【ねえ】近衛文麿【フーミン】

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1日本@名無史さん
「日本人が戦犯を選ぶとしたら、筆頭はこの人」(渡部昇一談)
と言われる近衛文麿を語ってください。
2日本@名無史さん:04/09/15 01:55:18
>>1
このスレタイ昨日寝ないで考えたんだよな?
3日本@名無史さん:04/09/15 02:01:58
>>1
他にはどんなスレタイ候補があったの?
4日本@名無史さん:04/09/15 11:10:59
【マロ】近衛文麿【ニーちゃん】
5日本@名無史さん:04/09/15 11:30:17
アヤマロは素直に謝ろう。
6日本@名無史さん:04/09/15 11:49:55
国民の絶大な期待と、西園寺公望の絶大な支持によって首相になった。
こいつなら 軍のいい様に使われている内閣を変えてくれるとみんな思った。。。しかし・・・・・・

しかし日中戦争の不拡大方針を破り、
第一次近衛声明で
蒋介石の「国民政府を対手とせず」と言い、和平の道を閉ざした
さらに、ナチスを手本に新体制運動を推進。

こいつが日本をおかしな方向で導かせた
このおっさんはヒトラーになろうとでもしてたのか
7日本@名無史さん:04/09/15 12:29:09
何にも考えてなかったのでは?
8初心者:04/09/15 12:38:48
>>6 >>7

「国民党相手とせず」
交渉相手なんぞ他にいくらでもいた。当時のシナがひとつだったと思ってるのか? 軍閥乱立で、日本でいえば戦国時代のようなもの(日本は朝廷があったからまだいいが)。室町政府相手に海外が交渉してきても……、っていう状態だったって解らんか?
国民党が、和平に掛け合ってくれないから見限ったただけだろうに。平和への路を閉ざしたのではなく、他に和平を結んでくれそうな政府を探すっていうことだろうが。
9日本@名無史さん:04/09/15 12:54:06
「あやまろ」が正しい読み方なのか?
じゃあ、スレタイも、
【あやや】近衛文麿【かわいい】
10日本@名無史さん:04/09/15 13:58:11
>>8
でもそれは第一次近衛内閣の話。

近衛は4次まで首相を経験しており、その中でどんどん泥沼化させていってる。
ナチスと同盟結んでアメリカを仮想敵国としておきながら、日米交渉?
うまくいくわけないだろ。大戦不介入方針を転換させたのもコイツの内閣のとき。
こいつを信用した国民も馬鹿だ
11日本@名無史さん:04/09/15 16:40:06
自他共に認める楽観主義者。
のほほん貴族が地雷原で楽しくスキップだ。
12日本@名無史さん:04/09/15 18:12:43
責任をすぐ放棄するのは
孫の細川モリリンにも受け継がれてるな
13日本@名無史さん:04/09/15 18:57:51
ほんと典型的なお公家さんだよね

やっぱり家柄がいいと人物もいいって思うんだろうか
日本人ってほんとブランド好き
14日本@名無史さん:04/09/15 19:27:24
>>8
まあ、汪政権に期待を掛けていたのだろうが、英米だけでなく(その時期には)ナチスドイツからも支援を受けていた国民党政府に代わる政府を支持する他国を見出す事は満州国以上に困難。
15日本@名無史さん:04/09/15 20:36:02
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%83%A8%E6%98%87%E4%B8%80

>専門の英文学以外にも歴史を批評する著作などを多数発表し、保守論壇の一角を占める。
>一時期、一部のマスコミからは、やはり論壇で活躍が目立った竹村健一、堺屋太一が共に
>名前に「一」がつくことから、併せて「3ピン」などと言われ、彼ら自身が「三ピンの
>会」と称して講演会を開いたこともある。
>1980年、大西巨人の息子の赤人・野人氏が血友病であり、多額の医療費の助成があること
>から、遺伝性疾患であると分かっていれば生まないのが「神聖な義務」であると主張し、
>大論争を巻き起こした。またロッキード事件では田中角栄の無罪を主張、事件を追及して
>いた立花隆と論争した。
>テレビ東京の対談番組 『渡部昇一の新世紀歓談』 のホストを務める。本当の新世紀の21
>世紀が訪れるだいぶ前の、1999年3月28日に終了。
>2001年、上智大学を定年退職して名誉教授となる。
>大島淳一の筆名で、ニューソートの著名な作家、ジョセフ・マーフィーの翻訳や関連著書
>が数冊あり、そのせいか他の著作にも読者を励ますようなタイプのものが少なくない。古
>書蒐集家であり、日本ビブリオフィル会長を務める

まずはこいつが戦犯
16日本@名無史さん:04/09/15 22:11:17
【国民のための大東亜戦争正統抄史1928-56戦争の天才と謀略の天才の戦い
88〜93近衛文麿の正体】

 近衛は中学生の頃、高貴な華族の家柄であるが故に貧困に喘ぐ下層階級を見て良心の
呵責に苛まれ、弟の秀麿に「社会主義談義」を頻繁に行い、京大学生時代には貧困の
問題を研究し、大正三年(一九一四)、近衛は新思潮五、六月号にオスカーワイルドの
「社会主義下の人間の魂」を翻訳掲載し(発売禁止処分)、ワイルドの言葉を借りて次の
ように述べている。

 「私有財産が諸悪の根源であり財産と貧困の害悪を断ち切るには社会主義を実現する
しかない。」  
http://touarenmeilv.infoseek.livedoor.net/from88to93ww2.htm
17日本@名無史さん:04/09/15 22:13:35
近衛結構好きだけどな。
別に魅力がある人物なんて思わないけど。
18日本@名無史さん:04/09/16 00:53:12
フーミンとモリリンって、責任感無しっていうところと麿チックな顔が
そっくりすぎ!大爆笑!
19日本@名無史さん:04/09/16 06:51:59
近衛内閣の出現は、近来暗鬱な気持になっていた我々インテリ階級に、ある程度の明るさを与えてくれたことは、確かである。少なくとも、日本においての最初のインテリ首相である。近衛さんによって、初めて我々と同時代の人が、総理大臣になったといえると思う。

近来大臣の教養が低下し、浪花節的趣味と中学生ぐらいの思想の持ち主が、その位置を利用して、感想や意見を述べたりするのは、やり切れないと思っていたが、近衛さんなどは、その人たちよりは学問も趣味も高級だから、文化日本の首相らしい言動が聞かれると思う。

http://www.honya.co.jp/contents/archive/kkikuchi/hanashi/hanashi-12-07.html
20日本@名無史さん:04/09/16 06:57:32
 文壇や論壇では昨年あたりからいはゆる日本的なものについて盛んに論ぜられたのであるが、偶然の符合といふか、ちやうど近衛内閣が成立する頃からその議論も下火になつてきた。
日本的なものについての議論が祭政一致を声明した林内閣の時代に起り、そしてこの内閣の退却と運命を共にしたやうに見えるのは、皮肉のやうでもあるが、全く偶然であるともいはれないであらう。
 近衛内閣は古典的な林内閣とは異り頗る現代的な声明をもつて現はれたのであるが、この内閣はいはゆる日本主義が、現代的な言葉で表はすと、実は全体主義に他ならないといふ一事を示すために現はれたやうなものである。
21日本@名無史さん:04/09/16 06:59:06
 事態がたいへん複雜になつてゐる。ゲシユタルト心理學が持ち出され全體主義といふ合言葉も生れて、新しい世界觀が、そろそろ登場の身仕度を始めた。
 古いノオトだけでは、間に合はなくなつて來た。文化のガイドたちは、またまた圖書館通ひを始めなければなるまい。まじめに。
22初心者:04/09/16 09:05:47
>>10

>ナチスと同盟結んでアメリカを仮想敵国としておきながら、日米交渉?
>うまくいくわけないだろ。

仮想敵国と交渉するのはおかしいかい?
冷戦時代、ソ連とアメリカはよく交渉しておりましたが。
それよりも、岡目八目とか後になればドウとでも言えるってわかる?
23日本@名無史さん:04/09/16 09:33:44
近衛文麿に罪はない。
悪いのはすべて松岡。
24日本@名無史さん:04/09/16 14:40:58
仮想も何も相手に通信傍受されてて、情報だだ漏れなんですけど…
25日本@名無史さん:04/09/17 00:14:16
泰平の世に総理だったら、けっこう優秀だったかも。
26日本@名無史さん:04/09/17 20:56:08
>>10
>ナチスと同盟結んでアメリカを仮想敵国としておきながら、日米交渉?
>うまくいくわけないだろ。

だってナチと同盟組んだらアメリカはびびって日本に屈服するって松岡が言ったんだもん
27日本@名無史さん:04/09/18 00:18:22
貴人変人。
28日本@名無史さん:04/09/18 01:19:20
当時日本は日独伊三国同盟を成立させたあと、ソ連に接近し、四国同盟にするはずだった。
その上でドイツが英国上陸するのと同時に日本がシンガポールに侵攻し、
蒋介石政権を一気に潰すという計画をしていた。
結果は すべて大誤算。 
ヒトラーは英国上陸より先にソ連に侵攻しちゃった。

三国同盟を締結からここまで過程において、外務省はぜんぜん情報収集していなかった。
また、陸軍省はナチスドイツを過信しすぎていた。ナチが欧州全土を放逐してくれると期待していた。
松岡洋右も「陸軍省のやつらの近視眼にも困ったものだ」と当時の陸軍省の姿勢を批判している。

>>26
松岡が条約を締結するにも情報が乏しい上じゃ判断を見間違うだろう。
資料を収集すべき外務省がへタレ。
なにやっとんじゃへタレ害務省 今も昔も変わらんな
29日本@名無史さん:04/09/18 08:17:17
>>28
外務省の英米派を大量に粛清して情報網をズタズタにしたのは当の松岡。
松岡は目耳手足を切り捨てて自分の妄想のみで突っ走っていた。
だいたいドイツが近々ソ連を攻めるという情報は当時広く流通していた公然の秘密で、
こういったリスクを織り込み条約締結を破棄するのがまともな外相の役割でしょ。
諸悪の根元はヒトラーに丸め込まれた松岡です。
30日本@名無史さん:04/09/18 08:55:43

    ,.:ニ二三ニニニニ二:、
.   ix:::三彡=-ー'''゙゙゙ヾ、_ヽ
  iX:::::xノ" __  __  ミiii、
  |彡;"     ̄   iiiij
  ,=彡  -=='' '' ==、 ijij
  i 、i|: .ミ-○。i、○= ii|'
  '; ' ::  ー'" , i,゙'ー ,l
   ーi:::::i.  ' iiiiiii""  :j    / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    |:::::  i' ,==-、) ノ   <  松岡はドイツに買収されているのではないか
    〉:::::  ゙二 ̄ ノ      |      
 ,,..ィ'゙|、  ー- ー ノ      \_________
''" | ';\  ̄    jヽ、
   |  '; \_____ ノ.| ヽ、
   |  \/゙(__)\,|  i |
   >   ヽ. ハ  |   ||
31日本@名無史さん:04/09/18 09:14:37
戦争中に「まろ」は痛い
32日本@名無史さん:04/09/18 10:06:36
日本人が戦犯を選ぶとしたら、筆頭は松岡洋右
33日本@名無史さん:04/09/18 10:28:51
昨日の徹子の部屋のゲストはフーミンと交流があったのか。すごいな
34日本@名無史さん:04/09/18 11:33:00
松岡が靖国神社に合祀されるのを天皇はお怒りになったらしいね。
35日本@名無史さん:04/09/18 14:02:37
近衛文麿の死後オスカ・ワイルドの獄中手記「深き淵より」がみつかった。そして、次の個所にアンダー・ラインがしてあった。
それは、「世間は、私を余りに個人的であると批評したものである。しかし、私の滅亡は、この人生における個人主義の過多によるものではなくて、むしろ過少から起ったものである」というくだりであった。
この短い言葉は、政治家としての近衛の生涯を実は象徴し、また彼が荷った運命を余りにもよく解明するものではないであろうか。


<岡義武 著 「近衛文麿」>より
36日本@名無史さん:04/09/18 14:20:57
戦後近衛は手記で「戦争回避に天皇はもっと行動すべきだった」と主張したが、
昭和天皇は「近衛は自分にだけ都合のよいことを言っているね」と、語ったと
伝えられている。
37日本@名無史さん:04/09/18 14:51:38
無能なのがここまで分かりやすい政治家も珍しいな。
責任取って軍事裁判で裁かれればまだマシだっただろうに
38日本@名無史さん:04/09/18 15:56:28
 其処で公(近衛)は、「このまま東條が自殺する様なことがあつたら、政治的には非常
にやりにくくなる。東條が、自分が悪かつたとの遺書でも書いて死ねば、国論は多少違う
かとも思ふが」。余(細川護貞)は、「遺書くらいなら偽作してもいいではないですか」
と言ひて笑ひたり。

責任逃れだけは天下一品。さすがお公家様。
39日本@名無史さん:04/09/18 16:52:10
フーミンて、最近見ないが、没落したの?
40日本@名無史さん:04/09/18 23:17:57
旧憲法における制度上、内閣は軍の暴走を抑えることができなかった(統帥権、帷幄上奏権の悪用)
日米交渉をしつつ戦況を拡大する日本にアメリカからは双頭の蛇と言われる始末
軍を抑える絶対的な権限は天皇にしかなかった
でも天皇は軍のクーデターにビビッたか、決定的なアクションを起こさなかった
41日本@名無史さん:04/09/18 23:49:23
近衛公爵は、しばしば優柔、臆病などの評をうけるが、身近にいる者は、「三千年の公卿の血
が生みだした」ような、冷たいシンの強さを、公爵が持っていることを知っている。無類の社交
上手、聞き上手なので、近衛公爵と会う者は、たちまち自分が信頼されていると思いがちだが、
「決して他人を信用しない人でしたね。優柔の気はあったが、不断ではなく、最後は自分でビシ
リときめました」と牛場友彦はいう。
 関白太政大臣の血筋という意識は、人一倍モダン好きでも消えることなく、天皇の前で足を組
んで話せる臣下は、公爵だけであった。それだけに、自分の身体については、病的と思われるほ
ど注意深く、健康に気をくばるのみならず、他人の手をふれさせることは極度にきらった。
42日本@名無史さん:04/09/19 00:06:23
御前会議で「帝国国策要領」を決めておいて軍の暴走とはお笑いぐさ。
43日本@名無史さん:04/09/19 00:36:38
近衛が服毒自殺しなきゃ、廣田弘毅が絞首刑にならずにすんだのに。
ぐやじい・・・
44日本@名無史さん:04/09/19 00:42:12
>>43
「落日燃ゆ」とか読みました?
45日本@名無史さん:04/09/19 01:26:38
44>勿論読みました。石屋のせがれ、
他の軍人は万歳三唱。しかし最後の抵抗であれは漫才ですよね。
弘毅にしてみれば、最後のアイロニーだった訳で、
見事な死に様であったろう。最後の最後迄、己の言い訳は言わず。
沈黙を通した。彼の最後は潔かった。
46日本@名無史さん:04/09/19 02:10:34
昭和十二年七月七日、蘆溝橋事件が起こった。これからが私の内閣の時代の話である。
        ・・・・・・・・・・・・・
事件直後の閣議で不拡大方針を申し合わせたが・・・朝野の心配をよそに、事件は日増しに拡大し、
現地解決の望みはなくなった。これではどうにも始末がつかない。
不安は益々高まるばかりである。そこで、一体どの辺まで行ったら軍事行動がやむのだろうか。
我々としては、凡そここいら迄で止めるという大体目安を知っておかないと、口に不拡大をとなえても、
実際は適当な手を打つことができない、殊に外交方面が困る。
しかし、軍部大臣以外の者は私はじめ各閣僚とも、この点について、なんの報告も得られないのであるから、
毎日ジリジリしていた。
        ・・・・・・・・・・・・・
とうとう拓相の大谷尊由が、院内閣議で発言した。それは事変後二十日程たって開かれた特別会議中のことであった。
大体どの辺で軍事行動を止めるのかと質問すると、軍部大臣たる杉山陸相は黙ったまま、一言の返事もしない。
それを見かねたのか海相米内光政は、「それは永定河と保定の間の線で止める予定だ」と答えた。
すると杉山は忽ち顔色を変えて「こんなところで、そう言っていいのか!」と海相を怒鳴りつけたので
一座は白けわたり、話はそれきりになってしまった。
47日本@名無史さん:04/09/19 02:17:30
日米交渉の歴史を回感して痛感せられることは統帥と国務の不一致という事である。
抑も統帥が国務と独立していることは歴代の内閣の悩む所であった。今度の日米交渉に当たっても
政府が一生懸命交渉をやっている一方、軍は交渉決裂の場合の準備をどしどしやっているのである。
その準備なるものがどうなって居るのか吾々に少しも判らぬのだから、外交と歩調を合わせる訳に行かぬ。
船を動かしたり動員したりどしどしやるので、それが米国にも判り、米国は我が外交の誠意を疑うことに
成るという次第で、外交と軍事の関係が巧く行かないのは困ったものであった。
48日本@名無史さん:04/09/19 12:24:58
>>43
軍部大臣現役武官制復活や南京陥落時の外相だから微妙だな。
49日本@名無史さん:04/09/19 15:18:35
48>>
キーナン主席検事も廣田の絞首刑には、ありえん・・・馬鹿な!と、激怒していました。
それにしても廣田は親から貰った名を変えてしまったのが、運のつき。
まさしく運命、これも微妙。
50日本@名無史さん:04/09/19 15:21:19
全然関係ないけど
ウチの取引相手に弘田工機ってのがあった。
51日本@名無史さん:04/09/19 17:03:05
広田の首吊りは蒋介石の仕業。
自分からトラウトマン工作を仕掛けて、
途中で背中を向けたから。

1月15日の大本営政府連絡会議
多田参謀次長 :このチャンスを逃せば、長期戦になる。交渉を続けよう。
広田外相 :中国側に誠意がない。これ以上は無駄だ。外相の判断を信じないのか。
米内海相 :統帥部が外相を信用しないなら、政府は総辞職するしかないぞ。


広田外相や米内海相は道理よりも恫喝によって、多田駿参謀次長の主張を退けた。
そして、多田の予測どおり、日中戦争は長期戦化し、泥沼化したのだ。
ちなみに、阿川弘之の「米内光政」では、このへんの事情はまったく
触れられていない。 広田弘毅を主人公にした、城山三郎の「落日燃ゆ」では、
まるで参謀本部が悪いかのごとく書かれている。
52日本@名無史さん:04/09/19 17:12:01
米内光政
「参謀本部は政府を信用しないというのか。それなら参謀本部が
やめるか、内閣がやめるかしなければならぬが」
トラウトマン工作継続を主張する多田駿参謀次長に対して
大本営政府連絡会議で。
多田次長は
「明治天皇は朕に辞職なしと仰せになったと聞いているが、この
重大時機に辞職辞職とあなた等がお考えになる気持が分からぬ」
と反論するが、押し切られる。
近衛内閣は翌日「爾後国民政府ヲ対手トセス」声明を発表。
蒋介石を徹底抗戦に追い込んだ。
53日本@名無史さん:04/09/28 22:46:28
何かの本で読んだんだけど、近衛とケンブリッジ大学教授エドワード・H・カーの国際感覚はにているそうだ。
それは、第一次世界大戦は現状維持国と現状打破国の戦いであり、英仏などが植民地の利益を独占してしまっている以上ドイツがこのような現状を打破しようということは正当であり、
むしろ日本もドイツ側にいる、ということだ。そして、このようなリアリズムが近衛のなかにあった以上第二次世界大戦はあのような形でしか起こらず、あのような形でしか終わらなかった、
と書いてあった。(間違っているかも。)
54日本@名無史さん:04/10/01 01:28:03
本当に近衛って平安から続くあの近衛の直系なのか?
……凄くね?
55日本@名無史さん:04/10/01 01:40:43
大東亜戦争の黒幕も
二,二六の黒幕も 近衛

狂信的共産主義者
現在も彼の意思を受け継ぐ輩が日本を狂わす
56日本@名無史さん:04/10/01 11:15:20
文麿は226の時は皇道派の将校に同情的だったらしいね
57日本@名無史さん:04/10/01 16:58:42
>>6
確かヒトラーのコスプレして、ヒトラーになった気分になってたっていうのは
聞いた事があるが…

>>55>>56
敗戦直後に昭和天皇に対し「右翼も左翼も同じ社会主義者だったんです。わたくし、
いまさら気づきました」みたいなことぼやいてたな。

彼が226を操ってたかどうか知らんが、226に左翼も一枚噛んでたと言う説は
いまだにある。
58日本@名無史さん:04/10/01 17:26:03
仏領インドシナ進駐で、米英蘭から非難の声が飛ぶ!!

「だってぇ、ビシーフランスが、『いい』って言ったんだもん・・・」
59近衛糞麿:04/10/04 13:46:32
わが国の職業軍人は社会の中層以下の出身者が多くを占め
共産主義的思想を受け入れやすい環境にあり、また、我が国体と共産主義が
両立し得ると考える者も少なからず、
60日本@名無史さん:04/10/04 13:54:38
その通りじゃん
61日本@名無史さん:04/10/04 14:01:47
「一君万民」とか言ってる時点で共産主義。
62日本@名無史さん:04/10/04 14:13:14
近衛は昭和19年の時点で、陸軍には共産主義分子がいると上奏して
陸軍贔屓の天皇の目を覚まさせようとしたが、天皇は取り合わず、
翌年の沖縄陥落まで目が覚めなかった。陸軍が共産主義とさへ手を
結ぼうとしたのは敗戦前後に、梅津がソ連と取引しようと参謀を新京
に派遣して、ソ連に全満州と朝鮮の占領を唆した事実をみても歴然。

63日本@名無史さん:04/10/04 17:21:10
近衛は息子をスターリンの下に預けたが、スターリンによって殺害され
絶望の末自殺。所詮使われただけの犬
スターリンは自国を共産主義に導くも、共産思想の怖さを知り尽くしていた
冷めた人間。
64日本@名無史さん:04/10/04 18:30:11
↑ ネタだったら、もう少し上手くしれ
近衛文隆はソ連に抑留され資本主義幇助の罪や親父が上奏文で
共産主義運動を妨害した罪に加担したというムチャクチャな罪状で
禁固11年くらったが昭和11年獄中で死亡。謀殺され可能性も強い
65日本@名無史さん:04/10/04 18:31:35
ごめん昭和31年だわよ〜ん
66日本@名無史さん:04/10/04 18:43:54
抑留されたのではなく犬が子犬を虎に預けただけ
67日本@名無史さん:04/10/04 18:45:21
>>62
近衛自体が筋金入りの社会主義者だぞ。
河上肇に私淑して東大から京大に転校して、オスカーワイルドを翻訳したのは有名な話だし、
首相就任時には
「国際正義に基づく真の平和と社会主義に基づく施策の実現に努めたい」
って談話を出してる。
ヴェルサイユ講和条約時の「英米本位の平和主義を排す」以来の、「無産国家」
日本の「ブルジョワ国家」英米に対する階級闘争(=戦争)を是認する社会主義的思想が、
英米への敵愾心となり、対英米戦を招いたと言っても過言じゃない。
もっとも、こういう考えは当時の知識人の間では割と一般的だったんだけどね。
当時の教養の中心は右も左もマルクス主義だった。違いは天皇の下での社会主義
か、それとも国際共産主義かというだけの話。
対中戦は悪だが、対英米戦は正義だと言っていたアジア主義者や社会主義者は
たくさんいたし、今もいる。
あと、近衛内閣時代に国家総動員法や大政翼賛会など、社会主義化、全体主義化が
進んだこともお忘れなく。
陸軍の中の共産主義者云々ってのは単に陸軍に責任を転嫁してるだけ。
確かに陸軍内部では親社会主義、反自由主義的空気が支配的だったのは事実だが、
近衛自体もそうだもん。
68日本@名無史さん:04/10/04 18:50:24
近衛が親社会主義だったのは事実だけど、
「わざと日本を戦争に誘導して敗戦革命を狙ってた」
ってキワモノ説はどうよ?
69日本@名無史さん:04/10/04 18:53:02
日本は今も社会主義国、欧米からはそう見られてる。
70日本@名無史さん:04/10/04 18:56:14
最近多いとんでも説。ちょっと前立ち読みした本で、近衛と一緒に
影佐中将なんて人までアカ認定されてたのには笑ったよ。
朝鮮人の在日認定並だ。

ちなみに文隆さんは禁固25年。反共の罪にこれ以下はない。
71日本@名無史さん:04/10/04 18:59:15
日中共同で欧米に対抗するとかほざいてる
アジア主義者に社会主義者が多い不思議。

アジア主義、社会主義、国家主義(人種主義)は
なぜか相性がよくて、よく組み合わさる事が多い。
孫文の三民主義なんかモロにこの三つの組み合わせだし。
この三つの共通点は反欧米、反自由主義、反立憲主義である
という点。こいつらを滅ぼさないとまた日本は破滅するぞ。
72日本@名無史さん:04/10/04 19:04:05
近衛の周りには親共的人間が多かったから陰謀説がでるんだろう。
確かに汪兆銘工作を尾崎秀実、西園寺公一などが煽っていたのは事実だから、
怪しい気もするが、証拠はないんだよね。まあ、陰謀の証拠などあるわけないが。
73日本@名無史さん:04/10/04 19:07:01
年食ってからの近衛は完全な反共だよ。
統制派をアカ呼ばわりして警戒してたのは有名な話しだろ。
74日本@名無史さん:04/10/04 19:24:51
「二千六百年、永い夢でした」はどうよ。
これ以上不忠の発言はないと思うが。
75日本@名無史さん:04/10/04 19:53:46
>>70
影佐が親共なのは事実だぞ
76日本@名無史さん:04/10/04 20:06:53
>>75
ほー、事実と言いきるからには、明確な証拠が在るんでしょうね
示して頂けますか?
77日本@名無史さん:04/10/04 20:25:27
>>76
桜会のメンバーじゃん
7875:04/10/04 20:34:53
聞いた俺が馬鹿でしたわ
もうこの話しは止めましょう
79日本@名無史さん:04/10/04 23:25:23
>68
敗戦に導き、軍部を弱体化させ、理想の共産国家日本を作ろうとした。
80『岡田啓介回顧録』:04/10/06 09:21:08
近衛は、政治家としてはよっぽどいい加減な人だったと思う。
81日本@名無史さん:04/10/06 09:30:28
一発ガチンとやれば、有利な講和ができると思っていたバカだよ。

