これほどの人物は空前絶後かもしれない
2 :
日本@名無史さん:05/03/01 14:06:46
キンタマが空前絶後
3 :
日本@名無史さん:05/03/01 14:19:44
戦争好きのデヴヲタってイメージしかない
5 :
日本@名無史さん:05/03/01 16:25:18
九州ヤクザ
6 :
日本@名無史さん:05/03/01 17:34:34
誰も西郷の真似など出来ない。
あまりにスケ−ルが大きすぎる。
ラストサムライだな
9 :
日本@名無史さん:05/03/02 13:25:08
2度も島流しにあい、自殺までされたのに復活を遂げられた精神力は敬服に値する。
私もこういう親分に仕えたい。
10 :
日本@名無史さん:05/03/02 20:16:32
ほんとはデヴじゃないのか?
ホモ男
12 :
日本@名無史さん:05/03/02 21:54:53
デヴでホモで局部肥大症の戦争好きヤクザです。
13 :
日本@名無史さん:05/03/02 21:56:33
犬喰い土人ダサツマは見ているだけで吐き気がする。
14 :
日本@名無史さん:05/03/02 22:01:47
現代にあてはめるとオサマ・ビン・ラーデン
15 :
日本@名無史さん:05/03/03 09:26:23
西南戦争時、私学校の生徒を見捨てなかったやさしさは今の政治家や財界人には
ないな。
だからこの偉大な人物を私は好きです。
英国公使館で働いていた医者のウィリアム・ウィリスが熱狂的な西郷シンパで、
西南戦争の時には西郷軍に参加しようとして周囲に制止されている。
もし彼が西郷軍に加わって戦ったら、事態は国際問題に発展してどういう展開になっていたのか興味深い。
まあ、本人が自ら反乱軍に身を投じたのだから、英国も生麦事件みたいには利用できないだろうし、
場合によっては日本が英国に大きな譲歩を強いる事が出来たかも知れない。
結論:ウィリアム・ウィリスはホモ
18 :
日本@名無史さん:05/03/03 10:57:49
>>16 この話が「ラストサムライ」の元になったのかもしれませんね。
19 :
日本@名無史さん:05/03/03 11:37:03
奸策と人殺し大好きデブ
20 :
日本@名無史さん:05/03/03 11:38:41
これほど二面性を持つ人もいないね。
21 :
日本@名無史さん:05/03/03 11:49:59
常人にはわからないな。
22 :
日本@名無史さん:05/03/03 13:46:03
西郷好きな人に一言
彼はテロリストの親玉でもあったから
幕末の江戸で起こった放火、強盗は
ほとんど西郷の差し金だから・・・
会議の途中で慶喜を刺し殺せみたいなことも言ってるし
西郷は訳がわからんのが正直な感想
>22
それがどうした?
「奇麗事だけ」で済んだ政権交代が有史以来どれだけあると思っている?
腐った政権を倒すためにはこのような悪事に敢えて手を染めねばならぬときもあるのよ
24 :
日本@名無史さん:05/03/03 17:22:52
キレイ事をほざき続けて攻め滅ぼされるだけなら、
幕府みたいな無能集団にでも勤まる仕事だ。
キレイ事をほざいて馬鹿どもを騙し、汚い手を使ってでも勝つだけであれば西洋人みたいな鬼畜外道でも気軽にやっている。
だが、社会を改革する為には手段を選ばぬ辣腕を奮いながら、
決して私利私欲には捕われなかった西郷だからこそ、西洋人のような禽獣どもの精神さえも教化するのだ。
ほんとに評価が難しいな>西郷
26 :
日本@名無史さん:05/03/03 18:24:34
奸策に奸策を重ね最終的に負けて滅んだ豚
西郷が靖国に祀られる日は来ないのだろうか。。
高潔だとwまた釣堀スレ立てやがったな
29 :
日本@名無史さん:05/03/03 21:55:13
西郷隆盛は怪物。いい意味でもわるい意味でも常人じゃない。
30 :
日本@名無史さん:05/03/03 22:00:22
西郷は島津斉彬のバッタモンだろ?
31 :
日本@名無史さん:05/03/03 22:01:33
西郷は、何で桐野みたいな香具師を・・・
33 :
日本@名無史さん:05/03/03 22:23:18
維新までに策に策を重ねたくせに明治に入っからは士族の心情を考慮してあげく自滅するという
不思議な巨人
34 :
日本@名無史さん:05/03/04 09:40:03
今の政治家だと野中さんが近いのかな?
スケ−ル、レベルは全く違うけど。
35 :
日本@名無史さん:05/03/04 13:18:42
>>22 を書いたのはは俺なんだけど
俺は西郷を嫌いじゃないんだよ
いいとこしか見ないつうか
えこひいきで好き嫌いを決めてる意見が多いから
事実を言いたかっただけ
西郷好き奴に聞きたいんだが
それでも西郷好きかい?
36 :
日本@名無史さん:05/03/04 17:01:07
やはり西郷さん好きです。
何度も死にかけても復活し最後は郷土で死んでいった。
私利私欲が無かったという点で。
でも残された家族は苦労しただろうけどね。
37 :
日本@名無史さん:05/03/04 17:11:41
>>36 親戚には西郷従道、大山巌という元勲もいたし、
10年たったら名誉回復、侯爵にまでなっているから楽勝でしょ。
確かに名誉回復後は良かったみたいですがそれまではイト夫人は山中に
住み食うや食わずの生活と何かの本で読みました。
薩摩おじょこの意地か西郷従道、大山巌の援助は一切受けなかったそうです。
39 :
日本@名無史さん:05/03/04 18:16:21
会津まんせー
薩摩「おじょこ」?????
本当に西郷好きなの?w
41 :
日本@名無史さん:05/03/05 09:05:51
薩摩おごじょだよね。
まあまあ些細なこと。さらっと流しましょう。
でも今もかごしまでは気丈な女性をおごじょなんて言うのかなあ?
薩摩隼人はたまに耳にします。
42 :
日本@名無史さん:05/03/05 09:12:04
薩摩と会津は男尊女卑の本場
★月照事件で一人だけたすかるズルさ
=端的に口封じのため・無責任の局地・その後腹を切ろうともしない
★蛤御門の変・四境戦争に見せたすさまじい変節
=西欧人真っ青の超営利主義・イカサマ商法を地でいく
★長州に武器を供与して幕府と戦わせる
=自分の手は汚さず漁夫の利を得るイジ汚さ
★坂本龍馬を利用するだけ利用して暗殺
=ネクラ・陰湿・人間の醜い部分を凝縮したド汚いカス
★小御所会議でみせた将軍家に対する陰湿・暴虐なふるまい
=まさに「弱い者イジメ」・手のひらを返すような狡猾
★愛伽那に対して子供だけつくって、認知せず
そのご人に聞かれても「愛人」と答えるのみ
=無責任にして人非人・人の皮をかぶった獣
★フィラリア症でキンタマがスイカなみに腫れていた
=キショい、キショすぎ。リアルフリークショウ
★無責任きわまりない征韓論
=侵略主義者・平和より血を見るほうが三度の飯より好きらしい
★鹿児島私学校の生徒と徒党を組んで反乱
=ついに本性発揮・やはり野蛮人だけあって安易に力に頼る未開さ
★西南戦役でくたばる
=正直、ザマーミロ!の一語につきる
44 :
日本@名無史さん:05/03/05 10:31:33
要するに幕末の宅間守が西郷なんだよ
45 :
日本@名無史さん:05/03/05 10:46:51
イト夫人「ウチの人はこんな顔じゃなかよ」
46 :
日本@名無史さん:05/03/05 12:08:35
上野の銅像にイトがケチをつけたのは、生前の西郷が着流しで外出するようなだらしない人物ではなかったからだよ。
47 :
日本@名無史さん:05/03/05 12:30:01
そのとき イト夫人は西郷従道にお尻をつねられた
48 :
日本@名無史さん:05/03/05 12:45:36
仮にも反乱軍の頭目だったんだから、正装の軍服姿はマズイというオトナの事情が反映して着流しになったのを考えて発言しないとケツくらいは抓られる罠。
羽織袴ならイトも納得したかも知れないが、犬の散歩にわざわざ羽織袴でもないだろうし、
普段の野良着では見栄えが悪すぎるという事か
49 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:04:11
しかしイト夫人の発言プラス生涯に1枚も写真を残さなかったことが
「西郷隆盛はどんな顔をしていたのか?」という謎を残してしまった
50 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:07:00
本当に掴み難い男だ。
善人なのか、悪人なのか。
善人であり悪人なんだろうけど、
極端すぎて怖いやつだよな。
51 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:10:31
あの銅像の為に今ではすっかり
「西郷=着流しで外出」
のイメージが確立してしまった訳だが、
歴史上の事実を研究するのは非常に大変なこったね。
52 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:14:17
司馬史観も強烈だからね
53 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:20:24
本名は隆永なのに、戸籍に登録した代理人が父親の名前と取り違えて申請したから戸籍名が父親と同じ隆盛になってしまった。
それを聞いても訂正せずに以後は隆盛と名乗った。
弟は隆興だったが、戸籍係が「リュウコウ」と言っても薩摩訛りを聞き取れずに従道と登録した。
二人とも鶴の一声で直ちに訂正を命じる事が出来る立場なのに、
黙って間違えられた戸籍名を使い始めた。
54 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:23:37
名前を自分で書いて係に見せろよな
55 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:33:08
何から何まで全てが謎に包まれている。
分かるのは偉大な人物だった事だけだな。
56 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:37:58
本当は軍人だからね。
ただ城山で最期を迎えたときは軍服ではなかったが。
イメ−ジ的には古き良き時代の任侠の大親分かなあ?
堅気には優しく喧嘩になったら必ず勝つ。
違っていたらごめんなさい。
57 :
日本@名無史さん:05/03/05 13:57:40
>違っていたらごめんなさい。
うそーんorz
58 :
日本@名無史さん:05/03/05 14:59:19
作り話だと思うが、城山で西郷が切腹するのがイヤで逃げ出したら
桐野が追っかけてきて斬ったとか背後から鉄砲で撃ったなんて話もある
59 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:06:18
60 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:10:41
>>58 西郷は切腹するつもりは当初から無かったと何かの本で読みました。
あくまで政府軍の弾に当たって死ぬと決めていたとか。
だから死ぬのが嫌で逃げ出したということは無いでしょうね。
あと現存する西郷さんの子孫はどのくらいいらっしゃるのでしょうね?
お一人は鹿児島で陶芸をされているとか。
61 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:17:02
62 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:18:33
>>61 その言葉は部下に冗談で話したと記憶していますが。
63 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:30:38
「ああ 天なり!」
64 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:32:32
死に際まで謎大杉
65 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:44:01
赤報隊を陥れたのは誰や?
66 :
日本@名無史さん:05/03/05 15:47:59
西郷隆盛
獄中有感
朝蒙恩遇夕焚坑
人生浮沈似晦明
縦不回光葵向日
若無開運意推誠
洛陽知己皆為鬼
南嶼俘囚独窃生
生死何疑天付與
願留魂魄護 皇城
67 :
日本@名無史さん:05/03/05 16:09:34
赤報隊?
何をトチ狂ったのか勝手に先走って官軍に無用な混乱を与えた邪魔者が処罰されただけだろう。
68 :
日本@名無史さん:05/03/05 16:23:30
朝ニ恩遇ヲ蒙リ夕ニ焚坑。
人生浮沈ハ晦明ニ似タリ。
縦ヒ光ヲ回ササルモ葵ハ日ニ向フ。
若シ運カ開ク無クモ意ハ誠ヲ推ス。
洛陽ノ知己ミナ鬼トナル。
南嶼ノ俘囚独リ生ヲ窃ム。
生死何ソ疑ハン天ノ付與ナルヲ。
願ハクハ魂魄ヲ留メテ 皇城ヲ護リ奉ラン。
69 :
日本@名無史さん:05/03/05 16:25:09
「ボウズヲ シサツセヨ」
70 :
日本@名無史さん:05/03/05 16:43:03
ボウズ=西郷さんだった
>>60 孫の吉之助は文部大臣になっているな。彼は名前負けしなかったわけだ。
西郷隆盛最後の地に行ってきました
城山で死んだんじゃなかったのですね
74 :
日本@名無史さん:05/03/06 22:32:32
西郷さんの死は予言されていたというようなことを何かの本で読んだことがある。
確か高島易断という占いだと思うが、その占いの開祖が下野して鹿児島へ帰る
西郷さんを占ったところ「会ってはならない人がいる。その人に会ったら災いが
おきるだろう」というようなことを言ったらしいが、その会ってはならない人とは?
その開祖は、佐賀へ帰る江藤新平も占い、「佐賀へ帰るのはおよしなさい」と
忠告したが、江藤は聞き入れず佐賀へ帰り、佐賀の乱を起こし死刑となった。
75 :
日本@名無史さん:05/03/06 22:45:21
ダーリン、
謎が謎を呼んで大変なのだ〜
76 :
日本@名無史さん:05/03/07 09:11:15
>>72 私も昨年、行って来ました。
住宅地の中にあり意外でした。
今でこそ開発されましたが西南戦争時はあのあたりも市街地からみたら高い位置
にあったのかもしれませんね。
因みに南州神社には行かれましたか?
>>74 私も結構、西郷さんに関する書籍を読んできましたがこの話は初耳です。
大変に興味があります。
77 :
日本@名無史さん:05/03/07 18:29:36
俺も鹿児島に行ったことあるが地元では圧倒的な人気でした。
菓子などの箱には西郷さんの似顔絵や写真が書かれているし。
これだけ地元で愛される人物はそうそう出ないと思ったね。
なんだかんだ言っても凄い人物だなあ。
78 :
日本@名無史さん:05/03/07 19:15:25
面倒見の良い西郷のもとには、老若貴賤を問わず多くの訪問者があったというが、
西郷は来客に対して、それが近所の童子でも自らが玄関に手をついて出迎え、子供相手でもきちんと正座して談話するのを常としていた。
(古今の英雄ばなしを、子供に易しい言葉で語って聞かせるのが好きで、近所の童子に慕われていたとか)
来客を見送る時は、再び玄関に自ら足を運び、「よろしく御頼み申します」と、相手より深々と頭を下げたという。
79 :
日本@名無史さん:05/03/07 19:19:53
奄美では西郷は微妙に嫌われ者
観光のネタにはなってるけどね
80 :
日本@名無史さん:05/03/07 21:54:10
政治家としての西郷は非道な悪人。
普段は善人ってことか。
81 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:13:58
私利私欲の無い政治家は善人だよ。
政治の世界における悪というのは、私腹を肥やす事だけだからだ。
西郷 大久保 木戸
83 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:25:21
私利私欲を捨てた政治家として知られるその3人の善良な政治家がどうかしたのかね?
西郷さんは立派な人だ。私利私欲が無かった。命を惜しまなかった。
虚栄が無かった。情に篤かった。
85 :
日本@名無史さん:05/03/07 22:39:58
西郷 島津久光が屋敷を与えようとしたが断り、長屋同然の家に住み続けた。
木戸 西郷同様、生活は質素なものであり、死後も資産はほとんどなかった。
大久保 死後、8,000円の借財が残されていた。
>>84 情に弱い人間が
武力で徳川潰そうとするかいな・・。
88 :
日本@名無史さん:05/03/07 23:06:32
情に左右されずに幕府のような旧弊を一掃するのは、偉大なる政治家として当然の態度というものだ。
89 :
日本@名無史さん:05/03/07 23:09:27
>>86 桐野利秋 村田新八 篠原国幹 別府晋介 永山弥一郎 辺見十郎太・・・
90 :
日本@名無史さん:05/03/07 23:12:03
みんなナイスガイだよな
93 :
日本@名無史さん:05/03/08 01:38:49
月照と身投げして自分だけ助かった西郷。
後ろめたさは無かったんだろうか?
94 :
日本@名無史さん:05/03/08 01:46:24
天が西郷に生きる事を命じたのだから、西郷が後ろめたく思う筋合いではない。
96 :
日本@名無史さん:05/03/08 01:59:24
当時の西郷は痩身のイケメンだったから、その可能性はある。
月商と身投げした時、西郷も死んだという説を聞いたことがある。
それ以降の西郷は別人なんだとか。
詳しくはしらん。
ホモ心中に失敗した西郷は、それ以降の余生において、
どうやって自殺するかということしか頭に無かった。
99 :
日本@名無史さん:05/03/08 03:21:31
下衆な質問ですみませんが、
西郷は両刀使いだったんでしょうか?
100 :
日本@名無史さん:05/03/08 03:44:31
100
101 :
日本@名無史さん:05/03/08 10:18:04
結婚を3回し子供もいるのだからホモではないだろう。
そういえばこのところ「道州制」の是非が議論されている。
これは言い返せば「廃藩置県」を是正するということである。
よほど思い切ったやりかたで行わないと実行は不可能である。
この「廃藩置県」を推進したのが西郷さんだ。
また「廃刀令」もそう。
推進したのが西郷さんだったから全国の不平士族も納得したのである。
ダサツマ氏ね
103 :
日本@名無史さん:05/03/08 12:00:21
↑
これしか言えない厨房.W
>>101 今も昔もホモ趣味のある人々の多くは結婚してますが?
アンチスレにあった、明治の初期に狩りの最中頭打って以来人格が変わってしまった
っていう話の真相は?
106 :
日本@名無史さん:05/03/08 18:00:35
一かけ 二かけて 三かけて 四かけて 五かけて 橋をかけ
橋のらんかん 手を腰に はるか向こうを ながむれば
十六、七の 姉さんが 花と 線香を手に持って
姉さん姉さん どこ行くの 私は九州鹿児島の 西郷隆盛娘です
明治十年戦争で うたれて死んだ父親の お墓参りにまいります
お墓の前で手を合わせ なむあみだぶつと拝んだら
お墓の中からゆうれいが ふうわりふわりと じゃんけんぽん
石原裕次郎って、西郷どんに似てね?
108 :
日本@名無史さん:05/03/09 02:49:50
鹿児島人は、縄文時代人からして、鹿児島人だった。
縄文時代の古人骨で、頭蓋骨をはかると、一般の縄文人は、
北から南まで、まあ、だいたい長頭であるが、鹿児島人は、
縄文時代鹿児島人ですら、「著しい短頭」なのだ。
それも、数千年前から、現在にいたるまで、著しい短頭。
つまり、鹿児島だけは、他の地域(九州内部の地域も含めて)
との混血が数千年にわたって、全く行われていないとみてよい。
現在の鹿児島人は、一応、日本語のような言語を話しているが、
あれは、せいぜいここ千年のことだろう。
アイヌ人などは、まだ、東北地方の人々と大いに関係ありなの
だが、鹿児島人だけは、まったくといってよいほど独自だ。
おそらく、鹿児島人種という人々なのだろう。
以前、JRの鹿児島駅に降り立ったとき、周囲の女性の顔がみな
同じ顔なのに驚いた。全員が、奥目で、たれ目で、黒目勝ち、
美人は細面っぽいが、たいがいは下膨れ顔。これが鹿児島人女性
のすべてに当てはまる。
これだけの要素があれば、鹿児島は、政治的にはおいといて、
日本人の住んでいるところではない、と考えてよかろう。
ちなみに、沖縄は、アイヌ同様、本土の縄文人と多いにつながりが
ある。
短頭=頭が左右に長く、前後に短い
長頭=頭が左右に短く、前後に長い
中頭=短頭と長頭の中間
109 :
日本@名無史さん:05/03/09 02:54:13
78 :名無しさん@お腹いっぱい。:04/09/27 23:20:26 ID:Uf/Cayc+
>>77 え?基本的には縄文人は長頭だと思うが。
短頭に近づくのは、弥生期初期ではないか。
ただし、鹿児島人は、最初っから「著しい短頭」なのだ。
たんなる「短頭」ではない。
これはもう、絶壁とかいうレベルでもなく、えぐれている
のではないかと思うほどなのだ。
ソースは、
池田なにがしの古人骨の本(講談社新書か、中公新書か、岩波新書)
だったと思うが。
>>109 縄文 短頭に近い中頭
古墳時代 中頭(この時期から長頭化始まる)
鎌倉時代 長頭(この時期長頭のピーク)
江戸時代 中頭(緩やかに短頭化)
明治 中頭(急激な短頭化始まる)
現在 中頭
もっとも最近短頭化傾向がとまった模様で反転長頭化傾向
cf. 鈴木尚著「骨からみた日本人のルーツ」(岩波新書)
他スレで↓の様に書かれてますがw
3 名前:日本@名無史さん :05/03/09 00:46:47
武士道の究極には男色がある。
薩摩は特に男色が盛んで、西郷隆盛も念友(男色相手)と
心中未遂事件を起こしたほどの有名な男色家であった。
112 :
日本@名無史さん:05/03/09 10:12:58
西郷は男気も人徳も高潔な志も、申し分のない男だと思うが…
俺はこの男がどうも、好きになれない。(けっして嫌いではない)
んー。西郷どんは、
知性が感じられないのだ。
頭の回転が鈍そうなのだ。
デブは受け付けないのだ。
>>36 郷土で死んだっけ?
逃亡してなかったか?
114 :
日本@名無史さん:05/03/12 20:39:02
西郷南洲翁遺篇「楠公」
奇策明籌不可模。
正勤 王事是真儒。
憶君一死七生語。
抱此忠魂今有無。
115 :
日本@名無史さん:05/03/12 20:58:10
西郷南洲翁遺篇
「送藩兵為 天子親兵赴 闕下」
王家衰弱使人驚。
憂憤損身千百兵。
忠義凝成腸鐵石。
為楹為礎築堅城。
116 :
日本@名無史さん:05/03/12 21:16:40
今でも田原坂辺りでは鉄砲の玉が落ちてるのかな?
117 :
日本@名無史さん:05/03/13 19:18:24
忠義は凝りはらわたは鉄石と成れり。
柱となり礎石となり、畏れながら、堅城を築き奉らん。
118 :
日本@名無史さん:05/03/13 20:13:44
うちの九州の友達のクラスメイトが西郷どんの子孫らしい。
その学校の先生に会って聞いたらそうだといってはった。
120 :
日本@名無史さん:05/03/15 18:57:51
西郷さんの子孫は意外に多いかもしれませんねえ。
どうなんでしょう?
幾たびか辛酸を経て志初めて固し
↓
西郷さんだから言える言葉
121 :
日本@名無史さん:05/03/16 00:18:54
>>119 何年か前、西郷隆盛の直系の子孫(ひ孫:現在の西郷家当主)さんと仕事で
ご一緒さしてもらいました。
歴史上の人物の子孫を特集したTV番組などにも出演された事もあります。
顔は、上野の西郷さんとは似ても似つきませんw
しかし貫禄はある方です。
お父様(つまり隆盛の孫)が大臣経験者で、葬式の時の弔問客が大物ばかりで
えらく気を遣ったとか言ってました。
これほどの男である西郷の写真だけ存在しないのが、
どうしても不可思議だよな
>>76 遅レスですが南州神社には行ってないです
でも今は鹿児島に住んでいるので近いうちに訪ねてみたいと思っています
最期の地は隣にマンション?が建ってたりして本当に意外な場所ですよね
124 :
76:05/03/16 13:35:26
私も初めて行った時は驚きました。
すぐ隣がマンションですからねえ。
南州神社の近くというか中に「つん」という喫茶店がありますからお時間が
あれば行かれたらよろしいかもしれません。
ここのマスタ−は大の西郷さんファンです。
125 :
日本@名無史さん:05/03/16 13:44:10
何の根拠もなく、西郷隆盛の愛犬はポチという名前だと思い込んでいたのは、俺だけでいい。
126 :
日本@名無史さん:05/03/16 14:25:17
>>121 西郷隆盛先生の孫で大臣経験者というと西郷吉之助氏でしょうか?
以前テレビでこの方を拝見したが上野の西郷さんに多少、近い印象が
あった。
127 :
日本@名無史さん:05/03/16 14:26:43
>>125 いやいや。
誰しもわかりませんよ。
まさに愛犬の名前はツンでしたね(笑)
犬はツン(黒)とカヤ(柴色)と二匹飼っていた
129 :
日本@名無史さん:05/03/16 16:34:59
今の世に西郷さんみたいな方がいたらどんな評価をうけるだろうか?
金を持っているだけのクソIT経営者の方に人が集まるのだろうか?
130 :
日本@名無史さん:05/03/16 16:38:51
でもほりもえんは勝海舟に似たとこないですかい?
坂本龍馬みたいな奴がいればねぇ・・・。
アメリカは西郷さんを見習っていただきたい。
131 :
日本@名無史さん:05/03/17 09:21:31
勝海舟ほど大人物ではないと思いますが。
ただ発想の大きさは少しは似ているかも。
アメリカも根底では西郷さんを好きなのかもしれませんね。
今の日本に西郷さんみたいな人間がたくさんいたらそれこそアメリカにとって
脅威ですよね。
>>114 大楠公、貴殿の、意表を衝く戦略や明瞭なお考えは計り知れないものがあります。
まさしく堂々と、大御国の御大事に勤しまれた公は、真の大学者であります。
小生は、七生報國のお教えを追慕して止みません。
かくのごとき忠魂を抱く士は現在おりますかどうか。
このような意味ですか・・・
133 :
日本@名無史さん:05/03/17 15:59:36
↑
凄い!レベルが高すぎる。
134 :
日本@名無史さん:05/03/17 18:03:22
鹿児島に下野したときから、西郷は辛かっただろうな。
135 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:08:04
みなさんは西郷さんが坂本龍馬を殺害したと証言した今井信郎を
手厚く保護したということから龍馬殺害の黒幕は西郷さんだという
推測がありますがそれについてはどのように考えられますか?
個人的には二人とも好きだからそうでなかったと信じたいものですが。
>西郷さんが坂本龍馬を殺害したと証言した今井信郎を
>手厚く保護した
今井の釈放に直接西郷は関わっていない。
今井が西南戦争で元幕府軍であったのに西郷軍として戦ったことから
今井の遺族が「うちの人は西郷と何か関係があったのでは?」という憶測から派生した眉唾話に過ぎん
137 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:18:54
西郷は、サムライというか、宗教者あるいは求道者的な存在
サムライというなら中村半次郎こそが真のサムライだと思う
138 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:42:09
村田新八の西南戦争時に洋装に日本刀をさした和洋折衷の姿に萌え。
しかし実際そんな格好して戦ってたのだろうか?
139 :
http://www.geocities.jp/shouhishahogo/:05/03/17 22:43:21
あのね、歴史は勝った者が作るのですよ。
ですから、歴史の話はしても無駄なのです。
歴史ではなく現実の話をしてあげましょうね。
140 :
日本@名無史さん:05/03/17 22:45:17
毎年、この時期になるとダサツマが異常発生するな。
141 :
日本@名無史さん:05/03/18 12:13:56
>>140 つまり、薩摩厨は真性の厨房ということですか?
