1 :
日本@名無史さん:
勤王志士マンセー
2 :
日本@名無史さん:04/06/13 17:53
(・∀・)ニヤニヤ
3 :
日本@名無史さん:04/06/13 18:08
堺山南の赤マフラーを願うすれ
途中でいなくなるからどうでもいい。
山南は伊東の子分。
6 :
日本@名無史さん:04/06/13 18:47
また新撰組スレか!!!!
山南研究に適した書籍は?
8 :
日本@名無史さん:04/06/19 02:15
なぁ、沖田君。
僕はもう疲れたんだよ。
いや、逃げてください!
10 :
日本@名無史さん:04/06/19 05:08
そんなに堺雅人が好きか!
11 :
日本@名無史さん:04/06/19 16:09
明里〜〜
山南曹長
(・∀・)ニヤニヤ
九尾の狐め!
やっぱ山南さん。8月に切腹だってね・・・
16 :
日本@名無史さん:04/06/30 16:25
しょうがねーだろ。
実際には芹沢暗殺以降は隊務をあまりしていないそうだが。
一説には自害とかって話もあるみたいだね。
名前も変名っぽいし意外と謎だらけ。
17 :
日本@名無史さん:04/06/30 20:12
>>16 仙台に山南という苗字の人はいないと聞いたことがあるな。
18 :
日本@名無史さん:04/06/30 20:29
ふむ
19 :
日本@名無史さん:04/06/30 20:37
山南さんをこよさないで〜!!!
何かネタ無い?
ヤマナミではなく、サンナンだとか。
22 :
日本@名無史さん:04/07/09 05:18
何処のお家の方だったのでしょう。
だんだん歳さんと仲たがいしていくなぁ。
24 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:04/07/11 17:49
山南敬介を称えろ!!
おまえらも粘着土方よりジェントル山南の方が好きだよな?
腐敗した徳川政権の犬として憂国の志士達を殺しまくることが
心底イヤになったんだろうなあ。
史実でもかなり優しくて実直な人柄だったみたいだし。
思想的に貧弱な百姓、ゴロツキ、なんちゃって武士の寄せ集め集団だった
普通の隊士達は絶頂期の新撰組で調子ぶっこいてただろうけど
教養のある人間なら山南みたいな自己矛盾に陥ってるはずだよな。
まあでも普通は土方みたいに自分の立身出世の上昇志向に従いつつ
国のことよりも自分の組織や身内を守るために必死になるのはしょうがないか。
俺なんか自分が生きることで精一杯で自分のことしか考えてないし
26 :
日本@名無史さん:04/07/11 21:57
>>25 禿同
土方は函館戦争の時、自分の軍隊の奴から打たれて死んだって説があるけど
やり方見てたら分かるような気がするなあ。近藤が200名くらいの兵を
助ける為もあって降伏し、首を差し出したのを見ても、近藤の方が大将の
器だったのかな?
>>17 山並さんなら一部地域にわりといる。
何か関係があるのかな。
山南という字が「ヤマナミ」なのか「サンナン」なのかは謎ですよね。
早乙女貢は「ヤマミナミ」と読ませていたしなぁ。
ところで、藤原知信という別名がある事を最近知ったんだけど、どういう使い分けをされてたの?
>>28 別名じゃないよ。
山南敬介藤原知信が正式名。
近藤勇藤原昌宜 みたいなもの。
苗字が近藤、通名、敬介、姓が藤原、諱が知信。
NHK 敬助になってた気がするがなんで?
もうじき切腹
沖田総司の介錯
34 :
日本@名無史さん:04/08/01 21:46
馬並み圭助鳳敬介
35 :
日本@名無史さん:04/08/01 21:48
沖田総司の受け
36 :
日本@名無史さん:04/08/01 21:58
サンナンが正しいんだろ?
三南とも書いたらしいし。
37 :
日本@名無史さん:04/08/01 22:11
サンナンは山南の仇名だろう。
38 :
日本@名無史さん:04/08/02 01:21
新撰組なんて極悪の内ゲバ集団だし、その本質は近藤、土方、沖田の同族会社だろ。
39 :
日本@名無史さん:04/08/02 01:24
>>38馬鹿
同族じゃねいだろう
仲間が出資してできた
有限会社ぐらい
>>32 山南が死んだあと伊東が取ってかわるってわけだな。
41 :
日本@名無史さん:04/08/02 19:00
堺雅人が出てた映画『ココニイルコト』は良かったなぁ〜。
42 :
日本@名無史さん:04/08/02 21:48
山南が死ぬのは伊東が入ってからなんだけど。
何で山南が死んだかは不明。
小説では、土方に反発して脱走したことになってるが。
43 :
日本@名無史さん:04/08/04 04:24
実際、皆で語れる程情報が無いんだよね、この人は…
もしかしたら斎藤一より謎が多い人かもしれん。
もしあの時期に死んでいなかったら御陵衛士に加わっていただろうね。
44 :
日本@名無史さん:04/08/04 04:34
副長助勤、後のニ番隊組長の永倉新八は、山南の死についてこう語っている。
「近藤はこれを聞くより心中ひそかによろこんで、山南が法令にそむくのゆえをもって
士道のうえから切腹せしめんと(以下続)」
45 :
日本@名無史さん:04/08/04 15:39
山並っていつもニヤけててヤなカソジ
あれじゃ土方らに嫌われても仕方ない
46 :
日本@名無史さん:04/08/04 17:18
>>45 それってイメージでは?
実際会ったのなら分かるが。
山南さんの顔写真って残ってる?
48 :
日本@名無史さん:04/08/05 09:15
え?にやけてるじゃん明らかに
見てないのか?
>>46
49 :
日本@名無史さん:04/08/05 13:02
>>47 ない。
>>48 この腐れハゲはもしかして大河ドラマの話をしているのか?
>>44 それは小樽の新聞に載ったヤツ?
だとしたら、新聞記者の創作の可能性もある。
永倉が最初に自ら執筆した「浪士文久報国記事」では
山南の死には触れていない。
51 :
日本@名無史さん:04/08/05 13:28
52 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:30
>>48 「見てないのか?」って何を?
もしかしてお前の家は末裔かなんかで密かに顔写真を持ってるとか?
…もしドラマとか映画とかの話をしてたらマジで死んだ方がいいぞ。
日本史板に来る事自体許されない。
53 :
日本@名無史さん:04/08/05 16:33
>>50 ほうほう、なるほど…。
ほら、永倉と近藤って一度問題起こしてるじゃない?
原田や島田らと一緒に会津中将にかけあったとか…
そうゆうのもあって「不仲説」が浮かび上がり、その記者が創作しちゃったのかもねw
54 :
日本@名無史さん:04/08/05 22:41
>>53 その新聞では、池田屋事件も面白おかしく脚本されていたらしい、
永倉さん、斬りすぎですよ!ってな感じで、小説で斬られた人数は、池田屋にいた
浪士の数よりもはるかに多いらしい。
55 :
日本@名無史さん:04/08/05 23:06
山南は相当人が良かったらしいぞ。
あと金にうるさかったとか噂が残ってる。
大河ドラマだったら「ちょっと鬱陶しいひと」ってイメージが強いワケだが
同僚からはその温厚な性格故尊敬されていたという。
まあ大河ドラマばっか見てると歴史を見る目が偏るわけだが。
>>55 大河ドラマを見て歴史を理解してる気になってる奴って痛いな。
57 :
日本@名無史さん:04/08/06 09:28
>>53 あの裏には山並さんも裏で絡んでるんだよ
実際、会津に出した文書を書く人間は山並さんの推薦
58 :
日本@名無史さん:04/08/07 01:52
山南は本当に脱走したの?
してないのでは?
60 :
日本@名無史さん:04/08/08 12:00
金がらみなんだろうなぁ・・・。横領とか帳簿ミスとかで
一番殺されてるし。
違うんじゃねーの
62 :
日本@名無史さん:04/08/08 13:09
同性愛のもつれに決まっている
63 :
日本@名無史さん:04/08/08 14:22
なんか役にたってないなーって思ったから逃げたらつかまった
64 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:44
やっぱニヤケてるじゃん
賢くて温厚な人が、馬鹿の群れに入ると、精神的にやられるパターン?
66 :
日本@名無史さん:04/08/08 20:58
ところで、大河で竜馬主役モノってあった?
竜馬がゆく
68 :
日本@名無史さん:04/08/08 21:00
なんで竜馬が名古屋弁を話してるんだみゃー?
69 :
日本@名無史さん:04/08/08 21:18
勢いよく、おまん(お前)と言うと→おみゃー
70 :
日本@名無史さん:04/08/08 21:19
>>65禿げ同 芹沢と同じ位、土方はDQN!弱い物いじめの
テクニックだけは大した物、山南は新撰組という組織のブレーキ
そのものブレーキが無くなったら暴走するしかない。
71 :
日本@名無史さん:04/08/08 21:23
土方は大商家での奉公を経験してるから、責任の取らせ方にはシビア。
すべてが番頭感覚。
72 :
日本@名無史さん:04/08/08 21:25
逆さ吊り、五寸釘、ローソク・・・
73 :
日本@名無史さん:04/08/09 09:48
気のせいかな土方って新撰組隊士の中でインテリタイプ見つけては
潰していってない?新見、山南、武田等々
ひょっとして自分がインテリが嫌いだっただけ?
学が有る人→学のない近藤さんのお気に入りになる→それが気に入らない→氏ね
>>73 よくある話。石原莞爾や、条約派海軍が、頭の固い馬鹿共に日本軍追い出されたり。
>>65 賢くて狡猾な人が、馬鹿の群れに入ると、暗殺されるパターンは、伊東らしい。
76 :
日本@名無史さん:04/08/09 10:00
>>75 石原が戦争始めたんだろうが
馬鹿はお・ま・え・だ・よ・w
>>76 石原莞爾は、馬鹿が暴走する事を計算に入れてなかった。
馬鹿は体感しないと時代の流れを感じる事が出来ない。
もし馬鹿の群れに入ったら、諦めるしかない。by山南
79 :
日本@名無史さん:04/08/09 10:26
まあ、自殺の原因なんて本人以外わからんだろ
81 :
日本@名無史さん:04/08/09 20:06
>>73 よくある話。
現代の企業でも、原理原則に則った正論を言う者ほど潰される。
某与党第一党内で「抵抗勢力」とレッテルを貼られる人々の中に
明らかに首相よりまともな人間がいる。
・・・などなど。
>>81 言っていることは正しいと思うし、確かにそういうことあると思う。
けどかなりそれは悔しい。
83 :
日本@名無史さん:04/08/13 12:22
84 :
日本@名無史さん:04/08/13 14:00
>>75 武田観柳斎もその部類に入るんだろうか?
頭が良くて狡猾(ゴマすり)
86 :
日本@名無史さん:04/08/13 16:24
大河では、観柳斎は何かウラがありそうな描かれ方してたな。
通りすがりの町人?にアイコンタクト。あの伏線、いつ活きるんだろ?
山南のことを詳しく書いている小説ってなんかありますか?
あの町人は監察の山崎の変装ダ
ってネタ?
あ、そうだったの?
90 :
すんごい名無し:04/08/15 18:55
山南さん 脱走しちゃったぁぁぁ。
>>81 もはや小泉自身が抵抗勢力になってると思うんだがどうよ?
92 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:39
>>83,84
確かに。
でもうちの嫁は彼の事を「泣き笑い顔の人」って言う。
でも彼はかっこいい。
山南さぁぁあん(泣)!!
94 :
日本@名無史さん:04/08/15 20:55
結局堺スレじゃねぇか
95 :
日本@名無史さん:04/08/15 21:23
>>現代の企業でも、原理原則に則った正論を言う者ほど潰される。
そういう意味だと、山南は尊皇攘夷論を振りかざして、佐幕に傾いた
近藤等にうとまれていたんだろうと思う。
ドラマじゃなくて実際の話。
96 :
日本@名無史さん:04/08/15 21:55
尊皇攘夷から尊皇倒幕へ移行期だろ、
伊東や武田の粛正もそのへんに平仄併せている
>通りすがりの町人?
あそこを取り締まる前に新選組の誰か(山崎?)が
薬売りの密偵行為をしたとかっていうホントかウソか分からない話を
使う事で、武田観柳斎が狡猾(うまい)という印象を
与えるためのものと私は考えていました。
とはいえ、やや消化不良。(^^;
それにしても山南さんが居なくなるとつまらない・・・
98 :
日本@名無史さん:04/08/15 22:59
主役が山南から、伊東になったな。芹沢→山南→伊東。
99 :
日本@名無史さん:04/08/15 23:30
伊東じゃ主役は無理でしょw
101 :
日本@名無史さん:04/08/16 00:00
幕軍生き残りの集まりの会で出した『同方会誌』によると、山南がいよいよ切腹と言うときに歳三が現れ、山南はその顔を見て「おお、来たか九尾の狐・・・・」と吐き捨てるように言ったが、歳三は一言も発せず、ゆっくりと検死の座についた、との証言が残されている。
103 :
日本@名無史さん:04/08/16 00:02
おれが、隊士だったら山南さんと一緒に脱走するね。
でも、総長の脱走→詰腹でも、何かしらの同調者が出たということは記録には
ないんですよね?ということは・・・
色の白い優しい性格であったという資料があるから
大河の山南さんのイメージはあながち間違ってないかも
105 :
日本@名無史さん:04/08/16 00:06
サイト(W では、
巡邏の際に傷を負い、剣士としては活躍できなくなった。
被害妄想ぎみなところがあった(禁門の変での先鋒鎧騒動)。
通説の伊東に能力的にその座を追われ、西本願寺移転反対問題。
などが、挙がっていたけど、親切者であり、お荷物であったということ?
人切り狂気集団の新撰組の中にあって
伊東と山南はまぎれもない良識派だった
とくに伊東は当時の証言や資料ではすこぶる評判がいい
ちなみにルックスも役者のように端正な顔だったという
そのエスパー伊東が山南の死を惜しむ歌をいくつか残している
近藤と土方はどういう神経してたんだ?
百姓上がりの人切り屋には思考能力というものがないのだろうか
107 :
個人的意見です:04/08/16 01:05
「新選組」に思考能力なんてさほど求められてないと思う。
この意見は本当、個人の価値観によるから賛否両論だと思うんだけど、
新選組っていわば現代で言う「警察」でしょ?京都守護職の管理の下、京の治安を乱すテロを取り締まったりさ。
「警察」の人が、政治等の世の中の動きについてあれこれ考えたり、思想を持って意見出したりする必要無いと思うんだけどなぁ。
「犯罪者を取り締まる」のが「警察」の方達の仕事と言うか…
「山南」って本名じゃなくて自分でつくったのかな
109 :
日本@名無史さん:04/08/16 01:48
>>106 >近藤と土方はどういう神経してたんだ?
自分たちが所詮ただの使い走り&傭兵軍団に過ぎない事は解り切った事だったんじゃないのかな?
警察に一々思想を持って仕事されたら困りますよw
でも始めは「攘夷」の思想を持って上京したんだよなぁ…
それなのに、時が経つにつれただの「佐幕側の傭兵軍団」として評価されてるに過ぎない事に気付く。
それで山南さんや藤堂などの北辰派の気持ちは離れていったんだろうなぁ…
110 :
日本@名無史さん:04/08/16 02:11
山南の可愛がってる沖田総司、ただ一人を追手に選んでるあたりが近藤&土方の気持ちの現れだと
とれる人も少なからずいるでしょうね。
よく創作物の中に「お前一人で行け、追いつけなければ仕方無い」と言って、逃れるのをむしろ期待してる
物がたくさんありますしね。
111 :
日本@名無史さん:04/08/16 09:01
山南さんは仙台の出身だというが
川内(せんだい)の間違いじゃなかろうか。
つまり薩摩。
鹿児島には山南という姓の方はおられるのでしょうか?
情報キボンヌ
>>111 薩摩で北辰一刀流は無いだろ。
北辰一刀流は、下総、水戸、江戸あたり。
北辰一刀流
清河八郎、伊東甲子太郎、弟三樹三郎、藤堂平助、山南敬助、吉村貫一郎
113 :
日本@名無史さん:04/08/16 11:05
境雅人のせいで山南の同人が増えてるのかあ。
納得w
>102
土方山南不仲説を裏付けるものって、それ以外にあるんですかね。
実際両者の確執を示すものってあまり無いような。
>>106 すこぶる評判が良いという事を表す事例として、真っ先に容姿についての事が
出てくる時点で伊東もたいしたことがないという事がわかる。
116 :
日本@名無史さん:04/08/16 11:55
117 :
日本@名無史さん:04/08/16 12:30
普通に仲間割れだよな・・・永倉とか島田のにも載ってないし。
118 :
日本@名無史さん:04/08/16 13:03
さいとうたかを のコミックス(元ネタは司馬の小説)では
山南をえらくブ男だけど心優しい悲劇の人に描いていたが
多少なりとも山南醜男説に何か資料的裏付けがあったのかな。
完全な想像の世界かな・・・
あくまでドラマですが
昨日の話もかなり説得力はありましたな
山南先生惜しいよ まじで
122 :
すんごい名無し:04/08/16 18:03
あーぁっっ。山南さん、来週切腹したら、
再来週からつまんなくなる・・・
山南さんのファンなのか、堺さんのファンなのかだんだんわからなくなる。
でも新撰組では山南さんが一番・・・
123 :
日本@名無史さん:04/08/16 18:06
山南さんをそのまま逃がしてやらなかった近藤先生ぬっ殺したい
まあ堺(境だっけ?)雅人が好きなだけなんだけどね
124 :
日本@名無史さん:04/08/16 19:52
>>123 あのな、仮にも局長である近藤が、「ああ、あの人は旗揚げ当時からの古参同士だし、総長で偉いんだから特例ね」なんて、
言ってたら新選組はどうなるの?
ドラマの中の俳優が好きとかの話ならそもそも日本史板じゃ板違いだろうが。
山南の脱走って創作だろ?
山南の件について語ったのは永倉?
128 :
日本@名無史さん:04/08/16 21:20
山南の切腹についてはなぜか記録はほとんど残されてないんだよね。
永倉の新撰組顛末記もどの程度まで史実かは知らんが
近藤が山南の切腹を「喜んで」命じたとある。
たぶん尊王色が強くて幕府の爪牙になりきれなかった山南を
近藤が粛清したかっただけだろ。
あと、山南が伊東の本物の尊王思想に傾倒しつつあったから
これみよがしに近藤と土方がたいした落ち度もない山南に
因縁つけて伊東派に対して釘を刺しておくために殺したんだろう。
泣く泣く古くからの仲間を仕方なく切腹させたとしているのは
ぜんぶ小説の創作だろ
129 :
日本@名無史さん:04/08/16 21:27
>>124 新選組を現代の会社組織に置き換えて考えてみたら
どうなるかよくわかるよ。
130 :
日本@名無史さん:04/08/16 21:30
>>127 永倉が自ら執筆した「浪士文久報国記事」には山南の死に
ついては触れていない。
後年、新聞記者が永倉から聞いたものをまとめた本は山南の死に
ついて触れている。しかし、この本はあくまで新聞記者が書いたもので、
史実本とは言えない。
131 :
日本@名無史さん:04/08/16 21:31
山南は、その後大陸にわたって、馬賊となりました。
133 :
日本@名無史さん:04/08/16 21:34
>>128 史実とは言い切れない本をベースに悪意の推測をタレ流されてもなぁ・・・。
134 :
日本@名無史さん:04/08/16 21:41
一部資料 慶応元年とあるが2月ならまだ慶応に改元されていないよな。
>>133 大河ドラマに影響を受けてなにがなんでも美談に仕立て上げようとするのもイタイけどな。
>>135 アホか?大河ドラマとはそういうもん。
美談が嫌なら、大河なんか観ないで本でも読んでろ。
137 :
日本@名無史さん:04/08/17 00:30
>>129 同意。
「昔から仲良しだから」と免責していたら組織は腐敗どころではなく
崩壊する。
まぁ、これまで日本企業はそんな浪花節で以って「なぁなぁ」に
やってきた面も少なくないけどな。財閥系なんかが特に。
138 :
日本@名無史さん:04/08/17 01:21
こういう場合はトップの近藤さんが
部下の責任をとって切腹すればよかったんだよ
139 :
日本@名無史さん:04/08/17 01:25
一に切腹、ニにも切腹。
常に「死」と隣合わせの姿勢を保つ事しか、あのバラバラな組織はまとまらなかったんだろうね、あの時代。
本当、この山南さんと言う人は新選組の大幹部のくせにミステリアスすぎる。
確かな情報が少ない。
後年の色々な創作等によって作られた現代イメージの山南さんしか我々は知らないもんね。
でもこうして皆さんでそれらを語ってるのは楽しいねw
140 :
日本@名無史さん:04/08/17 01:27
>>138 この時期に、近藤さんが切腹したらどうなるかまで考えて言ってます?
近藤さん以外に新選組局長をはれるのは他に誰がいるんですか?
