【初心者】スレッド立てる前に質問をPart11【歓迎】
668 :
オカ板より:
669 :
オカ板より:2005/06/13(月) 14:39:07
>>662 >幕末になると 2000石でも家人がいなかったのだなと想像してしまいます。
それはちょっと極論かも。遠隔の知行地まで行って確実に取り立てることができるだけの
有能な用人がいなかったので、勝に依頼したのでは?
家人を抱えていないと処罰の対象になるくらいですから
堀川辰吉郎とは何者なんですか?
生前から落胤伝説が付きまとっていたようですが…
672 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 18:07:29
age
前九年とは、何の9年前?
後三年とは、何の3年後?
675 :
日本@名無史さん:2005/06/13(月) 19:53:26
>>674 ググれと言うんだったら、何も書くなよ
教える気のないやつはすっこんでろ
676 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:11:30
私の家は、普請組百石取りの武士だったそうです。
百石取り、下級武士ということでしょうが、どれくらいの身分でどれくらいの
経済力だったんでしょう。
677 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 05:47:12
>>676 >>659についてるレスを見れば分かるように、
名目2000石で実質収入1000石みたいな人もいれば
名目100石でも副業で実質収入1000石みたいな人もいた。
勝海舟の父親は知行地からの実質収入は少なかったけど、
副業でやっていた古物商売が繁盛したりして結構ウハウハだったらしい。
身分として「普請組百石取り」を見るなら市役所の土木課係長ぐらいじゃね?
>>676 調べててうまくまとまらないうちに 679 が出ていた。似た感じに思う。
旗本ではないが、高杉晋作の家が似た禄高だったような気がしたのでぐぐって
みたら、150石とも 200石とも出ている。大組士というのと小納戸役というの
がある。中級武士というのと上級武士というのがある。役料の算定の関係かと
も思うが、内情は裕福のようだった。地方と江戸では比較にならないが、以上
の感触から 679 の通りかなと。
家禄 100 石ならヒラではないが、役料とか副業がないと江戸では大変だった
と思われる。時代にもよるが。
681 :
オカ板より:2005/06/14(火) 12:55:35
682 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 14:33:44
大和魂って何ですか。ぐぐると昔は盛んにいったみたいですが、今はいっては
いけないことなのでしょうか。韓国魂とか中国魂とかもあるのでしょうか。
例え話みたいなページはありますが、解説したものは見当たりませんでした。
よろしくお願いします。
紫式部が源氏物語で使用した言葉だから韓国魂や中国魂なんて言葉は存在しない
「紫式部 大和魂」「本居宣長 大和心」で検索すれば解説したとこ結構あると思うけど?
軍国主義的な意味での大和魂ならよくわからんが
684 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:11:32
>大和魂
文献のうえで〈やまとだましい〉が登場するのは《源氏物語》乙女の巻で、
光源氏は、12歳になった長男の夕霧に元服の式をあげさせ、周囲の反対を
押し切って大学へ入れる。
その際、〈才(ざえ)を本(もと)としてこそ、大和魂(やまとだましい)の世に
用ひらるゝ方(かた)も、強う侍らめ〉と述べている。ここでは(1)大和魂は
才(漢学の素養、漢才(からざえ))と反対の概念をなしていること、(2)本(もと)
が才であり、したがって、末に位置するものが大和魂であること、(3)大和魂
の属性として〈世に用ひらるゝ方〉すなわち処世的手腕・功利主義的判断能力
が考えられていたこと、この三つの特性が認められる。
従来の源氏注釈家たちは、〈大和魂〉について、世才、良識、先天的にそなわ
った気ばたらき、融通のきく常識的政治判断、世渡りの才能、交際上手、如才
なさ、実人生に対する理解力、などの解釈を与えている。
685 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:13:18
次に登場するのは《大鏡》巻二の左大臣時平の伝である。藤原時平は菅
原道真を讒訴(ざんそ)したとして後世悪名が高く、時平が短命であり、
その子孫らもすぐに絶えたのは道真の怨霊によるものとされた。
〈あさましき悪事を申しをこなひたまへりし罪により、このおとゞの御末
はおはせぬなり。さるは、やまとだましひなどはいみじくおはしましたるものを〉
と述べたあと、三つのエピソードを紹介している。
(1)奢侈(しやし)禁止令がすこしも実行されなかったとき、時平は醍醐帝と
しめしあわせ、わざと華美な服装をしてお叱りを受け、1ヵ月謹慎し、禁令の
徹底を図った。
(2)時平には度外れた笑い癖があり、政務の途中で下僚の放屁を聞いて笑
い出し、帰邸してしまった。
(3)道真が北野天神にまつられてのち、清涼殿に猛烈な落雷があったが、
時平は太刀を抜いて、〈あなたは存命中でもわたしの次席だったではないか。
たとえ神となっても、この世では遠慮すべきだ〉と、空を睨んだところ、
雷は静まった。――こうしてみると、《大鏡》成立当時、平安後期ころの
〈やまとだましい〉の属性には、
政治技術としてのトリック、明朗なる笑いの精神、咄嗟(とつさ)のさいの機知、
頭の回転の早さ、などが含まれていたと考えてよいだろう。
686 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:14:48
第3の例は《今昔物語集》巻第二十九に載る話で、貧乏学者清原善澄の
家に強盗が入ったとき、善澄はいったんは板敷(すのこ)の下へ逃げ隠れ
たが、あまりに口惜しかったので泥棒が門を出て行ったあとを追って行き、
〈耶(や)、己等(おのれら)、シャ顔共皆見ツ。夜明ケムマヽニ検非違使(けびいし)
ノ別当ニ申シテ片端ヨリ捕ヘサセテム〉と叫んだところ、盗人どもは引き返し、
とうとう殺されてしまった、とあり、末尾で〈善澄才(ざえ)(漢学)ハ微妙(いみじ)
カリケレドモ、露(つゆ)、和魂(やまとだましい)无(な)カリケル者ニテ、此(かか)
ル心幼キ事ヲ云テ死ヌル也トゾ〉と批評されている。
ここでは、〈やまとだましい〉の属性として、
(1)周囲状況を判断して臨機応変の思考や行動をとり得る能力、
(2)子どもっぽい幼稚未熟な精神とは正反対の世慣れた考え方、劫役(こうろう)
を経た人柄、思慮分別などが挙げられる。清原善澄は実在の人物で、
《御堂関白記》寛弘4年(1007)5月30日条によると、諸道論義の席上で
狂人の形相を呈してきたために〈追立事了〉(退場させられた)という。
そのことを併せ考えると、
(3)激しても理性や正気を失わない態度、奇行や非常識な発言を自制する
ことも、〈やまとだましい〉の属性に含めてよいかもしれない。
一般常識的な回答をしようかとも思ったが、
既にさすが日本史板という解答が付いてるなあ。
688 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:16:46
第4の例は関白藤原忠実の談話を、中原師元が筆録した《中外抄》の久安1年
(1145)8月11日条で、父の師通(もろみち)が幼少年時代の忠実を、いい子だが
学問をしたがらないのが残念だ、といったとき、大江匡房が、摂政関白になる
には必ずしも漢学の才能がなくてもよろしい、〈やまとだましい〉さえすぐれていれば
天下を治めることは可能です、と答えたという記事である。
藤原忠実が藤原の氏長者(うじのちようじや)として、白河院を中心とする勢力に対抗し、
摂関家の威信を高めようとしてその結果、保元の乱が起こったことなどをも考えあわせると、
〈やまとだましい〉とは、皇室をも敵に回して対峙する摂関家の政治的
能力の属性でもあったともいえよう。
第5の例は《愚管抄》巻四で、著者慈円は摂関家の家筋でもない藤原公実が、
ただ鳥羽帝の外舅であるとの理由だけで摂政になりたがったことを非難し、
公実が和漢の才に富み、知足院殿(藤原忠実)よりも人柄や〈やまとだましい〉
がまさっていて、見識ある人からも賢者といわれた藤原実資などのよう
に思われることもあったのだろうか、と述べている。〈やまとだましい〉
が摂関家に固有の精神的属性という面のあったことがうかがわれる。
689 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:18:32
第6の例は、時代がずっとくだった南北朝ころかと思われる《詠百寮和歌
(えいひやくりようわか)》である。この百首和歌は、官職の名を題にして
詠まれたもので、その中に〈文章博士〉と題して〈新しき文を見るにも
くらからじ読開(よみひら)きぬる大和と玉しゐ〉の一首がある。作者は
不明であるがすでに実体も制度も空無に帰した中世の宮廷文化を眼前に
したある知識人が、かつての摂関政治文化の盛時に思慕と憧憬の思いを
はせての作と解し得るのではなかろうか。
以上、古代・中世の文献にあらわれた〈やまとだましい〉の用例をみて
きたが、こののち、中世末から近世初頭にかけて、三つ四つの語釈書に
引かれたことを例外とすれば、表だって〈やまとだましい〉の語が問題
に据えられたことはなかった。なお、〈やまとだましい〉と同じ意味で、
