武蔵国

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1日本@名無史さん
現在の東京都、埼玉県、川崎市、横浜市の大部分にわたる大国
2日本@名無史さん:2005/04/04(月) 13:27:09
新編武蔵風土記稿の冒頭のほうに
「江戸の地北極星出地三十五度半、或は三十六度」とあり、
江戸城本丸あたりの緯度を調べたら35度41分11秒でした。
3日本@名無史さん:2005/04/04(月) 13:28:04
横浜って相模ではなく武蔵なんだ?
4日本@名無史さん:2005/04/04(月) 13:58:53
武蔵国に橘樹郡、久良岐郡、都筑郡があり、いずれも市制施行のため
消滅していますが、横浜市、川崎市の東海道沿線など大部分が橘樹郡で
横浜南部は久良岐郡、都筑区はきっと都筑郡ですが、私は東京在住のため
上記3郡の現行行政区画の調査は不十分です。なお多摩郡のごく一部
旧中野島村あたりは川崎市です。

港南区のサイトより
http://www.city.yokohama.jp/me/konan/furusato/fdk/fdk_06.html
5日本@名無史さん:2005/04/04(月) 23:44:57
<横浜市の国分け>
相模国・・・戸塚区、栄区、泉区、瀬谷区、港南区の西半分
武蔵国・・・残りの横浜市全域
6日本@名無史さん:2005/04/06(水) 06:52:50
川崎市は多摩区が旧多摩郡でのころは橘樹郡でしょうか
7日本@名無史さん:2005/04/06(水) 07:02:03
横浜も区が増えて訳がわからなくなってきたが、
相模国・・・戸塚区、栄区、泉区、瀬谷区
相模国+武蔵国・・・、港南区
武蔵国・・・旭区、磯子区、金沢区、港南区、港北区、神奈川区、西区、
       青葉区、中区、鶴見区、都筑区、南区、保土ヶ谷区、緑区
かな
8日本@名無史さん:2005/04/06(水) 15:41:30
まさに国境の町
9日本@名無史さん:2005/04/07(木) 00:17:51
>>7
それで合ってるよ
10日本@名無史さん:2005/04/07(木) 10:20:34
19世紀初頭の武蔵国の郡 新編武蔵風土記稿による。
数字は同書の巻数をあらわす

9 〜 19 豊島郡
20 〜 38 葛飾郡
39 〜 57 荏原郡
58 〜 72 橘樹郡
73 〜 80 久良岐郡
81 〜 88 都筑郡
89 〜 128 多摩郡
129 〜 134 新座郡
135 〜 155 足立郡
156 〜 175 入間郡
176 〜 185 高麗郡
186 〜 195 比企郡
196 〜 198 横見郡
199 〜 218 埼玉郡
219 〜 221 大里郡
222 〜 225 男衾郡
226 〜 229 幡羅郡
230 〜 234 榛沢郡
235 〜 237 那賀郡
238 〜 242 児玉郡
243 〜 245 加美郡
246 〜 265 秩父郡
11日本@名無史さん:2005/04/07(木) 13:58:21
北斎 浅草鳥越の図に当時の天文観測の様子が描かれています
どうりで緯度がほぼ正確
http://library.nao.ac.jp/kichou/open/006/
12日本@名無史さん:2005/04/10(日) 10:05:40
新編武蔵風土記稿を読めば至る所に伊那半十郎という名前が出てきます。
実務は下の者にやらせるとしても、決済や上申だけでも恐ろしく多忙な
ような気がしますがどうでしょうか。
13日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:35:09
関東が、朝鮮人居住区だったのは紛れも無い歴史的事実なのに語りたがらないのが多いね。
14日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:36:49
その朝鮮人を関東の武士達は奴隷としてこき使ったのだよ
15日本@名無史さん:2005/04/10(日) 12:49:57
>>14
関東の土着の武士自体、朝鮮人だろ。確かに、源のルーツは河内だったりするけど。
16日本@名無史さん:2005/04/10(日) 14:47:52
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1096735827/
35 :日本@名無史さん :04/10/11 12:38:30

関東地方を中心に騎馬民族の流れを汲む人々(新羅・高句麗系?)が
移住(強制または集団疎開)して、武士のもとになったと思います。
17日本@名無史さん:2005/04/10(日) 19:06:34
多摩地方とか秩父の方言は部外者が聞くと早口で荒荒しいのは確かだな。
初対面だとケンカを売られていると勘違いする。
18日本@名無史さん:2005/04/10(日) 21:18:44
武蔵国の住民が騎馬民族とか朝鮮人とかの資料が郷土の資料館にもないのですが
どこで調べられますか?
高麗郡のことは調べましたが、二千人未満の寒村で群の中でも最低ランクの扱いだったので
もっと他の地域なのでしょうか?
19日本@名無史さん:2005/04/11(月) 00:22:52
>>18
> 武蔵国の住民が騎馬民族とか朝鮮人とかの資料が郷土の資料館にもないのですが
郷土の資料館ってどこ?図書館なら置いてあるだろ。騎馬民族かについては、渡来した朝鮮人一般の話だろ。

朝鮮人居住区だったのは高麗郡だけではない。関東の他の各郡も朝鮮人居住区だった。
20日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:12:33
韓国の「多摩の日」制定マダー?
21日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:18:30
埼玉県人は武蔵国の復活を祈る。東京や横浜と一緒になれるなら。
って武蔵国は廃止されてないのか。
22日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:34:30
朝鮮民族の末裔で、朝鮮民族特有の蛮族的気質が色濃く残る武蔵国人は、
特殊被差別部落民と位置づけられております。
23日本@名無史さん:2005/04/11(月) 17:39:06
マジで?知らなかったなあ。
24日本@名無史さん:2005/04/11(月) 19:29:11
>>19
で、各郡における朝鮮人の割合はどの程度?
25日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:33:58
http://www.bell.jp/pancho/travel/saitama/yobitisiki.htm
 奈良時代には、現在の埼玉県域である北武蔵は、『延喜式』に記載された北武蔵の15郡
に 示した15郡で構成されていた。そのうち3群は明らかに朝鮮半島から渡来した人々を移
住させて新規に作られたものである。これら3郡の他にも、埼玉県の西 部や北部には渡来系
地名がたくさん残っている。たとえば鳩山町には須江(すえ)、寄居町には末野(すえの)
という地名があり、須恵器を焼いた窯跡が多く 残っている。須恵器を作る渡来人が住んでい
たことから付けられた地名である。坂戸市や小川町には勝呂(すぐろ)という地名がある。
スグロは古い朝鮮語の村 主(すぐり)を意味し、高麗氏と同族の勝呂氏が関係した地名であ
るとされている。また、川本町には百済木(くだらき)という地名があり、文字通り、百済
か ら来た渡来人が住んでいたことによる名称とされている。
26日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:38:31
埼玉古墳群
http://www.geocities.jp/jw_mura/kofunn/kofun01.htm
副葬品には全国でも数例という非常に珍しい馬冑があり、
この馬のカブトが多く出土する朝鮮半島との関係も興味深いものとなります。

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku209.htm
中国や朝鮮半島の馬具と、日本の馬具の間には、時間的な連続性や類似性が見られる。
大陸の馬文化が、朝鮮半島南部の加耶地方を経由して、滔々と日本に流れ込んできたことを示している。

5世紀以降、東国の各地には、多数の乗馬用の馬がいた。
27日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:50:50
古い朝鮮語ってあんのかよ
でっち上げてるだけだろ
28日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:57:50
関東の人種民族が朝鮮起源である事は確定している
29日本@名無史さん:2005/04/12(火) 18:19:39
山奥に幾つか村が置かれたのは知っているけど都市部とか他郡とかと相対的にみると人口比や地名比での割合はどうなんでしょう。
30日本@名無史さん:2005/04/12(火) 18:43:07
当時の関東に都市部などない
31日本@名無史さん:2005/04/12(火) 18:51:42
国府の事じゃね?
32日本@名無史さん:2005/04/13(水) 19:56:49
>>24
そもそも、朝鮮系じゃない日本人はいたのか?
33日本@名無史さん:2005/04/14(木) 02:05:28
本州に住んでる日本人の24.2%は朝鮮系
34日本@名無史さん:2005/04/15(金) 10:17:34
すっかり朝鮮スレになってしまった
35日本@名無史さん:2005/04/24(日) 12:50:18
朝鮮人の国、武蔵国
36日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:22:41
≫13
≫14
またぞろ、朝鮮もってきて、関東をへこましても無駄だぜ、ばかもん。
今、天下は東京にあり。
関西、九州にチョンの血が濃くはいってるのに、目を背けるな。
おそらく関西のキミよ。
近江人なんか、韓国そのもの。九州の食い物なんか、考えてもみろ!!
おまえ、明太子好きだろ?
ざまあ見ろ。西のばかども。
おまえの頭部の形は、横に長くないか?そうだろ、朝鮮系なんだよ、おまえは。
37日本@名無史さん:2005/04/24(日) 22:27:30
近江と、九州北部は・…かなり、あやしい。
大坂人の食いもん…かなりあやしい。
脂っこくて、辛いもの。粉っぽいもの。
38日本@名無史さん:2005/04/26(火) 23:46:30
>>5
>>7
境川で分けるんじゃないの?
39日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:10:32
>38
江ノ島に流れ出ている境川なら違うみたいだが
http://www.mapion.co.jp/c/f?el=139/29/18.106&scl=70000&size=954,768&uc=1&grp=MapionBB&nl=35/18/16.705
40日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:27:44
>38
町田近辺では境川で区切られているが、横浜市域に入ると東京湾水系と相模湾水系の低い分水嶺が境になるね。
分水嶺は、釜利谷アルプスだけは顕著だけど、旭区・瀬谷区境ではほとんど定かではないようです。
41日本@名無史さん:2005/04/30(土) 19:36:25
朝鮮人の国、日本国
42日本@名無史さん:2005/04/30(土) 22:22:37
>40
なるほど、上流のほうではかなりそうですね。
43日本@名無史さん:2005/05/01(日) 23:32:38
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/to660/boumei.html
こうして、数千とも数万とも言われる百済の遺民は大挙して日本に向かった。

『日本書紀』は、
「百済の遺民20万人程度が、白馬江、錦江、海浜を伝わって日本へ渡ってきた」
ことを詳しく伝えている。
(【遺民】 いみん=国が滅びた後に生き残っている民)

関東地方
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%9C%B0%E6%96%B9
歴史
7世紀に東アジアでは高句麗が百済を滅ぼし、百済は倭国(日本)と結んで
663年に唐・新羅連合軍と白村江の戦いで破れるが、この前後に朝鮮半島から
多くの人々が渡来人として関東から東北にかけて移住しており、
各地の地名などにその名残が残されている。
44日本@名無史さん:2005/05/02(月) 00:46:45
16世紀までは、瀬谷以北でも境川じゃなくて、
東京湾-相模湾の分水嶺が国境だったらしい。
小田急の町田駅前なんて昔は国境だったわけ。
横浜市内の分水嶺は、東名のインター付近、緑園、日野南の
特定不能地域を除けばかなり明瞭。



45日本@名無史さん:2005/05/02(月) 00:47:29
>>37
関西人と朝鮮人は納豆嫌い。これマジ?
46日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:41:20
横須賀市や逗子市なんかももしかして武蔵国だった?
47日本@名無史さん:2005/05/02(月) 06:51:13
>>8
>まさに国境の町
武蔵と相模の境の地名は現在、相武山とか相武台とかに残っている
48日本@名無史さん:2005/05/02(月) 07:19:35
>46
武蔵国は横浜市金沢区までと思いました。
49日本@名無史さん:2005/05/02(月) 12:42:51
鎌倉時代以降は、
アイヌ系の関東武士・東日本武士が中心となり、
鎌倉時代のモンゴル軍襲来・戦国時代のヨーロッパ列強進出・幕末の欧米列強進出を阻止してきた。

日本がアジアに位置しながら、欧米の植民地にならず、先進国なのは、
上記の関東武士・東日本武士の輝かしい功績のおかげだし、
関東武士・東日本武士が白人系=アイヌ系だから。

>関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分らしい。
>空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬の達人が多かった。
>弓の達人といえば那須の与一が有名だな。
>長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。


関西が歴史の中心になったのは平安時代までで、たいした功績は無いし、
関西人が古代朝鮮人の子孫なので、
関西人は、それをコンプレックスに思っているのだろう。
50日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:04:22
関東の極一部を朝鮮人が開拓したのは事実のようだ。
だが、関東はアイヌ系=白人系がほとんどだから、大半の土地はアイヌ人が開拓したんだろうな。
朝鮮人が珍しい関東では、地名として残ったのかもなw

だが、関西は人口の90%が朝鮮人だから、朝鮮人が開拓してもニュースにもならないのかもなw
90%の土地は朝鮮人が開拓したのだろうなw
右も左も朝鮮だらけだなw

何時だったか鎌倉時代の関東武士の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど白人と区別つかなかったそうだ。
つまり、14世紀になっても関東の大部分はアイヌ人の直系とその混血系が多かったということ。

関東人は長頭、半島人は過短頭。
とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは西洋人並に長頭。

※短頭=頭が左右に長く、前後に短い
長頭=頭が左右に短く、前後に長い
中頭=短頭と長頭の中間

鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、元弘三(1333)年五月
の新田義貞の鎌倉攻めの時の戦死者と推定される人骨が、1953年から1956年にわた
る三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。

東京大学名誉教授の埴原さんの分析では縄文人と渡来系朝鮮人の混血率は
近畿地方は渡来系朝鮮人9に対し縄文人1の割合だった。全国の大学に保管してある
現代人の頭骨を調査して統計処理してみると、日本人全体からみれば近畿人の骨
が異質な形態をしていた。渡来系朝鮮人の影響が近畿では濃厚なのである。

近 畿 地 方 は 渡 来 系 朝 鮮 人 9 に 対 し 縄 文 人 1 の 割 合 だ っ た。
近 畿 地 方 は 渡 来 系 朝 鮮 人 9 に 対 し 縄 文 人 1 の 割 合 だ っ た。
近 畿 地 方 は 渡 来 系 朝 鮮 人 9 に 対 し 縄 文 人 1 の 割 合 だ っ た。
近 畿 地 方 は 渡 来 系 朝 鮮 人 9 に 対 し 縄 文 人 1 の 割 合 だ っ た。
近 畿 地 方 は 渡 来 系 朝 鮮 人 9 に 対 し 縄 文 人 1 の 割 合 だ っ た。
51日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:11:27
関東人のおまえが、古代朝鮮人の子孫であることを
コンプレックスにしていることは分かった。自分の心情を解説するなよ。
しかし、史実を歪曲してウソで塗り固めても無駄。
ネットではウソはすぐに暴かれる。
52日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:56:59
俺の亡くなった祖父は武蔵七党の中の一つの家の子孫だが、
どちらかといえば縄文系の顔をしてたな。
53日本@名無史さん:2005/05/02(月) 14:05:50
http://www.keiryou-keisoku.co.jp/other/gakkai2.html

(4)生体計測値は近畿人=朝鮮、関東・東北人=アイヌ系である地域差は歴然

渡来人の移動の経路は、遺跡や文化的遺産
あるいは現代人に残されている形態学的
あるいは遺伝的特徴から推測できるのである。
生体計測値からも近畿地方に住む人々が朝鮮系であり、
関東地方あるいは東北地方に住む人々は古モンゴロイドと
関係するアイヌ系であるという地域差が歴然としている。


縄文時代の最盛期に日本で一番人口が集中していたのは関東地方。
四千五百年前の縄文中期の北海道と沖縄を除く日本列島の総人口は26万人。
その96パーセントが東日本に集中していた。人口密度は東日本が一平方キロ
当たり1.7人。なかでも関東は3人と、最密集地帯だった。
一方、当時の西日本は総人口が1万人以下で、人口密度も実に関東地方の
五十分の一の0.06人という超過疎地帯だった。
54日本@名無史さん:2005/05/02(月) 20:46:56
 「武蔵国」が関わる、俺の大学受験のときの模試でのエピソード。
 日本史Bの正誤判定問題で(河合塾の模試)、「金沢実時は金沢文庫という
武蔵国にある・・・・・(以下略)」という問題が出た。当時、俺は「京浜急
行の金沢文庫なんだから当然相模国だろう」という読みで誤肢と判断、結果は
金沢文庫は武蔵国内で        落とした
 
55日本@名無史さん:2005/05/02(月) 23:41:41
どうも渡来人ネタと神奈川ネタに圧倒されてますね
56日本@名無史さん:2005/05/03(火) 00:22:21
>>49
>>50
支持します。
>>51
頭骨の観点から、反論してみろ。
おまえは横長じゃねえのー。
くやちいね。
関西半島渡来系さん。
57日本@名無史さん:2005/05/03(火) 00:25:12
そうすると、関東に極一部、朝鮮人が入植した場所があるなんて、問題じゃなくて、
そうかー、弥生系色濃い関西人は存在そのものが、渡来系なんじゃん。
また、やつらの図々しさに嵌るとこだったぜ。
58日本@名無史さん:2005/05/03(火) 00:27:59
>>51
半島人は、何処をどうやったって、九州から西日本を経由しないと、日本に入って来れないんだよな。
弥生人は顎が張ってて、釣り目。大阪人そのものじゃないか。
これをどう説明してくれんの?
59日本@名無史さん:2005/05/03(火) 04:45:06
人種ネタはこちら
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/geo/1110855619/

http://www.kahaku.go.jp/special/past/kao-ten/kao/hensen/hensen02.html
古墳時代以降、いわゆる長頭化現象、すなわち、頭を上から見た時の形が
だんだん前後に長く左右に狭い楕円形になる現象が起こった。
理由はいまだによくわからないが、おそらく食生活の変化に起因する
顎の形態変化と関係があるのではないかといわれている。
いずれにせよ、歴史時代の中で最も長い頭を持っていたのが鎌倉時代人である。
また、この時代の人たちはいわゆる「出っ歯」であったことでも有名である。

「出っ歯」であったことでも有名である。
「出っ歯」であったことでも有名である。
「出っ歯」であったことでも有名である。
「出っ歯」であったことでも有名である。
「出っ歯」であったことでも有名である。
60日本@名無史さん:2005/05/03(火) 08:25:47
鎌倉武士はみんな出っ歯かw
それじゃ義経が出っ歯だったってのは(事実だとしても)目印にならねーな。
61日本@名無史さん:2005/05/04(水) 16:00:45
>>47
相武台の武って、昔陸軍基地かなんかがあって、武人の武の意味だって聞いた。
62日本@名無史さん:2005/05/08(日) 07:53:16
>>7
南区の大部分は武蔵国だが、六ツ川4丁目だけは相模国。
63日本@名無史さん:2005/05/08(日) 08:53:31
>62
横浜市南区のHPでも確認できませんが
http://www.city.yokohama.jp/me/minami/gaiyou/ayumi.html
出典は
64日本@名無史さん:2005/05/08(日) 12:19:07
>>63
 62じゃないけど、参考までに。