141 :
日本@名無史さん:04/08/17 01:51
>>138とか一連の厨丸出しのレスを読むと、山南オタのレベルがわかる。
大河の影響で山南を知った新参者ばかりなんだろうな。
142 :
日本@名無史さん:04/08/17 01:52
>>140 伊東甲子太郎
志筑本堂家(旗本)郷目付鈴木専右衛門の長男に生まれた文武両道の美丈夫。
少年の頃、父が家老と対立して閉門・蟄居を命じられた上、脱藩したので、
残された一家をあげて母の実家に居候の身となったが、青雲の志から、
水戸に出て水戸学・剣(神道無念流金子健四郎)を学び、さらに国学も修めた。
やがて江戸に上り、北辰一刀流を修行中、道場主伊東精一に見込まれて婿養子
となって伊東姓を称し、精一の死後、道場を継いだ。伊東等は、天狗党への
参加は断念するが救国の志は捨てておらず、門弟・藤堂平助の誘いから、江戸
に来ていた近藤に惚れ込まれ、同志9名と共に上京し、新撰組に入隊してしまう。
しかし時流を見る事のできる伊東は、新選組が幕府に取り込まれていく事は
不満だったようだ。慶応3年3月、近藤と話し合いの末、伊東は、同志10数名と
ともに新撰組の別働隊、御陵衛士を結成する。その後、「友」とも「誓いある
人」とも呼ぶ同志とともに、同心一和・国民皆兵・大開国大強国を掲げ、公議
による朝廷(公卿)中心の政体づくりを目指す独自の政治活動を本格的に展開
した。「いたって人物」と京雀にまで噂が届いた伊東だったが、11月18日、新
選組のしかけた罠にはまり、七条油小路で暗殺された。 享年数え33歳。待ち
望んだ王政復古まで後わずか3週間。これからというときであった。
義に殉じた壬生の狼伊東甲子太郎先生について語りや
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1090165622/l50
143 :
日本@名無史さん:04/08/17 01:53
伊東オタと山南オタは同じレベルか・・・・w
大河とピースメーカーとかいう漫画が好きな腐女子に大人気!
145 :
日本@名無史さん:04/08/17 02:00
>>143 まあ山南よりは、資料あるね。
大河じゃ、近藤のライバルだし。
ただ近藤が、大開国大強国を訴えたシーンはわらた。
>>145 近藤は大開国大強国なんて訴えてないだろ。
いかんなあ、大河を見た厨房がこっちになだれ込んできてるw
149 :
日本@名無史さん:04/08/17 02:32
151 :
日本@名無史さん:04/08/17 02:34
>>148 しかし何ヶ月もレス30ぐらいで地下に埋もれていた頃よりはマシ
来週は祭りだな
実況しようぜ
大河キャラと史実をごっちゃにできるほど、あの大河は成功してると
おもわないんだが…
>>152 ゴッチャに出来るレベルの人が暴れているわけです。
>>152 あの大河の本質を見抜けば、
芹沢鴨、山南敬介、伊東甲子太郎が何故美男キャラで、
近藤勇が香取なのかが理解できる。
>>153 史実なんて、大部分が講談師の遺産じゃねーか。
偏屈だと、人生の楽しみが減るぞ。w
156 :
日本@名無史さん:04/08/17 03:17
>>154 佐藤浩一はどちらかといえばブサイク系だが?
157 :
日本@名無史さん:04/08/17 06:00
>156
禿同!
>>156 佐藤は不細工だけどかっこいいという不思議な人間だな
159 :
日本@名無史さん:04/08/17 09:25
山南について、資料類が残っていないのは、なぜだろう。
1. もともと、いてもいなくても どうでもいい人物
2. 記録類が残るとマズイと考える人たちが、意図的に記録を抹殺
( 永倉が後年語ってないのもきまずいことがあったから?)
3. じつはそんな人は実在していない。
160 :
日本@名無史さん:04/08/17 09:32
要するに山並さんて、上祐みたいなもん?
土方は新見とか?
161 :
日本@名無史さん:04/08/17 10:30
>>160 山並って……
あいつは「やまなみ」ではないぞ。「さんなん」だぞ。
>>161 早乙女かなんかがやまみなみって呼んでたよ
>>155 つまりこのスレは、史実が講談師の遺産だと思っている人のスレというわけですねw
脱走切腹したって誰が言い出したの
165 :
日本@名無史さん:04/08/17 11:12
大河の話だけなら時代劇板でしろよ。
史実が講談だとか言ってる奴は平尾道雄や会津藩庁記録、
史談会速記録等々はその存在自体知らないのだろうから、
やっぱり時代劇板へ行けって。
>>160 オウムに当てはまるとは思わないんだが・・・。
age
168 :
日本@名無史さん:04/08/17 15:12
実際、新選組のファンだなんて言ってる女の大部分は
漫画やテレビで満足してる程度のファンしかいない。
そうゆう奴らは幕末期がどうゆう時期だったのか、そんな事関係無い。
以前、バイト先に新選組のファンって言う女がいて、歴史好きと思って話し掛けて馬鹿を見た事がある。
「会津の事や史実なんてどうでもいいし、私は土方が格好よけりゃなんでもいい」とか言ってた…
ここにいる
>>48>>106>>122>>123みたいな奴らが本当多いよ。
169 :
日本@名無史さん:04/08/17 15:20
>>168 同人誌とかでホモ描いてる女とか、マジ馬鹿ばっかだよね。
沖田君の笑顔が可愛い!とか言ってる香具師見た事あるんだが、お前沖田の顔見た事あるのか!?と小一時間(以下略
上にいる
>>48みたいな馬鹿が本当多すぎる。
170 :
日本@名無史さん:04/08/17 16:25
山南さんバラエティー出てたな
趣味が読書とコケ鑑賞って言ってた
171 :
日本@名無史さん:04/08/17 16:30
>>168 「己が知っている」ということに溺れるなよ。
173 :
日本@名無史さん:04/08/17 17:29
>>171 ウソを言うなよ。
ほとんど女だろ。
男を騙っていても大抵女だ。
しかし本当に新撰組ホモ同人を男がやってるとしたら、
そいつはまともじゃない。おそらく同性愛者だな。
ついでに言えば、男でピスメが好きなやつもホモ。
あーキモイ。
174 :
日本@名無史さん:04/08/17 17:47
>>173 キモイとかそんなん言うなや
俺たちだってロリ系同人誌とかエロゲーでハァハァしてるじゃないか
俺たちカッコイイ
176 :
日本@名無史さん:04/08/17 20:06
>>124 あの場合は山南を追いかけたけど、捕まらなかったって風にしたら良いと思うんだけど。
わざわざ追いかけて、捕まえて、連れ戻して、切腹。
わざと逃げられたってふうにすれば済んだんじゃないか。
だって芹沢の頃は粕谷が脱走しても追いかけなかったわけだし。
179 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:16
>>176 >あの場合は山南を追いかけたけど、捕まらなかったって風にしたら良いと思うんだけど。
むしろそれを狙って、山南が可愛がってる沖田ただ一人を追手に抜擢という風に見ている創作物多いよね。
180 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:23
181 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:26
>>169 >沖田君の笑顔が可愛い!とか言ってる香具師見た事あるんだが、お前沖田の顔見た事あるのか!?と小一時間(以下略
ワロタw(・∀・)ニヤニヤ
写真が残ってるのは、近藤、土方、永倉、斎藤、島田、篠原、三木、他…ぐらいかな?
他にも写真が残ってる隊士はたくさんいるけど幹部以外は省いた。
182 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:37
俺283歳だが
みたよ
カレイのような顔だった
183 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:39
>>182 はいはい、それは孫だか何だかをモデルにした「肖像画」ね。
184 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:43
>>182 マジレスすると283年前には新選組隊士は生まれてもいないんだが。
185 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:44
いや俺はネ申だから
186 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:45
身内の「似てる」は当てにならないからね、とりわけ女性は「以下略。
187 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:46
188 :
日本@名無史さん:04/08/17 22:50
ウホッいい男
189 :
日本@名無史さん:04/08/17 23:09
現代のイメージで話を進めるけど、やっぱり山南は生きてれば御陵衛士に加わり、
油の小路で生き残れば篠原や加納らと一緒に薩摩に接近し倒幕派になったんだろうな…
190 :
日本@名無史さん:04/08/17 23:13
>>189 山南さんが倒幕派…
なんともやり切れない感じするなぁ、俺は…
藤堂だってそうなんだろうな。もし生き残ってれば倒幕派になったんだろうね。
戊辰戦争が終わり、永倉と三木みたいに、ひょっこり道端で出会ってしまった日には…
なんともやりきれない思いだろうね。双方とも。
191 :
日本@名無史さん:04/08/17 23:24
藤堂はともかく、山南は頭が良い感じするから、きっと新選組大幹部出身でも、けっこう上の地位につけたっぽいね。
って事は、もしかしたら山南さんも戊辰戦争ではしゃぐまって言ったっけ?あれの黒い版をつけてるんだろうねw
192 :
日本@名無史さん:04/08/17 23:27
山南さんがいなければ新撰組はここまで人気出なかっただろうな
193 :
日本@名無史さん:04/08/17 23:36
>>191 薩摩→黒毛、長州→白毛、土佐→赤毛。
薩長土肥って言われるが、あるのは3タイプだけとはこれいかに!?
スレ違いでスマソだが気になったから書いてみた。
なんで3種類しか無いの!?誰か教えて!エロイ人!
試衛館時代の出稽古や試合の記録には結構残ってるんだよね、山南って。
永倉、原田、藤堂達よりは1つ抜けた存在だったんだろう。
それが何故か芹沢粛清後くらいからほとんど記録が無い。
どうも病気というか、自滅してしまった印象があるね。
195 :
日本@名無史さん:04/08/18 01:29
山南さんは結核だったんだよ
それで沖田君とは衆道の間柄だったので彼にも結核が移ったのさ
とりあえず、伊達世臣家譜(仙台藩の平士以上の家格の家譜)には
山南も山並も山男も三男も載っていない。
「百石未満の番士」、「組士」、「卒」か若しくは陪臣なのかもしれないが、
仙台藩系の他の史料には見受けられないので、偽名だったと考えた方がよいと思う。
注:「百石未満の番士」、「組士」、「卒」は武士というより藩士藩農の屯田兵のような存在
注:仙台藩は大身の家臣が多いので陪臣も多数いる。
197 :
日本@名無史さん:04/08/18 02:03
しゃぐまってさ、どこの文化?
突然な感じがするんだよね。
198 :
日本@名無史さん:04/08/18 02:19
>>197 どこの文化なんだろうね〜
なんか歌舞伎だか能だか詳しくはないんだが、あれ系でよくああゆうのかぶってるよね。
当時にも文化と言うか、娯楽としてあったと思うし、そこからとったんじゃないかな。
199 :
日本@名無史さん:04/08/18 02:32
>>197 突然な感じがするのは、錦の御旗もね。準備してあったんかいと突っ込みいれたくなります。
200 :
日本@名無史さん:04/08/18 06:42
>>191 髷を落として武士から政治家になった人見ると、忌まわしいだけの男に
変わった人物も「誰とは言いたくないが」多いから
政治家なら良いとも思えないけどね。
201 :
日本@名無史さん:04/08/18 07:46
>>200 確かに山南は維新まで生き延びたなら良い政治家になれたっぽいね。
でも仙台脱藩ゆえに上野の戦争、会津の戦争、長岡の戦争などを山南はどう捉えるんだろうか…
山南さんは現代のイメージだと、土方とはうまくいってないイメージだけどさ。
可愛がってる沖田を始めとする井上、原田、永倉などの試衛館当時からの知り合いと敵対するなんて
考えたくもないんだろうなぁ…
三木や篠原も赤報隊に配属されてたし、きっと藤堂や山南も赤報隊に配属されるであろうと思う。
山南は維新後に生まれればもっと人生うまくいったかな
くだらないか
>>191からの山南像は完全に大河のイメージで語られてるなw
オマエモナー
( ´,_ゝ`) ニヤニヤ
206 :
日本@名無史さん:04/08/18 18:47
ここは新撰組(大河)板なの?
207 :
日本@名無史さん:04/08/18 20:23
>>196 仙台藩の一門筆頭・石川氏の所領だった角田市には
今でも山並さんがたくさん住んでるよ。
もしかすると山南の家は石川氏の家臣(つまり陪臣)だったのでは?
日本史板なのでいろいろ事情はあるんでしょうが
これだけ資料の少ない山南さんですが
三谷大河の山南の設定もひとつの見方かなとは思いますけど
>>207 ほうほう。
そうすると「角田市史」辺りを見てみると何かわかるかな?
ちなみに角田石川家の家中数は、各史料によって多少の違いはありますが1200〜1350
山南さん大人気
(・∀・)ニヤニヤ
214 :
日本@名無史さん:04/08/21 02:59
山南さん大河内とデートしてたな
215 :
日本@名無史さん:04/08/21 04:37
大河板で訊いたらこっちに来るように薦められたので来てみました。
山南敬助の正体は、仙台藩の尊攘派・桜田良佐の息子敬介ではないのですか?
>>215 ほうほう。
「伊達世臣家譜続編乙集」の完成が天明三年(1783年)なのでそれ以降の各家の家譜は
それぞれの家にしか伝わっていないんですよね。
仙台藩の桜田氏は数家ありますが何れも平士なので
近年の研究書(「私本仙台藩士事典」や「史料仙台伊達氏家臣団事典」など)
でも追っかけ調査は残念ながらされていないんですよ。
桜田敬介=山南敬助説も調査が必要そうですね。
>>215 >>216このスレ初めてきたけどとても興味津々な話題です。
とっかかりは大河ドラマですけど色々ここから発展させたいです。
218 :
日本@名無史さん:04/08/21 23:04
>>217 おう!その気持ちは大切にな!
始まりなんて何でもいいのさ。
俺が幕末維新史に興味を持ったのも、小学校1年ぐらいの時にたまたまテレビでやってた「白虎隊」を見てからだもん。
当時はわけがわからなくてなぁw
図書室でマンガ日本の歴史を読みまくったっけw
山南の死を美化しようとしてるのにマンセーで溢れかえってる大河板は厨の溜まり場。
220 :
すんごい名無し:04/08/22 10:01
山南さん主人公の本てないのかなぁ。
小説とかいろいろ・・・
山南が忍者だったということは考えられない?
謎多すぎだし
223 :
日本@名無史さん:04/08/22 16:41
なんか大人気だな。
224 :
すんごい名無し:04/08/22 17:53
226 :
日本@名無史さん:04/08/22 18:15
山南祭り
227 :
日本@名無史さん:04/08/22 18:44
>>220 今週のステラで童門冬二が
「ぼくが最初に書いた歴史小説は山南敬助」
って言ってるよ。
228 :
すんごい名無し:04/08/22 18:46
実際は自害だったんじゃないんですかね
230 :
日本@名無史さん:04/08/22 20:17
土方の思惑どおりだな
231 :
日本@名無史さん:04/08/22 20:21
齋藤が脱走教唆したのに
232 :
日本@名無史さん:04/08/22 20:29
、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,
_-'" `;ミ、 /:::::::::::::::::::::\
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::\
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::|_|_|_|_|_|
了| "~`、 "~"` {,',; ;} |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6 ー─◎─◎ )
'| / レリ |ノ (∵∴∪( o o)∴)
i ( }ィ' | < ∵ 3 ∵>
` ー--- /|` /\ └ ___ ノ
ヽ  ̄ / |__ .\\U ___ノ\
`i、-- '´ |ソ: \\__) ヽ
NHKで再現された山南 実際の山南
233 :
日本@名無史さん:04/08/22 20:32
、-'ヾ'''ヾ`"''','、、 ,
_-'" `;ミ、 /:::::::::::::::::::::\
_-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::\
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::|_|_|_|_|_|
了| "~`、 "~"` {,',; ;} |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6 ー─◎─◎ )
'| / レリ |ノ (∵∴∪( o o)∴)
i ( }ィ' | < ∵ 3 ∵>
` ー--- /|` /\ └ ___ ノ
ヽ  ̄ / |__ .\\U ___ノ\
`i、-- '´ |ソ: \\__) ヽ
大河ドラマに登場する大久保利通 実際の大久保利通
234 :
日本@名無史さん:04/08/22 20:44
土方の陰謀どおりだ。 次の獲物は伊東君か。
235 :
日本@名無史さん:04/08/22 20:59
伊藤を雇って山南はいらなくなったと
切腹age
237 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:00
ようするにリストラだな
238 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:05
>>216 仙台藩士の生年と没年の資料って無いんですかね?
生年が合致して没年不明ならビンゴ!だと思うんですが。
239 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:11
山南の死について触れてるのは永倉シンパチの本以外
ほとんどないよね
シンパチの本では近藤は意見の対立していた山南を
「喜んで」切腹させたとある
近藤マジ最悪だな
240 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:11
明里が最後に話した木戸みたいのが紹介されてたけど、明里って実在なん?
クロガネヒロシの新撰組にも一応明里は出てきていたが
242 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:47
所詮売女
243 :
日本@名無史さん:04/08/22 21:57
しかしなんで沖田に追跡にやらせたのか疑問。
244 :
日本@名無史さん:04/08/22 22:13
ダサツマ、相手にされてないのに必死だなw
245 :
日本@名無史さん:04/08/22 22:19
もとは切腹も許されない下級武士階級出身のくせに切腹してる。
新選組ってリンチ集団みたいになってたんだね。
247 :
日本@名無史さん:04/08/22 23:06
局長!今日もランチセットですか?
じゃぁ、我々もランチセットにします・・・>ランチセット集団
249 :
日本@名無史さん:04/08/23 08:29
250 :
日本@名無史さん:04/08/23 08:42
沖田は介錯に失敗して山南を二度切った。
つまり当時その場に居合わせた人は、首がぷら〜んとなった山南を直視しちゃったわけだ。
251 :
日本@名無史さん:04/08/23 11:00
近藤・土方の思考は「敵対する人物を殺す」この一点しか無い。
会津・幕府に敵対する長州・長州系志士を殺す事で幕府内での地位を高めた。
それは局内でも同じ。
芹沢一派暗殺から始まる局内での暗殺・理不尽な切腹は、全て局内での地位を高める為。
そして、その地位を揺るぎない物にする為の独裁者の思考。
山南もその毒牙の餌食になった
山南切腹により近藤・土方は、「また局内での地位が高まった」とほくそ笑んでいた事であろう。
>238
藩主導で編纂した家譜は「伊達世臣家譜続編乙集」が一番年代的に新しいもので、それ以降の事は各家の史料や墓石調査に研究者達は頼っている。
また、「伊達世臣家譜」等各種史料も生没年を明確に示している訳ではなく、大身の家臣の家でも生没年不祥の当主がいたりする。
253 :
日本@名無史さん:04/08/23 12:27
>>250 首ぷらーん正解。
首ぼとっ顰蹙が介錯の作法じゃなかったけ?
先祖が新撰組隊士でした。マイナーな人物ですけどね・・
255 :
日本@名無史さん:04/08/23 13:02
首の皮一枚残すのが最高。すっかり切っちまったら首が局長や副長
目がけて飛んでいった、鴨ね。流石沖田。
多分あの場に自分が立ち会ってたら吐いてる
//\\ ─┴─  ̄フ _|_ /
/ \ |二二| __|__ | /
| ̄ ̄| ┌──┐ | | ゝ /⌒l
|__| ノ |_, \| \_ / \ノ
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|_| ヽ/ l __
ノ / \ | | / / ヽ
ノ| ヽ ヽ し | |/ ノ
└──┘ ノ
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| | |三三_ | | _|_
| | 山 _) __|__ | _|_
259 :
日本@名無史さん:04/08/23 19:01
こう言う武士の見本のような人って、政治家とかに向くの?
>>259 大河の山南だったらこんな要領の悪いのは即座につぶされるだろうな
史実の山南はよくわからん
261 :
日本@名無史さん:04/08/23 20:42
>>261私もここの考えに一票です。
ここのサイトはかなり読み応えありです。
263 :
日本@名無史さん:04/08/23 21:36
てか、ここ見てて思うんだが、山南のファンならファンで、もう少し史実を勉強してみたらどうだ?
ここ見てると、大河見た→山南マンセー!みたいな香具師が多すぎるぞ。(そうじゃない人ももちろんたくさんいる)
実在した人物なんだから、まず山南がいた時代はどうゆう時代であったのか、なぜ新選組と言うものが存在したのかを学んだ上で、
幕末維新史の人物像を語ろう。
でないと、日本史板でやる必要は無い。
あくまで大河で盛り上がりたいなら相応しい板に移動しませう。
>>261 要は強盗との切り合いで、大怪我を負ったために働けなくなり、
うつ病になって、自殺したということですね。
ありそうな話ではある。
265 :
日本@名無史さん:04/08/23 22:06
最近山南同人が激増してウザイが、大河のえいきょうか。なるほどw
266 :
日本@名無史さん:04/08/23 22:31
山南は同人801女の餌食に。
267 :
日本@名無史さん:04/08/23 22:55
なぜ、あの大河をみて
ヤマナミヲタが増えているのか
まったく理解できません
268 :
日本@名無史さん:04/08/23 23:03
>>2ch「賊」
あんまりこのスレ汚すなよ。
文体から醸し出る、賊民
特有のオーラですぐ分かる。
269 :
日本@名無史さん:04/08/23 23:10
>>2ch「馬鹿」
あんまりこのスレ汚すなよ。
文体から醸し出る、オタ
特有の臭いですぐ分かる。
270 :
日本@名無史さん:04/08/23 23:17
>>2ch「賊」
その模倣癖から察するに、いつものじオヤジか。
271 :
日本@名無史さん:04/08/23 23:26
>>2ch「270」
お前、臭うよ。生活、大丈夫かい?