142 :
日本@名無史さん:05/03/18 12:34:37
とはいえそんなことしか言えない人間ほど哲学も教養も無い厨房が多い。
批判しか出来ないという感じ。
143 :
日本@名無史さん:05/03/18 17:58:12
勝海舟翁、南洲先生を詠ず。拝読以って海舟翁人物の威容が伺えると思う。
亡友南洲氏。
風雲定大是。
拂衣故山去。
胸襟淡如水。
悠然事躬耕。
嗚呼一高士。
亡き友、南洲氏。
風雲、大是を定む。
衣を払って故山に去る。
胸襟淡くして水の如し。
悠然、身耕を事とす。
嗚呼、一高士。
144 :
日本@名無史さん:05/03/18 18:05:22
丁度、毛利敏彦「明治六年政変」を読了。
伊藤ってヤシは・・・・・・
145 :
日本@名無史さん:05/03/18 19:02:50
>119さん
らしいです。でもあの西郷隆盛には似てなく細くて可愛い女の子
だそうです。
146 :
日本@名無史さん:05/03/19 09:22:15
>>144 出版社はどこですか?
私も読んで見たいです。
147 :
日本@名無史さん:05/03/19 09:42:58
>>146 「明治六年政変」は中公新書だけど、今絶版中。
もとになった研究書「明治六年政変の研究」も絶版だけど、有斐閣は
OD版出しているみたい。こちらは今現在約6000円。
148 :
146:05/03/19 09:55:08
>>147 有難うございました。
今度、古本屋で根気よく探します。
149 :
日本@名無史さん:05/03/19 15:24:48
名もいらぬ、金もいらぬ、命もいらぬ。
150 :
日本@名無史さん:2005/03/22(火) 18:07:25
お酒は苦手だったみたいね。意外だった。
当時の薩摩人は、
今大人気の鹿児島特産の芋焼酎を、ほとんど飲んでなかったらしいな。
酒の蒸溜技術が乱雑で、洗練されたものじゃなく不味かったそうだ。
西郷もひょっとして日本酒を飲んでたかも
152 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 09:06:55
西郷さんは甘いものが好きだったみたい。
153 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 15:26:58
切腹を恐れる武士なんていなかったと思うけどw
154 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 16:20:43
西郷さんは西南戦争の最期は政府軍の弾に当たって死にたかったそうです。
切腹では死にたくなかったのでしょうね。
155 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 17:56:43
>>151 昔はそんなに美味しくなかったのですか。
それで焼酎は飲料としてだけではなく消毒薬として使われていたのかも
しれませんね。
ただ何かのHPで西郷さんは「石蔵」という焼酎を購入するため、蔵元を
訪問したことがあったらしい。
156 :
日本@名無史さん:2005/03/24(木) 08:53:45
「石蔵」は熱燗にしたら美味しいです。
東京でも販売されていますね。
157 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:48:16
>>152 かるかんまんじゅうとか・・・
鹿児島県人会以外の人もこれを食べりゃにっこりだと思うがwおいしいですな。
158 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:56:57
>>150 鹿児島人はみな底なしの酒飲みというのは誤解でつよ。
例の伝統酒飲みゲームで負けたおっさんが酒をのむルールがいい例かな。
古くから酒嫌いな男がおおいんじゃないかしらん。
万が一酒飲みばかりならゼッタイ勝ったほうが飲むルールでしょW
159 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 14:57:00
でも、長崎のカステラがお好きだったみたいですよ
たしか風月堂の元祖あんパンも御贔屓だったとか。甘味においても確かな眼力。
161 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 16:27:35
お酒は苦手だった様ですね。
カステラが好物という話は有名ですよね。
風月堂の元祖あんパンの話は初耳でした。
このスレは本当に勉強になります。
そういえば昨年、鹿児島へ行ったときに「黒糖・西郷カステラ」いう
商品があったので購入しました。
あじはGOODでした。
162 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 18:40:49
私はかるかん好きですが「じゃんぼもち」はもっと好きです。
西郷さんの時代から存在していたのでしょうか?
163 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 19:09:46
西郷さんは西南戦争の人柱になるつもりだったのでしょうね。
164 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 19:31:29
堀内孝雄の「遥かな轍」を聴くとしみる・・・・・
165 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 21:31:48
西郷隆盛、鰯か雑魚か、たいに追はれ逃げかねた。
166 :
日本@名無史さん:2005/03/30(水) 22:55:31
西郷は、結局何をしたかったんだろ?
167 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 00:05:05
西郷?高杉や木戸に比べりゃ、「屁」だ。
168 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 13:25:49
↑
こんなことしか言えない人よりはずっと立派だと思うが。
比較するなら具体的事例を挙げて欲しい。
俺は、高杉は好きだけどね。
↑ 自分では何もできない糞にそんなこと言う必要もない
>>161 先生のお食事ですが、全体として驚くほど質素ですよね。
何せ正三位陸軍元帥となった後も食事はほとんど塩むすび。
171 :
日本@名無史さん:2005/03/31(木) 15:14:09
そんな粗食で、良くあれだけの仕事が出来たもんだな。
>167
高杉も良い仕事したけど、西郷と比べちゃいかん。
格が違いすぎるよ・・・。
>>163 【為楹為礎築堅城】
之を実行されたのではないでしょうか。
来るべき欧米列強相手の大戦争の備えとして
国軍が薩摩武人相手の実戦を経れば
我軍将兵あに精鋭無双ならざるやと
考えておられたのであろう。
173 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 20:33:48
薩摩西郷は仏か神か 姿見せずに戦さする
174 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 11:28:57
結局のところよくわからない人物だったのだな。
>>171 適度な粗食(素朴なメシ)のほうが、体力精力がつくんじゃないのかな?
焼肉食えばスタミナたっぷりと思っている偽体育会系よりはずっといいのかと。
ま、全然歴史と関係ない話だがな
体育会系と焼肉はいくらなんでも論点ちがうでしょW彼ら彼女らが焼肉をよく食べるのは
そうしなけりゃ体がもたないからなんでしょ。焼肉は値段的にも懐石料理・フレンチ・
イタ飯のような企業の管理職連がいつも貪り食うモノにくらべれば、ずっとつつましいし。
強いて現代に当てはめてみれば、最高級フレンチ・イタリー料理を会社
の金で今日もがっついてる、民主主義絶対とやら喚いて暴力を恣にした
団塊世代連中には特に耳が痛いエピソードだろう。
178 :
日本@名無史さん:慶長410/04/02(土) 14:15:21
性格的に質素な方だったのだろう。
島流し時代も監視役がご馳走を差し入れしても決して口にしなかったといいます。
このときは「粗食で過ごした人間は死に顔が綺麗だから」という理由だったらしい。
既に死を覚悟していたのである。
南洲遺訓
http://www.kamou.co.jp/keiten/saigoikun.html 政治の根本は学問をさかんにして教育を興し、軍備をととのえて国の自衛を強化し、
農業を奨励して生活を安定させるという三つにつきる。
その他いろいろの事がらは、みなこの三つのものを助長するための手段である。
この三つのものの中で、時代により、あるいは時のなりゆきによってどれを先にし、
どれを後にするかの順序はあろうが、この三つのものをあと回しにして
他の政策を先にするというようなことが決してあってはならない。
↑これは西郷南洲(隆盛)の著です
まったくもってその通りな素晴らしい内容ですよね…
かつて戊辰の役で敵対した庄内藩の公子を始め藩士数十名が、明治三年南洲翁を訪ね教授を所望し
翁の親しく語るところを聞き一書に纏め、帝國憲法発布のころ刊行せられたのが南洲翁遺訓刊行の由来とされる。
庄内で南洲翁を慕うの人、其の後もすこぶる多し。
その地の旧制中等学校(今で言えば大学に相当か)でも
南洲翁遺訓が教科書として学生各位は日々吟じていたらしい。
南洲遺訓については明治元勲の一にして大書家なる副島蒼海曰く
『南洲翁遺訓一巻。区々たる小冊子と雖も。今之時に当り。故大将威容の厳
と声音の洪とを観るは。独り此の篇之存するに頼れり。』と。
戊辰で敵対していた庄内藩が南州遺訓の発端だったのか。
知らなかった。
一度通して読まなくてはいかんな。
軍事、教育、農業を柱とするのは全く現代でも同じだ。
185 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 02:36:23
軍事、教育、農業(食糧自給)。まったくもってその通りだ。
186 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 16:57:54
西郷先生が政変に敗れず明治政府のリ−ダ−でいつづけたら今の日本はこんな
腐敗した国にはなっていなかっただろうね。
まず、長州出身の人間はワイロをもらって蓄財出来なかっただろうしね。
残念な話だ。
187 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 18:19:12
そうともいえないでしょ。
現実に山縣を許してしまっているのだから。
188 :
日本@名無史さん:2005/04/04(月) 18:34:50
>>186 いや、それはありえないよ
大体、彼はすぐ逃げ出してしまう
現実逃避屋だから、結局大久保が政務を見ざる
をえない罠
西郷か大久保が長く健在であったら、長州あたりの腐敗官僚は折を見て一掃されているだろう。
長州閥が先手を打って薩摩閥の足元を掬うのに成功した時点で、日本の堕落は確定した。
190 :
日本@名無史さん:2005/04/05(火) 09:29:58
>>189 同感ですね。
西郷さんは一度は山縣を救ったが二度目は許さないでしょう。
それに部下の桐野たち薩摩閥が長州の連中を弾圧したでしょうね。
何せ新政府を恐れず西南戦争を起こすほどの勇敢な人間の集まりですからね。
191 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 15:08:43
軍事、教育、農業を柱とする→まあ軍事はともかく教育、農業については今の日本は
最低だなあ。
西郷先生は当時から将来の日本はこの三点が衰えると予言されていたのかもしれない。
192 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 18:43:30
軍事も最低じゃないか?
盾は持ってるかもしれないが矛はすべてアメリカ頼みなんだから。
攻撃と防御、これら両方を使いこなせなければ一人前の国家とはいえない。
193 :
日本@名無史さん:2005/04/07(木) 21:34:45
そもそも西南戦争って、なんだったんだろう?
西郷が本気で明治政府転覆をめざして鹿児島から出陣したとは、どうも思えないのだ。
俺の想像だが、政府転覆まで狙っていたわけではなく、デモ行進のつもりだったのではないだろうか?
政府のやり方に対する抗議運動だったのではないだろうか?
それが思いがけず熊本城から砲撃されたので、しかたなく応戦したのではないだろうか?
西郷ほどの人物が、明治政府をつぶすなんて非現実的なことを、本気で企てるとは、どうしても思えない。
194 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 08:55:21
俺も西郷さんが本気で明治政府転覆を意図していたわけではないと思う。
転覆させるなら時間をかけて周到な準備をしていただろうし。
ただデモ行進で終わらせるなら何人かの護衛をつけて小規模にしただろう
しあるいは舟で江戸まで行ったと思うのですが。
いかがでしょうか?
195 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:19:29
西郷が西南戦争を企図していた形跡は無い。
私学校の血気盛んなスタッフが政府の挑発に乗って役所を攻撃した為に引っ込みがつかなくなり、
西郷としては責任者として全てを背負う事にしたというだけ。
悪く言えば西郷個人の私的な責任感以外には何の見識も無い行動であり、
日本各地でくすぶる士族反乱を鎮圧して中央集権化を図る政府の意図に乗せられただけという結果を招いた。
196 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 19:35:23
西郷先生が単独で中央政府に抗議に行く方が良かったかもしれない。
送り込まれたスパイは西郷先生の暗殺さえも企てていたみたいだから。
ただ西南戦争の最中、西郷先生はどんなことを考えていたのだろうね。
197 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:08:36
西郷が明治になって、頭が可笑しくなっていたというのは
考えられる。西郷は明治に入ってから、スっ転んでそのはずみで
頭を打って、軽い脳挫傷をおこしていたみたいだから
198 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 20:14:33
↑warata
199 :
日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:31:13
西郷単独でやって駄目だったから下野されたんだろ。
もし仮に西郷軍の東京進出が成功し、挙兵の大義名分とされる
「政府への尋問」が行われたとして、西郷はそのあとは
どうするつもりだったのでしょうか。
そのまま西郷政府を樹立するつもりだったのでしょうか。
また、西郷暗殺の黒幕と思われている大久保や川路の処遇を
どうするつもりだったのか。
西郷には、彼らを処刑する覚悟があったのでしょうか。
201 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 14:26:11
処刑とまではいかないでしょうがかなりきつく叱責したでしょう。
ここで思うのは西郷さんが単独で江戸に行った場合、全国の各地に「西郷暗殺計画」
が知れ渡りそれこそ西郷さんを崇拝する士族があちこちで反乱したかもしれないと
あくまで想像ですが思ってしまいます。
大久保たちが西郷を暗殺しようとしていた訳ないだろ。
私学校の連中が密偵を捕らえた時に刺客だと勘違いしただけだ。
捕らわれた密偵が「視察」と言ったのを「刺殺」と聞き違えた有名な逸話も知らんのかい。
203 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 11:27:51
当初は「視察」→を「刺殺」と聞き違えたとの説はあったが、後になってその密偵の
一人が「最悪の場合、ぼうず(西郷さんの隠語)を暗殺せよ」と指示されたと証言し
ていたとの説も有力視されていましたね。
俺も大久保はまさかそこまでは考えてはいなかったと思うが責任者の川村あたりは
独断でそう指示したかもしれないね。
204 :
日本@名無史さん:2005/04/13(水) 15:14:19
いずれにしろ、「西郷暗殺」騒動は、明治政府の
薩摩兵への罠だと思う
煽っておいて、薩摩兵を挙兵させ、それに対して
賊軍の汚名を着せて大義名分のもとに打ち滅ぼそうという
ただし、大久保あたりは西郷が直接立ち上がるとは
みてなかったんだろうな
205 :
日本@名無史さん:2005/04/14(木) 14:49:02
挑発に乗ってしまったのだな。
それほど中央政府は薩摩の一党を目障りだったのだろう。
206 :
諸橋 嘉久:2005/04/14(木) 15:44:29
207 :
長州人:2005/04/14(木) 23:16:17
今日、『代表的日本人』トップバッターの西郷どん読みました。
短いし、クリスチャン的解釈には違和感もありましたが、確か
に、彼は本物の男ですね。本格的に勉強すれば、吉田松陰からは
学べないものを、学べるのでしょうね。
208 :
日本@名無史さん:2005/04/15(金) 15:37:33
私は「大西郷の逸話」を読んでいます。
西郷さんの身近な話が紹介されていて気楽に読むことが出来ます。
209 :
日本@名無史さん:2005/04/18(月) 18:08:53
週末、江藤新平の姪か孫だかにあたる方が書かれた江藤に関する書籍を読んだ。
西郷さんのことは好意を持った表現で書かれていた。
佐賀の乱の後、鰻温泉にいた西郷さんを訪問した場面ね。
西郷さんは決して江藤を追い返したりしなかった。
鹿児島を出発する際には別れの酒を酌み交わしている。
桐野さんは江藤を匿おうとしたが江藤は固辞したらしい。
しかし大久保のことは多少、悪意というか憎しみが入った書き方だった。
まあ無理も無いが。
210 :
sage:2005/04/18(月) 23:09:45
>>209 なんたって江藤新平は梟首されているからね・・・
211 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 00:42:01
江藤新平の生首写真が怖かった・・・
今でも佐賀の年配の人の中に佐賀の乱の恨みを持ってる人がいるみたいだね。
212 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 09:11:42
それは執念深いというか思い入れが強いというか。
でも気持ちはわかります。
私は江藤新平は非常に貴重な人材だったと思います。
戊辰の仇
214 :
日本@名無史さん:2005/04/19(火) 14:40:29
>>211 大久保が朝の通勤ル−トを変更した原因は江藤の実弟ですよね。
当時、大久保はノイロ−ゼ気味だったらしいから。
また亡くなった西郷さんのことを「西南戦争中、吉之助さんは寂しかっただろうな」
と悲しんでいたそうですね。
215 :
211:2005/04/19(火) 21:41:50
>>214 大久保利通は死ぬ寸前まで西郷さんから貰った手紙を大切にしていた・・・
この人の西郷さんに対する気持ちがよく現れてるエピソードですね。
216 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 20:52:42
象皮症で陰嚢肥大だよな
217 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:54:04
西郷どんってキンタマでかいんでごわすか?
218 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 20:22:07
きんたまがでかい、というより、タマ袋が異常に肥大していたものと思われ。
219 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 21:37:27
やはり赤報隊を使い捨てにした事が許せない。
相楽総三の名誉が回復したのは昭和3年だ。
220 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 02:36:09
ぷっ西郷。薩摩の田舎者はそうやって永久に西郷ドンとか言ってすがっていろ!
単なる野心家の簒奪者。しかも尊王を唱えながら孝明帝を暗殺し、竜馬暗殺の手引きさえして
責任は新撰組・見廻組になすりつける。
他の維新期の人物程、未来へのビジョンを持っておらず、結果、てめえが倒した武家社会出身者の
不平士族の反乱の頭目になり死んだ。自業自得だ。
上野に西郷の銅像なんて滑稽だよ。撤去しろよ。あそこに建つ資格があるのは、海舟か新撰組、彰義隊の連中だよ。
221 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 02:40:01
俺は今 就職活動で悩んでるんだ
だから 脱線事故みたいな不幸なことが起こると とてもうれしいんだ
人の不幸を 見聞きすることによって 心のバランスを保っているんだ
222 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 08:53:52
220
昔、あれを撤去汁!といった偉い台東区長がいたが、薩長連中が必死こいて反対し、いまだにあの醜悪なだらしない姿を晒している。
223 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 09:54:41
なんか一方的な憎悪が続いているな。
西郷さんも人間だから完璧ではない。
だが西郷さんなりに悩み最後は今までの自分の行為を振り返り若い薩摩人と心中
したんだから潔いといえば潔い。
その後だらだらと生き、私財蓄積に専念した長州閥よりは人間として綺麗だと俺は
思うがね。
徳川政府を壊滅させた後、酒田藩に対する寛大な処置をみても単なる野蛮人ではない
と思う。
むしろ江藤新平をまともな裁判をせずに死刑にした大久保の方が気違いと思うね。
224 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 20:03:03
酒田藩ねえ・・・
あそこは、西軍を1兵たりとも領内に入れてない。孤立しそうとみるや手堅く戦後交渉をまとめたし、列藩同名の中でも出色の藩だな。
西郷なら酒田以外にも庄内藩のあっさりとした戦後処置が有名だな。
西郷先生は大山巌元帥が奥州戦役に赴任するにあたり、贈った詩の中で曰く
慎メ哉雷火之術と。大山巌元帥は言うまでもなく丁度百年前欧米最強を誇った
露西亜陸軍を奉天にて撃滅したる我陸軍満州司令官其の人。
先生の大きさは、計り知れない。
4月28日220=221=222
228 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 08:59:01
>>226 慎メ哉雷火之術
↓
これはどういう意味ですか?
>>228 おそらく其処に雷火とは地雷もしくは水雷の事で、そのような残虐で、
無辜の民、農之民、漁之民を巻き込んで死に至る恐れもありうる、
兵器を奥州戦役で使うのは堅く慎むべしという先生のお考えかと私は思います。
因みに水雷は薩英戦争の時来襲した全盛期英海軍に対してやむを得ず使われたそうです。
230 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:09:44
>>229 有難うございました。
常に、立場が下の者を思いやる西郷先生らしいお言葉ですね。
ただどうしても理解できないのは、薩摩藩邸焼き討ちの原因になった、江戸の撹乱
策です。やはり幕府を挑発して暴発させなくては物事が進まないと判断されたので
しょうか。
231 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 13:15:28
心酔する島津斉彬があと10年生きていたら、西郷はどういう行動を
取ったか。徳川慶喜の使い走りでもしてたかな。
232 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 19:13:15
会津戦争で薩摩が会津人のキンタマ狩りまくって捨て置いたのは
西郷どんがまともなキンタマが憎かったからなのか?
234 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 18:35:15
薩摩の主導で日本軍が作られていたらキンタマ狩り族として
日本の名が世界に轟いていただろうか
235 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 09:15:14
キンタマ狩りというのは、キンタマを切り取ってしまうのですか?
その後、切り取ったキンタマはどうするのですか?
236 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 09:25:28
>>232 そうだね、島流しにあったときフィラリアに罹患して
デカホーデンだったらしいからw
237 :
_:2005/05/07(土) 13:03:08
西郷さんは、西欧の闇の側面をはやくに見抜いていたそうですね。
238 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 13:10:40
>>237 「西欧の闇の側面」とはどの様な事柄ですか?
239 :
_:2005/05/07(土) 21:00:43
西欧の華やかな文明の影には、数多くの略奪行為や無差別殺人があって成り立った
ものであることです。
240 :
日本@名無史さん:2005/05/07(土) 21:09:39
征韓論とは言ったものの、日本は本領安堵が当時の限界と
悟ったうえでの出来事であろう。スサノヲに顔向けできない
ことをしたわけではないな。まあ当時の両国にたいしてだが。
数多くの謀略を働いて、維新を成立させた最功労者が西郷な
わけなんだが。
それで私利私欲が無い、私事には拘らない、刃向かった敵をあっさり許す
大した男だ。
244 :
_:2005/05/09(月) 14:14:16
西郷が「西欧は野蛮だ」と述べていたそうです。その理由は、暴力によって支配し
ているからです。
245 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 15:09:47
最近、ネットで読みましたが「明治維新」はイギリスのグラバ−とかいう
人物が黒幕だったという説があるそうです。
上のほうで「日本の闇」と表現していることはこういう事もあったのでし
ょうかね?
246 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 15:36:51
ヘタレ宰相三条に実美に債務を踏み倒されて破産したグラバーが何だって?
247 :
日本@名無史さん:2005/05/09(月) 19:50:54
>>235 薩摩は偽札作りや偽骨董作りが得意だから、狩り集めたタマキン
を偽さつま揚げか偽いなり寿司にでもして売りつけたんじゃないの?
248 :
日本@名無史さん:2005/05/14(土) 16:59:26
私学校祭文
蓋し学校は善士を育する所以なり。只だ一郷一国の善士のみならず。
必ず天下善士とならんと欲す。夫れ戊辰の役に。名を正し義を踏み。
血戦奪闘して。而して斃れたる者は。すなわち天下之善士なり。
故に其の義を慕ひ。其の忠に感じ。之をここに祭り。一郷之子弟を
鼓舞す。亦学校之職をつくす所以なり。
西郷は茫洋としていて大人物のように見えただけ。知能は平均より僅かに下。
大人物だと言われているが坂本竜馬の前では小物にしか見なかったという証言
がある。
250 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 14:49:53
ただ、あれだけの数の士族から慕われていた「人望力」は凄いと思う。
幕末に日向国出身でありながら昌平学問所奉行となり将軍家茂の待講となり、
明治元年に内国事務参与となった従二位勲二等秋月古香も、南州翁の学識を
高く評価している。
南洲先生遺訓より
英雄を誤らん事を懼れ、古人の語を取り是を証す。
譎詐方無ク。術略横出ス。智者之能ナリ。
譎詐ヲ去リテ之ニ示スニ大義ヲ以テシ。
術略ヲ置イテ之ニ臨ムニ正兵ヲ以テス。
此レ英雄ノ事。
而シテ智者ノ為ス能ハサル所タリ。
英雄の事業かくの如し。豈(あに)奇妙不思議ならんや。
学んで而して至らざるべけんや。
253 :
熊襲隼人:2005/05/20(金) 00:18:33
タイムマシンがあったら西郷どんの所ばいって
生フェラして差し上げたいでごわす。
そろそろ新しく映画化してほしいな。
255 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 13:27:35
今こそ、西郷先生のご遺志を若者に教え込むべきだ。
今の世は、山縣有朋の様な奴らばかりだから。
256 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 15:56:42
>>254 禿しく同意。
先生役は武蔵丸が適役だと思われ。
ハリウッドあたりが(r
258 :
日本@名無史さん:2005/06/03(金) 22:43:22
170p50kの俺ですが、
西郷さん役やってもいいですか?
ちなみに金玉は小さいです
259 :
日本@名無史さん:2005/06/08(水) 12:30:29
>>253 それより顔写真をカメラで撮って現代に持って帰ってきてくれ。
この人が本当はどんな人相だったのか、未だに謎となっているのだ。
死後に描かれた肖像画はあてにならん。
260 :
日本@名無史さん:2005/06/09(木) 14:18:15
261 :
日本@名無史さん:2005/06/14(火) 10:30:41
西郷隆盛? けっ。所詮、日本より鹿児ん島が大事だったんだろ? よそに
行って、九州出身だと言うと、西郷隆盛の話をする馬鹿の多い事。あんな大
金玉と一緒にされては困る。一言で言って、「九州の恥」。歴史教科書から
の削除キボンヌ。
↑お前が削除されちまえw
九州の中心でダサツマと叫ぶ
264 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 10:35:27
質問させてくれ。
幕末の行動を見て、色々あるが少なくとも善人とはみえない。
にもかかわらず、聖人君子だと礼讃されるのは何故だろう?
265 :
大學ヘ授:2005/06/15(水) 10:45:48
世のため人のため決然起って死んだからです
267 :
日本@名無史さん:2005/06/15(水) 11:08:18
オレは維新前と維新後は全然イメージが違う。
維新後だけみていってるの?
幕末には好戦的で、いかにも老獪な策士ってイメージがある。
江戸をナラズ者使って人々に迷惑をかけたこと、平和理に大政奉還したのに
挑発して戦争を起こしたこと、ここらへんの支持派の評価はどう?