 次の資料によれば、六ッ川には、下永谷町の一部を編入しているようなので
4丁目全部かどうかは不明ですが相模国(旧鎌倉郡域)も含まれていますね。
  
 南区六ツ川(むつかわ)四丁目 [昭和44年10月1日設置]
 ttp://www.city.yokohama.jp/me/stat/jinko/machi/minami/mutsukawa4.html

 ついでに域内の学校ホームページ
 相武国境の学校らしく学区は戸塚区にも跨る変則学区らしいです。

 六ッ川西小のHP
 ttp://www.edu.city.yokohama.jp/sch/es/mutsukawanishi/txt/history.htm

 最後に>>62の元ネタと思われるWeb(相武国境のことが良くわかるサイトで、面白いですよ)
 ttp://www.yk.rim.or.jp/~kamide/yokohama/musashi-sagami/

6564:2005/05/08(日) 12:28:09
ちなみに金沢区の六浦も旧鎌倉郡の一部(峠村)を編入しているはずです。

鎌倉時代には逆に六浦荘自体が相模の国に編入されていた時期もあったと記憶しています。
66日本@名無史さん:2005/05/08(日) 12:43:57
解説ありがとうございます。当方は東京在住で横浜南部は
あまり土地勘が無いですが、金沢文庫・八景あたりだけは
担当の税理士さんがいたり、知り合いがいたり、親類の
葬儀が南部斎場であったりして何度かいきました。
67日本@名無史さん:2005/05/13(金) 04:52:35
ゴールデンウィークに武蔵国最大のイベントであるくらやみ祭りが大国魂神社で行われた。
関東各地から神輿が集結し。一晩中、狂乱の祭りがとりおこなわれるのだ。
68日本@名無史さん:2005/05/13(金) 18:51:17
バブルの頂点の頃、
アメリカ全土を全て合わせた地価より
東京都と神奈川県を合わせた地価の方が高いという現象が起こったが、
東京都と埼玉県と川崎、横浜の一部を含む武蔵国の地価もたぶんそんなもんだろうな。
武蔵一国は凄い価値のある都市。
あくまで現代ではの話しだが。
69大国魂神社とくらやみ祭:2005/05/14(土) 00:27:35
>>67  「関東各地から神輿が集結し」

申し訳ないが違う・・・・
全て武蔵国内で、しかも、今は(と言ってもかなり古くから)分霊した神輿を境内に鎮座させて使用している。
だけど、今でも武蔵国府の鎮守らしく伝統の次第に則り祭礼は行われます。

 次の六社が祭りには「集結」する。
 小野神社(東京都多摩市)
 小河神社(東京都あきる野市)
 氷川大社(埼玉県さいたま市)
 秩父神社(埼玉県秩父市)
 金鑽神社(埼玉県児玉郡神川村)
 杉山神社(神奈川県横浜市)

次のサイトが意外と面白いと思います。
祭りや神社の由来の他に武蔵国の成り立ちも少しだけ解るように思えます。
 
 ttp://rokusya.hp.infoseek.co.jp/index2.html
70日本@名無史さん:2005/05/14(土) 08:26:45
朝鮮人隔離地方
71日本@名無史さん:2005/05/14(土) 09:21:38
天武十三年(六八四)化來百済僧尼及俗人。男女并廿三人。皆安置于武藏國。
 はじまりはじまり〜
持統元年(六八七)筑紫大宰獻投化新羅僧尼及百姓男女廿二人。居于武藏國。賦田受稟。使安生業。
 前のと合わせて現在45人
持統四年(六九〇)以歸化新羅韓奈末許滿等十二人。居于武藏國。
 これで57人
靈亀元年(七一五)移相摸。上総。常陸。上野。武藏。下野六國富民千戸。配陸奥焉。
 わあ、日本人がいなくなっちゃうよ〜
靈亀二年(七一六)以駿河。甲斐。相摸。上総。下総。常陸。下野七國高麗人千七百九十九人。遷于武藏國。始置高麗郡焉。
 わあ、高麗人だけの郡が出来ちゃったあ
天平五年(七三三)武藏國埼玉郡新羅人徳師等男女五十三人。依請爲金姓。
 姓も無い奴らだったんだねえ
天平宝字二年(七五八)歸化新羅僧卅二人。尼二人。男十九人。女廿一人。移武藏國閑地。於是。始置新羅郡焉。
 高麗に続いて新羅郡まで出来ちゃったよ〜
天平宝字四年(七六〇)置歸化新羅一百卅一人於武藏國。
 おいおい、三桁かよ〜
天平宝字五年(七六一)令武藏國少年廿人習新羅語。爲征新羅也。
 だいじょうぶかあ、向こうに寝返んないか〜
天平宝字五年(七六一)以武藏介從五位下高麗朝臣大山爲遣高麗使。
 国司も高麗人かよ〜
神護景雲二年(七六八)武藏國橘樹郡人飛鳥部吉志五百國。於同國久良郡。獲白雉獻焉。
 こいつも間違いなく渡来人だ(吉志姓)
72日本@名無史さん:2005/05/14(土) 09:24:59
宝亀元年(七七〇)造宮卿從三位高麗朝臣福信爲兼武藏守。
 おいおい、守かよ〜
宝亀九年(七七八)從五位下高麗朝臣石麻呂爲武藏介。
 で、介もかよ〜
宝亀十一年(七八〇)武藏國新羅郡人沙良眞熊等二人賜姓廣岡造。
 広岡か。覚えとこ。
延暦二年(七八三)彈正尹從三位高倉朝臣福信爲兼武藏守。
 また、おまえかよ〜
延暦四年(七八五)外從五位下白鳥村主元麻呂爲武藏大掾。
 掾もかよ〜(村主姓も間違いなく帰化人)
延暦八年(七八九)散位從三位高倉朝臣福信薨。福信武藏國高麗郡人也。本姓背奈。
其祖福徳屬唐將李勣拔平壤城。來歸國家。居武藏焉。福信即福徳之孫也。
 やっぱりそうだったんだな
貞観十二年(八七〇)遣新羅人廿人。配置諸國。清倍。鳥昌。南卷。安長。全連五人於武藏國。
 こんな時期が下がってもまだやってんのかよ〜
貞観十五年(八七三)武藏國司言。新羅人金連。安長。清信等三人逃隱。不知在所。
令京畿七道諸國搜捕金連等。貞觀十二年自大宰府所遷配也。
 逃げるなって。大人しくしてろ。
元慶三年(八七九)貞観十二年九月十五日、配置新羅人五人於武藏國。至是、國司言。
其中二人逃去、不知在所。仍太政官下符左右京五畿七道諸國捜索。
 だから逃げるなって。
73日本@名無史さん:2005/05/17(火) 00:35:16
武蔵と下総国境の古河のあたりはどうなんでしょう?
地図だけみてると、北川辺町や大利根町は下総のほうが、すわりがいいようなきがするんですが。
74日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:14:42
武蔵の国は、日本第一の武士の国なり。
75日本@名無史さん:2005/05/26(木) 23:33:57
これって、なんでムサシって読むんすかね?
当て字?
76日本@名無史さん:2005/05/27(金) 05:23:45
埼玉の大滝村辺りの奥秩父は武蔵国ですか?
77日本@名無史さん:2005/05/27(金) 15:15:08
>76
武蔵
78日本@名無史さん:2005/05/29(日) 16:54:01
鍛冶鋳物のハイテク集団と、それらを狙う産業スパイが跋扈した時代
高麗郡を取り巻く微妙なパワーバランスの存在?
中世以前の武蔵国は面白い
79日本@名無史さん:2005/06/10(金) 21:50:19
>>75
たしかにね?なんで「蔵」でサシなのか?
80日本@名無史さん:2005/06/11(土) 00:08:34
>>75,>>79
先に「むさし」という地名があって後から当て字したんだよ。
律令以前は「无邪志」とか「胸刺」と書いていた。
「武蔵」は「武=む」、「蔵」は「ざぅ」でムサシのサに当てた。
81日本@名無史さん:2005/06/11(土) 08:11:19
むさいからムサシだったりして
82日本@名無史さん:2005/06/11(土) 09:55:14
江戸の朱引き線、墨引き線
【朱引き線】 寺社奉行の境界 記号 ○朱引き線の外 ●朱引き線の内 *朱引き線上
○東大井 ●南品川 *広町 *新幹線 ○大崎駅 *目黒川 ●五反田駅
●大崎5 ●西五反田1 *三田用水 ●目黒駅 ●代官山 *旧山手通り
*三角橋 *常盤橋 ?幡ヶ谷駅 *甲州街道 ○新国立劇場 ●オペラシティ
●荘厳寺 ○関東国際高校 *神田川 ●上落合 ?椎名町 ?要町
○北池袋ランプ ○下板橋宿 *石神井川 *飛鳥山 ●堀船 ●町谷
●小塚ケ原 ●鐘淵 *中川 


【墨引き線】 町奉行の境界 記号 □墨引き線の外 ■墨引き線の内 +墨引き線上
+八つ山 ■御殿山 +白金台 +目黒駅 ■碑文谷 +代官山 ■松涛
+原宿駅 ■代々木駅 +新宿駅 ■大久保駅 □高田馬場駅 +目白駅
+池袋駅 +鬼子母神 +駒込駅 +不忍通り +日暮里駅 +鶯谷駅
+南千住 +隅田川 +今戸 +言問橋 ■押上 ■業平 ■錦糸町 ■毛利
□東陽町   墨田区、江東区は激しく入り組んでいる

出典 復元江戸情報地図 朝日新聞社


東京23区と江戸の朱引き線、墨引き線(明治以降の埋立地は除く)
記号  ☆ほぼ全域朱引き線内 △一部朱引き線内 ◇ほぼ全域朱引き線外
     ★ほぼ全域墨引き線内 ▲一部墨引き線内 ◆ほぼ全域墨引き線外
☆★千代田区 ☆★中央区 ☆★港区 ☆★新宿区 ☆★文京区 ☆★台東区
☆▲墨田区 ☆▲江東区 △◆品川区 △▲目黒区 ◇◆大田区 ◇◆世田谷区
△▲渋谷区 ◇◆中野区 ◇◆杉並区 ☆▲豊島区 △▲北区   ☆▲荒川区 
△◆板橋区 ◇◆練馬区 ◇◆足立区 ◇◆葛飾区 ◇◆江戸川区
83日本@名無史さん:2005/06/23(木) 20:58:30
    
84日本@名無史さん:2005/06/25(土) 00:46:31
足立区は全域武蔵ですか?
85日本@名無史さん:2005/06/30(木) 21:28:47
>>84
少なくとも江戸時代は全域武蔵ですね
86日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:54:18
江戸以前はわかりますか?
87日本@名無史さん:2005/07/11(月) 23:58:54
8〜10世紀頃の武蔵の朝鮮人率を誰か推測しろよ
88日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:42:32
足立区はもともと武蔵国足立郡だよ。
葛飾区が寛永年間に下総国葛西郡から武蔵国葛飾郡になっている。
両者の間には昔の隅田川が流れていて寛永以前の国境だった。
89日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:54:04
武蔵国一国だけで今や人口2400万。
GDPで言えば単独で欧州列強クラス。
人口集中し杉
90日本@名無史さん:2005/07/12(火) 00:55:12
旧 南北葛飾(葛飾郡は中世より数度、分割統合あり)郡は明治の初めに下総→武蔵へ。今の東京都の葛西4区と、埼玉県の三郷市〜羽生市までの江戸川右岸。
因みに東葛飾郡は市川・松戸・野田市等(柏市域は相馬郡も多い)、西葛飾郡(今の茨城県古河市 等)は後に猿島郡へ吸収・消滅。
横浜市の栄・泉・瀬谷区 及び戸塚区の一部は相模国鎌倉郡でした。
他国と同じく武蔵国内各郡の郡域も度々変動し、和名抄執筆の頃とは、だいぶ違います。
91日本@名無史さん:2005/07/12(火) 01:00:49
隅田川スミダ
92足立区は:2005/07/12(火) 01:04:33
明治に南北に分割、南は後に東京府に編入さる。
北足立郡は東境を綾瀬川とし(草加市東部は北葛飾郡)西境を現 荒川(旧 入間川)とす。

ただ足立(安達・葦立)の地名の興りは氷川社附近であり[足立区]との名乗りは違和感あり。
93日本@名無史さん:2005/07/17(日) 09:17:26
>>92
氷川神社は各地にありますが大宮のことですか
9484・86:2005/08/05(金) 23:53:15
色々ありがとうです。
95日本@名無史さん:2005/08/12(金) 00:41:58
96日本@名無史さん:2005/08/21(日) 03:38:49
ムサシモ
97日本@名無史さん:2005/09/01(木) 21:20:20
98日本@名無史さん:2005/09/04(日) 17:22:00
武蔵丸
99氷川は大宮、女体は浦和:2005/09/08(木) 23:23:37
>>92
足立郡が昔の埼玉地域で一番田舎(特に浦和以南)だったけど
足立郡中で一番田舎だったのは現東京都足立区!

足立氏の本拠地は桶川説と大宮説がある。
桶川市史は桶川、大宮市史は大宮を推してるw
100日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:37:55
東武、西武、南武線があるから、埼京線を作ったとき北武線という名にして
くれれば全部そろったのにな。
101日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:48:24
>>48
テストのひっかけ問題で「金沢文庫は相模国」っていうのがあるらしいね。
自分も、そのひっかけ問題の話を聞く前までは、それで正しいと思ってた。
102日本@名無史さん:2005/09/08(木) 23:51:12
>>101
ううっ。>>54でガイシュツだったorz
103日本@名無史さん:2005/09/09(金) 20:30:12
>>100
埼京線くらいのエリアで「北武線」はどうかな?
せいぜい「中武線」くらいでしょう。
「北武線」の名」に相応しいのは秩父鉄道。
104南武太郎ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 20:36:50
私の故郷は武蔵国橘樹郡○○村(神奈川県横浜市○○区○○町←私が子供の時に○○町は○○中央などに分割)。
105ジョーカー@ケータイ:2005/09/09(金) 20:50:42
私は南武蔵(川崎市と横浜市の大部分)と相模を拝領された大名。 居城と城下町は神奈川(横浜市神奈川区神奈川町←現在の東神奈川あたり)に建設。
106106:2005/09/09(金) 20:52:34
南武蔵には六浦藩(金沢藩)しかなかったんだけどね。
107名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 19:30:06
江戸時代の横浜、川崎はド田舎

秩父>>>>多摩>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>足立橘樹都築
108名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:00:21
奈良時代のひとは武蔵国に日本の人口の1/5が住むようになるとは思うまい
109名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:27:38
大和の国が安っぽい建売住宅がならぶクソ田舎になってるとも思うまい
110名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 23:33:04
>>108
朝鮮人人口の話か
111名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:10:13
>>110
バカ発見!
天皇家も朝鮮経由だし

人口増えたの江戸期以降の江戸、末期〜明治以降の横浜に
他は明治、平成、昭和、平成以降に地方人が入り込んだ
東京、神奈川の苗字に特性が少ないのはその為
112名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:13:26
(´-`).。oO(>>110みたいのにマジレスしてる方がバカだろう…)
113日本@名無史さん:2005/09/12(月) 01:25:10
武蔵國高麗郡
武蔵國新羅郡
114日本@名無史さん:2005/09/12(月) 01:45:30
武蔵国21郡のうちの2つだが、それがどうした?
115日本@名無史さん:2005/09/19(月) 13:22:04
age
116日本@名無史さん:2005/10/01(土) 01:20:25
太閤検地の下総39万石って武蔵に編入された葛飾郡込みですか?
117日本@名無史さん:2005/10/01(土) 21:54:10
たとえば中国が朝鮮半島を侵略して
朝鮮が中国になったら
かなりの難民が日本列島になだれこんでくるでしょう。(好き嫌いに関わらずね)
古代の朝鮮ももともとは三国あったのが一国に統一された
わけだから支配階級を中心に日本に逃げてきただろうことは
容易に想像がつく。
118日本@名無史さん:2005/10/01(土) 22:30:46
>72
正直8世紀の関東面白いな。

でもさ何とかの守が半島系とかいって関東を
馬鹿にしてもしょうがないよ

母親が百済系の桓武天皇がその当時の天皇ですから
(737〜806 在位781〜806)
別にその時期、関東が他の日本に比べて特別
半島と深い中だったわけじゃなんです。
そもそもこの時期の征夷大将軍、坂上田村麻呂ですら
半島系らしいですから。

それでこの後100年以上後に桓武の子孫の平将門が乱を起こすわけです。
(実際子孫だったかはなぞだが)

こうやって見ると歴史って案外深いね。

119日本@名無史さん:2005/10/07(金) 00:52:19
へんなの
120日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:50:56
>>118
そうそう、
大和民族がしょぼいから、渡来系の坂上田村麻呂の力で
蝦夷征伐を行った朝廷だもんね。
121日本@名無史さん:2005/10/12(水) 21:38:53
田村麻呂は半島系じゃなくて大陸系。
122日本@名無史さん:2005/10/17(月) 05:30:50
半島系でも大陸系と偽るものよ
123日本@名無史さん:2005/10/20(木) 02:00:14
天皇が半島経由とか言ってるけど、その学説古くないか?
稲作文明の伝播順序は、東南アジア>中国南部>日本>朝鮮。

秦・漢朝成立以後、中国北部が中国南部を支配下におくにつれて、
朝鮮が中国北部から陸路で受ける恩恵が大きくなり、朝鮮優位の傾向になった。
事実、仏教伝播・冶金技術は朝鮮経由だった。
124日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:55:26
違うで
125日本@名無史さん:2005/10/26(水) 22:59:35
↑ここでスレッドを乱す大阪人登場!!!!!
126日本@名無史さん:2005/11/01(火) 11:34:01
>>116
国境変更は江戸時代じゃない?

