1 :
日本@名無史さん :
04/10/22 17:00:32
2 :
ひみつの検閲さん :2025/01/15(水) 22:52:51 ID:MarkedRes
3 :
日本@名無史さん :04/10/22 17:39:16
「朝日新聞 天声人語」 昭和31年8月1日 “洗脳”という言葉がある。英語では、ブレーン・ウォッシングという。中国で造られた言葉だ。 むろん古い中国語ではない。革命後の中共に生まれた新語で、変脳ともいう。 英語には“ターン・コート”というのがある。服の裏返しから転じて裏切り者、変節者の意味に使う。 洗脳はこれとは違う。頭脳をすっかり洗い張りして別の思想に仕立て直す。 思想改造であり人間改造である。 中共は革命後、この“洗脳運動”によって国民の“人間改造”をやったといわれる。 いわゆる“学習”や“自己批判会”で国民の思想の入れ替えをやったといわれる。 こんどの興安丸帰国者のうち328人の“釈放戦犯”は、判で押したように同じことを言うと報ぜられる。 十余年の苦しい抑留にも少しも不平をいわず、ひたすら過去の罪を総ざんげしているそうだ。 それが撫順組も太原組も、元軍人も元憲兵も満鉄社員も医者も技術者も作家も、十人が十人とも 申し合わせたように同じで、面会に行った妻と二人きりになっても、中国の土を離れた船上でも 言うことは変わらず、それでいて驚くほど明るい顔をしているという。 侵略の罪を個人としてもざんげするのに不思議はないが、一般帰国者が各自めいめいの 考えをもっているのとくらべて、“戦犯”たちはやはり“洗脳”の洗礼を受けたのかと思わせられる。 十年も社会から隔離されて朝から晩まで繰り返し“学習”させられたら、たいがいの人間は 同じ鋳型にはめこまれるだろう。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ この撫順組、太原組は中国帰還者連絡会(中帰連)を結成した。
4 :
日本@名無史さん :04/10/24 08:27:51
ageとく
5 :
日本@名無史さん :04/10/24 09:10:09
| 丶 _ .,! ヽ > ``‐.`ヽ、 .|、 | ゙'. ,ト `i、 `i、 .、″ | .,.:/"" ゙‐,. ` / ` .,-''ヽ"` ヽ,,,、 ! 、,、‐'゙l‐、 .丿 : ':、 、/ヽヽ‐ヽ、;,,,,,,,,,-.ッ:''` .,"-、 ,r"ツぃ丶 `````` ../ `i、 ,.イ:、ヽ/ー`-、-ヽヽヽ、−´ .l゙`-、 _,,l゙-:ヽ,;、、 、、丶 ゙i、,,、 ,<_ l_ヽ冫`'`-、;,,,、、、、.............,,,,、.-`": │ `i、 、、::|、、、ヽ,、、. ```: : : ``` 、.、'` .|丶、 .l","ヽ、,"、,"'、ぃ、、,、、、、.、、、.、、、_、.,,.ヽ´ l゙ ゙).._ ,、':゙l:、、`:ヽ、`:、 : `"```¬――'''"`゙^` : ..、丶 .l゙ `ヽ ,i´.、ヽ".、".、"'ヽヽ;,:、........、 、、...,,,、−‘` 、‐ |゙゙:‐, ,.-l,i´.、".`ヽ,,,.".` `゙゙'"`'-ー"``"``r-ー`'": _.‐′ 丿 ,! j".、'ヽ,".、".、"`''`ー、._、、、 ,,, 、._,、..-‐:'''′ .、,:" 丿 ゙l,"`"`''ヽヽ"`"` ```゙'''"ヽ∠、、、、ぃ-`''''": ` 、._./` ._/` `'i`ヽヽヽ`''ーi、、、: : 、.,-‐'` 、/` ``ヽン'`"` : `~``―ヽ::,,,,,,,,,,.....................,,,,.ー'``^ ,、‐'"` `"'゙―-、,,,,..、、 : ..,、ー'"'` : `‘"`―---------‐ヽ``"''''''""``
日華事変は中国側の侵略です。
7 :
日本@名無史さん :04/10/24 23:26:35
aggression(侵略)って本来はStatus quo(現状)を破壊するって意味だよね? いつの間に今のように敵地で戦ってるだけで侵略ってことになったの?
8 :
日本@名無史さん :04/10/24 23:56:59
それはマルクス主義者が言っているだけの話。 ただ、笑ってしまうことにマルクス自身は普仏戦争を解放戦争と捉えていました。
9 :
日本@名無史さん :04/10/24 23:58:06
1974年12月14日の国連総会決議3314により現代国際法上の侵略の定義が初めて定まった。
10 :
日本@名無史さん :04/10/25 01:06:00
西安事件で蒋介石と共産党との間でどのような密約が交わさ れたのかは分かっていないが、蒋介石は国共合作・抗日へと方 針を急転換し、掃討戦を中止した。さらにこの7ヶ月後の廬溝 橋での日中両軍の衝突が起こり、ここに33年5月の塘沽停戦協 定から4年2ヶ月にわたる日中和平の時期は終わりを遂げた。 (31年9月の満州事変勃発から、45年8月の大東亜戦争終戦ま でを「日中15年戦争」などと称する言い方があるが、この期 間は合計しても13年11ヶ月にしかならず、なおかつ4年2ヶ月 もの和平期間を無視している。学問的な用語というより、コミ ンテルン史観に基づくプロパガンダ用語と解すべきである。)
11 :
日本@名無史さん :04/10/25 01:06:47
12 :
日本@名無史さん :04/10/25 07:43:43
日華事変は一般向けの本だと未だに政治的歪曲が多くて実情が見えてこないね。 蒋介石がかなり早い段階で局地での解決に反対し、全面戦争を決意していた ことをほとんどの本が書いていないし、中国側の上海攻撃も「日中両軍が衝突」という言葉で 誤魔化している。なんか中国、韓国が絡むと途端におかしくなるね。 太平洋戦争史は割と冷静な議論ができるのに。
13 :
日本@名無史さん :04/10/25 10:28:35
日本が重大声明出して最後の関頭を超えてきたんだから当然でしょ。 全体像を見えないとダメだね。 日中戦争は、日本に責任が大きい。わかる?
14 :
日本@名無史さん :04/10/25 10:31:02
足掛け15年。 内容的にも、満州事変から北支への流れがよくわかっていい。
15 :
日本@名無史さん :04/10/25 10:46:43
4年2ヶ月 もの和平期間を無視
超大局的に見れば、欧米列強のアジア植民地化侵略に対して押し返すどころか 防波堤の役目さえ果たせなかった図体だけ大きい中華帝国に代わって、日本が 欧米列強に対抗するためには、役に立たない中華帝国の版図を代わって支配 しなければ、有効な対抗はできなかった。 ロシアの南下に対抗するために、空白地帯だった満州を押さえざるを得なかった のと同じこと。 自他共に認めたアジアの盟主中華帝国が欧米列強に対して無力だったという責任を、 日本の責任を問う前に、まず考える必要がある。
17 :
日本@名無史さん :04/10/25 12:25:45
満州は対ロシア戦略で取ったんじゃないよ。 中国の北伐統一にあせった関東軍が、 日本の利権確保のために満州事変。 ロシアがどうののへ理屈嘘は、今どき通用しないよねw 欧米列強に対抗するためじゃなくて、一緒に利権むしりとっただけでしょ。 しかも、がめつすぎて、作戦へただから国連で脱退するはめになるヘタレ。
18 :
日本@名無史さん :04/10/25 12:31:04
>>15 華北工作
日本が満州事変を起こして中国の東北4省を占領したのち、これに接する
河北省(冀)・察哈爾(チヤハル)省(察)をはじめ山東・山西・綏遠の華北5省
を中国国民政府から切り離し日本の支配下におこうとした工作。
〈満州国〉の抗日運動を孤立させ、対ソ戦に備えて軍事基地を確保し,
あわせて鉄,綿花など重要資源に富む華北を日本の経済ブロックにとりこもう
というねらいがあった。
この華北分離工作は1935年から日本の出先軍によって高圧的に推進され、
中国の抗日救国運動をひろげ,日中戦争をひきおこした。
>>17 >>17 それでは、
中華帝国が欧米列強に対して無力だったという責任は問わずにスルーかw
別に中国だけを責めるんじゃないが、
>>17 も国際的戦略を語るなら、
中国から押されっぱなしの日本外交が、押し返せる論理は使うのが当たり前。
その辺が日本人て生真面目すぎると思うね。
戦略向きじゃない。もうそろそろ目覚める必要がある。
20 :
日本@名無史さん :04/10/25 12:33:11
>1933年5月のタンクー停戦協定以後の日本軍の行動 日本軍は河北省北東部に非武装地帯を作らせ監視権を認めさせたが、 これが華北工作の足がかりとなった。 国民政府による中国統一を嫌う日本陸軍の支那駐屯軍は、35年6月には 排日運動を理由に梅津・何応欽協定を強要し、国民党部、中央軍と東北 系軍隊を河北省から撤退させた。 察哈爾省でも関東軍が同様の処置をとらせた(土肥原・秦徳純協定)。 中国は外交交渉を求めたが、広田弘毅外相は停戦協定にもとづく 軍事行動だとして応ぜず,軍部の二重外交を是認した。
21 :
日本@名無史さん :04/10/25 12:40:18
22 :
日本@名無史さん :04/10/25 12:42:44
>>19 無力だったから日本も利権を満州にもてたんでしょw
がめつすぎるとろくなことはないといういい例。
しかも、政府は関東軍を制御できないヘタレ。
統帥権干犯の越境将軍さえ英雄扱い。
23 :
日本@名無史さん :04/10/25 12:44:29
15年戦争って呼び名が一番いいね。 次がアジア太平洋戦争。
>>22 もしかして「日本だけが悪い」、「日本だけが謝罪すべき」という主張の方?
それなら仕方がないが。
25 :
日本@名無史さん :04/10/25 13:04:10
九郎の自作自演
26 :
日本@名無史さん :04/10/25 17:44:19
>>19 >それでは、
>中華帝国が欧米列強に対して無力だったという責任は問わずにスルーかw
チミは、欧米列強への批判が恐いのか?
回りまわって日本批判にもなってくるからな。
それで、中華批判してるのかな。
家族を誰かに殺されたら、「弱いのが悪い!」と家族を批判する自虐の人?
それなら仕方ないが。
27 :
日本@名無史さん :04/10/25 18:04:54
のび太の15年戦争
>>13 >日本が重大声明出して最後の関頭を超えてきたんだから当然でしょ。
7月11日の重大決意声明の前に既に蒋介石は局地戦に限定せず、全面戦争を
日本に仕掛けることを決定しているんですが。
それに、最後の関頭演説は単に中国を侵略を受けている弱国とイメージ付ける
宣伝に過ぎない。常識で考えればわかるが、戦いを仕掛けて負けた場合の講和条件
は、戦わずに調停した場合より過酷なものになる。蒋介石が上海で対日全面戦争
を仕掛けたのは単純に勝算があったからで、別に追い詰められたからじゃない。
蒋介石はいずれ抗日戦をやる気で、前年から第一次上海事変の停戦協定を無視して
非武装地帯にトーチカ(ゼ−クトライン)を築いていた。蒋介石は第一次大戦のように
トーチカに日本軍を誘引して、機関銃で殲滅するつもりだった。
戦前の日本は選抜徴兵制で日本陸軍の常備兵力は30万しかなかった。
第一次大戦型の1会戦で10万人単位で死ぬ戦争をやればあっという間に人的資源が枯渇する。
>>26 >チミは、欧米列強への批判が恐いのか?
中国責任論を取り上げることは、欧米列強の植民地化侵略の責任を問うのとセット。
確かに、日本は欧米列強責任論を今まで言い出すことが難しかった。
中国責任論は、欧米列強責任論とセットだから、これも日本は言えなかった。
しかし、戦後時間も時間もたって、日本を取り巻く状況も変わってきた。
いつまでも、「日本だけが悪いことをした」と思い込む時代は終ったということ。
>>29 で一部以下のように訂正
>しかし、戦後も時間がたって、日本を取り巻く状況も変わってきた。
31 :
日本@名無史さん :04/10/25 19:05:27
中国植民地化って、具体的に何が植民地化なの? 問題なのは関税自主権がないことぐらいだろ。 当時の中国で外国人が治外法権なしで生きていけるとは思えないが。 中国人も租界なら腐敗した役人に財産を奪われないので租界に流入していたわけだが。 中国ナショナリズムに理解をとか言う奴って、戦前の中国の状況を理解してるとは思えん。 エドガー・スノーやパールバックのような御用作家の本しか読んでないんじゃない?
>>31 中国の状況をそのまま放っておいたらどうなった?ということだよ。
少なくとも香港などは割譲しているね。
それは欧米列強の中国国土の明確な侵略でしょ。
植民地って言葉にこだわりすぎる必要はないよ。
当時の中国の状況なら植民地にされた方がマシだろ? イギリス統治がなかったら今日の香港は無いし、日本統治がなかったら 今日の台湾は無い。まあ、香港は大陸中国人の手に戻ったからもうだめだろうけどな。
>>33 >当時の中国の状況なら植民地にされた方がマシだろ?
気持ちはよくわかるが、いい悪いとは別の話w
奪われる国に責任があるに決まっているだろうが。 誰が日本を守ってくれると思ってるの? 日本以外に日本を守る国はないだろ。 権力に守られている国内と一緒にするなよ。
>>35 当たり前のことを言われてるようだけど、どんな意味があるの?
ただ、今の日本の国防は、自国だけでなく米国という巨大なバックを当てにしてるね。
左翼の中共マンセーぶりが良く非難されているが、 実は保守派の国府マンセーぶりも酷い。 サンケイ新聞の蒋介石秘録なんて、完全に中国側プロパガンダ垂れ流し。 盧溝橋事件も日本の謀略ってことになってる。
38 :
日本@名無史さん :04/10/25 21:42:06
>>35 >奪われる国に責任があるに決まっているだろうが。
そうだよね。
大東亜戦争ですべてを失った日本は、日本が弱いから悪いんだよね。
満州・千島にソ連軍が入ってきたのも日本が弱いからだよね。
あと、原爆も防げなかった日本に全責任だね!
39 :
日本@名無史さん :04/10/25 21:44:01
>>38 おいおい、あんまりからかうなよw。
ほっとけ。
40 :
日本@名無史さん :04/10/25 21:48:42
蒋介石は7月9日にすでに総動員の準備をするよう何応欽に指示してる。 蒋介石の軍事顧問は帝政ドイツ軍人なので動員=戦争となるからこの時点で 全面戦争を決めていたんだろう。
41 :
日本@名無史さん :04/10/25 21:49:06
>>28 大丈夫?
日本が一線を越えたから全面戦争になった。それだけ。
すぐに増派決定した日本が何の準備してなかったとでも?w
どこで10万人全滅するの?へんなサイト見すぎ。
43 :
日本@名無史さん :04/10/25 21:55:35
44 :
日本@名無史さん :04/10/25 21:57:21
45 :
日本@名無史さん :04/10/25 22:06:24
ドラえもん「のび太と十五年戦争」
46 :
日本@名無史さん :04/10/25 22:07:36
>
>>41 >そういう珍説はわからんねぇ。
おっと、訂正。
↓
>>42 そういう珍説はわからんねぇ。
>>46 馬鹿。「勝ち目は無いけど追い詰められたから戦争を仕掛ける」ってのは普通の国
じゃあり得ないんだよ。日本の真珠湾攻撃はまさに例外的な例。
アメリカは日本が経済封鎖に屈服すると思っていた。
最後の関頭云々なんてのはただのexcuse。対日全面戦争の意思はかなり早い段階で
固まっていた。
48 :
日本@名無史さん :04/10/26 04:03:06
中国側はかなり自信満々で待ち受けてたらしいね。 ところで、中国軍は補給部隊を持たない偏った部隊編成だったらしいのだが、 食料、弾薬の補充はどの様に行ったのだろうか? 現地に集積かね。
>>37 >盧溝橋事件も日本の謀略ってことになってる。
盧溝橋の真実はともかく、その前から謀略を繰り返してるからな
50 :
日本@名無史さん :04/10/26 12:05:21
>>47 無知は幸せでいいな。
日本が北支で一線を越えたのが原因。それだけ。
真珠湾のこともよく知らないみたいね。
52 :
日本@名無史さん :04/10/26 13:19:27
+ + ∧_∧ + (0゚・∀・) 電波浴イイ!! (0゚∪ ∪ + と__)__) +
>>50 真珠湾だって日本側は「ドイツの勝利+アメリカ軍の戦意喪失」で勝てると思っていた。
日本側の計算が大甘なのは確かだが、勝てると思っていたわけだ。
勝算が無いのに戦争を仕掛ける国は歴史上存在しない。
蒋介石に勝算がないのなら、局地紛争に限定して力を蓄えて捲土重来を期した方が良い。
現に満州事変の時はそうだったでしょ。
ところが日華事変では日本側が局地紛争に抑えようとしているのに対して、蒋介石は積極的に
全面戦争に誘導しようとしている。7月9日には総動員の準備をするよう命令を出しているし(抗日戦争八年 蒋緯国)
、現地で勝手に停戦協定を結ばないよう宋哲元に命令を出している。
こりゃ全面戦争に勝算があったとしか思えないな。例によって勘違いだった訳だが。
北支で一線を越えたって、北京占領のこと?これは広安門、朗坊事件の報復だからしょうがないだろ。
>>53 満州事変で長城を越えた時点で一線を越えている
中国との関係だけでなく国際的にも
55 :
日本@名無史さん :04/10/26 15:21:32
近衛はどうも高飛車だな。 全面戦争化させたうえ、南京占領後も 蒋介石政府を相手にせず声明で 講和の道を閉ざしている。 死刑も当然か。自殺しちゃったけど。
本人は戦犯訴追されるまで開明派として生き残れると踏んでいたようだし、 マッカーサーも戦後の指導者に擬していた節もあるけどね……
>>54 タンクー停戦協定を知らんのか?
満州事変は確かに問題だが、原因となった中国側の日本利権侵害は
どう思ってるの?
>>57 日本が長城を越えて北京に迫ったのは、タンクー停戦協定の前だよ
>>58 はぁ?当たり前じゃない。
長城を越えて北京に迫ってタンクー停戦協定が結ばれたんだろ?
何が言いたいのかさっぱりわからん。
満州事変終盤の熱河作戦が、国際社会の日本に対する態度を硬化させたね。 石原莞爾も満州事変終盤の動きが国を滅ぼす原因になったと後悔してるし。 日本は自らの暴走で破滅を招いた。
>>60 誰もが知ってることを何をえらそうに。
そんな初歩的な話をしてるんじゃないでしょ。
満州事変後にいくらでも戦争を避ける方法はある。
歴史に必然なんかないんだよ。
15年戦争なんてほざいてる奴は頭が悪いか、物を知らない連中。
満州事変後に日中関係は改善して、再び日本に多くの留学生が
派遣され、中国海軍の巡洋艦が日本で建造されるなど、良好な関係にあった。
>>61 君はその初歩も分かってないねw
熱河作戦、タンクー停戦協定が、新たな傀儡政権設立、華北への工作へと繋がっていったんだよ。
それが中国における反日を煽ったりしたんだよ。
63 :
日本@名無史さん :04/10/26 22:31:02
>>57 >原因となった中国側の日本利権侵害
満鉄より、中国の平行線の方が赤字だったんだよね。
満州なしで発達した戦後を見ると、「生命線」は大錯誤だった気がする。
石橋湛山が思い出されるね。
65 :
日本@名無史さん :04/10/26 22:33:45
>>62 漏れもそう思う。
華北へ欲をかきすぎて、全面戦争化。
しかも、講和もできず、降伏もさせられず。
結局、15年かけて、前より失った。
華北分離工作はポストの確保という軍人の思惑と 反蒋介石の現地の有力者の利害が一致したんだよな。 別に侵略と言うほどのものじゃない。支那通は中国が 近代的な国民国家だと思ってないし、現地の有力者も 同じ。
>>62 けど、その方針も日本は華北事変前には取りやめているからなあ、
船津案、トラウトマン工作、どちらも、華北の分離政権の中央化を約束しているし、
別段華北に野心があったわけではない。
ソ連の脅威>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>華北への欲
って感じで。
>>63 それは戦後に自由貿易体制が出来あがったから、
戦前はブロック経済なんだから、石橋の言っている事は現実無視の妄言。
資源が簡単に手に入り、輸出品に関税がかからないなら、そもそも満州事変など起こす必要はない。
>>66 北伐後も反蒋派や、ソ連に危機意識を持つ反共は華北にはゴロゴロいたからね。
日本はそいつらをそそのかし、とりこんだってとこでしょうね。
満州事変よりは正当な方法でしょう。
だが、その分蒋介石が切れたのでしょうな。
関東軍は一貫して北支分離に熱心だった。支那駐屯軍も少しそれにつられていた。 しかし中央はそれらの動きには反対だった。この対立構造は国府も同じで、 そう共戦を優先する考えと、対日戦を優先する考えが内部で対立してた。 この辺を理解しないと話にならない。
70 :
日本@名無史さん :04/10/27 06:34:23
先ず華北などというきもい左翼用語をやめることだ
>>67 石橋は数字を挙げて、英米協調のほうが国益になると実証している。
大陸強硬のほうが損だったし、事実損くった。
そもそも満州事変はいらなかった。国益を大きく失う第一歩。
73 :
日本@名無史さん :04/10/27 10:46:48
政治家は国を引っ張れて初めて良い政治家なんだよ。
>>72 その欧米から高率の関税をかけられ、貿易額に比べ全くでなかったから、
大陸に進出したんだよ。
もちっと裏を考えな。
石橋程度が思いついていることなんて、日本の官僚はとっくにわかっている。
だがそれでも大陸進出を目指したのは、新たな貿易先を必要とした為。
全くでなかったのは利益な。 最大何百%って関税かけられて、利益がでるわけがない。 それでも貿易をしたいから、通貨を切り下げてまでやっている。 勿論通貨を切り下げれば、輸入物資が値上がりするし、国民生活は苦しくない。 そういったもろもろの事情があるわけ。 貿易額が欧米より大陸の方が少なくても、それは大した意味を持たない。 よって欧米との協調は国益には当時はならなかった。 そして新たな地域を開拓しなきゃ意味ないでしょ。 欧米は買ってくれないのだから、新たな市場が必要になる。 そして言うまでもない事だが、欧米と手を切ることを目的としていたわけじゃない。 欧米と貿易しつつ、大陸で市場を手に入れようとしていたわけ。
英米協調の方が日本の利益だったね。 市場拡大と満州事変は別次元の要因。 大陸強硬に引きずられ世界大戦まで入り込み国益を失ったのが現実。 満蒙進出は、国益を壊滅させた生命線くずし。 英米協調内需拡大が国益だったなぁ。
>>53 の
抗日戦争八年 蒋緯国著は必読。
はっきり事変を局地解決させず全面戦争に拡大させたのは中国側だと言っているし、
むしろ誇っている。
日本に全面戦争の意思がなく、派兵も中国側の増兵に対応したものだということもよく
わかっていたみたいで、日本のブサヨ歴史家みたいに日本の派兵声明は全面戦争の宣言
だとか屁理屈捏ねていないのが正直で良い(w
まあ彼等にとっては勝利の為の作戦だからね。 一応勝ったし、誇るでしょう。 華北では欧米の感心が薄いから、華南地区で戦争ふっかけて欧米の圧力に頼るというのは、 最終的には成功したわけだ。 九ヶ国会議の時はかなり凹んだろうけどネ、日本がその後ヘマしたおかげで助かったとおもっているはず。
79 :
日本@名無史さん :04/10/27 22:10:45
大局的に見ると、日中戦争は、日本に責任があるね。 大陸強硬派が結局は国賊だったw。
そうだね、日本が日清戦争で勝たなければ、権益を得ることはなかったし、 その権益を狙って中国が日本に反感を抱く事はなかった。
結局、張作霖を爆殺したのが悪い それが張学良の反日→満州事変となってしまう
張作霖なんてそもそも同情に値する人物じゃないんだけどな(w 張学良も張作霖もただのチンピラゴロツキです。
相手をチンピラゴロツキ認定すれば何でも正当化できるな
同情に値しようがしなかろうがそんなことはどうでもいい。 日本にとってどんな意味があったか、という至上命題の前には。
張親子がいかに酷かったか意外に知られてないのね。 張学良なんて親日派認定した部下を自ら射殺してる。 満州事変後には搾り取った税金で美人の秘書20人と共に ヨーロッパ豪遊だし。 まあ、軍閥の連中なんてどいつも似たようなもんだけどね。
別に張親子がどれほど凶悪非道だろうが、その存在が日本のためになるんなら居てくれて構わんし どれだけ善人だったとしても、日本のためにならない存在なら殺っちゃってよし。 彼らの人間性なんかどーだっていいんだよ、歴史を語る上では考慮するに値しない問題だ。 張親子が極悪非道な人物でも、被害をこうむるのはどうせ中国人で日本にとっちゃ知ったこっちゃないんだから。
そんな張学良も中国では抗日英雄 ロリコン毛沢東も偉大な指導者
88 :
日本@名無史さん :04/10/28 21:51:16
爆殺事件の責任がうやむやにされたことは、 関東軍幕僚に満州事変の謀略を促す一因となった。 ここで関係者を厳罰に処していれば、 亡国の非国民、大陸強硬論者たちを抑えられたかも。
張作淋の方はなんかグランドビジョンもってたのかね? イマイチ彼が何を為たいのかが見えてこないよ。
戦乱期中国によくある地方軍閥なんだから、 そんな意味不明な大局論なんか要らんでしょ。 彼は自分の率いる軍閥勢力の領土を保守するのが最大の目的だっただけの話。 そのために民国軍とは戦わざるを得ず、そしてその限りにおいて日本は彼と利害を一致させ得た。 だが日本は彼を見切るのがあまりに早すぎ、その結果まだ強力な軍閥だった張学良を敵に回してしまった。 その必然的な帰結として張学良は同盟相手を日本から蒋介石に切り替えた結果、 満州は中華民国の手に落ちてしまったワケで…… その結果、満州事変というテを取らざるを得なくなっちまった。ヤブヘビもいいとこだ。
おいおい、張作霖の時代から日本利権への侵害は酷かったのを知らんのか?
中華民国よりゃマシだぜ?
93 :
日本@名無史さん :04/10/29 01:12:30
大学の図書館で
The Shanghai Incident Misrepresented: Shanghai Editors Draw Attention to
Incorrect Reports in American Newspapers
Shanghai: The Press Union.1932
って薄っぺらい小冊子を発見したんだけど、検索してみると日本側の政治的プロパガンダ
ってことになってる。
http://www.aplink.co.jp/synapse/4-901481-81-9.htm でも内容を読む限り、日本の行動に対する批判もしていて、とても単なるプロパガンダ
とは思えないんだけど、どうなんだろう?
日本の本で第一次上海事変の経過について詳述している本は海軍編纂の公刊戦史
ぐらいしか見つからなかったので、当時の上海で何があったのか良く分からんです。
現在の一般向けの本だと第一次上海事変は田中隆吉の謀略によって引き起こされた
と書いてある本が多いけど、田中の謀略があろうがなかろうが、第19路軍と租界守備隊
(日本軍以外の軍隊もいた)の衝突は起こったんじゃない?
94 :
日本@名無史さん :04/10/29 11:49:29
張作霖は、まだ日本の利益だったのに、殺して損したね。 河本がアホ。大陸軍人て、先が見えないなぁ。
95 :
日本@名無史さん :04/10/29 17:19:17
自己の保身が目的ならもっとやりようがあったよね>作霖 まあ日露中にはさまれた難しい所ではあるけど。
96 :
日本@名無史さん :04/10/29 17:52:22
>>91 昭和二年10月11日に
山本条太郎満鉄総裁にどやされるまではひどかった。
>>93 それFar Eastern Reveiwのやつじゃないのか?
親日派が多かった雑誌だから、日本が負けた今となっては
ただの日本のプロパ扱いされてる。
98 :
日本@名無史さん :04/10/30 14:51:54
15年戦争って、本当に日本は責任大きいね。
99 :
日本@名無史さん :04/10/30 15:01:25
30年戦争って、本当に独逸は責任大きいね。
100 :
日本@名無史さん :04/10/30 15:01:59
100年戦争って、本当に仏蘭西は責任大きいね。
101 :
日本@名無史さん :04/10/30 15:02:28
100年戦争って、本当に英吉利は責任大きいね。
102 :
日本@名無史さん :04/10/30 15:03:52
7年戦争って、本当に墺太利は責任大きいね。
103 :
日本@名無史さん :04/10/30 15:05:35
30年戦争って、本当に仏蘭西は責任大きいね。
104 :
日本@名無史さん :04/10/30 15:06:08
15年戦争って、本当に支那は責任大きいね。
105 :
日本@名無史さん :04/10/30 17:52:52
15年戦争って、年数水増しだね。
106 :
日本@名無史さん :04/10/30 21:37:33
あしかけ15年でいいんじゃないの?
張作霖爆殺 張学良反日 満州軍閥中華民国に従属 満州事変 華北分離工作 支那事変 正しくは17年闘争だね
108 :
日本@名無史さん :04/10/31 09:38:20
大晦日と元日働いたら勤続二年かよ 間に空白一年入ったら勤続三年ね
かぞえ年でいいんじゃないの?
そもそも100年戦争だって、ピッタシ100年じゃないしね。
111 :
日本@名無史さん :04/10/31 12:58:12
一年戦争はかなりピッタシ
112 :
日本@名無史さん :04/10/31 16:56:48
詐欺漢、誤魔化そうと必死だな
113 :
日本@名無史さん :04/10/31 21:12:08
あしかけ15年戦争でいいね。 戦争がよく理解できる。
114 :
日本@名無史さん :04/10/31 21:18:00
× 理解できる 〇 誤解させる
戦後の中国人にとっては「十五年戦争」で認識合ってるだろう。 軍の暴走を危険視していたごく一部の反軍・国際協調派政治家にとっても 「十五年間」をひとくくりにする意義はあるだろう。 だが、それ以外のほとんどの政治勢力にとっては「連続した」戦争っていう意識は無かったんだがなぁ。
116 :
日本@名無史さん :04/10/31 21:56:27
すべては満州権益が始まりでした。
117 :
日本@名無史さん :04/10/31 21:56:39
張作霖殺害からのあしかけ17年の方が、流れを掴みやすい様な
どうせなら山東出兵からの19年戦争にしろや 支那人は今でも田中メモランダム信じてるんだろ
いや日清戦争からだろ、全ての要因はここから始まる。 途中で停戦しててもそんなのは関係ない。
>>119 日清戦争は半島の領有権争いに過ぎない。
実際に中華民国を攻撃したのは満州事変から。
中華民国に従属する満州軍閥を攻撃し、長城を越え北京まで迫った。
121 :
日本@名無史さん :04/11/01 09:53:37
中国マンセー!!
122 :
日本@名無史さん :04/11/01 13:07:02
いっそ千年戦争にしたら?
123 :
日本@名無史さん :04/11/03 10:42:55
万年戦争
124 :
日本@名無史さん :04/11/05 15:01:05
ほら吹きシナ人
>>120 満州事変は満州の帰属権争いに過ぎない、
中華民国と戦争をしたのは、北支事変と第二次上海事変から。
126 :
日本@名無史さん :04/11/05 23:39:57
どっちもシナ人の陰謀
127 :
日本@名無史さん :04/11/06 09:17:39
>>125 満州事変の段階で、中華民国軍と衝突してるが
128 :
日本@名無史さん :04/11/06 09:54:04
満洲はシナではないし、満洲事変は短期の局地戦
129 :
日本@名無史さん :04/11/06 09:56:03
「シナ」なんて死語を得々と使う輩は信用できない
130 :
日本@名無史さん :04/11/06 09:59:26
お互い様だ 中国なんておぞましい呼称を用いるものはアカか馬鹿
131 :
日本@名無史さん :04/11/06 10:31:42
満州軍閥は中華民国に従属してたし 満州事変は長城を巡って日本VS中華民国があったし
132 :
日本@名無史さん :04/11/06 10:32:55
>>130 >中国なんておぞましい呼称を用いるものはアカか馬鹿
だったら日本人の9割はアカか馬鹿だな
133 :
日本@名無史さん :04/11/06 10:41:18
シナなんて言葉が自然に口から出るのは80代以上のジジババだけだろ。 あとの世代は普通に「中国」って使ってる。 大体、2ちゃんやってる世代なら、普通、日常会話でシナなんて出てこない。
134 :
日本@名無史さん :04/11/06 10:45:23
いやぁ、98%はアカかバカだろう。
李氏朝鮮は清に従属していたし、 日清戦争は日本VS清もあった。
136 :
日本@名無史さん :04/11/06 12:00:14
半島の領有権の争いと中国の防衛線の争いの違い。
満州の領有権争いにすぎんな。
138 :
日本@名無史さん :04/11/06 12:46:08
137は歴史をしらんのか。その時新たな足掛かりを作った事を。
139 :
日本@名無史さん :04/11/06 18:58:43
シナ人を見てきて飯と糞の世界を感じた
141 :
日本@名無史さん :04/11/07 01:37:40
「シナは全土が汚物に覆はれてゐる」 中島峰雄東外大総長
142 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:43:00
なあ、そもそも2ちゃんでまともな近現代史の議論をしようとするのが間違いだぜ? シナシナ言ってる奴らに参考文献と信頼してる研究者の名前を聞いてみろよ。 一気に萎えるから。
143 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:49:13
戦後民主主義狂育に洗脳されていない研究者でないから萎えるんだろ?
144 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:51:13
日本ってアメリカ相手に戦争始めてなくても中国に負けてたろ?
145 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:51:51
もちろん釣りじゃないよ
146 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:53:50
>143 戦後民主主義狂育のせいで日本語もまともに使えない奴が増えてるみたいだね。 なるほど、身をもって示してくれてありがとう。 君が言いたいのは文章と正反対のことだろ?
147 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:56:21
>>146 読解力の無い奴だな。
君もまた、戦後民主主義狂育に人生を狂わされたひとりの哀れな犠牲者という訳だ。
148 :
日本@名無史さん :04/11/07 02:57:02
アメリカと戦わなくても中国に負けたと俺も思う。 でもここでそんなこと言ってると、最後にはアカとかあっちの国の人呼ばわりされるから注意w
149 :
日本@名無史さん :04/11/07 03:00:32
>147 と143は同一人物? だったらもう一度143を読め。 基本的な間違いだぞ。
150 :
日本@名無史さん :04/11/07 03:03:00
151 :
日本@名無史さん :04/11/07 03:03:15
「シナは全土が汚物に覆はれてゐる」 中島峰雄東外大総長
152 :
日本@名無史さん :04/11/08 02:05:24
何時何処で品に負けたのよ おまいら一種の狂人だな
153 :
日本@名無史さん :04/11/08 06:39:44
支那は戦勝国と認められ常任理事国入りしたが 戦闘には勝ったが戦争には負けたぞ
154 :
日本@名無史さん :04/11/08 07:16:43
でも、あのまま戦争続けていれば、内地からの兵員も物資の補充も途絶え 大陸の派遣軍は撃つ弾もないまま支那の奥地に取り残され皆殺しという 悲惨な結果になっていただろう
155 :
日本@名無史さん :04/11/08 07:37:53
國民を護る国家 (抜粋)
http://village.infoweb.ne.jp/~navy/toukou/001.htm この御仁が、大正の末か昭和の初め、蟹工船に乗組んで北洋漁業に従事してゐた時の話です。
氷濤の中、果敢に操業してゐた或日、突然蘇聯の警備艦艇に謂れ無く拿捕され、
乗組員一同、浦塩に聯行、抑留されました。
此処までは今日と同じです。
取調べは惨たらしいもので、生きて再び日の目を拝めるか、と思った程ださうです。
ありもせぬ犯罪事實の自白を強要され、半殺し状態で朝を迎へ、再び鐵格子の中から
引き出されました。
いよいよ殺されるかと半ば覚悟した途端、何故か赤魔官憲の態度が掌を返す如くに豹変し、
捜査は打切り、無罪放免、露西亜紅茶まで振舞ってにこやかに釈放するではありませんか
解き放たれた樋浦さん達は警察署だか獄舎だかの外へ出ました。
天然の港町なら大概、地形的に港へ向って傾斜し、海側の眺望が開けているものです
半信半疑の儘、ともかくも港へ向はうとふらつく脚を海へ向けました。
その瞬間、何故、助かったかが判りました。
沖には日本海軍の大艦隊が間近く展開し、旗艦たる巡洋艦以下、各艦砲身を陸に向け、
砲門を開き、その強大な攻撃力は毎分幾百幾千發ぞ。陛下の赤子にかすり傷だに負はせなば、
ウラジオストックそのものを消滅させんばかりの圧倒的武威を以てソヴィエト社會主義共和國聯邦を
威圧して呉れてゐたのです。
旭日の軍艦旗の何と美しく、浮かべる城の何と頼もしかったことでせう。
皆、感泣しました。鋼鐵の艦体に頬ずりしたい思ひで‥‥。
>152 戦線を拡大させて日本の継戦能力に負担をかける。 日本側の追撃能力を超えたところに政府中枢を移す。 国際世論を味方につけて日本の戦力を分割させる。 列強を自国側に参戦させて軍事的に日本を打破させる。 「戦闘」で連戦連敗でも、「戦争」としてみれば連戦連敗です。 戦争とは国家意思の押し付け合いであり、戦闘とはそのための手段のひとつにすぎません。 日本は日中戦争からはじまる一連の戦争において、 中国側の国家意思を阻止することにほとんどすべて失敗しています。
そして僕も連戦連敗です。 >「戦闘」で連戦連敗でも、「戦争」としてみれば連戦連敗 ↓ >「戦闘」で連戦連勝でも、「戦争」としてみれば連戦連敗
158 :
日本@名無史さん :04/11/08 18:19:49
なんで重慶侵攻作戦やらなかったの? 44年頃になってもう一度重慶侵攻作戦が持ち上がっているけど(大陸打通作戦を優先して中止)、 もっと早い段階で重慶を占領して、蒋介石を降伏させればよかったのに。
159 :
北斗星 :04/11/08 20:53:57
首都攻略を以て終戦といふのはナポレオンの露西亜遠征でも通じなかった、前世紀の戦略です 中華民國も南京、武漢三鎮と二度にわたって首都陥落しましたが、なほ奥地へ逃れて抗戦しました 重慶を落しても、成都や蘭州に逃げるだけです
汪兆銘軍について語ってクレヨン
161 :
日本@名無史さん :04/11/08 21:57:01
一子相伝の武道・格闘技って実際にあるの?
162 :
日本@名無史さん :04/11/08 23:25:48
>>159 ちょっと待て、当時のロシアの首都は一応ペテルブルクだろ?
