【転封】 信長・秀吉・家康の作った大名2 【改易】

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1日本@名無史さん
今まで弱肉強食で下克上の戦国時代を生き抜いて勢力を拡大していたのに

領土を戻されてしまったり復活したり・・・

競争原理の働かない処遇を受けた大名達について語りましょう。


前スレ
【加増取立】 秀吉の作った大名達 【転封取潰】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083851287/
2日本@名無史さん:04/08/11 20:31
げっ、折角立てたのにかぶってもうたやん・・・
3日本@名無史さん:04/08/11 20:33
3ゲト
じゃ,こっち生かしませう
4日本@名無史さん:04/08/17 12:39
実は大阪で秀吉は全然人気がなかった!!!
http://www.interq.or.jp/osaka/masahito/hasiba/futijisen.htm
5日本@名無史さん:04/08/17 14:57
信長の創った大名なんてあった?
6日本@名無史さん:04/08/17 20:55
本スレどっち?
7日本@名無史さん:04/08/17 21:25
>>6
こっちが本スレ。前スレの950以降でタイトルが決まりました。
でも偽スレの方が多いな。
8日本@名無史さん:04/08/17 22:28
世の中なんてそんなもんさ

つーことで、向こうで秀吉やってるから
こっちは信長・家康でやろうか
9日本@名無史さん:04/08/18 00:21
>>7
泣くなよ
10日本@名無史さん:04/08/18 06:41
1 名前:無名大名[] 投稿日:04/08/11 20:29
今まで弱肉強食で下克上の戦国時代を生き抜いて勢力を拡大していたのに
秀吉のおかげで領土を戻されてしまったり復活したり・・・

競争原理の働かない処遇を受けた大名達について語りましょう。

前スレ:
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083851287/

2 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 20:36
2でしょ?

3 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 20:41
とりあえず今の話題は秀吉の徳川転封と他大名の封じ込め配置

4 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/11 20:54
今まで出た徳川の転封先が軒並み東海時代より石高が減ってるのは何故

5 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 20:56
スレ立て乙

6 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/11 20:56
>>4
甲信二ヶ国は火事場泥棒で獲った領地なので巻き戻したから。
11日本@名無史さん:04/08/18 06:47
7 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 20:58
安房、上総、下総、常陸、上野でどう?

8 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/11 21:12
>>7
もう少し北へ押し出したいね。

9 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 21:21
上野、下野、磐城あと常陸

10 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/11 21:45
>>9
IN   会津+宮城県(名取・柴田・刈田・伊具・亘理)郡
OUT 常陸

でどうよ。

11 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 22:14
島津式に徳川も親子で分国するのはどうだろうか?
家康、秀康、秀忠で。

12 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 22:23
徳川は宇都宮でいいよ

13 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/11 22:30
南関東に誰入れるよ
12日本@名無史さん:04/08/18 06:48
14 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/11 22:30
伊達と徳川が組んだら怖いぞ。

15 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 05:10
正宗が自爆して徳川も道連れ?

16 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/12 06:41
関東へ追い出すほかない

17 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 07:00
小田原攻めに参陣した奴らを領地から追い出す訳には行かないだろ。
東方大名にも親豊臣派を作らないといけないし。

佐竹は参陣した大名の旗頭だから優遇しなくちゃいけない。
領地が増えても先祖代々の土地から移らされるのは反感を買う。
なので佐竹を常陸北部からは移せない。
佐竹と共に着陣した下野の連中も本領残さないと不味いだろうし。

そうなると徳川を置くのは北条も遺領と,
あとはまともに着陣しなかった大名から没収した領地ってことになる。
やっぱ常陸南部・下総・武蔵東部・上野というあたりしか入れれない気がするが。

18 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 08:45
これが佐竹厨か
13日本@名無史さん:04/08/18 06:49
19 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 08:56
厨じゃねぇって。
だから常陸南部は徳川だと言ってるだろうが。

20 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/12 09:11
いっそ半分移すか?
遠江駿河伊豆相模

21 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/12 09:23
むしろ徳川固定で上杉を武蔵相模伊豆に移して箱根から牽制させたほうがよかったのでは?

22 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 09:51
徳川が関東移封後、驚異的な速さで地盤を築いたからな。
秀吉にも予測出来なかったことだろう。

徳川の領地がそのままで、上杉移封では
牽制できなかったンじゃないか?

23 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 13:24
>>17
折角政宗と義光が小田原に来てるんだから、こいつらを処刑して領地を没収すればいい。
史実で蒲生が入った領地(会津・仙道・米沢)と旧最上領、旧伊達領(刈田・伊具・亘理・柴
田・名取・宮城・黒川)に徳川を移し、葛西・大崎・和賀・稗貫領に蒲生氏郷を入れる。
これで、北を蒲生(与力小野寺・秋田・戸沢)、東・南を佐竹(与力相馬・岩城・宇都宮)、
西を上杉という大大名連合軍による包囲体勢が完成する。
関東には、織田信雄という手もあるが、いっそ羽柴秀次と付家老(前野・山内・田中・中村
等)を入れて彼らを統御させるという手もある。
14日本@名無史さん:04/08/18 06:49
24 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 19:38
黙って奥羽へ移る徳川なんざ負け犬同然だから、誰もついてこないのではないかな。
むしろ毛利一門や、上杉家、(近国に残留した)蒲生氏郷の方が危険かも。

25 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/12 22:21
太田一吉なんてどう?

26 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 22:34
>>23
そうすると奥羽全土で史実の比ではない一揆、もしくは奥羽攻めが起こるな。
伊達+最上+葛西・大崎+その他で200万石弱の相手と小田原直後に戦うわけか。
まぁそうさせたいっていうことなら別にいいんだが。負けはしないだろうし。

それと、蒲生にその転封なのは何かの処罰か?与力併せてもせいぜい二十数万石しか無いぞ。
少なくとも大大名にはなれん。

27 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 23:07
>>26
葛西・大崎だけで30万石くらいはいかないか?
つーか、もともと蒲生は伊勢松坂で10〜15万石くらいしかもらってなかったはずだし、最初
に会津に入った時は40万石くらいだから概ね史実と同等だと思うんだが。
いくらド田舎でも所領倍増を処罰とは言わないでしょ。
15日本@名無史さん:04/08/18 06:51
28 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/12 23:17
堀秀政が生きていればよかったが、死んでしまっているので
悩むな...
徳川には伊豆を加増。前田利家を関東に移して大幅に加増する。
上杉に富山を加増、加賀・能登には蒲生を置く。織田信雄
は改易し、尾張には秀次と家老を入れる。会津には、福島
あたりの子飼いを置く。
 ただし問題がある。北条攻めのとき、上杉と前田は
関東の地侍を独断で寛大に扱い過ぎたということで
秀吉から叱責されている。(北条の支城を降伏させる
のではなく、見せしめのため城兵を皆殺しにするよう
に秀吉は望んでいた。)それで加増もほとんどなかった。
後々のことを考えると、このとき前田と上杉に大幅に
加増しておくべきだったと思う。



29 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 23:24
>>27
見直して気付いた。
葛西・大崎徳川領と思ってレスしてたよ。こっちが蒲生か。てっきり出羽北部のみと。
葛西・大崎は実高5〜60万はあるな。
こっちの妙な勘違いだ。スマソ。

で、今度は徳川が少なくないか?多分140万無いと思うんだが。
この転封を徳川が飲むならそこまで厳重な警戒要らないし。
16日本@名無史さん:04/08/18 06:54
援護
17日本@名無史さん:04/08/18 07:13
30 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/12 23:37
正直言って,小田原後の処置が最大の間違いだった氣がする。
伊達・最上の所領安緒とか,上杉・佐竹の対応とか。
上杉や佐竹を味方にするつもりだったならもっと加増してれば良かったし,外様として扱うつもりならもっと過酷に扱うべきだった。
伊達・最上も,厳罰に処して然るべきだし,そうでないなら徳川同様加増&移封すべきだった。

まぁ,あの時点ではできなかったことなのかも知れないし,後の状況を知っているから言えるだけだが。


31 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/13 00:30
>>30
みんなに加増するんでは、日本の土地が足りなくなってしまう。
味方にする大名と、敵と看做して根絶やしにする大名とはっきり分けるべきだ。
徳川・伊達・最上は当主の性格を考えればたとえ臣従してきても潰してもいい大名。
それだけの無主地ができれば、これから譜代層を育成するための資本となるだろう。
上杉や佐竹はバランスを失したり豊臣家の脅威とならない範囲で加増すべき大名。

32 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/13 00:39
>>31
そのとうり。
だからこそ,伊達・最上の本領安緒が良くわからない。
味方にするつもりの上杉・佐竹と扱いが同じ(ある意味,上杉・佐竹の方が酷い扱い)だし。

33 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/13 07:57
死んだ後に味方になるかどうか
そこまで読めないだろ
18日本@名無史さん:04/08/18 07:14
34 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/13 10:17
基本は三竦み

35 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/13 18:15
朝鮮征伐が成功して南朝鮮を支配した場合の割り振りでも考えてみましょうか?
戦功によると思うけど

36 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/13 22:49
領地の石高ばっかり問題になってるけど

「関東移動後に、旧北条家臣団をかなり採用」
したことによる、人的補充も大きいと思う。

やっぱ関東には違う勢力を送り込んで、旧北条家臣は
そこへ取り込ませたほうがよかった、と思う。


37 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/13 23:13
家康以外に関東を任せられるやつがいない

38 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/13 23:37
そこで佐竹義重ですよ

39 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/14 04:25
>>38
旧北条領なら佐竹より上杉だろ

40 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/14 09:00
>>38
佐竹を改易して常陸、下野に信頼できる大大名を配置しろ、ってことか?
いいかもしれんね。
19日本@名無史さん:04/08/18 07:17
41 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/14 09:33
上杉を旧徳川領へ、佐竹を旧北条領へ、徳川を旧佐竹領へ

42 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/14 14:39
佐竹は本貫の地を動かない・動かせないでしょ。
動かそうものなら、秀吉政権に恨み持つかも。

>>41
ついでに、
今度は逆に常陸・下野の在地勢力が徳川に
組み込まれることになり・・・
東北の不穏分子(伊達ら)と徳川との繋がりが
深く(近く)なってしまうし。

やっぱり
徳川→伊豆加増(金山抜き。豊臣金山奉行として目付けを配置)
     プラス、秀康に四国あたりに別家・別領地新規。
     (秀忠にあげちゃって徳川家臣団分割、
      「徳川相続は秀康ね。当分大坂に置くけど」でもいいかも)
南関東→上杉か秀次。もしくは前田

って感じでどうでしょ?
ただし、徳川以外に「江戸周辺を一気に開発」ができるかどうか・・・
城地ももう少し内陸になるかも知れませんね。
20日本@名無史さん:04/08/18 07:18
43 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/14 15:05
北条を滅ぼした時点でどう処理するか、っていうことだと
徳川を関東に移すのはあながち間違いではないと思う。
すぐ旧領においといてすぐ濃尾平野に進出できる状況は避けたいし、
ここでよく言われてるようにもっと待遇悪くすると徳川の家臣は怒りそう。
完全にアンチ豊臣になっちゃう。

だからとりあえず秀康を小田原城主として相模に分家を立てさせてるとか?
そんな感じでいくしかないような・・・

44 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/14 16:35
>>42
>佐竹は本貫の地を動かない・動かせないでしょ。
>動かそうものなら、秀吉政権に恨み持つかも。

上杉や徳川は動かせたじゃん?
なぜ佐竹は動かせないの?


45 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/14 17:21
佐竹も動かせると思うけど、あんまり意味なくない?
常陸に置いといた方が石高以上のパワーを発揮して徳川や伊達の牽制になると思うが。
そもそも小田原の役で佐竹は領地倍増くらいで安堵されてたんじゃなかったっけ…

46 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/15 00:23
上杉は「上杉」という名前ゆえに
東国鎮撫とか言われたら動かざるを得ない。
長尾のままならよかったのにね。

あと上杉は”在地領主寄り合い状態”からの脱却をしたかったので
ある意味渡りに船だとも言えるかも。<会津行き
21日本@名無史さん:04/08/18 07:28
47 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/15 00:24
>>44
お友達になってから間もないから。

48 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/15 17:21
小牧・長久手でぶっ殺しとけば良かったんだよ

49 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/15 18:19
ぶっ殺せなかった

50 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/16 15:58
よく蒲生は領土を保全したよな

51 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/16 19:56
奥州の乱に呉越同舟で送りだそう。家康が来なくて、井伊直政を派遣してきたのは、なんでだろ。もう少し深い罠が必要だったか。秀次に家康を仕留めさせられれば。

52 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/16 22:44
むしろ、池田恒興と森長可が生きている方が政権で持て余しそう。

53 名前:日本@名無しさん[sage] 投稿日:04/08/16 23:39
>>52
もし生き延びていたら、朝鮮役に投入され干されたことでせう(ワラ
朝鮮王になったら、ジャングル黒ベエか冒険団吉並に、日本史に
花を添えたかもしれんが(ゲキワラ

54 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/17 00:04
↑どっから沸いたの?これ
22日本@名無史さん:04/08/18 07:29
55 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/17 08:46
三成は黙って失脚して家康の寿命を待っていりゃ天下取れたのに
小賢しく策を労して自滅した
秀忠では無理だろう

56 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/17 21:04
本スレ上げ
23日本@名無史さん:04/08/18 07:31
57 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/17 21:29
【転封】 信長・秀吉・家康の作った大名2 【改易】

58 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/08/18 00:23
本スレage

59 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:04/08/18 00:51
ほぼ同時に出来たスレだし
どっちが本擦れでもいいよ

前スレでも織田・徳川を入れるって意見と入れないって意見があったんだし
24日本@名無史さん:04/08/18 07:57
信長は代官と与力で直轄領を与えていたのかねえ?
部下は雇いの武将みたいなイメージがある。
25日本@名無史さん:04/08/18 10:03
一人粘着ががんばってるイメージ
26日本@名無史さん:04/08/18 12:26
俺はこっちのタイトルがいいな

織田信長は家臣に城を与えていたけど
徴税権や行政権まで与えていたのだろうか?
柴田勝家が先立って楽市をやってたね
27日本@名無史さん:04/08/18 14:36
>>26
信長政権が続いた場合、最終的には今知られている近世大名ではないものになりそう。
西欧式に官選の知事みたいな存在になるのでは?
28日本@名無史さん:04/08/18 15:28
そうかな?
29日本@名無史さん:04/08/18 15:49
>>27
それは、全てあなたの思い込みです。
30日本@名無史さん:04/08/18 17:17
どちらかとゆーと律令時代みたいな感じ?

しかもアウトソーシング指向
31日本@名無史さん:04/08/18 17:59
秀吉も長浜城を貰っただけで封土じゃないのか
32日本@名無史さん:04/08/18 19:22
前田家という安定勢力を加賀など安定したところに置いたのがイクナイ
尾張あたりにドドーンとな
33日本@名無史さん:04/08/18 21:59
北陸地方は幽閉で遊兵な感じですな?
34日本@名無史さん:04/08/19 07:02
前田家や松平越前家
35日本@名無史さん:04/08/19 08:31
どの系統の大名が繁栄?
36日本@名無史さん:04/08/19 12:42
そうだな
上杉や前田や丹羽を太平洋側へ移していりゃあな
37日本@名無史さん:04/08/19 17:15
丹羽長重はダメだろ?そんな器量か?


話が変わるが、佐々成政は肥後でなければ五十万石ぐらいに納まっていたろうか?
38日本@名無史さん:04/08/19 18:25
信長系の出世頭
39日本@名無史さん:04/08/19 20:09
例えば清正が同時期の肥後を貰っていても同じ運命だったろ
40日本@名無史さん:04/08/19 20:21
秀次が生きていればなぁ・・・
41日本@名無史さん:04/08/19 20:26
豊臣秀次に連座
木村重茲 18.0万石 山城淀
三好吉房 11.3万石 尾張清洲
前野長康  5.3万石 但馬出石
羽田正親  4.8万石 大和小泉
木下吉隆  3.5万石 豊後大野
服部一忠  3.5万石 伊勢松坂
渡瀬繁詮  3.5万石 遠江横須賀
明石則実  2.2万石 但馬城崎
42日本@名無史さん:04/08/20 08:09
前野長康ってやり手?
43日本@名無史さん:04/08/20 19:34
すいません信長側近上がりの大名を教えて下さい。
44日本@名無史さん:04/08/20 21:19
長谷川秀一
45日本@名無史さん:04/08/20 21:47
宮部は切れ者
46落武者:04/08/20 21:50
前野長康は槍手ではありません。(笑)
47日本@名無史さん:04/08/20 22:52
堀Qも側近上がり
つかスレ分裂したまま続けるの?
48日本@名無史さん:04/08/21 05:52
秀吉の死亡時で信長系と秀吉系のどちらが勢力大きいかなと思ったので。

外様系が一番だろうけど。
49日本@名無史さん:04/08/21 06:17
そのころには信長系など無いのでは?

出来星大名でってこと?
50日本@名無史さん:04/08/21 06:42
中川も信長系になるのかねえ
51日本@名無史さん:04/08/21 08:30
前田も織田系

織田系の出世大名のその後の去就は自己利益が基本。
太閤恩顧とか言われてもピンと来なかったんだろうな。
52日本@名無史さん:04/08/21 10:18
十万石止まりばかりじゃない?
53日本@名無史さん:04/08/21 10:51
主なところでは、
前田利長83万石
堀秀治 45万石
細川忠興18万石
蒲生秀行18万石
池田輝政15万石
丹羽長重12万石
藤堂高虎 8万石

前田と堀以外は中小だね。
政治力では細川幽斎の影響で細川も馬鹿にできない。
54日本@名無史さん:04/08/21 13:15
蒲生と丹羽は一時デカかったんだよな
55日本@名無史さん:04/08/21 13:26
佐々もな

金森とか稲葉は入れていいの?
56日本@名無史さん:04/08/21 13:47
もちろんでしょ
57日本@名無史さん:04/08/21 19:59
森、宮部
58日本@名無史さん:04/08/21 20:51
蒲生、生駒あたりはどうなんだろ。
あと、岐阜に織田秀信。
59日本@名無史さん:04/08/22 00:04
池田、森も織田系だろう。
60日本@名無史さん:04/08/22 07:02
菅屋長頼
堀秀政
福富秀勝
長谷川秀一
61日本@名無史さん:04/08/22 11:38
万見重元
62日本@名無史さん:04/08/22 12:24
林家とか平手家とか佐久間家とかどうなったの?
63日本@名無史さん:04/08/22 19:56
堀秀治は小田原以降も生きてたら、徳川旧領あたりに大きい領地もらってたかもね。
64日本@名無史さん:04/08/22 19:59
あれ、蒲生は会津に復帰してたよな?
90→18→60万石ぐらいだっけ?
65日本@名無史さん:04/08/22 20:25
>>63
秀政の間違いかな?
66日本@名無史さん:04/08/22 22:35
越後を貰ったのは秀政?秀治?
67日本@名無史さん:04/08/22 22:47
秀政は小田原の陣中で病死。越後を貰ったのは秀治。
秀吉は秀政が生きていれば、関東の大部分を与えるつもりだった
という話がある。
68日本@名無史さん:04/08/22 22:47
>>66
秀治
69日本@名無史さん:04/08/23 06:41
家康領には大身大名を隣接させる必要があった
70日本@名無史さん:04/08/23 19:43
秀家にあと五十万石あれは関ケ原で指導力を発揮して勝利していたでしょうに
71日本@名無史さん:04/08/24 08:49
あと一万増えても勝てない
72日本@名無史さん:04/08/24 10:31
あと五十万石あっても内紛で勢力弱めたんじゃないの?
73日本@名無史さん:04/08/24 10:38
宇喜田が百万石の大名だったら、三成は危険視して潰す。
74日本@名無史さん:04/08/24 15:17
三成は秀次・秀秋・家康と潰しにかかったが
秀家はターゲットにならないのでは?
75日本@名無史さん:04/08/24 15:51
宇喜田は、播磨あたりを加増するとあまりにも大阪に近くて大きすぎる領地なので
秀頼への中継ぎで関白職を与えないとすまないようなポジションになりそうに思う。
近国で百万石っていうのは、たとえば秀長・秀次と同レベルの待遇っていうことになると思うので。
北部九州あたりへ移して領地倍増、というのならわからなくもないけど、
逆に遠すぎて豊臣家の藩屏としての役割を果たしにくくなる。
76日本@名無史さん:04/08/24 19:34
それ小早川じゃん
77日本@名無史さん:04/08/24 20:14
駿河 遠江 甲斐の3国ぐらいに封じたら?
78日本@名無史さん:04/08/24 20:36
もっと大幅加増じゃないと転封は無理じゃないの?
79日本@名無史さん:04/08/24 20:58
秀家を駿遠甲の三国?
80日本@名無史さん:04/08/24 21:39
羽柴秀長って何万石?
81日本@名無史さん:04/08/24 21:48
何!?マンゴ食う?
82日本@名無史さん:04/08/24 21:53
秀長は大和他100万石

嘘っぽいよな
83日本@名無史さん:04/08/24 23:02
関東に移した家康の隣接大名は小粒すぎないか?
佐竹ぐらい?
84日本@名無史さん:04/08/24 23:04
佐竹くらいだね。
大きな大名を置いて,徳川に懐柔されたらヤバイと思ったのかな?
85日本@名無史さん:04/08/24 23:06
関東には元々北条と佐竹以外に大大名なんていないじゃん。
86日本@名無史さん:04/08/24 23:08
だから置けばいい話だろ。
せっかく徳川の領地が空いたんだから。

なのに小粒の香具師を詰め込んだのは何故かって話だと思うが。
87日本@名無史さん:04/08/24 23:51
一応、秀次が尾張伊勢百万石で東方の防ぎにするつもりだったのかな
88日本@名無史さん:04/08/25 00:02
小西行長が働けなかったのは
明らかに朝鮮征伐のせい

平壌占領したときは18000人いたのに
負けて漢城まで逃げ延びたときは6000人足らず
89日本@名無史さん:04/08/25 06:35
そんなはずねー
90日本@名無史さん:04/08/25 07:14
そうだな本当にそれだけの被害を受けて
慶長の役で損失分をさらに動員できないだろうね
91日本@名無史さん:04/08/25 19:50
しかし家康にプレッシャーを与えられるやつがいるか?
92日本@名無史さん:04/08/25 20:19
家康に対抗できそうな人材は、
豊臣秀長・蒲生氏郷・小早川隆景・前田利家。
関ヶ原の時に生きてたやつでは(隠居せずもう少し大きい領地があったら)黒田如水。
93日本@名無史さん:04/08/25 20:28
>>92
>家康に対抗できそうな人材は、
>豊臣秀長・蒲生氏郷・小早川隆景・前田利家。
皆、家康より早く死んでる罠。
94日本@名無史さん:04/08/25 20:28
直接ガチンコでやりあえはしないが,佐竹はプレッシャーを与えることは出来てたのではないかな。
まぁ,正面切ってやり合える力は当然ないわけだが,そこそこの大身に静観されるのはやりずらいだろう。
95日本@名無史さん:04/08/25 20:54
小西と加藤を隣接させるのはちょっと
96日本@名無史さん:04/08/25 22:17
みんな、あの人を忘れてやいないか?

