1 :
日本@名無史さん:
薩摩の剣兵に対抗するために作られた警視庁抜刀隊+日本刀の性能を語りましょう
何かと銃火器には敵わないといわれる刀剣類ですが、実は日清日露の白兵戦においても
著しい成果を上げています。
2 :
日本@名無史さん:04/05/24 21:50
斎
藤
一
撃ってー!!
4 :
日本@名無史さん:04/05/24 22:19
皇宮抜刀隊
5 :
日本@名無史さん:04/05/24 22:31
警視庁が剣道を見直すきっかけになった。
6 :
日本@名無史さん :04/05/24 23:13
山縣は陸軍は百姓で構成すると言い張った
<抜刀隊の歌>
吾は官軍我が敵は
天地容れざる朝敵ぞ
敵の大将たる者は
古今無双の英雄で
これに従うつわものは
共に剽悍(ひょうかん)決死の士
鬼神に恥じぬ勇あるも
天の許さぬ反逆を
起こせし者は昔より
栄えしためし有らざるぞ
敵の亡ぶるそれ迄は
進めや進め諸共に
玉散る剣(つるぎ)抜きつれて
死する覚悟で進むべし
べしだべし。けむんぱすでべし。
9 :
日本@名無史さん:04/05/25 01:56
なんだかんだいっても日本軍の装備が見直されて日本刀式のサーベルになった事から考えて
まず、銃火器に次いでの主武器だったと思っていいね
指揮刀に刃はないのだが。
警察に電磁警刀を持たせれば、士気上がって犯人逮捕 and 剣術修行に
勤しむんじゃないか? 明治みたく人気職にもなるし。
12 :
日本@名無史さん:04/05/25 02:37
13 :
日本@名無史さん:04/05/25 02:44
全日本剣道なんて警察官同士が戦っているじゃないか。
チャンバラごっこしている暇があるのかよ、仕事しろよな。
>>12 だから実戦で役立つよう、正式装備にしないとな。(観光客も喜ぶ)
15 :
日本@名無史さん:04/05/25 03:17
警察署でお正月に道場始めとかやって剣術見せてくれるよ。
警察に電磁警刀を装備させる。すると逮捕シーンが
抜刀警察「潔く、観念せよ!」
三国人1,2,3「うるせーこりぁー!」
抜刀警察「・・・・」
三国人1ナイフを抜く。「死ねーこりぁー!」
抜刀警察、篭手-面二撃!三国人1失神。
抜刀警察「降伏せよ」
三国人2、3拳銃を取り出す。
抜刀警察、三国人2にすかさず篭手!抜刀警察、三国人3に中段の構えで突進!
三国人3、拳銃を発砲、しかし防弾ベスト及び面前の電磁警刀に弾かれ無効。
抜刀警察、三国人3に面一撃!全員逮捕する。
と格段にかっこ良くなる。
17 :
日本@名無史さん:04/05/25 11:04
そーいや、剣道って役に立ってんの?
警棒も竹刀ほど長くないでしょ……
18 :
日本@名無史さん:04/05/25 12:18
銃剣術って誰が創始したの?
19 :
日本@名無史さん:04/05/25 14:08
西洋のだれかじゃない?
ちなみに創立当初の陸軍は完全にフランスのコピーだったみたいだね
軍装から号令とかまでそうだったとか
今の安全な日本なら銃なんか持たないほうがいいと思う。
それなら威厳と権威の象徴のサーベル、もしくは刀剣の方が安全でいい
やっぱり警官が昔から銃とか剣を帯びるのは権威の象徴なのだろうか?
21 :
日本@名無史さん:04/05/25 14:43
銃と剣を帯びて「おい、こらー!」と叫べば完璧だな
>>20 紛争地帯の国の警察だと拳銃だけでなく自動小銃やサブマシンガン
を携帯していて、服装も戦闘服にケプラーヘルメットと見た目には兵士
とほとんど変わらない場合もあります。
23 :
日本@名無史さん:04/05/25 18:21
西南の役では大いに活躍した抜刀隊、彼らが政府を勝利へと導いた。
>>23 サイレントキルには有効だな。だが暗闇の超接近戦ではナイフに劣るわけで、
太平洋戦争後期には、日本兵の夜襲などボーナスキャラに過ぎなかった。
25 :
日本@名無史さん:04/05/25 18:54
現代日本では犯罪が凶悪化、検挙率は悪化の一途なのだが。
それから超近接戦でナイフに劣るという説はおかしい。
ナイフが刀剣に対して有利を維持できるのは、狭くて天井が低い部屋の中くらいのものだろう。
俺は示現流の剣士相手にナイフで立ち向かう気にはならないな。
26 :
日本@名無史さん:04/05/25 18:56
>だが暗闇の超接近戦ではナイフに劣るわけで、
抜刀術にナイフで接近戦を挑むなら、抱きつけるくらいの密着した間合いだな。
27 :
日本@名無史さん:04/05/25 20:42
サムライの寝首を掻くのは大変だぞ。
浅田次郎がどこかのエッセイに書いてた天切り松という大泥棒の体験談だが、
松平某という華族の寝室に侵入した途端に目覚めて気づかれたそうだ。
天切り松の方も細心の注意で忍び込んだ筈が全く通用しなかった事に驚いて観念したら、
「貧乏人は狙うなよ」と説教されて枕元の手文庫をくれ、そのまま見逃して貰ったそうだ。
28 :
日本@名無史さん:04/05/25 22:20
>>27 天切り松は小説の中の架空の人間だ
洒落にならない馬鹿だなw
29 :
日本@名無史さん:04/05/25 22:34
30 :
日本@名無史さん:04/05/25 22:49
かといって長い刃物を装備するとそれはそれで
殺傷力が強くて犯人を死に至らしめてしまうかもしれんしなぁ……うむぅ…
剣道って職務上、役に立ってるのかな?
でも刀を差すと警察の威厳、人気アップは間違いなかろう
32 :
日本@名無史さん:04/05/26 00:15
剣道有段者は射撃も上手いよ。
一瞬の集中力があるのだと思う。
33 :
日本@名無史さん:04/05/26 00:20
現代では刀だと、正当防衛と過剰防衛の区別が曖昧になるんじゃない
34 :
日本@名無史さん:04/05/26 00:23
接近戦なら小太刀を使え
35 :
日本@名無史さん:04/05/26 00:41
>>31 だから電磁警刀装備ですよ。
人気UP、観光客増加、剣術道場活性化、士気向上!
日本警察は全員志士にレベルUPした。
>>36 るろうに剣心や新撰組当たりだと思うが、
猛烈って言うからには、もっと別の何かを知っていて・・・
39 :
日本@名無史さん:04/05/26 03:32
アホか。
天切り松は実在の人物だよ。
40 :
日本@名無史さん:04/05/26 09:27
抜刀隊の話に戻ろう
西南戦争時、政府軍は刀を使う薩摩兵にてこずっていたそうな
刀を使ったときの接近時の威力は世界最強で政府はこの対応に追われた
この時に警視庁から元藩士や剣術家を選りすぐり、編成したのが警視庁抜刀隊らしい
んでこの結果、薩摩兵の剣陣も押しぬいたらしい。目には目をってやつだね
ちなみにこの抜刀隊、警官の正式装備はサーベル式なのに、両手で握る普通の日本刀を装備して戦ったらしい
警官の服装と日本刀って(・∀・)イイ!ね
41 :
日本@名無史さん:04/05/26 09:36
真剣三段っていうよね
ど素人でも真剣を使うとある程度闘えるわけだ
ル ー ク よ ! フ ォ ー ス を 使 え
43 :
日本@名無史さん:04/05/26 17:07
元会津藩の家老がいたんだっけ???
鬼勘兵衛ね
45 :
日本@名無史さん:04/05/26 20:34
>敵の大将たる者は
>古今無双の英雄で
>これに従うつわものは
>共に剽悍(ひょうかん)決死の士
>鬼神に恥じぬ勇あるも
西郷と薩摩藩士をこのように詠うとは・・・
46 :
日本@名無史さん:04/05/26 20:36
二、
皇国(みくに)の風(ふう)ともののふは
その身を護る魂の
維新このかた廃れたる
日本刀(やまとがたな)の今更に
また世に出ずる身のほまれ
敵も味方も諸共に
刃(やいば)の下に死ぬべきぞ
大和魂あるものの
死すべき時は今なるぞ
人に後(おく)れて恥かくな
※再唱
三、
前を望めば剣なり
右も左もみな剣
剣の山に登らんは
未来のことと聞きつるに
この世において目(ま)のあたり
剣の山に登らんは
我が身のなせる罪業(ざいごう)を
滅ぼすために非(あら)ずして
賊を征伐するがため
剣の山もなんのその
※再唱
47 :
日本@名無史さん:04/05/26 20:37
四、剣の光ひらめくは
雲間に見ゆる稲妻か
四方(よも)に打ち出す砲声は
天にとどろく雷(いかずち)か
敵の刃に伏す者や
弾に砕けて玉の緒の
絶えて果敢(はか)なく失(う)する身の
屍(かばね)は積みて山をなし
その血は流れて川をなす
死地に入るのも君のため
※再唱
五、
弾丸雨飛(うひ)の間にも
二つなき身を惜しまずに
進む我が身は野嵐に
吹かれて消ゆる白露の
果敢(はか)なき最期を遂ぐるとも
忠義のために死する身の
死して甲斐あるものなれば
死ぬるも更にうらみなし
われと思わん人たちは
一歩もあとへ引くなかれ
※再唱
48 :
日本@名無史さん:04/05/26 20:39
六、
吾今ここに死なん身は
国のためなり君のため
捨つべきものは命なり
たとえ屍は朽ちるとも
忠義のために死する身の
名は芳しく後の世に
永く伝えて残るらん
武士と生まれし甲斐もなく
義のなき犬と言わるるな
卑怯者とな謗(そし)られそ
※再唱
明治十八年七月二日
於日比谷鹿鳴館発表
警視庁抜刀隊のメンバーは、元新撰組隊士や会津藩士をはじめ戊辰戦争で賊軍にされた東北の旧士族たちと聞きました。
新撰組はどうかな。
応募してきた者達の大半が、旧幕府軍の将兵だったそうです、旧会津藩の家老であった
佐川官兵衛が旧会津藩士たちを引き連れて、応募しました。
大半の志願者が警視庁の抜刀隊に採用されて、熊本県内の最前線に送られました。
皮肉なことに、「会津と薩摩」は「西南戦争」では、政府軍と賊軍の立場が逆転してしまいまし
た「賊軍の汚名を晴らすチャンス」を与えられた旧会津藩士たちは、どの警視庁の抜刀隊
よりも〜真っ先に敵陣へ、刀ひとつで突撃して旧薩摩藩士を相手に、壮絶にして血みどろの
斬り合いを演じました。
その時、突撃する「警視庁抜刀隊」の旧会津藩士たちは「戊辰の仇!!戊辰の仇!!」と大声で
叫びながら〜〜!!!! 突撃した逸話が語り草として残っております。
かの「警視庁抜刀隊」には、「藤田五郎」と改名し旧会津藩士の娘と結婚した、新選組の
「斉藤一」が、「警視庁抜刀隊に」参加していたと言う、未確認な話しも残っております。
山風の「警視庁草子」で抜刀隊を知りました
泣けたヨ
52 :
日本@名無史さん:04/05/27 15:57
だから抜刀隊の歌って「官軍」とか「賊軍」とか「朝敵」とかを強調した歌詞が
含まれてるの?
53 :
日本@名無史さん:04/05/27 16:13
警視庁新選組は?
54 :
日本@名無史さん:04/05/27 17:05
この伝統は先の大戦での万歳突撃に繋がるのか?
55 :
日本@名無史さん:04/05/27 19:17
56 :
日本@名無史さん:04/05/27 19:19
>>54 たぶん伝統にはなってないと思うよ。抜刀隊は玉砕したわけじゃないし。
警察庁で無く警視庁なんだな。抜刀隊はいつ解散したんだ?
>>57 西南戦争終結と共にでしょ…一種の作戦部隊だもの
でも戦功で出世した人はいそうだよね
警視庁罵倒隊(クスッ
60 :
日本@名無史さん:04/05/27 20:49
警視庁抜刀隊が薩摩軍を押していたのは、政府軍の火力支援があったからだよ。
最初は曲がりくねった道の陰から突然斬り込みをかけてくる薩摩軍の奇襲に対抗できず、
政府軍は銃を捨てて潰走するだけだった。
それに対抗する為に歩兵を支援したのが抜刀隊だが、調子に乗って単独で突出すると、
たちまち薩摩軍に蹴散らされた。
61 :
日本@名無史さん:04/05/27 20:51
警視庁抜刀隊が薩摩軍を押していたのは、政府軍の火力支援があったからだよ。
最初は曲がりくねった道の陰から突然斬り込みをかけてくる薩摩軍の奇襲に対抗できず、
政府軍は銃を捨てて潰走するだけだった。
それに対抗する為に歩兵を支援したのが抜刀隊だが、調子に乗って単独で突出すると、
たちまち薩摩軍に蹴散らされた。
62 :
日本@名無史さん:04/05/27 21:23
警視庁抜刀隊ってロシアの内務省軍そのものだよね。
大警視の川路も少将の階級が付せられて旅団長として出征している。
いつのまにか抜刀隊も陸軍の曲になってるし。
抜刀隊が現地に到着した頃には薩摩側も政府軍の火力に
消耗していて、剣の使い手で働けるものは減っていたとか
抜刀隊が現地に到着した頃には薩摩側も政府軍の火力に
消耗していて、剣の使い手で働けるものは減っていたとか
抜刀隊が現地に到着した頃には薩摩側も政府軍の火力に
消耗していて、剣の使い手で働けるものは減っていたとか
抜刀隊が現地に到着した頃には薩摩側も政府軍の火力に
消耗していて、剣の使い手で働けるものは減っていたとか
67 :
日本@名無史さん:04/05/27 23:05
剣で抜刀隊が薩摩軍に勝てる訳無いじゃん。
68 :
日本@名無史さん:04/05/27 23:10
警視庁剃毛隊
銃兵が剣術を仕えなかったわけでは無いと思うぞ。
やっぱり田原坂(だっけ?)の戦いはかっこいいよな〜
70 :
日本@名無史さん:04/05/28 00:28
抜刀隊って元賊軍だから山県有朋らが信用せずに、
鉄砲なしで刀だけで戦えってことで前線に送り込
まれたんでしょ?