272 :
日本@名無史さん:04/08/23 23:35
>>窓際「賊」ならぬ2ch「賊」
大丈夫だよ。2chが仕事のお前と違って。
273 :
日本@名無史さん:04/08/23 23:37
>>272 安心しました
社会生活はそれなりに営んでいるようですね
274 :
日本@名無史さん:04/08/24 07:04
どうせあんまり資料ないから
大河の山南=史実の山南でいいよ
>274
いくらなんでも、それは乱暴すぎだろう(w
276 :
日本@名無史さん:04/08/24 10:44
大河でこんな感じになるんだから、もし幕末無双なんぞが出た日にゃ・・((((;゚Д゚)))ガクガクブルブル
277 :
日本@名無史さん:04/08/24 16:26
嘆いている奴の中に変な香具師が混ざっているけど、
山南が美男子で再現されると、そんなに不都合なんだろうか?w
278 :
日本@名無史さん:04/08/24 16:57
美男子とか内容とかで嘆いていると言うよりかは、
ドラマを史実としてとらえちゃう厨を嘆いている。
ドラマや映画や小説で、どんな風に表現されようと、かまわないけど、
興味を持ったのならば史料を見て欲しい。
いや・・せめて複数の解説本位は目を通して欲しい。
>>252 ああ、そんな感じなんですか。
近代の幕末頃なら結構生没年が詳しく残ってるのかと思ったのですが。
>>279 墓石・過去帳などには没年は載っていますし、
各家の家系図などにも生没年などが載っているようですが、
一般人の目には触れませんからね。
唯一、一般の目に触れるのは墓石なのでしょうが、
それも建替え(?)などで古い墓石が残っていない場合がありますからね。
脱藩者で且つ死地が別の場所となれば一般人は調べようが無いとしか・・
それから、仙台藩は“負け組”なので石高を大幅に減らされており、
多くの武士が士族ではなく平民に成り下がっていたり、
北海道開拓の為移住しているので尚更でしょう。
桜田良佐
清河八郎と親交のあった仙台藩尊攘派で大成流・済美館で指南
仙台市泉区の桜田家にお墓があり、泉区の史蹟になっています。
清河八郎と桜田良佐・敬介親子が会ったとされるのは文久2年(1862年)
清河八郎、山南敬助は北辰一刀流
(ただし山南敬助は小野派一刀流説もあり)
どうなんでしょう?
282 :
日本@名無史さん:04/08/25 03:44
興味は持ったけど史料とか見るのマンドクセー
258 :番組の途中ですが名無しです :04/04/17 15:51
ID:dAjq/C1k自作自演かどうかは分からないけど、自分は立命館慶祥高校で
1年のとき今井と同級だっただったので、そのころの実話を少し。
高校生活が始まって2ヶ月くらいたったときHRでいきなり今井が
「○○君が学校にマンガを持ってきています!!」と先生に向かって
突然言ったんです。「○○本当か?」「はい・・・すいません。」
「そうか、これからは気をつけろよ。ところで今井。」「はい先生(得意げ)。」
「○○に注意をして、それでも改めないから俺に言ったのか?」「はあ?」
「○○に直接に注意をしたのかと聞いている。」「いえ、していませんが。」
「そうか。お前が本当にクラスメートのためを思って言っているなら、
まず○○に直接言うべきだな。それとHRで言う必要もない。」「・・・・・。」
俺はこの先生が本当に大好きになった。しかし今井はかなり根にもっていたようです。
ちなみに○○君は勉強は苦手でしたが明るくて早くもクラスの人気者でしたので
彼にしてみたら目障りだったのかもしれません
文久2年に清河が桜田父子と会ったときには、
村上俊五郎も清河と一緒に仙台入りしてたみたいですね。
浪士組上洛中に、山南と喧嘩した、あの村上俊五郎ですよね。
山南敬助=桜田敬介だったら、
山南と村上は以前から面識があった、ということになる‥?
面白いな。
>281さん
桜田家のお墓には敬介(敬助)の名前や生没年は書いてないのでしょうか?
せめて新撰組が京にいる時、桜田敬介が仙台にいた、あるいはいなかった
という証拠でもあれば……
>>278 そいつらをどう導くかが、先達のツトメだろーにな。
山南は10代のころには既に脱藩して
16歳ごろに小野派一刀流の記録に名前が載ってるとかいう話もあるわな
公式HPかなんかで多少フォローコラムだとかやったらどうなんだろうね
スレ違いだが
>>285 俺は281じゃないけど・・
仙台市泉区の桜田家の史跡(墓石)は桜田家の敷地内にあるのでは?
だとしたら一般には公開されている物ではないと思うのだが・
で、その墓石から桜田敬介=山南敬助と断定できるような事がわかっていたら
もっと山南研究も進んでいると思うのだが。
墓石からはそこまでは読み取れないから謎の人物なんじゃないのかな?
「桜田敬助」で検索したら、慶応4年に二百名の投機隊を率いて戦ったとありました。
脱藩者が帰参を許されたとしても、いきなり隊長(?)なんてあり得ないですよね。
やはり、ただの思いつきだったようです。
お騒がせしましたが、いろいろ教えていただきありがとうございました。
290 :
日本@名無史さん:04/08/26 10:14
>>289 そうすると桜田=山南説は無理がありそうですね。
もし桜田に脱藩歴があったとしたら、それはそれで面白い説がたてられそうですが・・仙台藩の間諜とかね。
でもやはり角田の山並の方が説得力ありそうですね。
291 :
日本@名無史さん:04/08/26 10:56
新撰組は史料見るのめんどくさいというよりは恐くて見たくないというのが正しい
真実を知れば知るほどイメージが色褪せていく
292 :
日本@名無史さん:04/08/26 19:16
>>291 それは貴方が勝手に抱いたイメージ。
「新選組」という実在した存在を語るには、史実を知ろうとする努力は必要不可欠なもの。
京都守護職支配下として、京の治安維持を勤めるには相当熾烈を極めたものだったと思う。
綺麗な面だけを見たい気持ちも解るが、対極を見つめてこその維新史だとは思いませんか?
293 :
日本@名無史さん:04/08/26 19:27
>>292 確かに。
綺麗事だけではなく、真実を受けいれて様々な面を見つめてこそ、「幕末維新史」の魅力だよね。
イメージだけではしゃぎ、史実を無視し創作しか受け入れないのなら、日本史板なんて板違いなわけだし。
山南は絶対韓国人だと知り合いがほざいてたし
まさか 「目が細いから」じゃないよね
296 :
日本@名無史さん:04/08/26 22:02
新撰組とプラトーン
山南→エリアス
土方→バーンズ
沖田→テイラー
297 :
日本@名無史さん:04/08/26 22:35
新撰組とプライベートライアン
近藤勇・・ミラー大尉
芹沢鴨・・ホーヴァス軍曹
土方歳三・・ライベン二等兵
沖田総司・・ジャクソン二等兵
原田左之介・・メリッシュ二等兵
伊東甲子太郎・・カパーゾ二等兵
山南敬介・・ウエイド衛生兵
斎藤一・・・アプム伍長
松平容保・・ライアン二等兵
298 :
日本@名無史さん:04/08/26 23:56
新撰組とバカボン
近藤勇・・・バカボンパパ
土方歳三・・・ママ
沖田総司・・・バカボン
山南敬助・・・ハジメちゃん
原田左之助・・・レレレのおじさん
他の新撰組隊士・・・馬鹿田大学
松平容保・・・つなぎ目のお巡りさん
(・ ∀ ・)ホッホーロー♪
>>289 俺の勝手な妄想だが、山南の江戸での行動が思いっきり政治的であったことから
藩に迷惑がかからないよう、仙台藩脱藩・山南敬介を名乗っていたのではないかと。
もし本当に脱藩していたとしても、記録が途絶えた元治元年
または切腹したとされる慶応元年に帰参を許された(あるいは請われて呼び戻された)
のならば、慶応4年に隊長を務めていても不思議ではないような。
302 :
日本@名無史さん:04/08/27 21:42
>>300 私もその仮説を支持したい。
私は、山南さんがあそこで死ぬのは勿体無いという、
ただのミーハー精神からだけどw
303 :
日本@名無史さん:04/08/28 13:56
千葉周作の直弟子の山南が、零細道場の試衛館の門を叩いたのがそもそもの誤り。
304 :
日本@名無史さん:04/08/28 21:49
>>303 近藤が男谷や伊庭らと交流があったからじゃないか?
うちの近所にも近藤が訪ねてきたことがある道場の史跡みたいなものが
あるけど、ある程度の剣の達人同士の交流というのがあったようだから、
そういう人物の近くにいることで人脈作りをしようとしていたのではないかな?
305 :
すんごい名無し:04/08/29 08:14
>>300 永倉さんもほんとは長倉なんだけど、
家に迷惑がかかっては・・・
と永倉と名乗ったらしいから、
そういうの、ありえないことではないよね・・・
306 :
日本@名無史さん:04/08/29 10:57
永倉さんは松前藩に帰参を許されてたね。
>>306っていうことは珍しい事なのですか?
となると仙台藩に戻る山南さんがいても不思議ではにような?
これに関する新しい資料はでてこないかなぁ…
わくわくするようなのが出てくるといいな。
308 :
日本@名無史さん:04/08/29 11:20
309 :
日本@名無史さん:04/08/30 23:20
近藤、土方がおろかな理由
豊臣秀吉という人物は竹中半兵衛と黒田勘兵衛という優れた軍師を巧みに使いわけた。
しかし近藤と土方は山南を自決に追い込み伊東にも裏切られ惨殺している。
山南敬介、伊東甲子太郎といった優れた軍師を使いきれなかったこの二人は無能というしかない。
310 :
日本@名無史さん:04/08/30 23:34
そのくせこの二人は斉藤一、沖田総司という血を見るのが三度の飯より好きというような
基地外剣士どもを使いテロ行為や諜報活動には精を出した。
その諜報活動には敵味方関係なしに巧みに操った。
新撰組の時代遅れな体質に嫌気をさし御陵衛士を新たに結成した伊東に対して近藤、土方は
斉藤をもぐりこませた。
そして伊東の動きを逐一報告させた挙句、油小路での惨劇で伊東はじめ元隊士を
惨殺せしめた。驚くことにその中には試衛館時代からの門人藤堂平助もいたのである。
このボルシェビキ(ロシア共産党)のゲーペーウーにも匹敵する恐るべきテロリズムは
敵(勤皇の志士)に対するだけでなく分派活動にも容赦なかったのである。
後世、薄幸の剣士として称えられた沖田総司はジェルジンスキーにも匹敵する一級品の
テロリストであったのは言うまでもない。
311 :
日本@名無史さん:04/08/30 23:39
↑
無知が単語で酔う宴ですか?
↑
↑
意味通ってるしいいんじゃないの、別に。
ここに集まる誰も自分の目で見たわけじゃないし。
自分らが後世で大人気を博するなんて誰も感じず行き当たりばったりの繰り返しっぱいし、
そんな集団の正史が残っているほうがおかしいし
当時、まともな記録をとるほどの存在だとは思われてなかったろうし。
だから、いろいろ推測で盛り上がるのか。
じゃあ、ファイト、闘え。
また、DOMってます。御免。
山南まんせーー
山南って、どこから来て、どう死んだか謎だらけだから
想像して楽しむ余地が大きいんだよな。
大河じゃ虎尾の会に出入りしてたけどこれは創作だよね?
結局出入りはしてたみたいだけど清河からは雑魚扱いっぽかったが
虎尾の会の創始メンバーには、山南はもちろん入ってない。
しかし清河・山岡が千葉道場に通っていたことを考えると、虎尾の会の末席
くらいにはいたのかも。
むしろ大河の、龍馬と知り合いという設定のほうがあまりにうそ臭いな。
龍馬は千葉道場といってもお玉が池じゃないし、免許皆伝も剣じゃないらしい。
317 :
日本@名無史さん:04/09/02 00:40
319 :
日本@名無史さん:04/09/02 03:46
>>316 千葉道場の免許皆伝は剣ではなくて槍だが江戸に出る前の土佐日野根道場では剣も免許皆伝。
あと塾生をまとめるお玉が池の塾頭だったのは事実では?
320 :
日本@名無史さん:04/09/02 03:49
2011年大河ドラマ「山南敬介」
321 :
日本@名無史さん:04/09/02 07:01
[Arrowhead] From the `Last Samurai'
http://times.hankooki.com/lpage/opinion/200401/kt2004010819194911320.htm 誰が『最初のサムライ』だ?そうだ百済の将軍 Kyebaek だ。(漢字名は不明)
新羅・唐連合軍との最後の戦闘に進軍する前に、自分の妻と子どもを殺して辱
めを受けずに名誉を守った。
最初のサムライは Kyebaek だ。彼が日本のサムライの手本となった。
百済が滅亡すると、百済人は日本に渡り、日本の政治や社会の中心勢力となった。
そして、日本の戦闘民族たちに模範を示したのだ。
(略)
これらの名誉心・献身性が日本の近代化を支えたのだ。
そして、日本の文化史上、最高の作品、黒沢の『49人の侍』に結実したのだ。
コラム最後の言葉
“ハリウッドもいつか近いうちに Kyebaek 将軍に興味を持つだろう”
>>300 > 慶応4年に隊長を務めていても不思議ではないような。
その年に仙台藩へ帰参して、いきなり額兵隊隊長になった
星恂太郎の例もあるしな。
<<321
また、勝手に突っ走っておりますか。脳内で留めておけば良いものを。
いつか、なんでもわが国(ウリナラ)が発祥なんて言ってた時代が恥ずかしくなるのでしょう。
そして、この愚かで恥ずべき時代の電波野郎を法律で過去に遡って罰するという
法治国家ではありえない事後法(対日協力者糾弾法みたいなの)を作ったりするんでしょうな。
しかし、武士道はないだろ、あの国の思想には。
324 :
日本@名無史さん:04/09/02 15:04
>>319 剣でも槍でも無く 、免許皆伝は薙刀なんだよ…何故かは想像に任すがねw
326 :
日本@名無史さん:04/09/03 00:09
>>324 シスコンの竜馬が、姉に薙刀習ってたからだろう?
竜馬の立ち振る舞いが、姉の影響で女ぽかったのは有名。
>>319 塾頭だったのもお玉が池じゃなくて桶町の道場では?
329 :
日本@名無史さん:04/09/03 06:08
千葉道場っていくつあったんだ?
330 :
日本@名無史さん:04/09/03 09:41
お玉が池 千葉本家、周作の道場
桶町 周作の弟重吉の道場
両道場とも交流はあるだろ、出稽古だって頻繁にやってただろうし。
千葉道場は人大杉。
山南が千葉門下というのが本当だったとしても、
「だから清河や坂本との交流があった」とは言えない。
いや当時の剣の流派の連帯はかなり強いよ。
当時、武者修行が盛んに行われていたんだが、その武者修行先というのはたいてい同じ流派の人間の紹介による。
もちろ旅先では同じ流派の人間の家に泊めてもらうことになる。
流派の学閥というか剣閥はかなり強固なものだった。
まぁ実際に山南と龍馬に交流があったかどうかはさておいて、同じ剣閥であった以上交流はあってもおかしくは無い。
334 :
日本@名無史さん:04/09/04 00:01
伊東道場ってのはどこ?
北辰一刀流と記憶してるけど。
335 :
日本@名無史さん:04/09/04 00:31
今日、山南さんにソックリな女性とであった。
髪をすべて後ろでビシッとまとめていたのでまさに武士のマゲに見えた。
涙が出そうになった。
336 :
日本@名無史さん:04/09/04 01:29
337 :
日本@名無史さん:04/09/04 01:30
>>335 抱きついて山南さん無事だったんですねって言ってやれ
339 :
日本@名無史さん:04/09/04 01:46
>>335 山南敬介、写真も肖像画も残っていないんだが・・・・・
>>339 そーゆんじゃなくて
九尾の狐って普通雌では?
清川と山岡と坂本には交流があったのは確実
虎尾の会の前段階といえる資料に坂本の名前があり
清川が書いた玄武館(お玉が池)の名簿にも坂本の名前がある
山南とも面識あったかはしらん
343 :
日本@名無史さん:04/09/04 03:00
344 :
日本@名無史さん:04/09/05 04:59
山南の言い方は同人女子大喜びものだな。
九尾の狐発言に加えて
「局長は土方の奸媚に迷っている」とシボザワが書いてた。
変態どものネタにされてもしゃーねーな。
345 :
日本@名無史さん:04/09/05 09:20
大河の新選組はひどい。
芹沢の時も山南の時も
強引に本人がそれを望んでいるという
言い訳を作って、
その後の日常のほのぼのシーンをしらっと演じている
土方以下にむしょうに腹がたつのは俺だけか?
346 :
日本@名無史さん:04/09/05 09:42
347 :
日本@名無史さん:04/09/05 09:51
>>193 しゃぐまって元々肥前藩のものなのだが。
348 :
日本@名無史さん:04/09/05 17:19
堺はキモイ。
山南のイメージが悪くなる。
>>348 あなたに何が分かると言うのだぁ!!!!!!!!
350 :
日本@名無史さん:04/09/05 21:11
351 :
日本@名無史さん:04/09/05 21:36
堺山南のイメージが悪くなる。
352 :
日本@名無史さん:04/09/07 00:20
近藤に劉備元徳のような賢さがあり
土方に関羽雲長のような慈悲の心があり
沖田に張飛翼徳のようなたくましさがあれば
新撰組はもう少しましな組織になっていただろう
それ以前に諸葛孔明(山南or伊東)を消したこいつらはアフォとしかいいようがない
353 :
日本@名無史さん:04/09/07 13:33
三国志わからん
三国志は大量虐殺じゃん。
山南敬介と新見錦。
芹沢、近藤、土方に次ぐ大幹部でありながら、彼等に関する資料は極端に少ない。
二人共、その最期は謎な部分が多い。平隊士ですらも、戦死なり病死なり記録されているのだが…。
つまり、後年の新選組にとって、余程忌まわしい存在だったのではないかと?
山南の容姿って、色白で小太りというのを
何かで読んだ気がするのですが、出典を忘れてしまいました。
もし、ご存じの方おられましたら教えて下さい。
上の方で竜馬と山南のつながりを考えておられる方が何名かいらっしゃるが、
そもそも山南が北辰一刀流ってこと自体が怪しくないか?
北辰一刀流説→永倉新八(おじいちゃん時代)による
小野派一刀流説→同時代資料(なんとか修行録だっけ?)による
現在出版されてる本なんかだと両方を修めた後、試衛館入り、と書かれているものが多いけど
実際、技術的に2つの流派を同時に修めることってできるの?しかも、北辰一刀流は免許皆伝だろ?
自分は永倉おじいちゃんの勘違いであって、
山南は北辰一刀流は学んでおらず、小野派一刀流のみを修行してたんだと思ってる。
意見を聞かせておくれ。
>>357 たしかに北辰一刀流説は根拠に乏しいが、
積極的に否定すべき理由もないと思う。
山南が師事していた大久保九郎兵衛(小野派一刀流)が死んだのは
安政3年(1856年)
山南が試衛館に転がり込んだのは万延元年(1860年)ごろ
(遅くとも万延2年には確実に試衛館にいた。)
この3〜5年の間、山南がどこの道場にいても不思議ではないし
ましてや短期上達が売りの北辰一刀流なら、
皆伝(←これこそマユツバだが)を受けている可能性も否定はできない。
スマン、永倉曰く、山南は「北辰一刀流免許」だった。
免許と皆伝じゃエライ違いだ。
360 :
日本@名無史さん:04/09/09 08:49
>>356 今手元に本が無いんだけど
それって新撰組血風録かな?
違ったらスマソ
362 :
日本@名無史さん:04/09/10 17:34:57
363 :
日本@名無史さん:04/09/14 22:02:37
しかし山南と伊東が生きて薩長側に寝返ってたら有能な人材として
新政府に貢献できた・・・かな??
>>363 当然ありうるだろう。
山岡鉄舟や旧幕臣をはじめ、会津藩士までをも薩摩は広く人材登用を行っているしな。
なれど、寝返りと言うか、日和見主義の大多数を取り込まねば回天など成らぬのも
また真理ですぞ。長州も苦渋を呑み、ある意味会津から寝返った薩摩と手を結んだ
から維新は大きく前進した。錦の御旗もより多く、幕府側から寝返らせる為。それが政治。
>>365 山南や伊東を山岡鉄舟などと比べる事自体、おかしいと気付かないか?
元・御陵衛士で明治新政府で出世した人間がいるのか?
山南や伊東が生きていたとしても、御陵衛士生き残りのような生活を
送る事になっただろう。
政府で活躍した旧驀臣や旧会津藩士は戊辰戦争前に寝返ったような人間ではないし。
368 :
日本@名無史さん:04/09/15 11:13:46
山南は新撰組直属だから新政府就職は無理だろ。
伊東は大久保や桐野などの薩摩要人と仲良かったから、
榎本や大鳥ほど行かずともそこそこ出世すると思われ。
俺は『黒龍の柩』の山南が好きだ
>>368 榎本や大鳥みたいなテクノクラートとの比較も意味ないわな。
マジレスすると、山南も伊東も学校の先生か何かに
収まったんじゃないか?
政治家にも軍人にも役人にも向いているとは思えない。
しかし、名誉職で学校の校長に就任し、生徒相手にウンチク説教
する姿はさぞ様になるだろう。
大河の新撰組見ててあれはあれで面白いと思ってる口だけど
なんつーか、あれを見て墓参りとかはしたくない。
と山南さんの話を聞いて思った。
本当の墓は線路の下だっけ。
大河山南の描写の中で「文武両道の良識凡人」ていうところは合っていたのかも
373 :
日本@名無史さん:04/09/15 19:51:57
374 :
日本@名無史さん:04/09/15 21:34:58
表彰状・・・あんたは〜エライ!
375 :
日本@名無史さん:04/09/15 22:01:38
>>372 温厚実直なんだけど、ヤルときゃヤッちゃう所とかね。
376 :
山南敬介:04/09/17 02:13:03
伊藤甲子太郎って、なんて読むんだ?
いとうこうしたろう、でいいのか?
377 :
日本@名無史さん:04/09/17 02:19:48
>>376 「かしたろう」とも「きねたろう」ともお好きなように。
>>377 「きねたろう」は誤読じゃないですか?
とか言いつつ、自分は「こうしたろう」と読み違えてたことがあったり…
「コネたろう」というのはないのか
ももたろう
381 :
日本@名無史さん:04/09/18 19:48:30
ハム太郎
382 :
日本@名無史さん:04/09/18 19:54:21
油小路
383 :
日本@名無史さん:04/09/19 01:32:46
親はなんて呼んでたの?
親がつけた名前なんだから親が言うのが正しい。
おい、おまいら、山南敬介を称えろ
以上
親がつけた名前じゃないだろ!