そう、織田常真タンでつよ
97日本@名無史さん:04/08/25 22:53
堀秀政と蒲生氏郷って、どっちが格上なの?
98日本@名無史さん:04/08/26 10:10
氏郷の方を危険視
99日本@名無史さん:04/08/26 11:09
春日山に移されたのは堀秀治の方だよ
100日本@名無史さん:04/08/26 11:57
立花に大禄を与えてりゃねぇ
101日本@名無史さん:04/08/26 15:01
何で田舎の土豪なんぞを優遇せにゃならんのか。
102日本@名無史さん:04/08/26 15:34
使えるから
103日本@名無史さん:04/08/26 17:22
二代目がダメな可能性があるからね
104日本@名無史さん:04/08/26 17:40
二代続けて優秀なケースは稀だろう
105日本@名無史さん:04/08/26 17:53
ところで細川氏はなんで長岡氏を名乗っていたんでつか?
106日本@名無史さん:04/08/26 21:51
細川といっても分家末流だったから
主君の織田は下賎の出身だったので、名門の細川を称するのは憚られた
長岡に領地があった
107日本@名無史さん:04/08/26 21:57
>>106
いい加減なこと書くなよ
長岡を名のったのは信長と義昭の仲がまずくなったから
108日本@名無史さん:04/08/26 22:01
表裏非興の細川君
109日本@名無史さん:04/08/26 22:02
>>108

非興×
比興○
110日本@名無史さん:04/08/27 03:41
細川はなぜ西岡じゃなく長岡を名乗ったのかな。
111日本@名無史さん:04/08/27 08:01
>>107
それまで細川は信長、義昭の両方に属してたと聞いたが。
112日本@名無史さん:04/08/27 09:11
形のうえでは管領職であったこともあったのかな?
113日本@名無史さん:04/08/28 13:13
幽斎あげ

なんで親は別の場所に領地を・・・
114日本@名無史さん:04/08/28 16:52
よく生き残った
短期長期でみて
115日本@名無史さん:04/08/30 10:12
関ケ原で家康の野戦軍主力である秀忠隊がいれば
戦功をあげた豊臣系が減少して譜代の中規模大名が
五、六家できていたと思うんだがどうよ?
116日本@名無史さん:04/08/30 10:24
>>115
その手のIFの話は三戦か関ヶ原スレでやりなよ
117日本@名無史さん:04/08/30 20:13
イフスレ
118日本@名無史さん:04/08/30 21:36
どっちにしろ家康に箱根を渡したのは失敗じゃないか?
119日本@名無史さん:04/08/30 21:46
>>118
そんなことオレらに言ってもどうしてやることもできないだろ

本人に言ってやれ
120日本@名無史さん:04/08/30 21:58
>>119は最近スレを読み始めた模様
121日本@名無史さん:04/08/31 22:07
思うによー
家康は飛び地で増封したい方が良かったよな。
関東移封で兵農分離してしまったが、保守的な家康は転封が無ければ古い体質のままだったろ。
122日本@名無史さん:04/09/01 05:09
>>121
わざと中途半端になるように
三河・遠江・駿河・甲斐・信濃を一国加増の名目で甲斐・信濃・伊豆・相模・武蔵と、地続き
でない上総とかにしてみたらどうよ?
古い体質と新しい体質が並存するようになると、保守派と改革派で家臣団が割れやすくな
るかもしれん。
123日本@名無史さん:04/09/01 06:28
秀忠に安房下総、秀康に上総。
124日本@名無史さん:04/09/02 01:05
徳川にとっては災い転じて福となす関東転封だったわけだ
125日本@名無史さん:04/09/02 19:51
徳川領には何もしないのが最善手か?
126日本@名無史さん:04/09/02 22:16
結果的には家康の領土(ポテンシャル)は増えた
秀吉の意図は遠くに追いやることだけだったのかな?

127日本@名無史さん:04/09/02 23:22
>>126
東国支配の安定
128日本@名無史さん:04/09/03 13:49
結果として安定したのかな?
129日本@名無史さん:04/09/03 19:30
九州・東北のように反乱一揆が起こらなかったのだから、安定したといえるのではなかろうか
130日本@名無史さん:04/09/03 20:01
なんかこのスレって小学生以下の知識しかない奴ばかりだな。
131日本@名無史さん:04/09/03 20:37
>>130
おとなになれ
132日本@名無史さん:04/09/04 07:36
あれ?
肥後は何で空き地になったんだっけか?
133日本@名無史さん:04/09/04 08:34
加藤清正以前の肥後はどうだったか?忘れてならないのが肥後国衆一揆です。

九州統一を完了した豊臣秀吉は肥後の領主に佐々成政を任命します。
当時、肥後には五十二人衆と言われる国衆(在地領主)がいて、
各地に割拠していました。成政は彼らに対し検地を強行します。
それは秀吉が約束した「所領安堵(しょりょうあんど)」
「三年間検地不施工」に反したものでした。

五十二人衆にしてみれば自分たちが築き上げてきた自主権を
おびやかすものでした。国衆たちの大半が呼応して反旗をひるがえします。
これが肥後国衆一揆です。

そのとき秀吉は京都北野で大茶会を催していましたが、国衆一揆の報に接するや
急きょ茶会を取りやめます。秀吉にとっていかにショックであり大事件であったかがわかります。
秀吉が鎮圧に差し向けた豊臣軍は圧倒的な軍勢で一揆勢を降していきます。
佐々成政は国を治めれなかったことで自刃に追い込ました。

秀吉はこのあと太閤地検や刀狩りなど兵農分離を強力に進めていった。
134日本@名無史さん:04/09/05 10:41
まさに鉢植え大名
135日本@名無史さん:04/09/06 21:32
ほしゅ
136日本@名無史さん:04/09/07 17:07
転封に逆らった大名もいたんでしょ?
137日本@名無史さん:04/09/07 19:28
信雄
138日本@名無史さん:04/09/07 21:12
氏政
139日本@名無史さん:04/09/07 22:15
秀頼
140日本@名無史さん:04/09/07 22:19
ジョン
141日本@名無史さん:04/09/08 06:51
ダウト
142はうはう:04/09/08 13:05
家康は運がいい。
関が原前に戦乱の時代(1560-1575ぐらい)を生きた
一代で大物となった人物や若い大物が次々といなくなった。
小早川隆景、前田利家、長宗我部元親、蒲生氏郷

伊達政宗は降伏ばっかして、コロコロ寝返る小物
所詮天下は狙えん。
あとは2代目ばっか

唯一いるのが黒田如水
143日本@名無史さん:04/09/08 13:48
>>142
最上義光と鍋島直茂がいる。政宗よりは断然優秀な人材だ。
144はうはう:04/09/08 16:59
ぬおー、確かにその二人もいた!確かに政宗より優秀。
でも、現に関が原で生存していたが天下取りに影響はあまりないのでは?
最上は局地戦闘で上杉に勝てないし、
鍋島も名将だが関が原にあまり影響力はない。(立花攻撃)

小早川隆景(1597没)、前田利家(1599没)が生存してたらもちろん手は出せないし、
長宗我部元親(1599没)は家康も相当認めている発言を残している。
(もし生きていても長男戦死で半狂人になったとも思われるから無理か?)
蒲生氏郷(1995没)は家康の本国の横で石高高くて家康にとっては危険

如水だけは、関が原長期戦になると怖い存在になりそう。

島津義久ってのもいたな、でも国内処理でダメだったが。
145はうはう:04/09/08 17:02
追加
最上、鍋島は徳川に付いたから、
結局家康の天下取り手伝ったんで天下はとれない。

敵対勢力か潜在的に敵対にならないと天下取れないんでは?
146日本@名無史さん:04/09/08 19:26
天下を取るにも格ってもんがあるだろ
147日本@名無史さん:04/09/08 20:43
他に生き残りはいなかったか?
148日本@名無史さん:04/09/08 20:52
低レベルのやり取りにうんざり  三戦に行けよ UZEEEEEEEE
149日本@名無史さん:04/09/08 22:04
蒲生氏郷って9年前まで生きてたのか・・・。
すごいね。
150日本@名無史さん:04/09/08 23:58
>>144
>如水だけは、関が原長期戦になると怖い存在になりそう。

なんでそんな根拠のないことを考えるんだ?
151はうはう:04/09/09 02:14
>低レベルのやり取りにうんざり  三戦に行けよ UZEEEEEEEE
>なんでそんな根拠のないことを考えるんだ?
根拠のないのに相手否定する人間よりマシ。
否定するだけならだれでもできる。
幼稚園児でも。
否定するならそれこそ根拠書かないと、どんな文章にも書けるぞ(爆笑)
ただの歴史を知らない無知だとおもわれてもしょうがない。


私の根拠は関が原時
「精兵の殆どは、嫡男の長政が率いていて、国元には残っていないのに
如水は九州一円をおよそ2ヶ月余りで外交と戦闘で殆どを掌中に収めている。」



152日本@名無史さん:04/09/09 02:45
>私の根拠は関が原時
>「精兵の殆どは、嫡男の長政が率いていて、国元には残っていないのに
>如水は九州一円をおよそ2ヶ月余りで外交と戦闘で殆どを掌中に収めている。」

知識って歴史小説が元ですか(失笑)
153日本@名無史さん:04/09/09 02:56
>>151
小説読んで歴史を解ったように勘違いしないほうが良いよ
あくまで小説は小説、フィクションなんだからw
154日本@名無史さん:04/09/09 04:51
如水は九州一円を掌中に収めてるって書いてるけど実情は全然違うでしょ。

当時、加藤清正も細川忠興も立花宗重も鍋島親子も小西も島津も如水に臣従してるわけじゃないし。

如水の勢力は極めて限定的。
155日本@名無史さん:04/09/09 06:57
152は人も羨むような素直な性格なんだろうな。
オレオレ詐欺に引っかかるなよ。
156155:04/09/09 06:58
152じゃなくて、151だった。スマソ。
157日本@名無史さん:04/09/09 07:45
>151
外交? 関ヶ原の勝敗結果あってのものだからなぁ。長引く方が不利だろ。
158日本@名無史さん:04/09/09 09:24
家康が家中を掌握するまでだいぶかかっていたが
統一前に代替りしたら分裂しないか?
159日本@名無史さん:04/09/09 10:28
>>151
おまえうざい。
160日本@名無史さん:04/09/09 14:56
関東移封時に酒井忠次を独立大名にさせるなど分裂工作に励むべきだったな
161日本@名無史さん:04/09/09 20:18
忠次は隠居してなかったか
162日本@名無史さん:04/09/09 20:52
当主は?
163日本@名無史さん:04/09/09 20:59
家次
164日本@名無史さん:04/09/09 21:14
戦功上げてないよな?
数正−忠次 時代
忠隣−正純 時代

の間?
165日本@名無史さん:04/09/10 09:02
信長は大名を作ったのか?
166日本@名無史さん:04/09/10 14:19
>>165
秀吉は農民のままだったのか?
167日本@名無史さん:04/09/10 15:35:49
はあ?
168日本@名無史さん:04/09/10 19:59:20
信長配下の武将は大名?
169於義丸:04/09/10 20:48:56
大名ですよ。江戸時代の考えなら、一万石以上大名
丹羽長秀、羽柴秀吉、柴田勝家、前田利家など
170日本@名無史さん:04/09/10 21:00:52
信長配下は分国の支配権を与えられてこそ、大名という印象がある。
一万石以上の家臣も大勢いたとは思うが。
171日本@名無史さん:04/09/10 21:28:37
所領安堵された外様もいたっけ?
172日本@名無史さん:04/09/10 21:31:45
織田家の家老の下に組み込まれてるけど
細川とか中川なんか一応そうなるんじゃないの?
173日本@名無史さん:04/09/10 21:32:27
松永久秀
何万石なんだろね?
174日本@名無史さん:04/09/10 21:34:48
>>170
信長の頃は城持ちになるのが家臣達の夢だったんだろう?
175日本@名無史さん:04/09/10 22:45:19
当時はたいていの国人は城持ちだろう
176日本@名無史さん:04/09/11 07:37:21
荒木村重も信長が安堵した大名では?
177日本@名無史さん:04/09/12 08:53:21
とかく秀吉存命中は反乱が起きなかったわけだ
178日本@名無史さん:04/09/12 09:36:53
家康の時代、大名と言えば10万石が基準。
179日本@名無史さん:04/09/12 12:57:51
>169
信長部将を大名(諸侯)と呼べるのかどうか。
信長が天下人かどうかに掛かってくるけれど、形式的(官職)にも
実質的(支配領域)にも、天下人じゃないね。上様と呼ばれていても。

信長部将が陪臣同様であれば、石高が何十万石あっても諸侯ではないし、
これは江戸時代も同じ。
180日本@名無史さん:04/09/13 07:03:07
どうなの?
181日本@名無史さん:04/09/13 20:29:04
>>179
それだと松永、筒井、細川、和田あたりは独立大名だったり将軍直臣だったりしたから大名で、
それより大きい領地を持ってた柴田や羽柴は大名ではないことになってしまわない?
182日本@名無史さん:04/09/13 21:44:18
>>179
官位を持ってる人は直臣
183日本@名無史さん:04/09/14 02:35:49
えっ?陪臣でも官位もってたら直臣なのか!?
184日本@名無史さん:04/09/14 09:24:20
電波なやつらばかりだなw
185日本@名無史さん:04/09/14 10:35:26
滝川一益は最後は関東管領(的ポジション)なのでむしろ大名の上。
186日本@名無史さん:04/09/14 10:56:18
>>183
柴野栗山の説がありそれを松平定信が主張し
将軍家斉を黙らせた
187日本@名無史さん:04/09/14 12:36:11
>>185
それはない。
188日本@名無史さん:04/09/14 14:08:19
そもそも朝廷の希望や許可もなく、朝臣を自分の家臣したり、
その逆に自分の家臣を朝臣にしたりできるのかい?
189日本@名無史さん:04/09/14 14:33:07
官位持ってたら
陛下の直臣になるだろ
190日本@名無史さん:04/09/14 19:01:14
公家社会では「家礼」といって、摂関家に臣礼をとって出世の面倒その他を見てもらうという慣例があったそうだが。
江戸時代の武家の官位もすべて朝廷に奏上してたのだろうか?
191日本@名無史さん:04/09/14 21:18:44
田中吉政ってどうよ?
192日本@名無史さん:04/09/14 21:28:35
田中は貧乏で大坂夏の陣に出陣できなかったと聞いたがまじかね?
何に浪費したんだろう?
193日本@名無史さん:04/09/14 22:01:00
>191
立身出世っぷりや、柳河での治世などはもっと評価されても良いと思う。
194日本@名無史さん:04/09/15 13:43:43
ここは豊臣政権を強化スレ?
195日本@名無史さん:04/09/15 18:34:21
>>192
形に残ったものとしては、久留米・柳川両城の整備拡張と領内開発。
柳川城については、十数年ぶりに旧領へ戻った立花主従が驚くほど見違えたそうな。
196日本@名無史さん:04/09/16 18:29:21
>>190
武家諸法度を見ることをお薦めする。
197日本@名無史さん:04/09/18 11:56:01
北条領がそのまま徳川領に?
198日本@名無史さん:04/09/20 13:41:59
そうじゃない
199日本@名無史さん:04/09/25 20:03:53
もし長宗我部を転封していたら?
200日本@名無史さん:04/09/25 20:11:15
もし〜だったらみたいなスレ立てたり、レス付けたりする奴いるけど
正直お前の妄想なんてだれも共有したくないよ
201日本@名無史さん:04/09/25 20:12:10
もしも、織田信長が現代にタイムスリップしたら?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1093069894/l50
会津藩と長州藩の位置が逆ならば・・・
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1095937471/l50
202日本@名無史さん:04/09/25 20:46:44
>>200
漏れはでら共有したいな。
203日本@名無史さん:04/09/25 21:58:59
五大老・五奉行を補充しなかったのは何でかね?
どんどん権力が集中していくじゃん。家康の陰謀?


もしも、五大老・五奉行を補充していたら・・・
204日本@名無史さん:04/09/25 22:29:21
補充するに足る格のあるやつがいなかった
205日本@名無史さん:04/09/25 22:40:45
補充?拡充のこと?
206日本@名無史さん:04/09/25 22:47:03
>>203
関ヶ原合戦時、五大老・五奉行で欠けていたのは三成ひとりだけだが。
207日本@名無史さん:04/09/25 22:56:21
五大老は小早川隆景が死んでから上杉景勝が補充され、
前田利家が死んだ後に前田利長が補充されたんだろ。
208日本@名無史さん:04/09/25 23:18:43
おまいら長政を忘れンな!
209日本@名無史さん:04/09/25 23:42:53
>>207
それまで飢え過ぎは役なしだったの?
210日本@名無史さん:04/09/26 00:01:55
>>209
マイナーな説だが、六奉行だったと唱える輩もいるみたいだよ。
211日本@名無史さん:04/09/26 00:03:23
上杉みたいな大大名が、奉行なの?
212日本@名無史さん:04/09/26 01:06:09
会津に移されるまでは上杉よりも佐竹・島津・伊達とかのほうが大きかったんじゃないのか?
213日本@名無史さん:04/09/26 02:41:35
>>212
会津で100万石いったんだっけ?
直江領はそれと別として?
214日本@名無史さん:04/09/26 07:54:31
関ヶ原の時には2奉行ぐらいじゃなかった?
215日本@名無史さん:04/09/26 10:24:53
増田、大谷あたりはすでに奉行ではなかったということ?
216日本@名無史さん:04/09/26 10:40:23
大谷は元々5奉行とは違うだろ
217日本@名無史さん:04/09/26 11:30:51
関ヶ原当時の状況を整理すると
石田三成:隠居させられ解職
増田長盛:現職(家康を糾弾する檄を飛ばす書状に署名)
長束正家:現職(〃)
前田玄以
浅野長政:辞職

までは思い出すんだが、この時前田は何やってたんだ?
218日本@名無史さん:04/09/26 16:19:02
>>212
越後90万石で伊達 島津よりも格上
219日本@名無史さん:04/09/26 19:06:04
越後と庄内とあとどこを足して90万石なんでしょう
220日本@名無史さん:04/09/26 19:29:12
豊臣政権の維持のためにも奉行を補充しろよな

五大老、五奉行は幕府の老中や若年寄みたいに、元々制度化されたもんたもんだったんかいな?
221日本@名無史さん:04/09/26 19:31:22
奥信濃、越中
222日本@名無史さん:04/09/26 19:34:32
現状90万石なのに、転封後で120万石超程度でよく納得したな。
223日本@名無史さん:04/09/26 21:20:13
>>222
納得しなくても秀吉と戦う根性もないだろう。
224日本@名無史さん:04/09/27 09:34:56
引退時に後任を補充していたらどんな人事になっていた?
中老あたりに人事権を明確に与えておけば豊臣政権も延命したのではないか?
225日本@名無史さん:04/09/27 10:04:22
黒田が家康に取り込まれたのが致命傷だ
要職を与えて豊臣政権に取り込んでいれば
家康の天下はなかった

しかし如何、三成とキャラが被るんだよな
226日本@名無史さん:04/09/27 10:46:03
黒田の親父の方は三成にポストを奪われたようなもんだからな
227日本@名無史さん:04/09/27 13:28:57
如水には領地じゃなくて米と金を与える給金待遇で大阪において置けば良かった。
明らかに反三成が明らかな場所に置いといても意味ねえ。
228日本@名無史さん:04/09/27 17:09:21
>>227
土地もらってナンボの時代にそんなことやってもうらまれるだけ。
229日本@名無史さん:04/09/28 07:11:57
汝水は子供とは別に大名として手元に置いておくべきだったよね
230日本@名無史さん:04/09/30 19:21:26
だったらなんなの?
231日本@名無史さん:04/10/01 13:31:29
蜂須賀家こそ股肱の譜代なのに なぜ重用しない
232日本@名無史さん:04/10/01 19:16:21
そうかな?
233日本@名無史さん:04/10/01 21:35:49
織田の家臣同士だったんだから譜代じゃないだろ
234日本@名無史さん:04/10/02 05:37:09
小六や半兵衛は秀吉直属じゃなかった
235日本@名無史さん:04/10/02 18:02:50
みんな信長のおかげで出世したのに
236日本@名無史さん:04/10/03 00:41:17
信長は家来達のおかげで出世した
よって信長が家臣たちに足を向けて眠ることは許されることではない
しかし信長の家臣たちは四方八方に散っている
ゆえに信長は逆立ちをして眠っていたに違いない
237日本@名無史さん:04/10/04 17:39:55
豊臣の没落は必至
238日本@名無史さん:04/10/04 23:31:48
お前は必死
239日本@名無史さん:04/10/05 20:08:12
うまいねどうも
240日本@名無史さん:04/10/05 20:21:18
もっと加藤、鍋島、亀井、伊達などの領土的野心の旺盛な大名を朝鮮に送って切り取らせばよかったのにな。
241日本@名無史さん:04/10/05 22:23:05
>>240
新領地への関心は高いだろうけど、既に持っている領地への関心はもっと高いので
元が取れない状況なら誰も逝かんよ。
242日本@名無史さん:04/10/06 10:01:59
>>240
伊達だけ送って、その後鎖国するのが一番いい展開。
243日本@名無史さん:04/10/06 14:25:27
しかし国内には土地がないわけだ
244日本@名無史さん:04/10/06 14:44:03
朝鮮半島の土地なんてダレも欲しくない。
245日本@名無史さん:04/10/06 18:35:25
欲しがった奴もいたけどな。
普通に考えて朝鮮が非常識なほど荒廃しているとは思わんよな。
246日本@名無史さん:04/10/06 20:12:20
朝鮮半島など通過点に過ぎぬ
と考えてたんじゃないの?
247羽狗狸法師:04/10/06 20:13:41

我々ヨーロッパ人は、互いの間では賢く写るが、日本人に比べると
  はなはだ、野蛮であると思う。私は毎日、日本人から教えられることを
  告白しなければならない。私は世界の中で、これほどまで天から才能を
  与えられた民族はないと思う。」

  「京都は、ヨーロッパならローマにあたるが、科学、見識、文明はローマ
  よりはるかに高尚である。信仰さえ別にすれば、我々は日本人よりも
  あきらかに劣っている。」

         16世紀 イエズス会本部への報告書より
         宣教師 ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ

248日本@名無史さん:04/10/07 13:35:18
朝鮮には屯田植民をしときやよかったんだ。
人間を入れ替えない限り半島は発展しない。
249日本@名無史さん:04/10/07 21:56:38
豊臣ダメダメ
250日本@名無史さん:04/10/08 20:22:58
家康はけちって加増しなかった
251日本@名無史さん:04/10/13 20:45:17
織田が統一していたら上位の有力大名は誰でどれくらいの所領をもらってたかな
252日本@名無史さん:04/10/13 21:08:21
120万石とか、そんぐらいじゃないかな?秀吉が
253日本@名無史さん:04/10/13 21:09:00
>>251
尾張以来の家臣以外は口実をつけて領地召し上げ、
中央政府から官吏が現地赴任だろうな。
尾張以来の家臣も後継者がいなかったりしたらすぐ取り潰して直轄領化。
中央で決めた法は日本全土で完全に施行されるようにして、
封建体制は認めない。
それを認めるなら家老クラスの人間を追放したり急に領土代えたりしないよ。
254日本@名無史さん:04/10/13 21:11:58
織田が統一した場合、毛利、上杉、島津など有力戦国大名は
生き残りを許されそうにないから譜代の織田家臣団から
100万石クラスが複数排出されるのかな?
255平尚王也:04/10/13 21:12:30
果たして信長が天下を取っていたとしても、何代まで、持ったかな?
256日本@名無史さん:04/10/13 21:23:59
>>253
そうだな。
あのペースでは秀吉、光秀、勝家、家康の4人は100万石を超えてしまう。
100万石の「譜代」大名が4家もあったら、足利幕府の2の舞。
この4人のうちはともかく、2代目になったら、家取り潰しか、減封していただろう。
秀吉だって丹羽長秀に100万石与えたが、長秀が死んだら5万石にしているし、
家康が先に死んでいたら、250万石をそのままになんかしていなかったはず。

