、
女王卑弥呼、神功皇后、尼将軍政子、御方公方と呼ばれた日野富子、
巴御前はじめ女傑にはこと欠かない。立花家の例も出た。どうして
謙信の場合だけ隠さねばならないのか
虎千代の「虎」に異常なこだわりを見せる人がいるようだが
十二支でも人名に使用できるのは、虎や竜などいくつもない
五言対句とか例の「義一第」も号は藤原輝虎、
>186
卑弥呼いがい、みんな夫(男)がいるのばかりじゃないか。
ギン千代の場合と違って、男性当主を迎えられなかった事情だろ。
政景ですら、国人領主の扱いなんだから。
景勝は「卯松」だったよ。
ウサギちゃんじゃなぁ・・・。
>>180 >景虎(かげとら、じゃなくて、けいこという解釈なのか?それともこれだけ実名?)
>政虎(せいこ)
>輝虎(きこ)
マントラとテルトラではなにか不都合でも?
萌えスレ住人がふざけて読んでるだけだと思ってたが
マジに読み方を変えて研究してる人がいるらしい。
無理があると思うが・・・。
女性説にもいろいろあって、
>>181が言ってるような資料がでても
女性説全てがダメになるわけじゃない
あんまり関係ないが
うちのばーさんの名前は「虎」と書いて「とら」と読むぞ。
「こ」なんて読まないよ?
謙信が書いた願文に平仮名で
「たけ田はるのふたいち、てるとらほんいにたつするにおゐてハ、」
(武田」晴信退治) (輝虎本意)
ってあるよ。
>>193 >女性説全てがダメになるわけじゃない
そんなに怯えなくても。全てなんてどこにも書いてないしw
後世の国学系統の人物の場合は別として
号を訓よみする例は少なく、音よみが普通であると思う。
実名(いみな)は殆んど、訓よみである
あくまで号と言うなら、政虎(せいこ)・輝虎(きこ)という
ことになる
>>194 過去帳とか系図、すぐに調べてみれ。長尾家の末裔かもしれん。
代々、女性には「虎」というのが居ないか。
寅年生まれというオチ
>>195 さんくす。
>「たけ田はるのふたいち、おとらほんいにたつするにおゐてハ、」でも
>「たけ田はるのふたいち、をとらほんいにたつするにおゐてハ、」でもないわけだな
もし「てるとら」の「てる」のスペースが1文字分しかないところに後から無理に書き入れた
形跡があれば、女性であることを隠した説の補強になるのだが。
ほれ、三戦板の上杉家(正統派)スレからのエールだ。
772 :無名武将@お腹せっぷく :2005/04/15(金) 01:39:41
>>771 > それと最近は謙信の小説あまり出ないね。
これから出すなら謙信女性説で徹頭徹尾押し切るようなのでないと新味はないな。
括弧つきで正統派なんて書いてあることがかなりムカつくんですが・・・
「正統派」というよりも、「総合」としたほうがよかったのではないか?
うむ、
>>202のままでは、男性説派がさも男性説が「正当」であるかのように嫌味を垂れ流しているような印象を受けてしまう。
このスレで述べられた通り、謙信が男性か女性かということに関しては、科学的にはイーブンなのだからね。
気分を害するものが出るのは当然かと。
ただ、三戦板はあくまでフィクションを扱う板であって、リアルでは男性か女性かはイーブンであっても
ほとんどのフィクションでは、謙信は男性であるからして、そういう意味では「正統」であるな・・・
小説というのは面白ければ何でもいいんだから、
「男謙信に食傷気味だから女性説で」というのは自然な流れだと思うね
この板の謙信スレも徐々に萌え化してるし、女性説を無視できなくなってるわけだよ。
三戦板の大河ドラマスレでは、相当ウザがられてるようだが(笑)
徐々に多数派の位置を占め、女性説が社会的に無視できなくなれば、
簗田文書の科学的鑑定がおこなわれて・・・、戦国史が全面的に書き換えられる?
たとえば、無双系の謙信ファンには「女性説をどう思うか?」
という項目もあるのであって↓
ttp://trinity.hiho.jp/zukin/30situ.html すでに社会的な力は獲得しつつあるわけだ。
それでも、
このスレではあくまで科学的に検証していきたい。
初めて書き込みます。
謙信は細川藤孝(幽斎)と和歌の交流があった(天正5年正月に「和歌口伝」を贈られる)
らしいのですが、細川家関連の文書を知っている(調べている)人はおられませんか?
天正5年といえば、すでに謙信と信長の同盟が破綻(越中平定・能登侵攻)していた時期です。
信長の家臣になっていた藤孝が謙信に贈り物をするというのは、純粋に詠歌の友としての
ことだったのか、信長の懐柔策の可能性もありますが「上杉家文書」とは別のものが出てくる
可能性も否定できません。このルートでの研究、頭のどこかに置いておいてください。
私は関白近衛前久と藤孝の連絡で、謙信が信長との同盟破綻後の京都の情報収集をしていた
のではないかと、仮説を立てています(まだ、ぜんぜんなのですが)。いかんせん、
細川忠興以降の史料は豊富なのですが、意外なことに藤孝の史料は歌集とかしかないんですね。
このスレの冒頭に「謙信の歌風」が論じられていましたが、私も謙信の歌は女性的だと
思います。では。
211 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 00:59:13
>210
ふーむ・・。よい着眼点だと思うが。細川藤孝はよく知らんので、スマソ。
将軍義昭を供奉した明智光秀の友だちなんでしょ? 光秀が信長を殺したあと、出家したという。
勉強してみまつ。
細川幽斎、戦国時代きっての詠歌の天才ですな。謙信公の風雅の才は、ここにもありましたか。
でも、女性説との関連では、どうなのかな? 二度の上洛時にも会った記録がない。
近衛前久のルートというよりも、「和歌口伝」が天正5年のプレゼントなら、
信長のルートだった可能性もある。洛中洛外図屏風プレゼントは、天正3年だったはず。
信長が謙信に洛中洛外図屏風を贈ったのは、謙信への求婚だったんだよ。
つまり、正室斉藤氏はそのころまでには死去したか離別したということになる。
>>213 何なのですか、これわ?
>正室斉藤氏はそのころまでには死去したか離別したということになる。
スマソ、ワカラソ・・・。
>214
斎藤道三の娘、帰蝶(濃姫)の事だと思われ。
正室は吉野(きつの)だったのだが。
>>215 スレ違いだが、正室は吉乃とは言いきれんよ。
最近は吉乃マンセーの『武功夜話』が普及して、大河ドラマの影響などもあり、
そう思ってる人が多いようだが、アレは偽書説が盛んで信憑性が低い。
そのまま典拠として引用する研究者も今や稀になった。
何年か前に偽書説を展開している本も読んだが、納得させられる内容だった。
だいたい当時の一次史料には、吉乃の名は一度たりとも現れん。
そして吉乃死後の永禄年間に「信長本妻」の記事が山科言継卿の日記に出てくる。
(本妻の名まで書かれていないので、それが帰蝶とは確定できんが)
それに伊勢方面の比較的良質な史料として用いられることの多い『勢州軍記』では、
信長の正室である斉藤道三の娘に子供がなかったので、
長男の信忠を養子にした、という記述がある。
そこには次男の生母は妾の生駒氏娘(吉乃)、三男の生母は妾の坂氏娘とも書かれてる。
ほとんど親族と言っても過言でない一族が書いた吉乃のプロパガンダ『武功夜話』よりは
信憑性が高いと思うがね。さらに道三の側近の何人かは信長の中枢官僚になってるし、
信忠の側近には道三の息子がいる(本能寺で一緒に死んだ)。
まぁ天正5年の時点で信長の正室が誰だったかは確定できん、ということで。長文スマソ!
217 :
日本@名無史さん:2005/04/16(土) 11:09:21
もう、学術調査に期待するしかないのだろうか?
つまり男なのか女なのか・・・
220 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 14:46:10
そうだ! いいこと思いついた!!
謙信タソを天皇の戦争責任にこじつければ、半島BBS戦士や厨華どもがスレを伸ばしてくれるハズw
もう誰かが言ってるだろうけど
謙信は官位を与えられてるでしょ?
女性には女官や位階を除いて
官位は絶対に与えられないから
男性説はくつがえらない
>>221 そもそも謙信が男性名を名乗り、男性を装っていた女性説では門前払い。
スマソ。
>>222 きっと謙信が上洛した時応接した公家や謁見した天皇の目が腐ってたか、上洛したのは男
性の身代わりだったんだよ!
・・・・・って女性説信者が言いそうなので先に言ってやった。(w
>>223 いいえ、ちがいます。御簾ごしに彼女を見た天皇はともかく。
公方や公家たちとは朝まで飲んでいるうちにバレたが、まぁいいや(w)ということに
なった。当初は絶姫を娶らせようとしていた近衛前久が謙信に一目惚れして、
越後まで付いて来るも、のちに破綻(史実)。
戦国時代の朝廷なんて、くだらない決まりにこだわってる場合じゃないだろ。
相手は信玄・信長も真っ青の戦国最強の毘沙門天女。
これを味方にできるか怒らせるかじゃ朝廷の運命も大違い。
そういうことには公家ってのは敏感なもんじゃないのか?
>>224 221ではないが、弾正小弼。位階は従五位。
>>226 仰せのとおり、位階も官位も投売り状態。
謙信は朝廷・公方・公家衆に莫大な金銀、青銅、鳥目(銭)
を献上しています。たしか、朝廷には毎月黄金20枚だっけ。
228 :
日本@名無史さん:2005/04/17(日) 20:40:37
越後は金の採り放題!
日本のジャンヌ・ダルクだよな
桐の家紋を使っていた秀吉は
天皇の落胤であった
って言うのと同じ?
>>230 はぁ? こっちは文献史料や伝承を分析するスレッドですが、何か?
そういえば、謙信も桐の家紋を下賜されたんだった。
天正越座小判には菊の御紋もある。
やっぱり女性説には無理があるなぁ
途中で姉貴が代役を務めた可能性は・・・・どう?
>>233 なぜそう考えるのか、ワカラソ。
綾姫(仙桃院)は慶長14年(1609)まで生きた人でしょ。
代役が務まるくらいなら、謙信もその年まで生きたことにすれば
よかったと思われる。
いまのところ、女性説に何の無理もないのだが・・・
>>234 なぜそう考えるのか、ワカラソ。
従来通り、男性と考えて不合理な点は何ひとつないのだが・・・
しばらく見ないうちに盛り下がってるなあ。
男性説が何ひとつ立論できんというか、叩かれてアボンだからな。
一方的な勝利宣言してるのはどっちだろうね
互いに論争のネタが尽きて、中身のない言い合いか・・・?
男性派の大部分は、従来の男性説に何ら合理的な疑いはない
と考えているからね
まあ近々
>>148のような催しもあるし、女性派は学芸員に
でも相談してみたら?
真摯な態度で臨めば、取り合ってくれるだろう
243 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 02:22:33
何だかなぁ……、近日中に双方の言い分をまとめてみるよ。
244 :
日本@名無史さん:2005/04/20(水) 10:29:12
春日山城址の直江屋敷跡のボード壊した奴自首汁!
>>243 まとめサンクス!
ついでに漏れの私見も加えておいてくれ
1。「かげとら」「まさとら」「てるとら」というのは絶対に男性名だ!
号だから勝手に付け放題だろという意見は絶対承服できん。
同時代の女性名で存在するのなら、2〜3の例を出せ!
おとら→おまさ→おてると改名したというなら別だがな
2。号の場合なら「けいこ」「せいこ」「きこ」と自称したという証拠を
提出してくれ
漏れも、まとめに期待。
>江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性
>がある
この戒名偽造によるお取り潰し回避説は、ハチャメチャだよ。
そもそも法度というものは、それが公布されて以降に効力を発するもので、
過去に遡及して、ましてや先代にまで遡ってまで適用される筈はない。
実際、法度が公布される以前に遡及して大名家が取り潰された例は無い。
謙信が女だった為に、幕府から取り潰されるのを恐れた上杉家が捏造した
とするなら、当時の上杉家はドキュソばっかりだった事になるよ。
上杉家だけで、謙信が女だった事を隠し果せると、彼等は過信していたとでも
言うのだろうか。
そもそも、女謙信を男を謀ろうとしても、女だった証拠を幕府につきつけら
れたら、言い逃れができない。こんなリスクをしょってまで、女であった事を
隠そうするのは、わざわざ幕府に処罰する口実を与えるようなものだな。
戒名が男名なのについては、女性説派は、もっと筋の通った仮説を唱える
べきだろう。ついでに高野山問題の女説派の偽造だという説も、なぜ偽造
する必要があったのか、という疑問も未解決だね。
後、謙信は生前から男を装ってたという説には以前、声でばれるという指摘
もあったな。
>>245 何か、言わずもがなという一般常識だけの見識だな。
せめて「政虎」は「まんとら」ではなく「まさとら」だ!
などの説得力がある史料分析を添えてくれ。
>>245 男性を装っていたからこそ男性名を名乗ったのでは?
>>246 八切説への反論としては有効だが、
謙信の史料が寛文9年段階で何も残されておらず、
畠山義真・吉良義央(忠臣蔵の上野介)・宇佐美定祐・竹脇義秀らが
「軍鑑」をもとに、それを否定するような記述で「川中島五度合戦次第」
を捏造せざるをえなかった(「群書解題」)をどう考えるのか?
>ついでに高野山問題の女説派の偽造だという説も、なぜ偽造
>する必要があったのか、という疑問も未解決だね。
どの説を指してるのかわからんが、
戒名なら男性名(男装)説で解決済みだぞ。
高野山の肖像画なら、明治31年作成の版画。
>後、謙信は生前から男を装ってたという説には以前、声でばれるという指摘
>もあったな。
生前の謙信と会った人を挙げてみれ。
女だとわかったからと云って、見てみぬフリをしたとは考えられないのか?
そもそも常識(通説)では計り知れない説をめぐって議論しているのだから、
あたらな史料分析のない反論はウザいを通り越して、生産性がなさ過ぎる。
>>249 >軍鑑」をもとに、それを否定するような記述で「川中島五度合戦次第」
>を捏造せざるをえなかった(「群書解題」)をどう考えるのか?
スマンが、捏造せざるをえなかったと決め付ける理由が解らん。
>どの説を指してるのかわからんが
謙信が高野山を訪れたという記録が改ざんされたとする説だよ。
>女だとわかったからと云って、見てみぬフリをしたとは考えられないのか?
これの何処が史料分析に基づいた反論なのか?
>あたらな史料分析のない反論はウザいを通り越して、生産性がなさ過ぎる。
のはそっちじゃないかな?
なぜ、バレバレなのに、男を装う必要があったのかについても筋の通った
仮説は必要だと思うぞ。
>そもそも常識(通説)では計り知れない説をめぐって議論しているのだから、
この点には、確かに同意するが。
>>247 >せめて「政虎」は「まんとら」ではなく「まさとら」だ!
ぜ〜んぜん意味が分かりませんが???
>>246 これ↓はまるで、近代刑法の解釈だなw
>そもそも法度というものは、それが公布されて以降に効力を発するもので、
>過去に遡及して、ましてや先代にまで遡ってまで適用される筈はない。
江戸時代初期の、嵐のような改易騒動を勉強してみれ!
>250
>>軍鑑」をもとに、それを否定するような記述で「川中島五度合戦次第」
>>を捏造せざるをえなかった(「群書解題」)をどう考えるのか?
>スマンが、捏造せざるをえなかったと決め付ける理由が解らん。
要するに、史料を検討してもいないわけだ。
謙信が生涯に直接対面した人間は少なくとも数百・数千にのぼるはず。
味方もいれば、敵の使者もいるだろう。貴人と対面するときは従者もいるだろう。
これらの利害の異なるすべての人々をだます、あるいは全員のくちをふさぐなど
ということが現実にできるはずがない。
戦国大名が男であるのは普通だから記録に値しないが、女は異例だから「珍しい、
おもしろい、興味深い」話として記録しないわけがない
>>250 「五度合戦」をふくめて、上杉文書はすべて江戸期の偽書です。
幕府が「本朝通鑑」を編集する時に、謙信に関する史料のなかった
上杉家が、軍学者の宇佐美や高家の吉良に作らせたというのが通説です。
>255
だーから、噂が当代記に記載されちゃったw
クソみたいな俗謡なんぞ何の証拠にもならん。幕末くらいの成立だろww
>>255 >謙信が生涯に直接対面した人間は少なくとも数百・数千にのぼるはず。
どうして、そう断言できるのか? 確実な史料は、前久のしか残ってないのだが。
想像で断言されてもなぁ・・・。
謙信が「男」だと書かれた資料をしめして欲しい
フィクションのもとになった「軍鑑」にしかないぞ!
>>261 >戦国大名が男であるのは普通だから記録に値しないが、女は異例だから「珍しい、
>おもしろい、興味深い」話として記録しないわけがない
>謙信が「男」だと書かれた資料をしめして欲しい
漏れもそう思う。このスレの男性説、常識とか通説とか
しか言わんじゃん。男性説というより、単なるケチつけじゃん?
>>252 >江戸時代初期の、嵐のような改易騒動を勉強してみれ!
自分なりに勉強して、法度が公布される以前に遡及して取り潰しなどの例を
見つけられなかったのたが、君は大層な勉強家のようだから、そんな事例が
あるなら、是非教えてくれないか。俺も、研究してみたい。
>>254 これも、俺なりに調べてから、書き込んだのだが解らんから聞いているんだよ。
是非、理由を教えてくれ。
あと、揚げ足とりみたいに、部分的な反論するのでなく、全面的に正面から
反論してくれないと、不毛な論議になるだけだよ。
>>264 >戦国大名が男であるのは普通だから記録に値しないが、女は異例だから「珍しい、
>おもしろい、興味深い」話として記録しないわけがない
>>263 だから、誰が謙信と直接会って、女だと確かめたというのか?
想像ではなく具体的に述べてくれ。
>267
それを言い出すと
だから、誰が**と直接会って、男(女)だと確かめたというのか?
となりキリが無い罠。
>>268 では・・・(汗)
だから、誰が謙信と直接会って、男だと確かめたというのか?
想像ではなく具体的に述べてくれ。
ふーむ、盛り上がってはいるが、どちらも決定打に欠けるというか
泥仕合の様相を呈してきたな。。。
>>256 >五度合戦」をふくめて、上杉文書はすべて江戸期の偽書です。
そんな事は今更な話だよね。
俺が知りたいのは、それが女説とどう結びつくのか、という理由なんだが。
>>272 男だと証明できない→じゃあ女なんじゃないか?
基本的に女性説はこのループ
>273
べつに女性説ではないが、二次史料とはいえ女性説に複数の文献と伝承が残ってる以上
確実な史料を提出できないと、形勢不利だよな。
>274
しかし女性説も『當代記』の「大虫と云々」という記述以外は裏が取れていないしなぁ。
ここに書き込んでいる人が、直接対面してそれぞれの説を主張できるか見てみたいなぁ。
特に女性説を唱えて一歩も引かない人。恥ずかしくて黙っちゃうんじゃない?(w
個人的には、まさに
>戦国大名が男であるのは普通だから記録に値しないが、女は異例だから「珍しい、
>おもしろい、興味深い」話として記録しないわけがない
だと思ってるんだがね。
当たり前のことは書き残さないが故に、武士や豪商は普段の食事の内容については語らず
ハレの日の食事の献立しか書き残さない。そして、庶民は平穏無事な日常のことは書き残
さず一揆や打ちこわしのことを熱心に書き残す。
その結果として、後世の我々は「江戸時代は武士や豪商だけが贅沢な食事をして庶民は食
うや食わずの挙句一揆や打ちこわしを頻繁に起こしているような暗黒時代だ」と刷り込まれ
てたわけだ。
今時まともな出版物でこんなこと言ってるのは教科書くらいだよ。
>>276 まったく同感ですな。しょせんヒキコモリの「スクツ」ですから
>まあ近々
>>148のような催しもあるし、女性派は学芸員に
>でも相談してみたら?
>真摯な態度で臨めば、取り合ってくれるだろう
という提案があっても、出かけて行くことはもちろんのこと、手紙や電話で問い合わすことすら
できんでしょう
素朴な質問を投げかけてくるビギナーをガツンとやって、ウサを
晴らしている観はある。
しかし、このスレにも学芸員の
「女だった謙信になぜ、官位が?」
との質問に、堂々と
「それは戦国時代の朝廷は力関係や利害関係を重視していましたから、
女謙信に官位を与えても不思議はありませんよ」
と答えられる猛者も、一人位はいるだろうよ。
>>279 同意。猛者の出現に期待
ついでに
■講演会 6月4日(土)14:00〜
講師:山田 邦明 氏(愛知大学文学部教授)
場所:伝国の杜大会議室
の山田教授に質問をぶつけてみたら。
男性説は、大名改易の嵐だった頃の、宇佐美定祐の頃の資料しか根拠がない。
この頃、各地の大名家は、源平藤橘の末裔になった。
上杉家も、偽の家系伝説を作り上げた。
>>282 なんで?