本名は鈴木大蔵
「いやー、山南さんはすばらしい」
「お声もいい」
「いつも、笑顔が絶えないですね」
「この以前は沖田総司もやってましたね」
おい、おまいらも、山南敬介(堺雅人)を称えろ
以上
堺を称えるのは板違い
みんなお願いだから山南敬介を称えろよ
な、頼む、このとおり。な、頼むよ。
山南敬介を称えるほどその人の事を知らない、誰も
そう言わずに、な、頼むよ、このとおり。な。
なんかこのヒトの名前ってすし太郎みたいだよね。サブちゃん
あ、甲子太郎スレじゃなかった
スレ違いスマソ
満足?
「ちょっとな」
今こそ「伊東すし太郎」を売り出して大儲けするんだ永谷園!
今こそ「甲子太郎Ver.1」を売り出して大儲けするんだジャストシステム!
399 :
日本@名無史さん:04/10/06 02:38:26
yamanamisensei
yamanamisenseiiiiii!
400get
401 :
日本@名無史さん:04/10/10 18:36:05
山南敬助って、俺にすれば理想の人物だな。
腕が立ち、教養に溢れ、人徳もある。
昔の三国志(光栄のゲーム)風にいえば、知力・武力・魅力が
すべて80以上の武将、みたいな感じです。
402 :
日本@名無史さん:04/10/10 21:32:19
山下たろ〜。
>>401 もしゲームキャラなら運が著しく欠けると思われw、多分「5」とかそんなもん。
それとバランス感覚・現実感覚に若干欠ける気が・・・
充分魅力的な人物だったんだろうと思うけどね、ただ謎な部分が多過ぎる。
404 :
「山南=桜田」論者:04/10/12 17:53:05
307 日本@名無史さん sage New! 04/08/29 11:09
>>306っていうことは珍しい事なのですか?
となると仙台藩に戻る山南さんがいても不思議ではにような?
これに関する新しい資料はでてこないかなぁ…
わくわくするようなのが出てくるといいな。
---------------------------------
うちのスレッドにおいで
406 :
日本@名無史さん:04/10/17 21:28:41
>405
山南=桜田説はこっちでやれとお達しがありましたぞw
407 :
日本@名無史さん:04/10/18 18:53:57
山南=櫻田説って何か進展あったの??
409 :
日本@名無史さん:04/10/20 14:03:22
>>408 ん〜なんとも言い難いな・・・。核心に迫るどころか
遠のいてるような気がするのは俺だけかw
角田市の山並姓について調べた人はいないの?
410 :
日本@名無史さん:04/10/24 13:46:35
一話の山南さんの最初の台詞「道を一本間違えた」は、
今思うと長い永い伏線だったんだね。
知性派の山南さんの間抜けな登場で三谷で大丈夫かと思ったが見事にやられたよ。
411 :
日本@名無史さん:04/10/24 18:37:58
>>410 ここは大河スレちゃうやろ。「山南敬介」を称えるべし。
412 :
日本@名無史さん:04/10/24 19:02:46
奥羽越列藩同盟スレで東北人がバカにされとる・・・。
胸が痛むぜ山南さ〜ん!!!(涙)
413 :
日本@名無史さん:04/10/24 21:29:01
浪士組の浪士募集の話を山南が近藤に教えたと
記されている資料って何?
414 :
日本@名無史さん:04/10/26 23:04:07
大正時代に書かれた、永倉の取材記事じゃなかったっけ?
415 :
日本@名無史さん:04/10/27 18:25:04
>>414 うそぉ・・・あれでは永倉自身がその話をもってきたこと
になってなかったか??
416 :
日本@名無史さん:04/10/27 19:26:02
山南さんは脱走したのか否か!?
さぁどっち!!!
>>413 司馬は「多分、山南だろう」みたいなことを対談集だかエッセイだかで
書いてたな。何を根拠に言っているのかは知らないが。
419 :
日本@名無史さん:04/10/28 19:02:22
不明なんだ?根拠がないのに何故一つの説として
広まったんだ??子母澤の話もどこまでが事実でどこまでが
創作なんだか・・・。迷惑なことしてくれたよなw
420 :
日本@名無史さん:04/10/28 19:16:48
櫻田敬助の従兄弟の櫻田櫻麻呂(春三郎)は山南と生まれた年が
同じらしい。そして北辰一刀流。
櫻田ファミリア
422 :
日本@名無史さん:04/10/29 18:55:58
山南は偽名なのか??そうだとすると櫻田敬助が
怪しい感じするけどな〜。
423 :
日本@名無史さん:04/10/30 18:49:27
「山南=桜田」論者って今も調べてんのか?
山南は皆に惜しまれて切腹した、として終わって欲しい気はするけどな。
424 :
日本@名無史さん:04/11/01 23:00:14
「士道残映新選組」に山南の切腹後、沖田は近藤・土方としばらくの間
口をきかなかったとあるのですが、この説の記されている
資料って何なのか分かる人いませんか?
山櫻=山南櫻田でいいと思うけど、
慶応元年死亡をわざわざ覆すのもイマイチ根拠に欠けるような
子母澤だの小樽紙だの講談の類をさっぴくとしても
ところで櫻田って藤原姓なんですか?
426 :
日本@名無史さん:04/11/03 18:50:37
>>425 山南に逃げられたが新撰組の名誉のために屯所に連れ戻して切腹させたと
いうことにしたっていう説も考えられてるみたいだが。
多く語られなかったのは実は山南が死んでなかったからみたいな?
桜田は藤原姓じゃなかったと思う・・・。でもそれは山南が偽名だとしたら
たいした問題ではないんじゃね?
427 :
日本@名無史さん:04/11/03 19:03:49
伊東の加入は山南さんにとってプラスだったはず。
それなのに脱走やら切腹やらって・・・おかしくないですか!?
永倉は確か山南さんと伊東の間に黙契があったと言ってましたが・・・。
428 :
日本@名無史さん:04/11/03 21:40:09
藤原姓は秀郷流の伊達仙台藩出身ということの暗示なのかもね
429 :
日本@名無史さん:04/11/03 22:14:48
>>420 の春三郎説は面白そうですね。従兄弟の名前を偽名に使うというのも
ありですもんね。で、偽りの苗字は春三郎の三郎から字を変えると。
これだと、話がつながりそうですよ。
やっぱり脱走後、新選組は捕獲に失敗したんですよ。
その後、敵対勢力で頑張られてしまったもんだから、記録を抹消する
しかなかった。
それと、他の隊士への面子から、取り逃がしたとは言えないし、逃亡
の前例を作りたくないということもあり、便宜上、切腹したことにした
だけなんじゃないか。
ということで、元総長はその後仙台で活躍した、と見る方が自然では?
水の北 山の南や 春の月
春風に吹きさそわれて山桜 散りてそ人におしまるるかな
吹風にしほまむよりは山桜 ちりてあとなき花そいさまし
皇のまもりともなれ黒髪の みたれたる世に死ぬる身なれは
あめ風によしさらすともいとふへき 常に涙の袖をしほれは
もし逃亡だとしても伊東ジェイキン寿司太郎は知らないぽ
やはりマフラーか?赤マフラーなのか?!
田舎の山並みでも眺めてて山南とでも自分でつけたんじゃないの
「さんなん」だろとかいわれたらソレまでだが
433 :
日本@名無史さん:04/11/04 13:51:46
櫻田春三郎が北辰一刀流を学んだのは、やはり千葉道場なんですか?
江戸にいたとして、その時期というのもわかるのでしょうか?
三郎→三男→山南ということはないの?
435 :
日本@名無史さん:04/11/05 11:26:34
>>433 ある資料には春三郎は叔父の良佐に北辰一刀流を学んだとあります。
その後、父の権太夫に中和流を学び、自ら中和一刀流と称したらしいですよ。
彼は維新後の剣技大会か何かで剣術で最も名誉ある賞を受賞したとか。
かなりの使い手であったことは確かなようですね。
彼が叔父の良佐の代わりに養賢堂の剣術師範に就いたのがちょうど山南が
脱走した時とだいたい重なるので脱走の理由になったり・・・?
それでも敬助の方がまだ説としては有力な気はしますね。
436 :
日本@名無史さん:04/11/05 11:31:16
ちなみに春三郎は弓も使えたみたいです。残念ながら柔術を学んだという
記述は今のところないです。
437 :
日本@名無史さん:04/11/05 12:59:02
>>435 おもしろいじゃん春三郎説!山南さぁ〜ん!!
438 :
日本@名無史さん:04/11/05 17:29:47
>>433 北辰一刀流の系譜に良佐と桜麻呂の名前があったよ、確か。
まぁこれが千葉道場で学んだっていう根拠には全然ならんけどw
幕府の開国主義には不満を持ってはいなかった。彼は基本的に公武合体派である。
その為事を荒立てないために、長州藩士を黙認する事もしばしばあった。
土方は逆に彼等のせいで朝廷と幕府の関係が崩れていると考えていた。
土方は何度か非を説いたが、ついに折り合わず斬られた。
440 :
日本@名無史さん:04/11/05 18:47:57
称えage
441 :
日本@名無史さん:04/11/06 18:26:56
約束は出来ないが…必ず行く…!
微妙に矛盾してる発言だな
443 :
名無し募集中。。。:04/11/06 23:29:15
で、春三郎はその後どーなったの?
死んだ
445 :
日本@名無史さん:04/11/07 13:12:00
>>443 日本武徳会宮城支部の剣術師範を勤めたり、第二高等学校にて
剣術や弓術を指南し、大正元年に死去。
446 :
日本@名無史さん:04/11/07 13:17:37
明治16年に宮城撃剣社というのを創設して春三郎が社長になったらしい。
山南って、剣の実力はあったのか?
脱走して故郷で尊攘と佐幕の争いに身を投じたというのよりは
死亡を偽装することで脱盟を認められて再び剣術の世界に戻ったというほうが
個人的には好きなシナリオ
しかしそうなると可哀相なのは甲子太郎になっちゃうけど
449 :
日本@名無史さん:04/11/08 16:46:47
>>447 当時の人の証言にもあるから結構腕はあったんだと思うが。
>>448 うーん確かに。でも脱走だろ?何か後味悪くね?w
甲子太郎は可哀想だが仕方ナシ。
450 :
日本@名無史さん:04/11/08 16:53:02
それを言うなら今年の大河のほうがよっぽど可哀相だ
三谷は全国1000万の菓子太郎ヲタを敵に廻した
451 :
日本@名無史さん:04/11/08 16:53:07
沖田とコンビ組んで出稽古してたしな。
つーか櫻田説関係の情報あったら誰か教えてくれい。
452 :
日本@名無史さん:04/11/08 16:56:01
菓子太郎の気持ちもワカランでもない。
普通の奴なら自分の立つ位置に疑問感じるてば。
454 :
日本@名無史さん:04/11/09 18:55:18
山南=春三郎なら山南の写真があるということになるな。
家紋について調べたらなんか出ないかね?
ただの戯れ言として受け取って欲しいんだけど…
「春風に吹きさそわれて山桜 散りてそ人におしまるるかな」
って伊東の詩、本当に山南の死を悼んだものなのかな?
例えば、「春風に」は「仙台藩に」
「山桜」はさんざん言われている「山南+桜田」
にすると、「仙台藩に呼ばれた山南(桜田)」になるんだけど…
後半の「散りてそ〜」は伊東の思いで、
「山南を失った新選組は、これから先に彼が居なくなった事を悔やむだろう」
みたいな感じで。
長文スマソ
456 :
日本@名無史さん:04/11/09 21:44:14
>>455 うん・・・よく詩のことはよく分からないんだが、そうも取れるかも?
その他の山南の死を悼んだ詩についてはどう考えると?
>>456 う〜ん…
「皇のまもりともなれ黒髪の みたれたる世に死ぬる身なれは」
は、尊王派の「義」?主に新選組内で(山南、伊東、藤堂?らが)交わしていた様な…。
でも、
「吹風にしほまむよりは山桜 ちりてあとなき花そいさまし」
「あめ風によしさらすともいとふへき 常に涙の袖をしほれは」
の特に、後者の歌では山南を悼んでいるんですよね…。
もしも無理やりこじつけて意訳すると、
「死を持って天皇に使う」「皇を想い涙する」
とか…。
ごめん。自分でも解んなくなて来た。
と言うか、自分も詩の知識は皆無に等しいんだ…。ごめん。
458 :
日本@名無史さん:04/11/10 19:15:00
詩の中に「死」とか入ってるからやっぱ死んだのかな?
でもそういう解釈はおもしろいと思うよ
459 :
日本@名無史さん:04/11/10 22:11:42
御公儀のために一度でも命をかけたことがお有りかぁぁぁぁ!!!!!
>>458 変な解釈でも読んでくれてありがとう。
あれから色々考えたんだけど、最後の一句(「あめ風に〜」)だけ何かが違うんだよね…。
んで、考え過ぎて、伊東後から付け足したんじゃ?とか思ったりして。
どうもスンマセンでした。名無しに戻ります。
八木家になにか口伝で伝わってないもんですかねえ
今更子母澤史観をひっくり返すのはむつかしいか
そうなん?
自分、子母澤も池波も司馬さえ読んでないからな〜…。
463 :
日本@名無史さん:04/11/12 18:40:21
>>461 何かしら伝わってると思うがねぇ。子母澤による為三郎の話でも山南は脱走した
ことになってたよね?自分らで作った新撰組なのに脱走とはおかしな話だと
思った、みたいな記述だったかな。山南の家紋についても為三郎が語ってる
わけだけど、櫻田家の家紋とは違うみたいっすね。となると山南はどこから家紋
を引っ張ってきたのか…。
464 :
日本@名無史さん:04/11/12 19:11:27
最近では山南はうつ病だったのではないかと考えてる学者もいる
みたいですね。切っ先の折れた刀の押し印から大怪我を
負ったのではとかね。皆はどう考えてます?
新選組フィギュア買ったら、山南さん出てきたよ。
いや、それだけなんだけどね。
>>464 うつ病は有り得るかもね。
今になって、うつ病が認められるのか…(´・ω・`)
>切っ先の折れた〜
自分、山南さんについてあんま詳しくないんだなあと思った瞬間orz
詳細キボン
山南のもともとの性質性格自体がよくわからんからなあ・・
精神薄弱になったといえばなんかそれも納得できるし
468 :
日本@名無史さん:04/11/13 11:40:10
島田魁の書いた隊士名簿の中に山南の名前がないぞ…。
最近発見されたという山崎丞の日記で新事実が明らかになることを期待!
469 :
日本@名無史さん:04/11/13 12:02:01
>>466 うつ病は現代においては珍しくない病になりましたが当時は「何やってんだよ!
しっかりしろよ!」みたいなノリでしょうw
この事件はいつの話かは不明なのですが、岩木升屋に乱入した浪士を
山南ら三名の新撰組隊士が討ち取り、会津候から報奨金八両を
下賜されたというものです。その時の刀の絵図が残されていて山南の刀
は真ん中辺りから折れているんです。そのことから山南は致命傷を
負ったのではないかと考えている方もいるみたいです。
470 :
日本@名無史さん:04/11/13 12:07:56
>>467 山南は町の人々からも好かれてたみたいな記述あるじゃない?
やっぱ「いい人」って心を病みやすいのかも。
471 :
日本@名無史さん:04/11/13 12:14:11
>>463 櫻田と同一人物という可能性は低いでしょ?
472 :
日本@名無史さん:04/11/13 13:06:36
〜山南と櫻田敬助の共通点〜
@父・良佐が仙台藩の剣術師範だということ。
A千葉道場にて北辰一刀流を学んでいるということ。
B父・良佐が勤皇の志士であることから勤皇派と思われること。
C清川八郎や村上俊五郎と交流があったこと。……etc.
〜山南と櫻田春三郎の共通点〜
@「三郎」であること(山南三郎の記述から)
A北辰一刀流を学んでいるということ。
B山南と年齢が一致するということ。
C勤皇の思想をもっていた可能性(叔父・良佐からの影響)
D学もあった可能性(親父が学者)
E山南が脱走したと言われる時期と叔父の代わりに仙台藩の剣術師範に就いた
時期が合致することから、隊を離れる口実が出来ること。……etc.
これらが説の根拠。意見、質問、間違いの指摘があればよろしく。
可能性については各自判断してくれい。
>>469 ありがトン。
当時の武士の命とも言える刀を折られたら、うつ状態くらいにはなるよね…。
教えてチャンでごめんね。
山南の人柄についてだけど、
・親切者
・温厚
・短気
・几帳面
あと、自尊心が高いとかなんとか…。
まあ、身近にこんな性格の人いるから、
「温厚」と「短気」の矛盾なんて気にならんけど。
474 :
日本@名無史さん:04/11/13 20:54:56
>>473 刀が折れたことがショックってわけじゃないでしょ。
折れた刀から山南が侍として致命的な傷を負ってしまったために
戦線離脱を余儀なくされたために山南は隊内から孤立して
いったのではと考えられてるんだよ。
475 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:24:55
山南の家紋は「丸に立ち葵」ですよね・・・これは確か仙台藩では本多家のみ
なんですよね。本多家の陪臣だったとかって説はどうなんでしょう。
もしくは本多家の人間だったとか・・・・??
476 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:28:48
>>473 案外山南は八方美人だった、ってことはありませんかね?
477 :
日本@名無史さん:04/11/14 13:50:43
助命嘆願スレのミラーサイト見てたら山南が切腹前に
二条城の勤番が内定してたらしいというカキコが
あったんだが、これマジ??デマ??
>>473です。
>>474 そっか。そういう事か…。
山南は武家の人間だし、プライドも高かったらしいから
刀を折られた=武士の恥とか思ったかなー、と。
でも、怪我で戦線離脱の方が正そうスね。
>>476 八方美人か…。なんか納得。そうかもしんないね。
自分としては、気分屋っていう印象を受けたけど。
479 :
日本@名無史さん:04/11/14 18:19:51
>>476 あ〜案外そうだったりして。嫌ってる人もいたかもな。
>>478 刀はすぐダメになるんもんらしいよ?人の油脂でだったかな?
でも致命傷を負った説をとると山南=桜田が成立しない
よなぁ・・・・。よってこの件は保留でw
本願寺に山南さんとわりと仲の良かった坊官さんいなかったっけ
あれは岩木升屋事件以降だと思うんだけど
481 :
日本@名無史さん:04/11/15 00:30:51
>>477 興味深いな!でも聞いたことねぇ。資料にあんのかな。
482 :
日本@名無史さん:04/11/16 18:50:44
>>480 西村兼文のこと?山南の家紋と同じという光縁寺?
483 :
日本@名無史さん:04/11/18 16:55:55
新着情報ある人ぉ〜…。
・親切者
・温厚
・短気
・几帳面
これって典型的なうつ病になりやすい性格じゃないかなあ。
周囲にいろいろ気を使う(親切者、温厚)反面、
完璧主義(几帳面)な性格のために自分にも周囲にもイライラすることが多い(短気)っていう。
485 :
日本@名無史さん:04/11/20 19:10:44
当時の人達の「人を斬る」という感覚はどうだったのでしょうか。
486 :
日本@名無史さん:04/11/21 02:55:52
質問です。
当方高校の日本史の教科書レベルの知識しかない者です。
太平洋戦争について書かれた小説で
お勧めのものはあるでしょうか?
司馬遼太郎の坂の上の雲のような感じのものがあれば
いいのですが。
あと、満州、台湾経営についての小説についてもお願いします。
すまん、誤爆した
488 :
日本@名無史さん:04/11/21 19:06:29
「武術も相当に修め、ことに激烈な勤皇思想をいだいた一人で、清川八郎、
芹沢鴨、近藤勇らと肩をくらぶべき傑士であった」永倉の新撰組始末記より
「新撰組の中でも勢力があり・・・」「あれだけの人物が・・・」
新撰組遺聞より(八木為三郎談とされる)
「三南三郎は・・・柔術の高手なり。少しく時理をわきまえある者」
西村兼文の新選組始末記より
489 :
日本@名無史さん:04/11/21 19:15:14
柳剛流の剣客の武者修業した相手の記録に小野派一刀流大久保の
門人として山南の名前があり、当時二十歳前後。その十年後には
天然理心流試衛館の師範代として出稽古。
山南って文武両道だよな
491 :
日本@名無史さん:04/11/21 19:26:57
学者肌だと思われがちだけどね。
492 :
日本@名無史さん:04/11/26 20:21:21
結局、土方との両雄並び立たずだな
493 :
日本@名無史さん:04/11/27 08:55:58
イマイチ山南を称えられないな
494 :
日本@名無史さん:04/11/28 15:48:24
山南敬助の言葉の訛りについて分かる人〜
12月30日にもう一発切腹します はっはっは 見てくださいね
496 :
日本@名無史さん:04/12/02 14:07:41
近藤(あるいは土方)の悪事を山南が告発しようとしたために極秘で抹殺された
ということはないだろうか。だから永倉をはじめとする幹部でさえ
も詳細を知らなかったとか。
497 :
日本@名無史さん:04/12/04 17:18:55
>>495 大河の話でしょ?山南切腹の回を再放送するんだってな。
堺雅人のおかげで山南人気が高まるのはいいこと
なんでねーの。
>>496 うむ…そういう可能性も否めないかもな。不思議なくらい
資料が少ないからな・・・山南に関しては。
さんなんって実際剣の実力はどーだったのよ?
竹刀剣術では沖田に子供扱いされてたようだが?
まぁ、竹刀と真剣は別物なわけだが・・・
499 :
日本@名無史さん:04/12/06 20:00:49
子供扱いなんてことはなかったでしょ。
会津候に武芸を見せる上覧試合で沖田とともに剣術の部の
トリを務めてることからも剣術の腕があったことは覗える。
500 :
日本@名無史さん:04/12/07 13:40:45
永倉が晩年に書いた「名前覚」では山南敬助は
元治元年11月に切腹となってるから
永倉の記憶が正しければこの年の12月当時の
隊編成表に山南の名前がないのはおかしい
ことではないかも?