〈やまとごころ〉という語もあり、〈漢意(からごころ)〉に対応するものであった。
690 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:21:17
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。
しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
691 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:26:10
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。
しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
692 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:27:25
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。
しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
693 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:27:40
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。
しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
694 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 16:30:16
近世も半ばを過ぎ、賀茂真淵および本居宣長によって改めて〈やまとだ
ましい〉(やまとごころ)が取り上げられるようになる。それは、人間の
自然の心情のままにすなおでやさしく、めめしくもある心映えであり、
宣長の〈敷島のやまとごころを人問はば朝日ににほふ山桜花〉の歌も、
みやびで純一な民族性を詠んだものであった。
しかしこの歌はやがて桜花の散るいさぎよさが強調して解釈されるよう
になる。
幕末に尊王攘夷論が勢力を得ていく過程において、〈やまとだましい〉
は、しだいに武断的な国粋思想に利用されはじめ、誤った〈和魂漢才〉
説まで創案されるに至るのである。
明治から昭和の敗戦に至る間、日本国民は、〈やまとだましい〉といえば、
天皇制国家を支える国体観念の淵源であると教えられた。
戦場に赴けば果敢にたたかって死ぬことで武士道の極致をきわめよと教
えられ、〈やまとだましい〉が至上の精神価値と見なされたのである。
最後の最後で壊れた?w
696 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 17:29:51
うぜぇ。死ねばいいのに
おそらく
>>696みたいな奴が、騙り荒ししてるのではと。
質問者ではないが、為になった。
699 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 18:38:20
江戸時代の藩政改革について。
熊本・米沢・秋田で寛政前後に行われた改革と、
薩摩・長州・佐賀・土佐・水戸で天保以降に行われた改革の違いは何ですか?
700 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 19:44:32
>>697 アホか?
だらだらと書くんじゃねぇよ。まとめろよ、ボケ。
それが出来ないんなら、サイトでも作ってそこへのリンクを貼れよ。
702 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:08:04
>>699 専売制に加え、薩長は、洋式軍隊と下級武士の採用
703 :
699:2005/06/14(火) 22:25:53
>>702 ありがとうございます。
専売制は寛政前後の藩政改革でも行っていたようですが、
天保以降のそれはより重商主義的な色合いが濃いという意味でしょうか。
704 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:31:56
専売制は地元産業で設けている商家から商売を取り上げて藩経営にしたが
ほとんど失敗している。
705 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:35:51
>>701 |
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>( c´_ゝ`) |
|
>( c´_ゝ`) J
>( c´_ゝ`)
|
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
| >( c´,_ゝ`)プッ
|
J >( c´,_ゝ`)プッ
>( c´,_ゝ`)バカジャネーノ
706 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:36:21
寛政前後でも行っていた専売制に加えて、〜
という意味
707 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:36:58
>>704 ありがとうございます。
薩摩は砂糖の専売、長州は越荷方で莫大な利益を得たと聞いております。
寛政は失敗、天保は成功という捉え方でよろしいでしょうか。
708 :
699:2005/06/14(火) 22:38:32
>>706 失礼いたしました。ありがとうございます。
709 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 23:11:16
皇室関係のスレで聞いたのですがレスが付かなかったのでこちらで教えてください。
昔の皇族や華族は男だけでなく、女も性的に乱れていた、とちょっと前に皇室関係のスレッドで
読みました。
しかし、男は下半身に理性が無くても許されていましたが、女には厳しかったと思っています。
この辺のことを知れる書籍があったら教えてください。
男については淫の日本史などで読めるのですが、女性の方を紹介している書籍は
知らないもので。
710 :
682:2005/06/14(火) 23:22:40
大和魂の解説をありがとうございました。
山桜花から意味が曲がってしまったというのはよく分かりました。
711 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 01:19:23
日本史の歴史区分の江戸時代とか平安時代とか安土桃山時代とかの名称は
誰がいつ名付けたものなのですか?
板垣退助は実戦経験ほとんどなかったと思いますが
幕末の戦いでは最強の軍だったんですか?
713 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 02:02:12
>>660 1784年に、当時権勢を振るっていた老中・田沼意次の子・若年寄の意知が江戸城中で
佐野政言(善左衛門)に斬られ殺されています。
ところで、質問ですが、1767年に明和事件を起こした山県大弐と山県有朋は、血縁関係とかあるんですか?
山県有朋の先祖?山県大弐という人も尊王論を唱えて私刑になっています。
だから、何かしら関係があるのでは?と思うのですが。
氏姓制度の氏ってのは例えばその一族が大きくなり過ぎて、今日からあなたは違う氏を名乗ってねって
事になっちゃう場合もあったんでしょうか?それとも新しい名乗りは全て名字扱いで、氏の数というのは
最初に決められた分(いくつあるかわかりませんが)で、それ以上は絶対増えないものなんですか?
715 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 06:49:10
氏のない皇族や農民が源、平、豊臣などを創氏する場合もあれば既存の中臣氏から藤原氏を創氏する場合もあるので増えることもあります。
>>713 ぜ〜んぜん関係ありません。数百年さかのぼれば何か出てくるかもしれません
それは人類みな兄弟というレベルです
>>713 両山県については 716 の通りだろうと思いますが、気になってぐぐったら
面白い話はありますねえ。山県の姓は美濃山県の出で、安芸守護の武田に同名の
家来がいたようで、甲斐の山県は流浪して甲斐に行ったようで山県昌影の縁者と
いうことで山県大弐家は山県を名乗っていて儒者だった。
一方安芸の山県は毛利元就に武田が滅ぼされて毛利に入ったのか、毛利藩では
中間でした。いまでも広島には山県の姓はありますので、毛利藩へ行った山県
は流れは大分支流のように思われます。高杉もかつては毛利に攻められた安芸
にいた一族のようです。貴種名家でも系図はいろいろなのに中間・儒者では
尚更検証はむつかしいように思いました。
718 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 12:33:33
>>712 戊辰戦争に東山道先鋒総督府参謀として従軍し、会津攻略を指揮
>>713 それって確か、田沼が名門・佐野氏の子孫ということにしてくれと
佐野政言に頼み込んで系図に加えてもらったのに、何の恩賞も出さなかったことが
原因だったよね確か
>>715 氏姓の考えっていつまで続いてたんですかね?