82日本@名無史さん:04/10/06 18:03:37
隠れアカだったの?
83世界@名無史さん:04/10/06 19:04:07
>>16
すごく高いクライスラーが愛車のくせに..金持ちアカが一番ウザイ!
84日本@名無史さん:04/10/07 04:09:30
三公社五現業なんつー赤い国だったからな日本は、つい最近まで。
85日本@名無史さん:04/10/12 15:05:54
>>81
近衛上奏知らないのか?
国体護持を無視した早期降伏論者には近衛って希望の星だろ。
86日本@名無史さん:04/10/17 19:07:00
近衛の戦争責任は免れないけど、近衛は歴代総理で唯一の紳士である気がする。
87日本@名無史さん:04/10/21 20:55:31
西園寺の方が紳士だろ
88日本@名無史さん:04/10/30 23:36:02
けっこう文才はあるんじゃないの。
89日本@名無史さん:04/12/02 13:21:52
>>1
近衛は大馬鹿者だが、
自分で靴下もはけないような虚け(=昇一)に言われたくはないだろうな。
90日本@名無史さん:04/12/11 10:26:58
松岡を部下にしたことが最大の不幸
91日本@名無史さん:04/12/11 10:28:44
規定上対等なんだし、部下じゃないだろ。
92日本@名無史さん:04/12/11 15:22:10
近衛は、男前で得してる。
家柄もいいし、今なら小泉より持てはやされるのでは?
93日本@名無史さん:04/12/11 17:22:32
あれほど「家柄、学歴、容姿」に恵まれながら、不幸な人生を送ってしまう人も珍しい。
政治に関らないで哲学に身を捧げていれば、本人も家族も幸せだったろうに。
94日本@名無史さん:04/12/11 17:35:58
今の状況は第一次近衛内閣と似てる。近衛は参謀本部の反対を押し切って
相手ニセズ声明を出してしまったが、小泉は我慢できるか?
経済制裁は最低でも西側社会の同意をとりつけてからやらないと。
95日本@名無史さん:04/12/11 17:49:18
近衛は国家社会主義者だろ。昭和天皇を殺して自分がヒトラーなりスターリンになりたかったんだよ。
96日本@名無史さん:04/12/11 17:53:35
>>95
それは松岡
97日本@名無史さん:04/12/11 18:00:08
なるほど、松岡と近衛の確執はどっちがスターリンになるか競っていたからなのだ
98日本@名無史さん:04/12/11 18:01:24
近衛が親英米、自由主義的な昭和天皇を憎悪していたのは事実
99日本@名無史さん:04/12/11 18:04:03
http://ww1.m78.com/question/konoe%20insistance.html
近衛文麿は議会政治をどのように考えていたか
100日本@名無史さん:04/12/11 18:07:58
101日本@名無史さん:04/12/11 18:11:06
近衛は色々な評価の本があるから、初心者の俺は良く分からないな。
戦争を推進して軍に担がれた挙句に、自殺したってことぐらいしか・・・。
102日本@名無史さん:04/12/11 18:23:17
最高の家柄に偉大な父親。何もかもが揃いすぎてる。
若い近衛が心情的に社会主義に惹かれるのも仕方ないかと思う。
103日本@名無史さん:04/12/11 20:08:51
近衛が東大から京大に移ってからは、やはり公爵であるから下宿などではなく、新築の家で書生を置いて、
身の回りの世話をさせていたらしい。当時の学生の身分で女中と書生がつき、一ヶ月の給料が百円以下の時代に
生活費は一ヶ月百五十円だったという。
104日本@名無史さん:04/12/12 06:32:59
松岡任命したのこいつだろ確か
105日本@名無史さん:04/12/12 19:39:31
近衛も、松岡も悪くない。
悪いのは・・・・このオレだ・・・。
106日本@名無史さん:04/12/12 19:43:53
>一ヶ月の給料が百円以下の時代に
>生活費は一ヶ月百五十円だったという。

それっていまいちすごい贅沢なのかどうかわからん
107日本@名無史さん:04/12/12 19:53:27
今の大学生の仕送りで月50万以上もらってたらすごい贅沢じゃん?
108日本@名無史さん:04/12/12 20:01:05
>105

東条さんですか
1091o5:04/12/12 20:11:46
みんな・・・すまん。
110日本@名無史さん:04/12/12 20:31:03
まぁええことよ。
111日本@名無史さん:04/12/12 21:42:09
110は、こんなだめな俺を許してくれるというのか・・・。
これからは心を入れ替えて、世のため人のために尽くしたいと思います。
112日本@名無史さん:04/12/13 00:10:48
>>111
ヒットラーですか?
113日本@名無史さん:04/12/13 15:15:59
誰も知らない知られちゃいけない、俺の正体が誰なのか。
何の力もない無力な俺が、罪を償うにはどうしたらよいものか・・・。

雪桜 過ぎ去り時を 隠しまう 雪解けともに 罪は消えへぬ

114日本@名無史さん:04/12/14 23:35:03
>>113
×ま→○や
×罪→○時
×消えへぬ→流れぬ
115日本@名無史さん:04/12/27 13:44:43
満州「ねぇカンチ、あたしのこと好き?」
カンチ「うん」
満州「どのくらい」
カンチ「このくらいかな」手でサッカーボールをもてるくらいの大きさを作る。
満州「え〜、そんなもん?」
カンチ、手を広げて「このくらい」
満州、不服そうに「え〜」
カンチ、走り出す「こ〜〜〜〜のくらい」
満州「セクースしよ」

つまり誘ったのは満州側であり、113は無罪。
116日本@名無史さん:04/12/27 14:07:55
あと、113の詩は本人が詠ったものじゃなく、後の人が勝手に詠んだ詩で、
彼は自分が悪いことをしたとは露ほども思ってなかったと思うよ。
117日本@名無史さん:05/01/05 23:29:06
文麿はかなりの男前だな。
118日本@名無史さん:05/01/12 18:48:51
東條に戦争の罪を全部なすりつけようとしたり…
昭和天皇を戦艦に乗せて戦死させようと目論んだり…

ほんとこいつろくな人間じゃないな
119日本@名無史さん:05/01/15 20:51:52
高橋是清が逝ってなければ近衛など
に権力奪取される事も無かっただろうに
青年将校に殺されてなければな


120日本@名無史さん:05/01/15 20:54:26
>昭和天皇を戦艦に乗せて戦死させようと目論んだり…
マジすか?
121日本@名無史さん:05/01/16 07:06:29
近衛は側近の富田健治に、「敗戦の暁、どうして国体を護持できるか、私は陛下に
お願いして、連合艦隊の旗艦に乗っていただいて、最後の決戦に艦と運命を共にし
ていただく、これこそが天皇制を護る道ではないかと思っている」と語っている。
122日本@名無史さん:05/01/16 07:34:25
>>1
アヤマロなんですけどw
123日本@名無史さん:05/01/16 09:13:33
タイトルのネーミングセンスに爆笑しましたので
一言残してゆきます。あんた大好き(笑
124日本@名無史さん:05/01/16 10:26:18
昭和天皇の日記によれば 近衛は「東条ならば陸軍(の暴走)を抑えられる」と言って登用を推薦した」とあります
125日本@名無史さん:05/01/16 10:31:22
昭和天皇が日記?
126日本@名無史さん:05/01/16 10:53:08
124は、戦前の制度や基礎的な歴史を学んだうえでカキコしませう。
東条を首相に推薦したのは木戸内府であり、この時、重臣の若槻は宇垣を
岡田も軍人宰相は対外的な印象が危険として若槻に同調した。だが、天皇は
木戸の案にのった。もし、陸相就任をいうのであれば、近衛は前任の畑陸相の
推薦で東条を起用した。また、陸相就任には陸軍三長官の同意が必要という
内規があり、首相が自由に選ぶことはできなかった
127日本@名無史さん:05/01/16 11:09:52
でも、宇垣は昭和天皇に嫌われてたから、やっぱり東条になっちゃうだろうな
128日本@名無史さん:05/01/17 12:49:24
永田鉄山が生きてたらどうでしょ?
129日本@名無史さん:05/01/17 13:24:00
あれ?昭和天皇が嫌いなのは東条のほうじゃなかったっけ?
130日本@名無史さん:05/01/17 15:45:26
昭和天皇は東条大好き。嫌いなのは宇垣一成、真崎甚三郎、山下奉文など
真崎と山下は皇道派ということで納得だけど、宇垣を何故嫌ったのかは知らぬが、
あのようの者は絶対に総理などにはしてはならぬ、と独白録にまで残している
131日本@名無史さん:05/01/17 21:32:23
>130
独白録の書かれた理由を考えれば想像がつく。これが書かれたのは昭和天皇の処遇がどうなるのか
日本側には不明の時期。万一、連合国の検事側に天皇が尋問された場合に備え、たとえば東条を首相に
起用したのは何故か?と詰問された場合の想定問答と考えれば辻褄が合う
132日本@名無史さん:05/01/17 22:03:37
>>130
昭和天皇は松岡をことのほか嫌っておられた
133日本@名無史さん:05/01/28 17:46:46
裏口で京都帝大入ったんだってね
134日本@名無史さん:05/01/28 21:20:59
まあ、あの時代、帝大にいった華族のほとんどは裏口入学みたいなもんでしょ。
全部が全部とは言わないよ、葉室さんみたいな優秀な方もいるからね。
135日本@名無史さん:05/01/28 21:31:41
でも当時、学習院高等科は高等学校(旧制)と認められてなかったから、
第一高等学校をわざわざ受験したらしいね。
136日本@名無史さん:05/01/28 21:39:09
学習院は後の方で旧制あつかいだよ。そのかわり、東京帝大は定員がいっぱいだから、京都帝大にまわされた。
東京帝大にいきたい人は一高を受験した。
137日本@名無史さん:05/01/29 12:39:06
>>133
東京帝大の哲学科から、京都帝大の法科に移ったんじゃなかったっけ。
少なくとも、成績不振だったということはないと思うけど。
138日本@名無史さん:05/02/03 01:23:26
>>137
一説によれば京都帝国大学に入りなおしたのは
河上肇の下で社会主義の研究がしたかったからとか言われてるね
139日本@名無史さん:05/02/04 00:47:48
>>138
一説も何もそうじゃないのか?
近衛の若かりし頃はバリバリの社会主義者だぞ。
オスカー・ワイルドの戯曲も翻訳してた。
140日本@名無史さん:05/02/08 12:53:12
父親は突然変異なのかな。
公卿にしては有り得ないくらい剛毅な人だけど。
141日本@名無史さん:05/02/08 14:31:44
細川護煕とか近衛の孫って名乗るのに抵抗あるのかな?
142日本@名無史さん:05/02/08 14:57:52
外孫をこれみよがしに名乗るのは近衛家の嫡流に対して失礼では
143日本@名無史さん:05/02/12 10:04:16
当時の首相が綾小路きみまろだったら日本はどうなっただろうか?
144日本@名無史さん:05/02/15 22:35:49
>>143
毒舌吐きまくり
ABCDソのほかナチスドイツ,ファッショイタリー含む
全世界を敵に回して自滅もしくはスルー
145日本@名無史さん:05/02/26 14:13:06
自由主義者昭和天皇を葬って、敗戦革命でスターリンになろうとした、
日本史上最悪の不忠者。
146日本@名無史さん:05/02/26 14:46:35
>>145

近衛文麿が戦後生きていたら・・・

1946日本国摂政(昭和天皇は人間宣言とともに退位・皇位は空位とする)
1952日本共和国大統領(独立回復で天皇制を正式に廃止)
1960日本人民共和国国家主席(安保離脱でソ連陣営へ)






なバカな
147日本@名無史さん:05/02/26 19:39:44
148日本@名無史さん:05/02/27 01:11:24
文麿と書いて、「あやまろ」と読む人がいた。「ふみまろ」と読む人もいます。


正解はどちらなのですか?
149日本@名無史さん:05/02/27 01:12:26
息子さんは、シベリアで殺されているのでしょ。
150日本@名無史さん:05/02/27 01:24:13
>>148 最初は「あやまろ」だったんだけど、人にあやまるに似ているから、
「ふみまろ」としたらしい。
151日本@名無史さん:05/02/27 07:48:43
映画やテレビのドラマみると、公家はかならずアホみたいに扇を口にあてて
右往左往する様子が描かれてるが、ホンマにあんなアホばっかだったの?
152日本@名無史さん:05/02/27 10:33:06
近衛の書いた文をセレクトして復刻してくれないかな〜
「英米本位の平和主義を排す」以降の彼の思想遍歴をたどれると面白いのだが。
まあ何も変わっちゃいないだろうけど・・・。

で、「国民政府と対手とせず」声明は、下半身事情を握った右翼の脅しで
言わされたとは本当ですか?
153日本@名無史さん:05/02/27 13:13:18
>>152
戦前は下半身なんてスキャンダルにならんぞ。
政治家は待合茶屋で遊ぶのが普通だし。
154日本@名無史さん:05/02/28 08:19:47
ベルサイユ体制に反発した近衛を軍部が我が同士とばかり後押ししたのが日本の不幸の始まり
155日本@名無史さん:05/03/07 21:00:14
統制派=アカ論を唱えておきながら、実は一番のアカな罠
156日本@名無史さん:05/03/07 21:06:26
麻生
157日本@名無史さん:05/03/07 21:23:42
これくらいの金持ち、名家だと子供の頃から
女中を手篭めにできるんですかね?
158日本@名無史さん:05/03/08 00:03:48
そもそも名字の由来が「天皇親衛隊」っつータカ派っぽい意味なのに、ヘタレにも程がある。
159日本@名無史さん:05/03/08 00:19:18
近衛文麿って父系でみると
江戸時代の後陽成天皇の子孫だよな。

そういう意味で、摂家の名門というだけではなくて
王孫だという顔も持っている。
160日本@名無史さん:05/03/08 00:29:12
おまけに日本最高クラスの名門なのにな
161日本@名無史さん:05/03/08 12:05:44
本来ならば、天皇陛下を真っ先にお守りしなければならない華族が、逆賊になるとは。
華族制度を批判する気はないが、どうして左傾する連中が多いんだろう。
皇室の藩屏のくせに、ひどい連中だな。

武者小路公秀に万里小路の坊ちゃんも左翼だったかな。
162日本@名無史さん:05/03/08 17:33:52
>>141
近衛家の現当主って細川護煕の実兄じゃなかったっけ?
近衛文麿は長男文隆がソ連に抑留されて死んで、男系の子孫はいないよね?
163日本@名無史さん:05/03/08 18:16:15
>男系の子孫
東隆明
164日本@名無史さん:05/03/08 19:51:03
>>162
過去スレをよく読め、ボケ
165日本@名無史さん:05/03/08 22:17:06
ピストル自殺に失敗した東条と、服毒自殺に成功した近衛
どっちがエロい!
166日本@名無史さん:05/03/08 22:46:19
>>162
次男の通隆氏が今も荻外荘にすんでおるわ。
167日本@名無史さん:05/03/08 22:46:31
近衛文隆の弟に
近衛通隆ってのが居たと思うけど
彼には子供居るの?

文隆の隠し子に東隆明がいるのは知っているけど...
168日本@名無史さん:05/03/08 23:15:38
去年、テレビに出てたのは誰の子孫?若い顔してた、30代?
169日本@名無史さん:05/03/08 23:22:46
>>164
過去「スレ」ってどこじゃい大ボケ
170日本@名無史さん:05/03/08 23:41:52
文麿の弟に指揮者やってた秀麿て弟がいたが、
171日本@名無史さん:05/03/08 23:43:20
フーミン、さっきテレビに出てた
172日本@名無史さん:05/03/09 00:32:43
参謀本部が日中戦争を止めようと必死で頼んだのに、
近衛の野郎が行け行けドンドン。
173日本@名無史さん:05/03/09 00:38:22
【近衛文麿の正体】

 近衛は中学生の頃、高貴な華族の家柄であるが故に貧困に喘ぐ下層階級を見て良心の
呵責に苛まれ、弟の秀麿に「社会主義談義」を頻繁に行い、京大学生時代には貧困の
問題を研究し、大正三年(一九一四)、近衛は新思潮五、六月号にオスカーワイルドの
「社会主義下の人間の魂」を翻訳掲載し(発売禁止処分)、ワイルドの言葉を借りて次のように述べている。

 「私有財産が諸悪の根源であり財産と貧困の害悪を断ち切るには社会主義を実現するしかない。」
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from88to93ww2.htm 
174日本@名無史さん:05/03/09 07:21:16
若いころ、社会主義、共産主義者なら右翼の赤尾敏、田中清玄、ヨミウリの鍋ツネ、
サンケイの水野成夫等々別に珍しくない。問題は政治に関わるようになっても彼が
社会主義者として振る舞ったかどうか。
175日本@名無史さん:05/03/10 20:33:05
>>171
フーミンも急に老け込んじゃったよね。なんか悲しい。
176日本@名無史さん:05/03/11 15:55:19
近衛文麿公は御写真を拝見したけど
歴代首相の中で一番気品があられたね。
典型的な公家顔。
やっぱり無駄に千年以上続く家柄ではないと思ったよ。
現代の御子孫方は知らないけど
やはり気品はおありなのでせうか?
177日本@名無史さん:05/03/11 16:00:56
>>176

近衛忠輝日本赤十字社副社長(社長は藤森昭一元宮内庁長官)のことですか?
178176:05/03/11 20:16:37
>>177 詳しくは知りませぬが、
その御方は昭和天皇陛下の内親王さまが御嫁ぎになられたところですか?
やはり気品がおありになられるのですね。
やはり文麿公と似ていらっしゃるのですか?
179日本@名無史さん:05/03/11 20:44:47
>>172
それは寧ろ広田だな
180日本@名無史さん:05/03/11 21:47:25
支那事変の際、蒋介石政府との和平交渉(トラウトマン工作)打ち切りに統帥部は反対したが
陸軍省(杉山陸相、軍務局)と外務省および米内海相は打ち切りを主張。近衛はこの様子を
ただ沈黙してながめていただけだったとか。例の近衛の“爾後国民政府を相手とせず”の声明
が出されたが、別に近衛が積極的に打ち切りに動いたわけではない。閣内の大勢が打ち切りに
傾いている中で異論を唱えることは許されない制度(戦前の内閣は閣内全員一致が原則)、もし
もし1人でも反対があれば内閣は崩壊する。この制度が、日本無責任体制の元凶ともいえるが
181177:05/03/11 21:59:33
>>178

いえ、忠輝夫人は、三笠宮崇仁親王(昭和天皇の末弟)の長女(内親王)です。
182178:05/03/11 23:38:14
>>181 そうですか。それではその御夫人は
とも仁親王さまや桂宮さまの
御兄弟でいらっしゃるのですね。
183日本@名無史さん:05/03/12 09:47:04
>>180
大日本帝国憲法の欠陥といえば天皇に権力が集中していたことを
よくあげられるが、一番の欠陥は内閣の規定が全くなかったことだな。
内閣についての規定があればかなり状況は異なったであろう。
184日本@名無史さん:05/03/12 10:29:06
>>183
内閣官制があるでそ。内閣官制で首相の指導的地位を認めればいいだけの話。
185日本@名無史さん:05/03/12 10:47:17
>>184
そう簡単な問題じゃない。
時代により解釈は異なるだろうが、少なくとも近衛が総理の時代は、
[第55条] 国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス
という憲法の規定から、総理大臣と各大臣は対等であるべきである、
と解釈され、総理大臣に強力な権限を与えようという試みは、
その壁を越えられなかったんだよ。
186日本@名無史さん:05/03/12 10:53:22
そもそも内閣制度を憲法に盛り込まなかった事自体、内閣を弱めるためだもんね。
187日本@名無史さん:05/03/12 19:04:36
忠輝さんは「この前の火事(応仁の乱)で財産の大半を失いましてね」
との名言を残された方ですか?
文麿公の何男にあたられる方ですか?
188日本@名無史さん:05/03/12 19:07:50
>>187
少しは過去レス読めよ
189日本@名無史さん:05/03/12 22:48:59
>>187
護貞侯の子だよ。
190日本@名無史さん:05/03/12 23:55:50
近衛家は文麿公の直系が継いだわけじゃないのですね。
どうして文麿公のお子さまが後を継がなかったのですか?
191日本@名無史さん:05/03/13 02:13:12
陸相を更迭したところで陸軍は新たに大臣を出さないから
あの段階で内閣には「開戦」か「総辞職」の二択しかなかった
現役武官制が祟ったわけで、おまけに帷幄上奏権というもの持ち出されると
神聖にして侵すべからずの天皇と対峙することになり
どのみち軍の力が強いと内閣の足元は覚束ないものだった
これは旧憲法の制度上の欠陥といってもよい
192日本@名無史さん:05/03/13 07:26:25
>>191
何の話?
193日本@名無史さん:05/03/13 07:31:41
日米開戦前の経緯(近衛内閣総辞職)でないの?
194日本@名無史さん:05/03/18 22:20:55
日本赤十字社の新社長に近衛氏

 日本赤十字社は18日、代議員会を開き、藤森昭一社長の後任に副社長の近衛忠●氏を、
近衛氏の後任に前厚生労働次官の大塚義治氏を選出した。いずれも4月1日付で発令する。
(●は火ヘンに「軍」)

 近衛 忠●(このえ・ただてる)氏 学習院大政経卒。日本赤十字社社会部長、外事部
長を経て、1991年4月から副社長。東京都出身。65歳。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050318ic23.htm
195日本@名無史さん:05/03/19 07:46:20
近衛忠W
196日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:37:47
>>191
そういう点はあったろうが、近衛は「英米本位の平和主義を排す」っていう思想のもとに行動したいたわけだから、
現状維持が自国に危険で、他国に一方的に有利であれば戦争を辞さないという姿勢も変わらず、
結局日本が戦争に突入するのは避けられなかったと思われ
戦争が正しい、悪いとかの先入観をいれずに考えると
197日本@名無史さん:2005/03/22(火) 23:57:57
「武力による現状打破も正義ならば許容される」ってのはマルキストの暴力革命の国際版だね。
この思想がWW2を招いたと言っても過言ではない。ヒトラーもムッソリーニもマルクス主義の影響を
強く受けている。
198日本@名無史さん:2005/03/23(水) 08:14:16
ファシズムは暴力を外へ、マルキシズムは暴力を内へ。
前者はいわば恐喝犯や窃盗犯、暴走族、ならば後者は家庭内暴力野郎。
199日本@名無史さん:2005/03/24(木) 21:33:33
>>196
その現状維持的な妥協案が軍に蹴られたから辞職せざるを得なかったわけなんだが・・・
米側は軍を抑えられるかに注目していたそうだが駄目だったわけで
「英米本位の・・・」はだいぶ前の発表(大正?)で国際情勢や国力の変化で
激動の時代に常にその通りに行動できるわけではない
200日本@名無史さん:2005/03/25(金) 22:16:33
>194
まるで怪しい記事みたいだな。
 近衛さんはスイスから帰国した際も、新聞の記事になってたくらい
 だから社長になるのは当初からの予定だったのでしょうね。
201日本@名無史さん:2005/03/25(金) 22:20:06
>>198
それは間違ってないが、そういうなら
当時の英米は自分さえ良ければ良いこの上ない自己中心主義者といえる
202日本@名無史さん:2005/03/25(金) 22:22:00
近衞さんはいまどちらのお住まい?
203日本@名無史さん:2005/03/25(金) 23:34:25
>>201
現在はさらにパワーアップしてるな
204日本@名無史さん:2005/03/26(土) 00:56:26
>>202
東京都港区芝大門1-*-*
205日本@名無史さん:2005/03/26(土) 14:43:48
>>202 そんな事お聞きなさるな。
>>204 個人情報保護違反です。
206日本@名無史さん:2005/03/26(土) 16:00:15
>>205
何で個人情報保護違反と言えるの?確認したのか?
個人情報でないだろ。赤十字本社の住所は。
207日本@名無史さん:2005/03/26(土) 19:25:53
たとえ個人の住所だって公表しても違反にはならんだろ
208日本@名無史さん:2005/03/28(月) 08:09:54
>>206>>207 近衛さんは昔はどうであれ今は一個人
その個人の住所及びそれと思われるものを公開する事は立派な犯罪です。
なおこれから先は紀宮さまも法律上は個人になられる。
209日本@名無史さん:2005/03/28(月) 08:18:48
>>208
204の住所は個人の住所でないので犯罪ではありません。
210日本@名無史さん:2005/03/28(月) 08:39:33
萩外荘には住んでないの?
211日本@名無史さん:2005/03/28(月) 22:31:59
近衛忠てるさんの御子息の
忠大さんが『近衛家の太平洋戦争』を出版してたけど
この人には御子息及び御令嬢はいらっしゃるの?
212日本@名無史さん:2005/03/29(火) 11:25:29
>>210

荻窪の郊外だから荻外荘。
萩ではないぞ。
こちらは文麿公の次男が住んでおる。
213日本@名無史さん:2005/04/09(土) 02:12:52
>>208
法人である赤十字本社の住所を書くと犯罪になるの?
214日本@名無史さん:2005/04/25(月) 15:54:23
近代日本の公家の没落を決定付けた人。
彼以後、お公家さんは庶民へと零落し、
せせこましく生活している。
215日本@名無史さん:2005/04/25(月) 17:07:50
近衛家は家柄だけは
皇族に継ぐ名門だけど
経済力は非常に弱いものだった。

家柄では遥かに下の諸侯華族の
徳川家や前田家などのほうは、比較的に豊かだった。
216日本@名無史さん:2005/04/25(月) 18:45:53
>>215
何を今さらw
217日本@名無史さん:2005/04/25(月) 22:49:49
開戦前の近衛文麿とその周辺の人達の話って見てると笑っちゃう。
本当は笑えないはずなのに。

>近衛はルーズベルトとのトップ会談による解決に全てを賭けていた。
>「殺されるぞ」と言う友人の言葉に「生命も名誉もメンツも度外視している」と胸を張った。
>しかし、ルーズベルトは頂上会談をあっさり断ってきた。

せっかくカッコいいこと言ったのに…。
218日本@名無史さん:2005/04/25(月) 22:52:41
>>217
しょせんお坊ちゃま特有の一人よがりだったのね。。。
219日本@名無史さん:2005/04/26(火) 02:21:25
やる気が空回り
結局、誰にも相手にされなかったってこと?
220日本@名無史さん:2005/04/26(火) 02:33:59
第3次近衛内閣の総辞職についての近衛の弁明をもう一度吟味したい。
だれか史料紹介してちょ。一度読んだことがあるはずなんだけど忘れてしまった。
221日本@名無史さん :2005/04/26(火) 08:55:00
>>214
公家は元々せせこましいです。

>>215
子孫がそこそこ上手くやってるんだから問題なし。
文麿のときに家財整理をしたおかげで、戦後の金銭的没落は避けられた。
222日本@名無史さん:2005/04/26(火) 17:53:09
>>219
>>217の時は陸軍にも相手にしてもらえたようです。
それまで米国との外交に消極的だった陸軍も態度を改め近衛に協力する事に。
しかしアメリカ側に断られ全部パー。
以降、陸軍はもう外交やってもしょうがないと開戦の決意をいっそう強くし、
第3次近衛内閣は総辞職。
223日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:28:42
新体制運動って本当よくわからない。

協力者
軍部
有馬頼寧(久留米の殿様。政友会。)
風見章(元国民同盟。)
麻生久(無産政党の重職を歴任。)
尾崎秀実(社会主義者。中国評論家。ゾルゲ事件に連座。)
三木清(共産党シンパ。哲学者。)

取り合えず近衛は左右問わず大人気だったんだね。
政党も右派団体も労働組合も左右みんな仲良く一斉に解党。

そして近衛の口から明かされる『新体制』の中身とは!?