163 :
日本@名無史さん :04/11/08 23:37:20
モスクワは「聖なる古都」とされ ロシア人の精神的首都だった。
164 :
日本@名無史さん :04/11/08 23:37:58
>>159 第二次大戦においても、
@フランスはパリ陥落で事実上抗戦能力を失った(ド=ゴールに単独抗戦能力はない)。
Aモスクワが一気に落ちていればソ連政府が瓦解したという見方もある。
から、首都攻略作戦が効力を失ったとは一概に言いがたい。
むしろ、中華民国が満足に所得税も徴収できないような、ある意味では
実効支配能力のない政府であったことが幸いしたのではないか。
165 :
日本@名無史さん :04/11/08 23:52:31
>>164 お前は馬鹿か。
ペタン政権が合法かつ正当なフランスの政権だろ。
ゲリラ親父がどうしたんだ。
そう、実はペタン政権が正統な政権。あまり知られてないがな。
ゼミ時代、江口センセに可愛がってもらってたのに、その後何の連絡もせず・・・。 昨年亡くなっていたと今日知りました(TT
168 :
日本@名無史さん :04/11/09 03:27:49
>167 え! 初めて知った。江口圭一さん亡くなったんだ。 ゼミのテキストが江口さんの著作だった・・・
169 :
日本@名無史さん :04/11/09 07:56:42
170 :
日本@名無史さん :04/11/09 08:16:45
シナに負けると言ふことは不可能です
171 :
日本@名無史さん :04/11/09 10:36:11
不可能を可能にした皇軍最高
172 :
日本@名無史さん :04/11/09 11:25:58
>ペタン政権 40年5月レノー内閣の副首相、ドイツ軍パリ入城後の6月16日首相となる が、ドイツ軍への抗戦継続を不可能とみて同月22日降伏文書に調印する。 7月10日、ビシーの地で過去の政体と絶縁する新体制樹立を議会において可決、 自らは国家主席の地位につき,「国民革命」の名でドイツ軍と一定の協力関係 に立って政権を持続させる。 しかし42年11月ドイツ軍のフランス全土への占領体制拡大に伴い、すでに 限定されていた政権の実質を失う。 45年、解放後のフランスにおいて裁判に付され、8月15日死刑を宣告されたが、 高齢のゆえに刑の執行はなされず、以後監禁生活を送り、大西洋沿岸の小島、 ユ島で死去した。
173 :
日本@名無史さん :04/11/09 15:49:10
開いた蘭花 開いた蘭花、満洲國 共によろこび手を取つて 天の光に浴しませう 皇帝萬歳、萬々歳 開いた蘭花、満洲國 旗は五色旗、打振つて 王道樂土讃へませう 皇帝萬歳、萬々歳 開いた蘭花、満洲國 鳴らせ爆竹、みな子供 建國十年祝ひませう 皇帝萬歳、萬々歳 開いた蘭花、満洲國 兄と弟よ、菊と蘭 光り輝く大東亜 皇帝萬歳、萬々歳
174 :
日本@名無史さん :04/11/09 16:56:57
そうなんだよね、日中戦争って、日本は国民党から分離した南京国民政府の王兆銘政権を 支持し、アメリカは国民党の蒋介石政権(現台湾)を、旧ソ連は共産党の毛沢東政権をそれぞれ 支持していて、最終的に勝てば官軍で毛沢東が中原の支配権を得ただけで、歴史的に見れば 中国で何度も起きた、一定期間王朝の統治が続いた後に地方勢力が台頭して分裂>統一 の経緯に、今回は地方勢力が外国勢力を積極的に取り込んだだけなんだよね。
ソ連が支援していたのは国民党で、毛沢東の中共は逼塞状態だった。
176 :
日本@名無史さん :04/11/10 19:19:16
_ _. (´∀` ノ) <目標前方600の支那兵、撃て〜〜! _ __┷」|_/_>====< \__________ _ _ //_/ ̄ノ'7/~゙/ ̄| ̄ ̄| ̄~~|\ (0 ロロ,)ニニニニニニ)ニ) ) " _/_/ | | | ヘ  ̄~ ___<-ノ-|∠^ ー-ー}_l=__ | .| ̄ ̄| ̄ ̄| | ~7<〃____∠_/| ,| | | |y /=〔| =冊冊冊= 〔{== ,{(()\__,|__|__|__| 》 ヘ =ヘ_____ヘ==ヘ_0_ノ/ l l l l l l ソ/ \=\――――‐\=\_ ゝノゝノゝノゝノゝノゝノ,,/
王兆銘政権って日本軍の傀儡
178 :
日本@名無史さん :04/11/10 23:17:05
179 :
日本@名無史さん :04/11/11 02:59:23
それをいうなら毛沢東はソ連の、蒋介石は英米の傀儡だ
だな南京が落とされた段階で、蒋介石は単独で抗戦することが不可能。 財源の多くは、日本の占領地になり、援助金だけで、もっていた。 汪兆銘となにが違うのやら。
王兆銘政権って、独立は名目だけ。 本人は名古屋で死んだ。
蒋介石政権って、独立は名目だけ。 本人は台湾で死んだ。 と言えなくもないな、汪兆銘は病死なんだから、それは理由にはならんよ。
汪兆銘政権 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』 汪兆銘政権(おう-ちょうめい-せいけん)は、第二次世界大戦中の中国の政権 の一つ(1938年-1945年)。 日中戦争下、日本によって立てられた傀儡政権“南京国民政府”である。 実際は重慶にある蒋介石の国民党政府が中国の支配権を握っており、汪政権に は実力はなかったという。
184 :
日本@名無史さん :04/11/11 10:51:47
そーゆー2チャンネラーが匿名で書きまくってるようなもんが典拠になるかよ馬鹿!
日本人顧問に指導を受け、日本軍占領下のみの政権。 こういうのを何政権というのでしょうか?
単に指導してやっただけ
軍事占領下での指導を傀儡といいます。OK? 満州でも指導と言ってたね。 アフガニスタンでもソ連軍が政府を指導してただけ?w。
188 :
日本@名無史さん :04/11/11 11:15:02
だから2ちゃんウヨ相手に何を言っても無駄だと(ry
ドイツ人顧問の指導をうけていた国民党は、ドイツの傀儡ということで。
190 :
日本@名無史さん :04/11/11 11:47:20
1.南京政権の管轄地は占領地ではない。占領地の遥か後方、一般地区である。故に185・187は大嘘。 満洲も占領下には無い。恐らく論者は頭が悪くて占領概念が判らないのだと思われ。 2.指導を受けたというなら国府中央軍は米軍の、紅軍はソ連赤軍の指導下にあった。 蒋介石の参謀長はA・ウェデマイヤー中将である。
191 :
日本@名無史さん :04/11/11 11:49:06
以前は前ドイツ陸軍参謀総長フォン・ゼークト将軍の指導を受けた
そうなんですか。 南京政権は傀儡じゃないんですね。 そうすると、ほとんどの歴史や辞典類は間違ってますね。 傀儡じゃなくて独立政権と書いてある本の題名と作者を教えてください。 蒋介石は傀儡政権と書いてある本でもいいですよ。
193 :
日本@名無史さん :04/11/11 12:01:36
>>192 国民党は共産党をソ連の傀儡だといい、
共産党は国民党をアメリカの傀儡だといっている。
朝鮮の南北の政府をみたいなもんだ。
そしては国民党も共産党も、南京政府は日本の傀儡だと言っているんだな。
言わば相手へのレッテルみたいなもん。
汪兆銘は孫文の正当な後継者としての自負があり、
共産党とつるんでまで、日本と戦う意義が見出せなかったのだろう。
彼自身の信念の為に、ナンバー2の地位を投げ捨て、
国民党から抜けだし、対日講和の道を模索しただけ。
それを売国奴だの、漢奸だのいう奴らの程度の低いことよ。
彼には日本の傀儡になった憶えすらなかっただろう。
彼は真の愛国者だっただけだ。
あと南京政府を日本の傀儡だと記している、辞典や歴史書は具体的にどれを示すのかな?
なお汪兆銘が本当に傀儡であったのなら、彼が日本との間に結んだ不平等条約の改正などに動くはずがない。 また日本にしても汪兆銘政権を持て余しており、国民党への合流を模索していた。
196 :
日本@名無史さん :04/11/11 12:45:20
40年〈反共和平救国〉と〈大アジア主義〉をうたった〈新中央政府〉を 被占領下の南京に樹立、名目上の独立を誇示したものの、抗戦陣営に裏切 りへの憤激を引き起こしたほかになすところないまま、44年名古屋で客死。 木山 英雄「平凡社大百科事典」
日本軍の占領地域では、1937年12月に北京で中華民国臨時政府が組織され て華北5省の支配に当たり、38年3月に南京で中華民国維新政府が組織され、 江南・長江(揚子江)流域の支配に当たった。 これらはやがて40年3月に汪兆銘を頭につくられる〈統一〉傀儡政権= 中華民国国民政府(汪兆銘政権・南京)に統合されるのだが、抗日戦争中 の中国は,大きくいって日本・傀儡政権支配下の〈淪陥区〉と重慶政府に 属する〈大後方〉の二つの部分に分かれていた。 狭間 直樹・著書多数
傀儡なんて言ってる奴は明治以降の支那人と支那通の関係を知らん奴だろ。 持ちつ持たれつなんだよ。
日本は汪兆銘の南京政府に租界を返還ましたが何か?
201 :
日本@名無史さん :04/11/11 16:09:19
君は容易き道を行け 吾は苦難の途を行く 王精衛
諸君! 全中国における最も覚醒した多数の民衆は、今や既に 十二分の決心と十二分の勇気とを以て、日本国民諸君の 後に随ひ今後絶えざる努力を以て経済的侵略主義と 共産主義とを排除し道義的精神を基礎とするところの 東亜新秩序建設のため、諸君と握手し諸君と提携せんと 決心してをります。 諸君! 手を握つて邁進しようではありませんか。 (「友邦日本を訪れて」 中華民国国民政府行政院長 汪兆銘 1941.6.24 JOAK) ▲ぴったんこ漢奸
日本が承認していた南京国民政府を傀儡呼ばわりする奴は非国民 汪兆銘に失礼というものだ
傀儡だから承認したんだよね。 一方、「蒋介石政府は相手にせず」とw。
206 :
日本@名無史さん :04/11/11 20:30:24
207 :
日本@名無史さん :04/11/13 08:56:41
傀儡が政府承認なら世界中傀儡政府だらけ
208 :
日本@名無史さん :04/11/13 12:01:40
八年戦争と呼ぶなら、当否はともかく、うそではない
209 :
日本@名無史さん :04/11/14 01:53:51
15年といっちゃあおしまいよ 大嘘!
210 :
日本@名無史さん :04/11/14 12:11:32
>>209 お前の方が終わってる
用語粘着はキモイ
211 :
日本@名無史さん :04/11/14 12:49:15
用語に粘着してるのはおまいじゃん
212 :
日本@名無史さん :04/11/14 12:55:03
>>210 馬鹿にレスするな
全スレの様に荒れるぞ
213 :
日本@名無史さん :04/11/14 12:56:23
× 全スレ
214 :
日本@名無史さん :04/11/14 12:56:56
赤いので漢字がわかりません
215 :
日本@名無史さん :04/11/14 13:00:14
216 :
日本@名無史さん :04/11/14 17:04:46
自分の事を言うな
217 :
日本@名無史さん :04/11/14 17:09:08
100年戦争にも文句言えよ
また15年戦争ってスレタイにしている、この
>>1 は荒しだな。
荒そうと思っているから、こんな馬鹿なスレタイを選んだのだろう。
219 :
日本@名無史さん :04/11/14 21:00:08
日本政府は張作霖を助ける方針だったのに、関東軍が勝手に殺した 日本政府は満州で揉める気は無かったのに、関東軍が勝手に暴走
でも居留民が迫害されても何もしない日本政府もそれはそれで問題だな
222 :
日本@名無史さん :04/11/14 21:42:48
>>221 どんな事件で、何人くらい死者が出たの?
満鉄の権益なんかじゃないんでしょ?
幣原外交を継続して、排日・侮日運動による被害が増大しても 武力行使に慎重な路線を崩さなければ国民党は日本租界も 日本資産も強制接収し、中国を統一したに違いない。
224 :
日本@名無史さん :04/11/14 21:52:18
コヴァ得意の痛臭事件?
225 :
日本@名無史さん :04/11/14 21:56:06
けっこうなことではないか。 別に日本の利益のために中国が存在してるわけじゃないんだから。
226 :
日本@名無史さん :04/11/14 21:57:30
そもそも、他人の国でデカイ顔して威張ってる方に問題があるわけで。
中国に東夷小日本が存在する事自体不当なのだし、 まして日本が中国に資産や権益をもつなど到底許しがたい蛮行なのだから、 手段を問わず奪回するのは中華の正当な権利であり、 小日本が武力でこれを阻止しようとするのは思いあがった不当な侵略行為 といわざるを得ない。
228 :
日本@名無史さん :04/11/14 22:04:24
逆に日本が中国に同じことされてたら、烈火のごとく怒るだろ>コヴァ
マレーにおいてはマレー系土人と結託して華僑を迫害するなど、 小日本が他人の国で我がもの顔に振るまうことはアジア人民に大きな禍根を残した。
そういや左の人はなぜか華僑を称えるんだよな。 あいつらマフィアみたいなもんなのに。 それどころか現地の人を欧米とつるんで、痛めつけた間接支配者なのにね。 東南アジアの癌=中国人。
231 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:17:32
↑ ばか
中華民族はマレー共産党の中核を成すなどアジアの抗日解放闘争に多大な貢献をした。
233 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:24:27
マレー共産党は英軍と喧嘩した挙げ句降参して命乞いしたのだよ
マレー共産党はマレーの人からはかなり嫌われているわけだが、分かってて言っているのか?
236 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:39:21
マレー共産党はヘタレで弱虫で卑怯な嫌われ者 その中核が支那人じゃ支那の恥にしかなるまい マレー國民は怒って支那人徹底排除のプミポラ政策を採ってゐる
中華民族の解放闘争の前に立ちはだかった小日本やマレー土人らの罪は万死に値する。 これらの野蛮人の圧制の為にアジア人民は大きな苦しみをもたらされたのだ。
238 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:41:06
共産党を称えるものは共産党 こいつらが15年戦争などと捏造する
239 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:42:00
支那人にマレーで殺戮をする自由は無いよ 帰れ支那へ
240 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:42:57
アジアどころか全世界の人民が支那人大嫌い
中華民族を苛めた小日本やマレー・インドネシアの野蛮人どもには いずれ中華の懲罰によって壊滅するだろう。
242 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:51:33
支那人は英國侵略者の手先としてマレーへ侵入しマレーやインドネシアの人民を搾取したのだから天誅が下るのは当然
243 :
日本@名無史さん :04/11/14 23:52:11
支那軍は列強の前に何時も壊滅してた
自分の能力の無さを棚に上げ、中華民族の蓄財の成功を妬む土人どもの逆恨みに過ぎない。 自己努力を怠り、相手を非難するだけの姿勢では何時までたっても発展はないだろう。
245 :
日本@名無史さん :04/11/15 00:16:34
貧乏といえば支那人 一人当たりの豊かさで日本人の三十分の一
246 :
日本@名無史さん :04/11/15 00:30:09
ちゅうかみんぞくなどという民族は無い 十五年戦争と同じ捏造
247 :
日本@名無史さん :04/11/15 00:31:07
無能といえば支那人 みんな文盲
ここのウヨって罵倒とレッテル張りだけで議論の出来ない連中だ
249 :
日本@名無史さん :04/11/15 00:41:23
左翼言い負かされてるじゃん
250 :
日本@名無史さん :04/11/15 00:42:20
華僑の蓄財とやらは原住民搾取による
251 :
日本@名無史さん :04/11/15 00:44:00
何が蓄財だよ 華僑の冨なんて十五年戦争と同じ嘘 華僑の大部分は貧乏の中で静かに死んで行く
(支那事変の前段階) 1904年、日本は日露戦争に勝利。中国東北部(満州)の鉄道権益を得る。 1928年、中国東北部の軍閥長・張作霖が、蒋介石(中華民国・国民政府・南京に本拠)の北伐に破れる。張作霖は北京政府を捨て後退を計る。 蒋介石の北伐に対抗する為に満州を占領しようと考えた日本軍部は張作霖を謀殺。日本政府の意向と異なる行動。事件を国民党の仕業にするがバレる。 張作霖の息子で満州軍閥を引き継いだ張学良は日本に激怒。蒋介石に従属し反日活動(鉄道の併設など)を行う。 1931年、日本軍部は満州で自作自演の鉄道爆破事件を起こし、中国人の仕業にする。政府の不拡大方針を無視して占領地域を拡大(満州事変)。政府は後に追随。中国側は国際連盟に訴える。 成立した満州国を国際連盟は認めず、日本の行為の正当性を否定。日本の権益は認める。決議に不満を持った日本は国際連盟を脱退、孤立化へ。33年に停戦協定。 1932年、日本軍部は上海で中国人を雇い、自作自演の日本人僧侶殺害事件を起こす。中国側と戦闘になり、上海へ派兵決定(第一次上海事変)。満州から世界の目をそらすのが目的とも言われ、現地の抗日団体の解散要求なども行った。約3ヶ月で停戦協定。 1935年、日本は華北5省(北京の周辺)を蒋介石の支配から切り離し傀儡政権の発足を画策。第二の満州にしようとする。 蒋介石率は戦争回避の方針をとったが、中国共産党は「抗日救国宣言」を出して、内戦停止・一致抗日の世論を大いに盛り上げた。 西安事件をきっかけにして、蒋介石も共産党と共に抗日の決意をする。
(支那事変) 1937年7月7日 北京郊外で演習中に謎の発砲音。相手陣地の警告説、共産党の謀略説、様々だが被害無し。両陣営(日本・国民政府)は不拡大を確認。 再度発砲音の確認後、牟田口廉也連隊長は撃たれたら打ち返せと攻撃指示。(盧溝橋事件)直後に蒋介石は苑平城固守と兵の備えを通電。 ↓ 7月8日 北京では、各大学の学生が集会を開いて、対日宣戦を叫んだ。 ↓ 7月9日 北京特務機関と北京市長の間に、撤兵条件で合意に至る。両軍引き上げる。日本政府内では不拡大派が主流。(停戦までの犠牲者・日本11名中国30名) ↓ 7月10日 中国側が攻撃を仕掛ける。 (日本側の犠牲者6名) ↓ 7月11日 盧溝橋事件停戦。当日日本側は強硬派の「中国一撃論(簡単に潰せる)」に押され計5個師団10万人規模の派兵を決定。「北支事変」と呼ぶこととした。 ↓ 7月13日 現地を任され和平の方向で動いてきた中国第29軍・宋哲元軍長に対し、蒋介石は対日戦決定を通達。20日に考えを受け入れる。 ↓ 中国側からの散発的な攻撃(広安門事件など)が起きる。 ↓ 7月27日 日本側は兵力20万人の動員を決定。今後いかなることが起きようと、一切の責任は中国側にあるとの声明を発表した。国民政府も同様の声明を発表。
7月28日 日本軍、開戦通告を出し、北京を総攻撃し占領。 ↓ 7月29日 日本の傀儡政権下の中国人保安隊が暴発、日本人居留民の虐殺を行った(通州事件)。日本軍が起こした誤爆事件との関連の可能性もあり。 「日本軍敗走」という南京政府のデマを信じた保安隊の裏切りの可能性もあり。敵勢力が起こした事件ではないが、積極的に日本国内で報道され、中国人に対する敵意を煽る。 ↓ 8月4日 日本政府が停戦案を作成。9日に中国側との会見が予定された。 ↓ 8月9日 上海で日本兵2名が殺される事件が起きる(第二次上海事変)。停戦案も停止。華北では日本陸軍が同日に下令された察哈爾(チャハル)方面に対する作戦を開始。中国軍(湯恩伯軍と傅作義軍)攻撃が狙い。 ↓ 8月10日 海軍大臣・米内光政大将は陸軍部隊の動員準備を要求。杉山陸相は了承。 ↓ 8月11日 蒋介石は、上海包囲を命令。 ↓ 8月13日 日本の上海海軍特別陸戦隊が中国軍と衝突。大軍の中国軍に包囲され苦戦。 ↓ 8月14日 日本政府、上海へ2個師団の動員令。 ↓ 8月15日 蒋介石は大本営を設置し全国総動員令、戦時体制を実施。日本海軍は同日より長崎県大村基地からの南京空襲を開始。 上海における戦役より政府はこの戦争自体の呼称を「北支事変」から「支那事変」へと改める。 戦線を拡大する中でヨーロッパ情勢も絡み東南アジアの資源地帯に狙いを付ける。そこを支配する欧米列強と対立する事になり、南部仏印進駐を以て石油の禁輸処置(ABCD包囲網)が採られる。 日本はアジアを白人から解放するとの大義名分を持ち出し、窮鼠猫を噛む戦争へと追いやられる。
中華の正当な解放の為に中華に不当に存在する東夷小日本の資産や権益を奪回するのは当然であり、 これを口実に中国を侵略したのは倭寇の強欲精神の顕れ。 中国人は理性的だからベトナムの華僑が資産を没収され追放されてもベトナムを侵略しなかった。
なんで中国軍の攻撃を衝突と記すのだろうか、 先制攻撃で、爆撃までしているのに。
上海で蒋介石軍のとった行動は戦略的に正しいね。 北支で全敗の危険があったので、上海で持ち返そうとした。 非侵略側としては当然の押し出し攻撃。 誤算は、兵が弱くて南京まで取られたw。
華北では中国軍が停戦協定を無視して、日本軍に度重なる攻撃を加え、 停戦ラインを無視して北上し、中央軍の北上までおこっていたのに、 反撃したら、侵略か。
中国に日本軍が存在する事自体が違法な侵略なのだから、 中国が手段を問わず、これを攻撃するのは正当な自衛行為。
261 :
日本@名無史さん :04/11/15 16:00:16
↑ 全くの狂人 北京議定書による列国協同駐兵だろがw
262 :
日本@名無史さん :04/11/15 16:05:16
こういう歴史を知らん馬鹿がいるから・・・
>>258 国府軍は弱くなんかないぞ。
日本軍の和平工作が当初の船津工作の条件からだんだん重くなって行ったのも
上海戦で多大な犠牲を払ったと言う点も大きい。上海決戦は第一次大戦以降では
最大の塹壕戦だった。蒋介石が局地解決をせずに全面戦争にする決断したのも
軍事力に自信があったから。
264 :
日本@名無史さん :04/11/15 21:57:40
なんで日華事変は日本の侵略ってことになってるんだろ? 台湾側の本も読んでみれば蒋介石が全面戦争に拡大させたってことは 明白だと思うんだが。彼らは自分たちの行為が侵略(aggression)には 当たるとは思ってないらしくて、堂々と誇ってるからね。
>>264 それ以前の日本の行動が正当化できないからだろう
>>265 それまでの日本側の華北分離工作などに問題があるにせよ、
パリ不戦条約では「国際紛争を武力で解決すること」は禁止されているのですが?
日本が満州事変で非難されたのと同じことを蒋介石は第二次上海事変でやったんだよ。
>>266 蒋介石の上海攻撃の前に、日本軍は北京を武力占領してるが
ロコウキョウの攻撃命令は微妙だね
日華事変全面戦争化に際しては日清戦争の復讐戦だと思った 国府の人間も多かったらしい。
>>267 その前に中国軍の停戦協定違反の度重なる攻撃があるけどな。
そりゃ反撃するでしょう、あれで日本が全面戦争を決断しなかっただけ忍耐力があると思うね。
>>269 主要都市を占領しておいて忍耐力があるって・・
駐兵している部隊に何度も攻撃を仕掛けられても、その程度で済ませたんだぞ。 あくまで現状への対処だけで、極めて穏健的な行動。 アメリカだった完全に全面戦争になってる。ベトナムの時とか、 たったあれだけの事でアメリカは動いた。
>>270 んで、日本がとった行動以外に対処方法があったというのなら教えてくれ。
中国の望むように即時全面撤退及び資産・権益の全面放棄。
シナーとシナー擁護派は子供みたいなことばっか言うな・・・
中国側の行動(広安門や蒋介石の上海攻撃)ばかり取り上げ、中国=悪い・日本=正しいと言う方が、幼稚すぎて世間から相手にされない。 日本は自ら起こした満州の謀略で、結局二つも傀儡政権を作った。 それ以降も機会あるごとに軍を動かしたり勢力拡大を図ってきた。
あのころは、華北の分離政権の解消など、和平に転じていたんだがなア。 そのころに上海で攻撃をしてきたのが、国民党。 アホだね。
日本=ジャイアン 中国=のび太 日本は中国を獲物と見なし、好き勝手な行動(対華二十一箇条・張作霖殺害・満州謀略・北京周辺で工作したり傀儡政権作ったり)をする。 得体の知れない嫌がらせ(盧溝橋)も、犯人を決め付けボコる。 中国は対日戦を決意し、仕返しに出てみる。(広安門事件) 日本は中国を思いっきりボコる。(北京占領) 中国は思い切って、全力で反撃に出てみる。(上海攻撃) しかし日本には勝てず、ボコられながら、どこまでも追いかけられる。 やがてアメリカ等の勢力に助けられる。
278 :
日本@名無史さん :04/11/16 11:36:50
280 :
日本@名無史さん :04/11/16 11:47:23
∧_∧ ・・・・・・・・・・・・・ < `Д´ > ∧_∧ / \ < `Д´ > ・・・・・・・・・・・・・ __| | | |_ / ヽ、 ||\  ̄ ̄ ̄ ̄ / | | | ||\\ (⌒\|__./ ./ このスレッドは || \\ ~\_____ノ| おはようから、おやすみまで、暮らしを邪魔する在日 . \\ ________\ 捏造一筋、チョン日新聞 . \|| ____|| / お口の悪臭 キムチ . || ̄ ̄ ̄|\____\ / あしたのゴミ 捨民党 . || | |======== | The fabrications are infinite, 韓国政府 _| |oo======= | \ Drive your delusions, ヒュソダイ自動車 |\\|_____|\ \ Shift the past, シンスゴ | | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄| 犬を、おいしく、楽しく、COREAN FOODS | | 生野キムチ. | Inspire the anti-Japanese, プロ市民(サヨ) 爆発一番 ハム日新聞 拉致ひとすじ 金正日 妄想 ふくらまそう 民口寸 淫らな明日のために 従軍慰安婦 黄色いエラ 街宣ウヨ(ジサクジエン) 犯行は計画的に ほのぼのレイプ 歴史をクリエイトする 朝魚羊総連 電波も全開に コリア 観光局 悪名世界一への挑戦 しG電気 ご覧のキムチ野郎の抵抗でお送りします。
>駐兵している部隊に何度も攻撃を仕掛けられても 朗坊事件ってのは日本軍の死者0人で、公安門事件が日本軍の死者1人だっけ?
満州事変から語るスレは、ウヨに荒らされるのみ ウヨにとっては、戦争は蒋介石の上海攻撃から始まり、悪いのは中国なのだ それ以前の段階を語ってはダメなのだ
283 :
日本@名無史さん :04/11/16 12:00:26
北京議定書を知らなかったくせに。 馬鹿が。
>>283 北京議定書くらい知ってるよ
それで北京に兵が駐留してたことも
それがどうしたの?
>>281 朗坊事件では数人、広安門事件では、十数人じゃなかったかな。
どっちにしろ欧米なら、これだけで全面戦争になるね。
生麦事件とかじゃあれだけの理由で、薩摩に砲撃にきたし、
下関で砲撃うけたという理由で戦争ふっかけてきたし、
中国の阿片戦争、アロー戦争でもしょうもない理由だし。
どっちが先かというと、盧溝橋で不明になる 攻撃命令を出したのは日本だが、謎の発砲音の正体が不明 それ以前の段階だと日本が先だが
中国側から撃っているのは、方向からも間違いないはずだが、 ただ個人の意志なのが、部隊の意思なのかは不明なだけ。 宋などの上層部の指示ではないのは確かだがな。
288 :
世界@名無史さん :04/11/16 12:51:55
どっちにしろ、そのあとすぐ停戦がなっている。 問題はそれからだ。
>>289 盧溝橋はすぐ停戦で終わる話ではなかった
日本・中国両者は直後に具体的行動を取り始めた
しかし
>>260 はてっきり釣りだと思ってたけど、本気で言ってたのか
こいつの論でいくなら、当然現在の中共も侵略国家ということになるけど
それでいいのかなw
全体を見れば、日本の正当化などとても出来ない ウヨも苦しいね
武力を背景に不当に結ばれた条約に基く権利など 中国があらゆる手段を用いようともそれは正当な愛国的行為であり、 これを武力で不当な権利を護ろうとする日本側こそ野蛮な侵略者。
「中国に関する九カ国条約」 って、列強国同士が「抜け駆けするなよ」って事だろ?
295 :
日本@名無史さん :04/11/16 19:33:59
260は単なる白痴
>>293 ヒトラーさんこんにちは。そうやったヴェルサイユ体制の打破を正当化したんだよね。
上海の原因は北支。 北支の原因は満州事変以来の北支への日本軍の手出し。 中華民国がおこるのは当然。
弱体化した清は列強国の狩り場となる。 清は列強国に租借地などで部分統治された。 「扶清滅洋」を唱える義和団が登場。 清(西太后)は義和団を支持、列強国に宣戦布告。 列強国は義和団を押さえ込む。 「北京議定書」 清は多額の賠償金、北京に列強国の軍を置く事などを承諾。 清に議定書の決定権はなく、列強の間で決められた。 これらは中華民国に引き継がれる。 --------------------------- 宣戦布告したのは清だね。 ただ列強国も正義ではない。 弱者を支配し、反抗したら叩き、さらに利を得ようとしただけ。 中国における外国勢力排斥の動きも終わった訳でもない。
武力を背景に設けられた不当な権益や資産を 中国はいかなる手段を用いても奪回する正当な権利があり、 これを阻もうとした日本の行為は全く不当な干渉・侵略。
>>297 満州事変は、軍閥による、日本の権益侵害を理由としている。
>>300 しかし関東軍が軍閥長を爆殺したしな・・
抗日戦争は忘恩の小日本が不当に中華を脅迫して獲得した権益と資産の 中華民族による聖なる奪回闘争であり、これを阻もうとした小日本の行為は 中華の恩を忘れた分際をわきまえない背徳行為。
304 :
日本@名無史さん :04/11/16 21:42:41
>>303 満鉄のトップに叱られ改心したが
日本政府も張作霖を助ける方針だったのに・・
306 :
日本@名無史さん :04/11/16 21:44:46
幣原は英米とは一線を画して権益・資産の保護に武力行使を慎重にすることで、 中華民族の排外の矛先を英米に向けさせようと画策したが、背信の小日本への この姑息な誤魔化しは中華民族の小日本への侮蔑と憎悪を増しただけに終った。
308 :
日本@名無史さん :04/11/16 21:52:06
>>302 はこのスレを荒らすと大使館の給与規定で手当が付きます。
中国の土地にある日本の資産・権益は存在自体が武力を背景にした不当な条約に基くものなのだから、 中華民族がこれを武力でもって奪回するのは聖なる愛国的使命であり、 これを阻もうとした日本の行動は中華民族に対しての重大な侮辱行為。
>>305 改心しているわけねーじゃん。
>>306 この話題で親父といったら、張作霖以外いないだろ。
>>307 中国は英仏にもテロルしているよ。
日本人ほどではなかったと思うが何人も亡くなっている。
>>310 張作霖の内心はともかく、関東軍の日本政府を無視した行動は、重大な問題であり危険である事に変わりない
313 :
日本@名無史さん :04/11/16 22:04:07
日本政府に協力しようとした親父を殺して、 息子を反日に決意させたアホな関東軍。 関東軍は、政府が止めなければ、 満州国を作るどころか、満州を日本国属領にしようとしてた。アボーン。
幣原協調外交の姑息な誤魔化しは中華民族の小日本への侮蔑と憎悪を増し、 逆に排日・侮日を激化させる結果を招いた。
>>312 俺は関東軍に問題がないとは一言も言ってないが、
日本政府に逆らった謀叛人どもを庇っているわけじゃないよ。
それでもこいつがそんな事しなけりゃと言っているんだよ。
316 :
日本@名無史さん :04/11/16 22:07:07
統帥権無視した越境将軍に、 お咎めなしでお褒めの言葉の裕仁人形くん。
317 :
日本@名無史さん :04/11/16 22:08:43
朝日を始めマスコミは越境将軍を英雄ともてはやした。
318 :
日本@名無史さん :04/11/16 22:14:02
ソ連の管理下に置かれていた東支鉄道の奪取を試みたものの 徹底的な返り討ちにされ、反日の決意と60万とも言われる兵力を 持ちながらたった2万程度の日本兵相手に敗走するあの人がそんなに重要なのか?
やはりトラウトマン工作をドイツではなく、イギリスにやらせるべきだったな。 そうしとけば、失敗しても英国とのパイプが強くなっただろうに。
>>311 辛亥革命以降の排外活動で殺された外国人の死者はかなりの数に上ると思うんだが、
詳細な統計ってないのかな?
歴史に名が残るような事件以外でも当時の中国では日常的に外国人は財産を奪われ、
殺されている。
日本人の被害は重光葵が駐支公使の時にまとめた資料があるが、外国人の
被害はよくわからん。戦間期だけでイギリス人は1000人以上死んでるらしいが。
しかも、これらの排外運動は自然発生的なものだけじゃなくて、国民党が煽ってるんだから、
話にならんわな。自然発生的なものでも抑える努力をしてないし。
日本でも、幕末に外国人排斥の動きがあった。 幕末、幕府の背後にフランス、薩長の背後にイギリスがいた。 下手したら日本は欧米列強の植民地だった。 その場合、日本も中国と同様、外国人排斥の嵐が吹き荒れたかも知れない。 あまり外国人排斥で中国を責める気になれない。
322 :
日本@名無史さん :04/11/17 03:06:12
〇 支那 × 中国
>>321 幕府は不熱心ながらも取り締まろうとしていたと思うが。
支那の場合、取り締まるべき国民党が煽っているのが問題。
324 :
日本@名無史さん :04/11/17 08:45:00
>>317 >朝日を始めマスコミは越境将軍を英雄ともてはやした。
問題の根本は、政府も宮中も、統帥権無視に何もできなかったことだ。
きちんと対応してれば、マスコミなんぞ当時は何とでもなった。
325 :
大陸浪人 :04/11/17 10:00:51
宮中が乗出されたら、それこそ違憲だよ 内閣−陸軍大臣の線で行く可し
326 :
日本@名無史さん :04/11/17 10:01:04
汪兆銘の病気は、多発性骨髄腫だった。 これは、現在でも難病で、 最近、サリドマイド+抗癌剤の処方がかなり延命効果があると いうことがわかった程度。 てっきり結核かなにかで、名古屋で見捨てられたように死んだ のかとおもってたら、えらい違いで、 首相をはじめ要人の見舞いも多く、VIPとして看護治療を受けたらしい。 REF.我は苦難の道を行く / 上坂冬子著
327 :
日本@名無史さん :04/11/17 12:24:49
>汪兆銘 傀儡だったし、使いみちがあるとおもったんだろ。
328 :
日本@名無史さん :04/11/17 13:07:26
毛沢東は露助の傀儡 蒋介石は英米仏の傀儡
329 :
日本@名無史さん :04/11/17 21:07:31
弐〇〇四年戦争
330 :
日本@名無史さん :04/11/17 21:43:15
蒋介石は傀儡とは言わないな。 毛沢東は言われやすい。が、後にソ連最大の敵となった。
なんでいわれないのか不思議だ、 南京落とされる前は、中国のほぼ全てを実行支配しており、 確かに傀儡ではないが、南京が陥落した段階で、 所詮軍閥のよりあつまりである国民党は事実上崩壊している。 実際その後マトモな戦闘など起っておらず、 空軍は米国の自称義勇兵で構成され、武器物資などは全て欧米の援助。 どう贔屓目に見ても、中国を実行支配している、独立国家とは言えない。
ドゴールもフランス代表だったし。 戦闘以前が問題なんじゃないか?
333 :
日本@名無史さん :04/11/18 00:22:43
蒋介石傀儡説は左右双方から盛んに言われたよ
ドゴールが正当性を与えられたのは戦後かと、 正当政府はあくまで、ビシー政権。
ビシー政権は傀儡政権の代名詞
おいおい、アメリカ(というか世界の大半の国)はそのビシー政府と国交を結んでたんだぞ。
ドゴールなんて初期の段階じゃキチガイ扱いだからな。
338 :
日本@名無史さん :04/11/19 14:11:29
チャーチルも
339 :
日本@名無史さん :04/11/20 10:57:06
連合軍はみんなわるものか基地害
340 :
日本@名無史さん :04/11/20 12:17:31
-'::.:;;:-‐:.:.:.:.:.:.!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、::.:.:.:ヽ、:.:.゙、 ,'.:.:/.:.:.:.:.:.:.:.:.:..;!:.i:.:.:.:.:.:、:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ;::::.:.゙、:.:.゙! !,.'.:/:.:.:;.':.:.:.:.:.:.,.'゙!:.、:.:、:.:.:ヽ、:.:.:.:.、:.:.:.゙、:::.:.゙!::.:| .,'.:,イ:.:./:.:.:.:.:.:./ ゙、゙、:.ヽ;:.:.:.ヽ、:.:.:゙、.::.:.゙;:::.:.!i:.:! .,':;'::.:.:.;':::.:.:.:.:./,,__ ヾ,ヽ:゙、ヽ、:::.ヽ、:.゙!:::.:.゙!:::.|l.;! l::!゙i:.:..;!::.:.:.:.:;' _,,.`ヽミ、、ヾ:.、,.>,、、ヾ!::::.:|::.;'/ |:! ゙!::.;イ::.:.:.:;!ィ´!ノ:::::iヽ ヽ、 ` ,イ,ノ:::!゙ヾ::.:.;!iス、 赤い話をやめなさい . ゙! ゙!:| !::::.:.:| ゙!::::::ノ L::::ノ !|:/.:ヽヾヽ、 反逆罪は死刑だよ! ヾイ、:.:.,. - 、 ̄´ ,!!':.:.:.:.:゙、ヾヽ`ヽ、 ,.'i゙,' !::ヽ! \ ' ,.' ゙、:.:.:.:.:.:.゙! ゙!| ,! /,rl::!´゙!::.:.゙、. ゙、 ´ ̄ ,.::'.::::::::゙、:.:.:.:.:.゙! .i|:.. | .// |:! .゙、:.:.:゙、. ゙!-/⌒!_,..-'',!:「`_- _:.!|i:.:.:.:.| ! ,. ,! .,.':,' |! ゙、:::.:.:.゙! .:..l | |-‐''゙,'::::! i::ト、` i|_!:.:.:;'-'; ,' .,.'::::!:.. .:.゙、:.:,r' ー--ゝ、 {ニ´ッ::__::! l::゙、テ``!::/ ,! んヘ:゙、:.. .:::..,! 、...__ ゙!、゙、,ィ',´-::..、!:::゙、:. |/ | ヾ、:. .:.! `ヽ.! !,ィ´`` ‐--ヽ,_/ _,,.! i゙ .{ '' ´ ̄ヽ y /::.. !- ....二二-' .,! ..:. ,.._ァャ゙、 t‐ 、 ,ソ /:.. ;.ヽ、 / ,! .:ィ',./ム-'"ヽ、` ―'゙ /:::.. , i::. Y__, . ゙!:.,.:イ |::i /:::... ,.:':. :. . !、,.゙! `i !::! イ|:::::: ,.ィ'::. .. ,'.! !