ただ、信長が先に死んでしまった場合に、それができる人がいるかだ。
信忠では秀吉や家康とは対決できまい。
257日本@名無史さん:04/10/13 21:25:38
突然ですが、宿題で知りたいことがあります!!
御三家はなぜ紀伊・尾張・水戸に置かれたのでしょうか?
いろいろ調べているのですがわかりません。。。
誰か教えてください!!
258平尚王也:04/10/13 21:27:49
たしかに、信忠公では、老獪な家康、秀吉には、太刀打ちできませんね。
丹羽長重も酷いですよね。イチャモンつけられて、5万石に。
なのに、関ヶ原では、西軍についちゃって。
259日本@名無史さん:04/10/13 21:31:24
>>257
最初は御三家とは将軍家、尾張家、駿河家を意味した。
水戸家は御三家ではなかった。

その後将軍家の地位が高くなり、尾張家、駿河家、水戸家になる。
尾張家は家康の地元三河や、美濃を制するものは全国を制するという地域を抑えるため。
駿河家は後に紀州に転封させたが、これは大阪を押さえるため。
水戸家は仙台伊達、会津加藤、山形最上、米沢上杉あたりへの防波堤を期待。
260平尚王也:04/10/13 21:36:38
ちなみに、駿河家は、駿河大納言忠長、徳川家光の弟です。
たしか、55万石でしたが、兄家光により、改易にされ、駿河家滅亡
その後、水戸家になる。
261日本@名無史さん:04/10/13 21:37:38
信長はそんなに土地をくれないだろ?
あと結構、地元の領地安堵してないか?
262平尚王也:04/10/13 21:38:34
>>259様の言ってる駿河家は、紀州来る前の話しでしたか、すいません。
補足です。水戸家は、藩主は、ほとんど江戸にいました。
263日本@名無史さん:04/10/13 21:45:40
>>261
本能寺の変時点で、秀吉は約70万石。毛利を滅ぼし、九州を統一すればさらに1,2国30万石は楽勝。
光秀も50万石だったが、やはり毛利を滅ぼし、九州を統一すれば100万石いったと思われる。
家康は75万石。関東東北を滅ぼせば100万石確実。
勝家も、与力大名を加えれば、すでに100万石突破。上杉を滅ぼせば、直轄で100万石確実。

地元の領地安堵の意味がわからんが、敵対した浅井、朝倉、武田、松永、三好などは根こそぎつぶしているよ。
264平朝臣駿河守尚王也:04/10/13 22:16:46
冷酷だね、信長は、でも、三好は、三好康長だけ、海軍として残っていたような
265平朝臣駿河守尚王也:04/10/13 22:18:15
信長は、土地をやるけど、(if)中央集権だったから、多くやれるのかな?
266日本@名無史さん:04/10/13 22:42:58
ほとんどが与力じゃないの?
清洲会議のごたごたで自領に組み入れちゃったけどさ。
267日本@名無史さん:04/10/14 04:34:58
>>263
秀吉らの管理している土地には、彼らの所領だけでなく、寄騎の所領と信長の直轄地が
大量に含まれていることを忘れてないか?
秀吉が北条を滅ぼし、東北以外を手中にした時点でも100万石級は、徳川・毛利・
上杉・織田信雄程度。
ましてや、家臣が強大な力を持つことを許さない信長が、百万石級の家臣をそんなに
沢山作ることなどありえない。
地方方面軍の軍団長として指揮権を持つ範囲の土地の広さと、所領は別物。

>>264
三好は、当時@摂津・河内(三好義継)とA四国(十河存保・三好康長・安宅など)と
B三好政勝(摂津、丹波)にわかれており、信長が潰したのは@だけ。
268日本@名無史さん:04/10/14 07:20:28
宿老でも二十万石ぐらいじゃないのか?
269日本@名無史さん:04/10/14 07:59:26
>>268
>>263は多すぎだが、それは少なすぎ
270日本@名無史さん:04/10/14 08:07:02
30万以上50万未満が妥当な線かな?
271日本@名無史さん:04/10/14 09:10:41
預かりものだろ?
272日本@名無史さん:04/10/14 10:25:24
>>267
秀吉は預かり分や与力分を入れれば、本能寺の変時点で100万石突破している。
とりあえず、秀吉に「領地」として与えられたものだけでも70万石は言っているよ。
光秀も、与力である細川、筒井、池田あたりを含めれば、やはり80万石。直轄地である南近江と丹波で50万石くらい。
勝家も前田、佐々など与力を含めれば120万石くらい。直轄地だけならの後に丹羽長秀がもらった100万石にはいかないが、ってくらいで80万石くらい。

信長としては、全国統一まではばんばん恩賞を出さざるを得ないだろう。
毛利150万石を滅ぼして、主将の秀吉や副将の光秀に無報酬ってわけにはいかない。

だから、全国統一後が悩ましいってことになる。
273日本@名無史さん:04/10/14 11:28:16
>>272
>秀吉は預かり分や与力分を入れれば、本能寺の変時点で100万石突破している。
だから入れちゃダメなんだって。

>とりあえず、秀吉に「領地」として与えられたものだけでも70万石は言っているよ。
具体的にどうぞ

>光秀も、与力である細川、筒井、池田あたりを含めれば、やはり80万石。直轄地である南近江と丹波で50万石くらい。
南近江と丹波が光秀の直轄地???具体的にどうぞ

>直轄地だけならの後に丹羽長秀がもらった100万石にはいかないが、ってくらいで80万石くらい。
直轄地だけで勝家が80万で長秀が100万???具体的にどうぞ

>信長としては、全国統一まではばんばん恩賞を出さざるを得ないだろう。
何故?ケチケチ出してもいいじゃん、独裁者なんだしw
秀吉などは「今の領地は借り物、側近衆に差し上げる。明国に領地をもらいまっせ」
と言う位、大領をもつことについて信長の猜疑心を恐れていたし、側近衆は前線で戦功を
挙げることが出来ないので領地をもらえず、さらにこのまま天下統一されてしまえば
成りあがるチャンスがなくなるので、それ故に側近衆が前線の部将を嫉んで信長に讒言し
陥れることを非常に警戒していた。
秀吉たちも、佐久間や林の末路を間近に見ているだけに、これ以上領地をもらうことに
恐れがあった。
恩賞がケチケチしていれば、むしろホッとしただろう。

とにかく>>267の言う通り、「地方方面軍の軍団長として指揮権を持つ範囲の土地の広さと、所領は別物」。
ましてや、預かり分には中央政権から代官が指名されており、軍団長を陥れて戦功の独占を阻止せんと、
虎視眈々で粗探しをしている状態なのに、そんな中で地方方面軍の軍団長が、「預かり分・寄騎分を私物化」など
していれば、たちまち信長に告げ口されてしまう。
そういう関係も把握せずに「預かり分や与力分を入れれば」は、明らかに間違っている。
274日本@名無史さん:04/10/14 12:01:15
本能寺の時点で秀吉の直轄地は長浜十七万石だけじゃないの?
明智だって似たようなもんでしょ?
坂本と丹波の一部で二十万石前後なんじゃないか?
275日本@名無史さん:04/10/14 12:29:47
秀吉の直轄地は一応播磨一国あるだろ。跡継ぎは養子だし。
276日本@名無史さん:04/10/14 12:57:49
>>275
播磨一国はないやろ。
織田家の所領や、秀吉の寄騎たちの所領、そのほかの信長家臣の所領(戦場に出ない側近・旗本たちに
分与されたもの)をのぞけば、せいぜい半国だと思われ。
277日本@名無史さん:04/10/14 13:11:51
姫路は清洲会議で正式に手に入れたんだから秀吉のものじゃなかろ
278日本@名無史さん:04/10/14 15:24:24
まあ直轄地なんて現代語を戦国時代社会に無理に当てはめるから意見が別れるだけ。
秀吉は播磨一国と北近江・光秀は丹波一国と南近江これは定説です。プゲラ。>>277>>276

279日本@名無史さん:04/10/14 15:54:35
>>278
その定説の根拠を示して欲しいのでは?
280日本@名無史さん:04/10/14 16:46:25
信長公記>>279
konohetare
281日本@名無史さん:04/10/14 19:58:45
>>274
1つの参考で言えば、光秀は山崎の合戦で1万5千人の軍勢を持っている。
細川、筒井と言った味方をしてもおかしくない武将さえ味方しなかった状況から考えて
ほぼこの1万5千人は光秀の直轄軍と言えるのではないか?
江戸時代では1万石について100人の軍勢が目安だったことを考えれば、20万石ということは無いだろう。
この基準で単純計算すれば、150万石になってしまうが、これはいくらなんでも大きすぎる。
が、最低でも50万石くらいはあるだろう。

その点から見ても、秀吉や勝家も70〜80万石程度はあったと思われるが?
282日本@名無史さん:04/10/14 20:14:30
直轄地といっても城主がいるわけで、城主の裁量で統治されているわ
けで、でなんで光秀の直轄地なんてくだらないこと話あってるの?光
秀は南近江と丹波一国が勢力範囲で、直轄地は坂本なんじゃないの?
283日本@名無史さん:04/10/14 20:21:43
明智の率いていた兵は秀吉救援用の与力が含まれてんじゃないの?
秀吉勢にも久太郎とかいるじゃん
284日本@名無史さん:04/10/14 20:27:51
>>282
直轄地とか勢力範囲とかの定義はともかく、事実上の領地はどのくらいかって話。
江戸時代の平穏時代と違って、戦時状態だから、その辺は考慮しないといけないだろうけど。
実際、長浜は秀吉の領地ってのは通説だろうが、秀吉が毛利攻めしているときに、堀氏が宰領していたりするしな。

>>283
光秀の与力大名で主な人たちは細川、筒井、高山右近など。
このあたりが軒並み、秀吉に「裏切って(?)」いることから、ほぼ与力大名系は光秀から離れていたのでは?
軍勢だけ見ても秀吉連合軍の3万人から見て、光秀の敗北は必至だったわけで、
大物たちが離反している中で、光秀に殉じようとした与力武将はさほどいないだろう。
285日本@名無史さん:04/10/14 20:43:14
>>281
ちなみに一万石に200〜250人ね
朝鮮征伐ではもっとたくさん動員令出された大名もいる
(五島とか宗とか)
286日本@名無史さん:04/10/14 20:50:55
明智勢一万五千は実数なのかな?
287日本@名無史さん:04/10/14 21:10:03
目安の参考
桶狭間の信長軍  尾張半国20万石→3000人
三方が原の徳川軍 三河・遠江50万石→5000人
前田利家の軍勢  加賀など80万石→16000人
関が原の三成軍  佐和山20万石→4000人

だいたい留守番役などを考慮しても、戦国時代は1万石につき200人〜250人だね。
山崎の合戦における光秀軍が15000人が実数なら、50万石は余裕でありそう。
288日本@名無史さん:04/10/14 21:56:00
>>278,>>281,>>284,>>287
うーん、
なぜ軍団長の直臣(信長の陪臣)と寄騎(信長の直臣)の区別がついてない人、
というより、その存在をあくまで認めたくない人がいるのかよくわからん。

山崎の合戦に参加した明智勢でも、光秀家臣の斉藤利三、溝尾庄兵衛茂朝などと、
寄騎(一部は光秀の直臣化)の旧幕臣系の諏訪飛騨守盛直・伊勢貞興・御牧景重・
蜷川貞栄、近江衆の阿閉貞征、丹波衆の並河掃部・梅若広長・松田政近などと、
それ以外の関連の柴田勝定(柴田家家臣だが姻戚関係により明智軍に参加)
といった混成部隊。
光秀の直臣と半直臣化した寄騎でせいぜい6割。

なぜ、むりやりそれらの存在を否定して、すべて光秀の直轄地にしてしまいたいの?
289日本@名無史さん:04/10/14 22:07:24
>>288
なんか勝手に話をごちゃごちゃにしているんじゃないか?
もともとは信長が天下を取ったとき、功臣たちはどのくらいの大名になるか、
その前提として「領地」といえるものはどうか、ってのは話。
その中の武将たちでも事実上光秀家臣と単に連合しているだけの人と分ければいいだけ。

たとえば、秀吉政権下では上杉氏は120万石だったが、うち30万石は秀吉から直臣扱いされた
直江が30万石持っていたからといって、上杉90万石とは言えないだろう。
小早川隆景の場合もどう判断するべきかは微妙。
ただ、斉藤利光あたりは光秀の家臣、斉藤の領地は光秀の領地と言えるだろう。
その点でだいたい、光秀の領地は50万石くらい、天下統一の場合には100万石はもらえるだろう、って話。

形式的な直轄軍とか、直臣とか、寄騎とかの区別はあまり意味が無いんだよ。
あと、6割って数字の意味根拠もよくわからん。

290日本@名無史さん:04/10/14 22:14:07
>>288
お前みたいなやつがいると駄スレが増えそうです。
291日本@名無史さん:04/10/14 22:32:44
一万石あたり動員兵力が2-300人程度ってのは明治時代に
陸軍参謀本部が戦史の分析をやったさいに出した値だったと記憶しています。
あくまで概算というか目安です。
他国へ遠征に出る際の留守番を除いてこれくらいは普通に動員できたろうという値。
(たしか朝鮮攻めだと九州あたりの大名は1万石あたり500人以上動員命令が出ている)
だから例えば北条攻めの北条とか、小牧長久手の徳川あたりはもっと動員しているはずです。

292日本@名無史さん:04/10/14 22:35:14
直江30万石は俗説
293日本@名無史さん:04/10/14 22:38:56
動員数も後半になれば失業浪人の募集が容易になるからな。
兵農分離中にはきつい数字だっぺよ。
294日本@名無史さん:04/10/14 22:50:39
>>289=>>290

いや、明らかに混同し話が分かっていないのはそちらのほう。
ここでは、秀吉・勝家・光秀・長秀・一益らの所領がどれだけあり、天下統一時は
どうなるかを話しあっていたはず。
そして、寄騎や信長の直轄・代官領などがあるのを無視して、軍団長たちが軍事的に
支配していた地域をすべてその軍団長の直轄地にカウントしている人と、
それを区別すべきだという話だったはず。

なぜ、全然関係ないうえに、例として明らかに不適切な上杉と直江の話を持ち出すの?

なぜ、>>288にちゃんと「光秀家臣の斉藤利三」と書いているのに、あたかも
こちらが「斉藤利光は光秀の家臣じゃないから領地を別にカウントしろ」とでも言っている
かのように「斉藤の領地は光秀の領地と言えるだろう」なんて書くの?

文章が明らかにおかしいよ。
295日本@名無史さん:04/10/14 22:52:14
本能寺前の播磨で言えば、自分についた黒田官兵衛とか別所氏の庶流家あたりの
所領は安堵している(信長の指示で)はずだからその分は引かれるはず。
あと、長浜は堀久太郎に譲っていたって話しも聞いたことがある。

そもそも有名な寄騎として、柴田勝家配下の府中3人衆
(佐々成政、前田利家、不破光治)がいるけど彼らは柴田に領地貰ったわけじゃないし
柴田の監視役も任されていたはず。

そもそも同じ寄騎という立場も時代によって意味が違いますよね。
信長時代あたりなら同僚(身分の差はあるけど)だけど
後の時代(秀吉の全国統一あたり)を経由して江戸時代になると
いつの間にやら部下(家老あたり)になってしまう。


296日本@名無史さん:04/10/14 23:06:08
>>294
別に無視はしていないが?
たとえば秀吉で言えば軍事的な勢力範囲ならゆうに100万石を超えるだろう。
ただ、その中には君の言う寄騎や信長からの預かり地もあっただろうから、
秀吉の「領地」としていえるのはせいぜい70万石くらいでは?と言っている。
上杉と直江の話を出したのは、直臣でも事実上秀吉の家臣扱いになっていた人もいるのでは?ってこと(経緯は逆だが)。
また、家康で言えば、70万石であっても、酒井家は厳密に言えば家臣といえるかも微妙。
そこの解釈の問題では?

まあ、現実問題として、まだまだ戦時中であり、組織も固まっているわけではないから、
独立系の寄騎と家臣化した寄騎の区別は中々困難なのかも知れないが。

あと、斉藤利光は読み間違い、スマソ。「寄騎の斉藤…」と読んでしまった。

>>295
佐々、前田、不破は明らかに独立した大名だろ。
彼らを柴田の家臣、彼らの領地を柴田の家臣とはさすがにそれはいえまい。
逆に言えば、彼らは独立した地位を持っていたからこそ、前田や不破はシズガ岳の戦いで勝家から離反することが許されたわけで。
297日本@名無史さん:04/10/14 23:20:46
>>296
>>294ではないが一言
過去スレを見ればわかるが、直轄地が問題になっているので
 >たとえば秀吉で言えば軍事的な勢力範囲ならゆうに100万石を超えるだろう。
は無意味な話だし、
 >秀吉の「領地」としていえるのはせいぜい70万石くらいでは?と言っている。
はそんなにあるはずがない、あるのならその内容を具体的に書くべきだってのがこれまでの流れ。
つまり、キミは逆戻りしちゃってるんだよ。
だから、その70万石の根拠を書いて「ほらほら、こんなにあるじゃん」ってことを示せばいいのさ。
298日本@名無史さん:04/10/14 23:29:05
おいおい、静牙岳の戦いくらい漢字で書けよw
小学生じゃないんだからよw
299日本@名無史さん:04/10/14 23:31:54
>>297
それで、参考までに、ってことで山崎の合戦での光秀の1万5千人の軍勢ってレスしたわけで。
信長の「実質的な直臣」だったら、謀反人の光秀の軍勢に加わらないのが普通では?
現実に敗北必至という利害と、謀反人の一味になりたくない、っていう理念の双方から。
その意味でその当時はもともとは寄騎であっても、事実上家臣として扱われていたのではないかと考えられる。
300日本@名無史さん:04/10/14 23:32:57
>>298
なぜか変換できないんだよw
301日本@名無史さん:04/10/14 23:39:32
>>291
>だから例えば北条攻めの北条とか、小牧長久手の徳川あたりはもっと動員しているはずです。
小牧長久手の戦いで家康が動員した軍勢は1万5千人。
当時家康は駿遠三に加えて、甲斐信濃を加えて120万石くらいあったはず。
留守番部隊を含めても、1万石200人の基準程度の動員では?
302日本@名無史さん:04/10/15 00:04:30
>>299
だから>>294が書いてるように、その軍には光秀直臣と寄騎が含まれており、阿閉貞征や柴田勝定、津田与三郎たちは
情勢を見誤って参加しただけで、光秀の家臣でもなければ家臣になる気もないんですよ。
ほかにも山崎には参戦していないが、光秀軍に加わった者たちのうち、近江京極や若狭武田などもそのクチ。
成りあがろうと勝負しただけで、斉藤利三などとは光秀への忠誠心という点でまったく違う。

同じように秀吉の部隊に参加していた者たちも、秀吉が天下人になったから秀吉への忠誠心をみせているだけで
秀吉の家臣ではない。
信長が存命なら、勝家にせよ秀吉にせよ光秀にせよ、その軍団の寄騎や国衆は解体・再編成・人事異動といったことが
いくらでも発生していた人たちです。
303日本@名無史さん:04/10/15 00:11:51
>>302
わかってないと思われ。
>ほかにも山崎には参戦していないが、光秀軍に加わった者たちのうち、近江京極や若狭武田などもそのクチ。
こういう人たちのことを「家臣」だとも「領地」だとも言ってない。
光秀の与力大名であった細川や筒井と同じだろう。

>その軍には光秀直臣と寄騎が含まれており、阿閉貞征や柴田勝定、津田与三郎たちは
確かに情勢を見誤った人は多少はいるだろう。
しかしそういう人たちが何千人にもいるとは思えないが?
仮に光秀の領地50万石、軍勢を1万石につき200人として1万人が光秀の軍勢だとすると、
5000人は情勢を見誤った「信長の直臣」ということになるが、そこまで多いとは思えない。
304日本@名無史さん:04/10/15 02:21:25
終わったのかな?

続けたかったらどっかのチャットでも逝ってくれ。
305日本@名無史さん:04/10/15 02:27:23
>>303
わかってないと思われw
山崎の明智軍15000のうち、寄騎の阿閉・伊勢たちや飛び入りの柴田などをあわせると
6000〜8000ぐらいになるぞ。
もっとも、山崎に明智光秀の直臣軍の一部は畿内平定や後方守備に少し分散されてはいるが
そんなに大粋な兵力じゃない。
306日本@名無史さん:04/10/15 03:09:07
>>305
横レスだが、柴田勝定は光秀の家臣だろ。
ちょうど稲葉家を出奔した斉藤利三と
同じで、柴田家出奔後明智家へ。
で、奥さんは姉妹。
飛び入りじゃないぞ。
307日本@名無史さん:04/10/15 03:39:47
「飛び入り」ってのは、柴田勝定は直前まで柴田家家臣として活躍しており、明智家に
明確に仕官したわけじゃない。
事跡として確実に証明されたものとしては、本能寺以前で最後のものは、天正7年5月に
勝家の留守中に北庄城代という柴田家の重臣の中でもかなり重要な役割を任され、一揆勢に
囲まれた丸岡城の柴田勝豊救出を行なっている。
斉藤利三or明智秀光と奥さんつながりと言われているが、その縁で「本能寺の事件後」に
明智軍に参加したことを指しているのでしょ。
そのほかにも、主の織田信澄を丹羽長秀と織田信孝に殺されて、明智勢に身を投じた津田与三郎とか
一旗あげようという土豪や国人、浪人もかなりいたようですぜ。
308日本@名無史さん:04/10/15 04:16:20
かなりってどれくらい?
309日本@名無史さん:04/10/15 06:55:00
指揮権を委託された譜代大名と旗本みたいな関係でしょ?
大きなところは細川や筒井や堀のように独自に判断できるが
小身の直参はそれまでの指揮官に引きずられただけ。
310日本@名無史さん:04/10/15 07:52:47
取り込み中、申し訳ないが >>289 の直江は秀吉から領地もらった
直臣格という意味の記述が気になるのですが。

宛がいを指示されただけで、その所領は上杉家のものであり、
(後世の俗説はともかく)陪臣であることに疑う余地はないと思う。

隆景は直臣だし、安国寺も同様。(吉川はどうなんだろう?)
島津や竜造寺のケースも上杉と一緒だよね。
311日本@名無史さん:04/10/15 08:22:45
>>310
話がズレている。

あなたが挙げているのは、すでに特定の大名の家臣である人物に、秀吉が直臣扱いしたもの。
いまここで話題になっている直臣/陪臣は、もともと独立した存在である小大名、土豪、国人や
信長の直臣・旗本・馬廻・母衣衆などを「寄騎」という形で、地方方面軍を指揮する秀吉や
光秀・勝家らの指揮下においたもの。


ちなみにあなたの話についていえば、秀吉政権・朝廷で独立した大名として独自の席次を
与えられているかどうかで、直江や吉川たちは全員直臣待遇の陪臣。
秀吉時代は曖昧だが、家康の時代に入ってから明確に「支藩」として届出することで、
彼らは本藩とは別に外交権などの権利をもつ存在としての地位を確立した。
ちなみに秀吉時代の小早川氏(隆景→秀包・秀秋)と安国寺は、毛利家とは独立した大名。
そのへんが知りたければ、関ヶ原を取り扱った歴史ムック本に出ている大名の増封・改易の
表を見ればよい。
あそこで取り扱われている単位が、独立した大名であるかどうかの区別になっている。
312日本@名無史さん:04/10/15 09:33:18
兵数から石高を算出するのは慎重にな
313日本@名無史さん:04/10/15 09:36:14
朝鮮出兵時の宗の動員数から石高をだしても現実離れした数字にならないか?
314日本@名無史さん:04/10/15 21:51:39
で、たいしてもらってなかったんだろ?
315日本@名無史さん:04/10/15 22:38:41
>>313
確か対馬の全島民入れても足りないから
大阪で浪人雇いまくったとか
全員対馬に入れると泳がなくてはいけないやつが出てくると言われたぐらい
316日本@名無史さん:04/10/16 05:34:11
>>314
せいぜい30〜40万でしょうねえ。
「50万石以上、あるいはもうちょっとで100万石クラス」みたいな数字を
言っている香具師はどういうつもりなんだろう?
常識で考えればありえないのだが。