>>255 如何にも小心の猿顔だよな、山縣ww
袖の下は大好きだったらしいけどな。
269 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 10:32:06
明日の「その時歴史が動いた」のテ−マは、まさしく西郷先生。
楽しみだ。
270 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 11:15:58
西郷は月照とのホモ心中に失敗した変態キモ男。
その後は死に場所を求めて国中に騒乱を巻き起こし、
最期は西南戦争で国賊として討たれる。
西郷さんの凄さと高潔さ、私利私欲のなさは認めるし凄いと思う。
しかし、過大評価、美化評価されすぎなのもまた事実。他人の功績まで取ろうとするもんだからいかんね。
遅レスだが、<<101。
「廃藩置県」を推進したのは、木戸だ。もう廃藩置県の準備が90%までできてから、西郷は決定打の
ひと言を会議ではなっただけ。もちろん、この西郷のひと言がなければすんなりいかなかっただろうことは
分かっている。
しかし、2年にわたり政府高官を説得し、藩の殿様も説得し、既存権力主体からなじられながらも地道に廃藩
置県の基盤を作ったのは、間違いなく木戸なわけで。そういうのを「推進した」っていうんだと思うよ。
それを全部西郷さんにもってかれたんじゃ、辛いねー。
あと、廃刀令は、森有礼が唱えて、士族に殺されかけたって話を聞いた記憶があるんだが。
もう、西郷さんの功績なんて、嫌ってくらい理解してるからさー、他人の功績まで持ってかないでほしい。
273 :
272:2005/06/21(火) 14:29:33
でも西郷さん自身は好きだな。
というか、維新三傑は皆まじで尊敬すべき政治家であり人物達だな。
274 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 16:56:06
275 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 18:01:10
大村は明治二年に死んでるし、
具体的に推進していったのは森、ということではないか
俺は廃刀令についての具体的な経緯は知らんが
276 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 20:15:45
廃刀令の施行は1876年だが構想は蔵六さんだよ。
ザンカジョウにも・・
277 :
日本@名無史さん:2005/06/21(火) 21:06:30
人間の頭より大きいモノをぶら下げて、よく生活できましたね
278 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 18:40:35
ホントにそんな大きかったのか
せいぜいリンゴぐらいじゃないのか
279 :
日本@名無史さん:2005/06/22(水) 23:43:35
大きくなるときは大きくなる。
病院で働いているが、病気によってはカボチャほどの大きさにはなる。
南州先生は、御身体も魂も大きかったから、
あそこも、もともと大きかったでしょうに、フィラリアに罹り(ry
280 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:00:37
西郷どんを批判する奴は物事を表面的にしか見れないガキだな。
281 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 00:09:58
西南戦争は徴兵令により「一般人」で組織化された官軍に、来るべき列強との戦いに日本が打ち勝つために武士の能力、魂、を引き継がせるための壮大な
自作自演の演習。
282 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 01:21:35
みのがした残念
しかしこのスレもレベルが高いのか低いのかわからん
幕末明治期、新撰組とか動乱の時代の人だから今の倫理基準で評価しづらい。
283 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 01:46:51
薩摩は必死だよね
ダサツマは1日3回、西郷ドンでヌいてますから
285 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 13:40:37
こんな凄い逸材はもう登場しないかもね
>>282 西郷英雄的偶像化が許せる西郷ファンならば、いい内容だったんじゃないかな。
いままで一回も放映してない廃藩置県と徴兵を、いきなり西郷メインでやるのが
そもそも無理だったんだろうなー。
西郷オタク臭漂うあまりにも一方的な内容に笑っちまうよ。
自分、西郷好きだが、こうまで脚色されるとな。歴史好きとしちゃ痒い、痒すぎる。
287 :
日本@名無史さん:2005/06/24(金) 19:42:59
「新撰組」で腹黒の陰謀家に描きすぎた罪ほろぼしと思われる。
288 :
286:2005/06/24(金) 23:05:58
なるほど!
あまりの説得力に脱帽だ。
289 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 16:31:30
で、明日の「その時歴史が動いた」は西南戦争。
どんな内容になるか楽しみだ。
>>289 何か、あの番組、ドラマ「田原坂」の映像を劣化させて使ってるように見えるのは
俺だけか?
先週の、軍隊整列、軍隊行進、西南戦争シーンとか。
どうも、どっかで見たようなって思ってたら、田原坂思い出したんだが。
>>272 説得と、責任を取るは、また別の作業だよ。
首をかけてなにかをなす人物ってのは、どこの世界にも必要。
最近の会社なんかだと下を切って、上を残すやつは多いけどな。
そういう意味では評価出来るんじゃないの?
>>291 できるだろうな。そこら辺は分かってて言ってるよ。
でも責任とる奴が一番偉くて功績独り占めしていいかっていうとそうじゃないだろ?
さらに、責任とる奴=推進した が常に成り立つ訳じゃないのも分かるだろ?
それを踏まえると、「山県が廃藩置県を推進し、西郷が決定した」ってのは西郷美化
しすぎ。ついでに、木戸伊藤を無視しすぎ。
まあ、西郷が一番好きな歴史人物ならそれでも満足できるのかもしれんが。
そうじゃない奴の気も、頼むから考えてくれ。
西郷は、無理やり他人の功績とらなくても、幕末期の活動、西南戦争での不平士族道連れ
心中で、十分語れる人物じゃないか。
何で、他の人物の功績まで吸い上げようとするのか。
お前さんは違うっぽいが、中には、それを丸呑みして、何で教科書には木戸が廃藩置県
やったて書いてるんだ!西郷ドン以外は全部クズ、とか言う奴もいるんだよ。
このようなファンを生み出す元凶は、現在出回っている何ちゃって歴史書だったり、
何ちゃって歴史番組だったりする。一見史実っぽいから、コロッと騙される。
そういうのを見つけたら、それは違うぞーと釘をさしておくのも歴史ファンの嗜み。
293 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:14:37
そもそも西郷ドンが山縣が直接談判してきた廃藩置県をあっさりと二つ返事で
受けなければ廃藩置県は根こそぎお釈迦だったと思うよ。
事の重大さを十分に感じ相当気合を入れて談判に来た山縣が逆に肩透かしを食らったほど。
薩摩を説得できる人間が後ほかに誰がいようか???
だからこそ西郷ドン大久保ドンは生涯久光候に恨まれた。騙されたと。
自国の殿を裏切る形になり二人の心労は推して知るべしだし。
西郷ドンは弁解と謝罪の手紙を久光候に送っているし。
こういった汚れ役の槍玉を買って出てくれた西郷ドンの功績も十分大きいと思うよ。
294 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:31:33
廃藩置県がお釈迦になれば、明治政府も財政破綻でお釈迦。
中央集権化は時代の必然であって西郷に選択権などない。
しかし結局西郷は時代の流れに逆らって賊徒として野垂れ死にする。
要するにただの馬鹿だったということ。
295 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:51:39
;⊆`.;,∽:つ;∵.'グチャッ
;∵.';: ,:,o
@ =◎,,, /|:*∵.';: =⊃ なんだ、ダサツマひいただけか
(∴(∴) > ________
,,,,,,""~~’~VVどん ,..-''" ̄ ∩_∩ ̄//"^、ヽ. ____
(∵:(;;) _,,..,.-;_'" (・∀・ )__|| __ヽ \="zュ、 ̄\ 〜⌒);;
((∞ノ,. ..:,''"´"  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/_  ̄ ̄`ヽ ̄└‐┘ヽ~,,  ̄`ヽ/ 〜⌒);;⌒⌒)
∠..../___,____∠ /__r'^ヽ V´  ̄`i " r'^y' 〜⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
〔巨I ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄巨五I 。i゙⌒ヽ / ̄__! / )| ⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
〉同〉―――800――――j同ヲ ̄:; ̄ ̄| | ‐:::;;;;;;//、 ノ 〜⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
∠二_________二二__フ_| 丿-ー''''"" ̄ー`―'ズギャギャギャギャー
 ̄ ̄  ̄ ̄ ⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
296 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:47:32
>>294 選択権が無い・・?
刀を取るか受け入れるかの二つあるだろ?
国内最強軍があのタイミングでもし反を起こせば明治政府がどうなってたかなんて自明の理。
それどころか軍も政府も薩摩が大半を握った状態だし。
だからこそ薩摩の英雄を通してじゃないと廃藩置県がすんなりいかないと踏んだ山縣が
談判にいったんだろ。生涯この西郷に対する恩を忘れることが無かったぞ山縣は。
297 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:26:39
>>294 時代の流れに不満を持った徒を必死に静め来るロシアでの戦争でそのエネルギーを
爆発させようと必死に押さえつけたのが西郷ドンだがちょっとは勉強しろ。
あたかも火山の火口で昼寝をするが如し てのが当時の西郷ドンの心境だ。
うん、西郷の功績は認めるっつってんじゃん。
ただ、先週のあの番組(その時〜のこと言ってんだよな?)はどういい訳したって
到底、史実を知ってる奴が認められる内容じゃなかったんだよ。
で、そこに明らかに西郷びいきの意図的なこじつけなどが見て取れるから、文句言ってるんであって。
そりゃもう、あの時代に西郷が最も優れたカリスマだったとか、西郷どんのひと言がなけりゃあ、とかは
分かってるてば。
凄い人物だったからといって、史実歪曲してまでその人物をマンセーしても文句を言われる筋合いなし、ってことはないだろ?
299 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:45:48
本日のNHK【その時歴史が動いた】さらばサムライ。薩摩藩。 ラストサムライ薩摩藩士族 VS 徴兵制町民結成軍
300 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 00:57:38
西郷さんって、どこにでも誰にもいるようなちょっと面倒見のいい兄貴や先輩や上司を本質的には同じだろ?
なんとなく近くにいると安心できるような力強さを感じて、フワ−っと包み込むような人。
どこにでもいるから、イメージしやすくて「ああ、あの人と同じか。あの人に欲があれば天下取ってるな」とか。
そういうのがあるだろ。
だから西郷って人を直接知らなくても、親近感がわく。
で自分もそういう人になりたいと思う。
そういう感じなんだよな。
301 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:24:15
16 18
だいぶ前の話だけど、映画「ラストサムライ」の監督は、幕末の歴史資料で西郷隆盛を見て、勝元(渡辺謙)の人物像の参考にしたってインタービューに答えてたよ?って事は映画の最後の戦争は、西南戦争ってか?
302 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:40:10
だから薩摩に「サムライ」はいないんだってば。
いるのは武器を持った百姓だけ。
303 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 01:42:09
>>302 どうしたwww寝ぼけてかきこんだか??wwwww
304 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 02:22:45
西郷は、政府の挑発?にのってろくに準備もないまま決起した(容認した)のがのがダメだし、
決起したあとで熊本城の攻略に拘泥してしまった(押さえを残して博多方面へ進撃したほうがよくない?)
のもダメダメだ。(ただ、西郷の愛読していたという言志四録はなかなかよいぞ)
305 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 02:26:50
俺は西郷どころか明治政府そのものが嫌いですが何か?
お前の個人的な好き嫌いなどどうでもいい
307 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 03:20:20
本当のラストサムライは薩摩藩士族。
308 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 03:24:02
戦国武将の『加藤清正』により造られた『田原坂』により‥‥最後
310 :
日本@名無史さん:2005/06/30(木) 23:50:51
「ラストサムライ」の渡辺謙の役が西郷どんをモデルをしてるなら、真田広之の役は間違いなく中村半次郎だよね!
311 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:44:33
>>310 中村半次郎って西郷の命を受けて京都で辻斬をしまくったテロリストだろ?
西郷も所詮暗殺主義者なんだな。がっかりだよ。
今の世でも光り輝く功績を世に堂々と残せているのは
坂本竜馬はんと中岡慎太郎はんだけだね!
312 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 00:49:36
坂本竜馬が明治も生きたらきっと薩長がのさばるだけの新政府とはまた別のものができていたはず。
この人だけだ心底憧れの念を抱ける人は・・竜馬さんは常に時代の50年くらい先を歩いていた気がする。
313 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 01:22:20
岡田以蔵の辻斬りよりましだろ。
314 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 15:21:52
中村半次郎は世間で言われるほど人を斬ってはいないよ。
本当は礼儀正しい人物だった様ですよ。
ただ「坂本竜馬が明治も生きたら薩長がのさばるだけの新政府とはまた別のものが
できていたはず」 というのは賛成。
ところで西郷さんがなぜ ”全国のサムライ達から絶大なる信頼があったか?”を
知っていますか?
>>312 >坂本竜馬が明治も生きたらきっと薩長がのさばるだけの新政府とはまた別のものができていたはず
具体的にはどう良くなっていたんだ?
316 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 16:56:43
何も変わらなかっただろうよ。
317 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:09:17
318 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:29:37
>>314 礼儀?ふーん・・。
西郷を語る前にそもそもお前は 赤 報 隊 を知っているか?
慶喜の首をはねる為に進軍した鳥羽伏見の闘いなんて、
坂本竜馬が居れば起こっていないよ。
まずテロで戦を開くような下世話な真似を坂本は容認しないし
何より慶喜候を守ると大政奉還時に言っている。
鳥羽伏見も戊辰戦争も全て明治維新のなかで必要のない戦いだった。
むしろ一歩間違えれば北海道はフランスの租借地だったし、
欧米の植民地化を招かねない危険な戦争だった。
西郷は日本の首都で戦争を起こし町を焼き払おうとした。
319 :
赤報隊:2005/07/01(金) 17:36:52
薩摩藩の西郷隆盛や公家の岩倉具視の支援を得て、1868年(慶応4)
1月8日に近江国松尾山(滋賀県)の金剛輪寺において結成される。
隊長は相楽総三で、公家の綾小路俊実、滋野井公寿らを擁立する。
隊の名前は「赤心を持って国恩に報いる」から付けられた。一番隊、二番隊、
三番隊で構成されていた。
相楽総三は、薩摩藩邸の浪士隊の総裁として、江戸市内において旧幕府軍に対する
挑発的行為としてテロ工作などを行い、これが戊辰戦争の最初の戦いである鳥羽伏見
の戦いのきっかけにもなった。
一番隊(隊長 相楽総三):江戸以来の相楽の同志が中心メンバー。
二番隊(隊長 鈴木三樹三郎):元新選組隊士が中心メンバー。
三番隊(隊長 油川錬三郎):水口藩士や江州出身者が中心メンバー。
320 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:40:22
ようするに西郷を語るなら表と裏ちゃんと見えていないと。
司馬さんも調べれば調べるほど見えてこなくなるといっていたな・・
得体が知れないと。
>>317 廃藩置県・地租改正・秩禄処分・廃藩置県・廃刀令
そもそもこんな利権絡みの政策をいちいち国民の顔色を伺いながら施行なんて出来るか?
議会が紛糾していたら重要改革も進まんだろう。
更に、教育が不十分なままで国政の判断の有無を”全”国民に委ねられるか?
明治初期に議会制なぞ時期尚早。大久保のような一部の有識者だけでの独裁政治で正解。
322 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 17:56:45
>>1 所詮、下級武士。俺の先祖は老中だぞ!なめんじゃねーよ!!
>>318 それで?
腐った政権を潰す為には手段を選んではおれん。
時には悪事をも必要とするさ。
そもそも龍馬の議会制自体机上の空論。
324 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:41:31
>>323 で自分もつぶされると。戦争主義の末路だな西郷は。
それに比べて坂本はマタドールのようにひらりと薩摩をかわして大政奉還。
坂本亡き後はマタドールの居なくなった闘技場で暴れまわり鳥羽伏見、戊辰。
戦争と恐怖政治しか頭にない薩摩は軍だけやってれば良いんだよ。
政治に絡むな
龍馬褒めまくってるやつは釣りだろう。
龍馬スレでついていけなくなったアンチかなんかじゃないか?
327 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 18:51:53
>327
お前龍馬スレに付いていけなくなったからって、このスレに噛み付いてくるなよ
329 :
西郷隆盛は:2005/07/01(金) 20:01:54
明治維新最大の賊軍
今の日本の姿になったのも西郷隆盛の暴挙のおかげ
330 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 20:46:48
大西郷
331 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:08:29
1ペア
332 :
日本@名無史さん:2005/07/01(金) 23:10:50
1ペア
333 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:49:13
新政府役人表を読んだ西郷隆盛は竜馬に言う。
「坂本さぁ。この表を拝見すると、当然土州から出る尊兄の名が見あたらんが、どぎゃンしたかの」
「わしの名が?」「わしゃ、出ませんぜ」
「あれは、きらいでな」「窮屈な役人がさ」といった。
「窮屈な役人にならず、お前さァは何バしなはる」
「世界の海援隊でもやりましょうかな」
334 :
日本@名無史さん:2005/07/02(土) 18:50:38
作り話真に受けたらあかんぞな、モシ
>>317 その木戸は、321の指摘するような理由で、急進民主主義には反対だったようだぞ。
ところで、自分としては、西郷は大きすぎて理解不能。近所の兄ちゃんに対するような
親しみは感じられないんだが。
武士6千人を死地に導いたカリスマといい、明治に入ると悪い意味ではないが一種宗教家
のように思える。
司馬の書く、照れ屋的西郷は結構好きなんだが、史実西郷に詳しい奴に聞きたい。
西郷は、人前で人を威圧しないように小さくなってたってのは、翔ぶが如くのフィク
ションなのか? それとも、何か逸話があるのか?
336 :
日本@名無史さん:2005/07/03(日) 05:19:52
>>335 「その時歴史が動いた」で西郷の義理の妹が西郷を語るテープが残ってて放送された。
貴重な証言なんでDVDに残しといたから再現すると、
「加治木のな、にせ(青年)さんたちがな。大きなにせさんたちがな。色んな話を聞きにおいっしゃった。
するといつでもな。あ(笑・・思い出すように)。
おらっしゃる頃に。「留守だといえ」主人にな、「おらんいえ」って隠れおらっしゃった。
あてが外れるのな」
優しそうな婆ちゃんの声で時々、笑いながら話す、あの声から察すると、青年達の来客を嫌ってるんじゃないな。
嫌って「いないといえ」って言ったんなら、笑いながら語らないだろうからね。
照れ屋な性分で積極的に会ったりするのが好きじゃなくつい隠れちゃうんですよって感じ。
文章や文字ってメールでも記事でもカキコでも全然違う意味にとれたりして誤解を生むことが多いが、
声は語らずともわかる雰囲気があるから貴重な証言だと思うよ。
337 :
日本@名無史さん:2005/07/03(日) 11:08:33
坂本竜馬がグラバーなどのイギリス外資のバックアップを受けていたという主張もありますよね。
ハワイを統一した王様をイギリス、アメリカがバックアップしたみたいに。
明治維新は外資による日本の政権の転覆だったとして、西郷の立場はどんなものだったのかな
>337
龍馬とグラバーを結びつけたいんだろうが、全くの妄想。
イギリスが唯一公式にバックアップしたのは薩摩藩だけ。
フランスは時代の流れを読めずに幕府側との折衝の記録あり。
倒幕を予感できたイギリス恐るべし
>>336 血気盛んな薩摩の青年達がたびたび西郷さんとこを訪れては、
ちょっとでも西郷さんにあやかろうと、
しつこいぐらい根掘り葉掘り質問してくるから、
相手するのにもう面倒くさかったんだよ西郷どんは。正直なとこ。
安請け合いしない、
やるからには生半可な気持ちでやらないのが西郷さんだったから、
もう普段はなるべくひっそりとゆっくりしたかったんだよ
証言テープなんですが、鹿児島の維新ふるさと館っていう施設に
あるのでいつでも聞けますよ。
そのほかにもいろんなテープが残ってて、私が聞いた中では
西郷さんは奥さんのイトさんの作った料理をいつも
「うまい、うまい」といってべたぼめしながら食べていたと言い、
それが毎日毎日かならずいうので、イトさんはいつも照れていた、
というエピソードが印象に残ってます。
特にイトさんのご実妹(だったかな?)にあたられる方が、
少女の頃に実際に目にしたことを証言したテープであるため、
リアルさが伝わってきて、西郷さんやイトさんの人となりが
目に浮かんくる感じです
>>340 ありがd。
鹿児島って、そんな施設あるのか!さすが、西郷と大久保を生んだ土地だな。
いつかいってみるわ。
342 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 06:32:41
344 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 17:30:14
>>341 ついでに。
維新ふるさと館のすぐ近くに西郷先生の生家跡地がありますよ。
345 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:22:00
味方を騙まし討ちにする西郷が高潔か?
346 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 05:37:58
二才さんって、 「青二才」 の二才か? >加治木のな二才さんたちがな
政治家は、清濁併せ呑む人物でないとやってはいけない・・・
西郷は、表の顔も、裏の顔も持つ、政治家だったのだと思う。
ただ、清貧で、情にも厚かった。こんな所が、支持される理由なんじゃないかな。
でなきゃ、自分が育てた学生に、「おいの体預ける」なんて、言えないよ。
幕末にはいなくちゃいけない人だったんだろう。
そして、明治になって、去っていった人だ。
349 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 22:27:01
薩摩系の陸軍軍人で、西郷さんに次ぐ大物といったら
野津鎮雄もしくは篠原国幹ですかね?
350 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 00:01:54
大山巌もおる。
351 :
日本@名無史さん:2005/08/06(土) 21:46:52
ちょっと驚いたんで書き込み。
うちの婆ちゃん(94歳)の話なんだけど、婆ちゃんの伯母さんが子どもの頃西南戦争を体験したらしい。
婆ちゃんの伯母さんは当時7歳か8歳くらい。熊本の小川に住んでたらしい。
西南戦争当時、危険だから夜でも麦畑に隠れていたそうだ。
俺の曾婆ちゃん(明治9年生まれ)が赤ちゃんで一緒に隠れてたんだけど、泣き声で居場所がばれるから泣き止ませるのに苦労したらしい。
小川って田原坂とは熊本城を挟んで逆だから官軍に破れて敗走するときの話かな?と思うんだけどそこまでは聞いてないみたい。
西南戦争って言えば教科書で習った歴史上の出来事だと思ってたから、身内が遭遇していたと聞いて超驚きました。あーびびった。
352 :
日本@名無史さん:2005/08/07(日) 07:25:00
了解
うちの田舎は、西南戦争で敗走する西郷軍に略奪された村。
だからって誰も恨んでないけどね。
354 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:50:47
長州はきたない!
355 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 00:54:34
西郷は朝敵。早く上野恩賜公園から撤退しろ。
356 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 13:04:36
祝・会薩厨同盟結成!
共にチョン囚人と戦おう!
357 :
まつでぶ:2005/09/13(火) 17:06:11
僕は留年
したけど隆盛の
行き方の憧れ、
今学校に通ってる。
さつま揚
げが好きです。
竜馬最古ーー
ーーー
358 :
日本@名無史さん:2005/09/13(火) 20:02:57
岩倉使節団を横浜まで見送った西郷は、船が出た後、
「あの一行の乗った船が、途中で沈没してしまえばいい。」
と言い放ったそうだが、大物なのか、小物なのかわからん奴だ。
359 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 20:14:01
俺は、今回の小泉総理のやりかたを見ていて、どうも大久保のやり方に似ている
と思った。(西南戦争を誘発した)
みんなはどう思う?
>>351 興味深い話をありがとう。
今後も書き込んで下さい。
360 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 18:47:07
うちの近所に南州神社がありますよ!
行った事ないけど。
361 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:45:27
西郷南洲翁曰く、敬天愛人とは、
道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、
天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給ふゆえ、
我を愛する心を以て人を愛する也。
(道というのはこの天地のおのずからなるものであり、
人はこれにのっとって行うべきものであるから何よりもまず、
天を敬うことを目的とすべきである。
天は他人も自分も平等に愛したもうから、
自分を愛する心をもって人を愛することが肝要である。)
362 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:52:42
明治維新最大の首謀者は西郷である。 維新を成し遂げたと思えば西南戦争で自滅。西郷は生まれて来なきゃ違う展開に…
363 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:55:34
南洲翁は偉大。
364 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 19:57:51
365 :
日本@名無史さん:2005/10/01(土) 20:02:24
逆賊にされても南洲翁の偉大さは変わらない。
で結局西郷隆盛って人はどんな人だったんですか?
掴み所の無い人という事だけはわかった…。
がそもそも、政略家の一番大切な所はそこかもしれないが…。
自分で政治執る頭になるのならともかく。
(失礼かもしれないけど毛沢東にも似ているような気がするなぁ。これからの「地球」の政治家の器では無いかもしれないが…)
西郷と大久保は両方好きだが、西郷を持上げる人が多い為、大久保の人格や業績が軽く見られる傾向がある。
鹿児島の年取った香具師は特にその傾向がある。
二人とも優れた人物だった、その思想や行動に若干の違いがあったかもしれないが、二人が共同して初めて世界史上稀有の革命の主動力となり、成功させた。
西郷を持上げるあまり大久保を卑しめるのは止めて欲しい。二人はそういう役回りだったのだ。
368 :
日本@名無史さん:2005/10/08(土) 18:53:48
西郷の評価は政治家、革命家としてあるべきで、一兵卒のサムライとしての評価はあたらない。
薩摩にはボッケモンがたくさんいた。
最高品質のボッケモンは篠原や桐野だろう。
最後のサムライの栄光は篠原や桐野に与えるべきだ。
西郷は革命家であって政治家ではない
実際彼が維新後政治家としてしたことは反乱起こすと言う汚点を作っただけ
維新後の西郷を見ただけで評価するのは、片手落ちだろう。
西南戦争は起こるべくして起こった。
あれだけの大革命が簡単に通り過ぎるわけないだろう。
例えば、帯刀を禁止するという事だけでも、アメリカで銃規制ができない事実と対比するべきだろう。
今までアメリカ大統領のできなかった大改革をあの時代たくさんしたんだ。
西郷が反乱を起こして死ぬことによって、しこりを残さなかった。
西郷は思想家であり革命家であり、死ぬまで政治家だったと評価したい。
明治以前を含めて評価するからこそ維新後があまりにお粗末に見える
あれだけ時勢を読んで動くのが優れた人物が完全に乗り遅れて浮き上がってしまっていた
要は自分の意見が通らないから不満をもって反乱起こしただけだし
しかもあまりに酷い内容の戦だった…
372 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 23:58:16
>>360 本日、南洲神社に行きました。
喫茶店の「ツン」は閉店していました。
373 :
日本@名無史さん:2005/10/10(月) 10:25:24
ただ、西郷先生が韓国に行って円満に意見交換をしていたら後の日本に
よる侵略はなかったかもしれない。
日本人は自分より弱い対象に対しては強くなる傾向があるからね。
374 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 23:52:43
ところで、当時「朝鮮国」なのにどうして「征韓論」なんですかね?
初心者な質問で申し訳ないが、ご存知の方ご教示をおながいすます。
375 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 16:46:46
西郷兄弟の名前を両方間違った吉井友実はなんか含むところがあったのか
377 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:23:30
受験生で、選択科目は日本史を選んで勉強しています。
今日、日本史の授業があったのですが、(ちょうど明治時代の最初あたり)
西郷隆盛が出てきて、説明してくれて、
「西郷はすっごい人なんですが、入試には出ないので説明しません。」
と言われました。
そっかー。と思いましたが、少し話してくれたのとか、なんかおもしろかったので
西郷隆盛の事をもう少し知りたいと思いました。
このスレ1から見たのですが、ちょっと難しくてよくわかりませんでした。
おおまかにでいいのでどういうすごいことをしたのか教えて頂けないでしょうか?