71 :
日本@名無史さん:04/05/28 01:55
百歩居合
72 :
日本@名無史さん:04/05/28 03:52
政府軍の歩兵は徴兵で集められた平民が主体。
持ってる武器は単発式の小銃。訓練にも剣術は無い。
当時の小銃は一回発射したら、二発目までに銃身内の清掃、弾込め、照準の手間がかかる。
至近距離からの斬り込みではその間に間合いを詰められるから、一発撃ったら銃を放り投げて逃げるしか出来なかった。
その弱点をサポートするのが、剣の心得がある者で編成された抜刀隊。
調子にのった抜刀隊が火力の支援を得られない場所まで突き進んだら、途端にコテンパンに叩きのめされた。
>>70 一応志願部隊なんだけどね
しかもそう簡単にはなれないって聞いたよ
74 :
日本@名無史さん:04/05/28 10:56
>当時の小銃は一回発射したら、二発目までに銃身内の清掃、弾込め、照準の手間がかかる。
弓のほうが良さそうだ。
75 :
日本@名無史さん:04/05/28 11:56
薩摩の示現流でまともに切り込まれたら受けようがない
巧みに初太刀をかわすか、集団で掛かるしかない
新撰組の戦法だな
76 :
日本@名無史さん:04/05/28 12:14
新選旅団が城山を包囲してます。
77 :
日本@名無史さん:04/05/28 23:23
日本が現在のような灯台を建てるようになったのは、
今から120年前にアメリカ・イギリス・フランス・オランダと結んだ
「江戸条約」で灯台を建てることを約束したのがはじまりで、
明治政府がこれを引き継ぎ、
明治元年11月1日に日本で初めての西洋式灯台を三浦半島の「観音崎」に建てることに着手しました。
灯台の日はこの日を記念日としたものです。
78 :
日本@名無史さん:04/05/29 12:39
抜刀隊が会津人と結びつけられたのは明治30年発行の『日本豪傑奇談』。
最初の斬り込みの指揮を執った警部補隈元実道は鹿児島出身。3/14日に
最初の斬り込みを行った際、会津出身者一名が目立って奮闘したことが
原因で、そういった伝説が作られたらしい。
殉職者は東京、鹿児島出身者がもっとも多く、ついで福島、群馬、新潟、
茨城、静岡・・・・と続く。抜刀隊員は全国的なものであったことがしられ
ている。
79 :
日本@名無史さん:04/05/29 12:46
>>78 『明治の剣術』 山下素治著 新人物往来社 昭和55年
80 :
日本@名無史さん:04/05/29 14:18
>>78 陥落寸前の熊本城を救出した山川浩のイメージが強いからでしょ。
あのー失礼してよろしいでしょうか?
なぜ新選旅団という名称にしたのでしょうか?(他は第一旅団〜第三旅団)
誰もが新選組を連想したと思いますが。
82 :
日本@名無史さん:04/05/29 19:15
戊辰の仇〜!
って叫べたのかな?
一応官軍だし、残党の処刑とかは行われなかったのかしら?
83 :
日本@名無史さん:04/05/29 23:02
田原坂大虐殺
84 :
日本@名無史さん:04/05/29 23:14
>>81 その師団が聞いてくるときいた時、半次郎は「またあの新撰組がやってくるのか!?」
って仰天したらしいね
85 :
日本@名無史さん:04/05/30 02:05
10年ばかり昔の新聞の田原坂紀行文に
こうあった。
古老の話によると、
「あたり一面にススキの原のように白刃が立ち、
『キキキーーッ!』と聞こえる猿声がしていた」
そうな…
86 :
田宮虎彦『霧の中』:04/05/30 02:22
座敷には行燈がはいっていた。
いつもなら、八家文の素読をはじめるのだが、
斧太郎はじっと荘十郎を見つめたまま
「わしはその西郷の一味を打ちに薩摩に行くことにした。
土百姓の集まりの鎮台になにができるものか。
巡査でも何でも良いよ、大道の居合い抜きより生身の奴を
斬りたくなった。うずうずしてきたんだ。
逸作も行くことにした。お前がもう三つ四つ歳をとっておればな」
吐き出すように言った。
87 :
日本@名無史さん :04/05/30 02:27
88 :
田宮虎彦『霧の中』:04/05/30 02:39
斧太郎達は年が明けてから谷中に帰ってきた。
「荘十郎、お前の父親の仇を討ってやったぞ」
と言った。それから、
「幾人斬ったかな、十七人は覚えている。薩摩の奴も
逃げ出せばもろいものだったよ、
わしたちが上野から流山に逃げた時のことを思い出した。
埒もなくくずれたって、刀も捨ててひた走りに走った。
それと同じ格好をしよった。逃げ遅れた奴は追いかけざまに
突き通す。田楽だよ。十七人の中にはそんなの数えておらん」
「俺は逃げ遅れた奴を崖っぷちに座らしておいて
首を落としてやった。蛙が池に飛び込むように、
両手をのばして首のない奴が崖の下に飛び込んで行く。
我らもやられたことだ」
篠遠のだみ声が続いた。義介は杯をなめながらじっと聞き入って
いたが、ふっと思いついた様に、
「それで気が晴れたか」
ぽつんと言った。ざわめきが一瞬灯の消えた様に途切れた。
あびせる様に、
「晴れはすまい」
義介の声は深淵にしずんで行く小石の様にぼそりと冷たく続いた。
89 :
田宮虎彦『霧の中』:04/05/30 02:47
「同じことだよ、今度のことは
俺は薩摩同士のなれあい喧嘩だと思う。
巡査隊とか抜刀隊とか言うが、抜刀隊が勝って帰っても、
俺達を倒した奴らに何の変わりもありはせんのだ。
ただ判ったのは、俺達の力がたったそれだけのものだ
と言うことだけじゃないか」
斧太郎はうつむいていたが、やがて、
「わしは、わしの力さえわかればいい」
吐き出す様にそう言うと、欅のある裏庭に下りて行った。
「岸本、一本所望」
おうと答えて義介も庭に下りた。
二人はしばらくお互いの気迫を比べあう様に睨み合っていた。
>>82 そういう意味の言葉を叫ぶ官兵がいたと当時の記録に残っている。
93 :
日本@名無史さん:04/05/30 12:00
別に新選組の戦力を恐れた訳ではなく、
政府軍なのに賊軍の代表格だった新選組の復活を思わせる名称に驚いただけでせう。
95 :
日本@名無史さん:04/05/30 18:44
司馬風に言うと、抜刀隊は日本最後の剣客集団?
やはりここは警官に刀のような物を持たせて
剣道を生かせるようにしなくては
バールのようなものを持ったやつらには強いだろう
98 :
日本@名無史さん:04/05/30 23:10
日本刀って白兵戦に強いって言われてるけど、実際どう?
西南戦争で軍装を改めたくらいだから、相当強いのかな?
>>98 日本刀が強いのではない、日本刀の使い手が強かったのだ。
100 :
なぜイマダニ「剣道」か?:04/05/31 00:11
日本警察が剣道を奨励しているのは
主に肉体の鍛錬だろうけど、「剣道」の
練習や試合そのものの中に、対人術というか、
自分達以外の人間を出会った瞬間に制圧する
方法のヒントがあるからなのでしょう。
「間合い」を詰めたり開いたり・「相手の先を制す」
・「相手の呼吸を感じて攻撃してくる瞬間を先に読み
取る。そこが相手の最大の隙を見つける事になる。」
いずれも講義や読書だけでは習得出来ない事項です。
「剣道」に強くなる為ではなくて、「勝負」に強く
なる必要がある職業なんでしょうな。警察稼業は。
巷でチンピラにやりこめられてる警官みると、
「ああ、真剣に剣道やってない人だな。」って
見なしてます。
101 :
日本@名無史さん:04/05/31 00:25
>99
いわゆる、鬼に金棒
>100
剣道万能論か?格闘技は反復練習による動きの効率化がポイントなんだけど。
能書たれてないで、木刀装備しとけ。
日本軍の夜襲は、静かに接近、日本刀で切り込む。
中共軍の夜襲は銅鑼やチャルメラで相手を恐慌に陥れて襲撃。
米軍は、スピード重視、火力重視で、音は二の次だとか。
日本軍の夜襲は、小規模な奇襲に一番向いてるかな。
>>100 警察の対人制圧・捕縛術といったら合気道でしょ。
105 :
日本@名無史さん:04/05/31 07:41
>>82 犬養毅が新聞記者としてそういう報道をしたと聞いている。
中隊 小隊 小半隊とは何人でしょう?
107 :
日本@名無史さん:04/05/31 09:40
>>82 「戊申の復讐、戊申の復讐・・・」と叫んで13人斬ったそうで。
>>108 その話題はよそう…
中帰がでてきそうだ
110 :
日本@名無史さん:04/05/31 12:56
>>108 明治10年3月28日付け『郵便報知』。
「決して虚説に非ず」と当時は記者であった犬養毅(後、首相)
が書いていまつ。詳しくは
>>79
111 :
日本@名無史さん:04/05/31 17:30
獅子の時代に出てきたね。
113 :
日本@名無史さん:04/05/31 19:59
「ちょっと芋を斬りに行ってくる」
と言って出かけたんだよ。
114 :
日本@名無史さん:04/05/31 23:07
警官の制服を着て突撃したんだよね?
警官制服と日本刀ってかっこ(・∀・)イイ!
>>100 道の修行が通じるのかわからんが。
剣道有段者は射撃も上手い。
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──―───‐\ \ `ー'"´, -'⌒ヽ──────‐| / ─‐/ | | ─────―
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───‐‐/` ―\____>\___ノ ──────‐|/──/ || | ────‐─―‐
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117 :
日本@名無史さん:04/06/01 01:23
>>115 いや…多分関係ないと思うよ
抜刀隊の集合写真なんかは残ってないのかなぁ?
118 :
日本@名無史さん:04/06/01 01:39
>>113 そんなことを上司の前では言えたのかね?
抜刀隊の隊長の殆どは薩摩出身者だろ。
120 :
日本@名無史さん:04/06/01 09:01
なんで上司の前で言う必要が?
少し落ち着いた見たですね。
>>70警視庁は国内で発生する騒擾鎮圧のため明治7年2月10日内務省に銃器
装備を稟議し同日銃器の出納と出動執銃は、正院又は内務卿の命令によるとの
条件で許可、内務省を通じ陸軍省からエンフィ-ルド銃7000挺とその付属品
弾薬を借用1000挺は操練用として本庁に格納残りは保管庫が出来るまで陸軍に
保管を頼んだ。兵術演習は8月から開始されまた喇叭手を養成すべく陸軍教導団に
200名程巡査を派遣して喇叭吹奏を習得させた。
3年余の練兵中に毀損した銃が多くなり又神風連、秋月、萩の反乱
鎮撫に派遣した警視隊からの強い要望で明治9年11月1日陸軍省に
エンフィ-ルド銃5000挺をスナイドル銃5000挺と交換を申請したが
却下され15日に3000挺で申請したがこれも却下され、川路大警視が
大久保内務卿に頼み明治9年12月9日スナイドル銃2000挺を購入。
>>115比較的早い段階で九州に派遣された警視隊はスナイドル銃を装備
写真も現存しています。
>>81新撰旅団は政府が明治10年5月29日に設置を決め新撰旅団に編入された
者は徴募巡査の身分で内務省に所属するが運用は陸軍省の管轄下。
それ以前に九州に派遣された警視隊は八代方面の警視隊を元に別働第四旅団
(すぐに別働第三旅団と改称)を編成。熊本入城後、熊本篭城、植木口、豊後口
増援の徴募巡査隊を含め6大隊で編成。別働第三旅団は7月30日に解団、8月の
中頃までまでに逐次帰郷。
最終的に警視身分で西南戦争に参戦した部隊は以下の通り
別働第三旅団
豊後口第二号警視隊
豊後口徴募警視隊
新撰旅団
けっこう誤字脱字が多くてすみません。
>>82>>91>>105>>110 初めに
>>79で紹介された書籍は一次史料とは呼べません史学的に等外史料の
扱いです。(個人的にはよく出来ていると思いますが)
犬養毅が高瀬に到着したのは警視抜刀隊が斬込みを実施した3日後で戦地
立ち入りの許可が出たのは田原坂陥落後の3月21日なので例の報道は実地に
目撃したものではない。
伝聞だとしても一回の戦闘で13人も斬っていたらその姓名は知れるか元会津
藩士某はない当時の記録がすべて正しい訳ではないが、この件に関しての記録は
戦地直報しか見受けれない、もっともその後の諸書籍には事実のように取り上げている
御参考までに
十四日田原坂の役、我軍進んで賊の堡に迫り、殆ど之を抜かんとするに当り
、残兵十三人固守して退かず、其時故会津藩某身を挺して奮闘し、直に賊
十三人を斬る。其闘ふ時大声呼って曰く、戊辰の復習、戊辰の復習と。
是は少々小説家言の様なれども、けっして虚説に非ず、此会人は少々手負しと
言ふ。
郵便報知新聞「戦地直報」第二回 犬養毅
127 :
日本@名無史さん:04/06/01 23:04
>>125 まぁ、たいていの書籍では報道があった事実を取り上げているわけであっ
て、その報道内容が事実かどうかはまた別問題かと。
128 :
日本@名無史さん:04/06/02 05:26
あんたやり過ぎだよ
129 :
日本@名無史さん:04/06/02 10:27
中村半次郎検屍記録見た事ある?
凄いよ
131 :
日本@名無史さん:04/06/02 22:13
中指消失、刀創三太刀
((((((;゚Д゚))))))ガクガクブルブル
133 :
日本@名無史さん:04/06/04 00:03
警視隊ってまさにロシア内務省軍だね。
大警視川路は陸軍少将を兼務。
内務警察少将?ってところかな。
難し…
135 :
日本@名無史さん:04/06/04 00:48
抜刀隊ってほとんど全滅したんじゃなかったっけ?
すみません。age、sageどっちですか?
137 :
日本@名無史さん:04/06/04 01:08
薩摩兵が強いんじゃなくて
鎮台兵があまりに弱すぎ
139 :
日本@名無史さん:04/06/04 01:14
>>137 そのあまりに弱すぎる熊本鎮台すら落とせなかった薩摩兵はどうなるの?
140 :
日本@名無史さん:04/06/04 01:20
鎮台兵が弱すぎたとは思わないが
熊本城と最新兵器があったから
141 :
日本@名無史さん:04/06/04 01:26
>>139 つうか個人の武力の話ね
鎮台兵のほとんどは百姓出身でしかも鎮台が創設されて間もない
実戦経験なんて皆無に等しいし強いわけがない
薩摩が勝てなかったのは戦略が全く駄目だったから
腕っ節強くても頭空っぽじゃ戦争に勝てないよ
142 :
日本@名無史さん:04/06/04 01:37
逸見十郎太が斬り込むときは
秋の疾風か 雷さまか
枝も葉も飛ぶ
青山枯らし
うなる剛刀は刃わたり三尺八寸
戦う時は地面に線引いて退がる者は容赦せぬ
まるでラオウ
143 :
日本@名無史さん:04/06/04 01:44
所詮個人の強弱なんて戦争にはほとんど意味ないよね
最強とか言ってた薩摩は結局百姓兵にも勝てず
太平洋戦争だってパイロットや水兵の腕がいいとか
歩兵が強いとか言っててもアメリカには全く歯が立たなかったし
144 :
日本@名無史さん:04/06/04 08:52
>>143 個人の強さが意味を持った時代からそうじゃない時代に変わっていったん
だよ。
145 :
日本@名無史さん:04/06/04 10:59
実際の抜刀術や居合での構えや一連の動きを教えてください
剣道七段居合二段という人がいるけど
正直どれ程のものか良く分かりません。
147 :
日本@名無史さん:04/06/04 23:41
>>146 多分、真剣で物切らせて見ると絶対に切れないと思うよ?