342 :
日本@名無史さん :04/11/21 03:02:10
↑ 自分の事を言うな
「ウヨ」というレッテル貼りが好きな人が本当に多いね 特にこのスレは
「サヨ」という言葉は一回しかでていないのに
345 :
日本@名無史さん :04/11/21 22:19:28
支那軍は 15年間 負け通し
346 :
日本@名無史さん :04/11/21 22:25:33
左翼は自分が中道と勘違いしている。 だから世間のほとんどの人は右翼と思っている。
>>343 スレタイや1に喧嘩を売ってるのがウヨだから仕方ないだろ
右翼は自分が中道と勘違いしている。 だから世間のほとんどの人は左翼と思っている。
349 :
日本@名無史さん :04/11/21 22:43:31
支那軍は十有余年も戦はず 戦終って年数水増し
350 :
日本@名無史さん :04/11/22 09:27:48
あな醜く十五年戦争と呼ぶ人の 顔をし見れば猿に似るかも
351 :
日本@名無史さん :04/11/23 09:36:08
左翼は無教養なので返歌が出来ませんw
352 :
日本@名無史さん :04/11/23 11:28:56
353 :
日本@名無史さん :04/11/23 13:19:05
反面教師という言葉がある。その人自身の言動によって、こうなってはならないと悟らせて くれる人をいう。岩波書店の「四字熟語辞典」には、「中国共産党が革命運動を続けていくな かで使われた語」と説明されている◆さすがは、その言葉を生み育てた本家というべきだろう か。チリのサンティアゴで小泉首相と会談した中国の胡錦濤国家主席が、反面教師として教え てくれたことは興味深い◆胡主席は首相の靖国参拝を批判し、「日本は歴史を鑑にしなくては ならない」と述べた。百歩譲って、いまの日本が歴史を鑑にしていないと仮定するとき、その 日本はどういう国に成り果てるだろう◆平和の大切さを歴史から学びそこねて、例えば、軍事 費をやみくもに増やす。例えば人権を軽視し、国民が政治活動をする自由を制限する。例えば、 よその国の領海を侵す…◆思いつくままに挙げてみれば、何のことはない。どれも中国がして いることである。「悪いお手本をまねてはいけませんよ」。胡主席は、親切にも教えてくれた のだろう◆防衛費の伸びはマイナス、政治犯や思想犯は存在せず、領海侵犯などしたこともな い。歴史を鑑にするという点では優等生ともいうべき日本に、靖国問題という教材にもならぬ 教材で講義を一席ぶつ。反面教師の先生も、なかなか楽ではない。
354 :
日本@名無史さん :04/11/24 01:49:51
// , - ' ', ', ゙、 ,:' // , , | !l ', ', ゙, ', ,',' l/ , l ',', ゙、 ',',', ',| | 皇軍将士にご武運あれ! {{ | { { |',', _',',ゝ-゙===‐- | | ! ll | ',', _',='´ ,,;==,、 | |r‐、 l {', ', ゝ",;=、 " ';:ヽJ';゙| | ) ! ', ゙,/!、 ヲ';ヽJ; '、_゙゙ノ ! ', ノ ', l ヽ '._゙゙ノ | ',. ', ,-、 | ゙、 ゙、-┐ | ', ', ゙、 ヽ i、. '-' / | ':, ゙, ', ', | `i ‐ 、_____, -'-‐‐' ', ':, ゙, r-‐‐、 ,-、 ! ヽ r| ', ヽ. ':, ノ -ュ‐´ } |ヽ/´/ / ':, \ ':, { 、_ `''i7'" }_,ィ´ ,' / ゙'ー-、 ヽ ':, i´ __ `Y /{ヾ , ,' / _,;;;===\ ) ':, ゙、 ゙'''"、 / ∧ ヾ,,{ / ,;=",,-‐ ' ' ゙  ̄ } / ':,
>>340 >>354 2ちゃんウヨ=アニヲタ
武器や美少女が好きなオタクの典型。
社会的には弱者なので、中国や韓国の人を貶めて自尊心を保つ。
356 :
日本@名無史さん :04/11/24 10:39:12
そんならピカソのゲルニカはどうよ
355は、そんなやつらでも見下さないと、ちっぽけなプライドが維持できない、 社会の負け犬。
358 :
日本@名無史さん :04/11/24 19:22:47
その上ピカソのゲルニカを知らない低脳児
359 :
日本@名無史さん :04/11/25 00:15:55
赤は無教養なので絵心がない
ウヨ、アニヲタ、軍ヲタは、社会的弱者なんか? というかなんか君の発言からは、社会的弱者への偏見がみられるが、 ひょっとしてヒトラーの生まれ変わりじゃないですか?
361 :
日本@名無史さん :04/11/25 04:25:45
自己嫌悪だろう
362 :
日本@名無史さん :04/11/26 20:18:54
>>360 ウヨ、アニオタ、軍オタは間違い無く社会的弱者よ
同い年にその条件に完璧あてはまるヤツいるし。
眼鏡、角刈り、当然のコトながらスポーツできない。
韓国中国北朝鮮大嫌いでWW2のドイツヒトラー最高最高うるさいっての。
しまいには、反韓サイトを集めてフロッピーにいれてやがんの
だめぽ
363 :
日本@名無史さん :04/11/26 21:22:39
364 :
日本@名無史さん :04/11/26 21:28:15
総連じゃないの
いや362はただの社会的弱者だよ。 虐めちゃダメだよ。
366 :
日本@名無史さん :04/11/26 22:04:10
まぁ362の言ってるコトは事実といえば事実かと・・・
367 :
日本@名無史さん :04/11/29 23:46:35
ヒットラーは天才
368 :
日本@名無史さん :04/11/30 22:00:00
age
369 :
日本@名無史さん :04/12/02 00:58:44
用も無しにあげるな基地外
370 :
日本@名無史さん :04/12/02 08:35:48
いまどきフロッピー使ってるのは左翼だけ ファルーじゃの押収電算機を見よ
371 :
日本@名無史さん :04/12/02 09:55:15
何故 BF1942 でドイツ軍が北アフリカ何ぞで戦っているかというと イギリス軍にボコボコにされたムッソリーニがヒトラーに泣きついたことによる イタリア軍の「尻拭い」です 25万の兵力で3万5千の英軍にボコボコにされるイタリア軍 拠点を通り過ぎて 6 倍以上の距離を撤退するイタリア軍 戦艦が巡洋艦から逃げるイタリア軍 水の貴重な砂漠で疑問無しにパスタを茹でるイタリア軍 で優雅に朝飯の準備をしていて奇襲をくらうイタリア軍 俺も眠いから敵も眠い…… と歩哨も立てないで夜襲をくらうイタリア軍 もう十分に勝ったからここらで一休みを…… とヘタレてロンメルに怒られるイタリア軍 御宅の大将どうにかしてください…… とベルリンに直訴してロンメルに怒られるイタリア軍 最も重要なのは「戦争が終わってみたら何故か戦勝国」のイタリア軍
372 :
日本@名無史さん :04/12/02 11:31:28
イタリアと同盟したら必ず負ける。
373 :
日本@名無史さん :04/12/02 21:24:18
その書き方だとイタリアって凄いみたいジャン
374 :
日本@名無史さん :04/12/03 09:13:14
最弱の軍隊と最強の外交!
375 :
日本@名無史さん :04/12/03 09:53:57
それに引き替え万邦無比の皇軍とやらは・・・ 外交もみるも無惨で イタリア以下決定ですね
376 :
日本@名無史さん :04/12/03 15:18:47
世の中に万邦無比の皇軍などという日本語があるか 国語の勉強してから書いてね
377 :
日本@名無史さん :04/12/04 12:22:41
国語力が無いので反論できない
378 :
日本@名無史さん :04/12/08 18:49:52
ヒットラー総統の生家ってもう取壊されちゃったの?
379 :
日本@名無史さん :04/12/11 00:43:58
_,.....、、、... ,. ;':´.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.`:.、 /`ソy' ヽく:ヽへ:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ /:.:.:i:.M:.:.:.:.:`:.:.:.:.゙;´゙;:.:.:.:.:.:.:i ;イ.:.:.l:;`゙';.:';.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.';.:.:.:.:.:.:l ,' l:.:.;'_!、 ';.:ト;'ト:.:i:.:,:.:.:.:i:.:.:.:.:.:.| ' lハ! `ト';:!ゞ-゙、ト:l:.:.i';レ‐、:.:.:! ! '゙; 、 ノl. ' }-';.:! ,'´ i:.:.:| ;:! 〈 ` ‐- ′ ',.../:.:.:.| ,':.:`:.、 、_-、 /!:.:.:.:.:.:.:.:l 死那蓄 ,':.:.:.:,:. ゝ _,,. '" ,′:.:.:.:.:.:.:.! _,、' ‐'´ '、 '| 丶、:.::l . /: \\ ';‐、 ,┤ ヾ! . ,'` 、: :.\\__ ';‐-‐7 //゙, ;: : : ゙:、: :i:`:.‐ァく..,_ '; :.;′l`,、/: ; ':.', ,ノ: : : : :.゙:、!: : : ``:.‐、∨..-:'´: : : l': : : i 〉: : : : : : :.|:_: : : : : : : []: : : : : : : :'; : : :', ,': : : : : :,:/: :`:、‐'ヽ:.:.:!:'; : : : : : : :.i: : : :', ,ノ: :,: -‐'´: : : : : : '、 .}  ̄`ヽ、:.:|: : : :.゙:、 . i: :´: : : : : : : : : : : :./-'‐-‐ ''" '‐` ゙'` ̄ヾヽ ̄` 、
380 :
日本@名無史さん :04/12/12 11:10:35
法螺吹き左翼の15年戦争の称は、白髪三千条、どんどん増えてく南京40万人大虐殺と同じ支那人の誇張である
>>380 しかし重要点が満州事変である事に変わりない。
後の拡大派の動きも押さえられなくした。
石原は満州に専念する考えだったが、後任の武藤は「石原のまねをするだけ」と言いながら、盧溝橋を期として中国に対する強硬論を通した。
382 :
日本@名無史さん :04/12/13 02:21:34
× 中国 〇 支那
石原の真似云々は徳王でしょ。盧溝橋事件は関係ない。
385 :
日本@名無史さん :04/12/13 10:18:25
関係があっても無くても戦は八年 嘘をついては駄目ダメよ
>>385 だったら100年戦争も嘘つきになるな
無意味なクズ
387 :
日本@名無史さん :04/12/13 14:08:59
百年戦争は百年やってる 味噌も糞も一緒にするなうそつきやろう
389 :
日本@名無史さん :04/12/13 14:18:48
「韓国・朝鮮と日本人」 若槻泰雄 1989 原書房 続発した不法行為 総人口わずか1%以下の在日朝鮮人の公務執行妨害は21%(1949年)、 騒擾のごときは83%(1948年)、そして密造酒は全密造酒の30%近く(1953,54年)、 ことに覚醒剤の販売量では全量の60〜70%を占めるという有様であった。(1953,54年) 公安調査庁坪井豊吉氏は、終戦後間もない頃の在日朝鮮人の犯罪状況について 『法務研究』に次のように書いてある。 本期における大きな傾向としては、個人的感情にもとづく報復的詐欺、脅迫、暴行などの 一般犯罪のほか、いわゆる親日派民族反逆者への監禁、暴行、あるいは・・・・・帰国問題に 起因する不穏行動、各地の保安隊、警備隊(朝連の自衛組織)などの警察類似行為、 主食の集団要求や買出し、彼ら同士の派閥抗争などがみられた・・・・・またそれらの中の 主な事件は、各地における集団強窃盗、官公署への横暴な態度と不当な要求、建築物の 不法占拠、汽車、電車、バスなどの不法乗車、生産管理、人民裁判などであった・・・・・。 彼らの不法行為は、敗戦による日本側当局の無気力と消極的な処置に乗じてやたらと増長され、 戦後の混乱をいっそう助長するところとなった・・・・・敗戦の混乱におびえるに日本の 一般社会人心は極度に不安な環境におちいり、一時は全く無警察状態が各方面に現出された。 彼らの不法行為が、一般日本人はもちろん、在留外国人の間にまでも、彼らの性格が 事大主義で、遵法精神が薄く、感情的で、極端な凶暴性をもっているとの深い印象を植え付けた ことだけは、まぎれもない事実のようである。 この時代は、特にその初期は右翼と称される民団、建青などによっても数々の不法行為が 敢行されていた・・・・・ 騒擾(そうじょう=不平分子が集まり騒いで社会の秩序を乱すこと 『騒擾罪』 ) 民団(在日朝鮮居留民団→大韓民国居留民団)、建青(朝鮮建設促進青年同盟) 謝 罪 す る の は 鮮 人 の 方 だ
張作霖殺害からの「17年闘争」が正しい
>>384 石原、武藤論争はチャハル事件の時でしょ?
第2次上海事変の時というのは捏造だよ。
>391 武藤(拡大派)が強硬意見を通したのは盧溝橋停戦直後の派兵だろ。 後に石原に詰問されても「あなたの真似をしただけ」と言った。 反論できない石原。 強硬意見ばかり通るブレーキの壊れたトラックの様な日本。 事故を起こすのも当然。
>>392 横レスだが貴方間違っているよ、
石原をそういってやりこめたのガ、俗にいう華北分離工作の時期で、
盧溝橋停戦直後の時期ではない。
どっかの糞ゴミ漫画家もこの頃に石原がやりこまれたように書いていたが、
これは間違いです。
395 :
日本@名無史さん :04/12/14 18:13:36
__ , ────── 、__ , - ':::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\ / ;;;;;;;:::::::::::::::::::::::::::::::::;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;\ /,,;,,,,, ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; ,,,,,,,,;::::::丶 / :::::::::;;,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,;:::::::::::::::::::ヽ i゙:::;:::::||::::::,!i:::::::::::,|i::::::::::::::::::;:::::::::::::::::::::::::::::::゙i i゙::::|;;;;| |;;;;;| |::::::::::| |:::::::::::::::::||::::::::::::::::::::::::::::::::| . i゙::::::i ''''''''''' '───' |;;;;;;;;;;;;::::::::::::::::::::| .|:::::::|,-====-´ ゙ヽ,,,,,,,,,,,,,、 |:::::::::::::::::::| |;::::::::|,-──、 ~ニニ,,_` |:::::::::::::::::::| `ヽ、i (、i´ノ ´い,, ノ ' |;;;::::::::::::::/ なんで左翼は年数誤魔化すん? . i ^~~~ー==─ ー'-+、 /^゙-、;;;;/ { ヽゝ '-'~ノ λ ''゙゙''-''-─、 /-'^" ヽ,_ ^~^ ( /`''丶、 , - /^l / /( ノ `'''''''´~ _, - ' ~ ゙i、 { / /| ̄ ̄ ̄ ̄ _,-'^¨ } {/ / ゙ー────'~ \| / ヽ \
396 :
日本@名無史さん :04/12/14 19:33:56
>>392 石原武藤論争が盧溝橋事件勃発後というのは有名な捏造だよ。
>>393 も言っているが、それは華北分離工作の時。
それまでと違って盧溝橋事件以降の一連の事件はすべて
中国側のイニシアチブで始まっている。
397 :
日本@名無史さん :04/12/14 19:53:40
盧溝橋を好機ととらえた軍人も多かったね。 「愉快なことがおこったね」武藤作戦課長
>>396 有名な捏造というソースはどこにある?
ソースの提示までは392の言う通りとする。
399 :
日本@名無史さん :04/12/14 20:55:54
ソースは必要ない! 日本は正しいのだ!
400 :
日本@名無史さん :04/12/14 20:58:45
とりあえず盧溝橋で謝罪しとけ
401 :
日本@名無史さん :04/12/14 21:16:36
>>391 、
>>393 が正しい。
「私たちは石原さんが満洲事変のときやられたものを模範としてやっているのです。
あなたからお叱りを受けようとは思ってもおらなかったことです」
すいえん事件のとき、これを止めようと満洲に出張した石原に対し関東軍の
武藤第二課長が言ったことば。昭和11年11月20日のこと。
402 :
日本@名無史さん :04/12/14 21:23:41
盧溝橋のあと、拡大賛成派の軍部いたね。
>>401 「すいえん 武藤 石原」
でググっても、それらしいページが出てこないが。
ソースの提示までは392の言う通りとする。
そんな安易な軍事的冒険に過ぎない程度の戦力でしかも逐次投入では中国軍に勝つどころか返り討ちに合う危険すらあると思うが。
406 :
日本@名無史さん :04/12/14 21:45:58
55億円投入、15師団同時投入と言う案もあったらしいw
中国側は攻めてくる日本軍の侵略を迎撃するという防備体制より 日本軍を中国から追い出すという攻勢的態勢を取っていた。 強力な防御線を何十にも敷いて日本軍に出血を強いるというような準備より、 日本軍の戦力が増強される前に数の優位で日本軍を一掃してしまおうと考えていたと見える。
上海の陣地に日本軍を誘引して殲滅するつもりだったんでそ
1938年に漢口を制圧した時点で日本軍の戦死者が10万(約7万)を超えていないというのは少なすぎる。 蒋介石が演説で一寸の領土が残っている限りさいごまで戦うといっている割には 日本軍は割りと難なく進撃できたのは蒋介石が演説やスローガンに熱を入れたが 実際の地雷の敷設や防御線の要塞化を怠っていたのではないだろうか。
410 :
日本@名無史さん :04/12/14 22:20:21
>>407 当然の戦略ですな。北支がとられちゃうんですから何とかしないと。
何か不満でも?
見当はずれなことをだらだら書いてる奴がいるけど、釣りなのかリアル馬鹿かどっちだ?
日中戦争における日本軍の人的被害は日本側の記録で50万、 中国側の主張は200万とあまりにも開きがありすぎる。
413 :
日本@名無史さん :04/12/14 22:39:27
-'::.:;;:-‐:.:.:.:.:.:.!:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.ヽ、::.:.:.:ヽ、:.:.゙、 ,'.:.:/.:.:.:.:.:.:.:.:.:..;!:.i:.:.:.:.:.:、:.:.:.:.:.:.:.:.:ヽ;::::.:.゙、:.:.゙! !,.'.:/:.:.:;.':.:.:.:.:.:.,.'゙!:.、:.:、:.:.:ヽ、:.:.:.:.、:.:.:.゙、:::.:.゙!::.:| .,'.:,イ:.:./:.:.:.:.:.:./ ゙、゙、:.ヽ;:.:.:.ヽ、:.:.:゙、.::.:.゙;:::.:.!i:.:! .,':;'::.:.:.;':::.:.:.:.:./,,__ ヾ,ヽ:゙、ヽ、:::.ヽ、:.゙!:::.:.゙!:::.|l.;! l::!゙i:.:..;!::.:.:.:.:;' _,,.`ヽミ、、ヾ:.、,.>,、、ヾ!::::.:|::.;'/ |:! ゙!::.;イ::.:.:.:;!ィ´!ノ:::::iヽ ヽ、 ` ,イ,ノ:::!゙ヾ::.:.;!iス、 赤い話をやめなさい . ゙! ゙!:| !::::.:.:| ゙!::::::ノ L::::ノ !|:/.:ヽヾヽ、 反逆罪は死刑だよ! ヾイ、:.:.,. - 、 ̄´ ,!!':.:.:.:.:゙、ヾヽ`ヽ、 ,.'i゙,' !::ヽ! \ ' ,.' ゙、:.:.:.:.:.:.゙! ゙!| ,! /,rl::!´゙!::.:.゙、. ゙、 ´ ̄ ,.::'.::::::::゙、:.:.:.:.:.゙! .i|:.. | .// |:! .゙、:.:.:゙、. ゙!-/⌒!_,..-'',!:「`_- _:.!|i:.:.:.:.| ! ,. ,! .,.':,' |! ゙、:::.:.:.゙! .:..l | |-‐''゙,'::::! i::ト、` i|_!:.:.:;'-'; ,' .,.'::::!:.. .:.゙、:.:,r' ー--ゝ、 {ニ´ッ::__::! l::゙、テ``!::/ ,! んヘ:゙、:.. .:::..,! 、...__ ゙!、゙、,ィ',´-::..、!:::゙、:. |/ | ヾ、:. .:.! `ヽ.! !,ィ´`` ‐--ヽ,_/ _,,.! i゙ .{ '' ´ ̄ヽ y /::.. !- ....二二-' .,! ..:. ,.._ァャ゙、 t‐ 、 ,ソ /:.. ;.ヽ、 / ,! .:ィ',./ム-'"ヽ、` ―'゙ /:::.. , i::. Y__, . ゙!:.,.:イ |::i /:::... ,.:':. :. . !、,.゙! `i !::! イ|:::::: ,.ィ'::. .. ,'.! !
415 :
日本@名無史さん :04/12/15 02:32:06
皆様こんにちは私は地元のPTAで教育委員会の書記を務めております主婦です。 少し前に、NHKで紹介された「ほしのこえ」という、 マンガのDVDを是非みたいと息子(29歳、無職)が言うので買ってきて見てみました。 うちの息子は今日も自分の部屋で、 「ミカコたんハァハァ」と一生懸命DVDを見ています。 うちの息子は心が清らかで正義感が強い優しい子なので無理もありません。 さて、このマンガは、主人公の女の子がいきなり宇宙で戦わされます。 私はふと、かつて若者が「赤紙」1枚で無理やり兵隊に取られた過去を 思い出しました。そんな時代はもういやです。 新海さんには、戦争で亡くなった家族や親戚の方はいないのでしょうか。 平和を愛する人間らしい気持ちはないのですか! なによりも平和が一番です! 日本はアジアの国々への賠償金も払い終わっていないと言うのにです。 また国連軍という軍隊に参加しているという話ですが これも昨今の国連中心主義に名を借りた米国追従政策を肯定しているようで 私は一抹の不安を感じずにはいられませんでした。 侵略戦争はいつも「お国のため」といったきれい事のもとに行なわれるのです。 このマンガが、軍国主義を扇動している危険なマンガに見えるのは、私だけでしょうか。 NHKは不偏不党と言うのは、真っ赤なうそだと、朝日新聞や本多勝一さんも 書いておられます。実際には、世界に誇る平和憲法をないがしろにする、 危険なマンガを宣伝しているのです。 私には、このノボルという少年の行動は 平和なアジアを侵略する 新たなる戦争へと若者を駆り立てる 軍靴の足音に聞こえてなりません。 ほしのこえならぬ、「しんりゃくのこえ」の時代はもうたくさんです!
>>415 「ほしのこえ」って調べてみたら、やっぱりアニメか
一般人は知らんよ
ネットウヨってキモいアニヲタだね
417 :
日本@名無史さん :04/12/15 09:35:11
↑ ネットサヨ
ほんとウヨってアニメに詳しいなw まあ2ちゃんウヨ限定だろうがw
図解:これがネットサヨク / ̄ ̄ ̄ ̄\ ←成績が悪かったので、何でも許してくれる甘いサヨク教師にしか寄り付かず、洗脳された。 ( 人____) |ミ/ ー◎-◎-)←「しゃべり場」は毎回見てる。 (6 (_ _) ) __| ∴ ノ 3 ノ ←国家や権力を「批判」してる自分に酔っているが、自分では何も出来ない不平豚。 (__/\_____ノ / ( )) ))) []___.| |戦争反対 ヽ←「2ちゃんねら=キモヲタ引きこもり」という単純なレッテル貼りによって、 |[] .|_|______) 2chの右傾化を都合良く合理化しているつもりだが、実は必死。 \_(__)三三三[□]三) /(_)\:::::::::::::::::::::::|← 従軍慰安婦の本を読み漁りながら、実は別の興味に駆られている。 |週刊金曜日|::::::/:::::::/ (_____);;;;;/;;;;;;;/ (___[)_[) ←先祖の名誉を踏みにじることによってしか、アイデンティティーを維持できない。
420 :
日本@名無史さん :04/12/15 12:27:34
15年戦争の原因は日本だね。
421 :
日本@名無史さん :04/12/15 16:55:42
↑ ばか
422 :
日本@名無史さん :04/12/15 22:09:37
15年にわたる中国の戦いこそが連合国勝利とファシズムの敗北を決定付けたといえよう。
424 :
日本@名無史さん :04/12/15 22:40:24
理由を述べよ
ファシズム?中国とイタリアが何時戦争してたのよ?
426 :
日本@名無史さん :04/12/16 09:27:32
赤い基地外だ 議論も物凄く弱い引篭り 放置汁!
427 :
日本@名無史さん :04/12/16 16:32:49
/⌒\ ( ) | | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ | | ∠ ちんこもみもみ も〜みもみ ♪ ( *゚ー゚∩ \__________ )つヽノ .し(_)
428 :
日本@名無史さん :04/12/19 00:19:32
品は連合国の勝利に大して貢献していない 大東亜戦争の本質は海洋航空作戦だ
429 :
日本@名無史さん :04/12/19 11:58:47
大量の日本軍を中国に張り付かせた
中国が100万日本兵を引き受けていなければアメリカは容易に太平洋で勝利できなかっただろうし 日本軍は容易に兵力を投入していただろう。
日米戦は海洋航空作戦。 つまり大事なのは兵力じゃなく、飛行機と艦艇の数。
東部戦線でドイツ軍が大量の戦車と膨大な兵力を失った (ドイツ軍戦死者総数の六割以上!)のだからこそ、 英米による北フランス上陸が容易になったように 中国戦線で日本軍が受けた打撃が日本にとっての最も深刻な打撃だった。
中国戦線で日本軍は致命的な打撃を受けてません。 じゃあ太平洋ではどうかというと、やっぱり致命的な打撃は受けてません。 致命的だったのは米軍によって補給路を断たれたこと。 これによって日本の動員兵力のほぼ半分が、 東南アジア各地で補給も本土への撤退もままならない「死に体」に追い込まれ 殺されることなく、戦略的価値を失った。
434 :
日本@名無史さん :04/12/20 00:32:55
半分だけ正しいな でも残念ながら日本の戦力は洋上で破砕されてるよ 戦争には決戦と持久戦がある 君にはその区別が無いようだ 東南アジアの部隊なんて、決戦には重要でない
435 :
日本@名無史さん :04/12/21 14:21:06
日本軍は最強
436 :
日本@名無史さん :04/12/22 00:54:51
左様、世界最強!
437 :
日本@名無史さん :04/12/22 03:12:24
てかソレンとはツルんどくべきだった。
>>437 ソ連は仮想敵国だから半島や満州を確保しようとしたんだろ
439 :
日本@名無史さん :04/12/23 18:23:07
;'.,;!:: i:::::::,' ヽ. | i _,,,,,_ ,' |::: |::/r‐'''''‐-、_ヽ.__!,、-'"~ ,i プル ,'/i:::: |:}::::〔 , ‐-} }=-'_" ヽ、 プル ,,、、_‐,,,,,~、、{{ヽ::: !=;‐-{'" ,,-‐i''''ヾ\`==‐-',、 -‐-、 ,、‐'''´ ヽ::::::::::.....ノ、 \ー;;;;/ / ___ヽ. `、\ ノ ヾ'',´ ̄~~`'‐ 、,ヽ、 r' ヽ--‐'"ヾ.ヽ `ヽ~_ /-=、,,,,ヽ. ,、‐'"ノ } ヽ. . { ヾ=;;、 ヾ'''‐-、、-‐' ~,‐'~ ,,、=ヽ. } ', ` 、,, `ヾ=、,,_ -‐''~_,,、‐;'~''~ i ; i ', \ ~'''‐-‐''~`''''" ,'´ i ヽ、 `;、 .; 丿 ノ ` 、_,{ `‐、_ ,米 ,、' ~`y' ) r' ~`'rr-、、,,,_ ,ノ"゛ _,、< ,;;ゝ `~`i' ,'r´:::::::::`;丶、 ,_ _,,、-'´,ノ ,ノ ,、 ‐'"`, ';‐'" ,' ,','::::::::::::::,' ````` `"´ `"´~`''''''''''T´::::::::::::::',', | i ,','::::::::::::::,' ',::::::::::::::::::ii :! ,r'" ,','::::::::::::: ,' ',::::::::::::::::::!! i、 r''"' ノノ:::::::::::: ,' ',::::::::::::::::',', i!ヽ {____,、-'/:::::::::::::;;' ',:::::::::::::::::ヾ
440 :
日本@名無史さん :04/12/24 23:47:54
↑ ソ連は糞だといいたいのか?
441 :
日本@名無史さん :04/12/25 00:39:01
実際のトコロ、 中国戦線の後期は日本軍も8路軍に押されてたんじゃないの? 人海戦術のゲリラ相手だし、物資、弾薬も滞ってたんだろ。 日本軍は中国では大戦後期も勝ちつづけていたってのはウソだろ、マジレス。
いやそれマジでいってんの釣りじゃないの? 八路軍が人海戦術なんて当時とれるわけないし、 ゲリラ戦術が上手かっただけ、いわば、後方撹乱がお仕事であって、 日本軍を八路軍が押し返すなんてそもそも無理なの。 また援助を十分得られないのは八路軍にも国民党軍にも言える事で、 日本軍と同じように滞っていたわけ。 ま、国民党軍より強く、また規律正しかったってのは事実だけどね。 向こうに渡った人も、国民党軍は10倍いても負ける気がしないが、 八路軍はかなり強かったと評価しているし。
>>433-434 だな。
「補給路を断たれた」のが致命的だったことは確か。
だがそれは外地軍という手足を縛られたことが致命的なのではなく
本土へ栄養を運ぶ血管をブチ切られたことが致命的だったわけで。
444 :
日本@名無史さん :04/12/25 21:54:29
日本軍が品軍なんかに押された事実があるなら挙げてみろ。 知らない香具師は口を出すな。 迷惑だ。
1944年6月ミンスクでドイツ中央軍は50万近い死傷者を出しほぼ潰滅した。
446 :
日本@名無史さん :04/12/25 23:51:07
そうかも知れないが、支那事変には何の関係も無い。
447 :
日本@名無史さん :04/12/26 00:40:33
フランスの国際法学者フォーシーユは、日本軍について次のように語っている。 「日中戦争で日本軍は、敵が国際法を無視したにも拘らず自らはこれを守り、 日本軍人であることに誇りを持っていた。 中国兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊で、例えば中国軍の捕虜になると、 四肢を斬り分けられ、生きながらに火炙(あぶ)りにされたり、磔(はりつけ) にされたりしたのである。 更に日本兵の屍に対しても、酸鼻を極めた蛮行を行っている。 即ち死者の首を切り落とし面皮を剥ぎとり、或は男根を切り落し、胸部を 切り開いて石を詰め込み、首は両耳を穿って紐や針金を通し、さながら魚 を串刺しにしたように口から喉に紐を通して持ち運びする等々、それが中国 軍の戦争様式であり、日本軍には絶対に見ることのできない支那の戦争文化 である」
448 :
日本@名無史さん :04/12/26 10:22:07
その通り それは当事、一種常識だったんだが、近頃の若いもんは敵占領軍の洗脳教育で 何も知らないから、日本が悪いなんてトンデモ説になるんだな
449 :
日本@名無史さん :04/12/26 23:56:07
>>444 芷江作戦において「支那兵は弱い」とすることの不可能を悟っただけで
なく実際の戦場では局所的には圧倒される事もあった。
我軍は二万八千名もの死傷者を出し敗北した。
支那兵なんかといわれるが、戦争体験者が命がけで戦った相手であり、
たとえ敵であろうと愚弄することは、我軍の英霊に対する愚弄にもなる。
日本人は、戦場に散華した戦友並びに敵兵士の冥福をも祈ったのでは
ないのか。その事を考えて頂きたい。
450 :
日本@名無史さん :04/12/27 00:37:26
君の武士道は了解した。 でも、事実に於て支那事変は百戦百勝だよ。
し江作戦は確かに負け戦だよ
452 :
日本@名無史さん :04/12/27 01:09:38
>>450 芷江作戦が、日本軍の敗北ではないと言う根拠は如何に。
453 :
日本@名無史さん :04/12/27 23:58:41
じゃあ数字を出したまえ 君は軍事や戦死の判らない人だろう? 洗脳されてるよ
人民のファシストへの鉄槌「バクラツィオン作戦」は ファシスト侵略者を祖国の領土から完全に一掃し、1945年の ファシスト降伏及び帝国議事堂における赤旗掲揚の橋頭堡になったことは 紛れも無い事実である。
455 :
日本@名無史さん :04/12/28 01:25:36
>>453 戦傷者二万五千名と書いておる。これは「大東亜戦争研究室」の資料で
中支軍の第二十軍によって実施された、この作戦は「潰走状態で退却した
我が軍の損害は死者約一万五千名、戦傷者五万名に達した。」との資料も
ある。(普通戦死者1名に対し戦傷者3名で1対3であるが)。
じゃあ、逆に君は軍事、戦死についてわかっておられるのか?
誰に洗脳されておるのか。洗脳されておられるのはあなたではないのか。
456 :
日本@名無史さん :04/12/28 01:30:26
上記は二万五千でなく、戦傷者二万八千名である。
横レスだが、中国側の兵力と死傷者も示さないと意味ないと思うのだが。
>>455 公刊戦史を見るかぎりではシコウ作戦の戦死者数は出ていないようなのだが、
具体的にはどういう資料なのですか?
「大東亜戦争研究室」
とは何ですか。
よろしく。
また、たとえば雲南戦の日誌両軍の戦死者数など、
今迄見たこともないし、日支事変の戦闘詳報には
この手の資料がキチンとまとまっているようで、まとまってない、
ような気がする。
太平洋戦線では米軍の(まことしやかな)数字が定着してますが。
資料
460 :
日本@名無史さん :04/12/28 01:50:40
客観的事実として、君が軍事や戦士を学んだことが有るのか 無いのか、胸に手を当て考えてみたまえ 君のいい分は珍説を通り越してトンデモ説に過ぎない 知的に孤立しているから、それが判らないのだ
461 :
日本@名無史さん :04/12/28 02:41:01
>>460 軍事についてお詳しんかのう?わしのどの部分が知識がないんか。
どの部分が珍説か。ほうトンデモ説とはのう。
客観的事実とやらも、あんたの主観じゃろうが。
知的に孤立しているたあ、なんのことなら。おどれが言うことは
抽象的すぎるど。人を洗脳じゃあ、愚弄しおって、自分の知識は
いわんのか。わりゃ、はっきりいわんかい。
>>458 どの国でも自国の都合のよい数字が出ますが、二万八千名は
サイト「大東亜戦争 研究室」から「戦史甲一号作戦他
支那大陸作戦」の、しこう作戦から見つけたものです。
www.geocitics.co.jp/WallStreet/2687/home.html?
だったと思いますが。
462 :
日本@名無史さん :04/12/28 18:16:09
戦死者数で勝敗を語るんなら、 ドイツはソ連に勝利した。 (ノモンハンはその基準でもソ連勝利だけど)
463 :
日本@名無史さん :04/12/28 19:29:25
「大東亜戦争研究室」 って偏りまくってるな 掲示板が無いのも当然かw
464 :
日本@名無史さん :04/12/28 19:36:13
軍国主義はやめましょう
ttp://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/general/colonel/banzai2.html 昭和20年1月29日、支那派遣軍は第二十軍に対し?江作戦を発令した。
当面の敵は湯恩伯の第三方面軍であった。第二十軍は第百十六師団及び
二聯隊を基幹とし、?江以東の地区において当面の敵を撃破し、
次いで?江の航空基地群を占領する企図の下に、4月中頃宝慶及び東安より
西進を開始せるも、4月末洞口南北の既設陣地附近において攻撃頓挫し、
27、8個師団を算する敵の攻勢に会った。坂西軍司令官は尚も強気に攻撃を
続行しようとしたが、支那派遣軍作戦課長西浦進大佐は総参謀長
小林浅三郎中将と謀り、この上は深入りをせずに思い切って作戦を中止するを可とし、
軍司令官岡村寧次大将に具申した。岡村もこれを容れ、5月9日、支那派遣軍は
作戦中止を命じ、第二十軍は戦線を整理、6月上旬宝慶附近に撤収した。
>>462 ばか?
死傷者数はソ連側が多く、その上ソ連は領土の獲得も失敗したんだけど。
日本は中国戦線で膨大な兵力と軍備を失ったからこそ英米に対して日本が装備・兵力不足に陥り敗北したという意味では 中国は連合国勝利&枢軸敗北に貢献している。
>467 中国戦線なんか大した損害も出してませんよ。 また、太平洋戦線での装備・兵力の不足は99.9%までが途中の輸送路確保の失敗のせいで (もともと策源地からウン千kmも離れたところに、迅速に大兵力を集中させるなんて そんな離れ業に耐えられる国力はありませんでした)、 仮に中国戦線に投入されてた戦力をすべて南方に回そうと決意したとしても 船腹不足で港近くに待機する部隊が激増するだけの話です。
469 :
日本@名無史さん :04/12/28 23:39:54
>>463 偏りまくっている言うのは、あんたの主観じゃ。
どこが偏っておるんか具体的にゆうてつかい。
スローガンやプロパガンダを繰り返す、つまらん左翼と変わらんど。
ほいで460は、知的に孤立しとるんがおかしい言うが、
われは、孤立しとらん思想ゆう権威をかさに着あがって、
ものをゆうしか出来んのか。付和雷同かいの、植民地根性よのう。
中国戦線は日本にとっても大きな損害を受けていた戦場ですよ。 満州を除いて戦死者のみで45万5700名。負傷者は別になります。 戦争をしていた8年という期間を考えると大したことが無いように思うかもしれませんが、戦死のみでこれは実に大した数字です。 勿論中国の損害は数倍大きなものですが、強力な日本陸軍戦力を拘束し、少なくない損害も与えていたのです。
>470 その兵力が南方に行ったところでまったく戦況変わりませんがねw
日中戦争における中国軍の戦いぶりこそが枢軸敗北と連合国勝利を決定付けたと言っても過言ではない。
しかしながら「し江作戦作戦」での被害については疑問も有ります。 上であげられている死傷28,000名という数字の他、死傷4,000名、或いは戦死3,000以上+負傷7,000名という説も書き添えておきます。 但しどう言い繕っても「し江作戦」が負け戦なのは確かです。 「抵抗頑強であって我が損害多発し、遂に五月九日、総司令官は攻撃の中止を命令するに至った。」 大東亜戦争全史 服部卓四郎著 中国軍の損害は不明ながら、作戦目的を達したのが彼等であることは日本側資料で証明できてしまいます。
>>471 氏
それが変わるのですよ。
「戦争の結末」というなら大きく変わらないのは同意ですが、戦況は違ってきます。
小さな島の10や20に増援したところで蛙とびされるのがおちですが、比島、台湾、沖縄等迂回困難な地点、或いはビルマに派遣された場合連合軍にとって厄介です。
勿論これらのいくつかも飛ばされるでしょうが、戦わねばならない地点は確かに存在します。
史実で米国が太平洋に回せた陸軍兵力には限りがあり、海没等で戦力の低下した日本軍守備隊相手の戦闘でも無視できない被害を受けています。
米国の勝利は全く動かないとしても、敗戦時期がずれこむ恐れが少なくありません。
事実、米陸軍は日本陸軍主力が撃破されていないことを戦争終結まで意識していたようです。
国民党軍によると被害は200万強。 アメリカの調査で共産党などの軍閥も含めれば、300万 共産党の主張によると、軍民合わせて3000万らしい。 どれにしても、苦戦らしい苦戦はしてないと思う。
>>475 日本軍自身が苦戦を認めているのですよ。
兵力の絶対数が中国側に有利ですから、日本軍は圧勝を続けなければ最終的に不利になります。
特に「第二次長沙作戦」や「し江作戦」は敗北といっていいでしょう。
「衝陽戦」は最終的には日本勝利ですが、これはかなり苦戦といっていい戦いです。
日本は総じて有利に戦っていましたが、戦争の勝利に結びつく勝利にはならず、無視できない損害を受けて主戦線に支障をきたしたとはいえます。
そして死傷以上に、中国に投じられた弾薬等の物資を考えれば中国の抗戦意義は大きなものがあります。
それは末期も末期だろ、動員した兵力も数個師団で、 全体からみれば微微たる物、戦局をかえるものではない。 イタリア軍だって、極地戦で一次的にくらいは勝ったことはある。 だが、イタリア軍が有利に戦闘をおこなったことはない。それと同じだ。 極稀な事象では、全体の戦局は変わらん。 日本軍は大陸では敗北らしい敗北は一つもなく、常に勝利だったというのもまた間違いとは言えない。 そして中国軍といっても、 武器はほぼ完全に米国製を完全装備で、軍事顧問も米国人。 中国軍の力かと言われれば疑問。
シコウ作戦での死者など、大陸での死者の1パーセントにも満たないしな。
479 :
日本@名無史さん :04/12/29 02:04:29
衛陽戦での日本軍は悪戦苦闘であった。 第十三師団の百十六連隊は、小水舗付近の陣地戦において 敵は意欲的で、頭上の空が黒くなる程射ちまくり、突撃を繰り返した。 百十六連隊の一個中隊全滅という状況だった。 第五十八師団では、歩兵十二個中隊で大隊長全員戦死。 将校は連隊中十名生存。中隊五名の所もあった。 我が軍は「冬季作戦」や「第一次長沙作戦」でも苦戦し、 散々に苦杯をなめた部隊もあった。 日華事変は北支戦から激戦で、行軍のみの部隊は別として、 最前線で闘う部隊は、ほとんどが苦闘、激戦ともいえる。
日華事変での兵士の感想でこんなのをよく聞く。 国民党軍は弱かった、ちょっと強気にでれば、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。 5倍くらいまでなら、負ける気はしなかったそうです。 これは従軍兵士の普通の感覚だったそうです。 実際各地の会戦での両軍の兵士、結果、両軍死傷者をみてもこれは明らか。 最前線で戦う部隊は、勲章をもらうためにいくようなもので、非常に楽だったそうです。 だから、司令官が変わるたびに、〇〇に侵攻というふうに計画がなされました、 得点稼ぎに過ぎないんですよね中国軍なんて。
481 :
日本@名無史さん :04/12/29 03:34:50
>>480 その兵士の感想とは、どこの部隊かいの。
国民党軍は弱かったゆうが、そりゃあそこいらの農民を無理やり
連れて来て兵隊にしたんと、正規軍の栄誉1師や他に地方軍閥で
李宗仁の広西軍や張自忠軍、閻錫山の山西軍等は違おうが。
従軍兵士の普通の感覚じゃ。わしゃあ戦争体験者から聞いとらんど。
勲章をもらう為で最前線が楽じゃと。わりゃあ、最前線で闘うた兵士を
愚弄するんか、くそ外道か、おどれは。中国軍をけなす為の道具に
しあがって、ちいたあ恥を知れいや。
中国軍がまともに日本軍と戦っていればアメリカはソ連に対日参戦を要請はしなかっただろう。
敵1個師に対し我が方1大隊で互角という認識だった。 第二次長沙作戦に関しては阿南軍司令官の作戦が無茶だった。 全滅しなかったのは、相手の弱さに助けられたといえる。 し江作戦は誰もが認める負け戦。
>>481 どこを立て読みするんですか?