127日本@名無史さん:2005/11/24(木) 22:02:09
成り上がり横浜age
128日本@名無史さん:2005/11/25(金) 22:48:02
>>126
そうなの?
129日本@名無史さん:2005/12/16(金) 19:48:29
ふどきこう
130日本@名無史さん:2005/12/20(火) 08:46:40
age
131日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:45:30
age
132日本@名無史さん:2005/12/28(水) 22:59:05
昔は、海岸線が入り組んだ汽水で塩害の多い不毛の泥湿地で、毛人の蝦夷
の支配地と接していたので、大和朝廷の高貴な神々は、朝鮮半島から流れ
てきた渡来人をここに住まわせ、この地の開墾と兵役につかせました。
後に、スメラミコトの治める文明地との境、箱根坂の関所の東という事で
「坂東者」とよばれた人々の先祖です。
武蔵、大和の語も元は朝鮮半島の渡来人の語源からきたもので、神奈川県
の神奈川も韓川が語源です。八幡信仰や高麗神社等、当時坂東は完全な朝
鮮人コミュニティーを構築していたのです。
後に坂上田村麻呂に平定された毛人の蝦夷人が労働力として流入し混血が
進みましたが、戦国末期に徳川家康が穢土に江戸の町を作るまで、この地
は貧しく不毛の時代が続くことになります。
133日本@名無史さん:2005/12/28(水) 23:46:10
え〜っと、、、、ネタにマジレスしたら格好悪いっすか?
134日本@名無史さん:2006/01/01(日) 16:33:09
age
135日本@名無史さん:2006/01/01(日) 16:42:21
>大和朝廷の高貴な神々
半島の方々ですなw
136日本@名無史さん:2006/01/22(日) 22:18:41
難波田善銀
137日本@名無史さん:2006/01/29(日) 04:51:38
ワッフルワッフル
138日本@名無史さん:2006/01/29(日) 23:54:26
>4郡域は時代と共に変動します
139日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:06:13
     _________
    /     /     /|
  /     /     / . .|   ココ、置いときますクマねー!
  | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ |    |
  |  ●    ●  .|    |
  |   (_●__)    |    |
  |    |∪|.    . |    |
  |    ヽノ     |  /
  | クマ運宅配便  |/
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
140日本@名無史さん:2006/01/31(火) 00:13:05
東夷(蛮人) ・・朝鮮半島から日本海を越えて渡来した騎馬民族を祖とする。
        関東以北で蛮族化するも大和朝廷の征夷を受ける。
        奈良時代以降、関東では国策として渡来人の入植が頻繁に行われ、蛮東武士の誕生へと繋がっていく。
141日本@名無史さん:2006/01/31(火) 01:33:51
>>!40
「日本海」でいいんですね
142日本@名無史さん:2006/02/14(火) 17:53:15
古代律令政府が全国を行政区分したとき、陸奥国と出羽国はいくらなんでも
大きすぎると思いますが、なんでもっと細かく分けなかったんだろう?
143日本@名無史さん:2006/02/14(火) 18:20:19
でかくしないと一帯で蝦夷の反乱が起きた時どうしようもない
小さく区分けしたら兵が機動的に動かせない
144日本@名無史さん:2006/02/14(火) 18:31:02
>143
あっ!そういうことか、ありがとうございます。(^O^)
145日本@名無史さん:2006/02/14(火) 18:36:25
>>132
>>135
また、朝鮮人が妄想してるねえ(W

★★ 古代朝鮮人は、日本に移住していない ★★

朝鮮人は、古代のカラ半島南部にあった、志良岐・任那・久多良は 朝鮮人の国だったと
信じ込み、
「半島の国々から、古代日本に多くの朝鮮人が移住し、半島や大陸の輝かしい先進文化を伝えた」
と、主張する。
だが、こういった説は妄想に基づく妄言である。 朝鮮人が古代日本に移住したという事実はない。
朝鮮人は、古代日本に一人も移住していないのである。志良岐・任那・久多良は 倭人の国だった。
また、この三国と古代日本の文明レベルは同程度であり、半島に『輝かしい先進文化』なるものは
存在しなかった。高句麗の文化も日本と同じレベルだったのだ。 先進文化ウンヌンという話は、
日本人に対し優越感を持ちたい朝鮮人の妄想が生んだ フィクションである。
そもそも、日本列島にもカラ半島南部にも、紀元前から、長江以南の越地方から多くの越人(倭人)
が移住しており、日本列島とカラ半島南部の倭人は、紀元前から日常的に交流していたのだ。
つまり、『同一の文化』を共有していたのだ。だから、古代ヤマトとカラ半島南部で、文化水準の
レベルに差があった、などということはありえない。ふつうに考えれば分かることである。
たしかに、古代ヤマトもカラ半島南部も、大陸文化の影響を受けてはいる。
しかし、ヤマトとカラに文化的影響を与えたのは、越地方の越人(倭人)と帯方郡の漢人であって、
朝鮮人ではないのだ。古代朝鮮人は『先進文化』を持っていなかったのだから、ヤマトやカラに
文化的影響を与えるわけがないのだ。無いものは与えようがないではないか。
146135:2006/03/03(金) 20:52:49
>>145
チンカスコピペ朝鮮近畿人よ
お前が妄想
147日本@名無史さん:2006/03/19(日) 15:06:00
      
148日本@名無史さん:2006/03/19(日) 15:15:33
百済のような小国が、なぜ300年以上に渡って、
高句麗帝国との戦争を続けることが可能だったのか?
この疑問に、朝鮮人工作員が答えることは絶対にないであろう。

★ 百済は日本領土 ★

百済軍の実態は、大和軍。
百済の国家財政は、ほぼ100%、大和のODAに依存していた。
そもそも、百済という国は、日本の四国と同じくらいの面積しかない小国。
そんな小国が、300年以上に渡って高句麗のような大帝国と戦争し、互角に戦うことなど、
普通は不可能であろう。
しかし、実際に百済は、315年に建国された第一次百済の時代から300年以上も高句麗と
戦争し、時には高句麗を追い詰めてもいる。
それが可能だったのは、百済の背後に、もう一つの帝国=大和がいたからである。
百済=高句麗戦争の実態は、日本=高句麗戦争だったのだ。
149日本@名無史さん:2006/03/19(日) 15:48:59
九州と四国と佐渡島が本州と陸続きだったらいいのにな。
150日本@名無史さん:2006/03/25(土) 15:49:45
中心地の変遷
北部…河越(川越)→大宮(さいたま)
中部…府中→江戸(東京)・八王子
南部…鎌倉→小田原→横浜

こうかな?
151日本@名無史さん:2006/03/25(土) 16:07:33
細かいツッコミだが。
鎌倉と小田原は相模だな
横浜も金沢区まで武蔵だけど栄区とかは相模。
152日本@名無史さん:2006/03/26(日) 00:00:03
>>150
河越、大宮が北部ってのは・・・
153九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/28(火) 03:36:12
川越・大宮は武蔵の北部になる
児玉郡・大里郡・比企郡・北埼玉郡のラインより北は毛野
さきたま古墳群の時代と地域では毛野
少なくとも7世紀までは。
利根川の南側のこの地域は8世紀に武蔵に編入


埼玉県の北半分は毛野
埼玉県西部の秩父も毛野(?)
埼玉県の南半分は武蔵
154日本@名無史さん:2006/03/28(火) 03:50:57
武蔵の中心地は府中だろ。
155日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:00:54
武蔵小杉、武蔵中原、武蔵新城、武蔵溝ノ口
156日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:12:46
>>153
秩父国造
157日本@名無史さん:2006/03/29(水) 21:20:27
関東の王、毛野氏は5世紀末に武蔵国造の家督争いに際し、雄略天皇に介入されてしまい、武蔵の支配権を喪失した。
それがわかったのは稲荷山出土鉄剣を礼の宮(現黒田清子さん)が見学したことが契機。
158九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/03/30(木) 13:34:45
>>157
そんなことは礼の宮(現黒田清子さん)が見学以前から知られていましたよ。

埼玉北部勢力の内紛で毛野氏が破れ、
その後6世紀後半に毛野の鈴文化は失われ、
前方後円墳化したことは、埼玉北部勢力が毛野を支配したことを意味します。
一方、7世紀半ば半島戦争(白村江戦)に出陣したのは毛野となっています。
これは埼玉北部勢力=毛野勢力であることを意味します。
ところが日本書紀が編纂された8世紀には埼玉北部は武蔵と認識されていたので、
埼玉北部勢力は7世紀以前から武蔵である表記がされたのでしょう。
すなわち7世紀まで毛野であった埼玉北部が、8世紀になって武蔵に編入されたとみます。
又、5世紀末といわれる武蔵の内紛は60年ずれて6世紀中庸です。
この内紛に介在したのは雄略ではなく欽明期の九州王朝の大王です。

なお、欽明は反九州王朝である継体朝を倒した九州王朝内の畿内大王です。
159日本@名無史さん:2006/03/30(木) 13:50:24
ムサシノ ハ クニノマホロバ オオミタカラ ナシマセル
 ヨロズノ モノハコビ ノ ヒンガシノ アヤタチ クズシリ クズコ ノ
ヨロズノマホロバ 

これは、武蔵サンカ 育ちの私たちが 祖父親から教え込まれた武蔵の国祈りの語りです。どなたか、意味を知りませんか?
160九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/11(火) 19:59:02

「モノハコビ」
「アヤタチ」
「クズシリ」
「クズコ」

明解に意味のわかる方いませんか? 
161日本@名無史さん:2006/04/12(水) 01:02:27
運脚
首領(乱破)
国栖知(郡司)
国栖子(郷長)
162九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 00:52:44
>>161
ありがとうございます。

>>159
武蔵サンカ育ちの貴方たちの出身はどちらの地方ですか?
@埼玉県東南部(さいたま市近辺)
A東京都西部(八王子方面)
B東京都区部の西部
Cその他 どちらですか?

埼玉県南部地域出身であれば興味深く思います。 
163九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 01:24:41
>>159
追伸
僕が興味をいだいたのは、あなた方の出身が「牧」及び関連地域ではなかたったのではないかと推察したからです。
出身は以下の地域のいずれかではないでしょうか?
@さいたま市緑区周辺地域
A埼玉県高麗郡周辺地域
B東京都八王子市周辺地域
C東京都東部区部から国立までの地域
164日本@名無史さん:2006/04/15(土) 01:32:19
牧なら秩父
165九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 01:39:19
>>164
「武蔵野」と「牧」がキーワードになりますので、秩父は除外されます。
166九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 01:42:59
間違い修正
>>163のC
正:東京都西部区部から国立までの地域
誤:東京都東部区部から国立までの地域
167九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 01:53:18
>>161
アヤタチ:乱裁? or 乱破?
168九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 22:26:19
>>161
語順から考えて以下のように思います。

ケース@
アヤタチ:国司(中央派遣国司)
クズシリ:郡司
クズコ:郷長

ケースA
アヤタチ:中央派遣官吏(正国司)
クズシリ:国司代行(在地国司)
クズコ:郡司

運脚役の専業集団がモノハコビで、武蔵では中央への運送手段として馬が使われたのでしょう。
そのモノハコビの首領がトップに配置されるのは不自然だからです。
武蔵ではこのモノハコビがサンカとなったのではと思われます。
169九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 22:32:07

なお、武蔵のモノハコビの本業は「牧」で馬の牧畜であったのではないかと。
170九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/15(土) 22:39:46

アヤタチ:漢人or漢達 読み書きだ出来る人
171日本@名無史さん:2006/04/16(日) 00:24:20
物部氏永
172九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/16(日) 02:55:18
>>164
8世紀には秩父が武蔵に編入されていますから、
秩父の牧も含まれてもおかしくありませんね。
>>163に、D秩父地域 が追加です。

>>171
アヤタチが「漢人」ではなく「首領(乱裁)」であるなら、
>>159の国祈りの語りは「物部氏永」への賛歌を含んでいるのかも。
173角井駿河守物部朝臣:2006/04/16(日) 03:31:25
大宮氷川参道を東角井の屋敷の脇を少し入ったところに、
社家の墓があるが、そこにある社人・杉山、井上、高橋らの系譜を誰か教えてくれ! 
高橋は寿能城に仕えた家の裔だとどこかで聞いたことがあるが。
174 :2006/04/16(日) 10:33:26
渡来人は次から次にやってきて、1回だけきてそのままそこにいたのではない、
南米のペルーに到達するほどの
175九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/16(日) 22:48:04
>>159

ムサシノ ハ
クニノマホロバ
オオミタカラ ナシマセル

ヨロズノ モノハコビ ノ
ヒンガシ ノ
アヤタチ クズシリ クズコ ノ
ヨロズノマホロバ

上記の語りは、9世紀末の物部氏永の反乱を賛美しているように見えますが、
それにしても出来すぎ。
後世の偽作の様に思えます。
176日本@名無史さん:2006/04/17(月) 00:10:04
氷川社(さいたま市)、中氷川社(所沢市)、奥氷川社(奥多摩町)の全てに参拝したら、何か解るかもよ。
177日本@名無史さん:2006/04/17(月) 00:20:21
半島からの渡来人がどうのと言ってる馬鹿は、本当に埼玉や神奈川北部に
何代にも渡って住んでいる土着・生粋の武蔵人の顔というものを見たこと
ないんだろ?

生粋の武蔵人は光にあたった時の瞳の色が独特なの。
だから顔をよく見ればわかるんだよ。
ああいう瞳の人間は、昨今韓流とかで騒がれている朝鮮半島の人間にはいないね。
武蔵以北と九州南部の日本にはいるけど。
178九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/17(月) 13:26:23
>>176
現地調査が大切ですね。

>>177
あなたの言う「生粋の武蔵人」は縄文系人。

その手と違う顔がある。
その顔の持ち主(女性)が大学時代に韓国にホームステイにいった時、
ホームステイ先の家族が韓国人と区別がつかないと驚いたそうです。
赤みを帯びた色黒、二重目蓋のパッチリ目黒い瞳。
韓流女優とも関西顔とも違うね。
扶余系の高句麗顔ではないかな?
半島北部に多いひとつのタイプの美人顔。
韓国人の言う「美人は北、美男は南」の北の顔と思う。

大韓航空で韓国の空港に降りたとき、
通関で係官がためらいもなく朝鮮語で話しかけられた人はよくわかると思う。
179日本@名無史さん:2006/04/17(月) 17:54:20
>>173
大宮市史かなんかに載ってなかったっけ?
埼玉県史か?

あっ、そうそう
『新編武蔵風土記稿』は読んだ?
少し記事があった気がするが。
180日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:04:30
>>50
>>59
確かに形質は、その時代の環境によって大なり小なり変化するのだが、
人間においては混血でもない限り、その変化にも限界がある。

中国人は古代から現代まで一貫して中頭。
朝鮮人も三国志時代から短頭だったようだ。
日本人は短頭化が激しく、かなり変化しているが、
アイヌ人は古代から現代まで一貫して長頭だから、やはり日本人は環境からよりも、
混血によって形質が変化したと見て良いだろう。

特に20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の短頭化が著しいが、
これは朝鮮併合による在日朝鮮人の影響や、
朝鮮と同じで、短頭地域である関西地区の人々が、 鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。
181日本@名無史さん:2006/04/20(木) 13:05:56
※1
絶壁頭=短頭・超短頭=朝鮮人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、
頭の前後の長さが上下間で、ほぼ同じで、
頭の後ろが、上下間で、ほぼ垂直に一直線になる。


非絶壁頭=長頭・長頭に近い中頭=日本人・白人

短髪・丸刈り頭にした時や、髪をゴムでまとめた時などに、
頭を横から見ると、頭の後ろが、
「つ」の字形になる。



※2
短頭・超短頭=頭が左右に長く、前後に短い。頭を上から見ると正方形・正方形に近い・左右に長い長方形のどれかになる。
長頭=頭が左右に短く、前後に長い。頭を上から見ると前後に長い長方形。
中頭=短頭と長頭の中間
182九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/20(木) 22:00:14
>>180
>特に20世紀以降の太平洋ベルト地帯に沿っての日本人の短頭化が著しいが、これは短頭地域である関西地区の人々が、
>鉄道などの交通機関の発達によって全国に拡散した影響だと考えられる。

短頭が中頭より優勢遺伝するのであれば、上記説は正しい。
短頭と中頭では短頭がメンデルの法則のように優勢遺伝することが証明されていますか?
183日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:08:50
>>177
関東、特に台地が卓越する武蔵国の場合は
「生粋・土着の武蔵人」だと言っても高々数百年以内、
徳川家康江戸入府以降に開拓して住みついた香具師が大半で、
中世以前から現代まで同じ位置の集落に住民入れ替え無しに
同じ血筋の一族が土着していたなどと言う例は極めて珍しいんだけどな。
日本にしては珍しいほどの住民の流動性の高さこそが関東の特色。
これは畿内などのように律令体制以前の記紀の時代から全く同じ位置で
集落を営み同じ血統の子孫が暮らしているようなところとは
かなり状況が異なる。
184日本@名無史さん:2006/04/20(木) 22:34:09
>>183
貴方の言ってることは、いわゆる江戸と江戸近郊ではないかな?
もう少し郊外に行くと、土着と呼べるような人々いるよ。
185九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/20(木) 23:40:32
>>183
>>177は書いている、神奈川県北部、埼玉県(西部)だよ。
それに、東京都西部山間部。(「三太物語(おらあ三太だ)」の地方など)

学生のころドライブをして、谷川の生簀の鮎を塩焼きで出してくれる店で昼食をとった。
美味かったのを思い出す。40年以上前の話だけれど。
今は相模湖・津久井湖なんぞできてしまったが。
あれ?神奈川県北部か!
東京都西部は奥多摩方面ですね。
いずれにしても40〜45年前凸凹道をドライブで行くと、
現地人顔が数多く住んでいましたね。
ちなみに僕はチョン顔の律令時代からの関西人。
186日本@名無史さん:2006/04/20(木) 23:55:12
そうそう、書物に頼ってばかりいないで、実物を見たほうが良い。
瞳の色が玉虫色だったりするんだよ。
187日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:34:04
>>184-186
飯能まで行っても、そこからさらに山へ分け入っても
そんなに変わらないよ。むしろ関東山地の山奥の住民形質に対しては
極端な弥生系形質を持つ信州・甲州側との交流が無視出来ない。
凄まじい深山であるにもかかわらず一定の交流があったらしいからね。
内陸に入るほど驚くべきことに住民形質がどんどん純粋弥生化していくという
中部地方のような極端なことにはならないけど。
それに、瞳の色は縄文形質とはあまり関係無い。
関東に関しては、朝鮮半島からの移住者を力説するのもアフォだが
縄文気質を強調するのも同じくアフォだ。
歴史的に住民流動大杉で訳が分からないというのが真実だろう。
そもそも関東の縄文人の大繁栄は中期の話で
長野ほどの人口崩壊では無いが縄文後期以降激減しているからね。
188日本@名無史さん:2006/04/21(金) 00:49:24
>>187
飯能あたりじゃ駄目駄目。飯能は埼玉南部じゃないか。
高崎線の桶川以北が有望。
神奈川県は横浜の金沢地域まで行けば漁民の末裔が居る。
あとは町田とか東京西部に近い地域の神奈川。

薬丸裕英に似た顔の人間がいっぱい居るぞ。
ゴルゴ松本と同じ目の色の人間が居るぞ。
189九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/21(金) 01:13:17
40余前のドライブを地図で思い出しながら楽しんだ。
相模川の城山ダムが建設中で、
今は津久井湖の湖底の道を走り、
道志川の谷に入った。
帰りは何故か水の殆ど無い相模湖に抜けて、
20号線で都内に戻った。

>>187
>信州・甲州側との交流が無視出来ない。
>凄まじい深山であるにもかかわらず一定の交流があったらしいからね。

神奈川県北部丹沢山系の津久井郡近辺と比べれば、
信州と甲州は凄まじい深山無しで繋がっていますよ。
現地に行って見たことが無いようですね。
旧道を車で走ればすぐわかることですよ。