居合って試斬やんないんだって
148 :
日本@名無史さん:04/06/05 07:53
お邪魔しました。
151 :
日本@名無史さん:04/06/06 11:58
両手武器の方が強力だからだよ。
あと馬に乗って戦うのが武士だったから。
鍔が防御を担っています。
153 :
日本@名無史さん:04/06/06 14:41
片手で振り回す刀剣と両手で振り回す刀剣では、後者の方が機敏で押しが強い。
前者はどうしても後者より軽くする必要があり、強度や長さで劣る事となる。
そして片手で持つ盾も、両手で振り回す刀剣の攻撃を防ぐには不十分な防御力に留まる。
日本人は両手で剣を持つ場合の問題点となる防御に関して、鎧の側面積を広げて盾に近い構造にした。
>>150によると、
・世界では白兵戦用の盾(持ち盾)を装備することが一般的
・秩序ある突撃だけでなく、乱戦や場が狭いところでも盾は有効
・つまり日本では飛び道具(弓矢)が戦の主体で白兵戦が少なかった
とあるがどうだろうか?
東洋でも中国大陸は盾は普通だが、正直日本よりも白兵戦に優れていたとは
到底考えられない。
俺としては、モンゴル軍に蹂躙されたにも関わらず、重武装を改めない西欧軍隊
も不思議極まりないが・・。
おいっ!
なんとか言ったらどうなんだ・・?
156 :
日本@名無史さん:04/06/06 20:14
まぁまぁ、訊き逃げかも知れんが、そぉ焦らずに。
やはり資料に基づいた論証を期待したければこちら(日本史板)のほうが
識者が多いと思いまして。
まあ結局は、鈴木眞哉氏の軍忠状を調査したという統計が一つのポイントに
なりそうなのだが。
158 :
日本@名無史さん:04/06/06 21:39
みんな武士なのか?
159 :
日本@名無史さん:04/06/06 22:23
武士というか士族だね。
>>160 ひょっとして山形屋?
畳業で儲けて、日本橋に今も店を出している(畳屋ではない)老舗
162 :
日本@名無史さん:04/06/07 08:56
>>129 :日本@名無史さん :04/06/02 10:27
中村半次郎検屍記録見た事ある? 凄いよ
教えてよ
163 :
日本@名無史さん:04/06/07 15:02
山形屋って海苔扱っているんじゃないの?
海苔の老輔
山本山
>>151 馬に乗って戦う武士なんて日本の歴史上ほとんどいねえよ
>>165 ちがんだ?馬上から槍で戦うのが騎馬武者の基本だと思ってたYO!
騎馬武者が居なかったってこと?
それとも馬に乗れんのが限られた人だけだったって意味?
ま、まさか、馬じゃなくて違うもんに乗ってた?
167 :
日本@名無史さん:04/06/10 10:38
凄いよな…抜刀って…
168 :
日本@名無史さん:04/06/10 11:37
皇宮抜刀隊
>>166 いや、馬には乗ってたよ。ただ、合戦では駐馬場に馬を留めてから戦う。
日本では馬は移動手段であって兵科ではなかった。
明治以降西洋の騎馬隊制を採用するのに難色を示したのはそのせい。
170 :
日本@名無史さん:04/06/10 16:54
171 :
日本@名無史さん:04/06/15 20:20
抜刀隊員に仙台藩出身の人って居たんでしょうか?
あと、抜刀隊を扱った映画や小説ってありますか?
172 :
日本@名無史さん:04/06/15 21:54
警視隊別働第3旅団の将兵は軍人でしょうか、警察官でしょうか?
173 :
日本@名無史さん:04/06/15 23:08
川路が率いた警官隊でしょ?違うの?
174 :
日本@名無史さん:04/06/16 00:12
チーェストー!
175 :
日本@名無史さん:04/06/16 06:24
やっぱ百姓兵では薩摩の斬り込みに耐えられなかったか・・・
177 :
日本@名無史さん:04/06/16 11:01
警視庁抜刀隊って急遽募集した警官隊の中から現地(田原坂)で
「お前とお前、あとお前」ってかんじで刀だけの隊を作って戦わせたって事で
はじめから警視庁抜刀隊で派兵したわけではないんでしょ?
日露でいう白襷隊みたいなもん。
鹿児島出立の朝は雪でごわした。
>>171田原坂・横平山の戦いに抜刀隊員として参戦した旧仙台藩士がいたか
は解かりませんが、別働第三旅団五番小隊(江口隊)は旧仙台藩士族で編成
されている部隊で、榴ヶ岡の仙台市歴史民族資料館に江口隊の日記、小隊名簿、
負傷討死名簿、戦闘報告表、戦地旅費当残渡金名簿、が所蔵されてます。
また映画、小説は解かりませんが、講談社学術文庫より征西従軍日誌\1050が
発売されてます2001年発行なので入手は容易です。巡査の西南戦争従軍日記で
熊本篭城〜水俣〜鹿児島に至るまでの記録です。ちょっと読みにくいと思います。
>>172別働第三旅団に所属する方は警視官身分です。西南戦争に際して
川路大警視は内務卿直属から征討総督所属になったので陸軍少将兼大警視
に任命されたが、戦地の警視官(文官)は全員武官に任命されたものでなく
警視隊の総人員・部隊編成に応じて武官に任命されただけであくまでも
身分は警視官。警視官を武官に任命した理由は明らかでないが、いずれも
別働第三旅団所属の警視官に限られています。豊後口警視徴募隊を率い
5月〜城山陥落まで任地にあった三等大警部萩原貞固は戦功により勲五等に
叙せられているが武官には任命されてません。
草創期の警視庁は、所属の警察職員を「警視官」、警察事務を扱う
所を「警視署」と呼び警察官とか警察署とは読んでいませんでした。
明治10年1月11日の太政官達第十五号に揚げられている官等表でも、
警視官とは警視・警部・巡査などが含まれている。
>>181訂正
警察署とは読んでいませんでした。(間違いです読んでいます。)
183 :
日本@名無史さん:04/06/16 19:32
補助武器で軍刀差すならともかく、刀を主力とした部隊を編成する所が感動するね
184 :
日本@名無史さん:04/06/16 19:49
>>129 検索したけどそんなのなかったよ。
URLきぼん。
185 :
日本@名無史さん:04/06/16 21:05
抜刀隊の話が描かれた例は、1980年のNHK大河「獅子の時代」第37話。
>>184 桐野利秋 検死書とかいうものがあるみたいだな。
187 :
日本@名無史さん:04/06/16 21:13
山川浩は抜刀隊じゃなくて警視庁隊だったかな
189 :
日本@名無史さん:04/06/16 21:25
>>188 サンクス。
佐川官兵衛は戦死したんだな。
190 :
日本@名無史さん:04/06/16 22:26
>>188 将官になったとき山縣が激怒したとかしないとか。
>>189 抜刀隊結成より前に阿蘇で狙撃されてね。
191 :
日本@名無史さん:04/06/17 11:09
佐川に指揮権があればあんなところで死ぬことはなかったのに・・・
192 :
日本@名無史さん:04/06/17 23:20
>>191 同意だな。鳥羽伏見と鶴ヶ城篭城戦をくぐり抜けてきた歴戦の指揮官だったし。
193 :
日本@名無史さん:04/06/19 01:29
>>180 ご教授ありがとうございます。
当時の警察官と軍人との違いが分かりました。
194 :
日本@名無史さん:04/06/19 02:14
佐川カコイイ
195 :
日本@名無史さん:04/06/19 08:30
靖国神社と会津・阿弥陀寺の両方に合祀されている数少ない人物だね>佐川官兵衛
196 :
日本@名無史さん:04/06/19 11:52
オヤジが町内抜刀隊やってたら、逮捕されたよ。
刀は日本刀に限るよ。
198 :
日本@名無史さん:04/06/21 15:10
>>196 阪神大震災の時、近所の商店街のオヤジがDQNや若い衆を集めて抜刀隊作った。
日本刀が無かったんで金属バットと木刀だった! トホホ
199 :
日本@名無史さん:04/06/21 18:03
200 :
日本@名無史さん:04/06/21 20:07
>199
竹輪を5千円で売りつけようとした悪徳商人
202 :
日本@名無史さん:04/06/23 22:23
>>201 阪神大震災の被災者だけど、そんなん聞いたことない。
203 :
日本@名無史さん:04/06/23 22:48
泥棒が家屋の下敷きになった話は聞いたが。
204 :
日本@名無史さん:04/07/15 00:08
佐川age
飯がただで食えると集った浮浪者もいた。
206 :
日本@名無史さん:04/07/15 22:50
>>205 抜刀隊は募集して集めたんじゃないから、スレ違いだと思うよ。
207 :
日本@名無史さん:04/07/27 20:44
抜刀age
208 :
日本@名無史さん:04/08/01 17:39
太平洋戦争でも、中国戦線で挺身抜刀隊っつー一種の特攻部隊が
あったよね
210 :
日本@名無史さん:04/08/05 00:25
まあ、西南戦争の当時ならいざしらず・・・って感じだな。
むしろ現代の不良外国人取締りに抜刀隊が活躍しそうだな。
212 :
日本@名無史さん:04/08/05 10:57
カラスハネト取締りくらいががせいぜいだろw
213 :
日本@名無史さん:04/08/05 12:05
警視庁新選組vs警視庁抜刀隊
214 :
日本@名無史さん:04/08/06 13:04
それじゃバーサスになってない。
215 :
日本@名無史さん:04/08/06 18:32
>>214 実際に(武器なしで)戦ってたら、どっちが強いかなぁと思って。
216 :
日本@名無史さん:04/08/07 22:17
抜刀隊は自らの意思でできたわけじゃないしなぁ・・・
217 :
日本@名無史さん:04/08/08 06:03
>>216 歴史if物語なんだから、細かいことを言わない(笑)
そもそも、時代が違うんだから。
218 :
日本@名無史さん:04/08/08 08:53
>>217 いやだから、成立の経緯からして集団としてのモチベーションが違うってこ
とね。
219 :
日本@名無史さん:04/08/18 22:05
age
220 :
日本@名無史さん:04/09/01 01:06
さるべーじ
221 :
日本@名無史さん:04/09/01 01:15
日本刀って人を二、三人斬ると脂で使い物にならないって良く言うよね?
抜刀隊の人達は替えの刀はどうしてたの?
ここになら抜刀隊もあるだろうと思っていたが
日本史板万歳!
223 :
日本@名無史さん:04/09/01 12:55
>>221 バラバラに死体を解体するなら2,3人だろうけど。
頚動脈とかを狙って斬れば良いんじゃない。
224 :
日本@名無史さん:04/09/01 13:21
>>221 相当の達人でも一回の戦闘で5人も6人も斬り殺す
ことは無いと思われ。
一対複数ではなく、複数対複数が中心だろうし。
斬り込み隊が何十分も戦闘しっぱなしとも考えにくい
んで、戦闘の合間にある程度ケアしてたんだろう。
あと、切れ味が鈍っても、突きは比較的長く使えるはず。
>>223 実戦で首狙いは困難かと。
居合いの型ですら、止めは袈裟懸けが多いし。
15本程度しか知らないが。
225 :
日本@名無史さん:04/09/01 13:23
抜刀隊ってフルチンのことか
226 :
日本@名無史さん:04/09/01 14:13
>>221 日本刀の斬れ味については
日中戦争にいった爺さんに
聞いてみたら?
弐拾人ぐらいは斬れたって
丸 には載ってたような、
キルビルのように
1本で100人斬りとかするのが
アコガレなわけで・・・
228 :
日本@名無史さん:04/09/10 23:10:34
太秦行って来い。
斬られる方になるかも知れんがw
229 :
日本@名無史さん:04/09/26 22:11:23
田原坂
>>227 刀の刃こぼれがすごいだろうし、
仮にそうじゃなくても、刃に付いた血脂をちゃんと拭かないと斬れなくなるよ。
いっぺんに100人斬りは無理ぽ。
231 :
日本@名無史さん:04/09/26 23:06:57
刀のグレードと剣士の技量と切断部位で千差万別だよ。
達人が名刀で骨に触れずに頚動脈をスパスパ狙い撃ちしてれば、100人位はいくかもな。
薩摩なら、示現流剣士が重くて頑丈な薩摩刀を叩きつけるのだから、
殆ど撲殺でもスコアを重ねる事が出来るだろう。
232 :
日本@名無史さん:04/09/26 23:09:51
「抜刀隊」って曲いいよね。
233 :
日本@名無史さん:04/09/26 23:10:28
「抜刀隊」って曲いいよね。
235 :
日本@名無史さん:04/09/26 23:27:37
>>231 据え物斬りじゃあるまいし、どこから斬り付けられるかわからないような
戦場でそんな器用なことができるかな?
237 :
日本@名無史さん:04/09/26 23:52:26
極限の機敏さを鍛え上げる示現流剣士にとって、そんじょそこらの雑兵など案山子に等しい。
>>237 それは案山子を相手に練習してるからそう思えるだけw
239 :
日本@名無史さん:04/09/27 00:28:46
そんなことだから鎌田雄一郎は佐川に斬られかけ(ry
「抜刀隊」って「陸軍分列行進曲」ですよね?
神宮外苑の出陣学徒壮行会で演奏されている曲。
241 :
日本@名無史さん:04/09/27 00:50:38
高校で見た西郷隆盛の映画(ドラマ?)を思い出した。西郷さんの銅像の除幕式で陸軍の軍楽隊が「抜刀隊」を演奏していた
>>241 それたぶん日本テレビが毎年作ってたドラマの「田原坂」だね。
里見浩太郎でしょ?