その1
 織田信長の天下人としての支配地域はしょせん、中部と東海と北陸と中国は
 その一部のみ、ほぼ全域支配しているのはせいぜい畿内だけであり、
 その近畿圏でも紀伊などは支配下に入っていない。
 日本統一後の秀吉の時代ですら100万オーバー大名が何人いたかを考えれば、
 日本のせいぜい1/4程度の支配者の下に50〜準100万石級の家臣が何人も
 いるなんて非常識。
 家臣にそれだけ与えて、じゃあ信長自身の所領はどれだけ残っているのかと
 小一時間問い詰めたい。

その2
 さらに、当時は戦国末期で荒廃しており、農作物の生産量がアップした秀吉・家康時代に
 比べると、実質石高はかなり低い。
 秀吉や家康時代の検地で倍になった土地もあるぐらい。
 そんな状況でいったい何を根拠に「x十万」とか言ってるのか?
 そもそも過去レスをみても、「100万も夢じゃない派」は「じゃあ、根拠となる直轄地を
 示せ」と言われて、「xx一国」だの「xx南部」だのまともに郡レベルの
 所領もしめさないし、信長の代官領・蔵入地や寄騎の所領をひっくるめた地方方面軍の
 軍団長としての軍事指揮権を与えられた土地と、実際のその所領の違いすら分かっていない
 香具師が多い。

その3
 信長の性格的に、家臣に大きな所領を与えるタイプではない

この状況で、「兵がx万人だから70〜80万石だ!」とかアフォかと。
317日本@名無史さん:04/10/16 10:41:52
>>316
特に史料に現れる兵士数から石高を推測する際は、
その兵士数そのものが正確かどうか、人足等が含まれての人数ではないかとかに注意しないいと
実際の石高からは大きくかけ離れてしまうからな。
318日本@名無史さん:04/10/16 17:29:53
「もうすぐ100万石」派、いなくなっちゃったね・・・・

319日本@名無史さん:04/10/17 00:11:54
100万石age
320日本@名無史さん:04/10/17 08:09:46
>>316>>318

柴田勝家 40
羽柴秀吉 40
明智光秀 40
滝川一益 40
丹羽長秀 30

織田信長150
織田信忠 40
織田信雄 30
織田信孝 20
織田信包 20
織田信澄 10

家臣は50万未満として、ザックリ単純計算でも460万石。
これ以外の無数の侍大将級部将、馬廻り級部将、側近・官僚、国人の分を考えれば、すごい数字になってしまう。

軍団長級が70〜80万石で、「中国・九州・四国を平定すれば100万石突破確実!」なんてありえない....。
「もうすぐ100万石」派は、信長やその一族、軍団長以外の家臣と国人の分も考えず、信長の支配地域を5等分しているとしか思えない。
321日本@名無史さん:04/10/17 09:46:53
>>316
純粋の兵士以外を含むのが通常だよ
322日本@名無史さん:04/10/17 11:43:14
>>316
>さらに、当時は戦国末期で荒廃しており、農作物の生産量がアップした秀吉・家康時代に
>比べると、実質石高はかなり低い。
>秀吉や家康時代の検地で倍になった土地もあるぐらい。

戦国末期の荒廃といっても
20世紀の第二次世界大戦のような焼け野原になっていたわけではないし、
特別は荒廃していない。
また、この頃は、時代の速度も緩やかだから
戦国末期と江戸時代初期の石高は、
日本全体で見れば、そんなに違いは無いよ。
323日本@名無史さん:04/10/17 12:43:46
>>322
いや違うでしょ。

秀吉のいわゆる太閤検地から関ヶ原直後の検地の間の増減でさえも、
最低でも5%、最高で倍以上増えている。
ましてや、戦時下のため、検地らしい検地をせず、下手すると鎌倉時代の
証文に基づいて石高を決めていた信長時代では、実質とかなり大きく
へだだりがあると思われ。

ましてや、実質石高との差の話なんて、>>316さんの挙げている理由のうちの
ほんの1つでしかないし。

 
324日本@名無史さん:04/10/18 20:19:01
ないし
325日本@名無史さん:04/10/19 19:57:22
城主として任務を果たしていただけ
326日本@名無史さん:04/10/20 14:22:06
それにしても加藤の隣に小西はないだろ?
327日本@名無史さん:04/10/20 14:23:22
初めは仲が良かったんじゃなかったっけ。
>>326
328日本@名無史さん:04/10/20 14:23:40
上杉を討伐して金吾をご大老に格上げ。
329日本@名無史さん:04/10/20 21:47:17
>>326
加藤と小西は朝鮮での先陣争いとか講和の方法を巡って仲たがいしたと思います。
隣の領地だと仲悪くなりがちとは思いますが。

それよりも、薩摩国境の水俣・佐敷地区が加藤の飛び地になったのが理解できないです。
北部を加藤、南部を(キリスト教徒が多い天草地区を寄子にして)小西は判らなくはないんですが。
あと互いの城(熊本・宇土)が目と鼻の先なのも不思議。
小西領なら球磨川河口の八代のほうが本拠地に向いてると思う。


330日本@名無史さん:04/10/20 23:01:01
 厨な質問でスマソ・・・

 小説レベルで豊臣秀長像を知らんのですが。

 歴史に詳しい御仁で、実際の秀長像ってどんなんだったのでしょうか?
 秀吉の出世できる環境作り(家臣団の仲裁・結束強化)の一役買ったと言える実力があったのでしょうか?

 
331日本@名無史さん:04/10/21 02:13:59
332日本@名無史さん:04/10/21 07:03:40
大和大納言は百万石
333日本@名無史さん:04/10/21 13:27:14
山崎の合戦で明智に付いて大坂の陣で豊臣に付いた奴いるのかな?
334日本@名無史さん:04/10/21 20:36:57
いないのでは?
335日本@名無史さん:04/10/21 20:41:33
>>330
よくいえば倹約家、悪く言えばドケチ。
九州征伐のとき、ドケチと悪口言われた家臣を追放して
北条攻めのとき謝ってきたんだけど、ゆるさず殺したという話がある。

336日本@名無史さん:04/10/21 21:26:41
せめてケチなエピソードを出せよ。
337日本@名無史さん:04/10/21 22:39:13
>>327,>>329
小姓時代から加藤と小西は仲が悪いよ。
雑賀攻めでも加藤は小西に「薬屋あがり」とバカにしたエピソードが残ってますな。

>>336
風に飛ばされた鼻紙をあわてて拾いにいって、小姓たちにバカにされた。
338日本@名無史さん:04/10/22 03:49:37
>>333,>>334
いるでしょう、いくらでも。
ただマイナーすぎて歴史に残らないだけ。
そもそも明智方について、秀吉政権下でもそこそこメジャーだったヤツ自体が
少ないのだから。
339日本@名無史さん:04/10/22 10:34:17
>>338
確かにね。上の方で話題になってる家臣か寄騎か単に付いただけかわからんが、明智に付いてそこそこ大物になってるのは前田の山崎長徳くらいしか思いうかばん。
ちなみに山崎長徳は大坂夏の陣で怪しげな動きがあったらしいと『戦国15大合戦の真相』という本に書かれてた。
340日本@名無史さん:04/10/22 22:17:24
つまり負け組

わかっていて馬券を買うのは男の誉れ。
341日本@名無史さん:04/10/23 16:53:07
そうか?
342日本@名無史さん:04/10/24 06:33:02
>>339
京極高次もいるよ
343日本@名無史さん:04/10/24 06:48:13
>342
妹と義姉と義妹のマンコという最強の武器があったからねぇ。
344日本@名無史さん:04/10/24 07:00:44
>339
稲葉は?春日局関係で譜代大名になったのでは
345日本@名無史さん:04/10/24 09:31:19
妻だろう?
346日本@名無史さん:04/10/24 09:44:45
>344
稲葉は幕府の直参になったが、五代将軍綱吉の時代、
刃傷沙汰を起こして没落、だったと思う。
347日本@名無史さん:04/10/24 12:32:16
>345
妹が秀吉の妾 嫁姉妹(従姉妹でもある)が、秀吉の妾 高次の嫁 秀忠の嫁
>346
幕末、鳥羽伏見の戦いで最初に幕軍を裏切った淀城城主が稲葉家
京都と大阪の間を淀を抑えれば連絡を遮断できる要地を治めていたが
伝統を受け継ぎ裏切る。 
348日本@名無史さん:04/10/24 12:46:40
>>347
補足:鳥羽伏見開戦時の老中
349日本@名無史さん:04/10/24 14:21:15
一徹が泣くな
350日本@名無史さん:04/10/24 17:25:48
はいしゃ復活組だよね
高知はどうなったんだっけ?
351日本@名無史さん:04/10/24 18:20:52
>350
宮津藩は、取り潰し。峰山藩のみ存続
352日本@名無史さん:04/10/24 18:51:34
>>350
舅の毛利秀頼の所領のほとんどを相続。
353日本@名無史さん:04/10/25 06:58:22
名家、なのか?
細川もしぶとかったが。
354日本@名無史さん:04/10/25 06:58:51
名家、なのか?
細川もしぶとかったが。
355日本@名無史さん:04/10/25 12:12:43
>>342
おおそうだった。あと小川祐忠もいたな。
それにしても阿閉某や武田某と同程度の大物なのになぜ京極高次は生き残ったんだ?
356日本@名無史さん:04/10/25 13:28:13
空気 嫁
357日本@名無史さん:04/10/25 20:10:12
明智系の大物を一度纏めてください
358日本@名無史さん:04/10/25 21:10:25
>355

359日本@名無史さん:04/10/25 23:26:07
大坂の陣までは残れなかったけど、明智系の大物といえば木村吉清・秀望親子じゃないの?
30万石は明智家臣としては最高の石高だと思われ。
360日本@名無史さん:04/10/26 01:47:40
 >>352
 若干スレ違いかもしれませんが・・・

 毛利秀頼は信長の君主?になる名門・斯波家の子孫なんでしょ?
 しかも、甲州侵攻後に伊奈地方を宛がわれて、信長の後継車・信忠の中でも地位は高かったんでしょ?
 もし信忠が政権を継いでたら、秀頼の立場もかなり上がったのでは??

 そんな人物と京極家と姻戚関係になった経緯を教えてください・・・
 秀吉が斡旋(強要)したんですか?それとも秀頼の方が家の保全の為に?

 斯波と京極と共に足利政権下での名門家同士だから姻戚関係を築く事も不思議ではないが・・・
361日本@名無史さん:04/10/26 11:08:43
>>359
木村秀望って明智家臣だったのか。木村秀望は大坂の陣に大坂方で参加している。
362日本@名無史さん:04/10/26 16:00:12
蜂屋/断絶・長谷川/断絶・原田/?の織田系
大谷/大阪で討死・宮部/南部へ配流の豊臣系
の家臣団を教えてください。
末路は合ってるかな??
363360:04/10/26 18:05:55
 昨晩は長文で分かりにくかったので簡潔に・・・

 毛利秀頼と京極家と姻戚関係になった経緯をぜひとも教えてください。
364日本@名無史さん:04/10/27 03:17:59
>>363
簡潔に書かれても、何が聞きたいのかよくわからない。

経緯とは?
単に「京極高知が毛利秀頼の娘婿になりました」ってだけでしょ。
当時の大名の婚姻関係には、全て特別な逸話があるとでも言っているのかい?
365日本@名無史さん:04/10/27 06:27:05
  >>364
 いや、だから・・・
 毛利家と京極家が姻戚関係を結んだ切っ掛けを知りたいんです。
 片や織田家家臣と片や没落大名が婚姻を結ぶ必要があったのですか?
366日本@名無史さん:04/10/28 08:34:31
>>365
いや、だから・・・
織田家家臣は、みんなすごい相手と結婚するものと決まっているんですか?

ちなみに高次は信長の馬廻りとして采地を与えられており、
毛利秀頼が織田家臣時代に結婚したのであれば、織田家臣同士で名門の末流同士の結婚、
秀吉家臣時代に結婚したのであれば、秀吉家臣同士で名門の末流同士の結婚。
下克上とは言え、名門の娘というだけそれなりに価値がある時代に「没落うんぬん」に
何か意味でもあるの?
そもそも斯波氏自体が没落大名ですが?
そしてその家さえも下克上で失い、助けてくれた家臣の毛利家の名を名乗って、
斯波氏の家臣の織田氏のそのまた家臣(陪臣)の織田氏の信長に仕えていること自体、
没落大名のきわみですが?

367日本@名無史さん:04/10/28 18:17:48
長谷川秀一のいた東郷ってどこなんでしょうか?
東郷侍従って響きが好きでずっと気になっていました。

一族っているんでしょうか?
家臣とかも知りたいです。
368日本@名無史さん:04/10/28 19:42:55
>>108
(#゚Д゚)ゴルァ!! そのHPを珍説、奇説、すごい電波と思いながらも読んでいたら
最後の方に『天使は今現在は、千乃裕子先生の所にいますから。今、日本人は、
テスラ波を用いて生物絶滅の政策を採っていると・・・・・・・・』
これは例の宗教関係のHPだろ!
『神(ミカエル大王様)の言葉』〜これは何だ?こんなのが根拠だったら、
俺でも言いたい放題が言えるぞ!
このスレの肯定派は全員、例の宗教関係者か?もっと説得力のある根拠を出せ

>>107
あんまり思い詰めるな、悩みがあったら相談に乗るぞ
369日本@名無史さん:04/10/28 20:13:34
>>368
誤爆乙。
370368:04/10/28 20:21:57
>>369
ここに誤爆していたかw
371日本@名無史さん:04/10/28 22:56:32
東郷城はここらすぃ
ttp://okhome.fc2web.com/castle/fukui/makiyama.html

長谷川秀一は没した場所も2説あるくらい謎の多い武将みたいね。
子供がいなくて断絶だそうです。
372日本@名無史さん:04/10/29 02:44:56
童貞だったの?
373日本@名無史さん:04/10/29 10:44:04
徳川理事長 テレビ出演のお知らせ 

来る11月9日(火)、当財団の理事長である徳川恒孝がテレビ出演いたします。

2004年11月9日(火)午後1:20〜1:55(予定)
テレビ朝日(ANB)系 「徹子の部屋」

http://www.tokugawa.ne.jp/activity/index.htm
374日本@名無史さん:04/10/29 13:00:43
 >>366
 >ちなみに(京極)高次は信長の馬廻りとして采地を与えられており、

 どの文献に書いてあったんですか?
375日本@名無史さん:04/10/29 17:20:13
なん万だぁ?
376日本@名無史さん:04/10/30 05:18:32
>>366のソースは知らないが、
織田信長家臣人名辞典(吉川弘文館)では
 京極家家譜:元亀元年、高吉に伴われて岐阜城へ行き、采地をもらう
 公記:天正元年7月、槙島攻めに従軍。 京極家家譜:その恩賞として近江南郡奥島にて5千石を加増
 公記:天正9年9月、伊賀攻めに従軍。丹羽長秀とともに名張郡を平定
 公記:天正9年、10年の爆竹に近江衆として参加
から、高次が信長の旗本となっていたのであろうと書いているね。

元亀元年に幼少の身ながら京極家当主として信長に仕え、名門の子らしく
小姓として信長に仕え、成長してからは旗本となっていたってことでしょう。
377日本@名無史さん:04/10/30 06:03:05
小姓上がりなのか?
378日本@名無史さん:04/10/30 10:11:30
掘られたのか?
379日本@名無史さん:04/10/30 10:30:04
>>373
テレビ朝日で上様(将軍様)といえば‥
















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380日本@名無史さん:04/10/30 11:02:28
毛利秀頼って豊臣姓を賜っていたから「豊臣秀頼」なんだよね。
息子の秀秋が大坂方として戦ったのもその縁かしら?w
381日本@名無史さん:04/10/30 11:22:19
大阪の陣は豊臣の動員量としてはどんなもんなの?
傭兵ばかり?
382日本@名無史さん:04/10/30 11:48:52
>>381
低脳?
大野治長たちの兵は浪人がいなければゼロだと?
七手組は隊長以外は浪人ですか?
383日本@名無史さん:04/10/30 12:21:26
では知ったか氏の内訳キボン
384日本@名無史さん:04/10/30 12:34:49
冬と夏で半分に目減りした分はなんなの?
旗本の裏切り?
385日本@名無史さん:04/10/30 13:42:45
☆招待状☆異常な盛り上がりを見せる「学歴信仰」スレ「高卒は知的障害者」
度々失礼。社会板No1のクソスレでまだまだキチガイDQN大卒が暴れていますよ。
高卒者を叩いて低レベルな優越感に浸る下品な大卒が我が物顔。
大学のレベル低下が著しい昨今、一部キチガイのせいでさらに大卒全体の
品位が激しく疑われる事態に直面しています。あまりのキチガイっぷりに
スレストまでかかったのですが、管理人も続編は放置しちゃってますw
シリーズ前回、前々回は両方とも4日で1000まで達する凄まじさ。
■大卒の癌細胞たちに反論をしてみてください。小学生顔負けの屁理屈をもってねじふせられるでしょうw■
しばらく精神を病む危険性と人間不信に陥る可能性がございます。くれぐれもご注意を!
精神力に自信の有る方、トライしてみてはいかがですか?( ̄ー ̄)ニヤリ
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1098978478/l50
386日本@名無史さん:04/10/30 18:55:46
>>380
豊臣は氏だから(藤原とか源と同じ)
羽柴姓を貰って羽柴秀頼になるんでないの?
387日本@名無史さん:04/10/30 20:37:54
>>386
豊臣は姓だから(藤原とか源と同じ)
羽柴氏(苗字)を貰って羽柴秀頼になるんでないの?
の間違いでは?
388380:04/10/30 23:33:29
そうですね。>>387さんが正解でつ。
>>386
姓の「豊臣朝臣」の名乗りを許されて、
醍醐の花見の時の記録なんかに「豊臣秀頼」として登場します。

もっともこの時「豊臣」姓以外になっているのは、
徳川家康や長宗我部元親など五名に過ぎず、
利家や氏郷なんかも「豊臣」なんだよね。
389日本@名無史さん:04/10/31 00:14:00
  >>376
 へえ〜
 知りませんでした。どうもです。


 斯波と京極って、足利本家が全盛(創生期)の時は。

 斯波高経(子息・義将を使って実権を握ろうとするも、京極高氏(道誉)らの反感を買い失脚・追討死)
 斯波義将(高経の息子。義満のブレーンだった細川頼之を失脚させて、みごと中央政界復帰を果たす)

 また、高経全盛期に義将は中央で、家長は奥州探題にと、上手くいけば後の細川京兆家に取って代わった存在だったかも・・・
 でも頼之の存在がなかったら、守護家同士の政争が続いていそう・・・

 応仁の乱でも細川や格下の山名持豊(前将軍の義教の家督介入で繰り上げ相続)よりも外野的(中央政界とは離れた)印象がありますね。

 一方の京極家は始祖?京極道誉くらいしか目立った人物はいませんでしたな〜

 スレ違いスマソ。
390日本@名無史さん:04/10/31 00:47:26
 豊臣五奉行に代表される文治派なるものが織田信長時代では、
 菅屋長頼・福富秀勝・矢部家定・堀秀政たちだったんでしょうか?

 あと京・村井貞勝や堺・松井友閑ももっと目立った存在になったのでしょうか・・・・

 信長が天下を取ったとして、信忠が跡を継ぐときには信忠のブレーン達が注目される事になるだろうけど。
 (徳川将軍・秀忠=大久保忠隣⇒本多正純⇒土井利勝・酒井忠勝⇒3代家光=信綱・阿部など小姓組⇒4代家綱=酒井忠清・・・)

 本能寺直前で、信忠のブレーンたる人物って誰なのだろうか?
391日本@名無史さん:04/10/31 03:50:52
>>390
しょせん、織田信長は畿内を中心にして日本の1/4〜1/5程度の政権に過ぎない。
まだ各地をイケイケドンドンで侵略中であり、全国統一した秀吉政権とは違う。
文治派とか中央政権派とかそんなものが生まれる以前のもの。

でも、信長が自分を神になぞらえているせいか、部将たちの声が直接届きにくい
存在になっており、取次ぎの側近たちが権力を持ち始めていたという状況は存在した。
側近たちは、最前線で活躍しては加増される部将たちを嫉み讒言する恐れがあり、
ましてや猜疑心の強い信長が主君だけに、最前線の部将たちは戦々恐々として、
側近への贈賄やご機嫌取りをしていた。
秀吉の「所領は国内にいらない。明国でもらうから側近たちに分けてあげてください」
という有名な話も、信長だけでなく側近たちへのご機嫌取りのためのもの。
また、秀吉は信長に戦利品や贈り物を頻繁に行ったが、その際には側近たちにも
必ずばら撒いていた。
一益や光秀も同様のことを行っており、側近衆に媚びなかったのは勝家ぐらいのもの。
392日本@名無史さん:04/11/01 13:12:36
信長の動員力と秀吉直轄領の動員力はどれくらい違うのだろうか?
393日本@名無史さん:04/11/02 13:57:53
>>391
>一益や光秀も同様のことを行っており、側近衆に媚びなかったのは勝家ぐらいのもの。
嘘八百書くんじゃねー
贈物なんて勝家もやってたし、だからと言って滝川や明智が媚びてた訳でも無し

>側近たちは、最前線で活躍しては加増される部将たちを嫉み讒言する恐れがあり、
>ましてや猜疑心の強い信長が主君だけに、最前線の部将たちは戦々恐々として、
>側近への贈賄やご機嫌取りをしていた。
↑こんな珍説初耳ですので、何を根拠にどういう理屈か説明してくれよw
394日本@名無史さん:04/11/02 20:55:54
で、どっちが上なのよ?
395徳川秀忠:04/11/02 21:06:48
>>1-394
おまいら全員改易じゃ
396本多正信:04/11/03 00:37:52
>>395
小童めが。
ナマ言ってると廃嫡よ?
397日本@名無史さん:04/11/03 07:26:37
俺、種無しだから末期養子で引っ掛かって御家断絶だな
398日本@名無史さん:04/11/03 08:18:05
>>393
いや、>>391独自の珍説じゃないでしょ。
信長政権末期が側近政治になっていったため、秀吉をはじめとする前線の上将たちが、
猜疑心の強い主君に讒言されないように、側近衆のゴキゲン取りにも一生懸命になっていたのは
それなりに定評がある説ですよ。
明智光秀の謀反の理由のひとつにも、絶大な権力をもつ側近衆とうまくいっていなかった説は
取り上げられているし(もちろんこれが謀反の全ての理由というわけでなく、いくつかある
理由のうちのひとつとして)。
徳川家康饗応の役目を光秀に代わって勤めたのも、堀久太郎だっけ。
小説でも、光秀が側近に嫌われていたことを題材にしたシーンがあったよな。
信長の指示で蘭丸が光秀のハゲ頭を叩いたり、信長の話を光秀にちゃんと伝えず
イジワルするってやつ(タイトルなんだっけ?けっこうメジャーな小説のシーンだったけど。
下天だっけ?)。