ひょっとしてマジ?
それなら反論しときますが、
八路軍を除いた中国軍が、敵にもならないくらい雑魚であったというのは共通観念ですが、それがなにか?
けなす為の道具?事実を客観的に指摘しただけです。
というより哀れで同情すら湧いてくるほどです。
私も何人も戦争体験した兵士に話しを聞きましたが、大陸で中国軍と兵士で苦労したと言った人なんて一人もいません。
なかには数十人で鉄砲を撃ちまくって突撃して、敵軍を総崩れさせて撤退させたと自慢?していた人もいました。
つか督戦隊がいる部隊が強い分けないじゃないですか、
兵士の殆どは、拉致されて強制的に戦わされているだけですよ。
最前線であればあるほど、苦戦したという認識はありません。
そりゃ何千という連隊がありますから、そのなかの一つか二つ苦戦したという人もいるかもしれません。
ですが、一般的ではない事象を指摘することになんか意味があるのですか?
485 :
日本@名無史さん :04/12/29 12:23:23
道を歩いていたら棍棒で殴り倒され、目が覚めたら軍服着せられてますた
486 :
日本@名無史さん :04/12/29 13:08:49
精神病の真実 (政治板)
http://money3.2ch.net/test/read.cgi/seiji/1102516267/l50 世界大百科事典 精神分裂病と向精神薬 より抜粋
「分裂病の原因はなお不明だが〜発生頻度はあらゆる民族,あらゆ
る時代を通じ不変で, 0.7 〜 0.9 %程度とされ,日本でも同様だが,
1963 年の全国調査以後は信頼できる統計がなく,近年の頻度に増減が
あるか否かは明らかではない。」
「精神分裂病には抗精神病薬を数年にわたって長期与薬しなければなら
ぬが,あまり長くなると口や舌がもぞもぞと動いてしまう遅発性ジスキ
ネジアと呼ぶ副作用が出る。これを治すのは難しい。」
「向精神薬が脳のどこへどのように働くかについてはまだよくわからない」
「病気の機序が不明なところへ,作用のしくみがよくわかっていない
精神治療薬を与えて治そうというのには無理がある。」
487 :
日本@名無史さん :04/12/29 16:30:59
>>484 共通観念、また言葉遊びの抽象論か。あんたが愚弄した我郷土広島の
兵士は、八路軍も強いが、郷土愛の強い山西軍や南寧で闘った広西人も
強いといわれたし、名将今村均将軍も南寧戦を「40年に及ぶ長い
軍人生活の中で最も苦痛の激戦だった。だから心から神仏にその加護を
祈った」と語っておられる。
じゃけえ、戦争体験した兵士に、話を聞いたゆうんはどこの部隊なら、
どの戦闘で敵が弱かったか具体てきにいえいや。
督戦軍がおったら弱いゆうてきめつけとるが、陣地戦でも鎖に
くくられとるんが死に物狂いで射ってこうが。
最前線であればあるほど苦戦せんたあ、わりゃ、ほんま知能がない
くそバカタレじゃのう。自分の脳内で妄想しとるんか。
一般的でないじゃと、おどれがゆうんは抽象的観念論で客観性がどこに
あるんか。思想かぶれはバカが多いいのう。
南寧の戦いが苦しかったのは兵站線が途切れてたから。 補給なしで数倍の兵に囲まれて苦戦しないはずが無い。
489 :
日本@名無史さん :04/12/29 18:52:25
>>488 数倍どころではない。支那軍は約二十九万人。
包囲された日本軍は広島第五師団と台湾旅団の合計で二万五千名前後。
支那軍は、装備も新品、砲弾も豊富で、勇敢にして小部隊での
濾過侵入が巧み、彼らは夜間、音もたてず忍びよってくる。
そして狙撃技術は日本軍を上回った。我軍の捕虜となるのを嫌い手榴弾で
自爆する兵も散見。弾薬欠乏で銃剣と竹槍を用い、敵の死体からこれを
求めた日本軍に比べ兵力差が目立った。南寧防御は全く苦闘の激戦で
あったんじゃが。
中国は英米ソと同様立派に戦って連合国勝利に貢献した
>>487 は?
事実を事実として指摘しただけだろうが、
苦戦した部隊なんて数えるほどしか存在しないんだからな。
蒋介石の上海侵攻から、華北、徐州、南京、武関、と各地を転戦したが、苦戦した部隊がどれだけいるというのかね?
それどころか、数分の一の日本軍に包囲殲滅の憂目に何度あったというんだ。
国民党軍とは烏合の集で、軍隊とすら言える存在ではなかった。
>>489 南寧作戦で苦戦って言っても、今村のアホが南下してくる、国民党軍に警戒をはからず、
部隊を分散していたのが原因だろ。
で、その25師団の国民党軍は、増援にきた三個師団の日本軍に撃破された。
(今村の部隊を合わせても、せいぜい国民党軍の2割)
この結果のなにをみて、国民党軍が精強などといえるのか理解に苦しむ。
493 :
日本@名無史さん :04/12/30 00:06:09
>>492 氏
問題は今村将軍が名将か凡将かという問題よりずっとマクロな問題です。
南寧作戦に対した国民党軍は手元資料で見ると24個師と支援部隊に及びますが、日本軍は2個師団、2個混成旅団、第五艦隊、海軍航空隊。
支援部隊は圧倒的に日本側に分がありますが、地上兵団では中国側が遥かに大きい。
まあ実際に同時に戦った中国軍は24個師をかなり下回るでしょうが。
なぜ日本軍は2個師団2個旅団しか投入できなかったのか?なぜ中国軍は24個師団も投入できたのか?
ここに両国陸軍の本質的な関係が少しだけ見えてきます。
日本陸軍は当時中国に時期によって上下があるものの21個師団と20個旅団(近衛混成含む)を展開していましたが、平時17個師団の日本陸軍にとって大きな負担でした。
昭和14年秋の陸軍総兵力は40個師団と独立19個旅団だったのです。総兵団数の3/5を中国に投入し他に満州にも配備、内地の常設は近衛師団を残すのみ。しかも近衛さえ混成旅団を派出済み。
中国軍は国民党軍だけでもほぼ同じ時期277個師を保有しています。(独立旅は別)
しかもこの内蒋介石直系部隊が93個師、傍系35個師、東北軍10個師と中央部隊が力をつけてきています。
対等の数でなら戦闘能力でかなり有利な日本軍も、全土で対峙蠢動する国民党軍に対して多くの兵力を貼り付けねばなりません。
その為新たな侵攻作戦に投入できる兵力が目に見えて小さくなっていきます。
大兵力を動員する為には少なからず血を流して占領した地域を放棄しなくてはならないのです。
実際昭和19年の一号作戦も、北支の占領地域をかなり放棄して兵力を抽出した為、八路軍の勢力を大幅に拡大する結果を生みました。
日本陸軍は確かに戦闘能力では強力ですが、中国国民党軍もその日本陸軍を拘束できるだけの実力をつけていたのです。
因みに中国軍と十把一絡げに出来ない部隊もあります。
初期に多く投入された調整師、中期に編成された4大攻撃軍、機械化師、後期に編成された米式装備師、半米式装備師、青年軍。
これらは確かに強力で、青年軍以外は戦場に投入され、実際に健闘しています。
初期にドイツの支援で作られた精鋭は上海、徐州、漢口でほぼ失った筈だが? アメリカの支援で部隊を再建したのは末期も末期だと思われ。
495 :
日本@名無史さん :04/12/30 01:53:11
>>491 戦争体験した兵士に、話を聞いたゆうのはどこの部隊で
どの戦闘かはよう答えんさいや。質問しとるんで。
まだ事実じゃいうて、脳内妄想しとるんか。スローガンを繰り返す、
お隣の国にお住みになることをお薦めします。それとも中華人民共和国が
あんたの思考方法から見てふさわしいかも知れんのう。
>>492 今村将軍を愚弄するとは。まあ支那軍に苦戦ゆうたら、我が国の将兵、
英霊を攻撃、愚弄するしかないんか。つまらんのう。
>>493 郷土資料では南寧包囲の西側は陳誠の八個師。西側は白崇禧の九個師、
東側は李宗仁の三個師、南側は張発奎の四個師で、その二十四個師へ更に、
銃砲五個大隊、野砲三個大隊、山砲七個大隊。対戦車砲一個連隊、
機械化一個連隊。それと戦略予備四個師を控置。近衛混成旅団と
久留米第十八師団が加わるのは賓陽作戦からです。
496 :
日本@名無史さん :04/12/30 01:57:37
上記の白軍の九個師は西側でなく、北側です。
497 :
日本@名無史さん :04/12/30 06:45:44
>>494 氏
国民党軍の編制ですが、確かにドイツ式装備の調整師は初期の戦闘で大きな損害を受けたと思われます。
但し1943年になっても調整師と区分される師が少数ですが残存しています。恐らく前線であまり消耗しなかった師があるのでしょう。何れ検証してみたいと思っています。
そして調整師には大きく劣るものの、同じく従来の中国軍より装備が優れた整理師も存在していました。
続いて、初期の大規模会戦で大きな損害を受けた国民党軍の装備は大きく低下しましたが、機械化(戦車)師を編成したり、機械化歩兵師を編成したりと昭和14年時点でも結構頑張っています。
従来は南寧作戦でこれら機械化部隊は潰滅したといわれていたのですが、現在では撃退されたものの被害はそれ程でもなかったことが確認できています。
更に、昭和16年前半には4大攻撃軍が指定され装備の充実が図られています。この攻撃軍は重要戦場にしばしば顔を出しています。
このように、米式装備師団登場以前にも中国軍は編制装備の再建、充実に必死の努力を行っています。
498 :
日本@名無史さん :04/12/30 07:00:52
>>495-496 氏
詳しい資料ありがとうございます。
こちらの手元資料ではこの会戦での中国軍支援部隊は砲兵3個営、2個連、工兵1個団、通信兵1個団です。
但しこの数字は師や軍に所属しない独立した砲兵指揮官所属のもので、軍直轄部隊を入れるとこの値を大きく上回るでしょう。尚砲兵の内1個営と1個連は2cm高射砲です。
お説にある機械化1個連隊(団)とは、多分第五軍装甲兵団の戦車部隊ですね。これが支援していた第五軍は機械化歩兵3個師からなる機械化部隊。これも興味深い部隊です。
尤も同時にこれだけの部隊が戦ったかとどうかは検討が必要ですが。
確かに今村将軍自身、敵兵力を見誤った自分の過失だと回想録で書いておられるが、 将軍は乃木将軍を尊崇しており、絶対に人を悪く言わず自分を責める方だからなあ。 勝ち負けでいえば、負けは「し江作戦」ぐらいだろうけど、損傷率でいえば、 ゼークトラインにひっかかった上海派遣軍が一番高いんじゃないか?
>>498 アメリカの支援前、ドイツの支援引き上げ後の装備は主にソ連製なんですかね?
>>495 詳しい連隊は知らん。参加したのは徐州と、広東だったかな、ああ同じ人が参加したわけじゃないよ。
んでこっちも聞きたいのだが、貴方の基準だと、5分の一の軍勢に負ける軍隊が精強になるのか?
それともそんな中国軍でさえ称えねば、兵士の苦労を強調できんのかな?
俺的には拉致って兵隊にして、督戦隊で脅して無理矢理戦わせて、
負傷したら「処分」して撤退していく軍隊など、比べられるのも嫌なんだが。
>>497 米の援助で立てなおすまでどれだけ残っていたのかな?
それにその四大攻撃軍の戦果はと言われると、誇れるものなのか?
502 :
日本@名無史さん :04/12/30 22:45:49
>>498 そうですね。郷土戦記にも「支那事変中、戦車が姿を見せたのは
始めての事だ。」とあります。
もちろん敵側全ての部隊で士気が旺盛と言うわけでもなく、投降票を
持って投降した兵もあり、敵側の放送に「我優勢は崩れない。我軍の
中にも、苦力師団はあるが」つまり敵側は損害が大きい為、素質低級の
師団まで投入しているということで、この放送を担任したのは共産党員の
鹿地亘氏。我軍も台湾旅団は鉄寧道路の警備の任を受け持っていたので、
前線は広島第五師団のみです。
>>499 手元の資料では昭和十二年で死傷者が多いのは
上海の大場鎮陣地戦22、353名 上海上陸戦の16,611名
南京攻略戦の9,140名 忻口鎮陣地戦の6,249名
ちなみに忻口鎮は、広島第五師団主力の兵力1万3千人程度で闘いました。
503 :
日本@名無史さん :04/12/30 23:52:01
>>501 徐州と広東で両方参加したのは、広島第五師団だけ。
徐州での激戦は台児荘等の広島と姫路師団のみであろう。
全ての中国兵が精強だったわけではないが、南寧で闘った
広西壮族自治区の兵等、兵士としての素質があり、
日本人は夜襲においても周辺視や暗調応の訓練をしたが、
広西山地に住むものは、日常生活から夜間行動出来るし、
山での狩猟もするので射撃技術も天性のもので、これは
少数民族の苗族や我軍で活躍した台湾山地の高砂族も
そうであろう。つまり八路軍出身の多い四川や山西等強兵も
いれば、中原あたりの拉致された農民や都市民の弱兵もあり、
士気においても一律ではない。弱兵を基準にしてもつまらん。
戦争体験者も敵前線の精強な部隊には、感心したと。
504 :
日本@名無史さん :04/12/31 00:10:27
>>501 氏
中国軍を全て十把一絡げにしておいてですね。
国民党軍にも蒋介石直系、傍系、雑牌、地方軍があります。そして地方軍にもその出身派閥により戦闘意欲や能力にも違いが有るのです。
そして調整師がどれだけ残っていたか?ですが、1943年2月に開始された雲南遠征軍の米式化の際、再編成されたのが新式攻撃師24個、旧式攻撃師2個、調整師6個となっています。
この内、私の資料で確認できる調整師は4個ありますので、6個調整師が何らかの形で残っていたのは一応信じられると思います。
特に、ドイツ式装備の調整師が数多く参戦したとされる上海付近で参戦した国民党軍は75個師と9個歩兵旅を基幹とした約60万人ですが、損害は正式な記録ではないものの死傷8万3千名。
大損害ですが壊滅的というわけでは有りません。幸い適時退却できた為に基幹部隊を残せたということでしょう。
貴方が?
>>491 で言われるように「包囲殲滅」されてはいないのです。実は中国軍のしぶとさは「包囲殲滅」されないところにあり、日本軍も決戦→包囲殲滅を目指して戦線を拡大したのですが「その意味では」目的を達することは大抵の場合出来ませんでした。
この中国軍の敗北後の逃げ足の速さは定評があると思っていたのですが…
少なくとも日本陸軍ファンである私達には良く知られた話であります。
支那事変の複雑なところは必ずしも前面ガチンコのぶつかりあいではないというところ。 例えば山西の閻錫山と我が第一軍は手結ぶ寸前までいってる。
506 :
日本@名無史さん :04/12/31 00:34:10
さて調整師以外の精鋭部隊ですが、まずは有名な第二百師が挙げられます。 これは当初装甲師としてドイツ顧問団の指導で編成されました。後にソ連顧問団の指導で機械化歩兵師に改編されます。 その他、第二百師と共に第五軍を構成する他の2個師も機械化歩兵師であり、第五軍装甲兵団(T26戦車主力)に支援される有力兵団です。 この第五軍は話題の南寧作戦にも参加しており以前は潰滅したとされていましたが、実は健在していたことが確認できています。 特に第二百師の存在は日本軍にも強く意識されており、末期ビルマ戦にこの師が登場した際、ビルマの日本軍が支那派遣軍にその旨通報した記録があります。 一号作戦を展開中の支那派遣軍にとってもこの師の存在は決して小さくは無かったのです。 ドイツ顧問引き上げ後、独ソ開戦までの間はソ連製兵器が数多く輸入されています。また一部は国産され国民党軍の建て直しに使用されました。 4大攻撃軍も概ね上記第五軍と同様の経緯でソ連製及び各種国産兵器を装備していたと考えられます。 私は中国軍の精強部隊といっても同数の日本軍より「強い」と言っているのではありません。強力な日本陸軍を拘束、消耗させる力を持っていると考えているのです。 一般にこれら中国軍精鋭部隊は1個軍で日本軍1個師団に対抗し得ると考えます。実際の勝敗は日本軍航空支援などもありその時々でしょうが。 当時日本軍の4単位師団が2万5千名前後、3単位師団が1万6千前後とすれば、戦争中の中国軍師団は定数を満たしていたとしても約1万。大抵は実数6千程度であったとの資料もあります。 つまり1個軍3個師で約2万〜3万数千。師団数程の兵力差では無い点も忘れてはいけません。
507 :
日本@名無史さん :04/12/31 00:36:03
>>505 氏
その通り、戦争途中で閻錫山とは事実上不可侵の状態にありましたね。
それより驚くべきは新四軍と物資交換協定があったとかなかったとか。
日本陸軍はドイツ陸軍のように敵を航空・装甲兵力による包囲殲滅を想定した装備が無かった。
>>504 上海-南京戦ではかなりの部隊が包囲殲滅されてるぞ
510 :
日本@名無史さん :04/12/31 18:41:27
>>509 氏
残念ですが、上海〜南京でかなりの国民党軍が包囲殲滅されたという事実
はありません。
>>504 で数字を挙げた通り、上海に投入された約60万の中国軍(35万という
数字もある。恐らく直接戦闘を交える位置にいた数か?)の内、正式な数字
ではないのですが死傷8万3千名と言われます。大損害ですが「包囲殲滅」
を受けたとは思われません。
古い資料の中には中国軍の戦死者25万名という説もありますが、そうなる
と負傷を含めた数は殆ど中国軍主力を消滅させたことになります。ところが
中国側資料によると上海付近の戦い後、70万の大軍は疲労していたとする
記述もあり、若干の援軍を含めて主力は残っていたということは確かなよう
です。
(健在とはいいません。精鋭が大きな損害を受けて撃退されたのは事実です)
事実関係から言えば、11月5日に抗州湾に我が第十軍3個師団が上陸し、
国民党軍3個師を撃破した時点10日には早くも全線退却が命じられたのに
対し、我が上海派遣軍の追撃開始は13日。第十軍は比較的早い進撃で
国民党軍の4個集団軍の退路を遮断しようとしましたが、国民党軍は13日
時点で新着の第7軍、第23軍を既に第十軍の阻止と側背に脅威を与える
目的で送り出しており、上記4個集団軍は退却に成功しました。
「中支那方面において敵軍主力を捕捉殲滅するの機会は逸し去りたるもの」
と幕僚会議でも認めています。
もう一つの日本軍部隊、第十六師団を主力とする部隊は退路遮断を目指し
11月14日に白卯口上陸しかし多勢に無勢、退却中の大軍に対し効果を挙
げるには至りませんでした。
511 :
日本@名無史さん :04/12/31 18:42:29
南京についても簡単に考察してみましょう。 南京保衛軍は2個師と教導総隊、憲兵部隊でした。その後11個師の増援が 約束されましたが、これらはぎりぎり作戦に間に合ったようで、外郭に配置され ました。その他の州兵部隊を合わせて18個師以上が総兵力でしょう。 対して日本軍は周辺の先頭を合わせ約9個師団で攻撃。中国軍の内約4万 名が南京に包囲されたと見られます。彼等はどうなったか? 第66軍、第83軍の計4個師の内2/3程度は脱出を図ったものの、途中で日本 軍との戦闘を交えて分散し。指定された集合場所には600名しか集まりません でした。 ところが第2軍団の2個師は無事に退却に成功。第74軍の6000名は退却中 に我が第六師団の1個連隊と遭遇して打撃を受けたようですが、後の編成表 でも第74軍と所属の師は直系軍として残り師長が軍長に昇進していることなど から主力は脱出に成功していたことが伺われます。他に投降してきた捕虜が 1万5千名弱。ところがその他の部隊については経緯が不明な点も多い。 後の編成表と睨み合わせて推定するしか有りません。 一部は4ヵ月後に戦線復帰、残りの大半も7ヵ月後には再登場しています。 大損害を受けたのは疑い無いのですが、「包囲殲滅」を受けたとは言い難いの ではないでしょうか。とはいえ、大半を逃がしてしまった上海戦より遥かに多く の国民党軍を捕捉撃滅できたという評価は出来ます。ではその実数は如何に?
512 :
日本@名無史さん :04/12/31 18:43:31
1937年の国民党軍の死傷者は約35万名弱。 死傷者/( )内は総兵力/損失率概算 内訳 平津作戦約5,000名/(反乱保安隊約12,000名)/41.6% 平綏路作戦約37,000名/(約113,000名)/32.7% 平漢路北段作戦約28,000名/(約240,000名)/11.7% 津浦路北段作戦約19,400名※一部1938年の損害含/(約160,000名)/12.1% 大原会戦約130,000名/(約280,000名)/46.4% 上海戦約83,000名/(約600,000名)/13.8% 小計263,000名 差し引き約75,000名が南京とその周辺。そしてその他記載されない小戦闘の 損害合計数と思われます。中国側の南京での損害については詳しい資料が 有りませんが、日本側発表として死傷約80,000名という数字があります。 処分された捕虜を含む数字と思われますが、概ね首肯し得るかもしれません。 兵団番号を確認する限り、殆どの兵団は撃破されても退却に成功しているようです。 勿論包囲殲滅された兵団が0ではないことは承知しています。 まあいずれにしても、あまり日の当らない支那事変を調べるのはお互い愉しいですな。
513 :
日本@名無史さん :04/12/31 18:49:49
>>512 お詳しいようなので、ちょっとお聞きしたいのですが、
蒋介石が全面戦争と上海決戦を決意したのは何時頃なのでしょうか?
また、盧溝橋事件で現地第29軍のと支那駐屯軍との停戦協定を
認めないなど、蒋介石はかなり強硬な姿勢を示していましたが
日本軍と全面戦争をして勝てると思っていたのでしょうか?
514 :
日本@名無史さん :04/12/31 18:56:32
訂正
>>511 誤 州兵部隊を合わせて
正 周辺部隊をあわせて
誤 周辺の先頭を合わせ
正 周辺の戦闘を合わせ
>>512 誤 小計263,000名
正 小計302,400名
誤 差し引き約75,000名が南京とその周辺
正 差し引き約47,600名が南京とその周辺
タイプミス、推敲が足りず申し訳ない。
515 :
日本@名無史さん :04/12/31 19:40:46
>>513 氏
共に蒋介石ならぬ身の知る由もありませんが以下のように愚考します。
>上海決戦を決意した時期
これは全面抗日の決意とも関係するのでしょうが、最初は8月13日の総攻撃命令の直前でしょう。
この時点では2個師しか有力兵団はありませんでしたが、この後急速に増強されます。
8月20日には第3戦区を直率として初期総合作戦計画を立案し、主力を上海付近に投入することを決定。
但し早くも9月6日には持久戦に移行します。
国民党軍の立場としては、当初の主戦場である華北から日本軍戦力を引き付けることも目的です。
大損害を受けた大原会戦も側面から脅威を与え華北の日本軍が京漢線沿いに南下することを妨害する為でした。
後付けで善戦する上海方面を決戦の場に選んだとも見られます。
上海付近は1935年あたりあら陣地構築が進んでいたことも影響しているでしょう。
>全面戦争の勝算
確たる勝算があったとは思えませんが、もう戦わねばならない国内事情だったとも考えられますね。
西安事件の影響も忘れる訳にはいきません。
陸軍の整編もある程度進み、相当抗戦出来る位の自信はあったのではないでしょうか。
しかし本来はもう少し時間がほしかったのも本音でしょう。
7月7日の事件後9日には増援の手配をしていますが、「最後の関頭」演説の公表は19日。
これも通史によれば「強硬」とはいっても日本軍に何かを要求するほどの内容とは思えません。
日本軍の要求を拒否しているだけで、喧嘩を売っているのはどう考えても日本軍だと感じられます。
日本側に事件前の状態にまで復する気があれば戦いをもう少し先に延ばせたのではないでしょうか。
516 :
日本@名無史さん :04/12/31 19:55:55
>喧嘩を売っているのはどう考えても日本軍だと感じられます。 支那駐屯軍の北平占領のこと?でもこれはロウ坊、広安門事件の後じゃ しょうがないと思うぞ。蒋介石が上海を攻撃しなければ全面戦争にはならなかった と思うけどね。
517 :
日本@名無史さん :04/12/31 20:08:50
蒋介石が全面抗日戦に踏み切らなかったら多分失脚していただろう。 盧溝橋事件の共産党陰謀説は眉唾だけど、共産党が抗日の 気運を物凄い勢いで煽っていたのは事実。 盧溝橋事件があろうがなかろうが、抗日戦開始は時間の問題だった。 そもそも、当時の日本はソ連極東軍の増強と中国軍の急速な近代化に 戦力差を引き離されることを懸念していて、自分から中国に対して戦端を 開くような状況じゃなかった。 山本七平が書いてるけど、当時は民間でも中国軍と日本軍の戦力差(300万vs30万) を前に満州国が守りきれるか不安に思っていたらしい。 日本の計画的な侵略だとか、蒋介石が内陸で持久して米英と日本と戦争が始まる様 大戦略を練っていたとかいうのもみんな戦後になっての後付けの話。
>>504 いや一緒にはしてないよ。
ドイツの肝いりで調練して、
シーメンス社あたりをとおして、(条約を廃棄するまでドイツは、公に武器は輸出できなかったから、和蘭をさらに間にとおしている)
かなり武器を輸入しているのもしっている。
だけど、その精鋭でさえ、
上海戦では日本軍の倍はあり、何年も前から条約無視してトーチカつくっていたのに、
あの様ですよ。評価が低いのは当然です。
俺は低いのを基準にはしていません、あくまで平均ですし、
一番高い部隊もあの体たらくですしね。
あと包囲殲滅の「憂目」であって、包囲殲滅されたとは言っていません。
ですが、上海にしろ、徐州にしろ、寡兵の日本軍に半包囲態勢を気付かれ、日本軍の何倍もの存在をだし、
徐州にいたっては、決壊させて下流の村落を犠牲にして退却という、情けないものです。
気付かれ、存在、、、、、首括ってきます。。。。。
520 :
日本@名無史さん :04/12/31 23:49:42
>>518 氏
調整師はあれで良く戦ったと思いますよ。
日本軍を消耗させ、自軍も大損害を受けつつも主力の退却に成功していますから。それ以上を期待してはいけない。
国民党軍は当時整編の最中であり、期待の調整師もまだ充分に準備できていない状態です。
現在入手できる資料から見て、歩兵火器は兎も角砲兵装備は定数に遥かに及ばなかったことは確実です。
特に我々が覚えておかなくてはならない事は、開戦時約180個師といわれた中国軍も実は蒋介石直系軍は30個師前後でしかなかったということです。
傍系軍は他に30個師程度合ったと思われますが、装備の点で全く当てに出来ません。
更に広西軍の解決が1929年、1930年には西北軍、山西軍を解決。1936年西安事変まで共産党との戦闘も続く。
そのような状態の中で1937年抗日戦争が開始されます。
言うなれば「明治維新」直後に列強の侵略を受けたような状態といえます。むしろ良く戦ったとも言えるでしょう。
何といっても華北は西北軍、山西軍、徐州や武漢は広西軍、広東軍を頼らなくてはなりません。
そう。ほんの数年前まで戦争していた相手を味方と頼むしかないのです。
そして敵国は当時有数の強国である日本なのです。
>>520 けど、準備も整ってないのに、全面攻勢を決断したのは蒋介石だろ。
自業自得だと思うのだが、いくらでも引き伸ばしに出来たし、
日本が和平を提案していたのも知っていたはずだ。
高が上海に飛んでるしな。
んで明治維新のころでいえば、欧米との条約を廃棄して、切れた欧米に攻撃うけたとか、
欧米人の居留地に侵攻したようなものだと思うんだけど。
ちょっと弁護できんぞ。
攘夷勢力が強かったのはわかるが、勝ち目のない日本軍に喧嘩を売るのはもっと愚かでしょ。
522 :
日本@名無史さん :05/01/01 00:06:53
中越戦争のように、中国の政治家は対外的な事情を考慮せず、国内の政争によって 戦争を始めることがある。日華事変も同じだよ。あそこで全面戦争に踏みきらなかったら 蒋介石は失脚だ。
523 :
日本@名無史さん :05/01/01 00:28:29
>>520 氏
>>521 氏の言われる通り、蒋介石にはあそこで戦わなくてはならない理由がありました。
以前から「恐日病」の中傷を受け、一時的には実際に下野までしています。
西安事変では息子とも弟とも頼む張学良等の反乱に遭い、心ならずも共産党との抗日合作を約束しています。
国内世論の面からもあそこで開戦せざるを得なかったのですよ。
もし開戦しなければ約定不履行で失脚するでしょう。
彼を弁護するのなら、あの時点で蒋介石が失脚すればもはや中国を纏めていける人物はいません。
彼が下野した際、短期間のうちに内政外交軍事面は行き詰まりました。これが再び起これば中国軍の強化どころではなくなります。
当時軍閥所属の戦力が100個師以上。蒋介石を失った中央軍では抑えきれないでしょう。
蒋介石に優るとも劣らぬ、より強い毛沢東が全中国的影響力を持つのはずっと先で、しかも激しい内戦に打ち勝ってからです。
524 :
日本@名無史さん :05/01/01 01:35:43
>>516 氏
違います。事件解決の要求内容です。
現地軍の要求の中には中国軍の城内からの撤兵、中央系政府機関の撤退が含まれます。普通呑まないと思いますよ。
当時の日中の力関係で言えばまたも要求を呑むだろうと考えていたのかもしれませんが。
しかも政府の要求、軍事顧問の要求など複数の要求が入り乱れてどれが真実の条件なのか?
その点中国側も中央と第29軍との意見に違いが大きいので大差無いといったところでしょう。
上海の件ですが蒋介石が戦力を投入したのは充分に納得できますが。
7月7日に盧溝橋事件が起こった後、紆余曲折はあるものの7月29日には北平が、30日には天津が日本軍の攻撃により陥落しています。
蒋介石が上海の2個師に攻撃を命じたのは8月13日。既に戦争状態に入ってからです。
華北から京漢線沿いに中国の心臓部に突入される事態に直面し、ある程度作戦準備が整い日本軍が手薄な上海で攻撃を開始するのは理にかなっています。
放置すれば上海も日本の策源地と化すのは時間の問題です。そして牽制効果も期待できます。
事実、日本は華北から兵力を引き抜いてまで上海に投入したのですから。
勿論上海向け兵団を直接華北に向けるという選択もあったでしょう。この場合の利害得失は尚検討が必要です。
同時に山西軍等で華北から南下する日本軍に脅威を与えた大原会戦も理にかなっています。
会戦自体は大損害を受けて敗北しましたが、日本軍が急速に中央部に進入するのを防ぐことが出来たのです。
しかも言っては何ですが、大原会戦での損害の多くは多分山西軍です。
>>521 氏
その日本の和平提案の内容が問題なのですよ。
また仮に提案が妥協できる範囲であったとしても現地軍が言う事を聞くかどうか非常に怪しい。
高が交渉した船津工作は華北の非武装化を要求しています。日本軍も事件前の状態に戻るとしていますが国民党軍は華北から手を引かねばなりません。
一国の主権に関る問題です。既に満州を奪われたと考えている中国にとって華北からの撤退は限度を超えているでしょう。
しかも交渉は中央の訓令を無視して川越大使が買って出たとか。 良く知られる通り途中で大山大尉事件が起こり御破産になりますが。
これでは一時矛を収めたとしてもすぐに同様の事態が予想されます。
>んで明治維新のころでいえば、欧米との条約を廃棄して、切れた欧米に攻撃うけたとか、
>欧米人の居留地に侵攻したようなものだと思うんだけど。
例えに反論するのも変な話なんですが、欧米人居留地に攻撃をしたのではなく、欧米人居留地の駐屯軍との間で戦闘が発生し、謝罪と付近からの部隊の撤退。
そして横浜の行政機関の排除を要求されたようなものですね。
しかも既に小笠原や沖縄を占領されている状態で。
事件の直接の責任は難しい問題ですが要求が露骨過ぎです。それでも何度も押し通せてしまったのも一因でしょうが。
>>517 氏
私も一部識者が言うような「日本帝国主義による計画的一貫した侵略」などは信じません。
侵略したのは事実ですし、そのような傾向もあったのでしょうが、実際は場当たり的対応の積み重ねがあのような結果を招いたと考えます。
同じく、蒋介石も出来れば首都放棄以前に何とか痛み分けに持ち込みたかったでしょう。
広域を利用した持久戦は構想の一つとしてもっていたとしても、最善の策と思っていたわけではないと思います。
私の知る限り、持久戦を公式に表明したのは12月17日の「国民に告げる書」が最初です。
そして1938年1月には「抗戦の必勝と勝利の秘訣」で少しだけ踏み込んだ持久戦の根拠を示しています。
いずれにしても南京が危機に陥ってからの方針だと思いますね。
526 :
日本@名無史さん :05/01/01 01:44:29
>>523 それはハルノートを受けなければ内戦になったかもしれない、だから、対米戦争を選んだというようなものだが。
内戦を避ける為に、亡国を選ぶのはちょっとねえ、それも日本はそれほど強硬的だったわけじゃないしな。
それに対日戦争を望む勢力も多かったが、対日戦回避、共産党打倒を望んだ勢力も多い。
北洋軍閥の流れ、(親父が爆破された張学良以外)は特にそう。
ま、このあたりは元々反蒋派が多いがな、元々あっちが正統政府だったわけだし。
だから共産党と手を結び、ソ連から援助を受けるようになると、
日本の分離工作と合間って、華北が反蒋派、反共派は(彼等は別に親日派というわけではなかった)こぞって「裏切った」
>現地軍の要求の中には中国軍の城内からの撤兵、中央系政府機関の撤退が含まれます。普通呑まないと思いますよ。
それの要因が朗坊、広安門事件でしょ。(他にも日本軍機に対空砲火などもあった)
現地停戦条件を無視して停戦ラインに侵入するだけならまだいいけど、
現地軍が日本軍に度重なる攻撃を仕掛けて来れば、撤退を要求するのは当然かと。
米軍に自衛隊が攻撃かけるのと同じです、それも今の日米関係ほど良好とはいいがたいのに。
>蒋介石が上海の2個師に攻撃を命じたのは8月13日。既に戦争状態に入ってからです。
それは局地紛争を全面戦争に拡大化したというのでは?
少なくとも日本は戦争をするつもりはなかったし、現地での紛争も一段落ついたので、交渉に入ろうとしていた矢先ですし。
日本は全面戦争を避ける為に、兵力の逐次投入という愚策を選んでいるほどですし。
>事実、日本は華北から兵力を引き抜いてまで上海に投入したのですから。
時系列が逆でしょう、蒋介石の侵攻があった後です。
陸軍はそれまで海軍に要請されても断っていたくらいです。
それに蒋介石の中央軍も、日本軍の華北占領の前に、北上してますしね、
石原の聞いたのは、「あの時」では誇張が入っていましたが、
それが18日頃には現実になりました。
528 :
日本@名無史さん :05/01/01 03:08:46
天津の占領は攻撃を仕掛けてきた第29軍を追っ払って占領したって 形なんじゃないの?
529 :
日本@名無史さん :05/01/01 03:12:12
>>527 氏
>時系列が逆でしょう、蒋介石の侵攻があった後です。
時系列はそれでいいのです。
蒋介石は華北の日本軍が南京方面に一気に突入するのを警戒し上海に日本軍を誘引したとされます。
後付け臭い部分もありますが蒋介石の上海攻勢に対して華北から兵を引き抜かせたでOKです。
国民党軍の意図はそこにあったとされます。
>それの要因が朗坊、広安門事件でしょ。(他にも日本軍機に対空砲火などもあった)
違います。日本側のこの種の要求は各方面から何回か出ているので混同するのは別に不思議でもないのですが。
最初に城内からの撤兵が要求されたのは7月8日です。更に7月14日には改めて同条件を含む政府機関の撤退等も要求されています。
廊坊事件は7月24日、広安門事件は7月25日です。つまり要求が先です。
>内戦を避ける為に、亡国を選ぶのはちょっとねえ、それも日本はそれほど強硬的だったわけじゃないしな。
それは日本側の見方に過ぎません。
私も当時の日本は全面戦争を覚悟していないという点は同意しますが、満州を占領し、華北分離工作まで進めた日本軍が撤兵と政府機関の撤退まで要求してきたのです。
中国側の立場に立てばここで戦わざるを得ません。
亡国を選ぶといいますが、ここで妥協してもより良い状態に戻すことはあまり期待できないでしょう。
少なくとも今までのやり方から見て彼等が日本側を信用できないのは当然です。要求を呑めば国内が紛糾してそれこそ亡国です。
東北を取られて華北が危険に晒され、今回華北を譲れば次は華中と恐れるのは当然のことでしょう。
結局「亡国」を選んだのは日本と一緒ですよ。しかも彼等は本土の重要な地域で行政軍事権の放棄を要求されているのです。占領地の放棄の比ではないてすよ。
530 :
日本@名無史さん :05/01/01 03:26:20
>>529 7月8日の撤兵要求は永定河東岸からの撤兵要求でしょ
誰も北平から撤兵しろとは言っていない。
>>525 >船津工作
簡単に言えば、華北の中央化と非武装地域の設置。
他にも華北の日本軍の飛行の禁止、共同防共、満州国の黙認(問題にしない)などもあるが、メインは上の奴ね。
今中国と揉めている理由は、華北分離政策と、現地軍と駐留軍の衝突なわけでしょ。
だから、華北の分離政権を中央政府に合流させ、だがそれだけじゃ遺留民がが心配だし、
現地軍と紛争が起きてしまう、だから両軍が撤退する非武装地域を設定し、保安隊に治安を任せるって案ね。
俺は両者の落とし所をよくわかっているいい案だと思うけどどう?