女性説側が散々主張してることでしょうが。どこのスレと間違えたんだ?w
>>281 家系伝説のことなんかどうでもいいから、先代のことにまで遡及して大名が処
罰された事例を、もったいぶらずに早く教えてくれないか。
>>284 >>281ではないが、そんな事例はないよ。八切氏の想像の産物、
というよりも遡及論は氏の憶測(仮定)にすぎない。
だからと言って「上杉家が謙信の性別を隠した」説が根本から覆る
わけではない。信玄と並び称される軍神が女では、いかにもマズかったはずだ。
286 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 01:30:04
昨日、八切止夫御大の旧史料を入手しますた!
やはり泣けるほどトンデモ思い込みの内容なのだが・・・、
三次史料であれ何であれ、このスレが「徹底史料分析」であるかぎり
うPしますのでお楽しみに。
288 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 07:39:53
じゃ、ヤメたよ
A「ねえねえ、お相撲さんてホントは女なんだって」
B「ウッソー」
A「だって、おっぱいでかいし〜」
B「ううん」
A「いろ、白いし〜」
B「そう言えば」
A「まわしの下って見たことないでしょ?」
B「ないね〜。そうだったのか」
A「ね、女なんだよ」
というレベルのスレですね
C「おいおい、いい加減なこというなよ、戸籍を調べたら皆、男だったぞ」
A「そりゃ、相撲は国技だから男でなきゃまずいでしょ。みんな記録を書き
換えたんだよ」
くだらん
292 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 11:28:57
オスカル・フランソワみたいに、男として育てられた男装の麗人だったのかも・・・
その程度の議論にすら無視か罵倒でしか対応できないことが問題だろ。
まぁ学問ってのは所詮手続きの問題だから限界があるのは当然だけど。
謙信の場合は調べる戸籍がないというのが問題だ
このスレの場合は戸籍があっても、いとも簡単に書き換えられた事になってしまう
のが問題だ
今時江戸時代に作られた家系図を信じ込んでる男性説の人間の考えおかしいのは明らか。
>>289 こいつが一番レベル低い。まあ学者にもこんなん多いけどな。
謙信の最大の謎は生涯不犯・不妻帯だと考えるが、従来説では
@男色説
A兄殺しの大罪を償うため
B戦勝祈願説(邪淫戒)
C性的不能説
D悲恋説(千葉采女の娘伊勢姫)
など。このうち、Aは事実ではないし、@でも妻帯(性交)は可能。
Bも稚児遊びをして病気になったりしている(永禄2年6月)のだから、除外して考えてよさそう。
Cだとしても、妻帯できないほどの重症でなければ考えにくい。
長年合戦に明け暮れた人間が、精液が出ない(受精)ほど不健康だったと思えない。
Dの伊勢姫は架空の人物とされるが、永禄2年の上洛時に関白前久の妹絶姫とお見合い
をして、そのまま気持ちを伝えずに(興味をしめさなかた)帰郷。絶姫は出家したとされる。
あと、直江実綱の娘(お船の姉?)が近侍していたが、のちに出家。
じつは男装していた謙信に彼女たちが惚れ、女であることを知って身を引いた。
という仮説はどうですか?
>300
だーら、謙信研究者たちが必死こいても@〜Dしか説明できんのだろ?
302 :
日本@名無史さん :2005/04/22(金) 18:57:42
test
303 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 19:42:56
謙信が女だったら改易されるんで、上杉家が必死こいて男と思わせるように
捏造したの!?
そんなんで騙されるほど徳川幕府って馬鹿かい?
江戸に転封された家康は、関東の地侍や北条の旧臣を徳川家に取り込んで
慰撫したんでしょ。そういう連中には謙信の味方だったり敵だったりして
素性は知れていた筈。
そんな連中から、謙信の女性説が幕府の耳に入っていたことは当然やんか。
逆の意味で、上杉家が改易されなかった事は、謙信男性説を幕府が認定してると
というべき。
>303
クソ理屈こいてるヒマがあったら、謙信不妻帯の理由を納得いくように説明せれ!
女性説が唱えられたのは、そもそも不妻帯の疑問からなんだぞ。
また議論の蒸し返しかw
末期症状だな。
>>303>>306 いや、前スレでも現スレでも「謙信不妻帯」はまともに論じられてないよ。
というよりも、男性説派が完全逃亡のままで議論になってない。
>>305が言うとおり、女性説の発生したナゾなんだから、ここでの議論は重要。
308 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 20:14:52
>305
結婚してないから女と言うのは、単細胞杉。
女であれば、しかるべきところから婿をとるのが自然。
>303にクソ理屈と言う前に、納得できる反論してみろよ。
>>308 はーっはっはははw
いったい、どこから婿を取るというのか??
おまいは上杉定実が伊達家から養子を取ろうとして
越後が内乱になった(定実と縁戚の中条藤資が仲介役として突出したために)
の、知らんのだろう? わっはははw
婿入りした国人領主が威勢を振るって、たちまち越後は内乱に逆戻りだぞ!
長尾家は婿入りした男に乗っ取られるしなぁw
何か、クソ理屈でもいいから答えてみれよ。
310 :
日本@名無史さん:2005/04/22(金) 20:40:45
俺が言いたいのは、長尾家の姫様が独身のまま生涯を過ごすことは
当時としては不自然ではないかという事さ。
謙信は、上洛を果たして足利将軍に拝謁したくらいだから、京の
高い家柄の男を婿に取ることなどは簡単ではないか。
それがお飾り程度でよい。
>310
たしかに御説のとおり。で、近衛前久が謙信に惚れて越後下向したが、
のちに関係は破綻・・・。摂関家の御曹司では、謙信も物足りなかった
ものと思われ。前久も関東の諸侯から「越後公方」とバカにされてたし。
妻帯してたら、女性説はなかったわけだから重要視するのはわかんだけど
自分は女性説なんだけど、謙信不妻帯の理由というのはそんなに決め手に
はなりにくいと思うんだ。
例えばBの稚児遊びによる病気説なんて、単なる俗説だった筈。
謙信の性格からして、男を断つ事を神に誓って戦に必ず勝てるよう
力を授けて下されと、祈ったとしても違和感はない。これは男断ち
ではなく、女断ちすなわち男説でも十分説明できてしまう。
なんで男断ちなのかというと、彼女が妊娠した記録はないから。
まあ、妊娠した記録があったら、このスレいらんか。
つまり、男女入れ替えても成り立つ説だと思う。
あと@の男色説は、妻帯(性交)は可能としているが、真性ホモの男性は
女性じゃ立たんから、そりゃ無理。
でもこれは男説派女説派両者とも、支持しないだろうね。
だってホモの謙信なんて誰もみたくないだろうから。でも、認めたくなくて
も、可能性としては大有りだ。
というわけで、謙信不妻帯の議論は残念ながら決定打にはならないと思うよ。
>>312 >Bの稚児遊びによる病気説なんて、単なる俗説だった筈。
近衛前久の手紙(百万遍知恩寺某宛)に「若衆多数集めて…夜を明かし」
その後、坂本で腫れ物を患った謙信に、前久と義輝が見舞と書状を贈っている。
第一次史料なので、俗説とは言えないでしょう。
>彼女が妊娠した記録はないから。
天文23年の彼女の動向が不明(上杉氏年表)で、妊娠していた可能性
も否定できない。前後の年のおびただしい文書史料から考えて。
ちなみに、卯松の生誕年月とは一致しない(おおむね一年違い)
>真性ホモの男性は女性じゃ立たんから、そりゃ無理。
真性ホモだった三島由紀夫も「僕も女と出来たよ」
という書簡をホモ達の詩人に残しています。
>謙信不妻帯の議論は残念ながら決定打にはならないと思うよ。
いいえ、少なくとも謙信研究の第一人者ですら、この謎の前では
しどろもどろの推論しか述べていないのです。不妻帯でなければ
そもそも女性説が唱えられるはずもなかったのです。
>>313 資料とか全く知らない俺が質問しますよ
近衛の手紙に、どこに腫れ物を患ったか書いてないの?
>>314 原史料が手元にないので、上杉家年表から抜粋します。
「このころ景虎は腫れ物を患っていたようで、(永禄二年)六月二十九日、
義輝は病状を見舞う御内書を届けた(上杉文書・越佐史料四−二〇三)」
前久の書状は「少弼ハ若もし数奇のよし及承候」「きやもしなる若衆」
どこが腫れたのか(箇所)は、おそらく原史料でも不明と思われ。
>>313 うーん、だいたい納得できて少し安心。
でも女と出来たんなら三島は、真性ホモじゃなかっただけの話で、自分が
知ってる(以下略
一番不安なのがこれ
>いいえ、少なくとも謙信研究の第一人者ですら、この謎の前では
>しどろもどろの推論しか述べていないのです。
謙信が真性ホモだったなんて、名のある研究者が口にしたら、どんなに
なるか予想できますよね。
彼女が神仏を前に必勝祈願のみかえりに男断ちをしたとしたら、それは
それでいいと思うんだけど。戦に勝つためには、なんだってするわよ。
といった感じ。しかし、その反動で大酒飲みになったか。
>312
謙信の不妻帯は戦国史のなかでも最大級の謎だぞ。
上条政繁・長尾景勝・北条三郎(景虎)と判明しているだけでも
3人の養子を取り、のちに御館乱を招かざるを得なかった謎。
ふつう、戦国大名なら正室はもちろんのこと、側室多数があって
しかるべきだろ? ホモだったとしても
信玄も衆道(ホモ)の達人だった(春日源助宛ての書状=ラブレター)し、
信長も前田利家が自慢したとおり、ホモ(森蘭丸とのことも)。
>>316さんがほのめかされたように、真性ホモで女を受け付けない人も
いるのでしょうが、ホモだったから妻帯しなかったというのは無理が多い
と思いますね。ちなみに、謙信の研究者でも「ホモ説」を殊更に否定する
人は少ないのですが・・・。
ぐだぐだ推論するより、
同性愛板で本物の人達に聞いてみたら早いんじゃないか?
>319
なら、おまいがやって来い
証言を得たとしても、推論にすぎん
そもそも、おまいは謙信の不妻帯に、どういう立場なのか??
謙信は子供の頃に馬に蹴られたかなにかしてチンポが潰れてしまったんだよ。
そう考えればすべてうまく説明がつく。
なっ↑こーゆーのしか男性説の反論て来ないんだよ、ぶつくさ・・・。
320←これが八切的論理
>>323 >320←これが八切的論理
亡き先達を、かように鞭打つか……。
衆道とホモを混同しちゃだめだよ。
アメリカの終身刑囚の間では、若い囚人で性処理をしていますが、彼等がホモ
であるわけじゃありませんよ。いわば代用品です。
衆道は、女性を戦場に連れていけなかった武士たちが、小姓たちで性処理を
したり、戦の前に女に触れると、臆病風に吹かれるとか武運に見放されるとか
の今風に言うジンクスから、生まれたものだったと考えられています。
極端にいえば、当時の武将の茶道のような嗜み。衆道の師匠ですらいた程です
から。
一方真性のホモは、女は一切受け付けません。
>>325 衆道(戦場ホモ)とアンコ(獄内ホモ)の同一性、
バイセクシュアルと真性ホモの差異、とくに真性ホモの定義を医学的に述べてくれ。
>一方真性のホモは、女は一切受け付けません。
本当にそう断言できるのか?? シッタかの半端話をしてると、
ゲイ方面からしっぺ返し食うぞ。
327 :
671:2005/04/22(金) 23:41:28
不妻帯に関してはやっぱり女体を避けるためなんじゃないかなぁ。
詳しくないが、出陣前には女に絶対触れるな、とかの風習があの頃普通にあったよね?
そもそも女性って、特に謙信みたいに仏教関係に熱くのめり込んでる男にとっては、
穢れの象徴そのものなんじゃないの?
まぁそれこそ単に真性フォモだった可能性もあるとは思うけど。
養子については、真性だったにしても女性だったにしても、
子供が出来ないから、とか言う以前に純粋に政略の一環に過ぎんと思う。
政繁・景勝・景虎の3人だけじゃなく、ほかにも何人か居たらしいが、いずれも政策の延長上でしょ。
男でも女でも別にいいと思ってるけど、てか女性だったらスゲー面白いことに、と思ってるけど、
女性説派は、男性説派がまともな反論をしてない、などとよく書き込んでいるのを見るが、
以前、誰かが書いてた女性説の大きなネックの1つ、
朝廷による官途の叙任は、やっぱり女性にはあり得んだろうよ。
近衛がひと目惚れしようが、父兄の代から引き続いた貢物外交をせっせと行おうが、
女性には弾正少弼なんて官途は決して与えられない。
そんな史上空前絶後のことが起こったなら、朝廷側で何らかの記録に残ってなければおかしいよ。
てなことで、自分的には思わず納得させられるような女性説派の反論はまだだな。
男装が上手くてみんな騙されたんだよ、とか云われてもそれこそ妄想だしね。
>>327 キミは未来からの使者
>>671か?? 前スレの過去からの使者か??
でもその理屈じゃ、名前も衣装も、面立ちも男性を装ってるという、
このスレの女性説には勝てんな・・・。女ではないと言い張る男装女には
金銀を寄進された朝廷も、官位を与えるしかないわな。
>>326 君もがんこな人だねー。
>本当にそう断言できるのか?? シッタかの半端話をしてると、
>ゲイ方面からしっぺ返し食うぞ。
ちゃんと自分の知人から得た知識だと316のカキコでほのめかしているでしょ。
いや、
>>327(671)は、文体からして過去スレのクレクレ君
このスレでは
>>62とほぼ同一人物。ほかに挙げればキリがないが、
要するにこのスレで無学を晒しつつ、ひそかに勉強に励む有為の人だ。
文章を読めば、すぐにバレーてしまうww。べつに排撃する気はないが。
>329
ほのめかしたからと言って、論証されたわけではないのでは?
断言するからには、科学的な検証が必要と思うのだが。。
ホモ談義というか、男性説=ホモ説でよいのですか??
アホだねぁ、男性説派の人たちも。いいように、ホモ説で外堀を埋められてるじゃん。
まあ、ほかに方法がないんだろうが、女性説派もロジックで絡め取られた感が否めず。
>333
ん・・?
ホモ説で外堀を埋めておいてから、いずれ医学的検地の論証で、
ガツンと内堀もか? 家康の大坂城攻めだなW
戦勝祈願説は、一考に値するのでは?
うろでスマソだが、確か新井白石も藩翰譜で謙信の性格からしてさもありなん
的な事を述べていたと思うが。
あ、漏れは何が何でも男説じゃないから、感情的な叩きは勘弁してくれよ。
>>335 無内容なレス以外は、ここは必要以上に叩かないと思われます。女性説の面々は
自分が社会的に排撃される被害妄想が多いのではないかと。
元禄期の新井白石や後世の頼山陽は、いずれも謙信礼賛派で、戦勝祈願説です。
しかし、これが女性説論者に言わせると、謙信男性説の「諸悪の根源」になるわけで、
たしかに義の聖将という謙信像の源流になったとも考えられますね。
いっぽうで、女性説であっても生真面目な僧将というイメージもないわけでは
なくて、難しいところですね。
>>336の追加
水戸光圀(黄門)の本朝史記(大日本史・のちの水戸学)の影響も見落とせないでしょう。
南北朝を「吉野期(南朝)」とし、楠正成を忠臣、足利尊氏を逆心とする天皇史観なのです。
さしずめ、謙信は戦国期の忠臣ナンバーツー(当然ナンバーワンは神君家康公)。
ホモだって妻を持つだろ。
そんなん許されるようになったのはついつい最近の話じゃん。
ホモって人口の何割くらいいるの?俺は知らんけど。
そういう反論だったら、日本人の何パーセントがホモで、
戦国武将の何パーセントが未婚かって比較検証する必要あるだろ。
>335
「思ふに弓矢の冥助を祈て、斯る外法を行ひしこと、昔人には多くありし俗なり」
という記述のことかな?
みんな学があるなぁ・・。
謙信聖将説は、水戸黄門の頃だけではなく、
明治政府とかにも価値はあっただろうな。
>>327 戦国時代に女性領主は普通にいたとすると、
中には官位をもらってる場合もあるかもしれないな。
それは出てこないのだろうか?
そもそも女であることを隠そうともしてなかったんじゃねえの?
男だって史料があって、いや実はって話じゃないだろ。
書き込み失敗した。
>>330 書き込みは初めてだし過去スレでのクレクレの記憶もない。無学ですまんかった。
>>341 位階は貰えても官途は例がないのでは。なので空前絶後という書き方をしました。
それこそ無知なだけかも知れませんが。
>>342 そう、その通り。
謙信男性説なる理論は未だ出ていない。
官途名は当主の世襲の場合も多いし、
名乗ってから朝廷に承認させるケースもあるよね?
女性の位階としては、ねねが従一位だっけ?
347 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 10:08:47
ホモ説で大騒ぎしてる奴が居るけど、戦国時代の棟梁
が一生の内に一回も妻帯せず、側室も置かないなんて
絶対に有り得ない。無妻帯の戦国大名を例気し欲しい。
仏道に修身するが為に妻帯しないなんて、女性説を否定
するための後付の言い訳でしょう。
「殿、嫁を娶らねば、他国より殿が女である事がばれてしまいまするぞ。」
「よし、ならば仏道に修身するゆえ、全ての女を断つと言う事に
し、本日より出家し”謙信”と名乗ろうぞ。」
「仏門を極める故、女を絶ったとするならば諸国の大名も不自然には
思わぬで御座りましょう。さしあたり先勝祈願でも銘に据えますれば
いかがなものに・・・」
>347
時代は少し前になるが細川政元は妻帯せずに養子だけだな。
一生妻帯しなかった例としては
細川政元は有名だね。
いきなり事例を挙げられて、言うにこと欠いた謙信女性派は
350のようなことをいう。
これが八切信者のカルト論理だ。
>>351 いや、やはり妻帯せずに養子を取る武将は女だろ。
漏れも女人説だが、細川政元の不妻帯は認める。
細川政元が修験道に凝って女性を近づけなかったことは
「足利季世記」(一)巻二「政元生害之事」の冒頭に
「京管領細川右京大夫政元ハ、四十歳ノ比マデ女人禁制ニテ、
魔法飯綱ノ法アタコノ法ヲ行ヒ、サナカラ出家ノ如ク山伏ノ如シ、
或時ハ経ヲヨミ多羅尼ヲヘンシケレハ、見ル人身ノ毛モヨタチケル」
とある。修験道の術で空中に浮いたり、離れ業をやっていたらしい。
そのいっぽうでは、将軍を追放したりの専制政治家。一説には
謙信が政元を真似たというのもあるが、政元の死後に養子同士が
対立して争ったのも事実。だとしたら、謙信は御館の乱をどうして
想定できなかったのだろうか、という疑問が残る。越後一国が大乱
になるのはおろか、上杉家存続そのものがピンチになるというのに?
>>351 >八切信者のカルト論理だ。
罵倒するのは勝手だが、八切氏の先住系渡来系二元論史観
や「謙信女性説」における粗雑きわまりない論理を信奉している
女性説派が何人いるか、少し考えてみればよいと思われ。
すでに氏の「謙信女性は公知の事実」は、このスレの中で女性説派
そもものから覆されているのだから。そもそも、信者になるほどみんな
八切を読んでないだろ? 少なくとも私は氏の粗雑な文章に辟易します。
353には論理性があるが、352は話にもならんな。
女性説支持者にも、レベルの違いあり。
>>351 「言うにこと欠いた」と言うが「細川政元」が男だという根拠はあるのか?
俺は知らないが。まあ知らないのは「細川政元」自体良く知らないだけだが。
まず、それを明らかにしなければいかんな。
あ、別に謙信女性説を支持するわけでもないし、何でもかんでも女性に
すればいいってもんじゃないのはわかっているが、反論するからには、
「根拠」を提示する必要があるってことだ。
歴史学って、いつも思うんだけど、「ほぼ疑いようのない事実」と
「ほぼ疑いようのない推測」がごっちゃになって論じられることが
多いけど、両者は分けないといけないよね。
>「言うにこと欠いた」と言うが「細川政元」が男だという根拠はあるのか?
管領となって足利将軍家を傀儡化しまくった政元がもし女だったら、
京都の公家や奈良の坊主どもが日記に記録してないはずがないだろう。
そのうちこんなことを言い出すね。
徳川家康が男だという根拠はあるのか?
武田信玄の肖像は別人といわれている。だから女性でも不思議でない。
とかね。
内容のないレスはスルーよろしこ!
359 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 18:02:46
なんであれ、毘沙門天の化身であることには相違ないんだからそれでいいぢゃん。
>>359 そうだな、、、そうだ。
そして、謙信が男性であるという決定的証拠も、女性であるという決定的証拠も出ていないのだ。
そのレベルにおいて、男性説と女性説は同格であると見るべき。
文句があるなら、男性説の論文でも発表すれ
それが学会に認められれば、「史実の謙信は男性」と認め、女性説なんぞ止めるよ。
ただね
男性説側は勘違いしているようだが、「史実の謙信は男性」と証明されても、
たとえば謙信を女性とするフィクションが作られなくなるわけじゃない。
歴史物では勘違いするアフォが多くて困るが、フィクションと史実はあくまで別だ。
「謙信萌えとか言ってるヤツうざー、俺様の謙信像を汚すんじゃねぇよ」
とかで思ってる方は、ここでがんばっても無駄だからそれはあきらめれ。
>>361 あ〜あ・・・言っちゃった・・・。
実質勝利宣言w
内容のないレスはスルーよろしこ!