378 :
日本@名無史さん:2005/12/09(金) 20:14:01
武士道age
379 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 16:51:17
でもまぁ、竜馬がいなければ西郷の価値は半分くらいに
なってただろうね、それでも高評価には変わりはないけんどん。
380 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:01:25
381 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:08:36
NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の完全版DVDはいつ発売するんだろ。
総集編だけじゃ物足りない。
>>379 龍馬オタの俺がいうのもなんだがそれは逆。
383 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 17:55:18
西郷のふんどしを、竜馬が借りたという逸話があるけど
金玉がでかくなる病気は、うつらなかったんだろうか?
382は西郷オタ
385 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 19:33:53
西郷と高杉 例えるなら信玄と謙信だね
386 :
日本@名無史さん:2005/12/13(火) 19:59:27
史実を読んだあと、
「るろうに剣心」とか読むと陳腐だな。
西郷と肩を並べられるのは、明治天皇だけだろ
388 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 21:44:02
age
389 :
日本@名無史さん:2006/01/02(月) 04:39:40
幕臣の一翁は坂本龍馬を抜け目なき西郷と評してるが。
無私というか、似ている部分も確かにあるんだよ。
もちろん薩摩の顔西郷と一介の浪人である坂本龍馬、立場は違う。
立場を超え信頼しあっていた部分も大いにあった。
それと、西郷は抜けたようなところ確かにあったと思う。
そこが人間的魅力やらはかりしないようなものを感じさせていたように思う。
現実的政治家、大久保はそれを補う意味でも最強コンビだったかも。
大久保の存在はそういった意味でも大きいだろう。
西郷隆盛の本名が西郷高永?たかなが?ってホントか?
391 :
日本@名無史さん:2006/01/05(木) 19:25:34
そういう話もありますね。
たくさん名前を持っていましたからね。
俺個人は、西郷さんが好きだから今一度、西郷さんの生き方や思想を
国内で検討しても良い時期だと考えている。
今の自民党は西郷さん亡き後の明治政府みたいで嫌いだ。
西郷さんが軍隊を連れずに朝鮮を訪問していたらその後の日韓(日朝)関係も
戦前から現在までの様な険悪な関係にはなっていなかっただろう。
>>391 そうは思わんが。
西郷の生き方の検討なんて腐るほど行われてると思うが。しかも多くは聖人扱いしすぎだ。
確かに、自らの利益を省みない態度はすばらしいが、政治家としてはどうか。
真実、人民の立場から、武士の身勝手に付き合わされる平民のことを考えていたのか。
あの時代に政府要人として征韓を唱えることがどれほど無責任かを考えると、
特に、自民党などの政治を持ち出すならば、西郷よりも再検討すべき人材はいると思う。
国全体と人民のことを考えた高潔な政治家というのであれば木戸もそうだし、
無私の政治家というなら大久保もそうだ。
この二人は地に足がついてたし、西郷を検討するくらいならこっちじゃないかね。
道義の甚だ崩れた現代に、道徳的見本として西郷の生き方を見ることは無意味ではないだろう。
が、西郷のような政治家がでてきてほしいかというと、全然そうは思わない。
現実を見ずに無茶なこと言い出しそうだ。しかもカリスマに引きずられてそれがまかり通りそうだ。
「晋どん、もうここらでよか」
と言ったのだろうか。
吉っちゃま
400 :
日本@名無史さん:2006/01/31(火) 19:58:18
長州は汚い!
401 :
日本@名無史さん:2006/02/02(木) 19:48:37
倒幕に至る過程での政治手腕は不世出。表裏あるのは当たり前。偉大なる人物だったのは間違いないだろう。人間的に優れてたかなんて美談多くてわからん。
402 :
ま:2006/02/11(土) 14:24:30
西郷隆盛の連れてた犬の名前誰か知りませんかぁ〜?
403 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 14:27:13
404 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 14:35:31
405 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 17:58:13
406 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 18:08:38
西郷よりも大久保の方が大人物だと思う。
大久保の実行した近代化政策が無ければ今の日本は無く、
江戸時代を引きずったような世の中になったと思う。
西郷は、維新後ほとんど政治に関わっていない。
また軍人としても、大村益次郎や高杉晋作・板垣退助等に比べると
劣っている。(というより、西郷を軍人と呼んでいいのか?)
407 :
日本@名無史さん:2006/03/13(月) 19:18:55
西郷がいなかったらあんなに簡単に明治維新は成功しなかっただろ
西郷と大久保が同郷の幼なじみというのが
何遍考えても感慨深いよな〜
薩摩のあの狭い一画から固まって人材輩出して大きな山を動かしたたんだからぁ
同時代に同地で生きた人々は、何を見たんだろな
409 :
日本@名無史さん:2006/03/15(水) 16:24:03
西郷ほど「礼」を重んじた侍はいないだろう。
410 :
日本@名無史さん:2006/03/16(木) 22:29:21
西郷の銅像を上野に立てるなんて嫌がらせにも程がある。
412 :
日本@名無史さん:2006/04/08(土) 17:44:36
最近、出版された「大西郷遺訓」(「大西郷遺訓」出版委員会)は
かなり、面白い。
>>412 読みました。
頭山満先生が南州遺訓について論じた内容ですね。
この本を読んであらためて西郷さんの偉大さを認識しました。
414 :
日本@名無史さん:2006/04/30(日) 20:29:12
江藤新平は(佐賀の役で負けて)ホントに訪ねて来たの?
415 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 17:44:08
西郷なんて作られた英雄だろ、なにやっても3流のただの感情家
武市瑞山先生こそ真の侍というにふさわしい、まあ武市先生が生きてたら西郷なんてただのデブ
416 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:57:04
鹿児島人だけど西郷キライ周りのシトがすごかっただけ
417 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 19:58:51
鹿児島人だけど西郷キライ周りのシトがすごかっただけ
418 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:01:45
西郷のすごさは一緒に生きた人じゃなきゃわかんないんじゃない?
あるエピソードでは
明治の人物論である人が明治では大山巌が一番大きい人間だといった。そしたら他が従道はその五倍は大きかったといた。
そしたら西郷をよく知ってた人物が「その従道でも隆盛にくらべたら星の前の月に過ぎなかった」っていったんだってさ
419 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 20:24:31
星より月の方が明るいんじゃないのか?w
420 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:11:50
明治天皇のお気に入りだったらしいけど
詳しい話しらない?
421 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 00:12:09
西郷が英雄扱いされはじめたのって幕末の最後の方からだろ〜
薩摩藩の力を背景にした中で一番社交的で親しみやすかったってだけの人物が、維新成功で英雄扱いされただけ
422 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:43:25
当時の政府関係者などにインタビューした特集を報知新聞が連載していて今では重要な史料になっている。
講談社学術文庫から2、3年前に出た「大久保利通」というノンフィクションがその記事に立脚しているので参考になる。
当時の関係者による証言では、「西郷が重いか日本が重いか分からんかった」くらいの存在感だったらしいね。
423 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 02:01:24
そんな偉い方が反乱しちゃいけません
色々のっぴきならない事情があったんだよ。
425 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 15:36:54
>>418 「その従道でも隆盛にくらべたら星の前の月に過ぎなかった」
↓
含蓄のある表現ですね。ちなみに誰の言葉でしょうか?
よろしければ教えて下さい。
426 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 09:35:31
427 :
日本@名無史さん:2006/06/05(月) 11:13:35
西郷さんってなるべくなら流血を避けるような行動をしていると思う
第一次長州征伐とか江戸城無血開城とか
軍人としても優秀だけれど、交渉が上手だったんだね
428 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 21:18:58
こんな偉大な人物はもう登場しないね。
今の政治家とは大違いだ。
心構えが違う。
429 :
日本@名無史さん:2006/06/08(木) 22:31:47
427
そうか?長州征伐の時は陰謀プンプン臭うし、江戸の時も本当にエラかった
のは勝と山岡だ。むしろ西郷は中世的権威を破壊したくてどうしようもなかった
らしい、だから江戸で空振りを食った分、割を食ったのが東北諸藩(戊辰戦争)
だしねえ
西郷は最後の武士。
最後まで官軍に抵抗した庄内藩に西郷は寛大だった。
庄内藩士に西郷に心酔する者が続出した。
現在は、鹿児島市と鶴岡市が姉妹都市。
431 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 04:58:33
良くも、悪くも幕末から明治初期の政治家、権力者たちは、
自分の発言と行動が一致している人物が多かったと感じる。
石原慎太郎の様な口だけは勇ましい奴には、西郷隆盛を見習ってもらいたい。
432 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:06:47
所で鹿児島の南洲神社って崇敬会とかはあったりするの?
433 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 05:48:57
支持のされ方がキモい。
このおっさんが失脚せずに日本の指導者になっていたら、
産業の振興と憲法の導入は無いことはもちろんのこと、
第二江戸時代ともいうべき徳治主義社会が展開されていただろう。
434 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 11:35:39
現在ほど悪徳政治が蔓延っていないことは期待できるかもね
435 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 19:19:45
物欲がないところがいいところ。
436 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 21:46:29
西郷さんは大好きです。
あの時代に彼の存在が無かったら日本の歴史は大きく変わっていたでしょう
最後は逆賊になってしまいましたが、その情にあつい不器用な生き方は
今でも多くの人に慕われてます。
いまだに靖国にまつられてない貴方に僕からこの言葉を送りたいと思います。
芋でも食ってろデブ
憲法と議会政治ですっかり堕落した現代日本を見れば、
憲法や議会政治に幻想を抱くのも愚劣の極み。
結局は為政者の人間性が肝心だという事だね。
武士が武士でなくなってしまう事を危惧した西郷が正しかった。
井上馨を「三井の番頭さん」と呼んでいた西郷は、早くも堕落した政治家が続々と出現したのを敏感に察知したのだろう。
腐敗の巣窟として悪名高い長州と組んだ時点で先見の明は無いと思われ。
山縣が汚職で失脚するのを助けた恩が仇になって城山で切腹させられたのも自業自得としか。
439 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:20:09
薩摩は、ただの芋軍団w
明治になっても抜刀突撃w
戦国武将が建てた城で立ち往生ww
440 :
日本@名無史さん:2006/06/09(金) 22:38:00
長州と組んだ時点でこういう罵倒を浴びる運命だったんだよ。
例の法則というやつだ。
罵倒してるのも例の長州人みたいだがw
恩人を口汚く罵倒するのは朝鮮系に共通する欠陥だからな。
戊辰戦争で敵対した庄内藩では西郷の徳を讃えて神社を建て、
西郷の発言集を西郷南洲遺訓として書物にした。
更には賊軍の汚名を顧みず、西郷軍に参加した庄内武士も居た。
これが日本人というもんだよ。
長州の禽獣には分からないようだが。
443 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:08:54
>>440-442 本当にそんな感じですね
この板の長州人だけが特別というわけではなく
長州人だけは朝鮮人みたいな性格の人が多いのかな?
日本史板を読むようになってから長州人が大嫌いになりました。
444 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:31:45
身体的特徴による人種間距離測定
分離型耳垂(いわゆる福耳)の出現率は
朝鮮32.6% 山口36.9 奄美諸島77.2 アイヌ96.2
HB抗原の北方型の分布は
朝鮮100% 対馬100 鹿児島90 高知75 東京67 茨城64 栃木61 秋田45
445 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:35:42
身体的特徴による人種間距離測定
分離型耳垂(いわゆる福耳)の出現率は
朝鮮32.6% 山口36.9 青森63.3 山形70.5 新潟72.8 奄美諸島77.2 アイヌ96.2
HB抗原の北方型の分布は
朝鮮100% 鹿児島90 高知75 新潟68 北海道(非アイヌ)68 東京67 茨城64 栃木61 秋田45
446 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:40:42
さすが徳の高い西郷のスレだけあって、
西郷と同じで品格あるスレで溢れていますね。
日本史板で品格に欠けるレスは長州人によるものしか無い件
448 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 00:53:20
ここ最近の日本史板は、国家の品格とかを読んで感化されたような
痛い方々が大量に流入してきてるように感じる。
幕末維新関連のスレは全部近代史板に隔離して欲しい。
449 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:03:47
品格に欠けてる長州人が何やら必死ですな。
日本史板を見てれば長州人の異常性は顕著だというのに。
品格に欠ける長州人に品格を説うても無駄。
朝鮮語に「思いやり」に当たる言葉が存在しないのと同じ理由で。
長州人は
>>436や
>>439みたいに品性下劣な中傷ばかり繰り返すゲスが好かれてるとでも勘違いしてるんじゃないのかな?
452 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 01:41:19
西郷は以外と冷たい所を感じる。
「三井の番頭さん」なんて、薩摩武士が言われたら「切腹しろ」の意味にしかならない。
そもそも癒着する井上が悪いって話なんだけど、「三井の番頭さん」と陰口を叩かれても何も反応しない長州人の恥知らずぶりを晒すという西郷の計算も感じるね。
薩摩武士には自決勧告に等しい言葉であっても、恥や品格という価値観を持たない長州人には唯の皮肉にさえなっていない。
別に薩摩ならずとも「三井の番頭さん」なんて評判が立ったら普通は切腹もんでしょ。
証拠が無くてもそんな噂が立てば「李下に冠を正した」非を認めて自決しなきゃならないのが武士。
だから他人の悪口なんて気軽には言えない筈だし、
人前で悪口を公言する以上はそいつと殺し合いになっても構わないくらいの覚悟が要る。
口からデマカセの誹謗中傷を軽々しく連発したり、三井の番頭呼ばわりされても辞表一つ出さないなんて恥知らずが居るのは、
日本文化が希薄な長州ならではの現象。
455 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:33:06
水をさすようでなんだが俺は旅行が趣味でだいぶ前に萩にも行ったのだが
非常に人情の厚い土地柄で感動したことを覚えている
だからここで長州人の悪口をいわれても「そうか?」としか思われない
ちなみに2番目は会津若松、この両市が中が悪いということが未だに信じられない
456 :
:2006/06/10(土) 10:35:04
と長州人による長州人擁護が始まっているようです
457 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:35:06
長州人が地元PRに必死だな
458 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:38:01
459 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 10:41:21
456・457
いや、俺は静岡県静岡市葵区出身なのでPRしても意味がないのだがな・・・
まあいいや、世の中にはいろんな方がいるわけだし、それが正しいとおもうなら
その狭い道をお行きなさい
460 :
:2006/06/10(土) 11:07:16
>>455 観光旅行で県民性を語っても仕方ないだろう
旅行者に接している人たちは商売人が多いから愛想も良いに決まっている
こういう奴に限って旅行先で泥棒にあったら、その地方を糞味噌に言いそうだ
要は単純漢ってことだねw
461 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 11:33:14
460
でも客を客とも思わないような傲慢な所ってあるんだよね、萩ではそれが
全くといって良いほど無かった、むしろまた行きたいと思わせるほど
だった、もっとも当方静岡で日本海側の萩には未だに再訪叶わないでいるが
462 :
:2006/06/10(土) 11:41:15
北海道は愛想が無いねえ
463 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 11:45:10
朝日新聞の記事は他新聞と比べて
一番 まともではないだろうか?
日本が右傾化 しないように社説
で繰り返し述べている。 はき違
えた愛国心を煽るようなマスコミ
を信じてはいけない。売れさえすればいい
という軽薄な商魂の論説ばかりが、
国を危うくするのは太平洋戦争で
懲りたであろう。 機会ある毎に
日本の過去の過ちに対する反省を
促し、 関係諸国との友好を深め
ようとしているのが朝日新聞であ
る。なまじ知った歴史の一部で全
てがわかった顔をすると恥をかく
だけだ。のうのうと生きていられ
るのは平和憲法のおかげであるこ
とは間違いない。できもしない自
主防衛を唱えていては過去の過ち
を繰り返すだけである。不利なこ
とがわかっていながら、国民を煽
って戦争に突入し、買い物も切符
が無ければ買えもしないような生
活をさせながら、運用される資金
はすべて軍事行動向け。動力にな
るべき燃料もなく、資源も無い日
本が何の大義もない戦争を推し進
めるのは狂気の沙汰としか言い様
が無い。進軍ラッパをもう一度聞
きたいのか?
464 :
日本@名無史さん:2006/06/10(土) 21:09:11
静岡人を自称して地元マンセーとは品格もへったくれも無いなぁ
465 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:15:32
いや・・・だから何度もいっているが俺は静岡人だ(苦笑)
きゃーるが鳴くんで雨ずらよ
466 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 00:25:11
日本の中に長州が好きな人がいてもおかしくない
大半は嫌いだろ
467 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 02:14:35
2ちゃんねるでは聞かれてもいないのに自ら第三者を自称して特定の存在を不自然にヨイショしたら、
150%自演扱いされるに決まってる。
必死に否定すればする程な。
468 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 18:56:28
はいはいわかったわかったわかりましたよ。俺は長州人ですよ、三度の飯より河豚が好きな長州人ですよ
まったく何度いっても聞かない奴というのはいるもんだ
でもここではっきり言わせてもらえば何の根拠もなしに山口県民を朝鮮人であると差別したり
在日朝鮮人や韓国人、中国人を差別するのは間違っている、はっきり言って格好わるい、ダサい。
外国人からみれば同じ穴の狢だということが何故分からない、前にも俺は旅行が趣味だといったが結局どこにいっても嫌な人間は嫌な人間
だし良い人間は良い人間だ、気候風土の差ではない、もちろんDNAなど問題外だ
それでも疑問に思うなら萩に一度行ってごらん、必ず人間は人種では無いということが分かる
筈だから
469 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 19:01:38
俺なんて何度長州人認定されたか。
まぁ松陰先生ファンの俺にとっては長州人認定は嬉しいわけだがw
>>455 つまり、長州と会津の表面しか見えていないということ
471 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 22:55:07
ここに山口県人が何人いるだろう?
いるのは何でもいいから口実見つけて叩くのを狙ってる典型的2ちゃんねらだけだよ
ネタスレにこんなレスしてもしょうがないとは思うが
472 :
日本@名無史さん:2006/06/11(日) 23:01:46
悪口が異常に好きなのは東北人っていうのは日本の常識、
こいつらはヒマだからうリアルにじゃうじゃ居る。
それって東北人への悪口だぜ
お前は東北人じゃないだろうから、東北人以外もよく悪口を言う
つまりお前の説は矛盾している
474 :
日本@名無史さん:2006/06/12(月) 22:17:45
だから山口県民も福島県民も仲良くしろよ
静岡県民の俺が間を取り持ってやるからさ、両県の素晴らしいことはよく分かって
るし、同じ国のなかでいがみ合うなんて俺にはたえられんのよ
475 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 02:02:48
長州キモい
476 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 02:08:46
長州擁護に妙な執着を持ってる自称静岡人の目には、東北人を中傷するキチガイじみたレスが何故だか見えていないご様子。
477 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 02:44:42
おまいら全員がスレタイを完全に忘却してる件
479 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:00:05
西郷どんは寛大だから気にせんでごわす
480 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:19:36
まあ明治維新はしょせん
大阪と長州の商人によるブルジョワ革命だからねえ。
薩摩は武力を備えたただの中世の土人だがw
481 :
日本@名無史さん:2006/06/13(火) 22:23:35
大阪商人?はぁ??(-д-;)
482 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 00:42:49
480みたいに維新をひがむ者が評判おとそうと
必死で偏ったイメージをつくりだしたのですね。
483 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 13:57:15
まぁ、下層階級によるブルジョワ皆殺し革命も、良い革命だとは思わないけどね。
484 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 15:27:25
西郷は評価されなおすべきだ
長州なんて薩摩の手駒でしょ
486 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 17:36:11
長崎に居を構えるグラバーは、フリーメーソンの人脈に取りこまれていた
坂本龍馬を使役して、薩長盟約に誘導した。問題は、薩摩である。
薩摩もまた、徳川を討って島津の幕府を立てる藩代々の政治的意志をもっている。
グラバーは、龍馬を使って薩長倒幕密約に持ちこむことに成功したのである。
ユダヤ・フリーメーソンは薩摩をおだて、長州をおだて、ロンドンに留学生を招き、
洋式兵器を供給し、両藩の私的利権の欲望をあおり立てた。大久保利通は、
そのメカニズムを了解し受け入れた。ここに、ユダヤ悪魔教の手先となって、
薩長が日本の国権を簒奪する。
そして孝明天皇を弑逆し、幼帝をおのれの手中の「玉(ぎょく)」として奪うために、
岩倉具視が共同謀議に参画する、という極秘の筋書きができあがったのである。
伊藤博文は、この三者密約に合流した。西郷隆盛は、この桂小五郎・大久保利通・
岩倉具視の謀略に乗せられ、踊らされ、利用された、と見る。
他方、ユダヤはフランスを使って徳川幕府に洋式軍隊建設を働きかけた。
いよいよ事態はユダヤの周到な計画通り、孝明天皇は暗殺、薩長対徳川の、
日本民族を真っ二つに割る大内乱の幕が切って落とされようとした。
ちなみに当時清国は、ユダヤに操作された太平天国の人工的動乱によって、
1850年から約10年のあいだに、実に5千万人の人命を失った!
ユダヤが日本列島でもその再現を狙っていたことは疑う余地はない。
したがってこの時点では、龍馬はメーソンの傀儡と言ってよいのではないか。
その龍馬がなぜ、慶応3年(1867年)11月15日に暗殺されねばならなかったのか。
この土壇場で龍馬が、フリーメーソンが日本の内乱を演出し、それを足がかりに
日本の植民地化を図ろうとしている謀略に気づいたのではないか?そして、この秘密
を知った(あるいは感づいた)日本人が、幕末に少なくともあと2人いた、と推察している。
その2人とは、徳川幕府の勝海舟、そしてもうひとりが、他ならぬ徳川15代将軍を
継いだ徳川慶喜である。この2人が謀略を見破り、幕府と薩長の内戦の危機を阻止
すべく、ついに慶応3年10月14日、朝廷に大政奉還を上奏した。
龍馬は、これを知って、「――よくこそご決意くだされた! この上は、われら
この君(慶喜)のために、生命を捧げて働きまする」と、感極まって男泣きに泣いた、
といわれている。龍馬暗殺はその1カ月後である。
慶喜に大政奉還されては、倒幕派と幕府の内戦の火は消えてしまう。
メーソン側としては、なんとしても戦を挑発しなければならない。(中略)
グラバーは、この情勢を逆転させるために、倒幕路線の敵となってしまった
龍馬の暗殺処分を、薩長、岩倉(具視)に教唆したのではないか。
しかも、暗殺成功後、あたかも幕府・新撰組が龍馬殺しの犯人であるかのような
ニセ情報を流したのではないか。
11月15日の近江屋における龍馬(そして中岡慎太郎)暗殺後、12月9日のいわゆる
小御所会議で、岩倉と薩長は公武合体派を追放する私的クーデターを引き起こしている。
岩倉・大久保・木戸(孝允)は、旧徳川方に挑発のかぎりを尽くし、
東北雄藩との理不尽きわまる戦争に持ち込みはしたものの、
慶喜はじめ徳川宗家御三家は妄動をせず、日本民族は危ういところを
救われたのである。
ニセ官軍側の総大将の位置につけられた西郷隆盛は、どうやらこの
戊辰の役の過程で事の真相の一端に気づいたようだ。
この官軍の莫大な洋式軍隊の装備は、アメリカ独立戦争終結に
ともなって不要となったものが、グラバーを通じて供給されたという。
戊辰戦争を指揮した西郷隆盛は深く後悔し、憂いに包まれた。
新政府でただ一人の陸軍大将に任じられ、事実上の軍の総司令官、
維新と勲功第一等、と誰もが見た。グラバーらフリーメーソンは、
あの手この手で西郷を誘惑したが、西郷はことごとくこれを斥けた。
かくしてユダヤ悪魔教の第二次対日侵略戦争の前途に、赤信号が灯った。
日本大内乱の謀略が不発に終わり、300万の武士階級は、水戸、会津両藩
など一部を除き、温存されてしまったのである。ユダヤの謀略では、内戦に
よって武士階級をそっくり壊滅させる手はずであったのだ。
そして、西郷はユダヤの対日謀略の存在を、チラと感づいた模様である。
西郷を料理せよ! これがいまやユダヤ・フリーメーソンの対日謀略の
焦点として登場した。
大久保・桂(木戸)・岩倉の逆賊3人組は、ユダヤ・フリーメーソン
駐日代表グラバーの手駒である。西郷は、このことに気づいたようだ。
かくなる上は、神武の武力をもって奸賊大久保とその一党を討伐し、
神国日本の国体を明徴させるほかない。
他方、ユダヤ・フリーメーソン陣営は、全力を傾注して大久保私政権の
軍備を増強し、ユダヤの日本民族滅亡作戦の障害・西郷を、そして西郷
とともにユダヤになびかない旧武士階級、士族を亡きものにしなければならない。
489 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 17:40:43
明治10年(1877年)の西南戦争を内戦と見てはならない。
もしもそれが、欧米ユダヤの意図的政策的介入のない純然たる
日本民族の内部の出来事であれば、西郷軍の圧倒的戦勝で
終結していたことを、日本民族は知らなければならない。
日本国内のみを見れば、明治初年の時点ではもちろんのこと、明治10年に
おいてさえ、岩倉・大久保らを支持する日本人は5%以下であったろう。
この逆賊たちの不人気は蔽うべくもない。日本を挙げて人心は、西郷さん、
西郷さん、に涙していたのである。
1877年から翌年にかけて、ユダヤ悪魔教(300人委員会)は、アメリカを
片づける大仕事、南北戦争を終え、ユダヤの日本支配に抵抗している西郷の
一党を取り除くという日本問題の処理ができる条件が整っていた。
ユダヤ・フリーメーソンの全面的で手厚い保護支援のもとに、大久保ニセ政権は、
莫大な軍費をユダヤ悪魔教に保証され、西郷軍を何ケタも上回る火力、機動力を
もって九州に出兵した。つまり、西南の役は、逆賊大久保を使ったユダヤの日本
撃滅戦争として組織されたのである。
だがこのとき、明治天皇の立場はいかなるものだったろうか。
岩倉・大久保・木戸らは、西郷軍を討つこの不義の軍を、明治天皇の名をもって発した。
西郷をこよなく愛された明治天皇は、不本意であったことであろう。
だが、もし明治天皇がこのとき、公然と大久保を斥け、西郷を支持するようなことが
あれば、大久保・岩倉は、一瞬の躊躇もなく、明治天皇弑逆!の挙に出たであろう。
490 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 18:38:22
グラバーって、三条に倒産させられたグラバー商会の?