実際、前線の将たちが側近におもねった書状なども多く残されているし、>>391が挙げている
秀吉の「中国(地方)を攻め取ったら、次は九州。そしてしばらく九州の地を借りて兵を蓄えたら
明国に攻め入り、そこで所領をいただくから、側近衆に日本の土地は差し上げてください」
というセリフも、信長の側近に前線の部将たちが気を使っていたというこの説の根拠のひとつに
挙げられてますよ。

399日本@名無史さん:04/11/03 12:44:28
>>398
総論は賛成だが、気になったところがある。

> 徳川家康饗応の役目を光秀に代わって勤めたのも、堀久太郎だっけ。

堀って、秀吉のところへ軍監として出張中ではなかったっけ?
400日本@名無史さん:04/11/03 12:46:30
>>399
家康の饗応役は堀秀政ではなく長谷川秀一
401日本@名無史さん:04/11/03 19:49:04
>398
所領は秀勝様に・・・って話は聞いたことがあるが
402日本@名無史さん:04/11/03 23:02:35
大きいこと言って信長の歓心を買おうとしただけで、側近に遠慮してたわけではないでしょ


ところで遠山の金さんの同僚に矢部なんとかって奉行がいるが、
この人矢部家定の子孫?
403日本@名無史さん:04/11/04 00:59:43
たった一度のそれも子供の命を救うべく、身を売ったお仲の運命がこのような悲惨な
結末になろうとは。
だが、今旅に出るお仲親子には幸せを願うかのように春の日差しが降り注いでいた。
天保年間、江戸町奉行職に善悪の代表として、善に遠山左衛門尉景元、
悪に矢部左近将監定謙の名が著名だが、紙一枚の賞状に病的なほどの執着をみせ、
名誉欲に悪の限りを尽くした鬼頭玄蕃の名は、江戸町奉行名鑑にも、その名を留めて
はいない。
404日本@名無史さん:04/11/04 07:34:29
>>402
>大きいこと言って信長の歓心を買おうとしただけで、側近に遠慮してたわけではないでしょ

津本陽、司馬遼太郎、海音寺潮五郎もそれぞれ座談会やコラムなどで
前線の部将たちが、信長側近衆を警戒・恐れていたことに触れているのを
読んだことあるぞ。
たしか津本と海音寺は>>391>>398のあげている秀吉のセリフ(書状?)にも
触れていた。
前線に出て武勲を立てられないため、所領を加増してもらいにくい側近衆の
ネタミを買わないようにするために、大言壮語で信長の歓心を買いつつ、
その活躍によって「土地を独り占めかよ!」という側近衆の嫉妬を受けることを
かわすために「側近衆に自分が攻め取った土地をわけてあげてください」と
言っていると、津本と海音寺は指摘していたと思う。
405日本@名無史さん:04/11/04 07:46:55
津本陽の名前が出てきただけで、信憑性が著しく低下して
みえるのは何故だろう?
406日本@名無史さん:04/11/04 07:54:05
武断派と官僚派(必ずしも文官ではない)って、永遠に犬猿の仲の存在なんだろうな。
織田家の側近衆と前線の部将、大内氏の相良武任と陶隆房、豊臣氏の石田三成と清正たち、
徳川氏の本多親子と譜代の武将たち・・・
たしか関ヶ原後の毛利家や前田(利長)家でも似たようなことがあったはず。
三国志などの中国の歴史においても、官僚派と武断派の争いはよく出てくるね。
現代でも、自衛隊の背広組と制服組の関係がそうだし、官僚の中でもキャリアと
ノンキャリアの争いがあったりする。

たいていの場合、官僚派が獅子身中の蟲、奸臣であり、武断派は直情径行の義理人情派と
書かれるのは、官僚派がちょっと可哀想かも。
官僚は「お家が大事」で動いていても、自分の利益で動いているように見えちゃうからなあ。
407日本@名無史さん:04/11/04 07:57:53
>>405
司馬や海音寺だって小説に関してはそうだろ。
創作、フィクション、誇張ありまくり。
小説は小説であってドキュメンタリーやノンフィクションじゃない。
ただ、司馬はノンフィクションや歴史コラムなども多いのに対して、津本は
小説がメインだから、そう思えるだけでしょ?
408日本@名無史さん:04/11/04 12:42:33
>>406
> 書かれるのは、官僚派がちょっと可哀想かも。

ちっとも可哀想ではありませんが何か?
要するに、役人は有史以来私利私欲でしか動かない蛆虫。
409日本@名無史さん:04/11/04 13:30:52
戦略とか政治を理解出来ない武断派の人気が高いのは何故だろう。
不思議。
410日本@名無史さん:04/11/04 14:32:47
ここでいってる信長の家臣で野戦派と側近はを分類するとどうなるの?
側近が成長すると地方の野戦派になってるんじゃない?
411日本@名無史さん:04/11/04 14:56:51
>>408
公務員になれなかった中卒ヒキ発見
412日本@名無史さん:04/11/04 17:50:26
>>411
郵政外務ならなれるだろ。
413日本@名無史さん:04/11/04 19:50:44
>408
武将は、有史以来私利私欲では動いたことが無い、と? 諸葛亮だって、その色分けなら官僚だよなあ。

>409
民衆からは、政治や戦略が見えない(関われない)からでしょう。だから、民衆の価値観(義理人情)で政治家役人をはかる。
414日本@名無史さん:04/11/04 21:14:41
>>409
武断派が頑張らないと文治派の出番は無い。
415日本@名無史さん:04/11/04 22:30:44
循環してるんじゃないの?
前田や佐々も側近上がりでしょ?
416日本@名無史さん:04/11/05 03:00:51
>>415
前田や佐々、秀吉の時代なら正則や清正は荒小姓というか、小姓→馬廻り、母衣衆→部将系統で
せいぜい使い番と主人の護衛を行う程度。
行政・外交に携わった小姓上がりの「側近」とは違う。
417日本@名無史さん:04/11/05 03:05:05
福島ってどこぞの奉行やってなかったか?
418日本@名無史さん:04/11/05 03:11:36
>>406の言う用に「武官と文官ではない」から、中にはどっちにも文武両道の人はいるが、
基本的に勤めた任務によって別れる。
また、堀秀政のように信長時代は官僚、秀吉時代は武将というようなタイプや、
大久保忠隣らのように徳川家臣によくみられる官僚と武将の中間のようなタイプもいるが、
基本的に官僚系はわりと見分けやすい。
419日本@名無史さん:04/11/05 03:14:22
>>417
そりゃ清正も正則も奉行ぐらいはやっただろうが、だからといって側近・官僚系に
分類する奴はいないでしょ。
そのへんは、変にひねくれて考えずとも直感的なイメージで「こいつ官僚系、こいつ武断派、・・・」と
分ければいい。
420日本@名無史さん:04/11/05 03:17:50
ちなみに俺は、知力20程度ではないが、官僚になれるほど頭のひらめきがなく、
「武人だ!」と言い切るには、武力65程度と中途半端・・・ ( ̄▽ ̄*;)
いやぁ〜、使えねえーな。
特殊技能は「万引き(若い頃)」「遅漏」だ!
421日本@名無史さん:04/11/05 06:29:26
>>418-420

直感だとか遅漏だとか・・・
三戦板逝った方がよさそうな香具師だな。
422日本@名無史さん:04/11/05 07:48:53
>>421
遅漏は別として、直感のほうは俺はいいと思うけどな。
>>415>>417のように、下手に「小姓あがりだから前田と佐々は官僚」とか「xxx奉行をしたから福島正則は官僚」のように、
中途半端に「根拠」に振り回されるより、この板や三戦板の住人がふつうにもっているイメージで
「こいつは官僚、こいつは武断派」と分けていけば、概ねハズレじゃないから。
423日本@名無史さん:04/11/05 10:15:13
つーか、官僚だの武断派だの、んなもん区別できんのか?
組織には官僚は必要だし、封建制では家臣が軍役を担うのは当たり前だし、
官僚的な仕事で功を上げ、部将、司令官に職分が代わっていくのもいるだろうし、
官僚にだって武断派な考えをもつのもいるだろうし。

根拠のないイメージよりはまだ中途半端な根拠の方がマシ。
424日本@名無史さん:04/11/05 11:34:44
>>423
では君の理屈だと浅野父子あたりはどちらになるのかね?
425日本@名無史さん:04/11/05 21:51:39
>424
縁故採用組は、官僚でも武断派でもないような気がする。
徳川家の久松とか奥平とか小笠原とかも

で、
426日本@名無史さん:04/11/06 00:38:52
「知力・政治力」等々か「武力・采配」等々、どっちか60以上はないと
どっちにもいれてもらえないってこった。
427日本@名無史さん:04/11/06 01:15:02
>425
まんこ組(生駒、京極、宇喜田、喜連川、成田など)は、
428日本@名無史さん:04/11/06 08:55:08
正則も清正も親戚派
429日本@名無史さん:04/11/06 14:14:32
単に先発組と後発組の対立だろ
430日本@名無史さん:04/11/06 18:10:55
尾張派と近江派の対立とか?
431日本@名無史さん:04/11/06 20:27:57
>>409
大衆は戦略や政治を理解できないから。
そんなもの知らなくても不自由しないし。
432日本@名無史さん:04/11/06 21:07:24
信長の作った大名家と秀吉の作った大名家、
幕末まで生き延びたのはどっちの数が多いのかな?
433日本@名無史さん:04/11/07 02:29:40
そりゃ豊臣だろ。

信長は大名と呼べるほどの家臣は、軍団長級しか作ってないのだから。
434日本@名無史さん:04/11/07 09:22:27
創設と言うことではどうかな?
435日本@名無史さん:04/11/07 20:54:57
以前、内海康満なる人物が、前世織田信長を名乗って、MRT、仙骨療法を作ってたな。
現在、日本初、医療組織カルトとして活躍中。
ある意味、狐つきだね。
436日本@名無史さん:04/11/08 03:05:50
羽柴誠三秀吉 >>> 羽柴藤吉郎秀吉 >>> 織田信長 >>> 徳川家康
437日本@名無史さん:04/11/08 06:22:03
>433
メジャーなところでは、
織田家重代の家臣 丹羽 池田(岡山のみ、鳥取は家康の娘の子孫としての大名) 
織田信長取り立て 前田 山内 細川 森 堀
豊臣秀吉取り立て 浅野(家康の娘の子孫として存続だけど) 蜂須賀 黒田
         京極(微妙な存在)仙石 加藤(大洲)

久松、水野も本当は織田家家臣だった経歴はあるが・・・
438日本@名無史さん:04/11/08 19:11:46
じゃ家康が作った大名って誰?
有名なほうから
439日本@名無史さん:04/11/08 19:20:08
>438
ずいぶん大雑把な質問だな。
譜代・親藩は全部そう。とも言えるし。
狭く解釈(功績ではなく血縁のみを拠所として家を立てた)するなら、
池田(鳥取)・松平(奥平)とかか?
440日本@名無史さん:04/11/08 20:10:53
>438
衆道で、井伊、永井 
弟 久松 従兄弟 水野
娘 奥平 池田 浅野(高齢出産の娘のために取り潰さなかったらしい)
孫娘 小笠原
441日本@名無史さん:04/11/09 01:04:55
浅野ってやばかったの?
442日本@名無史さん:04/11/09 13:36:26
>>384
冬の陣10万、夏の陣5万5千というのが定説だが、夏の陣直前には13〜14万に増えたと言われている。
また、減った理由の1つとして弱卒を解雇したこともあるらしい。
以上全て参謀本部編「大坂役」より。
443439:04/11/09 13:39:18
あと、宇和島伊達なんかも政宗との関係に基づく意思がなかったら
取り立てられなかったと思う。

秀忠・家光の取立てなら結構あるし、これがそうだというのも示しやすいが…
その後は綱吉・家宣・吉宗・家斉の側近や姻戚関係で取立てられたのはかなりいますな。
444日本@名無史さん:04/11/09 20:24:58
>>441
北政所との関係もあるから、そんなにはやばくはないよ。
445日本@名無史さん:04/11/09 21:02:01
徳川家が浅野を警戒していたら、大坂に近い紀州に領地を
与えなかったのではないでしょうか。
446日本@名無史さん:04/11/09 22:07:54
>>441
人間的にはやばい。
あのたっくんの先祖だもん。
447日本@名無史さん:04/11/11 19:39:16
朝鮮四百万石
切り取り放題
448日本@名無史さん:04/11/12 18:33:59
不浄の地になんやあらめ
449日本@名無史さん:04/11/12 19:04:31
>>445
わざと与えていたんでしょ。
大坂が暴走しないためのなだめ役であり、お目付け役であり、同時に
秀頼に味方するようなら取り潰しの口実もできるし。

450日本@名無史さん:04/11/13 17:25:08
家康だけで四百万石いくの?
それだと何万ぐらい動員できるんですか?
451日本@名無史さん:04/11/15 06:57:56
さあや
452日本@名無史さん:04/11/15 20:28:15
>>450
まず10万から12万ってとこ。
がんばれば20万も可能だけど、短期戦に限られるかな。
加えて旗本知行地が300万石、さらにさらに親藩や譜代の分を加味すると、
徳川家総体として30万人の動員も可能(計算上は)
453日本@名無史さん:04/11/19 07:04:57
野戦なら、その半分ぐらいかな。
454日本@名無史さん:04/11/22 20:19:59
そんな大雑把な
455日本@名無史さん:04/11/24 21:19:53
なぜ秀吉は田中与四郎に切腹させたのかなあ?
456日本@名無史さん:04/11/25 08:34:19
秀吉が出陣していたら勝ち戦
457日本@名無史さん:04/11/26 16:28:17
もらっても百万石程度でしょ?
458日本@名無史さん:04/11/29 13:38:37
あのまま行けば信長は大大名の外様を安堵するのかな。
459日本@名無史さん:04/12/05 20:38:32
>>444
北政所も無条件で家康マンセーだったわけじゃない。
西軍として出陣した宇喜多秀家にも支援を送ったはず。
460日本@名無史さん:04/12/06 00:15:38
26 :可愛い奥様 :04/12/05 22:26:21 ID:ma2BXUMB
ところで、愛子さまは
やはり、自閉症なのですか?
このスレ的には、完全にクロみたいですが...


27 :可愛い奥様 :04/12/05 22:26:52 ID:RSXxPAdA
ふつうだったら一国の皇太子妃なんだから
誕生日会見はおすこやかに一年を過ごせたことを国民に報告するいい機会
なんだけど、自称ご病気だし愛子のことを聞かれたくないし
もともと国民は眼中にないから無視だろうね。


31 :可愛い奥様 :04/12/05 22:38:54 ID:PI5YYOE9
自閉決定ですが、何か?

プレスは国内で発信できないので、外国に書かせ→逆輸入→国内で発表
が定説なようです。
I子自閉疑惑は、外国からのニュースでしたよね?
区内町はそれに対して、コメントなり否定したんだっけ?

皇室ご一行様★アンチ編★part132
http://human5.2ch.net/test/read.cgi/ms/1102242633/
461日本@名無史さん:04/12/06 15:08:25
淀の君さえいなかったら豊臣政権も延命したろうに
462日本@名無史さん:04/12/06 19:35:24
秀次じゃもたんじゃろ
463日本@名無史さん:04/12/06 22:40:36
秀次は朝廷での評判とかよかったし、民生面(近江八幡はたしか秀次が開発したはず)
でも一応評価できそうな気がしますが。
家康とまともに戦争やったら負けるかもしれませんが、そうしないのが政治家の能力だし。
尾張閥と近江閥をうまく手打ちできるようなら、豊臣家は安泰だったかも

長久手の敗戦がちょっと痛いけど、関ヶ原に間に合わなかった秀忠だって2代目としては
合格点の治世だったし。
464日本@名無史さん:04/12/07 06:52:21
家康が天下を獲れたのは寿命の差
465日本@名無史さん:04/12/11 09:01:25
まあ落ち着け
466日本@名無史さん:04/12/11 13:40:44
戦功によらない加増にはどんなのがありますか?
467日本@名無史さん:04/12/11 14:07:19
>>466
娘を側室に差し出したから20万石追加の豊臣秀吉→前田利家みたいなのとか?
468日本@名無史さん:04/12/12 00:14:50
>>466
自分の尻穴を献上する。

例:森御乱(信長の寵童、父なし子の次男坊から岩村城主)、春日弾正(信玄の寵童、百姓から海津城代、武田家中最大の動員力)、
  井伊万千代(家康の寵童、無宿人上がり、棚ボタ赤備え)、樋口与六(謙信の寵童、薪番の小倅から重臣中の重臣の家を乗っ取り)

これらの者はみな下賎の身から尻穴一つで大身にのし上がった。
日本人としては恥ずべきことだが、後世のために、あえてここに記しおく。
真似しないやうに。
469日本@名無史さん:04/12/14 11:29:11
あなおそろしや
470日本@名無史さん:04/12/14 12:04:34
でも全員有能な人物だな
尻穴献上しても有能だと見込まれないとやっぱダメか
471日本@名無史さん:04/12/14 13:57:43
難治の領土を押しつけられた結果、蒲生と佐々で差がでているがほかにも難治の国はあるのかな?
佐々と蒲生が逆でも同じかな?
472日本@名無史さん:04/12/14 14:39:02
>>471
徳川家康も関東に入った際はかなり苦労しています。
民衆の間では北条家の人気が高かったらしいです。

小田原合戦の際は北条側の支城にたいして無血開城を勧めたため豊臣秀吉に叱責されています。
北条家臣団を雇い入れて北条式政治手法を数多く取り入れています。(軍事は武田、政治は北条が一番らしいです。)

風魔忍者の話はどうなんでしょう?
小太郎は処刑されたと聞きますが・・・。
473日本@名無史さん:04/12/14 16:31:05
上杉後の堀もやりにくそうですよね?
474日本@名無史さん:04/12/14 20:22:33
地元じゃないし、元領主は嫌がらせするし。
475日本@名無史さん:04/12/14 20:52:52
>>474
上杉景勝も嫌がらせしたの?
詳しく知らないの教えてほしい。

伊達政宗の嫌がらせは超有名なのに。
476日本@名無史さん:04/12/14 21:26:10
>>470
永井直勝
477日本@名無史さん:04/12/14 21:28:54
>>471
肥後の場合、朝鮮攻めが秀吉の計画に既にありそうだから
あまりのんびりと内政に時間掛けていられない気がする。

しかも肥後人は俺が俺がでまとまらないし。
「肥後の鍬形、薩摩の提灯」という諺があるくらいだし。
(肥後人は一人一党で(全員自分が頭と思ってる)全然まとまらない。
 薩摩人は一人大将になるとその後に皆まとまって行動する)

むしろ、一揆で国人領主が一掃された後とはいえ、加藤清正がなんであそこまで
庶民に支持されたかがわかんない、熊本県人の私。
治水に功績があるとはいえ、城造りとかも並行してやっているから
負担もかなりあったはずなのに。
(私も好きなんだけど)
478日本@名無史さん:04/12/14 23:03:00
越後を去る前に年貢を全て取ってしまったんだっけ?
479日本@名無史さん:04/12/14 23:44:17
>>478
ありがとうございます。

上杉景勝、器が小さいw
30万石の大名が丁度いいですね。
480日本@名無史さん:04/12/14 23:56:52
上杉には直江が居たからな。
だから当主が無能でもどうにかなったんだろ。
481日本@名無史さん:04/12/15 13:52:26
>>479
上杉が会津に移る時に蒲生と、そして毛利と福島など結構起きているよ。
景勝一人器が小さかったわけではないが。
482日本@名無史さん:04/12/15 21:08:01
では日本人は一般的に器が小さいということでOK?
483日本@名無史さん:04/12/15 21:14:44
>>482
否!

上杉景勝と毛利輝元だけにしておこう。
120万石の大名のすることではない。
484日本@名無史さん:04/12/15 22:19:52
>>481
豊前で、黒田と細川との間でも起こったと思います。
関ヶ原後は結構あちこちで火種が生じてますね。
485日本@名無史さん:04/12/15 23:21:24
>>479
そうしないと、当面の旅費(引越し費用)&転居先での食い物が
確保できないから。
486日本@名無史さん:04/12/16 00:50:11
>>485
でも、景勝だけはガチ。正真正銘の小物。
だが、小物と言う点では政宗がこの時代では最も小物。
487日本@名無史さん:04/12/16 02:40:03
秀吉の方がチビだと思うが・・・。
488日本@名無史さん:04/12/16 04:24:26
>>486
普通の行動。

そのために、後々には国替えのルールが定められた。
489日本@名無史さん:04/12/16 06:36:59
>>488
領内の美女や御用商人まで連れてったって話もあるもんな。
490日本@名無史さん:04/12/16 21:17:05
>>488
普通かどうか基準がないからルールを定めたんじゃないんですか?
というか国替え自体が鎌倉・室町のころはあまりないから
(そのころだと占領者と被占領者というイメージがある)
後から来た占領者の言い分が通りそうですが。
491日本@名無史さん:04/12/16 22:28:52
>>489
家康も江戸に三河商人をつれてった。
佐竹は秋田に美女をつれてった。そんで水戸は3B
492日本@名無史さん:04/12/17 00:16:35
佐竹が連れて行ったんじゃなくて勝手についてきたという話のはずだが。
493日本@名無史さん:04/12/17 23:58:06
まぁ所詮与太話
494日本@名無史さん:04/12/19 10:54:09
>>491
じゃ、政宗は米沢在住のブ○を選りすぐって仙台に連れて行った訳だ。(w
495日本@名無史さん:04/12/19 15:03:48
>>494
秀宗が仙台ではマシな女を宇和島に連れてった。
496日本@名無史さん:04/12/20 00:11:12
越後に埋伏された上杉の旧臣はどんな選出だったのだろうか?
宇佐美なんかは家老の家柄では?
497日本@名無史さん:04/12/20 05:44:56
単に越後に残りたかっただけなんじゃないかな
上杉家にガチガチの絶対服従というわけでもなかったし
498日本@名無史さん:04/12/20 05:57:53
でもプレ関が原では上杉に呼応して蜂起してるぜ
499日本@名無史さん:04/12/20 11:10:31
>>496
宇佐美氏が謙信の軍師だったとするのは自称子孫の創作のようですよ
宇佐美氏は定満の死後没落したようです
外様の中ではある程度の勢力かもしれませんがその程度だったようです
500日本@名無史さん:04/12/20 12:54:00
>>495
仙台に残ったのは差し詰め「ブス・オブ・ブス」だな。(w
501日本@名無史さん:04/12/20 16:05:03
越後で上杉に唆された一揆の首謀格は定行だっけ?
彼らはその後どうなったんだろうか。
堀に処刑されたかな。
502日本@名無史さん:04/12/20 19:36:43
>>500
仙台に帰るとブスばっかなのがイヤで吉原遊びしたのが 綱宗
503日本@名無史さん:04/12/20 22:40:41
宇佐美定行って実在の人物だったの??
504日本@名無史さん:04/12/21 00:21:09
>>499
直江の一族とかの例もあるし


越後上杉家ってのはよく「土豪連合」と言われるけど、
「上杉家内での伝統襲名的な家格」
ってのは、まだ未分化というか存在しなかったのではないでしょうか?
能力のある奴を、その都度抜擢するような状態で。