明治維新まで?
>>720 明治初年まで。当時の辞令は源平藤橘で書かれている
でも氏はともかく姓はかなり形骸化していたんじゃ?
723 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 20:32:02
>>716-717 ありがとうございます。関係ないのですね、そうですか。
尊王論と聞いて幕末の尊皇攘夷の先駆けとなった人物かと思っていましたが、そうでもないようですね。
>>719 そうだったのか。なるほど。だから墓には「世直し大明神」と書かれているのか。
足利尊氏はどういった目的で後醍醐天皇の勅許を得ずに
中先代の乱の鎮圧に向かったのでしょうか?
725 :
コロ助:2005/06/15(水) 23:33:29
今晩は。知り合いの外国人が超が付くほどの日本ファンなのですが
その人が住んでいる国で、日本的な外観の家を建てたいので
本物の日本の家(時代劇や下町にあるような伝統的な家や、城のイメージを持ってるのでしょう)
が出ている画像やウエブサイト等があれば教えてほしい、との事です。
私はネットで他の優秀な日本人に相談してみますよ、と言っておきましたが^-^;
おすすめの写真や、サイトはありますでしょうか? 教えて下されば助かります。
もしいつか家が完成して写真を見せてくれたら、うpしますね。
o
||
(^-^)
728 :
コロ助:2005/06/16(木) 00:22:19
>>726-727 ありがとうごさいます!
o
|| >
ttp://sankan.kunaicho.go.jp/guide/katsura.html ( ゜o゜) >
ttp://www.mediawars.ne.jp/ ̄tanimura/a_map/form/kyoto/kyoto_garden/katura.html
これはすごいですね‥ 偶然だけど、その人はカツラ(頭にかぶる)に関わる仕事もしていますよ
色んな会社をいくつも持ってるので、桂離宮にミニ皇居まで建ててしまいそうな気が…
服や建物や映画にしても日本文化と中国文化などアジア文化をごっちゃにする欧米人が昔も今も多い中、
珍しく「僕は日本じゃなきゃ嫌だ!日本の建物!」と断言しておりますので
これは期待大かと‥ できた家の看板に2chなんて書いちゃったりして‥ モナー城とか?
‥冗談はさておき、お風呂に入ってから動画を最後までじっくり見てみます。
幸運にも英語のテロップや音声が入ってますね。
>>724 尊氏と関東武士の所領が多い関東を北条方に取られたら基盤がなくなるから。
基盤がなくなってしまえば朝廷に対する尊氏や関東武士の立場は弱くなってしまう。
反乱を鎮圧すれば基盤を維持できるし、反乱を鎮圧する過程で関東武士を掌握できる。
つまり武家の棟梁の地位を獲得できる。
上総守、常陸守がないのはなんででしょうか?
あるよ
その2国と上野は親王任国だから守は親王限定
っていうか、なんで親王任国ってのができたんだっけ?
奈良の大仏の台座にある花の模様ってどういう意味があるの?
>>735 蓮華座といいます、仏様は浄土で蓮の花の上に座っていると考えられてたのです。
738 :
735:2005/06/16(木) 23:26:50
ありがとうございます。
とても助かりました。
739 :
709:2005/06/17(金) 01:37:04
おバカな質問と思われるかもしれませんがどなたかよろしくお願いします。
忍者についての、おすすめの本や雑誌、ビデオやDVDはありますか?
戸部新十郎『忍者と忍術』
742 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 04:22:21
>>736 国司制は封建制ではないのでその解釈は間違っている。
甲賀組について
お茶の水に甲賀坂というのがあり、以前は甲賀町もありましたが
幕末の資料 復元江戸情報地図 朝日新聞 原典 諸向地面取調書を
見ても甲賀組屋敷は神宮球場付近に見当たるのみです。
ネット検索してもヒットするのは歴史小説や忍者物、漫画などで
国会図書館の蔵書検索も「甲賀組」では歴史小説等しか出てきません。
ネットでヒットしたひとつは
1765(明和2) 12月 お茶の水甲賀組屋敷で大火<鳴門秘帖>
http://homepage2.nifty.com/mitamond/nenpyo/nenpyo_meiwa.htm とあるのですが、そのころまでお茶の水に組屋敷があったと考える
べきでしょうか。よろしければ文献名もお教えください。
746 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 10:51:10
各県にある一宮ってなんですか?
>>745 「東京市史稿 市街篇 索引」にあたることをお薦めする
>>747 ありがとうございます、それなら区立図書館にあったはずです。
749 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 12:51:26
>>746 古代末期より中世初頭にかけてつけられたことに始まる社格の一種
>>734 正確にいえば、親王は在京しながら、任国の「公ガイ(まだれに解)稲」を得る。
「公ガイ稲」の定義は、時期的な変遷もあり、正確にいうとややこしいので、
実質的には国司の給与と考えてもらえばよろしい。
正税の一部を出挙(貸付)したその利息が財源なので
>>736の「国のあがり」という言い方は、ある意味正しいし、
親王を養う財源であることも間違いない。
751 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 13:27:31
>>745 角川書店の地名辞典も当たってみるといいよ。
郷土史を勉強中の俺にとって、一番のバイブルになっている。
752 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:23:28
質問させて下さい
大日本帝国憲法「発布」と日本国憲法「公布」という表現を見かけますが
「発布」と「公布」の意味は同じようですが使い分けの理由があるのでしょうか?
御教授宜しくお願いします。
753 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 16:34:25
>>752 一緒。文章の書き方として、あえて変えただけ。
>>752 同じだと思うが「発布」が古い
なにしろ「絹布の法被」だからな
755 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 17:43:47
義経が日本最初の英雄と言われる理由は何よ。
義経以前に英雄よ呼べる人物はたくさんいただろうに。
>>755 誰が決めた?NHKかい?
倭建命でも聖徳太子でも中大兄皇子でも平将門だっていいだろ?
普通に神武大帝だろ。
>>751 角川書店地名辞典も先日某図書館で見かけました。また行ってみます。
759 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 22:44:43
飛鳥寺は忌み嫌われていた蘇我氏の氏寺なのに
なんでわざわざ平城京に元興寺として移されたんですか?
足利が逆賊かどうかは判断が分かれるけど、
北条が朝廷に対し逆賊なのは昔から定説なのでしょうか?
1933年に大阪市の天六交叉点で起きた大日本帝国陸軍と日本警察の抗争を
ゴーストシップ事件と呼ぶのはなんででしょうか?
762 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:23:19
ゴーストップ事件
くぐれ
陸奥宗光の父親は伊達宗広という名の紀州藩士ですよね?
ひょっとして、仙台の伊達の親戚か子孫だったりするんですか?