『万民翼賛』『下意上達・上意下達』
224日本@名無史さん:2005/04/27(水) 02:04:47
文麿公「もういい、総理なんてやめる」
先帝陛下「近衛はいつでもやめられるからよいね。」
妙に納得させられてしまった陛下の一言。
てか奥方さまとは賊に言うナンパ?で知り合ったんだって。
しかも通勤バスの中
その後芸者に手をつけてるし。
気品漂う感じが好きですわ。
てか隠し子とかいるの?
225日本@名無史さん:2005/04/27(水) 21:07:46
文麿公には庶子(女の子)が二人いたのではないかな。
一人は、篤麿に漢学を教えていた先生のところへ、貰われていった。
貰い手は神戸の旧家で、女の子はその家の親戚筋の方と結婚した。
文麿夫人の千代子さんの斡旋で、結婚相手の夫は住友財閥系の会社に就職した。
もう一人は、近衛四兄弟の末っ子で、水谷川男爵家をついだ忠麿のところに、
養女として、貰われていった。

子供のことに関しては何かと面倒を見ており(庶子にも関らず)、時折会いに行ってたそうだよ。
そのあたりは、子煩悩な性格が表れている。
226日本@名無史さん:2005/04/29(金) 20:19:30
>>255そうでございますの。
なかなか子煩悩な殿方ですわね。
御夫人も文麿公の浮気?は
あまり咎めなかったのかしら?
227日本@名無史さん:2005/04/29(金) 22:15:53
>>226
公家時代の余韻といったら良いのか、あまり家庭内での女性問題は、
やかましく言われなかったそうである。ただ、千代子夫人は内心苦々しく
思っていたのか、子供達に父の帰りが遅いのを訊かれると、
「お孟様は夜学で忙しいから」と皮肉交じりに答えていたそうだ。
夫人の方が発言に力があり、言い負かされるのは文麿のほうで、口喧嘩では
「うん」と頷くのが精一杯だったそうだ。
228日本@名無史さん:2005/05/10(火) 02:44:14
まあ、身分の高いお公家様のやることなので、堅いこと言わない!
229日本@名無史さん:2005/05/15(日) 21:48:42
フーミンの事は「殿下」ってよぶべきだよね?
230日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:10:13
>>229
江戸時代は摂政・関白を「殿下」と呼んでいたから、首相を務めた文麿を殿下と呼んでも、あながち間違いではないか。
231日本@名無史さん:2005/05/15(日) 22:32:12
家では御前って呼ばれてたけどね
232日本@名無史さん:2005/05/16(月) 19:13:49
>>223
ホントかウソか異説あるところだけど

近衛公は暴走する陸軍を抑えるために国民をまとめて
陸軍より多人数の強力な組織を作り、数の圧力で陸軍を黙らせようとした
そのために枢密院議長を辞し、さあこれからという時に大命降下
総理の近衛公は結局自分の都合だけで動く事が出来なくなり
国民再組織運動は本来排除されるべき極右や陸軍まで入り込んできて
結局ナチス張り、ソ連張りの社会主義全体主義になった
で、結局近衛公はイヤになって大政翼賛会発会式の時に
「大政翼賛の臣道実践ということにありまして…」
と投げ遣りな挨拶をする情けない事態になってしまった
で、翼賛会は陸軍の高度国防国家建設に向け一人歩きを開始、
作った近衛公自身もう止められない事態になっちゃった…トホホ
というのが今のところの通説かと

ただし、近衛公は学生時代にバリバリの共産主義者河上肇に師事したこともあり、
新体制運動は日本共産化のための第1段階の動きと考える向きもある

そこら辺は近衛公自身が終戦直後に自決しているので真相は永遠に闇
233日本@名無史さん:2005/05/16(月) 19:35:25
>>232
>近衛公は学生時代にバリバリの共産主義者河上肇に師事したこともあり
近衛は1917年に京大卒業してるが、そのころの河上はマルキストではないよ。
河上はマルキストになってから、1917年に公刊した『貧乏物語』を絶版にしてる。

近衛自身は社会主義には共感しても、
共産主義に賛意を示したことはないんじゃないかな?
234日本@名無史さん:2005/05/16(月) 20:12:44
>>233

そうでした
こちらの思い違いです

ただ、
>近衛自身は社会主義には共感しても、
>共産主義に賛意を示したことはないんじゃないかな?

はどうなんでしょう
実際近衛公は総理になった直後血盟団事件、2・26事件、5.15事件
さらには共産党の受刑者まで全部ひっくるめて大赦を与えるべく動いたことだし
それには総理に推薦した西園寺公も烈火のごとく怒ったらしいし
賛意を「示した」ことはなくても実際の行動は?というと
疑問に思う人間は疑問に思うかなと
235日本@名無史さん:2005/05/16(月) 22:57:55
>>234
>共産党の受刑者まで全部ひっくるめて大赦を与えるべく動いた
というのはソースありますか?
矢部貞治の『近衛文麿』(読売新聞社版)p.276〜281には
2・26事件に対する恩赦の話しか出て来ないけど。
それ以前の諸事件の処罰に対して、2・26事件が重すぎるという趣旨なので、
5.15事件、血盟団事件に対する恩赦も求めてない。
236日本@名無史さん:2005/05/18(水) 09:13:19
ちょびヒゲはやしてる写真あるけどあれってもしかしてヒトラーの真似なんですか?
237日本@名無史さん:2005/05/18(水) 15:49:36
>>236
>>57を見てみよう

ヒトラーコスプレは実に有名な話
238日本@名無史さん:2005/05/20(金) 07:33:10
日独同盟には反対だったのにヒトラーのコスプレはするのか。
239日本@名無史さん:2005/05/20(金) 08:23:06
近衛は日独同盟反対なんかしてないよ。自分が首相のときしっかり結んでます。
240日本@名無史さん:2005/05/24(火) 09:04:35
もっと他にまともな人物はいなかったのかなあ
あの国難の時代に二度も首相になって二度とも職務を中途で放り投げるなんて
めちゃくちゃ
241234:2005/05/24(火) 12:18:10
>>235
>共産党の受刑者まで全部ひっくるめて大赦を与えるべく動いた
>というのはソースありますか?

ソースといえるかどうか微妙なところですが…
原田熊雄述「西園寺公と政局第6巻自昭和12年6月至昭和13年6月」
p76〜
以下引用(本文旧字体 面倒なので現代語に訳)
p78 寺内(寿一)大将の話
「昨日(昭和12年8月19日)杉山陸軍大臣のところに、総理の遣いとして馬場内務大臣が来て、
 真崎大将の無罪論や、結局大赦を奏請する問題について同意を求めた。
 即ち、三月事件、血盟団、5・15事件、神兵隊、11月事件、2・26事件といったような
 内乱の陰謀について、つまり彼等の動機は必ずしも悪くない、国家を思う念慮から来ているのだから、
 正しいのだ、それを一方の反対派のほうが弾圧していくというようなことから、
 結局相克摩擦がますます激しくなってくるので、その解消のためにはどうしても大赦を奏請し、
 この非常時に彼等も陛下の思召に感激して、新たなる生涯に入ってお互いに協力していく事が
 必要だというのが、その趣意であったように聞いた。
 一体近衛総理がそんなことを言い出すとは甚だ面白くない。
 また、馬場がそれを取り次いでくるところをみると、馬場という人はかねて思ったよりつまらない人だ。
 なお、多分これは塩野が提唱しているようだが、背後には平沼がいるんだろう」
といって、非常に憤慨しておった。
242日本@名無史さん:2005/05/24(火) 12:24:20
なりたくも無いのに就任せざるを得なかった近衛には同情する。
経験ゼロの若輩公爵を買いかぶった西園寺にも責任の一端はありそうだ。
とは言え他に適任者も見当たらないし、仕方の無い選択だったのだろうか。
243234:2005/05/24(火) 12:38:43
続き

p79
24日の朝(湯浅)内大臣を訪問して、例の大赦の問題についての寺内大将の話をした。内大臣は、
「相克対立をどうしても解消したいということで、近衛総理は一途に考え込んでいるから、寺内大将は
 『杉山陸軍大臣が一蹴した』といっているが、それで事柄が止めになるようなことはないと思う。
 それほど近衛総理は熱心であるから、なかなか扱い方が難しい。以下略」
といっておった。
(中略)
p81自分(原田)のほうはこれは困ったと思ったけれども、例の大赦問題の経緯について、木戸からの話及び寺内、内大臣等との話を(西園寺)公爵にしたところが、公爵は、
「筋の立たないことをやるくらいなら、辞めた方がいいじゃないか。
 別に総理大臣が近衛でなければならんということでもないのだから」
と言われ、非常に語気が強かった。
(中略)
自分は30日に(西園寺)公爵を訪ねて、例の大赦問題についていろいろ公爵とお話したところが、公爵は
「木戸も賛成だそうだ。近衛には今まで既に有象無象が付き過ぎていた。そういう者を寄せ付けすぎていた事が甚だ面白くなかった」
と言って多少嘆いておられた。
(後略)
244日本@名無史さん:2005/05/24(火) 18:46:19
もし荻外荘の維持に困ってるのなら、椿山荘や雅叙苑や叙々苑みたいにしたら?
245日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:16:54
儒教や共産主義をかじった人間に碌な人間はいない
246日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:55:43
近衛が共産主義かぶれなら統制派に親近感を持つはずだが、彼は何故か皇道派贔屓
247日本@名無史さん:2005/05/24(火) 19:57:07
ていうかもうすでに荻外荘の大半はなんかの宗教団体のものじゃなかったか
248日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:06:15
>>246
共産主義かぶれだと統制派に親近感を持つ理由が分からん。
249日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:14:46
1度はそうかもしれないが、2度も内閣を投げ出したと言う奴は無知
250日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:19:02
つまり近衛って八方美人?

251日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:22:54
統制派⇒陸軍部内の統制を図るのみならず、戦時中の統制経済は
社会主義そのもの。下層階級出身者が多い陸軍将校には状況さえ
変われば、社会主義者に変貌する下地が十分ある。敗戦間際の
梅津の親ソ的な考えや瀬島のソ連抑留時の言動みれば歴然
252日本@名無史さん:2005/05/24(火) 20:44:00
>>251
それは皇道派が実力で目指したものと同じでは?
もともと皇道派っていっても上層部には大した思想はないんだよね。
あと皇道派の理論的な支柱だった北一輝も毛色は変わってるが
社会主義者くずれだよね。
253日本@名無史さん:2005/05/24(火) 21:01:05
青年将校は北にかぶれてたのもいたかもしれぬが、荒木以下の高級将校は
北なんて関心ないと思うが
254日本@名無史さん:2005/05/24(火) 21:46:46
>>247
昭和35年に家屋の約半分は、宗教団体の宿舎として移築されたみたい。
現在の荻外荘は増築改築を繰り返したもので、離れは誰かに貸してるらしいね。
維持費が大変だろうなぁ。
255日本@名無史さん:2005/05/24(火) 21:55:41
北一輝やら大川周明やらは共産主義者と同じで基本的に権力外のゴロツキだからな。
256日本@名無史さん:2005/05/24(火) 21:57:43
>>254
>維持費が大変だろうなぁ。
だから叙々苑みたいにすべきなのでは?
257日本@名無史さん:2005/05/25(水) 14:59:43
近衛文麿は身長177cm
京大の学生にして貴族院議員だった。
昭和天皇に上奏する時に玉座の前で
椅子に腰掛けで足を組んで友達と
話すように報告したのは後にも先にも
近衛文麿だけだ。

息子の文隆は若い頃からアメリカに留学して
プリンストン大学に進学、そこでゴルフ部の
エースとして活躍した。しかし戦争で日本に
帰国した。
258日本@名無史さん:2005/05/25(水) 15:11:37
ここも荻外荘なの?隣の家かと思ってた・・・
ttp://www.momoi2-e.suginami-tky.ed.jp/karuta/01o/body.htm
259日本@名無史さん:2005/05/25(水) 15:22:59
近衛公が足組んで上奏した話は有名だけど、
そもそも拝謁する場所に臣下が座る椅子なんてあるのか?
260日本@名無史さん:2005/05/26(木) 09:29:58
ニッポン放送人事 2005年6月24日付
▽常務(経営企画室長)近衛正通

一族だろうか?
261日本@名無史さん:2005/05/30(月) 17:22:49
通隆さんは昭和天皇の内親王の婿候補に挙がらなかったんだろうか?
262日本@名無史さん:2005/06/01(水) 08:49:43
>>261
通隆氏は次男だから分家すれば平民になる身。
平民の許に内親王は降嫁できまいと思うが如何?
263日本@名無史さん:2005/06/01(水) 17:50:41
>>262
末っ子の貴子さんは島津家の分家の次男坊である久永さんに降嫁したぞ。
264日本@名無史さん:2005/06/05(日) 00:51:21
>>35

>近衛文麿の死後オスカ・ワイルドの獄中手記「深き淵より」がみつかった。そして、次の個所にアンダー・ラインがしてあった。
>それは、「世間は、私を余りに個人的であると批評したものである。しかし、私の滅亡は、この人生における個人主義の過多によるものではなくて、むしろ過少から起ったものである」というくだりであった。
>この短い言葉は、政治家としての近衛の生涯を実は象徴し、また彼が荷った運命を余りにもよく解明するものではないであろうか。

これってずっと蔵書して愛読してたのかと思ったら
借りたものだったんだね。
他人の物にアンダーラインひくなよw
265日本@名無史さん:2005/06/05(日) 18:33:36
誰から借りたものなの?
266日本@名無史さん:2005/06/06(月) 02:36:28
>>265
初代国連大使となった外交官の加瀬俊一氏。
267日本@名無史さん:2005/06/06(月) 15:09:18
やはり肉親の情がうすいと気力薄弱になるんでしょうかね>近衛公
268日本@名無史さん:2005/06/06(月) 20:21:43
>>242ええっと高橋是清さんは無視ですか?
近衛が代わりに死ねば良かったのに
269日本@名無史さん:2005/06/06(月) 20:38:28
お公家さん同士、西園寺は近衛が可愛かったんだよ
270日本@名無史さん:2005/06/06(月) 20:59:29
>>268
不謹慎なことを言うなよ
高橋だろうが近衛だろうがどちらが死ねばよい等と言うことはない
政治家としての近衛の評価を逸した不適切な発言だぞ
271日本@名無史さん:2005/06/07(火) 06:16:45
近衛は首相になんかなりたくなかったから、西園寺や木戸にもそう言っており、
最初は西園寺も近衛を首相にしないようにしていた。
しかし、堂々と「首相にはなりたくない」と言うような無責任な事を言えば周りの士気に影響するため、
近衛支持者や他の関係者の前では
「大命が下れば死んでもやらなければならない」と言っていた。
結果、世間には「近衛はやる気だが重臣達が危ぶんでいる。近衛が出ればこの行き詰った状況を打ち破るかもしれない。」
と言う話として広まり、近衛待望論は益々強まり、
西園寺もこの声を無視する事ができなくなった結果近衛が首相となる。
272日本@名無史さん:2005/06/07(火) 08:08:40
木戸と原田に対して
「どうか自分が出ないようにしてくれ。どうしても出たくない。」
西園寺に対して
「自分の立場としては大命が下ればやむを得ないという事を、
いかにも用意があるが如く人が思うので、非常に困却する。よろしく頼む。」
273日本@名無史さん:2005/06/10(金) 23:05:29
>>259
椅子はあることにはあったが普通は座らなかった。
そこを近衛は座るのみならず身長177cmの長い足を組んで
「御機嫌よろしゅうございます。ご無沙汰でした。」
と普通の人に話すように上奏したので侍従達はびっくりした。
が、昭和天皇もこの打ち解けた会話を喜んだ。
それに相手が田舎侍であれば皇室の権威を軽んじていると注意できても何せ相手は藤原氏。
天皇家と摂関家の縁の深さを考えると誰も咎める事が出来なかった。
もっともあまりに打ち解けすぎていたから、近衛は気分によっていい加減な事を言う事が多く
昭和天皇も「近衛はすぐ言う事が変わるね。」と困惑していた。
274日本@名無史さん:2005/06/10(金) 23:30:29
昭和天皇は近衛が自分より十歳年上もあってかなり遠慮していたみたいだね。
275日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:25:59
>>67

>「国際正義に基づく真の平和と社会主義に基づく施策の実現に努めたい」

社会『正』義だよw
276日本@名無史さん:2005/06/12(日) 09:28:53
筆頭は牟田口に変更。
277日本@名無史さん:2005/06/12(日) 17:56:18
近衛と細川の両総理は確か祖父孫の関係だと思うが、やっぱどっか似てるよな。
眼が細いところかな。
278日本@名無史さん:2005/06/12(日) 18:02:30
近衛ってあの近衛家なわけですか…そりゃすげーわ
279日本@名無史さん:2005/06/12(日) 19:38:27
近衛と細川の現当主は兄弟だろ。
280日本@名無史さん:2005/06/14(火) 00:23:07
近衛文麿を横に引き伸ばすと細川護煕
281日本@名無史さん:2005/06/14(火) 01:10:35
モリヒロは出目金っぽい目じゃないか
282日本@名無史さん:2005/06/14(火) 22:25:21
>>281
出目ではないマブタがはれぼったいのだ。
283日本@名無史さん:2005/06/15(水) 00:40:47
>>275
朝日だったかに、「社会主義」と誤植された
という記事を読んだ記憶がある。
ソースは確認できなかったけど。
284日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:34:16
>>267
近衛公の母親は公が産まれてまもなく死去し、
公は長いあいだ継母を実の母と思い込んでいた。
真実を知った時のショックは大きく、それ以来「世の中は嘘だ」と思うようになったという。
12歳で父篤麿が没すると、周囲の人間が掌を返すような態度をとった為人間不信に陥る。
近衛家の財政は苦しくなり借金とりまで来て頭山満らが追い払うという状況になった。
公は12歳にして人の世の冷たさをしり、
成長したのちにも当時の事は骨身に達して忘れる事が出来なかった。
285日本@名無史さん:2005/06/18(土) 13:40:27
近衛文麿と細川護煕⇒頬骨が出たとこが似てる。でも、母方の孫だろ
286日本@名無史さん:2005/06/18(土) 14:09:01
父方の孫東隆明もなんとなく面影ある
287日本@名無史さん:2005/06/18(土) 15:30:25
>>284
まさにマルキストになりそうなタイプだな。
288日本@名無史さん:2005/06/18(土) 22:11:41
イケメン度は近衛>>>>細川ぐらい差がある
289日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:33:10
>>287
まぁ間違ってないね。
しかしこれが同時に右翼に親近感をもつきっかけになったという事もまた見逃せない。
それで西園寺の庇護を受ける様になったんだから、
また話がややこしくなってくる。
近衛の育ちの複雑さがそのまま本人をして
「四方八方に受けがいいという事はどこにも真の支持者がいない事」
と言わせたような複雑な政治姿勢に結び付いている。
290日本@名無史さん:2005/06/18(土) 23:52:11
著矢部貞治の「近衛文麿」によれば、近衛は一高の文科には受かったが法科には落ちたらしいね。
近衛が東大哲学科から京大法科に移ったのはマルクス主義を学びたいというのもあったと思うけど、あのプライドの
高さも多少はあったんじゃないかと勝手に推測してみる。
291日本@名無史さん:2005/06/19(日) 00:26:28
一高文科卒業時の順位は、42人中23番だね。秀才でもなければ、落ちこぼれでも無い。
杉森久英「近衛文麿」に文麿公が一高時代に書いた手紙(風見謙次郎宛)が載せられていて、
彼の学生時代からの思想背景が読み取れて、なかなか面白い。

>近衛は一高の文科には受かったが法科には落ちたらしいね。
これは初耳ですな。杉森版の方だと、叔父の津軽英麿が法科を勧めたにもかかわらず、
かたくなに文科志望を貫き通したと書かれている。諸説あるのかな?
292日本@名無史さん:2005/07/05(火) 07:50:59
切腹と言う武士のやり方に迎合しなかったのは偉いね
293日本@名無史さん:2005/07/05(火) 10:25:40
服毒が単に一番苦しみがなく安らかだからだと思うけど
294日本@名無史さん:2005/07/15(金) 10:38:15
東條のプロパガンダ用ニュース映画は
ヒトラーと比べて面白くないが、
これが近衛だったら良いものが撮れていたと思う。
295日本@名無史さん:2005/07/15(金) 19:19:50
近衛は1919年?頃のパリ講和会議に出席して、
「持つ国と持たざる国の戦争」って世界観をもったからね。
「持たざる国が持つようになるには、現行世界秩序を破壊しなければならない。
それは持つ国にとって悪だが、持たざる国にとっては正義だ」
みたいな論文残していなかった?

そういうところが、西園寺の英米協調と相容れぬ反映米の右翼びいきになったんだろうけど。
296日本@名無史さん:2005/07/16(土) 20:04:19
>>295
今更そんな話題もちだすなよ
297日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:19:42
文麿さんは一高をでてるけど、あの時代は
東京高等付属中と一高はどっちがすごかったんですかね?
298日本@名無史さん:2005/07/20(水) 23:26:01
>>297の補足
>東京高等付属中



正確には東京高等師範付属中(現・筑波大付属高校)でした
299日本@名無史さん :2005/07/22(金) 22:24:47
今の筑駒と旧制一高を比べたらどちらが凄いのか、と言う質問でしょうか。
それとも、当時の東高付中と一高のどちらが優れているのかを質問されているのでしょうか。
前者を1、後者を2として分かる範囲で書き込みさせていただきます。

1.
一高は戦後の学制改革により、東京大学教養学部に組織を移行したので、高等学校の
筑駒と大学の一高では比ぶるべくもないでしょう。学校で習う範囲も、旧制高校では
教養面の科目が多く加わりますので、単純な難易の比較は出来ないかと思われます。
ただ、現代の筑駒生と一高生の頭脳は、両者とも拮抗するほど優劣付けがたい優れた
ものだと推測します。受験数学では筑駒の方が難しい気はしますが、それ以外の科目では
旧制高校が上だという気がします。芥川龍之介は無試験入学で一高に入りましたが、
合格通知が来るまでの半年間(不合格へ備えて)、毎日十時間を勉強に費やしていました。
不勉強な私には今の最難関受験生の勉強時間は知るべくもありませんが、この話を聞くと
余程の学習を必要とされたのであろうことは想像せられるのでは。

※芥川の時代は、中学卒業後、高校入学まで半年ほど空白期間がありました。
300日本@名無史さん:2005/07/22(金) 22:52:15
2.
こちらも1と同じように、中学校と高等学校では比べようがないと思われます。
戦前は東高付中やお茶女付中(現筑付)よりも、府立一〜三中などの公立校が
旧制高校への進学率が高く、従って教師陣も生徒も優秀な方が多かったようです。
戦後は国立の高校が実績を上げていき、1970年の都立高学校群制度の登場で、
公立高校は凋落の一途をたどり始め、私立国立に取って代わられる様になりました。
どこの学校にも優秀な生徒はいたかもしれませんが、全体的に見ると府立一中→旧制一高の
流れが当時のエリートコースでしたので、一高>東高付中になると思います。
また、一高は他の旧制高校よりも群を抜いた存在でした。
明治40年の合格者最低点は、
一高(553)三高(420)六高(365)五高(355)二高(353)七高(351)四高(350)
と他校を圧倒しています。戦前エリートの最高峰が一高生だったようです
いろいろ小ネタも書きたいところですが、この辺で失礼します。
301日本@名無史さん:2005/07/23(土) 19:29:33
>>299-300
302尾長黒猫:2005/08/07(日) 13:47:43
文麿のあだ名
303日本@名無史さん:2005/08/07(日) 22:53:03
>>300一高医学部(千葉大医学部)ってのは何ナノ?
304日本@名無史さん:2005/08/08(月) 01:47:22
陽明文庫や荻外荘はこの御方がお造りになったのでしょう。
しっかりと自分の血筋の価値や日本の歴史の重みが
分かる先祖がいてうらやましいわ。
どうか大切になさって下さいね。
間違ってもオークションに出したり、骨董品屋に売ったりしないで。
305日本@名無史さん:2005/08/08(月) 07:10:08
人が住んでるのを買ったんじゃなかったっけ>荻外荘
306日本@名無史さん:2005/08/08(月) 16:36:14
近衛さん背高いなあ
307日本@名無史さん:2005/08/09(火) 00:58:55
公家はみんな背が高いものなんだろうか。
308日本@名無史さん:2005/08/09(火) 03:37:49
>>307公家は知らんが大名系はやはり体格がごついですね!女の人でもでかい。
309日本@名無史さん:2005/08/10(水) 06:13:51
母が前田家。
あの身長は母方由来かも。
篤麿文麿あんまり似てない
310日本@名無史さん:2005/08/10(水) 11:08:08
衍子や慶寧は高身長だったの?
311日本@名無史さん:2005/08/11(木) 05:19:12
ほうほう
312日本@名無史さん:2005/08/11(木) 20:23:30
ごめん、スレタイ読んで吹き出した。
313日本@名無史さん:2005/08/12(金) 16:56:07
もし平時に首相を務めていたらその識見、能力、人脈で稀有な政治状況をつくりあげていたかもしれんな
314日本@名無史さん:2005/08/12(金) 21:34:10
でも結局は細川モリヒロのようになっていたのかな
どっちだろうな
315日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:18:11
近衛は東條罷免してでも開戦阻止すべきだったな。
316日本@名無史さん:2005/08/13(土) 00:59:01
>>315
近衛に東條を罷免する権限がないわけだが。
317日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:12:23
当時の状況からいって、天皇自ら統帥権もちだして立ち上がる
以外、撤退は無理かな
318日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:52:27
>>317
そこが近衛が昭和天皇を責めてる一番のとこだな
319日本@名無史さん:2005/08/13(土) 01:55:19
>>315は近衛が首相の時に東條罷免ってことだろう。
320日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:01:05
>>319
陸軍大臣は陸軍の推薦がいるから
実質的に近衛にはどうにもならないよ
321日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:03:26
>>316
陸相だったころの東条の発言は陸軍の意見でもあるから
仮に東条を罷免しても問題解決できない
322日本@名無史さん:2005/08/13(土) 02:07:19
近衛は常に陸軍の先手をとって政策を実行することによって
陸軍を抑え込むという独特な理論の持ち主だったな


確かに斬新な考え方だと思うけど、物凄く危い思考でもある
323日本@名無史さん:2005/08/13(土) 06:59:33
統帥部がもう一つやる気のないとき(支那事変初期)に限って強気だったりと
あべこべなんだよな、此人。
324日本@名無史さん:2005/08/13(土) 11:39:01
杉山陸相を板垣に替えてなかった?
325日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:25:45
>>323
広田、米内もそんな感じだ。
陸軍に引きづられてはならないと言う考えが裏目に出たのかもしれない。

>>324
だね。それは近衛の考えだ。
閑院宮参謀総長に伝えて、昭和天皇とも連絡を取って板垣を陸相にした。
この二人のご意向ともあれば統帥権は出てこない。
板垣は当時不拡大派の頭目で、にもかかわらず陸軍で人気があるという事で
人気がない為に下からの突き上げに応じてばかりの杉山の代わりに陸軍を抑えようという考えだった。
しかし、実際には板垣は東條次官の傀儡となって近衛の思ったとおりには行動してくれなかった。
原因としては、まず陸軍がやはり外部に陸相を変えられた事に不満を持って
板垣に実験が渡らないようにした事。梅津美治郎辺りが板垣を危険視して東條を次官にした。
確か板垣は石原莞爾を中央に呼ぼうとしたんだけど東條次官に邪魔された。
まぁこういうと東條は凄く悪いみたいだが、本人には悪気は無かったんじゃなかろうか。
おそらく梅津は東條を次官とすれば茫洋たる板垣は実権を持ち得ないと考えたのかもしれない。
そしてそれが後の近衛の梅津の周りにアカがいると言う考えにもつながったんだろう。
そして板垣は凄い茫洋とした人物で彼が不拡大派だったのは彼の周りにいた人間、おそらく石原などが不拡大派だった為で、
中央に来て取り巻きが変わると意見も変わった。
これは近衛の人を見る目の無さがまずかった。
板垣に会った事も無いのに人望があるからと陸相に望んでいたが、
実際に会うと「ぼんくらだ…」と思い昭和天皇にもそう上奏して呆れられた。

で、この閑院宮もよくわからない方だ。まぁ実際には傀儡だったんだろうけど。
仏印進駐の武力進駐派と共に東條にやめさせられているのは、やはり危険視されていたんだろうか。
326日本@名無史さん:2005/08/14(日) 00:50:16
当時の参謀次長多田駿は石原と考えを同じにする不拡大派であり、
杉山との間に深刻な対立があった。
風見章は前線にいる板垣を呼び戻すのには、多田に頼むのが一番いいと考えて、
それとなくカマをかけたが、多田は板垣には余り気乗りがしない風で、
後任には序列からいっても古荘幹郎が適当であると云う。
それで風見は多田に頼むのを諦め、同盟通信社ルートを使って板垣に連絡をつけた。