243 :
日本@名無史さん:04/10/03 13:32:10
田原坂age
245 :
日本@名無史さん:04/10/13 09:15:50
さるべーじ
246 :
日本@名無史さん:04/10/18 10:37:04
我は官軍、我が敵は〜
天地要れざる朝敵ぞ〜
↑これが最高。
247 :
日本@名無史さん:04/10/26 23:15:59
薩摩人も歌わにゃならんのだよな・・・
官軍でもあって賊軍でもあるので無問題w
249 :
日本@名無史さん:04/10/27 20:46:53
NHKでドラマやってますたな
250 :
日本@名無史さん:04/11/07 10:45:01
251 :
日本@名無史さん:04/11/07 18:27:51
”官軍は続く激戦に兵士の死傷が多くなるので将校会議を開き、新鋭の警視隊の中から
決死の百名を選抜して抜刀隊と賞する一隊を組織し、薩軍の陣地に突入させて堅塁を
抜く作戦をとった。この計画が伝わると警視隊の面々はわれ先にと志願したので隊長は
厳密に銓衡して百名を選んだ。選ばれた隊員は悲壮な血盟を結んで十五日午前十時高
瀬に入り木葉に到着した。”
252 :
日本@名無史さん:04/11/07 18:29:05
”この百名の抜刀隊は二隊に分かれ、一六日の払暁、一隊は川畑警視が率いて正面から、
一隊は上田警部が率いて側面から薩軍の保塁に突入した。敵味方入乱れて激戦となり、
百人の抜刀隊のうち生きて帰った者は僅かに三十名に足らなかった。”
石光真清の手記より
253 :
日本@名無史さん:04/11/07 20:45:24
西郷軍に比べて遥かに強力な火力支援を受けながらの戦闘だった筈なのに、そんなに大勢の犠牲が出たのか。
254 :
日本@名無史さん:04/11/07 21:37:19
>>253 作者の石光真清は、当時熊本城下に住んでいましたが、
元熊本藩士で抜刀隊に志願した従兄の生田登三郎を
この時亡くしています。
255 :
日本@名無史さん:04/11/13 23:29:10
君がため都の空を打ち出でて阿蘇山麓に身は露となる
薩摩人 みよや東の 丈夫が さげ佩く太刀の 鋭きか鈍きか
山川さんの歌好きですね。
母方の先祖が会津藩士でしたが、西南の役では抜刀隊にも参加してます。
でも、なんか仕返しっていうのも、なんかねぇ。
258 :
日本@名無史さん:04/11/21 00:51:17
山川はなんだかんだと表の道を歩んだが、
その陰で西南戦争全体には影響をほとんど与えなかった阿蘇の一隅の戦場で、
ひっそりと戦死した佐川官兵衛に、
時代に翻弄された人の人生を思う。
259 :
日本@名無史さん:04/11/23 12:13:59
>佐川官兵衛
勇敢かも知れないが、上士なのに喧嘩で人殺しをした粗暴無思慮な男のイメージ
260 :
日本@名無史さん:04/11/23 17:24:14
佐川はご家老様だから土百姓のおまいより偉い
261 :
日本@名無史さん:04/11/23 18:24:07
陣中で唐傘さしてた基地外
262 :
日本@名無史さん:04/11/23 20:41:00
戦史の本に「抜刀隊を組織し、西郷軍と互角に戦えることを証明した」とかなんとか書いてあったが、
100人のうち生還したのが30人弱じゃ、互角とは胃炎な。
263 :
日本@名無史さん:04/11/23 22:15:00
居合の流派で警視庁流というのがあったそうですが、
この流派は現在でも残っているんでしょうか?
264 :
日本@名無史さん:04/11/28 00:14:44
>>262 それだけでは互角かどうかなんてまるでわからんな。
西郷方の状況が明らかにならんと。
265 :
日本@名無史さん:04/11/28 00:31:31
>>259 火消しと喧嘩して一人を天国送りに。
これも江戸の粋というもの。
佐川は無骨に見えて繊細な和歌を詠む。
最も古風なタイプの武士だな。
266 :
日本@名無史さん:04/11/28 11:07:57
>>265 うむ。
佐川は京都にいた際も、常に大量の書物を傍らにおいて親しんでいたという。
日新館でも文武に秀でていたという評が残っている。
現場の猛将タイプで酒での失敗のエピソードには事欠かないが、
決して無教養な人間ではない。
ひいきの引き倒しもいいとこだ
役目を預かる身で私闘に及んだことが問題だろうに
そもそも誰も無教養なんて言ってないし
268 :
日本@名無史さん:04/11/28 14:01:47
>>267 その件では長期にわたって謹慎してるだろ?
その上で京都に呼ばれたわけで。
粋といって片付ける気には到底なれんが、
>>267が何を「ひいきの引き倒し」と言ってるのかもよくわからんな。
269 :
日本@名無史さん:04/11/28 18:28:43
270 :
日本@名無史さん:04/11/29 00:22:03
272 :
日本@名無史さん:04/12/05 03:23:51
age忘れましたね
273 :
日本@名無史さん:04/12/05 08:35:39
「抜刀隊」の中では2番の歌詞が好きです。
ところで、「日本刀」は「にっぽんとう」ですか「やまとがたな」ですか?
>>273 戸山学校軍楽隊演奏合唱のレコードでは「やまとがたな」と歌っているから、
「やまとがたな」が正しいと思う。
275 :
日本@名無史さん:04/12/15 22:50:03
抜き身でage
276 :
日本@名無史さん:04/12/27 10:20:33
早乙女貢はいまだに佐川と抜刀隊をくっつけて語ってるな・・・ったく。
277 :
日本@名無史さん:04/12/27 21:24:45
反戦運動は合法的かつ、常識をわきまえてしよう
反戦活動も尊重されるべきである。
しかし、問題もある。
活動家の中には反戦運動という美名の下なら何をしても正当化されると思い込んでいる連中がけっこう居る事だ。
違法行為スレスレとか、違法行為を堂々と行い、叩かれると「言論弾圧」と叫ぶ輩だ。
例えば、公衆トイレに落書きして捕まったら「言論弾圧だ!」と反省もしない活動家も居た。
現代の日本では主義主張があればインターネットなどで瞬時に世界中に配信する事ができる。わざわざ公共施設に落書きする必要性もない。あるとすれば、嫌がらせ目的くらいだ。
反戦運動などの市民運動は感情的になるほど道を踏み外しやすい。
そういうつまらぬ過ちで反戦運動そのものから一般人の理解が遠のいたら元も子もない。
>>50 >新撰組はどうかな。
山口次郎(斎藤一、後に藤田五郎)が組織した会津新撰組の隊士のことでしょう。
新撰旅団というのも、ありましたな。
279 :
日本@名無史さん:04/12/28 00:06:02
えらい前の書き込みにレスしますな
280 :
日本@名無史さん:05/01/14 23:08:10
ようやく今年1発目のage
281 :
日本@名無史さん:05/01/24 22:21:45
抜刀隊って大河ドラマのいいネタにならないかな?
佐藤浩市あたりを佐川役で主人公に抜擢・・無理かorz
ところで、抜刀隊の活躍って夜間がメインだったんすかね?
282 :
日本@名無史さん:05/01/24 22:39:19
てか、佐川は抜刀隊指揮してないし。
>>282 いやもちろん指揮する立場ではなかったけど、
「元会津藩家老」である人物を主人公にもってくることで、
一般の視聴者にもウケ易いんじゃないかと思っただけです。
でもやっぱ、大河の主人公って、組織のトップで活躍してたような人物じゃないと
向いてないのかな・・
284 :
日本@名無史さん:05/02/17 00:19:27
まあ佐川官兵衛っつっても、
会津と阿蘇の一部を除けば、
知名度はなきに等しいしな。
旅団とかいうとどこかの赤い旅団みたいでいやだな
286 :
日本@名無史さん:05/02/21 21:08:43
誤爆?赤い風船?
>281
「獅子の時代」でなっているよ。
主人公の一人薩摩藩士の刈谷嘉顕が一隊長となって薩摩抜刀隊に斬り込むがね
>286
「赤い旅団」はイタリアのテロ組織ですがな。
んなこたぁわかってるw
旅団ってのどかで好きだけどね。
師団になれない半端な感じ
291 :
名無し@すめし:05/02/23 16:56:10
おやつは\300までだぞ
292 :
日本@名無史さん:05/02/23 17:54:18
宿敵、イモ退治のチャンス到来
293 :
dqn ◆COFFEE/l3k :05/02/25 01:18:15 ID:3FibuT9F BE:27526043-
>>50 これはマジなレスかな?
>斉藤一が、「警視庁抜刀隊に」参加していたと言う、
>未確認な話しも残っております。
新撰組の3番隊の人でしたっけ?
294 :
dqn ◆COFFEE/l3k :05/02/25 01:19:40 ID:3FibuT9F BE:41289629-
抜刀隊とかは
薩摩の人が多いのかな?
>>293 豊後口(大分と宮崎の県境辺り)攻撃に参加している。
>>294 そうだな。約半数が薩摩出身者。構成比は最大を占める。
中には俳優・上原謙の祖父(薩摩出身)も抜刀隊の一隊を指揮している。
>藤田
旧会津の誰かと組んで隠密(密偵)活動をしていたらしいね。
内容は知らんけど。
牙突はリアルな戦法か?
斎藤は晩年、吊るした空き缶に竹刀で穴を空けたんだってさ
よっぽど鋭い突きなんだろうな
俺もやってみたけど、凹んだだけだった
大正の頃に空き缶なんてあったのか?
缶詰とかはありそうだけどね。
301 :
日本@名無史さん:05/02/26 23:57:49
302 :
日本@名無史さん:2005/03/21(月) 16:33:18
あげあらし
303 :
日本@名無史さん:慶長410/04/01(金) 01:32:55
age
304 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 21:01:49
抜刀隊(ばっとうたい)は明治10年(1877年)に起きた西南戦争の田原坂の合戦の際に官軍方で編成された部隊の名。
農民出身者で構成される官軍が、薩摩軍との白兵戦でどうしても当たり負けするという弱点を補うべく、警視庁の巡査から志願者を募ったもので、
敵の薩摩軍に恨み骨髄の旧会津藩士や、新選組の斉藤一ら旧隊士が多く参加していたことで知られる。
田原坂は加藤清正の築いた要害であったため、それを利用した戦術で薩摩側は官軍を苦しめていた。
官軍が進撃していくと、突如坂の上に薩摩側の兵士が現れ、一斉射撃を浴びせる。突然の事で官軍が狼狽してしまい、慌てて発砲するが当たらない。
当時の小銃は単発式であり、弾込めに手間取っている間に、薩摩の兵士は銃を捨てて抜刀、斬りかかるというものであった。
当時の薩摩の兵士は示現流の使い手が多く、また官軍の兵士の訓練がまだ行き届いていない事もあり、多くの官軍の小隊が全滅の憂き目に遭った。
これに困った官軍が急遽、多くが戊辰戦争や維新後の扱いで散々苦杯をなめさせられていた会津藩士族からなる
警視庁の巡査を募り、抜刀隊を編成、刀のみの軽快な機動力でもってこれに対抗することにした。
士族だけあり刀の扱いに関してはひけをとらず、また前述のように薩摩に深い恨みがあったため、3月13日早朝に突如襲撃を加えた抜刀隊は
大きな戦果を挙げた。しかしながら勢いに乗って深入りしすぎたため、抜刀隊側も相当の損害を出している。
このように怨恨を利用するなど、いささか陰険な作戦を考案したのは、やはり陰険で有名であった山県有朋であった。
しかし、抜刀隊の奮戦と活躍は田原坂攻略の要となり、その戦いぶりは「抜刀隊」という軍歌になり、のちのちまで歌い継がれることとなった。
この軍歌を元として作られた『陸軍分列行進曲』は、現在でも陸上自衛隊が行進曲として使用している。
305 :
日本@名無史さん:2005/04/12(火) 23:35:12
どこのコピペ?
306 :
日本@名無史さん:2005/04/30(土) 09:20:24
age
307 :
日本@名無史さん:2005/05/15(日) 23:30:28
さるべーじ
308 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:15:41
309 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:17:44
ああ、ウィキペディアか。
ひょっとしたら筆者本人の宣伝だったのかもなw
310 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 00:26:03
>309
あのサイトは素人でも書き込めるみたいだけど、明らかに嘘とわかる解説を書き込んだらどうなるの?
311 :
日本@名無史さん:2005/05/16(月) 08:24:52
>>310 その嘘が流布されるだけのことw
だからウィキペディアに依拠してもの書くと恥をかく可能性大。
基本的に信用してはいけない。
312 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 00:34:43
age
313 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 01:05:57
缶詰有る所に空き缶有り
314 :
日本@名無史さん:2005/05/25(水) 12:36:17
つまり結局は捨て駒にされたわけだ。
抜刀隊の死亡率高すぎ。将棋で言えば歩。
だが歩のない将棋は負け将棋だ。
戦略的に見て政府軍のほうが賢い。
315 :
日本@名無史さん:2005/05/26(木) 22:24:18
当然、それはわかった上での志願でしょ
316 :
日本@名無史さん:2005/06/06(月) 23:35:00
age
317 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 09:47:07
ageてみる
318 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 12:49:16
山縣が陰険かどうかは異論もあるだろうが、
>>304コピペは概ね正しい説明だよ。
ただ、抜刀隊の主力が会津人であるかのような記述は間違ってる。
抜刀隊で一番多かったのは鹿児島人だったはず。
319 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:09:06
320 :
日本@名無史さん:2005/06/16(木) 16:19:24
↑
始めは「海軍」の歌やが、途中から「会津藩」のタメの歌になるから
最後まで我慢して聞け!
321 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:46:23
抜刀隊最強age
322 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:47:59
斉藤一最強!
323 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 21:49:55
;⊆`.;,∽:つ;∵.'グチャッ
;∵.';: ,:,o
@ =◎,,, /|:*∵.';: =⊃ なんだ、ダサツマひいただけか
(∴(∴) > ________
,,,,,,""~~’~VVどん ,..-''" ̄ ∩_∩ ̄//"^、ヽ. ____
(∵:(;;) _,,..,.-;_'" (・∀・ )__|| __ヽ \="zュ、 ̄\ 〜⌒);;
((∞ノ,. ..:,''"´"  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/_  ̄ ̄`ヽ ̄└‐┘ヽ~,,  ̄`ヽ/ 〜⌒);;⌒⌒)
∠..../___,____∠ /__r'^ヽ V´  ̄`i " r'^y' 〜⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
〔巨I ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄巨五I 。i゙⌒ヽ / ̄__! / )| ⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
〉同〉―――800――――j同ヲ ̄:; ̄ ̄| | ‐:::;;;;;;//、 ノ 〜⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
∠二_________二二__フ_| 丿-ー''''"" ̄ー`―'ズギャギャギャギャー
 ̄ ̄  ̄ ̄ ⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
324 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 22:27:40
新鮮厨はキエロ
325 :
日本@名無史さん:2005/06/29(水) 23:50:49
さつまあげ
326 :
日本@名無史さん:2005/07/05(火) 22:47:43
しかし抜刀隊という響きは格好良いな
327 :
日本@名無史さん:2005/07/06(水) 23:56:46
はじめから対薩摩兵の白兵戦を想定していたのに、なぜ槍隊ではなく、抜刀隊にしたのか?
盾を持たなかったのか?
そこに、刀の使われ方が見える
328 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 00:18:57
軍備がいい政府に古い軍備の薩摩。それに政府軍は農民や町人戦をしたことのない逃げ腰連中に対し薩摩は根っから武士集団、最初の戦は薩摩の優勢だったのに、抜刀隊武士徴兵するんだべ。
329 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 00:37:27
>>320 抜刀隊は敵の大将を美化しているのが気に食わん。
所詮、薩長藩閥のオナニー軍歌。
330 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 07:06:56
敵の大将を称えるのは、武士としての
礼義であり美質です。
331 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 07:13:44
チョンにそういう話は難しくて理解出来ないみたいだぞ。
332 :
日本@名無史さん:2005/07/07(木) 08:58:37
唐突にそういうこと言うのって寒い
333 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 03:27:30
>>330 敵の大将が「身内」だから美化したんだろ?
戊辰の時とは大違い。
所詮薩長の礼とはその程度。
334 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 03:55:46
日本人を身内扱いしないというのは、いったいどこの外国人の話なのかね。
因みに薩長が樹立した新政府では、戊辰戦争の賊徒であっても有能な人物は登用された。
薩長の雅量とは、日本人を遍く身内と見なした点が特徴的なのだ。
そんな事も理解していない朝鮮人の反日宣伝など、所詮その程度。
今日、そのとき歴史が動いたの再放送でやってたYO
336 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 09:17:37
>>334 そのリクツだと、
遍く身内を見なしたとは言えんと思うがw
337 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 09:18:14
「身内と見なした」だな。スマソ
338 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 18:42:26
剣心=新撰組組長>新撰組>>>抜刀隊(笑)
339 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 20:00:54
何故かね?