三条に出し抜かれてるようではフリーメーソンも大した連中じゃないよな。
491 :
日本@名無史さん:2006/06/14(水) 18:44:58
日本人ならではの西郷が最
高だと思う理由がある。
お前らの頭では、西郷最高サムライと知るまでに
20年はかかる。
西郷さん薩摩つよかったです。
493 :
日本@名無史さん:2006/06/21(水) 23:55:09
田原坂
田原坂でも薩摩武士の強さは光っていたよな。
膠着状態を打破した抜刀隊の主力も薩摩武士。
495 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 01:54:11
西郷ってチン毛燃やすのが趣味だったんだろ
もう異常だよw
金玉に虫飼ってるし
金玉・チン毛・デブ
三重苦だなおいw
496 :
日本@名無史さん:2006/06/22(木) 02:01:33
近藤に腹も切らせなかった薩摩と長州の人間が武士道を語るのは、笑わせる話だ。
497 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:56:45
412さんが書いているこの本を読みました。
このなかで、頭山翁が「西郷と木戸・大久保の間にはかなり大きな差が
ある」と書いてありました。
維新三傑でも西郷さんと、上記の2名を並べるのはそもそも間違いだと。
498 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 18:57:56
小松帯刀 とか有名だけど
499 :
KAZUMA:2006/06/29(木) 03:58:19
西郷さんがつれていた犬の種類分かる人いますか?
500 :
日本@名無史さん:2006/06/29(木) 04:06:00
土佐犬
501 :
KAZUMA:2006/06/29(木) 04:10:59
ありがとうございます!
同時代で西郷を評価したのは誰?
逆に評価しなかったのには大村益次郎とかいたらしいけど
>>494 「戊辰の仇」という掛け声かけて突っ込んだという伝聞記事のせいでなぜか知られていないからな、数的主力が敵と同じ薩摩士族だったことは
>>502 確か勝海舟と福沢諭吉が評価してた気がする
505 :
日本@名無史さん:2006/06/30(金) 00:01:12
西郷が評価した人物っていうのも気になるな
山岡鉄舟を「金も名誉も命もいらぬ。そんな人間は始末に困るが、しかしそんな人でなければ大事はできない(かなりうろ覚え)」と評したらしいが
>>496 近藤の斬首を強行したのは谷をはじめとする土佐方で、
薩摩の桐野や有馬は近藤の処刑に消極的だったが何か?
507 :
日本@名無史さん:2006/07/04(火) 21:46:48
司馬遼太郎の「翔ぶが如く」だっけ?
あれって戊辰戦争も書かれてるの?
508 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 11:20:43
主人公違うかもよ?
509 :
日本@名無史さん:2006/07/09(日) 17:54:56
土佐犬のわけないだろー!
あんなでかい犬か?
510 :
sage:2006/07/09(日) 18:43:44
クロとツンだったかな?
確か薩摩犬ですな・・・うろ覚えだが。
もう血統が絶えた種だけどね。
甑犬が同じ血統のはずだが、まだ純血種が残ってるのかな?
薩摩最強でごわす!
上川さん最高でごわす
513 :
日本@名無史さん:2006/07/14(金) 21:51:21
どん
むしろ遣韓論
515 :
日本@名無史さん:2006/07/29(土) 14:09:08
今年、初めて鹿児島にいきます。
9月24日の西郷さんの命日に行く予定ですが、何かイベントはあるのでしょうか?
あと、そのころはホテルは混みますか?
516 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 14:39:20
新たな体制を築く上で、旧体制の主役であった武士をどうするか。
西郷は、その行き場を失った武士の生き様みたいなものを、
まとめて面倒見たんだと、僕は思います。
征韓論はそれを外で解消しようとした。
無理だったので、私学校をつくった。
これは戊辰戦争のときの言葉だけど、
「みな死せ。しかして後、援兵を送らん。」
歴史に残ってる人の逸話とか言葉は、どれもおもしろくて好きなんだけど、
西郷さんに関しては、(今は)この言葉がけっこう好きかなぁ。
会ってみたいわ、この人。
517 :
日本@名無史さん:2006/07/30(日) 15:06:23
西郷に比べると大久保は雑魚
518 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 13:06:40
>>517 お前は誰かを貶めないと人を誉められないのか?
俺は静岡人だけど、そういうのはどうかと思うよ
519 :
日本@名無史さん:2006/08/01(火) 17:53:23
西郷隆盛が好きならば陽明学を学ぼう
大久保に比べると西郷は雑魚
521 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 14:57:10
22さん「刺せ」とは言っていない。「短刀一本あれば事たりもんそ」と言ったのです。それと、その対象は慶喜ではなく
公議体制を唱え、慶喜を復権させようと小御所会議で酔っ払いながらやっきになっていた、土佐藩主山内容堂に対してです。
522 :
日本@名無史さん:2006/08/02(水) 15:02:27
>>34じゃあkjんfかdんvんしにsn
西郷隆盛が好きならばウホッ、衆道を学ぼう。
524 :
日本@名無史さん:2006/08/04(金) 23:41:33
大久保が雑魚とは思わんが人間的な魅力やいざというときの突進力は
西郷には全く及ばないだろうね。
>>524 人間的魅力は知らないけど、突進力なら江藤新平かな。
526 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:13:51
今のどの教科書にも西郷は「征韓論を唱え・・・」とあるが、どうしてこれほど歪曲された事実が長年に渡って歴史の教科書に記載されているのか。西郷は、「征韓」などという言葉は一度も発言していないし、公の文書にも書いていない。新政府との国交を非礼な態度で
拒み続ける朝鮮に軍艦ではなく通常の船で、軍服ではなく烏帽子・直垂の正装で少人数の文官のみを連れて国交を開きに話し合いに行くといっているだけである。(詳しくは
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/の「西郷の征韓論」を参照)なのになぜいまだにどの教科
書でも「西郷は武力により朝鮮を制圧しようとした」というニュアンスで書かれているのか。不思議でならない。西郷は武力制圧など考えてはいなかったというのが、西郷を研究する人たちの共通認識です。どうして今もってしても尚、この誤った見解を教科書に載せ続け
ているのでしょうか? いったいなぜなのでしょう・・・・・。
527 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 20:36:37
西郷は征韓論者だ、いや反征韓論者だ、両説あるけど本当はどうなんだろうね?
どちらであっても、時代背景を考えると別に驚かないし、
西郷どんが好きなことは変わらない。
528 :
日本@名無史さん:2006/08/15(火) 21:24:30
おいが斬られたらそれを口実に攻めればよか
と板垣に言ったというのが
>>526 それは、どっちかというと西郷崇拝系研究者の一方的な言い分だからです。
確かに、西郷が公式に「唱えた」のは、征韓論ではなく、使節派遣です。
しかし、
>>528さんも語られているような事実があったこと、
板垣に対してだけでなく、周囲の人ほとんどに死にに行く覚悟を漏らしていたこと、
行って殺された場合に、内治主義の連中に自分の死が無駄にされないよう頼むと板垣に言葉を残していたこと、
黒田に軍事のことを頼むなどを行っていたこと、
など、他にも、西郷が最終的に戦いに持って行くつもりが大きかったことを示す、
多くの史料が残されているのです。
この辺については、西郷崇拝者といわずとも、平和主義者のの研究を読むよりも、
全体的な視点で明治を見渡した学術系のものを読むことをお勧めします。
530 :
日本@名無史さん:2006/08/17(木) 12:07:13
戦争責任は人類すべての人間にあるのです
野生の動物の世界は弱肉強食の悪法がはびこり、戦争状態である。たとえ、
百獣の王ライオンであっても、その子はハイエナに食われる。人間の世界も物
欲によって争闘し、最後には殺し合いとなる。これは人間の欲望に限りがない
からであり、ぜいたくを享楽しているためである。肉食は食欲のぜいたくの極
みであり、これを得るためには家畜を殺し、弱者を犠牲にしなければならない。
動物を殺すことは人間を殺すことと同じである。これでは、人間の霊性は獣と
何ら変わることがなく、自分の子供がハイエナに食われても文句が言えない。
人間の横暴によってすべての生物が地獄の苦しみにあえいでいる。先の大戦
の犠牲者はこうした人間の行為の償いであり、神からの啓示である。だから、
戦争責任は人間が自らの行為を反省することなく、物欲を発揮してぜいたくを
むさぼっている、人間一人一人にあるのです。
偽科学が常識を盲信させる
非ユダヤ人において、科学の盲目的信仰が功を奏しているようである。学校
の教科書で教えられる事がすべて正しいと信じる。こういった人々にとっては
権威ある学会が言うことのみが正しく絶対なのである。
ユダヤ議定書(第2議定書)
非ユダヤ人は歴史を基礎とする観察を怠り、専ら理論上の旧弊に囚われて、
その結果に対する批判的工作を忘却している。我々は新聞雑誌を利用してこの
科学理論を盲目的に信用させる。非ユダヤ人の知識階級は自己の知識を誇りと
して、科学から得た知識でものを考えようとする。その知識を論理的に吟味も
せず、その知識なるものが、人間を我々の目的の実現に向けて、教育するため
に作られた事に気がつかないのである。悪魔の世界制覇に向けて。我々の主張
を根拠なきものと思ってはいけない。我々の仕組んだところのダーウィン、マ
ルクスの教説の成功に注意なさるがよろしい。これらの教説は非ユダヤ人の心
に破壊的作用を及ぼした。ダーウィンの進化論は常識となっている。チンパン
ジーは何時になったら人間となるのか。急には進化できないから、その中間の
形態のものが存在しなくてはならない。
>>526 私も西郷は征韓派では無いと思います。
西郷が板垣に話した内容を理由に、西郷を征韓派だとする説がありますが
軍を率いず日本古式の礼装で渡韓した全権大使を、朝鮮が殺す事になれば
もはや交渉の余地無く、武力を以て…と考えるのはある種当然の事です。
ですから、西郷が自らの死を口実に征韓を企てたと考えるのは些か疑問。
西郷が板垣に話したのは
征韓の口実作りの為に死にに行く、と言う意味では無く
礼儀を尽くした全権大使が死ぬのであれば征韓もやむなし、と言う意味。
西郷は死を覚悟はしていたが、交渉を成功させる自信もあったのでは。
また、内政優先策で西郷と争ったとされる岩倉と大久保が
西郷が下野した後に台湾出兵を強行した事実。
外征を考えていたのは寧ろ岩倉や大久保ではないか?とも考えられる。
また大久保の内政は、その後ひたすら武力に頼ったものになる事実。
もし西郷が武力を背景にした政策を考る武断派であれば
萩や佐賀や熊本での反乱に同調しなかったのはなぜか?
もろもろを考えてみると、西郷が武断的な征韓派とは考えにくいのです。
532 :
日本@名無史さん:2006/08/23(水) 10:24:28
西郷は征韓論者だったのか。
なんか、西郷の場合、「征韓論聴者」っていう気がしますが。
そういう意見があるのなら、まあ、なんとかしてみましょう、みたいな。
本人はどっちでもよかったんじゃないかと。
533 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 10:50:21
歌川さんのさ、
男意地〜田原坂〜良かったよね^^
こぶしの乗り方がせごどんの感じ出てた。
曲の最後にさ、しんどんもうよかばいって台詞あったと
思うんだけど、しんどんって誰のこと?
534 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 12:56:42
別府のことに決まってんだろ
535 :
日本@名無史さん:2006/09/06(水) 13:09:41
西郷が征韓論でなければ大久保と廟議で激論を戦わせる理由が無いよ。
征韓論とは反日勢力が喧伝するような単純な領土拡張論なんかでは無いが、
日本がもちかける「維新の輸出」に朝鮮が難色を示すようなら西郷は討幕の時と同様に力ずくでも抵抗勢力を潰して迅速に朝鮮に文明化を施そうと考えていたとしか思えない。
そういう薩摩式の明快な武断主義が大久保らの危惧する所だったから猛反対を受けた訳だ。
西郷は誠実に交渉すれば朝鮮も宗主国の清も文明化に理解を示すだろうし、
もし理解しなければ邪魔者を全て叩き潰せば良いとでも思っていたんだろう。
小御所会議でダラダラ屁理屈こねてた山内容堂を最後には暗殺を仄めかして黙らせた西郷なら、
朝鮮や清が改心しなかった場合にどうするかは察しがつく。
だが相手が容堂ならサクっと殺しちゃっても別に大した問題にはならないが、
朝鮮や清を相手に同じ真似は出来ない。
外交センスを磨いた大久保にはそれが分かっていたから西郷を朝鮮に派遣する訳にはいかなかった。
西郷は朝鮮や清が西郷に耳を貸しても貸さなくてもどちらでも構わないと思っていたが、
大久保としては西郷が連中を説得できるとは見ていなかった訳だ
征韓論を今の時代の感覚で捉えるから即、悪に繋がる。
人類史上、ほんとに力のある人間が集結した奇跡的な時代には
その国は有り余るエネルギーと英知で、野心を持って隣の国に攻め入ろうと企てるのは普通のこと。
西郷どんなら秀吉とは違う人間のでかさで
大戦時の日本の台湾統治以上にうまく朝鮮人の心を掴んで併合して
朝鮮を発展させた可能性もある
537 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 02:05:15
嗚呼西郷どん・・・あんな民族のために・・・
538 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 05:20:17
朝鮮を助ける者は滅びる。
例の法則だ。
539 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 12:31:45
この後、朝日やら日教組やら
洗脳やらねつ造やらいう単語が出てきたら、
コテコテの薩摩スレの出来上がりだな。
540 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 12:34:05
>>536 夏休みの宿題の読書感想文、いい加減書き上げろよ。
541 :
日本@名無史さん:2006/09/07(木) 12:45:25
反論があるなら、具体的に理詰めで書けよ。
負け犬。
そんな芸当が出来る位なら人生の負け犬にはなってないです(>_<)
>>535 〜と思う、とか、察しがつく、とか、それは君の妄想でしょう。
>朝鮮に文明化を施そうと考えていた
ソースは?
>西郷は朝鮮や清が西郷に耳を貸しても貸さなくてもどちらでも構わないと思っていた
ソースは?
君が大久保を好きなのはわかるが結局最も武断的だったのは大久保じゃないか?
台湾討伐を強行した事実に蓋をするのか?
544 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 01:43:55
>535
議会で西郷と敵対したとされる、岩倉・大久保・木戸は外交問題に着手する為、欧米を歴訪していた訳なんだが。
内治優先どころか旧幕府の結んだ条約改正に乗り出すのが大義名分だった筈だ。
岩倉使節団は莫大な国費を費やした大名旅行で随員も異常に多かった訳で。
しかし列強の殆どは条約改正に応じずに岩倉使節団は収穫無しに帰国したと。
しかも、使節参加前は攘夷或いは征韓論者だった者も欧米文化に心酔してしまい、態度を豹変させ帰国してる。
西郷が遣韓大使を希望した当時の政府の状況はざっとこんな感じな訳ですよ。
様々な視野から当時の状況を検証すると、西郷と大久保の対立はあながち征韓問題だけが理由とは言い切れない。
545 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 08:36:48
アホが。
朝鮮に対する武力行使を訴えていた「武断的な」板垣に自分の死後を託していた事実から、
西郷が死を覚悟して使節になるつもりだった事は明白だ。
当然ながら西郷自身も武断的であるが故に、武断的な板垣に後を託していたと考えなければ不自然だろうが。
そして西郷が死を覚悟で朝鮮に赴くという事は朝鮮との開戦という事態を忌避しての行動ではない。
かねてより朝鮮の無礼な言動に怒る征韓派が西郷を殺されて主戦論を引っ込める筈が無い。
むしろ日本の世論は一気に征韓論に傾いて開戦の危機が高まると見るのが当然。
とは言え西郷が丸腰で使節を務めようとした事は開戦を訴える征韓派に対する制止に他ならない。
なるべくなら戦争にはしたくないからこそ自分が使節として赴く。
しかし自分が殺されれば開戦は必至。
つまり戦争になってもならなくても構わないという事であり、自分が死んでも死ななくても構わないという事だ。
そして西郷には自分が死んでも、朝鮮との戦争になってでも実現したかった目的が何かあると考えなくては辻妻が合わない。
自分の生死や開戦非戦を度外視した合理的な動機。
「維新の輸出」以外にあるのかね?
546 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 09:06:08
それから大久保らが征韓に反対する傍らで征台を敢行したのは、
大久保らも西郷同様に武断的だからに決まっている。
大久保が征韓に反対したのは内治を疎かにしてまで朝鮮や清との戦争をする必要を認めなかったからであり、
征台を実行したのは日本国民が台湾で殺害された責任を清朝政府がとらなかったからだ。
清朝は台湾で発生した日本人殺害事件について「台湾は化外の地であり、清朝に従わない蛮族がやった事だから責任はとれない」と回答した。
外交でこのような逃げ口上を使えば、「台湾は清の領土ではない」と認めた事を意味する。
当時は国際的にも台湾は清の領土として認識されていたにも関わらず、清朝自身がそれを否定してしまった。
だから征台に大儀名分が生じた訳だ。
無論、清朝は後で自分たちのミスに気付いたから日本に賠償を支払って殺人事件を謝罪し、
代わりに台湾を取り戻した。
大久保が征台を即断した武断主義は正しいとしか言いようがない。
だが、武断主義だからといって必ずしも例外なく正しいとは限らない。
清の失策に対応する迅速な征台は正解だったが、朝鮮に文明化を施す為の征韓は時期尚早。
大久保の判断の方が西郷よりも妥当だったんだよ。
547 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 09:10:58
謀略とクーデタに命脈を賭けた明治新政府 B
北 田 大 吉
西郷隆盛は本当に征韓論者だったのか
通説では西郷は「征韓論」者であるということになっている。西郷は不平と不満に渦巻いて
いる士族たちのエネルギーを外に逸らすために征韓論を唱えたということになっているようで
ある。しかし、これは真実であろうか。確かに西郷は、一般論としては対外的な平和主義者で
はない。それは西郷の思想と行動から右翼思想が発展してきた経緯を考えても理解できる。ま
た下野した西郷が、台湾問題に関する大久保の対清交渉を生ぬるいと切歯扼腕したといわれる
。また、同じ参議であった板垣に対する書簡において、いわゆる「暴殺論」を展開しているこ
とも一つの根拠に挙げられる。暴殺論というのは、西郷が無防備で朝鮮にいって交渉すれば恐
らく朝鮮側は西郷を暴殺するだろうから、板垣が朝鮮征伐を考えるならば、そのときがよい機
会であろうといいうのである。この暴殺論についてはこれ以上触れないが、西郷が自分を朝鮮
使節として派遣するように提唱し、すべての参議がこれに賛成した正院の会議録にもとづいて
、西郷が何を主張したか、あるいはしなかったかをはっきりさせることが肝要であろう。
http://www.rousyadou.org/1179.htm より抜粋
548 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 09:53:47
新政府は日本における政権交代を告げるとともに、修好の更新継続を申し入れた。ところが朝鮮
政府の役人が、文書の形式が従来とは違っているとして文書の受理を拒んだ。これに対して日本国
内では、朝鮮の無礼の責任を武力で問うべしという「征韓論」が士族社会の一部で発生した。この
ような空気を受けて、国内の矛盾を国外に逸らして反政府のエネルギーを放散する狙いをこめて政
策的な征韓論が提起されたのは事実である。
明治六年初頭になって、朝鮮の日本公使館駐在の外務省七等出仕広津弘信が、外務少輔野上景範
に宛てて次のような内容の報告書を送達した。
一、公館への生活物資の供給と同館在住日本人商人の貿易活動とが、朝鮮側官憲の厳しい取締り
で困難をきたしている。
二、その理由の一つは、東京の三越(あるいは三井ともいう)の手代が対馬商人の名義を借りて
商売を試みたので、「僭商」だと朝鮮側の怒りを買った。
三、そこで朝鮮側は公館門前に掲示を出したが、そこには日本は西洋の制度や風俗を真似て恥じ
るところがない。朝鮮当局は対馬商人以外に貿易を許していないのに違反した。近頃の日本
人の所為をみると日本は「無法之国」というべきである云々。
549 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:01:32
洋服を着ていたら無法と非難して外交官を兵糧攻めにしていたのか。
当時から朝鮮は野蛮な国だったんだな。
西郷が命懸けで文明化を施そうと考えたのも当然だし、大久保が「まだ無理」と反対したのも理解できる
550 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:06:58
このままでは、「第一朝威に関し、国辱に関わる」ほどの深刻な事態であるから、「もはや、
このままおきがたく」、「断然、出師の御処分」、つまり武力解決方針を決断しなければなら
ないであろうが、「兵は国の大事である」から、とりあえず居留民保護のため「陸軍若干、軍
艦幾隻」を派遣し、九州鎮台に即応体制をとらせ、軍事力を背景に使節を派遣して、「公理公
道をもって、きっと談判に及ぶべき」であるとの方針をとられたいとのこと。
この時期まで朝鮮はまだ鎖国政策を採っていた。日本との関係は、朝鮮国王と将軍との修好
関係を維持して朝鮮は日本に通信使を派遣していた。これを仲介していたのは対馬藩で、対馬
藩は幕藩体制に従属すると同時に、朝鮮国王にも朝貢する関係、すなわち両属関係にあった。
朝鮮の釜山の草梁倭館はこのような対馬藩の便宜のために朝鮮側の好意によって設けられてい
たもので、このような立場を逸脱して日本商人が商業活動の拠点として使用することは、朝鮮
側のいうとおり約束違反ということになる。また藩内に田畑をほとんどもたない対馬藩として
は、朝鮮と日本の修好の仲介をすることを通じて若干の商業的利益を得ていたことから、明治
維新によって従来の関係が変化したことに危機感を抱いていたものと思われる。
551 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:16:49
何だか必死に朝鮮の非礼についてぼかそうとする奴がいるみたいだが、
日本で征韓論が興ったのは朝鮮が天皇名義の文書を拒んだからだよ。
朝鮮は清朝にしか皇帝の位を認めないという時代錯誤に陥っており、天皇と日本を侮辱した。
日本の君主と格式を愚弄する以上、日本国民の怒りを買って征伐されるのは仕方ない。
552 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:21:44
正院のメンバーは三条太政大臣と、西郷隆盛、板垣退助、大隈重信、後藤象二郎、大木喬任、江藤新平
の各参議であった。まず板垣が原案に賛成し、居留民保護のために兵士一大隊を派遣せよと発言し、正院
の空気はそれに傾きかけたが、西郷は、陸海軍の派遣はかえって朝鮮官民の疑懼を招き、日本側の趣意と
反する結果となろうと反論し、まず使節を派遣して公理公道をもって談判すべきであると主張した。
これにたいし三条が軍艦を引き連れていくべしと主張したが、西郷はペリーやプチャーチンの砲艦外交の
例を挙げて、使節は「烏帽子、直垂で」(礼装し)非武装でなければならないと主張した。正院は西郷を
使節として朝鮮に派遣することを決め直ちに上奏したが、天皇は外遊中の岩倉の同意を得て西郷を朝鮮に
派遣することを裁可した。
俗説によると、西郷は廃藩置県によって常職を失い、また徴兵令や廃刀令によって士族の誇りを傷つけ
られ不満の鬱積している旧士族たちのエネルギーを外にそらすために征韓論を主張したことになっている
が、正院の議事をみるかぎり、それは誤りであろう。
553 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:37:16
西郷さん…
韓国みたいな蛮族相手に無茶しやがって…(T^T)
554 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:43:06
西郷の真意は、むしろ当時西郷に差し迫った脅威と感じられていたロシアの南進によって、朝鮮や中国
が侵略され、それが間接的に日本にとっても脅威となるということであった。西郷は朝鮮がこのような脅
威を自覚して鎖国政策をやめ、日本とともにロシアの脅威に対処するよう朝鮮当局と話し合うつもりだっ
たという。アジア諸国が協力して列強帝国主義と戦うという発想は、この時期以前にも、この時期以後に
も、絶えることなく生まれている。西郷が忠誠を誓った島津斉彬にもこうした思想があり、坂本竜馬が私
淑した勝海舟にもこうした思想があった。横井小楠や松平春嶽の思想も同様であった。このような思想を
アジア侵略を意図した帝国主義と同一視するのは必ずしも正しくないであろう。
「征韓論」をめぐる正院の審議過程をみるかぎり、西郷を朝鮮を目標にした侵略主義者ときめつけるこ
とはできない。そもそも以前に「征韓論」を主張したのは木戸孝允であり、正院の審議において原案の
「征韓」に諸手を上げて賛同したのは板垣である。軍艦を曳き連れて行けといったのは三条であり、西郷
はむしろ参議たちのこのような「征韓論」に反対して、自分を非武装の使節として朝鮮に派遣するよう主
張したのである。そういう意味では、西郷を除くすべての正院メンバーが「征韓論者」であったとしても
西郷だけはそれを免れるはずである。
「征韓論」は外遊組と留守派との対立であるとする俗論もある。外遊組は世界を見てきたから「征韓論」
など無意味なことを主張するはずもないが、留守派は内政のことしか考えられず、当面の不平士族に対する
方策として「征韓」を考えたというのである。これもまったく誤りである。外遊組の岩倉にしても大久保に
しても「征韓論」に別に対立も反対もしていない。かれらは優先順位が異なっていただけである。とくに大
久保は対外侵略に反対する立場から使節派遣に反対したのではなく、別の思惑があった。大久保がむしろ対
外侵略主義者であるのは、台湾征伐を断固として遂行したことからもわかる。これこそ不兵士族の不満を逸
らすために企てられた戦争であった。
555 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 10:52:34
清朝が「ウチの領土じゃないっス」と明言したに等しい台湾に派兵しても侵略にはならないよ。
征台を根拠に大久保を侵略主義と呼ぶのも間違ってる。
大久保も西郷も必要ならば戦争を躊躇しない武断的な政治家だが、対外侵略が彼らの目的であったとは言えない。
556 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 11:39:37
西郷も大久保も朝鮮の未開性に足を引っ張られて命を落としたようなもんだな。
557 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 13:32:59
謀略とクーデタに命脈を賭けた明治新政府 C
北田 大 吉
「明治六年政変」のターゲットは西郷ではなかった
西郷が「征韓論」を主張し、大久保がこれを阻止するために古くからの友人であり同志であった西郷
を切ったというのは俗論であり、誤りであった。
岩倉はじめ外遊組一行が帰国したとき、国内には問題が山積していた。廃藩置県や徴兵令に反対する
人民の闘いは日々に激しさを増していた。西郷や帰国後の木戸は、陸軍の山県に関連する不祥事件の後
始末で寧日暇がなかった。近衛歩兵たちのなかに山県にたいする不満が満ちみちていた。
外交面でも、樺太におけるロシア兵との軋轢、琉球島民にたいする台湾「蕃民」の襲撃問題など…三
条と木戸は一行とはひと足さきに帰国して療養していた大久保を参議にして、「百事」に対応させるこ
ことに腐心していた。俗説では、西郷の「征韓論」を抑えさせるために木戸を参議に起用それはまった
く誤りであっしたとされるが、た。三条や木戸の念頭には朝鮮にたいする使節派遣の件などまったく存
在しなかった。ロシアの侵略が切迫していると信じて疑わない西郷のほうが、三条や木戸の「健忘症」
に腹を立てていた。西郷は三条と木戸をせっつき、木戸が帰国次第朝鮮に使節を派遣するという天皇の
裁可を速やかに実行に移すべく、閣議の招集を要求した。ここにきて大久保の参議就任が重大な局面に
至った。岩倉は西郷の朝鮮使節派遣に必ずしも反対ではなかったが、時期尚早だと考えて、使節派遣の
延期を求めていた。岩倉の場合には「内治優先」といってもよいかもしれない。しかし強硬な西郷を説
得するには大久保の出馬が必要であると考えた。一方、大久保も別に西郷使節の朝鮮への派遣に反対で
はなかった。しかし三条と岩倉に西郷に対応すべく参議就任を強く迫られて、やむなくこれを受け入れ
た。大久保は三条や岩倉ら公家を信じ切れなかった。かれらは人を屋根に上げておいて梯子を外すくら
い日常茶飯事であった。そこで大久保は参議就任に際して三条と岩倉に初志貫徹の一筆を書かせた。
558 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 13:51:36
閣議において、西郷の主張に反対したのは大久保一人であった。結果として、西郷使節の派遣は正式に
決定された。あとは天皇の形式的裁可を待つばかりであった。大久保はただちに参議の辞表を提出すると
するとともに、憤然として三条と岩倉に食ってかかった。岩倉も大久保とともに辞表を提出したので、三
条は突如意識不明となる病に倒れた(仮病説もある)。天皇は三条邸を見舞うとともに、岩倉邸をも訪れ
岩倉を太政大臣代理に任命した。
岩倉は後日、天皇のもとに伺候し、過日の正院における審議結果を上奏し、同時に自分の意見としては
西郷の使節派遣は時期尚早であると述べた。天皇は困惑したが、結局、岩倉の意見を採用せざるを得なか
った。この経過を知った西郷は、すぐさま辞表を提出するとともに、東京郊外に姿を隠した。西郷が辞表
を出した翌日、西郷を除く四参議も辞表を提出した。思い悩む岩倉にたいし、大久保は辞表の早速の受理
を勧めた。
559 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 14:03:01
西郷が下野したのに続き、薩摩や土佐出身の近衛将校たちが西郷のあとをおって、辞官して鹿児島に帰った。
警視庁警官やその他の官庁の官員たちのなかにも追随した者が多い。鹿児島は、前藩主の父島津久光の影響力が
強く、廃藩置県後も割拠主義を貫き、あたかも独立王国の体をなしていた。鹿児島県は人口の四割が郷士を含め
た士族が占め、それだけに士族たちの不満も強く、また四割の士族たちのため他藩と比べても強い搾取を受けて
きた農民たちの困窮もはげしかった。士族たちのなかには西郷の勧めで帰農した者もいるが、大半は依然として
無為徒食の生活で、いつかはその不満が噴出することは必至で、新政府もそのことは十分承知していた。
俗説では、明治六年政変の目的は「征韓論」をつぶすことにあったかのごとくいわれるが、これが正しくない
ことは以上の論議を踏まえるならば容易に理解できることであろう。
「大政奉還の大号令」からはじまり西南戦争にいたる過程を通じて、一貫して新政府の中心となってリードし
てきたのは大久保利通唯ひとりといってもよい。この間の新政府の構成や性格を見ると、戊辰戦争を過程を含め
て新政府の構成には親王や公家の比率がかなり高かったが、まず、最初の体制改革によって、三条や岩倉以外の
公家はほとんど脱落し、倒幕諸藩出身の下級武士中心の構成となっていくが、ついには薩長土肥四藩の下級武士
が実権を握り、明治四年の政変においてはついに薩摩と長州のみの構成となった。大久保はこの時点で内務省を
立ち上げ、初の内務卿に就任している。内務省は、廃藩置県後の県知事など地方官を一手ににぎり、また、中央
においても警察権をにぎって権力の中枢を完全に抑える立場に到達している。いいかえれば、明治十年までの過
程は政治権力の真の所在がどこにあるかをはっきりさせる過程でもあったといってよい。
560 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 14:05:58
明治六年の政変後、佐賀の乱、秋月の乱、萩の乱といった不平士族の反乱が相次ぐが、これらはすべて
大久保の予定の計画であったといってよい。大久保は内務省傘下の東京警視庁を手足の如く使い、反乱を
むしろ挑発している。西郷が下野して故郷の薩摩に帰ってのち、薩摩出身の警視庁警官二十余名を密かに
薩摩に派遣して、私学校生徒と接触させていたことが明白となっている。私学校側がいうように西郷暗殺
を任務としていたかどうかは分からないが、かなりの挑発的意図をもって警官を派遣していたことは間違
いない。
561 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 14:21:42
西郷は遣韓大使派遣問題にかんする経緯と意見を記した"始末書。を三条太政大臣に提出している。
「(前略)軍隊を派遣してはいけません。正式に使節を派遣して交渉に当るべきです。たとえ、相
手が一方的に交際を断ち、戦争覚悟で迫ってきても、相手の真意の見きわめがつくところまでは、
隠忍自重、徹底的に努力を尽くさないことには、悔いが残ります。警戒心が先に立って、相手の暴
挙を予想して、あらかじめ戦争の準備をしておくなどということは、礼節にもとることであります
から、是非、交誼第一に努められるようにお願い申し上げます。」
これは、政治の最高責任者、右大臣三条実美にあてた、筆頭参議西郷隆盛の公式文書である。遣
韓大使として朝鮮へ赴く者の取るべき覚悟を述べた文章であり、日本国政府のとるべき正道をふま
た、指針書といえなくもない。この文面から判断するかぎり、西郷が道義的・平和的に朝鮮と交渉
すべく考えていたことは明らかである。
西郷は征韓論とは逆の立場に立っていたのである。
562 :
日本@名無史さん:2006/09/09(土) 18:10:54
自分が朝鮮に行って殺されたら開戦はもはや不可避となる事を承知で敢えて使節を務めようとした以上、
西郷が武力行使による問題解決に否定的だったとは言えない。
自分が朝鮮なんかに出掛けたりしなきゃ開戦不可避の事態は予防できるんだから。
だから西郷をアンチ征韓論と結論するのは詭弁。
西郷にとって征韓はあくまで選択肢の1つとして存在した。
西郷は「死に狂い」だったから、遣韓後を板垣に託したからといって、即ち征韓論者とするのはいかがか。
月照と入水したり久光の命を無視したり…西郷は「死ぬ覚悟」を常に持っていた人です。
薩摩武士の誉れは「一に戦死、二に負傷、三に生還」と言われ、事にあたって死地へ赴くのは当然とする概念があったのでしょう。
当時の薩摩の郷中教育や島津軍の軍律を知れば、西郷が「朝鮮に死にに行く」と言った真意が伺い知れると思いますがね。
564 :
1です:2006/09/11(月) 22:59:48
>562
君は外交を知らないようだな
君の屁理屈で言えば国連安保理も侵略者と言うことになる
当時の状況は君の単細胞な脳みそで考えるほど単純ではなかったのだよ
566 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 08:01:49
>>53 弟は隆道じゃなかったっけ?