瞳の色は縄文形質と関係ないと思いますが、
その人達は眼窩上隆起の高いガッチリした体格の人達でしたよ。
僕と全く正反対の体形。
190日本@名無史さん:2006/04/21(金) 01:14:33
>>188
桶川以北の高崎線沿線なんて歴史を通じて移住者大杉のところだろ。
これは高崎線・関東の旧中仙道沿線全体に言えることだが
縄文形質を持っている香具師は新潟方面からの移住者の末裔であることが多い。
新潟のみならず、もちろん碓氷峠を越えて「スーパー弥生人」である
信州人も移住して来ているので縄文形質が優勢というわけでもない。
神奈川南部沿岸の縄文っぽい香具師の本場は関東じゃなくて静岡の延長だよ。
西は愛知県東三河くらいから東は三浦半島くらいまで静岡県の沿岸部を中心に
恐らく縄文後期の寒冷化で関東主要部や中央高地から逃れてきた
縄文人の末裔と思われる香具師が比較的多く見られる。
静岡なども人口流動は激しい地域だが、関東平野と違って面的な移動が出来ず
東西に線的に移動できるだけなので結構色濃く古い形質が残っているようだ。
191日本@名無史さん:2006/04/21(金) 01:17:54
>>189
>神奈川県北部丹沢山系の津久井郡近辺と比べれば、
>信州と甲州は凄まじい深山無しで繋がっていますよ。

コテハンつけているなら最低限の日本語くらい読んでくれよw
俺は「弥生人エリア」として信州甲州を一体のものとして扱い、
その上で「甲信地方」と関東山岳部との交流について述べているわけだが。
山岳部は可住地が狭く人口も少ないので、
少数の血縁交流だけで人種形質はがらりと変わってしまう。
192九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/21(金) 01:58:30
>>190
信州からの碓井峠越えは深山でもなんでもない。
1000mを一気に下るだけの奥深い峡谷筋無しのハイウエイ。
中仙道筋は移動しやすいハイウエー。
静岡の人種構成は確かに特異。
でも縄文形質とは見えないが。
よくわからない。

>>191
よく読んでいなかった。スマヌ。
山岳部は可住地が狭く人口も少ないので、
少数の血縁交流だけで人種形質はがらりと変わってしまうことに同意。
瞳の色などはその例でしょうね。
193九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/21(金) 02:04:54
>>188
薬丸裕英やゴルゴ松本はどう見ても縄文人。
194日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:25:56
武蔵国分寺のあった辺境の地−−−−
195日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:30:24
何時だったか鎌倉時代の人骨が鎌倉から大量に掘り出されたが、ほとんど縄文人と区別つかなかったそうだ。
つまり、14世紀になっても関東の大部分は縄文人の直系とその混血系が多かったということ。

関東人は長頭、朝鮮人は超短頭。
とくに鎌倉から発見された頭骨900体あまりは白人並に長頭。

鎌倉市材木座の八幡宮参道沿いで、一の鳥居のすぐ東隣から、元弘三(1333)年五月
の新田義貞の鎌倉攻めの時の戦死者と推定される人骨が、1953年から1956年にわた
る三回の発掘によって、少なくとも910体も発見された。


関東武士は長頭で、その後頭部つまり後頭葉は視覚を司る部分らしい。
空間把握能力に長けていた結果、弓や射撃の名人、騎馬や剣術の達人が多かった。
弓の達人といえば那須与一、剣術の達人といえば新選組の局長・組長クラスが有名だな。
長頭の白人や狩猟民族アイヌは武勇に優れていた。

短頭の民族(アジア系)は車の運転が下手として知られてる。
ハリウッド映画ではアジア女性の運転下手は揶揄されてる。
白人女性は運転はへただが、とくにアジア系女性は輪をかけて酷いらしい。
これは女の脳が空間把握する部分が足りないためだ。

アジアの農耕民族は、狩猟を必要としなかったために短頭化が促進され
白人は狩猟民族が長かったために視覚を司る後頭葉の拡大がすすんだ。
短頭のスラブ民族(スキタイ人)も農耕民族である。

つまり短頭の本家朝鮮人や関西朝鮮人は車の運転がへた。

顔がブサイクの上に車の運転がへたなんて、つくづく気の毒な人種だな。
196日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:37:39
弥生時代の関東の、縄文人と渡来系弥生人の共同集落、中里遺跡の発掘結果では、
縄文人95%:渡来系弥生人5%の比率。

この遺跡からは、鏃(やじり)や武器など戦いの証拠を示す遺物は、殆ど出土しなかった。

中里遺跡
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/kyousei.html

http://www.google.com/search?hl=ja&q=%E4%B8%AD%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=


縄文時代の最盛期に日本で一番人口が集中していたのは関東地方。
四千五百年前の縄文中期の北海道と沖縄を除く日本列島の総人口は26万人。
その96パーセントが東日本に集中していた。人口密度は東日本が一平方キロ
当たり1.7人。なかでも関東は3人と、最密集地帯だった。
一方、当時の西日本は総人口が1万人以下で、人口密度も実に関東地方の
五十分の一の0.06人という超過疎地帯だった。
197日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:38:25
鎌倉時代以降、日本の中心は関東。


承久の乱により、朝廷と幕府の立場は一変した。幕府は朝廷を監視し、時には介入するようになり、
朝廷は幕府に憚って国家の大事にも幕府に伺いを立てるようになった。

また、西国で多くの没収地を得、これを戦功があった関東武士に大量に給付したため、執権北条氏と関東武士との信頼関係が強固になり、

多くの関東武士が西国に移り住むこととなり、幕府の支配が畿内にも強く及ぶようになる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1
198日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:44:19
関西・大和の国・西日本を含む、日本の支配層=武士階級は、
ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名と、その家臣=関東武士・東日本武士。

神君・徳川家康公は、静岡県出身なので東日本人。

関ヶ原の戦いで、東軍=徳川軍が、西軍に圧勝した後、徳川家康公は、大規模な国替えを行い、
重要地帯である関東周辺−関西周辺間を、ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名で固め、
もとから関西にいた外様大名は、勢力の大きかったものを中心に、とりつぶすか、西日本の僻地・東北の僻地に追放し、
追放先には、監視・けん制の為、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名を適数、置いた。

関西の支配層=武士階級は、ほぼ全て、徳川一門の大名・徳川恩顧の大名と、その家臣=関東武士・東日本武士に入れ代わって、
もとから関西にいた外様大名と、その家臣は、西日本の僻地・東北の僻地に追放され、
残った関西の商人・農民などの庶民は、関東武士・東日本武士の支配下に置かれた。

だから、関西に意外と縄文顔の人がいたり、東北に意外と朝鮮顔の人がいたりする。

>関ヶ原で西軍がどうなったと思っている、
>大名は打ち首・遠島、領土は召し上げ、さらに豊臣恩顧の大名は、
>10年以内に、その殆どが、つまらん理由で潰されている。
199日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:45:26
下の近畿の大名を見ると、

重要地帯である関東周辺−関西周辺間は、親藩・譜代藩が圧倒的に多く、
関西周辺を除く西日本・東北は、外様藩が圧倒的に多い。
ここから、武士階級が中心であるが、住民の系統がわかる。

※親藩=徳川一門の大名の藩
譜代藩=徳川恩顧の大名の藩
外様藩=関ヶ原の戦い以後、徳川側についた大名の藩

http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%81%8C%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84


日本は、徳川家・関東武士・東日本武士を中心とした、サムライの国である。
200日本@名無史さん:2006/04/21(金) 02:49:55
>>192
静岡あたりの本州南岸の縄文っぽい形質は
恐らく中期縄文人が寒冷化で南下したその末裔ということでいいと思うよ。
ただし西日本縄文人ともかなりの相互交流があったようだ。
あのあたりは、縄文晩期遺跡としてあまりにも有名な
愛知県渥美半島の吉胡貝塚(多分これで漢字は正しいと思う)など
縄文後期後半から晩期にかけての遺跡がかなり沢山ある。
>>195-197
一度中世人骨研究を勉強しようなw
いわゆる「材木座人骨」などの中世人骨は長頭であること以外
縄文人骨とはかけ離れた形質を持つ。何より、縄文人と正反対に
巨大な前歯が付き出したひどい「出っ歯」だ。
この特異な形質は恐らく内婚度と食物によるものだろうと言われている。
関東の縄文人口は後期から晩期に激減し、その上土壌が原始的稲作に不適だから
弥生人先発隊定住もごく少数だった。>>196はそれを反映している。
201日本@名無史さん:2006/04/21(金) 04:50:13
下克上の戦国時代になると、
地方豪族・庶民・浪人等から成り上がった戦国大名に、源平系の大名等は、ほとんど滅ぼされた。

また、源・平・藤原等の出身であっても、実際には自称=偽者のケースが多かった。


>戦国時代のことばを借りていえば、徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉と同じ「成り上がり者」氏族で、新興氏族に過ぎなかった。
>しかし、だからといって徳川氏の偉業が損なわれるものではない。乱世を生き抜き、明治維新に至るまでの太平の世を現出したことは事実なのだから。
>戦国時代、名流をもって君臨したものの多くは滅亡し、最後に生き残ったのは、徳川家をはじめ、そのほとんどが自己の能力と運をもって成り上がった者だった。
>これは、中世から近世への過渡期に起こった革命でもあったのだろう。

http://www2.harimaya.com/aoi/tokukeiz.html
202日本@名無史さん:2006/04/21(金) 04:53:53
渡来系弥生人の急速な拡大は、なぜか今の名古屋周辺・濃尾平野でストップする。

濃尾平野からの東、実はそこは、
西日本をはるかに上回る数の縄文系の人々が暮らす、いわば縄文系の牙城だった。

遺跡の分布の研究から、
縄文人のおよそ85%は東海・北陸以東の東日本に住んでいたという推計がなされている。
その理由は、東日本と西日本の自然環境の違いに求められるという説が有力だ。


東日本は、ブナやナラなど冬になると葉が落ちる「落葉広葉樹」の森に覆われている。
それに対して、西日本の森はシイやカシなど一年中、緑の葉が茂る「照葉樹」が中心だった。
この二つの森では、東日本の落葉広葉樹林の方が、ドングリなど食糧となる資源が豊富だと言われている。
こうした理由から、縄文文化も中部・関東、そして東北地方といった東日本で栄えたとされている。


その事が解るのは、渡来系の人々が伝えた遠賀川系の土器が、
一部の例外を除いて全くと言っていいほどに東日本に入り込んでいないからである。

--------------------------------------------------------------------------------

日本人はるかな旅5・そして日本人が生まれた  より

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/sumiwake.html

日本人のルーツ

http://toron.pepper.jp/jp/kodai/roots/index.html
203日本@名無史さん:2006/04/21(金) 05:08:55
>>200
鎌倉時代の関東武士の全てが、縄文人の直系の子孫、
鎌倉時代の関東武士の全てが、縄文人と全く区別がつかなかったとは書いてないだろ。
204日本@名無史さん:2006/04/21(金) 05:10:56
>>200
>>132
>>140
鎌倉時代の関東武士は、掘りが非常に深く、長頭で、現代の典型的日本人とは、全く違うものだった。

渡来系・朝鮮系は、短頭から中頭だから、
鎌倉時代の関東武士は、少なくとも、渡来系・朝鮮系ではなく、
縄文人の形質が非常に強い、縄文人と渡来系弥生人の混血。

縄文人の歯は小さく、縄文人のアゴも小さい歯に対応したものとなっていた。
一方の渡来系の歯は非常に大きい。

混血によって歯が渡来系になり、アゴが縄文系になると、当然、歯が全て、アゴに、うまく収まりきらず、
歯並びが悪くなり、出っ歯になったり、八重歯になったりする。
歯の大きさは一度変化してしまうと、世代交代を繰り返しても、なかなか変化しないことが、わかっている。
205日本@名無史さん:2006/04/21(金) 05:24:29
>>132
関東は不毛の地と書いてあるが、
小田原・後北条氏が移封になって、徳川家康公が入ってくる前の、小田原・後北条氏の時代でも、関東八州弱で250万石弱あった。

小田原・後北条氏の移封は、250万石から1万石への移封と、大幅減になったので、家臣団を、ほぼ全て解雇してしまい、
ほぼ全ての家臣は、徳川家家臣になったり、旧領で帰農したりしているので、
住民は、ほとんど、そのまま関東に残った。


温暖で、台風があまり通過せず気候が安定していて、水害も、ほとんどなかった、関東は、農業に適した地域で、豪農が多く、
農業に適した地域の為、小田原後北条氏の時代、関東は年貢率=税率が40%と、日本で最も年貢率=税率が安かった。


気候的・地理的に農業に適さない地域などは、年貢率=税率が高く、80%以上の所もあった。W


気候的・地理的に農業に適さないのは、寒冷な東北・北海道や、台風が頻繁に通過する西日本の方。


江戸時代以前や、江戸時代に、天候不良による不作で、飢え死にする人が多かったのは東北など。
206日本@名無史さん:2006/04/21(金) 05:31:26
>>132
関東は不毛の地と書いてあるが、
小田原・後北条氏が移封になって、徳川家康公が入ってくる前の、小田原・後北条氏の時代でも、関東八州弱で250万石弱あった。

小田原・後北条氏の移封は、250万石から1万石への移封と、大幅減になったので、家臣団を、ほぼ全て解雇してしまい、
ほぼ全ての家臣は、徳川家家臣になったり、旧領で帰農したりしているので、
住民は、ほとんど、そのまま関東に残った。


温暖で、台風があまり通過せず気候が安定していて、水害も、ほとんどなかった、関東は、農業に適した地域で、豪農が多く、
農業に適した地域の為、小田原後北条氏の時代、関東は年貢率=税率が40%と、日本で最も年貢率=税率が安かった。


気候的・地理的に農業に適さない地域などは、年貢率=税率が高く、80%以上の所もあった。W


気候的・地理的に農業に適さないのは、寒冷な東北・北海道や、台風が頻繁に通過する西日本の方。


江戸時代以前や、江戸時代に、天候不良による不作で、飢え死にする人が多かったのは東北など。


でたらめ書いちゃ、だめだよ、寄り目ビビンバ・バカ朝鮮人君。
207日本@名無史さん:2006/04/21(金) 06:00:42
承久の乱・関が原の戦い・大阪冬の陣・大阪夏の陣
での東軍の大勝利、
全て関東武士の輝かしい功績だよ。


無敵・関東武士軍が、西軍を、かんぷなきまでに叩きのめしたのだ。


承久の乱
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%BF%E4%B9%85%E3%81%AE%E4%B9%B1

関が原の戦い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E3%81%8C%E5%8E%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84

大阪冬の陣・大阪夏の陣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%9D%82%E3%81%AE%E5%BD%B9
208日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:05:06
>古墳時代から鎌倉時代に、日本人が長頭になったんじゃなくて、
>長頭の縄文系日本人が、渡来式の埋葬をするようになっただけ。

>つまり、縄文時代や弥生時代には、長頭の縄文人の埋葬方法が粗雑で、
>遺骨が、後の時代に残りにくい為、貝塚などのCaに富んだ土壌でのみ発見される。

>しかし、古墳時代・奈良時代・平安時代・鎌倉時代・室町時代ともなると埋葬方法も、ちゃんと墓穴を掘って遺体を埋めるようになってきたため、
>後の時代に遺骨が発見される数が飛躍的に増えた。

>それと、弥生時代の骨の調査で、渡来人が居住した地帯からの骨ばかりカウントすりゃ、
>あたかも、その時代の日本人が中頭だったかのような誤解を招く。

>弥生時代だって、日本列島に居住してる人の大部分は、縄文系日本人なのであって、
>埋葬が粗雑だったがために遺骨が残ってないだけのこと。

>それと考古学的関心が持たれる遺跡(集落とかクニとか鏡・剣・勾玉なんかが出る)ばかり掘るので、
>そこから出る骨は渡来系が多いのは当たり前。


>鎌倉時代には、まだ縄文人の系統が、鎌倉周辺ではマジョリティーだったんだよ。
>関東の武士団は、土着の地方豪族たちで、
>土着の地方豪族たちは、土着の農民らを兵としていたから、関東武士の骨が、縄文人の骨と区別が、つきがたいほど似ていた、
>ということは彼らが居住していたであろう鎌倉周辺は、14世紀になっても縄文人系が多かった。


>しかし、北部九州や畿内や山陰の古墳に埋葬されてる骨の多くは、短頭から中頭。それは何故か解るだろ?
>朝鮮半島や中国からの渡来人だからさ。
209日本@名無史さん:2006/04/24(月) 08:06:04
>78 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:20:26 ID:Uf/Cayc+
>>77
>え?基本的には縄文人は長頭だと思うが。
>短頭に近づくのは、弥生期初期ではないか。

>ソースは、
>池田なにがしの古人骨の本(講談社新書か、中公新書か、岩波新書)
>だったと思うが。
210九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/04/24(月) 11:35:49
>>208
その通り。

繁殖率と遺伝優勢もある。
短頭・中頭・眼窩上隆起低>長頭・眼窩上隆起高
統計的には確認していないが、
個人的観察では、眼窩上隆起低>眼窩上隆起高の優勢遺伝が認められる。
211161:2006/04/26(水) 19:26:47
国司は「タケル」だよ。

乱破(らっぱ)=アヤタチ
透破(すっぱ)=ミスカシ
突破(とっぱ)=ツキサシ

どれも集団移動の役割分担が語源。
212日本@名無史さん:2006/05/21(日) 14:39:59
ほほー
213日本@名無史さん:2006/06/04(日) 08:01:26
てっきり、武蔵国って、宮本武蔵が名づけたか、宮本武蔵ゆかりの国だから
そういう名前になったと思っていました。
「武蔵」っていう名前がかっこいい感じで好きなので、てっきり宮本武蔵
由来の名前かと思っていました。
214日本@名無史さん:2006/06/15(木) 02:40:09
>>213
東北地方、特に蝦夷に対する武力・武器の兵站地域(つまり「蔵」)だった事
に由来すると言う説が近いと思います。奈良時代では、中央朝廷から見ると
東北地方は治外法権的な辺境地、その最前線が武蔵国と考えられる訳です。
平安時代に入ると蝦夷も平定され、その捕虜である俘囚が移動(入植とも言える)
して来ましたが、やがて国府・受領に抵抗を始め群党蜂起に到りますが、その
鎮圧勢力として都より下向した中央軍事貴族が勢力を広げて行った訳です。
それらの系譜が「武蔵七党」などの坂東武士団の祖となりました。
215日本@名無史さん:2006/06/15(木) 02:44:23
方丈記だったかなぁ、
西南海の領所を願いて、東北の荘園を好まず。
216日本@名無史さん:2006/06/15(木) 12:48:38
当て字なんだからカッコいいか目出たいかすれば何でもいいんだよ。
もともとは「无邪志」とか「胸刺」と書いてた。
217日本@名無史さん:2006/06/16(金) 00:07:51
ムサシモ
218日本@名無史さん:2006/06/17(土) 03:13:35
>>214
>鎮圧勢力として都より下向した中央軍事貴族が勢力を広げて行った訳です。