>>360 「学会レベル」では女性説など「全く」存在しないのだから、
(ここは2ちゃんであり、ここでいくら吠えるようと学会とは無関係)
女性派は学会で認められるよう奮起してくれたまえ
>>364 おっと失礼w
× 吠えるようと
○ 吠えようと
366 :
日本@名無史さん:2005/04/23(土) 20:06:00
学会は逃げ続けるわけだな。
謙信が女性であるという根拠を一つも覆せずに。
>>360 >男性説の論文でも発表すれ
男性説は何もする必要がない。男性説を覆したいものだけが発表すればよい。
男性説派はただ、なまあたたかく見守るのみだ
>>361 むろんフィクションと銘打ってあれば全然かまわない。そんなことまで
云々する必要はないし、制限できるものでもなかろう
>>366 それを学会に訴えることこそが、あなたの使命ですよ
閑話休題、明治時代の男謙信を称えた軍歌です。
♪鉄馬東に鞭うてば 八州の草うち靡(なび)き
軍扇西に指揮すれば 加能の山河震動す
君が武勇の誉こそ 千古に仰ぐいくさ神
虎狼の慾にあきたらぬ 人の心をよそに見て
精兵5千上洛し 意を勤王に致したる
♪君が忠義の誠こそ 闇に輝く北斗星
助けを呼ぼう声聞けば 犀川深く駒を入れ
敵窮乏に苦しめば 甲山遠く塩をやる
君が義侠の心こそ 生氏ありて唯一人
♪君が心の清けさは 春日の山の雪の色
君が心の爽(さや)けさは 七尾の城の月の影
城山高く水長く 君ありてこそ光あれ
>日記に記録してないはずがないだろう
それが根拠なの?薄すぎ。
家康が男だという根拠はあるだろ。実子がいるんだから。
絶対ではないが、「ほぼ疑いようのない」ことではあるだろ。
歴史に絶対的な事実はないとしても、ある程度までなら「ほぼ確実」だって
いうことはできる。もちろんそれを否定する史料が発見されればいくら
「ほぼ確実」だったとしても、そんなものはあっさりと覆る。
あなたの言ってるのは「ただの推測」。確率としては「男性」である
可能性の方が高いってだけ。「女性」であるという証拠がないから、
「男性」であるとしているだけ。(まあ他に根拠があるのかもしれないけどね)
だから「通説では男性だ」と言うのは別に問題ない。
また「男性ではなく女性である」という主張があったら、根拠を示せと言うことはできる。
だが「女性かもしれない」という主張をそれだけで否定することはできない。
「ほぼ事実だ」と「ほぼ事実でない」ということの間には、
様々な段階があるってことを理解できますか?
>>371 さんは
>>357 :出土地不明 さんへのレスなのですね?
わたしは第三者ですが、できれば細川政元の具体的な史料をめぐって議論してください。
おそらく前スレからコテハンの出土地不明さんは、辟易して逃げるのでしょうけど。
学界通の出土地不明さんの卓見が、ロム側にとってはいかにも惜しい・・・w。
いえ、マジで、けっして煽ってるつもりはありません。
373 :
日本@名無史さん:2005/04/24(日) 00:33:16
>>372 くはははあっ…、おまい煽ってるぞ。
相手のコテハン
>>356 :anglerも内容はないが、出土地不明も根性なしだよな(笑。
マメな性格で謙信自画自讃の件を調べてきたのはいいが、批判対象ではない香具師の
虎の尾を踏んでアボン…。絡まれて困っての退場劇は 圧巻だった。でも、懲りずに
出てくる根性は認めてやれよ(笑。おぬしの言うとおり、このスレには貴重な人材だ。
抽象的だが、シビアな議論だな・・・
内容のないレスはスルーよろしこ!
女謙信が公家たちと一緒に稚児遊びして、性病にかかったって、女説の人は
皆信じているの?
食中毒かインフルエンザでももらってきたんじゃないの?
>>377 つーか稚児遊びと腫物ができた事実だけで性病と断定するのも凄すぎるが、
女謙信が男の公家たちと一緒に稚児遊びをした場景など、謙信ファンは想像する
だに恐ろしい。
女謙信が公家娘たちと一緒に稚児遊び?
細川政元はホモだったの?
オカマバーやホストクラブに遊びに行ってはいけないのか?
女性説の人は、謙信公を性病にしてまで自説を証明したいんですか?
>382
うん? 稚児遊びで病気になったのは、通説(議論の前提)なのだが?
速攻、米沢の謙信公特別展、観てきたよ。川中島合戦図屏風と上杉家文書、圧巻だった。
で、このスレの男性説派の期待に応えて質問したよ、学芸員らしい人に「謙信公は女では?」
ってな! 答えはこうだよ「上越のほうでは、女性説はどんな研究になってるんですか?」
だとさッ! なーんと逆質問だぜ!! あと、山形県下の公立学校の社会科の先生(自称郷土史研究者)
だったという人にも、同じ質問をしてみた。
わし「謙信公に女性説があるそうですが、どう思ひまふか? 知ってますよね?」
元先生「もちろん、知ってますよ。そう考えてもおかしくないんですが・・・」
わし「そこんところ、ズバリと!」(彼の名刺をチェックしながら、メモを片手に)
元先生「いや・・・」(しどももどろ)
わし「先生っ。謙信ファンの中にも、女性説の人は多いんですよ。某2ちゃんでは」
元先生「・・・そうですか・・・」
わし「学会は無視するんですかね? 先生はどう思いますか?」
元先生「・・・・・・」
どうにも困った感じだったので、それ以上は追及しなかった(w
展示物の感想としては、関白前久の青蓮院流の書に感動した。
さすがに家元というか、謙信よりもさらに達筆だなぁ。後期展示でも
誠実で気の弱そうな研究者をみつけて質問してみるよ(w
これは先週2ちゃんで祭りになり、現在も続いていることなのだが、
「S」という人物が何かを企てていた。
それが発覚して調べたところ、この人物はかつて「T」とも名乗っていた
ことが判明した。
さらに調べると、ある団体の幹部クラスに「S]という女性と「T」という男性
という、全く同じ名字を持つ人物がいることがわかった。
そこで、2ちゃんにいる「S]とこの女性は同一人物であるという結論が
導きだされた。
だが実際にその人物と接触した男は「S」は男性であると証言した。
しかし「S]が女性であるという「証拠」があるので、この男の証言は
嘘であるか、または騙されたものだということになってしまった。
この男の証言を信じる者はバカにされたりもした。
ところが、それからいろいろあって、結果的には「S」は男性で
あるのはほぼ確実になってきた。
だがそれでもまだ「S」は女性ではないかと疑っている者もいる。
いろいろと考えされられる話である。
>>384 マジなら、あらかじめ用件を通じておくべき。立ち話で片付く問題じゃないだろ。
おおかた内心は『うわ、まずいのにつかまっちゃったよ。ナイフかなキリかな、
それとも金槌で来るかな。まずいよ、警備員きてくれないかな・・』
>>383 >稚児遊びで病気になったのは、通説(議論の前提)なのだが?
議論の前提?
君の言う「通説」の定義がさっぱりわからん。
>>384 遠方に住んでいて、見に行けないのが残念だが。
学芸員らしき人に質問して
>答えはこうだよ「上越のほうでは、女性説はどんな研究になってるんですか?」
それが答えなら、その人はあきらかに、上杉博物館の学芸員じゃないじゃん。
そんな事もわかんないの?
また、元先生に対しての質問で
>わし「そこんところ、ズバリと!」(彼の名刺をチェックしながら、メモを片手に)
あんたのマスコミ然とした態度は、横柄もいいところ。真摯な態度から程遠いし
>わし「学会は無視するんですかね? 先生はどう思いますか?」
こんな事見ず知らずの人間からいきなり言われたら、アブナイ人間と思われるだけだな。
質問内容も漠然としてリアル厨房なみだね。
あいては、どの程度の知識があるのかも判らないのだから、どの程度のレベルで
説明してよいかも判らないし。学芸員も君の態度や質問の仕方をみて、わざと適当に
あしらったともとれるし。
自分が行くことができたら、予めこのスレの論点を2〜3簡潔にして文書に用意しておき、
「今、自分たちは、こういう議論を真剣にやっていますので、あなたの見解をお聞かせ
頂き、協力していただけませんか」
と、謙った態度で質問するね。
そうして行なった質疑応答の内容を書き込んでこそ、男説に限らず皆期待に
答えたことになると思うぞ。まるで学会が女説を無視していると、印象づける為に
書き込んだとしか思えんな。
全く無意味だ。
それにしても、君のカキコには良く、しどろもどろになる人が登場するね。
>388
384ではないが、何もしない香具師が偉そうに論評しても
まったく無意味だわな(笑)
390 :
388:2005/04/25(月) 13:37:37
>>389 米沢に行かなかった(行けなかった)人間は、米沢行った人間が
どんな事を書き込んでいても、それを無批判で受け入れなければ
成らないと言うという理論だな。
なるほど、このスレにとって素晴らしく建設的なご批判を有難う。
君のような人がいる限り、このスレは謙信の実像に限りなく迫れる
事だろう。
レファレンス歴7年の経験から言わせていただくと、
だいたい、そんなイレギュラーな質問されて即答できる人の方が怪しいと思う。
まず文書を郵送してアポ取れ。話はそれからじゃなかろうか。
議会の質問みたいに相手をやり込めるだけが目的ならそれでもいいのかもしれないが。(w
小学生の「○○(近世以前の建造物を代入)は幾らかかったんですか?」って質問と一緒。
392 :
388:2005/04/25(月) 14:23:13
>>391 ですね。
自分も以前博物館で、質問したら実に丁寧に判り易く説明してもらった事があります。
でもあれは、平日だったし、事前に手紙を出すのが正解でしょうね。
>>384 自分が米沢へ行けない苛立ちから、せっかくのチャンスになんでもっとうまく質問しなかったんだと、厳しく
批判しすぎたかもしれません。
しかし、あなたの態度には、あきらかに挑戦的な姿勢がうかがえ、相手は辟易してしまうでしょう。
再挑戦に期待しています。
最後の越後瞽女で瞽女唄の伝承者、小林ハルさんが逝去されました。享年105歳
葬儀は28日午前10時、新潟県荒川町坂町のベルホール会津屋荒川。(朝日新聞)
>394
合掌・・・。これで、謙信が女人だったという
瞽女伝承の生き字引さまが亡くなられたわけか・・・。
南無釈迦尼佛、南無釈迦尼佛・・・・。
■■■■■■■忌中■■■■■■■
小林ハル様のご逝去
謹んで、お悔やみを申し上げます。。。
♪赤虫白虫 十二匹 まんじ巴とくるうなか
とらどしとらずきとらの日に うまれたまいし
まんとらさまは おとこもかなわぬ 大力無双
しろやまさまの おんために 赤槍かついでご出陣
(越後瞽女唄より)
合掌……
↓こういう、どっちつかず(いちおうは万年常識派の男性説か?)の尊大な香具師も、
瞽女唄の伝承の前では、少しは神妙になっているんだろうか?(無理だろうな……)
(
>>392 :
>>388)
>自分が米沢へ行けない苛立ちから、せっかくのチャンスになんでもっとうまく質問しなかったんだと、厳しく
>批判しすぎたかもしれません。
>しかし、あなたの態度には、あきらかに挑戦的な姿勢がうかがえ、相手は辟易してしまうでしょう。
>再挑戦に期待しています。
おのれの無為(行動力のなさ)を自問してみな、このヴォケがあっ!!
いったい、お前は何をしようとして何を成したのか、少しは胸に手をあてて
考えてみるがいい!! お前のむなしい能弁では、歴史は何も動かんのだよ!!
恐惶謹言
小林ハル(元越後瞽女・極楽在住)
>>399 >お前のむなしい能弁では、歴史は何も動かんのだよ!!
まさに自分自身に返るコメントだな。恥ずかしくないかい?
おまいさんがいくら叫んでも、男性説は微動だにしてませんw
>400
どうでもいいが、「説」というほどのものか?
尊大な書き方で、人の尊大さを非難してもねぇ。。。
そう。「男性説」などというものはない。あくまで「男性というのが通説」説だ。
証明責任は「ある」と主張する側が負うことになっている。
「女性」であると主張する側に説明責任があるのはもちろんだが、
「男性」であると主張する側にも説明責任がある。
それが理解できないアフォがいる。
>>403 男性説は何もする必要がない。男性説を覆したいものだけが発表すればよい。
男性説派はただ、なまあたたかく見守るのみだ
>>403 「男性というのが通説」説
初めて聞く説なので一体どんな説なのか、ぜひ教えてプリーズ。
>>383 謙信公を性病だったと断定する根拠を早く書けよ。
いい加減な理由だったら、到底許せんな。
>406
383ではないが、淋病説(坂本の売春宿)だろ
作家の安西篤子や津本陽あたりも、紹介しつつ引用してる
いや、安西は稚児から病気を移されて腫れ物だったかな
いずれにしても、上杉氏文書からの説だ
>>406 謙信公が性病ではなかったと断定する根拠を書けよ。
いい加減な理由だったら、到底許せんな。
409 :
406:2005/04/26(火) 23:24:26
>>407 淋病説は知っているが、淋病ならば腫物はできない。
性病だとすれば、梅毒と言う事になるが、確かに謙信は6年後に足を痛めて
おり(急性関節炎といわれている)これはゴム腫と呼ばれる梅毒の症状と言え
なくもない。
しかし稚児遊びと腫物の因果関係をしめす上杉家の文書は、心当たりがない。
ご存知なら、教えていただきたい。
>>408 釣られてみるか。
俺は謙信公が性病ではなかったと断定はしていない。していると言うなら、
レス番を示してくれ。
あくまで、可能性の段階で、謙信公を性病だったと断定するのが、許せん
のだ。
>409
プッ、自分でハッキリと断定(性病説を否定)してるじゃんかw
>>409 では訊くが、前久の書状(6月29日)と6月26日の将軍謁見(以後、稚児遊び)
との日時的な関連性(連動性)は、少しでも検討してみたのか?
ちなみに、快癒は7月6日以降だ(「北越軍記」)
412 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:53:18
あくまで、可能性の段階で、謙信公を性病ではなかったと断定するのが、許せん
のだ。
稚児アソビって、乱交なの?
せくーすしてそのあと腫れ物できて・・・って続いてたら
性病かもね
稚児遊び=関白近衛前久(和田さん)主催の乱交パーティー
派手に飾られた川中島の戦い等のみ目がいってしまう人ですが・・・
結婚せず、月一回起こったという持病の記録がなぜか婦人病のだったりで女性説。
あと暗殺説があったりも。
有名な割にはいろいろ謎の多い人ですね。
>411
まあなぁ、義輝たちも責任を感じたのか
医者を坂本の宿舎まで派遣してるからね
性病かどうかは判らないとしても、稚児遊びと腫れ物を患う
の関係は、今後の研究課題ですね。医学的にエロい人、研究よろしこ。
418 :
406:2005/04/27(水) 00:46:30
>>411 >では訊くが、前久の書状(6月29日)と6月26日の将軍謁見(以後、稚児遊び)
>との日時的な関連性(連動性)は、少しでも検討してみたのか?
>ちなみに、快癒は7月6日以降だ(「北越軍記」)
梅毒の1期症状としては、感染後約3週間後に、感染部つまりあそこに直径
1cm以下の極小さなシコリができる。この表面が爛れて潰瘍になる。
これが硬性下疳と呼ばれているもので、痛みはない。発症して2〜3週間
してから、この硬性下疳は消える。一応快癒したような形となる。
つまり発症するのに約3週間、表面上の快癒には5〜6週間かかる。
謙信の日時的な関連性と一致していますか?
当時は、梅毒も流行の兆しを見せていたものの、この病気についての知識は
ほとんどなかった。しかも、痛みがないので自覚症状がほとんど無い。
あそこに出来た極小さなシコリだけが、感染した目安となる。
しかも、謙信が男だったらこれに気づく可能性もあるが、女だとその可能性
はまず無いと言っていい。
性病知識の乏しい医学の発達していない当時としては、一般に梅毒感染に
気づくのは、せいぜい感染後3ヶ月ぐらいで発生するバラ疹とよばれる赤い
斑点がでてからだろう。
どう考えも、至急治療を施さねばならない程の腫物の原因は、性病だとは
考えられんませんね。
余談だが、足利義輝はこの時潰放薬放と呼ばれている漢方薬を贈ったとか。
>418
乙! 淋病でもなく梅毒でもなく、しかし稚児遊びとすぐ後に発症した
「腫れ物」とは、何だったのだろうか?? またナゾが増えた・・・
>>419 たぶん、稚児に移された疥癬クラミジアでは? あまりにも痒いので、
掻き毟ってアソコが腫れてしまった。とか。
これも一応は性病ですね。
単に乱交パーティーでヤリすぎて、アソコが腫れただけのことだろ
26日に義輝と前久と意気投合して、大酒を飲みながら乱交パーティー!
29日に前久が見舞を出すほどの状態 で、7月6日には腫れもおさまってたと。
生理痛と重ならなかったのが幸いして、内裏に参内ってな感じだったんじゃ?
彼女にホレた前久は、6月中に起請文をしたためてるが。
422 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 01:30:21
謙信、ヤリマンだったのか…
よく妊娠しなかったな?
>>421 >アソコが腫れただけのことだろ
>7月6日には腫れもおさまってたと。
少なくとも、オマイさんが素人童貞である事は、これで決まったなw
上杉謙信性病説は、これで決着でよろしいのですね?
男説派・中間派・はもとより良識ある女説派からも、完全に見放された、謙信
公を蔑む外基地集団は、完全放置でお願いします。
>423
少なくとも、オマイさんが乱交パーティー未経験者である事は、これで決まったなw
女性説派・中間派・はもとより良識ある男性説派からも、完全に見放された、謙信
公の性生活の真実の姿から目をそらす外基地集団は、完全放置でお願いします。
>>403 「男性というのが通説」説
初めて聞く説なので一体どんな説なのか、ぜひ教えてプリーズ。
なんで、性病説は女性説で、性病でなかったら男性説になるのかな?
それと稚児遊びしてた事が確定なら、女だった事ばればれで、漏れの謙信は女性である
事を隠していたと考えてたとする女性説は、成り立たなくなるよ。(鬱
>>429 心配するな、彼女の秘密は知るひとぞ知る。だったのさ。
前久が謙信に恋焦がれて越後まで付いてきたのを、どう見るかだな。
>429
>なんで、性病説は女性説で、性病でなかったら男性説になるのかな?
男性説派=謙信は勇猛な男性像で、聖将を汚すことは微塵も許さない。
女性説派=何でもよいから従来の謙信像を破壊することで、女謙信への道筋を探っている。
>>426 素人童貞が図星で、お顔を真っ赤、涙ぐみながらカキコんでるオマイの
姿が見に浮かんでくるねぇw
>>432 集団セックス経験の少なさが図星で、お顔を真っ赤、涙ぐみながらカキコんでるオマイの
姿が見に浮かんでくるねぇw
内容のないスレは、スルーよろしこ!
史料中に「どこ」に腫れ物ができた、って記述はないんかな?
>435
腫れ物の箇所は、残念ながら不明。※北越軍記
437 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 23:43:03
「謙信オカマ説」とした方が
どの話においても言い訳がたつからこれが最有力だろ?
古文書に強い人、景勝文書に「父謙信・・」とかいう文言はないのか?
「母謙信・・・」という文書は処分されたんじゃないか?
故人だから、「謙信公」って書きそうだけどね。
謙信から景勝に宛てた手紙が何通かあるけど
大体「手紙が届きましたよ、ありがとう」みたいな文で始まってるから
景勝も謙信に手紙書いてるはずなんだがそれが残ってない。
(御館の乱で春日山城が結構損傷してるのでその時焼けたのかもしれない)
生きてるうちに書いた手紙だったら書状上で謙信のこと何て呼んでたんだろ。
あの漢詩好きで詠歌には無骨(スマソ)だった信玄ですら
100首前後の和歌を残してるのに、謙信の和歌が残されてないのがナゾ。
景勝の手紙が残されてないのも、凄いナゾなのですよ。
織田に菩提寺を焼かれて滅んだ武田氏とは違って、上杉氏は居多神社や
林泉寺などの寺社も残ってるのに?? わたしが女性説をバカにできない、
これがいちばん大きな理由なのです。女性説とはべつに、景勝が謙信を殺した
という暗闇のような説も、あながち見逃せません。暗くて、イヤだけど・・・。
>>444 訂正します〜↓
>謙信の和歌が残されてないのがナゾ。
> 謙信の和歌が少し(八首)しか残されてないのがナゾ。
446 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 02:06:14
>444
あまりにも女っぽい短歌だったんで、景勝の家臣たちに燃やされたんだよ
必死になって、残ってた自分の書状を燃やしてる景勝の姿も彷彿とされるわな
たしかに、香具師が謙信を暗殺したのかも知れんし
>>443 「叔母上様 喜平次です」か「養母殿 景勝ですが、ご無沙汰しております」だろうな。
448 :
日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:07:25
だれか小説書いてくれると一気に寄りきれるのにな...
それから、天海=光秀説も!