実際、そういう政治体制がちゃんと整うぐらい落ち着くのって、
米沢以降じゃないでしょうか?
505日本@名無史さん:04/12/21 11:09:51
上杉には譜代にあたる家臣がいなかったと?
確かに二代続けて後継者で紛糾しているから共同体としての家付き家老はいないのかもな。
506日本@名無史さん:04/12/21 11:43:51
長尾の分家が沢山あるけど
各々が独立してるから大変だっただろうね
越後守護職上杉氏の家臣は引き継げなかったのだろうかな?
守護代からの下克上じゃ難しいのかな
507日本@名無史さん:04/12/22 21:23:10
>>506
そもそも、分家出身で、本家の養嗣子をぬっ殺したのが景勝だろ。
508日本@名無史さん:04/12/23 01:11:14
>>506
宇佐美や上条って守護系の家臣じゃなかったっけ?
509日本@名無史さん:04/12/23 01:15:03
謙信は景虎を関東管領上杉家の跡継ぎにして、
景勝は長尾家の棟梁にしようとしていたという説があるが、いかに?
510日本@名無史さん:04/12/23 02:41:09
いかにと言われても、本人に聞かな・・・

関東管領にわざわざ、北条の息子宛がったら
なんか労力の無駄になるっていうか・・・




あ、でも謙信ならわからんでもない。やるかも(笑
511日本@名無史さん:04/12/23 09:52:18
それこそ 田分け 行為だ
512日本@名無史さん:04/12/23 15:50:30
学士会
八雲会
茗渓会
如水会
三田会
稲門会
尚志会
伴音会
桜友会
燦葉会
理窓会
至誠会
楽水会
有朋会
鵬友会
五菱会
一和会

一番つおいのはどれ?
513日本@名無史さん:04/12/24 15:02:13
でも越後の一揆は失敗している。捨て石かな?
514日本@名無史さん:04/12/25 18:59:29
減封された大名は人減らしが大変だったろうね
515日本@名無史さん:04/12/25 20:50:54
>>514
上杉、毛利、立花あたりはみんな付いて行ったと聞くが
516日本@名無史さん:04/12/25 21:29:31
>>515
毛利はかなりすごかったが、上杉・立花はそんなに付いていっていない
517日本@名無史さん:04/12/26 01:17:11
>>516
上杉は、新潟→会津のときじゃなく、会津→米沢の時と米沢で半分になったときの2回はリストラせず
立花は、浪人時代も家臣が付いてたので、不良浪人軍団化を恐れて体制内に取り込んだと聞くが
518日本@名無史さん:05/01/02 15:06:08
人望も体制にとっては脅威だな
519日本@名無史さん:05/01/04 07:37:14
肥後が揉めたのは有名だけど旧大友領や四国への移封はスムーズだったのかな
520日本@名無史さん:05/01/05 19:48:01
の?
521日本@名無史さん:05/01/05 19:58:34
四国土佐だと山内対馬守が長曽我部旧臣の反乱鎮圧にてこずった話はあるが・・・
522日本@名無史さん:05/01/05 20:07:17
讃岐も阿波も伊予も征服されたてで平穏?
523日本@名無史さん:05/01/05 20:08:37
新興の小早川が朝鮮であれだけ活躍しているのは個人の才能?
524日本@名無史さん:05/01/05 22:45:32
蜂須賀も入国する時に反乱はあった。
525日本@名無史さん:05/01/11 08:38:06
九州や四国だけで何万石あったの?
526日本@名無史さん:05/01/11 13:29:57
九州で約三百万石
四国で約二百万石
ぐらいじゃないか
527日本@名無史さん:05/01/12 04:12:02
>>526
多すぎだろ? 何時の時代を参照にしてるかしらんが

四国 60万 九州 180万 程度だろ
528日本@名無史さん:05/01/12 06:09:29
>>527
526じゃないが、シッコクシッコクは戦国時代で90万石あったはず。
529日本@名無史さん:05/01/12 21:47:06
四国は、阿波22 讃岐16 伊予37 土佐23ぐらいで100万超えぐらいだね。

九州は、筑前50 筑後30 豊前26 豊後23 肥前60肥後50 対馬10
日向17 薩摩70 ぐらいで300万超えぐらいだろうね〜

ソースは脳内なんでアヤフヤだが(w
530日本@名無史さん:05/01/12 23:54:23
>>529
対馬は微妙じゃない?
10万石格だから
531529:05/01/13 00:33:17
>530
おっさるとうり。対馬は、微妙だな(w
529の書き込みは結構、いい加減ですよ。
だいたい 数字合ってると思うが
532日本@名無史さん:05/01/13 01:43:27
太閤検地

阿波 18万3500石
讃岐 12万6200石
伊予 33万6200石
土佐  9万8200石(←明らかに少ない。22万2000石?)

豊前 14万0000石
豊後 41万8313石
筑前 32万5695石
筑後 26万5998石
肥前 30万9935石
肥後 34万1220石
日向 12万0087石
大隈 17万5057石
薩摩 28万3488石
壱岐    9300石?
対馬  1万0700石?朝鮮との貿易で10万石格
533日本@名無史さん:05/01/13 05:48:04
対馬では韓国にお米を恵んでもらって何とか生きていた。
日本人が生きているのも韓国のおかげだね。
534日本@名無史さん:05/01/13 05:50:21
>>533
何を今更
そんな当たり前のことを
535日本@名無史さん:05/01/13 10:24:41
工作するなよ
当時の朝鮮の石高は半島全土で四百万石程度
しかも寒冷と未開発で荒廃して
稲作などわずかで雑穀主体の春には飢える貧しい食生活
536日本@名無史さん:05/01/13 14:12:28
朝鮮は九州と四国をあわせたぐらいか?
537日本@名無史さん:05/01/13 17:23:44
>536
石高は、だいたいそんなもんだろうね。
国力だと、九州+四国 以下になるのは確実だが

朝鮮北部は寒冷地帯だし、ほとんど稲作できねえし
平野が少ないので、結構きびしい。道路網が弱いので
商品・人の移動が少ないので商業規模が日本の平安時代並
なので非常に貧しい暮らしぶり。身分制度も日本よりキツいしなぁ

>533
日本人・・・・・対馬の人限定だろうに。
対馬も朝鮮に礼儀尽くしたし、また朝鮮も日本との橋渡し+倭寇(広義)
を押さえる意味合いもあったしな。
538日本@名無史さん:05/01/13 20:29:28
交易ね
539日本@名無史さん:05/01/13 21:56:44
ってか、中国北部と同じく、寒冷地対は麦でも食ってたんだろ。
石高原理主義者馬鹿杉。

>>537
礼儀を尽くしたって・・・
倭寇の親玉対馬人じゃん。
蕃夷の礼儀って奥が深いね。
540日本@名無史さん:05/01/13 22:20:16
麦を食おうが米を食おうが貧しい生活していたのに変わりないんだがw

>倭寇の親玉対馬人じゃん。
その時代は後期倭寇 前期倭寇と混同してるね。
朝鮮・中国の商人が日本の真似・格好した・・・大半が中国人ですが
またスペイン・イスパニアも関わりがあったという。
541日本@名無史さん:05/01/13 22:37:30
朝鮮人が食っていたのは
粟・稗・高梁だろ
鳥の餌みたいな奴

麦など高級品だ
542南部大膳大夫:05/01/13 23:20:56
朝鮮人が食っていた粟・稗・高粱とかはよくかまないと消化できず、腹を壊しやすいって
「赤い月」に書いてあったよ。あんなのものばっかり食っているから奴らは…
543日本@名無史さん:05/01/13 23:32:40
対馬の宗家は九州本土に飛び地の領土があって、そこで米作ってたはずです。
それで足りていたかまでは知りませんが。
結構、少弐氏支援して九州に出兵してるんですよね、宗は。

544日本@名無史さん:05/01/14 00:49:35
で、九州上陸したら異常気象で兵が凍死しまくったんでしょ。
545日本@名無史さん:05/01/14 01:27:33
>>543
肥前筑前に2万石で
確か米的には
九州で取れる米=対馬で取れる米+朝鮮からもらう米
ぐらいじゃなかったっけ?
あんま覚えてないので違ってたらごめん

546日本@名無史さん:05/01/14 02:16:44
朝鮮産の米など食べられたものではなかった。これじじつ。
547日本@名無史さん:05/01/14 03:56:01
倭人は味盲だということが明らかになりますた。
548日本@名無史さん:05/01/14 08:55:57
高梁は別としてヒエやアワは日本でも食べてたろ
でも朝鮮韓国では最近まで食ってたが
奴ら開墾治水しねーからな
549日本@名無史さん:05/01/14 21:36:14
痩せた土地でも簡単に収穫できるが消化とエネルギー効率が悪いからな、雑穀。
550日本@名無史さん:05/01/14 21:43:15
痩せた土地でも簡単に収穫できるが消化とエネルギー効率が悪いからな、雑穀。
551日本@名無史さん:05/01/14 23:51:40
話の途中ですまんが、だれぞ「敦盛」の舞
詳しいHPあったら教えてくれ。

できれば習いにいきたいと思ってるんだが。
552日本@名無史さん:05/01/15 06:57:38
秀吉が小早川家を育てて大きくしたのはなぜなんだろうか
553日本@名無史さん:05/01/15 07:13:32
毛利に対する牽制。
554日本@名無史さん:05/01/15 09:21:25
毛利家自身は削られていないよね?
555日本@名無史さん:05/01/15 11:31:37
>>554
和睦のときに高梁川以東を取り上げられた
556日本@名無史さん:05/01/17 16:33:20
九州二百石
四国 百石
ぐらいだよ
557日本@名無史さん:05/01/18 06:34:19
石高の話するなら根拠出さないと荒れないか?
558日本@名無史さん:05/01/18 12:45:53
559日本@名無史さん:05/01/19 07:01:43
>>558
おぉありがとぉ。
室町末期の石高は,ここから想像するしかないのかな?
560日本@名無史さん:05/01/19 14:01:41
豊臣期の毛利家臣の所領内訳を教えてください
561日本@名無史さん:05/01/20 10:09:55
百二十万石だと筆頭家臣はどれくらい貰えるのかな
562日本@名無史さん:05/01/20 14:26:40
十万石
563日本@名無史さん:05/01/20 15:07:21
直江兼続は30万石
564日本@名無史さん:05/01/20 19:27:44
秀吉直轄領は?
565日本@名無史さん:05/01/20 19:40:22
200万石
566日本@名無史さん:05/01/20 19:58:16
>>563
俗説
567日本@名無史さん:05/01/20 20:05:45
四百万
568日本@名無史さん:05/01/21 04:23:47
>>566
直江領は何万石?
569日本@名無史さん:05/01/21 06:35:46
直江は直轄領は約6万石。
で、米沢領30万石の支配をまかされてた。
570日本@名無史さん:05/01/21 13:26:02
秀吉から直接指定された陪臣の知行を教えてくださいな
571日本@名無史さん:05/01/21 21:50:51
物凄くどうでもいいけど、「米沢30万石」って置賜・伊達・信夫あたりの合計だよな?
置賜一郡じゃあ30万石も無いよな?
572日本@名無史さん:05/01/22 02:27:01
569 :日本@名無史さん :05/01/21 06:35:46
直江は直轄領は約6万石。
で、米沢領30万石の支配をまかされてた。

ソースキボンヌ。
573日本@名無史さん:05/01/22 11:04:26
「慶長五年直江支配長井郡分限帳」のよると兼続配下は825名で
彼らの知行高は18万5千石強。
米沢30万石の宛行状は残っていないので解釈は自由だが、
関ヶ原後の上杉家における兼続の位置づけをみても、米沢30万石
を彼が采配していたと思われる。
574日本@名無史さん:05/01/23 05:54:22
島津で指定された知行も十万石前後だよな
575日本@名無史さん:05/01/23 10:35:32
>>574
竜造寺の鍋島を知らないのか?
576日本@名無史さん:05/01/23 12:16:42
龍造寺なんて隆信が死んだ後のことなんてみんな眼中にないから
577太閤曰:05/01/23 18:57:21
「嗚呼、射精寸前」男悶絶。「口内発射可?」
「不可」女曰。「貴殿射精場所即我膣内」
 女舌技停止。萎縮物即硬直、聳立。先端、先走汁有。
「騎乗可?」女訊。男頷了解。 女、硬直物添手、潤滑繁茂地帯誘導。
「嗚呼」女悶。「我膣内、巨大硬直物挿入完了」
 女下半身躍動開始。一、二、三・・・
「嗚呼」男短声。「謝罪」
 女呆然、運動停止。「貴殿既射精!?」
「汝舌技巧妙故。御免」
「最低!! 三擦半男!!」女絶叫。「亀頭鍛錬不足!!
 貴殿包茎手術経験者!?」
「何故汝知其事実??」
 男墓穴。
 以後、男、性交時避妊具二重着用
578日本@名無史さん:05/01/23 19:33:34
>>573
長井郡ってどこ?おきたまとちゃうん?
579日本@名無史さん:05/01/24 02:06:22
島津家では
 伊集院忠棟の8万石と
 島津以久の 1万石が
秀吉から指定されているよね。
580日本@名無史さん:05/01/24 08:08:35
>>578
置賜の別称。中世に古来の郡名が幾分か混乱した時に付いた名前だった記憶が。
581日本@名無史さん:05/01/24 21:45:50
佐竹家の東義久6万石も秀吉の指定ですね。
582日本@名無史さん:05/01/24 22:00:21
他の石高指定家臣も知りたいっす
583日本@名無史さん:05/01/24 23:12:09
小田原の大久保もそうじゃなかった?
584日本@名無史さん:05/01/25 20:18:38
あげ
585日本@名無史さん:05/01/26 12:32:48
大久保は違うとおも。
586日本@名無史さん:05/01/26 13:30:06
大大名の特権家臣は江戸時代のお目見えみたいなもの?
どんな家老がいたんですか?
587日本@名無史さん:05/01/26 22:04:14
徳川家の榊原康政も秀吉の指定で10万石にしてもらった。
秀吉は小牧長久手の際の一件で、小平太のことをものすごく気に入っていたようだね。
588日本@名無史さん:05/01/26 23:47:40
徳川は榊原だけ?
秀康とか忠勝は?
589日本@名無史さん:05/01/27 00:00:00
秀康は陪臣じゃないダロ
590日本@名無史さん:05/01/27 08:12:41
どゆこと?
591日本@名無史さん:05/01/27 12:34:07
井伊直政と本多忠勝もだな。
592日本@名無史さん:05/01/27 13:03:32
陪審とはお上にお目見えできない者を言うんだよ。秀康は秀吉の養子だから。小平と八郎は羽柴姓をもらってるのか?
593日本@名無史さん:05/01/27 20:36:56
ないな
594日本@名無史さん:05/01/27 22:45:37

秀康が、徳川家の家督を継いだ秀忠の家臣になれば秀吉からみれば陪臣ですが、
徳川家とは別の独立した大名である結城家の養子になってますからね。
りっぱな大名様。

595日本@名無史さん:05/01/28 01:01:51
でも家康関東移動後は、秀康も家康配下でないですっけ?

寄騎みたいなもん?
596日本@名無史さん:05/01/28 03:44:30
>>595
結城家を徳川家の配下に入れるというなら、
関東の大名である里見家、蒲生家、成田家、佐野家、沼田真田家も徳川家の配下として考えるのかい?
それってどうなんでしょう?
597日本@名無史さん:05/01/28 06:45:02
そうなると常陸に秀康がいるのは豊臣にとってどうなのかねえ?
598日本@名無史さん:05/01/28 06:51:31
>>597
結城家は下総国であります。
よろ〜。
599日本@名無史さん:05/01/28 09:17:05
日向辺りにしておけば
600日本@名無史さん:05/01/28 13:24:20
樺太でいいよ
601日本@名無史さん:05/01/28 19:57:49
無理
602日本@名無史さん:05/01/29 17:49:02
>>587
罵ったのに?
603日本@名無史さん:05/01/30 08:42:13
立花はよく独立できたよな?
604日本@名無史さん:05/01/30 08:51:26
>>603
実父と養父の名声を知らんのか?
605日本@名無史さん:05/01/30 10:13:14
そうじゃなくて大友家を見離したってことでしょ?
兼続や直茂とかとは違うでしょ数正みたいな困難さはなかったのかな?
606日本@名無史さん:05/01/30 10:34:41
見放したと言うよりは秀吉によって独立させられたというか
この件で大友から苦情があったという話も寡聞にして聞かない。

立花氏・高橋氏が采配を任されていた土地が
秀吉の「九州御動座」の時期には島津氏の侵攻により大友氏とは分離していて独立性が強くなっていたというのも
秀吉が立花氏を大友氏と切り離した背景にあるのかも知れない。
607日本@名無史さん:05/01/30 11:23:00
小早川秀包も独立したよな
608日本@名無史さん:05/01/30 11:33:42
>>607
小早川隆景から筑後のうちの三郡を受け取ったんじゃないの?
609日本@名無史さん:05/01/30 11:42:26
それは秀秋の対価では?罪滅ぼし?

そういえば新書でこのスレにちょうどいい本がでたね。
610日本@名無史さん:05/01/30 11:49:04
>>609
それそれ!
罪滅ぼしみたいなやつw

本の題名、教えてけろー
611日本@名無史さん:05/01/30 14:21:41
信長の親衛隊
の続編で
信長の司令官
岩波新書だったかな?
612日本@名無史さん:05/01/30 14:31:26
立花宗茂には主家を守る義理堅さはなかったのかな。
主家を見限るなんてかなり薄情だよな。
613日本@名無史さん:05/01/30 14:39:26
ごめん中公新書だった
614日本@名無史さん:05/01/30 16:33:52
>>612
大友家が改易されたときに宗茂が突然のことに驚いて何とかならないかと心情を綴った手紙があるらしい。
自分はその本文を見たことはないが、何かの論文でさらっとふれられていた記憶がある。

大友改易後に豊後に入った諸大名を見ると石田三成の縁者とかいわゆる秀吉に近い文官派が多いから
最初から秀吉がこの土地を狙っていて、大友に難癖つける機会を待っていたという説もあるね。
615日本@名無史さん:05/01/30 19:51:02
>>613
買ってみた。これから読む。
616日本@名無史さん:05/01/30 19:56:44
>>596
それでいいんじゃない?
里見家は徳川の寄り騎的な仕事もさせられたみたいな記述を見た事がある。

>>607-609
秀包は秀吉のところに人質に行って可愛がられたらしいから、輝元の養子にする筈だった秀秋が小早川の養子になったのは秀吉的にも計算外だったのでは?
617日本@名無史さん:05/01/31 01:05:43
>>596
>関東の大名である里見家、蒲生家、成田家、佐野家、沼田真田家も徳川家の配下として考えるのかい?
>それってどうなんでしょう?

江戸に顔見せに来て、友達扱いなら独立大名
結城秀康はといえば・・・
618日本@名無史さん:05/01/31 02:07:17
>>617
結城秀康は独立大名で決定ですね!(当たり前ではありますがw)
619日本@名無史さん:05/01/31 16:02:54
こうしてみると秀吉存命中の反乱に見込みがないのがわかるよな
620日本@名無史さん:05/01/31 17:55:07
そうだよね
621日本@名無史さん:05/01/31 18:29:13
大友宗麟自身が立花を独立させて直臣にしてくれって秀吉に頼んだってのは俗説なの?
622日本@名無史さん:05/02/01 20:23:27
どうかなあ
623日本@名無史さん:05/02/01 20:45:46
>>618
家康から見て臣下ないしは身内扱いだから、友達扱いではない。
つまり家康付属品。


・松平秀康もしくは豊臣(羽柴)秀康として独立させ、
 ぜんぜん違うところに大知行
・「家康くんの跡目は秀康ってことでいいね?
 んじゃ不要な秀忠くれ」と、秀忠を大坂詰めにさせる

とかしとけばよかったのに・・・秀吉ったらもう。
624日本@名無史さん:05/02/01 21:08:49
>>623
結城家は、戦国大名から、秀吉に臣従後、
陪臣(徳川家臣または親族扱い)になってしまったってこと?

秀吉の関東平定のときあたりに何かヘマやりましたっけ?
625日本@名無史さん:05/02/02 01:13:06
秀吉時代って直臣陪臣の区別、明確でないと思うよ。

そうやって垣根を越えた付き合いをして、
相手家中(家臣)を取り込んでいこうとしたのが秀吉だし。
626日本@名無史さん:05/02/02 06:30:24
直江なんかそうやって一本釣り狙ってたもんな。
627日本@名無史さん:05/02/02 08:42:25
一本釣り成功例は?