坂東など地方の在地富豪層が、都から下った王胤貴種を婿に迎える。
生まれた子、その子孫が母親の地盤を基に発展。姓は父系(貴種)を名乗る
⇒辺境軍事貴族。

天慶の乱での功績により、秀郷・貞盛などの辺境軍事貴族が中下級貴族として都に進出
⇒中央軍事貴族(都の武者)。


>むさし=武蔵
>>216の言うように当て字。
珠流河(するが)、知々夫(ちちぶ)、大倭(やまと)。
219九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/21(水) 07:07:45

珠流河(するが)、知々夫(ちちぶ)は正しいが、
大倭(やまと)は間違い。

参考:
大倭(たいゐ)→(たぃゐ)→イ妥(たい)
220日本@名無史さん:2006/06/24(土) 01:13:33
プ
221日本@名無史さん:2006/06/24(土) 03:06:49
九州電波は巣にカエレ
222日本@名無史さん:2006/06/25(日) 22:07:16
>>219
珠流河,知々夫,大倭は
国造本紀の表記です。
223九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/06/27(火) 03:23:51
>>222
「大倭」は「タイヰ」と訓む、「ヤマト」ではない。
224日本@名無史さん:2006/06/27(火) 04:09:47
という電波説もあります
225日本@名無史さん:2006/06/27(火) 17:54:41
うおっまぶしっ
226日本@名無史さん:2006/06/29(木) 00:33:44
ゆんゆーん
227日本@名無史さん:2006/06/30(金) 23:29:04
>>223
読みが先で、漢字表記は後でしょう。
やまと⇒倭、東
228日本@名無史さん:2006/07/02(日) 18:44:25
武蔵丸
229九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/03(月) 04:19:28
委奴國

委(ゐ)→倭(ゐ)→大倭(たいゐ)→俀(たい)

壹(邪馬壹國・・・邪馬臺國にあらず)
230日本@名無史さん:2006/07/07(金) 09:47:26
委と壹じゃ発音がぜんぜんちがうじゃん?w
231日本@名無史さん:2006/07/08(土) 23:03:43
アテジ
獲加多支鹵
232九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/15(土) 08:29:52
>>230
>委と壹じゃ発音がぜんぜんちがうじゃん

音が似ている。勿論アテジ。
壹 i
委 wi
233日本@名無史さん:2006/07/25(火) 03:04:21
yuiとwaじゃね?上古音なら。
234九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/07/28(金) 18:48:32
>>233
漢音だからiとwi
235日本@名無史さん:2006/07/29(土) 10:19:31
漢音じゃダメだろw
236九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/08/06(日) 18:14:04
「壹」「委」及び「倭」「俀」は、中国史書に書れているので、
史書の時代から考えて漢音となる。
237日本@名無史さん:2006/08/06(日) 21:15:47
>>236
前々から思ってたけど藻前は本当に基礎知識がデタラメだな。
238九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/08/06(日) 23:42:27
適当にしたら早速突っ込んで来たね。

「委」は出典が史書でないわな。
出典は金石文、史書より信頼性が高いわな。
どちらにしろ漢音。

「俀」は漢音でない、隋音。

現代中国語音とは無関係。
239日本@名無史さん:2006/08/07(月) 19:08:14
アホか。
漢音は唐以後だ。
漢音なんていってる奴は現代中国音もちだすバカと同レベル。
240日本@名無史さん:2006/08/07(月) 19:45:21
南朝以前の発音は呉音、仏典の読み方がこれ
隋唐から宋元までの発音は漢音、一般的な日本の「音読み」
明清以後の発音は唐音、現代中国語の発音がこれ
241日本@名無史さん:2006/08/24(木) 21:10:36
そうかあ?
========= 改め PUについてかたるスレ ===========
このスレはPUが作った乱発スレの一つですが、それを逆手にとりPU対策スレとしています
※PUは1人で自作自演して、他の人がせっかく入れた意見を、消し去ります。しかも結論も無い妄想や暴言で!何とかしてください!
PU=プラム=安曇連=がいやまん =太国=ヒッキー=サガミハラ=本田=定ちゃん=彼都
♪探して♪探して♪ 更新望む


【PU作成HPワクワクするね必見だよ!】
http://www1.ocn.ne.jp/~gengoman/MyPage/album_show8.html?page=7
このアドレスよその窓に、貼り付けてみてください。この窓からは重いかも
PUのマニアックな生態が窺い知れます。

お仕置きしちゃだめ

    %%%%%%%%% 
    6| -σ-σ | 
     |   ゝ  |  <チョンコまるだしだから
     \ ∀ / 
    │|  │ 
     U ♂ )
     │|│|
     ⊂つつ

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151161164/l50
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1151055171/l50
【大ヒット書き込み中】先行ぷスレ 今は座談会になってます。 【大ヒット書き込み中】

243九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/08/25(金) 04:28:04
古代中国語の発音
黄河中流域言語:漢音(北朝語音) 〜前漢〜魏 隋〜宋 (現代客家語系 客家語)
長江下流域言語:呉音(南朝語音) 呉〜南朝 (現代呉方言語系 上海語等)
黄河下流域言語:北京音(アルタイ語音影響) 明〜現代 (現代北方方言語系 官話)
244日本@名無史さん:2006/08/25(金) 18:59:08
>>243
あのね。地域別じゃなくて時代別でわけてんだよ。
素人からみて地域別だと誤解するのもムリないが・・・
245九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2006/08/25(金) 22:03:41
>>244
大和天皇朝廷論は歴史ではなく思想であるがごときですね。
専門家の言葉は誤解を増幅させるように、言葉を選んでいるのですね。
246日本@名無史さん:2006/09/12(火) 02:41:00
あかさわ
247日本@名無史さん:2006/09/13(水) 07:33:32
バブルの真っ盛りの時に
東京都と神奈川県を合わせた地価が
アメリカ全土よりも高くなってしまったという話しがあるが、
武蔵国でもそんなもんだろうね。
248日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:32:46
MUSASHI〜SHIN城〜
249日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:28:07
なんでムサシの音に「武蔵」の字を当て嵌めるのか
ナゾだったんだけど、あまり意味ないわけね。
250武蔵国 ◆ga0MwilsDE :2006/09/14(木) 23:59:47
良スレage
251日本@名無史さん:2006/09/15(金) 07:38:08

誰か埼玉県入間市の
「扇町屋」について知っている方が居たら教えて下さい。
252日本@名無史さん:2006/09/17(日) 21:22:39
そんな地名があったのか
253日本@名無史さん:2006/10/01(日) 00:10:00
俺の先祖は入間郡の守護地頭だ。
ひれ伏せい百姓共。
254日本@名無史さん:2006/10/01(日) 00:13:43
俺は入間宿禰広成だ。
ひれ伏せい百姓共。
255日本@名無史さん:2006/10/01(日) 21:11:03
俺は横山党の横山だ。
北条氏ね。
256日本@名無史さん:2006/10/21(土) 20:59:26
俺も横山党の横山だい!
257日本@名無史さん:2006/10/22(日) 12:42:29
ちなみに,戦艦大和はかつての最初の都があった国からその名を採り,
戦艦武蔵(正しくは武藏)は,現在の都のある国の名を採ったものです。
258日本@名無史さん:2006/10/24(火) 00:57:56
戦艦山城 戦艦摂津
259日本@名無史さん:2006/10/28(土) 15:27:36
今、1308に居るというのが 分からんのか?
260日本@名無史さん:2006/11/02(木) 08:27:35
文楽の太夫も山城小掾とか官名をもらっているようですね
261日本@名無史さん:2006/11/05(日) 06:00:27
戦艦東京 戦艦横浜 戦艦京都 戦艦江戸 戦艦室町

戦艦金閣 戦艦銀閣 戦艦皇居 戦艦御所 戦艦霞ヶ関

戦艦六本木 戦艦銀座 戦艦甲子園 戦艦大阪

戦艦さいたま 戦艦つくば 戦艦つくばみらい 戦艦ひたちなか 

戦艦南アルプス
262日本@名無史さん:2006/11/05(日) 06:03:11
戦艦歌舞伎町
263日本@名無史さん:2006/11/05(日) 10:13:06
戦艦国際学院
264日本@名無史さん:2006/11/05(日) 11:05:10
戦艦富山(の薬売り)
265日本@名無史さん:2006/11/05(日) 19:26:31
>>253
守護なのか地頭なのかハッキリしろ!
266日本@名無史さん:2006/11/08(水) 11:57:10
>>265
守護地頭だよ。
267日本@名無史さん:2006/11/08(水) 16:24:17
武蔵國にあった藩
川越、忍、岡部、喜多見、岩槻、
268日本@名無史さん:2006/11/26(日) 00:49:19
俺っちの先祖は武蔵七党の最大勢力児玉党だ!
しゃぶれよ農民共
269日本@名無史さん:2006/11/27(月) 13:30:31
鎌倉時代の武蔵国の守護・地頭の氏名、居城などをのせたサイトを教えてください
270日本@名無史さん:2006/12/06(水) 07:31:59
江戸氏 千代田区千代田あたり 功績につき西国に領地
豊島氏 北区〜豊島区〜練馬区 功績大につき西国の守護に
葛西氏 葛飾区青砥あたり  功績大につき東北に領地
271日本@名無史さん:2006/12/24(日) 22:22:59
あげ
272日本@名無史さん:2007/01/11(木) 15:06:13
今、戦国期の武蔵北部の諸族について調べているんですが
本庄氏や藤田氏などは平良文流秩父氏系という記事を見つけましたが、
何か資料になるような本はありますか?
また上州新田氏岩松家と関係があるような武蔵の武家はおりますか?
273日本@名無史さん:2007/01/21(日) 15:50:18
中央線、三鷹の隣の「武蔵境」は、どこと、どこの境なの?
274日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:02:03
武蔵と他国との境(界・堺)ではない。省線(→国鉄)は全国で同名の駅が重ならないように、後にできた駅には旧国名を冠した。武蔵小金井なんかもそうだ。

境村(現・武蔵野市境および境南町)の名の興りは、玉川上水と千川上水との境(分岐点)がここにあり、またその管理を村民が担っていたから。
275日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:16:16
武蔵五日市
276日本@名無史さん:2007/01/21(日) 23:35:23
もともとはムサの国でムサカミ、ムサシモに分かれて相模、武蔵になったって本当?
277九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2007/01/22(月) 06:46:04
>>276
裏づけはない。
20〜30年前に誰かが本に書いていた。
仮説とは言えないが、面白いのアイデアなので僕が取り上げただけ。
278日本@名無史さん:2007/02/25(日) 06:54:54
keep
279日本@名無史さん:2007/02/27(火) 16:48:41
>274
そういや国立(くにたち)もなんか深い意味あるのかと思ったら
単に「国」分寺駅と「立」川駅の間にある駅だからって
聞いた時は萎えた
280日本@名無史さん:2007/02/27(火) 18:38:39
中浦和
281日本@名無史さん:2007/02/27(火) 20:58:16
地名でいかにもいわれがありそうなのが京王沿線
府中、調布、国領、飛田給、布田、分倍河原
282日本@名無史さん:2007/02/27(火) 23:01:25
>>281
高幡不動
平山城址公園

八高線沿線駅名は最強クラス
283日本@名無史さん:2007/03/31(土) 20:53:10
ウホッホ
284日本@名無史さん:2007/04/01(日) 00:45:59
>>279今や高級住宅街にして文教地区。元は谷保村なのに…

>>281調布町→市制施行。
東調布町→大森区(現・大田区)に編入。現在の田園調布、およびその周辺。
西調布村→青梅町(現・青梅市)に編入。

調布とは、布(玉川にさらす)を調として納めた地域。
285日本@名無史さん:2007/04/01(日) 02:28:34
大化の改新によって、無邪志(むさし)と知知夫(ちちぶ)の地が合体されて
武蔵国となった。武蔵というのは「ムサ+シ」。ムサとは古代朝鮮語で麻布の
こと。現在も調布という地名が残っているが、元々は武蔵国一帯が麻布の
製造や染色の盛んな地であった。数年前に韓国映画で「ムサ(武士)」という
のがあったが、之とは関係ないだろう。なお、武蔵の「シ」は万葉時代から
平安初期にかけてよく使われた、語調を整えるための副助詞「し」なので、
武蔵は意味的には古代朝鮮語で麻布を意味する「ムサ」のみ。
この「ムサシ」に「武蔵」の字が当てられたのは、朝廷の武器庫があった
から。
286日本@名無史さん:2007/04/01(日) 06:56:30
>>285牟邪志 + 胸刺 + 知々夫 だろ。
調として納めた布は、麻ではないよ。


いくらエイプリルフールだからって、適当にカキコしないでくれ。
287日本@名無史さん:2007/04/02(月) 01:00:53
>285
ムサいおやじ、ムサくるしい奴、で使われる「ムサ」も
朝鮮語ですか?
288日本@名無史さん:2007/06/19(火) 18:53:03
>>255-256
横山強君

289日本@名無史さん:2007/07/04(水) 18:07:00
下すぎて捜すのが面倒なので上げ
290日本@名無史さん:2007/07/04(水) 21:01:51
もいっちょ
291日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:11:12
>>285
宮本武蔵は?
292291:2007/07/06(金) 23:19:55
あぁもともとは違う漢字だったんだね
293日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:31:23
今ぐぐったけど、武蔵国と相武の地名が朝鮮語由来なのは間違いないらしいね
294日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:33:38
ぐぐった程度で答えの出る問題じゃないんだが
295日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:41:40
いやしかし、一応通説であるということが分かっただけでも収穫は大きいと思うぞ
296日本@名無史さん:2007/07/06(金) 23:57:43
原日本語、アイヌ語説は無視か?
本居宣長の説は?
297日本@名無史さん:2007/07/08(日) 00:39:15
>>296
アイヌ語説というよりは、アイヌ語と朝鮮語の混同だという説があるが
298日本@名無史さん:2007/07/08(日) 00:45:50
アイヌ語 ム・チヤシ=平和なとりで
299名無しさん@社会人:2007/07/08(日) 16:21:39
明治天皇が京都御所から東京に遷都するさい、自分とこの伊勢神宮などさしおいて、
大宮氷川神社に参って皇居に入ったということですが。
かつての武蔵国一の宮で祭神は天孫系でなく国津神のスサノオです。
まあ東京に反乱分子が起こらぬよう祈願したということなんですかねw
このへん説明してくだされ。
参考までに
http://www.bell.jp/pancho/travel/saitama/hikawa%20jinja.htm
300日本@名無史さん:2007/07/08(日) 17:17:53
ヤマト・クヌシリ=大和人
ヤマトンチュ=大和人
ダーフォア・レン=大和人
テーファ・サラム=大和人
301日本@名無史さん:2007/07/14(土) 14:34:19
ムサシの語源の探求はそれなりに面白いですからやってください

テレビのクイズ番組で東京の杉並区には上高井戸と下高井戸がありますが
どちらが皇居に近いでしょうという質問があって笑ってしまいました
上がつくから上高井戸と答えるとブ〜
下高井戸と答えるとピンポンピンポン
高井戸は現在の皇居でなく武蔵国の府中(首府)から見て上下が決められたのです
って引っ掛け問題のつもりらしい

それで現在の府中市が武蔵国のころいつ首府になったかというと
乙巳の変(別名大化の改新)というクーデターのあとだという
このクーデターで倒れた蘇我大王は下総を中心に大領地をもっていたため
当時の重要物質である鉄と絹を産出する群馬・秩父を背後にもつ府中は
流通の拠点としてちょうどよい所だったのだろう
それで朝廷の力が衰えた鎌倉時代になると
府中の大国魂神社が近隣の一の宮であった氷川神社はじめ六社を統合して武蔵総社になる
大雑把につかまえておくとこんなことですか



302日本@名無史さん:2007/07/14(土) 15:35:49
>>301
上高井戸、下高井戸は玉川上水の上流、下流でもあります。
303日本@名無史さん:2007/07/17(火) 06:39:33
そうね。
皇居というか江戸城ができる以前に高井戸とか阿佐谷とか荻窪という地名は
すでにあった。玉川上水は江戸時代に作られたもので、当然のことながら
上高井戸が上流になります。
徳川が江戸に幕府を開くさい、武蔵国の国府である府中をどう采配したか?
304日本@名無史さん:2007/07/17(火) 07:25:31
江戸期、六所宮の社領は氷川社を凌ぐ。
305武蔵国 ◆wJE1TEQYNM :2007/07/17(火) 18:44:04
武蔵の地も汚れたものだ。
もう東京と横浜は捨てざるおえない。
306日本@名無史さん:2007/07/19(木) 21:57:26
武蔵つうか関東のほとんどの神社の祭神がスサノオ系だわね
天皇家のアマテラス系神社は日本全国比でも少ないのだよ
これは如何?