閑院総長宮はノモンハン事件の後、事件の責任を取ってしかるべきときに退任する
という意向を持ってたようだ。
327日本@名無史さん:2005/08/14(日) 07:05:54
うちのばあちゃんいわく近衛さんが出てきたとき
何かが始まるという期待を持ったといってた。
僕も中学のとき細川政権で何かが変わる
と思った。2人は半世紀以上の時間を越えて
似たような感慨をこの血のつながった両氏に
抱いたわけですなあ
328日本@名無史さん:2005/08/14(日) 16:25:06
俺も道長さんが出てきたとき何かが始まると思った。
329日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:31:44
俺も鎌足さんが台頭してきたとき俺の中で何かがこわれた。
330日本@名無史さん:2005/08/14(日) 19:02:35
俺も天種子命が神武天皇の即位式で寿詞を奏上したときry
331日本@名無史さん:2005/08/14(日) 22:04:25
>>319
帝国憲法下で首相が国務大臣を罷免する権限はないだろ。
332日本@名無史さん:2005/08/16(火) 01:43:41
この人のお墓て何処にあるの?
他の歴史上の人物と同じように
遺族じゃなくても参拝できるのですか?
333日本@名無史さん:2005/08/16(火) 03:01:31
>>332
有名な京都の大徳寺に近衛家廟所があるけど一般人は立ち入り不可のようだ。
334日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:19:48
近衛家って宮家よりも家格が上で
宮様も近衛家当主が道の反対側から来ると端によけて道を譲るのが慣例だったそうだ。
そりゃ廟所も一般人立ち入り禁止になるな。
335日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:48:15

近衛文麿 述懐
「自分が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なることを申し上げると、それに賛成されていたのに、
明日御前に出ると『昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することはないよ』と仰せられて、
少し戦争の方へ寄って行かれる。又次回はもっと戦争論の方へ寄っておられる。
・・・従って統帥について何ら権限のない総理大臣として、唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない。
・・・こういう状態では自分も手の施しようもなかったのだ」
(富田健治『敗戦日本の内側』)

336日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:49:16
暗記科目=クソ科目
337日本@名無史さん:2005/08/19(金) 20:55:01
>331
 確かに罷免させる権限はない。

 詳しくは内閣官制、内閣職権を参考にしてくれい
338日本@名無史さん:2005/08/20(土) 09:15:52
>>335
「近衛は自分に都合のいいことを言っているね。」

>>337
権限はないが勧告はできる。もちろん法的拘束力がないので言われたほうは拒否できる。
近衛が杉山から板垣に陸相を代えたときは、勧告以外にも閑院宮も動員している。
このような根回しに失敗すると、東條が岸にやられたように拒否されて総辞職ということになる。
松岡のときは勧告しても無駄だしアメリカの陰謀だのなんだのいいふらされりすると思って
総辞職したそうだが。
339日本@名無史さん:2005/08/23(火) 04:51:02
その無責任な性格から首相時代の実績にいたるまで、東條よりもタチが悪い
340日本@名無史さん:2005/08/23(火) 06:31:25
>>334 近衛家は五摂家筆頭でございますからね。
五摂家=摂政殿下、関白殿下になりうる家柄=PRINCE
宮家=親王殿下、王殿下=PRINCEで称号は同じ。
なお、近衛家は後陽成天皇陛下から別れた皇統。
傍流の宮家は崇高天皇陛下から別れた皇統で
実のところ天皇陛下とは近衛家の方が血筋が近い。
もう、文麿公のような気品とプライドに満ちた殿方はあらわれないの。
341日本@名無史さん:2005/08/23(火) 11:20:07
近衛が何回「首相辞めたい」と言ったか誰かカウントしてみてくれ。
342日本@名無史さん:2005/08/23(火) 18:31:11
>>341
「やりたくない」もカウントするべきだろう。
343日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:06:24
細川元総理も近衛の一族でございます。
344日本@名無史さん:2005/08/23(火) 23:59:45
もともと周りから担がれた御方ですからね。
文麿公「もういい首相やめる。」
先帝陛下「近衛はいつでもやめられるからよいね。」
御気楽で繊細な御公家さん。
摂関政治とはかけ離れた政党政治家にはむかないわ。
文麿公が高松宮殿下とあの計画を実行なさっていればどうなったのでしょうか?
この御方に会った米国人の回想禄に風格が凄いとかいてありましたわ。
御上をも自分と対等に置く御方ですものね。
皇太子殿下の事はどう思っていたのでしょうか?
345日本@名無史さん:2005/08/24(水) 01:21:48
>>342-342
東条が弱音を吐いた時には、内閣改造してでも続けろとか言ってるくせにねw
346日本@名無史さん:2005/08/24(水) 01:24:44
>>345
人それぞれに向いた仕事がありますから。
347日本@名無史さん:2005/08/24(水) 08:56:44
226の後、首相を断ったとき、確か「体調不良」が理由だったような。
この人なにか持病があったの?それとも仮病?
348日本@名無史さん:2005/08/24(水) 10:38:42
時々媚びへつらった変な文調の奴がくるな
349日本@名無史さん:2005/08/24(水) 17:45:09
>>346
そうそう。
責任のない立場での近衛の発言は、着眼点は元もだし、論旨も明快だしで
かなりまとも。
頭の切れる人だとは思う。
350日本@名無史さん:2005/08/25(木) 03:17:09
>>345
それって稔彦王に言ったやつのこと?
一応近衛は岸信介が頑張ってた時に四重臣で申し合わせて東條やめさせてるけど。

>>347
まぁ仮病だろうが、自分の体にはえらい気を使ってて、
果物は煮沸消毒したあと零度まで冷やした水で洗ってから食べていたそうだ。
351日本@名無史さん:2005/08/27(土) 13:55:49
>>347
352日本@名無史さん:2005/08/29(月) 17:44:39
>>217
>近衛はルーズベルトとのトップ会談による解決に全てを賭けていた。

首相になるの断り続けていたはずなのに、
なったらなったで、自分が大物だと思うところがまずいね。
相手を納得させるようなビジョンも権限も丸でないにも関わらず。

「爾後国民政府を相手とせず」も、大陸の状況を鑑みてと言うよりも、
蒋介石の事を格下と思っていたからでは?

>>335は反戦じゃなくて、自信がないだけだろう。
本心は東アジア連邦の首長(委員長?)になりたかったはず。

野心をうまく利用されたし、自分でも制御できなかったと思われ
353日本@名無史さん:2005/08/29(月) 17:53:49
354日本@名無史さん:2005/08/29(月) 22:25:07
>>352
なぜトップ会談というウルトラCに賭けなければならなかったのか、
会談でどのような提案をするつもりだったか
355日本@名無史さん:2005/08/31(水) 16:47:44
>>353
やっぱり財産税が大変だったから敷地の半分譲ったの?
356日本@名無史さん:2005/09/05(月) 04:30:28
>>354
天皇の勅令というこれまたウルトラCへの布石にはトップ会談が一番だと思ったんでしょう。
大本営政府連絡会議で承認されたものではアメリカが呑まないしまたのその逆もしかりだから
一度ハワイに逃げて勝手に交渉結んで勅令によって反対意見はいっきに封殺。
勅令とあれば東條は言うこと聞くだろうし、あの時の軍部の上層部は二・二六鎮圧のゴールデンメンバーだから
クーデターもなんとかできたでしょう。
まぁハルやルーズベルトがああだった以上どうやっても無理なんだけどね。

グルー
『近衛を先頭にし陸海軍の有力なひとびとをもふくんだ和平派は、天皇を介入させるという
未曾有の且つきわめて冒険的な方策−日本の降伏実現のため四年後に用いられて完全に成功した方策−に訴える覚悟であった』
357日本@名無史さん:2005/09/05(月) 11:40:13
福田和也は近衛の戦中の和平工作、近衛上奏を含めてあの点数をつけたんだろうか
358日本@名無史さん:2005/09/05(月) 12:23:25
>>357
あれは総理時代のことだけなんでしょう。
西園寺も総理時代何もしていないと書いて点数低くしてあるし、
高橋是清も財政では偉くても総理としてはたいして偉くないとか書いていた。

でも総理時代だけみても近衛の点と東條の点は変だと思うな。
おまけに細川は武家なのになぜか公家総理とか書いているし。
巻末対談での中西の西園寺評もおかしい。
鳥羽伏見の戦いで公家がみんな洞ヶ峠の時に
このままでは天下の大事が去ってしまうと発言に岩倉を大喜びさせた西園寺に対して
西園寺家は武家伝奏だったから岩倉みたいな勤皇の士とは違うとかなんとか・・・。
そして誰も間違いを正さない。

福田はポピュリストポピュリスト言っていたがむしろ福田自身がとんでもない文壇ポピュリストだね。
359日本@名無史さん:2005/09/05(月) 12:47:40
近衛は戦前は過大評価、戦後は過小評価過ぎる気がする
よって近衛の評価は過大と過少の中間にあるのではないか
360日本@名無史さん:2005/09/05(月) 17:03:18
>>356
外交交渉に期限を付ける決議しといて、
そんないいところだけ、しかも何も実現してない、観るのはいかがなものか?
361日本@名無史さん:2005/09/05(月) 17:07:02
南仏進駐してしまったのにアメリカとの交渉に期待を見出すところに
近衛の限界を感じる
362日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:19:02
マルセイユの日本軍か。素敵だね。
363日本@名無史さん:2005/09/05(月) 18:36:14
>>356
やはり、そういうつもりがあるのなら、
それまでにちゃんと下地を固めておかなければ。
南京と対話したり。
364日本@名無史さん:2005/09/05(月) 20:32:16
あの時代の「決定」は今の感覚で考えるとダメだよ
365日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:08:19
高橋是清みたいに殺されてないし、翼賛会だし、
当時の基準で考えても駄目でしょう。

ただ、憲兵にスパイされていたくらいだから、
軍部によく思われていなかったのは確か。

本当に弱い人…
366日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:13:12
親父の剛毅さの10分の1でもあればね。
篤麿は、日露戦争を前に腹を切る手術をしたとき、
麻酔で昏睡して国家機密をもらしてはいかんからと、
麻酔を使わず、お気に入りの相撲取りに体を抑えさせて
手術を受けたと、娘の夫の大山柏が書いてた。
367日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:17:24
>>365
まったく趣旨がズレてるが・・・
368日本@名無史さん:2005/09/05(月) 23:46:23
近衛は皇道派シンパだからね。
そりゃあ高橋是清みたいには殺されないよ。
369日本@名無史さん:2005/09/06(火) 00:12:38
篤麿はロシアに対しては日露戦争推進派であり
中国に対してはシナ保全だったけど
もし西園寺並に生きたとしたら英米に対してはどういう政策を
とっただろうね
370日本@名無史さん:2005/09/06(火) 01:22:58
『英米本位の平和主義を排す』にならないとも限らない…。
しかし、篤麿公が長生きしていたらというのは面白い。
「当今貴族社会の人材を数ふるもの、先づ(西園寺)候と近衛公とを挙げて近き未来に於ける総理大臣の両候補と為す。」
だから、西園寺が左を率い近衛が右を纏め政界に双璧を為せばあるいは国内の統率はうまく行ったかも知れない。
西園寺と近衛は顔見知りだしあまり暴力的な対立も無かっただろう。
371日本@名無史さん:2005/09/06(火) 21:45:40
>>345
それってこれのこと?

<近衛日記 昭和19年6月22日>

  東久邇宮は余に次ぎの如く語った。
  「東條も今度は弱ったようだ。とてもやっていけない、と言って来たので私は、『今絶対に辞めてはいかん。
  内閣を改造してでも続けよ』と言ってやった。私は東條に最後まで責任をとらせるが良いと思う。
  悪くなったら東條が皆悪いのだ。すべての責任を東條におっかぶせるが良い。
  内閣が変わったら責任の帰趨がぼんやりし、最後は皇室に責任が来るおそれがある。
  だからあくまで東條にやらせるがよい…」 と。
372日本@名無史さん:2005/09/06(火) 22:38:44
>>371
近衛じゃなくて東久邇宮が言ったってこと?
373日本@名無史さん:2005/09/07(水) 00:55:39
>>372
俺の知る限り、近衛周辺で内閣改造云々って話はこれしか知らない。
ただ、東條に責任をかぶらせるというのは近衛が東久邇宮に提案したもので、
この東久邇宮の発言もその提案の上で出たものだと思う。
「東條を他のものに代えることによって戦争を好転させえるならば、もちろん別であるが、しかしそうでないのなら、
せっかく東條もヒットラーと共に世界の憎まれ者に成っているのだから、彼に全責任を負わしめる方がよいと思う。
米国は皇室の責任を云々するかもしれないが、しかし、彼らには皇室という観念は乏しいし、
その上東條に全責任を負わせれば、天皇の責任ということについての彼らの関心を幾分弱めることができるかもしれない。」(細川日記)
という主旨の発言を四月東久邇宮にしている。


しかし、後にはやはり東條はやめさせなければいけないと語ったようで、東久邇宮は
「近衛との話合いで、東條内閣は変えた方がよいと思ったので、その方法を色々考えてみた。」(東久邇宮日記)
と発言している。
七月になるとはっきり東條内閣打倒となる。
理由としては、木戸が考えを変えだしたこと、岡田が動き出したこと、
レイテ、サイパンときて敗戦必至となったのに陸海軍が大きな方針転換を行わないことがあったようで、
七月二日に木戸に意見書を出している。
374日本@名無史さん:2005/09/08(木) 00:37:04
その辺りが馬鹿なんだよな。
東條のままなら変わるわけないじゃん。
375日本@名無史さん:2005/09/08(木) 13:55:34
基本的には打倒東條だったけどね。
上のは、戦況が不利になったからといって東條を変えても良くならないし、
戦況を好転させるため首相を変えるなどすれば責任問題がどこへ行くかわからないという論で
戦争継続派の東條への不満を意識したものだろう。

昭和十八年八月、近衛と岡田の対談では東條への評価は一致するが打倒への決意はならなかった。
「東條内閣のやり方ではどうにもならんということは全然同じだが、
然しこの内閣がいかんからといって積極的にこれを倒す方法はない。
それは近衛さんにも案がないということだった。」岡田
そしてその後も二人は打倒の方針を持ち続けるが、
岡田は近衛中心の宮中や文官を先頭に、近衛は岡田中心で海軍を先頭にやろうと思っていたので、
そっちがやれ。いや、そっちがやれという情けない争いになる。
近衛のブレーン、陸軍中将酒井鎬次
「敗戦は必至であり、戦闘は無駄である。東條は駄目、陸軍政権も駄目、
時局を救うには海軍政権を作るほかに途はない。」
岡田、昭和十八年十月
「ずるいことでは近衛さんが一番ずるいんだよ。海軍を責任者にしようとするのは無理だよ。
重臣懇談会でも私が海軍を何とかして海軍に倒閣をやらせようという考えかもしれんがそれは出来ぬ。」
まぁ結局木戸の考えが変わらなければ難しかった。

この争いがどうなったかは不明だが、重臣会議で小磯が次期首相かという時に
近衛は小磯・米内連立内閣ということを言い出している。
376日本@名無史さん:2005/09/08(木) 16:05:52
近衛は平時に総理を務めたら名宰相だったろうか?
377日本@名無史さん:2005/09/08(木) 20:15:05
人材を見る眼さえあれば。
378日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:26:39
>>376
まさか
379日本@名無史さん:2005/09/08(木) 22:34:27
>>376
名宰相だったかもしれないが
結局は細川モリヒロだったかも


このどっちかだろうな
380日本@名無史さん:2005/09/09(金) 16:37:15
この人は政治評論家がお似合い。責任のない立場で物知り顔で文句だけたれてインテリぶっている
のがちょうどよい。
381日本@名無史さん:2005/09/09(金) 19:50:29
高踏的批評家というあだ名もあったな。
382日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:11:17
>>379,380
頭は切れるが実際にやらせてみるとてんでダメってタイプだよね。
383日本@名無史さん:2005/09/09(金) 22:23:54
>>379
細川さんは記者会見でなんかミラーを導入したり
サミットにマフラーを巻いて行ったり見た目ばっかり気にしていたイメージがあるなぁ
384日本@名無史さん:2005/09/09(金) 23:30:57
文麿で気になるのは自分の子供への関心の薄さ。
文隆を心配してやっている言葉とかあったのだろうか。
娘の昭子に
文隆はアメリカへ留学させたがお前が男だったらソ連へ留学させる。
将来米ソが世界をわけるから、
両国から情報が仕入れられるようにして政治をやる。
と、いったそうだが、子供への愛情というものがちっとも感じられない発言だね。
385日本@名無史さん:2005/09/10(土) 01:10:52
>>353 荻外荘には文麿公の次男が住んでいるのではないの?
386日本@名無史さん:2005/09/10(土) 15:52:15
>>385
同じ建物を半分づつに分け、
一方は近衛通隆宅、一方は天理教宿舎になってる。
387名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:52:54
近衛さんて天理教信者??
388名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 18:15:23
>>385
天理教のは移築だよ、よく読め。
389日本@名無史さん:2005/09/12(月) 21:09:06
吉田茂が近衛夫人を気遣って荻外荘の部屋を借りていたこともあったらしい。
近衛が自殺した部屋に寝泊りしていたので、近衛夫人あたりに気持ち悪くないかときかれると
「近衛の幽霊が出たって怖くない。」
と冗談を言ったそうだ。
390日本@名無史さん:2005/09/15(木) 21:05:28
近衛家の血筋は優秀だよな
文麿(昭和史の主役、三度の組閣)
文隆(ゴルフの達人)
通隆(東大教授)
細川護煕(55年体制撃破、首相)
391日本@名無史さん:2005/09/16(金) 00:50:43
>>390
sugeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee
392日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:28:26
文麿長女昭子って島津忠秀との間に数人の子がいたらしいけど野口晴哉との間には子供はいたの?
また喪主は誰がやったの?
393日本@名無史さん:2005/09/17(土) 11:28:59
でかパイ
394日本@名無史さん:2005/09/23(金) 13:16:04
現在東京都内で個人の邸宅として最も敷地が大きいのは近衛家の荻外荘だろうか?
395日本@名無史さん:2005/09/23(金) 14:23:15
396日本@名無史さん:2005/09/23(金) 14:51:31
>>394
都内て…23区内にしないと話にならない。
397日本@名無史さん:2005/09/23(金) 15:08:46
>>396
詳しく
398日本@名無史さん:2005/09/24(土) 01:59:33
ttp://www.buaiso.com/koyu/kokoro/08.html

《悲劇の政治家の標本みたいにいわれている近衛文麿氏も、私には非常に印象の深い人である。
近代の政治家であの人ほど頭脳明晰だった人は少かったろう。しかしおしむらくは、公卿の特性として決断力にはかけていたように思う。
一面気の弱かった反面に、またとても常人には考えられない一種特有の図々しさというか、盲者蛇におじず的のところがあった。
例えば、終戦前に天皇と対談中に足を組むなんていう態度で話をした「臣下」は、他には一人もいなかったと聞いている。
おそらく今でも一人もいないのではないだろうか。また近衛内閣の時に、右翼の動向に腹をたてて当時泣く子もだまるほどの絶対貫禄の持主、
頭山満翁を呼びつけたという一幕も、あの時分に政治家で頭山翁を呼びつけるなんていうことは、はなれわざどころの騒ぎではなかった。
頭山翁との会談一回だけで、右翼の動きは一ペんにおさまったのは、御両人ともさすがであると、感心したことを今でもおぼえている。
そんな強気の反面、自分の子供にすら小言を言えなかったような弱気の面もあった。
この弱気さはほとんどだらしなさに通じるものであった。戦死した長男の文隆はとても可愛い奴であった反面、一種の不良性も充分に持ち合わせていた。
この長男に全然面と向って小言が言えなかった。文隆にこういってくれ、ああいってくれ、とよく御用命を仰せつかったものだ。
ある時、麹町永田町の私宅の二階で文隆をつかまえてどなりあげていた最中に、御自身二階にあがってきて、
私のあまりの剣幕に、「そんなにいわなくても文隆はわかるよ」と泣きをいれたので「これはもともと、あなたの指図でやっているのですよ」
と暴露したところ、ほうほうの体で階下に逃げさったような滑稽な場面もあった。》


(白洲次郎「吉田茂は泣いている」より)
399日本@名無史さん:2005/09/24(土) 10:22:44
>>398
> しかしおしむらくは、公卿の特性として決断力にはかけていたように思う。

トップとしては一番大切なことの一つなんですが…
400日本@名無史さん:2005/09/24(土) 11:27:10
高輪の高松宮邸はだいたい6000坪らしいけど
荻外荘はそれよりも大きいだろうか?
401日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:02:35
近衛氏は、故吉田茂首相も言及したように、それ程批判をあびなきゃいけない人物か?
時局を誤ったのは確かだけど。
402日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:12:38
日中戦争を早期解決できず泥沼化。そのうえ、三国同盟でドイツと結び、
仏印進駐までやったら、向こうから見て戦犯は免れまい。

まあ、日本国民から見ても戦争責任を追及したくなるよな。
403日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:21:43
結局、この人は宮中に入って侍従長でもやるのが分相応だったかと。
内大臣でも、天皇にまちがった助言して国を誤るだろうしw
404日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:23:24
>>401
しかし、決断力と責任感がない人間が、
明治維新以来の難局に三回も組閣して失敗しているもんなあ。
明治維新の前に遡ると関が原までない難局なんじゃないの?

ただ>>1によれば、渡部昇一は戦犯と言っているみたいだけれど、
決断力と責任感がないことは犯罪じゃないからね。

無能だ!って罵られているんだよね。
国のトップなんだからこれくらい当たり前では?

まあ選んだ奴も悪いが。
405日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:24:22
東條氏や戦前のさばった右翼テロリストには怒りを感じるが、近衛氏には悲哀感が漂う。
406日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:31:14
近衛文麿は無能だったと批判する気持ちはわかるが、渡辺の認識はや誤りの気がする。
407日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:40:13
>>401
吉田は口が悪いからね。
でも彼が書いた『思い出す侭』とかには近衛の話がいっぱい出てきていて
本心から嫌っていたとは思えない。
408日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:50:55
近衛は平時に首相を務めていたならばその識見、幅広い人脈、優れた政治手腕により
稀有な政治状況をつくりあげていただろう
409日本@名無史さん:2005/09/24(土) 13:53:46
吉田氏が、近衛氏はそれ程悪くないと表現した。吉田氏は近衛公をかばっていた。
私のつたない書き込みが、吉田氏が近衛公に批判であるかのような誤解を与えたようだ。
410日本@名無史さん:2005/09/24(土) 14:00:29
>>409
ああ…そうでしたか。勘違いして申し訳ない。
鳥居民の『日米開戦の謎』で
吉田がある人の「近衛公と慶喜公は似ていないか」との質問に対し
「慶喜公は立派な方で比較にならない」と答えたという話がのっていて
鳥居氏は吉田はこういう風に言わなくてもよかったのではないか、と書いていたので
これのことかと思ったよ。
411日本@名無史さん:2005/09/24(土) 15:04:06
だって、慶喜は江戸幕府を滅亡に導いただけで、
日本全体にとってはよい内乱回避だったから。

近衛は、日本滅亡寸前の、皇国(wの歴史始まって以来の占領だからね。
状況は違えど、慶喜が出来たことが、近衛には出来なかった。
その結果責任を国のトップは負うべきだ。

ただし本人だけの責任じゃないし、
決断力と責任感がないことは犯罪じゃないからね。
関東軍の暴走、二・二六などのテロは明確な犯罪だけれど。

その上個人的にも知っているので、同情的なのだろう、吉田は。
412日本@名無史さん:2005/09/24(土) 15:13:58
首相はさっさと一回で辞めて、西園寺みたいな上からの助言役に徹すればよかったのに。
413日本@名無史さん:2005/09/24(土) 15:15:57
>>402
近衛はそれが自分の責任だという自覚が全くなかったと思う。

一度統帥権について天皇と腹を割った話をすべきだったと思うが、
「足を組む(>>398)」事はできても、それが出来ないのは、無能と言わざるを得ない。

しかも、後から天皇がもっと積極的にやって欲しかったなんて言う奴だよ。
その時に自分が動け!

これは頭はよいが責任感はない人間の特徴である。
結果が良い時は自分の手柄だと思う。ところが、失敗した時は、
自分の能力に自負が大きいので、他の人と協調して問題に当ることができない。
414日本@名無史さん:2005/09/24(土) 16:30:17
この人を批判するのは当時の政治の水面下をよく知った上でないと恥かくよ
今と同じようなシステムで内閣が動いていたわけではないからね
少なくとも一般に言われているほど無能でもないし批判されるべきでもないと思うけどね
415日本@名無史さん:2005/09/24(土) 16:46:53
誰も無能だ、なんて言ってない
ただやることなすことすべて裏目に出ただけだ
416日本@名無史さん:2005/09/24(土) 18:48:39
>>414
近衛は無能。
家柄と親父の名声だけで首相になった。それだけ。
417日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:13:03
近衛は無能じゃないよ
むしろ近代政治家の中じゃぴか一の頭脳の持ち主だと思う
ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ
そして時代にも恵まれなかった
418日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:22:51
先生!
深く考えないで安易に決めていく人って、無能じゃないんですか?
419日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:23:26
>>417
>ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ
それ、無能だろw
420日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:24:06
かぶった・・・・・
421日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:26:02
>>417
>ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ
(; ・`д・´)
422日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:35:22
>>417
> ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ

orz

近衛も>>417も無能だと思う。


423日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:46:43
ちょっと視点を変えて、
「首相時代の」近衛の褒められるところを、
・公になった言動
・水面下での動き
の双方について列挙してみませんか?
(ちなみに問題あるところを挙げるときりがないくらいありますよね…)

前者については、
・盧溝橋事件後の閣議で「不拡大方針」を確認
・その後の国会では「事件不拡大」と発言

後者については
・密使を使って中国(宋子文)と和平交渉

後は何がありますか?