公正無私な薩摩武士は、たとえ親しい身内であっても賊は賊として容赦なく征伐するものだ。
だが、恭順した賊徒であれば適材適所で登用する。
21世紀に入ってもまだ薩長に負けた事をウジウジ怨んでる朝鮮人みたいな気違いが日本人である筈が無い。
大久保内務卿が暗殺されたその日、
緋村剣心は不殺の誓いを捨て、人斬り抜刀斎に戻る事を決意したという。
341 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 20:35:15
薩長主体の政府軍にも会津や桑名といった旧賊軍が西郷軍を討伐する為に従軍する傍らで、
かつて西郷に賊軍として討伐された事もある旧庄内藩士などは再び賊軍の汚名を恐れる事なく西郷を助ける為に馳せ参じた。
もしも薩長に賊軍扱いされた過去を恨んでいたのであれば、
自分たちを賊と呼んだ薩長政府に奉職するのはブザマな負け犬そのものであり、
かつて自分達を賊と呼んだ西郷の為に命と名誉を捨てて馳せ参じた旧庄内藩士の誇り高さとは似ても似つかぬ貧困な精神だ。
342 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 20:54:37
>341 君のように、戦など体験することもなく
毎日平穏に生きているヒマ人よりはマシです。
343 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 21:08:34
恨みを飯の種にしている朝鮮人のような負け犬よりもマシである事は、別に何の自慢にもならんよ。
君もくだらない愚痴ばかりいつまでも言ってないで、
薩摩武士のように誇り高く生きて、雄々しく死ねば良い。
344 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 21:46:41
>君のように、戦など体験することもなく
毎日平穏に生きているヒマ人よりはマシです。
>恨みを飯の種にしている朝鮮人のような負け犬よりもマシである事は、別に何の自慢にもならんよ。
話が噛み合ってないぞ。
345 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 21:49:27
さつまいも
さつまいも
さつまいも
346 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 21:51:26
薩摩オタは
消えろ
347 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 22:00:21
噛み合ってないだと?
ずいぶん物分かりの悪い人だな。
つまり、年柄年中薩長への恨み言ばかりの負け犬なんかよりも劣る者など居ないという事実を婉曲に示したまでの事だよ。
分かったかね?
分かれば今から直ちに恨み言や愚痴ばかりを垂れ流す負け犬人生から足を洗い、
これからは薩摩武士のように気高く生きて、死に給え。
かつての賊軍が更正して薩摩武士のように健全な人生を取り戻す姿を観察するのは、
現在もなお支配階級にあり続ける薩摩人にとっても大いなる喜びなのだ。
薩摩はこの国を支配しているわけではありません。
良い方向を模索し、実行しつづけているから支持されている、
ただそれだけのことです。
世界を破綻させようと企む会津人などが誹謗中傷を仕掛けるのは
まったく筋違いでしょう。
しかし、奢ることは彼ら会津と心を同じくすることです。厳に慎みましょう。
349 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 22:23:09
揉めるようなことか?
ここはなごやかに会話するまったりしたスレですね
351 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 23:03:41
とりあえずウザイな
352 :
日本@名無史さん:2005/07/08(金) 23:43:24
19世紀の敗戦について足掛け2世紀も恨み言をグダグダ言い続ける負け犬どもがウザくない筈も無かろう。
努力のベクトルというものを先祖代々にわたってそんな風に間違えているから、
薩摩の軍門に下る羽目にも陥るのだ。
353 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 00:23:11
>>327 白兵戦は、当時なら銃を発砲してから(連射が出来ないし)、即、突撃になったはず。
それなら接近戦に強い刀が主力になるのは当然の流れだと思う。
戦場も野戦より丘陵地」が多そうだし。
槍だと、最初から銃持つ前提にはならないのでは?
盾は近代の白兵戦戦だと使ってないよね、確かに。
機動性悪そうだけど。
354 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 00:31:04
>>341 >旧庄内藩士などは再び賊軍の汚名を恐れる事なく西郷を助ける為に馳せ参じた。
開戦時に鹿児島にいて巻き込まれた、庄内からの2名の留学生の少年な。
兄弟で敵味方に別れてどちらも戦死なんて可哀相に・・・。
薩摩の芋どもが江戸で悪事を働かねばこんな事にはならなかったのに。
355 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 01:10:45
薩伐としたスレですね。
356 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 01:21:21
刀に対しては確かに槍の方が有利だと言う経験則があった。
支那武術界でも「槍3日、刀100日、剣1000日」という言葉が伝えられている。
日数は達人になるのに要する日数の目安だ。
伝統的に「刀」と「剣」を混同している日本人には分かりづらい所もあるが、
刀剣で槍に勝つのが極めて難しい事が分かるだろう。
であればこそ警視庁抜刀隊が西郷軍の斬り込みに対して槍で備えなかった事には疑問が生じる。
考えられるのは、田原坂の曲がりくねった道の死角から至近距離で急襲を繰り出す西郷軍に対して、
槍は十分な間合いが取れずに却って不便だった可能性がある。
槍が刀に対して有利を維持するにはある程度の距離をとっている必要があり、
西南戦争でそういう状況を形成するチャンスは稀だったと考えられる。
それに加え示現流では槍対策の稽古も十分に積んでおり、槍で対抗する利点が希薄だった。
357 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 02:07:53
西郷は生かしとくべきだったね!山縣曰く!
358 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 02:57:51
薩摩隼人対会津武士、不平士族対旧賊軍とか
抜刀隊は、色々な捉え方ができるが、佐川官兵衛は
どのような気持ちで引き受けたのかな...
ついでに川路利良の気持ちも
359 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 08:47:52
360 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 10:11:59
>>356 抜刀攻撃の強みは場所を選ばない機動性と奇襲にあると思う。奇襲と速攻。
戦国期、野戦で両軍が相対するような局面では、普通は槍や長巻など長大な武具が優先する。
日本の戦で、そのような両軍が野戦で延々と相対するような展開は割合的に意外に少なかったのではないかと。
日本人にとって、それは教科書的な戦の展開でしかない、と。
戦場のすぐ脇には山河田園が迫っているし、また日本の山城の持つ性格から考えて、
語弊はあるが『大きなゲリラ戦』を繰り返す展開が日本の戦の大半ではなかったのかと。
であるならば、その局面で役立つ武具や戦術が発達してもおかしくはない。
伝えられる倭寇の戦い方も、よく伏兵を用いて神出鬼没、よく大軍を破るとある。あと日本刀の話が多い。
倭寇は時代が下るにつれて日本人は少なくなっていたというが、そこは差し引いたとしても
いかにも日本人的な戦のやり方ではないか、と言ったら少々強引だろうか・・。
以上仮説。
361 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 11:06:16
>>358 元桑名藩士は薩賊憎しで参加したらしいよ。
>361
殿様おんみずから御出陣だったのでわ。
>>362 定敬さんは江戸〜越後〜会津〜五稜郭と桑名藩兵と共に
転戦はしましたが(藩兵は庄内で降参)、この時は激励
程度だったような気が。。
364 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 15:10:34
>>359 西南戦争の時、抜刀隊を編成したのが
佐川官兵衛だったのでは?
>>364 佐川は警視庁抜刀隊が編成される前に警視庁から徴用された物資弾薬の運搬担当者。
抜刀隊編成前に銃弾に倒れて戦死している。
366 :
日本@名無史さん:2005/07/09(土) 15:53:43
佐川官兵衛は、阿蘇で住民に返り討ちにあって死んだ。
田原坂にはいない。
368 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:42:01
戦国時代の日本でも諸外国でも、戦闘の主役は弓矢や鉄砲などの飛び道具であり、
大概は死傷者も飛び道具によるものが過半数を占める。
だが自動小銃が登場するまでは、それらの飛び道具は敵に対して適切な距離を保てないと刀剣による攻撃に極めて弱い時代が長く続いた。
そもそも槍兵とは刀剣攻撃をアウトレンジで無力化する為の兵科であり、
原則的には多人数で槍ブスマと呼ばれる障壁を形成して敵の進撃を阻止するのが役目だ。
見晴らしの良い場所での野戦であれば、大部隊同士の戦闘において槍隊の配置が重要となる。
しかし、狭く曲がりくねった山道が連なる田原坂のような環境では、槍隊の利点が殆ど期待できない。
俗に一騎討ちでも槍は刀剣よりも有利とされるが、狭く曲がりくねった山道で肉薄されたら槍の方が不利となる。
当時、拳銃は無かったのか?
370 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 00:49:59
>>368 >戦国時代の日本でも諸外国でも、戦闘の主役は弓矢や鉄砲などの飛び道具であり、
>大概は死傷者も飛び道具によるものが過半数を占める。
私は鈴木眞哉氏が唱える『遠戦志向』については、あまり賛同できない。
志向とそれが可能であるかは一致しない。
それは脇におくとして、以降の部分は全く同意。
鈴木氏の影響のせいか、近頃は極端に抜刀攻撃をあり得ないことと断定とする論調がアチコチに多くて困る。
371 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:07:28
日本でも古来から戦闘技術を「弓馬の道」という言葉で総称していた。
「槍馬の道」でも「剣馬の道」でもなく、弓馬である事に着目して貰いたい。
言うまでも無くここで「馬」というのは移動手段としての騎馬技術を指し示し、
現代なら自動車や航空機などの操縦技術に置き換えるべきスキルだと考えられる。
では、「弓」とは何か?無論戦闘技術の総称だ。
戦場で主たる兵器を戦闘技術の総称として選ぶ際の常識として弓が選ばれるのは、
弓すなわち飛び道具が最も主要な兵器であった事を示している。
弓や鉄砲が戦場において補助的な役割しか果たしていないと考える理由はどこにも無い。
372 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:12:07
373 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:16:20
一騎討ちを挑んでいたのであれば、味方が不利だからといって横から攻撃するのは卑怯だね。
助太刀が鉄砲によるものかどうかは無関係。
374 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:21:44
ちぇっすとー!!!
375 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 01:40:20
佐川を狙撃した人物は、戦闘後に薩摩軍側でも卑怯者呼ばわりされていたそうな。
376 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 09:43:39
377 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 11:42:00
ここには強烈な薩摩オタさんが1〜2名いるね。
とりあえずウザイね。
378 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:39:44
19世紀の敗戦を今でも愚痴り続けて生涯を終える人生の負け犬は黙れ。
379 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 12:56:56
佐川は不運だな。。。
そんな卑怯な手法で殺されちまって
380 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 14:27:05
銃弾が飛び交う近代の戦場で呑気に一騎討ちなんかやってるようなマヌケは撃ち殺されても仕方ない。
佐川も命賭けで実戦を潜り抜けたベテランなんだから、
撃ち殺される事くらいは当然覚悟してから一騎撃ちに臨んだ事だろう。
沖縄と県民年間平均所得の最底辺争ってるイモが粋がりやがってw
薩摩出身である数代前の爺様をもつ首都近郊生まれの手前に現代の鹿児島を持ち出されましてもなぁ
383 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:32:30
薩摩が他の地方から散々搾取して富栄えていた方が良かったのかね。
負け犬どもの歪んだ価値観は理解に苦しむな。
あいにく薩摩武士道は質素倹約を美徳と心得ており、日本の支配層となった現在でもそれは変わらない。
もし暖衣美食を追い求め、裕福な金持ちである事を誇りたければ、
商人にでも身を落とすが良かろう。
384 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 19:56:04
佐川官兵衛というお仁は小説の主人公にでも
なりそうなお方だな。司馬に書いてほしかったなァ
385 :
日本@名無史さん:2005/07/10(日) 23:01:40
>>384 中村彰彦が書いてるでしょ
司馬さんは、
『王城の護衛者』以外には会津ものをそんなに書いてない気がする
386 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 00:33:33
中村彰彦の文章は、
佐川が農民に畳を持たせて「人間の盾」として殺したこととかを
「会津人だから正義」と書いて何の検証もせずに否定していたりするので、
参考文献としては問題がある。所詮小説書きの雑文だ。
387 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 00:41:03
太陽系最強の戦士である薩摩武士との合戦だというのに、
丸腰の農民を前に並べた後ろから号令していたのかね。
会津の武士というのは大した恥知らずだな。
388 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 02:09:06
>支那武術界でも「槍3日、刀100日、剣1000日」という言葉が
十日「木昆」、百日刀、千日槍、万日剣のことかな
389 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 02:10:54
そういうのもある
390 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 02:20:50
>>386 >佐川が農民に畳を持たせて「人間の盾」として殺したこと
どういう史料に書かれているの?
読んでみたいから教えて。
391 :
日本@名無史さん:2005/07/11(月) 08:51:37
>>386 別に中村彰彦の肩を持つ気はないが、
「会津人だから正義」
これ引用か?
392 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 18:04:50
保科正之の遺訓に従い、徳川将軍家を守る為であれば手段を選ばないのが会津武士道の真髄と言える。
それにしては会津史談会は、自己保身のために徳川慶喜公を散々に中傷してますな。
394 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:30:41
権力の座から転げ落ちた後の将軍は既に将軍に非ざれば也。
395 :
日本@名無史さん:2005/07/13(水) 19:48:01
本質的に戦いとは力の衝突であり、力の使い方に長ける方が勝つ。
負ける時の原因とは、力の使い方が敵よりも下手だったというだけの事だ。
負ける理由は、例外無く敗者の未熟さが原因だ。
自分達を打ち負かした敵を誹謗中傷している時には勝者に対する劣等感を癒す事が出来るが、
別にその間に未熟者の能力が発達する訳では無いので、
何度戦っても負け続ける結果となる。
薩摩武士は寸暇を惜しんで鍛練と学問を磨き続けて歴史を大いに動かし、
会津人は己自身の貧弱な心に負けたのだ。
396 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 00:25:14
なるほど、それで西南戦争はああいう結末になっt(ry
397 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 01:29:23
「NHKそのとき歴史が動いた」の山縣有朋によると・・
国民皆兵、平民の軍隊が近代国家にとって絶対に必要と考えていた山縣だが
薩摩兵の切り込みに4度の総攻撃がすべて失敗。警視たちの参戦申し入れを
一度は断っていたのだがほかに手はないとしてこれを受ける。しかし
ここで警視(警視庁抜刀隊)が薩摩をやぶっても所詮はサムライがサムライを
破ったことに過ぎなくなってしまう。
そこで抜刀隊には一切「銃」を持たせず「彼らは軍隊でない」との大儀を
形だけ貫くことにした。いきなり3箇所の薩摩陣地を落とした抜刀隊だったが
銃を一切もたされず先頭に立って突撃させられた彼らの死者は当然多かった。」
敢えて銃を持たせず総攻撃の最前線に立たせる、サムライつぶしだな、下級武士
出身のコンプレックス山縣
398 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:07:22
本当にそんな理由で銃を持たせなかったのかのう?