307日本@名無史さん:2007/07/20(金) 02:15:50
アマテラス系やスサノオ系は少数派なのはしょうがない。
神道での最大勢力は全国で3万社とも4万社とも言われる稲荷系(通称、お稲荷さん)
308亀井秀綱:2007/07/20(金) 02:19:14
なんで睾丸のことをお稲荷さんっていうのかね?
309日本@名無史さん:2007/07/20(金) 06:48:22
油揚げを袋状にして酢飯をいれるイナリ寿司の連想からきたシャレ
310日本@名無史さん:2007/07/20(金) 20:05:07
ははw
キンタマも稲荷すしも袋に入ってるという連想ですか。
しかし稲荷神社て、神社て感じがしない。神道とカンケーするの?
キッチュだもんなあw
ビルのオーナーが屋上に作ったり、工場の敷地内に作ったりするのは
すべてミニ稲荷神社なんだね。
江戸に多いのは稲荷神社と犬の糞とか川柳もあったくらいだし。
このへんの心性は変わってないようだねえw
311日本@名無史さん:2007/07/22(日) 22:47:33
>>310
稲荷神社は稲作の農業神ですから
312日本@名無史さん:2007/07/23(月) 08:43:52
「ですから」って何を言いたいの?
稲荷というくらいだからもともとは農業神なんだが
室町時代に商業が活性化してくると
町家に稲荷神社が勧請されるようになった
と検索すれば出てくるだろ
検索して勉強したらどうよ
農業の神様が商業の神様に転化したいきさつについて
解説してくれたまえよ
このへんは検索しても出てこないだろう
稲荷神社に興味ないのでどうでもいいけど
学者さんのネタとしてはいいかも
313日本@名無史さん:2007/07/30(月) 14:14:19
はいはい稲荷神社ネタはつまらないので武蔵国という趣旨に戻しましょう
武蔵国の国府が府中になる以前は誰が武蔵国を支配してたのですか?
下総や常陸の鹿島に砂鉄が産出されたので蘇我氏はこの辺一帯を支配してました
現在でもJR京葉線の千葉と木更津の間に蘇我という駅名が残ってます
蘇我氏の伝説はこの辺たくさんあるんですけど
藤原氏の祖である鎌足が鹿島出身であるというまことしやかな伝説もあるがウソだろ
蘇我氏を倒したのは鎌足だから
鹿島に中臣氏がいたのは間違いないが鎌足は百済から来て養子としてもぐりこんだのだろう
さて,このころ武蔵国の動静はって?何も文献がないんだよねえ









314日本@名無史さん:2007/07/31(火) 08:11:07
蘇我氏は従来百済系とか加羅系とかいわれてたんだが
蘇我氏が建立した元興寺(現在の飛鳥寺)が最近発掘されて
四天王寺のように中門・塔・金堂・講堂が南北に一直線に並ぶのでなく
塔を中心に三つの金堂が取り囲む高句麗様式だと判明している
蘇我氏を倒した側が編纂した日本書紀は高句麗についてほとんど触れない
白村江で負けた百済・倭連合軍だが、当然勝った側は駐留してくるね
書記はこれを「朝貢」と記しているのだから笑ってしまうというかいじらしい
315日本@名無史さん:2007/08/01(水) 06:57:01
武蔵国に府中という国府が置かれる以前の武蔵なんてほとんど人の住まない僻地ですよ。
府中を国府にしたのだって足利と新田から東海道の相模国府(これがいまだ所在地が分かってない唯一の国府)を
経由する中継地点だったからでしょう。あわてて新政府はそういう経路の官道を急造しました。
なぜ足利と新田が起点になるかというと、良質な鉄を産出する赤城山と絹を産出する桐生を後背地にしてたからでしょう。
ですから府中は単なる中継地点で国府になっても相変わらず僻地です。
12世紀ともなると、この官道は使われなくなりますが、理由はまいいいや。
ともかく僻地だった武蔵。
316日本@名無史さん:2007/08/04(土) 00:19:15
>>314
進駐してきた新羅人が集まって新羅郡ができたらしいな
317日本@名無史さん:2007/08/04(土) 10:48:24
そうじゃなくて、埴原和郎の調査によれば7世紀の列島人口は540万人で
縄文時代からいた人10%、90%は渡来人ということです。
半島、大陸といっても現在のトルコ、イランあたりから来てる人もいるわけです。
縄文人といってもシベリアから渡来してきた人たちです。
それで各人がバラバラに棲み分けして困らなかったのですが
隋というこれまたバラバラな中国を統一した王国ができると
列島に干渉してきまして、列島も統一した政府を造って対応しなければならなくなりました
こうして出来たのが「日本」なんですが
あたかも列島に源日本人なるものがいてという創作をやったのは藤原不比等です
当時としてはよい政策ですが、いまだこの罠にはまってる日本人が多いね。
318日本@名無史さん:2007/08/04(土) 11:04:23
>>317

採点しちゃうと18/100点くらいかなw
先ずは宿題を済ませなさいな。
319日本@名無史さん:2007/08/04(土) 21:37:32
>>318
あなたが100点だとして、自説を何も述べないで他人を何点といっても説得力がない。
まあ現在の教科書に洗脳された人たちとかしか思われないでしょう。
320日本@名無史さん:2007/08/04(土) 22:46:24
318はバカだからどうでもいいよ,かまうな
321日本@名無史さん:2007/08/05(日) 09:55:43
あんまり武蔵とカンケーないけどさ
「日本書紀」に702年粟田真人を中国に派遣して国号を倭から日本しますとある
このとき中国は唐でなく周と国号を変えていて皇帝は則天武后という女帝だった
日本も持統という女帝だった
で、粟田真人は人品に優れ文芸にも長けた人物であるてなことを「旧唐書」は記している
でまあ2年間とどめおかれて日本国と天皇という称号を承認される
「日本書紀」ができたのは720年
て、教科書が教えない歴史
322日本@名無史さん:2007/08/05(日) 11:57:45
「旧唐書」に、長安三年(703年)その大臣朝臣真人来たりて方物を貢す
真人好んで経史を読み文を属するを解し容止温雅なり
則天これを麟徳殿に宴し司膳卿を授け放ちて本国に還らしむ
とあるんだけど
司膳卿て何ですかねえ
323日本@名無史さん:2007/08/05(日) 12:19:42
続投。司膳卿。ぐぐると80件くらいヒットしました。ウカツでした。
ま、日本という国号を認めてやろうじゃないのというお達しみたいなもんですな。
324日本@名無史さん:2007/08/05(日) 18:20:20
ふんふん。真人という名前がクセモノだねえ。
真人とは道教で真実をきわめた人の称号ですからねえ。
粟田真人は中国人じゃないのかな。どういう経緯で日本に来たのか不明だが。
使節としてはうってつけの人材には違いない。
325 :2007/08/06(月) 02:24:01
ナに言ってんだか?
「真人」は姓の最上位だぞ。
日本史の素人でも知ってるよ。
326 :2007/08/06(月) 02:29:23
真人:天武天皇が制定した八色(やくさ)の姓(かばね)の第一位。
皇族出身の者に授けられた。まっと。
327日本@名無史さん:2007/08/08(水) 05:00:42

武蔵七党の『金子』党って高麗から渡来したキム氏の通名?
328日本@名無史さん:2007/08/08(水) 06:52:34
金子党なんてないし
村山党の金子氏は地名
329日本@名無史さん:2007/08/08(水) 09:51:29
村山党
金子氏、山口氏、須黒氏、仙波氏、
久米氏、荒幡氏、大井氏、難波田氏、
330日本@名無史さん:2007/08/10(金) 06:21:46
教科書的には天武が八色の姓という制度をつくって
天武は天淳中原■真人天皇と。
ただし死んだあとの贈り名。
粟田真人は現役で真人を名のってる。
この天武つうのは天智の弟という設定ながら乙巳の変にも白村江にも登場しない。
壬申の乱の直前に唐突に出現し幼名の大海人皇子という名も書紀では1回しか記述されてない。
道教では修行の段階として道人→道士→道君→真君→真人→天尊というふうになってる。
粟田姓というのは新羅系かな。
ま教科書に洗脳された者になにを言ってもセンのないことですがw
w
331日本@名無史さん:2007/08/13(月) 10:56:32
いちおう、ここは武蔵国スレてことで。
乙巳の変までは蘇我大王が武蔵をふくむ関東八州を支配してた。
ここは蝦夷との前哨基地であったので
鎌足や中兄皇子が蘇我大王を倒しても次の大王も同じ構造だから
それまでの蘇我氏の勢力を温存せざるをえない。
実際、蘇我入鹿大王は倒れても次の政権は
蘇我氏がスタッフを占めてるじゃまいか。
鎌足は中国の意向ばっかり向いてるようなんだが、さてね。
332 :2007/08/14(火) 01:55:28
>337
恥の上塗りだな。
真人は主として継体系氏族に与えられた姓。
むしろ贈り名として与えられたのは稀。
当時の朝廷には腐るほどいる。
333 :2007/08/14(火) 02:25:59
>いちおう、ここは武蔵国スレてことで。

そういえば、武蔵国の国司は多治比真人
334 :2007/08/14(火) 18:13:22
粟田真人について調べてみた。
歴史小説や歌劇の主人公になっているくらい、メジャーな人だった。
知らなかった、恥ずかしい。
真人は名で、姓は「朝臣」だね。
大宝律令の編纂にもかかわっている。
粟田氏は京都東山あたりの古くからの豪族で、
古事記や日本書紀にも記載されている。
いろいろ勘案すると、出雲系のような気がする。
勉強になった。
335日本@名無史さん:2007/08/16(木) 21:31:32
このサイトすぐれものです
武蔵国スレにぴったり
http://www5a.biglobe.ne.jp/~kaya2002/0111.htm
336日本@名無史さん:2007/08/17(金) 02:21:39
奈良ってウリナラのナラですかぁ?
(°o°;;
337日本@名無史さん:2007/08/17(金) 19:37:52
在日のかたですかぁ?
いきなりウリナラなんて言われても分からんよ。
ぐぐって、ウリナラてわが祖国ということらしいと分かった。
で、奈良がウリナラのナラだとして、そうかもしれないし
そうじゃないかもしれない。どっちでもいいよ。
工作員ごくろうさま。

338日本@名無史さん:2007/10/15(月) 12:04:35
はい
339日本@名無史さん:2007/11/10(土) 20:54:49
340日本@名無史さん:2007/11/16(金) 21:53:56
武蔵七党の丹党の丹治だがなにか?ってかなんで丹治って福島県におおいの?ウチの過去帳には日蓮さんを世話?したとか伊達正宗に仕えてたとか書いてあるし?いつから福島方面いったのかしら?
341日本@名無史さん:2008/04/06(日) 19:05:48
室町時代
342日本@名無史さん:2008/04/07(月) 21:20:36
>340
犬が好き。
こんなところでチップに会えるなんて感激だ。
343日本@名無史さん:2008/05/19(月) 00:02:53
律令制で武州の中心が
埼玉(現行田)→多摩(現府中)
になった意味はなんぞや
344日本@名無史さん:2008/05/22(木) 06:52:16
「なら」と言うのは多分「開発地域」的な意味。
平にした土地。
だから奈良以外にも「ナラ」地名は多いよ。

関東に百済貴族や高句麗移民が入植したのは事実だけど、
どちらもツングース系。
現在の半島人から見れば敵だったひとたちだ。

百済被支配階級・新羅人→半島人の先祖
百済貴族・高句麗人・渤海人→ツングース系
              全羅南道、中国北方民族化、一部日本人に同化。
345日本@名無史さん:2008/05/24(土) 11:54:57
武蔵国と江戸の境はどの辺りですか?東は隅田川(大川)西は内藤新宿などと聞いた事があるような気がしますが・・詳しい方教えてください
346関東群代伊奈隼人正:2008/05/24(土) 13:20:30
武蔵一国だけで100万石ってホント?
347日本@名無史さん:2008/05/24(土) 13:27:25
江戸御府内のことを「朱引き内」と呼んでいた。
地図上で赤いせんを引いて府内を示した図があります。
江戸御府内は武蔵野国と下総国にまたがっていた。
「江戸府内」「朱引き」で調べてみてください。
348日本@名無史さん:2008/05/24(土) 22:41:54
>>345です>>347さん!ご親切に有難うございます。
349日本@名無史さん:2008/05/31(土) 20:35:26
秦氏は渡来系氏族の姓とされているがどこの国から来たか分からない。
どこかわけのわからない国の高級技術者もしくは特殊技術を持った人たち
とされているわけだ。
350日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:22:53
三韓の一つ、秦(辰)韓国だよ。
351日本@名無史さん:2008/06/01(日) 03:16:40
テレ東でやってる
「日本王国」なるものって
結局渡来人の国なんだろ?
あまり掘り起こさない方がいいのでは?
352日本@名無史さん:2008/06/01(日) 15:37:13
船は木でつくります。寺院の建立にも木が必要です。他のことにも木が必要
です。もめたのでしょう。もめたあげくに文字を使う人たちに圧力を与え・・・
結局、木材はどこの省が一番優先されるのでしょうか。山で伐採されたのでしょうか。
木を切るには石でしょうか。
353日本@名無史さん:2008/06/01(日) 15:45:24
秩父銅山開いたのは、渡来人のおかげ?
354日本@名無史さん:2008/06/01(日) 16:16:31
秩父は登戸藩主喜多見若狭守が発掘したのだよ
355日本@名無史さん:2008/06/01(日) 16:53:02
寺院の建立には建築家と使役が要ります。税収は誰が一番多く分配されるのでしょうか
税収が少ない豪族は怒って地元に帰ったのでしょうか。帰っちゃった人たちは学寮あが
りの人たちからどういう風に記録されたのでしょう。負け犬でしょうか。当時負け犬の
人たちのことをなんと言っていたのでしょう。
356日本@名無史さん:2008/06/01(日) 17:17:47
国分寺の建築勢力はやはり聖武天皇の信頼が大きい方々でしょうか。いえいえ
みな平等ですよね。ところで国分寺って神社と作りが似ているともし仮にした
場合、可能性としては神社の方々がお手伝いしちゃったりなんかするわけ
ないですよね。仮にも。・・・国分寺を各地に建立できるというのは凄いですね。
357日本@名無史さん:2008/06/01(日) 17:25:45
しかしこうして考えてみますと学問を奨励する人より、学者に職と高給
を与えることができる人のほうが記録に、良くかいてもらえそうですね。
358日本@名無史さん:2008/06/01(日) 18:02:40
徒然草を書いた兼好法師さんは他人の祖先の出生のついて分かるのでしょうか。
分かるとしたらすごい才能ですね。すごい才能のない人たちでも字は書ける
ようになるかもしれませんが他人の先祖の出生が分かるようになるためには
かなり特殊な才能にかなり秀でないと無理なんではないかと僕なんかは考え
てしまいます。・・・売るほど才能があるという表現がぴったりDEATHね
やはり就職先は鈴屋でしょうか。まあ兼好法師さんは関係ないんですけど。
359日本@名無史さん:2008/06/01(日) 18:11:51
おーまーえーのーせーんーぞーはー・・・豚だ!
とか占い師みたいな人がほざいてたりして
360日本@名無史さん:2008/06/01(日) 20:20:08
旧武蔵國域は現在大都会。
361日本@名無史さん:2008/06/01(日) 22:42:12
秩父や羽生は田舎だよ
362日本@名無史さん:2008/06/01(日) 22:53:17
武蔵って広かったんだなあ。
畿内みたいに分割しなかったところを見ると
昔は人口が少なかったんだな。
363日本@名無史さん:2008/06/02(月) 00:46:45
人口は多い
密度は高くない
364日本@名無史さん:2008/06/03(火) 18:31:11
神風の 伊勢の海の 大石に 這ひ廻ろふ 細螺の い這ひ廻り 撃ちてしやまむ
神風に守護される 美しい日本の国の海にある 広範囲に存在する白く美しい宝石
と一緒に平和に仲睦まじく暮らしている 珊瑚礁を 付き纏い食らいついて
(貴族院のお力をお借りさせて頂いて)一匹たりとも残らず撃ち滅ぼさずには
許しません!(納得できません)
このことを別項の社告にあるように国民に宣撫するのだ!國民必ず厳粛に聴取せよ
 
365日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:09:35
今日は船について考えてみたいとおもいます。船はやはり木でつくられると思うのであります。
船を一艘つくるにはどのくらいの木材が必要なのでしょうか。たくさんの木材が必要になると
すればその木材を遠い山から切って運んでくるのは大変でしょうね。木を切るには石斧でしょうか。
あるいは銅製の道具を使ったのでしょうか。まあ無事に木材を調達したとして次は木材を加工して
組み立てなければなりません。どうなんでしょう。丸木船ならぬ丸太船ならばかんなをかけなくて
すみそうです。釘は存在したのでしょうか。麻の縄で縛ったのでしょうか。組立には人手はそれほど
いらないかもしれないですね。でもかんなをかけるとなると大変そうです。ノコギリも
なさそうですし。さて問題はその木をどうやって調達するのかだとおもうのです。
木材は他にも用途が沢山ありそうなので。・・・で寺院と船とどっちが優先されるべきかであります
366日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:21:30
他に木でできているものといえば機織り機でしょうか。それとか竪穴式住居とか、
木の数は限られていますし労働力も無限ではありませんからあまりにも遠いところ
から持ってこれるとは考えられません。近くに湖があれば水に浮かべて運ぶことが
できるでしょうか。・・・国分寺の建築勢力は国分寺を建て終わった後ひょっとし
たら船を作り始めたのでは・・・さて何を一番優先して作るかであると思うわけです。
367日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:38:22
何を一番優先することが皆さんの血税を使うことに対して公益であるか だと
思うわけであります。一部の人たちが見えないところでほくそ笑むことを公益
とすることはできないと思うわけでありまして、ところで遣隋使の時代の船は
どんな船だったのでしょう。漕ぎ手は・・・6人くらい?いえいえ多分遠洋航海?
に適した船だったんでしょう。ただどこで作られたかで僕はなんとなく中国あたり
の貿易商から買ったのではないかなんて思ってしまったりしているわけです。
368日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:55:45
世の中には船と寺がセットで嫌いという方々がいる可能性も否定は出来ないのでは
なかろうかなどと妄想するのは悪いことなのでしょうか。平清盛なんかは逆に船と
寺と関東がないとどうしようもないって感じがぼくにはするんですけど。清盛は
戦前は嫌われてたんでしょうかね。平家でないのは人にあらずという奴としてでしょうか。
もし嫌われていたとすれば幾つか原因があると思うのですが源氏が好きだと平氏が嫌い
・・・ところで北条氏は船と寺は好きでしょうか。北条氏が出てきた途端船と寺が
衰退して別の何かが増えたらそれはアーモンドフィッシュDEATHよね。
369日本@名無史さん:2008/06/04(水) 20:14:17
蝦夷の首長の伊治あざ麻呂という方は興味深いですね。中国語で伊という文字の
意味を調べてみるとなおさらです。中国語でも発音は い なのでしょうか。発音
も知りたいですね。伊を治める・・・い は他に 夷 もあります。い について
の解釈をきちんとした形でまとめようとすると狗なんかがでてきて吠えだしたり
しちゃうんでしょうか。卑しい狗!・・・なかなかよくわかるマスター公認テキスト
ですね。
370日本@名無史さん:2008/06/04(水) 20:52:57
伊都国は伊の都という意味でしょうか。これは中国から愛されているイメージ
が浮かびます。それに対して邪馬タイ国とはなかなかキツイ表現ですね。
邪馬・・・中国では じゃまなやつ は 邪馬奴と書くのでしょうか。もし
そうなら日本語の音読みと中国語の発音は似ているのかもしれないですね。
日本語は 邪魔 とでてきます。ところで伊都国は教科書では小さいと書かれて
いますが、根拠はほとんどない憶測のようですね。仮に大きいとした場合
なにか問題があるのでしょうか。卑しい狗みたいなのがギャンギャン吠えやがる
って感じがなんとなくしてくるのでしょうか。
371日本@名無史さん:2008/06/04(水) 21:01:54
や。ごくろう。アカデミズムだろうが素人だろうが説得力が問題。
とくに数式が通じない歴史などいくらでもホラになるから。
で、古代の船は紀州の杉を追求されたい。
372日本@名無史さん:2008/06/04(水) 21:18:50
しかしそれにしてもタイ国ってなんじゃらほいな感じですね。南へ南へ
ってのも何か妙です。三国志に出てくるモウカクあたりをイメージして
混同して書いてんじゃないかなんて思ってしまいます。魏では、従わない
国の奥へ奥へと進んでいくと、鬼みたいなのがボスをやってる、タイ国 に
行き着く と役人の間で考えられているのかもしれないですね。もう本当に
泰時氏は神者が大好きな式目生ハムと季節のフルーツトリッパの煮込みです。
373九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/05(木) 13:32:48