首相時代に限らないなら、終戦工作が非常に大きいですよね。
424日本@名無史さん:2005/09/24(土) 19:52:29
終戦工作って功績にはいるか?
結局は原爆落とされてあわててポツダム受諾したわけだし
425日本@名無史さん:2005/09/24(土) 20:00:23
んだんだ
426日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:02:19
>>424
受諾できる体制を整えていたし(東条の本土決戦準備のための畑首相就任論を退け鈴木貫太郎を推した)
高松宮とともにまだ降伏の条件を取り付けたがっていた軍部を抑え
国体以外は無条件でとっとと宣言を受諾するよう言っていたから
この辺は功績に入るだろう。
427日本@名無史さん:2005/09/24(土) 21:43:25
>>417
> ただ深く考えないで安易に決めていってしまっただけ

近衛は、東アジアに大英帝国のような大日本帝国を打ち立て、
その首長に君臨しようという野望があったのでは?
そして緩やかな侵攻、併合、傀儡政権擁立は容認する考えだったのでは?
そう考えると、首相時代の失策の全てに説明がつくと思います。

アメリカ、イギリスが東アジアの覇権を諦めて、日本の邪魔をしなければ、
朝鮮併合のように平和裏に(これは異論のある言い方でしょうけど)、
東アジアを統一して、各連邦国の近代化を成し遂げられると思っていたのでしょう。
428日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:15:33
>>427
>その首長に君臨しようという野望があったのでは?
それ、天皇以上の存在だね
429日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:46:24
>>426
>受諾できる体制を整えていたし
降伏の条件を取り付けたがっていた軍部を抑え




それは鈴木貫太郎翁の功績だ
430日本@名無史さん:2005/09/24(土) 22:52:10
こっちに功績があればあっちにはないって問題じゃないから
431日本@名無史さん:2005/09/25(日) 00:54:27
親父が偉すぎたんだよ。おまけに早死にしちゃったから
息子に過度の期待がかかった。
432日本@名無史さん:2005/09/25(日) 06:41:46
>>428
そうですね。天皇は世襲だけれど、
血筋として遜色ない自分は選ばれて首相になった、
こういう自負が近衛にはあったんじゃないですかね。

> 息子に過度の期待がかかった。

当時の新聞見ると颯爽たる登場って感じですね。
批判的な言論も少なからずあったようですが。

433日本@名無史さん:2005/09/25(日) 13:40:09
戦前、昭和天皇と対面で話すとき、椅子に深く腰掛けたのは近衛だけって話もあるね。
434日本@名無史さん:2005/09/25(日) 17:47:19
近衛は天皇を除いたら自分が一番偉いと思っていたわけだから、
シナ事変の声名にしろ、三国同盟締結にしろ、国家総動員法にしろ、
天皇の次に偉い自分がいざ本気をだして動けばいくらでもひっくりかえせると思ってたんだろうね
だからよく考えず次々と決めていったんだろうね
435日本@名無史さん:2005/09/25(日) 18:51:42
>>423
総理の時のいいところを挙げよと改めて言われてもなかなか思いつかないね…
436日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:15:08
>>423の他は、
・軍部と内閣の情報流通のために大本営内閣連絡会議を設置 (第一次; 機能せず)
・大政翼賛会発会式での演説による会の死児出産 (第二次; もともと近衛新党)
・ルーズヴェルト大統領との頂上会談工作 (第三次; 時遅し)

くらいかなあ。いいところ全然ないなあ。

>>417>>427
幣原によれば、近衛は仏印進駐が戦争を招くとは思っていなかったんでしょう?
感覚が麻痺しているね。やはり東アジアへの覇権願望があり、
欧州は今大変だし、この程度なら問題ないだろうと漠然と思っていたはず。
437>>435-436:2005/09/25(日) 19:16:08
駄目だわ、近衛まさに無能だわ。
438日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:20:51
>>436
>欧州は今大変だし、この程度なら問題ないだろうと



問題ではないと思っていたところに近衛の限界を感じる
439日本@名無史さん:2005/09/25(日) 19:32:11
>>438
そうだね
そこに限界感じるね


この人何か重要な局面になると自分の思想というか常識というか自分の範囲内だけで
決めてる気がする
これはやっぱりお偉さんの特徴だと思うけど
現実性が全くないんだよ
440日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:13:26
>>436
> 幣原によれば、

これでしょ。

(幣原喜重郎「外交五十年」p203-204)

 近衛公は私に向かって、「いよいよ仏印の南部に兵を送ることにしました」
と告げた。私は、「船はもう出帆したんですか」と訊くと、「エエ、一昨日出
帆しました」という。
「それではまだ向こうに着いていませんね。この際船を途中台湾か何処かに引
戻して、そこで待機させるということは、出来ませんか」
「すでに御前会議で論議を尽くして決定したのですから、今さらその決定を翻
すことは、私の力ではできません」との答えであった。
「そうですか。それならば私はあなたに断言します。これは大きな戦争になり
ます」と私がいうと、公は、
「そんな事になりますか」と、目を白黒させる。私は、
「きっと戦争になります。それだから出来るならば途中から引き返させて、台
湾か何処かの港に留めておきワシントンの日米交渉を継続して、真剣に平和的
解決に全力を挙げられたいものです。しかしもう日本軍がサイゴンか何処かに
上陸したならば、アメリカと交渉しても無益ですから、それはお止めになった
らよいでしょう。交渉を進行する意味はありません」というと、公は非常に驚
いて、
(続く)
441日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:14:09
「それはどうしてでしょうか。いろいろ軍部とも意見を戦わし、しばらく駐兵
するというだけで、戦争ではない。こちらから働きかけることをしないという
ことで、漸く軍部を納得せしめ、話を纏めることができたのです。それはいけ
ませんか」というから、
「それは絶対にできません。見ていて御覧なさい。一たび兵隊が仏印に行けば、
次には蘭領印度(今のインドネシア)へ進入することになります。英領マレー
にも侵入することになります。そうすれば問題は非常に広くなって、もう手が
引けなくなります。私はそう感ずる。もし私に御相談になるということならば、
絶対にお止めする外ありません」
 ジッと聞いていた近衛公は顔面やや蒼白となり、「何か外に方法がないでしょ
うか」という。「それ以外に方法はありません。この際思い切って、もう一度
勅許を得て兵を引き返す外に方法はありません。それはあなたの面子にかかわ
るか、軍隊の面子にかかわるか知らんが、もう面子だけの問題じゃありません」
と、私は断言したのであった。

http://www.geocities.jp/since7903/Syouwa-kyukenpou/40-Konoe-vol3.htm

近衛って馬鹿じゃないの?
442日本@名無史さん:2005/09/25(日) 20:56:29
>>423
どこが褒められる事なの?
日本は対ソの軍備整備で忙しいし、誰も戦争しようなんて思ってないんだから
不拡大なのは当たり前。
拡大したかったのは中国側だろ。
443日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:10:04
>>442
たいして褒められることじゃないけれど、

> 日本は対ソの軍備整備で忙しいし、誰も戦争しようなんて思ってないんだから
> 不拡大なのは当たり前。
> 拡大したかったのは中国側だろ。

何にも知らないのね。
その後どういう予算措置が行われたか。
「北支事変」を何という名前に呼称変更したか。
444日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:10:16
ここ数十レスで何度も書いてる人華族スレで顰蹙かってた人と同じ?
445世界@名無史さん:2005/09/25(日) 21:12:52
晒しage
494 :日本@名無史さん :2005/09/24(土) 22:03:18
>>488が正しいこと言ってるのに、その後で相変わらずの馬鹿カキコしてる>>490>>493は低脳だな。
446日本@名無史さん:2005/09/25(日) 21:15:20
>>443
おまえさん、どうしてそんな書き方しかできんのかね?
447日本@名無史さん:2005/09/25(日) 22:00:07
443が痛いところ突いたから、暴れちゃったじゃないか…
448日本@名無史さん:2005/09/27(火) 20:17:48 0
近衛忠大さんの結婚相手って旧久邇宮の方なの?
449日本@名無史さん:2005/09/27(火) 20:21:15 O
二代続けて宮家?
450436:2005/09/28(水) 08:27:44
誰か他にもいいところ挙げろよ。
451436:2005/09/28(水) 08:34:48
>>442,444-446
ウザッ!
452日本@名無史さん:2005/09/28(水) 22:18:38
>>423
> ・盧溝橋事件後の閣議で「不拡大方針」を確認
> ・その後の国会では「事件不拡大」と発言

どうだかなー。
その後がひどいからなー。 > 中国のせい発言、予算増強、和平反対、相手せず発言

どういうつもりで言ったのかよく分からない。
誰か説明してよ。
453日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:28:23
個人の気まぐれのみで声明を出すわけではないということ
454日本@名無史さん:2005/09/30(金) 12:12:32
東亞新秩序声明で完全に米英を敵にまわしてしまったのが一番でかい。
むこうはあれを米英排除とアジア制覇宣言と解釈して、経済制裁と援蒋を開始する。
455日本@名無史さん:2005/09/30(金) 16:43:12
「英米本位の平和主義を排す」もあるしなあ。

>>453
「不拡大」の方が近衛の本意じゃなかったと思われ
456日本@名無史さん:2005/09/30(金) 19:08:11
不拡大が本位でつよ
457日本@名無史さん:2005/10/01(土) 03:01:24
1972年に出た岡義武の『近衛文麿』、現在では無視されがちな部分も書かれており、
読んだ俺は近衛に擁護的だと思ったが、当時これを読んだ人の意見は違ったようだ。
リベラルよりの学生だった人はこの本は近衛を告発、批判したものとうけとり、
戦前近衛と近かった人は当時の近衛観と今の近衛観は全然違うのだ、という風に語っていた。
つまり、岡の本が出る前の時期は近衛はそんなに悪いと思われていなかったわけだ。
しかし今ではその岡の本よりさらに近衛に批判的な意見はざらにあるわけで、
岡以前、近衛の評価は相当良く、今はかなり悪いということになる。
おもしろいもんだね。
458日本@名無史さん:2005/10/01(土) 09:27:29
朝日新聞に書いた近衛の手記、皇族であることの影響が強かったんじゃないか?
軍部への反感からの近衛への相対的な好意感情もあっただろうし。

幣原その他が書き残した生の発言を読むと、
軍部に押し切られただけではないもんね。近衛が推進した部分も多い。
459日本@名無史さん:2005/10/01(土) 12:01:01
>>457
漏れも岡本読んだとき物凄く擁護してると思ったよ
でもそんな背景があったのか・・
460日本@名無史さん:2005/10/01(土) 14:15:30
あったあった。

>●―東大では。
>平松 岡義武さんのゼミで、岡さんの家には何回も行って。あの人の『政治史』は、今でも時々読みます。
>引用もおもしろい。小説的だしね。
>最近岡さんの、『ロンドン日記』もおもしろい。奥さんにあてた手紙も全部書いてあってね。
>戦後では、『近衛文麿』。この本で近衛さんを辛辣に批判している。
>岡さんは客観的立場に立ち自己抑制のきいた人ですが、
>近衛さんのために日本は間違ったんだということですね。

岡は1939年に東大教授になっていたから丁度近衛と同じ時代を生きたわけだ。
近衛と多少の親交があった矢部貞治とは違い、岡はさめた眼で見ていたんだろう。
しかし、近衛と同時代を生き批判的だった人が自己抑制し客観的に書いた本が
あの『近衛文麿』であるなら、やはり今現在近衛は悪くいわれすぎではないかと思う。
461日本@名無史さん:2005/10/01(土) 16:02:04
近衛は政治家になるべきじゃなかった
宮内大臣とか侍従長、もしくは高等政治批評家、歴史家になるべきだった
462日本@名無史さん:2005/10/04(火) 14:41:17
細川護貞氏死去。享年93歳。
463日本@名無史さん:2005/10/04(火) 19:15:13
>>455
「英米本位の平和主義を排す」ばかり注目されるが、
「新日本の姿を示せ」というものもある。
ここでは
アメリカは満州国だけなら認めるだろうが、中国本土に手を出さないか心配しているので、
日本としては中国本土に手を出すべきではない、手を出せばアメリカとの関係が悪化し満州国も駄目になってしまう
ということを言っている。
464日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:58:48
じゃあ、さっさと和平すれば良かったのにな。
現地で勝手にやるなっていうだけじゃなくて、
出来るだけ有利な条件を得ようとしているもんな。
本人の言葉として証言が残っちゃってるもんな。
465日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:09:24
>>464
そんな簡単にできるものなら誰も苦労せんわ
466日本@名無史さん:2005/10/05(水) 12:00:24
近衛は戦争回避したいのか、
自分が主導権握りたいだけなのか、
日中戦争の辺りははっきりしないな。
やっかみもあったと思うが、宇垣が「時局の波に乗るのが巧み」と揶揄したのも分かる。

終戦の事は分かりやすいんだけれど。
467日本@名無史さん:2005/10/05(水) 19:47:06
「新日本の姿を示せ」は昭和九年だが、
翌年には現地軍が華北五省分治案にもとづいて本土に手を出そうとしはじめた。
岡村寧次は華北五省分治案をやめておけば中国との戦争はせずにすんだとしている。
もっとも昭和十二年には分治策を放棄した第三次北支処理要綱ができるが
これには現地軍からの反対が強かった。
468日本@名無史さん:2005/10/06(木) 09:21:58
昭和に入る前に統帥権の問題について危惧を表明したいたはず。
とはいえ憲法改正なくして、首相になったのだから、
統帥権問題を回避するため、天皇と連携して軍をコントロールしようとしたかというと… orz
469日本@名無史さん:2005/10/06(木) 22:36:28
必要な件に関して統帥事項であっても予め内閣に知らせてもらえないかと上奏
天皇は総理と外相にのみ必要な事項を伝える旨を了承
但し、天皇に質問等はできず
470日本@名無史さん:2005/10/08(土) 14:38:17
一応、コントロールの為に大本営設営と首相の参加をやろうとしたが、日清の先例があるのに拒否され、
連絡会議が開かれるにとどまった。
471日本@名無史さん:2005/10/08(土) 16:22:13
まぁ、近衛がもし首相にならなかったとしても
誰かが同じことしたんだろうな
まさにあの時代の流れの運命だったんだろうな
472日本@名無史さん:2005/10/09(日) 05:13:33
近衛は北支派遣決定の閣議では無言だったそうだが…
473日本@名無史さん:2005/10/09(日) 19:33:23
>>472
その時以外にも閣議その他でほとんど発言していなかったみたい。
もっとも、これは大日本帝国では普通のことだったようだが。
東条も開戦前の連絡会議ではほとんど喋ってない。
474日本@名無史さん:2005/10/09(日) 20:21:58
「この人の浅はかさと『ええかっこしい』で日本はしなくてもよい戦争をしてしまった」





というレスをどこかで見たことがある
475日本@名無史さん:2005/10/11(火) 20:47:45
それ、近年かなり一般的になってる評価じゃない?
近衛への評価の変遷ってのも面白いね。
通史でも最近のシリーズでは近衛への評価は概して低いと思う。
476日本@名無史さん:2005/10/11(火) 22:06:48
昔:聡明だが意志が弱い
今:ただの馬鹿

という感じだな。
まぁ、ここら辺は旧軍をどう扱うかと言うイデオロギーにモロに関わる部分だからね。
477日本@名無史さん:2005/10/15(土) 03:13:14
護貞侯が情報局総裁の伊藤述史氏のメモを出したいと言ってたがあれは結局どうなったんだろう?
478日本@名無史さん:2005/10/15(土) 16:27:55
昭和天皇が吉田茂に話したとされる
「東條は実直な人間である。〇×はいかさまである」の〇×って誰?
東條と並べることができるのは近衛と石原くらいなんだけど。
479日本@名無史さん:2005/10/15(土) 19:11:19
>>476
いわゆる「試験秀才」への風当たりが強まってるのと関係あるのかもね。
480日本@名無史さん:2005/10/15(土) 19:16:58
詳しく
481日本@名無史さん:2005/10/15(土) 22:21:44
>>478
何に載ってる??
482日本@名無史さん:2005/10/16(日) 00:57:27
近衛がやたらカコイイでむぱ腐女子サイト。
http://www.geocities.jp/skgmn435/page019.html
このページの近衛の発言に注目。
有価、こんなこと言うかゴルアー!
これだからブヨサヨ女は
483日本@名無史さん:2005/10/18(火) 04:20:30
>>481
忘れた。
たしかちくまの文庫になった吉田の本。
484日本@名無史さん:2005/10/18(火) 13:35:22
吉田茂の本ってほとんど中公じゃない?
もしかして吉田健一?
485日本@名無史さん:2005/10/18(火) 15:40:14
そう言われてみると
保阪正康「吉田茂という逆説」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122042070/
だったかも。

いずれにせよ本棚に見つからなくて確認できん。
486日本@名無史さん:2005/10/18(火) 15:43:44
近衛文麿ッてかッこいいの?
487日本@名無史さん:2005/10/18(火) 16:31:03
かっこいい方だと思う
488日本@名無史さん:2005/10/19(水) 12:05:07
顔はね。生き方は…水曜どうでしょう。
489日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:32:34
一高受かってるから頭いいんだね
490日本@名無史さん:2005/10/21(金) 00:49:16
山本有三が学習院中等科→高等科→京都帝国大学と無試験で行けるのに
わざわざ公爵で一高に行ったのは近衛ぐらい、と書いていた。
成績は(一高は席順で成績がわかる)中くらいだったそうだ。
491日本@名無史さん:2005/10/21(金) 19:29:00
日本最高の家柄に生まれ、血統のカリスマであり深窓の御曹司、人もうらやむ体躯・容貌、頭脳の明晰さ、偉大な父・・・

この人は本当にすべてを兼ね備えて生まれてきたんだな

492日本@名無史さん:2005/10/22(土) 11:54:02
全部チャラになったけどなw
493日本@名無史さん:2005/10/22(土) 16:54:42
>>491
やばいほど恵まれすぎているな
494日本@名無史さん:2005/10/22(土) 22:43:58
運動神経も良く、学習院中等科では陸上のエースだった。
その噂は一高の陸上部でも有名だったので、彼らは熱心に勧誘したが、
近衛を見込んで彼の教育役を買って出ていた山川健次郎が反対した。
(男爵。東京、京都、九州三帝国大学の総長。日本初の理学博士で、
多くの科学者の教育にあたり日本物理学界の基礎を築いた。
後に東郷平八郎と共に平沼騏一郎の国本社副会長となる。)
一高陸上部も引き下がらずに彼のもとへ赴いて説得を試みたが、
何せ山川は大正デモクラシーを腐敗と言い切る人なので、
「摂関家筆頭の家に生まれたお方を馬のように走らせるとは何事か!!」
と部員らを叱責したため近衛の入部は無しになった。
一高の同期は芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、山本有三、土屋文明。
495日本@名無史さん:2005/11/09(水) 15:16:32
この人の子孫が細川首相だよね
496日本@名無史さん:2005/11/09(水) 17:14:01
司法試験はどうなったの?
497日本@名無史さん:2005/11/09(水) 17:22:51
ヤバくなるとすぐ逃げる。恥摂家
498日本@名無史さん:2005/11/09(水) 19:30:33
>>497
それは口にしてはいかん!!消される
499日本@名無史さん:2005/11/09(水) 21:19:25
近衛は政治家としてはいろいろと問題のある奴だったんだろうけど
普通に付き合ったらきっといい奴だったんだろうなぁ
500日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:31:23
>>499
いい奴なのに友達が全然いないのか?
501日本@名無史さん:2005/11/09(水) 23:53:45
名門の家柄に遠慮して誰も近づかなかっただけじゃね?
502日本@名無史さん:2005/11/10(木) 01:21:05
>>500
学生時代は友達と一緒に西園寺邸に入り浸ってたらしいよ。
まあ、その友達ってのが原田熊雄と木戸幸一なんだが…。
503日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:19:28
メンピンのフーミン
504日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:22:46
その三人の共通点は「友達がいない」こと。
505日本@名無史さん:2005/11/10(木) 02:44:14
矢部貞治だったかな?
付き合う人間は多かったが
近衛が彼は自分の友人だと思った人は少なかっただろうと書いている。
久留米藩主家の有馬記念でお馴染みの有馬頼寧は
自分のような武家には部下を信頼するという気風があるが、
摂関家には無いので近衛は他人を信用しないとしている。
まぁ吉田茂とか白洲次郎とか色々難しい人間が
近寄ってくる辺り人付き合いは良かったんだろう。
平気で人を見捨てたこともあったが。
506日本@名無史さん:2005/11/15(火) 12:28:13
寝床で、横向きに寝ながらメシを食うという健康法をやってたそうだ。
507日本@名無史さん:2005/11/15(火) 13:00:05
近衛が日本最高の家柄ってことらしいけど
清華家はどうなの?
天皇と謁見できたりできる家柄?
508日本@名無史さん:2005/11/19(土) 09:03:43
徳大寺、西園寺、三条、醍醐などは清華家
509日本@名無史さん:2005/12/04(日) 23:38:07
加藤陽子は近衛を物凄く評価してる

この人が近衛のことを書いてる文章ってたいてい
「優れた容貌と緻密な頭脳を持って生まれた近衛文麿は・・・・」ってこの文言で
始まってる気がする
510日本@名無史さん:2005/12/06(火) 00:50:08
容姿と聡明さには言及する人はかなり多いと思うよ。
511日本@名無史さん:2005/12/06(火) 03:20:12
容姿??????????
512日本@名無史さん:2005/12/06(火) 04:30:43
>>482
広田弘毅になんか恨みでもあるのか、その作者は。
まぁ、やたら面白かったが。
513日本@名無史さん:2005/12/30(金) 23:26:28
ふーみん、かっこいいんだけど顎がないのがマイナス
514日本@名無史さん:2006/01/13(金) 14:32:23
今でも九条家と仲悪いの?
515日本@名無史さん:2006/01/26(木) 06:00:39
近衛公は歴代首相の中では最も品があるね。
516日本@名無史さん:2006/01/26(木) 13:36:37
>>515そうか?写真見た感じだと加藤友三郎、清浦奎吾、若槻禮次郎あたりが風格がありそうに見えるがな
517日本@名無史さん:2006/01/26(木) 14:45:32
漏れは純ちゃんが一番風格があると思う
http://www.jimin.jp/jimin/jimin/2004_kaikaku/img/koizumi.jpg
518日本@名無史さん:2006/02/07(火) 09:56:51
>>517
小泉は薄っぺらにしか見えんよ。品性がないって言うか
519日本@名無史さん:2006/02/11(土) 22:53:26
尾崎秀實の上司だっけ?
520日本@名無史さん:2006/02/11(土) 23:08:24
この人が生きてたら、東隆明氏をどう扱うか・・・。
唯一の嫡孫としてあつかったかも・・・。
521日本@名無史さん:2006/02/11(土) 23:19:54
うほっ、いい共産主義者
522日本@名無史さん:2006/02/11(土) 23:20:46
>>520
その話って本人が言ってるの?
第三者の証言あり?
523日本@名無史さん:2006/02/12(日) 00:03:10
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896670116/250-4546365-2905866
レビュアー: misidazai

misidazaiさんが書き込んだレビュー
http://www.amazon.co.jp/gp/cdp/member-reviews/A2UUN7VNMG2UQ2/ref=cm_cr_auth/250-4546365-2905866


香ばしいお方がいますね
524日本@名無史さん:2006/02/12(日) 00:22:09
>>522
多分、第三者の証言があるんじゃないかなぁ・・・
いろんなサイトで庶子扱いになってるよ。
因みに、この人にも息子さんがいらしてるので、文隆氏の血統は着実に未来へつながれている・・・
525日本@名無史さん:2006/02/12(日) 06:22:31
和平潰し屋だな
526日本@名無史さん:2006/02/16(木) 17:16:01
近衛文麿→弱気馬鹿(外面は偉そうな髭生やしてる反面卑怯)

 石原莞爾→過激馬鹿(まともな知恵も人格もないのに妄想ばかり

 でかい。自分の狭さ愚かさ利己主義には全くお気づきに
 
 なられぬお方)
527日本@名無史さん:2006/02/17(金) 00:06:57
石原莞爾の場合はスケール感が大きすぎて馬鹿なのかどうか判断が難しいが近衛は典型的な公家だな。
528日本@名無史さん:2006/02/19(日) 04:54:05
うちの母は東京に状況してくると白山の近衛邸に泊まっていたようだけど、近衛夫人は今どうしてるのか?
細川の養子とうまくいかなかったと聞いているが‥。
529日本@名無史さん:2006/02/19(日) 10:57:17
>>528
さも親しいフリすんのかただのガセ乗りなのかどっちかにしてくれ
それとも単にかーちゃんとうまくいってないのか?
530日本@名無史さん:2006/02/19(日) 11:25:17
荻窪じゃないの?
531日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:09:17
近衛って、まだ荻外荘に住んでるの?
どうせなら、椿山荘や雅叙園や叙々苑みたいにしろよ。
532日本@名無史さん:2006/02/19(日) 12:22:30
養父が住んでるとかすんでないとか以前さんざん既出。ほとんどは駐車場になってるが・・・
533日本@名無史さん:2006/02/19(日) 13:13:45
もし荻外荘の維持に困ってるのなら、椿山荘や雅叙苑や叙々苑みたいにしたら?
534日本@名無史さん:2006/02/19(日) 17:03:29
なるわけないだろ!建物も一部しか残ってなくほとんどは駐車場になってるぞ。
535日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:54:28
その一部を結婚式場か焼き肉屋にしろ。
536日本@名無史さん:2006/02/19(日) 20:26:34
見てくりゃいいだろ!何故無理かすぐ分かるから・・・TVのマジック。
537日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:16:27
近くに住んでるなら写真うぷしてよ
538日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:21:29
>>537すぐは無理だが・・・暇があったら。でも、さいきん写真とってたら職務質問されたからな・・・ちょっと心の傷。
539日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:21:57
荻外荘の敷地のほとんどは新興宗教に売ったのでは。
540日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:26:21
>>538
おまえすごいな・・
541日本@名無史さん:2006/02/19(日) 21:27:10
>>539売ったのは家。つまり上物らしい。荻外荘の周りは豪邸。
542日本@名無史さん:2006/02/20(月) 00:37:41
荻外荘の前自転車でたまに通るけどじっくりみたことなかった…
543日本@名無史さん:2006/02/22(水) 04:12:26
文麿の次男がまだ住んでるときいてたけど?
戦後の一時期、吉田茂が住んでいて近衛が自殺した部屋に寝泊まりしていた。
544日本@名無史さん:2006/02/22(水) 09:26:56
荻外荘の近くにうちの大伯母さまが住んでるから会いに行きたいわ。




元ミス日本の大伯母さまに。
545日本@名無史さん:2006/02/22(水) 11:35:00
あれだけ駐車場があれば結構入ってくんじゃないの?
546日本@名無史さん:2006/02/22(水) 16:17:18
東条由布子いらん。近衛の子孫はどこにいる。
547日本@名無史さん:2006/02/22(水) 18:20:19
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%BF%A0%E5%A4%A7
皇室との付き合いあるのかな?
548日本@名無史さん:2006/02/22(水) 18:39:29
とりあえず、椿山荘や雅叙園や叙々苑みたいにしろよ。
549日本@名無史さん:2006/02/22(水) 19:06:01
>>547前、週刊誌で読んだ。身長180センチのハンサムでやりたい事があるので学習院大学には進まずに云々
>>548しょぼすぎてどうにもならんだろ。まえ、テレビで見たらすごくよく映ってたが・・・
550日本@名無史さん:2006/02/22(水) 21:41:49
荻外荘は昭和12年に結城豊太郎からうけた政治献金100万で買ったものらしい。
551日本@名無史さん :2006/03/04(土) 09:45:27
552日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:02:56
553日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:04:09
554日本@名無史さん:2006/03/05(日) 12:55:07
555日本@名無史さん:2006/03/05(日) 15:29:25
>>554一番上は荻外荘 ではなく隣家ですよ。
556日本@名無史さん:2006/03/05(日) 17:25:37
>>555
隣家もでかそうだな
557日本@名無史さん:2006/03/05(日) 17:32:45
叙々苑は美味そうだな
558日本@名無史さん:2006/03/05(日) 18:48:12
>>556でかい・・・周辺にはもっとでかい家があるが。
559日本@名無史さん:2006/03/05(日) 18:51:24
>>555
そうそう。>>554の一番上の画像は荻外荘の隣家のもの。
勘違いしている人、多いよ。
560日本@名無史さん:2006/03/06(月) 04:25:34
>>547 普通にあります。菊塋親睦会の御一員です。
561日本@名無史さん:2006/03/09(木) 11:08:14
朝日新聞のゾルゲ事件報道に見る朝日の狂気
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/zoruge.htm
562日本@名無史さん:2006/03/09(木) 12:20:56
映画「スパイゾルゲ」、中々面白かった。
榎木孝明が近衛文麿の扮していた。大滝秀二は西園寺公望そのもの。
大滝は西園寺にそっくりだったなあ。
563日本@名無史さん:2006/03/19(日) 17:09:41
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4896670116/250-4836139-1074665
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六
中川 八洋 (著)

コピペだが

大東亜戦争=太平洋戦争に日本を引きずり込んだ当時の日本の総理大臣・近衛文麿が
共産主義者であった事実に関して、著者は様々な角度から明らかにしています。
そしてまた近衛上奏文が近衛自身の正体を覆い隠す為の大芝居であったことを著者は
完璧に論証しています。
朝日新聞が近年においても「平和を愛した理想主義者であった」と賛美している尾崎
秀実(近衛文麿のブレーンでありゾルゲ事件でソ連のスパイであることが発覚、処刑さ
れました)が雑誌「改造」や「中央公論」で、どのように日中戦争を泥沼化させるた
めの論陣を張ったか詳細に書かれています。
近衛文麿が共産主義者であったか否かは本書を一読すれば分かります。
左翼が一番恐れる本です。
564日本@名無史さん:2006/03/19(日) 23:28:41
マルチうざい
565日本@名無史さん:2006/03/23(木) 22:59:17
大東亜戦争の本当の開戦責任は、近衛など開戦政策を決定した「政治家」にあり、本来のA級戦犯はこれらの者。
靖国に祀られている東條等のA級戦犯は、みな軍人であり、政治家の政策決定に従って、戦争行為を実行した。
そして「戦時下に」行われた東京裁判によって、これら政治家の身代わりにA級戦犯となり、処刑された。
これは、命令に従って戦死した兵隊と本質的に同じである。つまりその意味は戦死ということ。
そう考えれば、近衛等の政治家が真の開戦責任者なので、A級戦犯の合祀は説明可能なものと見れないか
566日本@名無史さん:2006/03/23(木) 23:49:47
既出かもしれんが、このゑあやまろ、だぞ。
567日本@名無史さん:2006/03/25(土) 13:07:10
中川 八洋なんて勝共の電波じゃねえか
568日本@名無史さん:2006/03/26(日) 02:40:11
文書が見つかったわけだが 再評価なわけで
569日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:10:35
鏡台からみつけたという斐子という娘は本当に文麿の娘なの?
華族大系には斐子という名も母親の縫子というのもでてこないけど
570日本@名無史さん:2006/03/26(日) 17:21:13
67 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/26(日) 14:48:47 ID:7MGuR+S50
この山本斐子ってひと娘って書いてあるけど華族大系に載ってないよ

だれ?