501 :
日本@名無史さん:04/12/08 19:39:47
age
502 :
日本@名無史さん:04/12/10 18:19:39
がんばれ山南!
503 :
日本@名無史さん:04/12/10 19:50:16
春三郎に戒名がない
>>503 山南に同じく神式で葬られたからとかそういう理由だろうか。
神式なら戒名ないよね。
505 :
日本@名無史さん:04/12/11 09:43:36
>>503 山南はだから戒名ないんだ。
神式とはどういう埋葬方法なんですか?
506 :
日本@名無史さん:04/12/11 09:56:48
なんか神道に基づいたヤツだよね。
詳しいことは分からんが・・・。
507 :
日本@名無史さん:04/12/22 22:16:11
文久元年8月27日の天然理心流4代目襲名披露野試合にはもう
山南の名があるのだが、清河が仙台に行って桜田親子に会うのは
文久2年。
これの辻褄どうにか合わない?
508 :
日本@名無史さん:04/12/27 14:54:42
>>507 清川と一緒に帰郷したかもしれん。適当すぎ?
509 :
日本@名無史さん:04/12/27 14:57:19
山南姓の人の先祖を徹底的にしらべたらなんか分かるって
510 :
日本@名無史さん:05/01/07 18:38:00
何も進展なしかよ
511 :
日本@名無史さん:05/01/07 18:53:21
山南に子孫はいないのだろうか
山南マンセーー
513 :
日本@名無史さん:05/01/08 15:24:37
>>511 日本のどこかにはいるかも。遊女との子とか
514 :
日本@名無史さん:05/01/08 19:23:10
山南の親戚とかはどうなんだろね。
515 :
日本@名無史さん:05/01/25 12:39:57
ほしゅ
516 :
日本@名無史さん:05/01/25 19:01:46
このスレも廃れたのぉ…
何の情報もないからねぇ。
大河効果でなんか進展あるかと思ったが。
518 :
日本@名無史さん:05/01/26 17:27:43
>>517 いや大河でファンになった連中は大河終了とともに
去ったと思われw
私まだ居るよ。(´Д`)ノシ
ちなみに伊東の詩の分け解らない解釈をカキコした馬鹿野郎です。
いるよ
>>517 大河効果といえば監察方の山崎烝のかなり詳しい日記が去年の秋ごろ
発見されてたけどそれは山南死後の日記だったんだよなあ。
本人の出身から探るのであれば新選組の資料・史料だけだとどうにもならんし。
521 :
日本@名無史さん:05/02/01 22:33:20
まだいる人はいるんですね。嬉しいかぎりですよ。
>>520 そうなんですよね。山南については謎のまま…。
うまい具合に彼についての情報がないですからねぇ。
桜田へのつながりも未だに進展ないみたいですし。
新選組総長山南敬介は実は仮の姿。
勤王の思想を捨てた(?)新選組(壬生浪士組)を崩壊するため、
身を犠牲にして新選組に潜り込む。
温厚な山南敬介を演じ地道に近藤らの信頼を得、副長の座を獲得した。
土方が自分と相容れなく、総長なんて位置に置かれた事も利用。
ここぞとばかりに新選組の活動をしない。
そればかりか、「山南敬介」について触れている物を出来るだけ処分する。
時期を見計らって脱走。切腹。
多分大半の隊士は「山南」を信頼してくれているだろうから、ここで彼らに精神的なダメージを。
よって介錯を沖田に頼んだのもわざと。
それ以後、新選組は崩壊に進んでいるので、山南の計画は成功。
全部山南の自演。
逝ってくるわorz
妄想乙
ときどき思い出しては来る
>>517 山南=桜田説は、やっぱり可能性薄しってことになったのか。
両者の筆跡を比べてみるとか?調べられる程には残ってないかな。
>>523 マジレスするのもなんだけど山南については妄想というか
想像の域を出ることができんよなあ。
それこそ難民板の山南のif話みたいに
山南は実はどこぞのそこそこいいとこの武家の次男とか三男とかで
脱藩後に「うちの息子は急病で死んだポ」とか届出されてたらそれまでだし。
526 :
日本@名無史さん:05/02/04 22:05:20
>>524 筆跡を調べるのはおもしろいかもしれませんね。
桜田説はイマイチ核心に迫れてないです…。
山南と同じく桜麿に戒名がないのが少し気になりますが。
527 :
日本@名無史さん:05/03/05 00:49:00
山南敬助はアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の登場人物の一人。
宇宙戦艦ヤマト三代目艦長。
沖田十三、土方竜の後輩に当たり、宇宙戦士訓練学校の校長を勤めていた。
訓練学校校長で古代や島などの恩師に当たる、
宇宙戦士訓練学校ってのも、すげぇネーミングだなw
529 :
日本@名無史さん :05/03/09 03:36:49
山南=桜田説とても興味深いですね
ただ山南の筆跡が何処にも残ってないようで
(年賀状も写し・友人に残した漢詩も確か写し)
彼が小野派一刀流であれば名簿(と言っていいのか)
に名前を記入した物が唯一の山南の筆跡という可能性が高いのですが、
そうなると桜田説はもう行き止まりになるのでしょうか?
530 :
日本@名無史さん:05/03/09 06:25:51
永倉の残した回顧録だって、「生き残った者の特権」で都合良く自分を美化している可能性大
第3者的資料(葬られた寺に残る資料や言い伝え,屯所の近所に住んでる人の日記とか)によると
「なんらかの理由で切腹したと聞いた」
「当日は朝から大勢での物々しい出動があった」
とのこと。
そこから「脱走→切腹」説が出たのだろうし。
さらに言えば「不名誉な死に方 → (彼と隊の名誉の為に)切腹死として処理」
という説も成り立たない訳でもない。
小説家によっていろいろ脚色できる余地があるからこそ新撰組ネタというのは繰り返し
何度もいろんな創作者に取り上げられ、今なお人気を保っていると言える。
531 :
日本@名無史さん:05/03/13 10:18:58
浪士組の名簿も直筆じゃない?
北辰一刀流の名簿かなんかで桜田敬助の筆跡を
調べれば山南=桜田が成り立つか
分かるかもしれん。
処で新撰組の魅力って何?
やってた事はゲシュタポと変わらないと思うが……
533 :
日本@名無史さん:05/03/13 23:23:06
>>浪士組の名簿も直筆じゃない?
だとすると年齢は三つ若いことになりますね。
ただアレは何となく皆殆ど同じような筆跡に感じたのですが。
私も筆跡とかに詳しくないのでいい加減な感想ですけども。
534 :
日本@名無史さん:05/03/14 18:33:05
>>533 字がうまい人がまとめて書いたって可能性も?
今でも「俺のも書いといてー!」とかあるし…。
字が書けない人もいたかもしれないしなぁ。
他に手がかりないかねぇ…。
535 :
日本@名無史さん:05/03/15 19:40:57
全国の山南さんの戸籍を調べるっきゃない!
536 :
日本@名無史さん:05/03/15 20:36:26
537 :
日本@名無史さん:05/03/16 01:34:52
上のサイトさんにうまくいけないので何が書いてあるかわからないのですが
『山南』はありました。図書館で調べると
『山南』→さんなん・やまなみ・やまなん・やまみなみ
↓氏名について親切なサイトさんで検索したところ件数が非常に少ないです。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~suzakihp/index.htm なので並みの名字よりも戸籍が調べ易く、なんか出てくるとは
思いますが研究者の人たちが何も答えを出していない所からすれば
多分、家紋が違うんではないかと。
ところで以前、石川氏の所領だった角田市に山南姓が多く
見られるとコチラで見ましたがその山南の家紋は
どういうものかわかる方いらっしゃいませんか?
538 :
日本@名無史さん:05/03/16 21:27:16
>>537 「山南」じゃなくて「山並」となってたんじゃ?
この話の真偽は未確認ですが、興味深いですよね。
山南姓も珍しいですけど、山南家の家紋と
言われている立ち葵もかなり珍しいものなんです
よね。仙台藩に確か同じ家紋の家が
あったように思うのですが…??
539 :
日本@名無史さん:05/03/16 21:34:21
介錯は沖田(つ_+)
540 :
日本@名無史さん:05/03/16 23:33:35
>>532 >やってた事はゲシュタポと変わらないと思うが……
少なくとも新撰組より先に「人斬りで時代を変えよう」としてた奴ら(勤王党とか)が京の街に
暗躍してて、中には「攘夷金」と称しながら単に商家から金品を強請り盗る輩も増えていて、
それらの取り締まりの為の実力組織だから思想弾圧集団のゲシュタポとは似ても似つかない。
541 :
日本@名無史さん:05/03/20 15:47:27
新撰組も商家から返済する気ない金を借りまくっていたけど?
治安維持のためには仕方ナシ…ですか?
あの〜
新選組そのものについて語るのはスレ違いでは…。
543 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 12:14:10
その通り。そんなことより山南姓について調べたまえ。
544 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:40:50
>>538 それはたしか本多家。山南と同じ立葵だったと思う。
山南家は本多家の陪臣だったとも考えられるな。
545 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 14:47:00
新撰組はカルトなテロ集団を取り締まった特殊治安部隊
546 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 15:11:09
本多敬助か?本多三郎?
547 :
日本@名無史さん:2005/03/23(水) 16:54:51
それって八木為三郎談とされる話だよな。
子母澤の著書だし、あやしいんじゃない?
548 :
日本@名無史さん:2005/03/27(日) 18:35:51
兵庫に山南町ってあるね
549 :
日本@名無史さん:2005/03/28(月) 00:47:02
550 :
日本@名無史さん:2005/03/29(火) 18:09:06
3月20日は山南さんの命日でした。
てす
552 :
日本@名無史さん:2005/04/09(土) 14:59:52
大河で山南ファンになった連中は健在か?
生きてますが何か?
生きとるで
555 :
日本@名無史さん:2005/04/11(月) 20:09:32
アンタらなかなかやるやんかw
556 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 17:43:37
健在。
思い出しては見に来てる。
恐山行って、直接憑依した山南さんに尋問すればええやん?
山南の写真まだ〜?
559 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 21:02:12
560 :
日本@名無史さん:2005/04/26(火) 22:53:49
積極的に研究すすめましょう!!!!
561 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 00:44:45
>>558 ??
以前に話題に上がった桜田さんの写真のことでしょうか?
私も調べ物を進めたい気持ちでしたが当分の間
余震を気にして図書館にはいけません
562 :
日本@名無史さん:2005/04/27(水) 18:47:38
北辰一刀流について調べてみるといいですよ!
桜田桜麿も桜田敬助も北辰一刀流では
そこそこ有名な人物らしいので何か新たな
発見がある可能性があります。
写真についてはちょっと分かりませんが…
私も時間がある時に調べてみます!
563 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 11:13:39
564 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 16:19:41
>>563 「やなみなみちょう」だよな?山南姓の人いる?
565 :
日本@名無史さん:2005/04/28(木) 16:20:11
>>563 「やまみなみちょう」だよな?山南姓の人いる?
566 :
563:2005/04/30(土) 11:25:35
>>564 『さんなんちょう』です。
山南先生は『さんなん』って読むって聞いたんやけどホンマ?
567 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 18:00:09
>>566 三男、三南っていう記述が残ってて「さんなん」と読んだのでは
と言われてるみたいです。
568 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 18:16:11
山南は新撰組にとって相当不都合な人物だったのでは。
彼がいなくなった後、実際に新撰組は傾き始めているし・・・。
>>522じゃないけどもし組織の壊滅が目的で入隊したとしたら
その他の組織にも潜入した可能性があるように思う。
569 :
566:2005/05/02(月) 11:56:14
>>567 ありがとうございます。一つ勉強になりました。
570 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 15:02:09
おまえらちゃんと去年の大河ドラマ見てから書いてるんだろうな。
あの山南さんがそんなダメ男だったり汚いまねをするわけないだろうが。
いい加減な想像で勝手なこと書くな。
571 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 20:17:39
山南さんって藤原知信とも言うんですよね。
とすると奥州藤原氏の傍流で、次男だったために家を継がずに江戸に出てきた
ということもあるのではないでしょうか。
572 :
日本@名無史さん:2005/05/02(月) 20:18:44
山南さんって藤原知信とも言うんですよね。
とすると奥州藤原氏の傍流で、次男だったために家を継がずに江戸に出てきた
ということもあるのではないでしょうか。
574 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:23:08
>>570 堺雅人の山南が好きなら大河板に行けアホ
575 :
日本@名無史さん:2005/05/03(火) 22:33:22
>>571 「山南敬助藤原知信」の藤原は本姓で苗字ではないよ。
>>571 藤原という姓は武門の流れの家は好んで
使用したのでめずらしいものじゃないんですよ。
沖田と近藤も藤原だったんじゃないでしょうか。
577 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 00:04:32
>>573>>574 ネタに決まってるじゃん……
でも良スレほどネタや煽りに引っかかるという法則が2chにはあるような気がするので、
馬鹿にする気は毛頭ない。
そんな俺は大河からの生き残り組。
俺も大河で山南のことを初めて知ったんだが(以前は新撰組自体興味なかった)
今は山南が史実ではどのような人物だったのか知りたい。
579 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 10:58:58
家紋が同じっていう本多家をちょっと探ってみよか?
580 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 18:45:21
山南は色白のデブだったらしいな。
有名人にたとえるなら岡田斗司夫みたいな容姿だったんだろう
立葵だっけか
582 :
日本@名無史さん:2005/05/04(水) 23:15:11
別にデブとは言ってないだろ。
家紋は「丸に立葵」だったよな確か。
583 :
日本@名無史さん:2005/05/05(木) 00:23:23
『太め』という話を良く持ち出す方がいますが
どこに出ている話なのでしょう。
出所を知りたいのですが、ご存知の方いますか?
八木さんの息子さん(ウロ覚え)談では
やや小柄、愛嬌のある顔、色白、の三点だったと
思うんですが・・
584 :
日本@名無史さん:2005/05/06(金) 12:23:46
今更だけど、大河では介錯した後も近藤たちの目線が高いままだったな。
と言いつつちょっとあげ
585 :
日本@名無史さん:2005/05/11(水) 22:38:24
DVD第二集のおまけ、未放映シーン中の
会津の広澤様に怒られる土方・山南両副長の場面、
二人とも紋付の羽織着てるので
ものっそい目を凝らして+ズームで見てしもた、
たしかに丸に立葵だった。
本多家周辺の御紋だったみたいだけど名前が偽名ってところを見ると
家紋は大きなヒントになるのかな。
まさか光縁寺の住職にまで嘘ついてたってことはないよ……ね?
586 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 15:30:42
587 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 15:35:30
合気道というのは大東流柔術の流れをくむ武術だそうだ。
つまり桜麿呂は柔術がつかえた!
588 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 18:59:03
>>587 「三南三郎は柔術の高手」っていう西村兼文の記述と合致するね
桜麻呂の流派はわかんないの?
589 :
日本@名無史さん:2005/05/19(木) 17:22:39
ゴメン、わかんないw
590 :
日本@名無史さん:2005/06/04(土) 19:29:16
揚ゲ
591 :
日本@名無史さん:2005/06/23(木) 13:43:56
誰もこねぇなぁ…
ろmはしてるけどな
ひところ、まとめサイトでもつくろうかなーと思ってたけど
どこから手をつけてどうまとめればいいのやらって感じでもう。
今更山南さんの呼び方を『さんなんさん』に変えることなんてできない…
595 :
日本@名無史さん:2005/06/28(火) 18:32:06
>>593 出生から切腹までまとめてみたらいいさ!
596 :
宇津木太:2005/07/10(日) 01:23:04
私が腹を切ることで新撰組の結束は固まる。永倉君、あなたには局長を見届けて欲しいのです。そして、原田さん。新撰組はいつか苦境に立たされる。その時にあなたの底抜けの明るさが必要なのです。
597 :
宇津木太:2005/07/10(日) 01:24:18
声をかけるまで待つように。
598 :
伊東甲子太郎:2005/07/10(日) 01:26:09
見事な切腹でした。
599 :
近藤勇:2005/07/10(日) 01:27:08
新山者のあなたに何が分かるというのだ!?
600 :
原田左之介:2005/07/10(日) 01:28:48
戦じゃなあ・・・躊躇った方が負けなんだよ、先生。
601 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:52:30
切腹さん
>>599 多摩訛りの近藤なら
「新参者のてめえぇに何が分かるってんだぁ?」
だろ
とりあえず下げとこう
>>602 多摩出身でない者に多摩弁で言うほど無分別でもないだろう。
605 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 10:40:42
>>562 北辰一刀流ではそこそこ有名な人物・・って、門下生1千とも3千とも
言われているなかで、幹部にも取り立てられていない山南(さんなん)が、
千葉塾で評価される腕前を持っていたはずがない。
さんなんも近藤たち同様に真剣でのテロが得意な程度の剣客だ。
本多家ってんでやふーで検索してみたら
本多正信からずらーっと現当主まで名前を載せてるサイトがあった
それはいいのだが、そこにいっしょにスキャンした花押が載ってて
その花押の原本を所有しているのが札幌の“土方さん”だというのでちと驚いた
いやもちろん、新選組副長の家とは無関係なのだが。
>真剣でのテロが得意な
それこそ本物だろ(藁
608 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 08:30:10
>606
GJ!
609 :
日本@名無史さん:2005/07/12(火) 19:48:15
近藤は「三男」と山南の名を当て字していたから「さんなん」と呼んでいた
らしいが、さんなんの晩年は、ある戦闘で重傷を負い、その後の取り締まり
に参加させて貰えず、引きこもりのノイローゼだったらしい。
それで近藤たちが詰め腹を切らせ、脱走→切腹の美談に仕立て上げた。
611 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 18:33:51
>>610 ソースという程でもないけど
●文久4年2月に富沢忠衛門が屯所を訪ねた時に山南が病気だから
って言って見舞いも断った。
●文久4年1月に盗賊と斬り合いになって左腕を負傷。
この怪我を大怪我とする説と微傷とする説があるけど、>609は大怪
我と解釈して後半は妄想か小説か何かの影響なんじゃないかとオモタ
>>611 病気をノイローゼと定義する根拠がないから、ちょっと弱いね。
富沢忠衛門一人に会わなかっただけで「引きこもり」とされてしまうのも
なんだかかわいそうだな。
>>612 多摩からわざわざ上京した富沢氏の見舞いを断るという所から判断
するに、精神か怪我の具合かは分かりませんが、あまり良い状態で
はなかったのかなぁとは思いますけど、確かに推測の域は出ていま
せんね。
他に会えない不都合があったのかも知れないし。
ちなみに私は>611ですが>609とは別人ですよ。
614 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:29:57
>>613 富沢氏の見舞いを断ったのが土方か近藤で、もちろん本人は姿を見せてない
こと、文久4年1月以降、自刃まで山南(やっぱりさんなんと読むらしい)
が取り締まりに出動していないこと、また近藤や伊東ら自刃に居合わせた
少数の幹部が、周囲が奇異に思える程「見事な切腹」と言って回ったこと
が、大怪我→ノイローゼ→詰め腹 派 のロジックだ。
ほど「」
615 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 21:56:36
大怪我→ノイローゼは分からないでもないが、そこから詰め腹に
発展するのがイマイチわからぬ
>>614 >富沢氏の見舞いを断ったのが土方か近藤で、
んなこと、富沢日記には書いてないぞ。
それに、富沢忠衛門は沖田や井上や藤堂なんかとも会っている。
だいたい、ノイローゼの人間が年賀状とか書くのか?
山南が多摩の小島鹿之助に年賀状を送ったのは、富沢上洛の3日前だぞ。
去年の江戸博でも展示されてたぞ。
617 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:41:07
>>616 ノイローゼでも年賀状は書くよ。
でも何故、山南は富沢に会わなかったのか?、または、
会えなかったのか?富沢はずいぶん長く京に滞留していたはずだ。
618 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:43:48
やっぱり幹部が剣も使えない怪我あがりで、精神的に不安定だったら
手下どもにも、スポンサーの会津にもまずい。
てんで、脱走・切腹と強引に理由付けして詰め腹だったのだろう。
実は嫌っていたとか
620 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 22:55:17
>617
毎日、屯所を訪ねた訳ではないんじゃない?
ところで山南さんが脱走したくなった理由って↓以外でどんな説
がありますか?
(1)本願寺イクナイ!
(2)思想的に合わなくなってきた
(3)怪我で鬱
(4)伊東加入で知性派としての立場が微妙になってきた。
(5)伊東の尊皇に同調しつつも新撰組を裏切れない。
621 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 23:00:01
だから脱走したんじゃないって。
脱走を否定できるソースはあるの?
近藤の責めが激しく脱腸になっちゃったんだよ
またヤオイネタか・・・
625 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 01:08:25
ノイローゼなんて山村竜也が言い出したことだよ。
そんなの真に受けてるのか?
年賀状が書けるってことは、手は使えるってことだよ。
でも、人に会えないってことは、精神病というより、外見の病だったと
考えるのが妥当だろ。
ま、性病だな。
芹沢も性病で自暴自棄になってたしな。
松本良順も性病患者を屯所で見たと記録しているから、
隊士には性病が多かったんじゃないか?
性病だと恥ずかしいから、「見事な切腹」と触れ回ったんだろ。
626 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 07:50:27
この時代、性病が恥ずかしい病気って概念は今よりは薄かったと
何かで読んだ事がある。
627 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 09:33:50
いつになく回ってるな。
628 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:19:25
>>625 たしかに新撰組では梅毒が多かったと良順は記録していたが、知人に合えな
いほどでは短期間にならないだろう。坂本竜馬も普通に暮らしていた。
やはり
>>618のように腕が切り落とされる位の大怪我で、自暴自棄になって
詰め腹という方が理解できる
629 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 11:27:42
腕を切りおとされる程の大怪我はないと思う。
その後、盗賊が入った屋敷の主人からお礼に刀を貰ってるし。
武士として再起不能な人に刀を贈る程、無神経な人はいないだろう。
腕が切り落とされていたら、どうやって年賀状を書くのか?