縄文晩期の人影まばらな武蔵。

そんな武蔵を発展させた原動力は東京湾の魚介類。

その蛋白質の供給が内陸部を発展させた。
374日本@名無史さん:2008/06/08(日) 22:14:43
金印は大きな破損はないようです。馬蹄に踏まれたくらいではびくともしないのでしょう。
さすがに王族の証ですね。アメニモマケズ 立派ですね。戦で巨大な石や岩が飛び交っても
無事だったのですね。元寇も凌ぎ、元寇防塁工事(大変な土木作業だったことでしょう)
の際にも被害を受けず、悪代官に見つかって横領されもせず、売り飛ばされもせず
本当になによりです。
375日本@名無史さん:2008/06/08(日) 22:16:57
損壊しなかったのはなによりです。
376日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:37:44
un
377日本@名無史さん:2008/09/12(金) 19:49:49
先祖が難波田城跡近くに住んでいたらしい。
その前は鎌倉時代に入間市の辺りとか。

800年経っても相変わらず田舎暮らし。
先祖がなんなのか気になる。
378日本@名無史さん:2008/10/20(月) 18:03:54
埼玉郡に無いのに
さいたま市は変
379日本@名無史さん:2008/11/13(木) 18:31:09
岩槻区だけは埼玉郡…
380日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:00:39
武蔵○○(または武州○○)という駅は26駅もある。武蔵国って大国ですねー


【神奈川県】武蔵小杉、武蔵溝ノ口、武蔵新城、武蔵中原、武蔵白石。

【東京都】武蔵五日市、武蔵引田、武蔵増戸、武蔵境、武蔵小金井、武蔵砂川、武蔵大和、武蔵関、武蔵新田、武蔵小山、武蔵野台。

【埼玉県】武蔵高萩、武蔵浦和、武蔵横手、武蔵藤沢、武州長瀬、武州唐沢、武蔵嵐山、武州日野、武州中川、武州荒木。

381日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:31:08
東武動物公園
382日本@名無史さん:2008/12/13(土) 12:28:32
>>380

あと、東武越生線の「武州長瀬」もな。

それと「武蔵野台」はネーミング的に少し違うと思うが・・・
383日本@名無史さん:2008/12/28(日) 16:14:07
足立区と葛飾区の境界線って、古くは(近世以前は)武蔵と下総の国境だったのか…
384383:2008/12/28(日) 16:19:51
訂正


近世以前→近世初頭以前
385日本@名無史さん:2008/12/29(月) 16:54:45
埼玉県民です。

明治以後、東京に以下の領土をとられてしまいました。

舟渡の一部(現:板橋区)。

浮間(現:東京都北区)。

榑橋村〔=小榑村+橋戸村=練馬区のうち白子川の左岸(西北岸)の地区〕。

西東京市のうちの旧保谷市の部分。

元狭山村(現在の東京都瑞穂町のうち、高根、二本木、駒形富士山、富士山栗原新田)。


我がいとしの埼玉県、ちっちゃくなっちゃってかわいそう
(´・д・`)
386日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:55:35
>>362-363
江戸時代にはそれなりに人口密度もあった。
人口 (1721年)
1位 1,962,839人/2,956.76方里 陸奥
2位 1,903,316人/391.63方里 武蔵 ←
3位 932,461人/767.29方里 越後
4位 877,650人/1,289.36方里 出羽
5位 809,242人/93.63方里 摂津
6位 712,387人/334.88方里 常陸
7位 693,725人/853.76方里 信濃

65位 31,856人/19.74方里 飛騨
66位 19,993人/8.81方里 壱岐
67位 18,133人/22.05方里 隠岐
68位 16,467人/44.33方里 対馬
69位 15,615人/6,093.93方里 蝦夷松前

人口密度 (1721年)
1位 560.4人/km2 摂津
2位 501.3人/km2 山城
3位 423.1人/km2 和泉
4位 359.4人/km2 河内
5位 345.1人/km2 尾張
6位 315.1人/km2 武蔵 ←
7位 232.9人/km2 備前

65位 29.0人/km2 薩摩
66位 26.8人/km2 日向
67位 24.1人/km2 対馬
68位 16.2人/km2 飛騨
69位 0.2人/km2 蝦夷松前
387日本@名無史さん:2008/12/30(火) 09:06:06
以下のことが長年疑問だった。

★練馬区にあるのになぜ「としまえん」?

★練馬区を走っているのになぜ西武豊島線っていうの?

★板橋区にあるのになぜ都立豊島病院なの?

★板橋区にあるのになぜ都立北豊島工業高校っていうの?

★東京都北区に豊島っていう地名があるけど一体なんなの? 豊島区とまぎらわしいなあ。


※武蔵国のなかに豊島郡っていう郡があったことを最近知った。
現在の、千代田区、中央区、港区、新宿区、渋谷区、台東区、荒川区、豊島区、文京区、北区、板橋区、練馬区が武蔵国豊島郡だったと知って上記の疑問も氷解。
スッキリしたお(・∀・)
388日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:37:43
>>387


「豊島区なんて名前はやめて、池袋区にすればいいのに」って思ってた俺。
反省しておりますw


豊島っていう名前には伝統があるんだな…
389日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:46:39
>豊島っていう名前には伝統があるんだな…

そう。
だから、池袋とか巣鴨あたりが「豊島」の中心みたいに思われるネーミングはやめて欲しい>豊島区

「巣袋」とか「池鴨区」とかに改名して欲しい。
どうしても「豊島」を冠したいのなら「最南端豊島区」とかと称するべき。
390日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:53:35
冬休みですなあ・・・
391日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:20:53
>>386
この数値のソースは何?
なんか、嘘臭いんですけどw。

一番行政がしっかりしていた江戸の人口も正確には分からないのに、
陸奥が一桁まで判明しているなんてことは、あり得ないと思うけど。
392日本@名無史さん:2009/01/03(土) 02:53:55
>>391
多分、当時の人口の概数を
面積で精密に割り算した結果でしょう。
現代の精密な面積調査と当時のいい加減な人口を組み合わせた
「木に竹をつむいだ」ような計算なのでしょうね。
393日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:03:42
>>391
ソースならここに出ている。
幕府が行った全国人口調査で、1721年の人口は『竹橋余筆別集』、『三暇謾録』がソース。
各藩の調査結果を合算したもので、当然武家人口は含まれない。

面積は明治に入って伊能の地図をもとに計算されたもの。

近代以前の日本の人口統計
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

武家の人口が加われば、武蔵はもっと人口が多くなるはず。

江戸だって武家・使用人を除く人口ならかなり正確に把握されている。
394日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:23:50
ちなみに『宮中秘策』の現物はこれ。
1750年の日本の総人口集計が記載されている。

ttp://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_02537/
ttp://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_02537/wa03_02537_0001/wa03_02537_0001_p0017.jpg
『大日本七十ヶ国人数都合
二千五百九十一万七千八百三十人
内 男数千二百八十一万八千五百五十四人
女数千二百九万九千百七十六人』と読み取れる。
またこの時の石数は二千五百七十八万六千八百九十六石

ttp://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/wa03/wa03_02537/wa03_02537_0001/wa03_02537_0001_p0030.jpg
武蔵国は上の頁に記載されている。

除外された人口は推定500万人ほどだが、武家とそこで働く使用人は最初から除外されているほか、
藩に集計がまかされたため、藩によっては乳幼児どころか子供の人口すら除外した人口を報告している。
藩次第で僧侶・神官、エタ・非人などの人口が除外されたりされなかったりして一律ではない。

江戸だって町方支配場、寺社方支配場、出稼人の人口はそれなりに把握されている。
ただ武家屋敷で働いている使用人を含め、武家人口が正確には分からない。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E6%88%B8
395日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:29:31
もし、その史料が正しいのなら、高度な統計学的技法を駆使して、必死に江戸時代の人口を推量しようとしている歴史人口学という学問自体が存在意義を失う。

歴史人口学で、文化功労賞を受賞した速水融や、その高弟、鬼頭宏が、
その著作において、全く言及していない史料など、トンデモ史料の極めつけだ。
396後鳥羽上皇:2009/01/03(土) 18:52:26
ウウィ〜〜〜〜
臣下のものどもぉ〜〜〜討幕の勅旨出して来たよ〜〜ん
よっぱらってなんかなよ〜ん(げろげろばー)
さ〜てドサクサに紛れて、新古今和歌集を編集するか〜〜!!歌を詠め、歌を!

前スレ巻の五↓
ここだけ鎌倉時代に時空移動しているスレ巻ノ五
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1190571001/
前スレ巻の四↓
ここだけ鎌倉時代に時空移動しているスレ巻ノ四
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1155045802/
前スレ巻の参↓
ここだけ鎌倉時代に時空移動しているスレ巻ノ参
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1135779410/
前スレ巻の弐↓
ここだけ鎌倉時代に時空移動しているスレ巻ノ弐
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1122178447/
スレ巻の壱↓
ここだけ鎌倉時代に時空移動しているスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1090637872/
397:2009/01/03(土) 18:56:16
間違えました。スミマセン。。。
398日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:57:37
>>395
アホか

思いっきり速水融、鬼頭宏の著作で触れられているぞ
399日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:04:00
鬼頭(2000)による〔『人口から読む日本の歴史』(16-17p)から〕
http://home.hiroshima-u.ac.jp/er/EV_P_NJ1.html

単位:千人

享保6年 1721 31278.5
寛延3年 1750 31010.8
宝暦6年 1756 31282.5
天明6年 1786 30103.8
寛政4年 1792 29869.7
寛政10年 1798 30565.2
文化元年 1804 30746.4
文政5年 1822 31913.5
文政11年 1828 32625.8
天保5年 1834 32476.7
天保11年 1840 31102.1
弘化3年 1846 32297.2

これらはすべて幕府の報告書を単純に2割増ししただけのもの。

各地方別の人口は、すべて幕府の報告書に載っている国別人口を合計して、2割増ししているだけ。

各地域の人口増減に関する考察は、すでに速水融以前に、関山直太郎とか高橋梵仙といった先駆者が導き出している。
400日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:01:39
明治5年の全身分を対象とする壬申戸籍での各旧国別人口は
人口 (1772年)
1位 2,294,915人/2,956.76方里 陸奥 (分割前で計算)
2位 1,943,211人/391.63方里 武蔵 ←
3位 1,368,428人/767.29方里 越後
4位 1,191,020人/1,289.36方里 出羽 (分割前で計算)
5位 1,074,460人/319.80方里 肥前
6位 953,037人/489.29方里 肥後
7位 919,115人/853.76方里 信濃

66位 85,487人/54.75方里 若狭
67位 37,439人/19.74方里 志摩
68位 33,010人/8.81方里 壱岐
69位 29,684人/44.33方里 対馬
70位 28,531人/22.05方里 隠岐

人口密度 (1772年)
1位 505.1人/km2 摂津
2位 452.7人/km2 尾張
3位 405.2人/km2 和泉
4位 380.6人/km2 山城
5位 350.3人/km2 河内
6位 321.7人/km2 武蔵 ←
7位 319.1人/km2 讃岐

66位 67.3人/km2 大隅
67位 47.7人/km2 日向
68位 43.4人/km2 対馬
69位 23.7人/km2 飛騨
70位 1.3人/km2 蝦夷松前 (分割前で計算)
畿内は相変わらず人口密度が高いが、武家人口を除外していた頃の>>386よりも人口が減少している。
401400:2009/01/03(土) 20:08:18
うわ、>>400は 1772年じゃなくて1872年の数字ね。

江戸時代の人口を推定するという仕事は歴史人口学の範疇ではあるが、
別に速水らが始めてやった研究成果ではない。
江戸時代以前の人口推計も、石高に人口を掛けたり、遺跡の数から推測したりと、
ここ百年の間の推定する手法はたいして変わっていない。

速水融らの仕事でメインとなるのは、こういうマクロな統計の処理ではなくて、
宗門人別改帳を駆使したミクロな人口の動的、静的な統計とその考察。

マクロな統計に関して言えば、日本の税制が人頭税ではなくて地租を主体としたため、
税金逃れのための人口隠しが少なく、かなり正確に支配階級によって領民人口が把握されていたと考えられる。
402日本@名無史さん:2009/01/04(日) 09:33:26
武蔵の人口変遷

享保6年 (1721年) 1,903,316
寛延3年 (1750年) 1,771,214
宝暦6年 (1756年) 1,774,064
天明6年 (1786年) 1,626,968
寛政4年 (1792年) 1,634,048
寛政10年 (1798年) 1,666,131
文化元年 (1804年) 1,654,368
文政5年 (1822年) 1,694,255
文政11年 (1828年) 1,717,455
天保5年 (1834年) 1,714,054
天保11年 (1840年) 1,721,359
弘化3年 (1846年) 1,777,371
----------------------------
明治5年 (1872年) 1,943,211
403日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:43:50
>>402
394で、貴殿も以下の事情を認めている。
>除外された人口は推定500万人ほどだが、武家とそこで働く使用人は最初から除外されているほか、
>藩に集計がまかされたため、藩によっては乳幼児どころか子供の人口すら除外した人口を報告している。
>藩次第で僧侶・神官、エタ・非人などの人口が除外されたりされなかったりして一律ではない。

それにもかかわらず、一の位までの人口の数値を提示する意味が分からん。
誤差範囲が20〜30%くらいは想定できる数値なのだから、上の2桁ぐらいの数値で良いのでは?
404400:2009/01/04(日) 23:19:59
>>402を書いたのは自分ではないが(402以外の人口ネタは大体自分)、多分以下の項目の「人口」の項目を改編コピーしたもの。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E8%94%B5%E5%9B%BD

あるいはこの辺のデータかもしれない。

ttp://sito.ehoh.net/zinko.html
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

こういった生データはたとえ「全人口」ではなくても、領民人口として幕府が把握していた意味のある数字だよ。

幕府の調査人口は明治の当初から何件か残っていたが、昭和初期に高橋梵仙とか関山直太郎とかいった学者が
江戸時代の史料を掘り起こし、地域別の人口変動をまとめた。

人口密度だって、関山直太郎が70年ぐらい前に幕府の調査人口をもとにすでに計算しており(>>386はその焼き直し)、
各地域の生産性の議論や飢饉の影響を論じている。
速水融はその後新たに見つかった幕府の国別調査人口を『国勢調査以前日本人口統計集成』にまとめ、
自身の著作の中で江戸後期の三大飢饉を影響を論じているし、
よく引用される鬼頭宏の日本の推定人口も、江戸時代中期以降に関しては完全に幕府の調査人口をそのまま用いて計算している。

国別人口に関しては、幕府調査人口に全国一律平均の1.2倍掛けて「推定人口」として提示する方がよほど胡散臭い。
特に武蔵の場合は江戸の武家人口が多いだろうから、1.3倍程度になるだろうし。
逆に甲府あたりの幕府本領の場合は武家人口が少なく、1.1倍以下だろうし。
鬼頭宏の推定値はその辺の議論を避けている。
405日本@名無史さん:2009/01/04(日) 23:46:13
ちなみに武蔵の国の場合は、天明の大飢饉の前後で15万人ほど領民人口が減少しているが、
この時は浅間山の噴火のほか、利根川・多摩川の大洪水が起こっている。

西日本を中心に起こった享保の大飢饉の時期でもやはり13万人ほど領民人口が減少している。
ただこれは1742年の利根川の大洪水の影響かもしれない。

天保の大飢饉の影響は、人口変動を見る限り余り受けていない。

明治5年の人口は明治政府の作成した壬申戸籍で全身分が対象だが、弘化3年の幕府調査に対してせいぜい1割増程度。
参勤交代が終わったことのみならず、幕臣約10万人が静岡に移住したことなども原因。
406日本@名無史さん:2009/01/09(金) 19:17:06
>>385
>我がいとしの埼玉県、ちっちゃくなっちゃってかわいそう
>(´・д・`)

そんなこといったら我がいとしの奥州は
四つに分割されてものすごくちっちゃくなっちゃって
もっとかわいそうだよ
(´・д・`)
407日本@名無史さん:2009/01/12(月) 13:25:41
図書館で、平凡社の日本歴史地名体系第11巻〔埼玉県の地名〕を読んだ。

川越市の雁見橋、初雁橋、八瀬大橋、狭山市のいるまがわ大橋、狭山大橋(狭山環状有料道路)、新富士見橋、などの橋は、入間郡と高麗郡をつなぐ橋だったのか。
俺は初めて知ったよ…
408407:2009/01/12(月) 13:35:33
訂正でつ。


誤:日本歴史地名体系
正:日本歴史地名大系
409日本@名無史さん:2009/01/16(金) 01:39:51
>>380
>>382


相武台下駅や相武台前駅も入るかな…

“武”という文字が“武蔵”という意味を持ってるだろうからw

あ、でも、よく考えたら、この二つの駅のある場所は相模国だった罠orz
410日本@名無史さん:2009/01/18(日) 08:31:33
よく、三多摩って言うけど、なぜ東多摩郡だけがないの?