764 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:28:20
× Ghost Ship
○ Go Stop
766 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:30:10
>飛鳥寺
蘇我入鹿を殺害した中大兄皇子は当寺に立てこもり、
672年(天武1)の壬申の乱でも近江朝廷軍が営所とするなど、
7世紀の政治の舞台となった。
662年(天智1)には唐より帰国した道昭が当寺の南東隅に禅院を建てて
住んでいる。
藤原京の時代は四大寺の一つに数えられているが、平城京遷都にとも
ない、718年(養老2)金堂・塔など一部の建物を残して平城京へ移転した。
767 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:34:29
尊氏は近年は尊王家として見られるがな
義満とは違って、天皇家を守った
768 :
752:2005/06/17(金) 23:40:35
769 :
日本@名無史さん:2005/06/17(金) 23:43:28
質問なのであげさせてください
明治天皇を神格化しようと最初に考えた人は誰なんでしょうか
そして、その為に一番積極的な動きをした方などご存知でしたら教えてください。
伊藤は「天皇なぞ操り人形にすぎない」と言っていたらしいが
氏ってのは全部でいくつくらいあるんですか?
名字じゃなくて、氏。
現在の日本人でさかのぼっても当然氏に属していない人っていっぱい居るんですよね?
なんで紀元前あたりの自国の歴史を神話的に語るのは万国共通なんでしょうか?
773 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 08:07:45
日本最初の英雄って誰よ?
もちろん実在の人物で
>>771 とりあえず「新撰姓氏録の研究」という古典的名作がある罠
>>761 笑った
>>772 紀元前と言うかその時代の文物がハッキリ残ってなので空想で補った。
それと最初の政権が自己の正当性を主張するために神話を利用した。
この二つが大きな理由。
>>769 youの言う「神格化」っていうのがどういう事を指すのかもそっと詳しく。
>>772 × なんで紀元前あたりの自国の歴史を神話的に語るのは万国共通なんでしょうか?
○ なんで建国前あたりの自国の歴史を神話的に語るのは万国共通なんでしょうか?
どこの国でもそうしてるよ。アメリカでも北朝鮮でも
777 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 11:32:27
目安箱っていうのは吉宗のときだけなんでしょうか?それ以降の将軍は民の意見を汲み上げはしなかったのですか?
>>775 言葉足らずでゴメ
天皇という肩書きを利用するために国民にえらいよーすごいよーと刷り込みをしたってことかも
なんかよくわからなくなってきた
とりあえず山県有朋が積極的だったらしいというのしかググれなかったorz
まあ「万世一系黒毛和牛」みたいなもんだ、有難味が出るだろう?
>>776 いや、そーいうことじゃなくて
エジプトだと太陽の神がなんたらを作ったとか、中国だと黄帝がどうしたとか
旧約聖書だの民族神話だの、必ず神が創ったことになってる。
話が簡単に作れるし
政権や民族に神の子孫だとかの正当性や優位性を付与出来るからじゃない?
>>781 なぜ、猿から進化したという話にしないのかと?
784 :
日本@名無史さん:2005/06/18(土) 18:28:31
正当性が必須アイテムだったのだろう
うちの親父はどこでどうしてたとかの会話をするようになったのは
最低でも人類が言葉を持つ知能を有していた時だからそれ以前のことは
語られないわけだよね?
そこを神とか自然とか超越的なもので補ったわけ?
水戸黄門が、実は頼房の子ではなく
家臣の三木某と頼房の側室、久子との不義密通の子というのは本当ですか?
787 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 12:37:10
>>769 明治神宮を建てた時だから大正初期から。
戦後首相になった東洋経済新聞の石橋湛山が神社作るくらいなら「ノーベル賞みたいな賞でも設けろ」と叩いた文が岩波文庫に現在収められている石橋の評論集に載っている。
>>786 一生ひとりでやっててください。落書きはチラシの裏に
789 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 13:51:57
大鳥圭介っていう人は具体的に何をした人なんですか?
1889年特命全権公使として清国に駐在、93年朝鮮駐在公使を兼ねた。
日清戦争の始まる前、病気帰国中だった圭介は命を帯びて朝鮮に急行、
内政改革要求をつきつけて王宮に兵を入れ、開戦の口実をつくる役割
を果たした。
戦争が始まると任を解かれ帰国して枢密顧問官、1900年男爵となった。
791 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 14:12:20
あげとこ
武士と貴族の関係って一言で言うと?
金持ちとSP
>>789 幕府の歩兵奉行であり、戊辰戦争では東北各地を転戦したものの連敗。
維新後に京唄子と漫才コンビを結成、華麗なる転身を遂げた稀有の逸材。
795 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 17:05:17
>>794 面白いねぇ〜。
漫才を作ったのは、エンタツ&アチャコなのにねぇ〜
>>795 「しゃべくり漫才」を作ったのは・・だろ。
458 名前:マンセー名無しさん [sage] 投稿日:2005/06/19(日) 17:27:51 ID:mcGZY5Hb
斉明天皇時代に書かれた書物に、朝鮮半島はすぐ裏切り信用できないから
関わるなと記してあるとドッコで見た覚えがあるニダ。
ソースを探しているニダ
798 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 20:27:22
耳袋で有名な根岸肥前守って、農民の子ですよね?
いったいどうやって町奉行にまで上り詰めたんですか?
>>798 どこからそういうウソ八百を聞き込んだんですか?
自分で目で確認しようとはしなかったのですか?
>>798 普通なら「・・農民の子だって聞いたんですけど、本当でしょうか?」
という聞き方になる罠。
朝日新聞のプロパガンダ並だな
いかにも
>>798は大馬鹿まるだしだが、せっかくだから教えてやろう
寛政重修諸家譜、巻22の104頁と巻19の317頁を見ろと
鎌倉幕府最後の将軍、守邦親王は幕府滅亡後どういう人生を送ったのでしょうか?
804 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 21:34:35
レイテ戦でフィリピン人がアメリカ側に付きましたが何故でしょうか?基本的に中華系以外の東南アジアは表面的にはいろいろですが
内面は親日的ですが。
>>804 マレー侵攻で日本軍銀輪部隊に協力したのは中華系。
>>804 新米では無いフィリピン人はそれ以前にパージされ
残存勢力は僻地に追いやられている。
なんか
>>798がエライ叩かれてるけどそんなに凄いことを言ってるの?
禁忌に触れたのか。
國史大事典(辞典だっけ)ってCDROM版出ないのかな?
吾妻鏡は出てるのに、頼むや吉川さん
813 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:33:58
814 :
日本@名無史さん:2005/06/19(日) 22:44:38
日中戦争時の中国陸軍の将校がドイツ軍装しているのはどうして?
>>814 軍板で聞いたほうが良い気もするが・・・。
当時ドイツは支那国民党と友好関係にあり、
多くの軍事顧問を送っていたから。
という回答でいいかなあ。
大日本帝国が米国に占領されて日本国との平和条約が発効するまでの期間には、
四大島上(北海道、本州、四国、九州)には独立国家が存在していたのでしょうか?
日本国との平和条約には独立と言う言葉が見えませんから、
占領されていても独立国家が存続していたと思いますけれども、
インターネット上に存在するサイトには日本国との平和条約が発効して
日本は独立をしたと記されているのが多くあります。
日本が日本国との平和条約が発効して独立したとならば、
大日本帝国が米国に占領されて同条約が発効するまでの期間は、
四大島上には植民地か日本民族の移住区域が存在していたかのどちらかになる訳でしょう?
日本国との平和条約には主権が回復したとありますが、
主権が奪われる事は独立を奪われている事にもなるのでしょうか?
私には解らないです。教えてください。よろしくお願い致します。
今現在は日本語を左から右に書いてますが、
日本が戦争に負けるまでは日本語を右から左に書いていたのですか?
戦時中や明治のポスターには右から左に読まないと読めないポスターが数多くありますよね。
それと現在ではひらがなが重視されていますけれども、
戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
戦前と戦後の日本語の違いを知りたいです。
ご回答をよろしくお願い致します。
>戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
この点についてですが、戦前の外交文書はカタカナと漢字で書かれていますよね。
一般庶民もこんな感じで文字を書いていたのでしょうか?