司馬遼小説にそう書いてあったような
いつか問い訪ねたら速攻で否定されたが、
ここまでこだわるとこを見るとやっぱり
少数存在する嫌西郷さんの最大のひっかかりは、征韓論なんだな
568 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 10:59:33
西郷を征韓派と決め付けてる人は、六年政変後に台湾出兵〜朝鮮出兵した件をどう説明するのだろうか?
また、警視庁が鹿児島に中原等刺客を送ったとされる件をどう説明するのだろうか?
誰がどんな意図で西郷の遣韓を阻止したのか?
誰がどんな意図で内政優先を覆し出兵したのか?
誰がどんな意図で帰郷した西郷を暗殺しようとしたのか?
西郷を征韓派と決め付けてる人、説明をお願いします。
569 :
信長:2006/09/12(火) 12:04:18
おいは地球のダニを絶滅したかっただけでごわすっ
滅鮮論者でごわす
570 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 12:24:40
外交に無知はどっちだか。
武力に訴えてでも朝鮮の内政に干渉すれば侵略そのものだよ。
征韓論とは日本が武力によって朝鮮を腐敗させている両班を駆逐し、
無知無学な白丁に教育を施して朝鮮社会全体を近代化するのを目的とする侵略そのものなんだよ。
571 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 12:30:06
征韓論と征台は矛盾しないのだが。
清や朝鮮による抵抗を武力で排除してでも朝鮮を近代化しようというのが征韓論。
征台は、清が台湾で発生した日本人殺人事件について責任を取らなかった事から、
台湾の領有権を清が自ら放棄したに等しい状況が生じた事に対応した占領。
粘着馬鹿長州人氏ね
573 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 20:01:41
例の長州人は多分来てないよ。
奴は理詰めの話が出来ない罵倒専門の馬鹿だから。
574 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:01:29
西南戦争の評価はどうなの?
西郷はどういう意図を持ってあの戦争をしたんだ?
575 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:06:57
>>574 西郷は神輿として担がれたほうだから・・・
576 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:13:36
やっぱ桐野が悪いのか!
あいつマジでキチガイ・・・
577 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:22:07
戦争って誰か一人の思惑で起こるもんでもないだろ
578 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:23:31
西郷程度しか担げれないのが芋の限界
579 :
日本@名無史さん:2006/09/12(火) 22:30:44
薩摩に恨みを持っている長州人さんへ
ここまで薩摩を貶すということは、貴方が過去に行儀の悪い薩摩人に迷惑をかけられたんでしょう。
世の中、ひどい人間もいますし、貴方の気持ちもよくわかります。
しかし薩摩、鹿児島にはまともな良い人間がいるのも事実です。
酷い薩摩人に変わって私が謝りますので、今後、薩摩を必要以上に貶すのは、どうか止めてもらえないでしょうか。
本当にすいませんでした。
>>574 西南戦争は西郷が起こした戦争ではありませんよ。
篠原や桐野や私学校が起こした戦争でもありません。
西南戦争の引き金を引いたのは熊本鎮台=政府です。
薩軍は上京の途上で熊本鎮台から砲撃されたので止むを得ず応戦したのです。
熊本城を焼き払い、事実上宣戦布告したのは熊本鎮台なのです。
そしてその後の熊本城攻城戦や田原坂の迎撃戦を指揮したのは桐野です。
西郷が薩軍の指揮をしたのは延岡陥落以降です。
西郷の意図は「政府に尋問の筋これあり」とした率兵上京であり、政府との戦争ではない。
いつもの長州馬鹿は放置しる
あいつのキチガイは治療できない。
構うだけ薩摩の名折れ。
582 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 08:56:44
長州馬鹿?
毛利輝某・吉川某・久坂某・桂某・大村某・伊藤某・・・
そして今、安倍某・・・
長州人って権勢欲が強いだけの出しゃばりでその癖国策を講じる脳もない
長州人が出しゃばると必ず日本が荒廃する
西郷大先生唯一の失策は第二次長州討伐で長州人を皆殺しにしなかった事だ
>>582 >国策を講じる脳もない
この部分は芋人がぴったり当てはまる
584 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 12:08:48
薩摩人と言われて西郷しか思い浮かばない程度の阿呆が何か喚いてるようだな
585 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 12:21:24
おまいら長州馬鹿なんか相手にすんな。
相手になったらこちらも同じレベルに堕ちるだけ。
長州人が品性下劣な言動で顰蹙を買っても別に我々は何も失わない。
586 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 12:52:17
せいぜい田舎同士喧嘩してろよ。
587 :
信長:2006/09/13(水) 14:42:01
田舎田舎パカにすな!
同じ飯くて同じ糞出る
とこ違う!
靴の先がチョト違う
他県の罵倒に毎日必死なアイツとは全然違うな。
これが格の違いという事か。
589 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 22:09:52
罵倒しか能が無い馬鹿の話はもういい。
あの馬鹿には思う存分暴れて貰って長州に対する顰蹙を好きなだけ集めて頂ければ良いだろう。
西郷と征韓論の関係についてに戻るが、西郷マンセーの連中が西郷を征韓論ではないと言い張るのは2つの点で間違っている。
第1に、自分が朝鮮で危害を受けたら開戦は不可避となるのを承知で赴く以上、
武力行使という選択肢は西郷の心中から除外されていないからだ。
これは性急な派兵を訴える板垣に対して自分の死を無駄にするなと言っていた事でも分かる。
西郷が征韓論でない訳がないのだ。
第2に、西郷と征韓論を結びつけたがらない連中は征韓論を何だか邪悪な意見、愚劣な意見であるかのように勘違いしている点だ。
西郷を偶像化する際に邪魔になると感じて西郷は征韓論ではないという事にしたいのだろうが、
それは歴史歪曲に他ならない。
どんな理由であれ軍事力を背景にして朝鮮に内政干渉すれば侵略なのだ。
朝鮮を停滞させている愚劣な支配層を武力で打倒し、
虐げられた民衆に充分な教育と福祉を与えて近代化を施すのが目的であってもだ。
つまり征韓論とは善意の侵略であり、西郷の偉大さを損なう訳ではない。
590 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:16:41
西郷隆盛は、九州人の鑑たい。西郷どんばバカにするやつは、許さんど〜〜。
591 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:22:17
592 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:30:14
芋もチョン州も糞なのに、嫌いあってんのが痛い
日本人からみるとゲロと糞なんだよw
私利私欲のために幕府から寝返り悪者に仕立て上げ
それを先導したチョン事大主義・西郷
リアルで糞以下なんですけどw
593 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:35:36
西郷が私利私欲の人物なら政府の要職を辞して肥桶を担いだりはしない。
山縣や井上あたりの欲ボケとは違うよ。
594 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:41:36
>>593 貴様ほどの欲ぼけはいないと思うよ。
才能はないが欲だけはでかい。
595 :
日本@名無史さん:2006/09/13(水) 23:42:19
>>593 ウリの言う通りにしろニダ
なんで言われた通りにしないニダ
火病〜
ウリの言うことを聞かないなら成敗するニダ
ウリは担がれたことにしとけば責任転嫁は万全ニダ
死ぬのは嫌ニダこいつを身代わりに首を切ってウリに仕立て上げてるニダボルホル
最悪
訳分からん。
アンチ西郷にはキチガイしか居ないのか?
597 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:11:14
西郷は俺は好きだけどな
あの懐の深さは日本史の中でもTOPクラスだと思う。
征韓論についても、彼が政局の中心になって動かしていたのは事実だが
征韓論はそもそも革命の輸出として極めて妥当な論理だ
結果的に朝鮮が目覚めることはなかったのだからね
人望という点でも幕末の志士の中でもずば抜けている
寝技もできるし、謀略の切れもすごい。
それでいて汚れたイメージがないとうのが素晴らしいじゃん
人格がよっぽど優れてないと、陰謀家というレッテルを貼られてもおかしくないのに
俺が一番好きな西郷のエピソードはこれだ
辺見十郎太という皇居守護の役目をもった薩摩人の近衛将校がいた。
あるとき皇居に火災があったとき、持ち場についていなければならない辺見はいなかった。
火事が鎮火したあと、辺見はどこにいるのかと大騒ぎになった。
その後かなりの時間がたってようやく辺見の居場所がわかった。
辺見は新宿の妓楼にいた。皇居守護の役目をほっぽりだして芸者と遊んでたわけだ
さすがに薩摩人のなかからも辺見を切腹させろという議論がでた
しかし、そのとき西郷は言ったのだ
『若いときに女を買いにいくのは当然のことだ。許してやりなさい』
俺はこれを知って歴史上の人物の中で西郷が一番好きになった
598 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:15:43
おれは東郷の方が好きだがな
西郷は好かん
599 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:18:26
知らんがな(´・ω・`)
600 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:18:44
鹿児島では西郷人気の反面、大久保はあまり人気ないみたいだな。
601 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:21:29
どこかの罵倒馬鹿じゃないんだから好き嫌いを表明するだけではつまらん。
辺見の逸話みたいに何かキッカケを書け。
情緒的に共感を促す西郷の言動とは違って大久保の偉大さは理知的な人間にしか分からない領域だからな。
603 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:25:20
東郷と西郷を比べるのは無意味
604 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 01:33:50
辺見エミリはなぜバツニのくだらん2流芸人と結婚したのか?
>>589 さて、それはどうかな?
では君に問うが…
単身渡韓した丸腰の全権大使との交渉に朝鮮が応じなかった場合、武力を背景に再交渉する以外に何か有効な手立てはあるかね?
ところで…
強行な征韓派と言われる板垣ですが、西郷とは征韓論以前より何かと意気投合する事が多かったようで。
大隈が後に語るには…
西郷と板垣は議会そっちのけで休憩室に入り浸り、相撲や戦争の話をしていた。らしい。
西郷が遣韓後を板垣に託したのは、板垣が強行な征韓派だから、では無く、当時西郷が最も信頼する人物の一人だったからではないか。
606 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 06:04:20
西郷が信頼してなければ板垣に死後を託す訳が無いし、
西郷が征韓論の急先峰だった板垣に死後を託したのは、
西郷が征韓論に反する意見ではなかったからに決まってる。
もし征韓論に反対なら、よりにもよって板垣相手に「自分の死を無駄にするな」とは言わない。
西郷が征韓論に反対なら不自然過ぎるだろ。
>>606 だからな…
単身渡韓した丸腰の全権大使との交渉に朝鮮が応じなかった場合、武力を背景に再交渉する以外に何か有効な手立てはあるかね?
608 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 13:18:04
無いね
だから西郷は征韓論なんだよ。
そんな事も分からんのか?
武力を背景に恫喝すれば歴然とした内政干渉だし侵略だわな
>608-609
つまり武力で朝鮮と交渉した大久保は征韓論者だってことか
その大久保と征韓論で対立した西郷は何論なの?
611 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:36:31
大久保が西郷と対立したのは、武力行使の時期が西郷の死によって早まる事を懸念したからだよ。
西郷が行かなきゃ余計な騒動にならないんだから妥当な対応だね。
別に征韓自体に反対したのではなく、
後回しに出来る問題を自ら前倒しにするのが馬鹿げていただけだ。
612 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:38:49
西郷は、堂々としたサムライじゃなく、本質は陰謀家なんだよ
明治維新の時も征韓論もね
死に様だけが派手だったから誤解されている
613 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:41:34
西郷は斬り合いなんてしてないやん。
桜田門や、生麦、池田屋で暴れたやつこそ、真のサムライ!
614 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:44:27
日本の為に命を投げ出す西郷さんが堂々とした侍ではないという意見には説得力が無いね。
邪魔者には容赦ない陰謀家にして無私の命知らず。
堂々たる侍の典型だね。
615 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 14:52:15
>>613 それは、それぞれの立場ってもんがあるだろ
勇猛な奴が輝く場もあれば、温厚な奴が輝く場もあるやろうが
征韓論争ってさ、欧米で惨敗して帰った岩倉が、そのままでは政府内での自分の地位が危うくなるってんで、西郷、板垣、副島、江藤、後藤を追い出す為に仕組んだ罠でしょ。
征韓論争から一年で台湾出兵してんだから出兵の時期なんか論点じゃないじゃん。
みんな岩倉に騙されてんだよ。
617 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:21:03
寄生虫の教科書に西郷どんが登場
奄美大島でフィラリアに感染して陰部肥大
ズボンをはけずに いつも袴姿
618 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 16:38:11
征台と征韓では状況が全然異なるという事は説明されていた筈だが。
理解してなければもう一度読め。
619 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 17:39:21
薩摩では庶民の間では西郷は嫌われていた
明治になっても武士階級(私学校)が威張り散らしていたから
西南戦争であっけなく負けたのも庶民の支持がまったくなかったから
620 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 18:01:23
へー
すると大久保は民衆の支持を受けていた人気者だったから西郷に勝ったんだ。
…って阿呆ちゃうか?
平民を軍人にする徴兵制度に反対して政府に反旗を翻した武士が戦いに臨んで庶民の手を借りる訳が無いのだが。
>>608 君の言う征韓論の定義とは一体何かね?
征韓とは朝鮮に対する武力衝突或いは内政干渉による実行支配ではないか。
平和的外交も征韓にあたるのかね?
それからだ…
西郷が朝鮮に対して「維新の輸出」や「西欧的文明化」を施すとは何を論拠に言うのかね?
岩倉・大久保の短兵急な欧化政策に批判的だった西郷が何故朝鮮に欧化政策を施すのかね?
それこそ全く辻褄の合わない話ではないかね。
622 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 21:14:12
今までこのスレッドのどこを読んでたんだ?
征韓論がどういう意見なのかについては何度も書いてあるぞ。
要するに征韓論とは、朝鮮の近代化を邪魔している阿呆どもを日本がわざわざ力ずくで退治して朝鮮を近代化しようという話だ。
大久保も西郷も基本的にこの構想に反対していた訳ではない。
何故なら朝鮮をさっさと近代化しないと日本が危ないからだ。
それでも西郷と大久保が対立したのは、武力行使が不可避となるポイント・オブ・ノーリターンをどこに置くのかが争点なのだ。
朝鮮が話し合いで近代化の必要に目覚めない限りは、西郷も大久保もいずれ朝鮮を見限って無理矢理に文明を押し付ける必要に迫られていたのは変わらない。
623 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 22:08:28
>>620 ただ、西南戦争時は薩摩で強制的に兵を狩り集めてたからね。
薩摩人が完全な自発的な協力体制でいたのではない
脅され、捕らえられ、拷問された人間も数多くいたということも考えにいれたほうがいいよ
624 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:35:15
薩摩武士なら命惜しさで郷中の結束を乱せば死の制裁が待っている事は常識。
命惜しさではなく、思想信条の相違で私学校軍に与しないという決意ならば、
その決意が自分の身に招く生命の危険を甘受するのが武士の道。
625 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:49:56
>>624 貴様は武士じゃないから命惜しさで敵前逃亡するんだろ?ヘタレさん(笑)
626 :
日本@名無史さん:2006/09/14(木) 23:59:45
なんだかコテコテの薩摩節が炸裂してますねw
627 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:07:38
幕末で一番
名声と実力の格差が激しい人物
亀田の親父が西郷の転生した姿なんだって
628 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:13:45
亀田のあられ
629 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:15:25
何か分からんが
薩摩武士のカコイイ台詞でファビョッた奴が沸いたようだ
630 :
:2006/09/15(金) 00:26:15
普通の船で軍人を連れず、軍事色を一切出さず、烏帽子直垂の礼装に身を包み、
日本政府の正式な全権である大使を一体どこの国がその場で殺すと言うのか?
当時の朝鮮はそこまで野蛮であったと言うのか?
裸になり、腹の中を全て見せて誠意を持って話し合えば、交渉は必ず成功する。
西郷にはその自身があった。 彼の親友で、薩摩藩士で後に枢密顧問官になった
黒田清綱は当時の西郷のことをこの様に語っている「西郷は朝鮮と戦争したり、
その国を奪おうという考えは毛頭無かった。彼は遣韓大使に一旦任命され、勅許
も下った時期、わたしにむかって朝鮮のことはすぐ済みます、済んだら北京へま
わって帰ってきますと語った」。
西郷が戦争など考えていなかったことは明らかです。
631 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 00:38:43
道理の通じる国なら、烏帽子だろうがシルクハットだろうが外国から来た使節の服装に難癖をつけたりする訳が無い。
632 :
:2006/09/15(金) 00:53:25
633 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 01:20:02
朝鮮には道理が通じる見込みがない。
つまり西郷が何を着用しようが生還するかどうかは謎だ。
634 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 01:24:21
>朝鮮には道理が通じる見込みがない
そうですか・・・そう思われるのならもう何も言えませんね。
635 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 01:29:23
朝鮮が外国人の服装にケチをつけたりする異常な国でなければ征韓論など最初から興らない。
636 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 01:35:30
それに対して私はなにも言うことはありません
637 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 02:04:17
西郷も大久保にそう言われて断念したのかな?
638 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 09:50:23
士農工商という身分制度をこわしたのが明治維新だった。
これはいうまでもなく商人が商売しやすい国にするための革命なのであった。
西欧は商人が支配する資本主義世界であるから、これに対抗するには
日本も資本主義、つまり商売人の支配する世界にしなければならんというわけである。
当時江戸の武士たちは実力もないくせに威張りかえっている無能集団だった。
政治経済の実質的な中心は京都・大阪にあった。京都・大阪は
むろん、商人の町である。政治をかたる武士たちがここに集まってきたのは
ここに天皇がいたからではないのである。
天皇というシンボルをつかって、商人の存在をごまかしたのも作戦の一部であった。
明治維新政府の主要なポストについたのは、多くの場合、
もと下級武士たちであって、中には農民のこどもから成り上がった者さえいる。
薩長連合などというが、その藩主はいずれも一貫して「カヤの外」におかれていた
ことに注意せよ。つまり、歴史の本が「薩長連合」などと書くとき、そこに
大いなるマヤカシが隠されているのである。
藩主が馬鹿にされ無視されているというのに
「藩が連合していた」とはお笑いではないか。
おまえらアホではないか?
明治維新が、一見、武士の集団どうしの争いのように見えるとしても
内実は、商人たちが結束して武士社会を壊した「市民革命」だったのである。
アホどもはもう一度、明治維新をめぐる歴史記述をよく読み返して、
歴史学者のやらかすゴマカシを見抜く訓練をするように。
ところで西南戦争とは何であったのか?
おまえらみたいに気づくのがあまりにもおそすぎるアホどもの反乱であったとしか
いえないではないか。
士農工商の身分制度が名実ともに廃されたとき
いちばん気分が晴れるのは、士農工商のうちのだれでしょうか?