中野区と杉並区は東多摩郡だったんですね、知りませんでしたww
411日本@名無史さん:2009/01/18(日) 11:27:21
北葛飾郡が武蔵だったことはあるのだろうか?
あそこらの国境が決まったのは徳川が江戸に来てからなのか?
412日本@名無史さん:2009/01/21(水) 10:26:13
加須うどんは武蔵野うどんと呼べるのだろうか?
413日本@名無史さん:2009/01/21(水) 13:24:10
かなりのバカが迷い込んでるな
414日本@名無史さん:2009/01/24(土) 18:04:21
>>411


図書館の資料やウィキペディアでオレが調べたところによると、北葛飾郡は17世紀までは下総国だったみたいね。

葛飾郡って、北葛飾郡、南葛飾郡、東葛飾郡、西葛飾郡、中葛飾郡がそろっていたらしい。

なんか、駅名の、北浦和、南浦和、東浦和、西浦和、中浦和みたいで面白い!
415日本@名無史さん:2009/01/25(日) 18:34:14
某漫画の影響で、初詣客急増の鷲宮神社がある鷲宮町(埼玉県)



現在の鷲宮町の領域は、江戸時代初期までは武蔵国と下総国にまたがっていた…
416日本@名無史さん:2009/01/25(日) 18:47:13
南葛飾郡の略称は南葛。

南葛といえばキャプテン翼。
417日本@名無史さん:2009/02/06(金) 06:12:41
保守
418日本@名無史さん:2009/02/06(金) 06:53:18
>>415中野にも神社あるよ
八幡だけど・・・
サイタマの神社は初めて知ったぞ
419日本@名無史さん:2009/02/06(金) 12:20:55
多摩で鍛治屋海道という小字がある所は何処?
420日本@名無史さん:2009/02/07(土) 00:38:44
日向小次郎
421日本@名無史さん:2009/02/08(日) 02:36:27
埼玉の大宮や浦和は武蔵国足立郡だったわけだが、足立というと
東京の足立区のイメージが強くて、なんだかな。
422日本@名無史さん:2009/02/09(月) 21:40:14
今は地名が変わってしまったんだから仕方ない
423日本@名無史さん:2009/02/10(火) 00:06:00
北足立郡、まだ存続しています。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%A5%88%E7%94%BA

ちなみに北葛飾郡も。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E6%A9%8B%E7%94%BA
424日本@名無史さん:2009/03/01(日) 11:00:01
西武池袋線、保谷駅〜大泉学園駅の間、白子川にかかる短い橋。

ここが新座郡と豊島郡の境であった…
425日本@名無史さん:2009/03/07(土) 14:29:12
川崎市麻生区岡上。

Wikipediaで調べると、旧都筑郡と書いてある。

俺が角川や平凡社の地名辞典で調べたときは、確か、「江戸時代の頃は多摩郡であった」と書いてあったように記憶しているのだが…

麻生区岡上は、実に不思議な飛び地だ。
426日本@名無史さん:2009/03/08(日) 13:56:48
>>380

東武や西武の「武」の字は武蔵国という意味。

東武○○、西武○○とつく駅のうち、武蔵国の領域の中にある駅は、いくつあるのか、調べてみた。

(なお、東武宇都宮、東武日光、東武金崎、東武和泉のように、「武」という字が入っていても、武蔵国の領域の中にない駅は除外。)


東武練馬、東武竹沢、東武動物公園、西武秩父、西武柳沢、西武新宿、西武遊園地、西武球場前、西武園、西武立川。

以上の10駅。


380氏が挙げた駅と合わせると、武蔵国の意の「武」という字を含む駅は、実に36駅にもなるのだ。
427日本@名無史さん:2009/03/09(月) 22:50:13
東京都とその周辺は駅が多いから、駅名につける地名が他地域の地名とかぶる場合、上に武蔵をつけたとかもありそう
428日本@名無史さん:2009/03/11(水) 02:05:44
旧国名は、割と生活の中で普通に使われてるんだけど、一般の人はあまり意識してないんだよな。
俺なんか、旧国名のほうがデフォルトで、いちいち都道府県に変換しながら人としゃべってる。
429日本@名無史さん:2009/03/14(土) 16:45:07
武蔵国の21郡(除葛飾郡)の区割り。
北の方(本庄・児玉・熊谷付近)の郡は、かなり細分化されている。

昔は京都が中心だったから、本庄・児玉・熊谷のほうが中央に近いということで、郡が細かく分けられたのだろうか。

賀美郡の名前の由来は、京都から見て上(かみ)の方だから、という説を何かの本で読んだ記憶があるし。
430日本@名無史さん:2009/03/15(日) 14:52:06
>>428
さすがに武蔵ではそれはない。

まあ埼玉県民の自分としては、旧武藏国を根拠に東京都へ合併して欲しいけど、
道州制の最新案では埼玉は弾かれてんだよな。
431みっちゃんパパ:2009/03/30(月) 19:23:16
>>429
御意。
432日本@名無史さん:2009/04/21(火) 23:34:51
利権の事しか頭にない、悪しき官僚の唱える道州制により、我らが偉大なる祖国武蔵国の分断が確定的とされようとしています!

先祖代々長らく、武蔵野の地に住まう同胞諸君!
余所者による破壊活動を、なんとしても打破しましょう!
433日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:34:34
埼玉が誇る坂東武者の先輩たちに習って体制に対して反乱でも起こせよ
明治維新後になって「恐れながら天朝様に敵対するから加勢しろ」と民衆を動員した大規模な反乱起こしたのも埼玉だしな
2.26事件でも反乱軍の兵卒の半数以上は埼玉県民だろ
434日本@名無史さん:2009/04/22(水) 01:58:14
「秩父は今も昔も旗頭」

明治時代に日本の海外輸出産業を席巻した秩父の絹と畠山(秩父)庄司重忠にかけた秩父のスローガンだそうな
435【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 :2009/04/22(水) 14:00:34
幕末には武州一揆も起きたしね>埼玉県
今はともかく、埼玉県地域は武州の中でもお上に抵抗する精神が根強いのかな?
同じ武州でも南武人の俺たちはダメだなぁ
436日本@名無史さん:2009/04/23(木) 09:01:23
畿内=ラインラント
武蔵=プロイセン
東北=西ポーランド

関東武士団=プロイセンユンカー
437日本@名無史さん:2009/04/24(金) 08:29:50
>>436
それ、かなり無理がないか。

日本史って、古代朝鮮由来ネタのほうが人気あんのかな。

どっちかって言えば、関東管領上杉氏〜後北条支配〜小田原攻め
のあたりのほうが面白いと思うんだけど。城とかも残ってる
わけだし。

朝鮮由来ネタって、事実か事実でないか関係なく、俺的には
スゲーつまらないんだが。〜は朝鮮由来って言われても
フーンで終ってしまう。なぜならその後に連続する歴史が
無いから。
438九州王朝大好き:2009/04/24(金) 16:14:52
>>437
>日本史って、古代朝鮮由来ネタのほうが人気あんのかな。
>朝鮮由来ネタって、事実か事実でないか関係なく、俺的には
>スゲーつまらないんだが。〜は朝鮮由来って言われても
>フーンで終ってしまう。なぜならその後に連続する歴史が無いから。

古代朝鮮には倭人と言う日本人が住んでいましたから。
そして古代朝鮮に住んでいた日本人の親類に近い人達も、
朝鮮人の迫害を受け日本に移住してきました。
この時に朝鮮の歴史は断絶してしまったのです。

この朝鮮人は、朝鮮の北東部から南下し、
新羅を建国し、7世紀に朝鮮を統一したのです。

7世紀までの古代朝鮮の人達は日本人に非常に近い人達で、
現代の朝鮮人とは全く違います。
古代朝鮮を語ることは古代日本を語ることと同じなのです。
439日本@名無史さん:2009/04/25(土) 16:57:10
秦氏も朝鮮で迫害を受けて、それに耐えかねて日本に渡ってきたと聞いたことがある。
でも秦氏は顔立ちは相当エキゾチックなものだったとおも(恐らく今日の新疆ウイグル自治区に多いようなコーカソイドの血が少なからず入ってるような顔立ち)。
440九州王朝大好き:2009/04/26(日) 09:14:28
>>439
3世紀馬韓の西方海上にある徳積群島に州胡がいた。(魏志韓伝)
州胡は胡人の島であるから、彼らもタクラマカン方面から来た人達だろう。
441九州王朝大好き:2009/04/26(日) 09:29:35
ゴメン。わかりにくいことを書いた。
タクラマカン方面ではなく、タリム盆地方面。
442【^▽^】酔鯨ジョーカーこと豚松 ◆.5DV4fMpf6 :2009/04/26(日) 22:02:57
>>439
その時代の現在の東トルキスタン地域の住民はコーカソイド。
ウイグル族が入ってきて混血したのは後のこと。
秦氏がトハラ(トカラ)人らコーカソイドだったか否かは判らんが。
443日本@名無史さん:2009/05/04(月) 02:57:17
>>404 鬼頭宏の推定値は諏訪の台帳に基づいているが限定値であり、よく言われているように農民の移動を計算に入れてない。また武士の値は無視している。人口論は究極の覗き見趣味だから資料を入手する手段には問題が多いな。
444日本@名無史さん:2009/05/22(金) 22:47:10
>>437同意
なぜ連続する歴史がないのか
ここは武蔵国のスレ、こっちにいた大半の朝鮮人は部落民。
九州あたりだとかなり朝鮮人と混ざっているんだろうが、こっちはごっつい
武蔵だからな。
445日本@名無史さん:2009/05/31(日) 06:40:36
江戸時代までの武蔵国の武家について書かれた本がありましたら、ご存知の方は教えて下さい。
446さいたまんぞう:2009/05/31(日) 11:00:42
江戸設立以前の武蔵国は現在の東京区域(のちの江戸)より埼玉区域の方が主要だったよな
447日本@名無史さん:2009/07/02(木) 19:26:47
「武蔵の国」っていう曲があればいいのに。

(「信濃の国」みたいに)
448日本@名無史さん:2009/07/02(木) 23:36:36
>>446
国府があったのは府中市、国分寺があった国分寺市と今の都下の方に国衙機関があった。
449日本@名無史さん:2009/07/31(金) 21:52:31
江戸以前の武蔵って関東の辺境みたいなもんだろ。
特に東側の利根川流域なんて水害が多すぎるし。
450名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 13:12:02
【武蔵国には、なんと衆議院の小選挙区が49も!】

埼玉県には15の小選挙区。
東京都には25の小選挙区。

神奈川県の小選挙区のうち武蔵国の範囲は、第1区、第2区、第3区、第6区、第7区、第8区、第9区、第10区、第18区。以上九つの小選挙区。


15+25+9=49。

49も小選挙区があるって、武蔵国最強すぎだわww
451名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:21:54
武蔵国が単独国家に成ったとしても世界5位前後の経済国家に成るな。
東京都+埼玉県+川崎市+横浜市の大部分
だろ。
452日本@名無史さん:2009/09/02(水) 21:41:04
>>450
埼玉14区、東京15〜17区、東京14区(墨田区部分)は旧下総国だから、実際は44〜45。
453日本@名無史さん:2009/09/18(金) 23:42:53
国土は広かった武蔵の国
それだけ田舎だったんだろ
渡来人が開拓したんだろな

今はいなかの秩父と、大宮と国分寺と府中が
ポイント地点
秩父は銅がとれた。
大宮は渡来人が住んだ
国分寺と府中は川沿いだから古代栄えた
454狭山市民:2009/10/11(日) 22:26:38
もし、今でも府中や国分寺が武蔵国の中心地だったら、わが狭山市はもっと発展していただろうに
(´Д⊂
455日本@名無史さん:2009/10/11(日) 22:30:29
>>453
カスは書き込むなよ
456日本@名無史さん:2009/10/12(月) 11:07:08
朝鮮渡来人ネタが多いのは
関東オタの関西人が書き込んでるからだろ。

お坊っちゃんな彼らは少年時代にもれなくイジメられた経験を持っており、
イジメっ子は全て在日朝鮮人だと思うように訓練を受けて来ている変態なのです。

彼らはどこでも朝鮮ネタを書きまくり、
幼少時代のムゴたらしい思い出を断ち切ろうと必死なのです。

個々の人間力の強い東国の人間には考えられない懦弱さなのですが。
457日本@名無史さん:2009/11/15(日) 11:21:59
日本歴史地名体系(平凡社)を読んだ。

足立区でも柳原だけは葛飾郡だったと知ったw
458日本@名無史さん:2009/11/22(日) 17:50:33
東京スカイツリーは634メートル。
634は、むさしってこと?
でも、あそこが武蔵国になったのは、江戸時代初期のことだと思うんだがw
459日本@名無史さん:2009/11/23(月) 10:39:44
>>458
じゃあ、「しもうさ→しむぉさ→4603」で4603メートルのタワーにしましょうwwwww
460日本@名無史さん:2009/11/23(月) 11:30:41
>>458
うちの嫁は来年からスカイツリーのある押上に転勤に
なりそうで、早くも怒っている。
461日本@名無史さん:2009/11/24(火) 00:07:32
武蔵国こそ天下の中心。
首都圏の主要都市があり、その域内総生産は凄まじい。
462日本@名無史さん:2009/11/24(火) 02:53:52
463日本@名無史さん:2009/11/28(土) 23:47:19
武蔵国の城下町

江戸(東京)
川越
岩槻
忍(行田)
岡部
金沢(六浦)
464日本@名無史さん:2009/12/04(金) 21:35:41
六浦は陣屋だから
城下町の様相はないよ
むしろ港町
465日本@名無史さん:2010/02/10(水) 20:58:20
>>458
ところが武蔵平一揆の文献ではあの辺は武蔵国牛嶋になってるのだ。
ただ江戸時代には葛飾郡になってるからひょっとすると二度の国替があったのかと。
466日本@名無史さん:2010/02/10(水) 23:10:58
むしろ江戸時代以前のほうが武蔵国の一角という感じなんだよな。
北条氏の役帳でも葛西牛島じゃなくて江戸牛島だし。

スカイツリーの東側にあったとされる、消えた(徳川に消された?)隅田川が解明できればな。
その隅田川を国境と見る向きもあるからな。
467日本@名無史さん:2010/02/11(木) 10:25:44
奈良時代には隅田川は概ね今の場所にあったのでは。
古代の官道は江戸時代の東海道のやや内陸側を品川、三田、霞ヶ関、日本橋、浅草ときて
白髭橋の上流で隅田川を渡り、立石を通って国府台にあった下総国府に続いていたようで、
平安時代、鎌倉、室町の頃も梅若伝説や在平業平の伝承の地も白髭橋の少し上手
あたりのようです。
468日本@名無史さん:2010/02/12(金) 00:46:56
白髭橋付近は今も昔も隅田川だけど(昔は墨堤通りまで川幅があったようだが)
その上流側(千住付近)では河川が合流して下流側(向島出入口)では分流してたんだよ。
469日本@名無史さん:2010/02/12(金) 09:36:38
現在の隅田川から千葉県境の江戸川にかけて、
奈良時代や平安時代は葦原、砂洲、干潟などが連続していたんでは。
まともに開けた場所は白髭橋上流から下総国府へ行く官道沿いぐらい。
鎌倉幕府成立に寄与した葛西氏の本拠地がこのへんだよね。
470日本@名無史さん:2010/02/12(金) 14:23:56
閑話休題

毛の国 毛深い人々が住んでいた国 上の毛・・こうずけ 下・・しもつけ
ふさの国 ふさは植物  上のふさ・・上総 下・・下総 
むさの国 むさは植物  むさの上・・むさかみ 相模 むさの下 むさしも 武蔵
安房・・はアワで植物
常陸・・はひたかみち、、日高見国への道 

   という理解でいいのか?
471日本@名無史さん:2010/02/20(土) 04:18:14
旧国 延喜式 旧国 倭名抄 旧国 拾芥抄 旧国 慶長 弘化
常陸 1,846 陸奥 51,440 武蔵 51,540 陸奥 1,672 陸奥 2,874
陸奥 1,582 常陸 40,092 陸奥 45,077 近江 775 出羽 1,295
肥後 1,579 武蔵 35,574 常陸 42,038 武蔵 667 武蔵 1,281
播磨 1,248 近江 33,402 出羽 38,628 尾張 571 越後 1,142
近江 1,207 上野 30,937 近江 33,450 伊勢 567 常陸 1,005
武蔵 1,113 信濃 30,908 下総 33,000 美濃 540 近江 853
上総 1,071 下野 30,155 信濃 30,520 常陸 530 越中 808
越前 1,028 下総 26,432 上野 28,453 越前 499 下野 769
下総 1,027 出羽 26,109 下野 27,460 上野 496 信濃 767
備前 956 肥後 23,500 越後 23,738 大和 448 伊勢 716
伊勢 926 上総 22,846 越前 23,576 豊後 418 肥前 706
信濃 895 播磨 21,414 肥後 23,462 信濃 408 美濃 699
上野 886 讃岐 18,647 上総 22,666 下総 393 越前 689
讃岐 884 筑前 18,500 越中 21,399 越後 390 下総 681
美濃 880 伊勢 18,130 播磨 21,236 越中 380 播磨 651
下野 874 越中 17,909 筑前 19,765 上総 378 筑前 651
出羽 873 大和 17,905 伊勢 19,024 下野 374 上野 637
相模 868 越後 14,997 讃岐 17,943 伊予 366 肥後 611
越中 840 美濃 14,823 大和 17,005 播磨 358 尾張 545
越後 833 肥前 13,900 美濃 15,304 摂津 356 大和 501
472日本@名無史さん:2010/02/20(土) 04:26:24
上は延喜主税式記載の出挙稲数(9世紀初頭、単位:千束)、
和名類聚抄(10世紀初頭)記載の田積数(単位:町)、
拾芥抄(12世紀末)記載の田積数(単位:町)、
慶長検地石高(17世紀末、単位:千石)、
弘化3年石高(1846年、単位:千石)で、
それぞれ上位にランクする旧国を並べたもの。

氾濫元だ何だ言われていても、昔から武蔵は全国的に見てもかなりの米所であったことがわかる。

ただ、奈良時代〜平安時代初期にかけては関東一豊かな国は常陸だったし、関東の諸国もわりかし上位にいる。
陸奥はずっと上位にいるけど、さすがにこれは面積の影響。
陸奥の4割程度の広さの出羽のランク上昇振りを見ると、稲作の拡大が見て取れる。
単位面積当たりで計算すると、畿内勢が上位に並ぶ。
あと、面積の割に近江がずっと上位に食い込んでいる。
473日本@名無史さん:2010/02/20(土) 12:13:50
23区で最も古い地名って豊島と荏原かな?
474日本@名無史さん:2010/02/22(月) 19:42:01
豊島・荏原・葛飾(葛西)・足立あたりだろうな。
475日本@名無史さん:2010/03/05(金) 21:59:27
古代
行政の中心・・・秩父、府中、大宮、調布、国分寺
秩父は馬と銅を産出
他は川沿いだからということで・・
476日本@名無史さん:2010/03/06(土) 18:11:11
江戸氏の末裔は多摩川や隅田川を勢力圏にしてたようだな
477日本@名無史さん:2010/03/21(日) 18:30:14
へえ。
478日本@名無史さん:2010/03/22(月) 07:50:16
最近話題の武蔵小杉新駅やスカイツリーのあたりも江戸氏の勢力圏だろ。
479日本@名無史さん:2010/04/09(金) 23:44:25
あの古墳いいね
480日本@名無史さん:2010/04/15(木) 02:09:23
興味深いサイトを発見したお



ttp://homepage3.nifty.com/nqe50897/skytree/
481日本@名無史さん:2010/04/17(土) 09:55:04
東京タワーは豊島郡と荏原郡の境界付近で、
スカイツリーは葛飾郡と豊島郡の境界付近ということか。
482日本@名無史さん:2010/04/17(土) 22:13:30
豊島郡は結構変遷があったんだろうな。
もともとは江戸城から南が荏原郡だったようだし。
483日本@名無史さん:2010/05/05(水) 22:52:47
川崎市の一部も昔荏原郡だったところがあるな。
住居表示に痕跡が残ってるけど。
瀬替で川向こうになっちゃったんだろな。
484日本@名無史さん:2010/06/05(土) 17:13:53
>>470
>安房・・はアワで植物・・・
でなくて、阿波の植民地だからで、阿波は海女だろう。
485日本@名無史さん
日本国の乱逆といふ事はをこりて、
後むさ(武者)の世になりけるなり(愚管抄)

武士の本国としての「むさの国」が語源
と思いついたが

そういう説は聞いたことがない。