GHQは、どう日本語の書き方を変えたのでしょうか?
戦前と戦後では違いますよね。
ご回答をよろしくお願い致します。
>四大島上
何処の國の言葉でつか?
820 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 04:07:36
昨日の大河ドラマ義経の
木曽義仲が草刈正雄に対して言った「しってん」とは何の事なんでしょうか?
大日本帝国と日本国はおんなじ行政機構だよね?
帝国議会で新憲法を公布したんだから。
幕末の官軍の将がかぶっている、長い毛の名前は何ていうんですか?
また、あれはどこかの国の軍隊のまねなんでしょうか?
823 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:32:29
>>816 >四大島上には独立国家が存在していたのでしょうか?
何をもって独立国家とするかにもよる。
>四大島上には植民地か日本民族の移住区域が存在していたかのどちらかになる訳でしょう?
占領地と植民地は違います。
>日本国との平和条約には主権が回復したとありますが、主権が奪われる事は独立を奪われている事にもなるのでしょうか?
主権が独立の証なら、独立していなかったと言えよう。
>>817 >今現在は日本語を左から右に書いてますが、日本が戦争に負けるまでは日本語を右から左に書いていたのですか?
右から左、もしくは縦書き
>それと現在ではひらがなが重視されていますけれども、戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
カタカナは男文字、ひらがなは女文字だから
>戦前と戦後の日本語の違いを知りたいです。
色々とありすぎる。漢字を簡略化して、画数を減らしたとか。
>>818 >この点についてですが、戦前の外交文書はカタカナと漢字で書かれていますよね。一般庶民もこんな感じで文字を書いていたのでしょうか?
全員が全員どうかわからんが、大方そう。
>GHQは、どう日本語の書き方を変えたのでしょうか?
そもそも、日本語を廃止しようとした。
824 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 11:34:37
>>819 >何処の國の言葉でつか?
日本の言葉です。正確には「四大島(北海道、本州、四国、九州)上」と書くべきだが。
>>820 推測だが、鼓の擬音と京都弁の「知ってん?」と、失点を掛け合わせたのでは?
>>821 >大日本帝国と日本国はおんなじ行政機構だよね?
違う。
>>822 >幕末の官軍の将がかぶっている、長い毛の名前は何ていうんですか?
シャグマ
>あれはどこかの国の軍隊のまねなんでしょうか?
違う。武田信玄もかぶっている。
>>822 毎度毎度あきれるほど繰り返される質問です
【質問】
維新ものの映画やドラマで,官軍の指揮官が,歌舞伎みたいな赤いたてがみを付けてるのはなぜですか?
【回答】
指揮官の印。味方の兵士が、どこに指揮官がいるかすぐ見分けられるように。
ちなみに赤をかぶるのは土佐藩。
薩摩藩は黒.
長州藩は白。
それぞれ赤熊(しゃぐま)、黒熊(こぐま)、白熊(はぐま)という。
元はチベットなどにいる、ヤクという牛の仲間の毛。
江戸城に秘蔵されていた物を、無血開城後に戦利品として官軍が被るようになった。
ゆえに、それ以前の戦いで官軍が被っているのは、厳密に言えばおかしい。
会津や五稜郭はともかく、鳥羽伏見とかで被ってる時代劇とかね。
ttp://mltr.e-city.tv/faq04.html#02146
>>823 ご回答をありがとうございます。
>>823さんは戦前の事について詳しそうですね。
なんで平仮名が重視されるようになったとか、
なんで日本語を変えたのかお解りでしょうか?
宜しければ答えて頂きたいのですけれども。
それともう一つあります。
日本語を変える事などそんなに簡単にできるものなのでしょうか?
左から右に文字を書き読んでいる私が、
今から右から左に文字を書き読む事などそう簡単にはできないのですけれども。
戦後以前に教育を受けたお年寄りとかは文字を当時のままに書くのでしょうか?
宜しければご回答をお願いします。
828 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 13:38:22
戦前は縦書きが多かった。
右書きが不合理だと左書きに変えようとしたが、
陸軍の反対で変えられなかった。大和魂。
829 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 14:03:56
>>827 >戦前の事について詳しそうですね。
そんなことはない。ただ、私の大叔父と大叔母が90歳と95歳ながらも、元気で過ごしており、そういう話を聞く機会が多いからです。
あと、仕事で知り合った高齢者の方とかも、そういった話をしたもんですから。
>なんで平仮名が重視されるようになったとか、
>なんで日本語を変えたのかお解りでしょうか?
占領政策の一つで、よりアメリカ人がわかりやすいようにしたため。
カタカナよりも、ひらがなの方がわかりやすく、漢字も國より国の方が簡単であるように、とにかく簡略化させるため。
>日本語を変える事などそんなに簡単にできるものなのでしょうか?
アメリカ軍の苦労は知りませんが、実際に変わったのだから、それほど難しくはなかったのでは?
>左から右に文字を書き読んでいる私が、今から右から左に文字を書き読む事などそう簡単にはできないのですけれども
それはあなたのやる気しだい。
>戦後以前
戦前ですな?
>戦後以前に教育を受けたお年寄りとかは文字を当時のままに書くのでしょうか?
人それぞれであろう。作家・阿川弘之氏は、今でも昔の書き方をしている。
「〜であった」を「〜であつた」とか、こだわっているのか、そちらの方が書きやすいのかは存じないが、このように書いている。
画数の簡略化は、それが導入された後に発行された教科書を使って教育を受けた世代から
順次広まっていくものだろうから急に切り替わることはないだろうね。
書式については、公文書の書式の関係上性急に変わらざるを得なかっただろうけど。
831 :
820:2005/06/20(月) 17:41:37
あの官軍の帽子が鳥羽伏見以前に被られていなかったとは驚きだな。
なんで官軍のイメージ=三角帽を被ってライフルを持っている兵卒と色ついた
毛を被った将官なんだろ
メディアの演出
蝦夷討伐の司令官=征夷大将軍
時行討伐のために尊氏が任命した=征東将軍
有栖川宮親王が任命された=東征大総督
実際、官軍の司令官の肩書きって律令制に明記されていないんですかね?
使持節都督倭百済新羅任那秦韓慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王
大江匡房は大江広元と血のつながりはあるんですか?
譲位して上皇になっても贈り名は与えられないんですか?
九州のことを鎮西とよぶのは、九州のどこかの豪族が
支那王朝に朝貢して「鎮西将軍」の位を与えられたことに由来しているって
友達が言っていたんですが本当ですか?
839 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:23:05
>>818 GHQは日本語の草書体が解読でいなかったので、国民生活から教育にいたるまで
全面的に草書を排斥、楷書と行書のみにした。
840 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:25:56
昔の言い方で、午前十一時ってなんていいますか?
841 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:44:40
>>840 午の刻(AM11:00〜PM1:00)
午前、午後の午で常識だろ!
842 :
日本@名無史さん:2005/06/20(月) 22:48:04
ありがとうございました!
赤松氏って嘉吉の乱で完全に滅ぼされたんでしょ?
なんで応仁の乱後から戦国大名として播磨の辺りに勢力を持っていたんですか?
>>843 完全と言うわけではない。
禁闕の変の時に再興して再び力をつけていたはず。
南北朝時代の勢力図を載せているサイトってありますか?
>>818 >一般庶民もこんな感じで文字を書いていたのでしょうか?