NHKだけに胡散臭い
399 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:18:45
山縣だって陸軍を預かる高官なんだから、
白兵戦最強の薩摩武士に対して刀だけしか装備しない事のデメリットくらいは百も承知だ。
西南戦争は他の士族反乱と同様に武士がレゾンデートルを賭けて国家に楯突いている内乱なのだから、
平民出身兵で叩き潰す事に失敗すれば戦闘を鎮圧したとしても結局は反乱軍の思う壺となる。
反乱軍の戦争目的は、「平民出身兵よりも武士の方が強いのだ」という事実を実証する事だからだ。
400 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 02:21:18
>>396 政府軍の主体は薩摩出身者だったのだが、それがどうかしたかね?
401 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 09:16:49
ちなみに薩軍の主体はどうだったのかね?
402 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 10:12:52
田原坂のような死角の多い山の中では、
敵を射程に収めた時には既に相当な至近距離に接近されているから、
すぐに斬りこまれて鉄砲の優位性は著しく損なわれる。
しかし、敵と刀で戦える戦力を前線に置けば、鉄砲の威力は十分に発揮される。
武士に鉄砲を持たせないことで、
武士を正規兵としては使用していないという
建前を作る狙いもあったことは事実だろうが、
そんな建前は程度の差こそあれ看過されることは明白である。
もし武士を使うことの効果が小さいなら、割に合わない選択である。
斬り合いを想定した訓練は徴兵軍には徹底していなかったため、
協力を申し出た元武士で構成される警視庁の巡査に
刀だけ持たせて斬りこませることは、
平民からの徴兵という建前の維持を抜きにしても
十分に合理性のある戦術であったと言えよう。
たまに見かける「会津の薩摩に対する恨みを利用した」
という指摘は不適切である。
警視庁抜刀隊は主に当事の東京・鹿児島出身者で構成され、
会津出身者はたまたまごく一部を占めるに過ぎかったからである。
403 :
日本@名無史さん:2005/07/14(木) 16:02:13
西南戦争勃発前に警視庁が「東獅子」とよばれた薩摩郷士出身の
警官による密偵団を送り込む際、警視総監の川路(同じく元薩摩郷士)が
「薩摩上士への恨みを忘れるな」と訓戒した。なので抜刀隊の薩摩藩出身者
には、その意を含んだとおもわれる。また政治的な思考法ができる川路は
「会津藩の薩摩藩への憎しみ」は戦場で利用できると考えたことは、ほぼ
事実だろう
404 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:20:14
見たよNHK.警官たちは参戦を申し入れていたのにサムライがサムライを
制するのは近代軍確立のマイナスになるって言って断ってたくせに総攻撃
4回すべて薩摩の切り込みにあって失敗すると仕方なく警官を迎え入れたっていってたね。
でも敢えて銃を持たせないことで彼らは軍じゃないとか言い張って。
なんか山縣の人間像が変わったよ。
田原坂の地形も言ってた。薩摩側は30秒に一発、政府軍は6秒に一発の銃
と相当に火力に差があるのに薩摩は「立ち撃ち」=狙って撃ってくるのに
政府軍は弾をおそれ手だけ出して撃つ有様だって。でもその薩摩に銃なしの
抜刀隊を先頭にして送ったってのも山縣ひどいなぁ
405 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:38:26
会津出身者は畳で武装する事を希望していたという伝説もある。
406 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 03:52:45
会津武士道では、畳が最強の武器だと聞くからな。
407 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 04:43:53
農民や商人などの素人の寄り集めの政府軍とサムライ魂の薩摩藩じゃ場慣れしていない政府軍が弱に決まってる。
408 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 04:45:12
政府軍指揮官の大多数は薩摩武士ですから、残念。
409 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 06:34:34
警視庁抜刀隊って、侍つぶしのために侍同士を戦わせたあれか。
要するに、不要な者を同士を戦わせてウマーって奴ね。
410 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 06:40:35
基本的に西南戦争は薩摩の内紛だよ。
その中にはむりやり狩りだされた平民や、尻馬に乗った他国人が居たというだけ。
政治的には公正無私な薩摩武士が大量に死亡もしくは下野して、
賄賂に弱い腐敗体質の長州閥が政府中枢で主流派となる原因になってしまった。
411 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 07:46:31
新選組の斎藤一も警官隊に入ってたのだわ
412 :
日本@名無史さん:2005/07/15(金) 07:52:49
尻馬に乗った他国人の一例だな。
413 :
日本@名無史さん:2005/07/16(土) 00:40:04
薩摩の立ち撃ちってのもすごいけど銃なしで突撃の抜刀隊もすげぇ。
サムライってどういう神経の持ち主だったんだろ。
あんな化け物包丁で斬りあうとか。
痛い思いしたくないとかないのかな
>>413 戦になったらおまえもやるのだ。
男になれ
415 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 22:22:02
斉藤一が刀を振りかざして襲ってきたら怖いだろうな
>>409 抜刀隊員はみんな警察官。
無職ニートの分際で、誇りがどうのと威張り散らしているそんじょ
そこらの士族と一緒にしては失礼だよ。
417 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 22:25:01
>>413 剣術上の精神修練が相当の物だったと言うことでは?
418 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:30:12
で、賊徒の西郷一味は結局なにをしたかったわけ?
419 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:41:09
農民や商人だけで集結した政府軍が逃げ腰だったからじゃないか?軍備は政府のが上回ってるのに素人と戦なれした奴らじゃ差がありすぎ。
420 :
日本@名無史さん:2005/07/17(日) 23:58:39
421 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:23:37
士族の既得権縮小に伴う士族反乱の目的は、武士の必要性を証明する事だよ。
平民出身の兵士の手に負えず、士族から抜刀隊を編成して薩摩の斬り込みに対抗させた瞬間、
士族反乱は目的を達成して勝利したのだ。
422 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:35:42
勝利した瞬間に自滅するわけか
423 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:39:56
抜刀隊の出身藩構成知っている方いたら教えてください?
424 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 01:43:10
武士を鎮圧する為に武士が不可欠だという事を政府が認めてしまったら、
どちらが死のうと士族反乱の目的は達成されているのだ。
425 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 02:43:00
だったら最初から明治維新おこさないで公武合体を目指せば良かったのに
なんで刀なんだ
当時、政府軍は拳銃を携帯していなかったの?
427 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:38:04
公武合体では改革が充分に進まない事が既に判明したので立ち消えになったのだよ。
428 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 07:47:39
拳銃ではないのは、接近戦では刀の方が有利だからだと思われる。
どこかで聞いたがアメリカの警察で拳銃vsナイフの戦闘をシミュレートして実験したところ、
6メートル以内の距離ではナイフを持った方が圧勝という結果が出たそうだ。
拳銃だけではまったく話にならないと言える。
429 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 10:29:39
拳銃を命中させるには10メートル(?)くらいまで引きつけないといけない。
そりゃ6メートルなんて静止状態からでも2〜3秒で詰められる距離だもんな。
急所に当たればいいけど当たらなかったら逃げられん。
431 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:45:48
だからぁ、政府軍の銃は6秒に一発、薩摩は30秒に一発だって。
432 :
日本@名無史さん:2005/07/18(月) 23:57:15
五倍の速さで盲撃ちしても、薩摩の立ち撃ちには勝てんよ。
433 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:00:09
佐賀、秋月、神風連、萩の乱はあっさり鎮圧されてるじゃん。
薩摩武士の健闘は、ただ単に田原坂という地形がよかっただけでは?
434 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:02:21
小倉14連隊の指揮官は無能な長州人乃木希典で、連隊旗を奪われる大失態をおかしたからな。
芋掘り如きは百姓で充分だが、指揮官が無能な長州人なら仕方ない。
435 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:03:59
実際に戦ったのは肥後の士族が中心なので、
西南戦争で薩摩を叩いたつもりになっていると、
肥後から仕返しが来ます。
436 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 00:08:55
地の利を生かすのは兵法の中でも最大級の要注意点だよ。
薩摩武士が田原坂の地形を活用できたのであれば、その点では政府軍を首尾よく出し抜いた事を意味する。
437 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:05:23
戦術や単発の局面で勝っても戦略で最終的に負けてりゃ無意味。
438 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:15:07
田原坂の敗戦以降は南九州全体を使って猪狩りをやっていたようなものだよな。
439 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:20:46
戦略では勝ってるよ。
士族反乱の戦争目的は、武士を鎮圧する為には武士が必要であるという事実を証明する事だ。
士族から抜刀隊が編成された瞬間、私学校軍の戦争目的は達成されたのだよ。
440 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:28:07
>>439 結果として武士が用済みであることが証明され、これ以後の闘争は言論へと移っていく。
441 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:30:00
武士が用済み?
平民出身の兵隊では武士の前に歯が立たなかっただけなんだがね。
442 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:32:01
西南戦争後の帝国陸海軍では、武士道精神の導入が強調されるようになった。
つまり、平民を片っ端から武士化しようとしたと言える。
西南戦争で最強の薩摩武士団の敗北により、武力討伐の限界が示唆されたんだろ
444 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:33:51
ほぅ、そんなに必要を認められた武士が、西南戦争後温存されなかったのはなぜだろう?
余りにも武士が強すぎて危険視されたとかW
445 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:33:53
実際には人権思想の平等幻想よりも武士道のノーブレス・オブリージュの方が有効である事が証明されたんだね。
446 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:34:24
>>441 だから地形だって。
西南戦争以外の士族反乱はどう説明する?
>>444 警視庁抜刀隊も生還者がたったの3割弱だからな。
薩・政共々相当死に過ぎている
448 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:53:00
いや、弾薬補給が制限される薩軍が熊本城を
突いたことは戦略的に大失敗であった。
優れた野戦司令官だった板垣退助も熊本城進軍の
報を聞いた時「西郷は負けるだろう」とこの戦の
行く末を予見したそうだ。
449 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:53:29
少々難しい話になるが、武士というのは封建社会でしか成立しない階級なんだよ。
日本と同様に封建社会が長期的に安定していた西欧では武士道と同様にノーブレス・オブリージュを重んじる騎士道が成立した例があるが、
そもそも地方分権の極相である封建社会というのは権力構造としては不安定であり、
権力バランスが僅かに狂っただけでたちまち中央集権化する運命にある。
世界史上、封建社会が長続きした地域は日本と西欧に限られているという事実と、
ノーブレス・オブリージュを重視する武士道や騎士道の成立は無関係ではない。
中央集権社会では社会の各階層が権力を一極集中した権力者の忠実な歯車に徹する事が重視される。
そういう社会で誕生するのは、自己の権限を踏み越えない臆病者や、責任をタライ回しにする才能に長けた人間達、
俗に官僚主義者と呼ばれる連中に過ぎない。
つまり社会の各レベルで命がけの独断専行と責任感を美徳とする武士道や騎士道は、
中央集権体制の中では出来の悪い歯車として扱われる局面が多くなり排斥されていく。
分かりやすい例えを出してみると、密閉された満員電車の中で室温が異常に高くなったとする。
君が目の前にある窓を開けて涼しい外気を入れる場所に居るとする。
武士道のモラルならば室内で暑がっている周囲の人間が多い事を見てすかさず窓を開ける事が善とされるが、
中央集権社会のモラルではそういう行動は上司の許可が必要になるので、
いくら目の前の窓であっても勝手に窓を開ける事ができないまま目的地まで我慢し続ける事になる。
なぜなら、中央集権化が極まった社会ではそれがモラルだからだ。
独断で窓を開ける事が罪悪視されるような社会からは、武士は絶滅するという事だ。
450 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 01:57:35
士族反乱の目的は武士の重要さを認めさせる事であって、別に政府を打倒する事ではない。
平民出身者に銃を持たせただけでは武士を鎮圧できない事を証明すれば、士族の勝ちなんだよ。
>>450 ということは、士族の負けだったんですね。
納得
452 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:26:05
武士は別に武士道の哲学を持っているから武士と
いうわけでなく主から禄と身分を保証された人に
すぎない。明治維新後、栄達した武士と郷に帰って
悶々とした日々を送る武士。更に追い討ちかけるような
廃藩置県で特権身分を抹消されたことへの怒り。
或いは太政官に不満をもつ民権思想家達が各地で
反乱をおこしたのです
453 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:54:00
武士というカーストに武士道という武士専用モラルを義務づける社会の価値観こそが日本における封建制の特色なのだよ。
武士道に違背する武士は、武士としては出来損ないに過ぎないのだ。
454 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 22:57:12
薩摩武士を主力とする政府軍が薩摩武士を主力とする西郷軍を鎮圧しても、
別に武士の敗北を意味しないのだが。
455 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:06:41
薩摩揚げ厨の武士談義は堂々巡りもいいとこだなw
関ヶ原:手も足も出ず敗北・遁走
禁門の変:会津のおかげで長州に勝利。
薩英戦争:英国艦隊に街を焼き払われる。敗北。
戊辰戦争:長州のおかげで幕府に勝利。
西南戦争:新政府にボコられ敗北。
薩摩って単独で勝ったことが一度もないじゃん。
一応真正面から政府に戦いを挑んだのは西南戦争だけ。
この場合はもちろん敗北してるし。
457 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:11:23
>>456 会津なんて、常に幕府と朝廷にコビりついてるだけのビチグソじゃん。
458 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:17:41
えらく下品に走ったな
何かというと、薩摩VS会津になるのはなんとかならんものか?
徳川幕府(会津電波の被害者)VS会津なんてどうだろう。
461 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:47:15
本家が被害者面するのもどうかと思うがw
462 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:47:24
確かに徳川が会津の一番の被害者ではあるけど、
徳川ヲタとかいなさそうだから盛り上がらないだろうな。
463 :
日本@名無史さん:2005/07/19(火) 23:56:32
薩摩厨の幼稚さはどうしようもないな。
464 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 00:58:34
戊辰戦争でも新撰組、見回組、遊撃隊の働きは実に勇猛だったらしい。
ただ銃弾飛び交う中刀のみで先頭切って突進するので死者が多かったとのこと。
まず銃撃戦、そして白兵戦になってからこれら部隊を活用すれば戦いは
もっと変わっていた、と多くの研究者が言う
465 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:26:25
示現流って、端的に言えば田舎剣法だろ?
猪武者の象徴。
466 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:28:39
負け犬の洗練された剣法など、なんの役に立つと言うのだ?
467 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:42:19
芋征伐で成敗されたのは芋侍。
468 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 01:43:27
まきびしが最高に危ない。
ふんだら、血が出るよ・・・。
示現流はすれ違いざまに後ろから斬りつけるのがセオリー。
技がないため正々堂々と斬りあうと負けてしまうからそうなった。
470 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 02:09:26
一刀両断、て感じだな。
中国の青龍刀のようなもんだね
472 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 02:15:56
負け犬の遠吠えみたいな中傷に必死な粘着が異様に多いのは、薩摩の実力に比例していると思われ。
中村ぐらいしか知らないよ、示現流で強かった人。
結局薩摩叩きの糞供のスレになったか
まともにスレを返すこともできねえなこりゃ
>>まともにスレを返すことも
m9(^Д^)プギャー
中村って強かったのか
477 :
日本@名無史さん:2005/07/20(水) 09:25:45
だから早くメジャーに上げろと(ry
夏休みですぅぅぅ☆
479 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 00:29:58
480 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 02:53:12
誰ですかぁぁぁ☆
481 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 03:12:39
>480
時代劇 必殺シリーズに出でくる
同心・中村主水(男優:藤田まこと氏)の事。
剣客商売(男優:藤田まこと氏)もつおかったヨ
剣客商売は面白い。
483 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 08:24:23
玉緒もある意味強いぞ
484 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 14:26:17
薩摩の刀を投げるのって何流だっけ?