今後同じ事がおきないように事後の事もよく考えられています。
国交調整案などみても、野心的とは思えませんけどねえ。
そして現地軍は聞くでしょう。分かっていると思いますが、華北事変のころは現地軍は暴走していません、
あくまで政府の指示に従っています、というかむしろ現地停戦を結ぶ現地軍と、派兵を決める政府というように、
「政府の暴走」が目立ちます。政府内でも石原などの勢力がまだまだ強いですし、
最強硬派の武藤にしても、第二の満州国を作ろうなどと思ってませんよ。
中国軍はへタレだから、強気にでて、一撃いれれば大人しくなると主張していただけです。
つか船津案は陸軍が立案に加わってますというか、そっちが主です。
あと川越大使は別に強硬派ってわけじゃないですよ、その後近衛の相手せずに同調したのは事実ですが、
それまで、船津提案前も中国との和平交渉を続けてまして、休暇明けで出ると同時に自ら買って出ただけです。
>例え
もっと詳しくすると、欧米人を守る為に駐留している軍に攻撃を仕掛け、
欧米がそれに対して、謝罪とそれを実行した部隊の撤退といった所でしょう、
当然の頃ながら、んなコトすれば、砲撃されますよね、薩摩や長州のように。
責任は当然中国側だと思います、停戦協定を無視して攻撃を仕掛けていますしね。
あ、小笠原と沖縄はいい例えですね、当時は日本領土とはいいがたいですし、
満州も同じく中国の領土とはいいがたい地域でしたし。
孫文なんか、満州を日本に売ってしまえなんて暴論をいってましたっけ?
>>529 >蒋介石は華北の日本軍が南京方面に一気に突入するのを警戒し上海に日本軍を誘引したとされます
いやだからそれこそ、蒋介石の攻撃に対応したってことでしょ。
日本軍は華北から戦域を拡大する意思はなかったわけだし、
日本軍の要求も同じく。
>最初に城内からの撤兵が要求されたのは7月8日です。更に7月14日には改めて同条件を含む政府機関の撤退等も要求されています。
撤兵を勘違いしてません?干渉地帯を作るための、「両軍」の撤退ですよ、
それも北京市内全域からじゃないでしょ。
広安門事件のあとに出された北平からの撤兵と混同しています。
提案した段階で、細目条項は全部違うんですよ。
>まで進めた日本軍が撤兵と政府機関の撤退まで要求してきたのです。
んでそんなこと要求していないんですけど。
533 :
日本@名無史さん :05/01/01 03:40:27
>現地軍が日本軍に度重なる攻撃を仕掛けて来れば、撤退を要求するのは >当然かと。 これも日本側の視点ですね。 中国側から見れば盧溝橋事件自体が言いがかりです。 日本側は第29軍の発砲と考えたのでしょうが、最初の銃撃は現在でも謎。共産党説まで飛び出す始末です。 どちらにしても偶発事件ですね。死傷者も無いですし行方不明者もすぐに戻りました。 この時点で謝罪は兎も角撤兵要求は如何なものかと。 次の事件は日本側主張では8日未午前3時35分、現地交渉を有利にすべく 牟田口大佐の意向で宛平城内の一角を占拠すべく進軍中の第三大隊が3発の 発砲を受けたと報告。午前4時20分第三大隊に反撃を命令。 攻撃準備中に一時中止命令を受けたが午前5時30分に進撃中の第八中隊に対し中国軍が反撃し、これに応戦。 中国側の主張では午前3時30分、盧溝橋に向かう400〜500の日本兵を確認。山砲と機関銃隊を持っていた由。 他の目撃者も自動車を連ねて出動する日本軍と伏射姿勢の日本兵を目撃。 午前5時40分、日本軍の攻撃が開始される。 ここでも両者の主張には若干の食い違いがあります。 しかしどちらが先に発砲したにせよ、日本軍第三大隊が宛平城の一角を占領すべく先に行動を開始していたのは確かです。 必ずしも交戦を前提にしていたとはいえませんが、緊張の高まる中で相手国城内の一角を占拠しようとすれば仮に反撃されても仕方がないでしょう。 「盧溝橋及び宛平県城を固守せよ。」当然ながら中国側は守備隊第219団に命令していました。
534 :
日本@名無史さん :05/01/01 03:40:59
そもそも「満州が中国の不可分の一部」ってことになったのは、 戦後のことでしょ。蒋介石だって満州における宗主権さえ中国に あれば、日本の支配は認めるつもりだったんだし。この 宗主権ってのがこれまた良くわからんのだが。
>>533 >この時点で謝罪は兎も角撤兵要求は如何なものかと。
まず、この時点では交渉も行われていませんから、謝罪も撤兵要求もありません。
んで中国軍側から度重なる発砲があったのは事実なんです、それなら、
両軍を衝突させないために、そこから両軍を撤退させるというのはおかしなものですか?
また射撃があったらどうするんです、それで死傷者が出たら?
今度は日本軍から報復としてされるかもしれませんよ、
共産党、華北の反蒋派、国民党の対日強硬派、日本の一旗組など、両軍の衝突を望んだ勢力は腐るほどいます。
なら彼等を利さない為にも必要なことでしょう。
つまり紛争を避ける為に撤退するのは当然です。
実際宋はそれを受け入れています。(ここ重要)
なのに蒋介石の圧力で一旦成立した停戦協定を反故にしたということです。
ついでに中国側の主張は信用ならん。
共産党と国民党との間でさえ、主張が全く違う事なんてザラ。
536 :
日本@名無史さん :05/01/01 03:57:57
ザクとはちがうのだよザクとは
大山事件でも拉致って虐殺したのに、 大山が飛行場に侵入して発砲したのをやむ追えず射殺しただからな、 やむを得ずで、十数発も打つのかねえ。 んであとで調査したら、大山の銃は全弾残ってましたとさ。
538 :
日本@名無史さん :05/01/01 04:16:39
自分で上海を盲爆しておいて「日本軍が爆撃した」だもんなあ。
539 :
日本@名無史さん :05/01/01 04:21:06
排日を国民党の機関を使って煽っておきながら、表では邦交敦睦令だからなあ。
540 :
日本@名無史さん :05/01/01 04:31:41
>緩衝地帯を作る為の撤兵
私も日本側はそのつもりで要求したと思います。
ですがそういう理由でこれまで何度も撤兵させられ、結果的に日本側の進出を
招きましたよ。
中国側がこれ以上譲れないのは別に不思議でも有りません。
何せ8日午前五時に日本軍が要求した宛平県城から盧溝橋以西への撤退は
中国軍の活動地域を縮小するものですが、日本側が自分で豊台に引き上げる
という交換条件は単に駐屯地へもどるというだけの話です。
資料によっては豊台へではなくこの時点での日本軍撤兵ラインは東岸とする
ものもあります。宛平県城は東岸にあるので事実上いつでも占拠できることに
なりますが真偽不明です。因みに北平も東岸です。
本来この種の交渉を担当する北京特務機関松井大佐も撤兵要求は尚早だと
考え、支那駐屯軍橋本少将の提案も宛平県城内への撤収という穏当なもの
で、中国側も橋本案なら受諾可能と返事をしています。
西岸への撤兵は中国側としては言いがかりをつけられ、交通の要衝を手放
すことと認識したでしょう。これを拒否したところ攻撃を受けました。
8日夜、改めて日本軍豊台へ、中国軍西岸への撤兵が要求され、中国側も
遂に同意しました。9日午前4、5、9時と期限は変更されています。
ここでまた両軍の主張に食い違いがあるのですが、中国側主張では6時に
砲撃を受けたとの事。日本側主張では5時に中国側が砲撃してきたという。
むしろこれまで譲ってきたのが日本にとって幸運です。それが当時の力
関係だったのでしょうが、中国はここで堪忍袋の緒を切りました。
>いやだからそれこそ、蒋介石の攻撃に対応したってことでしょ。
私は最初からそう言っていますが。
>>515 >>524 でもそう書いています。
蒋介石は既に華北での紛争で戦争を決意して手を打っています。
日本は全面戦争を中々覚悟できませんでしたが中国は限界だっただけの事です。
541 :
日本@名無史さん :05/01/01 04:36:09
>>530 氏
私は基本的に
>>527 >>529 で「城内からの撤退」と書いていますが。
華北に関しては
>>525 で船津工作と書いているはずですが。
如何です?
確かに日本は各担当者が各時点で色々な要求をしているのでわかりにくくなるのも当然ですが。
>>531 氏
>もっと詳しくすると、欧米人を守る為に駐留している軍に攻撃を仕掛け
ここですが、これも日本の視点に過ぎません。
中国側は因縁をつけられた上に攻撃されたと考えています。
更に色々と要求まで受けたと。
ここまで何度か日中の主張の違いに言及してきましたが、中国側が嘘をついていると決め付けるのもどうかというのが私の考えです。
結構微妙な行き違いが原因で盧溝橋事件が大きくなり、中国が戦争を決意したと感じます。
双方の記録をつき合せて見ると、両軍共に自分が被害者だと信じている節があります。
542 :
日本@名無史さん :05/01/01 04:41:42
>>537 当時の日本海軍の主張では大尉は丸腰だとか?
543 :
日本@名無史さん :05/01/01 04:44:33
>>541 本国政府と碌に外交交渉もやらずに全面戦争を決意するのが
理解できんだが。
華北分離工作と北洋軍閥の関係の詳細をきぼんぬ
545 :
日本@名無史さん :05/01/01 05:20:51
>>532 氏
>広安門事件のあとに出された北平からの撤兵と混同しています。
何度か書きましたが基本的に私は城内からと書いています。船津工作は別として。
因みに北平からの撤退を最初に要求したのは7月14日。
これは「7月13日における支那駐屯軍状況判断」による7項目要求です。
之に対し参謀本部第二課は「中央の採るべき処置に関する意見」で
「〜支那軍を北京から撤退させるが如き過大な要求は、此際一般方針に反する
のみならず、求めて事件を拡大するに等しきものなり」
と歯止めをかけています。
ところが7月14日、支那駐屯軍専田参謀が宗哲元に個人的意見として要求してしまう。
対して宗哲元は原則は承知したものの実行は緩和してほしいと伝え、更に使者
を派遣したところ橋本参謀長にも重ねて7項目要求を突きつけられました。
ここまでは日本側記録で明らかです。
日本政府、陸軍中央は確かにこの時点では不拡大方針でした。支那駐屯軍
の行き過ぎを掣肘しようとしていたことでわかります。掣肘できなかったのですが。
ところで廊坊駅、広安門はそれぞれ24日、26日です。北平退去要求はこの事件以前ですね。
私の書き方もあっちかいたりこっちかいたりしているからわかり難いので悪いのですが。
546 :
日本@名無史さん :05/01/01 05:21:52
>535氏 >なのに蒋介石の圧力で一旦成立した停戦協定を反故にしたということです 気持ちはわかりますが、7月19日、蒋介石の「最後の関頭」演説に対しする日本 大使館覚書(地方当局の実行を中央政府が妨害しないよう求める)と同じですね。 これに対して即日(外交ルートを通じて解決するべき。地方の問題も中央政府の 許可を必要とする)と外交部より反論しています。 これはどう考えても中国側に理があります。県や市が承諾しても国の法律を 外国に破らせて良いわけが有りません。 蒋介石の戦争決意の善悪は別として、和戦の決定権は政府にあるべきです。 そして成立したとされる停戦は何度かあるのですが、その都度衝突等でご破算 です。 双方とも相手の違約だと主張していますが、恐らくは偶発事故がほとんどでしょう。 停戦したかった宗哲元が好んで挑戦してくる筈は無いですし、停戦したくなかった としたら蒋介石の圧力などどうでも良いことになります。 我が第三大隊のように好き好んで危険に身を投じた宛平県城一角占領意図とか もありますが、例外と考えたいですね。
548 :
547 :05/01/01 06:05:17
失礼、停戦協定は現地野戦軍指揮官の権限って意味です。 第29軍の指揮官は宗哲元だから、停戦協定の締結の権限は 宗哲元にある。
549 :
547 :05/01/01 06:12:36
>>546 宗哲元は停戦を望んでいても、下僚の中には抗日意識に燃える奴らが多かったでしょ。
ろう坊事件、広安門事件などの度重なる日本軍に対する攻撃はみんなそういう奴らが
引き起こしたものじゃん。
550 :
日本@名無史さん :05/01/01 06:19:25
何度も書いていますが中国政府の戦争決意は日本側より早かったのは確かです。 まあ日本側も現地軍は中央の意向に反して拡大させる行動が目立ちます。 時系列 7月7日 盧溝橋事件 8日 第二回衝突。双方相手の違約を主張。 牟田口大佐最初の県城撤兵を要求。中国側拒否により日本軍攻撃。 蒋介石県城固守を命令。 深夜、双方の撤兵で合意。 9日 撤兵準備中の中国軍と日本軍衝突。双方相手の違約を主張。 蒋介石中央軍2個師の北上など部署を司令。 杉山陸相3個師団の派遣を要求。しかし却下される。 但し5相会議で県城撤退を含む4項目要求が決定。 10日 蒋介石戦時体制への移行を準備。 日本政府、中央軍の北上を察知。 少数の中国軍と衝突発生。 11日 張自忠、撤兵などで再び合意。 日本政府、内地3個師団、朝鮮1個師団、満州2個旅団の派遣を決定。 但し協定成立の情報によりとりあえず内地分は保留となる。 日本側で挙国一致、断固たる方針が叫ばれ始める。 12日 国民政府は合意の無効を大使館に通告。 13日 支那駐屯軍は北平撤兵、政府機関撤退を含む7項目要求を作成。 作戦準備は19日に完了と報告。 参謀本部はこれを事件拡大を招くと注意。 蒋介石は宗哲元に平和解決不能と通達。数個師に北上を指示。 14日 7項目要求を支那駐屯軍が宗哲元に通達。
551 :
日本@名無史さん :05/01/01 06:19:59
15日 支那駐屯軍は作戦計画を報告。 宗哲元天津放棄を具申。却下される。 16日 蒋介石、宗哲元に重ねて戦備を命令。 5相会議、中国現地軍との交渉期限を19日に決定。外交部との交渉は引き 続き行う。更に4項目要求(7項目より穏健)を決定。 17日 5相会議、外交部との期限も19日とする。 第29軍顧問中島中佐、5相会議とは別の4項目を要求。 18日 宗哲元、主要な要求を受諾。 19日 蒋介石「最後の関頭」演説。 日本大使館、合意を妨害しないよう通告、外交部が決定権は中央にあると反論。 20日 宗哲元第37師に撤退を命令。 21日 第37師の一部、日本軍の砲撃を受けたとして撤退を中止。 砲声自体は中島中佐も確認。大学生の工作だった由? 20〜23日 宗哲元、抗戦に方針転換。 24〜25日 蒋介石、北平固守を司令。宗哲元撤退を中止同地の守備隊を増強。 廊坊事件。 支那駐屯軍、宗哲元軍の撤退を要求。29日期限。 26日 広安門事件 27日 内地3個師団動員 28日 支那駐屯軍、宗哲元に対し「独自の行動」を宣言。本格的軍事行動開始。 空爆と1個旅団と2個連隊により北平の中国軍2個師は撃破。 29日 宗哲元の司令により第38師の一部と通州保安隊が蜂起。通州虐殺発生。
552 :
日本@名無史さん :05/01/01 06:40:16
主な流れはこんな感じでしょうか。
開戦決意は中国側が早く13日には決意していたと思われます。
それ以前の兵力移動は日本のそれと同じく和戦両様の構えととれなくも有りません。
兵力の移動の決定は中国9日、日本11日でこれも中国が早い。
北平退去の最初の要求は14日。
停戦関係の同意は毎回衝突によってご破算になっていた。原因はそれぞれで片方だけに転嫁し難い。
但し18日の宗哲元の合意は20〜23日頃宗哲元が自分で変心し24〜26日頃違約した。
但し政治的問題を含む合意であり、中央政府は再三無効を訴えている。
廊坊事件、広安門事件は日本側の違約もあるが、先に中国側の違約がある。
本格的軍事行動は28日に日本側が先に動いた。
>>547-548 権限の問題は微妙でしょう。
政府の土地、初期には県城、途中からは北平からの撤兵と政府機関の退去が条件になっています。
中央政府が支持すればこれらの権限を与えられても良いでしょうが、明確に否定されています。
日本側も現地軍交渉と中央交渉を並行して行っていますから多分に承知していたのでしょう。
日本側は宗哲元が抗戦に否定的と考えた為多少の無理は承知で譲歩を引き出そうとしていたと思いますね。
停戦自体の権限が宗哲元にあるのは同意しますが、条件面で問題がありますね。
実質的な戦闘が開始された28日以降は戦争状態ですから撤退や投降の権限(表現がおかしいかも)は生じるかもしれません。
間違いもあるかもしれませんが面白かったです。おやすみなさい。
停戦協定ラインが恒久的な国境になる訳ではないということを蒋介石は理解していないのでは? つまり北平から撤退したからと言って、北平が日本や満州国の勢力圏に入る訳じゃないってこと。 抗日意識旺盛な第29軍の将校、兵士による日本軍襲撃が相次いでいる状況では両軍を 引き離す以外に事態を収拾する方法は無いと思うけどね。まあ、華北工作やら日本軍に前科が あるから信じられないって言えばそうかもしれんけど。
554 :
日本@名無史さん :05/01/01 08:00:15
14日の北平からの撤退要求ってソースはなんですか? 橋本・張会談の席上で出されたんですか? 手元にある秦郁彦の盧溝橋事件の研究だと、7項目で 同意したとしか書いてないんですが。
>「7月13日における支那駐屯軍状況判断」による7項目要求 >参謀本部第二課は「中央の採るべき処置に関する意見」 >「〜支那軍を北京から撤退させるが如き過大な要求は、此際一般方針に反する >のみならず、求めて事件を拡大するに等しきものなり」 これじゃない? 秦教授の著作は貴重な部分もあるけど今の目で見るとはハァ?な部分もあるよ。
それがハア?なんでしょ。 宋は軍の撤退を拒み、親衛隊だったか?それを残す事で、両軍は和解している。
>>540 >ですがそういう理由でこれまで何度も撤兵させられ、結果的に日本側の進出を招きましたよ。
分離独立政権を立ち上げて(殆ど自主的ですが)中央政府の指揮範囲から外れただけで、
日本の勢力範囲に入ったわけじゃないんですけど。
>中国軍の活動地域を縮小するものですが、日本側が自分で豊台に引き上げる
その活動している部隊が、日本軍に何度も攻撃を仕掛けるのだから仕方ないと思いますが。
そもそも貴方は533で占拠命令とかいってますけど、コレがそもそも中国側の嘘なんです。
牟田口の指示は戦闘準備を整えて移動しろというものです。これは一木との電話のやりとりもあるので確かです。
松井だって場内の占拠やら捜索を要求するわけがないと否定しています、秦徳純の創作でしょう。
日本が主張したのは不法射撃の非難。
んでその一木部隊に今度は攻撃をしかけてきて、それに反撃という形です。
んで撤退要求したのは、安平県城と龍王廟付近だけです。
いわば射撃を加えられたところだけですね。射撃を加えられたのだから、
そのままだと、また攻撃を受けるかもしれない、撤退してくれと要求するのは妥当です。
発砲したのが悪いのですから、非は中国側にありますよ。これは国際問題なんですよ。
言いがかりも糞もありませんよ、射撃したのは日本側の複数の史料からも確認とれます。
これはほぼ事実として扱ってかまわないものです、それなのに、事実を否定して抗弁を繰り返す輩に、
あれだけの譲歩をした日本側こそ称えられるべきでしょう。
>私は最初からそう言っていますが。
>>515 >>524 でもそう書いています。
なら、地域紛争を全面戦争へと拡大させたのは蒋介石ということでいいですね。
>>541 >ここまで何度か日中の主張の違いに言及してきましたが、中国側が嘘をついていると決め付けるのもどうかというのが私の考えです。
だって事実ですから、533のでもそうですし、第二次上海事変でもそうです。
発砲は、実際に発砲音を聞いたというのは、兵士の手記などでも裏付けがとれています。
安平県城の一角の占拠などというのは、そんな命令を牟田口はだしていませんし。
大山事件にいたっては大嘘です。このころの中国側の史料は全く信用できません。
>>545 556でもふれてますが、撤退はされていません。というか撤退していたら、その後の朗坊、広安門事件はありませんでした。
撤退させておけばよかったですね、そうすれば戦争にはならなかったかもしれません。
>>546 簡単に言えば、現地軍が停戦するのは現地軍の裁量に任せられる。
最後の一兵まで戦わないと不味いわけではないでしょ。
国境紛争で両軍が激突した場合、現地軍同士で停戦を結ぶのは珍しくない。
(当然これが最終的な決定ではない、蒋介石はこれが分かってなかったのかな)
んで現地軍の停戦を政府が否定するのは、確かに政府の自由なんだが、
それなら、政府が停戦交渉をすればいいわけです、
なのに現地軍の停戦を拒絶するのはまだいいけど、一応停戦が成立しているのに、
攻撃を仕掛けさせれば、当然中国側の責になりますよ。
>>557 氏お返事ありがとうございます。
まず盧溝橋事件以前の河北省撤兵ですが、1935年反国民党系新聞社の
中国人が暗殺、これを理由に支那駐屯軍が第51軍(東北軍)、憲兵団、
党機関、中央軍の撤退移駐を要求しています。実は陸海外務省間で合意
された「北支問題処理要綱」では第51軍の移駐は「要求」ではなく「希望事項」
とされ、「要求」部分でも党機関は事件関係機関のみが要求され、中央軍に
関しては「要求」にも「希望」にも含まれていません。駐屯軍が拡大解釈して
「要求」してしまったのです。何応欽も第51軍に対する不信は理解できなくも
無いが、なぜ中央軍まで?と疑問を伝えています。
この事件にしても国民党謀略説の他、北京憲兵説、共産党謀略説、日本側
特務機関或いは駐屯軍謀略説、偶発説があり、国民党に対していきなりこれ
だけの要求を押し付けるのは感心できません。但し日本側が国民党軍と
駐屯軍の兵力差に不安を感じていたのは充分に理解できます。多少後です
が成都、北海、上海、漢口等で日本人殺害事件が発生し治安が悪化しつつ
あったのは確かです。(犯人には打倒蒋介石を叫ぶ者もおり、日本と妥協的
な蒋介石も標的だったようですが)
時期が前後しますが豊台事件で日本将校の乗馬が殴打されたかと思えば、
北平では中国兵が日本側に殴打されるなど底辺での対立も高まっていきます。
対日融和政策をとる中国は要求を呑みました。これで撤兵を実現したのです。
そういえば続いて関東軍が長城以北からの第29軍と党機関の撤退を要求し
成功していますね。
らん州事件に際しても、謝罪、犯人逮捕、北平軍事委員会分会の解散、市長
の免職を求めています。軍事委員会分会解散と市長の免職は陸軍中央が内政
干渉であるとして許可しなかったのですが、支那駐屯軍と大使館付武官は独断
で「内部指導」と称して要求してしまいました。
(このらん州事件も暗殺されたのは中国の第3総隊長ですが、日本側は温井
少佐を狙ったものと主張し見解が割れています)
中国側はこの要求も実質的に受諾せざるを得ませんでした
560 :
日本@名無史さん :05/01/02 18:51:22
>分離独立政権を立ち上げて(殆ど自主的ですが)中央>政府の指揮範囲か >外れただけで、日本の勢力範囲に>入ったわけじゃないんですけど。 これは苦しいでしょう。 「殆ど自主的」ということですが1935年幣制改革に対して危機を感じた関東軍 南大将が意見具申をしています。 「北支諸省を経済的に南京政府より分離せしむるより他に、対策なきことは、あ えて議論をようせざることなり」 「南京政府の今日の暴挙は、日本の抱懐する北支工作断行を容易ならしむ絶好 且つ又とない機会を与ふるものと確信す。」 実際、北支5省の有力者に対する働きかけを開始し、 まず孫伝芳に工作したと する説もありますが明確に拒否されます。 次に白堅武が日本浪人に支援されて蜂起しますがたちまち鎮圧。この背後に 日本軍の了解があるともいわれ、日本側が各国から指摘を受け浪人組織の解散 と代表者の帰国に応じています。しかし個人的には日本の組織的陰謀との断定 は避けたいと思います。 閻錫山に対する働きかけは6月下旬から始まりましたが彼は逆にこれを暴露。 宗哲元に対する工作も失敗、その他万福麟、韓復、商震も工作が行われました が…結局工作に乗ったのは殷汝耕だけでした。 11月18日には陸海軍、外務省間で華北工作の方針が同意され、11月20日有吉 大使より蒋介石に「北支にある種の自治を許す」よう申し入れ、「北支自治は行政 の統一を阻害するので認められない」と拒否されています。それでも対日融和を 図っていた蒋介石は特殊性を考慮し事態調整をはかるつもりであるとも付け加 えました。
11月23日殷汝耕の冀東防共委員会後の冀東防共自治政府が発足。29日 には冀東防共委員会を批判した北京大学校長を日本軍が連行する事件も 起こります。これに対し中国側では「ある種の自治」要求に対する「事態調整」 の為、冀察政務委員会を12月11日に成立させます。当然、冀東防共委員会 に対抗する意味合いも強いものです。 翌年2月14日には宗哲元が冀東防共委員会の解散を日本側に要求すると、 反対に冀東防共委員会と冀察政務委員会の合流を提案されます。 これらからも、「殆ど自主的」に自治組織が成立したとはとても言えませんね。 自治を要求したのも日本で、委員会成立後に批判分子を連行したのも日本で、 解散を要求された際逆に合流を提案したのも日本です。自主的といっても 日本が」自主的につくったようなものです。 元々防共自治政府成立の数年前から非武装地帯を利用した日本側の密貿易 が問題となっており、冀東防共自治政府成立後はこれを公認して中国側関税 収入に更なる大打撃を与えています。中国側取締り船を排除したのも関東軍 です。 因みに公認後の関税は正規の関税比で日本製品のみ約25%、他国製品80%。 損失は最大時で全中国関税収入の1/3に達し、その財源は自治政府の運営 だけでなく関東軍の内蒙工作資金となっています。 ああっ内蒙問題も興味深いですが言及すると長くなりそうなので止めておきます。 >その活動している部隊が、日本軍に何度も攻撃を仕掛>けるのだから仕方 >ないと思いますが。 見解の相違ですね。「日本軍に何度も攻撃」しているとする主張は日本側のもの です。盧溝橋事件最初の射撃が現在でも犯人特定不能であるのはご理解されて いると思います。その後の射撃に関してもどちらに非があるかはっきりしない部分が大きい。
双方が相手側の違約を主張しています。9日の衝突にしても日本側資料で中国
側撤退時間の変更と保安隊進駐が第一連隊に伝えられておらず、中国側の不
手際とあいまって衝突しています。ただ個人的には10日の衝突は第29軍一部の
責任ではないかと疑っています。
次の衝突は21日。日本側が砲撃したと中国側は主張。日本人軍事顧問も砲声
を確認しています。但しこれも中共謀略説が有り、責任の所在は曖昧です。
>そもそも貴方は533で占拠命令とかいってますけど、>コレがそもそも中国側
>の嘘なんです。
ここも見解の相違ですね
「日本軍側の資料によると(中略)牟田口の意向は宛平県城の東の城内を占拠し
現地交渉を有利に導くことにあった。」サンケイ新聞社 蒋介石秘録
引用部分は日本側資料による独自の補足部分です。国会図書館、外務省外交
資料館、東洋文庫、防衛庁戦史室による資料だそうで、信じるかどうかは各自の
自由といった所ですが、同書の注釈部分は信憑性が高いとおもいます。秦徳純
とか中国側の話ではないのはご理解いただけたことと思います。
但し本文部分は我が国の資料が自分の主張を中心にしているように、国民党側
の主張であって必ずしも全て事実とはいえない部分が散見されます。
因みに
>>533 でも私は「必ずしも交戦を前提としていたとはいえませんが」と書
いています。
>牟田口の指示は戦闘準備を整えて移動しろというもの>です
というあなたの主張と真っ向から対立しているとは思いません。森田中佐の派遣
経緯から見て牟田口大佐も戦闘必至と感じていなかった可能性は高いでしょう。
ここまで書いてきて貴方は私の>533を勘違いしているのではないかと考え
至りました。
>んでその一木部隊に今度は攻撃をしかけてきて、それに反撃という形です。
私が
>>533 で言っているのはこの2度目の銃撃で、貴方が言っているのは
最初の銃撃でしょうか?だとしたら貴方が言う事もわからないでもありません。
最初のものは演習中ですから。最初の銃撃の犯人は不明ですが、敢えて
中国軍だと断定するのなら理解できます。でなければ上の回答に譲ります。
>松井だって場内の占拠やら捜索を要求するわけがない>と否定しています
この部分も面白い。松井大佐は事件直後に謝罪と撤兵を求める牟田口大佐
に対し、謝罪は兎も角撤兵は尚早と考えたということです。こちらは本当に
秦徳純氏の話になりますが、午前2時に松井大佐が調査要求をしてきたと証言
しています。しかし日本側記録では2時に訪問したのは桜井少佐です。氏の
記憶違いでしょう。桜井少佐の証言によれば氏は「軍使派遣を歓迎する。
中国側も派遣する。」と述べたとされており、実際双方の軍使は間もなく城内に
入ります。城内への立ち入りをこちらから要求したこと、氏が承諾したことは
確認できそうです。
占拠については前の回答に譲ります。
>撤退要求したのは、安平県城と龍王廟付近
これを否定はしません。時期によって条件が違いますから。
8日に桜井少佐等が両軍が川を挟んで東西に撤兵する提案をしていますが
返答をもらえませんでした。
次の同じく8日、橋本少将が日本軍は竜王廟、中国軍は宛平城内に撤退という
桜井少佐等より穏当な条件を提示、中国側から受諾可能と内諾があり、桜井
寺平案拒否も伝えられました。
次に北京特務機関と北平市長間に9日午前2時、日本軍は豊台、中国軍は
河以西という撤退案(保安隊進駐も)が合意を見ます。
ところが今度は日中双方で本国との意思の違いが発生。改めて交渉が
開始されます。
11日には貴方の言う「宛平県城と龍王廟」からの撤退、その他「謝罪と処分」、
「抗日取締り」の条件で特務機関松井大佐と第38師長の間で合意されます。
しかし12日には中央政府が無効を通告。
そして14日には問題の北平からの撤退が支那駐屯軍(参謀長、参謀)によっ
て初めて要求されます。これは7月13日「支那駐屯軍状況判断」に付随する
7項目要求或いは「中央の執るべき処置に関する意見」によりますから確かで
しょう。但し14日の要求を知らなければ、26日の最後通告での要求が最初だと
考えてしまうのも不思議ではないとも思います。
お調べになる際の手助けになるかもしれませんが、「支那駐屯軍状況判断」
は正しくは「支那駐屯軍情勢判断」かもしれません。両方の名称を見たことが
あります。「協定細目」と呼ばれる事もありますが、「協定細目」は条件が変わ
るたびに幾つか作成されているようなので混乱をきたしかねませんね。
いずれにしても参謀本部や政府は求めていないことを駐屯軍が独断で
要求してしまったということになりますね。
盧溝橋事件で気付くのは、日本政府、陸軍中央、駐屯軍、特務機関が別々に
(特務と駐屯軍は関係強いですが)交渉条件を提示し、中国側も中央政府、
第29軍が別々に交渉に臨んでいることです。纏まるものも纏まらない訳です。
>なら、地域紛争を全面戦争へと拡大させたのは蒋介石>ということでいい
>すね。
「私は」そう考えています。念を押される必要も有りません。私は右や左の旦那
様と違って責任より経緯に興味がありますので。
開戦決意の時期に関して私は
>>550 で13日と書きましたが、他にも「最後の関頭
演説」の19日、26日の宗哲元に対する命令時、31日の「抗戦中の全軍将士に告
ぐる書」時とする考えも持っています。
但し蒋介石が全面戦争を「望んでいた」と主張する訳では有りません。 「選んだ」と考えています。 現在入手可能な資料から見て、国民党陸軍の整編事業は未だ不完全なもので、 良く言って半分以下といった所です。もう少し時間が欲しかった事、他に幾つかの 傍証があります。加えればファルケンハウゼンの先制攻撃具申が1年以上前から 何度か繰り返されましたが、蒋介石、何応欽とも却下しています。 他の理由として蒋介石が日本側の侵略意図を過大に見積もっていた可能性。 盧溝橋事件について私は偶発性が高いと考えますが(何者かの陰謀だとしても エスカレーションが大きい意味で)、蒋介石は長い間続く日本の侵略手法と通じる と考えたのかもしれません。支那駐屯軍の存在は条約に認められた当時としては 正当なものですが、兵力の増強は中国政府の同意を得ずに行われています。 空砲を使用した演習も合法なものでしたが(厳密には違反する地域に踏み込んで 抗議を受けたりしましたが)、兵力増強後に強化されています。 支那駐屯軍側にとっては、兵力増強も演習も戦力差や治安悪化への不安から くるもの(関東軍への押さえとする説も)だと思いますが、これまでの経緯から中国 側の疑惑を招くに充分です。 同様に、事件勃発後の日本側兵力増強に関しても過大評価しています。 (1個師団と1個旅団の時点で、8個師団と推定しています) そして東北、華北と進んできた日本軍が次に華中を狙うのではないかという 懸念。実際に開戦後も華北から華中への侵入を恐れ、上海戦や大原会戦等 手を打っています。 「かつてこう言った事がある。(中略)鯨呑より蚕食を恐れる。」 戦地の民衆に告げる書1938年8月 私は寡聞にして「かつて」がいつなのか存じませんが、蚕食され続けて危機感を もっていた為、ここで全面戦争を覚悟したという所でしょう。勿論国内世論が既 に更なる妥協を認められないところにきていた事はいうまでもありません。
さて明日から仕事です。暫くまともにレスも出来なくなりますが、
>>557 氏始め
お付き合いくださった皆様ありがとうございました。おかげで勉強になりました。
またどこかでお目にかかった際は宜しくお願い致します。
問いかけにレス出来なかった部分があったとしたら合わせてお詫び申し上げます。
最後になりますが
>>558 氏へ
もう仕事の準備に入りますから改めてきちんとしたレスが出来ないことを
お詫びします。私のレスは時間がかかるので。
興味をお持ちの中国側資料、主張の信憑性ですが、最初から全否定する
のでしたら研究も議論も全く必要が有りません。このスレさえ必要無いか
もしれません。
日本側であれ中国側であれ資料というものは程度の差はあれ自国に
都合よく改竄されている可能性は常にあります。善意の勘違いもある
でしょう。それどころか日本国内の資料同士でも相反するものが少なく
ありません。程度としては中国側により強く感じますが、はじめから信じ
ないというのでは面白くもなんともないでしょう。そこで思考停止です。
「信じられない記述」、「信じられる記述」、
「誤解が混じっているが参考に足る記述」「参考にならない記述」
「正しくはないが相手は信じている記述」「確信犯で捏造した記述」
等に分別していきましょう。前後の経緯や行動からある程度推測できる
場合があります。
また、判断に迷うほど相反する記述が有る場合、なぜ違うのか理由も
考えてみると見えてくる場合があります。
因みに私が持っている乏しい資料でも全部信じて書いたら大変なこと
になります。取捨選択が必要です。
例えば「田中上奏文」何て信じていません。少なくとも今のところは。
新資料でも出てきたときに考えればよいことと思っています。
そう。一回否定した資料にも後々使い道が出てくることもあります。
ではまたどこかでお会いできれば幸いです。
568 :
日本@名無史さん :05/01/02 19:43:06
569 :
日本@名無史さん :05/01/02 21:15:18
570 :
日本@名無史さん :05/01/02 21:23:03
北支工作の実態がわからんと何ともいえないな。
571 :
日本@名無史さん :05/01/02 23:05:36
日本の侵略だね>北支工作 中国の本格的反撃は当然
572 :
日本@名無史さん :05/01/02 23:09:33
日中戦争は結局日本の責任が大きいね
573 :
日本@名無史さん :05/01/02 23:16:56
北支工作は自治を望む北洋軍閥一派を日本が手助けしただけ
自治を望む北洋軍閥ったって大物には残らず断られたり肩透かし喰ってんじゃん。かかったのは小者。軍閥達の帰順が本格化するのは汪兆銘の脱出以降。それでも小者ばかりだが。 あとな、外交部も交渉をしている。日本の交渉窓口が軍主導で効果があがらなかっただけ。
大物はもうすでに死んでる。 だから、北伐が成功したんだしな。
576 :
日本@名無史さん :05/01/03 07:20:51
>575 おいおい。勝手に殺すな。閻錫山は超大物だ。断られたけどな。 宗哲元、韓復は馮玉祥系の大物。ちょっと色をつけると揚虎城も。親分より落ちるが。 北洋じゃないが白崇喜、李宗仁、竜雲も。 こいつらより大物なんて張作霖、馮玉祥、袁世凱くらいじゃないか? まあ白崇喜、閻錫山、李宗仁あたりは張作霖や馮玉祥と匹敵するが。
577 :
日本@名無史さん :05/01/03 18:27:41
日本の侵略だね>北支工作 中国の本格的反撃は当然
578 :
日本@名無史さん :05/01/03 19:49:15
長文氏の言い分はだいたい公平なんだが、日本としては侵略する理由はあったんだよ。 侵略される中国にも反撃する理由はあったんだが。 そういうことだな。
579 :
日本@名無史さん :05/01/04 21:41:50
日本が侵略者だね
>>579 現存する国家を構成する民族で一度として他民族に圧力を加えたことのない民族は存在するでしょうか。
ほとんど存在しない以上日本が過去において侵略者であることは極めて自然なことであり
侵略者であることはなんら特別な意味を持ちません。
581 :
打通サン :05/01/04 23:51:08
考えてみれば今の日本の役割って、戦中のアメリカが国民党政権にやらせたかった内容 (ソ連に対する防波堤、市場であり同盟国である経済大国) をそのまま引き継がされてるわけで、 もし中国が共産勢力に乗っ取られてなかったら、当初の計画通り今頃フィリピンみたいな農業国になってただろう。 そう考えてみたら、大陸打通作戦は中国民衆に国民党の腐敗っぷりを露呈して見せて、 その後の共産党シンパ拡大を決定付けたわけで。 戦後六十年間の安全保障と経済発展を約束付けた、人類史上最大の大成功だったのかもしれない
582 :
日本@名無史さん :05/01/05 09:48:52
謹賀新年 V(^-^)V 今年も弱虫支那軍を蹴散らしましょう
583 :
日本@名無史さん :05/01/05 11:12:21
584 :
日本@名無史さん :05/01/05 17:13:37
585 :
日本@名無史さん :05/01/06 13:19:12
>>580 相対主義ってやつだね。
やったのはみんな同じだって理屈だ。
素人の典型的な論法。
元寇をされたから中国侵略していいという論法だね。
586 :
日本@名無史さん :05/01/06 13:23:38
価値が相対的なものであることは常識だと思っていたが。 今時存在と当為の区別もつかないドキュソですか?