普通にひらがな使ってる。
平仮名まじりか片仮名まじりかはケースバイケース
外交文書とかはカタカナだけど新聞はひらがなだし。
私見だが団体であれ個人であれ保存しようとする文書はカタカナが多いきがする。
>>817 戦前の日本語ではカタカナの方が重視されているのですか?
>>823で正解だと思う
個人的には印刷技術の関係やアルファベットに対するコンプレックスもあったと思う。
あのころは話し言葉書き言葉、文語体口語体、くっきりわけてたからなぁ。
戦前と戦後で日本語が変わったというより、文章において口語体が幅を利かせ
文語体になじみが少なくなったという面もあるのでは。
847 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 12:32:16
>>843 赤松の家臣が南朝の残党に奪われた三種の神器を取り戻して御家再興、その後応仁の乱のときに細川方について山名軍から播磨を解放した。
849 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:47:09
そういえば、昔、日本に右横文字はなかったという?君がいたなぁ
850 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:47:42
851 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 14:57:14
せっかくFAQサイト作ってもらってうんざりな質問が減るかと思ったら
>>8227みたいなのが相変わらず出てくるし・・
縦書き横書きの話も散々したからもう俺は言わないよ。
854 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:18:58
あんなの俺はFAQサイトとして認めねえ。
と言ってみるテスト。
だって見にくいんだもの
醜いfuckサイトw
857 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:32:21
858 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:32:54
おまえらひでえな。
誰か新しいfaqサイト作ってください。ちゃんとしたやつを。
まあ軍板のもみやすいとはいえないがな。相撲板は見やすいが情報量が少ない。
2ちゃんで一番イイFAQサイトってどこ?
漏れ的にはミンサガの攻略サイト。
860 :
836:2005/06/21(火) 17:40:34
>>845 ありがとうございました。携帯にメモったんでまた立ち読みします(w
861 :
859:2005/06/21(火) 17:40:40
あ、でも今逝ってみたら初めの頃より良くなってるな。
でもなんかイマイチ。
鎌倉公方の正式名称はなんでしょうか?
当初は関東管領という名前だったけど、室町中期から関東公方補佐の意味
になったし…
まああのFAQサイト作ったヤシは氏ねってこった。
866 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 17:51:39
荒れてきたなage
明日テストのリア厨です。
範囲は江戸時代全般です。
今までほとんど勉強していなくて正直あせっています。
効率のいい勉強方法と、要点みたいなのを教えてください。
お願いします。
868 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:50:24
869 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:10:12
「二日市」というようなところには毎月(このときは旧暦なのかな)2のつく日に市が開かれたっていうけど、
これは2、12、22日のことなの?20とかは含まれないよね?
十一日町というのもよくわからない。
870 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:43:12
>>838 鎮西は、
大宰府を鎮西府(743〜745)に改称した際に統括地域であった南海道(九州)
に対しても使われるようになった異称で、朝廷の官庁名からきています。
>>867 教科書の太字の言葉を10回ずつ書く。
その後時間があれば試験範囲部分を読む。
読めるだけ何度でも読む。
試験中ウンコ漏らさんように朝ちゃんとしていけ。
faqサイトなのに画面を横にスクロールさせるのが致命的。
それがなくなるだけでもかなり使いやすくなる。
873 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 19:56:01
吉田松陰は佐久間象山の門下にいた事がありますが
攘夷派の思想家松陰と開国派の佐久間、
何故この二人が師弟関係になりえたのか昔から疑問に思ってます。
松陰は海外にも目を向けた人物なので、そのあたりが佐久間との接点かなとも思うんですけど
実際はどうだったんでしょう?
>>873 佐久間象山も吉田松陰も「和魂洋才」という考え方。
西洋で生まれた優れた知識・技術・仕組みは取り入れるけど、
生活様式や文化といった土着的な要素は日本独自のものを大切にと。
尊皇攘夷ということをしようにも黒船に対抗する手段がなきゃどうしようもないしな。
手段を手に入れてもこれまでの文化の伝統捨てたんじゃ攘夷の意味もない。
妥協的だけど現実的。
大藩の藩主が一族に分地を賜るのはどういう理由からでしょうか?
家督相続に敗れた兄弟とかに捨扶持をあてがったりしたとかいう理由もあったのでしょうか?
876 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 23:17:41
『何故鎌倉に都をうつしたのですか?簡潔に答えよ』だって..わからん誰か教えて!
鎌倉に遷都なんて初耳だな
>>875 端的に言えば、本藩に後継ぎがない場合への保険ではないの。
分知してもらいたい本人が幕府に根回しして幕府から声がかかる場合もあるやに
も聞いたことがある。
分知させ本藩から分離させ改易できると幕府はウマーとなる。本藩は分離に必死
に抵抗する。支藩の家臣は陪臣の陪臣だが分離されると陪臣になり格が上がるので
分離を望むとかあるようだ。お家騒動の火種になりやすい。
880 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 13:51:05
>>876 鎌倉に幕府をだろう
・源氏にゆかりの深い要害の土地
・東国武士団と近い
・京都の朝廷に飲み込まれない距離
882 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:24:22
品位(ほんい)とは親王・内親王に与えられた位階と習ったのですが、
北条政子故を二品、高階栄子を丹後二品とか、日野宣子を岡松二品と言うのは、
当時二位と二品が混合して使われていたからなのでしょうか?
それとも准皇族みたいな特別待遇を表したかったからでしょうか?
【訂正】
北条政子故を二品→北条政子を二品禅尼
884 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 16:40:48
ホンイは臣下でも与えられる
>>875 ・農業社会では分割相続がごく自然
・戦力が分断されれば幕府には好都合
・血を分けとけば、少なくともどっちかは生き残るかも
(実際分家だけ生き残った例は多数あり)
・家臣も、大藩のその他大勢より小藩の重臣のほうが大概うれしい
そのほか諸々。
887 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:00:33
応永の外寇について。
朝鮮に領土的野心がなかったという説明が一般的ですが、これを示す史料はどこにあるのでしょうか?
888 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:27:42
日本史板住人(2ちゃんねら)で、明治以降のただしい見解の歴史
年表をつくるスレをつくりたいんですけど、長すぎなのでどんなタイ
トルにしたらタイトル枠内に埋まりますか?
889 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 22:57:52
>>888 年表スレは続いたためしがないので諦めなさい。
890 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:12:24
891 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:16:24
>>888 正しい見解というか、歴史観はそれぞれが持つべきもので、
事実の羅列ならともかく、「これが正しい、他は正しくない」と称する
ようなスレは作らないでほしい。
どんな学説も、先行研究の成果のうえに存在でき、
いずれは後進によって克服されていくのが、歴史学というもの。
他の批判を許さない「共通の」「正しい」歴史観など、
あってはならない。
ましてや、
「自分たちにとって都合の良い=正しい」という感覚で歴史を語ってほしくない。
893 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 02:07:37
ウヨ必死だなwwwwwwww
江戸時代の一両って現在のお金に換算するといくらくらいなんでしょう?