小早川
立花
石川

他には?
628日本@名無史さん:05/02/02 19:39:33
家康の叔父さんもじゃないの。
刈谷の水野。
629日本@名無史さん:05/02/02 20:12:48
>>628
水野は元々松平の家来ではなく織田の家来だよ。久松もそうだけどね。
狸がマザコンじゃなかったら外様だっただろうね。
630日本@名無史さん:05/02/02 23:22:14
久松って本能寺後〜豊臣期は何やってたん?
631日本@名無史さん:05/02/03 01:23:12
>>627
一本釣り以外にも

本体解体→直臣化
本体縮小→直臣化

がありますよね。
小川や長束、立花・高橋などなど。

秀吉時代なんて、
「陪臣だから天下人に会えません」
「江戸と大坂、両方に御機嫌伺いすることはないです」
などということはありませんしね。
(頑固な三河衆の一部を除く)


>>626
そうですよね。
上杉家中でありつつ、諸侯と肩を並べる直江。

秀康も家康家中のはみ出し者でありつつ、
家康裁量下の関東豪族の継承者でありつつ、
秀吉養子として豊臣家中でもありつつ、
諸侯と肩を並べる大名であり、、、

大変だね、秀康。
632日本@名無史さん:05/02/03 01:26:26
確か誰か
「大坂まで来る事はないので、今後は江戸へ御機嫌伺いに
行くように」とかいわれた奴いなかったっけ
633日本@名無史さん:05/02/03 08:21:40
>>632
伊達あたりが言われたら、半ベソかきながら伏見に
居座りそうだな。w
634日本@名無史さん:05/02/03 10:50:58
安国寺恵ケイ
伊集院忠棟
635日本@名無史さん:05/02/03 20:06:07
鍋島直茂は一本釣りなんだろうか?
636日本@名無史さん:05/02/03 21:47:42
そうなるじゃない。45000石にして長崎奉行にもしているし、
後、竜造寺家晴にも23000石にしたから。
637日本@名無史さん:05/02/04 01:11:12
>>632
蒲生氏郷の子供?
638日本@名無史さん:05/02/04 13:44:47
宇喜多家と小早川家の重臣の変遷はどうなっていたんでしょうか?
639日本@名無史さん:05/02/04 20:44:43
>>638
まず自分で思いつくだけ書いてみ。
それを叩き台にしようよ。
640日本@名無史さん:05/02/07 09:15:32
宇喜多も小早川も乗っ取られたようなもの
641日本@名無史さん:05/02/07 13:18:58
毛利を乗っ取られないように小早川を差し出したようなもの。
なので多大な犠牲を払いつつも作戦成功、ということで。

宇喜多はだって秀家くんが
「俺は宇喜多じゃねぇ!豊臣だぁ!!」
と言ってるぐらいなので・・・。
あえて乗っ取られたというなら、前田利家に乗っ取られたのかも<宇喜多
642日本@名無史さん:05/02/07 13:36:36
なんでまた前田色に染まってしまったんだろう
中村某を重用したり
643日本@名無史さん:05/02/07 18:40:03
嫁が前田利家の娘 >>642
644日本@名無史さん:05/02/07 21:11:21
そんなことは知っているが他家から来た家臣を重用するにも程があるだろう
その結果で失った重臣の多さをみれば
645日本@名無史さん:05/02/07 22:11:40
当時の主従関係からいえば、宇喜田家にもともといた重臣たちからみれば
宇喜田家の譜代意識なんか強くないないでしょうから。
関係悪くなったら、別の大名家に仕官すりゃいいくらいの意識だったのでは。

秀家側から見ても、そういう家臣をしっかり組織化するより、
新たに取り立てて恩をうった家臣をかわいがるほうが簡単でしょうから。
646日本@名無史さん:05/02/07 22:39:30
宇喜多は時侍や国人領主の連合体を宇喜多家が代表しとる
て感じだからなぁ・・。
関係悪くなったら武装して堂々と立ち退くやら大阪屋敷乗っ取って
立て籠もるのやら・・。
647日本@名無史さん:05/02/07 23:53:53
当時は毛利や上杉あたりもそんな感じでしょう?
古い「生き残り大名」の家は。
信長秀吉系(新規取立て=家臣も新規取立て)でない限り。


前田に染まったのは、宇喜多の都合もあると思う。
>>646のような家中を急速に「近代化」しないといけないし、
元・前田家中ってことは秀吉&閣僚とも接点がある
=「宇喜多家」としてもなにかと使わなきゃいけない
=主人は上方にいて家臣を放任主義(というか統治したことねーよ)
=「家臣で勝手にやれ。・・・そういうもんでないの?」
=必然的に権力を・・・

それに当時の秀吉以下には、いくつかの派閥があるでしょう?
やっぱ宇喜多も前田も「ディアフタートゥモロー」を考えているわけで。
その中で前田&宇喜多〜蒲生や上杉〜というような派閥に
属してしまってるわけで(それも有力者として)

秀吉が最初っから
・秀家は養子に→新規大名”宇喜多豊臣氏”設立
・旧家臣団使って、大名”岡山浮田家”存続
とかしとけばよかったのにね。
648日本@名無史さん:05/02/07 23:54:31
長船も恨まれていたの?
649日本@名無史さん:05/02/08 00:16:07
豪族連合の代表から、宇喜多の独裁国家にしたかったから
有力豪族を排除したかったのかもね
650日本@名無史さん:05/02/08 07:00:11
親戚、岡、長船、花房、あたりが地元の重臣?
明石は繰り上げで重臣になれたの?
651日本@名無史さん:05/02/08 09:10:25
全登は年寄りなんだけど最後は筆頭家老?
652日本@名無史さん:05/02/08 11:14:46
沼本さんとかは?
653日本@名無史さん:05/02/08 19:10:02
どんな人?
654日本@名無史さん:05/02/08 19:51:20
小早川の宿老は秀秋の代になったときにどうなったの?
隆景についた?
秀包についた?
秀秋についた?
655日本@名無史さん:05/02/08 20:13:25
三原衆は隆景について帰りましたとさ
656日本@名無史さん:05/02/08 22:35:18
浅野長政、幸長親子も秀吉から別々に石高指定されていますよね?
657日本@名無史さん:05/02/09 07:05:10
その三原衆とは小早川系?毛利系?
乃美、椋梨、梨羽などの重臣はどっちなんですか?
658日本@名無史さん:05/02/09 14:12:47
しらねえな
659日本@名無史さん:05/02/09 15:18:33
三原衆は小早川系中心、毛利含む。
660日本@名無史さん:05/02/09 19:17:23
つまり上の連中?
毛利系小早川家臣の例は?
661日本@名無史さん:05/02/10 03:03:10
清水景治(高松城主清水宗治の息)
662日本@名無史さん:05/02/10 06:57:42
秀包の久留米藩も急造だから毛利系の家臣だけなんだろうな
663日本@名無史さん:05/02/10 16:27:07
僅かな期間で潰れた大名だ
気にすんな
664日本@名無史さん:05/02/10 19:12:03
十万石以上の中堅大名だろ?
朝鮮征伐でも活躍しているし
665日本@名無史さん:05/02/10 19:18:30
>>664

×朝鮮征伐
○朝鮮侵略

いまどき右翼は流行らない
666日本@名無史さん:05/02/10 20:51:33
命令に従わないから征伐した
長曽我部征伐や島津征伐や北条征伐と同じ
惣無事令に従わないから「征伐」
667日本@名無史さん:05/02/11 18:29:30
秀吉的に言えば、惣無事令は天下全体…世界的に有効。
惣無事令は国と国が境界争いをしてるから争いがなくならないのだから、自分の下で一切の領地争いを裁定してやろうという善意。
だが、日本国内はともかく海外の国から見れば侵略であり内政干渉なのだが、秀吉には国内の国境と国家間の国境の根本的な違いに気が付かなかった。
668日本@名無史さん:05/02/11 18:34:31
>>667
現代で言うならば、
ブッシュが「世界の国々から争いを無くすには全ての国家がアメリカ合衆国に参加してその一州になればいい。それに参加しないのは好戦国家として征伐してそこの国民を救ってやる」といってアメリカ以外の国家に二者択一を迫るようなもの。
669日本@名無史さん:05/02/11 18:47:16
挑戦征伐には西国大名の支持もあった
670日本@名無史さん:05/02/11 21:04:08
>>669
その侵略に賛同した軍国主義者はだれ?
671日本@名無史さん:05/02/11 23:04:15
キヨマサ=カトウ
672日本@名無史さん:05/02/12 09:50:26
今さらで申し訳ないけど、
>>311
>秀吉政権・朝廷で独立した大名として独自の席次を
>与えられているかどうかで、直江や吉川たちは全員直臣待遇の陪臣。
>秀吉時代は曖昧だが、家康の時代に入ってから明確に「支藩」として届出することで、
>彼らは本藩とは別に外交権などの権利をもつ存在としての地位を確立した。

秀吉時代の直江の直臣待遇って具体的にどのようなものなんですか?
30万石とかの俗説は置いといて。
徳川時代まで支藩扱いされていたのですか?

これも前の方のレスですが、
上杉家にまるで譜代が居ないかのような書き込みがありましたが、
斉藤家や直江家、本庄家は譜代といってもいいのでは?
それと景勝は分家の養子になった訳ではなく、
上杉姓を与えられ、謙信の弾正少弼の官途を譲られたのでは?

673日本@名無史さん:05/02/12 09:52:40
何だよ軍国主義って、まだそんな概念のない時代だぜ
674日本@名無史さん:05/02/12 10:10:36
>>672の補足ですが、
天正十六年の上洛時、
景勝の叙任とともに従五位下山城守に任じられ豊臣姓を許されたこと、
以外の直臣待遇にどのようなものがあったのか、知りたかったのです。

スレの流れを切ってしまってるようでスイマセン。
675日本@名無しさん:05/02/12 17:01:17
豊臣姓を秀吉から貰った人って誰々がいるの?
真田幸村、細川忠興、青木一矩とかは知ってるんだけど。
676日本@名無史さん:05/02/12 18:04:13
主要大名はみんなもらったような。
677日本@名無しさん:05/02/12 20:16:11
>>676
そうなんだ。
じゃあ、あまり希少価値はないんですね。
678日本@名無史さん:05/02/12 21:58:56
>>676
そうでもないよ。

さすが人たらし秀吉め・・・というような面子が貰ってる。
679672,674:05/02/12 23:24:39
>>675
真田幸村、細川忠興、青木一矩、みな秀吉の直臣ですよね。
直江に関しては、実際宛行は景勝を通してのものだけれど、
ようは豊臣姓を与えられた当たりがいわゆる直臣待遇と云われる所以なのだろか。
上の311のレスに「独立した大名として独自の席次」とあったので、
何を以ってそういう扱いだったと捉えればよいのか疑問だった訳です。
680日本@名無史さん:05/02/13 03:11:21
豊臣姓と羽柴の名字を貰ったことを一緒にして話してないです?
例えば細川忠興が豊臣姓貰ったとしたら、
源朝臣細川忠興から豊臣朝臣細川忠興になりますよ?

豊臣姓になったのは、秀吉一族を除いたら北政所の実家の
木下氏だけと思ったけど。
木下氏は江戸時代も豊臣姓だったと思いますが。


681日本@名無史さん:05/02/13 08:59:34
豊臣はごく僅かでしょ?
加藤清正が朝鮮で勝手に豊臣清正と文書に入れて怒られたし。

羽柴は乱発していそうだ。
682日本@名無史さん:05/02/13 09:13:06
豊臣姓もけっこう乱発してるぞ。
史料に豊臣時代の大名の名前が列挙してるのがあったが、徳川家康(源氏)と
織田信雄(平氏)と長曽我部元親(秦氏)以外は全部豊臣姓だった。

秀吉は豊臣政権安定化策の一環として、豊臣姓や羽柴名字をさかんに下賜して
擬制的な同族づくりを進めている。
清正の場合は、もともと直臣的立場なのであえて姓を下賜する必要がなかったのと、
下賜されてない姓を勝手に自称した行為自体がとがめられたんだろう。
683日本@名無史さん:05/02/13 11:00:44
ちなみに市松は姓を何ももらっておらぬが何か?関ケ原の時の忠興から家康の手紙は羽柴姓になっていますが何か?徳川家宝の資料にあります。
684日本@名無史さん:05/02/13 13:50:11
>683
福島正則は豊臣姓を与えられているが?
通常の書状には普通「姓」なんぞ書かないと思うが?
685日本@名無史さん:05/02/13 17:34:49
長曽我部はねぇ、家格が低かったのと、土佐一条家の家宰という立場だからだよ>>682
686日本@名無史さん:05/02/13 18:17:57
片桐且元でも豊臣姓与えられてるのに、清正はなんでもらえなかったんだろう?
687日本@名無史さん:05/02/13 18:43:36
小早川家の松野主馬も豊臣姓与えられてたよな?
688日本@名無史さん:05/02/13 23:53:15
そうなのよ
豊臣姓
・重要主要な大名
・と、その家臣でも”これは”というような人物(これ大事)

加藤は怒られたんだねぇ。
宇喜多秀家は勝手に名乗って(署名して)むしろ嬉しがられた、
っていう伝承ありますよね。


>>680
貰っても、使う使わないは自由。そんなテキトーさが
豊臣姓や羽柴苗字の特徴(笑)
そんな政治基盤、それが豊臣政権。
あとで真似した松平時代とは大違い。


木下、を貰った人もいましたよね。重堅でしたっけ?
大谷吉継の次男(これも不明)のあたりも怪しいですが。
689日本@名無史さん:05/02/14 18:38:00
十万石ももらえれば充分だろうよ
690日本@名無史さん:05/02/14 21:43:49
蒲生氏郷ってどんな人?
691日本@名無史さん:05/02/15 02:30:37
プライドと周りの評価だけは高い人
692日本@名無史さん:05/02/15 02:44:33


後世の人がやたらと評価してるけど、
その事跡は実はよく知られていない人。

それがレオくん。
693日本@名無史さん:05/02/15 09:06:15
氏郷は会津へ移る前は何万石?

政宗と互角?
つーかアウェイは不利だよな。
堀も苦労したみたいだしさ。
694日本@名無史さん:05/02/15 13:34:35
蒲生 対 伊達
堀 対 上杉
上杉 対 伊達
695日本@名無史さん:05/02/15 15:56:50
伊達と伊達巻って関係あるの?
696日本@名無史さん:05/02/15 19:56:57
移封前の領地に家来を埋伏させてあとで一揆。
秀吉が死んだときの捲土重来を期待していたのかな?
697日本@名無史さん:05/02/16 08:37:21
>>695
かっこいい巻き物
おしゃれ巻き物

ってぐらいの意味でないの?
698日本@名無史さん:05/02/16 09:37:58
木村吉清は誰にやられたの?
699日本@名無史さん:05/02/16 12:10:52
過分な仕事に負けたのです
700日本@名無史さん:05/02/16 20:15:32
宮仕えは大変だな
氏郷が泣いたのもわかる
701日本@名無史さん:05/02/16 23:52:02
「宮仕え」

っていうほど身分差・上下関係・服属意識なかったでしょ?
豊臣政権の有力大名ってばさ。

「どうあがいても逆らえない、そんな俺」

が無念なだけで。
木村は豊臣政権官僚って言ってもいいかもね。
蒲生は「そんな俺」のほう。
702日本@名無史さん:05/02/17 11:14:05
信玄だったら信長を倒せた?
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1108262931/l50
703日本@名無史さん:05/02/17 17:57:21
別話題のスレをなぜリンクする?
704日本@名無史さん:05/02/17 20:03:23
平野に大大名を配置するのは失敗じゃないか?
705日本@名無史さん:05/02/17 20:45:02
山地に大大名って難しい。
706日本@名無史さん:05/02/18 09:35:40
関東と越後と濃尾と近畿と筑紫を直轄か分割で統治しておけば基本的に生産力で政権が脅かされることはないのでは?
707日本@名無史さん:05/02/18 15:07:26
そういわれましても
708日本@名無史さん:05/02/21 09:06:46
柳川って別に昔から支配していたわけではない?
709日本@名無史さん:05/02/22 20:27:27
大谷とかどう?
710日本@名無史さん:05/02/23 01:27:28
大谷は気持ち悪い病気もってるからヤダ
711日本@名無史さん:05/02/23 02:04:45
刑部は気持ち悪くないよ
刑部が点てたお茶は美味しいよ
712日本@名無史さん:05/02/23 08:10:00
そのお茶って、飲むとトモダチが一人増える魔法のお茶の事?
713日本@名無史さん:05/02/23 09:26:35
尾張系と近江系はどの時点で逆転したのかな?
福島は常にトップを守った?
714日本@名無史さん:05/02/23 09:33:43
>>713
尾張系のトップが常に福島正則なのかー!
尾張系・・・終わりだなw
715日本@名無史さん:05/02/23 19:10:16
近江系のトップクラスは何万石?
716日本@名無史さん:05/02/23 20:58:48
>>714
尾張なだけに終わりか、うまいこと言うね
717日本@名無史さん:05/02/23 21:09:37
>>716
ありですw
718日本@名無史さん:05/02/23 23:02:06
大谷となら、セックスしても良いけど
感染しちゃうから、我慢。
719日本@名無史さん:05/02/23 23:03:37
大谷殿、降りてきて下され。
らい病の貴方に移されても平気でございます。
慕う。
720日本@名無史さん:05/02/24 00:06:19
>>718
私はするなw
721日本@名無史さん:05/02/24 00:22:23
>720大谷でも
大谷吉継ですよw
722日本@名無史さん:05/02/24 01:22:13
>>714
「秀吉の親族」だから。<福島
723日本@名無史さん:05/02/24 01:29:55
>>722
加藤清正や浅野長政はダメなのか?
724日本@名無史さん:05/02/24 06:03:37
官僚派は三成が出世の筆頭?
725日本@名無史さん:05/02/24 17:24:10
>>723
清正と正則を比較した場合、どっちもよくわからないけど
清正・・・遠縁
正則・・・清正よりは近縁
と言われてるね。

浅野くんちは充分遇されているだろうけど、やっぱり
こう「意張りが効く」タイプじゃなかったんだろうね。


ってか「秀吉側近かつ尾張出身」のトップは秀長では・・・
726日本@名無史さん:05/02/24 18:50:39
親族はまた別格かと
727日本@名無史さん:05/02/24 20:35:27
>>726
親族除外したら、もうひとつの加藤君ぐらいか?
728日本@名無史さん:05/02/24 21:24:57
七本槍に対する官僚派を7人選ぶと?
729日本@名無史さん:05/02/24 22:38:07
>>728
中途採用組(長束や前田玄以など)除いてですよね?
石田光成 増田長盛 大谷吉継 くらいがすぐ思いつくところですかね?

官僚派ってのがちょっと難しいですね、当時のことだから全く軍功ない人はめずらしいでしょうし。
730日本@名無しさん:05/02/24 23:21:36
七本槍っても片桐とかは何だかなぁ、って感じだな。
武断派の七人衆ならキャラは立ってるけど。
731日本@名無史さん:05/02/24 23:31:11
>武断派の七人衆ならキャラは立ってるけど。

立ってないよ。
お前が説明できるのなんて、7人中で3人だけだろ?
732日本@名無史さん:05/02/25 04:16:30
>>729
長束、長束正家!

長束忍者隊!!
関が原のナンバー2!


・・・生え抜きじゃないんだけどね。
733日本@名無史さん:05/02/25 06:47:17
前野長康は?
734日本@名無史さん:05/02/25 20:05:07
>>733
そういや、秀次付きにされて、秀次粛清の際に切腹させられた大名が数名いますね。(長康の息子とか)
彼らは文治派といえるかも。
前野長康自体は、秀吉初期からの家臣だし、尾張出身だからどっちかというと武断派かも。
735日本@名無史さん:05/02/25 20:20:29
太田一吉は?
736日本@名無史さん:05/02/26 05:12:24
名前がショボ杉
737日本@名無史さん:05/02/26 07:58:04
牛一よりはマシじゃね?
738日本@名無史さん:05/02/26 09:44:39
>>737

本人の前でこういうこと言うやつが「信長公記」でメタクソにかかれたんだろうな
739日本@名無史さん:05/02/26 10:57:29
前野長康は小六の仲間じゃなかったですか。
それは稲田の方でしたっけ?
740日本@名無史さん:05/02/26 11:06:19
戦功派より奉行等で出世したほうが近道?
741日本@名無史さん:05/02/26 11:16:46
>>738
>本人の前でこういうこと言うやつが「信長公記」でメタクソにかかれたんだろうな

例えばどんな人が他の一次史料から見てそのように考えられているの?
742日本@名無史さん:05/02/26 15:16:19
改名すりゃいいじゃん。当時は好き放題できたはず。
なのに改名しないってことは、牛一はその名前が気に入ってたんだよ。

「ブル1号」もしくは「バッファローNo.1」を。
743日本@名無史さん:05/02/26 15:57:07
>>739
稲田は蜂須賀の配下。
前野は別勢力だが、小六とは、仲が良かった。
そういや、御子田正治や小出秀政、早川長政はどこの人?
744日本@名無史さん:05/02/26 16:11:28
小野木公郷
745日本@名無史さん:05/02/26 21:13:47
>>743
確か親友だか親戚じゃなかった?>小六と前野
746日本@名無史さん:05/02/27 00:14:14
稲田が若頭で前野が舎弟、小六は組長じゃなかったお頭でいいのでつか?
747日本@名無史さん:05/02/27 00:30:15
で、太閤殿下がバイト。
要はおれおれ詐欺団みたいなもんですか。
748日本@名無史さん:05/02/27 01:34:46
>>746
前野は義兄弟。杯兄弟。
749日本@名無史さん:05/02/28 22:21:54
佐々
750日本@名無史さん:05/03/01 00:11:43
太閤と穴兄弟になりたい
751日本@名無史さん:05/03/01 06:52:49
>>750
だれで・・・オレはまあ
752日本@名無史さん:05/03/01 07:45:30
福原は?
753日本@名無史さん:05/03/01 20:57:08
愛ちゃん
754日本@名無史さん:05/03/01 23:29:46
有馬が渡瀬家の家老から秀吉直属大名になりね最後は21万石もの大名に
なれたのはなぜだったのでしょう?
755日本@名無史さん:05/03/02 06:42:58
九州じゃなくって?
756日本@名無史さん:05/03/02 11:37:21
はたらいたから
757日本@名無史さん:05/03/02 15:38:05
>>754
・腐っても赤松一党
・家康の養女をもらった
・人畜無害
758754:05/03/02 15:50:11
レスサンクスです
自称ではない赤松一党というのは有利だったのですね、体制が固まりつつ
ある時勢では一番出世した家じゃないでしょうか
759日本@名無史さん:05/03/03 07:22:21
加藤嘉明も終盤でずいぶん出世したのでは?
760日本@名無史さん:05/03/03 08:34:06
>>758
渡瀬が死んだ時点で
「渡瀬個人は罪人だけど、渡瀬家(軍)は温存したいなぁ」
と思ったんじゃないでしょうか。

身内や手勢の少ない秀吉、としては。
761日本@名無史さん:05/03/03 22:04:55
少ないよな
身寄り
762日本@名無史さん:05/03/03 22:35:42
長久手あたりで木下姓の部将が結構戦死してますが、
あれは身内だったのかな?
それだったら痛い敗戦でしたね。
763日本@名無史さん:05/03/04 08:14:17
長久手と秀次連座がなければ生き残った有力大名や豊臣家臣は?
764日本@名無史さん:05/03/04 09:05:52
>木下姓の部将が結構戦死

列挙きぼんぬ
765日本@名無史さん:05/03/04 13:43:27
戦死した付け家老は生きていたら三つ成なんかと張り合えたの?
766日本@名無史さん:05/03/04 21:01:24
>>764
長久手で戦死
木下勘解由利定、木下周防守利直(兄弟らしい)

秀次連座
前野長康、木下吉隆(稱名寺教宗の子) 木村重茲、三好吉房、羽田正親、服部一忠(桶狭間の服部小平太)
渡瀬繁詮(関東の横瀬氏)、明石則実
767日本@名無史さん:05/03/04 23:21:50
>766
>渡瀬繁詮(関東の横瀬氏)

それは上野の「わたらせ」氏じゃなくて播磨の「わたせ」氏。だから播磨有馬氏と縁者だった訳で。
768766:05/03/05 08:08:26
>>767
うん?私がググッったHPだと
上野新田金山城主由良(横瀬)成繁の子。
ってありましたよ。どっちが正しいんだろう。
769日本@名無史さん:05/03/05 09:36:42
その木下は大身で優秀なのでつか?
770日本@名無史さん:05/03/05 10:02:35
>>766
おねの父が杉原定利

その兄弟が木下勘解由利匡(左衛門利定)
http://www.gctv.ne.jp/~nishiki/kinositakyodai.htm
妻は安藤守就の娘か?と言われてるらしい。
有名な「秀次に馬を与えて逃がした」人がこの人だとか。
(可児才蔵に「馬くれ」と言ったら断られた・・・
 ら、この人がくれて逃走成功。そして勘解由戦死)

その兄が周防守利直
771日本@名無史さん:05/03/05 10:04:54
>>769
三好秀次、17歳。初陣。

大軍を率いてはいたろうし、選りすぐりの家臣を与えられては
いたろうけど、後年の前野あたりと比べるとまだまだだったんじゃない?
家臣の領地って。


でも、一族かつ「周防守」とか言ってる位だから、
それなりの大身だったんじゃないでしょうか。
772日本@名無史さん:05/03/05 10:33:12
>>766
>木村重茲
正しくは木村常陸介一
773日本@名無史さん:05/03/05 10:35:27
附け家老を二人とも亡くした秀次がすぐに秀吉に新しい家老として
家臣を名指しでねだって怒られたんでしたっけ?
指名されたのは誰だっけ?
774日本@名無史さん:05/03/05 12:08:03
>>770
おねの親父の兄弟で、妻が安藤守就の娘ってことは、杉原氏(木下氏)って
結構いい身分なのかな?
おねの兄弟なら、秀吉の出世後結婚ってことも考えられますが。
775日本@名無史さん:05/03/05 12:40:00
>768
播磨渡瀬氏という話はググっても出てこないと思う。
渡瀬氏の系譜を調べればすぐ分かることなのだが…。
776日本@名無史さん:05/03/05 14:53:52
>>774
安藤って、信長に逆らってませんでしたっけ?
武田と内通したとかしないとか。
おまけに本能寺のドサクサで一発逆転を試みて失敗・・・
だから娘の格っつーか、そういうのも落ちてたんじゃ?(笑)
(安藤の家名自体は江戸時代も残って、男爵までなりました。)
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/mino_iga.html


安藤一族にしてみれば、天下コースの身内に娘送り込んで
あわよくば!というところで・・・


秀吉にしても、貴重な身内の「使える」手駒を・・・


ひーでーつーぐー
777日本@名無史さん:05/03/05 17:14:18
そういう意味では稲葉もよく食い込んだよな
一徹の性格の悪さは致命的だったのに
778日本@名無史さん:05/03/05 20:56:04
>>776
安藤が信長に粛清された後なら年齢的に、おねの弟or甥あたりなら釣り合いそうなんですが。
親父の兄弟ってことは、まだ美濃を勢力化に置いた直後あたりに婚姻しているのでは?