ハワイ、フィリピンが米国、シンガポール、香港が英国、インドネシアがオランダ サイゴンがフランス、満州が日本で不都合がなかろう。
588 :
日本@名無史さん :05/01/06 16:18:36
>>586 >>587 この考えが長文素人クンだね。
相対的だろうがそうでなかろうが、行為の是非判断とは別。
これがキモ!
難しいかな?
589 :
日本@名無史さん :05/01/06 16:45:14
元は支那に非ず
>>588 氏一緒にしないで下さい。私の考えと随分違う。それでは初めに結論ありきです。
ですが
>>586-587 氏のその考えも否定はしませんが。
今日は早く仕事が終わりまして数日ぶりに来てみたのですが私がレスする状況ではなさそうですね。
この前の長い奴。あれも随分端折ったんですよ。文字数の関係で。
日本側資料の引用元らしい文面とか長々転載しても大変なだけですから。
盧溝橋事件の経緯に関しても枝葉を省略したりしているのは識者ならお気づきの筈。大意に限りました。
ところで皆さんよく時間が取れますね。私は貧乏暇なしです。(泣
ではまた。多分1週間近く来られそうも有りませんが、次は名無しにもどります。
591 :
日本@名無史さん :05/01/06 23:24:33
盧溝橋事件は紅軍の陰謀
592 :
長文の人 :05/01/06 23:57:32
暫くまともにレス出来ないのに
>>590 の私の書き込みは少々不親切ですね。
どう端折ったのか一例だけでも明らかにしておくべきでした。
例えば
>>557 氏による私の
>>533 に対する疑問つまり
一木大隊で宛平県城の一角を占拠して交渉を有利に導くという意向について
>>557 氏が
「秦徳純の創作でしょう。」 とした件について私が
>>562 で日本側資料に基づいているとして
蒋介石秘録 サンケイ新聞社の日本側注釈を引用して反論し簡単に済ませています。
>>557 氏が秦徳純氏の創作と決め付けた理由も実は根拠が無い話ではないのです。
氏は松井大佐に言われたと証言を残していますが、松井大佐が当夜氏にそのように伝えた確かな記録は有りません。
では
>>557 氏が言うとおり県城へ兵を入れる話は無かったのか?
あるのですよ。
第一連隊戦闘詳報に残っています。
「(前略)支那側責任者に謝罪を要求すると共に必要に応じ断固たる処置に
(中略)歩兵約1中隊機関銃1小隊を冀察側調停委員と同時に盧溝橋東門内に
進入せしめ第三大隊主力を(後略)」
その他駐屯軍参謀の1個中隊を連れて交渉に当れという指示もあります。
恐らくこのあたりが蒋介石秘録のいう日本側資料でしょう。探せば他にも
出てきそうです。 (他の同様の資料を見たうろ覚えな記憶はあります)
593 :
日本@名無史さん :05/01/06 23:58:40
当時宛平県城は盧溝橋城、又盧溝橋とも呼ばれています。
盧溝橋とは橋の名前であると同時に県城を含めた付近の通称でもあったのです。
秦徳純氏の嘘とは別に日本側資料でも県城に第三大隊を入れる命令が残っていることがわかります。
私はここを省略しました。その後
>>557 氏が秦徳純氏の嘘を理由とする的外れな
反論をしてこない所を考えると、
>>557 氏も私の意図にお気づきになったのでしょう。
ところがところが、この日本側戦闘詳報にも改竄の疑いがある。勿論日本側で改竄した疑いです。
これは私達が議論していた内容と別な話なので書きませんし、裏を取るには手間隙金がかかります。
それで省略しました。
盧溝橋事件は何重にも資料を疑える興味深い、しかし面倒な事件です。
594 :
長文の人 :05/01/07 00:04:06
失礼
>>593 は私です。
どんな歴史でもそうですが、この事件は特にこれで飯を食うくらいの覚悟がないと本格的に研究するのは骨が折れることですね。
ま、今回の議論に関して言えば之さえも枝葉の部分に過ぎませんが、歴史の謎を解こうと思うと中々手が届かないものです。
こんな調子で端折った内容が幾つかありますが私達の大雑把なレベルでは同じように枝葉です。
では今度こそ暫しのお別れ。
>牟田口の占領命令 いやこれは一切合切否定しております。 蒋介石秘録がそもそも嘘ですからね。(このあたりは12巻にのってましたっけ?) 日本側史料とはなんのことでしょう?そんな史料はありません。 日本がこのとき(七日から八日にかけて)したのは、「不法射撃」の責任追及であって、 安平県城への入場検査も占拠も要求していません。 これは松井だけじゃなくて、寺平ものべております、(彼の著書参考) 松井の発言は、 「兵は城外の演習で行方不明になったのだ。それなのに武力を持って場内を捜索させろなど、 そんな無茶な事は常識で考えたっていえる道理はない。……秦純徳自身が作為したかー―」 です。これは秦氏の著書にも引用されてますね。それくらい有名なものです。 寺平氏は林耕宇の作り話に違いないと言ってます。
596 :
長文の人 :05/01/07 00:58:29
>>595 氏
違います。
>>592-593 で書いた第一連隊戦闘詳報と駐屯軍参謀の指示です。
日本側資料で間違いないでしょう。
以前から書いている一角を占拠して交渉を有利に進める意図の件です。
但し参謀の指示は公式な命令と受け取るべきかどうか疑問があるので私は「指示」としております。
その他一木大隊長の後日の発言にも裏付けとなる話が出てきます。
ただ細かい部分になりますがこま第一連隊戦闘詳報には上で書いたように日本側つまり一木氏や牟田口氏の意思による改竄が行われた可能性が指摘されています。
私は改竄説も考慮に値するとは思いますが未だ研究不充分なので言及を略しています。
蒋介石秘録にある日本側注釈に出てくる日本側資料とはこれらをさすのではないかと愚考しております。(全く別の資料があるのかもしれませんが)
蒋介石秘録の本文部分に嘘或いは誤認が混ざっていることは私も否定しません。あれは国民党側見解ですから裏付けが取れない部分に関しては慎重に扱うべきです。
ですが、今回貴方が書かれている内容とは全く別の話なので
>>592-593 を再読ください。松井大佐の件とは違います。
ではお休みなさい。
597 :
長文の人 :05/01/07 01:01:59
追加です。 松井氏だけでなく、ここでは一応寺平氏の話も関係ないですよ。当然中国側の見解とも関係は全くありません。 第一連隊戦闘詳報はこの問題に関する基本中の基本ですから当然ご存知と思っておりました。 ただこの基本中の基本である資料さえ怪しげな部分が付き纏う。面白いではないですか。 ではでは。
>>596 だからそれが間違いでしょ。
「七月八日午前二時 連隊長ハ連隊付森田中佐ヲ現地ニ派遣シ之カ調査並支那側責任者ニ対シ謝罪ヲ要求スル如ク命シタリ
之カ為ニハ慎重ニ事ヲ処スルト共ニ必要ニ応シ断乎タル処置ニ出テ得ル姿勢ニ於テ交渉スルヲ適当トスルヲ以テ
歩兵約一中隊、機関銃一小隊ヲ冀察側調停委員ト同時ニ盧溝橋東門内ニ進入セシメ
第三大隊ノ主力ヲ盧溝橋停車場西南側付近ニ集結シ 何時ニテモ戦闘ヲ開始シ得ルノ姿勢ニ在ルヲ可トスル旨指示スル所アリタリ」
ですよね。
みればわかるように、「冀察側調停委員」つまり中国側と一緒です
そして「何時ニテモ戦闘ヲ開始シ得ルノ姿勢ニ在ルヲ可トスル旨指示スル所アリタリ」
です、つまり、戦闘準備をしただけなのです、占拠なんて指示は出てません。
さらに、このあと戦闘になったのは、「午前三時二十五分 竜王廟方向ニテ三発ノ銃声ヲ聞ク」
のあとです。
長文の人はご存知だろうけど、蒋介石秘録は酷いデタラメだらけだよ。 上海でも日本軍が攻撃を仕掛けたことになっている。 考えてみれば、戦後しばらくはウヨは蒋介石マンセーでサヨは毛沢東マンセーで どっちも日華事変は日本の侵略だという認識では一致していたんだよね。 そういや、だからウヨは盧溝橋事件共産党謀略説に拘るのか。そうすれば日本の侵略は 共産党に嵌められたからだということになる。 どっちも事実とは程遠いけどね。
>>564 だから、その14日の提案には北平からの撤兵など含まれてませんが?
盧溝橋付近からの撤退だけです。細目協定は以前見た憶えがありますし、間違いないですよ。
八宝山付近はだけでは、「北平」じゃありませんし、
そもそもこれは17日ですしね。
史料の出所はどこなんですかねえ、
もしかして、また成立もしていないものをもって「未遂」とでも言うつもりですか?
>盧溝橋事件で気付くのは、日本政府、陸軍中央、駐屯軍、特務機関が別々に
日本の外交ルートは一本ですよ、蒋介石とも交渉してますが、それは現地停戦協定案じゃありませんし。
んで陸軍中央と政府は現地停戦を支持しているんですが?
現地へいろいろ要求していますが、これは外交ルートが二本になっているわけじゃありませんしね。
政府案と宋が調印したものはただ一つで、これは陸軍軍務省、五相会議で承認された正式なものです。
それ以外で色々提案されたとしても、成立にはなんら関係ありません。
>>560 幣制改革の成功は別の面も見せています。
華北を分離するより、華北の中央化を支持する代りに、
成長しつつある中国市場に組み入ろうとする方針です。
実際これがのちの、船津工作、トラウトマン工作へと流れて行きます。
んで日本領にはならないんですが、現地に駐留しているのは日本だけじゃありません。
北京議定書に基き、列強も同じく駐留しています。
この日本だって、「この程度のこと」で欧米との摩擦は避けますよ。
つーか北京以北でも日本領に出来ないから、分離政権を立ち上げて干渉地帯にするしかないんでしょ。
602 :
出勤前の長文の人 :05/01/07 07:30:23
>>598 氏
戦闘詳報によってわかるのは一角を占拠して交渉を有利に導くことです。
必ずしも戦闘を目的としていないのではないかとは私は何度も何度も書いていますよ。
>>533 でも
>>562 でもそう書いているでしょう。
何か意図があって敢えて誤解しているのでしょうか?
>>600 で、14日の要求に含まれています。
13日の支那駐屯軍状況判断での北平撤兵要求は、参謀本部の中央の取るべき処置に関する意見で掣肘されています。
しかし支那駐屯軍参謀によって個人的意見として要求、その後中国側使者に対し参謀長によって再び要求されます。
つまり陸軍中央は否定しているのに出先が要求してしまったのです。
そして7項目の当初の要求内容は当然ご存知ですよね。
中国側は基本的に同意したとされますが、結局北平撤退だけは同意しませんでした。
協定細目は何度も作り直されていますが、どの時点のものをご覧になったのですか?
この中国側が合意しなかった後の物をご覧になったのではと愚考しますが。
>>華北分離
失礼ながら軍事と経済と政治の関係、日本だけが特殊な指導を行い不当に利益を得ていたことがわからない貴方とは思えません。
わざとでしょうか?
出勤するとまたしばらく書き込みできません。行ってまいります。
603 :
出勤前の長文の人 :05/01/07 07:35:49
あっ因みに一木大隊長の後日の証言はもっと過激です。 初めから攻撃するつもりであったように何度も語っています。 ですが私は第一連隊戦闘詳報と意味合いが異なるこの証言は敢えて採用せず、参考に止めました。 この一木氏の証言がより正しい可能性も無いではないのですが、私としては何か意図があっての発言であると判断し遥かに穏当な表現の戦闘詳報を重視します。 もし一木氏証言が本音であった場合は大変なことになります。 ではでは。
604 :
日本@名無史さん :05/01/07 10:47:06
自作自演の準備しなくちゃ。。。
605 :
日本@名無史さん :05/01/07 11:19:22
今のアメリカって、日中戦争時の日本と 同レヴェルだったんだね
606 :
日本@名無史さん :05/01/07 14:10:24
(-ゝ-) 日本最強 .ノ^ yヽ、 ヽ,,ノ==l ノ / l | """~""""""~"""~"""~"
607 :
日本@名無史さん :05/01/07 15:08:53
臣高山ですからぁ!
船津もトラウトマンも常識からいって無理な時期の工作。 戦争中だしそれまで自分が何をしてきたかを考えなきゃね。
船津は無理だが、トラウトマンはそうでもないでしょ。 上海決戦で日本が勝って蒋介石に勝算がなくなった後な訳だから。 トラウトマン工作がうまくいかなかったのは、蒋介石がブラッセル会議 に期待して回答を引き延ばしたのと、その後の南京陥落で日本側の 文民が条件を引き上げたから。
ロシアや清との緩衝として朝鮮を欲し、朝鮮の安全と利権を守る為に満州を欲し、満州を守る為に熱河を欲し、それらを守る為に北支を欲する。 際限が有りませんな。次は北支を守るために中支に緩衝地帯を求めてくるよ。 どこかで立ち上がらなくちゃいかん。
>610 ダウト。 それぞれの段階の間に歴史進展があることを忘れちゃいけませんぜ、ダンナ。
612 :
右翼討伐人 ◆PJBNbht6to :05/01/08 23:55:00
613 :
日本@名無史さん :05/01/09 07:26:27
赤い電波に脳を犯されてるな
>>611 おまえがダウト。こんなこともわからんとはアホ。
615 :
日本@名無史さん :05/01/10 00:23:17
勘定ごまかす15年戦争論者全員ダウト
出勤するとまたしばらく書き込みできません =自作自演の準備でしばらく書き込みできません
617 :
日本@名無史さん :05/01/10 21:53:45
日中戦争は、日本の侵略が原因だね。
618 :
日本@名無史さん :05/01/10 22:08:01
トラウトマン工作がうまくいかなかったのは、その後の南京陥落で日本側 が条件を引き上げたから
日中戦争は支那の近代化の遅れが原因だね。
620 :
日本@名無史さん :05/01/11 08:17:59
621 :
日本@名無史さん :05/01/11 10:04:27
支那人が好戦的なのは戦後も別口の戦争を繰り返していることから明らか
622 :
日本@名無史さん :05/01/11 17:28:00
勝てもしないくせに日本に戦争吹っかけた蒋介石がアホ もっとも、戦争しなかったら失脚しただろうけどね 中越戦争もそうだが、中国って内政的要因で戦争吹っかけるから嫌なんだよな
623 :
日本@名無史さん :05/01/11 17:33:48
勝てもしないくせにアメリカに戦争吹っかけた日本がアホ もっとも、戦争しなかったら失脚しただろうけどね 満州事変もそうだが、日本って内政的要因で戦争吹っかけるから嫌なんだよな
>622 勝ててますよ。最終的に日本は中国大陸からすごすご逃げ帰らざるを得なかったのですから。 開戦すれば諸外国が中国側に立ってくれることを見越した上で、 意図的に挑発を繰り返し戦争にひきずりこんだのなら 蒋介石の手のひらの上で日本は踊り続けていただけということになります。 実際日本はそうなる危険性を十二分に予測していたにも関わらず、 その蒋介石の戦略に一撃を加えることは最後まで出来ませんでした。
625 :
日本@名無史さん :05/01/11 19:16:41
>>622 その蒋介石に、無条件降伏したのはどこの国かと小一時間(以下略・・・
626 :
日本@名無史さん :05/01/11 19:44:12
>>624 スレをよく読めって。
>開戦すれば諸外国が中国側に立ってくれることを見越した上で、
>意図的に挑発を繰り返し戦争にひきずりこんだのなら
蒋介石は戦後になって、最初から諸外国が日本と戦争すると読んでいたとか
言ってるが、それはただの神話。現にトラウトマン工作は受諾しようとしていた。
英米が本格的な蒋介石援助を始めたのは日独伊三国同盟以降。
元々、英米も中国なんぞのために日本と戦争する気はない。
中国は当時もその無法ぶりで日本以上に嫌われていたからね。
まあ、結果として蒋介石の予言通りにしてしまった日本外交が下手糞と言えばそうだが。
627 :
日本@名無史さん :05/01/11 21:35:47
15年戦争は、日本の侵略戦争だね。
628 :
日本@名無史さん :05/01/11 21:36:52
629 :
日本@名無史さん :05/01/11 21:58:05
他国の植民地と資源を横取りするのも十分侵略だな。 帝国主義の時代が終わりかかっているのに、遅れて真似をした愚か者。
630 :
日本@名無史さん :05/01/11 21:59:37
帝国主義の時代が終らせたのは日本だ。 大東亜戦争前に終りの始まりがあったわけではない。 嘘話止めれ。
終戦後、蒋介石の依頼で台湾国民党軍の軍事訓練には 旧日本軍将校も参加している。手打ちはすんでる
632 :
日本@名無史さん :05/01/11 22:15:10
633 :
日本@名無史さん :05/01/11 22:16:52
日本軍は、敗戦後にインドネシアの独立阻止を連合軍に依頼され、 その任務をしっかり果たしていたね。
634 :
日本@名無史さん :05/01/11 22:25:56
帝国主義の時代は終わりかかってたよ。 インド史でもみれ。
635 :
日本@名無史さん :05/01/11 22:30:42
一応は治安維持の名目でオランダの帰還への協力姿勢はとったが 裏では武器を密かに独立派に横流しするなど「しっかり」果たしていたとまでは言えないが。
>>602 >戦闘詳報によってわかるのは一角を占拠して交渉を有利に導くことです。
?どこにそんなこと書かれてますか。
わたしゃ全文引用してますけど、一言もそんなことはかかれてません。
あくまで戦闘準備だけです。どこも占拠するなどという指令はありません。
>協定細目は何度も作り直されていますが、どの時点のものをご覧になったのですか?
秦氏の著書でふれられているのもなら、全て目を通していますよ、
そして問題になるのは、日本が正式に提案したもので、そのなかで宋が認めたものだけです。
だから、まさかまた未遂とか言われるのですか?と聞いているわけです。
>失礼ながら軍事と経済と政治の関係、日本だけが特殊な指導を行い不当に利益を得ていたことがわからない貴方とは思えません。
日本製品にのみ高率の関税をかけられるから、間に分離政権をはさみ、
それにより低率の関税で商品を売りさばくことは、確かに違法かもしれませんね。
けど私はそれを不当とは思いません。
638 :
日本@名無史さん :05/01/11 23:24:19
>>637 関税自主権返した途端に高率の関税を課せられたって話は聞いた事があるんですが、
高率を課せられたのは日本だけだったんですか?
それだと最恵国待遇に違反しているような。
639 :
日本@名無史さん :05/01/12 17:58:18
反日抗日当然でしょ。
640 :
日本@名無史さん :05/01/12 18:00:54
>>636 インドネシア独立派を抑えてたのは紛れもない事実。
事実を見ろよ。
641 :
日本@名無史さん :05/01/12 18:03:50
日本の侵略度 満州事変100% 日中戦争80% by秦
642 :
日本@名無史さん :05/01/12 18:29:53
インドネシアの独立派は、みんな親日派だよ。
643 :
日本@名無史さん :05/01/12 20:56:49
インドネシアは大東亜会議に出席を懇願したが却下されました。 日本の直接植民地支配の予定だったからね。
644 :
日本@名無史さん :05/01/12 21:33:25
アジア解放を謳って、どうして 中国も含め、アジア各地で現地民と戦っていたのでしょうね? 日本軍は。
マラヤ共産党・フクバラ・ハップこそアジアの解放に貢献した。 日本は枢軸ファシストの侵略者。日本軍の共産党粛清に協力した マレー人勢力はアジアのウスタシャ。
>>640 2万程度の降伏した日本軍が独立派を力で抑えていたとするなら大したものだが。
647 :
日本@名無史さん :05/01/13 12:28:50
おさえてたね
648 :
日本@名無史さん :05/01/13 12:59:35
>>644 東南アジアでは日本軍として戦った現地の志願兵が沢山いましたが、なにか?
ちなみに朝鮮人からも、志願兵が沢山イましたが、なにか?(韓国は認めたくないようだけど。
649 :
日本@名無史さん :05/01/13 15:15:38
日本軍と戦った独立派がアジア各国にいましたが、何か? 台湾や朝鮮の志願兵というのは、ほとんど強制だったんですが、何か?
650 :
日本@名無史さん :05/01/13 15:16:56
朝鮮の特攻志願兵は強制ではないですが、なにか?
651 :
日本@名無史さん :05/01/13 15:19:03
インドネシアでは未だに日本は 西洋からの開放者としてあがめてる地域もありますが、なにか?
652 :
日本@名無史さん :05/01/13 15:24:21
> インドネシアでは未だに日本は西洋からの開放者としてあがめてる地域もありますが、なにか? 火事場泥棒との認識が一般的なわけだな、つまり
653 :
日本@名無史さん :05/01/13 15:37:16
654 :
日本@名無史さん :05/01/13 16:13:33
>>650 >朝鮮の特攻志願兵は強制ではないですが、なにか?
特攻隊は日本人でも志願制度だけど、建て前上では・・・??
655 :
日本@名無史さん :05/01/13 17:24:04
建て前上、特攻隊は日本人でも志願制度。 断れた勇気のある人は1人もいなかったのか?
断りはしないけど、何回出撃しても生還して最後まで死ななかった人はいたね。 佐々木伍長だったかな。
657 :
日本@名無史さん :05/01/13 20:13:30
それにしても、日本軍って他国へ攻め込んで 一度として勝ったためしがないね 超戦争弱いというか 日清や日露は防衛戦争だったから
658 :
日本@名無史さん :05/01/13 21:53:33
防衛戦争w?
インドネシアやマレー人の対日協力者は自己判断だったと言い、 中国や朝鮮の対日協力者は強制されたと主張する傾向がある。
>>649 強制なんかされてないぞ、
希望者の殆どが逆に落とされているくらいなのに、強制してどうするの。
元の日本征伐への高麗の参加も決して元の分け前に与ろうというわけでなく、 韓国のベトナム参戦も決して外貨欲しさの為ではなくアメリカに強制されたニ・・んですよ。 いや、ほんと。
662 :
日本@名無史さん :05/01/14 12:25:07
663 :
日本@名無史さん :05/01/14 23:32:26
【日中戦争の原因は、中国軍による日本人民間人への大虐殺だった】
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/tsushu.html BCC
昭和12(1937)年7月29日、北京近郊の通州で中国軍が日本民間人を「大虐殺」しました。
いわゆる「通州事件」と呼ばれるものです。
「通州事件」 ── 又の名を「通州大虐殺」とも呼ばれるこの事件は、
「廬溝橋事件」の3週間後、起こりました。当時、通州には、「廬溝橋事件」の余波で
避難していた婦女子や朝鮮人(当時は日本国籍だった)を含む
日本人居留民など200余人を虐殺したのです。
「廬溝橋事件」発生直後の
日本は、現地解決・戦線不拡大方針を表明し、国民党軍との間に
停戦協定が成立していました。要は、日本としては支那とこれ以上、事を構えたくはなく、
日本は支那との全面戦争は欲していなかった。
しかし、支那は日本側のそんな期待を裏切って、「通州事件」を起こしました。
当然ながら、日本の世論は「支那を撃つべし!!」と激怒沸騰しました。
この時も、まだ日本軍は隠忍自重し、本格的な戦端を開こうとはしませんでした。
しかし支那は、「通州事件」後の8月13日、上海租界の日本人居留民を保護する目的で
駐屯していた小部隊の日本海軍陸戦隊に対して、国民党正規軍10個師団(20万人)もの
大兵力で攻撃してきたのです(第二次上海事変)。
中国軍の横暴によって支那事変(日中戦争)が始まったのです。
*なお、満州は歴史的に漢民族の国ではなく満州事変は日中戦争では無い。
>>662 それなら最小の割り当てでいいだろ、自分で矛盾しているのに気付かないのかね。
665 :
日本@名無史さん :05/01/15 00:57:09
>>663 有名な事件だがその記述は基本的に間違っている。
虐殺したのは中国軍ではなく防共自治政府の保安隊。日本軍の手先なの。中華民国軍とは関係ない。というか本来漢奸。
宗哲元の秘密指令とする説もあるが証拠は無さそう。
結末は防共自治政府が日本に謝罪と慰謝料を支払って解決済み。
666 :
日本@名無史さん :05/01/15 11:56:36
>>665 宗哲元が撤退する際に蜂起の指令を出したって通説だと思っていたが、
違うの?
667 :
日本@名無史さん :05/01/15 14:57:21
668 :
日本@名無史さん :05/01/15 15:27:02
通州事件の時だけ「支那」と一括りにされちゃうわけねw すげーよ、オマイラ。 わかりやすくいえば、アメリカの傀儡として樹立された今のイラクの暫定政府が 米軍に誤爆を受けて、怒ってアメリカ人に報復を加えたってことなのになw まあ日支親善のために起こした戦争が日華事変なんだから、やりあえばやりあうほど仲良くなんるんだろw。 ♪仲良く喧嘩しな、ってやつさ
669 :
日本@名無史さん :05/01/15 15:30:12
670 :
日本@名無史さん :05/01/15 16:02:10
満州事変が、日中戦争の大きな開始点だね。
1944年における大陸打通作戦が支那事変の集大成。
間が空いてしまいましたね。
>>637 氏どうもご無沙汰です。私があまりこられ
ないのでご迷惑をおかけしています。
>宛平県城の一角を占拠して交渉を有利に導く意図について
この部分ですが、資料の読み方に若干問題があると思われます。
命令に「県城の一角を『占拠』して交渉を有利に導け」という言葉が無いから
『占拠』では無いというのはどうでしょうか?
「冀察側調停委員と同時に盧溝橋城東門内に進入せしめ」といった所で
この時点で冀察側にも宛平県城側にも部隊の入城を許可されていませんし、
実際後に拒否されています。県城は第29軍部隊の防御拠点です。発砲事件
がどちらかの軍或いは第三者の謀略又は偶発事件のいずれにしても、緊張
が高まっている相手側拠点内に戦闘部隊を進入させようというのですから
産経新聞社が独自の訳注で『占拠』と表現したのはまず適当と考えます。
『占拠』がお気に触るのでしたら『占領』でも『強引に侵入』でも構いません。
言葉を変えたところで
>>533 で最初に言及したときから私が言っているように、
「必ずしも戦闘を意図したものではない」としても相手側を刺激し事態を悪化
する危険の多い行動だと思いますよ。
{占拠=場所を占有してたてこもること。占領。}
大抵の辞書には同義の意味で解説されていると思いますが。
秦教授の「盧溝橋事件の研究」はその結論に同意するかどうかは別として
今後の研究にとって欠かすことの出来ない金字塔です。が、原資料の読み方
は言語だけでなくその意図する所も読み取らなければもったいないと思いますよ。
「侵略せよ」とかいていないから「侵略」ではないとか、「開放せよ」と書いて
あるから「開放」だとは言わないでしょう?緊張している相手の防御拠点に
戦闘部隊を入城させるということがどういう結果を招く恐れが高いか。
事実が示しています。
因みに私は幾つかの疑問点は持ちつつも、秦教授の見解に近い部分も多い
のです。
>>北平撤兵問題
協定細目は幾つか作られているようなので「13日における支那駐屯軍状況
判断」と参謀本部第二課の「中央の採るべき処置に関する意見」をお調べに
なった方が良いと564でも書いておいたのですがどうして協定細目に拘る
のでしょう。
北平撤兵要求について明確な形で私が最初に言及したのは545です。
それ以前は撤兵要求自体を問題にしていたことと、長く議論に参加する気が
無かったので宛平県城と北平を特に区別する書き込みはしていません。これ
は良くなかった。
明確な区別は532氏が北平撤兵要求は廊坊、公安門事件後だと言及され
たので撤兵問題だけでなく、場所にも明確な区別が必要になったと気付いて
から明確化に意を払いました。私が問題にしているのは一貫して撤兵要求自体
の問題、双方撤兵の場合でも実質中国側に不利な要求ではないのか?という
点でした。
次に私の550、552で簡単に触れていますが、554氏のソース要求に
対して564でお答えしています。実は545で既にお答えしているのですが
良くお読みになっていなかったようです。
それに対し600氏が14日に北平撤兵を要求していないと主張され、602で
私が再度要求の経緯について書いています。
にもかかわらず何故貴方
>>637 氏がまた
>秦氏の著書でふれられているのもなら、全て目を通していますよ、そして問題
>になるのは、日本が正式に提案したもので、そのなかで宋が認めたものだけ
>です。
と仰るのでしょう?論点が違ってはいないでしょうか?私が一貫して問題視して
いるのは「要求」です。宗哲元がそれを認めたかどうかは別の問題です。宗哲元
が認めたものだけを問題にするのでしたら私を相手に議論するのはお門違いと
いうものです。何か得体の知れない誰かと議論なさっているように思います。
因みに秦教授の著作でも言及しています。何故か非常に簡単にしか触れてい
ないで貴方が注意を払わなかったのも責めることは出来ませんが。
同様に私に問い掛けているにもかかわらず何故か論点が違っている例は他に も幾つかあります。多分私の主張が期待したものと違うのでしょう。 良く左翼系の人と議論したことがある人や、その系の本を少々読んだ人に見ら れる傾向ではありますが、私との議論にはあまり有益ではない部分です。 そういう皆様は左翼の方と議論されると有意義です。私も随分以前(10年位前) にやったことがありますがなかなか得るものもありますよ。多分期待通りの主張 をしてくれるものと思います。(左翼でも出来る人はまた別ですが) さて「13日における支那駐屯軍状況判断」の指導要領三の要求部分7項目目に 「(七)北平の警備は将来公安隊を以ってし城内に軍隊を駐屯せしめず」 とあるのは多くの方が既に検証済みと思われます。 「将来」とはいつか?指導要領一に第29軍撃滅準備について述べ 「(前略)右態勢は概ね七月二十日前後に完了し得る見込みなり」 としています。はっきり期限を切っている訳ではありませんが20日以降何時でも 作戦を開始できるという見込みではあります。児島襄氏によればこのいかにも20 日を期限として突きつけたかのような駐屯軍の態度は陸軍中央部を驚かせます。 後になりますが、実際の期限を19日に設定したことも駐屯軍の準備期間に合わ せたものと考えることも出来るかもしれません。(後追いですが) 支那駐屯軍の姿勢に憂慮した参謀本部第二課は 「中央の執るべき処置に関する意見」 「(前略)支那軍を北平城より後退せしむるが如き過大の要求は此際一般方針に 反するのみならず求めて事件を拡大するに等しきものなり(後略)」を具申。 「支那駐屯軍状況判断」を受けた中央でも硬軟両派の意見が出ますが、 「北支事変処理方針」を決定し統一を図ります。この中では11日調印の協定内容 に基づき解決を図ることとなっており結局北平からの撤兵要求は認められなかっ ことになります。(11日の条件には含まれない)
ところが支那駐屯軍はこの「北支事変処理方針」に不満でした。各条件多くの点 で疑問を表明し、「統帥権の干犯」まで持ち出しました。 結局北平撤兵は14日に駐屯軍参謀専田大佐が宗哲元に個人的意見として要 求、橋本参謀長も続きます。この経緯は「日中戦争」児島襄、「戦史叢書 支那 事変陸軍作戦(1)」によって明らかにされています。「蒋介石秘録」サンケイ新聞 社の本文部分や「盧溝橋事件の研究」秦教授にも同様の記述が簡単に書かれて います。(充分ではありません) 北平撤兵は14日に確かに要求されているのです。ここまでは議論の余地は有 りません。否定する為に出来る事といえば、「公安隊(又は保安隊)を駐留させる のだから撤兵ではない」と強弁することくらいですが、肝心の支那駐屯軍が 「軍隊を駐屯せしめず」としており、参謀本部第二課も「支那軍を〜」として撤兵 であることを認識しています。実際中国側も「撤兵」と認識し抵抗を示します。 当然でしょう。 面白いのは「日中戦争」では駐屯軍が勝手に要求を行ったように書かれており、 戦史叢書は陸軍省軍務課が7項目要求の交渉を現地軍に任せる手続きをしたと していることです。(同様に中国政府相手の外交交渉期限を19日にしたとする戦 史叢書に対し、外交交渉に期限を設けなかったとする日中戦争と微妙なところで 見解が分かれています) ここで解釈が分かれます。 曰く「結局日本は陸軍中央も一緒に過大な要求をした。」 曰く「陸軍中央は不拡大方針であったが駐屯軍が勝手に過大な要求をした。」 曰く「陸軍中央は不拡大であったが、強硬派と駐屯軍が結託して過大な要求を 行った。」 私は多少日本軍に甘いので2番目の説で今回書き込みを行って反応を待った のですが、軍務課の資料を虱潰しに当ってみたい欲求にも駈られます。
14日の北平撤兵要求は当然中国側の同意を得られませんでした。第37師を撤 退させ公安隊(保安隊)に代えろとする要求に対し、第29軍側は第38師に交代な ら同意すると返答。 陸軍中央でもこの返答に意見の統一が出来ず、しかし次第に強硬派が優勢に なっていったとされます。強硬派の意見は当然北平撤兵、保安隊への交代です。 その後の経緯を北平撤兵に限って見ると、強まる日本側の圧力と緊迫する情勢 から17日、北平の第37師を撤兵し宗哲元直系の衛隊を置くとする申し入れが行 われます。この衛隊について具体的な資料は現在まで私は見たことが有りませ んが戦史叢書では日本側の7項目要求をほぼ受け入れたものと解釈しています。 この申し入れを元に交渉が行われ19日深夜に調印をされた内容では第37師の 撤兵は「条件」に含まれず、宗哲元側が自発的に行うものとされています。 当然中国中央政府はこれを事前(直前)に否定しており、日本側中央の態度が 更に硬化。 20日、宗哲元は第37師の撤退を宣言し、代わりに趙登?の部隊と交代させるこ とで日本側と同意します。この部隊は明らかに第132師と思われます。第37師を 撤兵させることで日本側の要求の一部を受諾し、第132師を入れることで中央政 府の訓令に従ったとも見えます。初めから衛隊なる表現は日中双方の顔を立て るつもりでなされたと勘ぐるのは考えすぎでしょうか。そういえば第132師の編制 には特務団が含まれています。 駐屯軍も漸く中国側との協定が成立しようとする時期の中央部強硬派の横槍 に疑問をもったともいいます。その事情が第132師の交代という落し所を許した のでしょうか。 別に石友三の部隊は第37師集結の警戒に当るとして八宝山付近に配置され、 同師の集結完了後に撤兵することとされます。この石友三が率いていたのが 保安隊です。第29軍には他にもう一つ保安旅がありますが、第143師に所属し 張家口に駐屯していたことが判明していますからこの問題には直接関係無さ そうです。日本側が意図していた保安隊は石友三系の部隊かもしれません。 編制を見ていくと要求条件や合意条件が少し解けてくる気がして興味深いも のがあります。
しかし良く知られているようにこの同意は中央政府の指示に服した宗哲元によっ て中途で覆されます。華北政務委員会といえども北支自弁法や暫定組織大綱 などで中央政府の意思に逆らうことはできないのです。(この当りの事情は実 は日本側でも委員会成立後気付いていました)第29軍長としても中央政府の 意向を無視できない。統帥権の独立という建前がある日本軍とは事情が少し 違うようです。統帥権が独立しているとする日本軍にしてもこの事件中、駐屯軍 と中央の間で解釈が分かれていますし難しい問題です。「統帥綱領・統帥参考」 の記述でも微妙なあたりです。 他の理由として撤退準備中に日本側が砲撃したと第29軍側が主張し日本人軍 事顧問も砲声を確認しています。(中共謀略説もありますが不明ですね。) >日本製品にのみ高率の関税をかけられるから この部分は私の資料が乏しい部分なので、まずは貴方の主張が正しいという 前提でお話させて下さい。 関税自主権が実質発動したのは1931年ですが、日本製品のみは特例として 1933年5月まで従来の関税が認められる優遇措置がとられています。もしこれ 以降、日本製品にのみ高い関税がかけられたとしても止むを得ない部分はあり ます。既に満州事変によって中国における反日感情は高まっており、ご存知の 通り日貨排斥運動も起こっています。 関税の目的は自国産業の保護、税収の確保が主ですが、しばしば制裁や抗議 の意味で使用されることがあります。仮に貴方の主張が全て正しかったとしても 責任の多くは日本側にあります。(日本にも少なからず情状酌量の余地はあり ますが) 日本も豪州の羊毛に対し輸入制限措置をとっていた時期があります。中国だ けを責められません。
ここから先は間違っているかもしれませんのでそのつもりで読んで下さい。 関税について手元の乏しい資料から見る限り「日本製品にのみ」高い関税を かけた証拠を見つけられないのですよ。むしろ他国より新関税実施を猶予され ている位です。 新関税実施後は流石にかなり高くなりますがそれでも他国と同じです。この新 関税は日本だけでなく他国からも抗議を受けています。 特に160%前後の高関税品目(自主権以前は5%)も有って日本を含む外国製 品を苦しめます。中国は当時後進国であり軽工業中心の国内産業保護の為と いうのが主な目的でしょう。問題は他国の中には比較的低関税の重工業製品等 に輸出の主力をシフトする国もありますが、輸出の主力を繊維製品としていた 日本は中国の国内産業との摩擦が大であったのです。もちろん満州侵略や 華北停戦交渉で不利な条件を押し付けられた対抗措置の側面も否定できま せんが。(日本も米に490%を想定しているのはご存知のことと思います) 日本側の抗議は強力であったようで、1934年7月には繊維製品、半製品の関税 は引き下げられ、機械、建設材料、綿花等の関税を引き上げる「親日排米関税」 が実施されることになります。 1920年代〜1930年頃まで日本は中国に対し1億3〜4千万の貿易黒字を 持っています。中国が関税を以って自国産業を保護しようとするのは当然に見 えます。 新関税適用後(日貨排斥の影響もあるでしょう)の1933年には流石に5000万円 赤字を出しますが、それでも急に黒字に転じた関東州を含めると1億5千万程黒字 です。 1934年には赤字は2500万に縮小。関東州を含めて2億4千万の黒字。親日排米 関税の効果でしょうか? これらの数字は恐らく正規の部分。密輸の部分がどうだったかのデータはい まだ検討していません。 当時の日本が利権保護や獲得の為に行動したことを単純に批判するべきでは ありませんが、相手国にも事情があることを現代の私達が忘れ去るのは論外です。 日本にとって中国は貿易黒字を生む数少ない相手国でしたが、他国との赤字埋 め合わせの為に万年赤字を押し付けられる方もたまったものではないのです。
679 :
長文の人 :05/01/15 23:21:26
今回は一応ここまでです。他にも議題が少々残っていますがあまりに長くなりすぎて端折りました。 今の時点でも荒らしスレスレです。 本職に必要な学習に1日勤しむ傍ら気分転換に書いた文章です。貿易関係のデータについては間違っている部分もあるでしょう。ご指摘を待ちます。 本業多忙でまた間が空くかもしれません。議論に参加する資格は無い気がします。 では。
>>676 >駐屯軍も漸く中国側との協定が成立しようとする時期の中央部強硬派の横槍
>に疑問をもったともいいます
私のこの部分に補足です。横槍とは日本側中央が17日に言い出した期限のことです。
681 :
日本@名無史さん :05/01/16 16:05:09
ま、日本の侵略という結論やね
682 :
日本@名無史さん :05/01/16 22:26:36
,.. -.、 ,..-'''''''''''' -、 /-'"''ヽヽ /,,..... ̄..''''ヽ::::ヽ ''" l i /":::::i::::::ヽ::::::::l:::::::::ヽ |;;i l:i:::l:::lヽ::`::_ヽ::l::::i:::::::i _l;;l_ !il'i:l';l ヽ' ''_i;T.i:::|ヽ:::l \r'" l:::l'-'^ l::| ノ:::l 支那軍、逝ってよし .- ''-、 |::ヽ ' 、_、 i:::::i:::::i _ /''l"'-" i i::::::::ヽ、 _,,.. i::::::l::::::| ,-"''i;:;;;l -i'"、'',l l::::i::::::::::l l::::::l::::::;l ,..-''" :::l;;:;;!,!、ヽ-;;"-,l:::::l-'" ,.'' /::::;l ̄'''- 、 / ::::::ヽ;;-''!,ノ'":::..i,/" /-,_/l:::i:l ,..ヽ ヽ_.........:::::::::,-'" ー lヽ // l:;" / \ \::::ー":::::::::.. /i_,.../__,,,...-''"// \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄''''''''''!-''"i >-,,,,___ / i ヽ / /'-'i "ヽ l \ /,_,,,-'" \ `, i /ヽ、 i ヽ l ''-、i '''l;;;l \ l ヽ i l;l;' _,,,iー'' i L,, ,._ l,,,/'' ノ i:::: ̄ー- ,,,,,,,,,,,,,i ヽ;;ヽ ,,...-''" l::::::l::::::i:::::::::l:::::i' ヽ;;;i, _,,,,...-ー" i:::::::l::::::l::::::::::i::::::ヽ,, _/i i::::::i:::::::l:::::::::l::::::::i:::::::;;;;;;;;;l
683 :
日本@名無史さん :05/01/17 12:40:37
いろんな国同士、仲良くしよーよー
684 :
日本@名無史さん :05/01/17 12:58:46
日本に対する誤解が解けた年となりましたね。 1.冬ソナに代表される韓国ブームが逆に韓国で報道されることにより、日本人は韓国に対して大変友好的だということを伝えてくれました。 2.韓国でやっと日韓友好条約の1部が公表されたことによって、 日本が個人に対しても賠償する申し出をしたが、韓国が断り 個人に対するの賠償分についても、韓国政府に支払うことになったことがようやく一般の韓国人にも伝わりましたね。 来年はさらに色々な真実が韓国政府からも明らかにされることを望みます。 (個人的には当時の韓国政府が悪いと言い切ることはできないと思います。日本からの多額のお金によって韓国が経済発展を成し遂げたのは事実ですから。) 反日教育を受けてきた韓国人には受け入れにくい事実もあるとは思いますが、多くの日本人は友好的であることだけは覚えておいてほしいものです。 日本人には来年も忍耐が必要な年になるでしょうが、冷静に韓国に対して説明していくことしか、友好促進の道は無いでしょうね。 それでは皆さん良いお年を。
685 :
日本@名無史さん :05/01/17 21:38:25
円借款(利子つき)と役務供与が含まれてたことが もっと広まるといいね。 正式に植民地政策を「謝罪」と合意して翻訳 したことも、もっと広まるといいね。
学問板のくせに法学の知識も無い奴らがいるな。 韓国と日本の問題はあくまで領土分離に伴う請求権の清算問題にすぎない。 韓国側の請求権で主なのは元日本兵の給与、恩給債権などで、 日本側の韓国に対する請求権(工場、家屋など莫大な資産を残してきた) と清算すれば当然日本側のほうが多くなって日本が韓国から受け取ることになるから、 経済協力って形にしたの。
687 :
日本@名無史さん :05/01/17 23:14:21
盧溝橋事件の議論はもう不毛だよ。ループ始まってるし昨日まででだいたい結論も出てる。 通州事件とかその後の戦況とかに進んでもらいたい。
688 :
日本@名無史さん :05/01/17 23:15:13
) ( ,, ) ) ゙ミ;;;;;,_ ( ミ;;;;;;;;、;:..,,.,,,,, i;i;i;i; '',',;^′..ヽ ゙ゞy、、;:..、) } .¨.、,_,,、_,,r_,ノ′ /;:;":;.:;";i; '',',;;;_~;;;′.ヽ ゙{y、、;:...:,:.:.、;:..:,:.:. ._ 、} ".¨ー=v ''‐ .:v、,,、_,r_,ノ′ /;i;i; '',',;;;_~⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′..ヽ ゙{y、、;:...:,:.:.、;、;:.:,:.:. ._ .、) 、} ".¨ー=v ''‐ .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′ /i;i; '',',;;;_~υ⌒¨;;;;;;;;ヾ.ミ゙´゙^′.ソ.ヽ ゙{y、、;:..ゞ.:,:.:.、;:.ミ.:,:.:. ._υ゚o,,'.、) 、} ヾ,,..;::;;;::,;,::;):;:;:; .:v、冫_._ .、,_,,、_,,r_,ノ′
690 :
日本@名無史さん :05/01/18 17:13:46
>>677 >>678 日本と関内の話で貿易が語られているけど、
関内で生産された軽工業品が満州国にながれこんで席捲したもんだから、
まず先に関内→満州国の貿易制限があるでしょ?