895 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 10:44:49
質問
教科書でよくある風刺画の作者の【ビゴー】て どんな人 なんですか
896 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 10:52:19
>>895 明治期に日本で活躍したフランスの画家。パリのエコール・デ・ボザール
卒業後、ゾラの小説《ナナ》の挿絵を描いたりしていたが、ゾラや美術
批評家L. ゴンスらとの交際を通じてジャポニスム(とくに浮世絵)の影響
を受け、日本に関心を抱いた。
1882年1月、日本美術研究のため来日、同年10月から2年間、陸軍士官学
校の画学教師を務める。85年《団々(まるまる)珍聞》に漫画を寄稿、また
日本をテーマにした3冊の銅版画集を出版した。とくに大版の《日本素描集
Croquis japonais》(1886)は練達な画技と細緻な観察眼をよく示している。
91年、芸者の生活を描いた石版画集《東京芸者の一日》を刊行。
一方、1887年から横浜居留地で漫画雑誌《トバエ T【baレ》をはじめと
する数々の風刺雑誌、風刺画集を刊行し、条約改正や日本をめぐる内外の
政局、日本人をしんらつに風刺した漫画を描き、官憲に注意人物と目された。
日清戦争にはイギリスの雑誌《ロンドン・グラフィック》の特派員として
朝鮮に従軍。95年、日本女性と結婚し一子をもうけたが、99年6月、条約
改正による居留地廃止や官憲の弾圧をおそれて帰国、晩年はパリ郊外に住んだ。
897 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 10:53:01
>>894 上の方にFAQサイトへのリンク張られてるからそこに池。あったはず。
899 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 19:13:07
900 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 20:07:41
その国と戦争をまったくしないと言う考えを第一において、あとは
外交も貿易もまったく関係をもたないという国の間柄を
なんというんですか?
戦争をしないというのを第一において、あとはわざわざ
友好を積極的にしないで、適当に関係をもつ国の間柄の名称も
何というんですか?
日○友好の様な、知らない人がきくとやたら平和的ないい感じに
聞こえる熟語でお願いします。
○○天皇の部分って、おくり名ですよね。
じゃあ、昔も今みたいに生きている天皇は今上天皇とかただ天皇とかって呼ばれてたの?
上皇とか法皇は今上上皇とか?
>>900 外交関係を全く持たないってのは相手を国家として認めていないことになる。
903 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 22:52:28
後醍醐だけは自分で言わせてた
足利尊氏が主人公の小説はなぜほとんどの場合、尊氏がやったと思われるものまで
弟の直義のやったことになっているんでしょうか?
護良親王暗殺や、南朝皇族の毒殺シーンとか、ほとんど尊氏の意に反して
直義が内密に指示したような書き方をされていますよね?
小説といっても殆どがそんな具合だが…
だから小説。
事実なんて都合の良いように変えちまう。
編集「暗殺?いやー主人公が陰湿な悪者になっちまう誰かに肩代わりさせましょう」
作者「そだね。おお、直義ハケーン!」
編集「それだっ!」
作者「盛り上がってまいりました」
こんなとこ。
908 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 12:06:15
>>907 実際はそこまで盛り上がってないだろうがなw
909 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 14:22:57
実際のところ、護良親王暗殺の背後にいたのは誰?
鎌倉から退却する直義の独断なの?
それとも時行の軍勢が鎌倉を攻め落とすことを予想していた尊氏の指示なの?
911 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:11:18
912 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 15:49:36
>859
相撲板のFAQを初めて見たが
情報量が少ないから分かり易いように思えるだけだろ。
軍事板用語集(FAQじゃないほう)と同じレベル。
日本の古代の服装についてわかりやすく書いてあるサイトってありますか??
914 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 16:34:51
>>914 ここは初心者質問スレであって、
我田引水(一知半解)な者が無用のコピペを貼るスレではない。
916 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 16:59:38
>>914>>ぶっちゃけ日本政府はフィリピン経済を破壊しただけだったから
???それだけですか?もともと東南アジアは自給自足の原始社会ですから経済があったとは思えないのですが・・・
馬鹿を虐めて喜ぶ馬鹿・・・
918 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:10:11
>>915 無用と思えばスルーしたまえ。
俺はこのURLの記述が概ね正しいと判断したから回答代わりに流用したまで。
一知半解だというのなら
どの辺がそうなのか具体的に言いたまえ。
>>916 >もともと東南アジアは自給自足の原始社会ですから
それは植民地支配以前の社会。
例えばインドネシアではオランダがごむなどのプランテーションを強制し
結果、凄まじい餓死者を出している。
何百年も植民地だった社会が自給自足なわけないだろ
920 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:11:21
日本軍が侵攻したせいで宗主国との間で保持されていた経済システムが崩壊して生活が苦しくなったのは
他の地域でも同じでしょ。
フィリピンの場合、他の植民地と違ってかなり同化的な政策がとられてて
フィリピン人のアメリカ人化(英語を母語にする香具師もかなりいた)が進んでいたという事情も大きい。とおもわれ
921 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:26:39
>>920 同化政策が大きな要因とするならば
>それも,日本の戦果が赫々たる昭和17年時代は,日本に対して期待もかけられた.
とする日比慰霊会の言葉は嘘だということだろうか?
同化政策がとられた台湾において霧社事件
922 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:27:11
921の最後1行は消し忘れ
923 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 17:28:05
首狩禁止に怒った首狩族の反乱
925 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:14:05
上まあ煽り厨と化している924自身の姿は恥ずかしくないのかという疑問は残るが
それはさておき
>>920その他の諸賢に続けて伺いたいのだが
924に示されているサイトにおいても、
治安回復失敗と資源収奪が上げられているが
同化政策については言及がないようであるが、
その点いかがであろうか。
意見を拝聴したい訳だが。
それにしてもまあ
煽り厨でもたまには検索代わりの役に立つことがあるという訳だろうかw
上まあ煽り厨と化している925自身の姿は恥ずかしくないのかという疑問は残るが
それはさておき
それにしてもまあ
煽り厨では何の役にもたたないだけではなく荒れるだけであるということが
今回も又証明されたわけではあるなw
927 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:41:18
928 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 18:46:37
929 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 19:01:59
>>928 了解した。
上スレにて先の質問への回答をぜひに希望したい。
FAQサイトだいぶマシになったな。
どうする?次スレの点プレにいれてやるか?
入れなくていいよ
fuckだから
>>929 逃げたか。
それにしてもまあ
煽り厨では何の役にもたたないだけではなく負け犬でもあることも証明したわけであるなw
>>817 遅レスですが、岩波新書「横書き登場」(屋名池誠)が詳しくてわかりやすい。
昔の看板、広告などの実例が豊富に取り上げられている。
「左→右」「右→左」はけっこう長い間混在していたようだ。
↑?
>>928 すまんがそこまで厨に付き合う気は無い。
ものを知らんくせにやたら態度が悪いしね・・・
935 :
934:2005/06/25(土) 21:40:52
あ・・・ミスったw
>>934 はたから見ればお前も同類。
↓↓↓↓何事もなかったように質問どうぞ↓↓↓↓
なんで地方の国司を現す官職名(信濃守とか)が、名誉職の意味になったんですか?
領国支配の名分ならともかく、戦国時代だと国人レベルの人間が在地とまったく違う土地の守を
自称しているし…
なんか意味あったんですかね?
鎌倉時代になって国司が支配権を失った時点ですでに名誉職化していた。
北条家の執権が相模守と名乗るのも形式以外の何物でもないし。
939 :
日本@名無史さん:2005/06/25(土) 22:34:53
朝廷中心の政治システムが実態を保てなくなったから名誉職になった
名前を売ることが金になったからというのもある。
今でも、ブランド名やキャプションは重要。会社名なんぞ随分カタカナになった。
941 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 00:53:18
質問であります。
江戸の明暦の大火では10万似もの死者が出たと申しますが、この数字は信憑性があるのですか?
当時の江戸は遥かに小さな町だったろうに、それに比して死者の数が多すぎませんか?