いちばん上の階級たる武士が、自分で自分の立場をなくすようなことを
あえてすると信じるやつは
よほどのアホか、キチガイである。つまりおまえらであるwwww
639 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 12:00:58
大久保はまだしも
西郷はただの池沼ですね
640 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 17:36:34
明治初頭で随一の知恵者だった江藤新平も
「西郷は愚人である」と言い放っている。
江藤は長州閥を駆逐して佐賀閥を台頭させる為に薩摩閥を利用しようとした。
そんな江藤も大久保に追討され、命からがら薩摩に逃げ込み西郷の決起を促したが、
西郷は「あてが違いますぞ」と江藤の誘いを拒絶。
愚人と嘲笑した西郷を操る事も出来ずに生首と化す。
641 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 17:50:47
明治維新で最も得したのが商人階級だから明治維新は武士を操った商人による市民革命だったなんて説は典型的な陰謀論の愚に陥っている。
明治維新の陰では身分の違いを越えて色々な階層から犠牲者が生じたが、
幕末から薩長に資金援助して討幕の原動力を成していた「先見の明のある商人」の多くは、
薩長に資金を搾り尽くされて潰れている。
明治以後新たに台頭する商人は、維新を機に新政府と組んだ連中、
もしくは薩長には近寄らずに商売していた者ばかりだ。
642 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 18:21:17
西南戦争が、武士の時代はもう終わりだということを世に知らしめるために、
負けることを承知で起こしたものなら、西郷はサムライ時代に幕を引いた、
真のサムライといえよう。
643 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 18:43:17
>>642 西郷にそこまでの明確な意志はなかったにしても結果的にはそうなったよな
要は、西郷は原理主義勢力に人質にされていたようなものだ。
維新のときには攘夷バカの原理主義者なんて山のようにいたが、
彼らはその過激な行動や死によって、少なからず維新の捨石として役に立った
問題は維新が終わってもなお夢想的原理主義者が薩摩に大勢いたということだ
彼らの後進性というのは驚くべきものがある。
結局、彼らは革命というものが理解できず、戦国そのままの意識でいたということだろう。
644 :
日本@名無史さん:2006/09/15(金) 19:44:14
革命と維新の区別も出来ない馬鹿が聞いた風な事を。
維新という言葉は、まさに明治の政権交代が革命とは異質なるが故に考え出された造語なんだよ。
>642
たった三行で。的確
名誉も後世の評価も何ら関心のない西郷どんらしい。 でかい・・
646 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 14:05:33
でかい、でかい、金玉でかい
ただし後天性の病気のせいです
647 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 15:12:26
セックス狂いで大飯喰らい他人に厳しく自分に甘い
変な病気と首無し死体で自分は遁走
最低の人格と能力だよ、勝ち戦は皆無
戦略も無く欲望でのみ軍を動かしてるしな
648 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:06:04
でもさ、西郷どんは新政府の高官になっても、他の連中みたいに贅沢はせず、
政府から与えられた旧大名屋敷にも住まず、下男と二人で長屋門で暮らしてたんだろ。
政府からもらった給料も、あらかたは故郷の青年たちの教育のために使ったんだろ。
649 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:09:44
この話を聞くと、ホーおじさんが北ベトナムの大統領になったあと、
大統領官邸になったハノイの旧インドシナ総督官邸には住まず、
官邸の庭の粗末なバンガローで質素な暮らしをしてたって話を思い出す。
650 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:40:43
西郷をけなす連中は史実の西郷が無欲で質素な生活を送っていた事を百も承知で中傷してるんだよ。
理路整然とした西郷批判が出来なくて悔し紛れに人格攻撃に終始してるだけだから気にしなくていい。
651 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 17:44:54
>>650 ボロ屋に住み働かずに多数の妾を囲い
男色にもふけり親族に便宜を図り親族に莫大な蓄財をさせた
素晴らしい人物ですねw
これも明治になってからの話だが、他の高官連中が高級な弁当で美食をしていたとき、
竹の皮に包んだ握り飯をうまそうにパクついていたという逸話もあるな。
>>648 西郷は確かに質素だが、それは別に重要なことじゃないだろ
質素なら正しいのか?
蓄財をしたら悪いのか?
小学生並みの倫理感覚だな
西郷のもっとも最悪な点は人を見る目がなかったことに尽きる
桐野という殺人嗜好のキチガイを見てるとよくわかる。
奴に人物の見る目がなかったことが、奴自信を滅ぼしたのだ。
西郷の周りには戦争バカか、原理主義者しかいなかった。
654 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:10:45
質素で無欲で、無能よりも
金に汚く強欲で、仕事ができるやつのほうがいいよ
655 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:12:21
山県や井上みたいな貪官汚吏は明らかに悪質だよな
656 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:16:47
山県や井上は無能だからな
657 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:19:49
しかし、山県は実質的な日本陸軍の建設者
井上は財閥形成で列強とある程度戦える資本を集中させ富国の基礎を作った
明治でもっとも仕事した二人だろ
西郷って明治になってなんかした?
658 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:24:08
山県と井上が最も仕事をした?
阿呆ちゃうかコイツ。
もっとも仕事をしたのは大久保だろ
660 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:37:50
661 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:40:53
つ廃藩置県
662 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:43:09
幕末から明治11年までの間で一番働いたのは大久保だな。
山県や井上は大久保の陰で私腹を肥やす事に没頭していただけ。
663 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:43:44
質素で清廉な西郷どんだが、維新前夜、アーネスト・サトウに向かって
「今夜は女を御馳走しましょう(ホントは薩摩弁)」
とか言って喫驚させたこともあるらしい。
664 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 18:47:50
2頭の犬を飼い始めただけなのに愛人を2人囲ったと言って知人を驚かせた西郷さんらしいお茶目ですな。
665 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 20:36:25
つまり西郷はなにもしてない、というのでよろしいのですねw
´・ω・`)つウサギ狩り
667 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 20:49:26
^−^)つ少年のお尻の穴に出し入れ
668 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:00:44
つ好みの太めの少女を強姦して殺害
669 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:14:24
男児も女児もレイプして兎を虐殺して無職でも大食いですぐに火病
最悪だよね
670 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 21:17:31
あのでかいキンタマだから相当ザーメン出そうだな
671 :
日本@名無史さん:2006/09/16(土) 23:26:16
西郷じゃないと出来ない出来なかったってことは皆無。
ただその場にいただけ、実は存在しないほうが良かったと考えられる人物。
672 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 02:10:43
明治の功績で忘れてはならないのは佐賀藩出身の江藤新平です
673 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 02:28:23
(´・ω・`)つ生首
674 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 03:18:57
西郷って盟友でいたつもりの板垣を捨てたんだよな
結局西郷は自分の思いがままにならないと気がすまない子供
そんな恣意的な解釈では説得力に欠けるね。
汚職が日常茶飯事の某閥とは違い天下国家の公益が最優先で私情は二の次というのは当たり前の事だし。
676 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 09:57:11
西郷丼には 子供がいましたか?
677 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 11:40:40
>天下国家の公益が最優先で私情は二の次
そんなやつがなぜ西南戦争起こすんだ?
いいじゃないか。
西南戦争を最後に日本には内乱はなくなったのだから。
それに西南戦争は西郷の戦というより、むしろ桐野利秋の戦というべきだろう。
679 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 13:21:22
何だかアンチ西郷ってどいつもこいつも無知だよな。
680 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 14:11:20
>>679 西南戦争の弁解よろw
あと、明治維新後に西郷がやった功績もおねw
681 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 17:39:42
西郷の実際の顔は、銅像や肖像画で知られる眉が太いギョロ目の丸顔とはまったく違い、
細面で髭を蓄えていたらしいね。
682 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:42:57
西郷がやったこと
幕末→内乱
維新後→内乱
あとは色情魔らしく強姦くらい
683 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 19:55:30
弟の従道の顔から類推するに、けっこうなイケメンだったのではないだろうか?
684 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 22:33:21
685 :
日本@名無史さん:2006/09/17(日) 23:05:05
見た目が最悪だから残せない面で性癖や性質も最悪。
現代にいたらチンピラで塀の中か浮浪者で野垂れ死にだろうね。
686 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 01:46:26
別に西南戦争には弁解の必要など無いが。
薩摩武士の辞書に弁解の文字は無いからな。
687 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 03:23:48
つか西郷信者って桐野のせいにするが、実際の桐野は無学どころか博学多才だったらしいな
剣もできて無学から必死に勉強した桐野と、年中ただ太って妄想してた西郷とどっちが立派か一目瞭然
688 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 09:43:35
努力家だったのは事実だが博学とまでは言えない。
桐野は農家に生まれながら武士の2倍の稽古を積んで薩摩最強の剣士として認められるに到った。
身分差別の厳しい薩摩では異例の出来事だからこそ実力の高さが窺い知れる。
だいたい薩摩武士が剣術に費やす稽古量自体が物凄いのにその2倍なんだから尋常ではない。
つまり、書物を開いて勉強してる暇なんか無かった訳だ。
689 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 10:43:04
そして桐野の剣術の稽古は結局なんの役にも立たなかった
剣術が彼の人格を矯正し、鍛錬するということがなかったからだ
剣は彼に人殺しの技しか与えなかった。
坂本龍馬の対極にいる人間だろう。
690 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 15:07:14
そうでもないよ。
明治に入ると露骨に長州閥が汚職に手を染めていったが、桐野は長州の連中が宴会をやる度にすぐ近くの店に入って飲んでいたという。
桐野のそういう動きを耳に入れる事で、長州閥が悪企みをしようとしても動きはチェックしてるぞという無言の圧力を加えていた訳だ。
最強の剣士ならではの芸当だよ。
691 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 16:18:20
桐野は要するに清濁合わせ持つという事が理解できない狭量な人間、
糞真面目だったのだろう。そんな連中に西郷は担がれてしまった。
伊藤博文などは女狂いではあったが立派な仕事をしたからね。
692 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 17:12:26
>>690 こういう小学生みたいな奴がいるから困る
潔癖なら正しいのか?
無私ならば人殺ししても良いのか?戦争起こしてもいいのか?
2・26事件も5・15事件を起こした連中も自分たちが正義だと思ってた。
その結果は政府中枢を皆殺しという、信じがたい行為だ。
その精神状態は桐野に非常によく似てる。キチガイの末路はいつも一緒だ
693 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 21:53:35
西郷丼は 東京が廃墟になるのを救った英雄です
でも太平洋戦争で結局廃墟になってしまったけど
695 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:33:30
今日一日だけ吉野家で牛丼が復活したけど 食い損なった
鹿児島名物の黒豚とか薩摩揚げとか載せて 西郷丼をつくってくれw
696 :
日本@名無史さん:2006/09/18(月) 23:56:05
>>693 西郷は殺し犯し奪い燃やす気マンマンだったけど
勝に子供扱いされただけでしょ
救ったのは勝
馬鹿を晒して勝にあしらわれたのが西郷
勝も維新後、西南の役で西郷の助命や擁護だけはついぞしなかったしな〜
馬鹿の池沼を救っても害悪にしかならないしね
西郷は無能な働き者の典型例、敵にすると役にたち味方にすると役たたずって奴だなw
697 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 00:27:21
>>688 発見された桐野の日記は立派な文章だったそうだが。
桐野が無学だとか西南戦争の張本人だとか言ってる知障は桐野利秋日記嫁
一級史料も読まないで歴史を語る馬鹿は日本史板来るなよ低能
くだらん小説やジャニタレドラマしか見てないなら板違いだから消えろやド厨房
699 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 02:33:42
鹿児島に帰った西郷派の中で桐野だけは、大久保が放ったスパイからも高い評価受けてるよ
大久保本人は嫌ってたようだが鹿児島で拷問受けた連中が、桐野は無学どころか博学だったって言ってるから信頼できるだろ
桐野は「オレが学があったら天下とっちゃうよw」とか冗談言ってたことが伝わってるから、そこから誤解が生じたのでは?
701 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 10:06:32
桐野はエルメスの馬鞭を愛用していたんだよね。
元祖エルメスさんだよ。
702 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 10:10:41
ファチマ第3の予言
貴方たちは、私の忠告を妄想だと言って無視したり、自分の知識を誇って、
無知だとあざ笑って、自尊心を満足させましたね。それで、改心の機会を失い
ました。
麻原の死刑が確定したように、貴方たちの死刑も確定しました。原爆の超高
熱で焼かれるのです。どこへ逃げても、天変地異によって、マグマと津波の生
けにえになる。たとえ、あの世へ逃げても、地獄の極熱の業火で、魂まで焼き
尽くされる。悪業の報いを受けるのである。そうしなければ、犠牲になった動
物たちの魂(怨霊となった)を救えないし、宇宙が破滅する。
聖母マリア像が血の涙を流している。神が貴方たちを哀れんで、救えない苦
しみの血涙を流しているのです。
703 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 11:41:38
桐野に学あるかないか・・・
そんなこと関係ないだろw
要は奴の行動がキチガイだったということだけだろ
キチガイに学があってもそれを生かすことはできないだろ
だってキチガイなんだからw
704 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 12:13:56
西郷に学あるかないか・・・
そんなこと関係ないだろw
要は奴の行動がキチガイだったということだけだろ
キチガイに学があってもそれを生かすことはできないだろ
だってキチガイなんだからw
705 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 13:11:53
西南戦争でいきあたりばったりな進撃に終始した桐野が博学だとしたら、
士族反乱を根絶する為の遠大な計画だったという事にしかならない。
通俗小説などでは西郷こそがそれを真意として桐野らの暴挙に手を貸したとする筋書きだが。
西郷ならさもありなんという感じだが、実は桐野がそうだったとするのは過大評価かも知れんよ。
薩摩最強でごわす
707 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 14:04:10
西郷の子孫って今何をしてるの?
何人か子供がいたよね。
西郷は子孫のために美田を残さなかった人だし、
ああいう最期だったから、子孫も表舞台で活躍することなく、
市井で地味な人生を歩んだのかな?
708 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 14:45:19
このスレに紙切れ同然の西郷札のことが書かれていないとは遺憾だ。
709 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 14:48:30
侯爵家になっとるがな。
>>707 六大学野球の立教の投手で、第二次大戦で戦死した孫がいれば
戦後に法務大臣になった孫もいる。
711 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 15:08:57
そうなんだ。
謀反を起こしたということはあんまり関係ないんだね。
確かに子孫には罪は無い。
712 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 15:12:53
713 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 15:19:41
「西郷札」といえば松本清張の処女作ですね。
後年の清張の片鱗が窺えるシニカルな好短編でした。
桐野らは農民出身の兵を舐めてたんでしょ
敵を甘く見れば判断が鈍る。歴史上多く繰り返されてきたミスだ
715 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 17:17:04
桐野自身が農民の底力を証明した本人なのにか?
716 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 18:25:43
>>714 薩摩の農民は悲惨だからな
あの悲惨さを見慣れてたら弱いと思うだろう
717 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 19:26:09
西郷の場合、薩摩閥の連中も内心ではみんな尊敬し心服してたし、
他ならぬ明治天皇が深く信頼していた。
それに私利私欲による謀反でないことは、みんな承知していたから、
恩赦、官位追贈による名誉回復や遺児への授爵も当然の措置だった。
718 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 20:06:54
西郷丼の弟 従道は初代陸軍大臣でしたっけ?
弟の尽力もあって、西郷丼は恩赦名誉回復となったらしいです
719 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 20:55:23
従道は初代「海」軍大臣。
本当は陸軍軍人なのに、薩長のバランスの関係で海軍に移ったとか。
兄の方は、幕末の活躍ぶりに比べて、明治以降がパッとしない印象がある。
あれだけ倒幕の謀略をやってた人なのに、参議になってからはお飾りみたいだし、
西南戦争も桐野とか若い者に突き上げられておこしたようなものだし・・・
720 :
日本@名無史さん:2006/09/19(火) 21:44:41
岩倉使節団外遊中の、いわゆる留守政府における
西郷・江藤コンビが行った施政を高く評価する向きもあるようじゃが。
まあ、当事者の中で西郷さんをはっきりと酷評してるのは、大隈さんぐらいか。
721 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 00:45:58
西郷って相楽らに幕府を挑発させて用済みなったら消したデブのことですか?
それは人違いだな
723 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 18:41:45
桐野といえば軍の金で買春ですね
戦場で芸者をあげてバカ騒ぎはまさに薩摩健児の本領
さらに公金で芸者を落籍w
これで芋人は、自分たちを潔癖というから怖い
724 :
日本@名無史さん:2006/09/20(水) 22:57:54
芋人なにやってんだよ
潔癖が唯一、いい部分だったのに・・・・( ゚,_・・゚)ブッ
西郷といえば軍の金で買春ですね
戦場で芸者をあげてバカ騒ぎはまさに薩摩健児の本領
さらに公金で芸者を落籍w
これで芋人は、自分たちを潔癖というから怖い
何かキムチ臭いのが湧いたな
727 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:43:26
芋人が今まで主張してきたこと
潔癖・無私・高潔
でも公金での芸者遊びがバレましたw
反論がまったくできない芋人憐れwwwwwwwwwwwwwww
728 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:51:54
ソースも出さずに何わめき立ててんだか。
公金での遊びって何の事やねん。
729 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:55:50
>>727 翔ぶが如くでも読んでみれば
芋人マンセーの司馬が書いてるww
730 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 12:58:23
話にならんな。
都合の悪い時にはいつも司馬作品を罵倒してる長州馬鹿がそんな部分だけ創作を真に受けてただけかよ。
チョン臭人が司馬を読んでた事に驚愕
いかにも読書量少なさげな香具師なのにw
バカが…
奥羽戦争の時に強姦略奪等禁止の軍令を出したのは桐野だ
当時戦争になれば芸者どころか町娘を拉致して強姦なんざ当たり前の時代だ
維新日誌の鎮将府日誌嫁や低能がw
で、その命令は守られたのか?
特に会津での横暴は酷いもので、これが官軍かと嘆かれるほどだったそうだが
734 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 17:43:44
馬鹿みたいな事を書いてるのはいつも口から出任せの嘘ばかり書いてるヒマな長州人だから放置汁。
736 :
日本@名無史さん:2006/09/21(木) 18:35:15
いいじゃねえか
戦場で女を抱いてなにが悪いんだ?
疲れは取れるし、士気は上がる。
軍の金にはそういう慰安の金も含まれてる。
>>733 在会津官軍への粛正号令のことか?
無論政府軍兵士は降伏せずの民家への隠れた会津藩兵を押し入っては
引きずり出し斬り殺して回っただけだよ。
それが、会津領民徴募兵(畳盾要員とか)もあったらしいと後に分かっただけだろ。
>>733 軍令を破って会津の女を犯したのは皆長州兵だったらしいよ
うちの田舎(会津)じゃ外道長州人だけは許さないって代々語り継がれてる
>>733 会津家老佐川と官軍軍監板垣が残した書簡に戦地の実態報告がある
しかし双方の報告は相違がありすぎて、どちらが正しいとは言えない
おそらくはどちらも正しいのであろう
非道を行なう官軍兵も会津兵もいれば非道を行なう会津領民もいる
また正道を行なう官軍兵も会津兵もいれば正道を行なう会津領民もいた
それだけが確実な事実だ!
741 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 00:44:05
会津藩士は農民を弾避けとして最前線に引きずり出して並べ、
男達が徴用された女だらけの農家には長州藩士が押し入って強姦の限りを尽くし、
薩摩藩士は長州藩士の蛮行を取り締まりつつ降伏しない弾避け農民を戦闘要員として撫で斬りにし、
会津農民は薩摩を虐殺と強姦の罪で非難したと。
つまり、薩摩以外はどいつも糞であると。
742 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 01:10:58
スポンサーが会津だった新撰組に長州や土佐人は多数切られているので
彼らの恨みを受けるのはわかる(薩摩は当時は味方)。
ひどい?ことをしたのは薩長一緒だが、会津処分を主導したのが長州なので、
さかうらみがあるのだろう。西南戦争で多少はうらみを晴らしたしね。
会津以外の旧左幕諸藩は、鳥羽伏見の「討薩の表」や雲井龍雄の「討薩の」、
などでもわかるように恨みは途中で豹変した薩摩に向いている。
「討薩」というのはまだその当時の主動者が薩摩であり、
長州や土佐などの藩は薩摩の子分みたいな認識だったからと思われ。
744 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 03:40:41
徳川慶喜などは長州は最初から首尾一貫してたからいいが、
薩摩は時流を見て豹変したと怒ってる。
薩長同盟で裏で保険をかけていたら、征長戦での幕府のあまりの
ふがいなさに趣旨を変えたのだろう。
745 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:12:44
結局芋人には革命の意味なんてわかってなかったんだろう。
意識が土人から抜け出られなかった
746 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:29:40
西郷は最高のチンピラとか最高の風見鶏とかだろ
最高のサムライ?
鹿児島県人って脳みそが膿んでるだろうな
747 :
日本@名無史さん:2006/09/24(日) 13:32:34
西郷ってまじで安禄山そっくりだな
革命と維新の区別も出来ない程度の馬鹿がファビョるなよ。
さてと明治維新を英訳してみましょう
次にMEIJI revolutionを和訳してね
最後にrevolutionを幕末当時の人間はなんと和訳してたでしょうかw
750 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 10:37:05
革命
751 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 13:16:51
>>748は小学生にしてはバカすぎないか?
しかし園児ならば妥当な知能かな
752 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 14:29:01
維新という造語の由来すら知らんのか。
維新という造語が作られたのは、慶應4年に始まった件の政変がレボリューションの訳語に該当する革命とは異質なるが故にわざわざ考案されたのだよ。
そういう史実も知らない癖して日本史板に書き込みしてる奴が馬鹿丸出しなんだよ。
な〜にがメ〜ジレボリュ〜ションだ馬鹿が。
明治維新はクーデターで成り立った。薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によっておのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は
冨国強兵
殖産興業
という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうしてこの八十年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出した事は多くの人々の知る事である。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
755 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 19:07:17
西郷って具体的にはなにをしたの?
大久保や桂は実務的に目覚まし働きをしてるけどさ
西郷は何をしたの?
あっ勝の功績を奪う捏造はしないでね
756 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 19:45:30
メイジレボリューションというのは維新と革命の区別ができない馬鹿による呼び方なんだよ。
英語圏にも維新と革命を区別出来ない無知な奴は居るという訳だな。
維新と革命の相違点とは何?
桂は脱糞しながら逃げ回ってただけでは?
メイジレボリューションって英訳を知らなかった
>>756が必死な件についてw
760 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:03:19
維新と革命を混同して誤訳した奴が居る事くらいは知ってたよ。
お前の方こそ維新という造語の由来に無知だったのをウィキの記述なんかでごまかすのに必死じゃん。
761 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:13:40
本来、革命というのは元首の交代が伴う政変を指す。
しかも単なる交代に留まらず、君主の地位を別な家系が横取りする易姓革命、
君主制を廃止して共和制に移行する共和革命などのように体制を根底から一新する政変が革命もしくはレボリューションだ。
明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ、
昔の物事を新たに始めるという意味の漢語から維新という造語を考案して明治維新と呼称する事になった。
わざわざ革命ではないという点を考慮した造語を創造する時点で、革命と混同すべき事件ではなかった事は確実だ。
メイジレボリューションは誤訳だよ。
760 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 20:03:19
維新と革命を混同して誤訳した奴が居る事くらいは知ってたよ。
お前の方こそ維新という造語の由来に無知だったのをウィキの記述なんかでごまかすのに必死じゃん。
761 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 20:13:40
本来、革命というのは元首の交代が伴う政変を指す。
しかも単なる交代に留まらず、君主の地位を別な家系が横取りする易姓革命、
君主制を廃止して共和制に移行する共和革命などのように体制を根底から一新する政変が革命もしくはレボリューションだ。
明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ、
昔の物事を新たに始めるという意味の漢語から維新という造語を考案して明治維新と呼称する事になった。
わざわざ革命ではないという点を考慮した造語を創造する時点で、革命と混同すべき事件ではなかった事は確実だ。
メイジレボリューションは誤訳だよ。
必死だなw
764 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:37:11
維新と革命の区別も知らずにな〜にがメ〜ジレボリュ〜ションだか。
馬鹿が。
765 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:39:45
誤訳なら適訳を提示してみましょうね(^-^)
>>764 どうみても火病です、ありがとうございましたw
767 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:42:43
自分で引用したウィキの記述すらちゃんと見てないのか。
メ〜ジレボリュ〜ションなんて馬鹿げた訳語の方しか目に入ってなかったのか?
どこまでも馬鹿な奴。
>明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ
プッ
769 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:46:15
>>767 誤訳なら適訳を提示してみましょうね(^-^)
770 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:47:31
ウィキにもMeiji restorationて出てんじゃん。
そのウィキの解説では維新という造語が考案された歴史的な経緯について無知だから正確な解説になってないけど。
771 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:48:38
ファビョるなよ馬鹿が。
>>770 Meiji restorationを否定しているのはオマイさんなわけだがw
自爆?
767 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 20:42:43
自分で引用したウィキの記述すらちゃんと見てないのか。
メ〜ジレボリュ〜ションなんて馬鹿げた訳語の方しか目に入ってなかったのか?
どこまでも馬鹿な奴。
コピペで荒らし始めるのは例外なく狼狽した方だ。
774 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:52:38
維新と革命を混同している馬鹿はレストレーションとレボリューションの区別が出来ないらしい。
本来、革命というのは元首の交代が伴う政変を指す。
しかも単なる交代に留まらず、君主の地位を別な家系が横取りする易姓革命、
君主制を廃止して共和制に移行する共和革命などのように体制を根底から一新する政変が革命もしくはレボリューションだ。
本気で言ってそうで痛い、世界史すらスルーできるらしい
で、自身の英語力の欠如もスルーですかそうですか
776 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:59:06
普通に改革とか革新と革命だよRestoration
777 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 20:59:50
英語力が無いのは、革命と呼ぶには異質な事件だという理由でわざわざ新たな造語を用意してまで呼称された明治維新の事を
メ〜ジレボリュ〜ションなどと誤訳してある解説を鵜呑みにしている馬鹿の方だよ。
本来、革命というのは元首の交代が伴う政変を指す。
しかも単なる交代に留まらず、君主の地位を別な家系が横取りする易姓革命、
君主制を廃止して共和制に移行する共和革命などのように体制を根底から一新する政変が革命もしくはレボリューションだ。
明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ、
昔の物事を新たに始めるという意味の漢語から維新という造語を考案して明治維新と呼称する事になった。
わざわざ革命ではないという点を考慮した造語を創造する時点で、革命と混同すべき事件ではなかった事は確実だ。
メイジレボリューションは誤訳だよ。
779 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:02:25
レストレーションは維新の訳だよ。
レボリューションとの違いは説明済み。
混同している馬鹿の存在はレストレーションが革命である事の証ではない。
780 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:04:08
>>761 なぜrestorationはよくてrevoltionは駄目なんだろう
革命でも改革でも革新でも無い維新の適訳はまだですか?