68 :名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/26(日) 14:59:12 ID:MW42IyjUO
近衛のお妾さんの山本ヌイさんの娘。
命名は原田熊雄で、文麿にそっくりだったから、
文に非ずで斐子にしたらしい。
571日本@名無史さん:2006/03/26(日) 18:04:56
流石クマオはひねてるな
572日本@名無史さん:2006/03/27(月) 02:34:14
読売で「日本人が決めるA級戦犯」みたいな特集を8月に向けて組むらしいけど、
それを見越して遺族が手を売ったんじゃないかな。
573日本@名無史さん:2006/03/27(月) 02:37:48
なんで東郷神社の宮司の方が書くのかね。
篤麿の史料でも見ていたのかな。
574日本@名無史さん:2006/03/27(月) 21:21:49
TBSが近衛マンセーかよ
575日本@名無史さん:2006/03/28(火) 18:38:49
朝日新聞/日中和平探った近衛文麿の自筆23枚、鏡台引き出しに
http://www.asahi.com/politics/update/0325/004.html
576日本@名無史さん:2006/03/28(火) 23:56:40
戦争末期の頃は、近衛は、自分の正体を隠すための偽装工作を数多く行っている。
鏡台引き出しから出たものが、その時期のものであれば、ほとんど何の意味もない。
問題は、第一次近衛内閣の頃に近衛が行った日中戦争拡大工作。
また、第三次近衛内閣における帝国国策遂行要領の受容(事実上の対米開戦政策決定)。
鏡台文書はこの時期の近衛の動きを弁護しうる内容のものなのか?

577日本@名無史さん:2006/03/29(水) 01:47:44
開戦責任S級犯罪者
578日本@名無史さん:2006/03/29(水) 09:01:06
◆中国共産党の最大のタブー=「毛沢東は日本に感謝」
毛沢東は、日本の諜報機関と密かに長期にわたって協力し、日本軍に国民党軍を叩かせた。
だからこそ、中共が支那の権力を掌握した後、毛沢東は日本からの訪問者達に対し、仮に日支事変が起こっていなかったとしたら、まだ共産党は山奥を彷徨していただろう、と彼らに謝意を表明したのだ。
579日本@名無史さん:2006/03/29(水) 09:24:59
私たちの血管には半日と 嫌日という赤血球が歩き回って!!
それが私たち韓国人の精神だろう!!
いつかは日本列島を征腹してそのまま返すつもりの!!

半日は韓国を発展するようにする.
半日は韓国スポーツを発展させる.
半日によって韓国野球が日本を 2番(回)勝つほどの実力になった.
今度大会を通じて半日の数字が 90%越したことは良い収獲だった.
韓国人の政治,外交的半日は歴史のためだが..
スポーツの半日はIchiroのためだ..

今度大会の最大の収獲---->全世界に半日だけ増加させた
今度大会を通じてアジアの日本に対するイメージがもっと悪くなった

半日教育をまた財政費しなければならない.
半日が必ず悪事ではない. - 結果はいつも良かった.
スポーツに引き継いで経済面で
三星電子の 'ソニ?を勝とう'
半導体 ' 日本を勝とう'
朝鮮(船舶) '日本を勝とう'
LCD '日本を勝とう'
鉄鋼 ' 日本を勝とう'.........

半日精神が暮してある限り敗北はない

日本人の最後 1人になるその日まで... 韓国の半日は永遠だろう.
日本が滅亡するその日まで私たちは仇を討つ.

ここの日本人を見れば半日の価値もない
ただ嫌日感情だけ生ずるだけ
580日本@名無史さん:2006/03/30(木) 22:25:34
最大の戦犯はコミンテルンの指示に従って国を破滅させ、
近衛等の隠れ共産主義政治家、尾崎秀美・ゾルゲ等の共産主義工作員、
極右軍国主義者(隠れ共産主義者)と朝日新聞。
さらには、それらの黒幕だったスターリン。
共産主義こそが平和の敵だ。
581日本@名無史さん:2006/04/02(日) 12:37:38
>>565

笑止だな。

当時の政局を主導していたのが軍部だということは、
明確な歴史的事実だ。

だいたい、軍部は戦闘そのものだけじゃなく、
政治機関でもあるんだからな。

挙国一致政党である大政翼賛会が作られたのも、
近衛が担ぎ上げられたのも、

軍部の独走を抑えて国会や内閣の発言権を
いくらかでも維持するための手段だった。

これだけを見ても、開戦責任が
主に軍部に属すべきだとわかるだろうが。
582日本@名無史さん:2006/04/22(土) 09:59:48
●近衛に接近した共産スパイ・尾崎秀美の獄中手記より

 私はこの第二次世界戦争の過程を通じて、世界共産主義革命が完全に成就しない
までも決定的な段階に達することを革新するものであります。

●近衛上奏文(昭和20年)より

 少壯軍人の多数は我が国体と共産主義は両立するものなりと信じ居るものの如く、
軍部内革新論の基調もまたここにありと存じ候。…職業軍人の大部分は
中流以下の家庭出身者にして、其の多くは共産的主張を受け入れ易き境遇にあり、…
 これら軍部内一味の革新論の狙いは必ずしも共産革命にあらずとするも、
これを取巻く一部新官僚及び民間有志(これを右翼というも可、左翼というも可なり、
いわゆる右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は意識的に共産革命にまで引きずらんと
する意図を包蔵し居り、無智単純なる軍人これに踊らされたりと見て大過なしと存じ候…
 不肖二度まで組閣の大命を排したるが、国内の相剋摩擦を避けんがため
出来るだけこれら革新論者の主張を容れて挙国一体の実を挙げんと焦慮せるの結果、
かれらの主張の背後に潜める意図を十分に看取する能はざりしは、
全く不明の致す所にして…

●諸葛孔明曰く
「倭の国は剽悍勇武、正面攻撃をすると恐るべき敵だが、謀りごとをめぐらし、
内通者を獲得し、後方から撹乱すると分裂して容易に破ることが出来る」
【諸君4月号;佐々淳行「なぜスパイ防止法を作らないのか」より】


583日本@名無史さん:2006/05/08(月) 01:02:34
世界コミンテルン大罪記(TBS)日曜PM10:00〜
584日本@名無史さん:2006/05/29(月) 01:06:49
近衛を論じるなら、まず、この本を一読すべきだと思う。

大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六
中川 八洋 (著)
amazon.co.jp で注文すればすぐ手に入る。

近衛文麿は偽装した共産主義者だった、近衛文麿が軍部を巧みに操り、
大東亜戦争開戦に持ち込んだのだと著者は主張している。
目的は、日本の共産化。英米と開戦すれば、日本は敗れ、
その後、日本は共産化する・・というのが近衛の描いた構想だった、という。
585日本@名無史さん:2006/05/31(水) 08:06:09
大東亜戦争と「開戦責任」―近衛文麿と山本五十六
中川 八洋 (著)

この中には、こういうことが書いてある。

・近衛は、東大哲学科を中退し、河上肇(共産党員)に師事するため京都帝大法科に入りなおしたと自ら言っている。
・近衛は、ジョージオーウェルの論文を翻訳して、「社会主義論」を「新思潮」に発表している。
・近衛のブレーントラスト昭和研究会には、三木清、平貞蔵、笠信太郎、尾崎秀実などの共産主義者が一大参集していた。
・近衛がとった国家総動員法等の政策は、社会主義的改革を内容とするものにほかならない。
・近衛が作り出した大政翼賛会のモデルは、共産党一党独裁のソビエトであった。
・慮溝橋事件の直後、近衛は、現地部隊同士の和平が成立し撤退が開始されたことを知りながら、「北支派兵声明」を出した。
・近衛が「蒋介石を対手とせず」と声明を出したのは、日中和平の道を閉ざして、全面戦争に突入するためだった。
・近衛上奏文は、敗戦間近な時に、自らの正体を隠蔽する際の偽装工作だった。

鵜呑みにするわけでもないが、これらの主張が誤りと断定する客観的論拠に遭遇したこともない。
586日本@名無史さん:2006/06/03(土) 23:40:12
スレタイに吹いたww
587日本@名無史さん:2006/06/14(水) 07:32:07
1935年のコミンテルン第7回大会で、スターリンは「人民戦線戦術」を採択し、
各国の特殊性を十分に踏まえ、「合法的場面の活用」戦術(できるだけ合法面に食い込んで、資本主義体制を内部から崩壊させていくこと)に転換した。
 これ以降、コミンテルンは、「天皇制打倒」というスローガンを掲げることは一切やめて、「天皇を戴いた強力な社会主義」路線に転換した。
 このあと近衛内閣が登場し、軍国主義が本格化していった。
 つまり、「軍国主義の本質」=「天皇を戴いた強力な社会主義」ということ。
 この軸でもって太平洋戦争史を眺めると、おどろくほど簡単に謎が解けてくる。

 この第7回コミンテルン大会で、スターリンはこういう演説をしている。
その後の歴史は、まさにこのとおりになった。
「ドイツと日本を暴走させよ!…日本の鉾先は蒋介石の中国へ向けさせよ。
…最終的には米国を参戦させてたちはだからせよ。日・独の敗北は必至である。
…疲弊した日・独両国をそっくり共産主義陣営にいただくのだ」

588日本@名無史さん:2006/06/14(水) 07:41:06
>>585
これらの主張が正当と断定する客観的論拠に遭遇したこともない。
589日本@名無史さん:2006/06/14(水) 22:07:50
ナチス党= National Socalistische Deutsche Arbeitier Partei
すなわち国家社会主義労働党で、北朝鮮にそのまま持っていっても何ら違和感がない名前。
ヒトラーや金正日を天皇に置き換えると、戦前の日本の軍国主義にそのままなる。
志位和夫のおじは、元関東軍情報参謀志位正二である。
590日本@名無史さん:2006/06/15(木) 01:38:52
>>589
ヒトラーや金正日ほど明治〜昭和天皇が指導力を発揮したとは思えないんだが。
やろうと思えばできただろうが、排除されたろうよ。
591日本@名無史さん:2006/06/17(土) 08:36:42
>>590
その点はそのとおりだと思う。天皇は独裁者ではない。
日本の軍国主義は、ナチス体制や金正日体制とも違う点がある。
ただ、中心に天皇がある日本の伝統的な国体を悪用して、
国民の自由を封殺して、全体主義を追求した点はよく似ている。
その背景に、コミンテルンの「天皇を戴いた強力な社会主義」路線があった。
592日本@名無史さん:2006/06/29(木) 20:28:51
この絵、ええ
593日本@名無史さん:2006/07/08(土) 22:08:18
踏み絵は?
594日本@名無史さん:2006/07/22(土) 16:47:03
近衛さんも靖国に祀られてるけど、この人が合祀されたのって何年のこと?
いわゆるA級戦犯の合祀よりも前だよね。
595日本@名無史さん:2006/07/23(日) 06:50:07
>594
近衛は靖国には祀られていない。確認したから間違いない。
596日本@名無史さん:2006/07/23(日) 08:29:16
「近衛文麿」の戸籍上の正しい発音を教えて下さい。
本来は「あやまろ」だったのに、本人が「謝まろ」に通ずるのを
嫌がって、自ら「ふみまろ」と訓むように変えたという話を
その昔に聞いたことがありますが・・・。
597日本@名無史さん:2006/07/29(土) 21:19:01
「正論」8月号で、戦争に至る時代の背景に、
コミンテルンの謀略がどのようにうごめいていたか、
特集されており、詳細に論じられています。
近衛のことも書かれています。
参考に読まれることをお奨めします。
598昭和:2006/08/02(水) 15:48:56
天皇て存在感あるけど

近衛文麿って薄倖
599日本@名無史さん:2006/08/02(水) 18:01:57
スレタイバロス
600日本@名無史さん:2006/08/06(日) 22:57:16
600
601日本@名無史さん:2006/08/16(水) 02:58:00
近衛さんの長男が戦死したんで祀られてるんじゃなかった?

そして未亡人(その長男夫人)は靖国に参拝したことが無いそうだ。
これからも、信念としてしないそう。
602日本@名無史さん:2006/08/16(水) 09:10:53
>>601
近衛文隆はソ連軍に強制連行されて
シベリアで獄死したんじゃなかった?
それで近衛家は断絶した。
603日本@名無史さん:2006/08/16(水) 18:46:59
>>602
断絶してないって。
604日本@名無史さん:2006/08/19(土) 23:23:48
断絶してないってばw

次男さんが居るじゃん。朝日新聞の夕刊に出ていたよ。
605日本@名無史さん:2006/08/20(日) 10:42:15
現在、近衛家当主を名乗っている人は近衛家の血筋じゃない。
偽近衛です。
606日本@名無史さん:2006/08/20(日) 13:03:22
今の当主は女系ではあるが文麿の孫じゃないか。
607日本@名無史さん:2006/08/21(月) 21:24:07
細川元総理大臣の実弟の忠輝さん。
608日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:11:18
細川ってよく考えたらあんまり家柄は高くないよな・・・
しょせん熊本城主だし
どうせなら九条家とか鷹司家とかいくらでも養子の貰い先なんてあったろうに
609日本@名無史さん:2006/08/21(月) 23:20:33
そもそも文隆には東隆明という妾腹の男子がいたし、
文麿の弟の秀麿の家には男子が何人かいた。
610日本@名無史さん:2006/08/22(火) 18:09:50
>>604
なんで出てたの?
611日本@名無史さん:2006/08/22(火) 23:09:01
>>609
非嫡出子は論外だが、
文隆の弟か文麿の弟の系統が家督を相続するのが正統だろう。
皇胤でもあるし。
612日本@名無史さん:2006/08/22(火) 23:47:38
>>611
文隆さんの弟は先の大戦で戦死か病死じゃなかったっけ?
613日本@名無史さん:2006/08/23(水) 00:08:43
>>612
文隆はシベリアで戦病死だが、弟の通隆氏は今も存命。
614日本@名無史さん:2006/09/28(木) 18:05:49
通隆氏は元東大教授らしいけど
ググってもあまり著作とかでてこないね
顔写真も皆無だし
615日本@名無史さん:2006/09/30(土) 02:11:39
いつになったら近衛文麿の人生をNHKの大河ドラマがやるようになるんだろ。
616日本@名無史さん:2006/10/04(水) 22:38:09
近衛役は榎木孝明で決まりか。
617日本@名無史さん:2006/10/06(金) 15:14:32
帝都大戦の近衛役の「日下武士」が中々良かった。でもこの人ヒトラーが似合うんだよね。
近衛役は「嶋田久作」でも良いな。劇団四季の「異国の丘」に文麿は出てるのかな?
主役が秀麿のドラマで主要登場人物なら可能かな。
618日本@名無史さん:2006/10/09(月) 11:52:51
619日本@名無史さん:2006/10/11(水) 01:01:44
>>613
文隆はプリンストン大学ゴルフ部出身だったよね。
通隆って結婚してたっけ?東大史料編纂所教授だった
人だね。
>>616
榎木って文麿に似てるね。文麿が二枚目になったような顔。
620日本@名無史さん:2006/10/28(土) 21:59:56
ナチス(国家社会主義労働党)=右版共産主義
軍国主義=右版共産主義
共産主義=左版軍国主義
大東亜戦争=軍国主義者(偽装共産主義者)が自由主義国同士の潰し合いを狙った陰謀

これが歴史の真実だ。間違いない。
621日本@名無史さん:2006/10/29(日) 08:58:47
近衛が作り出した大政翼賛会のモデルはソビエト(ソ連の一党独裁議会)である。
近衛は共産主義者で、コミンテルンの陰謀に加担して日本を戦争に導いた人間。
いわゆるA級戦犯というのは、その近衛の手先になって動いた連中である。
ファシスト=共産主義者こそが平和の敵である。
622日本@名無史さん:2006/10/29(日) 10:30:50
>>620
共産主義は違いますよ。
社会主義ではあるけど。しかもバリバリの。

近衛が私有財産を否定するわけがない。

当時の社会主義者は、
共産主義者や無政府主義者の影響を受けて、(もっぱらラジカルさの面で)
かなりラジカルになっていたから。
トップダウン的な社会改革意識が非常に強い。
これは近衛やナチの選民思想によく合う。
623日本@名無史さん:2006/11/17(金) 20:25:47
事実は永遠に謎、古事記に日本の誕生が書かれてます。まぐはひ、謡って、殺して
を何故思いを巡らせなかったのか等と考えてしまいます。
本当の黒幕は?。だから誰も言わないのです。東大歴代総長で検索しても容易に出来ません。

友達、明治維新の木戸の孫やるのーとやはり友達とは曲者なのか古事記
さながらである。戦況拡大についてソ連に秘密文書があり日本軍がやったように
工作をしたと有るそうです。中国は自主独立国家であるべきと思う気持ちも
理解でき、けれど敗戦は避けるべき、弟宮様は止めたけれど、、、。
なんてね、下々の世界ではありません。まぐはひ、謡って、殺す世界ですとから
なんにも知りません。
624日本@名無史さん:2006/11/17(金) 21:36:12
榎木孝明じゃなくて、岸辺一徳だろ!
625日本@名無史さん:2006/11/18(土) 22:22:19
>>614
昔の東大史料編纂所の先生は、論文を書かないものだった。
論文を書く暇があるなら、大日本史料や大日本古文書を作れ
という感じだったらしい。
最近の所長の石上さんとか加藤さんとか保立さん(みんな古代だね)は書くようになったけどね。
626日本@名無史さん:2006/11/23(木) 18:06:31
盧武鉉(ノムヒョン)の正体は、近衛文麿と一緒で、多分、共産スパイだと思う。
目的は朝鮮半島全体の赤化統一。
何十年か後に証明される日がきっと来ると思う。
627日本@名無史さん:2006/12/16(土) 21:33:29
>>625
編纂所に橋本教授っていたよね
628日本@名無史さん:2007/01/17(水) 12:33:04
近衛家の時期当主は忠大さん?旧宮家の女性と
結婚して男児がいるらしいけど、どの宮家から嫁さん
もらったんだろう。


>>1
ぽまえとりあえずシベリアで拘留されてこいよ。
何だよこの糞のカスみたいなセンスのスレタイはw

629日本@名無史さん:2007/01/19(金) 11:11:32
渡辺の近衛批判は凄いな
いろんな著書で批判してる
630日本@名無史さん:2007/01/21(日) 02:21:41
荻外荘も椿山荘や雅叙園や叙々苑みたいにしろよ。
631日本@名無史さん:2007/02/25(日) 13:42:43
保守
632日本@名無史さん:2007/03/28(水) 14:35:48
第一次近衛内閣の組閣の模様が細かく描かれてた本か雑誌、
どっかで読んだんだけど肝心のタイトル忘れちゃった。
最初は結城豊太郎に大命降下のはずが陸軍が反対して結局近衛に白羽の矢が立った経緯
侍従(?)が興津の西園寺公のところにお伺い立てに行ったり、
組閣本部になってる貴族院議長官邸で何が振舞われたとか、
たしか荻外荘なんかも出てくるはず。
誰か知ってる方いたら教えてください。
633日本@名無史さん:2007/04/02(月) 01:50:40
>>628
忠大夫人は久邇家出身。香淳皇后の甥御さんの娘らしい。

邦昭氏の令嬢ではないので邦昭氏の2人の弟さんの娘さんだろう、と某サイトに書いてあった。どちらの令嬢かは未詳。
634日本@名無史さん:2007/04/02(月) 19:49:15
蔵相決める時に陸軍の手先の馬場を排除して
賀屋にできたのは評価できるんじゃないか
635日本@名無史さん:2007/04/08(日) 07:42:17
「さん」付けしないとまずいような現代の私人ネタはキモイ
636近衛と東条:2007/05/14(月) 01:50:07
近衛は日米戦に自信がなくて内閣を投げ出したが、そこが無責任だった。
軍部の主張の弱みをしつこく突いて、非難囂々となって倒れるまで奮戦して貰い
たかった。確信をもって汚れ役ができないのでは政治家不適格。
東条はなにがなんでも満州は手放せないという陸軍の論をごり押し通し、
その結果の国の行く末がどうなるかを深くは考えられない軍人の職業病。
忠臣であることを免罪符にして、物事がどうあるべきかなんてどうでもよい
無責任官僚の典型で罪は深い。多分小心翼々の出世主義に染まっていただろう。
637日本@名無史さん:2007/05/14(月) 03:13:06
>>636
近衛は日米戦に自信が無いどころか、避戦にあれこれ手を打っていた。
しかし、対米戦の主役の海軍は実は自信が無いのに「首相一任」と極めて無責任な態度を取り、
東条は「駐兵は心臓」と公言してしまった。
これは当時の制度慣例としては、閣内不統一で輔弼責任を全うしていないから、総辞職が妥当であった。
近衛が優柔不断で無責任という性格判断自体はハズれてないが、16年夏時点の近衛を指して言うなら
妥当な表現とは言えない。
638636:2007/05/14(月) 10:37:11
>>637
>(当時の制度としては)総辞職が妥当であった
のはその通りだ。しかし辞職の理由として、統帥部の説明では対米戦の勝算
に理解できないことを国民に率直に声明する位の気迫があってしかるべきだった。
軍部からの圧迫を恐れて黙ったのだろう。国家の重大事に体を張らない公家の体質。
639日本@名無史さん:2007/05/14(月) 18:04:34
>>638
637だが
>統帥部の説明では対米戦の勝算に理解できないことを国民に率直に声明

いや、それは無理というものだろう。
国として対米和戦両睨みで進んでいるということ自体が公然の秘密であっても、
対外的に公表したことは無かったわけだし。
大本営政府連絡会議の内容は統帥機密を多分に含むものであるから、
そんなことを、海外や国民にぶちまけて辞めるというのは、
それこそ、非常識で無責任と言わざるを得ない所業というもの。
当時の内閣は天皇に対して輔弼責任を負うもので、国民に対してでは無いという点に注目して欲しい。
その点では、閣内不統一に至った経緯を辞表として説明しているので、
あの時点の内閣首班としてはよくやっている方だと思う。
陸軍と良くない者、陛下や国民から信の無い者が首相だったら、あの辞表を書くずっとまえに
総辞職だっただろう。
640ありがd:2007/05/15(火) 21:30:12
日本は戦争に負けてくれて本当によかった、助かった
近衛さんありがd やましいことがなかったら、毒を飲むことはなかったよ
永野修身さんありがd 予想外れていま属国だけどね
昭和天皇さんありがd 「太平洋の奥はなお広いぞ」心配あたったね
ハルさんありがd ハワイを独立させていれば君の二枚舌を見破れなかったよ
マッカーサーさんありがd あの脱し粉乳旨かったな、おかわりしたかった
あのとき戦争なけりゃ今頃
641日本@名無史さん:2007/06/16(土) 05:39:06
通隆様。
お庭のしだれ桜は今年もさぞお美しかったのでしょうね。
642日本@名無史さん:2007/06/20(水) 23:51:40
>>633
某雑誌に出ていらっしゃいました。ご夫婦とそのご子息、そして別の旧宮家の
お嬢さん方も。
643日本@名無史さん:2007/06/21(木) 16:03:40
近衛はとっとと広田を更迭すればよかったんだよ
644日本@名無史さん:2007/06/30(土) 00:19:45
松岡といい外相人事がなぁ
645日本@名無史さん:2007/06/30(土) 01:13:39
近衞家って好き
646日本@名無史さん:2007/08/06(月) 18:57:02
>>617
いっそのこと近衛役は東隆明でいいんじゃね?
孫だし間違いなく適役だと思うんだが。
ただ、東隆明がイヤかな?
647日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:44:53
>>523
ああ、この人ね。
世の中にはなかなか香ばしい人がいるもんだと感心したよw
648日本@名無史さん:2007/09/05(水) 00:22:12
近衛桂子さんは朝建氏の娘
ttp://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070204162201.jpg
この写真はご存知の通り、三笠宮殿下卒寿のお祝いする会の集合写真です。 他スレに出席者の名前が紹介されてました。
一番後ろの列の赤いネクタイは次男の千敬史さん。 長男の千明史さんは、choriという名で詩人活動をしていて多忙のため欠席。 信子妃はご病気ご静養中のためご欠席。 高円宮承子女王はイギリス留学中のためご欠席。
写真中の出席者は以下の通り。 後列左より:千容子、近衛 子、千宗室(政之)、千敬史(容子さん次男)、憲仁親王妃久子、寛仁親王 中列左より:近衛忠大(やす子さん長男)、近衛忠てる、崇仁親王妃百合子、崇仁親王、宜仁親王 前列左より:千万紀子(容子さん長女)、
近衛桂子(忠大氏妻、久邇朝建氏の長女)&忠映、
瑤子女王、彬子女王、典子女王、絢子女王
649日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:35:30
肥後熊本藩主の細川家って、ようするに室町時代の細川京兆家の分家の子孫でしょ
なんで、摂関家の近衛家に養子を出せるの
だいたい細川自体足利の分家でしょ、分家というより家臣
いくら大大名っていったって家格家柄は大切にしなきゃあ
血筋重視もいいかげんにしてほしいよ
源 義清の子孫が藤原氏嫡流の当主なんて
摂関家の格式をおもえば伝統を守ってほしかった
650日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:38:03
久邇家から養子が入れば文句ない?
651日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:42:10
男系で久邇家でしょ
細川家から近衛家への嫁ならば全々OK
652日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:45:39
男系で三笠宮家で
久邇家から嫁は?
653日本@名無史さん:2007/09/14(金) 23:48:52
それこそが近衛家でしょ
654日本@名無史さん:2007/09/15(土) 00:00:47
>>649
どう思おうとあなたの自由だが
現代の日本では、他人の家の養子縁組に口を出す権利はない、
とだけは言っておこう。
655日本@名無史さん:2007/09/15(土) 01:54:04
>>654
649ではないですが、その発想は実に戦後民主主義的ですね。
そりゃそうでしょうが、近衛家は皇室に最も近い家である以上、苦言の一つも言いたくなる気持ちもわかります。
656日本@名無史さん:2007/09/15(土) 10:07:11
いや戦後民主主義とかそういう問題ではないと思うが。
実際に自分がその家の人だったら、と考えてみれば良い。
自分の家族となる人を決めるのに、
家柄が良いからというだけで、あなたは本当に決めるのか?