たしか関税だったと記憶してるけど。
691 :
日本@名無史さん :05/01/18 22:12:03
満州からは日本はすごくもうけたね。 石炭に鉄鉱石かね。農地もいただいたしw。
692 :
日本@名無史さん :05/01/18 22:22:32
農産物ももうけたんでないかい。 重工業もだけど。
693 :
日本@名無史さん :05/01/22 08:56:32
↑ ばか 入だけ見て出を見なけりゃ誰でも何でも大儲け
694 :
日本@名無史さん :05/01/22 21:12:03
もうけてますが、何か?
韓国人パカにするな
696 :
日本@名無史さん :05/01/23 20:21:04
↑
697 :
日本@名無史さん :05/01/25 09:27:49
15年戦争は日本の侵略戦争だな。 特に満州事変は酷い。
698 :
日本@名無史さん :05/01/25 21:21:26
↑ ばか
699 :
日本@名無史さん :05/01/27 17:58:44
日中戦争は蒋介石の侵略戦争だというバカウヨがいたのはここですか?
うんこ
701 :
日本@名無史さん :05/01/28 16:11:21
>日中戦争は蒋介石の侵略戦争だというバカウヨがいたのはここですか? 逃走しました
702 :
日本@名無史さん :05/01/28 18:22:58
ウヨはバカだだからなぁ
ファシストの我が祖国への背信的奇襲攻撃によって開始された ファシズムの侵略とそれに決死の覚悟で敢然と立ちはだかる勇敢なる人民戦士の 祖国防衛戦争である事は議論の余地は無い。 ファシストの侵略者どもは進撃の度にその力を減じ、我が首都前面30kにおいて 「力は尽きた」とOKWに報告し臨時編成の労農義勇隊敗退するほど弱体化していたのである。
日華事変が蒋介石の侵略であることは英米の知識人の間では常識ですが?
705 :
日本@名無史さん :05/01/28 20:30:01
華北分離工作を思想的偏向なしに語ってくれ
706 :
日本@名無史さん :05/01/28 21:32:33
707 :
日本@名無史さん :05/01/28 21:35:47
日本が満州事変を起こして中国の東北4省を占領したのち、これに接する 河北省(冀)、察哈爾(チヤハル)省(察)をはじめ山東、山西、綏遠の華北5省 を中国国民政府から切り離し日本の支配下におこうとした工作。 〈満州国〉の抗日運動を孤立させ、対ソ戦に備えて軍事基地を確保し、 あわせて鉄、綿花など重要資源に富む華北を日本の経済ブロックにとり こもうというねらいがあった。 この華北分離工作は1935年から日本の出先軍によって高圧的に推進され、 中国の抗日救国運動をひろげ、日中戦争をひきおこした。
708 :
日本@名無史さん :05/01/28 21:36:56
日華事変が日本の侵略であることは世界の知識人の間では常識ですが?
709 :
日本@名無史さん :05/01/29 09:08:23
常識は破られるためにある
710 :
日本@名無史さん :05/01/29 09:19:20
他国の領土や資源を武力で奪おうとした国は多いが、ww1以後、そうした行為を すれば敗れた場合、なにされても文句は言えない(吊るされようが、首刎ねられようが) 藪だって敗れたら首刎ねられるだろう。でも、武力で優るからそういう事にはならんが 力もないのに思い上がると先の敗戦みたくなる
711 :
日本@名無史さん :05/01/29 12:12:25
軍部がバカだったのか?明治憲法体制がダメだったのか? 侵略をしてしまった原因はどこだろう?
712 :
日本@名無史さん :05/01/29 13:24:44
侵略の定義を述べよ
十五年戦争史観自体左翼がご都合主義で作ったもんで 日本型ファシズム同様誰も連続性を論証出来なかっただろ。 この言葉使うことすらタブーになりつつあるんだけど。
714 :
日本@名無史さん :05/01/29 14:46:16
715 :
日本@名無史さん :05/01/29 17:32:31
>>713 15年戦争の連続性も日本型ファシズムも
普通の歴史好きならわかるだろうw
716 :
日本@名無史さん :05/01/29 18:12:39
侵略に確かに連続性はあるが、一貫した計画や意思が働いているわけではないと言う点が15年戦争という呼称の微妙なところですね。 呼称にこだわる必要もないですが。どちらにしても事実関係だけ検討していけば良いのですから。
717 :
日本@名無史さん :05/01/29 18:14:34
大陸利権という大きな意思と計画なら働いてるがな。
>>717 日中戦争は日本が仕掛けたと思ってるのか?
719 :
日本@名無史さん :05/01/29 19:31:00
日中戦争は自衛戦争だろ。上海で国民党軍の総攻撃を受けて反撃して奥地に 進撃していっただけ。 アメリカが真珠湾攻撃後に日本本土を攻撃してもアメリカの侵略ではないのと同じだ。
720 :
日本@名無史さん :05/01/29 22:02:53
満州事変後半から北支工作に至る日本の侵略が、 日中戦争の原因だね。 全体像を見えないと歴史は見えないね。
721 :
日本@名無史さん :05/01/29 22:10:12
>>719 上海ではじまった要因は?
その要因のまた要因は?
意味わかる?
722 :
日本@名無史さん :05/01/29 22:25:04
上海で蒋介石が戦った原因は日本にあったからな。
その原因もまた蒋介石だな。
724 :
日本@名無史さん :05/01/29 23:21:37
結局、満州で排日活動をやって日本利権を侵害した中国側が悪いってことだな
ファシストが善であろうと悪であろうと人民の血と勇気と肉弾攻撃の前に力尽き、 1945年の赤軍帝都突入及び帝国議事堂における赤旗掲揚で ファシストが背信的奇襲攻撃で開始された戦争に終止符が打たれた事実に変わりは無い。
726 :
日本@名無史さん :05/01/30 00:18:36
727 :
日本@名無史さん :05/01/30 12:29:58
結局、満州で利権を独り占めしようとした日本の侵略的行為が悪いって事だな。 それが、日中戦争の基本的な原因だ。
728 :
日本@名無史さん :05/01/30 12:55:48
1.満洲は支那に非ず 2.満洲事変は速やかに収束して支那事変に繋がらず
729 :
日本@名無史さん :05/01/30 13:23:21
支那事変て、牟田口がちゃんころの挑発にのって始まったてほんと?
730 :
日本@名無史さん :05/01/30 16:37:23
1、満州に住んでいた人口の大部分は漢民族。 2、満州事変後期からの北支工作が日中戦争の原因。
731 :
日本@名無史さん :05/01/30 16:38:14
現場より、政府がやる気満々だったな。
732 :
日本@名無史さん :05/01/30 16:39:32
毛のスパイがバカ牟田の部隊に発砲して牟田が切れて蒋に進撃
733 :
日本@名無史さん :05/01/30 16:50:52
ま、不明が結論だがな。
734 :
日本@名無史さん :05/01/30 21:34:45
正体不明の銃弾が戦争のきっかけに普通はならない。 それがなるのは要因があったから。
735 :
日本@名無史さん :05/01/30 22:55:03
その要因こそが赤い陰謀
736 :
日本@名無史さん :05/01/30 23:05:14
その要因こそが赤い陰毛
737 :
日本@名無史さん :05/01/31 11:24:57
赤い陰謀にのせられたのだとしたら、 大日本帝国はなんというバカ。
738 :
日本@名無史さん :05/01/31 16:37:05
こういう陰謀論は昔からあったそうだ。 日中戦争以前にも、何かあると赤い陰謀だと誰かが言ってたらしい。 秦が言ってた。わかってて引っかかることはありえない。
739 :
日本@名無史さん :05/02/01 14:38:25
日中15年戦争は、日本の侵略戦争。
740 :
日本@名無史さん :05/02/01 17:52:40
(日) 日露戦争に勝利。中国東北部(満州)に鉄道権益。 (中) 蒋介石(中華民国・国民党)が北伐で中国東北部の軍閥長、張作霖を破る。張作霖は北京政府を棄て後退。 (日) 満州確保を企む日本軍が張作霖謀殺。国民党の仕業にするがバレる。 (中) 張作霖の息子で満州軍閥を継いだ張学良が反日。満州軍閥が中華民国に従属。 (日) 満州事変。終盤で長城を越えて北京を脅かす。 (日) 日本は国連で非難され脱退。 (日) 新たな傀儡政権設立。北京周辺を中国から切り離す工作。 (中) 西安事件で国民党・共産党が対日で一致。
張学良は反日に出る前にソ連管轄の東支鉄道にちょっかいを出して徹底的に凹られていたが。
742 :
日本@名無史さん :05/02/01 20:48:21
>>741 はぁ?それと日本の侵略に何か関係が?
それに徹底的とか言っても満州事変とは桁が違う。わかる?
ソ連軍が一時的にせよ容易に満州を制圧した。 関東軍は満州が共産化される前に関東軍の傀儡にしようと考えた。
744 :
日本@名無史さん :05/02/02 11:31:06
それがなにか?
745 :
日本@名無史さん :05/02/02 11:57:42
ソ連軍は満州を制圧なんてしてないよ。 鉄道の件で紛争がおきて、解決している。 関東軍はソ連に対抗して満州国作ったんじゃないよ。 利権だよ利権。
746 :
日本@名無史さん :05/02/02 13:52:57
紛争じゃなくて張学良が攻撃したんだろ。 悪いのは張学良の方。 ソ連の反撃は完全に合法。
747 :
日本@名無史さん :05/02/02 13:56:02
日本の満州事変は完全なる自作自演です。 しかも、すぐばれたw
748 :
日本@名無史さん :05/02/02 14:33:24
どうせやるのなら、中村しんたろう事件の時にでもやればよかったのにね。
749 :
日本@名無史さん :05/02/02 15:25:57
満州国は作ってよかったと思う。 もし満州国を作らなかったら満州に来るはずの難民が みんな日本と韓国に来て、日本は東南アジアのような華僑に経済を握られた可能性がある。 フィリピンなんかはたった1.5%しかいない華僑に経済を握られている。 華僑経済の拡大を防ぐという観点からは、 鎖国による幕府の貿易独占により在日華僑の中国との貿易を断ち切った。 外界と隔絶することにより華僑は日本人化していった。 満州国による中国人の流入阻止。 侵略かもしれないが日本人が日本の経済を握れてるのは、 鎖国と満州事変であると思います。 ほかにもあるとおもうが大きな理由の二つだと思う
750 :
日本@名無史さん :05/02/02 21:23:18
751 :
日本@名無史さん :05/02/03 15:24:50
満州国を傀儡にしたのが、15年戦争の原因だな。
752 :
日本@名無史さん :05/02/03 16:51:31
そういう流れを見えないバカが、 蒋介石の侵略戦争とか電波とばしてるねw。
753 :
日本@名無史さん :05/02/03 16:52:24
つか、北支工作だろ。日中戦争の原因は。
北支工作の原因はなにか、満州事変の原因はなにか、 という一番重要なものを考察できないから、そうなるんだろうな。
張学良はソ連に凹られた跡はソ連の指導下に入って西安事件を起こし、 容ソ抗日路線を蒋介石に愛入れさせた。
756 :
日本@名無史さん :05/02/03 21:53:16
>>755 ソ連の指導下ですか。どこで勉強するとそういう頭ができるのかなw?
757 :
日本@名無史さん :05/02/03 21:56:36
満州事変・北支工作の原因て、 関東軍などが欲ばりすぎたからだよね。
758 :
日本@名無史さん :05/02/03 22:00:24
蒋介石ってずっと反共だったね。
759 :
日本@名無史さん :05/02/04 00:50:01
北支工作がキーだと思うんだが、よく詳細がわからん。 思想的偏向なしに事実だけを書いた本ない?
760 :
日本@名無史さん :05/02/04 01:38:51
真人間は皆、反共
761 :
日本@名無史さん :05/02/04 10:50:28
ソ連の指導で蒋介石が抗日?ネタは?
762 :
日本@名無史さん :05/02/04 15:19:54
763 :
日本@名無史さん :05/02/04 18:20:43
>>759 まともそうなのをいくつかよんでみたら?
アメリカが乗り出すまではソ連の軍事支援と軍事指導が無ければ蒋介石の抗日は相当困難だったわけだが。
765 :
日本@名無史さん :05/02/04 20:46:52
>>764 >>755 :日本@名無史さん :05/02/03 20:03:12
>張学良はソ連に凹られた跡はソ連の指導下に入って西安事件を起こし、
>容ソ抗日路線を蒋介石に愛入れさせた。
これのソースを聞いてるんだよ。
張はソ連の指導で事件を起こしたのか?おい?
蒋介石を拉致してスターリンに御伺いを立てて 「生かして使え」と指示を受けたわけだが。
世界経済恐慌と資本主義安定の破壊とは、すべての国際関係を極度に不安定なものとした。 経済恐慌の結果いちじるしく縮小した世界市場におけるはげしい闘争は、激烈な経済戦争に移行した。 世界の新たな再分割は事実上すでにはじまっている。 極東で戦争を遂行している日本帝国主義が、すでに世界の新たな再分割の口火を切った。 満州と中国北部の軍事的占領は、中国における帝国主義列強の勢力範囲の配分と、太平洋におけるこれら列強の相互関係とを規制していたワシントン諸条約が、事実上破棄されたことを意味している。 日本の強盗的出征は、今日すでに中国におけるイギリス帝国主義とアメリカ帝国主義の影響力をよわめており、太平洋におけるイギリスとアメリカ合衆国の地位をおびやかしている。 それはまたソ連邦にたいする反革命戦争の準備である。 「帝国主義者による新世界戦争の準備に関連する共産主義インタナショナルの任務について」 ――エルコリ〔パルミーロ・トリアッティ〕の報告にたいする決議 一九三五年八月二十日に採択――
768 :
日本@名無史さん :05/02/05 10:52:50
769 :
日本@名無史さん :05/02/05 11:11:16
>>766 どうやってスターリンと連絡取ったんだ?
770 :
日本@名無史さん :05/02/05 15:14:02
上海で蒋介石が戦った原因は日本にあった
771 :
日本@名無史さん :05/02/05 17:08:33
発端は北支工作
772 :
日本@名無史さん :05/02/05 22:29:39
やはり日本の侵略ということか・・・
773 :
日本@名無史さん :05/02/05 23:03:29
満州事変からつながる15年のね。
774 :
日本@名無史さん :05/02/06 12:19:22
また嘘つきが出たな 満州事変は直ぐに終って昭和12年まは戦争して無いよ 捏造は しなぽこぺんの 得意技
775 :
日本@名無史さん :05/02/06 14:38:23
>>774 日中戦争の原因の満州事変後半の作戦とか、北支工作とか知らないの?
776 :
日本@名無史さん :05/02/06 16:23:57
工作≠戦争
777 :
日本@名無史さん :05/02/06 18:10:09
工作=侵略
778 :
日本@名無史さん :05/02/07 10:44:51
満州某重大事件も、侵略行為の一つかな?
779 :
日本@名無史さん :05/02/08 01:34:57
日中戦争の原因は国民党のやくざ体質にすべての原因があるよ。 国民党が陰でどれだけ反日行動していたのか知らないのか 今の共産党もこのままのさばっていたら いずれ日本は切れると思うね。
780 :
日本@名無史さん :05/02/08 11:27:48
反日行動の原因は日本だね。
781 :
日本@名無史さん :05/02/08 16:41:32
日本の欲張りでアボン
782 :
日本@名無史さん :05/02/08 17:37:22
事件≠戦争
783 :
日本@名無史さん :05/02/08 21:29:08
戦争を始めたのは日本だね
784 :
日本@名無史さん :05/02/08 22:14:56
盧溝橋で中国側に因縁つけたところから始まった・・・
785 :
日本@名無史さん :05/02/08 22:17:48
ハングルが全国民に教えられだしたのは、日韓合邦1910後。 古くから書堂、書院(日本の寺子屋類似)などがあった。ただし、ここで教えたのは漢文。 朝鮮語は卑しいものとされていた。学んでいたのは両班の師弟。 1895年、朝鮮の教育の近代化は甲牛改革から始まっていて、小学校、師範学校など が設立された。(ただし、甲牛改革はすぐに否定されてしまう) 1906年、2次日韓協約により、日本統監府が設立され、カリキュラムと教科書が 作られる。4年制普通学校。(朝鮮語=ハングル) 最初の普通学校の教科内容は、正課として、朝鮮語、日本語、算術、漢文、修身。 この他に地理、歴史、理化なども教えた。(日本語を教えたのは、李完用大臣の決断 による) 教科書は、1909年に、朝鮮語、日本語、算術、漢文、修身、理化、図画、習字が 発行された。 1911年、朝鮮教育令が出て、新教育体制の確立を目指す。この時から、授業が 日本語で行われることになる。 1919年、朝鮮特有の制度を改革し、内地と同じにする。 1922年、新教育令 1.小学校(日本人向け)は朝鮮語は選択。普通学校(朝鮮人向け)は朝鮮語は必須 2.普通学校(朝鮮人向け)での歴史教育は朝鮮を重視する 植民地朝鮮の研究 杉本幹夫 日本の植民地の真実 黄文雄 簡単に言うと、ハングルの教科書を作り、学校で教え、朝鮮全土に広めたのは総督府です
英米ソの権益に手を出すことにくらべれば日本に手を出す方が楽だと思ったのだろう。 実際ソ連の権益に手を出してボコボコにされたし。
787 :
日本@名無史さん :05/02/09 16:29:02
ハングル広めたのは、朝鮮の新聞社の文盲追放運動などが大きかった。 総督府は、日中戦争が始まるとまもなく、ハングル教育をなくし、 日本語教育へ変更。
788 :
日本@名無史さん :05/02/09 16:30:24
反日運動の原因は日本にあるね。
789 :
日本@名無史さん :05/02/09 19:34:33
↑ 流れ嫁よばか
790 :
日本@名無史さん :05/02/09 21:55:38
どこが流れなのやらw
ソ連は恐いけど小日本は怖くなかったのだろう。
792 :
日本@名無史さん :05/02/10 02:39:33
ソ連は日露戦争に負けてるジャン
>>792 日露戦争に負けたのは帝政ロシアであってソ連ではない、と共産党員みたいなことを言っ
てみるテスツ。
794 :
日本@名無史さん :05/02/10 11:22:14
確かにソ連になってからぐんと強くなった感じだ。 社会主義は、初期の工業化に有効だからかな。
795 :
日本@名無史さん :05/02/10 16:37:34
工業化の初期だろw
ソビエトロシアはウカライナやカザフの飢餓を引き起こしながらも工業生産を拡大させた。 人民中国は大躍進や文化大革命で飢餓を起こした上に工業生産は大打撃を受けた。
797 :
日本@名無史さん :05/02/10 21:43:06
東ドイツとかチェコとかはどうかな?
798 :
日本@名無史さん :05/02/11 01:10:33
馬鹿ぁ抜かせ 帝政時代は強露と恐れられたが、赤化してからは貧乏人の群としか見られとらん
ウクライナやウラルの工業化はソビエトになってから。
800 :
日本@名無史さん :05/02/11 13:39:46
5カ年計画で各地に工業地帯ができたな。 極東にまでできた。
801 :
日本@名無史さん :05/02/11 13:41:15
有人宇宙ロケットもソ連の方がアメリカより早かった
802 :
日本@名無史さん :05/02/11 16:56:29
つか、北支工作だろ。日中戦争の原因は。
803 :
日本@名無史さん :05/02/11 22:37:58
満州事変からだ
804 :
日本@名無史さん :05/02/11 23:06:35
× 日中戦争 〇 支那事変
済南事件あるいは通州事件から
>>805 通州事件は日本が作った政権下の事件だろ
蒋介石を討つ根拠にならないが
もっと歴史を知れ
807 :
日本@名無史さん :05/02/12 11:29:10
○ 日中戦争 × 支那事変
808 :
日本@名無史さん :05/02/12 11:31:15
通州事件て盧溝橋開戦後で、 日本が飼い犬に手をかまれたようなもの。
809 :
日本@名無史さん :05/02/12 18:17:24
飼い犬と言うより狂犬だろ 早く薬殺しよう
810 :
日本@名無史さん :05/02/12 18:19:33
日本人の麻薬ブローカーが暗躍していた。
811 :
日本@名無史さん :05/02/12 23:06:52
また赤い基地外がでたな
>>806 宋哲元と張慶余、張硯田の指示により保安隊が通州での事件を起こした
起こった場所の問題ではない
この事件以降、世論が傾き、日本政府の不拡大政策が難しくなったのはご存じの通り
日本側が本格的に開戦を決意するのは、その後のだめ押しの第二次上海事変以降
813 :
日本@名無史さん :05/02/13 01:01:01
支那の不法行為はけしからんね
814 :
日本@名無史さん :05/02/13 12:20:54
現地では調停してたが、 内地で政府は、拡大政策だったね。 通州事件は世論操作に利用された。 上海での原因は日本の北支での行動だね。
815 :
日本@名無史さん :05/02/13 13:08:57
どのような理由があろうと、先制攻撃をかけてはいけません。 全面戦争にしたのは蒋介石。
>>815 >どのような理由があろうと、先制攻撃をかけてはいけません。
やっぱりロコウキョウで先に正式な攻撃命令を出した日本が悪い訳か
817 :
日本@名無史さん :05/02/13 13:14:47
>どのような理由があろうと、先制攻撃をかけてはいけません。 日清・日露・真珠湾・・・
818 :
日本@名無史さん :05/02/13 13:15:05
ノモンハンで日本軍が攻勢命令を出したからと言って、 日ソ全面戦争を意味する訳ではない。
819 :
日本@名無史さん :05/02/13 13:15:31
原因と責任は日本だね
820 :
日本@名無史さん :05/02/13 21:44:57
満州事変に比べ、日中戦争は内地が熱心だった。
821 :
日本@名無史さん :05/02/13 22:08:59
盧溝橋後すぐに、政府が全面戦争も辞さない態度だったからね その前からそうだったんだろうね内部では
822 :
日本@名無史さん :05/02/13 22:41:34
盧溝橋では支那兵が先に撃ってきた
823 :
日本@名無史さん :05/02/14 00:34:27
>>812 通州事件が支那側の蜂起命令によるものとの証拠は無い。当時防共自治政府が日本に謝罪し賠償に応じており、国民党側の責任とする説には確たる証拠が無いんだよ。
支那側資料でもこの保安対の反乱は民間人虐殺に触れずに起義として高く評価される場合が多いが、自軍の命令で起義したのだという話は出てこない。
よって現時点で可能性が高い経緯は以下の通りではないだろうか。
1,日本軍が通州の保安隊を誤爆し、反日的機運が高まった。
2,盧溝橋付近で日中両軍が衝突。
3.中国側は全人民、地方武装組織などに協力を要請する通電。戦況も有利と宣伝工作。
4,中国側有利と誤判断した保安隊は、折からの反日機運によって蜂起。特殊機関等を民間人もろとも攻撃。
こんなところだろうね。北京への移動問題等の周辺事態から判断してたぶん計画的な行動ではない。
>>824 ある意味担当地域ごとのスパイの元締め。本当は政治工作などもう少し業務範囲が広いようだが。
826 :
日本@名無史さん :05/02/14 10:50:00
ばかばっかし
827 :
日本@名無史さん :05/02/14 11:01:22
日本は通州事件を反中国世論作りに利用したらしいね
828 :
日本@名無史さん :05/02/14 11:22:51
↑ ばか
スパイの元締め探すために、日本と朝鮮の居留民の家を一件のこらず じっくり時間かけてリンチしながら虐殺して回ったわけだ 子供の手足を切り刻んだのもスパイさがすための尋問だったのかな で、そのスパイの名前も死体もわからないんだろ? おまけにソースも極秘だからだせないか?w
830 :
日本@名無史さん :05/02/14 13:25:00
通州虐殺事件 「南京虐殺の徹底検証」東中野修道著 展転社より 『東京裁判却下未提出辯護側資料』第三巻に収録された外務省情報部長の公式声明(八月二日)と同部長談話(八月四日)によれば、 事件が起きたのは七月二十九日(昭和十二年)の午前四時であった。 三千人ほどの通州保安隊が百十名ほどの日本軍守備隊兵営を包囲し、日本人商店、旅館、民家を急襲した。通州の日本人三百八十名のうち、 約二百名が虐殺された。ようやく難を免れたのは、日本軍の兵営に逃げ込んだ百二十名だけであった。 外務省情報部長談話によれば、事件の全貌は次のようであった。 《支那人は婦女、子供をも共に、全日本人を虐殺せむと企てた。婦人の多くは掻きさらはれて、二十四時間虐待酷使された後、東門の外で殺されたが、 其処まで連れて行かれるには手足を縛られ、或は鼻や喉を針金で突き通されて、 曳きずられたのであった。死骸は近くの池にぶち込まれ、 或る者は強力な毒物をぬりつけられて、顔がずたずたになつてゐた。》 これは、戦時国際法にたいする重大な違反であった。外務省情報部長は事件から四日を経て、公式に支那兵の日本人虐殺・強姦・掠奪を批判したのである。東京裁判にも、弁護側からこの公式声明が提出された。しかし、理由の提示なきままウェッブ裁判長は却下している。 「通州虐殺」は連合国にとり、触れて欲しくない問題であったからである。
831 :
日本@名無史さん :05/02/14 15:45:22
事件を起こした冀東政府は親日政府。 事件後謝罪と賠償済み。 親分は、戦争中ずっと日本側。 戦後に、中国側による処刑。 被害者の半数は朝鮮人。 麻薬売買の拠点として、日本人は憎悪の対象だった。
832 :
日本@名無史さん :05/02/14 15:52:36
トンデモ人間を引用するなってw 近現代は素人だろw
事件を起こしたのは張慶餘、秘密結社哥老会の会員 事件前に張慶餘は宋哲元と哥老会を通じて会談をしている。 反乱の首謀者だった張慶餘の回想記が公表され その中に、盧溝橋事件以前から、「日本打倒の密約」 があったことが述べられている 冀東政府はそりゃ謝罪するわな、政府の責任問題として
>>832 最後の連合国に対する憶測を除けば
当時の新聞に載ってた内容もこんなもん
835 :
日本@名無史さん :05/02/14 16:46:26
日本政府としては、待ってましたとばかり世論を煽ったんだろうなぁ
836 :
日本@名無史さん :05/02/14 16:48:31
中国への本格的支配を待ち望んでいたからな
>>831 親分がどーであれ、末端が反日で虐殺したのは変わりない事実だが?
つかなにがいいたいの?
>>837 冀東政府(親日政府)の末端が反日で、通州事件を起こしても、
中華民国(蒋介石)を討つ根拠にならないが。
839 :
日本@名無史さん :05/02/14 18:16:20
↑ シナジン
>>838 張慶餘は蒋介石の軍との密約をもとに通州事件をおこしている
蒋介石は第二次上海事変をその後すぐに起こしてることからも
蘆溝橋事件後、すでに全面戦争の構えだったことは明らか
通州事件で世論が反支那に傾いたことから
第二次上海事変後の報復はすみやかに行われた
これで十分じゃね?
>>840 世間は裏の密約など知らないはず。
親日政権下の事件で世論が反支那に傾いたなら、恣意的な報道があったと言う事。
日本も中国と戦争する気満々だったと言う事だ。
>>841 新聞報道は調べればわかるだろ
しっかり検証されたようだし、どこの報道も似たようなもんだろ
朝日は誇張してたかもしれんけどw
>日本も中国と戦争する気満々だったと言う事だ。
んなことがいいたかったのか?w
ま〜歴史を勉強しろよ 日本が戦争してえられるメリットないから
軍は戦争することで発言力と予算が拡大するみたいだが
満州軍閥長・張作霖を謀殺しバレる。息子の張学良を反日に走らせ中華民国に従属させる。 政府の意向を無視した行動。 天皇陛下をも怒らす。 謀略により満州の占領を計る。 これもまた政府の意向を無視した行動。 長城を越え中国側へも侵入し、中国のみならず、国際的な孤立も招く。 当時の軍部は謀反人に等しい。 盧溝橋事件で石原完爾が拡大を懸念したが、後任は満州事変と同じ様にやってやると発言。 常に強硬派の意見が通る日本。 援蒋ルート遮断なら北部仏印進駐で止めればよい物を、南部仏印に進駐して蘭印などを視野に入れた前線基地を作ろうとする。 欧米と深刻な緊張を引き起こしABCD包囲網をやられる。 松岡外相は南進すればかえって資源を得られなくなると警告。
>>842 君の方が勉強不足じゃないか?
軍部だけじゃなくて近衛首相も対中強硬派だったよ。
>>844 近衛をだしてきたかw
近衛はな〜対中強行じゃなくて
皇室万歳主義の保身主義ってとこじゃね〜か?
近衛が対中強行発言したのは、蒋介石追い込
んでからだよ
>>843 >盧溝橋事件で石原完爾が拡大を懸念したが、後任は満州事変と同じ様にやってやると発言。
>常に強硬派の意見が通る日本。
かなり適当だなwちょっと違うぞ
日本が中国に野心無く、仕方なく戦ったなんてウヨの正当化にしか見えないよ。 盧溝橋の前を見ても後を見ても。
>>847 >日本が中国に野心無く、仕方なく戦った
これはそうとは言えないが、支那事変に関しては蒋介石側の思惑で戦争に突入した
ってとこかな
当時の日本の状況は、満州をおさえ、満州及びその他の居留民の安全の確保が第一。
第二に欧米のブロック経済に対して、有利な貿易市場の建設にやっきだったことから
支那がその対象になった。
つまり、支那を日本に有利な貿易国とするため欧米に遅れをとりたくなかったわけだ
汪兆銘などは蒋介石につぐ大物として日本側にとりこんだはずだった
支那と有利に貿易をしたいだけなのに支那そのものと戦争したのでは意味がない
849 :
だつお :05/02/14 20:23:11
>日本が中国に野心無く、仕方なく戦ったなんてウヨの正当化にしか見えないよ。 >盧溝橋の前を見ても後を見ても。 盧溝橋の前を見ても後を見ても、日本側からは何作戦も発動されてない。 あれはあくまで「事変」であり、中国に野心無く、仕方なく戦った。 野心を持って戦いを仕掛けたのは大陸打通作戦のことを指していうべき。 1944年の春になって、中国大陸を南北縦貫3000キロの補給路を確保 すると同時に在支米軍飛行場を撃破する、壮大な野心をもって発動された。
満州事変終盤で熱河省で一人の日本兵が殺される。 それを理由に熱河作戦。終盤で万里の長城まで占領する。 静観していた中国軍(中華民国・蒋介石の国民党)も奪回行動にでる。 日本軍は反撃で長城を越え中国側に進撃。北京を脅かす。 天皇との約束違反でもあり、国際社会の目も厳しくなる。 慌てた中国側とタンクー停戦協定が結ばれる。 これにより長城以西に足がかりが出来る。 抗日軍が河北省東部に入った事を協定違反だとして河北省全域から国民党軍の撤退要求。(梅津・何応欽協定) 察爾省で特務機関員が中国軍に一時拘束された事を口実に察爾省の非武装地帯化を要求。(土肥原・秦徳純協定) 北京周辺を中国から切り離す工作。(華北分離工作) 河北省に親日政権(冀東防共自治政府)設立。
この様に、日本の侵略は満州に留まらず北支へも及び、中国国民の対日感情を悪化させる。 共産党は対日戦に消極的だった蒋介石(国民党)に抗日で一致させる事に成功。(西安事件) その後、共産党は盧溝橋にて火を投げ込み、火種(日本軍強硬派)を燃え上がらせる事に成功。(説が有力) 日本軍の正式な攻撃命令の直後、蒋介石は兵の準備を通電。大規模な戦いに陥っていく。
>>849 >中国に野心無く
見事なほど、説得力のかけらもない。
>>838 通州事件が日中戦争の原因としている奴なんているか?
日本が陸軍を派遣したのは、蒋介石による上海攻撃のあとで、
その前の陸戦隊の増強も、保安隊による(偽装した正規軍)非武装地帯への進駐が原因であって、
どちらも通州事件が原因ではない。
これが原因となったのは、せいぜい退避勧告だろう。
>>852 野心はないだろ、誰が占領してしまえなんて主張していた奴がいるか?
攻撃してきたから反撃しただけ。
日本としては、真珠湾奇襲をされた米国の気持ちなんじゃないの?
>>854 列強との条約違反や、国連脱退の事態を招いてまで中国側に足がかりを作り、北京周辺への工作や傀儡政権設立まで行ったのに、中国への野心無しなんて説得力無いよ。
『(蘆溝橋事件に関して)面白い事が起こったね』 武藤章・参謀本部作戦課長
857 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:03:20
>>845 近衛が皇室万歳?アホも休み休み言えよ。
近衛に天皇崇敬の感情なんてまったくないよ。
西園寺、昭和天皇のような親英米、自由主義者に憎悪を覚えていたのは
有名な話。
858 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:05:35
>>856 はいはい、一作戦課長が何を言おうと、盧溝橋事件以降は
中国側のイニシアチブで全面戦争に至ったことは明らかなんですが。
って、これまでに散々語られてるね。
ちゃんと日本や中共の歴史書ばかりでなく、台湾側の資料にも当たれよ。
>>855 誰でもいいので、日中戦争をおこし、中国を占領しようと思った人をあげて下さい。
武藤などは、ただ一撃いれれば、今までのように泣きを入れてくると思っていただけで、
決して日中戦争は望んでいませんでしたし、ましてや中国を占領しようなんて思っていませんでした。
>>859 >中国を占領しようと思った人
強硬派(拡大派)
武藤は事件を好機と捉えてたよ
861 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:16:01
一撃派だって、一撃入れて中国を黙らせて後は対ソ戦に注力って 主張でしょうに。中国との全面戦争を望んでいた勢力は日本政府内にはない。
>>860 武藤が何時どこで、「中国を併呑しよう」なんて主張したのですか?