>449
うーむ、なかなか。だが、イマイチだね。
いや、どっちだよ
452 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 11:23:07
アニメが良いと思われ
>449
謙信が主人公でなきゃ、インパクトがないと思われますね
完全なフィクションとしても、史実との緊張感が大切ですよ
さらなるご健筆を期待する、がゆえに・・・
454 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 00:56:01
羽織とか甲冑はピンクや淡い紫がかった色が多い。
455 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 11:07:26
454
一部分だけ
花柄の小袖や真っ赤なマントはともかく、威毛が三つ編みだってのが
なんとも女性っぽいねぇ。ま、伝承される無骨なイメージは
謙信の実像にそぐわないということか?
457 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 23:55:45
剛毅で義に篤く女々しく涙もろい。
天下取りには無関心で足利将軍家とは友達関係。
458 :
日本@名無史さん:2005/05/10(火) 18:08:02
盛り上がらなくなったな
三戦板のスレは萌えネタで盛り上がってっるが。
エジプトではツタンカーメン王の顔が復元されたというが、
上杉廟の謙信公の復元像は出来ないのでしょうか?
461 :
日本@名無史さん:2005/05/12(木) 01:21:06
462 :
日本@名無史さん:2005/05/12(木) 01:40:57
八刀
463 :
日本@名無史さん:2005/05/13(金) 11:36:37
このスレの結論として、
上杉謙信は女性であったという事でよろしいでしょうか。
このスレの結論として、
上杉謙信は男性であったという事でよろしい
学問的な結論は「不明」だ。
男性説の論文をだれか書いて欲しい。
466 :
日本@名無史さん:2005/05/13(金) 18:36:58
このスレを読めば、女性説の証拠は多いが、
男性説の証拠は1つも出されていない。
男性だと結論付けるのであれば、
女性説を上回る証拠が示されなければならない。
よって、女性であったという事でいいだろう。
>>466 じゃあ、次は早速本にまとめて出版してください。
せっかくここで真実が明らかになったのに、広く周知しない限りその真実は俗説の下に埋も
れたままです。
100万部くらい売れて、山形県や新潟県の歴史教材として使われるようになってはじめて
女性説の勝利ということになります。
男性説は元気ないなマジで
いつもガツンとやられてる
>469
このスレを読んでいると、前スレからの
男性説派というか無教養な連中が「生暖かく見守る」
と言いつつ、不用意にも書き込むたびに、
女性説派というか研究熱心な連中からガツン!と
やられて、中間派というか素朴な連中が真面目に疑問を
呈しては、男性説派と間違えられてこれまたガツン!と
やられてる。という相変わらずの流れなのか??
>>470 謙信女性説で遊んでいられるのは、2ちゃんねる日本史板だからですよ。
リアル世界で主張できない可哀想な人たちを収容してあげてることを
お忘れなく
>>472 そろそろ、女説に勝利宣言させてやろうよ。
大半が実社会じゃ、負け組みの人間ばかりだから、せいぜいビギナーをフクロ
叩きにして、自分らのうさ晴らしをしたかっただけなのさ。
一時は期待したけど、矛盾無く一貫した女説の仮説をたてるなんて、到底無理
だよ。スレ読み直してみりゃよくわかる。あちこちほころびだらけ。
だれか、リーダーシップをとって、前向きに仮説を組み立てていこうなどと
いう、建設的な姿勢のかけらも無い。
いまさら、実社会で謙信男性説の論文なんて書いたら、完全にドキュソ扱い
されるってのに、この2ちゃんねるが現実世界であるかの如く、本気で書けと
考えてる。現実と2ちゃんねると区分すらつかないから、学会がどうだ
とか、時代を動かすとかの誇大妄想にひたっている自分に気づいていない。
なんか痛々しくなってきたよ。
今までの議論を総括すると、女性説はどれもこれも科学的検証に耐え得る
ものではないんだよな。要するに
謙信は妻妾を持たなかった=女だからだ。女だ。女だ。女だ・・・・・
ただそれだけ
>>473 もしそうすることが少しでも犯罪抑止になるのなら俺も賛成するよ
「2ちゃん界では、謙信=女性でよい」と
夏にカプコンから出る戦国ゲームの謙信も女性説採用なんだって?
前スレからコテンパンにやられっぱなしの「男性説派」(じつは単なる無学)
最後は「学会の通説」「世間の常識」に頼るしかない、と。
こういう香具師らの頭の中では、長篠設楽原の合戦の武田騎馬軍団説・
3000挺の織田軍鉄砲隊も「常識」なんだろうかと、書いてみる。
>武田騎馬軍団説
今時三戦板でも、そんなの信じてる厨房いないんじゃないw
ちゃんとなま暖かく見守ってあげるから、遠慮なくさっさと勝利宣言したらw
ここは男性説・女性説双方の観点から分析するスレです
レッテル貼りや勝利宣言などぬかす馬鹿は無用
>>478 あほか、おまいのやるべきことは2つに1つしかない。
ここで「勝利宣言」して終わりにするか、
まっとうな論文を書いて、リアル世界に認知させるかだ!
>>481 >>480が言うとおり、勝った負けたのとセコい了見で
議論を交わしてるわけじゃないんですよ
>>480 ∩___∩ |
| ノ\ ヽ |
/ ●゛ ● | |
| ∪ ( _●_) ミ j
彡、 |∪| | J
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
.\ “ /__| |
\ /___ /
>>482 そんなヤシは2ちゃんねら1000人に1人しかいないぞw
レス付ける時、いちいち自分は女性説ですと断らないと、男性論者と間違えら
れてボコられるスレで、まともな分析なんかできっかよ
男性説だろうが、女性説だろうが
支離滅裂なカキコは叩かれるにきまってるだろ。
もっと勉強してこい
488 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 19:22:08
スレが煮詰まってたけど、487大先生がここで勉強してきた成果を
披露して下さるそうだ。みんなで注目しよう。
さあ
>>487大先生のご高説、よろしくお願いします。
↓
ネタはやめて
491 :
日本@名無史さん:2005/05/17(火) 13:37:25
このスレのここまでの流れ。
男性論者が完膚なきまでに論破されて逆切れ。
そりゃまあ停滞をぶっちぎるには火を投じるのも時には一つの手段であるが
ageてまでやる事じゃないわな
長尾景虎という人物が実在したことは確かだが、上杉謙信は実在しなかった。
後世に、藤原不比等が謙信像を作りあげたのだ。
>>491 女性論者が完膚なきまでに無視されて逆切れ。
このスレは、女説派だけでもいろいろ分析討論する課題がある筈なのに、い
ちいち男説派が書き込まないと何も検証しようとしないとは、情けないね。
主体性のある女説派は一人もおらんのか?
>>495 前スレからじゅうぶんに論じられてると思うが?
それよりも、素朴疑問派(中間派)はともかく
男性説派(常識派)のカキコは内容がなさすぎる(憂
以前書かれてあったがね女説派の状態はまさしく、これだな
女性説派=何でもよいから従来の謙信像を破壊することで、女謙信への道筋
を探っている。
>>496 >前スレからじゅうぶんに論じられてる
のなら、そろそろ模索の段階から、皆で一つの仮説を組み上げる段階にはいっ
ても、よさそうなものだが、まだそんな兆候は見えんぞ。そもそも、ここは、
謙信は男か女かでなく、謙信女性説を検証するスレなんだぜ。
男性説派がヘタレなので検証できないと、言い訳しているとしか思えんな。
そーかねぇ・・・
矢切説はともかく、
@謙信自画自讃像の検証(髭面謙信を後世の作と否定)
A上杉家文書の批判的検証(軍鑑の焼き直し・乃至は否定的改竄を論証)
B簗田家文書のDNA未鑑定(化学鑑定の必要性)
C性同一性障害の検証(男装説の論証)
D遺品(甲冑の威毛が三つ編み)や詠歌の検証
E位牌や男性名の論証(生前から男性を名乗っていた)
Fその他の傍証
とゆー感じで、十分に仮説は組み立てられていると思うが・・・。
ぎゃくに、男性説派の決め手に欠く反論(常識論)を責めたくなるわね
「地球が動くなど、神は許されん」(ローマ教会)
「教会権力には逆らえんが、それでも地球は動いている」(ガリレオ・ガリレイ)
「学会では相手にされないポ。悔しかったら出版してみれ」(謙信男性説派)
「出版するカネも度胸もないが、それでも謙信は女性だ」(女性説派)
>>498 >男性説派の決め手に欠く反論(常識論)を責めたくなるわね
やっぱり最後はこれか。 言ったとおり、男説派のせいだね、なるほどw
謙信は生まれから死ぬまで女で通したのかとか、女であることを隠していたの
か、否かとか、何ゆえ男名なのかとか、いろいろ説がありそうなのだがその
@〜Fまでの貴重な検証結果を踏まえて、終始一貫した矛盾点のないどんな仮
説がこのレスで組み立てられたのか言ってみてくれ。
>十分に仮説は組み立てられている
これが本当なら、容易いことだよな。
>500
498ではないが、1〜6(7?)までいちいち反論してみれ
拙い反論なら、これまでどおり血祭りに上げてやるよ(笑)
>>497・
>>500 おまいさんは、匿名の不特定多数のスレで、
一本の仮説論文を書けと言うとるの??
503 :
500:2005/05/17(火) 22:13:42
>>501 こいつも男説派が書かないと何にも出ない、情けない奴かw
しかも、一人じゃ何にも出来ないので、徒党をくまないとダメなタイプ。
結論がでたね。
女説派は男説派のせいにして、論文どころか2ちゃんの中でさえ、満足に
仮説も組み立てられませんでしたとさ。
>503(500)
何の反論も出来ずに、スタコラと論争から逃亡しました(w)とさ(w)
女性説の立論は論点も多いのに、男性説の立論が少なすぎるからだろ??
謙信不妻帯も独自の論として書き込まれたのは、細川政元の例だけで
謙信が御館の乱を想定できなかったという反論に答えてないわな
このスレを読んでいると、前スレからの
男性説派というか無教養な連中が「生暖かく見守る」
と言いつつ、不用意にも書き込むたびに、
女性説派というか研究熱心な連中からガツン!と
やられて、中間派というか素朴な連中が真面目に疑問を
呈しては、男性説派と間違えられてこれまたガツン!と
やられてる。という相変わらずの流れなのか??
>>500 こいつも女説派が書かないと何にも出ない、情けない奴かw
しかも、一人じゃ何にも出来ないので、徒党をくまないとダメなタイプ。
結論がでたね。
男説派は女説派のせいにして、論文どころか2ちゃんの中でさえ、満足に
仮説も組み立てられませんでしたとさ。
>500よ
じゅうぶんに自覚していると思うが、君は何も具体的な提案をしていないのだ。
スレの仮説をまとめるなら、自分でも出来ることだろう?
自分の書き込みに中身のある反論や立論が、何もないことに早く気付け!
510 :
500:2005/05/17(火) 23:33:46
はいはい、皆さん充分自覚してると思うが、君達はまだ筋の通った仮説をたてて
いないのだ。スレの仮説をまとめるなら、君達でも出来ることだろう?
自分の書き込みに中身のある反論や立論が、何もないことに早く気付け!
オヤスミ。
>>510(500)
けっきょくは開き直って、スレを全部読んでないことが露呈したな(w
>>498の@〜F(女性説の仮説のガイスト)すらも理解出来ていない証だぞ(w
なあっ、集中砲火で火達磨にされた500君よ
2ちゃんねるで自信満々な女性説信奉者が
なぜリアル社会に女性説をひっさげて
討って出ないのかが、どうしても謎なんですが・・
世間の笑いものになるか、ここで妄想世界に浸ってられるかだな。
>512
単に研究ジャンルとして成立してないからだろ。
謙信不妻帯の理由が研究論文(業績)にならないのと同じ。
>>514 このスレのレベルで研究ジャンルとかいっても、説得力ないんだけど。
516 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 11:07:11
↑ 確かにそれは言える。でも面白い。
うん確かに514はジョークとしは面白い
マジでこうなる
教授「ドクター論文のテーマは決まったのかね?」
院生「はい。上杉謙信女性説の検証ということで、史料を集めています」
教授「・・・何じゃ、そりゃ?」
院生「まずは、八切止夫氏の説の検証から始めようかと」
教授「は、破門じゃ!」
わからん…
なんでそれで破門になるのかその因果関係がわからん…
文系の世界には理系の俺には理解できない法則が働いてるのか!?
ハモン・サルルの法則
521 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 13:54:26
女性説が社会に出ないのは、科学的根拠になりそうな、
DNA鑑定が決め手になる可能性が大きいからじゃないか?
男性説論者も、DNA鑑定を望んでいるか?
もちろんでつ
さっさと鑑定しろと
火星の「顔」の写真がある。これは写した角度から偶然人の顔に見える地形の
写真なのだと、NASAは説明している。
ところがこれは、宇宙人の建造物でNASAは、宇宙人がいる事を隠そうとしてい
と主張する人々がいる。もし、そうなら最初からNASAがそんな写真を公開する
わけがないと説明しても、決して聞き入れようとはしないのだ。
NASAが隠すのは、宇宙人が実在すると判ると困る人達の陰謀だというのだ。
DNA鑑定をすると、謙信が女だと判り、困る人達がいるとでもいいたいのかな?
まあ、どこの世界にもこういう人はいるもんだという話。
525 :
521:2005/05/18(水) 14:54:13
DNAじゃなく染色体か。スマン。
ところで、上杉家文書は文化庁の管轄じゃないの?
>527
上杉家文書は上杉財団の所有です。それに、鑑定するようなもんじゃないよ、
誓詞血判状とかのたぐいじゃなくて、書状の写しや後世に書かれたものばかりだから。
530 :
日本@名無史さん:2005/05/18(水) 21:26:16
血判状は生理の血を使ったらしい。
「信濃軍鑑多聞栞」に記載されておった。
>>518の
>院生「まずは、八切止夫氏の説の検証から始めようかと」
>教授「は、破門じゃ!」
を受けて
>>520の
>わからん…
>なんでそれで破門になるのかその因果関係がわからん…
>文系の世界には理系の俺には理解できない法則が働いてるのか!?
というが、
矢切止夫がどういう人物か、まるで知らないようだな。
明治大学文学部史学科の助教授を経て、日大芸術学部講師の頃に
作家活動を本格化。サンカ研究の草分けで、トンデモ史観の大家。
したがって、史学界では誰もが避けて通る(普通に業績を上げようと思えば)
危険な存在だった(今も)なのだよ。
ちなみに、70年代には歴史雑誌や小説誌で戦国女性の特集が組まれた時は
八切氏の論考が必ず収録されていた。もちろん謙信女性説なのだが。
したがって、いまも学会ではタブー作家・触れてはならない研究者が八切止夫だ。
これから女性説研究を発表するとしても、八切氏の説を批判的に乗り越えた内容、
史料分析が必要とされる所以だ。
>524
>NASAが隠すのは、宇宙人が実在すると判ると困る人達の陰謀だというのだ。
>DNA鑑定をすると、謙信が女だと判り、困る人達がいるとでもいいたいのかな?
>まあ、どこの世界にもこういう人はいるもんだという話。
意味不明というよりも、このスレ的には水準の低い言いがかりだねぇ(w
DNA鑑定を熱望してるのは、男性説派・女性説派ともに同じなんだよ
>>530さん
「信濃軍鑑多聞栞」て、どんな史料なのですか?
聞いたことがあるような、ないような・・・。
>>531さん
八切説の批判的相対化には賛成ですが、やはり学会的には難しい
のでしょうか? 研究論文の発表は・・・。
>>500は逃亡したままなのか??
>500
498ではないが、1〜6(7?)までいちいち反論してみれ
拙い反論なら、これまでどおり血祭りに上げてやるよ(笑)
>>531 その八切止夫なる人物が間違ってるということなら、それをまず自分なりに分析してこその研究者だと思うんだが。
間違ってるかどうかの研究もできず、
ただわけの分からんまま避けるっていうのはソーシャルだろうがナチュラルだろうがおかしな気がするな。
それで研究の結果やっぱり八切はトンデモだったと分かればそれも歴史研究史の糧となるだろうし。
>535
君が大卒(史学科)の研究者志望なら、恩師に聞いてみなよ、
「矢切説を検証する論文を学会誌で発表してみたい」とね。
まがいなりにも史学界で飯を食うつもりなら、まず教授(恩師)に止められるがね。
趣味で女性説を書くならともかく、ヒエラルヒーのある研究者(プロ)の世界は
甘くはないんだよ。勝手な研究論文を書けば、即座に研究室を首切りなのさ。(笑)
>>535 >>536 ここ2年ほど学会の仕事(ただ働き)で出版社系の学会誌の編集(投稿論文の校正)
やってますが、八切止夫説(謙信女人説や本能寺の変明智光秀冤罪説、朝廷陰謀説)は
完全に編集委員の合議の段階で、どんなに論文の出来がよくても問答無用で没です。
史学の学会の体質が保守的なのは承知の上でしたが、あまりにも……。民間の会員の
投稿論文も、問答無用に没……。日本でいちばん旧体質の世界なのかもしれません。
つまり歴史学者は信用できない、と。
「トンデモ」なものは頭っから否定するのに、土器の捏造にはコロリと
騙されるなんて笑えるな・・・(いや、笑うに笑えんと言うべきか)。
謙信はこんなにも論議される対象なのだから、
最新鋭の科学技術を駆使して、
なんとか安全に鑑定をお願いしたいね。
理系の教科書では、
まずフロギストンやエーテル、カロリックの話しからするのに…
つーか日本では学界ほど閉鎖的なムラ社会はないわけで。
蛸壺のボスザルが馬鹿だとアホな説が長年通説の位置に居座るという弊害もある半面、
その閉鎖性のおかげでトンデモや電波が侵入してしっちゃか
めっちゃかになることを防いでいるという側面もある罠。
>>532 >このスレ的には水準の低い言いがかりだねぇ(w
>DNA鑑定を熱望してるのは、男性説派・女性説派ともに同じなんだよ
前スレ嫁。その水準の低い言いがかりをつけてる香具師がいる。
学会とか持ち出して誤魔化そうと必死だが、このスレに院生が
何人いるというのだ?ww
女性説信奉者はパチンコに使うカネはあっても、自費出版すら
できないヘタレ
ま、騙りは両派にいるようだけどね。
そのうち、学芸員暦ン年というのも、現われそうだ。
>>541 でもさ,,,検証しないことにはそのトンデモが本当にトンデモかどうかわからなくない?
学会は相手にしないんだろ。だったらここで相手しているのが院生のはずがない。
>>546 学会は相手してくれないので、院生が仕方なく2ちゃんねるでマスターぺーションして
るって設定じゃない?
ここは男性説派の負け惜しみが多いインターネットですね
>>548 2ちゃんねるで自信満々な女性説信奉者が
なぜリアル社会に女性説をひっさげて
討って出ないのかが、どうしても謎なんですが・・
>勝った負けたのとセコい了見で
>議論を交わしてるわけじゃないんですよ
>>548 >ここは男性説派の負け惜しみが多いインターネットですね
??????
>>551 何に忙しいの? まさかパチンコや競馬ではあるまい?
深夜まで2ちゃんやってて「忙しい」は、説得力無さすぎw
矢切が認められないのは、タブー視以前の問題だろ。矢切の女説が穴だらけ
なのは、このスレの住人なら一部の信者を除いて誰もが認めている事。そんな説
を改めて検証するといったら、そりゃ恩師は止めるわな。
>>537 >八切止夫説(謙信女人説や本能寺の変明智光秀冤罪説、朝廷陰謀説)は
>完全に編集委員の合議の段階で、どんなに論文の出来がよくても問答無用で没です。
君の話が本当なら、皆の研究の為にもその素晴らしい論文の骨子をここで披露してみてくれ。
あと全スレで論文を10回以上書いたが、無視されたと書いてた「研究者」クンがいたな。
「研究者」クンも自分の論文の骨子を書き込んだらどうだ。
それとも、もったいなくてこんなスレには書けませんてか?
>>554 他人の論文について記載する事は、著作権や職業上の守秘義務という問題が生じる
場合があるが、差し支えない範囲で、概略を書くことなら可能だろうな。
>>553 だから2chで忙しいんだろ。何が大事なのかの優先順位は人それぞれで他人が文句いう筋合いではない。
確かさ、上杉神社かに謙信公の御遺体があるんだろ?
調べたら一発で終了することじゃん
伊達政宗だって骨晒されたんだしさー
2chで毎日更新をチェックする必要があるのはこのスレくらいだけどな。
矢切説も参考にはしてるが、それよりも、男性説の貧弱さが、
何よりの女性説に強く傾いている理由かな。
>>558 漏れもです。両派のバトルも興味深いけど、
謙信が女だったってのは、歴史ロマンありすぎ。
なーんて書くと、萌えスレに行けと叫ばれそうですが・・・
>557
上杉財団(財団法人米沢上杉文化振興財団)に申し入れてください
>>556 2ちゃんねると現実との区別のつかない重症のネット中毒患者や、騙り厨がいる
から、そりゃ判る。
もう、リハビリしても手遅れな気がする。
>>531 >ちなみに、70年代には歴史雑誌や小説誌で戦国女性の特集が組まれた時は
>八切氏の論考が必ず収録されていた。もちろん謙信女性説なのだが。
70年代の雑誌読んでたって、今おいくつでちゅか?50歳?
>>562 でたな、2ちゃん名物・年齢厨。
議論の関係ないレベルで荒らすヤシ。おまいは小学生でちゅか?