そんな時期に、秀吉の親族というだけで婚姻するのかなーと。
美濃三人衆は信長直轄だったみたいだから、秀吉の組下ってこともないだろうし。


779日本@名無史さん:05/03/06 09:14:53
541 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/03/06 02:33:55
>>534
それは大きいと思う。
いわゆる「豊臣恩顧の大名」も秀吉の子飼いか、そうじゃないかで、その後の扱いが違うように思われ。
加藤(清正)家、福島家、加藤(嘉昭)家、田中家などは、もともと秀吉の子飼い。
それゆえ徳川家は主君たる豊臣家を裏切ったことを許さず、言いがかりで取り潰し。
一方、前田家、細川家、黒田家、山内家、伊達家などはもとから大名ないしは秀吉の同僚。
よって、豊臣家を裏切ったことにはならず、お家は安泰という感じ。

なんでもありのような戦国時代だけど、主君を裏切ることと、同格の人を裏切ることでは、
後者は許されても、前者はやはり許されなかったように思える。
今で言えば、「賄賂」と「政治献金」の違いか。 

542 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:05/03/06 03:25:50
あのねそれだったら木下と浅野、蜂須賀はどーなるのよ。

543 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:05/03/06 07:11:17
木下はまた別問題っぽい
780日本@名無史さん:05/03/06 11:16:47
>>779
木下と浅野、蜂須賀

木下、浅野は主君"北政所"を裏切っていない というのもあるし
木下は、祭祀のためでしょ。神主と一緒の立場。
浅野は、年増の出戻り娘・振姫を長晟に嫁がせたら死ぬ間際に子供(光晟)生んじゃったってことで
大藩で存続。浅野家というより、池田の鳥取みたいな感じか、光晟から松平だし
振姫が広島 浅野は赤穂ってのが正当かも
幸長系の血筋だったら取り潰しだったと思われる。また、光晟の兄長治でもダメ。
蒲生の中古で当時の37だからおばあさんに近い女を30男が子作りに励んだわけでその手柄。
池田は30女だったから、そのあたりで広島>鳥取

蜂須賀は元々は同僚というより逆に猿の親分。子飼いではない。竹中、黒田も同様。
781日本@名無史さん:05/03/06 11:49:20
蒲生が絶えたのは秀行の系統が絶えたからですか?

今きづいたのですが、秀吉も似たような事してますね、佐々、木村、
蒲生など、官僚体制が整ったら前田や堀なども危なかったですね
782日本@名無史さん:05/03/06 16:23:03
秀吉の政権って

・領地は「そいつ個人」にやるもので、子孫に相続はしない。
・でも多少は残す。お前の親父は偉かった、ということで。
・家臣団はその都度再就職してください。

って感じじゃないですか?
ある意味「官僚化」というか、江戸時代的な制度ではない、
すぐに俸禄制とかに移行できそうなシステムだと思う。
783日本@名無史さん:05/03/06 17:07:19
>>782
元々、そういう就職した香具師はいいけど、佐々や蒲生は違うじゃん。
同格というより上の立場だったのに
784日本@名無史さん:05/03/07 06:51:19
佐治ってどうなったの?
785日本@名無史さん:05/03/07 09:09:31
>>783
それでも元を質せば近江の土豪や尾張の土豪。

有能傑物な一代のあとは、元の規模に戻しても
問題はないかと。
キープしたきゃ次世代も有能であればいいのですよ。

三成の「土地は要らんから、葦刈り権をくれ」って
俸給制に近づいてる気がしますね。

786日本@名無史さん:05/03/07 13:56:54
>>785
> 三成の「土地は要らんから、葦刈り権をくれ」って
> 俸給制に近づいてる気がしますね。

信長の「副将軍も管領も要らん。領地も要らんから堺に奉行を置かせろ」という先例もあっ
たりする。
787日本@名無史さん:05/03/07 20:27:45
雷鳴の佐治
788日本@名無史さん:05/03/10 20:49:39
だれ?
789日本@名無史さん:05/03/13 16:40:53
秀吉は信長時代の同僚よりも外様を信頼していたのかな?
790日本@名無史さん:05/03/13 18:28:53
秀吉は家康のことを信頼はしていたが決して信用は
していなかった。
信用し信頼していたのは槍の(ry

791日本@名無史さん:05/03/13 18:35:09
>>789
外様に恩を売りまくっていたからなぁ
その効果を過信し過ぎたきらいがあるが
792日本@名無史さん:05/03/13 18:38:21
ある意味同僚の実力を知っていたから地方へ飛ばしたのかも。
793日本@名無史さん:05/03/14 20:21:07
信頼されていない信長系の大物から順に地方に飛ばされているね。
794日本@名無史さん:05/03/15 08:47:20
佐々、蒲生、堀、木村・・・あたり?
795日本@名無史さん:05/03/15 20:02:16
>>793
筒井や細川は信用されてたの?
796日本@名無史さん:05/03/15 20:25:36
>>793
信用できるお友達(信長系元同僚)を
旧勢力が跋扈する地方へ大勢力(豊臣の権力見せつけ)で配置した。

とも言える。
797日本@名無史さん:05/03/15 21:25:44
ちゃうのでは?
798日本@名無史さん:05/03/15 21:42:56
人を管理する能力に欠けていたことが豊臣政権の悲劇か?

感情論では治まるものも。。。
799日本@名無史さん:05/03/15 21:56:26
わりとうまく行っていたのでは?
800日本@名無史さん:05/03/15 21:59:42
徳川は関東移封されなければ兵農分離もできない後進大名として天下は統一できなかったろう
801日本@名無史さん:05/03/16 08:04:41
島津とか毛利並みで突出しなかっただろう
802日本@名無史さん:05/03/16 11:02:49
宇都宮釣り天井事件って本当?
803日本@名無史さん:05/03/16 18:00:12

 ヾミ二                         三ミ
二三 _                         `ヾ三='
'´フ´ _                          二=-'
ーZイ´ ,         且元            、、二三ミ、
 二彡´  _                       ヾ_
=三イ孑 ´j /  / / l |i li l|iヽ\ \ヽ ヽ、 ヾ ミ、
  ノノ´/ ィ     l| l| il |li ; | !l i 川|l|ヽ\、 l |l|!| ヾト ,
  イ彡"i´ ノ l |l‐l-ニl_|l 从 lリl |ト乂l_,1ニ1‐l,|l |从  ミ、
    ナイNf'川ド < o`ヾ<、iハj|ィ'´ o  >l i|l|`l  乂 `
   ´ ノjトヽ l」__ 二 _ :l  ___ 二 __lj / ,(  `
     '´ノハ 「       }丁 !       /´ K `うそです
     ノ  j| `i,ー──一':::| `ー──‐‐7  ノN`ヽ
        ノハi ゙l,     :::j    u    / y'\゙(
      /  ! ト     ___       /イ 个   ヽ
     /    ヾi| ヽ   (二三ヽ    /ノl /j     \
   <      ゙1 ヽ  ー一   /  |'        >
     `> .   |   \     /  ,イ  ,ィ< ̄´
_ -─"  / \ ヽ     ̄ ̄ ̄   /  / ヽ ` ─- _
_ -─ ´7   `! ヽ         / ___/   \

804日本@名無史さん:05/03/18 19:56:00
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805日本@名無史さん:05/03/19 18:14:32
戦国三傑のそれぞれの時代で相対的と絶対的に出世したベスト5を格付けてください。
806日本@名無史さん:05/03/19 20:29:57
信長時代は相対・絶対とも
 信忠・秀吉・勝家・明智・滝川
807日本@名無史さん:05/03/19 21:06:35
>>806
信長自信が一番じゃないのか?
808日本@名無史さん:05/03/19 21:14:24
>>806
信長時代なら相対的にならスタートラインが低い
秀吉・光秀・一益、その他(前田とか川尻など馬廻クラスから国持ちクラスに出世)じゃない?

信忠は尾張の大名の息子から尾張美濃の大名になっただけだし
勝家は始めから最後まで宿老だから相対的には出世したとはいえない
(家中での位置は変わってない)
809日本@名無史さん:05/03/19 21:51:43
いわゆる出世競争なら比較するのはスタートからゴールまでの石高差では?
810日本@名無史さん:05/03/19 21:53:35
かっちゃんは

敵対勢力(信行)の中心人物→国持ち&与力多数

まで行ってるぞ(笑)
秀吉はゼロからのスタート(百姓ではない説もあるけど)だけど、
勝家はマイナスからのスタートとも言える。
811日本@名無史さん:05/03/19 22:15:58
柴田は一応大物だったんだから+の方がかなり多い
812日本@名無史さん:05/03/19 22:29:36
信長配下の劇的に出世者ベスト5

1.羽柴筑前守秀吉
尾張農民(父が足軽と言うのは嘘らしい)、
小者から足軽、組頭と一つずつ階段をのぼり、上洛戦の頃には重臣に名を連ねた。
最終的には国持ち大名宇喜多氏を始めとした山陰・山陽の軍勢数万を率いる身分に出世。
なお、筑前守の官位は朝廷から賜った正式の官位。

2.惟任日向守光秀
美濃浪人。本姓明智。明智一族は美濃の豪族。
斎藤氏に仕えていたが、道三と義龍の内戦で道三を支持したため、一族は美濃を追われる。
光秀は各地を流れた後、信長と出会い、重臣に列する。
最終的には二人の国持ち大名の他、北近畿の軍勢数万を率いる身分まで出世。
朝廷から惟任姓を賜る。なお、日向守の官位も朝廷から賜った正式の官位。

3.滝川伊予守一益
近江浪人。早くから信長に仕え、腹心として用いられた。
最終的には上野一国と信濃二郡の領主となり、
関東の軍勢を率い、関東・東北の諸大名との外交を担当する身分まで出世。
なお、伊予守の官位は朝廷から賜った正式の官位。
813日本@名無史さん:05/03/19 22:30:22
4.原田備中守直政
尾張土豪。馬廻から赤母衣衆を経て、山城・大和二国の守護(一職支配)に至る。
朝廷・寺社対策の責任者も兼ねていたことから、
当時の織田家中での権勢は佐久間に比肩し、柴田・羽柴・滝川・明智らをしのいだ。
旧姓は塙だったが、朝廷から原田姓を賜る。
なお、備中守の官位も朝廷から賜った正式の官位。

5.惟住(丹羽)五郎左衛門長秀、前田又左衛門利家、佐々内蔵助成政、河尻与兵衛秀隆
  長岡(細川)兵部大輔藤孝

もともと織田氏重臣ではない小土豪の身分から、
信長に取り立てられて一国の一職支配(行政権+国衆への軍事指揮権)となった者たち。
長岡は家柄こそ名門だが、実質は小土豪程度の領地しか持たない身分だったため、出頭人とみなした。
814日本@名無史さん:05/03/19 22:32:49
補足:
織田氏の古くからの重臣と巷では言われがちな丹羽長秀は、
丹羽一族の傍流で、彼の家自体はさほど地位が高くなく、
信長に引き立てられて重臣に列したらしい。
815日本@名無史さん:05/03/20 08:55:33
河尻は?
816日本@名無史さん:05/03/20 09:06:39
>>784
自害した
817日本@名無史さん:05/03/20 09:08:21
>>810
でも、1回謀反に失敗した後、2回目の計画を密告したのは勝家じゃなかったっけ?
それならマイナス評価にはならないと思うけど。

>>815
川尻も母衣衆出身だから、家柄としては前田や佐々と大してかわらないのでは?
名前が秀隆だから、信秀時代からいたとすると世代的には少し上かもしれないですね。
818日本@名無史さん:05/03/20 13:12:32
ちなみに、佐久間信盛はもともと信勝つきだった。
それが稲生合戦の時に信勝から信長に鞍替えしてそのまま重臣となっている(林と逆)。

こういった例を見ると、柴田のもと信勝つきという前歴はたいしてマイナスには
なっていないような。

>>817
川尻は一応小豆坂七本槍に数えられているから、世代としては信長の上でしょうね。
819日本@名無史さん:05/03/21 03:21:38
川尻って、血縁じゃないっけ?織田と。
820日本@名無史さん:2005/03/21(月) 11:09:34
福島正則の清洲転封は何年の話?
821日本@名無史さん:2005/03/25(金) 00:09:00
福島正則は朝鮮出兵中の国替えなんだよな
822日本@名無史さん:2005/03/25(金) 05:52:07
朝鮮出兵×
朝鮮侵略○
823日本@名無史さん:2005/03/25(金) 12:34:38
シナを攻めるのに、通っただけですよ?<朝鮮
824日本@名無史さん:2005/03/25(金) 21:35:50
朝鮮侵略×
朝鮮征伐○
825日本@名無史さん:2005/03/27(日) 00:29:51
朝鮮成敗
826日本@名無史さん:2005/03/28(月) 18:14:30
厳密に言うと大名ではないんですけど・・・

柴田勝定

柴田佐渡とも呼ばれる。
柴田勝家家中で、血縁の有無は定かではないが
(従兄弟説、またはまったく別人・丹波の土豪説あり)、
北の庄城代を勤めるぐらいのポジションにあった。

本能寺の頃は柴田家を離れ、明智家に所属。
山崎では中央先陣を采配。その後殿を務めたらしい(ここで死亡説もある)
その後、堀秀政に仕え、賤ヶ岳で勝家と激突。
小田原攻めでも堀家先陣を采配。のち一城を任される。
その後、福島家に仕え3000石。厚遇と言ってもいいけど改易。
そして最後に加藤忠広に仕え・・・


どうやらとても有能の人だったらしいですね。
なのに、かなり不幸の星の元に・・・w
827日本@名無史さん:2005/03/28(月) 23:32:18
佐久間盛政とかは?
828日本@名無史さん:2005/03/29(火) 02:14:19
佐久間'sはいっぱいいすぎてわからん
829日本@名無史さん:2005/03/31(木) 06:49:29
佐久間玄蕃
830日本@名無史さん:2005/03/31(木) 06:51:16
酒井玄蕃萌え♥
831日本@名無史さん:2005/03/31(木) 23:29:53
七本槍
832日本@名無史さん:2005/04/04(月) 19:55:14
朝鮮征伐のときの清正は正則よりも高禄ですよね?
833日本@名無史さん:2005/04/04(月) 21:57:59
>>818
個人的には佐久間は平手政秀の死亡後に信長方に移ったと思ったのだが…。
834日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:00:51
>>826
柴田勝全(かつまた?)って人もいるね
明智に仕えて死んだのが勝定で堀家に仕えたのが勝全、らしい

>>812
農民でかつ足軽だったのでは?>やえもん
大政所の姉妹は4人中3人が武士に嫁いでるのに次女だけドン百姓に嫁にやらんでしょ
835日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:19:55
>>754
有馬って変な大名だよな
豊臣政権下で大名になったのも運みたいなもんだし
徳川時代は綱吉から犬もらって参勤交代の先頭は代々お犬様の子孫だったらしいし
宮家から直接嫁もらってるし
とどめに領内で大一揆起こったのにおとがめなしだった
しかもこのとき槍や鉄砲を一揆側に貸し出してたというアホさ
836日本@名無史さん:2005/04/05(火) 00:38:13
>>832
高禄だけど、尾張一国と九州の肥後半国とでは扱いに差があるかと

辺境より畿内周辺が良いようだし
837日本@名無史さん:2005/04/05(火) 01:40:42
尾張は石高が土地の割にかなりあったはずだよ。太閤検地的に
838日本@名無史さん:2005/04/05(火) 07:01:19
清正は肥後半国で正則は伊予今治プラス秀吉直轄から分与

正則は常に出世でリードしていたと思っていたけど
839日本@名無史さん:2005/04/05(火) 07:48:36
>>837
他国と比べれば、国全体が河川流域だからな>尾張
840日本@名無史さん:2005/04/05(火) 07:53:25
>>835
でも、有馬は、室町期の名門・赤松の系統。
他の赤松の一族が軒並みに衰退・滅亡した事から
事実上の赤松の嫡流になったといっても過言ではない。
841日本@名無史さん:2005/04/05(火) 21:29:22
讃岐の生駒雅楽頭って信長の側室の実家だったと思うが、どうして廃絶になったの?
842日本@名無史さん:2005/04/05(火) 21:51:40
そんで福島は清正に一時的にどれくらいぬかれたの?
843日本@名無史さん:2005/04/05(火) 22:22:12
>>841 生駒騒動が原因では?廃絶じゃなくて改易では?
844日本@名無史さん:2005/04/06(水) 00:34:35
>>841
吉乃の実家は生駒家長
讃岐の大名は生駒親正(〜一正〜高俊)
845日本@名無史さん:2005/04/06(水) 06:09:15
>>834
>明智に仕えて死んだのが勝定で堀家に仕えたのが勝全

いやその辺微妙なんです。
親子説あり、同一人物説あり。
846日本@名無史さん:2005/04/06(水) 20:43:08
>812
江戸時代の足軽イメージしちゃあかんぞな。
中村半次郎みたいな郷士位ちゃうんか実質は。
847日本@名無史さん:2005/04/07(木) 22:07:01
七本槍の三番手は?
嘉明かな?
848日本@名無史さん:2005/04/08(金) 05:45:22
谷口克広の「信長軍の司令官」と「信長の親衛隊」読むと結構参考になる。
849日本@名無史さん:2005/04/08(金) 10:13:22
服部小平太が大名になってたことも毛利新介が本能寺で信長と運命をともにしていたことにもびっくりだ
850日本@名無史さん:2005/04/08(金) 13:29:41
ところで、主計頭と左衛門大夫は太閤の親族だったわけだが、主計はなかのい
とこの子供で又従兄弟、大夫は従兄弟だから血縁の濃淡から考えても、所領に
若干の差があっても当然かと思う。
851日本@名無史さん:2005/04/08(金) 22:26:44
福島弟とかは?
852日本@名無史さん:2005/04/09(土) 16:14:27
>>841
>>844
信長の母親と吉乃は従兄弟だったはず。
853日本@名無史さん:2005/04/11(月) 16:39:23
正則に兄弟かいるのなら頭親は一緒だよな
何で独立させなかったんだろ?
出来ない子だったの?
854日本@名無史さん:2005/04/12(火) 01:09:45
一応、長島城主だ。
855日本@名無史さん:2005/04/12(火) 02:33:25
んじゃま、久しぶりにマイナー紹介を


   豊臣義康

足利義康でもあるけど、本当は「六角義康」(笑)
六角承禎らの本流とは少し遠い傍系。

なんですが、信長の方に寝返った六角勢力に擁立されており、
母親は信長の養女という育ち。
本能寺の時も蒲生賢秀が逃がしたらしいので、安土城にいたのかも。
遠くても佐々木源氏。養女でも信長の養女の子息。

その後足利義昭の養子になり、次いで秀吉に取り立てられ六角再興!
翌年、「豊臣」を与えられ、秀次の寄騎大名となる(もっと後かも)。
官位は高く従四位下左衛門督侍従。
左衛門の唐名から「豊臣金吾侍従」と呼ばれた(あれ?デジャヴ?)


行事での席次は豊臣・織田に次ぐような位置。
領地はわからないけど近江付近と思われ、最低一万石以上と推測されてます。

文禄元年の太閤出陣式で、先駆けが山伏姿で法螺貝を吹くという趣向で話題を
呼んだ第一陣の”金吾殿”はこの人らしい。
なので秀吉好み的なセンスはいいらしい。さすがバサラの子孫!
856日本@名無史さん:2005/04/12(火) 02:35:39

「江州八幡侍従と書かれた文献があるので一時期(秀次清洲移動時)近江八幡城主だった」
という話も聞きましたけどわたしゃ知りませんごめんなさい。

しかし秀次連座で所領没収!    ・・・命は繋いだみたいです。

関が原では家康に、「西軍につかなかったのは偉い。でもお前に戦功はない」
と酷い事言われて御家再興失敗・・・。

その後は大坂城に出仕。位は中将まで行ってたそうですが(江家中将)。
大坂時代は貴族的に仕え、六角承禎の子で徳川旗本(高家?)になっていた
人物と初対面したりしてます。

1623年死亡
857日本@名無史さん:2005/04/12(火) 02:52:03
あーでもごめん訂正

>六角承禎らの本流とは少し遠い傍系。

そもそもの六角本流は傀儡のように別にいて、
六角承禎や義治はその下で「実権を握った傍流」という感じかも。

>>855-856の義康は本流派閥のほう。元々から信長方。
六角承禎・義治派が「反信長派」
858日本@名無史さん:2005/04/12(火) 08:17:48
へ?福島正則に兄弟がいたの?
どんな奴?
859日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:34:09
あの、福島正則の弟ってそう悪くないですよ


福島正頼 (高晴)

嫁は来島通康の娘、その後村井貞勝の娘。
正則より12歳年下
12歳で小牧長久手で初陣。
23歳ぐらいで一万石貰って要衝伊勢長島城主、プラス蔵入地10万石管理。

関が原で長島を死守して、西軍伊勢部隊の到着を遅らせ、
氏家の桑名城を落とす。

戦後大和に3万〜4万石。

大坂の陣直後、家来からの幕府への直訴により改易。謎。
というか明らかに大坂になんか強力したっぽい。

860日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:46:02

あと、弟と言われる福島正守・正鎮がいます。
この二人は大坂方として籠城しています。
http://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.tennoji.html

ただし、
福島正鎮は正則弟の長則の息子、という説、
正守は正則の子供(4男?)という説もあります。



それとついでに
「福島正則は元々、星野という家から福島家への養子」
という説もありますことを追記。
861日本@名無史さん:2005/04/12(火) 16:53:08
ま、一応はりまやさんとこの系図。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/hukusima.html
862日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:16:35
福島正之っていなかった?
863日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:22:36
はりまやさんとこ、たまに間違いあるからな…。
ちゃんと知りたかったらきちんとした本で確認したほういいかも。
864日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:37:52
きちんとした本とは何でしょうかね?
865ガンボーイ@:2005/04/12(火) 20:38:35 BE:165499766-
岐阜の
金華山(稲葉山城
に関係する大名はだれですか?
このスレのタイトルで
866日本@名無史さん:2005/04/12(火) 20:52:02
>>857
確か、六角高頼の嫡男・氏綱の子孫じゃなかった?
氏綱が先に死んだので、父親の高頼は孫を無視して次男の定頼に家督を譲った。
867日本@名無史さん:2005/04/13(水) 00:18:49
>>862
それ弟とちゃうよ。
868日本@名無史さん:2005/04/13(水) 09:02:56
岐阜といえば羽柴秀勝、織田秀信
869日本@名無史さん:2005/04/13(水) 13:52:20
>>865
斎藤新五郎
870日本@名無史さん:2005/04/14(木) 03:54:35
>>855-857
せっかくのネタなのにスルーされちゃったね。
かわいそう。
871日本@名無史さん:2005/04/14(木) 08:46:36
>>855
豊臣義康
豊臣秀康
豊臣秀家
豊臣秀次
豊臣秀頼

なんかすごい感じがしてるぞ
つかそいつ秀次連座しなきゃ、かなりの大物になってるな
872日本@名無史さん:2005/04/14(木) 22:54:51
三中老になった大名の条件は?
873日本@名無史さん:2005/04/14(木) 23:10:27
勤続年数のわりに地味
874日本@名無史さん:2005/04/14(木) 23:59:44
例の七将ってのは格はだいたい同じ?
875日本@名無史さん
>>874
七将って七本槍?、それとも三成弾劾?
いずれにせよ福島と加藤は秀吉の縁者だから一段格上のはず