筆を口に加えて書いたとでも?
631 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:12:53
怪我したのは左腕だよ
632 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 14:22:08
山南と藤沢の接点てのは分かってるのか?
634 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 11:39:38
藤沢でなく富沢だわ。すんません。
635 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 13:50:22
>>629 お礼の刀も山南が直接受け取ったものでなく、新撰組隊士を通したもの。
直後に怪我の状況がその主人にわかる訳がない。
頭脳でなく体で動く新撰組の幹部として、戦闘不能な状態はいわば足手
まとい。山南がノイローゼはまだしも、滅入った状況は理解できる。
首吊りでもしたのを武士らしく切腹としたのではないか。
636 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 14:52:29
>>632 多摩の出稽古の時にでも知り合ったんジャマイカ
>>635 佐藤家の伝承では盗賊が入った鴻池の主人に招待されて刀を〜って
話になっている。
637 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 19:02:25
>>620 伊東とは対立というものはなく、むしろ山南は伊東を尊敬し、同調していたので
「知性派としての立場が微妙になった」というのはまずない。
つか単純に近藤らとの対立から芹沢と同様に抹殺されたんじゃ?
>>637 >伊東とは対立というものはなく、むしろ山南は伊東を尊敬し、同調していたので
な、何を根拠にそんなことを?
最近、このスレは電波度が高くなって来ている・・・
他の新撰組スレよりは電波濃度薄いと思うが
ちょっと前まで全然書き込みなかったから、なんとなく嬉しい。
641 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 12:41:12
>>638 資料的には信憑性のない永倉の「新撰組顛末記」にそういう記述が
一応ある。御陵衛士は山南について何も語ってないが、伊東は
山南の死を惜しむ歌を4種も詠んでいることから山南と伊東との間に交流が
あったことが覗える。そのうえ伊東が新撰組隊士を詠ったのは山南のみ。
また「顛末記」の香具師か。。。
おまいの場合、突っ込まれると逃げちゃうから信用ならんのねん
ま、別人だとか言うのかもしれんけど、
だとすると「顛末記」の香具師はみんな似たようなヘタレばかり?
単に、鬱病にかかっただけかもな
>>641 永倉の『新撰組てん末記』に、「山南は伊東を尊敬し」などとは
書いてない。意気投合した旨が書いてあるだけ。
意気投合している事と尊敬している事は別種。
>>637は妄想。
645 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 18:20:06
>>641 土方も山南の歌を詠んでいる。
山南も出自が不明瞭。仙台藩脱藩と言っていたが、近藤・土方との関係
を考えると同じ百姓出身だったのではないか?だからよけいに、近藤や
土方から「見事な切腹」と強調されたのでは。
>>642 >また「顛末記」の香具師か。。。
誰?
647 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 20:49:54
実際に誰から見ても見事な切腹だったから、
そう言ったんじゃないのか?
648 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 21:08:39
あれはどうなった?櫻田説。
もしも事実だったらスパイ小説以上に面白いかと思うが、実際のところは・・・?
山南が逐電していたとしたら、隊の面子丸潰れだもんな。
649 :
sage:2005/07/18(月) 21:26:14
>>644 自分は
>>641じゃないが、顛末記には山南は伊東の議論に
「こどごとく敬服」とかいてあるね。確かに「尊敬」とは
書いていないが、妄想というのは言いすぎじゃないかな。
651 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 14:02:57
>>642 >>641は最初に「信憑性はないが」ということわりをいれてるだろ。
人を馬鹿にするのでなく、ちゃんと自分の考えで言いくるめてみろって。
>>650 主旨は同じなんでねーの?そういう議論を展開するその人の考え方とか在り方
に敬服する、ってとらえても問題ないと思うが・・・。
652 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 16:40:28
>>651 >>641の信憑性がないってのは、「顛末記」のことじゃ?
「顛末記」が史料として信憑性がないって言ってるのと違うの?
>>642は「顛末記に依拠して主張する人」は信用出来ないってことだろ。
対称が全然違うだろ。
山南のことに関しても同じで、史料を正確に解釈しようとせずに
解釈者の憶測をさも史料に書いてあったが如く書いて意図的に錯誤を
招くような行為を、何故、擁護するのか疑問。
653 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 19:03:34
>>652 >>641は別に顛末記に依拠して主張してないじゃん!ってことを
>>651は言ってんでしょ。
多分ね。。つ〜か論点ズレてきたから話を戻しましょ。
>>648 桜田説は桜田説でいいんだけど切腹・脱走説にまったく沿わないからね。。。。
なにも書きこみないから進展ないのかな???
654 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 19:59:53
>>647 立派な切腹って何?
切腹のやり方を子供の時に習っていない百姓出身の近藤や土方が
「立派な切腹」と言うこと自体が不自然だし、武士出身者は
みんな「百姓出身が、片腹いたい」と思っただろう。
655 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 20:24:57
>>653 本来、
>>637の
>伊東とは対立というものはなく、むしろ山南は伊東を尊敬し、同調
>していたので
という
>>638が根拠を637に求めた一文で、「顛末記」の内容と一致
するのは「伊東と(略)山南は(略)同調していた」の部分だけで、
「対立というものはなく、むしろ山南は伊東を尊敬し」の部分は、
>>637の推測・憶測だ。この推測・憶測が何から導き出されたものか
637が明記していないから、
>>638に根拠を聞かれたのだろう。
そして、
>>641は638に答える形で、
>資料的には信憑性のない永倉の「新撰組顛末記」にそういう記述が
>一応ある。
と書いている。この「そういう記述」は638が637から引用した
>伊東とは対立というものはなく、むしろ山南は伊東を尊敬し、同調
>していたので
という一文に相当するのだから、結果的に
>>641は637の憶測を補強
しているという事になる。その補強に「顛末記」の名が使われたわけだ。
だとしたら、
>>642が
>「顛末記」の香具師
と言っている「顛末記」に依拠する人には該当するんじゃないのか?
実際に、
>>641は「顛末記」の名を挙げているのは事実なのだから。
>>653が言うように、641は「顛末記」の名を出しても、637を補強した
だけだから、641自身が主張したわけではないというのは、確かに
そうだが、637を補強している時点で意図的に錯誤を招くような行為を
擁護したことにはなるな。
>>654 子供の頃、習ったか習わないか知らないが(多摩の百姓は一般的な
百姓とは違うし)何人も切腹させてるんだから、見事か見事でない
か位は区別つくだろ。
扇子腹じゃないだけでも充分「見事」なんじゃないかと思う。
>>654 武士階級の出自だから切腹の良し悪しがわかるというのは変な論理。
むしろ、切腹の場に居合わせる武士なんて、藩士や幕臣でも稀でしょ。
>>655 新撰組は漫画とか小説とか多くて間口が広いから、
厨が飛びつき易い。
リア厨、リア工のオタやアンチもいるから、史学の基本自体
わかってない人間も多い。だから多少は大目にみてやれ。
>>645 >土方も山南の歌を詠んでいる。
へえ、どんな?
(これで回答が「水の北」の句だったら萎え萎えだ)
何を書くにしても言い切りや断言はやめようよ。
山南みたいにわからない部分が多い人物は、しょせん推理なんだから。
あと、根拠を書かない推理は厨認定されても仕方ないと思うね。
山南さんは今でも生きている
根拠は、漏れがそう思うからだ
661 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 18:47:26
っていうかさ、武士ってのは切腹の作法みたいなのって勉強するの???
662 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 18:49:12
山南敬介?
こんな雑魚チンピラなんて語るなよw
663 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:12:07
>>658 「水の北」の句って山南を詠ったんじゃないの?
664 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 21:13:37
山南の墓へ行ったが貧弱で、とても幹部のものとは思えない。
隣の沖田のめかけと同等だ。やはり新撰組のなかで問題を起こした
からだろうか。
665 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 22:08:47
近藤や土方は明治以後、記念碑的な墓を同志が建ててくれたが、総長・山南
には見向きもしない、されないのは、やっぱり幹部としてまずいことがあった
んじゃないか。
>>663 そう解釈する人もいるというだけだよ。どのみち
上洛前の歌だから、仮に山南を詠んだものとしても
新選組時代の山南と土方の関係を推測する材料には
ならない。
>>645が反論に使ったのは二重に変。
>>664 光縁寺できいたけど山南の墓は昔は二重か三重の台にのっていて
今よりずっと立派だったらしい。
667 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 07:53:17
っていうかまず
>>645の反論自体がおかしくない?
>>641は「伊東が新撰組隊士を詠ったのは」って言ってんだから。
尊王派の山南が新撰組にとってはマズイ行動を起こそうとしたから
消されたんじゃないか。内部告発とかね。
>>667 別に
>>641に対する反論としての
>>645はおかしくないと思うぞ。
>>641は「山南は伊東と仲が良かったんじゃないか」という仮説を
伊東が山南のことを和歌にしている事を元に推測したわけでしょ?
つまり、山南・伊東の親密さの根拠を詠歌に求めているわけだよね。
>>645も同じ論法で「山南と土方が仲が良かったんじゃないか」という
仮説を、土方が山南のことを俳句にしているという事で証明しようと
したわけだよね。歌句に根拠を求めているのは641も645も同じだよ。
問題は
>>645が言う土方が山南のことを俳句にしているという事そのものが
確定していない事。
つまり、
>>658>>663が出した「水の北」の句は山南のことを題材にした句
なのかどうか、はっきりとはわかっていないわけだね。
対して、伊東の場合、山南について詠んだことは確定している。
ただ、歌を詠んだ事のみで、山南と伊東の関係を判断するのは、いささか
強引という気がするので、もっといろいろな角度から推し測ったほうがいい。
これは山南と土方に関しても同じ。仮に「水の北」が山南のことだったと
しても、それだけでは不十分じゃないかな。
669 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 16:26:28
山南が大久保九郎兵衛の門人だった時に手合わせした相手って誰すか?
670 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 19:36:50
中山幾之進の事かな?
671 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 21:22:40
>>668 確かに土方の歌が山南を詠っている解釈は無理がある。
なぜなら、山南は「さんなん」と読む姓である可能性が強く、現に近藤は
手紙で三男と当てている。さんなんと呼ばれる男を、山のみなみ とは
詠まないだろう。
>>668 言っていることはわかるが
>>667のポイントとずれているのでは。
>>667の言いたい事は
>>641は
「伊東が新撰組隊士を詠ったのは山南のみ」と言っているが
>>645の反論は
「新撰組隊士で山南を歌ったのは伊東のみ」に対してのものになっていて
かみあっていないということだろう。
また
>>641は切腹前の人間関係を推測するのに切腹後に山南について詠まれた歌を根拠としている。
>>645は多摩時代に詠まれた俳句を根拠に反論している。
同じ歌句を根拠にしていても多摩時代の俳句で切腹前の人間関係を
推測するのは無理があり、反論になっていない。
>>671 一般論として「さんなん」と読む姓を「山と南」と詠み込むのはありだと思う。
>>672 つーか
>>641が話を混乱させる元凶なんだと思うけどね。
「伊東が新撰組隊士を詠ったのは山南のみ」だからって、
山南は伊東を尊敬していた証拠にはなんないし。
それを言えば、一番の元凶は
>>620を読み違えて過剰反応して
余計なことを混ぜて書いた
>>637ということになるけど。
自分の願望や推測を史実のように書くのだけはやめて欲しい。
まあ、「歴史」自体が、正史であれ稗史であれ、「人の手になる記録」だから
実は文学との線引きが難しいものなのだけれど、
人物同士の親密度の傍証に短歌・俳句を持ってくるのであれば
それを記録した人物の信頼度であるとか、詠まれた時期であるとか、添え書きであるとか
吟味しなくてはならない要素はたくさんあるってことで。
それを怠るのみならず、詠まれた作品の内容解釈だけで親密度を測るのは
危険極まりない。
……てここ日本史板だから、今更そんなことを断わるまでもないよね。
>>674 正論ですな。
ソース提示を求められて、それが出来ない説は電波や妄想と言われても
ある意味、仕方が無い。これは日本史板に限らない。
文献をソースにして自説を展開する場合にしても、ある部分を過度に
拡大解釈・不当解釈したものだと、その説自体の説得力がなくなる。
あわせてソースとなる文献については史料批判が求められる。
しかも、他文献の傍証が必要。
こういう歴史学的に当たり前のことが出来なかったり、めんどくさい
場合は、最初から「根拠は無いけど、思いついたこと」として語るといい。
そういうカキコも必要だから。
うん。
自分は大河ドラマ板の「山南敬助=櫻田敬助では?」の話題から
こっちに移動してきた組なのですが
そもそもが山南=櫻田説、この説生まれた当初はそれこそ
「(確たる)根拠は(今のところ)無いけど、思いついたこと」だったわけで
そこからそれを裏付けることのできる資料・史料を探し、書き込みし合ってた。
山南敬助はただでも「負けた側」にいた人なので
歴史学的アプローチは難しいから仕方ない面もあるけど
最近、些か語るテーマがちとばらけてるキライはあるように思います。
も少しテーマか、もしくは時期を絞ったほうがいいかも。
山南の切腹のことは、いくらここでケンケンガクガクしても
無駄だという気はする。
どこまでも謎な人ですからねえ…切腹に関することだけじゃなくて
なにからなにまで、ケンケンガクガクしてても無駄っちゃ無駄なんでw
けど、そこをなんとか「もしかしたら○○なんじゃないか」みたいな思いを持つのも
歴史のロマンというやつなのでは。
大河板のスレだったっけ?山南≠櫻田敬助と結論付けられたのは。
ある文献を調べて、生年が明らかに違ったと山南=桜田論者の人が断言してたけど
その文献てなんだったんだろう。
喧々囂々 【けんけんごうごう】
侃々諤々 【かんかんがくがく】
仲裁に山岡鉄舟まで駆り出された
山南v.s.村上俊五郎の騒ぎって具体的に原因が何だったのかって
わかってるんだろうか
しかも村上のほうから詫びが入ったって
682 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 18:11:14
>>678 桜田敬助が生まれた年はおそらく亡くなった年から逆算したのでは。
それならわりと簡単に分かる。
683 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 19:22:07
>>678 この時代の人って年を誤魔化すことが屡々あったらしいよ。
永倉もそうだし。
684 :
日本@名無史さん:2005/07/23(土) 20:35:05
そうっすね。年齢の差だけで山南≠櫻田って結論付けるのはまだ早いと思うよ。
685 :
日本@名無史さん:2005/07/26(火) 21:23:05
>>681 顛末記と始末記でしか見た事ないから微妙だけど、
顛末記では芹沢のかわりに小頭になった山南に村上が文句つけて
口論になった。
始末記では村上が偉そうにしてるのが気に入らず山南がちょくちょく
喧嘩を売った。
って事になってる。
まぁ、顛末記と始末記だから本当の事かどうかは分からないけどさ。
686 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 15:05:00
保守
687 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:42:11
>>666 光縁寺できいたけど山南の墓は昔は二重か三重の台にのっていて
今よりずっと立派だったらしい。
・・って、じゃ誰が貧弱にしたんだ?それに沖田のめかけと同じぐらい
の建坪だから、立派だったってことは他の場所にあったのか?
688 :
日本@名無史さん:2005/07/29(金) 20:43:08
だからノイローゼで詰め腹切らしたのだから、幹部といっても
貧弱な墓になるの。
>>687 中途半端なマジレスしますが
以前よりもお寺の敷地が狭くなっているので
隊士達のお墓自体を引っ越してると聞きましたが。
本来あった場所は今では電車通ってるので
はなかったですかね?私もウロオボエですけども。
敷地縮小でも彼らの墓石とかちゃんとあるんだから
そんなに悪い待遇とかではないと思いますよ。
691 :
日本@名無史さん:2005/07/31(日) 14:01:43
山南も小説・ドラマのおかげで繊細な学者肌と思われているが、
芹沢暗殺含めて新撰組当初の戦闘のほとんどに加わり、大いに殺戮を
していたことを見ると、極めて攻撃的な性格で、とてもドラマで
原田に詰られるようなひとではなかった。
693 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 18:31:55
>>690 墓の引越しにしてもそっくりそのまま移動できなかったの?
という感じする・・・・。
694 :
日本@名無史さん:2005/08/02(火) 19:07:06
元寇の防塁を作るために無縁仏の墓を使ったのは有名な話。
山南さんの墓もそれに使われたのでは?
>>693 石も重いですからねぇ。
そこら辺はなんとも。
696 :
日本@名無史さん:2005/08/04(木) 21:07:29
>>694 何に使われたかは知らないが、使われる程度の扱いの墓だったのか。
何かに使われてないとしても、沖田のめかけと同程度の墓石では、
とても新撰組総長の扱いではない。特に近藤らが絶賛した切腹で死んだ
のであれば、もう少しまともな扱いではないか?
死んだ原因に理由がありそうだ。
マジレスするところなのかな・・・
一応ね。墓が移動されたのは戦後。光縁寺がしたの。
幕末当時の新選組における山南の地位とは関係ない。
沖田氏縁者の墓と比べるのはナンセンス。段があるなしで格は全く違う。
それに縁者の墓ができたのは幕末ではない。
過去帳に沖田氏縁者とあるのをみて光縁寺が墓石をつくった。
というか、沖田氏縁者が沖田のめかけだという証拠はない。
沖田総司の関係者であるかどうかの証拠すらない。
ついでにいえば近藤らが絶賛したというのも確実な根拠があるわけではない。
>>694 元寇防塁って鎌倉幕府が文永の役のあと慶長の役までに作ったものでしょ。
なんで江戸幕府末期の山南の墓が使われるのよ?
しかも京都から北部九州にわざわざ運ぶんだよ!
おまえ、もうめちゃくちゃw
ちょっとは歴史勉強しろ。
ほんとにここは日本史板ですか?
701 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 21:32:37
>>699 他の新撰組スレに比べたら、かなり日本史板らしい
流れの時もある。
702 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:06:32
池田屋事件時どうしてたのか知りたい。
試衛館メンバーで褒賞金にありついてないのはこの人だけ。
703 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:28:07
>>702 ・屯所を守ってた
・体調が悪かったので休んでいた
のどちらかじゃないかと思います。
当日、体調不良で休んでいた隊士が多かったらしいので後者が有力。
704 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:29:05
705 :
日本@名無史さん:2005/08/08(月) 23:40:45
>>702 病気でお留守番してました。
暑気あたりというのが通説です。つまり、夏ばて。
当然褒賞金はもらえません。
この人、三瓶みたいな体型だったんでしょ?
707 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 17:01:49
>>702 だからその前の出動で左腕に大怪我を負い、戦闘不能となっていた。
“使えない”新撰組隊士でしかも幹部だった山南は隊内で批判を浴び
だしてノイローゼとなり、詰め腹切腹の憂き目に至った。
近藤、土方は幹部の精神病をスポンサーの会津藩に隠すべく、脱走と
して「立派な切腹」と賞賛した。
>>707に補足すれば、山南が負傷した事件は岩城升屋事件と思われる。近藤がわざわざ山南の血刀の押し型を作って日野に送ったんだけど、その折れ方の酷さから最近では、負傷した山南がノイローゼになり自刃したって説が有力。
まぁ死に方には諸説あるがね。
酷いのになると、伊東と結託した末に江戸に戻っていた藤堂に会いに行こうとした所を土方が脱走と難癖を付けて殺そうとした。なんてのもある。
>>707 現場で討ち死にしていたんじゃないの?