50歳代が参加したらいけないと誰が決めたんでちゅかwwww
>562
当方70代ですが、何か?
祭りの予感w
20代ですが、八切氏の論考はすべて読んでます
10代ですが、八切氏の論考はすべて読んでます
八切なんとかはここでしか名前見たことないけど、信用に価すんのそいつの学説は?
最低でも読んでから来いや
不勉強は自慢にならんぞ
「八切なんとか」
なんて知らない人間は書かない。知っててわざと書いてる。
間違いない。
いや、本気で知らんのなら単なる無知(アホ)
知ってるから偉いというわけではないが。
DNA,染色体鑑定の件だが、おそらく2030年の謙信公生誕500年
あたりまでに、世論を盛り上げていけば可能性もあるのでは?
よって、このスレは女性説男性説両者とも、投げやりにならず
続けてほしい。
中間派
25年後には謙信だの過去の歴史を研究してるどころではなくなってそうだがな
核であぼーんよ
lヽ ノ l l l l ヽ ヽ
)'ーーノ( | | | 、 / l| l ハヽ |ー‐''"l
/ D | | |/| ハ / / ,/ /|ノ /l / l l l| l D ヽ
l ・ i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'" `'メ、_lノ| / ・ /
| N l トー-トヽ| |ノ ''"´` rー-/// | N |
| ・ |/ | l ||、 ''""" j ""''/ | |ヽl ・ |
| A | | l | ヽ, ― / | | l A |
| !! | / | | | ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | | !! |
ノー‐---、,| / │l、l |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
/ / ノ⌒ヾ、 ヽ ノハ, |
,/ ,イーf'´ /´ \ | ,/´ |ヽl |
/-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ | l
,/ | ヽ \ _,ノーf' ´ ノノ ヽ | |
、_ _ ‐''l `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_ _,ノ ノ
 ̄ ̄ | /  ̄
576 :
日本@名無史さん:2005/05/26(木) 10:12:09
文書所有者の簗田家21代当主・壽昭さん(74)=山梨市在住=の住所と連絡先キボン
ワロスw爺さんもう訳わかってなさげwww
>>576 論議を期待し史実発見≠フ楽しみを待とう。
579 :
日本@名無史さん :2005/05/28(土) 18:23:04
謙信が真実女性だったとすると
(1)当時の上杉(長尾)家が影武者などを使って必死に隠した
(2)女性であることをまったく隠さなかった
という可能性がある。
ごぜ唄(まんとらさまが・・・)やスペイン人の書簡に女性(景勝の叔母)であると書かれていることからすると
上杉家が隠していたとは思えない。
ではなぜ、戦国有数の猛将が女性だという驚愕の事実が多数記録されていないのだろう。
謙信は行動的で京にも関東にも行っているし、数多くの人々にも会っている。
なぜ謙信は女だって彼らは記録に残さないのだろう。近衛や佐竹などは当然記録しているはずじゃないのか。
謙信は男だと明確に記録した文書が無いというけどそれは当たり前。戦国大名が男性であることはどう考えても常識だから。
女性戦国大名は皆無ではないけど大変珍しいし、何といっても謙信ほどの大物であれば特筆されないほうが不思議。
スペイン国王の書簡は1文字違いのスペルミスという通説に従えば謙信が女性という明確な根拠は皆無だろう。
たとえ将来米沢の謙信の遺骸が調査され男性と判定されても、女性論者が過去に遺体のすり替えが行われたと主張すれば
論争はエンドレスになるだろう。
>>579 マジレスしちゃいけませんよ。女性説は信仰の領域なんですから
>>579 これこれ、日干し戦術をぶちこわしにしちゃいかんでしょうが。
582 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 19:49:43
>>579 では、信長や信玄が男だったとう記録があるか?
実子が沢山居て側室や愛妾の存在記録が残っているから
当然男と思われているだけ。
謙信が女であっても当時は別に不自然な事でも何でも
無かったから、女であるという有力な記述が残って居ない
のでは?思うに豪傑で男勝りな女で有ったため、周りの
人間も特に「女」として意識しなかった。
583 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 20:35:49
妻が戦に出た記録なら幾らでも残ってるわけだしね。
あと娘も。
大物でなければ、為景の娘とか、
あるいは柿崎の妻みたいな記録しか残らなかったのかもしれないが、
大物であるがゆえに、虎千代、景虎、政虎と記録されてしまった。
>>585 そういう問題じゃねぇ。
ところで、この板強制IDにしましょうよ。
587 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 21:55:54
>>582 >では、信長や信玄が男だったとう記録があるか?
>実子が沢山居て側室や愛妾の存在記録が残っているから
>当然男と思われているだけ。
当然のことながら戦国大名が男性であることは通常のことであるから特記事項ではない。だから男と断らないのは当然。
実子や妻妾がいるから性別を記述しないのではない。
謙信が男性であればそれはなんら特記事項ではないから性別について記録されないのは当然。
今川家の寿桂尼のような事実上の女性戦国大名はいるが、現実に大軍を直接指揮して武田・北条などの有力大名と互角(あるいはそれ以上)に戦い、
多大な戦果を挙げた謙信が女性であれば、空前絶後のことであり「女性」であることが当然多く記録されるはずである(謙信は単に戦に出た程度の人物ではない)。
天皇、将軍、関白と面識があり、関東諸将を引き連れて転戦した人物の性別は多くの人の既知事項である。
であるのに、謙信が女性という記録がスペイン国王あて書簡のスペルミスで説明しうる一例しかないのでは到底多くの人を納得させることはできない。
謙信女性論がキワモノ扱いの域から出ることができないのは当然のことである。
>>587 スレ全部読んだの?
八切説とは違って、ここでは男装説が主流。
したがって、誰も謙信を女だとは思わなかった。
むしろ、詠歌もふくめて女性を思わせる文書はすべて焼き払われた。
よって、わずかに伝承が残るのみ。
それよりも、不妻帯の理由(女性説の最大の根拠)を論証してみ。
>>587 スレ全部読んだの?
八切説とは違って、ここでは男装説が主流。
したがって、誰も謙信を女だとは思わなかった。
むしろ、詠歌もふくめて女性を思わせる文書はすべて焼き払われた。
よって、わずかに伝承が残るのみ。
それよりも、不妻帯の理由(女性説の最大の根拠)を論証してみ。
>>587 スレ全部読んだの?
八切説とは違って、ここでは男装説が主流。
したがって、誰も謙信を女だとは思わなかった。
むしろ、詠歌もふくめて女性を思わせる文書はすべて焼き払われた。
よって、わずかに伝承が残るのみ。
それよりも、不妻帯の理由(女性説の最大の根拠)を論証してみ。
とうとう、本格的に女説者がぶっこわれたなw
592 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 22:34:42
謙信の不妻帯を合理的に説明できないかぎり男性説派は負け犬の遠吠えだわな
よかったね。はいそれではいつもの勝利宣言をとうぞw
↓
>587
>謙信が女性という記録がスペイン国王あて書簡のスペルミスで説明しうる
>一例しかないのでは到底多くの人を納得させることはできない。
「当代記」は否定されるわけですか?
595 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:01:56
>>590 >八切説とは違って、ここでは男装説が主流。
>したがって、誰も謙信を女だとは思わなかった。
誰も謙信を女とは思わなかったというなら、スペイン国王あて書状やごぜ唄、頭巾などは全て根拠なしということでよろしいですね
(だれも謙信を女性と認識できなかったのだから)。
和歌が女性的なんていうのは主観の問題だし、結局不妻帯だけが根拠ということですね。
不妻帯は確かに異例です。しかし不妻帯=女性と直結するわけではない。僧侶は本来不妻帯ですから。
それに、このスレ読んだらちゃんと細川政元のこと書いている人がいるじゃないですか。
極めて宗教的な男性武将(細川政元)=不妻帯という前例がある以上、不妻帯=女性というのは決定的根拠になりませんね。むしろ強力な反証になります。
謙信が不妻帯の理由を宗教的な理由からだなどと説明した書状でもないかぎり、不妻帯の理由を完全に説明することはできないでしょう。
しかしながら、挙証責任は女性説にあるのであり男性説にあるのではありません。従って論証は不要です。
しかも男装女性説では、周囲が女性であることを知っていたことを示唆する証拠を否定せざるを得ないから、論証がますます苦しくなるだけです。
596 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:04:38
>>594 「謙信が女性である」と書かれている文書はその1例だけですね。
597 :
日本@名無史さん:2005/05/28(土) 23:08:05
新井白石等の戦勝祈願説に基づく不妻帯の説明は、いつのまにかもみ消すんだから
女説派のごり押しは露骨だね。
いつもの事だけどw
稚児遊びで、謙信は女であることバレバレなのに、何で男装してたのか、不思議
ですね。ばればれなのに男装していた理由の説明もなされていない。
>>599 つまりあんたは女性説なのか男性説なのかと
「当代記」は、日本史にとって貴重な史料だけど、誤記がある事でも知られている。
通説では謙信は虫気(中風)で死んだことになっているが、この虫気が大虫と誤記された
可能性は皆無とはいえないのだが。
>>601 なるほどなるほど。
謙信と関係ないところでの誤記ってたとえば何がある?
>>595 >誰も謙信を女とは思わなかったというなら、
>スペイン国王あて書状やごぜ唄、頭巾などは
>全て根拠なしということでよろしいですね
>(だれも謙信を女性と認識できなかったのだから)。
スペイン国王宛の国書のソースは上杉家(景勝)ですが?
ごぜ唄の伝承までは、上杉家も「焼却」できなかったのでは?
>僧侶は本来不妻帯ですから。
え?顕如は子沢山ですが?
>極めて宗教的な男性武将(細川政元)=不妻帯という前例がある以上、
>不妻帯=女性というのは決定的根拠になりませんね。むしろ強力な反証になります。
細川政元がその死後に嗣子のお家騒動に至った前例を
謙信は考えなかったのでしょうか? 御館の乱を考えるに、大きな疑問です。
家臣たちも考えなかったのでしょうか? これが女性説(不妻帯)の根拠です。
謙信ほど有名ではないが、俺はある史料だけ見れば男性(というか性別不明だけど普通に読めば
男性とみなされるだろう)だけど、別の史料では明らかにある武将の妻という例を知っている。
>新井白石等の戦勝祈願説に基づく不妻帯の説明は、いつのまにかもみ消すんだから
って、いつの時代の人よ(笑
こういうのがわからん
>しかしながら、挙証責任は女性説にあるのであり
>男性説にあるのではありません。
>従って論証は不要です。
男だっての、どうして説明できんの??
そもそも細川政元て、将軍をないがしろにした謀叛人だろ?
忠義の謙信公の前例にはできんのでは? 戦国武将じゃないんだし
>>605 >新井白石等の戦勝祈願説に基づく不妻帯の説明は、いつのまにかもみ消すんだから
>新井白石って、いつの時代の人よ(笑
矢切って、いつの時代の人よ(爆笑
>>609 マジで聞くが、新井白石??頼山陽の間違いでは?
>矢切って、いつの時代の人よ(爆笑
自分に返ってくるレスだと思うが?
フィクションを作るのと史料を検証する違い
わかりますか? べつに八切説を擁護するわけじゃないけど
>(爆笑
こういうの、やめれ。品がなさすぎる(真顔
>>603 >細川政元がその死後に嗣子のお家騒動に至った前例を
>謙信は考えなかったのでしょうか? 御館の乱を考えるに、大きな疑問です。
その理屈でいくと、前例が一回でもあれば、それを教訓にしてお家騒動は以後
起こるはずはない事になります。しかし跡継ぎ争いは幾度も繰り返されています
よ。
むしろ、こっちの方が大きな疑問ですね。
612 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 02:00:39
>謙信の不妻帯を合理的に説明できないかぎり男性説派は負け犬の遠吠えだわな
こういうの、やめれ。品がなさすぎる(真顔
>しかし跡継ぎ争いは幾度も繰り返されていますよ。
不妻帯の武将の例で、ですか? あれほど歴史と故事に博識だった謙信公が
細川政元死後の養子争闘を予見できなかったとは、不思議ではないですか?
御館の乱は、江戸時代にみられるような単なる跡継ぎ争いではないでしょう?
そもそも、政元は幕府の官僚であって、一国の帰趨を考えていた戦国大名では
ありませんしね。ほかに、不妻帯の戦国武将がいましたか?
マジで聞くが、新井白石??頼山陽の間違いでは?
615 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 02:09:30
藩翰譜をしらんのw
616 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 02:18:40
>>613 きみは、ヒステリックな女説者じゃないと、信じて1度だけマジレス。
歴史を研究すると、人類は同じ過ちを何度も何度も繰り返している。
不妻帯の事例があろうが、なかろうが同じこと。
謙信公がどんなに優れた武将であっても、人間である以上完璧では無いのだよ。
残念ながら‥
>>616 どうでもいいけど、意味不明だなぁ。
くだらん一般論の理屈よりも史料をあげてみては?
一般論ではどうにもこうにも・・・。
>藩翰譜をしらんの
後学のために、詳細キボンぬ(伏して願)
>617
何かといえば、常識や通説、一般論にスタコラ逃げる男性説派の面々…。
自論の解説は出来ずに、女性説派の論証を議論の外側から
揶揄するばっかし。しょせんは覗き見趣味なのかな?
期待しても無理なんでは?
>>616さん
ほかの方もおっしゃっておられますが、
何も言ってないのに等しいですよ、申し訳ありませんけど、
そんなレスでは納得できません。謙信公のほかに、
不妻帯の戦国武将はいません。発見されたら、レスください。
初めてきました。
謙信は近衛の妹との縁談があったと思うけど
この場合だと女だったことを隠してたってことになるの?
それと先月上杉謙信展行ってきました。
謙信の甲冑が展示されてたけど当事の人にしては
男としてもでかかった。
156ぐらいって聞いてたのですがもっとありそう。
あと女性だったら甲冑って胸のところが盛り上がってるもの
だけど…鶴姫のとか。
> >僧侶は本来不妻帯ですから。
> え?顕如は子沢山ですが?
浄土真宗は念仏さえ唱えてりゃ、
肉食おうが、結婚しようが問題ない
>謙信は近衛の妹との縁談があったと思うけど
>この場合だと女だったことを隠してたってことになるの?
絶姫って実在したの?
>鶴姫
これも大祝氏の伝説
確実な史料キボン
623 :
616:2005/05/29(日) 10:32:34
>>617 これを最後にまじレス
通説を覆そうとしている人たち(女説)が、前例に異常にこだわるのって不思議だな。
前例が無ければ、信じる気になれないなら、謙信女説そのものの否定。
矢切は、問題のある研究者ではあるが、通説を疑うという姿勢は評価すべき。
前例が無いから、信用できないという理屈は、矢切の常識論否定の姿勢を拒否する
するものではないのか?
通説で男と思われていた武将が実は女だった例って他にあるの?
戦国時代は長男が後を継ぐものと決まっていなかった為、世継ぎ争いは数多い。
不妻帯の事例が稀有なのだから、史料をあげろということ事態、無理難題だよ。
>後学のために、詳細キボンぬ(伏して願)
ガイシュツの
>>335 >>336 >>339を参考に自分で調べられたし。
>>623 >通説で男と思われていた武将が実は女だった例って他にあるの?
恐らく他にも例はあるのだろうが、
その中で、謙信が最もメジャーなのだろう。
状況証拠は、謙信は明らかに女性ではあるが、
それでも、常識論に固執する学者を納得させられない。
謙信よりマイナーな、男とされた姫武将が、
女性である事を証明するのは、
もっと大変な事であるのは当然だろう。
625 :
日本@名無史さん :2005/05/29(日) 14:42:26
>>603 >僧侶は本来不妻帯ですから。
「本来」って書いてあるだろw
626 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 14:53:22
>状況証拠は、謙信は明らかに女性ではあるが、
>それでも、常識論に固執する学者を納得させられない。
謙信が男だという状況証拠も山のようにあるわけだが。
もちろん常識論を覆す証拠でも提示できなければ、学者でなくても納得しないだろう。
この程度の証拠(と称するもの)で謙信公の遺骸を調査させてくれなんて言っても、上杉家も米沢市も無視するだけだろ。
しょせん、女性論はキワモノ
>>626 はげどう。「謙信公の遺骸を調査」なんてのは
「国技館で女相撲をやらせてくれ」というに等しい
>>626 それ言うなら2ちゃん自体がキワモノだろ
だから議論が盛り上がるわけであって
俺は、諸系図等で消息不明の姫が、実は消息不明ではなくて、
ちゃんと載っているのに、その人物が男性とみなされているので、
消息不明になってしまっているって例が結構あるのではないかと
睨んでいる。
ここは男性説・女性説双方の観点から分析するスレです
レッテル貼りや勝利宣言などぬかす馬鹿は無用
ちょっ! ちょっとまって!!
今
>>629がいいこといった!
632 :
日本@名無史さん:2005/05/29(日) 20:16:21
女である事を隠したのか、公然と女で居たのかで見解が分かれているが
恐らく、隠し通していた時期も有ったろうが、信濃を統一しその後
軍神として注目される頃に至っては、特に隠す事も無く自然体で有った
のではと思われる。
>>629 系図ではないが、上杉文書で長尾為景の娘は2人ということになってる。
1人はいうまでもなく仙洞院(政景室)だが、もう1人は
加地春綱に嫁したと。これが阿虎? ちなみに、虎千代は
4男。
>622
鶴姫は伝説かもしれないけど女性モノの甲冑は
実際残ってるからこの場合は実在してなくてもいいのではないかな
>>634 いや、そうでもない。鶴姫の女物の甲冑は
天正期の当世具足の様式だから、「伝説」を「信仰」に
変えるために、わざわざ胸の部分を大きく作ったのではないかと
思われる。つまり、鶴姫の実在性を強調するように?
だが、鶴姫は実在性が高い。水軍は女性も含めた家族で船に
乗ることが多く、長期の航海に女手が欠かせなかったからという。
ぎゃくに甲冑は着ない。海に落ちたときに溺れるからだと。
>>603 > >僧侶は本来不妻帯ですから。
> え?顕如は子沢山ですが?
あそこの宗派は宗祖自体が妻帯者だったではなかったか?
謙信は密教系の宗派だったはずだから妻帯していなくても無問題ですが。
キリスト教と言っても分派内ではかなりの差があるのと同様、仏教でも宗派の差は少なか
らずあるんですが女性説のためなら無頓着といくわけですか?
謙信は晩年に真言密教で出家するわけですが、幼少時は禅宗(曹洞宗)でもあり、
多数の宗教を信奉していたようです。
ちなみに信玄も天台座主でありながら、謙信と同じく毘沙門天を信奉しています。
たしかに戦国武将は宗派に「無頓着」なのかも。
638 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 10:03:50
>>626 論理的に男性説を説明できる論者を待っていました。
さあ、どうぞ。
639 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 12:23:36
不妻帯が女性であることの証明にならない以上、女性説が通説を否定することはできない
不妻帯が男性であることの証明にならない以上、男性説が女性説を否定することはできない
おナベが妻帯した場合は男である
642 :
日本@名無史さん:2005/05/30(月) 14:58:07
あのさ、女性説が男性説を否定できない限り通説(男性説)が通るだけなんだけど
で、否定は不可能
ここまでスレを読んでみた。
いるのは女性論者とアンチ女性論者だけで、
対となるはずの男性論者は全く存在しないと言う事は分かった。
>>643 それは一般常識であって、男性論を建てるに及ばないから
謙信が男だという江戸時代の嘘も積み重なれば一般常識
>>645 ぜひ覆してください。史料を積み重ねてね
>>645 そんな言葉遊びをしてる暇があったら、
女性説の裏づけを進めた方がいいと思うよ。
今のところ女性説の有力な証明は出てないみたいだし。
前スレから全部読めば、ふつうの頭脳なら納得できるね。女性説が。
頑なな香具師はこれまでどおり「常識」を信じてればいいんじゃないか。
べつに生死にかかわる問題でもなし。
前スレから全部読めば、ふつうの頭脳なら納得できるね。通説が。
頑なな香具師はこれまでどおり「女説」を信じてればいいんじゃないか。
べつに生死にかかわる問題でもなし。
意味のない言い合いをやっとるな
男性説者依存症の女性説者にエサを与えない下さい。
甘やかしては、いけません。
>651おまえがなー↓こーなるんだよ
女性説者依存症の男性説者にエサを与えない下さい。
甘やかしては、いけません。
警察官の不祥事を警察組織がもみ消したとする。
警察組織による証拠の発見が無いのだから
警察官による不祥事は無かったというのが男性説者だな。
2ちゃんねるで自信満々な女性説信奉者が
なぜリアル社会に女性説をひっさげて
討って出ないのかが、どうしても謎なんですが・・
>>654 何度も外出だが、保守的な学会の壁と「自費出版」の
財源だろうな。学会誌も「女性説論文」(?)は門前払いとのこと。
>>635 大三島の鶴姫はそうだが、戦国時代には他にも「鶴姫」がいたきがする。
そちらはちゃんと墓もある。
>>656 たぶん、名もなき女武者がたくさんいたんだろうな。
江戸時代に名前を抹殺されるまでは。
>>648 おれ、最近このスレを知った者なんだけど、もう前スレ読めないんだよ。
ログ持ってたらどこかにミラーでも作ってもらえると有り難いのだが。
>>655 HPを開けばいいじゃん。
本しかなかった時代と違ってやりようはあるでしょ。
世間に発表する事に前向きでない時点で、
張子の虎とあざけられても致し方ないぞ。
>>660 ( ´∀`) <うるせー馬鹿
とでも書いて欲しいのだろうかw
663 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 11:58:17
>>648 >前スレから全部読めば、ふつうの頭脳なら納得できるね。女性説が。
ふつうの頭脳を持つ人が納得するのが通説になる。
2chを出て広く社会にアピールしなさいよ。
ふつうの頭脳(=ほとんどの日本人)を持つ人が女性説になるんでしょ。頑張って!