たしか生麦事件で外国婦人を殺しちゃったやつ
485 :
市 ◆CRdmCEc.aI :2005/07/21(木) 15:01:11
この板、ホロン部おおいね・・・電波とばしにきてるやつとか、僻んでか根拠なく否定しまくるやつが目立つ
486 :
日本@名無史さん:2005/07/21(木) 19:11:03
>>484 何?
薩摩にはそんな流儀があるの?
戦場で槍を投げることすら犬槍として蔑まれているのに。
芋侍は武士ではないな。
芋博徒だ。
488 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 00:03:43
包丁で指を切ること想像するだけで恐ろしいのに刀で斬りあうなんて・・
手足が転がってたりほほの肉や指が散らばってたらしいね、斬り合いのあとって。
まったく恐るべしサムライ精神
>>428 だから最近CQCが重要視されてきてるんだよね
接近戦での立ち回りは、銃よりナイフの方が早い
もう長州が最強でいいよ
会津も薩摩も雑魚でよし
幕末〜明治ころの評判では、薩摩武士1人が長州兵3人分に匹敵するといわれていたそうな。
長州人は職権濫用が得意なだけという感じだな。
職権濫用が得意www
493 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 06:05:58
結局どのスレも日本史板は、「薩摩、長州、会津」の三つ巴の
ループにハマるんだなw
494 :
日本@名無史さん:2005/07/22(金) 08:18:08
ハメてんのはほとんど同一人物みたいな気がするがw
495 :
日本@名無史さん:2005/07/24(日) 09:01:47
抜刀隊の歌詞の何番かに「わが身のなせる罪業を 滅ぼすためにあらずして
賊を征伐するがため 剣の山もなんのその」ってフレーズがあるけど
これは抜刀隊の人間がかつて、会津や幕臣に属していたために賊軍として
薩長の官軍に追い回されたことを暗喩してるの?
496 :
日本@名無史さん:2005/07/27(水) 04:15:06
感動しました。今で言うこばやし信者みたいな連中を
なで斬りかっこいい
497 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 03:31:58
↑意味不明な関連付けがいじましくて笑えるな。
498 :
日本@名無史さん:2005/07/28(木) 07:59:33
>>371 それはもう食傷気味のリクツに聞こえるんですが。
「弓馬の道」と古来呼ばれていたというのは、
書簡、古文書、説話集などの類から規定されているわけなのでしょうが、
言葉というものは象徴的な意味を引き継ぐものですから、
それが現実の戦闘行為、戦場での有様を忠実に表現しているとはいえません。
戦法その他も時代によって大きく変化するわけですから。
例の鈴木説(軍忠状)もあれだけの資料であの人の著作にあるような断定は非常に危険だと思います。
(あれだけの資料は十分学問的価値がある、という別角度の反論がすぐに出るわけですがw)
抜刀隊など維新前後の武士達の戦い方、姿勢をみるとき、鈴木説は机上の一論としか思えません。
江戸期の合戦絵巻物は全時代を通じて刀剣の活躍を描いています。
どうして「刀が武士の魂」になり、弓は脇に追いやられていたのか。
飛び道具から戦いに入るのは日本に限らず何処の世界でも同様でしょうから、
鈴木説の一面性だけにこだわるのはどうかと。
499 :
日本@名無史さん:2005/08/12(金) 13:46:35
499
500 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 09:01:28
「抜刀隊」の歌詞を見ると、なんだかすさまじい戦場だと想像できる。
それでも、日清、日露戦争の頃の熟練兵にしてみれば、鼻歌を歌いながら突撃できる程度の弾幕密度なんだろうけど。
501 :
日本@名無史さん:2005/08/19(金) 09:20:44
502 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 12:55:39
ageてみるか
薩摩といえば南京の首斬り魔の地元
やっぱりなあ
504 :
日本@名無史さん:2005/08/29(月) 13:42:02
そんなこと言い出せば、若松連隊は・・・(以下荒れそうなので自粛
505 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 19:35:23
ageてみる
日本刀は、曲がるし、折れる....
それに、錆びる....
507 :
日本@名無史さん:2005/09/28(水) 23:20:48
またageてみようか
508 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 22:46:21
>>506 じゃあ木刀の方が強いな。
佐々木小次郎が負けたのはそれが原因だな。
509 :
日本@名無史さん:2005/10/04(火) 23:30:06
素材によるかもなw
まあ、太平洋戦争時の弾幕に比べれば…
一瞬で30万発ぐらい飛んでくる中を万歳突撃だからね
つうか戦国時代と変わらない戦術なのが怖い
511 :
日本@名無史さん:2005/10/05(水) 18:08:05
芋征伐の時の華だな。
>>508 木刀は、一人やるのに時間と手間が掛かり杉...
つまり、疲れる...
513 :
日本@名無史さん:2005/10/22(土) 08:38:27
>>510 あれは生身の体による特攻だから戦術では無い、通常の銃剣突撃は軽機と擲弾筒の支援とともに行われた。
乃木ちゃんに513をよく読んでおいてほしい。
515 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 12:01:35
516 :
日本@名無史さん:2005/10/27(木) 13:03:51
槍で良いんじゃないの?
517 :
日本@名無史さん:2005/10/30(日) 22:37:05
穂先は石?青銅?鉄?
鹿児島で抜刀隊歌ったら怒られる?
;⊆`.;,∽:つ;∵.'グチャッ
;∵.';: ,:,o
@ =◎,,, /|:*∵.';: =⊃ なんだ、アホ女ひいただけか
(∴(∴) > ________
,,,,,,""~~’~VVどん ,..-''" ̄ ∩_∩ ̄//"^、ヽ. ____
(∵:(;;) _,,..,.-;_'" (・∀・ )__|| __ヽ \="zュ、 ̄\ 〜⌒);;
((∞ノ,. ..:,''"´"  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/_  ̄ ̄`ヽ ̄└‐┘ヽ~,,  ̄`ヽ/ 〜⌒);;⌒⌒)
∠..../___,____∠ /__r'^ヽ V´  ̄`i " r'^y' 〜⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
〔巨I ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄巨五I 。i゙⌒ヽ / ̄__! / )| ⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
〉同〉―――800――――j同ヲ ̄:; ̄ ̄| | ‐:::;;;;;;//、 ノ 〜⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
∠二_________二二__フ_| 丿-ー''''"" ̄ー`―'ズギャギャギャギャー
 ̄ ̄  ̄ ̄ ⌒);;⌒⌒) ;;⌒)
520 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 09:09:08
ただの変質者だと思われるだろうね
521 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 09:28:49
我は官軍 我が敵は天地いれざる朝敵ぞ
522 :
日本@名無史さん:2005/11/03(木) 09:32:18
戦時中はニュース(陸軍関係)のたびに聞いたもんだが(古老)
警視庁抜刀隊は薩摩抜刀隊をせき止める防波堤みたいなもんか。
絶対下がらない武士集団のお陰で百姓軍人達は食い止められている薩摩軍を揚々と狙撃することが出来た。
結果として警視庁側の死傷者数も酷いもんになったそうだがな。
524 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 08:52:22
ものすごく既視感
525 :
日本@名無史さん:2005/11/08(火) 09:54:21
薩摩(笑) m9(^Д^)プギャー
526 :
日本@名無史さん:2005/11/13(日) 06:40:47
age
527 :
日本@名無史さん:2005/11/19(土) 00:01:25
ネタ切れ気味?
528 :
日本@名無史さん:2005/11/21(月) 09:02:14
というか、完全にネタ切れ
529 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 19:16:26
530 :
日本@名無史さん:2005/11/29(火) 22:26:47
久々のカキコだがスレ違ってるな
531 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 19:59:39
日本刀は、
その霊験を以って戦わずして敵を調伏させるものであって、
断じて実戦向きの武装ではありえない。
簡単に刃こぼれするし、すぐに錆びる。
江戸時代、武士が帯刀を許されていたのも、それが『刀』だったから。
あくまで護身用程度の威力。
今の軍隊で言うところのピストル。
532 :
日本@名無史さん:2005/12/06(火) 23:51:35
ふ、使ったこともない者が利いた風な口をw
533 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 03:04:32
使ったことあるなら、
あんなの本物の戦争で使おうとは思わないだろうな。
534 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 06:37:43
ブライト「白兵戦だ!」
535 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 06:41:23
斉藤一
536 :
あ:2005/12/07(水) 19:45:38
警視庁抜刀隊って旧ソ連の内務省軍に相当するの?
537 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 21:57:11
>>533 サーベル使えってこと?
結構使い易いかと、刀。
538 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 22:33:25
俺は自分の下半身についている正宗1竿で十分だ
539 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 22:35:30
ポークビッツが何をほざくw
540 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 02:16:08
>>538の刀は烏帽子折れ、刃はささらのごとく、、、
>536
懲罰大隊でしょうな。
542 :
日本@名無史さん:2005/12/20(火) 19:27:48
age
543 :
【だん吉】 【834円】 :2006/01/01(日) 11:42:06
2006年age
544 :
【大吉】 【883円】 :2006/01/01(日) 20:35:19
,へ \ | / ,ハ百
\ \ \ | / ム.只
/へ/) ./ ̄\
∧_∧∩ )( ‐ ‐ ‐−──( ゚ ∀ ゚ )──−‐‐ =夫=_
.(*・∀・)7 ( ! ______ノ'""ゝ. \_/ フi三iヽ
゚ .冂つム゚_」 Y (_ ____) ':; | \ '─'
゜ ム_」」」」ゝ 人 ___) (__∠__ \| \
(,_,,ノ `ー´ ( '; (__________) ~':;,,. \
,' . / .' ヽ (_ ,,;::'~ ~':::;;,,,_
/ / ' \ヽ. __,,,,-‐''"~ ∧_∧ ( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄)
'0 __,,..l⊂Z_).⊃! ( ´∀` )  ̄ ̄ ̄ ̄) (二二二二二...... 0
0Π0- ‐‐'''"" |;;:.:. ヮ . .:::;| ,べヽy〃へ ( ̄ ̄ ̄ 0Π0
HΠH ∩.∧_∧∩ ∧∧/ :| 'ツ' | ヽ  ̄λ_λ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧∧ ̄ HΠH
EEE 匸(´∀`;)フ (,゚Д゚,). o |=宗=! o | ( `ー´) ヮ (゚ー゚*) EEE
|l|lil|ili| 瓜ゞッ=Lく ,くリ=ッ=[ゝ.__」「「「「L_.」 厂〉=ッ冂づ ヌ Oヮ⊂[]ヨ |l|lil|ili|
,,.<卅卅ゝ.__.,.,.,___.__.,.,.,(__)ヾZ)'_.,.,_じ(ノルハ)Jつ」」」」」⊂ソ.,_.,_.(入ム]つつ.__,L!__. (_」つ.,<卅卅ゝ,,.,,
545 :
日本@名無史さん:2006/01/15(日) 23:06:44
正月以来、ネタもなしか・・・
551 :
日本@名無史さん:2006/02/05(日) 23:51:16
アフォ晒しage
しかも、途中で飽きてるしw
553 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 08:36:55
斉藤一・・・抜刀隊の中で恐らく最強。。。
佐川官兵衛・・・戦死したがかなり強かったと思われる。。。
市村鉄之助・・・恐らく人並み以上に勇敢。でも戦死。。。
この内斉藤と市村は新撰組出身。
2人とも戊辰戦争を生き抜いている。(市村は途中離脱)
佐川は会津の侍だからかなり勇敢だお。。。
>>553 斎藤は延岡で宮崎士族との戦線の中、足を負傷し東京に送還されてるけど?
市村は西郷軍だが、その詳細は不明だな。
555 :
日本@名無史さん:2006/02/06(月) 13:45:52
>>554 市村さんがどっちだったかというのは
資料によって違うようです。。。
斉藤さんのことは初耳ですな。。。
>>555 市村が西南戦争に参加したこと自体が一説だが、
もし市村が政府軍についたなら、名簿等でその確証は取れる筈なんだが・・・
>>554 斎藤は確かに負傷したけど、怪我した箇所の記述は残ってないんでないのか?
558 :
日本@名無史さん:2006/02/07(火) 17:20:00
>>556 でも市村が西南戦争で戦死したことは確かですよね?
>>558 だから政府軍なら戦死すれば名簿等でその確認が取れる筈なんだって。
560 :
日本@名無史さん:2006/02/14(火) 22:31:08
>>559 そうか、、、また俺は勘違いしてたのか・・・・・・
561 :
日本@名無史さん:2006/03/24(金) 23:14:10
ageてみる
落ちる寸前で、需要も無かった駄スレを上げるな。
563 :
日本@名無史さん:2006/03/25(土) 10:54:24
sage
565 :
日本@名無史さん:2006/03/26(日) 11:04:42
誘導がageてどうするw
566 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 10:29:12
大村益次郎と大鳥圭介が田原坂に派遣して政府軍を指揮していたら、3日で勝つ?
大村なら、田原坂を無理押ししないで、
八代の上陸軍を主力として、南から薩摩軍を攻めそうだ。
ただ大村が生きていれば山県が陸軍卿になることもなく、西南の役の遠因と
される、山城屋事件も起きなかっただろう。
また、岩倉使節団留守中に西郷・板垣達が思い通りにする事も出来なかった
だろうな。つまり明治6年の政変もなくて、歴史も随分変っていただろうね。
568 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 20:14:16
大村と大鳥では、軍事の能力はどちらが上ですか?