752 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 14:29:01
維新という造語の由来すら知らんのか。
維新という造語が作られたのは、慶應4年に始まった件の政変がレボリューションの訳語に該当する革命とは異質なるが故にわざわざ考案されたのだよ。
そういう史実も知らない癖して日本史板に書き込みしてる奴が馬鹿丸出しなんだよ。
な〜にがメ〜ジレボリュ〜ションだ馬鹿が。
783 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:07:12
元首の交代が伴わない体制の変化を維新と呼び、英語ではレストレーションと呼ぶ。
維新と革命を区別出来ない馬鹿だけがレストレーションとレボリューションを区別できてないだけ。
756 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 19:45:30
メイジレボリューションというのは維新と革命の区別ができない馬鹿による呼び方なんだよ。
英語圏にも維新と革命を区別出来ない無知な奴は居るという訳だな。
>>783 革新でもなく改革でもなく無論のこと革命でも無い維新はrestorationでも無いんじゃねw
プッ
786 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:10:16
維新=レストレーション
革命=レボリューション
こんな簡単な事すら理解出来ないとはな。
787 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:11:35
788 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:13:01
レストレーションを革命だと誤解してる馬鹿は、革命(レボリューション)ではない事件を呼ぶために維新という造語がわざわざ考案された経緯をどう解釈してるんだろう?
>>786 わざわざ革命ではないという点を考慮した造語を創造する時点で、革命と混同すべき事件ではなかった事は確実だ。
で、restorationの改革も革新も当て嵌まらないねw
造語ならさw
790 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語なんだよ。
レストアは老朽化した物を使用可能にする為に修繕する事。
物事を転覆させるという語源から出来たレボリューションとは異なり、
同じ物を使い続けるニュアンスがある。
788 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:13:01
レストレーションを革命だと誤解してる馬鹿は、革命(レボリューション)ではない事件を呼ぶために維新という造語がわざわざ考案された経緯をどう解釈してるんだろう?
ますますレストレーションから逸脱するね〜
明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ、
昔の物事を新たに始めるという意味の漢語から維新という造語を考案して明治維新と呼称する事になった
792 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:18:07
維新はで造語って言っといて
維新の適訳はrestoraTionですか、そうですか
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語なんだよ。
・・・・・ハア〜?restoreが造語ですか?
794 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:20:59
ものわかりの悪い奴だ。
レボリューションを訳する為に当てられた漢語が革命で、
レストレーションに該当する造語が維新なんだよ。
795 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:22:15
レストアから派生した言葉がレストレーションだと言ってるだろ。
阿呆が。
796 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:22:48
>>790 大変ためになります(^-^)
レストアはレストレーションから造られた造語なんですね
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語なんだよ。
レストアは老朽化した物を使用可能にする為に修繕する事。
物事を転覆させるという語源から出来たレボリューションとは異なり、
同じ物を使い続けるニュアンスがある。
795 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:22:15
レストアから派生した言葉がレストレーションだと言ってるだろ。
阿呆が。
・・・・もう無茶苦茶だなw
798 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:24:47
レストレーションがレストアから派生したんだよ。
わざと誤読して自分の無知をごまかしてるつもりか?
クズが。
>>795 名詞と動詞の区別はつきますか?
造語って・・・・・・・プッ
800 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:26:49
ラテン語から造られたっ造語てんならまだしもね
801 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:27:50
レストレーションはレストアから派生して維新という意味を表す造語になったんだよ。
>>801 メッ、派生じゃ無くて造語なんでしょw
あと
801 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:27:50
レストレーションはレストアから派生して維新という意味を表す造語になったんだよ。
あと維新と言う単語のためにレストレーションという単語が造語されたようにしかよめないなw
777 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 20:59:50
英語力が無いのは、革命と呼ぶには異質な事件だという理由でわざわざ新たな造語を用意してまで呼称された明治維新の事を
メ〜ジレボリュ〜ションなどと誤訳してある解説を鵜呑みにしている馬鹿の方だよ。
804 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:33:58
レボリューションではないという理由でわざわざ維新という造語が考案された経緯を踏まえたら、
Meiji revolutionは明白な誤訳。
>>804 801 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:27:50
レストレーションはレストアから派生して維新という意味を表す造語になったんだよ。
806 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:38:03
適訳はメイジレストレーションレストレーションは革新や改革とは訳さない
維新としか訳されないレストアからの造語
ってことですね(^-^)
807 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:39:39
革命ではない維新という出来事を表す為に、レストアから派生したレストレーションという名詞を維新の訳語として当てる事になった。
従って
維新=レストレーション
だが
維新≠レボリューション
となる
どうしてこんな簡単な区別も出来ない馬鹿が居るんだろう。
>>807 一貫した主張をしましょうね
801 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:27:50
レストレーションはレストアから派生して維新という意味を表す造語になったんだよ。
795 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:22:15
レストアから派生した言葉がレストレーションだと言ってるだろ。
阿呆が。
807 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:39:39
革命ではない維新という出来事を表す為に、レストアから派生したレストレーションという名詞を維新の訳語として当てる事になった。
777 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 20:59:50
英語力が無いのは、革命と呼ぶには異質な事件だという理由でわざわざ新たな造語を用意してまで
滅茶苦茶ですよw
809 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:49:30
>>807 レストレーション造語説はどこにいってしまったんでしか?
810 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:50:22
ずっと一貫してるじゃん。
>>807 維新=改革・革新だと、あなたの持論と真っ向矛盾するわけだか
761 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 20:13:40
本来、革命というのは元首の交代が伴う政変を指す。
しかも単なる交代に留まらず、君主の地位を別な家系が横取りする易姓革命、
君主制を廃止して共和制に移行する共和革命などのように体制を根底から一新する政変が革命もしくはレボリューションだ。
明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ、
昔の物事を新たに始めるという意味の漢語から維新という造語を考案して明治維新と呼称する事になった。
わざわざ革命ではないという点を考慮した造語を創造する時点で、革命と混同すべき事件ではなかった事は確実だ。
813 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:54:04
継ぎ接ぎに必死ですね(^-^)
814 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。
ポイントその2
維新という言葉は革命とは異質な概念の為の造語
ポイントその3
維新の英訳としてレストレーションを採用
従って維新=レストレーション≠レボリューション
ok?
革命と維新の区別が出来ない馬鹿にはかなり難しい話のようだ。
816 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 21:58:34
>>814 酷い自己矛盾と継ぎ接ぎですね(^-^)
>>814 814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
ポイントその2
維新という言葉は革命とは異質な概念の為の造語 ×
801 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:27:50
レストレーションはレストアから派生して維新という意味を表す造語になったんだよ。
ポイントその3
維新の英訳としてレストレーションを採用
従って維新=レストレーション≠レボリューション
>>812 全然一貫していませんよ、で維新は改革や革新では無い当然革命でもないでok
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
819 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:02:04
一貫してるじゃん。
改革、革新、革命、維新はそれぞれ4つとも異質な概念だよ。
もしかして馬鹿の認識では4つとも全部レボリューション=レストレーションなのか?
820 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:02:36
維新も造語でレストレーションも造語
まず造語の意味を理解しましょうね(^-^)
>>819 全然一貫していませんよ、で維新は改革や革新では無い当然革命でもないでok (y・n)
じゃあレストレーションも適訳じゃないな〜www
822 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:06:49
>>819 名詞と動詞の区別はつきましたか
レストレーションを辞書で引いてみましょうね
維新以外の訳が載ってますよ(^-^)
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語なんだよ。
レストアは老朽化した物を使用可能にする為に修繕する事。
物事を転覆させるという語源から出来たレボリューションとは異なり、
同じ物を使い続けるニュアンスがある。
で、あと是への自己弁護もお願いねw
824 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:08:37
革命とは異なる概念を表す造語が維新=レストレーションだよ。
だから適訳はレストレーション。
革命の訳語であるレボリューションは維新の訳語として不適切。
完全に一貫してる。
825 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:09:52
>>824 他人にたよらず辞書を引きましょう(^-^)
824 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:08:37
革命とは異なる概念を表す造語が維新=レストレーションだよ。
819 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:02:04
一貫してるじゃん。
改革、革新、革命、維新はそれぞれ4つとも異質な概念だよ。
827 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
>>824 脳内英訳と脳内一貫性は他人には理解でけん
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
・・・・オワットルナ、脳内英語マンセーかよw
830 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:15:50
831 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:18:22
>>827 あなたは辞書は嘘をついていると思ってるんですね(^-^)
832 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:20:57
維新という造語が誕生した経緯に無知でなければ明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションと訳す訳がない。
>>832 827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
そうそう、君にしか真実はわからないよねw
史料も辞書も史学には必要は無いよねw
全て君の脳内次第だ頑張ってくれ
834 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:25:28
>>832 じやあ維新=レストレーションも否定するんですね同じ馬鹿な辞書の英訳ですものね(^-^)
835 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:26:21
これでは維新と革命の区別が出来ない訳だな。
836 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:26:53
>>835 じやあ維新=レストレーションも否定するんですね同じ馬鹿な辞書の英訳ですものね(^-^)
>>835 790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語なんだよ。
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
だから脳内は覗けないと(ry
838 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:32:21
維新=レストレーションだよ
維新≠レボリューション
維新≠革命
だけど。
839 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:33:15
>>838 じやあ維新=レストレーションも否定しないと同じ馬鹿な辞書の英訳ですものね(^-^)
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
838 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:32:21
維新=レストレーションだよ
自身で全否定しといて何その解釈
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語なんだよ。
レストアは老朽化した物を使用可能にする為に修繕する事。
物事を転覆させるという語源から出来たレボリューションとは異なり、
同じ物を使い続けるニュアンスがある。
で、あと是への自己弁護もお願いねw
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
あと、都合の悪いことはスルーですかそうですか
843 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:38:05
馬鹿な辞書だからといって全ての訳が間違いとは限らない。
マトモな辞書と同じ記述であれば正しい訳だよ。
つまり明治維新は決してレボリュ〜ションなんかではないが、
レストレーションであるのは確かな事なのだよ。
844 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:40:31
>>842 じやあ維新=レストレーションも否定しないと同じ馬鹿な辞書の英訳ですものね(^-^)
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
・・・・終わってる・・・・リアルで終わってるのに気がつかないのだろう
はあ?
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね
843 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:38:05
馬鹿な辞書だからといって全ての訳が間違いとは限らない。
マトモな辞書と同じ記述であれば正しい訳だよ。
つまり明治維新は決してレボリュ〜ションなんかではないが、
レストレーションであるのは確かな事なのだよ。
847 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:42:39
維新=レストレーションは正しい訳語だよ。
維新をレボリューションと訳しているのは完全な誤訳だけどね。
848 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:44:26
>>847 じやあ維新=レストレーションも否定しないと 同 じ 馬 鹿 な辞書の英訳ですものね(^-^)
849 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:46:19
マトモな辞書と同じ記述は正しい訳だよ
維新をレボリューションと訳しているような馬鹿辞書であってもね。
>>847 >>841-
>>842への自己弁護はまだ?
とても正誤を判断できるレベルにない人間の戯言にしか見えないのだがね〜www
脳内正誤判断を認めろと?
851 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:48:14
ここまで来たらもう荒らしだな
維新=レストレーション
維新≠レボリューション
維新≠革命
でok
852 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:50:05
>>849 じやあ他人にたよらず辞書を引きましょう(^-^)
>>851 >>841-
>>842への自己弁護はまだ?
とても正誤を判断できるレベルにない人間の戯言にしか見えないのだがね〜www
脳内正誤判断を認めろと?
自身が逃げ回っといてナニソレwww
854 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:51:42
自己弁護?
維新と革命の区別も出来ない馬鹿が意味不明な荒らしを繰り返しているだけじゃん。
855 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:51:43
>>851 じやあ他人にたよらず辞書を引きましょう(^-^)
>>854 で、>>841-
>>842へは答えられないのね結局www
ついでに是にもいい加減答えてやったら
名詞と動詞の区別はつきましたか
レストレーションを辞書で引いてみましょうね
維新以外の訳が載ってますよ(^-^)
857 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:54:22
>>854 じやあ他人にたよらず辞書を引きましょう(^-^)
858 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:54:37
ちゃんとした辞書で明治維新をレボリューションだなんて訳してある訳が無いが。
維新という造語が生まれた経緯をちゃんと理解してる以上は、
維新をレボリューションと訳すのが誤りだと知っているからだ。
860 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:56:29
>>858 じやあ他人にたよらず辞書を引きましょう(^-^)
861 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:58:49
逸らすも何も、最初から一貫して
維新≠レボリューション
維新≠革命だと言ってるだろ。
革命とは異質な概念を指す造語として維新という言葉が出来た以上、
明治維新がレボリューションである訳がない。
862 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 22:59:33
>>861 じやあ他人にたよらず辞書を引きましょう(^-^)
863 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:00:46
マトモな辞書なら明治維新をレボリューションとは訳していないよ。
865 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:02:42
>>863 名詞と動詞の区別はつきましたか
レストレーションを辞書で引いてみましょうね
維新以外の訳が載ってますよ(^-^)
866 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:03:35
答えてるじゃん
一貫して
維新=レストレーション
維新≠レボリューション
維新≠革命だと。
明治維新が革命と同じ出来事なら、そもそも維新なんて造語は誕生してないんだよ。
都合の悪い自己の無知を散々晒しといて
持論以外は馬鹿な辞書で話題逸らし
どうみても、朝鮮人です(ry
842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
ねえなんで?
維新と革命が区別出来ない馬鹿は放置でヨロ
>>869 842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
871 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:06:44
無知なのは維新と革命の違いを知らないお前だけだよ
872 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:08:43
>>871 レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか(^-^)
維新という造語が誕生した経緯を調べる事も出来ない馬鹿は放置で
>>871 842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
答えたら自身の英語力を証明してしまうからこたえないの?(y/n)
呉智英も明治維新は革命とは異なるという事を何かで書いていたな。
革命でも無く革新でもなく改革でもない維新だが
レストレーションは適訳であるってことだなwww
877 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:14:18
維新が革命である訳がないわな。
歴史の経緯を理解していれば。
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね
>>877 じゃあレストレーションも誤訳になるよな〜www
880 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:16:00
>>878 レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか(^-^)
>>878 842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
882 :
881:2006/09/25(月) 23:17:35
883 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:17:38
明治維新は紛れもなく改革だしレストレーションだ。
もしかすると革新かも知れない。
だが、断じて革命ではないのでレボリューションでもない。
>>883 819 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:02:04
一貫してるじゃん。
改革、革新、革命、維新はそれぞれ4つとも異質な概念だよ。
885 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:19:44
レストレーションを革命と訳すのは誤り。
改革≠革新≠革命≠維新=レストレーション
からは、ずいぶん変化したなwww
887 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:22:18
>>885 レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか(^-^)
842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
何時になったら答えてくれるんだ?
日本史板住人なら維新という造語が作られた経緯くらい知っとけよ。
明治維新が革命だなんてアホかい。
890 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:23:53
>>889 レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか(^-^)
>>889 842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
何時になったら答えてくれるんだ?
892 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:26:15
改革と革新と革命と維新はそれぞれ異なる概念だよ。
維新である事が同時に革命である事は絶対にありえないが。
>>883 維新は改革や革新では無い、維新は維新だ英訳は維新のための造語レストレーションだ。
って持論の方がおられるのだが・・・
894 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:36:52
維新という造語は革命ではない出来事を示す為に考案されたから維新=革命という事は絶対に有り得ない。革命の訳語であるレボリューションである可能性も絶対に有り得ない。
しかし維新が革新である可能性や維新が改革である可能性は成立する。
革命と改革と革新は別な概念だからだ。
895 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:39:05
>>894レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか(^-^)
>>893 842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
何時になったら答えてくれるんだ?
897 :
896:2006/09/25(月) 23:40:32
898 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:41:53
維新はレストレーションだよ。
維新を意味する英語としてレストレーションという言葉が採用された。
維新が革命とは異なる概念の為に出来た造語なのだから、
維新をレボリューションと訳すのは完全な誤り。
778 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 21:00:33
本来、革命というのは元首の交代が伴う政変を指す。
しかも単なる交代に留まらず、君主の地位を別な家系が横取りする易姓革命、
君主制を廃止して共和制に移行する共和革命などのように体制を根底から一新する政変が革命もしくはレボリューションだ。
明治維新では元首の交代が伴う改革ではない為に革命とは異なる事件だとされ、
昔の物事を新たに始めるという意味の漢語から維新という造語を考案して明治維新と呼称する事になった。
わざわざ革命ではないという点を考慮した造語を創造する時点で、革命と混同すべき事件ではなかった事は確実だ。
維新と革命を区別出来ない馬鹿がファビョっただけか。
>>898 レストレーション≠革新・改革って大前提は何処にいったんだ?
827 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:12:23
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿が伝染るだけ。
維新という言葉の由来も分かってないからね。
903 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:46:28
>>900レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか(^-^)
904 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:49:17
レストレーション≠革命
は確実だが、維新が改革や革新と両立不可能だなどとは言ってはいないよ。
また馬鹿丸出しの勘違いか?
819 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:02:04
一貫してるじゃん。
改革、革新、革命、維新はそれぞれ4つとも異質な概念だよ。
同列に異質としたものを今更ね、都合しだいでコロコロ変えるし
レストレーションは維新ありきの造語ですものねw
907 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:53:04
異質な概念というのは必ずしも対義語とは違うのだが。
革命とは違う出来事を表す為に出来た造語である維新がレボリューションである事だけは絶対に有り得ないが。
842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
>>907 ほう、維新と革命は対義語ってことでよろしいか?
910 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:56:25
>>907レストレーション=維新
維新の為の造語がレストレーション
馬鹿な辞書は引きましたか
いつになったら答えてくれますか
ラテン語やらからではなく維新からのレストアから造語レストレーションってのは
馬鹿な辞書を引けば何て書いて有りますか(^-^)
911 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:56:37
異質というのは両立不可能という事ではないよ。
対義語は両立しないけど。
維新、革命、革新、改革という4つの概念の中で決して両立しないのは維新と革命の組み合わせだけ。
913 :
日本@名無史さん:2006/09/25(月) 23:59:32
革命とは異なる出来事を示す概念として考案された造語は革命の対義語だな。
革命であり、同時に維新でもあるという事は有り得ない。
対義語(たいぎご)は、「北極」と「南極」、「ある」と「ない」のように、意味が対照的または意味が反対であるものをいう。
前者の漢字二文字の対義語は4のパターンに分かれる。
「短所」と「長所」のように漢字一字が違うもの
「拡大」と「縮小」のように漢字二文字が違うもの
「成功」と「失敗」のように全体として対義のもの
「平凡」と「非凡」のように打ち消しの漢字(不、無、未、非)を使ったもの
>>913 脳内解釈を認めてくださいって自己弁護かいwww
916 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:01:23
維新であり、同時に革命である事は絶対に有り得ないから対義語だよ。
917 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:02:59
>>916 日本語の辞書も必要ですね
対義語を辞書で引いてみましょうね(^-^)
918 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:04:15
脳内解釈も何も、
維新という言葉が出来た経緯が革命ではない事件を指し示す為だからな。
明治維新が革命やレボリューションなんぞである訳がない。
>>916 こればっかり、個人の脳内認識が絶対
理解出来無いのは英語力が足りない馬鹿な辞書を使っている・・・・
920 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:05:52
>>918 日本語の辞書も必要ですね
対義語を辞書で引いてみましょうね(^-^)
921 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:06:23
維新と革命は対義語だよ。
維新が革命ではないというのは、戦争が平和ではないというのと同じようなもんだ。
>>921 おまいの脳内解釈はいいから辞書を引いて来い
普通に対義語の使い方を間違えたって言えばいいのに・・・
あと造語の使い方もかw
925 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:10:09
革命に該当しない現象を指し示す概念を表す言葉が維新だから、
革命と維新は対義語だよ。
>>925 おまいの脳内解釈はいいから辞書を引いて来い
日本語が出来無いのかい?
927 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:12:29
ここで間違えてるのは、維新の事を革命やレボリューションなんかと混同してるお前だけ。
928 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:14:00
>>927 日本語の辞書も必要ですね
対義語を辞書で引いてみましょうね(^-^)
>>927 おまいの脳内解釈はいいから辞書を引いて来い
日本語が出来無いのかい?
930 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:15:29
辞書を引かなきゃならないのは、両立の余地がある異質な概念と両立不可能な対義語を混同しているお前だよ。
まあ、明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションなんて訳してる馬鹿辞書を引いても馬鹿は治らないけどな。
932 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:15:34
>>930 おまいの脳内解釈はいいから辞書を引いて来い
日本語が出来無いのかい?
819 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 22:02:04
一貫してるじゃん。
改革、革新、革命、維新はそれぞれ4つとも異質な概念だよ。
935 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:17:18
痛いのは維新と革命を区別できずに馬鹿を露呈してるお前だよ。
維新と革命を区別してない香具師が痛いのは事実
結局、英語の日本語も不自由らしいね
自身の解釈のみを辞書より優先せよっていわれてもな〜
938 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:19:29
対義語で火病か
935 :日本@名無史さん :2006/09/26(火) 00:17:18
痛いのは維新と革命を区別できずに馬鹿を露呈してるお前だよ。
936 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/26(火) 00:18:07
維新と革命を区別してない香具師が痛いのは事実
842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
何時になったら答えてくれるんだ?
941 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:21:24
辞書は引かない史料もいらない何がしたいんですか(^-^)
日本史板住人なら維新という言葉が生まれた事情くらい調べたら?
Meiji revolutionは有り得ないだろ。
943 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:22:21
944 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:23:03
維新と革命の区別も出来ない馬鹿の火病はしつこいね
842 :日本@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:37:49
@名無史さん [sage] :2006/09/25(月) 22:00:43
814 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:54:08
ポイントその1
レストレーションはレストアから派生した言葉。×
790 :日本@名無史さん :2006/09/25(月) 21:17:13
レストレーションはレストアから派生した造語
言葉?何で造語から言葉に変更したのwww
ねえ、何で?
何時になったら答えてくれるんだ?
946 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:25:33
メ〜ジレボリュ〜ションなんて訳語は大東亜戦争の事を大東亜平和と誤記してるのと同じ。
対義語を用いるというまったくの誤り。
947 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:25:41
史料や辞書は必要ない必要なのはなんですか(^-^)
結局、対義語の誤使用も造語レストレーションも答えられないのね
949 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:28:32
まともな史料や辞書は要るよ。
明治維新をメ〜ジレボリュ〜ションと訳す馬鹿辞書は無用だが。
950 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:30:43
維新は革命ではない現象を示す為の造語だから対義語以外の何物でもない。
戦争が同時に平和ではないように、維新が同時に革命でもある事は有り得ない
951 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:31:16
まともな辞書の対義語の項を書き出しましょうね出版社も併記しましょうね(^-^)
だから、辞書を引いてこいと
対義語(たいぎご)は、「北極」と「南極」、「ある」と「ない」のように、意味が対照的または意味が反対であるものをいう。
前者の漢字二文字の対義語は4のパターンに分かれる。
「短所」と「長所」のように漢字一字が違うもの
「拡大」と「縮小」のように漢字二文字が違うもの
「成功」と「失敗」のように全体として対義のもの
「平凡」と「非凡」のように打ち消しの漢字(不、無、未、非)を使ったもの
953 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:36:03
維新と革命は意味が反対なんだよ。
だから両立不可能なのだよ。
954 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:37:27
どう反対なの?
さあ?
革命の対義は保守とか維持なんじゃ・・・・
957 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:42:39
維新と革命が決定的に両立しない特徴は、元首の交代が伴っていないか伴うかの点だ。
元首の首がすげ変わらない改革を革命と呼ぶのは誤りで、
厳密には維新と呼ぶ。
大東亜戦争を大東亜平和などと呼ぶのが誤りであるように、
明治維新をレボリューションと呼ぶのは誤りに過ぎない。
958 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:43:49
おやおや
保守の対義語は革新だよ。
革命の対義語は維新。
維新の対義は維持な訳だがね〜
960 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:50:00
維持の対義語は改変だな。
維新とは革命と両立しない現象を示す為の造語だから、
正しい対義語は革命だ。
961 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:52:16
いい加減、辞書引きましょうね(^-^)
962 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 00:54:32
マトモな辞書ならちゃんと使ってるよ。
維新を革命と混同するようなダメ辞書には用がないけどな。
維新と革命とでは権力構造の頂点となる元首の取り扱いが正反対なるから
対義語と言う他は無いな。
964 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 09:15:26
糞馬鹿長州人って史料も見れない辞書も見れない日本語も通じないんだな
妄想満載美しい国日本とか
増税問題はあやふやにして先送りとか
対中韓外交は詳らかに出来ないとか
靖国に行くとか行かないとか言うとか言わないとか
糞馬鹿長州人って権勢欲だけの馬鹿しかいないって事がよくわかった
965 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 09:58:37
日本史の常識として維新という言葉が誕生した事情を知っていれば、
メイジレボリューションがとんでもない誤訳だと分かる筈だもんな。
966 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 17:20:00
西郷さんが切腹した時、天皇は、
「西郷を殺せと言った覚えはない」
と言ったそうだ。
(>_<。)
968 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 17:23:27
西郷は切腹してませんが・・・・
969 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 17:24:31
切腹したとされているが。
>>969 城山にたてこもり四面楚歌の状況で
銃弾がどっかにあたって
西郷:もうここでよか
=> 切腹(または誰かに切らせる)
だとおもっていたが…
971 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 18:33:27
「ここいらで良か」は介錯する別府晋介にかけた言葉。
扇子腹みたいな体裁であれ切腹の形式を取らなかったら単なる斬首になっちゃうよ。
972 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:24:14
まあ形式的な切腹ですな
実際はしてないし、腹の脂肪が厚すぎて不可能です
973 :
日本@名無史さん:2006/09/26(火) 21:37:32
西郷逃亡説もあったんだよ
大陸に逃げてロシアに渡ったとか
ロシア皇太子が来日した時、同行して帰国するとか
ロシア軍を率いて日本に攻め込むとかいろいろ噂が語られていた
974 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 06:54:50
大津事件
975 :
日本@名無史さん:2006/09/27(水) 11:16:19
薩摩では扇子腹なんかやらないだろ。
臆病と言われる事を極度に嫌い、(つーか臆病者の烙印を捺されただけの理由で本当に切腹させられるのが薩摩)
郷中教育で幼少時から切腹の作法を練習してる薩摩武士が扇子腹では死なない。
西郷自身は切腹の練習に励む後輩たちに手本をせがまれた時、「自分は切腹しない。痛いから」と発言した逸話が残っているが、
そんな軽口が薩摩社会では爆弾発言として後世に伝わる事実が薩摩における切腹の実態を物語る。
脂肪だろうが何だろうが一旦切腹となれば、扇子なんかでお茶を濁さず実際に切ってるよ。