664 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 12:04:10
>>653 君は神様にでもなったつもりか
戦国時代のことを見た人は現在1人もいない。
納得できる証拠がなければその事実を認定することはできない。
それでもあったはずだというのは神の行為
つまり謙信が男だと認定することはできないつうことだな。
2ちゃんの雄弁王=現実界の緘黙症
667 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 12:46:44
>>664 女性であることが認定できない=通説が通説のまま通る
だけのこと
>>664 警察官の不祥事を警察組織がもみ消す事と、それがどう関連するんだ?
脳みそ一回洗濯汁。ネット中毒患者。
669 :
日本@名無史さん:2005/05/31(火) 13:15:26
>>668 そりゃお前だろ
警察不祥事は比喩なんだから
ここはアンチ女性論者とアンチ男性論者しかいないスレなのですね・・・
謙信は宦官だったんだよ
納得するから通説ではない、通説とは昔から言われてるというだけ
自分だけが覚醒してるとか、真理を掴んでいると思い込み、
世間は愚昧とか、陰謀によって支配されてるとかいう奴
↓
オウム兇徒と同じ
>>674 飛躍ありすぎ。それにしても内容なくなったなぁ。
男女説ともに良識派は来なくなったんだろうな。
良識派が論じ合う
↓
もう科学鑑定しかないな
↓
廃れる
↓
バカどもが煽り合う
↓
良識派が現れる
ループ
677 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 11:13:09
676
2ちゃんのスレは全部ループだべ?
常駐なんて数える程。殆どが一見のカキコ組。
だから過去ログ読まなくていいと言うわけでは無いな。
679 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 22:45:29
DNA鑑定まだ?
2030年まで議論しながら待て
681 :
日本@名無史さん:2005/06/11(土) 14:44:42
謙信は女って事で
はいはい、そうですね。
結論がでました。よかったですねぇー。
以前、謙信公性病説の反論を書き込んだ者ですが、自スレが忙しくて久しぶりに
ここへきました。なんだか、中身のある議論はあまり行われていないようですね。
ここは、女性説の煽り厨房や、割り込み厨がウザすぎるから、まともな男性説は
あほらしくなって去っていくんですよ。そもそも、学究心がある人なら、得るもの
がなければ、当然来なくなります。義務や責任で、2ちゃんねるに書き込んでるわ
けではないんだから、わざわざ不快な思いまでして、男性説を唱える奇特な人間は
いませんよ。あほらしいだけ。まともな議論の出来る環境じゃありませんよ。
あと、カルト集団に有り勝ちなパターンとして、デマを最もらしく広めようとする
香具師は最低。学会だなんだと、一見最もらしく書いてる香具師。これは、男性説
にもいるようですが‥
とにかく、不妻帯説を前にすると謙信研究の第一人者もしどろもどろになるって
書いた卑劣な香具師君よ。デマじゃなかったら、そんなことでしどろもどろになる
ような情けない研究者の実名を晒してみろ!
矢切説を信奉してる人もいまだにいるようですが、例えば謙信が毎月決まった日に戦
をやめてウンヌンという生理説なんか、世にオギノ式や基礎体温法がなぜ存在するのか
を考えれば、素人でも一発でおかしいと解る筈。(なんのことか解らん人は、ママに
聞いてみる事)こんな矢切説をタブー視ウンヌンで語ること事態、あほらし杉。
いい加減なデマ飛ばすのヤメレ。
もうこのスレに来る事はないから、最後にひとつ。
吉川元春の使者が謙信に対面した時の感想は、大峰山の鬼か、葛城山の大天狗
にでもあったようで恐ろしかった、としている。謙信公は人を威圧するような
威厳をもった武将であったらしい。
我あるゆえに毘沙門あり
祈、各々の健闘。
>>684 それはまともな女性説論者も思っていることです。
あなたはもう二度とここに書き込まないようなので残念ですが、私としては、
>吉川元春の使者が謙信に対面した時の感想は、大峰山の鬼か、葛城山の大天狗
>にでもあったようで恐ろしかった、としている。謙信公は人を威圧するような
>威厳をもった武将であったらしい。
この3行の真意を知りたいですね。
これも男性説の根拠の一つのつもりですかね?
>>685 中国地方で三本の指に入るようなブ○と結婚した元春がそこまで言っているのですから、
謙信女史は相当なブ○だったんでしょうね。
とても萌えられるような容姿ではなかったと思われ。
687 :
684:2005/06/12(日) 20:04:42
おっと、
>これも男性説の根拠
そんなつもりはなく、謙信公と対面した人の記録が少ないようなので、書いてみた
だけ。その記録では、謙信公の性別は解りませんし、景勝が謙信公の死について書
いた書状も見たことありますが、その書状でも残念ながら性別は判然としません。
そんな証拠があればとっくに書いてますよ。
悪しからず。
>>687>>@684
もう来ないと言いながら、未練な香具師だね
>とにかく、不妻帯説を前にすると謙信研究の第一人者もしどろもどろになるって
>書いた卑劣な香具師君よ。デマじゃなかったら、そんなことでしどろもどろになる
>ような情けない研究者の実名を晒してみろ!
って、書いた本人じゃないが、井上鋭夫あたりも
「…であろう」「…と思われる」としか書いてないぞ
しどろもどろに近いと思われ
まともに文献を読んでりゃ「ホモ説」だが、それも
何となくうやむやに結論してるのが謙信研究者の現状だ
上杉流軍学の創作文献に依拠するかぎり、
「謙信勇猛男性武将」説と第一次史料(願文・書状)に基づく
「謙信女々しい」「女っぽい」説を大いに揺れ動くしかないわな
689 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 00:01:51
つまりこのスレでは、井上鋭夫が謙信研究の第一人者なんだなw
>>689 688のどこにそんなことが書いてあるの?
>>688 >>690 しどろもどろになった謙信研究の第一人者の名前が問われているのに、それに答え
なければ、内容のない煽りと一緒じゃよ。
研究実績からいって、井上が第一人者でええんじゃないの?
不妻帯の件で、とくに研究してる学者はいないだろ。
しどろもどろと、云えなくもない。
そもそも女性説が研究者に受け入れられないのと同じように、
不妻帯そのものが研究テーマ(論文の主題)になったことは
ないんだから。
ポルトガルのイエズス会の記録に、謙信は女と書かれてあるらしい。
布教に来た宣教師の、報告を元にしたものだろうか?
>691>692
井上鋭夫の説は「謙信は女性とも性交できた(不能ではなかった)が
子供を作れない体質だったので、それを恥じて結婚しなかったのだろう」というもの。
けっきょく想像の産物で、史料的根拠はゼロ。八切止夫の女性説のほうが
よっぽど学説らしくは粉飾しているわけだが。
そして話はループする
もう科学鑑定しかないなw
>694
謙信研究者たちの傾向↓
不妻帯の理由を「戦勝祈願のため」にしたい(ホモ説は避けたい)が、
「大量飲酒」や「大量殺人」で論拠に一角が崩れるのを恐れ、
「稚児好き」の史料(近衛前久書状)を無視できないので、女性との交際(絶姫と直江娘)を
匂わせて、それでもなおかつ「不能説」を否定するために「不妊説」に落とし込む。
ってな曲芸をするわけだな
最近は景勝のクーデター説(御館の乱)をめぐって論争があるから、不妻帯の理由の
解明は、本来なら研究者のテーマに上がってもおかしくない
謙信の研究者
ザコばかりなんだな
700 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 01:29:03
700ゲトぉ!! プッ
無内容に煽った
>>684はトンずらか?
「自スレが忙しい」とか「もう来ないが」などと尊大に言いながらも、
物陰に隠れてROMしてんだろなぁ(w クソだね
という風にして、バカ共の罵り合いが始まるのが、いつものパターン。
>>697 >最近は景勝のクーデター説(御館の乱)をめぐって論争
上越市の研究者と小和田哲男の弟子(若い女性研究者)の論争だね?
景虎が正統だとする女史が、景勝文書の筆跡に疑義を提示して、
景勝が正統だとする研究者がさらに反論。どちらも直接対決して欲しいが、
河田長親の立場なんかを傍証にすると、謙信の不妻帯(ホモか女か)も
避けて通れないはずだな。さりげに、謙信の性癖には触れないんだろうが・・・。
703 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 01:06:36
偉そうに無内容な能書きこいた
>>684は逃げたままなのかい???
まともな自論を晒してみろよ、ヴォケェ!! ははははぁ
>702
確かに今上杉研究で一番盛り上がってるのは
御館の乱の辺りだと思うんだけど
謙信不犯の理由は軽く触れられる程度だね。
御館の乱も謙信が不犯で実子いなかったのが原因だし。
706 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 01:52:56
門外漢だが、上杉謙信が子供を作らなかったってのは
戦国時代最大の謎だよね。家臣たちはなんで放っていたんだろ?
江戸時代ほどではないにしても、国主に明確な跡継ぎがいないっての、
致命的だろ?? で、女性説なわけか・・・インポじゃないかぎり?
インポでも形だけは何とかなったと思うけど。。形だけ正室をもらって
お気に入りの小姓を自分の息子にでっち上げるとか、何とか。
でないと、死んだあとの上杉家の自滅は納得がいかんね。
>>706 もちろん周囲は妻帯をすすめたろうけど
江戸時代と違って個人のワガママがきいた時代なんだろうな。
越後守護は景勝で関東管領を景虎になんて考えていたとしたら
ロマンチストだねえ
708 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 04:59:34
どーでもいいことなんだけど、織田信長と明智光秀なんかも女性だったとおもう。
単なる感ですけど
スレ違い
最低でも、ケコーンしてない武将じゃないと、
リアリティない。信長なんか、子供大杉。
711 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:12:52
だから、あれは自分の子じゃないんだよ
>711
またもや、意味不明・・・・。
713 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 14:22:18
スレチガイ
ほしゅ
お船って婿養子の直江兼続が無くなってから、
女家老として勤めてるんだな。
やはり上杉家は女性が普通に勤めに出る風習があったということか。
お船の方が直江家を廃絶したのか、仙洞院の思惑だったのか
意見がわかれるところですね。上杉家は女が仕切る・・・
宣伝?w
719 :
日本@名無史さん:2005/07/03(日) 21:23:22
>>717 死ぬまで女だったことを隠したという「エコンの騎士」
調べてみまちた。男装ではなく異性装??
異性装者として知られている過去の人物として、
ローマの皇帝カリグラやイギリス国王ジェームズ一世、
イギリス植民地時代のアメリカのニューヨーク、
ニュージャージー植民地総督であったエドワード・ハイド(別名コーンバリー卿)
18世紀のフランス貴族ド・エオンなどが有名である。
ちなみに同じ異性装を表す言葉「エオニズム(eonism)」はこのド・エオンから名付けられた。
722 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:50:09
おもしろage!
723 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:58:11
■■徹底史料分析!■上杉謙信ホモ説2■■
724 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 01:59:42
>PCゲーム需要では、女性説のほうが男性説を圧倒しつつある?
肝ヲタのハアハア需要かと
725 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 02:06:30
今まであまり陳べられていない、
男性説の法印大和尚位と、
女性説の墓相について、
もっと専門的な意見が知りたいですね
食いついてきたなぁ(笑)まだ叩くほどの内容はないが・・・
727 :
日本@名無史さん:2005/07/04(月) 05:09:35
上杉謙信が女だったとは巫山戯た俗説。
彼は戦国武将らしく男色を重んじて女犯の穢れを避けたに過ぎぬ。
近代日本の低俗な大衆に媚びる可く考え出された「女性説」なぞ
歯牙にかけるだに値せぬわい。
何故に女性説が大衆に媚びる事になるんだ?
普通にふざけたと書けばいいのにわざわざ巫山戯たと書いてみたり
いちいちageるのも住人に媚びたレス
漏れの住んでいる地域は謙信直属の部隊(たぶん足軽?)だったから色々な話しが
伝わっているんだけど、女性だったらその辺の話しも伝わってると思う。
女性だったら面白いけど・・・まずないよ。
色男でいい声してたってのは伝わってる。
あと漏れは読んだ事ないんだが「松隣夜話」に千葉伊勢姫との恋話しがあるそうだし、男で決まりじゃ?
足軽ごときに性別がバレるようじゃダメだろ
バレるってのは隠している場合に使うものだと思うが・・・
>色男でいい声してたってのは伝わってる。
って、老人(元謙信直属の足軽?)が
「わしゃ謙信公のお声を聴いたことがあるんじゃ。よいお声でのぉ」
とか?
>「松隣夜話」
千葉采女の娘の虚構もさることながら、本自体がフィクションだよ。
近衛前久の妹(絶姫)も不詳、直江大和守の娘(長女)も不詳。
すべては江戸時代の作り話。むしろ、ホモ説のほうが。
仮定の話でも、女だと公言してはないし世間的には男で通ってたんだから正しい<バレる
外人の宣教師のみが正しく文面で性別を綴ることが出来たというのも納得
景勝や三郎からの謙信宛の手紙というのが
なぜか残されてないらしい
実際には謙信を母とか書いた手紙類が
処分されたんじゃないかって話だな
>世間的には男で通ってたんだから
ソースプリーズ
>>736 書状や号(名前)を見る限り、「世間的には男で通ってた」
のではないのか??
うーんやっぱ無理ありすぎるよなあ
普通に女だったんなら、後世どう隠したって、もっともっと証拠残るだろ。
男だと偽ってたんなら、妻をもたないってのはアホすぎる。一番怪しまれるとこだろ。
空想としちゃ面白いんだけど…
>738
>もっともっと証拠残るだろ
八切説によると、上杉家が必死に証拠を焼いたんだと。
たしかに詠歌の達人だった謙信の和歌が10首程度しか残ってないのは不思議。
漢詩が得意だった信玄でさえ、100首からの和歌が残ってるのに?
>男だと偽ってたんなら、妻をもたないってのはアホすぎる
かなぁ? 家臣も恐れるかたん気の女独裁者に、レズになれとでも?
証拠がいろいろ残ってれば、女性説なんか必要ないですがな
歴史教科書に「上杉謙信は女性でありながら、戦国時代に関東管領までなった」
とか、常識になっていると思われ
>733
信長に負けて謙信を頼ってきた時に謙信に会ったそうな。うちの先祖。
没落はしていたものの、かなりの名家だったので一番下っ端ながらも直属で
雇ってくれたらしい(なのでたぶん足軽)
戦時中に空襲で家が焼けて証拠はなにもないので信じなくていです。ただの口伝なので。
>>741 とすると、朝倉氏か六角氏、能登畠山氏? 口伝は重要だよ、君。
わたしは信じますぜ、謙信公が美しい声だったってのは。
>>742 その中なら朝倉じゃね?
六角は上杉との繋がりが薄いし、
畠山なら上条がいるから一番下っ端ってことにはならんだろうし。
>743
いや、>741は先祖が「一番下っ端」だったと
うーん、朝倉も六角も名門だし。謙信が上洛したとき、両氏とも便宜を
はかってますよね。>741さんは、恥ずかしがらずに祖先のことを
語ってください。貴重な伝承をヘンに突っ込むことはないと、思われます
>>737 自分の名前の於虎に、実父や養父たちの通字を付けて、
当主である事を示しただけではないかな。
法名にいたっては、不識院殿とか、謙信公では、
なお更、男か女かわからないだろうし。
>>742 名歌人は声が美しかったで決まりでしょう
>>739 >八切説によると、上杉家が必死に証拠を焼いたんだと。
うん、上杉家はそうしただろうけど、他家に残るようなものまでは
とても全部は手が回らなかったんじゃないかと思ってさ。
それに本気で焼いたんなら、もっともっと徹底的に、
謙信に関するものみんな焼くぐらいの勢いでやるんじゃないのかなあ。
妻に関しても、なにもレズにならなくたって、ひっそり飼っておくか、
実在してなくてもいることにしておくとか、
そのくらいは考えるんじゃないかなあ。
と思っただけです。
そういや吉川英治氏の小説でも、謙信が陣中で美しい声で歌っておりましたな。
>>746さま
松平忠明の「当代記」(第一級史料)と「松平記」に残っています。
「当代記」には「越後景虎没、大虫(婦人病)といふ」
「松平記」には「危機にもかかわらず、厩橋城内で成田殿の稚児をあやして…」「その死顔、麗しきと諸侯」
「愛」という言葉がない当時の「麗しき」とは、「思慕する」「私は愛してるよ」
つまり、男女の愛慕に相当します。
隠していたことにしたり、隠していなかった事にしたり、それでも都合が悪くなると
普段は片隅に追いやっている矢切説をもちだしたり、大変でつね。
>>749 つまりこのスレは一人で書いてて、書いてることがコロコロ変わっていると?
>749
不特定多数が書いて、しかも諸説あんだから、しょうがないだろ。
それよりも、持論を出せ。
一人で書いてたら神!
男性説は一つだが、女性説派と議論する場合は、矢切説肯定派、否定派
隠した説、隠していなかった説、折衷説とまとめて全員を相手にしなければ
ならない。なかにはコロコロ変えてる香具師もいるだろう。
隠してた説の答えに窮すれば、隠していなかった説派が出てきて、すぐ助けて
くれる。
つまり、相手する男性説派から見れば、749の状態と同じ事。
まあスレが止まってた頃に比べるといいことよ
754 :
741:2005/07/05(火) 18:54:05
名家でも名門ってわけじゃないです。鎌倉から室町初期にはかなり栄えてたらしいけども。
先祖の出は伊勢です。元々は伊勢一帯を治めてたらしいですけど、戦国期には一地方の豪族にまで
落ちぶれてたそです。流石俺の先祖。
信長に負けて朝倉の力を頼りに家臣になるも、無能なのですぐに見限り(おいおい)
謙信の配下になったそうです。
二度の上洛にもお供をしたそうで、この辺は面白い話しも残っています。
まあ、新潟の一向宗に伝わっている話しなので面白いと言っても知ってる人は知ってるかも。
教えて教えて
あー謙信の配下かあ、うらやましいなあチクショー!
>隠してた説の答えに窮すれば、隠していなかった説派が出てきて、
>すぐ助けてくれる。
ワロタ、面白すぎ・・・(w
>>754(741)殿
北畠の御家中にござりましたか……。輝かしい御先祖は、北畠親房公。
なるほど、織田に攻められたおりに朝倉を頼り、越後に?
でも、二度の上洛(天文年間と永禄三年)とは、ちと年代が合いませんが、
まぁよろしいということで。
>>752 >男性説は一つだが
と安易にいうが、ホモ説で統一していいのか?
複数女性(姫)との悲恋説、マザコン・シスコン説もあるのだが?
ホモ説否定派はいないとしてもいいのか?
そうだよね、
>>758さん。ホモ説の前では逡巡する男性説派は、
謙信勇猛説の虚構を具体的に突っ込まれる(女っぽい・稚児好き)と、
たちまち、衆道説派が助け舟を出す。ホモ説を詳しく突っ込まれると、
やけくそな家父長説派が登場したりして、その場を助けられてうまく逃れる。
マザコン説やシスコン説などを突っ込もうものなら、ほとんど無視のあきれた態度
ではないのか?!
助け合わないとやっていけないんだよこのスレは
このスレを読んでいると、前スレからの男性説派というか無教養な連中が
「生暖かく見守る」と言いつつ、不用意にも書き込むたびに、女性説派というか研究熱心な連中から
ガツン! とやられて、中間派というか素朴な連中が真面目に疑問を呈しては、
男性説派と間違えられてこれまたガツン!と やられてる。という相変わらずの流れなのか??
>>757 北畠には仕えてないです。北畠は大名と呼ばれる程、当時は大きくはありませんでしたから。
ちなみにうちは敵対してました。あまり詳しく書くと身元がバレるので書けませんが、若い頃の信長に負けてます。うちの先祖。
占領されたみたいじゃなく、皆殺しにされて、焼け野原にされた?っぽいです。そのために国を捨てたみたいです。
どちらかと言えば当事の伊勢は様々な勢力がひしめき合う、雑賀みたいな地方だったそうですよ。
なんだかスレ違いの話しですみませぬ。
大体やね。男性説と女性説が対立しているというよりもね、
「何をもって事実とするに足りるのか?」について、
「何となく男に決まってるだろ」「何となく女に決まってるだろ」
対
「男だという証拠はあるのか?」「女だという証拠があるのか?」
だよな。
歴史学の立場として、どっちが正しいかちゅう話じゃ。
まともに考えれば
「男だという証拠はあるのか?」VS「女だという証拠があるのか?」
の対決をするのが望ましく,した結果
「どっちも証拠なんてねぇよ」
になったかと
そうなると「男性とは言い切れない」武将なんて腐るほどいそうだな。
というか、八切って「伊達政宗は女だった」って本も出してるんだっけか?