家柄も大事だろうが、その人自体が自分とうまくやって行けるかとか
人格、性格、能力なども当然問題にしたいでしょう。
現在の旧宮家がどうなっているのかよく知らないけれど、
その人が良い人であるかもわからないし、
相手がこっちに来たがるかどうかもわからない。
そういう状況の中で、どんな事情があったのかは知らないが
縁の深い、旧侯爵でしかもれっきとした清和源氏の
細川家から養子を取ったのがそれほどひどい選択だったとは言えない。
あなたの言うように最善ではないかも知れないが、
いちおう分をわきまえた選択だったとは評価すべき。

「旧家の人は自分の家柄だけを気にすべきだ!
自分の人としての好みなど捨てるべきだ!」と言うのは
それもそれで結構だが、
それを人に押し付けることはできないと思うよ。
657日本@名無史さん:2007/09/15(土) 10:49:08
近衛は詐欺師。
しかも大日本帝国を滅ぼした大詐欺師。
今でもこういう詐欺師は点在する。オレオレ詐欺のような奴。
658日本@名無史さん:2007/09/15(土) 11:03:12
今の日本だと近衛のような詐欺師にまた騙されそうだな。
口がうまそうだもん、あいつらは。
659日本@名無史さん:2007/09/15(土) 21:21:02
清和源氏自体が摂関家の家来でしょ
清和源氏が自慢になるか
摂関家から細川家への養子なら分かるが
660平 成子:2007/09/15(土) 21:25:25
べつに今の時代だからいいんじゃない
でも兄の護煕のほうが近衛家っぽい名前なのよねー
661日本@名無史さん:2007/09/15(土) 21:26:38
そーそーそー、わたしも思ってた
662日本@名無史さん:2007/09/15(土) 21:30:54
ムリに文麿の血筋を近衛家に残さなくても良かったんじゃない
鷹司家、一条家、九条家、二条家あたりの次男でさあ
663日本@名無史さん:2007/09/17(月) 00:48:23
>>656
> 家柄が良いからというだけで、あなたは本当に決めるのか?

私が旧華族だったら今でもある程度それを考慮すると思います。
自分かそう思わなくても周りからの圧力もあるでしょうし。

> 縁の深い、旧侯爵でしかもれっきとした清和源氏の
> 細川家から養子を取ったのがそれほどひどい選択だったとは言えない。
> あなたの言うように最善ではないかも知れないが、
> いちおう分をわきまえた選択だったとは評価すべき。

私も最悪の選択だったとは思いません。

> 「旧家の人は自分の家柄だけを気にすべきだ!
> 自分の人としての好みなど捨てるべきだ!」と言うのは
> それもそれで結構だが、
> それを人に押し付けることはできないと思うよ。

それこそ正しく戦後民主主義の発想だと思います。
ただ、私はそれが悪いと言っているわけではないです。
自分が旧華族だったらきっと家柄なんて関係無いと反撥するでしょう。
結婚が個人の自由(つまり他人の押し付けでない)になったのは戦後からです。
庶民の間では戦前からある程度自由だったでしょうが、公家などは原則として自由結婚出来ませんでした。
事実、近衛も毛利家から妻を娶るわけですが、身分が違うとかとやかく言われています。
そして、自分が公家出身であることに複雑な思いを抱いていたようです。
ただ、そういう立場上、一般庶民からも近衛家のことを云々といいたくなる気持ちもまた理解できるのです。
664日本@名無史さん:2007/09/17(月) 01:34:39
天皇陛下の前では全ての大和民族は平等
665日本@名無史さん:2007/09/17(月) 17:09:05
>662
極東軍事裁判自体、嘘だといってる人は多いからなあ
現在の近衛家当主は女系だしね。
細川家からの養子。
666日本@名無史さん:2007/09/17(月) 20:16:27
家は個人の独占物ではない
男系子孫も絶え、個人も政治的社会的に失敗しているのなら
家柄を守るためにも別の血統に変わるべきだったと思う
三笠宮家からはむりでも旧皇族からなら可能だっただろうと思う
それがむりなら他の摂家
伝統を守るための選択肢は、かなりあったのに
細川家からは血が繋がっているから養子という理由しか感じられない
667日本@名無史さん:2007/09/17(月) 20:23:53
>>666
江戸時代でも、息子がなく、娘がある場合は、
他家迎えた養子は娘婿として、
家督を継がせる場合がほとんどだったけどね。
この場合、近衛家は細川家などへ娘を嫁にやらず、
旧皇族へやればよかったということだろう。

もっとも、戦後、庶民になった近衛家にそれを求めるのは過酷だが。
668日本@名無史さん:2007/09/17(月) 21:07:26
本物の直系に東隆明さんがいるんだが。

わからない人はググってね。
669日本@名無史さん:2007/09/18(火) 20:14:50
先代当主急死の際のドサクサで現在は他家に乗っ取られているが
近衛家の本来の当主は通隆さんです。
赤十字の人は細川分家の下細川護輝にでも改名して家督を本来の姿に戻すべきだ。
670日本@名無史さん:2007/09/18(火) 20:21:03
>>669
婿養子は別にかまわないでしょ?
男系相続なんて天皇家だけだし。
近衛家なんて、すでに摂関の地位を世襲するわけでも、貴族院議員をやるわけでもなし、
当主を誰がやろうが、傍系がなんら損をするわけではない。
一民間人の家督相続に他人がクビ突っ込まなくても。
671日本@名無史さん:2007/09/18(火) 23:13:55
>>649
でもそれ言ったらさあ鷹司だって岩村の松平から養子なんか取るなよ。って話になるし。
一条も格下羽林家の四条から養子かよ、ってか?

中小公家だって戦前からどこの馬の骨とも知れない(失礼)新華族からや官僚から養子を取っているのもいるし、
ましてや戦後の混乱期ならばどんなことだってあるよ。まだ、娘からとはいえ血がつながった孫なんだからいいでしょ。


過去のことを部外者の人間が「ああすればよかった、こうすればよかった」なんていうのは結果論だよ。

672日本@名無史さん:2007/09/19(水) 06:21:30
そうそう。天皇家が女系になるかもしれないのに
貴族が血統にこだわるなんて時代遅れ。
673日本@名無史さん:2007/09/19(水) 21:27:18
メキシコ生まれの純スペイン系白人(クリオーリョ)もアメリカじゃヒスパニックとして
白人扱いされないの?
674日本@名無史さん:2007/10/16(火) 10:10:38
そのとおり
675日本@名無史さん:2007/10/16(火) 10:22:20
近衛文麿公爵閣下御次男通隆氏

http://toagakuin.kazankai.org/jp/img/image.toan-37.jpg
676日本@名無史さん:2007/10/16(火) 19:44:29
>>675
この方が近衛家の正統な当主なのに
戦後のドサクサで細川に家を乗っ取られてしまった悲劇の人。
677日本@名無史さん:2007/10/27(土) 12:14:53
近衛文麿…若い頃を連想したので

はるか昔の話ですが、昭和20年代後半、私が夜間の定時制高校に通っていた頃

社会科の先生で、京都大学法学部出身元控訴院検事で弁護士の方でした。明治26年うまれで
近衛文麿や文藝春秋の菊池寛と同年で、交わりがあったそうです。

色々話を聞きましたが、彼が総理大臣になるとは思わなかった、性格によわいところ
が有った様だ等と話していました
678日本@名無史さん:2007/11/29(木) 19:08:42
>>675
はじめてお顔を拝見した。ありがとう!
679日本@名無史さん:2008/01/02(水) 20:31:53
1/3 早朝3:55-4:34 NHK総合
探訪 日本美のルーツ〜公家の頂点・近衛家の名宝〜(再)

ttp://search.nhk.or.jp/hensei/query.html?qt=%E8%BF%91%E8%A1%9B&charset=utf-8&col=pro
680日本@名無史さん:2008/01/11(金) 23:18:06
近衛忠大の嫁の父方の祖父は
だれ?
681日本@名無史さん:2008/01/12(土) 12:43:53
近衛家当主の通隆氏には御子はいらっしゃるのですか?
682日本@名無史さん:2008/01/12(土) 13:03:02
いない。
683日本@名無史さん:2008/01/12(土) 15:53:03
近衛家の当主は日赤社長の忠輝氏だよ
684日本@名無史さん:2008/01/12(土) 19:06:04
そっちは清和源氏の近衛(細川)家だ
685日本@名無史さん:2008/01/12(土) 22:04:47
元皇族(久邇宮家)が認めてる以上
近衛忠大は
近衛の本家の継子
血筋よりも天皇家が認めるかどうかが大事
今上天皇も今の近衛家当主を認めています
文句のある奴は賊です
686日本@名無史さん:2008/01/13(日) 17:51:42
つまりは天皇が認めれば
天皇家も女系相続が可能になる
687日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:11:43
近衛家のケースは、紀宮と黒田さんの間にできた子が
皇位継承をするのと同じこと。
認めるも何もどう考えてもおかしいだろう。
688日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:38:51
>>687
天皇家以外の武家・公家ではそんなケース過去にいくらでもあるのだが
この場合、女子が当主になって男子が入り婿するのではなく
娘に迎えた婿が先代の養子になって継ぐ
近衛家が特殊なわけではない
689日本@名無史さん:2008/01/13(日) 22:49:41
おまえたちもっと現代的に考えろ
文麿の次男さんに子供がいない以上
自分が死んだ後誰が家を守って行くんだ?
先祖の供養や歴代の墓所の世話だってしなくちゃならない
だからそのためにも一番の近親者から養子をもらうのは当たり前
690日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:21:16
>>686それは極論・・・というか・・・曲解。
臣下と皇室では違う。
近衛といえども臣下の家だから
それと皇室を一諸にしちゃあいけないよ。
皇室典範の改定には賛成。
ただし明治より前の皇室の前例に、ならうべき。
宮家どうしや、宮家から皇室へ皇室から宮家への養子のやりとりは良いと思う。
臣下の藤原氏(近衛)に下った皇子および、その男系子孫に皇位継承権は与えなくてよいと思う。
691日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:28:57
>>690に賛成
>>686は確かに曲解だな
臣下の家の中では近衛は極めて頂上だが
臣下は臣下
藤原氏にすぎない。
天皇家と臣下の家を同一次元で論ずるのは無礼・不遜極まりない。
その発言は、戦前ならば死刑に値する。
692日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:32:00
秀麿の一家じゃダメだったのか?
693690:2008/01/13(日) 23:37:25
賛成どうも。
そうですよね、近衛は臣下の藤原氏ですものね。
ここに来る方々は近衛好きが過ぎて、皇室に対して不遜気味です。
694日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:49:49
でも文麿なら、家柄・血統の点で皇室に遜色ない。
あんまり皇室を持ち上げすぎるのもキモイ。
695日本@名無史さん:2008/01/13(日) 23:59:38
ふーみんの姫君には昭子さんって人もいて
この人は野口晴哉という有名な整体師と駆け落ちして
子供を沢山生んでる。
今の社団法人整体協会の理事、野口裕介さんがそれだが(ちなみに整体協会会長は細川護煕さん)、
近衛家を嗣いだのが野口さんでなくて良かっただろ?
近衛家も当然ながら家格とかも考えてるんだよ。
もちろん家格だけで養子を選ぶわけにも行かんので、
諸事情を考慮した上での養子選びだったんだろうから
あまり人の家の事情に口を出さないでやれよ。
696日本@名無史さん:2008/01/14(月) 00:02:43
細川も野口も両方駄目だろ。
697日本@名無史さん:2008/01/14(月) 10:36:07
>696
臣下の家ははるか昔から女系相続はよくあったんだって
だいたい他家の家督継承に口出しする意味もないだろ
近衛家は一般人であって象徴じゃないのだから
698日本@名無史さん:2008/01/14(月) 14:45:55
>臣下の家ははるか昔から女系相続はよくあったんだって

足利将軍家や徳川将軍家、前田、島津、伊達、細川などを見る限り、それは間違い。
下級武士や庶民なら、わかるが。
699日本@名無史さん:2008/01/14(月) 15:10:27
公家だって、江戸初期に後陽成の皇子が近衛と一条に入るまでは、
五摂家は藤原道長の男系子孫である摂家同士で養子のやりとりして、
藤原氏嫡流の男系を守ってたんだろ?

身分のある家は、そんなに安易に女系相続してないよ。
700日本@名無史さん:2008/01/14(月) 15:29:09
>699
むしろ、五摂家が摂家同士で養子のやりとりをしていたのは江戸時代。
それ以前はどちらかといえば対立関係にあり、
養子のやりとりなどしていないよ。
701日本@名無史さん:2008/01/15(火) 13:33:02
>>700
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1054476616/452-
江戸以前から摂家同士で養子のやりとりは何度も行われている。
高貴な血統を守るため摂家内でしかおこなわれていないが。
702日本@名無史さん:2008/01/15(火) 14:15:20
知り合いの皇室オタから聞いたんだが、忠輝氏が当主になれたのは
三笠宮のおかげらしい。
なんでも、当時細川姓だった忠輝氏を日赤を訪問した百合子妃が
娘の婿にと見初めたらしい。
知り合いが言ってることなんで確証は全くないが、
忠大の著書には忠輝氏が養子になったことを高松宮家に報告に行き、
そこでやす子内親王に出会い、結婚したとある。
一方、「近代日本の上流階級」って本には近衛夫妻と名指しはしてないが
これは両方とも分かった上での見合いだったとある。
それで内親王の降嫁先として相応しいように、跡継ぎのいなかった近衛家
の養子にしたらしい。
703日本@名無史さん:2008/01/15(火) 20:46:56
日赤に入社する前から忠輝氏は
近衛家の養子に入っていたと思うけど・・
704日本@名無史さん:2008/01/16(水) 11:37:18
>702
忠輝氏は、
1962年に大学卒業。
1964年、留学から帰国。
1965年、近衛家当主となる。
1966年、三笠宮崇仁親王の長女ィ子内親王と結婚。
同年、日本赤十字社の総裁を勤めていた妻の父崇仁親王の引きで、
    日本赤十字社に就職(現在日本赤十字社社長)。

忠輝氏が日本赤十字社に就職したのはィ子内親王との結婚後。
近衛姓になったのは結婚前。
705日本@名無史さん:2008/01/16(水) 11:45:48
>>701
ん?だれのことを言っているの?
鎌倉時代に、近衛家から鷹司家が別れた、
九条から一条家と二条家が別れたのはいいとして、
江戸時代以前に養子になった人って誰?
その系図をみても
養子のやりとりはすべて江戸時代以降でしょw
706日本@名無史さん:2008/01/16(水) 18:03:50
忠輝氏は結婚前から
日赤に勤めていたよ
707日本@名無史さん:2008/01/16(水) 18:52:05
細川に乗っ取られて近衛家オワタ\(^o^)/
708日本@名無史さん:2008/01/17(木) 00:34:19
細かいこと言うようだけどさ、
人の(姓でなく)名に「氏」をつけるのは
本来日本語として正しくないよ。<忠輝「氏」
日本史やってる人はそういうの気にしないのかな?
自分は文学系なんでかなり気になるんだが。
709日本@名無史さん:2008/01/17(木) 00:45:06
さん付けするのはなんか馴れ馴れしいじゃん
710日本@名無史さん:2008/01/19(土) 21:17:05
「細」川だけに「細」かいこと言いたくなるのか。
711日本@名無史さん:2008/01/19(土) 21:21:22
近衛だと近いことしか見えなくなるのか
712日本@無名史さん:2008/01/19(土) 21:30:13
近衛秀麿
713日本@名無史さん:2008/01/20(日) 07:21:04
>>648
容子の顔はアレだが容子の子供の顔は意外と普通だな(長女&次男)
714日本@名無史さん:2008/01/20(日) 09:37:24
容姿改善は千さんのおかげです。
715日本@名無史さん:2008/01/20(日) 13:19:40
三笠宮系一族は品格や容姿に問題があるのばかりだな。
716日本@名無史さん:2008/02/12(火) 23:56:11
陽明文庫の所蔵品は古文書等20万点に及ぶが
その過半数は21代当主家熙に関するものらしい
ということは家熙は10万点以上を一代で蒐集したのか
717日本@名無史さん:2008/03/17(月) 16:07:43
なんかで見かけたんだが
今度の近衛家の奥様は久邇宮家の子孫らしいね。
久邇宮家と島津家は近い血縁らしいけど
近衛家と島津家も昔から深い関係があるらしい。
この分野に詳しい方おしえていただけませんか?。
718日本@名無史さん:2008/03/17(月) 18:26:06
江戸時代、摂家の姫君が将軍家や御三家に正室として嫁ぎ、
公武の縁組が盛んになったが、一方で、
摂家の正室にも武家の大名家から迎えられる例が増え始めた。
また一度縁ができると続けて同じ大名家の一族から娶ることもあったらしい。

・近衛家久(1687-1737 )の正室が島津綱貴女、
 この正室没後の継室が島津吉貴女
・近衛忠熙 (1808-1898 )の正室が島津斉興女興子
・近衛忠房 (1838-1873 )の正室が島津斉興養女貞姫

島津家ではこの縁を利用して広大院、天璋院を近衛家の養女として
将軍家へ送りこんでいる。

719日本@名無史さん:2008/03/18(火) 12:08:29
ありがとうございます、感謝いたします。
それと、近衛家の奥様は本当に旧皇族の久邇宮家の出身なのでしょうか?。
もし本当ならスゴイですね。
香淳皇后も確か久邇宮家の御出身でしたよね?。
久邇宮家もスゴイ宮家なんですね。
720日本@名無史さん:2008/03/18(火) 20:49:29
清和源氏の細川家による近衛家乗っ取りは
現代の下克上と言える。
721日本@名無史さん:2008/03/20(木) 23:44:27
昨日の『その時歴史が動いた』(藤原道長編)に忠大氏が出ていました。
陽明文庫で国宝・『御堂関白記』を読んでいました。
722日本@名無史さん:2008/03/21(金) 12:45:23
>720
男系で繋がってきたのは天皇家だけで、
公家や大名はずっと以前から女系・
あるいは女系ですら繋がらない養子縁組によって
維持されてきているのだが・・・
723日本@名無史さん:2008/03/24(月) 02:27:18
でも細川さんと近衛さんは血縁あるし、いいじゃないかw
724日本@名無史さん:2008/03/24(月) 18:56:31
近衛家の当主が武家の出というのは違和感あるが、
冷泉家の当主は農家出身だし、井伊家の当主も一般人なのを考えると、
由緒正しい華族の出であるだけまだマシなのかもな。
725日本@名無史さん:2008/03/24(月) 21:51:49
>>724
冷泉さんは学者さんで、養子になったときに名前も変えたらしいね。
726日本@名無史さん:2008/03/29(土) 10:11:02
昭和天皇に戦争責任はあったよな! Part14
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1206078985/
より
近衛文麿はソ連と通じていた真性のアカかどうか不明だが
昭和天皇(親英米、資本主義)と正反対の
反英米で親独ソの国家社会主義者であることは間違いない。
727日本@名無史さん:2008/04/15(火) 00:10:22
>>724
農家と一般人て変ないいかたじゃないの?
農家と町人
農家と商人なら分かるけどね
一般人て旧華族階級じゃない人のことをいうの?
728日本@名無史さん:2008/04/15(火) 00:45:24
冷泉家は現当主夫妻にも子供いないから今後が大変だな
不動産や伝来の書物・宝物は時雨亭文庫に移管できたけど
いろんな年中行事は当主がいないと成り立たないから
729日本@名無史さん:2008/04/15(火) 07:26:10
冷泉家は養子をとると思うよ。
親戚筋から。
730日本@名無史さん:2008/04/15(火) 07:42:02
武家の代表といえば何家?

公家血筋以外で。

武家は公家との血縁は避けられないものか?
731日本@名無史さん:2008/04/15(火) 22:38:30
近衛家の家来筋の島津と
近衛家の助けで改姓した徳川だろう。
戦前の五摂家陪食には島津宗家、徳川宗家の両公爵が加わることもあった。
732日本@名無史さん:2008/04/15(火) 22:40:49
>>729
兵庫県の農家出身の婿殿の方の親戚だったりしたらやだなw
733日本@名無史さん:2008/04/16(水) 13:01:36
>>731
家来筋の細川に乗っ取られた近衛家オワタな。
名門貴族でなくなった近衛家には何の価値もない。
734日本@名無史さん:2008/04/16(水) 13:47:51
どうして細川をそんなに嫌うの?
女系では近衛の血は繋がってるじゃん。

我が国で男系継承でなくてはならないのは皇室だけだよ。
735日本@名無史さん:2008/04/16(水) 13:54:39
むしろ男系継承の場合
他の血が途中で混じっていることは
ほぼありえることなんだがな。
昔は父親を特定する方法などあるわけでなし。
736日本@名無史さん:2008/04/16(水) 21:40:49
実際には徳川将軍家も足利将軍家も薩摩島津家も、ほかならぬ肥後細川家も
みんな男系相続を貫徹してるけどな。

男系に限るのは皇室だけなんてことはない。
外様の国持大名は、黒田、蜂須賀、上杉以外は幕末まで男系で継承している。
幕末に徳川系に乗っ取られた両池田にしても、それまでは男系を維持してたし、
岡山の池田は維新時に本来の男系の血筋に復帰している。
737日本@名無史さん:2008/04/16(水) 22:34:36
まあ近衛家が決めたんじゃ庶民が何言ってもしょうがない。
だいたい忠輝氏の三笠宮の皇女が降嫁した時点で
近衛家の女系継承を皇室がお墨付きを与えたようなものだし。
738日本@名無史さん:2008/04/17(木) 07:16:00
元々正統性がないものに
傍系の三笠宮の娘が嫁いだからお墨付きを与えたというのはおかしい。
本家の紀宮が嫁いだ黒田家に何かお墨付きを与えたのか?
黒田と紀宮の子が母系で皇位継承を主張したらおかしいだろ?
739日本@名無史さん:2008/04/17(木) 17:07:12
近衛家なんて安土桃山に後陽成天皇の皇子が養子に入ったのをはじめ、
(女御近衛前子を母とするため、女系で繋がっている)。
江戸時代の家系図見てみろよ。すでに養子だらけなんだが?
そもそも男系継承されてきたのは天皇家だけ。
ほかは養子だらけ。
740日本@名無史さん:2008/04/17(木) 18:27:13
まあた、天皇限定厨か。

男系相続は島津でも前田でも徳川宗家でも貫徹されてるのに、なにが「天皇家だけ」だ。
養子といっても男系の一門、分家からの養子は立派な男系相続だ。
中世以降、天皇家が持明院統→伏見宮→閑院宮と傍系相続で男系を維持しているのと、
徳川将軍家が館林→甲府→紀伊→一橋→水戸→田安→会津松平と傍系相続しているのに、
なんの違いがあるのだ。
741日本@名無史さん:2008/04/17(木) 19:26:12
徳川家なんてたかだか400年の歴史だからな。
天皇家や公家と比べてみろ。
742日本@名無史さん:2008/04/17(木) 19:27:28
そういえば、松平家は家康の先祖が入り婿した女系相続の
家だったはず。
家康の男系をさかのぼると「松平」じゃないんだよね。
どっかのわけわからん坊主。
743日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:31:10
一応、新田の末裔ということに(ry
744日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:36:20
いうなれば一つの世界の中心の家とその予備だけが男系相続になるんじゃないか。
藤原氏はあくまでも天皇中心の公家社会に属するのだから男系相続にはならない。
水谷川忠麿によれば文麿もそう信じていたそうだが、藤原氏はそもそも鎌足を祖と仰いでおきながら
一方では不比等は天智天皇の落胤と考えていたのだからね。あくまでも天皇中心だ。

一番ひどいのが秀吉を猶子にしたことで天皇家ならありえないだろう。
745日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:38:25
あと、徳川に比べたら近衛家の問題はなんでもないと思う。
746日本@名無史さん:2008/04/17(木) 20:47:39
細川は摂関になれないから、そもそも近衛家に養子を出せる家柄ではない。
近衛家に養子を出せるのは同じ五摂家か格上の天皇家しかない。
それが今までずっと続けてきた伝統だろう。
747日本@名無史さん:2008/04/17(木) 21:39:05
まあ、その細川家は幽斎以来の男系、さらに言えば足利から分かれて以来の男系が
現在の護煕にいたるまで途絶えることなく続いているわけだがな。

なんか天皇家だけを特別視する見解は事実に反するな。
748日本@名無史さん:2008/04/17(木) 22:30:12
幽斎の父は母方の三淵家を継いだし、
息子の忠興は奥州家を継いだので幽斎はうちとは関係ないとも言ったがね。
どちらにしても庶流なのに対し京兆家は澄之がいて細川に男系維持の考えはなかった。
三笠宮が傍系って、それは臣籍降下で相対的に三笠宮が現皇族の端的位置づけにはなったが
直宮の子には変わらず、この降嫁は『戦犯の家』扱いから近衛家を救った。
さらに次は久邇家なんだから、もう公認されたといっていい。
ネットで馬の骨がいくら力説しても覆せないよ。
749日本@名無史さん:2008/04/17(木) 22:52:19
>>724
井伊って与板のほうだよね?
冷泉家はもう一つあるからそっちから養子を貰えたならいいけど。
ともかく徳川将軍家が家越様の時代だから、
せめて天皇家の男系相続だけは維持すべきだが、他の旧華族はどんどん血筋が乱れていくと思うよ。
750日本@名無史さん:2008/04/18(金) 17:53:33
徳川将軍家も肥後細川家もちゃんと男系が維持されてますが、何か。

何が何でも天皇家だけを特別視したがる、天皇厨ウザ。
751日本@名無史さん:2008/04/18(金) 18:57:02
徳川将軍家なんぞ20代も続いてないからね。
松平は女系相続だしw
一夫多妻をやめたら簡単に男系子孫など潰えてしまうからね。
どんなに遠くてもいいから男系子孫から養子をとれと
男系厨は騒ぎ立てるのだろうが、
すでに一般庶民となった徳川氏や細川氏に
お前が口出しする権利ないってw
752日本@名無史さん:2008/04/18(金) 20:44:32
肥後細川家や徳川宗家が一般庶民だとw
そんな大口叩けるほど、オマエの家はどれだけ立派なんだ?w

天皇別格厨が天皇を持ち上げるのは勝手だが、現役の名門名家までオマエんちのレベルに
引きずりおろすなよ。
753日本@名無史さん:2008/04/18(金) 20:46:14
少なくとも、十数年前に総理大臣を輩出したり、自前の財団法人持ってるような家が
ただの「一般庶民」のわけがない。
754日本@名無史さん:2008/04/20(日) 16:30:39
なるほど。
代々代議士でごく最近総理大臣を出した
「小泉家」や「安倍家」は
一般庶民ではないわけだな。
755クリフト:2008/04/29(火) 20:52:13
ふ〜みん、日本史資料の写真見たら総理のなかで一番りりしいよ。
他の総理大臣不細工ななかでね。いいじゃん!
756日本@名無史さん:2008/04/29(火) 21:40:06
小泉家や安倍家は、特別な名門ではないが「一般庶民」ではないよな。
757日本@名無史さん:2008/06/12(木) 19:46:09
隣家らしいけど敷地はどのくらいだろう?

http://home.att.ne.jp/air/jobcci/info-suginami/ogikubo/temple/temple08.html
758日本@名無史さん:2008/07/03(木) 21:46:02
関連スレ
【日中戦争】近衛はどーすれば・・・【日米交渉】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1148200440/
ぶっちゃけ近衛文麿について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1139845585/
759日本@名無史さん:2008/07/13(日) 19:18:46
ソ連と内通する米内光政、大量戦死を“快楽”する山本五十六、祖国滅亡を計画した腐敗と狂気が渦巻く帝国海軍の全容と、
かくされていた太平洋戦争の真像が、戦後六十三年を経て、いま初めて明らかにされる。今後、本書を抜きにして現代史は語れない。
760日本@名無史さん:2008/09/07(日) 02:34:48
ギルガメで初めて見た細川ふみえのおっぱいの大きさはガキだった自分にとってはあまりにも衝撃的だった・・・
761日本@名無史さん:2008/10/18(土) 02:47:59
>>755
顎がないのが残念!
762日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:24:28
>>739 :近衛家なんて安土桃山に後陽成天皇の皇子が養子に入ったのをはじめ、
江戸時代の家系図見てみろよ。すでに養子だらけなんだが?
そもそも男系継承されてきたのは天皇家だけ。
ほかは養子だらけ。

近衛家は後陽成天皇の皇子近衛信尋以降は文隆氏まで連綿と男系を
繋いでおりますぞ!一条二条九条家も養子だらけではややこしくなっては
おりますが、ちゃんと摂家の男系を守っておりますぞ!
763日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:30:52
男子の平均が160の時代に180を超えるスマートさ
東京帝国大学卒で頭脳明晰
華族筆頭で天皇とも親戚づきあいの家柄
この人なら閉塞した世をなんとかしてくれると
国民の期待を一身に背負って総理に就任
 
国を滅ぼす結果になるとは・・・
764日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:05:45
>>762
家としての内実的アイデンティティや誇りを失ってしまうような家柄、藤原男系(鎌足直系)各家からみると唯の飾り的国民アピールで担がれた訳
765日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:11:32
あけおめ
766日本@名無史さん:2009/01/12(月) 14:19:03
強硬な姿勢を貫いて、軍部に暗殺されたら、
日本の歴史は変わっていたでしょうね。
そういうことを望むのは酷であることは分かりますが、
のちに自決したことを考えると、残念ですね。
767日本@名無史さん:2009/02/17(火) 01:41:58
身分が高くて金持ちでありながら、左翼に傾倒するような人間が、最悪。
自分の地位を捨て、財産を投げ出すなら、首尾一貫してるから良い。
しかし、そういうことも出来ずに、ポーズだけで終わる人間が多い。

結局、そういう人間が、一番優柔不断で無責任。
定説です。
768日本@名無史さん:2009/02/17(火) 01:53:24
まあ、自殺しなくても絞首刑は確実だったね!