569 :
日本@名無史さん:2006/03/32(土) 21:18:56
京唄子がいないとダメだろ
570 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 08:44:46
大村ならアームストロング砲を大量に投入するだろうな。
571 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:26:54
明治最初の陸軍のガクランみたいな軍服いいね。一度着てみたいなぁ。
572 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 15:37:49
本物はあまり格好良くないよ。
573 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:13:24
太平洋戦争当時の学ランのほうがカッコイイ。
574 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:22:35
車田正美のマンガのほうが・・・
575 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:31:23
田原坂つくったのが
加藤 清正公
576 :
日本@名無史さん:2006/04/06(木) 23:35:56
577 :
日本@名無史さん:2006/05/07(日) 16:25:05
一月ぶりにage
旬が過ぎた今頃になってこのスレを見始めましたが、いろんな人生が田原坂で
交錯したのだと思うと大変感慨深いものがあります。
しかし、抜刀隊の歌のフラッシュ、
天の許さぬ反逆を
起こせし者は昔より
栄えしためし有らざるぞ
の部分ででてきたのは落城時の鶴ヶ城では‥‥
鶴ヶ城を逆臣の象徴のように扱うのは訂正プリーズ。
579 :
日本@名無史さん:2006/05/21(日) 22:41:49
今さらもうどうでもいいって気もするが
奮闘した抜刀隊を讃える歌なのだから、隊士が見て悲しく思うフラッシュは避けたい。
581 :
日本@名無史さん:2006/06/24(土) 22:01:43
ほう
582 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 20:21:30
斉藤一はさぞかし活躍したと思うが
583 :
日本@名無史さん:2006/07/01(土) 23:33:30
そうでもない
584 :
日本@名無史さん:2006/07/02(日) 20:00:20
斎藤一は維新後、ぶった切った人間の仲間が政府高官になっちゃったからビクビクしながら生きてたんじゃないかな
585 :
日本@名無史さん:2006/07/03(月) 09:08:16
シランガナ
586 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 10:31:28
抜刀隊(笑) アホかwwwwwwwwwwwwwww
いつの時代も無いものを「有る」というのが大本営発表や
抜刀隊の功績なぞ無かった 「あの逆賊会津・新撰組までが改心して天皇・
新政府の為に突撃しとる」というのが抜刀隊宣伝の真相や
幕末〜明治のあらゆる内乱・士族の反乱を通じて抜刀白兵専門部隊が活躍
したとされるのは西南戦争の一局地戦である田原坂だけや 怪しするぎや
ないか そんなに強かったら薩英戦争でも下関戦争でも鳥羽伏見でも函館
戦争でも神風連でもいつでもどこでも編成して使いまくったらええやないか
それをせえへんということは全く使いものにならへんかったからや
存在自体がありへえん 想像すらできんもんなんや
だいたい白兵や騎馬突撃が鉄砲の前では全く無力なのは300年前の長篠の
合戦でわかっとるわけや 農民主体の織田信長軍が三千丁の鉄砲を三段撃ち
することによって、戦国最強・プロ中のプロである武田騎馬軍団の一斉突撃
を木っ端微塵に粉砕してるんやぞ
歴史の勉強が重視された当時ならこの程度のこと知識層なら全員知っとるわ
知らぬは実学をやっていた層(例:理系バカ)・無学の層のみ
薩軍の示現流による斬込もそう大したものではなかった そんなに凄かったら
日本陸軍・日本海軍・警視庁・陸上自衛隊・海上保安庁(船上での格闘)・
山口組などのヤクザが正式採用しとるわ 採用せえへんのは使えるシロモノ
やないからや
「薩軍もがんばったけど、官軍はもっと強いよ」というこれも大本営の宣伝やがな
587 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 13:33:37
佐川官兵衛よくやった。
588 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 17:02:15
抜刀隊って、西南戦争当時は、羅卒隊と呼ばれていたのでは?
589 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:32:08
抜
い
抜
新
幕 ワケ ワカ ラン
し ∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
な ( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
戦 ⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
そ < < < ) ) ) (_)|
存 (_(_) (__)_) 彡(__)
だ
合
す
を
歴
知
薩
日
山
や
「薩
590 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:43:39
>588
正式名称は警視庁警視隊
591 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:49:51
あの当時は警官と言う言葉は無く、警官は羅卒と呼ばれていた。
592 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 22:58:23
抜刀隊士族出身者の編制
農兵が役に立たず。
抜刀隊多く死んでいる。
593 :
日本@名無史さん:2006/07/11(火) 23:28:15
>>591 知ったか乙
西南戦争は明治何年かわかってるか?
羅卒が巡査に替わったのは何年かな?
594 :
日本@名無史さん:2006/07/12(水) 17:13:54
595 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:22:34
この曲って抜刀隊だったのか。初めて知った。
596 :
日本@名無史さん:2006/07/23(日) 18:35:10
当時の新型鉄砲役に立たず
武士身分であった者達で構成したのが
“抜刀隊”確か“白虎隊” 生き残り隊士 一名
抜刀隊に入隊したはず。
田原坂行けば 双方“抜刀隊”慰霊碑がある。
>>596 新型銃は十分役に立ちました。
警視庁の抜刀隊は薩摩軍の斬り込みから狙撃部隊の盾となりて次々と倒れていったのです。
彼らは7割近い死者を出しながらも、薩摩軍を田原坂より退けることが出来ました。
598 :
日本@名無史さん:2006/08/08(火) 17:10:59
>594
すばらし!大和魂ここにあり!
なぜ?アメリカが戦後潰そうと思えばいつでも潰せる状態の日本を
東西分断もさせず、その経済発展を黙認したか?
それは、タラワや硫黄島での戦いで大和民族に恐怖を覚えたから。
(また、神風特攻に多くの海兵隊員は恐れおののき、一部は泣き叫んだという。
こいつら、本気で切れさせて一致団結したらとんでもねえぞって・・・。)
ついでやが、なんでアメリカが在日米軍にこだわるか・・・?それはこんな
連中に独自で防衛やらしたら、とんでもなく強力になってしまうから・・・。
ちゅう事でこの曲きくべし!1曲目は普段聞き慣れない本来の海行かばやが
2曲目の抜刀隊はナショナリズムそそられる! 人に迷惑かけない右翼より
http://kaga226.hp.infoseek.co.jp/04/bato.html
流石、薩摩士卒に率いられた警視庁抜刀隊は最強だな。
実戦では薩摩士の構成比が圧倒的に大きい西郷軍抜刀隊相手に援護射撃がなければ迎撃出来なかったが。
600 :
日本@名無史さん:2006/08/09(水) 11:29:52
だったら、なんで新撰組は簡単に壊滅したんだ?
人に迷惑かけない右翼よりワロス
602 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 09:18:06
所詮抜刀隊も薩摩人
603 :
日本@名無史さん:2006/08/18(金) 09:39:16
会津かw
604 :
日本@名無史さん:2006/08/27(日) 14:38:34
何言ってんだか
605 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 21:47:08
,.-、
/.n l /⌒ヽ
| l l | ,' /7 ,'
, '' ` ー ' '-' / いっぱい犯して、いっぱい荒稼ぐMONEY
/ \ / `ヽ
l , .-. 、 l
ヽ ヽ ̄フ / いっぱい犯して、いっぱい荒稼ぐMONEY
丶、. ̄____,/
/ ,. - 、 )
(( ( n ([K],ハ_う
ゝ)ノ  ̄ ヽ 蕨市、川口市、草加市、八潮市、足立区、松戸市、柏市、葛飾区最高
/ _ l ))
〈__ノ´ `(_ノ
あなたの街は、犯罪者の溜まり場と化している。
蕨、川口、草加、足立、八潮、松戸、柏、葛飾と犯罪天国地帯を形成しつつある
606 :
日本@名無史さん:2006/08/30(水) 22:08:18
ワケ ワカ ラン
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
607 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:04:15
ワケ ワカ ラン
∧_∧ ∧_∧ ∧_∧
( ・∀・) ( ・∀・) ( ・∀・)
⊂ ⊂ ) ( U つ ⊂__へ つ
< < < ) ) ) (_)|
(_(_) (__)_) 彡(__)
608 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:11:55
609 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:30:24
610 :
日本@名無史さん:2006/10/23(月) 20:46:55
>>609 抜刀隊 という軍歌
現在でも陸上自衛隊・警察官 行進曲として使用している。
611 :
日本@名無史さん:2006/11/25(土) 21:31:17
11月に入って初めてのage
612 :
日本@名無史さん:2007/01/01(月) 19:19:04
新年age
614 :
日本@名無史さん:2007/01/13(土) 23:12:56
分列行進曲を作曲する際に、抜刀隊の歌のサビの部分を組み込んだのだ。
615 :
日本@名無史さん:2007/02/21(水) 02:47:28
スレタイで思い浮かんだ事が
>>2で出ているのにワロタ。
鎮台兵の援護射撃があればこそ、抜刀隊の白兵攻撃も有効な訳で、
現代の白兵戦でもそれは変わらない。援護射撃のない歩兵突撃はただの自殺行為。
そもそも鎮台兵に砲歩一斉射撃→銃剣突撃するだけの練度があれば、
抜刀隊なんていらなかった。
実際は援護すべき鎮台兵が逃げちゃったから、抜刀隊の死傷率は凄まじかった。
617 :
日本@名無史さん:2007/04/07(土) 13:15:22
618 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:11:57
抜刀隊は3度随時編成されて随時投入されたので、会津武士が多く配属されたのは
最初の現地調達の100名程度、調子に乗って全滅したってのもこの数が原因
薩摩の伝統はわざと負けて敵を引き込んで殲滅すること。
まさにお家芸にやられたわけですな。
抜刀隊が到着した頃には薩軍が消耗して云々は
関東で編成された抜刀隊900名のことを指している。
これは結局、戦局に寄与することはなかった部隊。
名にし負う抜刀隊は始めの100名を指す
。
会津家老佐川官兵衛については、抜刀隊とは別の部隊に所属しており
抜刀隊編成時には既に討死しています。参加できるわけがない。
619 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:13:00
別にいいんだけど
この過疎スレで誰に向かって言ってるのやら
620 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:28:02
抜刀隊の軍事的効果について
剣は銃にかなわないという意見がありそれに対して長篠の戦があげられているが
長篠において、官軍と同じ結果になって信長は少し慌てる経緯がある。
三段での射撃といっても雑賀衆であれば5秒で1発打てるが慣れない兵では
20秒程度になる。それを克服するために薬莢を使ってはいるのだが、
これも性能が揃わない。炸薬が多すぎれば暴発も多い。
歩卒についても慣れない兵器での戦闘は荷が重かったようで、
開戦してから歩兵突撃を受けると、信用できない兵器での戦闘に士気が低下
防御線が突破されかかる結果になる。
水平方向からの鉄砲射撃であれば竹束によって弾を避けながら柵を突破できる
し、高天神城においても武田はそうやって郭を落としている。
では、その不利な戦局をどう凌いだか、それは戦国の頃の常識である
防ぎ矢を打って凌いだ、頭上から降り注ぐ矢にはさしもの武田も士気が低下
結果、攻撃に失敗している。
何故、失敗したかというと信長が構築したのは巨大な陣城であり
武田が野戦と思っていた戦であったのに信長は陣城を作り篭城した。
このため、攻城戦となり、城攻めの準備のない武田は交替を余儀なくされた。
これらの経緯から歴史家の間では鉄砲が勝利の原因ではないことは周知である。
621 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:31:49
ちなみに織田の兵は歩卒にいたるまで職業軍人で農兵ではない。
農繁期という制約がないから織田は強かったわけである。
622 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:45:46
抜刀隊の効果であるが、ここで論ぜられているのは兵器についてのみであるが
兵器を扱うのは兵、つまり人間である。
戦場においてまず問題なのが武者震いという言葉が残っているように、
果敢な歩兵突撃を団体でやられると、恐怖で体が固まってしまう現象が
どうしても発生する。克服するには経験を積むしかない。
白刃を閃かせて突撃を受けると脆いのはここからくる。
何故、薩軍が白刃攻撃を多用したかについては
熊本城攻略に失敗し、弾薬が少ない為といわれるが、
戊辰の役において、自軍が会津兵による白刃攻撃で損害著しく歩卒に対しての
白刃攻撃は有効であるとの算段があって、敵を狭隘地に誘えば継戦可能と
判断がなされたことはあまり知られていない。
機関銃によるシンレッドラインが形成されないのであれば
槓桿式小銃を装備していても200mまで接近できれば射撃よりも銃剣のほうが
有効である場合も多く、近接兵器としての性能は決して低くない。
但し、近接兵器で有効であるのはナイフのほうである。
太刀は中隊単位での突撃時には有効であるかもしれないが、
隠密行動時などは携行性が著しく悪い。
623 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 12:52:14
結果、機関銃のシンレッドライン下での白刃攻撃は無効であり無謀ではあるが
槓桿式小銃や火縄銃程度であれば、白刃攻撃は有効である場合がある。
横に5名程度しか進めないの山間部の狭隘路であれば射撃の時間を許さない
白刃攻撃は有効である。
624 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 18:34:56
薩摩は負けた相手に親切で命を助けてあげるために長州や土佐なんかに説いてまわってたのに会津だけ何で悲惨なの??会津の捏造?
625 :
日本@名無史さん:2007/07/26(木) 18:55:07
かつて賊軍とされた会津を始めとする日本全土の諸藩出身者が
西南の役では大挙して志願し、名実共に『官軍』と成って
薩賊をぶった斬りまくったのが警視庁抜刀隊
かつて賊軍てどこの?薩摩が主力だよ??会津の手柄じゃないよ???
627 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 21:04:08
抜刀隊には薩摩兵が多く参加していますよ。
史実をよく理解してね。
会津については無理やり戦に巻き込んでいった経緯と
その後の扱いの酷さが遺恨を残す原因となったのではないかな。
斗南3000石への移封、蝦夷地での重労働など
扱われ方がフェアじゃなかった人が遺恨を残しているんだよ。
貧乏に耐えるためにね。
628 :
日本@名無史さん:2007/07/28(土) 22:46:10
>>627 「猪苗代に行けば?」と新政府に言われたのに「開拓して一旗上げよう」と欲を掻いて斗南に移って自滅した、
という八幡和郎の説は本当なんですか?
629 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:02:05
>>628 欲をかいたってのは誤謬がなきにしもあらずw
格下の猪苗代で惨めに生きるよりは、自存自立を選ぶのは
現代人みたいに誇りがないなら理解できなくもないが
当時では選択肢から外したいだろう。
また、受け入れの人数も限定されるので
全員を救うには、選択できない方向でもあったと思う。
自滅って表現も端的で、まさか実高で3000石ないとは思わなかっただろうから
表高が3000石ならば実高は倍以上あったのは当時の慣例で
扶持として3000あればやっていけるとの判断があった。
情報に蒙かった結果が招いた悲劇だが
そんなときに誰しも恨みを糧に生き抜くものだと考える。
630 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 08:47:48
猪苗代にとどまった方が賢明だったな。
631 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 13:08:11
会津藩士の大半は猪苗代に減封の方を望んだが、一部の重臣のゴリ押しで下北になった。
藩士の大多数は住み慣れた会津地方に留まることを望んでいた。
632 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 14:06:57
>>231 示現流って初太刀をかわされたらそのまま走って逃げてく剣術でしょ?
そら天真正示現流じゃなくて薬丸自顕流じゃね?逃げてくんじゃなくて駆け抜けてくのさ。
初太刀かわされたらどんな流派でも終わりやがな。
二の太刀を考えず初太刀に命を賭けるのが天真正伝神道流の教えだからな。
外人の多さにびっくりです!平和島競艇で桐生以上に叫んだ夏。
朝鮮系、中国系、インド系、キリスト系、さらにはその二世、三世…
近所では自民、民主、公明、共産のポスターが入り乱れで貼ってあります!
俺もモテるから料理上手いよ、ちょっ話が進んでるように見えるけど!
団地は貧乏の象徴なのか・・おまえが幸せにしてやれ。
なんか気に入らん。今日は比較的押さえ目な展開だな。
他人がなに信じてようがいいけどさ、
その人とかかわりを持つとなると別なんだよ。
実際の兄弟・姉妹はこんな会話が度々起きる。
覆面でデビューすれば、はいはい合格合格。
635 :
日本@名無史さん:2007/10/14(日) 21:34:24
ほ
636 :
日本@名無史さん:
我ハ官軍我敵ハ天地容れざる朝敵ぞ
敵の大將たる者ハ古今無雙の英雄で
之に從ふ兵ハ共に慓悍决死の士
鬼~に恥ぬ勇あるも天の許さぬ叛逆を
起しヽ者ハ昔より榮えし例有らざるぞ
敵の亡ぶる夫迄ハ進めや進め諸共に
玉散る劔拔き連れて死ぬる覺悟で進むべし