そりゃ「武将」なら腐るほどいるかもしれないが、
「有名武将」だったら限られるだろ。
で、政宗なんてのは、八切が言ってるかどうか知らんが、
盛り上がらんのに、謙信は盛り上がるのは、
やっぱり可能性として考えられなくもないからだろ。
政宗は、結婚もしてるし、同時代の記録もあるし、
「絶対」ではないにしても、よほどの新史料でもでない限り、
男性とみなしておいて間違いないわけだ。
そういうことは「新史料」でも発見されてから議論すればいい話。
謙信の場合は「男性」であるという証拠も少ないのだから、
議論をするのはトンデモではない、きわめて真っ当な話。
歴史学は科学的思考のできない奴が多いな。
政宗は妻を自分の代わりに一度使ったんだっけ?
まあ他武将は別スレで
八切も、謙信だけにしときゃよかったのにな。
どうもトンデモ系に走りすぎてて、
八切説ってだけでまともに取り合ってもらえない感がある。
769 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 00:42:15
謙信は女々しい性格だったと言うが...
源氏物語を愛読し、ピンク柄の羽織を纏っていた...
人目もはばからずにすぐ泣く、家臣の意見を聞かないヒステリック、
上洛のおりには都人に「源氏物語」「伊勢物語」の疑問点をただす。
兜の縅毛を三つ編みにするは、御高祖頭巾はかぶるわ。やっぱ、女でしょ?
祐筆の書ではない、直筆の書状や願文はカナまじりの「お願いします、信玄は悪者なのです
ひどいのです」の女の文章。でも、好きだなぁ。
じゃあもう両性具有でいいよ。
信長が両性具有っていう空想小説があったけど、あれで信長に篭絡される謙信は
なかなかエロくてよかった。
ごめんなさい
あの時代の、男性女性の違いがよくわかるといいんだけどねえ。
ものの考え方とか、感情とか、読む本とか趣味とか
あの時代の女は髪型といい化粧といい全然萌えない
>>767 いや、八切によれば「仙道を平らげ芦名を滅ぼした勇猛なる伊達政宗こと田村愛姫」と「梁
川で本庄繁長に追い立てられ、天王寺では腰が抜けて同士討ちをやったヘタレ大名伊達
政宗こと藤次郎」の二人一役だそうな。
ねえねえ
謙信の少年(少女?)時代のことはどういう説が出てるの
この時代、武家の女の子が寺に入門するってことはあったのかな
それとも「寺にいた」ってところからして否定?
姉がフツーに嫁いでるのもあって不思議
母方の古志長尾家の栖吉城下にいたって話ししかないんじゃないの?
幼少のみぎりに寺の生臭坊主どもに性の慰みものにされた謙信はそれがトラウマとなり
男性(美少年)の尻の穴をディルドーで犯す事でしかイケなくなってしまった
ところで
どうやって高野山に入ったの?
ちなみに、真田信繁君は高野山追放喰らったのに
妻子連れてきたので、九度山で蟄居しますたが
裸にしてちんこチェックとかあったの?高野山
毘沙門天の化身だからだろ。
声とか顔で怪しかったらちんこチェックされる気がする
脱がさなくてももきっと触る
このスレでは高野山訪問の記録は、男だったと思わせるための偽装工作らしいよ。
そんな、偽装工作するくらいなら、妻帯していた偽装工作をなぜしなかったんだろう?
そっちのほうが、簡単にできるし確実に男だったと思わせられるのに。
摩訶不思議だね。
ここの女説派は、あの時代男性武将が妻帯してないのは、異常だと必死なんだけど
その理屈から言うと、偽装工作しないほうがおかしい事になるのだが…
>>782 だから不犯説や架空の女性との噂で色々と偽装されているんでしょ
不犯だからだっていう偽装はアリだと思うけど
架空の女性との噂っていう偽装は無さそうじゃないか?
あの時代、女の尻を追っかけるのは武将としてかなりダメだったんだろ。
一般の兵でも、戦の前は女に触っちゃダメって感じだろ?
謙信女々しい〜みたいな雰囲気の偽装をわざわざするとは思えないんだけどなあ
ところで、高野山のことについては女性説がわの見解が出てるようだけど、
>>774の林泉寺時代のことについてはないのかい。俺も知りたい。
もし寺にいなかったなら、謙信はどこで教養を身につけたんだろう。
高野山の偽装工作や不犯説や架空の女性との噂などで、偽装するなんてややこしい
事しても、現にここの女説者は男だとだまされて(?)いないだろ。
不妻帯が男であったなによりの証拠だとしてる。なら、当然江戸時代になって妻帯
してたとでっちあげたほうが簡単・確実だ。
上杉家ってドキュソばっかだな。
787 :
786:2005/07/11(月) 14:18:10
×不妻帯が男であったなによりの
○不妻帯が女であったなによりの
一番わからんのは、なんで男と偽る必要があったかだな。
幕府の取り潰しを恐れてなんてデンパな理由じゃあるまいな。
>なんで男と偽る必要があったかだな
周りの国見てみ
>周りの国見てみ
晴景がいるのに戦争して妹に国を継がせる????
一族で血縁で領内の人望もあり能力もあった政景じゃなく女が????
ありえねー
>謙信の少年(少女?)時代のことはどういう説が出てるの
>この時代、武家の女の子が寺に入門するってことはあったのかな
>それとも「寺にいた」ってところからして否定?
後年、天室光育あての書状(隠遁の弁)があるので、
「寺にいなかった」説は成立しない。当時の禅寺は武家の子弟の学校なので、
入門(入山)ではなく、渇食(寄宿)が実態だったと考えられる。
たとえば、足利学校や金沢学校なども寺の形式をとっているが、
学校卒業者は兵法家や祐筆として戦国武将に高禄で抱えられた。
>>790 晴景や政景に人望と能力があったとは、どうしても思えんのだが・・・・?
>女の子が寺に入門するってことはあったのかな
他の宗派はともかく、少なくとも禅宗ではあり得んな。
793 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:07:50
アフォどもが幾らがんばっても、謙信は女だったのは事実なんだよw
そんな男性派からも女性派からも中間派からも嫌われそうなレスでageるでない。
>>792 >他の宗派はともかく、少なくとも禅宗ではあり得んな。
??? あっはははぁ、おまいねぇ。何も勉強してないのねぇ(笑
曹洞宗の中興の祖、榮山禅師のこと、少しでも調べてみれ(笑
女性に宗門を開いた榮山禅師様に、あまりにも失礼だぞ(笑
禅宗ってのは、戦国時代には真宗や法華宗よりも開明的だったのよ。
犬と麒麟なら誰だって麒麟を選ぶ
>>795 年老いた母を捨ててでも寺に入って修行しろって
言った話しか見つかりませんでした
>>797 ネット検索で、こと足れリと済ますな。
宗門への冒瀆じゃ! ひいては、謙信公(女帝)への無礼っ!
禅宗に在家尼僧はゴマンといますが、何か不都合でも?
800ゲトォ!!
八百万の神々よ・・・毘沙門天様よ
801の神々よ
すいません。最近このスレを知ったので流れ読まずに質問しますが、
女性説を支持している方々は女性であることが裏付けられたとすれば、その後どのように論を展開されたいのでしょうか?
別に双方意味なんてないだろ
>>802 1 歴史教科書の書き直しを求めます。
2 NHK大河ドラマで「おんな川中島」もしくは「女毘沙門天」を放送するよう運動します。
3 春日山城や米沢神社などの謙信公の像をすべて、女性像に変えます。
4 べつに政宗公や信長公が女性だった、などという論を展開するつもりはありません。
>>802 大いなる科学の進歩に携わることが出来たことを、毘沙門天に感謝するだけだ。
806 :
802:2005/07/12(火) 21:07:29
>>804 >>805 さっそくお返事いただきましてありがとうございます。
どうやらここは私のような者が来るところではなかったようですね。
これにて失礼いたします。
>>802さん
いったい、何が言いたかったのか? 何を答えて欲しかったのか?
ワカラソ・・・・。
802の心中までは察するところではないが
女性説を異端として見ていた事だけは間違いないだろうな
上杉謙信が学説で男性であるとされている根拠として強い物
一、謙信の位牌に権大僧都、居士などと明記されている
二、生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
三、女人禁制の高野山に2回登山
上は当時の女性には不可能と考えられていて女性説が新説から脱皮出来ない理由
特に上記2つが当時の女性に可能だと仮定すると
現在研究されている戦国時代の価値観が根底から崩れる程の物
尚、この説で有名な故・八切止夫は
斎藤道三は3人
信長を殺害したのは光秀では無い
などの内容の書籍の著者でもあります
>スペイン国王フェリペ2世宛ての日本についての報告書で謙信は女性と書かれている
これは伯父tio伯母tiaと似てる為女性説を証明する史料としての価値は低い
>謙信の位牌に権大僧都・居士などと明記(女には絶対つけない戒名)
>江戸時代につけられたため、お取り潰しを回避するために捏造された可能性がある
論破というには余りにも抽象的過ぎる
>男性としては小柄なのに「大柄」と評される
これも抽象的過ぎる
そういう言い方なら肥満ならば大柄と称されても不思議は無い
>謙信の武勇を称えた当時の唄で、謙信は女性扱いである
何処で誰が作った唄かも分からないの実情
しかも直接的に女性という表現は無い
まんとら様は男も敵わぬ大力無双とあるだけ
女性説は随分前にも流行った時期があるが結局男性説は覆せなかった
信長を殺したのは光秀では無いなどの説と違ってこの説に浪漫を感じる人間が分かるが
現状では無理がある
戦場では女性は不吉とされ居なかった。衆道なる性の捌け口が存在したのもその為。
当時は今とは違って信仰が厚かった為女性が戦場に居るのも女性が毘沙門天を考えられない。
不犯を誓って毘沙門天を信仰した謙信が女性だったら神を欺くという当時は考えられない行為になる。
女性説を推したい人は史実が如何であったかではなくて
女性だった良いから推したいという人が多く見受けられるように思える
ロマンを感じる気持ちは分かるが亡くなった人に対して失礼だよ
すげえな、レスついたら全部反論かw
反論≒指摘
おわかり?
そうそう、指摘しただけ
反論にもなってないよね
反論できないのが正しいか
男性説なりふりかまわずって感じだな
まあ一人で頑張ってるとこだけは評価しとこう
ところで今さらなんだけど
「大虫=婦人病」の根拠を教えてはくれまいか…。
ぐぐってみても、八切説の紹介としてそう書いてある所ばかりなんだ。
権威ある古語辞典に書いてある! って言ってるところもあったけど、
根拠は書いてないんだよー
>戦場では女性は不吉とされ居なかった
>当時は今とは違って信仰が厚かった
板額御前(越後城氏)、巴御前・葵御前(木曾義仲の妾)、鶴姫(大祝氏)、
根津御寮人(武田信玄側室)、お勝(英勝院=徳川家康の側室で、関ヶ原合戦に従軍)
と、史料にあるだけでも多数の女性が戦場に出ている。
>不犯を誓って毘沙門天を信仰した謙信
↑確実な史料なし。後世の論評や想像で決め付けられても困ります。
>>809 このスレ的には過去の遺物だが、
>一、謙信の位牌に権大僧都、居士などと明記されている
>二、生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
>三、女人禁制の高野山に2回登山
そもそも虎千代と名乗った段階で、彼女は男性を装っていた
男性名で通していたという女性説なのだから、まったく問題にならんな。
戒名なんぞ出さんでも、景虎・政虎・輝虎・不識庵謙信と、すべて男性名。
だからこそ、常識(俗説)をくつがえす女性説が探求されてるわけだ。
基本的に男性とされてきたんだから、
女性を思わせる史料
→検証、信用できるか否か?
という議論を重ねていくのが効率的だろうな。
このやり方だと、女性説支持派は苛められてるようでムカつくだろうが、
「でも男性だとも言い切れないじゃん」っていうまぜっかえし方じゃ
あんまり議論は深まらないと思われます。
既存の説をひっくり返すっていうのはそういうことなんだよね…
相当強力な証拠がないと難しい。すごい大変。
>>822 謙信が虎千代と名乗った段階で、なぜ男性を装っていたかの理由について、科学鑑定に
もちこめる程の仮説をてたられない女性説派を相手に、そんな議論してもムダだよ。
暇つぶしにしかならん。
>821 >そもそも虎千代と名乗った
そもそも、虎千代という名は自分で名乗ったのかw
>>820 巴御前の名前の出てる史料なんて存在しないんだが?
時代の違う人間も混ざってる
しかも従軍が精一杯
女では謙信の行動は不可能
>>821 過去の歴史資料から男でないと実現は難しい→男装説
これが通るなら全ての武将の性別が怪しくなる
そもそも男装は証拠が無い妄想レベルの話
>>825
作り話(平家物語)と史実の違いが分からない人に何を言っても無駄(笑)
謙信をなんで男と偽る必要があったかの質問 の答えが
>周りの国見てみ
だと。こんな厨房回答で科学鑑定の要求するなど厚顔無恥もいいところ。
女だと都合がわるかったからなど、こじつけにもならん屁理屈こねるんだからね。
部分的に女らしい立証はできても、そもそも男と偽る必要性の合理的説明が出来ない
んじゃ説としてなりたたない。
こんな事もわからない連中相手にしても疲れるだけだよ。
>>825/826
説話や伝承も立派な史料だぞ。史料研究は複数の史料、伝承を
もとに同時代史料(いわゆる第一級史料)を検証するのが普通の方法。
そもそも「作り話(平家物語)と史実の違い」と言うが、その「史実」とは
どこにあるのか、答えてみよ。
既出のものばかりだけど、今まで挙げられた女性説の根拠を挙げてみるね。
>>810-811 位牌が置かれてる寺は江戸時代に建てられた。
高野山に登った記録も後世のもの。
>生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
これも根拠としては弱いみたいね。
>>820 幼名に関しては、立花闇千代のケースもあるし。
幼名を元服後にも使った例も同じくらい少ない。
>>825 >しかも従軍が精一杯
>女では謙信の行動は不可能
従軍や采配だけしてたんじゃないのかな?
相撲や乗馬も上手かったという話しもあるので槍働きもしていたのかもしれないが。
そして巴御前だけ、しかも議論と関係ない所への反論だし。
>>828 平家物語は架空の小説
今の時代で言えば映画、小説、漫画と同レベル
その時代にどんな物が受け入れられてたのかを知るうえでは重要な史料
巴御前なんかは創作物とされている平家物語以外には全く登場しない
論点ずらして楽しい?
>>828 検証ができないような説話と伝承は史料にはなれません。
「秀頼薩摩落ち」よりもランクが下。
そもそも、何で女性が男装していることになっているのに面会した人物が誰一人それほど世にも珍しいことに
言及しないのか?
家臣団の中だけなら共同の秘密を守るためにあえて記録しないと言うこともあるが、対立する立場の人間や
中立の立場の人間も上杉家側の都合にお付き合いしていたとでもおっしゃりたいので?(w
寺とか側近とかはグル。
柿崎が信長にバラしたから殺した。
信長はまったく信じなかったけど、
念の為に明智に圧力かけて殺した。
こんな感じで色々殺してる。
>位牌が置かれてる寺は江戸時代に建てられた。
>高野山に登った記録も後世のもの。
これを裏付ける証拠は?
>>生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
>これも根拠としては弱いみたいね。
根拠として弱い理由は?
根拠として弱い物を前に学説を覆せない理由は何?
>>831 謙信の和歌が10首程度しか残されてないことを
併せて考えてみ。資料が焼却された傍証だ。
そもそも男装してたら女だとはわかるまいよ。
>そもそも男装してたら女だとはわかるまいよ。
え〜
>平家物語は架空の小説
そう、源氏が平家を滅ぼしたのも小説。
義経も清盛もいませんでした。
日本史の大半は小説なのです。
>>834 >謙信の和歌が10首程度しか残されてないことを併せて考えてみ。
気に入ったのが十種程度だから。
>そもそも男装してたら女だとはわかるまいよ。
これは無理があるだろ。
男装して分からないのなら他の武将も皆男装してたのかもなw
>>836 義経や平家が居たのは吾妻鏡という史料で分かる
後に改悪こそされているかもしれないが空想の小説ではない
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>832
当然、信玄は知ってたんだろうな。大熊が寝返ってるわけで、
だから信玄が川中島および越後に執着したってか?
>>834 御館の乱で多くの文書が喪失しているというのが通説。
それをなぜ女だった証拠を隠滅する必要があったかを合理的に説明できずに、
強引に女説にこじつけるのは、もはやカルト教団の域だな。
>>833 当代記とかとそういう資料に高野山の話しなどが出てないからではないですか?
寺の建立時期もそういう話だった。
禅宗も戦国期には厳格な男女の垣根はなかったようです。
そうすると、男性説の根拠が全く無くなるわけですが。
>御館の乱で多くの文書が喪失しているというのが通説。
ワカラソ。御館の乱で春日山城が戦場になった形跡はないのにね。
織田に焼き尽くされたはずの武田には、信玄の歌集が編纂されるほど
残ってるのに??
>>834 >当代記とかとそういう資料に高野山の話しなどが出てないからではないですか?
質問に質問で返して納得されてもねぇ。
>禅宗も戦国期には厳格な男女の垣根はなかったようです。
ありました。勉強不足ですね。
謙信が入山した年代を頭にしっかり入れて調べて下さい。
1970年に歴史ファンの間で流行した女性説が
未だに学説である男性説を覆せないのは紛れも無い事実。
>>844 焼く尽くされて残るケースの方が珍しいだろう
なぜ女性である謙信が男性とされたかというのも、
宇佐美定祐に聞かなければわからないが、
物語として不犯の名将という謙信像を作った方が
都合が良かったのではないでしょうか。
巷では大名家取り潰しが相次ぎ、
浪人が溢れて世情は不安定になり、
米沢藩も三十万石から十五万石に領地を減らされ財政は逼迫、
家臣達は不安と貧乏な暮らしに汲々としていた。
宇佐美定祐は、徳川幕府が名門好きだと思われていたので、
米沢藩を取り潰されないように謙信を神格化させたかったのか、
貧乏な財政で苦しむ家臣を奮い立たせたかったのか、
本を売って儲けたかったのか。
>>845 >>禅宗も戦国期には厳格な男女の垣根はなかったようです。
>ありました。勉強不足ですね。
この辺りの資料をお願いします。
>849
というよりも、宇佐美定祐(本名大関佐助)は紀州徳川頼宣の命で
徳川本家の甲州流軍学に対抗する上杉流軍学(謙信男性説)を作ったわけで、
それが遠因で、上杉家に就職。軍記もの好きの紀州大納言はご満悦、
宇佐美という「名家」が復活したわけだ。で、謙信公は男ということに。
>>833 位牌や署名を偽造するのは
女性であるという事実を隠蔽するには
最も手を付けやすい所じゃないの?
男性説の論拠というのは
実は最も怪しい物が元になっている
>>850 高野山の女人禁制が廃止されたのは明治5年
住居が認められるようになったのは明治37〜38年
>>850 密教文化115(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(一)pp. 25-39
密教文化116(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(二)pp. 64-80
密教文化117(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(三)pp. 38-49
>>832 >署名を偽造するのは
予想通り一次資料にも捏造説がでたねw
なりふり構わずだな。
>>853-854 いや、そこじゃない。
>>>>生前に法印大和尚に任ぜられ自分の事を愚僧と署名
>>>これも根拠としては弱いみたいね。
>>根拠として弱い理由は?
>禅宗も戦国期には厳格な男女の垣根はなかったようです。
こっち
>>856 しかし捏造しやすいのは事実だと思う
>>856 遠まわしに女説なんて妄想の産物でしかないって認めてるんだよ
>>857 捏造しやすい事と捏造する事ではまるで意味が違う
しかも捏造しやすいとは到底思えない
謙信が出家しようとした比叡山も女人禁制だよね。
>>857 >しかし捏造しやすいのは事実だと思う
君は遺骨鑑定で男だと判定されても、すり返られてると言うし、
血判状も祐筆の血液だと主張するな。最初からまじめに検証する気
などない人間だね。
>>849
>というよりも、宇佐美定祐(本名大関佐助)は紀州徳川頼宣の命で
>徳川本家の甲州流軍学に対抗する上杉流軍学(謙信男性説)を作ったわけで、
>それが遠因で、上杉家に就職。軍記もの好きの紀州大納言はご満悦、
>宇佐美という「名家」が復活したわけだ。で、謙信公は男ということに。
これはスルー?
853 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 16:05:49
>>850 日本大百科全書のP.149
854 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 16:10:44
>>850 高野山の女人禁制が廃止されたのは明治5年
住居が認められるようになったのは明治37〜38年
855 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 16:16:10
>>850 密教文化115(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(一)pp. 25-39
密教文化116(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(二)pp. 64-80
密教文化117(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(三)pp. 38-49
>>861 それを検証するのは、まず謙信が男を装ってた理由が合理的に説明されてから
だろ。
>謙信が出家しようとした比叡山も女人禁制だよね。
信長に焼かれたとき、遊女や稚児衆でごった返しておりましたが。
>高野山の女人禁制
高野山は真言密教の聖地であって、禅宗ではありません。
865 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 16:37:45
>まず謙信が男を装ってた理由が合理的に説明されてからだろ。
これは永遠に無理そうだ.