彼等はただ、後背の安定の為に一撃いれようとしただけ。
基本的には石原などと目的は同じ、手段が違うだけ。
863 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:26:01
あれだけ北支工作してれば、戦争になって当然。 日本の責任は大きいね。
864 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:28:01
日本が欲張りすぎたのが戦争の原因 政府も重大声明を出してやる気満々
>>863 日本が侵略を計った事は大前提なんだよ。
ただ中国側から仕掛けた行為(上海攻撃)もあるって事。
866 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:40:53
>>865 そりゃ、あれだけ好き放題やられちゃあねぇ
上海、当然でしょ
>>857 >近衛に天皇崇敬の感情なんてまったくないよ。
天皇崇敬なんて言ってない、自分が皇室であることと皇室の思想が好きなだけ
>西園寺、昭和天皇のような親英米、自由主義者に憎悪を覚えていたのは
これは近衛が若い頃にマルクス思想にかぶれてたことをいってんじゃね〜だろうな
それだけで西園寺と昭和天皇に憎悪か?頭おかしんじゃね〜かお前
868 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:42:22
盧溝橋停戦後に大部隊の派兵を決定したのは、華北を第二の満州にする好機と捉えたから。
869 :
日本@名無史さん :05/02/14 21:52:27
やっぱ、日本の責任は大だな
870 :
だつお :05/02/14 22:32:32
>日本が侵略を計った事は大前提なんだよ。 ならばそれはいったい何作戦と呼んだのか。 侵略を計ったならそれはそれで、「○○作戦」と呼ばれて然るべき。 例えばナチスドイツはロシア侵略征服を目指して「バルバロッサ作戦」 を発動したし、日本軍の場合は南北縦貫3000キロの野望を果たすべく、 「大陸打通作戦」を発動した。
反ソ反共よりは反日侮日の方がやりやすいし、ソ連からの援助も受けられると思ったのだろう。
872 :
日本@名無史さん :05/02/14 23:46:09
侵略を計ったならそれはそれで、「○○作戦」と呼ばれて然るべき。 ↑こんなトンマなことを言い出す奴もいるもんだね。 世の中広いw
873 :
日本@名無史さん :05/02/15 00:07:56
一号作戦は大戦末期
>>855 そもそも、「野心」の中身は何だと思ってるわけ?
経済圏に組み込むことと植民地にすることは全く等質なわけじゃない。
日本は必ずしも後者の意味の野心を持っていたわけではない。
要は今と同じように貿易ができれば問題なかったわけだが、当時の中国は軍閥同士の争い
と、行き過ぎたナショナリズムと日本に対する古代以来の優越感を日清戦争で傷つけられ
たことへのルサンチマンによる排日運動により治安が悪くてまともに貿易ができる状況では
なかった。
本当は一歩引いて、中国のエネルギーがガス抜きされるまで放置しておけば不必要な恨
みを買わずに済んだのだろうが、当時の日本にそういう余裕はなかった。
故に「鳴くまで待とう」ではなく「鳴かせてみせよう」とばかりに軍事力で治安維持を図ろうと
した。今アメリカがイラクでやっていることをやろうとしたようなもんだ。
875 :
日本@名無史さん :05/02/15 02:16:31
>>867 「今の政党はなっていませんよ、議会はどうにもなりませんよ、
これは衆議院だけじゃない、貴族院だって同じことだ。
不勉強と無感覚だといって、若い軍人が怒るのも無理はないと思う。
私はそこで、今の日本を救うには、この議会主義では駄目じゃないか
とさえ思う。この議会主義をたたきつけなければならない。が、
この議会政治の守り本尊は元老西園寺公です。これが牙城ですよ」
876 :
日本@名無史さん :05/02/15 07:55:51
「張慶餘は、回想記のなかで久しく以前から抗日を決意し、冀察幹部と通謀して反乱の 機会を狙っていたと主張するが、二十七日早朝の戦闘で傳営と共に戦う機会を見送っ ている点からみても、説得力は乏しい。むしろ保身に徹するか、勝ち馬に乗ろうとして 形勢を観望していたと思われる」 秦郁彦氏「盧溝橋事件の研究」 計画的抗日説は怪しいかもしれませんな。公式記録では確認も出来ませんし。 張慶餘氏の回想録を信じるにしても、「密約」はいざ開戦となった場合、豊台に対する 攻撃に協力するといった程度の話でしかない。 また回想通り宗哲元との会談昭和10年12月時点で密約を結んでいたとした場合、 盧溝橋事件の現地解決など初めから期待できなかった(宗哲元は昭和10年時点で開戦 を覚悟していた)事になってしまいます。 ところが実際には宗哲元の態度は日中両国の間で揺れ動いていいます。その指示を 受けて計画的に反乱したとされる張慶餘氏の回想は後付けされたものとの秦氏著作 の見解は鋭いところを突いていると思いますが。 それに保安隊は中国軍有利と信じて北京に入城しようとして果たせず(中国軍は既に 敗退)、重装備も早々に放棄してきている等中国側からまともな命令も受けていないのは 間違い有りません。当然虐殺命令など受けていませんね。虐殺自体は事実ですから 保安隊に責任があるのは間違い有りませんが中国政府に責任を追及するのは難しい。 日本軍もあちこちで虐殺事件を起こしていますが、道義的には兎も角、実質的に責任を 認めてはいません。「虐殺」は偶発性が高いからです。追求しているのは主として左翼位です。 日本側が作った防共自治委員会(後の自治政府)も、中国側の政務委員会も昭和10年 時点では表向きは敵対していた訳ではないのでしばしば公式に接触していますし日本側 は合流を望んでいたくらいですから張慶餘氏に対して宗哲元が軍資金を贈ったり激励し たとしても何等不思議は無いのです。中国では地方の武装組織に対する懐柔や、礼儀 として上位者が軍費を与えるのは良くあることですから。時には敵対側に贈ることさえある。 当時の中国では敵味方含めて複雑に結びついているのは誰でも知っていることではあり ませんか?
877 :
日本@名無史さん :05/02/15 11:07:49
日本軍もあちこちで虐殺事件を起こしています
878 :
日本@名無史さん :05/02/15 11:10:04
排日の原因は日本 ただの経済圏じゃなくて、日本が収奪できる経済圏
879 :
日本@名無史さん :05/02/15 12:03:25
第二の満州国みたいなものか?
880 :
日本@名無史さん :05/02/15 13:24:30
計画的か、急な思い付きかは重大な差異ではない どっちにしたって故意犯
881 :
日本@名無史さん :05/02/15 14:10:28
882 :
だつお :05/02/15 14:14:35
蒋介石声明「怨みを報いるに徳を以ってす」(以徳報怨) 聞いたか。共産革命で国を追い出された、「徳」のカケラも 認められない中国国民党が、よりによって旧日本軍に対しては 「徳を以ってする」だとよ。 笑わせるじゃねぇか。 そんな「徳」が、もしほんのひとかけらでもあったとすれば、 どうしてそれを中国人民にもたらすことができなかったのか。 あるいは中国人が救う価値のないチンピラゴロツキであることは、 中国人自身も認めていることの証明なのかもしれない。 祖国中国を棄て、旧日本軍を救った「中国」国民党。
883 :
だつお :05/02/15 14:17:47
884 :
だつお :05/02/15 14:29:06
885 :
日本@名無史さん :05/02/15 17:36:03
だつおってバカウヨなの?
886 :
だつお :05/02/15 18:40:26
メカで重要なのはカタログよりも機械的信頼性。 走行性と信頼性と燃費効率と三拍子揃った、97式中戦車チハ。 このように、当時の日本は基礎工業力がとてもしっかりしてた。 こうして中国チンピラゴロツキ3500万が、日本軍に虐殺されていった。
887 :
日本@名無史さん :05/02/15 21:36:18
上海の背景は日本の侵略だな。
888 :
日本@名無史さん :05/02/15 23:15:52
侵略(aggression)の定義も知らない奴が何度も喚いてるな・・・
889 :
日本@名無史さん :05/02/15 23:43:15
通州事件ですか。久しぶりに来てみるとまた面白い話題で盛り上がっていますね。 手元の中国側資料をざっと見てみましたが保安隊の一部が第29軍と関係があった のは確かのようです。 もっとも傀儡軍で日中両軍に二股をかけているのは「当たり前」とも言えるので 「通州事件南京政府責任論」に単純に与する訳にもいきませんが。 戦前から戦中にかけ、日中どちらが勝利した場合でも生き残れるよう傀儡軍関 係者は二股をかける必要が有りました。 秦教授が保安隊の張慶餘が日和見して勝ち馬に乗ったと見ているのは私も 明察と見ます。 戦後は更に漢奸問題との絡みも出てきます。 「抗戦中、国民政府に対して功績を立てた漢奸に関しては軍統がこれを証明する。」 粛奸委員会心得 「在任中、抗戦に協力し、人民に有利な活動を行ったものに対しその罪を軽減するこ とが出来る。」処置漢漢案件条例草案 実際、陳公博は戦争末期に国民党政府に共産軍に関する情報を提供し、周仏海は もっと初期から国民党政府に協力し、実際に傀儡軍の配置を国民党軍の反攻に有利 な配置としていたことが戦後に主張されます。 全て漢奸問題に関する部分です。 陳は処刑されますが、周は軍統から協力を認められ減刑されています。(結局病死) また汪兆銘政権軍の部隊には国民党軍と両方に所属している(しかも同じ部隊名) ものまであり、戦後はそのままの名称で国民党軍に復帰していたりします。 例え一時といえども対日協力をした者の立場は微妙です。張慶餘の場合は抗戦初期 に反正しているのでまだ遥かにましとはいえ、初めから計画的な反乱としなければ立場 が無いのです。対日協力者として活動していた時期も2年近くに及びます。 その点を秦教授は見逃さなかったと評価すべきでしょう。
890 :
日本@名無史さん :05/02/16 00:27:58
汪兆銘政権軍ってどの程度の戦力だったんですかね?
891 :
日本@名無史さん :05/02/16 13:27:49
通州事件なんぞ日中戦争全体から見ればどおってことない事件 ことさらとりあげるのは、日本の加害を隠すためか?
892 :
だつお :05/02/16 14:39:59
興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありません
でした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、興隆県の中でこの13年の間に5万人
くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの
区に対する不完全な統計によると、人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人
が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は16万人
くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。
6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html 興隆県における日本軍無人区政策の実態
大陸打通作戦が敵に与えた損害は実に甚大で、中国抗日戦争経済
は致命的な打撃を受けた。
まさに帝国陸軍は剛勇無双・天下無敵。無人の荒野を行くが如し。
893 :
だつお :05/02/16 14:46:09
894 :
日本@名無史さん :05/02/16 21:53:06
>侵略(aggression)の定義 日本政府見解だと、先の戦争は侵略だそうだ
895 :
日本@名無史さん :05/02/16 22:36:01
カラス狩
896 :
日本@名無史さん :05/02/18 12:13:04
満州事変から15年戦争。何か?
897 :
日本@名無史さん :05/02/18 21:34:07
満洲事変は直ぐ終り、支那事変まで平和が続きましたとさ
>>897 支那への介入は続き、反日感情を煽ったり、西安事件が起きたりしたがな。
少し歴史をかじれば、満州事変〜支那事変の関連も掴めるぞ。
頑張りたまえ。
ソ連が共産党と張学良を使い国民党には援助をちらつかせて 反共の矛先を反日に変えさせることに成功した。
900 :
日本@名無史さん :05/02/18 22:27:15
>>899 反日の原因は日本。ソ連ではない。
そこを間違えると、日中戦争は理解できない。
頑張りたまえ。
>>900 反日を正当化しそこに智恵をつけたのはソ連
そこを間違えると、日中戦争は理解できない。
頑張りたまえ。
>>901 張学良が反日なのは当たり前だろ。
日本が親父を爆殺したんだから。
それに張学良ってソ連と衝突を起こしたのでは?
ソ連陰謀説って、しょせん陰謀説だからな。
張学良はソ連権益にちょっかい出してボコボコにされて反日一辺倒になった。
904 :
日本@名無史さん :05/02/18 22:49:08
ソ連とトラブルある前から反日でしたが?
心中は反共反日であっても ソ連にボコボコにされた後は二度と反ソ行為を繰り返す事は無くなり、 ソ連のように大量の戦車や飛行機の無い日本を容易な敵として見立てた。
906 :
日本@名無史さん :05/02/18 23:42:51
戦争やってない期間を勝手に算入して15年とはまたまた捏造だ
張学良が唯一好きな日本人が本庄繁
908 :
だつお :05/02/19 10:10:59
>張学良が反日なのは当たり前だろ。 ところが満州事変では飛行機も戦車も無いわずか一万程度の関東軍相手に、 30万人もの張学良軍が一瞬にして崩壊。 張学良には人望が無かった。
909 :
日本@名無史さん :05/02/19 10:18:27
>>906 「百年戦争」とかと同様の概数だろうが。
910 :
日本@名無史さん :05/02/19 10:57:02
確数>概数 それにしても8を倍近い15とは、概数とも言えんただのうそつき
文句があるなら「百年戦争」という用語にも、文句言って来い。 重箱の隅つっつくようなことしか言えないのか?
用語に絡むのは低脳馬鹿だと、前スレで証明されている。 荒らしと同類だから、無視するのが吉。
913 :
日本@名無史さん :05/02/19 15:33:17
継続性があるから15年戦争でいい。別におかしくない。 >飛行機もない 満州事変で日本は無差別空襲してるよ
>>913 張学良軍の拠点に対する空爆、軍事的に有効な作戦
915 :
日本@名無史さん :05/02/19 16:44:19
>>914 張学良軍のいた錦州方面への無差別爆撃
欧米から非難を招いた
そもそも満州事変が一方的侵略だからね
>>915 軍に対する空爆は無差別攻撃とは言わない
満州は本土の安全確保の為の重要な拠点
侵略だ何だと誰が何をわめこうが戦略的に確保は必然
>>916 錦州爆撃は都市爆撃として国際社会の顰蹙を買ったがな。
本土の安全の為に朝鮮を併合
本土の安全の為に満州を占領
満州の安全の為に中国に進出・・
918 :
日本@名無史さん :05/02/19 18:50:40
数字をごまかして倍増させるのは捏造であって、重箱の隅ではない 数字のわからぬものは土人
>>917 だいたいそんなとこやけど
満州の安全の為に中国に進出って何よ?
920 :
日本@名無史さん :05/02/19 18:56:27
と、おっさんが言っております。
921 :
日本@名無史さん :05/02/19 19:46:31
おっさんだって疑問を持つのは良いことだ
922 :
日本@名無史さん :05/02/19 19:52:48
驚いたな。 かなり久し振りに見たけど、まだ十五年がどうこうでループしてるんだ・・・
923 :
日本@名無史さん :05/02/19 20:20:57
ソ連の大量の戦車や飛行機相手に反ソするよりは貧弱な日本相手に反日した方が良いと判断したのだろう。
925 :
だつお :05/02/19 22:03:02
926 :
日本@名無史さん :05/02/19 22:13:41
>>916 こういうバカがいたから日本はああなった。
927 :
日本@名無史さん :05/02/19 22:14:38
反日の要因は日本。ソ連ではない。
928 :
日本@名無史さん :05/02/19 22:27:35
929 :
日本@名無史さん :05/02/19 22:32:15
露骨な嘘は許されない。
930 :
日本@名無史さん :05/02/19 22:38:45
親父を殺された息子の張ははじめから反日 どこが嘘だ?
931 :
だつお :05/02/19 22:43:45
>親父を殺された息子の張は 親父を殺された息子の張は、満州事変で日本軍が攻めてくると、 ションベンちびって一目散に逃亡してしまいましたとさ。 こんな司令官、「抗日戦争」にさえも使いものにならず逮捕監禁と。
932 :
日本@名無史さん :05/02/19 22:44:38
確かに張は反日ではあっても自分で戦うことは避けたが、 小人数で来た蒋介石を拉致して国共合作させることで 代わりに戦わせるという目論みは果たした。
934 :
日本@名無史さん :05/02/19 23:06:46
中国のれきし歪曲が分かった
935 :
日本@名無史さん :05/02/19 23:41:49
どこが歪曲化しめしてみw?
936 :
日本@名無史さん :05/02/20 11:47:14
937 :
だつお :05/02/20 12:09:31
>目障りな政権(蒋介石)を潰し、 蒋介石の国民政府など、史実でも共産革命で叩き潰されてる。 あんなものは「国家」と呼ぶにも値しない、それは中国人で さえもその大多数が認める歴史事実だ。 資本主義国だからといって社会福祉を疎かにするのなら、 そんな「国家」は必要ない。それは「国家」ではなくて、 金で雇われたゴロツキ用心棒にすぎない。
938 :
日本@名無史さん :05/02/20 14:10:45
通州事件が日中戦争の原因?? そんな笑えるサイトがあるんですか?
939 :
日本@名無史さん :05/02/20 15:06:43
940 :
日本@名無史さん :05/02/20 20:40:00
日中戦争は、やはり15年戦争というべき
蒋介石は日本と十五年戦ったと英米に強調する事で連合国内における中国の地位の向上を図った。
942 :
日本@名無史さん :05/02/20 20:49:40
保安隊は軍隊だよ そんな基礎知識も無くてどうすんの
943 :
日本@名無史さん :05/02/20 20:54:40
944 :
日本@名無史さん :05/02/20 20:55:29
軍隊の構成員は将兵
945 :
日本@名無史さん :05/02/20 21:25:05
傀儡政府の保安要員を中国軍兵士とはとてもいえんな。
946 :
だつお :05/02/20 21:34:06
>蒋介石は日本と十五年戦ったと英米に強調する事で >連合国内における中国の地位の向上を図った。 わざとチンピラゴロツキな政治を敷いて国民の離反を招き、 わざと抗日戦線を崩壊させ、共産革命が起こるように仕向けた。 実は中国国民党こそが、共産革命の母体であったといえる。
947 :
だつお :05/02/20 21:42:27
ローズヴェルトの死後、ハリー・トルーマンが合衆国大統領になると、 毛沢東にいわせれば、アメリカの対中政策は軌道修正され、国民党政権 を経済的にも軍事的にも支持して中国共産党に背を向けるようになる。 毛は国共内戦の勃発をトルーマンの国民党支持に起因するとした。 内戦で中国共産党が勝利をおさめられたのは日本のおかげだと 毛沢東は考える。一九三〇年代に日本が中国に侵攻していなかった ならば、日本の侵略者に対し共産党と国民党が共闘をくむような こともなかったろうし、また共産党は脆弱すぎてとうてい権力の 奪取などかなわなかっただろう。共産党からすれば、日本の侵略は 悪事が善事に変換したのであり、むしろ感謝しなければならないとした。 「毛沢東の私生活 下」(李志綏 文春文庫)
948 :
日本@名無史さん :05/02/20 21:48:49
949 :
日本@名無史さん :05/02/20 23:05:06
正確に言えば、分裂内戦状態の支那の地方軍閥が中央政府の教唆によって 犯した悪業だ
漢奸にされ報復を恐れた傀儡中国人が日本人を惨殺することで愛国者である事を顕示して保身を図った。
951 :
日本@名無史さん :05/02/20 23:14:46
嘘をつくなよ 国民党中央の指示だ
952 :
日本@名無史さん :05/02/20 23:31:01
>>951 ここを読め
>>889 >>876 保安隊は従来の軍閥と違い日本軍が立ち上げた傀儡軍。
>>950 ちょっと違う。日本に協力していた傀儡軍が中国軍有利との宣伝に乗せられて反乱し中国側に寝返った後保身の為最初からの計画だったとした。
戦後になっても漢奸批判を逃れる為計画説にしがみついたといえる。
953 :
日本@名無史さん :05/02/21 00:30:55
国民党側に寝返った軍隊を中国軍と呼んで何が悪いんだ?
954 :
日本@名無史さん :05/02/21 00:41:27
>>952 全部、筆者の予測であり、張慶餘と宗哲元の密談がなければ事件は起きなかったとも言える
保安隊の隊長張慶餘は秘密結社の会員でやくざみたいなもの
国府軍はこういうやくざまがいの連中を決起の時に組み入れるために動いており
国府軍に事件の責任能力すらなかったと言える。
つまり統率できない連中を使って、虐殺も英雄として迎えざるえない状況で
おこるべくしておきたとも言える。
955 :
日本@名無史さん :05/02/21 01:41:33
>>954 そういう「やくざ紛い」の連中を集めて傀儡軍を作っていたのが日本軍ですね?
だから国民党軍に切り崩されたんでしょう。
956 :
日本@名無史さん :05/02/21 02:04:09
そのやくざは支那人
>>955 集めてないっちゅうの しっかりした地元の軍隊だと思ったから信用してたんでしょ?
切り崩されたっつ〜か 軍がいない場所だから反乱がおきたんだけど
国府軍自体は、戦意も低い組織化されてない敵前逃亡当たり前ボロボロでしょ?
958 :
日本@名無史さん :05/02/21 04:17:41
>>957 違いますよ。自治政府立ち上げ時に日本軍は確かに地元の代表的軍閥に工作しましたがそっぽを向かれています。
そこで非軍事区保安隊、民団、自衛団、帰順匪賊その他の雑軍を集めて日本側で改編したのが問題の自治政府保安隊です。
この部隊の編成には特殊貿易の利益に加え満州国からの援助金も使用され、訓練も日本側軍事顧問の手によります。
日本側は後に保安隊を中心により大規模な治安軍に改編しています。
日本側資料を見てもこれら華北の傀儡軍の編成に関し
地元在住の良民をもって行うこと。但し帰順匪賊の素質優良者をもって一時代用して良い。
装備は基本的に民間私有武器に加え帰順匪賊よりの接収武器を交付すること。
部隊は分散配備すること。
地方の優秀青年を集め、防共親日細胞とすること。
等々事細かに規定がありますよ。
地元の軍隊などとはとても言えませんね。地元の武装組織を母体に改編したものでは有りますが、改編したのは日本側です。
さて通州事件当時には教導総隊、第1〜4総隊が存在しました。
7月27日に通州の国民党軍独立第37旅の1個営が日本軍によって撃破されましたが、保安隊は中国軍の敗北を傍観しました。
その戦闘の末期に日本軍が保安隊を誤爆し死傷者が生じます。
以降保安隊に表立った動きは有りませんが、北平での中国軍優勢という報道が27〜29日に盛んに流れていたことが判明しています。
29日ついに保安隊が反乱。ここで注意すべきは、27日には国民党正規軍を目の前で見殺しにした保安隊の内、誤爆を受けた部隊が決起している事実です。
他の2個総隊は第29軍からの呼びかけにも動きませんでした。
反乱部隊の行動も行き当たりばったりで計画的なものとは考え難い。
第29軍が地元の武装勢力宛に協力を呼びかけたのは恐らく確かでしょう。しかしこの時点で呼びかけに応じたのは誤爆を受けた部隊だけです。
誤爆によって不穏になった部隊が中国軍有利の報道を信じて暴発したというべきでしょう。
959 :
日本@名無史さん :05/02/21 09:14:23
ごまかすなよ 元々保安隊は軍隊だ
960 :
日本@名無史さん :05/02/21 12:25:21
>>959 どこの軍隊か?が問題ですよ。傀儡政権の傀儡軍であって国民党軍ではありません。
防共自治政府は「形式的」には中華民国内の自治政権ということになっていますから国民党軍だと強弁する人がいるのは存じています。
実際には中華民国が反対しているにも関らず日本が立ち上げた傀儡政権で、政務委員会(国民政府側)から解散を求められていたりします。
日本側としても満州国のように露骨な独立をさせるのが憚られた為に「自治政府」という名称に甘んじていたのです。
自治政府の保安隊は国民党政権の意思を無視し、地方都市を接収するなど日本側の走狗として働いていますし国民党軍戦闘序列にも出てきません。
既述のように非軍事区保安隊、民団、自衛団、帰順匪賊その他の雑軍を集めて日本側で改編したのです。
地方都市には非軍事区保安隊があったのは確かで、その内日本側の呼びかけに応じて集まった幾つかに加え、民団、帰順匪賊、自衛団などを加えて更に改編したものなのです。
元々の保安隊とは違いますし、国民党軍戦闘序列に出てくる他の保安隊とも違います。
自治政府保安隊は軍隊ですが、国民党軍ではない。日本側が土着の武装勢力を集めて編成したものなのです。
防共委員会結成前から日本租界内の某飯店で帰順武装組織の交渉がもたれていたのはご存じと思います。元々改編前には横のつながりが無い土着武装組織だったので合流に向けた準備が必要だったのです。
その母体には従来の保安隊等、地方の警備隊であったものを含んでいますが、改編したのも訓練したのも費用を出したのも配備を変更したのも編成方法を指示決定したのも指揮したのも日本側です。
「中国軍」と括るのは大変な間違いです。元中国軍人(但し多くは非正規軍)も多数含んでいた(だろう)というのなら同意ですけどね。
そういったら各地で反乱に参加したり暗躍していた「日本浪人」も元日本軍人が多数含まれていますが、私はそれらを全て「日本軍による暴挙」と決め付けられるのは心外です。(教唆した例は幾つかあるようですが全てとは?)
961 :
だつお :05/02/21 12:31:18
>傀儡政権の傀儡軍であって国民党軍ではありません。 チンピラゴロツキに右も左も主義主張もありはしねーって。 中国人という中国人は、その名の付く全てがチンピラゴロツキ。 チンピラゴロツキが沢山湧いてくる場所を指して「中国」と呼ぶ。 日本軍に虐殺されるために湧いてきたチンピラゴロツキを指して、 「中国人」と呼ぶ。
962 :
日本@名無史さん :05/02/21 12:43:45
保安隊が国民党軍だという無知がいるのはここですか?
963 :
日本@名無史さん :05/02/21 20:53:55
保安隊自体は軍隊じゃないよ、当たり前だろうが 問題は虐殺事件を起こし寝返った部隊を英雄として迎えた国民党軍にあるんだろうが。 日本が非難するのは当然じゃねえか。 こんなこったから国民党はゴロツキって言われるんだよ。 実際国民党なんてのはこの手のゴロツキの集まりじゃねえかよ。 何でこいつは国民党の方をもってんだ?アホか?
964 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:04:25
>>958 >そこで非軍事区保安隊、民団、自衛団、帰順匪賊その他の雑軍を集めて日本側で改編したのが問題の自治政府保安隊です。
国府軍も含めて中国の軍隊の構成は大半がこんなもの、蒋介石の当時の状況を考えれ当然だと言える
雑軍という言い方をすれば、国府軍全体が雑軍。
そして蒋介石と地方軍閥その他の雑軍つまり国府軍の繋がりも張慶餘に対する関係と大差ない
すなわち密談が確かにあり、密談にそって反乱を起こし、国府軍に合流しようとした、
この事実だけでもすでに国府軍に参加した他の軍閥等と繋がりはかわらないということ、冀東防共自治政府内にいた国府軍という言い方を
しても問題ないと思う。
965 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:13:03
>>964 日本が建てた傀儡政権下の、日本が編成した保安隊が、国府軍というのは無理がありすぎる。
君が言ってるのは、しょせん中国人の部隊は信用できないって事だろ。
966 :
長江壱條龍 :05/02/21 22:22:57
國府軍も紅軍も、雑軍や保安隊をかき集めて編成したものだよ 保安隊は警察軍に近いものだが、基本的に軍隊だ 装備も訓練も指揮系統も皆軍隊だ 軍隊でなきゃ、少数とはいえ日本陸軍に挑んで皆殺しにはしないよ
967 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:29:44
密談後に張慶餘と張硯田の部隊は中国第二十九軍の戦闘序列に編入されており 冀東防共自治政府内にいた国府軍といって問題ないはず
968 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:35:55
>>963 日本軍が編成した部隊なんだから、最終責任は日本軍だろボケ
969 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:37:29
>>967 秦郁彦氏はそれを否定してるぞ
秦郁彦「盧溝橋事件の研究」より
張慶餘は、回想記のなかで久しく以前から抗日を決意し、冀察幹部と通謀して反乱の機会を狙っていたと主張するが、二十七日早朝の戦闘で傳営(ゆう注 「傳営長」の誤植と思われます。中国側第ニ九軍)と共に戦う機会を見送っている点からみても、説得力は乏しい。
むしろ保身に徹するか、勝ち馬に乗ろうとして形勢を観望していたと思われる。
970 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:38:04
>>965 保安隊が国府軍とは言ってないだろが
張慶餘の部隊が保安隊に潜んでいた国府軍と言ってるんだろ。
読解力のないやっちゃな
971 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:39:19
保安隊は自治政府の編成した軍隊
972 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:41:47
>>970 秦郁彦氏の分析によれば、張慶餘部隊は国府軍というより、勝ち馬に乗ろうと計っただけの様だがな。
973 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:43:46
>>968 その極悪犯罪者をかくまったのは何処の何奴だ?
国民党に人道的精神が少しでもあるなら日本軍に引き渡すべきだと思うがね。
974 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:45:21
>>973 日本軍に北京を占領された蒋介石が、日本に対し人道的になるかね?
975 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:48:19
日本軍が北京で虐殺したとでも言うのか?
976 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:49:20
>7月27日に通州の国民党軍独立第37旅の1個営が日本軍によって撃破されましたが、保安隊は >中国軍の敗北を傍観しました。 これは日本軍から攻撃を開始しており保安隊が反乱のタイミングをとるのは難しい それに、無防備の市民は虐殺しても、わずか140名の守備隊を撃破できずに 同数近くの死傷者をだしていることを考えても、当初から29軍が突入してきた時まで行動する気がなかった と思われ、日本の軍隊が留守の時に国府軍優勢の放送がかさなり突然の決起となったと考えるのが自然 秦郁彦が言っているのも一つの可能性にすぎず、27日にいかにして参加できたか 背後をつく有効な作戦があったかなど書かれていない
977 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:51:09
>>972 あのね教えてやろうか
張慶餘は国民党から工作資金貰ってましたと告白してるんだよ。
978 :
日本@名無史さん :05/02/21 22:55:04
>>977 反論になってないって。
初めから明確に裏切る予定だったという根拠にならない。
979 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:07:13
そんな簡単にしっぽだすことしてねえよ工作員なんだから。 この時期に突然反旗を翻したのはこいつらだけじゃないし、 蒋介石の意図を感じるね。
980 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:11:46
ここまで見てきて保安隊の実態を良くご存知無い方が居られるのが解りますね。 まず一口に「保安隊」といっても実態は一様では有りません。国民党軍の戦闘序列に 入っている限りなく軍隊に近い「保安隊」、軍に属さない地方都市等の警備に当る武装 警察としての「保安隊」、そして通州での防共自治政府に属する「保安隊」、その後の 戦争の進展に伴って日本軍占領地内で編成された「保安隊」に大別できるでしょう。 問題の通州駐屯の防共自治政府軍としての「保安隊」ですが、この母体となったの は塘沽停戦協定やその後の協定で中国側に認めさせた非武装地帯(非軍事区) 18県の保安隊です。この非軍事区の保安隊の成立過程を見てみましょう。 塘沽協定で中国軍撤兵後の緩衝地帯の治安維持に関し「(前略)中国側警察機 関之に任ず。右警察機関の為には日本軍の感情を刺激するが如き武力団体を用 いることなし」とされています。塘沽協定の初期要求案では非武装地帯の文言が あったのですが、中国側の反発と実効性の問題から削除されています。この中国 側警察機関というのが問題です。 形式的には国民党政権下の警察機関ということになりますが「日本軍の感情を 刺激しない」武装団体と言う事で、実態は1万を超えていた李際春軍の一部4千名 を保安警察隊に改編し、指揮官も李際春の推薦した人物となります。李際春は 熱河作戦にも参加した関東軍指導下の傀儡軍指揮官で、丁強と同一人物です。 溥儀連れ出し工作の際天津でひと暴れしたことでも知られています。つまり形式 的に中国政府下に置きこの時点では経費も中国側に持たせてはいますが実態は 日本側の傀儡軍だった訳です。
981 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:12:31
しかし、この4千名だけが後に防共自治政府保安隊になった訳では有りません。中国 では小規模な地方土着の自警団的武装組織が多数あり、これら民団、帰順匪賊、敗残 部隊、反蒋闘争に破れ潜伏していた旧軍閥関係者等を集め、更に素質向上の為地方の 青年を新規に徴募して編入しています。これが資料によりますが9千名とも1万4千名と も言われる防共自治政府保安隊となったのです。その他に非正規部隊として地方の 民団が10万前後存在していたという説もありますが人数的には眉唾でしょう。 防共自治政府成立後は、特殊貿易の利益や満州国からの援助500万元等を財源に 装備の拡充と軍事顧問(日本軍、満州国軍から派遣)による改編、訓練が行われました。 通州事件後は小規模の警防隊に縮編した後、後に一部は治安軍に吸収され北支の 治安戦に貢献することになります。 これら傀儡軍の信頼性が低かったのは通州事件だけでなく、しばしば有利な方に 寝返る部隊が多かったことでも明らかです。通州事件は民間人虐殺を含んでおり、 しかもその殺し方が残虐であることは確かで保安隊の責任を否定することは出来ませ んが中国軍の仕業とするのはちょっと苦しいでしょう。中国人=中国兵=中国軍では ないのです。中国人ではありましたが、中国軍部隊ではなかったのです。また殺した 数では我が軍は偉そうな事はとても言えませんし、方法も日本刀で斬首、刺殺するの は残酷だという批判者がいることも確かです。(撃つのも切るのも同じと思うが)文化の 違いですね。
982 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:23:08
>>981 保安隊の内、張慶餘と張硯田の部隊だけが国府軍
間違いなく国府軍の仕業
983 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:26:10
工作資金を受け取ったとか何とか、当時の中国では当たり前だよねえ。 相手側を繰り崩す為にかなりの金が日中両国共に動いている。 保安隊だけが特別ではないよ。むしろ地方の小軍閥とか土匪とか買収して傀儡軍に仕立て上げるのは日本の得意技だし。 華をもって華を制す戦略だから。 もらっているだけで工作員といったら中国の地方軍の殆どは日本側の工作員だし、傀儡軍の殆どは中国側の工作員。 実際に裏切るかどうかはどっちが有利かにかかっている。
984 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:27:05
どんな長文の詭弁を書いても国民党に責任があるのは明らか。
985 :
信用できない張慶餘の告白 :05/02/21 23:27:45
張慶餘は「自分は日本軍が大挙して南苑を侵犯し、かつ飛行機を派遣して北平を爆撃したのを見て、戦機すでに迫り、もはや坐視出来ないものと認めて、ついに張硯田と密議し、七月二十 八日夜十二時、通州で決起することを決定した」と書いている。 日本軍は北京を爆撃したことはない。
986 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:29:47
信用できない張慶餘の告白(
>>985 )をもって、
「張慶餘は初めから寝返るつもりの国府軍だった」
などと言っても鵜呑みに出来ない。
987 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:32:43
988 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:45:37
まあ国民党軍を十把一絡げに雑軍扱いする人はスレの前の方読んでいないのか? 日本軍に大きく劣るとは言っても、国民党軍も系列によっては馬鹿には出来ない部隊も少なくない。 俺としては雑軍に苦戦したとは思いたくないね。
989 :
日本@名無史さん :05/02/21 23:57:23
>>988 まともにぶつかれば支那軍は5倍10倍当たり前だからな
それでも撃破できるんだからねー
同じ規模でぶつかって苦戦した戦いってあった?
990 :
だつお :05/02/22 00:02:26
だが、ものの一年間もしないうちに、スチルウェル参謀長は、その日誌に、 自分の予期しなかった感想を記述することになった。 「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は) 自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、 ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、 自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、 農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士 “ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! ≪中略≫ 当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、その米式訓練 をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、 一キロ歩 いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を乱してむらがり、 悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。 ≪中略≫ 孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、 その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、 たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。 そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える 孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか? ≪中略≫ スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。 「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、 迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・ もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」
991 :
日本@名無史さん :05/02/22 01:11:37
>>989 細かい例を挙げればきりが無いし無限ループだから避けるが。
抗戦初期の精鋭中央軍は1個師で日本軍師団の1/3の戦闘力、南京陥落後の一般的な師で1/8〜1/10だと国民党側も考えていた。
概ね日本軍の評価と一致する。
但し忘れてはいけない点は、比較対象の日本軍師団は4単位の常設師団で、各種支援部隊で増強されていた。
それに対し中国側は初期の調整師が完全戦力だったとしても日本軍師団の1/2〜2/3、南京陥落後の1個師は約1万名で1/2.5位にしかならない。
しかも実際には南京後の師の多くは5千〜3千名でしかなかった。これだと1/5〜1/8の兵員数。
実戦でも師団数では10〜20倍投入しても兵員数では3〜5倍位というのが相場でしょう。
中国軍の師と日本軍常設4単位師団を同じ兵団だと思って比較してはいけないね。
まあ日本側も特設師団を投入するようになると戦力が低下してくるし、更に3単位に改編されているから苦しい台所事情なんだが。
途上国の上に群雄割拠の状態で良く戦い貢献したとは言えると思う。日本軍本来の現役兵は中国戦線で尽きかけていたんだから。
中国側はもっと大変だったがね。
992 :
日本@名無史さん :05/02/22 01:34:26
まあ中国軍師団は日本軍師団に敵わないが、中国陸軍は日本陸軍相手に良く戦ったということ。
993 :
日本@名無史さん :05/02/22 02:00:57
どこでよく戦ったの どこでも惨敗潰走でしょ
994 :
日本@名無史さん :05/02/22 07:15:51
然るに世界大戦後から昭和の初期にかけて、 我が日本の政界・学界・思想界等の病的な欧米崇拝論者は 以上のやうな国際政局裏面の認識を欠き、英・米・仏等の 自利的現状維持論、自己保存的平和論、仮装正義人道論等に 心酔して全く彼等の思想戦の術中に陥り、 帝国本来の姿と道義に基づく国是、国策を忘れて、自ら帝国を侮蔑して、 軍国主義、侵略主義、帝国主義等と卑下しながら国策の進路を誤らせ、 好んで欧米迎合の対内外消極政策を採り、 内にあつては数次の軍備縮小を断行して外交の推進力を弱化したのを始めとし、 一切の方面に緊縮退嬰政策を施し、遂には産児制限を高唱するものさへ現はれ、 外に対しては屈従外交によつて数多の理不尽な条約を甘受し、 欧米に媚び支那に媚びて自ら二十一箇条の廃案、 青島還附を提唱するものもあり、遂には日清・日露の戦役に於ける 苦心と犠牲とを忘れて在満権益放棄論を主張する者さへ現はれ、 外交国難、経済国難、人口国難、思想国難の渦中に国民を投じて、 全く民族的理想を喪失せしめるに至つた。今日これを顧みれば実に 満洲事変、支那事変を未然に防止し得なかつた責任の大半は、 これら外来思想中毒者の負ふべきものであると信ずる。
996 :
日本@名無史さん :05/02/22 12:17:37
保安隊は日本の傀儡だからな
997 :
日本@名無史さん :05/02/22 14:57:01
満洲事変、支那事変を未然に防止し得なかつた責任の大半は、 これら利権拡張主義軍部・政府・財界の負ふべきものであると信ずる。
998 :
日本@名無史さん :05/02/22 15:00:00
答えられないのでちゃんと調べろといってごまかしますた 支那軍全敗!
999 :
日本@名無史さん :05/02/22 21:41:04
日中15年戦争の原因は日本のアホ軍部とボケ政府
1000 :
日本@名無史さん :05/02/22 21:49:52
日本人はunco
1001 :
1001 :
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