新撰組の総長が討ち死にではまずいと思った近藤・土方が、
切腹として会津に報告した。
北辰一刀流の遣い手が盗賊に討ち負けたとあっては新撰組の名に
傷が付くからね。
ますます妄想スレ化しているな…
>>709 妄想と決めつける前に勉強してから物を言え。阿呆が。
>>710には、矛盾が多いな。新撰組において戦死は名誉である事が多かった。いくら無様な死に様だとしても、その死に様をねつ造すれば良いだけの話。
それに山南が死んだとされる日は、岩城升屋の事件から月日が経ち過ぎてる。永倉独りが晩年に語っただけならまだしも、同時代に西本願寺の西村氏なども記しているのだから、死亡日時のねつ造は出来ないと思われ。
713 :
日本@名無史さん:2005/08/14(日) 17:36:27
ここは史実と妄想の境目が分からないアフォが多いから712みたいな真摯に史実の山南について語る人は不快な思いをするだけ
大河イメージに振り回され過ぎの厨は史実の山南に目が行ってナイ
>>712 史学を勉強した人間なら、ここが妄想スレであることぐらいわかるはずw
史料から考察=妄想
的に決めつける人間の方こそ史学の研究の仕方を学んでない証拠だから
>>714がおよそ史学を修めた人間には思えないけど。
>>712みたいな人はこんなクソスレじゃなくて別の所に行けば良いよ。
>>1の勤王志士って表現も微妙なトコだし、
山南を語る人=大河ヲタ=腐女子=史実を知らない馬鹿
的な発想で何でも叩く奴がここには居るんだから。
まぁ実際妄想に過ぎない事言う腐も居るし、ここは日本史板にも関わらず史学の心得がある人の発言は厳禁ですね。
716 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:34:22
>>715 こうさつ かう― 0 【考察】(大辞林)
物事を明らかにするために、十分に考えること。
こう‐さつ〔カウ‐〕【考察】(大辞泉)
[名](スル)物事を明らかにするために、よく調べて考えをめぐらすこと。
もうそう まうさう 0 【妄想】 (大辞林)
1 〔仏〕 精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断。妄想分別。
2 根拠のない誤った判断に基づいて作られた主観的な信念。
分裂病・進行麻痺などで特徴的に見られ、その内容があり得ないもので
あっても経験や他人の説得によっては容易に訂正されない。
もう‐そう〔マウサウ〕【妄想】(大辞泉)
1 根拠もなくあれこれと想像すること。また、その想像。
2 仏語。とらわれの心によって、真実でないものを真実であると誤って考えること。
また、その誤った考え。妄念。邪念。
3 根拠のないありえない内容であるにもかかわらず確信をもち、事実や論理に
よって訂正することができない主観的な信念。精神病の症状としてみられ、
内容により誇大妄想・被害妄想などがある。
取り合えず下げよう。
718 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 00:50:14
要するにこのスレのカキコが
「物事を明らかにするために、十分に考えたこと」
に合致するのか、
「根拠もなくあれこれと想像したこと」
に合致するのか、
その判断が読む者によって違っているというだけだ。
カキコしている本人は「物事を明らかにするために、十分に考えたこと」
だと思っていたとしても、それを読んだ人間が「根拠もなくあれこれと
想像したこと」であると判断する場合もあるだろう。
その逆も然り。
史学の手法うんぬん言うのなら、根拠を提示していなければ、
「根拠もなくあれこれと想像したこと」であると読み手が判断を下した
としても読み手を批判するのは御門違いだ。
719 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 12:24:09
もういっそ妄想オンリーで
720 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 12:51:01
つまり「妄想」と「考察」は紙一重なんだし
お前のは妄想だ、なんて言い合ってもきりがないと思うが。
大体新選組っていう存在自体が、独り歩きしてて色々と創作され過ぎてる面があるからね。(まさか銀魂やピスメなんかの糞漫画を鵜呑みにしてる馬鹿は居ないにしても)新選組ファソとか言ってる人間でも、司馬や子母澤の創作を鵜呑みにしてる人はいるし。
ここに書き込んでいる人の中でも、山南の死に言及されている史料が今のところ幾つ発見されててそれぞれ何処が違うかなんて言える人は少ないと思うよ。
一部のファソの中途半端さゆえに新選組関連スレは、日本史板でも若干疎まれているというかね。
722 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 16:06:08
>>720 紙一重じゃないだろ。
そんな認識なら、学術板じゃなくて三戦板の幕末版みたいな板でも
作ってもらって、そこで延々とすきなことを書いてりゃいい。
このスレッドで妄想認定されているレスを読んでみると、
それぞれ御指摘ごもっともと言える部分があるぞ。
例えば、
>>907の
>山南がノイローゼになり自刃したって説が有力。
なんていうのは、ノイローゼ説自体は聞いたことがあるけど、
それを有力だと書いているのは、初めて読んだな。
有力と言うからには、新選組や幕末史の研究をやってる人達の間では
山南はノイローゼにより自刃という説が最も受け入れられているってこと
なんだろ?又は研究者の誰かが山南がノイローゼだったことを証明したとか?
自分は有力だというのは初耳なんで、
>>908に何で有力と言い切れるのか
その根拠を聞いてみたいと思ったよ。
それが妄想じゃなくて、史料からの考察の結果だというなら、怪我や他の
病気じゃなくノイローゼなんだ!という結論を導き出すことができた史料は
何なのか教えて欲しいよ。
>>722 山南ノイローゼ説は、山南自刃説の過程で出てきたんだよ。だからノイローゼ(鬱)説に直結する史料は無いけど、ノイローゼであっても不思議じゃなかったってのが正確なところだと思う。
永倉が後年に語った『山南脱走→切腹』っていうのは『新撰組顛末記』にのみ記されていて、もっと早い時期に発表された『浪士文久報国記事』には書かれていない。
しかも同時代人による山南の死を巡る記録を見ても、小島鹿之助『両雄士伝』・西村兼文『新撰組始末記』・梧菴『鬼録』にはいずれも脱走の文字は無い。
(全て『自服』『自刃』または『近藤故あって切腹させる』の様な表現のみ)
以上の事と合わせて岩城升屋事件以降、病に伏せていたという記録(多摩の富沢政恕などによる)もあるから、『山南の負傷→鬱病→自刃』が最近言われる様になった。
まぁ私も有力になってるのは鬱病自体じゃなくて自刃についてだと思うけど。
因みに鬱病説は山村竜也氏なんかが仮説を提唱してるから、読んでみる事を勧める。
724 :
722:2005/08/15(月) 17:55:51
>>723 山村がノイローゼ説を言い出したのもわりと近年だぞ。
有力というからには、山村一人が言ってるだけじゃだめだろ。
しかも、山村もこの説に関しては推測としか言ってないはず。
更に言えば、富沢政恕が記した"病"っていうのが、何でノイローゼになるのか、
そこが肝心の部分だろ?
そこが全く史料がないんじゃ、妄想と言われても仕方ないんじゃないかと。
そこは史料がない以上、史料からの考察とは言えない。
なのに、妄想と言われて阿呆とかアフォとか罵倒・中傷に走っているようじゃ、
どう仕様もないな。
妄想と言われて、妄想じゃない!という確固たる自信があるのなら、
罵倒・中傷に走らずに、ちゃんと反論すればいいのに。
妄想ではないという事を論理的に実証しないで罵倒に走るようでは、
反論ができないのと同じことになってしまう。
反論できないという事は、妄想だと消極的に認めているのと同じだ。
そういうのがわかっているのか、激しく疑問なんだな。
725 :
723:2005/08/15(月) 19:49:55
>>724 根本的に勘違いされてるから言うけど、私は
>>708じゃないっす。それに私は山村竜也氏の論説に関しても"仮説"って言ってるし、ノイローゼ説より自刃説自体の有力性って言ってる。
別に
>>708を弁護する気は毛頭無いけど、決めつけられるのは不快だな。ちゃんと読んでくれ。
726 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:13:03
岩城枡屋以来、病に伏していたのなら、伊東加入時にはもう役立たずのお飾り
だよね。
しかし伊東が山南を惜しむ歌詠んでるくらいだからなあ。
まあ脱走てのは怪しいと思うけどね。
727 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 20:28:28
風雲幕末伝てゲームじゃ伊東の暴走を止めるために山南が死ぬんだよねぇ
あっ、史料なんかの根拠を出せとか言わないでねw>724
728 :
722:2005/08/15(月) 21:02:10
>>725 決め付けてないのに、決め付けてると言われるのも困るな。
6行目を読んでみ。
「妄想と言われても仕方ないんじゃないかと。」という書き方が
表すように、基本的に賛同の意を募った書き方をしているわけだ。
>>723が
>>708だと決め付けているのなら、「妄想と言われても
仕方ない。」と書くだろうな。
729 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:08:34
あたかも
>>723が誹謗中傷してるような言い方しとるやん
>>723は親切にノイローゼ説支持とのパイプラインとして話してるのになー
>>724は決めつけ乙
730 :
日本@名無史さん:2005/08/15(月) 21:39:03
まぁ正直なトコロ
あんた方の議論はどうでも良い
731 :
722:2005/08/15(月) 23:16:59
>>729 具体的
>>274のどの部分が誹謗中傷で、どの部分が決めつけなのか?
それは言えないのか?
>
>>723は親切にノイローゼ説支持とのパイプラインとして話してるのになー
>>723は
>>722の質問に対しての具体的回答はまったくしてないぞ。
だから、
>>722は
>>708に対する疑問点を表出したのにも関わらず、
その質問に対して
>>723が返答出来ていない以上、723を
>>722が
708だと思うわけないじゃないか。
もし723が708と同一人物なら、722の質問に答えられるはずだろ。
答えられていない723のレスを前提に
>>724は書かれているのに、
どこで決め付けているっていうんだ?
732 :
722:2005/08/15(月) 23:38:01
1・有力と言うからには、新選組や幕末史の研究者間では 「山南はノイローゼ
により自刃」という説が最も受け入れられているということか?
>>723のレス:受け入れられているとも、受け入れられていないとも答えていない。
つまり具体的には、この質問には回答していない。
2・又は研究者の誰かが山南はノイローゼだったということを証明したのか?
>>723のレス:証明したとも、していないとも答えていない。
ノイローゼ説は山村竜也の仮説であると紹介したのみ。
3・なぜ有力と言い切れるのか
>>723のレス:回答なし。
有力になってるのは鬱病自体じゃなくて自刃についてだと思うと、
有力視されているものは別の事項だろうという推測を披露。
4・怪我や他の病気ではなく、ノイローゼであるという結論を導き出せた史料
は何なのか ?
>>723のレス:該当する史料名の回答なし。
この状態で、何で
>>723が
>>708だと思うのか、逆に聞きたい。
どうでもいいけど、妄想を妄想と指摘されてキレる奴がいるからスレが混乱するのw
>>733 いや、国語力の問題が混乱の原因でしょうな。
文面にないことに対して文句を言ったり、助動詞の使い方が変だったり、
不適な単語を使っていたり、推量や伝聞という形式を用いずに
自分の考えを断定調で述べてしまうが故に妄想の烙印を押される。
考えが浮かんでも、それを論理的に文章として構築して提示する力が
ないので、誤解を招く書き込みが頻発するのでしょうな。
>>722 君の屁理屈はもう良いから。(´・ω・)ノシ
既に
>>732の書き込みなんかはかみつく相手を間違ってるよ。誰もそこまで突っ込んで知りたいとは思ってないハズ。2ちゃんなんか所詮は便所の落書き。専門家の集まりじゃない以上、満足出来ないなら他に行けば宜し。
ガイシュツだけど新撰組自体が創作され過ぎていて厨が群がるジャンルになりかけている側面を認識しないのも非常に幼稚だよ。
>>708が発言しない以上、事態を一旦収集させようとフォローした人間にこれ以上かみつくのは良くない。もう"そういう説もある"って事で良いじゃないか。
…と思うよ。
それよか岩城升屋の史料が気になる。
異聞録しか今のところ無いの?
>2ちゃんなんか所詮は便所の落書き。
だから妄想と言われて逆ギレするのもおかしいってことw
737 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 17:24:04
史学研究も結局
通説から妄想→史料を漁る→修正→妄想→史料→修正→論拠を明らかにして立証
みたいな流れを辿るんだからここは最初の妄想で止まってるスレで良いじゃん
所詮ここで妄想披露してるのなんか801板の大河スレ追い出された残党だろ?
早く秋になればいいな。
740 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 20:27:45
まあしかしこれまでの流れから、「ノイローゼ→詰め腹」の方が、「路線
対立→脱走」より説得力がある。山南自身も芹沢暗殺はじめ取締りの出動を
繰り返した経緯や、単に北辰一刀流にいたらしい程度の情報から、「尊王
攘夷へ新撰組を路線変更しようとして土方と対立した」なんて信じ難い。
妄想云々より脱走・切腹説派には小説以外に説明できるものがあるのでしょ
うか?
>>740 >「尊王攘夷へ新撰組を路線変更しようとして土方と対立した」なんて信じ難い。
ネタ?
新選組は元々尊皇攘夷の集団なんだけどw
今度は妄想スレからネタスレに路線変更?
どうも維新の嵐の影響なのかなんなのか、
佐幕と尊王を相容れない物と考える奴が多いよな。
すくなくとも、佐幕に対立するのは倒幕だよな?
攘夷と対立するのは、まあ、完全ではないかもしれないけど開国だよな?
(開国して富国強兵してから攘夷って考えもあったし。)
743 :
日本@名無史さん:2005/08/16(火) 22:05:07
>>740 脱走・切腹説派というのは、ここまでのところこのスレにはいないだろ。
過去ログをもう一度読もう。
根拠もなく精神病などと言い出して故人を冒涜している連中に対して、
異議が出されているだけだよ。
744 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 13:24:41
>>743 じゃあ
故人を冒涜するな
と山村某に言ってやれ
そんな事言い出したら健全な歴史研究なんか何一つ出来なくなるよ
>>744 健全な歴史研究は根拠や依拠がはっきりしてる
根拠がない妄想は研究とは言えないw
思想はこれです!と明確に打ち出せない組織が新選組だったと思ってた
藩を上げて夷狄を打ち払えー、とか、誰それ先生の思想に触れて、
みたいな団体ではないわけじゃないですか。
747 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 16:45:49
じゃあ結論として、
山村竜也は腐女子と何ら変わらない
さすが新選組!の時代考証だね
って事でこの話は終了
ずいぶん昔の話を蒸し返すようで申し訳ないですが、
>>102の『同方会誌』の参加者が誰か知ってる方いますか?
生き残りの元隊士の参加者が毎回同じだったわけではないので、
その回は誰が参加していたのか調べていたのですが
文章の一部抜擢みたいなものばかりで良く判らないのです。
ご存知の方いらっしゃるのでしたら宜しくお願いします。
749 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 18:27:17
>>744 健全な歴史研究を目指すのなら、2chをやってないで、国会図書館や
地方自治体の資料館へ行って史料を調べて実名で論文を書くべきだな。
それを学会誌や自治体や博物館の紀要とかに投稿することだな。
それが駄目なら、歴史雑誌を出してる出版社に持ち込むとか、
せめて歴史同好会の会誌に載せてもらうとかな。
少なくとも内容自体はどうあれ、山村竜也は実名でその推理を発表している
のだから、姿勢そのものは健全と言える。その推理を批判されたからと
いって、山村が中傷罵倒行為に走ったという話も聞かないし。
山村も自分の推理を皆に「信じろ!」と押し付けているわけではない。
山村の推理を信用に足るとするか判断するのは、その推理を読んだ読者だ。
いろんな説や推理があるのだから、別に選ぶのは山村の推理でなければなら
ない理由はない。あえて山村の推理を選んだのは各自の判断。
自分の判断を批判されたからといって、推理者自体の責任に転嫁するのは
健全な研究姿勢からは程遠いと言えるな。
750 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 19:14:53
>>746 尊皇攘夷の集団という捉え方は最近、松浦玲や宮地正人みたいな
維新史や近代史の学者サイドから提唱されているね。
在野の新選組研究者達の間でも、そういう認識がなかったわけでは
ないけど、松浦や宮地ほどそれを声高に提唱はしていなかった。
新選組研究家はどうしても、商業ベースな場合が多いので、ニーズ
がなければ、あえて新選組の思想面をクローズアップする必要が
なかったのだろうな。
ただ、新選組がまったく思想性のない集団だったら、伊東とかは
入隊しなかったんじゃないかと、個人的に推測する。
土方についても、彼の思想は不明な部分が多いけど、井伊直弼の死に
関しての発句しているところをみると、彼が全く思想性のない人間
だと断定するのは早急だろうな。
751 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 20:53:21
個人的な意見だが。
松浦玲と宮地正人曰くところの『一会桑』(一橋慶喜、会津、桑名)が機能してた頃と
孝明天皇・家茂が亡くなって体制が動いた頃とじゃ新選組の思想は違うと思う。
後半はむしろ思想集団である事を諦めた感がある気が…。
もう仮説も妄想と言われるから、このスレは何書くにしても不安になるw
こうなりゃ
『以下は個人的希望』
『以下は○○氏が提唱している仮説』
『以上の資料からこう推察』
とか書けば何でも良い気がしてきたよ。
文法のおかしい文章で考証だとか、
句読点さえ使えないのに健全な歴史研究だとか、
なんでそんなことを平気で言うのかねw
レポートも論文も書いたことがない様な文しか書けないのに、
厨だとか妄想だとか指摘されると怒るのはどうしてなの?
754 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 21:59:22
あまりその話を引っ張るのも如何な物かと思うよ。
句読点何たらなんて2ちゃんの書き込みでケチつける事じゃないでしょ?わざとやってる人も居るんだし。
確かに論拠も曖昧な物を押し付けるのは良くないけど、それぞれがこれからは分を弁えた発言の仕方をすれば良いよ。史料・証拠・論拠を全て提示しなきゃ発言出来ないっていうのは、正直重い気がするし。
755 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:07:52
>>748 引用元の
>>102に書いてあること自体、詳しく知らないのでお役には立て
ないけど、『同方会誌』自体は復刻版が出ているので、大きい図書館や
大学の図書館なんかには置いてあるんじゃないかな?
『同方会誌』は親睦が目的の会誌だから、史談会速記録のように記録を残す
ことを目的にオープンに証言を引き出しているのか、そのへんが不明だね。
756 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:09:35
>>751 もし
>>744が皮肉として書いたのだとしたら、744は何か勘違いしている
ということになってしまうぞ。それだと、
>>722は妄想を書くのは良くない
言っているから、山村も良くないんだ!と、744が言っているということに
なってしまわないか?
>>722は根拠のない妄想を「史実の考証」と称していたから、「史実の考証」
と言うのなら根拠を出してみろと迫っている。そして、妄想じゃないという
確固たる自信が有るのだったら、中傷や罵倒に走らず妄想じゃないという
事を証明するべく反論すればいいと主張している。
妄想をするな!とは、言っていない。
妄想を妄想として実名で発表することは、健全な歴史研究だよ。だから、
>>749でも山村について「姿勢そのもは健全」と書いているだろ?
実際、研究者も妄想は発表している。しかし、妄想を史実の如く断言口調で
発表したりはしないし、その妄想が反論された場合は、ちゃんと反論しなお
しているよ。そんな事例はいくつもある。
極端な話、史料にないものはすべて妄想とまで言う人もいる。だから、妄想は
妄想で何ら問題ないんだよ。妄想を妄想と認めない事や、妄想を妄想ではない
と偽称することが問題なんだ。そこは史学の根幹に関わる部分だからね。
しかも、2chのような匿名掲示板の書き込みなんて、どう考えたって「史実の
考証」とは称せない。匿名でやってる単なる雑談でしかない。
>>751の説だと、
>>744は健全な歴史研究と言いながら、健全な歴史研究の
実体についてはよく知らない人という事になってしまうけど、いいのかな?
あと、749は722本人。
757 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:29:17
>>752 >孝明天皇・家茂が亡くなって体制が動いた頃とじゃ新選組の思想は違うと思う。
>後半はむしろ思想集団である事を諦めた感がある気が…。
そのへんは松浦もそんな風な見解をしていたように思う。
個人的見解としては、新選組にとって倒幕の密勅が薩長に降りたあたり
が一つの転換点になったんじゃないか?というのがある。
殉節両雄之碑に、土方が「君の冤をすすぎたかった」という趣旨の話を
していたという事が書かれているけど、これは要するに土方が自分達
旧幕府側の正当性を信じていたということなんじゃないか?
つまり、尊皇攘夷の集団だった新選組が、攘夷を諦め、途中から自分達
の正当性を追求する集団に変わったと思うんだよね。彼等的には、その
正当性の根拠を孝明天皇と一・会・桑との蜜月に求めていたのかもしれ
ないと推測してみたり…。いや、これも、単なる妄想だけど。
に
758 :
日本@名無史さん:2005/08/17(水) 23:38:43
>>754 >史料・証拠・論拠を全て提示しなきゃ発言出来ないっていうのは、
>正直重い気がするし。
史料の考証や健全な歴史研究と称するなら、史料・証拠・論拠の提示は
不可欠だろうね。
妄想なら、別に必要ないだろうね。
重い気がするのなら、史実の追求に固執せずに、ざっくばらんに妄想は
妄想としてカキコすればいいんじゃないか?
あなたたち、ここは山南さんを称えるスレですよ。
もっと称えてください。
私は無学な下級女郎に対しても礼節を持って接し、富士山に連れて
行ってあげよくとする山南さんのやさしさに感動しました。
>>755 親切なレス有難うございます。
復刻版の存在が判っただけでも良かったです。
大きな図書館は・・・かなり遠方にしかないので
折をみて、本を探しに行ってみようと思います。
>>759 それはドラマの話なので大河ドラマ板でどうぞ。
っていうか明里は実在したと言い切れるの?子母澤の創作じゃないの?
763 :
754:2005/08/18(木) 12:08:01
>>758 だから妄想なら妄想、誰かの仮説なら仮説、史料から推察した事なら推察した事って最初に明確にすれば何でも良いんじゃない?って事を言いたかったんだよね。
勿論推察した事なら論拠を明らかにして、仮説なら出典を明らかにするって事が前提だけど。(こういう事を次スレ立てるなら
>>1に追加した方が良いと思う)
764 :
日本@名無史さん:2005/08/18(木) 20:46:08
ドラマや小説でつくりあげた『山南=穏健派で知性的』イメージは納得し難い。
芹沢暗殺はじめ数々の取締り=斬り合いに参加し、永倉・原田同様に試衛館の
食客であった山南が学識を持っていた証拠はない。ただ単に千葉道場・玄武館
にいたらしい程度(幹部になってない)では弱い。
やはり山南も永倉・原田同様に闘争心溢れた武断派の人物だったに違いない。
>違いない
弱い
むしろ世間の論調じゃ、「山南は穏和で知的だけど激しい一面もあって武芸も相当に修めた」ってトコじゃないの?
あと鴨暗殺の下手人に関しては、色々と異説があるから断定もできないのでは?
とりあえず漫画なんかでよくある、
山南=知的=眼鏡
の図式は安直過ぎて萎えるけど。
>>762 子母澤の記録の信憑性は決して高いとはいえないので
きっちりと「明里」の名を持つ天神がいたかどうかはわからないね。
それこそ推測でしかないんだけど、まあ、局長には「休息所」という名の妾宅もあったことだし
総長という立場ならば祇園なりどこなりで贔屓にしていた妓女はいたかもしれない。
明里の謎といえば、光縁寺の「沖田家縁者」の女性の墓が、
どうして“明里”のものとされるのかがわからないんですが。
>>767 単に山南の墓の横にあるからじゃないの?それに関しては、私は誰が言い出したのかすら分からないが。
今不意に感じたんだけど、明里の存在が山南という人物をかなり演出している気がする。明里がいなかったと仮定すると、山南のイメージはかなり掴みづらい気がするのは私だけ?