広田弘毅だって文民ながら絞首刑だったし。
769日本@名無史さん:2009/02/17(火) 02:04:22
>>767
身分が高くて金持ちが左翼に傾倒するのはよくあることなんだが
中国行って共産党幹部や革命期の英雄の生家を訪ねてみろよ
大地主の屋敷ばっかりだぜ
そもそも金がなけりゃ上の学校に行って左翼思想に触れることもできないし
770日本@名無史さん:2009/02/18(水) 16:41:40
>>767
最高指導者は首相じゃなくて天皇。
近衛は対米絶対反対を貫いたのに、
唯一の頼みの綱の天皇が、
結局、開戦を決断してしまった。

富田健次『敗戦日本の内側−−近衛公の思い出』古今書院,1962
「自分が総理大臣として陛下に、今日、開戦の不利なること
を申し上げると、それに賛成されていたのに、明日御前に出ると
「昨日あんなにおまえは言っていたが、それ程心配することはないよ」
と仰せられて、少し戦争の方へ寄って行かれる。
又次回はもっと戦争論の方へ寄っておられる。
つまり陸海の統帥部の人たちの意見がはいって、軍のことは総理大臣には
解らない。自分の方が詳しいという御心持のように思われた。
従って統帥について何ら権限のない総理大臣として、
唯一の頼みの綱の陛下がこれではとても頑張りようがない」。
771日本@名無史さん:2009/02/18(水) 18:05:32
近衛が東京裁判で絞首刑になってたら、広田弘毅は終身禁固ですんでただろう。
772日本@名無史さん:2009/02/18(水) 22:54:10
>>769
>>767の言っているのはこういう人間は他には少ないって事じゃなく、
こういう人間は最低だと言っているんだから、ちょっとズレてんじゃないの?
773日本@名無史さん:2009/02/23(月) 14:19:56
>>769
今と違って、総理大臣の権限が弱すぎた。
陛下も平和を愛しておられたのだけど、
つい引きずられてしまったのは仕方がない。
774日本@名無史さん:2009/02/26(木) 01:33:38
NHKで白洲次郎のドラマが放映されるが、近衛役は岸部一徳さん。
京都出身で面長なので起用されたのかも・・・。
775日本@名無史さん:2009/03/05(木) 16:39:37
天皇制が滅亡して今頃共和国だったら、
近衛よりも天皇の方が開戦責任を
指弾されているだろうな。
776日本@名無史さん:2009/03/06(金) 18:20:14
二人とも亜細亜覇権に色気を出しているからね。
ポスト帝国主義の時代だったのに。
777日本@名無史さん:2009/03/15(日) 23:05:29
>>774
今、テレ朝でやっている広田弘毅のドラマでは平田満さんがやっている。演技力はともかくとして、雰囲気ならば
一徳さんの方が近いと思う。
778日本@名無史さん:2009/03/16(月) 08:07:02
779日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:09:27

男系、女系はともかくとして、血統劣化が深刻なのは他ならね皇室ではないのかね?

780日本@名無史さん:2009/03/19(木) 12:03:21
近衛忠大氏の近衛家の太平洋戦争はどんな内容?
買おうと思ってるんだけど。
781日本@名無史さん:2009/03/22(日) 08:42:19
>>774 白洲のドラマ内、岸部一徳は、近衛のイメージをうまく出していたと思う。ただ注目は、セリフの中に一か所、間違いなく「支那」という部分があったこと。
これはなにかの文書を声を出して読み上げるところで、普通の会話文ではなかったが、NHKの電波で支那という言葉が聞けるとは思わなかった。やればできるじゃん。
782日本@名無史さん:2009/04/16(木) 17:33:59
http://en.wikipedia.org/wiki/Fumimaro_Konoe
英語版にあるKumiko Konoe、Takashi Konoeって誰のこと?
783日本@名無史さん:2009/05/14(木) 12:54:47
>>749
井伊家は本家も一般から婿養子(?)迎えたらしい
今の時代天皇家でも男系維持するの難しんだから仕方ないと思うけどね
784日本@名無史さん:2009/05/15(金) 07:32:43
文麿の長女て数年前まで生きてたよね
かなり子沢山だったような
785日本@名無史さん:2009/05/16(土) 14:31:01
たしか享年90才近かったような
長寿で子宝にも恵まれて幸せだったみたい
786日本@名無史さん:2009/05/16(土) 23:57:55
>>715
長老自身問題児だもん
八路軍マンセーしたり
787日本@名無史さん:2009/05/17(日) 11:42:13
あだ名が赤い宮様だっけ?
788日本@名無史さん:2009/05/19(火) 09:16:08
なんとなくだけど
頭の良い馬鹿って印象だな>文麿
789日本@名無史さん:2009/05/22(金) 05:06:58
人柄はどうだったの?
790日本@名無史さん:2009/05/24(日) 15:44:48
>>763孫の護ちゃんも、もしかして破滅への・・・
791日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:51:16
生きてたらやっぱり戦犯になってたのかな?
792日本@名無史さん:2009/06/05(金) 00:16:46
当たり前だろw
793日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:22:20
カワイソウなところもあるけど
794日本@名無史さん:2009/06/05(金) 18:45:06
本人自殺するってことは自覚あったんだろ
795日本@名無史さん:2009/06/06(土) 04:03:05
上奏文からして自分の非を認めているわけだからね。
共産党に騙されたと逃げているところはあるにしても。
796日本@名無史さん:2009/06/11(木) 20:41:36
>>784
近衛文麿の長女昭子さんは2004年まで生きていたね。
公爵島津忠秀と結婚していながら、戦後整体師と駆け落ち。
自由恋愛の整体師のほうと添い遂げた。
797日本@名無史さん:2009/06/11(木) 22:59:10
子育て本みたいなの出してたね昭子さん
798日本@名無史さん:2009/06/12(金) 01:41:20
松本重治『近衛時代』の末尾に松本氏と昭子さんの対談がある
「母を怒鳴ってるんですよ。硯をどこへやったって。母が『あなた、
これは裏返しじゃありませんか』と言って。硯が裏返ってるだけで
もうわけがわからなくなっちゃうんです」
 
軽井沢で療養中の松本氏に終戦工作の相談に行く
電話に出た松本氏が「私の小屋なんかおわかりにならないでしょう
からお迎えに行きます」と言うと「巡査に案内させるからいい」
799日本@名無史さん:2009/06/13(土) 02:12:24
昭子さんは正直DQN
800名無し募集中。。。:2009/06/15(月) 05:33:39
>>799
公家の頂点がDQNって凄いな
801日本@名無史さん:2009/06/16(火) 18:11:54
DQNっていうかあんまり、品行方正ではないわな
昭子さんも文麿氏も
802近衛:2009/06/16(火) 19:19:06
僕が首相を辞めていたら軍の傀儡政権になって、自体はもっと酷くなっていたんですよ。
僕が一生懸命頑張ったから、あの程度で済んだのに心外だなぁ
803日本@名無史さん:2009/06/17(水) 00:10:26
お前は新世界秩序派の親分じゃないか。
軍との軋轢は単なる主導権争いだろ。
804日本@名無史さん:2009/06/17(水) 10:31:07
同情できる点もあるけど
基本的には言い訳ばっかりしてるイメージ
805近衛:2009/06/17(水) 17:33:41
大政翼賛会をちゃんとした政党として立ち上げて、僕が全権を握れば戦争を阻止したんだよ。
戦争になったのは、それを邪魔した連中のせいだよ。
僕は悪くないよ、精一杯やったんだよ。
806近衛:2009/06/17(水) 19:56:18
米内が悪いだよ
807日本@名無史さん:2009/06/18(木) 21:18:40
僕の志は知る人ぞ知る
808日本@名無史さん:2009/06/19(金) 16:27:24
言い訳してるだけじゃん
情けない
809日本@名無史さん:2009/06/20(土) 01:21:08
>>808
最悪、秘書の人くらいしか知らなかった気がするんだが
810日本@名無史さん:2009/06/23(火) 10:43:12
西園寺がすべて悪いって事で
811日本@名無史さん:2009/06/23(火) 19:33:09
西園寺って、本気で近衛がなんとかしてくれると
思ってたのかなぁ…。
812日本@名無史さん:2009/06/23(火) 20:18:49
近衛自身が回想してることだが
パリ講和会議に西園寺全権の随員として同行した時
70歳の元老から大学出たての若造が
「閣下」「閣下」と呼びかけられて面食らったと
813日本@名無史さん:2009/06/23(火) 20:41:13
>>811
パリへの旅の途中で寄った植物園で、近衛がふざけて木の枝を
折っているのを見て「野蛮人はとっとと国へ帰れ!」って怒った話は
知ってる。
814日本@名無史さん:2009/06/25(木) 01:23:24
近衛文麿は京都帝大→細川護熙は上智大
岸信介は東京帝大→安倍晋三は成蹊大
福田赳夫は東京帝大→福田康夫は早稲田大
吉田茂は東京帝大→麻生太郎は学習院大
やっぱ世襲ってよくないよな・・・
815日本@名無史さん:2009/06/25(木) 09:57:07
>>814時代が違うだろ。昔なら競争率低いからね・・・
816日本@名無史さん:2009/06/25(木) 10:28:31
昔は大学行く余裕のある家庭少なかったから。
817日本@名無史さん:2009/06/25(木) 11:29:08
昔の華族は学習院でたら推薦とかで自然に帝国大にすすめたのに
文麿は一高いってワザワザ試験うけて入ったんだよな帝大
818817:2009/06/25(木) 11:30:31
ゴメン間違えた

×昔の華族は
○昔の華族の子弟は
819日本@名無史さん:2009/06/28(日) 19:52:01
頭は良いんだけど使えない奴の典型だと思う文麿
820日本@名無史さん:2009/08/09(日) 11:20:50
近衛文麿は日本で1番偉大な総理大臣だろう
821日本@名無史さん:2009/09/02(水) 12:43:13
近衛公は聡明で気持ちがよいが、知恵が余って胆力と決断力がなかった。知恵は人から借りられるが、度胸は人から借りられない。
822日本@名無史さん:2009/09/02(水) 13:46:24
それよりも野心が判断を曇らせたんじゃない?
東アジア、東南アジアに君臨する帝国の主になりたかったのでは?
チャーチルを意識した発言も多い。
乱世では公家も自分の野心を花開かせようとするからね。
823日本@名無史さん:2009/09/02(水) 22:05:25
チャーチルとは天と地との差があるけど
824日本@名無史さん:2009/09/03(木) 09:10:20
チャーチルと一対一で話し合えば解決するなんて言っていたことがあるね。
825日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:07:12
>>819
いや、「使えない」んじゃなくて、もともと人を「使う」立場の人だから。

庶民あがりの役人や政治家とはちがうんだよ。
826日本@名無史さん:2009/09/05(土) 00:24:03
どっちにしても駄目だな
827日本@名無史さん:2009/09/07(月) 08:39:06
行った政策とその結果を見れば
日中戦争を利用して権力簒奪とソ連を後ろ盾とした独裁を謀った共産主義売国奴という評価だな。
尾崎・ゾルゲの共産スパイに騙されていたなんて大嘘だろ。罪が暴かれるのを恐れて善人ぶっただけ。
828日本@名無史さん:2009/09/08(火) 08:59:58
>>825
>>819の「使えない」ってそういう意味じゃないでしょ。
無主語あるいは「天」が主語だよ。
829日本@名無史さん:2009/09/08(火) 09:03:20
>>827
騙されたのか、同じ考えだったのか判然としないのが、
この時代の国家改造革新派の特徴なので…
今や「雪作戦」が知られることによって、
ハル・ノートにすらコミンテルンが関与していたことが分かっているし。
830日本@名無史さん:2009/09/09(水) 12:06:05
>>794
負ける戦争を主導したことも、
既に時代遅れの植民地政策を首相として放置していたことも、
近衛には自覚はないだろ。
たとえマッカーサーから言われたとしても、
A級戦犯指定される前は、
新憲法を自分で作るつもりだったのだから。
自殺は負ける戦争を主導したことへの後悔じゃなくて、
囚われになることが耐えられなかっただけだよ。
831日本@名無史さん:2009/09/26(土) 04:49:58
この人靖国じゃなく自分所の墓?
832日本@名無史さん:2009/09/26(土) 05:50:02
近衛と似ているのはチェンバレン(侍従の意味をなす姓。近衛に似たような?)首相。近衛は軍部を利用しながら難局を乗り切ろうとして失敗。チェンバレンはナチスと共存、利用して反共、戦争回避を画策して失敗する。
833日本@名無史さん:2009/09/26(土) 19:39:50
>>831
靖国神社がどういうところが勉強し直してください。
墓地じゃないですよ。
834日本@名無史さん:2009/09/28(月) 08:14:17
公家出身で大衆に期待を抱かせる立ちい振る舞いや
不穏で閉塞した政治状況から何かやってくれそうな
雰囲気を感じさせたがまったくの雰囲気だけ
何かやろうとしてすぐに寸詰まりに陥って回避政策とるがことごとく裏目に
ドツボにハマって「もう辞めます。あとはヨロシク」×3

これがオレの近衛感想
835日本@名無史さん:2009/09/29(火) 21:37:17
それって孫のあの人も同じじゃん。
836日本@名無史さん:2009/09/30(水) 04:13:56
近衛って戦犯で容疑かけられて結局自殺したのに
命拾いした天皇家から嫁出してるよね?
なんだかその辺がよくわからん。
837日本@名無史さん:2009/09/30(水) 06:05:27
長男嫡子文隆がモスクワで謀殺さる。実弟がいるにもかかわらず細川へ嫁いだ長女の次男が近衛家の家督を養子相続。そこへ三笠宮の長女が降嫁。
838日本@名無史さん:2009/09/30(水) 10:06:15
通隆さんは陽明文庫理事長やったり、
萩外荘その他の遺産も引き継いでいるよね。
どうして家督は継がなかったのだろう。
http://kins.jp/pdf/18ito_t.pdf
なんか読むと、陽明文庫の存続は非常に厳しいらしい。
839日本@名無史さん:2009/10/03(土) 02:50:37
細川家と近衛家ってどっちが名門?
840日本@名無史さん:2009/10/03(土) 17:34:18
>>839そりゃ断然近衛でしょ。天皇家に次ぐ家柄
841日本@名無史さん:2009/10/04(日) 10:11:23
842日本@名無史さん:2009/10/04(日) 13:35:47
次男や分家があるのに女系の外孫や血統の関係ない家から養子を迎える名家が結構あるな。近衛、徳川宗家、尾張徳川、南部などなど。
843日本@名無史さん:2009/10/04(日) 14:13:48
彦根井伊なんて、華族でも大名家でもない、ただの学者が養子だもんな。
与板の方も武具コレクターみたいなオッサンが養子だし。
844日本@名無史さん:2009/10/04(日) 14:34:59
家の存続が大事だから実際の血統って
あんまりこだわりがないんだな。
845日本@名無史さん:2009/10/04(日) 16:52:08
馬鹿な実子よりも、優れた他人を養子にして後を継がせるというのは結構あるからな。
846日本@名無史さん:2009/10/06(火) 04:53:17
>>840
天皇家から嫁をもらうかわりに近衛に養子になったのかな?
>細川より名門
細川護煕の弟が養子に入らなくても、絶家にはならなかったはずだから。
近衛の息子はクニ家から嫁もらってるよね?
雑種の入った天皇家より血筋が上だったりして。
今でも旧宮家同士で結婚とかって普通なのかな。
847日本@名無史さん:2009/10/06(火) 06:26:53
近衛は江戸初期に後水尾?の弟宮が養子に入っている。公家に皇族が養子に入る例は結構あったようだ。だから皇統から離れた閑院宮から光恪天皇が出たとき皇統に近い血を引く公家達の嫉妬が凄まじかった。
848日本@名無史さん:2009/10/06(火) 11:45:22
近衛息子には後継ぎも生まれたみたいだし、
その人なら将来皇族復帰したりして。
タケダより立派な血筋でしょうから。

秀吉は近衛の猶子になったり、藤原氏とも養子縁組しているね。
>>840近衛家は公家の中でも天皇家に近い血筋で侯爵でも格上なのか。。
日本では天皇家>旧皇族>近衛 位な感じですか?

三笠宮からは裏千家に嫁いでいる人もいるけど、
裏千家よりももちろん名門ですか?
849日本@名無史さん:2009/10/06(火) 12:20:24
近衛は旧十一宮である伏見宮系統より血統が現皇室に近い。あるいは親王が近衛の養子に入らず宮家を立てていたら皇位を継承していたと推定される。そのプライドから文麿は昭和天皇の御前で椅子に足を組んで座ったと言う。
850日本@名無史さん:2009/10/06(火) 14:11:26
>>847
でも、あの当時光格帝より皇統に近い人物って、
中御門皇子の法親王か、光格帝の父・叔父・兄くらいしかいないんじゃね?
851日本@名無史さん:2009/10/06(火) 14:19:15
よく天皇家や皇族は血が濃いから〜等の理由から
戦後は民間人と婚姻関係結んでいるけど、
千年以上前からすでに近親者達で成り立っていたって
わけですよね?
その間に奇形や不備が生じ絶家になった事例ってあまりないし。
(養子縁組などもしていますけど)
他の旧華族はもう関係なく民間人と婚姻関係結んでいるんですか?
もう近衛家のような民間人の血が入っていない家は
少ないのですか?
852日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:45:56
近親婚と言うが半分は妾の血筋。昭和天皇の生母の九条節子の母は野間と言う女中。昔は近親婚の弊害を軽減するために妾の血筋を補給した。
853日本@名無史さん:2009/10/06(火) 18:56:33
当時の国民党っていかがわしくってヘッポコなんか普通相手になんかできないよね
854日本@名無史さん:2009/10/06(火) 19:41:16
近親婚なんて奈良朝くらいまでがMaxだからなあ
855日本@名無史さん:2009/10/06(火) 23:29:35
>>848
序列では
天皇家>近衛家>宮家
856日本@名無史さん:2009/10/07(水) 07:28:04
公爵は終身貴族院議員。これが近衛の命取りになったよな。適当に形式的に勤めれば死ななくて良かったに。本気で政治家を意識したから破滅した。
857日本@名無史さん:2009/10/07(水) 10:13:21
のんびりと暮してくださいってことだから、
帝王学教育も受けてないわけだしな。
皇族は家庭任せだからな。
858日本@名無史さん:2009/10/07(水) 11:13:23
宮家の四世である王は成年式で臣籍降下。長男なら侯爵。次男以下は伯爵。いかに公爵が特別の存在かが良くわかる。
859日本@名無史さん:2009/10/07(水) 12:15:07
>>855
宮家より格上なんだ。
本当に天皇家の次くらいの家柄なんですね。
860日本@名無史さん:2009/10/08(木) 01:21:48
>>858
でも、伊藤、山縣、大山、桂、松方が公爵だからなぁ。
861日本@名無史さん:2009/10/08(木) 01:54:38
>>860勲功華族は別物と言われる所以でしょ
862日本@名無史さん:2009/10/08(木) 03:44:05
明治以前からも地位が高くて、平安とかまで遡れたら本物だと思う。
昭和帝の生母が女中っていっても、どこぞの身分の低い人ではないでしょ?

戦後没落した華族もいたみたいだけど、今の旧華族や宮家は
どの位栄えているんだろう?
その点近衛家はすごいね。赤十字は天下り企業でしょ。
863日本@名無史さん:2009/10/08(木) 23:32:19
桂は大江氏の末裔だからソコソコ名門でしょ
864日本@名無史さん:2009/10/09(金) 00:09:35
>>860
明治以降にできた華族や宮家は無効になったからいいじゃないの。
865日本@名無史さん:2009/10/09(金) 05:37:27
新華族って要は成り上がりってこと?
866日本@名無史さん:2009/10/09(金) 05:47:14
昭和天皇の生母九条節子の母は野間氏。神田の平民だが家系は旧幕臣らしい。一族に講談社の創業者がいる。現在も講談社のオーナーは野間家。
867日本@名無史さん:2009/10/09(金) 06:21:18
昭和天皇が華族制度廃止について五摂家だけ残せないか?と希望されたと言う。まあ十一宮家より血が近いからな。
868日本@名無史さん:2009/10/09(金) 07:09:48
鷹司とかは序列的には宮家より下なの?
869日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:03:48
基本、摂関家は宮家より上。んで、摂関家の中での序列で近衛が一番上。
870日本@名無史さん:2009/10/09(金) 16:21:57
近衛ってすごいね。
民間を受け入れていないみたいだから
今となっては天皇家より名門かもね。

でも、自殺者や諸々排出していて因縁もある家。。
871日本@名無史さん:2009/10/10(土) 00:11:37
今の天皇が結婚するまでは、明治時代以降でも天皇の正妻は宮家か摂関家からと
いう不文律があったぐらいだしねい。他の貴族とは別格の扱い。
872日本@名無史さん:2009/10/10(土) 04:19:31
こういう家系の人って〜名誉総裁とか〜代表とかやっているみたいだけど、
どこから誰に依頼受けているの?
必然的に身分が高い家柄だと、いいポジションが待っているのかな?
皇室は民間人だらけになったけど、
旧華族や宮家は民間人とは結婚してないんだろうか?
873日本@名無史さん:2009/10/10(土) 04:25:26
でも近衛は戦犯にかけられたけど、天皇は助かった。
やっぱり天皇家は強いね。
874日本@名無史さん:2009/10/10(土) 06:06:49
現在の正月の宮中行事の中に五摂家当主の参内があり五人揃って陛下に新年の挨拶と拝礼をする。陛下から答礼のお言葉があると言う。
875日本@名無史さん:2009/10/10(土) 10:10:02
>>873
近衛文麿と昭和天皇の間にボーダーラインを引くのは、
それほど悪い評価軸じゃないと思うけれど。

ただ昭和天皇は立憲君主制について、
近衛文麿よりもちゃんとした教育を受けていたから、ああいう結果になった。
つまり天皇家のしきたりの強さということは言えると思う。

近衛文麿はお気楽な公家さんの立場だったのに、
皇族宰相として行政府の長になったのが失敗だったと思う。
重鎮政治の列に加わっていたら、あれほどの失敗はしなかったと思う。
876日本@名無史さん:2009/10/10(土) 19:35:42
お父さんが不味かったと思う。
政党内閣が続いて貴族の代表として藩塀たらんとしたんだろうけど。
結局息子が宮中ではなく、政治の渦中に進む道を作ってしまったと思う。


まあ、近衛が史実通り政治家になろうが宮中に入ろうが歴史そのものの流れは変わらなかっただろうけど本人の人生には決定的な選択になったな。
877日本@名無史さん:2009/10/11(日) 13:51:18
近衛の人って生い立ちが結構不幸な人が多いですね。
フーミンは母親に先立たれて継母と折り合いが悪く、
父親が早くに他界して借金まみれ。。
細川二男も幼少時に母に先立たれ、
結婚後養子に入って改名。

戦前まで旧華族や宮家って
民間人が想像できないくらい
贅沢な暮ししていたんじゃないの?
878日本@名無史さん:2009/10/11(日) 14:22:20
父親の借金は生活苦じゃなくて、
アジア主義的活動に投じていたわけだから、
それをもって生活の程度を図れない。
あの時代に欧州に留学しているだけでも極めて恵まれてる。
879日本@名無史さん:2009/10/18(日) 12:21:55
先日、京都大徳寺にある近衛家廟所に立ち寄りました。
中は見られなかったのですが、ここに文麿公も葬られているのでしょうか。
880日本@名無史さん:2009/10/20(火) 18:51:07
全精社協の逮捕された理事が少し細川護熙に似ていた・・・
881注目:2009/10/28(水) 11:55:58
865753173828124



中学生が 自主制作ハメ撮りAV 売り捌いてたらしい ★12
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1256682280/


まとめwiki
http://www31.atwiki.jp/shotakon_pachinkas/




699432373046874
882日本@名無史さん:2009/11/07(土) 23:42:25
共産主義に傾く
藤原氏であるので天皇へ上目線の態度
883日本@名無史さん:2009/11/08(日) 05:31:38
>>882
明治以降の天皇絶対政治的な考えでなければ
関白というのは「殿下」と呼ばれ皇太子並みの地位で
天皇にも意見したりできるし天皇が若く、関白が年長者なら
叔父さんのような感じにもできた。
近衛の昭和天皇に対する態度などは江戸時代の若い天皇と年長の関白のような
関係と見れば別におかしくない。それを不敬と言うようなのは明治になる前の
歴史を全否定するようなもの。
884日本@名無史さん:2009/11/19(木) 19:47:53
細川家から近衛家を継いだ孫が、世界のトップになったぞ!
885日本@名無史さん:2009/12/19(土) 22:55:49
清和源氏の近衛家なんて価値ないよね。
886日本@名無史さん:2010/01/10(日) 01:05:29
http://ameblo.jp/fumi0781/entry-10426868607.html#cbox

久しぶりにDSやっていたら、はまってました。
これは当分止められそうにありません。
ドラクエ\です。

明日からは、また寒くなるようで、こちらは雪
みたいです。
朝がつらいなー。
関西は寒さが続きそう。
いややなー。

こいつ無断でエニックスの写真を掲載しているよ。
キモイなこいつ!  早く消えてくれ!
887日本@名無史さん:2010/01/10(日) 01:09:18
フーミんが藤原女系だって! 知らない平民
888日本@名無史さん:2010/03/03(水) 19:17:20
近衛文麿ってなんか勲章貰ってたっけ?
889日本@名無史さん:2010/03/03(水) 22:56:42
勲一等旭日大綬章や勲一等瑞宝章貰ってる
890日本@名無史さん:2010/03/04(木) 11:02:39
おーどうもありがとう
891日本@名無史さん:2010/05/01(土) 21:38:24
近衛・細川の祖父孫を超える無能首相が出るとはな
892日本@名無史さん
>>858
違うぞ。4世王(伏見宮系の「みなし」も含む)の次男(嫡男以外の5世王)からが臣籍降下。
(例外は制度制定前に未成年で父の前の宮号を継いだ華頂宮博忠王、次男で5世王扱い)
その時一番最初に元の宮家から独立した者(通常は宮家当主の次男)が侯爵。
残りは全員が伯爵。8世王の長男が臣籍降下(宮家の消滅)した時にどのような爵位が授けられるかは実例が無いから不明。

>>864
伏見宮も閑院宮も潰されたんだが。
まあ閑院宮は世が世なら秩父宮辺りが継いでいたんだろうがな。