18世紀初頭、江戸の人口は140万人
943 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:34:32
ペリーの日本来航時の
階級を教えてください。
944 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 01:41:19
>942
しかし明暦の大火があった1650年ころには、人口は100万人には達していないんじゃなかった?
隅田川に橋が無く、浅草門が閉じられて開かなかった、などの悪条件考えても10万は死にすぎ。
明和年間の目黒行人坂の大火は死者14000人、文化年間の芝の大火で1200人。
文政年間の神田佐久間町の大火で2700人なのと比べると桁外れすぎる。
人口200万人を突破した大正時代の大震災で東京の死者は6万人、
焼夷弾が雨あられと降った東京大空襲で10万人だからね。
>>944 知ったか知識で回答者に議論を吹っかけるなと何度言えば(ry
>>945 激しく同意。
東京大空襲とかぬかしてるとこ見ると軍板から来たバカだろ。
>>1に軍ヨタお断りと書いといたほうがいいな。
無能なくせに態度が悪いからスレが荒れる。
死傷者が数千人単位で出た合戦では、どうやって死体の始末をしていたんでしょうか?
合戦場跡で人骨がたくさん出てきたというニュースは見たことないので、多分燃やして
砕いていると思うんですが…
>合戦場跡で人骨がたくさん出てきたというニュースは見たことないので、
お前がニュースを全然見てないだけ。
それに火葬にしたって人骨は残るだろうが。
ここは日本史についての初心者が聞くところで
社会常識ダメダメな無知が来るところじゃないよ。
合戦場跡から人骨が出てくるのは結構普通にあることですが。
あと1度焼却した人骨は案外持たない。酸性度が高い土中では特に。
>>863 鎌倉総鎮撫で検索しても何も出ないんですが…
>>950 だから何だ?専門書で調べろよ。
ここは一応学問板なんだぞ。
学問板で得られた専門用語がそう簡単にネットで見つかると思うな。
952 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:15:36
953 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 09:26:57
歴史的にみて日本に諸兵科連合という思想が現れ、
実践されたのはいつごろになるのでしょうか。
また、戦国期はまだ単なる混成部隊にすぎなかった、
という仮説の信頼性は高いのでしょうか。
>>952 無能な軍オタは軍板に帰れよ。
お前みたいなレベル低いやつがいていい板じゃないよ。w
>>955 相手にするなよ。
こういう無能は次の重箱の隅を持ち出して来るだけだよ。
>>954 頭の悪い馬鹿に構ってスレを荒らさないようにしよぜ。
悪いけど馬鹿な質問をす奴も馬鹿に腹を立ててレスす
る奴も無駄に書き込み
過ぎだよ。
ぎこちない文章の区切り方で読みにくくてスマン。
960 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 12:08:23
なんか変な奴がまぎれこんでるな・・・
初心者質問スレであって、無知のものを叩き、煽るスレだと勘違いしないように
>960
単なる知的スノブと思われ
962 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 13:20:54
965 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 18:54:22
>野生生物によって死体を荒らされたりしないように、それなりの回向はきちんとしています。
詳細キボンヌ
967 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 22:24:09
明暦の大火死者10万人説を簡単に信じる香具師は、
南京大虐殺死者30万人説をも無条件で信じるんだろーな。
968 :
日本@名無史さん:2005/06/26(日) 23:38:41
>>967 無知無能は軍板に帰れよ。
また泣かされたいか?w
970 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 07:39:50
穴山梅雪、木曽義昌、小山田信茂はともに武田家を裏切ったのに
小山田信茂だけが信長に処刑されたのはなぜですか?
家康に引き取られた梅雪はともかく、義昌は信長に寝返ったのに…
971 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:18:16
あくどいから
972 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:21:54
アンド価値がないから
民度が低いな日本史板は
974 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 12:29:01
そういう自分が一番???
976 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 13:33:44
>民度が低いな日本史板は
お前が一人で低くしようとしてるだけだろ?w
ここは学問板で日本史という学術に興味があるやつが集まる板なんで
お前みたいな無知は場違いなんだよ。
978 :
900:2005/06/27(月) 15:57:07
>>902 なんでならないのかわからない。日本が鎖国していたとき、外国を国家として
みていなかったのか?
>>978 回答者に執拗にからむ前に自分で調べろ。
最近無知のくせに態度悪いのが多いな。
980 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:34:29
>>979 煽りやさんもさることながら、回答者も最近態度が悪いな。紳士的にいこうぜ。
981 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 19:36:40
>>978 日本は鎖国といっても「どの国とも外交関係を全く持たない」ということがあったでしょうか?
日本史としては常識に類すると思いますので、百科事典やwikipediaなどで鎖国・外交・貿易あたりをしらべてみましょう
俺はそんな状態の呼称はしらん。
決して煽りではないが、
>>900 は何を問題とし、何を訊こうとしているのか
イマイチよくわからない
今、
>>977を殺してきた。つまらない粘着を繰り返した罪を泣いて悔いていたが、後悔は地獄でしてもらうことにした。
柄の長さが90cmはある大きな斧を振りかざし、
>>977を部屋の隅に追い詰める。
>>977の引き攣った醜い泣き顔から完全に血の気がうせたところを見計らって一挙に
>>977の
両手両足を切断。柄を通して斧の無骨な刃が肉を裂き骨を断ち切る感触がズンと伝わる。
切り口から噴出すコレステロール過剰の鮮血。すかさず焼き鏝で傷口を焼いて止血する。
慈悲からではない。
>>977の苦しみを長引かせるために。
>>977の断末魔の苦しみだ。防音した小部屋に咆哮が殷々と響き渡る。
>>977は自業自得だが、
さすがにこちらの鼓膜が辛い。
この間にシャワーで返り血を洗い流し、ついでに斧を研ぎなおした。
作業が終わっても
>>977の叫びは続いたが、次第に途切れ、醜く肥えた腹が痙攣するのみ。
それでは仕上げ。
>>977の首を刎ね飛ばす。絶叫が止み、転がる首を追って残った鮮血がひとしきり噴出する音が続いた。
その転がった首、おまけにザクリとぶち割ってみた。中はやはり予想通り生き腐れだ。
>>977よ。地獄で苦しめ。これはお前が自ら望んだ結末なんだ。
984 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:22:46
そもそも国交のない外交関係は近代国際法普及前ならいくらでもあったがな。
985 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 21:35:59
海は交通路
986 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:40:24
江戸時代の武家の結婚適齢期はいくつぐらいですか?
男女で違うでしょうが、何歳くらいから結婚しだして、何歳くらいからは行き遅れなの
か教えてください。
987 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:52:26
>>986 元服したら結婚OK、元服後2-3年も独身は行き遅れ。
基本的に結婚は親同士が決める事柄でした。
988 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 22:56:08
男の元服は11歳12歳から17歳18歳って所かな。
今時「鎖国」なんてなかったこと知らないなんて・・・
990 :
日本@名無史さん:2005/06/27(月) 23:07:31
直接日本史と関係ないですが、各地の歴史博物館の図録ってどこかで
売買されてますか? 中古の取引です。
>>990 わが家には定期的に古本屋から目録が来ますが
ふつうに載ってますよ
>>983 半可通はネタ煽りすらつまらんな。w
>>980 お前何要ってんだよ。
ちゃんと過去ログ見て言ってんのか?
回答者に執拗に噛み付く無知な馬鹿がいるのが原因だろうが。
回答は義務じゃないんだぞ。
何を勘違いしてるんだ。