769 :
日本@名無史さん:2005/08/21(日) 16:51:25
自演が夏休みの為スレ休止中?w
770 :
758:2005/08/23(火) 00:43:40
≫763
同意だし、その通りにスレが進行することを望むよ。
仮説に自分の意見を追加する場合も、読み手に区別がつくように書いて欲しい。
それだけかな、つけ加えるのは。
771 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 02:16:02
沖田氏縁者の墓が明里の墓だといい出したのは、山村じゃないかな?
山南さん切腹のあと、明里は沖田の性欲処理女になったという説
773 :
日本@名無史さん:2005/08/24(水) 19:09:05
それは妄想?
まぁ沖田は生涯童貞だった説も妄想だろうケド
774 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 06:34:05
仙台藩に南山って僧が当時いたみたいですよ。
桜田家とも交流があったみたいな事が「伊達正宗・戊辰戦争」って本に書いてありました。
なんか興味深いなぁ
>>774 南山というのはその坊さんの名前なのか
南山というだけに比叡山と何か関係があるのか
具体的に仙台藩でどういうことをやった人なのですか?
776 :
日本@名無史さん:2005/08/26(金) 19:54:46
南山古梁(1756〜1839)
相模出身でのちに仙台藩に招かれたらしい。
詩書に優れた学僧としても知られ、多くの著作を残したそうだ。
777 :
日本@名無史さん:2005/08/27(土) 03:07:01
この南山古梁ですがちょっと調べてみました。
伊達家の御廟である瑞鳳寺の14代住職で、さまざまな文人と交流があったそうで
仙台で唯一、紫衣を賜った高僧です。
没年から察するに山南敬介とは直接の交流はなかったにせよ
文にも秀でているといわれている山南さんにとって尊敬する人物だったのかも?
なので脱藩した際、変名として南山にあやかって山南と名乗ったとかどうですかねぇ
明里の話で思い出したんだけど、ネット巡ってたら「明里については従来その存在が疑われていたが、近年実在していたことが判明。山南死亡後沖田が面倒見ていたらしい。明里は結核で死亡したため、面倒を見ていた沖田がそれに感染したものと思われる」
ってサラリと書いてあってびびった。
明里に結核うつされた説って初めて知ったw
結構有名な説なの?
それとも眉唾?
>>778 そんなの初めて知りました。
なにかしらの書物に載ってたとか、
誰かの証言があったとか
そういうのが明記されてないと…。
「らしい」が続く文章も気になる。というかそれは推測、だよね。
明里が実在し、かつ結核で亡くなったのが本当だとするのなら
沖田が明里の面倒を見ていたというのは事実であるのか、
明里が亡くなったのはいつなのか、とか、つっこみどころがありすぎて
その文章だけだと眉唾なのかそうでないのか判断がつきません。
その文章が記載されてるサイトはどんな資料を史料としているのか教えてもらえればと。
780 :
778:2005/09/03(土) 21:53:56
>>779 これこれ。
>永倉の配慮によって、山南が馴染みにしていた島原の天神明里が駆けつけ
>今生の別れを告げた哀話もあるが、その永倉の手記「新撰組顛末記」や「浪士文久報国記事」などには明里についての記述はなく、
>子母沢寛の創作という可能性が高いとされていたが、山南の死後、沖田が面倒を見ていたらしく、実在が証明された。
>明里は結核を患って亡くなったとされる為、沖田も彼女から結核を移され死に至ったのだという。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8D%97%E6%95%AC%E5%8A%A9 ちょっと自分が書いた記述とはニュアンスが違うかもしれないが、こんなこと書いてあってビックリ。
でも、どの資料に基づいて、明里が実在していたのか、沖田が面倒を見ていたという根拠は何なのか・・・全く明らかにされてないようなw
もしかして、一時期話題になった?沖田氏縁者の墓は明里説を根拠にしてるのかな?
でも、これだけじゃ何を根拠にしているのかサッパリだね。
ような、じゃなくて明らかにされていないよ、その文章は。
その文章の直前の「明里実在せず説」については史料名をひっぱってきてるのに
「実在が証明された」のところでは何の資料もひっぱってきていないのは
お粗末にすぎる。
気軽に書き込める参加型コンテンツサイトってことで深く考えないで
書いたんだろう。参考にもへったくれにもならん。
782 :
日本@名無史さん:2005/09/04(日) 09:09:41
同じページに「晩年は三南三郎を称していた」ってあるね。
山南が「三郎」を自称した資料ってあんの??
>>782 山南の変名について今手持ちの『新撰組全隊士録』という本で調べた。
山南敬助、山南敬介、三南敬助、三男啓介、三南三郎、三南三治郎、三南勇助、山南敬輔
…しかしこの本、根拠は挙げられてないのが痛いところ。三南三治郎とか三南勇助まで気になってきたよ…!
(話トン切り&板違いと言われるかも知れないケド)とあるブログで、「新選組!で山南が切腹する前に自称山南ファンがNHKに助命嘆願をしたのは、実在した山南という人物の生き方、死に方を否定している様で腹が立った」的な発言を見つけた。
この人史実の新撰組好きで大河も好きらしいんだけどさ、ドラマの山南に関して助命嘆願=山南への無礼
になると思う?
私としては個人的に面白い発言だなぁと思ったんだけどね。
785 :
日本@名無史さん:2005/09/05(月) 20:39:58
>>784 その人の言いたい事も分からないでもない。‥ただあの大河自体ちょっと微妙だからなァ。完璧史実とは別物だと考えられたら嬉しいんだけどね。
ほんとそれは板違いなので大河板なり堺スレなりで聞くのが筋。
堺ヲタは大河山南ヲタであって史実山南好きじゃないから、史実と関連付けて山南自体を客観視出来ないとオモ。助命嘆願したのも堺スレや大河スレに居る様な、大河以外の新撰組を殆ど知らない人だろうし。
多分大河スレでも堺スレでも、そんな議論は出来ないのはおろか、『ファンの気持ちにケチつけるのか』みたいな因縁つけられるのがオチだよ。
まぁこのスレの趣旨は山南を称えろっていうだけの曖昧で緩いスレだから、別に良いんジャマイカ?住人の数はやはり少ないみたいだし。話流れるまでの時間潰しにでも…
でもなあ、ドラマの感想はあきらかに板違いでしょう。
789 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 20:43:38
興味無いならスルーすりゃ良いじゃん
790 :
日本@名無史さん:2005/09/07(水) 22:26:59
学術板でドラマや俳優の話とは、実に腐女子らしくてよろしい!
791 :
日本@名無史さん:2005/09/08(木) 07:21:23
板違いの指摘をした側が放逐されるあたり、
末期症状ですな。
792 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 13:16:36
きっと次スレは有りませんな
793 :
日本@名無史さん:2005/09/10(土) 13:26:48
半角ばかりの文って…ジャニオタかよ!
795 :
日本@名無史さん:2005/09/14(水) 19:58:06
そんなあなたは大河ヲタですか?
796 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 08:07:50
いいえ、堺ヲタでつ(´・ω・`)
797 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 08:41:29
まあまあ背あるんだね。
大河じゃいつも膝曲げて歩いてたからチビに見えた。
798 :
日本@名無史さん:2005/09/19(月) 19:57:35
日本史板でドラマの話・・・。
799 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 21:18:21
堺タソは175センチくらいでそ?体重は?
貧弱エリート萌☆w
800 :
日本@名無史さん:2005/09/21(水) 23:57:18
祝! 800get
☆ ∵∴∴☆※☆∴∵∴ ./
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*∵☆★☆☆*☆*☆☆★☆∴*
※∴★☆☆*°°|°°*☆☆★∴※
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.. ※☆☆*°°★°° 人 ★ °°*☆☆※ *
∴☆★☆°°☆ (__) ☆ °°☆★☆∴
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※☆★☆――★ ∩ ・∀・)∩ ★――☆★☆※ ⌒★
∵☆☆*°° 〉 _ノ °°*☆☆∵ *
∵☆★☆°°☆ ノ ノ ノ ☆°°☆★☆∵
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∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵ うんこーーー!!!
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∴∵∴☆※☆∴∴∵
801 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 18:39:51
あげ
802 :
日本@名無史さん:2005/09/26(月) 21:00:52
801タソがヤオイ上げw
803 :
仙台浪人:2005/10/01(土) 10:57:55
山南ってさんなんって読みで宮城県に実在する名字だと聞いたんですが、そう
なんですか?突然ですみません。
ところで、スレ違いですが、新撰組の芹沢一派つぶしって会津の意向も含んだ
勤皇寄りの水戸派潰しですよね。芹沢の横暴っていっても近藤たちも一緒に資
金調達?に行ってるしね。
804 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 21:07:33
元御陵衛士の篠原が正式にはヤマナミだがサンナンと呼ぶことも
あったと語ったみたいなことが子母澤の本に書いてあったけど
これも創作なの?
805 :
日本@名無史さん:2005/10/09(日) 22:43:40
「新撰組!」の山南の切腹の章、衝撃的すぎた。
一説によれば、山南は伊東一派と「黙契」があり
山南の脱走も新撰組を勤王派で乗っ取る計画の第一歩であったという
山南は脱走した後、大津でノロノロ(伊東派の誰かと打ち合わせるため?)してたところ
沖田にあっさり捕まりあっさり粛清された。
隊内勤王派の同志を守る為、あっさりと粛清されたのか??
>>803 確か『山南』は宮城周辺でサンナン読みでも居ない事は、在野の研究家が発表してたよ。誰かは忘れた。うろ覚えでスマン。
因みに家紋もその地方では見られないそうな。あくまでも彼は『自称 仙台脱藩』だったのかもね。
807 :
日本@名無史さん:2005/10/20(木) 01:27:03
北方謙三の黒龍の柩読んだ?
山南と土方の友情が…
小野派一刀流なんですよね‥ 山南って‥
809 :
日本@名無史さん:2005/10/21(金) 18:33:49
なんだよこのスレ。ネタ切れかよ
810 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 17:55:26
山南敬介=桜田敬助説ってどうなったの?
811 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 19:02:37
そんな説あんの?
812 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 18:35:28
上げておいてやらう
813 :
日本@名無史さん:2005/10/31(月) 18:52:11
そもそも新撰組隊士なんて、歴史の末端に登場した人物の詳細がわかるはずがないんだよ
関東大震災と空襲で二度廃墟になってるのに
これだけ新撰組関係の資料が発見されてるほうが異常なんだよな
信頼できるとされてる新撰組の資料の中にも結構な量の偽書とか後生の
捏造が含まれてると思われる。
こないだ見つかったっていう山崎丞の探索日誌とかも捏造品だろどうせw
814 :
日本@名無史さん:2005/11/04(金) 14:13:29
でも山南が本当に仙台出身だったら何か残ってそうな気がする。全く残って無いのは無名故か?
815 :
日本@名無史さん:2005/11/09(水) 19:48:28
あげー
816 :
日本@名無史さん:2005/11/27(日) 18:42:56
age
817 :
日本@名無史さん:2005/11/28(月) 11:32:58
山南さん大好き。
マジカル☆マージック!
819 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 20:50:57
ヤマナミさん と聞くとインテリっぽいイメージだが、
サンナンさん だとコメディアンみたいに聞こえる。
山南も三男と書き間違えられるほどだと、サンナンが正しそうだが、
サンナンだと、これまでのドラマの配役も神経質な二枚目風のタイプから
変わってたのではないか。
敬介っていう名前は現代的でクールな印象になるが
西村と接触がある時期以降は三郎や三次郎や勇助を名乗ってたようだしな
821 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 02:49:07
宮城県のとある寺に山南敬助に関する書物があるとかないとか…。
それはどこの寺なのか、実際に存在するのか。情報求む!!!
ていうかその書物があるとかないとか、と書いてあるソースは?
823 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 15:32:53
>>818 俺もそっちの山南の方が好きw
>>819 三南も三男も単なる他人の書き間違えじゃねぇよ。
伝本人筆でも残ってるんだから。
824 :
日本@名無史さん:2005/12/15(木) 15:55:04
ニゲレ山並み
字は違うけど、けいすけって名前の同級生が
やたら教頭先生に、いい名前だって誉められてたのを思い出すわー。
826 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 23:01:10
age
827 :
日本@名無史さん:2005/12/31(土) 19:20:11
age
|┃
|┃三 ,ィ, (fー--─‐- 、、
|┃. ,イ/〃 ヾ= 、
|┃ N { \
|┃ ト.l ヽ l
ガラッ.|┃ 、ゝ丶 ,..ィ从 |
|┃ \`.、_ _,. _彡'ノリ__,.ゝ、 | / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃三 `ゞf‐>n;ハ二r^ァnj< y=レヽ < 話は聞かせてもらったぞ!
|┃. |fjl、 ` ̄リj^ヾ)  ̄´ ノ レ リ | よし!MMR出動だ!
|┃三 ヾl.`ー- べl,- ` ー-‐' ,ン \____________
|┃ l r─‐-、 /:|
|┃三 ト、 `二¨´ ,.イ |
|┃ _亅::ヽ、 ./ i :ト、
|┃ -‐''「 F′:: `:ー '´ ,.' フ >ー、
|┃ ト、ヾ;、..__ , '_,./ /l
829 :
日本@名無史さん:2006/01/14(土) 01:46:45
三南(サンナン)ってのは言葉遊びというかあだ名だろ。
正式には山南(ヤマナミ)。
830 :
日本@名無史さん:2006/01/14(土) 18:40:01
↑なんか言ってるよコイツ
831 :
日本@名無史さん:2006/02/10(金) 19:24:24
うむ…ネタ切れか
832 :
日本@名無史さん:2006/02/11(土) 10:16:28
堺雅人
単なる堺人気便乗スレだったのな
834 :
日本@名無史さん:2006/02/18(土) 13:06:17
風化したな
835 :
日本@名無史さん:2006/02/19(日) 18:29:36
age
age
837 :
日本@名無史さん:2006/02/20(月) 12:33:32
堺山南が切腹したことが耐えられない
堺山南を勝ち組にしたい
そんな堺山南ヲタ達の負け惜しみスレ
>>837 昼間から2ちゃんにいるようなニートに言われたくない
昼休みの時間帯じゃん
まぁ、昼休みに一人で2ちゃん見てる奴にも言われたくないわな
けいたんハアハア
山南ヲタは命日2月23日が旧暦だと知らない件について
>>841 君は最近になって初めて知ったんだね(藁
んなこたぁ、周知の事実だ
立春、啓蟄、赤穂浪士の討ち入り
すべて旧暦だ
釣られんなw
844 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 13:25:04
age
845 :
日本@名無史さん:2006/03/29(水) 15:51:02
あげぇぇぇぇ!!!!!
せめて何か書き込め。
847 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 03:53:49
3月20日はずっと泣いてました…山南さァァァァァァァんッ!!!!!
ドラマ板でする様な話しかしていない駄スレ。
849 :
日本@名無史さん:2006/03/30(木) 14:35:40
age
祝! 850get
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∵☆☆☆°°°°|°°°°☆☆☆∵ うんこーーー!!!
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851 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 03:58:12
山南さん好きだからあげとくね
852 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 04:24:26
山南敬介という偽名で出身地を推測できまいか。
とりあえず宮城県の山並さんを調べてみようか
854 :
日本@名無史さん:2006/03/31(金) 23:35:31
昨日宮城県に引っ越してきました
山南
剣術はたいしたことはない!
新撰組初の切腹した馬鹿な男
・・・・・えと (^^A
うははは、今年のエイプリルフールは日付ネタかw
858 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:21:53
山南さん♪
859 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:23:54
山南 切腹
860 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 17:25:40
山南 御法度破り 切腹
32日ってなんやw
862 :
日本@名無史さん:2006/04/02(日) 12:40:48
山南さん(・∀・)カコイイ
863 :
日本@名無史さん:2006/04/04(火) 15:55:36
とりあえずあげ
とりあえずさげ
山南は脱走してないと思うよ。
866 :
日本@名無史さん:2006/04/09(日) 17:29:42
>>865 わかりきったことだが一応ソースプリーズ
>>866 書くことないから書いてみただけだったりする
868 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 17:02:57
あげてみる
869 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 18:49:26
age
870 :
日本@名無史さん:2006/04/16(日) 19:27:19
それでは私も★
872 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 02:16:24
ありがとう山南さんage
873 :
日本@名無史さん:2006/05/01(月) 10:09:31
山南さん萌えあげ
874 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 18:01:22
切腹
875 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 19:53:51
ただあげるしかないとは…w
876 :
日本@名無史さん:2006/05/05(金) 21:19:15
腐女子にすらシカトされる山南さんワロスWWW
みんなで盛り上げないか?
山南さん…
斎藤スレが荒らされた今では
ここは最期の砦
880 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:23:33
堺山南まんはカワイイ
881 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 21:27:53
公開切腹
変な人
882 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:24:58
山南まん役は堺さん以外考えられん
883 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 22:38:01
>>882 それ妄想世界のドラマ
正しく言えば 法度破り新撰組からのリストラ作が切腹。
見せ死ね!山南ってな具合
>>879 斉藤スレ荒らされたのかw
確かにここは穏やかだ…少し書き込み増えて嬉しいよ…w
885 :
日本@名無史さん:2006/05/12(金) 23:04:50
山南まんまん
マイナーなイメージが腐女子から救われたのか
887 :
日本@名無史さん:2006/05/13(土) 01:42:40
山南受けは許せない。
でももう腐女子は去ったんじゃね
つーか桜田説は結局進展ないんか?
889 :
日本@名無史さん:2006/05/14(日) 08:28:21
山南まん
890 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 01:26:41
桜田説を密かに待ってる…山南まんまん
891 :
日本@名無史さん:2006/05/15(月) 01:32:55
こいつの話し剣術では盛り上がらない。
地味な奴
地味が腐女子から守られた
intelligence
894 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 17:12:24
切腹前に九尾の狐と交尾する山南まん
かなり上がってたから下げる(≧‐≦;)
896 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 18:07:41
山南さん布教のためにあげる
897 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 21:07:49
この人の出自は今でも明らかになっていないのか?
あげんな糞腐女子
899 :
日本@名無史さん:2006/05/22(月) 20:20:11
山南まん堺雅人美しい
おまんげまんげが900GET
このスレが1000行きますように〜♪
堺山南ブームに乗ってた女も、もういない
飽きやすいから
904 :
日本@名無史さん:2006/05/26(金) 22:40:03
かなり下がってたから上げる(≧‐≦;)
905 :
日本@名無史さん:2006/05/27(土) 00:22:43
もう900か。次スレどうするよ
907 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 07:14:08
かなり下がってたから上げる(≧‐≦;)
908 :
日本@名無史さん:2006/05/29(月) 07:25:08
リストラ
腐女子必死だな( ´,_ゝ`)プッ
はぁ…ネタねぇ
腐女子は死ぬべきだな
_、_
( 、/`)y━~~~
912 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 19:37:55
あげようか
913 :
日本@名無史さん:2006/06/04(日) 20:03:22
山南まんは受けだにょ!
914 :
日本@名無史さん:2006/06/06(火) 19:38:59
おーい山南さーん
915 :
日本@名無史さん:2006/06/07(水) 17:42:21
ぶほっ
おはようございます山南さん
おきたん×山南まんに萌えー
山南まん、明日もぃぃ日でぁりますよぅに♪
もうダメだこのスレ…
919 :
日本@名無史さん:2006/06/28(水) 08:03:16
もうちょっと頑張ろう!
920 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 18:07:03
ageeeeeeeeeeeee
921 :
日本@名無史さん:2006/07/13(木) 20:19:36
久々にageeeeeeeeeee
922 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 10:14:05
おはよう!
923 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 16:19:40
(・∀・)ニヤニヤ
924 :
日本@名無史さん:2006/07/24(月) 17:21:31
(・∀・) 切腹ヤロー生きてたか!
925 :
日本@名無史さん:2006/08/06(日) 01:24:49
age
926 :
日本@名無史さん:2006/08/11(金) 19:02:58
ageage
桜田説に関する新情報があれば、誰か書き込みよろしくお願いします。
山南さんは総受けナリ!
府中図書館へよく行くけど、この場所で近藤達と
チャンバラごっこして遊んでいたんだよな〜
山南さんの多摩での後ろ盾は小島鹿之助だったんだっけ
いったいなにがきっかけで。
思想的には清河に近いんじゃないの?
浪士組が上洛した後に、清河と一緒に江戸へ帰ればよかったのに。
新選組はいいやおいネタですV
腐女子に天誅!
清河×ケースケに萌え
山南さん。
どんな新撰組関係のスレも、新撰組関係である以上、粘着アンチに荒らされている。
こいつ(確実に、ほぼ”一人”)を強制的に新撰組スレに立ち寄れなくする権限を、日本史板管理側に行使してもらいたいものだ。いくらなんでも酷すぎるな。
937 :
日本@名無史さん:2006/10/04(水) 22:07:30
939 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 11:53:05
山南の不幸は脱走では無く、土方と人間的に性格が合わなかった事と私は思っています。
940 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 15:01:22
山南さんと土方さんは体の相性はバッチリなのにね。
山×土テラモエス
941 :
日本@名無史さん:2006/10/10(火) 15:19:10
う〜む そう来たか。 可愛さ余って憎さ何やらだな…
942 :
日本@名無史さん:2006/10/11(水) 22:04:36
えー。土×山でしょ
943 :
日本@名無史さん:2006/10/12(木) 00:22:41
それって、敬助さんを侮辱していない? あっ 長州人か!君は
婦女子に言っておくが、
実際の山南さんは細身の色男じゃないぞ。
愛嬌のあるぽっちゃり型だ。
芸能人で近いのはレイプマンの山本圭壱だ。
>>944 マジレスしてもしょうがないが
「愛嬌のある」「小柄な」人だ
ぽっちゃりというのはどこから??
なんだこれ。自演か?
950
952 :
日本@名無史さん:2006/11/05(日) 16:37:11
自演
さげ
955
960
うめ
たて
963
965
970
975
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梅
990