866 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 16:39:30
>>
853 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 16:05:49
>>850 日本大百科全書のP.149
854 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 16:10:44
>>850 高野山の女人禁制が廃止されたのは明治5年
住居が認められるようになったのは明治37〜38年
855 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 16:16:10
>>850 密教文化115(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(一)pp. 25-39
密教文化116(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(二)pp. 64-80
密教文化117(高野山出版)
高野山の女人禁制に関する史料とその解説(三)pp. 38-49
おいおい
>>861 いや、それは上杉家で男性説でっちあげを徹底した理由。
>>866 ボケ!あげるな↓よく嫁
>高野山は真言密教の聖地であって、禅宗ではありません。
>>868 それがでっち上げだという根拠も史料も証拠無い
そういえば、大学生ってそろそろ夏季休暇だよね。
謙信女性説に関するレポートを書きたいという学生は多いはず。
頑張って欲しいね。
>>871 あります。宇佐美定行なる人物(定満がモデル?)をでっち上げてますし、
上杉文書(川中島五度合戦次第・北越軍談・春日山日記など)は
そもそも元本が「軍鑑」(フィクション)だから。
>>864 比叡山で女が出家した例を挙げてみてくれ。
どうでもいいけど君の脳内では稚児衆って女だったの?
>>865 禿げ同。いつもこの変は完全スルーだねw
>>874 天台宗(比叡山)なら瀬戸内晴美がいるじゃん。
信長が僧たちの性的乱れを比叡山焼き討ちの名分にしたのは有名な話。
>874
>
>>865 >禿げ同。いつもこの変は完全スルーだねw
つまり、史料をめぐる論争は「完全スルー」なのか?
>>849
>というよりも、宇佐美定祐(本名大関佐助)は紀州徳川頼宣の命で
>徳川本家の甲州流軍学に対抗する上杉流軍学(謙信男性説)を作ったわけで、
>それが遠因で、上杉家に就職。軍記もの好きの紀州大納言はご満悦、
>宇佐美という「名家」が復活したわけだ。で、謙信公は男ということに。
>これはスルー?
>
>>865 >禿げ同。いつもこの変は完全スルーだねw
史料論争は、いつもスルーなのか???
謙信が男を装ってたという説に反論しようとしてるのは、
このスレの新参者?
謙信女性説にも二つあって、男装説と非男装説があるぞ。
それはこのスレでも何度も指摘されているはず。
議論に参加するのは、ちゃんとスレに目を通してからにして欲しい。
>>875 いつの時代の話だ。明治期に女人禁制が解かれてからの例だしても、意味ないよ。
謙信は、比叡山を訪問したんじゃなくて、出家しようとしたんだよ。
遊女の話と一緒にするなよ。
だから比叡山は女人禁制ではないってば。
信長が尼僧も稚児坊主も無差別に殺したって、あるじゃんか。
女人禁制は高野山だってば!!
>>878 なら君が、両方の説をいっぺんに相手してみてくれ。
信長公記より↓
信長公は心中にこもる彼らへの憤りを散じようと、軍勢を山にのぼらせて根本中堂
・山王二十一社をはじめ霊仏・霊社・経巻のことごとく、一宇も残すところなく焼き払わせた。
これにより叡山は一日にして灰燼の地と化してしまった。一方山下では老若男女が徒歩はだしで逃げまどい、
取る物も取り敢えず八王寺山にのぼり、日吉大社奥宮の社内に逃げこんだ。
しかし織田勢はこれを逃さず、四方より鬨の声をあげながら社内になだれ込んでこれを殺戮した。
鎮護国家の大道場は、叫喚のるつぼと化した。織田勢は僧俗・児童・智者・上人の別を問わずことごとく首をはね、
信長公の御前に差し出した。また山上では名僧・貴僧の呼び声高い高僧たちとともに美女・小童のたぐいが数をも知れず捕らえられ、
御前に引き出されてきた。かれらは口々に「悪僧を誅伐なさるにおいては是非もなし。
しかしわれらは助け候え」と哀願したが、信長公は聞き入れず、彼らはすべて首を打ち落とされた。
まことに目も当てられぬありさまであった。
884 :
878:2005/07/13(水) 17:19:59
>>883 乙
確かに信長公記には比叡山に尼僧がいたと書いてないことが、これであきらかに
なったね。
887 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 17:31:35
比叡山が女人禁制だった事ぐらい常識だぞ!!
>比叡山が女人禁制だった事ぐらい常識だぞ!!
どうして比叡山が上杉謙信と関係あるの?
誰か高野山と間違えた作家の本でも読んだんじゃ?
天台宗なら、武田信玄(天台座主)だろうに。
【高野山の女人禁制を裏付ける史料集】
・密教文化115
出版社:高野山出版
内容:高野山の女人禁制に関する史料とその解説(一)
参考ページ:25〜39ページ
・密教文化116
出版社:高野山出版
内容:高野山の女人禁制に関する史料とその解説(二)
参考ページ64〜80ページ
・密教文化117
出版社:高野山出版
内容:高野山の女人禁制に関する史料とその解説(三)
参考ページ:38〜49ページ
・日本大百科全書
出版社:小学館
参考ページ:149ページ
まとめてみますた
比叡山が女人禁制を解いたのは、高野山と同じく明治期になって。
信長が比叡山を糾弾した理由の一つが、その女人禁制にも関わらず、実際には若衆や稚児
の格好をさせて女たちを入山させ、性風俗が乱れていた為。
だから、男装した謙信が、出入りする分には問題ないが、出家するとなると話は別。
実情はともかく、あくまで女人禁制だった比叡山を女謙信があえて出家先に選ぶとは
とうてい思えないね。
女人禁制の時に、比叡山で出家した女の例をあげてみてよ。
謙信公が帰依した当時の曹洞宗の大師様、瑩山禅師のお話
瑩山禅師はその後京都や由良で修行を重ね、阿波(徳島県)の城満寺(じょうまんじ)
の住持に迎えられました。ときに27歳でした。以来、4年間で70余人の弟子に仏戒を
授けておられます。このことから禅師のめざされた衆生済度(しゅじょうさいど)・
教化伝道の誓願を知ることができます。
また禅師は男女平等の姿勢を打ち出され、積極的に門下の女性を住職に登用されました。
女性がまだまだ不当に軽んじられていた当時としては、まことに画期的なことです。
曹洞宗が尼僧団を結成し、多くの女性たちの帰依(きえ)を受けるようになったのも、
ここに由来すると思われます。
みなさん勘違いしておられるようですが、上杉謙信が帰依したのは天台宗(比叡山)
でもなければ、真言密教(高野山)でもありません。幼女のころから、曹洞宗(林泉寺)で
只管打座につとめた禅宗の僧侶なのです。
>>889 謙信が比叡山で出家しようとした経緯があるから。
女なら女人禁制の比叡山で出家しようとは考えないから可笑しいという事です
>>854 今度は作り話かよ
史料を提示しなさい
それに何で今でも定説が覆らないの?
>>894 幼女と断定する理由と高野山に入山出来た理由は?
>>896 一応曹洞宗の話はあるが高野山に入山出来た理由の説明にはならないから、
幼女とするのは変ではあるが。
はぁ
>>894 女人禁制の高野山に入山し比叡山から出家しようとした説明にはなってない罠
それに幼女という根拠が全く無い
>900
>比叡山から出家しようとした
弘治2年の出奔のときのことなら、出典を明示されたし。
高野山説もあるが、じっさいには越後の山寺に篭っていたらしい。
そうでなければ、すぐに政景が連れ戻せるはずがない。
>また禅師は男女平等の姿勢を打ち出され、積極的に門下の女性を住職に登用されました。
>女性がまだまだ不当に軽んじられていた当時としては、まことに画期的なことです。
>曹洞宗が尼僧団を結成し、多くの女性たちの帰依(きえ)を受けるようになったのも、
>ここに由来すると思われます。
とりあえず、尼僧説もokということだな。
女謙信が女人禁制の高野山や比叡山をあえて選ばねばならない理由はどこにもない。
男と装う工作なら、妻帯してた事にすれば事足りる筈なんだけどね。
>>902 高野山のことを考えると尼説も成り立たない
>>905 ローカルルールでは950が立てるんだよ馬鹿、馬鹿、馬鹿
まあ、乙
>>905 の新スレは無視しる。スレタイもテンプレも男性説に偏りすぎ。
糞スレが死んだあとに、も一回立てるよろし。
もしくは、男性説スレと女性説スレを別にする
>>910 それは無理
男性説は説ではなく本懐だから議論しにくいうえにスレタイが女性説になってる
>>910 荒れる事も盛り上がる事もなく沈みそうだw
>>913(900)
姑息なことスンナ!! 糞! ボケ! 殺すぞ!
>>917 釣られんなアホ。
このスレッドのテンプレも相当偏ってると思うが、
>>11のおまけって何だよ。
>>910 男性説スレでなにを検証しろと?
あえて検討課題をさがせば、不妻帯の理由くらいしか思い浮かばんが…
逆に女性説はクリアせねばならん課題がてんこ盛りの気がする。
女性説あっての謙信性別論争じゃないのか??
男性説は姑息以前に、存在自体が女性説に規定されるわな。
いずれにしても、頓珍漢な「新スレ」は死あるのみ。
みなさん、虫よろしこ。
新スレのテンプレート見たがなんら問題は無いと思
スレッドタイトルが気に入らない?
>>922 学説は男は認定されてる事として、後は謙信は男ってところか?
埋めます
新スレみたが、男性説スレが立ったのか??
じゃ、女性説スレも立てればいいじゃん。
>>925 それは無理
男性説は説ではなく本懐だから議論しにくいうえにスレタイが女性説になってる
女性説あっての謙信性別論争じゃないのか??
男性説は姑息以前に、存在自体が女性説に規定されるわな。
男性説スレでなにを検証しろと?
あえて検討課題をさがせば、不妻帯の理由くらいしか思い浮かばんが…
逆に女性説はクリアせねばならん課題がてんこ盛りの気がする
>>925 男性だというのは女性説のような一説では無い
しかもスレタイに女性説と明記されているが?
誰だ糞スレ立てやがって!!!!
スレタイもテンプレも男性説じゃないか!!??
勝手に「やっぱ男だ」「もちろん男だ」とやってろ!!
>>928 それは無理
男性説は説ではなく本懐だから議論しにくいうえにスレタイが女性説になってる
女性説あっての謙信性別論争じゃないのか??
男性説は姑息以前に、存在自体が女性説に規定されるわな。
男性説スレでなにを検証しろと?
あえて検討課題をさがせば、不妻帯の理由くらいしか思い浮かばんが…
逆に女性説はクリアせねばならん課題がてんこ盛りの気がする
>>930
いや良くない
>>931 じゃあ、もう二度と来ないよ。寛容な三戦板にもどるもん。
>>930 男性説の学説が無い?
学説=男性。
そこに舞い込んできた新説=女性。
一人で自演して他人にスレ立てさせようとするなよw
>>934 落ち着け
御願いだから煽らないで下さい
盛り上がるのはいいことだが
否定レスが煽り口調なのがデフォなのは
なんとかならんものか…
あれだよ、新スレではちょっと w とかやめてみようぜ〜
他スレに書かれた物
>男性説派なんてものは存在しません
>もともと男性と語り伝えられてきたところに
>もしかすると女性なのではという新説が存在するから議論になるんです
>現状男性である不都合点は見つからない
解釈によって男性であっても不都合ではないと男性説側がしてるだけ。
状況的にみて女性説側が圧倒的にリードしてる。
しかし、女性説側は男性説側2人ほどに釣られまくってるな。
>>934 旧来の学説の正しさを証明しよう。
それが覆されるだけの証拠が出てきてるんだから、
その必要はあるはず。
>>929 歴史上、あるいは現代においても、
1人の人物が男性であろうとは、
どういう状況で判断されるものなのか。
それを考えてみてはどうだろうか?
>>938 女性説がリードしている節なんて存在してないよね?
なら何故学校では男性と習い銅像は男性なのか?
30年くらい前にブームがきた個の説は未だに学会では相手にされてないのが現状
男性であるのは当たり前で女性であるのは不自然だから
不自然な事が起きてる場合信用できる史料がなければ立証出来ない。
>旧来の学説の正しさを証明しよう。
>それが覆されるだけの証拠が出てきてるんだから、
>その必要はあるはず。
従来の説は証明する必要は無し。問題は新説が定説をヒックリ返せるか否かだよ。
>>939 いや、落ちるまでもなく女性説スレを立てます
822 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 11:13:57
基本的に男性とされてきたんだから、
女性を思わせる史料
→検証、信用できるか否か?
という議論を重ねていくのが効率的だろうな。
このやり方だと、女性説支持派は苛められてるようでムカつくだろうが、
「でも男性だとも言い切れないじゃん」っていうまぜっかえし方じゃ
あんまり議論は深まらないと思われます。
823 :日本@名無史さん :2005/07/13(水) 11:37:10
既存の説をひっくり返すっていうのはそういうことなんだよね…
相当強力な証拠がないと難しい。すごい大変。
>>943
そんな事が許されたらスレが乱立する
>>938 >旧来の学説の正しさを証明しよう。
>それが覆されるだけの証拠が出てきてるんだから、
まずは、君の脳内妄想と現実との違いをちゃんと区別できるようになってから
持論を語ってくれ。
スレの乱立上等!というわけにはいかないな。
>>938 学説として認定されてる物が覆るだけの証拠が出てるのなら既に覆されてる筈だよね。
あれ?現実は髭面の謙信の肖像画が学校の教材の中にある。
ホント脳内妄想は勘弁してほしいよね。
過去の学説が一体どれ程えらいって言うのだろうか?
ここ10年ほどでも多くの説が現れ、
それ相当の扱いを受けているのに。
女性説側をそこまで珍説扱いできるのは何故か?
>>947 妄想である事を証明できるのであれば妄想と区別しましょう。
>>952 過去の学説が偉いとは誰も言ってないよ
重要なのは過去から現在未だ覆らないという事
覆せたら今度はそれが学説になる
問題は過去ではなく過去から現在に至るという事
現実に学者の間では珍説、奇説扱いをうけている
一番の大きな原因は根拠となる証拠が無い事
不犯→もしかしたら・・・から始った安易な説であること
>>951 髭面の謙信画は江戸期のもの。
尊氏画や謙信画など、本人と取り違えられたものは幾らでもあるわけですが。
その上で、学説が覆ったとまでは女性説側は言ってないわけですが。
女性説側を妄想扱いする男性説側って、態度が横柄ですね。
>覆せたら今度はそれが学説になる
全くだ。覆っていたらこのスレは存在する必要がないわけで。
>>953 >不犯→もしかしたら・・・から始った安易な説であること
それは一学者の研究の動機であり、
女性説を妥当とする人がそれだけを元にしてるわけではないですね。
>>955 学説と五分以上の説は何といえば言いのでしょうね。
邪馬台国の畿内説と九州説とは少し違う。
しかし、謙信=男性を学説としているのは、どこの機関ですか?
やはり文部科学省か。
もう語りつくしたよ。次スレは男性説派だけで勝手にやってちょ。
>>954 髭面の肖像画が教材に使われてるのは事実。
>>951では肖像画がいつの時代の物かは一言も言及してないよ。
勿論あらゆる可能性は考えられるが証拠がない現時点では妄想の粋を域をでしかない。
>>956
現状出てる文書や文献ではひっくり返しようがない
可能性を探る事は歴史においていくらでも可能だが
重要なのは可能性を証拠によって証明する事
想像の範囲で可能性を探る事が出来ても強く裏付ける物が必要で
いちいち裏付けしなければ信用性の皆無な物が多数の中で学説を覆すのは無理。
>>958-960 男性と考えられる証拠の方が遥かに少ないわけですが。
疑わしきは学説の有利という法律でもあるんですか?
学説や定説という言葉がお好きなようですが、
男性説側の具体的な論拠が『愚僧』という謙信のサイン1つという曖昧さ。
それに比べて状況証拠は女性説側が圧倒的。
女性説を男性説と五分に出来ない理由はなんですか?
進化論と創造論の議論とはこういう感じなんでしょうか。
>>956 間違えた可能性があるのは当たり前だけど間違えて無い可能性があるのも当たり前。現状学説が変わらない以上今の状態では駄目って事には違いないよ。
>>961 何故学説が覆られないか考えてみて下さい。
学説は固定ではありません。
常に研究され正しいと思われるもの変化して行きます。
ですが提唱されたから30年経つ女性説は学説を覆せないのです。
>男性説側の具体的な論拠が『愚僧』という謙信のサイン1つという曖昧さ。
これは男性である証拠ですから。可能性の範囲で言ってしまうなら幾らでも。
女性説は想像と可能性から来る意見で根拠のある意見は現状存在しません
>>964 現状肯定は当たり前でしょう。教育として現状の学説が伝え広まって行くのだから。
新説について論議するのは自由だが証拠も存在しないのに主観で語っては歴史は定まらない。
とりあえず
>>930で試しに立ててみます。
駄目でしたら他の人よろしく。
>>963 >女性説は想像と可能性から来る意見で根拠のある意見は現状存在しません
ひとつひとつ反駁するならともかく、史料を意識的に歴史家が無視してるだけだろ?
だとしたら、長篠設楽原の「3000挺3段撃ち」説や「武田騎馬軍団」説
がいまだに覆らないのと同じか?
969 :
966:2005/07/13(水) 20:54:52
駄目でした。他の人よろしく。
>>965 教育では学説をですか。
だが、議論の場では五分としようと言う事ですね。
それなら納得ですが、「女性説は完全ではない=男性であった」
とは、ここではしないという事ですね?
970 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 20:54:59
>>966
そのな事しだしたってキリがないよ・・・
しかし、教育の場で、学説で男性説と女性説があるとしても良いわけですか。
>>969 議論の場でも五分じゃない
元からある説に対して可笑しな点を見つけ
今度はそれを証明し矛盾が消え去って初めて対等
女性説派にも男装説が存在するのは女性だけではまかり通らないと考えられる点が存在するから
>>971 それは違います。
男性の可能性と女性の可能性が同じではないから。
男性という事を教えた上で
こういった理由で女性かもしれないという説がある事を説明するなら問題ないですが。
>>971 鎌倉幕府はと聞かれたら1192年と答えるでしょ?
歴史に一つの定まった説がなきゃ教育できないじゃないか
それを教育したうえでこんな話もあると教えるなら構わない事
物理にしても歴史にしても古文にしても一つの定まった説をまず覚えないと話にならない
新説やら発見やらはセオリーを吸収してから
>>972 矛盾の度合いを比較してのものであるべきではないでしょうか?
男性説より女性説の方が矛盾が少なく、合理的であると考えられるなら、
研究の余地として取り組む必要はあっても、
最低でも議論の場では五分であるべきです。
>女性説派にも男装説が存在するのは女性だけではまかり通らないと考えられる点が存在するから
それは違います。
諸説あるのは当然。男装説と非男装説がお互いに女性説を打ち消しあう関係にでもない限り、
それは女性説を否定する理由などにはなりません。
>>973-974 それと同じ事を言っていますよ。
>>975 邪馬台国論争と同じレベルにしても問題はないと思われます。
削除イラいしました
邪馬台国とは違うだろー。
「上杉謙信」という名を知る人のうち、圧倒的多数が
謙信を男性と認識している現実をまず見ないと
その現実を覆せるような証拠を提示しないと。
「学説」って言うからややこしくなっちゃう。
現実に謙信は男性と認識されてるって所から始めないと
980 :
802:2005/07/13(水) 21:27:11
その後、私へのレスがついているのでお答えしたいのですが、みなさん少し冷静になられてはいかがでしょうか。
>>807さん
すいません。言葉足らずでしたね。
私がお聞きしたかったのは女性説が証明されることがあれば、その後戦国大名論にも一石投じるつもりなのかお聞きしたかったのです。
戦国大名権力が大名個人の力量で成立しているのでないことは、ここの皆さんは十分ご承知のことと思いますが、
具体的には、それでもあえて上杉家臣団が女性を当主として容認した背景などまで踏み込んでいくつもりなのか、
ということをお聞きしたかったのです。
そういった意味では
>>804さんの
>1 歴史教科書の書き直しを求めます。
というのが具体的にどのように書き換えるつもりなのかはわかりませんが、頷けます。
あとの2〜4や
>>805さんのご意見はどうぞご自由に、としかいえません。
>>808さん
すいません。お察しのとおり私は女性説を異端としてみています。
女性説が市民権を得るには、こんなところで議論するのではなく論文化するなどして
やはりそれなりの手続きを踏む必要があるのではないでしょうか?
私は上杉氏を専門にしているわけではありませんのでこれ以上議論に加わる気もありませんし、
もはやこのスレは議論として成立していないと思いますので、やはりこれにて失礼いたします。
あ、でももっと面白い議論に変わったらまた参加させてくださいね。
えー何、マジで分かれるの?
なんなんだよーその女子高生どもがグループに分かれるような展開はー
>>986 男説派が女説派をイビルために作ったスレに行けるか、ヴォケ!!
なんだ、あのスレタイとテンプレは。しかも、内容は女説派のコピペばっかし!
死ねーっ!!
ume
ume
両者とも必死だな(w
並立できれば、それもよしなのだが・・・
うめ
うめ
>>992 まあ、どっちが内容があるか。史料の具体性があるかだね。
うめ
うめ
梅
梅
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。